1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 14:09:09.13 ID:???
>>1乙
願わくは荒れずに冷静な軍事分析スレになりますよ〜に
3 :
名無し三等兵:2011/07/10(日) 21:08:08.36 ID:???
朝鮮征伐
4 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 07:48:41.65 ID:???
征伐
5 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 09:13:16.23 ID:???
戦国時代の人は朝鮮は中国の属国で、朝鮮が中国に泣きついて援軍を頼むのも想定の範囲内だったみたいだね。
6 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 15:15:48.69 ID:???
乙
秀吉は現実外交では明に対して征服を要求していないって本当?
もう一つ、秀吉の直轄軍はどんなもんだったの?
7 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 15:32:01.81 ID:???
8 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 16:35:22.43 ID:???
>>6 摂津とその周辺にいる小領主と大母衣・黄母衣衆や七手組、後は弓・鉄砲衆
数は兎も角、制度的には大したことはない
軍事組織については戦国時代を通じて徳川家が最も進んでいる
9 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 16:46:31.59 ID:???
>軍事組織については戦国時代を通じて徳川家が最も進んでいる
盲目的なそういう主張をまま耳にするが、大番がどうのという程度の
理由付けしか聞いたことがない。
10 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 17:57:55.80 ID:???
?
11 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:00:51.62 ID:???
>>9 他には天正期の旗本先手組とか国衆を家老の指揮下に置いた三備の制
慶長は大番以外に関東大名の頃には小領主を江戸一円に置き、一夜で江戸に集結出来るようにしている
12 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:13:06.10 ID:???
優れた徳川の旗本や譜代部隊が一介の寄せ集め浪人衆に本陣まで迫られた大坂夏の陣や砦ひとつ落とせなかった大坂冬の陣
農民兵に惨敗した長州征伐や鳥羽伏見
13 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:24:44.45 ID:???
なんか、徳川ヘイトがうぜえ
14 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:36:20.99 ID:???
前スレもだけど事実を曲解してまで徳川叩き・徳川排除したがる連中がいるよな
15 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:51:49.64 ID:???
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ ⌒ ) r'⌒ `!´ `⌒)
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ ⌒~~ /
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |
│ /───| | |/ | l ト、 |
| irー-、 ー ,} | / i
| / `X´ ヽ / 入 |
軍板の良い子の諸君!
よく軍事や歴史をかじった秀吉や家康気取りが
「なぜこの作戦をとらなかったのか?」と吠えるが
大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ。
軍事が何故難しいか理解できない人間に軍事は語れないぞ!
16 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 18:52:46.56 ID:???
>>12 夏の陣だと家康前面の部隊は
先手は本多と関東外様
二番手は榊原と信濃勢
三番手は酒井と関東譜代
で、各々5500程度に統一されている
17 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 20:39:09.00 ID:???
徳川勢が一隊も渡海してないのは不思議
家康渡海は自重は分かるが井伊か榊原くらいは5000くらい率いて渡海させていてもおかしくない
18 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 21:53:21.67 ID:???
秀吉の計画では海の向こうの新領地を切り取らせる予定だったから、自分の子飼いの
連中を行かせた。何が悲しくて家康に切り取らせるチャンス与えなきゃいかんのか?
現実はぼろくそだったけど、勝つ予定で戦争始めたんだからな
19 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 23:24:13.28 ID:???
>>18 しかも家康を行かせると目の届かないところで何されるかわからないという恐怖
監視役?家康が抑えられる人間なんか行かせて肝心の国内を弱体化させてどうするんだよ
20 :
名無し三等兵:2011/07/11(月) 23:28:27.89 ID:???
家康なら命じられた事はしっかりこなすでしょうな
問題はそれによって否が応にも増す家康の声望で
21 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 01:38:01.08 ID:???
文禄の役は秀吉がなめきって徳川軍温存したとして
慶長の役では上杉や伊達も渡海している
徳川軍から一隊くらい投入してもいいのに
22 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 01:43:56.40 ID:???
秀吉「家康投入して成功すると家康の手柄になるじゃん」
23 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 02:30:27.74 ID:???
>>22 家政「父や半兵衛殿が生きていたらこの際徳川殿に手柄を立てていただき、徳川朝鮮を与えればよいと申したでしょ」
24 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 07:03:40.37 ID:???
そういう自分の言いたいことをキャラクター化した大名に言わせるの凄く寒いんですけど
25 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 08:30:38.93 ID:???
秀吉は左遷じゃなく褒美のつもりで切り取った朝鮮を部下に与える予定なのに、徳川に与えるわけがない
目を離した隙に何をされるかわかったもんじゃないしな
26 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 11:30:54.48 ID:???
朝鮮征伐による獲得領土は褒美で与えるものっていう秀吉の価値観がひっくり返らないと、家康を朝鮮に行かせるという選択肢が出てこないよな
大坂に攻め入るにはやや遠く、監視するぶんには適度な距離っていう関八州に封じ込めた意味がなくなる
当時の関八州なんか要所であっても糞田舎もいいところだったんだし
27 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 12:28:09.96 ID:tXUI4sqn
もし朝鮮の役が成功して子飼い武将が朝鮮各所に転封されたとすると、
関ヶ原の戦いは、朝鮮兵を引き連れた部隊が多数現れる展開になるのかな?
それってどうなの?
28 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 12:40:09.64 ID:???
九戸城攻めに松前藩はアイヌ兵を動員してるからな
朝鮮を地行にしてる大名がいたら朝鮮兵を動員することになるだろね
仮に日明講和が成立し伏見条約かなんかを結んで
南朝鮮3道を日本が割譲されたとしたらありえなくはない
ただ異国と国境接してたらさすがに関ケ原には派兵出来ないのと違うかな?
29 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 12:43:30.10 ID:???
関ケ原があったとすると
朝鮮は失地回復のチャンスじゃないか
30 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 13:07:09.13 ID:841h89Vv
どうみても秀吉が家康を出兵させなかったんじゃなくて家康が出兵を断ったんだろ?
1この頃すでに秀吉死後に家康自身による天下再統一まで見据えていた(兵力を温存したかった)
2さらに荒野原である関八州が手入れ次第で莫大な石高をもたらす宝の土地だという事にも気付いていた(朝鮮出兵で国造りが遅れるのが嫌だった)
3そして何より朝鮮征伐は失敗すると読んでいた(失敗すれば総大将の自分が責任を負わされる)
だから家康は「まだ田舎に越したばかりで色々と大変なので朝鮮出兵は勘弁して下さい」と秀吉に甘えたふりをして断ったんだろう。
家康の先見の明で朝鮮征伐を断った。
31 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 13:29:20.67 ID:???
wikiの記述が笑える
>>秀吉の明征服計画について、従来、秀吉の誇大妄想として評価されることが多かったが、
こと朝鮮と日本の地位については、すでに戦国時代に朝鮮よりも日本が優位であるとする
認識が存在していたことが近年、明らかになってきている
地位ってなんだ?w国力なら古代から一貫して日本の方が上だろw
32 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 13:55:15.99 ID:???
そこで言及してんのは単に意識の問題だろ
李朝を軽んじていたのは秀吉一人ではなくて日本人の大部分がそうだったかもしれません
という話
33 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 14:08:15.51 ID:???
元寇の際は、日本は捕虜に対しての扱いは、明確な区別をつけていた
古くから交流のあった南宋の遺臣に関しては、後に帰国まで許したが
高麗人やモンゴル兵などは皆殺しにした。
交流があっただけなら、高麗人もあっただろうが
モンゴル兵などと同等に扱った理由は、高麗人への蔑視と読み取るか
それとも日本遠征では積極的に協力した高麗への恨みと取るべきか。その辺は悩むところだ
34 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 14:10:59.00 ID:???
両方といった所だろうね
35 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 14:13:50.85 ID:???
>>27 まあ、それはそういうこともあっただろうが
ただし、それほど大規模な部隊の派遣は難しかっただろ。
毎日、何万人も海外から日本に入国する現代ではないのだ。
数万人単位に対馬海峡を渡らせるのは大変な事だからな
36 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 14:38:00.55 ID:???
>>35 九戸に松前から津軽海峡を越えて1万以上派兵できたんだから
船腹量が格段に多い対馬海峡越えなら数万は派遣する事は可能
まあ仮想敵国が陸続きなのを無視すればだが
37 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 14:54:42.39 ID:???
元寇は南人兵士の棄民政策だから南人兵士を帰国させれば元がその扱いに困る
高麗王は元に日本侵攻を提案した張本人
38 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 15:03:54.33 ID:???
やっぱり秀吉が目の黒い内に朝鮮半島に三成と家康を棄民するしか豊家の存続はないな
三成が政権にいるかぎり浅野幸長、蜂須賀家政、福島正則、加藤清正ら豊臣譜代の有力諸大名が反目する
39 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 15:31:37.98 ID:???
当時朝鮮を軽んじてたのは日本人も明人も女真人も皆同じで東アジアの常識
つまり朝鮮征伐での本戦は朝鮮に来援に来る明軍との決戦であることは秀吉以下衆目の一致するところ
しかし明軍の来援ルートになる平安道には八道国割では小西ら一番隊を出しただけ重要視していたとも思えない
だが明軍来援小西軍敗走と聞いた大友勢の狼狽をみると明軍は強敵だと認識があったのだろう
そうなればますます平安道に戦力を集中しない理由も分からない
今までの秀吉なら朝鮮首都漢城攻略した時点で明軍来援を予見し家康など主力を投入しただろ
碧蹄館の戦いに家康ら主力が参戦出来ていたら明軍は全滅し李如松は敗死し明軍は山海関まで部隊を後退しただろな
40 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 15:50:12.03 ID:841h89Vv
まあ家康は死んでも朝鮮には行かなかったろうけどな
41 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 16:36:40.84 ID:???
>>32 主観的帝国意識って奴ですな。10年以上前から言われてる
42 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:20:08.58 ID:???
>>32 それはある意味間違っている。
むしろ秀吉は朝鮮のことを損得勘定が出来て話せば分かる政府と民衆の居る生産性のある国だと過大評価していた。
しかし朝鮮は統治力が弱く、支配を守るために搾取を繰り返して民衆を疲弊させる非生産的な努力が報われない社会であった。
銀山があると明に上納する必要があるので、鉱脈が見つかってもなかったことにして開発しないような腐敗仕切った国だったと誰に想像できるか?
常識的に考えれば隣国も日本並みとは言えるか分からないが、琉球並みには話が通じ、征服するに足りる領地を支配している相手だと思うだろう。
知る由もなかったが、秀吉の失敗の原因は朝鮮の過大評価。
43 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:28:30.18 ID:???
>>38 でも秀吉的には棄民どころか栄転もいいところだから、お気に入りの三成はともかく徳川の朝鮮行きはまずないぞ
逆に棄民の意識があるなら徳川を行かせてもお気に入りの三成の朝鮮行きが消える
44 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:35:37.21 ID:???
>>42 九州山陰瀬戸内と朝鮮や支那との交易は非常に盛ん
秀吉のお膝元堺には南蛮支那朝鮮貿易を営む商人は多い実態は十分把握できた
少なくとも毛利や小西や宗は明朝鮮についてよく理解していた
大老の一人である小早川隆景も明朝鮮について腹心らから正確な情報は得ていた
秀吉にすれば過酷な支配で苦しむ朝鮮人民の支持を得れると考えた方がよい
45 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:42:10.73 ID:???
>>44 明に倣って海禁し、流通が悪くた街道を行くのは公務の官吏程度の道悪さ。
朝鮮情勢など、知れても一部の表層に過ぎず内実や交渉に於ける出方など知るすべはやってみる以外にない。
46 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:46:04.89 ID:???
>>44 非合法で入手する希少性が売りの朝鮮物なんだから、交易が盛んなわけなかろ?
47 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:49:02.27 ID:???
>>43 秀吉は家康を警戒もしていたが信頼もしている
朝鮮をまかせられるのは家康くらいだろ
また万一の抑えに信頼する三成を配するのはあり得る
48 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 18:56:21.89 ID:???
倭寇が奪ってきた唐物を博多や堺で受け入れている国内ブローカーの商人が朝鮮事情に詳しいのか?
たかの知れた事情通だわな。
49 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 19:15:57.59 ID:???
インターネットで朝鮮のことを調べずに攻め入った情弱秀吉は逝ってヨシ!
50 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 20:09:05.50 ID:???
>>47 攻め入るのが難しく、監視もしやすい関八州から攻め入るのは難しいが監視も難しい朝鮮に移転させるメリットがない
さらに味方として見た場合、何かあった時に朝鮮からじゃすぐには駆け付けられない(特に台風シーズンは自然に足止めを喰らう)
信頼し、なおかつ警戒している相手を置くには朝鮮半島は遠すぎる
これは信頼している三成も一緒で、朝鮮に置くなら「監視の必要もなく信用しているが、何か起きた時にすぐには必要とならない武将」がベスト
51 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 20:56:10.27 ID:???
>>50 朝鮮半島経営は外敵が隣接するため大名には軍事的センスと統治行政能力が必要
国内が統一された今有力大名は脅威でしかない
52 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 21:14:59.78 ID:???
>>51 それは監視の目がなくなってすき放題される可能性もある家康でなくてもいい
家康以外は無能しかいないっていうのならまだわかるが
53 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 21:46:17.75 ID:???
九州と同じように考えてたら
文化も言語も違った異民族だったって落ち
54 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 21:47:15.90 ID:???
>>48 倭寇が奪ったというが、倭寇とは貿易船だよ
北欧のヴァイキングが海賊としてよく知られるが、彼らの収益の98%は交易で得たものであり。
彼らが海に出た主要な目的は、略奪ではなくて交易だったことは明らかだ。
倭寇に関しての記述も、貿易商人だったことは知られている。
貿易していたら、途中で海賊の襲撃もあるし
頼るべき者のない外国での商談となれば、互いに武装して応じることにもなる
だから貿易船は武装するのは、当時は当たり前の事だった。
そんな時に商談が決裂すれば、なら腕づくでって事にもなるし。
何かの理由で貿易が上手くいかなかったら、彼らにしてみればそのまま帰国するのは死活問題だ
このままでは国のかあちゃんに申し訳ない、ちょっくら略奪でもして、穴埋めしようかって事にもなる。
倭寇の略奪ってのは、結局、そういうものだったのだよ
55 :
名無し三等兵:2011/07/12(火) 21:58:10.70 ID:???
最近は情弱ばっかか?
倭寇が私交易船なんて常識やろ
日朝貿易は朝鮮人参はじめかなり活発だろ
56 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 12:27:50.48 ID:???
朝鮮征伐に陸軍を送る前に天正18年くらいから倭寇を準水軍化し倭寇を奨励する考えは無かったのが残念
倭寇を規制せず支那朝鮮沿岸への組織的海賊行為を活発化させ
海賊根拠地として済州島を占領し染み込む様に侵食する方が効果は大きい
57 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 13:16:34.95 ID:???
まぁ要するに密貿易やね
公的には、毛利が大内の後継として朝鮮に貿易の継続申し込んだら
さすがに断られたって話があった希ガス
58 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 13:33:25.91 ID:???
>>56 明側も沿岸部の従来の倭寇用城塞を強化するなどして対策はとってた
それにいわゆる倭寇も海賊禁止令での締め付けと水軍への編入で
日本側での人材は不足気味
59 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 14:01:21.07 ID:???
しかしそれは対明のことでは?
60 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 14:49:23.57 ID:???
大規模倭寇は度々南京まで揚子江を溯り明の都城を略奪している
朝鮮征伐と同時期に大規模倭寇が江東を厄したら明は朝鮮に援軍を出せない
やはり倭寇を利用するのは唐入りの近道
61 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 14:52:51.47 ID:???
このころの倭寇は、倭寇と呼ばれるもののうち10人に9人までは中華の民がやってる
偽倭寇で、本物はほとんどいないと記録されてるように、利用したくてもいないものはできない
62 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 15:38:01.26 ID:???
>>61 倭寇と言っても大部分は支那の沿岸漁民を祖先に持ったり済州島に残った蒙古人だったり全羅道の朝鮮漁民だったがリーダーは日本人や混血が多い
なぜなら倭寇の根拠地は平戸や福江や天草を中心とする九州各地
鄭成功も支那の父と日本人の母の間に産まれた
この事から母方の祖父が率いる倭寇が南明に協力し交易していたのがわかる
63 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 16:00:38.34 ID:???
朝鮮征伐とはバカウヨ用語
普通の人は使わない言葉
64 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 16:21:51.12 ID:???
じゃあ朝鮮成敗で
65 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 16:36:32.42 ID:???
普通は朝鮮征伐だろ
日韓併合で日本になったのに朝鮮征伐はと言うことで右翼系が作った言葉が文禄慶長の役
まあ最初は唐入りが正式
66 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 20:46:27.10 ID:???
秀吉による朝鮮征伐の呼び方は
唐入り・唐御陣・高麗陣・朝鮮陣・朝鮮征伐・征韓・文禄の役・慶長の役・朝鮮出兵・朝鮮役・征韓の役
朝鮮侵略・壬辰倭乱(文禄の役)・丁酉倭乱(慶長の役)・丁酉再乱(慶長の役)・壬辰祖国戦争・朝鮮の役
などがあるのであなたの政治思想・国籍などにあったものでお呼びください
67 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 20:50:08.20 ID:???
63は壬辰祖国戦争あたりがいいんじゃないか
68 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 21:02:33.83 ID:???
野蛮な侵略を肯定するような言い方はやめるべきだよな。
69 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 21:09:50.88 ID:???
知らなかった
野蛮じゃない侵略がこの世にあるなんて
70 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 21:29:39.60 ID:???
日本が外に出ると内外碌な事にならないから、
内に篭って腐った方が良いと思う
腐ると言っても日本は文化的に腐る(というか発酵)する程度だし
71 :
名無し三等兵:2011/07/13(水) 23:44:43.09 ID:???
東に比重があるが時は大体その腐ってる時なんだよな
西に傾くと対外拡張主義に走りまくる
72 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 00:25:14.23 ID:???
侵略とは違うだろ半島南部はもともと歴史的に日本領、百済加耶新羅は大和の属領
73 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 01:51:47.59 ID:???
壬辰祖国戦争は朝鮮征伐の北朝鮮での呼び方
倭乱と付くのは韓国での呼び方
中国では抗倭援朝か万歴朝鮮役もしくは万歴日本役
当時の言い方では大明へ御道座など
74 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 02:02:23.97 ID:???
侵略される弱い国が悪いって時代だろ
75 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 02:24:18.78 ID:???
李朝の頃は朝鮮も北に浸食してたしな
76 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 06:06:08.11 ID:???
>>68 韓国が、対馬への侵略行為などをどう語っているか知っている?
わが国の栄誉を諸国に知らしめたって語っているのだよ
こんな国に対して、侵略が許されなかったと論じるのは阿呆だよ
77 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 06:39:53.29 ID:???
有史以来支那大陸王朝に冊封し度々金銀や穀物だけでなく百人単位で美女も贈らねばならない最低国家が朝鮮
78 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 07:02:58.08 ID:???
>>72 今日においては、そういう見解は否定されてるぞ。戦後の史学においてはな。
79 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 08:14:10.48 ID:???
>>78 おいおい中国の歴史書の記載と朝鮮南部での前方後円墳や日本式土器の発見で
むしろ戦後の研究でヤマトの朝鮮南部支配が証明されてるんだが
当時は慶尚道全羅道全域はヤマトの勢力下
百済は現在の京畿道黄海道忠清道、新羅や加耶は慶尚道内の日本系豪族
咸鏡道、江原道、耽羅島、于烏島には朝鮮系以外の原住民部族が国を形成
満州から平安道にかけては高句麗が台頭していた
80 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 08:36:47.44 ID:???
朝鮮は隋など北朝の圧迫を受けた高句麗が南下し百済を押し下げ結果的にヤマトは全羅道の支配権を保護国百済に譲る
新羅が慶尚道内で台頭し高句麗の南下により朝鮮系住民を組み入れた国家に成長しヤマトの保護国から独立し高句麗に接近
慶尚道は親高句麗の東の新羅と親ヤマトの西の加耶諸国に分かれる
新羅が加耶諸国を侵食する中、ヤマトは百済に加耶諸国の統治を委任する形に移行
新羅は高句麗からも独立し大陸を統一した唐と連合し百済を滅亡させる
高句麗は長年半島支配でライバルだったヤマトと対唐新羅同盟を結びヤマトは百済復興支援を行うも大敗し半島から完全撤退
残された高句麗も唐の猛攻に合い滅亡、新羅が唐が占領していた旧百済領を唐から奪還し黄海道江原道以南の朝鮮半島を統一する
この時初めて朝鮮半島に高句麗系でもヤマト系でもない王朝が成立するが
新羅は王族や貴族はもともとはヤマト系、住民は高句麗系と漢人の混血の朝鮮人
現在の朝鮮人が民族的に確立したのは7世紀の新羅による半島統一の過程による
出土する遺物や中国の史書を見る限り明らかに半島南部慶尚道全羅道は歴史的にはヤマトの支配圏と言える
81 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 10:52:24.26 ID:???
良いんだよ侵略かどうかなんて
WW2でもソ連も中国も侵略国扱いになってねーだろ
先に日本を侵略したのは向こうなのにな
その場のノリで良いんだよ侵略かどうかなんて
82 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 10:59:07.90 ID:???
>>81 有史以来一度も神国日本は支那畜に侵されたことなどないわ!
83 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 11:00:49.37 ID:???
>>82 上海共同租界が侵略されたじゃん
特殊権益への干渉も当然、侵略だよ
84 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 11:20:06.61 ID:???
>>79 戦後の史学における通説はそうなんだよ。正しいかどうかは置いといてね。
85 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 11:31:27.19 ID:???
>>82 百済が日本と無関係だと言うならそうかもしれんが
86 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 11:31:45.20 ID:???
話が逸れてるが、いずれにせよ当時の秀吉は情勢に疎く、朝鮮は対馬に服属し、明は、処女・生卵のような国だと認識していた。
87 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 12:05:46.96 ID:???
神国六十六州が支那畜に侵されたことなどはたしかにない
蒙古には元寇で多少荒らされはしたが一時的なもの
88 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 12:07:51.90 ID:???
>>86 愚かしいのを通り越してキミがどこでそんな与太話を信じこまされたのかに興味あるな
89 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 12:13:38.34 ID:???
>>88 任那日本府はかなり確実なレベルで実在したのは間違い無いよ
どういう性格な物かははっきりしないけどな。南朝鮮で日本式古墳が発掘されてるからさ
まあ、本題からはどうでも良い事だ
やっぱり一度秀吉を朝鮮に親征させるべきだったな
現地と総司令に情報障壁がありすぎるのが秀吉の誤解の要因だし
90 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 13:06:42.57 ID:???
91 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 13:20:02.60 ID:???
>>89 秀吉は最前線に行くより京に戻り関白に返り咲くべき
代わりに秀次を征夷大将軍に任じて朝鮮征伐に派遣すべきだった
総大将 豊臣秀次(釜山)
副大将 徳川家康(漢城)
戦奉行 石田三成(大邱)
寄 騎 伊達政宗(江陵)
寄 騎 黒田如水(牙山)
寄 騎 長宗我部(全州)
寄 騎 小西行長(晋州)
寄 騎 島津義弘(木浦)
(第二次派遣軍16万)
92 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 13:41:53.18 ID:???
豊臣政権の危険分子をまとめて反逆させる馬鹿な案だな。
93 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 14:12:08.71 ID:???
>>92 朝廷から皇子を招き朝廷王とし秀次に朝鮮幕府を開かせ家康に執権、三成を連署とし明や朝鮮残党や後金と争わせ内地にちょっかい出す余裕を与えない
94 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 14:12:39.83 ID:???
九州の大名や部下にに対して秀吉がしきりに『畿内五州と同等に』と書状に残しているんで
行く行くは九州は公領化してたかも。九州の外様は全部朝鮮とかの外地に飛ばして
徳川とかが朝鮮に入るよりは実際はこっちの方が可能性としては高い
95 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 14:21:59.51 ID:???
>>94 秀吉は家康に10年ほど関東開発をさせてから国替えさせるだろうな
96 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 14:24:07.11 ID:???
家康の関東入りから10年も秀吉生きてないんですけど
97 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 14:38:06.30 ID:???
>>96 秀吉も10年も経たずにそんなに早く死ぬつもりじゃないだろ
自分がいつ死ぬか知ってるなら別だが
98 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 17:25:26.89 ID:???
いつから関白が征夷大将軍を任命出来るようになったんだ
それに、それを言うなら征明大将軍だろ
99 :
名無し三等兵:2011/07/14(木) 18:33:09.99 ID:???
>>98 関白は朝廷の最高位
征夷大将軍の任命権は朝廷にある
事実上関白が任命権者である
ちなみに摂政関白とは天皇に代わり国事を代行する立場の者
>>99 征夷大将軍は勅令で任命されるから、制度的には関白は関係ない
別に征夷でも良いんじゃね
不埒な外国はまとめて夷扱いって事でさ
幕末も日の沈まぬ帝国にして世界の中心なイギリスも含めて夷敵呼ばわりだった訳だし
>>100 まさか勅令は天皇が一人で出してるとか思ってないよな(笑)
権力者の助言でなんぼでもだせるぞ
信長など関白、征夷大将軍、太政大臣の三職を蹴ったにも関わらず自分の都合で休戦勅令を連発させている
天下人である関白秀吉が勅令権を握っているのは疑いない
実際、秀次を関白に任命してるな
征夷大将軍は大政奉還まで幕府が代々勝手に決めて朝廷に追認させている
任命権うんぬん言うレスしたアホはスルーで
征夷(大)将軍って元は従四位下の低位官位だったんだよね
まあ昔は武士は高位の官職は望め無かったが
近衛中将や参議や中納言より征夷大将軍は低位だった
さらに征夷とは中華思想による東夷を征伐する意で現代訳すれば東北方面太平洋側司令官でしかない
征夷大将軍が珍重される様になり右大臣等と同格になるのは源頼朝が武家伝統の官職で幕府を強引に開いたからだ
>>106 良いんだよ元々の意味なんて
南蛮だって幕末には夷敵って事になったんだから
109 :
名無し三等兵:2011/07/15(金) 02:12:50.01 ID:ORqYg1Uo
征鮮大将軍 秀吉
>>109 関白から大将軍じゃ大幅格下げじゃないかw
鎌倉に幕府を開いたから征夷大将軍
博多に幕府を開いたら鎮西大将軍
因みに百済救援軍の総大将に任命された
阿部比羅夫は征新羅将軍に任命された故事がある
朝鮮に幕府を開くなら征朝鮮大将軍でいいじゃない
寺から皇子を還俗させて朝鮮王に奉じて
秀次を征朝鮮大将軍とし朝鮮に幕府を置く
明と朝鮮残党との国境には西海岸に徳川と島津、東海岸に伊達と南部を置き
南海岸には石田、小西、黒田を置き秀次を補佐させる
未だに朝鮮に邪魔者を飛ばせばいいと思ってるのがいるんだな
秀吉を暗殺でもして別の朝鮮征伐派を立てない限り、三成と家康の両者が朝鮮行きすることはありません
あんな難治の場所、天領にするしかねーよ
そして、あんな天領いらねーよ
>>114 島流しならぬ半島流しにちょうどいい
家康と三成をセットで流すのはいい案だ
家康には豊臣軍の朝鮮方面軍軍団長としての宿老任務を任せられるのはそなた以外いないと秀吉おとくいのなにわ節を大名衆の前で行い有無を言わせず承諾させる
三成には方面軍軍事大権を握る家康が万一謀反など起こさぬように目付と異国の難しい行政を行うと言う奉行の二職を出来るのは三成か直江くらいしかいないため消去法で
>>115 最大の問題は秀吉が死にでもしない限りそんな状況にならんということだ
三成が秀吉からの信頼を失うような事件でも起きれば別だが、そこまで行くとチラ裏でやってろレベル
三成は流すんじゃなくてお目付けだろ
あれは大名でもなんでもないのに流すも何もないだろ
>>116 信頼してない奴に目付をさすわけないだろ
三成を朝鮮に行かせて誰が豊臣政権の運営するんだ?成り上がりの秀吉には譜代の家臣が
いないから、家臣団の層は極めて薄い。忠誠心と能力の両方をもってて政権運営ができる家臣
は三成ぐらいしかいないぞ
>>118 だから、数少ない信頼できる家臣である三成を朝鮮まで飛ばすわけがないって話だよ
ありあえるとすれば三成が秀吉からの信頼を失って飛ばされるケース
ただし秀吉は朝鮮の土地を内政での重要度が低い家臣団への褒美と考えていたふしがあるので信頼性の低い家康も内政能力の高い三成も朝鮮行きは考えにくい
それが考えられるとすれば、秀吉が暗殺されるなりして史実より早く死亡し、別の朝鮮征伐派がトップになるケースぐらい
普通に考えりゃ切り取り次第で戦った奴のモンになるよな
渡海して功績があるわけでも無い家康に与える道理がまるで無い
飛ばすんじゃなくて仕事だろ
お前は飛ばされるかか栄転しか転勤の概念がないのか
浅野長政で良いじゃん
何で三成か家康かの二択なんだよ
>>122 仕事じゃなくて報奨だろ
今の会社組織と封建社会を一緒にしてどうする
というか、そこまで好き勝手配置替え連発できるほど豊臣政権って強固か?
関八州への国替えさえデリケートに扱った豊臣政権が朝鮮への国替えを容易く行うのは違和感ありすぎ
家康が拒むって事を考えないからね
>>125 ゲームではコマンド一つだしね・・現実で転勤や人事もやったことのない連中が
書き散らしてるんだろ
>>126 バカ?拒めば秀吉の思うツボだろ
加増転封を拒めば即改易
関ケ原で無傷の毛利や上杉も大幅減封にも応じただろ天下人とはそういうもの
加藤や福島でも改易にすら応じている
島津の様に抵抗する方が稀だし島津の地元がもっと中央で肥沃なら滅ぼされただろう
>>123 三成か家康でなく三成と家康のバリューセット
浅野は一門衆だけに異国には派遣しないだろう
近江衆以前の譜代で三成が一番優秀
家康の補佐役と目付役を同時に出来るのは三成だけ
浅野では取り込まれてしまう
>>128 その場合、家康に撃退される可能性もあるか
131 :
名無し三等兵:2011/07/15(金) 19:59:05.97 ID:LTQuum0W
[人事]メニュー→[異動]→[栄転]チェックボックス選んで、
「異動を拒んでいますが、無視して辞令を
発しますか」にyesを選んで発令。
>>129 三成も家康も本土に置いて、浅野を朝鮮にやれば良いじゃん
何で小大名の三成と一番警戒しなきゃならん家康なのよ
朝鮮は将来的には征明の最前線になる要地にして、難治の地だ
むしろ信頼出来る一門衆を送るべきだろう
秀吉に意見する様な奴だから、秀吉的には中央には要らないし
>>128 小牧長久手の戦いで軍事的に屈服させらなかったのに、ゲームと違うんだぜ。
『こうすればよかった』より『こうなっていた可能性がある』話のほうがいいな
前者は小説にでも纏めてください
実際に使える奉行衆は石田三成も大谷吉継も浅野長政も寺沢正成も朝鮮へ派遣されているわけで。
>>125 百万石以上の所領のあった織田信雄や丹羽長重を取り潰していますが?
家康を朝鮮に国替えさせるとか言ってるアホはまず秀吉を取り除く手段でも考えろよ
秀吉自体が家康国替えの障害なんだからさ
徳川軍最大動員は5万〜6万
小牧長久手での秀吉軍は15万だが天下人の今は30万は動員可能
小牧長久手をもって軍事的に討伐出来ないとするのは近視眼的
家康の軍事的反発を恐れていたら北条攻めなどしない
秀吉は敢えて家康の娘婿の北条を攻めることで
家康が北条伊達と連合し刃向かうか
秀吉政権の重臣として振る舞うか試した
つうか小牧長久手は戦争として秀吉が勝利しているわけだが?
いつまで江戸幕府のプロパガンダに踊らされてるんだ?
少なくとも秀吉は朝鮮出兵を厄介者排除の機会と考えていた形跡はない
むしろ正当な恩賞として切り取った領地を与えるために動いていた
となると、名ばかりの加増を理由にド田舎へ封じ込めた家康をわざわざ動かすより、一門衆を派遣した方がいい
朝鮮切り取りで獲得した領地への考えを秀吉が改めない限りは家康転封なんか有り得ないよ
した方がよかったって話だろ?
>>142 前スレからずっと家康朝鮮転封派は「家康は朝鮮転封可能だった!転封していたら豊臣政権は長続きしてた!」みたいな妄言吐き続けてるじゃん
>>139 そんな大軍勢を一度にどうやって投入する?
精精、小田原役と同じ規模が限界
>>140 小牧と長久手自体が徳川が陣を置いた場所で徳川中心の史観に基づく名称だからな
>>143 秀吉がやる気なら不可能ではないだろう。
せめて全土占領してからじゃないと強権過ぎるが
豊家と徳川は朝鮮征伐時には既に朝日姫が他界し姻戚関係は無くなってた
しかし朝日姫の元夫として準一門としての扱いにはなる
政権No.2で信頼する義弟であり軍事的才能も行政手腕もある
家康以上の朝鮮総督など豊家政権にはいないだろ
148 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 02:51:49.82 ID:jwJHMaaW
朝鮮管領 家康
>>148 秀次を朝鮮公方にするなら家康を管領もあり得るが
朝鮮に公方を置かないなら探題が適任だろう
もともとの構想は九州大名の朝鮮転封と毛利の九州移封。
加藤や鍋島がおもねって希望も出しているし、毛利の噂は大名へ広がっていた。
ここのスレには客観視できない奴がいるな
史実や徳川史観に影響されすぎてる
家康は纂奪者の前に豊家一門であり政権の重臣
153 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 08:30:26.57 ID:CqThzK6v
秀吉の頃は百済王の末裔の百済のコニキシは誰かいなかったのか
154 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 08:32:10.86 ID:jwJHMaaW
で、当の毛利は朝鮮行きたがってたの?
そうでなければ、朝鮮役失敗の原因はサボタージュという線も...
155 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 08:33:29.88 ID:jwJHMaaW
間違った。
毛利じゃなくて、九州大名か。
>>154 大友や大内に近い大名は朝鮮がどんなとこかよく知ってた
九州や中国の大名が朝鮮に行きたいとは思わないだろな
ただ朝鮮は弱小国で攻め従えさすことは簡単とも知っている
他が朝鮮に転封となれば空いた内地の恩賞は目当てになる
明軍への備えから一番に大大名が転封候補になるのは明らか
毛利は内心ハラハラしてたと思うな
朝鮮征伐は途中休戦しなけりゃ完全勝利してた戦だね
日本軍は名護屋に30万を動員していたが、まだ半数しか渡海させてない
12万を常に渡海させ3万づつ4ヶ月交代で10軍団でローテーションを組めば長期継戦は可能
158 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 11:25:42.94 ID:jwJHMaaW
毛利に与えるとしたら、石高的に見合うのはどこでしょう?
もちろん検地してないから正確な石高ってわからないんでしょうが。
159 :
名無し三等兵:2011/07/16(土) 11:30:40.87 ID:CqThzK6v
済州島ぐらいgetしておけよw
>>158 慶尚道だろな
毛利一門にしたら内地の所領安堵で加増なら自領の対岸で米作可能な土地ならまだ歓迎
渡海兵力12万だったら慶尚道維持が限界じゃないかな
しかし12万が交戦体制で慶尚道にいたら明朝鮮軍は最低20万を全羅道忠清道江原道に張りつけざるを得ない
史実だと忠清道まで進出してるよ
明は京畿道で防衛線張ってた
>>163 いや史実では平安道咸鏡道まで進出してるが
慶長の役では慶尚南道に城を建設し防衛線にしてる
休戦せず継戦していたら明軍は日本軍より先に朝鮮から撤退しただろうな
長期戦なら日本軍も無理に北に進軍しないで慶尚道忠清道全羅道の平定を優先しただろう
全羅道は義勇兵が横行してたから日本軍に協力する住民以外はとことん根切りする
異国で乱取りとかなったらエグイのかな?
食料や家財を略奪し年寄りや男は皆殺し若い女は犯してから家に閉じ込めて家ごと焼き殺し子供は奴隷商人に売り払う
>>165 すまん慶長の話し
文禄の後一度撤退しなきゃ変わってたかもしれんが
>>169 便乗横入りだが、その辺り、学研の『歴史群像 文禄・慶長の役』の付録図では
慶長の役でも、漢城を超えて漢江北岸から江原道南辺のラインまで日本兵が
進出した(目撃された)と図示されているんだわ。このスレでもよく出てくる竹山よりも
ずっと北になる。
前々からソースが何なのか気になってるんだけれど知ってる人いるかな?
たぶん雑多な朝鮮側史料の中にあるんじゃないかと思ってるんだが。
休戦しなければ南三道は完全確保できただろう
明朝鮮軍は漢城、日本軍は牙山に本陣を置き対峙することになると思う
東海岸は日本軍は江陵まで進出するくらいか
問い詰められて馬鹿スレ連打で誤魔化すのはどうかと。
慶長の役では戦線拡大するなと指示が出ている
清正や幸長の危機を救いに駆け付けた
蜂須賀家政なんかそのとばっちりで酷い目に
俄かには慶長の役でイムジンガンまで進出した話には合点が行かない
>>173 変な書き込みだな?
蜂須賀と黒田が叱責されたのは蔚山での追撃不十分と戦線縮小案の首謀者と目されたから。
イムジンガンとは臨津江のことだろ?何でそんな表現をするんだ?
>>174 蜂須賀が怒られたのは三成の告げ口
蔵入地ボッシウトされた
1300年前の白村江の戦いのときには新羅領の南岸を避けて直接熊津へ渡航してる
400年前の朝鮮征伐の時には直接木浦や熊津へ行かないのかな?
釜山 麗水 順天の確保しか出来ないくらい朝鮮水軍が優勢なの?
>>175 沈黙しないなら教えてほしいのだが、具体的にはどこの蔵入地?
論陣を放棄して撤退することは敗退を意味する場合があるようです。
誰かが言ってました。
179 :
名無し三等兵:2011/07/17(日) 17:20:08.66 ID:o7eDVtaZ
>>175 告げ口?
口を慎め下郎
軍監として当然の報告だろボケがシネ
元々は主家筋にも当たる上に秀吉が立身出来る前から父子二代に渡り仕えてる家政からしたら
秀吉が大名となった以降に出仕した小姓上がりの三成など新参者でしかないだろうね
三成は浅野、蜂須賀、両加藤、福島など尾張以来の秀吉譜代と特に軋轢がある
秀吉が大名となる以前から出仕している武将にすれば創業の苦しみを知らぬ新参者に偉そうに言われる筋合いはない
秀吉は調略が上手い人たらしの割に三成の欠点に気付かないとは天下人になり盲目になったか?
>>180 自分がそれなりに絶大な権力を持つなら、三成の短所など問題にならんだろ
自分の部下にケチ付ける奴は張り倒せば良いだけだ
豊臣政権は少なくとも秀吉が死ぬまでは「諸大名の仲良しクラブ」じゃなくて秀吉を頂点としたそれなりに集権的な政権だしな
>>181 怒鳴り散らしてどうするガキ大将じゃあるまいしw
部下の統制も出来ず次代へ政権を渡せない秀吉は真の天下人ではないな
秀次、秀勝、秀保、秀俊ら一門衆がまともに成長し政権中枢をしっかり固め
三成ふぜいの独善を容さぬ体制が必要だった
三成は独善、三成は良かれと思い一生懸命仕事をこなし内に敵を造り豊家を滅ぼした
三成と兼続が居なければどうやって家康は纂奪を計画しただろ?
兼続が居なければ景勝は素直に大坂に居て本国経営は重臣に任せただろうし三成が居なければ豊臣譜代の分裂もない
会津征伐が企画されないなら関ケ原は起こらない
ダラダラと家康による傀儡政権が続くも秀頼が成人すれば大政奉還せざるを得ない
可能性とすれば鎌倉幕府の様に政治の実権は徳川執権家が持ち
豊家は公家化し儀礼的主君となるのが自然か
三成がいなければ普代分裂はないとの前提で話してるやつが多すぎるが、問題は
出兵の失敗で恩賞をだせなかったことだろ(元寇と攻守は逆だが)。遅かれ早かれ
誰かに潰れてもらって領地をひねり出さなきゃならないわけで、三成が起たなくても
何らかの戦乱→領地分配は必然だよ。
185 :
名無し三等兵:2011/07/18(月) 15:13:00.48 ID:cnOwKwl5
前田、上杉と取り潰しが失敗したなら、
家康としては今度は毛利を標的にするだろう。
あるいは、家康が朝鮮再征を発案するかもしれん。
>>185 まあ家康に露骨に嫌がらせされたら性格的に毛利は決起するやろな
>>183 三成がいなくても前代を担った浅野や次代を担いそうな寺沢あたりが同ポジションに置き替わるだけだな。
そういうポストが必要とされたし代わりの人材も豊富。居ないのは秀吉の替わりだけだった。
>>187 三成はヤンデレ
秀吉はオラニャン
極めて特殊な関係で浅野が代わりにはならない
家康は毛利や島津など西日本には手を出さないと思うな
大坂城を越えて西に軍を展開した時に大坂城を占拠され退路を断たれるのを恐れて西日本には行かない
浅野とかなら生駒 堀尾とか中老がバランスとれる
>>192 三中老を知らんのか?
生駒 中村 堀尾の
中老職は名誉職だったがこれは石田ら奉行達が自己保身した結果だろう
駿府 浜松 高松と言う要衝に封じた美濃墨俣以来の譜代大名でもある三中老は
近江長浜以来の小姓上がりの奉行連中より譜代格は上位だ
出仕時期から見れば蜂須賀 山内 生駒 堀尾 中村 仙石などは古い
そうやって歴史を理詰めのみで考察すると
結局自分に都合の良い理に誘導される
人間、いついかなるときでも合理的な行動をとるわけじゃいんだよ
俺もおととい風呂上がりに居間でくつろぐ猫をみて
何となくチンコで猫じゃらしやってみたら
エライ目にあったわ、何であんなことしたか未だにわからん。
そんなこともわからず物知り顔で語るのは滑稽でしかない
おとといから動揺しまくりなのはよくワカッタ(・∀・)
オレが三成なら関ケ原では決戦しないで大坂城付近まで引き込むな
数万の大軍で佐和山城に籠城すれば簡単には落ちないし中仙道は使えなくなる
家康は桑名から東海道か伊賀道を使い京都か奈良を目指すしかなく補給路は伸びてますますやりにくくなる
198 :
名無し三等兵:2011/07/21(木) 12:22:26.70 ID:TXX5HUsj
佐和山とられたらダメなんだよ
オレが三成なら秀頼を拉致してでも引きずり出して松尾山に据え、関ケ原決戦だな。
>>193 いわゆる三中老なら知ってるけど、本当に三中老なんて職が有ったのかを聞いているんだよ。
後付け、泊付けの架空職じやないのか?
>>200 江戸時代にわざわざ豊家政権の格付けする意味あるんか?
それに生駒 中村 堀尾を格上げする理由なんてあるんか?
数万の軍勢で篭城って絶対内通者が出て落ちるじゃん
殆どの大名が嫌々仕方なく、成り行きで、実は既に内応ってパターンで
やる気満々の大名なんて数えるしかいないのに
三成くんは挙兵した時点で既に詰んでたんだよ
>>201 三中老を名付け始めたのは江戸自体の堀尾家関係者だからw
豊臣政権があった頃のリアルタイムな記録には三中老なんて一言も出てこないし、該当者が三中老の職務職権を使った実績もないw
こんな実態の無い三中老ってなあに?
>>202 大坂の陣と関ヶ原をなんで混同してるんだ?
205 :
名無し三等兵:2011/07/21(木) 22:33:18.49 ID:imOs1388
夏休みか... 今年は早いな...
>>204 202は>197の佐和山籠城へのレスだろ。
一万くらいで籠城すれば佐和山は簡単には落ちない城だよ
中仙道には佐和山、八幡山と難攻不落の城が2つもある
大和路にも郡山城はなかなか強固
関ケ原は吉川さえ除けば西軍大勝利
部隊配置で毛利を南宮山にしたのが失敗
小早川秀秋は傍観を決め込み有利な情勢に流れる
西軍の関ケ原で最高位は宇喜多秀家なのだし
宇喜多を松尾山に配置し毛利秀元を伊吹山に配置し南北から街道を睨む布陣にすべきだった
松尾山麓に宇喜多、小西、石田、大谷、七手組、長宗我部、島津、脇坂など
伊吹山麓に毛利、小早川、吉川、安国寺ら毛利家中心
街道封鎖するより高地に布陣する方がはるかに有利だ
仮に街道を突破しても大津城攻めを終えた小早川秀包立花宗茂らの精鋭部隊が大津から船で佐和山城や八幡山城に急行できる
全ては後知恵だな
>>208 理解不能なレスだな。
西軍が配置を始める前から裏切りを疑われていた秀秋が松尾山に居座っていたんだぞ。
どうやって松尾山に好きな武将が配置できる?
>>210 松尾山に小早川を入れたのは伏見での軍議によるんだが
西軍は家康が東海道を進軍する可能性も高いと予想していた
福島らが単独に岐阜に攻め込むとは考えて無かったからだ
熱田から桑名に渡り水口か笠置に進軍する可能性を捨て切れない中
中仙道の抑えに小早川を松尾山に配した
大津城攻略にこだわったのも水口決戦の後顧の憂いを除くため
>>211 伏見で軍議という話は初耳だが、その頃(八月六日)の三成書状には東軍との合戦
尾張・三河間でおこなうとあるし、その頃には三成は恩顧大名が自身に逆らうとは
考えていない
三成の思い込みとは別に恩顧大名は家康に味方し、岐阜城は直ぐに落城、大垣まで
一気に追い込まれ、イニシアチブを失った西軍は以後、場当たり的な行動に終始した
>>212 三成吉継会談で吉継は三成邸を襲撃した福島らは家康に着くか良くて中立だろうと三成に説いている
大坂城近くで決戦すれば流石に福島らも中立になるとし濃尾平野での決戦は避けるべきとも言っている
>>213 書状に比べれば信頼度は低いね
多分その話の出典は落穂集と思うが、あれは信頼性が低い
>>214 総大将の輝元不在で決戦するとかバカだよな三成
少なくとも輝元と合流するまでは決戦は避けるべきだ
佐和山に三成が籠城して遅滞戦術をとり
西軍部隊は毛利本隊や大津攻め部隊と近江石山辺りで合流したら良かった
佐和山落ちて三成死ねば豊臣恩顧武将の戦意は下がる
あとは徳川と毛利の戦を傍観するだけだな
三成に朝鮮の役での前線指揮経験があればまた違ったんだろうな
ところでここなんのスレだっけ
>>217 三成も朝鮮で戦ってるがコイツは戦を理解できない
島左近が指揮する5千が籠城する佐和山城なら力攻めで攻略するなど無謀
まぁ三木城や有岡城なみに兵糧攻めにするしかなく落城までに1年は掛かる
三成は佐和山城を左近に任せ自身は大坂城に入り家康を迎え撃てば良かった
>>219 おれもそう思う。時間がかかればかかるほど家康の天下はない。
せっかちだったんだな
佐和山籠城なら東軍は伊賀越えして大和郡山城を落とし河内平野に入るルートだろ
大和郡山城は要害でもないから大軍で攻めれば落せる
西軍とすれば大和郡山城を東軍の拠点にされぬ様に奈良平野で迎撃する形に東軍は多聞山城跡に本陣を置く形か
大和郡山城は総構付きで要害ですがw
秀長築城だしw
>>223 郡山城は最低2万は守備兵がないと総構えでの迎撃は不可能
実際大坂冬の陣では大坂方に簡単に落されている
>>224 >実際大坂冬の陣では大坂方に簡単に落されている
夏の陣だけどな。
これは大坂方が精鋭で優秀だったからだ。
ぐぐったら物見の過大報告で大将がびびって逃げてんじゃん
豊臣方が2千、筒井方が1千
1千だと本丸くらいだけだろ
なぜ大坂方は冬の陣の時に郡山城を奪い活用しなかったのかな?
一万くらい分派しておけばかなり幕府軍は苦しんだと思うがね
分派したら
そこの指揮官は誰にするか
1万人で何年篭れる補給物資を補給するか
その城が物資ごと裏切ったらどうするか
いろいろ問題があるじゃないか
>>231 大和派遣軍なら大野治房を大将、毛利勝永を副将、守兵一万くらいじゃない
また信貴山に七手組の速水を大将に浪人衆を合わせ援兵5千配置
篭城は援軍が来るからできるのであって
援軍が来るあてがあるのかい?
城の物資や金を分配して敵が来る前に逃げ出したほうがいいんじゃない?
>>233 それは時と場合によるな。
朝鮮みたいに枯れて飢えて寒冷な土地では攻城軍は現地調達が困難なため補給が続かず長期戦ができない。
それに援軍が無くとも、城内に反撃戦力と持久物資を収納できる城もある。
ま、一般論としては援軍を待って反撃いう話はあり得る。
>>230 小田原の役の八王子城のようになるだけでないかい。
もっとひどいか?
詰将棋も一回流局して穴を埋められた穴熊状態なんだもんな。
郡山城なら大坂城から東に10里の距離だし後詰めしやすいよ
少なくとも後詰めがない状態で大坂城に籠城するよりマシ
豊臣方は冬の陣の前に尼崎、有岡、高槻、郡山、岸和田の城を占領または改修し兵を配置すべきだよ
例えば全軍10万を大坂城に4万、各城に7千を配置し遊撃隊5千を5隊に分ける
幕府軍は各城の攻囲部隊は最低3万は必要になりこれだけで15万は要る
それに遊撃隊2万5千に備え倍の5万は必要
大坂城を攻囲するには15万は要るため総兵力35万となれば幕府軍の動員力を越える
また事前に周辺農村の余剰米は豊臣方が買い取ってるため
幕府軍は大量の兵糧を本国から輸送せねばならない
40kmはかなりの距離ですぜ
>>237 本城から行軍2日くらいの距離がないと大軍の迎撃拠点としたら近すぎるよ
>>237 旧軍の歩兵の行軍距離の目安が1日24kmで、40kmなら1日でも
強行軍で進出可能な範囲。本城−出城の関係じゃじゃないんだから
そんなもんだろ。
>>236 落とす前に畿内の大名に各個撃破されて終わり
>>239 旧軍の歩兵は訓練されてるけど
浪人どもは訓練されてないけど大丈夫かね
あの時代の人間の移動手段は基本足だけだぞ
>>227 浪人衆の動きの方が整然としているようですがw
(徳川方の方が若くて実戦経験の乏しい連中が多かった)
>>240 古田をはじめ、畿内の大名は大坂方に意外と好意的な動きを示しているけどねw
紀州は別だがw
>>244 伊勢・美濃・近江・丹波等には譜代大名が多くいる
それらが援軍となるので、結局は籠城軍と援軍の挟み撃ちで大坂方全滅
>>245 徳川本隊が来る前に譜代がのこのこ大坂に近付いたら逆に個別撃破されるよ
大坂→大坂城でなく大坂方の意味ね
>>245 戦線を広げ過ぎw
宇治川ラインが現実的。
大坂城の支城を整備するなら丹波口は有岡、山陽口は尼崎、京都口は高槻、大和口は信貴山、紀伊口は岸和田、中継地として四条畷、若江、平野、浅香山に砦を築くべき
>>250 河内国分に「国分寺を復興」を名目として
事実上の砦を作っておくべきだったな。
>>251 大和口に砦があれば又兵衛が小松山で討ち死にすることも無かっただろな
暗峠、信貴山、二上山、石清水八幡山、山崎天王山、四条畷、茶臼山には最低限砦を築き
七手組を守将に5千づつ配備すべきだ
253 :
名無し三等兵:2011/07/27(水) 01:23:53.20 ID:FzQnmEpF
又兵衛は朝鮮いってないんだっけ。
そうなら、大した軍歴じゃないな...
>>253 又兵衛、全澄、幸村、盛親、勝永、重成らは大坂の役での活躍が過去の軍歴より目立ち後の講談で一気にブレイクした感じ
逆に豊臣旗本精鋭部隊である七手組らは講談で活躍が語られず影が薄い
>>253 長曾我部や真田の間違いか?
後藤又兵衛なら文禄も慶長も渡海しているけど
>>254 七手組は世代交代で若侍が中心になっていて、実戦経験では歴戦の浪人衆に大きく
劣っていたのでは?浪人武将といっても中核は一族郎党が集うわけで、言われている
程に烏合の衆だったわけでもないぞ
その中に明石が入ってるのはいただけないな
豊臣家の滅亡は、淀君に因るところが確かに大きいだろう。
関が原の戦いで、徳川政権が成立した以上、豊臣は石高を百万石くらいに減らして
幕府への帰順を早々に決めるべきだったのよ。
ところが、淀は、それをやらないばかりか、豊臣恩顧の大名たちと、幕府に対抗しようとも考えていた
彼女はお姫様育ちで、虚栄心の強い女性だったから。
こうした世の中の流れなど見極める事はできなかったわけでね
>>256 実際の七手組を見てみるとかなり奮戦して善戦している。
敵さんは明らかな勝ち戦なので、誰も危険を覚悟して奮戦して戦おうとする
馬鹿はいなかっただろうけどさ。
>>258 関ケ原後の豊家の領国は摂河泉の85万石だよ
全国にあった蔵入地は戦後の大名ガラガラポンのどさくさ紛れに家康により召し上げられちゃった
261 :
名無し三等兵:2011/07/27(水) 10:25:29.05 ID:XMfERWjc
>>255 盛親ちゃんは渡海してるよ元親の随伴で
余談だが毛利以下西国大名は秀吉に馬車馬並みに過酷な軍役を課せられてるね
九州では最愛の信親をアホ仙石のせいで失ってるし
>>260 家康はそこらへんがうまい。表向きはあくまでも豊臣家による恩賞ってかたちだもんな。
淀君あたりはその実態(豊臣家の戦力低下)を本当の意味で理解できていなかったような気がする。
秀吉が長生きするだの家康や三成を左遷するだのっていう無茶な前提無しで豊臣家が生き残る方法ってなんだろ
完全な公家化?
家康が秀吉に対して行なったことをすれば良い
具体的には
臣従の礼をとる
軍役・賦役奉仕
国替え
江戸に淀を置く
国替えは史実でやってるような
朝鮮は非現実的として、関八州じゃなくてもっと遠い奥州まで飛ばすのはどうだろう
伊達は九州に置いて朝鮮出兵でこき使う方向で
家康は条件だしてるやん
@江戸への参勤
A淀殿千姫の江戸在住
B大和郡山への国替え
さっさと恭順すれば、大阪の陣は避けられたかも知れないのにね
淀君は、豊臣恩顧の大名の力で、幕府に対抗できる
何て考えたようだが、恩だの義理だのが乱世でアテになるわけがないのに
この辺がお嬢様育ちの淀君の限界ってところか。
秀吉の正妻だったネネは、肝っ玉母さんってところで、田舎くささは抜けなかったかも知れないが
秀吉の側室連中や大名連中の面倒見が良かったから。
慕っているのが多かったという、彼女なら、対応が違っていたかも知れないけど
織田家も豊臣・徳川時代に存続できたんだし、淀が変なプライドや野心さえ捨てられれば中小大名としての存続は可能・・・
・・・かどうかは、家康の非情さ&徹底ぶりによるか。単独ナンバー2の存在を危険視するのはもっともだけど、
中小大名に成り下がって単独ナンバー2じゃなくなったと見るかどうかで対応が変わるからなぁ。
史実の前田利家が死んだ年に徳川家康が、
史実の徳川家康が死んだ年に前田利家が、
というように死亡した年が入れ替わっていたら
歴史はどうなっていただろう?
加賀藩はもともと豊臣恩顧の大名であり
石高は百万石という比類なきものだ
江戸幕府が石高で言えば六百万石くらいだったはずだから。
幕府の石高とも比較できる数少ない大名とも言える。
それだって、前田利家の抜群のバランス感覚で、江戸時代にも存続が許された
伊達家が収めた仙台藩も62万石の大名であり、それでも存続が許されたからな
当時の豊臣の石高が80万石程度であれば、幕府としても脅威ではなく。
場合によっては石高をさらに減らす事はあったかも知れないが、存続を許される事もあっただろう
>>270 あんたバカ〜ぁ?
大坂みたいな要衝に天下無双の城を旧主筋の外様に任せれるわけない
確かに国替えはあったかも知れないね
しかし新政権が旧政権の一族を必ず皆殺しにしているかどうかと問われたら
それは必ずしもない。
むしろ家臣として、ほどほどの待遇を与えている場合も多く
その場合は、旧国主が新王朝を打倒した例は皆無に等しい。
いわば飼い殺しにするわけだが、それなりの地位と富が保障されているなら
命を賭して新王朝を打倒する何て気は、ほとんどの場合は無くなるものさ
仙台藩は実質100万石
加賀藩は実質120万石
長州藩は実質60万石
天領は実質700万石
274 :
名無し三等兵:2011/07/27(水) 23:12:28.36 ID:FzQnmEpF
朝鮮は?
検地しないで石高だせないよ
1600年で600万石以下
日本は1800万石程
>>276 1600年同時に
朝鮮は人口500万人で600万石の生産で
日本は人口2200万人で1800万石の生産とか
あなた情弱のアホですか冗談は顔だけにして
279 :
名無し三等兵:2011/07/28(木) 01:33:36.85 ID:5tfbGETu
朝鮮に移封された大名が関ヶ原に参加するとしたら、立花勢のように小勢での参加だろうね。
例えば、小西勢(全羅南道衆 騎馬隊500 石火矢隊1000 朝鮮歩兵2000 各隊は朝鮮式軍装)。
関ヶ原に巻き起こるハングルの鬨の声にどっと崩れる東軍とか。
妄想するのに格好のネタだね。
>>279 日明講和成立し南部3道割譲決定なら間違いなく秀吉は家康を朝鮮探題とし再度国替えする
秀吉にとって一番恐ろしい相手なだけでなく一番その武勇を信頼している家康を異国との境に配置するのは当然
忠清北道忠清南道全羅北道慶尚北道を家康に
慶尚南道と全羅北道を朝鮮奉行として三成と小西と黒田に分配
>>278 自分こそが正しいと思ってるからってその言い方は駄目だな(´・ω・`)
1600年で2200万人もいないし
>>279 鬨の声がどうやったらハングルになるんだ?
タイムラグ二週間だからそんなに遅れないだろ?
1600年の石高と人口は潜在力で、明軍も撤退しかけで戦傷も深い頃なので半分から四分の一ぐらいじゃね?
勝鬨がハングルか
文字が実体化とははじめ人間のよーだな
ローマ字を英語だと思い込む小学生じゃあるまいし
文字と言葉は無関係だって中学校で習うだろ
韓国では韓国語はハングゴだけど最近はハングルで何故か最近は韓国語も文字も表現するな
ちなみに国語はウリマルと表現するマルは言葉って意味
まあ所詮朝鮮韓国語なんて半島畜しか話さない欠陥孤立語だからどうでもいい
朝鮮が強国と言う認識があれば秀吉も家康を無理矢理先鋒にしただろうが
朝鮮が弱国と知っていたから子飼いの武将に手柄を立てさせたかったのだろう
>>284 ローマ字はその名の通りラテン語の表現文字ですよ
エジプトやメソポタミアの文字を簡略化したのをギリシャを経由しローマに伝わったもの
ローマ帝国やキリスト教の拡大によりヨーロッパ全域に広まっただけ
味方とはさすがに思ってないだろ
せいぜい、大名に従属してる豪族
ちょっと叩けば寝返る程度だと思ってたんじゃね?
>>289 いや、事前に味方地に出す用の禁制に高麗も含めていた
はぁ高麗?江戸時代の講談高麗陣に影響されてるの?当時も朝鮮だよ
高麗もフツーに当時は呼び名として使ってるぞ。
秀吉はお人好しだね
秀頼の誕生で急に関白秀次が邪魔になり朝鮮征伐も外様疲弊もおざなり
秀次切らなきゃ家康の時間切れまでどうしようもなかったろうになぁ・・・
>>294 秀次が世渡り下手すぎなんだよ
秀頼産まれたらさっさと関白を返上して
朝鮮征伐の陣頭指揮を理由に遠方に逃げないと
>>295 秀次の素行に問題がありすぎた。
秀頼が生まれたのなら、自身は彼の後見人とでもなればよいものを
自棄を起こしてバカなことを繰り返したのだからな
>>296 秀吉側の宣伝じゃないの?
普通に正当な後継者なら、ばかなことあっても隠すでしょ?
三好秀次は優秀だよ乱恥奇騒ぎや謀反は三成の演出
秀次が生まれるまでそんな話もなかったし
秀吉の捏造だろうね
国内総生産(特に穀物)と国の人口は近代に入るまでは比例する
>>303 致命的なミスだな
支那の新幹線モドキの信号機並みのミス
新田開発と人口は比例する
戦乱で死んでも直ぐに元の人口まで回復する
これは人口が生殖能力でなく穀物生産により抑制されてるからだ
朝鮮南三道に日本人を入植させれば500万石くらいは優に開拓出来る
豊臣政権に隙が無ければ家康喜んで朝鮮の支配者の道を選ぶだろ
306 :
名無し三等兵:2011/07/29(金) 17:28:21.49 ID:BuAHFSNd
そして旧朝鮮王家の王女をめとって、
釜山閉港と同時に韓王を自称、徳川朝韓王国を創始するんですね
朝臣名乗ってんだからおいそれと王号は使わんでしょ。普通に徳川韓藩という呼称になるかと
いくら何でも分割される気がするな
関東八州だけでも譲歩しすぎなのに
309 :
名無し三等兵:2011/07/29(金) 19:28:51.98 ID:Y6GJ23Tw
朝鮮南部三道の割譲程度の条件で日明講和が早期に成立していたら
秀吉は有力外様を朝鮮南部三道に加増転封し有力外様の旧領を他の大名の朝鮮征伐の恩賞にしただろう
朝鮮国替
釜山 10万石 天領
大邱280万石 徳川
光州 80万石 島津
清州 80万石 伊達
まーた朝鮮国替えかよ
特に設定考証もなく、「日本のGDPが史実の○倍で技術力がアメリカのそれに近いものだったら」という前提でスタートする火葬戦記みたいな奴らだな
明には勝てるだろ
米国とちがって
明どうこうじゃなくて国替えの話じゃね?
>>312
それは戦術レベル?戦略レベル?
国替え厨もいい加減にしろな
国替えまでしなくても徳川など外様勢に朝鮮在番させればかなり疲弊するんじゃないの?
在番の家が朝廷から戦時大権を貰ったら実体を伴った征夷大将軍(征西大将軍?)の出来上がり
別に朝鮮で独立されても困らん
大体日本に戻るより、中国側に攻め込んだほうが楽だし収穫大きいだろ
口実さえ作ってしまえば日本に戻るっていう目的があった方が士気は上がる
元の時と違って、やってくるのは日本を知っている武将たちだし、根回しされたら日本側にも敵を抱えることになるし
明にせよ後金(清)にせよ、朝鮮藩が日本に攻め込むのは、後顧の憂いがなくなるから見逃すだろうし
何を目的に上陸するんだよw
上洛でもする気か?
321 :
名無し三等兵:2011/07/30(土) 23:02:33.92 ID:rsxZfamP
朝鮮藩は日本最大の藩になるのは間違いないから、
官位としては内大臣以上だろうな。
朝廷としても故事を引いて、藩名をかつて服属していた百済にするかもしれんな。
そうすると、藩主は少なくとも王を号することができ、国内の関白との関係が微妙になるはず。
情勢によっては、足利直義が南朝に帰順したように明に帰順するなんてことも...
ないない
一括で渡すわけ無いだろ
どう考えても州ごとに分ける
まつろわぬ化外の地の統治は陸奥の例を見れば分かるように
古来から一括して統治させるのが普通。
移封が恨みにならぬよう、朝鮮を統治する大名には王号を許さざるをえないだろう。
王号を与えられたのに朝鮮の地が他者に分治されるなど有り得ないだろう
それでも同化の心配が残るが。
王は皇族で無いと名乗れない事実を無視するなよ
京都から親王を迎え忠清道と全羅道に百済、慶尚道に新羅を建国するとかなら可能だが
たかだか南朝鮮三道だけなら東北や九州の様に探題を置くくらいじゃないかな
どちらにしても夷狄との最前線になる南朝鮮には家康か毛利クラスを配置しないと統治できない
やはり王号自体は皇太子に与えて配置するべきか?
朝鮮ほどの大国になると統治体制を決めるのも難しい...
>>325 バカ?皇太子がなんで王に格下げされなあかんねん!
327 :
名無し三等兵:2011/07/31(日) 01:36:51.42 ID:qoqx1uSl
じゃあ内親王でもいいよ><
内親王も王になれないんだっけ?><
>>325 どうみても東北以上の辺境だろ
伊達でも転封しとけ
朝鮮人の妄想が激しい
実際、日本より文化レベルは上だったからな。
日本は大勢の朝鮮人技術者を強制連行してるし。
焼き物の一部技法と儒教のレベルが高いことをもって
文化全体が高いとはとても言えないと思うが。
少なくとも水車を数百年まともに作る事もできないとか−面が大きすぎる
>>331 朝鮮が文化的に日本に先じていたのは1500年前まで
遣唐使以後に日本より進んだ事はない
それに外敵による征服や王朝交代がない日本は支那や朝鮮の様に前文化の破壊がない
真の東アジア文化は日本にしか残らない
朝鮮征伐で朝鮮の陶工らが日本に来たのは自主的から
茶の湯をたしなむ文化的な日本の支配者層の大名に被護を求めたのが実情
陶工ら技術者の身分が低く扱われ支配者層が文化的に無知な朝鮮から逃げ出した
>>333 水戸藩みたいな思想だな
帝国期の強制連行された売春婦(笑)と違って、陶工の強制連行は間違い無いだろう。
扱いが違いすぎて帰りたくなかったのは間違い無いだろうが。
朝鮮通信使が帰国させた朝鮮征伐時の拉致?朝鮮人より亡命した通信使の方が多い笑えない事実が…
亡命と言うよりは逃亡だけどね
当時の朝鮮から連行した技術者って陶工ばっかりだったの?
でも焼き物の本とか読んでると連行された陶工も技術を伝え終わったら
朝鮮に帰った例も結構あったとも書かれてた。
技術者というより現地協力員がそのまま軍について来たケースが一番多かったと思う
奴隷は後に家康が帰国させたのも知らない情弱がいるのか
残った陶工たちは自分の意思で選んだの
重要なのは高温炉の技術が日本に無かったこと
根本的な工業水準が大陸より低い
水車も作れない工業水準がどうかしたって?
高火度焼成が出来る窯はあるのに曲げ木を作る蒸し器が無い国
それを言い出したら精度の高い鳥銃を作れなかった事実はどうすんの
しかも降倭の技術を借りて挫折してんのに
朝鮮の技術は宗主国の支那から施された技術のみで廉価な技術でしかない
技術を施されりことになれてしまい日本の様に技術を進化させることもない
冊封外の日本は技術を得る機会が少ないため得た技術を更に昇華させ独自のものにする
大内以降の政権は明とまともな国交がないもんな
このころも日本は国際外交が稚拙
国際外交?
たまに中国に金や技術せびることだろ!
今は毎年中国からせびられてるけどな!
日本軍にあっという間に蹂躙された国がなに言うてんねん
347 :
名無し三等兵:2011/07/31(日) 23:08:30.98 ID:AJCKxrBo
実際のところ、山東にでも上陸すれば、決着も早かっただろうにね
安土桃山時代の技術じゃ疲弊がとんでもないことになってるし事故確率も相当高くなるぞ
>>347 沿岸水軍で山東に上陸しようとすると上陸する前に黄海の藻屑となるぞ
>>339 高温炉って何の妄想だよ。w 朝鮮で石炭・コークス使ってたわけでもなし。
当時の朝鮮で進んでいた技術というと、登り窯による大量焼成くらいだな。
同様に、やはり妄想で言われる朝鮮の進んだ磁器技術云々も、朝鮮陶工が
伝えたのは素朴な陶器焼成のみで、朝鮮陶工を連れ帰ったことで日本各地に
今につながる陶磁器産地のの基礎ができたことはあるものの、中国磁器に
匹敵するまでになったのはひとえに日本の陶工の研鑽と各大名家の保護育成の
おかげ。
>>350 骨董でよく出て来るのは明清製か日本製だしな
朝鮮製の良品だとビックリするくらい高い
朝鮮は粗雑品がばっかりのため良品がほとんどないから希少性が日明製と段違い
日明製は輸出されマイセンなど欧州磁器の基にもなった
朝鮮の磁器はしょせん普段使いの技術として宗主国から下賜されたもの
自国で考案や研究されたものではない
つうか…朝鮮製が珍重された理由って
技術力が低くて歪んでる所を面白いとされたからだが…
逆に技術力が高かったら明製の劣化版としか見なされなくて全く評価されてないべ
おれ本とに日本人でよかた。あまりにもかわいそすぎる。
354 :
名無し三等兵:2011/08/01(月) 13:49:46.22 ID:HAKQh/12
>>353 歴史を作り換える作業もなかなか楽しいぞ。
君も完成された日本史じゃなく、朝鮮史の分野で活躍しないか?
西日本から朝鮮南部の人種は本来同一だった
しかし朝鮮に残った人達は度重なる女真など満州蒙古諸族や漢族との混血をへて日本人とは全く違う民族になった
朝鮮人にレイプ犯罪が多いのは民族の血の成立による遺伝的なモノだろうな
>>352 それもちょっと違わないか?
茶人に珍重された井戸茶碗をはじめとする朝鮮の焼き物は元々日用品として使う雑器だったというだけで
貴族に献上するような陶磁器は技術的にも高いレベルだったよ
>>356 ルソン壺や井戸茶碗みたいな日用雑器を珍重したのは利休七哲らくらいじゃね?
朝鮮産の高級磁器は本当に少ないし作風も明器のコピーに過ぎず
日本の様なオリジナリティに溢れる逸品は皆無だ
>>356 李朝白磁は官窯の王宮、貴族向けのヤツでもかなりゆがんでるけどな。
あとコバルト顔料が高価で潤沢に使えないので部分的に草花文様を
入れる程度で、見方によってはかなりビンボ臭いが、コレを評価したのが
日本の数寄者。
ま、少なくとも最後まで中国や日本のような豪奢な色絵磁器は作れんかったな。
1000000円の皿→中国皇帝用(派手ってレベルじゃねーぞ!)
10000円の皿→日本製高級品(派手)
500円の皿→日本製日用雑器(歪みはない)
100円の皿→朝鮮白磁(明らかに歪んでる)
小学生の工作→朝鮮日用雑器(メビウスの輪状態)
こんなイメージだな。
派手だから高価って考えはいただけないな
歪みにも価値のある場合もあるし、メビウスの輪なんて余計価値があるやもしれん
陶芸ってのは芸術でもあるからね、そうゆう事もあるのよ(´・ω・`)
>>360 中国って何でも派手だから中国製を最高級にするとそうなる
つうか地味だと価格あんまり上がらないしね
362 :
名無し三等兵:2011/08/01(月) 19:27:43.54 ID:9j5MzvSl
>>360 ということは、朝鮮製陶器の芸術性は当時の日本の数歩先を行ってたと言うことですね!?
道理で日本人が朝鮮を欲しくなる訳だ...
>>362 単に李氏朝鮮が貧乏だっただけだな。w
色絵磁器を作る一方で青花もというならともかく、朝鮮は金も技術もないので
青花までしかできなかっただけだから。
>>360 芸術云々と唱えてみたところで、威信を示すためには豪華な磁器は必要で、
実際、朝鮮王宮では中国、日本の磁器を輸入して使ってたりするわけだが。w
現代支那や朝鮮って支配層や富裕層はたいてい日本製を食したり愛用したりしている
子供の落書きに偶然芸術性が認められたりするのと全く同じなんだよな
レベルが低いゆえに偶然生まれた芸術性であって作った人間の芸術性じゃない。
>>366 レベルが低いかどうかははおいといて、少なくとも官窯の朝鮮陶磁器には名工というのが
存在しない罠。陶工が奴隷労働だっが故に、日本のように何代柿右衛門とかいう類のが
全くない。
他方、民窯はまさに子供の落書き云々が当てはまる稚拙さ、素朴さの中に見いだす
面白みだな。
>>367 上方落語の「?の湯呑み」みたいなもんやなw
ルソンの壺だって現地じゃ安物、ワビサビってのはそうしたものだ。
370 :
名無し三等兵:2011/08/02(火) 01:35:37.66 ID:CkRKeuIY
どちらにせよ、日本人は朝鮮製陶器の芸術性に魅せられて侵攻した。
そういうことでしょ?
官窯に芸術性が無いだの、そんな話はどうでもいいのです。
日本人が戦をしてでも欲しがった、その事実さえあれば結構です。
>>370 だから朝鮮磁器なんて「はてなの茶碗」だと…
水漏れするキズ物の清水焼の茶碗も目利きの名前で噂になれば千両に化ける
粗悪品しか産まない朝鮮磁器の製造技術も日本の陶工に伝われば本場景徳鎮にも勝る工芸品を産み出すと言うこと
>>370 日本語が不自由なのは良く解った。w
”やきもの戦争”とかいう妄想を信じ込んでるようだが、戦をしてでも陶工を
ほしがった訳じゃなくて、貧しい朝鮮には他にめぼしいものがなかったから
陶工含め、労働力や奴隷として転売目的で人間を連れてきただけな。
釣られすぎwww
金銀ならともかく陶器が戦争の動機になるわけなかろう
末期の秀吉なら有り得ないとは良いきれないな
なにしろボケ老人
派手好きでワビサビを理解出来ない秀吉が地味で歪な朝鮮磁器を評価するはずないよ(^ω^)
テロ朝は佐藤議員発言に訂正を強要
佐藤議員の鬱陵島(うつりょうとう)の呼び方についてウルルン島と呼ぶ様に強要
テロ朝、フジ、テロBSの親チョンマスゴミの放送免許を剥奪せよ!
ウルルン?
京城落とした時に多少の金銀は取れたんじゃね
379 :
名無し三等兵:2011/08/03(水) 02:05:26.93 ID:zd83lBFy
そういや、首都落としてるのに朝鮮王朝の財宝云々の話聞かないけど、
実際どうなんでしょう?
略奪したくても日本側が出来ず、朝鮮側が焦土作戦していたらしい事は
幾らでも証拠が上がっているので平壌に持ち出していた可能性も有り
漢城から明との国境の義州までは民を置き去りにして逃げ出している
漢城、開城、平壌の財宝は持ち逃げする時間は十分あった
日本側が財宝を手に出来たのは釜山くらいじゃね?
まあ鉱山などの産物は冊封で明に献上しなくてはならないから
朝鮮では積極的な金銀の鉱山開発をして無かったみたいだし
大して財宝らしい物なんて城には無かったのかもな?
大名らが興味を持ったのが磁器製造と朝鮮人参くらいだろ
高麗が元に献上していた産物のトップが女だったくらいだから財宝なんて朝鮮にはないでしょ
そういえば絵本太閤記だと劉邦の咸陽一番乗りみたいな逸話が
一番隊と二番隊の漢城入城の時にあった事になってるな
>>383 小西行長が抜け駆けをして釜山三塞を全て占領し手柄を独り占めし、自軍の手柄を奪われた二番隊の加藤清正が激怒
渡海部隊の総大将である宇喜多秀家と小早川隆景が両者を仲裁したのが
朝鮮の都への進軍ルートを清正が先に選び行長と一番乗りを競うと言うもの
結果は清正より迂回ルートを選んだ行長が先に漢城へ入城し行長が勝った
銀山が見つかっても宗主国の明に知られると上納する義務が生じるからと言って
「 無 か っ た こ と 」にして全然国土を開発しなかった国だからな。
386 :
名無し三等兵:2011/08/03(水) 16:33:11.66 ID:zd83lBFy
それだけ明のこと嫌いなのに、日本の先導しないって、どういうアタマしてるんだろ。
>>386 朝鮮は明を嫌いじゅないよ。いつまでも優しく支配されたいだけ。
冊封体制は朝鮮には旨味がある
朝貢品より下賜品の方が高価だし
清相手ではそうでもなかったらしい。
琉球は銀印もらって朝鮮は泥印だったっけ?
中華帝国からみれば、朝鮮の重要度なんてその程度だったということか
>>389 征服王朝だからかな、元の時代はどうだったんだろうね?
金印は国、銀印は郡だよ
朝鮮は郡扱いだから銀印
>>391 元の時代は王氏高麗だから微妙
王氏は漢人だし、元に冊封した後はモンゴル貴族になったしな
高麗王は代々元の公主を后にするからドンドン蒙古の血が濃くなって来る
394 :
名無し三等兵:2011/08/04(木) 02:39:56.13 ID:3AYcO1dg
>>393 そんなに蒙古のお姫さまキレイだったん?
>>394 政略結婚に決まってるやろw
だが高麗王になるまで生まれてからずーっと大都で暮らすからな、好みも蒙古系になると思う
蒙古の公主は西域系のトルコ系やペルシア系の血が濃く入ってるから間違いなく美人
>>392 朝鮮が銀印もらっていたソースは?初耳なんだが
大明皇帝は李の纂奪による高麗王即位、権知高麗国事の申請を却下し新たに国号を古代に用いた朝鮮とし、権知朝鮮国事に任じ銀印を下賜すると記述なかったか?
もともと朝鮮には漢が5郡を置いてたし、後年唐から冊封を受けるに当たり新羅王は自らを大唐国新羅郡郡守とへり下った名残で銀印なんじゃね
新羅あたりまでは狡猾な先進国だったのに
それ以降はなんであんな劣化民族になったのやら・・・
>>399 新羅までは中原の争乱の度に政治難民が渡来し最新の技術や文化を伝承したからじゃね
また新羅は任那同様に日本の保護国だったのも大きい
山脈が防壁となり百済や高句麗に同化されずに済んだ上に日本に臣従する事により軍事的な後ろ楯を得た
ヤマト朝廷は海外の新羅を実行支配することはなくわずかな調を贈るだけで軍事的な後ろ楯を得たメリットは大きい
当時のヤマト朝廷にすれば九州にも山陰にも北陸や関東にも半独立国的な勢力があり
新羅も同様の保護国のひとつとの認識で十分だったのだろう
朝鮮は属国筆頭。
歴史的に見て
慶尚全羅忠清の三道は日本に帰属すべき領域
そして京畿平安黄海の三道は支那に帰属すべき領域
咸鏡江原の二道は女真に帰属すべき領域だな
秀吉はさっさと講和して日明金の3ヶ国で朝鮮を分割したら良かったんだよ
やっぱり朝鮮女は大量にレイープされまくったんでしょうか?
>>403 本人の意志は別としてレイプとは言えない
なぜなら朝鮮では古くから女性は重要な献上品だったから
村邑の安寧の為に率先して若い娘を献上した
南部では義勇兵に駆り出され大量の男が死んだが幸いにして多くの娘が懐妊していて戦後の人口回復はスムーズだった
この時南部には優秀な血が多数交ざったお陰で歴代韓国大統領をはじめ官僚や経済界の重鎮の多くは慶尚道出身が多い
貢女は朝鮮の特産品です。
歴代支那や満州の冊封先に贈り物としてました
因みにで元(蒙古)を滅ぼした原因は貢女で来た下働きの朝鮮人、皇太子を産み皇后まで上りつめた
朝鮮戦争当時は韓国政府がドラム缶に女を詰めて米軍宿営地に送りました
ドラム缶もったいなくない?
1缶1人しか入らないよね?
>>406 蓋を開けた空きドラム缶をトラックに隙間無く立ててその凹みに一人づつ女を入れて基地から基地へ渡ったんだよ
無整形の朝鮮女なんて直視出来ないよ(>_<)
高麗時代元の役人はブスばっかりでキレたし
新羅時代唐はもうブスは要らんからと断ったが
新羅は貢女をすれば絹等を貰えたので積極的だった
上澄みだけ毎回持ってかれたんだろ?
そらブスばっかり集まるよだって貢女は処女限定なんだし
美人は10代前半でレイプされるから貢女対象外になる
>>407 秀吉の時代にトラックはありませんし
そんな運び方より、普通に荷台に鮨詰めにした方が
大勢運べますね
>>412 慰安婦ドラム缶輸送は朝鮮戦争だろ
ドラム缶にしたのは逃げ出せないように手足縛ってたからと聞いたが
荷台にそのまま手足縛って転がすより数を運べ怪我もしない
ともあれ、昨日のNHKでの「へうげもの」の放送は、
NHKで稀に見る秀逸な出来具合だったな。
当時は茶の湯バブルといってもよい状況だったから
ちっぽけな焼き物が大量の金子で売り買いできてた
べつに朝鮮に金銀が無くても、焼き物だけ日本に持ち帰るだけでも相当な財産になってた
都市部の韓国の18〜25歳までの独身女性の2割が風俗(お水含む)店での就労経験があると言う驚くべき統計がある
外国への短期留学経験者に限ればなんと7割にも及ぶと言う
南朝鮮人女性は本能的に外国人男性と性交したい遺伝があるのだろう
まあ男性は同郷の女性が外国人男性との性交に走る関係上こちらも本能的にレイプする習性が遺伝してる
今の韓国人には少なくとも400年前の倭人の血が入ってるわけだ
>>418 比率から言えば圧倒的に明軍の漢人や胡人の血がたくさん混ざっているよ
混ざる前はそれなりに優秀だったんだが・・・
なんでこうなった
出兵時の末端の足軽とか暇そうだよな
言葉通じねぇし異文化の中で娯楽もよく分からんだろうし
女とセックスくらいしかやることないだろ
略奪するモノもないしなぁ・・・
423 :
名無し三等兵:2011/08/06(土) 21:36:19.54 ID:nEEm4MUU
日本が略奪した水車と水車の技術を返して。
神州の尖兵たる朝鮮征伐軍に寧武された事を感謝すべき
>>423 リアルにそう言い出しかねんのが朝鮮人・・・
陸続きで当時の先進国の情報がとれる立ち位置なのに雨樋の役にしか立てないのは頭蓋骨の中に白キムチが詰まっていたからです。
と、出来の悪いジョークは此処まで。朝貢品に雌奴隷差し出す国って他の朝貢国でどの位有ったんだろ(笑
>>426 日本も昔はやってた
強制連行の如く毎年引っ張って行かれるのは朝鮮だけだがw
428 :
名無し三等兵:2011/08/07(日) 04:18:18.33 ID:7nvzGnpw
キムチがご飯によく合うとか、出征将兵が言ってたとか言ってないとか
きむむちってなかったんじゃね
16世紀、朝鮮半島に日本から唐辛子が伝来して暫くしてから唐辛子を用いて作られるようになった。
唐辛子の普及以前においてはもっぱら山椒が使用されていた[要出典]。なぜ唐辛子を山椒の代わりに使用し始めたかについては明らかにされていない。
wikiにこう出てるし、むしろ日本が紀元何ではないか。
キムチは日本固有の食材、特許料を賠償しろ
漬け物にして野菜の保存くらいまでは有ったんだろ。
水車といい、何か変なビームでも当たったのか文明の発達が奈良時代あたりで止まっちゃった感じなんだよね。
いやいや、種類は違うだろうが唐辛子はその前からあったんだよ
その後、日本によって持ち込まれた唐辛子が広く普及したってだけでな
唐辛子は南米原産で
鎖国してた半頭には手に入らんだろ
唐辛子は、コロンブスが西インド諸島で発見し、旧大陸経由で日本へ伝わったとされる。16世紀後半のことで、南蛮船が
運んで来たと言う説から南蛮胡椒、略して南蛮または胡椒とも言う。コロンブスは、唐辛子を胡椒と勘違いしたままだったの
で、これが後々まで、世界中で唐辛子と胡椒の名称を混乱させる要因となった。
現在世界中の国で多く使われているが、アメリカ大陸以外においては歴史的に新しい物である。クリストファー・コロンブスが1493年
にスペインへ最初の唐辛子を持ち帰ったが忘れられ、ブラジルで再発見をしたポルトガル人によって伝播され、各地の食文化に大きな影響を与えた。
ここから半頭がどう捏造していくかが楽しみだね
殺菌防腐効果と血流増進効果があるチリペッパーは日本では防寒剤や殺菌剤に用い食用とは言えない
秀吉軍がさったあと朝鮮人は日本人が残した足袋の中から赤い乾燥した実を見つけ食用にしたのが起源
実はスペイン人密航者が…
そもそも白菜のキムチって、
近代に入って釜山に住んでいた日本人によって
考案されたものなんだよな。
>>438 白菜の浅漬けに使う塩が不足し防腐剤代わりに唐辛子を混ぜた日本人ハバアがキムチのはじまり
なんで南チョンは竹島といい蘇岩礁といい厚顔無恥の主張を平気でするのだろう
知能と恥が両方欠けてるから
ってのも勿論あるけど、最大の理由は自衛隊が憲法9条のせいで国土回復行動に出られないからだろうな
自分より強い虎や熊がすぐ傍にいても、そいつが折の中から出られない事がわかってさえいれば、どんなチキンもビビらないのと同じ
南チョン国民は支那やアメ公相手でも居丈高だが、政府となると平身低頭だからねえ
数年先のNHK大河ドラマで立花宗茂と立花ぎん千代夫妻を取り上げないかな?
美男美女の配役で九州の役から朝鮮征伐、関ケ原の不運やその後の大名返り咲きと見所満載なんだけどな
もちろん一番の見所は島津九州統一抵抗戦と朝鮮征伐碧蹄館の戦い
結末がぱっとしないから駄目だな
444 :
名無し三等兵:2011/08/08(月) 20:39:32.97 ID:3MA0Njd7
徳川家康が恐怖のあまり失禁(脱糞)したというのは、
倒幕した明治政府による捏造です。
狸親父の肥満体もまた同様。
(節制による長寿の家康は健康体)
前政権の江戸幕府を貶めるために
故意に歴史を歪めて国民へ教育しました。
その誤った知識は、明治以降から平成に至る現在まで続いています。
>>443 へうげものは?
甥が戦死してしまっているが。
キムチと呼ばれる漬け物の条件に唐辛子が必須なの?
唐辛子入れてりゃキムチってもんじゃないと思うんだが。
白キムチというのも存在するが
まぁ唐辛子のあるキムチが支配的だな
ま、実質必須だろ。18世紀にトウガラシ伝来する以前は当然使ってないし、
現在でも水キムチの様に使っていないものもあるが、といってトウガラシが
入っているからこそキムチとしての識別性があるのであって、入ってなけりゃ
その他の漬け物類と大差ない。
明治政府陰謀論っていつもソースないよね
>>450 確かにw
明治政府にしても朝廷が奉じた東照大権現を貶めて何も得しない
徳川時代にはタブーだったのが普通に語られる様になっただけ
釜山ってむかしの任那地方で釜山市の一角はこの1500年間ほぼ日本人の居館が置かれていた記録もあるつまり日本固有の領土では?
そういうバックボーンがあってこその征韓論
>>452 貴様は一時期一角を占めただけで平戸や長崎をオランダに割譲せよと言うか?
>>454 釜山の倭館は一時期でなく有史以来ずっーとだよ
古くは任那日本府
任那は朝鮮半島南西部だろ釜山の辺りは新羅領だったし任那日本府と倭館は関係ない
それにここには昔から我が国の大使館があるから辺り一帯は我が国の領土だとかいくらなんでも無理がある
>>457 おいおい釜山は任那だぞ!それも日本府があったとこだし情弱かよw
新羅は洛東江より東側
それは伽耶諸国の範囲だろそれに任那日本府の正確な所在など分かっていないし
日本人の勢力が強かったと考えられているのは全羅道の辺りだ
>>459 任那日本府の推定位置は最新の考古学では前方後円墳や翡翠の出土などの分布から釜山周辺とされてるよ
順天あたりは百済に割譲した4県の所在地だろ
任那日本府は新羅の攻撃で西に移動してる
釜山→馬山→麗水と西遷したと推察出来る
釜山の大部分は洛東江の東側だし釜山は慶尚南道の南東部だから順天はちょっと遠い
>>456 任那や倭館は別物。なんでもかんでも脳内定義で混ぜるなよ。朝鮮人みたいなこというな、恥ずかしい。
常識的に考えて朝鮮半島南岸における日本の拠点は対馬が視認出来る釜山が有力だろうな
釜山以外だと対馬が見えるのは島だけだし
でも前方後円墳があるのは朝鮮半島南西部なんだよね
たぶん南東部は新羅とか在地勢力が強かったんだろうね
>>434 柚子胡椒の胡椒は唐辛子だよね。
昔、大学でそう言って馬鹿にされた。
柚子胡椒食ったら分かるだろうに。奴ら舌が腐ってた。
朝鮮史を勉強していたんですがどう資料を見ても次のデータになり困っています
朝鮮の一般市民が文化的な生活が出来たのは日本統治下だったのって事実ですか?
日本統治下並みの水準が回復するのは1980年以降になってからと言うのもホントですか?
468 :
名無し三等兵:2011/08/13(土) 01:22:42.75 ID:qAJxB5l5
文化的が西欧化されたという意味ならそりゃ日本統治以降にならなきゃ鎖国な訳ですから無理。
もしチョン贔屓に仕立てないと単位がヤバくて魂売ってでも取りたいならその辺から攻めてみては?
朝鮮には独自の文化はちゃんとあってそれを大事にする生活は今のグローバル化と称して世界中でTシャツ着てるようなのより余程文化的とか(笑)
>>467 日本統治以前には国民の半数が奴隷(奴婢=農奴)あるいは賤民(=白丁)で
支配層に法に拠らない恣意的な生殺与奪が認められていたし、また1980年代には
韓国では未だに米は贅沢品で主食が麦(米国から安価で入る)だったということから
推して知るべし、というところ。
北朝鮮の帰国事業当時は日本や韓国より生活が良かったから日本人妻を含めてみんな帰ったのでは?
今となっては憶測しか資料はありませんが
韓国よりどうかは議論の余地があるが、朝鮮戦争で荒れ果てた北と、もはや戦後ではないと
言われた日本とじゃ比べ物にもならん。
>>469 徳川時代も大半が水飲百姓かえた非人だろ
例外はあるにしても水呑百姓の割合が本百姓を上回っていることはないぞ。
それとえた非人が大半とかはあり得んわ
>>471 朝鮮戦争の戦火が酷いのは半島中南部だよ
北部は日本統治下でたくさんのダムや水力発電所や鉱山や精錬所など
北朝鮮の北部は日本本土以上にインフラは整備された地域だったよ
江戸期は人口の8割が農民そのうち7割が百姓、2割が水呑百姓、1割がエタヒニン
意外に思うだろうけれど、エタ・非人の他にも、カワタや八瀬童子など、いわゆる“被差別階級”とされるものは何種類もあった。
実際に裁判というか奉行所などの取り調べ・判決で百姓より不利になりもしたが、単純に身分の上下で語るのは間違いだ。
当時は武士とそれ以外の身分が、問題にならないほど違っていたので、百姓と被差別階級の差など誤差に近い。
非人やエタの身分が低いとされたのは、当時は農耕が経済の主軸であった為、それ以外の職業は重視されなかったことによる。
実際に戦国時代だと、鎧など各種武具に皮が絶対に必要なので、エタが保護されていた背景がある。
江戸時代に入っても屠畜に関わるエタは、下手な百姓より豊かなんて一面もあった。
八瀬童子なんて天皇の催事に関わる特権を持っていたほどだ。
それに実は、非人などにも、自分の田畑を持つ“本百姓”みたいなのは存在した! 百姓ではないから本エタ・本非人?
とりあえず、風評や一般的な評価を鵜呑みにしないで、Wikiで良いから簡単に調べてみると良い。
そもそも江戸時代に入ってさえ、身分は必ずしも固定されていた訳ではない。
当時の百姓や商人でも、御家人株を買うことで、士分になることが出来た。
中間・小者といった武家奉公人なら、人宿の主人が身元を引き受けるので、百姓ならまず誰でもなれた。
そこから若党に取り立てられれば、雇われている間は武士扱いで、帯刀も許された。
被差別階級でも半分近くは普通に農業が仕事だからな
今でも根強い差別が残ってるからな。
江戸時代はもっと差別されてたんじゃないの。
479 :
名無し三等兵:2011/08/14(日) 21:54:12.27 ID:w2Epo9pd
明確に差別があったのは近畿だけだろ
それ以外の地方は、庄屋や地主の親戚になるほど福祉が手厚く
離れるほど危うくなるという、原始的な原理によって階級が形成されてただけでしょ
480 :
名無し三等兵:2011/08/15(月) 00:07:45.83 ID:s9kQ3ARf
自分が全く関わってないゲームの客寄せパンダみたいなもんだからな
今の天野の立ち位置って
普通は遠慮するだろ
>>479 例えばサンピンと呼ばれ身分は、雨の日でも傘を差すことが許されず、ずぶ濡れになって外で主人を待たねばならなかった。
当然ながら普通の百姓だって(公然とは)雨天でも傘を差せないし、下駄を履くことも許されなかった。
一般的に現代の感覚で“差別”とされるのは、こうした『身分差』から生じる、細かく陰険かつ屈辱的な規制のことと思われる。
少なくとも現代では門地差別は関東ではほとんど問題になってない新住民の多い都市部では生まれも糞もないし
田舎では部落は地域単位として本来の意味で使われてる
>>481 >>雨の日でも傘を差すことが許されず、ずぶ濡れになって
浪人者ならともかく武士は全員そうだけど?
軍人が傘をさすとか支那兵じゃあるまいし
っていうか外で主人を待つって任務中なわけだ
現代の警官は無論警備員だって傘をさすやつは一人もいない
現代人はレインコートだぜ
傘なんて片手が塞がるもんを使う訳がないけどね
>>481 傘って、普通使わんだろ手がふさがる。
昔の日本人って被り笠じゃないの?
帽子みたいに頭に載せるタイプを使うんじゃないか。
三度笠とか
江戸幕府は封建制を近代に適応させているからな
そりゃ幕末に日本に来た外国人も中世に滅んだシステムが残っていたら驚くだろう
_俳優_
/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\ フジの韓流ごり押しはやりすぎてる!
/ ⌒(__人__)⌒ \ 人権擁護法案とか通ると日本が危ない!時間がない!
| |r┬-| |
\ `ー'´ / 。O(最近ネットで見た政治談義の知識披露してやったわ。どや!
/ ̄ ̄\ ←ネトウヨ
/ _ノ \ ____
| /゚ヽ/゚ヽ ブヒッ!クソチョンカオウフバイデモ!グヒッ! /無職 \
| (__人__) 高岡断固支持ボクノトモダチデュヒ! /ノ \ u. \
| |'|`⌒´ノ ネットde真実ヴビビッ!! ビィヒヒヒ /(●) (●) \
. |. U } ...| (__人__) u. | なんだこの状況・・・マジやべぇ。
. ヽ } \ u.` ⌒´ / 発言間違えたかな・・・・。
ヽ 無職 ノ ノ \
リアル嫌韓流
彡川川川三三三ミ
川|川 \. /| 韓国にはもう
‖川||―○─○-|
川川‖ 3 ヽ 謝罪も補償も必要ないんだ!!
川川 ∴)〆(∴ )
/'''''/――--t――|
韓国はどうして日本の領土 (__ノ-○─○― .'i,_彡|
ヽ (__) ノ 6)
竹島を侵略するの? ヽε ノ .ノ / ̄`\
ヽ、_i⌒i/, -''~ `ヽ、
l////_ ┥
l i⌒; ̄ ̄ ̄丶┃ サムライ、剣道、茶道、忍者など
l ヽ- `っ
{ ̄""ー,,_ヽ )3 多くの日本文化を韓国起源と捏造している!
ネトウヨの一日:親のスネをかじりながら愛国活動
PM 3:00
⊂('A`⊂⌒`つ
起床。
PM 5:00
| ̄/|('A`) カチカチ <チョンは氏ね!ミンスは売国!
|□ | ノ) <汚沢ガー汚沢ガー
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
PM 9:00
シュッ
シュッ
____( 'A`) <俺は日本人だ〜だから俺様はえらい
ヽ〜/ (ヽ♂彡 <アニメは日本の文化だ〜アニヲタで何が悪い
[二二] 」 」 ",
AM 6:00
('A`) <ふう……今日もキムチどもを論破したぜ
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
// ̄  ̄ フ /
/ (___//
(______ノ
______________
日本は反日勢力に乗っ取られている!
⌒ ⌒ 「\__/ |
( ) {______|
| | | |_∞____|
, ── 、 __ i:::ノノノ:::::::::::|--|)
/ ヽ / ノノノ:::::::::::::(6 ) /^''ヽ
/ /)ノ)ノ // ノノノ::::::::::::::ノ ノ3/ ノ
| ///⌒ヽ / , 一''' ̄ ̄`─ 、´ /______/
ヽ /)─| ミ| /ヽ( 憂 __〉_ノ ─────/
∠ (| |. ヽ__ノ> / / ● ) /
∠_ / ` /^\__ > ( ノ | 国 ). ─────/
ノ (__  ̄ .| 〉 ̄ ̄ ̄ ̄ /
/ ̄ ̄\┌─ ′ /^−、 (〜〜〜〜〜ヽ___ /
/ ̄ ̄ ̄⌒ヽ ( 丿 \ ソ ノ ──/
\ / ̄/ // \/ ノ /
\/ / // / /
日本の心配より自分の事を心配しなさい
チャンネル桜が被災地に乗り込み逆ギレ。被災民が謝罪。これぞ「モンスターボランティア」
【頑張れ日本】いわき市と仙台市への緊急支援物資搬送[桜H23/3/22]
http://www.youtube.com/watch?v=5JNx2N5AUUk&feature=player_embedded ・朝、被災老人ホームの職員が支援が届いていないと厚生労働省やNHKにファックスで連絡
・午前中に支援物資が届けられる
↓
・午後10時半頃 NHKの生放送の電話で老人ホーム女性職員が物資が不足してるとうったえる
・午後11時 放送を見たチャンネル桜社長が老人ホームに水の提供を連絡するも、十分ですと断られる
・午後11時半頃 チャンネル桜の社長、緑のジャンパー、カメラマン計3人が老人ホームに押しかける
・施設の経営者が水食料はある、暖房用の重油が足りないと説明
・緑のジャンパーが批判「支援に来てる人たちの気持ちはどうなるんですか」
・施設の職員が謝罪 女性職員が連日の泊まり勤務で疲れてた
・チャンネル桜の社長がNHKの放送がいい加減だと批判
自分たちは正しいことをやっているから、他人にその行いを強要するのは許されるという独善。
カルトの信者が陥りやすい典型的心理で、右翼の実態はカルト(統一協会など)である
というのは、納得できる。
>>488 むしろ徳川幕府の方が絶対王制の理想型に近いんだがな
ちゃんと地方の有力者、有力団体を組織下に置いてるからな
絶対王制の欧州大陸なんて、絶対なんて名ばかりで、せいぜい封建制よりは王権が強力になったって程度
地方の有力者や貴族・教会連中にはまだまだ頭を下げねばならんかった
天皇=法王
将軍=王
大名=諸侯
これは当時から言われてたな
496 :
名無し三等兵:2011/08/19(金) 22:33:09.18 ID:QUpqAGSK
李朝の統治体制について教えてください。
あ、秀吉に対抗できなかった理由なんかはいりませんから。
エラソーなクレクレ君だな。w
>>496 >李朝の統治体制
朝鮮人並
お前程度にはこれで十分だ
ま た レ ポ ー ト 君 か
>>496 中央弱権制であり、宗主国は明から清です。
>>481 傘貼りは武士の本職なんだけど誰に売ってたと思ってるんだ?
ほ・・・本職?
世界史板のスレッド、
変な明軍擁護厨が涌いているねw
てか、傘は結構な贅沢品だったんじゃない?
傘貼りなんてのは破れ傘のリサイクルのための仕事だし
安物の服すら数を揃えられない当時の物価を考えれ
産業革命以前には布はカナーリ高価だぞ。
布の元の糸は畑で作るんだよ
ソヴィエト・ロシアでは戦車は畑から採れる
その分食料生産が減る
一方ソヴィエト・ロシアでは工場で食料を生産した。
512 :
名無し三等兵:2011/08/28(日) 15:42:23.53 ID:cXl77UfM
上洛を狙っていた上杉謙信
義理堅かったと云われている謙信公だが、
室町幕府が消滅した後に、
関東管領職にこだわる意味は無く、
足利将軍が追放された後には版図を拡大している。
もう少し長く生きていれば上洛して
信長公と決戦していたことでしょう。
513 :
長尾家傍流:2011/08/29(月) 00:33:49.81 ID:???
柴田とは戦って蹴散らしてるんだよな。
策略・戦略は下手なくせに、最終段階になると決戦で全てをチャラにするのが謙信の魅力だ。
前やってた火縄銃で騎馬突撃を食い止められるか論争の結果はどうなった?
蜂の巣になるで終了
西洋でも騎兵が脇役に追いやられ、軽騎兵化してったのは正面突撃したら壊滅するからですし
516 :
名無し三等兵:2011/08/31(水) 22:03:26.20 ID:Qf8SO5/E
そんなに射程無いのに、万単位の騎兵が壊滅するなんて信じられないけどね。
信じたい人だけ信じてるでしょ。
朝鮮の貧困と日本の貧困じゃ全くレベルが違うからなぁ
お前さんは信じたい事だけ信じてるでしょ。
でも、秀吉の朝鮮侵略では、
へうげものの甥という大物の将軍が戦死しているんだよなあ。
朝鮮側にはこれほどの大物の将軍は戦死なんか無く、
日本軍のような醜態を曝していない。
520 :
名無し三等兵:2011/09/01(木) 19:29:47.23 ID:74byqrO/
だから侵略じゃなくて、仮道征明だと何度言えば理解するんだ?
元均、李舜臣以上の格の戦死者って誰だ?
>>521 へうげものの甥だろ。
10万石級の大名。
>>522 それ以上の格って朝鮮側にはもう文官しかいねぇじゃねーか
戦死するわけねーだろと
>>521 三道都巡辺使の申リツは?
明軍の副総兵で李寧やケ子龍も格上かな。
>>524 日本側の戦死者の話でそ
まあ、へうげものを読んだだけで妄言吐いてるレベルの話だから
どうでもいいっちゃどうでもいいんだが
>>525 でも戦病死にしても、朝鮮側では相当の大物が死んでるんだよな、金誠一とか。
>>526 へうげものの甥ほどの大物ではないw
へうげものの甥は合戦で完敗し、戦死している。
秀吉は一体半島に撃って出て何がしたかったんだ?
・資源が欲しかった?
・奴隷が欲しかった?
・大陸進出の足がかり?
・単なるパフォーマンス?
・家臣の反逆防止のための浪費強要?
へうげものの甥が戦死w
>>528 今まで通りで交渉優先の拡張戦争。君も毎日職場へ行って仕事をしているだろ?それと同じだ。
収入の見込みもないのに、突然仕事を辞めて寝て暮らせるのか?
なるほど、統一したらしたで
新たなビジネスモデルの模索ができない
クソ社長並の能無しだったんですね→秀吉
へうげものの甥が戦死w
>>528 3と4の要素が強いように思う
生前に信長がフロイスに語った「大陸を息子で三分割」を違う形で自分が実現しようとしたんだろう
朝鮮征伐とか言っちゃってるけど、実際は明のことしか頭になかったわけで
事実、当時は鮮人のことなど農奴以下として人扱いしてないし、
李舜臣のことにしてもあえて武士(もののふ)とは記してない
前田慶次郎なんかは「あっちでおもしろい生き物捕まえてきたよ!w」って皆の前で披露してたくらいなのにw
へうげものの甥が戦死w
>>531 はあ?成長路線で権力を強化してきたし、朝鮮出兵で強化した優秀な社長じゃん→秀吉。
で・・・へうげものの甥って誰だよ
方面軍司令クラスとか連合艦隊長官クラスに届くような奴は戦死してないが
たぶんこいつのことだろうけど中川秀政(13万石の大名)鷹狩り中にゲリラに襲われ死亡
合戦で完敗し、戦死している。と言ってるからまた別の人か?
一軍を率いてたわけでもないただの小大名だし、全羅左水使よりは格下だろう
そうすると誰だか本当に分からないわけだが・・・
13万石は小大名ではないだろ城主大名ぐらいじゃないか?
中川秀政は当時25歳と若く受けていた命もただの後方警備
今の階級であらわすと連隊長クラスてとこかね
>>540 文禄の当初動員で3000人。
晋州城方位予定員数では2000人。
>>541 李舜臣はそれ以下のレベルの人間というわけか
>>542 李舜臣は
最大25000人(1593年、基地要員を含む?)
または7109人(1595年、艦船要員のみ。内戦闘員1228人)
大名石高で言えば50万石から100万石クラス(前者清正換算、後者輝元換算)
位で言えば、三道水軍統制使で正二品、大臣と同じクラス。日本でいうと正二位内大臣の家康クラス?
>>543 補記
大名石高で言えば50万石から100万石クラス(前者清正換算の250%、後者輝元換算の83%)
>>538 中川秀政は間違い無くへうげものの甥であるわけなんだが。
実際、朝鮮侵略で戦って戦死しているし。
>>546 休戦期間に鷹狩りに出て毒矢にやられてなー。
まあ広義の戦死と言えなくもないか。
>>547 実際、公式的に「戦死」と扱われている。
秀吉に後にその実態がバレて改易されそうになったがなw
まあ、不用意に鷹狩をしたという間抜けさは批判を免れないし、
朝鮮軍のゲリラに戦って戦死して負けたという事実は揺るがないけどさ。
>>548 いや改易されているが?13万石→7万石
改易と減封は別物じゃね
中川秀政 播磨三木14万石 → 中川秀成 豊後国岡7.4万石
へうげものの甥
>>553 織部の甥が慶長の役で全羅道を蹂躙しますた。
>>555 否。織部の甥は慶長の役で全羅道を蹂躙した後、無事に帰国しています。
>>556 否。織部の甥は朝鮮の役で鷹狩をしている時、朝鮮軍に襲撃されて戦死しています。
>>557 正解は、織部の甥は文禄の役で鷹狩をしている時に朝鮮軍に襲撃されて戦死し、慶長の役で全羅道を蹂躙した後に無事に帰国しています。
秀政は遭難死したが、秀成と重勝は朝鮮を掃討して帰ってきているよな。
へうげものの甥は1人だけじゃない。
>>546 ・へうげものの甥 ○
・朝鮮征伐で戦死 ○
・朝鮮の最上位戦死者より格上 ×
2つしか満たせてない
>>561 中川秀政は13万石級大名であり、従五位下右衛門大夫だ。
だから、朝鮮の最上位戦死者より格上だ。
へうげもの自身、従五位下織部正くらいの大身。
最下級貴族に過ぎない従五位下の小大名が、正二品より上はないわ。
封建領主だから役人より格上つっても
朝鮮と日本の身分制度は違うんだから軍内での役職から判断しなよ
舜臣は 7109/25000人の指揮官
秀政は 3000人の指揮官
舜臣は 統合指揮官(3水使を統率)
秀政は 与力(主将に付随して従軍)
舜臣は 正二品(大臣クラス、正三品堂上から昇殿可)
秀政は 従五位下(やっとこ昇殿可)
舜臣は 50万石から100万石クラス
秀政は 13万石
まとめ
・織部の甥は一人ではない。鷹狩中にうっかり暗殺された奴もいれば「、半島を暴れまわってそのまま帰った奴も居る。
・中川秀政は連隊長(中佐または大佐)で最下級貴族のうっかり八兵衛
・李舜臣は連合艦隊司令長官(中将以上)で高官クラスのまともな指揮官
・どうみても李の方がいろんな意味で格上です本当にありがとうございました。
>>565-566 その対称は不自然。
朝鮮や中国では武官は形式上の位階よりも
実質的にかなり下位に扱われている。
正二品といえども、実質的には
日本の従六位クラスの扱いを受ける。
570 :
名無し三等兵:2011/09/04(日) 16:19:23.77 ID:EDOI06uK
>>568 メフメト2世のコンスタンティノブール包囲戦とかじゃね?
>>569 それは主観論じゃなくて、根拠のない言い訳だろう。
>>570 海渡らせてまで攻城戦に馬が2万も必要だったの?
576 :
名無し三等兵:2011/09/04(日) 21:05:08.10 ID:EDOI06uK
>>570 船舶は海上封鎖に任じたから主は陸じゃね
中世の原則として予備兵力としての騎士が時には戦闘員の半数を占めることもあったし
まぁ問題はトルコ軍がヨーロッパの軍ではないことと
そもそも騎士は攻城戦に限らず下馬して戦うことが多かったということだが
>>575 釣りのつもりが赤っ恥ですね
お疲れ様です
578 :
名無し三等兵:2011/09/04(日) 21:24:44.77 ID:EDOI06uK
つか騎兵で万超えてる戦場ってヨーロッパでもそうそうないな
数万の騎兵が動員される戦場だと
相手は下手したら鉄砲が十万+長槍20万とかそんな規模になりそうだな。
雨を待つか!
碧蹄館の戦いの話でしょ明の騎兵中心の二万の軍を日本軍が破った戦い
李氏朝鮮では騎兵だけの部隊を編成していたりと東アジアの部隊編成は極端
582 :
名無し三等兵:2011/09/06(火) 12:49:10.13 ID:mQ+3EJvs
馬の乗り手なんて、簡単に育成できないんだから、
鉄砲大量装備の方がいいでしょ。
なんでそうならなかったか、謎だが。
どこに攻めてくるかわからない騎兵に対して
同数の鉄砲兵だと1箇所の守備又はどこも手薄になる
584 :
名無し三等兵:2011/09/06(火) 15:02:42.47 ID:BsU5T+Sj
騎兵の機動力だって、兵站の制限受けるんだから、好きなところを攻撃できる訳じゃないだろ。
特に朝鮮半島は山がちな地形なんだから、要所を押さえれて騎兵の得意な野戦に持ち込ませなければ戦いようはある。
>>584 そういう戦略的な観点でなく、戦術的な意味で歩兵側が方陣でも組まないと
騎兵の方が強い
方陣組めば対抗できるけど、普通は組む前に襲撃される
欧州での大規模戦闘では組んでから襲撃受けてるわけで
日本じゃ備だから一瞬で陣形組めるし
>>586 備とて鉄砲足軽の後ろに侍部隊がいるからこそ対応できる
そもそも備の指揮官が侍だろ
なに言ってんだ一体?
>>588 戦闘単位としての侍部隊なんだが
その論法だと足軽隊の指揮官も侍なんだが
足軽を指揮する足軽大将は侍だが
本当に何を言ってるんだ?
侍は兵科なの?刀で戦う兵が侍?
この場合侍って言うより徒士って言ったほうが分かりやすいだろう
部隊長は侍だけど徒士も侍と言って問題ない
地方領主の譜代で構成される事が殆どだから
徒士部隊は後詰めに居て大将の警護と機を見て突撃かけるのが役割
騎馬武者隊とか徒武者隊とか含めて、侍部隊とくくっている
双方共、基本的に突撃戦力だから
備関係ねえ
595 :
名無し三等兵:2011/09/07(水) 15:13:54.46 ID:QEf8eafa
侍が走ったって、馬には追い付けないよな。
どうすんだろ。
>>595 別に突撃距離なんて火縄銃の射程考えれば100メートルも無いのだから、追いつくのは簡単
問題はその突撃のタイミングが難しい事だな
乗崩も結局、西洋騎兵と同じように敵に隙がある時にしかできないし
>>596 不整地、鎧着用で100mだと所要時間はどれくらいのもんかね。
30秒くらい?
射手の練度によっては2,3回は撃たれちゃうな。
>>597 西洋は両翼に置くが、日本は足軽の後方に置く
よって相手の崩れた瞬間から突撃に移るまでの時間は日本のほうが早い
>>599 そんなに早くないし、何度も射撃をした後だから銃身が熱持って
発射速度も低下するし、発射煙で視界も遮られる
>>600 後方においたほうが足軽を迂回する分遅いだろ?
突撃に移るまでの時間は日本のほうが早いというのは戦闘単位の小ささから来る機敏性の影響だろう
>>603 迂回なんかしない足軽が左右に分けた間を抜ける
一列横隊だからこそできること
馬防柵設置してた朝鮮軍でも騎兵に蹂躙されてるのに野戦築城はしないの?
あと両翼に機動力の高い部隊を置かないと迂回されるから日本も両翼には騎馬武者かなんか置いてたんじゃない?
>>605 できればするけど、小牧長久手の戦いのように千日手になり易い
元々、備自体の機動力が高いのでそういうことはしない
迂回しようにも日本は土地が狭いのでその隙間がないことも多いし
しようとすると大抵は湿地帯や山なんかを突破する必要があるので
騎馬の優位点は失われる
>>604 まて・・・足軽のそこまで近くに騎馬隊を配置するのか?
そんな陣形は聞いたことがないが具体例プリーズ
>>607 尾張藩の陣形だと大体、八歩位の間を置いて配置されている
>>608 んで、尾張藩は朝鮮のどこで備を使って戦った実績があんの?
八歩あるなら迂回した方が早くね?
物凄く練度が高いならまだしも・・・・だとしてもあんまり変わらないし。
てか日本の馬はロバみたいなもんだろ大陸の馬と同列に扱っていいのか?
>>610 横には20人から40人程、足軽が並んでいるんだが
>>611 むしろ朝鮮の馬がロバ並みなんだけどな。
大陸の馬っつーてもピンキリ。
どっかに以前エンコリに上がってた李朝末の
朝鮮騎兵の写真がころがってないかね。
>>612 それが動くのを待つのとどっちが速いかって話だろ
蒙古馬なんか、チビながらタフって定評があるからなあ
日本古来の馬もチビながら踏破性が高いって聞くし、見た目だけでは量れない
あー、でもチビながら俊足って馬の話は聞いた事はまだない
>>617 蒙古馬は西アジアの血統が入って今はもう大分
原種とはかけ離れてるらしいね。
韓国済州島馬がもっとも蒙古馬の血統を色濃く
残しているとも言うけど、あれはほんとちっこい
馬だわな。
日本の在来馬だと、対馬馬が山岳地に適したご当地馬で
朝鮮の対馬侵略の折りに大活躍だったっつー話があるね。
620 :
名無し三等兵:2011/09/09(金) 03:03:13.86 ID:XFCYcQiw
汗血馬はどれにあたるんでしょう?
現在のサラブレッドに近いのかな
当時ならまだご先祖様のアラブ馬じゃない?
備厨のソースって何?紹介してよ。
オレもちょっと読んでみたいんだけど学術書じゃ見当たらない。
具体的に備の何に対するソースを要求してるんだお前は?
エスパー以外に理解できない質問は遠慮してくれ。
取りあえず「備厨」「学術書」ってのが釣り臭い
無知なんだろうな。いろんな意味で
>>623 もち、朝鮮役に関するところだけど、そんなの無さそうだから妄想垂れ流す源流に迫ってみたい。
いいからどんな論文や書籍の備について読んだか教えてよ。妄想じゃなきゃあ、ね。
具体性がない(2回目)
朝鮮出兵における備の何が疑問なのか具体的に書かれていない。
ニュータイプ以外に理解できない質問は遠慮してくれ。
>>622 中濃ソース
ブルドックのがお好み焼きに合う
知ったかぶりはいいから。オレにも備を研究した論文を紹介してよ。読むから。
>>629 一番有名なのが「日本近世史国家の研究」
こんなのにマジレスするとは優しい奴だな
日本近世国家史の研究 [単行本]
高木 昭作 (著)
この商品の最初のレビューを書き込んでください。 Like (0)
出品者からお求めいただけます。
中古品の出品:1¥ 100,250より
高すぎクソワロタwwww
>>633 それ
ウィキの項も「日本軍事史」を介してそれを引用している
>>634 江戸時代の紙上の兵法が根拠だったのか?
その備って実戦に投入されたことはあるのか?
>>635 兵法でなく、藩の動員計画
軍学者の観念的なものとは違い、藩が策定したのは常識的だよ
備の編成自体は観念じゃないだろ
備の直後に騎兵とかは実際にやると騎兵の初動を遅らせそうだが
>>637 実戦における備なら関ヶ原合戦の井伊家木俣隊がある(井伊達夫『赤備え』)
>>638 直ぐ後ろで足軽隊がどうなっているか観察できるので、こちらのほうが早い
>>639 実際にぶつかり合ってる状態じゃ混乱するだけだと思うがなぁ・・・
大幅に勝ってる前提じゃないと騎兵が動けないし
608によれば尾張藩の陣形は
@
□□□□ □□□□ □□□□ ←足軽
△ △ △ ←騎兵
A
□□ □□ □□ □□ □□ □□
△ △ △
B
□□↑□□ □□↑□□ □□↑□□
△ △ △
こういう経過でないと騎兵が前進できないけど
下の陣形なら最初から前進できね?
□□□↑□□□↑□□□↑
△ .△ △
>>641 最初からAに近い状態になっているんじゃねーの?
つまりそこまで歩兵の密度が高くないんじゃないかと。
なんで騎兵部隊という独立兵種がいることが
前提になってるのやら。w
>>641 下の陣形だとその隙間を狙って、相手が突っ込んでくるだろ
>>641 最初から騎兵を前進させたって突破できねえだろw
>>645 棒でないから、突撃時に左右に分かれること出来る
>>648 今何の話をしてるのかちゃんと把握してるか?
自己ツッコミ乙
してないようだな・・・
朝鮮征伐
結局、備制度と朝鮮役の関係ってなんかあったの?
いつから?どの家中に適用された?
何を言ってるのかわからんちゅーに
備の意味分かってるのか?
>>645 歩兵が敵の邪魔して結局その穴塞ぐから意味ねーじゃん
敵はそんな穴狙わないし
>>657 朝鮮役における備の実績をご教示願いたい。
典拠と共になー。
>>660 一部隊が数百から千位で、そこに各種足軽や武士がいれば、それは備
訳のわからない質問を偉そうにしてみたりマジイミフだな
そなえってのは昔の日本で使われていた軍の単位で大名なら一つ以上持ってた
今風に言うとミニ師団みたいなもんで普通は各種兵科が揃っていて独立して戦える
そりゃ旅団だね
ただの旅団だと単一兵科だったり兵站機能がないから単体では活動できない
備は独立混成旅団(小型師団)に近い
備は常時編成ではないので、戦闘団に相当するかと
この後近代に入ると単一兵科の連隊編成が基本になるがこの時代ではどっちがよかったんだ?
部隊が大名個人に属する封建制では難しいとは思うが軍事的にはどうだったんだろうか
長篠の戦いで信長は火縄銃を集中運用したらしいが
通信技術が旗や伝令等しか無かった時代には指揮官が即座に命令を下せる範囲に、
全ての兵科があるのというのは便利と考える
後、長篠の戦いでの運用は不明な点が多いが、仮に集中運用としても
陣地に固定配置だからこそ可能だったと思う
集中運用って3段撃ち?
局地的な装備率以外の解釈があるとは思わなんだ
小大名とか与力大名っても備え的にはどうなのよ?
自分とこで編成出来ないなら陣借りすりゃいい
>>672 与力の家中は指揮系統も兵力もバラバラに再編成されていたって事?
万石あれば単独編成可能だけど、何石の与力?
>>674朝鮮役で一番重かったのは500石1人役。1万石だったら500人を戦地に送っていたんだが・・・
1万石の大名の備ってどうなの?与力として編入された場合とか、具体的にその辺のことは見たこと無いんだけど。
親切な先輩方、教えて下さい、頼みです。(はぁと♪)
>>675 大坂夏の陣の軍役に従えば
鉄砲20丁、弓10張、鑓50本持鑓共、馬上14騎(旗□(3?)本)
>>676 聞いてんのは大坂より二十年前後も前の時代の話しなんすけど。
>>677 比率が多少異なるだけで大して変わらない
家忠日記にある天正6年11月の着倒
侍85人、中間126人、鉄炮15張、弓6張り、鎚25本から
>>680 装備の内訳なんて関係ないのでは?
備ってソフト面の運用がされたのかどうかをきいてんだけど?
家忠の軍勢は細切れにされて備えに吸収されちゃったの?
>>681 松平家忠はこの当時、酒井忠次が旗頭の東三河衆の一隊として、
独立した備として行動していましたが?
真面目に答えるなよ無駄に態度のでかい馬鹿に
結局、時代に関係なく大名の軍勢はすべて条件なしに備で編成されていたってこと?
動かしやすう規模で、騎馬隊とか足軽隊とかあれば備
なんだ、ほぼ無条件に大名軍なら「備」なんだ?
違うのは500人以下の小勢や敗残時に散り散りになった場合だけ?
俺は研究が進んでいて、時代や地域によって先進的な大名が軍事革命的なソフトウェア運用をして広まっていったような戦術の進化概念かと思ったよ。
こんな甘い条件付けなら、源平や奥州藤原氏の軍勢もそなえだったの?
>>686 ガキの駄々こねにこれ以上付き合う気はないが、
騎馬隊や各種足軽隊の兵科の分離が特徴と言える
備の定義も知らないのによく偉そうにできるもんだ
信じられん
>>687 いや、だからさー。
それはいつどこで生まれた概念で、どの大名にいつ頃受容されていったかって、みたいな研究は全くないの?
来ていると何でもかんでも無条件に「備」が存在したみたいな言い草をするじゃん。
はっきりいって不明
ただ、足軽が応仁の乱辺りの傭兵軍的な運用から、正規軍に組み込まれた辺りが画期とされる
それが何時、誰かと言われたら太田道灌とか伊勢宗瑞とか今川義忠、武田信虎といった応仁の乱後の
東国大名達の名が浮上する
>>690 西国大名が足軽を使ってなかったってーのはどっから出で来る話?w
>>691 使っていないとはいわないが、組織化の流れが東国より遅れていたと思われる
この組織化という点については軍役状から東国のほうが西国より系統だっていたことが確認されている
>>693 今の自衛隊を備と言わない以上定義はある
>>692 なんだ?「・・・と思われる」って?全部想像だったんだな?
研究も引用せずに、
僕はそう思う
ってんだからねえ。
別に備の編成内容や規模も家ごとに違うし
備は当時の日本での最小の戦略単位の呼び名でいいんじゃない?
備って陣形のこと?
どの時代のどの国にもありそうだな。
魚鱗の陣や鶴翼の陣、ファランクスや方陣も備に該当するんでしょ?
>>699 陣形じゃなくて編成なわけだが
わざとやってるだろ
>>701 陣形とどう違うの?今までこのスレで陣形の意味で使ってたでしょ?
日本の場合、陣形の維持はそれ程重視されない
備もまたしかり、備の兵科ごと一列横隊はそれが一番簡単に組めるからが理由
そもそも備と陣形を混同したレスなんて本人以外なくね
ID出ない板は苦労するな
IDなくても問題のある奴は特定できるから問題ない
備えでないのはどんな場合かと?
2人で偵察とか一騎駆けとかいくらでもあるじゃん
頭使おうぜ
鉄炮組だけの編成とかもある
明や朝鮮の軍勢も備えだったか
>>710 あちらは騎兵と歩兵が明確に分離している
>>712 碧蹄館の戦いでは騎兵と歩兵が分離している
714 :
名無し三等兵:2011/09/29(木) 21:27:10.27 ID:MEZ3ZXZy
いや、秀吉は普通に石火矢の鋳造を命令しているが
>>714 大砲の時代が来るには榴弾が必要。
後二百年待ってください。
榴弾の開発は結構早いんだけど
大威力化&量産可能になるのはかなり後年になってからなんだよなぁ
火薬で撃ち出すための砲丸の強度が向上するのに時間が掛かった
二匁半で大砲と名乗るのはちょっと・・・
俺の大砲は砲口カバー完備だぜ!
羨ましいだろう!
俺なんかサーマルジャケット付
723 :
名無し三等兵:2011/10/05(水) 13:17:09.42 ID:6g1MdBUP
無いと汚れるだろ
727 :
名無し三等兵:2011/10/05(水) 19:49:06.30 ID:ECaANlCA
弾幕薄いよ!なにやってんの!!
問題はこの軍事板住人の持つ股間の大砲に
実戦投入経験が無いということだw
>>730 戦艦の方の大和なら、実戦で砲撃をしてますが何か?
加藤清正は第一次蔚山戦役では明軍を追撃したのに、第二次蔚山戦役では追撃しなかったのはなぜだろう?
兵力で見ても、一次の方が敵の数が多いのにな。これでは、幸州山城や晋州城の朝鮮軍のように撃退したものの
ビビって追撃しなかったと受け止められても仕方ないぞ。中路軍と西路軍の動きに警戒していたのか、3倍近くいる
明軍との対戦を恐れて避けたのか。
>>732 第二次の場合は深追いしてまで打撃を与えないでも、
敵の戦意はくじけなくても充分防戦に耐えることができたからだろう。
援軍の突撃によって潰走した敵を追ってくだけボーナスゲーム(1次の追撃戦)と比べんな
野戦で撃破したわけでもないのに、総崩れになってない数的に優勢な軍勢に追撃しろとか
撤退戦で追撃とはこれいかに
三路の戦いが撤退戦とか俗説信じてる馬鹿がこのスレにいるとは…
中路軍を相手にした島津軍は、東路軍を相手にした加藤軍以上の戦力差があったが
籠城戦→城から出撃→明軍総崩れ→追撃という流れを実現してるぞ。
考えられる原因は
1.戦力差がありすぎて、明軍を警戒した
2.中路軍と西路軍の動向に警戒した
3.翌年の慶長4年(1599年)の大侵攻計画により慶長3年中、
日本軍が大規模な戦闘を望んでおらず、戦力を温存したかった
4.加藤軍は第一次蔚山戦役の損害が大きかったため控えた
考えられる理由はこれぐらいだろうな。
二回目の蔚山城攻防戦のあとに蔚山城を放棄してるから追撃する必要がないと見たんだろ
秀吉もたしか死んでるし
あれは撤退間際に襲ってきたから実質撤退戦だと思ってたが違うのか
え?第二次蔚山の役は追撃してないの?
「蔚山表之儀も、此方へ注進候、敵三万騎ニて押寄候處、大鉄炮ニて打立、手屓死人不知其数ニ付而、引退令対陣之由候、御手前悉被追崩通承候者、
定而蔚山表も可爲敗北と存候」長束正家・増田長盛・徳善院玄以連署書状
「御手前悉被追崩通承候者」って追撃したことを言ってるんじゃないの?
宛先が島津
お手前=あなた
だから島津の泗川城の戦いの事
>御手前悉被追崩通承候者、定而蔚山表も可爲敗北と存候
あんたんとこは云々、こっちも云々
>>739 3が妥当だな。
城がほぼ完成していて防御設備は完備しているので、
余程の大規模な襲撃じゃない限り篭城戦に専念するだけで大丈夫だろう。
何より既に大規模大侵攻作戦が策定されてるのなら、無駄な戦力の消耗は避けるのが最善。
745 :
名無し三等兵:2011/10/13(木) 19:10:33.79 ID:Tx3yWHiF
文禄の役で凍死者が多かったから、冬は南部の城で越冬して春から再び攻める予定だったのか?
城に居残り残して帰国させてますが?
747 :
名無し三等兵:2011/10/14(金) 14:27:37.46 ID:dNmttbxe
つーか追撃の必要ないじゃん
すぐ帰んだし
時系列理解出来てない馬鹿ワロスw
追撃して叩けば帰り安くなるじゃん
後ろに付いて来られては厄介だし
ニダーがぞろぞろついてきて居座るAAにビジュアル変換された。w
時系列無茶苦茶で話になんない
第二次蔚山の時に帰国の予定なんか欠片もないけど?年越してからフルボッコの予定だったんだがw
@泗川、蔚山、順天の戦い ・・・大規模侵攻計画中
A本国(5大老)からの撤退命令 ・・・撤退準備開始
B露梁 ・・・撤収
本部の意向なしに@の時点で前線が勝手に撤退考えるとか敵前逃亡だぞ
本当にこの文禄・慶長の役の一般理解が滅茶苦茶だよな。撤収命令が来てもいない時期に
勃発した三路の戦いが、なぜか撤退戦扱いになってるクソ本を何度もみたことがある
というか、N○Kとかいうクソ放送局も「日本と朝鮮半島」とかいう番組でそう言ってなかったっけw?
明、朝鮮との七年に及ぶ戦争によって日本は膨大な犠牲を強いられた。
日本に勝算は無かったが、関白豊臣秀吉の死によって戦争は終わった。
NHKの理解はこんな感じ
実際、最初の認識がズレまくっていたから勝ち目はないと思うな
>>754 なんか見たことある文章だと思ったら明史を逆にしたのかw
世間じゃ明朝鮮の冬期の進攻で慶長の役は防戦一方で苦戦して命からがら逃げてきたって感じだわな
慶長の役は防戦一方で苦戦して命からがら逃げてきたって感じ
にすることに目標設定されて
捏造歪曲を練って固めて
ハイ! 侵略者は退治されました。めでたしめでたし。
戦争反対! 日韓友好万歳!
これが現状。
前提を踏まえればそれぞれの戦局で諸将は妥当な判断をしている。
第一蔚山戦 少数籠城→攻城中に兵站限界→優勢な援軍登場→秩序ある後退ができずに追撃を受けて大被害。
泗川戦 前哨戦で進撃が乱れる→攻城が始まる前に混乱に乗じて野戦を挑んで大破。
第二次蔚山戦 攻城戦をしない程度に寄られる→籠城側も様子見→撤退
あと泗川は晋州城から洛東江を渡河して半島部へ進む進攻路が限定されているし、明・朝鮮軍が敗走した後に川に追い落とされた地形の効果があった。
蔚山の場合は進撃路が限定されていないので籠城で引き付けといて援軍で叩くのが基本戦略だろうね。
逆に明軍は援軍が出せないように同じ攻撃に切り替えた。
760 :
名無し三等兵:2011/10/16(日) 15:47:58.06 ID:pOC6HLnQ
朝鮮役に関して、軍事的に正しい理解をしたいので、
入門書を教えてください。
また、理解の基礎となる、当時の軍事的知識、特に明朝鮮との対比に焦点を当てた書籍等も紹介して下さると有難いです。
当方、明朝鮮語の読解不可ですので、そのあたりの事情もよろしくお願いします
>>760 そんな便利な文献などない。
俺が書きたいぐらいだ。
一応参考までにあげるが、背景を把握しなかったり、批判なしに読むと毒にしかならん。
参謀本部編『朝鮮役』
中野等『文禄・慶長の役』
同『秀吉の軍令と大陸進攻』
明史でいいんじゃないか?
余程意図的な誤訳する馬鹿以外の本なら
>>761 中野ってリアル池沼だろ。
兵糧現地調達が「稚拙」とか本気で書いてたぞ。
日本史学者の低能ぶりの証拠にはいいかもしれんが・・・
あと中野の「文禄・慶長の役」では
「唐人よりくひをきられ」
という原文を「朝鮮の義兵にやられたニダ!」と超訳wwwしてたなwww
まあWIKIPEDIAの方が遥かにマシだよ。この辺と比べたら。
中野の本は原文の参考史料としては役に立つよな。
それは確かに。
>>765 それでも北島のクソ本よりナンボもマシなんよ。
だから批判しつつ読めと。
中野も韓国から研究費貰って活動するようになったからね、北島化しないか心配。
wikiのがマシって国内学者も酷いレベルだよな
文禄の役で朝鮮の進攻がスムーズにいったのは、朝鮮の民衆が日本に与したおかげであるみたいな事を書いてたのもいたなw
朝鮮民衆は未曾有の国難に乗じて暴れてはいたようだけどw
ここでyasoshimaさんがでるとはw
774 :
名無し三等兵:2011/10/17(月) 23:36:17.01 ID:hb4sPBqK
つか、いかにも朝鮮だったから、日本の侵略に簡単に敗れたみたいな言い方するけどさ、
例えば、日本とフランスが隣国だったとしたら、フランスだって、15万もの大軍を迎えたら、簡単に敗北して、全土制圧されるだろ。
これが、イングランドだろうが、スペインだろうが、同じこと。
朝鮮だけ弱かったと言うのは当たらず、たまたま、半島にいたのが、フランスでもなく、イングランドでもなく、スペインでもなかっただけ。
日本に富を狙われた朝鮮はまあ、不運だったな。
富?
つ例こ朝日?
アルマダよろしくフランシス・ドレークにフルボッコにされる手筋しか見えないがw
確かに。数百年も天下太平で文治やってた国に、百年以上も身内で殺し合ってた蛮族が
大挙して攻めてきたんだから当然か。
>>779 酷政で民が生きるか死ぬかを繰り返している世の中を太平と言って良いのか?
それを言えば、鎌倉時代に百年以上世界中で征服戦争してきた蛮賊が
大挙して攻めてきたわりに、九州の一部にすら橋頭保を築けず敗退した
のは当然のことができなかったということか。情けないなモンゴル軍。
まあ、李氏朝鮮も鎌倉幕府も全く戦闘がない政権ではなかったけどな。
唐人って中国人の事だろ
>>785 朝鮮人も一緒くたで”唐人”という用例があるんだな、これが。
でも、朝鮮人の手口は弓でのヒット・アンド・アウェイだろうし、
首斬ったとなるとソレ違うんじゃね?とは思うな。
「唐人からくひヲきられ」は
蔚山築城中の慶長2年12月16日付記述だから
これ以前の出来事。
明軍・朝鮮正規軍の蔚山近接は21日夜半だから
この時点で近接してない。
朝鮮人も普通に首狩りはするんで朝鮮民兵の所業だろ。
先行偵察に来た部隊があったのかもかもしれないし
地元部隊がゲリラ戦をやってたのかもしれん
なんとも言えん
>>787 慶長の進攻でターンした後の慶尚道掃討戦では、加藤黒田毛利の各隊が更に分進した時に一部の小部隊が朝鮮軍にやられているからね。
場所は青山で、相手は郭再佑か鄭起龍だったかな?後で調べてみるわ。
なんだ小競り合いの勝利でホルホルしてんのか
十何万もいたら朝鮮人に首チョンパされたやつだっているだろ
792 :
名無し三等兵:2011/10/19(水) 13:27:34.49 ID:hag9Z9n5
結局日本は負け
大会戦で負けたって話しじゃないならどうでもよくね
分隊がゲリラにやられたなんてアフガンの米軍も同じだし
木材伐採作業員がゲリコマの不意打ちにあってる状況
そういう連中はやばくなると身分の高い奴の居場所教えたりしてた
ステファン・ホーエルだったかな。samrai invation koreaとか著作がある人なんだけど。
この人の本みても、日本の敗退の三大原因として、明軍、朝鮮水軍、義勇兵を挙げてるな。
797 :
名無し三等兵:2011/10/22(土) 09:47:29.68 ID:To9FuGwQ
また敗退とか言って...
何回ループさせる気?
>>796 >明軍
主要戦闘の殆どに日本軍が勝利
>朝鮮水軍
文禄で水陸防御作戦へ戦術を変更して以降朝鮮水軍の動きを封じている。
慶長では漆川梁で撃滅して以降、影響を与えるような役割は果たしていない。
>義勇兵
慶長では影響を与えるような活躍はしていない。
>日本の敗退
秀吉が死んだから引き揚げただけ
秀吉本人が文禄の役の失敗の原因として後悔してる加藤清正宛の書状がある。
それによると、文禄の役の失敗は朝鮮軍が弱すぎて進出しすぎて後方で一揆が頻発して
それに対処できなかったと後悔してる。漢城占領後は、前進せずゆっくり統治に力を
注いで入れば良かったとも言っている。秀吉が言ってるんだから、やっぱり文禄の役の最大の
失敗要因は「義勇兵」じゃないかな。
どうも「敗退」という表現には、狭義の戦闘で負けて退くようなニュアンスを纏わそうという意図が見え隠れするんだよね。
実態を語るなら、中身を見ないと。
>>800 その対策が晋州役・慶長役で
これは成功をおさめていた。
文禄役は奇襲(?)だからしょうがないとして、慶長の再征は、朝鮮としては水際で防ぐべきだったろうが、
何も準備してなかったのな。
侵攻された国の心構えとして何かおかしくね?
倭寇対策の延長で水軍で撃滅するつもりだったんじゃねえの
慶長の役で朝鮮水軍が日本軍を水際で阻止しようとして勃発したのが漆川梁海戦でしょ。
806 :
805:2011/10/22(土) 23:26:20.16 ID:???
水際というか遮断とか分断という方が正しいな。沿岸部の倭城に日本軍がいたわけだから。
>>803 釜山中心に日本側橋頭堡が継続して確保されているので
水際防御なんていう余地はあり得ないな。
>>805 漆川梁海戦は、朝鮮水軍の日本側支配地域への単独侵攻という
拙策を日本側が水陸連携して迎撃した戦い。
進攻前に朝鮮の使者もきているし、文禄の役は奇襲じゃなくて朝鮮が守りの備えをしなかっただけ。
その理由があまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ返るww
普通は失敗って言い方するな
>>808 まあ、確保されていた南部に続々と侵攻軍が増援されていたので
その経路を叩くという意味では「水際」と言えなくもないな。
しかし、これも誤解を招く表現だよね。
>>811 水際防御(Beach Defense)の意味を、全く理解してないのが丸分かりなんだが。
しかしまぁ、漆川梁海戦で元均はすっかり無能の愚将扱いだけど、
元はといえば文禄の役で李舜臣が釜山に単独侵攻して、
実際には敗退してるのに、賊船400隻焚滅大勝利ニダ〜!と
戦果報告をやっちゃったからだよな。
当の本人はそんなヤバイ事は二度とやりたくないから
も一回やれと言われたのを渋って首切られて、元均は
その尻拭いをさせられたみたいなもので。
圧倒的に無能なら相手にもされないはずだからな
実際に嫌い合ってた所をみると同程度の能力のライバル関係っぽ
>>813 1593年も1594年も攻撃に来ていて、水軍だけでは効果無しと判断しているけど、上に上げた報告は攻撃成功だからねえ。
身から出た錆を元均に背負わせて悪辣だよな。
>>812 だから誤解を招く表現だと書いたわけだが?
>>802 文禄の役の失敗に懲りて慶長の役では明の征服をあきらめて
朝鮮南四道の実力奪取に戦略を切り替えたけど
結局失敗したじゃん
まあ、直前まで内戦やってて、なおかつ
国内が、まだ不安定
なのに、後継者が確立もしない高齢の指導者が外征すれば
どんなに、戦略的勝利を収めても、撤退せざるおえないわな
秀次を殺したのが豊臣秀吉人生最大の戦略的失敗
いや、淀を娶ったのが、秀吉の人生における最大の失敗だろ
淀が悪役にされてるのは江戸時代以降のつくり話だろ
悪役云々は別にしても、秀頼が生まれなきゃ、
既定路線通り秀次が継いで、史実よりは
豊臣政権は続いたんでないかな。
秀吉が渡海しなかったのが最大の失敗かな。
前線見ずに指揮するんじゃ非効率極まりない
>>824 渡海を止めたのは家康の深謀遠慮だね、ってのはおいといて、
秀吉の渡海は時期尚早だろうけど、横並びの諸将の上で
指揮を執る衆目の認める総大将格のを誰か送るべきでは
あったな。家康とか利家とか。宇喜多ではやはり若輩すぎ。
小早川隆景でも格不足だよな。
家康を渡海させる計画があったみたいだね。
戦線の縮小で流れたけど
>>825 上杉と毛利の動静はどうだったんだろう?上杉は景勝の性格からして乗り気じゃなさそうだし、
毛利は5桁もの大軍を派遣してたとはいえ、文禄当時の輝元はまだ五大老に就任するほどのキャリアが足りないし、
やっぱ前田が無難な所かな>現地軍の総大将
829 :
名無し三等兵:2011/10/25(火) 01:59:56.47 ID:nx62j0HP
渡海軍総大将は会津宰相蒲生氏?しかいないだろ。
総大将が病死したら
指揮系統てどうなんの?
832 :
名無し三等兵:2011/10/26(水) 23:58:25.54 ID:OKOu3pad
五大老、五奉行が合議して決定する。
>>832 清洲会議も同じような感じみたいだよね。
834 :
名無し三等兵:2011/10/28(金) 11:16:30.80 ID:kVA/RDRx
最近図々しい知事が多いな
島津義弘が李舜臣を打ち取るシーンを所望。
個人の性格などは脚色してもかまわんが、絶対「敗色濃厚だった日本軍」という
歴史の史実に反する描き方になるからやらんでよろしい。
李舜臣の不滅の亀甲船団に追撃されて、潰走しまくる島津の軍勢 って大河になるだけ
しっかし、大河って相変わらずショボイ脚本とショボイCGとショボイ役者のショボイ学芸会レベルの演技で盛り上がらない
あれ海外でも放送してるらしいけど、よくあんなクソみたいなもの垂れ流して恥ずかしくないね。まあ見てないから良いけどw
つーか、鹿児島は幕末があるんだから良いじゃん
大河も中途半端な事しないで戦国BASARAみたいに思いっきり吹っ切れちゃえばいいんだよw
李舜臣が呂布扱いされそうだなそれはそれで
実際は呂布ではなくフォーク准将だから困る
だれうまw
今時ガイエ信者がいるとはw
フォークほど酷くないだろ
パエッタとかパストーレみたいな無能じゃないけど有能じゃない的なレベル
李舜臣は有能だろ?唯一日本軍の大名を打ち取った武将だぞ?
ただ、戦局に影響を与えるほどの武将ではなかったし、日本の教科書に載せるほどの者でもない。
なぜか載ってるがw
大名つっても小規模領主だしなぁ・・・
西洋で言う男爵クラスというか・・・
朝鮮基準では有能としていいんだろうけど
上司も部下も全部朝鮮人なのに勝ち戦が出来るんだぞ。
軍ネ申だろ。
>>845-846 池沼?ネトウヨ?w
朝鮮侵略では、へうげもの甥という大大名が討ち取られているんだがw
またお前か・・・
で・・・具体名マダー
>>847 朝鮮軍が酷いつっても水軍はもともと比較的練度が高かったからな。
つうかじゃないと船が動かないw
勝つには勝ったが、戦略的には何の役にも・・・
>>835 上杉や毛利前田があるなら当然だろ
伊達よりも上だと思うが黒田、加藤、鍋島、大友、小西、細川、立花も
やらないといけないとは思うが
へうげものの甥が戦死w
>>852 へうげものの甥が朝鮮征伐を継続w
忠清道から全羅道を掃討w
もう相手するなよ
釣りにしろマジレスにしろバカバカしい
(試し腹)とは
朝鮮半島で行われていたもので、父親が結婚前の自分の娘に対し、
妊娠の可・否を調べる為に性行為をする事を云う。大韓帝国の時代まで
あった風習だが、日韓併合後に直ちに禁止にされた。
「女は子を産む道具でしかない」朝鮮では、道具(女)が不良品(不妊症等)で
あってはならない。 故に、『これこの通り、妊娠できる体でございます』ということを
証明するために、「種男」という男に娘を犯させ、妊娠した状態で輿入れさせる。
これを「試し腹」と言います。 産まれてくる子供は、当然夫の血を引いていないため、
妻と同じ奴隷的な身分しかなく、結婚はおろか大人になるまで成長する者も
稀だったと言われています。 自分の娘を血縁の近い男(兄や叔父)に妊娠させて、
妊娠できる女と証明させて嫁がせる儒教思想が暴走した習慣だそうです。
日帝が禁止した朝鮮時代の風習だそうです。
蛭子能収「昔、デジカメとかまだ無い頃ですよ、バカチョンカメラを持って行ったんですよね、私」
アナ「‥あの、簡単なカメラですよね?」
蛭子能収「ああ、バカチョンカメラ。で、バカチョンカメラでですね‥」
アナ「あの、すみません。おっしゃる意味はわかるんですが、その言い方ですと誤解を招く恐れがありますので‥」
蛭子能収「あ、バカチョンって言ったらダメなんでしたっけ? じゃあ、その‥バカでも韓国人でも撮れるカメラでですね‥」
アナ「‥‥」
韓国面に落ちたか・・・
どちらに転んでも朝鮮には主導権はなかったわけで。
いくら朝鮮を下に見ても、君らの惨めな生活が改善するわけもなかろうに
朝鮮について語ると、下に見たことになるのか
なんという差別主義者
朝鮮版ネトウヨ
民団又は総連ネット工作員
ブサヨ
しかし、戦後すぐに既存の研究には侵略と朝鮮の抵抗が抜け落ちていると指摘した鈴木良一氏は素晴らしいな。
彼の一声から戦後の研究は発展を遂げていく。
へうげものの甥が戦死w
>>862 戦史分析という観点から見ればむしろ戦前の方が研究は進んでいたわけだが
今では「朝鮮侵略」という呼称が一般的になり、
学者もくだらない道徳論を振り回すばかりで戦史としての朝鮮役の研究に取り組もうとしない
一般にも日本の侵略主義が李舜臣や朝鮮民衆の抵抗によって打ち負かされた、などという
デタラメな認識が広まっている状況を考えればとても手放しには喜べない
確かに、学術的に研究が発展したと言うよりは、韓国言うところの”正しい歴史認識”での
思想化、宗教化が進展してるわな。
まぁ、朝鮮史学会には韓国からのヒモ付き研究者がいっぱいいるみたいだし。
まあ、歴史学者といっても軍事素人ばっかだから、まともに戦史分析が進まないのは当然と言えば当然。
北島卍大先生なんか明治時代の朝鮮半島の併合と朝鮮出兵を一緒に考えとるw
歴史学に道徳なんて不要だよなぁ
国際関係論になると感情含めたすり合わせになる
>>867 卍大先生は、ゆとり教科書の”朝鮮侵略”記述の元凶だしな。
朝鮮出兵でも侵略でもなんでもいいけど
イデオロギーを絡めるのは勘弁してほしいなぁ
間違いなく、北島卍とかイデオロギー臭の強い学者は後世で反面教師の鏡的存在になる。
しかし、こういうイデオロギーに塗れた学者に限って、自分のことを棚に上げて戦前はどうのこうの
批判するよな。
卍先生の著書は資料検証が徹底していてためになるんだけど
日本軍を「倭軍」と呼んだり「壬辰倭乱」「丁酉倭乱」とか書いてるんだよなあ
公平性の欠如という点で戦前の征伐史観と何ら変わりは無いという自覚はないんだろうか
>>864 でたらめな認識を打ち破るために
日々ネットでご活動なされてるんですね^^
せいぜいがんばれw
>>874 マジレスするのもアホらしいが、
>>864は少々問題のある認識を示した
>>862に
その問題点を冷静に示してるだけなんだが、、、 その後の流れでも分かるだろ?
そんなレスじゃあ、お前さんはただの「哀れな人」だよ
>>873 無いだろうな。
そもそも左に傾いてる時点で公平性もへったくれもない
朝鮮征伐
壬辰倭乱
イムジンウェラン(NHK用語)
なんかかっこいいな
イムジン・ウェラン
中盤から出てくる敵新型ロボみたいな名前だ
ププッ
?
883 :
名無し三等兵:2011/12/01(木) 20:18:50.65 ID:GS+8olKg
鬼島津の対兵数二十万人は誇張された数字ではないと思うな。
三国志の時代ですら百万人規模の軍勢が在った国ですよね?
それならなおさらのこと、当時でも数十万人の軍勢で
押し寄せたとしても違和感が無い。
むしろ、数万人程度で島津義弘へ攻撃したとする説のほうが誤りに見える。
マルチで妄想垂れ流してんじゃねーよ、ボケ
885 :
名無し三等兵:2011/12/01(木) 20:34:12.33 ID:GS+8olKg
また下手な釣り師が来てるな
>>884 基礎知識に全く欠ける883の肩を持つわけか。
それこそ自分が脊髄反射の朝鮮脳だろ。w
>>886 あちこちの板でマルチしてるわ。
888 :
887:2011/12/01(木) 21:59:11.56 ID:???
>>883 現実的には多く見積もっても一万5000人だよ、明の損害
292 :日本@名無史さん:2011/12/10(土) 08:25:44.12
>>261 戦術的には日本の敗退で間違いない。日本側の損害は大きいからな。
戦略的にも朝鮮軍の勝利を聞いて平壌にまで後退していた明軍が再び南下。
幸州の朝鮮軍は戦後も漢城付近で出没抄撃を繰り返した。これによって日本軍は漢城外を自由に動けなくなって、物資の欠乏も甚だしくなった。
釜山退却が議論され、諸将は血判つきの連署で秀吉に窮状を訴えると。
思ったんだが
>>891のコピペってちょっとおかしくね?
日本軍の戦略目標は要害である幸州山城に篭る朝鮮軍という脅威の排除でしょ
結果的に朝鮮軍は城攻めを受けて幸州山城を放棄しているのだから、
戦略目標は達成されたことになるわけだが。民衆の蜂起や兵糧の欠乏は別問題だろ
あと明軍が平壌まで撤退したのは幸州山城の戦いの後の2月18日のことであり、
幸州山城の勝利を受けて再び南下したなどというのは完全なデタラメだぞ
そりゃ、朝鮮義兵の大活躍に秀吉軍困窮、脇役の明軍も勇気百倍という
あるべきストーリーに則ってるんだから、おかしいのは当然じゃねw
>>893 時差の問題じゃないの。勝利の報自体は退却後に届いたって感じで。
戦略目標は朝鮮義兵の結集を阻止することだろ。
それは出来てない
>>895 明軍の南下(といっても開城までだけど)は幸州山城の戦いから2ヶ月経った4月6日の出来事なわけだが
大体、明軍はそれ以前の3月22日に漢城に沈惟敬を派遣して講和交渉を行い、
講和使節の日本派遣や日本軍の釜山退却を取り付けてる。普通に考えりゃ明軍の南下は講和交渉の結果だろ
>>896 意味がわからん。一体どの文献資料に「戦略目標は朝鮮義兵の結集を阻止すること」
なんてバカなことが書いてあるんだ?
幸州山城は漢城からわずか12キロほどの要害の地にあり、
そこに集まった朝鮮軍が不安な存在であったため日本軍はこれを排除すべく攻撃を仕掛けたんだろ
結果、朝鮮軍は幸州山城を放棄して坡州まで退却し、日本軍の懸念は消滅した
いずれにせよ、日本軍は大敗して、厭戦気分がまん延。
権慄は漢城周辺でゲリラ攻撃を繰り返して、日本軍秀吉に
泣きつくって事実は変わらんからなあ。
学者様が言うんだから間違いない!!11
幸州山城の戦いは朝鮮軍が(戦術的に)勝利できた数少ない戦闘だから大袈裟に取り上げられてるだけで、
実際には戦略上大して価値のある戦闘でもない
本拠地近くの敵城を攻めたけど落とせなかったよ、でも敵は逃げて行ったよ、これで安心、結果オーライだね、
結局はその程度の局地戦だからな
>>899 そもそも日本軍が漢城まで後退したのもすべて明軍のお蔭様なのに
取るに足らない朝鮮ゲリラの功績みたいに書いてるあたりチョンだなw
幸州山城に居た朝鮮兵って、全羅道から北上して政府の居る北部へ合流しに来た部隊の内、残置されたほんの一部。
もともと山城でなく、漢城を牽制するために立て籠もっていた。結局、明軍は戦線を南下してくれず、孤立してしまった。
日本側にとっては「取る」ような目標じゃないから無理せずに一日間の攻撃をしただけで撤退したし、朝鮮軍が放棄した後はどちらの軍も利用しなかった場所。
朝鮮征伐
朝鮮征伐でも朝鮮出兵でも、義勇兵とやらのファビョりが、戦局に決定的な影響を与えたことは無いよ。
講和会談になんの影響も与えてない時点で推して知るべし
朝鮮征伐
日本「もうやめにするわ。」
明「あぁ、こっちもこれ以上やっても何の得もないしな。」
朝鮮「何を言ってるニダ!このまま続けるニダ!!!」
日本&明「じゃ、そういう事で。」
908 :
名無し三等兵:2012/01/14(土) 12:37:25.63 ID:R71XcBWU
冊封体制なんてバカなシステムさえなければ、
前近代の東アジア海運はもっと盛んになってたろうになあ
秀吉が明征服を成功させていれば
冊封に縛られた貿易体制が排除され
東アジア共同体が成立し
東アジアの流通経済は大いに発達していただろう
まあ現実には明の寸土すら盗る事も出来ずに敗退したけどな
忠武公李舜臣23戦23勝の大活躍が東アジア共同体成立を阻止したといえる。
>>912 李舜臣って釜山浦の戦いの敗北以降ぱっとせず、最期は鬼島津と戦って敗死してるんだが・・・。
たしかに、当時の朝鮮軍の惨状から考えれば善戦したとは思うけど、23戦23勝ではない。
李舜臣は大局を見ることの出来なかった愚か者ということだなw
なんで李舜臣はもう戦争終結してるのに日本軍襲撃して返り討ちにあったんだ?
攻撃してきた理由も分からんが結果李舜臣自身が討ち取られるような無理の攻勢をかけたのかね
李舜臣はそこまでして戦功をあげないとこの先ヤバいような失態はないような
>>913 >23戦23勝ではない。
http://japan.yi-sunsin.com/04yisunsin/05_01.jsp 李舜臣は世界の歴史上どの記録からも見ることができない戦果を記録した。ジンギスカンは20度の戦闘で2度敗れ、ナポレオンは
23度の戦闘で4度敗れ、フレデリック大帝は12度の戦闘で3度敗れ、ハンニバルは5度の戦闘で一度敗れた。しかし李舜臣は23度
戦って23度全て勝った。絶対的に劣勢の兵力と艦隊数で7年間23度の大小の海戦でただの一度も敗れることなく勝利に導き、そ
の一方で日本軍の攻撃を受けて失った戦船はたった2隻だけだった。
ププッ
>>915 慶長の役では手柄立ててないからね。鳴梁海戦を大勝利と朝鮮朝廷に報告は
したものの、実際には残存戦力の撤退戦に成功しただけのことだし。
また、その後の順天城攻めでも何ら戦功は挙げてないし。
終結までに何か一発功績を挙げないと失脚するのは目に見えてたんじゃないかね。
実際、李舜臣の属した派閥のアタマの柳成龍は役後まもなく失脚してるしな。
そもそも23回も海戦はなかったろ……
初戦で敗退して北側に敗走してたからな。
そのあとは引きこもって出てこなかったせいで、一回罷免されてる。
出てきたと思ったら地上支援を絶たれて何も出来ずに毎回撤退。
初戦と、最後以外ろくに戦っても居ないんだが、よく出てくる「輸送艦を攻撃」とかどっから出てくるんだ?
英語版はDecisive Korean Victoryの大安売りだな
日本側に対しては泗川の戦いでさえDecisive japanese Victoryとは書いてないのに
韓国人というのは嘘を言い続ければ真実になると思い込んでるからな。
実際は朝鮮民族の評判が下がるだけなのに
924 :
名無し三等兵:2012/01/15(日) 22:42:30.11 ID:8fWD1moG
>>920 >よく出てくる「輸送艦を攻撃」とかどっから出てくるんだ?
言ってる人の脳内
925 :
名無し三等兵:2012/01/16(月) 00:33:56.96 ID:XTXaggpB
イスンシンは日本の狙撃兵によって、射殺しました。
へうげものの甥は、朝鮮軍精鋭部隊によって戦死を強いられました。
複数の資料に、明軍が一番に手を焼いたのは、日本の鉄砲隊だとある
当時の明軍には、大砲とかはあったが日本軍のような大規模な鉄砲隊は存在せず。
鉄砲は三人が一組で撃つようなものであり、撃ちあいになれば必ず負けていたそうだ
しかし当時の合成弓とか弩の方が、射程距離も威力も、火縄銃よりも大きかったはずだし
そんなことがあるのかと思ったりするけど。
まあ、当時の日本軍は水軍は、ロクなのがなく。瀬戸内の水軍とか動員して整備しただけで
朝鮮の役で急ごしらえしたものだったからな
朝鮮側の方がちゃんと水軍も存在した分、有利だったのは事実かも知れないね。
李舜臣の善戦があったとしたら、この辺が理由だろ
なんだレスが欲しいのか、かまってちゃんだなぁ(´・ω・`)
931 :
名無し三等兵:2012/01/16(月) 08:37:54.87 ID:E7DNMnV7
中華は一部エース以外は曲射で面制圧やってるだけ、火縄銃は曲がりなりにも直射だから、撃ち合いに持ち込まれた中華指揮官が悪い。
私のソースは徳間書店の日本の歴史シリーズ「朝鮮の役」ね
>>927 弓は超高練度が必要
弩は低練度でも使えるが連射速度と威力がバーター(ライトクロスボウは低威力、バリスタは連射)
低練度でも使えて有効射程が長い
だぁああああああああ
enterで送信って仕様はいい加減無くしてくれjane!!!!
弓は連射もできるし射程も長いが超高練度が必要
弩は低練度でも使えるが連射速度と威力がバーター(極端な話ライトクロスボウは低威力、バリスタは一発撃って終わり)
低練度で使えてクロスボウ以上の威力で、弓並に射程が長く、それなりの連射速度を持つ銃に全部取って代われた。
いや、それは違う。火縄銃は確かに弓ほどの錬度は必要がないが
しかし射程距離も威力もクロスボウどころか、弓にも及ばない
クロスボウと火縄銃の連射性の比較については知らないが。
銃が発達した欧州でも銃が弓を駆逐するには一世紀近い時間を必要としている。
それだけ初期の銃は、弓やクロスボウと比較しても決して優れた兵器だったわけではない
銃とクロスボウの差に関しては、リロードの体力的手間があるって意見を聞いた事がある
時間がかかる点は両者同じでも、巻上げ機があるクロスボウを別とすれば銃の方が体力を要さないから、
クロスボウよりも射手候補の裾野が更に広くなるんだとかなんとか
937 :
名無し三等兵:2012/01/17(火) 12:35:51.33 ID:l5MDj63x
朝鮮水軍は初戦で全滅してるからね!
火縄銃が射程が短いのに撃ち合いになってる時点で
弓側の指揮官が下手糞ってことじゃん
火縄銃は射程距離も威力も弓に及ばないとかドヤ顔で言ってるのが
まだいるのな。
そんな単射程低威力なら習得の容易さだけで弓に代替されるわけがないだろ。
雑兵物語にある火縄銃の射撃開始距離は一町だし、朝鮮役では、二匁半の
豆鉄砲でも一町越えの射撃戦やってる一方、朝鮮軍の弓は数十メートの射程しか
なかったことが柳成龍の懲録にちゃんと記されてるわ。
940 :
939:2012/01/17(火) 16:50:19.86 ID:???
おっと
×単射程低威力
○短射程低威力
火縄銃の連射速度は、一分間に4発と言われる。これは大型のクロスボウの2倍程度の速度になる。
大して体力の要らない火縄銃の装填と比べて、体力を使うクロスボウは時間がたつほど装填時間に差がでるだろう。
有効射程は火縄銃で50〜200m(二匁半〜十匁まで種類や相手の防具による)、クロスボウで100m前後(軽装の防具の場合?)といわれる。
命中精度は火縄銃は狙撃ができる程度、対してクロスボウはボルトが比較的軽量で安定しないので狙撃にまったく向いていない。
こんな感じか?
射撃速度 弓>火縄銃>クロスボウ
必要練度 弓>火縄銃>クロスボウ
射程距離 弓≧火縄銃>クロスボウ
疲れやすさ弓>クロスボウ>火縄銃
威力 火縄銃>弓≧クロスボウ
値段 火縄銃>クロスボウ>弓
>>942 口径にもよるけど射程は火縄銃が最長だろ。六匁玉なら拙い調合の火薬使用とか
ガス抜けでもなけりゃ、殺傷可能な有効射程が200m、最大射程で500mくらいは
飛ぶようだし。弓は技量やモノにもよるところがさらに大だけど和弓なら最大射程が
曲射で300〜400m、有効射程が平射で100mってとこだろ。
この手の議論でよくすっぱり抜け落ちてるのが、平射なのか曲射なのか、最大射程なのか
有効射程なのか、って前提条件だよな。
TVのお城探訪番組とかは、この城の堀の幅が60mなので火縄銃の弾が届かない、とか
平気で言ってたりするしな。
本体の値段より矢玉の値段とか補充性の方を問題にしたほうがいい
>>943 殺傷つっても撃つ対象が軽装とか重装とか色いろあるわけで
それが抜け落ちてね?
弓矢の場合は、矢が刺さることによる単純な貫通ダメージで、出血にもよるが、運が良ければ助かることもある。
鉄砲の場合、亜音速から音速の弾丸が人体に命中すると、70%が水分なので、衝撃により、一瞬だが爆発したように患部が膨らむ。
銃砲のストッピング・パワーを検証する際、粘土やゼラチンに打ち込んで、その変形の度合いを確認するのはそのため。
クロスボウで射られても、矢ガモのように半矢で生きてる野生動物はいるが、銃砲だとなかなかそうはいかない。
……と言うのは理屈で、実際には鏃へ切り裂くような刃を付けるから、ただ刺したよりはダメージがあるし、出血も増すんだけれどね。
>>939 単に朝鮮の弓の技術が古代レベルだっただけじゃ(ry
朝鮮の城はまあ、残念なレベルだったけどさ。中国の城ってどうなのよ?
関とかあるけど、基本は都市を囲う城壁でしょ
日本とも西洋とも違う思想で建設されたらしいんだが、詳しい人いない?
>>948 隆慶一郎の「前田慶次」だと、城が無人とか書いてたな。
慶次が征伐前の朝鮮に遊びに行った時の話だけど。
「ここに500も兵を置けば誰も通れんだろうに」と慶次が呆れてた。
>>948 明末の万里の長城なら、えらく立派につくってたらしいね。
莫大な予算がかかったから、時の宰相は不正をしているとか讒言されまくったらしいけど。
中国みたいな城郭都市は、守備側の利点があんまり活きない気がするんだよな
城壁は都市の発展に合わせて一つしか作れないから、結局は城壁を一箇所破って
しまえば無力化したも同然になるし
唯一の防衛施設である城壁の、攻撃を受けている箇所へ兵力を移動させる場合
かなり長大な距離を移動させなければならないし
城塞であれば、とりあえず敵の進行方向上にある近隣の側にある堡塁まで移動
すればそれで済むのだが
何故、中国は複数の城塁によるネットワークという方向に行かなかったんだ?
要塞や関が多数整備された風ではなかった様だが
そりゃ大陸は住民込みでの殲滅戦だからな。
日本みたいに、一部例外を除いて基本的に支配階級だけで
戦争していたのとは訳が違う。
しかし中国でも、長城の山海関のように戦闘用の城は
周囲に城砦網を設けて相互カバーしとるよ。
多数の攻城砲による攻囲戦をあまり経験していなかったからかと
日本もその点は同じだけど
>>951 >城壁は都市の発展に合わせて一つしか作れない
まず前提が間違ってますから、後の話しは論外ですな
コンスタンティノープルなんか城壁が何重にもなってたな
城壁頼みというのはまぁ欠点だわな
朝鮮の城はなんというか・・・どう見ても野戦築城のが防御力高そう
まあ、都市の発展に伴って旧来の城壁は残して、拡張するだけの話だからな
別に撤去する積極的な理由はそんなに無いか。通行の邪魔にはなるけど
まぁ、そのあたりは東西の差はあるだろ。中国では首都は王城にふさわしい
条坊制に基づく都市プランが必須だから旧城壁なんかを残すことはない。
日本もその点は忠実な弟子だね。城壁を巡らすことはなかったけどさ。
他方、条坊制に関しては小中華を自称する朝鮮はまったくの落第生だな。
>>958 >日本もその点は忠実な弟子だね。城壁を巡らすことはなかったけどさ。
池沼?
日本は城壁じゃなく、堀(濠)で囲んでいるだろ。
そもそも中国のような版築土塁式の城壁では、
日本のような酸性の土壌が多い風土で、
雨に溶けて流れやすく耐久性が無い。
また日本は高温多湿な気候なので堀を掘れば、
水堀に容易になるのでその方が適している。
(事実、日本の土塁は版築式であっても中国にあるような
勾配ににはなっていない。雨に溶けて流れ出すことへの
対策に勾配を緩くし芝生を貼っているのが基本になっている。)
中国でもレンガ(磚)式が普及するのは明代に入ってからで、
それまでは版築土塁式が基本。
条坊制って用語を全く理解できていない無学な子ハケーンw
条坊制と城壁は直接関係無いからな。
>>963 馬鹿?w
平安京、平城京の地形知っている?w
三方を山に囲まれているぞw
城壁や堀をわざわざ労力とコストをかけて作る
無駄なことをする馬鹿がどこにいるw
確かに京や奈良の地形だと、開けている南方へ出てそこから攻め込もうにも
それ以前に狭隘な道を通らなきゃけなわけだがw
まあそんなことも見抜けないDQNかw
>>964 だからー、最初から城壁は巡らすことはなかったと言ってるし、
堀を巡らしたと主張してるのは
>>959だろ。
日本語が不自由な人?w
>>966 だからー、最初から城壁は巡らすことはなかったのは
条坊制とは無関係で
>>959が正しい。
いい加減分かれw
日本語が不自由な人w
>>967 はいはいくやしいのぅw
条坊制による都城では、市域を区分するのに城壁(羅城)は必須のものだよ。
日本では国情が特殊なので欠けただけ。それでも羅城門は設けている。
秀吉の朝鮮出兵で、大陸式の城は、戦国末期の戦争には役に立たないのが立証されている。
李氏朝鮮ですら倭城の建築が検討された程だ。
中国の城壁はヨーロッパで言うウォールカーテン(……カーテンウォールだったかな?)
日本の城はシタデル(城塞)
>>970 いや、大陸式の城を参考にして
日本の城でも登り石垣として採用してる。
条坊制では道で区切っているだけなんだが、本来は。
治安や防衛機能を同時に有させるために、塀や城壁にしているだけなんだがなw
>>975 まぁ、条里制と同じ様な単なる土地区分とだけ捉えればそういう解釈にもなるだろうが、
条坊制の都城は、本来、周禮・考工記の王城の思想からでているので、それが
四方に各3門を設けるとする以上、当然羅城の存在が前提になってるだろ。
戦国中期までの日本は鎌倉や一乗谷みたく、自然の要塞に町を作る形式がメインだったらしいね
戦国後期以降は商業や交通の要衝に大々的な外堀を構える形式が増えたのかな