1 :
名無し三等兵:
2
3 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 20:50:19 ID:???
そもそも篭城戦を冬の陣の段階で策定したのが、
豊臣側の敗因だったような。
4 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:08:26 ID:???
5 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:13:20 ID:???
軍事考察だから、戦国板ではなく軍事板向きだな。
6 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:14:48 ID:???
雑賀勢などと有効に連携をとって入れば、
夏の陣でも勝機はあったと思うが。
7 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:16:53 ID:???
京都で徳川勢を受け止めて日本を分断し、西日本側を味方に付けるというのが真田幸村の作戦
8 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:20:40 ID:???
>>7 宇治川を堀と見立てての防衛線?
それが採用されていたら、どうなっていたのかなあ?
9 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:22:35 ID:???
10 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:36:16 ID:???
加藤や福島とどうやって連携するか、だな
11 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:59:56 ID:???
ぶっちゃけ家康が負けようとも後の歴史に変化無し
12 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 22:38:26 ID:???
豊臣が徳川を打ち負かす可能性のあった最後の好機は、
やはり、どう考えても関ヶ原。
三成をもう一回隠居させる→秀頼が総大将として家康に正式に宣戦布告
あの時期なら、これだけで勝てた。
関ヶ原以降の、家康が勝手に領地配分を行ってしまった後じゃ
どうやっても挽回は不能。
つまり、秀吉がもう10年長生きするor秀頼がも10年早く産まれる
これ以外には歴史は変わらない。
13 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:05:58 ID:???
>>9 それは有得ないな。
徳川方は西方の諸軍と連携は不可能だから。
14 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:14:21 ID:???
雪中の奇跡
流血の夏
15 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:19:24 ID:???
西軍って大軍率いた経験ある人あんまりいないよね
大隊長クラスはいるけど陸大卒の指揮幕僚業務こなせる人がいないみたいな印象
16 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:23:37 ID:???
豊臣側だって西側との連携は怪しいもんだろw
17 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:28:53 ID:???
京を千早城にして西側を味方に付ける楠木正成以来の由緒ある戦略です。
粘れば家康自然死するかも知れんし悪くない。
18 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 09:50:09 ID:???
まぁ野戦なら万が一の事故もあり得るしな
幸村なんてハナから博打のつもりだったんだろうし
19 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 12:52:23 ID:???
>>18 野戦の方がまだ勝利の可能性はあるな。
桶狭間も籠城してたらあの結果にはならなかっただろうし。
20 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 13:21:41 ID:???
あの時点で京都で頑張ったって分断なんかしねーよ。その分断を仕掛ける政治屋もいないし。
うまく粘れたとしても逆に大阪と京都を分断されて終了。
21 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 13:42:14 ID:O2cqB7R4
あー、豊臣方には外交できる奴いないなそう言えば。
秀忠なんかもう将軍として外様相手にやってたのにな
22 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 13:51:55 ID:alXfTqwo
というかなあ… 冬の陣 で呼応する奴もいなかった訳で。
やるとしたら
戦線が浮動している開戦時の野戦か、
長対陣で精神が緩んだ時に背後から本陣をつきつつ、
中からも呼応して〜くらいだが。
で、どっちにしても
家康死んだら戦国に逆戻りするかもだし、
畿内の民衆はババ引くわで、あんま気の進まないIFだあ。
豊臣は公家で生き残る道もあった訳で。
↓ 気にせず 戦術論 どぞ ↓
23 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 14:45:17 ID:???
豊臣方がどんなに知略をこらしても織田有楽斎に全部ばらされます。
24 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 14:53:09 ID:???
つまり冬の陣で豊臣家に呼応する大名がでなかった時点で負け
25 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 15:09:15 ID:???
チハタンが50両ほどあれば西軍大勝利
26 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 15:32:44 ID:???
国崩しに狩られるチハタン
27 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 15:42:59 ID:???
>>25 そのときには東軍にM4が200両は有るから負け。
28 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 16:05:08 ID:???
チハだと前田慶次の槍の一突きで貫通されちゃうな
29 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 16:25:34 ID:???
チハで大阪城の堀を埋めるんですね
30 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 17:14:16 ID:???
>>20 公家衆を利用すれば可。
鳥羽伏見に於いて、質や量的にも劣っていた薩長側が、
そのようにして政治的に優位立てたわけだし。
31 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 17:19:54 ID:???
age
32 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 17:24:33 ID:???
>>30 それどこのヨタ?鳥羽伏見の戦いだと各所で、幕府軍側は負けてるけど。
33 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 17:46:35 ID:QfPmoQoS
豊臣が生き残れた可能性があるのは、延々と籠城を続けた後に
幕府に臣従する講和を結んだ場合だけ
どんな条件の良い講和を結んでも強者の側がそれをいつでも破れるのだから
現状維持を何処まで続けられるのか怪しいが
34 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 17:52:58 ID:???
>>32 それは、事後のこと。
戦端が開かれる以前の話がなされているんだろ。
理解せよ。
35 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:10:43 ID:???
公家衆がなんで豊臣側に味方すんのよ
九条忠栄や白鷹司信尚みたいな公家の実力者は既に徳川家の手中じゃねーか
彼らより影響力ある公家が豊臣側にいるのかよ
36 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:15:41 ID:???
>>35 公家なんて、その場限りで動向は変わってくる。
37 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:15:48 ID:???
結論。ヒトラーなみにシロウトながら、軍事や政治に口をはさむ、淀君の追放
または暗殺。
38 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:27:47 ID:???
幕末も朝廷は徳川はほとんど固めてた。岩倉具視がいたから薩長側に錦の御旗が行ったけど。
でも大阪の陣の頃には豊臣方に大久保利道も岩倉具視もいない。
だいたい公家なんて基本日和見で勝ち馬に乗るどころかレース終わってから馬券買うような連中だぜ?
ちょっと京都で暴れたくらいで豊臣になびくわけ無いじゃん。
39 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:31:20 ID:???
淀君追放なんてやったら家康に
「豊臣家乗っ取りを企む謀反人を撃つ」
とかなんとか言われて大義名分持って行かれるな
40 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:36:53 ID:O2cqB7R4
つうか江戸時代の朱子学→大政奉還→王政復古の流れから薩長=官軍になったんであって
江戸時代前のあの状況で公家を同じ流れができるわけ無いだろ
41 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 18:49:46 ID:???
>>38 表向き靡いてくれていれば良い訳だ。
京まで出張ってきている以上は、
それについては表向き靡かざるを得ないし。
>>40 それは結果論w
42 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 19:13:28 ID:alXfTqwo
とりあえず 釣られて みる。
●公家衆は利用できるか?
普通は無理。時は戦国末期。
冬の陣・夏の陣で
家康を討ち取る程の大勝が無きゃ有り得ねえっす。
仮に帝を人質にとって…とやっても、効く訳ネー。
< どいつもこいつも実力でのし上ってきたバトルマニアどもだよ〜ん。
>>33 公家になってしまえば、もう豊臣には何の力もない。
大阪城と太閤の遺産があってナンボの豊家。
大人しく帝の近臣としての道を選んだ場合、徳川には豊臣を討つ口実が、無い。
…とは言え、保証がある訳では、無いけれど。
それでも豊家恩顧と家康が生きている間は、無難 と思う。 甘いかもだけど。
43 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:17:43 ID:???
公家衆利用は戦国末期では普通は可能。
44 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 19:23:55 ID:alXfTqwo
>>43 13代将軍〜右大臣信長〜羽柴秀吉〜江戸幕府初期の、
朝廷工作で、
参考にできる作戦を挙げてくれると説得力あるよ〜
…とりあえず挙げてみて。
45 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:26:31 ID:???
公家を利用ったって具体的にどうすんの?
公家を通して諸大名に反家康の檄飛ばすの?
それとも天皇に家康を朝敵と認めてもらうように公家にお願いすんの?
どっちも無理だし、効果薄そうだ。
46 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:31:13 ID:???
18 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2009/01/30(金) 11:12:33 ID:QOYIg214
方広寺梵鐘銘文撰者清韓の弁明書(一部)
「国家安康と申し候は、御名乗りの字をかくし題にいれ、縁語をとりて申す也、」
という感じて、意図的と言明している
で、これの礼法的な是非・許容について崇伝・羅山・五山の僧に諮問している
ここで特に五山の僧の意見を上げると
「鐘銘に諱を書くことは問題あり。ただし、武家の書礼は知らないので五山の書礼においての問題ありである」
として、諱の使用について特に説明せずに用いている事は問題と笠谷氏は論じている
47 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:33:58 ID:???
平家がウザけりゃ木曽義仲使うし義仲ウザけりゃ義経使うし義経ウザけりゃ見捨てるし
そうやって他人利用して生き延びてきた連中が
ちょっと京都で暴れられたくらいで豊臣に利用されるわけがない。
天皇家舐めんな。
48 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:42:37 ID:???
>>47 >平家がウザけりゃ木曽義仲使うし義仲ウザけりゃ義経使うし義経ウザけりゃ見捨てるし
公家の利用価値があることの証左だな。
49 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:45:01 ID:???
下手に大阪城とかあるから作戦の幅が狭まった
四国か九州に改易してもらってそこで臥薪嘗胆すればよかったんだ
家康死んだら蜂起
50 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:47:44 ID:???
>>48 京都占領しても公家は言うこと聞いてくれないことの証左にしか見えないわけだが
51 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:50:20 ID:???
言うこと聞かないのなら、
最初から使おうとしない。
使っている(使われている)内は、
利用の価値がある。
朝廷や幕府が命脈を保ったのは、
そのおかげ。
52 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:54:14 ID:???
つか京都に出張るって作戦は
籠城なんていつでもできるじゃん!
それよりも、遠征軍が揃わないうちに出て行って叩いてやろうぜ!
って意図であって、京都占領して公家利用なんて変なことは誰も言ってねぇ。
53 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 19:56:32 ID:???
だから、利用するって言ったって具体的にどう使うのよ
公家に何を期待してんの?
54 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 20:00:06 ID:alXfTqwo
何しろ、最前線で名を馳せた
中隊長〜連隊長クラスが揃っているからなあ…
野戦の仕方によっては、かなり勝機はあるのよね。
追い詰めれられていたとは言え、
大阪夏の陣で、家康の本陣を突く までの武威を見せたのだから。
冬の陣でさえ、連戦連勝で、
政治で 負けた だけの話 だからねえ…
55 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:00:43 ID:???
>>51 「天皇や公家は利用されることで続いてる」
と
「天皇や公家は京都占領すれば言うこと聞いてくれる」
は全然違うことだぜ?
56 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:04:20 ID:???
>>54 一方、徳川側は新兵が多くって家康が
「なんだ、俺はボーイスカウトを率いて戦争しなけりゃならんのか」
と嘆いたとか
57 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:06:58 ID:???
58 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:13:36 ID:???
まぁ新兵がいるって事はちゃんと組織として機能してるって事だからな
そういう軍は実戦経験豊富でも烏合の衆な軍と戦って一時劣勢になってもすぐ盛り返す
まぁ、だからこそ長期戦は不利→会戦で決着つけたいって発想になったのかも知れないが
59 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:47:43 ID:???
>>52 同時に政略も行う手はずだろう。
京まで出陣して朝廷を利用しない手は無い。
60 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 20:51:29 ID:???
>>59 だからその具体的な内容を聞いてるんじゃないのか?
61 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:00:01 ID:???
62 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:02:12 ID:???
軍事関係で調停利用というと和議斡旋くらいか。
それも、大坂の陣の時に家康は蹴ってるんだよな。
やっぱり単純な軍事力しか役にたたなそう。
63 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:07:00 ID:???
>>62 いや、朝敵征伐という大義名分をとるというのも重要だぞ。
味方の士気も違ってくるし。
大名にも動揺が広がる。
そもそも、徳川一族でさえ、松平忠直・松平忠輝など不穏な分子があることも重要なポイント。
64 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:07:33 ID:???
そもそも徳川側の懐柔策を蹴ってきたのは豊臣側だからなぁ
65 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:12:30 ID:???
徳川側から見れば、豊臣征伐も難しい件だしな。
明らかな勝ち戦だからこそ、
痛い出血を誰も蒙ろうとしないだろうし、
>>63の言うように、豊臣以外にも不穏な勢力がいくらでも居るだけだし。
66 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:12:47 ID:???
京都でドンパチやっといて「徳川が朝敵です」なんて通る訳ないだろw
逆に徳川側が「京を混乱に陥れる不逞の輩を排除します」とか言ったって不思議じゃない
67 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:13:33 ID:???
忠直って大阪の陣前から不満たらたらだったっけ?
忠輝も冬は江戸で留守居してるしなあ
68 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:15:49 ID:???
>>66 池沼?www
ドンパチやる前の話ですがwww
それに京を一時的とはいえ実効支配している時点で、
朝廷は豊臣の意向を認めるしかないわけですがwww
69 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:16:35 ID:???
不穏分子なんていねーよ。せいぜいちょっと不満ってだけ。
あの頃はもう天下人家康と秀忠の改易の嵐に戦々恐々な諸大名って状況
70 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:18:58 ID:???
>>67 大坂の陣以後急に造反の気持ちが出てくるのも変だろう。
まあ、家康存命の期間中は、
表面的に大人しくしていただけだろう。
秀忠に対しては、「兄の子」という意識があっただろうし。
相手が将軍とはいえ。
何より、忠直は秀吉の孫だ。
71 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:19:20 ID:???
>>68 在京の京都所司代以下が抵抗したらどうすんの?
豊臣謀反を理由に天皇を近江・美濃当たりまで移されたりしたら
72 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:19:40 ID:???
73 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:21:07 ID:???
>>71 北朝は?
そもそもそうならないように計画を練るのが上策だろう。
それが失敗した時点で、
篭城を決めれば良い。
74 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:22:08 ID:???
>>70 論功行賞の不満が原因なら大阪の陣後に造反の気持ちが出てきても可笑しくはないわけだが
そして秀吉の孫の前に秀康の子で家康の孫なわけで
75 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:23:19 ID:???
>>71 そんなこといったら、南北朝期に南朝方が京に侵攻して、
北朝方を連行した件はどうなる?
76 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:24:08 ID:???
>>74 >秀吉の孫の前に秀康の子で家康の孫
つまり明らかな不穏分子というわけですなw
77 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:24:31 ID:O2cqB7R4
>>68には豊臣方が京都を無血で占領するすごい秘策があるらしい
78 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:24:51 ID:???
79 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:26:57 ID:???
>>68は局地的な戦闘(ドンパチ)が無いとまでは言っていない。
京にそれほどの兵力があったとは思えないが。
80 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:30:47 ID:???
・・・よくわからんが、朝廷を意のままに操るために軍事行動起こすべきだったって言いたいのか
まさに朝敵じゃねーか。
81 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:35:05 ID:???
>>80 日本史上よく見受けられるが。
朝廷をダシにするのは。
82 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:36:19 ID:???
京都所司代追い出して二条城占領してまだドンパチ前と言い張るのか。凄いね。
83 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:36:27 ID:???
伊達政宗も、まだまだ若手だからなあ。
東国情勢もまだ平穏とは言い難い。
南部藩などは、幕末まで臨戦状態だったと言うし。
84 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:37:18 ID:???
>>82 凄いな、その程度で「本戦」扱いするとはw
85 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:53:09 ID:???
京都所司代は幕府の軍人なんだから追い出した時点で戦争開始に決まってるやん
本戦って何だか良く分からんが主力同士が会戦しないと戦争が始まったことにならないなんて聞いたこともねーよ
86 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:53:43 ID:???
>>54 > 冬の陣でさえ、連戦連勝で、
> 政治で 負けた だけの話 だからねえ…
軍板ってこんなレベル低いのか。
87 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:55:23 ID:???
>>86 いや、彼も君が来た板からのお客さんだよ
連れて帰ってくれ。頼む。
88 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:57:02 ID:???
89 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:59:32 ID:???
>>85←こんなにレベルが低いのかw戦国時代板はw
90 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:03:56 ID:???
尊王思想が盛り上がった幕末でさえ、第二次長州征伐では賊軍長州藩が幕府軍を退けているが
この時代の「朝敵」にどの程度の効果が有ったんだろうか?
91 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:05:28 ID:???
>>90 心理効果では、如何ともしがたい兵力差があったからでは?
92 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:07:11 ID:???
長州藩は自国領だから地の利はあるし、
防衛側が有利なのは当然。
また、実際には私闘扱いだったのだろう。
錦の旗の話も無いし。
93 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:10:35 ID:???
>>90 ま、無かったろうけど朝廷押さえられるとそれはそれでメンドクサイだろうな
家康も豊臣と朝廷が結びつくのは恐れたし、それを阻止するための京都所司代なわけだし
94 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:11:59 ID:???
織田有楽斎がいる限りどんな秘策も筒抜けです
95 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:17:28 ID:???
朝廷云々はともかく京都には出るべきだった
鳥羽二条落としてガッチリ京都
96 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:20:42 ID:???
>>83 幕末までって二百数十年以上臨戦体制かよw
97 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:21:29 ID:???
×鳥羽
○伏見
98 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 22:23:03 ID:alXfTqwo
>>86 あんのお…周辺の砦を落とされたのは、
間抜け連中で、(水軍指揮者の某とか)
大阪城と真田は無敗な訳だが…
なんか中身の無い煽りばかりだな。(w)軍板の名が泣くぞ。
>>87 俺の代わりに語ってくれ。
とりあえず近江と伊賀方面はどーするのよ?
それとも篭城案1択で淀殿でも軟禁するかね?
99 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:24:52 ID:???
ガッチリ京都か・・・
ガッチリハワイよりはマシか
そりゃ迷子になってりゃ負けないさ
金だけはあるんだよな
103 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 22:32:34 ID:alXfTqwo
日本の戦史上、京と朝廷を抑えるのは 基本 みたいなもんだが…
実力なきゃ意味ねーのは
室町幕府と三好三人衆みても歴然な訳で。
上の例題で出されていた鳥羽・伏見にしても、
薩長が幕府軍を圧倒したから意味があった訳でねえ…
マジレスすると、
>>1-99 までのレスに置ける、
朝廷頼みは、神頼みと ほぼ同義な訳よ。
15代将軍が京で奇襲された時の信長が、徳川家康 と思いねえ。
西進してくる 家康破れなければ 意味ネー んだわ…
だから、
・大坂の陣について、軍事考察を行おう!
・豊臣方が徳川方に勝利する戦略・戦術
な、訳だから、煽りくれている暇あったら、も少しマシなレス頼むわ。
だって大阪の陣の時点じゃ豊臣勝利なんて有り得ねーし
蒲生は家康に持って行かれたし毛利島津も最早家康の走狗。
京都で粘ったって西日本は豊臣には付かないな。
伊達がちょっと怪しい位だけどまぁ豊臣には付かないな。得しないし。
やはり地獄の大車輪チハタンを持って行くしか・・・
多分チハタン1台で3000人は殺れる。
チハタンって主砲と機銃の弾は何発積んでるんだっけ?
107 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 22:53:06 ID:alXfTqwo
伊達は東北の黒田如水(関が原知ったこっちゃねえ)だわ…
家康が討たれ次第、東北で上杉相手にリターンマッチじゃねえのかなあ…
西軍としては
大阪城でハラペコの東軍相手にニヤニヤしているのが最善なんだが、
篭城戦の肝心要の確定援軍・手持ち遊軍がいなんじゃなあ…
結局、手柄立てなきゃ後の無い浪人ドモを
全部潰す気 で 家康に ぶつける しかないんだが、
それを、どこで、どのように誘致して、が、なあ…
桶狭間の信長は持てる全力を今川にぶつけたっぽいけど、
秀頼と親衛隊があのザマじゃあなあ。
かと言って、勝手気ままに動く間抜け連中といい、
その勝手気ままに動く連中を統率できない西軍首脳といい、
…
…と、言う訳だから、ささ、遠慮せず、
>>86-87 、名軍師ぶりを見せてくれ☆(w
大坂城はね、本丸が大砲の射程圏内に入ってるという時点で時代遅れ
関ヶ原なら妄想しがいもあるんだが・・・
秀頼が本陣に顔出すだけで一気に事態が変わる
上杉景勝と直江に大局を見る戦略眼がないのが西軍の敗因
孔明なら大阪城で空城の計
家康なら仲達同様に撤退しそうな気がする
家康はそうかも知れんが空気読まずに突撃しそうな奴らがいっぱい居そうだぞ
113 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 23:14:37 ID:alXfTqwo
>>108 いや…出撃の主導権が守備側にあるのは…かわらん。
そのうえ、東軍も
大筒や竹束に鉄盾を用意する手間隙がある上に、
20万の将兵の兵糧補給だけでも結構な手間隙。
…まあ、地の利 がある間に
…情報収集の有利があるうちに…だw
>>109 どうかなあ、それ…
家康も当時は豊家の一員で、
天下の采配を託された人間だからなあ…
朝鮮の役で踏んだり蹴ったりの連中ばかりに加え、
当時は天下は秀頼の物で、
別に家康の私物ではないからなあ…
つか、
>>109、家康って、秀吉が
日の出の勢いの時に討ち取れなかった人間だぜよ。
孔明なら天下三分の計
問題は三つ目の勢力が無い事だ
115 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/01/31(土) 23:18:07 ID:alXfTqwo
って、なんでオラが軍師してん。寝る。ノシ
>>111 空城の計は家康がうんこ漏らした時に使ったから、
そうそう騙されんと思うが
117 :
名無し三等兵:2009/02/01(日) 00:39:44 ID:2l23giiO
ウンコの計
家康版空城の計は、
信玄の体調が悪くて、残り時間が無かったからスルーしただけ。
信玄の体調が万全ならどうなっていた事やら。
真田は家康の本陣近くにまで迫ったが、
結局は「どの諸将も戦線が延びきったところを叩かれた」という一言で片付けられるのかも。
多勢に無勢。
徳川が一番に朝鮮にかり出されて消耗させられてもおかしくなかった。。。
マジレスすれば、朝廷利用は、
豊臣方において最良な策だった。
122 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/01(日) 11:15:18 ID:JKalFyo3
…なんだ、、、
>>86-87 の名軍師様は、まだ何も言えないのか…
笑わせてくれる☆
>>119 や…それは言い過ぎと、オモ…
2次資料ソースなので断言はできないけれど、
家康は3キロ余も後方に退いているし…。
その際のドタバタは名軍師様に記載を任すとして…
もし この時、秀頼が馬印を立てて、
親衛隊と共に 突撃 していたら…歴史は変わっている…かも。
ただ、人質時代といい、三河一向一揆の時といい、
武田信玄に負けた時といい、伊賀越えの時といい、
家康 の ここぞの時 の 武運 は
曹操も超えると思うから、断言はできんけれど…。
と言うか、ワーテルローのナポレオンでさえ、
予備兵力の突入時期を誤っているから、
浪人達を統率する事も出来なかったどころか、
冬の陣で大砲如きに屈した西軍首脳には、チト無理な話な訳だけど…
>>120 家康を関東に遠ざけた直後だし、チト、無理だあ…
それに朝鮮の役は、
褒美の気前のよさで荒くれドモを統率した秀吉の必然みたいなモンだし…
国内に敵がいなくなった以上、
腹をすかせた猟犬どもにくれてやるのは…って、ハナシ。
10万の浪人を従えて全軍突撃!首印とか取ったら殺すぜ。家康だけ狙え。
これが最良です。ソースは大阪夏の陣。
124 :
名無し三等兵:2009/02/01(日) 14:42:42 ID:9g+xJ38l
家康って大阪の陣のときはもう棺おけに片足つっこんでいるくらいの老人で
天下の覇者で総大将を務める後継者もいたというのに、前線指揮をしているんだから
さすがに天下の将軍だよな。戦人だよ
戦歴だけなら多分秀吉を超えてるような気もしないでもない
秀吉の戦歴って評価しにくいね
天下人前とその後(対北条〜)分けた方が良い感じ?
家康って、真田幸村に切り込まれたとき、討ち取られまいと
切腹しようとしたって話、本当なの?
あと、10万の浪人雇うって秀吉の個人資産すげえな。
金は落城時でもあと一、二回戦える分があったとか。
でも、それよりも秀吉所有の茶器コレクションの方が価値が高く
家康が焼け跡から探すように命じていたそうだ。
山上宗二記って本には、戦国時代の名物茶器が列記されてるが
多分かなりのものが大阪城落城のときに焼けたんだろうな
松永弾正と爆発した茶釜の事も載ってるし
客観的に考察してみても、
宇治川での防衛戦が豊臣方の最善の策だよなあ。
戦線が支えきれなくなったら撤退し、(事前に撤退する頃合の消耗率を策定しておく)
大坂城での篭城戦に移るという。
沖縄戦ばりの遅滞戦略となろう。
大阪の陣は小田原の陣よりもなお守る側に分が悪い
北条には戦略的縦深があったが、豊臣は本城だけ。
そんな中で、最良の講和条件を引き出す方策を考えようではないか
鐘の文言に因縁つけて戦争しかけてくる相手に良い講和なんて・・・
膠着状態が長引けば攻城側に厭戦気分が蔓延
この方針でいこうじゃないか
石山本願寺くらいの粘りで。
135 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/01(日) 23:59:18 ID:JKalFyo3
寝る前に3コだけ。
>>131 野戦をするのはいいんだけど…
1・家 康 は 秀吉でさえ野戦で倒せなかった相手。
2・浪人ドモの 統率の問題をどうするか。
3・遅滞戦術は 実戦では 机上の空論 並 に難しい。
4・↑がミスった場合、“ 西軍崩壊 ”を天下に印象づけ。
(==)名軍師様がカスと確定したので1つ助言してみるテスト
>>134 石山本願寺は毛利ほか諸国の勢力あっての本願寺。
例としては適当では無い。
>>128 1次資料先は知らないけれど、
2次資料でなら、幾つかの資料で確認済み。
豊臣方に講和の意思なんてないから無理
幸村(´・ω・) カワイソス
138 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/02(月) 00:07:31 ID:kfT2D3lb
で、朝廷工作・講和案 レス は、
おそらく 大阪冬の陣がどうして起きたか を、
知らないまま発言しているか、ただの釣りとは思うけれど、
とりあえず2次資料では 福島正則 が
「 アンタラが野心を収めないなら、俺らは東について逆に攻めるよ? 」
と、大阪を説教しているみたいなのよね。
…
その発言の1次資料を掴んでいないから断言はしないけど。
と言う訳で、
>>1-135 までのソレは、殆ど 釣り に等しい…。〆切り
秀吉金持ち過ぎw
徳川は結構金欠なのに
ところでレスを追っててもよくわからんのだけど翡翠氏的には上手く講和に持ち込めば
冬の陣後も豊臣存続の可能性があったって主張なの?
140 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/02(月) 00:49:30 ID:kfT2D3lb
んーとね、基本的に
秀吉の奥さんが大阪城を退去したように、
豊家も大阪城を退去するべきだったのよね。
それで丸く収まる訳。武家(徳川)と、公家(豊臣)で。
戦術的には、2通り。
1・極限まで引き付けて、倒す。(冬・夏の理想形)
2・大軍が意味を成さない地形で執拗なゲリラ戦。(鎌倉幕府崩壊パターン)
今夜はこれくらいで ノシ
ゲリラ戦は無いだろ。
大阪城なんて目立ちまくりの拠点があるのに。
>>135 遅滞戦闘の意味が分かっておらんなw
>>132も小田原征伐の戦争経過も理解していないようだし。
持久戦は攻め手が圧倒的に不利だ。
大軍であればあるほど。
143 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/02(月) 09:33:17 ID:kfT2D3lb
>>142 お主、遅滞の成功例だけ見て、
「 遅滞? 小学生にも出来るぜ!1!1 フゥーハハハーッ! 」
って、思っていないかね(==) あんま実戦を気楽に考えないでくれ。
まあ、下の段は、半分、同意だが。
私のレス当てじゃないので知ったこちゃ無いが、
東軍は西軍の3倍を用意できていない。
攻勢3倍・5倍・10倍 の 原理原則 が出来ておらん。
20世紀の 米軍 なら、躊躇するトコだな、うん。
144 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/02(月) 09:34:42 ID:kfT2D3lb
>>141 オラのレスを溯れば理解できるとオモ。
< 天下無双の大阪城に、大兵力はいらんよ。
金はあんだから城捨てて、関ヶ原浪人のおおそうな中国、九州と動いてけばイナゴの群れのように膨れ上がるんじゃなかろうか
>>127 柴田勝家を倒すまでが、秀吉も参戦。
四国九州征伐までが小一郎がメイン。
北条朝鮮が、金に物を言わせて押しつぶすだけ。
って、イメージだけど。
「大人しく安房に国替えしていれば、豊臣は幕末まで生き残れただろう」
「徳川家康自身も女房子供を殺してでも信長に仕え、秀吉の関東国替えにも従ったのだから」
山本七平は「徳川家康」でそう書いてたと思う。
一番の策は、淀君に急な病で死んでもらうことだよなー。
大阪城と秀頼がいなければただの人なんで、淀君が嫌がってたと分析されてたし。
>>144 兵力増やすと、結局篭城の食い扶持が増えて疲れるだけだしねー。
149 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/02(月) 14:03:23 ID:kfT2D3lb
>>147 淀には悪いんだけど、
秀吉の死と同時期に大阪城から出た高台院と比べると、必殺すぎる…><。
>>145 チト博打、に過ぎるかなあ…
「 篭っていれば負けは有り得ない大阪城(内部崩壊除く) 」
に拘らない発想は いいと思うけど…
>>148 兵力・名声・資金力 の三拍子にくわえて
大阪城という絶対の本拠地があるので、
関が原の黒田如水みたいに「無理せず勢力を広げる」図式なら、
空間と時間と兵力と物資が自然増加する。
ただ、諸兵が
乱暴狼藉を働いて豊家の名声を落とす可能性がある上に、
兵というのは1度うごかすと止まらない性質があるから、
大阪城から打って出る、という事じたいが、博打、なのが、ねえ。
…10年余の太平を我侭から、
よりにもよって徳川家康相手に戦争を起こす事自体、相当、間抜け だけど…
大阪城なんて焼いてしまえ。
そしてもう帰るところは無いぞ!と言って士気を高め弁当を食う。
そして適当な神社でイカサマの天啓っぽいの見せて「桶狭間じゃー桶狭間じゃー」
と叫びながら全軍突撃!これで勝つる!
関ヶ原だったらまだ議論の余地もあるだろうけど、
大坂の陣では最初からもう詰んでるし、篭城しても後詰めはないし、
野戦では兵力が足りない。しかも浪人衆と質も悪い。
戦にならないようにするしかないな。
淀殿より秀頼のほうが主戦派ですぜ
どうせ細かい作戦とか立てても緒将の連携なんか出来ないんだから
全軍突撃しかないですよ、突撃。勝ち戦だと舐め腐ってる連中に負けたら即無職の気概を見せてやるんですよ。
だから全軍突撃。
> よりにもよって徳川家康相手に戦争を起こす事自体、相当、間抜け だけど…
だよなぁ、もう少し待って家康がくたばるのを待てばよかったのに。
次は冬の陣でも力攻めで大阪城を落とそうと息巻いた秀忠だったし。
家康の方が自分が死ぬ前に豊臣家どうにかしようって考えだったわけだから家康死亡待ちは意味ない
根拠は?
158 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/03(火) 10:36:50 ID:Mqe91Wyv
>>155 秀忠は、3万8千あっても、
手勢が2千名しかいない真田昌幸にさえ舐められているし…
無理ぽ。
>>156 「 高台院 方式 」なら、何も起きなかったYO
「 臣下の礼をとってYO、ね? ね? 」って、
何度頼まれても
「 No !!! 」だった淀じゃあ、滅ぼされても文句言えねえべさ。
全盛期の
秀吉でさえ倒せなかった 男 相手に、
秀吉が死んでから喧嘩売るって〜〜ド頭じゃあ…
頼みの綱だった福島正則にさえ説教される訳だべさ。
石田三成も、そーとーアレだったけどね。
自力本願で生き抜いてきた男に、
他力本願で挑んで負けた最悪の見本を、全然 理 解 していなかった証拠だし。
織田信長の一族って信長以外はどうも狡い奴や小物ばっかりだよな
秀頼が顔出せば解決という意見が多いけど、秀頼は歩く事すらままならないほどの
超肥満体だったなんて話を聞いた事あるんだが戦場に立つには色々無理があったんじゃないか?
顔出せば解決なら、何故顔出さなかったのか?
162 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/03(火) 20:21:10 ID:Mqe91Wyv
>>159 それは織田一族が気の毒だべ…
たまたま信秀・信長を輩出しただけで…w;
秀吉が運が良すぎる位かな。
弟が凄い優秀とか。
親子兄弟で食い合う時代なのに。
>>160 仮にそうでも、家臣に担がれながらも出陣した将は普通にいるし…で。
というか、自分の首が飛ぶ、って自覚、なかったのかねえ…
163 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/03(火) 21:18:50 ID:Mqe91Wyv
>>161 1・淀が最後の最後まで最悪の作戦指導をした
1・大坂城首脳および七手組が全員 斜め上
1・秀頼が狙撃されて、ないし、流れ弾に当って戦死、を、周囲が恐れた。
参考になる1次資料が手元に無いので、
とりあえず妄想してみるテスト。
なお、2次資料は、作文用紙を埋める作業のためか、
字数ばかり水増しされていて、
読みにくいったらありゃしない…
(信用度がアレなのも平気でUP)
1次資料はそもそも読めない字だから、それよりはマシだけど。
配下で一番頼りになりそうなのが、加藤と福島だけど
もし加藤が死ななかったら福島も少しは考え直してくれたかな?
熊本城には秀頼を迎えるための部屋まで用意していたって言うし
加藤清正の忠誠心は一線を画してるように感じるね。
165 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/03(火) 22:41:38 ID:Mqe91Wyv
清正は大丈夫とオモです。(ソースなしデス注意…)
ただ正則は…家康に対して、
自分のギブ・アンド・ティクに自信もっていた様子なので…
微妙ですね。
ただ、単純な人なので、清正に説得されたら…?
今日はノートの調子が瀕死…また次回;ノシ 〆
てか、清正が死ななかったら
あの時点での戦役を起こしていなかったんじゃね?
なんかこう切り口を変えたい。
ついつい、淀君の馬鹿で終わってしまうから。
戦略レベルから、もっと戦術レベルあたりにまで落としたほうがいいかも。
このまえのNHKの特集では、大阪城は大勢の町衆が住む城下町だと言っていた。
城郭都市、といったほうがいいのかな。
小田原は結局、城内突入なく降伏して町衆に犠牲は無かったかもしれんけど、
大阪城の場合は、乱捕りとか、多くの犠牲や被害が周辺の村々にまで及んだ、
ように、NHKでも言ってたと思う。
今年の大河ドラマの本拠、春日山城は山城だったけど、それと比べてどうか。
高知城下もそうらしいけど、家臣の屋敷配置自体、多重陣地にするよう気を配ってたろうと推測する。
では、非戦闘民の多そうな大阪城内はどうか?ただ餌食になるだけだったのか?
たとえば、第3次ポエニ戦争では、略奪に及んだローマ軍兵士が、次々と物陰からカルタゴ市民に殺されるので、
やむなく略奪の禁止、全建物の破壊を決定して、兵士からブーイング食らったらしい。
むしろ自分から徳川にいちゃもんつけて攻め込むくらいじゃないと打開できなかったんじゃないのか?
169 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/06(金) 22:57:44 ID:IifE5wQt
>>166 それはあるかもねえ。それに、当時の有力大名の死亡年表見ていたら…。
>>168 難しいな。日本No.2の輝元が後先考えず退去する程の相手だからなあ…。
何しろ、大義名分 が 無い んだね。
征夷大将軍に就任するまでは、家康は 実質的に豊臣家の後見人。
征夷大将軍に就任してからは、別の政権の主宰者になり、
朝廷も豊臣家を公家では無く武家と見ていた(そりゃそうだ)以上、
家康が武家の棟梁だからねえ。
むしろ、朝鮮の役出征組、関が原大損組、伏見城などの建築協力組など、
涎を垂らして勝ち組・徳川家に馳せ参じて、
60万石の豊臣家+参加大名領をここぞと食い荒らしにかかると思うべな。
170 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/06(金) 23:05:59 ID:IifE5wQt
>>167 大坂城は女子が1万人とか、結構な数が就職していたみたいだし、
大坂城の場内にいる膨大な町民(ソースは夏の陣・屏風絵など)含めて…
オマエラ、天下分け目の大合戦の最中に、ナニやってんの?
ライオンに追われて逃げ惑うヌーの大群ですか?
と、ねえ。。。
秀頼親子と七手組自体が糞だから仕方ないんだけど、
現在の徳川家建設の大坂城より堅固な豊臣大坂城本丸は健在なのに、
1日も持たない、とか、ねえ。
鉄砲所有率がバケモンの戦国最後の兵団を相手とはいえ、
慰み者になるのが落城側の習いなんだから、ちったあ抵抗しろよな、と。
幾ら大坂城が石山合戦以来、大戦を経験していないからって言って…喰われすぎ。
そんなもんかもなんだが。
お馬鹿な仮定だが、
秀頼がナポレオン級の天才だったら各個撃破して退けられただろうか
172 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 10:56:41 ID:BKsoMbsA
>>171 楽勝じゃね?
< 戦は大将次第っすよ、アニキ!
byあの世の楠木正成
冬の陣の配置みても、
東西南北に分散配置してんもん、東軍。
何やってんだか。
>>171 フランス国民兵並の機動可能な兵が………
豊臣方の野戦機動のメタメタは…
174 :
名無し三等兵:2009/02/12(木) 12:30:00 ID:4CHOPvBR
とりあえず豊臣方が勝つ方法をドングリ使って説明してくれ
>>174 家名存続=勝ちと考えるなら大阪城明け渡して一大名になるのが…
で、いとこの立場を利用して家光忠長の争いを調停して(ry
176 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 16:14:01 ID:BKsoMbsA
まあ、実際の所は、時間があっても大坂城に引篭もって
防備にいそしんでいる位だから、
ホンットに烏合の衆状態からスタートだったんだろうし…(そりゃそうだ)
ホント、関が原に負けた時点で、
それがダメなら征夷大将軍が宣言された時点で、ねえ…。
夏の陣になっても本丸に引篭もっている連中には何も期待できねえけど。
中核の兵だけでも、
古代ローマ兵のように訓練に明け暮れていれば全然戦闘力が違ったんだろうな
178 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 19:53:37 ID:BKsoMbsA
豊臣60万石の常備兵がどの程度なのか、は、
とりあえず置くとして、5千 は出せるかしら?
( ※ 同程度の伊達や越前が1万前後の出兵 )
この 5千 が現在の J隊 のように 下士官級 だらけなら、
浪人衆どころか百姓町民衆でもソコソコ指揮はできると思うけれど。
( ※ 素人集団の戦闘力は、 天草の乱 を 参考にする )
まあ、徳川幕府の手前、派手な訓練はできずとも、
せめて領国周辺の地形くらいは調べておいてもいいようなもんだけど。
ほんと、何やっていたん だろうなあ…って感じ。
まあ、幼児の頃から人質人生していた家康と比べたら気の毒だけどさ。
寄せ手の東軍もグダグダだっただけに惜しいよな
野心を捨てずにいたのなら準備しとけよ
180 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 22:03:56 ID:BKsoMbsA
なんだよね。
ほんと、南北朝の南朝並に酷い というか…
それは置き、
東軍の諸将の心理も
現代のJ隊の参考になるんじゃないのかな…
松平忠直、本多忠朝、小笠原秀政、
彼らの心理状態と選択行動が歴史群像などの指摘どおりなら…
まるでタンネンベルクの戦いっぽい。
いやまあ歴史溯らなくても旧軍ってこれ以上にない見本があるけど…。
で、寄せ集め を 中央に配置してみたり、とか。
旗本が真田勢に突き崩される程の弱さなのを見抜けなかったり、とか、
関が原の頃の
末端まで延々と槍で我慢汁し合っていた兵の精強さが見られなかったり、
(↑これは装備の率の問題でもある)家康自身も劣化していたのかもね。
大坂城の直参の劣化の方が酷かった訳だけど…末期の足利幕府っぽい。
7本槍の時代と比べるのも気の毒だけど…
今夜は、これで ノシ
大阪の陣あたりだと小隊長分隊長クラスは実戦経験したのほとんど隠居してそうだなぁ
特に当主が代わった大名は…
立花宗茂が「陣中の心得を誰も知らないのか?」みたいなこと言ったの島原の乱だっけ?
>>190 寄せ集めといってもあの当時は数百の備単位の集合だから
別に寄せ集め(寄合)でも問題はない、というよりそれが普通
朝鮮役の軍構成も寄せ集め
因みに中央は先鋒本多を大将とした関東外様大名、二番手は
榊原を大将とした信濃大名、三番手は酒井を大将とした関東
譜代大名と地域別に分けられ、一手毎大体五千と平均化されている
正面担当面積も本来ならあれが普通、他の所が混雑し過ぎなだけ
ああいう状況になったのは陣地に攻撃をして、崩れた徳川方に
豊臣方が後続を全く考慮せずに突撃した結果
183 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/12(木) 23:04:22 ID:BKsoMbsA
む、寝ようと思ったら面白そうなのが。
>>181 年寄り大名は島原が落ちる時期まで言い当てていたみたいね。
先に攻城して死んだ連中は気の毒だけど…
>>182 2、3、ほど。
最後の決戦を考えると、
伊達か越前の様な大兵力を置くべきだと思うんだよね。
越前が大目玉食らった理由といい、
やっぱ寄り合い所帯はアテにならんべ。
沖縄戦でも隣の部隊ほったらかして退却した部隊いたし。(それは後世の話)
で、まあ、東軍の不甲斐なさを細川が笑っているみたいだけど、
当時は戦国末期で鉄砲比率がエライ事になっていたので、
まあ、真田の突進力に抵抗できなかったんだろうな、と。
※これに懲りて、戦後は鉄砲の比率を下げたそーな。
んじゃノシ 〆
>>183 越前左翼に回したのは真田への対抗じゃないかと思われ
伊達というより大和路勢は昨日、戦って消耗しているので後方、これは井伊・藤堂と同じ
疲れた兵を出すより、新手の方が良いでしょうよ
これはあくまで個人的意見だが、両翼に大軍を配して、中央に敵勢をのめり込ませて、
包囲殲滅という考えだったんじゃないの、実際1日で済んだし
陣地戦に持ち込まれたら何日かかるか解らん
寄合は個人としては備が纏まってたら問題ないと思うよ
後、鉄砲何だけど減らしたという話は聞かんな
槍を減らしたのは聞いたが
185 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/13(金) 10:10:20 ID:pV0yS3YU
>>184 ん、だいだい同意。
でも、家康の性格と戦歴考えると、包囲殲滅案は取らねーと思うよお。
俺らなら
>>184 案 通りに包囲殲滅図ると思うケド。
あと、当方の越前重用案は、
本来の徳川家後継者であった結城秀康の不遇を汲む意味もある。
まあ、家康の性格考えると、望み薄だけどねえ。
( 重臣ばかりか、松平忠輝、松平忠直…テメエのコや孫も、なんつうか )
んで、下半分だけど、特に異論なし。。。
ただ、机上では想像も出来ない事が起きてしまったし…
まあ、これは監督責任者より現場の責任にしちまってもいいとは思うケド。
(いいのか俺w;)
んで、槍が減ったのは、戦国末期の間の話みたいよ。^^
>>181 が紹介した立花勢の文禄の役の参考にすると、
信長より4%ほど、鉄砲比率が上がっている、かな?w
当方の握っている●関係資料が正確なら、
>>183、大坂の役の後の幕府を調べてみるといいよお。(オヤスミ〆
ミス訂正 ><
×
>>183、大坂の役の後の幕府を調べてみるといいよお。(オヤスミ〆
〇
>>184、大坂の役の後の幕府を調べてみるといいよお。(オヤスミ〆
具体的には1616年だあね。
^^)ノ オラは資料名・研究機関(大学など)名を伏せるけど、それがソースね。ヨロ。
188 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/13(金) 13:40:36 ID:pV0yS3YU
>>187 ここで貼る位だから大丈夫と思うんだけど、
イチオー中身みないで質問〜。
そこだと、鉄砲装備率はどれくらいかしら。あと、鉄砲1に対して槍の比率。
当方の資料だと、
大坂の役の鉄砲装備率&槍と鉄砲の比率があれやこれや。
なお、当方が思わせぶりな時は歴史群像系とは別の資料なのでヨロ。
装備率は総員に対する比率はないから解らん
それにこの総員というのが曲者で
武士と足軽だけか、それに武家奉公人を加えるのか、
それとも更に小荷駄の陣夫も加えるのかでころころ変わる
軍役令では
鉄砲1に対して槍の比率(知行5000石基準)
慶長5
元和2.5
寛永2
190 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/13(金) 14:27:49 ID:pV0yS3YU
>>189 ありがとう。
他の人ならサイトの概要すら出してくれなくて
話にならないトコだよ。(苦笑
とりあえず元和のが鉄砲1に対し槍1・7。
そちらのサイト資料の方が多いね。^^
で、当方資料の方は、
「 鉄砲装備比率 が 大坂の役より 半減(最大?) している 」
感じなんだね。
まあ、小勢の寄り合い所帯が、真田勢に蹴散らされる訳だと思ったさ。
( 実際の戦場の事前予測不能点が巻き起こす混沌場面と言ったトコ )
大坂の陣で豊臣逆転シナリオ考えるなら、加藤・福島の生存と参戦はもちろんのこと、
前田利長・浅野幸長も生存して豊臣方につくくらいがいいな。
そうすれば大坂方は南北が保障され、安心して近江まで進出して、不破関付近で防備体制を
整えることができる。あと奥の手としては福島領芸州を毛利に返還することで、
豊臣方参戦の餌にすることができれば・・・福島には播磨を奪取してそこを新領地としてもらう。
でも戦国時代に逆戻りフラグかも…
そこまでの条件が無くても
徳川が戦を決意する前に準備完了して攻め込み、速攻で山城、大和を押さえ
大軍を持って井伊を彦根で血祭りに上げれば
全国の大名の豊臣に対する見る目が変わるでしょう
金もあるし、世間に浪人ゴロゴロいたから
もう少しやりようがあっただろうに
まぁ片桐勝元のいうとうりにしてろってこったw
>>178 家康さんは人質人生というよりもむしろ、幼くして和尚さんに才能を見込まれて、
将来の今川を背負う英才教育を施されたという記憶がありますが。
>>183 伊達の鉄砲騎馬隊(なんてうっとりする編成)を、
槍を伏せていた真田隊がやっつけたってのがあったから、
真田は鉄砲持ってなかったのかと思ってた。
あ、でも真田丸では鉄砲使ってたのかな?
となると、大阪方はどれだけ鉄砲持ってたんでしょ?
徳川方の鉄砲の数もそうだけど、江戸時代は軍縮になったとか聞くけど、
大阪の陣や島原の乱の頃に、その軍縮はどのくらい重なっていて、戦局に影響しているのでしょうか?
197 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/14(土) 11:13:32 ID:aun4dSEZ
>>191 >>193 まさに燃えるシナリオなんですが、
事は内密に運ぶ必要があるため、大坂城内に必ず居る
「徳川派」をどう炙り出し「根絶」するかが、大問題…。
正面から対抗しようとすれば史実の冬の陣夏の陣の2の舞…。
と言うか関が原前夜でさえ五奉行自身が内府に通報する始末。
>>192 それが嫌で最初はスレに参加する気はなかったのですが(苦笑
>>194 切れるカードは幾らもあるのに、全部捨てたようなもんですけえ;
>>195 実際に今川一族として遇されてはいますが…その間、岡崎城は…
>>196 伊達騎馬隊およびその戦闘は鵜呑みにしない方が良いかも…(歴群)
198 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/14(土) 11:16:05 ID:aun4dSEZ
●大阪方はどれだけ鉄砲持ってたんでしょ?
当方は1次資料を見ていないので何とも言えないのですが…
歴群に見る1資料によれば
・1間 に
(京間6尺5寸 太閤検地6尺3寸 江戸6尺1寸 明治1尺=約1.8m)
・矢狭間( やざま )が6個あり、
・矢狭間1個に 鉄砲3挺 とありますので、
大雑把に見て 2m 間隔中に
鉄砲 18挺 を 用意 していたのかしら。
予備も考えると、2m で 20挺 は どんなかしら。
で。
真田丸が大雑把に計算して 220m x 142m の大きさだとすると…?
いやはや、なんというハリネズミ要塞。
( 注意・歴群から数字を拾って計算は御手製&各自で )
199 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/14(土) 11:29:59 ID:aun4dSEZ
※1間の単位については、ウイキ参照。↑
●軍縮はどのくらい重なっていて、戦局に影響しているのでしょうか?
当方所有の資料によれば、
1・大坂の役の時が 鉄砲装備の最大時(槍の倍)で、
2・大坂の役の後に 逆に槍を鉄砲の倍程度
>>189-190 に修正し、
3・島原の乱の後に 槍と騎馬を減らして 軍縮 となった模様。
2・大坂の役の戦訓で、野戦=突撃への備え、を、学び、
3・島原の乱の戦訓で、攻城=城攻めの無駄、を、学んだのかしら。
2が3にどう影響したのか、
3が幕末にどう影響したのか、は、また、別のスレの話…
太平洋戦争における本土決戦みたいなもんじゃないのかな
戦力は十分残っていて抗戦もできるが、絶対勝てないって感じ
201 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/16(月) 09:27:13 ID:Eqhxo0Je
そこまでは酷くないかなあ…
家康の敷いた手順(名古屋城とか池田家とか藤堂とか)は、
逆に言えば戦前に予想された豊家の評価の裏返しだし。
とりあえず大坂城は不落だしねえ。中に居る連中が駄目すぎただけで。
1国1城令出る前の築城史とか調べてごらん。
少なくとも全国の諸大名は戦国の再到来に本気でビビっているから。
だれも豊臣に味方しなかった時点でもうだめだろ
味方になるのをジッと待ってたのもダメだな
いまだ豊臣家の力が強大だと言うのを見せ付けないと
>>198 >いやはや、なんというハリネズミ要塞。
・・・弾薬がすぐに底を付きそうな
205 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/17(火) 08:58:01 ID:hP2UN0QX
>>202 史実の冬の陣勃発時なら、そうだなあ。
>>200 >>203 どっちかってーと
名古屋城建設とかで、
逆に徳川の御時世を見せ付けられている有様。
オマケに仕事させている癖に、
喧嘩が何時起きても可笑しくない仕事のさせ方
だったんだそーだ。(歴群以外の資料〜大名の配置図)
おそるべし。(笑)
>>204 実際、その様子(歴群系)。
ほんっと、泥縄も泥縄だったんだねえ…冬の陣。
秀吉も流石にこんな事態は読めなかったんだろうケド、
幼児の家康を人質に取られた三河者の艱難辛苦・臥薪嘗胆ぶりと比べると…
もうだめぽ。(資料は鳥居系、大久保系)
>>200 金だけはたっぷりあるこらこっちのほうがましだと思う
>>205 普請手伝いにしても豊臣方に知恵者がいれば
政治的駆け引きが出来ただろうに……
>>207 豊臣方の知恵者は関ケ原で軒並み…
黒田は完全に豊臣を見限ってるしなぁ
209 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/17(火) 16:01:01 ID:hP2UN0QX
>>206 明治スレでも、もうだめぽ宣言しているケド、
日本が昭和で破滅したのは、明治維新で確定していたようなモンだから。
(征韓論にみる亜細亜蔑視と国内不満をKY国外戦争に転嫁する武断政治が)
国内では負け知らずで、褒美のデカさで国内統一を果たした秀吉に、
今川織田武田北条豊臣と言った、戦国最強 を相手に国を保った
内府の手堅さを求める事じたいが無理といえば無理だけれど。
オラや板のビビリなら、絶対的な武力(自力)だけは確保するけどなあ…
毎年、コレコレこんだけの備蓄用食料弾薬の購入を制度化、しておくなら、
少なくとも他所に政権が移行するまで(征夷大将軍就任年)…なんだけど、無理か。
時代が変った事が誰の目にも明らかになってもド頭下げれなかったXXXXだし。
>>207-208 三成の泥縄挙兵を止めれなかった時点で、もうだめぽ状態。
そのうえ秀吉子飼は武官と文官とで仲ワリ―し。
それに褒美のデカさで武士団を糾合してきた以上、野獣の放し飼い状態だし、で。
(徳川家の譜代衆への褒美の薄さと比べると、洒落にならん)
やっぱり、色々だめぽ状態。
ところで各氏に問うけど、
大坂&関が原のIFストーリーってどんなもん?
見る価値ある? 読む価値ある?
推薦あったら、推薦個所も含めて、教導ヨロヨロ。
三成も律儀にやんないで豊臣家の金に手をつけりゃあよかったのに
骨董市や博物館で火縄銃をいろいろ見てみたんだけど
規格も糞もあったもんじゃねえな、目で見ただけでも一丁一丁口径が違うのがはっきりとわかるんだから
> 徳川家の譜代衆への褒美の薄さ
徳川の譜代はマゾの集まりか!?と思えるぐらいだよなw
関ケ原ifものはPS2の初代決戦がまともな部類だとか言ってみる
家康も若いときは結構裏切りにあってんだよなぁ…
史実通りなのに黒田が出てきたでござる
小田原攻めの頃の秀吉は、戦を丸投げして遊び呆けてたなんて話も聞くけど
家康はどの戦でも本気でがんばってたんだな。
その気になれば、丸投げもできたような気もしないでもない
216 :
名無し三等兵:2009/02/17(火) 22:03:02 ID:9yW4Pdfo
俺様がゲーム脳で考えるに、
取り潰された大名の元家臣団を中核とした軍勢をまとめて、
それぞれ故地に派遣して制圧させ、後背地を確保する、ってのはできないのかな。
長曽我部とかさ。
あと、せっかく大坂に不落の拠点があるんだから、
海を押さえることはできないかね。金もあるし。
元船乗りを監督に、ローニンどもを無理矢理船に載せてさ。大部分は渦にのまれるだろうけど。
大坂湾を聖域、四国を後背地とし、日本の真ん中で東西を分断する倭冦勢力みたいなのを夢想する。
大阪の陣後、約20年を経た島原の乱の時点で、
大名たちがすっかり戦争のやり方を忘れてしまっていたんだとしたら、
さらに230年を経た戊辰戦争の頃は、どうやって戦争したんだろうな。
もはやファンタジーの類か。
ドイツの機甲師団に騎馬突撃したポーランド騎兵の例もあるし
まあ、まったく効果がなかった訳でもなかったらしいが
天保(家慶)期に今の軍事マニュアルがファンタジーだとわかったから西洋式の最新マニュアルが知識人にウケたわけで…
けど薩長でも実際は一度ボロ負けするまでは本当にファンタジーだとは理解できなかったわけで…
220 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/18(水) 09:56:22 ID:7XCcM1Y4
幕末日本の戦下手さは、洒落になっていない…
日露スレではカスが
日清日露時の世界情勢をガン無視して
「軍備しなきゃ列強の植民地!列強の植民地!」ってウルセ―訳だが、
↑が当てはまるのは幕末なんだわさ…
( 幕末最強の幕薩長が何ーもでッきましぇ〜ん )
たまたま、
ホンットたまたま、僥倖に恵まれたけどね。(対馬とか)
日露の時はすでに地域強国だったか。
日清→日露までの軍拡はマジパネェ
戦が下手というより前提条件勝利条件が変わったのに200年前のルールで作戦立てたのが…
まぁ現実より観念論優先するのが多かっただけなんだけどね
江戸末期の軍術なんて、はたして戦国時代に通用したのかあやしいもんだな。
書物でしか戦場を知らない世代が何代も続いた上での「ぼくのかんがえたきゅうきょくのせんじゅつ」じゃね。
225 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/18(水) 14:24:47 ID:7XCcM1Y4
>>224 天草の乱(1637)や択捉(1806)、
アヘン戦争(1840)と
昭和のノモンハン並みの戦訓はあったのに、
どうも“お偉いさん&専門職&既得権益群”と言う奴、
いつの世でも同じだわさ…
>>223-224 この時代、まだ、砲兵戦術が確立していなかった模様。
それ以前の話でもあるけれど。(鳥羽・伏見 〜 海軍未使用
>>216 )
>>222 となりの穴だらけの清が
この期に及んで、
国防予算を無駄な箱物に消耗しているのに比べると、ねえ。。
>>221 日清の時は、むしろ亜細亜の侵略国家。
日露の時は、日英同盟が成立する程の世界情勢。
なのに日露スレでは↑がガン無視される。
亜細亜蔑視とか臭い政治宣伝はよそでやってくれ。
当時の三兵戦術ってまだ実験段階?
228 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/02/18(水) 16:19:56 ID:7XCcM1Y4
>>226 話の流れで史実を語ったまで。(笑)気にするなw
< 俺も実戦データ議論以外は冷笑するタイプだw
( ここもアソコもIF議論スレなので、時代背景は排除できんだけのハナシよ )
>>227 その代わり、夜襲や白兵突撃は、当時も見るものがあるみたい。
>>210 んー、大坂城からの協力も無いし、大義名分にも障るで、キツイ。
>>211 昭和の工業力でさえアレじゃけ、ショウガナイw
>>212 現代の務め人に通じて本気で泣ける。< 400年早いリーマン哀歌!
>>213 と言うかサクセス物語が“裏切りされ”から始まっているも同然…
>>214 にょ?
>>215 昌幸の武名x2も、家康が直接だったら、どうだったかなあ…
まあ、IFで 家康VS昌幸は、やって欲しくないケド。(萎える)
>>216 >それぞれ故地に派遣して制圧させ、後背地を確保する、ってのはできないのかな。
史実では紀州に対して実施しているから、
如水か大谷が居ればねえ。…如水は魔物で、
吉継も本来は勝ち目の無い戦はしないタイプらしいけど。
>海を押さえることはできないかね。金もあるし。
東軍の水軍を押さえるには、
関が原以前に
事前に直属の(日本一の装備の)水軍を組織して、
大阪湾〜淀川水系に浮かべて置く必要がある…
>>217-219 ある程度は使えても…む〜。
イチオー、奥羽戦役での、マタギ衆の活躍 とかがある、ので、
まあ、相手と運用と運次第かなあ…
実際、西南の役でも、熊本城って戦国最後の要害(の1つ)は、
200年以上立った明治の時代でも、有効だった訳で…
準備期間が短すぎて、軍隊として組織化できてなかったんだろうけども、
10万ものマンパワーがありながら、とった作戦が籠城するだけってのがなぁ…
なんとももったいない感じがする
国境まで機動出来たのが大野道犬、後藤だけなのは駒不足だよねぇ
上方の地理地形に詳しくない他国者ばかりだし旧大名子弟は大阪に住んでいたとしても人質だからなぁ…
大野道犬って確か焼き殺されたよな
火達磨になりながら一人巻き添えにしたみたいだが
これくらいの時代の籠城戦は複数の砦を根拠地にして、敵が一点突破を図った場合
手薄になった砦からの援軍が敵の背後を突く状況を作って
攻め手が戦力を分散させざる終えなくするのがセオリーらしい
それで、そのまま遠隔地から援軍が来るのを待つ
大阪の場合は、どう考えても最悪の選択を最悪の状況で選んじゃってるよな
関が原はひっくり返せないとしても、加藤清正が逝くまでに徳川との勝負を決めるべきだったんじゃない?
大阪城を取り囲まれた時点でもう不可逆点過ぎちゃってるだろ
淀君の性格、豊臣政権の政策からしてありえんけど、
西欧との同盟が、ifとしては面白い。島原の乱でもあったし。売国行為だけどね。
>>233 むしろ、秀吉が死ぬまで家康も野心を見せずにいたように、
家康がくたばるまで大人しくしていればよかったのに。
次は軍事的には頼りなさげな秀忠だったし。
諸大名も秀忠相手なら幕府に対するコマとして
豊臣を持ち上げる奴も出るかもししれん。
対徳川には大坂城内の糞共を一掃するクリーン作戦が一番だと言う訳だなw
紀州一揆を扇動したりいろいろやったが全部しくじったでござる
>>235 豊臣方が大人しくしてても、家康が難癖つけてきたんだが。
240 :
名無し三等兵:2009/02/22(日) 23:57:20 ID:zlN2i2s6
>>233 > 関が原はひっくり返せないとしても
まさか関ヶ原を豊臣VS徳川だとか思っていないよね・・・
政治的には、関ヶ原の戦いが勃発した段階でアウトだけどね>豊臣政権
日本中でドンパチ起こっているのにまったくコントロール出来ないなら
政権としての権威も何もないでしょ。応仁の乱後の室町幕府と一緒。
笠原さんの二重公儀論てどうよ
うんち
>>233 > これくらいの時代の籠城戦は複数の砦を根拠地にして、敵が一点突破を図った場合
> 手薄になった砦からの援軍が敵の背後を突く状況を作って
> 攻め手が戦力を分散させざる終えなくするのがセオリーらしい
北条が上杉の関東出兵に取った作戦がそれだけど・・・。とりあえず支城に
こもり、追って指示あるまで籠城。指示があったら補給路などを攻撃。
その方法を小田原征伐のときに使ってみたら支城は片っ端から陥落させられ
ちゃって孤立無縁になって最後は降伏。
動員兵力が違うわな、上杉の関東出兵は万単位だったのに豊臣は20万とかだから・・・
支城に数千兵力がいても撹乱程度にしかならないし・・・各個撃破されるのがオチ。
万単位を支城に配備できるか?といえばそんなでかい城作ったら財政破綻するし
そもそもそんなに兵力がない。
つうより戦略後方として安全であるべき駿河が敵に回った時点でダメ
上杉は関東縦断するからこそ兵站線を消耗できるのだし
それゆえか家康は丁度ど真ん中の江戸を本拠地にしている
あれって秀吉に意地悪されたんじゃないんだ。
小田原じゃなくド田舎の江戸でがんばれwwって事だと思ってた。
家康以前の江戸がなんもない田舎だったってのは家康賛美のための伝説で、
実際は河川、海上含めた交通の要衝としてそれなりに栄えてたらしいが。
城自体は狭いし、平地も少なかったけどね
その為、家康がしたのが埋め立て
この大規模埋め立てという発想は家康の基で
始まり、発展している
妙な歴史オタの翡翠が出現しているスレはここですか?
真田丸
家康が死ぬのを待てばって意見もあるけど、胃癌は末期になると結構自覚症状が出るからな・・・
推測だが、己が死が迫っている事を家康は気付いていて、
だからこそ自分が生きてる間に豊臣を潰そうと思ったんじゃないかなぁ?
253 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/02(月) 10:50:05 ID:BCBbUFyN
>>251 んーと、「軍事」考察と「戦争」考察なのん?
戦術級がここでやる、という話なら…
後智恵なら、夏の陣でも、
武将配置でなんとかなるかもねえ…
とりあえず紀州懲罰とか堺焼き討ちとか、ワケワカラン事やらなければ。
戦争板でやるなら… 本能寺 まで、溯る必要があるんじゃないかしら。
関が原以降の政治経済でも要はやりようだけれど、
肝心の大将が淀と家康じゃあ…後知恵以外に勝ち目ないような。
254 :
名無し三等兵:2009/03/02(月) 12:53:45 ID:aa5JGAy9
戦国自衛隊や柘植センセの小説みたいに近代兵器や現代の戦術の知識をもった
人間がタイムスリップしてもあの状況では厳しいだろうな。
>>254 夏の陣なら国境迎撃を止めて天王寺決戦一本で纏まれれば
大御所と将軍討ち取れるじゃね?
史実でも後藤やら木村を失った後でも後一歩だったし。
>>255 その場合、先手に大和路勢3万数千や井伊・藤堂が加わり
前線の厚みは倍になります
なにかと駄目なひとあつかいされてる大野修理だけど取りあえず戦の体裁だけは整えたんだからそのへんはほめてあげたい
集めた浪人共も天下の大坂城に入城って事で妙に士気は高かったようだしな
それなら石田三成も誉めてあげてください
いしだみつにゃんは別に駄目な人とは思われてないよ
262 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/03(火) 09:54:33 ID:Fal5QWN6
>>259 タダ働きは、自Fスレとアッチの自治スレで、コリている。
宇治川&京都がレスされていなければ語っていただろうけれど。
(戦国板での裏切り野郎疑惑が浮上した以上、キッチリ資料を出して貰う)
>>261 島左近の逸話や領国経営とか、
小役人なら、大過なかったんだろうけれど…
まあ、三成を評価している時点で、秀吉の底も割れると思うんだがなあ。
(自分自身が有能な行政家だったから似た者を評価したんだろうケド)
…と、戦争板では、やりたかった。
>>254 とりあえず 正体不明の浪人が 10万人 だからなあ…
協力し合わねば先が無い 現代人 or 自衛隊 でもないと、ねえ。
信用できんよ。史実でさえ、味方から裏切られているんだから。
>>255 それやるくらいなら、埋立て工事中にだあぁ〜
(だれが貧乏クジ引くかだ)
>>256 とはいえ、猪突馬鹿を失うのは惜しい。(木村ほか)
(コイツラの戦意は戦死で実証済み)
>>257 いや、それくらいなら信長の教育係見習うべき。
秀吉の親族に吏僚型の武将がいたら政権長持ちしたかもな…(三成に批判集中せずにすむから)
あさの
>>262 大前は、戦争板のスレッドでは簡単に論破されてしまうからだろw
負け犬チキン野郎wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
266 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/03(火) 20:59:07 ID:Fal5QWN6
>>265 論破…?
(ハナで笑っている)
資料もコテもIDも出さないキミが なんの 冗 談 だ ? w
268 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/03(火) 21:16:46 ID:Fal5QWN6
だ・れ・が・負・け・犬・だ・え?w
反論できれば見事。↓ やってみそ。
あっち12
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U
2009/03/03(火) 21:12:20
ID:gb1jgYCJ
>10-11
戦国板の大坂スレでも説教したけど、
それ、信頼できる資料が無いから、ソースとしては使えんのだわ。
仮に歴群が紹介している「大日本資料(これでも江戸期資料)」でも、
参考として「難波戦記に何か書いているけど参考にする?」って扱い程度。
仮に 10月15日に 大坂城内にて 相談、としても、
それまで(10月04日〜16日)に各地へ幕府軍が到着済み。
オマケに西からは池田家などの軍勢がヒタヒタと近付いてくる訳だが…
戦争板>8 軍事板
>>265 >>267 それらの不利をひっくり返す資料はあるかえ?
もちょっと肩からちからぬいたらどうだえ
いや、抽象的に放言するのは、いくらでも逃げがきくし、
そういうのがいるとグダグダになったりループしたりするからな。
>>251のスレ見ても京都ガッチリのやつは明らかにそんな感じだし。
目的がわからんが・・・
淀君が家康にアナル舐めさせれば回避できたんでは?
273 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/06(金) 10:42:25 ID:zMGIjQbN
これ ┐(__)┌ だよ
軍板も堕ちたもんだわえ。(Y氏とかわともかく)
んで…
>>269 ん…、そうなんだケド…
自Fでもそれで失敗したんだけど、
(秘 以前に中に入らんとトンデモになると駄々こねて)
諸国の軍勢の行動表と地形・街道図も曖昧だからなあ…
(ヤンマガの“センゴク”のヒトは実際に三河の古戦場に出かけていったりしているが)
さて、どうしたものか xx
>>270 なのよね。
手抜きしかシネーのよねえ…ソイツ。
ダニに エサ(ネタ・資料・考察)を
無料で 放出 している感じで
気分悪いんだわ…
戦争板の大坂スレに、面白い人着ているから、そーゆー人とは話してもいいんだけどさ。
1コ1コ、参考になりそうな資料抜いて置いて見たりとか。
内容が充実してりゃあ2,3人の会話でも十分だと思うケドねえ…
意味の無い煽り入れればスレが腐るのに、学習しねんだよコイツ… xx
274 :
名無し三等兵:2009/03/06(金) 20:05:34 ID:GYhY2U+7
最近、ここ見つけてきた者だが、レス厨はウザイと思うで。
276 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/06(金) 23:18:20 ID:zMGIjQbN
>>274 勘違いされると困るのだが、
ロム厨の俺が口だしているって状況なんだわ。
<軍事板でdでもされすぎてもなあ… やれ┐(__)┌やれ
>>275 戦国や古代の検証って、何時もこれがネックなのよね。
大坂城の巨石が実は徳川幕府時代のモノ、
って判明したのも最近の話だし。
って言うか、講談本から歴史書まで、武田騎馬隊!って感じで。
つーか細かい話は最近のイラクやイスラエルも不明な訳で。
277 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/06(金) 23:41:20 ID:zMGIjQbN
口直しっつーか仕切り直しがわりに…
>>260-261 人 物…島左近の逸話など、長所は多い もの…
行政力…領国経営に定評
小国の経営者としては十分なのだけれど、
野戦型武将との折り合いが悪すぎる…良くも悪くも 秀吉 あっての三成。
全盛期の秀吉でさえ倒せなかった家康を三成が倒すのなら、
全国の諸大名の怨嗟が家康1人に向かう時を待たねばならないのだが、
よりにもよって、朝鮮の役 直後の 上杉征伐 に 便乗
は、ちと、戦 を知らなさ過ぎると思う。
仮に 上杉(直江)と連動していたとしても、
身内7将に襲撃されるような状態で、とか、ちと、天下も主家も自分も見えていない。
こういう時、親友がいない仕事1筋なキャリアは辛いな、と、思う。
…島左近も大谷でも止めれなかったのか、止めなかったのかは、謎だけど。
278 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 00:08:42 ID:01cK1mC4
冬の陣の籠城の前に、真田や後藤が献策したように、宇治・瀬田のラインまで2、3万を出撃させて、
さらにその陣頭に秀頼がいればそれだけで緒戦は大坂方の勝利だろう。
家康もこの戦では、前線に千成瓢箪の馬印が出てこないという計算でやってるだろうし。
それと、大野治長主導で行われた紀州攻めを取り止め。
あとは、後藤やら明石が軽兵を率いて美濃やら尾張を荒らしまわって時間を稼いでいるうちに家康の寿命は尽きるんじゃね?
欲を言えば、あと結城秀康が健在だったら面白かったかも。
279 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 00:12:41 ID:hLEWbBCj
で、一応、トドメ。
あっち40
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U
2009/03/07(土) 00:06:30
ID:iJKNy2Ud
あっち>39 の馬鹿殿曰く
「 瀬田じゃ! 湊川じゃ! 私はそう兵法書で習った! 」
●参謀本部(翡翠)曰く
「 馬鹿殿に振り回されていたら勝てる戦も勝てんわッ! 」
…
大砲が機動力無いのはホント。
縦深が 欲しい のもホント。
ただ、湊川案も瀬田案も 却下 するしかない。
理由は簡単。
●制海権は、幕府側。 いじょ。
( 陸と海から個別に挟み撃ち喰らいたいとかどんだけマゾ )
…
戦争系の話は戦争板で、戦術系は軍事板で、
と思っているけれど、逆になっている…;
280 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 00:21:52 ID:hLEWbBCj
>>278 あ、レスきてた;ごめん;
●もちろん、結城秀康 が生きていれば話は違うよお〜ノシ
1・宇治・瀬田のラインに秀頼がいれば
2・紀州攻め取り止め。
3・軽兵を率いて美濃やら尾張を荒らしまわって
1・については、勝算が無い内に 切り札を切る 事になる。
2・は賛成。むしろここぞの時に 夏の陣の様に 虚報の材料 になる。
3・美濃や尾張、を、大和〜山城〜伊賀なら、まま。
※ 美濃や尾張には進出できないと思う。(今夜はこれ位で〜締め切り)
281 :
名無し三等兵:2009/03/07(土) 09:55:23 ID:RMIeMyMo
>>277 そうはいってもあのタイミングで挙兵しなきゃ他の有力大名共々
各個撃破されていくだけだったんじゃないかと
上杉と呼応してなら西国でぐずぐずやってないで枝葉はほっといてでも東へ東へと軍勢すすめないと
石田は七本槍に急襲された後、隠居すべきだったよ
七本槍…
285 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 14:59:59 ID:hLEWbBCj
>>281 当時の内府は豊臣政権の人間。迂闊な事は出来ないですだ。
というか、秀吉なき後、
単独で家康の覇権を覆せる人間はゼロなので、
むしろ既存の利権の擁護者側(所謂、保守派)。
何もしなくても徳川250万石、安泰だもの。
でも朝鮮の役のマイナス収支をどこかで埋め合わす必要がある…
元寇&鎌倉幕府滅亡パート2の秒読み開始
>>282 上杉と呼応できる位なら、佐竹とも連動しているハズなのよね。
上杉と佐竹の与党が東国で挙兵すれば200万石、
徳川250万石を制約するに十分。
でも実態は、島津以下、いやいや惨禍もとい参加させられた烏合の衆。
と言うか関が原で最も激しく戦ったのは豊臣政権の中枢だったという悲劇。
だめじゃありゃ。><
>>285 というか、朝鮮征伐の時に、
家康には朝鮮半島南岸に築城普請を命じておけばよかったのでは?
築城普請なら、さほど手柄として褒美を取らす必要も無いし、
普請コストで財政を逼迫化させることになるし。
史実でも家康は家康自身の渡海を秀吉に直訴しているし。
(秀吉が不審に思って、許可しなかったらしいが)
先祖代々の家臣の不在と一門衆の数と質の不足は明らかなのだからどっちみち短期政権で終わる運命なのかな…(千姫が北条政子になったりして
288 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/08(日) 23:38:33 ID:jNrOALfK
>>286 家康の勢力を消耗させるのはいいんだけど、
アレの本領は野戦だからなあ…
それに、自分の妹まで嫁がせて傘下に組み込み、
関「東」の鎮護に置いた訳で。
というか太閤検地(不完全)で
ある程度の動員兵力は弾き出せたようだけど、
諸国は負担と兵力の不足にあえぎ、
秀吉自身も虚偽の情報に振り回されっぱなしで、
なんというか、ボロが出たなあ、と。
半島出兵は、文字通り、豊臣政権が潰れた最大の理由だから、
うん、家康をどうこうで済む問題とは思えない…。
現に、古代日本も半島絡みでイロイロと終わっているし。
289 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/08(日) 23:56:21 ID:jNrOALfK
>>287 ナポレオンよりは圧倒的にマシだべ…。
四国・九州・関東・東北は、
秀吉の大軍に踏み潰された記憶が鮮明だから、
目付け次第でどうとでも。
近畿・中国・北陸・東海道は、鉄板。
宇喜田と結城は豊家の人間も同然だし。
豪気な結城秀康なら、弱気な大谷が参謀でも大丈夫と思う。
三成は秀吉が買っていたので調整が難しいけれど、
京都所司代辺りの役職で朝廷を睨みながら、
戦国パート2あらば、の鳥居元忠として、近江死守に専念
してくれれば、これ以上の人材は無いと思う。
んで、千姫の北条政子 案は創作なら面白かも。
人物資料が殆ど無いから、仮想戦記作家がどう弄っても、あんま文句でないし。
290 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 21:24:55 ID:mm7sMJkS
>>286 家康が渡海したら外征軍を掌握して、それこそ取り返しがつかない事になるだろう。
秀吉が家康を渡海させなかったのもそれが一因だろ。
そしたら帰国できないようにすればいい
292 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 21:37:48 ID:mm7sMJkS
どうやってだよwあちこちで反乱起きるわwww
先手を打って国元制圧現地置き去り
>>289 いいんじゃね?
丁度いい厄介払いになるし。
朝鮮の情勢が一段落させたら、
宇喜田など身内の軍を派兵させればいいし。
そのころには家康の軍もかなり疲弊してるだろうしさ。
296 :
名無し三等兵:2009/03/09(月) 23:15:54 ID:gPJgBzYP
根本的に籠城側の勝利条件ってなに?
外部から救援が来るか、攻囲側が体力切れするくらいしか思いつかないんだが。
攻囲側体力切れだろうな
それは期待できないな
援軍も無いし
数年篭城してたら家康死ぬだろ
数年どころか、1ヶ月ちょっとで根を上げちゃったんですが・・・
だからダメなんだよ、篭城にもやり方がある
淀殿がヒステリーおこしての講和だし、余力たっぷりじゃなかろうか
米と火薬がないのでもうダメです
このままだったら総構の城門、地下から爆破されるし
>>300 史実では、冬の陣では攻城側(徳川軍)の方が根を上げそうだったのだが。
>>302が言うように、早期の講和は、
淀君が簡単に砲撃に狼狽してしまったのが原因だったのだが。
じゃあ淀を側室にしなければ全部解決だね
>>304 米が足りないとか、寒いとかの話はあるが
もう、撤退しないとダメだという話はなかった気がする
米が足りないとか言う時点で、
兵站・補給にかなり不安が出てきていると思うが。
この時点で撤退しておく方が、
今後のためにも最善だと思うがな。
家康はそれが最善と判断しなかったから撤退しなかった。
そして勝った。
それだけじゃん。
だまし討ち抜かすなw
どうだろう、実際の評定では、
撤退案もでていたかもしれないが。
まあ、あと一ヶ月も持てば、
家康も撤退せずには居られないだろうな。
そうなれば、家康からも堀埋めなど
強気の和議案も出なかったろうに。
淀にペタン元帥の半分でも強い意志があれば
うえのほうが淀殿と大野修理じゃ一発逆転の夢もってあつまった浪人集もトホホって感じだったのかな
肝心の秀頼はどうしたん?
寝てた
だめだろw
宇治川防衛策最良
317 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/12(木) 22:06:57 ID:isNWFx/R
>>296 冬の陣 勃発時は、攻囲側の体力切れ。
当方が、
●宇治川 & 湊川& 朝廷案 を 全却下 しつつも、
●出兵案を採っているのは、
●大坂城周辺から、買い集めれるだけの食糧を買い占めるため。
※そのためには周辺の砦の建築の手間は総て省いていい※
金には困っていないし、
戦争に備えて逃げ出す相手から余剰食糧(牛馬含む)
を買い占める時間は1日でも稼ぎたい所。
そののち、大坂城内で、烏合の衆の10万を練兵するのみ。
他にも奇策はあるが、流石に無料では出せんし、
出した所で、淀がギャンギャン騒いで 完 ! なため… ああ、マンドクサ。
予算も手勢も根拠地も時間も申し分無いのに、
指揮官がダメポで 総 て が 以 上 ! ああ、オワットル、オワットル orz
>>317 秀頼に「戦は男が役割、母上は黙りくださいませ」と言わせられたらなぁ…
ヒスッて八つ当たりされるだけかw
天女作戦
320 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/14(土) 12:43:07 ID:o7Ao8C42
>>318 映画小説漫画舞台なら、それもアリなんですが(残念苦笑)
それくらいなら、
「母様、秀頼は江戸に挨拶に行きとうございます」(家康の将軍就任祝いに)
って台詞を吐く、英邁な王子様♪って、ノリにしたいです。w
したらば、徳川政権で、結城秀康以上の“特別な存在”として、
明治維新を迎えたかもしれません。
要は、ガチガチの律義者としての名声を保っていた内府に、
1・豊家討伐の口実を与えぬ事
2・豊家討伐の決意をさせぬ事 ですね。
いっそ、高台院(秀吉の奥さん)の 例 にならい、
大坂城を口では放棄・家康に譲渡、でもいいでしょう。
「秀頼は大坂を背負う器量はありませんので江戸の爺に」
なんて、可愛い事言っていれば、OK。
321 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/14(土) 12:48:34 ID:o7Ao8C42
勿論、家康が信用ならん、と言う事で、
ワザワザ自分から天下無双の要害を放棄しなくてもいいんですが、
●それなら、何時でも江戸を叩き潰せる戦力、
●それが不可能なら、20年篭城しても不敗、そういう準備が必要、
なのですが…まあ、それをしていなかった訳で。
※関が原で負けてからでは遅いので、これは秀吉の失態にあたります。
軍事板と戦争板で板らしい話題が逆転していますが、本日はこれでw〆切り
家光を肩車して会見の場に現れる秀頼を想像したw
323 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 02:19:49 ID:TxgzTqSA
さっさと淀殿を高野山にでも放り込んで大野兄弟の首持参しで詫び入れるほかないだろ。
324 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 02:53:59 ID:d8pA5xZy
勝つには城に籠るだけでは駄目で、反撃する必要があるけど
豊臣方に絡め手は居なかったの? 浪人集めて城に籠ってもそれだけじゃどうしようもないわけだが
325 :
名無し三等兵:2009/03/15(日) 04:48:50 ID:OBWjzNqU
京を占領して玉を確保。
豊臣がとるべき基本戦略だろう。
そして積極的に畿内を占領すべき。400万石はいける。冬の陣でなら可能だったろう。
積極策に出て朝廷を握って畿内を掌握したら、西国大名に味方が出たんじゃ?
なんでしなかったのかしら。
考えてなかったからだろ?豊臣が立てばみな味方すると思って挙兵したんだから・・・
そうか考えていなかったのだろうな。
最初から傭兵頼みだし。
何より豊臣恩顧の諸侯に檄を飛ばしていないのがその証拠。
>>327 証拠消して来なかったことにしたというケースも考えられるけどね
そうかなあw
むしろ来たことを正直に報告しておく方が、
後々バレて追求されて責められて、
改易の口実にされるよりはマシだろうな。
正直に報告する分には、
何も無いだろう。
徳川から見ても、蜂起するからには、
檄くらいは飛ばすだろうと考えるだろうし。
福島正則は味方してくれという豊臣方の手紙の封を
開けないまま幕府に提出したが、結局改易された
福島の場合は、城の勝手な改築が一番の原因だな。
実際そちらの方が大きな問題だ。
>>331 あれは勝手にやっていいよと言われたのを真に受けたのが軽率だった
支援
>>324 寄せ集めの傭兵で出撃するのは統率に自信が持てなかったのだろう。
実際、夏の陣の後藤又兵衛隊など河内平野の移動だけで四苦八苦してる。
兵力の移動・行軍・展開はコンピューターゲームのようにはいかないんだよ。
自分が大野やら秀頼だったとして、これ以上の抗戦を演じきれたか疑問
あれは戦術的には勝てても戦略的には勝てない戦だろ。
せめて関ヶ原の時に西軍にお墨付き与えておけば清正・正則を初め豊臣恩顧の大名は動きようがなかったわけで。
関ヶ原で忠臣石田三成を失ってから十数年家康に対する防御策を立ててなかったってのも余りといえばあんまりだ、
ただ個人的には秀頼と義兄弟に当たる結城秀康が大阪の陣まで生きてたらどういう態度を取ったか興味があるな。
大谷吉継に倣って親父と対決してたら面白い。
それにしても三成憎しで豊家滅亡の遠因を作った清正・正則は莫迦だし、更に大阪の陣当時まだ生きてた正則が平然と主家を見捨てたのには呆れるな。
関ヶ原の英霊に謝れと。
>>334 そうかな?
夏の陣では、豊臣方が大和郡山城を楽除させているんだが。
>>334 コンピューターゲームだったとしても、質で負けている上に2倍の軍相手に野戦は厳しい
>>339 浪人と言っても、どちらも実戦経験豊富な連中だよ。
食い詰めている分必死だから、正規軍よりも手強い。
>>340 >大野勢が2,000余だったのに対し定慶の手元には与力36騎があるのみで
戦力差があり過ぎた
>>340 浪人同士の戦いを出してきて、「正規軍より手強い」って意味わからん。
お前は毎度ズレたことしか言わないな。戦争板スレでも。
冬の陣前は10年以上とくに戦争もなかったのだが、どこで豊富な実戦したのか。
>>342 どの板でも、お前さんは誰からも説得力が無いと言われているねw
指揮官クラスは隠居できないから、浪人の方が経験は豊富じゃないかな?
問題なのは個々人の実戦経験ではなく、組織力なんだって。
徳川方は当時の日本ではもっとも組織化・規格化された戦力(もちろん現代と
では比較にならんが)なのに対し、大坂方の大半はつい先日顔を合わせた連中
の寄せ集めでしかない。
既に戦闘が個々人の武勇ではなく、集団の組織力で左右される時代だって事を
忘れちゃ話にならないぜ。
>>349 だが前哨戦においてはわりと組織的には問題がない。
むしろ問題は上層部の意識統一がまったく出来ていない。
むしろ、夏の陣での退却戦とか見てみると、
浪人軍の方が組織だって整然としているよな。
浪人の指揮官達の統率力が各大名より勝っていたからでは?
NHKのアニメ日本の歴史で紹介された大阪方の武将は、
真田幸村、後藤又兵衛、塙団右衛門の三人
・・・なんで長宗我部盛近、毛利勝永、明石全登、大野の有象無象を差し置いて
塙団右衛門が挙げられていたのか未だに良く分からん。
354 :
名無し三等兵:2009/03/22(日) 22:12:04 ID:ZrubMT3q
>>305 山岡宗八の徳川家康で秀吉の死後、淀殿が家康の正室になって秀頼も名実共に天下人に…って流れがあってな
しかも、自分が家康のところに嫁ぐ事を想像して顔を赤らめる淀どのとか、冷静に考えるとスゲーとんでも話だった
「豊家滅亡への道は関ヶ原を経由する」(モルトケ風に)。
関ヶ原で豊臣恩顧の家臣団を分断し、家康の野心を見抜いてた連中が絶滅した時点で豊家滅亡は時間の問題。
加藤や福島や浅野は西軍総大将毛利輝元が秀頼と共にあったことをどう思ってたんだ?
結局大名として存続出来たのは浅野家だけだろ。
大阪の陣では戦略的勝利は望めないから手遅れ。
箱舘の旧幕軍を新政府が捻り潰すようなもんだろ。
174 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 11:49:50 ID:???
大坂の陣の前に家康が死ぬより結城秀康、加藤清正、浅野長政、前田利長、堀尾吉晴が先に死んでいれば
徳川幕府も長く続いたよね(´・ω・`)
175 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 12:09:14 ID:???
>>174 ねーよw
178 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 20:38:53 ID:???
>>174 さすがに徳川に都合よすぎ
常識的に考えよ
age
>>357 たしかに先に家康がくたばって上記のメンバーが健在な方が正常な歴史っぽいなw
宇治川防衛策最良
362 :
名無し三等兵:2009/04/18(土) 19:21:36 ID:NmlCjZSW
>>352 むしろ中級指揮官層だと思う、問題は。
大名クラスでは、藤堂高虎ら実戦経験豊富な武将がいるが、
若手侍が派手な割りに実用性のない格好ばっかりしてくる、と家康が嘆いたように代替わりが進んだ層が実戦知らず。
牢人側のほうは、御家安泰で家督相続交代、ができないから経験豊富な老兵が多かったのでは?
鉄砲装備率がそれまでの戦いと違って相当あがっているんだな。
伊達家のように鉄砲装備率六割とか。
朝鮮の役で鑓よりとにかく鉄砲だ、という島津義弘書状がのこっているが。
一連の戦役で火力の優位が証明されたためかね?
なのに幕末になると伊達家の鉄砲装備率は酷い有様になるんだよな
>>364 必要なかったわけだから・・・仕方がないでしょ。
それ以前に西洋との差が有り過ぎ
>>363 島津勢は九州制圧戦の頃から既に火力重視じゃね?
西南の役でも弾薬が不足してたから仕方なく斬り込み戦術に走っただけで。
大山巖は砲術の専門家として有名だったし、「人斬り半次郎」こと桐野利秋も城山での最後の戦いで銃撃戦やってる。
薩英戦争の時もそうだけど、薩摩藩は徹底して火力を重視した点では当時の日本で最先端だろ。
>>367 それでも豊臣本隊にはあっさり負けているけどな。
当時の火縄銃はマシンガンとは程遠い。それだけで制圧は無理だろう。
秀吉の九州征伐の時の話だったら、島津勢は策源地から離れ過ぎてたせいもあるだろ。
銃器だの銃弾だのは現地調達ってわけに行かないんだから。
よく言う「攻勢終末点を超えた」ってやつね。
逆に大急ぎで撤収して九州南部(肥後・日向以南)だけを徹底的に防衛したら豊臣方にもかなりの損害が出た可能性ある。
そうならなかったのは、軍事的に抵抗して取り潰されたら意味がないって政治的判断が出来たからだろ。
それが出来なかった小田原北條氏は大大名としては消滅した。
朝鮮の役のときに、島津の本家の直轄地が意外と少なく財政難だからってことで豊臣政権肝いりで領土の構造改革が行われたりしたからな。
それを実行したのが石田三成で、島津一門はその恩義で関ヶ原で西軍に与したとか。
>>371 実際には島津義弘らは東軍につくつもりだったんだよ。
しかし伏見城留守の鳥居元忠が、計略を警戒して入れなかった。
この時、受け入れていれば話はかわったかもしれん。
島津氏は勝ち組に最初からついて加増されたかもしれんが、島津義弘は鳥居らととともに討死したかも。
それって関ヶ原の後、領土守るために『実は我々は……』って言い出した話だろ
>>373 そういう説もあるが、史料にそうあるんだから仕方ない。
実際、加藤や黒田(父)のように、西国でもっと豊臣に近いのに東軍についた大名はいくつもいるからな。
朝鮮出兵で石田三成らとごたついた境遇を考えると、むしろ豊臣武功派に立場ちかいし。
太閤がもうろくして豊臣家が傾いてくの内心わくてかしながら待ってた感じするけど、黒田如水は
>>375 黒田如水も、朝鮮出兵で三成らと喧嘩している。
蔚山城救援戦で、黒田と蜂須賀が支援しなかった、と三成の縁戚らから報告がいってあやうく豊臣譜代の両家が潰されかけているぐらい。
もっとも黒田側の三成嫌いもかなりのもので、碁を打って会おうともしなかったりと。
>>374 > 西国でもっと豊臣に近いのに東軍についた大名はいくつもいるからな。
関ヶ原の西軍≠豊臣軍なんだから当たり前。
黒田の親父は(いい意味で)悪党だっただけじゃね?
どうせ西軍が勝ったって何やかんやで分捕った領地返さないだろうし。
浅野長政はもう秀頼とかどうでも良かったのかも知れんが、豊太閤随一の股肱を売りにしてた清正だの正則だのは三成に対する私情を押し殺してせめて中立を守るのが筋じゃないか?
前にも書いたけど、西軍の総大将毛利輝元が大坂城で秀頼を保護してたのを何と思ってたのかと。
「秀頼の立場など関係ない」ってんなら「豊臣恩顧」を名乗るのやめりゃいいし、「豊家大事」ってんなら虫の好かない三成とでも話し合いすればいい。
好悪の感情のままに行動して主家を滅亡に追い込んだ奴らは決して「忠臣」なんかじゃない。
豊家滅亡を見ずに死んだ清正と見た上で事実上家康に粛清された正則とではどっちが阿呆なのかね。
朝鮮の役での三成以下の軍監たちは見聞きしたことを普通に太閤に報告しただけで讒言なんかしてないのに、逆恨みされてんだからな。
三河の狸親父は結局「豊家を滅亡させるまで生きた」ってだけで勝者。
で、大坂の役のすぐ後に昇天。
出来すぎだよな。
>>378 蔚山城戦での報告なんて、露骨に異常じゃないの?
黒田勢らは戦ってないどころか、相当の損害だして救援を成功させたのに。
褒められるどころか御家断絶の危機になったわけで。
もし讒言だったら事実を以って語らせればいいだけ。
それで三成への寵愛も冷めるだろ。
そもそも「明国制圧したい」って無茶な太閤の要求をその端緒とはいえ実現させたのは三成以下の実務派の功績。
文句あるなら三成じゃなく太閤その人に言うべきなんだ。
それが出来ないから元から性に合わなかった三成を逆に讒言した。
現代で言うなら無茶な政策を推進して無理が出てる状態で与党幹部が内閣官房長官を責めて、総理には何も言わないようなもんだろ。
三成がもっと小狡かったら他人の陰でことを行うだろ。
ボルマンやポスクレヴイシェフみたいに。
あと黒田の親父が三成を嫌ったのは竹中半兵衛や自分みたいな乱世向きの軍師じゃなく、平時に能力を発揮する行政官僚ってものが気に入らなかったのもあるんじゃね?
あの緻密な管理能力には黒田も及ばないだろ。
>>380 だからその事実を伝える権限もった連中がいったわけでね。
しかも空いた土地に三成入れるっていうおまけつきで。
(太閤逝去で宙に浮いたけど)
…いったら粛清ですぜw
三成の嫌われっぷりは異常だよなぁ
家康に杖拾ってもらってもお礼一つ言わなかったとか、異様な気位の高さが災いしたのかね
でも黒田長政って、三成の(正確にはその縁戚の)被害にあいながら関ヶ原戦後に捕虜になった三成に羽織かけてやったりしてるんだよね
正直、俺も嫌いなタイプだな三成はw
大阪の陣だと大型の大砲が使われたそうだけど。
これって国産? 輸入品?
輸入
>>384 輸入は4〜5貫目
国産は3貫目
が記録に残る上では最大
388 :
名無し三等兵:2009/04/22(水) 22:18:10 ID:vnV7EqN6
>>386 ちなみに前者は32ポンド砲または36ポンド砲に比例すると思われる
これを徳川家はわざわざ絵図を書いて注文しており、更にはこれの到着を待って
大坂城への一斉砲撃を始めた節すら見える
大坂方こそ金に飽かして買っとけばよかったのに
音による威嚇の効果は大きいが榴弾ではないから包囲した徳川方には
たいした被害はないだろう
戦術的には大坂方の中・小口径砲が猛威奮って前田勢はじめとした徳川方に大打撃与えてるんだがな。
冬の陣では、徳川方が早めに水路を封鎖して補給を絶ったからね。
戦略的には勝ち目のない戦。
豊臣恩顧の呼応なんてなかったわけで。
石田三成は(家康と対決すると分かってたら)「百万石呉れてやろう」との秀吉の言葉を受け入れておくべきだったって後悔してたね。
それでも、小早川秀秋が寝返るまでは互角以上の戦況だったんだから大したもんだ。
大勢が西軍勝利に傾いたら吉川だの島津も笠にかかって暴れただろうから東軍壊滅だろ。
三成って最近の政治家だと福田康夫みたいな感じじゃね?
補佐役としてはそれなりの仕事をする。
詰まらない相手には詰まらない返答しかしない。
基本最高指導者には向いてない。
そういうキャラが好き嫌い分かれる原因だろうけど、三成は主家のために生命懸けたが清正や正則は懸けてないからね。
浅野、加藤、福島の諸将は縁続きの主家を見殺しにして言い逃れする似非忠臣だよ。
豊家滅亡の暁には自分たちが不要且つ邪魔な存在になることさえ分かってない連中が政治的に微妙な判断とかするんじゃないと。
まぁそうなったのは秀吉の自業自得の面もあるけどな。
朝鮮出兵はまぁ勝敗は兵家の常、というから我慢するにしても、
特に秀次事件とかの粛清はたまらんだろ。
福田世襲康夫と比べるのは流石に三成に失礼
細川家だっけ? 秀次に借金してたってだけで睨まれかねないから、家康から借財して慌てて返したとかいうの。
小早川秀秋は、秀吉の後継者候補からはじき出された上、
朝鮮出兵じゃ自身鑓を奮うほどがんばったのに減封されたりしたからな
最初から東軍と通じていたし、寝返りというより埋伏の毒という感じだけどな。
末端の兵士からみれば勝ちそうな側に付いて欲しいだろうな
>自身鑓を奮うほどがんばったのに減封
これも三成の告口だしw
三成の敗北のために、豊臣家の直轄地は300万石くらいあったのに恩賞名目で分配されて。
大坂の陣のときには65万石ぐらいに転落してたんだよな。
家康は自分が取れたのは信玄と三成のお陰、といったけどすごい皮肉。
秀秋の件は「一軍の将たる者自ら戦場で暴れるとは」って秀吉に思われたんだろ。
元々だけど短慮浅薄な人物だからな。
それを重要な位置に布陣させてたのは三成の失策だ。
>>402 そういうのは「春秋の筆法」って言うんだけどね。
本来なら信長と信雄のお陰なんだろうが。
三成が決起しなくてもじわじわと秀頼の権限が削られて元和の頃には史実と同じくらい弱体化されてたと思うし。
逆にそれを見越しての三成の賭けだったわけで。
信長も安易に一騎打ちしたが蒲生氏郷を叱った話があったっけ。
でも激戦で自分も戦うハメになったのなら、可愛そうな話。
藤堂高虎とか、自分も直接戦闘して傷つくハメになった武将は結構いるのに。
秀頼の時でも蔵入地は持ってたそうだが
まだどのぐらい残されていたの?
140万石
おお、金持ちのはずだな
408 :
名無し三等兵:2009/04/25(土) 19:27:38 ID:f7MmAtQX
>>403 三成が蜂起しなければ「豊臣政権の鎌倉幕府化」して豊臣家は存続できたかもね。
お飾りの豊臣家を徳川家が補弼というか徳川家による豊臣の傀儡化としてね。
それが我慢ならんという発想はわからんでもないが、それではじめたのが
惣無事令に反する私戦じゃマズイだろ。戦後処理とか考えていたのか?
家康が露骨な秀吉末期の誓詞破りとかはじめたからじゃ?
家康の子孫からみても忠臣である三成が危機感もったのも仕方ない。
もっとも幼君である以上、家康が動かなくても他の誰かが簒奪に動いただろうがな。
豊臣政権的には大和宰相が早くに亡くなったのがスゲー痛い
>>408 家康の上杉征伐が「豊家のため」って口実だったように、三成に言わせれば「勝手に諸大名を糾合して上杉家を討つと称する家康の行動こそ私戦」なんだろ。
そこらは「勝てば官軍」そのものだよ。
秀吉の最初の実子(捨松だっけ)が夭折したのも痛いよな。
確たる後継者として大坂城に君臨してれば家康がつけ込む余地も少なかったはず。
大坂の夏の陣だと、有名な真田信繁他、毛利勝永や大野治房らが徳川方の大群をかなり蹂躙しているんだよね。
数にしろ兵の質にしろ、徳川方圧倒的に有利なのにこの奮戦の理由はなんなんだろう。
死兵だからだろ
大坂城にあの時点で馳せ参じた連中はもう勝ち負けなんてあんまり関係なくて、戦国最後の死に花を咲かせようと思ってただけだろ。
普通の判断力があれば孤立無援の豊家が大逆転で自分たちが封土を得られるなんて期待はしない。
家柄的に多分最高だった長曾我部盛親だって「旧領奪回」だなんて可能だとは信じてなかったと思う。
その意味では大坂の陣は「死に場所を求めた戦国人が見付けた最高の舞台」だったんだろ。
徳川の天下になってからの諸大名の振舞いの見苦しいことと言ったらもう。
>徳川の天下になってからの諸大名の振舞いの見苦しいことと言ったらもう。
宮仕えってそんなもんだろ、豊臣の世でもかわらんと思われ
武士は自己陶酔で死ねていいだろうが、
周囲は迷惑だな。
豊臣にしろ徳川にしろ町を焼いたり略奪虐殺やり放題。
それが戦争だ
でもよ、何で盛親君は再起を図って脱出したんだろ。
419 :
名無し三等兵:2009/04/28(火) 12:49:10 ID:wZIeHnD2
それは人それぞれだろ。
賎ヶ岳の佐久間盛政のように、生きて捕えられたことをなじられても
「敗戦しても洞窟に隠れて生き延び、平氏の天下をひっくり返した源頼朝に倣おうとした」
と答えて敵方にも賞賛された武将も前にいたし。
>佐久間盛政
最も必要な「人望」に欠けてる。
石田三成の方が死を覚悟して尚信念を曲げなかったし、再起したらまだ盛政よりは支持されただろ。
別な話だが、淀の方を滅ぼして天下平定した徳川家が鳥羽伏見の戦いで淀藩に裏切られて進退窮まったのは歴史の皮肉だな。
藤堂さんのことも思い出してあげてください
藤堂さんは戦国サバイバルの勝者だと思うがどだろ。天下取り競争なんて一人しか生き残れないし。
藤堂さんと細川さんはいつの間にか勝ってる側についてるのに批判する声は少ないよな。
どっちが勝ちそうか嗅ぎ分ける能力に長けてるってことなのか。
いやいや藤堂さんはバリバリ批判されてるだろ
そうなんだ。
あんまり悪評を耳にしないのでね。
因みに批判してる代表的な人物を教えて。
勉強してみるから。
426 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 15:13:44 ID:d8GA7FKU
藤堂家はその後、幕府も裏切ったけどね
何百年後の話だよ。
しかもそんときは御三家含めてほとんど裏切りじゃん。
鳥羽伏見で味方として布陣しておきながら劣勢と見るや大砲打ち込んできたんだけどね
429 :
名無し三等兵:2009/05/04(月) 16:55:02 ID:FXkUJVId
藤堂批判って初耳。
当時の武士は江戸期のような儒教観念はなく、
頼りない主君見限って当たり前。
しかも高虎は主君に刃を向けたわけじゃなく、主が評価してくれなかったり没落したり死去したから仕方なく退転して、
その度に新たな主に評価され出世した戦国武士の一つの典型ですぜ。
あの裏切りで藩祖の遺風が云々はわりとよく言われてんじゃね
後世の誤解と偏見による評価なら無意味じゃね。
蜂須賀家がれっきとした武士の家なのに、太閤記みたいな創作のせいで天皇にまで盗賊の出扱いされたのと一緒で。
「れっきとした」ってブラジルから送金でもあったの?
どうみても出世した者達への、負け組の妬みだろ
裏切り大将は何といっても松永弾正少弼久秀だ。尊敬に値する裏切りっぷりだ。それに殉じたとこもよし。
裏切りだったら宇喜多直家。
県下統一を目指して戦国を疾駆した姿を忘れないでください。
助けてくれた人を裏切って・・・を繰り返して伸し上がって、
最後は誰からも信頼されなくなって潰れた龍造寺とか
鍋島は上手いことやったよなあ。
主家を簒奪したこと自体が殆ど忘れられてると言うw
うんうん
裏切りといえば、武田滅亡時の小山田信茂の最善手は何だったろうか。やっぱ、逃亡しかないか。
同名破棄時に北条へ離反
現陶芸家で元首相のご先祖様も藤堂と似たような事やってる気がするのにあんまり悪く言われないなあ
あと織田有楽斎なんて後ろから刺されていいレベルだろ
露骨なのは嫌われるよね
1945年の8月15日を境に豹変した日本国民といい勝負だがな
生きるための知恵。むしろ御国に殉じるとかやった奴が馬鹿。
生きてこそ人間。
これが現実です
そうなるとホントに真田は上手く生き残ったな。
>>445 生きるにも理由がある。
死ぬのにも理由がある。
どうせ最後は死ぬんだから優劣などない。
>>448 あるだろ。
死ぬにはいい日なんてないのさw
藤堂は黒田を出奔した後藤又兵衛にも「家風が合いません故(笑)」と断られているし
生暖かい目で見られていたのはガチだろ
>>450 その割には、かつての敵だった長宗我部氏とかの遺臣も家臣に入っているが。
生暖かい目っていうのは、農民同然の出自という話から?
>>449 誰だって吉日に死ぬわけはない。
死ぬ日は常に厄日だろ。
短く生きて有意義だと思えることのために死ぬのと、長生きして平凡に死ぬののどっちがいいとか考えたって仕方ない。
小早川秀秋みたいに勝ち馬に乗ったのに早死にするのだっているんだし。
>>452 虚無主義者乙。
でもその理屈だと、どっちにも肩入れしちゃだめじゃん。
どっちかを推す意見を腐すのもなw
>>453 敢えて危険に身を晒すか、保身に努めるかのどっちが好みかってのはあるだろ。
俺はどっちかと言えば前者が好み。
まあ場合にもよるけど。
455 :
名無し三等兵:2009/05/15(金) 17:31:54 ID:LrGp7EC5
軍備を整えるには多額の金銀が必要だと思うのですが
秀吉は秀頼にどれ位の遺産を残したのでしょうか?
>>455 あと2〜3回くらいは大阪の陣をやれる程度には持ってたらしい
457 :
名無し三等兵:2009/05/16(土) 14:04:31 ID:uA0EIPXQ
冬の陣と夏の陣では違うでしょうが
1回にどれぐらいの金銀が使われたのでしょうか?
458 :
名無し三等兵:2009/05/16(土) 16:52:31 ID:ZkrdZUNS
>>451 長宗我部はお取り潰しだからな
戸次川を生き残った歴戦の勇士って事で譜代の少ない藤堂とかは厚遇して召し抱えてた
真田か毛利が茶臼山で家康を討ち取ってたら幕府軍は総崩れになってた?
>>459 秀忠がいるから無問題
それ以前に、家康が討ち取られるという仮定が非現実的
あいつはどんな局面でも生き残った、戦国一のしぶとい男だぞ
仮に関ヶ原前に大坂城で刺客10人に襲われても、3人切り殺して
姿を眩ませた後、次に居所が掴めた時には既に屋敷にいるだろうな
>>459 某元グリンベレーの書いた小説では”社長が死んだくらいで会社は倒産しねーよ!”
みたいな感じで描写されてたな。
秀忠も大野に肉薄されているし、
そんな時大御所様討ち死に!ってなったら大混乱じゃね
でも前田、伊達や上杉勢は家康死亡だけでは崩壊する理由にはならないなw
あと有力大名化してるいくつかの松平勢も意外と冷静に対処できそう
旗本勢はいっきに崩れる可能性もあるだろうが
妙に伊達の動きが遅いのは、家康死なねーかなーって見てた気もするしなw
いっそ誰かが後ろから家康押し潰してくれればな。
466 :
名無し三等兵:2009/05/20(水) 02:59:21 ID:tuxa7B4e
大阪の陣を実写映画化してほしい
大河ドラマで嫌ってほど秀頼と淀の方自決してるだろ。
金払ってまで観に行かねえよ。
いまだかつてない自決をすればいいんでね?
茶釜抱えて爆死?<絵になる死に方
Oasaka要塞1614とかになっちゃいそうだ
伊達は鉄砲騎馬隊を陣地攻略(攻城戦)に使って大損害というアホーをやってたような
東北の貧弱な城しか相手にしてなかったからだろうなぁ
大御所と将軍両方消えて大喜びなのは各地の有力大名だろ。
黒田とか島津とか毛利とか前田、上杉、伊達みたいな連中がここぞとばかりに領地拡大を始める。
関ヶ原での負け組は奪還する領土が多いから飛び上がって喜ぶんじゃね?
真っ先に上杉・伊達戦争が始まりそう。
471 :
妄想家:2009/05/22(金) 17:46:48 ID:zJ1XOet6
冬の陣の陣形を見れば、総構内に1万5千程度を残し、残り8万5千で
南方より打って出、家康、秀忠に決戦を仕掛ければ勝機はあったと思う。
豊臣系の武将や外様衆は積極的には参戦しないと思う。
所領を減らされた上杉や佐竹なんかは、論功行賞にありつくべく
より積極的に決戦に参加しそうな気がする。
それに大坂方が金城鉄壁の大坂城に篭もってるわけじゃなく、外に出てきてるんだから尚更だと思うよ
幕末の長州征伐を見ると、
やはり籠城策は愚策だな。
(実際には長州軍・幕府軍と装備の優劣は差は無かったというし)
幕府軍なんぞ内線作戦でコテンパンですよね
まてまて、大村益次郎率いる近代軍と戦国時代そのままの幕府軍では前提が…
>>475 幕府歩兵隊・海軍、紀州藩・大垣藩・熊本藩のどこが戦国時代そのままなんだよ?
>>476 一部部隊はともかく。全体の指揮系統とかは相変わらずではなかったか。
武士らが頭硬くて仕方ないから旗本の領地から農民差し出させて、歩兵訓練したり。
>>477 指揮系統は、長州も旧制。
長州や薩摩は新式武器の調練に集中していただけ。
(より厳密に言えば、遠距離からの狙撃訓練に集中)
行軍などの調練は、幕府側は仏や英などの軍の将校から直接調練を受けている。
>>474も言っているが、当時の長州でもゲベールやヤーゲルもかなりの数が投入されしようしている。
旧式装備で負けたと評されている彦根藩でさえ、
最低でもゲベールは装備されていて、ミニエーも投入が確認されている。
問題はハードじゃなくソフト・・・運用だったってことだろうね
何度も指摘されてる通り
欧州でも三兵戦術が理解されるまで時間かかったしね
つか、軍事システムなんてギリギリにならないと変われないからなぁ
481 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 11:45:57 ID:eXEKonyI
そう考えると河合継之助は凄いな。
>>478 いや、違う。
例えば幕府側は、各藩に対する指揮系統がなく(大雑把に命令するだけ)兵力の大半が交戦しない状態。
たいして長州側は、義勇兵含む部隊を藩政府直轄の部隊として9つに統合して指揮系統を一本化している。
>>482 いや違う。
>例えば幕府側は、各藩に対する指揮系統がなく(大雑把に命令するだけ)兵力の大半が交戦しない状態。
それは長州側による諸藩への切り崩し戦略が原因だろう。
幕府軍側は、薩摩藩の海軍戦力を主軸に作戦を立てていたのだから、
その薩摩藩が長州藩へ内通し、薩摩藩の海軍戦力が使用できないという自体に陥ったために、
指揮系統が混乱するなど当初の戦略・戦術に齟齬をきたしていたからだろうに。
>>483 それこそまさに戦国時代からのシステムの弊害じゃん。
指揮系統がなく、各藩の裁量権が大きいからぐだぐだ雑音が入る。
まともに戦ったのは全軍のうち一部だけ。
>>484 所定の戦略が狂うと
浮き足立ったり、齟齬をきたすのは、
現代の軍事システムでもそうだよ。
>>485 話が違うだろ。
所定の計画以前に、独自の判断で戦わない命令に従わない部隊ばっかだったんだから。
>>486 話が違うだろ。
所定の計画が狂ったから、独自の判断で戦わざるを得ない部隊結果になったんだから。
津和野藩は、幕府の命令受けたけど戦争に反対。
戦わずお茶濁し。
長州側もそれをわかってたからスルー。
真面目に戦った浜田藩フルボッコ、とかだからなw
幕府軍の指揮命令系統の保守っぷりのダメさ加減が如実にでた戦いだな。
鳥羽伏見に関しては総大将の公方殿がさっさと江戸に逃げ帰った問題も忘れちゃいけない。
別な見方をすれば宮中工作に失敗した時点で徳川幕府の命運は尽きてた。
二・二六じゃないが「玉」を相手に握られて、しかも公方殿は名にしおう勤王一筋の水戸徳川家出身と来たらもうダメだろ。
戦闘能力以前に総大将が戦意喪失だもん。
飽くまで公武合体策を否定した高杉晋作と仲間たちの粘り勝ち。
>>489 というか、二条城で慶喜が陣取っていればよかったわけだ。
幕府は相変わらず番方(軍事)と役方(政治行政)がごっちゃになったシステムだったしなぁ。
老中ってだけで西洋兵術をかじったこともないやつが軍幹部に横滑りとか。
これじゃ勝てるわけもない。
>>492 知ったか乙。
薩長は番方と役方分離済み。
役職においては薩摩藩主側役にすぎなかった西郷隆盛が、軍事においては参謀になったのとか有名な話なわけだが。
明らかに初歩的誤認の末、幕府も同じだったと連呼している負け惜しみなお方って旧幕府軍の関係者の末裔さん?w
長州征伐でも、100石取りにすぎん高杉晋作が海軍総督だからな
幕府軍は老中の小笠原長行がそのまま総督に横滑り
味方をまとめられなかった上、家茂死去を聞くと配下見捨てて逃走
>>493 知ったか乙。
薩長は番方と役方分離済みなのは結果論。
役職においては薩摩藩主側役にすぎなかった西郷隆盛が、軍事においては参謀になったのとか有名な話なわけだが。
明らかに初歩的誤認の末、幕府は旧制だったと連呼している負け惜しみなお方って旧薩長軍の関係者の末裔さん?w
>>495 なぁ、いくら悔しいからって意味通らないコピペ改変じゃあ煽りにもならんぜw
>>496 なぁ、いくら悔しいからって意味通らないコピペ改変されるレベルのレスじゃあ煽りにもならんぜw
徳川家康が「三河以来の祖法変えるな」って遺言したせいじゃない?
元和以来、島原の乱を最後に軍レベルの武力発動はなかったわけで経験もないしな。
>>498 でも、真っ先に洋式調練を採用したのは幕府だしw
>>499 手先を変えても根本が戦国期から進歩なしじゃあねぇ……。
上級幹部の登用改革どころか、
歩兵隊編制すら、武士が嫌がったもんだから、旗本領の農民つれてきてやらせたぐらいだからな。
小手先の改革じゃあ、指揮統制まで改革した相手にはかなわん。
誇り高い(笑)幕府の武士様が、身分低い者の指揮下に入りたくなかったんだろ。
医者出身の大村益次郎が幕府にいたとしてもろくな地位につけなかっただろうな。
蕃書調所教授
おっと講武所教授か
そういえば近藤勇も講武所教授になれるはずだったのに、身分が郷士だからって蹴られたっけな。
幕府内で医者は厚遇されて、
崇敬の念でもって見られていたことを知らないとはw
>>506 それと医者出身の軍人の命令に従うか、
そもそも医者出身が軍部の要職につけるかは別問題だろ。
何をいっているのか?
>>509 それは歩兵奉行じゃん。
武士がなるのを嫌がったので、旗本領の農民連れてきて歩兵にしたてた部隊の隊長程度で。
何で幕末の話になってるんだろうとスレを見たら
>>473が出撃策を唱えて以来だったか
内線撃破にしても摂津・河内程度では縦深が足りないように思える
最低限、山城と大和までは制圧して住民も充分味方に付けるようにした上で、
さらに朝廷工作も行いつつ、幕府側に対しても講和の意思を見せておかなければならんだろう
戦術としては峠・隘路をひたすら固守しつつ、少しずつ損害を与えて厭戦気分を煽るくらいか
主力はむしろ幕府軍主力との決戦を避け、主攻以外の方面で限定攻勢に出て、
「幕府軍敗北、大坂方優勢」というイメージを植えつける任務のみに専念する
襲撃は出来ても山城と大和の制圧は不可能だろ
う〜ん、それでもやっぱり出撃策は無謀臭いな・・・
他大名への調略が全然成功してないし、幕府直属軍以外にも伊達に藤堂に上杉に
有力大名がはっきりと徳川方につくことを明確にしてるし、
旗本が貧弱でも親藩・譜代の強大な松平勢がいるし、大坂方に協力する大名もいないしな
戦略的条件悪すぎる。
戦術変えても無意味だろ。
それこそラッキーヒット狙いしか手が無い。
やはり出撃策が最優良か。
宇治川での防衛策は正しい。
縦深性は充分だし。
後方衝かれるだろ
浪人集めて数をそろえたって戦術機動どころか移動もままならない
策源の大阪から動いても50km程度では?
暗殺とかの手段しかないんじゃないかね。
>>518 浪人どもは士気だけは高かったから
同じように士気の高い革命時のフランス国民兵が出来たんだから大丈夫じゃね?
機動はむしろ束ねる将官の問題かと
>>521 常時、大番三組が交替で在番
城代松平定勝やその他のを含めれば、少なくとも5000以上は伏見城にいる事になる
これを彦根や伊勢の援軍が来るまでに落とすのは不可能
じゃあ史実以外の方法を取るにしても、冬の陣のときの体制で大坂城という
巨大な安定後背地の援護の下、諸大名が食糧不足で戦意が低下したそのときに、
秀忠・家康(個人的には秀忠狙い重視で)撃滅に的を絞っての1回限りの決戦を
挑むしかない感じか・・・
そしてうまく秀忠・家康を討ち取るなり、無様に敗走させたところで後は大坂城に
引き篭もって情勢の変化を待つ・・・と
勿論、この作戦で絶対勝てる!などとはカスも思っちゃいないけどな
あの時に大阪城に籠もったのは関ヶ原の残り滓みたいなものだから
戦略的な目をもった武将はほとんど居なかったんじゃないかな
勝利を目指しても戦術的なものであって、世界自体は変わらない
>>522 問題ない。
伏見城は要害ではなく居館レベルのもの。
簡単に落城する。
郡山城も落とされている。
(郡山城は小規模の兵と言われるが、実際には5000くらいはある)
郡山城は総構のある要害。
>>525 二条城と勘違いしていない?
伏見城は関ヶ原で20倍の相手に14日持ちましたよ
後、郡山城の守兵は1000人
それも浪人の筒井氏に寄騎と農民も駆り集めての数
それに奇襲を受けたともある
幕府直属の大番や譜代大名がいる伏見城とは比較できない
528 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 10:57:34 ID:njbBN/+f
>>523 御説通り、冬の陣で秀頼が家康、秀忠の首級を挙げてしまったら、その後の
展開どうなるか。取合えず徳川の総帥は江戸の忠輝がなるだろうが、
彼は征夷大将軍じゃないから、諸大名に対する指揮権はない。徳川家と譜代諸侯だけで
大阪城に対処する事になる。かなりきついと思う。
幕末、大老がテロで殺されて幕府の権威が地に落ちたが
それ以上に諸侯は動揺するだろうな
530 :
名無し三等兵:2009/06/10(水) 12:11:06 ID:aUUuEMGH
それこそ逢坂か関ケ原あたりで桶狭間やらんことには。
相手が誘いに乗ってくるかだが
ここまでざっとレス読んできたが、ただの一人も「南蛮を巻き込む」って発想がないのはなんでだろう?
戦力として期待できなくとも、外交、宗教、兵糧輸送etc、利用法は色々。
豊家中枢をシャムなりアメリカへ亡命させてもいい。
現実が詰んでいる以上、ブレイクスルーの為には、もっと発想の転換がいるだろ?
スペインはドイツで忙しいそんな余裕があるかどうか
だって第二次世界大戦でアメリカに日本が勝つという位の話だもん
>>532 貿易相手として見た場合、家康のほうが遥かにいいお客さんだしなぁ……。
宗教理由で喧嘩するのなら、幕府の禁令のときにいわれずともやってくるだろうし。
海路も、親徳川大名に抑えられているわけで。
道明寺の戦いで真田が突入すれば勝ってた
負けたのは真田のせい
なら真田に指揮させろよw
大和への国替えを了承する
とはいえ、家臣団全て抱えて移住は出来ないだろうから、
連れて行けるのは半数がいいところか
これを逆に利用して、大坂に入ってくる新領主にその半数の家臣団と武士団を預けて
いざとなったら蜂起できるようにしておいて、豊臣本隊は大和で新領地の確保をしっかり
行っておく・・・あとは秀忠の死で徳川が混乱するのを待つ・・・これくらいしかないかな
郡山城の守兵は,
5千は下らないな。
>>539 「…、三十六人ノ寄騎、当時筒井旧功ノ牢士、並野武士又商人農民等ニモ、健ヤカナル者ヲ選ミテ上下千余人、…」
増補筒井家記
『徳川将軍家十五代のカルテ』という本を読んだら、家康は胃ガンを患っていて
何とか豊臣家滅亡まで発症せずに済んでくれてたらしい
陣中でもガンが潜伏していたのではと考えると何か家康個人を狙うのは忍びなくなってきた
秀忠のみに全軍を差し向けるプランを考えよう
農民も駆り集めてってのは、当時の動員法から考えても
特別なものではなく、徳川軍だって同じ。
三十六人寄騎ってことは、総勢五千くらいの兵力になる。
>>541 大坂夏の陣の一年後に死去だぞ?
もし胃癌と言う仮説が正しければ、陣中で既に自覚症状は出てたはずだ。
>胃癌は進行してくると次のような症状が出てくる。
>腹痛 、(胃部の)不快感、吐き気や嘔吐 、食事後の胃部膨満感
>食欲減退、体重減少、体調不良や疲労感、消化不良あるいは灼熱感(胸焼け)
>吐血や下血・黒色便
この状況下で、一戦やってた事になる
>>542 ならん、最高計算でも10倍が相場
その計算法だと番士50騎の大番は1組で6000になるのだが
寄騎って、高級将校だからねえ。
>>545 その前提が違う
200〜300石クラスの騎乗武士が普通
というか当の筒井家自身が半分浪人だったようなものじゃなかったっけ?
そんな筒井家の与騎を普通の大名の与騎と一緒に見れるのかどうか
一応、1万石を与えている
>>549 寛永の軍役だと
自身の騎乗武士以外に徒侍1〜2人、鑓持1人、馬口取1人、甲持1人、挟箱持1人、草履取1人、小荷駄1〜2人
これは高級指揮官とはいえんでしょうよ
大坂陣の軍役で500石が 鉄砲1丁、鑓3本持鑓共なので
200〜300石はないがこれをみると寛永と同じ位でしょうな
やはり、郡山城では5000の兵がいたわけか。
少なくとも5000だな
近隣は徳川の味方ばかりだしな。時間をちょっとかければ包囲され袋叩き。
せいぜい放火してかえるぐらいしかできんだろ。
京都放火はやるべきだった
や
561 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 15:08:32 ID:7XLxEWDS
大山崎と暗峠に第一真田丸、第二真田丸を築城していれば勝っていた。
この場合、「勝つ」ってのはどういう意味なん?
徳川方が降伏するってのはあり得ないでしょ。
大坂城が攻囲されてるって状況も打破出来ない。
戦略的に逆転するためには有力諸大名の徳川政権からの離反以外に十分な条件ってのはない。
そうなったら戦場での遣り取りじゃなく毛利・島津・上杉くらいの雄藩が密かに約定を結んで大御所と公方を一気に葬るしか手はないはず。
太閤秀吉が柴田権六を追い込んだくらいの政略が必要だけど、あの狸親父相手に騙し切るような芸当なんて当時誰にも出来んでしょ。
結局関ヶ原が決戦だったのを少数の関係者以外認識出来てなかったのが問題。
海音寺潮五郎の「加藤清正」に「時代の流れは徳川の世に向かっているのだから豊家は一大名として存続を図るべき」って論理が(清正の考えとして)書かれてるんだけど、それ以前に関ヶ原で私情を捨てて豊臣恩顧の諸大名がせめて参戦しなければ良かっただけ。
今でもいるだろ。
「営業でどれだけ回って来た」みたいなことを吹聴して、調整役の人間を下に見る奴。
動き回るのだけが評価されるべき仕事だとか信じて疑わない奴。
加藤清正や福島正則はそういう手合いなんだよ。
徳川家康、秀忠の首級を上げることで情勢の変化が生じる可能性は?
徳川方は大混乱で攻めるどころじゃないから、
大坂から退却して直参・譜代は京防衛、あとは各自撤収じゃね?
豊臣は冬の陣でも十万集まったのだから、すんげー大軍になる可能性が高いな。
>>563 豊家が再び政権掌握とはならず、足利将軍化して、またまた戦国に逆戻りと考えられるだろうなぁ。
政ちゃん、大喜び。かな?
黒田長政かと思った
こん時、存命の有力大名は誰がいたっけ? 毛利輝元/秀元親子、上杉景勝、伊達政宗、黒田長政、佐竹義宣、
島津義弘、藤堂高虎、前田利常、福島正則etc
でも、天下人になれそうな人は…。大望があるのは伊達君だけかな。
伊達君はまず無理
南光坊天海
政宗は如何せん領土が辺地過ぎるからなー。
景勝の相手をしてるうちに没落するんじゃね?
それこそ上洛しようとしたら徳川の遺領を通ることになるけど、そこを無事に通過出来るとは思えないんだなあ。
571 :
歴史好き:2009/06/21(日) 20:13:00 ID:S5Bqa3kH
>>563 「大阪方が徳川家康、秀忠の首級を上げる」って設定にすると後のストーリー
メチャー面白そう。
572 :
名無し三等兵:2009/06/22(月) 15:46:40 ID:1Bvdr813
何が面白いの?
573 :
歴史好き:2009/06/22(月) 18:25:08 ID:p0Vwhnqj
>>572 司馬遼の世界ですね。徳川家、大阪城の武将、豊臣系の武将、外様武将がそれぞれの
思惑で動くでしょう。徳川家は
>>564の言う京防衛は行なわず。先ず彦根城か
名古屋城に防衛線を敷いて時間稼ぎをした上で、徳川家の当主(恐らくは松平忠輝)
を決めて、部隊を再編成して決戦に臨むと考えられます。
実際に討たれ敗走したなら、徳川宗家の面目丸つぶれだから
徳川同士で譜代・外様大名を絡めた跡目争いもありそうだな
>>573-574 とりあえず、豊臣家には加増して120万石くらいにして置いておく方がいいだろう。
表面上の石高が高くても、実高が引くければ意味ないし、
むしろ水戸藩などような窮状に陥ってしまうだろうし。
576 :
歴史好き:2009/06/22(月) 20:47:51 ID:p0Vwhnqj
>>575 当時の大阪は日本の経済の中心ですから、そんなところ押さえたままの豊臣家
の禄高増やせばますます手におえなくなりますよ。
長州以上のすさまじい脅威に成長するな
578 :
名無し三等兵:2009/06/22(月) 20:57:59 ID:2f6eXSeL
蝦夷地に移転させてだな。淀?、半蔵になんとかさせたらよいよい。
家康の危機ばかりクローズアップされるけど、
岡山口でも秀忠が相当追い詰められてたんじゃなかったっけ・・・
茶臼山で家康が自害 or 討たれていたら
旗本近くまで攻められていた秀忠隊も崩れていた可能性がゲロ高
信長が本願寺を攻めたとき負傷したりして負けた時の織田軍団はどこまで敗走したっけ?
>>579 柳生宗矩が自ら刀を取って八人斬り殺したと伝わるな
真偽はともかく、本陣まで激戦だったのは間違いない
その秀忠を救ったのが七本槍の一人と黒田長政・・・歴史って皮肉すぎるw
大御所の寿命があと2〜3年短いだけで局面は大きく変わるけどな。
あのキレのない秀忠に出来上がったばかりの幕藩体制を維持出来たかといえば疑問。
まだ当時なら足利義昭追放のこと覚えてる人間も多かっただろうし朝廷も日和見決め込んだろうしね。
歴戦の武将たちは家康のいない徳川家なんて何とも思わないだろうしね。
秀康が生きてたら展開も変わってくるだろうけど、彼も黒田の狸も加藤の虎殺しも既に死んでるからねー。
>>576 それは幕藩体制が確立してからだよ。大阪の繁栄は。
それまでは商業都市の堺の繁栄が主。
しかも、貿易が幕府に独占されてからは、
堺の繁栄が凋落し、さほど大阪の繁栄は無く、当時は翳りがある。
大坂の陣後の復興によって大阪の繁栄が齎されたわけだ。
つうか、その堺は大坂夏の陣で焼き尽くされてたりするし
>>583 でもさ、徳川家臣団、井伊、酒井、本多、榊原とかがどう出るかだな。
秀忠は冬の陣で正面攻撃を唱えた男の中の男
家康秀忠が討ち取られたあとのシナリオ
忠直あたりが徳川宗家を継ぐのは私だと騒ぎそうで忠輝ともめて誰を推すかで一族譜代外様を巻き込んだ騒乱に…
それを秀頼が話をとりまとめて家光に跡を継がせることで決着
そして豊臣家は徳川幕府の有力大名として明治維新まで続きましたとさ。めでたしめでたし。
591 :
歴史好き:2009/06/26(金) 18:52:22 ID:6gnaikuA
>>590 そんな平和的解決しないでしょう。食うか食われるかの戦乱巻き起こると思います。
仮に家康秀忠が討ち取られれば、徳川家は存亡の危機に直面しますから、
内輪もめやってる余裕ないと思います。
>>590-591 恐らくは、宮将軍か摂家将軍を傀儡で置くのじゃない?
譜代大名としては、その方が無難だし。
まぁ、そうなると下手すると戦国時代に逆戻りで、そしたら現代には名を残していない英傑が出てきたかもね。
どっちにしろ豊臣の天下はないってことだな
いやそうなった場合の豊臣は最も天下に近い勢力でしょ・・・
徳川凋落の折には箔は一番だし、65万石+難波の経済力って言う大国だぞ
豊臣はその他に収入として蔵入地の140万石がある
大坂の陣の頃には蔵入地なんかもうないだろ。
もし家康、秀忠親子が死んだとしてその後どうなるかな
大阪の陣に参陣した浪人衆と大野や淀君の間で揉めそうな気がするんだよね
例えば信濃を真田に与えると言っても実際その辺りは幕府側が握ってるわけで
幕府側の諸藩で戦乱喜ぶのは伊達ぐらいだろうし
結局幕府の統制を弱めた上で徳川幕府継続、豊臣は65万石安堵
浪人衆には金与えて放逐終了の気がする
徳川幕府の統制緩めたら今度はいつ争乱が起こるか分からなくなるな。
大坂殿(摂州関白?)が徳川と比較的疎遠な大名を味方に引き込んで突如東海道と中山道を進軍、小田原辺りで一大決戦とか。
秀頼には直参の家臣が殆どいないんだから浪人衆をそのまま召し抱えるって選択もありそうだが。
>>598 いや、まずは豊臣の蔵入地の返還が必須だろ。
120万石くらいの表高にしておいて、
家格だけを高めておけば、
水戸藩のように衰弱する。
>>584のように大坂の商業都市化を防げばいいのだしな。
601 :
歴史好き:2009/06/27(土) 09:58:22 ID:yDDWrwUP
>>599 冬の陣の時点で既に10万の兵力有してるので、有力大名加担より、場内の
浪人武将にあてがう領地獲得が焦眉の急だろう。如何見ても江戸攻めやらざるを
得ないと思う。
>>599-601 大阪の陣でどこまで追撃するかですかね
確かに家康・秀忠親子が討ち死にすれば幕府軍は退却するでしょうけど
元々各大名の軍ですし各軍毎統制が崩れることなく引くことは出来る気がするのですが
豊臣方も追撃する余力はないでしょうし
3代将軍の選定で幕府内が混乱し天皇が日和見決め込めばちょっとは怪しくなりそうですね
総大将が討たれて諸軍がある程度統率保って帰れたのは桶狭間ぐらいじゃね
604 :
歴史好き:2009/06/27(土) 13:51:20 ID:yDDWrwUP
>>602 大阪方も大和、近江、山城程度はとりに行くだろうと思います。
浪人武将に恩賞あてがわないと豊臣家自体が領主として
存続できなくなると思います。
>>604 浪人武将も領地あてがわれて大名になると勝手な行動しそうな気もしますけどね
最も大きな問題として幕府が認めるわないですし
ちょっと思いついたんだけど、家康、秀忠が討ち取られた場合伊達辺りの大名が動き出して
豊臣方の残存部隊踏みつぶすんじゃないかなぁ
今後の影響力拡大にはもってこいのチャンスですよね
豊臣方に付いたところでまともな大名クラスの浪人もほとんど居ないし、淀君が居座るんだから
味方する旨味がないような気もしますし
>>605 それは有得ないな。
崩れかかっている幕府を支えることになるし。
豊臣に恩を売っておく方が、
五大老時代に舞い戻る余地が出てくる。
むしろ、幕府の残存勢力は譜代大名で勝手に潰しあってくれていた方がいいのだし、
下手に自分の兵力を消耗させる必要は無い。
毛利がいざと言うときの為に、手駒をこっそり大坂方につかせていた
・・・と言うのが、当時の大坂の陣に対する各大名の視点を如実に物語ってるんじゃないかなぁ
>>606 実際に幕府が崩れるかどうかは微妙だと思いますけどね
幕府が出来てから12年経ってますし
豊臣が今さら天下に号令するような能力もあるとは思えないし
実際問題として伊達とか戦国の生き残りの野望持ちは怪しいですけど
代替わりしていた大名連中が戦国逆戻りを望んでいたかどうか興味はありますね
要は所領の安堵と拡大だろ。
なあ幕府が貧弱であれば越したことは無い。
権威が欲しけりゃ朝廷から官位を頂ければいいし。
豊家は大内の二の舞にならんかねぇ。
秀頼は威厳だけはあったらしいから意外と行けるんじゃね?
>>611 夏の陣でも出馬しなかったのでさすがに浪人衆も呆れてると思いますが
家康、秀忠を討ち果たすと言う無理矢理な状況を体現出来るのは、
大坂方が打てる全ての手を打った時だけだ・・・
つまり、この仮想史の中では秀頼は出馬している
大野兄弟に真田、後藤、長曽我部あたりで天誅を下せばな。
615 :
名無し三等兵:2009/06/28(日) 00:50:27 ID:mY8Wi62K
>>613 そこまでやれば、秀頼は相当な軍事カリスマになっていたと思うが、
一度軍事カリスマが成立すると、みんな流れに飲み込まれて、
秀頼政権が樹立されたかもしれん。
だから形だけでも関ヶ原で三成の挙兵を承認してれば豊臣恩顧の大名の多くは動きが取れなくなったんだ。
家康と三成の私闘ってことにして傍観してれば福島隊が先鋒を務めることもなかっただろうし。
仮定でも動くのが15年遅い。
あと吉川の間抜けが狸親父にまんまと謀られたのは大きいだろ。
狸の腹の中知ってれば積極的に参戦しただろうから東軍の方が先に崩れた可能性も高い。
中国大返しの時もだけど、吉川家には目先のことしか見えない当主が多過ぎないか?
馬鹿は輝元のほうだろ、吉川の講和条件も確認しないで大阪城を明け渡したり
大阪の陣のときにも密かに部下を豊臣に送ったりと大馬鹿じゃないか
まぁ馬鹿だから、痛い目みせておけば潰すまでもない、と手加減されたんだろうけどなw
619 :
歴史好き:2009/06/28(日) 19:45:09 ID:B+rpi3uY
>>613 家康、秀忠が首級を挙げられた後の経過はどうなるんだろう。
徳川本隊は壊滅してるだろうが、大阪方も疲労困憊し、
戦闘続行不能な状態になってるだろう。
大阪城の部隊ははとりあえず帰陣して、再編成、徳川本隊及び譜代衆は
京に引き返し今後の策を練る、桶狭間の例があるから弔い合戦は
必ず行なうだろう。
豊臣系と外様の諸将はとりあえず帰国の上形勢観望か。
621 :
歴史好き:2009/06/28(日) 20:06:32 ID:B+rpi3uY
>>620 豊臣系:七本槍衆 加藤清正、加藤嘉明、福島正則、脇坂安治、片桐且元
(清正以外は存命)
浅野、黒田、蜂須賀等の諸将
>>621 ちょっと皮肉効かせたつもりだったんだけど
その中で今さら豊臣に義理立てするような大名いないでしょ
毛利は起死回生を狙う可能性が無いでもない・・・が、輝元だからなぁ・・・
624 :
歴史好き:2009/06/29(月) 09:19:30 ID:9j+3xzw6
>>622 義理立てはしないが、勝馬には乗るだろう。
>>622 各大名は江戸屋敷に妻子人質で置いてなかったっけ?
豊臣方は局地戦の勝ち組ではあるけどそこから先の能力は未知数だし
福島さんは清正いない以上今更豊臣につくとも思えないし片桐なんて論外
浅野、黒田なんか今更なんの義理もない
626 :
歴史好き:2009/06/29(月) 10:45:20 ID:9j+3xzw6
>>625 人質の妻子は戦国武将の行動に如何なる影響も与えない。われわれとは価値観が
異なる。家康、秀忠が討ち死にする事態は、徳川家の勢力激減と受け取られる
だろう。総大将が討ち死にするのは半端な事じゃない。第一征夷大将軍が不在なら
外様大名に対しての命令権が無くなる、家康の大名に対する命令権」は
初期は秀頼の代官としてのものであり、その後は征夷大将軍の権限に基づいている。
>人質の妻子は戦国武将の行動に如何なる影響も与えない。
この時点で相手する気無くなった
628 :
歴史好き:2009/06/29(月) 14:28:16 ID:9j+3xzw6
>>627 「人質の妻子は戦国武将の行動に如何なる影響も与えない。」
家康、晴信の所業見れば彼らの倫理観わかると思うが。
更に 「武者は犬とも言え、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」(朝倉宗滴)
って台詞もあるよ。現代の価値観で考えるのは、NHKの大河ドラマだけで充分。
家康はわざわざ城落とし、人質交換にまで持ち込んで妻子を取り戻したわけだが。
>>628 論文書くときもそうだけど、自分に都合の良い資料だけ引っ張ってきても説得力ないよ
631 :
名無し三等兵:2009/06/29(月) 15:30:32 ID:Uj9MO0Gr
太閤の恩を忘れた大名を生かしておくわけないだろ
裏切り者は全員潰して浪人衆に恩賞を与える
奥方の実家の力を借りて家中の統制をはかってたりするんだからそうそう無下にもできんでしょ
如何なる影響もとは言いすぎ
戦略的には姫路の池田さえ屈服させれば
西では積極的に動いて豊家と戦う大名もなさそうな予感
636 :
歴史好き:2009/06/29(月) 18:07:03 ID:9j+3xzw6
>>629 家康は取り戻した妻子、あっさりぶっ殺してるよね。
>>634 妻子の情に迷って判断狂わせるような武将は生き残れなかった。
豊臣家が滅亡したのも秀吉のわが子かわいさが原因。
もっとも秀吉は根が武将じゃないから、無理も無いか。
>>635 その観測は正確と思うが、大阪城は池田一族を無事にはおいとかない。
よくて当主の切腹、下手すりゃ一族皆殺し。
>>636 あっさりぶっ殺したとしても、判断や行動に思いっきり影響あったことに違いないわけだが。
迂闊に断言しちゃったのは失敗ですむが、糊塗のために無茶苦茶いうのはただの恥だぞ。
638 :
歴史好き:2009/06/29(月) 18:49:22 ID:9j+3xzw6
>>637 私は戦国武将にとって守りぬくべき価値は家の存続であり、
それに障害があるなら妻子を殺害するのを躊躇しない、又その行動とれない
武将には家之子郎党はついてこない、こう理解してますが。
現代の価値観とは根本的に異なってると思う。
>>638だめだこいつ、何をいわれているのかまったく理解してない。
こんなんだから、家康を例に挙げながら家康が具体的に妻子救助の為にどうしたか、を知らんかったんだろうな。
640 :
名無し三等兵:2009/06/29(月) 20:14:56 ID:Rx9ZsvnD
家康が妻子殺した原因は諸説あってはっきりしない。
てか人質ですらないが。
存続の為に人質を殺したのは武田崩れの時の木曾やら
数は少ないぞ。
てか歴史好きさんに聞きたいのだが、
逆に効果の少ない人質を何故当時の大名達はとったと考える??
そりゃお前・・・いや、これ以上は言えないな (謙信
一定の抑止力と利害関係の調整ではないかな。
前田家は、当主母親人質に出すことで御家の危機脱出したりしているぜ。
ケースバイケースで一般化は困難じゃないか。
>>636 >妻子の情に迷って判断狂わせるような武将は生き残れなかった。
>豊臣家が滅亡したのも秀吉のわが子かわいさが原因。
妻子が影響しないというあなたの理屈と矛盾してるわけだが
例外とか持ち出すなら最初から言い切らない方が良いよ
歴史好き 沈黙確認!!
大久保長安揚げ
もし後藤又兵衛だけではなく毛利、真田が予定通り国分村に到着していればどうなったかな?
隘路で足止めするも、八尾の敗戦で撤退
結局決戦だろうけど、後藤が生きてればだいぶ戦況も変わってきそうだ
>>648 騎馬鉄砲隊で突撃して欲しいけどねw
八尾と道明寺方面では武将のレベルに差がありすぎる気がするんだが
毛利は八尾に回しておくべきだったのでは
ていうか、家康・秀忠が戦死しても、前田、池田、黒田、伊達、上杉、島津等の有力外様が裏切らなければ徳川は持久戦で勝つだろ。
こいつらを裏切りさせるか朝廷を味方に付けないと勝てない。
可能性としては家光を譜代+前田、伊達、黒田、上杉等で担ぎ上げ朝廷から豊臣を朝敵に敵討ちに行くだろ。
他にも大阪を焦土化したり封鎖すれば干上がる。
>>650 >家康・秀忠が戦死しても、前田、池田、黒田、伊達、上杉、島津等の有力外様が裏切らなければ徳川は持久戦で勝つだろ
当時の常識から考えて、それは有得ない。
家康・秀忠が戦死すれば、戦う理由も無く、
無駄に戦費を費やし、自軍を消耗する馬鹿げたことはしない。
彼らには豊臣に勝つ必要性すら無いのだから。
> 前田、池田、黒田、伊達、上杉、島津等の有力外様が裏切らなければ徳川は持久戦で勝つだろ。
池田以外は機会があれば徳川を出し抜こうとする連中に見えるがw
前田には秀忠の娘がいるし越前には松平、近江には井伊がいるから徳川方、上杉は関ケ原で力を失い伊達にやられる可能性が高いから徳川方でしょ。
黒田は大坂を関ケ原で見限り、細川はガラシャを殉教させられてぶちギレてるから無理。
各自が自分の息のかかったものを徳川家の跡継に押して内戦しそうだ
もっとも、移動力というか兵站がしっかりしてるのは前田、黒田、伊達くらいか?
とりあえず家光にするけど後見人、正室、側室は揉める気がする。
大坂の陣の頃は最上はどんな感じだったっけ?
取り潰された直後なら上杉、伊達に分割して両家に最上領を上げれば絶対に裏切らない気がする。
西国大名に対するの門番で、怖い怖いと思われた井伊家が桜田門外の変で主君を討たれてから
幻想が解けたかのようにザコ大名になり徳川もコケにされるようになった幕末の例のように、
大御所が戦場で討たれれば各大名の徳川に対する恐怖心も解けるんじゃないかな。
家康・秀忠戦死後幕府に諸大名を束ねて大坂攻めが出来る人材があったかどうかだね
そだねぇ。やっぱ戦国時代に逆戻りか。
おぃおぃ、そうなると植民地化の危機か????
江戸時代と同じくらい植民地化の危機
662 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 23:47:54 ID:A3Ey4PMC
むしろ諸侯による合議制国家になったりしてなw
>>662 幕末の雄藩連合みたいなやつかw
まぁ実質的指導者と現将軍が江戸、駿府から遠く大坂で死んだら
今と違って情報が錯綜して日本中大混乱だろうね。
とはいえ大名達も長い戦争で嫌になってるから、
穏便に解決するかも。
665 :
名無し三等兵:2009/07/01(水) 01:02:09 ID:VVSsIryM
関が原の戦い後の論功交渉で不満の藩 特に三成が憎く徳川方
に付いた清正 負けた西軍の島津毛利上杉 野心家の黒田官兵
第二次関が原が会っても不思議ではないな。
黒田孝高1604年没
加藤清正1611年没
当時の大筒を防ぐにはどれくらいの壁が必要だったのであろうか
>>667 壁というより、土塁のような衝撃を吸収するタイプの方が有効だな。
西洋でも大砲の性能が上がるにつれて、
煉瓦や石等の城壁よりは、土塁で厚みを増して衝撃を吸収する方向に陣地構築などされている。
>>665 上杉はもうダメだろ。地元越後じゃない上に会津120万石から米沢30万石では。上杉の戦国時代の
強さは地元大好き越後兵のおかげだろ。東北に移った上に武威も落ちてるから。
>>669 越後に残存してた旧上杉派が蜂起して当時の領主を追い出せばいい。
そういう例は幾らでもあるよ。
会津にも上杉シンパはいたかもだし。
周り中から嫌われてた伊達の方がヤバいんじゃね?
>>670 謙信が生きてるなら別だけど景勝にそこまでのカリスマないだろw
つか旧領回復したらそれで満足しちゃうんじゃないか?>上杉家
そこで直江の友愛の心ですよ
>>672 天下より関東平定だもんね、謙信からして。
>>671 斉藤一族とか会津移封のときに土着した連中が多数いて、関ヶ原の時に堀家などを相手にゲリラ戦をしてた
その連中がどれだけ生き残ってるかだけど、大阪の陣のころだと十二分に蜂起するだろうね
上杉家自体は戦術的勝利・戦略的敗北での米沢行きだから謙信時代を知ってる地侍に火種は残ってる気がする
友愛の心さえあれば
国内外から匿名の寄付が山のように集まるからなw
>>674 幕府消滅で「関東管領」の肩書きがなくなった上杉家にそんな枷があるか?
て言うよりそれこそ関東を領有してる梟雄家康を討つのは先代からの理念に叶ってるじゃないか。
>>675 「島原の乱」みたいなモノか?
上杉と内通してたと見なされた段階(いや、腹黒江戸幕府はこじつけるだろう)で
米沢藩が改易だろ。
>>678 前提として有力者家康と現役の征夷大将軍秀忠はこの世にいないことになってるから。
東北では伊達氏に怨み骨髄の連中はウジャウジャいると思うんだよね。
大御所の庇護がなくなった政宗がどこまで持ち堪えられるか楽しみな感じ。
大坂冬の陣
南部、上杉は伊達に遺恨はあるが南部、上杉は他国に侵略する余裕はない。
大坂方の募兵も活発なようだな
しかし、既に詰んでいる
太平洋戦争の日本の絶望感から見ると、あんなの詰んでる内には入らんがな
水野勝成マンセーしようぜ
ことわる
687 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 22:25:55 ID:zmGt8EyN
なんでよ?
wikiで見たけど、どえらい活躍してる
柳生ひろしマンセーがいい
長年ハンタークイズを頑張ったんだからねぎらわないと
徳川四天王亡き後の徳川家の猛将だよね
柳生ひろしがですかw
水野がね
>>675 関ヶ原の上杉は戦術的に勝ってるか?
越後の旧臣も鎮圧されてるし
関ヶ原の時は上杉のしょぼさも三成の敗因の一つだよな
南方作戦を展開するべきだった
>>693 かっこつけんと豊臣家の金に手をつければ勝てたんだよ、勝てばなんとでもいいのがれはできんだから
>>692 関ヶ原の西軍惨敗が伝わるまでは戦術的には勝利してるでしょ
戦略的敗北から撤退戦を余儀なくすることになって犠牲は出したけど撤退戦にも成功してる
上杉的には俺ら勝ってたのに三成負けちゃったよ(´・ω・`)感は強いと思われる
南方作戦は微妙なラインだな
謙信だと残存兵力に迂回しての夜襲で殲滅そのあと江戸城包囲くらいやったかもしれんが
おまいら平坦を(ry
夏の陣の頃の徳川旗本は情けないって言われるけど実際はどうなんだろう?
善戦して戦死した旗本も多かったらしいけどね
>>696 謙信って何でも出来ちゃいそうな気がしちゃうけど、
野戦は超絶上手いが攻城戦はそれほどでも
攻城戦得意な武将って知らんなぁ…。
敢えて言えば、水攻めとか、兵糧攻めとかやる秀吉かなぁ。
その秀吉でも吉岡定勝とかに大敗してる事もあるからな>攻城戦
まあ最後には城落としたんだけど
>>701 謙信は野戦強過ぎるから殆ど誰も挑まないんだもん。
信玄は例外中の例外じゃないか?
じつは攻城戦は失敗例のほうが多いらしい。
内通がなきゃ籠ってればいいだけからね
落城の原因の大半が内通だってさ。
709 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 19:10:39 ID:xSHZaLnD
城攻めで苦戦したことない武将のほうが珍しい
>>702 文句なしに攻城戦が得意と言える実績があるが評価されてない武将
武田勝頼
勝頼、益子氏とかに負けてるけどな
そりゃ攻城戦じゃないだろ
>>710 信玄が落とせなかった高天神城を割と易々と落としたからかな。でも、長篠城を落とせていれば設楽が原は
なかったかもねぇ。
せめて吉川元春が関が原の時生きていたら・・・
長篠城攻略できなかったのこそ致命傷だった
長篠城は落としかけてた
ただ後詰めが予想以上の早さで到着したのが誤算
戦争の戦略では負けだが攻城戦という戦術では負けてない
後詰を気にせず攻城戦続けて落とせばよかったのにね。武田相手に野戦はかける自信は
織田軍にはないだろうし。徳川は別だが。
信濃から列車砲移送してでも早期に落としておくべきだった
田代砲ぢゃなかった、高坂(香坂)砲か?
織田勢は野戦陣地構築して待ち構えてたわけで、放っておくのが正解といえば正解だったかも知れない
だが多数の織田勢を野戦に引っ張り出して決戦で粉砕ってのが元々の勝頼の目論見だったんだろうし
数が勝る相手に籠城戦陣地戦じゃ、長期戦出来ない武田に勝ち目がないから
国力考えると元から帝国海軍がアメリカに喧嘩売ったくらい無茶だったのかも
山中城はガチの力攻めで落とされた城と言えるんだっけ?
5000もの城兵が配された城を数日で攻め落とすとは流石は豊臣の物量と言わざるを得ない
>>720 それでも長篠城は片付けておくべきだったと思う
山中城は改修中だったんじゃなかったか
どこか不完全だったんじゃね
島津は野戦の鬼で海でもつおいけど攻城戦は得意じゃないな
一方首里城に立て篭もった日本軍は、僅か6日で撤退を余儀なくされた
大砲だけでもヤバいのに、飛行機のある時代に城は意味ないってw
フエ
>>720 諏訪の子勝頼には拡大政策は必須だったから・・・
まぁ戦国大名なら拡大政策取らないとどうにもならんけど、武田勝頼は
相続の正当性に?がいっぱい付くから尚更ね。
>>724 その前哨戦でのシュガーローフ等の戦闘では、
反斜面陣地による遅滞戦闘に成功して、
米軍に出血を強いているが?
729 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 08:24:45 ID:3XWx+hGd
信長は武田だけは許さんかったろうから、最初から運命が決まっていた勝頼カワイソス
軍板の住人は軍事には詳しいけど
戦国に関しては結構通説とか信じてるね
戦国板の住人が軍事に詳しくないのと同じw
なるほど納得
>>696 冬戦争の時のソ連のように
敵兵の戦力差にしては犠牲が多すぎるがな
南方作戦なら佐竹も明白に味方に立つだろ
735 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 10:25:19 ID:jJVXNnLZ
>>706 失敗の原因としてはこんな感じ?
戦国時代までのたいていの大名の力では攻める側が長期間の補給や動員の
維持ができずに体力切れで失敗。
もしくは大砲とか破城鎚などの攻城用の兵器が普及してなかったので力攻めも
上手くいかず。
防衛側の多方面との連携を阻止するだけの兵力が用意できず。
>>735 てゆか戦争が出稼ぎ(国内の食糧消費を減らすのも含め)みたいな感覚だからわざわざ苦労してまで落とす必要性があまりなかったとか
737 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 12:52:31 ID:jJVXNnLZ
攻める側としては城を落とさなくても青田刈り、刈り払い、略奪、焼き払い
やってさっさと逃げるで相手側にそれなりの損害を与えられるのでOKなんかな。
738 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 13:38:08 ID:ReuTWljP
あらいざらい略奪して収益上がればオケ。
>>730 槍で「突いて」刀で「斬る」と思っている奴多いからな・・・
いつになったら日本人は戦国時代合戦場で
鎗は「叩くもの」槍が折れちゃった最後の最後しか使わないけど肉厚で切れない刀は「兜や鎧の上から叩くもの」
騎馬隊は移動・輸送のもので「馬から下りて戦うもの」って理解してくれないかなー('A`)
>>737 「いやなら味方になれ」だしね
だから弱小勢力はあっちついたりこっちついたりする
>>739 「馬から下りて戦うもの」
は鈴木氏が書いた俗説もいいところで。。。
742 :
名無し三等兵:2009/07/12(日) 16:36:47 ID:7rxXyAtO
時代劇でサラブレッド使うの止めて欲しい
大阪の陣の話はどこへいったんだよw
素直に幕府のいうとおり大和国に行っていたらどうなっただろうか?
都度都度嫌がらせをうけ、石高を減らしつつも明治まで持ったのでは
ないだろうか?
大坂陣時なら下馬戦闘が一般化していたけどね
>>743 伊達政宗あたりは秀頼の生きる展望はそれしかないとみていたようだね。
確かにそれしかないだろう。
>>744 何をもって一般化したかどうかは分からんが
騎乗戦闘の練習を描写されていたり、騎乗突撃の描写が信長公記にもありますがな。
雑兵物語にも騎馬武者が集団で敵陣に乗り入れしたなんてあったり
完璧に廃れたわけではないだろ。
もっとも雑兵物語には最近 余り見ることはなかったけど
と前置きされているので頻度は減っていたのは確かだろうが。
あと近藤氏の著作にも軍記物の描写を比べて下馬戦闘の頻度が上がった事に注目しているが
完璧になくなった訳ではない。
>>744は何を基に一般化したといっているんだ??
>>746 雑兵物語
最近はとんと見ない騎馬突撃があったとある
甲陽軍鑑も成立時期が江戸初期とするとその想定戦場は大坂陣を
念頭に置いていると言える
>>748 大和国ならまあ畿内だし、石高もそこそこあるしねぇ・・・
だけど豊臣家のていたらくだと比較的早い段階で徳川系の養子を
入れられて実質乗っ取られていたような気もする。
>>749 秀頼は命をまっとうできればよしとしないとね。
>>741 組織的に騎馬戦闘を日本で行った実例を挙げてくれ。
片桐勝旦は
他国に移るのは下策
大坂はそのままで秀頼夫妻が江戸に住むが中策
大坂に秀頼夫妻は残って淀君が江戸に住むが上策
と進言しているね
領地を失った秀頼が子孫を残したとして、豊臣家は高家になれただろうか?
織田だってショボい扱いしか受けれなかったわけで
ショボいと言っても将軍の母だし。
>>753 秀頼は読書と歌詠みが好きだったようだよw
>>751 組織的かどうかは別として前述したとおり
信長公記に訓練らしき描写と長篠での突撃の様が書かれている。
カラコールってやつだ
因みに鈴木氏が騎馬突撃は存在しないでよく引用する宣教師ルイスさんの証言
「武士階級の食生活は、どの階級よりも質素である。
多くは菜食主義で、下は雑兵といわれる足軽から大名に至る迄、少食・粗食であった。
また着ている物も、普段は木綿の粗衣であったがヨーロッパ人に比べ暑さや寒さに強かった。
武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった」
豊臣家は公家みたいな感じで残すのが一番いいと思う
五摂関家と同じくらいの地位で
豊臣家入れて六摂関家
大坂の陣の後、幕府に対抗できる組織が無くなると
各大名に難癖つけまくって改易しまくった徳川がまして豊臣を生かすとは思えんわ
>>761 最初から滅ぼす気なら千姫嫁がせたりせんだろう。
>>762 割と信憑性は高いといわれてるが一次資料ではないな
>>762 矛盾点や疑問点もあるけどPともな部類の資料です
>>766 川中島あたりに領地もらってなかったか?
>>762 雑兵物語より信頼性は高いだろ。
鈴木信者はこんなんばっかだな。
>>770 まぁ そう怒るなよ。
鈴木氏の本は通説をひっくり返すような事を
本当のように書くから、資料を読まない読めない人は引っかかるんだわ。
自分も卒論で資料を漁るまで結構信じてたし。
>>772 前田なんかは生き残ったよ。
上杉も削られまくりながらも生き残った。
学問に専念していれば大丈夫だよ。
5000石くらいには削られるかもしれんがw
>>773 前田や上杉なんかに比べて豊家は影響力が大きすぎるからなぁ
淀殿もあんなんだし。
>>774 別のところでやれ。
「神君」家康公を臣下にしてた家柄の子孫を徳川家がいつまでも存続させるはずがないと思う。
それこそ改易を命じられたら「天下人」秀吉の子孫ならどうするべきか? ってことになる。
史実通りの大坂の陣がなかったとしても、家光辺りの時代に難癖つけられて島原の乱の代わりに「江戸時代最後の内乱」てなことになってたかと。
家康、秀忠、家光三代の酷薄さは半端ないからね。
家光の代で真面目に軍役を担おうとする大名はいるかな?
島原の乱の参加した諸大名の体たらくを考えると。
むしろ豊臣と徳川の大戦ならば、豊臣側の計略が生きて来る。
>>777 キミの考える「豊臣と徳川の大戦」を披露して欲しいな。
>>777 家光の代になって秀吉の恩義に報いようとする大名はいないだろうね。
ヨボヨボで指揮どころじゃないか、死んでるよ。
大坂の陣の話はどこへいったんだよ
>>781 豊臣家の存続というテーマは大坂の陣に関係しているとおもうけど?
さて、兵站の話をしようか
足りぬ足りぬは工夫が足りぬ
教えてあげませんw
いつになったら日本人は戦国時代合戦場で
鎗は「叩くもの」槍が折れちゃった最後の最後しか使わないけど肉厚で切れない刀は「兜や鎧の上から叩くもの」
騎馬隊は移動・輸送のもので「馬から下りて戦うもの」って理解してくれないかなー('A`)
あふぉばっかでつね
藤堂さんのことも思い出してあげてください
孤立する大阪方 入念な多数派工作
戦略の側面での包囲
>>786 これコピペになったのか
半可通な厨房臭さが出ていて良いね
>>788 豊臣の味方をすることと打算の関係がわからないよ。
領地でも増えるのかよw。それとも戦国時代に逆行させてそこから再天下統一かw?
領地は期待できるだろ
徳川家を潰せたら豊臣家とは比べ物にならないくらいの領地が浮くからね。
将軍の直轄地と親藩・譜代大名、それに外様で徳川に付いた連中の領地合計したら広大な領地が再分配されるだろうね。
秀頼が討死に覚悟で出陣してたら展開も少しは違ったかな。
戦場に太閤秀吉以来の千成瓢箪が翻るってシチュは本当に燃えるな。
しかし 実際出た所であの一戦で家康討ち取れぬとジリ貧だったろうけど。。。
>>797 秀頼も倉庫で死ぬときに出陣しとけば良かったって思っただろうな
大坂の陣の時の徳川将軍家の石高は知らないが、
江戸時代で幕藩体制が確立した時代において、
徳川将軍家の石高は約700万石(その内、約半分は旗本・御家人の知行・扶持)。
関が原の時の家康の石高255万石から考えると、
豊臣家の蔵入り地から簒奪したのが多いよな。
そもそも秀吉は、255万石のまま家康放置していたのが問題だが。
関東に追いやっても開墾されたら意味ないし。
800get!
801 :
歴史好き:2009/07/27(月) 17:52:46 ID:XKJkScjp
>>799 豊臣家は天運に恵まれなかっただけ、秀吉より先に家康が死亡していれば、
徳川領は確実に3〜4家に分割されていた。
>>801 後継者を抹殺したり遠方に追いやったりして、天運に恵まれない?
>>801 家康は健康維持に気を配っていた
彼はそれなりの天運しかなかったが、その分を実力で覆した
まぁ家康は臣従してからは従順だったから。
とは言え、律義者だが信長の死後の行動は野望丸出しだったことを思えば
後顧の憂いを立つ為、難癖つけて始末すべきだった。
>>804 難癖はさんざん付けられたろ?
耐えに耐えただろ?
切れてしまった誰かと違ってねw
国家安康クラスの理不尽なのを突きつけて
国替え要求すべきだったか
開き直られるとやっかいなんで、なかなかそうもいかなかったんだろ。小牧・長久手で痛い目にも
あってるし。
体よく関東に飛ばしたとは言え、一応あれは北条攻めの恩賞で加増って形だから
250万石が相手では怖いw
家康を奥州に飛ばすか?
>>803 医学を熱心に学んで自身も医者並の知識を手に入れてたらしいよね
そして、最期の時は逆にそれが仇になって医者の言うことを受け入れようとせず死亡
>>813 別に聞いても変わりないと思うよ末期癌だし
あれは素人がある意味、プロより優れているという事実を
何とか誤魔化したい、御医者様の詭弁
小牧・長久手では、戦略的には秀吉の勝利なんだから、
石高くらいはいくらか減俸させていた方が良かった。
永年武田に痛い目見て学習してきた徳川相手に遭遇戦では勝ち目ないだろ。
>>815 豊臣方のアホが大群で堂々奇襲をやろうとして各個撃破されたから
そんなことをしようとすると戦術で戦略を覆した事例になるだけかと
1万石まで減らせばいいよ
>>818 >堂々奇襲
日本語おかしいぞ。
奇襲は密かにやるものであって堂々とやるもんじゃない。
小牧・長久手はもっと能力のある武将を起用すべきだった。
秀次だの何だの血気に逸って戦略が分かってないのが攻勢に出てるんだから。
>>818 長久手という局地戦闘で敗北しただけじゃないかw
大局的に見れば秀吉側が優位に進めている。
家康もあのまま戦ってもジリ貧だったのは間違いないが、
秀吉は雑賀衆、長宗我部、佐々と周辺に敵がいたからね。
あと九州からは島津の魔手から救ってくれのSOS。
お陰で何だかんだ言っても話が通じる徳川に戦力を裂けなかったのが真相じゃね。
大坂の陣
秀頼が国替え承知してたら無傷の大坂城はどうなるの?
>>820 日本語がおかしいんじゃなくて、豊臣方の奇襲がおかしかった
持久戦の最中に2万の軍勢で後背にまわって奇襲をかけようとしたんだが
あっさり家康に見破られて各個撃破されてる
進軍してる連中は奇襲のつもりで徳川方に見つかってないと思ってたところを逆に奇襲されて各個撃破されたんで
堂々と奇襲とし言いようがない
伊賀者か
>>825 2万で敵に知られずに迂回しようとか、小さな城一つを総攻めにしたり、落城後首実検したり、
と自分がなにをしようとしているのかを理解できない池田はw
後方に進出さえ出来れば家康チンダブルピンチ状態なのに勿体ねーよな
池田は悪くない
悪いのは碌に周辺を捜索しなかった秀次と
小牧山から軍勢が出た事を知らせなかった秀吉
小牧長久手では池田恒興が攻勢に拘った。
一応織田家中では同格みたいなもんだったから秀吉も無碍には出来ず、一応総大将格として秀次をつけてやった。
結果徳川勢に撃破されて敗北の印象が強くなった。
もっと時間の余裕があれば徳川を再起不能なくらいまで追い詰められたと思うよ。
諸事情によってそれが出来なかったので信雄を懐柔して戦役を終わらせた。
結局それが後々豊家の滅亡を招いたんだからなー。
>>830 中入りは秀吉の策である可能性が最近は高いとされています
>>831 クレクレですまんがソースを教えてくれ。興味がある。
長久手町史、本文編より
4月8日付け、丹羽長秀宛への秀吉の書状にはこの作戦の目的と経過が述べられている
ここでは九鬼水軍も動員した作戦とあり、またこの作戦で家康を包囲・殲滅するとあり、
秀吉自身もかなり意気込んだ作戦である事が見て取れる
またフロイスも秀吉が迂回路の土豪が調略に応じたので、作戦を実行したとある
もっとも、その土豪の行動は家康の指示とあるが
また、これまで通説の池田の立案と秀吉の消極的な態度は甫庵太閤記が初出で、
細川家記には池田の発案とあるが秀吉がこれに反対したという話は無い
よってあったとしてもそれは池田の発案で、秀吉がこれに反対したとあるのは
後世の作であろう
834 :
832:2009/07/31(金) 17:37:08 ID:???
>>834 長久手町史にあるのは一番上のだけどね
後は、長久手町史の資料編を読んで自分なりに感じた事や
学研M文庫の「日本戦史」を読んで書いてあった事を列挙した
秀吉が「何が何でも徳川殲滅」って方針だったら幾ら家康でも屈服しただろ。
毛利並みに領地削られて何とか存続ってことになったかも知れない。
石高で三成と同程度だったら一門と譜代以外は家康につかなかったんじゃないか?
計算高い政宗なんか特に。
age
徳川領での火薬というか硝石生産量なんてたかが知れてる
硝石で縛ってジリ貧に持ち込むのが良かったとは思うけどな
朝鮮に改易っつうのは大技すぎか
839 :
歴史好き:2009/08/06(木) 11:54:26 ID:PaEHw91M
>>838 秀吉の挑戦征伐が成功していれば、家康は今日の中朝国境あたりに移封されて、
朝鮮人ゲリラと死闘させられてたかも知れない。
家康は挑戦征伐に一兵も出してなかったよな。
うまく逃れたもんだな。
家康まで渡海したら国内は誰が守るんだ?
>>840 出してくれ出してくれとゴネたが、秀吉が認めなかった。
そもそも家康の勢力を(朝鮮を手に入れた他の大名と比べ)比較的小さくするのが目的だったと言う説もある>唐入り
もしそう言う目的が実際にあって、それに勘付いてたら家康は"マズい"と思ってただろうよ
まぁ家康を日本に置いて、家康抑えに前田まで置いておくなんて事しなけりゃ、
唐入りは無理でも朝鮮くらいは支配下に置けたかもだが
>>842 家康としては行きたかったわけね…。
でも結局、徳川としては行かなくて良かったんだよな。
>>842 箱根は誰が守るのだという逸話があるが…
征明の話が家康に来た時に、本多正信が家康にどうするかを何度も聞いた時の返答
これを聞いて正信は家康が渡海する気が無いと判断したとか
朝鮮出兵は結果的に戦場派(軍人)と後方派(官僚)の懸隔を大きくするだけの結果しか生まなかったよなあ。
太閤殿下がもし気付いてたなら両方の有力者を呼んで和解の宴でも開けばね。
当然「以後私的な争いはしない」って宣誓させる。
849 :
名無し三等兵:2009/08/09(日) 07:42:33 ID:WsklCGve
こないだテレビで言ってたけど太閤さんは脚気持ちだった疑いがあるそうだ。
脚気の症状が出てきたころから処刑をバンバンやりだしたとか。
殺生関白秀次が関白のままだったら、関東公方をぶっ潰した万人恐怖の人みたいに
徳川をぶっ潰したと思うよ。
>>848 みつなりんは、前線に出て重傷負ってるのに、、、カワイソス
むしろ、福島正則の方が朝鮮征伐で目立った活躍はしていない。
石田三成は補給線の構築に活躍しているし、
>>851の言うように前線に出て負傷するにまでなって活躍している。
853 :
名無し三等兵:2009/08/09(日) 17:23:45 ID:BbqRbwWT
全部秀吉が悪い、豊臣が滅んで三成も浮かばれただろう
まぁ実際の所は武断派と官僚派ではなく
末期武田とかでも見られたように、近江派とかの地方派閥の確執だろうね〜
前田・徳川・秀吉本隊に至るまで全部朝鮮に注ぎ込んで半島制圧
明との国境線に徳川を移封・・・とかw
朝鮮幕府ができるわけか・・・
伊達とか最上のあたりに徳川を再度移封とか
そこまで秀吉は家康に強権を発揮できないからなぁ
秀次ならきっとできたよ。
秀頼が生まれたとき、秀次を関白に征夷大将軍を兼務させて、朝鮮へ渡海させたら良かったんだよ。
総大将 秀次 副将 家康 政宗 の主力部隊を後詰させれば朝鮮は取れただろう。
秀吉の息子と言えば、何人もいた「羽柴秀勝」がみんな早死にしたのが痛いよな。
この辺は割りとまともだったのに。
それに、せめて大和大納言秀長に息子がいれば、、、
秀勝シリーズは構造上の欠陥があったからね
福島正則は大坂の陣に親族を大坂方で従軍させてるのが精一杯の抵抗だったんだろな。
本来なら本人が出陣すべきだし、三成や小西行長、安国寺恵瓊の墓前で頭下げるべきだった。
>>861 秀長には息子がいたよ。家督を次いですぐに死んだけど。秀保
生前から甥を養子にしていた。ちゃんとした跡継ぎ。
藤堂高虎など優秀な家老も多い。大和、紀伊、和泉の116万石の大大名。
豊臣政権が長続きするには秀勝シリーズの成功が不可避。
ファーストチルドレンは文句無く秀吉の実子なんだし成長すれば無問題。
セカンドチルドレンは主君信長の実子4男。文句無き血統だね。
サードチルドレンはお市の次女お江と結婚していた。
生まれたのが女でなく男なら豊臣家を相続しただろう。
もし秀吉と淀に娘が生まれ秀勝の息子と婚姻(いとこ同士)すれば磐石。
ただ織田信秀(信長の父)のインブリードがきつすぎるけど。
>>866 秀頼×お江の娘(千姫ではなく)ではだめなのか
>>867 織田家のインブリードは同じだけど徳川が混ざる分脚部不安が心配。
>>870 脚部不安=競走馬の性質で血統は良くても使い減りしやすく故障しやすい性質。
転じて外戚による干渉が絶えず政権が骨抜きにされ易い意。
南進論をとなえて台湾経由で大陸進出を言い出す奴は1590年代に居なかったのか
そういえばのぶっちーは宣教師に警戒されてたな。
日本から比島の総督に手紙が出されてた。
カリフォルニアとか、豊かな空き地があったのにな。
秀吉のガッチリハワイ、北米侵攻作戦
なぜ朝鮮に行ったのか
877 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 02:48:10 ID:7WwbeBWn
>>864 朝廷が止めたのは関白秀次ではなく太閤秀吉の渡海ではなかったっけ?
しかも勅命ではなく「あなたが行くと国が混乱します」というむしろ秀吉を気遣った止め方
秀次の官職を関白にしたのが失敗だね。
官職が征夷大将軍ならちょうど朝鮮征伐の指揮官に適任だったのに。
秀次の補佐役に家康を副将軍に任じ朝鮮征伐させれば一石二鳥だった。
家康には副将軍職は魅力だし、秀次を取り込めれば秀吉亡き後やり易い。
>>878 秀吉自身が征夷大将軍を志向しなかった(或いは出来なかった)のに親類の秀次をそこに押し込めるのか?
やるなら奇手として皇族将軍を立ててその下に補佐役(家康なり誰なり)をつければいい。
護良親王の前例もあることだし。
当然皇族自身は肥前名護屋にいて渡海しない。
朝廷にも家計図捏造して申請したけど流石に却下されたなw
結局藤原の末裔になったけど。
秀次を征夷大将軍にして唐入りの総大将に、か。
本来の征夷大将軍の仕事ですね。
秀吉なら出来たかも。何せ関白だし。将軍なんかよりずっと偉い。
その征夷大将軍で15代続いたわけだが…
>>880-881 そんな小細工しなくても、秀吉ほどの英雄なら普通に根回しさえしてれば
戦国乱世を収めた功績ということで征夷大将軍の位などくれるだろうにw
草履取りから天下人になったのを誇って良いと思うのだが
出自にコンプレックスがあったのかねぇ
秀吉がいなかったら時代小説で書くと怒られるレベルの夢物語なのに
源氏や皇族、摂関家じゃなきゃ将軍になれないルール、なんてよく考えたら無いもんな。
その辺こそが日本史の最大の味なワケで・・・
武士の時代になっても、形の上では最後まで天皇家や公家に頭を下げ続ける武士達・・・
秀吉の場合は武家ですらなかったか
なんで天皇家や公家はそんなに強いんだ?
古い家系だからか?
源氏や平家も元を辿れば天皇家だよな。
何故か日本は不可侵な領域として朝廷があるよな。
戦国期にも庶民らが天皇を敬ったという宣教師の報告もあるし
なんか、やんごとなき方々なんだよ皇室
良く日本の天皇家に対する扱いが理解できないと西洋人は言うが、
ローマ法王の勢力矮小版だよなぁ・・・要するに
ローマ法王は一代限りだからなぁ。
天皇家の場合、万世一系の血筋重視だよな。
公家の場合は養子があるから…。
天皇が高天原の意を受けて葦原の中つ国を統治するのと同様にローマ司教はペテロの後継者にしてイエスの代理人として共に「聖界」の管理人となった。
非公式だけど息子に教皇位を継承させた人物もいたと思ったな。
秀吉が征夷大将軍に就任するなら小田原北條氏を滅ぼした時しかいいタイミングなかっただろ。
それに秀吉は結局「武家の棟梁」と見做されてなかったんじゃないか?
傀儡の将軍を立てるのが一番上手い遣り口だと思うけどね。
秀吉は関白になって天下人になってるので将軍になる必要は無いよ。
関白職を世襲できてれば豊臣関白府が出来たよ。
でも秀次殺しちゃって秀頼成人前に太閤死んじゃって全部おじゃんだよ。
>>882 中華に攻め込んで来る東夷の大将が、征夷大将軍ってどんなギャグだよ。
>>895 いや、日本側では自分らのこと東夷と思ってないから
征夷大将軍ってそんなに高位の官職じゃ無いしね。源氏だけだろ有難がるの。
関白の上って最早「天皇」「上皇」「法皇」しかいないんだから位人臣上は無敵。
秀吉が家康を征夷大将軍に任じて朝鮮征伐を天皇の名の下に勅命を出せばいいだけだろ。
家康も征夷大将軍に奉り上げられれば生半可な事は出来ないし誤魔化せない。
「正弐位征夷大将軍「源家康」朝廷に隷属せぬ朝鮮と明を懲罰せよ」って勅命出せば
さすがの家康も損得抜きでボロボロになるまで戦うしかない。
失敗すれば死罪に問えるし、成功すれば朝鮮へ転封して朝鮮幕府を開府させれば良い。
従順にボロボロになるまで戦うよりは叛乱した方がいくらかましじゃないか。
>>897 案外上手く成敗しちゃうとか、下手したら明・朝鮮と連んでトンでもないことを
おっぱじめたりしないか?>家康
そもそも秀吉は勝つ気満々だったのに罰ゲーム的に家康を朝鮮に送り込むとかいう
発想はないよ。逆に中国皇帝に家康がなっちゃマズイとか考えるでしょ。
>>899 秀吉が欲しいのは大明であり朝鮮くらいは家康にあげても良いと思うんじゃないの?
>>897 >朝廷に隷属せぬ朝鮮と明を懲罰せよ
そもそも朝鮮と明に日本に隷属せよって文書だしたのか
徳川を征夷大将軍にして蝦夷送りっていう手もあるか
伊達のあたりが煩そうだが
>>901 朝鮮にはたしか書類は出してたはず。明を攻めるから案内を務めろとか書いて。
904 :
901:2009/08/20(木) 18:45:19 ID:???
>>903 サンクス
いきなり案内しろとかって文書送るのも何か高飛車だな〜
俺の気のせいか
秀吉の書いた高圧的な書面を対馬の宗氏が柔かく翻訳して伝えてたはず。
明との和議交渉でも小西行長らが柔かく翻訳して交渉してたし。
柔らかくし過ぎてかえって侮られても困るよな。
>>900 伏見城とか名護屋城あたりから家康をリモートコントロール出来ると秀吉が思うわけないじゃん。
明国を秀吉に差し出し朝鮮をおとなしく貰う家康だと秀吉が信じるわけないでしょ。
>>902 蝦夷地・・・って関八州の換わりにならないじゃん。
朝鮮には徳川系の大名だけ出兵させて、制圧に成功したら朝鮮王に封じる。
失敗したら移封で更に僻地に追いやる。
当然大明国を征服するのは秀吉子飼いの連中。
もし必要なら華北は後金に任せて、華中から南の肥沃な地域をそっくり頂く。
てなことが出来たらなー。
秀吉的な領土分配構想
咸鏡道、江原道、平安道、黄海道、慈江道、両江道以上6道を徳川へ
京畿道、忠清道、全羅道、慶尚道以上4道を毛利へ
済州島、釜山港は豊臣直轄。
徳川の旧領は前田、毛利の旧領は宇喜多を転封。
前田利家が長生きしてたらどうなっただろうね。
彼には天下を取りたいっていう野望はなかったんだろうか。
家康を征夷大将軍に任命ってそりゃ危険すぎる
征夷大将軍が凄いのは官位じゃなくてその権限
元々は平泉やら蝦夷を討伐する為に作られた位だけど
兵を統率しやすいように武家の棟梁と言う名目を与えた
その名目を思いっきり拡大解釈して鎌倉幕府を作り出したのが頼朝
家康は源氏長者でもあるので有力大名にとっちゃ立場上関白の発言より重い
後の江戸幕府はこの権限を更に拡大解釈して
市民の法律や武家の法律や公家の法律や朝廷や天皇家への法律を作り
関白の任命権や宗教施設の管理や領土の内政権や税制の取り締まりや
他家の参勤交代や取り潰しや国内外の貿易権や全国の主要都市金山銀山の支配や
上げだしたら限が無いほど、もう手の付けられない存在になった
912 :
歴史好き:2009/08/22(土) 11:42:04 ID:SWZ4RutU
>>911 江戸幕府は朝廷を形骸化し実質上日本の君主となったが、
権威の面では朝廷には歯が立たなかった。各大名の官位
なんてその典型、浅野内匠頭の内匠頭なんて朝廷の調度品
作る職人の棟梁の事だよ、こんな官位有難がってんだから。
朝廷温存せざるをえなっかたのが、幕府の命取り。
倒幕されるのは250年も後の外国の圧力だから
何が幕府の命取りか分からないけど
その頃は徳川家と天皇家は親戚関係だよ
現代で例えるなら幕府はEUで朝廷はバチカン
利家が長生きしてたら家康が先にくたばらない限りは史実。
最悪は利家と家康が同時に死亡だな。
家康が先に死んだら?
既に将軍職は息子に譲ってるので天下が動く事は無いと思われ
ただし豊臣家は織田家みたいに小大名で生き残れたかも
でも家光は敵味方問わず改易しまくり幕府強くしすぎなので
その頃にはもう何の権限も無くなってるだろうな
淀殿が黙っちゃいまい
>>915 そうしたら利家が何年生きるかによるが神聖ローマ帝国もしくはハプスブルグ帝国みたくなりそう。
家康、利家が同時に死亡すると伊達や島津はやらかしそう。
こいつらは朝廷が仲介でもしない限りは押さえる人物がいないと厳しい。
伊達・最上連合を上杉だけでは厳しい。
島津なんて九州に黒田や細川が大藩でいない限り厳しい。
さらにどさくさ紛れに真田親子もやらかしそう。
利家は戦死じゃなくて寿命だから
その仮定はもしドラエモンが居たらぐらい無意味すぎる
胆嚢癌だとすれば、発症するか否かは丁半博打なんだから・・・
60歳は寿命と考えるには些か短い
>>913 ペルリが来る前から朝廷の権威は徐々に復活してたよ。
徳川家のおかげで。
60歳て当時の平均寿命超え取るがな
まぁドラエモンが居たらいいな
>>922 平均寿命は意味が無いぞ。
栄養状態のよい支配層は当時でも長生きしてる。
50歳以上まで生きた支配層の平均余命は15年程度。
理論上は70歳くらいまでは生きられるはず。
あのままいくと秀頼が元服と同時に関白に推薦されるだろうから
そこまで生きれば利家公大勝利
そう言えば朝廷の与える官位ってどういう基準で与えられたんだ?
秀吉が三成や大谷はじめとする武将に与えた官位は正当なものだろうけど
松永久秀の弾正の官位なんて、ちゃんとした手続き踏んで与えられたものじゃないよな
秀頼に取って代わろうとか利家は考えなかったんだろうか
>>922 江戸時代の平均寿命を下げていたのは子供の内に死ぬ人が多かったから。
>>924 それじゃ「加賀100万石」にはなれないよw
はっきり言っちゃえば、石田三成が蜂起しなければ関白になれたとおもう>秀頼。
徳川の傀儡でよければね。
景勝が上洛に応じて会津征伐の口実が無くなれば関が原は起きない。
ますます家康の力が増すだろうけど豊臣政権の筆頭大老としての地位のまま。
せめて後10年我慢して家康が他界するか秀頼が元服するまで雌伏していれば
歴史は大きく変わったと思う。
>>929 石田との「私闘」である関ヶ原の後にすぐ江戸幕府を開い
ちゃってるからなぁ・・
あれは豊臣が朝廷に仲立ちしたわけじゃないよね?
>>929 違う「口実」作りに励むだけじゃないの?>家康。
前田相手で失敗したから次は上杉討伐でしょ。上杉がうまくいかなかったら
島津でも毛利でも伊達でも佐竹でも色んなところで口実作るだけ。
>>930 関が原を制して事実上の天下人になった家康に朝廷がなびいただけだよ。
豊臣政権の大老という立場より朝臣としての立場を優先しただけ。
伊達には策略は通じない。
上杉が従ったらおそらく毛利を潰すだろ。
まぁ上杉があのまま残ったら多少は違う歴史になってたね。
利家が没して最大の障害がなくなった時点で家康は天下獲り考えてたろ。
三成は豊家の未来を閉ざすか徳川を潰すかの賭けに出て負けたんだろ。
大坂城がその賭けの意味を理解してれば関ヶ原で家康を葬れた。
結局秀頼に西軍の味方をさせなかったことと、豊臣恩顧の加藤、福島辺りを取り込めなかったことが15年後の豊家滅亡を決定づけたと言っても過言ではない。
小早川といい、吉川といい、毛利の分家が変な動きしなけりゃねー。
>>934 アホの秀俊を小早川家に押し付けた時点で豊臣には死亡フラグが・・・
毛利一門でももっとも豊臣サイドの小早川家が暗愚では味方としてどうよ。
金吾はアホだけど勇猛な若武者だぞ!
自分がしでかした事の意味をわかって悩んで発狂して死ぬくらいの知恵もあるぞ!
母子どんぶりの鬼畜秀次。アホで有名な秀俊。サディストな秀保。ろくな甥がいないな秀吉には。w
豊臣が負けたからそう伝えられてるんではなくてか?
空海
伝教大師
弘法大師
慈眼大師
何でいきなり坊さんの名前が出てんのか教えて。
>>946 いや、単純に埋めようと思って。
次スレあるからさ。
948 :
捕捉:2009/08/26(水) 08:11:11 ID:???
つか弘法大師は高野山、伝教大師は比叡山、慈眼大師は
天海だから何となく関係あるかと思ってさ。
>>945 サンクス
949 :
歴史好き:2009/08/26(水) 09:39:21 ID:mPN56u11
>>948 空海、最澄と天海じゃ格が違うと思うけど。
円空
親鸞
>>949 それは分かってるさ。
単に思い出したのが天海だっただけ。
天海は空海や最澄に業績で及ぶべくもない。
お大師様といったら弘法大師だし、最澄は比叡山を開いたからな。
天海が建てたのは東叡山寛永寺か。
それに空海・最澄は中国に留学したんじゃなかったか?
慈覚(円仁)大師
智証(円珍)大師
蓮如
慈摂(真盛)大師
道興(実慧)大師
法光(真雅)大師
本覚(益信)大師
理源(聖宝)大師
慧灯(蓮如)大師
興教
月輪大師
承陽(道元)大師
常済大師
無相(関山)大師
微妙(宗弼)大師
円明(元選)大師
円光(源空)大師
聖応(良忍)大師
円照(一遍)大師
真空(隠元)大師
立正(日蓮)大師
以上24名!
行基
顕如
一休宗純
快川紹喜
ここは坊主めくりスレか!
ディオゲネス
徳川家康
徳川秀忠
大谷光瑞
徳川家光
蝉丸
徳川家綱
良寛和尚
徳川綱吉
徳川家宣
文観
道鏡
徳川家継
徳川吉宗
真空大師
パドマサンバヴァ
徳川家重
徳川家治
1001 :
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