1 :
980:
大河ドラマ・司馬歴史小説等、さまざまに流布している戦国時代合戦のイメージは、不正確極まりないものとされています。
真実はどうなんでしょうか?
軍事的な知識を多くお持ちの皆さんで論じ合いましょう。
・日本だけではなく、同時代の他国の状況との対比
・前史としての 律令制→室町中期 との比較
・後史としての 江戸時代と黒船来航以降の幕末戦争 との対比
など積極的に話題を提供してください。
次スレは980を踏んだ人が立ててください
※注意
荒らしは徹底スルー
荒らしに関わる奴は同類
2 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:33:38 ID:XSQXUYm/
3 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:34:50 ID:???
私、素人なんですけど、一時期の日本は世界一の鉄砲保有国だったと
読んだ事があります。昔の日本人の方が合理的な戦争の仕方してたの
かなあ。
4 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:36:19 ID:???
鉄砲なんて初めに一回撃ったらお役御免だ
欧州のような主力には成りえなかった
5 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:39:04 ID:???
そうなんですかorz
6 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:39:15 ID:???
んなこたーない
7 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:55:51 ID:???
鉄砲が多い=最強と言う訳ではない。
8 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:25:19 ID:???
江戸時代と明治維新については仔細な記録があります
で、それ以前は怪しい
個人的な感想としては
正面火力密度が低くて狙撃+突撃では?
少なくても戊辰戦争に関しては戦闘正面に対する兵力密度が低すぎ
9 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:33:36 ID:???
長州戦争前後から長州軍は散兵戦術を採用してるからな。
10 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:36:25 ID:???
アメリカの南北戦争の映画なんか見てたら
ライフル隊がずらっと並んで号令に従って撃ちあってる。
あんなもん、自分自身が処刑台に立ってるに等しい
ありえないやり方だろうと思うが、南北戦争は日本で
鉄砲が使われ始めてからかなり後の話だよなあ。
やっぱ昔の日本の戦争はけっこう合理的に戦術考えていたのかな。
11 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:40:00 ID:???
南北戦争もそんなのばっかりじゃないのだが…。
ていうかむしろCivil Warの中じゃ悪い例だな。
12 :
名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:43:59 ID:???
>>11 やっぱそうなのか。
無知でスマンw
第二次大戦以前の日本の軍事はまったく知らないんだが、
なんとなく日本はもしかしたら昔の方が合理的な戦いかたを
やっていたんじゃないかという先入観があったもんで、
鉄砲を持ち出してみた。
13 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:09:53 ID:???
>>10 アホみたいに見えても当時の命中精度が悪い銃じゃあれが一番合理的なんだよ。
欧州の数世紀にわたる戦乱の結果あれが一番良いと判断されたんだ。
まあ11氏の言う様に「ずらっと並んで号令に従って撃ちあうだけ」なんてのはマヌケなだけで殆ど発生しなかったが。
ただ南北戦争では施条銃が普及した状態でそれまでの戦術を使ったため大量の死傷者が出た。
14 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:17:31 ID:???
>>1 乙です
そういえば米国独立戦争の時に
英軍は米国民兵の散兵戦術に苦しんだってどこかで読んだ記憶があるのだけど
南北戦争の時はそんなの無かったのかな?
15 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:18:35 ID:???
>>1 乙です
そういえば米国独立戦争の時に
英軍は米国民兵の散兵戦術に苦しんだってどこかで読んだ記憶があるのだけど
南北戦争の時はそんなの無かったのかな?
16 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:26:11 ID:???
大陸軍が解散されてアメリカ陸軍が発足した過程で失われたんだと思う。
民兵のゲリラ戦術であって正規軍の戦術じゃないから。
17 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 00:28:04 ID:???
>>3>>4 3段撃ちは事実が怪しいが
組撃ちと言って
射撃手一人と2〜3人の装填手で組を作って
2〜3丁の鉄砲を使って
装填手が次々装填>射撃手が受け取って発射
を繰り返して連続発射するなどの戦術は当時からあったようです
ただ欧州のような集団で弾幕射撃をするようなものとは多少違ったみたいですが
下級武士が2〜3人の自分の奉公人も鉄砲を持たせて独自で組撃ちすることもあったようです
18 :
14:2007/10/05(金) 00:39:43 ID:???
>>16 なるほど・・・そうか
なぜか連投になった・・・スマンです
19 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 11:11:37 ID:???
スレ復活したのか
とりあえず。今年の大河ドラマで登場して
話題になるであろう
武田騎馬軍団の実態について語りましょうか
20 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 13:45:43 ID:???
>>武田騎馬軍団の実態について語りましょうか
存在しない物の実態をどう語れと言うんだ。
21 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 17:46:09 ID:???
士分ではあるが馬を持たない徒士連中は備の中ではどう言う扱いになってたんですか?
22 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 19:16:46 ID:???
>>19 武田騎馬軍団は存在したよ
ただ、騎馬民族の軍団や近代兵科としての騎兵隊とは違う、というだけのことで
否定論者は上記のイメージで語りがちだから困る
23 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 19:41:36 ID:???
馬で移動して馬から下りて戦ったんだよね
騎馬鉄砲ってどうだっったんだろ?
24 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 20:40:40 ID:???
>>21 基本は大名の護衛
備単位では太鼓や鐘を鳴らす役なんか、中には貸馬・貸人を渡されて
騎乗身分となる事もあり
後は、員数外の浪人を若党として一時的に召抱えるとか
25 :
21:2007/10/05(金) 22:41:55 ID:???
>>24 備内の精鋭歩兵だと言う様なイメージだったんですが、違ったんですね。
26 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 22:44:52 ID:???
>>21 その他にも
歩行組(かちぐみ)といって備えの中で
そういう武士だけを集めて組を作ったりもした
武士なので足軽組より訓練も出来てるし士気も高いので精鋭歩兵扱いだった
27 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 22:48:33 ID:???
>>23 必ずしもそうでもなかったみたい
状況に応じて乗ったまま戦ったり
下馬して戦ったり使い分けたみたい
文献にも「乗り崩し」とか「馬入れ」なんて言葉が出てくる
騎馬鉄砲がどうだったのかは知らないけど・・・流鏑馬みたいな感じなのだろうか?
28 :
名無し三等兵:2007/10/05(金) 22:57:30 ID:???
いわゆる「馬上筒」って、実際に馬上で使用された記録はあるんでしょうか?
29 :
23:2007/10/06(土) 05:21:21 ID:???
30 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 13:12:30 ID:???
>>22 それだと先ず肯定論者は騎馬軍団や騎馬隊といった誤解を招く怖れのある表現法を批判するべきだろう。
当時、武田の騎馬軍団や武田の騎馬隊などとは呼ばれていないのだから。
31 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 13:16:32 ID:???
当時は呼ばれていなかった名称など幾らもあるが。
32 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:17:14 ID:???
幾らでもあるから、だから何?
33 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:20:31 ID:???
騎馬隊で何がおかしい?
34 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:20:41 ID:???
そんなことを言い出したら、代々の徳川家宗主だって、通常は「将軍」とは呼ばれていなかったし。
当時の呼称は確かに大事だが、それだけにこだわっていると本質を見失うぞ。
35 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:23:17 ID:???
幕府ってのもそうだしな。
36 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:26:19 ID:???
37 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:28:01 ID:???
本質を知った上で誤解を招く現代的な表現といっているのだがな。
38 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:28:29 ID:???
>>36 そうだな。
何か問題があるのか?
各大名の名が付くだけだが。
39 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:30:11 ID:???
>>38 だろ?
武田勢の場合だけ騎馬軍団や騎馬隊ってのは変だよな。
40 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:32:33 ID:???
>>39 だから、自分は他のもそう呼べば?
騎乗した人纏まりの部隊をして、騎馬隊以外に適切な表現があるならそれもいいだろう。
41 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:36:44 ID:???
>>40 騎乗した人纏まりというより軍勢そのものを騎馬軍団や騎馬隊と呼ぶことが適切じゃないといいたいな。
そもそも騎乗武者だけの一纏まりってあったのか?
42 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:38:17 ID:???
武田家も、他家も、「騎乗部隊」又は「騎馬隊」程度の表現で十分な気もする。
さすがに「騎馬軍団」は過剰表現ではないかと個人的には思うが、
「武田家だけが持っていた」のような記述がなければ、それほど腹も立たない。
43 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:39:59 ID:???
>>42 で、騎乗武者だけの一纏まりってあったのか?
44 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:40:14 ID:???
武田勢全体を武田騎馬軍団とか武田騎馬隊と呼ぶのはおかしいと言いたいのか?
それなら納得だが、誰もそんなことは言ってないぞ。
騎馬武者だけの一纏まりも戦国に例が無いわけじゃない。
常設かどうかは知らないが。
45 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:43:08 ID:???
>>44 だから最初から武田騎馬軍団ついて語ってるんだけど。
騎馬武者だけの一纏まりって例えばどんなの?
46 :
名無し三等兵:2007/10/06(土) 16:45:13 ID:???
>>43 近代の戦車隊だって、戦車だけじゃなく、支援の整備部隊や補給部隊を引き連れてますね。
騎馬武者が主力なら、供回りの徒の連中がいても、「騎馬隊」という呼称にそれほどの不自然はないんじゃないかと。
47 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 08:52:12 ID:???
>>45 過去スレにて地形その他の状況が揃ったので
臨時編成で騎馬武者だけ集めて突撃を敢行したって文献が紹介されてたよ。
過去スレから探してみれば?
それと、小隊規模の騎馬武者が普段は本陣付きの伝令隊として
常設されてる例もあるが、必要に応じて騎馬単体で戦闘する例もあるらしい。
あまり多くは無いらしいが。 これも過去スレより。
>>28 使われたかどうかは定かではないが
馬上筒用のホルダーが装備の目録の中にちゃんとあるそうだ。
過去スレ参照。
というか騎馬軍団関連に関しては過去のスレでさんざん語りつくされた感。
結局否定論も肯定論も実際の騎馬隊は
>>46のような形で、
さらに小規模の騎馬小隊が支隊としてあったって形に纏まってたような。
48 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 08:55:11 ID:BvUSJwB/
49 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 08:59:58 ID:???
>>46 逆に戦車一個中隊(その他も)の支援を常に受けて行動する
歩兵一個連隊も 歩 兵 部 隊 だしね。
機甲師団は機甲部隊だけで一個師団じゃないし。
単一兵科がその単一兵科だけで部隊構成するっていうのが
そもそもの間違い。
50 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 09:52:55 ID:???
全騎馬編成に見えるモンゴルも輜重隊や歩兵がいるからね
あとは言葉弄りになるだけだな
51 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 10:04:40 ID:???
雑兵物語に騎馬突撃の例が書いてますけど…
52 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 10:55:39 ID:???
>>51 他の人も書いているけど、
騎馬だけの編制(組織)はない、支援(口取りから郎党、徒歩武者などまで)がないと戦力として騎馬を維持できないから。
任務によっては、騎馬戦力だけを使用することはある(追撃時や偵察・伝令など)ってことじゃないのか?
そして任務が終わると、支援を受ける。
騎馬突撃といっても、最終的には下馬して組討ちするか、徒歩武者や郎党たちが相手の首を取ろうとするんだろうし
53 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:31:35 ID:???
>>46 それ出すと思ったよ、近代の戦車部隊でも機械化歩兵部隊が随行するしな。
問題点はこの手の話に必ず出てくる騎馬武者だけの一纏まりってやつ。
もし本当にそうしたものが常識的に存在していたのなら純粋にそれは騎馬隊と呼べるだろう。
騎歩混同で戦闘行動する部隊なら当時としてはまったく珍しくない編制で武田勢もその例外に漏れない。
にも関わらず武田勢だけが特徴的に騎馬軍団だの騎馬隊なんてのは漠然としすぎで曖昧な表現だってこと。
他家のもそう呼べば?って簡単にいうけどそんな曖昧な表現は使いたくないな。騎馬を主力として部隊があるから
それは「北条騎馬軍団」なんていかにもアレじゃないかw
特に歴史に興味もなく学校で習った程度の知識で充分な者同士ならそれでもいいんだろうけど、本質を直視しているから
こそ不承知。臨時で編制したものであるのなら尚更騎馬軍団なんて呼ぶのは大仰に思える。
言っとくけど事の始まりは
>>22の「武田騎馬軍団は存在したよ 」なんで。
上で将軍や幕府の例を出してるけど当時も今も解釈的に他と取り間違えることがないものについては言及する必要はない。
それこそ呼称だけの問題だな。「歩兵が随行しても騎馬が主力ならそれは騎馬隊、根拠は近代戦車隊」
「伝令の騎馬衆でも戦闘に参加したらそれは騎馬隊」とか言い始めると定義の幅が広がり結局のところ個人の主観や
解釈、定義論に帰結してどうとでも取れる話の水掛け論になるからこっちとしても困る。
で、あるのだから曖昧な表現でのらりくらりと逃げ回れなくする為に表現法についても言及するべきだと俺は
思うんだが肯定派ってかお前はそのへんのところどうなのかね。
お互い何年も前からやってるけどさ。
54 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:35:29 ID:???
騎馬軍団は誇大広告だが「騎馬隊」の単語まで使うなと言ったのが発端。
55 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:39:11 ID:???
56 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:41:23 ID:???
だから、他家のも騎馬隊と呼べば良いと言ったんだが。
それを北条騎馬軍団等と曲解されてもな。
なら「武田の騎馬部隊」で不満はないか?
57 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:43:09 ID:???
くだらね
真面目にやれよ
58 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:43:52 ID:???
>>51 「味方の関東侍で馬に上手に乗っている者達が、今日の戦場は平地で馬の戦にはむいているし、
敵味方がもみ合っているのも丁度いい頃と見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで、
乗馬の上手を選りすぐった三十人ほどが一体になり、馬に乗って槍を持つ者あり、刀を持つ物もあり、
弓を持つ物も鉄砲を持つ物も三十騎がいっぺんに敵の右側から突っ込んだが、
敵も自分の左側から攻められたならばちょっぴり抵抗もできようが、右側から馬で攻められたのでは、
なんの反撃もできずに、ただ騒ぎまわるばかり、そのうえ乗馬の一隊が攻めかかるとすぐ、
一番手の部隊のもみあってない兵隊たちが鉄砲を撃って応援したので敵はどうにも防ぎきることができなくて、見方は何の苦労もなく敵を追い崩した。」
と言う部分だろ?
読んでも解るように騎兵の集団突撃をするのにその場で部隊を編成している。
逆に言えば騎兵のみの部隊を無いって事だ。
しかもその後に「近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いで、馬に乗って戦をするという事を長い間やっていない」と続くし。
59 :
58:2007/10/08(月) 11:47:46 ID:???
×逆に言えば騎兵のみの部隊を無いって事だ。
○逆に言えば通常は騎兵のみの部隊は無いって事だ。
60 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:49:34 ID:???
61 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 11:53:45 ID:???
>>60 何聞いてんの?
てか、ちゃんと読んだが
>>53 曲解で北条騎馬軍団てなんだよw
62 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 12:48:50 ID:???
米軍の騎兵部隊にも文句付ければいいよ。
63 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 13:05:02 ID:???
64 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 13:33:33 ID:???
>>62 もう武田の騎馬軍団なんて恥ずかしいこと言うなよ、約束だぞ。
また暇な時にやろうな。
65 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 14:19:15 ID:???
>>64は自分定義を振り回しすぎるな
騎馬軍団=騎馬民族の軍団
騎馬隊=近代兵科としての騎兵隊
と、自分勝手に定義しておられるようだ
18、19世紀以前の軍事を考える上では、
フツーに、騎馬軍団、騎馬隊=騎馬戦闘に巧みな集団、ぐらいに捉えておけば良いものを・・・
まあ、”軍事学の常識”、というものが頭にこびりついて離れないのだと思うが
66 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 14:50:04 ID:???
矢の生産コスト考えると、毎年に何回戦闘できたんだろうか
矢竹は各地に自生してるけど、まっすぐなのと言うとなかなか難しい
鷹の羽根の調達もそう簡単ではない
67 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 14:55:12 ID:bcR+O1Rq
真っ直ぐな竹などまず無いものだよ。
真っ直ぐに加工して使うのだよ。
68 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 15:11:43 ID:???
大量に使われるだろうから、多少曲がってても平気だったんじゃないか。また
矢は再利用できる。孔明じゃないけど、戦闘が終われば後始末人が出てきて鎧から
刀から回収して売るなんてざらの事だった。それより銃弾と火薬のコストの方が
大変だったろう。硝石は日本では入手困難だし、弾も火薬も使い捨てだしな。
69 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 15:13:34 ID:???
竹で作った釣竿が真っ直ぐなのは、竿を作る職人が真っ直ぐに加工しているからです。
暫く使って曲がってきたら、買ったところに持っていけば、直してもくれるよ。
70 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 15:17:10 ID:???
>>68 羽根をつけて矢を回転させることまでして命中率を上げようとしているのに、
矢が曲がっていては台無しだろう。
71 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 15:41:21 ID:???
戦場では敵の居るあたりに一斉射で打ち込む、要は機関銃と同じで何十本も
撃った中の何発かが当たれば良い。無論、命中精度が高いに越した事は無いが。
競技会でもあるまいし決まった人数が決まった数打って勝敗を決めるもんでもない。
とにかく使えるもんはどんどん使ったんじゃないだろうか。まあ実際には戦場
の後方には刀鍛冶とか鎧師とかが待機してただろうから彼等の仕事には矢の製作
や補修なんてのも含まれていたと思われる。
72 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 16:57:34 ID:???
乾燥=火入=削りと工程を踏むとかなり手間がかかるもんかなと
原材料補給という点では矢竹は何とかなっても、鏃と羽および接着剤が問題
矢竹の乾燥も2年はしたいところ
現代の竹の釣り竿および矢をみるに、かなりの手間と時間がかかる(70工程3ヶ月とか)
美術品的側面があるから省ける工程も多いと思いますけど
73 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 19:41:17 ID:???
公算射撃用の粗末な矢と
名人による狙撃用の高級な矢は別物
74 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 19:43:49 ID:???
>>70 どうせ合戦のときは多数の矢を放ってどれかが当たればよし、みたいな射法だから、
それほどの命中精度は要求されないんじゃないかと
75 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 20:41:18 ID:???
>>74 んなこたねーよ
狭間から狙い撃ちしたりする場合なんかは、かなりの命中精度が要求されるだろうよ
76 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 20:47:50 ID:???
公算射撃しようってのに曲がっていて真っ直ぐ飛ばない矢を使ったんじゃ本末転倒だ。
77 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 20:54:34 ID:???
曲がった矢では、羽根を着けても直進性を得られないだろう。
竹を加熱処理して粗真っ直ぐにするのは、そんなに難しいことではない。
弓は当たるのが不思議、鉄砲は当たらぬのが不思議…、という言葉もあるし、
日本の弓は照準器も付いていない代物なんだから、矢の直進性が無ければ敵の
近くにも到達する率が極めて悪くなる。
78 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 21:59:06 ID:???
矢に自分の官、姓名を印す、という風習は戦国時代にもあったん?
79 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 22:02:42 ID:???
>>77 矢は直接照準しないよ
集団で、敵のいる方向の斜め上に向かって放つ
迫撃砲的運用
矢が平射兵器なら陣笠はあんな形してないよ
もちろん、狙撃する場合は直接照準で程度の良い矢を使うだろうね
狙撃できるほど訓練つめる身分なら良い矢を用意する余裕もあるでしょ
80 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 22:46:51 ID:???
矢は迫撃砲と言うよりも榴弾砲と言うべきだろうな
81 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 22:55:43 ID:???
とは言え、曲がっていては照準どころか明後日の方向に飛んでしまうからな。
82 :
名無し三等兵:2007/10/08(月) 23:41:14 ID:???
納品後の矢も定期的なメインテナンスというか火入れが必要ってことか?
少なくても竹の釣り竿は必要だ
自分はジェラルミンやカーボンの矢しか扱ったことないからメンテフリーだけど
83 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 01:21:28 ID:???
戦国時代の軍制、システム、編成や戦術について解説してくれる入門書みたいな本ってありますか?
84 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 09:57:38 ID:fVLQVY36
>>83 「日本軍事史」 共著 吉川弘文館 2006年
「信長の戦争」 藤本正行 講談社学術文庫 2003年
「絵解き・戦国武士の合戦心得」 東郷隆・上田信 講談社文庫 2006年
「絵解き・雑兵足軽たちの戦い」 東郷隆・上田信 講談社文庫 2007年
あと、日本史の通史シリーズで、戦国時代をあつかった巻には、家臣団の形成や
動員体制などが説明されていて、かなり詳しい。
ほかにもおすすめがあったら、皆さんも教えてください。
85 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 17:25:49 ID:???
応仁の乱から武田信玄とかが出てくるまでの間の80年位が結構抜けてるよな、
太田道灌とか結構名将だと思うんだけど、ここいら辺は大小の豪族がごちゃごちゃ
小競り合いやっててわかりずらい。
86 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 17:29:33 ID:???
日本の歴史に与えた影響と言う点じゃ大内や細川が上杉やら伊達やらよりずっと上なのに全然知られてないし。
87 :
名無し三等兵:2007/10/10(水) 21:42:27 ID:???
>>86 そのあたりは、フランク王国やカール大帝よりもローマの方が有名でウケがいい、ということと似てるかもね
現在につながるヨーロッパの歴史に影響を与えたという点では、前者の方がはるかに重要なのに
88 :
名無し三等兵:2007/10/11(木) 12:30:09 ID:???
>>84 ありがとうございます。
書店で探してみます。
89 :
名無し三等兵:2007/10/16(火) 06:29:05 ID:???
このスレ時々ピタっと進行がとまるのな(笑)
とりあえず保守しとく
>>86 九州の大名も文化的にはかなり日本に影響を与えたけど(南蛮交易盛んだったから)
あんまり知られてないよね
教科書も鉄砲伝来とキリシタンにしか触れないし
90 :
名無し三等兵:2007/10/16(火) 18:53:38 ID:???
仏教の影響とかにも触れてないよな、せいぜい一向宗程度で。実際には下手な
大名家より寺院の方が領地も財政も技術も情報収集能力があった当時の雰囲気が
伝わらない。何故当時の人々が一向宗側についたのかが宗教的狂信だけで説明されて
るようで気の毒だ。種子島から紀州根来寺に鉄砲製造技術が迅速に伝わったのは
寺院ネットワークがあったればこそなんだけどな。
91 :
名無し三等兵:2007/10/16(火) 21:03:24 ID:???
流れをぶった切ってすまないんだけど、足軽の発展って
戦国初期〜中期:ゴロツキ、傭兵、農民兵
戦国中期〜後期:貧乏百姓の次男三男の志願者による半常備軍
江戸期:下級役人兼常備軍
って認識でいいの?
92 :
名無し三等兵:2007/10/16(火) 21:13:17 ID:???
>>86 大内家は山口でもアピールされていないような。
もったいない。
93 :
名無し三等兵:2007/10/17(水) 00:28:51 ID:???
大内はほら、日本で最初に「美しい国」言い出した大名家だから。www
94 :
名無し三等兵:2007/10/17(水) 21:22:34 ID:???
>>91 傭兵に関しては
戦国初期〜中期のその場雇いの傭兵が
中期〜後期では徐々に常時雇用の常備軍になって
(常時雇用になった時点で傭兵ではなく家臣になるけど)
江戸期で下級役人として統治機構に組み込まれていったって感じじゃないかな?
あと中〜後期の貧乏百姓(小作人とか)の次男や三男は足軽になるのは難しいと思う
足軽にも色々あるけどある程度、身元のしっかりした人で無いと
常時雇用として雇われるのは難しかっただろうから
もっと下の身分の下人や人夫としてなら可能だろうけど
足軽ってのは常時雇用になってからソコソコの身分として扱われていたし
だからこそ江戸時代では下級とはいえ武士として扱われたし統治機構に組み込まれた
常備雇用になってからは
大名が「足軽○○人雇います」みたいなおふれを領内に出す
各村や集落に通達(この時村毎に割り当て(ノルマ)があったりする事もある)
村の村長や有力者(地侍とか)が希望者に推薦状を書いて渡す
こうして雇用されるケースが多かったから
いい加減な(この時代の基準で)人物に推薦状を出すと
あとで問題があったとき、その村や有力者の責任とされる
なのであまり身分が低すぎる者には推薦状が出ない
95 :
名無し三等兵:2007/10/17(水) 21:29:50 ID:???
>>95 補足
身分が低くても臨時雇用の足軽になることは可能だった
(臨時雇用すると言うことは緊急事態だから推薦状とか言ってられない事も多々あった)
そこで働きを認められたら常時雇用になることもあった
また人夫や下人として雇用されて
働きを認められて足軽として取り立てられる事もあった
96 :
名無し三等兵:2007/10/18(木) 16:41:01 ID:???
基本はコネだね。
97 :
名無し三等兵:2007/10/18(木) 22:34:45 ID:???
>>96 だね〜結局コネに行き着く・・・
身分の低い人は偉い人とのコネなんて無いから難しいね
98 :
名無し二等兵:2007/10/19(金) 16:33:21 ID:???
おお、諸君ら、やっとるな。
若いもんの議論は血気盛んですぐに火がつくから面白い。
どんどんやりたまえ、ははは。
99 :
名無し三等兵:2007/10/19(金) 21:43:59 ID:???
↑人生終わってる中年
( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .',
>>99 | l::|二二l | ハ こ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ つ │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! め │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll .ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ
AAw
三戦板
103 :
名無し三等兵:2007/10/20(土) 18:28:32 ID:3e32ea70
>>100 ____
,: 三ニ三ミミ;、-、 \/  ̄ | --十 i 、.__/__ \ , ____|__l l ー十
xX'' `YY"゙ミ、 ∠=ー  ̄ヽ | __|. | | / ヽ / __| ,二i ̄
彡" ..______. ミ. (___ ノ. | (__i゙'' し ノ /^ヽ_ノ (__ (__
::::: ::;
,=ミ______=三ミ ji,=三ミi
i 、'ーーー|,-・ー |=|,ー・- | ,-v-、
i; ':: ::: ーー" ゙i ,ーー'j / _ノ_ノ:^)
ーi:: ::i: /`^ー゙`、_ ..i / _ノ_ノ_ノ /)
|:::. ゙"i _,,.-==-、;゙゙i / ノ ノノ//
〉::.:.. 丶 " ゙̄ .'.ノ ____ / ______ ノ
/ i, `ー-、.,____,___ノ\____(" `ー" 、 ノ
ー'/ 'i. ヽ、 ,二ニ/ \ ``ー-、 ゙ ノ
/ 'i、 /\ / > ( `ー''"ー'"
\ 'i," (__) / / \ /ノ
>>93 >大内はほら、日本で最初に「美しい国」言い出した大名家だから
具体的に何があったの?
くぐっても安倍ちゃんしか出てこなかった・・・・
>>92 山口じゃ西の京と共に大内氏ばっかですぜここ四十年ほどは。
山口自体が薄いんで余所の人の印象には無いでしょうが。
106 :
名無し三等兵:2007/10/30(火) 02:07:09 ID:2eOesm6U
戦国時代では馬鎧はどれ位普及してたんですか?
投石が広く使われてたって証拠は本当にあるの?
よく投石による負傷が多いって軍役状を出してくる人が多いけど、そもそもどうやって投石による打撲傷と金砕棒や鉄棒による打撲傷を区別してたの?
色んな板やスレで鈴木の受け売りを訳知り顔で語る奴が氾濫しててちょっとげんなり。
投石が広く行われていたのは間違いない
当時は祭りの一環として行われる事もあったり
騒ぎの時にはたびたび行われる事もあったりして
朝廷も禁止令を出したりしている(守られてないけど)
「印字打ち」で調べると良くわかる
当時は幅広く行われていたのは間違い無い
ただし、だからといって
合戦での重要度が 投石>弓>槍 だったかはかなり疑問
合戦の一要素であったことは間違い無いが
雪合戦の球に石っころ入れてたりしたんかな?
昔の人も
>>109 民間人に広まっていた=戦場でも使われた事にはならないんじゃない?
実際の話本当に投石がそんなに有効なら弓足軽も鉄砲足軽もいらないでしょ。
>>111 ははは
対費用効果のことも考えなければ
費用の点では
投石>弓>鉄砲(後期は弓と鉄砲の立場は逆転する)
十分な費用と訓練期間があるのであれば、弓や鉄砲にするがな。
弓や鉄砲の数が十分そろえられない場合は投石だわな。
三方が原の合戦では武田勢の石礫が原因で開戦したようだが
>>111 いや、投石が使われたのは間違いない
そういう資料も一杯残ってる(専門の部隊編成してる所もある)
ただ鈴木氏の言うように
投石>弓>槍だったかは微妙
投石は投石で編制として有効なものにするなら訓練が要るだろうな。
投石具使って上手く投げるには必要だよ。
>>116 バレアレス島の投石兵とか聞いた事無いか?
幼少から訓練を受けてて、スリングを使って100m離れたパンに石を当てる事が出来たらしい。
素人には無理だろ。
クレタの弓兵にバレアレスの投石兵は有名ですね。
部隊を編成するっても、大部隊だったら部隊長から経験がある人や向いている人を
差し出してもらえばどうにかなるような規模から、専任で常に訓練をしているようなところ
までいろいろでしょう。
小山田信茂の投石部隊についての一次史料は何があるの?
勝山記かな?
原文読んだわけじゃないけど
何かの本読んだときにそういう記述がある〜みたいな解説を見た気がする
村上との合戦の合戦で投石部隊で先陣を勤めたとか
父の小山田信有だけどね
小山田信茂は三方原で同じく投石部隊で活躍したみたいだけど一次資料は俺は知らない
あと上記は俺の記憶だけで書いてるから間違ってたらゴメンね
「三河物語」に、武田の郷士連中の投石から始まった、っていう記述があるらしいぜ
鉄砲伝来初期は国内で火薬の量産体制ができてなくて
大半が輸入だったって聞いたけど
輸入先ってドコ?やっぱり中国?
>>125 多分、統計的なものは出てこないと思うが、ヨーロッパが中心と思われる。
ただ、あの当時の火薬は、黒色火薬。
実際のところ木炭+硫黄+硝石を混合させることででき、
難しい製法を要するわけじゃない。
ただし、木炭と硫黄は日本でも十分な量を調達できるが、
硝石だけは日本ではほとんど産出しない。
この硝石は輸入する必要があった。
そして、特にスペインは硝石を豊富に産出する南米を植民地化している。
それゆえに、スペインとスペインから安価な硝石を買った欧州各国が、
硝石の有力な輸入元になったと考えられる。
南米は遠かろう
日本は中国やインドの硝石を買っていたんだよ。
取引相手はポルトガル商人。
中国産硝石は記録にありますね
中国経由なだけかもしれませんけど
スペイン領のマニラから購入してた
って見たことがあるけど
フィリピンで産出するのかな?
それとも南米産のがマニラ経由で輸入されたのかな?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%9D%E7%9F%B3 wikiによると硝石は
>中国内陸部や西アジア、南ヨーロッパのような乾燥地帯、
>例えばスペイン、イタリア、エジプト、アラビア半島、イラン、インドなどでは、
>土壌から析出した硝石が地表で薄い層になって産するため天然に採取されるが、
>北西ヨーロッパや東南アジア、日本のような湿潤環境下では、天然では得がたい。
>硝石とよく似た性質を持つものに、チリ硝石がある。
>チリ硝石は南米チリから大規模な鉱床が発見されて近代になって資源開発が行われ、
>ハーバー・ボッシュ法の発見以前には世界的に重要な窒素工業の原料となっていた。
だから、>126の記述は間違いがある。
スペイン自体が有力な硝石の産出地だったということ。
中国、アジア各地で産した硝石を様々な商人が、日本に売り込んだだろうということ。
南米の「チリ硝石」は近代以降の開発だということ。
なるほど
スペイン自体で産出するんですね
だからスペイン領のマニラからの輸入になるのか
シャム(タイ)やベトナムから硝石を輸入していたとは良く聞く
硝石なんて床下にションベンするだけで出来るんだよ
まぁ、当時は全国規模で流通が盛んだったしな
硝石はどこででも手に入っただろう
全国規模で流通があるってどんな戦国時代だよ
人、物、情報がかつてないほどの規模で動いたのが戦国時代
>>136 しかし、基本、人馬帆船の世界だったことも忘れないでおこう。
軍需物資の硝石を野放しに流通させるなんて、何処の馬鹿大名だよ。
猟師筒とかあるし、こないだ埼玉で横に飛んでいっちゃった花火とかは
江戸あたりから始まっているような気がする。厳しい許認可制度があったのかしら。
140 :
名無し三等兵:2007/11/10(土) 07:30:01 ID:B+323PO1
火薬の形で輸入していたと言うことはないんだろうか?
明清は、火薬製造に関しては先進国だろうし
火薬の形で、南蛮人から樽ごと買うと言うことはなかったんだろうか?
鉄砲伝来初期は銃と弾薬セットで購入してた可能性はあるけど、生産方法が
判れば量産体制はすぐに確立したと思うよ。製方はそんな難しくないから。
野放し、というわけではないけど加賀前田藩は塩硝の生産地として有名。
五箇山は貧しい土地で、塩硝で年貢を払ってた。
時代が下ると、加賀藩で買い上げてその利益から年貢を払うという方法になる。
現金収入を与えることで暮らし向きを良くしようとの算段だったらしい。
で、加賀藩は時々この塩硝を他国に売っている。
何せ毎年それなりの量の塩硝が手に入るわけで、自国では消費し切れんし。
まぁ、江戸期の話。
五箇山の煙硝生産は戦国末期にはかなり盛んだった模様。
一向一揆の強い所で教如を匿った伝承が残っている。
記録でははっきりしないが、煙硝を尾山御坊や石山本願寺に運んだという伝承は残っている。
火薬にしてからだと保存が大変だよ〜ん。湿気るんだ。
江戸期だと焔硝を他国に売らずに溜め込んでるほうが、疑いを招いてやっかいだろうな。
>>140 それもあったろうけど、火薬一樽を持ってきて売るより硝石一樽を数倍の値で売った方が
効率的だしなあ。
wikiより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%9D%E7%9F%B3 戦国時代の火器導入以降の黒色火薬の原料としての硝石を海外からの輸入に頼らざるを得なかったが、
その後、加賀藩などで人間の糞尿を草木とともに醗酵させて硝石を得る技術が開発されて、国内での需要
をまかなえるようになった。
だが
硝石生産より、はるかに技術的ハードルの高い鉄砲の生産を行っておいて、硝石の輸入はないだろ
輸入あり、国内生産ありの状況だったが、硝石生産は当時の最高軍事機密だったので文献等が残らず、
もっぱら輸入していたことにしたんだろうね
>>146 まてまて
硝石の生産のほうがハードルが高いぞ。
一般的に行われていたのは古土法と呼ばれるもので、鉄砲伝来と前後して伝わった生産法。
古い家の床下の土から抽出する方法で、この場合数十年に1度しか行えない。
したがって大量生産向きではない。
越中五箇山で行われていた方法は、培養法と呼ばれている方法で、仕込から完成まで4〜5年かかる。
しかも試行錯誤では到底開発できないほど複雑な行程を必要とする。
現在でも生化学的過程は判明しているけど、それを再現するのは難しいといわれている。
戦国大名の権力が流通を完全に統制下におけるほど強力だったか、ということもあるしね
火薬や硝石の入手については、あんまり難しく考えることもないだろう
鉄の利用、鉄器の制作については基盤があるけれど、
硝石なんて鉄砲が来てから注目されたもんだろうしなあ
昔の硝石は石油みたいなもんだから、技術あっても物質がなければどうにも
ならない。今の日本が石油を外国に頼ってるのと同じ。
>>148 塩を統制下におけるていどには強力だったよな
>>151 まぁ、そこは今川氏ならではの特殊事例だろ
あれは作り話だろ。別に今川からじゃなくても関東からでも新潟からでも
中仙道通ってからでも塩は来る。昔の甲斐の人にとって塩は貴重なもんであった
と思うけど、めちゃめちゃ貴重だったかは疑問。そもそも今川と武田は同盟してる
期間より戦争してる期間の方が長い様な関係。戦争の度に甲斐の住民が塩分不足に
なってたら武田なんかすぐ滅ぼされてただろう。
東京湾沿いには家康が行徳に作るまで塩田が無かった。
馬廻の役割に伝令とありますが、徒歩の郎党をぞろぞろ連れて駆けるの?
各騎馬武者の甲冑持ちとか小荷駄は決戦の前に後方へ下げられるという認識でよろし?
馬の口取りは乱戦の中でも主についてまわる?
塩田がなけりゃ釜炊きすればよいだけ<塩
馬廻とは大将の護衛兼伝令の役職、平時は近従として秘書や身の周りの世話をする。
知性と教養と主君への忠誠心が必要だから主君が大名だったら部下の武将の子弟がここに
付く場合が多い。よって自分の郎党も戦場に連れて行くだろうけど部下をぞろぞろ連れて
駆けると言うより部下は馬廻りである主君の為の仕事するんであって連れて駆ける訳じゃ
ないよ。小荷駄も大名家が編成する小荷駄隊と部下の武将が編成する小荷駄に分かれるが
状況によって戦場に投入したりしなかったりで明確では無いが、部隊が大きくなると役割化
が明確になっていって投入されない方向にいってる様だね。ただ後世の工兵大隊とか補給連隊
とか衛生大隊と言った明確な細分化まではされてない。
馬の口取りは主の馬を世話する係りです。戦場では替え馬を用意するので常に近くに居るって
訳では無いでしょうが複数人居るので護衛役も兼ねたのではないでしょうか。
また馬の口取りと言っても馬の調教・世話の上手い人、下手な人が出てきます。
馬の調教が上手い人なんかは武士の身分に補されたりしてます。
例えば桶狭間の合戦で、ドラマだと、今川の馬上クラスの武士は
駿河からずっと鎧兜を着て、馬にまたがり、槍を抱えて進軍しているがあれは虚像ということでok?
鎧兜は、敵地に入り、戦いが近づくまでは従者に背負わせ、
自分が使う槍を(好みで弓矢や鉄砲を扱うならそれも)従者に持たせ、
馬の世話をする口取りを従え、
主従が数日食えるだけの食料を駄馬2頭くらいに載せ従者に引かせ
主の着替えや生活用品を詰めた挟箱を従者に担がせ、
足軽を3人ほど連れて(足軽は鎧を着て槍も自分で持つ)
こんな感じで進軍してるというイメージでok?
身分の高い武将ならそれに旗持ちが付いて槍足軽・弓足軽・鉄砲足軽や小荷駄が
ぞろぞろ付いてくる。そしてそれらの部隊を指揮する武士が居るのでそういう連中は
騎乗して平時は指揮官の傍にいる場合も多いので100%間違ってる訳では無い。
だが騎乗して武装した兵士を常備配置できる程資金的に余裕があったのは大名クラス
だけだっただろう。ほとんどの武士は自分も含めて徒歩で5人位で参加する連中がほとんどだし、
陣借りって言う個人傭兵みたいのもいる。人員の多くは徒歩行軍で鉄砲の発達以降徒歩人員は
さらに増える。
小荷駄なんかは小荷駄奉行の下に集めて管理していたとも言われるが
この辺の変遷、つまり中世から近世への過程は良く解っていない
>>155 馬廻=馬に乗っている武士というわけではない。(時代や大名家によって若干の違いはあるけど)
ある大名の部隊があって、普通はいくつかの集団(備)に別れている。
大名自身が指揮する備えもあるし、重臣や支配下にある有力な家(国衆)が独自の指揮権を持っている備えもある。
で、馬廻ってのは、大名の備に属して、その仲でも大名の周辺を固める者の総称みたいなもので、自身が数百人の部下をもっていることもあれば、
馬にも乗らず部下もいない人もいる。
前者(例えば柴田勝家に付属する前の佐々成政や前田利家)は、戦闘単位として投入されるからそういう人は単独で行動しないが、
後者に近い軽輩な立場の人なら単独で伝令をやったりする。
現代風にいうと、親衛隊とか近衛隊とかってイメージかと。
ペーペーの親衛隊兵士もいれば、将軍クラスもいるってことです。
小姓=従士
馬廻=親衛隊
ってことさ
戦国時代はローマ帝国に似ている
>>164 なかなか面白そうな話だ
で、具体的にはどの辺が?
>>164 確かに・・・
両者ともあふれる国力がありながら、結局は自然国境線の範囲内にとどまったからな
トラヤヌスや秀吉という例外はあるにせよ
ただ、ローマ帝国が富をひたすら奢侈と消費に費やしたのに対し、
日本は富を国内開発に費やしたのが大きな違いかな
>>結局は自然国境線の範囲内にとどまったからな
ガリア、ブリタンニア、小アジア、シリア、メソポタミアが自然国境線と申したか。
>>167 複数の民族と宗教と文化を抱え、日本の何倍もの地域を数百年以上統治して
現在の国家と同じ発想のインフラを帝国全域に敷いたローマ人が聞いたら自殺
しそうなコメントだな。
>>167 変なこと書くから、ローマ信者が現れたじゃないか。
>>167 このスレにはローマ馬鹿が居ついているようなので、要注意
>>167 どこがどう似てるんだよ……
ローマが群雄割拠の内戦してたか?
ローマの歴史で内戦なんて何回も起こっているが?
反乱を含めると記録にあるだけで何十回だ
>>173 日本の戦国時代のように、中央政府に事実上権限が無く、地方領主が好き放題できたのかと
日本の戦国大名は地方領主ではなく、事実上一つ一つの国の王。
てか、ローマの話はもういいよ…。
中世のアラブが近いんじゃないのか。
名目上のカリフがいるけど、各地で勝手に勢力築いて争っている。
中世アラブはカリフが3人存在するようになるぞ・・・
そこを元に争ってる感じだから戦国時代ってよりも承久の乱とか南北朝時代に近いのかも
>>158 遅レスだけど
従者や下人をソレだけの数用意出来る武士なら
足軽はもう一寸用意出来るんじゃ?
でそれだけの人数用意出来る武士なら
部下の中に一人ぐらい武士身分で騎乗してる者もいるんじゃないかな
部下の戦闘員(士分・足軽)と非戦闘員(従者や下人)の割合ってどんな感じだったのかな?
とりあえず保守
チョンの場合、良い評判の場合は疑え
悪い評判の方を注意深く検査だ
>>180 慶安2年の徳川家の軍役では200石(騎乗が許される)では
侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人
の計5人
費用面で考えると
常雇の場合
中間の年収は三両一人扶持
足軽の年収は三十俵二人扶持
上の例だと中間4人で12両と4人扶持(36石)
馬に乗れる武士は200石取りからだから・・・
四公六民ならば収入は80石。
中間が4人いると費用だけで約48石かかる。
馬は乗馬とその代馬、小荷駄の3頭。
費用面で考えると、これだけで破産しかねない。
江戸期には中間を臨時雇いしてた理由がわかるねぇ
足軽がつけられるのは500石から
侍2人 甲冑持1人 立弓持1人 鑓持1人 草履取1人 挟箱持1人
馬口取1人 小荷駄2人
侍二人に馬口取1人だから一人は徒武者であることがわかる。
>>180 >>183 では戦国時代の例を。
後北条氏の御馬廻衆岡本政秀(小田原城の行事奉行を務める中級の侍)ってひとの軍役(学研の戦略戦術事典より)
元亀2年(1571年)所領60貫文(江戸時代だと400石ほどか)
騎馬(1)15貫文の身分
歩侍(4)5貫文x4 名字を持つ
足軽(10)2.5貫文x10 大旗持 指物持 鑓持x5 歩者x3
※足軽は装備によって身分が異なり、同じ後北条氏の2年前の伊豆の清水新七郎(2174貫:約1万5千石相当)は20人の鉄砲足軽を持ち、
一人あたり5貫文支給している。
>>183 その慶安2年の軍役規定には、本人は含まれていないのではないのですか?
つまり
『200石 5人 侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人』
の「侍」とは旗本本人のことではなく家来のことではないですかね?
本人+その5種類の中から好きな組み合わせ4人を連れてこいと。
なぜなら
『250石 6人 同上』
とあり、本人+その5人=6人で計算が合う。
「侍」が旗本本人のことを指していては辻褄が合わない。
ちなみに
『500石 11人 侍2人 甲冑持1人 立弓持1人 鑓持1人 草履取1人 挟箱持1人 馬口取1人 小荷駄2人』
で、本人+上記10人=11人
やはり「侍2人」のうちの1人が旗本本人のことを指していては辻褄が合わない。
>>183 1両=1石
1人扶持=1.8石
1石=2.5俵として
三両一人扶持は4.8石じゃね?(計算式3+1.8)
三十俵二人扶持は15.6石じゃね?(計算式12+3.6)
>>187 知行取りの1石は、蔵米取りの1俵とほぼ一緒だぞ。
知行取りの場合、1石はあくまでその領地の生産高で、全部が領主の収入になるわけじゃない。
年貢を10割取るわけにはいかないんだから。
一方、蔵米取りの場合、全部が自分の収入になる。
>>188 知ってる
だから聞いてる
>>183の
>上の例だと中間4人で12両と4人扶持(36石)
なぜに36石?
つーか高200石の旗本が三十俵二人扶持の足軽を召抱えるというのも変じゃね?
三十俵二人扶持なら1万石の藩で中の上クラス
>>189 あー、確かに知行200石で30俵取りの家来がいるって、凄い負担だな……
1石は2.5俵(但し、明治期の基準)。後、知行高は生産高ではなく、年貢高との説もあり
米で考えるからあれだけど
貰った米売って雑穀買ってたとか考えれば食えないことは無いんじゃない?
(収入が多少、少なくても)
ということであまり身分の高くない侍に
雇われている中間や足軽は
大身の侍に雇われている中間や足軽より
収入が少なかったとかそう言うこともあったのかな?
どうなんだろうね
今でも同じ派遣社員や平社員でも
企業によって待遇は違うしね
○○家の足軽は待遇が良いとか
××家は基本の禄は少ないが良い屋敷に住まわせて貰えるとか
△△家はダメだまともな待遇してもらえない
とかあったんだろうか?
中間以下は、家賃・食費いらない(住み込みで食事付き)じゃなかったかな。
衣食込みだけど、基本給低いから家族持つのが至難。
江戸時代の江戸では渡り中間がいたり、田沼意次家は用人・中間といった下級家来の厚遇で
定評とかあるから、主家によってかなり差はあったろうね。
名目給金ってより、内職の可否やそれに回せる自由時間の多寡、あるいは心付けとその分配
システムあたりで決まってそう。老中の中間頭なんていったら下手な士分より実収入あるだろうし、
無役主家でも中間一人しかいなくて心付け独占できるなら‥とかね
江戸時代の中間は、派遣だったと聞いたが
戦国時代では、武士個人(またはその家)に従属していたが、
合戦がなくなると必要なときに必要な人(若者10人とか○○に詳しい人とか)
を派遣してもらっていたらしい。
198 :
名無的発言者:2007/12/30(日) 10:39:38 ID:pFG7FaN6
普通 武士=刀 というか戦国時代のいくさでは刀がよく使われたと思われが
ちだが実際はほとんど使われなかった。なぜかと言うと戦国武将はみな鎧カブ
トで身を固めているから刀で切っても切れない。そしていったん切ると刀に血
のりや油がついて切れなくなる。むしろ切るより突くほうが役に立つのだがど
うせ突くなら槍のほうがいい。実際戦国の武器は圧倒的に槍それも長槍を使っ
た集団戦法だった。実際、加藤清正なども『自分はいくさいくさでいそがしく
刀の使い方など覚える暇がなかった』と言っている。ではなぜ刀を帯びている
のかと言うとこれはいくさ用というより護身用だ。槍はいくさの役に立つだろ
うが持ち運びに不便だ。なんせ長いのになると3メートルはある。ちょっと出
かける時に持っていくわけにもいかない。でも丸腰では不安だ。なんせ戦国、
治安が悪いし武士は警察の役割も兼ねている。そこで刀だ。鎧カブトに身を固
めた武将は切れなくても、裸身のチンピラや野盗なら相手にできる。これは軍
隊はライフルでたたかうが警察はピストルでたたかうのと同じ。銃社会アメリ
カでも護身用にピストルを持ち歩く人はいてもライフルを持ち歩く人はいない
…なんでそんな変な改行してんの?
200 :
名無的発言者:2007/12/30(日) 10:45:35 ID:pFG7FaN6
長い文章の時はこの方が読みやすいと思っていつもそうしてるんだが・・・・
近所の小学生に教えてやれば?
そこまで気を使うなら、普通に段落をいくつかに分けたほうがよっぽど読みやすいだろう。
>>200 正直、凄く読みにくい。
改行は段落の切れ目ごとに入れてくれ。
>>200 単語の途中で区切ると据わりが悪いよ
普通 武士=刀 というか戦国時代のいくさでは刀がよく使われたと思われがちだが
実際はほとんど使われなかった。
なぜかと言うと戦国武将はみな鎧カブトで身を固めているから刀で切っても切れない。
そしていったん切ると刀に血のりや油がついて切れなくなる。むしろ切るより突くほうが役に立つのだが
どうせ突くなら槍のほうがいい。実際戦国の武器は圧倒的に槍それも長槍を使った集団戦法だった。
せめてこれくらいのほうが・・・
上まあ斬る・突く以外に殴打するという使い方もあるだろうか
ケータイなんだろ
>どうせ突くなら槍のほうがいい。実際戦国の武器は圧倒的に槍それも長槍を使った集団戦法だった。
本当にそうなの?
例えば、戦国時代の一隊の装備って、槍が何本、刀が何振り、みたいに決まってたわけ?
>>208 ちょっと前のレスくらい読もうね。
普通は、何石あたり槍を何本、鉄砲を何丁とかいうように各大名家で基準を決めている。
じゃないと、計算していた兵力が揃わなかったり、偏った編成になると運用面で困るでしょ。
良スレ保守的あげ
鈴木眞哉みたいなクズの書いたもの真に受けちゃってる奴っているもんなんだなw
鈴木眞哉って雑賀孫一の子孫なの?
孫一の子孫かどうかは知らないけど、その系統の子孫を自称しているらしい。
雑賀の系統なら半島にもw
鈴木眞哉ってなんで習熟の困難な刀より槍のが使いやすいから普及したみたいな思い込みしたんだろう…?
統率の取れた集団戦法が主流なら、結局その訓練の習熟に時間かかるから棍棒として使える刀剣を即席兵士に
使わせたほうが遥かに簡単に仕上がるって古代の戦争からの常識であるはずなのに。
>>215 ん?すまんちょっとわからんのだが「集団戦法」という独立した何かがあるのじゃなくて、
「○○という武器を使った集団戦法」があるわけだよね。
とすると、「槍を使った集団戦法」と「刀剣を使った集団戦法」のどちらがコストパフォーマンスが高いか
という話になるのではないだろうか?
単純に製造コストの問題があるような
当時の鉄は貴重品
>>215 >習熟の困難な刀より槍のが使いやすいから普及したみたいな
× 結局その訓練の習熟に時間かかるから棍棒として使える刀剣を即席兵士に使わせたほうが遥かに簡単に仕上がるって
○ 結局その訓練の習熟に時間かかるから棍棒として使える”長柄槍”を即席兵士に使わせたほうが(刀や手槍を覚えさせるより)遥かに簡単に仕上がる
ってことじゃないの?
藤堂高虎が、槍の穂先が揃っている相手(長柄足軽)は怖くないけど、長さがばらばらの相手(手槍を持った熟練した武士)には気をつけろっていってたように
刀や手槍のような武器に習熟したほうが戦力としては上ってことはあるかもしれないけど、足軽にそういう教育をする時間も人手もお金もないっつーことなのでは?
槍足軽の長槍と武士の手槍は名前と形がほぼ同じと言うだけで、全く別の武器兵器って事なんだな。
>>216>>217 その一方で質の良くない量産品の刀も大量に製造されてますし
予備の刀を数本携行して戦うのも当時の普通とされてます。
槍は槍で高価なものは並みの刀よりはるかに高価です。
刀の基準は高価な一品もので槍の基準は量産品っていうのも判断比較が偏ってると思います。
>>218 長柄槍は棍棒として使えませんが…
集団戦法で槍ふすまのように長い槍を一斉に打ち下ろすから有効なのであって
あれを振り回して戦ったら密集状態では邪魔で動きがとれず、個人戦でめいめい
ばらばらに散会して範囲を広く取らないといけません。
あと槍足軽は集団戦法の特性ゆえの弱点、攻略法がありますが
熟練の侍はそれと同じようには行かないし、戦う状況と相性の問題でしょう。
長柄槍はパイクと同じで敵を止めるもんかなーと思っているけど
足軽が足止めして崩し、職業武士が突入
突入は対応時間を与えないくらい早ければいい
地形による隠蔽がしやすいなら、騎馬の必要は薄い
>>215 は書き方が悪かったようですね。
槍による集団戦法が主流だというのなら、その槍の集団戦法を習熟させるのに
結局時間と手間がかかってしまうので、槍のほうが即席兵士に刀を使わせるより
普及に成功したいうのは間違いあるいは安易な発想であるはず、という趣旨のつもりでした。
>>221 なんとなくラグビーやアメフトみたいなもんですね
敵との距離が遠いほど訓練は少なくてすむ。
距離が近いほど敵の動きに臨機応変に対応しないといけない。
重箱の隅になっちまうがそれだと弓はどうするんだ
>>222 でも、使ってる香具師(その辺で拾った農民)のメンタル面まで考えれば、アウトレンジできる長槍に利を感じない?
短い槍に比べれば重い取り回しが悪いと悪い面も少なからずあるけどね。
逆に、そういうリーチの差を埋める技術と度胸の付いてるプロ戦士は怖いぞっと。
>>226 適度な長さだったらそれでもよいけど3m以上の槍はかえって使いにくいと思うぞ…
筋力が必要だし振り回そうとすると慣性と反作用で自分が振り回される。
個人が使うちょうどいい限度は2m50cmまでなような。
>>216 >長柄槍は棍棒として使えませんが…
>集団戦法で槍ふすまのように長い槍を一斉に打ち下ろすから有効なのであって
あー、棍棒としての使い方=剣術とか現代の警棒術みたいな認識ですかね?
だから、刀や通常の槍(リーチの短い武器)を戦場で一人前に使うには、十分に時間とコストを掛けて育てないと使い物にならないってことでしょ。
長柄槍は、戦闘する距離を長くすることで、操作を単純(集団での槍衾や打ちおろし)にしても戦力になるという点がメリット(教育期間が短くてすむ)ってことだと思うんだけど。
大勢の足軽に持たせる分にはメリットがデメリット(取り回しが難しく、一対一や懐にこられたら不利)を上回るというのが、当時の評価であり、
だからこそ普及したのでは。
弓と鉄砲でも同じなのではないでしょうか。
正確な数字は覚えてないけど、軍勢の中の鉄砲普及前の弓の割合と、鉄砲普及後(特に大坂の陣とか)の鉄砲(と補助としての弓の合計)の割合を考えると、
後者のほうが多かったと思う。
戦力として計算できるレベルの弓術を大勢に教えるのは無理だけど、射手の技量に頼ることが少ない鉄砲なら大量育成が可能になった。
単純に弓矢・鉄砲と弾のコストではなく、教育コストと時間が大事だったのでは。
うまい例えなのかわからないけど、野球でショートやセカンドがダブルプレイとか複雑な判断な動きが必要なので守備面重視、
外野やファーストは比較的単純なので守備が下手なホームランバッターが守るのが多い。
ホームランバッターで守備の達人を揃えられないから適材適所に配分することで妥協する。
刀持ちは、鉄砲、弓、槍、刀に対処する訓練をしないと戦力にならない。
鉄砲持ちは、槍、刀に対処する訓練を省いても戦力になる。
>>228 単純に弓矢より鉄砲の方が殺傷力が高いで説明つく。誰だって危険な所には
行きたくない。とくに戦国時代は現在の様な強力な国家機構も組織もない。相手
が自分達より強力となれば裏切ったり逃げたりしても当然とみなされる時代。
>誰だって危険な所には行きたくない。
こういう引き篭り思考の人が歴史を語るからおかしくなる。
>>231 兵隊の頭数そろえるには、引き篭もりも集めないといけないよ?
引き篭りが食っていけた時代だったのかw
それは知らなかった、失礼いたしたw
>>232 いや、言い方が悪かったね。
「誰だって危険な所には行きたくない」は「誰だって危険な所に行きたい」
と同じくらい間違いじゃないのかな、と。
1か0かで語るなら、それも正しいだろうな。
>長柄槍は、戦闘する距離を長くすることで、操作を単純(集団での槍衾や打ちおろし)にしても戦力になるという点がメリット(教育期間が短くてすむ)ってことだと思うんだけど。
実際にはその「集団戦法で戦う兵士たち」を戦力として見れるまで訓練するのに時間がかかるから、鈴木信者たちが思うほどには簡単でもない。
そして簡易な戦力化という点では全員が息を合わせて行動する訓練するより個人個人で棍棒振り回す方が習得が早いという。
それらを個人単位にせよ、部隊単位にせよ、「熟練」レベルにまで訓練させるのではどちらもかなり時間がかかる。
現代の歩兵でも同じ。 小銃もって一人で撃って走ってができるようになるのは簡単だが、班ごと部隊ごとに連携取れるようになるのは大変。
敵も味方も同様に個人ごとにバラバラに戦ってる状態なら個人の技量で上手い奴が一人いればそれだけで優勢にもなるが、
集団で戦うことを考えたら「(相手集団より)集団として強く」なってなくちゃいけないし、強い集団は強い個人も圧倒する。
反対に弱い集団では強い個人ごときに崩されてバラバラになり「弱い個人」に離散してしまう。
槍が強いわけでも槍の習得が早かったから強いわけでもない。
刀で槍に挑んでも刀集団の「集団の強さ」が槍を上回ってれば勝つし、単に槍集団が弱くてもやはり勝つ。
槍にアドバンテージがあるとするなら集団で戦うときに単純動作ならば個人ごとの必要なスペースを取らないので密集させやすい、
現代火器で例えるなら火力が集中させやすいという類の利点のみ。
鈴木氏と信者はこの辺を大きく誤解している。
>誰だって危険な所には行きたくない
危険だってちゃんと認識できてるなら行かないが、認識できてない馬鹿が戦争中の国に観光に行ったり平和を訴えに行く。
危険だと認識した上で、行かなきゃならない必要があって行く人はそういう仕事の人だけだしね。
>引き篭りが食っていけた時代だったのかw
どんな時代でも一定数の引きこもりがいるという。
まあ引きこもり辞めて有名な軍師やら参謀やらになった人はあまり例えとして適切ではないが。
ついでに言うと、集団として強ければ個人個人の武器の使い方が下手糞でも全然関係ない。
集団として戦うことにのみ強ければ、技量も才能も全く無視できる。
槍の集団戦法がそれを最も如実に証明している。
故に、「集団で戦うことに向いている武器」としての槍の価値がある。
もっとも、本当に集団で戦うことに優れた集団ならば武器が槍でなくても常に強くあれるのだが…
長柄槍は撓るんよ
なので、正確な刺突はどうやっても無理
集団で槍衾+打撃での敵の拘束&突撃衝撃を受け止めるのが主たる仕事
239 :
228:2008/01/31(木) 21:07:22 ID:???
>>236 お前さんの意見はわかった。
俺は鈴木信者ではないと、自分では思っているけどね。
ちゃんと読んだことないし。(紹介してあるのは読んだ)
書いた意見は自分の考えです。
で、あなたは何で戦国時代になって長柄槍というものが発達して、全国へ普及したと考えるのですか?
刀のほうが有効であれば戦場で証明されて、長柄槍は普及しなかったのではないの?
別に長柄槍を使用することは武家の伝統でも法律で強制されるわけでもないのだから、実力が伴わないと普及しないでしょう?
足軽兵卒ではない、武士の主武器も刀→長刀→槍と変化してるし、俗に槍三倍段とか言われるように
単純に個人用兵器としての強さでも槍が上だろ。
それと刀で隊伍組んで集団戦するなら、必然的に槍同様に突く・振り下ろすしかないし、
それならよりリーチの長い方が有利
振り回す云々は、鎌倉あたりまでの個人〜小集団の寄せ集めによる戦でしかないだろふ
>もっとも、本当に集団で戦うことに優れた集団ならば武器が槍でなくても常に強くあれるのだが…
海外でもパイク兵やハルバード兵がいたのにはわけがあるとおもわね?
誰も刀のほうが有効だなんてそんな話はしていない件。
鈴木信者が「槍は習得が簡単だから強いor普及した」と言っているのは勘違いというか
槍の強さの説明の順序が逆だということ。
ついでに言うなら槍だから強いという類の認識も間違い。
集団戦で持って、なおかつその武器の特性を生かすように戦うから強い。
むろんのこと特性が生かせなければ強さは半減する。(集団戦でも個人戦でもどちらにも言えるが…)
刀や槍は集団戦術の習得が難しすぎる と言い換えても良いわけで
長柄槍は攻勢には向かないけど、集団で突撃衝撃を受け止めるのには非常に向いている
訓練も装備費用も少なくて済むので、足軽で十分
まあ相手の槍足軽隊とバシバシ殴りあうのを「一斉に振り下ろすだけの訓練」して戦力化した
程度の兵士がしっかり耐えてくれて隊列乱さず逃げ腰にもならずちゃんと戦ってくれるのを期待するのは勝手だよな。
比較問題としてなら「槍の達人」を何十人も用意するよりは時間もコストもかからないだろうけど
戦力化するのにはそれに見合う時間とコストはかかるわけで、槍は育成が早く済むというのはあまり正しくない。
というか結局農民を訓練した程度の兵士じゃ非効率だし効果も望めないから
織田信長とかは兵農分離を進めたわけで…
>>240 槍はリーチの長さ等もあるし単純動作で十分な威力を得ることはできるので
刀剣よりも習得がたやすいと思われているが、実際は間違いというか誤解。
慣れてなくても50の性能まで発揮できるというだけ。(刀剣は同程度の修練で20ぐらいとして)
そこから100の性能まで習得するには刀剣の習得よりも困難。
ちょっと訓練すれば誰でも平均的な威力を持てるというのは利点だが、それ以上を目指すのが難しい。
即席兵士と十分に訓練された兵士、同じくらい数がいれば訓練されたほうが100の力を発揮できるんで勝つ。
そもそもなんで槍足軽が登場したかって言うと、槍が凄かったからではない。
(槍に限らず長柄武器は戦国以前から存在してる)
兵士の量産のしやすさ(質は無視した場合)、というか職業軍人が足らないゆえの間に合わせなんだね…これが。
今のはなしって
「俺様の軍隊は100の訓練を施した刀部隊だ強ぞ」
といってオナニーしている人がいるってこと?
槍が強いから槍足軽が誕生したという安易な話ではないということです。
訓練できる十分な時間が取れるんだったらしっかり訓練された職業軍人の方が良いのは
近世から現代に至るまでも一定の常識なわけで…
ただ職業軍人最高!→徴兵即席兵士で数の戦いだ!→やっぱ職業軍人でないとむりぽ→手が足りねーよ即席でもやっぱ兵士を
のサイクルは人類の歴史上何度も繰り返されてきたことだけどな
というか中世期は個人技量の訓練重視から集団戦闘の訓練重視に変遷していったのであって
訓練が簡単で済む兵士や武器が重視されたのではないと思うのだが
鉄砲にしたってそりゃあ弓と違って威力や射程に使用者の筋力などは鍛える必要でない(よほど貧弱でなければ)
とはいえ、鉄砲を扱うことそのものの習熟や技量、個人レベルでは才能も必要だし
今の歩兵だってフル装備なら昔の兵士が着てた甲冑と同じ重量を身に着けて走り回らなきゃいけないわけだし
訓練に傾ける方向性が変わっただけで結局兵士には高度な訓練が必要なことは変わりがないだろ。
>247
その訓練された兵士であるはずの中〜上級武士の白兵用主武器も刀→薙刀→槍になったのは
何故だと思ってるの?決闘で槍vs刀が卑怯
下級兵と違って武器自弁で形態に制約がある訳でもない武士がこぞって槍を選ぶ理由をさ
もしかして武蔵vs宝蔵院みたいなのを想像して刀より難しいとか言ってるん?
衝撃戦力として運用されたから<職業武士が槍装備
赤備やら母衣集やら精鋭部隊は予備戦力として拘置されて、敵が崩れたときに投入されている
そのためには刀より手槍の方が良い
>>252 そもそも武士の場合の刀は馬上用の白兵戦武器ですが。(刀・片刃刀剣を騎兵の主武器にしてる文明圏の共通)
徒歩で戦うときの大太刀は長さで手槍に対抗できるものの扱いが難しすぎて廃れるか長巻に変化しちゃったし。
仕様用途や条件の違うものを比べて、「刀から槍に変化していった」って勝手に言われても…
西洋の重騎兵も一回のランスチャージしたら大抵槍は脱落しちゃうんで剣で戦うわけだしね。
あまり関係ない話だけど、日本では古代使われてた「矛」は西洋の槍とおなじく
柄に被せて固定する方式だけど、後世登場したときの「槍」は日本刀や長巻、長刀と
同じで柄の中に芯を入れて固定する方式(一部例外あり)で、「矛」や西洋槍のような系統とは
全く違う、あるいは一回断絶して別に誕生したものって説がある。
(槍はいつどこでどんな風に登場したのか含め文献が少ないので発展の系譜が全く不明
最初に出てくる原型らしきもの、「矢利」が地方騒乱で使用されてるので地方で普及してるくらい
ならもっと以前に誕生したはずという話もある)
構造の特徴だけ見てみれば、大太刀が長巻に変化してそこから「槍」に変化したとも見れる、
槍は刀の系統から発展した武器と見ることもできるわけだ。(推測に過ぎないが)
ちなみに長巻と長刀も形態は似てるけど全然別の武器。
長刀は槍の変形と見ることもできる。(逆もだが)
>>252 >もしかして武蔵vs宝蔵院みたいなのを想像して刀より難しいとか言ってるん?
実際槍や長刀は剣道習うより厳しいけどな、戦えば有利だけど。
地味に重量あるから振ったり突いたり払ったりするのに筋力が必要だし。
議論がかみ合ってないのは、
足軽に長柄を持たせる(そこそこのコスト・期間でそこそこの戦力を多数揃える)と、
猛訓練して刀・手槍を持たせる(コスト・期間をかけて、少数精鋭部隊をつくる) を比較して
後者が1対1なら強い、だから鈴木説は間違っているって発言したやつの前提がおかしいだけ。
警官とSATが突入訓練したらSATが強いとか、戦車と歩兵では戦車が強いからドイツ軍を全部装甲師団にしたらWW2はドイツの圧勝だったって
言っているのと同レベルじゃね?
>後者が1対1なら強い、だから鈴木説は間違っているって発言したやつの前提がおかしいだけ。
別にそんなことは言ってないしそこまでの事も言ってない。
鈴木説は槍が有利というのはおおまかに合ってるが何故槍が強かったかの理由の順序が間違ってると思うが。
というか槍は槍の特性を生かして戦えば強いが特性生かせなければただ長くて邪魔な刃物つきの棒。
刀も特性が生かせなければ単に刃がついた金属の棒。
集団戦術というのは武器、つまり道具の特性を生かせるように戦うから強いのであって
槍でなければ集団戦術ができないというわけではないし、
鈴木説がいうような「槍が刀より長くて有利だから」という短絡な理由で槍が使われたわけでもない。
ついでに「槍なら簡易に即席戦力が作れる」というのも間違い。
集団戦で戦うために槍足軽を育成するなら集団戦をするための習熟が必要になるわけで
槍なら集団戦の習熟が早くなるとか槍なら未熟でも戦力化できるというわけではない。
「集団戦を習得させるために結局は”槍の集団戦の訓練”にコストと手間がかかる訓練に傾ける方向性が変わるだけ」
それでも単純比較では個人戦での武器の習熟より早いだろうが、それをもって槍は習得が簡単で素人向きというのはただのこじつけ。
まー仮に槍の習得が簡単だったり振り下ろしだけ憶えさせて戦力化したとみなしても
それは結局個人個人の要素であって集団で統率とれた行動ができるかどうかの訓練をされたわけじゃないからな
そういや武道板の連中が時々刀と槍を道場みたいな場所が広く取れて
床がまっ平らな場所で正面から向かい合わせて対戦させてみた、みたいな
実験やってるけどそれは「カブト虫とクワガタ虫を喧嘩させてみたらどうなるか」
みたいなものであって、その実験自体になんの意味も無いんだよな。
軍事兵器的に例えて言うなら90式戦車とM1A2エイブラムスを正面からお互いゼロ距離射撃させてみた、みたいな。
駆け足とか歩調とか号令に従う訓練と、度胸を付けさせる訓練が一番大事ってことだな。
>262
道場剣法とかスポーツ剣道ではなく、武術/武道としては意味があるんだよ
固まって戦う槍足軽の長柄と、散開して戦う侍のもつ槍は違うのは、そら当然だな
現に名前も違うし
戦中に竹やりの訓練をしたけど包丁では訓練しなかった。
↓
長いほうが有利なのでは?
明や清では結局、日本刀(倭刀)を自軍に取り入れちゃったけどね。
>>266 その時代はもはや長いのが有利とかいう話ではない
>>260 集団戦の訓練するほうが、散兵戦の訓練して使えるレベルにするより簡単ってのは判ってるの?
例えば、隊長の合図で槍を打ちましょう、皆に合わせて前進・後退しましょうってレベルのことだぞ。
行進の練習なんて幼稚園児でもやれること。
そして刀(振り回す武器)だと隣を傷つけないように個々の兵士が判断能力を持たなくてはならないし、密集したり、隊列組んで統一された動きをするのは難しい。
ナポレオンあたりまで、弾が飛んでくる中でも隊列組んで馬鹿正直に突撃するのは、散開したら統制がとれず逃げ出す連中が出たりして戦力にならないから、
個々が勝手に判断して動かないようにするため。
貴族や武士やアメリカ独立戦争の民兵みたいに特別な理由があって士気が高ければ別だけど、
金で集めたり徴兵で借り集めたような人間(日本の足軽もそうだろう)は、
>例えば、隊長の合図で槍を打ちましょう、皆に合わせて前進・後退しましょうってレベルのことだぞ。
>行進の練習なんて幼稚園児でもやれること。
実はこれも中々出来ることではない。
現在の我々には簡単な事のように思えるが、それは幼少時からそのように訓練されているから。
明治に森有礼が軍隊式の体操を小学校に盛り込んだのもこの理由。
行進や集団行動できない奴に散兵による集団戦を期待するのは端から無理ぽ
つーか農村は自分達で建築土木等もやるから集団での作業には慣れてるし、
戦国期の農村は動員用に訓練をした人員と武具抱えてる、半分野武士とか
屯田兵の集団みたいなもんだぞ。
動員かけられて出てくるがド素人、なんてのは大河だけだ
農村における集団での作業と、軍隊における部隊行動のそれとは、また別の話だけどね。
集団で行動したことあるか、無いかって結構ちがう。
手を上げる動作の命令ひとつするのにも、言葉の統一からしないといけない。
そこまで訓練された軍隊がいたかは疑問。その種の軍隊を維持するには恒久的
給与支払いが必要だがヨーロッパでそれが出来た国はオランダ位。オスマントルコ
とか明なら出来ただろうけど現在の県位の領土しか持っていなくて中間権力の土豪・寺
とかがひしめきあってる戦国大名にそんな経済力があったとは思えない。
単純に弓・刀の方より槍・鉄砲の方が殺傷力が高かったり安価に揃えられて集団戦に
向いてたってだけだと思う。
だろうけど 思えない。 だけだと思う。
鉄砲安いかなぁ?
>>275 近世だと弓・鉄砲足軽は常雇い、槍足軽は臨時雇い
八王子千人同心が一番待遇が良いかと、そういう連中がどの程度の練度
を有すかは確かに難しい
個人としては田植えの一列に並んで苗植えが基礎にならんかなとは思うん
だけど
鉄砲も銃弾・火薬代も安くなかったと思われる。ナポレオンがモスクワ戦役で
戦役全体に携行使用されると見積もられた最大弾薬数は一人300発だった。
普墺戦争で使用された弾薬は全体で140万発、兵士一人ではたった7発に過ぎない。
ライフル銃が普及した普仏戦争の頃でさえ普側が使用した銃弾は兵士一人あたり56発だった。
仮に千人の兵士に毎日10発ずつ撃たせて訓練したとするとそれだけで1年間で365万発
にもなってしまう。それだけの経済力を織田とか豊臣とか徳川とかはともかく他の
大名が持っていたのだろうか?それでもそんな大名達が争って鉄砲を求めたのは
やはり鉄砲は他の武器には無い殺傷力があったのではないだろうか。
金の精錬のために鉛を精錬はしていたんだけど、弾丸の需要が賄えたかどうかは不明
戦国期の生産状況の資料ってあるんだろうか(江戸初期ならあるけど)
西南戦争時でも弾の不足で現場鋳造してるね
矢や弾は再利用できるけど火薬は再利用できないからね。西南戦争で有名な
田原坂で1日に使用された最大弾薬数は21万発、薬莢で埋まった壕や一人で
1000発撃った兵士もいたらしいけどおかげで政府は当時の年収を超える出費
を払う事になった。
>>255 何を言いたいのかさっぱりわからんが、槍も矛も同じ武器だよ。
ただ時代により言葉が違うだけ。
方式なんて混在しててはっきりした区別などない。
さらに言えば日本書紀によれば天武天皇は槍の名人だったそうだ。
>>282 矛と槍は使用法が同じ(刺す・突く)だけど構造の違いから、単純に矛から槍が生まれたってわけじゃないってことだろ。
種子島に伝来した鉄砲と江戸時代に作られた鉄砲との間に構造の違いがあり、そこから同時期に日本の各地に違う形式の鉄砲が伝来していて、
種子島銃の系統の技術は江戸時代に継承されなかったという説と同じようなことを言っているんだと思う。
>>275 明の軍隊は軍閥の私兵が基本。
(ヘタレで有名な宋以外のシナ皇朝は大体そんなもん。)
オスマン朝もイェニチェリ以外は豪族の軍隊が基本。
貴君の脳内にあるものは、おそらく近代国家の誕生を待たねば存在しなかったかと。
>>284 俺の頭でなく上のスレ書いてる奴にいってくれ。うんな事は知ってる。
>>275 織田信長なんかの代表的な例があるが?
>>282>>283 日本や中国では槍と矛は明確に区別する。
その他の地域ではそうではない。
固定方式の区分だと袋槍など一部は矛と共通点が見られるが
穂先形状の区分ではやや幅広なものを矛、先細りでより刺突に向いた形状のものを槍という。
ついで
>さらに言えば日本書紀によれば天武天皇は槍の名人だったそうだ。
それは「鑓」を後世の槍と混同したか「槍」の字体に変えてしまったのだと思われ。
>>287 織田信長が兵農分離を進めたのって、ちゃんとした証拠あるの?
国人領主層を在地から切り離して城下に集住させたというのとは違うよ。(これは信長よりずっと前の時代に、朝倉や武田もやっている)
例えば、農閑期に100人、農繁期には60人(農作業に40人必要)な領主がいたとして、
兵農分離を進めても農作業の人手はいるわけだから、常時60人動員することしか出来ないと思うのだが。
その60人を信長の城下に集めておけば最初の動員は素早く行えるだろうけど、それ以外のメリットがよく判らん。
臨時雇用を常時雇用にして士気と錬度を上げるとか?
>>289 というより半士半農がどのレベルからなのかもよく解っていないのが現状。
騎乗武士か徒歩侍かそれらの陪臣かもしくは武家奉公人か
時代ごと、地域ごとに異なると思うので比較は難しいだろうが、表層だけで
語ってる現状もいただけないかと
足元に限定して草鞋の消耗と生産についても江戸時代のデータしかないしな
上杉の冬季侵攻では雪草鞋が必要だったはずだが、その生産や消費についてのデータも推測でしかない
そこいらは自前なんじゃないの、いちいち衣類はこれこれ雪草鞋はこれこれ
やるより金やるから自分でなんとかしろってやった方が合理的だと思う。最悪、
刈田狼藉なんて当たり前の当時だから略奪と一緒に持って来いで終わりだと思う。
軍税とか軍票で支払するのはヨーロッパでは30年戦争以降、日本ではやっと
幕末期、酷寒で兵士の多くが凍傷を負ったって記録も無いしそこいら辺は上手く
やったと思う。
信長が堺に矢銭を要求している記録が有るから、軍税徴収も織豊期には既に有ったと言える。
矢銭は支配地域にかけられる物で占領地域に地域に一時的にかけられる
税・物品徴収とは事なる。堺の件にしても足利義昭が管領にしてやるっと言う
のを断ってだったら堺等に徴収権くれって話。日本の場合なら兵糧を提供した
ら何年間年貢を免除するとか荷駄を手伝ったら自治権を保障するみたいな
安堵状が代わりになるかとも思うけど、そういうのは戦う前に寝返った連中とか
戦争が終わって自国領土が確定してから行われてる。ヨーロッパみたいな慣習は
なかったのかな。
>ヨーロッパみたいな慣習
って負けた方の都市から略奪すること?
乱取りって言って結構やってたみたいだよ
>>295 日常的に乱取りは行われていたが、反撃も激烈
相手も武装してるし、報復もあったからそう簡単には乱取りできない
江戸時代の農村相手ならいくらか楽かもしれない。
それでも郷士やらなんやら刀とか槍とか持ってる人間多かったみたいだからね。
>>297 江戸時代にそんなことやったら
幕府から討伐軍が大挙してやってくるだろうな
三百諸侯
今日TVで岩見銀山の特集見ていて思ったのだが
やはり戦国大名にとって鉱山は重要な収入源だったんだね
302 :
名無し三等兵:2008/02/27(水) 21:34:38 ID:qBv17v8G
軍役の編成で言う「手明」って本当に手ぶらで戦争に行ったの?
戦場では何してたんだろう?
単に定まった役がないだけのことじゃないの
荷物運びor馬の管理担当の人夫
つか、上杉の軍役は弓がないのが無茶変だから、実は弓とか
鉄砲伝来以前の日本の戦の常道は弓合戦、死傷の6割以上は弓による死傷。
つまり戦に参加=弓所持してて当然、いちいち書く必要無しって感覚ではなかろうか。
>>306 他の軍役の記録がある大名があるのに、上杉だけないのは変
それに常道ならそれこそ、その数は把握したいと思うのが普通では
他の大名家やそれ以前の時代でも人数だけ記されていちいち武装に触れてない
物は多い。上杉自体も謙信以降大きくなったもんでそれ以前に越後の諸勢力にそんな
に強力な統制が及んでたかは疑問。謙信自身も暇さえあれば一揆や謀反に悩まされてる。
ヨーロッパでも当時は傭兵部隊が主力で人員の水増し、装備の貸し借りによる当局への
賃上げ水増しなんてざらだった。装備の均質化・常備軍化は近代軍への萌芽だが上杉家が
そこまでいってたかは疑問。だから記されてなくても弓が使われてないって事でも無いし、
把握できてなくても不思議じゃない。
いや、弓だけ無いのが不自然
馬 北条>武田>上杉
鉄砲 武田>上杉>北条
弓 武田>北条>上杉
槍 上杉>武田>北条
上杉の強さの秘密は鑓による白兵戦にあるのかもしれんな
新潟は米所で人口は以外と多いよ、佐渡金山もあるからまとまればそれなりの
軍隊になったのではないだろうか。謙信も鉄砲の導入には積極的だったし、産業開発
や保護もやってる。単純な毘沙門天狂いの戦好きって訳ではない、でも部下や一門の
統御には年中悩まされてる。わざわざ京都まで行って守護になったり上杉に養子いって
関東管領になったりしたのや暇さえあればまわりの国と戦争してるのも自分の強さ
みせないと部下がついてこなかったからだろう。上杉景勝が「謙信の遺訓」でやたら
厳しい軍律を敷いたのもその裏返しではないだろうか。
戦国時代でマトモな戦略家って信長と秀吉ぐらいだったのか?
>>313 まともな戦略家の定義を示してくれ
で信長・秀吉のドコをもってまともと定義しているのかも
軍板にも軍事音痴な自称・軍事史評論家の信奉者がいるんだなw
足軽が持っている弓で射られたら死ぬほどの大怪我するものなの?
・・・?
弓で射られたら死ぬだろ?
試しに鉄の鏃をつけた弓で射られてみるといい。
よく分かるよ。
当たり所にもよるだろうが
手足の先とかかすっただけとかなら
怪我で済むかもしれない
胴とか頭部に食らったら
当時の医療技術からするとまず助からないだろうな
足軽が持ってる弓だって飾りとかが簡素なだけで
威力に関しては武士が持っているものとかわらんし
弓足軽は技術職なので足軽の中では上位だし
(大抵が常時雇用で下級武士扱いだし)
給金も一般の槍足軽などより高いし
鉄砲伝来以前の戦闘での死傷の6割以上は弓矢。槍は15%前後、石は10%以上、
刀・その他が残り。鉄砲伝来後は銃創が35%、弓矢30%、槍20%、石・刀その他が残り
で全体として白兵戦より遠距離戦が顕著になってる。
当時の衛生状況や医療水準を思うと、どんな傷でも怖いよー
小便や糞味噌で手当なんて考えただけでガクブル
>>319 鈴木眞哉史観を疑う
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169129287/ より転載
319 :日本@名無史さん :2007/04/02(月) 17:15:42
鈴木氏が調査した軍忠状は、
1333年(元弘三年)〜1457年(長禄一年)の176点(『刀と首取り』P78)と、1467年(応仁一年)〜1637年(寛永十四年)の
201点(『刀と首取り』P82)。
この間、鉄砲が実用化されていない時代も含んでいることを鈴木氏は同じ著書に記載してある。
その場合は弓矢による疵が多いことが書かれている。
銃器があろうがなかろうが飛び道具の疵が多いのだから、日本人は遠戦志向だ
という結論が鈴木氏の結論だ。
だが、どこの世界に白兵での疵数が飛び道具のそれを上回る戦闘があるのかと。
氏の理論によると、世界中の戦が遠戦志向になる。
相手の不意を突く奇襲夜襲でもなら話は別だが、奇襲は正攻法でないからこそ奇襲なのであって
一般論とはいえないだろうし。
514 :日本@名無史さん :2007/11/03(土) 17:31:44
野戦で自害ってあるの??
追い詰められた武将が、自害っては、多いと思うが。
鈴木氏の功績って、結局、なんだろうね。
「騎兵」に関しては、「武田騎馬軍団」を否定するあまり、勇み足な感じか。
軍忠状を基にした、戦国の負傷原因・遠戦志向については、
とりあえずOKなの??
516 :日本@名無史さん :2007/11/03(土) 22:29:02
>>514 お前の頭は統一教会の壺ででもできてるのか?
軍忠状を基にしたって1467年の応仁の乱から1637年の島原の乱まで
で1461件しかサンプルしてないんだぞ
ある特定の戦の1461件ならそれなり当時の戦い方の分析に意味があるだろうが
年で割ると9件もない
それもどんな戦のどこに布陣した誰の軍忠状なのかも全部ブラックボックス
で軍忠状を疑うやつはおかしいとか布教してるんだぜ
まともな脳味噌があれば戦国前期は云々だとか後期はなんだかんだとか
論じるベースになりえるもんじゃねぇ
豚の飼料ぐらいにしかならねぇ資料だってのは
政治的な意図でデマ流すのが生き甲斐の気違いか算数のわからない
知恵遅れでなきゃわかるだろ
陣小屋と天幕って、どっちが快適だろ?
まだ陣小屋の方がいいんじゃない。一応小屋だし。天幕は雨とか降ると悲惨
そう。
>320
小便は無菌なので、沢水で傷あらうよりは衛生的。
味噌はアミノ酸による抗生効果が期待できるので、あながち間違いではない。
越後春日山上杉家時代の経済力が、近畿一円を支配した信長と同等であったという
記述を見た覚えがあるが、ソーズ忘れた。
アオソの収入が莫大だったらしい。
>>322 なんか、思い込みが激しくてわけの判らない批判をしているような。
サンプルの取捨選択に恣意性があれば、統計として無意味なんだから
戦いの内容や布陣など調査者の主観でデータを選別するほうがおかしいのに判ってない。
>>326 いや、統計として採用するにはデータが少なすぎるってことだよ。
この前後のレス見るとわかるけど。
あるいは鈴木氏の著作を読んでみても良い。
1461件のサンプル、つまり1461人分のサンプルって事かな?
鈴木氏が収集した軍忠状によると
1467年から1637年の全期間で総数1461件の負傷例ということ。
年で割ると9件も無いってのは、一年間の日本全体の負傷例が9件になる計算、という意味。
もちろん、実際はもっともっと多くの負傷者が居ただろう。
軍忠状そのものは信頼のおけるデータだけど
そこから導かれる結論に無理が有りませんか?という話。
>>327 >それもどんな戦のどこに布陣した誰の軍忠状なのかも全部ブラックボックス
こんな頓珍漢なこと言っているのに?
ブラックボックス(調査者がサンプリングの際に選別していない)から意味があるのに。
軍忠状約1500件でしょ?1500人分じゃなくて、1500人宛(その武士の部下も含めた評価)だと思う。
そもそも年9件とか言ってるが、別に年毎に比較するわけでもない。
数十年単位で見ていったら、傾向はつかめるだろう。
同じ母集団(日本全体)から、抽出して比較しているんだから。
逆にいえば、傾向しか判らない(何割かの誤差はありえるし、個別に比較しても無意味なデータ)ではあるけど。
あと、これって負傷者のデータで、白兵戦だと致命傷負って逃げられない場合が多いだろう(結果、死んじゃう)から、
実際は白兵戦での被害がより多い(死亡者も含むと結果が変わる)のでは? って指摘した人がいたと思うけどこれはありえる話と思う。
こんなんばっかだから文系は理系に馬鹿にされる。
統計だとか実験だとかは、何人何十人もの学者が同じ条件で計算/実験を行い同じ結果(統計の場合は近似値)が出て初めて理論、理屈になる。
一人の人間だけが出した統計、実験結果を鵜呑みにするようなことは絶対にしない。
認めない。
認められない。
ブラックボックス云々は、ハッキリ行ってしまえば「統計の際にどのデータ使用したのかを公表しない」=「データ捏造の可能性もある」を示唆しているんじゃないの?
「神の手」の藤村の一件以来、素人の自称歴史研究者はスルーされ気味な感じもするw
追試(追実験)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%BD%E8%A9%A6 追試(ついし)とは、発表された論文等に基づいてその実験・分析を第三者が行い、真偽を確認する行為。
通常、とある説や、新物質(高温超伝導物質等)が学会にて発表された場合、第三者の追試を経て、同じ結果が出た後にそれが事実であると認められる。
追試が行われていない論文は、まず、その必要が無い程周知の事実であるか、もしくは、追試に値しない実験としての基準を満たしていない内容であることを示す。
後者の例としてゲーム脳等があげられよう。
>>331 >統計だとか実験だとかは、何人何十人もの学者が同じ条件で計算/実験を行い同じ結果(統計の場合は近似値)が出て初めて理論、理屈になる。
統計じゃなくて、この件はサンプル調査した結果でしょ
実権の追試は条件を同じにして誰がやっても同じ結果にならないとダメだけど、そんな再現性はない。
だって条件(それぞれの軍忠状の対象者も、時期も相手の数など)もバラバラ
最も、軍忠状の内容を改ざんしたり、調査者が選別していなければ、誰が集計しても同じ結果になるはずだけどね。
工場でやる抜き取り検査みたいなものだろ、一日10個とか抜き出してデータを取る。
それで不良でなくても過去のデータをグラフ化してみると傾向が見えてくる場合がある。
だんだん製品間のばらつきがひどくなってきたから、過去の事例を基に考えると月末までにはメンテナンス入れようとかね。
生産数量も、抜き取る製品個体も日々異なるから、まったく同じデータが再現されるわけじゃない。
>ブラックボックス云々は、ハッキリ行ってしまえば「統計の際にどのデータ使用したのかを公表しない」=「データ捏造の可能性もある」を示唆しているんじゃないの?
調査期間内の軍忠状で、数値(負傷者数)や原因不明なもの以外は全部調査対象だったと思うが。
無論、彼が調べていない史料はあるだろうが(日本中の軍忠状がデータベース化されているわけでもないから当たり前)、
データの基を公表しないとか捏造したってのは言いがかりに近いんじゃないの?
つーか、そういう事実が出たのなら反論側がちゃんとしたデータとやらを基にして議論が出来るのでは?
どのみち、追試が行われ似たような結果が出るまでは、あくまでも「仮説」でしかないわけだよ。
「こうだった!」などと断言して良いレベルのものではないって事ですよ。
そもそも、軍忠状がそのまま当時の死傷者の状況を現しているわけではない罠。
軍事学の常識として、軍が近代化されて小銃同士で打ち合うのがメインになる前の
時代の死傷者:死亡者の割合は4:1、というのがあるが、
例の統計では、あきらかに死亡者が少ない。
つまり軍忠状で死傷者の状況を知るには限界、というよりかなり無理があるということだ。
検死報告書でもあるまいし死者は討ち取ったで終わりだからねえ。負傷原因
から推察するしかないんじゃないか。軍部の様な公的機関が統計取り続けてる
時代でもない。資料の信憑性は別として当時の一次資料から割り出してくしか
仕方無いべ。神社や寺に残された負傷が快癒したのを感謝した記録や遺族が菩提
を弔う為の記録とかを地道に調査してる方がいなかったっけ?
一次史料の信憑性が取り沙汰されているわけではないでしょ。
推察や推論の根拠や方法に疑問があるってことであって。
338 :
名無し三等兵:2008/03/23(日) 13:18:01 ID:GmT2nbou
あげ
339 :
名無し三等兵:2008/03/24(月) 08:02:15 ID:kkuhWWMF
つまり、
>>337や僕がいいたいのは
鎧の発達で弓矢では致命的ダメージを与えられないので、戦国時代のメインウエポンは槍刀
…と仮説を出して、その証拠として、鈴木氏と同じ資料を出して、
飛び道具の怪我人はたくさん生き延びているが、槍刀の怪我人はわずかしか生き延びていない。
なんて推理も可能なんです。
結論を出す証拠としては、あの資料ではまるでダメなんです。
>>130 wikipediaをソースにwwwwwww
素朴な疑問
古代〜戦国時代〜幕末
日本史全期間を通じて投石機(カタパルト)の
使用が無いのは、ナゼ???
思いつかなかった? 好みじゃなかった?
詳しい使途教えて下さい。 m( )m
ある事物が存在しない、使用されないことに明確な理由が見当たらないのは歴史上では普通のことだよ。
こういう場合、伝来はしたが攻城戦が余り無いから使われなかったとか
山がちなので運用に支障があったから使われなかったとかの理由が考えられるけど。
あるいは単に知らなかったのかもしれない。
色々な説がこのスレの過去ログか日本史板・世界史板の該当スレで交わされた。
何れにしても、何らかの文献史料等が無い限り各人の推測の域を出ないです。
346 :
名無し三等兵:2008/05/15(木) 06:28:01 ID:j0vp43NG
幕末にも長槍隊がいたのに
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。
商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。
これが最善の消費税率。
>>259 >集団戦術というのは武器、つまり道具の特性を生かせるように戦うから強いのであって
それは集団に限らず個人の戦いでも同じ事が言えると思うけどさ。
学研の『図説・日本武器集成』の異種武器対決についての考察では
「結局の所『どの武器が一番か』というのではなく『手持ちの武器をどう使えば一番良いか』になってくる」
ってな結論だったな(結構うろ覚えだけど)。
その辺りは軍事板的にはどうなんだろうね。
>硫化水素持ってても散布するまえに斬られたり撃たれたりしたら終わりじゃんw
>ましてや普段から常に持ち歩けるもんでもないし。
>
>結論:最強の武器なんて状況で変わる
>よって日本刀は最強にもなりうるし
>銃やナイフ、核なんかも同じ
>ものすごく極端な話だが状況によってはロケランに輪ゴムが勝つ事だってある
こういうのは軍事板的にはNGなんですか?
>>349 スルー
そして「いらっとくるスレ」行き
>>348 武器・装備の優劣よりも戦意・錬度・運用の方が圧倒的に重要なファクター
集団戦だの道具の特性だのは後々結果を説明するときに後付けで説明されるだけ
無論、優秀な武器・装備によって有利を得られることは論を待たないし、
極端なことを言えば、鉄器&青銅器、スペイン人&インディオのように、圧倒的な技術格差がある場合は1/10以上の兵力差でも圧勝できる
>>351 インディオは南米に棲息していない馬に跨るスペイン人が銃をぶっ放すを見て
パニックになり王を放り出して敗走したとか。
マゼランがフィリピンで艦砲射撃の射程を見切って戦った原住民側の戦術に
敗死したことを考えると戦意もさることながら情報も重要なファクターかもしれない。
ま、日本人も黒船を見て「火を噴く鯨神がやってくる」と逃げ惑い、
パニックから「ええじゃないか」と踊り狂ったそうだからな
実際は黒船が来て逃げ惑うどころか、舟を仕立てて見物にまで行ってるけどね。
もちろん沿岸には鈴なりの人だかり。
「ええじゃないか」も黒船来航の10年以上後の出来事。
300年近くテクノロジーに差がある筈の薩英戦争でも英国海軍の方が戦死者多かったし。
>>355 あれは脅しの為、鹿児島港の一番狭いところまで進出したから
>>356 そうですね、射程のほうはイギリス側が長かったからアウトレンジでちまちま射撃していれば大きな損害は受けなかった。
あと、船と要塞との撃ち合いでは要塞のほうが基本的に有利だから。
基本的に要塞のほうが航行性能を考えないですむため、大口径の砲を装備でき、防御力も高い。
地上の観測所からの観測だから、照準の精度も高いし、発砲場所を隠匿することも不可能じゃない。
薩摩藩に関係なくアームストロング砲が英艦隊に損害を与えるから無問題