あなたのおじい様の戦争体験を教えて その20

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1名無し三等兵
前スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その19
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1214673329/
2名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:04:07 ID:???
3だ!
3名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:19:58 ID:???
ニダ
4名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:55:04 ID:a3XZhFxx
呼んだ?
5名無し三等兵:2008/09/01(月) 03:06:45 ID:???
不覚にも2Getできなかったであります
三八式歩兵銃殿、ごめんなさい

 ____
  U(__)U

6名無し三等兵:2008/09/01(月) 03:15:36 ID:???
>>5
歩兵銃殿は許してくれたか?
7名無し三等兵:2008/09/01(月) 03:19:53 ID:???
うちの爺さんは中国戦線で略奪してきた戦利品の鍋や釜をよく人に自慢してた。
バリバリのアカだった若き日の父はそれを見て激怒し、「返して来い!」とよく喧嘩になったらしい。
8uaa:2008/09/01(月) 04:10:06 ID:dCjCquXE
>>1
9名無し三等兵:2008/09/01(月) 18:30:31 ID:???
じいちゃん達の戦争体験を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220125128/l50
10名無し三等兵:2008/09/01(月) 19:44:26 ID:???
>>6
はいッ。
許すと言って頂きました。
11名無し三等兵:2008/09/01(月) 21:59:55 ID:???
>>10
バカモンッ!
銃がしゃべるか!
12名無し三等兵:2008/09/02(火) 14:06:39 ID:???
>>11
二年兵殿乙
13名無し三等兵:2008/09/03(水) 00:29:55 ID:???
水元公園前派出所だな
14名無し三等兵:2008/09/03(水) 16:00:55 ID:???
>>12
「古兵殿」と呼べ!
15名無し三等兵:2008/09/03(水) 16:37:49 ID:???
拝啓天皇陛下様のくだりだろ
16名無し三等兵:2008/09/03(水) 21:08:26 ID:???
爺さんの体験談代筆スレッド 巻の二
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1203163779/
こちらもよろしく。
17名無し三等兵:2008/09/08(月) 09:44:58 ID:4tKLOcYV
あげ
18名無し三等兵:2008/09/10(水) 02:04:04 ID:MXx+tIzR
昨年亡くなった母方の大叔父から聞いた話なんだけど…

その大叔父という人は、産まれも育ちも台湾の花蓮で、戦時中は軍属として飛行場で土方みたいな事をしていたらしい。

ある日その飛行場が空襲されて、大叔父は近くを流れる川に架かる橋に逃げ込んだところ、"あらまき少佐"という人と鉢合わせた。
敵機が去ると、その"あらまき少佐"が、「みんなを驚かそう」と言って、大叔父と二人して川にプカプカ浮かんでたら、水死体と勘違いされたらしく、沢山の人が集まってきて大騒ぎになったらしいw

もしかして、この"あらまき少佐"って陸軍航空隊の有名人、荒蒔義次少佐の事だったりして?
19名無し三等兵:2008/09/10(水) 03:45:50 ID:???
>>10
ちょ、おまw
>>5は俺だww
20名無し三等兵:2008/09/10(水) 10:33:22 ID:H26lDNIo
>>18
それは、荒蒔土左衛門大将軍です。
21名無し三等兵:2008/09/10(水) 11:36:04 ID:???
>>20
つまんねぇんだよ
真面目にやれよ
22名無し三等兵:2008/09/11(木) 08:18:02 ID:???
人間だもの
皇軍だってふざけたり
セックスしたっていいじゃない

みつお
23名無し三等兵:2008/09/12(金) 01:56:08 ID:qohEXYWV
うちの爺様ノモンハンでソ連の戦車と火炎瓶でやりあってたそうな・・・
足に怪我して動けなくなっていたら、戦線後方に取り残されて助かったそうな・・・
足の怪我のおかげで生活結構苦労してたけど、おかげで太平洋戦争で召集されずに助かったとか・・・
召集された部隊玉砕してたから、召集されてたら自分は今ここで暢気に2chやっていなかっただろうなw
24名無し三等兵:2008/09/12(金) 14:39:49 ID:???
何かでもすごいよな。
爺さんが生き残ってくれたお陰で今の自分が居る・・・・
銃弾がほんの少しそれた違いで今居るヤツといないヤツがいるわけで・・・
25名無し三等兵:2008/09/12(金) 17:01:07 ID:???
全ては死線を超えて生き残った精子のおかげだよな
26名無し三等兵:2008/09/12(金) 17:51:26 ID:???
>>18
草薙素子少佐の同位体じゃないの?
27名無し三等兵:2008/09/13(土) 02:49:05 ID:EyT2U4Ut
微惑星の衝突・・・
全球凍結・・・
スーパープルーム・・・
巨大隕石衝突・・・
世界は何度も壊滅的なダメージを受けてきた・・・
この荒ぶる地球で貴方達の先祖は命を繋いできたのです・・・
貴方が此処に居るのも一重にこの先祖達がこの破局を乗り越えてきたからです・・・
人の命は100年程度ですが、生命の命は数十億年です。
どこまでいけるか知らないけど、命の灯火を伝えて行くと良いでしょう・・・

いける限り・・・

人類はこれ以上進化は出来ないのだから・・・
28うるさいじいさん風味:2008/09/13(土) 03:16:55 ID:???
>>27
変なこといってる暇があったら宿題やれ アフォ
29名無し三等兵:2008/09/16(火) 01:03:18 ID:???
30名無し三等兵:2008/09/16(火) 02:41:47 ID:???
31名無し三等兵:2008/09/16(火) 04:07:48 ID:???
32名無し三等兵:2008/09/16(火) 07:24:51 ID:???
33名無し三等兵:2008/09/16(火) 10:12:13 ID:gd2Ez4Ux
前スレは賑わってたのに
急に寂れましたねぇ・・・・
34名無し三等兵:2008/09/16(火) 13:54:00 ID:cgnIYcDZ
じいちゃん達の戦争体験を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220125128/
35名無し三等兵:2008/09/16(火) 21:54:42 ID:???
>>33
仕方ないじゃない。可能な人が限られていて、そういう人が続々インターネット接続を開始して
ここに来るのを期待するというのは無理なわけで。
36名無し三等兵:2008/09/18(木) 10:27:09 ID:JhtLzbns
樺太在住だった人の話。
ソ連の侵攻の際、電話交換手や看護婦など女性が職場を死守したのに、
軍はいち早く後退するなど頼りなかった。

敗戦の一週間後に、樺太からの引揚げ船三隻が
北海道沿岸で国籍不明潜水艦に襲撃された事件があったが
この人は集会所で家族ごと寝ていて乗り損なったおかげで命拾いしたと。

(参考)三船殉難事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%AE%89%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
37名無し三等兵:2008/09/18(木) 21:38:29 ID:???
むしろその20まで行ってまだネタがあるんだから大したものだとも言える
そんな俺もちょっとしたネタを

俺の祖父母(今はもう両方他界)は満州・ハルピン在住だったらしい
資格関係が満州だと資金的に取りやすいという話で渡ったそうだが、
折悪しく渡海1年後に終戦を迎えることになった
「露助が攻めてきた!」と聞いてからは本当に大騒ぎだったらしく、
捕まると強姦されるという噂もあって女性は丸刈りにしたりしたらしい
それでも捕まって装甲車にくくりつけられたりした女性もいたそうだ

うちの祖父は普段から中国人や朝鮮人に優しくしていた人だったらしく、
(上から目線の書き方だが、なにぶん当時なので事情を分かってくれ)
逃亡の際にはかなりの人に助けてもらったそうだ
だが、中には結構恩を仇で返す人もいたらしく、そういう人には朝鮮人が多かったそうだ
もちろん中国人で手のひらを返した人もいたし、朝鮮人で恩を返した人もいたわけだが

朝鮮からの引き上げ時には所持する資金に上限が設けられたとかで、
文字通り身包み剥がされて結構な人たちが財産を朝鮮人に没収されたらしい
帰国の話はかなりしつこく言っていたからよほど恨みがあったんだろうな
38名無し三等兵:2008/09/18(木) 23:45:03 ID:2He8FYjc
父方さん婆さんは鹿児島で母方婆さんは北海道なんだが共にかなりの大地主で田舎だから戦時中も余裕で食えたらしい。
戦後マッカートニーにかなり土地とられたらしいがいまだに年配の人に名前を言うと「○○家の方ですか?Σ( ̄□ ̄)!」と言われるらしい
39名無し三等兵:2008/09/18(木) 23:48:32 ID:???
p…ポ…ポールに!?
40名無し三等兵:2008/09/18(木) 23:53:20 ID:???
だったらここにサインしろ!
41名無し三等兵:2008/09/19(金) 00:08:40 ID:vdcrb0bp
>>38



釣られたかな?
4238:2008/09/19(金) 00:13:12 ID:ROa7kwNT
すいませんw携帯の変換機能使ってたから無意識のうちに間違ってたらしいw

わかってると思うけどマッカーサーです
43名無し三等兵:2008/09/19(金) 00:27:55 ID:???
ここでポールファンに逢えるとはw
44名無し三等兵:2008/09/19(金) 01:29:57 ID:???
残念ながらSlipknoTのmaggotsだ。
45名無し三等兵:2008/09/19(金) 03:19:41 ID:???
>>40
菊池さんですね、覚えてますよ。
46名無し三等兵:2008/09/19(金) 07:34:22 ID:j/GL7r75
わたすが、『ポールマッカートニー特別捜査官』の菊地だが?
47名無し三等兵:2008/09/19(金) 13:06:01 ID:???
「ポール・マッカートニー特別取り調べ係長の菊池だが?」だったかな?
今、菊池さんは大忙しだろうねえ・・・
48名無し三等兵:2008/09/19(金) 18:24:17 ID:???
「は?警視総監ですか、わかりました!」
「日本じゃこんな物吸ってフラフラしてるやつなんか居ないんだ!分かったらサインしろー!」
49名無し三等兵:2008/09/19(金) 18:43:41 ID:???
>>38
マッカート(Murcutt)でM資金詐欺に引っ掛かったのかと思ったよw
50名無し三等兵:2008/09/19(金) 19:37:04 ID:???
政信資金ですね、わかります。
51名無し三等兵:2008/09/20(土) 00:58:49 ID:7noQYUAt
ホテル ニュー越谷
52名無し三等兵:2008/09/20(土) 03:05:56 ID:???
南京に行ったのです。
53名無し三等兵:2008/09/20(土) 03:30:59 ID:???
軟禁されたのですか?
54名無し三等兵:2008/09/20(土) 04:59:06 ID:???
けんなに、おじらみを伝染されまして
55名無し三等兵:2008/09/20(土) 11:38:50 ID:mBHCToHJ
じいちゃんの話。
関東軍だったじいちゃん、最初の頃は捕虜を銃剣で刺し殺す訓練を何回もやらされたらしい。
前線でも躊躇なく相手を殺せるようになる為だとか。
56名無し三等兵:2008/09/21(日) 08:12:43 ID:???
婆ちゃんが先月逝ってしまったよ。
子守唄で「クロパトキンの首を取り〜♪」って歌ってた。
クロパトキンてなんじゃい?ってのが軍オタの始まりだったような。

爺ちゃんに対するGHQマッカーサー署名入り政治活動禁止の文書を見たが
いったい何をやってたのか恐ろしくて聞けなかったorz
57名無し三等兵:2008/09/21(日) 08:25:09 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%88%B9%E6%AE%89%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

始めてみたけどロシアは姑息な国にだな
利息も付けてシベリアを割譲してもらおうか
58名無し三等兵:2008/09/21(日) 11:49:33 ID:???
日本が降伏文書に調印したのは9月2日。世界的には9月2日を終戦としている。
8月15日は、日本が「負けました。ごめんなさい」と言った日で、それ以降も
戦闘は一部で続いていた。例えばソ連との戦闘は15日以降も行われているし、
日本軍は沖縄で住民を虐殺したりしている。
59名無し三等兵:2008/09/21(日) 12:10:39 ID:???
最近は餌付けずに針だけ放り込むのが流行ってるのか?
60名無し三等兵:2008/09/21(日) 12:51:39 ID:???
住民虐殺?
沖縄守備隊は降伏してたろ
61名無し三等兵:2008/09/21(日) 12:58:43 ID:???
あぁ、なるほど。
釣れてるな…
62名無し三等兵:2008/09/21(日) 13:59:09 ID:???
久米島守備隊住民虐殺事件。
63名無し三等兵:2008/09/21(日) 16:38:35 ID:???
ああ、朝鮮人部隊の
64名無し三等兵:2008/09/21(日) 19:47:00 ID:???
逆。虐殺された方を朝鮮人だとしていた。
65名無し三等兵:2008/09/21(日) 22:24:44 ID:???
こうやって捏造されて行くんですねw
66名無し三等兵:2008/09/22(月) 01:21:36 ID:???
捏造は、サヨもやるがウヨもやるからな。久米島の虐殺は、捏造のしよう
のないほど明白な事実だけどね。
67名無し三等兵:2008/09/22(月) 08:09:30 ID:???
>>64
善行を行っただけじゃないか
68名無し三等兵:2008/09/24(水) 17:51:20 ID:???
うちの親父のじいちゃんもおかんのじいちゃんも凄かったよ。
おかんのほうのじいちゃんは中国に行って、何度も、
隣の人が死んで体に穴あいてるの目撃して
自分は生き延びて凄く運がよかったそうです。
おやじのじいちゃんは武蔵に乗ってて撃沈されて
泳いで、助かりました。今も軍刀家にあります。
69名無し三等兵:2008/09/24(水) 18:22:32 ID:???
武蔵乗員の場合、艦が沈む際よりも救助された後の方が生き残る率が低いんでは…
70名無し三等兵:2008/09/24(水) 19:59:32 ID:???
>>69
それは栗田のせい。
71名無し三等兵:2008/09/24(水) 20:38:20 ID:???
>>67
虐殺するのが善行って、お前は日本人じゃないな。半島人だな。
72名無し三等兵:2008/09/24(水) 21:57:35 ID:???
俺のじい様は1943年に31歳で招集された
過去に兵隊に行ったことはないのに、30過ぎて召集になった訳は、馬の世話ができたから
しかし配属された満州の輜重部隊ではエライさんの運転手とか、トラックで物資輸送してたらしい
何でも上官から
「Y、貴様は馬の世話が上手いそうだな。では馬での物資輸送を命ず」
「○○大尉、私は陛下のために命を捧げる覚悟はできております。馬よりも貨物車で物資輸送をしたほうが、大量輸送できます。ぜひ、自分にやらせてください」
とか言って、自動車を運転することになったそうだ
シベリア抑留後、運送屋を始めた
最初は馬車で、昭和30年代からはトラックで

73名無し三等兵:2008/09/26(金) 00:08:19 ID:???
>>71
カムチャツカ半島?
74名無し三等兵:2008/09/26(金) 00:11:44 ID:???
>>72
運転が出来たの?
75名無し三等兵:2008/09/26(金) 10:28:45 ID:???
うちの嫁さんの爺さんなんだが、本人はボケかかってるしこういう履歴なんだけど

国士舘卒業
広島のほうの士官学校で剣道を教えてた
長崎にその後転属となり、中学校の教官みたなことをやってた中尉さん

なんでさっぱりわからん
剣道の腕は確かで、8段まで極めてる
76名無し三等兵:2008/09/26(金) 11:29:49 ID:???
中学校てのは旧制中学の軍事教練の教官か何かか?
将校だとは思うが。
77名無し三等兵:2008/09/26(金) 19:33:53 ID:???
>74
一応できたらしい
というより、満州で一から覚えた
78名無し三等兵:2008/09/28(日) 00:16:19 ID:???
>>75
は はちだん・・・ とんでもない達人ではありませんか。  orz ←恐れ入っているところ
79名無し三等兵:2008/09/28(日) 00:18:45 ID:???
>>77
最初は出来なかったわけね。
今と違って、動くのが奇蹟みたいな物凄い癖自動車ばかりだったから、ちゃんと動かすだけで大変だったようで。
80名無し三等兵:2008/10/04(土) 23:11:06 ID:Td39o77J
>>79
だから当時は馬が貴重な輸送手段だったんだね。
当時の自動車に比べて信頼性が高いみたいだったらしいし。
81名無し三等兵:2008/10/05(日) 03:14:28 ID:deJeW7Xp
我が祖父(当時の職業不明。商社勤務?)
終戦直後に東京から山形だか岩手だかの山奥の村まで、疎開させていた祖母を迎えに行った。
途中、上野駅で転び額を切ってしまい、包帯代わりにタオルを巻いていたそうだ。
なんとか疎開先に到着したのだが、その姿を見た村人は
「東京から血染めの日の丸鉢巻きを巻いた人がきた」と、騒ぎになったそうだ。
で終戦後に初めて東京から来た人ということで、東京の状況説明、こんご日本がどうなるのか…
なんて事を村人を集めるから講演してくれって依頼され、
血染め日の丸鉢巻き姿のままでやったそうだ。
82名無し三等兵:2008/10/05(日) 04:24:24 ID:???
>>81
なぜか市ヶ谷で演説する三島由紀夫のような姿が浮かんだ
83名無し三等兵:2008/10/05(日) 07:02:12 ID:???
父方のじいさん
農家の5だか6男で、運動はできて頭もよかったらしい。高等小学校でてから金がなくて進学できず海軍予科練へ。
鹿児島で戦闘機のパイロットになるべく訓練を受けたが肝心の戦闘機がなくて爆撃機へ転向。宮崎へ。
折しも末期で特攻隊に志願した?させられた?が、やはり飛行機がなくて終戦。
84名無し三等兵:2008/10/05(日) 07:09:11 ID:???
母方のじいさん
O脚で丙種合格。だけど17年には徴兵されて日本と中国との間の輸送船で衛生兵。上等兵で終戦。よく船が沈められなかったもんだ。
ちなみに広島原爆の1週間前に呉から出港している。衛生兵だから呉市にいたら広島救援にいかされて被曝していたかも、と。
85名無し三等兵:2008/10/05(日) 07:11:22 ID:???
保守
86名無し三等兵:2008/10/05(日) 12:28:28 ID:TgdLljjH
俺のじい様は、重巡洋艦利根にのってた。
ミッドウェーやらセイロン沖、レイテ沖、マリアナ沖やら大体のメジャー海戦に
参戦。レイテでは目の前で、武蔵が集中攻撃されたが、何もできずにじっと見ていただけだったらしい
。志願少年兵だったから、15歳くらいでその現実に直面していたと考えるとむむぅと思う。
 こないだレイテ沖海戦をウィキって見たら、じさまの船があって武蔵が白煙上げてる写真があって
あぁこの船にじ様が乗っていたんだな、と思うと少し感慨に浸った。
呉に戻って、利根が飛行機部隊に攻撃されて航行不能、(ちなみにその日が私の誕生日w)
その後、呉にて人間魚雷回天の整備にかかわる。
大和が爆発する音が聞こえたと祖母に漏らしていたらしいが、きっと原爆のことを捻ってゆっていたのだろうと思う。
 馬鹿みたいなことしてるから、話題には事欠かなかったらしい。
その後、ある製作会社の下請けを任せらる。その逸話もまことかしらねが、
その某製作会社の社長(現会長)にナイフを向けて交渉をしたらしいw
今なら確実にワイドショーものだが、御会長様の男気、懐の深さで、逆に信頼されたらしい。
それからいろいろあり、自分の戦争経験の話を、N●K社長に社長室で情緒たっぷりに語ったことが
自慢だったらしい。昔の人は、共通の話題があっていいなぁとおもったりする。

87名無し三等兵:2008/10/05(日) 12:49:40 ID:TgdLljjH
ちなみに、はじめは航空部隊志望だったらしいが、目が回ってとても
乗れなかったらしい
88名無し三等兵:2008/10/05(日) 13:01:45 ID:7+is0JQr
インド洋でのアレの時はいかがなさるまいたか?
89名無し三等兵:2008/10/05(日) 13:11:05 ID:???
母方祖父。
終戦直前に九州の航空隊に勤務。特攻訓練を受けていたがいつまで経っても自分に出撃命令が出ない。
同期が徐々に減っていく中、上官になぜ自分を飛ばせてくれないのかと食ってかかったところ、上官は
「お前は長男だろう」と諭されたそうな。
気がついてみると自分の周りはたしかに長男ばかりが残っていたという。
90名無し三等兵:2008/10/05(日) 13:21:13 ID:???
二年前に逝った父方のじーちゃん

ばあちゃんが嫌がるのであまり爺ちゃんから戦争の話は聞けなかったけど、内地勤務で原爆投下後の広島に行ったらしい、折しも8月9日に
市内は更地になってて本人曰く瀬戸内海が見えたらしい

そんな時期に行ったんだから被曝してんだろうに、85歳までボケ以外病気もせず元気に生きてました
運動能力が高かったと言うのは死後きかされた話
91名無し三等兵:2008/10/05(日) 22:22:52 ID:???
>>89
良い上官殿だのう。
92名無し三等兵:2008/10/06(月) 01:41:16 ID:164AITk9
親戚のじい様、戦死前に送ってきた最後の写真が
演芸大会の女装の写真だった。
93名無し三等兵:2008/10/06(月) 05:51:16 ID:???
>>81
そういう体験談は初めて読んだ。
血染めの日の丸鉢巻きというのが凄いな。

その頃までは、山奥で刺身という物を食べたことがない人も珍しくなくて、修学旅行で旅館で出たときに、
先生も気持ち悪そうな顔でやっと食べた、なんて話もありますが、戦争の状況さえも知らない地域もあった。
通信や交通が発達した現在とはまるで別世界ですね。
94名無し三等兵:2008/10/06(月) 05:54:47 ID:???
>>91
それは説明がいるんじゃないかな。
次三男以下なら構わないというような話ではなくて、せめて長男という理由で出撃させないように
精一杯計らってくれた、というような含みでしょうね。
95名無し三等兵:2008/10/06(月) 05:59:07 ID:???
>>87
あ、それで思い出した。
「グライダー練習でバランスが取れなくて飛び上がる前にケツから墜落したから止めた」とか言ってた。
すんなり飛べていたら、おそらく、こっちはいないわ。
96名無し三等兵:2008/10/06(月) 09:07:38 ID:???
>>94
そうそう。
97名無し三等兵:2008/10/06(月) 20:52:10 ID:???
27 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/10/05(日) 23:35:25 ID:???
>>26
そりゃそうだ

先の大戦の最中、まだ祖母が学生だった頃の話
試験中に空襲警報が発令、鳴り響くサイレンと同時に教室内を駆け巡ったのは
恐怖や混乱ではなく
「試験中断」という一大イベントによる 歓 喜 の 雄(女学校だったから雌?)叫び。
しかし教師も慣れたもので、大喜びで避難準備をする教え子達に向かって
「後で続きをやりますからね!」と返していたそうな

信じられないが本当
…だ、そうだ
98名無し三等兵:2008/10/12(日) 15:58:28 ID:???
99名無し三等兵:2008/10/12(日) 21:12:17 ID:???
特定郵便局長の世襲を批判して票を得ていたくせに、
自分は引退して馬鹿息子(偏差値40)wに選挙地盤
を譲って世襲すると発表した小泉純一郎って、部下に
特攻を強制しておきながら、自分はさっさと飛行機で
台湾に敵前逃亡して生き延びた富永恭次や、連合艦
隊参謀長のくせに捕虜になって作戦命令書を奪われ
たのに、おめおめとゲリラとの取引で帰ってきて生き
延びた福留繁と、同じぐらい卑怯、卑劣だよな!!!
100名無し三等兵:2008/10/12(日) 22:41:20 ID:???
長年自分を支援してくれた地方組織が次世代も利権を守りきれるように、
愛息を生贄として差し出すのは、政治家の当然の義務。
101名無し三等兵:2008/10/13(月) 00:13:57 ID:???
利権こそが日本の癌細胞
一部のための政治なんかやめてしまえ
102名無し三等兵:2008/10/13(月) 07:04:14 ID:???
本当は利権が問題じゃなくて、
波及効果の高い産業に重点投資したり将来性のある産業の保護育成に努めたり、
子供を作ることが生活上のメリットになる社会構造の改革、教育の機会均等を具体化することが大切なんだが。
103名無し三等兵:2008/10/13(月) 07:39:49 ID:???
利権は真逆だろ
惰性で不要だ
ゴミ屑だ
104名無し三等兵:2008/10/14(火) 13:37:27 ID:???
大量生産の工場なんかは東南アジアで事足りる
本当に守らなくてはならないのは下町の工場で働いている職人さん
この方たちなくして日本の技術向上はない
105名無し三等兵:2008/10/14(火) 21:05:56 ID:???
>>104
「向上」どころか、「生き残る」には、そういった特殊技能者を育て続けないと絶対駄目なんだよね。
106名無し三等兵:2008/10/14(火) 21:50:00 ID:???
既得権益とか利権と言えば聞こえは悪いが、小泉の言うそれは労働者の
権利だったりするわけだが。自分がどれだけ既得権益や利権に依存しているか
をちゃんと理解していたら、少なくとも底辺層は小泉を支持なんかできない
はずだけどね。
107名無し三等兵:2008/10/15(水) 00:41:33 ID:???
>>106
小学校の社会科?
108名無し三等兵:2008/10/15(水) 03:37:20 ID:???
はいはい、全部きれいごと
そんなの信じてたなんて
死にたくなるよ
109名無し三等兵:2008/10/15(水) 05:15:55 ID:???
>>108
バカは死んでも治らんだろう。
110名無し三等兵:2008/10/16(木) 23:20:15 ID:EOaUnUJl
>>108
なるだけだけど
111名無し三等兵:2008/10/17(金) 00:21:32 ID:???
>>110
わかる人がいて安心した^^
112名無し三等兵:2008/10/17(金) 20:39:28 ID:???
>>111
  ̄フ  才,_   | -┼    ト-   -┼、\   -┼─ 
 ̄ ̄フ /|/  )  |   |    |     / |     / -─ 
  (_   |   (_  し αヽ  α^ヽ  ./  J  つ  / ヽ_  ○
113名無し三等兵:2008/10/17(金) 21:14:28 ID:???
じい様ではないが俺の小学校の担任の話
その担任は戦時中は旧制中学生だった
で、軍事教練とか勤労奉仕とかがあるのだが
教練中、級長だった担任はサーベルを持って行進訓練をしていた
運悪くつまずいて持ってたサーベルを両足の間に挟んだまま倒れてしまった
別にたいした怪我をしたわけではなかったが、サーベルは妙な角度に曲がってしまい、あわてた担任は元に戻そうと精一杯逆方向に曲げようとした
大体想像つくとは思うが、まっすぐになるどころか、さらに変なほうに曲がって、教官の士官に散々スリッパで殴られたそうだ
そんな担任も先日鬼籍に入られたと聞く
60前まで教頭とかになることもなく一教師として勤め上げたのは、右寄りの思想の持ち主だったことが災いしたんだろうなとあとで気づいた
114名無し三等兵:2008/10/20(月) 22:50:11 ID:???
【パラオ】どの慰霊碑も日本の方を向いている…パラオの慰霊碑守りたいと来日 [10/17]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1224230920/1

パラオの慰霊碑守りたいと来日

「戦友の戦没者慰霊碑を守りたい」−。那須町で育ったパラオ在住の倉田洋二さん(82)が、
太平洋戦争で宇都宮の部隊が玉砕した西太平洋のパラオ共和国アンガウル島の慰霊碑保存に
立ち上がった。国や県、遺族らが建立した二十六の慰霊碑が、ホテル建設で移設を余儀なく
されたという。移設費用の支援要請でパラオから来日した倉田さんは十六日、福田富一知事を
訪ね、「生き残り兵の役目と思って何とか移設させたい」と切々と訴えた。
十七歳で南洋諸島を所管する南洋庁=当時=に入庁、海洋研究者としてパラオに移り住んだ
倉田さんは、一九四四年に現地で徴集され、アンガウル島戦に参戦。捕虜となり米国本土に
連行された。現在は特定非営利活動法人(NPO法人)「OWS」の副会長として、自然
保護活動に努めている。
アンガウル島は倉田さんが住むコロール島から船で片道約四時間。外周三キロで
人口二百人程度という。
「永代供養」の名目で慰霊碑を建立したはずの土地にホテル建設計画が浮上。心配した現地の
州政府が新たな土地を用意したが、移設費用が工面できず、倉田さんが来日し戦友会などに
協力を呼び掛けている。
<中略>
十八日にパラオに戻る予定の倉田さんは「アンガウル島は戦前戦後にわたって日本とも歴史的な
つながりが大変深い。温かいご支援をお願いします」と話している。

寄付金振込口座は、三井住友銀行渋谷支店、普通預金6445395、「アンガウルの未来を
考える会」。浄財の使途と移設工事の経過は「OWS」のホームページに掲載する。
下野新聞 (10月17日 05:00)
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20081016/65018
115名無し三等兵:2008/10/21(火) 00:05:18 ID:???
じいちゃんは満州の土木科の課長さんで、
満人を使って橋をかけていた。
終戦後に八路軍に捕まって、人民裁判にかけられて、
世話をしていた満人に「この人は良い人だ」
と証言してもらってその場は助かった。
この話をすると、多くの日本人が「この人は良い人だ」と証言してもらって
助かったという話を聞くが、人民裁判はお約束だったみたいです。
「この人は良い人だ」で強制労働か、「この人は悪い人だ」で銃殺か、
二択の裁判だったみたいです。
このじいちゃんを助ける証言をしてくれた満人は、
じいちゃんが一時使っていた満人だったが、
働いた給料未払いを役所に訴えていた所をじいちゃんが
仲を取り持って払ってもらったそうな。
その後に学校の校庭の一箇所に集められて、
機関銃で撃たれたそうだが、どこをどう逃げたのか
本人にも記憶が無いと言っていました。
気が付いたら、近くの村の人と一緒に逃げ切ったそうな。
ばあちゃんは父と叔父を連れて、ハルピンまでどうやら逃げたが、
途中で歯の生えていない赤ん坊は皆死んだそうです。
じいちゃんもばあちゃんもお互いがお互い生きていないだろうと
諦めていた所、ハルピンの収容所で再会。
なんとか一家で死者が出なかったが、
開拓団の中で二人が唯一生き残った子供になりました。
116名無し三等兵:2008/10/21(火) 01:52:28 ID:+CuLPq7q
再会した時はさぞやホットしたろうな
117名無し三等兵:2008/10/21(火) 19:10:48 ID:???
>>116
再会した時はばあちゃんがハルピンの収容所に逃れていて、
ばあちゃんは「残った男は全員殺された」と聞いていた。
じいちゃんがハルピンに逃れてくると、
知り合いがいて、
「あら、○○さんよく無事で・・・。すぐに奥さんのところに行ってあげて」
と言われて、じいちゃんはばあちゃんだけでも生きていれば・・・、と思って
行ってみたらばあちゃん、父と歯が生えたばかりの叔父も生きていて、
ばあちゃん大泣きだったそうです。
じいちゃん曰く、「まさか生きているとは思わなかった」という状況だったそうです。
その後、帰国までの一年間は収容所を出て、
課長時代に仕事を回していた満人の親方に長屋を世話してもらって、
露助の為に左官や大工仕事をして糊口を凌いだそうです。
一度、ばあちゃんが虱の媒介する病気のチブスにかかり、
幻覚を見て暴れまわった。
チブスにかかったら助からないと言われていたので、
じいちゃんは「このまま幼子を残されてどうしよう・・・」
と思ったら、ばあちゃんが幻覚を見て暴れて、二階から飛び降りて
後年まで背骨が曲がったままになる重症を負った。
しかし、これでばあちゃんは正気を取り戻し、
「子供の為になんとか生きる」と死地から回復したそうです。
じいちゃんは「あの時はもう助からないと思った」と言っていました。
ばあちゃんはそもそも満州に来たくなかったが、
じいちゃんは不便な荒野を開拓する夢を持っていたみたいです。
じいちゃんは「死んだら半分骨は満州に埋めてくれ」と言っていました。
ばあちゃんは元気ななうちは何も言わなかったが、
頭もボケて、ガンもかなり進んだ時に
「世話になった満人の親方に礼を言いたい」と言っていました。
じいちゃんもばあちゃんも日本に無事帰って、
そのまま80くらいで老衰で亡くなりました。
やはり、辛い思い出があるとは言え、
満州は思い出の地みたいでした。
118名無し三等兵:2008/10/22(水) 04:20:45 ID:???
亡くなった祖父の遺品の中から、従軍当時の出来事をしたためていた
ノートと、海軍日記昭和17年版と題した手帳を見つけました。
一部ですが紹介させてください。
痛みが激しく字が抜けている箇所、経年変化で字が消えている箇所や、
現在では不適切と思われる記述等がありますが原文のままです。

17.○.○○.
フロリダ海アールケイ諸島作戦参加中、ニューギニア西北端より
九五水偵にて索敵任務終了後、母艦帰投中スコールに突入一時__の後
機位____止む得不時着___決意すも、波浪潮流強きため愛機は転覆
偵察員○○二飛曹と共に土民に救助さるも言語解せず
手先に__て母艦_判明__カヌ(カヌーのこと?)_で西北進す

夜は更け今迄の悪天候は嘘の様、南方特有の青海に南十字星は輝く__、
不安に紛れ一睡もせず土民__しつつ一夜_明す

土民と云えども人情は有る、女子は火焚き飛行服を乾燥し、バナナ、卵等
持って接待す、男子は母艦迄で送るカヌへ糧食の準備行ふ、彼等の人情味
に感涙す、別れに際して全員十名位カヌの影の見へぬ迄で立ち去____い、
僅、余の交のふれぞ寂しさを感ず

生死は共にしと誓し愛機 残して帰る別れぞつらし
人種は異ふれど 人情変わりなきに吾れは涙す

さて、島の人からカヌーをもらって海へ出てみたものの、
祖父は相棒の偵察員とこれからどうなるのか。
無事に母艦へ、仲間のところへ帰れるのか?



119名無し三等兵:2008/10/23(木) 12:37:32 ID:???
>>118
>無事に母艦へ、仲間のところへ帰れるのか?
いや、帰れたからアンタが居るんだろ?w

そんなイヤラシイ変な書き方しなくても、
続きを待ってるぜww
120名無し三等兵:2008/10/23(木) 12:59:01 ID:???
>>119
つ【間男】
121名無し三等兵:2008/10/24(金) 10:17:04 ID:???
出征前に子供が居れば問題ないんじゃね?
122118:2008/10/24(金) 19:18:03 ID:???
前回のあらすじ

索敵任務終了後、母艦へ帰投途中スコールに遭遇し不時着する羽目に
なってしまった祖父(Gちゃん:仮名)は、(スコールを避けて飛べばよかったのに・・・)
相棒の偵察員(Aちゃん:仮名)と共に、近くの島の人に救助されました。
そこで船をもらい心づくしのもてなしに感謝しつつ島を後にし、Aちゃんと共に
船上で不安な一夜を過ごします。(夜が明けてから島を出発すればよかったのに、危険すぎる)

実はノートの痛みが激しく、お話の前半から中盤部分、船での出来事が不明です。

______明染めカヌは昨夜と変わらず進む。櫓持つ手は皮が破け
血がにじんで居る ○○二飛曹も同じく____________
互いに不言云わず止まず漕いでいる

その頃、Gちゃんの母艦では予定時刻を過ぎても帰投しないのを鑑み、
夜が明けてから捜索の水偵を出すことを決めます。
(ノートに注釈みたいな感じでの記述あり)
123118:2008/10/24(金) 21:13:04 ID:???
_______彼は耳聴が早い爆音の旨告ぐ
味方機だ・・・日の丸見ゆ 帽子振マフラ振るも僚機は一機去り又一機去る
三機目ようやく気づいてもらい
(陸上機か水上機かは不明です、おそらく別働隊の飛行機?)
僚機は不時着量食投下 救助すぐ来るの信号をバンクを送り去り行く
此の時の嬉しさは舌筆出来ず萬感胸にせまるのみ___共に涙___
迎えの水偵に依り母艦に帰投す
艦長飛行長外乗員一同よりの感涙の中に迎へらる

 別欄に上官の分隊士が開口一番「貴様らは何をやっていたのだ」
 一喝、一発を喰らってそしてビッグハグをもらい
 涙しながら「本当に無事でよかった」と迎えられたという感じの記述あり
 何というベタな展開か

軽傷一つ無きは神助によるものであろう 愛機は南海の深く葬る
残念の外無く又申し訳ない 僚機の○・○番機アール島へ避難今朝無事に帰投す
__後アンボン港向け出港す 思ひ出深き作戦なり

 Gちゃんは無事に母艦へ帰れることができました。
124名無し三等兵:2008/10/24(金) 21:42:37 ID:???
(つд`)
125118:2008/10/24(金) 22:13:08 ID:???
後日談ですが、しばらくGちゃんは愛機を失ったことでしばらく落ち込んでしまいます。
「あの時(不時着時)、一緒に海の藻屑になっていれば」と思い詰めます。
ある日、そのことを分隊士に相談したら・・・

 「飛行機の替わりはいくらでもある」
 「しかし、貴様の替わりは貴様しかおらん」

またまた涙して、たちまち元気になりました。べタな展開が続きます。

軍はガダルカナル方面の戦局に鑑み、「R方面航空部隊」を編成します。
Gちゃんの母艦の飛行機隊も編入され、ショートランド島に基地を設営し、
基地航空隊所属として偵察、索敵、哨戒、防空、攻撃、船団対空対潜護衛など
いろいろな任務をこなしていきます。

さて、次回は米軍が誇る「空の○○」と恐れられたあの怪物飛行機と初対面
するお話です。Gちゃん危うし!


126名無し三等兵:2008/10/24(金) 23:04:40 ID:???
118殿のお爺様の軍歴が気になりますね。
その頃からの操縦員だと、終戦時はどちらにおられたのだろうか?
水上機から陸上機へ転科しているのかな?
127名無し三等兵:2008/10/25(土) 00:14:45 ID:???
Gちゃーん!!
128名無し三等兵:2008/10/25(土) 18:48:22 ID:EWNuna5a
Gちゃんの素直な人柄が好きになった。(笑
無事に帰還して本当によかった。
129名無し三等兵:2008/10/25(土) 19:04:43 ID:???
Gちゃんに帝国軍人(将校クラス)の典型が見えた希ガス
おれのじいちゃんも誇りだが、Gちゃんも「」E!
がんばれ!Gちゃん!
130名無し三等兵:2008/10/25(土) 21:59:57 ID:???
Gちゃんが戦死するかもしれないと思うと心配で夜も眠れません
131名無し三等兵:2008/10/25(土) 22:09:18 ID:???
Gちゃんはきって生きて帰るさ・・・。
132名無し三等兵:2008/10/25(土) 22:24:25 ID:???
Gちゃん人気杉w
133118:2008/10/26(日) 02:34:18 ID:???
Gちゃんへの声援まことに以て感謝感激!

大東亜戦史に詳しい方、軍オタの方には察しがついているとは思いますが、
Gちゃんが所属していたのは水上機母艦、民間の商船を徴用して改造、武装や
射出機を装備した特設水上機母艦です。
常用、補用も含め搭載機数は10機程度、搭乗員数は飛行長以下わずか10数名の
こぢんまりとした実働飛行機隊でした。
複数の水上機母艦、特設水上機母艦の搭載機をソロモン諸島方面で集中配備する
こととなり、新たに編成されたのがR方面航空部隊です。

Gちゃんは、乗機も零式観測機(零観)に搭乗する機会が多くなり、
零戦などの華々しい活躍とは裏腹に空の何でも屋、空飛ぶ総務課社員として、
地味な任務をコツコツと、青く澄み切ったソロモンの空を駆け巡ります。

零観は米軍のコードネームではピート(Pete)と名付けられ、一部の部隊では
ピストルピートとあだ名され、こざかしくナマイキな複葉水上機として認知
されることになります。

実は、正直「その後のGちゃん」と題して、簡潔に話を終わらせて、
最後は「Gちゃんの戦いはこれからだw!」で締めようかなと思っていたのですが・・・。
そういう訳にはいかない雰囲気みたいですね。
いずれは、Gちゃんの軍歴についても触れてみたいと考えていますが、
今紹介したらネタバレだと、KYじゃないかと責められるかも?
134118:2008/10/26(日) 03:46:01 ID:???
>>119 続きの話は読んでいただけましたか?

>>128 >>129 ありがとう。

>>130 >>131 これからのGちゃんの活躍に期待してください。

>>126 現在、詳細な履歴を確認しているところです。待っていてください。

135名無し三等兵:2008/10/26(日) 05:54:56 ID:ElUCiP90
Gちゃんファンクラブを立ち上げようではないか!!
136名無し三等兵:2008/10/26(日) 08:04:32 ID:hF5vbQw6
水母の艦名教えてください
137名無し三等兵:2008/10/26(日) 09:04:14 ID:???
>>133
続きを楽しみにしてます
138名無し三等兵:2008/10/26(日) 10:21:19 ID:???
でもスコールごときで不時着するもんなの
エンジンに水が入るとかはありそうだな
そのころだと
139名無し三等兵:2008/10/26(日) 11:49:52 ID:JE26275U
>>138 とにかく不時着せざるを得ないほどのスコールだったと解釈しましょう。続き待ってますよ! 


やっぱ書き残すとゆうこてはすごく大切ですね
140名無し三等兵:2008/10/26(日) 12:00:37 ID:???
まあ事実は事実だからな
141名無し三等兵:2008/10/26(日) 12:39:08 ID:???
サイボーグGちゃんG
142名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:02:24 ID:sR/t6D0f
例え多少のフィクションがあるとしてもおもしろい。続きを楽しみにしているぞ。
143名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:32:22 ID:???
祖母の父は満州で銀行員をやってたが、帰国。開戦後は体が弱いため食糧長?をやってたらしく一家は食に困らなかったらしい。
だが祖母の兄(当時16才)が志願兵として海軍に入隊し、戻ってきたと思ったら病に冒されていた。
兄の「○○(兄の名)行って参ります!!」と言う声と凛々しい敬礼姿と、死ぬ前の熱にうなされながらも生きたいと呟いていた声が耳から離れないとばあちゃんは語ります。
戦争の影響がなかった家族って少ないんですね。祖母は戦争のことをあまり話してはくれません
当時4才の祖母でも覚えているとはよほど印象的な出来事だったんですね。
144名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:37:24 ID:???
うちはほとんど影響ないよ
ww2はね
145名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:38:46 ID:???
>>143
辛い思い出を語る人は少ないね。
そして同じ過ちを繰り返す。
146名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:43:34 ID:???
適当に体弱いとかいって逃げるのが
勝ち組

 そもそも、戦争なんて国のためじゃないじゃん
147名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:45:59 ID:???
>>146
当時の国民は朝日新聞に唆されて戦争熱に浮かれてました。
148名無し三等兵:2008/10/26(日) 14:49:44 ID:???
朝日今までも国民を扇動してますね
はいかんしかないと思いまつ
149名無し三等兵:2008/10/26(日) 21:21:37 ID:JE26275U
朝日は日本がだいきらいだからね!


日本より朝鮮がだいすき。    

天皇より中国が大好き。


日の丸より五星紅旗。  

朝日は日本のガン
150名無し三等兵:2008/10/26(日) 21:29:06 ID:???
廃刊させることこそが正義だな
中国にまるまる引きとってもらいたいとこだ
151名無し三等兵:2008/10/26(日) 22:35:27 ID:???
>>133
申し訳ないが、“ ピストルピート ” はガダルカナル島での野砲連隊のなけなしの活躍の事で、
水偵隊のいやがらせ空爆は “ 虱のルイ ” と呼ばれていた方です。
152118:2008/10/26(日) 22:52:46 ID:???
流れをブッた切ってごめんなさい。

再開
みなさん、すぐにピンときたと思います。
そう、Gちゃんは「空の要塞」爆撃機B−17に戦いを挑みます。

 17.○.○○ 
 ソロモン群島ショートランド島へ基地開設即日より上空対潜対空直衛の
 任に_る 
 上空直衛中敵機ボーイングB十七と初回空戦に武者振い_覺ゆ 
 大きい_____敵米が誇る空の要塞だけはある
 前上方攻撃一回に終る____残念に思ふ____
 下駄穿機の速力以っては如何仕方無し 開戦以来戦争らしき空戦に込入る 

 敵機見ゆ 伝声管に偵の声 吾武者振るいか 腕もふる
 誇らしく 空の要塞と宣傳し 我が下駄穿機 見ても看走す

残念、逃げられた・・・。
(もしかしたら?)
おそらく、Gちゃんは生で奴さんを見たのも初めてだったでことしょう。
目の前にこつ然と現れた奴さんを見てどんな気分だったのだろうか。

Gちゃんの戦いは続きます。


153名無し三等兵:2008/10/26(日) 23:03:17 ID:???
そんな機でB17とか24とかやれんのかよ
154名無し三等兵:2008/10/26(日) 23:03:41 ID:???
瑞雲ですら無理っぽいんだが
155118:2008/10/26(日) 23:21:12 ID:???
>>151
ご指摘感謝します。
シッタカ君になってしまいました。
勉強し直します。
156名無し三等兵:2008/10/26(日) 23:50:31 ID:e4+WE3Xo
じいちゃんがいつも重巡と戦艦はいらない
軽巡と駆逐と空母だけ作ればよかったって言ってたけど、なんで?
教えてきださい
157名無し三等兵:2008/10/26(日) 23:59:21 ID:???
>>156
祖父さんに直接聞け。そんなもの、人それぞれで考え方が違うんだから、本人にしかわからん。
158名無し三等兵:2008/10/27(月) 00:10:06 ID:???
どうせ石油がなくて役に立たんかったからだろ
あとは空母だけでよかった
159名無し三等兵:2008/10/27(月) 00:40:53 ID:adXK9UPC
石油がないのでは空母も役に立たない木が。
160名無し三等兵:2008/10/27(月) 01:11:13 ID:lDAl6IDp
うちの爺さんは、独立混成第三旅団(通称造部隊)に所属しており山西省で戦っていたのですが、他にも爺さんが山西省に行ってらした方は居られますか?
161名無し三等兵:2008/10/27(月) 01:13:03 ID:???
現代に戦艦らしき戦艦がないって事はミサイルとかであっという間にやられるのかな?
あとイージス艦と戦艦大和や武蔵が戦えばどうなる?馬鹿な質問でスマソ
162名無し三等兵:2008/10/27(月) 01:42:27 ID:???
大きいと的になるだけ
大体大きい砲なんてイラネ
 大和や武蔵が余裕でやられるよ
駆逐艦にすら勝てないだろうな
163名無し三等兵:2008/10/27(月) 06:52:33 ID:???
>>161
大和ですら主砲の射程は40Km、イージスの射程は1000Km以上ある。
旧海軍上層部が大好きなアウトレンジ攻撃で一方的にやられちゃう。
164名無し三等兵:2008/10/27(月) 14:14:38 ID:???
ビルマのメルギーってとこの海軍部隊にいたそうなんだけど戦記かなんかないすかねぇ
165uaa:2008/10/27(月) 19:44:03 ID:KZ6sXS66
>>163
> イージスの射程は1000Km以上ある。


????
166uaa:2008/10/27(月) 19:45:53 ID:KZ6sXS66
>>144
うちも近縁で死んだのは祖父さんの妹の旦那だけ。
167名無し三等兵:2008/10/27(月) 19:56:54 ID:???
>>153-154
とは言え黙って見過ごす訳にもいくまい

168名無し三等兵:2008/10/27(月) 20:03:37 ID:???
>>164
メルギーというと、第一南遣艦隊管区の第十七警備隊とかでしょうかね?
あの辺りはのんびりしていた様で・・・
『無事これ名馬』良いではありませんか。
169164:2008/10/27(月) 23:00:38 ID:???
>>168
そう17警備隊です。
戦記等資料を探していますが、なかなかみつからず苦労しています。
170118:2008/10/28(火) 13:09:01 ID:???
私の祖父、Gちゃんの戦いを紹介させていただいております。
字が消えている箇所があり読めない、痛みが激しく欠落している部分等がありま
すがご容赦ください。さて今回のお話は・・・

 17.(日付の記載がありませんでした)
 敵機戦爆連合二十機こしゃくにも我基地上空へ飛来即時空戦準備
 B十七盾走ロッキードP三八 七機と空戦開始
 ___________七機撃墜の戦果揚ぐ 我方不時着機一機
 ___空戦思ふぞん分奮闘するこ事が出来た
 敵米が誇る快速戦斗機P三八も我が下駄穿機太刀打ち出来ぬだらしなさ
 ________快速戦斗機と遅力機との空戦愉快なものだ
 卍戦入れ様とすも込み入らず 反抗戦のみ上方依り見るP三八飛行機
 と思われない 海の上_ぶ_の感あり______________
 (後半部分は痛みのため不明、見たかった・・・)

もしかして、Gちゃんもあの双胴のライトニングを墜としたのでしょうか?
そう思いたいです・・・
ソロモンの水偵隊がまだまだ元気だった頃(だと思う)のお話でした。
Gちゃんの戦いは続きます。

次回は、
奮闘するGちゃんに開戦以来、最大の危機が訪れます。
そんなお話を紹介します。
失礼しました。

171名無し三等兵:2008/10/28(火) 20:22:26 ID:???
Gちゃんの危機!!
172名無し三等兵:2008/10/29(水) 01:14:03 ID:NyhEDEDV
零観でP38落としたなんて聞いた事無い。
おじいさまは手記でなく、戦場冒険小説の草稿みたいな物をしたためられていたのでは?
173名無し三等兵:2008/10/29(水) 14:57:44 ID:???
>>172
つ 事実誤認

どうでもいいが、否定する理由がお前が「聞いた事無い」からってのは正直どうよ?
174名無し三等兵:2008/10/29(水) 15:37:32 ID:???
今スレになってからイマイチ盛り上がりに欠けてたからこの流れは大歓迎
少し創作が入ってようが必ずしも出版されてる戦記だってすべて真実な訳ではなさそうだし
Gちゃんの続き待ってるよ
175名無し三等兵:2008/10/29(水) 16:14:34 ID:52gWkxTr
疎開は修学旅行気分。枕投げは毎晩。毎日疎開先の近くにある工場で働く。
韓国・中国人も一緒に働いていた。いい人たちだった。出稼ぎ?
終戦の日、家に学校の先生が尋ねてきていたので一緒に玉音放送を聴いた。
聴いた瞬間先生がガックリとして動けなくなったのでそのまま家に泊まる。
放送の内容は難しい言葉でよくわからなかったけど戦争負けたのかと思った。
しばらくするとアメリカ軍が視察にくることになり、○○城を学校のみんなで掃除した。
そこにアメリカ兵は泊まるらしい。掃除が終わった後も帰らずにいた。
みんなアメリカ人を見たかった。当時アジア人以外の外人は超珍しい。
「ハローハロー」といいながらアメリカ兵到着。

『今思えば日本人はみんなアメリカの言うことちゃんと聞いとったなぁ。イラクはテロばかりで大変だろうに・・・』
以上中学生の頃のおじい様の話。
176118:2008/10/29(水) 22:07:20 ID:???
みなさん、どうも。

調子にノリすぎたかなァ・・・、自重すべきかなァ。
やっぱり、「Gちゃんの戦いはこれからだ!」で終わらせるべきだったかなァ。

ブログでも作って、そこでGちゃんのお話を紹介すれはいいのでしょうけど、
悲しいかな、私にはそういうスキルを持ち合わせておりません。

お話も長期化する気配。
「うっとうしいから逝ってネ」って言われそうな予感。

>>138
確かにスコールぐらいで不時着なんて・・・と、私も思います。
(もしかしたら?)Gちゃん焦って操縦を誤ってしまったのかも。
とばっちりを受けた後ろのAちゃんには気の毒ですが。

177名無し三等兵:2008/10/29(水) 22:21:56 ID:sZx7KvRL
>>176 オレは面白く読ませてもらってるよ。
ここの評価も、おおむね好評なのでは?
178名無し三等兵:2008/10/29(水) 22:22:24 ID:???
>>176

(0゚・∀・)ワクワクテカテカしながら、待ってますよ。
179名無し三等兵:2008/10/29(水) 22:24:17 ID:???
>>176
スレ占有は、厳密にはルール違反なんだが、現実には過疎スレだからな
他の人の書き込みを邪魔しない程度に続けるのは、構わないんじゃないか?
180名無し三等兵:2008/10/29(水) 23:19:01 ID:???
>>176
>確かにスコールぐらいで不時着なんて・・・と、私も思います。

このくらいのリアルさ、ヘボさが良いと思います。
そんなGちゃんにあこがれるぅ。
181名無し三等兵:2008/10/29(水) 23:39:13 ID:???
悪天候は大敵だからね。
お爺様は慎重だったんだね。
182名無し三等兵:2008/10/30(木) 18:50:52 ID:???
悪天候どころか、
ちょっとコンパス見間違っただけでも未帰還余裕です
(硫黄島爆撃行{二回も!}で有名な根本正良さんも、目の前で見当違いの方向に曲がって行く僚機を見て戦慄したそうです/当然無電封鎖中なので呼び返せない)

まして、
雄大な大洋、それに比べたら芥子粒以下の母艦を基点に行動する艦上機なら、
それぐらい慎重じゃないと生きて帰れませんよ
183118:2008/10/30(木) 21:46:04 ID:???
いろいろとコメント頂きまして感謝しています。
私のヤル気が続く限りは、Gちゃんのお話を紹介していきます。
お付き合いくださいませ。

Gちゃんは終戦まで何とか生き残り、生き延びることかできて、
あの運命の8月15日を迎えることになりますが、それはまた別のお話。

ところで、あの後ろの偵察員のAちゃん。
その後どうなったのか? 実はよくわかりません。
せめて終戦まではご存命であればと思っているのですが・・・
同じ操縦員/偵察員のペアで毎回出撃した訳ではなかったようなので。
いつか、防衛研究所に出向いて、当時の戦闘詳報などの資料を閲覧、
または取り寄せたいと考えています。

最近になってからですが、当時の軍の動向、戦局などを勉強していますが、
正直、間違った情報を書き込みかねません。
以前ご指摘いただいた151様や182様のようなベテラン、強者の先生方に
フォローしていただけるとありがたいです。
でも、他力本願はいかんですね。

Gちゃんの戦いは続きます。
184名無し三等兵:2008/10/30(木) 22:42:13 ID:M2ef7Xu2
がんばれGちゃんの孫!
185名無し三等兵:2008/10/30(木) 22:57:16 ID:Q/NJVSyE
>>156
じいちゃんは正しいよ。
実際戦艦や重巡はまったく役に立たなかったからね
防空は軽ちゃんと駆逐で十分だからね
186名無し三等兵:2008/10/30(木) 23:49:36 ID:???
まあもっとガナルカナルに
三式だんぶちかましとけば
評価は違ったかもしれないけど
187名無し三等兵:2008/10/30(木) 23:51:37 ID:???
一昨年死んだじいさんが戦争に行った時の話だけど
戦地(どこかは忘れた)へじいさんの小隊が移動していたら
女性の人が倒れてたらしく、隊長の指示でじいさんが駆けつけよく見ると
全裸に近い状態で服が破られており、頭に撃たれてた跡があり
女性は敵、味方のどちらかに強姦され、口封じに殺されたのだとじいさんは思ったがよく見ると
母親の子らしき赤ちゃんが母親のおっぱいをちゅーちゅーと必死に吸っていて
一旦隊長に報告しに、部隊の元へ戻り報告し、今度は隊長と部下2〜3人と一緒に赤ちゃんの元へ行くと
赤ちゃんは寝ていたらしく、隊長さんが「この子はこの先一人では生きていけないよ。可哀想だが母親の元へ送ってあげるよ」と言いながら拳銃を取り出し発砲
赤ちゃんは母親の元へ行けたのかどうかわからないが死んだことは確か
隊長さんはじいさんと部下に穴を掘らせ、母親と赤ちゃん、少しばかりの食料を一緒に埋葬
小隊は再び移動
その時、隊長さんは内地の家族の事を考えながら泣いてたそうな
じいさんは生前この話をして戦争の悲惨さを教えてくれたよ
188名無し三等兵:2008/10/31(金) 00:06:41 ID:nsPXhOg8
本当に悲惨な話だな・・・。ここの体長さんの指揮下なら、
こんな悲劇は回避できた気が・・・。

でも、将来、日本を憎む敵になろうとも
子供だけは生かしてほしかった。
いや、戦中の東南アジアの乳児では全く生き残る方法はなかったかも・・。
どちらにしても心が痛くなる話だよな・・・。

日本が次に戦う時には、こういう悲劇は・・(冗談っすよ、冗談!)
189名無し三等兵:2008/10/31(金) 00:14:02 ID:???
意外に近いだろ
中国あたりで
190名無し三等兵:2008/10/31(金) 00:25:50 ID:cDscgoRP
漏れの祖父(故人)は、義務教育ロクに受けてなくてひどいドモリだったから
兵隊にすらなれなかったと聞いた。なので戦争の話は一切聞いた事がない。
ちなみに祖母は造船所でモーターボート(特攻艇)のペンキ塗りをしていたそうだ。
191名無し三等兵:2008/10/31(金) 00:26:53 ID:???
近いというと日本の中国地方?
192118:2008/10/31(金) 01:11:23 ID:???
Gちゃんの、ちょっとセンチなお話を・・・
短い文章ですが。

 17.○○.○○
 戦斗は__________て熾烈の度は加はる
 ガダルカナル島への弾薬量食輸送の駆逐艦船団の上空対潜対空直衛に
 死闘を續ける日増しに未帰還機の續増する_見________
 ○号機還へらずの悲報聞く度に胸痛す

 戦友はすでに還へらじと思ひしも 彼方此方に残す食ぞ淋しい
 未帰還機 今宵も一機仰ぐ空 南十字星淋しさぞます
 昨夜まで戦友と楽しく仰ぐホシ(南十字星) 今宵は一人ホシ淋しい

ショートランド外、その周辺に展開する水上機隊も、米軍の反抗作戦が次第に
整うにつれ、最前線における行動は困難になりつつあり、稼働機がほとんど
無い状態にもなりますが、何とか戦力を補充しつつ戦い続けます。

Gちゃんの戦いは続きます。

>>156 ・・・・・・。 言葉にできません。
193118:2008/10/31(金) 01:27:50 ID:???
訂正します。
>>187 ・・・・・・。 言葉にできません。
156様、申し訳ありません。
194名無し三等兵:2008/10/31(金) 18:04:40 ID:???
>>192
後半は歌を詠んでおられますね.失礼ながら少し調子を整えますと,

 戦友はすでに還へらじと思ひしも
  彼方此方(あちこち)残す食ぞ淋しき

 未帰還機今宵も一機仰ぐ空
  南十字星淋しさぞます

 昨夜まで戦友(とも)と楽しく仰ぐ星
  今宵一人の星は淋しき

戦闘の臨場感,その合間の寂寥がよく伝わってきます.

195名無し三等兵:2008/11/01(土) 06:09:24 ID:uTXJ6PW4
昭和万葉集に追加!
196名無し三等兵:2008/11/01(土) 08:35:22 ID:VZGNm++2
漏れの爺さんはレイテで重巡「摩耶」の機関砲手だったらしいが初陣で魚雷で木っ端微塵にされたらしい。墓には骨もない。
197名無し三等兵:2008/11/01(土) 08:46:56 ID:???
捷一号作戦か。じゃぁ先週が御命日だったんだね。合掌。

節子と清太のお父さんも摩耶だったよね。
198名無し三等兵:2008/11/01(土) 10:01:40 ID:VZGNm++2
>>197
余談になるんだが爺さんの命日に親戚が集まって酒盛りしたときの話。80過ぎの婆ちゃんが酔って
「ワシなあ爺さんと1回しかやっとらんで、それでコレ(親父)が生まれてよ。」
婆ちゃんの妹が
「アメリカの魚雷より 爺さんの魚雷のほうが確実だぁ」
「アーハッハッハ」
「イーヒッヒッヒ」
その後 真顔で
「死ぬ前に もいっかい会いたいねぇ」

泣けてきたよ
199名無し三等兵:2008/11/01(土) 10:27:23 ID:???
思い出は〜美し過ぎて〜それは〜痺れる程に〜♪
200名無し三等兵:2008/11/01(土) 12:10:24 ID:???
>>198
ドラマなんかによくある、出征が決まったから急いで縁談をっていうやつかな

自分たちよりたった二世代前の、あの優しかったジイちゃんバアちゃんたちが
日本の歴史で最も過酷な時代をくぐり抜けて来たと思うと何だか不思議な気がするよね
201名無し三等兵:2008/11/01(土) 12:17:51 ID:???
母の伯父が海軍の叩き上げだったらしいが…。
ある日、唐突に戦死公報が届いたらしい。
白木の箱には、何故か木片が一切れのみ…
いつ、何処で、どんな状況だったのかも不明なり。
遺品も遺骨も何も無いですよ。
202名無し三等兵:2008/11/01(土) 12:28:55 ID:???
ばあちゃんの中のじいちゃんは父ちゃん作ったときの頃のままなんだろうね。
今でも「会いたい」と言えるくらい想った人…すごいね。

あんたは若いままで、あたしゃこんなばーちゃんになっちゃってずるいねぇ、
会ったって気づいてもらえないよ…とか、恥ずかしいわぁとか思うのだろうか…。

戦時中の慌ただしい中、僅かな時間しか一緒じゃなかったろうに父ちゃんができ、
戦後一人で父ちゃんを育て、197も生まれた。
そして法事でみんなが集まってじいちゃんのことを思い出して語る。
じいちゃんも喜んでるだろう。

ばぁちゃん、いつかじいちゃんの所に旅立っても、きっと誉めてもらえるよ。
203名無し三等兵:2008/11/01(土) 12:37:38 ID:???
>>201
負け戦となってくると箱に石ころなんてのもよくあったらしいね。

玉砕とかになると、戦死の詳細なんて実際分からないだろうし、
機密に関わるだろうし伝えられないのだろうね。
そうなると陸上でも遺骨なんて回収できないし。
海戦でも轟沈で脱出者無しとか、
他艦に救助されたもののそっちも撃沈されたとか、
酷いのはフカに食われたとかだもんな…。
204名無し三等兵:2008/11/01(土) 16:00:33 ID:TKV/vDbB
俺んちは桐の箱にらっきょが入ってたらしい
205名無し三等兵:2008/11/01(土) 19:13:13 ID:???
うちはウンコ
206名無し三等兵:2008/11/01(土) 20:04:17 ID:???
うちのひいひいひい爺さんは関ヶ原の東軍でしたっぱぺいぺいの足軽で怖くて逃げ回ってたと…
207名無し三等兵:2008/11/01(土) 22:15:06 ID:sazAYEEk
俺の大叔父は河南で憲兵だったんだが、やっていた仕事は
交通整理、万引き犯の逮捕、食い逃げや犯罪行為をした日本兵の逮捕と被害者への損失補てん、夜間パトロール、
あまつさえ夫婦喧嘩の仲裁までやらされたそうです。
華々しいスパイの摘発なんかは一切なしでした。
208名無し三等兵:2008/11/01(土) 22:24:20 ID:oS15ci3W
スターウォーズの帝国軍の辺境駐屯の警備部隊みたいだな

http://jp.youtube.com/watch?v=nWr6ec2zEyE
209名無し三等兵:2008/11/01(土) 22:35:21 ID:???
>201

軍歴照会してみそ。
あとはここで部隊名さらせば
おおよその事はわかると思うぞ。
210名無し三等兵:2008/11/02(日) 00:09:24 ID:kh3Ate63
オレの大叔父は国士舘出て近衛師団から憲兵下士官になって戦争中ジャワ島
(極楽)勤務だったそうだが、終戦直後、降伏拒否した部隊を説得に行って
味方から撃たれて死んだそうな。一応戦死扱いになったらしい。
土壇場で復員出来ずに本人も遺族もカワイソス。
211名無し三等兵:2008/11/02(日) 00:11:20 ID:???
体験談でもなんでもないけどウチのじいちゃん家にマルイのVSR-10を持って遊んでいたら
「若い頃、戦地でアメリカ兵が持ってのに似とる。貸してみろ」
とじいちゃんが喋りつつも、俺が使い方を教えて無いのに弾を装填して的にしてた空き缶を見事に当てたよ
普段は無口なじいちゃんなのにはしゃいでた
戦争の時に使ってた、三八式があると聞いて、すぐに買ったらしく、ばあちゃんにこっぴどく怒られてた


そんなじいちゃんも去年亡くなりました
戦争の時の話、聞きたかったなぁ…
212名無し三等兵:2008/11/02(日) 00:34:34 ID:???
>>211
ライフルなんか持ってじいちゃんの家に遊びに行くなんて・・・。
ダイターン!
ガバメントで我慢しとけよ。と、ツッコミたい。w
213名無し三等兵:2008/11/02(日) 00:44:54 ID:???
男って永遠に子供って言うのが最近解ってきたよ。
うちの男どもも、鳥人間コンテスト見て涙をこぼしたりしてるワ・。
214名無し三等兵:2008/11/02(日) 08:04:25 ID:???
>>213
今年の鳥人間コンテストは物凄く飛んだからな、そりゃ感動するわ。
215名無し三等兵:2008/11/02(日) 12:03:35 ID:???
鳥人間コンテストと聞くと、三洋電機日本びっくり新記録を思い出す。
日曜の夜。サザエさん→びっくり新記録→日立素晴らしい世界旅行。

最初は真剣に飛びに来てるヤツに混じって受け狙いのもいたんだよな。
動力の有無も真剣受け狙いも一緒に飛ぶというあたりがよかった。
全身に羽毛を付けて鳥の頭のかぶり物したやつとかね。

印象的だったのは全長2〜3mくらいの立派な零戦を作ってダイブしたやつ。
アレを見て自分もオトナになったら急降下爆撃機の張りぼて作って、
しっかりパイロットのコスプレして出てやろうと思ったw

受け狙いはいつしか「コミカル部門」に隔離されついには無くなってしまった。
216名無し三等兵:2008/11/02(日) 12:20:13 ID:???
懐かしい・・・。

アーアーアーアーアアーと印象的なエンディング曲。
毎回しつこく出てくる轟二郎。
三洋ニッカド電池ってどういう代物?
スレチな話になっちゃった。
217名無し三等兵:2008/11/02(日) 13:05:54 ID:???
親父方のじいさまは神津の機関員だったらしい。
乗組してたみなさんの手記をまとめたものが実家にあって、じいさまのところだけ読んだ記憶がある。
どこかで空襲を受けて対空戦闘中、何かの理由で艦橋まで伝令に出されたらしい。
機関員だから訓練実戦含めて外に出るなんてことは初めてだったらしいんだけど、
隣を航行してた重巡がまさに沈むところだったとか。
妙高級のどれかっぽい艦名だった気がする。
今度実家に戻ったら改めて読み直してみようかなあ。
218名無し三等兵:2008/11/02(日) 15:33:08 ID:???
>>217
>隣を航行してた重巡がまさに沈むところ
海防艦・神津も、
特設砲艦・神津丸も、
そんな勇ましい戦歴は無い様ですが・・・
8/9〜10の大湊(青森)空襲で近くにいた敷設艦・常磐(旧・装甲巡洋艦{日露戦争以来の殊勲艦})
が大破着底してしまった事かな?
219名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:01:22 ID:???
うちのじいちゃんは特攻隊で散る気まんまんだったんだけど
長男だから家長制度のせいで順番が廻ってくる前に戦争がオワタ。

今でも本棚は特攻隊の小説でいっぱい。
220名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:05:20 ID:???
あほな爺だな
221名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:18:48 ID:???
>>220
じいちゃんをいじめんな(´・ω・`)
222名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:24:20 ID:???
毎日仏壇でもおがんどけ
223名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:27:45 ID:???
うん(´・ω・`)
224名無し三等兵:2008/11/02(日) 23:59:52 ID:???
>>220
慎め。お前に覚悟はできるのかと(ry
225名無し三等兵:2008/11/03(月) 00:03:05 ID:???
>>220
パンパンパーン
    ∧__∧  ∩
  (,,`・ω・´)彡☆
   ⊂彡☆))Д´)
       ☆
226名無し三等兵:2008/11/03(月) 00:48:24 ID:???
>>218
217です。ありがとう。
じいさまが乗っていたのは海防艦のほうです。
そうですか…うーん私の勘違いなんだろうなあ。
近いうちに実家戻って読み直してきます。
227名無し三等兵:2008/11/03(月) 15:10:21 ID:???
>>226
いやいや、
大湊空襲もかなり大きな規模だったので、
戦闘の状況はあなたのおじい様の記憶とそんなに違うものじゃないんじゃない?

wikiの大湊空襲↓には『海防艦 神津』の動静の記載はないが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B9%8A%E7%A9%BA%E8%A5%B2
神津自身、終戦は大湊で迎えているのでこの戦闘には参加していたと思います。
228名無し三等兵:2008/11/03(月) 15:18:43 ID:???
父方の祖父
徴兵されるが、もともと体が弱い上怪我をしたため本国へ帰ってきた。
このまま日本にいたら危ないと思って、ばあちゃんと共にツテを頼って台湾へ亡命。
そのまま終戦を迎え、伯父を生んでから帰国
祖父は中学の教師であったため、台湾亡命中は現地の子供達に勉強、とくに専門の理科を教えていたそうだ。
その為、日本の「教え子」のみならず台湾の「教え子」からも時々お礼の手紙が国際郵便で着たりする。
今おじいちゃんは今年で94歳。
足腰は弱っているが、昔体が弱かったって本当?と言いたくなるぐらい、ボケもいっさいなく元気に暮らしている。
医者曰く「105歳までは確実に生きる」とのお墨付き。
ちなみにばあちゃんも今年で89歳。
耳は遠くなったが、背筋はピンとまっすぐでまったく曲がっておらず、元気に過ごしている。
229名無し三等兵:2008/11/03(月) 15:23:21 ID:???
賢いな
台湾攻略されなかったのも当てているし
230228:2008/11/03(月) 15:51:19 ID:???
母方の祖父
仕事柄、通信技師の資格を持っていたため、通信兵として海軍に配属された。
戦争中は次々と周りの自軍戦艦がやられていき、自分達の船だけになったときは「もう駄目だ」と思ったそうだが、
祖父が乗っていた戦艦は指令艦であったため、一番安全な位置に居たのと
最後の一隻になったとき降伏したので難を逃れた。
そのまま英軍の捕虜となり、南太平洋の異国の地(たしかパプアニューギニアだったと思う)で
捕虜生活をすることになる。
もともと戦艦に食料が大量に積まれており、また紳士の国の英軍の捕虜のため
イギリス兵の手伝いをすると、必ずパンなどの分け与えてくれたため、食べ物は割かし豊富にあった。
だがそれでも毎日イギリス兵の手伝いをするわけでもないし、なによりなぜか小豆と砂糖が大量に戦艦に積まれていたため、
「おーい!今日の昼飯は何だー?」
「おしるこ」
「またかーーー!」
というようなやり取りを毎日したそうだ。
捕虜生活よりもおしるこ生活にうんざりした捕虜達は、とうとう我慢できなくなり
おしるこ以外を求めて、現地民に食べ物を分けて貰う様考えた。
231名無し三等兵:2008/11/03(月) 15:52:03 ID:???
「すまん、食べ物、わかる?食べ物がほしいのだが」
「○×〜〜☆!★〜○△×*!」
と、日本語で交渉したが魂で語ったため、原住民はすぐに理解してくれて
快く南国のフルーツを沢山持ってきてくれたそうだ。
おじいちゃんはここでドリアンを食べたり、パイナップルの剥き方を教わった。
原住民との交流は「おーい!」と一言かけるだけでフルーツを持って来てくれるほど仲良くなったそうだ。
こうして捕虜生活は快適ではないものの、苦痛でもなくむしろ楽しくもあったそうだ。
そうして終戦一年後に帰国。
最初日本人を見たときは皆色白で、全員美人に見えたらしい。
まあ一週間もすれば、美醜の区別がつく様になったらしいがw
あと南国の原住民は体臭がきつかったそうだが、それが無いのも感動したとか
とにかく帰国後、真っ先に祖父は母親の元へ行った
「ただいま!母さん!戻ってまいりました」
「ひぇ〜〜!さ、三郎が帰ってきた!」
と腰を抜かしたらしい。
曾祖母は祖父がもう死んだものと思い、墓まで用意していたのと
祖父は3人兄弟なのだが、当時兄弟がいると必ずどちらかは死ぬのは当たり前で兄弟全員が
戦争を生き残るというのは珍しかった。
それもあって曾祖母は腰を余計に抜かしたのだった。

そして祖父は再就職して暮らしていった。
残念ながらこちらの祖父は十数年前に末期の癌で無くなった。
祖母のほうはまだまだ元気に暮らしている。
232名無し三等兵:2008/11/03(月) 16:11:25 ID:???
戦艦じゃないだろうな
拿捕された軍艦って少なそう
233名無し三等兵:2008/11/03(月) 16:42:03 ID:???
「戦艦」が何か知りたいですね。
英軍に拿捕された一番大きな軍艦は・・・重巡「高雄」かな?
でもシンガポールで捕虜にした兵をわざわざパプアニューギニアまで
送るかな?
234名無し三等兵:2008/11/03(月) 16:43:44 ID:???
降伏した戦艦はいたのか?
235名無し三等兵:2008/11/03(月) 17:03:57 ID:???
直接、降伏した訳では無いだろう。
終戦で、停戦命令に従ったのをそう表現したのだろう。
236名無し三等兵:2008/11/03(月) 17:14:31 ID:???
戦艦で拿捕はないよ
237名無し三等兵:2008/11/03(月) 17:17:36 ID:???
海軍の船は全て戦艦だと考えているんだろう。
238名無し三等兵:2008/11/03(月) 18:26:24 ID:???
>>235
それにしたって、終戦時にまだ現役だった戦艦は、全て内地にいたのだが。
239名無し三等兵:2008/11/03(月) 18:34:21 ID:???
長門以外ないって
240名無し三等兵:2008/11/03(月) 19:05:36 ID:???
軍艦と戦艦の区別をつけていないだけでしょう。
このスレでは又聞きが基本だから、
ある程度のバイアスをかけて聞かないと、
基地用名話も聞けなくなっちゃうよ。
241名無し三等兵:2008/11/03(月) 19:24:51 ID:???
戦艦でも間違いはないとは思うよ
ただ、おたは戦艦、巡洋戦艦、重巡、軽巡、駆逐艦、海防艦とか
区別をつけているだけ
242名無し三等兵:2008/11/03(月) 19:25:43 ID:???
>>239
一応、榛名・伊勢・日向は、大破着底状態とはいえ、現役艦扱いで、固有の乗員もいた。
まあ、>>240が正解なんだろうけど、終戦時にニューギニア方面で降伏した軍艦ってあったか?
243名無し三等兵:2008/11/03(月) 19:50:04 ID:???
「戦艦」の時点で艦種は完全に当てにならんとして、ラバウルあたりの特務艦じゃないか?
244231:2008/11/03(月) 20:56:27 ID:???
すまない
軍事知識は素人だし、又聞きだから
細かい突っ込みはカンベンしてもらいたい。
実際、この話を聞いた時はもう祖父は死んだ後だったから
今更本人には聞けないので、確認の取りようもない。
245名無し三等兵:2008/11/03(月) 20:57:40 ID:???
近くならシンガポールの重巡・妙高あたりか?

246名無し三等兵:2008/11/03(月) 22:19:55 ID:???
>>245
英軍の管理下になっているから、そんなところでしょうねぇ
(ラバウル在泊船舶なら、オーストラリア軍の管理になったでしょうから
247118:2008/11/05(水) 00:15:06 ID:???
170の書き込みの最後に、Gちゃんに開戦以来最大の危機が
訪れるという予告をさせていただきました。
今回はそのお話を紹介します。

18.○.○○
ガダルカナル島転進作戦に付き ムンダ基地強化 
第○・○○丸護衛○番機々長として対潜直衛の任務_以って○○:○○発
ムンダ二十浬沖に於て直衛中敵機戦爆連合四十機_と空戦開始_____
数十___後無愛機は空中火災偵察員機上戦死が________
伝声管に通ず声も無し吾れ愛機離脱の止むなきに去り落下傘降下決心すも
躰機外に出るも落下傘座席依り出ず 愛機と共に運命天に託す
___か___なりや愛機は操縦失志たるため背面となりる
躰は落下傘と共に落下散開すると同時に海面に着く
上空にはまだ敵機数十機我が駆逐艦の高角砲の段幕に包まれながら
○番機と空戦を始めて居る____




248118:2008/11/05(水) 00:56:37 ID:???
 然し如何なる我が忠武無比の僚機も数にはかなはず
 空中火災となり南海深く自爆す 瞼ふく
 九死一生得たるも面顔四肢熱傷弾片創あり飛行靴脱がんとすも焼付脱げず
 海泳する事約三〇______ 味方駆逐艦○に救助さる
 無事輸送任務終了出来ず偵察員と共に愛機___と失志ない 
 皇国のため申し訳なし 戦友よ愛機と共に冥福あれ
 基地へはかへらずラバウル病院向け海航す
 _______よりも共に入院す 死の直前故母の顔幼な友達の顔色
 走馬燈の様瞼に現るは誠である 余人の体験志得ざる事吾れ体験す

 死すはもろ共と誓ひし戦友_ 機上で_____一人還へらむ
 死の直事浮ぶは母の面影か
 萬才の前に浮ぶは母の顔

Gちゃんの本当の戦いは、この日から始まりました・・・。

>>194
解説ありがとうございました。
すごく見栄えがよくなりました。
249名無し三等兵:2008/11/05(水) 01:52:31 ID:???
どんどんGちゃんの話に引き込まれる。
この話は手帳のメモだから極限まで簡略化されているが・・。

Gちゃん、近所のガキを集めてでも戦史伝承してほしかったぞ。

250名無し三等兵:2008/11/05(水) 16:58:50 ID:sEORCAyM
記憶が曖昧なんだが、父方のじいさんは炊事兵で戦闘には参加してはいないと。
昭和13年(?)だかに中国大陸に渡って、南方に進撃しながら最終的に、
ベトナムのフエに着いて、その後は本土に帰ってきたらしい。現在も存命
じいさんの弟も出征したが、そちらは戦地に向かう途中、輸送船ごと沈められて戦死したらしい…


母方のひいじいさんも中国大陸で、従軍中に結核を患って本土に帰ってきて、
昭和12年(?)に盛岡の陸軍病院で亡くなったと。

ってか、ひいばあちゃんの当時の写真見たんだが、めっちゃ美人だった。
ひいじいさんが羨ましいw
251名無し三等兵:2008/11/05(水) 17:16:56 ID:???
>>250
打通作戦に参加したのかな
252名無し三等兵:2008/11/05(水) 22:48:35 ID:???
偵察員は機上戦死ですか・・・
118氏お爺様は大変な経験を・・・
253名無し三等兵:2008/11/05(水) 23:32:55 ID:???
家にある昭和戦争史、軍魂って両方ともめちゃでかくて分厚い本で
生い立ちから戦績、現在の状況なんか1人1ページ使って紹介してるんだけど
階級が片方では軍曹、もう一つでは曹長ってなってて謎すぎる
こういう記録ってどこで調べればいいの?
最近になってじいちゃんの戦場での足跡追ってるんだけど
家にある資料じゃ全然足りないなw
死ぬ前にもっと色々聞いときゃよかった
254名無し三等兵:2008/11/07(金) 00:47:33 ID:???
過去スレ嫁。












つ軍歴照会。
255名無し三等兵:2008/11/09(日) 02:54:22 ID:???
家の曾祖父さん、海軍陸戦隊に居た。
隊長職にいたそうだ。
南方ツアーに行き、そして凄いことに戦死者0名を達成し帰還したらしい。
ただ、曾祖父さん曰く「他の部隊の方がかわいそうだった」らしい。
移動→友軍既に壊滅→次の戦地へ→後続部隊が壊滅 終戦までこれの繰り返し。
徳島の祖母宅には肖像画が残っている。最終階級は中佐。
256名無し三等兵:2008/11/09(日) 07:51:22 ID:???
>>255
なんてロシアンルーレット。
257名無し三等兵:2008/11/09(日) 19:43:44 ID:Kd24kEJk
おじいちゃんは玉砕の瞬間に「天皇陛下万歳」と叫ぼうとしたけど、いざ
弾が当たると痛くて苦しくて何回やっても叫べなかったって。
諦めて先に叫んでから玉砕するように変えたけど恥ずかしかったって。
258名無し三等兵:2008/11/09(日) 20:50:25 ID:???
>257
生還したんだ。  なら良いじゃん。
259名無し三等兵:2008/11/09(日) 22:36:24 ID:ZHNHmEsU
じーちゃんは陸軍上等兵で足を骨折して入院している時に戦争は終わった
じーちゃんのいた陸軍部隊では毎日のように中尉さんがじーちゃん含む部下を鉄骨制裁してたみたいだけど、若いイケメンの少尉さんがすごく庇ったりしてくれたって言ってた

結局少尉さんも中尉さんも戦死(少尉さんは行方不明)したらしいけど死ぬまでその少尉さんに挨拶したかったって言ってたな〜
260名無し三等兵:2008/11/11(火) 00:27:46 ID:???
俺のじいさんは背が足りなくて徴兵免れたんだがその弟は海軍中尉で軽巡阿武隈乗り組みだった
機関担当だったので、レイテで撃沈されたときそのまま艦内で戦死らしい
あまり故人のエピソードが残ってないけど阿武隈といえば一水戦旗艦として真珠湾攻撃の艦隊先頭艦を
努めたりキスカ撤退作戦の指揮艦だったり、そういったときには誇りを感じていたんだろうかと思う
261名無し三等兵:2008/11/11(火) 00:47:41 ID:???
復員船から横暴・乱暴・野蛮な元・上官は海に投げ落とされたと言う話を聞いた。
だから投げ落とされるような人間になるなと言われて育った。
262名無し三等兵:2008/11/11(火) 06:41:16 ID:???
うちのじいさんは寂しがり屋で根が優しい為戦地では気が動転して少し野蛮になってしまったが為に
船から投げ落とされたと聞いたがお主のじ様の部隊の連中だったのか!!
263名無し三等兵:2008/11/11(火) 12:25:29 ID:???
どこでも似たような状態じゃないか?
弾が前から飛んでくるとは限らなかったとか何とか…。
264名無し三等兵:2008/11/11(火) 15:19:16 ID:???
ほかにも故意の“誤射”や、敵機の機銃掃射による“戦死”が横行したらしい。
(なお、偵察機と思わしき機体でも、グラマンと言うことにしたそうだ。)
265名無し三等兵:2008/11/11(火) 21:36:58 ID:???
我が爺さんは戦後グラマンならぬグラマーな金髪女兵士?を自慢の大砲で骨抜きにしたらしい。
その後別れて日本人の俺の婆ちゃんと結婚したけど
266名無し三等兵:2008/11/11(火) 23:33:06 ID:Q6CTJiZa
うちの母方の祖父は輜重連隊にいて、ずっと北支戦線にいたそうだ。
輜重というとなんだか安全で楽なイメージをもたれがちなんだけど、結構匪賊に襲われ、
物資を盗まれたり、奪われたり放火されたりして大変だったらしい。
装備品も38式騎兵銃と、11年式機関銃などがちょこっと。
昭和19年頃の補充兵は銃すら持って無くて、木の棒に銃剣をくくりつけたものを装備していたとか・・・。
267名無し三等兵:2008/11/11(火) 23:51:36 ID:???
うちのじいさんは、ばあさんと戦争してた。
268名無し三等兵:2008/11/12(水) 03:04:11 ID:h9U9o2jS
そりゃあ大変だー
269名無し三等兵:2008/11/12(水) 17:35:04 ID:pEyWXeB3
うちの爺様は神風の生き残りで、上官に順番では数日後に飛び立つ、と言われた翌日に日本が降伏した。 当時爺様は結婚してなかった。
降伏があと1日遅かったら俺生まれてねえ。
270118:2008/11/12(水) 23:52:13 ID:???
輸送船(船団?)の対潜直衛の任を受け、二座水偵(零式観測機)の機長として
出撃したGちゃんは、来襲した戦爆連合の敵機と交戦します。
しかし、奮闘するも機は被弾し空中火災を起こし、後ろの偵察員の方は
機上戦死され、Gちゃんは落下傘降下で脱出、水雷艇「○」に救出されました。

 Gちゃんは、駆逐艦と記述していますが、艦名を調べたら水雷艇と判明。
 Gちゃんの勘違い? それとも、当時は将兵の間では水雷艇も駆逐艦と
 同類として認識されていた?

さて今回のお話は・・・。
 
 18.○.○○(日付は上記の出来事から2日後)
 ラバウル第○海軍病院へ入院 出血多量のため_もすると昏睡状態に
 入らんとす 顔面熱傷のため食も出来ず胸痛覺ゆ
 ○○丸通信士隣床に於て死す 腹部貫通銃創らしい
 直夜敵機来襲に寝床の身切歯抱腕するのみ 亡戦友の冥福今日も祈りつつ

 敵機よりさっと閃く照明灯 沈目破り機砲は唸る
 空襲に迷夢さま_小傷痛む_______
271118:2008/11/13(木) 00:32:50 ID:???
18.○.○○
 重傷のため内地後送___宣言さる
 之れが最後の戦地の別れ 後ろ髪を引れる思ひする
 ___此の島に互ひに苦しみ又楽しみを共に志てきた
 尚何萬の戦友の血の涙を残し___________
 此の諸島_度踏む日を待って吾必らずかへり亡戦友の仇は討
 南十字星よ椰子よしばしの別れ

 豫てより此の島に散らむ覺悟せば 今日の後送ぞ聞くに忍びず
 仰ぐ空 今宵最後ぞ 十字星

Gちゃんは内地送致となり、病院船「○○丸」に乗船し横須賀へと向かいます。
Gちゃんの戦いは続きます。 
272名無し三等兵:2008/11/13(木) 07:06:57 ID:???
>>270
>水雷艇も駆逐艦と同類
鴻(おおとり)型の水雷艇なら、
元々が『駆逐艦制限条約逃れの “ 名前だけ ” 水雷艇』ですから
(排水量も1,000t近い
273名無し三等兵:2008/11/13(木) 13:38:10 ID:???
いよいよサイボーグGちゃんGに改造か・・・ワクワク
274118:2008/11/14(金) 15:45:58 ID:???
>>272
解説ありがとうございました。
Gちゃんを救出してくれた水雷艇は、「鵯(ひよどり)」です。
水雷艇の名は鳥の名前で統一されているようですね。
この「ひよどり」という名をGちゃんは生涯、胸中に刻み続けることになります・・・。

>>273
「時次郎さん」じゃないんだから、ンモー!w
ですが・・・。
275名無し三等兵:2008/11/14(金) 21:50:21 ID:???
待っていたよ!! Gちゃんの話。

なんかあると思ったら、Aちゃん戦死か・・。

うちの爺さんもそうだったが、救助してもらったのが
潜水母艦の護衛駆逐艦でも、「空母大鯨に助けてもらった!」という事に。
つか、たかが半世紀前の戦争なのに、不思議に当事者の記憶があいまい・・。
あるいは、救助した味方にも作戦を知られないための情報管理のせい?

今の人間に理解しがたい事が起きていたのは歴史上の事実なんだよな・・。
276名無し三等兵:2008/11/14(金) 22:19:28 ID:???
>>275
>不思議に当事者の記憶があいまい
自分の事を思い出してごらんよ、
数年前はおろか数ヶ月前の記憶だってあいまいでしょw
277名無し三等兵:2008/11/15(土) 12:51:31 ID:???
おれのじいさんは教師だったので戦争行かんかったがその弟が行って戦死したらしい
墓にはニュウギニア島にて戦死と書いてあり骨壷には砂だけ入っていたらしい
278名無し三等兵:2008/11/17(月) 17:32:56 ID:HKWskPI8
俺のひい爺ちゃんもニューギニア島で戦死したが、骨壷には砂と貝殻が入ってたらしい。
工兵部隊の兵長だった。
279名無し三等兵:2008/11/18(火) 04:31:06 ID:???
>>118
一気に読みました。正直ぐっと来た。
文体やリズムも美しい。Gちゃん文才ありますね。

のんびり続き待ってます。
280118:2008/11/19(水) 19:01:01 ID:???
 敵機見ゆ伝声管に偵の声 
  吾武者振るいか腕もふる

 未帰還機今宵も一機仰ぐ空
  南十字星淋しさぞます (194様に感謝)

 死するはもろ共と誓ひし戦友を
  機上でなくし我ひとり還へらむ (小生の方で補完しました)

Gちゃんは、志願兵として海軍に入隊し、水兵となり巡洋艦の砲員として乗艦
の経験があります。予科練習生の選抜試験を受験して見事合格し、
(元々Gちゃんは、航空兵志望だったと聞いています。)
二座水偵専修の飛行練習生として訓練を受け、米英との開戦後間もなく、
特設水上機母艦「○○丸」に配属されます。
その後の奮闘ぶりの一部は、以前小生が書き込んだ通りです。

 豫てより此の島に散らむ覺悟せば
  今日の後送ぞ聞くに忍びず

必ず還ると、戦友の仇を討つという誓いを胸に、断腸の思いで病院船に乗船し、
内地へと向かったGちゃん。
しかし、Gちゃんの願いは、再びソロモンの地へ還るという願いは叶うことは
ありませんでした・・・。

次回は、病院船での出来事をいくつか紹介したいと思います。
Gちゃんが近づくことすらできない、話すらできない偉いお方が来船
される話も出てきます。

Gちゃんの戦いは続きます。
281名無し三等兵:2008/11/19(水) 21:06:00 ID:???
坂井さんと同じ去り方だな・・。今の世の中でも
心を残したままで修羅場を去ると、あとで大きな心の傷になる事が多いよね・・・。
Gちゃんの話が良い感じでマターリ進行中なのが嬉しいよ。
282名無し三等兵:2008/11/20(木) 12:10:12 ID:???
夫が戦死したと言う知らせがきたり勝手に死んだと思い込んで再婚してからしばらくして夫が帰ってくるなんて悲劇が
世界のいたるところであったらしいけどどうしたんだろう?
283名無し三等兵:2008/11/20(木) 18:46:17 ID:???
そりゃ、人の数だけドラマがあるのさ
284名無し三等兵:2008/11/20(木) 19:12:40 ID:???
>>282
私が読んだ本に載ってた人は
復員したとき自分の実弟と妻が再婚してたけどその奥さんは元の旦那のところに帰った(自分の子供が一人いた)
舅や姑は知らずに帰ってきたその復員兵を気の毒に思ったのかとくに何も言わなかったらしい
結局長男だけど家を出て墓も別に建てたらしいけど、最期の時にはきょうだいみんなが見舞って和解したんだって

澤地久枝『家族の樹』より
(『滄海よ眠れ』終章として書かれたものです)
285名無し三等兵:2008/11/23(日) 12:47:10 ID:???
10年くらい前に親父ががビデオに録画していた「ハンガリア舞曲をもう一度」というTVドラマを観た
ラストでギバちゃんがひとりトロンボーンを吹くシーンに泣いた
水谷豊の学生服姿にチョー違和感w
286名無し三等兵:2008/11/25(火) 21:59:39 ID:tcmK9Mdb
Gちゃんマダ〜?
287名無し三等兵:2008/11/26(水) 16:33:34 ID:???
うちのおじいさん(母方)は医者で結構出世した人だった。

戦時中は一度満州に行ったそうだが、叔父が陸軍の偉いさんだったので
「まだ若いのに可哀相だ」というので(本当はいけないことだが)
私情で強権発動して本土に戻してしまったそうだ。

それでおじいさんはそのことを気にしていたらしい。
「自分は戦争に行かなかった」ことを。

偉いさんだった大叔父(僕から見て)は降伏、その土地にて自決。

その土地はいいところで、きっと日本とよりいい関係になるだろう。

僕には複雑な思いがある。責任をとって自決した大叔父、
大叔父がおじいさんを本土に戻さなければ僕はいなかったかもしれない。

そして医者として社会に尽くしたおじいさん。




そんで社会にとってほとんどなんの役にも立たない僕。
何をすべきか、すべきではないか。
288名無し三等兵:2008/11/26(水) 23:23:03 ID:rLf3bNKi
ウチの母方の祖父は中国で戦った後、沖縄に配属された。
前面に立った62師団に所属し、伊祖というところで大激戦を遣ったらしい。
「敵が奇襲によって我々の陣地襲ったので体制を整える暇もなかった」らしい。

ある日中隊長が総攻撃をするというので、奪われた陣地を奪還すべく夜襲を掛け、敵を一気に敗走させたが、
敵の砲撃が凄まじく、部隊は全滅。祖父は胸と肩に砲弾の破片を受けてやられ、気づいたときには米野戦病院のベッドの上だったそうだ。
「兎に角手榴弾を投げまくったなぁ。いきなり胸にガーーーンと衝撃を受け、『やられた!』と思ったけど、それからは記憶がない」
と話していたなあ。

 現在脳梗塞で闘病中なので、よくお風呂介助をするんだけど、戦後60年以上経った今でも疵痕は生々しく残ってる。


「俺が捕虜になったときは気絶や負傷して動けないところを掴まったヤツがおおく、腕や脚がない捕虜も多かった。
 しかし6月以降になると、どこも負傷してないし、未だ戦えそうな捕虜がぞろぞろいて、怒りを禁じ得なかった」

とも言ってた。首里撤退後はやる気がなくなったのかねえ。
289名無し三等兵:2008/11/27(木) 00:19:59 ID:???
戦後、カタワばかりだったら復興なんてできないからね。
まともな司令官だったら戦後のことを考えるだろう。
290名無し三等兵:2008/11/27(木) 00:26:54 ID:???
>>288 それくらいの敵愾心がなきゃ、これからの日本はヤバイよ。
今の若いヤツって生存迫力が全くない・・。
下手をすると、機関銃を持っただけの貧乏な隣国に攻め込まれただけで
国が滅びる罠・・・。
291名無し三等兵:2008/11/27(木) 06:46:52 ID:u6EZiRtB
それくらいがいいんですよ平和で…
たとえ腑抜けが多かろうと戦前みたいに俺は日本人だ!大和民族だ!と
エラ張りながら生きなければいけない時代はもうこなくていいんだよ。
まあもう少し日本人としての誇りを持ってほしいが…
292名無し三等兵:2008/11/27(木) 07:47:12 ID:???
願わくば平和であってほしいがね

日本は戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄していない。
293名無し三等兵:2008/11/27(木) 11:18:44 ID:???
先日じいちゃんの兵学校時代の卒業文集を見せてもらった
抱負みたいなところに「ワシントンに入城してルーズベルトの首をとる」とさらっと書かれていた
あの温厚なじいちゃんが書いたとは思えぬ・・・
ジャワで終戦を迎え戦後は捕虜になって帰国するまで釣針ばかりつくっていたらしい
蘭が適当に扱ったので英が代理で捕虜の処遇や戦犯決めたとか
蘭のままだったら俺は生まれていなかったかもしれんね
帰還船の中で水平線の先に富士山が見えてうれしかったと言っていた(船内に歓声が上がったらしい)

そんなじいちゃんも今年で85歳(大震災の翌日壊滅状態の下町で生まれた
226とか10歳ぐらいの時生で見て覚えてるのでそっちのほうでも面白い)
実戦にたった人はもうこんな年でこれからは戦争体験といえば
子供のころ爆撃されたとかになって
戦場での体験を語れる人は減るんだろうなぁ
294名無し三等兵:2008/11/27(木) 18:09:05 ID:???
日本が攻められたらとか軍隊持てとか言う声もあるけど正直自衛隊すら必要ないと思う
今時日本と言う超経済大国を攻めようもんならその国は世界中からはみごにされるよ
日本ももっと強気になればいい「日本を攻めるって?いいよwただし世界経済がどうなっても知らないよ」てなかんじで
295名無し三等兵:2008/11/27(木) 18:09:35 ID:KWghz3ri
戦争体験とはちょっと違うけれど、うちの爺さんは旧陸軍大尉だった。
遊びに行く度に当時3歳の俺に腕立てとか銃(箒を代用w)の撃つ練習とか
無理やりさせてたw
それを親父が冷めた目で横目で見てたwのも記憶にある。
ロシア人(○助と読んでいた)と朝鮮人は狡賢いから嫌いだと良く言ってたなぁw
明治生まれで、妾囲う女好きのだらしない爺さんだったけど
愛国心にあふれた人だったな。


296名無し三等兵:2008/11/27(木) 21:57:39 ID:lKZ4vpTA
>>293
仕方ないんじゃない?
いま日露戦やWW1の戦場体験を語れる人は居ない訳だし。
考えてみたら大正時代くらいまでは幕末の動乱や西南の役について語れる元兵士がいたんだよな・・・。
297名無し三等兵:2008/11/27(木) 22:06:54 ID:???
>>296
新選組の永倉新八なんかも大正4年まで生きてるし。
遠いようで近い、近いようで遠いと。
298名無し三等兵:2008/11/27(木) 22:38:58 ID:???
母方のジー様が近衛歩兵だった。
死んでから教えるなよ…聞いときゃよかった。
ちなみに父方のジー様は陸軍一等兵。大陸にはいったみたいだが、な〜んも言わない。まぁ痴呆入ってるし無理か。
299名無し三等兵:2008/11/27(木) 22:40:54 ID:???
母方のジー様が近衛歩兵だった。
死ぬ前に話を聴いとけばよかったな。
父方のジー様は陸軍一等兵。
大陸にはいったみたいだが、な〜んも言わない。
300名無し三等兵:2008/11/27(木) 22:59:24 ID:lKZ4vpTA
>>298
ひょっとしたらマレーやひとうの決戦でがんばったのかもね。
301名無し三等兵:2008/11/27(木) 23:07:01 ID:???
母方の曾祖父が満州に行ったが戦場でも逃げ回ってたらしい。しかしひょうきん者で世渡り上手で内地では上官連中の酒の管理を任されて
千葉の館山から木更津まで酒樽を引きつつ各地で酒とつまみを交換しながらのんびりと晩酌しながらの旅行気分だったらしい。
帝都が壊滅状態なのにw
302名無し三等兵:2008/11/27(木) 23:20:22 ID:???
>>295>>297
新撰組でいえば1867年(油小路がおきたあたり。ようするに
竜馬が暗殺された年)から隊にいて会津までいった池田七三郎という隊士が
昭和13年1月16日まで生きているよ。90歳
同年(誕生は20日前)生まれの西園寺公望も昭和15年まで生きてるし
この辺までは結構頑張ってる人もいたみたい
葛飾北斎が死んだと死に生まれて細川元総理や大林宣彦監督が生まれるまで生きていた
江戸時代を知って盧溝橋事件まで知ってたわけですげえと思う
303名無し三等兵:2008/11/27(木) 23:21:54 ID:???
爺さん元特別高等警察・・・
戦時下は大陸に行く予定だったが内地ですんだらしい・・・コネかなんか?
戦後も警官やってたけど
304名無し三等兵:2008/11/27(木) 23:57:52 ID:???
>>302 その辺の話ならこの人を持ってこないと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%BF%A0%E5%B4%87
305名無し三等兵:2008/11/28(金) 00:10:22 ID:???
死に際の辞世を求められての「明治元年にやった。今は無い」がかっこよすぎるよな
なんか実在の人物とは思えん台詞だ。一編の詩として人生が完結してる
306名無し三等兵:2008/11/28(金) 00:20:23 ID:???
ちなみに明治元年に幕府軍に藩主自ら脱藩(これをしないと
慶喜の命で大名が動いたことになって恭順中の慶喜に迷惑がかかるから。
素浪人なら問題ないという。藩士も巻き込んじゃうし)身を投じた時に詠んだ句がこれ

「真心の あるかなきかは 屠り出す 腹の血潮の 色にこそ知れ」

死ぬ気満々ですよこの人・・・
307名無し三等兵:2008/11/28(金) 00:29:35 ID:IacDt2i4
大東亜戦争始まりの年に死んでるのがなんだか暗示的だな。
308名無し三等兵:2008/11/28(金) 00:44:09 ID:???
正真正銘の侍で日清日露大東亜のいずれかに前線で実際に武器を手にとって戦った人いるの?
309名無し三等兵:2008/11/28(金) 01:15:01 ID:eY26ICjx
うちのじいちゃんは大日本航空に入社し、スラバヤでDC3の機関士をやっていて、そのまま現地で輸送部隊に編入。
二回ほど海に落とされたらしいが、泳いで戻ってきたらしい。
終戦後も部隊と一緒に山の中を駆け巡っていて、猿の脳みそを食べたらしい。
最後の引揚船がでる頃に、病気がちだったため部隊と別れを告げ、日本に帰って北らしい。
イギリス軍のレーションのチーズは旨かったそうだ。
310名無し三等兵:2008/11/28(金) 01:31:41 ID:???
>>308
侍というのが、幕末に子供ではない大人の「現役?」だったとするなら、日清は27年からだから若くても50近く?
日露は60近く?
人間50年の時代なんだから、「誰から見ても爺さん」年代なわけで、いないんじゃない。
あれ、誰だったか志願して断られたとかいわなかったかな? 永倉さんだっけ???
311名無し三等兵:2008/11/28(金) 01:56:45 ID:???
ほら原田佐之助が日露の時現れたとかなんとか・・・
あと香川の狸や天狗たちも大陸まで出征してロシアと戦ったんだぜ?
312名無し三等兵:2008/11/28(金) 03:17:36 ID:???
作戦失敗の時点で切腹すると言う感覚は
伝承してほしかった。

企業の場合、経営者は、切腹では済まないけどな。
しかし、緊張感の欠けた経営者大杉だぞ・・。
大丈夫なのか日本・・。
313名無し三等兵:2008/11/28(金) 04:40:34 ID:???
べつに引責辞任しても一生困らない資産はもう経営者は持ってるからね
辞めりゃいいだけで怖いものなし
辞任だって発言力は会長とかオブザーバーとして失わないし
むしろ肩の力抜けていいやぐらいに・・・

まぁ辞任も切腹も含め「失敗したら去る。それで終わり」ってのもなんかおかしいと思うけどな
辞めることが責任をとることじゃあるまい
失敗によってあけた穴を埋めることをするのに生涯費やすのが責任をとることだ。
とはいえそれだと上に立つほどあらゆる手段で周りを蹴り落としてきた神経図太い人は
「辞めないで責任とってるんです。貴方がたとは違うんです」とか言いながら何もせんと地位にしがみつくんだろうな
314名無し三等兵:2008/11/28(金) 06:31:49 ID:???
黒船来航から日本人もこの百数十年苦労がたえないよな
315名無し三等兵:2008/11/28(金) 10:07:19 ID:???
山口多聞のように、一時の責任で代えの利かない有能な人材を失うことにもなるわけで
艦と運命を共にする当時の習慣はなっとくでけん
現場指揮官が死ぬんでなくトップが責任とってくれなくちゃねえ・・・
316名無し三等兵:2008/11/28(金) 12:31:32 ID:jAz+kNDN
>>287立派な親族の方々をお持ちですね。その方たちは天国であなたのことを応援されていることでしょう。まだお若いようですが、社会、日本の役に立てるよう頑張ってください!
317名無し三等兵:2008/11/28(金) 13:10:41 ID:???
>>315
責任とりたくないから必死に勉強して上いくべ
下であればある程理不尽なことが多いんだから
「雪は雪を払ってこいと命じた人物の方にはかからないけど命ぜられて払った人物の肩にはかかる」ってことでしょう
一休さんかなんかでよんだ話だけど
(たしか武士が上の人に殺せと命ぜられて殺した私に殺生の罪がつくのはおかしいのでは?って
疑問に答えた寓話だったと思う)
318名無し三等兵:2008/11/28(金) 13:23:49 ID:BufXZSZ7
亡くなったじぃ様のお話【グロいです】

じぃ様は陸軍で支那戦線、ロシア国境警備と参戦していた。
じぃ様は支那戦線従軍時は隠密的な部隊に所属していたらしい。
そこでのお話↓
@ 秘匿性の高いある作戦時、駐屯地?から移動するときに口封じの為
村民皆殺しにした。全員広場に集め首を落とす。皆覚悟を決めたように大人しい。
赤子は銃床で頭を割る…。
A ある捕虜を処分したときの話。手足を括り、火の中へ投げ込む。
当然捕虜は熱くて飛び跳ねて出てくる。捕まえて再度火へ放り込む。
3回くらいで出て来なくなった。

じぃ様あ本当に喋りたがらなかった。亡くなる数年前にそっと自分に話してくれた。
全部が自分がしたことではないが本当に惨いことをした。
決して許されることではないが、当時は敵方に捕まった仲間も同じように殺された!
現代思想では悪辣な絶対悪事だが当時はそうではなかった!!
上官には絶対服従、しなければ仲間からも軽蔑される……
戦争は決して美しいものじゃない!お前達には絶対経験して欲しくない!!
そう言ったのを覚えています。

319名無し三等兵:2008/11/28(金) 15:27:13 ID:???
戦争ですからね・・・
320名無し三等兵:2008/11/28(金) 19:15:18 ID:???
文明が誕生した数千年前からたった半世紀前まで戦争が当たり前だった事を考えるとほんと自分らは幸せだと思う…
生まれる時代がほんの少しズレてただけで言葉に言い表せない大変な経験をしてたんだろうなと…
321名無し三等兵:2008/11/28(金) 19:45:43 ID:M8PaMmSJ
うちのじいさん、陸軍騎兵。白い馬に乗ってる写真があった。
馬に顔面をモロにキックされ大怪我(遺影にも蹄の跡が残ってる)、
大陸から内地に後送されて、そのうちに終戦になっちゃたそうです。
その話を聞いたとき、
「華の慶次」に出てきた、松風に蹴られた侍の話を思い出した。
じいちゃん、すまん。  だが、それがいい!
322名無し三等兵:2008/11/28(金) 20:36:49 ID:???
私の祖父は外地に行ったのですが、首の後ろを敵の銃弾で負傷して帰還したらしいのですが
特に障害もなく戦後教師をしていました。
印象に残っていることは、訓練中に棒で叩かれそうになった人を庇ったら自分が叩かれて痛かった事だといっていました。
323名無し三等兵:2008/11/28(金) 20:50:29 ID:UN/yiWpC
>>321
陸軍では白馬は天皇陛下しか乗れない決まりだったような気がするが。外地だと規制が緩かったのかね。
324名無し三等兵:2008/11/28(金) 20:58:14 ID:???
代々医者だったので軍医だった

泥水飲んで腹壊し後送され
その後所属部隊全滅らしい
親父も自衛隊の有事に召集される軍医(いってみれば佐待遇のあれ)に
成ろうとしていた。もう死んだけど。
俺はぱープリンだったので医者になれずフリーターです
跡継ぎなくなって病院つぶしてごめんな
325名無し三等兵:2008/11/28(金) 21:00:36 ID:???
日韓併合の時代に天皇陛下と韓国の王様だか皇太子だかがパレードしたらしく不敬罪の関係で二階から覗く事はおろかカーテンをしめなきゃならなかったらしい
にもかかわらずうちの曾祖父は酒とつまみ片手に二階から覗き見してたらしいw
326名無し三等兵:2008/11/28(金) 21:04:00 ID:???
日清日露なら・・・
立見大将だろ・・。
東郷元帥だろ・・。
327名無し三等兵:2008/11/28(金) 21:08:03 ID:???
実戦に立ってる人を祖父に持つってことは
このスレの住人は大体30以上ぐらいかな?
当時20歳の若者も80ですから
祖父レベルではもう少年だった人がなってる可能性も高い
当時10歳で70越えてるんだし
328名無し三等兵:2008/11/29(土) 01:27:30 ID:???
曖昧ですみませんが
うちのじいちゃん、こないだ癌で死んじゃったけど
兵隊に行き満州で肝臓だかを悪くして広島戻り?
原爆を投下される前日に東北の軍事病院に収容され、命拾いしたって話してました。
329名無し三等兵:2008/11/29(土) 10:41:16 ID:5SSVdEDQ
うちのじいちゃん、徴兵検査のとき、醤油飲んで仮病つかったって言ってた。
お茶碗一杯ぶんくらい飲んで、町内一周走ると、高熱がでるんだって。
バレて、怒られたって。
さすが俺のじいちゃんだぜ! 素敵!!
 自分は30代です。じいちゃん85歳。
330名無し三等兵:2008/11/29(土) 10:50:22 ID:???
明治に徴兵令が施行されてすぐは徴兵忌避が多く
逃れるためのテクを書いたガイドブックが沢山出ていた
「醤油飲んで走る」はわりとメジャーなやり方だったそう
331名無し三等兵:2008/11/29(土) 10:51:17 ID:???
北海道に本籍を移すとかな
332名無し三等兵:2008/11/30(日) 21:03:48 ID:SSSN3veG
>>329
ウチの祖父も85歳だぜ奇遇だな。陸軍歩兵としてずっと中国にいたらしい。
戦後は蒋介石軍に武装解除され、道路工事、架橋工事に明け暮れてたそうだ。
戦時中は匪賊討伐ばかりで激しい戦闘はなかったんだって。
333名無し三等兵:2008/11/30(日) 21:15:59 ID:???
軍人ではないけど満州開拓団の一員として満州へ
知っての通り戦闘はあまりなかったけど、馬賊の襲撃が度々あったらしい

大変だったのは終戦間際からで、ソ連の攻勢が始まって町が戦闘に巻き込まれ、友人と共に地下室だかに隠れていたそうだ。そしたら兵士が手榴弾を投げ込み、友人は顔が吹っ飛び死亡。爺ちゃんは場所が良かったのか助かった。兵士は確認もせず去って行ったらしい
334名無し三等兵:2008/12/01(月) 17:57:56 ID:???
曾祖父が海軍軍人で結構偉かったらしい
それで自分が指揮してた戦艦か駆逐艦か知らんがそれが沈没したらしい
335名無し三等兵:2008/12/01(月) 18:33:47 ID:???
特攻隊員だった母方の祖父の話をひとつ。
重度の飛行機オタだった祖父は、「戦闘機に乗りたいから」という理由で陸軍に入隊。
ところが戦争はすでに末期で、飛行学校を出ても乗る飛行機が無い。
「特攻隊へ志願すれば、戦闘機に乗れる」と言われていたらしく、パイロットへの憧れから特攻隊へ志願(本人談)。

ついに出撃の命令が下り、離陸。
が、離陸直後、機体のエンジントラブルで墜落。鼻を火傷する。

そして再度出撃の命令を内地で待つ中、終戦。
戦後もどうしてもパイロットになりたいという夢を捨てきれなかったが、戦後の就職難の中、軍人の学校しか出ていない祖父にはパイロットになるどころかまともな職につくこともできなかった。
祖父には当時婚約者がいたが、無職のニートに娘はやれんと、相手の両親から一方的に婚約を解除される。

嫁も職も失った祖父は、憂鬱な生活をしているなか、祖母と出会う。
祖母から求婚され、無職でもいいの?と祖父が聞くと、祖母は「好きだからOK♪」と。んで結婚することに。
当然祖母の両親からは反対されたため、駆け落ち同然で強引に結婚。
でもさすがに無職のままでは生活ができないので、何とかゴルフ場の芝刈りのバイトに潜り込む。
そのときに祖父は「いつか絶対金に困らない生活をさせてやる」と、祖母へ宣言。
祖母はまあ半信半疑だったが、ラブラブだったのでどうでもよかったらしい。
その後祖父はバイトから正社員へ登用され、なんだかんだで会社のNO2(?)になった。
定年後も会社側からの要請で顧問として80歳近くまで仕事へ打ち込んだ。
何年か前に癌を患っていたことが判明したが、入院の後「治った」らしい。

現在でも飛行機へのあこがれは強く、陸軍機のプラモを大量に作っている。
ただし海軍機はあまり好きではないらしく、私が零戦の話を持ちだすと、何かと愛機だった隼の話へ戻そうとする。
顔の血色もよく、日露、第一次、二次大戦を過ごし満州でソ連に追っかけまわされても生還し、103歳まで生きた曽祖母といい、
あの時代を生きた人には不思議な強い生命力のようなものがあるように思う。

写真http://imepita.jp/20081201/665490
336名無し三等兵:2008/12/01(月) 18:57:11 ID:???
>>335
GJ!
惚れますた
337名無し三等兵:2008/12/01(月) 19:11:56 ID:???
最後に父方の祖父の話を。(すでに他界)
陸軍砲兵上等兵、終戦時曹長。(家にある感状と勲章などの資料から推測)
中国戦線→東南アジア戦線(パレンバン)→終戦

この祖父がすごいのは、終戦後大砲の砲弾を家に持ち帰ってきたこと。
もちろん信管は抜いてあったが、他にも軍刀やら拳銃の弾やら持ち帰ってきた。
私が幼稚園か小学生のころ、その軍刀を持ち出して庭で遊んでいた記憶がある。
もちろんうちの母にこっぴどく叱られた。祖父が。
もちろん違法全開なので、警察へ自主的に持って行って、現在は家には無い。

以下おまけとして、私が二人の祖父へ太平洋戦争で疑問に思ったことを聞いてみた↓
(現在も論争中の事や、荒れそうなネタもあるので、あくまで二人の戦争体験者の証言として受け止められる方のみご覧になってください。あなたの意見と異なる場合があり、あなたの意見を否定する意図はありません)

・南京大虐殺ってあったの?
→無い。便衣兵は殺したりしたが。もしくは便衣兵が民間人を殺したりしていた。
それでも何万って人が死んだなんてことはない。「日本は戦争に負けたからね」だそうだ。

・占領地での強姦や略奪はあったの?
あった。あったが、そういうことをする奴は「規律を守れない悪い奴」であり、見つかれば当然憲兵に連れて行かれて処罰された。

・強制連行されて従軍慰安婦をやらされた人はいたの?
軍がそういうことをやったというのは聞いた事がない。いたのはプロのいわゆる売春婦。
もちろんその中に経済的にやむを得ない事情で体を売る人はいたと思う。
日本も戦後外国人相手に不本意でも売春をしなければ生きていけない人がいたし、そういう事がある時代だった。

・特攻隊員の心情は?
国のためにという人もいたし、志願したくないけど、志願せざるを得ない空気だからやむを得ずという人もいた。
多くは「(今の情勢では軍人が戦争で死ぬのは)仕方ないな」というという考えだった。降伏すれば日本は無くなると思っていたから。生きていられるとは思えなかった。
他にも多かったのは、「ちゃんとした機体と爆弾さえあれば、特攻なんてしなくても戦果をあげてみせるのに」と悔しがる人だった。

だ、そうです。あくまで参考までにお願いしますね!
338名無し三等兵:2008/12/01(月) 19:22:23 ID:???
>>335
じいさん男前すぎるw
金なくてもばぁさんついていくわこりゃ。
339名無し三等兵:2008/12/01(月) 20:47:34 ID:???
>>335 最近、こういう男が少なくなったよな・・。
340名無し三等兵:2008/12/01(月) 21:05:49 ID:???
うちの爺さんは広島に居たそうなんだが。
なんでも高校の先生?がそこのお偉いさんで呼ばれたそうだ。
その人のつてで神戸に行くように言われたそうだ。
その数日後原爆が落ちて同僚はみんな死んでしまったらしい…

この話を聞く度に運命と言うものを感じていたなぁ…
341340:2008/12/01(月) 21:18:24 ID:???
思い出したのだが、確かじ様は海軍に志願したそうだ。朝起こされるときに尻を棒でたたき起こされたそうで。
その他先輩からの暴力は酷かったらしい。なくなった後自叙伝を書いていたので読んでみたが、泣きそうになったよ。
342名無し三等兵:2008/12/01(月) 21:48:44 ID:???
>>335
表情が素晴らしいですね。
全てを達観した・・・顔だ。
343名無し三等兵:2008/12/02(火) 05:15:55 ID:???
>>335
カッコイイ!!
344名無し三等兵:2008/12/02(火) 12:23:55 ID:s7nVTRYU
>>335
この写真、合成だよな
345名無し三等兵:2008/12/02(火) 13:08:48 ID:???
見れないのは俺だけ
346名無し三等兵:2008/12/02(火) 18:49:37 ID:???
http://jp.youtube.com/watch?v=zh3vevPeqck
このへんの動画もかっこいいよ
347名無し三等兵:2008/12/02(火) 20:15:20 ID:???
>>346
そういうのを面白半分で貼ると引っぱられるって知ってる?
348名無し三等兵:2008/12/02(火) 21:15:06 ID:???
335ですが、ありがとうございます。別に自分がほめられてるわけじゃないですが、何かうれしいです。
遊びに行くとスポーツカーに乗ってグラサンをかけて迎えに来てくれるハイカラじいちゃんです。
寡黙、というより照れ屋で、「おう」とか「うむ」とかしか普段言いません。その代りいつも「飲むか」と言い、誰から聞いたのか私のお気に入りの銘柄の酒を用意してくれている人です。

>>344
あの写真はアルバムから取り出した原本を祖父がスキャニングし、プリンタで拡大出力して祖父宅リビングに飾ってある物を、私が写メでその一部分を撮った物です。
画像自体はまったくいじってませんが、そういう工程を経て劣化しているのでそう思われたのかも知れませんね。原本はもうちょっとはっきりしています。

最後にもう一枚だけうpしてROMに戻ります。
体験談いつもwktkしながら見させてもらっています。
http://imepita.jp/20081202/753580
↑たぶん10代のころ(軍隊の学校の入学時?)の写真と思われます。詳しくは聞いてみないとわかりません。
原本を直接写メで写したものです。
349名無し三等兵:2008/12/02(火) 22:17:45 ID:???
>>348
男前だね〜
350名無し三等兵:2008/12/03(水) 00:21:32 ID:???
見れた
351名無し三等兵:2008/12/03(水) 00:27:04 ID:N45zkoKc
上でも出てたけど、私の祖父も沖縄にいた。
軽機関銃手として62師団にいて、沢岻と言うところで米軍に対して激戦を敢行し、
部隊としては玉砕を覚悟したような雰囲気で、「死ぬ前にめちゃくちゃ暴れるぞ」
というテンションだったらしい。
 その後、撤退命令があったので島尻まで撤退して戦争を継続。部隊が玉砕した後も
敵を斃して奪った自動小銃(多分グリースガンだと思うけど)や急ごしらえ爆弾
を使って仲間10人くらいでゲリラ&こそ泥活動を続け、終戦後の9月に投降したそうだ。
終戦時軍曹だった。

とても大人しくて優しく、クラシック音楽が大好きな祖父がこんなに凄かったとはなあ。
352名無し三等兵:2008/12/03(水) 00:55:38 ID:???
戦前戦中の日本人の写真って、素朴だけど良い表情の男が多いよな。
一番違うのは目の美しさだよ。特に特攻隊の映像に残ってる男は
痛々しさと神々しさを同時に感じてしまう。


今の日本人は心の根本的なところがダーティーになってしまったのではないかと・・。
353名無し三等兵:2008/12/03(水) 01:15:33 ID:???
>>352
そりゃあお前、懐古趣味と特攻隊補正のせいだよ。
お前がそういう風に見てるんだ。
俺にもそういう風に見えるんだけどな。
354118:2008/12/03(水) 01:50:14 ID:???
>>335
お祖父様、精悍ですね。
小生も、Gちゃんの写真を皆様方へ披露したい(と思っています)。

突然ですが、Aさん(後ろの偵察員Aちゃん)の消息ですが、、
Gちゃんがニュー・ジョージア島のムンダ沖で負傷する前に、
(247/248の書き込みをご覧ください)
未帰還/戦死されていることが判明しました、嗚呼・・・。

Gちゃんの戦いの話も再開させていただきます。
ご期待ください。
355名無し三等兵:2008/12/03(水) 02:02:18 ID:pB7bC0Eh
爺さんじゃなくて婆ちゃんの兄弟の話を婆ちゃんから聞いたことがあります。

大卒だったとかの理由で陸軍士官として軍役に付き、ソ連と戦ったって言ってたから多分満州にいたんだと思います。機関銃部隊を率いて戦ったそうです。
ソ連軍との戦闘では射手として戦ったそうですが、やはり敵方は機銃が脅威なのか重点的に狙ってくる。すると、横で作業している装填手の部下がバッタバッタと撃ち抜かれていったといいます。一方自分はというと、銃自体が盾になって幸いにも弾は当たらなかったらしいです。
装填手がいた事から九二式重機関銃あたりを扱っていたのではないかと思いますが、あんな防盾がついてない銃でも、盾代わりになったのかと思うと意外な感じがしてしまいました。
356名無し三等兵:2008/12/03(水) 03:03:05 ID:4SXr0fxv
三年前死んじゃったじいさんは2回戦争行ってたらしい九四式山砲の二番砲手だったそうで軍曹だったそうな
大虐殺の話聞くと便衣兵っていう、民間人のふりしたのがいて苦労したって言ってた
満州には無類の釣りが好きでつり竿を持って行ったらしい、
勲章を15年位前病院に入院した時に盗まれてショックを受けてたな、
調べたら満州なんとか?と勲七等と金鵄勲章とかいうのと分からんのがもう一個、
勲章盗んだ奴はどうするんだろな、
恥ずかしくないのかな、
戦争は赤紙来たから行かなくちゃって感じらしい、一旗揚げに行くって感じらしいな、大正生まれは、
いつもは、全然楽しそうに戦争の話をしていたけど、
終戦記念日に元部下達と酒飲みながら死んだ戦友の名前を呼びながら声を上げて泣いてたらしい
それより不思議なのが爺ちゃん目が生まれつき青いんだよ、八卦ロジンの血が混ざっとるとか
言ってた、なんだろな八卦ロジン、あとメイファーズとか中国語を使ってた(仕方が無いって意味らしい)


父方の爺ちゃんは何か戦車の下に入って、自爆する訓練をずっとやってたらしい
終戦直後友達に元海軍と海賊に成ろうと誘われたらしい、郵便局に口利きしてもらってたから断ったらしい
凄い時代だと思うな、凄い選択肢だよね
今83歳元気に車今も乗ってる
みんなもやっぱジジイは一番の心のヒーローなんだな、オレはいなく成って寂しくて仕方ないわ、、、
最後に25のおっさんのお願い
大切にしてあげなよ、お金とかそんなんじゃなくてただ、元気に馬鹿やるのが一番の爺さん孝行だからな
357118:2008/12/03(水) 03:57:56 ID:???
海軍の「下駄ばき野郎」だった祖父、Gちゃんの戦いを紹介させていただいて
おります。病院船「氷川丸」に乗船し、内地へと向かっています。

 18.○.○○
 南洋諸島トラック島入港 聯合艦隊長官我々見舞の為来艦さる
 慈父に會ふが如志 ○○丸(Gちゃん所属の母艦)ショートランド基地撤退
 と聞く 同年兵見回り品持参_______________
 ○○丸基地設施船舶_警任務に當る
 午後X光線撮影大腿部異常無志 今日躰起状伏困難 食慾進まず
 体温三九度を越すも頭さえるのみ

 長官の慈父の如しか言の葉は 戦ひ強き戦友をも__
 重傷に働かぬ躰 長官と聞きて手足無理に働かす

Gちゃんの戦いは続きます。
358名無し三等兵:2008/12/03(水) 06:39:15 ID:190LHnw5
うちの爺ちゃんは、独混三旅団で山西で戦ってた。
配属されて間もない頃上官のふんどし洗いを命じられ、何を思ったかふんどし廃棄。後で上官に聞かれ、ゴミだと思ったんで捨てましたと答えたら、後はふんどしを洗えとは言われなかったと誇らしげに言ってた。
あと、戦闘中クリークにうずくまってる中国人を助けようとしたら、いきなり手榴弾投げられたから撃ち殺したとも聞いた。
あと死ぬ間際に天皇陛下万歳と言う人は無く、大体の人が母さんの事を言って死んだらしい。
359名無し三等兵:2008/12/03(水) 10:44:51 ID:???
>>356
メイファーズ=「没法子」方法が無い、仕方がないという中国語だね。
八卦ロジンて何だwロジンは露人だろうが・・・
360名無し三等兵:2008/12/03(水) 10:58:01 ID:???
>>357
特設水上機母艦の名前がわからんのは居心地がわるかろう。
香久丸・衣笠丸・神川丸・聖川丸・君川丸・國川丸・相良丸・讃岐丸・山陽丸
のうちどれだ?Gちゃんが旧漢字で書いてるから読み取れないのかとも思ったけど
正字体でさほど変わる艦名はないようだし・・・
神川丸は4隻の頭文字を併せると「神聖君國」の成語となるように命名されてるね。
361名無し三等兵:2008/12/03(水) 11:01:23 ID:???
白系露人だろう
362名無し三等兵:2008/12/03(水) 11:40:41 ID:???
>>357
時期的に、い号作戦前の山本長官ですかね。
やっぱり慕われていたんですね。
363名無し三等兵:2008/12/03(水) 13:13:17 ID:6Kme1VfB
>>359
>>361
サンクス、
白系ロシア人って赤じゃない意味の白なんですな、納得した
不思議と差別されなかったみたい何だよね、東京の三越で働いてたとか言ってたし、
引き上げてくると奥さんに新しい夫が居て家を即飛び出したらしい、
けどその奥さん死ぬ寸前まで合いたいっていってたそうな、、、
当時、自転車2人乗りしたのが忘れられ無いとかで、、、
すごい時代だね、、、、
364118:2008/12/03(水) 14:39:33 ID:???
>>360
解説ありがとうございます。
Gちゃんが乗り込んでいた母艦名、実はあえて伏せておりました。
「R方面部隊」に編入された特設水上機母艦なので、おのずと察しがついて
いるのではないかと思って。
ご記述いただいた中に、該当する艦名があります。

>>357
山本長官が「氷川丸」を訪問した映像が残されているそうですね。   
記録映画「海軍病院船」 観てみたい。

夜なべをして、Gちゃんの写真をスキャンしまくりました。
さて、これからどうしようか・・・。
365名無し三等兵:2008/12/03(水) 17:59:24 ID:kO1EPj4i
爺さんでなく親父、満州で45式24榴撃ってた、
砲手でなく生体FCS!、演習でトーチか撃った時、
後ろに山下泰文が立ってたと、モチロン初弾命中、
砲眼口に命中したと自慢していた。
366名無し三等兵:2008/12/03(水) 18:10:44 ID:7Juh6Vwt
曽祖父は水戸歩兵第二連隊所属の曹長だった。満州事変、第一次上海事変、
第二次上海事変、日華事変、大東亜戦争(この頃は牡丹江で陸上勤務)
と戦い続けた。B級戦犯にもなった。1904年生まれ、81歳で亡くなった。
367名無し三等兵:2008/12/03(水) 19:02:29 ID:Mde/zqf2
>>335
爺さんカッコイイ
368118:2008/12/03(水) 22:55:07 ID:???

 18.○.○
 母港横須賀入港と聞くが身働き困難のため見るあたはず
 当日曇天に志て寒風強く約一週間の氣候の変化に傷痛むを感ず
 一年前再度踏は白木の箱と誓し吾は今日不覺にも白衣の身なるを無念に思ふ
 即日転院横病へ今日身動き一つ出来ず始めて看護婦の世話となる
 彼女等の姿天子の如し厚き看護に吾れは涙だぐむ

 看護婦の運びてくる此の食事 母の手許に良く_____
 今宵又傷の痛は身に泌めど 亡戦友忍びぐちも出ぬはず
 髪伸びて目のくぼみ此の顔に みとり女よりて吾が手を開く

Gちゃんの戦いは続きます。

Gちゃんの写真を大公開!
 ttp://imepita.jp/20081203/796160
 ttp://imepita.jp/20081203/795470
お早めにご覧ください。
369突然出てくる通りすがりのふたり乗り:2008/12/03(水) 22:56:22 ID:???
>>363
::::...   忘れられないのかなぁ?
   ::::... ∧_∧_∧
    ::::.(∀・( ´Д`)  そーなんじゃねーの
   r -(  ( O┰O
  ..::ii'⌒< <  ) 冊冊〉キコキコ・・
  ::'、__,,l!しし(_)l!lJ´
          '、__,l!j    ::::..  
370名無し三等兵:2008/12/03(水) 23:07:03 ID:???
本当にヤバイ状態で入院すると、看護婦さんたちが
みんな天使に見えるんだよな・・。

あの、戦中戦前を経験した世代でも同じだったんだな・・。
371名無し三等兵:2008/12/03(水) 23:52:47 ID:???
>>368
感謝です。
一枚目の後ろの機体はなんでしょうね。
輸送機かな?
372名無し三等兵:2008/12/04(木) 01:05:19 ID:???
>>368
笑顔が素敵だなぁ
373名無し三等兵:2008/12/04(木) 01:40:19 ID:???
>>368
ほんといい表情だなぁ

実際の姿を拝見してますますGちゃんの戦記がたのしみです

最近書き込み増えていい流れっすね
374名無し三等兵:2008/12/04(木) 01:56:55 ID:???
俺のGちゃんは国鉄職員だったから戦争には行ってない。

小学生のころ、授業で東京大空襲か何かのビデオを見て、先生に「自分のおじいさんやおばあさんに当時
の事を聞いてみなさい。」って言われて、家に帰って聞こうとしたんだけど、辛いことを思い出させるかもしれない
と思って1ヶ月ぐらい聞こうか聞くまいか悩んだ記憶がある。

悩んだ挙句聞くと俺は行ってないと。
ただ、国鉄の仕事で広島かどっかに出張したときに、大和を見たって言ってた。
ある日海に行ってみると見たことない島がある???って思ったら大和だったって。
当時は極秘で建造されてたはずだから本当に大和かどうかは分からないけど、普通の軍艦なんかより桁違いに
大きくて、何かアンバランスだったから記憶に残ってるって言ってたなぁ。

Gちゃんの知り合いに港で働いてる民間人が居たらしいんだけど、Gちゃんがその人に聞いた話では時々アメリカの
戦闘機がものすごい低空飛行で飛んできたって言ってた。パイロットの顔が見えたらしい。

あと、ご先祖様の鎧と日本刀が家にあったらしいんだけど、国が軍艦に使うからよこせ!って言われた時に鎧は提出
したけど、日本刀は守りきったらしい。

その日本刀は今でも我が家の家宝ですといいたいところだけど、俺が生まれるちょっと前ぐらいに柿の木を切るのに
使って折れちゃったらしい(笑)
375uaa:2008/12/04(木) 03:50:24 ID:0ojiiLft
>>358
ふんどし洗いを命じられたら棄てるのがお約束みたいだね。
下士官や古参兵でも褌は自分で洗うのが常識だったらしい。
まして戦地で変な恨み買ったら・・・・
376名無し三等兵:2008/12/04(木) 04:50:55 ID:???
私の爺ちゃんは6人兄弟だったが、戦後生き残ったのは爺ちゃん含めて3人だった
出兵していなかった、爺ちゃんと弟
戻ってきた兄1人

あとは皆戦死で、まともに遺骨は帰ってこなかったらしい
昔は、戦争で死んでしまうから、とりあえず数産んでた
と聞いた時は衝撃をうけた

あと凄いスレチなんだけれど、山本さんの話が上で出ていたので…

私の曾祖母か曾曾祖母は、昭和皇后と、お泊まり会をする仲だったらしく、戦時中も目をかけて頂いていたらしい
贈り物の中に、山本十五六さんの、掛け軸のようなものがあったのだが、戦後の時代背景上大切に隠して保存していたらしい
今年に入って、その掛け軸が婆ちゃん宅で、爺ちゃんにより発見された

婆ちゃん、戦後の混乱の中よくぞ守りきってくれた!!
と感動した
婆ちゃんは数年前他界した
377名無し三等兵:2008/12/04(木) 08:45:08 ID:???
俺の爺さんはシベリアで抑留されてたらしい。
ソビエトの戦車が橋を落としても渡河して追ってきた話や、ある日みんなが洗濯してるので
何があったのか部下に聞きに行かせて初めて終戦を知ったとかそんな話は聞いた覚えがある
ただ、どんなに寒くてどんなに辛かったかは聞いた覚えが無い。俺も小さかったから興味の無い話は忘れたのかもしれない

時々会報みたいなのが送られてきて、なにやらシベリアが云々書いてあったが爺さんは興味無さげだった
夏休み頃に弁護士を名乗る人が家に来ては爺さんと何やら話してたが丁重に断ってた様だった
後になって知ったがシベリア抑留の補償を求めて国を訴えようと言う話だったらしい
もう軍人ではなかったが公務員やってる爺さんにだ。本当に迷惑そうだった

もう、十年以上前に爺さんは亡くなったが爺さんとシベリアを結びつける物は
ダイゴの爺さんの名前で送られてきた感謝状とメダルくらいのもんだな
378名無し三等兵:2008/12/04(木) 15:38:46 ID:???
>>376
出張鑑定団へ
379名無し三等兵:2008/12/04(木) 17:20:08 ID:???
山本十五六さんじゃ贋作とみなされるぞ!
380名無し三等兵:2008/12/04(木) 17:40:22 ID:???
ほんとだ。やまもとそごろくさんだw
381名無し三等兵:2008/12/04(木) 20:39:41 ID:???
今、実家に顔出したら、ニューギニア帰りの祖父にNHKが話聞きに来てた。「戦争証言」シリーズだそうで…。じーさまと戦友さんと3人で昼から話してたらしい。
記者さんは軍隊の話とか南方の地名とか知ってるの?と思ってしまうような若い美人な方でした…NHKめ考えたな(w
382名無し三等兵:2008/12/04(木) 20:48:28 ID:???
美人インタビュアーか。オレならペラペラと余計な事まで喋るな・・。
383名無し三等兵:2008/12/04(木) 22:31:58 ID:???
>>368
やっぱ最後は六三四とか芙蓉とかなのかな
384名無し三等兵:2008/12/04(木) 23:27:59 ID:???
>382

白豚や黒豚の話ですか・・。
385118:2008/12/04(木) 23:55:02 ID:???
>>371
>一枚目の後ろの機体はなんでしょうね。
わかりません。小生の勉強不足です、申し訳ありません。

>>372
>>373
なんか照れるなァ・・・。自分のことでもないのに。
お望みであれば、他の写真もすぐ用意できますが、いかがいたしましょう?
ですが、「調子にのるんじゃねェ」と叱られそう。

>>383
小生の勉強不足で、恐れながら・・・。
六三四とは、「第六三四海軍航空隊」のことでしょうか? だったら、否です。
芙蓉(ふよう?) 部隊名? 艦名?
386名無し三等兵:2008/12/05(金) 00:20:30 ID:???
Gちゃんの話は、語っている人の人柄まで感じられるよ
風当たりも強いかも。
387366:2008/12/05(金) 01:03:22 ID:zS6jrzgN
軍隊生活20年、曹長ともなると威厳があって、新米の士官なんかは階級章見ずにとっさに
敬礼してしまうそうだ。緊張した新米少尉にタメ口使っても怒られなかったらしい。
ワンボックスカーに従兵付でのれたそうだ。
突貫攻撃の時の話も少し聞いた。自分の隣で部下が戦死したり。
いつも無口な曽祖父、軍隊の楽しい話はしたが、戦闘の話になると口をつぐんだ。
それで静かに軍歌の戦友を歌いだしてた。
388118:2008/12/05(金) 02:16:00 ID:???
>>383
解決しました。
美濃部少佐率いる、あの「芙蓉部隊」のことですかね? これも、否です。
全く以て修行が足らないようです。

389376:2008/12/05(金) 03:59:45 ID:???
>>378
祖父が亡くなったら出すかもしれません
(´・ω・)今、出す気はないみたいで

>>379
あわわ;漢字が携帯変換じゃ出ずorz
申し訳ない;
390uaa:2008/12/05(金) 06:40:53 ID:M2CF+vgS
>>376
戦争で死ぬからというより病気で死ぬ率が高いからでしょ?

うちの場合、5親等以内で戦死したのは祖父さんの妹の旦那だけだな。
391381:2008/12/05(金) 07:37:01 ID:???
>382
>384
うちのじいさまはボイシ高地付近の戦闘で大腿部に砲弾片くって後送、サラワケットは超えないで済んだから、その辺は喰わずに済んだ人。

でもたぶん部隊は山超えた話もしたろうなぁ…。
392名無し三等兵:2008/12/05(金) 19:55:04 ID:???
>>390
「5親等以内」って、良く確認できたね。
系図がはっきりしていて人の移動も少ない田舎にずっと住んでいるのかな?
393名無し三等兵:2008/12/05(金) 19:56:46 ID:???
>>387
星の数(階級のこと)よりメンコの数(食器から転じて年期の意味)というやつですな。
394名無し三等兵:2008/12/05(金) 20:01:55 ID:???
>>390
5年前、医学生だった頃に実習の一環として患者さんの家族暦を詳しく
尋ねていた。んで、70-80台の人の話だと大体みんな
4人とか5人兄弟で(一人っ子とか殆どいなかった)、
成人する前に死んでる兄弟の話も全然珍しくなかったよ。
多くの場合、その死因は肺炎だったり結核だったり、
中には「川で洗濯をしていたら流れていった」
なんてのもあったけど。ここ70年の短い期間に、
抗生剤の出現で若年者の死亡率は大幅に下がっている。

それよりもう少し上の年代だと「実年齢は戸籍年齢より3年上」なんてのも。
理由は「3歳になる前に死んじゃう率も高いから、その年齢を過ぎるまで届け出なかった」とか。
395366:2008/12/05(金) 21:16:10 ID:zS6jrzgN
どこかの司令部にいたとき(牡丹江だっけな)、曽祖父のいた部屋の
隣に砲弾が落ちて、隣の部屋にいたのは即死してしまったのだが、
曽祖父は額に傷折っただけで助かった。でも、一生額の傷は残ってた。
あと、若いころは連隊一射撃がうまくて、大会に出場したそう。
曽祖父の三八式はクセがある銃だったらしい。
 連隊のみんなが息を詰めて見守る中、旗に玉があたると一斉に
ワーッとわきあがったんだって。
396名無し三等兵:2008/12/05(金) 23:19:37 ID:???
20年とは凄いベテランですね。
38式歩兵銃に限らず、銃器には個々の癖があります。
射撃が上手い人はそれをよく掴んでいるという事です。
流石はベテランだなあ。
397118:2008/12/08(月) 02:02:28 ID:???
Gちゃんは、横須賀の病院での入院生活が始まりました・・・。

 18.○.○
 隣寝の戦友死却す 彼れも小生同様の熱傷である
 今日益々病状面白くない熱傷治療繃帯換交に苦痛を感ず隣室にて蓄音機 
 をかけて居るらしくスラバヤ基地に於いて良く聴いた曲が流れて来る 
 元氣な当時を想ひ感涙す 当時の同年兵諸子は南海上空の華と散り
 吾一人傷付き後送れた事を残念に堪えぬ

 明朗にならひし此の流行歌(うた)ぞ 今日きく歌は淋しく聴こゆ

 
 18.○.○○
 御下賜品御菓子煙草を頂戴し皇思の厚きに感涙す
 大腿部化膿志始め第一面切開排膿す 日増に悪化す身動全く出来ず
 食慾又進すまぬ 看護婦より果實戴き此の蜜柑の美味吾を蘇生さす
 今宵も寝苦志く傷痛訴へ悪夢に驚く

 ____恩賜の煙草戴くと 戦盲の兵ひたい寄せて見
 恩賜品みとり女交り戴くを 吾は動けず涙で迎ふ
 みとり女の心づくしの此の果實 蜜柑の美味に舌づつみ打つ
 お食事を運びくる度び看護婦は 吾が好き嫌ひおぼへて皈へる
 切開終汗ふきながら軍__官 摘れた弾片吾に見すかふ

次回は、Gちゃん戦いの分岐点。
日増しにGちゃんの足の傷は悪化していきます。
これからの戦いはおろか、Gちゃんの人生をも左右することになりかねない
ある宣告を受けます。それは本当に悲しいことでした・・・。

Gちゃんの戦いは続きます。
398名無し三等兵:2008/12/08(月) 02:49:05 ID:???
伏せ字入れる理由を教えてくれ
399名無し三等兵:2008/12/08(月) 02:55:07 ID:???
>>398
伏字じゃなくて読めないんじゃないの?
400名無し三等兵:2008/12/08(月) 05:00:24 ID:???
>>118
消えていたり、抜けているんだろう。
あと、個人名などの情報とか…
401名無し三等兵:2008/12/08(月) 18:52:03 ID:???
>>398
・・・最初のカキコ番でずっとカキコしてくれてるんだから、
該当の>>118見ろよ
>痛みが激しく字が抜けている箇所、経年変化で字が消えている箇所
402名無し三等兵:2008/12/08(月) 21:21:27 ID:???
水母の名前意図して伏せたとか言ってるじゃん
403名無し三等兵:2008/12/09(火) 01:02:49 ID:5hAUMUoQ
日付が変わってしまって何だが、67年前の昨日、祖父は祖母に敗戦を予言したんだなぁ……

祖父が生前に「勉強しろ。見聞を広めろ。教養を身につけろ。」と言ってた理由を、暗愚なオレは大人になってから解ったんだよな…
404名無し三等兵:2008/12/09(火) 02:41:55 ID:???
敗戦を予言といえば、家の祖父は、アメリカの機械に対抗した国産の機械会社にいたから、あんな相手に、何をどう間違っても
絶対に勝てないと分かっていたけど、そんなのは間違っても口に出せなかった。
挙げ句に、親族を何人もなくして、苦心して建てた家も空襲で燃やされて「焼け出され」て、怒り心頭に発していたそうだ。
405名無し三等兵:2008/12/09(火) 03:22:47 ID:3tCyr0hs
レイテで逝ったらしいばぁさんが言ってわ
406名無し三等兵:2008/12/09(火) 22:07:09 ID:572Muhp3
うちの父方のじいさんはあと一ヶ月戦争が長引いていたら戦地へGO!
防空壕掘ってたときに空襲受けていそいで防空壕に入ったらしい。
工場の近くだったから狙われたって言ってた。
銃弾飛んできて驚いたとも言ってたなw

父方のばあさんは、空襲の時に背中におぶっていた弟に爆弾が命中したって言ってた。
二人とも生きていて何よりだよ。

余談だが母方のばあさんは地元で有名な金持ちだったが、空襲で工場が無くなったって言ってた。
407名無し三等兵:2008/12/09(火) 22:24:51 ID:???
↑つまらんツッコミですまん。
「爆弾が命中」したら二人とも即死だと思う。
爆弾の「破片」が命中(当たった)ってことかな?
408406:2008/12/09(火) 22:48:22 ID:572Muhp3
>>407
つっこみどうも。
たぶん破片だと思います。
409名無し三等兵:2008/12/09(火) 23:20:46 ID:???
父方のじいちゃんはあんまり戦争のこと言わなかった(親父が若い時に喧嘩して資料や日記のたぐい全部燃したらしい)けど
「偉いひとや賢いひとは全部わかった上でいろいろと言ってるわけじゃない」と教えてくれた。
てゆか30前に終戦でその時の階級が海軍大尉って兵学校あたり出たのかな?
410名無し三等兵:2008/12/10(水) 00:43:59 ID:???
>>409
私も詳しくはありませんが終戦時30前で大尉となると、海兵を出てる可能性は高いかと
大体67期前後といったところ?

あとは早めに予備士官になっていたとか
411名無し三等兵:2008/12/10(水) 01:15:44 ID:???
父方母方双方とてつもない大地主だったらしいから戦争さえなければ
今頃俺もボンボンのボンだったのに○| ̄|_
412名無し三等兵:2008/12/10(水) 02:04:13 ID:???
>>408
イヤ、多分直撃弾を弾き返したんだよ。凄いよな
413名無し三等兵:2008/12/10(水) 02:17:49 ID:???
うちの爺さんの年代の早生まれまでが戦争に徴兵されたらしい(じいちゃん遅生まれ)。
空襲があった時も、たまたまその日に街から離れた実家に戻って難を逃れたとか。
空が真っ赤になってるの見て帰らなかったら確実に死んでいたと言ってたな。

そんな幸運な爺ちゃん、今も元気で近所にシベリアで地獄の体験した人いるんだが
その人と昔話で盛り上がってるらしい。
414uaa:2008/12/10(水) 05:36:46 ID:MJFPPUlH
>>408
焼夷弾じゃない?

>>392
東京だけどそのくらいわかるよ。
両親より年下だと徴兵年齢に達しないから戦争に行った年代の5等親以内は、
祖父、大おじ、大おばの配偶者、伯父、おばの配偶者、両親の従弟ってことになるけど、
そのくらいは法事で顔合わせるだろう。

母方は理系高学歴が多くて戦争に行ったのが少ない。ブラジル行っちゃった人もいるし。
母の従弟に学徒動員で入営した人がいたけど、戦地に行く前に体を壊して死んだ。
逆に、父方の祖母の系統は頭悪いけど悪運と体の丈夫さだけはすごいから、祖母の弟達は全員生還(しかもいまだに全員生きてる)。
父方の祖父はビルマへ行って生還。その弟は技術将校だったから前線には行かずに朝鮮で終戦。

6親等の祖父母の従弟になると全部は把握できないけど、
祖父さんの従弟から戦地で祖父さんと会った話を聞いたことがある。
415名無し三等兵:2008/12/10(水) 05:51:07 ID:+rkkck6L
>>375
なるほど!勉強になりました。
416名無し三等兵:2008/12/10(水) 14:20:33 ID:???
最近シベリア抑留されてた伯父が無くなった。
一度死線を越えて帰ってきた人は長生きするんだなあと思う。
417名無し三等兵:2008/12/10(水) 15:21:04 ID:???
俺の父方のおじさん連中は4人出征して、なんと4人とも帰ってきた。
一番上のおじさんは自称陸大卒だが、絶対嘘だと思う。だが、陸士を出たのは間違いないらしい。
そのおじさんから聞いた話だが、中国大陸をあちこち転戦していたとき、地元の有力者との人脈の有無は
非常に大事だったらしい。
そういう有力者を通じてうまく地元民をコントロールする事で、直面する危険もずいぶん減るとか。
で、相手とうまく仲良くなるこつは、とにかく一緒に食事する事なんだと。
出されたものを、目の前で、美味そうに腹一杯食べると、相手の友好度がぐっと上がったそうだ。
なかには「なっ!なんじゃこらぁ!!」というものもあったらしいが、我慢してがつがつ食ったらしい。
なんか中国らしいというか、中国人らしいというか、そういう風に思ったよ。
418417:2008/12/10(水) 15:28:05 ID:???
三番目のおじさんは零戦のパイロットだったらしい。
軍ヲタになりたての頃、そのおじさんに話を聞きたくてたまらなかったが、「戦争の話は絶対するな!!!」と
父親に恐ろしい形相で言われて、結局何も聞けないまま今に至っている。
部下を死なせてしまった事について、戦後も長い間苦しんでいたそうだ。
419名無し三等兵:2008/12/10(水) 22:25:19 ID:???
大東亜戦争ばかり語り継がれてるけど日清日露の話ないの?
420名無し三等兵:2008/12/10(水) 22:48:56 ID:???
あの時代を知ってる人は、もう居ないだろ・・・。
421名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:15:14 ID:kD3yFRjm
>>404うちの祖父も当時、毛織物商人をやっていましたので(工場もいくつか持っていた)、国際感覚を持っていました。
工場を焼かれた終戦後の混乱期には、進駐軍の通訳をやって食べ繋いだようです。

祖父は例に漏れず寡黙な人でしたが、祖母の話によれば開戦当時から民間でも危惧する声は強かったが、とにかく憲兵の目が怖くて信用出来る人以外になかなか話せなかったようですね。


あとその祖母ですが、226事件の際に現場付近に住んでいて、行軍する反乱軍を生で見たそうです。夜の闇の中を全員無言で、雪を踏み締める軍靴の音だけが響いて不気味だったと言ってました。

ひょっとするとその中に、立川談志の師匠(名前忘れた)もいたかもしれませんね(笑)
422名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:24:47 ID:???
>417

海兵のはそっかのサイトで全員検索できるらしいが
陸士のはないのかな?
423名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:49:00 ID:3hu2wkZ1
うちの祖父は戦争には行って無いけど、
鉄道の司令部(でいいんだったかな?)の疎開先の臨時司令部の建物に陸軍の高射砲隊が駐留してたそうだけど、
偽装したままで結局終戦まで一発も撃たなかった。とか

進駐軍の米兵に英語が読めないのが結構居た。とか聞いたことあるな。
アメリカの識字率ってそんなに低かったっけ?
424名無し三等兵:2008/12/11(木) 00:03:14 ID:nZ/Niaux
うちのジイチャンは壱岐で戦ってたらしい。戦友が戦死したそうで毎年壱岐に拝みに行っている。壱岐で戦争があったなんてしらなかったなあ
425名無し三等兵:2008/12/11(木) 00:10:25 ID:???
>>423
下手に撃つとかえって空襲食らってぼこぼこにされるからだろうね。近隣にも傍迷惑だし。
426名無し三等兵:2008/12/11(木) 00:37:26 ID:46F7Oj1q
母方の祖父は中島で隼、疾風の足を作っていた。祖母はB29の墜落現場を見に行ったようです。
伯父は中卒ですぐ霞ヶ浦の海軍の整備兵になり、末期で毎日空襲だったみたい。

父方の祖父は近衛兵?だったようで226の時は現場の雰囲気がものものしかったらしい。その後満州に行きソ連に捕まりシベリアに5年近く抑留され四十近くになって引き上げて来たみたい。最終階級は中尉だったと思う。
427名無し三等兵:2008/12/11(木) 00:55:18 ID:???
>>419
戦争のエピソードじゃないけど
曾祖父が日露戦争当時、二百三高地に従軍している。貧乏士族に生まれて
苦学していた曾祖父は塹壕の中でも法律書を読んで努力し、後に高文試験
を上位で合格して役人になったのだそうだ。
「そういう曾お爺さんに比べお前はなんだ」とよく母に言われるが、一言も
無い程オレは筋金入りのナマケモノww

同じく戦争の直接のエピソードではないが、今は無き祖母が何かの折に語ったお話
日本の国連脱退の時、新聞紙面は勇ましい言葉に踊り、自分たちも含め多くの人たちが
”よくぞやった”という感慨を隠さなかったのだということだ。今考えれば、あれこそ日本
の運命の岐路であったが、当時は夢にも思わなかった。あの時なぜあんな風に考えたのか
本当に不思議だ。しみじみと語ってたのが印象に残ってる。
428名無し三等兵:2008/12/11(木) 01:15:58 ID:???
爺さんが小学生の頃、家の近所に寺の敷地内に高射砲の陣地があったらしい。
いつも遥か上空を飛ぶB29に手も足も出ず指をくわえて見てるだけで、
滅多に撃たなかったらしい。でもある日、油断したか機体の不調か分からないけど、
めちゃめちゃ低空でB29が飛んできた(爺さんは100b以下だったと言い張ってるw)
しかも高射砲の真上に。
近所の子供たちは
「B29が墜ちるぞー!」
と竹槍(←殺す気満々)を持って大騒ぎしながら寺にダッシュしたそうな。

しかし、高射砲兵達がミスったのか、砲弾が炸裂したのはB29の遥か後方。
子供達は激怒して砲手に
「下手くそ!」
とか
「能無し!」
とか罵声を浴びせたらしい。

昔の兵隊にこんな文句を言うなんて……
幼いって恐ろしい。
429名無し三等兵:2008/12/11(木) 03:14:14 ID:???
>>419
ひいじいちゃんが輜重兵してた
430uaa:2008/12/11(木) 05:24:37 ID:WGXo4SI3
>>428
B29が飛んでくる頃の兵隊はそんなに気が荒くないと思う。
故郷に同じくらいの歳の子供を残してきてるような応集兵じゃないかな?

ノモンハン事件の頃が一番荒かったそうだ。
431名無し三等兵:2008/12/11(木) 05:39:10 ID:???
>>416
長生きするようなひとしか帰ってこれなかったんだよ
432名無し三等兵:2008/12/11(木) 10:54:55 ID:???
>>427
>あの時なぜあんな風に考えたのか本当に不思議だ

その後戦争に負けたからそう思うだけだよ。
勝っていれば思い出しもしなかっただろう。
433名無し三等兵:2008/12/11(木) 10:58:23 ID:???
戦後まだ本土に残っていた士官学校組は狂犬のような連中だったと
山田風太郎が言ってたような気がする
434名無し三等兵:2008/12/11(木) 11:52:04 ID:???
あれだけ我が物顔だった憲兵や特攻は戦後なにしてたの?
さすがに戦後は大人しかったの?
435名無し三等兵:2008/12/11(木) 12:01:12 ID:???
バジリスク〜甲賀忍法帖〜の人か
436名無し三等兵:2008/12/11(木) 14:06:47 ID:???
>>428
酷使様が聞いたら、子供を竹やりで焼き鳥のように串刺しにしそうだなw
437名無し三等兵:2008/12/11(木) 14:38:35 ID:???
>>434
エラかった人は公職追放で引きこもり
機転のきく人はいち早く主義主張を翻して議員や何かに立候補
メチルやヒロポンで身を持ち崩し、特攻崩れと呼ばれる人もあり
こんなイメージがあるな。

>>433
山田風太郎の戦中派シリーズや水木しげるは
いつ読んでも何かしら発見がある感じ。
うちの父親は満州で鉄鋼業勤めだったし
母親は田舎で疎開児童を迎える側だったから
いかにも戦争らしい戦争の話は、もっぱら書物にしかない。

もっとも、いかにも戦争らしい戦争を語れる人は
飢えや戦災で亡くなった人が大多数なんだろうけど。
438名無し三等兵:2008/12/11(木) 15:12:08 ID:???
まぁ水木先生が戦争が嫌いなのはわかるよ。
だっていちばん軍隊に合わないタイプだし…
439名無し三等兵:2008/12/11(木) 21:16:40 ID:???
>>431
そうなんだよね。
軍記でしか知らないけど、ニューギニアなんか、食うや食わずの状態で、山岳部のしごきも軽い遊びにしか見えないような
物凄い山越えをやって、かろうじて、その場では死なずに済んだくらいだったそうだし。
440名無し三等兵:2008/12/11(木) 21:19:32 ID:???
>>438
まあ、あの人はちょっと普通じゃないからね。
軍隊どころか、普通の学校に単に普通に通うだけでも全然駄目なタイプとしか考えられないし。
441名無し三等兵:2008/12/11(木) 22:08:56 ID:???
三年前に亡くなった爺さんは満州で騎兵をしていた
戦火が激しくなる前の事、休暇が取れたので朝鮮に旅行したそうだ
休暇が終わりに近づき基地に帰ると・・・
部隊が移動していて一人取り残されていたそうだ
どうやって原隊復帰したかは終ぞ聞けずじまい

婆さんの話
終戦間際、幼い長女(俺の母の姉)を抱え戦闘機の機銃掃射から逃げ回った事があると
「弾が体のすぐ傍を掠めて死ぬかと思った」「銀色でピカピカのグラマンだった」
婆ちゃんそれグラマンやないで、マスタングや
何度言っても死ぬまでグラマンと言い続けてた
442名無し三等兵:2008/12/11(木) 22:18:53 ID:MOKI9H66
うちの曾祖父は、
ニューギニア島のゲニムって地域のアイタベサル?での戦闘で戦死したらしい。工兵だったみたいだけど、機銃射撃中に戦死したと、奇跡的に生還した戦友の方が言ってたそうだ。

もっと曾祖父が戦死した戦闘の様子を詳しく知りたいと思って、『アイタベサルミ』ってググっても出て来ないから、地名を間違ってるのかもしれない…
443名無し三等兵:2008/12/11(木) 22:32:50 ID:UGrN34ve
>>434
政治の雑誌でたまに見るけど
特高は共産党員監視から占領軍兵士の素行調査
警官や女性襲う米兵を独立後に起訴するために
444名無し三等兵:2008/12/11(木) 22:34:34 ID:???
>>442
「ゲニム」「アイタペ」「サルミ」は、ニューギニア北岸にある別々の地名。
445名無し三等兵:2008/12/12(金) 00:19:09 ID:???
446名無し三等兵:2008/12/13(土) 01:40:00 ID:???
こないだ亡くなったGさんは左肩(鎖骨あたり)に貫通の銃創があった。
同居してなかったし、傷の話を聞いたのは小学生くらいの時だったから状況や経緯は覚えてないが、
もしもあと30cmほど斜め上で頭にくらってたら俺はいないんだなあ…

全然戦争体験の内容がないけど気にしないでくれ
447名無し三等兵:2008/12/13(土) 04:19:15 ID:NhiipAIe
俺のじーさんは学徒出陣で台湾にいた。

何事もなく終わったみたい。
448名無し三等兵:2008/12/13(土) 13:04:43 ID:DZ1DTzt5
うちの祖母方の曾祖父さんの話しなんだが
曾祖父さんは203高地を落とした部隊にいて、
203高地は金属触ると手が張り付くほど寒くて大変だったらしい。
あと部下を激励するために敵の弾が飛び交う中、剣舞を舞っていたらしい。
その時敵弾が耳を掠めて耳たぶに小指大の穴が空いていたと祖母が笑いながら話していたを思い出した。
あと小屋の雷管の空き箱から軍事郵便がでてきたのでそのうち解読してみようと思う。
449名無し三等兵:2008/12/14(日) 00:54:01 ID:???
>>448
期待! おそらく当たり障りのないことしか書けなかっただろうけど、それも貴重だし。
450名無し三等兵:2008/12/14(日) 08:35:33 ID:???
浮気がバレた事による爺さんと婆さんの第四次大戦が勃発し爺さんが無条件降伏し嫉妬に狂った婆さんが
1ヶ月間毎日セクロスしてと言う条件が提示され忠実にそれを実行してその時命中した一発が俺の父ちゃんだそうです
451名無し三等兵:2008/12/14(日) 09:52:32 ID:8EQhTkS3
わたしの祖父は、
太平洋戦争末期に、二度にわたって米英軍の艦砲射撃を受けた岩手県の釜石市に住んでます。
東洋一と讃えられた、釜石製鐵所の高炉や工場群は全滅、市街地も焼け野原になり、千人近くの市民も亡くなったそうです。

戦後、戦災都市巡行?で昭和天皇が釜石にいらっしゃった時、見学していた数人の市民に陛下が声をかけられたらしく、当時中学生だった祖父にも、
『勉強を頑張り、立派な大人になって、復興に協力してくださいね』と言われたそうです。

その時祖父は、感激と緊張で、気絶しそうだったとか。

祖父はその後、釜石製鐵所の社員として、戦後日本の復興を支え、閉山により高炉の火が消えるまで、数十年間働き続けました。
452uaa:2008/12/14(日) 11:22:54 ID:KFMLw7r3
>>450
うちの場合、祖母さんを三回も孕ませた祖父さんは神だ。
俺だったらビルマの竪琴の水島になってたと思う。
453名無し三等兵:2008/12/14(日) 11:27:49 ID:???
日本へ帰ろうよ・・・
454名無し三等兵:2008/12/14(日) 18:01:07 ID:???
じい様ではなく
ばあ様の体験談です。


ばあ様は子供時代、
日本の戦闘機とB29との空中戦を見たそうです。
ちっぽけな日本の戦闘機がB29の真上が逆さまに 落ちてくるとB29から ぽっと火がつき
白煙をあげたそうです。
すると戦闘機は再び上昇しさらに射撃を加えると
B29の白煙は黒煙に変り墜落していったとのこと。そのとき地上では
大人も子供も
拍手喝采だったそうです。また高射砲は
ものすごい音だそうで
B29のまわりに
煙がパッパッと開くと
B29の白煙が上がり、 しばらくするとすぐに
消えてしまったそうです。そして高射砲の音が怖く
何人もの人が
ノイローゼになったとか。
455名無し三等兵:2008/12/14(日) 21:09:35 ID:???
>>454
ドコの街で暮らしておられたん?  >祖父母

日本の迎撃戦闘機は飛燕かな?
456アア溶岩:2008/12/14(日) 21:54:02 ID:???
>>447

> 俺のじーさんは学徒出陣で台湾にいた。

> 何事もなく終わったみたい。

同志発見!!
うちのじぃちゃんも学童出陣で台湾の高雄近辺の砲台長してた!
457名無し三等兵:2008/12/14(日) 22:29:44 ID:???
うちの爺ちゃんは家にいた。
458名無し三等兵:2008/12/14(日) 22:44:48 ID:???
>>456
おい、“学童出陣”て…
小学生が砲台長かよ!
459名無し三等兵:2008/12/14(日) 23:08:02 ID:???
ワラタ
460名無し三等兵:2008/12/14(日) 23:11:00 ID:???
454です。
当時ばあ様は、
東京の砧にいたそうです。だから厚木航空隊かと?
461名無し三等兵:2008/12/14(日) 23:15:01 ID:???
雷電だ・・・・!!!
462名無し三等兵:2008/12/14(日) 23:46:11 ID:???
砧なら普通に調布244じゃね?厚木よりは近い。
463名無し三等兵:2008/12/15(月) 02:56:37 ID:???
>>456
「学童出陣・・・」 (´・ω・`) ←ワケ分からんこといわれてカクッと来ているじいさん
464名無し三等兵:2008/12/15(月) 03:04:55 ID:???
>>462
調布って、今もある飛行場のこと? あそこから迎撃機が飛び立ったの?
中島のすぐ隣りなのに三菱の雷電・・・ どこに何を配備するかは関係ないか。
465名無し三等兵:2008/12/15(月) 07:24:33 ID:???
>>464
当時調布飛行場にいたのは陸軍の飛行第244戦隊、装備機は3式戦→5式戦
(97式戦も使っていたが、B-29の本土空襲が始まった頃は、さすがに引っ込められている)
466名無し三等兵:2008/12/15(月) 22:25:29 ID:???
>>464 調布飛行場の他、いまの立川基地、横田基地、成増飛行場(米軍住宅グラントハイツを経ていまの光が丘団地)あたりが陸軍の主要飛行基地。
467名無し三等兵:2008/12/16(火) 02:57:37 ID:???
>>465
ふーん、三式戦・飛燕 とその派生型の五式戦ですか。

B29の高度に達して自在に動くことができるのが、そのくらいしかありえなかった、ということですよね。
>>454のお祖母さんが目撃したのは、あるいはそっちなのかな。まあ、知るはずがないし、10q以上も先じゃ、何なのか見えないですね。

厚木なら雷電なのかな? 飛行機ならほんの一飛びだから、厚木方向から追ってきたということもあり得ないではないだろうけど、
考証的にはどうなんですかね?
分担はあったとしても、射撃可能範囲に来てるのに分担のせいで引き返すなんてことはありえそうにないし。
468名無し三等兵:2008/12/16(火) 03:02:18 ID:???
>>466
あ、陸軍の飛行場。あ 雷電は海軍機か。
厚木は確か坂井さんがいたとか記憶するから当然海軍?
厚木辺に陸軍士官学校がなかったかな? あ、相武台か。それは関係ない別の事柄?
469名無し三等兵:2008/12/16(火) 03:54:24 ID:6BpwBtIW
私の友人のお祖父さまは、あの空母大鳳の艦長、
菊地朝三大佐(当時・後に少将)でした。

沈没の際、縄で縛って艦と運命を共にしようと
したらしいのですが、何かの拍子に縄が切れて、
気を失ったまま漂流していたところを救助され
たそうです。天寿を全うして亡くなったとき、
新聞の社会面に帝国海軍最後の提督亡くなる、
とタイトルが付いて
いました。確か20年くらい前のことです。

私が小学生のとき、戦争のことを尋ねましたが
黙して語らず、ただ優しい目をしたお祖父さま
だった記憶が残っています。
まさか、あの大鳳の艦長だと知っていたら、色
々聞けたかもしれないなぁ、と残念に思います。
470名無し三等兵:2008/12/16(火) 11:13:50 ID:2fOEph/A
>>468
厚木は海軍の航空基地。
302空は敗戦時に小園安名大佐が大反乱起こしてたよ。
471名無し三等兵:2008/12/16(火) 13:13:31 ID:???
休みのたびにピー屋で抜きまくっていたという話は聞いた。
みんなセックス以外に娯楽がないから、長蛇の列だったらしい
472名無し三等兵:2008/12/16(火) 16:11:22 ID:2fOEph/A
>>471
ピー屋っていわゆる慰安所ってやつの隠語だっけ?
473名無し三等兵:2008/12/16(火) 16:29:04 ID:YQq5kPf0
>>470
枯れは終戦後の行動から銃の取り付け方まで斜めでしたな
474名無し三等兵:2008/12/16(火) 16:37:14 ID:2fOEph/A
>>473
斜銃ってやつだね。

俺個人の考えとしては、小園安名大佐のやったことは確かに
過激すぎるが、その熱烈な愛国心と信念を曲げない心は評価すべき。
過激すぎるので精神病院に入れられてしまったが。
475名無し三等兵:2008/12/16(火) 17:01:03 ID:???
厚木事件だね。
小園司令が錯乱したのはマラリアの再発によります。
476名無し三等兵:2008/12/16(火) 17:28:39 ID:???
454です。
様々なレス、感謝します。ばあ様の話では
高高度ではなさそうです。ともかくB29の
真上から落ちるように
突っ込んできて
B29に煙を吹かせた後
再び上昇して
もう一撃を加えたと。  かなりの腕の操縦士だと 思いました。
477名無し三等兵:2008/12/16(火) 23:10:32 ID:P1BinoD+
うちのじいちゃんは八幡製鉄所で働いていた(当時40代)
叔母が言っていた「じいちゃん危なかったのよ」
おいら「なにが?爆弾?」
叔母「馬車に乗って帰る時に、八幡の町が空襲されていて電線がぶら下がってて、危なかったのよ」

じいちゃんの額はへこんでいた
おいら「じいちゃん、それは戦争の時、爆弾が落ちてきてあいたの?」
じいちゃん「ん?違うよ、上から鉄骨が落ちてきたんだwww」

そんな一家もあるのだw
おいらの父ちゃんなんか空襲の時、子供だから屋根に登って「すげ〜B29大きい!」と
じいちゃんのいる製鉄所が爆撃されたり、空中戦の様子を、ワクテカしてみていたらしいwww

おいら「ねえ、お父さん!戦争の時ご飯がなかったの?」
とうちゃん「うちは農家もやってたからなぁ?戦争の時は寒かったから、焼いた石をハンカチに包んでポッケに入れてたよ」
かあちゃん「私は当時赤ちゃんだったから良く、知らんわwww」
478名無し三等兵:2008/12/17(水) 00:28:16 ID:5wy5ykx3
>>475
厚木事件の収拾に元上司だった菊地少将(元大鳳艦長)が出向きましたが、
激論の末まったく話にならず、病院へ入院させたんだったかな。
479名無し三等兵:2008/12/17(水) 01:20:15 ID:???
>>470
陸軍機海軍機、どっちもありえたと。
480名無し三等兵:2008/12/17(水) 19:16:53 ID:???
>478

詰まらんこと始めた当座に
憲兵か巡邏送り込んで即刻逮捕できんかったものかな。
481名無し三等兵:2008/12/17(水) 19:22:33 ID:???
終戦で混乱してましたからね。
そして相手は302空。
強硬手段でいけば、流血沙汰になっていたでしょう。
482名無し三等兵:2008/12/17(水) 19:58:46 ID:???
話の腰を追ってしまうが、厚木の航空隊に友達のおじいさんが配属されてた。
厚木で零戦乗ってたんだよって話を聞いてたんで、てっきり302空に居たの
だと思ってたが、調べたら203の方みたいだった。
下の名前が解らんので特定できなかったが、同じ名字の人が数人にいた。
もっとも、ものすごく日本人には多い名前だから断定はできんのだけど。
友人も早逝してしまったので今となっては名前を聞きようもない。

話を聞いたのは厨房の頃、一度だけだったけど確か、出撃は5回で、そのう
ち空戦は1回で敵に追われたけどぐるぐる旋回し続けて逃げ切ったと笑いな
がら話してくれた。
10回ぐらいまわり続けたって言ってたけど実際はその半分くらいなんだろ
うな。
その時、コレは零戦についてた時計だよって時計を見せてもらった。
今思うと一式航空時計だったように思う。


あの時計は今どうなったのか気になる。
483名無し三等兵:2008/12/17(水) 23:22:24 ID:1AvtdZdg
厚木航空隊絡みでウチの地元の話。
郊外の小さな山に戦時中の慰霊碑があるんだが、昔見に行ってきた。碑文によると……


昭和20年4月頃、この山の上空で空中戦があった。首都圏方面に空襲に向かう大編隊に、厚木基地からの戦闘機がたった一機で殴り込みをかけた。

パイロットは厚木航空隊の上原重雄中佐。上原中佐の部隊は大本営の戦闘機温存策により迎撃の中止を決定していたが、憤慨した部下達が迎撃を主張。上原中佐は諌めるべく部下に待機を命じ、自分一機のみで出撃した。

米の護衛戦闘機と熾烈な空中戦の果てについに力尽き、上原中佐は炎に包まれた愛機「疾風」のコクピットから身を乗り出し皇居に向け万歳をしたまま墜落、戦死した。
この様子を見ていた地元住民達が戦後に敢闘を讃え慰霊するため碑を建立した。尚、墜落現場には現在も機体の一部が残存している。


見たのは昔なので詳細は違う箇所があるかもしれないが、およそこういった内容。「厚木」「中佐」だと、302空の隊長だったのかな。

詳しい人は教えてちょうだい。
484名無し三等兵:2008/12/17(水) 23:33:31 ID:???
>>483
厚木にいた302空は海軍です。
「疾風」は陸軍機なので違いますね。

>上原中佐は諌めるべく部下に待機を命じ、自分一機のみで出撃した。
こういった話は海軍の302空にはありません。
485名無し三等兵:2008/12/18(木) 00:32:05 ID:u4rJDu8y
>>484う〜ん、やはりそうか……確か碑文には乗機は「疾風」とあったから、厚木じゃなくて陸軍の別基地なのかな。今度もう一度確認に行ってくるよ。
ちなみに神奈川県の小田原です。
486名無し三等兵:2008/12/18(木) 01:46:59 ID:???
皆はじーさんの体験談有っていいな、俺は父方も母方も
南方で戦死しか判らん、下手すりゃ両方とも輸送船ごと
ボカチンか餓死だもんな、骨もねえよ、でも何故か家には軍刀と
38式の実包が有る、後、大叔父の捨吉さん(この人もたぶん戦死)
の軍隊手帳には射撃優秀と書いてあった。
487名無し三等兵:2008/12/18(木) 02:52:04 ID:yfpIaXly
うちのじいちゃんは、沖縄で輸送をしていたらしい。大和を見たって言ってたな。亡くなる前は近所の爺さんと世間話してても、最終的には戦争の話になってケンカしてた。
488名無し三等兵:2008/12/18(木) 03:39:54 ID:???
上原重雄でググるだけですぐ分かることを聞く>>485みたいなヤツって
なんなの?
489名無し三等兵:2008/12/18(木) 04:25:12 ID:???
>>485
これだね。
http://takagi.sakura.ne.jp/0509/iseki-uehara.files/frame.htm

>>488
なんでサクッと参考URLを書けないのかね? 君は馬鹿かね?
490名無し三等兵:2008/12/18(木) 10:46:49 ID:???
>>488みたいなヤツってなんなの?この世に必要あるの?
491名無し三等兵:2008/12/18(木) 13:19:36 ID:???
貴様ら何しとるか!英霊達に申し訳ないと思わんのか!
内輪で揉めるならその力を敵にぶつけんか!

よし、今夜の歩哨は貴様らだ!
492名無し三等兵:2008/12/18(木) 15:01:58 ID:???
>>476
操縦士は赤松では・・・?
493名無し三等兵:2008/12/18(木) 23:25:22 ID:???
>>491
帝国陸海軍だって相争って、余力をもって米英と戦ってたわけだからな
494名無し三等兵:2008/12/19(金) 02:36:53 ID:xoKaf+Ak
>>486その話がホントならあんたには、大東亜戦争のご英霊の血が二筋も流れているわけだ。 

あんたは必ず日本の社会の役に立つ人に違いない。 
もしお祖父さんたちの活躍を知りたかったら厚生省に軍歴証明書を申請すれば、部隊名や召集日時、戦死された場所などわかるので、戦史と照らしあわせればかなり状況がつかめるのでは
495「与太郎戦記」より:2008/12/19(金) 03:13:35 ID:???
>>491
誰か?誰か?誰か? ダーン  なんて早口で誰何して返事がある前に撃ったりしてね。
496名無し三等兵:2008/12/19(金) 23:40:17 ID:???
>>494
厚労省扱いは海軍だけだぞ。
497名無し三等兵:2008/12/20(土) 16:34:58 ID:KldzT0fT
爺は示威を辞意して自慰してなさい。
498名無し三等兵:2008/12/20(土) 16:45:44 ID:???
陛下から貰ったタバコがある
499名無し三等兵:2008/12/20(土) 20:53:49 ID:pf+lgwrf
よくフィルターを見てみ、
まるぼろ て書いてあるから
500名無し三等兵:2008/12/20(土) 21:15:16 ID:???
Marlboloは下っ端兵隊用、LuckyStrikeが上級士官用だったんだろ?

>米軍・タバコ

高官はシガーだろけど。
501名無し三等兵:2008/12/21(日) 17:32:23 ID:gnIJPb4u
東京空襲のB−29を落とした話
こないだNHKで見たよ
下から見上げてた人がスケッチを書いてたが、雷電かな?と思った
スケッチ程度だから飛燕かもしれん

それにしてもアメリカはいつまでたっても、非戦闘員の殺戮をやめんね
ベトナム、アフガニスタン、イラク
あいつら、アホとちゃう?
戦争は軍隊同士でやれよ
502名無し三等兵:2008/12/21(日) 17:34:59 ID:???
アメリカのほうこそ「戦争は軍隊同士でやろうぜ」と言いたいはずw

503名無し三等兵:2008/12/21(日) 18:42:03 ID:???
それはメリケン本国が戦場になったコトがないから言えるんだろうな。
504名無し三等兵:2008/12/21(日) 19:10:24 ID:???
9/11では本土が襲撃された訳だが。
505名無し三等兵:2008/12/21(日) 19:20:03 ID:???
山の中に小型焼夷弾数発だけね・・。
506名無し三等兵:2008/12/21(日) 19:34:47 ID:???
うちのじいさんは、陸奥と鳥海で測距をしてたが、
開戦後はマラリアにかかった事もあり、内勤に なってた。

終戦間近に、三陸あたりで小型挺にのってる時に雷撃を受け、
石巻の病院に搬送された。
重油まみれの海水をしこたま飲んでいたため、
他の乗員はほとんど手遅れ、じいさんも意識朦朧だったが、
生きてる事をアピールしないと埋葬されそうだったため、
「生きてるぞー!」と叫んで事なきを得たそうな。

じいさんは20年前に77歳で亡くなりました。
507505:2008/12/21(日) 19:44:05 ID:???
間違えた。前の大戦の本土爆撃かとオモタ。
皇居に行って土下座してくる。。
508名無し三等兵:2008/12/21(日) 21:06:35 ID:???
>506
戦艦と海軍・一番人気の重巡勤務とは、おじいさん、相当なエリートですな。

509名無し三等兵:2008/12/22(月) 12:26:01 ID:???
>>505
しかし日曜学校の楽しいはずのピクニック粉砕する
(6名死亡
510名無し三等兵:2008/12/22(月) 20:32:20 ID:mvhteyRp
うちの爺は輸送船7隻で前線輸送中に空襲受けて6隻沈没。残った1隻に乗ってたおかげで助かった。
部隊が壊滅状態なんで前線へは出ずに台湾で待機中に終戦。
米軍が台湾スルーしてフィリピン→沖縄と侵攻したんで本当に運が良い。

このスレを読んでいると生き残った人達ってとにかく超人的なツワモノだったり、天才的に要領が良かったり、うちの爺みたく強運だったりするね。
こんな人達が尽力したワケだから戦後日本の復興が早いのもわかるなw
戦没された先人達には申し訳ない言い方になるが、労働人口が激減しても残った人達がある種の「精鋭」だったのだから。
511名無し三等兵:2008/12/22(月) 21:00:02 ID:???
あの陸軍と帝國海軍で生きて無事還れたつーだけで
どんだけの悪運強さかと・・・。


親戚中見回しても比較的安全な戦地からしか生還しとらん。
激戦地組や海軍さんは全滅しとる(。・゚・(ノД`)・゚・。

海軍は飛行機乗りが一人復員しとるが半身不随。・゚・(ノД`)・゚・。
512名無し三等兵:2008/12/22(月) 23:17:44 ID:???
「立派な奴ほど早く死んだ。戦後残った連中はずるくて汚い連中ばっかしや」という声もある
無論残った奴というのは戦地に行かなかった転向左翼なども含むが

戦後60年でモノは豊かになったが心は果たして
513名無し三等兵:2008/12/22(月) 23:21:41 ID:???
うちの爺さんは徴収されて内地の陸軍の飛行場で監視かなんかやってたらしい。
終戦の日に一升瓶の酒を皆で飲んだらしいが、それで悪酔いして以来酒は飲んでないと言っていた。
まだ生きてる。
うちの曾曾爺さんあたりは日露で旅順だかなんだか行っててその時内地に送った手紙も綺麗に保存されて残ってる。
天皇陛下云々〜と達筆すぎて読めなかったがw
今度返ったらコピーして解読してみるつもり。
514名無し三等兵:2008/12/23(火) 00:56:46 ID:???
>>513
そのときはうp頼むぜ
515名無し三等兵:2008/12/23(火) 01:05:05 ID:???
>>512
大阪弁になってるのは、冗談になってないね。一部に、その「ずるくて汚い連中」の典型が混ざってるというのが定説だからね。
もっとも、ああいう時代にそれを押し通したというのは、単にずるけてサボるとかとはまるで別次元の、相当に物凄いことではあったんだろうね。
516源田実:2008/12/23(火) 02:32:08 ID:???
呼んだ?
517名無し三等兵:2008/12/23(火) 13:43:03 ID:???
>>516
ガキの頃広島市内のプラモ屋でウォーターライン見てたら選挙カーに乗った貴方が
きたので源田実の名前を知りたてだった私は嬉しくなり外に飛び出て手を振りましたら
貴方は身を乗り出して「有難う!」と叫んでくれました覚えていますか
選挙権ない相手のことなんか覚えませんか
518名無し三等兵:2008/12/23(火) 23:37:54 ID:diPTF9Yj
おじいじゃなくてばあさま。空襲に晒された時に、防空壕を一目見てこれじゃとても直撃に耐えられないと
と感じて鉄道トンネルに逃げ込んだ。退避予定の防空壕は直撃で全滅。それで今、俺がいる。ちなみにじい
さまは満州で戦死。
519源田実:2008/12/23(火) 23:40:22 ID:???
覚えてますよ。
ただ、残念ながら、選挙権のない、力のない子供に手を振ったり、お礼を述べるほど
この源田実、甘い男ではないですよ。
あなたのお家の人や、子供相手に笑顔を振りまく姿を見てくれている
周りの大人達の為にしたことに過ぎません。
夢を壊してしまうようだけど、それが私の生き方だったのです。
520名無し三等兵:2008/12/23(火) 23:42:34 ID:???
>>516
なぜ腹を切らなかった
521名無し三等兵:2008/12/24(水) 06:21:27 ID:???
簡単な話だ、自分は可愛いからね。
522名無し三等兵:2008/12/24(水) 15:21:44 ID:7LyFlAas
源田実は、作家の原田実と紛らわしい。
523名無し三等兵:2008/12/24(水) 15:46:15 ID:???
うちの爺さんは職業軍人で砲兵科の士官
戦争始まって上海へ行ったのもののなぜかすぐに内地に配属されて情報将校に
落ちてきたB29の乗組員の尋問をしていたらしい(その頃の部下は華族だらけ)
そのとき米兵の首を斬ったため戦後戦犯を問われたが口を割らずになんとか生還
戦後はささやかな印刷業と農業と薬剤師だった婆さんの稼ぎで暮らし数年前に他界
524名無し三等兵:2008/12/24(水) 16:02:15 ID:???
うちの父方の祖父母は満州で下駄を作っていたらしい…
戦争開戦して日本に帰る時は命からがらだったそうな
祖母がうちの父を背負って(当時1歳)幼い兄弟を連れて列車の貨物に隠れて
なんとかロシア兵から見つからなかったんだと
隠れている時に父の泣き声で見つかりそうになって、
隠れていた他の人から睨まれて窮地だったんだと
久しぶりに正月に帰るので詳しく聞いてくる
525名無し三等兵:2008/12/24(水) 21:31:13 ID:???
>>524
物凄い経験をされてる祖父母様ですね
しかしホント、戦争で国が負けるということは惨めなことなんだろうなぁ
「ギブ・ミー・チョコレート!」と言いながら米兵に群がる子供たちを
帰還兵の人達とかはどんな気持ちで見つめていたんだろう・・・
さぞ辛かっただろうな
526名無し三等兵:2008/12/24(水) 21:36:57 ID:???
うちなんかな・・・・
元恩賜の銀時計のの親戚がGHQに就職してな・・。
いろいろあちらさんの物資を融通してくれてたらしい。
527名無し三等兵:2008/12/25(木) 10:46:39 ID:Oz3XA8XQ
>>525
うちの父も『ギブミーチョコレート』をやって、
チョコレートを家に持ち帰ったら、復員して来た祖父に
『帝国海軍軍人の子が、こじきみたいな真似するな!!』
って、ぶん殴られて、チョコレートは犬に食わせられたって言ってたよ。


祖父は、某戦艦乗り組みの将校で大戦末期に戦地に向けて出撃、艦は敵の猛攻撃で沈没したが運良く生還。
昨年亡くなったが、最後まで帝国海軍の誇りを失わずに、凛として生きてた気がする。
528名無し三等兵:2008/12/25(木) 11:26:09 ID:???
>>527
肝心のオジイ様が乗られていた戦艦は何?

大和・・・?じゃなさそうだな。
まして扶桑・山城でもない・・・
529名無し三等兵:2008/12/25(木) 13:04:17 ID:???
大和しかありえねえええ
530名無し三等兵:2008/12/25(木) 15:07:45 ID:???
今日ニュースでは「戦車」も「自走砲」も「兵員輸送車」もみんな「戦車」と言ったりするように
「戦艦」が軍艦全てを指してるとすると判らないが、海軍の軍人だった方がおっしゃるのだから
艦種としての「戦艦」だろう。となるともはや「大和」しか考えられないのじゃないかな?
「大戦末期」がいつ頃を指すのか…19年秋頃も末期とするならレイテ戦も考えられるが。
いずれにしても激しい戦いで犠牲者も多かったわけで大変な経験をされたことは間違いない。
531名無し三等兵:2008/12/26(金) 05:15:58 ID:RrTYbL0i
>>494陸軍は都道府県庁だったね
532uaa:2008/12/26(金) 05:21:41 ID:hUnQobVL
>>527
犬にチョコ食わしちゃいかんだろう。
533名無し三等兵:2008/12/26(金) 06:59:08 ID:???
俺のじいさんにここのスレの書き込みを印刷して見せてやったんだが、嘘ばっかだと言ってたぞこら!

特に満州帰りの話だけど、うちのじーさんは終戦後何ヵ月か、満州に留まるしかなかったと言ってる。何処も船を出してくれなかったんだと!
まあ一年したらでかい扉の船がやってきて、皆詰め込んで帰ったそうだが。今だかつてあんな酷い揺れの船には乗ったことがないらすい。
でも船に乗る前に死んだ人も多かったから、なんとか天皇(何百年も前の)に感謝してたとさ。

お前ら嘘つくならもっと上手くつけや!

534名無し三等兵:2008/12/26(金) 10:44:42 ID:???
でかい扉、酷い揺れ、ということは、米軍から貸し出されたLSTだろうな。
535名無し三等兵:2008/12/26(金) 17:20:38 ID:???
>>533
戦争経験者はお前のじいさんだけじゃねえ。
536名無し三等兵:2008/12/26(金) 17:31:15 ID:FqUy6TiC
>>533

満州から東南アジアまでの、広大な土地で戦争をしたわけですから、あなたのお爺様が知らない話や、疑問を抱いた話も沢山あるでしょう。
満州は終戦前後にちょこっと混乱があっただけですが、南方の戦場は満州とは比べ物にならないほどの死闘が、開戦から終戦後まで繰り広げられていました。
私の祖父もペリリュー島で玉砕しています。

かつて愛する人や郷を守る為に戦ってくれた、私達のお爺様達の壮絶な体験を聞き取り、尊敬と畏敬の念を持って少しでも皆さんに知ってもらおうと、書き込みしている訳です。

嘘つき呼ばわりするのは如何なものでしょうか。
537533:2008/12/26(金) 18:17:32 ID:???
嘘もなにも、俺の書き込み自体が嘘なのよ!じいさんは満州なんかいってねぇー

片方は台湾行く前に腕怪我して内地終戦で、輸送船に乗った仲間は皆東支那でボカチン

もう片方は途中まで大和乗り組みだが途中から三人乗り小型潜水艇。活躍ゼロ!
まあ生きてくれてただけで俺は感謝だが。

誰も人の話を疑わない。無理もないが、嘘をついてる奴がいると腹が立って仕方がない。
特に美談語りたいだけのカスは殺したくなる。
俺のじいさんは戦争は仕方なかったと言ってはいたが、どうしてもそう思ってしまう事を酷く後悔してたわい。俺が戦争の話聞きたいっつっても、嫌な顔して、機嫌悪くなって、ひたすら何か食ってたからな!
全くこのスレの存在自体なんなのって思うしな。
つか>>536さん。

あんたもう少しでいいから勉強しなっせ?
538名無し三等兵:2008/12/26(金) 18:32:59 ID:???
はい、>>533敗北宣言出ましたwwwwwwwww
539名無し三等兵:2008/12/26(金) 19:53:11 ID:???
>>533は釣りだと思ってスルーしたが案の定か
つまらんな
540名無し三等兵:2008/12/26(金) 20:05:09 ID:???
>>533の祖父様の話も一つのケースで興味深い
伝承の内容、仕方も様々なら、受け取り方も様々だ
特に太平洋戦争は日本史上、未曾有の大事件だしさ
541名無し三等兵:2008/12/26(金) 20:13:59 ID:???
うちの親父は馬賊に成ろうと貨物船に潜んでいる所を見つかって大目玉を喰らった。
542名無し三等兵:2008/12/26(金) 20:50:41 ID:???
>>537
> 嘘をついてる奴がいると腹が立って仕方がない。

心にもない嘘をつくな。嘘をついたのは、お前の嘘にまみれた卑しい中身が自然にはみ出しただけのことだ。
543名無し三等兵:2008/12/26(金) 21:46:26 ID:???
みなさーん、意味不明なキレ方をする>>537になんか知らんけど殺されるかもしれませんよ!
キチガイはいるんですね〜。危険なものです。
544名無し三等兵:2008/12/26(金) 22:41:25 ID:gY6ceXn1
中国で砲兵隊に所属していたが、戦後の引揚げ船が、帆船の海王丸(先代)だったそうな。
545名無し三等兵:2008/12/26(金) 23:03:32 ID:4YjtXAEI
うちの伯父さん瑞鶴乗り組み、万歳写真にも写っているらしい。
最後の救助に来た駆逐艦も1/2の確率で助かったと言っていた。
546名無し三等兵:2008/12/27(土) 01:07:35 ID:???
「軍艦瑞鶴万歳」の写真は素晴らしいですね。
心を打つ。
547名無し三等兵:2008/12/27(土) 01:30:27 ID:???
歯科医師会の大御所の思い出話。
空母翔鶴に最新の歯科治療機器が導入されたので、
当時の軍属歯科医の当人は手を上げて喜んでいたそうな。
現在使ってる歯科医療台の昭和初期版なシロモノだったらしい。
しかし、翔鶴は珊瑚海で被弾してドック入り。姉妹艦の瑞鶴が
機動部隊の核になってしまったので、歯科医の当人は瑞鶴に転勤。
もちろん、歯科医療台も丸ごと移乗させて虫歯治療に貢献していたらしい。

ほどなくして、翔鶴の修理が直り、マリアナ会戦に向けてタウイ泊で
訓練中の時には、またもや最新歯科医療台が元の翔鶴に移乗され、
当人はそのまま瑞鶴勤務になったため、がっくりきてやる気適当だったらしい。

いざ、マリアナ海戦の時は瑞鶴乗員のままであったのが幸いし、
生き残れたのはよかったのだが、レイテ海戦直前の時は瑞鶴勤務歯科医だったが、
(囮部隊だったため)陸揚げされて佐世保鎮守府に配属されて終戦を迎えたそうな。
戦後に悔いを残したのは、あの最新歯科治療台を十分に使いこなせぬまま、
(マリアナで)フネ諸共沈めてしまったのが激しく残念だったそうです。

タウイ泊での瑞鶴での歯科治療は、普通のベッドに寝かせての作業だった
ようで、手間隙かかってメンドかった、と回想しておりました。

548uaa:2008/12/27(土) 05:23:58 ID:m9amLnDS
>>547
軍医上がりの歯医者・・・かかりたくね〜

軍医上がりの医者・・・眼科だったけどすげー怖かった。「髪が長い!切れ!」と怒鳴られた。
年寄りの歯科医A・・・ババア。指に力が無いから、先の尖った器具で仮止めを外すのに体重かけてグリグリやられた。外れたら口の中に刺さってた。
年寄りの歯科医B・・・映画「マラソンマン 」に出てきた元ナチの歯医者に風貌も似てるが、治療も拷問そのもの。

嫌な思い出が次々と出て来る・・・・
549名無し三等兵:2008/12/27(土) 13:06:22 ID:???
>>546
これか。皆が向いている方向が東京なのだね。
ttp://www.history.navy.mil/photos/images/h73000/h73070.jpg
550名無し三等兵:2008/12/27(土) 21:05:12 ID:???
以前ワイドショー「三時にあいましょう」などで司会を勤められてた
アナウンサーの野村泰治さんが、自身の瑞鶴乗組員時代の経験を元に
『落日の残像』(光人社)という小説を出されているが、なかなか面白かったよ。
というか、最後の瑞鶴航空隊の出撃シーンは本当に泣けるね・・
少ない機数に加えて、技量未熟な搭乗員も多かったらしい上に、本来の作戦目的が「囮」。
栗田艦隊のレイテ湾未突入という結果が更に無念さをかき立てられる・・
写真といえば、旗艦変更時、大淀が横づけしようとしているシーンや、
瑞鶴から発艦した直後の艦載機(艦攻天山かな?)の後部座席から瑞鶴艦首を
写したものなども掲載されてて、瑞鶴ファンにはお薦めの一冊だよ。



551名無し三等兵:2008/12/27(土) 21:11:07 ID:???
>>550
正月休みに買って読んでみる。  情報感謝。
552名無し三等兵:2008/12/27(土) 22:20:59 ID:???
>>549
お前いきなりこれは反則だろう。目の辺りが熱くなったじゃないか。
553名無し三等兵:2008/12/28(日) 00:07:29 ID:???
>>545
うちの戦死した曾祖父は、駆逐艦「初月」の乗組員だったよ。
554名無し三等兵:2008/12/28(日) 00:27:51 ID:???
>>553 おおおおお・・・。生還されたか!?
555名無し三等兵:2008/12/28(日) 00:59:38 ID:???
頭いたいよ、>>554サンよぉ
556名無し三等兵:2008/12/28(日) 02:54:30 ID:???
>>555
スプレー薬かけてあげよう

鹵~~~ プシュー
557名無し三等兵:2008/12/28(日) 11:34:23 ID:???
>>553-554
シャレにならない・・・
558名無し三等兵:2008/12/28(日) 14:02:27 ID:kzuFJb+A
うちの曽祖父は三笠に乗船してた
完成時のビッカースへの引き取り航海や
もちろん日本海海戦にも従軍して・・・

下っ端だったけど地元じゃ英雄扱いで町議会議員にもやったと・・・。
559558:2008/12/28(日) 14:03:21 ID:???
×下っ端だったけど地元じゃ英雄扱いで町議会議員にもやったと・・・。
○下っ端だったけど地元じゃ英雄扱いで町議会議員もやったと・・・。
560名無し三等兵:2008/12/28(日) 15:43:27 ID:???
そりゃ英雄だったろうな。
561名無し三等兵:2008/12/28(日) 19:44:13 ID:lDHfj/YX
片方。内地にて終戦。軍でさえ食糧難だったらしく盗みを働いたらしい。

もう片方。フィリピンの何とか島にて敗走。蛇や猿や鼠等を食って生き延びる。どうやって帰ってきたかは死んじゃったから分からない。
562名無し三等兵:2008/12/28(日) 20:48:03 ID:kQidoOUz
あの時代、だれでも何でもやった。生きるためじゃから。
ジェロの婆さんだってアメリカの二等兵相手にパンパンをやって生き延びたんじゃけぇ。
皆んな生きるのに必死じゃったんじゃ。 えぇ目をしとったんはマッカーサーのケツの穴を舐めながら必死に保身に走ったヒロヒトとその一族だけじゃ。
563名無し三等兵:2008/12/28(日) 21:56:54 ID:2oUzviII
うちの爺さん、フィリピンで砲兵部隊に所属してた。
緒戦は今のヘリコプターみたいな感じの観測機?を飛ばして、着弾観測をしてたそうだから、命中率が上がって随分助かったらしい。

まぁ大戦末期は、米軍に圧倒されて観測機も砲もろくに使えず、ジャングルを敗走したそうですが…
564名無し三等兵:2008/12/28(日) 23:27:43 ID:???
565名無し三等兵:2008/12/28(日) 23:36:47 ID:???
うちの父方の爺さんは南京攻略戦に関わっていたはず
葬儀の時に写真ハケーンして、軍服着てて裏には13聯隊入隊渡支前とあった
実家の場所とか考えると仙台師管区
で、13聯隊で該当するのは13師団の工兵13聯隊
となると支那派遣軍隷下だから、多分南京まで行ったはずだと思う

ガキの時分には川渡しやってたみたいなこと聞いたがそれきり聞いてない
566名無し三等兵:2008/12/29(月) 00:55:20 ID:???
俺のじいさんは若くして軍医となり、1945年の夏には広島へ
ということは・・・俺も被爆しているのだろうか

結局80歳まで生きたものの
じいちゃんが死んだ原因は怖くて聞けん

広島の惨状を目の当たりにされた祖父母をお持ちの方はおられんかね?
俺は怖くて何も聞けなかった
567名無し三等兵:2008/12/29(月) 01:40:18 ID:???
>>566
被爆者手帳の有無で分かるだろ
568名無し三等兵:2008/12/29(月) 01:54:08 ID:???
>>198
ダメだ
涙出てしまう

おばあさん、おじいさんに幸あれ
569名無し三等兵:2008/12/29(月) 03:46:45 ID:???
>>567
被爆者手帳の有無は「被爆者認定を受けているかどうか」がわかるだけで、被爆の有無はわからんだろ。
570名無し三等兵:2008/12/29(月) 04:03:28 ID:???
>>566
爆発のときには、たまたま、大丈夫な場所におられたんだろうね。
軍医に限らず医者だったら、救護活動で当然被爆されてるはずだけど、それほど長命されたなら、奇跡的に軽度ですんだということで、
ほとんど全く、何かの加護があったとしか考えようがないですね。  (ー人ー)なむー。
571名無し三等兵:2008/12/29(月) 08:58:00 ID:???
>>566
ご祖父様がもし被ばくされておられたにしろ、その影響が貴君に及ぶことはありません。
572名無し三等兵:2008/12/29(月) 12:36:26 ID:???
>>566
ウチの母方のじいちゃん広島出身、
ウチのかあちゃん含む女ばかり四人姉妹の父親、
動員で出ていた長女以外は大したケガもなく生き延びたが、
広島の惨状を目の当たりにしたじいちゃんは、
デムパが降りてその後は熱烈なソウカ信者となる
(ただし自分以外、妻や子供には信仰を強制しなかったからまぁ・・・
だけど、
ウチのかあちゃんが結婚して家を出てからは、
ウチに月に1回くらいは精強新聞の特別版?みたいなのが郵送されて来てた
573名無し三等兵:2008/12/29(月) 14:51:11 ID:???
>>566
>ということは・・・俺も被爆しているのだろうか

「被爆三世」等という言い方はしますが貴方が被爆しているという言い方はありません。
あと放射線のことを言いたいのでしたら「被曝」です。又それも三世の貴方に使う言葉
ではありません。
574名無し三等兵:2008/12/29(月) 15:45:39 ID:???
被曝の影響は彼にあるのか否か
575名無し三等兵:2008/12/30(火) 06:16:07 ID:???
>>574
ない。

>>566
変な心配してる暇があったら、お爺さんに習って努力しても損はないよ。
どのくらいできるかは本人次第だけど、そんなのは先の話。
576名無し三等兵:2008/12/30(火) 07:55:49 ID:3yjF3D2N
>>536別に貴方に文句があるわけではないし、私の祖父もペリリュー組ではないが水戸歩二だったのでシンパシーすら感じるわけだが、戦後の満州では「ちょこっと」混乱というのはどうかと思いますよ。

ソ満国境での一部師団の激闘、武装解除、シベリヤ送り、そしてなにより、開拓団をはじめとする、日本人婦女子の受難、昔、これに関連した本を何冊か読んだが涙がとまらなかった。ちょこっとは、あまりにも犠牲者の方々に失礼かと思う 
機会を見つけて文献に一度目を通してみられることをおすすめします。
577名無し三等兵:2008/12/30(火) 10:24:22 ID:G4eLxYU3
被曝やその影響・後遺障害についての心配は理解できるけど、もぉ半世紀(六十三年)以上も経っているんだし心配ないのでは・・・?
素人考えで申し訳ないが、平均寿命を大きく超えて長生きしてる方たちが未だに原爆のセイで生命を・・・健康を・・・を言って裁判沙汰というのは良く分からん。
時々ボソッと聞こえる、原爆を絡めれば国からカネがとれる"原爆乞食" ってイヤな言葉も浮かんでくるが・・・スマン。
578名無し三等兵:2008/12/30(火) 10:44:27 ID:???
長崎で被爆して40年経って急性白血病になった人が居た。
後遺症がどれ位で出るかなんて損傷したDNAの部位によるだろ。
579名無し三等兵:2008/12/30(火) 22:26:23 ID:???
被ばくされた方ご本人にではなく、子孫への影響だけに絞ると、被ばくされた方々の次の世代(いわゆ
る2世)に遺伝子異常が生じる確率は、対照群と差はないことは広島、長崎でのデータで明らかになっ
ている。したがって566氏にはご祖父が被曝されておられたとしても影響はないと断言できる。
580566:2008/12/31(水) 00:58:22 ID:???
情報提供と助言に感謝

諸兄に良い年が訪れんことを祈ります。
581名無し三等兵:2008/12/31(水) 04:06:27 ID:???
あのね、俺のじいさんをガキの頃ずっと見てきたけど、
あの世代は人生に対する覚悟がまるで我々と違いすぎるんだよ。
俺と同じDNAを持ってるとは全然思えない。

80歳すぎて、毎朝朝4時に起きて川原で走りこみ何本も狂ったようにやってて、
理由聞いたら「次戦争になったら、肝心な時に国の役に立てないじゃろ。」って真顔で答える連中なんだよ。
嘘みたいな逸話いっぱい。

日本は敗戦してからGHQが教育で骨抜きにしていったからねえ。
うちの明治生まれの爺さんも骨折したくらいじゃ病院に行かなかった。
毎朝運動は欠かさなかった。
大日本帝国憲法も丸暗記してた。

昔の日本人は凄かった。

やっぱり戦争中の経験が相当でかいみたいで、
戦地や空襲や戦後の混乱期で、たくさん友人やら親族やら失ったせいだろうけど、
多くの爺さん方は「死者から笑われないような立派な人生を生きる」っていう
スローガンみたいなもんが誰も彼も徹底してんだよね。

金持ちも貧乏人も等しく自分の立場受け入れて背筋張って生きてる感じがする。
582名無し三等兵:2008/12/31(水) 05:11:03 ID:???
>金持ちも貧乏人も等しく自分の立場受け入れて背筋張って生きてる感じがする

江戸末期の頃、ある外国人駐在官の日記には
「日本人はとても陽気で、それぞれが自分の役割に満足して皆幸せそうに見える」
と書いてあったとか。
菊と刀では「各々其ノ所ヲ得」(各人がふさわしい位置を占める)」という部分を引用して
日本人の精神を論じていた。

否定的な意味ではなく「己の分をわきまえる。」
その上でそれぞれが天に与えられた自分の役割(天分)を果たす。
それが幸せであり誇りでもあり、同時に国を支えることにもなる。
少なくとも昔の日本人はそう考えていた。

物質的には豊かになったものの
義務も果たさずただ自分の欲望と不満ばかり撒き散らす現代の日本人と
どちらが幸せなのだろうか。
583名無し三等兵:2008/12/31(水) 05:37:16 ID:???
昔が良かったって言うやつはいつの時代にも存在する
正直、それだけの話だとしか思わない
584名無し三等兵:2008/12/31(水) 09:32:39 ID:4jBEi4YG
>>578
被曝と白血病の因果関係が良く分からんけど。
少しでも疑問があったら原告の利益には分かるが、余り調子に乗ってカネをカネをと言うのは・・・?
公害病の認定でも、病院によっては直ぐ診断書を書いてくれたり、自分の不摂生や持病まで国や県にたかっちゃいかんよと諭されたりがあった。
585名無し三等兵:2008/12/31(水) 09:40:12 ID:vx5hRrNj
朝鮮人の蛸壺労働で、土建業者が脱走者を見せしめに惨殺していた話はガチ。
密航の弱みにつけこんでたんだろう。
北海道の鉄道建設現場の話で年配者は普通に知っていると思う。
あと、シベリア帰りの爺さんが赤になってた、ロスケの犬め!
586名無し三等兵:2008/12/31(水) 10:33:17 ID:???
冬休み厨の妄想臭がプンプンです!
587名無し三等兵:2008/12/31(水) 11:09:15 ID:32DCFeZm
じいちゃんの親父さんが高射砲の砲手で二、三機落としたって言ってた。
だけで沖縄で戦死…。
クソ米帝め
588名無し三等兵:2008/12/31(水) 16:30:06 ID:???
>>581
医者です。骨折を放置しては危険です。
ちゃんと写真を撮って骨折の状態を見極め、必要ならば
整復してギプスで固めないと、元通りに治らないだけでなく
機能予後が悪化します。最悪の場合歩けなくなったり。
老人の場合、それが原因で寝たきりになってしまうことや、
ボケてしまうことも多々あります。
骨折したら、ちゃんと病院で治療を受けてください。
589名無し三等兵:2008/12/31(水) 20:52:59 ID:???
祖父の兄は海が好きで、昭和の初めに地元の海員学校卒業後、船乗りになった。

昭和16年、太平洋戦争の始まりと同時に、船と共に徴用され、海軍軍属に。

日米の激戦地、ガダルカナルへの輸送に従事したが、幾度か乗船が沈められて、その度にガダルカナルの海を泳ぎ奇跡的に生還。
その後、内地に戻り、
今度は北方、キスカ、アッツへの輸送任務に就いた。
昭和19年、乗船が米軍機からの爆撃を受け、北千島で亡くなった。

軍人ではなかったが、「戦死」扱いで靖国神社に奉られているらしく、毎年祖父と一緒に参拝しています。
実家に祖父の兄の写真が残っているが、着ている制服が、軍人の制服とは少し違うなと感じた。

ちなみに祖父は終戦時、予科練にいて震洋の操縦訓練をしていた。
590名無し三等兵:2009/01/01(木) 02:01:59 ID:???
震洋か…


ご無事で何よりだね。
どういう訓練したんだろうか
591名無し三等兵:2009/01/01(木) 03:47:33 ID:???
>>589
兄弟ともに凄まじいな

震洋、せっかく沢山作ったんだから戦後活用させてほしかったな
レースとか
592名無し三等兵:2009/01/01(木) 17:09:16 ID:???
母いわく今は亡き爺さんは陸軍に召集されてソロモンで陸上の探照灯を操作してたらしい。
ガダルカナルってワードが出てこないんだが、一体どこにいたんだろうか?戦友会の名前も「ソロモン〜」らしいし。
現地民と仲良くなってパパイヤ貰ったり一緒に歌歌ったり素潜りで魚穫ったりと良い思い出しか話さなかったらしいんだが人は撃ってないのかな?
593名無し三等兵:2009/01/01(木) 17:34:49 ID:???
このスレ見ると正月気分とか吹き飛ぶな
594名無し三等兵:2009/01/01(木) 17:35:12 ID:???
ソロモンならラバウル位しかないぞ・・。
そんな幸せな戦地は。




595名無し三等兵:2009/01/01(木) 17:55:13 ID:???
おれの義理の祖父もラバウル。海軍の飛行機整備兵。
終戦後降伏武装解除には応ずるが、捕虜となる気はないから世話にはならん、
反逆はしないから放っておいてくれていいと連合軍に宣言し陸海6万人で甘藷を
作って二年間自活してから復員、この捕虜にならなかったことが結構誇らしかった
らしい。連合軍側はそうは思ってなかったかもしれないし、一切面倒見なくても
勝手に生きていてくれてラッキー、ていう感じだったんだろうがw
596名無し三等兵:2009/01/01(木) 18:34:45 ID:???
>>594
あーそーいやラバウル航空隊の歌よく歌ってたらしいケドそれって当時の軍人はみんな歌ったモンなの?
597名無し三等兵:2009/01/01(木) 19:52:57 ID:???
対馬海峡あたりで船に乗ってたと聞いたことがあるが、詳細がわからん。
仲の良かったうちにもっと色々聞いておけば良かった。
598名無し三等兵:2009/01/01(木) 23:05:06 ID:PPGjVSpn
>>591 終戦直後の食糧難や貧困をしらんだろ。
自分は漁船にするべきと思ったよ。
599名無し三等兵:2009/01/01(木) 23:48:44 ID:wdvbV9x8
父方の祖父=陸軍の歩兵で、終戦時はヤップ?で迎えた。
階級は、伍長であり、開戦してすぐに召集した。
開戦から終戦まで召集されているのはよくあるでしょうか?
生前は、ラッキーストライクを愛用していた。
600名無し三等兵:2009/01/02(金) 00:19:24 ID:???
>>598
マジレスアリガトン
601名無し三等兵:2009/01/02(金) 13:18:41 ID:???
正月の挨拶に行ったら戦争時の話を聞かせてもらえた
17の時にガダルカナル島に行ったらしい
106人一緒に行って生き残ったのは8人とか
一週間で2700人戦死したとか
船の甲板は人の顔くらいの大きさはある穴でボコボコだったとか
埋め込み式の電球が銃撃の振動でガタガタ揺れて
その下で皆顔面蒼白になってたとか
よく生き残ってくれたもんだなぁ
602名無し三等兵:2009/01/02(金) 22:49:50 ID:???
>>601
会津若松第二十九歩兵連隊
603名無し三等兵:2009/01/02(金) 23:07:05 ID:???
>>602
会津若松歩兵第二十九連隊の方ですか?
604名無し三等兵:2009/01/03(土) 11:07:51 ID:VH3l9WNA
震洋って例によって名前だけは勇ましいけど、木骨ベニヤ張でトラックのエンジンを積んだせいで
スピードの余り速くない使い捨てのモーターボートだから、漁船にも使えんだろ。
海上に浮かべておいたらベニヤが剥がれたりするから、使うときだけ水に浮かべたり、接着剤の剥がれや
浸水のせいで訓練もままならない(実戦に使えなきゃ意味がない)ことが多かったとか。
総特攻の掛け声のなか『何かせんといかん』と云う焦りのなかで、思いつきで作ったような兵器とも呼べ
ない道具で、幹部(士官)クラスは戦果は期待していなかった(と云うより、出来なかった)とか・・・。
605名無し三等兵:2009/01/03(土) 21:55:02 ID:???
>>604
使えなかったなら、曲がりなりにもエンジンという貴重品が失われないですんだだけマシじゃない。
木材は、輸送さえ再開すれば、山から切ってきて入手可能だったわけだし。
606名無し三等兵:2009/01/03(土) 22:05:41 ID:ihpFi1TP
詳しく知らんが捕虜として部下逹とロシアに連れてかれた

階級の高い人だったらしい

毛布一枚を部下逹と共に暖をとり耐えしのいだとか
607アジア ◆jm3HsKEkHI :2009/01/03(土) 23:34:26 ID:???
ふぁーあ
608名無し三等兵:2009/01/04(日) 00:02:37 ID:???
先日亡くなった爺ちゃんは小柄という理由で徴兵検査で落とされて
当時同級生に随分と馬鹿にされたらしい。
でも戦争が終わった後はその馬鹿にしてた連中の殆どが死んでしまったなんて
しみじみと語ってたな・・・・・・・・。
609名無し三等兵:2009/01/04(日) 11:56:23 ID:pWpHXeqS
しかしホント昔の人は偉かったし、逞しかったね。 おかげで今の俺たちの生活がある。なんか史上稀なごくつぶし世代の俺たちが…
610名無し三等兵:2009/01/04(日) 12:11:36 ID:???
このあいだ米軍と仕事する機会があったんだけどさ。
あんなゴツイ奴ら相手に、よくやったもんだと思ったよ。
身長が同じ位でも、体の厚みが違うんだよ。

昔の小柄な日本人だったら、もっと差があったってことだよな。

そんな自分の祖父は二人とも生還したなあ。

その1:満州でバイク部隊所属、生還

跡取りの孫娘だけに詳細を話したそうだが、他の者には一切話をしない
まま亡くなった。
倅と孫が自衛隊に入るのに「お国のために頑張れ」とだけ言ってたそうだ。

その2:資源開発系の企業に勤務していた民間人、在満州

「鉄砲持つだけが国の守りと思うな」な人だったようだ。
ダム開発だかなんだかに従事し続け、満州にて敗戦を迎える。
露助が勝手に日本人捕まえてシベリア送りにする中、中国人に変装して
逃亡成功。語学の達者な人で、現地習慣にも通じていたらしい。
それでも10ヶ月くらいかけて帰国したそうだ。
611名無し三等兵:2009/01/04(日) 13:27:11 ID:???
>610
当時のアメリカ人の身長体重はどれくらいだろう。黒人兵いないんだよな。
日本人もだけど。
612名無し三等兵:2009/01/04(日) 14:03:52 ID:???
不謹慎だが、戦場を経験したお祖父様を持つお前らが羨ましいな。
うちのじいちゃんは徴兵検査で落とされて(丙種合格)兵隊に取られずに済んだそうだ。
兄弟の中でじいちゃんが唯一の生き残り。他は全員戦死するか、食糧難で病死してしまったらしい。
兄の一人は山砲兵第三十三連隊にいて、例によってインパール作戦で戦死。
じいちゃんはその兄と特に仲が良かったそうで、特別な思い入れがあったらしい。
俺に命名する時に、その兄の名前を一文字取って名付けたいと言ったそうで、俺の名前は大伯父と一字違い。
そんな話を、じいちゃんが亡くなってから聞かされたなぁ。

スレ違いっぽいな、スマソ
613名無し三等兵:2009/01/05(月) 02:54:31 ID:???
肉親でも何でもないけど昔羊蹄山に登山に行ったとき登山口から国道まで歩こうとしたら
アインシュタインみたいな白髪の老人に声かけられて車に乗せてもらった
ベンツのごつい軍用みたいな四駆で、北海道旅行中だそうで、ちょっと寄ったとのことだから
俺は下山後だったがついでだから近くの半月湖と1合目の風穴まで一緒に歩いて案内した
老人は海軍で零戦乗りだったそうですごく矍鑠としたエネルギッシュな人だった
撃墜数を聞いたら照れくさそうに「四機」とのことだった
もっと色々な話をきけばよかった
614名無し三等兵:2009/01/05(月) 06:59:01 ID:???
>>612
前線でドンパチやるだけが戦争じゃない
おまえのお爺様のも戦争体験だ
615名無し三等兵:2009/01/05(月) 10:44:56 ID:???
婆ちゃんから聞いた話だけど、昭和20年の釜石艦砲の時、港に停泊していた海軍の船が、グラマン機の凄まじい集中攻撃を受けてたのを、避難していた森の中から見たらしい。


秋田県の仁賀保に住んでる親戚は、釜石がやられてる時の「ズーン、ズーン」って地鳴りみたいな不気味な重低音が、山を越えて聞こえて来たと言っていた。

二百キロくらい離れた岩手の三陸海岸から、奥羽山脈を突き抜けて、反対側の日本海まで響いたなんて、とても信じられないけど本当の話らしい。
616名無し三等兵:2009/01/05(月) 12:21:59 ID:???
空襲受けた世代の人は米軍機を「B-29」と「グラマン」と言うね。
戦争中子どもだった両親も「艦載機グラマン」とよく言ってる。

B-29はあってるだろうけど、艦載機グラマンは微妙だね。
F6FもF4UもTBFもSBFも、あるいは艦載機ですらないP51なんかもそう呼んでそう。
617名無し三等兵:2009/01/05(月) 13:19:44 ID:???
グラマンだろうとP51だろうと機銃掃射してくることに変わりはないしどっちでもいいんだろ
識別してる暇があるならさっさと隠れた方が良い
618名無し三等兵:2009/01/05(月) 14:09:39 ID:???
>>615
たった一隻で米戦艦部隊に突撃を挑み、砲撃にさらされ弾を避けつつ釜石港に引き返して
今度は防空砲台として敵機を12機落したとの噂もあるあの壮烈海防艦221号??
619名無し三等兵:2009/01/05(月) 14:34:57 ID:???
軍ヲタでもなんでもない当時の一般市民は
飛来する単発単葉機=グラマンだったというぞ
620名無し三等兵:2009/01/05(月) 17:13:47 ID:???
>>618
すごいなぁ〜。その海防艦

凄まじい海軍魂に敬礼
621名無し三等兵:2009/01/05(月) 20:21:56 ID:JCp7YpBk
私の祖父は九州の航空隊基地で整備兵をしていました。大戦末期は、特攻隊の出撃基地になり、数百人の隊員を見送ったそうです。

ある時、「銀河」で編成された特攻隊が進出して来たそうですが、
彼等が出撃する時、離陸直後から、オリジス(発光信号を発信する器具)を基地へ向けて、
「サヨウナラ・サヨウナラ・サヨウナラ………」
と繰り返し、繰り返し送信を続けながら、南の空に消えて行った機体があったそうです。

遠ざかりゆく祖国の山河を眺めながら、万感の思いを込めて、最後の別れを告げ続けていたに違いありません。
622名無し三等兵:2009/01/05(月) 20:54:10 ID:xnYNGow3
>>621 心が痛くなるような話だよな。。

終戦から60年後に日本の家庭にコンピューターが行き渡って若者が
自分の話題をするなんて、搭乗員は予想すらしなかったと思うよ。
今の平和な日本があるのは、こんな貴犠牲があったからかも・・。
623名無し三等兵:2009/01/05(月) 21:09:01 ID:???
624名無し三等兵:2009/01/05(月) 21:22:14 ID:???
>>618
そんな勇猛な海防艦、ホントに実在したんですか?
米艦隊にむかってたった一隻で突撃とか、実話だとしたら凄すぎる…
625名無し三等兵:2009/01/06(火) 00:29:21 ID:???
>>624
日本駆逐艦・小艦艇スレ3隻目
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1218895738/63
626名無し三等兵:2009/01/06(火) 01:19:20 ID:???
僕の祖父は海軍工廠で旋盤を回していました。
空襲時にチフスで休んでいたため助かったそうです。
そんな祖父は慰霊会には毎年参加していましたが、去年は
行けませんでした。今は末期癌と闘病中です。
627名無し三等兵:2009/01/06(火) 01:34:19 ID:???
         __,,,,,__
        γ__o_⊥  
       /」´∀`) <・・・恥づかしながら歸つて參りました・・
       / つ≠∩ヨ===┯             
       |.. l.. |
        (__)_)



        __,,,,,__
       γ__o_⊥  
      /」´∀`)<よっこい庄一!
       /つ≠∩ヨ===┯             
ペタンッ!! Σ(_ ,、`^)^)
628名無し三等兵:2009/01/06(火) 02:44:09 ID:???
中野学校だけ?
629名無し三等兵:2009/01/06(火) 03:02:50 ID:???
>>628
へ?
630名無し三等兵:2009/01/06(火) 06:06:18 ID:CntE1McM
>>622からかも…ではない!からなんだ 涙
631名無し三等兵:2009/01/06(火) 07:48:58 ID:???
>>628
それは小野田さん
632名無し三等兵:2009/01/06(火) 10:33:18 ID:o5Ksk+61
>>618
敵艦隊へ向かって出撃したが、無駄だと判断して引き返したのは分かる。
ただ、精々高角砲が2〜3門で12機を撃墜・1機を撃破、それも短時間の一回の戦闘でってのはカナリ眉唾じゃネ?
例によって兵隊の作文に良くある『勝った 勝った また勝った 弱い米軍にまた勝った』の類では・・・。
できればソースをキボンヌ。
633名無し三等兵:2009/01/06(火) 13:10:32 ID:???
数年前に死んだ爺さんから色々戦争の話聞いた事があった。
10年ほど前に聞いた話だったから記憶曖昧なんだが、
何処かの基地に居た時、部下と一緒にふざけて使ってない戦車乗り回して、ぶつけて砲身が曲がったとか聞いたな。
子供の頃はぶつかったぐらいで戦車の砲身が簡単に曲がるかよと思っていたが、
今考えればリアル柔らか戦車のチハだったのかな〜と思った。
まあ、もう確認は出来ないんだけどね。
そのときは上手く逃げ遂せて、壊した事ばれなかったと言っていたな。
634名無し三等兵:2009/01/06(火) 13:39:59 ID:???
>>615
近くに海軍の松島基地やら、陸軍の後藤野飛行場があったのに、なぜ三陸沖を北上する米艦隊に向けて攻撃に出撃しなかったんだろ…
後藤野は、特攻機が飛び立った最北端の基地って聞いた事あるけどなぁ
635名無し三等兵:2009/01/06(火) 14:14:20 ID:???
>米艦隊に向けて攻撃に出撃しなかったんだろ…

燃料がない
636名無し三等兵:2009/01/06(火) 15:14:53 ID:???
>>632
>>625に飛べ。そこの次のレスに書いてある。
637名無し三等兵:2009/01/06(火) 16:50:30 ID:zgu3KZX/
俺のじいちゃんアメリカの護衛艦で働いてたらしい
孫の俺クオーター
638名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:08:31 ID:???
>>637
興味がある
細かく軍歴を調べて来い
639名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:21:39 ID:zgu3KZX/
>>637
軍歴って何?
640名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:25:54 ID:zgu3KZX/
>>637
ばあちゃんに聞いてみたがよく知らないと言う
深く追求したら怒られた
641名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:28:19 ID:zgu3KZX/
あ、間違えた>>637じゃなくて>>638
642名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:46:08 ID:O+j5pjat
>>639
読んで字の如し
643名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:55:09 ID:???
うちのじいさんは飛行機の訓練を受けてたらしい
ただ空中転回?が上手くできなくてパイロットになれずに船のりのほうに変わった

結局艦隊勤務する前に敗戦

もしそのままパイロットになってたら今俺いなかった
644名無し三等兵:2009/01/06(火) 17:56:39 ID:RUP0v9qM
うちのおじいさんは中尉だったそうだ。
で、下士官用食堂に入ってえらそうに振舞ってたら、上官にどつかれた。
間違って士官用食堂ででかい態度を取っていたらしい。
645名無し三等兵:2009/01/06(火) 20:02:44 ID:???
>>643
桜花のほうの訓練に回されなくて良かったな
646名無し三等兵:2009/01/06(火) 21:12:54 ID:???

161 :名無しさん@九周年:2009/01/06(火) 21:08:02 ID:RqBLZpjrO
>160
じいちゃんに聞いた話しだが、ど田舎のうちの村の地下に武器倉庫があったんだが、
米国はそこにピンポイントで爆弾落としたんだって。外から見れば普通の小屋だったらしい。

【国際】イスラエル軍、ガザ北部を実質制圧 パレスチナ側の死者は500人を突破★2 http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1231234929/161
647名無し三等兵:2009/01/06(火) 21:41:58 ID:???
>>636
そのスレに、
『当日(7/14)は津軽海峡全体で(米海軍海兵隊合わせて)7機(の損害)』
とソース付きで書いてある訳だが
648名無し三等兵:2009/01/06(火) 21:48:22 ID:???
>>647
だからここで文句書いてないでそっちでやれよ。
649名無し三等兵:2009/01/06(火) 23:55:06 ID:???
>>639
> 軍歴証明書(ぐんれきしょうめいしょ)とは、かつて戦争に従軍した軍人並びに軍属、従軍文官が招集から除隊までの任免、配属、賞罰、傷病その他進級や昇給等の処遇について記録した書類のことをいう。
こういうので公式に確認できるような事柄があるはず、という意味じゃない。

>>642
単なる軍隊関係の経歴、という意味なのか?
650642:2009/01/07(水) 00:16:17 ID:EANgZnGm
>>649
簡単に言うと部隊や司令部からの異動、階級の昇降格
(降格は殆ど無いだろうが)、戦闘参加経歴、傷病等の記録。
651638:2009/01/07(水) 01:11:09 ID:???
俺はそこまで字義通りに言ったわけじゃないぞw
平均的な米兵の簡単な経歴が知りたかっただけ
まあ亡くなっているらしい爺さんはともかくばあさんは日本人だろうし色々複雑かも知れんね
652名無し三等兵:2009/01/07(水) 02:48:19 ID:???
>>650
だから、そういう特別な意味なら「読んで字の如し」では通じるわけがないだろう、という話。

>>651
> 俺はそこまで字義通りに言ったわけじゃないぞw

それなら・・・
>>638
> 細かく軍歴を調べて来い
何だこれは? 言葉づかいの常識を弁えろ。
653名無し三等兵:2009/01/07(水) 04:06:46 ID:???
家の爺さんは乗っていた船を三回撃沈されても生き残った強者です。
二回目の輸送船のときは5人程しか助からなかったらしい。
654名無し三等兵:2009/01/07(水) 10:50:35 ID:???
>>646
米軍は情報を知ってたってことか・・・   >地下弾薬倉庫

アレかな・・?  トレイシー捕虜収容所の捕虜リークか。
655名無し三等兵:2009/01/07(水) 14:19:18 ID:???
>>653
奇跡的な確率でおまいはこの世にいることになるな
656637:2009/01/07(水) 14:20:45 ID:Cz2ma8Pd
>>651
17歳で海軍に入って30前後で辞めたらしい
後おじいちゃんは天国じゃなくて米国にいます
657名無し三等兵:2009/01/07(水) 15:32:48 ID:???
僕の祖父は終戦間近に
「よ〜し、ぼくがさいきょうのせんしになってこうこくをすくうぞ」
って予科練に入隊した。
でも訓練や苛めがきつくてきつくて夜中に脱走したそうです。
逃げ回ってるうちに玉音放送があったって。

父に悲しそうな目をして語ってくれたそうです。
658名無し三等兵:2009/01/07(水) 18:06:59 ID:???
>>655
今考えれば奇跡的な確立だなw

爺さんは45年の春ごろ、樺太方面に行く輸送船に乗ってて、米軍の潜水艦に襲われたそうだ。
米軍は民間接収の木造船だったのを理由に、魚雷使わずに固定機銃で笑いながら攻撃してきたそうだ。
その時爺さん含めて20人ほどで応戦したらしいが、爺さんと上官だけ自動小銃で、後は38式だったらしい。
当然敵には当たらず、相手の機銃で蹂躙されたそうだ。
結局、米軍は船を沈めず、撃つだけ撃って去って行ったらしい。
その時の銃傷が腰と左手に残っていたよ。
その爺さんも数年前に脳溢血で亡くなった。
比較的、多くの戦争経験を聞いたが、もう少し聞いておけば良かったなと思っている。

659名無し三等兵:2009/01/07(水) 18:10:03 ID:???
おじいちゃんか……アメリカの海軍に所属してたみたい
後方で輸送とかしてたみたいだけど
660名無し三等兵:2009/01/07(水) 18:11:45 ID:???
急にハーフやクォーターが増えたな


www
661名無し三等兵:2009/01/07(水) 18:16:41 ID:???
本当だw
ざっと目を通したらいるもんだね
662366、387、395:2009/01/07(水) 21:32:13 ID:EANgZnGm
今思い出したんだけど、こんな話もあった。
まだ曽祖父が曹長になる前、満州行軍の話。
一日40キロの道を重さ30キロの背嚢と数キロの38式、
4キロの軍靴をはいて行軍してたんだと。
んで水筒の水が無くなって喉がカラカラになってしまって
動けなくなってしまったんだって。
でもその時曽祖父のお母さん(凄い前の先祖なので名前忘れた)
が出生の時軍服にお守りと一緒に縫いこんでくれた梅干をひとつ
取り出して口に入れると、唾液がいっぱい出てきて(酸っぱいからね)
その唾を飲んで何とかしのいだんだって。
663366、387、395、662:2009/01/07(水) 21:35:55 ID:EANgZnGm
↑誤字
○出征
664名無し三等兵:2009/01/07(水) 21:45:24 ID:???
うちの爺ちゃんは学徒勤労で中島飛行機で働いてたんだが、
何でも工場の近くに飛来してきた敵の航空機(確かB-29)に対し
日本軍の戦闘機が体当たりを敢行したまさにその瞬間を目撃したとのこと。
強烈に印象深い体験だったらしく、晩年までよくその事を話してたっけか・・・。
665664:2009/01/07(水) 21:52:14 ID:???
蛇足ながら。
ちなみに働いていた場所は中島飛行機の小泉製作所で、
何でも銀河の組み立てをしていたとか。
もっと話を聞いておけばよかったなぁ・・・。
666名無し三等兵:2009/01/07(水) 22:35:14 ID:???
>>662
梅干といえば、乃木将軍、ということで、軍隊のお守りにされることがよくあったみたいだよ。
667名無し三等兵:2009/01/07(水) 23:47:16 ID:j0+19Ae0
>>664 体当たりしたのは飛燕だろうな・・。
668名無し三等兵:2009/01/08(木) 06:49:19 ID:???
>>664
勤労動員
669名無し三等兵:2009/01/08(木) 08:48:22 ID:???
私の曾祖父は、サイパン島守備隊として玉砕。

お墓には、サイパン・チャランカノア付近ニ於イテ戦死と書いてあった。
部隊名は歩兵第14聯隊316大隊だそうだ。

祖父が言うには、曾祖父の部隊は元々満州にいたらしいが、サイパンへ移動したとか。
670名無し三等兵:2009/01/08(木) 11:36:32 ID:???
爺ちゃん満州(新京)で喫茶店やってた、
中国人の娘を雇って使ってたけど、ソビエト軍が来るから引き揚げるっていう日の前日に
陸軍の軍曹が2〜3人の部下を連れてきて、その娘をレイプしにきたって。
じいちゃん銃剣突き付けられててなにもできなかったって。
銀歯を光らせてにやにや笑いながら娘を犯していた兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を流して話してくれた。
671名無し三等兵:2009/01/08(木) 13:47:15 ID:/y/6brnX
>>670
辛いでは言い切れないだろうな、その時のお爺さんの気持ちは・・・
672名無し三等兵:2009/01/08(木) 14:21:48 ID:???
身内に等しい女性が守ってくれるはずの軍隊にこんな事をされたら、そりゃ辛いワ・・。
鬼畜め、地獄に落ちてくれ・・。
673名無し三等兵:2009/01/08(木) 16:28:39 ID:???
>>670
レイプとか残虐行為をしたのは、朝鮮出身兵がほとんどだよ
674名無し三等兵:2009/01/08(木) 16:34:08 ID:/y/6brnX
>>673
そりゃそうさ。
皇軍兵士はそんな事しないよ。
675名無し三等兵:2009/01/08(木) 16:36:35 ID:???
>>669
>歩兵第14聯隊316大隊

水際作戦で壊滅した部隊だった気がするけど違う?
676名無し三等兵:2009/01/08(木) 16:58:35 ID:???
>>673,674

自演乙!
677名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:00:19 ID:???
>>673
朝鮮兵ってw

軍属しかいなかったの知らないの?
678名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:07:23 ID:+zohmFI1
死んだ母方のじいさんは軍刀と自分の馬を持っていたそうなんですが(写真がある)
どのくらいの階級なんでしょうか?
679名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:22:32 ID:???
写真(階級章の部分だけでも)upすれば解決するじゃん
680名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:26:37 ID:???
>>677
はぁ?
朝鮮人名の陸軍大将とか居たでしょ
第五代韓国大統領、朴正煕は終戦時陸軍中尉ですが何か?
681名無し水兵:2009/01/08(木) 17:36:35 ID:ggSc0Qj4
うちの爺さんは海軍で潜水艦に乗ってたらしい。無事で帰国したが詳しい事は何も聞かなかったから解らないんだよなあ。どっかで調べれるもんなんですか?
682名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:37:28 ID:???
>>677
もう少し勉強しなさい
683674:2009/01/08(木) 17:38:22 ID:/y/6brnX
>>676
心外だな。
自演なんてしてないぞ。
684名無し三等兵:2009/01/08(木) 17:40:07 ID:sKlNu3tr
>>678
自分の馬があったってことは騎兵でしょ。
騎兵は将校じゃなくても軍刀持てたから、679のように
写真を見るしか。
685名無し三等兵:2009/01/08(木) 18:26:17 ID:+zohmFI1
>>684ですが、写真は昔、母の実家で見たので今はないです。
携帯だし知識もないので、upも無理ですし><
今、母に聞いたら、「階級?よくわからんけど…騎兵ってなに?ああ、騎兵隊。
馬にはずっと乗ってたみたいよ?」
とのことでした(笑)
騎兵かも知れないんですね。ありがとうございました^^
686訂正:2009/01/08(木) 18:27:18 ID:???
>>684じゃなくて、>>678です!☆ヽ(o_ _)oドテェ
687名無し三等兵:2009/01/08(木) 18:42:59 ID:???
>>677
終戦時の関東方面の陸軍司令は朝鮮の王族じゃなかったっけか?
徴兵はないけど志願兵はいたよ〜
688名無し三等兵:2009/01/08(木) 19:40:42 ID:???
テレビで在日チョンのババァが「日本に徴兵されて来た」って言い切ってたぞ。
689名無し三等兵:2009/01/08(木) 20:07:30 ID:FkCw+dQK
うむ!幻の第101ババァ連隊の生き残りだな。
100式短機関銃装備の精鋭コマンド部隊だぞ。
690名無し三等兵:2009/01/08(木) 20:44:35 ID:???
>>朝鮮の王族
広島で被爆死した大佐か中佐がいたと記憶している
691名無し三等兵:2009/01/08(木) 20:49:35 ID:Q2kouKSU
俺の爺さんのお兄さんがキスカ島専守隊だったそうだ。
昭和60年に死去されたが、43年生まれの俺にとってはお年玉を多くくれる
大事な兄爺さん。
あとあと、爺さんにも聞いた話なんだが、キスカ島撤退のリアル話を聞かされた覚えがある。
また、兄爺さんの手記もあるし。
兄爺さんの八尾高の同級生はアッツで玉砕したらしいが、おめおめ生き恥さらして申し訳ないと、
晩年まで悔やんでいたらしい。

キスカ島での手記を実家に行く度に読ませてもらっている。
木村昌さんが助ける側からの本は結構あるようだが、助けてもらう側の心理状態が切迫していてコワス状態。
692名無し三等兵:2009/01/08(木) 20:59:03 ID:???
>>691
できる範囲で良いので
聞かせていただけたら
693名無し三等兵:2009/01/08(木) 20:59:11 ID:???
それは撤退か徹底抗戦かの指令が、無線封鎖のためGFから届かない中で、
呂号潜水艦からの1缶のドラム缶から始まったそうだ。

キスカ島では、他島と違い、(アシカだかアザラシだかわからないが)
たんぱく質の現地調達は結構良好らしく兵員の栄養状態は比較的良好だったそうだ。
司令部では、徹底抗戦の方針で、守備隊の意気も上乗。
その中でドラム缶内のGF指令書には愕然としたそうだ。
694名無し三等兵:2009/01/08(木) 21:17:25 ID:???
「転進」指令に対し、部隊は徹底抗戦を唱える将校が多かった中
(朴訥な東北地方の次男以下の人間が多かったそうだ)
先見性を持っていた(大本営を信用していなかった)兄爺さんの仲間は、
「哨戒機」(多分カタリナ)が島の偵察もろくにせず、上空を通り過ぎるさまを観て、
可及的迅速に「単冠」まで下がるべきと意見具申していたらしい。
(達筆で読解不能なな旧態文章を、爺さんに訳してもらった)

俺自体は「単冠」がいわゆる「ヒトカップ湾」だったってこと知らなかった。

GF(多分この頃は日吉なのかな)との連絡手段がない中で部隊はもめにもめたそうだ。

「この季節、偏西風と荒波と濃霧の中、どのような手段で転進するのか?」
「どのような艦船がこのキチガイじみた港湾に入れるものか!」
「敵国の陽動作戦に違いない」などの「負」の要因しか考えられない環境。

結果、専守部隊は敵国の陽動作戦と判断。転進準備は決行されなかったようでした。
695名無し三等兵:2009/01/08(木) 21:24:49 ID:???
数日後、ものすごい艦砲砲撃音が海上から数時間聞こえたそうで、
その音量から明らかに「我が軍の物ではない」ことがわかったそうなので
(それほどの長時間の大量砲撃だったんだろうなあ)
転進キボンヌ組も完全に意気消沈したそうだ。
696名無し三等兵:2009/01/08(木) 21:34:44 ID:???
旧態文章の読解ができる方がいらっしゃいましたら、
再来週実家に帰りますのでzipにあげますので
もっと詳しい詳細、訳していただけたら幸いです。
うる覚えなので原文はもっとリアルなはずです。
697名無し三等兵:2009/01/08(木) 22:11:23 ID:???
>>680>>687>>690
洪思翔 陸士26期、陸大35期
昭和13年2月18日 中支那派遣軍特務部員
昭和13年3月1日 任歩兵大佐
昭和14年3月10日 興亜院華中連絡部調査官
昭和14年9月28日 支那派遣軍御用掛
昭和15年8月1日 留守第1師団司令部附
昭和16年3月1日 任陸軍少将、歩兵108旅団長
昭和17年4月17日 陸軍公主嶺学校附
昭和19年3月2日 比島俘虜収容所長
昭和19年10月26日 任中将
昭和19年12月30日 第14方面軍兵站監
昭和21年9月26日 没(法務死、マニラにて戦犯処刑)

李王垠(朝鮮王族)陸士第29期、陸大35期
昭和10年8月1日 任歩兵大佐、歩兵第59聯隊長
昭和12年8月1日 陸軍士官学校教官
昭和12年8月2日 陸軍予科士官学校教授部長
昭和13年7月15日 任少将
昭和13年12月15日 北支那方面軍司令部附
昭和14年8月1日 近衛歩兵第2旅団長
昭和15年5月25日 留守第4師団長
昭和15年12月3日 任少将
昭和16年7月1日 第51師団長
昭和16年1月16日 航空総監部附
昭和17年8月1日 第1航空軍司令部附
昭和18年7月20日 第1航空軍司令官
昭和20年4月1日 軍事参議官

698名無し三等兵:2009/01/08(木) 22:11:55 ID:???
李鍵公(朝鮮王族)陸士第42期、陸大51期
昭和17年3月2日 北支那方面軍参謀
昭和18年2月3日 千葉陸軍戦車学校研究主事
昭和18年3月1日 任中佐
昭和19年5月12日 陸軍大学校研究主事
昭和20年1月12日 陸軍大学校教官
 
李グウ(金偏に禺)公(朝鮮王族)陸士第45期、陸大53期
昭和17年3月2日 陸軍大学校研究部員
昭和19年3月1日 第1軍参謀
昭和20年6月10日 任中佐、第2総軍参謀
昭和20年8月7日 没(原爆死)、任大佐
699名無し三等兵:2009/01/08(木) 22:13:26 ID:???
>>697
李王垠
×昭和15年12月3日 任少将
○昭和15年12月3日 任中将

700名無し三等兵:2009/01/08(木) 22:16:19 ID:???
>>696
691さん?是非お願いします。
うちのじいちゃんもキスカ守備隊
その後ニューギニア戦線投入で
復員後病死・・・OTL
701名無し三等兵:2009/01/08(木) 23:42:30 ID:???
生きて帰ってきただけ奇跡だろ。
普通は現地で戦病死か餓死。
最悪だと友軍に食われている。
702名無し三等兵:2009/01/09(金) 00:13:34 ID:???
>>260ですが、阿武隈関係者の親族としてキスカ話に興味津々、期待しております。
703名無し三等兵:2009/01/09(金) 00:21:51 ID:???
>>696
了解。待ってる。
704名無し三等兵:2009/01/09(金) 01:24:56 ID:k4sdILp5
よっこいしょういちage
705名無し三等兵:2009/01/09(金) 04:05:25 ID:???
ピー屋で抜きまくり
706名無し三等兵:2009/01/09(金) 05:30:31 ID:eyb1FS+8
この板の方々は先日放送されたたけしが東條役やった例の番組は
どう受け止めました?

707名無し三等兵:2009/01/09(金) 05:46:54 ID:???
「あっそう」と。
708名無し三等兵:2009/01/09(金) 06:55:51 ID:Kg1MWnzP
大高政権樹立が抜けていてガックリ
709名無し三等兵:2009/01/09(金) 11:14:56 ID:???
>>676
さっさと祖国に帰れよ

>>677
死んで良いよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/洪思翊
710670:2009/01/09(金) 13:06:21 ID:???
>>673
>>674
じいちゃんの話だと、店によく来ていた常連客だった
れっきとした日本人下士官だったそうです。
以前からやたらとその娘に絡んでいた嫌な客だったとか…。

あなた達みたいな人とそのレイプした兵隊達って
なんか同じ種類の人に見えますね…。
711名無し三等兵:2009/01/09(金) 13:08:47 ID:???
安い釣りだなぁ
実話だと言われても「へぇ」という程度の話だが、
バカは連れちゃうんだろうな

こんなミエミエの釣りでも、釣りだと指摘されてても。
712名無し三等兵:2009/01/09(金) 13:44:36 ID:???
>>710 腹が立つのはよく解かるが、煽ってはいかん。
713674:2009/01/09(金) 13:54:32 ID:3RY3Z1zs
>>710
ちょっとした気分で言ってしまいました。
不快な思いをされてしまった事は謝ります。
申し訳ありません。
714名無し三等兵:2009/01/09(金) 15:18:20 ID:???
うちの爺さん、ニューギニア・第十八軍の生き残りだった。
戦場での体験は、全く喋ろうとせず、私達が食べ物を粗末にすると、鬼のように怒鳴られた。
八年前に亡くなったが、晩年は悪い夢でうなされるのが悩みで、病院にも通っていた。
祖母がどんな夢なのか聞いてみたそうだが、
餓死した戦友達が、全身に蛆がわいて死んだ当時の姿で、
「腹が減った…腹が減った…。早く食糧持ってこっち来い…」
って、お迎えに来る夢だと言っていた。
715名無し三等兵:2009/01/09(金) 16:53:51 ID:???
実際に霊が出たとか、あの世から呼んでるというのじゃなく、
悲惨な戦場の記憶や、自分だけ生き残ったことで感じてしまう後ろめたさが
深層心理にあってそういった悪夢を見せてしまうんだろうね。哀しい話だ。
716名無し三等兵:2009/01/09(金) 18:35:47 ID:???
>>715
終戦直前、出撃直後に愛機が故障して生還した某特攻隊長(海軍)の死の床での最後の言葉は
『大きな河が見える。河の向こうに敵艦が居て部下が突入してる!俺も行くから待ってくれ!!』
という悲壮なものだった、と航空ファン誌に載ってたのを思い出した。
717名無し三等兵:2009/01/09(金) 22:59:15 ID:???
なんという・・・・・。
718名無し三等兵:2009/01/10(土) 12:51:40 ID:???
        /ニYニヽ
   (ヽ   /( ゚ )( ゚ )ヽ   /)
  (((i ) /::::⌒`´⌒::::\  ( i)))  でっていうwwwwwwwwwwwwwww
 /∠_| ,-)___(-,|_ゝ \
( ___、  |-┬-|    ,__ )
    |    `ー'´   /´
    |         /
719名無し三等兵:2009/01/10(土) 13:35:10 ID:zJ/a4zDf BE:1103139465-2BP(0)
爺ちゃん、三井物産ロス支店で開戦直後まで絹の在庫を高値で売りさばいていた。
そして12月7日午後になってFBIが身柄拘束に来たが、収容所へ行く途中、倉庫に行き在庫チェックをした。
そして在庫表に自分の名前とFBIの兄ちゃんのサインをして、戦後在庫が合って無かったら告発するぞ!と恫喝した。
720名無し三等兵:2009/01/10(土) 21:19:35 ID:???
>>719
へぇー。
その後、どうなったのか聞きたいです。
721名無し三等兵:2009/01/11(日) 09:48:33 ID:???
うん、12月7日午後かー

うちの所の外戚のおじいさんは自分が夏休みの宿題で「戦争の話を聞いてまとめましょう」があるから教えて!
というと消防の自分を擽り倒していつも終わってた

つまり消防に話す事ではない、と踏んだのか?
つうか話して伝わる事なのだろうか


そのじいさん細川りゅうげんの日曜朝の番組と囲碁はTV譲ってくれなかった
722名無し三等兵:2009/01/11(日) 13:02:51 ID:???
爺「軍機だ!」
723名無し三等兵:2009/01/12(月) 06:29:17 ID:/rXXsuoM
うちのじいちゃん、ドゥーリットル隊みたらしい。
東京で職人の修行してたとき、
土手で寝っころがってたら(サボり中)
なんか四角っぽい飛行機が飛んできたって。
よく見たら「星のマーク」が書いてあってビックリ!
その後空襲警報がやっと鳴り始めて、
慌てて家に帰ったって。
正月早々に「コンソリ」って単語を聞けるなんて
自分もビックリしました。
724名無し三等兵:2009/01/12(月) 10:02:18 ID:UFSFowuS
10年くらい前に死んだ俺のじいちゃんは、心臓が悪くて徴兵?は免れたみたい。
健康だったら戦地へいかされて今の俺もいなかったのかな。
725名無し三等兵:2009/01/12(月) 10:32:40 ID:QxtOCkxD
>>724のじいちゃんの妻、つまり祖母(今80過ぎてるけど元気)の兄?弟
?が戦死した。もちろん戦死の通告は来たけど、祖母の母は「絶対死んでない。あいつは帰ってくる。」
とか泣きながら言ってたらしい。それで何ヶ月かしたら帰ってきた。その人はこう言った。
戦闘機の工場が爆撃に遭い、自分もその爆弾を喰らって片耳が聞こえなくなってた。
爆撃の時、その人は行方不明でこれは生きられないだろうと思った人が死亡と扱ったという。
俺はその人に半年くらい前に会った。そして去年の11月くらいに死んだ。



726名無し三等兵:2009/01/12(月) 10:47:13 ID:???
>>696
結構と言うかかなり貴重な資料だよ!
大事に保管してくださいね!
727名無し三等兵:2009/01/12(月) 14:50:28 ID:U5xumHFa
 うちの祖父(母方)終戦間際に徴兵(体が弱かった)。それまでは神戸の三菱で勤務
していた。何をしていた?と聞くと、潜水艦の設計図の確認?をしていたとの事
何でも潜水艦の全力発揮(海軍に引き渡す前)の時は工場全体が震えるくらいで凄
かったとかドイツの潜水艦が来ていて(!?)見学できたが水兵さんが若くて可
愛らしかった。潜望鏡に撃沈した船のトン数の小旗を付けてた。と話してくれたが
最後に「日本は戦争に負けて良かった」と真剣な目で俺に言ったが印象に残っている。
「潜水艦の設計をしていた東大卒の○○さんは戦後すぐ亡くなったな激務やからな」
と話していたが設計者はホント激務なんですね。
728名無し三等兵:2009/01/14(水) 21:19:11 ID:B0qyF01R
死守
729名無し三等兵:2009/01/14(水) 21:54:47 ID:wNW34liY
うちの母方の親戚(従兄弟だったかな?)、1人は近衛兵で皇居で勤務、2人が神風特攻隊として散ってゆきました。
ほんで、ひい爺さんはシベリアに抑留された後、無事生還。

その時、何故か知らんがスプーンと食器をくすねてきたらしいw

ひい爺様の古い家は家事で燃えちゃったけど、このスプーンと食器はまだあんのかな?
730名無し三等兵:2009/01/14(水) 21:56:01 ID:wNW34liY
訂正

>>729

誤:近衛兵で皇居で
正:近衛兵として皇居に
731名無し三等兵:2009/01/14(水) 22:24:31 ID:???
>>729
シベリア抑留を耐え抜いた後でなんでそんなリスキーなことをwww
732名無し三等兵:2009/01/14(水) 22:41:30 ID:wNW34liY
>>731
ひい爺様は私が産まれた時には既に亡くなっていたので、残念ながら理由は存じませんw
ただ母親は「見たけど別に特別なやつでもなんでもない普通のだった」とか言ってましたな、そういえば。
733名無し三等兵:2009/01/14(水) 23:11:51 ID:aEYZwl1D
うちの祖父は海軍。

もういなくて話聞けないけど聞きたかったな〜
でもなんか誇らしいわ。
734名無し三等兵:2009/01/15(木) 00:06:07 ID:CNuye42l
うちの爺ちゃんは戦前から満州に行ってたみたいで、満鉄系の製鉄所で仕事してらしい。
それから現地で徴兵にあって今の通過市〜中国と北朝鮮の国境付近にいたみたいで金日成の一派とよく小競り合いしてたみたい。
ちなみに初めは主計課の下士官で後期は重機隊の曹長やってたみたい。
終戦の時はシベリア送りの汽車にのせられたんだが途中汽車が故障かなんかで止まったらしくその時見張りのロシア兵倒して逃亡した。
バラライカをしこたま撃ち込まれたらしいが線路沿いのこうりゃん畑に飛び込んで、なんとか逃げ切ったみたい。
その後は、自転車や車の修理や靴磨きとか色々して小銭を稼ぎながら港まで歩いて。フツーに船で日本に帰ったそうな。
735名無し三等兵:2009/01/15(木) 03:03:37 ID:???
>>727
> 潜水艦の全力発揮(海軍に引き渡す前)の時は工場全体が震えるくらい

話が逸れるけど、そういう風に酷い震動と騒音が出たのは各部品の精度が低いせいで、そのために探知されやすくて、ぼこぼこ沈められたそうだ。(ー人ー)なむー。
戦後に日本の工業製品が世界的に売れるようになったのは、そのへんを反省して根底から改めて、精度を徹底して高めたことも大きい。
今は日本の潜水艦は静粛性が滅茶苦茶に高くなっていて、その関係もあって存在を探知されにくくなっていて、訓練のための模擬海戦で連戦連勝して
しっかり敵討ちしているらしい。
736uaa:2009/01/15(木) 03:19:38 ID:j+Ju/8VR
>>723
当時ミリオタ厨房(でも志願しようなんて微塵も考えてなかったところが血筋だと思う)だったうちの親父もドゥーリットル隊を見たそうだ。
友人達と下校中で、自分が最初に米軍機だと気が付いたと今でも自慢してる。
737名無し三等兵:2009/01/15(木) 06:48:25 ID:???
>>735
http://ja.wikipedia.org/wiki/エドワーズ・デミング
日本のQC活動の祖はデミング博士
738名無し三等兵:2009/01/15(木) 14:34:45 ID:RQbp7bVp
>>734
>小銭を稼ぎながら港まで歩いて。フツーに船で日本に帰ったそうな

ご謙遜を
相当苦労をされた方に500億ジンバブエドル(パン1個の代金)
「終戦」でグぐると出ると思うが、満州からコロ島の港まで到達した人は
全員筆舌に尽くしがたい苦労をしている
もちろん途中で相当数の人が絶命している

それに引き換え、開拓民を捨て置いて敗戦を知ってさっさと逃げた関東軍
およびその家族のなんと情けないことか

739名無し三等兵:2009/01/15(木) 14:40:20 ID:BFc0y/7s
インパ―ル作戦 I 〜補給なきコヒマ〜
http://www.megavideo.com/?v=ZBM9744E
インパ―ル作戦 II 〜責任なき戦場〜
http://www.megavideo.com/?v=O2I0V7VL
ペリリュ―島 〜終わりなき持久戦〜
http://www.megavideo.com/?v=B52BOSNV
死者たちの声 『レイテ戦記』 -前編-
http://www.megavideo.com/?v=R41NCWLA
死者たちの声 『レイテ戦記』 -後編-
http://www.megavideo.com/?v=7U2EF7BT
沖縄戦 〜戦場の記憶〜
http://www.megavideo.com/?v=I63XBWC0
沖縄戦 〜住民を巻き込んだ悲劇〜
http://www.megavideo.com/?v=JWLNOLD8
長い航跡 〜50年目のわだつみのこえ〜
http://www.megavideo.com/?v=M34JIV5B
戦争に駆出された軍馬の悲劇
http://www.megavideo.com/?v=CMZ61KH1
740名無し三等兵:2009/01/15(木) 20:15:30 ID:???
爺さんの弟は初陣で硫黄島だったな。
陸軍曹長だったが。
741名無し三等兵:2009/01/15(木) 21:40:06 ID:???
初っ端から末期戦か、きついな
742名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:17:04 ID:???
フィリピン方面で輸送船が撃沈、戦死状況不明よりいいだろ…
郷土編成ってのも良し悪しだな…
743名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:33:19 ID:pyu8zYR2
詳しくは知らんが、母方の爺ちゃんの兄さん、硫黄島の飛行場からサイパンまで出撃して戦死したらしい。
744名無し三等兵:2009/01/16(金) 00:51:53 ID:???
>>738
じいちゃんばあちゃん満州からの帰国組だけど、
関東軍の悪口は言わなかったです。
人口密集地隊の大連 - 新京 - 図們のラインを防衛していたし、
開拓団の人たちも人口密集地帯で戦闘が発生する都市部より、
人口の少ない周辺部の方が安全だと思われていたそうです。
ばあちゃんの開拓団が生き残ったのも、
始めは戦闘の無いほうへ逃げたが、
土民の略奪に苦労して、ハルピンに行き先を変えたから
生き残れたそうです。
何しろ、戦時中は戦闘の激しい日本本土から、
わざわざ戦闘の予測されない満州の方が
安全だと思われていたくらいですから。
開拓団員は徴兵も無いし、世界大恐慌で国内で仕事が無い時に
日本本土の三倍の給料を貰えたので
じいちゃんは満州に骨を埋めるつもりだったみたいです。
ばあちゃんは帰りたい、帰りたいと言っていたが聞いてもらえなかったそうです。
745名無し三等兵:2009/01/16(金) 02:27:40 ID:7JrE32wc
爺さんの戦争体験で、少し流れは違うけどこんなのもあるという事で。

小学校の時に先生から「お年寄り等から戦争体験を聞いてこい」と言う宿題が出た。
俺は爺さんに、戦争の話を聞いた。お酒が入っているのでとても饒舌になって色々話してくれた。
なんでも戦艦大和の生き残りで、中国でもかなりの修羅場をくぐり抜けてきたとの事。
その話をまとめて俺は宿題を済ませた。
さすがに大和の生き残りなんて人は友達の中にもおらず尊敬の眼差し、先生もすごく感心してほめてくれた。
俺のあだ名は「ヤマト」になった。名前がヤマ●トだから、その辺も関係あるのだろう。

しばらくして、羨望の眼差しのはずが、何か雰囲気がおかしくなっているのに気が付いた。
こっち指差してヘラヘラしている。話しかけても皆何か冷たい。
何がどうしたのか判らない。

かなりして、ようやく原因が判った。
俺の爺さんは昭和15年生まれだから、戦争の話は全てガセ。
5歳のガキが大和に乗っているはずがない。
これは同級生が親に話をした時、すぐ判ったそうだ。知らなかったのは俺一人。
知らない間に「嘘つき」のレッテル貼られ笑われていた。

未だに、俺の爺さんは酔っ払うと戦争の話をする。
戦争は悲劇だ、軍隊はイカン。憲法9条は素晴らしい。いつもそんな話しだ。
しかし俺は、なるべく早くコイツ死んで欲しいと、心から願っている。

戦争体験の話は、俺にとって大きなトラウマ。

746名無し三等兵:2009/01/16(金) 06:17:21 ID:???
そんなしょぼいもんがトラウマでじいさん死んで欲しい?
甘えてんなよなー
747名無し三等兵:2009/01/16(金) 08:14:48 ID:???
>>743
サイパン特別銃撃隊じゃないですか?
かなり壮絶な最期を遂げたみたいですよ…
748名無し三等兵:2009/01/16(金) 13:40:58 ID:SeCKfxsK
>>746
>>745にとっては嫌な事だったことは認めてやれ
事の大小にかかわらず本人が傷ついた事は確か
749名無し三等兵:2009/01/16(金) 14:02:46 ID:???
うちの母方のおじいさんの話
徴兵されるまで宮大工やってて徴兵で沖縄へ
激戦区だったがじいさんはジャングルで蛇を食って生き延びたらしい
んで戦友とアメリカ軍基地に忍び込み食料を盗んでいたんだが、
何度目かに見つかって捕虜に…
見つかった時じいさんは床下に潜んでいたんだが、
アメリカ兵が床下を確認するために剥がした所が真上で、お互い固まったんだが、
じいさんがヘローと声をかけて素直に捕まったそうな…
捕虜の時も宮大工の経験を生かし、基地を修理してあげたら
基地の副司令に気に入られてよくしてもらったと言ってました
たしか家には勲章もあったしすごいじいさんだったんだなぁ…
750名無し三等兵:2009/01/16(金) 14:33:59 ID:???
正月、亡くなった母方の祖父の感状?と写真見せてもらった。
支那事変に於ける功により勲八等瑞寶章、金百五拾圓を授け賜うとある。階級は陸軍砲兵伍長、日付は昭和十五年四月二十九日。
これって何をやった程度の功績何だろう?
ネットで検索したら、同じ砲兵で同じ日付に「外地に出ていないのに」支那事変従軍章を授与されてる人の話があった。
この時期、勲章インフレでもあったのかな?支那事変に係る表彰は一斉に行われたのだろうか。
写真は長靴履いて軍刀持ってた。
伍長クラスからそんなの支給してたら結構物資大変だったんじゃなかろうか。
751名無し三等兵:2009/01/16(金) 17:30:55 ID:???
>>748
じいさん死んで欲しいって思ってるのはただの甘ったれだ
752名無し三等兵:2009/01/16(金) 18:35:19 ID:PywDwM0W
うちの祖父の兄の話、祖父から又聞き

太平洋戦争で召集を受けたが、うちの曽祖父が結構な実力者で色々根回ししたらしく、
歩兵になる所を砲兵隊に配属される。その後ブーゲンビル島の戦線に送られたものの、
到着寸前に輸送船が沈没。島まで泳いだのか救助されたのかは不明。ブーゲンビルでは
米・豪?軍に包囲され、素潜りで魚を取ってなんとか暮らしていたとか。その後捕虜と
なってオーストラリアの収容所へ。暴動があった時は参加しなかったっらしいが、大勢
の日本兵が殺された、と語っていたとのこと。

ブーゲンビルにいた時に山本長官機の残骸を見たらしい。
753名無し三等兵:2009/01/16(金) 18:50:56 ID:???
我が県のとある人の体験記から。
まだ小学生の本人は、戦争末期の食糧難なため、隣の村のとうもろこし畑
から4〜5本くすねてきたそうだ。
仲間3人で、さあ焼きもろこしや、と秘密のアジトで用意したのはいいが、
味付けの醤油が無い。そこで本人が家に戻って醤油樽から掠める作戦に出る。

もちろん、醤油も当時は手に入りにくい貴重品なため、樽には鈴が添えられて
警報装置の役割をなしていた。本人は母が庭の畑で野良仕事してるのを
確認して樽の蓋をあけて枡に注ごうとするが、別のトラップが
仕掛けてあったらしく、樽の近くで鈴が鳴り響いたそうだ。
外から母が駆けつける足音がしたので、本人は樽の醤油をグワリと口一杯に
含み、そのまま外へ猛ダッシュ!
口に醤油含んだまま、1キロ近くある山の秘密基地へ走っていったそうだ。
そこでは仲間が、とうもろこしをちょうどいい焼き加減にして待っており、
本人は到着するなや、あらかじめ仲間が用意してた木皿に、ぶええ、と醤油を
吐き出した。
仲間の二人が「げえ、きったね〜な」とぼやいたが、非常手段な一部始終を
聞いてやむをえないと納得し、口で運んできた醤油を焼きもろこしにつけて
バーベキューを楽しんだそうだ。
本人は家に帰れば、醤油を掠めた咎によりオヤジの鉄拳が飛んできたそうだが、
本人のコメントは、「鉄拳食らうのは覚悟してたが、久しぶり美味いもん
食えたのでプラマイゼロでOK」と述べておりました。




754名無し三等兵:2009/01/16(金) 19:33:54 ID:xsfmo4X7
我が家のおじいさんは、戦中は毎日畑を耕して、できたイモや野菜を近所や遠方から疎開してきた人たちに分けたんだと。
つまらなくてすまそ
755名無し三等兵:2009/01/16(金) 21:17:31 ID:???
>>750
>瑞寶章
国家のため功労ある者に贈られる勲章。
勲一等から勲八等まであった。
昭和20年8月7日の豊川大空襲の際、豊川海軍工廠に学徒動員されていて爆死した旧制中学・高等女学校生徒ほか78名に対し、軍属として勲八等瑞宝章が贈られた。

>「外地に出ていないのに」支那事変従軍章を授与されてる
騎兵、砲兵、輜重兵など馬を取り扱う部隊の場合、動員部隊の馬(乗馬、輓馬、駄馬)を乗船地まで輸送する必要がある。
内地勤務の兵隊でも、この馬輸送の使役に参加すると、たとえそれが1か月未満であっても、その戦争に従軍したとみなされ、従軍徽章がもらえた。
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」より
756名無し三等兵:2009/01/16(金) 21:18:41 ID:???
>>738
>>744
「群盲、象を撫でる。」がしょせんは限界。
どちらも正しいと思うよw

当方の会社にかってシベリア抑留体験者が居られたが、
一般(ていうか俗流反共宣伝によくある)悪魔のようなロシア兵ではなかったと、
その私記に書かれていた。
「日本軍と違って、ノルマ不達成や違反行為を激しく怒鳴ったりはしても、
けっして暴力をふるわなかったのには、新兵(=ビンタの毎日)だった自分はもちろん、
他も皆、憎い敵ながら立派だと感心していた。」

結局、日本であれ中国であれソ連であれ、中隊長や小隊長など、
部隊指揮官の人徳や思想や技量に依る部分は少なくないらしい。
文句なしに残虐非道な「暁に祈る」も真実なら、
「決して殴らない天晴れな敵ソ連下士官」も事実なのだろう。
757名無し三等兵:2009/01/16(金) 21:27:39 ID:???
>>755瑞寶章の続き
日中戦争の論功行賞の第一次の〆切は昭和十五年四月二十九日である。
従って、この時点までに戦場に在った者は、兵隊は、少なくとも勲八等瑞宝章か旭日章を授与されたし、功績抜群の者は功七級の金鵄勲章をもらっている。
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」より転載
758名無し三等兵:2009/01/16(金) 21:40:43 ID:???
>>756
ここのサイトにも似たような話が書いてある。
ttp://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm
今までの赤軍兵のイメージと大分違う。
759名無し三等兵:2009/01/16(金) 22:53:27 ID:???
>>755
即レス有り難う。
疑問が氷解してスッキリ。八等瑞寶章、支那事変についてはほぼ参加賞みたいな物と言うことだね。
とにかく生還して子孫を残してくれた事に感謝します。
勲章そのものは俺自身が二〜三歳の頃おもちゃにして無くしたらしい…
760名無し三等兵:2009/01/16(金) 22:56:53 ID:???
うちのじいちゃんは軍属で、輸送船乗りだった。
マニラでグラマンの空襲に遭い、駆逐艦が煙幕?を展開しているとこを 
見たそうだ。潜水艦の雷撃でボカ沈して、2回泳いだらしい。
761名無し三等兵:2009/01/16(金) 23:49:41 ID:???
うちのじいさんは若い頃に死んだ。23だったそうで、瀬戸内海で潜水艇の訓練中に隆起した海中の山みたいな柔らかいとこに突っ込み、助け出された頃には駄目だったと。
地元のじいさんが幼馴染みで、整備兵だが部隊が一緒だったこともあり詳しく伝えてくれた。
その知り合いのじいさん、最近あのCM見たんだろうが、リアルにベ〇タースオリジナルくれるw(それまではミルクアメだた

じいさんは血は繋がってないが本当のじいさんみたいで、親父も慕ってる。
つかじいさんの実の孫と俺もなんか兄弟みたいに育った。そいつはちょい前までヒッキーだったんだが、ネトでは会話してた。暴れるそいつをじいさんはよく一本背負い→ぼこぼこwにしてて、母親がじいさん止めるために家によく駆け込んできてた。
じいさんはヒッキーのそいつを、狭い潜水艇の中でもがき苦しんで死んだ俺の実のじいさんに被せて見てたって、酒のみながら爆笑する。忘れられないんだと。
762名無し三等兵:2009/01/17(土) 02:20:19 ID:???
俺のところは3人従軍したのがいた。

一人目。
父方の爺ちゃんは海軍所属で、輸送船(?)に乗ったみたい。
戦後間もなくばぁちゃんと離婚したから俺は葬式の時に初めて対面しただけで一度も話した事もないけど、
数年前に倒れた時に親父にその連絡がきて、別れて以来初めて親父も対面したらしいが、
その時に、爺さんの若き日のセーラー服姿の写真と輸送船と思しき写真を持って帰って来てた。
写真は今も手元に有るんだが、俺程度が調べても解らなかった。
爺さんはどこの海にいたんだろ?

二人目。
母方の爺さん。小さい頃から「戦争の話聞かせてー」って感じで聞いてたけど、何せ方言(佐賀県の伊万里)がきつかったしもごもご話してたから何を言ってたのか解らなかったw
話の内容は「ひい爺さんは日清?日露?の時に重砲隊でなんちゃら〜」で当時の貴重な写真を見ながら話してくれた。
今もその写真は母方の実家にいけば綺麗な状態で見れるが、詳細は俺程度の知識じゃ解らん感じのものばっかり。

で、肝心の爺さんの話は、、、死ぬまで聞けなかった。上記の話を聞いている時に幼いながら、「爺ちゃんの話は・・・?」って思ってたけど、
今思うと、余程辛い経験をしたのかなぁって思うな。
でも、「重機関銃がなんたら」って話は言ってたから、少なくとも陸軍だったと思う。
それに爺さん、従軍してた部隊の戦地歴訪?らしき会の写真も出てきたから、これで調べる事とか出来るかな?
爺さん、何処にいたんだろう。。
763名無し三等兵:2009/01/17(土) 02:23:14 ID:???
連続御免。

3人目。
最初に出てきた父方の爺さんの嫁さん=父方の祖母さん。
親父はばぁちゃんに付いてったから生前に聞けたけど、まさかばぁちゃんも従軍していたとは思わなかった。

ばぁちゃんは従軍看護婦として満州へ渡り、従事していたそうだ。
何回か「傷ついた兵隊さんが可哀想で可哀想で…」てのは聞いたけど、一度だけ幼い俺でも気まずい空気を読んだ話を聞いた。

「(中国人?ロシア人?か忘れたが)の人を麻酔も無しに足首を切って云々…」と話始めた。
どうやら人体実験に付き添ったらしい。
「あれは今でも思い出したくない…。あの人は可哀想やった…」と、淡々と話してくれた。
それからどういう経路か解らんが、19年頃に日本に帰国。
故郷の長崎に帰ったみたい。
結局怖くてばぁちゃんが、何処で何をしていたのか詳細は聞けなかった。

現存の写真うpして、ここの方々に見てもらおうかな?

長文スマソ。
764名無し三等兵:2009/01/17(土) 02:48:21 ID:aNCxWukt
死ね死ね団で生き残ると悲惨。


特攻隊 許されざる帰還 〜生き残った軍神の悲劇〜
http://www.megavideo.com/?v=4SILXR7H
765名無し三等兵:2009/01/17(土) 02:52:59 ID:???
>738

関東軍家族は中国に逃げたのはともかく朝鮮組は
北朝鮮で抑留、満州以上に悲惨な目に。
766名無し三等兵:2009/01/17(土) 03:00:15 ID:???
>764

振武寮から再度出撃した香具師はおらんぞ。

せいぜい使い物にならんので転属が関の山。
767名無し三等兵:2009/01/17(土) 03:06:37 ID:???
特攻隊に「最後に必ず俺も特攻する」と檄を飛ばして
学生に自殺をたきつけた当の菅原中将は95歳で天寿を全うしましたとさww

死ね死ね団 ワロスw
768名無し三等兵:2009/01/17(土) 05:39:47 ID:???
>>762
当方佐賀県伊万里市出身。
覚えている言葉があれば通訳しますよwww
769名無し三等兵:2009/01/17(土) 09:06:16 ID:???
私の祖父は、生きていれば今年で87になる人だが
父親を早くに亡くし、家中唯一の男子ということで徴兵猶予
(徴兵検査も甲種ということはなかったと聞いた覚えもある)
それでもとうとう赤紙が来た矢先、敗戦により従軍を免れた

今年で82の祖母による敗戦前の記憶の述懐によれば
2件隔てた隣近所の付き合いながら、「嫁に行くならこの人」と決めた人に赤紙が来て
心中穏やかならずにいた所
降伏前夜の14日夜、県下最初で最後の大規模空襲で、村から十数キロほどの地区が焼き払われた
南西の夜空が赤く燃えるのを眺めながら、「もうみんな死んでしまうんだ」と覚悟していたという

戦後GHQに派遣された米兵が我が寒村を訪れた際は肝を冷やしたというが
その後は特に脅かされることもなく、晴れて祖父母は夫婦となり
おかげで私もここにいる
770名無し三等兵:2009/01/17(土) 11:57:20 ID:???
私の祖父は秋田の連隊に入隊後、フィリピンのリンガエン湾?に上陸。
だが圧倒的な米軍に追い詰められて、幾度も山の中を転進。
戦闘や病気などで戦友の多くが死んだ。

敵陣に突撃し華々しく散ろうぞ!!と、なぜか死を急ぐ血気盛んな上官達が玉砕を決意。
遂に俺も死ぬ時が来たかと覚悟したらしい。

だが司令部からは、「玉砕はせず、遊撃戦を展開、米軍を殲滅せよ」みたいな内容の命令があり、
終戦後の9月までルソン島南部でゲリラ戦を展開していた。
771名無し三等兵:2009/01/17(土) 17:55:04 ID:???
>>768
まさかの伊万里市民キタw
しかし残念ながら「そいぎぃ〜」とかしか聞き取れませんでした、すみませんw
因みに当方の実家、大坪町ですw

お宅のお爺様も、ずっと伊万里?
772名無し三等兵:2009/01/17(土) 21:19:30 ID:???
うちのジーさんは満州だったな。負け戦だったけど。
ロシア人はビンボーで不衛生で飢えてて、勝ち組には見えなかったそうな。
しかも、国際法違反の抑留されて。

蒋介石、トルーマンは戦後処理に徳があったそうな。
773名無し三等兵:2009/01/17(土) 21:21:14 ID:???
>>765
ttp://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/1022.html

第2部 北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち
774名無し三等兵:2009/01/17(土) 21:24:32 ID:???
>>772
ソ連のような新興宗教立国の国は、唯我独尊的な性格が極端だからね。
775名無し三等兵:2009/01/17(土) 23:41:47 ID:unQzqXrd
>>762の追記だが、母方の爺ちゃんの遺品を片付けていた時に、先端が圧し折れた38式小銃?99式軽機関銃?92式重機関銃?の弾頭数発と、
子供の拳大の弾頭が一発出てきたんだが、、、

日本軍に対空砲って有ったっけ?小銃の弾頭と比較したら余りにも嘘っぽく見えて。
教えてくれちゃんですまん。
776名無し三等兵:2009/01/17(土) 23:55:45 ID:???
>>775
各々、外径と長さは何ミリで重さは? って、重さは細かく量れないかな。
777名無し三等兵:2009/01/18(日) 00:22:12 ID:???
>>776
早速のレス有難い。

んだが、ちょっと今実家離れてるから(と言ってもチャリで15分程度)、
取り合えず今日取りに帰るから、それまで暫しのお待ちを…。

因みに写真もアップしてみたいんだけど、どうしたら良いのかな?
重ね重ねすんません。
778名無し三等兵:2009/01/18(日) 00:39:58 ID:???
>>777
アップは、白い紙とかに乗せて、大きさの比較になる物差しとか鉛筆とかも並べておいて、立体感が分かりやすいように適当に斜めから
蛍光灯スタンドとかで照らして、デジカメで撮って、長辺1024とか、
適度に縮小したものをアップ。といっても、どこのアップローダが適切か、ちょっと分からない。
しらばっくれて、デジカメ板のアップローダに、「使っているカメラの機種スレ」の名を騙ってアップするとか。
日本の歴史関係のことなんだから、いいんじゃない、そのくらい。
779連隊:2009/01/18(日) 00:58:59 ID:NiZqT5en
亡くなったじいさんは、陸軍に一般入隊した後に部隊内で勉強して陸軍士官学校に入ったそうだ。
当時では身内に職業軍人がいない兵隊で、稀なパターンであったらしい。
終戦時は満州でソ連軍を迎撃するため陣地構築中に降伏命令をうけシベリアに送られたらしい。
当時は大隊長であったからシベリアでは部下がいろいろと世話してくれたおかげで日本に帰って来られたと言っていた。
しかし、左足を負傷した為、生涯足が不自由であった。
その爺さんが生前、当時の写真を見せながら自分達が攻撃された時のことを説明してくれた。
当時の部隊は日本軍では珍しい自動車化歩兵連隊であり、爺さんが撃たれたのも乗車中で、写真にはフロントガラスに弾痕がある自動車と並んで写っていた。
780名無し三等兵:2009/01/18(日) 01:27:51 ID:???
>>778
細かい指摘有難う。準備が整い次第、やってみるよ。



何処でどのような経緯があって拾ってきた代物か解らんが、爺さんの生きた証を此処の皆にも見て貰って、
各々、思い馳せて欲しいなぁ。
781名無し三等兵:2009/01/18(日) 01:35:12 ID:???
>>780
寸法と重量のミリやグラム単位の詳細が分かれば、何の弾とか、ズバリ回答もあるんじゃない。
782名無し三等兵:2009/01/18(日) 02:05:49 ID:???
俺の父は大家族でさ父と一番上の叔父さんとは20歳近く離れてるんだ
その一番上の叔父さんから聞いた話

叔父さんは当時少年飛行兵としてグライダーの滑空訓練を終了する間際に終戦
を迎えたんだけど、その叔父さんの従兄は現役のパイロットでさ、
その人の話。

出撃して怪我をして目を悪くしたらしいんだ。当時戦闘機は2機編隊が基本らし
くて、その2機1グループが複数集まって編隊を組むらしい
空戦の基本は相手を先に見つけて、上空を取った方が有利らしくでも、
常に高空は燃費が悪いらしく。だから、敵を早く見つける事が重要だったんだって。
隊の中で目が良いと評判だった叔父は前の方を飛んでたんだけど、
実は以前の怪我が原因で視力が落ちてて。でも、そんな泣き言も言えない
状況らしくて…以前より見えないのに飛んでたらしい。
そしたら、何となく敵が見えた様な、来てる様な気がして、翼を左右に振って上昇。
当然全機が後を付いて上がって行く訳です。所が敵が来ない。
まぁ、当然見えてる訳無いので来る筈無いんですが。
で、叔父さんはやっちまった…と、思ったらしいです。
所が、ホントに目のイイ奴が敵を右斜め方向で発見して、そのまま降下して戦端を開き
大空中戦が始まった。ビックリしたと本人が言ってたそうです。
その戦闘でまた大怪我してギリギリで帰還したけど、本土へ帰る事になって、本土で終戦。
「足が無くても飛ぶ野郎が居るんだから、チット位目が見えなくても飛べると言ってたそうです。」
783uaa:2009/01/18(日) 02:16:11 ID:/IasGUfp
>>750>>755
予備役が招集されると戦地に行かなくても従軍記章とかもらえる。
うちの祖父さんは満州事変の時は予備役歩兵少尉(終戦時は輜重兵中尉)で招集され、
出征部隊(歩32連隊)の留守番して瑞六と従軍記章もらった。

↓ウィキにうぷした写真。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Orders_of_the_Sacred_Treasure_class6-010.JPG
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:1931-34_China_Incident_War_Medal-003.JPG

>陸軍砲兵伍長
下士官は七等だと思ってたんだが・・・・
事変の時は上等兵だったのかな?
784名無し三等兵:2009/01/18(日) 02:54:37 ID:+t5pGyrA
カラフト?よく分からないけど
北海道の上ら辺で戦ったとか
数少ない生存者だとか
785768:2009/01/18(日) 13:38:33 ID:???
>>771

> しかし残念ながら「そいぎぃ〜」とかしか聞き取れませんでした、すみませんw

「それじゃまた」ぐらいの意味合いですね。

> 因みに当方の実家、大坪町ですw

こっちは東山代町です。
因みに山代町立岩に「回天」や「海防艦」を作っていた造船所跡が、
当時の姿のまま残っているのをご存知ですかね?

> お宅のお爺様も、ずっと伊万里?

そうですよ、既に鬼籍に入って久しいですが。
軍歴に関しては、二人とも北支にいたことしか分かっておりません。
786名無し三等兵:2009/01/18(日) 21:07:11 ID:???
じいちゃんじゃないけど、ばあちゃんの兄が陸軍の軍医だったらしい
787名無し三等兵:2009/01/18(日) 21:44:34 ID:???
祖父から聞いた話ですが、数百人の兵士が一式陸攻と銀河に乗り込み、青森の三沢基地から飛び立って、マリアナ諸島の米軍基地に殴り込む作戦?の決死隊員だったみたいです。
夜間に敵の爆撃機を破壊する訓練など、かなりハードでしたが隊員達の士気はかなり高かったそうです。

出撃直前に基地が爆撃されて作戦は延期され、そのまま終戦になったと言っていました。
788名無し三等兵:2009/01/18(日) 22:47:53 ID:???
>>784 第88師団ですか。こんな感じですね。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-taiso3.html

789762:2009/01/19(月) 02:59:59 ID:HV18dhRk
遅くなってすみません。お待たせ(?)しました。
ちゃんと貼れてると思うけど(汗)

爺さんの遺品@
http://multip.net/view/VZcjF57L7m

爺さんの遺品A
http://multip.net/view/iWBOD5ePDu

爺さんの遺品B
http://multip.net/view/6xR3FCGJjD

因みに@・Aの重量は、ちゃんと量れなかったので自分の手を信じて身の回りに有る色んなものと比較してみたけど、
その中でも、190mg缶コーヒー(未開封)2本分と、似てたかな。

>>781
俺自身、精密に測ってみたかったけど、ウチには…
すまんが、メジャーで勘弁してくださいw

>>785
この程度しか覚えてなくてすみません。もう少し、大きくなってから聞けば良かったなぁ。

二里からちょっと行った街ですね。
しかし「回天」や「海防艦」が作られていた事は初耳です。
いや、知らな過ぎですね;^^

あんなにのどかな伊万里でも、かぁ…。何だか切ないですね。

そうですか。当時は、同郷とかで出征先も一緒だったりしたんですかね?
それだとウチの爺さんも一緒って解るのになぁ…。
790778:2009/01/19(月) 04:02:39 ID:???
>>789
さっそく乙。ちゃんと貼れてるし、立体形状も分かりやすいですね。ちょっと手ぶれがあるけど。
個人的には分からないですが悪しからず。

今はコンパクトデジカメでも6メガピクセルとか10メガピクセルとかが普通で、長辺3000ピクセルとかの巨大画像になっているので、
デジカメの機種別の比較テストとかで、オリジナルのままでないと意味がないばあいは別として、「Webで単に見てもらうだけ」のばあいには
もっと縮小するほうがいいです。

1:「オリジナルをうっかり縮小してしまわない」ために、カメラに添付の取り込みに使ったソフトで「別の名前で保存」。
※「元の名前-s.jpg(追加したエスはスモールのつもり)」とかで保存。
2:「解像度(ピクセルサイズ)の変更」で、たとえば長辺1024ピクセル(液晶画面の全面くらいかちょっと狭いくらい)にするとか
※パーセントでの指定なら、6メガピクセル機のばあいなら、33%(長さの比率)くらいという計算
3:その状態で保存してからアップ
※複数をまとめて縮小するなら、「縮小専用」とか「ちびすな」という縮小ソフトを使うとかが簡単。



791名無し三等兵:2009/01/19(月) 18:53:58 ID:VsqkHY3b
 
名誉と犠牲 〜日系アメリカ人442連隊〜
http://www.megavideo.com/?v=6DV2GNM2

苦い名誉 〜忠なれば孝ならず、孝なれば忠ならず〜  
http://www.megavideo.com/?v=VXL8XI25
792名無し三等兵:2009/01/19(月) 19:40:32 ID:???
すいません
ひとつ質問させて下さい

私の祖父は戦争中戦艦「伊勢」にのっていたのですが最近寝込んでめっきり弱っています
そんな祖父を力つけようとおもい戦艦伊勢の資料のようなものや当時のそういった海兵たちのようすの資料などの本がほしいのですが
なにぶん私には知識がありませんので皆さまの意見を参考にしたいです

793名無し三等兵:2009/01/19(月) 20:26:50 ID:???
>>790
な、何だか一度じゃ覚えきれないですが(笑)、細かいアドバイスまで有難う御座います。
しかし、やっぱりこれだけだと解らないもんですよねぇ…。


>>792
これまた有名な戦艦に乗っていたんですね。
簡単に入手出来る資料ならウィキや、本屋に並ぶ資料本や海戦物の文庫本も有ると思います。
またCDショップで旧軍の軍歌を集めたアルバムも有ったりするので、それを一緒に聴くのも良いかも知れませんね。
794792:2009/01/19(月) 20:39:42 ID:???
目がもうあまりよくないので写真や絵柄がメインのもの
できれば伊勢のものがいいですが近いものでも、

田舎ずまいでその手の本がリアルでは手に入りにくいのでネットで購入できれば幸いです。


多くの注文申し訳ありませんの
795名無し三等兵:2009/01/19(月) 21:16:22 ID:tSS9GSMK
三枚目の写真、左側の二発は7.7ミリ弾では?99式の?
私の親父がもっていたものと(一番左側が)そっくりだ。

右側の二個は38式の6.5ミリ弾かな?
796名無し三等兵:2009/01/19(月) 21:53:17 ID:???
伊勢かぁ・・。有名な日本の戦艦なのに画像は非常に少ないからな・・・・。
祖父殿が今回のピンチを乗り越えるように祈っています。

むしろ、792さんは、しっかり爺様の話を聞いておくのが正解かもな。
修羅場をくぐった人間は、付け焼刃の人間なんて、すぐに見抜く場合が多いよ。
797名無し三等兵:2009/01/19(月) 22:43:37 ID:???
798名無し三等兵:2009/01/19(月) 22:46:09 ID:???
げ、学研の「伊勢型戦艦」は絶版か…dでもない値がついとる。

>>794 これならまだ手に入るようです。版形小さいですが。
http://www.amazon.co.jp/gp/switch-language/product/4769807724/ref=dp_change_lang?ie=UTF8&language=ja_JP

ただ、もっと大きな版が昔出てまして、そちらを持っておられる可能性がなきにしもあらず。くれぐれもご確認お願いします。
799名無し三等兵:2009/01/20(火) 01:36:50 ID:???
>>795
やっぱり、コンマミリ単位の寸法が決め手、ですかね。
あと、小銃ではなかったかもしれないけど、ギザギザは模擬弾の区別用とか、何かどこかで読んだような?

>>793
ホームセンターで数百円のノギスも売ってますが、もちろん何かを買うついでに持っていって「お店の人のノギスで測ってもらう」とか?
800名無し三等兵:2009/01/20(火) 03:25:17 ID:???
>>789
遺品@Aの口径が20mmっぽく見える。

もし20mmなら97式自動砲(対戦車銃)の97式20mm徹甲弾じゃなかろうか?
 97式20mm曳火(えいか)榴弾なら弾頭が平たくなっている。
よく似たものに、98式高射機関砲の対戦車用徹甲弾があるが、こちらは
もっと弾頭が長いようです。

貴重な資料を見せてもらいました。



801名無し三等兵:2009/01/20(火) 08:17:12 ID:???
そろそろスレ違いだって気づけ
802名無し三等兵:2009/01/20(火) 16:58:07 ID:???
>>801
遺品の詳細を知る。
それがスレ違いであろうか?
803名無し三等兵:2009/01/20(火) 17:22:59 ID:???
私は日頃、仕事の資料などをコンビニでコピーすることがあります。
ある日いつものようにコンビニでコピー機を使おうとしたら、とあるご老人男性(80〜歳くらい)の方がコピー機を使っていました。
なにやら地図のようなものをコピーしているのが分かりました。そしていけないと分かりながらも恐る恐る覗き見してしまったのです。

そうしたら、その地図はサマール沖海戦と題してあり、サマール沖海戦の連合艦隊進路と海戦発生箇所が記されていました。
それを見た時、私の中の何かが激しくぶつかり合い、また熱を帯びてきました。そしてそのご老人に対して無性に話しかけたくなってしまった。

ただ話しかけたくとも、なんと話を切り出せばよいのかが分からなくて。単刀直入にこう言ってしまいました。「元海軍軍人でいらっしゃいますか?」と。


そうしたら、「えぇ。大和乗り組みでした。」とおっしゃって、よく講演会などを依頼されて配布資料を作ったりするとのことでした。
そして、私の祖祖父の弟が海軍でマリアナで戦死したと話しました。そうこうして話す内に、そのご老人は海兵卒であることも分かりました。

別に落ちなんてないですけど、たまたま立ち寄ったコンビニでこんなこと
804途中できれてしまったので。:2009/01/20(火) 17:32:06 ID:???
たまたま立ち寄ったコンビニでこんなことってあるんだなぁって思って、興奮したので。
書き込みました。


こんなことを言ってしまうのはよくありませんが事実、生きた証人から話を聞けるのもあと十数年くらいだと思います。
もし身近にそのような方がいらっしゃるのなら大変貴重です。もし可能ならば、もし話してくれるならば色々とお話を聞いておいた方がいいと思います。
そしてそんな方を大切にして頂きたいですね。


長々とすみません。
805名無し三等兵:2009/01/20(火) 18:03:11 ID:Qe3VhY/b
良いロシア兵の話で思い出したが、うちのジサマ曰く、中国の共産軍の支配地域に行くと貧乏でしかたがなかったそうだ。
共産軍がくると全部略奪していくとのこと。
八路軍は略奪はしないって話をよく本で読んだ自分には意外だった。

806792:2009/01/20(火) 18:20:30 ID:???
たくさんの回答ありがとうございます

早速アマゾンに注文しようと思います。
星三つ読みました、自分と重なる部分もあり勇気付けられます
807名無し三等兵:2009/01/20(火) 19:29:44 ID:RSdjSlEx
>>792

逆効果になるかもしれないけど、呉軍港に係留してボコボコにされた状態の映像だけど
下のサイトにありますよ。
http://kure-sensai.homeip.net/Video/index.htm
キャプチャ
http://kure-sensai.homeip.net/Kuushuu/KureOki724/Ise3.jpg
http://kure-sensai.homeip.net/Kuushuu/KureOki724/Ise4.jpg
坪井沖の伊勢
http://kure-sensai.homeip.net/Kuushuu/KureOki724/TsuboiOkiIse.jpg
http://kure-sensai.homeip.net/Kuushuu/KureOki724/KureOki724.htm
7月下旬呉軍港における配置図
http://kure-sensai.homeip.net/Kuushuu/KureOki724/GunkanHaichi7.jpg
8:59〜 
大破浸水し、主砲が空しく天空に向けられている戦艦「伊勢」
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-201.html


呉戦災を記録する会
http://kure-sensai.homeip.net/
    ↑
「呉戦災ーあれから60年ー」目次と全内容 のところを右クリックしてDLするとPDFファイルが
入手できます。それの417pに日向の米軍側からの攻撃記録が絵付きであります。
808名無し三等兵:2009/01/20(火) 21:04:17 ID:???
>>801
そうか???
809名無し三等兵:2009/01/20(火) 21:09:38 ID:???
>>807
まあ、全くの参考の意図ではあるだろうけど、そういうのは逆効果どころか嫌がらせにしかならないですね。
810名無し三等兵:2009/01/20(火) 21:28:56 ID:???
まあ、悪意なんかまったくない木がするよ。
伊勢は写真も資料も非常に少ないからねぇ・・・。
811名無し三等兵:2009/01/20(火) 22:48:37 ID:???
乗っていた当人しか知らないことを質問するのはどうだろう
もちろんいやな思い出が多いならそれもやめたほうがよろしいが。
812792:2009/01/20(火) 23:06:24 ID:???
色々ありがとうございます、アマゾンに注文しました
本を渡す時に当時の話しを聞けたらここに投下させていただきたいです。
今から届くのが楽しみです。とりあえずつなぎでウィキ印刷したので明日わたします
813名無し三等兵:2009/01/20(火) 23:08:26 ID:???
プラモ作ってあげたら喜ぶよ
814名無し三等兵:2009/01/21(水) 00:12:12 ID:???
>>812
御爺様が健康を取り戻さんことを
815名無し三等兵:2009/01/21(水) 00:24:42 ID:???
>>803
あんた良い人だョ。
その後の話しは無いのかな?仕事中だから無理も無いか。お疲れ様でした。
816名無し三等兵:2009/01/21(水) 02:57:46 ID:???
>>810
だから、資料として提示してみたという意図は分かるけど、「逆効果になるかもしれない」どころではありえないからね。
817名無し三等兵:2009/01/21(水) 08:35:00 ID:???

戦艦「伊勢」の写真ならあるやんか
http://battleship-pictures.xrea.jp/photograph_p/senkan/ise.php

大正からの写真がある
http://blog.livedoor.jp/irootoko_jr/archives/850887.html

水兵のプラモ
http://www.fujimimokei.com/prod_syosai/ise_l2.html
プラモを作って、解説してもらうとかならどうだろ
http://www.fujimimokei.com/prod_syosai/ise.html

818名無し三等兵:2009/01/21(水) 12:12:29 ID:???
>>807
配置図見て思い出した。

終戦後の話で恐縮だが、
おれのお袋は幼い時音戸に仮住まいしてた。
夏、海で泳ぐときには伊勢に登って遊んでたらしいわ。

呉で生まれ育つと、じいさん、親戚などから色んな話が聞ける(た)。
819名無し三等兵:2009/01/21(水) 20:08:28 ID:???
>>818

そういう沈没した船はどうなったのか?

戦後仕事がなかった連中はサルベージして鉄なんかを売ってしのいでいたらしい。
とりわけ、「陸奥」は皇室関係の装飾がなされていて、それらが盗まれたとか。

820名無し三等兵:2009/01/21(水) 20:46:35 ID:???
軍艦が大破・着底した姿は哀愁漂い過ぎる・・
821名無し三等兵:2009/01/21(水) 22:24:01 ID:Qqtlax9a
丸の大和についての本にあったけど、戦後の復興期に戦艦大和の引き上げ詐欺というのが
あったらしい。
東京タワーの解体詐欺みたいなもんだろうけど。
822名無し三等兵:2009/01/21(水) 22:27:11 ID:AGR49Z8g
伊勢?
なんだ、ブーマーじゃないのか
823名無し三等兵:2009/01/21(水) 22:27:55 ID:???
>>818
ウチの親父も終戦後大陸から引き揚げてきて音戸に住んでた時、
伊勢の残骸で遊んでたとか言ってた。
その時拾ったという軍刀掛けの片割れが実家にあったとオモ。
824名無し三等兵:2009/01/21(水) 22:47:51 ID:???
そして安浦には、今もコンクリート船が佇んでおりまする。
http://provyake.jog.buttobi.net/usr/bin/perl/cgi-bin/img-box/img20090121224701.jpg
825名無し三等兵:2009/01/22(木) 01:37:54 ID:ae9oXR/8
また聞きだけど対空砲が後部にあたり墜落しかかってる
敵機の中から米兵が脱出を試みようと落下傘で飛び出したのはいいが
落下傘が機体に引っ掛かりもがき苦しんでてもうだめだろうなと
思ったらなんとか落下傘を脱ぎ捨てサーカスのごとく機体につかまり
墜落直前に海に飛び込んだアクロバットショーさながら
の光景をみたらしい。
その時の米兵が後にアメリカ大統領になるブッシュ「パパの方」大統領だと
知ったのは数十年後になったそうな
826名無し三等兵:2009/01/22(木) 01:38:19 ID:ae9oXR/8
また聞きだけど対空砲が後部にあたり墜落しかかってる
敵機の中から米兵が脱出を試みようと落下傘で飛び出したのはいいが
落下傘が機体に引っ掛かりもがき苦しんでてもうだめだろうなと
思ったらなんとか落下傘を脱ぎ捨てサーカスのごとく機体につかまり
墜落直前に海に飛び込んだアクロバットショーさながら
の光景をみたらしい。
その時の米兵が後にアメリカ大統領になるブッシュ「パパの方」大統領だと
知ったのは数十年後になったそうな
827名無し三等兵:2009/01/22(木) 18:23:37 ID:???
>>824
すごいなぁ。元々は何だったの?
828名無し三等兵:2009/01/22(木) 19:25:47 ID:???
>>827
言ってしまえば鉄が足りなくてコンクリートで作った輸送船。
http://www.lares.dti.ne.jp/~obsidian/ysy/gihou/cons01.html
829名無し三等兵:2009/01/22(木) 19:33:12 ID:???
>>827
コンクリート船だよw

正しくはコンクリート製の船だね。

ttp://homepage3.nifty.com/ki43/heiki9/yasuura/yasuura.html
830名無し三等兵:2009/01/22(木) 22:16:43 ID:???
>>828-829
コンクリート船なんてのがあったんですね
勉強になりました。ありがとうございます。
831名無し三等兵:2009/01/23(金) 16:01:28 ID:???
>>68

親戚?!
832名無し三等兵:2009/01/23(金) 17:03:24 ID:???
>>817
あ! それ、いいね!
水兵の服を着て持っていけば完璧だ。
833名無し三等兵:2009/01/23(金) 23:01:59 ID:???
コスプレなんぞやっちゃかんだろ
834名無し三等兵:2009/01/23(金) 23:02:27 ID:???
↑訂正:-いかんだろ
835名無し三等兵:2009/01/23(金) 23:31:43 ID:???
ちなみに泥で作った船の船長はタヌキさんでした・・。
836名無し三等兵:2009/01/24(土) 09:40:27 ID:???
沖田の祖父さん「擬装の済んでいない船は石のタヌキだ」
837名無し三等兵:2009/01/24(土) 19:23:30 ID:???
うちの爺ちゃん去年ガンで死んだんだ
死ぬ一週間前までは普通の話しかしてくれなかった
例を挙げるなら
家にエアコンはつけたのか、気密のサッシに付け替えたのか、カーテンはつけたのか
廃業したクリーニング屋の建物はどーなった、離れは改築したのか
婆さん足悪いから家の中の段差どうにかしてやれ

といった感じ
あくまで戻る気マンマンの話をしてたんだ

ところが死ぬ一週間前になって

戦争中は空母に乗ってた
出航前に若い兵が半分だかそこら降ろされた
船に乗った半分は沈んだ船と一緒に死んだ
残った半分は2堰の船に分けて乗せられたが片方は沈んでいた

といった内容をいきなり話し始めた


やっぱ悟っちゃうもんなのかなぁ・・・
838名無し三等兵:2009/01/25(日) 11:42:40 ID:???
>>837
話の内容から察するに・・・

レイテ海戦・おとり小沢艦隊の空母(翔鶴・千代田・・・)のドレかかな?
839名無し三等兵:2009/01/25(日) 14:40:33 ID:???
しょ・・・瑞鶴
840名無し三等兵:2009/01/25(日) 15:26:57 ID:5Kzgb5GS
俺の爺ちゃんは回天に乗る訓練してて、いつ突っ込むかわからないって時に終戦したらしい
当時18歳で、漁師だった
841名無し三等兵:2009/01/25(日) 17:41:46 ID:???
ちょっとマテ、漁師じゃなくて海軍の兵隊だったはずだろ?
842837:2009/01/26(月) 00:44:14 ID:???
空母に乗っていた
ずいかく?って戦艦に乗っていた
といった感じで言ってることがメチャクチャだったようだよ
瑞鶴って空母はあるらしいので記憶がアレになってたのかな

朝礼のとき制服集合だったのにズボンが無かったからテキトーにパクッてきたら上官のだった
朝礼に遅れた+ズボンドロボーで上官に怒られたとかなんとか
母づてだからあやふやだが許してくれ
843名無し三等兵:2009/01/26(月) 00:56:44 ID:???
「軍艦」なら話は通るな。人づてに聞いたなら戦艦と軍艦の混同くらいはありうるからな
844837:2009/01/26(月) 01:14:54 ID:???
ちなみにうちの母ちゃんは空母のキティホークも
フルメタに出てきた潜水艦のダナンも
宇宙戦艦ヤマトも
ぜんぶひっくるめて軍艦とか戦艦とか言ってくれるので、たぶんそこで情報が錯綜してる
845名無し三等兵:2009/01/27(火) 20:54:27 ID:???
うちのじいちゃんは
今でもアリゾナに乗っているそうです
846名無し三等兵:2009/01/27(火) 21:40:44 ID:???
>>783
亀だけどありがとう。より具体的にわかった。確かに伍長で確かに八等。推測のように授章までの間に昇進したのかな?
勲章は俺自身が子供の頃玩具にして無くしたそうだw

父方の祖父も中国に出征、各地転戦後憲兵となってまた中国に。
憲兵になったことは誇りだったようだ。その為に戦後一年程中国で抑留されたり、帰国後国鉄に就職失敗したそうだけど。(一度採用されたのに憲兵であった事がばれて解雇されたとの事。憲兵だったというだけでそんな事がありえたかは疑問だけど、曰く。)
847名無し三等兵:2009/01/27(火) 22:08:09 ID:???
戦後は憲兵嫌われたからな
848名無し三等兵:2009/01/27(火) 22:14:35 ID:???
>>846
公職追放にあったんじゃないの?
849名無し三等兵:2009/01/27(火) 22:26:46 ID:???
知人の元憲兵のじい様は、
大柄で背筋がものすごくきれいに伸びてたな。
これぞ憲兵といった風貌だった
850sage:2009/01/28(水) 01:44:14 ID:dijGRt0t
親戚の家に戦前、小学校で教練に使っていた名前の解らない小銃がある。
小学生の伯父が終戦後、失敬してきたと言っていた。
口径7.7ぐらい、アルファベットじゃ無いような字が見える。
持っていても大丈夫だろうか。
あと以前、裏に○○少尉と書いてある拳銃弾が一箱あった。
851uaa:2009/01/28(水) 01:56:28 ID:NTMsMEEc
意外な感じだけど、憲兵学校って結構リベラルな雰囲気だったそうだね。
レベルの高い兵隊が集まるからシゴク必要ないのかも知れんが。

憲兵といえば、曾祖父さんが甘粕正彦と温泉で一緒になって意気投合したそうだ。
852名無し三等兵:2009/01/28(水) 05:47:35 ID:???
甘粕が現役だとすると、まだ人殺しする前?
853名無し三等兵:2009/01/28(水) 06:33:12 ID:???
ニューギニアで戦死したお(´・ω・`)
854名無し三等兵:2009/01/28(水) 07:26:16 ID:???
>>850
各種教練銃(ttp://www103.sakura.ne.jp/~taka25th/newpage641b.htm
モシンナガンM1891(ttp://mgdb.himitsukichi.com/pukiwiki/?%A5%ED%A5%B7%A5%A2%C4%EB%B9%F1%20%A5%E2%A5%B7%A5%F3%A5%CA%A5%AC%A5%F3M1891
(ナガンは日露戦争の戦利品としてかなり国内に流入

どちらにしても、
原状で実弾が発射可能そう(発射直後銃本体が破損する様なボロい状態であっても)
もしくは軽修理ですぐに発射可能な状態(部品が足りない程度)なら、
違法
855名無し三等兵:2009/01/28(水) 08:05:40 ID:Pb58ZQww
>>851
個人としては優秀で比較的善良な人間の集団であっても組織としては疑問符付きとか今でもあるからねぇ
856名無し三等兵:2009/01/28(水) 12:37:48 ID:???
>>851
憲兵の塚本誠氏の手記があったから読んでみれば?
かなりリベラルな雰囲気だったらしい。
857名無し三等兵:2009/01/28(水) 15:54:01 ID:???

滋賀県長浜市(旧大郷村)。戦後60年間、民家の押入れに埋もれていた戦争の資料が見つかった。
それは明治から終戦までの村の徴兵記録だった。終戦直後、日本政府は戦争を扇動した証拠を
隠滅すべく各市町村に焼却命令を出したため、現在では殆ど残っていない貴重な資料だった。
その記録には、驚くべき徴兵実態が綴られていた。村人が当時の恐怖と苦悩の生活を語りだした。


こうして村人は戦場へ行った
-前編-
http://www.megavideo.com/?v=2T556KCB
-後編-
http://www.megavideo.com/?v=V054DUTP
858名無し三等兵:2009/01/28(水) 18:59:51 ID:???
戦争ゲームに夢中になっていた大本営・軍部が一旦ゲームに
負けだすと逆上し、われを忘れ国民にウソの戦果を伝え、
鬼のような憲兵隊の思想取締りの元、どんどん博打のカタに
国民をつぎ込んで、破滅するまでゲームに固執しつづけやがて。

そういう実像が浮かび上がってくるなあ。

コワ・・
859名無し三等兵:2009/01/28(水) 19:16:25 ID:Pb58ZQww
>>858
構造は社保庁と同じじゃん
860名無し三等兵:2009/01/28(水) 23:22:56 ID:???
488 : すずめちゃん(アラバマ州):2009/01/28(水) 23:02:45.70 ID:EreEGSK5
>483
うちのじいちゃんは、戦争当時、イギリス兵から奪ったナイフで髭剃ってたらしい。
中にはドイツ製とかあったらしく、ともなると上官に没収されるから
懐に隠していたらしい。

496 : すずめちゃん(アラバマ州):2009/01/28(水) 23:14:30.75 ID:EreEGSK5
>494
うちのじいちゃんはビルマに行ってドンパチやってたらしい。
銃剣の刀の部分で剃る人が殆どだったらしいけど、
現地調達したサーベル?を短く折って色々カスタマイズするのがイケてたらしい。
んでそれで剃ってたって、正月実家に帰ったときに聞かされた。
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1233139228/
861uaa:2009/01/30(金) 05:05:08 ID:o/pB5di5
>>852
出獄後だったようだ。
862名無し三等兵:2009/01/30(金) 14:31:45 ID:???
1967年〜1974年のギリシャ軍事独裁政権時代。軍政に反対する民衆に対して徹底的な弾圧を加えた。
軍部は、訓練と洗脳によって、強い右翼思想をもつ一部の若者を短期間に思想憲兵隊に育て上げ
(自衛隊の情報保全隊のように)民衆に対する徹底した思想監視と弾圧・拷問の専門部隊
ESAを作り上げた。

ひどい拷問を楽しそうに繰り返す一人のESA隊員がいた。
それは以前とても親しかった隣の家の息子だった・・・。

この若者は、なぜESAに憧れたのか?
なぜ横暴で残忍な人間に変貌していったのか?

これは真実のドキュメンタリーである。
あなたのそばいるネットウヨや自衛官に、このような若者はいないだろうか?


隣人の息子 〜ギリシャ軍政下の悲劇〜
http://www.megavideo.com/?v=5DUPGCH2
863名無し三等兵:2009/01/30(金) 18:08:08 ID:???
>>862
>あなたのそばいるネットウヨや自衛官に、このような若者はいないだろうか?

斜民党や草加には沢山いそうでつね
864名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:10:27 ID:???
>>862
ジャック・ペラン吹いた
865名無し三等兵:2009/01/31(土) 21:14:50 ID:???
>>862
日本にも同時代に残忍な拷問をして殺し合いをした連中がいるじゃん
866名無し三等兵:2009/01/31(土) 23:08:48 ID:???
小夜の仲間割れと身内殺しは世界共通。
867名無し三等兵:2009/02/01(日) 02:47:18 ID:???
あれは要するに「新興宗教・俺の言う通りにすれば世の中が良くなるから何が何でも言うとおりにしろ逆らうと暴力革命でぶっ殺すぞ教」だからね。
中身がそっくりの似たもの同士で、やることなすこと似たり寄ったりだから、端から見たら些細な違いにしがみつくしかなくて、それだから余計激しくいがみ合うと。
868名無し三等兵:2009/02/01(日) 21:26:12 ID:Dg506GTX
最近やっと興味がでて来たけどじいちゃん亡くなった後だもんな。
戦中飛行機に乗ってたとはばあちゃんいってたけど、戦闘機なのか爆撃機
なのかすらわからん。着陸のさい脚が折れて重症、そのまま終戦くらいしか
聞いてない、もう少し今となっては話し聞いてれば良かったな、でもじい様
たちの時代の日本人は偉いね。  敬礼。
869名無し三等兵:2009/02/02(月) 10:57:10 ID:???
実家に亡き祖父の勲章がありますが、
・勲四等瑞宝章
・勲八等瑞宝章
・支那事変従軍記章
このうち「支那事変従軍記章」は当時、軍に属していただけで
全員に授与されたものなのでしょうか?また「勲四等瑞宝章」
もその時に同時に授与されたものではないかと祖母から聞いて
いますが、詳しい事が分かりません。
どなたか詳しい方、解説をお願いいたします。
870名無し三等兵:2009/02/02(月) 11:19:00 ID:???
質問だけだとスレ違いになってしまうので、祖父の戦争体験を

1945年8月6日午前8時15分、広島の街はこの世の地獄と化した。当時、本土決戦に備え
陸軍の第二総軍が広島市に置かれていたが原爆投下により部隊は壊滅的な被害を受けた。
総軍の中枢部が崩壊し諸部隊も全滅に近い状態となり、命令系統不全となる。
かろうじて生き残った者達は救護活動の為、爆心地に向かった。
その中に私の祖父もいた。幸運にも比較的軽傷であった彼は、率先して救護活動に従事し、
負傷者の搬送や救助活動を行った。
871名無し三等兵:2009/02/02(月) 11:19:27 ID:???
彼は、地獄の中奇跡的に生き延びた1〜2歳の女の子を保護する。懸命に家族を捜すが、
見つからない。彼は部隊に連れ帰り皆で面倒をみることにした。
幼く、まだ自分の名前を言うことが出来ない彼女の為に名前を付けることにした。
彼が一番好きな女性名である「ゆきこ」と名付けた。
ゆきこは皆に可愛がられ、部隊の中でマスコット的存在となった。
ある者は焼け跡から少し焦げた鞠を拾ってきたり、またある者は野花で髪飾りを作って
与えたりもした。彼も救護活動を終え、部隊の宿舎に戻ると必ず始めにゆきこのもとへ
行き、自分の食事を分け与えた。ゆきこも彼にすっかり懐いていた。
彼は独身であったが、この地獄から抜け出した際にはゆきこを養子にする決意を固めた頃・・・
ゆきこは発熱、嘔吐、下痢、下血を繰り返した。
部隊の皆も心配し、交代で看病した。3日後、ゆきこは息を引き取った。
連日の救護作業で、涙などとうに尽きたはずであったが、部隊の誰もが涙を流した。
それからしばらくし、戦争は終結した。彼は戦後の残務処理の為、神戸へと異動を命じられた。
その際に事務職として女性職員の面談をした際に祖母と出会う。祖父の一目惚れであった。
872名無し三等兵:2009/02/02(月) 11:19:52 ID:???
それから幾十年、私は自宅で1枚の写真を見つける。
和服姿の綺麗な日本美人が映っていた。若い頃の祖母によく似た女性ではあるが、写真の裏には
「幸子」と記されていた。
祖父に聞いた所、その女性は許嫁であったとのこと。若くして肺炎で他界してしまったこと。
親同士が決めた許嫁であったが、幼なじみで小さい頃から仲が良く、お互い喜んだこと。
広島で保護した女の子を幸子の代わりのように感じていたこと。
祖母に出会った時、幸子が生きていたのかと思う程そっくりで驚いたこと。
そして、それらを祖母には秘密にしているということを話してくれた。

今から60年以上前、実際に起こった出来事。学校で習う教科書では歴史上の一出来事としてしか
記載されていないが、その中に人々の生活があり、青春があり、苦悩があったことを気づかせて
くれた祖父の話でした。
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=74371
873名無し三等兵:2009/02/02(月) 19:11:01 ID:???
>>869
従軍記章は実際に出征した人のみもらえる。

瑞宝章に関しては、勲四等は御祖母さまの話からすると御祖父さまが叙勲されたものと思うが、
・勲四等は佐官クラス、勲八等は兵卒クラスがもらうものなので階級に開きがありすぎる
・同一人物が同じ種類の上位の勲章をもらうとき、下位の勲章は返納する義務があるので瑞宝章が二つ手元にあるのはおかしい
ので勲八等は別の人の物である可能性が高い。


もうひとつ別の考え方として、支那事変に兵として従軍し従軍記章と勲八等を授かり、
戦後、公務員もしくは民間人としてそこそこの地位に昇ったため高齢者叙勲で勲四等を授かった可能性がある。
戦後は、勲章返納制度がきちんと運用されてないみたいだから、同種の等級違い勲章が二つ存在することもあるみたい。


874名無し三等兵:2009/02/02(月) 21:45:38 ID:???
>>869

類似質問あり(>>750)。
>>755
>>757
>>759
>>783
>>846
875uaa:2009/02/03(火) 02:56:27 ID:r9Ywy21r
>>869>>873
従軍記章は留守番や手伝いでももらえる(支那事変従軍記章令(昭和14年勅令第496号)第3条第1項2号)。

戦後の公務員で勲四等だと退職時警察署長クラスかな?
876名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:03:52 ID:???
みなさん、詳しい解説ありがとうございました。
質問の際に、戦時中に受勲した勲章を勲四等と勲八等を記入し間違えてしまいました。
大変失礼いたしました。勲八等は、戦後に某省にて勤務した際に受勲したものです。
生前、被爆体験に関しては色々と話してくれていましたが、第二総軍に所属する前は、
野砲部隊にいたことと実際の戦闘には参加していないことしか聞いていなかったので、
戦闘に参加していないにも関わらず、受勲したのは何故かと思いこちらにて質問させ
て頂きました。ありがとうございました。

>>873さん
・同一人物が同じ種類の上位の勲章をもらうとき、下位の勲章は返納する義務がある
ので瑞宝章が二つ手元にあるのはおかしい
とありますが、勲八等は返納すべきでしょうか?
877名無し三等兵:2009/02/03(火) 12:29:57 ID:???
>>876
故人の方の物だし、
ある物を無理に返す事はあるまい
(勲八等は後から購入などした物かも知れんし
878名無し三等兵:2009/02/04(水) 00:03:44 ID:???
私の義理の祖父は90過ぎなのですが満州帰りで奥さんと赤ん坊だった伯父さんと一緒になんとか帰ってきたそうです。
真水が貴重だったからおしめ洗った水を再利用したとか
大砲を元力士出身の兵隊が分解したのを運んでたとかそんな話を去年の正月に聞きました。

友人その1の鬼籍に入ったじい様は泣く子も黙る関東軍のシベリア帰り、耳たぶが凍ってくっ付いたのが剥がれた傷跡があったそうです。

友人その2のじい様は五体満足でインパールから帰ってきたそうです。じい様

友人その3のじい様は完全稼働する38式歩兵銃を1万円(おそらく昭和後半から平成はじめの頃の話)で売ってしまったそうです。無届だったそうですw

肝心の私の祖父ですが体が丈夫ではなく徴兵で落とされたと聞きました。
879名無し三等兵:2009/02/04(水) 12:48:20 ID:j1dQdCOe
>>871
もう、泣かせやがってこのやろー
880名無し三等兵:2009/02/04(水) 13:03:30 ID:???
>>879
俺が書き込んでる?ww


こんなところで聞く名も無き一人の体験だってすごく大きなものなのだな
きっと語られず知られない無数のさまざまな出来事や人の思いがあるのだろうな
881名無し三等兵:2009/02/04(水) 14:19:44 ID:???
全俺が泣いた
882名無し三等兵:2009/02/04(水) 14:25:26 ID:???
工業高校卒で飛行機工場の技術者として働いた。
戦争の中盤の始めぐらいにラバウル基地に捕獲飛行機の調査のため派遣された。

もう船はまともに着かないので行きは飛行艇、
帰りはトラックまで潜水艦に便乗してそこから飛行艇で帰った。
ラバウルで見聞きしたことは内地で決して口外しないように (海?) 軍から固く戒められた。
それでか死ぬ数年前まで家族にもその経験を語らなかった。
終戦しばらく前に海軍に応召、敗戦時に少尉になった。
883名無し三等兵:2009/02/04(水) 15:33:31 ID:???
>>876
調べたところ勲章還納に関する勅令は昭和48年に廃止されたので、上位勲章を受けても下位勲章を返納する必要はなくなったようだよ。
884名無し三等兵:2009/02/04(水) 18:59:00 ID:???
映画化希望
885名無し三等兵:2009/02/05(木) 09:15:50 ID:???
>>882
ラバウルにはソロモンやミッドウェイで沈んだ主力艦の乗員がいたり
ガダルカナル島やニューギニアでの敗勢を知る人間が大勢いたからだろうな。
886名無し三等兵:2009/02/05(木) 21:54:00 ID:???
>876

別に別々の功績でいただいたんだからかまへん思うけど・・。


本来はご本人と陛下に対して失礼極まるてことになるらすいでつよ・・。
推薦したお役所と出した内閣の・・・・。
887名無し三等兵:2009/02/06(金) 03:29:03 ID:???
ご先祖様は日露戦争で「敷島」の艦長をされてたそうだ
888名無し三等兵:2009/02/06(金) 15:41:20 ID:???
敷島か
よい時代だった
889名無し三等兵:2009/02/06(金) 16:05:56 ID:???
私の祖父のお兄さんが、村で初めて予科練に合格、後に戦闘機乗りになった。
当時は、村長や校長もお祝いに来るほどの一大事だったらしい。
英雄として尊敬されていたそうだが、大戦末期にフィリピン近海で戦死。
「軍神」として、村をあげての葬儀だったとか。

現在も当時を知る年配の方々にとっては、忘れられない存在だそうで、沢山の村人がお墓参りに来てくれる。
890名無し三等兵:2009/02/06(金) 20:33:00 ID:???
>>889
人の移動が激しくて隣に誰が住んでいるかさえも知らない時代とは根本的に違って、戦功を立てると一族の誉れ、市町村の誉れで、
そのことを、当時の人は日清日露で思い知っていたからこそ奮戦した、ということだそうですね。
逆に、不名誉なことをしたりしたら、本人のみならず一族もろとも肩身が狭いことになって大変。
891名無し三等兵:2009/02/06(金) 21:53:53 ID:???
今夜の探偵ナイトスクープ(福岡地区の場合)、 「私のおじいさんは戦艦大和のコックだった・・・
」 って番線内容が載ってるんだけど・・・

You達の地域は?

関西地区でもう上記内容見た方、見る価値あり?
892名無し三等兵:2009/02/06(金) 22:59:42 ID:TPgWykIo
>>891
俺も福岡。そらぁ気になるな。
893名無し三等兵:2009/02/06(金) 23:56:37 ID:TPgWykIo
番組見たよ。良い話だったじゃないか。
894名無し三等兵:2009/02/07(土) 10:05:30 ID:???
165 :名無しさん@九周年:2009/02/07(土) 09:20:24 ID:PXpOZCWZ0
南方はホントに悲惨だったらしい。
復員して偉そうに戦争の悲惨さとか言ってるのは殆ど中国帰り。
南方に送られた現役兵の代わりとして、大陸に送られた連中。
ビルマから帰ってきたうちのじいちゃんは、戦後は戦争の事は全く話さなかったらしい。
一度話し聞きたかったけど、俺が物心ついたときに亡くなってたな。
895名無し三等兵:2009/02/07(土) 10:49:36 ID:???
南方もいろいろだったんじゃなかったけ?米軍が上陸した所は激戦で酷い
ことになったりしたが、蛙飛びでスキップされちゃった所は、補給がないから
喰うものこそないものの、畑を耕したりしてのんびりやってたとか聞いたが。
896891:2009/02/07(土) 11:25:47 ID:???
>>893
見た。  良かったね♪


番組要旨・ 100歳の御婆さんの番組依頼。 弟(大和の厨房コック)が沖縄特攻で戦死。 
        弟の死に様を知る生還クルーは居ないかと捜索。  探偵が呉・大和ミュージアムに出かけて
        生還者、大和ベテラン取材記者とコンタクトをとる。  

判明した点
         ・弟は軍属(民間採用のコック)。

         ・得意料理は林檎・蜂蜜入りカレー  >クルーの間でも評判

         ・大和乗艦時は伊藤司令長官直属の料理人

         ・沈没時は左舷厨房付近に居たのでは・・・            

当時のクルー(逝去)の取材録音テープを、依頼・御婆さんに聞かせる。
満足そうな御婆さん・子供達。
良い話だった。

897891  補足:2009/02/07(土) 11:30:29 ID:???
軍属・コックなら本来なら特攻作戦には乗船しなくても良かったはずだが、
伊藤長官に可愛がられ・重用された(恩義)も感じ、あえて特攻作戦にも
乗船したのでは・・・ との生き残りクルーの推察。
898名無し三等兵:2009/02/07(土) 11:50:45 ID:???
伊藤長官が「大和」に着任した時に、わざわざ連れてきたコックさんだったね。
899名無し三等兵:2009/02/07(土) 14:06:10 ID:???
多分伊藤長官は「今度の作戦には連れていけない、お前(コック)はフネを降りろ」
と言っただろな。
900名無し三等兵:2009/02/07(土) 17:09:04 ID:MSd0807l
負け戦の最中で国民が食うや食わずの時代に民間から採用した専用コックをつれて・・・?
伊藤って奴はそこまで性根の腐った香具師だったのか!!!そんなのが将軍/提督でいたら勝てる戦も負けるよな。
兵隊からはさぞ評判が悪かったことだろうな。敗軍の将なら兵食を喰うくらいの性根が据わっていれば作戦指揮も
もぅ少しマシなもんだったろうが・・・・・結局は大和と一緒で役に立たずに海の底か。 あぁアホらし、そんな
奴の指揮下で死んだ兵隊が一番可哀想だな。
901名無し三等兵:2009/02/07(土) 17:16:17 ID:???
数ヶ月前に祖父が元爆撃機乗りで、終戦間際は神風特攻隊の教官と誘導をしていたと書いたものです。
書いた後はみなさんから作り話だ、面白おかしく言ってるんだろうといわれました。

あれから祖父の家に寄ることができ、実家にある祖父が乗っていた爆撃機(?)と、飛行場で仲間と撮ったと思われる写真を携帯で撮ってきました。
うpするとこは適当なところでいいんです?
902名無し三等兵:2009/02/07(土) 19:20:57 ID:???
>>901
どこでもいいぞ、うpしてくれ。
我々としても大歓迎だ
903名無し三等兵:2009/02/07(土) 19:48:36 ID:???
>>900
現代とは身分に対する価値観が違うよ。
もし、伊藤長官が下士官食堂とかで飯食ってたら逆に士気が下がる。
かつては身分のある人はそれなりの事をしなくてはならんかったのだよ。
904名無し三等兵:2009/02/07(土) 21:45:15 ID:???
祖父は速射砲を撃っていたらしく、帰省した際に九四式37mm速射砲の写真をみせたらこれとは違うと言う。
曰く、車輪も木製で年式ももっと古かったらしい。
他に37mmで車輪が付いてる砲ってあったっけ・・・十一年式平射歩兵砲に車輪を付けて運用してたのだろうか
905901:2009/02/07(土) 23:17:56 ID:???
こちらがその写真になります。

http://multip.net/view/Im0U4lnSWe
http://multip.net/view/aPTF1v2qFy
http://multip.net/view/7fuVx3p2IO

自分では過去ログ見れないんですが、祖父が以前元爆撃機乗りで、その後神風特攻隊の指導教官、兼特攻機の先導の任務をしていた旨の書き込みをしました。
かなり疑いの目で見られたのでその証明の一助となればとのうpです。

ちなみに新しく分ったこととしては、後30人が飛んだら祖父も飛ばないといけないところで終戦になったということ。
それから満州では一時、李香蘭の世話役などをしていたそうです。まー、こっちは証明しようがないんですが。
蔵(と言うか屋根裏ですが)をあさればなんか出てくるかもしれませんが、そこまでする余裕はちょっとないので。
906名無し三等兵:2009/02/07(土) 23:29:21 ID:???
>>904
九四式速射砲の車輪は、制式制定時(昭和11年2月)は鉄製だったが、昭和14年5月以降は木製に変更されている。
907名無し三等兵:2009/02/07(土) 23:36:06 ID:???
>>904
>もっと古かった
さすがに “ 三一年式速射砲 ” ではなかろうから、
37mmに拘らず、徹甲弾が用意されていた四一式山砲あたりではないでしょうか?
908名無し三等兵:2009/02/08(日) 07:07:26 ID:???
>>900
その階級社会を崩して皆中流みたいな幻想が広がったからおかしなことになった。
909名無し三等兵:2009/02/08(日) 11:34:07 ID:qYWs4vuj
>>905
貴重な歴史資料が埋もれている可能性がある。ぜひ捜索すべし
このまま当時の記憶を埋もれさしてしまうのはあまりにもったいない
910名無し三等兵:2009/02/08(日) 11:58:40 ID:???
>905

うーん陸式の97重爆ですねぇ・・。
沖縄のころは飛龍かな。

911名無し三等兵:2009/02/08(日) 12:26:03 ID:???
62戦隊かな、飛龍で特攻実施は。
912名無し三等兵:2009/02/08(日) 16:13:24 ID:ylWbtTb8
爺さんではないけど海軍の偵察機に乗ってた人がP51の速度を680キロと診ていた。
海軍のマニュアルではあれが680キロと診てたのかなと今では思う。ちなみに一度撃
墜されたらしい。
913名無し三等兵:2009/02/08(日) 17:04:51 ID:2tA7E61h
オレの死んだ爺さん(海軍の下士官?:前にも書いたが兵曹って呼ばれた)の話しを・・・ウロ覚えだが。
勝ってるか負けてるかは、隠していもフネや飛行機・人を見てるとバカでも分かる。 なまじ隠すから兵隊は士官やもっと上を信用しなくなり
言われたことは聞くフリだけして勝手なことを始める。 そいつらの酒(あるところにはあると云うか、沢山隠してあったとか)をチョロまか
しては兵隊同士で「ワシら小学校出でも分かるようなバカな戦争をしゃがって・・・」とか「て前ぇらだけで勝手に死にやがれ・・・」とクダ
を巻いてたとか。
914名無し三等兵:2009/02/08(日) 18:14:57 ID:???
>>904を読んで、

飲み会の席で会った翁「中国で飛行機の整備をしていた」
オイラ「飛行機ですか。隼とか一式陸攻とかなら僕でも名前だけは知ってますが」
翁「そんな立派なものじゃない!名前のないボロボロのやつばかりだった!」

って感じで話をしたじーさんを思い出したヨ
915名無し三等兵:2009/02/08(日) 18:35:08 ID:???
それ以前のあれか?ノモンハンでやりあった
916名無し三等兵:2009/02/08(日) 20:51:25 ID:wyx2d1PA
お客のじい様で、冬月の乗組員として天1号作戦に参加した方がいた。、
917名無し三等兵:2009/02/08(日) 21:06:08 ID:???
>>914
さすがに九五式戦でもあるまいw
九七式や九八式の単発軽爆らや、
九八式直協、九九式襲撃機ではないですかね?
918名無し三等兵:2009/02/08(日) 21:56:20 ID:???
97戦か一式高練かだろうなぁ・・。
919名無し三等兵:2009/02/08(日) 21:58:52 ID:???
ユングマンとか?w
920名無し三等兵:2009/02/11(水) 01:28:09 ID:???
うちのじっさまも陸軍なのに南京とか中国で飛行機から爆弾落としたっていってた。
負傷して帰還してからは広島の軍港で(呉?)大和の主砲の中に腰縄まいてはいって
砲身磨きしたと言ってた。出るときは腰縄引っ張ってもらってでたんだって
山の向こうのきのこ雲見てるし・・・
中国では前線での栄養失調で片目失明してた、あと・・腹に銃痕があったよ
921916:2009/02/11(水) 06:14:05 ID:WrWqMDX4
さすがに思い出すのが嫌なんで大和関係の映画は見ないって言ってたな。
その方は一昨年の12月に亡くなりました
能村副長が救助され、応急処置を受けてる姿を近くで見ていたそうです。
形見として冬月の戦友会で、冬月の船体の鋼材で作った艦の形のネクタイピンがあったそうなんですが、
奥さんが納骨のときに、骨壷に入れて納骨してしまわれましたそうです。
922名無し三等兵:2009/02/11(水) 06:34:07 ID:XHYwgYPb
うちのじーちゃんは、佐世保鎮守府第5特別陸戦隊に居たらしい
サワラケットで死にかけて、敗走に継ぐ敗走で、潜水艦でラバウルに渡り
そこで終戦日を迎えて戦犯として2,3年拘束されたらしいな。

裁判(米軍の)がちゃちくて、原住民に指差されたらその場で射殺だったそうな。
日本人が原住民の顔の識別が出来ないのに、やつらが日本兵の顔の識別が
出来るはずが無いっていってたなぁ

あと、米軍にかなり虐待されてたらしくて悪口も凄く言ってたわ。
オーストラリア軍の兵士は馬鹿で気のいい奴ばかりだったとかも(まともな計算が出来なかったらしい)
923名無し三等兵:2009/02/11(水) 12:42:51 ID:???
サセチン
924名無し三等兵:2009/02/11(水) 23:30:40 ID:/BuVBLhN
進駐軍でもオーストラリア兵が一番行儀悪かったらしいね。さすが囚人の末裔…
925名無し三等兵:2009/02/12(木) 09:41:14 ID:???
それをいっちゃいけない。
926名無し三等兵:2009/02/12(木) 18:23:50 ID:???
我が家に遊びにきていたオーストラリア兵は行儀よかったらしいが、士官だったからなのかなぁ。
927名無し三等兵:2009/02/12(木) 21:21:18 ID:???
普通にどんな奴もいただろうと考えられないのか?
928名無し三等兵:2009/02/12(木) 22:52:16 ID:???
メリークリスマス
ミスターローレンス
929名無し三等兵:2009/02/12(木) 23:10:47 ID:???
ローレンローレン ローハイド?
930名無し三等兵:2009/02/12(木) 23:18:25 ID:XJgli+cO
支那兵は、雨が降ると背中に傘を刺して戦うらしく、故に穴から顔を出す時傘が目印になって狙い撃ち、モグラ叩き状態だったらしい。

後ロシア兵は時計のネジ巻きを知らないので時計を使い捨てしてた。
日本人から巻き上げた時計を両腕に五個づつ着け、止まった時計から捨てていくバカだったらしい。
支那人はそれを回収してネジを巻きロシア人に売り付けるんだとw
931名無し三等兵:2009/02/13(金) 07:20:49 ID:77/awn7U
↑ ワロタwww

じいちゃんの話ではないんだが、オーストラリアの話があったんでひとつ
香川県の善通寺の自衛隊屯所は、大戦時オーストラリア兵専門の捕虜収容所
だったらしい
収容所の所長は度量の広い人で、昼間は捕虜を自由に外出させていたそうな
どうせ逃げる手段なんかないんだからって
それで敗戦後、戦犯裁判はな〜んもなかったそうだ
じーちゃんから詳しい話聞いた人いたら、教えてちょ
932名無し三等兵:2009/02/13(金) 18:39:12 ID:???
祖父、母と受け継がれた又又聞きだが、日露戦争従軍の曾爺さんいわく
「真面目に突撃なんかしてたら命がいくらあっても足りんわ。」
「弱い者をいじめ、無理な命令で死に追いやる酷い上官を…」

ちょっといい話じゃなくてすまん。

933名無し三等兵:2009/02/13(金) 20:43:43 ID:???
>932
フレンドリーファイア?   >酷い上官を・・・
934名無し三等兵:2009/02/14(土) 01:09:03 ID:???
日中戦争ではいくらか淘汰されたらしいな
>酷い上官
935名無し三等兵:2009/02/14(土) 02:59:50 ID:DIs9px3B
俺の祖父は7年前に亡くなったけど、よく戦争時の話をしてくれた。
祖父は特待生で国鉄に入社、鉄道学校の同期の中に
は戦後総理大臣になった佐藤栄作がいたらしい、故郷がお互い近かったので
仲良くしてくれたみたいだった。当時から「佐藤の頭には勝てない」とみんな
語っていたそうだ。国内事情、海外の鉄道事業を学ぶことが多く、米英の工業規模、物資の多さ、国力の違いを学び
米とは戦争になったら必ず負けると思っていたそうだ。
大阪駅、京都駅、主要な駅での勤務だったので当時では国鉄エリートだったのでしょう。
今ほど流通経路が多くなく、物を運ぶのも国鉄が主な仕事。
貨物車の手配、業者からの依頼が多く、袖の下もかなりあったので
生活にはまったく困ることがなかったと言ってました。
戦況が悪くなるにつれて、各地の空襲が酷く、毎朝、焼けた町での死体運搬の先導役。
被弾した列車で亡くなった人の処理。まるでモノを扱うような感覚に陥るそうでした。
終戦まじか、そんな祖父にも召集令状が届き、沖縄か南方へ渡航する船に乗る為
呉へ。「これで俺も終わりか・・」と思いきや、空襲で国鉄職員が多数死んだ為、
人員不足で鉄道管理に不備が出るとの「国鉄へ帰還命令」が来て、船に乗らず、国鉄に復帰。
その後終戦、祖父の3人の弟は南方1人で沖縄で2人戦死。
自分一人生き残った分、死にモノ狂いで働いたらしい。
貨物の仕事をしていた縁で、石油会社や、お菓子会社、電気会社のお偉いさんの紹介やツテで
国鉄退社後はスタンド経営、菓子会社、運送業と手広く事業を行い
結構財産を貯めたのですが、息子(俺の親)の金使いが荒く、今は普通の家庭になりました。


936名無し三等兵:2009/02/14(土) 11:27:45 ID:???
>>935
息子何やってんだ
937名無し三等兵:2009/02/14(土) 12:08:18 ID:???
>>936
煩悩に忠実だったんだろう。
裏を返せば躾がなってなかった。
938名無し三等兵:2009/02/14(土) 16:21:58 ID:3eNTeM9s
↑人の親のことをごたごたいってんな! 

>>927同じ進駐軍でも豪州と聞くと顔をしかめられたそうだ… しかしソ連や中華がくるよりはマシだろうね。なんだかんだいってアングロサクソンは優しいからね。

こういうとまた色々いわれそうだが、キムチ、中華、ロスケ、アンサクどれかに占領されるとしたらどれを選ぶ?
939名無し三等兵:2009/02/14(土) 16:57:55 ID:hGrQ7bde
当時の死体処理といえば、
夏にコンビニで売っていたお寺の怪談の話は恐ろしかった。
あれを読んだら、当時の事をふざけて書く事は、一切できなくなると思う‥
940名無し三等兵:2009/02/14(土) 18:01:20 ID:???
>>939
>夏にコンビニで売っていたお寺の怪談
それを真に受けられてもなぁ
故・中岡俊哉センセはやっぱ偉大だw

とは言うものの、
>当時の死体処理
その当時はそれが普通なんだからなんでもない
941名無し三等兵:2009/02/14(土) 19:35:08 ID:dJDEeclr
>>939
中国人が日本人に悪さをしても、過去に日本人が中国人にやった事を考えると、日本人は何も言えないと思う。
942名無し三等兵:2009/02/14(土) 19:47:10 ID:???
ポツダム宣言受諾放送を中継
943名無し三等兵:2009/02/14(土) 23:02:57 ID:???
死体処理か
WW1の塹壕戦とか

かべの なかに いる
だしなあ・・・
やっぱ化けて出るなら地下なんだろうか?
944名無し三等兵:2009/02/15(日) 01:24:18 ID:w0XBWpWk
祖父のお兄さんは静岡第三十四連隊に所属して中国戦線にいたけど
戦況の悪化でフィリピンの無人島にいたそうですが敵の上陸がなく
終戦までその島にいたそうです
三十四連隊の司令部は駿府城跡の近くにあり日ロ戦争で戦死した橘隊長の
銅像があったそうですが資源不足で回収されてしまったそうです
945名無し三等兵:2009/02/15(日) 11:09:51 ID:???
>>941
通州事件はどうすんだよ、報復して良いのか?
946名無し三等兵:2009/02/15(日) 12:29:15 ID:???
自国の領土占拠されれば起こるのもわかるがな
947名無し三等兵:2009/02/15(日) 12:35:57 ID:???
>>945
初めて知った。ありがとう。
が補償されてるらしいからあんまりいうとK国とおもわれ・・・。
948名無し三等兵:2009/02/15(日) 19:52:53 ID:???
>>941
過去に何があったかどうかはともかく、現在、犯罪が行われているのを看過する
こととはまったく別。

その時期ごとにやっていことと悪いことは変わっている。
現在やってはいけないことは誰もやってはいけない。

もし、なにをされてもしょうがないと本気で思っているなら、まず、自分の全財産を
なげうって、無一文になってから全力で謝罪して、それからそう言うセリフを言って
ほしい。
949名無し三等兵:2009/02/15(日) 19:58:57 ID:???
>>948
>もし、なにをされてもしょうがないと本気で思っているなら、まず、自分の全財産を
>なげうって、無一文になってから全力で謝罪して、それからそう言うセリフを言って
>ほしい

ヤオハンの社長かな
950名無し三等兵:2009/02/15(日) 21:00:09 ID:???
>>935
岸さんも我妻先生が感心するような凄い秀才だったそうで。
951名無し三等兵:2009/02/15(日) 21:00:46 ID:???
>>936
いや、別に大したことはしてないですよ。はっはっは。
952名無し三等兵:2009/02/16(月) 04:09:31 ID:???
戦前・戦時中の写真がたくさん出てきた
制服にサーベルで肩書きが○○警部
最終的には消防署長の警視正らしいが
昔の話は全く聞かないうちに死んでしまった
953名無し三等兵:2009/02/16(月) 09:02:59 ID:???
>>933
意図的なものはフレンドリーファイアとは言わない。
954名無し三等兵:2009/02/16(月) 15:36:49 ID:???
鉛中毒による病死です
955名無し三等兵:2009/02/16(月) 23:11:00 ID:???
>>933
4人に1人?
956名無し三等兵:2009/02/19(木) 13:28:46 ID:???
>>952
>肩書きが○○警部
奏任警部?
957名無し三等兵:2009/02/21(土) 10:14:14 ID:???
手先が器用だから、水虫でこまっている上官にわらじを作ってあげたとか自慢していた気がする。
958名無し三等兵:2009/02/21(土) 19:55:09 ID:???
信長が水虫だったら秀吉は悲惨だっただろうな
959名無し三等兵:2009/02/21(土) 20:21:08 ID:???
>>958
足袋かなんか履いてお上品にすまし込むようなタマではないから大丈夫ではないか?
960名無し三等兵:2009/02/22(日) 19:19:29 ID:fBhX7YfR BE:735426645-2BP(0)
進駐軍が全てフランスとイタリア軍だったら、日本は今よりも愉快な国になっているだろうな。
961名無し三等兵:2009/02/23(月) 02:18:34 ID:???
>>941
そのコピペうざいよ! 
962名無し三等兵:2009/02/23(月) 09:24:16 ID:???
>>960
どうかなー。
両国とも国土が荒廃している上、
指導者層の一部は枢軸側へ協力して吊されるか逃げ出すかしているし、
仮に統治を受け持ってもよその国の心配している余裕がなく
ほったらかしになりそうw
963名無し三等兵:2009/02/25(水) 06:09:15 ID:???
>>960
中国とソ連だったら…鬱だ
964名無し三等兵:2009/02/25(水) 06:11:31 ID:???
進駐軍がイギリス軍だったら・・・香港マカオだな
965名無し三等兵:2009/02/25(水) 13:33:48 ID:UknORmlo
広島あたりや四国は英軍だったか。わりとまともらしいよ、米軍地区に比べたら。
966名無し三等兵:2009/02/25(水) 14:22:19 ID:???
>>964
勇猛果敢な日本人というイメージでグルカ兵みたいな制度が出来てたかもね。
967名無し三等兵:2009/02/25(水) 15:25:58 ID:???
スレタイからして体験談の採集や検証が目的のはずなのに、メインそっちのけで周囲の雑音ばかりになってる。原点にもどれ
968名無し三等兵:2009/02/25(水) 17:31:53 ID:???
>>965
オーストラリア軍だよ。
あの辺に進駐したのは。
遊びにきた豪軍将校の写真がうちにもあるよ。
969名無し三等兵:2009/02/25(水) 18:03:06 ID:???
という事は「はだしのゲン」で米軍らしきものが出てくるのは実はオーストラリア兵だったと。
そういやラバウルあたりに戦犯容疑で収容されてた人(名前忘れた)が米兵はまともだがオーストラリア兵はクレイジーで陽気な連中と言ってたような。
970名無し三等兵:2009/02/25(水) 19:50:55 ID:q/2j3+eH
おじいさんの戦争体験ではないが、俺のおばさん(現在79歳)は昭和20年、小さい造船所で
小型ボート(震洋?)のペンキ塗りをしていたと聞いた。

時々グラマンとP公が機銃掃射にきて、現場監督の軍人が「逃げるな」とわめいていたらしいが
その軍人の近くに機銃弾が掃射された途端、真っ先に逃げ出したそうな。
おばさんはドブに隠れていたらしい。
971名無し三等兵:2009/02/25(水) 22:11:30 ID:???
>>968-969
親父が終戦直後倉橋島に住んでたそうだが、オーストラリア兵は人目もはばからず
素っ裸で泳いでたらしい。
972名無し三等兵:2009/02/26(木) 00:02:03 ID:IF6gfopp
こんなスレがあったのか。
思い出したことがある。俺が子供の頃、明治生まれの祖父が中国へ行っていた話を親父から聞いた。
で、「おじいちゃん。戦争の時、中国へ行ってたんだって?」って聞いたら、
驚いた顔をして、「そんなことは知らなくても良い」って怒って言ってた。
その時は、なんとも思わずそのままで話は終わったが、
今考えると、言いたくない何かがあったのは間違いない。
親父は終戦時呉にいたとか、横須賀へも行ったとか、帰還兵を迎えに南方へ行ったとか、
色々戦争の話を聞かせてくれたが、祖父は一度もなかったな。
973名無し三等兵:2009/02/26(木) 00:02:04 ID:VxBIYZU9
ニューギニア関連の本でも見たが、オーストラリア兵もピンからキリまで居たんだな。
どうもアフリカ戦のグジョブファイアーのイメージが強いせいか、破天荒で細かいことは気にしない感があるw
974名無し三等兵:2009/02/26(木) 11:26:08 ID:A0LCSZ7S
名古屋の進駐は米軍の他に短期間、少数の英国兵も居たが評判は良くない。

荷物を運ぶ老人の牛車が、大通りで立ち往生した。
ちょうど通り掛かった英国兵のトラックから罵声を浴びせられるので、
なんとか牛を動かそうとムチを当てたら、撃たれてしまった事件もあった。
その英国兵はインド人だったのだ…
975名無し三等兵:2009/02/26(木) 11:44:11 ID:???
それじゃ英国兵じゃなくてインド軍の兵隊だったんじゃない?
冗談みたいな話だね。
976名無し三等兵:2009/02/26(木) 14:21:56 ID:???
インド植民地兵は軍団規模で英軍に組み入れられてる。
よく戦史に〜インド師団だとかが出てくるが、あれは将校以外まるまるインド人。
977名無し三等兵:2009/02/26(木) 18:40:50 ID:???
【動画】BC級戦犯 〜罪に向き合うとき〜 -前編-
http://www.megavideo.com/?v=RV6A1FHP
【動画】BC級戦犯 〜罪に向き合うとき〜 -後編-
http://www.megavideo.com/?v=HU1FVWDA


戦犯として裁かれ、20年の有期刑を受けた飯田進氏は語る。
「事実に目を向けようという勇気がない。だからなんとなくあいまいのうちに過ごしてきたんじゃないですか。
日本の戦後とは、一言で言えばそういうことですよ。敗戦を終戦と言ってみたり、撤退を転進と言ってみたり、
みんな誤魔化しているだけです。嫌なことに目を閉じず見開いて真実を見なければいけないと思います。」

飯田氏は、このドキュメンタリーで、自らの体験を基にした“戦争の真実”を伝える本を執筆中との事であった。
その本が、昨年(2007年)出版にこぎつけた。

題名:地獄の日本兵 〜ニューギニア戦線の真相(新潮新書/714円)

Amazonでも購入可
http://www.amazon.co.jp/

7件の作品のレビューが書かれているので参考にしてほしい。
978名無し三等兵:2009/02/26(木) 21:47:23 ID:???
>>974
インドでは牛は神様のお使いなのでは・・・?
979名無し三等兵:2009/02/26(木) 22:02:13 ID:???
我が県の私の地区のおじいさんが語ってくれた戦争体験記

当時、人吉海軍航空隊で2等整備兵曹のおじいさんは、昭和20年
3月18日の大空襲の時、我が分隊が居住する防空壕の掃除に来ていた。
爆音がするので分隊の皆さんと外に出てみると、多数の飛行機の編隊が
見えました。
「日本にも未だこれだけ残っているのか」と喜んでいたら、突然機銃射撃や
爆弾の破裂する音がしたので、「早く隠れろ敵機だ。お前らは戦地の経験が
ないから駄目だ」と分隊士の兵曹長が走ってきて叱り飛ばし、尻を蹴飛ばされ
ながら慌てて壕内に逃げ込んだそうだ。
980名無し三等兵:2009/02/26(木) 22:20:50 ID:???
もういっちょ
 
八代飛行場での話
終戦を迎えた8月20日、地元文政村出身の前田氏が彗星艦爆を宇佐航空隊
より操縦して復員着陸しました。
前田氏は「明日は飛行機に乗せてやる」と言われたので、みんなが楽しみに
していました。ところが、飛行機に乗ることよりも寄稿記の機材に住民の
心が動き、夜中にだれとなく部品を取り外して持ち去ったので、
飛行機は飛べなくなってしまいました。

前田氏は飛行機を燃やして埋めたそうです。でも近くの住民は、燃やして
埋めた所を掘り返し、飛行機の残骸を持って帰りました。
そして、鉛工の人たちがナベやしゃくしを作ったそうだ。
1989年に小学校の先生が取材したところ、ナベはいまだに
7軒ほどの宅に残っており、空を飛んだナベとして重宝されているそうです。
981名無し三等兵:2009/02/26(木) 22:25:27 ID:???
なんというまんが日本むかしばなし
982名無し三等兵:2009/02/27(金) 01:13:52 ID:???
>>980
それって、乗れなかったからかえって良かったかも。
復員のために飛んだ彗星が落ちた例があるそうだし。
983名無し三等兵:2009/02/27(金) 01:38:46 ID:???
芙蓉部隊の復員彗星が2機くらい落ちてたような。
984名無し三等兵:2009/02/27(金) 01:49:37 ID:???
>>983
それそれ。光人社文庫で読んだんだったりする。
985名無し三等兵:2009/02/27(金) 11:46:36 ID:+zQJaAQT
彗星かぁ。うちの爺ちゃんの兄貴がそれに乗って特攻したはず
986名無し三等兵:2009/02/27(金) 13:01:47 ID:???
>882の人が作っていたのも彗星です。
987名無し三等兵:2009/02/27(金) 15:44:06 ID:???
うそくせー
988名無し三等兵:2009/02/27(金) 16:21:10 ID:???
何が?
>882は俺の親爺が俺に語った自分の体験だ。
989名無し三等兵:2009/02/27(金) 16:29:43 ID:???
数十年前に学校の英語教師
(なんでも英語ができたので通訳として雇われていたらしい)
が香川県の海軍基地跡で英軍兵士の通訳をしたらしいのだが
米軍の間違いじゃなかろうか?
990名無し三等兵:2009/02/27(金) 17:29:37 ID:???
>>988
ならてめえの親爺は嘘つきだな
991名無し三等兵:2009/02/27(金) 20:50:08 ID:???
>>990
          何だその言葉づかいは!
パンパンパーン
    ∧__∧  ∩
  (,,`・ω・´)彡☆
   ⊂彡☆))Д´)
       ☆
992名無し三等兵:2009/02/27(金) 21:12:03 ID:???
>>989
主要数カ国で地方ごとに、統治担当区域が決められていた。
四国か中国地方辺りは英国や豪州兵が駐屯したはずだからその事かもしれない。
993名無し三等兵:2009/02/27(金) 21:32:31 ID:???
>>990
うちなら木刀で頭をかち割られてるレベル
994名無し三等兵:2009/02/27(金) 21:40:02 ID:???
>>993
それはいかん。簡単には死なないようにしないといけない。 ←怖いセリフ
995名無し三等兵:2009/02/28(土) 08:23:27 ID:kDzhpGVs

次スレたてました

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1235776912/
996名無し三等兵:2009/02/28(土) 09:29:45 ID:KmNZ6myk
父方の祖父は、開戦後に召集されて南方で陸軍の歩兵として戦った。
終戦時は、ヤップ島?にいたらしく、最終階級は伍長でした。
漏れの記憶違いかもしれませんが、「桐生」という言葉を聞いたような気がします。
桐生に陸軍の部隊の司令部でもあったでしょうか?
母方の祖母の弟は、海軍のパイロットで、詳細は不明ですが、終戦時は秋田にいたそうです。
997名無し三等兵:2009/02/28(土) 10:19:54 ID:???
このスレに来るの初めてで恐縮だけど
半年前に死んだ父の実家のじいちゃんが生前に話してくれた話

当時通信兵やってたから直接戦闘はしなかったらしいんだけど
朝鮮に居る時に敗戦迎えて撤収する時に
朝鮮半島を移動しなきゃならなかった
治安が悪いらしくて南部拳銃(だったと思う)持たされたんだってさ
そして、本土行きの船に乗せられたんだそうだ(ごめん、どこの港か覚えてない)
その時に同乗してた米兵?(とりあえず連合軍兵士)に
ボディーチェックを受けたそうな
その時に米兵がどさくさに紛れて貴重品も
取り上げちゃうんだってさ
でもうちのじいちゃんは貴重品は隠してて
(どこに隠したか忘れた 胸の中か?)なんともなかったらしい

じいちゃんは
どんな任務についていたとか、そういう事は話してくれなかった
父曰く「いろいろと酷いこともしたんじゃないか」との事
俺が忘れてしまった部分も含めて、真相は闇の中
998名無し三等兵:2009/02/28(土) 15:51:16 ID:GiLa4h6M
祖父の兄が飛行機みたいな施設で兵隊やってたらしい。
敵のグラマンが飛んできたのに、味方機かと思って「お〜い」って手を振った祖父の兄。
もちろん機銃で撃たれたそうだ。
まぁ幸いタマは当たらなかったし無事復員したがね。
999名無し三等兵:2009/02/28(土) 16:03:08 ID:???
>>998
飛行機みたいな施設ってなんだろか
1000名無し三等兵:2009/02/28(土) 16:49:07 ID:???
1000ならもう戦争はしない!









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