日本駆逐艦・小艦艇スレ3隻目

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海防艦221号は昭和20年7月14日、釜石湾に停泊中に米第三艦隊による製鉄所の艦砲射撃に巻き込まれた。
湾口で警戒中の駆潜艇23号は空爆によって撃沈された。
艦長は意を決し、抜錨。221号は沖合いの敵艦隊に向け突撃を敢行した。
敵艦との距離が18000メールになったところで、左砲戦の号令がかかるも、小口径の12センチ砲では射程距離が短く、まだ発砲できない。
そのうち、敵弾は艦の至近に落下するようになり、ついに狭叉された。
敵艦の次の斉射では確実に命中弾が来る。もうダメかと思われた時、艦長は突然、「両舷後進一杯」と命じた。
その直後、艦首直前に敵弾が落下した。艦長の咄嗟の判断で艦は救われた。

その後、221号は犬死に等しい無謀な突入を諦め、湾内に戻って敵艦隊の死角に入るように山の下に停泊し、対空戦闘に備えた。
艦砲射撃終了後、予期したとおりは載機の空襲が始まった。
襲ってくる敵機はF6F及びF4F約30機。機銃掃射と小型爆弾による攻撃だった。
221号は地形の利を生かして応戦し、20〜30分程度の戦闘で十二機撃墜、一機撃破の戦果を上げる。
しかし、機銃掃射によって艦橋は蜂の巣のようになり、六名の戦死者を出す。

この日の戦闘で、陸上からの反撃は一切なく、戦ったのは海防艦221号と駆潜艇23号のみであった。

以前、この釜石艦砲射撃の事件を題材にしたテレビドラマ(主演・水谷豊、タイトル失念)が放映されが、その時には
「軍は隠れているだけで、市民を救おうとはしなかった」と、ナレーションで語られた。
駆潜艇23号の犠牲や海防艦221号の奮戦を完全に無視しており、見ていて腹がたった。

ちなみに、私の伯父はこの時海軍の監視所で、艦砲射撃の様子を見ていたそうだが、海防艦221号が決死の突入をしたことには気付かなかったそうだ。