1 :
名無し三等兵 :
2011/01/09(日) 22:58:22 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 22:58:49 ID:???
■多くの参謀がインパール作戦に反対していたように思われていますが、実際には、 反対されたのはアッサムへの更なる侵攻に対してだけであり、 インパールの攻略自体は誰も反対してないし、無謀などとは考えていませんでした。 最も強硬に反対した南方軍の稲田参謀副長も、反対したのはアッサムへの更なる侵攻と 、険しい山岳の北から攻める31師団の鵯越が無理だと いう点だけで、インパールの攻略自体 には全然反対していません。 道路が整備された南から主力をインパールに向けるべきというのが稲田参謀副長の考えです。 意見が対立したのは3個師団のうちの31師団の侵攻ルートに関してだけなのです。 しかし実際には31師団は予定通りコヒマをほぼ占領し鵯越作戦は成功しています。 英軍も日本軍主力は南から攻めてくると考えており、 北の背後を衝かれた英軍は 一時パニックになっています。現実には31師団が最も活躍し、コヒマで多くの物資を 捕獲し2ヶ月は物資には困りませんでした。
3 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 22:59:02 ID:???
■インパール作戦は遅くとも1ヶ月で攻略する予定の奇襲作戦であり、 それを3ヶ月以上も継続したから後半は物資が尽きたが、 2ヶ月までは物資は持ちこたえている。したがって補給を軽視した作戦だったから失敗したのではなく、 奇襲作戦が失敗した後、 なお戦闘をダラダラ継続したから物資が尽き大被害が出たというのが正しい。 作戦としては、当時の状況ではこれ以上内はないと言うほど見事な作戦計画であり、 英国もそれは認めておりインパール攻略は後一歩の所でした。 批判されるべきは作戦計画ではなく、奇襲の失敗を認めて撤退を決める判断の遅れです。 ではなぜそうなったかと言えば15軍にも方面軍にも、大本営からは連日、激励の電報が 届いており、何が何でも、なんとしても勝ってくれ、 日本の運命がこの一戦にかかっている! みたいな懇願するような電報です。これでは止めるとは言えません。 当時は国の存亡をかけて一億玉砕の覚悟で全軍が戦っている時期ですから、 後になって「なぜそんな無茶をした?」という批判は、 あまりにも的外れな批判ではないかと思います。 同時期のサイパンの戦いも、補給や撤退など初めから全く考えていません。
4 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 22:59:27 ID:???
■「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」 国が決めた大東亜戦争の基本方針では、インパール作戦は最優先の作戦であった。 開戦前に政府と陸海軍が取り決めた「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、 まずアジアで英軍を屈服させることとなっている。 アジアで英軍を撃滅してビルマ、インドの独立を誘発し、その事によって政治的に 米国の戦意を殺ぎ、対米和平へと持ち込む事を目標としていた。 (太平洋の対米艦隊への攻撃は適時とし、補助的な扱いとなっている) インパール作戦は、国が決めた大東亜戦争の本来の目的の最重要作戦であったのだ。 牟田口の個人的な発案などというものではない。 しかし海軍はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し (東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった)、 ミッドウエーやソロモン方面で大規模作戦を展開した。 海軍は戦果を改竄して大勝利の嘘の報告ばかりを大宣伝したため、 世論も対米太平洋決戦に歓喜し、陸軍も太平洋での海軍の作戦に協力するよう 引きずり込まれた。 このためアジアでのインパール作戦は、実施が大幅に遅れ、 戦力も大幅に削がれてしまった。 ビルマの航空兵力は、大部分がソロモン方面に移動させられ消耗することになった。 インパール作戦の敗北は、 作戦時期の遅れと航空兵力の不足が原因なのは明らか。 これは海軍の責任と言えよう。
5 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:00:16 ID:???
■20世紀最大の軍事研究家・戦略家と唱えられたリデルハートは インパール作戦を評価している。
6 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:00:37 ID:???
===コヒマへの追撃に関して=== 日本で思われる以上に連合軍は苦戦していた。 牟田口の指令に従いコヒマを追撃すれば、 コヒマは陥落していたとしている。 インパール作戦は成功していたとする見解もある。 ●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286
7 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:01:03 ID:???
●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
8 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:01:17 ID:???
●マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官) 「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」 「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、まだ兵力 の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同 じような有効さで切ることが出来る。さらにもっと重大な 全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」 ●第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、師団の主 力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。 幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。佐藤中将は、私の 遭った日本の将軍中で最も消極的であった。 大田 嘉弘『インパール作戦 』
9 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:02:17 ID:???
●リデルハート「第二次世界大戦」 日本軍ビルマ方面軍の司令官河邉将軍は、コヒマの先30マイルの山間部から出口に当たる ディマプール攻略を目指して進撃許可を求めた現地軍司令官牟田口将軍に対し、その許可を与えなかった。 日本軍がここを急襲して占領していれば、インパール救援のための英軍による反撃は阻止され、 不可能となっていたであろう。
10 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:02:36 ID:???
■参謀本部の指示では、ディマプールも作戦地域に含まれている。 <<大陸指第一七七六号>> 「南方軍司令官はビルマ防衛の為、適時当面の敵を撃破して、 インパール付近、東北部インドの要域を占領確保することを得」
11 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:02:49 ID:???
■牟田口は激戦の最前線にいた。
佐藤がコヒマから抗命撤退すると15軍司令部にに伝えてきたのは5月24日だが、
その時牟田口はモロウで33師団を直接指揮していた。
インパール作戦で最も激戦となったのは、インパールが目前と迫ったビシェンプールでの攻防だが
ここでは5月中旬ごろ〜6月いっぱいまで、一月半もの長期間の激闘が続いた。
5月24日と言えば、まさにビシェンプールへの総攻撃を敢行すべく、ライマナイの33師団司令部に代わり、
その直ぐ後方、モロウへ進出した15軍司令部の牟田口が33師団を直接指揮している真っ最中。
インパールまであとひと息、まさにこれから、というその時に
佐藤がそのような通告をしてくれば、牟田口でなくとも怒るのは当然。
「なお10日間コヒマを死守せよ!」との15軍の指令は当然と言える。
参考地図
http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/inpa15gun.htm
12 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:03:01 ID:???
■軍上層部が希求し、決定された作戦 インパール作戦は15軍の牟田口だけではなく、その上層部も希求した作戦であったとし、 作戦実行の責任を牟田口一人に負わせるのは不当であるとの見方がある。 南方軍の綾部橘樹総参謀副長は寺内寿一元帥の上申書を携えて大本営参謀本部に赴き 「作戦全域の光明をここに求めての寺内元帥の発意であるから、まげて承認願いたい」と許可を求めた。 真田穣一郎第一部長は反対したが、真田は杉山元参謀総長に別室に呼ばれ 「寺内さんの始めての要望だ。やらせてよいではないか」と指示されて反対意見は封じられた[33]。 ビルマ方面軍の河辺正三司令官は「インパール作戦を全面的に是認し、強力にこれを 実行することを企画したのはビルマ方面軍である。 したがって、牟田口中将の発意によるがごとき論断は適当ではない」と作戦終了直前に述べている[34]。 伊藤正徳は、牟田口が作戦の主唱者であった以上は責任甚大であるのは当然としたうえで、 牟田口一人に罪を着せるのは不公平であると述べる。 仮に牟田口が暴走したのだとしても、これを断固として押さえつけるのが上層部の責務であって、 インパール作戦の無謀の責任は牟田口と大本営が少なくとも五分と五分[35]、 あるいは引きずられた上司の罪をさらに重いものと見るのが公平であると評している[36]。
13 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:03:14 ID:???
■後方(補給)を軽視はしていない 第15軍は作戦計画にあたり、後方の補給部隊として60個の駄馬中隊を大本営に要請した。 しかし大本営が約束したのは12個駄馬中隊による後方支援だった。 [37] これでは心もとないため、それを補完するため自軍での食料調達も研究されたが、 その一つが自軍で編成した駄牛隊によるいわゆる「ジンギスカン作戦」である。 大本営が送った12個駄馬中隊は様々な障害により、戦場へ到達できたのは作戦末期に わずか1個中隊だけであった。 15軍の駄牛隊の牛もその多くは途中で失った。 第九中隊の赤堀光雄によると、 25頭の牛を連れて出発し、途中の部隊へ弱った5頭を食料として提供し、なお困難を 乗り越えて6頭の牛を最前線まで到達させた。 飢えで苦しんでいた第三大隊の兵士らは大喜びしたという。[38] 伊藤正徳は、牟田口も補給の重要性を認識していなかったわけではなかったとする。 補給ばかり心配していては駄目だとする牟田口の発言は、彼の短気な一面から出た発言であるが、 別の一面では兵站確保に尽力していたという。 道路建設や自動車の追加要請、代替手段としての動物輜重調達、獣医部による食用野草の 研究などの努力を挙げ、「牟田口が、後方補給機関の不備を用心し、何とか自分の手で補給 の道を講じようと、半年にわたって苦心経営してきたことは、彼を評する場合に無視してはならない 事実であろう」と結論付けている[39]。
14 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:03:26 ID:???
大田 嘉弘『インパール作戦 』 元防衛省政務官・寺田稔の推薦文。 「インパール作戦」は牟田口中将をはじめとする一部の旧帝国陸軍軍人の 独断と専行により行われた、無謀かつ杜撰な補給を無視した「史上最大の失敗作戦」 として一般的にはとらえられているが、本当にそうだろうか。あるいは仮に そのような要素があったにしても、その一言で括ることは正しい総括であろうか。 ・・・略・・・ ・・・本大田論文はインパール作戦について語られてきた一般的な仮説に対し、 異なった角度から光を当てるに十分な論拠を 与えるものである。 ・・・略・・・ ことインパール作戦においては戦史の研究が遅れた状況と言える。 本大田論文を嚆矢として未解明部分の分析が進むものと期待する。 ・・・・
15 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:03:40 ID:???
★インパール作戦は中国に配備されるB29拠点への燃料・爆弾補給の遮断という 重要な任務を担い、事実、それを封じた。空輸だけでは無理と米軍も断念。 ■レド(空輸拠点)→レド公路構築 →昆明 →成都にB29の拠点構築 ↑ | B29の前進基地構築の意図 ← 大陸打通作戦で防止 | ■ディマプール ↑ ↓ | コヒマ | ↓ ←31師団(補給路・背後を遮断) |ア 補給 |ッ イ |サ ン |ム パ ←15師団 |鉄 | |道 ル | ←33師団 | | ↓ | 英軍陽動に釣られる | ■チッタゴン ← アキャブ作戦(英軍陽動作戦) −−−−−−−−−−−−−−−−−−− 英軍補給拠点 ベンガル湾
16 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:03:53 ID:???
■インパール作戦の戦死者2万6千は ビルマ戦全体の戦死者(18万5千)の わずか14%にすぎない。 ■他の作戦との比較 ●インパール作戦 兵力92,000 戦死26,000 戦死率28% ●レイテ戦 兵力84,000 戦死79,000 戦死率94%
17 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:04:06 ID:???
三個師団の公式死者は20300 (戦病死、行方不明含む) 戦史叢書「イラワジ会戦」の209〜211頁によると、 第15師団人員:16000 第31師団人員:16600 第33師団人員:17000、 合計49600 主力3師団の損害は、 第15師団:戦死3700、戦病死3800、行方不明700 第31師団:戦死3700、戦病死2100、(行方不明は記録なし) 第33師団:戦死4000、戦病死1900、行方不明400(すべて山本支隊を含む) 合計すると、戦死11400、戦病死+行方不明8900 総合計20300
18 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:04:19 ID:???
インパール作戦は惨敗だったが、意味の無い戦争ではなかった。 英国からもインドからもそう評価されている。 インド独立のための工作をした藤原岩市中佐がインパールへの遺骨収集実現のためインド側と交渉し、 昭和50年(1975年)に無事それを実現させ、現地の人々の予想外の協力を得て帰国した。 その模様と東宮御所に参上し、皇太子殿下(今上天皇陛下)に報告されたときに 皇太子殿下が、マウントバッテン元帥の言葉を仰せになられた。 それは次のようなお言葉である。 「藤原さんの報告を伺って、事の次第が分明いたしました。 先月、ネパール国王の戴冠式に参列した節、パーティの席で、 英国首席随員・マウントバッテン元帥が私を捉えて、いとも懇ろに 《過ぐる戦争中、私が東亜連合軍総司令官として、印緬戦域で対戦した 日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律厳正さにおいて、 古今東西無類の精強でした。 あのような素晴らしい将兵は、今後いずれの国にも生まれることはないでしょう》 と激賞してくれた」 (藤原岩市「進めデリーへ」の反響に想う)
19 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:04:33 ID:???
われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した 日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。 インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。 我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。 1998年1月20日 於 ニューデリー インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表)
20 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:04:48 ID:???
■牟田口回想録によると、南方軍が15師団を道路建設などに使用したため 作戦開始時期が1ヶ月遅れたとされている。 南方軍の中には、15軍の作戦に非協力的な参謀が複数おり そういった者の意図的な嫌がらせとも考えられる。 この1ヶ月の遅れが作戦に与えた影響は計り知れない。
21 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:05:03 ID:???
■歴史家エリック・ホブズボームは、 「インドの独立は、ガンジーやネルーが率いた国民会議派が展開した非暴力の独立運動によるというよりも、 日本軍とチャンドラ=ボースが率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、 インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされた」としている。
22 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:05:15 ID:???
■盧溝橋事件を拡大させたのは、軍部ではなく政府とマスコミ。 現地部隊が停戦協定で事件は収まったにも関わらず マスコミは捏造情報を流して危機感を煽り 近衛内閣は派兵を決定し、せっかく収まった事件を再拡大させてしまった。
23 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:05:27 ID:???
■日英の死傷者はほぼ互角 ★日本軍・15軍(3個師団) 戦死20,300(戦史叢書) 戦傷15,953 合計36,253(陸戦史集) ★英印第14軍 戦死15,000(陸戦史集) 戦傷25,000(陸戦史集) 合計40,000(陸戦史集)
24 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:05:45 ID:???
■ディマプール追撃は可能だったか? ■そのための物資は問題なかったか? 以上の牟田口の質問に対する宮崎少将の回答。 「当初三週間分を準備していたのを少しも減らさず、そのまま持っていた。 兵器や弾薬もウクルル及びサンジャックの戦闘で獲得した兵器を利用した。 従って給与も十分だったし、兵器弾薬も十分であった。」 「ディマプールへの追撃に際しては一部をコヒマに残置し、 主力は山の斜面を通過すれば、容易に急追することが出来る 状態にあったことは、パーカー中佐が申す通りである」 今でも不思議に思っていることは、一個連隊を私が指揮し、 二個連隊を師団長が指揮している。 後続の先頭連隊をもらって私は喜んだが、師団としてはやるべきではない。 普通であったなら、師団長がコヒマへとんできて、よし、戦況がこうならば 一三八連隊はどこで使うということを決めて、命令すべきだと思う。 それがどういう命令であるべきかというと 『速やかにディマプールへ突進せよ』であった。 見ていると、第一三八連隊は二日間も動かない。 私はこれを見てこの連隊を師団に返納するという電報を打った。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 宮崎少将の発言(牟田口の手記)
25 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:05:59 ID:???
佐藤中将も手記を出してる。 「烈師団長佐藤中将は、このときには、すでに聖人のごとき清明と、神のごとき大道念に立っていた。 彼は何ものをも恐れざる凛烈の正気を満身にたたえ、磐石の決意をもって、 第15軍全員の覆滅を救わんとしていたのである」 烈師団長 佐藤 幸徳 はい?・・・
26 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:06:14 ID:???
■31師団主力の侵攻ルートは、車両が通れる道路があった。 「佐藤が、チンドウィンからゼッサミ、コヒマまでのジープ路を一蹴できたのは偶然ではなかった (中略) 道が英軍によってつくられていたことは、いうまでもなく佐藤中将にとって幸いであった」 アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
27 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:06:46 ID:???
■勝機を逸した柳田師団長の統制前進。 牟田口中将の怒りはもっともであった。・・・ インパール作戦の成否はただ突進にかかっているというのに、 肝心の第三十三師団があえて前進をしぶっている。 軍司令官に不満があり、作戦に自信が無ければ、 作戦開始前に辞任すべくである。 戦闘の最中にふてくされるのは、まさしく統帥違反であり、 友軍を無視した無責任な態度といわなければならないからである。 はたして、柳田師団の「漸進」は戦局にに重大な影響を 及ぼしてしまった。 児島 襄『太平洋戦争』
28 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:06:58 ID:???
■柳田師団長は臆病者だった 「師団長がふるえておられます」 三浦参謀は心配になって、なかの兵隊を押しわけてはいった。 柳田師団長は壕の一番奥にかがんで、全身をふるわせていた。 三浦参謀はその前にしゃがんで、小さな声で言った。 「うしろは大丈夫です。前は、私が死なない限り、閣下は安全です。 こんな所に弾はきませんから」 しばらくして、柳田師団長はふるえなくなった。 高木俊朗『インパール』
29 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:07:09 ID:???
■牛歩のように鈍間な柳田の前進速度 師団の急前進を促すべく、軍の参謀藤原岩市少佐は兵団司令部に急行し、 切々として柳田を説き、慎重居士の腰をあげさせようと努めた。が、 柳田がようやく腰をあげたのは、それから一週間の後であった。 この時期における一週間は、実に戦勢を支配する重大な一週間であった。 柳田はようやく腰をあげたといっても、その前進は、牟田口が要求した 「急進」ではなくして「漸進」であった。 伊藤正徳『帝国陸軍の最後-死闘篇』
30 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:07:25 ID:???
■敵から膨大な物資を捕獲 33師団第二大隊の榎本主計の手記 「集積所に突入したが、唯こんな位置に、これほどの膨大な 物資の集積があるのには驚いてしまった。 幕舎の数はおよそ数百棟に及び、肉類、乳製品、缶詰類の天幕 だけでも二十張りくらいあった。 略 トラック、ジープは視界の及ぶ限り千台以上を数え、二五ガロン 入りのガソリン缶の野積みが、幅二五メートル、長さ二百メートルの 三段積で六列も続き・・・ 略 この一個師団を半年以上も養えるかと思えるほどの物資の確保を どのようにすべきか、思案の末、・・・」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P166
31 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:07:34 ID:???
スレタイに★をつけるアホが死にますように
32 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:07:38 ID:???
●『実戦インパール作戦 「弓師団」笹原聯隊の死闘』P18 13〜16行目 第三大隊は十四日、一〇五マイル西側高地に進出、十六日夜、白兵突撃をもって三二九九高地西側、 「突角陣地」の敵を撃破して、同地付近の一大軍需品集積所を占領確保し、次いで、その東方高地稜線を占領して南方トンザン方面の敵と対峙した。 この間、敵の物資集積所では車輛一千台以上、糧秣は一ヶ師団の二ヶ月分以上を押収した。 ●同P50 2〜4行目 大隊はつづいて軍需品集積所に突入、これを制圧した。十三日午前五時であった。 敵の捕虜は白人兵四十、インド兵、グルカ兵三百六十名を得た。 軍需資材に至っては自動車千二百余輛、馬匹、弾薬、砲、糧秣、通信機材、衛生材料等、莫大な戦果であった。
33 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:07:50 ID:???
■スリム中将の作戦は、日本軍を引き寄せてインパールに退却
する作戦だったが、初戦から大失敗している。
第17インド師団はティディムにあったが、日本の作戦開始わずか1週間で
33師団は214連隊がトンザン付近で、215連隊がシンゲルで
第17インド師団の退路を二重に遮断した。
http://www.geocities.jp/buzensakai/reki/inpa15gun.htm しかもシンゲルでは敵の大集積所を攻略し
1個師団が2ヶ月戦える武器弾薬、食料、燃料、1000台以上の車両を
奪い取った。
これなら、1ヶ月の作戦で携行物資とあわせれば
補給なんか無くても大丈夫ではないか。
補給を送るより、敵から奪い取る方が遥かに合理的。
奇襲作戦なのだから、何よりもスピードが重要。
しかし何たる事か、33師団はいとも簡単に退路を開放し
第17インド師団をインパールに逃がしてしまった。
それにまつわる215連隊が発したとされる「玉砕覚悟電報」だが、
これが捏造の疑いが強い。
34 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:08:06 ID:???
35 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:08:20 ID:???
36 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:08:40 ID:???
■大田 嘉弘『インパール作戦 』 ---戦いの不変的事項を戦史に求める--- 歯科医という多忙な身でありながら、昭和五十四年に『沖縄作戦の統帥』、 昭和六十三年には『沖縄陸・海・空戦史』を著述される等、沖縄作戦研究者 としても名高い大田 嘉弘氏が、ビルマ作戦の調査研究に着手されたのは 「インパール作戦は牟田口中将の功名心に基づく無謀な作戦と言われているが 果たしてそうなのだろうか?」という疑問を常日頃から抱いておられたから、 と伺っている。その成果は月刊誌『軍事研究』の「日本の戦史」シリーズに 「何故、インパール作戦を許可したか」および「牟田口中将とディマプール」 と題して、五十六回にわたり掲載された。このたび、その掲載された記事を コンパクトにまとめ書籍として出版される運びとなったことは、自衛隊に 身を置いたものとして、慶賀の至りである。 以下略 先崎 一(初代自衛隊統合幕僚長 元陸将)
37 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:10:16 ID:???
■牟田口擁護派 ・リデル・ハート(20世紀最大の軍事研究家) ・伊藤正徳(日本の軍事研究家の第一人者) ・大田 嘉弘(初代統合幕僚長:先崎一も評価) ■牟田口中傷派 ・半藤一利(五十六信者。毎年、文春座談会で捏造ネタを流布) ・伊藤龍太郎(捏造ライター)
38 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:11:11 ID:???
■また当時第二師団参謀として牟田口軍と砲火を交えたアーサー・スウィンソンは その著「四人のサムライ」の中で、次ぎのように記している。 「あの決定的瞬間にたまたまディマプールにいたこの本の著者の見解では、彼は 成功していたと思う。当時のディマプールは全地域にわたって、狼狽と混沌の中 にあった。何千と言う苦力が道路にむらがっていた。血走った日の通信隊の列が ぶっつかりながら動いていた(略) こうしてディマプールを手中にすれば食料・弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵 にあったのだから牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまっ たく髪毛一本の競り合いだった(略)」 <佐藤晃「戦略大東亜戦争」>
39 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:11:35 ID:???
■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、 河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。 牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、 河辺は厳密に解釈したのである。 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。 佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。 中略? 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、事実はもっとうまく運ばれていた。 河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか、 スリムは「日本の将軍たちのの用兵、 戦路における基本的な欠陥は、体をぶつける事、勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。 その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」 と言ったが、これは真理を衝いている。 牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。 ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、 河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277
40 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:15:04 ID:???
pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams.
Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster.
【肯定派の訳】
河辺はそれを厳格に解釈し、牟田口はもっと寛大に解釈した
(彼のインド制圧という夢の実現に向けて範囲を広げたのだろう)。
牟田口は正しかった。これは全く疑いの余地は無い。
(これこそまさにナポレオンの言った「勝機」というものだろう)
(佐藤が1ヶ月の作戦期間にディマプールを攻略すれば、英軍は懸崖に立たされた)
【否定派の訳】
??
http://books.google.co.jp/books?id=yAhnAAAAMAAJ&dq=Arthur+Swinson&q=Napoleon
41 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:15:29 ID:???
★★★ ★★★
42 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:17:41 ID:???
■誰が牟田口を叩いているのか? @東京裁判と陸軍悪玉論を宣伝する 商売目当ての文芸春秋などの似非保守。 例)半藤一利 A在日、平和ボケ、団塊のアホの世代の左翼 B長州を恨む会津万歳の頭のおかしい東北人(賊軍の子孫)
43 :
名無し三等兵 :2011/01/09(日) 23:22:56 ID:???
■佐藤幸徳 インパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。 宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、宴席で率先して猥談をしたこと、 公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたことなどを不快に感じていた[3]。
44 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 02:44:37 ID:???
>>1-43 初見の方にご連絡しますと、前々スレで
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293035627/31-32 貼りつけると
31 :名無し三等兵:2010/12/23(木) 02:00:10 ID:???
●『実戦インパール作戦 「弓師団」笹原聯隊の死闘』P18 13〜16行目
第三大隊は十四日、一〇五マイル西側高地に進出、十六日夜、白兵突撃をもって三二九九高地西側、
「突角陣地」の敵を撃破して、同地付近の一大軍需品集積所を占領確保し、次いで、その東方高地稜線を占領して南方トンザン方面の敵と対峙した。
この間、敵の物資集積所では車輛一千台以上、糧秣は一ヶ師団の二ヶ月分以上を押収した。
●同P50 2〜4行目
大隊はつづいて軍需品集積所に突入、これを制圧した。十七日午前五時であった。
敵の捕虜は白人兵四十、インド兵、グルカ兵三百六十名を得た。
軍需資材に至っては自動車千二百余輛、馬匹、弾薬、砲、糧秣、通信機材、衛生材料等、莫大な戦果であった。
32 :名無し三等兵:2010/12/23(木) 02:00:58 ID:???
正式な15軍への報告では
3月14日
「自動車2千両、糧秣弾薬一個師団の2か月分を獲得せり」
となっている。
大田 嘉弘『インパール作戦 』 P167
……と、このようにカキコして時系列の矛盾を散々ツッコまれたのが土足と大田本のクオリティですw
45 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 02:45:30 ID:???
>>44 その話には続きがあって、
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293035627/706-737 時系列を無理矢理大田本に合わせようとして、底の浅い捏造を
追加して直ぐにボロを出すのも土足クオリティです。
土足の貼り付けテキストには全く信頼性はありません。
これは、軍板の過去スレ及び現行スレだけではなく、wikiでの牟田口の記事
に関するノート、及び富永や東條に関するノートをご覧頂いても確認が可能
です(特に土足なる屑が何を考えているのか知ろうとするなら、牟田口に関
するノートは必見です。何しろ土足自身の実質的「自供」まであるので)。
土足のカキコには兎に角「第三者が検証可能な形式」での「真っ当な」引用
を要求して下さい。IDを隠してのチンカス連呼くらいしかしません。
46 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 02:46:33 ID:???
>>1-43 初見の方にご連絡しますと、前々スレで
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293035627/741 貼りつけると
741 :名無し三等兵:2010/12/30(木) 13:13:41 ID:POxpIcxI
■間接的アプローチその1
まず東条だが、対米開戦が必至となったため
『対米英蘭戦争終末促進に関する腹案』による戦争終結を考えた。
米軍と蒋介石を直接叩くのではなく、英軍を叩く。
しかもそれも、アジア独立という間接的な戦略を軸として。
また米国民の世論にも注意を払いながら実行するというもの。
それによって戦争を終結させる。
これはまさに、リデルハートの言う『間接的アプローチ』そのもの。
などとほざき、思いっきりツッコまれたのが土足クオリティですw
まあ、リデルハートなどと書いている時点で、リデル・ハート(ないしリデル=ハート)について何も知らないのは火を見るより明らかですがw
47 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 02:57:06 ID:???
48 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 03:25:19 ID:???
>>1-43 尚、前スレに於いても、土足の思い付きによる出鱈目な発言が
有ります。一例を挙げますと以下の通りです。
★★★牟田口中将を再評価す{7}★★★
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1293890677/789-864 土足がIDを隠してコピペ連投する文章ですが、原文を読むと
「一か月の間に」等とは書かれていません("had only to hold"
が原文で、その後に"Dimapur for a month"と続いています)。
つまり、「ディマプールを一か月間制圧し続けたら〜」という
ニュアンスなのですが、牟田口の当初想定作戦期間が3週間
であるので、日本側の事情に無理矢理英文側を合わせようと
して出鱈目な言い逃れを始めます。
尚、ここに再録はしませんが、wikiに於いても、そのニュアンス
の違いを無視しているのはおかしい由、指摘を受けています。
49 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 09:10:17 ID:???
前スレ
>>276 より再録
>>2 >■多くの参謀がインパール作戦に反対していたように思われていますが、実際には、
>反対されたのはアッサムへの更なる侵攻に対してだけであり、
>インパールの攻略自体は誰も反対してないし、無謀などとは考えていませんでした。
>最も強硬に反対した南方軍の稲田参謀副長も、反対したのはアッサムへの更なる侵攻と
>、険しい山岳の北から攻める31師団の鵯越が無理だと いう点だけで、インパールの攻略自体
>には全然反対していません。
>道路が整備された南から主力をインパールに向けるべきというのが稲田参謀副長の考えです。
>意見が対立したのは3個師団のうちの31師団の侵攻ルートに関してだけなのです。
この内容が既にダウトだが、仮に土足の妄想に従うのなら、「インパール攻略は可能だったのに、牟田口がアッサム進攻などと言い出して兵力を分散したせいで、インパールさえ取れなかった」ということになるな
>しかし実際には31師団は予定通りコヒマをほぼ占領し鵯越作戦は成功しています。
>英軍も日本軍主力は南から攻めてくると考えており、 北の背後を衝かれた英軍は
>一時パニックになっています。現実には31師団が最も活躍し、コヒマで多くの物資を
>捕獲し2ヶ月は物資には困りませんでした。
とすれば、佐藤師団長は褒められこそすれ中傷されるいわれはないな。何より
●戦史叢書『インパール作戦』
P503下段10〜21行目
わが軍がコヒマに突入したときは敵はまだ微弱なものであった。糧秣倉庫、兵器弾薬貯蔵庫、ガソリン貯蔵庫などはいずれも素晴らしい大規模なもので、すべて物資が充満していた。少なくとも一コ師団分の貯蔵量はあったと思われた。
しかし惜しいことには、これらを活用するまえに倉庫群は敵機に爆砕されてしまった。
3 左突進隊はサンジャックの戦闘で押収した兵器で部隊を再装備し、特に迫撃砲を多く携行した。しかしコヒマの三叉路高地の戦闘で、たちまち迫撃砲弾も山砲弾も射ち尽くし、歩兵はほとんどこれらの支援なく突撃を繰り返したため多くの損害を被った。
をどう読めば
>コヒマで多くの物資を
>捕獲し2ヶ月は物資には困りませんでした
ということになるのかね?
50 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 09:16:30 ID:???
51 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 09:18:11 ID:???
52 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 09:56:43 ID:???
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 世間の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。土足が学生時代の間に、 きちんと勉強していたら、キチガイ的右翼にならないですんだであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーゾク方面軍作戦主任) 「土足は完全に魔法使いにされた。短小包茎を衝かれ、精神的打撃は決定的なものであった。 土足には金も無く、土足があのまま 幼女を一押しすれば懲役は易々たるものであったのだ。 一方に、土足の風貌は想像以上に最悪であって、近所の女子高生の如きは、 一旦変態露出狂や下着泥棒の類として警察に相談を策するの是非を、 土足の両親に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし土足が引篭もりをやめて就職しておれば、両親も安心して 隠居されていたでありましょう。しかしながら、土足は ネットで知った真実に心酔し、 両親の心痛はいかばかりかと思われるのであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
53 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:17:04 ID:???
>>■牟田口擁護派 >>リデル・ハート(20世紀最大の軍事研究家) リデル=ハートに関してはインパール作戦を肯定的に捕らえているとはとても言えない これを肯定的とトリミングの上言い切るのは問題があると思います
54 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:18:24 ID:???
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
55 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:18:26 ID:???
土足じゃないが
>>685 は日本語版「第二次世界大戦」(下)の195nに載ってるね
俺の持ってるのは中央公論新社の1999年10月7日発行の初版
>英軍はどうにかインパール平原へ帰り着くことができ、またそこには四個師団をもって防御の態勢をとったが、
>コヒマの守備はわずか一五〇〇名の部隊<ヒュー・リチャーズ大佐>にまかされていた。
>英軍にとって幸運だったことに、
>本軍(ビルマ方面軍)の司令官河邉将軍は、コヒマの先三十マイルの山間部からの出口に当たる
>ディマプール攻略をめざして進撃の許可を求めた現地軍司令官牟田口将軍<第十五軍>に対し、その許可を与えなかった。
>日本軍がここを急襲して占領していれば、インパール救援のための英軍による反撃は阻止され、
>不可能となっていたであろう。
>このようにして英軍側がひと息つくことができる状態となったときに、
>モンタギュー・ストップフォード中将がその第三三軍団の先遣部隊とともに、インドから派遣されてきた。
もう少し後には、誰かかよくコピペしている
>牟田口将軍は成功の望みがとうに消え去り、部下の高級将校たちらが抗議したにも
>かかわらず、攻勢活動の継続を主張したために撤退は困難をきわめ、多くの損害を
>出した。彼は憤然としてその主張を通し、三名の師団長を全部罷免し、やがては
>みずからも罷免される羽目となった。
も載っているけれども、これは五月の箇所だね
>彼らは総計六個師団および小編成の部隊多数を投入したが、制空権を確保していたため、非常に有利であった。
>それに反して日本軍はわずか三個師団、および劣勢弱体のインド国民軍のいわゆる一個師団を投入したにとどまった。
>また一方、日本軍は“現実離れ”した軍の伝統に盲目的に従うことによって
>そのすぐれた戦術的な能力をいかすことができず、
>戦いの次の段階においてこの失敗の償いをしなければならなくなったことが、
>いっそう明確になってくるのである。
と最後に記述してこの章を終えている。
56 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:20:27 ID:PZ4diEyT
というかムダグチの問題は 作戦の遂行が不可能になった時点で まだ撤退の命令を出さなかったからだって コレ昨日と同じパターンじゃねーか
57 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:25:53 ID:???
ペクチョン佐藤が裏切ったのが、全ての原因です。 ありがとうございました
58 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:32:32 ID:PZ4diEyT
>ペクチョン佐藤が裏切ったのが、全ての原因です。 ありがとうございました 損害率と補給状況が撤退ギリギリライン超えそうだったから独自の判断で撤退したのをそれほど叩くか この売国奴!!! 史実でも落後兵続出で戦闘単位としては消滅したのに佐藤率いる31師団に南方の土となれというのか この売国奴!!!
59 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:37:08 ID:???
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw
60 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:37:33 ID:???
>>54 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
61 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:45:22 ID:???
>>58 生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし
62 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:51:40 ID:???
>>61 生きてコピペとチンカス連呼に逃げる事無く、資料精査と正確な解析を学ぶべし
63 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:53:53 ID:???
>>62 生きてコピペと土足連呼に逃げる事無く、精神病院の檻の中で首をつって死ぬべし
64 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:54:01 ID:???
65 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:56:46 ID:???
因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
66 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 10:58:47 ID:???
日本軍を敗走させたのは、チンカスの恋焦がれる佐藤である事は公然の秘密だwww
67 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:02:49 ID:PZ4diEyT
>>生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし 悠久の大儀だぁ?! てめぇ今すぐ帰還兵の皆様に言ってみろや 「何で生きて帰った。生きて帰らずに死ね」ってな 戦後の日本を没落させる気か? このシナモドキの人でなし!売国奴! 大儀を主張するなら指揮下の部隊を壊滅させておきながらのうのうと生きているムダグチから死ねよ この二枚舌!
68 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:03:21 ID:???
>>66 でもその佐藤中将でもディマプールなら何故か攻略できるんですよね?土足大先生w
69 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:03:28 ID:???
>>63 つまらない返しだな、能無し土足w
結局土足の縋り付いていたコピペも原文読んだら土足が
書いていたニュアンスではなかったというオチでw
土足が幾ら現実から逃げても、そもそもアーサー・スウィンソンも
牟田口を評価どころが批判していたのが事実だもんなw
「佐藤中将(に潤沢な補給を与えて)ディマプールを一か月間占領
していたら、英軍は懸崖の淵に立たされていただろう」
であって、土足の頓珍漢訳のように
「作戦期間の一か月間」なんてどこにも原文には書いてないからなぁwww
しかも、牟田口の構想は"his daydreams"と或る種バッサリ斬られてるしwww
70 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:04:48 ID:???
因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
71 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:06:01 ID:PZ4diEyT
>日本軍を敗走させたのは、チンカスの恋焦がれる佐藤である事は公然の秘密だwww 敗走じゃなくて撤退ができる時期に撤退させずに 成功の見込みの無くなった作戦継続させたのはどこのドイツだ? いってみろやオイコラ
72 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:06:44 ID:???
>>67 戦陣訓を否定するのかw
それなら、皇軍はシナモドキが運営してたのか
珍説ワロタwwwwwwwwwwww
73 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:08:40 ID:???
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw
74 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:09:13 ID:???
>>72 戦陣訓を取り合わない部隊が複数あったのが現実なのは、
土足くんが知らない事実なのだよ、アホの土足くんw
航空部隊なんか初めから戦陣訓とは気風すら合わないしなw
何でも他人に「死ね」「チンカス」呼ばわりする事、つまり土足くん
の振舞いこそ、中国人や朝鮮人の特徴じゃなかろうかw
そういえば自説の為なら平気で改竄・捏造するってネットで叩かれる
朝鮮人の特徴だよね、土足くんwww
75 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:10:28 ID:???
何でも他人に「死ね」「土足」呼ばわりする事、つまりチンカスくん の振舞いこそ、中国人や朝鮮人の特徴じゃなかろうかw
76 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:14:04 ID:???
>>75 あれ〜?
土足くんが佐藤中将をはじめとする他人に、実質死ねと
喚き散らしたのはこの板の過去スレにログが残ってるけど、
誰も土足くんに死ね、とは言ってないなw
法螺吹きの屑だ、とはみんな言ってるけど、それは土足くんが
実際法螺吹きで、自説の為なら平気で改竄・捏造した所為だから、
土足くんの責任だよなぁwwwww
返し一つまともにできない土足くんが無能なのは、土足くん以外は
皆認めてることだしwwwwww
77 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:15:24 ID:???
>>76 >返し一つまともにできない土足くんが無能なのは、土足くん以外は
>皆認めてることだしwwwwww
佐藤の子孫のチンカスのみ、そんな事をほざいているのだがwwwwwwwwwwwwwwwwww
78 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:16:08 ID:PZ4diEyT
>戦陣訓を否定するのかw そうだなぁ 『戦陣訓』(せんじんくん)は、1941年1月8日に 当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令 陸海軍の軍法においては、「敵ニ奔リタル者」を罰する逃亡罪の規定(陸軍刑法77条)や、 指揮官が部隊を率いて投降することを罰する辱職罪の規定(陸軍刑法40-41条)が存在した。 他方、捕虜となることそのものを禁止したり捕虜となった者を処罰するような条文は存在しなかった。しかし、戦陣訓は天皇陛下直々の御命令と解釈されたため、 実質的には戦陣訓が軍法よりも上位であるかのように扱われていた。 こんな前時代的な方針出した東條と陸軍首脳は死ね 法で定められた軍法無視して独自通達出してんじゃねぇ 死ね 話を逸らすなやこの土足 インパール作戦が成功の見込みがなくなったにもかかわらず 作戦を継続させたムダグチに責任はありませんか?って聞いてるんだよ タコ助
79 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:18:21 ID:PZ4diEyT
>佐藤の子孫のチンカスのみ、そんな事をほざいているのだがwwwwwwwwwwwwwwwwww ほぉ九州出身の俺も佐藤の子孫だってか 先祖4代前まで把握してるけど佐藤なんてヤツは居なかったがな 死ね
80 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:19:28 ID:???
>>77 チンカスに反証されて、コソコソ逃げ回る土足くんの能力はチンカス
以下って事なんだよね、能無し土足くんwww
土足以外は捏造・改竄してまで牟田口擁護なんてしてないだけだよ^^
無能な土足の無理矢理擁護の所為で、牟田口の評価がまた下がった
のは土足くんのような無能な味方の所為だから、牟田口に謝罪して
来ないと^^
81 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:22:54 ID:PZ4diEyT
おいこら隠れんな土足 出て来いやこの土足 先に言っておくとコピペ張ったらその辞典で 反論ができませんでした。逃げましたって見なすからな? コピペに頼らず手持ちの資料と解釈で答えろヤ その上でもっかい聞くぞ インパール作戦が成功の見込みがなくなったにもかかわらず 作戦を継続させたムダグチに責任はありませんか?って聞いてるんだよ タコ助
82 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:27:17 ID:???
因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
83 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:28:24 ID:???
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw
84 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:28:38 ID:???
日本軍を敗走させたのは、チンカスの恋焦がれる佐藤である事は公然の秘密だwww
85 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:29:22 ID:???
因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
86 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:30:25 ID:???
>>84 秘密ではありませんよ土足先生。明確は意図に基づいて後退しております。
因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは
実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
87 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:30:37 ID:???
日本軍を敗走させたのは、チンカスの恋焦がれる佐藤である事は公然の秘密だwww
88 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:31:17 ID:???
秘密ではありませんよ土足先生。明確は意図に基づいて後退しております。 因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
89 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:45:25 ID:PZ4diEyT
最低限コレだけは答えろ土足 インパール作戦が成功の見込みがなくなったにもかかわらず 作戦を継続させたムダグチに責任はありませんか? てめぇが何処まで逃げても無駄だからな 一 応 言 っ て お く が
90 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:46:26 ID:???
てか軍事知識皆無の土足大先生は軍板で何かしようというのは無理だな。 思想板にでも行ったらどうだろうかw
91 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 11:56:17 ID:???
相手の話を聞くといった姿勢が皆無だから疎んじられてお終いだろう いっそのこと宗教板をお勧めするよw
92 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 12:19:54 ID:???
>>91 御利益があるどころか、万全の環境でも祟りそうなご神体なんて
来られてもこまるだろw
宗教板にも居場所がなさそうだよなぁw
93 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 12:35:32 ID:???
>>91 >相手の話を聞くといった姿勢が皆無だから疎んじられてお終いだろう
それって、このスレに生息するチンカスさんの事ですか?
94 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 12:47:25 ID:PZ4diEyT
>それって、このスレに生息するチンカスさんの事ですか? よぉ土足、いや土足じゃなくてもいいや 何でインパール作戦撤退の権限がありながら撤退の命令を出さず 3個師団を消滅させた(損害率で言うなら8割な?) ムダグチに責任が無いのか説明してくれよ いや、最低限それだけは説明しろや
95 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 12:50:34 ID:???
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw 因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
96 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 12:54:08 ID:???
>>93 チンカスに反証されて逃げ回る土足くん、一体いつになったら
インパール作戦失敗の一番大きな責任が牟田口中将に有る
事が理解出来るんですかw
幾ら相手をチンカス呼ばわりしても、土足くんが話を逸らして
逃げ回ってる事実は変わりませんよw
それともそこだけ牟田口中将の真似をしてるんですかwww
土足くんの大好きなアーサー・スウィンソンの原文でも、
「佐藤が『一か月間』ディマプールを占領し続けて居たら、英軍
は懸崖の淵に立たされていただろう」由書かれていますが、
牟田口中将の作戦計画では「作戦行動に最大限一か月」と
土足くんは主張してましたねw
攻勢発起点からディマプール占拠まで十二分な兵站を実施しなかった
責任者は牟田口中将なので、アーサー・スウィンソンも遠まわしに
牟田口中将を批判してますが、何かいう事が有りますかwwww
97 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 13:17:49 ID:???
>>96 >攻勢発起点からディマプール占拠まで十二分な兵站を実施しなかった
>責任者は牟田口中将なので、アーサー・スウィンソンも遠まわしに
>牟田口中将を批判してますが、何かいう事が有りますかwwww
牟田口中将は兵站の確保に尽力したが、
上級司令部が15軍の要求をことごとく却下した上で作戦の実行を指令しただけ。
近代軍制において、上級司令部の命令に逆らう事は極めて困難なことは言うまでもない。
気が狂った佐藤とか言うヒトモドキはいたがなww
98 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 13:23:25 ID:???
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw 因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
99 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 13:27:05 ID:???
>>97 ディマプール進撃のチャンスを奪ったのは宮崎少将なのですが?
>>98 またチンカスのコピペ連打が始まった。
今日は、ここまで。
101 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 13:31:39 ID:PZ4diEyT
>近代軍制において、上級司令部の命令に逆らう事は極めて困難なことは言うまでもない あ?じゃあ限定攻勢を支持した大本営の指示になんでそむいて15軍は全面攻勢かけてんだ? あ?説明しろコラこの二枚舌 近代軍政は適切な現場委任にあるって昨日教わっていただろうが?この鳥頭 全面攻勢は不可能と判断した時点で最低限限定公正なり防衛なりに方針変更できただろうが 後意図的にこっちの質問無視してるんじゃねぇ! 引き際を無視して作戦を継続させたムダグチに責任はありませんか 無視すんなやこの土足
>>97 尽力なんかしてませんなw
単に思いつきで「駄牛隊」とやらを編制するように言い出して、
結果、土足くんの大好きな「奇襲」を失敗させてますがw
上級司令部に悉く作戦計画を却下されたのも当たり前、何故なら
前スレでも指摘があったけど、東條と杉山のレベルで「ビルマ戦線
は主戦線ではないからこちらから攻勢には出ず相手の出方を待つ」
方針が決定されていたからですがw
さて、
>>近代軍制において、上級司令部の命令に逆らう事は極めて困難なことは言うまでもない。
筈なのに、上位司令部の意向を無視して攻勢作戦を行った牟田口中将
の罪科を認めるんですか、土足くんw
攻勢の時には勝手に上位司令部の意向を無視した(だけでなく下位司令部
からの具申も無視した)牟田口中将は土足くんの言い分では今までの評価
よりももっと罪が重いって事になりますねw
チンカスに反証できない無能土足くんwww
>>100 いや、あんたコピペ乱打が困るのは答えてあげても同じ事を繰り返すが不味いのであって、
お前さん、返答も出来ない論破された状態で同じ主張を繰り返してるじゃん。
つまり、この場合、コピペ乱打してるのはお前なんだよ?
>>100 牟田口と関係のない話そらしをして荒らし行為をしているのは土足さんです。
また既に否定されてコピペを連貼りしているのも土足さんです。
ご自分を棚にあげて他人を非難するのは牟田口と同類ですね。
同病相哀れむということでしょうか?w
106 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 18:07:49 ID:l+6FAPLX
>>101 ニセ者相手に何わめいてるんだ?
牟田口に責任が全く無いなんて誰も言ってないだろが。
しかし批判の内容が、あまりにもデタラメ。
後で考えれば、撤退の判断は1ヶ月遅かった。
それは結果論でしかないが、牟田口への批判があるとすれば
それくらいしかない。
しかも、牟田口に作戦中止を決める権限など無い。
奇襲作戦から、当初予定してない長期持久戦に変わっているのに、
上層部はその戦況判断を牟田口に丸投げしたまま放置していた。
もう少し踏ん張れば、包囲された相手は根を上げると、
そう考えたわけだが、そうはならなかった。
これは結果論でしかないし、牟田口だけの判断でも責任でもない。
107 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 18:14:10 ID:l+6FAPLX
インパールに立てこもった連合軍は 空輸による補給を受けていたが、それがどの程のものなのか そんなこと牟田口にわかるわけがない。 航空機による偵察など、それは上部組織がやるべき事だろ。
>>106 はい、例によって的外れ。
>>それは結果論でしかないが、牟田口への批判があるとすれば
結果論ではないな。既に前線各師団からは窮状を訴える通信は
有ったし、「それをどのように取り纏めて上位司令部へ具申するか」
は牟田口の責任なのだから。
しかも、作戦発起時に自分の気に入らない意見を具申した参謀を
トバしたのも牟田口なのだから、判断に必要な環境を自ら壊している
点で牟田口に情状酌量の余地は無い。
>>上層部はその戦況判断を牟田口に丸投げしたまま放置していた。
正確な戦況を基に中止を具申する権限と権能は牟田口に有った。
有ったからこそ史実の河辺と牟田口の「察してチャン」な話が起きて
居る。河辺に責任が無いとは言わないが、牟田口の責任はより重い。
>>もう少し踏ん張れば、包囲された相手は根を上げると、
>>そう考えたわけだが、そうはならなかった。
>>これは結果論でしかないし、牟田口だけの判断でも責任でもない。
その判断を下したのは牟田口だし、その判断を下す環境を望んで
作ったのも牟田口である以上責任は逃れられない。
109 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 18:35:04 ID:21PTMwbo
>>106 >牟田口への批判があるとすればそれくらいしかない。
こいつの無能さは見上げたもんだが無能といえば昭和の軍人なんて無能だらけなんだよ
こいつが批判されてんのはその人格の屑さだろうが
牟田口と関係のない話そらしをして荒らし行為をしているのは土足さんです。 また既に否定されてコピペを連貼りしているのも土足さんです。 ご自分を棚にあげて他人を非難するのは牟田口と同類ですね。 同病相哀れむということでしょうか?w
土足大先生は佐藤中将を無能臆病とののしりながらも ディマプールは攻略できると申しておりますw 因みに土足のdaydreamであるディマプール進撃のチャンスを奪ったのは 実は名将の誉れ高い宮崎少将であることは内緒だw
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
113 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 18:49:05 ID:l+6FAPLX
>>109 >昭和の軍人なんて無能だらけなんだよ
口だけの団塊の無能世代よりはまだマシw
>>113 だが土足のおかげで今まで否定的だった柳田師団長の統制前進が
実は戦術的には正しい処置だと分かった。ありがとう土足w
116 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 19:11:32 ID:21PTMwbo
>>113 何言ってんだ?
議論する気すらないならレスするなよ
>>107 あの〜、空輸の状況ってのは航空偵察じゃあわからないものなんですが?
むしろ前線で戦っている将兵が相手との抗戦状況で判断するものなので。
というより元からの手持ち物資なのか空輸物資なのか区別しても意味がない。
んで、その状況を把握できなかったというなら
牟田口司令部存在する意味ないですね。
つか、空輸状況は航空偵察でしか分からないとでも思っているのか?
もしかして航空ユニットで偵察ボタンを押さないと分からないんですかw
118 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 19:30:57 ID:PZ4diEyT
土足ではないが日本軍は制空権ほとんど持っていかれていた状況だから航空偵察は難しい が、日本軍も敵の空輸投下の強奪作戦とかやっているから 空中投下で物資補給されているって言うのは知っていたし、 蒋介石ルートの空輸を割り振ればインパール補給ぐらいは支えられると察しをつけることは可能 >しかも、牟田口に作戦中止を決める権限など無い。 無いわけ無いわ。 大本営の作戦方針を現地判断で変更したり15軍権限で師団長の更迭仕掛けるほどの権限もってんじゃねぇか >大本営陸軍部は、牟田口第15軍司令官の立案したインパール攻略作戦の準備命令を下達した。 >このときも南方軍は限定攻勢とする修正を指示したが、ビルマ方面軍はこの修正を強く求めず、第15軍では修正指示が事実上無視されていた >戸部(1991年)、157頁。 >「河辺中将の真の腹は作戦継続の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は最早インパール作戦は断念すべき時機であると咽喉まで出かかったが、 >どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」 って本人も言っているんだから作戦中止の判断と進言、変更は現場の15軍司令官のムダグチの権限だね
とゆ〜か、どのくらい空輸されているかなんざわりとどうでもいい情報で、 それが必要量をまかなっているかどうかは相手が活発に反撃してくるかどうかで 普通に判断できる。重要なのは空輸量じゃなくて相手の戦力維持だからね。 んで、第15軍のほうがよくわかるはずのことも判断できずに 上層部が航空偵察して情報を寄越さないからとか 自分の無能を棚に上げて中止すべきか判断できませんと土足先生がいうなら、 やはり牟田口は無能ということでFAだね。
120 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 19:44:52 ID:NGtWkhFJ
>後で考えれば、撤退の判断は1ヶ月遅かった。 作戦開始が3月頭 4月の頭には餓死者が出ているのに 「6月1日には撤退するべきだったね」ってか 死ね マズはてめぇが飢餓地獄の中で2月耐えろ
土足が尻尾巻いて逃げ出すまでの時間が日に日に短くなっていくなー まぁ昨日論破されたネタ(撤退判断・指揮権)を今日持ち出すくらいだから もうネタがないんだろうな っていうか流石にどうかと思う。鳥頭?
122 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 19:51:50 ID:l+6FAPLX
>>120 >4月の頭には餓死者が出ているのに
それはソースはあるのかい?
123 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 19:55:32 ID:l+6FAPLX
敵の空輸能力がそこまで高かったというのは 戦後にわかった話で、当時はそんな予想していない。 そりゃそうだろ。 航空機すら配下に持たない15軍、ビルマ方面軍では 敵情偵察能力は全く無いから、わからなくて当たり前。
>>123 はい、またも的外れ。
>>敵の空輸能力がそこまで高かったというのは
前線や15軍レベルで判断が必要なのは、118氏が述べているように
「何処から空輸してきているか」
ではなくて、どの位の抗戦能力を敵が保持しているか、だから。
で、空輸量の掌握は出来なくても、空中投下による空輸が行われて
居る事は掌握済みだし、戦闘に関する情報から敵へどの程度の
補給が実施されているかについて推測を行うことは15軍司令部の
職責であり、職能である。
そして、これは
「配下に航空部隊が無い(有る)」とは関係が無い。
したがって、職責及び職能を果たさなかった牟田口の責任は重い。
125 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 20:01:05 ID:l+6FAPLX
あと佐藤はエロジジイで宮崎少将からも嫌われてたそうだが、 焼き肉屋ジンギスカンハウスをやりだしたのも、佐藤じゃないのか? ジンギスカン(義経焼き)は山形発祥のようで、やたら多い。
>>125 その話はインパール作戦とは全く関係ないな。
佐藤中将と宮崎少将との仲がインパール作戦の決心やら
立案やらの段階と何の関係が有るのだね、土足くん。
>>123 えーと、まったく反論になってないんですけど?
空輸能力の高低なんぞ現場の抗戦能力の高低とは直接関係なく、
後者は牟田口だけが判断できることで(河辺は牟田口が上げる情報でしか判断できない)、
作戦の継続中止の判断に必要なのは後者の能力だと申し上げております。
はっきり言えば空輸無くても元からインパールに物資があれば、
抗戦能力は維持できるわけでして。
はい、またもや論破終了
128 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 20:04:15 ID:l+6FAPLX
>>124 >どの位の抗戦能力を敵が保持しているか
だからそんなもん、空から見なくちゃわかるわけ無いだろがw
下から見えるのか?そんなもんが?
前日注文していたアーサースウぃッソンのコヒマを今受け取った これから読むけど 裏書にこう書いてある 「佐藤中将率いる第31師団はコヒマへと突入しその4分の3を占領。残る4分の一を英印軍と争った」 ・・・コヒマ占領すらできていなかったのか?日本軍
>下から見えるのか?そんなもんが? 威力偵察ってご存知かな? 軽く敵部隊に攻撃を仕掛けてその反撃状態から敵の補給状況を知る手段なんだけど 軽くどころか本格的に戦闘を行っている状況で敵の補給状態がまったく察せられないって言うのは無理があるね
>>128 はい、またまた的外れ。
>>だからそんなもん、空から見なくちゃわかるわけ無いだろがw
>>下から見えるのか?そんなもんが?
前線で戦闘してる師団からの報告を牟田口中将は目も通してない
って言いたいんですかw
空中投下が行われていることは前線の各師団から報告が上がって
居るし、その事実と前線の敵部隊の抗戦状況で、或る程度補給状況
を推測して、その後の各師団の動向を決定するのは15軍司令部以外
にはできませんよ、土足くんw
それとも牟田口司令部は司令官が完全に無能だといいたいんですかw
132 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 20:16:49 ID:l+6FAPLX
佐藤は地元山形でもかなり評判が悪かったようだが どうも佐藤の悪評が、牟田口にすり返られたような気がする。 ジンギスカンハウスの件は、非常に気になる。
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
134 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 20:26:30 ID:l+6FAPLX
東北には佐藤という姓が多いようだが 奥州藤原氏や佐渡・藤原氏の佐藤と関係あるんだろうか。 そうすると義経ともつながり、義経=ジンギスカン伝説も 東北っぽい
ええっとコヒマで例の白昼夢に関係ありそうな所を見つけたのでとりあえず手早く アーサー・スウィンソン「コヒマ」p28 インパール攻略作戦の前哨戦 アラカン英軍が空輸や援軍を投入してくる為 なかなか陥落せず、しかしながらインパール攻略作戦が開始されるくだり。 無駄口中将は”命令”の限界というものをよく知ってはいたが、しかしなお輝かしい勝利の夢に酔っていた。 はるかなる渓谷のかなたになだれ込もうとしている自分の軍隊を塞ぎ止めているあのアッサムの防壁を打ち破り、 ベンガル国境に達することができたならば・・・。 万一にも彼がここに拠点を作ることに成功すれば、可能性は無限に広がる。 すでにインド会議派の政治家たちは暴徒を煽動していたし、国境に日本軍を駐留させればインド人は 挙って英人行政官を血祭りに上げながら蜂起するかもしれない。 彼の告白をたどると、無駄口中将の白昼夢はなおも続き、白馬にまたがって デリーの街をいく自分の姿をハッキリ脳裏に見たと記されている。
>>132 >>134 その件がインパール作戦の「決心」〜「作戦発起」のどの
段階に関係するんですかね、土足くん。
それともインパール作戦失敗の責任が牟田口にかなりの
部分帰するって事には一切の異論が無い事を認めたくない
から、全く関係ない話題を出して逃げ回るつもりですかね、
土足くん。
次に似た話題出したら、インパール作戦失敗の責任は牟田口
にかなりの部分帰する事を土足くんが認めたとみなしますよ。
>>129 乙です。
大体その通り。で、残りの部分から英印軍を叩きだせ、と言う
ならば、叩きだす為にはもっと補給をよこせ、というのが佐藤
中将の要求した大意。
>>135 それだけ沢山の「白日夢」を見てたから"his daydreams"なんでしょう
なぁ。
>>128 >だからそんなもん、空から見なくちゃわかるわけ無いだろがw
は? あんまり馬鹿なこと言わないでくださいよ。
むしろ空から見ても分かるわけ無いですが?
物資の総合量程度は航空偵察でもわかりますが、
実際の抗戦能力=戦闘力は地上で交戦している人間でないとわかりませんよ。
どうしも不思議だと思うなら自衛隊基地のグーグルマップでもみてください。
そこの部隊が何会戦分の物資をもっているか航空写真から判別できたらたいしたモンです。
もう少し考えてからレスをつけましょうよ。
140 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 20:37:57 ID:l+6FAPLX
インパール作戦をヒントに それと地形が良く似た山形市をインパールに見立てて 佐藤の親戚縁者とかがジンギスカンハウスを 始めたのが発祥ではあるまいか。
>7 で土足が引用しているパーカー中佐だけどムダグチを評して ムダグチは皇道派の一員である〜の下りから P29 「中将は物事を黒白に分けてしまう傾向がある。反対派は蒸気ローラーで押しつぶしてしまう」 また 「兵士達の戦友愛を強調し、戦死こそは日本人と生まれて、この上無く名誉なことだと思い込んでいた」 と記述してある。 アーサーの評価としては 指揮能力は高いが感情を抑えることができない人であった。 友人は大切にするが一度うらんだら最後、決して忘れることは無く赦そうとはしなかった。 との事
>>140 はい、これで土足くんがインパール作戦失敗の責任は
かなりの部分牟田口にある事を認めました。
話を逸らすのは反証できないからで、反証できないから
佐藤中将の戦後の話を出してるみたいですが、それは
単に土足くんが負けを認めたくないってだけですから。
しかし論証が出来ないから逃げ回ってる訳で、即ちインパール作戦
失敗の責任はかなりの部分牟田口に帰する事を土足くんが
認めたことになりますねw
インパール作戦前のイギリス軍の方針 イギリス軍は日本兵の所属が切り替わったこと、航空偵察により多数の牛群を確認などから日本軍の攻勢が近いと判断 インパール正面戦線は後退して持久方針 コヒマに奇襲は来ると察知 コヒマに来るのは一個大隊程度と見積り もしやばくなったら後方から増援予定 追加はもうちょい読み込んでからにしますね
145 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 21:09:11 ID:l+6FAPLX
>>143 だから航空偵察なしに、なにもわからんだろ。
>>140 根拠が何一つないな。そういうのを白昼夢という
……というか、佐藤は日本一多い名字で、日本中にいるだろうが。なんで東北なんだ?
>>145 >だから航空偵察なしに、なにもわからんだろ。
ならば牟田口は、何もわからないにも関わらず、成功すると思い込んでいた大バカ者だな
148 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 21:17:27 ID:l+6FAPLX
>>146 佐渡・藤原氏が佐藤姓の発祥で
佐藤は東北に特に多い。
149 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 21:18:50 ID:l+6FAPLX
>>147 それを牟田口に丸投げしていた上層部の責任だろ。
150 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 21:20:49 ID:l+6FAPLX
『コヒマ』を入手したと言いながら 肝心なこの部分が出てこないじゃん。 pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams. Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster.
>>149 >それを牟田口に丸投げしていた上層部の責任だろ。
丸投げされていたならば、牟田口の裁量でやめることもできた筈だな
そして実際には、十五軍は、上層部に出鱈目な報告をしていた
>>150 未だ30ページ程度しか読んでないって話だぜw
其処は何ページなのか位確認しろよwww
というかコレ「コヒマ」の日本語版で土足の引用してきた「バトルオブコヒマ」じゃないんよ 今現時点で土足がテンプレに使用しているアーサーとパーカーがムダグチを決して好意的に評価していないのと 少なくともインパール作戦自体ではインパールより先のことはどうも考えていなかった(少なくとも直接進撃に関しては) アッサム〜って言うのはムダグチが脳裏で考えていた白昼夢、みたいに書いてある 能力は優れていたが人格面に多大な問題があり都合のいい報告意見しか聞かなかった そもそもの大田本がアーサーのなんていう書籍から引用してきたのか教えてくれないから自分で調べる羽目になるんよね・・・ バトルオブコヒマに関しては原文がもうちょい後に到着予定 すまぬ
155 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 21:57:10 ID:l+6FAPLX
>>154 牟田口の評価ではなく、ディマプール追撃の是非に関してなんだが?
この件はどの版にも書いてあるはず。
>>150 いやさ、あんたの論拠なのに他人に調べさせておいて
なんでそんなに大きな態度で責めるようなことができるの???
本当はお前がきちんと史料に基づいてレスしていれば、
そもそも154氏のやってる手間はかからないわけだが?
>>155 >牟田口の評価ではなく、ディマプール追撃の是非に関してなんだが?
自分で付けたスレタイを思い出せないようだな、土足はw
>牟田口の評価ではなく、ディマプール追撃の是非に関してなんだが? なぁなぁ土足ー? 何時どのタイミングでどの部隊が追撃していれば、って書いてある? >この件はどの版にも書いてあるはず。 いや、反が違うんじゃなくて本が違うんだがな まあ作者同じで執筆年数も殆ど同じだからそこまで違うって事もないだろうけど
いや、ソレっぽいところはあったな ちょいお待ちを・・・
160 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 22:15:23 ID:l+6FAPLX
人の引用文を捏造呼ばわりしてるのだから、それを証明する義務は そっちにある。 いちいち英語版など確認せずとも 複数の書籍で一致した連合軍のこの見解が 変わるわけがない。 ■また当時第二師団参謀として牟田口軍と砲火を交えたアーサー・スウィンソンは その著「四人のサムライ」の中で、次ぎのように記している。 「あの決定的瞬間にたまたまディマプールにいたこの本の著者の見解では、彼は 成功していたと思う。当時のディマプールは全地域にわたって、狼狽と混沌の中 にあった。何千と言う苦力が道路にむらがっていた。血走った日の通信隊の列が ぶっつかりながら動いていた(略) こうしてディマプールを手中にすれば食料・弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵 にあったのだから牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまっ たく髪毛一本の競り合いだった(略)」 <佐藤晃「戦略大東亜戦争」>
>>160 いいや、それも違うな。
何故なら英語版から日本語版に翻訳した際に、正確に日本語に
ニュアンスを含めて翻訳される保証は何処にも無いからだ。
端的に言えば翻訳者の知識や技能に左右される。
したがって、疑問が有った際に原文を当たるってのは土足以外
では常識だよ。
162 :
名無し三等兵 :2011/01/10(月) 22:28:09 ID:l+6FAPLX
>>161 だからこの件は、大田氏が複数の書籍を確認して
全て見解が一致しており、連合軍側のこの見解は
動かしようが無いと言っている。
土足が自分の恥をさらし続けるスレ。
>>162 で、大田センセの英語力には少々疑問が有る、と言うのは
前スレで指摘がされてる訳だが。
それでも翻訳した内容と現実を照らし合わせて、記述内容
から「兵団運用の観点から疑問が有る」と注釈を付けている
大田センセにはそれなりに、自分の英語力に問題が有る事、
そしてその判断は読者側に任せる意味も込められているの
だろう。
それは大田センセの良心と呼ぶべきで、その「良心」に縋って
自分で何ら確認してない(原文を当たってない)土足くんには
その事について論評を挟む資格がそもそもない。
なんか、ずっと同じことの堂々巡りだな。 サンジャックとゼッサミに寄り道した時点で、 ディマプールまで行ける勝機は失われてたんだろ。 英軍の心配は杞憂だったんだろ。
アーサー・スウィンソン「コヒマ」p100辺りから乗っていて長いから要約すると、 メイミョウの無駄口司令官、作戦全体の進行状況がさほど芳しくない中、コヒマの三分の2を制圧したことから インパールの後方補給基地ディマプールへの進撃を思いつく。 その為にカワベに佐藤師団長に北上を下命し、南方司令官の寺内に航空支援を要請。 目的は @インパール・コヒマへの救援妨害Aインパール退路の封鎖Bディマプールの備蓄物資 等 で、河辺に進言するも蹴られる。 理由は大本営から発カワベの作戦指令 『ビルマ方面軍は適時前面の敵を破砕すべし。ビルマ防衛を目的として、インパール付近と北東インドを攻略し、当該作戦地域を確保すること』 で、作戦地域の解釈の問題でどうとでも解釈できる。これが原因って書いてある もうチョイ続く
>>160 ねつ造呼ばわりする根拠は十分にあるのですがw
なにせあんた原文にあたってないわけですし。
それはともかく、急に自信がなくなったか?
自分が正しいと信じているならいちいち言わなくてもいいレスだよな、それw
結果が出てから、ほら俺が正しかったと勝ち誇ればいいのであって、
変わるわけがないなんて変わることを前提にいわなくてもいい。
まあ孫引用なんで原文に当たられたら困るのはわかりますが
サンジャックやゼッサミに時を費やさず、コヒマを楽に占領できて、 ディマプールを脅かし、 その間、ラッキーにも捕捉できた17Dを33Dが退路ふさいだままで推移したら、 動揺した英軍がインパール放棄したかも知れないとは感じてるし、 佐藤や柳田が急襲の意図を汲んでないとも思ってるが、 そういうラッキーが幾つも重ならなければ、成功しないだろ。 実際にはコヒマを占領できない時点で勝機は去っていただろ、 史実の状態ではディマプール進撃なんてできない状態だったろ。
で、ここから引用 アーサー・スウィンソン「コヒマ」p101 カワベはこれを厳密に解釈し、無駄口は自分の白昼夢に合わせて拡大解釈をした。 無駄口のほうが実際には正しかったのである。なんと言っても正しかったことに間違いは無いのだ。 これがナポレオンの言った”機宜”というものなのであろうか。 佐藤がわずか一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。佐藤の部隊はコマヒ限定戦に呼び戻された。
って書いてある。 この後はまたコヒマのごたごたに話が戻る。 インパール作戦全般を通して全般的にチャンスだったのは間違いない見たい。 ディマプールの防衛戦力は8万人のインド兵と幾らかのイギリス兵 インド人は補給状態は劣悪(小銃1万丁のみ)食料は描写からするとそこそこあった模様 4月5日に日本軍前衛がコマヒで戦闘開始 コマヒ〜ディマプールへの移動には概ね3日と無駄口見積もり 4月15・16には救援部隊がディマプールに到着し始めたみたい(読み込み不足) だから確かにこのタイミングでディマプールへの攻勢を行っていれば可能性はあったかもしれない
>>170 4月5日に日本軍前衛がコヒマで戦闘開始した時点以降、
どうやってディマプール占領に必要な兵力が進撃できるんだよ?
君の書き込みでもその時点でインド兵が八万もいたんだろ?
>>171 その件は土足のwikiのノートでも運営側に指摘されてたよな。
早い話が「コヒマで戦闘に入ってる時点でタイムアウトなのだ」
と。
後佐藤が割りとノリノリでコマヒ攻略に乗り出してたりとか 4/15時点でコマヒへの圧力が増してきて ムダグチも奇襲の可能性がなくなっているのを半ば自覚していたり 英軍・日本軍がお互いに奮戦した事とか 英軍がコマヒから撤退しなかったのは半ば政治(対現地住民)がからんでいたりとか 色々書いてある
160 :名無し三等兵:2011/01/10(月) 22:15:23 ID:l+6FAPLX
人の引用文を捏造呼ばわりしてるのだから、それを証明する義務は
そっちにある。
いちいち英語版など確認せずとも
複数の書籍で一致した連合軍のこの見解が
変わるわけがない。
■また当時第二師団参謀として牟田口軍と砲火を交えたアーサー・スウィンソンは
その著「四人のサムライ」の中で、次ぎのように記している。
「あの決定的瞬間にたまたまディマプールにいたこの本の著者の見解では、彼は
成功していたと思う。当時のディマプールは全地域にわたって、狼狽と混沌の中
にあった。何千と言う苦力が道路にむらがっていた。血走った日の通信隊の列が
ぶっつかりながら動いていた(略)
こうしてディマプールを手中にすれば食料・弾薬、ガソリン、輸送車が無尽蔵
にあったのだから牟田口は確かに勝っていた。当時の状況としては、勝負はまっ
たく髪毛一本の競り合いだった(略)」
<佐藤晃「戦略大東亜戦争」>
162 :名無し三等兵:2011/01/10(月) 22:28:09 ID:l+6FAPLX
>>161 だからこの件は、大田氏が複数の書籍を確認して
全て見解が一致しており、連合軍側のこの見解は
動かしようが無いと言っている。
はて?
>>160 では超空の要塞がB29の名だということも知らないトンデモ本作家の佐藤晃だといい、
>>162 では時系列が引用元と矛盾するトンデモ本作家の大田だという。共通するのは、トンデモ本作家だってことだがw
>4月5日に日本軍前衛がコヒマで戦闘開始した時点以降、 >どうやってディマプール占領に必要な兵力が進撃できるんだよ? んーとね 地図によると確かにディマプールに向かう途上にイギリス軍陣地があるんだけど 丘をいくつか突っ切ればショートカットできなくも無い様に見える。ある程度の部隊なら浸透可能みたい その浸透した戦力で攻略できるか?っていう話になるとかなり厳しいと思う ムダグチとしてはソレを航空支援で補う腹積もりだったかと もしくは、 ムダグチの想定だとコマヒはもうすぐ片付くから南方軍の航空支援を投入して 佐藤部隊が北上すればいけると踏んだらしい。実際はコヒマで頑強に耐え切ったわけだけど >君の書き込みでもその時点でインド兵が八万もいたんだろ? 印度兵はどうも士気が低く、武装も不足していたのは確かみたい だらだらと持久戦やるよりかは勝ち目があったんじゃない?みたいな感じ 正直ディマプール救援部隊が到着するまでの7日間でディマプールの占領ができたか? っていう話だと半ば無理だと思うと思う
確かにディマプールは結構な混乱状態にはあったみたい イギリス軍としてやられていたら嫌な手段の一つではあったと思う
>>172 逆に言えば、タイムアウトにならないような経過であれば、
そして、史実のような手違いで、17Dが窮地に陥るようなラッキーに乗じる事が出来れば、
あるいはインパール占領の可能性は僅かにあった作戦だと認識してる。
その点で、初めから可能性ゼロの無謀な作戦ていう前提で物言うのは抵抗がある。
(リスクマネージメント的には十分無謀すぎるのはわかってるけど)
おそらく、政略的見地以外での、実際面でのこの作戦の問題点は、
失敗ないしはうまくいかなかったときの対策がまるきりなかった事だろ、主に補給で。
だからこそ佐藤が俺から見れば投げやり的な態度だったのだと思う、
だめだったどうしてくれるんだって、部下は飢え死にしないようにしてくれるだろうなって、
だから、独断撤退はしょうがないと思う。
でも不思議なのは、後勝とか野口って参謀は、佐藤の行動に批判的な事書いてること。
特に、後勝はインパール中止を早々と進言してる人なのに、佐藤の行動を土民軍とか言ってる。
>正直ディマプール救援部隊が到着するまでの7日間でディマプールの占領ができたか? >っていう話だと半ば無理だと思うと思う 仮に攻略成功したとしても数日後に救援部隊が来て 攻略部隊は壊滅以外の結果は無いと思う
後この本この時期の日本軍の補給状態とか戦況があんまり乗ってないんだよね 日本軍の補給状況とか南方軍の航空支援が本当に可能だったのか、 みたいな判断を、ムダグチがそう判断していた、でスルーしてるんじゃないかなぁ・・・と ムダグチの想定どおりに行けば確かにいけなくも無いんだけど・・・・。 日本軍の補給状態がどんなもんだったのかは調べないと何とも
まぁ英軍の常識だと推進補給無しで来ているとは思わんだろうなぁw
>>179 航空支援については無理だよ。
43年の雨期明けごろには敵勢力は700機位、インパール作戦時には1400期位だったと
各種書籍で読んだ。(どの本か今わからんけど複数)
対する第5飛行師団は、木俣滋郎の本によれば1月時点で稼働機147機不良修理中合わせても190機程度、
6月には80機程度まで消耗。
宮内とかいう64戦隊長の本でも、ビルマ内ではともかく、インパール近くでは、
戦闘機でも自由には行動できなかったことがうかがわれる。
その本では、護衛戦闘機がついてたのに4式重爆1っこ戦隊9機があっけなく全滅するエピソードもある。
182 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 01:13:25 ID:TJaDdKg6
ようするに長尾の日本語版を読んでるのだと思うが、 まず、おれの引用文が正確だと証明されたわけだな。 一ヶ月間の占領ではなく、一ヶ月以内に占領するという部分も。
183 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 01:25:53 ID:TJaDdKg6
そしてアーサー・スウィンソンは何もかも 日本の状況を調べて、わかった上で判断してるわけだろ。 日本軍がどんな体制で、どんな状況で、どの連隊が4月10日に ディマプールに来るのかなど、全てわかった上で判断している。 牟田口が航空支援を要請したとか、そこまで詳細に。 そして、負けていたという判断。 異論があるのは自由だが、とにかくアーサー・スウィンソンは そのように判断している。
184 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 01:31:40 ID:TJaDdKg6
航空支援は大田も指摘しているが 包囲された相手に与える真理的影響が大きい。 リデルハートも言ってるが、敵司令官に負けたと思う心理状態に 陥らせる作戦こそが重要だと言ってるが 現に、ストップフォードはその状態に陥っている。 そうなれば勝ったも同然。
185 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 01:54:38 ID:TJaDdKg6
もし31師団が、初めからその気でディマプール攻略を 目指して行動していれば、3月15日の作戦開始から ジャスト3週間でディマプール攻略は出来ていた。 牟田口の作戦は、無茶苦茶などではない。
>>185 その場合土足理論だと宮崎少将が裏切り者ということになるのだが?
相変わらず土足は軍事知識皆無だなw
>>185 それでは「インパール作戦」じゃなく「ディマプール作戦」だよ。土足くんw
>>182 はい、またまたまた的外れ。
グダグダ書いてるが、要するに全て此処までにソースや
資料付きで反証された事ばかりだな。
航空支援に関しても、過去スレでも決心段階で飛行師団長
に反対されていた由指摘されているし、直ぐ上でパンツが
機材の観点からも無理だ、と指摘してるぞ。
アーサー・スウィンソンはそんな判断はしてないな。だからこそ
牟田口を批判してるし、それ故に牟田口の人格の否定的部分
を描写していたりする
(一度自分を裏切ったら〜云々、と言うのは中世までならともあれ、
土足の大好きな「近代軍組織」に於いては公私の区別がつかない
レベルと看做される)。
>>182 土足さ〜ん、この場合あなたが証明しなければならないのは、
長沼がこう訳したというだけではなくて、
一ヶ月以内にディマプールを落とすだけで
例え翌日に占領部隊が壊滅する一時的占領でも英軍が懸崖に立たされると言うことですがw
普通に考えて落としただけでは遮断効果はほとんど得られないし、
元の英文がfor a monthであることから誤訳の可能性を指摘されている。
それとも長沼ガーと喚くおつもりですか?
>>184 心理的?
もしやったとしても、四六時中味方機が飛びまわってるなか、
ごくたまに少数の日本機がやってきては味方機に追い回されたり、
さして有効な攻撃できないのを見たら、心理的に安心するんじゃないか?
まして負けたとは思うまい。
君の言う通りなら、包囲下じゃないが、ヌルマンディ上陸直後の脆弱な状態で、
プリラー率いる2機の戦闘機に銃撃された、ジュノー、ゴールド、ソード海岸の英兵は、
相当な心理的打撃を受けたはずだよな。
そのくらいの戦力差があるのが、俺の書き込み見てもわからんか?
>>191 軍事知識皆無の土足に貴殿の書き込みの意味が分かるとは思えないw
>日本の大学の専門の研究者の近代史観は歪んでいる。 >米軍の占領による公職追放で、左翼の学者以外は大学などから放逐された。 >米国などの連合軍に都合がいい歴史観を日本に押し付けるためである。 土足ちゃんブログより つまり土足は軍事的見地から語るつもりはさらさら無い。 軍事板でやるなといいたい。
日本が隠していた満州事変は自作自演の侵略とかの、史実を公表するのがGHQのやり口。 まったくの嘘と捏造で固めるのが自慰史観のやり口。 客観的説得力が段違いだから、後者がまったく流布しないだけじゃね?w
>>184 その航空支援は牟田口が自分から断っただろうがwww
>>182 あなたは for a month の意味も分からないのですか?
>>195 確か「航空機は協力できない」と言われて
「では要らない」とかいう逸話?
牟田口は制空権の重要性をまったく理解してなかったからな。 ウィンゲート旅団の行動に着想を得た、というが。実際には何の理解もせず無謀な突進を正当化する材料にしただけ。
しばらく見に来てなかったがひどいなこれは。
>>16 なんで毎度毎度レイテと比較するの?比較対象として間違ってない?
>13
ジンギスカン作戦は完全に失敗していますが?
>>17 各師団の損害はもっと多いですが?
33師団 17000人→2200人 損耗率84%
15師団 16000人→3300人 損耗率78%
31師団 16600人→5000人 損耗率67%
いずれも概算 戦史叢書イラワジ会戦より
>>20 もともと道路建設してたのを牟田口が強引に引っ張ってきたんだろ?
>>25 佐藤中将はもともとそういう文体で日記を書いてますし、
この時は上級司令部への反抗の意味でこういう文体になってるのですが?
>>30 鹵獲した物資はその後英軍の反撃と砲爆撃でほとんど失いましたが?
>>18 それはインパール作戦とは無関係ですが?
>>40 for a month を正確に訳してみたらどうですか?
その他インパール作戦、牟田口の再評価に関係ない事項が多く含まれております!
>>197 そうそれ。
「空からの援助は必要ない」と言ったらしいが
土足の言うことが正しいなら
>>199 にも筋の通った反論が出来るはずだ。
みんなでのんびり待ちましょう。
ただのfor a monthじゃなく hold Dimapur for a month ↑ が重要だね
>>199 来ないほうがいいのでは?
ここは土足が軍板で軍事的に無知を晒すスレですからw
正確には、作戦中止もしくは再考を訴える航空師団長に、河渡るときだけ援護しろあとは要らんわ、と言った。 意地や面子が部下の命より大事な無茶口は、この件のためか航空にほとんど働きかけず。 佐藤師団長らが直接航空にかけあって支援要請するという異常事態。
>>202 hold Dimapur for a month →ディマプールを一ヶ月間支配する
まあfor a month の訳は「一ヶ月間」だし for の時間的な意味は[期間]・・・の間(ずっと)だし
そもそも中学校で習う文法だし土足でも理解できるはずだが・・・
>>203 軍事的に無知を晒すwww
すげえな、逆立ちしたって出来ねえよwww
>>205 土足は理解したら負けだと思っているw
なんせ牟田口が悪党なのは自虐史観らしいのでw
田副第五航空師団長 「貴方(牟田口)は飛行機の輸送能力をご存知ないのです。(連合国側)三百機で一日一八〇〇トン動かせる。その二割を使うだけで月に三万トンになり、これはトラックを日に一〇〇台使うのと同じです」 無駄口 「私には神霊の加護があるから大丈夫だ」
そんな加護で大丈夫か?
史実的に見れば神霊の加護で英軍が蹴散らされたなんて話はないw
まあ俺は土足が
>>199 に納得いく反論を返してくれるのを気長に待つよ。
神霊は神霊でも疫病神じゃw 牟田口の暴走を私信を受けてとかで追認しまくった東条英機が太平洋戦争前に占いをさせたら、 何回やっても日本負ける戦っちゃだめ、と出たというし。
>>214 そんな牟田口も天寿だけはまっとうした。
世の中って不公平だね。
>もし31師団が、初めからその気でディマプール攻略を >目指して行動していれば、3月15日の作戦開始から >ジャスト3週間でディマプール攻略は出来ていた。 インパール作戦初期の想定だとディマプールは防備が固いっていう事になっていた だから31師団はコヒマ狙いで行動した・・・というかそう指示された どうもディマプールが手薄(それでも8万の印度兵が駐留してたけど)って判明したのは コヒマ攻略戦の最中みたい 元々インパールは正面から突破を仕掛けてコヒマは補給路切断にとどめるつもりだったけど インパール正面が思わしくないからディマプール狙いを思いついた模様 時期的にその想定は無理、後知恵が過ぎるかなぁ・・・と >牟田口の作戦は、無茶苦茶などではない。 とりあえずジンギスカン作戦は無理があった模様 谷に落ちたり水に流されたり荷駄に向かない動物まで使用していたから 補給部隊は消耗が激しすぎたみたい
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>217 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
前スレでも述べたが、土足とは軍神牟田口が降臨した姿なので、当然行動パターンも同じである。 その土足が逃げ回る=空砲三発で逃げ出すのは牟田口の方。 これはおそらくマレーで手榴弾貰ったのが原因だと思われる脳障害のせいw
4月17日には荷駄部隊の馬を食い潰さないといけない状況だったと書いてある この夜日本軍は大規模攻撃を仕掛けた模様だけど、丁度増援部隊が英軍に到着して(含む戦車) 士気と戦力は一気に回復している 18日には消耗した戦力の一部をディマプールに後送できる程度には戦力を回復し、この日から空輸が本格化され、 コヒマの物資状況は改善された 17日にはコヒマ占領の目は殆ど無くなったっぽい、日本軍は弾薬食糧の補給がまったく無いのに(それどころか補給用の荷駄を食いつぶすほど) イギリス軍は増援と補給が来ている 個々の戦闘での損害も日本軍が大きかったことから考えてもこの時点で撤退が妥当だよなぁ・・・
>>219 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
いやあの人がコヒマの中身を紹介しているところを流さないで欲しいんですが・・・
正直、大田 嘉弘が軍研に「牟田口中将とディマプール」が連載されていた時から 土足みたいなバカが真に受けたら困るなぁとは思っていたのだが、現実になるとはw
>>224 >>226 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
土足の戯言は軍板では誰も相手にしないし、聞き飽きた。
>>224 チンカスの嘘は聞き飽きた
ええっとでしたらスキャナーか何かでpdfであげましょうか?
戦況とは関係の無い〜中尉が〜して部下に声をかけて倒れた、とかいったエピソードが結構多いので
ざっくりした内容を纏めてスレに入れているのですが
4月17日には荷駄部隊の馬を食い潰さないといけない状況だったと書いてある この夜日本軍は大規模攻撃を仕掛けた模様だけど、丁度増援部隊が英軍に到着して(含む戦車) 士気と戦力は一気に回復している 18日には消耗した戦力の一部をディマプールに後送できる程度には戦力を回復し、この日から空輸が本格化され、 コヒマの物資状況は改善された 17日にはコヒマ占領の目は殆ど無くなったっぽい、日本軍は弾薬食糧の補給がまったく無いのに(それどころか補給用の荷駄を食いつぶすほど) イギリス軍は増援と補給が来ている
というか本や否定するソースもお持ちで無いのに いきなりチンカス・嘘呼ばわりはあんまりだと思うのですが・・・
>>230 貴方は前スレで本買った人でしょ?
土足は最初からこんなだよ。
>>230 逆だよ。否定できないから土足は必死になっているのだw
>>231 そりゃ人にモノを恵んで貰う人間の態度じゃないぞ、土足よw
言い方を知らないなら教えてやろう。
「右や左の旦那様、哀れな土足と言う乞食にお恵み下さい」
と言って土下座するんだぜ。
取り寄せ方はきちんとレポートされてたよなw ポンド記号の話とか。。。
>>231 では住所を書いてくれたまえよ土足くんw
>>236 東京都千代田区千代田1番地1号
ヨロピク
ボンドの単位の件は有難うございました アーサーの評価だと佐藤は若干弾力性を書いているものの優れた防御手腕を発揮したと評価 実際に日本軍は補給切れまでは援軍を迎えた英軍の反抗(限定的なとはいえ)をよく抑えている
>>239 その部分は
陸戦史集「インパール作戦」の31師団の展開と戦闘の内容と合致してますね。
コヒマp143 佐藤はいい防衛指揮官だった〜のくだりから さてインパール攻撃援助に3個大隊を派遣せよというムダグチの命令だが、当初これに従おうとしていた佐藤も、 これに対して少し疑いを持ち始めた。 入力者注釈(佐藤はムダグチと同じ皇道派に所属し、後輩となる) 19日だったろうか。佐藤はムダグチに打電をしている。 「目的地にいたるには徒歩6、7日間を要す。輸送車送られたし」 これに対するムダグチの返電。 「コヒマで捕獲せるものを使用されたし。遅滞なく命令を実施されよ」 この電文は、ムダグチのほかの文書がしばしばそうであったが、特に佐藤を激怒させた。
242 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:10:16 ID:TJaDdKg6
それで、問題のこの部分の訳は、これで確定でいいわだな? pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams. Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster 169 :名無し三等兵:2011/01/10(月) 22:52:34 ID:??? で、ここから引用 アーサー・スウィンソン「コヒマ」p101 カワベはこれを厳密に解釈し、無駄口は自分の白昼夢に合わせて拡大解釈をした。 無駄口のほうが実際には正しかったのである。なんと言っても正しかったことに間違いは無いのだ。 これがナポレオンの言った”機宜”というものなのであろうか。 佐藤がわずか一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去った。佐藤の部隊はコマヒ限定戦に呼び戻された。
>>231 カウンターソースもなしにねつ造呼ばわりしておいて、
実物を見れば信用するとか・・・
そんな史実とは異なるねつ造を信じ込まないと牟田口は擁護できないのかw
>>242 土足さん、必死ですね。
その訳をするのならスウィンソンが間違っているという結論しかでてきませんよw
そして初歩の英語からしてもそのように訳することはありえません。
まあ、当たり前ですがディマプールを落としてもすぐに奪回されるようでは
英軍を危機に陥れることは不可能です。
一ヶ月も補給線を遮断されたら話は違ってくるでしょうがw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
246 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:17:59 ID:TJaDdKg6
>>244 スウィンソンの間違いだというのか、
長尾訳の間違いだというのか、
だれの間違いだと言いたいのか、明確にしてくれ。
そしてそれは、どういった根拠なのかも。
>242 長尾陸也の役では確かにそうなっている。 ディマプールの守備が相対的に一番薄かった時期なのは(この本によると)間違いない けど16にディマプールに援軍、17日にコマヒに援軍が着てるみたいだから、相当リスクが高いのは確か 下手すると後方遮断された上に物資切れで壊滅する。空輸も絶対に来ないし
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
一応宮崎率いる58連隊は30両の車両を確保していたらしいが 30両で3個大隊の輸送はちょっと無理 22日ぐらいからはっきりと日本軍の攻勢が弱まった、とある この頃に物資切れが顕著になりつつあった模様
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>246 土足のバイブル大田の「インパール作戦」の筆者注にも
「31師団が一ヶ月に渡って押さえることは英軍の兵団運用からみて不可能である」
と書いてあり大田もそう認識しているのだが?
訂正23日 この辺り攻防戦の描写が続く 全般的に白兵戦を挑む日本軍を火力に勝る英軍が ある程度の犠牲を払いつつも効率的に撃退 日本軍の火力がどうも足りていない様子が読み取れる (白兵戦で〜だの手榴弾を大量に抱えて〜だの)
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
ジンギスカン作戦いよいよ泥縄の様相 牛5000頭の移動を狙うも大半が川で溺死、滑落など 前線に届いたのはわずか5分の1 31師団の補給は特に悪い
255 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:35:56 ID:TJaDdKg6
>>251 それは大田の勘違い。
もし「一ヶ月に渡って押さえる」という意味なら、その1ヶ月という期間を
アーサーがどんな根拠で出したのか説明があるはずだが、何の説明もない。
一ヶ月とい期間は、日本軍の概ねの予定作戦期間の1ヶ月以外には考えられない。
>>242 >佐藤がわずか一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、
>英軍は懸崖に立たされていたであろう。
>しかし好機は去った。佐藤の部隊はコマヒ限定戦に呼び戻された。
こんなことは書いてないだろこの英文
佐藤が一ヶ月間に渡りディマプールを確保することのみが〜
だろw
>>220 ツイッターに降臨している牟田口の方が遥かにまともな件。
通称「綺麗な牟田口」
>>255 大田の間違いでいいのかい?土足くんw
大田にも間違いはあるんだなw
佐藤ームダグチ仲険悪 宮崎はコヒマに執着しすぎるのはどうよ?ムダグチの考えも正しくは無いか? と考えながらも指揮権に従い佐藤指揮に従いコヒマ戦線の守備 イギリス軍物資それなり、潤沢とは行かない 雨季本格到来 泥の海
260 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:41:02 ID:TJaDdKg6
>>256 で、おまえ
逃げてないで、全文の訳を書いてみろよ?
>>252 31師団は山砲中隊4門を2門にして携行していましたし、機関銃中隊は8丁を4丁にしてます。
ソース 陸戦史集「インパール作戦」
>>260 逃げるも何もここだけがキモだろ?理解できないのか?
263 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:44:51 ID:TJaDdKg6
■宮崎少将も、佐藤師団長を嫌っていた インパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、 部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。 宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、 宴席で率先して猥談をしたこと、公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、 テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたこと などを不快に感じていた[3]。
264 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:46:41 ID:TJaDdKg6
>>262 間違いを指摘されるのが怖くて
訳が書けないのか?w
>261 あぁやっぱり日本側の資料でも火力が減少をしていた頃合なんですね
>>264 どこがどう間違っているのかを具体的に指摘してくれないかな?
>>265 頃合というより出発から機関銃山砲は縮小編制です。
榴弾砲は残置しました。
p202でスリム中将がチドウィン超えの攻撃に関して (日本軍攻勢起点) 素人のやる馬鹿なことと評価してる
269 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:50:41 ID:TJaDdKg6
>>266 だからおまえが正しいと思う全文の訳を書いてくれ。
pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams.
Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster.
【肯定派の訳】
河辺はそれを厳格に解釈し、牟田口はもっと寛大に解釈した
(彼のインド制圧という夢の実現に向けて範囲を広げたのだろう)。
牟田口は正しかった。これは全く疑いの余地は無い。
(これこそまさにナポレオンの言った「勝機」というものだろう)
(佐藤が1ヶ月の作戦期間にディマプールを攻略すれば、英軍は懸崖に立たされた)
【否定派の訳】
??
http://books.google.co.jp/books?id=yAhnAAAAMAAJ&dq=Arthur+Swinson&q=Napoleon
5月本格反抗開始
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>269 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
つまり、土足は中学校の英語もキチンと勉強しなかった
し、キチンと学校の勉強をしなかった所為で、「ソースの
原文をあたる」と言う資料調査の基礎の基礎すら学ばなかった、
と言う事が言えるって事だな。
5月3日インパール陥落予定最終日 インパール陥落せず 当日までに佐藤率いる31師団にインパールルートでの補給確立の’予定’だった
274 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 21:58:45 ID:TJaDdKg6
5月13日 英国無双 日本軍粘り強く戦うも敗北 コヒマ中央戦線崩壊
276 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:04:15 ID:TJaDdKg6
だいたい負けが明白なのに中止しなかったと批判するなら、 海軍のマリアナ沖海戦以降の作戦は、全部そうじゃないか。 マリアナ沖海戦の惨敗によって、日本海軍は米海軍の 全く相手にならないことは、誰の目にも明らか。 以降の作戦は、まるきり勝算の無い作戦。 この時、海軍が敗北を認め作戦を中止し 太平洋戦争を終わらせていれば 太平洋戦争全体の死者は、半分以下で済んだはず。
5月13日 佐藤撤退打診 ムダグチ「10日以内にインパール落とすから待て」 佐藤解任されたインパール戦線の師団長と連絡 状況を把握
佐藤切れるもコヒマ戦線の北部と南部で頑強に抵抗 イギリス兵曰く「なんであの補給状況でこれだけ戦えるのか。日本兵マジパネェ」
6月2日 ついに北部戦線と南部戦線が崩壊 コヒマ全線戦で撤退開始
6月4日 ついに31師団独断での退却開始 チドウィン目指す
>>276 そろそろ攻撃と防御は違うものだと言うことを理解してくれませんか?
ほんっと〜にあんたは何度言われてもごっちゃにして区別ができないんですから。
282 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:11:11 ID:TJaDdKg6
まあ、上司とも部下ともこんな関係で信頼関係ゼロだから 負けるべくして負けたと言えるわな。 ■宮崎少将も、佐藤師団長を嫌っていた インパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、 部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。 宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、 宴席で率先して猥談をしたこと、公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、 テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたこと などを不快に感じていた[3]。
>>269 下手な訳だがこんな感じかなw
河辺はそれを厳密に解釈したが、牟田口はもっと自由に、彼の白日夢に合わせて解釈した。
牟田口は疑いなく正しかった。これが’有利な瞬間’とナポレオンが呼んだことだ。
そして佐藤が一ヶ月間に渡りディマプールを確保することのみ大惨事を英国にもたらした。
>>282 でもディマプール進撃のチャンスを失わせたのは宮崎少将なんだが?
ムダグチ「さっさと前線にもどれ」 佐藤「無理」 撤退中落伍兵続出 武装を捨て担架部隊を1500作るもソレすら落後を始める 宮崎支隊 防衛線を行うも寡兵のため効果は限定的 7月頭 ほかの師団も戦闘不能に 7月8日 ついにムダグチから正式な撤退命令 インパールが攻勢に移行
>でもディマプール進撃のチャンスを失わせたのは宮崎少将なんだが? イギリス側はそこそこ評価してるみたい あそこで攻撃してこなかったら宮崎先方部隊補給立たれて危なかったね って評価してる(少なくともアーサーは)
287 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:22:15 ID:TJaDdKg6
pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams.
Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster.
【肯定派の訳】
河辺はそれを厳格に解釈し、牟田口はもっと寛大に解釈した
(彼のインド制圧という夢の実現に向けて範囲を広げたのだろう)。
牟田口は正しかった。これは全く疑いの余地は無い。
(これこそまさにナポレオンの言った「勝機」というものだろう)
佐藤が早期1ヶ月の作戦期間にディマプールを攻略しさえすれば、英軍は懸崖に立たされていた。
【否定派の訳】
河辺はそれを厳密に解釈したが、牟田口はもっと自由に、彼の白日夢に合わせて解釈した。
牟田口は疑いなく正しかった。これが’有利な瞬間’とナポレオンが呼んだことだ。
そして佐藤が一ヶ月間に渡りディマプールを確保することのみ大惨事を英国にもたらした。
http://books.google.co.jp/books?id=yAhnAAAAMAAJ&dq=Arthur+Swinson&q=Napoleon
288 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:23:06 ID:Gqp4tslR
出せ一億の 底力 桜 咲く国 日の本の 無敵の 軍の進軍に 歩調 あわせよーーー
以下地獄の描写 凄惨な撤退 上申書を携えて軍法会議へ向かう(結局開かれなかったが)佐藤 アーサー「軍人として評価する、しないはともかく、一個の人間としての佐藤を買わないわけには行かない」
>>286 宮崎支隊は3月18日以降サンジャック方面へ寄り道してしまっています。
すでにこの時点でディマプール進撃のチャンスは失われています。
後はイギリス軍のとった作戦の妥当性 コヒマ奇襲されたけど兵站のできてない日本軍は自滅した、的な
292 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:29:09 ID:TJaDdKg6
ディマプールを攻めるのは、北からコヒマを迂回して 通過する138連隊の役目なんだが? 宮崎に言わせると、これがまるきり動かず、緩慢な前進だったと。
>>289 陸戦史集においても軍人として独断撤退は否定されています。
まぁ軍人社会としては当然でしょうが。人間としては立派でしょうね。
Senngoku38氏は公務員としては許されないが人間としては立派だった。
>>287 "disaster."の後の"But Muta-"の文章はどうした、アホ土足。
"But〜"の文章が無いと、この文全体の意味が成立しないぞ。
土足が喚いている通りなら、"But〜"の後につながるのは、"Sato"
か"Kawabe"か仮主語で始まる文章にならないとおかしいんだぜ。
後「早期」なんて単語、原文には何処にも無いぞ。
295 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:33:13 ID:TJaDdKg6
>>294 しかし河辺の単細胞のせいで、牟田口は勝機を逸した。
こんな感じだよ。
>>292 それは宮崎少将の勘違い。その頃、138連隊は英161旅団のいるジョッソマとか
英5旅団の進撃を阻止するためズブサ等を攻撃していた。渡大隊を58連隊にさしだしてもいる。
むしろ宮崎少将は森本大隊をプローミ派遣して戦力を分散している。
>>295 いや宮崎少将のサンジャックでの寄り道のせいだよ
日本軍の敗因に関してだけど 日本軍頭固すぎ、初期作戦に拘泥しすぎてる 作戦失敗の戦犯は思考の硬直していたカワベ 被害拡大の戦犯はムダグチって書いてある アーサーの書いてある内容はこれで大体すべて 個人的に作者が言いたいこととしては 日本兵の頑強さと首脳の無能さが言いたいんだと思う イギリス軍としては「補給が確立してないのに攻めて来るのは正気か?!」(いい意味でも悪い意味でも) っていう感じが全体的な論調でした。 長時間長々と失礼しました。
300 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:40:10 ID:TJaDdKg6
>>297 138連隊の方が遅いだろ。
本来なら宮崎隊の前に、コヒマの後方へすでに
回り込んでなくてはならない。
完全に道無き道を突進した138連隊が遅いと?
>>295 アウト。
それだと"But Muta-"となってるのがおかしい。土足の主張する
通りなら、"Sato〜"か"Kawabe〜"、或いは前述の主語を強調する
為に仮主語を立てて始まる節が来る(そうでないなら、Muta-の後
の動詞が自動詞にしても他動詞にしても、牟田口が無能なのか、
牟田口が推進力が無いのか、どちらかの理由によって牟田口が
夢見た情勢を動かせなかった記述になる。それはどちらにしても
土足の主張には沿ってない形にしかならない)。
要は土足は自分の都合の良い文節だけ見て例によって喚いてる
だけだろ。で、これまた例によって原文は全く確認してないな。
303 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:46:43 ID:TJaDdKg6
>>301 ■31師団主力の侵攻ルートは、車両が通れる道路があった。
「佐藤が、チンドウィンからゼッサミ、コヒマまでのジープ路を一蹴できたのは偶然ではなかった
(中略)
道が英軍によってつくられていたことは、いうまでもなく佐藤中将にとって幸いであった」
アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
>>300 宮崎支隊のよりみちが勝機を失わせたことは大田本にも書いてあるが?
>>303 ですから主力でしょ?
コヒマまでの道があることとコヒマの後方へ回り込む道がなかったので
別に138連隊はおくれていたわけでも何でもないっていってるんだが?
>>300 138連隊は戦闘しなから前進しているのだが?
一方宮崎支隊は勝手に師団統制線を越えてわざわざサンジャックに寄り道しているんだが?
307 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 22:53:36 ID:TJaDdKg6
>>304 それ以上に、ゼッサミで遅れ、その後止まってしまった
138連隊の方が問題。
道路も整備されてたようだから。
>>307 道路が整備されている事が直ちに戦術機動にプラスの
結果を齎すとは限らないのだよ、土足くんw
その辺は大田センセも気が付いてるから其処を問題視
していないのだよw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>307 止まってはいないね。4月7日にはコヒマ部落に到着しはじめている。
311 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 23:14:36 ID:TJaDdKg6
海軍がマリアナ沖海戦の惨敗で、これ以上戦っても、 全く勝機が無いという明らかな事実を認め 全ての作戦を中止していれば、200万人くらい死なずに済んだだろ。 それにくらべれば、インパール作戦の失敗など たいした問題ではない。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>311 全く環境の異なるあ号作戦の話で話題を逸らそうとしても無駄だ、土足くんw
何度言われれば攻勢作戦と防御作戦の違いが理解できるのだねw
何度話題を逸らしても、何度IDを隠して反証済みコピペを貼り付けても、
牟田口の責任が消えて無くなる訳ではないのだよ。
それに、そういう土足の態度がより牟田口の評価を下げてるなwww
>>313 俺は、お前がきもいからお前の評価が下がった
315 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 23:24:08 ID:TJaDdKg6
>>313 何を言いたいのか、意味不明?
海軍の作戦は、全く勝ち目がなく大量の犠牲を永遠に出し続けても
なにも問題は無いと言いたいのか?
316 :
名無し三等兵 :2011/01/11(火) 23:31:09 ID:TJaDdKg6
いずれにしても、3H(半藤・保阪・秦)の評判は おれが地に落とすw (つーか、すでに落ちてるw)
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>316 >(つーか、すでに落ちてるw)
なら騒ぐなよw
>>314-318 土足の大好きなそのコピペも信頼性がもうないなw
何しろ"had only to hold Dimapur for a month〜"を
日本語文のように訳すのは無理だからな。
土足はその指摘から「も」逃げ回っているがwwwww
つまり、土足は中学校の英語もキチンと勉強しなかった
し、キチンと学校の勉強をしなかった所為で、「ソースの
原文をあたる」と言う資料調査の基礎の基礎すら学ばなかった、
と言う事が言えるって事だな。
幾ら逃げ回っても、土足に資料を確認する意思も能力も
無いって事は良く判るし、そんな能無しが擁護する所為で
牟田口の評価がまた下がる。
そもそも土足が他人を評価しても、法螺吹きの屑の土足に
他人の評価を聞きたがる奴はいないwww
コヒマの巻末に訳者の意見・・・というか翻訳にあたって彼方此方に取材したらしく、 筆者やイギリスの各専門家ともコンタクトを取ったらしく、そのまとめが乗っている ・日本人イギリス軍の空中補給高く見積もりすぎ パラでおろすと範囲広いし、樹木の上の方に引っかかると回収ができない(イン敵前)、物資中身ばらばらだし 日本人が言うほど便利じゃないよアレ ・コヒマ日本軍強すぎ 初期はマジやばかった 初期は紙一重 ・ディマプール攻略は可能だった? @正面の15師団消耗しすぎ あれじゃインパールは落とせない コヒマから戦力を割く必要が出る Aトイトム電報でさらに戦力が消滅 無理度マシマシ B宮崎支隊がサンジャックでつかまらずに更に進んでいたら勝機はあったかも あそこで拘束された時点でこの時点でもうタイムアウト っていうのが概ねの意見なんですとー 後作戦が崩壊しても撤退させなかった無我口はダメダメ 戦術能力はともかく人格に問題あり なんですとー
>>321 乙でした。
誤訳の可能性は指摘されてるとはいえ、沙読でも
手間かかったでしょ。
後は原文待ちですかね。
大田の意見は同意できない点が多々あるが、 詳しく書かれている点は評価してるし(詳しいから妥当な意見とは限らないのは言うまでもない)、 柳田や佐藤はかばわれすぎてると以前から感じてたので、 目から鱗の部分もないではなかった(過去形なのは大田の文は軍研で10年以上前に読んだから)。 またインパール作戦をその悲惨な末路から、全否定するだけなのは、 牟田口以外の軍人をもあまりに愚弄してると思ってた。 (だって可能性ゼロだったら、立案、賛成、認可にかかわった軍人は無能どころか痴呆だよ) 牟田口にもインパール作戦にも1理はあると思う。 ただし、それは残りの9非理を認めるのが大前提。 太田本も非理は前提にしてると思える。 だが土足氏のように、太田本を見てか、1理だけですべてを語るなら、 誰も同意せんだろ。 土足くン、9非理を認めた前提で語ってみろよ。 そしたら、賛否は少しはわかれると思うぞ。 牟田口の意図通りにしたら成功したじゃなくて、したこともあり得た位にはな。 それができないなら、ただのアホか性格異常だよ。
324 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 00:48:46 ID:ACpMCnDi
>>323 伊藤正徳や片倉大佐なんかもそれとなく言ってるが、
南方総軍から各師団に至るまでが、
本気でインパール作戦をやっていたら、間違いなく成功していた。
一旦、インパールを攻略する事は十分可能だったと。
そういう認識をしている。
逆に言えば、南方総軍や師団は本気でやっていなかったってこと。
だったら、やらなければ良い。
そんなんで成功なんかするわけないのだから。
どう考えても、失敗の責任を牟田口一人にに押し付けられる
ような単純な問題じゃない。
325 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 01:06:27 ID:ACpMCnDi
大本営は、航空支援も後方支援も、出来ませんと。 しかし作戦はやれと。 そんな命令を受けたら普通なら出来ませんと断るが、断れないのが軍の仕来り。 だったら玉砕覚悟で、一か八かの作戦をやる他ないじゃないか。 それで文句を言われたのでは、牟田口でなくても、たまったものではない。
>>324-325 第15軍司令官たる牟田口をdisってる訳だな、土足w
何度も言われてるだろ、牟田口の作戦決心の段階では、
精々攻勢防御程度の作戦にするように大本営から「指導」
が来たのを無視したのも牟田口。
作戦決心の段階で配下部隊から翻意を迫られたにも拘らず、
気に入らない参謀をトバし、遂には全師団長の首まで強引に
トバし、その上直接指揮したらアッという間に2個連隊を無意味
に磨り潰したのも牟田口。
作戦中止の段階でも、自分から中止上申をする事もせずに
「私は私の顔色を見て察して欲しかったのである」等と戦後に
回顧録に書いてしまう体たらくの牟田口。
そういう史実を土足が無視して擁護しても無意味で無駄。
全て牟田口に与えられた権能を適切に行使すれば上記の問題
は起きていない。
>>だったら玉砕覚悟で、一か八かの作戦をやる他ないじゃないか。
作戦が失敗した時点でなるべく損害を局限して兵力を撤収させる
のが司令官だ。土足は牟田口が無能な司令官だと認めるんだな、
このような戯けた擁護をするという事は。
>>324 ,325
君は土足君か、伊藤正徳なんて引き合いに出す時点でアウトだ。
なぜってのは、だれか言ってやってくれ、説明疲れそう。
>>325 戦況不利として大本営(正確に言えば、杉田参謀)が航空戦力を投入しようとしたのを、十五軍が「優勢だ」とデタラメな報告をして潰したんだが?
>>329 デタラメはお前の脳味噌だ、土足
●戦史叢書『インパール作戦』P518下段1〜4行目
杉田大佐は以上の所見を申し述べると共に、当時大本営で他方面への転用を拘束していたパレンバンの防空戦闘隊の一部を、この際断固としてビルマに転用すべきであると主張した。
●同13〜17行目
杉田大佐の意見もあり、南方軍は直ちに山口英治中佐(後方主任)、甲斐崎三夫少佐(作戦主任)の両参謀をビルマに派遣し、インパール作戦の実情を視察させた。(注、山口、甲斐崎両参謀インダンギーの軍戦闘司令所まで進出し、木下高級参謀そのほか関係者と連絡した)
で、十五軍が彼らに何を吹き込んだかというと
●同P519下段19行目〜P520上段1行目
十五日朝服部(卓四朗)作戦課長は杉田大佐を呼び、「インパール方面に派遣されていた南方軍の甲斐崎、山口両参謀から第一線の状況を報告してきている。その内容は作戦の前途について一部で悲観的な観察をする者がいるが、もってのほかであるという意味の電文である。
……もっと詳しく教えてやってもいいんだが、どうせ土足には理解できないだろうからここまでにしておく
>>325 牟田口に自分が解任した参謀や師団長ほどの見識が有れば、自分の解任を掛けて蹴っただけ。
それが元で解任後なら別の指揮官が同じ作戦をやって同じ失敗をしたとしても、その時点では牟田口は無罪ですが?
え〜と、他の司令官ならもっとヒドイ事になった、と言い張れるほど立派な指揮をしてたかどうかは
>>326 の指摘どおりのダメダメ振りだったわけで。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
皆さん偉いなぁ。土足になにいっても無理だってw
>私としては、やっと納得できる本に出会った、という気持ちである。
>著者は医師を本業とする、市井の研究者である。私はその事に必然を感じる。
>日本の大学の専門の研究者の近代史観は歪んでいる。
>米軍の占領による公職追放で、左翼の学者以外は大学などから放逐された。
>米国などの連合軍に都合がいい歴史観を日本に押し付けるためである。
>その結果日本の歴史学界には、日本の近代史を否定的に見る学者しか育たなくなった。
http://blog.goo.ne.jp/goozmakoto/e/8830bf4336db45fc20703dbb75fb46df 土足ちゃんブログより
土足はこれがやりたいだけ。軍事的見地はどうでもいい。
軍事板でやるなといいたい。
>>316 俺が落とす(キリッ)
じゃあ初歩の英語の勉強からですね。
あとうそと捏造をやめること。
どう見てもお前じゃ一億年かかっても無理だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
きっとこの人私立大学も公職追放の対象になっていると思っているんだろうなあw まあ西尾とかもそんな風に思ってそうだが ところで土足さん、 史料のトリミングや初歩的な間違いを含んだ貴方の主張で どうやって彼らの評判を落とせるんです? 東スポとかゲンダイの記事で評判が地に落ちたとか言うようなモンですがw
落ちたのは土足の大学入試。
なぁ土足ー? 大田本でムダグチの問題点挙げている箇所って無い? アーサーの本でも「戦術能力は優れているが人間性に問題あり」って書いてあるのよ 後引き際を見誤ったって コヒマを大田が読んだならここの評価をどう大田が行ったかが知りたい
土足を見てると、最近はずいぶんなりを潜めたけど、ホロコースト否認の人たちを思い出す。
339 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:01:56 ID:ACpMCnDi
作戦開始から2ヶ月程度、5月の中ごろ ぐらいまでは、物資は持ちこたえている。 しかしその後、5月末に作戦続行命令を 大本営が出したわけだろ。 そして大きな被害が出ている。 南方総軍も、あと一息で英軍は根を上げると、 そう判断して、そのようになったわけだから その後ののことは、べつに牟田口一人の 責任じゃないじゃないか。
>>339 それはそうだ。牟田口1人じゃなく、バカの4乗に責任があるなw
341 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:11:16 ID:ACpMCnDi
>>340 とはいっても、太平洋戦線のバカさ加減に比べれば
インパール作戦は、大したバカではないw
>>339 >>341 第15軍司令官たる牟田口をdisってる訳だな、土足w
何度も言われてるだろ、牟田口の作戦決心の段階では、
精々攻勢防御程度の作戦にするように大本営から「指導」
が来たのを無視したのも牟田口。
作戦決心の段階で配下部隊から翻意を迫られたにも拘らず、
気に入らない参謀をトバし、遂には全師団長の首まで強引に
トバし、その上直接指揮したらアッという間に2個連隊を無意味
に磨り潰したのも牟田口。
作戦中止の段階でも、自分から中止上申をする事もせずに
「私は私の顔色を見て察して欲しかったのである」等と戦後に
回顧録に書いてしまう体たらくの牟田口。
そういう史実を土足が無視して擁護しても無意味で無駄。
全て牟田口に与えられた権能を適切に行使すれば上記の問題
は起きていない。
ついでに言えば、第二戦線であるビルマで、上位司令部の
「攻勢防御程度の規模に作戦規模を調整するように」と言う「指導」
を牟田口が無視している事、また作戦中止の上申も自ら上申
する事無く「私は私の顔色を見て察して欲しかったのである」等
と言っている時点で情状酌量の余地は無い。
343 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:14:42 ID:ACpMCnDi
5月中旬までは、牟田口と15軍の責任としよう。 しかしこの期間には、大きな被害や飢えという事もなく、 まずまず善戦している。 問題は、その後。 そうすると、インパール作戦の大きな被害が 牟田口の無謀な作戦の強行だという通説は まったくの間違い。
よう土足 大田の本でムダグチの評価ってどうなっている? いや、作戦失敗はムダグチ一人の責任でないとか、 ムダグチが完全に無能じゃない(アーサー的にはむしろカワベ辺りよりは有能と書いてあった) のは同意するんだけど、その他問題点があった、見たいな記述は その大田本には無い?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
346 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:18:22 ID:ACpMCnDi
>>342 だから5月末に、大本営と南方総軍が
作戦続行を牟田口15軍に命令したんだろ?
話が矛盾してるじゃないかw
>>343 だから15軍だけの責任じゃないといっているだろ?バカ土足w
>>345 なんだ、また逃げ回るつもりか、そんなだから屑と言われるんだw
そんな反証済みコピペを幾ら貼り付けようと、時系列を幾ら捏造
しようと、牟田口の責任が軽減される訳ではないぞ。
それに、捏造・改竄をする土足が屑の能無しと言う評価が変わる
訳でもないしなw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
>作戦開始から2ヶ月程度、5月の中ごろぐらいまでは、物資は持ちこたえている。 人によって解釈は違うけど5月3日の攻略予定日には物資的にはもうアウトだったみたい >しかしこの期間には、大きな被害や飢えという事もなく、 まずまず善戦している。 4月の頭ぐらいには物資欠乏で輸送部隊の軍馬を潰しているから4月下旬には物資が切れ始めてる 確実に飢えはしてる。
>>346 何度も言われてるよな、だったら首掛けてでも中止上申
をすればいいだけだ。
そしてそれは牟田口の権能として与えられた権能だ。
与えられてもいない師団長解任を強引にやった位なのに、
作戦中止は出来ないというなら、それは牟田口をdisってる
事になる訳だがw
そして土足は無能だから、「中止上申をしなかった事」を
「命令に逆らえないから」と言っている事で、牟田口を
背中から撃っている訳だw
(「命令に逆らえない」ならば、そもそも「私は私の顔色で
察して欲しかったのである」等と書き残したりはしないのだよwww)
ごめん これだけは教えて 大田本の方向性が知りたい いや、作戦失敗はムダグチ一人の責任でないとか、 ムダグチが完全に無能じゃない(アーサー的にはむしろカワベ辺りよりは有能と書いてあった) のは同意するんだけど、その他問題点があった、見たいな記述は その大田本には無い?
>>348 「反証」出来たと思いこんでるのはチンカスだけww
悔しかったら、大田に公開質問状でも送ってみればwwwww
354 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:27:07 ID:ACpMCnDi
>>344 大田の書籍は基本的に文献を紹介し
自身の意見は、それほど明確に強くは示していないし
牟田口評価で、結論めいたことも言ってない。
ただ言えるのは、多くの書籍は陸軍悪玉論に迎合した物しかなく
公正かつ真剣な軍事的検証が、これまで全くされて来なかったし、
重要な英軍側の見解の検証も無視されてきた
というようなことは言っている。
355 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:30:54 ID:ACpMCnDi
大田が結論として言ってるのは 作戦開始が遅れたのが、最大の問題だったと。 そしてそれの原因は、稲田ら反対派の妨害が 強く影響したと言っている。
>349 のコピペみたいにディマプール攻略の目があったのはわかるし、概ね賛同するんだけど 大体そこに乗っている文献の後ろのほうに、だが撤退を行うべきだった、とか 指揮官同士の不和や空約束、意地によって撤退はなされず、被害を拡大させた、みたいな評価がくっついているのよ で、もしソレが大田本に載っていなくて、 「被害拡大の責任はまったくムダグチにはない」見たいな結論とかだと 大田本が資料の引用を恣意的に行っている可能性があるのよ >大田の書籍は基本的に文献を紹介し この引用の姿勢に問題があったりしないかな、と少し思った >公正かつ真剣な軍事的検証が、これまで全くされて来なかったし、 >重要な英軍側の見解の検証も無視されてきた >というようなことは言っている。 ここには(今のところ)限定的に賛成、パラシュート補給万能論とか
>>353 誤訳の可能性を指摘されたらリデル・ハートの名前も出せなくなった
ヘタレ屑の土足くんが何か反証出来ましたかw
土足は結局他人の権威を借りないと何一つ喋れない屑だから
仕方ないけどね^^
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>355 いや、宮崎少将の不手際も大田は指摘しているだろ。
>大田が結論として言ってるのは >作戦開始が遅れたのが、最大の問題だったと。 >そしてそれの原因は、稲田ら反対派の妨害が >強く影響したと言っている そこも限定的に賛成。インパール正面戦線の補充率が低かったり 作戦開始以前に酷使されていたりとか(日本軍全般的に人手が足りないせいかもしれないけど)
363 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:36:03 ID:ACpMCnDi
>>356 大田の書籍は、重要なものは多く紹介されており
それは批判派のものも多くあり、たとえば高木の抗命の中にある有名な話なども
詳細に紹介されている。
>>363 それをお前は悪用して都合のいい部分だけ引用したんだよなw
で、ここで貴方は大田の文献を参考にして、 インパール攻略戦の失敗の原因はムダグチには無い! 大損害の原因もムダグチには無い! って主張されているけど 大田本もそんな感じで書いてあるのですか?
>>363 ムタグチガー、ムタグチガーを連呼してる奴らは、不利な資料は一切目を通さないからねw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
368 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:40:50 ID:ACpMCnDi
>>364 批判派のネタは、すでに出尽くしており
おれがそれを大田本から持ち出す必要はない。
>>368 ということは大田本にも否定的な言説が載っているのは認めるわけだな?
>>369 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>371 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>372 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>373 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>373 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>373 自作自演ばかりのチンカスが言っても説得力が無いぉ^^
>>批判派のネタは、すでに出尽くしており >>おれがそれを大田本から持ち出す必要はない。 という事はということは大田本にもムダグチに関して否定的な言説が載っている訳で 貴方はそこから自分の都合のよい場所だけを抜き取っていたのですか?
378 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:53:02 ID:ACpMCnDi
高木の書籍で書かれているこの話だが 「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら・・・ 大田の書籍では、もっと詳しく紹介されており これには全段がある。 それによると牟田口は、自決を本気で考えていたと推測できるが、 藤原参謀が、司令官の今やるべき責務は、自決ではなく、撤退の指揮を することです!と強く進言した。 しかし牟田口がしつこく自決を相談の意見を聞いたため、藤原は切れて 上記の発言が出ている。
379 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 22:55:32 ID:ACpMCnDi
ようするに高木は、自分に都合のいい部分だけ抜き取り 全段の重要な部分を、意図的に隠している。
というか、このスレによく張られるアーサー、スチルウェル、パーカーのコピペですけど あれって 「ディマプールが陥落した可能性」であって、インパールが陥落した可能性じゃあないですよね? ディマプールの攻略に成功した仮定とても インパール正面戦線の攻撃力が足りない分、「インパールが攻略できる」には直結しないんですよ。 ディマプールの補給物資をインパール正面戦線には回せないし、 ディマプール攻略に戦力を割いた分、コヒマは英軍の勢力化でインパール防衛拠点として機能するわけです。 そうこうしていると、イギリス軍救援部隊が駆けつけるわけで、結局インパール攻略作戦は失敗します。 史実より善戦はできるでしょうが、ディマプールを攻略したらそれで勝つとは別の話なんですよ
>>380 お、チンカスにしては、マトモな反論だw
>>380 ま、原文が出たら黙るでしょ。個人的には、あの原文
(アーサー・スウェンソンの原文)には訳者も気づいてない
悪意が有るとは思うけどね。
>ようするに高木は、自分に都合のいい部分だけ抜き取り >全段の重要な部分を、意図的に隠している。 そこらへんの話は信頼しますが、 アーサー→大田→土足氏 の間で起こったムダグチ責任・問題点に関する主張の変化は いったいどこの段階で起きたのでしょうか?
>>382 大田本にも載っていたが、スリム一派は英軍内部で少数派だった。
インパールorディマプールどちらを救援するかで揉めているようだ。
>(アーサー・スウェンソンの原文)には訳者も気づいてない悪意が有るとは思うけどね。 一応翻訳に当たって翻訳者は著者と連絡を取り合って資料のやり取りや選別、現地評論家へのインタビューなどを行っていたそうです。 よくあるでたらめ商売的な翻訳ではなくて、割と丁寧な翻訳だと思います。 本全体としては一定の信頼が置けるかと・・・ まぁ文章中に違和感を覚える表現も無いことはなかったですから、誤訳の可能性は否定できませんが。
387 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:10:23 ID:ACpMCnDi
おれはおれの意見を主張し それを裏付ける根拠のの一つとして 大田の書籍の引用を一部拝借してるだけなんだが。
>>387 >日本の大学の専門の研究者の近代史観は歪んでいる。
>米軍の占領による公職追放で、左翼の学者以外は大学などから放逐された。
>米国などの連合軍に都合がいい歴史観を日本に押し付けるためである。
>その結果日本の歴史学界には、日本の近代史を否定的に見る学者しか育たなくなった。
お前がやりたいのはこれだろ?
軍事的妥当性とは何の関係も無い。
政治板でやれ。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
391 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:18:04 ID:ACpMCnDi
スリムは日本の師団が、あまりやる気のない部隊だと 見抜いている。 やる気のある部隊だと当初思って対応したが、そうではなかったので 対応を誤り、思わぬ余計な被害を招いたと 反省してるんだろ。
>おれはおれの意見を主張し >それを裏付ける根拠のの一つとして >大田の書籍の引用を一部拝借してるだけなんだが。 それはそれで結構なのですが、 貴方の示された文献には軒並みムダグチの評価された点と問題点とが併記されている訳です その仲から評価された点だけを引用して、 「ムダグチは欧米や新研究家から軒並み評価されている!」 「ムダグチには作戦失敗の責任も大損害の責任も無い!!」 「これは大田にもアーサーにもスチルウェルにもパーカーにも、 なんとあのリデルハートも同意している!!!」 と主張されるのはアンフェアではないでしょうか?
>>391 やる気の無い部隊ならあれだけの難所の乗り越えら得なかったろう。
実際に英軍はボロボロの31師団を追撃できなかった。
394 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:22:17 ID:ACpMCnDi
>>392 それは批判派がアンフェアだからだろ。
こっちだけがフェアにやる義務は無い。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>386 いや、逆に現地と頻繁にやり取りしてるから、訳者は原文に潜ませてある
悪意に気づいてないんだと思う、個人的にはね。
(この単語を選択したのは何故ですか、と聞かれて「或る種の考えの基に」
と応える大人は普通は居ないし。それと、訳者が原文を書いている人間が
「何に」配慮しているのか、多分理解出来なかったと思う)
>スリムは日本の師団が、あまりやる気のない部隊だと見抜いている。 イギリス側の評価として 「死力を尽くして戦った」や 「損害を恐れず勇敢に戦った(少なくとも兵士は)お陰で一時期戦線が崩壊しかけた」 「限界を超えて戦った」 などの評価はよく見受けられましたが やる気が無いなどといった評価は殆ど見受けられませんでした やる気が無ければ物資が切れた時点でさっさと部隊丸ごと孔明・脱走しているかと愚考します
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>394 そんなことはない。
軍事的には公平だ。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>それは批判派がアンフェアだからだろ。 >こっちだけがフェアにやる義務は無い。 少なくとも個人的にはムダグチの優れた作戦能力は認めておりますし、 インパール攻略の可能性も賛成しております。 ムダグチが作戦思考の自由性に関して評価されているという文も紹介しました これでも私はアンフェアなのでしょうか? 全般的にみてもムダグチだけ責任を押し付けて、などといった一方的な人はごくごく少数に見受けられるのですが
佐藤中将もバカの4乗といっているから牟田口1人の責任でないことは 佐藤中将その人も牟田口1人の責任でないと言っているようなものだがねw
403 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:31:09 ID:ACpMCnDi
牟田口にも名将と呼ばれるチャンスはあった。 英17師団包囲撃滅失敗の時がそのチャンスだった。
>>403 誰かさん以外は捏造したソースなんか出してないな。
だから十分公平さ。
何故土足が叩かれてるか、お前自身理解出来てないから
そんな戯けた事が言えるって事さ。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>403 お前バカだろ?2チャンネルを見てなにいってんだ?
もっとまともな本読めやw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>これのどこが、フェアでマトモな軍事的検証なんだろうか? 一年前がそのような状況だったのは認めますが、 少なくと最近は(自分がココに流れ着いたのもつい数週間前ですが) 余りそのような方は見受けられない(少なくとも大量には)ように見受けられます。 少なくともココに一人は誠実な対応を行っている人がいるのですから 誠実に対応してはいただけないでしょうか?
土足「ディマプール攻略の可能性」のコピペは止めときなwwww 「インパール攻略の可能性」さらに「大損害・ムダグチの責任」とは又別の話だからよww バロスwww
>>414 正直大半が誠実だよ。土足があまりに酷いレスをつけるから意地悪になっているだけでね。
むしろ土足は自分の政治信条で物を言っているから、軍事的見地から同意できない。
政治板でやれと言っているのですがねw
って言うかココまでに土足が トリミングで評価を捏造していた事を認めた件 って前々から知られてたけどなw
>>416 やれやれ。
自分の事を誠実なんて言うなんて、チンカスの人間性が垣間見えるなww
>>418 で、チンカス呼ばわりが始まったって事は、今日もまともに反証が
出せないでまた逃げ回るんでしょ、能無しで屑の土足くんwwwww
>>419 土足呼ばわりしてるチンカス先生は、一度も反証出来た事がないのですがwwwwww
421 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:46:56 ID:ACpMCnDi
結論としては、インパール作戦は 補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。 という通説は、大嘘。 2ヶ月間、5月中旬までは、マトモな作戦をやっており、 その後、補給が尽き被害が大きくなったわけだが、 それを延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で 牟田口はそれに従ったに過ぎない。
>自分の事を誠実なんて言うなんて、チンカスの人間性が垣間見えるなww 自費で資料を購入して 両論を併記して間違っている、個人的に異論がある所にだけオチをつけてきた積りでしたが 不誠実だったでしょうか? ムダグチに益となる発言 ・パラシュート補給万能論に異議 ・ムダグチの作戦骨格に理解 ・アーサーの評価点の裏づけ など もしてきた積りですが・・・。 これでも不誠実でしょうか?できれば誠実な対応をお願いしたいのですが
>>421 補給(物資)と兵站の区別がついてませんね土足先生w
>>421 では配下師団長を解任すべきではありませんなw
>>420-421 土足以外は反証に再反証出来てないって評価だぜ、牟田口の
無能な味方の土足くんw
>>補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。
>>という通説は、大嘘。
はい、またまた土足の法螺でした。
インパールを攻略した後、土足の主張するように援蒋ルートの
遮断まで視野に入れていた、と言うなら、当然その事を前提と
した補給計画を立案するのが牟田口の職能だし職権なのだよ、土足くんwww
上位司令部に「反抗出来ない」とかいう割には「攻勢防御作戦
とせよ」と「指導」されてるのを無視しているのはどういう事かねw
>>それを延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で
>>牟田口はそれに従ったに過ぎない。
明らかに失敗した時点で作戦中止を上申するのが牟田口の
職能だぞw
牟田口自身も自分の職能を自覚しているから、史実の「察してチャン」
問答が起きているのだ。
牟田口をまた後ろから撃っている土足くんwwww
426 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:54:45 ID:ACpMCnDi
>>424 牟田口が解任はしてないだろ。
解任の要望はした。それが大本営に認められた。
>>421 土足君よ。そこが佐藤中将が高い評価を受ける違いなんだよな。
軍人として兵隊の損害に構わす攻撃するのか、
兵隊を助けるため自分の身分を捨てるのかだw
428 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:56:33 ID:ACpMCnDi
>>425 >「攻勢防御作戦とせよ」と「指導」されてるのを
それは具体的に、いつだれが?
>>426 要望したんじゃないかw
要望しなかったら解任されないだろ?
430 :
名無し三等兵 :2011/01/12(水) 23:59:43 ID:ACpMCnDi
>>427 >土足君よ。そこが佐藤中将が高い評価を受ける違いなんだよな。
作家や左翼は評価しているが
軍人や軍事研究家で佐藤を評価している人間なんか、いないだろw
>>428 大田大先生の「インパール作戦」にも書いてあるはずだが?
牟田口も攻勢防御である点は知ってただろ。
ただ消極的だと判断しして独断でディマプールを攻略しょうとしただけで。
>補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。という通説は、大嘘。 というのは何に基づいての主張でしょうか? アーサーのコヒマや『戦史叢書 インパール作戦』などでも作戦遂行者はムダグチと記載されているのですが どの資料にムダグチが発案・遂行したのではないと記載されているのでしょうか? >2ヶ月間、5月中旬までは、マトモな作戦をやっており、その後、補給が尽き、 に関しては上のほうで回答したように4月上旬で物資欠乏、5月頭には枯渇しています そもそもの作戦期間5月3日間での間ですら補給は支えきれず崩壊していた模様です。 >延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で牟田口はそれに従ったに過ぎない。 意見具申する機会と権限はありましたし、限定的な撤退も指揮権限の中に含まれます。 撤退の命令自体もムダグチから発令されています。 そもそもこの作戦自体が大本営からの指示(限定攻勢)にそむいて実行されているのに 継戦の命令だけ素直に受けたと主張するのは不誠実ではないでしょうか?
>軍人や軍事研究家で佐藤を評価している人間なんか、いないだろw アーサーは評価していますね 視野が若干限定的だが、優れた手腕で防衛線を展開し、人間として限界を超えて奮戦した、とあります 前線で戦った兵士全般に関しては概ね高評価ですね
土足資料手持ちが殆ど無いからキチンと引用されると負けるんだよ リデルハートとかアーサーとか あまつさえトリミングがばれて評価・信用性ストップ減w
てか土足君は軍事知識が無さすぎるw
土足は作戦要務令すら読んでなさそう。
>補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。という通説は、大嘘。 発案者も方面軍の指導を無視して強行したのも牟田口なのですが? 貴方の好きなディマプール進撃を命令し、河辺に止められたのは誰でしたっけw
439 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:17:36 ID:Zh8PPnWy
牟田口に作戦中止を進言する事は出来たはずだというが、 だったら、方面軍も、参謀本部の参謀も 中止を進言する事ができたわけで、 しかし、だれもそんな進言はしなかった。 南方軍も参謀本部も 参謀が視察に行って、まもなく攻略できると判断し、 作戦延期命令が下ったわけで、 どう見ても、上部組織の責任じゃないか。
440 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:18:00 ID:0HAUZAHZ
なにが
441 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:19:51 ID:Zh8PPnWy
結論としては、インパール作戦は 補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。 という通説は、大嘘。 2ヶ月間、5月中旬までは、マトモな作戦をやっており、 その後、補給が尽き被害が大きくなったわけだが、 それを延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で 牟田口はそれに従ったに過ぎない。
>>394 おやおや、相手がフェアでない主張をするなら、
フェアな手段で正当性を主張しないと君の主張が受け入れられるはずもないじゃないですかw
その上で、相手がフェアでない主張をしているので
自分の主張が正しいと初めて証明できるんですよ。
当たり前でしょ。
相手が恣意的な引用をしている、それはこれこれこうでフェアに引用するならこうなるというだけです。
相手が恣意的な引用をしている、だから自分も恣意的に引用するってんなら君がでたらめをいってるのは確定する。
そんなごく当たり前のことが分からないんですか?
土足のムダグチ責任一切無し主張の支持をしている人が もうまったく居ない件について 大田もリデルハートもパーカーもスティッセルもアーサーも だれもそんなことは言っていない・支持していない件について もうドンキホーテクラスだね 貴方はたった一人で新世界を進むといい 後ろから見ててあげよう
>>441 とするとまともに戦っていた3師団長の解任を上申した牟田口は頭がおかしかったのかねw
>>439 >>441 >>南方軍も参謀本部も
>>参謀が視察に行って、まもなく攻略できると判断し、
>>作戦延期命令が下ったわけで、
>>どう見ても、上部組織の責任じゃないか。
はい、それも嘘。
>>330 に書かれてるな。出鱈目報告で上位司令部の判断を狂わせた一例が。
即ちそれは15軍司令部の責任に帰するが、自分の気に入らない具申を
した参謀をトバしたのは誰だっけ?
>>補給を無視した無謀な作戦で、牟田口が強行した。
>>という通説は、大嘘。
はい、またまた土足の法螺でした。
インパールを攻略した後、土足の主張するように援蒋ルートの
遮断まで視野に入れていた、と言うなら、当然その事を前提と
した補給計画を立案するのが牟田口の職能だし職権なのだよ、土足くんwww
上位司令部に「反抗出来ない」とかいう割には「攻勢防御作戦
とせよ」と「指導」されてるのを無視しているのはどういう事かねw
>>それを延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で
>>牟田口はそれに従ったに過ぎない。
明らかに失敗した時点で作戦中止を上申するのが牟田口の
職能だぞw
牟田口自身も自分の職能を自覚しているから、史実の「察してチャン」
問答が起きているのだ。
牟田口をまた後ろから撃っている土足くんwwww
>それを延期する判断を下したのは、大本営と南方総軍で >牟田口はそれに従ったに過ぎない。 ほうほう、左翼学者のゆがんだ歴史観というのは たかだか一中将を貶めるだけで大本営と南方総軍に責任はなかったという なにか不思議な作業をやったと仰る?
447 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:28:36 ID:Zh8PPnWy
>>444 やる気の無い師団長でも、相手を大混乱させたのだから、
作戦がマトモだったということw
>やる気の無い師団長 だったらさっさと撤退してんだろって30分前に言われたばっかりじゃねーかw 鳥頭乙 っていうか新しい主張なりソース引っ張って来いw デマは無しな 相手にしてるほうがここんところ同じ展開で飽きてきたw
449 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:42:43 ID:Zh8PPnWy
やる気が無いというより、この3師団長 結託して作戦を失敗させるよう、裏で密約していた疑いがある。 あくまで噂だが、佐藤がそのように画策していたと。
450 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 00:45:58 ID:0HAUZAHZ
>>449 土足の捏造に満ちた脳内ソースなんざ誰も聞いてない。
さっさと真っ当なソース持って来い。
出せなければ法螺吹き土足の捏造癖の追加資料なw
>あくまで噂だが、佐藤がそのように画策していたと 噂の元ネタは? ちなみに2chのID出てないのは不可能な 土足で無いという証明ができん っていうかそんな事してたらもっといい末路迎えてるわな 適当に失敗させる作戦のために餓死しかけたりマラリアで死んだり どんな行動とったらそんな羽目になるんだっつーの
まあ、確かに南方軍も90パーセント成功の見込みなどと非常に現実離れした認識をしてるんだが、それだって十五軍が本当のことを報告しなかったからだしな 海軍が嘘の報告を云々と言いながら、牟田口の嘘の報告についてはスルーするのは何故かね、土足?
今日も元気だ。キチガイ先生。
455 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 02:10:59 ID:Zh8PPnWy
>>453 牟田口の電撃的な作戦で相手を短期に撤退・降伏させるという作戦は
5月には失敗していたが、
依然、体制は敵を包囲した優位な体制にあり、
もしここで大本営が決意し、援軍を送れたならば勝てていた。
援軍が送れないなら、持たないから中止すべきだな。
この判断は牟田口に出来る範疇ではない。
大本営の分析と決意次第なのだから。
456 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 02:21:43 ID:Zh8PPnWy
15軍には偵察機すら無いのだから 南方軍から勝算があるのかと聞かれても、牟田口にわかるわけがない。 大本営が勝つ気があれば勝てるし、その気が無いなら負けますと、 そうとしか答えようが無い。
>>455-456 「電撃的に奇襲させる」筈なのに「駄牛隊」やら編制して前線に
お荷物押し付けたのは誰ですか?w
大本営がその場で援軍を思いついたらすぐにビルマに援軍が
現れるのは土足くんの脳内だけですよw
確か中国大陸では一号作戦の準備が有った筈なので、大陸
からは部隊は動かせませんなぁw
そういえば、一生懸命大本営や南方軍に責任を擦り付けよう
としてるみたいですが、現場にいちばん近くてそもそも作戦計画
時から悪い意味での政治力を発揮して、イエスマンの幕僚しか
身近に置かなかった第15軍司令官は無能だって言いたいんですか、土足くんw
航空支援もいらないといったのは牟田口司令官ですねぇw
前線の各師団の戦闘報告も碌に読まないし確認もしない
無能司令官である、と牟田口を評したいんですかwwww
土足はそろそろ for a month の訳を理解できたかな?
pretations; kawabe interpreted it strictly, and Mudaguchi more liberally, stretching it to accommodate his daydreams. Mudaguchi was right, there could be no doubt whatsoever; this was what Napoleon called ‘the favourable moment' , and Sato had only to hold Dimapur for a month to bring the British to the bring of disaster. 土足が何度も使ってきたこの文章だが、どう訳しても土足のような訳にはならない。 俺が訳すと 河辺はそれを厳格に解釈し、牟田口はもっと楽観的に解釈した。 彼の白昼夢(楽しそうだが実現不可能な計画)のために拡大解釈したのである。 牟田口は(この点においては)正しかったのである。それについては少しも反論できない。 これがナポレオン(元はクラウゼウィツ)の言った「勝機」というものだろう。 そして英軍に大災厄(大きな損害)を与えるには佐藤がディマプールを一ヶ月間占領さえしていればよかった。
>>455 都合の悪い時だけ大本営か?なんのための軍司令官だと思ってんの?
>>394 アンフェアだなんだとぬかすならインパール以外の話もしてみろよ。牟田口を再評価したいんだろ?
>>455 師団長や参謀はそれをちゃんとやったじゃん。牟田口が首にしたけどw
つまり、このレスで以後佐藤は無罪放免ですね。
378 :名無し三等兵:2011/01/12(水) 22:53:02 ID:ACpMCnDi 高木の書籍で書かれているこの話だが 「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら・・・ 大田の書籍では、もっと詳しく紹介されており これには全段がある。 それによると牟田口は、自決を本気で考えていたと推測できるが、 藤原参謀が、司令官の今やるべき責務は、自決ではなく、撤退の指揮を することです!と強く進言した。 しかし牟田口がしつこく自決を相談の意見を聞いたため、藤原は切れて 上記の発言が出ている。 379 :名無し三等兵:2011/01/12(水) 22:55:32 ID:ACpMCnDi ようするに高木は、自分に都合のいい部分だけ抜き取り 全段の重要な部分を、意図的に隠している。 全段というのは前段のことかね? 普通の日本人なら当然持ってる国語力もない土足ちゃんw だが、そんなことはどうでもいい。 >自分に都合のいい部分だけ抜き取り >全段の重要な部分を、意図的に隠している。 のはお前だろ、土足。それとも、大田本には重要な部分が載ってないのかね?
土足よ。牟田口がどうしたとかいうより。 夜はちゃんと寝ろよ。仕事に差し障りがあるだろ?
「ある日牟田口中将は藤原参謀に対し、涙を流しながら身のふり方について相談された。藤原参謀は『この大事な時に軍司令官の進退を云々されるのは適当ではない。困難な撤退作戦の指導に専念すべきである』と意見をのべた。牟田口中将はこれを了承した。」 のはいつのことだ? そのやり取りの後、シェエジンで牟田口が 『藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を失った事は、司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵ない意見を聞きたい』 と言い出すまで、何日あった? それを >しかし牟田口がしつこく自決を相談の意見を聞いたため、藤原は切れて などと表現できるわけがないな そもそも、「身のふり方」や「進退」の話の、どこに『自決』という言葉が出て来るのだ?
>>463 しつこく自決の相談をするってのがイマイチ想像できないんだが。
死ぬべきだと思うならさっさと死ねばいいわけで、
「ねえ、死んだ方がいい?」「そろそろ死のうかな」「やっぱ死ぬべきだよね」とか
延々と相談したんだろうか。
>>466 その文体だと根暗な女子高生が言ってるように見える
>しかし牟田口がしつこく自決を相談の意見を聞いたため、藤原は切れて >上記の発言が出ている。 余計に格好悪いな牟田口w
>>464 > 土足よ。牟田口がどうしたとかいうより。
> 夜はちゃんと寝ろよ。仕事に差し障りがあるだろ?
土足は自宅警備師団を率いるのが仕事なので、差し障りはないっていうか
むしろここで白昼夢を垂れ流すのが仕事。
>>463 >しかし牟田口がしつこく自決を相談の意見を聞いたため、藤原は切れて
>上記の発言が出ている。
↓
>「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
>司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら・・・
の流れなら
”ようするに高木は、自分に都合のいい部分だけ抜き取り
全段の重要な部分を、意図的に隠している。 ”とはいえないよな。
しつこく自決の相談をした=死ぬ死ぬといったから、
藤原が昔から死ぬ死ぬと言って・・・と返答したわけで、
藤原の言葉が全部の状況をきちんと表現している。
何を隠していると言うんだ?
ちゃんと仕事しろ、と副官がいってるのに死ぬ話しかしてないって点が隠されてたわけ。 殿を部下にきちんと委任して撤収作業をやった佐藤が精神病なら、その時点の牟田口の方が余程壊れてるといえる。
牟田口は無能有害で正しい評価。
結局1日待ったけど土足は
>>199 に対してまともな反論を返してくれなかったか・・・
土足が「まともな」反論をしたことなんてあったか?w
牟田口が無能なせいだろ。 佐藤は張鼓峰で優勢なソ連軍相手に持久しきったんだぞ。 中国軍や植民地守備軍をだまし討ちにした実績しかない牟田口よりずっと能力あるというのが公正な評価。
●第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
いや、イギリスの防衛戦略が補給が確立していて自軍の戦力が敵に優越していることに 起因する消耗戦が狙いであり、それに付き合う羽目になった佐藤に落ち度が無いとは言わないよ? でもそれと作戦自体の撤退を進言・発令しなかった無駄口の落ち度とはまた別の話ね? 一応言っておくけど
土足捏造はもういい。 お前の捏造ではなく、本当に(当然初歩の英語さえ理解していればバレる嘘訳でもない)普通のソースもってこいw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
普通or本物のソースから出る結論は、牟田口有害無能しかないw
斥候隊やVフォース(特殊情報工作隊)や飛行偵察によって、第一五軍主力がチンドウイン河岸に集結し、牛や象の大群を随伴していることが確認された。日本軍の斥候を殺して押収した日記や書類からも、多くの情報が得られた。 かくて一月末までにスリム中将は第一五軍の計画のほぼ全貌をつかんだ。すなわち主力はカレワからインパールへ北上し、一部はコヒマからディマプールへ向かい、作戦発動は三月一五日ごろと推定したのである。 (秦郁彦『なぜ日本は敗れたのか』) 情報公開によって、日付のずれはともかく骨子を完全に読まれていたことが判明しているからね。 おそらく機密にひっかかるから記述を公開された情報とかちあわないよう変えた時代遅れの回想録(しかも明らかに初歩英語もできない土足誤訳w)を何百回コピペしても笑われて終わり。 牟田口は無能。
>普通or本物のソースから出る結論は、牟田口有害無能しかないw 手元のコヒマだと無能とまでは言ってないかな モノによっては能力をそれなりに評価していたりする 有害とか問題があったと書いてあるのはほぼ全ての資料に共通するけど
日本軍を過大評価気味なのは無能とはいってないんじゃ。 何しろ保留条件つきとはいえ、当時の日本軍の能力では実現不可能な突進をかけてくると恐れていたんだから。 マレーの印象なんだろうけど、あれは英軍の植民地守備軍の戦力低さと日本軍を逆に過小評価した結果だし。 幻影に踊らされているって現象は結構名前のある人間も陥る罠。
>>483 長距離を行軍するのだから、敵に全く察知されないなんて不可能だが?
戦場には錯誤が付き物。一線師団長各自は状況の変化に対応した。 現状の変化に対応できなかったのが牟田口。
土足はこんなスレを立て続けて フクロにされるのが生きがい。 つまり究極のドMである
しかし、師団長が敵前逃亡したら、誰が司令官でも負けるわな
>しかし、師団長が敵前逃亡したら、誰が司令官でも負けるわな 誰かしたっけ・・・? はじめから最後まで作戦区域に入らなかった司令官なら居るけど・・・
>誰かしたっけ・・・? て頭がおかしいの?
>>誰かしたっけ・・・? >て頭がおかしいの? いや割とマジで心当たりが無いんだけど 誰のことよ?
補給なしの無茶命令ばかりで部下に無駄死にを強要する無能牟田口から将兵を救ったんだろ。 だから生き残りは佐藤に感謝し、牟田口を憎んでいる。
もしかして敵前逃亡って佐藤のことが言いたかったのか・・・? マジで?
牟田口のことかと思った。敵が迫るとそれまで軽視どころか無視してた補給路視察名目に真っ先に遁走。
土足は何で佐藤が嫌いなんだろうなぁ・・・? 土足の好物のディマプール進撃を止めたのもカワベで佐藤じゃないのに。 最後で独断退却したけどぶっちゃけもう師団丸ごと廃兵状態で戦力にならないから 独断退却してもしなくても戦局に変わりはまったく無いんだけど・・・
>牟田口のことかと思った。敵が迫るとそれまで軽視どころか無視してた補給路視察名目に真っ先に遁走。 俺もそれの事かと・・・
>>486 長距離行軍以前に、部隊集結させるだけでも敵には或る程度
作戦実施の兆候ありと判断するのは別にどこでも当たり前だ、土足よw
日本軍にはNY市場の株式価格の推移で上陸作戦発動を感知
した参謀だっているのだ、土足のように世間を知らない能無しと
一緒にするなw
だいたい31師団は数ヶ月の激闘を重ねただろ。 大損害だしつつ。 補給がないのだから撤退は当然。むしろ牟田口の側から作戦中止とすみやかな撤退を指示すべきだった。
>>498 チンカスは日本語が理解できないのwww?
土足は佐藤中将を無能臆病とののしるが、 なぜかディマプール攻略だけは彼でも成功するらしい。 これが土足クオリティーw
史実としてコヒマ英軍を日本軍は最後まで殲滅できなかったわけだしな。 突進なんて物理的に無理。できたら、というのは明らかに日本軍を過大評価か英軍を過少評価した非現実的イフ。 空爆なんてどうやって防ぐんだよ。
英軍が壊滅したり31師団がパワーUPしたりディマプールは パワースポットか何かかw
インパールは愚作戦。 何が一番だめかっていうと兵站の成算が机上でさえたってないのにやっちゃったから。 仮に何かの間違いでうまくいったとしても息切れで壊滅するようなの。 そして史実は牟田口のような人災のせいで悲惨の最悪を極めた。
>英軍が壊滅したり31師団がパワーUPしたりディマプールは パワースポットか何かかw ええっとね。アーサーのコヒマだと、宮崎がサンジャックに寄り道しないで行けば(5日短縮) スケジュール的には概ね間に合うし、戦力(兵士500人と将校多数)を損ねなかったら行けたかもって書いてある 日本人がよく想定している宮崎肢体の戦力はこのサンジャック戦で消耗した後で、消耗していなかったら行けた、かも、って書いてある ディマプールの占領してもインパールが陥落するかは別だし、インパール正面戦力しょぼいから無理だろうね、とも書いてるけど
つうか地図上で遮断もしくは包囲しても当時の(まして牟田口の妄想的な強気のため兵站も航空との連携も滅茶苦茶な)日本軍じゃ英軍相手に局地的勝利さえ困難、と実証された後なのに・・・
「実証したつもり」と「実証した」は違うのだよ
宮崎繁三郎って評価高いけどさ。担当範囲外を攻撃してしかも意地はって味方の支援さえ拒むあたり、所詮当時の質の悪い日本軍将官ではマシなほう程度でしかないなあ。
第二次アキャブ作戦とかで包囲したはずの日本軍が逆に壊滅させられかけるぐらいだしね。 花谷は問題が多い人物だけど、連隊長の独断撤退が正しいと思い直して追認したあたりまだ牟田口よりはマシだ。
戦闘指揮官としては一級品だけど なんというか軍人じゃなくて武人な感じがする 日本軍全般
日本の将官が他国のより劣っていたというソースは? また、チンカスの脳内補完ですか
兵站と航空の能力差を把握していれば、インパール作戦なんて論外だ罠。 そういう正しい意見を言えた連中は牟田口が解任しまくったし。 まともな将官が割を食うから残りに悪い意味での政治力だけはある馬鹿がのさばる。
兵站と支援体制に注意をはらうのが仕事の連中がそれを無視して非現実的攻撃を怒号。 はるか後ろで料亭で芸者遊びしながら。 最悪だな。
インパールで牟田口に殺されたも同然の将兵達かわいそう。
>日本の将官が他国のより劣っていたというソースは? 電子兵器の話になるけどこんなのいかがかな? レーダーの有用性を認めず阿呆な注文をかけているアホ共の話 「日向」艦長の松田大佐は,内地に帰還後 「『一〇三号』が無かったら,撤退は混乱を極め,最悪の事態になった.そういう意味でも対水上レーダーは絶対的に必要」 と軍令部や艦政本部を説いて回り,これに自信を持った電探の製作者も艦政本部に強く働きかけるが,艦政本部は 「武人の蕃用に耐えない玩具のような兵器の研究はまかり成らん」 といって,耳を貸そうとはしなかった. 『一〇三号』が不採用になった理由は 「容積過大」 「重量過大」 「飛行機を探知できない」 「微調整が難しい」 「武人の蛮用に耐えない」 「武人の蛮用に耐えない」からというのは,レーダーに対する軍の認識不足. 軍は「武人の蛮用に耐えられる」と言う意味で,「一メートルの高さから落としても壊れないモノを作れ」と言った. この辺の話はぶっちゃけアホだと思う。リソース少ないんだからもっと効率的に戦えよって言いたくならないか?
>>512 牟田口一人をもって、日本の将官全体の評価をするの?
>>511 太平洋戦争全般で連合国より作戦的に勝っていた事例って少ないんですけど?
大陸ですら戦力の集中とか補給とか中国よりややマシ程度ですし。
ほんとにごぞんじないんですか?
>>516 土足の相対評価論によると牟田口が無能なら日本人全員無能らしいよw
まあ、ひとつだけ擁護するなら 国家の戦争指導方針が短期決戦なのか長期持久戦なのかすらはっきりせず、 海軍部内でもこの意見統一に失敗し、 陸軍は陸軍で大陸に大半のリソースを注ぎ込んでいる状況で 日本の将官が実力を発揮できなかったというのはいえる。 が・・・牟田口は無理だなw
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
>>508 あの師団統制線を越えてのサンジャック進撃はまずかったよなぁw
>>512 問題はそれをしないと物資が足りない点じゃないか?
失礼522は521宛
>>500 土足は自分自身が理解出来てないだろwwwwww
>>515 それよく言われるけど、実は半分しか正しくない。
戦前にレーダーの研究が否決された時は、実はIR探知側は
「それの研究を実施した際のメリット」
「所要される費用」
「必要なスペース」
「必要なリソース」
についてかなり正確な見積もりを出して提案をしている。
対して、レーダー開発提案側は、上記のいずれの概算見積
すら提示できてなかった、と言うのが実情だったり。
>>「武人の蛮用に耐えない」からというのは,レーダーに対する軍の認識不足.
発砲などのショックですぐに故障してしまう機器は艦上での
実用に足りないから、仮称「一〇三号」レーダーの開発は却下
され、代わりに二二号レーダーの開発が進められた。
(それでもセンチ波レーダーの開発が難関を極めたのはまた別の話)
526 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 23:14:55 ID:Zh8PPnWy
補給を軽視した無謀な作戦というのは大嘘。 5月中旬までの2ヶ月間の期間は 物資に関しては大きな問題も無く、被害も大きくはない。 奇襲は失敗は明らかなここで止めれば、大きな問題は無かったわけだが、 作戦延長の判断、命令を下したのは大本営。 そしてそれの基となるのは、南方総軍の戦況報告だが、 インパール攻略は、このまま継続して90%の確立でまもなく成功する という正式な報告に基づいている。 だからこれは、牟田口の判断でも責任でもない。
>>522 その一方で宮崎少将は物資は十分あったと証言しているんだよな
>>526 物資は3週間分しか携行してないよ土足くんw
作戦開始は3月15日くらいではなかったかね?
>>526 その戦況報告の基となる虚偽の戦況報告をした軍司令部は何処ですか、土足くんよw
土足は思想堅固な官僚主義者なのになんで官僚にならなかったんだろ?w
532 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 23:23:32 ID:Zh8PPnWy
南方総軍の中で、唯一、インパール作戦に対して 悲観的に考え危機感を持っていたと言われる後参謀だが、 後参謀が4月末にビルマを視察し、31師団の後方参謀で同期の 高橋参謀に食料の状況について問い合わせたそうだが、 5月いっぱいは何とか大丈夫だという回答。 だから悲観派の後参謀でさえも、5月いっぱいは作戦続行、 それで駄目なら後退すべきという判断をしている。 要するに、5月中旬までに関しては、補給に関する作戦計画に何の問題も無い。
>>532 「何とか大丈夫」ってのは「不安が無い」ってレベルでの
発言とは通常解釈されないぞ、土足くんよw
>>531 民主党の幹事長見れば、「思想堅固な官僚主義者」なんて
何の役にも立たないのは明白じゃないかw
(だから、イオンタワーにも呼んでもらえないんだし)
>>527 それ牟田口の回想録だけがソースってやつじゃなかったっけ?
536 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 23:42:45 ID:Zh8PPnWy
15軍が、さすがにもはや打つ手無しで 事実上の撤退を促す打電をビルマ方面軍に送ったのは6月26日。 しかし、それい回答したビルマ方面軍の電文は 「かくの如き消極的意見具申に接するは、以外とする所なり。 方面軍としては唯、任務に基づく攻勢あるのみ。軍としても一意 現任務達成に万進せらるべし」 というもの。 これで牟田口は吹っ切れて、最後の玉砕覚悟の攻勢準備を決意する。 それを知った宮崎少将は、「林は狂った」と吐きすてた。
チンカスの方が他人に責任を押し付けて、自分は知らぬ顔の官僚主義じゃないかw
538 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 23:48:20 ID:Zh8PPnWy
しかし河辺は 徹底攻勢あるのみ!と打電した のとは裏腹に、南方軍に対して作戦中止の意見具申に動いた のであった。
539 :
名無し三等兵 :2011/01/13(木) 23:57:54 ID:Zh8PPnWy
何が言いたいかと言えば インパール作戦が批判されるとすれば それは撤退の開始が、1ヶ月遅かったという事しかない。 しかし、この1ヶ月を長すぎると、批判なんか出来る人間がいるだろうか?
>>536-539 誰も「作戦実施が云々〜」なんて批判はしてないが、
土足の脳内以外では。
牟田口が批判されているのは、
・都合が悪い時には配下師団や上位司令部へ責任を丸投げ、自らの責任は回避
・当時の状況から考えて妥当と判断される上位司令部の「指導」は完全に無視
・自らの意に沿わない意見を具申した参謀を片端からトバして司令部の機能を減殺
・机上の思い付き程度の計画を言い出して実戦部隊の機動力を殺いだ
・自分のメンツを作戦実行よりも優先して航空支援を拒絶、また大本営派遣参謀には
出鱈目の戦況報告により増援部隊投入のタイミングを損なう
・前線の各師団の戦闘報告を検討もせず、上位司令部の判断を損なう
・作戦中止上申も自らではしないで「私は私の顔色で察して欲しかったのである」
これ全てに牟田口が主導的役割を果たしている(最後は自身で記述しているしな)。
>>540 チンカスの方が他人に責任を押し付けて、自分は知らぬ顔の官僚主義じゃないかw
544 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 00:10:51 ID:4Lkgul7D
545 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 00:13:19 ID:4Lkgul7D
>>541 だから大和で特攻する
アホ海軍よりはマトモだってw
>>543-544 要するに、土足は自分の意に沿わない情報は一切見てない
って事で、そこ「だけ」は牟田口の真似をしてるって訳だなw
航空支援拒絶の件はこのスレの上の方のレスにもあるぜw
クロスチェック一つできない、能無し法螺吹きの屑土足w
>>545 で、それが牟田口のインパール作戦失敗と何の関係が有るんだ、
アホ土足w
548 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 00:16:59 ID:4Lkgul7D
>>546 牟田口は航空支援はのどから手が出るほど欲しいわけで
それを自ら断るわけが無いじゃないか。
549 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 00:20:46 ID:4Lkgul7D
ようするにアホの3H(半藤・保阪・秦)の伝える歴史は すべてが大嘘。 いまどき、こいつらの言う事を信じるアホな日本人は 一人もいないと思うよw
550 :
名無し三等兵 :2011/01/14(金) 00:26:12 ID:4Lkgul7D
しかし大和で沖縄なんかに行けると どういう妄想でそんな無理を考えられるんだろうか? そのへんの乞食でも、無理だと判断できるのにw それを賛美し称えて、インパール作戦が無謀だなんて言ってるバカは 頭が完全に狂っているw
●第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
>>550 座して死を待つよりは、やってみようと思ったんだろう
>>548-550 上に書かれてるレスで指摘されてるな。
再掲しよう。
>>328-330 これは半藤も何もないな、戦史叢書のインパール作戦の項だから。
要するに、土足が捏造して出鱈目な戯言を垂れ流して牟田口を
後ろから撃っている訳だw
>>553 だから牟田口がどのように航空支援を拒絶したというのか
具体的に書いてくれ。
おまえの書き込みは、常に尻切れトンボで
肝心な主語や結論が欠落している。
>>554 過去のレス位自分で読め。能無し。読めなければ読めないといえ。
結局、得意の脳内ソースなんですねwww
>>550 誰も沖縄まで辿り着けるなんて思ってなかったんだが?
だからこそ「一億特攻の魁」云々なんて言葉が出てくるわけでな
>>509 > 第二次アキャブ作戦とかで包囲したはずの日本軍が逆に壊滅させられかけるぐらいだしね。
> 花谷は問題が多い人物だけど、連隊長の独断撤退が正しいと思い直して追認したあたりまだ牟田口よりはマシだ。
花谷が追認したのは、部下が命令拒否して撤退した事が発覚すると
自分の責任が問われるから。
牟田口も同じ理由で補給地点までの撤退を追認している。
>>556-557 ブラウザのスクロール一つ出来ないんだな、無能土足はwwwwww
このスレで出されてるぜ。
で、ググれば大本のソースも確認できるよ、無能土足くんwwwww
幾ら反証済みコピペ貼っても、時系列や命令系統を無視した
アホ擁護しても、牟田口の罪科は変わらん。
どころか、命令系統を無視したアホ擁護を受け入れるなら、
土足は
「牟田口は軍司令官の職能も行使できず職責に耐えない無能中将」
と言ってるのに等しいんだが、判ってるかwwwwwwwwwwwwww
■宮崎少将も、佐藤師団長を嫌っていた インパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、 部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。 宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、 宴席で率先して猥談をしたこと、公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、 テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたこと などを不快に感じていた[3]。
●第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
佐藤を敬愛してる奴なんて、子孫のチンカスだけwwwww
英軍の空爆で佐藤が死んでくれてさえいれば、英軍は断崖に立たされていたであろう。 しかし好機は去ったw
で、土足は誰の子孫のチンカス?
で、チンカスは誰の子孫の土足?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
536 :名無し三等兵:2011/01/13(木) 23:42:45 ID:Zh8PPnWy 15軍が、さすがにもはや打つ手無しで 事実上の撤退を促す打電をビルマ方面軍に送ったのは6月26日。 しかし、それい回答したビルマ方面軍の電文は 「かくの如き消極的意見具申に接するは、以外とする所なり。 方面軍としては唯、任務に基づく攻勢あるのみ。軍としても一意 現任務達成に万進せらるべし」 というもの。 これで牟田口は吹っ切れて、最後の玉砕覚悟の攻勢準備を決意する。 それを知った宮崎少将は、「林は狂った」と吐きすてた。 538 :名無し三等兵:2011/01/13(木) 23:48:20 ID:Zh8PPnWy しかし河辺は 徹底攻勢あるのみ!と打電した のとは裏腹に、南方軍に対して作戦中止の意見具申に動いた のであった。 ……ソースを挙げてみろよ、土足w
>
>>543-544 > 要するに、土足は自分の意に沿わない情報は一切見てない
> って事で、そこ「だけ」は牟田口の真似をしてるって訳だなw
>
> 航空支援拒絶の件はこのスレの上の方のレスにもあるぜw
>
> クロスチェック一つできない、能無し法螺吹きの屑土足w
……ソースを挙げてみろよ、チンカスw
>>569 >……ソースを挙げてみろよ、チンカスw
>>330 を千回読め、土足w
戦史叢書がソースでないとでも?
●ディマプール追撃は可能だった 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を以て 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が来着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
>>550 インパール作戦が無謀なのではなく牟田口の作戦指導が無謀なんだよw
やっぱり牟田口は無能。 犠牲になった日本将兵かわいそう。 牟田口のために無駄死。
牟田口を殺すな、ならわかるけどなw こいつのでたらめ指揮のせいで日本軍は本来もてる力さえ発揮できず壊滅。 主攻を直線距離で50キロも離れた位置に短時間で変更せよ、とか滅茶苦茶やってるし。 ちなみに史実として師団司令部も空爆を受けているから土足捏造は確定だな。
土足が嘘or自分好みの結論ありきのトンデモ誤訳捏造ばかり、という事実は別として。 人間の記憶なんてあいまいなもの。 当事者が自分が命がけで戦った戦闘に対する基礎知識を間違って記述するっていうのはよくあること。 あるいは何らかの理由で嘘やぼかしを入れた可能性もある。 (機密関係に触れるところはむしろザラ) 複数の資料を校合するのはそのためだよ。
結局、土足は単に戦後否定された連中を肯定に変えたいというだけw ただそれだけw軍板で補給を無視したやつは高く評価されない。
>軍板で補給を無視したやつは高く評価されない。 ソレは確かにあるな 補給を無視or軽視するやつでも ロンメルみたいに高い戦果でも挙げていればまた話は別だけど
>>571 >日本語版?原典?何ページ目?
捏造とトリミングの前科もちだから最低限コレだけは言わないと
信用はされんわなぁ・・・
>>578 あるスレではロンメルやパットンでさえ厳しい点を付けれている
>>563 別に佐藤中将を敬愛してるわけでなくて牟田口について議論してるだけなんだが
そういや本当にサンジャックに物資なんてあったんだろうか? こんな文章を見つけたんだけど↓ 「27日、サンジャック攻撃3日目の朝、思わざる犠牲を払って、ようやくこれを占領した。 敵の遺棄した火砲があったが、そのほとんどが分解、破壊されていた。私は岡田参謀長の指令を受け、 直ちにこれら砲の組み立てをすべく森高兵技曹長以下数名を指揮し、サンジャック高地に急進した。」 中略 そんななかで深沢大尉らは敵の火砲を集め、まだ使える物を選んで2門の10センチ榴弾砲を組み上げている。 「岡田参謀長に報告すると、「それでもいい、少しでも砲がほしいところだ、よくやってくれた」とよろこんだ。」
ほら、土足脳内では サンジャックで破壊を免れた物資があった→部隊はサンジャックで十分な物資を得たに変換されるからw
ちなみに
>>582 のソースは「陸の孤島、インパールを攻略せよ」(こればっかだ)の121ページ。
文中の深沢大尉(祭兵団司令部兵器部)の手記が元。
>>582 「10榴4門、迫撃砲30数門、ジープ40数両、無線機大小50、馬30頭、自動車5両
その他兵器弾薬多数にのぼり100名の捕虜を得た」と陸戦史集「インパール作戦」には
のっているけど小火器や弾薬がどれくらいかは書いてないね。
「十分な物資」というのは牟田口、宮崎会談で宮崎少将がそう語ったようだ。
>>584 深沢大尉といえば「祭兵団インパール戦記」という本もあるけどタイトルが違うだけで
内容は同じなのかな?
宮崎支隊を増援した砲兵隊なんて弾が無いからってことで歩兵として戦うか、結局師団本隊に送り返されるかだったしな。コヒマですでに。
ニチュガードって日本が一旦占領したの?
コヒマ防御の要であるニチュガードに配置されていた英印第161旅団は戦況が改善したと見てコヒマに移動したが、第31師団にニチュガードを占領されてしまった。
4月3日、第15師団がインパール北方のイギリス・インド軍防御陣地に夜襲を仕掛けたが、撃退された。
4月6日、第31師団がコヒマを占領。周囲の高地に配置されているイギリス軍の制圧に移った。
4月10日、イギリス第2師団第6旅団の1個大隊は車輌と重装備を放棄し、本隊に合流した。
4月12日、イギリス第2師団が第31師団を攻撃。
4月15日、イギリス第2師団がコヒマ付近の友軍と連絡を付けた。
4月16日夜、イギリス第2師団第6旅団がニチュガード峠西の山麓に到着。
4月17日早朝、イギリス第2師団第6旅団がニチュガードへの攻撃を開始。日本軍の守備兵力は歩兵第138連隊の3個大隊8個中隊、歩兵第59連隊の2個大隊4個中隊、輜重兵第31連隊長隷下の特設第1連隊、独立輜重兵第54中隊であった。
http://www.geocities.jp/aobamil/mil-dic/Ii.html
>>586 いや、ぜんぜん別物。深沢大尉の手記を引用してあるだけ
>>585 もしや宮崎少将がサンジャックの物資を回収してしまって祭兵団にまわらなかったのではないだろうか
>>590 てか福島大隊や祭に物資を分けたくないから、福島大隊の協力の申し出を断ったんだとオモ
>>593 で、宮崎支隊が去った後に祭兵団が到着してなにもなかったと・・・
一応「兵団の意地にかけて」みたいなこと言ってなかったけ
31師団内でも物資をどこが管轄するかでもめた挙句、すぐに英軍の爆撃で焼き払われたという。 人命かかってなかったらコントにもならんなぁ。
161旅団はディマプール防衛のメドがついたため、4日にニチュガードから コヒマに向かったはずだが、それと入れ違いで138連隊が突如侵入したんだろうか? だとするとディマプールはパニックになって当然。 まさか、そんなに直ぐに日本軍が来るとは思ってないだろうから。
包囲されても混乱どころか逆撃したのが当時の英軍の実力だから。 驚きはしても崩壊はどう考えてもないだろう。 新コヒマ攻防のように、少数の英軍でさえ航空支援を受けて日本側の大部隊を阻止し続けたんだ。 無謀無茶の一言。
まあパニックになっても当の日本軍には追撃の余力なんざなかったから英軍もラッキーだな
31師団がコヒマに突入した数日後にはディマプールには英第二師団が展開し、むしろコヒマ方面に増援を出して日本軍を圧迫しているほど。 突進したところで各個撃破という落ちで、そんなことしたら支配した旧コヒマ防衛すらおぼつかんだろ。 日本軍の兵力や能力を過大評価しすぎた空想的な話。
しかしニチュガードはディマプールの眼の前だろ? 防衛準備途中の物資の宝庫を攻めないなんて・・・
>>596 それは無いな。ズブサが31師団の最高進出点だよ
実際にはパニックにすらなってなかったからな。予備兵力と制空権が圧倒的だから。 33Dに包囲された英17インドDさえパニックなんか起こさなかった。
>>600 すべての原因は補給不備。ホントか知らんが31師団には一度も補給がなかったなんて話もある。
>>600 138連隊はプリヘマに向かって進撃しズブサで英軍と戦闘し占領。
以後ズブサ防衛で限界になる。
>>600 日本軍に機動力ど火力がないから当たり前。
準備不足なら日本軍のほうが酷い。
相手はその気になれば英2Dをぶっこませて補強可能だが、日本側は新コヒマさえ落とせず余剰兵力なし。
俺の記憶じゃ31師団はコヒマ三叉路でストップしてたと思ったんだけど違ったの?
とりあえず日本軍はニチュガードまで行ってるんだろうか? ここはもはやディマプールの郊外という地点。
いってたらディマプール突入していれば、という非現実的イフを言い立てる必要はないんじゃ?w ソースが不明だし。
このままだらだら話してると土足が帰ってきて3日以内には次スレが立ちそうだ。 というか、1スレ目から牟田口の再評価なんてなされてない。ここでの議論は全く不毛に感じるんだけどどうよ?
牟田口の人望の無さも原因。こいつ、師団長らの真剣な疑問に例の英軍降伏の約束で答えたり、部下を放逐したり作戦前から不信感をばらまいているからな。
>>609 ぜんぜんしてないじゃん。
レス読めてないのか、また卑劣土足の自演か?
そもそも日本軍の作戦ではディマプールへの連絡路遮断はあっても突入はない。 ただでさえ兵站が崩壊寸前の日本軍に、予定にない地点に突進する力なんて残ってないよ。 現実を見てないイフ。 日本側の体力を超えているんだから。
>>614 前者は何度もコピペされている土足の捏造だろ。
後者はソース無し。戦史にあるのとも違う。
>>615 コヒマ占領(失敗してるけど)もそのためだしな
>俺の記憶じゃ31師団はコヒマ三叉路でストップしてたと思ったんだけど違ったの? 手持ちのアーサーのコヒマでもそうなってるな >いってたらディマプール突入していれば、という非現実的イフを言い立てる必要はないんじゃ?w >ソースが不明だし。 イギリスの資料だと結構言ってる人は多いみたい よく土足が引用してくるコヒマにも乗っている。(と同時に無駄口をこき下ろす文も載っているけど) コヒマが抜けないのに「ディマプールに進撃されるとやばかった」って書いてあるんだよね・・・ 三叉路(ディマプール進撃路の始め)おさえられているのにどういうルートを想定して言っているんだろう・・?コレ
準備不足の植民地警護軍をだまし討ちにした経験を金科玉条としていたからな牟田口らは。 ちょっと後方遮断する動き見せれば逃げると思い込んでた。 現実はまったく別で、包囲されようが孤立しようが空を使って頑強に応戦して日本側が壊滅しまくり。
>>618 サンクス。突然ニチュガードなんて出てきたから混乱しちまったよ
>>618 多分宮崎支隊をコヒマに残して、師団主力で攻撃されるのを想定してるんだと思う。
イギリス側が日本軍の実情を知らないのであれば一応成り立つ図式だしな
>>614 デタラメだな59連隊なんて居ないしな。
だれか
>>610 に反応してくれよ・・・
俺は泣きそうだ
>>625 スレ立てたのが土足である以上どうしようもないわな・・・
いちいち反応する俺らも俺らだが
>>626 反応しないと「軍事知識が豊富な軍板でも認められた!」と他板で吹聴するだろうな。
土足Wikiでの編集合戦に失敗し、それを挽回するためには軍板に殴りこんできたわけだし。
プロの軍人でもろくでもない事いう人間もいないわけじゃないしな。 タモさんとか自衛隊出身者なんかなかなか香ばしいぜw
>>627 俺は1スレ目からここにいるけど一向におさまる気配ないぞ。
牟田口再評価にかこつけて意味不明な自説振り回す輩と付き合うのはものすごく疲れる。
どうしたものか
>624 少なくともここの住人(除く土足)との議論は勉強になったかな
人間は全知全能じゃないからね。誰だって記憶違いや勘違い、誤解がある。 だから色々な本でクロスチェックして大体の線を探るわけだね。 「これ一冊で十分」なんて言っている時点でオワッとるw
>>269 こんなやつは他のスレでもいるよw
俺はむしろいままで漠然と柳田中将の統制前進を否定的に見てきたけど、
今回の件で調べなおして、肯定的になったよ。その他いろいろ他の人の
書き込みとか勉強になった。
>>632 あるいは土足がジャパンミリタリーレビュー社の社員とかねw
でも大田本の評価を下げてしまったなw
>>633 なるほど、そういう考え方もあるか・・・
しかしいつまで続くのかね。年内に終わると思ってたら年を跨いでしまったよ。
おまけに中学生でもわかる英文法について議論する羽目になるとは思わなかった。
>>634 あんな読書する人間から見れば貶しているレスを
出版社の人間が褒めるつもりで書いたら職にあぶれると思うぞw
あきらかに滅多に本を読まないからわかってない文章だったしな。
>>635 思想信条の話だから軍事的分析とは関係ないので延々と続けるだろうね。
>>636 でも確証を取るため買ってしまおうかと思ったこともあったw
●ディマプール追撃は可能だった 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を以て 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が来着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
>>639 追撃ってのは敗走する敵を追ってするものだ。
因みに牟田口がディマプールに追撃と言っているのは本来の進撃目標ではないため、 追撃という方便を使っているだけだw
>第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』 せめてページ数はのっけないとソースにはならねーぞ 後何回も言うけど 「ディマプール占領の可能性」 「インパール陥落の可能性」 「無駄口の撤退指令遅滞による大損害の責任」 は全部違う話だからナー?
つ〜かねつ造します宣言しておいて ページ数なり他人が確認できるソースをつけないでなにをしたいのやら・・・
>>643 土足の「本当に主張したい事」が「牟田口の再評価」では
無くて、「土足の主張は無条件で正しいと認めろ、そして
土足を無条件で崇めろ」だから。
他人が検証して結果土足の主張に妥当性を見出す必要
が、土足には無くて、土足は「無条件で認めてくれ」って
言いたいだけだからね。
例えば、同じ「牟田口の再評価」と言う観点でも、
・作戦立案段階での「援蒋ビルマルート遮断」と言う発想が、
当時の牟田口の職責の現実の間でどのように現実に合致
させるべきだったか
とか、
・作戦発起の段階での、「発起前までの無謀な人事処理」が
作戦にどのような影響を及ぼしたか
とか、
そういう論理を組み立てる事が、土足の能力では根源的に無理
だからね。
おまけに戦術レベルにおける英軍の変化についても考慮無しw >日本の大学の専門の研究者の近代史観は歪んでいる。 土足はインパール作戦の分析なんかじゃなく、 このゆがみとやらを正したいという白日夢を見ていたいだけからw
まともな補給もないのに、眼前の強敵捨ててディマプールに兵を分けたら飢え死にか各個撃破は目に見えているじゃん。 愚将云々以前にその意思があってもできない行動だよ。 日本軍の限界を超えた動き。 もちろん、まともな兵站と機動力・火力と制空権があれば違うだろうが、日本軍にはすべてない。 可能性云々じゃなくて物理的に不可能。
命令を実施してほしけりゃ、それを現実可能にする体制を整えるのが牟田口らの仕事なのに。 やってたことは実情を把握しない無茶命令と、芸者遊びだけだからな。
英軍は撤退しようとしていたのに、その前に自発的に敗走した佐藤はイギリスのスパイでした
佐藤ら前線師団長は常に正しい具申をしていたからな。無茶口が無視しただけで。 牟田口の愚かさは、馬鹿でも負けが確定とわかっても面子のために中止を言うのを先延ばしにしたこと。 面子のほうが部下より大事。佐藤とは逆だからな。
英軍は撤退しようとしていたのに、その前に自発的に敗走した佐藤はイギリスのスパイでした
牟田口とその暴走を容認した連中って当時の日本軍でも最悪の面子揃いだからなあ・・・ これに辻あたりが加われば完璧だw
敵が撤退しようが補給が来てないんだから自発的に退却するのは当然だが? 戦闘力を発揮できなくなっているんだから仕方ないだろうに。
ああ、こういうことをいわれないとわからないのか? 空戦で相手が撤退しようとしていたのに自機が弾切れになったので 補給の出来る後方の飛行場に帰還したら敵のスパイだと? まあ、その後方の飛行場に約束通り補給物資を送らなかった牟田口は 英軍のスパイかもしれませんねw
つうかコヒマでインパールを増援するルートを切断って当初の作戦通りの目的は佐藤師団は役目を果たしているんだよなー。ろくな兵站もない中で。 残り二個師団がとめられた時点でどうにもならんけど、もう部隊単位の戦闘力が(日本側の自滅的な牟田口らの作戦指揮もあって)英日で圧倒的についていた。 どうやって歩兵で飛んでくる航空機を止めろと。
>>653 ヒント:鹵獲物資は英軍の爆撃で失われていた。
あ、ごめん!
佐藤の師団を兵糧攻めにしていた司令官がイギリスのスパイって事か?
>>653 鹵獲やっても追いつかない(必要物資が手に入るとは限らない上、とっても空爆で焼き払われる)のが史実だが。
鹵獲しろってのはただの無責任。
佐藤は作戦命令を実施して、その上で正しい意見を具申している。 でも牟田口が現実みない戦線拡大とか、補給なしのくせに兵力だけは転用しろとかいって部下を殺そうとするからすべてをかけて守ったんじゃないか。 ほかの師団長だって、最善を尽くした上で具申している。 牟田口らがくず。
今はネット上でインパール作戦生き残り将兵の証言動画を見ることができる。 あれを見ると実相がよくわかる。
むしろ15軍壊滅を巧に実行し、「3発撃ったら英軍が降伏する」約束ができる 牟田口が英軍のスパイ。だから英軍は絶賛w
wikiとならぶネット百科事典・アンサイクロペティアの牟田口のページは正確だなw
日本軍の3発目の銃声を聞いたら撤退するつもりだった。 しかし、佐藤は味方の銃声に恐れ慄いて敵前逃亡したww 正しくは、イギリスのスパイだから当然の行為だったか
まあコヒマの英軍は立てこもっているだけで 手を出さない限りはディマプール・インパール間の後方遮断という任務を果たせる。 が、牟田口という大変有能なイギリスの将軍が師団の補給路をぐいぐい締め上げて完全に遮断、 なおかつ指揮権という巧みな陽動作戦で兵力を分散させて 戦闘正面を局限するというインパール作戦の根底を覆す戦線拡大を図っている。 佐藤師団の苦労はほぼこの敵将によってもたらされたもの。 インパール攻略が絶望的になった時点で最前線に登場し、 まるで日本軍を操るかのごとく無茶な移動をさせて2個連隊をすりつぶさせた手腕、 また河辺の作戦中止命令を顔色だけで止めさせ、壊滅的な打撃を与えた 情報能力こそ牟田口の真骨頂とも言えるだろうね。 まったく牟田口ほど有能な将軍は類をみないな。 イギリスの将軍としてはWW2最高の名将とさえいえる。 おお、企まずして牟田口の再評価ができたじゃないか!
日本軍の3発目の銃声を聞いたら撤退するつもりだった。 しかし、佐藤は味方の銃声に恐れ慄いて敵前逃亡したww 正しくは、イギリスのスパイだから当然の行為だったか
味方の銃声に驚いて撤退するまでに二ヶ月もあるのタイムラグ?www 一方、牟田口は味方の銃声がそもそも聞こえる位置までいなかかった。 敵が迫ったら姿を見る前に補給路視察名目に敵前逃亡したwwwww
>>664 3個師団を一挙に壊滅なんでザラにはないからなw
牟田口は敵と通謀した。死刑! と土足はいいたいわけか。 うん、はじめて土足の妄想で否定しがたいものがきたwwwww
佐藤は敵と通謀した。死刑! とチンカスはいいたいわけか。 うん、はじめてチンカスの妄想で否定しがたいものがきたwwwww
日本軍の3発目の銃声を聞いたら撤退するつもりだった。 どうみても通謀は牟田口です。
ウィキペディアの中の人も大変だなぁ 土足あっちにまで沸いてたのかよ っていうかアンサイクロのムダグチのその他〜の項目って本当? 芸者とか詔とか
牟田口「通謀したけど英軍は約束を守らなかった! 英軍の契約違反だ!」と、土足は牟田口を擁護したいのですねw
>>674 恐ろしいことに大本は史実でもあったこと。
生き残りの参謀や将兵が証言している。
比喩って知らないの? チンカスは貧乏で小学校にも通えず、人格が大きく歪んだのね
ちなみに矢次大佐がシンガポール視察で眉をひそめているように、南方軍幹部も作戦中連日料亭で芸者遊び。まさに佐藤師団長の言うとおり馬鹿の四乗だった。
訂正 矢次→杉田一次(当時大本営作戦班長)
日本軍の3発目の銃声を聞いたら撤退するつもりだった。 どうみても通謀は牟田口です。
●ディマプール追撃は可能だった 少数の牽制部隊を残し、ニチュガードのウォーレン旅団の東方まで 道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を以て 鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、 彼の部隊が来着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。 私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価 した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。 略 後になってそれが明らかになったとき、 佐藤司令部へ航空攻撃を計画している熱心な英空軍の幾人かの将校を 見出したことがあった。 彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人と考えていたので、 彼らにその計画を放棄するべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
比喩って知らないの? チンカスは貧乏で小学校にも通えず、人格が大きく歪んだのね
>>681 逃げる敵を追いかけるのが追撃。英軍は退却してないが?
>>682 今ごろ比喩とかいって逃げがる。通謀者牟田口並の逃げ足w
■宮崎少将も、佐藤師団長を嫌っていた インパール作戦時には、上司の牟田口中将とだけでなく、 部下の第33歩兵団長である宮崎繁三郎少将とも折り合いが良くなかった。 宮崎は、食糧が十分でない前線部隊にまで佐藤が慰安所を設けようとしたことや、 宴席で率先して猥談をしたこと、公然とインパール作戦の失敗を予言していたこと、 テント暮らしの兵士を尻目に数寄屋造の豪華な師団長宿舎を造らせていたこと などを不快に感じていた[3]。
日本軍の3発目の銃声を聞いたら撤退するつもりだった。 どうみても通謀は牟田口です。
>>685 ディマプール進撃のチャンスを逃がした宮崎w
>恐ろしいことに大本は史実でもあったこと。 >生き残りの参謀や将兵が証言している。 マジですか! ・・・こりゃ日本が戦争に負けるわけだ これが日本の高級将校・・・orz
さすが連合国スパイのエースだけあるよね 3個師団壊滅+補給かく乱(芸者部隊)
>比喩って知らないの? 芸者部隊と詔のどこら辺をどうしたら比喩表現になるのか詳しく
>>691 先ず、芸者云々が事実だという事の証明を詳しく
古今東西、愚将とかレッテルを張られた人物には、その手の話のねつ造はつきものだからな
>愚将とかレッテルを張られた人物 百歩譲っても愚将が愚人になってお終い
っていういか破綻した補給作戦のジンギスカン作戦にちなんで 自分の中華料理屋の名前がジンギスカンってどういうことなの・・・
>>699 佐藤の事ですか?
御先祖様が泣いておられますよwwwwwwwwwwwwww
>>694 その反動で牟田口以外の全てが悪かったので
牟田口には責任がないといってるんですかw
アンドリュー・フォークのモデルがこいつです って言われても信じるね。俺は
>>710 楠木正成のように、悪党と言われてた時代から正一位まで名誉回復した事例もあるわけだから、
御先祖様の佐藤だって、はるか遠い将来には偉人と評価されるかも知れんぞwwww
まあそもそもディマプールを落としてその物資を入手したとしても 佐藤師団の物資状況が改善される訳じゃないんだけど、 牟田口もその程度がわからなかったんだろうかねえ。
>>714 土足の脳内牟田口じゃあるまいし、幾ら牟田口でも
其処までおめでたくないでしょ。
鹵獲物資が「有るか」ですら、攻略してみなけりゃ判らない
訳で、「予め鹵獲物資がこのくらいあります」なんて言い出した
ら、それこそ「牟田口=英国スパイ説」が成り立っちまう。
>>715 いや、そういうことじゃなくてディマプールで何百万トン獲得しようが、
それが敵の爆撃にあわなかろうが師団主力の2個連隊はコヒマ包囲中で
ここへ物資をもっていかなければ何の役にも立たない。
輸送部隊もたいして持たない一個連隊が守備を放り出して物資を運ぶわけにもいかないわけで、
継続的な補給路が確立できない以上、意味がないってこと。
まさかコヒマ包囲をほっぽり出して師団のほうがディマプールに移動ってことだったのかなあ?
意味が分からん。
>>716 例の「駄牛隊」やらが動かせると思ってたんでない?
輓馬の代わりを牛にしても、インフラが弱ければ全然意味が無い
なんて思わなかったんでしょ、牟田口も土足と同じようにね。
実際には先発した「駄牛隊」と連隊が目的の村落で大休止でも
したら、そこら辺の水やら飼葉やらは殆ど食い尽くされてしまうし、
井戸の水も直ぐには戻らない位飲みつくされてしまうから、後発
の「駄牛隊」やら輓馬隊やらは渇水状態で行動せざるを得なく
なっちゃうんだけどね。
逆に後発の部隊まで遍く水やら飼葉やら食料が行き渡るインフラ
がビルマ国内に当時有ったなら、牟田口も態々「駄牛隊」やら編制
しようとは言い出さない訳で。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>718 なんだ、また逃げ回るつもりか、そんなだから屑と言われるんだw
そんな反証済みコピペを幾ら貼り付けようと、時系列を幾ら捏造
しようと、牟田口の責任が軽減される訳ではないぞ。
それに、捏造・改竄をする土足が屑の能無しと言う評価が変わる
訳でもないしなw
>>719 「反証したつもり」を「反証した」と勘違いしているチンカスは痛々しいwww
>>717 そもそも駄牛のアイデアがおかしいんだけどね。
それをやるなら部隊に随伴させるなんて訳の分からん使い方しても意味はなく
牛用の糧秣集積拠点をつくりつつ補給路を延ばしていかないと、
あっという間に牛がダメになってとても何週間もの行軍に耐えられなくなる。
動物を使った補給路の問題点なんてのはそれこそ中世の時期から
将帥の頭にあった当たり前の問題で牟田口がそれを無視したのが
補給軽視といわれるゆえんなんだが。
>>720 その反証になんら問題点をみつけることができず
牟田口のように祝詞を唱えてるのに気づいてくださいよw
>>723 反証済みコピペには反証したコピペで十分だからw
土足の能無し以外は皆理解出来てるぜwwww
そうだな、土足さんがその訳で正しいって言うのなら、 ディマプールを一ヶ月で落として10日も立たないうちに奪い返されても 英軍が懸崖に立たされたという妄想wが成り立つ理由を述べて貰いたいものだ。 軽装備の一個連隊流し込んでも周りには数万の英軍がうようよしてるんだから、 あっという間に取りかえされるのは否定できないだろ?
>>723 おやおや、愚にもつかないことを言わないでくださいよw
その反証が妄想なら問題点を山ほどみつけることができ、
それを持って妄想であることを証明できますが、
今の貴方は自説に対する反証の前に何一つ問題点を見つけることができずに
ただひたすら祝詞を唱えているだけなんですよ
宗教的な事以外に何か意味でもあるんですか?
>>725 数が多けりゃ勝てるなら、そもそも撤退しないわけだが?
その辺りのチンカスさんの見解を明日聞いてやるよw
>>721 そういう事。
でも、当時のビルマ程度のインフラで、一個軍が攻勢作戦を
執る為のインフラを作るとすれば、それこそ一個軍に先ずビルマ
国内の大規模整備をさせる必要が有った訳で。
しかも、ビルマ自体がほかの占領地から地形的に隔絶している
から、他地区から物資を融通してもらうのも難しい(だから泰緬
鉄道作ったんだしね)。
それこそビルマ中に軍票ばら蒔いて、現地人を使役でもしない
限りは無理な話なんだけど、今度はそれ程大規模な動きが有れば、
それこそ「航空偵察」なんてしなくても英軍側に「作戦行動の徴候
有り」と伝えることになるという。
結局、あの当時のビルマの環境で「攻勢作戦」を取る事そのものに
無理が有った、と言えるだろうね。
>>727 は? 頭おかしいんですか?
軽装備の2〜3千人の連隊が重装備を持った敵中に孤立して援護もナシに
数日前までの敵地を守っていればあっという間に蹴散らされるというだけの話ですが?
>>727 それで反論になると思っている所が、土足の軍事知識が皆無だって証拠になってるぜwwwww
>妄言に何を言っても無駄だろww? ・・・つまり土足の妄言に何を言っても無駄だとw
>その辺りのチンカスさんの見解を明日聞いてやるよw @ディマプールはとれたと土足が主張。後方遮断で英軍壊滅wと主張。 Aすぐに奪い消される。周辺に敵兵多いし、増援すぐ来るし、寡兵だし、長期的維持は無理と突っ込み これに対する土足の返答 Bお前が説明しろ ・・・言葉の壁って厚いねぇ。全く通じていない
結局土足が幾ら強弁を繰り返しても牟田口の軍事的無能ぶりは覆せないw
結局土足は
>>568 に答えられないようだな
トンデモな本やサイトで見ただけで実のところ何も知らないのか、曲解がバレるから答えられないのか……どっちでもいいけどな、俺は
「第三十一師団は浮くるるに糧秣の集積なかりしを理由に同地を越えて遥か南方に退却を続け、これを予定のインパール攻撃に使用することは不可能となれり。
かくて軍は第三十一師団のパレル方面への転用を決意し、又第三十三師団には攻撃目標をビシェンプールに止むる如く控制せり。
若し方面軍に於て万一攻勢を中止し、防制に転移せしめらるる場合に於ては、軍の現状よりして印緬国境上の要線たるチンドウィン河右岸高地より、モーレイク西北高地を経てティディム附近に至る線に後退せしめらるるを至当と判断する。」
……つまり、この期に及んでまだ、インパールは攻略できないけどパレルやビシェンプールは攻撃すると言ってるんだぞ、牟田口は
インパールを攻略できないのを佐藤のせいにして、しかもなお中止を具申しようとはせず、『方面軍に於て』やめるのであれば云々と言ってるに過ぎないわけだ
これを「事実上の撤退を促す電文」だと思うのは、深刻なバカだけだ
他の人間ならいい。だが、職を投げ打つ覚悟ではっきり中止を進言した者たちを片端から更迭した牟田口にだけは、これを中止の進言だとほざく資格はない
>しかし、それい回答したビルマ方面軍の電文は >「かくの如き消極的意見具申に接するは、以外とする所なり。 >方面軍としては唯、任務に基づく攻勢あるのみ。軍としても一意 >現任務達成に万進せらるべし」 「以外」? 「意外」ではないのかね? 「万進」(まんしん)? 「邁進」(まいしん)ではなく? そもそも、河辺の意図は ●磯部卓男著『インパール作戦―その体験と研究』P156 16〜17行目 もとより方面軍としては、英軍の出撃を阻止するためパレル方面を態勢転換の軸心とし、確保することを要望したに過ぎない。そして軍の統帥の錯乱を恐れた。 程度のことだったんだが。で、牟田口はそれに従って……というか、先の電文で予告した通りパレルを攻撃しようとするわけだ >これで牟田口は吹っ切れて、最後の玉砕覚悟の攻勢準備を決意する わけではなく、元々やりたかったんだよ で、それを知った宮崎は、戦史叢書にも収録された、余りにも有名な上層部批判の言葉を吐く 「軍はまだそんなことをいっているのですか。気●いだ」(以下略) キーワードは、『まだ』だ。つまり、牟田口の判断はずっと前からおかしかったというのが宮崎認識だ
結論としては 「この期に及んでまだ、牟田口には、自分が更迭してきた者達と違って職を投げ打つ覚悟で中止を進言する勇気はなかった」 「あまつさえ、この期に及んでまだ、方面軍の言葉を拡大解釈して積極攻勢を続けようとした」 ということだ。土足クラスのバカでなければ誰でも分かる
737 :
734 :2011/01/15(土) 00:03:07 ID:???
×→浮くるるに ○→ウクルルに
738 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 00:52:01 ID:CbjZctjG
>>735 6月26日の電文は
河辺日記でも牟田口回想録でも両者とも
事実上、中止・後退の要望を示したものだと認識してるだが?
739 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 01:17:02 ID:CbjZctjG
その後、方面軍は15軍にパレル攻略の命令を出すが、 この命令の意図は、方面軍と15軍では受け止めが違っていた。 牟田口は、これは最後の玉砕覚悟の総攻撃命令だと判断した。 もはやこれまでと、自分も自決を考えていたと思う。 しかし方面軍は、これは今後の後退に向けて、敵の追撃を阻止するための ものだったと不破大佐などは戦後に語っている。
740 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 01:32:25 ID:CbjZctjG
パレル確保命令の前に、後退を示唆した意見具申に対して 「かくの如き消極的意見具申に接するは、意外とする所なり。 方面軍としては唯、任務に基づく攻勢あるのみ。軍としても一意 現任務達成に邁進せらるべし」 と言われたのだから、牟田口は上層部には 撤退命令の意志はない。玉砕するまで続けるしかない とその時決意したのは、当時の軍としては当然の話。
741 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 02:51:31 ID:CbjZctjG
それにしても奇怪なのは、せっかく包囲した 17インド師団を31師団が簡単に退路解放したこと。 作戦開始からわずか10日で、このような絶好の勝機を得たわけで 2個連隊で封鎖し、シンゲルでは師団2ヶ月分の物資を獲得するという ありえないほどの絶好の好機。 戦力に全く不足はなく、相手は谷間に縦列で晒された袋のネズミ。 これで勝てなきゃ、他で勝てるわけがない。 トイトムの214連隊は、いったい何をしていたのか不明。 簡単に敵を通過させ、その後敵はシンゲルで215連隊に阻まれるが、 だったら挟み撃ちにできるわけだが、そういう攻勢をした形跡も全く無い。 214連隊はいったい何してたののだろうか? どう考えても、全く戦意がなく敵をわざと解放したようにしか考えられない。
742 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 02:59:30 ID:CbjZctjG
大田氏は包囲した17インド師団に対して 南方軍が集中的な航空攻撃を加えていたなら 英軍は総崩れとなってインパールは放棄されていた 可能性も十分あると分析している。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
____ ./__.))ノヽ .|ミ.l _ ._ i.) チンカスはわしが育てた (^'ミ/.´・ .〈・ リ .しi r、_) | ______ | `ニニ' / | | \__\___ ___.ノ `ー―i´ | | |= |iiiiiiiiiii| /⌒ヽ \____/\ | | | =. | !!!!!!!| | ヽ____| \__. __ | | |三 |_「r.、 | // // ̄.\ //⊃ヾ) |__|_/( ) ̄ )) ヽ ______//r_/| |.||⌒ヽ〜〔 ̄ ̄! ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄\((
>>738-744 >>734-735 で説明されているな。土足に基礎的軍事知識が欠けており、且つ
土足には自分に軍事知識が欠落していると認識できるだけの能力
も欠けているので、734-735で説明されている事が理解出来ていな
い、と言うだけの事だ。
>>741 凄く簡単なことですがなにか?
相手は谷間に縦列で晒された袋のネズミということは
谷間の出口しか攻撃路がなく下手に追い詰めれば
陣地を築かれて手こずる可能性が高い。
むしろ追撃して敗残兵がインパールになだれ込む形に持ち込む方が
インパール攻略には役に立つってことだろうに。
というか、前後に配置した2個連隊で一個師団を挟撃できると考えるのもいいですが、 相手からしてみれば一個師団で前後に分散した一個連隊づつ各個撃破できるチャンスなんですがね。 前に自軍の3割、後ろに3割程度の兵力しかなかったら 挟撃のチャンスをとられたとあんたなら思いますかね? 相手はずっと前から築いていた陣地に籠もっているわけでもなんでもないんだぜ?
>>741 簡単には退路開放していないことは何度も書かれたいるな。
しかもその原因は牟田口の部隊運用がもとだ。
>>749 タム、パレルに213連隊を割いたのは戦力の分散と言われても仕方がないと思われる。
分割自体は分進合撃の作戦だから問題はないんだけどね。 ただその作戦は合撃地点以外の所で捕捉されると各個撃破のチャンスを与える危険性があるので 連隊で師団を迎え撃つような無謀なことをせず、戦闘を避けた判断はそれほど間違っているとは言えない。 それを戦意がないだの言われる筋合いの事じゃないな。 インパール作戦は精神力を食べ精神力を撃つ意志の世界の作戦だというなら いてもいなくてもいい牟田口は無能と表現していいだろ。
>分割自体は分進合撃の作戦だから問題はないんだけどね。 いやぁ、軍規模ならともかく、師団規模で相互に連携できない位置に連隊が あるのは運用上かなりマズイ。戦術の本でも良くない例になっているし。 >連隊で師団を迎え撃つような無謀なことをせず、戦闘を避けた判断は >それほど間違っているとは言えない。 >それを戦意がないだの言われる筋合いの事じゃないな。 これはまったくそのとおりです。
>>750 しかも213.214連隊は1大隊欠(別任務に差出)の編制だし、戦力としては弱体化させらているね。
>>742 その航空自体に成算がないからインパール作戦自体やめろって航空からいわれてるんだが。
大田とやらが基礎知識もないでイフ妄想する馬鹿なのか、お前の捏造かは知らんがありえんw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>755 何といっても不可能なのは間違いないのである。
>>755 その祝詞を何百回唱えると理想郷が生まれるんです?
反論に何一つ返せない所をみて騙される人がいるとでも思っています?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>758 何度もいわれているように、一人の人間の認識なんてあやふやなのが普通だが。
だから複数の資料を照らし合わせるのが常識。
お前みたいに自分好みの妄想ありきで捏造or意図的誤訳する馬鹿はおよびじゃないんだよw
ここでもwikiでも。
>>759 何といっても不可能なのは間違いないのである。
所詮、イフはイフってことを理解してないんだろうな。 史実がすべてだろう。牟田口の命令は実施不能だった。 無理にやったら、牟田口直接指揮のトンデモ指令による三個連隊壊滅とかの惨状が前倒しにされるだけ。
当時の日本軍の実情を把握してない英軍の過大評価の産物かね。捏造の可能性が一番高いがw 思いっきり当時の英側の客観的事実と齟齬するところもあるし(日本側の作戦をほぼ正確に事前探知していたとか)。
正直、大田 嘉弘が軍研に「牟田口中将とディマプール」が連載されていた時から 土足みたいなバカが真に受けたら困るなぁとは思っていたのだが、現実になるとはw
軍事行動を起こそうとすれば、相手に察知されるのは当然で、 奇襲とは敵に十分な準備期間を与えずに攻撃する事。 その意味で、英軍は完全に奇襲されたわけだ
というか、このスレによく張られるアーサー、スチルウェル、パーカーのコピペですけど あれって 「ディマプールが陥落した可能性」であって、インパールが陥落した可能性じゃあないですよね? ディマプールの攻略に成功した仮定とても インパール正面戦線の攻撃力が足りない分、「インパールが攻略できる」には直結しないんですよ。 ディマプールの補給物資をインパール正面戦線には回せないし、 ディマプール攻略に戦力を割いた分、コヒマは英軍の勢力化でインパール防衛拠点として機能するわけです。 そうこうしていると、イギリス軍救援部隊が駆けつけるわけで、結局インパール攻略作戦は失敗します。 史実より善戦はできるでしょうが、ディマプールを攻略したらそれで勝つとは別の話なんですよ
>>765 お前の自分が捏造したことにあわせる謎定義はいらんよw
事実として一個師団がすでに集結してコヒマに増援さえ向けている完全戦闘態勢の英軍を、
どうやって戦力分散した日本軍が奇襲すると???
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
>>765 奇襲は有利ではあるが勝利を確約するものではない。
英軍は奇襲から立ち直っている。
770 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:04:44 ID:CbjZctjG
>>747 17インド師団は、前方を214連隊、215連隊に、
後方を正面突進隊(八木連隊)に抑えられてるんだが?
しかも敵は谷間の細い一本道で細長い縦列状態で
左右に退路は全く無い。
これで敵を撃滅出来ないなんてことは、普通ありえない。
>>742 大田が分析してれば正しいのか?お前脳みそあるのか?
航空支援については、到底有効なのは無理だって、
俺をはじめ幾つも書き込みがあるが、
たわごと書くなら、それらについてレスしてからにしろ。
>>770 普通ってお前の普通は一般人とは違うからなあ。
何しろその前方の連隊がどれだけだったが、当時どれほど損害を受けていたことさえ知らなかったと過去スレでばればれだし。
形だけの包囲で勝てるのなら、第二次アキャブでも日本軍は勝っていないとおかしいがそちらでも負けているのが史実だが。
無知乙w
>>770 現代戦は砲兵の支援のない歩兵連隊では戦力にはならんということだよ、土足くんw
>敵は谷間の細い一本道で細長い縦列状態で左右に退路は全く無い。
迂回路も無いということに気がつかないのかね?、土足君w
774 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:11:30 ID:CbjZctjG
>>771 ビルマの飛行師団だけでなく、南方軍がその気になれば
転用できるだろ。
こんな絶好の攻撃ターゲットは無いのに。
>>774 無知な土足君に重大なお知らせがある。
日本軍の航空隊はドイツや連合軍のような対地支援はできないのだ。
実際、第214連隊は攻撃のために山道しかない地域に入ったところを機銃と迫撃砲で攻撃されて大損害うけているし。 土足の脳内では日本軍が化け物になっているらしいが、現実は人間だぞ。
>>774 ゲーム脳乙。
どこから、どう転用するんだ?
燃料や整備施設、弾薬は機材は???
非現実的空論。
778 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:16:58 ID:CbjZctjG
>>775 現実にやってるんだが。
確か、3月25日に隼4機で5分程度。
たったこれだけだが。
>>778 君の脳内ではそれが対地支援なのかもしれないが、
我々軍板の人間の対地支援とは違うものなのだよ、土足くんw
だいたい「河を渡るときだけ援護しろ、あとはいらん」と大口たたいたのは牟田口じゃんw つまり牟田口構想はでたらめだと認めるんだな? 南方軍レベルで支援を一からしなおさないと駄目な甘い見積もりでやったと。 土足敗北宣言w
>>774 全然足りねえよ、仮に3航軍4航軍の全力回してもな。
それに、各方面で劣勢だから回す余裕なんてねえんだよ。
43年にはこれだけ劣勢なビルマから、ニューギニアに転用して消耗してる位だ。
782 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:27:42 ID:CbjZctjG
3月25日に、わずかだが航空支援があったということは 15軍が南方軍に強く要請したということ。 遅すぎるし、少なすぎるが。 そもそも第五飛行師団は、無駄な攻撃が多すぎる。 敵飛行場ばかり攻撃しているが、毎回待ち伏せ食らってばかりで 無駄に消耗してばかりで。
だいたいゲームじゃあるまいし、 777の言う様に、少数ならともかく急に準備できねえよ。
>>782 無知な土足君にまた重大なお知らせがあります。
>敵飛行場ばかり攻撃しているが
とのことですがこれが日本陸軍の航空隊の主任務なのであります。
ドイツや連合軍のような対地支援はできないのであります。
785 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:32:38 ID:CbjZctjG
相手はスリム中将が直接指揮しており これは兵力を自由に転用、移動させる権限があった。 しかし15軍の牟田口は、そんな広範囲の権限はまるきり無い。 南方軍も、ここまでやる気が無いのなら、はじめから やらなければいいじゃないか。
>>770 つまり敵がそこに籠もったらこれを撃滅するために
谷間の狭い一本道から攻撃するしかないわけで、
そこで消耗戦をやったら兵力の少ない方が負けるというだけですよ。
退路がないので包囲して兵糧攻めにすることは可能ですが、
はて、この師団の目的は17Dをじっくりと壊滅させることでしたっけね?
彼らを解放してもいいからとっととインパールに攻め上ることを優先させるのが”普通”というものですがw
>>782 無知乙。
牟田口は意地になって支援要請せず、前線の師団長が直接要請する状況。
しかも担当する第5飛行師団は、事前に牟田口に無理だと伝えていたように劣勢。
(暗号解読された等で、根拠地が爆撃さえされていた)
お前の妄想世界の話はいいから、史実を見ろ。
牟田口の無知無謀なごり押しがすべての原因。
やれることさえやらかなったゴミクズ。
789 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:39:37 ID:CbjZctjG
>>788 第5飛行師団は、ウインゲート旅団に翻弄されたんだろ。
パーカーに言わせれば、あんなものに翻弄されるのはアホで
それを冷静に放置した牟田口を評価している。
>>789 で、それと牟田口が意地を張って航空との連携をとろうともしなかった史実がどうかわる?w
下手な話そらしや捏造はたくさん。普通にレスしてみせろ。
できないのかwwwwwwwwwwwwwwwwwww
つうかウィンゲート旅団無視してたら、ただでさえ貧弱な日本側の後方兵站・連絡線がずたぼろにされるんだが。 北上しなければ、インパール失敗後の退路さえ遮断されていたわけで。 無知捏造かまた。
やはり牟田口は愚将。 日本より部下より、自分の小さな面子が大事。
793 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:48:26 ID:CbjZctjG
>>791 ウィンゲート旅団なんかは、ハッタリの突撃部隊で
こんなものに翻弄されて計画を変更するようでは
相手の思う壺でアホ司令官なんだよw
アーサー・スウィンソン「コヒマ」p191 4/28、コヒマで反撃の準備が進むながれで 28日は前にも言ったが雨とぬかるみの日であった。そしてびっくりさせることが起こった。 日本軍戦闘機が飛来し、午前8時30分、ズブザの英軍陣地を機銃掃射していった。 〜機銃掃射の描写〜 周知のように、高射砲というものが地対空に備えられているべきなのに、 英空軍は当時絶対の優位を保っていたのでそういったものは何も無く、物陰に隠れるしか方法が無かった。 〜慌てふためく英軍〜 ある記録ではこの攻撃時間を10分と書かれ、別のものには7分と記されている。 そこにハリケーンがきて、たちまち小型戦闘機の空中戦が始まり、 日本軍戦闘機はガリソン高地のほうに爆音をたてて去っていった。 〜英軍の活動〜 この日本軍戦闘機が飛来したことは日本軍を大いに励ました。彼らは日本空軍がもう彼らを見捨てたと思っていた。 しかし狂喜はたちまち深い絶望へと変わって行った。 「敵機がやってくると友軍機は戦わずして去っていった。これが我々をがっかりさせた。」(今西曹長) 空襲自体は小規模で取り立てた被害は無かったが〜 ただの機銃掃射が特筆されるほど日本空軍は弱体だった模様
>>793 えーとそれはウィンゲートの活躍をみて
ビルマにおける防衛計画を変更して
アッサム侵攻なんて言う計画に変更したアホ司令官をディスってるのかな?
ようやく牟田口は無能という同じ結論に達したようでなによりですw
>>793 はったりどころか、マンダレー・ミートキーナ間の補給路なんかが切断されて、
日本側に甚大な被害が出ているが。
「お前の脳内だけでは」と頭につく妄想ばかりいっても史実は動かないぞw
第15軍司令官となった牟田口は、従来の単純な守勢から攻勢防御によるビルマ防衛への方針転換を主張した。 具体的には、イギリス軍の反攻拠点であるインパールを攻略するという計画だった。かつては攻勢反対論者だった牟田口であったが、 ウィンゲート旅団のような反攻を受けた場合、現在のジビュー山系防衛線は無効化されることを恐れて判断を変えていた。 より西方のチンドウィン河に新たな防衛線を構築することも考えられたが、乾季には障害として不十分であり、彼我兵力比を考えると防衛正面も広すぎると牟田口は判断した。 名目上も保留中の二十一号作戦に沿うものだった。さらに、アッサム地方へまで侵攻すれば、インドの独立運動を誘発して戦争の早期終結につながるとの期待も持っていた。 これは盧溝橋事件に関与した牟田口の個人的責任感にも由来するとの見方もある[4]。 戸部(1991年)、149頁。 つまりウィンゲート旅団によって守備方針を放棄し攻勢作戦を行うことにしたムダグチは >ウィンゲート旅団なんかは、ハッタリの突撃部隊で こんなものに翻弄されて計画を変更するようでは 相手の思う壺でアホ司令官なんだよw に該当するということですね?
と、いつも通り土足が自爆を披露したのでした まる
>>793 そのハッタリに翻弄されたのが牟田口なのですが?
>>784 一応対地支援できないことはない。
ただ命令系統がややこしいので極めて綿密な打ち合わせと連絡網が必要で
それを作ることを怠るどころかイラネーヨといっていた牟田口の責任が軽減されるわけでもない。
801 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 12:59:45 ID:CbjZctjG
>>795 牟田口はウィンゲートを問題にしたのではなく
国境に道路が出来つつあることを問題にしたんだが。
土足は自分の妄想内ですら一貫性がない。これが何度証明されたことかw やっぱり牟田口は愚将。捏造してまで擁護する土足さえその結論に達するのだから動くわけがないなw
>ウィンゲート旅団のような反攻を受けた場合、現在のジビュー山系防衛線は無効化されることを恐れて判断を変えていた。 反攻作戦を受けた場合、ってもろに書いてあるんだけど 文面からは道路うんぬんは読み取れないんだけどさ 道路うんぬんを考えていたっていうソースはお持ち?
ウィンゲート旅団って空挺投下されていなかったっけ? この場合道路はあんまり関係なくないか
805 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 13:04:58 ID:CbjZctjG
ウィンゲート旅団はハッタリの突撃部隊で それを冷静に対処した牟田口を 英軍は高く評価しているんでね。 まあ、ディマプール突撃も似たようなもんだし、 ドイツの電撃戦も似たようなもん。
そもそも土足ってこの作戦の主目的は 蒋介石ルートの切断!って一時期吼えてなかったっけw いつから英軍道路構築妨害が主目的になったんだよw
807 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 13:06:57 ID:CbjZctjG
>>804 ウィンゲート旅団は、2回来ている。
1回目は徒歩で。
牟田口が問題にしたのは、1回目の部隊で
その捕虜から得た道路建設状況
ウィンゲート兵団の降下は全く日本軍の意表を突いたもので、全能力をあげてインパール作戦に 邁進すべき両司令部は、作戦期間の2ヶ月間これが対策に忙殺され、全く受動の地位に立たされて しまった。そして所要に満たない兵力を逐次に投入した結果、ついには歩兵11個大隊を対空挺作戦に 吸収され、本作戦による消耗でこれらの諸部隊は次期作戦には戦力発揮できなかった。 インパール作戦に一兵でも欲しい戦況でこの兵力抽出は、方面軍、第15軍の作戦指導上 非常な痛手であった。
てもとのリデルハートの第二次世界大戦(下)だと林将軍を日本側迎撃の指揮者みたいに書いてあるんだけどさ どこの文献が特にムダグチを褒めているのかな?
兵站破壊されてただでさえ苦しい補給がさらに途絶したのを放置wwwwwww しかも第15軍が臨時に一個独立旅団を指揮下にいれてその対処の一翼を担ったこともしらないwwww 土足の脳内英軍すげwwwwwwwwwww
弓兵団にしかまともに補給を送れない状況(その弓に対しても、事前に約束した数量とは穂と度おい10から15トンがやっと)。 これで何をしろと。 後退しかないのは馬鹿でもわかる。
また第15軍はう号作戦開始とともにすみやかに戦闘司令所を第1線近くに推進する 計画であったが、対空挺作戦指導のためこれが遅れ、インタンギーに前進したのは 4月20日であり、作戦開始以来一ヶ月半も経過していた。この間第1線師団特に 第33師団、第15師団に対しては電報だけで督励したので、あるいは師団の実情を 無視した無理な要求となり、第1線師団をして「軍は何を言うか。戦線から後方400キロ 以上も離れたメイミョーで第1線の実情がわかるか」との不満をいだかせた。 以上陸戦史集「インパール作戦」より
土足顔真っ赤w すべて自業自得だから哀れとも思わんが。
ウィンゲート兵団の降下は全く日本軍の意表を突いたもので、全能力をあげて インパール作戦に邁進すべき両司令部は、作戦期間の2ヶ月間これが対策に 忙殺され、全く受動の地位に立たされてしまった。そして所要に満たない兵力を 逐次に投入した結果、ついには歩兵11個大隊を対空挺作戦に吸収され、 本作戦による消耗でこれらの諸部隊は次期作戦には戦力発揮できなかった。 インパール作戦に一兵でも欲しい戦況でこの兵力抽出は、方面軍、 第15軍の作戦指導上非常な痛手であった。 また第15軍はう号作戦開始とともにすみやかに戦闘司令所を第1線近くに推進する 計画であったが、対空挺作戦指導のためこれが遅れ、インタンギーに前進したのは 4月20日であり、作戦開始以来一ヶ月半も経過していた。この間第1線師団特に 第33師団、第15師団に対しては電報だけで督励したので、あるいは師団の実情を 無視した無理な要求となり、第1線師団をして「軍は何を言うか。戦線から後方400キロ 以上も離れたメイミョーで第1線の実情がわかるか」との不満をいだかせた。 以上陸戦史集「インパール作戦」より
航空、補給、火力に優勢で最終的に三個師団分の兵力になったコヒマ一帯の英軍相手に、 補給もない一個師団で二ヶ月も持久した佐藤とその将兵は十分すぎるほど優秀だろ。 これ以上どうしろと??
>>801 はいはい、いつからインパール作戦が道路切断の作戦になったんだよ。
ウィンゲートの活躍をみてアラカン越えでも作戦が出来るというわけのわからん妄想にとりつかれて
かつて放棄したインパール作戦を上程したのは誰ですか?
817 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 13:22:04 ID:CbjZctjG
ウィンゲート旅団なんてのは 英軍が撒いた、ハッタリの餌なんでね。 そんなもに食いつた第五飛行師団の師団長は 大した器ではないってことw
ウィンゲート兵団の降下は全く日本軍の意表を突いたもので、全能力をあげて インパール作戦に邁進すべき両司令部は、作戦期間の2ヶ月間これが対策に 忙殺され、全く受動の地位に立たされてしまった。そして所要に満たない兵力を 逐次に投入した結果、ついには歩兵11個大隊を対空挺作戦に吸収され、 本作戦による消耗でこれらの諸部隊は次期作戦には戦力発揮できなかった。 インパール作戦に一兵でも欲しい戦況でこの兵力抽出は、方面軍、 第15軍の作戦指導上非常な痛手であった。 また第15軍はう号作戦開始とともにすみやかに戦闘司令所を第1線近くに推進する 計画であったが、対空挺作戦指導のためこれが遅れ、インタンギーに前進したのは 4月20日であり、作戦開始以来一ヶ月半も経過していた。この間第1線師団特に 第33師団、第15師団に対しては電報だけで督励したので、あるいは師団の実情を 無視した無理な要求となり、第1線師団をして「軍は何を言うか。戦線から後方400キロ 以上も離れたメイミョーで第1線の実情がわかるか」との不満をいだかせた。 以上陸戦史集「インパール作戦」より
>>817 破綻した書き込みをコピペするしかないのかw
くやしいのうwwww くやしいのうwwwwww
その理屈だと牟田口は愚将だと何度いわれればいいの?
>>871 そのはったりの餌とおなじスピード命の奇襲部隊に
軍あげて変更させてしまったアフォな司令官をディスってるのかな?
821 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 13:28:39 ID:CbjZctjG
それにしても、214連隊は まるきり戦った形跡が無い。 もっとも重大な天王山の戦いだったはずなのに。 柳田がわざと負けた以外には考えられん。
>>821 こいつ、正気?
何度も指摘された間違いやうそを繰り返すしかないじゃん。
本当にまともな本の一冊でも読んでるの?
牟田口は無能。確定しているのがさらに補強されているだけじゃんw
>>821 214連隊は1大隊欠の2個大隊でしかももう1個大隊は後方遮断のため迂回している。
つまり1個大隊でしか攻撃できないのだよ。
そろそろ土足は海軍や半藤に逃げる頃かなw
土足はゲーム脳だろ。 実数とか実像無視とか。航空機を簡単に動かせとか。
軍オタ的に補給を軽視していいのはスペックオタクまでだよねーw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
829 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:03:40 ID:CbjZctjG
33師団には17インド師団を撃滅するだけの 十分な戦力があったわけで、断然有利な体制にあった。 これで負けるような指揮をするなら、そんな人間は素人だろ。 初めから勝つ気が全く無い。
830 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:05:40 ID:CbjZctjG
考えられる理由は一つしかない。 柳田は初めから作戦を中止させるために、 そういった前提の指揮をやっていた。
33師団には本来の定数分の戦力しかなく、戦車も航空支援も兵站もなく断然不利な体制にあったわけだが。 史実が気に食わないからって、捻じ曲げても無駄口ですよw
佐藤は牟田口への私怨のため作戦を放棄した、信じがたい精神障害者
訂正 本来の定数分の戦力もなく、だ
834 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:10:52 ID:CbjZctjG
作戦開始一週間で師団2ヶ月分の物資を捕獲して それでもまだ物資が不足していたとは、 どんな師団だw
どう見ても牟田口の無能のせいだな。 補給なしで三個師団を相手に二ヶ月も持久した佐藤や、作戦の推移を正確に予測していた柳田が正しかったことは史実が何より証明している。 もっとも牟田口の無能を有害にまで助長させたのは、上層部の怠慢にも原因はあるが。
破綻してうそとばれた妄言をコピペ繰り返すしかない土足w くやしいなぁw ここでもwikiでもお前の負けは確定だが、自分のブログでもそんな調子なのか?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
838 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:16:28 ID:CbjZctjG
柳田なんかに師団を指揮させるくらいなら 牛や芸者に指揮させたほうが遥かにマシw その方が最終的に損害は少なくて済む。
土足は個人中傷するやつは在日っていってなかったか?w やっぱり土足自身が在日か。大嘘はいた上での中傷だから確定だな。 お前に日本の軍人について言及する権利はないwwww
840 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:19:23 ID:CbjZctjG
>>839 やられたらやり返すのは、何の問題も無いw
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>840 やられたらってお前は牟田口本人なのかwwwwwwwww
ああ、俺は牟田口と妄想する病人かwwwwwwwwwwwww
在日で病人でうそつき乙wwwwwwwwww
妄想を現実に優先させ、そのためにはうそを平然とつく土足はたしかに牟田口そっくりw 自分の明白な誤りを何度つきつけられても認めないあたりとかもw
国士様は、気に入らない奴を見るとすかさず在日認定するなwww そんなに国を憂えるなら、ちゃんと仕事して納税しようなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>840 土足くんは牟田口の子孫?それとも大田?
牟田口は白日夢がうまくいかなかったから1線師団長に責任を擦り付けた。 土足とやってることは一緒。どうやら土足は牟田口の子孫のようだ。 と書くと以下佐藤の子孫がチンカスがと来る ↓
誰が見ても牟田口の無能は明白。
848 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:29:33 ID:CbjZctjG
柳田じゃ、羊の群れにも勝てないんじゃないかな。 臆病者は、何もかも強敵に見えてしまうw
土足は都合悪いレスも史実も無視して悪罵ばかり。 壊れたのならなんで掲示板にレスするんだろうね〜。 リアルチラ裏でももったいないぐらいw
チンカスにはトイレの壁ももったいないwww
土足にほめられる=史実では無能。 土足が罵倒中傷する=史実では有能。 これ確定して久しいが、本当にろくでもないレスだけだな土足は・・・
チンカスに褒められる奴=敵前逃亡、軍令違反、心神喪失
おら、土足。涙目顔真っ赤でスレ流ししようとしてもdat化されてお前の醜態は半永久的に残るからなw
854 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:48:35 ID:CbjZctjG
33師団には17インド師団を撃滅するだけの 十分な戦力があったわけで、断然有利な体制にあった。 これで負けるような指揮をするなら、そんな人間は素人。 初めから勝つ気が全く無い。 考えられる理由は一つしかない。 柳田は初めから作戦を中止させるために、 そういった前提の指揮をやっていた。
「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に(ちょうちん記事だけ書いてくれる)新聞ジャーナリスト」 当時の兵士の戯れ歌
チンカスが頑張っても、御先祖様の醜態は未来永劫語り継がれるwww
857 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 14:51:01 ID:CbjZctjG
>>855 それも捏造だろ。
日本人が、「ジャーナリスト〜」なんつって
歌うたうかよw
師団長が田中信男に代わっても駄目だったんだが。 その田中も牟田口を批判しているわけだが。 前線の実情をまったく知らないと。
>>857 ジャーナリストという言葉は明治時代にはもう輸入され使われておりましたがw
無知なお前の違って捏造する必要性はないわけだが。
史実にある話なんだしw
やっぱり牟田口は最低の将軍。世評は正しかった。いや、ぬるいぐらいだな。
>>859 ジャーナリズムという概念が入ってきただけですがwww
明治時代はジャーナリスト=操觚者な
>>861 はい無知乙wwwwwwwwww
明治時代の書籍でも新聞でも使われておりますが。当時のことだからカナ文字にーを使わなかったりするが。
牟田口は無能というのは当時の将兵の認識。
現に生き残った将兵の証言もそう。
>>862 では、明治時代に「ジャーナリスト」という文言を使った記録を、10個ほどあげてみてwww
864 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 15:02:43 ID:CbjZctjG
その歌はどう考えても捏造だが 捏造したのはおそらく半藤一利。
補給の成算が立たない作戦立てた時点で無能は確定だからな。 失敗が明白になってもチンケな面子にこだわるあたり、小物でもあるな無茶口。
インパール作戦の生き残り将兵の証言動画でも同種の牟田口批判の戯れ歌がはやった、とあるからな。 何度も紹介されているけど絶対土足はみてないだろう。
だいたい半藤らは、証言や資料を伝えたのであって、それこそ土足のように捏造したわけではない(原典や証言者がはっきりしている)んだが。 誤認・語解釈はありえても捏造はない。
>>834 >作戦開始一週間で師団2ヶ月分の物資を捕獲して
>それでもまだ物資が不足していたとは、
>どんな師団だw
それを前線に移動させるための補給部隊が不足していたので
その師団は物資が不足していた。
そんだけのはなし。
無知土足完全敗走w 今日も自爆乙w
870 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 15:16:11 ID:CbjZctjG
>>867 >原典や証言者がはっきりしている
だれだい、それは?
>>870 著書読めば一発だが。牟田口本人にもインタビューしてその言い分聞いているし。
無知なお前だけは知らないかもしれないが、牟田口の言い分を相当伝えたのも半藤だぞ。
「なんで俺だけが批判されるんだ」と牟田口も自分が批判されていることは認識してたのに。 批判自体をなかったことにしようとする意味がわからん。 捏造屋土足はこれだから。
873 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 15:19:46 ID:CbjZctjG
歌の証言者を聞いてるんだが?
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
>>854 > 33師団には17インド師団を撃滅するだけの
> 十分な戦力があったわけで、断然有利な体制にあった。
2個大隊で1個師団を攻撃することがかね?土足くんw
876 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 15:24:33 ID:CbjZctjG
「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に(ちょうちん記事だけ書いてくれる)新聞ジャーナリスト」 この歌は半藤一利の捏造で確定。
土足、今日も史実の重みの前に跳ね返されて撃沈(爆笑)
牟田口は切腹するする詐欺やったからな。部下がまだ死闘している最中に。あほだw
牟田口が前線将兵にいかに嫌われていたかは、たっぷりと証言があるからな。 まあ命からがら戻ってきた傷病兵を罵倒しているんだから、当然だが。
>この歌は半藤一利の捏造で確定。 そうですね 確定していないソースや捏造(であれば)で攻めるのはいけないことですね そうですよね?土足さん?
土足は2個大隊でどうやって1個師団を壊滅できると思っているのだろう。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
牟田口も戦後はディマプール進攻は無理だと分かっていたようだ。 「地上包囲を以って包囲なれりと考えていたが、あに図らんや立体的には 空は無限に開いていた。兵員も軍需品も空輸した。 これを事前に十分に考慮に入れ得なかった私の認識不足は如何に評されても 弁解の余地はない。」 牟田口中将のインパール作戦回顧録
884 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 18:00:21 ID:CbjZctjG
弓兵団インパール戦記によると、兵士の間では牟田口が一兵士の軍服に着替えて逃げた、という風聞が立っていたらしい。
886 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 18:06:14 ID:CbjZctjG
こんな有利な地域を確保しながら どうやったら負けることが出来るのか 誰かわかるように説明してくれw
>>883 インパール全部通して言えることだよな。
三個師団が苦戦したのは制空権がまったくなかったせいでもあるし。
包囲どころか逆に日本側が兵力を分散させただけになったという。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
無茶口が「航空師団は河をわたるときだけ援護すりゃいい」とか放言したが、どんだけそれが非現実的なことか負けが確定になるまで気づかないなんて・・・本気で無能
890 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 18:18:12 ID:CbjZctjG
敵も歩兵が稜線に這い上がって来るだろうが そんなんは大した兵力ではないし 日本は戦車第十四連隊まで参加してるというのに。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
892 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 18:24:20 ID:CbjZctjG
>>889 >無茶口が「航空師団は河をわたるときだけ援護すりゃいい」とか放言したが
渡河は深夜だから
その話はありえない。
さすが無知土足w 山本支隊としてその包囲(笑)攻防の最中に牟田口から軍直轄として14戦車連隊はじめとして大兵力が引き抜かれたことも知らないで吹いてるw 無知無能。それこそ牟田口じゃあるまいし。
昼間攻撃は火砲の差で失敗。 日本軍お得意の夜襲でさえ撃退される。 そういう戦いが続いたのさえ知らないで本気で無知妄想だけでぼけているのなこいつ。 そんなに日本が嫌いか。
日本製と違って登攀力のある戦車が登って山頂から容赦なく上ろうとする日本兵を射撃してたことも知らない・・・
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
無茶口ですから。兵站も航空の重要性も理解してない愚物。 しかも主観的にでも成算立ててそれが現実に敗れた、ですらなく。 自分の準備不足をこれは普通の作戦じゃない、と摩り替えて酔ってるから始末に悪かった。
田副第五飛行師団長が、士官候補生に教育するような輸送力の講義までして牟田口を思いとどまらせようとしたのに無視だからな。牟田口は軍人になるべきじゃなかった。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
900 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 18:55:19 ID:CbjZctjG
>>898 ウインゲート旅団なんかに気をとられてる田副こそが
バカなんだが?
英軍もあんな餌(ウインゲート旅団)に食いつく司令官はアホだと言ってる。
戦争証言アーカイヴスで実際の映像が見れるが、生き残りの将兵が牟田口の野望のせいでひどいめにあった、とはっきり言ってるな。
>>900 つまり食いついた牟田口は馬鹿とwww
同じうそと自爆を今日何度繰り返す気だ?w
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>884 敵味方が大体同じ装備ならな。
小銃と軽機関銃だけじゃ大砲ぶち込んでくる相手は押さえられんよ。
>>892 それは牟田口が航空戦力というものを理解できていなかった証拠で
何ら矛盾するものではありませんがなにか?
>>886 敵は一個師団で味方は正味2個大隊。
これだけ戦力に差があれば重砲と機関銃をたっぷりとそなえた
コンクリート要塞にでも籠もってない限り、
そして籠もっていてさえかなりの割合で突破されますが?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
908 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:09:26 ID:CbjZctjG
>>906 前方を214連隊、215連隊に、戦車第14連隊
後方から八木連隊が追撃
という体制なんですが?
>>886 君こそ2個大隊でどうやって1個師団を撃破できるのか教えてくれw
>>890 英軍は1日3000発くらいの砲撃を加えるから。
911 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:14:01 ID:CbjZctjG
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
>>900 牟田口閣下も十分に気を取られてますがねw
ウィンゲート兵団の降下は全く日本軍の意表を突いたもので、全能力をあげて
インパール作戦に邁進すべき両司令部は、作戦期間の2ヶ月間これが対策に
忙殺され、全く受動の地位に立たされてしまった。そして所要に満たない兵力を
逐次に投入した結果、ついには歩兵11個大隊を対空挺作戦に吸収され、
本作戦による消耗でこれらの諸部隊は次期作戦には戦力発揮できなかった。
インパール作戦に一兵でも欲しい戦況でこの兵力抽出は、方面軍、
第15軍の作戦指導上非常な痛手であった。
また第15軍はう号作戦開始とともにすみやかに戦闘司令所を第1線近くに推進する
計画であったが、対空挺作戦指導のためこれが遅れ、インタンギーに前進したのは
4月20日であり、作戦開始以来一ヶ月半も経過していた。この間第1線師団特に
第33師団、第15師団に対しては電報だけで督励したので、あるいは師団の実情を
無視した無理な要求となり、第1線師団をして「軍は何を言うか。戦線から後方400キロ
以上も離れたメイミョーで第1線の実情がわかるか」との不満をいだかせた。
以上陸戦史集「インパール作戦」より
牟田口は無能有害という評価はまったく動いてないな
>>911 むしろ険しいから防御戦闘が難しいのだが?土足君w
916 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:16:55 ID:CbjZctjG
アリ地獄から一列に上がってくる敵を 回りから撃ちまくるだけじゃないかw
>>916 その撃ちまくる部隊は英軍の砲撃で無力化されるのだよ。土足くんw
地形をみればみるほど兵力差と装備差で英軍有利だなあ。
稜線射撃でもされたら日本軍手も足もでないじゃない。
まずは突破路の掃除をさせて半数の砲兵を通したら
反対側から残余兵力の突破を援護させれば
ふたをする部隊に致命的な打撃を与え英軍は無傷って話だな。
>>908 追撃部隊が追いつくまで2個大隊で一個師団を拘置するのが難しいといっているんですが?
英軍が部隊を半分に分けて前後で迎撃という
無能な将帥がやるようなことやってもそれぞれ兵力で優越しているわけですし。
前にもいったでしょ。
蟻地獄からはい上がるのを撃つのは楽かもしれないけど
蟻地獄に手を突っ込むことは難しいって。
こんなところで英17Dに拘束されていい戦力なの、この師団は?
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
ああ、稜線射撃ってご存じですか? 険しい地形の山の向こう側から撃ってきますから、 日本軍の装備だと周りから撃ちまくるwことさえできません。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
そんな、愚に持つかない地形論が論破されたからって 泣きながらコピペしなくても・・・ なんか新興宗教にそまったオバサン相手にしているようだわw 論破するとお題目を一心に唱え始めたのには嫌になったな。
●アーサー・スウィンソン大尉の見解 牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。 これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、 ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277 ●スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任) 「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。 首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。 一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、 一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、 マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P286 ●アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀) 「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって 占領されていたでありましょう。なぜなら、佐藤師団が ディマプールに突入していたら、 英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」 大田 嘉弘『インパール作戦 』 P287
924 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:40:32 ID:CbjZctjG
>>918 1列で進軍してくる敵は、多少火力があろうが
頭だけに猛攻を加えてりゃ進めないだろ。
日本には戦車連隊まであったわけで。
これにもし航空攻撃を加えたら、敵は降伏して終わりだろ。
さらにディマプールが危機となれば
英軍はインパールなんか、さっさと放棄するだろ。
925 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:42:08 ID:CbjZctjG
ようするに柳田なんかに33師団を指揮させたのが 完全に失敗。
∧ ∧ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 / ヽ ./ ヽ マチクタビレタ〜 / ヽ―――/ ヽ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜 / l___l \ マチクタビレタ〜 | ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ へ | へ ヽ ./ | < ねえチンカス、反論(笑)まだぁー? \\ \ \\ ヽ/ / \____________ チン \\ .> \\ ヽ チン \\/ \\ _ | マチクタビレタ〜 \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _ \回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /| マチクタビレタ〜 \___/ ヽ____/ / .| マチクタビレタ〜 / | マチクタビレタ〜 __________________/ .| | | マチクタビレタ〜
927 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:44:13 ID:CbjZctjG
おそらく214連隊の戦記はほとんど デタラメの作り話だろうね。 全く戦った形跡が無い。
928 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:45:52 ID:CbjZctjG
>>922 論破される度にそのコピペ貼ってるのは
おまえだろがw
930 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:50:52 ID:CbjZctjG
例えるなら黒部ダムで防衛していて 下から突破されました。 というようなもん。 寝てたか逃げたか、そんなくらいしかありえん。
>>924 えーとこれまでのレスで理解できていなかったのでしょうか?
英軍は進軍する必要すらありませんが?
砲撃で進撃路を掃除して粛々と行軍するだけで、
兵力の過小な日本側は地形が険阻なだけに手も足も出ません。
軽装備の師団と通常装備の師団の射程の差って理解できます?
アリジゴクの中から十分日本側に攻撃できるんですよ。
>日本には戦車連隊まであったわけで。
214連隊に戦車連隊が同行していた???
>>930 お前が小銃と軽機関銃だけの7人で
相手が重砲などを備えた30人で突破されないならそうだろうなw
ちなみにお前の後方からは戦車が迫っているんだがどうするよ?
悪名高いチハが何両か手元にあるだけだがなw
933 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 19:56:19 ID:CbjZctjG
>>930 一般に包囲成功の要件としては、奇襲、相対的運動力の優越、正面からの敵の拘束が必要であり、
包囲を確実にする要件として優勢な戦力、各部隊の連携ある行動等が重要であり、
戦力を伴わない態勢だけの形式的包囲に陥ることは戦理上、深く戒められている。
ネットから拾ってきた奴だけどまあこういうことだ。
形だけいくら有利な地形だの後方から追撃が迫ってるだの言っても
敵は一個師団、遮断部隊は2個大隊程度では
正面戦力に置いてすら優越してないんだから。
つか地形を見て分かるとおもうんだがなあ。
>>934 しかし、英軍が撤退しようとしていた。
理由は?
捏造かましてくる土足相手の議論って不毛だよなぁ・・・ 一昔前と主張全然違うって事がざらだし・・・
>>924 戦車14連隊は君の好きな山本支隊にいるんだが?なぜ214連隊に?
>>925 柳田中将だと英軍の砲撃が効果なくなるとでも?後任の田中中将でも一緒だったよ、土足くんw
>>927 デタラメというソースを提示してくれたまえよ、土足くんw
>>933 いや、この時、124連隊が遮断している時だが?
>>935 インパールにおいて合流して予備兵力となるため。
彼らの目的は現地点を守備することじゃありませんから。
土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊斉藤大隊は激戦している。 トイトム付近は、岩盤に近い固い土質で工事が進まず、天明とともにトンザン及びマニプール河北岸から 敵砲、迫の猛射を受け、体を隠す地物もなく損害が続出した。15日昼山頂から約300名の反撃を 受けたが、同大隊は、これを撃退し日没までかろうじて陣地を保持した。しかし損害はふえるばかりで、 翌16日以降の陣地の確保の見込みが立たなかった。 陸戦史集「インパール作戦」より
944 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:18:19 ID:CbjZctjG
戦車14連隊の攻撃参加は 大田「インパール作戦」P300に記載がある。 地雷によっって進めなかったと、連隊史からの引用だと思われる。
>>944 214連隊に配属されたのは軽装甲車中隊だよ、土足くんw
946 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:21:18 ID:CbjZctjG
※大田の書籍は 214連隊を124連隊と誤記した箇所がいくつかある。
>>946 だから他の本もちゃんと調べてみないといけないのだよ、土足くんw
948 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:25:22 ID:CbjZctjG
>>947 誤記はすぐわかるから問題ないが
戦車14連隊がトンザンの戦いに参戦したのは間違いない。
>>948 それは強弁というものだよ。それでは誰も納得しないよ。土足くんw
>>948 別に大田が間違っているとかではない。
戦車14連隊がトンザンの戦いに参戦したのと
戦車14連隊の軽装甲車中隊がトンザンの戦いに参戦したのでは
君の主張である戦車部隊までもが参加しているのだから撃滅できたという結論に大きな差がでるんだよ。
つまりお前が間違っているというわけ。
というわけで軽装甲車ではまともな装備を持った師団相手の遮断任務には 何ほどの訳にもたたないのはいうをまたないので論破終了っと。
小会戦をもって全体を語るお前が間違っている事に気づけよwww
また勝利宣言して逃げるチンカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
戦車14連隊すべてを投入しても英軍は道路を地雷で封鎖しているから突破など できないわけだがw
ソースは? 脳内戦記なんて言わないでくださいよww
>軽装甲車ではまともな装備を持った師団相手の遮断任務には >何ほどの訳にもたたないのはいうをまたないので論破終了 これを論破するには戦車主力が随伴していた証拠か、 軽装甲車でも進撃を止められる論拠があればいいんだけど・・・・ できる?土足 チンカス呼ばわりしているけど、論破できないとそれ以下っていう話になるんだけど
>>953 ?? 反論があるならどうぞ?
地形の有利は装備の差で却って不利になることを証明したし、
装甲部隊については何の役にも立たない軽装甲車だったわけですから、
兵力に格段の差がある形式的な包囲であることは論証できました。
124連隊有利の論破はこれで終了だと思いますけど?
ああ、具体的な反論ができないのでそういうしかないってことですか。
それはわかりましたが何の意味があるのかわかりませんねw
958 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:36:42 ID:CbjZctjG
>>950 ソースは?
かりに軽装甲車と言っても、戦車は戦車ですが?
戦車14連隊では英軍を撃破出来なかったと、チンカスが言いだしたわけだが。 無論、証拠はあるんだよねww?
960 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:41:11 ID:CbjZctjG
仮に敵をあえて通すにしても その後敵は215連隊に阻まれるわけで これを当然、追撃して挟み撃ちにすべきだが そういった形跡も、全く無い。 とにかく214連隊は、何をやっていたのかまったく不明。
土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊小川大隊も激戦している。 23日本道方面から、鍬掃討隊主力と戦車第14連隊第五中隊(軽装甲車中隊 であるが押収したM−3軽戦車5両からなっていた)がトンザンに到着した。 この部隊は、敵が後退に際して本道に埋設した地雷排除に時日を要し、ようやく進出 したのであった。小川大隊は、24日軽装甲車中隊を先頭にして、山砲大隊支援の下に 薄暮攻撃を実施した。ところが地雷のため軽戦車4両を次々と道路上で破壊され、 突撃の出鼻をくじかれてしまった。
>>958 勘弁してくださいよ。
軽装甲車の走行は10ミリ程度で機関銃防御程度の装甲しかないのに
野砲を備えた師団が攻撃してきたら遮断任務なんかできないことを
説明しなくちゃ理解できないんですか?
つか軽装甲車中隊程度なら英軍も持ってますけど?
だいたい・・7,8両の軽装甲車中隊にどういう働きを求めてるんです?
反論になってないことくらい理解してくれ、疲れるから。
963 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:43:00 ID:CbjZctjG
考えられる答えは一つしかない。 柳田が作戦を中止させたいため わざと相手を有利にさせた。
土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊小川大隊も激戦している。 23日本道方面から、鍬掃討隊主力と戦車第14連隊第五中隊(軽装甲車中隊 であるが押収したM−3軽戦車5両からなっていた)がトンザンに到着した。 この部隊は、敵が後退に際して本道に埋設した地雷排除に時日を要し、ようやく進出 したのであった。小川大隊は、24日軽装甲車中隊を先頭にして、山砲大隊支援の下に 薄暮攻撃を実施した。ところが地雷のため軽戦車4両を次々と道路上で破壊され、 突撃の出鼻をくじかれてしまった。 陸戦史集「インパール作戦」より
>>963 柳田中将は「弱音」を吐いたかもしれないが、やるべきことはやっているし、
後任の田中中将もそれに同意しているのだよ、土足くんw
対戦車地雷のせいで日本の戦車が破壊された。 そりゃそうだ。 日本の対戦車地雷でも多くの米軍の戦車は破壊されたのだから。 それをもって、米軍の戦車は無能と認定するチンカスwwwwwwwwwwwwwww アホの一言しか出ない…
>>958-959 はい、土足の悔し紛れのチンカス連呼入りました〜w
何度も言われてるだろ、能無し土足w
さっさと「戦車14連隊の全力」が派遣されてたソース持って来い、能無し。
軽装甲車(94式でも98式でも)では重機に対して防御が成り立たないから
当時の英軍装甲装備に対抗するのは無理だぜw
M2重機で射貫されるからなw
>>963 考えられる答えはたったひとつだろ。
124連隊にはそのどちらもやれる戦力も装備もなかった。
実質2個大隊なんだから師団をまともに相手できないし、
まともにやったら蹴散らされるのがオチ。
>戦車14連隊では英軍を撃破出来なかったと、チンカスが言いだしたわけだが。
どのレスですか?
>>966 地雷で封鎖された道路上をどうやって突破するの?
>>971 土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊小川大隊も激戦している。
23日本道方面から、鍬掃討隊主力と戦車第14連隊第五中隊(軽装甲車中隊
であるが押収したM−3軽戦車5両からなっていた)がトンザンに到着した。
この部隊は、敵が後退に際して本道に埋設した地雷排除に時日を要し、ようやく進出
したのであった。小川大隊は、24日軽装甲車中隊を先頭にして、山砲大隊支援の下に
薄暮攻撃を実施した。ところが地雷のため軽戦車4両を次々と道路上で破壊され、
突撃の出鼻をくじかれてしまった。
陸戦史集「インパール作戦」より
973 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 20:48:37 ID:CbjZctjG
>>970 だから連隊史は信用できない。
そもそも最初は、敵が通過した後に到着したとか
大嘘言ってたわけだし。
>>973 しかし大田本も間違いがあるようだが?土足くんw
>>971 別人だけどいや実際突破できてないしw
まあそれ以前に
陸戦史集「インパール作戦」より
とあるのにソースはとか・・・お前なにか精神に深刻な病でもあるのか?
コヒマでタイムアップしている以上、そして、英軍の対応からすれば、 退路解放は最終的な作戦の成否には関係ないが、それは多分に後知恵。 当時の状況を、形だけ見たら、退路解放は早すぎる。 その後の緩慢な進撃も合わせて、柳田のやる気の無さは批判されていいと思う。 あの場合できる限り拘束し、解放後も、少々危険を冒しても、追撃すべきだったろう。 そうしたところで、せいぜいトルブンを通過できたとか、 ビシェンプール周辺で史実より有利な展開になったかもって程度で、 インパール攻略は無理だったのは100も承知だが・
>>973 君が信用するのは牟田口におもねる記述だけだろ、土足くんw
>>973 いやさ、相手が立てこもった場合、
お前さんがいう険阻な地形の全てが日本軍の攻撃の敵にまわるわけだぜ?
しかも相手は野砲をいやんなるほど備えているというおまけつきでな。
攻撃してくる日本軍の頭を押さえて叩き続けることは
兵力的にも装備的にも日本がやるよりよっぽど楽に出来るでしょ。
つかこんなことも説明せんと理解できないの?
>>968 自分で言いだした事は、他人にソースを求めず、自分で出そうぜ。
チンカスの奇天烈な「軍事常識」には付き合えんからな^^;
>>979 まあそれ以前に
陸戦史集「インパール作戦」より
とあるのにソースはとか・・・お前なにか精神に深刻な病でもあるのか?
もしかしてソースはとかいえば反論した気分になれてハッピーって程度のこと?
>>960 >とにかく214連隊は、何をやっていたのかまったく不明
土足が知らないだけだ。別に不明でも何でもないぞ
●磯部卓男著『インパール作戦―その体験と研究』P78 1〜5行目
戦死、入江中佐以下将校二十二、下士官兵二百四十五、負傷者は少なく見積ってこの倍の五百数十名、合計八百名にのぼる。
笹原連隊は三個中隊を欠いていて推定兵員約二千五百名、第一線大隊兵員は計千六百五十名、したがって全体に対しては三二パーセント、第一線兵力に対しては五十パーセントの損害に当る。
戦術学で習ったところによれば、損害甚大であり、これが敵に与えた損害なら殲滅に当る。
●同P80 17行目
ここでこの退路開放問題等に関し、公刊戦史より第三十三師団の岡本参謀の見解を引用しよう。
●同P81 3〜4行目
かりに全員が玉砕するまで陣地を死守していても、敵の解囲企図は結局達成されたのではあるまいか。
要するに形のうえでは包囲したが、戦力不足で敵を潰す力はなかったと思う。
>>924 >1列で進軍してくる敵は、多少火力があろうが
>頭だけに猛攻を加えてりゃ進めないだろ。
●磯部卓男著『インパール作戦―その体験と研究』P72 6〜10行目
もともとこの第三大隊は出発時より一個中隊を欠いているのに、一一三マイル橋の爆破を命ぜられ、さらに膨大な軍需物資を確保しながら、敵インド十七師団主力の退路遮断を命じられたため、
地形、地質の悪さを承知しながら四キロメートル以上の過広正面の陣地を占領せざるを得なかったのである。二兎どころか三兎を追ったのである。
幅四キロメートルを一列になる必要があるのか?
土足って砲兵をなんだと思っているのだろうかw
984 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 21:30:48 ID:CbjZctjG
>>984 土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊斉藤大隊は激戦している。
トイトム付近は、岩盤に近い固い土質で工事が進まず、天明とともにトンザン及びマニプール河北岸から
敵砲、迫の猛射を受け、体を隠す地物もなく損害が続出した。15日昼山頂から約300名の反撃を
受けたが、同大隊は、これを撃退し日没までかろうじて陣地を保持した。しかし損害はふえるばかりで、
翌16日以降の陣地の確保の見込みが立たなかった。
陸戦史集「インパール作戦」より
>天然の城壁 という発想が現代戦じゃないなw 現代戦では身を隠せないと砲撃で木っ端みじんだよ。
987 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 21:37:33 ID:CbjZctjG
まあ突破されれば、逆にここは 敵の要塞と化す。 なんでそうなるんだ? マニプール河北岸に敵なんかいるわけないし。 まったくおかしな話。
>>987 >マニプール河北岸に敵なんかいるわけないし。
>まったくおかしな話。
なぜどのような理由で?ソースは?
>>987 自分で出した地図をよく見ろよw
英軍の籠もっているところがすでに要塞みたいな険阻な地形だぜ?
>>987 築城できない土地は要塞でもなんでもない。
砲撃でやられるだけ。
土足は本気で歩兵だけで戦争ができると思っているようだw
992 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 21:48:32 ID:CbjZctjG
おかしいのは、日本が先にトンザンを確保しているはずなのに なぜか戦闘状況は、敵はすでに通過している状況。 こんなおかしな話は無い。
>>992 だから築城できないところを占領しても砲撃で叩かれて維持できない。
(ていうかこの話とむだぐち大損害の責任の話って関係あったっけ・・・?)
995 :
名無し三等兵 :2011/01/15(土) 22:14:08 ID:CbjZctjG
ようするに、峠とその左右の稜線で待ち受けて断固迎撃すべきものを なぜか、それより後方にいたため、敵は道路から峠に到達し、 稜線左右に展開され、さらにジャングルから後ろにも回り込まれた。 こんな感じだろ。
>>994 アホの土足が「牟田口の作戦が失敗したのは前線の3師団長の所為”#!”$!(−」
って狂って喚いてるから、簡単に退路を潰してるだけw
だって、軍司令官としての職責と職能の話になれば、
>>342 の指摘に反証出来ない限り、いい方への再評価は
起きえないってのは、土足以外には全員理解出来て
居るし(仮に牟田口が存命だとしても、それには同意
するだろう)。
それ以外にも全部牟田口の評価を覆すような資料も
出せないし、反証の内容の大本が理解出来ない土足
には牟田口の背中は撃てても牟田口の擁護は無理w
>>995 馬鹿土足は戦術にも口を出さない方が良いぞ、何しろ
論証のバックグラウンドになる知識が無い事と、知識の
バックグラウンドになる教養が無い事が暴露されるからw
土足には「戦術運動」も理解出来ていない事が、このカキコ
で露呈しているんだが、それを土足「だけは」理解出来て
いないのだwww
>>995 土足の白日夢は甘く、現実は厳しい。214連隊斉藤大隊は激戦している。
トイトム付近は、岩盤に近い固い土質で工事が進まず、天明とともにトンザン及びマニプール河北岸から
敵砲、迫の猛射を受け、体を隠す地物もなく損害が続出した。15日昼山頂から約300名の反撃を
受けたが、同大隊は、これを撃退し日没までかろうじて陣地を保持した。しかし損害はふえるばかりで、
翌16日以降の陣地の確保の見込みが立たなかった。
陸戦史集「インパール作戦」より
>>992 お前が知らないだけだ、馬鹿土足
●磯部卓男著『インパール作戦―その体験と研究』P68 21行目〜P69 5行目
十四日未明トイトム付近に進出した中突進隊の一部が、敵機の銃爆撃、南北からの砲迫撃による損害続出、固い土質のための工事困難で、陣地保持の見込みたたず、
十五日夜、より高い東南方陣地に夜襲をかけるべく凹を急進中、側面より機関銃の射撃を受け混乱、攻撃は失敗し、部隊は谷地に集結のやむなきに至った。
したがって攻撃失敗であり、敵が予想以上に強大だったため、トイトム高地の確保も敵高地の攻略もできなかったというのが真相で、錯誤とよばれるいわれはない。
1000 :
999 :2011/01/15(土) 22:26:32 ID:???
×→凹を ○→凹地を
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