952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:16:29 ID:LWMO9qoA
>>950 いあ 駆逐艦「雪風」は終戦まで生き残ってる幸運艦として有名だよ?
最終的に中国へ引き渡され中華民国艦隊旗艦として迎えられたそうな。
雪風型かな?それならほとんど戦時中に撃沈され喪失してるね。
953 :
952:2008/11/04(火) 23:18:30 ID:LWMO9qoA
間違えた・・・ 陽炎型だっけ・・・
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:25:24 ID:n6lDoNya
雪風は、たしか戦没して無いかと。駆逐艦には、似たような艦名が多いですから。艦と運命を共にされた、曾祖父殿に感謝と哀悼の意をお伝えします。 お教え頂きまして ありがとうございます。
>>945 俺の爺さんも抑留されてたよ
帰ってきたら町会議員だか村議会だかに自民党から立候補したよ
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 01:45:31 ID:Oxs6a4gx
神風特別攻撃隊って今も横浜の街でうるさいバイクで走ってるよ
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 01:57:03 ID:FkP/B/9G
それは朝鮮人の不良
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 09:23:54 ID:rF6i2VPM
>>949 曾祖父が艦長を勤めていたのは艦名は明かせませんが、「吹雪型駆逐艦」です。
>>950はニセ者。
嘘は良くないですよ
もう死んだひいじいちゃんは
中国の川を船で上がって行って、南京まで言ったそうです
しかし川には爆弾があり、到底安全と言えない状態
そこて爆弾を駆除するように言われたそうで、
命からがら爆弾を駆除して勲章を貰ったそうです
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 10:43:33 ID:l6KimEvB
いや馬鹿と言われましても
実際にあった体験ですし
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 19:54:56 ID:FkP/B/9G
これが最後の通信です
皆様さようなら(/_;)/~~
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 20:36:26 ID:kUnt+ISt
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 20:37:27 ID:BrB25a/g
>>959 ひいおじいさまは、工兵かな? 地味で危険な任務だと聞いているが。勲章を貰うとは当時では、スゴい事だよね。よほど危険な任務だったんだね。
うちのじいちゃんもよく戦争の話ししてたな、小さかったからあまり覚えてないけど
たしか中国のほうで機関銃射ってたらしい、
慕ってた人がいたそうでその方からふかした芋をよく食べさせてもらってたって
酔うと口ぐせが出て「侍は逃げたらあかん」で(一応貧乏侍の家系)
足の傷跡を誇りにしてた、逃げずに正面から戦った証だと、
芋くれた人が戦死した時の話しをした事があったんだけど、ばあちゃんも母ちゃんも泣いてたな
残念ながら話しの内容覚えてないけどね
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 00:52:59 ID:aLdLfVM2
うちのじいさんの弟だが、北海道一の進学校『一中』を卒業、そのまま海軍兵学校に進学した。
卒業して程なく、沖縄で陸戦隊隊長として戦死している。
中学時代は真冬でも下駄で登校していたらしく、もの凄い成績優秀だったらしい。
そんな人が何故軍隊に行って死んだのか?
勿体無い話しだ。
うちの爺さんの乙と丙ばかりの成績表とともに
オール甲のまったく別人の成績表が保管されてる
何があったんだぜ
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 10:34:07 ID:Xqpacmas
うちのおじさん身長180あるんだが
体がでかいて理由で中国戦線で機関銃担がされてたらしい。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 18:22:35 ID:HhVxwqoI
じじい!長生きしろよ!
じじい!いつまでも元気でいてくれよ!
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 21:45:03 ID:aLdLfVM2
嫌ならトラックでも乗れば?
でも、トラックも、
家に帰らず、必死に走っても、年収三百万だけどねw
鹿児島の曾曾爺さんは物凄くでかい大地主の家で小学校の時から刀を差して学校に通ってたらしい
大正時代あたりだけどそれってなんなの?
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 22:50:53 ID:Bm1Ndmc/
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 23:05:22 ID:EGXUWOkZ
昔はゼロ戦に乗ってグラマンを撃墜しまくってたらしい
今はガブで畑道ぶっとばしてます。しかも直管になってます
そんなじいちゃんはカッキェ
976 :
sage:2008/11/07(金) 04:16:04 ID:zm99uLrt
携帯からスマソ
家の母方のじいちゃんは子供だったからずっと内地にいたらしんだけど終戦間際の空襲で「戦闘機の機銃掃射をジグザグに走ってよけた!」ってよく話してた
その話を家族で聞くたびに「じぃさん嘘つくなw」って笑ってたけどじぃさん「本当じゃ・・・」って悲しそうな顔してたなぁ
ばぁちゃんは新潟の農家だったから平和だったんだけど
ある晩轟音がしたから起きてみると新潟市の方の空が赤く染まってたらしい
>>976 戦闘機が地上の小さな目標を機銃掃射するのは難しいでつ。機銃掃射から逃げ
ずにいた人に銃弾が当たらなかったっていうエピソードはしばしば聞きます。当時
の人の話としても、「逃げるより逃げない方が銃弾が当たりづらい」というものがあ
ります(現実にはどちらが当たらないのか解りませんが)。
>>977 「運」でしょうね。
逃げても当たる人には当たるし
逃げなくても当たらない人には当たらない。
直線的にこっちに向かってくる時は逆に向かっていくか
左右に逃げると当たる可能性が低くはなるそうですけど・・・
両翼から火花が見えたらもう弾丸が着弾しているでしょうから
一瞬の判断でそこまで出来るかどうか・・・
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 13:01:02 ID:IZlGJR50
もうすぐ終了だがこのスレ知らない人にも伝承していく方法は無いものか
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 13:54:11 ID:Gnn97PNX
婆ちゃんから聞いた話だが、戦争が終わって爺ちゃんがフイリッピン?から復員して来た。
でも優しかった爺ちゃは、まるで別人みたいに殺気立っていて、右片腕が無かった。
街に駐留してた米兵達が、右片腕が無い爺ちゃんを見るとビックリして逃げたとか言っていた。
でも時間が経つにつれて優しさを取り戻し、片腕が無くても印刷業の仕事に就いて、六人の子供達を立派に育て上げました。
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 15:13:35 ID:Irny9JuU
>>980 終戦間際のフィリピンは、地獄の様な光景だったと、聞きました。おじいさまも、辛い事が、沢山あったんでしょうね。
うちの爺さん、中国戦線で立ション中に横から銃撃受けて
不幸にもチンコだけもぎとられてしまった
金玉が残ってるから性欲は旺盛なんだがヤろうにもヤれない
っていう妄想をした
マニラ享楽と言われたフィリピンも
末期だけは日本軍にとって地獄だわな
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 20:56:48 ID:P/VjtPif
太平洋で悲惨だった戦場といえばガダルカナル島 アッツ島 硫黄島 サイパン島 ペリルュー島 ビルマ レイテ島 沖縄だろ
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 21:43:30 ID:Irny9JuU
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 00:03:28 ID:dfLWQiPH
なに何が?
987 :
コピペですまん:2008/11/08(土) 09:37:48 ID:bNBM8geW
太平洋戦争中の不思議な・怖い話
957 :本当にあった怖い名無し:2007/09/10(月) 16:00:25 ID:qFLzqmC30 AA
うちのじじいは戦争やって良かったっていってた。
そりゃ良し悪しは馬鹿でも分かるが俺の青春の全てだったんだと。
満州でいろんな事があった。顔ほどもある大きな餃子をたらふく食ったり
何日間も歩き続けて餓死寸前の時に現地のばあさんにネギを貰って泣きながらかぶりついたり
上官殿?に意識が無くなるほどなるほどぶっとばされたり、友を自分の腕の中で亡くしたり
いろんな事を聞きすぎて忘れてしまったが、比べて俺って薄っぺらな青春を送ってきたなとw
もう聞く事も出来なくなってしまったが、一番覚えているのは
満州の桜はこの世の物とは思えないぐらい綺麗だった・・・って遠い目をして言ってた事かな。
不思議でも怖くも無くてスマン
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 12:58:20 ID:dfLWQiPH
日本のジジイ達、再び戦場へ!
藤枝権助さん84才「ひゃぁ久しぶりに戦闘機にのるわい、これが最新鋭のF22かいな! 邪魔なモンが沢山ついとるだけでF0(零戦)とたいしてかわらんわい」
ジジイ達は再びミッドウェイを目指した!
「ビィービィー」
権助さん「ん、しもうたなんやミサイル撃たれたみたいやな、いわゆるロックオンされたわけやな」
「いかん、もう駄目や、ワシかて元海軍の死にぞこないパイロットや只では死なんわい特攻隊や」
「ひゃ ひゃ ひゃ 60年経てやっと 仲間の所へ行けるわい! 万歳ぁい」
そしてジジイは太平洋に見事に散りました
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 15:08:53 ID:tub/VrEf
ツマンネ
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 15:11:33 ID:Qws4pbua
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 16:53:05 ID:rzCKj+Pm
>>987 > 満州の桜はこの世の物とは思えないぐらい綺麗だった
たぶん桃か杏だと思う
>>978 うちのじーちゃんは、機銃掃射は弾より薬莢のほうが怖いっていってた。
弾は、射線がわかるから避けれるが、薬莢は遮蔽物に逃げないとだめだと言ってた。
対空機関銃座に一緒にいた戦友はP-51の機銃掃射を受けたんで飛び去り際に、
一撃食らわせてやろうと頭を出したら薬莢に当たって死んだって言ってた。
その人が、終戦まで自分の隊で唯一の戦死者だったとか。
そのときに来た、10機程度の爆撃機と戦闘機は、戦闘機の1機以外全機撃墜したって言ってた。
海に落ちたのは、沖にいた軍艦が撃墜確認をして、陸に落ちたのは、隊の皆で確認に行って、
戦死者の回収もしたっていってた。
P-51の一機は機銃掃射中に対空機関銃の直撃をコックピットに受けたらしく、基地の上を大きく
宙返りをして山に落ちたって言ってた。
特攻隊を自爆テロリスト呼ばわりした筑紫先生は
あの世でうちの爺さんと爺さんの戦友にフルボッコにされて下さい
我がじいさんはP基地とかいうとこで勤務してたらしい。瀬戸内海のあたりかな?
あんま詳しくは聞かんかったが(ファイルに綴じられた手記はある)、三人くらい乗れる小さい潜水艇の整備士の見習いか下っぱかやっとりまして、レンチ握らせて貰うまでにも苦労して、相当苦い思いしたらしい。
しかも部隊(第401なんとか戦隊だったはず)は一応ディーゼル積んでたが恐ろしく鈍足で、四国沖に機動部隊出現!→戦隊出撃→機動部隊引き上げ→戦隊到着orzと、間に合わんのが多かった。
その代わり損害は多くて、紀伊水道か豊後水道に現れたカタリナに撃沈されたり、訓練事故で水没したり。整備士はその度やり玉に上げられて、やれトリムがなんだとか、ボンベがなんだとか言われてこてんぱんにされたとか。
それで終戦。
その日の内に、じいさん達は離れ小島であるP基地の岩礁、その香川側に立って、先日エンジントラブルかなんかで墜落したカタリナの丸い窓のとこに小便かけた。
生きてていちばん気持ちよくて、しかも初めて泣いた小便だったと。
じいさんは俺に付き添って公園とかデパートの便所に行くとき、何時も「ほれ、ほれ、こうやったんや」って、便器の穴の回りに向かってくるくる指回してた。
中学まで続いたが、寒い日にゲートボールで踏ん張って、血管切れて死んだ。
じいさん小便連れてけやー
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 16:56:41 ID:v5aiVCLB
ウチのじいさんは盆踊りでばあさんを殴り合いの末getした話しかしてくれんかったので
充実したスレでした
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 17:00:43 ID:LGC47fma
じじい共を見習い戦争しよう!
998 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 23:04:02 ID:sIwerGIJ
見習うと言うではなくて、先人達の精神は、受け継いでいかないとね。我々や、次の世代に。国を想い死んでいった勇者達の為にも。
10万の英霊のために満州から撤退するという選択肢をなくしたわけだが
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 23:39:17 ID:v/FIfKhj
1000なら
在日は全員強制送還
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。