1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2011/03/06(日) 21:15:56.03 ID:???
>>1 . ∧_∧ +
ニワトリカエセヨー ( ´Д`) +
(つ つ Π
. + ( ヽノ ⊂二⊃ これは乙じゃなくて鶏泥棒の軌跡ニダ
(( し(_)  ̄ ̄フ <`∀´ヽ> rァ 勘違いしないようにするスミダ
/, (つ つ' {
(、__, ( ヽノ <彡}
+ (( レ(_フ,i,i,' +
3 :
名無し三等兵:2011/03/07(月) 08:56:12.40 ID:???
朝鮮征伐
4 :
名無し三等兵:2011/03/10(木) 21:43:41.12 ID:???
?
5 :
名無し三等兵:2011/03/12(土) 08:23:41.54 ID:???
キムチ臭いぞ
6 :
名無し三等兵:2011/03/13(日) 11:34:03.21 ID:???
おまんこ女学院
7 :
名無し三等兵:2011/03/13(日) 18:15:51.03 ID:???
8 :
名無し三等兵:2011/03/13(日) 18:42:13.49 ID:???
朝鮮征伐
9 :
名無し三等兵:2011/03/16(水) 19:03:20.49 ID:???
age
10 :
名無し三等兵:2011/03/18(金) 08:02:25.30 ID:???
10
11 :
名無し三等兵:2011/03/18(金) 08:09:46.65 ID:???
倭乱と言ってるらしいから
征伐が正しい。
12 :
名無し三等兵:2011/03/20(日) 19:58:08.73 ID:???
?
13 :
名無し三等兵:2011/03/22(火) 17:18:51.55 ID:???
朝鮮征伐
14 :
名無し三等兵:2011/03/24(木) 19:06:05.52 ID:???
15 :
名無し三等兵:2011/03/24(木) 23:23:03.04 ID:???
16 :
名無し三等兵:2011/03/27(日) 19:27:10.88 ID:???
?
17 :
名無し三等兵:2011/03/27(日) 22:34:36.01 ID:???
失敗した侵略に限って名称に拘るウヨ脳w
18 :
名無し三等兵:2011/03/27(日) 23:18:20.46 ID:???
失敗したら名前はどうでも良くなるのか・・・
そんな概念はじめて聞いたな
19 :
名無し三等兵:2011/03/27(日) 23:49:11.99 ID:???
失敗したら最初から無かった事にするんじゃね
記録せずに
だから名前を気にしない
20 :
名無し三等兵:2011/03/27(日) 23:54:43.41 ID:???
第一、朝鮮征伐スレでベトナム戦争の名称の議論しても仕方ないしなぁw
21 :
名無し三等兵:2011/03/28(月) 17:45:44.68 ID:???
?
22 :
名無し三等兵:2011/03/29(火) 15:50:11.30 ID:???
中朝側は日本の火縄銃を模倣するなど装備が改良されていったのに日本側の装備の変化の話は聞かない
中国の手榴弾なんかは日本側にとっても有用だと思うんだけど
23 :
名無し三等兵:2011/03/29(火) 16:26:27.65 ID:???
唐入りの頃は知らないけど、大阪の陣以後は軍事技術の発展は実質禁止状態だったからなあ
最初は国防のための鎖国くらいだったのが、幕府の治安維持の手段が段々エスカレートして、
意図的な交通インフラ未整備や関所の厳重化までやってるんだよな
24 :
名無し三等兵:2011/03/29(火) 17:32:41.04 ID:???
25 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 17:59:50.91 ID:???
中朝側の持っているような装備はだいたい日本側も持っていたって事ですかね
中朝側の有名な兵器と言えば亀船ですが九鬼の作った鉄甲船のような物だと思うんですが
日本側も作ろうと思わなかったんですかね
26 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 19:18:54.14 ID:???
そもそも日本に「鉄甲船」が実在したという
確固たる史料がそんざいしない。
(あるのは一介の坊主の伝聞による記述だけ。)
27 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 19:52:14.82 ID:???
九鬼の6隻は
鉄貼り大安宅か、単なる大安宅か
なんてどうでもいいじゃん
28 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 20:07:31.78 ID:???
>>25 日本に切り込まれないようにする為の船を
日本が持つ必要が無い
29 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 21:08:26.39 ID:???
>>26 宣教師もそんな事書いてなかったか?
>>25 亀甲船て実は活躍した記録が一切ないんだぜ・・・
30 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 22:00:28.12 ID:???
鉄甲船については多聞院日記と信長公記以外にもオルチガノンが書いてるね。
亀船は鉄の装甲がなされていたとする資料がないんだよ。
31 :
名無し三等兵:2011/03/30(水) 22:15:06.04 ID:???
文禄の役時に大船を包む為の黒鉄の板を調達することを求められたと、
「家忠日記」に記載がある
32 :
名無し三等兵:2011/03/31(木) 00:14:22.35 ID:???
亀甲船が火器搭載の上部を装甲で覆った小型船だとすると
・戦闘開始後短時間で船内が煙に包まれて戦闘どころじゃない
・重いので機動性がガタ落ちして味方艦隊についていけない
・周りが見えない
以上の理由で全く役に立たないという説があったな
物凄い納得した覚えがある。
33 :
名無し三等兵:2011/03/31(木) 04:44:58.90 ID:???
>>30 その3つの資料は『鉄甲船について』ではなく、『大型安宅船について』
で、3つの内『鉄の装甲がなされていたとする資料』は、多聞院日記の「鉄の船だ、鉄砲をとらないぜ」だけ
他2つは大鉄砲搭載安宅船(火力)についてのコメントであって、装甲についてのコメントは一切ない
・信長公記「九鬼艦隊が途中で雑賀蹴散らした→敵船撃沈しちゃうくらい木津川口で無双したぜ」
・オルガンティノ「ポルトガルの船みたいだわ、日本が造っちゃってびっくり、火力満載だぜ」
34 :
名無し三等兵:2011/03/31(木) 19:26:59.34 ID:???
簡単にググったところ
亀船 大きさは板屋船ぐらい(安宅船と同じくらいの大きさかやや小さい)
複数の大砲を搭載 亀船の大砲は別黄字銃筒という小型曲射砲らしい
船体上部が板で覆われているさらに多数の刃物が立てられていて下手に乗り移ろうとすると危険
鉄甲船 第二次木津川口の戦いで九鬼水軍が使った新型船のこと計6隻建造された
大形の安宅船 縦横比がほぼ2対1とあり得ないほど横広
朝鮮出兵時に九鬼が作った安宅船は全長が30mほどなので実際には1.5倍以上長かったと思われる
多門院日記に「鉄の船なり」と書かれており鉄製の装甲があったもよう
大砲三門を装備ほか大鉄砲多数
奴隷船もビックリ5000人ぐらい乗る(6隻合わせて?それでも多すぎるが)
35 :
名無し三等兵:2011/03/31(木) 19:41:18.82 ID:???
亀甲船に関するまともな資料はないから、どんな船だかすらよくわからん
36 :
名無し三等兵:2011/04/04(月) 07:24:36.67 ID:???
団六鬼が関わってるはず
37 :
名無し三等兵:2011/04/06(水) 19:58:17.45 ID:???
より後年になって伊達正宗が建造したガレオン船だって、大砲はたかだか六門しかなかった。
と言うかガレオン船とはそうした物だった。
パイレーツofカリビアンな戦列艦が登場するのは、ナポレオン時代の前辺りから。
亀甲船の火力なんて、実は数門の大砲と大鉄砲に過ぎない。
もっとも日本で言う“抱え大筒”は、諸外国では立派に大砲扱いだった。
亀甲船のそれも、サイズ的には甲板を掃射する“旋回砲”に近い。
使い勝手は良かったことだろうね。
38 :
名無し三等兵:2011/04/06(水) 20:38:05.71 ID:???
だから亀甲船について語るならソースだせよ
明朝鮮日本のどこにもどんな船だったか具体的なろくな記述が無くて、根拠が朝鮮人の妄想だけなんだから
39 :
名無し三等兵:2011/04/06(水) 20:58:52.38 ID:???
>>37 >亀甲船のそれも、サイズ的には甲板を掃射する“旋回砲”に近い。
そんな話は聞いたこともないがソースは何よ。
高麗船戦記の安骨浦戦の記述からすれば、亀船は少なくとも一門は丸太棒を打ち出せる程度の
火砲を積んでいたのではないかと推定できる。
まぁ、それ以外は勝字などの小口径銃筒の類がほとんどだったろうと個人的には思ってるが。
40 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 14:25:27.21 ID:???
まがい物のゲテモノ船の話はどうでも良いが
2度の遠征で全羅道だけは陥落していないことの方が重要
倭寇だと全羅道中心地まで厄されているのに正規軍が投入されてなんでだろ
41 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 15:16:23.90 ID:???
つ 義兵と李舜臣が大活躍したから。
というのは置いといて、全羅道攻防に関しては李如松の参戦は絶妙の
タイミングであったとは言えるな。
42 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 15:28:10.67 ID:???
中世以前ですら半島経由の遣唐使や白村江の百済救援など九州から全羅道までは無寄港で直接アクセスできた
秀吉の朝鮮征伐時ならば釜山と木浦同時攻略も可能だったのでは?
開戦後下手に時間が経ってレジスタンスや朝鮮水軍に立ち直る時間を与え攻略が難しくなったとしか思えない
43 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 16:03:14.99 ID:???
43
44 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 16:07:05.31 ID:???
>>41 全羅道の制圧失敗と李舜臣って関係あんの?
日本軍側に海から全羅道侵攻する計画があったならいざ知らず。
制圧されなかった全羅道を活動拠点にしてただけじゃない?
45 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 16:16:08.07 ID:???
>>40 >2度の遠征で全羅道だけは陥落していないことの方が重要
慶長の役では当初にく蹂躙されてるが。
>>42 いや、木浦なんて重要目標でもなんでもないし、
そもそも全羅道の掃討自体の優先順位が非常に低い。
十月に晋州城をそのまま抜いていれば、明軍参戦前に
全羅道は制圧されてただろ。
46 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 16:20:07.26 ID:???
おっと。
×当初にく蹂躙
○当初に蹂躙
47 :
41:2011/04/07(木) 16:22:51.87 ID:???
48 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 19:24:14.60 ID:???
>>42 そもそもレジスタンスなんて存在しない
あれは「地方豪族の私兵集団」だ。
レジスタンスと呼ぶべき連中はむしろ秀吉軍に与してるじゃねーかw
49 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 21:23:25.05 ID:???
水軍で優位に立てなかったからだろ
明を攻めるなら海運的に必要な場所だと思うんだけどね
50 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 22:18:22.17 ID:???
マジ明を攻めるなら木浦から対岸の威海衛を経由して天津を落として北京を攻めるべき
51 :
名無し三等兵:2011/04/07(木) 22:34:35.92 ID:???
まだ春休みだっけ?w
52 :
名無し三等兵:2011/04/08(金) 13:39:41.25 ID:???
結論から言って朝鮮軍はヘボだったんだし
明の援軍の半島での兵糧は朝鮮が用意しなきゃいけないんだし
秀吉軍は一次征伐時に戦線を拡大せず
漢城以南の制圧に専念すべきだったのでは?
53 :
名無し三等兵:2011/04/08(金) 13:53:17.15 ID:???
54 :
名無し三等兵:2011/04/08(金) 14:31:55.53 ID:???
>>53 二次征伐時はほぼ慶尚南道だけしか押さえてないんじゃない
55 :
名無し三等兵:2011/04/08(金) 17:26:45.31 ID:???
>>54 そりゃ停戦時は翌春の攻勢に備えて戦線縮小しての
越冬体制だから。
慶長の役は初動で漢城近くまで一気に席巻してから、
反転して全羅道を制圧してるだろ。知らんの?w
56 :
名無し三等兵:2011/04/08(金) 21:15:57.38 ID:???
57 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 00:18:45.60 ID:???
疑問なんだけど積雪の少ない半島でなんで戦線冬眠するのだろ?
民心に配慮して日本軍は略奪しなかったみたいだが、10万の明軍に食わす為に朝鮮は村から度々食料や女を徴発したみたい
冬は秋の収穫があり徴発しやすいから戦線縮小なんかしたらつけこまれるだけでは?
58 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 00:32:30.00 ID:???
なんで東北・北海道並みの極寒の半島で、冬場に凍死凍傷覚悟で、
野戦にでんといかんのよ? 食糧事情も平時でさえも冬場に食糧
食い尽くして春窮が起こるような生産性だぞ。
その辺は、文禄の役で散々懲りてるわけだw
59 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 01:02:30.92 ID:???
冷静に考えて朝鮮なんてなんであんなにゴミなんだ?
穀物生産は米はほとんどとれずわずかに麦や蕎麦がとれるだけ
鉄など実用鉱物資源はあるが金銀などの貨幣価値が高い貴金属は皆無
明も穀倉地帯は江南なんだし、こんな国はスルーしたら良かったんだよ
済州島だけ中継基地に占領して元寇の江南軍の逆ルートで直接支那へ進撃したら良かった
実際に後期倭寇なんて済州島を根城に徐州から江南一帯の沿岸を荒らしてたんだし
60 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 01:51:36.32 ID:???
>>59 明にとっては、朝鮮半島は実り少ない土地なので征服せず属国にしてたほうが得って判断でしょ
でも日本が朝鮮出兵したあげく、秀吉の誇大妄想とは言え最終目標が唐入りだなんて言うもんだから介入せざるをえない
放置すれば日本軍が満州に侵入してくるし、単独で日本を撃退できる朝鮮軍でもない
ゆえに止めるとすれば朝鮮がベスト。
自国領じゃないから気兼ねなく略奪できるし、戦で荒廃しても自分の懐は痛まない。
日明双方にとって都合の良いバトルフィールド、それが朝鮮半島。
つまり半島自体には何の価値もないことが逆にステータスになったという笑えない話w
61 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 02:33:53.37 ID:???
秀吉もせめて太平洋横断できる航海術とガレオン船クラスの造船技術と艦載大砲製造の冶金技術を得てから外征すれば良かったんだよ
62 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 10:26:50.89 ID:???
北条征伐を穏便に済まして数年早く外征に出てたらまた違う結果もあったかも
名胡桃城の件の罰は北条を相模伊豆の2ヶ国へ減封して処分
奥州仕置きも旧葦名領の会津を召し上げくらいにして対応
代わりに北条、伊達には九州勢と共に第一陣第二陣として朝鮮征伐の先鋒を言い渡せばいい
また、関東転封と成らなかった徳川には朝鮮征伐の総大将を命じ
史実の小早川隆景や宇喜多秀家の役目を与えればよい
そうすれば労せずに反豊臣の外様大名を疲弊させ、親豊臣の外様である小早川、宇喜多、前田、上杉らを温存出来る
63 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 12:35:06.99 ID:???
反豊臣派の疲弊が目的なら朝鮮出兵にも意義が出てくるんだが
史実だと逆に豊臣陣営が疲弊してるからなぁ・・・
64 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 13:20:49.02 ID:???
>>62 結局その時はまだ秀吉の頭に唐入りの構想なんて無かったんだろうな
65 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 14:26:29.72 ID:???
>>57 すれ違いだけどさ
日清戦争の時も日本軍が略奪しないで
清軍(中国側)のほうが酷かったらしいな
66 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 17:23:50.51 ID:???
>>65 中国人からみたら朝鮮人なんて家畜以下な存在
略奪などアタリマエ
67 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 18:23:45.69 ID:???
>>64 秀吉は九州攻めの時に博多で既に帰順して来た九州の豪族や大名に朝鮮や明への出兵を語っている
68 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 18:25:36.78 ID:???
スレ違いだけど、前大戦でも南京攻略(いわく30万人虐殺)より、中国軍による黄河の決壊
の方が被害が大きかったそうな。800万人が被災、死者・行方不明者も多数。逆に日本軍が助けてたんだけど。
69 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 19:38:32.35 ID:???
大丈夫
文革の世界記録には最初から勝てないから
70 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 19:58:43.27 ID:???
>>69 文革はスターリンの粛清を越えたからな
犠牲者はウン千万人
71 :
名無し三等兵:2011/04/09(土) 20:47:19.55 ID:???
宗教による虐殺で共産主義はキリスト教を超えたからな・・・
72 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 10:52:43.78 ID:???
〜らしい、〜そうな。ソース無しw
73 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 13:30:27.02 ID:???
え・・・文革を否定する気ですか?
勇者ですね
74 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 15:05:14.45 ID:???
文革以前は三皇五帝以来のアジアの盟主たる大支那
文革以後はただのジャイアン
75 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 15:40:31.32 ID:???
共産党王朝成立以前は偉大なる中華文明の残滓
文革以前は素人政治の悪い見本
文革後は策士策に溺れるを繰り返す汚職官僚の巣
76 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 18:44:50.86 ID:???
支那は文革以前もただのジャイアンだぜ
ただ、近代までは全世界的に覇権主義が普通だったけど、現代では恥・悪徳となったからね
なのに現代での前近代的メンタリティーのままジャイアン街道まっしぐらの恥知らずが支那や露助
77 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 18:46:25.29 ID:???
>>76自己レス
×なのに現代での前近代的
○なのに現代でも前近代的
78 :
名無し三等兵:2011/04/10(日) 22:40:32.90 ID:???
>>76 清までは己の分をわきまえてたぜ
明が日本に喧嘩を売らなかったように
強国相手にはそれなりの対応をしてる。
今の共産党政権はどうも根本的な所でそれが分かってない節が・・・
79 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 01:27:25.11 ID:???
>>78 歴代中華王朝で日本まで攻めて来たのは元(蒙古)だけで戦ったのも唐 明 清だけ
支那がこれほど日本に野心的なのは中共になってからだ
80 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 12:04:23.19 ID:???
大中華圏(中共が主張する領土)
支那 蒙古 千蔵 朝鮮 東トルキス 西トルキス 東シベリア 樺太 南越 ラオス 泰 カンボシア ビルマ カシミール フィリピン ジャワ スマトラ 馬来 ボルネオ 台湾 琉球
81 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 16:27:28.33 ID:???
属国と領土の区別がついてないというか
つけてない辺り、中華文明の後継者じゃなくて蛮夷だよな
82 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 18:32:30.14 ID:???
秀吉って何考えてこんな事したんだろ
結構な歳だったのに自分が死んだ後の事を考えてないとかね
83 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 19:00:48.25 ID:???
>>82 内戦が終われば外敵をつくり政権を安定させるのは常套手段
84 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 19:32:54.04 ID:???
前近代国家の侵略は、現代企業に例えれば事業拡大みたいなモンだしな
資金と資源設備が余っていれば、それを腐らす事業者は滅多におるまい
85 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 19:40:27.53 ID:???
秀吉のはただのボケだとおもうがな
秀次粛清に徳川への譲歩し過ーの、黒田官兵衛を恐すぎーの
86 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 19:51:00.66 ID:???
いっそ朱元璋みたい
全員粛清すればよかった
87 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 19:53:25.01 ID:???
秀吉以上のバカじゃねーかw
88 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 20:37:49.34 ID:???
>>80 なんで日本が入ってないのか謎だよな、あっちの理屈だと日本も入ってないとおかしい
89 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 21:24:05.38 ID:???
>>88 日本本土入れるとアメリカ様が殴りこんでくるから
90 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 22:15:13.67 ID:???
>>88 日本本土は支那歴代王朝の支配下になったことは一度もなく
またほとんどの王朝が日本の統一政府から正式な朝貢を受けていない
以上の理由で支那が自国領土としていない
91 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 22:28:21.31 ID:???
それなら東南アジアの大半も抜けそうじゃないか?
92 :
名無し三等兵:2011/04/11(月) 23:40:52.65 ID:???
侵略できそうか出来ないかの差
93 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 15:20:47.44 ID:???
>>63 朝鮮出兵で豊臣家が疲弊したと思える部分て何?
94 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 17:06:34.46 ID:???
>>91 東南アジアは大艦隊派遣したし
中央アジアは元の時に支配した
95 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 17:54:46.39 ID:???
新羅と百済は日本に朝貢してたから朝鮮半島は日本の領土。
渤海も日本に朝貢してたから中国東北部、ロシアの沿海州も日本の領土。
96 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 17:57:45.68 ID:???
>>95 (a)
日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b)
日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)
日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(d)
日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下に あつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
(e)
日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
(f)
日本国は、新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
97 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 18:11:50.51 ID:???
>>93 出兵に参加したのが豊臣派閥が多い
兵の損失を無視しても莫大な戦費は確実に大名を疲弊させる。
98 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 18:24:41.13 ID:???
>>97 だから豊臣派閥の戦費が莫大で疲弊した事例は何なのよ。
関ヶ原で兵力動員数などで主力を成したのは豊臣譜代大名の渡鮮組たちなわけで
城郭の規模も朝鮮出兵で主力となった西国大名の方が大規模で戦闘に参加しなかった
東国大名は西国のような城郭を築けなかったわけで。
99 :
名無し三等兵:2011/04/12(火) 18:27:59.57 ID:???
>>98 事例も何も
無駄な戦費がかさんでしかもそれを回収できなければ疲弊するだろ
それこそどっかで回収した事例があるのか?
利益がなかった戦争=疲弊ではないだろ。それこそ100年以上利益のあったりなかったり
の戦争を繰り返してきた時代で朝鮮出兵だけで豊臣派閥が疲弊したなんておかしいだろ。
疲弊したというならその根拠がないと関ヶ原での動員数や大規模城郭の築城が説明
つかない。
疲弊してなければもっと動員できたとなぜ考えない?
>>96 なるほど権限を放棄したが帰属について記載がないのでまだ放棄地は未確定
国際法的に放棄宣言を撤回すれば全て日本に復属するんだ
>>101 島津や小西などを除いて関ヶ原の方が動員数が多いんだが。
文禄の役と関ヶ原の動員数(日本戦史より)
黒田長政5000→5400
小西行長7000→4000
長宗我部3000→6600
宇喜多 10000→17000
小早川 10000→15000
加藤嘉明750→3000
島津義弘10000→1500
福島正則4800→6000
>>104 国外と国内の戦いの動員数を比較するなよw
本気度も違うし意味ないだろ
小早川秀秋が朝鮮出兵で疲弊した農村の回復に務めたという話があるな
かなりよく見るが元のソースは藩史かな?
朝鮮征伐は天下統一をいそぎ仕置を甘くした結果
親豊臣の大名ばかりだけど国力が強く奉行達は秀吉死後に不安を感じた
よって明や朝鮮に出征させ国力減衰を計ったのだろう
徳川の力があのまま増しちゃうのは目に見えてた希ガス
三成が徳川並の力持ってても全く脅威じゃないが
>>108 徳川は北条の旧領に国替えしたから安心したんだよ
関東は野武士や豪士が多く人心掌握に時間が掛かると考えたんだろ
朝鮮征伐は国替えできず力を蓄えたままの毛利や島津などを働かすため
伊達も先祖伝来の土地は召し上げ旧大崎領に国替えさせられた
>>102 戦勝国48ヶ国と締結した「日本国との平和条約」を自分から破棄するとか頭に蛆虫でも湧いてんのか?
条約なんて後から上書きすればいいだけ、ただ大陸に手を出すのはやめとけとアドバイスしておく
相手が同意しなきゃ上書き出来ません
だから戦争するんだろ、戦争抜きの大規模な領土のやり取りなんてありえない
>>110 いま領土問題のあるロシア(ソ連)、韓国(南朝鮮)、中共とは当該の平和条約締結していませんが何か?
南樺太、千島、朝鮮、台湾、遼東、西沙、南沙についてのみ撤回したらよい
113の補足ここで言う戦争相手国は当たり前だが戦勝48ヶ国ではなく領土のやり取りをする相手国のこと
たとえば北方四島は千島列島の一部だがロシアがこの一部を日本に譲渡するさい他の戦勝国に文句を言われる
いわれはない、国家は自国の領土を処分する権利を有しているのだから
普通は日清戦争の下関条約の台湾割譲みたいに領土割譲を明記し主権の移動を明確にする
二次大戦では領土不拡大が大西洋憲章などで謳われてる以上戦勝国が領土を獲得する訳にいかない
朝鮮半島は民族自決権の下独立したので良いが無人島であり日本が放棄していないと言う以上竹島は間違いなく日本領
また歯舞諸島は北海道の付属諸島であり明らかに日本領、南樺太や千島は原住民のアイヌが独立しない以上は日本領、間違っても戦勝国のソ連(ロシア)領にはならない
台湾も同じく台湾が独立しないなら日本領に戻るのがスジ
沖縄奄美が日本に復帰したのは住人が日本に復帰したいと運動し独立を望まなかったからだ
つまり沖縄奄美と同じことを南樺太、千島、台湾他で行うべきである
>>107,109
馬鹿なやつだな。文禄・慶長の役は不安を感じた奉行たちが起こさせて親豊臣の国力減退を計っただ?
妄想を書くならチラシにでも書いてろよ。
で結果、文禄・慶長の役で活躍した西国大名たちの軍事力・築城技術が戦闘に参加しなかった東国大名より
遥かに高くて関ヶ原で主力になってるんだから、これまた説得力ねえw
ソースなしならお前もチラ裏じゃ馬鹿者
>>115 くれって言ったら貰えるなら誰でも世界統一出来るわ
勝てると思えば勝てるなら誰でも世界統一出来るわ
秀吉存命中に徳川家康を除けなかったのが豊家滅亡の最大の理由
徳川家があっても家康がいなければ豊家政権のままだろう
普通は幼君を推帯して権勢を奮う道を選んで算奪の汚名を避ける
家康ならばこそ豊家滅亡をライフワークにしたのだろう
>>121 どこにもそんなこと書いてないだろ、ちゃんと過去レス読まなかったお前が悪い
くれわるけない→113→勝てるわけない→そんなこと書いてない
>113 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2011/04/12(火) 22:13:40.01 ID:???
>だから戦争するんだろ、戦争抜きの大規模な領土のやり取りなんてありえない
露中から武力で割譲ってことだろ?
あほかと
ついでに、アラスカは戦争抜きの大規模な領土のやり取りだが
イスパニア並に水軍さえしっかりと整備出来るなら朝鮮など無視して直接支那に侵攻出来たはず
首都北京近郊の軍事エリアを避け穀倉地帯の揚子江沿岸を先に占領したら遠征大名も大きなメリットがある
北九州→済州島→淮水沿岸、南九州→琉球→揚子江沿岸に侵攻すべし
↑ぼくのかんがえたさいきょうせんりゃく
関ヶ原なんて結果的に西軍の戦略ミスだろ
野戦の得意な家康に野戦を挑むアホな三成
佐和山城籠城戦で時間稼ぎし東軍補給路を伊勢方面から遮断すれば良かった
また野戦に比べ籠城戦はある程度戦局がはっきりしないと寝返り難い
また籠城が旗色悪くなれば大坂城に落ち延びるのも野戦よりはしやすい
司馬小説にそう書いてありました><
>>129 性格的には短気な家康は野戦が好みだとは思う
>>124 領土が欲しけりゃ戦争で勝つしかないってだけの話、今日本がまた中露に戦争に勝つにはどっかの尻馬に乗るか島嶼部での限定戦争でもなきゃ無理
ロシアがアラスカを売ったのは当時アラスカの価値が低かったことと隣のカナダを植民地にしているイギリスの軍事的脅威があったから
アラスカを売る11年前にロシアはイギリスに戦争で負けている
>>132 クリミヤ戦争の戦費だろアラスカは
当時はただの巨大な冷蔵庫と見られてた
家康は野戦が得意と言うより城攻めが下手くそじゃないのか?
大坂城も結局は野戦みたいな夏の陣にしちゃったし
>>135 冬の陣は豊臣方がまともな指揮命令系統が確立してたなら徳川方は敗けてるよ
あの戦局で籠城側が和解する意味がない所詮は女が大将していたから勝てた戦
>>136 援軍はなく、食料・火薬は不足し始め、本丸に砲弾がドカドカ落ちている状況
大坂方にとってまだ惣構を維持している現状で和議は妥当
しかし外堀を埋めるという条件を呑んだのは全くもって訳ワカメだが。
>>138 戦争の原因が取り除かれてない。
再戦の可能性がある状況だもんな。
豊臣は公家になったほうが良かったかも知れん。5摂家が許さんなwww
>>138 多分、これまでの慣習からちょろっと崩すだけと
考えたんじゃない
「城割りの考古学」を参照されたし
大坂城は数年間の兵糧を蓄えてあり籠城さえ続けていれば攻囲側が先に干上がる
大砲は脅しにしか使えない惣構は強固で徳川方は一ヶ所も抜けずしまい
>>143 城内では兵糧は高騰、火薬は欠乏、攻囲側は各地より兵糧米を調達
大砲の砲撃は中枢を叩くことで士気は地の底まで落ち、惣構は坑道掘削が
土塁・門を火薬で爆破する直前に到達
士気が落ちたのは首脳陣だけじゃないか
土龍攻めなんて成功するとは思えないし成功したところでだから何というレベル
>>145 いや、浪人衆も和議には賛成していたけど
後、門や土塁崩されたら惣構は放棄せざるをえない
敵が攻めいれられればね
あのクラスの城を一箇所崩した位で突入しようとしても被害が出るばっかであまり意味が無い
小規模な城なら十分な意味があるが
148 :
日本人:2011/04/14(木) 19:19:07.51 ID:???
>>146 大阪城は包囲軍が20万、築城軍が10万、築城側は内陣なので局地的には兵力集中が出来、優位が保てる。
力攻めやれば損害が大きい、現に真田丸攻防戦では手痛い敗北をした。力攻めは危険すぎる。
欧州の城と違って、門が破られてからが本番的な日本の城、しかも大城郭がそんな簡単に落ちるなら誰も苦労しないわけで。
惣構というのは単純な構造だから、一度突破されて橋頭堡ができると
放棄せざるをえない
坑道掘削っているが、近代に入っても
要塞攻略戦で坑道掘削での攻略が成功する例って皆無だったような。
攻囲側は各地より兵糧米を調達と言っているが、
その補給線・兵站の維持にどれほどの戦費が必要なのか
>>144は理解していないらしい。
>>151 惣構と三ノ丸の間は大きく空いていますね
>>152 西はハイウェイといえる瀬戸内海、東は関ヶ原直後から
整備を続けた五街道がありますね
街道があるから輸送に負担がかからないとでも言う気なんだろうか・・・?
だから?
小田原攻めの兵糧は豊臣政権の奉行が全軍の分を全国の商人から調達したが
大坂冬の陣の兵糧は各大名が自分で調達しなければならなかった
遠方の大名は京や堺の商人に頼むしかなく高騰し滞在に苦しんだ
大坂城内は豊富な兵糧があり特に問題は無かった
>>157 全軍ではなく、一部のみを給付し残りは自前で調達
これは基本的に変化なし
徳川の場合はインフラ整備を平時から行っていた
東京大阪間の?w
徳川の場合はインフラ整備を平時から行っていたので、
平坦の維持のコストが無視できるくらい低かったんだ。(棒読み
徳川の場合はインフラ整備を平時から行っていたので、
兵站補給線の維持のコストが無視できるくらい低かったんだ。(棒読み
とりあえず、両論をまとめると
大阪城は籠城してれば落ちなかった。
淀君はバカ
大阪城は落ちた。
徳川の科学は世界一
ってこと?
徳川は東京-新大阪の新幹線を開通させてたので3時間で到着できたんだなきっと
>>162 トンネル君の言うほど簡単には落ちないというだけで落ちないとは誰も言ってないぞ。
じゃあ、訂正すると
大阪城は籠城すればかなり持った
淀君はそれを見越せず、不利な講和条件を飲んでしまった。
大阪城は、易々と落ちた
徳川の科学は世界一
徳川にしたら大坂85万石にいつまでも豊臣家があったら枕を高くして眠れない
真の講和など有り得ない妄想だとオンナの淀君は子宮でモノを考えるから理解出来ない
実質的に徳川の世になってるのに孫の千姫やその子までも殺してまで家康が完全な天下を望むとは考え無かった
淀君が実権握ってると思ってる時点で・・・
>>168 少なくとも外交交渉は淀君が握っているよ
兵権は大野兄弟だろうけど
大砲たまたま天主に当たっただけで喚き散らして「講和するのじゃ!」で堀埋められちまったもんなw
いや、それを素直に信じるのは徳川の宣伝に乗せられ杉だろ。
でもうっかり大砲の弾で淀が頓死してたら歴史変わってたのかね?
秀頼出陣がないとムリじゃないか?
家康を討ち取れなくて敗走させて長期化すれば武威ガタガタになる
一方で豊臣の武威が回復する
正宗辺りがまたしょうもない事目論んでくれればしめたもの
淀君が除ければ秀頼公御出馬も実現可能だろ
真田ら実戦経験豊富な浪人衆が指揮を執れば
天下無双の大坂城は将に難攻不落
攻囲側は長陣となれば補給再編や農作業で帰国しなければいけない大名も出て来る
徳川一門譜代勢と伊達など有力大名だけでは城方に兵数でも並ばれてしまう
淀が死んだら、誰が秀頼を奉戴して浪人衆や豊臣家臣に号令するんですか?
高貴な血筋と秀頼の母という立場から来る淀以外に、
身分や名声が高くてなおかつ曲者ぞろいの浪人衆と、
天下人の側近くにに仕えていたと言うプライドがある豊臣家臣に、
有無を言わさず言うことを聞かせることができる人物がどこにいるんだか。
淀君の発言権ってそれほど大きくなかったらしいじゃん
秀頼本人が采配を取ればいい。
淀君の発言力が大きくないなら、秀頼公御出陣が無かったのは、秀頼公の意志?
淀以外に権力者が居ないと思ってんのか?
「淀君を除けば秀頼公御出陣で勝つる!」って流れだったんじゃないの?
俺に噛みつく前に、上で「淀君のせいで負けた。いなければ勝てた」って言ってる人らに一言言ってくれや。
>>180 おかしな事を言ったのはお前であって他人のせいにするなよ
大坂城は難攻不落なんだし守備兵は5万もあれば十分なんだし
葛城山や金剛山や生駒山や箕面山などに数万の別動隊を分派していたら
冬の陣で徳川方は兵が足らず大坂城を攻囲することすら出来ない
関西の山は南北朝時代の城塞あとで井戸や間道が整備されていて短期間に要塞化が可能
攻め手は攻略に最低でも5倍の兵が必要となる天然の要害
箕面山 天王山 石清水八幡宮 生駒山 信貴山 大和葛城山 金剛山(千早) 和泉葛城山 に各5千の4万を分派
大坂城守備隊5万、遊撃隊1万
この配置なら全砦を落とすだけで1年はかかる
分派するのは浪人しかいないがそうすると信頼性がないからな
184 :
名無し三等兵:2011/04/15(金) 16:44:33.69 ID:Fq5uYjVM
分派した部隊を信用できない
野戦でも問題となる
信頼していない部隊に城門を守らすのも外部の出城を守らすのも同じリスクだろ
むしろ前者の裏切りは落城に直結すると思うがな
186 :
名無し三等兵:2011/04/15(金) 17:14:39.53 ID:Fq5uYjVM
外部の出城だと数千の兵とその兵を数年食わせる兵糧や金を失う
門の部隊はなるべく信用できる部隊をおくでしょ
それとも門の部隊を派遣するのか?
>>183-184 しかし、現実の大坂の陣では浪人の傭兵連中より、
(淀君の)親族筋である譜代の織田有楽などの方が全く信頼できない存在だったんだがw
というよりも、古今東西史実から見れば
徴兵された正規兵よりも傭兵の方がはるかに信頼性が高かったのがほとんどなんだがね。
大阪の浪人どもは、豊臣家が勝ってくれなきゃ生き残っても悲惨な人生だもん。
それぐらいなら、討ち死に覚悟で必死で戦って逆転狙うさ。
>>187 >親族筋である譜代の織田有楽などの方が全く信頼できない存在だったんだがw
関が原の戦いでも秀吉の子飼いの大名が軒並み裏切って、
家康を関が原まで素通りさせてしまったからなあ。
で、必死に戦ったのは石田三成とかのような比較的新参者のような連中。
関ヶ原や九州で加藤や福島や小早川など親族筋は徳川のために戦ったって自覚無かったからな
三成以下奉行連中憎しから東軍に参加しただけだろ
>>185 監視しやすいからそうでもない
調略もできないし
浪人五人衆に各8千ほどの手勢をもたせ遊撃させ
城は七手組を中心に固めるのが一番正解だったと思うよ
浪人五人衆は誰しも有名武将で名を惜しむために大坂入りした彼らは裏切らない
193 :
日本人:2011/04/16(土) 11:50:48.53 ID:m7RJ89zt
>>192 遊撃部隊は進軍中の幕府軍を襲い各個撃破が目標だと思う、各個撃破には
しっかりした情報網と機動力必須だと思う。
なんで大坂の役の話になってるのか知らんが
8千人も統率出来る訳ないでしょ
烏合の衆でも城に篭って守る分には役に立つが
野戦では使い物にならないからな
198 :
日本人:2011/04/16(土) 13:04:54.37 ID:m7RJ89zt
>>195 謙信の直轄部隊は8000、8000程度の部隊が部隊規模の限度らしいよ。
>>194 四千程度の機動部隊を5〜6個編成し、2〜3年くらい前から訓練しておけば
実戦で活躍できたと思う。
大坂に集まった浪人はみな関ヶ原で主家が滅びるまで長年仕えた生粋の武士達で幕府軍の雑兵よりよっぽど統制が執りやすい
また統率する武将も真田、長宗我部、毛利、後藤、明石、大谷、生駒など有名武将やその子息が軒並みいた
下級仕官を蹴って浪人を選んだプライドの高い浪人たちは名もなき武将には従わないが勇将の下では数倍の力を発起した
現に史実でも野戦で伊達や松平の正規軍が大坂方に圧されることがあった
8000って遊撃戦力としては大きすぎないか?
誰が裏切るか分からんのにんなことできるかよ
8千くらいないと個別撃破されるぞ
また8千超えたら統率に時間をとられ機動力を失う
遊撃戦には旅団規模の部隊が一番適している
戦国時代(階級 役職)
足軽組頭(少尉 小隊長)
足軽大将(大尉 中隊長)
侍大将(少佐 大隊長)
戦奉行(大佐 連隊長)
大将(少将 旅団長)
軍監(中将 参謀長)
総大将(大将 軍団長)
足軽組or同心はだいたい15〜30人
足軽大将は組頭2〜5人を統率だいたい部隊は100人
侍大将は足軽大将を4〜8人統率する部隊は500人前後
大大名の下には侍大将が20人前後居たので一万人くらい動員出来た
もし8000の遊撃隊がいたら捕捉撃滅する応戦部隊は倍の16000は必要になる
そんな大軍簡単に編成出来ないし機動的に運用出来ない
大大名でも動員兵力は一万くらいが限界
共同訓練もしていない大名別の部隊が集まっても個別撃破されるだけ
まあ8000も真田や明石や後藤や長宗我部ら一武将に預ける度胸は大野兄弟にはないだろな
207 :
日本人:2011/04/16(土) 16:14:50.81 ID:m7RJ89zt
>>206 機動力が必要と思う、行軍速度時速6キロ、日に50キロは欲しいが
当時の部隊でこの速度可能だろうか。
>>207 通常は1日に10里も進めば限界、携帯兵糧は3日分、補給部隊を伴わないと行動半径は最大80km程度
朝食(城)→40km夕食(野営)朝食→40km夕食(野営)朝食→40km夕食(野営)朝食→40km夕食(城)
大坂から80kmから100km程度だと西は姫路城、北は福知山城、北東は観音寺城、東は伊賀上野城、東南は吉野、南は和歌山城、海を渡れば淡路洲本城
釜山→大邱→大田→牙山→漢城の各距離がだいたい80km程度
豊臣政権のミスは秀吉の死と共に朝鮮から引き上げたこと
外戦を継続していたら家康が野心を持っても内戦を起せない
亡き秀吉の遺言として大老筆頭の家康自ら朝鮮半島へ渡り成敗してくれと発表したら良かった
みんなやる気ないのに無理だろ
朝鮮が豊穣な土地だったらやる気も出るだろうが、実際には島津領以下だし
214 :
日本人:2011/04/17(日) 16:42:30.81 ID:aQnaL0jf
>>208 部隊に機動力があれば敵部隊に奇襲がかけられ、勝利が得やすいと思う。
6〜8千の一個部隊だけでも機動部隊編成できなかったんだろうか。
馬匹の数を増やせばなんとかなりそうな気がするが。
ちょっとスレ違いかもしれんが、半島経由でなく、直接支那本土に上陸し
北京をめざせば攻略可能だったとおもう
北京を落とせば勝ち、じゃないんだよ
>>215 最初から海路を取れるくらいに遠洋大量輸送力が充実してれば最初からそうしてるよ
それが充実してなかったから半島を陸路がわりにせざるを得なかった訳で
たしかガレオン船の購入はスペインに拒否されたんだっけ?
朝鮮西岸から黄海を渡って山東半島にでも上陸すればいいんじゃね
途中に島がないのが痛いけど
そこから何十万上陸させる気だ?
朝鮮に送り込んだ程度の兵力じゃ、明の大軍の数の暴力に飲みこまれるのがオチ。
大兵力つってもそんなに差ないぞ
人民解放軍じゃあるまいし
対日戦に振り分けた分、辺境警備の兵力が減るしな
朝鮮に送ったのは先遣隊だしな、明が送ったのはどうだか知らんが
明まで攻め込むとなると、短期間で軽く20万は動員してきそうだな
倭寇やバイキングみたいに沿岸を神出鬼没に荒らして兵力分散と士気低下を誘い時間を掛けて明の国力を奪っていけば10年くらいしたら勝てたかもな
五島列島を母港にしていた倭寇が中国南部沿岸を荒らしまわっていたのだから、
倭寇の協力さえあれば、東シナ海を横断できるような気がする。
澎湖諸島にある倭寇の拠点を間借りできればより良いんだろうが。
渤海 黄海 東支那海の沿岸を厄するなら済州島を拠点にしたらいい
南支那海まで手を広げるなら台湾が拠点でおK
226 :
名無し三等兵:2011/04/18(月) 03:47:34.39 ID:qp/ArFS2
>>223 どの道秀吉死亡でゲームセットだからなぁ。
海外進出を豊臣政権じゃなく日本全部の意志にまでこね上げれば別だが。
鎖国や過度なキリスト教徒の弾圧をせずに国内布教活動禁止程度に留めて置けば国民の総意として海外進出は行われただろう
キリスト教徒や貿易商を中心に海外に日本人村が形成されそれらを統括する代官を派遣し支配地を拡大していくような浸透型の侵略なら大きな成果を得た
東アジアから欧州勢を駆逐し支那から東南アジアの大部分の主要港の支配を実現出来ただろう
鎖国????
文禄の役は失敗だが、慶長の役の路線は間違ってないんじゃない?
補給のしやすい範囲内で日本式の堅城を築いて防御体制に入って
明軍をおびき出して殲滅するというのは、負ける可能性が低く
敵軍の戦闘能力を激しく奪うには最良の路線でしょ。
実際、九州勢守備のみで勝利した三路の戦い後の明軍に戦闘能力が
著しく低下したのは事実で、秀吉が死に日本軍が撤退するのを
和議に応じてまで戦闘を拒否していた明陸軍を見れば一目瞭然。
本土にいた中国四国勢を派遣するば、明軍の壊滅も十分有り得た。
問題はこの路線の継続中に肝心の指導者が死に今までの苦労が無意味になったこと。
232 :
日本人:2011/04/18(月) 12:08:22.89 ID:ZSvpeJmT
>>230 秀吉死後も半島南部に領地を確保し、日本からの入植者により耕作を行えば
2百〜三百万石の領地が確保でき、守備隊3〜4万は現地で兵站が賄えただろう。
怠惰な朝鮮人でなく優秀な日本人の農民に耕作させれば失業対策にもなり一石二鳥。
様子を見て朝鮮北部や中国本土の占領も策せた。これをメチャクチャにしたのが
売国奴の家康、どこまで日本民族に厄災をまたらせば気が済むんだろうか。
朝鮮なんぞいらない
台湾からフィリピンへと植民していけば米も二期作出来たはずだ
日本国内ですら、治水や開墾が本格的に行われたのは江戸時代以降、戦国時代は信玄堤など一部に限られる。
半島を征服し民心を平定しつつ、新しい体制を築いて開発を進めるのは、不可能では無いにせよ難しかろう。
加えて明や清の侵攻と戦い、殆ど問題にならないがヨーロッパ勢力も忘れちゃならない。
そして実際に、脱亜入欧を果たし近代化した日本が、国家予算の一割を費やしたって、半島の半分は未だに未開なんだ。
あの半島なら2ー3百万石どころかその十分の一ぐらいじゃね
居座るのは良いけど、そこの投資と維持を誰がするかって話だね
237 :
日本人:2011/04/18(月) 12:45:53.48 ID:ZSvpeJmT
>>236 費用と人員は家康、統治は三成。売国奴を疲弊させ滅亡に追い込めて
一石三鳥。
それを誰が命令すんだよ
まさか秀頼とか言うまいな
実利なら先ずは国内の開発が先だろ
朝鮮半島は南岸の一部しか米作出来ないから大名には魅力が薄い
慶尚全羅忠清の3道以外の領地は大名にはお荷物にしかならない
台湾は毒虫毒蛇住む未開の不毛な島で真水補給の寄港地以上の値打ちはない
仮に開発しても入植者はマラリアに全滅しかねない
アジアには揚子江中下流域以外に大名にとって魅力的な領地は無いと思うよ
>>224-225 イギリスの私掠船みたく、国家公認の対敵国用海賊船団を編成するって手もあるな
沿岸限定だからモンゴルが金を数年がかりで弱らせた様な劇的効果はなくとも、
倭寇や地方水軍だけにやらせるよりは儲けや成果は確実に多くなるかと
ちょうど同時代に活躍したドレイク提督もタダの海賊だからな
東アジアからイスパニアやネーデルランドやエゲレスの勢力を駆逐し
豊臣政権による南蛮社中(東インド会社)とか誕生してたりして
243 :
日本人:2011/04/18(月) 18:58:51.78 ID:ZSvpeJmT
朝鮮半島南部、琉球、台湾、海南島、シンガポール島を占領し海洋貿易の
基地とし、中国大陸が混乱すれば大陸を占領する。この方法が良策と思う。
半島南部、台湾、海南島には日本人を入植させ、兵站は自立できるようにして
恒久的な基地とする。
造船や火器製造技術に勝るヨーロッパ勢から海洋権益を奪うのは難しくないか?
火器製造技術って大型砲以外じゃ日本製のが性能いいじゃないか
ガレオン程度ならコピー可能だし
航海術が全然ダメなんだが
ガレー船でアジア中駆けまわってたじゃないか。
ヴェネツィア艦隊ならまだしもスペイン艦隊位ならすぐ追いつくだろ
時代背景がおかしくないか?
何がおかしいんだ?
航海っても遣随使のころ既に遠洋航海してるんだし無問題
>>250 たかだか東シナ海くらいででかい顔されても
ヴェネツィアが強かったのは1400年代で秀吉が朝鮮の出兵が1592年からすでにヴェネツィアは没落してる
ちなみに秀吉の出兵の4年前にアルマダの海戦が起きている
東南アジアに日本人街が作られるのが朱印船交易が本格的に行われる1604年以降
>>253 滅亡寸前まではそれなりに強いぞベネツィーア
秀吉が米寿まで心身ともに健康だったら勝てたな。慶長の役のような誘引殲滅とか、
秀頼の成長を待って、大坂城の黄金を使い尽くすつもりで艦隊とか傭兵団とか家康派遣とか。
大金でガレオン船を船員ごと雇って造船・操船の教官にするのもいいかも試練。
火箭と先込め式大砲の量産化も忘れずに。
秀吉より秀長が長命だったらな
あと小早川隆景とか。
もし彼が生きていたら大陸でも関ヶ原でも活躍できたと思う。
半兵衛 秀長 利休 隆景 利家と秀吉の理解者がみな秀吉より短命か同じくらいに他界したのが家康に有利に働いた
誰か一人でも秀頼成人まで後見出来たら歴史は大きく変わった
260 :
名無し三等兵:2011/04/18(月) 23:03:44.25 ID:qp/ArFS2
精神まで健康だったら冒険してたかどうか(笑)家康みたいに引きこもったかもよ。
まあ狸狩りの達成後なら全く予測不可だが。
>>260 秀吉はまだ精神的にしっかりしてた九州島津征伐時に将来の海外派兵を唱えてる
262 :
名無し三等兵:2011/04/19(火) 09:49:22.50 ID:u2WVzaOd
狸狩りそっちのけでキムチに足突っ込むのが既にセンスを無くしてたんじゃないかと。
263 :
日本人:2011/04/19(火) 10:00:30.65 ID:xMpMxeTE
>>262 狸は満州かシベリア送りにするつもりだったと思うよ。切り取り次第
って言ってね。狸の氷付け完成、めでたしめでたし。
>>262 北条がバカな名胡桃城急襲さえしなければ天皇の勅命として徳川 北条 伊達に朝鮮攻めの先鋒を命じて国力減衰を狙えた
断れば国賊として討伐出来るし、勅命を拝命した以上は上洛し朝廷最高位関白太政大臣豊臣秀吉の軍門に帰順する事になる
秀吉は家康を滅ぼそうとしてもできない(もしくは困難)と判断した
266 :
日本人:2011/04/19(火) 11:24:14.04 ID:xMpMxeTE
>>265 その気なら出来たろう。光秀じゃないが朝鮮に国替えを命じて関東を取り上げれば
簡単、反抗すれば領地没収。
小牧長久手の時はまだ西日本も平定していない状況だが九州平定し関白になった後で大義名分さえあれば徳川討伐は出来た
徳川北条伊達が連合しても佐竹や最上に牽制され伊達は動かず
信濃上野は上杉真田が牽制し北条や徳川の戦力を吸引し
尾張三河の国境の主戦場へは徳川北条連合は精々最大で5万程度の動員
官軍の関白秀吉は最大動員で20万、一次動員でも10万は投入出来るから勝負にならない
268 :
日本人:2011/04/19(火) 11:51:38.64 ID:xMpMxeTE
>>267 難癖つけるんだったら、火事場泥棒で獲得した甲信二国の返還命じれば
よい。逆らえば討伐。
>>268 徳川が甲信を得た時はまだ秀吉は勝家と覇権を競っていた最中で天下人として号令出来ない
関白になり私戦禁止令を出した後でないと大義名分を失う
長宗我部の三好残党狩り、島津の大友残党狩り、伊達の葦名攻めなどが私戦禁止令違反に当たる
徳川の上田攻めは自国内での内輪揉めでノーカウント
関白が安堵した領域を侵犯したら攻撃の大義名分が成り立つ
>>266 中山道は上野は井伊や平岩などで全土が要塞化
北陸道も下野は結城秀康と榊原がおり、東北諸大名の動向で蒲生・佐竹は動けず
東海道も小田原に大久保が篭れば、容易に東上できず、そこに家康と本多が主力で
決戦を挑めばどう転ぶか解らない
>>271 北条5代で固め信玄や謙信の猛攻に耐えた無敵の関東が簡単に滅んだのをわすれたの?
>>259 あと石松丸秀勝と秀次もいたらもっと良い。
彼らが居れば秀次切腹は無かっただろう。
ただし秀次は秀吉ではなく秀長の養嗣子になっただろうけど。
>>272 あれは小田原に主力が拘束されたから
江戸に本拠地がある家康なら自軍を機動戦力として
活用できる
>>274 江戸は水軍に弱いよ
村上 熊野など秀吉は水軍が豊か
>>275 別に弱くはない
徳川水軍は北条と何度か戦い勝利しているし、
小牧の戦いでは九鬼水軍と戦い勝利している
>>276 徳川水軍より練度も数も多い毛利島津熊野の各水軍が鎧袖一触に打ち破ると思う
瀬戸内水軍が強かったのは過去の話
>>278 スレタイの朝鮮征伐で朝鮮水軍を破ったのは西日本の水軍だが
殆ど陸軍のお陰だけどな、最後は陸軍が水軍相手に突っ込んだ訳だし
馴れない海域では十分に能力も発揮できまい
数が違うから徳川水軍は浦賀から動けないだろな
しかし遠征水軍は狭い浦賀水道には侵入しずらい
鎌倉や江ノ島に上陸部隊を輸送し小田原から相模川までの防衛線を無力化する活動が主になるだろ
妨害に徳川水軍が浦賀から出てくれば豊臣水軍の思うつぼ
家康は野戦軍司令官として機動戦闘させたほうが攻城戦・篭城戦より断然活躍できると思う。
あと秀吉はもっと内外の海賊を活用して東シナ海・朝鮮沿岸の状況を掴むべきだった。
>>282 その程度ならせいぜい沿岸の村落に火をつけて、荒らすことぐらいしかできない
小牧合戦でも関ヶ原合戦でも九鬼等の水軍が敵勢力圏で行えたのはその態度
>>284 伊勢志摩の軟弱水軍と村上熊野の源平以来の最強水軍を同列にするな
徳川水軍は今川の駿河水軍が主体の軟弱水軍
西日本の水軍と出来が違う
>>285 西日本の水軍が強いのは瀬戸内海にいるからなんだが
>>286 時間により潮の流れが変わり島々により幾千の瀬戸があり複雑で速い潮流がある瀬戸内海では地の利が活きるのは確かだが
西日本の水軍は長年倭寇として遠洋交易や海賊行為をして腕を磨いたから強い
東日本の沿岸水軍とは訳が違う
>>287 仮に強くても出来るのは沿岸の村に火をつけるのが関の山
>>288 南北朝湊川合戦や倭寇や石山本願寺攻防戦や厳島合戦の資料見てから言えカス
水軍の一番の役割はロジスティックス、次に敵後背地への揚陸作戦、三番目に敵地撹乱作戦だ
>>289 今話題にしているのは2番目だが、それは上陸地に既に味方勢力が橋頭堡を
確保してこそできる話
>>290 強襲揚陸作戦で橋頭堡確保するんじゃねえの?橋頭堡確保してる拠点へはただの補給作戦だろ(笑)
>>292 厳島合戦なんかは雨天夜間無灯火で敵の背後に味方主力を上陸させた
>>293 主力の毛利は裏手から、小早川は味方と偽っているが
後、根本的な問題として出典である「陰徳太平記」の信憑性は低い
>>174 >真田ら実戦経験豊富な浪人衆が
豊富どころか第二次上田合戦だけじゃんw
>>295 少なくとも幸村は北条攻めに従軍してるが何か?
そもそも大坂の役は秀吉の天下統一による戦国時代終結から年月が経ち過ぎた
実戦経験なんて一揆討伐か朝鮮征伐と関ケ原くらい
従軍経験なんて武将として関ケ原に参加したら十分だろ
>>296 空っぽの城を接取して最後に堤防作ってただけの簡単なお仕事です
>>298 百聞は一見に如かず
百見は一行に及ばず
何事も経験に勝る見聞無し
信繁なんか歴戦の浪人と比べたら素人同然だろ
>>300 真田より経験者なんて明石 後藤くらいだろ
毛利や長宗我部の経験は真田と大差ない
あとは経験と言っても足軽大将以下
武将と言うには侍大将より高位でないと
徳川によるバイオテロハニートラップ
加藤清正 前田利長 浅野幸長ら秀頼推戴派の有力大名を次々に梅毒で病殺
徳川将軍跡目問題に成りかねない次男結城秀康をも手に掛けた
梅毒はコロンブスが南米から欧州で持ち込んでわずか数十年で地球一周し日本にまで広まった
たぶんみんな朝鮮征伐の時に肥前名護屋で家康が仕組んだ白人娼婦と一発やって梅毒を貰ったんだろな
南蛮船には長い航海での整理現象解消の為に飯炊き娼婦が複数乗ってたし
長宗我部は朝鮮征伐で
充分実戦の経験をしているだろ。
武将は侍大将以上とか
侍大将は経験が少なくても足軽大将ら前線の指揮官にあれば良いんだよ
一応
元箸尾城主、箸尾高春(二万石)
とか
元伊勢桑名城主、荻野道喜こと氏家行広(二万二千石)
とかいるんだけどな、地味だけど
なんか完全に朝鮮征伐から乖離してるな。
家康を三河遠江駿河甲斐信濃を召し揚げ、肥前筑前筑後壱岐対馬に転封し、朝鮮征伐を命じ朝鮮領土は切り取り放題に出来なかったのかな?
鍋島(龍造寺)、小早川、毛利(秀包)、松浦、宗、立花、大村辺りはどうすんだよw
>肥前筑前筑後壱岐対馬に転封し、
そゆ場合は、朝鮮南部四道を封地として切り取り次第、だろ。
ま、家康がおとなしく承知するとはどうしたって思えんが(笑)。
で、敵は聚楽第にあり〜!とかになるかな。でも、小牧・長久手の
時点より豊臣側に分があるだろうし、どうころぶにせよ死後に
豊臣滅亡という史実よりは秀吉的にはいいかもね。
>308
朝鮮半島に出るには国内体制、ぶっちゃけ家康対策が不可欠だってことさ。
小牧・長久手の戦いを冷静に分析すれば、
戦略レベルでは豊臣方の勝利なんだけどね。
秀吉はそもそも政略>>>>>>軍略という優先度で、
小牧・長久手の戦いに挑んでいる姿勢が感じられる。
ただ問題は小牧・長久手の戦いの戦後処理に、
家康の石高を減封させておくべきだった。
120万石くらいにね。
当時の状況を何にも分かってないだろ
>>313 当の秀吉が家康に気を使い続けたのが事実
>>310 宗や松浦とか地元豪族系大名は家康の与力として所領安堵してもらい配下になるのが適当
甲州信州でも真田など旧武田系の豪族がそうなっている
小早川は家康の旧領へ加藤や小西や黒田など九州の豊臣恩顧大名を東海道に移封して豊前豊後を小早川や毛利、立花や鍋島は肥後でいいんじゃないの?
伯耆美作備前讃岐阿波を豊臣恩顧大名で固めれば大坂防衛線には十分だろ
毛利一門も限りなく親豊臣系大名だし無問題
俸地を2倍にする代わりにお隣に移ってもらうのが史実での限界
長久手で家康をぼこってれば可能だったかもね
戦自体は負けたんだから減封で問題と思うがねぇ
319 :
日本人:2011/04/22(金) 12:53:59.52 ID:???
>>317 九州を制覇した段階で、秀吉にその気があれば徳川征伐は可能だったと思う。徳川、北条連合軍は秀吉の敵ではなかっただろう。
小牧長久手は手打ち和議だし徳川領も占領してない
朝日姫を輿入れするまでは決戦することも選択肢の上だった
和議で人質として次男秀康が養子に来たのに後で妹朝日を人質として輿入れさせたら意味無いやん
さらに大政所まで嫁入り先に行幸と言う大義名分の下に家康の上洛を促すとか敗けも同然
まあ体面だけはお互いに保ち家康も形だけは臣従した格好
それでやっと秀吉は落ち着いて関白宣下を受け越中紀伊四国の平定に向かえる
家康を臣従させるのにあわてて大納言になるため少将就任は2年前に遡るとか超法規的w
関白になり名目的主君三法師を岐阜の一大名に封じて一様は天下人になった
織田家から独立し朝臣となり藤原家の養子になり関白宣下
徳川は豊臣家から独立せずに将軍宣下を受けてしまい主従関係を有耶無耶にしたから後々まで算奪と云われた
秀吉には家康と決戦するとかのイメージは無かったんじゃないの?
秀勝、鶴松も姫だったら幼くて死なずに済んだと思う
姫ならば秀康の正室にして豊臣徳川円満解決だったと思う
325 :
名無し三等兵:2011/04/22(金) 15:49:31.28 ID:AOvaWvuD
なにを持って臣従と?
征夷大将軍が関白に頭を下げてただけ。この場合でも君臣言うなら帝ディスってるんじゃないよ。ましてそれを継承してないそいつの子はただの大名じゃん?
326 :
名無し三等兵:2011/04/22(金) 15:56:32.99 ID:AOvaWvuD
将軍のところ、関白と大名Aに訂正。
>>325 資料を読み直せ
家康は大老つまり豊臣家の家老だよ
大納言とかは官職従二位は官位だから家臣じゃなく朝臣だけど
大老職は豊臣家の家臣としての地位役職
後の徳川幕府老中も譜代旗本からしか選ばないのと同じだよ
唐入りとかじゃなく秀吉は普通に天下人として余力がある大名に軍役負担させるが為に朝鮮出兵を命じたら良かった
徳川 北条 伊達 島津 毛利らに出兵させ疲弊させるだけが目的なら朝鮮征伐は大成功だった
朝鮮が貧しくて占領しても益がないってのは
攻めてからわかったことでしょ?
侵攻前に調査が入っており、軍事力は問題にならないって評価が出ているし、実際にそうだった。
そもそも占領目的ではなく、あくまで通過目的だったが、抵抗が予想外に激しく、絡め手より政治決
着に変更。これも一戦して痛めつけてから、有利な条件で外交交渉と言う、国内でならオーソドックス
な対応だった。
問題は国外のことなのに、ついつい国内のプロトコルを適用してしまったこと。また李氏朝鮮が想
定以上にお花畑だったことや、明が国力を顧みずに抵抗したこと。
日本側にも体制一致の不備や、金や清などを利用した同盟戦略の欠如などの失点があった。それど
ころか、うっかり清を攻めてしまい、清が朝鮮に同盟を呼びかける局面すらあった。これはお花畑で
回避されたけれど。
もっと上手く立ち回ることは出来たろうが、そもそも国内の意志統一もされぬまま、明確な政治方
針もなく、現場のプランのみ現実を見ているようでは、やはり成功は難しかったろう。
そして朝鮮は占領しても、払った代価に見合う価値の得られない土地だった。後に日本に併合され
たが、国家予算の一割を割かなくては近代化出来ず、それどころか今現在においてすら、北半分は慢
性的な飢餓に悩まされているようでは、とうじ高砂と呼ばれていた台湾を占領した方がましだった。
こちらはオランダが占領しても、明国政府は文句を言っていないし、戦うまでめなく占領できた筈。
>>330 日本が開発する以前の台湾島には航海の中継地として以上の価値などない毒虫毒蛇と熱病の島だ
現地住民は国家すらなく村邑がある程度
歴史的には支那の夷州だがオランダやスペインなどが近年は貿易中継港として一部を支配
小琉球(呂宋)とならび南蛮人勢力を駆逐する以上の意味は無い
越南やシャムやジャワや馬来まで行かないと東南アジアに占領して旨みのある地域などない
>>330 台湾も近代化以後の日本政府が資本を大量投下してようやく軌道に乗ったんだけどな。
対馬海峡の両岸支配は地政学的には価値がある
朝鮮は南部割譲を得る程度にとどめるのが正解
忠清全羅慶尚の3道の割譲、欝陵島(松島)は隠岐に編入
朝鮮監督のため京畿道江華島に朝鮮探題を置くこの程度で講和したらいい
台湾は当時からオランダが統治と開墾に着手しており、これは国姓爺の侵攻を受けるまで、一定の成果を上げている。
また開発しなければ収穫が上がらないのは、日本国内でも同じことで、仙台平野は伊達正宗の治水がなければ、江戸の屋
台を支える程の成功は成し得なかっただろう。
>334
本土から資本持ち出して台湾に投下しろってこと?
自分で何を言ってるか理解してる?
朝鮮や台湾の開発は明治初期の北海道開拓史みたいに屯田兵させるしかない
改易し手っ取り早いのは取り潰した大名家を復活させ旧臣を引き連れて植民さすくらいかな?
後北条家とかを台湾朝鮮で復活さすかw
戦国時代で荒れ果てた土地に兵農分離で膨れた武士階級を帰農させて開墾させるだけで日本の各地の生産石高は簡単に上がった
また治水潅漑など農地整備をすれば更にたくさんの収穫を期待出来た
当時とすれば戦国時代が終わり膨れ上がった家臣団の禄米に困る大名が多いのは確かだが
生産性が不確かな外征による新領地より内政に注力し石高増進に努める方が確実
ただ帰農を拒み武士階級に固執する足軽を多数抱えた一部の大名にとっては外征は願ったり
ようは失業者対策にはなったわけだ
太閤があと5年長命なら徳川を朝鮮南部に転封し征朝鮮大将に任じていただろう
朝鮮南部なら検地すれば関東260万石より多い400万石となり大幅加増
だが実態は半分の200万石くらいだろうな
そのまた半分もあるかどうか
それでも北側よりはマシだからなぁ
というかそもそもなんで征「朝鮮」大将なのかと、征明ならともかく
普通なら海外遠征も征夷大将軍の本分なんだけど、秀吉は将軍になれなかったからなあ
>>343 秀吉は信長を倣い将軍を辞退してる
氏姓は平氏を自称していたが藤原氏の養子になり豊臣姓を賜った
平氏では征夷大将軍に馴染まないと考えたのかな?
そもそも家康が征夷大将軍になれなかった訳がないだろ。
全大名を従えた状態で征夷大将軍就任したいと朝廷に上申して、朝廷が断る理由がない。
家康じゃねぇええええ
家康→秀吉
の間違いorz
朝廷は信長同様に秀吉に対して関白 太政大臣 征夷大将軍の三職を提示した
秀吉は平藤吉郎秀吉として大納言に就いた後、藤原藤吉郎秀吉として関白に成り豊臣姓を賜り豊臣秀吉となった
関白と同時に太政大臣にもなり正二位に叙されている
その後家督と関白職を秀次に譲るにあたり太閤となり従一位に昇進
死後に豊國大明神の神格と正一位を追贈された
いつから秀吉は天皇になったんだ
状況によっては豊臣家の血が入った天皇誕生もあり得たけどな
朝鮮侵略では日本軍は大大名では中川秀政が戦死するほど
惨敗を喫しているからなあ。
秀政ってどうみても暗殺じゃねーかw
余りにも無用心すぎるマヌケさから戦死という事で取り繕うとしてバレて所領半減という・・・
明朝鮮軍がへぼ過ぎて圧勝してしまったから小さなつまずきでも大ニュース
明の戦果捏造は笑えるレベルだったな・・・w
なぜかいまだに検証されることもなく事実として扱われている
朝鮮水軍の戦果捏造は笑えないレベルだけどな。
>>353 そしてガチで戦死したのにいつもスルーされる来島通総
まあ13万石の中川秀政と1万4千石の来島通総じゃあインパクトが違うか、鷹狩り中で暗殺というアホな死に方とは言え…
中川秀政の義理の叔父さんって、
へうげもの?
まあ日本軍の石田や大谷ら兵站奉行はにしたら中川などのトン死より来島など水軍指揮官や船頭の戦死の方が痛いけど
>>358 ただの叔父でなく後見人だ
実質的に中川家は織部正の指導の下にある
>>357 まぁ弱小大名だからなぁ・・・
朝鮮民族の英雄の唯一の戦果がそれだけって哀れに思えてきた(´;ω;`)
へうげものって面白い?
>>362 最後は悴ともども切腹でお家断絶だからな
骨董の名品を見ると勃起するんだっけ?
お前はしないの?
女性の名品をみると勃起します
史実の中小大名連合より
反乱リスクは増すけど大々名の連合軍の方が現地への浸透や動員面は有利そうだよな
秀頼誕生から死ぬまでの数年は秀次を除いたり秀吉は朝鮮征伐でも親豊臣大名の疲弊に繋がることしかしてない印象がある
秀次が利口だったら秀頼誕生と同時に関白を辞職して家督を秀吉に返還し自らは羽柴姓に戻して朝鮮征伐軍の元帥にでも成れば助かったのかも
外征成功と外様の疲弊を狙うなら前線である九州に毛利系みたいな親豊臣大名と譜代を大量に配置する必要無いもんな
豊臣は近畿一円から出征する中央軍として、毛利は中国州を統括する軍として動いて
大友島津龍造寺を酷使すればよかった
>>370 西日本は秀長がしっかりと平定したお蔭で基本的にみな親豊臣系になっている
東日本は上杉佐竹真田以外は親豊臣系はいないのが難点
>>347 平藤吉郎秀吉ってなんだよw
その法則だと家康は藤原元康家康になるのか?
>>372 松平は藤原氏と言うのは自称
家康は徳川に名字を改めたのは清和源氏新田氏の房系得川氏が松平の祖先としたよって源氏
朝臣としての正式名称は源家康、平秀吉でおかしくない
>平藤吉郎秀吉
羽柴藤吉郎平朝臣秀吉な
>>373 どこの平行世界の人か知らんが
・うちの家って元々は源姓の得川氏だから、松平から源姓の徳川氏に戻していい?
→朝廷「源姓の徳川氏としては駄目だけど、藤原姓の徳川氏としてならいいよ」
→徳川次郎三郎藤原朝臣家康
〜色々あって関東入封〜
・やっぱ俺って自称源氏じゃなくてガチ源氏だよね?
→朝廷「もう源姓の徳川でいいよ」
→徳川次郎三郎源朝臣家康
最終段階で比較するなら
羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉と徳川次郎三郎源朝臣家康
途中経過で比較するなら
羽柴藤吉郎平朝臣秀吉と徳川次郎三郎藤原朝臣家康
>>374 お前時代劇の見すぎw
正式書簡とかに署名するときや参内して帝の前にて名乗る時は「官職名 氏姓 名前or道号」だぞ
羽柴とか名字や藤吉郎とかとか通名は名乗らない
また賜姓を受けた後に失礼だから名字は用いない「豊臣と羽柴の併用」など寡聞にして聴いたことも観たこともない
「藤原」の賜姓に「恵美」二文字を追加下賜され「押勝」の名を下賜されたから「藤原恵美押勝」これは例外
「惟任」姓を賜ったら「明智」は正式なとこでは使わないし「惟任」と「明智」は重ねない
まあ「明智」は「土岐」の支流だから「源氏」だけど
うっせーばか
オレが秀吉なら徳川は三河岡崎10万石以外は召し上げて朝鮮國慶尚道200万石を切取りとし、伊達は出羽米沢12万石以外は召し上げて朝鮮國全羅道100万石を切取りとする
この二人さえ朝鮮に押し込めたら豊臣政権は一先ず安泰
>>379 タイミングは小田原征伐の直後奥州仕置きの前
中川秀政が戦死w
この侵略戦争では、
朝鮮軍では日本で言う大名級の将軍の戦死は無かった。
迂闊に秀吉関連のスレ覗くんじゃなかった〜
まさかへうげもののネタバレ喰らうとは思わなかった…マジ記憶消したい
>>381 三道都巡辺使
申石立 戦死
三道水軍統制使
元均 戦死
李舜臣 戦死
全羅右水使
李億祺 戦死
忠清道水軍節度使
崔湖 戦死
ちょっとwikiっただけでこれだけ出てきたが
将軍クラスの戦死者
ああ、朝鮮には大名が居ないといいたいのか!
>>379 みみっちい策略に調子こいてしょーもないポカの繰り返しな伊達がなぜ豊臣政権への脅威になるんだ?
>>384 後年の少しは落ち着いた正宗なら多少は脅威かもしれん
>>383 それらは小物ばっかりじゃないかw
日本の大名級じゃないw
>>386 李舜臣を小物扱いしたのが半島にいるお前の同胞にバレたら頃されるぞw
まぁ釣りだろ?
リア友もいない可哀想な子の唯一の楽しみ
>>383 そいつらって、日本で言うとそれぞれどのランクの石高の連中?
敗北して半島から駆逐されたのに必死だな
また日本軍お得意の負け自慢ですかw
誰か自慢したか?
朝鮮って基本的にバカだよね
日明にフルボコにされたのに
明治にまた日清にフルボコにされた
学習能力ゼロだな
そういや、日清戦争後や日露戦争後の朝鮮の外交は酷かったなぁ・・・
余りにも自己中心的・視覚狭窄で欧米人から呆れられてたが・・・日本の今のgdgd外交ですらマシに見える
蒙古高麗連合軍による二度の元寇を北九州沿岸部の水際で完全に防いだ日本
秀吉による征伐により首都は陥落し王子は捕虜になり明に泣き付いた朝鮮
あれは連合とは言わないだろう。
オスマン帝国が従属国の軍隊を引き連れてても連合とは言わないように
>>381 朝鮮軍の日本で言う大名級の将軍ってどの程度の人が当てはまるのか逆に聞きたい
397 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 05:15:23.93 ID:svZH7lZK
唐入ていわんか?
秀吉による朝鮮征伐の呼び方は
唐入り・唐御陣・高麗陣・朝鮮陣・朝鮮征伐・征韓・文禄の役・慶長の役・朝鮮出兵・朝鮮役・征韓の役
朝鮮侵略・壬辰倭乱(文禄の役)・丁酉倭乱(慶長の役)・丁酉再乱(慶長の役)・壬辰祖国戦争・朝鮮の役
など別名多数なのであなたの政治思想・国籍などにあったものでお呼びください
399 :
名無し三等兵:2011/04/26(火) 07:33:33.08 ID:mX9HxEEo
>393
え?そんな事できたの?
てっきり満州のラストエンペラー張りの操り人形一択だと思ってたよ。
首都をはじめ主要都市全て占領され王子が捕虜にされているのに高級軍人に戦死者が居ない方が恥ずかしい
軍人とは国民国土政体を守るために存在してるんじゃないの?
封建制でなく中央集権律令制だった朝鮮は軍人の地位が低く高級軍人が少ないにしても
釜山漢城開城平壌くらいの大都市を最後まで死守する高級軍人官僚がいないのは国の恥
倭寇討伐命じられた高官が死にたくないって引き籠りになって降格されるお国ですもの
釜山や大邱が速攻で占領されたのはやむを得ないとして首都防衛の要である牙山にすら防衛出来ないとかホントに朝鮮に将無しだよねw
日本で言えば油断して太宰府落とされてるのに福原すら防衛出来ないとかだし考えられない
一流国なら考えられないが三流国にそこまで求めてもな
なんつーか世界史板でやれって感じだな
李舜臣を祭る神社なんてあったか?
>>400 朝鮮出兵で死んだ中川秀政と来島通総は従五位下、江戸時代に従四位以上になれたのはだいたい10万石以上の国持大名クラス
四品って権中納言(黄門)とかだろ御三家徳川水戸家とかがなるムチャクチャ高位じゃないかい
申リツって日本の位階で言うとどのくらい?
室町将軍家なんて、従四位のまま
将軍宣下されてなかったか?
それで諸大名統率できるのかよ?
官位などおまけだから
>>315 家康はいい奴を演じるのが上手かったんじゃないかな。
自分の立場に忠実だし。
たとえ、秀吉が信用していなくても、無理に冷や飯を食わすと秀吉自身の評価が下がるぐらい。
実力もあり誠心誠意忠実に尽くしていると皆が認める人物をつぶすのは。しんどいよな。
へうげものは?
>>411 時代が下るにしたがって(特に秀吉のころから)武士でも高い官位が手に入れやすくなるから当時としては武士で従四位は高位だった
江戸時代になると公家の官位と武家の官位が分離されたので分けて考えたほうがいい
江戸時代は将軍は将軍宣下の時点では
正二位+内大臣が原則のデフォになっているね。
>>414 あの主人公は最終的には従五位下織部正(おりべのかみ)になるけどこれちょっとネタばれ
>>417 素晴らしい骨董品を見ると勃起する奴かw
家康は暴れん坊将軍だったからな、
秀吉には動物的勘で「俺と同じ種類の人間」とわかったのだろう
秀吉は秀勝 鶴松 秀頼と3人の子を為しているが数多くの側室とは他に子を為していない
3人の出生もかなり怪しいこともあり秀吉が種無しだった可能性が一番高い
信長家康は子沢山に恵まれていたのと対照的だ
信長が存命で天下統一してたらもっと早くに海外進出してそうだな
422 :
日本人:2011/04/27(水) 18:27:55.86 ID:???
>>421 信長だと皇室ぶっ潰してたかも。日本国王って名乗ってたと思う。
国王じゃ天皇家より格下だ阿呆
足利義満や秀吉も明皇帝に日本国王にされちゃってるし信長は日本国王では納得しない明皇帝やローマ法王やスルタンすら信長は格下だと考えてた節あるし
帝を敵に回すと流石に政権が持たないけどな。
明智光秀が反乱起こしても正当性が出てしまう
>>425 大坂城や江戸城は天守閣だが安土城のは天主閣
つまり信長は自らを天皇や皇帝より高位の天主(キリストやムハンマドの様な教祖よりも更に上位の神そのものと同意)であるとしている
427 :
日本人:2011/04/27(水) 19:03:27.99 ID:???
428 :
名無し三等兵:2011/04/27(水) 19:36:40.75 ID:ZeQb1joE
信長はすでに自分で(第六天魔)を名乗ってたし、正月なん安土城で家臣に
賽銭投げさせてたしな、神になることにより織田家は天皇より上だというのを
アピールしてたみたいだしな
>>424 義満の場合は日明貿易の利益と天皇家以外の権威利用という目的で王号を受けたけど、
秀吉の場合は明が勝手に国王扱いしようとして大失敗しただけだからケースが全然違うだろ
明のこのナメた態度にキレた秀吉が慶長の役を起こしたわけだし
>>428 秀吉の唐入りの理由の一つに、大陸に広大な領土を得る事で天皇家の権威を優越したかったからって説もあるね
上杉「俺、毘沙門天だもんねwwww」
織田「なら俺様は第六天魔王だwwwwww」
っていう子供の喧嘩レベルの話なのにやたら勘違いされてるよね信長
ということで、へうげもの最強ってことだね。
自己神聖化は秀吉家康と大体の奴がやってるわけだけども
何で信長だけ「天皇を廃し自らが日本の国主になる!」ということになるのか理解できない
小説とかの信長に影響されすぎじゃないか? まぁ俺もそっちのが好きだが
信長は天皇制を廃止もしないし利用もしない
もともと歯牙にも掛けていない
という割には、朝廷を利用しないと一向一揆対策は出来なかったw
朝廷利用しまくってるがなw
不利になったら調停工作で停戦とか大得意だし
なのに自称神とか訳分からん
宗教キライの前部分に「俺様以外の」がつくってヤツでしょ多分
自称神ってのはソースなんだ?
>>436 信長は現実主義者だから使えるものは親の葬儀すら利用
朝廷を敬い権威を利用するのでなく利用価値があるから利用する
442 :
名無し三等兵:2011/04/28(木) 04:23:16.60 ID:KvGjkDuB
普通に熱田社や剣社に安堵状を出して厚遇してる
織田のルーツといわれる剣社の場合、安堵状を握りつぶしていた前田・佐々・不破に激高したっていうしな
熱田神社の大宮司千秋氏は尾張の有力豪族
対今川戦でも織田方についている=奉公があるから安堵は当然。
そういえば千秋季忠は桶狭間のときに無謀な突撃をして戦死するんだよね
寺社って昔はタダの宗教施設じゃなくて今で言う大型ショッピングモールみたいな存在
流通物流など商業経済活動に深く関係してる
信長が利用したりキライになったのはその既得権
信長は寺社勢力保護しまくりだろ
ただし従順な所に限る。だが
そりゃ信長に限らずどこだってさして変わらんだろう
戦国時代に限れば、従順じゃない寺社勢力にケンカ売れる大名はほとんどいなかったし、
半ば成り行き上とはいえ、寺社勢力にもケンカ売った信長はやっぱ異端児なんだよな
家康なんかは正面から喧嘩売っている
>>449 家康は一向一揆に家臣団と領民の半分を奪われ滅亡寸前に
でもそのお陰で、当時としては先進的な旗本先手組を整備できた
>>451 そして兵農分離も出来ていない旧式軍制の武田勢に三方ケ原で大敗して脱糞
旧来の軍事制度なら普通はそこで滅亡だけどね
>>449 家康が相手したのはあくまで一向門徒の一揆勢であって、一向宗寺院本体ではないのでは?
それはさておき、カルトの怖さを知った家康が幕府開いてから檀家制度で寺社勢力を懐柔した結果、
表立った宗教紛争は島原の乱を最後になくなったんだから、冷静に考えてみると世界史的にも凄い事だよな
その島原の乱にしても、重税圧制に端を発した政治的な反乱だから宗教メインとは言いがたいし
まあ聖俗分離ってのは織田信長から進められていて
家康はおいしいところを持っていっただけだがな
457 :
名無し三等兵:2011/04/29(金) 18:01:36.78 ID:WlFHp5jY
軍の規模が巨大化する程、補給を配分する参謀が軍司令官の部隊行動を制約する様になり
そこで両者の対立も生まれる。
前線にいる連中は思う様に部隊を動かせないんだから面白くないわな
>>455 戦国後期から江戸初期までは信長→秀吉→家康の流れ・線をワンセットで学ばないと、
この時代を理解するにあたって片手落ちになりかねないよな
>>458 従来の足利将軍追放から江戸幕府成立までの安土桃山時代でなく
信長上洛から大坂夏の陣での豊臣家滅亡までを織豊時代として観る方が正しい
>>454 そりゃ、住民の意向には関係なく信者を割り当ててくれて好きなように布施をとれる様にしてくれたんだから
さからう必要はなくなる。坊主丸儲け
秀吉も海外進出に宗教を利用すれば良かった
朝鮮半島では一向宗やキリスト教を認めるとか
宗教勢力を潰したってのに、また力を付けさせてどうすんだよ
大義なき海外侵略
朝鮮義勇軍で僧兵多かったよな。両班は儒教だろうけど
戦国時代本願寺とか雑賀衆なんか仏教勢力の動きは派手だけど神道勢は諏訪氏とか
かませ犬みたいのしかいないよね
>>466 なるほど
かませ犬の諏訪氏に大敗した若き信玄はかませ犬以下の存在と
φ(.. )
負けたのは信玄じゃなくて父親の信虎だよね
かませ犬以下の信玄と対等に渡り会った謙信は同じくかませ犬以下
信玄にビビってた信長はかませ犬以下の更に下
信玄に大敗し脱糞した家康はくそ虫並ってことか
φ(.. )
親父は一回諏訪攻めをしてそれに失敗したあと融和政策に転換したんだよ
信玄は親父を追放した翌年に諏訪に侵攻し一カ月で降伏させているから
信玄が諏訪に大敗を喫したというのは嘘だと思うんだけど
ソフトパワーって奴の走りですかね、公家や宗教組は。
結局、腕力のある奴が本気を出すまでの天下なのに、そこも理解しないでソフトパワー最強とか言うのはお花畑だったと。
474 :
名無し三等兵:2011/05/01(日) 13:23:01.03 ID:5cGUSQ5Z
結局は信長が本能寺で死なずに天下をとってそれから
朝鮮征伐したほうが秀吉より成功確率は高かっただろうね、いくとすればこのメンツかな
織田信長、柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、徳川家康、
留守居役及び後方支援
織田信忠、丹羽長秀
加藤、福島、小西らよりはるかに優秀だからな
神道の大元締めってある意味最強では?
>>473 宗教的権威のある坊主はともかく、公家はマジでお花畑だろうね
まぁその宗教的権威だって、比叡山は六代将軍義教の昔に既に踏みにじられてるし、
東大寺に至っては平氏の昔から松永弾正に至るまで焼かれたりしてるけど
>>474 秀吉が光秀・勝家・成政・信孝らと戦ったロスが丸々消えるだけでもかなり大きいからなあ
それよりも信忠がいるってのが大きい
>>472 信玄はオヤジを今川に押し付けたら諏訪に同盟破棄され小県郡の武田領を諏訪に奪われ大敗してる
信玄は甲斐国内の動揺を治めるのに一年を要した
>>477 それは言えるかも。仮に大御所ポジにいる信長が運悪く死ぬ事があっても、
信忠が織田家当主として健在な以上は、後継者問題は発生しないからなあ
信長ほどの者がなぜあの時に京に信忠を滞在させたのかが疑問
また明智の大軍が夜の京に入る前に鎧兜が擦れる音が先に聞える
信長も信忠も明智軍が京に入るのに疑問を持ってないとしか思えない
>>478 ソースは?
>>480 信長も隣の屋敷の村井も騒音を最初は喧嘩だと思った。
しょうがなし見に行ったら囲まれてた。
という流れだろ、信長公記や天正記は
信忠は逃げる気なら逃げれたよな。
村井による第一報の直後に逃げてれば余裕だったろうな
光秀の謀反を計画的なものと勘違いしてたのが痛いな
実際は多分に運頼みの衝動的な謀反なんだけど。
完全に囲まれて近江や大坂への脱出路も封鎖されてると思っちゃったんだろうな
夜の街に音がない中世では一万人の鎧擦れや足音が鈴の音や太鼓の様に数キロ先から聞こえてくる
京だと丹波口に入る頃には二条城では気付いたと思う
信忠2000信長500の手勢で伏見方面に脱出し宇治から瀬田へ向かえば坂本の明智勢に阻まれる
伏見から南都へ脱出すると明智に親しい筒井が待ち受けている可能性が高い
伏見から水路淀川を下れば勝竜寺城にて先回りした明智勢が待ち伏せしている可能性が高い
信長が助かるには木津川を溯り伊賀越えし安濃津城の信包と合流するしかない
しかし伊賀勢は信長に恨みがあり無事に越えれる可能性は低い
つまり信長は光秀謀反のその時点で死を覚悟した
4倍は絶望的な兵力比だけど、信長だけ逃がすと腹を括ったら出来なくは無い戦力に見えなくも無い。
現に浅井が裏切ったときは相当なりふり構わず逃げ帰ってるし。
信長が逃げるのを諦めた相手だぞ
そんな無茶言うなよ
信長が簡単に脱出を諦めたのに家康は伊賀越えで無事脱出した
家康は堺に居たのだから海路三河に帰ればいいのに何故か危険な陸路を選択?
>>489 フツー陸路を取るだろ。海路は天候次第で何日かかる判らない。
少なくとも1日2日で紀伊半島を回るのは到底無理なので、
その間に帰路の要所を明智勢に押さえられるとアウト。
加えてその辺りの水軍がどっちにつくかは
全くわからんしな。
492 :
名無し三等兵:2011/05/01(日) 21:20:10.20 ID:5cGUSQ5Z
大阪に丹羽長秀と信孝が6000の兵と一緒にいたんだから
なんとか合流して近くの城にでも篭って各地から援軍がくるまで
しのいでればなんとかなったんじゃあねえの
明智は当初、信忠は囲んでないよね、眼中になかったのかな。
494 :
名無し三等兵:2011/05/01(日) 21:54:51.33 ID:VPvT3Fn/
完全に囲まれるまで謀反に気づけなかった信長はどうあがいても脱出不可だろう
ただし、信忠は脱出する機会はあったはず。
明智の軍が二条城を囲むまで数時間の猶予がある上、明智側の包囲も徹底したものではなかった。実際に攻防が始まってから有楽斎が脱出出来てるしね。
筒井・高山・中川へ相談なく挙兵した関係で大和・大坂への警備はザルだし
確かに信忠が大坂に脱出して信孝と合流すれば兵力は8000だが明智勢は12000
筒井 高山 中川 細川の日和見も明智勢が大坂の信忠信孝軍を破れば光秀側に着いただろう
なまじ信忠が二条城で自害したから信孝を攻めるより安土を抑えに行く余裕が生まれたのが落とし穴
有楽斎脱出は女装説もあるし、御曹司には荷が重いか?
女装で討ち死になんて末代ものだぞ
>>478 それ海野平の戦いだよね信玄と戦ったのは諏訪じゃなくて上杉だよ
1541年5月に上杉と組んだ小県郡の海野氏を武田・諏訪・信濃村上氏の同盟が攻略小県郡は信濃村上氏の領地になる
6月に信玄が信虎を追放する7月に海野氏の要請で上杉が出兵し武田は佐久郡を失う諏訪・信濃村上氏は上杉と講和
小県郡は結局信濃村上氏のものに
信忠が存命なくらいで、後継者問題が解決する訳ないだろっ!
現に明智光秀は、寄力を含め所領260万石ーー豊臣政権と対峙した時の徳川家康と同じ程度ーーの時点で下克上を起こしている。
まだ織田信長が存命の時期だ、戦国時代を舐めてやしないか?
「日本を統一する」
これは単に武力で従わせることだけを言うのではなく、そうしたメンタリティをスポイルして初めて成し遂げられるんだ。
499 :
名無し三等兵:2011/05/02(月) 02:41:57.31 ID:Tx4wy9m4
>所領260万石
細川、筒井、中川、高山の有力与力が軒並み参加拒否
明智が抑えた地域は丹波、山城、近江西半分で、どう見積もっても120万石がせいぜい。
明智配下が一斉蜂起した反乱だとでも思ってんの?
信忠存命なら織田家の主導権を巡る対立と内紛は発生し得ないから、秀吉の史実より早くに天下統一するよ。
>信忠が存命なくらいで後継者問題が解決するわけないだろ
本能寺の時点で信忠は正式に家督を受け継いだ織田家の惣領ですが何か?
この相続に関して異論を挟む奴なんて家中にはいない。
信孝や信雄が担がれる?柴田や羽柴が取って代わる?
それらは信忠が生存してる時点でありえない仮定。
信忠が信長の後継と生き残れば信長よりも早くに統一を果せた
毛利 上杉 長宗我部 島津 北条 伊達も秀吉よりは素直に従っうだろう
そうなれば柴田 羽柴 丹羽 滝川 徳川の譜代や北条をはじめとする外様に対する政策として海外進出は必要だっただろう
秀吉の地域ブロック制がない分、滅ぼされる大名が
増えたのでは?毛利・上杉・長宗我部は生き残れる
可能性は低いと思う
>>502 本能寺の変の際の中国大返しの借りがある毛利や元々の対三好同盟関係の長宗我部は信忠に代替りすれば領国は小さくとも生き残れたと思う
上杉は微妙だが代替りを口実に帰順出来た可能性はわずかにある
信忠後継なら徳川北条が豊臣政権の前田毛利に充たる重鎮外様になるだろうな
九州は島津 四国は丹羽 中国は羽柴 北陸出羽は柴田 北関東甲信は滝川 東海は徳川 南関東は北条 北近畿は池田 美濃尾張伊勢近江山城伊賀志摩大和紀伊摂津河内和泉は直轄領と織田一門
事実として“信長”“信忠”は、260万石……オット、たった120万石の明智光秀に滅ぼされたけれどね。
アァところで、徳川家康だって単独で260万石ではなかったよ、家臣団の結束は強かったけれど、内紛抗争はあったしね。
けど変だなぁ“信長”も“信忠”も存命だったけれど、内紛が起きちゃったよ。
これ内紛だよねw? 何かアクロバティックな屁理屈で反論してみる? 正当に家督を継いでなのに。
>>503 斉藤利三絡みで長宗我部は無理でね?
北条も信忠擁立の確認遅れて滝川との
戦火拡大なら追討対象になると思う
信忠生存確認なら中国大返しは起きたかね?
>>505 >>499がいう内紛ってのは史実における清洲会議〜賤ヶ岳の戦いのような
信長信忠没後の主導権争いのことでは?
本能寺の変が起きた後での対応に関して意見してるわけで、
光秀の内紛が発生しないっていう論法に君がすり替えているように見受けられる
508 :
499:2011/05/02(月) 20:11:29.16 ID:???
>史実における清洲会議〜賤ヶ岳の戦いのような
>信長信忠没後の主導権争いのことでは?
本能寺の変で信忠が生存していれば後継者問題なんてもの自体が表面化しないから
問題は如何にして光秀を討つかだけに集約されるので、光秀打倒後の織田家の分裂は
起こりえないって事ねww
509 :
名無し三等兵:2011/05/02(月) 20:51:56.61 ID:WyX12RYT
信長は安土城にうつった時に信忠に尾張と美濃を与えると同時に
家督も譲ってしまってるんだよ、実態はどうあれ信長は
隠居(実質的には最後まで実権をにぎってたが)したという建前になってしまってるし
武田攻めの時も総大将は信忠で信長は後詰めという形だったし、信忠が生きてれば
家督争いはないだろ
510 :
日本人:2011/05/02(月) 21:03:35.99 ID:???
>>508 信忠が生存していれば、丹羽長秀、信孝の部隊一万四千を糾合、光秀軍は瓦解したと思われる。
511 :
499:2011/05/02(月) 21:10:17.21 ID:???
>>509 俺もそういつもりで書き込んだんだが、
>>505先生が何やら妙な誤解をされて論理展開してるから困っちゃうのよ
まあ、話題は自由であるべきだけど今の話の流れは
信長本能寺にて明智勢により討ち死になるも、信忠
生存ならば歴史はどう動いたか?を考察していってる
よね。
親父の後ろ盾なしで宿老・兄弟を掌握できるか?
他の戦国大名はどうなるか?
海外進出は行われるか?・・続けてください
比叡山焼いたり織田は悪名高すぎて上杉と組めないから天下統一は遅れるんじゃないか
>>512 後ろ盾もクソも…
兄弟ってたかが伊勢の一豪族でしかない神戸を継いだ信孝と、国司の北畠を継いでるとはいえ、色々残念な信雄だし。
津田信澄はまあ、信忠が生きてても多分信孝に討たれる。
>>513 西からは柴田や佐々、佐久間に前田
南からは森や滝川
東からは新発田
あのゴタゴタが無けりゃ既に詰んでると言ってもいいレベル
上杉は風前の灯で、伊達は織田に誼みを通じつつあるから
当面の敵は毛利、北条、長曽我部に絞られる。
これらは相互に連携して織田に対抗できるような地理関係ではない。
ゆえに、その抵抗は孤立したものになる。
国力差を考えれば各個撃破は容易だね。
多少の手間はかかるにせよ織田の天下統一は時間の問題に思える。
毛利なんかは早々に和睦して来そうな情勢だしさ
>>515 信忠存命なら秀吉は毛利とは和議し史実よりゆっくり姫路まで撤収して信忠信孝と光秀の決戦を様子見する可能性はある
光秀が負けそうなら精鋭だけを率いて自ら駆けつけ光秀優位ならゆっくり休んで来るだろうな
そもそも、信長と信忠を討って織田政権を転覆するチャンスだから動いたんだろ光秀は
>>517 計画性ゼロの衝動的謀反
事実信忠は放置プレー
>>514 織田家の覇権によって領地は増えるだろうけど
豊臣も徳川も後継者を巡る暗闘はあった・・
信忠が第二の光秀を疑えば宿老も色々動くでせう
宿老ねえ…
尾張や美濃の連中がのし上がって来て、危機感抱いたかつての宿老が…
ってなら分かるが、信忠の後継者云々ならその前に宿老達の後継者の方が問題だわなw
歴史IFを楽しむのがこのスレッドの主旨なんだろうけれど、空気を読まずに発言させてもらえるなら、秀吉スレでいきなり
信忠マンセーが始まったことに違和感を感じてしまう。余りにも盲目的に持ち上げているけれど、徳川家では信康の問題が、
豊臣家では秀頼の家督相続後に、徳川の離反と政権転覆が起こったように、ただ家を継いだだけでは天下まで相続は出来まい。
家督相続はあくまで正当性の裏付けとなるだけで、下克上が当たり前、実力第一の戦国武将を統率するには、最低限でも、
彼らに不満を覚えさせない程度の実力が必要で、可能なら必要なとき力でねじ伏せられる実力も欲しいところだ。
信忠にもそれなりの実力はありそうだけれど、声高に万能のジョーカーのような主張をするのはどうかと思う。
例えば実力が高かったとされる徳川信康は、それ故に内部抗争で錦の御旗に使われてしまい、父・家康との対立を招いている。
(近年の説。築山殿と信康の不品行と信長による粛正の命は、実際には徳川家の内紛と粛正に、信長が許可を与えた形らしい)
また斎藤道三の隠居にしても、梟勇に過ぎて戦に明け暮れる当主を、家臣団が談合で引きずり下ろして、穏健で内政に向いた
斎藤龍興に国を任せたと言う一面がある。後年になっての内戦は、むしろその延長と蒸し返しでしかなかった訳だ。
先代が存命で、次代が有能であってさえ、そうした問題が発生し得る戦国時代において、信忠が無難に家督を相続出来て、
しかも内憂も外患も起きないとするのは、少々楽観的に過ぎはしまいか?
あと明智光秀は、別に無能では無いし信忠のことを忘れてもいない。セオリー通り主力を後方に控えさせ、本能寺には二波に
分けた部隊を送り、そのうち一隊は馬廻衆から集めた、信長打倒の選抜隊だった。また包囲は遅れたが、二条城に逃れた信忠に
対しても、別に部隊を差し向けているし、けして忘れていた訳ではない。本能寺とタイミングがずれたのは、戦場の霧や摩擦と
言うべきものに過ぎない。この当時、時間単位で複雑な状況を実行できる軍隊などなかった以上、仕方がなかったことだ。
最後に、本能寺の変において、信長は当初「信忠めの謀反か?」と、前日に方針を巡って口論した我が息子を疑ったと言う。
この辺りが信忠を評価する所以であるし、同時に戦国時代の厳しさを感じて欲しい所以でもある。
>>522 光秀が無能と思ってる人はいないよ。ただ本能寺の変に伴う行動は無計画かつ短慮
鎧もろくにない信忠勢に宿老の明智治右衛門が深手、明智孫十郎が討死ってのはちょっと…
だいたい、娘婿の細川忠興や大和の筒井順慶にすら事前の根回ししてないのは駄目だろ
事が起きてから協力要請してあの様だし、断られた後の対応策もお粗末。
本能寺の変が光秀 秀吉 家康 北条 上杉 毛利の共策ならスッキリする
得したのはこの6人で全ての責任を光秀に押し付けあとの5人はその後仲間割れ
>>523 根回ししていたら本能寺の変が失敗する。
バカの考え休むに似たり。
根回しの時間がなかったのは同感だし、その千載一遇のチャンスを見事に生かしたからこその成功だよ。その辺は松永や別所、
荒木と光秀の実力差ってものだろう。そもそも根回しして共犯者が増えれば増える程、事前に露見する危険も増える訳だし、
即断即決で結果も出した光秀にこれといった失敗は……何で京都を封鎖しなかったんだろ?
結果として信忠も打ち取れたから良かったようなものの、現代戦のように緻密な戦闘機動が取れない以上、次善の策は講じるべきだと思うのが。
光秀ほどの策士がどうしたことやら。
秀吉の急反転に対応できなかったのは仕方が無いだろう。現実には毛利にも、或いは柴田勢と対峙していた上杉勢に対しても
「相手を牽制してくれりゃ悪いようにはしない」と連絡を送っている。上杉には間に合わなかったし、毛利への密使なんて逆に
秀吉に捕らわれるという失態を犯したが、やるべきことは一通りやっている。
安土城を含む近内制圧も、この時点で最も警戒を要する柴田勢への対策として必要不可欠な措置だった。
逆に結果論から言えば、信忠は逃れようと思えば逃れられただろうし、強力かつ忠実な柴田を味方に付けて、変後も一定の
勢力を保つことは出来ただろうね。天下統一が可能だったかどうかは未知数だが、恐らくは離反者が出て、
統一への流れは、一度リセットされたことだろう。安土桃山時代に第三勢力が出現するのは、色々興味深いIFだよなぁ。
突発的かつ無計画な謀反なのは事実だね
それゆえに結果として奇襲が成立したわけだけど。
問題は、信長親子を誅殺した後の展望がなかったことかな。
そういう意味では
>>523の指摘も間違いではない
刻(土岐)は今 雨(天)の下知る 五月かな
どうみても本能寺の変を宣言してる
>>527 いや、勝手に事実にされても。もしかして本人に聞いてきた?
光秀は本能寺の変の後に直ぐ様兵を西に進めれば中川は味方に付いただろうし信孝丹羽軍を殲滅すれば
態度を保留している細川筒井ら近畿の諸将も光秀に付いた
>>530 一番大事な朝廷工作はどうすんの?みっちゃんじゃなきゃ無理。
秀長みたいな類い稀な分身が居なきゃどの勢力も前線に張りつきだよ。
>>531 当然朝廷から信長討伐の勅令を賜り体裁を整える必要はある
だがそんなことは懇意にしてた摂関家にさせて後から参内したらいい
先ずは信孝軍を討滅し織田の遊軍を無くす事が先決
でないと勅令で細川筒井に光秀合力を命じても彼らは様子見で動かない
その「懇意にしてた摂関家」がアテにならないから京都から動けなかったんだろ・・・
>>525 信忠が逃げる気なら、逃げられたということを否定してないよね。
>>535 信長死後に信雄も信孝も求心力を発揮しなかった。
信忠が生きていても同様。
>>536 信長が非業の死を遂げたら正統後継者に求心力が働くよ
他の兄弟は他家へ養子に行ったんだしね
信忠しか正統後継者はいない
>>536 北畠と神戸に対して正式に織田の家督継いで、尾張と美濃治めてるし>信忠
秀信、信雄、信孝とたいした実績の無い
幼少庶長子と他家に養子の三者並立して
支持が割れたから求心力が働かなかっただけで
現当主で実績の十分な信忠とは比較にならんね
秀吉は秀勝を喪主に葬儀を仕切ったりできたしね
>>539 信忠か秀吉を指揮したことってあったか?
勝家は?光秀は?長秀は?
一益ぐらいじゃねえの?
>>541 まさか武田攻めの総指揮が信忠だと知らないのか?
信忠は家督継承後は全軍権を掌握している
信長はあくまで後見だ
上月城では優勢な毛利10万相手に撤退戦か尼子は見殺しだけど
信忠を過剰に貶めるのも、過剰に評価するのも、同じくらいに間違ってるよ。生き延びるチャンスはあったし、生き延びさえ
すれば、かなりの勢力ともなったろうけれど、織田政権の維持までは無理だったろうし、一度瓦解したそれを天下統一にまで
持って行けたかどうかは未知数だ。たぶん無理だったろう。
戦国武将とはお家に仕えたのではなく、仕えるに相応しいと判断した個人に仕えた。だからこそお家騒動も起きるし、内紛も
生じる。信長にしても骨肉の争いを演じているし、名目上の存在とはいえ主家に下克上を起こしている。先程は強力で忠実と
書いた柴田にしても、初期には二度に渡って謀反を起こしているんだ。
主たる者は上に立つ資格を実力でもって示さねばならず、家臣にしても役に立つ証を、武功でもって証明してなくては、召し
抱えてはもらえない。ならない、それが戦国時代というものだよ。「仕えるに足らない」と見限られたら謀反を起こされる。
ましてや最初から、無条件で人望を集めることなんて出来やしない。
家督相続なんて飾りです、淀君にはそれが分からんのです(徳川某)
しかし勢力がでかくなるとそれだけ造反のための手まわしの必要も多くなって難しくならないか
それより勝家・家康・秀吉・一益の四人が仲良く造反というのがイメージしずらいってのがあるけど
逆に信長が生きており、しばらくの間、後ろ盾になっていたのなら、信忠による天下統一はありだろう。若い信忠に比して、
余りに武功があり過ぎる武将たちも、信長に対してなら比較的に忠実だし、逆らった時の恐ろしさも知っている。やがて信忠が
功績を積み重ね、或いは後年の徳川家と同じく、織田家に権威が生じれば、一癖も二癖もある武将たちだって恭順の姿勢を示す。
逆に言えば強力な中央集権体制が整えば、偉くなり過ぎて扱い辛い宿老を引退などの形で排除したり、反抗的なら粛清したり
することも出来る訳だ。
先代に重用された老臣が、次代に疎まれて失脚するなんてのも、洋の東西を問わず良くある話だしね。
これは豊臣政権でも言える事だし、もっと小規模な形なら、甲斐の武田や美濃の斉藤(道三では無く龍興)にも当てはまる。
政権に権威と権力が生じ、それが家督相続とセットになること、ここが天下統一の条件だったし、信長の惜しいところだった。
参位中将殿は既に武勲も経験もある年齢的にも問題ない
それに織田軍政から言えば宿老は戦国大名ではないから手勢や領国はしれてる
与力が必ずしも宿老の指揮に従わないのは光秀の件でも明らか
織田家は家老級の林や佐久間でさえ追放される
柴田 羽柴 滝川 丹羽 池田であっても例外ではない
信忠側近の河尻や森が宿老級に取り立てられるだろ
池田って家老級かぁ?
むしろ森絡みで取り立てられてもおかしくない側だろ
信忠のネクストキャビネットのメンバーって誰だろ?
宿老も代替わりしそうだし、婚姻も絡むだろうけど
>>552 それに加えて各軍団へ連絡将校として派遣されてた長谷川秀一、堀秀政、矢部家定あたりも
官僚として欠かせないだろうね。
本能寺の変が織田「家」にとって最悪だったのは家政組織までもが破壊された点だな
徳川家の年寄に当たる職制はなかったんだろうか
豊臣政権で例えると、秀吉・秀頼・5奉行が一気に死んだようなもんだからなぁ
組織としては致命的だよね
新参や寝返り組でも実力さえあれば抜擢してた関係で前線指揮官は野心と実力に溢れてる
やつらばっかだし。
広範な人材収集が裏目に出たね・・・
>>554 だって、家康なんか留守ばっかで不在時の統治機構が整備されちゃってんだもんな。けがの功名だよ。
ああいうのが、当主が豊臣政権で大坂詰めになったり、徳川政権で江戸詰になった時に本国統治の差が出てくる。
後、織田家の問題点としては徳川家の旗本先手役や大番に相当する
強大な直属軍事力を保有していなかった点がある
豊臣七手組もあまり戦闘力を発揮できなかったな
直轄軍事力を編成しても、実戦経験がなかなか
積めないのは問題かな
>>558 豊臣は七本槍にしろ五奉行にしろ普通の譜代以上に秀吉には親密
織田の一侍大将時代からの家来
>>559 ・・一応確認するけど七本槍と七手組の違い分かってる?
>>560 知らん椰子なんて軍板にいないやろ
七本槍は家来が少ない秀吉が横山城主前後に親戚縁者から優秀な子弟を養子同然に引き取り寧寧が育てた小姓たち出身の武将
七手組は木村など豊臣政権成立後の旗本衆
木村は七手組ではない
そして七本槍でも、脇坂と糟屋はどー考えても横山城主前後なんてありえんしな
七本槍でもないけど大谷吉継なんて秀吉隠し子説があるほど親豊臣
七本槍とかは五奉行と違い行政組織でもないしどうでもいいだろ
むしろ尾張美濃と近江で北政所派と淀派に分かれる様に思う
そもそも七手組自体が、大番を模倣したものクサイしな
それでも世襲という点で大番に劣るけど
七手組の不幸は大坂冬夏だけで見るから評価が下がる
浪人衆の部隊と比べて装備や練度が高いはずなのに戦果は浪人衆に及ばないイメージがついた
冬の陣で秀頼出馬が実現し瀬田川くらいで野戦になってたら七手組も浪人衆に劣らず活躍し後世の評価も変わってたかもな
あまり知られていないけど、天王寺・岡山合戦では岡山口の前田隊と井伊・藤堂隊の間に
大番1組と書院番2組が展開し戦っている
この内、書院番には逃亡者が出ており、細川や藤堂らのいう旗本の醜態はこの書院番を
指すと思われる
因みに大番には逃亡者なし、一応は伏見在番という凖戦時体制をしていたからであろうか
柳生宗矩が七人斬りやったといわれるのも七手組だったかな?
裸武者と言われてるのは甲冑で闘い続ける体力に欠いたのかな?
>>569 ムネリンはナルシストだから自身の肉体美に…
当時もう四十六だし体力も落ちてたんでね
・・いや、斬られた方が裸武者と言われていて若侍だったらしい
軍版のみんなはここでの裸武者の意味は分かってるよな・・
余りの凄い太刀筋にあたかも鎧兜を纏っていないが如く斬りにけり
574 :
日本人:2011/05/07(土) 11:11:29.03 ID:???
575 :
名無し三等兵:2011/05/07(土) 12:44:52.79 ID:YRcqrP6W
>>574 ちゃんと読んでくれ
「前田隊と井伊・藤堂隊の間に」と書いてあるでしょ
つまり「日本戦史」の記述は間違っている訳だ
後、この三組には戦死者もでている
世の歴史学者は「日本戦史」を否定する割には
配陣図をそのまま引用する
>>575 歴戦の前田 藤堂 井伊隊の間に経験不足の旗本衆を配置するなんて足手まとい
野戦が得意の家康がする陣立てとは思えないが
旗本衆に手柄を立てさせたいなら前田 藤堂の前に出すだろし
常識的には旗本衆は前田 藤堂 井伊の後詰めにするだろ
577 :
名無し三等兵:2011/05/07(土) 13:43:32.70 ID:YRcqrP6W
>>576 井伊・藤堂は前日の戦闘で大きな損害を受けています
後、出したのは旗本の一部で、他には大番2組、書院番2組、
小姓組6組が秀忠本陣にいた
>>577 修正、小姓組は4組だった
後、大番は3組が家康麾下で、3組が江戸・伏見在番
ありがとう。どの史料か聞きたかったんだがまあいいや
一番槍ともいわれる安藤重能はその辺にいたのかなと
安藤重能は家康がいた天王寺口だから、岡山口とは異なる
治房隊だけを相手にするなら前田隊だけでも十分です
むしろ前線を突破されない様に縦深陣地を組むべき
前田隊 藤堂・井伊隊 旗本衆
なんで横隊でまして連携が上手くいかない大名別の混成なのか不可解
前田や井伊・藤堂にしたら出しゃばって前線に来た旗本衆に戦線を掻き乱されただけだな
>>583 勘違いしているようですね
岡山口は先手前田隊、二番手旗本抽出部隊、三番手井伊・藤堂隊が
北から南に並んでいる
ついでにいうと大坂方がどこに何人いたかは、実際のところ不明
岡山口の豊臣方は「日本戦史」だと4,600人としているが、「大坂合戦覚書」だと
1,500騎、これを騎乗武士の数とするならば、総数は10倍して15,000になる
>>584 治房ちゃんが15000の大軍を指揮できるとでもw
>>585 100騎頭が15人いるようですから、彼等次第でしょうね
この合戦は混戦しかも岡山口は泥地だったから、備単位の戦闘で決まりますし
>>586 大野治房が侍大将15名も統率出来るとはおもえんが
大野治房に15000の豊臣正規軍を指揮させるより
浪人衆らに3000づつでも合力させた方が良かったな
通信機があっていちいち指示する時代じゃないから
目標さえ明確なら誰が名目上の指揮官でも問題はでない
>>587 大野治房勢も相当数が浪人衆なんだが
後「真武内伝」では真田は一万余騎(これは人数だろう)を率いたとある
「日本戦史」に書いてあることは全部、疑ってかかるべき
>>590 まあ時代は違うが太平記とかだと大楠公は幕府方十万騎を500で防いだりしてるから戦記モノなんて多分に数字に脚色や誤記が
天王寺・岡山合戦の豊臣方の一次資料なんて、当日に大野治房が合戦前に出した書状一枚のみ
これとてほとんど奇跡のようなものだけど
夏の陣は豊臣方は戦力を逐次投入しただけ
幕府方の戦略目標である大坂城本丸と秀頼公と淀君を分散もせず全く策無し
八尾道明寺の戦いで実質的に敗戦は決定したようなものだ
京や奈良からの街道筋に砦を築き秀頼公には出馬を願い淀君には山中に逃げて貰えば勝てないまでも敗けない戦は出来た
結局寄せ集めで連携の取りようの無いのが第二の敗因
天王寺・岡山合戦では逐次投入の愚を繰り返さないために
迎撃主体に作戦立てたら毛利が勝手に戦いを始めオジャン
兵力劣勢の上に連携も取れないのなら勝ち目0やね
功を焦った毛利でなく野戦が得意な長宗我部を参加させていれば連携はまだマシだったような気が
真田 長宗我部 明石って家康がワレを忘れて殺したい3人だし
幕府方諸将にしても浪人衆3将は討ち取れば武勲は末代まで誉れ高い
囮としては一番いいだろう
勝永の突撃が無かったら逆に包囲殲滅されてたかも
豊臣方の敗因は七手組ら後詰めを投入出来なかったことにある
真田や毛利や治房が前線を突破し家康秀忠に迫った時に七手組が後詰めしてたら豊臣方勝利だろ
また数少ない武将の中で明石や長宗我部にまとまった兵を与えず遊ばしたのももったいなかった
道明寺で後藤が死に急いだのもそうだが豊臣方は所詮寄せ集めだな
しかし烏合の衆に本陣を破られる幕府方は更に恥ずかしいが
長宗我部は藤堂にぼこられて手兵のほとんどを失って戦闘不能
本陣やぶられてないよ。
>>598 ボコられたのは明らかに藤堂隊だろ
長宗我部隊の損失は若江で木村が敗死したため撤退中の損失だろ
講談物ならそういうことになってるがね
どっちにしても戦闘に参加してないのは確かだしな
前日までの一連の戦闘で唯一勝利を得たのが八尾の長宗我部隊だけ
淀君が勝った長宗我部隊をかい万一の退路確保の為に京橋口の守りを任せたから天王寺口岡山口の戦いに不参加となった
でなければ木村後藤隊の残兵を毛利隊に付けず長宗我部隊に付けて参加させた
大軍の指揮経験では誰が一番?
朝鮮時代の盛親か勝永?
当時の大和川の流域がどんな湿地帯なのか分かりにくいが
若江 八尾 道明寺って戦線伸びすぎでね?
前日宿営した平野で野戦陣地組んで大和路勢を迎撃したらどよ
河内勢はどうせ湿地で素早く機動できないのだしお城には七手組がいるんだし
八尾 道明寺の2箇所で主力同士の遭遇戦という形だから
戦線伸びすぎという訳でもない
『山口休庵覚書』によると盛親は6・7騎で帰城したとあるな
一次資料でも細川忠興書状で藤堂隊が多くの首を取ったと大勝した様があるし
長宗我部が勝ったとするのは難波戦記以後の物語の中だけ
翌日、長宗我部が逃亡する準備に忙しかったころ、
藤堂隊は天王寺・岡山口を元気に走り回って、
100以上の首を取る大活躍をしてるのであった。
完
>>604 朝鮮征伐なら親父と共に、ってのが付くが長宗我部か関ヶ原の時の明石くらいじゃねーの
地味な歴戦の将もいるにはいるが、それこそ毛利勝永(歴戦って程でもないけど)もだが、石高少ないしな
>>611 オヤジ同伴なら真田が一番、2回も徳川主力軍を撃退してるし
真田も朝鮮征伐参加してたら個人の戦歴が立派だったのにね
いや、大軍の指揮経験、って聞かれたからねえ。
それに第一次上田合戦の時は上杉の所にいたはずだしね
>>611 父親同伴なら朝鮮四番隊2万の大将の毛利勝信の息子の毛利勝永や
関ヶ原で北陸方面軍3万の大将の大谷吉継の息子で
本戦では盲目の父の代わりに実質指揮を取ったとも言われる大谷吉治とかもありじゃね?
>>612 第一次は不参加、関ヶ原では本格的な戦いはしてない
しかも5万石程度で大軍じゃないし
大坂の陣での大番頭は多くが実戦経験者だし、その番士も部屋住とか浪人の出が多い
>>614 どうせ大野兄弟に万単位の兵を浪人衆に預けることなんて出来ない
求められるのは大軍の指揮ではなく奇策を持って敵の大軍を翻弄する軍師
一隊を指揮し敵陣を切り裂く一騎当千の猛将
わろたw
>>616 幸村の大軍の指揮経験の話じゃないの?
軍師だの一騎当千だの俺に言われても困る
和歌山方面は治房が樽井まで行って敗けたけど夏の陣のときに奈良や京都に出陣して迎撃するアイデアは無かったの?
大坂スレでやれ
閑話休題
朝鮮征伐に話をもどそう
朝鮮征伐と同時期に死んだ武将多いね
秀勝 氏郷 隆景とか豊臣方にとってキーマンになりえる人物が沢山死んでる
またその時に梅毒に掛かって清正や利長とかも後年死ぬことに
朝鮮征伐は豊臣政権に百害あって一利なしだな
>>623 公共事業止めたらそれこそ、政権が潰れるよ・・
豊臣政権としては明の政情・軍事能力については
どの様に分析していたのだろう?兵力算定くらいは
してたのかな?
>>624 公共事業と言うなら徳川北条伊達と戦しなかったのはなぜ?
まあ徳川は九州攻めの前に苦労して帰順させてるけど
伊達北条と同時に討伐出来たのでは?
帰順したから
>>626 徳川の時とは違い関白にもなった今
別に帰順させる必要はないでしょ
なんで?
徳川が帰順する前の秀吉は毛利 上杉 前田らを従え長宗我部と佐々を降したとこに過ぎない
九州では大友が島津に敗れ滅亡寸前になり救援を求めており
後顧の憂いである徳川の帰順は大きなメリットがあった
それに対して小田原攻めを決定した段階では
既に豊臣の天下統一は間違いなく帰順を促す使者の求めに応じない大名は朝敵とし滅ぼせる権力を秀吉は握っている
秀吉に救けを請うてた葦名は既に滅亡し、早期に奥州を平定するために伊達に配慮する必要はない
小田原攻囲戦をしながらでも数万の別動隊を徳川を中心に奥州に派遣し伊達を滅亡させれた
そうして置けば論功で家康を陸奥出羽300万石にでも封じて奥州の奥地に流せたのに
家康が東北に移れば常陸の佐竹、奥陸奥の南部、越後に上杉、上野に真田、武蔵に蒲生などを配して万全だった
また秀康の再養子先は下野の結城家でなく出羽の最上家になってただろな
伊達は最盛期でも150万石いかなかったんじゃなかったっけ
隣国の北条攻めをスルーして奥州に遠征させるのは難しいんじゃないか
徳川と北条は仲良かったから家康の忠誠心を試す意味合いもあったのかも
>>630 東北は300万石はあるよ
氏郷が検地したら会津42万石が倍の96万石になった
氏郷の後に会津に移封された上杉も120万石
北条の支城を全て攻略しての小田原攻囲だから10万も居れば十分だ
残り10万は伊達攻めに向けてもいい
規模は違うが浅井の小谷を囲みながら先に朝倉を滅亡させたみたいに
先に奥州を力で平定した方が北条が降伏するのも早まる
東北地方には万を超える軍が籠城出来るまともな城塞は少なくみな数千程度が籠城する小さな砦か山城程度で大軍に攻められたらひとたまりもない
白河の関を越え陸奥に入った所で野戦するしかなくほぼ数回の合戦で決着はつく
>>609 藤堂勢の被害も多かったが
長宗我部側もそれ以上に戦死者多かったとも聞くしな
有名な川中島評みたいに
前半は上杉の勝利(長宗我部友利)後半は武田の勝利(藤堂勢の勝ち)
が一番しっくり来ると思う
>>629 滅ぼしてないのだから配慮する必要があったのだろ
>>632 攻めなかったのだからそうじゃないんだよ
大崎葛西一揆扇動の罪で滅ぼしたら良かった
秀吉配下の大名にしたら朝鮮征伐より奥州征伐の方がモチベーション上がる
家康だったら重箱の隅を突いて露骨に改易してただろな
>>636 伊達程度の征伐じゃたいして恩賞だせない
>>633 盛親が取り調べで語っているが井伊に敗れたのだろ
事実処刑まで井伊が視ているし、最期の供応もしている
木村を敗死させた井伊勢が木村の敗報を聞き藤堂勢を撃退した隙に撤退しようとしていた長宗我部勢の退路を断ち
態勢を立て直し追撃して来た藤堂勢と挟撃の形になり長宗我部勢は潰走したと思う
血路を開き逃れた兵は盛親以下少数だった可能性は高い
後の兵は道明寺や若江の敗戦を知り城へ戻らず逃亡したのだろ
ローリスクローリターンの伊達攻めか
ハイリスクハイリターン?の唐入りか・・
まあ、ゴッドギャンブラー太閤なら後者でしょ
浅井は朝倉の支援があって戦えた
いわば浅井は枝葉で朝倉が幹や根
枝葉を枯らすには根から断つのは戦術の常道だ
北条は伊達に支援されてるわけでも共闘してるわけでもないから事情が違う
北条と伊達の二正面作戦で関東よりさらに遠隔地への遠征は負担が大きくなる
北条を敗北させれば東北勢は屈してくる可能性が高いのなら無理に戦う必要ない
伊達は本領を除いて没収され豊臣譜代大名に恩賞として分配された
損害無しで東北全体が膝下に屈し会津を接収する大きな利益を得たのだから合理的な戦略だ
【豊臣】秀吉のIFを語ろう【幕府】
でも立てたらどうよ?
この上げてる人、戦国板大坂スレで妄想は他でやれとぼこられてた奴と同一人物かね
よくある症状だから同一人物かどうかは??
とりあえず、妄想書く前に「何故、史実ではその選択がなされなかったのか」を考察しれ
余りにも露骨な手に出ると諸大名が離反する恐れがあったんじゃない?
そんな事になれば秀吉への忠誠心も揺らぐし自分もいつ粛清されるか分かったもんじゃない
俺に逆らう奴は朝敵だなんて言っても風見鶏の朝廷の権威なんて大したことないだろうし
軍事は政治の最終手段だから、政治で片が付くなら戦争する必要はない
そこ無視しちゃうのはサイヤ人ぐらいだろ
秀吉は九州平定では大規模な蔵入地の設定、博多の復興と直轄化、長崎のポルトガル人による植民地化の解消とバテレン追放など
九州地方の仕置きだけでなく唐入りをにらみ政策を実施している
しかし奥州仕置きは家康と奉行衆に任せたからかその後の方向性が掴みにくい
任せたといっても詳細な指示を出して秀吉主導でやってるわけで
方向性が掴みにくいってのも単に何やったか調べてないだけでは?
>>648 現代みたいに通信手段のない時代
秀吉が箸の上げ下げまで指示してるわけないやん
奥州仕置きは家康と奉行衆で秀吉は承認しただけだな
秀吉の指示は政宗の処遇と氏郷の陸奥黒川転封
>>649 秀吉発給書状すら見てないのね。それで何をどうやって語れるんだい?
>>650 氏郷の転封と政宗の処遇に秀吉の指示が無かった証明しろよw
12万石から50万石(実際は100万石)への大幅加増を秀吉以外の誰が決めれるか聞きたいわ
100万石って……伊達正宗による北上川の治水と仙台平野の開墾は、転封後の努力の成果だろ。
持論を守るためだからって、勝手に歴史や時系列を変えるなよ。
あとスレ違いの話題はほどほどに。
651は649にアンカするべきだった
656 :
名無し三等兵:2011/05/12(木) 00:13:39.39 ID:SGhgmRbp
657 :
名無し三等兵:2011/05/12(木) 00:27:25.07 ID:SGhgmRbp
さらに1592年、豊臣秀吉が朝鮮侵略のために作った八道全図は対馬を朝鮮領土と表示して、攻
撃対象に指摘した。
朝鮮が開花期と日帝強制占領期間を経て関心を示した時、
列強と手を握った日帝が1877年、対馬を長崎県に編入させたのだ。
1950年に入って3年で対馬が日本の土地という根拠を完成した日本の歴史歪曲能力は卓越して
いる。私たちもこれに対抗して歴史的に大韓民国領土という明らかな根拠を用意し、日本に対馬
を返還することを堂々と要求しなければならない。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ .ノ・ジンファン(安龍福財団理事長)
イ大統領は会見で「対日賠償問題は壬辰倭乱の時から起算しなければならない」として「対馬は
別個に扱わなければならないだろう」と発言した。彼は続けて「対馬が私たちの島ということは今
更言うまでもなく350年前、日本人たちがその島に侵入し、島民たちは民兵として日本人と戦った」
として「その歴史的証拠は島民たちがこれを記念するために対馬のあちこちに建設した石碑を日
本人たちが東京博物館に持って行って置いたことでも充分に知ることが出来るだろう」と説明した。
イ大統領は「この石碑も見てくるつもりだ。1870年代に対馬を不法に飲み込んだ日本はポツダム
宣言で不法に所有した領土を返還するといったので、私たちに戻さなければならない」と付け加え
た。これだけではなかった。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ 李承晩大統領
>>653 バカ?約100万石って黒川改め会津若松に入った蒲生氏郷のことだろ
12万石は伊勢松坂だよ
秀吉は政宗や家康を渡海させなかった意図って何かある?
本来なら一門並みの扱いの秀家より先に渡海し闘うのがスジじゃね
政宗は渡海してただろ。
実際には文禄の役では石田三成も渡海してる。
多分660が言いたいのは
秀吉に敵対した処罰的な意味で渡海させて疲弊させろて事だろうけど
秀吉はみみっちい事気にしないじゃね
戦場に近い大名から出陣するのが当時の習わし。
小田原じゃ徳川が先鋒勤めたし。
単純にいえば家康の順番が来る前に秀吉が死んだだけ。
動員数少ない東国勢送るまでもなく
西国勢だけで十分な兵力はあるだから
あとは諸将纏められる指揮官がいれば
IFになるけど秀家の変わりに利家を送るか、秀長が生きてれば
文禄慶長6年間も朝鮮半島に派兵してたのだから
東国勢が輪番で派兵されても良いと思う
東国勢は上杉伊達など渡海しても合戦に参加していないのが多い
西国勢ばかりに戦働きさせたのはなぜだろ?
豊臣政権では毛利は特に良く働いてる
四国 九州 関東 朝鮮 関ケ原と一門や旗本以上に尽くしている
なのに気が付けば安芸を追われ長門周防の2国のみに気の毒だな
講和しないで6年間東国勢も渡海させてひたすら侵攻してたら先に明が撤退してたんじゃない?
東国勢など後詰めも投入しない内に秀吉らしくもなくなんで休戦したんだろ
足りないのは兵じゃなくて兵糧じゃね
足りないのはインフラとその治安
足りないのは朝鮮の国力
戦闘しても日本側に褒美を与えれない
米作が出来る南部3道なら日本人農民なら日本の東北地方や北陸地方並には米穀生産は可能
やはり当初から占領目的を南部3道に限定し家康あたりの転封先にしたら豊臣政権は安泰だったし海外派兵の意味もあった
史実での家康の関東転封を止め利家を武蔵に転封坂東の要とし
転封が無かった家康に唐攻めの渡海組の総大将を命じればよい
家康ならば秀家隆景如水の代役を一人でも可能
徳川勢が唐攻めの先陣なら行長や清正の代わりが井伊や榊原あたりになったかもな
そして秀勝を征夷大将軍にし総大将に任命するか秀頼が産まれたら秀次を関白からスライドさせればいい
陣立ては第一陣 徳川勢、第二陣 九州勢 第三陣 中国四国勢 第四陣 東国北陸勢 第五陣 豊臣本軍近畿勢
国割りは平安黄海京畿は徳川勢、忠清全羅済州は九州勢、江原咸鏡慶尚は中国四国勢
第一陣大将徳川家康
第二陣大将小早川隆景
第三陣大将毛利輝元
第四陣大将上杉景勝
第五陣大将宇喜多秀家
総大将豊臣秀勝
名護屋留守居前田利長
如水や氏郷ですら上方から遠ざけた小心者の秀吉が家康を三河に置いたまま唐攻めなんて無理
というかもしやったとして、成功した時の家康の影響力がねぇ
秀吉死後に半島や大陸で反乱されたらどうするよ?って話だな
家康なら、唐攻めでの功績と名声を利用して、
消耗した財力や兵力に倍するリターンを得るなんてたやすいだろうし
一時的にも国を疲弊させてまでの全力出動が必要だと
秀吉が認識してなかった時点でどうしようもねぇ
秀吉てなんで渡海しなかったの
>>676 の布陣みたいに
家康を先鋒にして、秀吉が直接総大将になって
信頼する前田を追いとけば秀吉が本国留守にしても大丈夫じゃねえの
第一段階で清正らが朝鮮打通、国境固め
第二段階で西国大名が朝鮮完全制圧、明先鋒撃破
第三段階で秀吉自ら東国大名大名を率いて北京を賭けて決戦
現実は第一段階で頓挫。
秀吉も家康も出番は有りませんでしたとさ
戦力の逐次投入は愚策
最初に家康を総大将にして渡海さすべき
先行部隊が拠点確保。後続部隊が戦線構築。
兵站整備後の最後に決戦兵力投入は常道。
最初から全力投球の行き当たりばったりは下策愚策だろ。
銀英伝でもあるまいし。
近現代以前の戦争は切り札を切らされたら負け
>>684 いやいや橋頭堡は確保出来てた
碧帝館より前に主力を渡海させるべき
日明軍の主力決戦前に主力部隊は渡海し初動部隊と交代し戦線構築すべきだ
10万人規模の軍隊が外洋を越えて長期間活動するのは
人類史上初では?
戦線が行き詰まったのは戦闘の勝敗そのものよりも補給でしょう
総力で渡海してたら日本軍全部飢えて終わってただろ
翌日、藤堂隊は天王寺・岡山口を元気に走り回って、
100以上の首を取る大活躍をしていたころ、
長宗我部隊は既に藤堂隊を藤堂良勝や藤堂高刑をはじめ600人余りの死傷者を出させて
屠っているのであった。
完
日本軍全体が飢えたとかの記録は無いと思うが
十分な兵糧が名護屋に用意出来てるし朝鮮水軍は潰滅し海上輸送も順調で兵站にはなんの問題もない
方針転換して準備万端の慶長の役ならね
>>691 つ錦正社『日本の軍事革命』(久保田正志著)
出すなら一次資料を提示しろよそれはw
兵站に不安があるのはむしろ明朝鮮軍だろ
日本軍が兵站に苦労したなんて話は聞かない
そら明朝鮮国境付近まで戦線が北上すれば別だが
慶尚道に居れば兵糧には事欠かないはず
福島の窮地を伝える三成増田ら連署の長束ら宛て状とか普通にあるじゃん
何にも知らないなら、そろそろ黙れば?
前線への輸送に問題があっただけで海運能力には関係なくね?
698 :
名無し三等兵:2011/05/14(土) 04:56:16.80 ID:nTZKDdN/
素朴な疑問なんだが太閤さんは何処までいくつもりだったのかしら?
天竺目指してたの?
何が目的ってはっきりしてるんすかね
前線への輸送に海運が使えなかった
または
使いづらかったのが問題じゃないの?
>>696 最前線への輸送は今は話題じゃないだろ
むしろ主力を渡海させないから陸上輸送路が手薄でゲリラに襲われる
何も知らねぇのはあなたw
>>699 全羅道に朝鮮水軍残存部隊とゲリラが居たから釜山から海路江華島まで補給船舶を送れ無かった
海上輸送路が京畿道まで延びない限り大軍での活動は南部地域に限定される
徳川など後詰め部隊を投入し全羅道の早期制圧をしなかった作戦ミス
>>698 当時の世界地図だと極東は日本 朝鮮 琉球 明 タタール スペイン領呂宋 オランダ領台湾 ポルトガル領アンボン オランダ領ジャワ シャム カンボジア 越南 ビルマ チベット ムガール帝国 ポルトガル領ゴア
中東がオスマン帝国 アフリカにオランダ領ケープ 南米にスペイン領ラプラタ ポルトガル領ブラジル スペイン領コロンビア スペイン領アンデス スペイン領メキシコ スペイン領カリブ
欧州はロシア帝国 ポーランド王国 神聖ローマ帝国(ドイツイタリア諸王国含む) イングランド王国 フランス王国 オランダ王国 デンマークスウェーデンノルウェー王国
これだけしか国家がない時代だから世界制覇も可能だよ
10万人以上の大規模な海外派兵能力は日本 明 ムガール オスマンの4ヶ国にしかない
つまり日本支那天竺を統一したら世界制覇も夢ではない
400年以上前に尼崎から釜山まで海上輸送路が整備され10万人規模の長期海外派兵が可能だった能力は凄い
>>701 兵站語ってるのに前線は関係ないって意味分からないんだけど
前線への補給は兵站外なのか
文禄の役は当初の想定が根本的におかしかったから
家康らを参加させて兵力が2倍になろうが結果は同じになる
最初から慶長の役型の戦略をとる必要があった。
といってもだな、
文禄の反省を踏まえた上での慶長の役だから、
最初から慶長の役のようにやるのは無理じゃね?
数百年ぶりの海外遠征だったからな
>>705 無計画に拡大した戦線を適正水準に調整するのは当たり前
今の論議は徳川勢の渡海しない理由が兵站理由か否か
徳川勢が渡海しても物資集積地釜山までの兵站能力に問題なければ渡海し街道警備に兵が割けるため結果的に前線への補給も改善するとする意見と
そもそも釜山までの海上輸送能力に限界が生じているとする意見に分かれてる
現代に至るまでの戦史を見ても10万人規模の
海外長期作戦実行した国って幾つもない
米・英・日・仏・大元ウルスくらいか
>>710 ボスポラスダーダネルス海峡を海外とするなら
ペルシア アレキサンダー 帝政ローマ オスマンが追加になるが
ミケーネやヒッタイトも最大動員は10万人超えたはず
ヤマト朝廷は最大だと10万人超えたないか?
第二次エチオピア戦争でイタリアは20万送ってる
16世紀に7年間外洋を越えて10万人以上が在陣して
しかも戦術的に勝ち続けたってのは当時としては快挙といっていいな
>>714 装備や練度に劣るエチオピア相手に六桁もの兵員を送らざるを得なかったヘタリアって・・・
征服地の生産力の低さや、後方の政治的な理由で
戦術的勝利が戦略的勝利に結びつかなかったのは
ユスティニアヌスのイタリア征服を髣髴とさせる
>>717 戦術的な勝利を重ねても戦略的な失敗をカバーできない
朝鮮と言う不毛の大地に世界的にも珍しい米穀生産額による封建制度下の政体で永久支払目的で出征した
戦略目標が間違ってるのに戦術的勝利など無意味
秀吉は大艦隊を編成し琉球と済州島を攻略し中継地とし揚子江河口地域の江東にに直接侵攻すべきだった
この極東最大の穀倉地帯を占領したなら東アジアの支配権はわずか数年で秀吉のモノとなっただろう
日本全体の歴史的欲求ならたとえ秀吉が死亡しても継続されただろうが、
そうじゃないからな。
まあ「我が名を三国に広める(キリッ」とかいってやった戦いにつきあいきれないのはわかるw
敗北した侵略者が「俺らが強奪した土地が貧しかったから負けた」というよりはまだそのほうが言い訳にはなるかもしれん>秀吉の妄想
朝鮮に渡って戦ったのが政権に近いか小物ばかりで野心的な大物外様がいないから単独での作戦継続が出来ない
当初から徳川に先陣を切らせて朝鮮半島に転封とかしてたら秀吉の死にかかわらず事業継続されてただろ
家康の北条征伐の恩賞が伊豆一国とし三河遠江駿河伊豆甲斐信濃の約180万石の領地だとしたら唐入先陣は毛利と徳川になるだろ
漢城が落ちた時点で秀吉が家康に朝鮮探題の称号を与え慶尚道を除く朝鮮全土切り取り次第400万石を与え三河以下6ヶ国を召し上げるて発表したらいい
慶尚道は家康への抑えに筑前筑後豊前に代わり小早川になど毛利一門に与えたらいい
あれだけの資材と戦力があるんだったら東南アジアや
アラスカ・アメリカへ行けよ
朝鮮明国よりは抵抗が少なく征圧が容易であろう
ガレオン船の国産化・大量生産もその気になればできるんだし
スペインポルトガルと戦ってそれらをアメリカ大陸から駆逐し
日本の植民地として維持する。そうすれば今の合衆国は存在しない
アメリカ合衆国の勃興さえ無ければ日本にも世界征服できる可能性は
十分にあった
仮想戦記は他でやってくんない?
明軍に負けて釜山に逼塞してるのに勝った勝ったと馬鹿みたい
>>721 朝鮮が富んだ土地なら秀吉死後も戦争続いてたろ
それを考えれば間違ってない
自分達から事を仕掛けておいて、失敗した後に「あんな土地いらなかった、貧しくて役に立たなかった」と泣き喚く。
これって近代でも繰り返しているよなぁ……w
まあそんな負け惜しみいってるのは同じウヨだけだからかもしれんが。
近代のミスは国防上必要なのは朝鮮南岸だけなのに国を丸ごと面倒みたため
秀吉もそうだけど朝鮮半島は地政学的にも農業生産的にも南岸3道のみが必要
鉄鉱石や石炭やウランを産出する北部も多少値打ちはあるが半島全体で見ればゴミ同然
薬でもキメてんのか?
戦争を誰も続けたがらなかった理由について話してるのに負け惜しみとか言い出す阿呆はなんなんだ?
しかもウヨ認定まで始めたぞこのアホ
丁度朝鮮戦争のときの国連軍も進出地域が秀吉軍のそれに
習ったような感じになっちまった
北朝鮮ってのはそんなに攻めにくい土地柄なのかね
確か日清戦争の時も朝鮮北部を越える時に最大の病死者が出たはず
>>730 昔からいたアホチョンがこないだまで半島から逸れた話題が続いて安心してたのが、
最近になってまたスレタイ通り半島の話題に戻ったんで必死なんだろ
まあ負け惜しみとか妄言吐くアホチョンにはワールシュタットの戦史も理解できないからなw
スレ違いだけど、せっかくだからワールシュタットの戦いについて、掻い摘んで説明してくれ。
半島の戦いと共通する戦訓かな?
732じゃないけど超簡単に説明
モンゴルがヨーロッパに攻め込みキリスト教連合軍を撃破する(ワールシュタットの戦い)
あわやキリスト教世界もおしまいかと思われたがモンゴル帝国皇帝オゴデイが死んだのでモンゴル軍は撤退して事なきを得た
732は軍事的には勝っていたがオゴデイの死で撤退したモンゴルの欧州遠征と秀吉の朝鮮出兵を重ねて見ているのだろう
当時だとガレオン船で大砲を沢山装備してない限り洋上で捕捉して艦隊戦などは難しく水軍と言っても陸軍の補助的な役割しかない
洋上で捕捉撃滅されにくいのだから元寇の逆ルートで直接江東に攻め込む事は可能ではないだろうか?
可能は可能だが、流石に準備期間に時間がかかりすぎて秀吉が持たんだろうそれ
補給関係の話だけど、当時の朝鮮で銭・銀が使えなかった
のは意外と大きかったんじゃないか?本土では戦場商人や
人足で補っていた負担が、そのまま軍にくるわけだし
>737
対外遠征で現地流通網を期待する方が間違ってる
いや、まさか貨幣制度が成り立ってないとは想像つかなかったんだろうよ
そう言うのも含めて調べないほうが悪い
豊臣政権は上から下まで、情報音痴しかいないのだろうか
>>738 領土化前提なんだから、現地に流通網が有ればWW2の軍票のように
対価として正当かどうかは別として代価を払って利用するだろ。
まして度量貨幣としての銀ならフツー問題ない。
ま、当時の朝鮮には民間物流網も貨幣経済も存在しなかったわけだが。
>豊臣政権は上から下まで、情報音痴しかいないのだろうか
なんか、当時においても現代の通信技術があるかのような物言いじゃないそれ
報告自体は受けてたろ流石に
普通あそこまでひどいとは思わないだけで
>>744 攻める直前まで宗氏に騙されて、朝鮮が従属してたと認識していたのに?
>>742 間者を派遣するとか、半島事情に詳しい人間から持ってる情報を引き出すとか、
地理・経済などについて書かれた書物や書類を入手するとか、できることはいくらでもあるだろうに
通信技術が未熟な時代の情報収集の手法については、
紀元前の孫子がとても詳細に書いてるじゃないか
黒田如水は名護屋での軍議にて
「寄り合い所帯の我々を統率する要となる人物が必要だ。
それが出来るのは加賀大納言か内府しか居ない、
まあそれが叶わないなら俺がやっても良いよ^^」
という事を発言していたりするねw
まあ有能な課長クラスが多すぎて、課長以下はトップダウンで効率的だけど、
それ以上の会議になると発言権がある課長が多く出席しすぎて大綱が纏まりにくいという感じなのかな?
そりゃ並み居る諸大名を統率するだなんてそう簡単には出来ないでしょ
その規模ともなれば十万は越えるし、器が無きゃ石田三成みたくなってしまうよ
結局は秀吉の体制作りが失敗したと言える、そうゆう意味では秀吉も器じゃなかったな
紀元前から貨幣経済が発達していた歴代支那王朝に従属していた朝鮮が貨幣経済を国内導入出来ていないのにビックリする
日本などはわざわざ宋銭などを輸入して支那と同一通貨貨幣経済圏を構築していたのに
国が未熟だったからでしょ
金に価値なんてないし
朝鮮は不思議な国だな
国が滅亡するかも知れない危機が迫るのに内部抗争していた朝鮮など内偵すればするほどなめて掛かるだろw
元寇襲来前の鎌倉幕府や黒船来航前の江戸幕府ですら一年前にその事実を知り対策を練っていたのと大違いしょせんバカチョンかw
>>749 同一通貨貨幣経済圏なんじゃなくて経済の発展に通貨製造が追いついてなくて
通貨を輸入する羽目になっただけ
世界史でも珍しいんじゃないか低額通貨の輸入
>>752 通貨の製造が追い付かないなんてなんだよw
私銭禁止とか出てるくらい貨幣鋳造はさかん
中央政府が貨幣鋳造を怠り悪銭が横行し海外通貨に信任が集中しただけ
いまでもアフリカとか米ドルが自国通貨より信任高いだろ
同じく当時の基軸通貨が支那王朝の鋳造銭だった
因みに金銀は鋳造価値でなく純度と重さで万国共通
事実日本の一分銀がスペイン植民地などで流通してる
>>752 世界史の前に世界地理勉強しろよw
世界的には自国通貨より国際基軸通貨が国内流通してる国が多いんだけどw
>>753 贋金を通貨に入れるなよw
私銭を粗銭として認めざる得ないほど足りなかったわけで
銭貨は江戸幕府も段階的に行わざるを得なかったから、置いとくとして
流通用の金貨・銀貨すら製造しなかったな、豊臣政権は
>758
慶長小判を作ったのは家康
秀吉が作ったのは天正大判で恩賞用
天正小判は贋作説もあるくらいで、作られたとしても極僅かだから
これも流通用とは見なしがたい。
>>759 慶長小判は家康の指示でも豊臣政権下での鋳造では?
慶長小判は関ヶ原後
駿河墨書小判や武蔵墨書小判は領国貨幣
762 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 01:24:58.21 ID:IijVldrj
金銀は純度検定量り売りの時代だったし、相当大口の支払いでも銭でやり取りが日常化してたからなぁ。
そのうち為替もできるし、ナマコで十分だったんでは?
結局、慶長の役の後、朝鮮を占領しなかったのって
家康を警戒してたからなんかね?
対外戦の経験値をつむためにも、益がないとはいえ朝鮮は占領しておくべきだったんじゃないかとも思うんだけど
太閤死後内府が天下取りに動くのは誰の眼にも明らかなのにのんびり朝鮮なんかにかまってられるかw
各大名は領国帰って戦準備しないといけないだろ
>>762 おお、すまんナマコ=丁銀のことか一瞬、海産物の現物払いを
想像してしまった・・でも江戸時代は乾物は貴重な輸出品だし
<竹島>の安龍福も海産物とりきてたんだったな
>>763 明軍にずたぼろに負けて釜山に包囲され餓死寸前だったのに朝鮮占領なんて
日本でだって貨幣は補助的な働きしかしていなかったのに
「通貨製造が追いついていないから贋金が作られる」って、トンデモすぎてもうねw
日本の貨幣経済や制度を全否定するとは非国民だな
7世紀ごろから使われ家紋や企業名として現代まで生き長らえてるフンドーキン(分銅金)の立場は!
>日本の貨幣経済や制度を全否定するとは非国民だな
だから
>>767あたりはそもそも日本国民じゃないんだろw
国際紛争になれば自国内で宗主的立場の隣国同士により戦場とされ全土を蹂躙されるみっともない国にはなりたくない
自国政府にすらゴミ同然にしか見られていない国民だしどうでもいいのだろう
緩衝地帯ってのはそう言うもんだけどな
日本が併合して救済しないで日本が国防上必要な南岸地域だけを朝鮮から割譲させてあとの地域はロシアにでも帰属させてたら
今ごろは朝鮮民族は帝政ロシアやソビエトにより中央アジアあたりに強制移住させられ数万人くらいまで人口も減り絶滅寸前になってただろうな
ロシア人ならもちろんこの世にハングル文字など存在せずにキレイさっぱり民族浄化してくれたことだろ
永楽銭は銀又は金に兌換できる銅銭だったのかな?
日本銀行券みたいな扱いだったらそれはそれで凄い事だが
>>773 金貨 銀貨 銭は別々の勘定で流通してる直接的な兌換はなく両替商を介してだよ
>>771 冷戦下の緩衝地帯たる西側最前線だった日本と西ドイツがそんな無様な国にはなっていない要は民族性だろ
今の朝鮮半島で暮らしてるのは秀吉が朝鮮征伐した時に明から援軍で来た兵士たちに自国政府公認でレイプされて産まれた子孫達ですか?
都合6年間も常時レイプされてたら完全に遺伝子レベルでは別民族だろ
>>772 絶滅?
ロシアはむしろ少数民族の存在を認め言語宗教の使用を保障している
日本のアイヌはどうだ?
日本政府が少数民族として認めたのはつい最近
しかも今だ民族言語の教育は認めず、奪った土地は全く返還していない
そもそも択捉は日本人が定住する以前に定住していたのはアイヌとロシア人であることは
択捉を日本人として初めて探検した最上徳内が確認している
江戸時代以前に数万いたアイヌはクナシリ・メナシの乱のきっかけとなった
日本人による常態化したアイヌ女性の性的奴隷化、アイヌ男性に対する強制労働、又日本人による虐殺暴行により
アイヌ人口は1万程度に激減している
明治政府も北千島アイヌを色丹に強制移住させ意図的に大半を餓死させ
すぐに帰郷させると騙しサハリンアイヌ多数を拉致したのである
おはよう……って何やってたの?
深夜、必死に2CHを上げ続ける無職が、日本の為になるとは思えないんだけど。
引きこもりのニートが国士を気取ってどうすんのさ?
兌換の保障の一部を両替商が受け持っている江戸期までのシステムは
やはり歪だな、両替商はさぞ儲かったと安易に予想できる
古代から清朝まで満州から半島にかけて朝鮮民族と同じ言語系と風習をもった多くの少数民族がロシアが黒龍江付近に進出したわずか二百年余りで日本の保護により半島と一部の満州に残ったわずかな部族以外絶滅した事実を
>>777は知らないのだな
>>779 不確かな来年の年貢米を担保に証書だけで大金を用立てた両替商や米商人の日本オリジナルの金融体系は素晴らしい
ロンドンやシカゴより発達した最先端の金融制度で実質的に藩札と言う紙幣や債券の流通と先物取引すらしていたとは日本人は天才だな
世界最低最悪の朝鮮民族なんてどうでもいい
秀吉がお人好しで徳川など有力外様を露骨に酷使しなかったのが朝鮮征伐の失敗だろ
朝鮮に徳川とか移封しとけば豊臣政権は安泰だったと思うよ
少なくとも朝鮮で秀吉子飼いのにわか大名達が苦労して仲違いするきっかけは無くなる
みんな仲良く徳川北条の旧領を得てウマーだ
家康が朝鮮に転封されてたら秀吉の死後逆襲で関ケ原の決戦でなく、壇ノ浦の決戦になってた可能性もあるな
豊臣政権にしたら東から攻められるより西から攻められる方が強い
毛利宇喜多小早川吉川黒田島津立花鍋島ら中国九州勢が水陸ともしっかり守れそうだ
>>782 >秀吉がお人好しで徳川など有力外様を露骨に酷使しなかったのが朝鮮征伐の失敗だろ
徳川以外の東軍系大名のほとんどは大小あれ酷使されてる
実力者の家康が移封前提で朝鮮征伐を命じられたなら無茶苦茶に戦線拡大することもなく一歩一歩確実に侵攻しただろ
明が早期に軍事介入したのも朝鮮が首都放棄し王族の捕虜が出てることを重く見てだろ
文禄慶長を逆にして当初は慶尚道周辺の占領と拠点整備に集中
釜山周辺の根拠地化や隣接の全羅道忠清道江原道を平定した後に京畿道など朝鮮中枢へ兵を進めるべき
明は首都陥落以前に大規模な軍事介入してくるのは考えにくい
まず金融についてだが、日本ではすでに戦国時代から、信用貸しも、借用書を担保にした資産経済が行われていた。
マンガ『センゴク』外伝の『桶狭間戦記』で、かなり知れ渡るようになった事実だ。
また永楽銭についてだが、これが輸入品なのは事実としても、中国では流通していなかったのは余り知られていない。
これは通貨の製造を中国に委託していたからで、そんなに珍しい話でもない。
例えば日本銀行は、外国通貨の銀行券、つまりお札も刷っている。
セキュリティーの関係で、どこの国かは公表していないが、通貨だって工業製品だっていうことだ。
八道国割なんてせずに、日本に従順な朝鮮軍を結成して朝鮮のゲリラ対策と現地管理を任せて
日本軍は補給部隊の護衛と明軍の大軍を待ち受けて撃滅してから明帝国に攻めればよかったんじゃね?
朝鮮には朝鮮総督府的存在を創って有力大名数人を配置して、従順な朝鮮軍の総司令官として在任し
補給路の維持を担当させ、豊かな明国の領土が手に入ればその時に国割をしたら良い。朝鮮の領土より
遥かに大名も喜ぶはず。
「センゴク」なんて、最初の頃は「史料的な事実に基づく」みたいな書き出しで始まったけど、
やっぱり結局は講談の設定をなぞるようになってしまったじゃんかw
この前の「桶狭間戦」でもトンデモぶりは酷かったが、そりゃ史実に基づいたらガッカリするもんw
モーニングならともかくヤンマガだったら読者のヤンキーどもからソッポ向かれるもんねw
>>786 リビアはイギリスに自国通貨の印刷を委託してたことは今回の内戦で明らかになったな
自国通貨を自前調達するにはある程度の発行がないと費用対効果が経済的でない
大蔵省印刷局時代には台湾ドル比島ペソなどをの他国通貨や上場企業の社債や株券などを印刷した実績があるな
さて、極東のおサルさんが進んだ中国様や韓国様に追いつこうとして、
背伸びして貨幣経済をやろうとした顛末でも語ろうかw
日本でも西洋でもそうなのだが、いつだって商取引のほうが先行しているわけ
中央政府が号令を掛けないと商業が始まらないというわけではない
日本でも藤原京とか難波京とか平城京とか遷都したり、壬申の乱とか内戦をしたりする資材や軍需品は、
すでにそれ以前から機能していた「流通」に頼ったわけで、
商取引ってのはけっきょく信用取引だから、商人たちは日本政府が「貨幣」なんてものを発行する前から
仲間内の取引を円滑にするために、銀の塊を「担保」にしていた
しかし戦乱も収まって中央集権が安定してくると、政府はそうした商取引を掌握する必要に迫られた
それには「貨幣」を発行するのが手っ取り早いのだが、倭猿政府が勝手に発行したからといって、
必ずその貨幣が流通するというわけではない、結局「信用」が第一なんだからなw
だから最初に作られたのは銀の「和同開珎」だったんだよ、銅ではない銀だ
>>787 朝鮮なんて明への橋代わりなんだから補給拠点となる釜山とその防衛のための慶尚道の占領を第一段階
水路明への途上にある全羅道忠清道の占領を第二段階
明への陸路となる京畿道黄海道平安道の占領を第三段階
朝鮮平定に残された江原道咸鏡道の占領を第四段階とし確実に一歩一歩占領して行くべき
少なくとも首都占領の第三段階までは明軍の軍事介入は考え難い
第三段階には徳川前田毛利宇喜多上杉の五大老大名軍は渡海させ明軍との決戦に備えさすべき
半島で明主力軍を撃破すればその後の遼東遼西での戦いは大した抵抗なく進撃でき山海関攻略も難なく進む可能性がある
半島付近での戦闘で明主力軍が壊滅的損害を受ければ明朝は残存戦力で山海関を守備させ首都を南京に遷都し抵抗を続けるだろう
上手く行けば秀吉存命中に北京に桐紋の旗が翻った
>>790 お歳はいくつお爺ちゃん?考古学って進歩するのよ
10年前の教科書ですら和銅開宝のはるか昔から日本では貨幣流通してる見たいよ
>>792 そりゃ先進国の中国様は貨幣を使っていたからな
日本と大陸の交易なんてかなり以前から行われている
信長だったら大名単位の軍制を解体しマスケット銃一万丁くらいを集中運用して十字砲火点へ明軍を誘き寄せ一気に殲滅してそうだな
秀吉はあくまでも大名単位の中世的封建主義による軍隊編成から脱却していない
>>787 従二位 征明大将軍 朝鮮探題 源朝臣徳川家康とか任命してればいいってこと?
>>790 100年前まで物々交換の経済で、さらにいまだに日本に通貨保証して貰わないと
通貨に国際的信用が全くないトホホな国があるみたいだがw
震災直後だというのに、日本にスワップ延長のおねだりに来てたよねぇ。
先進的なキャッシュレス社会の韓国様を貶めようと必死な倭猿さんがw
この「銀の和同開珎」は数枚しか現存していない、現在でも見つかれば数十万円からウン百万円するだろう
銀それ自体が価値があるのにわざわざ「和同開珎」にして価値を下げたから、全部鋳潰されてしまうのだ
対して「銅の和同開珎」その他の銅銭は腐るほど発掘されて、古物商でもほとんど値が付かない
こんなもん時代が代わると(政府が倒れると)価値を失うので、みんな捨てられてしまうからだ
政府の発行した銀貨は無けなしの国家の財産を切り崩して製造したものだ
これは商取引で信用させてある程度流通させ、商業経済を把握するためのもので、
その間に中央集権の基盤を固めて暴力装置の整備を果たすための時間稼ぎでもあった
いわばヤクザなヒモが最初は女に貢ぐようなもんだw
そしてある程度の流通を把握したところで、強制的に銀貨を銅銭に切り替えた
もちろん銀と銅を同じ価値でだ
その結果は日本の国富が数倍に膨らんだ、この錬金術に政府首脳部の倭猿たちは大喜びした
まさしくヤクザのヒモが女から絞りとるようなもん
そして何が起こったか?「日本版ゴールドラッシュ」ともいえるマネーゲームだ
ああウォンとかいうゴミか日本はあのゴミと世界一与信の高い通貨の日本円との為替は停止すべき
>>796 お言葉を返すようで恐縮ですが北半分は未だに物々交換が活発ですがw
朝鮮の役そのものが家康の陰謀だろうとすら思える
801 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 16:35:53.24 ID:hMHMWZqL
>>788 そもそも史実に基づくとか言いながら
騎馬武者はいないだの刀は使えないだのの
鈴木説を採用しただけだったからなあw
>>787 もう少し意味のある事を書けよ。
“漫画で紹介された”のと“その漫画の歴史考証が完璧”とは意味が全然違うだろ?
論点を意図的に逸らすのは詭弁のスタンダードだって。
桶狭間戦記で描かれていた、織田信秀の敗戦と、堀田家が借書を買いあさって失敗したのは史実に基づく実話だ。
実体経済とは別に資産経済が芽生えていたのも事実だ。
漫画の出来不出来で歴史が変わるのか? 日本史はウリナラ・ファンタジーじゃ無いんだから。
803 :
名無し三等兵:2011/05/16(月) 17:37:27.35 ID:IijVldrj
あなたが落としたのはこの銀の銭ですか?それともこっちの銅の銭ですか?
銀貨だったら国が回収した後でも普通に鋳つぶすだろうが(笑)
で、受け取った民が端から鋳つぶしてたら銅線で巻き上げる方が嘘、民から巻き上げる方が本当なら民間で鋳つぶしてた方が嘘。半島製キムチ脳乙です。
>>797 もう少し整理して、理路整然と書いてくれないか? 知ってる単語を並べただけでは文章にはならない。それともハングルを
ソフト翻訳にかけるとそうなるのか? とにかく支離滅裂な酷い悪文だ、品性が下劣なのを抜きにしても。
取り敢えず君の主張は「馬鹿、阿呆、間抜け、お前の母ちゃんデベソ」と叫んでるようなものだ、最もらしい“単語”で飾り
立てても、内容は小学生どうしの口喧嘩と変わらない。無教養な己を自覚して、分不相応なディベートから手を引くべきだ。
>>797 どこに問題があるんだ?それって貨幣経済に伴う弊害を言ってるだけでしょ
釣りにしてもひどいなこれ
はあ?何言ってんの倭サル脳が
とりあえず倭猿脳でもいいや
底辺が何言っても俺困らないし
この戦争の財源稼ぎに捕虜にした朝鮮人はもちろん、日本人さえ南蛮人に売りまくったんだよな。
秀吉は朝鮮出兵前に日本人が奴隷売買されるのに怒って禁令出したのに、自分の野望のためにこれが空文化するどころか悪化したことを最後まで知らなかったんだろうか。
和同開珎は主に近畿でしか流通しなかった日本の貨幣経済への移行の最初の試みは失敗した
とでも言っとけばよかったんじゃない
日本円が強すぎて困ってるから円刷りまくってほしいくらいなのに・・・
秀吉の九州攻めは徳川軍上杉軍を含まず25万の空前の大軍だった
朝鮮征伐の動員兵力って全国規模にしたら少ないんじゃないの?
まぁね、西国大名で約15万人程度だし
日本軍は主力軍を渡海さす前に国内政変により撤退
明軍は一次派遣軍が壊滅し主力軍を投入し戦線維持
肝心の朝鮮軍は実際は無視してよいレベル
泗川の戦いとか見ると、少なめに見積もっても明軍もたいしたこと無かったんじゃないかと思うんだが
どうなんだろう?
その後の趨勢を見るに
徳川幕府が外征に出なかったことは良かったのか悪かったのか‥‥
今じゃ、自国の放送局に戦国時代から軍事技術が、すでに世界から後れをとってたかのように報じられる始末‥‥
天地開闢以来
中国が日本に対して戦術的勝利を得た戦いなんて数えるほどしかないぞ
戦った回数自体少ないしな
戦った数は多いだろ
日本にとって有史以前になってしまうが・・・
まあ、海峡の幅が対馬海峡ですら100kmだし
ドーバー海峡の34kmと比べれば、絶対的な障壁だよな
つうか、支那大陸の歴代王朝って対外戦争に弱いよな
何でかはしらんが
神話時代の国力でよく中国に喧嘩吹っかけられたもんだ日本・・・・
>820
それは認識の間違い
勝てる範囲は領土になって、勝てないところがのこった。
これは運輸通信の限界だな
近代になって中央が遠方の派遣軍を掌握できるようになって、中国の領域も拡大した。
>822
ふむ
まあ、文献を読みあさって持った感想ではないから、間違ったイメージかもしれんが
ローマとかを見ると、かなり対外戦争に強いイメージがあるし
ヨーロッパの覇権国家って、連戦連勝だけど徐々に内部が腐敗していくイメージが強いんだよね
そして、滅ぶところまでは行かない
対して中国の歴代王朝って、大抵が辺境の民族に滅ぼされちゃ支配されて
その外来王朝が、さらに他の辺境民族に滅ぼされるってイメージなんだよなぁ
秦とかも決して中央部の勢力じゃないし
シナ大陸の歴代王朝といってもその大半が異民族の制服王朝なので
大陸を制覇出来ただけでも、戦闘では勝ち続けているはずなので
大した物だと評価すべきでしょう
中でも大清帝国と大元ウルスは大陸統一後も周辺諸国に勢力を拡大してる
ので一概に中華王朝が戦争弱いとも言えない
異民族と言えば我が大日本帝国も中国史の中では金王朝レヴェルの
中途半端な制服王朝でしかなかった訳だから
ただ、現代中国の近代化のモデルが大日本帝国だったのは確かなので
日本が中国よりも文明が進んだ制服王朝だった点がそれまでの異民族とは異なる
>制服王朝
日本の女子中高生の制服は中国でも大人気だよね。(・∀・)
欧州や北アフリカなどに比べて土地が豊かな東アジア南アジアは対外戦争の訴求力が少なく豊かな自国支配権を巡る内戦活発地域
アジアで対外戦争しなければ生きて行けないのは北アジア中央アジア西アジアの遊牧民くらい
アジアの中心国は日本、支那、天竺だがこの三国が直接戦争することも稀
秀吉が延命し日明講和が成立し半島南部が日本領に確定したらどんな世界になっただろ
やはり半島南部に家康転封かな?
家康転封で拒否れば討伐とかは秀吉の性格的にしないだろ
家康は秀頼に大和郡山転封を押し付け拒否したから攻め滅ぼしたけど
織田信雄
朝鮮まるごと与えるんじゃなくてそれぞれの大名で分けるんじゃね
東国の適当な処理をみると、これ本気でやるつもりだったな
秀吉延命して存命中に秀頼成人したとすると東洋史がかなり変わったかもな
>>834 秀吉より先に家康が急逝してもかなり歴史は変わる
正宗の領土がまた狭くなりそうな話だなw
やめて><
遅かった東北の英雄が親父が作った支配領域以下の領土しか持てなかったとかやめて><
親殺しの政宗には丁度良かろう
まあ秀頼政権になったら政宗には蝦夷松前転封を命じるとかなってるよきっと
半島に転封されても、統治体制が全く違うよな・・
通貨経済がないし、本土で兵農分離が進んでいたとはいえ
地侍もいなければ軍役も務められないし・・
島津下の琉球侍はどんな形態だったのかな?
841 :
名無し三等兵:2011/05/17(火) 22:13:16.61 ID:gIt4z0FK
三成みたいな役人が代官やる豊臣直轄地とかは?
いや、欲しいって人がもし居れば働きに応じて分譲するけど、揉め事ばかり多そうで申し出るのは各勢力の分家筋ばかりな気がする。
>>840 逆に考えるんだ。
発展する余地があると
今の韓国位には発展するかもしれん
南側だけ
旧領国から国人農民商人工匠を連れて来たらいいんじゃないの
誰が逝くんだよ・・・
内地で食い詰めてる浪人とかじゃね
山田長政みたいなやつ
史実通り東南アジアの方に流れるだろ。俺もそうする
豊かで交易の盛んな東南アジアと、貧しく民度も低く交易が明としかできない朝鮮半島じゃなぁ・・・
民度は支配者しだいである程度変化する朝鮮出兵後日本支配地域で習俗に変化があったという話が
たしか過去スレにあったはずそれに民主主義じゃないから民度はさして重要じゃない
交易は日本向けは昔ながらの鉄鉱石くらいじゃないかな
あと明が日本との交易を認めるかどうかやっぱり中国商人と東南アジアで落ち合うことになるんじゃないかね
清の代になれば史実通り認められるかもしれないけど大陸に進出した場合それも不透明
朝鮮半島南部の米作可能地域なら移民も見込めるんじゃね
米作出来ないと農民は移民しない農民が居ないと武士は来ない武士が居ないと商人は来ない
釜山から朝鮮人捕虜を中南米に奴隷輸出して空き地には日本から農民を入植させればいい
851 :
名無し三等兵:2011/05/18(水) 02:56:09.62 ID:qB3qYFTu
キムチと唐辛子を交換すればいいぉ。
レートは少々悪くても構わない。キムチの味を整えるのに使うだけ手に入ればいいんで。
半島南部を維持してたら後金が朝鮮に南下してきたときに
日朝連合軍VS後金軍の戦いが見られるのか…
>>852 いやいや38度線あたりで日清が半島分割支配するんでね
お互い本土防衛の縦深陣地くらいにしか見てないし
>>853 どうだろ、進軍の遅延を狙うだけなら占領地に投資する意味はないよね
因みに朝鮮は明治期の開国まで、まともな幹線道路を一切整備しなかった環境にある
経済を発展させる為に道路の拡張工事は必要だという論争は度々発生したらしいが
中華からの侵略に備えるのと父祖が決めた政を覆す訳にはいけないと
結果的に文官の勢力拡大に繋がる為武官の抵抗が激しかったみたいだね
結局南朝鮮を支配すると、国内の稲作が凶作の場合の保険として機能するだろうから
防衛重視で植民地化は出来ない気がする
朝鮮人なりの知恵だな
もし朝鮮が古代から開発が進み実り豊かな穀倉地や幹線道が整備され環日本海経済圏と支那経済圏を中継する商業集積地になっていたら
早くに歴代支那王朝や征服王朝による直接統治にされ支那系の植民地となり朝鮮民族は崩壊していただろ
地味豊かななら後漢から曹魏にかけて公孫氏の支配や楽浪郡帯方郡による直接統治が継続していた
朝鮮民族は祖国を粗末な荒地にすることで民族を維持して来たのだ
もし朝鮮が豊かな土地で支那が直接統治していれば、わずかに海を挟んだだけでより豊かな日本にも元寇並の災厄が度々あったろう
日本が平穏無事に平安期などを送れたのは朝鮮が未開の荒地だったお蔭と言っても過言ではない
九州や西日本が支那の蓬莱郡や大倭郡にならなかったのは朝鮮民族が未開政策のお蔭
モンゴルでさえ九州武士団相手に橋頭堡すら築けないまま負けたのに、
支那ごときが西日本侵略とか夢のまた夢だってのw
>>857 鎌倉幕府時代など武士社会成立以前なら征服されないとはいいきれない
海賊山賊の類の刀伊の入寇などですら水際では防げ無かった
事実、北九州の国々は漢魏に入貢している
唐が白村江の戦勝に乗じて北九州に侵攻しなかったのは新羅との同盟関係の変調によるところが大きい
白村江で主力兵団を失ったヤマト朝廷軍はもし唐が侵攻して来た場合
各地の山城で遅滞戦術をとり高安山を最終防衛線とする計画だった
つまり九州から瀬戸内の絶対的保持は不可能と判断していた
高安城は南北2km東西1kmの巨大な城で西日本の狼煙台網の総司令部
対馬金田城、讃岐屋島城などの防衛拠点に指示を出す大本営直轄
対馬から太宰府まで6時間で狼煙や烽火が連絡し太宰府から来島まで6時間、来島から屋島まで6時間、屋島から高安まで4時間、高安から飛鳥まで2時間
つまり対馬から飛鳥まで約1日で連絡出来た
何度も対馬壱岐は侵略されてるけど一度も他国に奪われたこと無いね必ず奪還してる
国境の島なのにそれってすごくない?
アルザス地方みたいにフランスかドイツかわかんない地域にはならなかったんだ
明の抵抗によりやむを得ず講和となり朝鮮南部三道のみを獲たら秀吉は親王の一人を朝鮮親王に奉じて秀次を征夷大将軍にし関白は辞任させ朝鮮幕府を開かせただろ
日本国内は秀頼が元服した後に関白とするつもりになったのではないか?
九州は秀俊、中国は秀家、中部は秀勝が護れば上方の秀頼は安泰
>>863 本領じゃないのに管領はおかしい探題じゃね?
>>853 清が半島南部の日本領にかまけてたら山海関の向こうで李自成が
国の基礎を固めて史実のようにあっけなく負けることもなかったかな
朝鮮公方 豊臣秀次
朝鮮管領 徳川家康
京 畿 守 徳川秀忠
慶 尚 守 結城秀康
全 羅 守 伊達政宗
とかじゃね?
>>865 国外だからこそ管領位のクラスになるかなと思ったが
たしかに探題のが妥当かも
公方=将軍名代
管領=将軍や公方の政治軍事の補佐や実務担当
探題=将軍に代わり辺境の政治軍事の実務担当
明との講和案のなかで、捕虜にしていた朝鮮王子を秀吉が大名にして
南部四郡に封じる形にするアイデアがでてたらしいけど、こっちの方
が色々すっきりしないかな?
>>869 朝鮮王子を大名にして割譲予定の南部4道に封じたら豊臣政権は崩壊する
ンなことしたら恩賞はどうやって捻出すんだよバッカじゃないの?
朝鮮南部に有力大名を国替えして空いた内地を恩賞に分配しないと政権が保たない
慶尚道全羅道400万石となれば徳川家康以外に国替えなどできない
徳川国替で本土に土地は確保出来るな
本土でもあちこち国替えして親豊臣有力大名で固めるか
家康に朝鮮を与えたら警戒するために肥前名護屋に清正を国替えし警戒するしかないな
建仁寺「江雲随筆」<原文漢文>
朝鮮差軍の将に諭す、大明・朝鮮と日本の和平の条目
一、沈遊撃、朝鮮熊川に到り、大明よりの条目、これを演説すと
云々、大明の欽明に依り、朝鮮国を恕宥せしめるに於いては、
朝鮮王子一人日本に渡り、太閤の幕下に侍るべし、然れば則ち、
朝鮮八道の中四道は日本に属すべしといえり、前年命意を述ぶると
雖も、王子の本朝に到り近侍すれば、則ちこれに付与すべし、
朝鮮の大臣両人、輪番として王子に副うべきの事
・・則ちこれに付与すべしの解釈では?
まあ、実態は<満州国>になるだろうけど
家康を朝鮮に国替えしたら秀吉が死んだら大変なことになる
徳川配下のチョンの足軽が日本に押し寄せあっちこっちの村でレイプしまくり日本人の遺伝子が汚れる
>>874 の追加
文禄四年龍集乙末夏五廿二日 秀吉印
小西摂津守 寺沢志摩守
東京大学史料編纂所データベースから
明もバカだよな朝鮮で直接対戦するまでは反秀吉の九州勢4万に明軍3万を合わせわずか7万の兵力で秀吉軍を撃破し京を占領できるとか考えてたみたい
秀吉の遠征動員力が30万を越えているとしならなかったし国内動員力なら100万でも可能だとは夢にも想わなかったのか
南朝鮮に永久根拠地を得たら明への侵攻は楽になる
ヌルハチすら秀吉に調略され一大名になってるだろな
大名はないだろ大名は
880 :
名無し三等兵:2011/05/19(木) 15:22:12.31 ID:mlILO9+r
全部撤退せず海峡に面した半島南部は拠点に確保しといてもよかったはず
>>880 天下人が有力後継者もなく死に実力者が天下を狙い政変が起きそうな情勢で
朝鮮なんかに残るお天気な武将は居ません
秀吉存命中に朝鮮に国替えされて内地に守るべき領国がない大名が居たら秀吉が死んでも朝鮮南部を死守しただろうな
手っ取り早いのは家康を転封だけど、例えば関ケ原に出陣していない加藤清正や黒田如水あたりを朝鮮南部に国替えさせていても違った歴史があっただろ
秀頼が大坂からガレオン船で朝鮮南部に落ち延びて再起を計るとかあったかも
あの頃のヌルハチなんて満州の一部族の酋長でしかない
豊臣政権下だとせいぜい大名くらいだな
一万石以上を大名と言う
支那風に言えば万戸侯だ
日本は米穀生産量で封建したが
支那では支配人口で封建した
どちらも徴税対象となる規模で表している
部族酋長ならば万戸侯に匹敵する
故に日本風に言えば大名となるだろう
>>885 日本にも北方にアイヌという蛮族が居てな・・・
まぁ蜂起理由の8割は大和人のせいなんだが
887 :
名無し三等兵:2011/05/19(木) 20:25:56.22 ID:iTldqCab
満族は中国文明をみっちり学習して後に中国全土征服して清朝を興し何百年も続いたが
秀吉には中国の文明を理解する頭も無かっただろう
秀吉が北京で皇帝の座に着くのはまず無理だったね
天皇を廃除しなきゃ皇帝にはなれんぞ
天皇を中華皇帝兼務にして日本に置いたままにして、大陸で好き勝手するんじゃないか?
今度は大名が不満持つわ
>>888 日本の天皇と中国の皇帝は別物だから排除する必要はないでしょ
>>889 秀吉は自らが皇帝になるつもりじゃない?
日本の天皇は皇族しかなれないけど、中国の皇帝は実力さえあれば誰でもなれる(「徳」云々は事後承諾)から、
ノルマンディー公とイングランド国王を兼務してたのに近い構図になるのかも知れない
ヨーロッパ社会に置き換えると天皇=法王+キリストの様な存在
神聖ローマ皇帝がローマ法王と並存出来るのと同じく
支那皇帝と日本の天皇とは並存可能
種子島みたいな片田舎ですら見よう見まねで直ぐに鉄砲をコピー出来たのだし
日本人の技術力なら竜骨船や大砲も比較的短時間にコピー修得出来ただろ
秀吉の死因には偏食が祟り脚気の疑いがあるが同世代の武将には長命な者も多い
本人に短命な予兆が自覚して無いのなら海外遠征の兵備を整えてから遠征軍を派遣すべきだった
当時61は長生きなほうだがね
そこそこ金持ってて食い物に不自由せず、運動もしている武将連中は長生きでしょ。
秀吉の場合子供の頃が酷そうだけど(だから種なし?
>>897 長浜時代に女中に孕ましてるから種薄だと思う
兄弟で種薄い遺伝じゃない?
やりすぎというもありそうだが・・梅毒ってもう入ってたな
900get!
意外と秀忠が秀吉の実子だったりしてな...
日明朝講和が成立し家康が南朝鮮を拝領していたら
イムジンガンより南は日本人の土地になってた
臨津江より南側のチョンを北や満州に強制移住させて後金と戦わすべき
イムジンガンより北が満州民族により征服されるだけ
イムジンガン=日清国境になる
もし秀吉が勝ってたら日朝の交雑が進んで今の日本人ももっと美人が多くなったりしないかな?
もしも日朝の交雑が進んだら、今の日本人はチョンに次ぐブス揃いになるじゃねーか馬鹿、と釣られてみる
南朝鮮は整形天国だからなぁ・・・・
整形率80%だっけ?
今の中国も南朝鮮に次ぐ整形大国となってるね。この二国に根付いてる儒教では、
父母から授かった肉体を損ねたり傷つけるのは不孝っていう思想がありながら、実態はコレだもんなあ・・・
共産主義に宗教は駄目だろ、文革で潰れたはず
中国wiki見たら
碧蹄館が明軍戰略勝利,日軍戰術勝利になってたんだけど
戦略面で語る戦いじゃないだろう碧蹄館は・・・
ボコボコにされて攻勢に出れなくなるのを中国では戦略的勝利と言うのかもしれんが
>>909 2000年間支那宗主国へ毎年美女を貢いだ結果不細工大国になったw
例えば「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事は
損害を出さず撤退した蜀の戦術的勝利とみるか
蜀の北伐を阻止した魏の戦略的勝利とみるか
立ち位置で評価は分かれる
戦術目標も戦略目標も果たせず、被害が大きすぎて攻勢に出れなくなった明軍のどこに分かれる評価があるんだ?
明側は兵士数が多くて補給が破綻し撤退しないといけなかったけど
この戦いにより補給能力分の兵士数にできて
防衛できるようになったから戦略的勝利
なにか悲しくなるなw
?
日本軍も明朝軍を追撃し平壌を再度攻略することはできず碧帝館の勝利を活かせていない
碧帝館は明軍の南進阻止のための戦いであって、平壌再攻略のための戦いではない。
地理的に見れば臨津江を挟んで対峙するのが順当
漢城すら維持出来ない日本軍の兵站は機能していない
兵站が機能してないということは上陸してから物を食べずに戦い続けたということか・・・
>>734 朝鮮出兵で、あわや儒教世界もおしまいかと思われたの?
>>927 当初は補給線に対するゲリラ活動が少なく散発的だったから兵站維持が可能だったのだろ
また朝鮮水軍が全羅道で健在なため海路仁川や江華島へ補給が出来ない
陸路にて漢釜間の兵站線警備を維持するには壱岐駐屯の9番隊か名護屋駐屯の東国勢を投入するほかない
主に船で運んでるんだが…
あれ釜山から黄海を抜け海上補給を京畿道まで出来てた?
海上補給は名護屋⇔対馬⇔釜山だったはず
海沿い拠点までは海で運んでたろ
大体いつの間に漢釜間に限定してるんだ?
ま、慶長の役では緒戦で朝鮮水軍をほぼ殲滅して
順天以東の半島南岸は完全に支配下に置いてるな。
明水軍が出てくるまでは、日本の民間商船も自由に
行き来していたらしい。
>>923 どうみても大事なのはその下に書いてある部分だろ
漢城放棄は明軍が来てからの戦略的撤退と治安の悪化が原因だし
始めから悪かった訳ではないぞ、だったらそこまで行けないしな
>>934-935 天正20年から慶長3年まで一貫して豊臣軍の弱点は陸上補給路だろ
それに豊臣水軍が黄海沿岸まで進出したことなんてないぞ
一応黄海沿岸は明水軍朝鮮水軍が制海権を維持している
漢城周辺はともかく明海軍に南側の制海権なんてないだろ
陸全部日本に固められてるんだから進出できん
>>939 朝鮮や日本の水軍は沿岸水軍だけど明水軍は遠洋航海が可能
海外侵攻経験もある
>>940 そして地の利のある日本水軍に撃滅されるんですねわかります。
となるので史実でもやらなかった。
そもそも、そんな賭に出る勇気が明の指揮官にはない。
アフリカまで遠征した経験もある明水軍はその気になれば直接日本にも侵攻出来る能力はあるが
アホではない明軍は100年以上の内戦で世界最強の軍事力を保持する日本には侵攻しないだろ
この時の明水軍は鄭和時代のような外洋能力を示すような行動は一度もしてないけどな。
>>943 一度獲得した軍事技術は国家が滅亡などしない限り簡単には失わない
70年近く実戦経験の無い自衛隊が全く戦力に成らないとは言えないのと同じ
この時代に遠洋渡洋侵攻能力があるのは西洋諸国とオスマンと明だけだろ
日本は陸伝いか海岸伝いにカエル跳びの海外侵攻能力に限定される
秀吉が海外派兵を公にしたのは九州征伐時
そのときからガレオン船と大砲のコピーを初めていれば天正20年には大艦隊が編成できただろう
豊臣水軍が史実より強力でかつ渡洋侵攻能力が高ければ
佐世保を策源地にし済州島を中継地として占領して直接支那大陸に侵攻出来る
首都北京の直ぐそばの天津や穀倉地帯の揚子江沿岸に着上陸作戦など出来た
>>945 んなわきゃーない
国家が存続してもロステクになる技術なんて枚挙に暇がない
ましてや訓練してない事は出来ない
>>947 おいおい明は自国だけで膨大な海岸線と大河などの内水面を持ち
宗主国として海外の冊封国などの交易船を海賊から保護したり南蛮船の検閲など水軍の働きは多岐に渡り容易に技術が衰退しない環境にある
明水軍は南明時代ですらインドやアラブなどまで官営交易船団を護衛してる
>>776 今の日本列島で暮らしてるのは米が日本占領した時に兵士たちに自国政府公認でレイプされて産まれた子孫達ですか?
都合6年間も常時レイプされてたら完全に遺伝子レベルでは別民族だろ
>>949 日本は遺伝子汚染を避けるためにわざわざ赤線などの公娼場を設けた
>>951 勢力下の沿岸でも遠洋航海可能な水軍がいる事実
長大な海岸線と交易航路を勢力下に維持できる水軍力
>>946 九州でのイエズス会の活動を黙認していたなら、可能だったね
(イエズス会領長崎の存在、日本人奴隷の海外輸出、寺社への焼き討ちを容認)
>>952 で・・・実際には出来なかったよね
終了
>>953 イエズス会には朝鮮をバラ色に表現して朝鮮での布教や奴隷輸出を認めて協力をとりつけるべき
>>955 __‐`'´''"'マ ____\ ー‐┐ |一
Z. __`ゝ \ ノ´ ⊂冖
∧ /| ゙仆斗┘リート=┬-、_ \ ー‐┐ ,/
/ ∨\/ | `L,.っ,ノ u }ノ ノ \ ,> ノ´ \
|__ 兀.!_// i | l、 く. ー‐┐ ー|ー
ー‐┐ ー|一ヽヽ / u' \ヽ‐'´ !| ト、 \ ,ノ´  ̄匚ノ
ノ´ ノ こ /_____, }j ハ、 ヽ ヽ,___/ / ー‐┐ ┼‐ヽヽ
ー‐┐ ニ|ニ. / ___ノ /\_,≧/ u 人. / ,ノ´ ノ こ
ノ´ ⊂冖 く {上rン´ ,厶../ / ヽヽ \ || ニ|ニ
ー‐┐ | /  ̄ ノ{こ, /,〃 !| \ ・・ ⊂冖
ノ´ l.__ノ \ ,.イ !l`T´ | / |:| / |
ー‐┐ ー‐;:‐ \ // l | |_| ∠.、 l.__ノ
ノ´ (_, / ヒ_ー--、_|ー、____,ノj┘ / ┼‐
ー‐┐ / / \ ̄\ー`トー-< / ノ こ
ノ´ \ \ \ ヽ \ ヽ  ̄ ̄|
| | 」z.___ > \. ヽ. ヽ l |/l /| ∧ /\
・・ /| (_, / ) lヽ ', l、 |/ | / V
┼‐ \ , イ、_,上ハ } 小 |/
ノ こ \ (乙≧='''"´ ,∠,__ノ/
┼‐ヽ / 厶乙iフ/
ノ ⊂ト く `¨¨¨´
\
宣教師「となりの日本とは大違いの素晴らしい国だ! 住民が馬鹿で布教しやすい!」
とリアルに言われてたな
日本の布教はちゃんと理屈で納得させないといけないから優秀な奴
まわせといってたな。仏僧ともしっかり論戦しなければならなかった
しな・・半島では仏僧は弾圧されててしかたなかったとしても知識階級
たる両班とは論戦しなかったのかな?
両班が本当の意味で“知識”階級だったのか大いに疑問なんだが……
960 :
名無し三等兵:2011/05/27(金) 04:08:46.19 ID:whsxp34C
似非学問が流行っとるでよ。
両班は知識階級というより地主階級だよ
王公貴族 両班 平民 奴卑の4階級
支配階級の両班ですら定期的に秀麗な娘を支那王朝に献上させられた
なるほど現代の朝鮮人がナチュラルブスばかりな理由が解る故事だな
天正20年から約1年、慶長2年から約1年と実質2年くらいしか戦争してない
休戦期間長いけど何をしてたんだ講和協議にそんなに時間かかるのか?
明の援軍に部隊再編の時間を与えず戦闘する方が結果は良かったと思うんだが
平壌、碧蹄館の戦いで少なからず損害を出したから休戦し漢城放棄して忠清道まで撤退するのは理解出来るが
少なくとも通常休戦協議中に忠清、全羅、慶尚の3道の支配は確立するだろ
砦の構築だけでなく非正規軍の討伐や補給路の整備などと検地
休戦協議中の4年間に朝鮮南部に有力大名を国替えさせ実効支配を確立すべき
豊臣軍は休戦協議中は慶尚道以外からは撤兵する反面慶尚道の支配は確立すべく活動しているものの
補給負担軽減のため多くの諸将は主力部隊を帰国させた為駐留軍の兵力は少ない
朝鮮軍と違い訓練された正規軍である明軍は手強相手であり豊臣軍より兵力数も多く苦戦が予想されたが
4年の休戦は朝鮮軍の再建や遠征や駐留軍経費の負担により大名達に厭戦気分を生じさせ結果的に豊臣政権として得策ではなかった
休戦せず朝鮮で激戦が繰返していれば少なくとも大名達の勢力減衰の目的は果たせるし勝利しなければ恩賞も必要としない
戦線膠着を機に親豊臣系の西国大名軍から東国大名軍に派遣部隊を交代させるのも一計だったと思う
当然家康や政宗などを毛利、宇喜多に代わり渡海させ明軍と戦わすべきだった
だったつっても、結局のところ、豊臣権勢が確立してなかったって事に尽きるんじゃないのそれって
結論的に主力部隊を投入する前に講和協議を始めた小西や石田が豊臣政権の命運を縮めた
明の援軍が来た時点で戦場は朝鮮でも日明決戦なのだから当然名護屋から主力部隊を渡海させ決戦すべきだ
碧蹄館勝利の後に主力部隊でもあり耐寒能力の高い東国勢たる徳川前田上杉蒲生伊達佐竹らを渡海させ
損耗した西国勢は一旦帰国させ部隊再編するのが当然だ
漢城には徳川家康を置き対明戦の総大将とし蒲生伊達佐竹ら東北諸勢を与力に冬期防戦に勤めさせる
前田利長 上杉景勝ら北国勢には陸路より全羅道のゲリラや朝鮮軍残党を討滅させ後顧の憂いを無くす
慶尚道は豊臣本軍や畿内勢に警備させ忠清道は比較的損耗の少ない西国勢に警備させ万一の後詰めとする
朝鮮派遣軍総大将は豊臣秀勝(釜山)とし参謀に石田三成(晋州)を着け漢釜間の警備と補給を確保させ
先陣大将(実質的総大将)は徳川家康(漢城)、参謀長黒田如水(議政府)、後詰大将は小早川隆景(牙山)
戦線は臨津江を挟み対陣し川沿いに徳川四天王や伊達政宗らが布陣する
春期攻勢の準備を整え臨津江を渡江し開城、平壌を奪還し明軍を夏期攻勢には鴨緑江まで追いやる
文禄2年夏期攻勢で朝鮮から明軍を撃退したら越冬に備え平壌まで戦線を下げ
各隊は都城か砦など防寒可能な屋内陣屋を整備し数年を掛けて徐々に戦線を東進させ山海関に迫る
そろそろ埋めにかかった方が良いのかね
次スレ100越えてるしな
というか900前でいきなり次スレ立てる方が早すぎないか?
別に勢いが早すぎるスレでも埋め荒らしがいる訳でもないんだし、
960〜970あたりで立てても遅くないと思う
このスレは急に伸びることがあるから
脱線始めると、急激に伸びるからねぇ
戦線がむやみに広がって補給ならぬネタが追い付かない・・
名護屋、補給求む
補給_
何も李舜臣が頑張ってる全羅道沖やゲリラが頑張ってる漢釜間の陸路を通らなくても清正が確保した港まで東海岸を海上輸送して補給線構築したら良かったんじゃないの?
>東海岸
日本海岸と言えよw
東海 岸
じゃなくて
東 海岸
だろw
韓国面に染まってねーか?w
港湾機能の問題はないの?>釜山以外
当時の港湾能力なんて桟橋付けりゃみな一緒だから大丈夫だろ
地形はどうよ
たとえ崖のしたでも上り下りできる道があるなら港にできるから大して心配しなくて良いだろう
馬通すなら話は別だが
>981
兵糧運ぶんだから、仮置きするスペースと荷車を通せる道は必須だろ。
上陸後を考えると、釜山よりも木浦を橋頭堡にした方が良かったんだろうけどね
>>982 担いで上まで持ってく→上に置く
効率は悪いが他に無ければしかたがない
陸伝いの航行をするから
航路として確立するには
緊急避難用の入り江が
多数必要。
東岸には、それがない。
そもそも東岸から山越えで漢城に補給線通すより、
河川水運も利用できる洛東江沿いの平野を抜ける
史実通りの釜山から陸路の方がまだマシ。
咸鏡道 江原道は流刑地で李朝に反発する勢力の協力が得られる
支配層の多い全羅道 慶尚道の陸路より安全
?
990 :
名無し三等兵:2011/05/29(日) 18:37:55.87 ID:Hh/bZPdg
普通に済州島を分けとれば
大名領地で分配できたでしょ?
なんでやらんかった
まあ、結局対外戦争するには、ちょっと時期尚早だったよな
徳川を完全に抑え切れてないのに、地理も分からない、言葉も通じない外国を攻めても
上手くいくはずがない
まあ、死期が近づいて焦ったのかもな>秀吉
単純にボケたんだろ?
>>990 島流しか?何のバツゲームだよ
済州島の産業は倭寇だよ
宗氏にやればいい
995
996
997
998
1000?
朝鮮征伐
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。