秀吉による朝鮮役の軍事分析4【日本・明・朝鮮】

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479某研究者
船で使用する大型の銃を
亀甲船等は止められたのかだろうし
大砲より精度は高いかも知れぬが
近距離で砲を撃たれた場合は
アウトと言う事かも知れぬが
近接前に大型銃で亀甲船側も
可也ダメージは受けないのかだろうし
突撃を目論んで居る状況で
大型銃の縦射を受ければ
内部はどうなるのかだろうし
大砲が命中しても即沈没と言う訳でも
無いかも知れぬし
日本側は大砲が命中する船内に人は余り
居ないかも知れぬが
亀甲船は船内に人は可也
居るかも知れぬし
亀甲船以外の船舶では楼閣から
上方からの銃撃を受けて
兵員がダメージを受けるかも
知れぬし
火炎攻撃も通用するかも知れぬが
480某研究者:2007/08/14(火) 21:45:34 ID:F9j/MNZK
小型船に何処迄
体当たり出来るのかだろうし
小型船にも大型の銃は
搭載されて居るなら
此れで突撃時に縦射を受ければだろうが
停泊中に奇襲を受けて体当たりされる例が
多かったと言う事かも知れぬが
481某研究者:2007/08/14(火) 21:48:26 ID:F9j/MNZK
所謂信長の鉄甲船と言うのも
大砲で勝ったのでは無く
大量の板を貫ける大鉄砲の数と
上方からの小型銃の銃撃で
勝利していたと言う事は無いのかだが
482名無し三等兵:2007/08/15(水) 10:10:38 ID:???
↑日本語でおk!
483名無し三等兵:2007/08/16(木) 08:45:32 ID:???
いずれにしろ砲撃された経験もないし対弾設計されたものではない。
軽い材質がないので重く大きく作った朝鮮船に乗り込み攻撃をかけた日本側が緒戦でちょっと苦戦した程度のことを大げさに書き立てているだけ。
484名無し三等兵:2007/08/17(金) 08:21:48 ID:???
ガレオン船10隻もあれば制海権確保出来そうな時代やなw
485名無し三等兵:2007/08/17(金) 20:16:19 ID:84LfUiXd
航海力がないので制海権もない。
場所は手漕ぎと追い風機動できる範囲に限定されるし、時期も攻撃力の発揮できる短時間の狭い制海権。
味方基地に近ければ制海権は広く長くなり、敵反撃勢力に近づけば極小短時間となる。
486某研究者:2007/08/19(日) 04:10:23 ID:TliAo0v6
>亀甲船以外の船舶では楼閣から
>上方からの銃撃を受けて
>兵員がダメージを受けるかも
>知れぬし

板屋船にも楼閣は確か有るだろうが
防弾能力は無い訳だろうし
此れが銃撃で沈黙すれば上方からの射撃は
困難と成る訳だろうか
487某研究者:2007/08/19(日) 04:25:55 ID:TliAo0v6
板屋船は銃撃後日本側の兵に乗り込まれて
壊滅していたと言う事かも知れぬが
銃撃で砲を沈黙出来なければ
近距離で砲撃を受けた可能性も有るかも知れぬし
銃撃で動きを鈍らせられなければ
体当たりを受け得たと言う事かも知れぬが
488名無し三等兵:2007/08/19(日) 04:29:09 ID:???
亀甲船って実際どんな形なんだろうな。
未だに本当の姿が分かっていないって聞いたが。
489某研究者:2007/08/19(日) 04:30:22 ID:TliAo0v6
まあしかし板屋船も日本の小型艦相手に
何処迄体当たりが
可能だったのかだが
490某研究者:2007/08/19(日) 05:00:21 ID:TliAo0v6
http://www.rekishi.info/forum/forum100/20050911173204.html
>朝鮮出兵時、多くの安宅船が鉄板装甲されていた証拠は散見されます。
>たしか宣教師ロドリゲスの記録にも多くの船が鉄板で覆われていた旨の記載があります。

>朝鮮出兵前後、軍船の鉄板装甲は相当一般的なものだったと考えてよいでしょう。
>鉄板貼りは、信長の鉄甲船に言われるように、焙烙火矢対策と考えられます。「焙烙火矢」には多く誤解がありますが、手投げ弾ではなく、
>焼夷薬をつけた火矢、あるいは小形の火砲から射出される火箭と考えるべきでしょう。実際朝鮮の役に際して、朝鮮の軍船が射出するのは多くがこの火砲から射出される火箭でした
>(宇都宮氏の家臣が残した「高麗陣中日誌」他参照)。朝鮮水軍の最も得意な戦法だったと考えて良いと思います。

主力の小型艦は鉄板等有るのかだが
鉄を張った大型艦艇の一部は
朝鮮側の火矢は通用しなかったと言う
事だろうか
(日本側の火矢は亀甲船も含めて
 有効だった訳だろうか)
491某研究者:2007/08/19(日) 05:01:55 ID:TliAo0v6
まあしかし大型艦は砲撃は兎も角
体当たりでやられたと言う可能性は有るだろうが
日本側の旗艦である
大型の日本丸等が体当たりでやられたと言う記述は
無いだろうか
492某研究者:2007/08/19(日) 05:03:10 ID:TliAo0v6
大型艦が体当たりでやられる前に
小型艦が敵艦を白兵戦等で仕留めたか
大型艦の銃撃で動きを鈍らせて
回避したと言う様な可能性も
有る訳だろうか
493某研究者:2007/08/19(日) 05:05:45 ID:TliAo0v6
日本丸も砲撃は受けたが
体当たりは受けて居ないのは
銃撃で相手の動きが鈍っていた故と言う
可能性も有るかも知れぬし
小型艦艇に阻止されていたと言う可能性も
有る訳だろうか
494某研究者:2007/08/19(日) 05:14:00 ID:TliAo0v6
毛利軍の大鉄砲で
信長の鉄甲船は貫通出来ただろうし
鉄甲船の大砲の命中率や発射速度にも
疑問は有る訳だろうし
毛利軍は信長側の火矢で一方的に
船を燃やされて退却したと言う事かも知れぬが
495某研究者:2007/08/19(日) 05:19:05 ID:TliAo0v6
>鉄の砲弾を撃ち合うだけで火箭を用いない当時のヨーロッパの海戦において、鉄貼りの装甲がほとんど何の意味も成さないからでしょう。

欧州が火矢を使用しないのは
船を奪い合う海賊戦法しか無いからなのか
どうかだが
496某研究者:2007/08/19(日) 05:23:27 ID:TliAo0v6
>また、この頃から日本側の火箭対策が目に付くようになります。九鬼の御座船日本丸は、釜山の泊地が襲われたときは、火箭対策に不燃性の絹布の幕を二重三重に張り(前述したように、
>これは甲板上に待機する銃兵を火箭の火から守るためのものでしょう)、舷側には突き刺さった棒火矢・火箭をたたき落とせるように、縄で縛った丸太や切り株を下げていたといいます。
>棒火矢が命中したときは、これを落として火矢を海中に叩き落とすわけです(これは鉄板装甲していれば無用の装備です。この点、九鬼の日本丸には、
>毛利水軍と闘った安宅船のような鉄張り装甲は無かったと考えられす。)。

この様な火矢対策は
毛利には有ったのか
どうかだが
497某研究者:2007/08/19(日) 05:28:34 ID:TliAo0v6
>現存する大型の火縄銃(大鉄炮や置き筒)と呼ばれるものには長大な射程(300〜1,000m)を有するものが存在し、遠距離用の照準装置(ややこしいですがこれも「やぐら」と言います。)も発達していました。
>当時の記録には本国に鉄炮とこの「やぐら」を送れといった命令を発したものが見られます。こうした大型銃は船体破壊こそできないものの、
>朝鮮の火砲より命中精度と射程、可搬性に優れ、安定性の高い停泊中の大型船や地上で使用すれば、高い命中精度を持つ文字通りの「アウトレンジ攻撃」が可能になります。

日本側の大型銃はどの程度の精密砲撃が
可能だったのかだが
此れで敵艦の体当たりを受ける前にどの程度動きが
鈍らせられたのかだが
甲板上の兵員も可也叩いて混乱させないと
動きは鈍らなかったと言う事は無いのかだが
甲板上の敵を混乱させるには火矢の方が
有効だったと言う事は無いのかだが
498某研究者:2007/08/19(日) 06:02:41 ID:TliAo0v6
http://www.rekishi.info/forum/forum100/20050911173204.html
>16日の記録(舜臣は水軍の壊滅をまだ知らない。)軍船の漕ぎ手で、戦闘から逃げてきた世男(奴隷身分)の言ったこととして
>「(略)闘おうとしたが、倭船は散り散りになって回避し捕縛することが出来なかった。

アルマダ海戦の様に日本側は火矢の射程外から
速力の有る小型船で砲撃戦に徹したと言う事は
無いのかだが


>ここで日本水軍は朝鮮の軍船に近づいては離れ、近づいては離れるという戦術をとったようです。朝鮮水軍はこれを追撃しますが、陣形が乱れ、艦隊は四散(沖合でのこの状況は、
>亀船を含め朝鮮水軍の軍船の特質を考える上で示唆的です(後述))。

此れは正にアルマダ海戦の序盤に似た様な
展開だろうが
朝鮮軍もスペインの様に日本船を深追いせず
陣形を保持すると言う事は
考えなかったのかだが
銃撃で遠距離からダメージを受け続けただけかも
知れぬが
499某研究者:2007/08/19(日) 06:06:20 ID:TliAo0v6
>もちろん当然日本側がこうした状況を傍観していたわけではありません。文禄慶長の役で日本軍が構築した日本式の城郭を「倭城」と呼びますが、倭城の分布を地図上に落としてみると朝鮮の沿岸部を埋め尽くしているのに驚かされます。
>日本側は朝鮮水軍の攻撃発起点からの距離が短いことに目を付け、また水軍の泊地に近い浦々が朝鮮水軍に利用されることを防ぐために、船団が停泊可能な箇所の殆どに陣地を築城し、その利用を阻んだわけです。
>近代戦の「制海権」という言葉をこの闘いに使うことはできません。陸上が押さえられると必然的に水軍の活動が封じられるわけなのです。

停泊地への奇襲はこの様な手で
後には封じられていた訳だろうか
500某研究者:2007/08/19(日) 06:15:59 ID:TliAo0v6
>朝鮮水軍と板屋船に良いとこ無しだった関船ですが、速力・運動性・沖乗りでは遙かに優れています。
>朝鮮水軍を“沿岸防衛艦隊”と称すれば、関船を主戦力とする日本水軍はいわば“外海艦隊(航海術が無いので“外洋艦隊”ではありません念のため)”と称することができるでしょう。

故に輸送船団を護衛するには
この様な船しか選択肢は無いと言う
事かも知れぬが
501某研究者:2007/08/19(日) 06:30:15 ID:TliAo0v6
>ところで、亀船(亀甲船)の採用には唯一の例外があります。大坂冬の陣に際し、九鬼守隆が徳川氏の命令で建造された「盲船」で、窓・天井を楯板と竹束で総て覆い、船の前後に引き戸式の扉を設け、前進用の櫓と後進用の逆櫓を有します。
>九鬼は徳川氏から与えられたフランキをこの盲船に搭載し、大坂城の川沿いにあった矢倉を破壊しているのです。搭載された火砲がフランキであることは、全体を防弾用の装備で覆い覆い敵の射撃拠点に接近しなければならないこの船の性格上不可欠のものです。

此れは一応防弾を考慮した船だろうが
大型の銃は止まらない訳だろうか
502某研究者:2007/08/19(日) 06:58:09 ID:TliAo0v6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
>本土から釜山までの海路の補給は維持していたが、釜山から漢城までの陸路の治安が悪化して食糧などの補給が滞りがちであったため、

まあ陸上輸送は避けて
海上輸送に徹すれば良かったと言う
事かも知れぬが
本国からの食料だけで15万の兵力を
何年も維持するのは
限度も有ると言う事かも知れぬが
503某研究者:2007/08/19(日) 08:32:41 ID:TliAo0v6
>本国からの食料だけで15万の兵力を
>何年も維持するのは
>限度も有ると言う事かも知れぬが

モンゴルの様に徹底的に進撃して
食料を調達と言う方向も有るだろうし
焦土戦術の様な事をやられなければだろうか
504名無し三等兵:2007/08/19(日) 08:44:43 ID:???
クソの役にも立たん
少しは研究しろ
505某研究者:2007/08/19(日) 10:07:08 ID:TliAo0v6
弾薬は海上輸送
食料は現地調達で
出来るだけ早期に進軍と言う方向も
有ったかも知れぬが
防寒装備等も必要な訳だろうか
506名無し三等兵:2007/08/19(日) 10:26:02 ID:???
全羅道南岸を早期に確保しなかったのが失敗
507某研究者:2007/08/19(日) 11:18:58 ID:TliAo0v6
>李舜臣との接触後、日本水軍は脇坂安治の独走等、指揮系統の混乱から立て続けに敗北を喫し、泊地の奥深く逃げ込むことになります。
>泊地に大型船を並べて「大筒」「大鉄炮」を装備し砲撃で敵を近づけないようにする一方、陸上にも「鉄炮塚」を築いて海上の朝鮮船団を射撃する体制をとるのです。
>一見すると消極的な戦術にも見えますが、これは大型船に装備した大砲で、焼き討ちをかけてくる敵船を迎撃するという、大坂木津川河口での九鬼水軍の戦闘を思い起こさせるものです。
>今度は陸上砲台の援護も得られます。この戦術は有効に機能したようで、泊地内に侵入した李舜臣は果敢に戦闘を挑みますが、誤って座礁し日本側に焼かれかける船が出るなど、被害が増大し、
>目立った戦果があげられなくなります。
>現存する大型の火縄銃(大鉄炮や置き筒)と呼ばれるものには長大な射程(300〜1,000m)を有するものが存在し、遠距離用の照準装置(ややこしいですがこれも「やぐら」と言います。)も発達していました。
>当時の記録には本国に鉄炮とこの「やぐら」を送れといった命令を発したものが見られます。
>こうした大型銃は船体破壊こそできないものの、朝鮮の火砲より命中精度と射程、可搬性に優れ、安定性の高い停泊中の大型船や地上で使用すれば、高い命中精度を持つ文字通りの「アウトレンジ攻撃」が可能になります。
>朝鮮側の銃砲や火箭が破壊力はともかく命中精度や有効射程が日本側の銃砲よりも劣ることを考えれば、泊地奥の日本船に火箭や砲弾の有効打を浴びせるべく近づくと、
>船体はともかく、船上の兵士の損害が必然的に大きくなることが予想されるわけですが、記録を見ても朝鮮水軍は指揮官を含め多くの死傷者を出していますし、舜臣自身銃撃を受けています。


まあ通説とは異なり
序盤以外は日本側の方が火矢の射程外からの
遠距離砲戦に徹していたと言う
事かも知れぬが
508名無し三等兵:2007/08/19(日) 11:28:39 ID:???
また某研が来たか。暦よりちょっと早かったな。
509某研究者:2007/08/19(日) 11:30:38 ID:TliAo0v6
>船が大型なこと、潮流を利用したこともあって、日本側の接舷切り込みを防ぎ、日本側の主将藤堂高虎が負傷、多数の戦死者をださせるとともに、
>日本船数隻が沈没、日本側の攻撃を防ぎきります。日が落ち、日本側の攻撃の手がゆるむと、脅しの火砲を発射、帆をはって水域奥に退き戦闘は終結します。
>日本側は損害が大きかったこと、また水路に不案内なため、追撃をあきらめます。残敵掃討戦は失敗しました。

此れは接近戦をやろうとしたが
潮流を利用して上手く逃げられ
火矢でやられたと言う事かも知れぬし
遠距離からの砲撃戦に徹して居ればだろうか
510名無し三等兵:2007/08/19(日) 11:37:07 ID:???
きっと某研は株が暴落したからやることなくて降臨してるんだよ。
511某研究者:2007/08/19(日) 12:00:31 ID:TliAo0v6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6
露梁海戦では
日本側は輸送船を流用していたので
砲撃戦等は無理だったと言う事かも
知れぬが
512某研究者:2007/08/19(日) 12:39:17 ID:TliAo0v6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%88%9C%E8%87%A3
>これらは1593年からの日本本土からの補給作戦の開始と主力軍の南部への布陣で解消されており、準備を整えた慶長の役の侵攻作戦では補給の破綻は起きていないとしている。

まあしかし南部に布陣していたから
海路のみで補給が続いたと言う事は無いのかだが
海上ルートのみに補給を絞れば
長距離でも何とか成ったと言う事は
無いのかだが
513某研究者:2007/08/19(日) 12:43:54 ID:TliAo0v6
まあしかし補給が有るのに
何故攻めなかったのかだが
慶長の役では朝鮮南部の割譲が目的と成ったが故に
攻勢には出なかったと言う事なのだろうか
(割譲が認められた場合再度の侵攻は
 有り得たのかどうかだが)
514某研究者:2007/08/19(日) 12:56:22 ID:TliAo0v6
明・朝鮮軍も数万ー十万以上の損害を被っているし
日本側が南部で守りに徹していたら
事実上壊滅し
朝鮮南部割譲所か明本国迄やられたと言う可能性も
有る訳だろうか
515名無し三等兵:2007/08/19(日) 13:02:27 ID:???
ウィキペディアは冒険でも書ける
516名無し三等兵:2007/08/19(日) 13:17:53 ID:???
当時は天下を取り増長した太閤だから無理だろうが、藤吉郎時代の謙虚さと狡猾さで真剣に大陸進出を考えるとすると毛利攻めのような慎重さが必要だと思う。
まずは夏に第1陣で慶尚を蹂躙し占領よりも進軍に重きを置き軍事拠点の破壊を優先し、その間に釜山周辺を第2陣で固める。
反撃体制が整う前に第1陣を後退させ乱取し反攻軍の兵糧現地調達を不可能にし、釜山周辺で滞陣し冬ごもりをする。
明の本格介入を招か無いように押しては引く事が大事。翌年夏に再度帰国させた第1陣を再編し朝鮮側防衛線の裏側の全羅に着上陸し第2陣と挟撃し朝鮮軍を壊滅させる。
明の援軍本隊が朝鮮に入る前に朝鮮を降伏させ救援を無意味にさせ、明と和議を結び朝鮮南半分の支配権を確保する。
朝鮮西海岸に根拠地を整備し水軍を強化して山東攻略の足場を作り明攻略の調練を行う。
517某研究者:2007/08/19(日) 14:36:34 ID:TliAo0v6
http://www.excite.co.jp/world/korean/web/
この絵は明治以降の物かも知れぬが
小型船ではこの様に上から矢を射込まれると不利かも知れぬが
実際は盾を構えて居たのかどうかだが
(他にも大型銃で船を貫いて
 援護は出来るかも知れぬが)
朝鮮兵の甲冑装備率は
蒙古襲来絵詞等を見る限りこれ程高くは無いと言う
事かも知れぬが
518某研究者:2007/08/19(日) 14:38:17 ID:TliAo0v6
http://jbbs.joins.com/content.asp?board_idx=1355&page=1&tb_name=m_discuss1
上のページの間違いだが
朝鮮側の甲冑は此れしか資料が無かったから
1種類しか無いと言う
事かも知れぬし
実際は蒙古襲来絵詞の様に
綿甲も多かったと言う事かも知れぬが
519某研究者:2007/08/19(日) 14:44:06 ID:TliAo0v6
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/gallery/moukoshurai/index.html
上を見ると綿甲の様な物も多いし
1種類しか甲冑が無いと言う事では
矢張り無いと言う事かも知れぬが
520某研究者:2007/08/19(日) 14:56:22 ID:TliAo0v6
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&page=2&nid=73973
朝鮮の鎧も綿甲以外は
鋲を綿や皮に打ったのでは無く
ブリガンダインと同様に裏に鉄板は有る訳だろうが
桶川胴に比べたら鉄板が一体化されて居らぬ分
打撃には弱い訳だろうか
521某研究者:2007/08/19(日) 15:16:22 ID:TliAo0v6
この段階では当世具足・桶側胴は
可也普及して居たと言う可能性も
有るかも知れぬが
札鎧や最上胴等が未だ多かったと言う可能性も
有るだろうが
http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/yoroi/sub0003.htm
室町後期から桶側胴が出て居るなら
安土桃山時代の末期には
此れが主流と成って居る可能性は
有るだろうか
522某研究者:2007/08/20(月) 01:52:21 ID:A99OUFKB
大型艦艇の方が乗員が多く
白兵戦では余程小型艦艇に包囲されぬ限りは
有利と言う事かも知れぬし
日本側は砲撃戦に徹するべきと言う
事だろうか
523某研究者:2007/08/20(月) 02:10:28 ID:A99OUFKB
日本側の白兵戦能力が高く共
4倍等の乗員に
勝てるのかと言う事は有るだろうが
524某研究者:2007/08/20(月) 02:16:33 ID:A99OUFKB
甲板上の密集している敵に
大鉄砲でも打ち込めば
可也被害は出るかも知れぬが
爆弾等の攻撃も有る訳だろうか
525名無し三等兵:2007/08/20(月) 22:13:37 ID:???
普通にかけ
526名無し三等兵:2007/08/21(火) 17:48:19 ID:???
>>525
某研は自然現象だから
黙って過ぎ去るのを待つのみ。
527名無し三等兵:2007/08/22(水) 03:32:42 ID:???
潮汐作用か!
528名無し三等兵:2007/08/22(水) 03:44:40 ID:rowzhPxU
某研の中の人って韓国の人なんだろうなぁ。
なんでここで聞いてくるのか理由を書くと答えも違ってくると思うけど。
529名無し三等兵:2007/08/22(水) 03:53:04 ID:???
>527
むしろ直下型地震

>528
自然現象に韓国も何もないよw

今回はたまたま偶然このスレが猊下の関心を惹いたってだけの話だ。
軍事板のスレならどこでも降臨の栄誉を賜る可能性はある。
まぁ、半年くらいROMってればわかるさ。
530名無し三等兵:2007/08/22(水) 03:57:19 ID:???
某研の「だろうか」は質問じゃないぞ
531名無し三等兵:2007/08/22(水) 05:04:58 ID:???
NG指定して無視しろよ。軍板ならさあ。
昔は相手せずに、漏れみたいに伝えて終わりだったぞ。
532某研究者:2007/08/22(水) 07:12:39 ID:IjEO0WpA
朝鮮軍の木の盾が日本側の鉄砲を弾いた等と言う様な
記述が何処かに有ったかも知れぬが
標準的な銃でも10cm程度の板は貫通するかも知れぬし
銃弾を防げる様な盾は
竹束の様に車で移動するのは兎も角
到底手で持てる様な代物では無いと言う事かも知れぬが
城壁を登って来る敵が此れを用いたと言う様な
記述も有るだろうが
果たして可能だったのかだが
日本側も装甲の薄い朝鮮兵相手には
小型の銃を使用して居たと言うから
此れなら薄い板でも止まったと言う可能性は有るかも知れぬが
近接戦では長槍等でやられていたと言う事かも知れぬが
大型銃も一部には有るだろうし
此れに貫かれた例も多かったと言う事かも
知れぬが
533某研究者:2007/08/22(水) 07:23:36 ID:IjEO0WpA
http://72.14.235.104/search?q=cache:0h8jTWR_8MoJ:hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168695630/l50+%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83%E3%80%80%E6%9D%BF&hl=ja&ct=clnk&cd=27&gl=jp
>50mの距離から口径9mm(1匁)火薬量3gのとても威力の弱い火縄銃で
>24mmの檜の板2枚を撃ったところ、1枚目を貫通し2枚目の半分くらいで止まったと本に書いてあった。
>普通の矢盾は厚さ30mmくらいなので、鉄砲は防げないんじゃないか?

>いっぽう16間(28.8m)の距離から、竹束を口径15.5mm(6匁、戦場で一般的に使われる口径)
>の火縄銃で撃つと、1発目は6本の竹全部を貫通した。2発目は4本目で止まっていた。
>口径18.4mm(10匁)では、やはり竹束を貫通。
>30m以内での至近距離から竹束で防ぐのは難しいが、
>50m以上離れるか、竹束を二重にするば効果があるのではないかという結論だった。

近距離では厚さ3cm程度の通常の盾では
小型の銃でさえ厳しいと言う事だろうし
朝鮮兵が城壁を登る際に
木の盾で銃を防いだ等と言うのは
事実なのかどうかだが
534某研究者:2007/08/22(水) 07:27:18 ID:IjEO0WpA
>30m以内での至近距離から竹束で防ぐのは難しいが、
>50m以上離れるか、竹束を二重にするば効果があるのではないかという結論だった

此れは内部に土と石が入った
竹束なのかだろうし
内部に石と土が入ったタイプなら
通常の銃で有れば
至近距離でも止まったと言う事は無いのかだが
大型銃は無理と言う事かも知れぬが
535某研究者:2007/08/22(水) 07:29:28 ID:IjEO0WpA
朝鮮や明のフランキ砲で
日本の傾斜した城壁が破壊出来たのかだが
大型の投石器ではどうだったのだろうか
536某研究者:2007/08/22(水) 07:32:34 ID:IjEO0WpA
攻城塔も傾斜した城壁には
何処迄使えたのかだろうし
堀が有る城には(此れを埋めぬ限り)無効だったと言う
事かも知れぬし
山城を攻城塔で攻略するのは無理だったと言う事かも知れぬが
トンネルでの攻略や土を盛って
城壁を登ると言う事は
行われたのかどうかだが
537某研究者:2007/08/22(水) 07:43:16 ID:IjEO0WpA
まあしかし日本側の銃撃の有る状態で
何処迄土等盛れるのかだろうし
トンネルを掘ると言うのも
日本側に探知技術は可也有ったかも知れぬが
トンネル戦用の火炎放射器等は無かったかも知れぬが
油を流して火を付ける程度の事は
行ったのだろうか
538某研究者:2007/08/22(水) 12:55:31 ID:JBhS7JfD
http://www.arrow.or.kr/jpn/data/index.php
上の桑と竹の部分の接合部と言うのは
何か問題は出ないのかどうかだが
牛の角等大量に手に入れられる代物なのか
どうかだが
539某研究者:2007/08/22(水) 13:17:17 ID:JBhS7JfD
http://yokokai.exblog.jp/i5
>ところで、日本の弓は、丸木弓や、太い材木を削った木弓だった。長さは、七尺五寸(225cm)がきまりで、世界で、もっとも長大な弓の部類に入る。長大なのは、連射を可能にするため、
>あまり引き絞らなくても、威力がでるようにしたからである。

と言う様な意見も有る様だが
余り引くと袖の部分で防御が出来無いと言う
問題も有る訳だろうか
540名無し三等兵:2007/08/22(水) 20:38:36 ID:???
答えられる事も某研には一切答えない
541某研究者:2007/08/23(木) 12:46:00 ID:bpfveqmt
http://homepage2.nifty.com/kousyuryu-kisya/kachukishakou/ss04.html
上を見る様に
弓を余り引いては
袖で防御が困難に成ると言う
事だろうから
短弓を使うとしても強力な物が
必要だった訳だろうか
542某研究者:2007/08/23(木) 12:47:32 ID:bpfveqmt
まあしかし大型の袖は当世具足では廃れた訳だろうから
安土桃山時代以降では
袖での防御は考える必要は無い訳だろうが
速射は余り引かなくて良い弓の方が
出来る訳だろうか
543某研究者:2007/08/23(木) 18:57:41 ID:bpfveqmt
フランキ砲は発射速度は速いかも知れぬが
何処迄数は有ったのかだろうし
日本側も30年戦争の軽量砲程度のサイズの
大筒は相当数利用して
居たと言う事かも知れぬが
544某研究者:2007/08/24(金) 05:35:21 ID:/dVK9AaC
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htm
大砲が兵の1割もの数有ったと言うのは
事実なのかだが
後の時代の事では無いのかだが
日本側は密集隊形では無いので
狙撃の出来無い大砲は命中したのか
どうかだが
545某研究者:2007/08/24(金) 05:37:54 ID:/dVK9AaC
精鋭の騎兵は鎖帷子だから
割りに槍での打撃や突きに脆かったと言う事は無いのかだが
重装歩兵は明光鎧なら
此れは割りに耐えたかも知れぬが
剣の実力は騎兵よりは劣る訳だろうし
3−6mの槍には勝てたのかだが
546某研究者:2007/08/24(金) 05:45:36 ID:/dVK9AaC
>また、1610年代には車営とよばれる兵科も創設された。車とは一側面に防御壁を有する車であり、後には仏朗機2門を設置、兵は各砲に3名配備された。

此れが出る迄はフランキ砲は
余り無かったと言う事は無いのかだが


>保有兵数 歩兵3200人・騎兵1600騎+予備800騎(計5600人)
>保有兵器 鳥銃256丁・三眼銃1408丁・大砲256門(完全充足時)

三眼銃と言うのはタンネンベルグガンの様な
銃身の短い銃なら
精度は期待出来ず
鳥銃も日本側の様に狙撃は
して居たのかどうかだが
1590年代で銃や砲は此れ程の数は
有ったのかどうかだが
547某研究者:2007/08/24(金) 05:51:28 ID:/dVK9AaC
>一方、唐代から馬鎧は廃れ、南北朝時代のように10貫以上の重量の鎧で馬を覆って機動力を落とすようなことは無くなった。

唐の時代から馬鎧は廃れていたと言うし
蒙古襲来絵詞にも馬鎧は描かれて居ないだろうが
有ったとしても銃に対抗出来る物では無いだろうが
548某研究者:2007/08/24(金) 11:39:10 ID:If7TZmnE
日本側は通常は密集隊形では無いとしても
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021025b.html
上を見る限り騎馬武者の阻止時には
槍や薙刀を構えて
密集したと言う事かも知れぬが
室町時代以前は此れは
無かったと言う事なのかどうかだが
下馬した騎馬武者が長巻や剣で
乗馬した騎馬武者を阻止していた可能性も
有る訳だろうか
549某研究者:2007/08/24(金) 11:45:27 ID:If7TZmnE
>明らかに防御に立つ場合においては、この時代の歩兵も、『明徳記』の下馬戦士たちのように、統制のとれた密集戦法をとっており、その威力の前に騎兵は圧倒されていたのかもしれない。

槍を持つ歩兵が整列している場面は
戦国時代の絵には描かれて居るから
戦国時代は密集隊形も有ったのかも知れぬが
対歩兵に利用された例の方が
多いかも知れぬし
射撃戦時は散開していた
訳だろうか
550某研究者:2007/08/24(金) 11:48:31 ID:If7TZmnE
戦国時代では追撃して来る乗馬した騎馬武者を阻止する為に
この様な密集隊形が組まれたと言う事も
有り得る訳だろうし
戦国時代の騎馬武者は追撃時以外は突撃は
しない訳だろうか
551名無し三等兵:2007/08/24(金) 11:51:26 ID:???
テーハミング!!
テーハミング!!
テーハミング!!

イルボンは皆殺しニダ


552某研究者:2007/08/24(金) 11:52:20 ID:If7TZmnE
>保有兵数 歩兵3200人・騎兵1600騎+予備800騎(計5600人)
>保有兵器 鳥銃256丁・三眼銃1408丁・大砲256門(完全充足時)

1590年の段階でも銃・大砲をこれ程保有していたとすれば
槍兵等は何処迄居たのかだろうし
歩兵は接近戦には可也脆かったと言う事は
無いのかだが
553某研究者:2007/08/24(金) 11:54:40 ID:If7TZmnE
明軍も大鉄砲や銃で狙撃されて混乱した所に
槍兵や騎馬武者を突入されて
壊滅していたと言う事かも知れぬし
明の銃砲は狙撃はしないので
日本側の散開した隊形には全く
通用しなかったと言う事かも知れぬし
騎兵突撃も槍兵及び銃兵に阻止されたと言う
事かも知れぬが
554某研究者:2007/08/24(金) 12:10:53 ID:If7TZmnE
日本の騎馬武者と言うのは
どの段階で乗馬突撃したのかだが
敵が銃撃等で混乱した段階なのか
明らかに逃走に移った段階でなのかだが
前者では未だ反撃を可也受け得るとすれば
無かったと言う可能性も有る訳だろうか
555某研究者:2007/08/24(金) 12:22:09 ID:If7TZmnE
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htm
>銃兵:
>明代には遠射兵器は弓・弩は銃にとってかわり、やがて銃兵が軍隊の主力になってゆく。
>右手に銃を持ち、左手に籐牌と呼ばれる円形楯を持って従軍した。
>着用した鎧は綿布に鋲を打ち、裏面に札が張られたもので、元代から引き継いだ形式であった。顔面以外は全て鎧で覆われ、敵の弾丸に備えた。

主力の銃兵は槍は無いので
白兵戦は弱かったと言う事は
無いのかだが


>重装歩兵:
>唐代の明光鎧から進化した鎧が主流であった。胸・背には細かい札を用いた胴衣、腹には凸面の鉄板を装着し、肩と上腕には亀甲形の札が綴られていた。

彼等は槍を持っていた可能性も有るだろうが
少数と言う事だろうし


>騎兵部隊は火器として三眼銃から鳥銃10丁に装備を換え、火器装備の右什(うじゅう)、弓装備の左什が各々2列縦隊をなした。
>この他に、予備隊として騎兵800騎(32隊銃320丁)があるので、1営の兵力は騎兵2400騎、歩兵3200人の計5600人となる。

騎兵も銃を可也使用して居たと言うなら
槍は持って居ないと言う事なのかどうかだが
東欧の騎兵の様に槍と銃・弓を同時に装備していた可能性も
有る訳だろうが
鎧が鎖なので脆い訳だろうか
556某研究者:2007/08/24(金) 12:24:46 ID:If7TZmnE
まあしかしピストルや騎兵銃・弓は兎も角
火縄銃やタンネンベルグ銃を槍と同時に
携帯出来たのかどうかだが
557某研究者:2007/08/24(金) 12:54:21 ID:If7TZmnE
船上でも明の騎兵は鎖帷子や刀剣を
可也使用して居たと言うなら
日本側の槍兵に太刀打ちは出来たのかだが
船上では2−3mは兎も角
6mの槍等は使用しては
居ない訳だろか

明の船上の大砲やタンネンベルグ銃は遠距離では命中せず
遠距離戦では火矢を火器から使用して居たと言う事かも
知れぬが
日本側の大鉄砲をアウトレンジは
無理だったと言う事かも知れぬが
日本側が近接戦をやる際はタンネンベルグ銃や大砲は
此れを防御は困難なら
厄介だったと言う事かも知れぬが
明側も銃砲で可也打撃は受ける訳だろうし
近接戦には脆い訳だろうか


明の主力の手銃兵が皆ブリガンダインの様な鎧を
着て居たのかだろうし
綿甲も多かったと言う事は
無いのかだが
558某研究者:2007/08/24(金) 13:32:21 ID:If7TZmnE
http://www.uwants.com/viewthread.php?tid=3369381
>南北朝重?兵
>隋朝重?兵

此れと似た様な明光鎧を着た
重装歩兵も
明に居たと言う事だろうが
長槍は持って居たのかどうかだが


>明朝邊軍火槍騎兵

此れが騎兵の主力と言う事なのかだが
鎧は綿なのかどうかだが


>明朝早期大將軍

此れは亀甲金を繋いだ様な鎧を着て居るが
数は居たのかだろうし
札鎧なので打撃には脆いと言う事かも知れぬが
騎兵の明光鎧はモンゴルの影響等で
廃れたと言う事かも知れぬが
559某研究者:2007/08/24(金) 13:36:49 ID:If7TZmnE
宋の時代には明光鎧は
廃れている様にも見えるし
蒙古襲来絵詞には描かれては
居ない訳だろうか
(明光鎧より日本等も使用して居た
 歩兵の短甲の方が
 プレートアーマーに近いかも知れぬが
 此れも明光鎧同様に
 余り数は無かった訳だろうか)
560某研究者:2007/08/24(金) 14:07:26 ID:If7TZmnE
http://www.eonet.ne.jp/~kyoto-sites/3.html
短甲の方が明光鎧より
防御力は有るのかも知れぬが
歩兵のみが使用したと言う事かも知れぬが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E7%94%B2
>中国の歩兵用の鎧の影響が色濃く、同時期に用いられた鎧に、中国北方の遊牧民の騎兵用の鎧の影響を色濃く受けた挂甲(けいこう)がある。

明光鎧を中国は使用して居たのか
どうかだが


>6世紀には出土遺物としては見られなくなり、桂甲に代わられている。

廃れたのは問題だろうが
561某研究者:2007/08/24(金) 14:32:03 ID:If7TZmnE
>6世紀には出土遺物としては見られなくなり、桂甲に代わられている。

>廃れたのは問題だろうが

失礼此れは書き間違えたが
廃れたのはコストの問題と言う
事かも知れぬし
皮部品が使える札鎧の方が
主流と成った訳だろうか
562某研究者:2007/08/24(金) 16:22:54 ID:If7TZmnE
http://www.chinahistoryforum.com/index.php?showtopic=13165&st=0&p=4836789?entry4836789
明の弓騎兵は槍では無く
サーベル或いは長刀騎兵と言う事かも知れぬが
鎧は札或いは鎖と言う事なのだろうか
(前紹介したイラストの様に
 銃を構えている兵の武器は
 剣と言う事なのかどうかだが)
563某研究者:2007/08/24(金) 16:27:56 ID:If7TZmnE
彼等の弓は役には
立たなかったのかだが
日本側が散開していたから
効果は無かったのかも知れぬし
逆に銃で狙撃されていたと言う事なのかどうかだが
騎兵突撃を防ぐ為に槍兵が密集した所を弓で狙うと言う様な
方向も有ったかも知れぬが
この様な事は行わなかったと言う
事かも知れぬが
564某研究者:2007/08/24(金) 16:34:09 ID:If7TZmnE
遠距離である程度射撃してから
長刀やサーベルで突撃したと言う
事かも知れぬし
近距離で密集している槍兵に対して
弓を放ったと言う事は無いのかも知れぬが
日本側にも相当数弓兵は居た訳だろうし
此れは明の弓騎兵と同等以上の数は居たと言う事かも知れぬし
(明の弓騎兵と言うのは全体の1/10程度だろうが
 弓足軽は1/5以上は居たと言う事かも知れぬが)
此れに加えて銃撃も有る訳だろうから
数の優位が無ければ勝てたのかと言う事は
有るだろうか
565某研究者:2007/08/24(金) 17:09:21 ID:If7TZmnE
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2247715.html
上を見ると1割も弓兵は居ないし
銃兵でさえ1割程度と言う事だろうが
精鋭歩兵の徒歩武者は
2割程度も居る訳だろうし
騎馬武者も1割居るなら
弓を用いても此れを用意に壊滅出来るのか
どうかだが
566某研究者:2007/08/24(金) 17:15:41 ID:If7TZmnE
まあしかし下馬した騎馬武者や徒歩武者を
弓の射撃で混乱させるのは
困難かも知れぬし
散開している銃兵や弓兵を容易には倒せぬなら
何れ此れの弓や銃で明騎兵は壊滅し
突撃は困難だったと言う事かも知れぬが


明軍とは槍の数が全く異なるだろうし
近接戦に持ち込めば簡単に勝利出来たと言うのも
肯ける訳だろうが
銃撃や弓で敵を混乱させないと
近距離で銃砲撃を受けるリスクは有る訳だろうか
567名無し三等兵:2007/08/24(金) 19:12:01 ID:???
ずっと某研のターン!
568名無し三等兵:2007/08/24(金) 19:36:34 ID:???
密集隊形というのは詰まるところ、戦闘隊形の基本が密集であると仮に規定すると。
日本の戦国期における備の内、隊列戦闘を行ったと考えられる足軽は敵と相対するまでは
散兵隊形で機動し、交戦直前に隊列を組んで戦闘を行ったと思われる。
569某研究者:2007/08/24(金) 20:43:39 ID:ljv8GgpD
騎兵に包囲されても
槍歩兵は対応は出来たのかだが
全周防御の陣と言うのも確か
有っただろうか
570名無し三等兵:2007/08/24(金) 21:00:55 ID:yBU8ixmC
騎兵といっても騎射か?
571名無し三等兵:2007/08/24(金) 21:37:31 ID:???
唐入りは朝鮮からじゃなく、琉球→台湾→福建省の方が良かった気がする。
572名無し三等兵:2007/08/24(金) 22:58:04 ID:???
バテレンがおとなしく船を6本指に売り渡していれば、沖縄ルートもありえたかも
知れんけどね。

朝鮮征伐は、元々は対馬の宗が6本に「朝鮮王は太閤の威光に恐れ入り、明までの
道案内も厭わぬと申しております」なんて太鼓持ちやったら、6本が本気にしちゃ
って兵を出し、朝鮮で戦うことになっちゃって「ちょww話が違うぞ」ていう話だっ
たと聞いたが。

ところで、日本は種子島以降、鉄砲を国産して量産してたけど、明や朝鮮はどうし
てたんだろ?やっぱ日本みたいに、分解して独自に量産まで持って行ってたのかな?



しかし、いつも某研猊下には驚かされる。古今東西の軍事知識の膨大なこと。オレは
猊下とタメ張る軍オタになるのは無理ぽ。
573名無し三等兵:2007/08/24(金) 23:21:07 ID:???
火箭やら大砲やらがあってだな、恐ろしく苦しめられたこともあったらしい。
574名無し三等兵:2007/08/24(金) 23:51:15 ID:???
一応は基礎から勉強しないと偏る
575某研究者:2007/08/25(土) 00:31:32 ID:3pGYP68h
沖縄から補給は弾薬だけなら兎も角
食糧供給は問題無く出来たのかどうかだが
食料は現地で全部調達は
出来たと言う事なのだろうか
576名無し三等兵:2007/08/25(土) 01:10:01 ID:???
不毛な朝鮮よりはマシな気がするけど・・・・。
秀吉軍は、朝鮮で一番豊かな南部を抑えていても飢餓に陥った。
これから見ても、当時の朝鮮(今もか?)が如何に不毛の地だったかが推察される。
当時の戦争で現地調達が見込めないのは、かなり致命的だったんじゃないかと。
秀吉の失敗は、朝鮮が常軌を逸した貧困の地であることを知らなかった・・・・これに尽きると思う。
577名無し三等兵:2007/08/25(土) 02:50:39 ID:UgefCFY+
全周囲防御に近いものは、加藤清正が実施してた。
防御成功の後、夜間、朝鮮騎兵の陣地の奇襲攻撃をかけ成功している。

578某研究者:2007/08/25(土) 09:22:35 ID:8QEzfoTw
弾薬もある程度は現地調達は
可能かも知れぬし
弾を作る人間を連れて来ればだろうか
579某研究者:2007/08/25(土) 09:29:10 ID:8QEzfoTw
城内の兵を一部外に出して包囲を防ぎつつ
敵を城壁と連携して包囲し
此れを混乱させて壊滅と言う様な方向も
有る訳だろうが
580名無し三等兵:2007/08/25(土) 12:04:04 ID:???
太閤になって思考硬直してたな
尾張時代の時に蜂須賀党などを上手く利用したんだから
明侵攻や朝鮮征伐は倭冦を支援すれば良かっただけなんでないかな
イギリスもドレイクみたいなヤクザを上手く使ってイスパニアを苦しめたし
581某研究者:2007/08/25(土) 12:58:42 ID:IpNhGETO
倭冦で中国や朝鮮の沿岸を荒らして
疲弊させてから侵攻という手も
確かに有っただろうが
食料の現地調達が困難と成るかも
知れぬが
582某研究者:2007/08/25(土) 13:06:38 ID:IpNhGETO
日本側の槍兵が明騎兵の銃や弓で混乱するより
密集している明の騎兵の馬に日本側の銃や矢が当たって
混乱する方が早いと言う事かも知れぬし
明の騎銃兵は早合等も無い訳だろうし
装填時は下馬するなら
此れは歩兵で追撃は可能な訳だろうか
(装填中の騎銃兵に対しては射撃せず
 より危険な弓騎兵に射撃を集中させれば
 良いと言う事かも知れぬが)
583名無し三等兵:2007/08/25(土) 13:54:56 ID:???
やはり、足利義満以降、「明は大国。その明に近い朝鮮も当然ながらその恩恵を受けて豊か」と、漠然と考えてたんじゃないだろか?
で、「今、配下に戦争の才能にあふれたものたちが集った。国力はかなわないかもだが、戦術レベルで圧倒すれば。」と思って戦争始めちゃった。
まさか、朝鮮が本当にタダの「とおり道」にすぎない、食料もない不毛の地だとは思わんかったんだろ。諸将にも「朝鮮は切り取り放題じゃ」とか発破かけたかも知れん。
で、行ってみてみんな「なんじゃこりゃ・・・_| ̄|○....」となったと。
584呉の床屋:2007/08/25(土) 15:03:13 ID:Ox9tE+8R
相変らず某研は独走しておるやうだが
これでは倭寇も明騎兵の密集している馬も銃や弓も
混乱する方が早いと言う事かも知れぬし
ねら〜の早合点も無い訳だろうし
装填時はsageするなら
此れは質屋でも追撃は可能な訳だろうか
(挿○中の騎乗○に対しては射○せず
より危険な○奇○に射○を集○させれば
○○いと言う事かもしれぬが(苦笑
585名無し三等兵:2007/08/25(土) 15:32:20 ID:???
朝鮮南部が日本領になっていたら今頃どんな感じだったかねえ
586某研究者:2007/08/25(土) 16:03:35 ID:IpNhGETO
>密集している明の騎兵の馬に日本側の銃や矢が当たって
>混乱する方が早いと言う事かも知れぬし

人間に矢が1発当たっても
致命傷に成るとも限らぬだろうし
大混乱には陥らぬかも知れぬが
馬に銃弾や矢が1発当たれば即暴走する恐れも
有るかも知れぬが
実際はどうなのだろうか
(此れを避ける為に下馬して射撃や銃撃をすれば
 槍歩兵に捕捉され得るだろうか)
587名無し三等兵:2007/08/25(土) 21:26:12 ID:???
>>585
京畿江原以北に中華人民共和国の地方行政区として、西海岸が遼南省になり東海岸が朝鮮自治区になる。
南海岸が日本國朝鮮道の百済県任那県加羅県白羅県の4県があるだけだよ。
歴史的にも史記の漢史に大皇帝が漢倭王武に倭百済白羅任那の太守に任じた記述があるからおkじゃない?
588某研究者:2007/08/26(日) 17:17:43 ID:J7BDVTlH
>全周囲防御に近いものは、加藤清正が実施してた。
>防御成功の後、夜間、朝鮮騎兵の陣地の奇襲攻撃をかけ成功している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E5%BD%A2
全周防御の陣(方円陣)と言うのも
以前から有る訳だろうか
589某研究者:2007/08/26(日) 18:49:47 ID:8hNmM3zy
http://www.uwajima.org/special/vol2/index2.html
>文禄2年6月に、それぞれの大将は、兵を合わせ、晋州城をとり囲んだ。清正(加藤清正)の兵士は城の周囲を埋めつくし、
>竹で作った楯をかざして応戦したが、城の上から射おろされる矢や、投げつけられる石は、雨が降り注ぐようであった。
>清正は、そこで、亀甲車というものを造り、その車に兵士を乗せて、城の下にせまり城の根元に穴を掘った。すると、城の高殿(こうでん)や、物見やぐらが崩れ落ちた。

日本側の城塞攻略方法と言うのは
上の様な物かも知れぬが
此れは銃弾は止まったのかどうかだが
トンネルを掘って城壁下を崩すと言う様な手法も
使われたのかどうかだが
敵のトンネルの迎撃を受け得るかも
知れぬし
亀甲車を用いても同様と言う事かも知れぬが
迎撃は無かった或いは撃退したと言う
事なのだろうか



>竹で作った楯をかざして応戦したが、

此れでは銃弾は流石に
止まらない訳だろうか
590某研究者:2007/08/26(日) 19:00:29 ID:8hNmM3zy
破城槌を使用すればトンネルでの迎撃は無理かも知れぬが
破城槌をロープで引っ掛けて
転倒させた等と言うのが
十字軍辺りで有ったかも知れぬが


http://www.hiro.org/rekishi/hyou/mail/hyou030.html
>石垣のすみの大石をはねはづし。七八間崩す。

穴を掘ったのでは無く石を外して
崩したと言う事かも知れぬし
傾斜して居ない城壁と言うのは
この手の戦術に脆いと言う事かも知れぬが


>亀甲車にも竹束を使っていたと思われます。

>日本で使われなかった理由…鉄砲をサクサク通したからでしょうね。<森本が撃たれたのは良い例

竹は使用して居たが
防弾効果は無かったと言う
事だろうか
591名無し三等兵:2007/08/26(日) 19:10:27 ID:???
確か油落とされて火を付けられて
中身ごと丸焼きにされたこともあったよな。
592某研究者:2007/08/26(日) 19:47:25 ID:8hNmM3zy
http://www.ikedakai.com/rekiyo/heihoyogo-ikusa/ippan.html
>南北朝時代にこれに似たものがすでに造られていたが、

南北朝時代に既に
似た様な物は有ったと言う事だろうか


http://www.geocities.jp/kazzuki2001/isiga.html
>安岐城攻めでは西洋兵器の亀甲車(タートル)が使用された

西洋の破城槌も
使用されていたと言う事だろうが
此れ以前には使用して居たのかどうかだが
593某研究者:2007/08/26(日) 20:34:02 ID:8hNmM3zy
http://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1010/10106/1010668882.html
>戦国末期になると槍穂と柄の間にくの字形の金具を取り付けた鍵槍が普及しました
>槍隊の約8割がこの鍵槍を使用してたそうです。

等と言うのは
事実なのかだが
足軽は通常の槍が多かったと言う
事なのだろうか
594某研究者:2007/08/26(日) 21:00:12 ID:8hNmM3zy
http://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1010/10106/1010668882.html
>薙刀の柄全体に金属板を螺旋状に巻いた構造になってるし

此れは薙刀では無く短い長巻かも
知れぬが


595名無し三等兵:2007/08/26(日) 23:04:28 ID:KS6XO9La

愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした
596ドン・ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/08/26(日) 23:54:29 ID:???
>>585
北アイルランド化・・・
597某研究者:2007/08/27(月) 11:00:05 ID:4TdnVfvV
城壁を崩して突入する際に
近距離から銃撃は受けなかったのかだが
車竹束が有れば銃弾は止まったと言う
事かも知れぬが
砲撃を受ければだろうか
598某研究者:2007/08/27(月) 11:03:11 ID:4TdnVfvV
まあしかし崩れた城壁の部分から
車竹束等持ち込めるのかだろうし
城壁を盾とし銃弾・砲弾を打ち込んで
敵を混乱させてから
突入したと言う可能性も有る訳だろうか
599某研究者:2007/08/27(月) 11:13:42 ID:4TdnVfvV
騎馬武者も下馬時には
足軽や徒歩武者同様の3m以上の長槍を
使用して居たと言う事は
無いのかだが
600名無し三等兵:2007/08/27(月) 11:20:14 ID:???
>>599
乗馬移動時は、3mの槍を持ったまんまでってこと?
流石にそれは、地面に引っ掛けたり、バランス崩したりであぶないよ。
供回りに持たせるならありかも知れないけど、それじゃ供回りの武器は?って話になるし。
601某研究者:2007/08/27(月) 11:32:12 ID:4TdnVfvV
>乗馬移動時は、3mの槍を持ったまんまでってこと?

乗馬突撃時は2m程度の槍だろうが
下馬戦闘時には3m以上の槍を使用したと言う
可能性も有る訳だろうし
従者は予備の槍で援護したと言う事は
無いのかだが


乗馬突撃も追撃時或いは敗走時に
限られていたと言う事だろうが
602某研究者:2007/08/27(月) 11:34:09 ID:4TdnVfvV
>乗馬突撃も追撃時或いは敗走時に
>限られていたと言う事だろうが

まあしかし敗走時は
下馬して馬の入れない森等に逃げると言う事も
多かったと言う事かも知れぬが
603某研究者:2007/08/27(月) 23:56:51 ID:Gqviyclb
騎馬武者とて2mの槍で
3mや6mの槍に対抗するのは
難しいかも知れぬし
下馬時には3m以上の長槍を
使用したと言う事は無いのかだが
604某研究者:2007/08/28(火) 13:54:11 ID:w7J8mY7F
大砲で平壌城が簡単に落ちた事を考えると
亀甲車より接収した大砲を利用した方が
城を簡単に落とせたと言う事は無いのかだが
土の上に石を置き城壁が傾斜した日本側の城には
大砲は有効では無いと言う事なのだろうか
605名無し三等兵:2007/09/02(日) 07:19:06 ID:+vY1Grf4
明鮮軍は長い武器を使っていたの?
606某研究者:2007/09/03(月) 04:40:17 ID:bGU2DwLP
確認は不能だが
盾と剣或いは斧と言った様な
構成が多いかも知れぬが
607名無し三等兵:2007/09/03(月) 12:33:26 ID:???
なんだか大量のアボン表示があるんだが
某研でも湧いたか?
薄い内容を長々と書き散らすからアボンに限る。
608名無し三等兵:2007/09/03(月) 21:44:52 ID:???
あたり
609名無し三等兵:2007/09/09(日) 17:04:31 ID:E7TbF9vj
まともな軍事検証レス まだー?
610名無し三等兵:2007/09/09(日) 21:17:32 ID:cCGKJW1L
慶長の役では攻め足りなかった。
611名無し三等兵:2007/09/10(月) 01:12:14 ID:???
東日本の大名も動員すべきだったな。
612名無し三等兵:2007/09/10(月) 09:16:43 ID:Z/g6v8ub
>>610
一応、禝山会戦後に退いたのは明軍であって、黒田長政、毛利秀元、加藤清正の右軍は天安、清州、鎮川と進撃を続けて秀吉の割地要求した境界の京幾道竹山まで進出している。
613名無し三等兵:2007/09/11(火) 10:38:43 ID:???
日明両軍合わせて30万近いが兵糧調達って不毛なチョン賎半島で賄えたの?
614名無し三等兵:2007/09/11(火) 17:42:34 ID:sPEt5jGb
このスレに対する韓国人の反応
tp://gesomoon.gameshot.net/zboard/zboard.php?id=ECT&page=8&sn1=&divpage=1&sn=off&ss=on&sc=on&select_arrange=headnum&desc=asc&no=3202
615名無し三等兵:2007/09/11(火) 20:49:37 ID:???
>>614
日本語で頼む
616名無し三等兵:2007/09/12(水) 03:05:10 ID:???
>>614
このスレの内容をそのまま韓国語に訳して向こうに流してるけど、そう言うのはよくない。

”ふざけ半分”のレスも多いのだから、”垂れ流し”は誤解を広める元になる。

韓国人の意見を聞きたいのなら、本スレの内容を整理してから送るべき
617名無し三等兵:2007/09/12(水) 17:25:53 ID:???
ルール1.朝鮮人と歴史の話はしない

ろくに勉強しとらん奴は日本・朝鮮問わず論外だが、朝鮮人は例え歴史を勉強していても論外なのだ…
618名無し三等兵:2007/09/12(水) 18:02:26 ID:???
>>615
面倒だろうけど翻訳機使ってくれ

>>616
翻訳は韓国人がやってる
俺があれ貼ったのは連中がネタにマジレスしてるのも含めて「笑いの種にどうぞ」って理由だから
まあ、要するに深い意味はない

>>617
話ししろってことじゃなくてニヤニヤしようぜ!てことだから
619名無し三等兵:2007/09/12(水) 20:07:02 ID:GFiOIQsJ
620名無し三等兵:2007/09/12(水) 20:31:37 ID:???
まあ史料に基づかない仮想戦記や推測君や勉強不足は朝鮮人にすら馬鹿にされても仕方あるまい
知った事じゃない
それがこのスレのレベルじゃねーの
621名無し三等兵:2007/09/13(木) 12:21:15 ID:???
 佐藤鉄太郎

> 海軍大学教官として1908年に『帝国国防史論』を書いた佐藤鉄太郎大佐は、イギリスが繁栄している所以は、欧州大陸に膨張したわけではなく、
> むしろ海軍を養成しつつ、防守自衛の国家戦略をとっているからだと論じた。
> さらに、獲得した満州と朝鮮をあえて放棄することがむしろ帝国日本の安全と国益につながる国家戦略であると主張した。
> 
> 1911年から東洋経済新報で言論活動を始めた石橋湛山も、大陸への進出を訴える当時の大日本主義がもつ危険性を指摘し、戦争を通じて日本が
> 確保した満州と朝鮮などの利権を大胆に棄てる小日本主義を日本が歩むべき戦略として提案した。
> 
> 当時の日本社会の雰囲気から彼らは異端者であったかもしれないが、長い歴史の目からみると、彼ら先達の意見に日本が耳を傾けていたら、
> 太平洋戦争での敗戦はなかっただろう。


朴 栄濬(パク・ヨンジュン) 国防大学校安全保障大学院助教授(韓国)
ttp://www.asahi.com/international/aan/column/050426.html
622名無し三等兵:2007/09/13(木) 13:59:54 ID:???
> 海軍大学教官として1908年に『帝国国防史論』を書いた佐藤鉄太郎大佐は、イギリスが繁栄している所以は、欧州大陸に膨張したわけではなく、
> むしろ海軍を養成しつつ、防守自衛の国家戦略をとっているからだと論じた。

イギリスは欧州以外の世界中に大拡張してたし、
とても「防守自衛の国家戦略をとっている」なんて状態じゃなかったぞ。
623名無し三等兵:2007/09/13(木) 18:49:21 ID:???
> さらに、獲得した満州と朝鮮をあえて放棄することがむしろ帝国日本の安全と国益につながる国家戦略であると主張した。

これがホントかどうかなんだけど、チョンの研究家じゃなく、原典知ってる人いる?
624名無し三等兵:2007/09/13(木) 23:37:26 ID:kZDzD9ED
>>623書いてあるじゃん。
ま、佐藤は和製マハンであって海軍拡張のためのイデオローグとして育まれ持て囃された。
しかし内容はマハンと同じであまり論理的とは言えない。
イギリスの要になりたいとは行っても、東洋には大陸に信用の出来る同盟国は無いので理論倒れ。
625名無し三等兵:2007/09/13(木) 23:39:09 ID:kZDzD9ED
もう一つ。
そう言う海軍権益拡張のイデオローグを持ち出して、
平和論者だとか先見の明だとか我田引水のパッチワーク引用をする
日本人や朝鮮人を見ていると反吐が出る。
626名無し三等兵:2007/09/13(木) 23:40:40 ID:???
じゃあ、今そこで思いっきり吐け
627名無し三等兵:2007/09/14(金) 03:05:51 ID:???
>>624
この世は利害関係で動く。「信用の出来る同盟国」なんかを探してる段階で、お人良しの善人・安部首相並みにダメダメ。
628名無し三等兵:2007/09/14(金) 06:45:07 ID:???
信用というのは、「こちらがこう動けば相手はこう動くだろう」と予測できること。

商売でも本当に信用できる取引相手なんていない、ただ「納期と単価と品質が
こういうものが納入されるだろう」ということが予測でき、その信用の上で取引が
成立している。そこで信用の意味を取り違えて「商取引に本当に信用できる相手
なんていない」なんて言い出したら飢え死にするしかない。

それとも本当に信用できる他人なんているのかい。
629名無し三等兵:2007/09/14(金) 06:47:53 ID:???
>628
その定義だと、韓国・朝鮮は充分に信用できる相手だってことになるなw
630名無し三等兵:2007/09/14(金) 20:22:23 ID:W0W8WY5C
朝鮮は利害でさえも動けずに斜め上に自爆して周りに迷惑をかける信用も信頼もできない国。
631名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:11:41 ID:???
wikiだと
>また、出兵に参加した大名たちによって連れてこられた朝鮮人儒学者との学問や書画文芸での交流、
 そして陶工が朝鮮式の磁器の製法、瓦の装飾などを伝えたことで日本の文化に新たな一面を加えた。
 その一方、多くの朝鮮人捕虜が戦役で失われた国内の労働力を補うために使役され、
 また奴隷として海外に売られたこともあった。 

目的を達成しなかったから戦略的には日本の敗北だけど、
戦争後も睨んだ大戦略の次元では、
日本側が獲得した「戦利品」も含めれば、日本の勝利といえなくもない。
馬鹿ウヨの負け惜しみなんて言うなよ。
632憂国の志士:2007/09/14(金) 21:13:37 ID:gFE5TZ/+
自衛隊の諸官!
見よ!そして考えよ!今何が必要かを。
http://akebono.iza.ne.jp/blog/entry/298411/allcmt/#C420438
633名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:15:52 ID:???
>>630
それって大日本帝国のことか?
当時の日本人と韓国人が良く似ているとでも言いたいのか?
634名無し三等兵:2007/09/15(土) 18:49:57 ID:2zWtQel5
はあ?
635名無し三等兵:2007/09/15(土) 23:59:17 ID:???
個人の韓国人は良いが
団体のチョンは最悪だな
韓国人ですらチョンはイヤだと言ってるしw
636名無し三等兵:2007/09/16(日) 01:12:24 ID:5KAHZoAy
>>631
何が大戦略だよ
朝鮮征伐が遠因で豊臣王国滅亡してんだろ
637名無し三等兵:2007/09/16(日) 01:18:54 ID:5KAHZoAy
>>628
最初から予測って書けよ
638名無し三等兵:2007/09/18(火) 16:47:09 ID:???
明って銃は使ってたの?
倭銃とかさあ
639名無し三等兵:2007/09/19(水) 20:47:27 ID:zGZZorGP
鳥銃な
640名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:30:22 ID:???
明書によると三八式歩兵銃使ってたらしい
641名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:49:39 ID:???
>640
鳥銃は”鈍器”、三八式は”刺突武器”。
同じ白兵戦用だからっていっしょにしちゃいやん
642名無し三等兵:2007/09/22(土) 18:10:11 ID:???
>>1
愛・蔵太の少し調べて書く日記
2007-08-31 夏の終わりの気分です
■[日本人奴隷]既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる
 これは以下の日記の続きです。

→「日本人奴隷」について読んでおかなければならないテキストのメモ(日本語のみ)

 ということで、ネットで流れている「戦国時代の50万人日本人奴隷説」の大もととなっていると思われる『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)のテキストの当該箇所を読んでみたのですが。
 いやはや。
 これはどうにもこうにも。
 実はその元となるテキストが、ちゃんと書名つきで書かれているではありませんか。
 ネットであれこれ探してたりしないで、さっさと原典に当たればよかったんだよな。下巻p96-97

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録がのっている


(二版では憲兵命令で削られた)。
643名無し三等兵:2007/09/22(土) 20:02:33 ID:???
>日本の教育界って意外と「ミッション系」」が多いですからね。「キリスト教の黒歴史」を教えるのは
>「共産主義の黒歴史」を教えるのと同じぐらい「無言の抵抗」があるのではないのでしょうか。

キリシタン大名が50万人の日本娘を奴隷に売却
http://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/26178185.html
644名無し三等兵:2007/09/22(土) 21:17:09 ID:???
↑ の 「50万人」という数字は天正少年使節団がヨーロッパで聞いた話だから正確な
数字では無いかも知れない。
それに西洋人は東洋人の顔を判別し難いから、東アジア人奴隷全般の数字の可能性も有る
645名無し三等兵:2007/09/24(月) 00:48:12 ID:???
50万て、、当時の日本の人口が2000万弱だろ
九州周辺から女性だけ50万も抜いたら大変だわ。

しかし自国領の労働力を奴隷として輸出することにメリットがあったのだろうか?

日本も朝鮮では販売用奴隷として捕虜をとったというが…
植民地や征服した異民族の販売ならわかるんだがね。
646名無し三等兵:2007/09/24(月) 00:58:39 ID:???
田畑や可耕地の面積には限りがあるから、一定以上の人口は余剰労働力になりかねない。
それとバーターに硝石などを輸入して軍事力を強化し、その軍事力で領土を拡張、というのも
バランスさえ取れれば選択肢としてはありうるのでは?
647名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:43:54 ID:???
あとは、一向宗徒のような居ても持てあますような連中か?
とはいえ、女子供で50万ってのは多すぎ。
それだけ一時にいなくなったら人口構成が歪み、回復するまで百年かかる。
648名無し三等兵:2007/09/24(月) 02:17:25 ID:???
この次期ではまだ開拓可能の地域をすべて開拓したという認識だったのか?
農業以外への転職も容易になってきた頃合で九州では一向宗も少ない。
もともと日本は奴隷文化が希薄だし…
50万は無いにしてもこの話は資料が少な杉だよね。


649名無し三等兵:2007/09/24(月) 02:18:39 ID:???
皆無とは思わないが当時のキリスト教を批判するための
仏教側の誇張が大きいのではないか?
650名無し三等兵:2007/09/24(月) 02:31:44 ID:???
>>645
しかも若い女性らしいwwww
651名無し三等兵:2007/09/24(月) 03:17:53 ID:???
ttp://blogs.yahoo.co.jp/yaninattyauyo/26178185.html
正直このサイトに書かれていることは現時点では信じられないな。

50万という数も異常だし、
そのキリシタン大名が50万人の日本娘を奴隷に売却の
本を書いた鬼塚英昭って人を検索したらバーガミニの「天皇の陰謀」を元に半藤一利を批判したり、
鹿島昇の明治天皇すり替え説を信じているらしい。
ユダヤ陰謀論みたいなこと言ってるし、
この人陰謀論者じゃないのか?
かなり怪しげである。

>徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版
>天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書

徳富蘇峰の著書という二次史料と
天正少年使節団の報告書という一次史料が元になってるみたいだが史料の原文か釈文を見ないとなんとも言えないな。


>ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、
>ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、
>日本に火薬を売り込み、
>交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

これは、どんな史料を元にしているんだろうか?

怪しすぎる。
652名無し三等兵:2007/09/24(月) 08:26:42 ID:???
だが当時国産出来なかった硝石を大量に輸入し奴隷を輸出していたのは事実だろう。
653名無し三等兵:2007/09/24(月) 08:30:50 ID:???
コラム:大西洋奴隷貿易時代の日本人奴隷

池本幸三/布留川正博/下山晃共著
『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』
人文書院、1995年
ttp://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
654名無し三等兵:2007/09/24(月) 08:50:49 ID:???
奴隷売買は近世日本国民史の「朝鮮役」じゃなくて、「豊臣氏時代乙篇」
手元にあるのは普及版、そこに「九州御動座記」の奴隷の部分があるが、「朝鮮出兵従軍記者」というのはありません
九州御動座記なら群書類従か何かにあるのではないですか
朝鮮役調べてる人が朝鮮出兵従軍記者と言われて思い浮かぶのは宣教師じゃなくて慶念では
慶念が書いてるのは朝鮮人が売られる所ですね

近世対外交渉史論という本をちょっと見ると
朝鮮役の朝鮮人被虜人の総数は初めは李朝実録などにより5万人とされたが、調査により2〜3万人と訂正された
その後20年間に刷還された者が7500余人、差し引き2万人が日本社会に吸収
または東南アジアからヨーロッパまで転売されたとあります

奴隷価格については、イタリア商人カルレッティが慶長役の頃長崎で買った奴隷は一人2.4スクード(銀120目、米価で約二石四斗)
インドのゴアに連行し、内一人をフィレンツェに連れ帰ったそうです
同じ人が西アフリカのベルデ岬諸島では一人170スクードで奴隷を仕入れ、ペルのリマで400スクードで手放しています
これを見ると長崎は奴隷が非常に安かったようです
655名無し三等兵:2007/09/24(月) 09:22:37 ID:???
近世日本国民史の遣欧使節は豊臣氏時代丙篇ですね
手元にあるのは普及版(の初版)、奴隷について書いた報告書はありません
656名無し三等兵:2007/09/24(月) 10:43:02 ID:???
>652
当時の日本は世界有数の鉱業国だぞ。
硝石輸入は金銀銅鋼だけでも賄える。

つか、奴隷貿易はそれほど利幅が大きくないので単独では成立しない。
アメリカ行きの黒人奴隷が商売になったのは、三角貿易だったからだ。
657名無し三等兵:2007/09/24(月) 11:14:11 ID:???
>>656
鉱石も輸出し同時に奴隷も輸出していたのが事実。
658名無し三等兵:2007/09/24(月) 20:11:17 ID:???
奴隷に関しては資料少ないなぁ、日帝の仕業か?
659名無し三等兵:2007/09/24(月) 22:49:06 ID:???
そもそも奴隷に興味がない
660名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:13:17 ID:???
クラセは曰く
耶蘇教師等が、長崎に居住を定むる時は、戸数五百に満たなかったが、其の後欧州の船舶来泊し
日を追て繁盛に赴き、1590(天正十八)年に於ては、欧州の商船、三月より六月迄碇泊するの際
各地より来往する商工を除き、土着の者のみにて、五千人の多きに達した

大村家覚書に曰く
元亀元年春、南蛮人長崎に入津して、商売せん事を、純忠(大村)に請ふ
元亀二年三月、純忠家士朝長対馬に命じて、長崎町割奉行とし
島原町、大村町、文知町、外浦町、平戸町、横瀬浦町を地割す
右六町を内町と云ふ、是所を蛮舶商(イ古)の津と定む
爾後南蛮船年々入津繁栄によりて、段々町数立添、慶長年中には、内外の町数合して、六十六町となれり


宣教師は伝道の手段としてまず大名をとりこにし、改宗は上より命令的に宣告する事を考えた
宣教師の文書によれば大友宗麟、大村純忠は模範的大名だった

宣教師は貿易の鍵を握り、島津氏も宣教師に商船の来泊さえ保障すれば宣教の保障をあたえるべしと云った
(鹿児島に耶蘇教の足溜を作ろうとしたが騒動が起こり中止)

ワリニヤーニは、耶蘇会の勢力を九州の治者階級に扶植するため、有馬に貴族の少年子弟を教養する学校を建設し
神学、言語、図画、彫刻、音楽を学習させた
ローマに特派した大友、大村、有馬の使節たる四人はここで学習(天正十年出立)

九州に於ける耶蘇教最初の流行地たる豊後には、1586年(天正十四年)一万五千人の受洗者あり、六万の信徒あり
有馬、及び大村に於いては、十二万人の改宗者あり、九州全土では二十万近かった

彼らは九州に於ける大名、及び諸将を支配し、且つ貿易の鍵を以て、与奪、操縦の権を逞しくした
宣教師等は、時としては諸大名の内治外交にも関係し、調停者ともなった
兵器弾薬も彼らの手で供給された
彼等は九州に於いては潜在したる耶蘇王国を建設した
661名無し三等兵:2007/09/27(木) 13:43:24 ID:???
あげ
662名無し三等兵:2007/09/29(土) 09:40:16 ID:pXAokFz1
文禄の役で全羅道軍が明軍に北上合流した作戦はなんか意味があったの?
確保地域が余計手薄になる気がするんだが?
663名無し三等兵:2007/10/02(火) 10:37:01 ID:???
>>660
そういう陰謀論はレスしなくていいです
664名無し三等兵:2007/10/02(火) 13:28:34 ID:04sWbfWb
>>662誰かの命令だったのかな?
665名無し三等兵:2007/10/03(水) 01:21:21 ID:uMcw0hhw
日韓の信頼できる資料を調べて軍事的な観点から考察した
秀吉の朝鮮役の戦史研究本で何かオススメのやつはある?
666名無し三等兵:2007/10/03(水) 06:54:56 ID:???
>>788
「信頼できる史料」を他人に決めてもらおうと考えている時点でダメダメ。
667名無し三等兵:2007/10/03(水) 11:29:57 ID:SNwUMdGW
>>665どちら側にも偏向しているので、史料を読んで、史料批判で判断しないと駄目。
668名無し三等兵:2007/10/03(水) 17:19:05 ID:???
>>663
日本は幸い「陰謀」のままで終わったと言えるかもな。陰謀が顕在化して隷属されて
いったのが他のアジア・アフリカ・南北アメリカ大陸の住民達
669名無し三等兵:2007/10/05(金) 14:29:38 ID:???
秀吉のカウンターパートは誰?
670名無し三等兵:2007/10/08(月) 13:45:37 ID:C9s3wxTc
万暦帝
671名無し三等兵:2007/10/08(月) 21:02:06 ID:???
バカとは思ってたがここまでバカとは…
672名無し三等兵:2007/10/09(火) 04:37:33 ID:???
秀吉は出征する前のいつごろから半島内をスパイしてたんだ?
673名無し三等兵:2007/10/10(水) 20:07:28 ID:Ag073qMf
壬辰倭乱 三大捷
倭奴涙目
674名無し三等兵:2007/10/10(水) 21:15:54 ID:???
戦国時代は国内での奴隷売買も盛んだったし、売却対象が国外に移ったからってそう不思議な事か?
675名無し三等兵:2007/10/11(木) 00:17:58 ID:???
国内での奴隷売買?
ぜひ詳しく解説してくれ。。
676名無し三等兵:2007/10/11(木) 11:57:25 ID:???
>>675
横レスだが、有名な例は信濃志賀城を攻め落としたとき、
武田晴信が城中の者のうち男はなで斬り、女子供は奴隷として売り飛ばした例だけど、

常陸国の寺社の記録では上杉軍の小田原征伐の度に、
上杉方が滞陣した門前町の市で乱捕りで得た人身売買を行なってた記録が残ってるそうな。
東日本じゃ一般的だったんかね。
677名無し三等兵:2007/10/13(土) 01:31:37 ID:???
若い♀奴隷50万人輸出説はここにもレスされてたとはね。
国内で奴隷のメリットはねえだろ。
貧乏人やら奴隷と変わらんような身分の連中がウヨウヨいるんだからな。
それに、国内で流通させるのとヨーロッパに輸出するのとでは大違いだ(どうやって50万人運ぶんだよ?)。

思うに、在日か何かがヨーロッパに濡れ衣を着せて日本に国際的に見て痛い主張をさせて日本のイメージダウンでも図ろうとしてるんじゃねえか。
678名無し三等兵:2007/10/13(土) 07:29:16 ID:???
鬼塚英昭って人の『天皇のロザリオ』って本が元ネタらしい。
679名無し三等兵:2007/10/13(土) 12:23:07 ID:???
そもそも奴隷の概念が異なるんだろう。
国内の人身売買を奴隷売買とを同じ意味で捉えては逝かんと思うぞ。

農民と農奴を一緒にするようなものだ。
680名無し三等兵:2007/10/14(日) 13:13:13 ID:???
日本の場合は誰が誰を奴隷にして何に従事させたんだ?
根本的なことが明示されてないんだが…
681名無し三等兵:2007/10/14(日) 14:15:39 ID:???
日本史の学会には左寄りの人が多いからねぇ…
マルクスの人は根本的に常識が異なるし、
わかり合えない
682名無し三等兵:2007/10/14(日) 14:23:44 ID:???
>>681
何の話?
683名無し三等兵:2007/10/14(日) 20:19:16 ID:???
奴隷の話だろう。

日本史の有力研究家に左よりが多いのは事実なのかな。
やたら悲惨な面ばかりを強調して搾取の視点から歴史を紐解きたがるので、
江戸期の百姓がはロシアの農奴と同様の扱いを受けてしまうことも、、
684名無し三等兵:2007/10/14(日) 21:28:19 ID:???
それは読み手の問題じゃないのか。

百姓が農奴と同じなんて主だった研究者が言ってるって?知らないな・・・・。
日本の百姓なんて平民と同じ意味だよ。
ピンキリで大名並みから奴隷並みまで居る。
685名無し三等兵:2007/10/18(木) 11:42:12 ID:???
無能農奴がすぐに朝鮮人参作るから戦争で滅ぼして鎖国したんだよね
686名無し三等兵:2007/10/18(木) 19:41:38 ID:YHfaiQvW
島津は国内外で色々連れ去りをやっていたみたい。
687名無し三等兵:2007/10/18(木) 19:46:24 ID:???
「色々」の中身が重要なのだが。
688某研究者:2007/10/19(金) 13:03:36 ID:Skapp5gq
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html
> 17世紀初頭、明に戦いを挑んだ新興の清
>(女真・満洲)は、当初火器を殆ど有しませ
>んでしたが、
>弓矢・刀槍による突撃戦のみで度々明軍を打
>ち破りました。明軍は戚継光や趙士禎の教え
>に従い、
>主に戦車(荷車に盾と砲を備え付けたような
>代物)に隠れて火力を恃み戦いました。しか
>し、
>数量的に乏しい鳥銃と、数は多いが威力が無
>い旧式手銃では、射撃のみで清軍を退けるこ
>とは出来ませんでした。

戦車が有って騎兵に蹂躙されたのかだが
精度の低いフランキや手銃では
徒歩の兵も阻止出来ず
下馬騎兵と歩兵に乱入されたと言う
事なのだろうか
689某研究者:2007/10/19(金) 13:06:14 ID:Skapp5gq
> ちなみに、この会戦に参加して精強な満州
>騎兵の突撃を喰らったある朝鮮兵は、以下の
>ような
>手記を残しています。
>「賊騎斉突し来ること勢風雨のようである。
>砲や銃は一発放った後に次を装填する暇も無
>く、
>賊騎はもう陣中に突入している。」
>「夕陽下にただ矢を射ること雨の如く、鉄馬
>の進退するを見るのみ。恍惚として形容の辞
>も無い。」

戦車で騎兵を防御出来なかったのかだが
数は余り無かったと言う事なのだろうか
(槍兵での騎兵防御と言うのは
 明・朝鮮軍には無理だったと言う事かも知れぬが
 戦車や槍が無く共
 土塁等を利用すれば勝てたかも知れぬが)
Posted by 某研究者 at 2007年10月19日 06:32
火縄銃を装備する日本軍でさえ
騎兵は槍兵の援護や
土塁無しには阻止は
発射速度の問題で無理だろうし
明軍に火縄銃が大量に有ろうと
騎兵に突入されていた訳だろうか
690某研究者:2007/10/19(金) 13:07:05 ID:Skapp5gq
>西洋やトルコの小銃を命中率・殺傷力で鳥銃
>を凌ぐ優れものとして紹介しています。

照門の無い西洋の銃の精度が
日本より上なのかどうかだが
トルコの物には有ったのかだが
691某研究者:2007/10/19(金) 13:13:08 ID:Skapp5gq
日本軍の騎兵が突入したら
明の兵は地形や杭等が無ければ
阻止は困難かも知れぬし
銃撃で混乱させつつ騎兵が早期に突入するだけで
片は付いたかも知れぬが
日本側の騎馬武者や足軽は早期の突撃等は
しない訳だろうし
銃撃戦を選んだと言う事だろうか
(銃撃で敵を混乱させた後足軽と騎馬武者が同時に突入したと言う
 事だろうか)
692名無し三等兵:2007/10/19(金) 18:49:45 ID:L94CCrht
韓国人がやたらと強力な朝鮮騎兵で日本軍に勝利しまくったかのようなことを言い触らしているんだが。
実際の朝鮮軍の騎兵運用はどうだったの?
なんでも東北の方で加藤清正を追い払ったとか。
人間が大量に餓死しているのに騎馬と騎馬兵の維持ができたのでしょうか?
693某研究者:2007/10/19(金) 23:29:59 ID:Skapp5gq
長槍足軽を突破出来る騎兵が居たのかどうかだが
槍足軽も隊列が銃撃等で乱れればだろうが
明軍の騎兵は野戦で日本に撃破されて居ただろうか
694某研究者:2007/10/20(土) 00:40:31 ID:ZZ7cnoaX
日本刀が脅威と有るが
精度の高い火縄銃兵や
明軍には居なかった長槍兵が
脅威だったと言う事は無いのかだが
日本刀も軽い刀を両手で振るので
剣速が速く防御困難だったと言う事は
有るかも知れぬが
切れ味は装甲相手には無意味な訳だろうが
日本刀をメイン武器にした兵は少数しか
居なかった訳だろうか
695名無し三等兵:2007/10/22(月) 08:51:10 ID:/1E4x8P/
武器が弱かったから負けたと報告するのは敗将にありがちなこと。
朝鮮も鉄砲が無いから負けたとか言い訳しているが、実質的な問題は装備面より報奨や出世などの運用だよ。
明や朝鮮の兵士は勝つ見込みも見えないし、やる気がなかった。
696名無し三等兵:2007/10/22(月) 20:13:42 ID:/1E4x8P/
士気の問題だな。朝鮮では一歩間違えば手柄は粛正を招く。
697名無し三等兵:2007/10/22(月) 20:23:06 ID:???
奇襲による短期決戦など愚の骨頂
まあ、土人は見つけ次第殲滅するが
土人を見たら速攻で潰せ、言い訳は聞くな、どうせたいしたことは言ってない
698名無し三等兵:2007/10/24(水) 21:35:40 ID:3sTlqP+v
救いがたしは現地人
699名無し三等兵:2007/10/25(木) 16:54:03 ID:???
秀吉が倭寇を奨励して朝鮮、明を疲弊させる戦略を採らないのが不思議だ。
倭寇の取締りを依頼されたときに天津に駐屯所を要求し、そこを根拠地に
北京占領みたいなシナリオを考えそうだけどね。如水とかは
700名無し三等兵:2007/10/25(木) 17:36:59 ID:???
700get
701名無し三等兵:2007/10/25(木) 23:03:46 ID:???
>>699
倭寇の約85%は非日本人だからなぁ
言葉の違う海賊と上手くナシつけられるかどうか
702名無し三等兵:2007/10/26(金) 03:28:42 ID:???
>>701
> >>699
> 倭寇の約85%は非日本人だからなぁ
> 言葉の違う海賊と上手くナシつけられるかどうか

敵国の反体制分子やら不平分子やらを焚きつけて
敵を弱体化させるのは戦略の常道だろう。
漢字のお陰で筆談も可能だし、通訳できるヤツも
ゼロってわけではなかろう。
なにせ大物の偽倭ともなると日本に屋敷を構えてる
のもいたんだから。
大筋で合意できりゃあとは好き勝手にやらせとけばいい。
703名無し三等兵:2007/10/26(金) 20:30:23 ID:wnEAhLKF
相手を滅ぼす気もない倭寇などあてになるか?
704名無し三等兵:2007/10/26(金) 21:22:26 ID:???
なんね
705某研究者:2007/10/26(金) 21:27:03 ID:h5ZGA+yA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%95%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>後金軍は火器への対策として戦場で下馬した
>兵士が接近して塹壕を突破し、その後に騎兵
>が突撃をかけるという戦法を編み出してお
>り、この戦いでもその作戦を取ろうとした

明軍も塹壕は一応使用していた訳だろうが
騎兵を阻止出来る深さの物では無かったのだろうか
(下馬した歩兵の突撃を火器で阻止出来無かったのは
 手銃やフランキの精度が低い故だったと言う
 事だろうか)


>続いて潘宗顔の陣を攻撃した後金軍は、下馬
>した兵によって敵の戦車を排除した後、騎兵
>の突撃を行い、潘宗顔も壊走させた。馬林・
>潘宗顔の敗報を聞いたイェヘの援軍は後金軍
>との戦いを放棄し、自国に撤退した。

戦車も陣地全周を覆っていたのかも知れぬが
歩兵に排除されて居る訳だろうか
(テルシオの様に
 騎兵を阻止出来る程深い塹壕でも
 掘れば良かったと言う事かも知れぬが)
706某研究者:2007/10/26(金) 21:28:19 ID:h5ZGA+yA
>朝鮮軍の姜弘立は鳥銃(日本式鉄砲)と長槍
>で前面に防御線を展開してこれを迎え撃った
>が、大風が吹いたことによって火器の発した
>煙が巻き上がり、それに朝鮮軍が視界を奪わ
>れた隙をついて後金軍の騎兵が接近、突撃し
>て前衛を突き破った。

一応長槍での騎兵防御も考えて居た様だが
煙が巻き上がって視界を塞ぐ等と言う様な事が
有るのかだろうし
後方の指揮官は兎も角
前線の銃兵の視界は塞がって居たのかどうかだが
707某研究者:2007/10/26(金) 22:26:53 ID:h5ZGA+yA
http://www.imidiot.com/ja/wiki/%E3%83%8C%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%81.html
>戦闘中に砂塵が舞い上がり、これに乗じて明
>へ奇襲をかけることが出来た事などが幸い
>し、大勝した。これはサルフの戦いと呼ばれる。

砂が舞い上がって視界が塞がれたと言う
可能性も
有る訳だろうか
708某研究者:2007/10/27(土) 00:45:50 ID:HYVRPXf+
http://salad.2ch.net/warhis/kako/1006/10068/1006847999.html
>ヌルハチは半数の兵を下馬させて工兵ととし
>て使い戦車の防衛線を突破し、後続の騎兵に
>よって左側中路軍を完全に壊滅させた。

塹壕を火器を避ける為に
塹壕内部に隠れた工兵が埋めた後
騎兵が突入したと言う様な事は
無いのかだが
709某研究者:2007/10/27(土) 09:46:05 ID:HYVRPXf+
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-05.htm
上の長篠の様な土塁・壕を築いても
ヌルハチには通用しなかったのかどうかだが
塹壕が埋められたのは
手銃の精度や発射速度の遅さが
災いしたと言う事も有るかも知れぬが
塹壕の歩兵に対し近接戦に持ち込めば
清軍も弓は使用出来ぬ訳だろうが
歩兵の近接戦能力も明は清に劣っていたと言う
事かも知れぬが
710名無し三等兵:2007/10/27(土) 15:08:52 ID:znQZrlG+
**************** 応援頼む!*****************
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/10/inspectors-map-of-ulleungdo-shows.html
竹島に関する英語のブログで、日本と韓国のどちらに属するのかアンケートしてる。
・・・がしかし!
韓国の「ネチズン」どもがこのブログを知り、韓国が上回ってしまった。
本当の歴史を知らせるためにも『Japan』に一票を!
Japan 4701 (42%)
Korea 6271 (57%)
I don't know. 27 (0%)
スレ立てや他のスレの方にもコピペしていただければ幸いです。
**************** 応援頼む!*****************
711名無し三等兵:2007/10/27(土) 15:56:03 ID:???
>>702
人員の大半は現地人で、幹部は日本人とか言う後期倭寇も結構記録に残ってるから、意外に馬鹿に出来ない罠
712名無し三等兵:2007/11/02(金) 15:13:00 ID:???
清は相手が明や朝鮮みたいに腐った政体でなく、消耗戦や長期戦をやられたら耐えられないだろ?
713名無し三等兵:2007/11/02(金) 15:18:12 ID:???
本物の羽柴秀吉は荀或かwwwwwww
714名無し三等兵:2007/11/02(金) 19:10:29 ID:1MCV0/oz
>>713どこが?
715名無し三等兵:2007/11/03(土) 11:48:43 ID:???
勝とうが負けようが秀吉にはどっちでも良かった。
716名無し三等兵:2007/11/08(木) 13:44:06 ID:???
豊臣政権強化出兵
717名無し三等兵:2007/11/08(木) 15:56:41 ID:???
勝てば浪人へ与える恩賞の土地が入るし、負けても浪人側から「戦争はこりごり」ってなるわけだ
一応は過剰軍人の雇用問題の解決にはなるか
718名無し三等兵:2007/11/09(金) 13:25:30 ID:???
おまけに出征の留守中に豊臣政権が外様大名の領土を立ち入り検地して名目以上は没収されることもあった。
719名無し三等兵:2007/11/09(金) 13:29:58 ID:???
そういえば、上杉謙信誰だったんだ?
720名無し三等兵:2007/11/09(金) 19:25:01 ID:???
えーと、つまり
「こちら秀吉、軍事力を持て余す」
状態の解消って事?
721名無し三等兵:2007/11/09(金) 20:21:27 ID:XiP6WCLQ
大阪の陣だって、仕事がないからって殆ど勝ち目の無い豊臣方に10万人近い浪人が一攫千金で徳川に敵対したわけだ。
722名無し三等兵:2007/11/09(金) 20:24:18 ID:PLV6BTCr
朝鮮出兵で帰国できずにそのまま朝鮮に帰化した日本人は相当いないの?
723名無し三等兵:2007/11/09(金) 21:55:42 ID:Hrc7r+Fm
帰順日本武士たちは
結局、気が変わられて
みんな、殺されてしまったんだろう?
だから、子孫はだれも残ってないだろう?
724名無し三等兵:2007/11/09(金) 21:58:49 ID:???
>>722
あんな不毛の地に好き好んで帰化するアホがいるとも思えん
日本がイヤなら山田長政やルソン助左衛門みたく東南アジアで仕事すりゃいいし
725名無し三等兵:2007/11/10(土) 09:06:16 ID:6XsDvIfb
>>724
よっぽど政治的な理由がなきゃ半島帰化なんかしないだろ?
拉致られて日本から帰国した被虜の大半は選択権があるのに日本に残った。

戦後と同じたな。
726名無し三等兵:2007/11/14(水) 19:02:44 ID:???
質問スレに出兵関係があがっていたね。
727名無し三等兵:2007/11/15(木) 21:42:32 ID:???
●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 422
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1194957404/

29 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2007/11/13(火) 22:41:19 ID:gn13Nws7
朝鮮出兵で日本軍が補給不足になった話はよく聞きますが、
明軍や朝鮮軍の補給は上手く行ったのでしょうか?

31 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/13(火) 22:48:23 ID:???
>>29
朝鮮軍は自国が戦場だから問題なかろ
明軍も地続きな分日本より有利だろうし、日本軍と同じく民衆から略奪しまくってた
しかも明軍の方は朝鮮を守る名目で出兵してるから日本より公然と出来た

33 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/13(火) 22:49:40 ID:???
>>29
上手くいってない。
両方とも現地の収奪で賄っている。

34 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/13(火) 22:54:34 ID:???
地続きといっても平壌から北の遼東〜山海関の間は荒地で人家もまばらな上に
道もひどいんで地の利なんて有って無いようなもんだけどね。
728名無し三等兵:2007/11/15(木) 21:59:14 ID:???
108 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/11/14(水) 07:28:46 ID:???
>>29
日本史スレの最新レスじゃ不満?
朝鮮軍は大規模作戦ができなかったし、明軍も何度も攻勢挫折をしている要因の一つには補給不足がある。なにしろ、どちらも大規模作戦自体が日本より不活発だ。
中世の戦争は長期駐屯は現地調達が基本、むしろ海漕が充実していた日本のほうが補給は有利じゃない?
何しろ朝鮮は未開で、明が軍資金の銀で現地調達をしようとしたら、貨幣が流通していなくて困った記録もある。
朝鮮への恩賞も現物の食料のほうが何倍も喜ばれていた。
両軍の情勢を見なきゃ、簡単に戦争は評価できないのはどこも一緒。

664 日本@名無史さん 2007/11/13(火) 08:06:08
鴨緑江以東の明軍への食量調達は李氏朝鮮の担当だった。
しかし上手く行かずに近傍への略奪多数、それでも足りずに攻勢時には馬は弊死するし兵も凍死や食料不足に苦しんだ。
もっとも、李氏朝鮮の調達の時点でかなり強引なことをやったので統治破壊どころか流民を大量に作った。
流民は敵も襲えば、味方や友軍や良民も襲って混乱を広げた。
729名無し三等兵:2007/11/17(土) 00:09:35 ID:???
特に目新しいレスはないな
730名無し三等兵:2007/11/17(土) 00:11:37 ID:???
この辺は壬辰戦乱史を参考にしてるよ
731名無し三等兵:2007/11/17(土) 06:01:10 ID:???
>>730
どの辺?
732名無し三等兵:2007/11/17(土) 11:56:51 ID:???
他の朝鮮での戦争も補給困難というか、現地調達不良だったの?
733名無し三等兵:2007/11/18(日) 13:48:39 ID:???
常に荒廃させた土地だからな。
734名無し三等兵:2007/11/19(月) 11:35:19 ID:???
10万人分の食料があれば人口は10万人増える
閉じられた社会では人口=食料生産能力

他所から10万人入ってくれば10万人分の食料が足らなくなる。

結論、朝鮮軍がまともに戦争しないので死人がでず
人口減らないので現地調達不良になる。
735名無し三等兵:2007/11/20(火) 19:54:24 ID:KngOb16L
朝鮮軍は農民軍?
736名無し三等兵:2007/11/26(月) 11:03:07 ID:???
戦争が始まってからの徴兵だろ?
737名無し三等兵:2007/11/26(月) 22:47:38 ID:???
日本軍に討ち取られた朝鮮の武将「李億祺」の名をつけた潜水艦
西太平洋潜水艦救難訓練に参加
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071126-00000015-yonh-kr
738名無し三等兵:2007/11/27(火) 21:31:39 ID:???
李舜臣が倭将加藤清正に送る降参勧告文書
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&page=2&nid=347225

本当かよ?
739名無し三等兵:2007/11/27(火) 23:24:46 ID:???
ありえねーwwwwwwwwwまたいつもの捏造に決まってんだろ
740名無し三等兵:2007/11/30(金) 01:03:26 ID:???
李と清正は接点が無いだろ
交渉するならもっと適任な人物がいくらでもいるだろうに

何ですぐわかる嘘つくねん?
741名無し三等兵:2007/11/30(金) 18:49:56 ID:???
朝鮮軍の被害は?
742名無し三等兵:2007/11/30(金) 19:49:08 ID:???
明同様にボロボロだろ
実際、その後は清によって朝鮮は征服されて属国にされたし、明に至っては滅亡させられた
743名無し三等兵:2007/12/01(土) 03:39:14 ID:???
国土を荒廃させたままにしておくのが彼らなりの国防戦略だったのかもな
744名無し三等兵:2007/12/01(土) 11:55:03 ID:???
>>743
それを貧国弱兵論と称すらしい。
詳しくはググれ。
745名無し三等兵:2007/12/01(土) 17:25:48 ID:???
なにそれ?
746名無し三等兵:2007/12/01(土) 17:43:11 ID:???
>>744
継続的な焦土戦術みたいなモン?
747名無し三等兵:2007/12/01(土) 20:35:51 ID:???
李氏朝鮮は平時から半焦土化しているからな。
748名無し三等兵:2007/12/02(日) 00:07:54 ID:???
北朝鮮が実施中とか
749名無し三等兵:2007/12/02(日) 05:45:07 ID:???
>>748万年緩衝地帯の知恵だね。
750名無し三等兵:2007/12/02(日) 07:59:18 ID:uqGTu3Ks
堅壁清野を地でいく国
751名無し三等兵:2007/12/02(日) 08:34:50 ID:80vG6YAc
>>741
参考で文禄で六万損失という数字があるけどね。
752名無し三等兵:2007/12/02(日) 09:07:48 ID:???
李朝も初期〜1500年代前半までは繁栄してたんだがなあ。軍事的にも文化的にも。
それが、とある王様が『武器をもつのは野蛮。舌先三寸で屈服させればよい。』とか言いはじめて兵力削減開始。
人員をどんどん減らしていく。
鎧を頭数分そろえない。
訓練を減らして練度不足にする。
ポルトガル人が紹介した火繩銃を採用しない。

重臣のなかには『十万養兵論』なんて至極まともなことを唱える人もいたが無視。
俺にしたら朝鮮軍が日本軍を破った戦いがあるのが不思議なくらい。
753名無し三等兵:2007/12/02(日) 09:13:03 ID:???
常備軍削減は別に最悪な政策でもないだろ
浮いた金がどこにいったのかは知らないが
754名無し三等兵:2007/12/02(日) 09:31:25 ID:???
最近、母の影響で見てる韓ドラはとても参考になる。
あれじゃ勝てない。
755名無し三等兵:2007/12/02(日) 09:39:35 ID:???
野党議員や市民団体ならともかく、国王が
「舌先三寸で屈服させればよい。」なんて言えるのは凄いな
相当自信が無いと言えないよ
756名無し三等兵:2007/12/02(日) 10:50:58 ID:???
あのな。
全くのお花畑ばかりじゃ無い、秀吉がほぼ統一を果たしたころから、そろそろ危険だと準備を始めている。
亀甲船なんて、船の建造やら搭載砲の輸入やらで、充分な予算と期間が必要だ。
問題は「お花畑が殆ど」だった事だ。


……駄目じゃん
757名無し三等兵:2007/12/02(日) 11:25:01 ID:80vG6YAc
>>756
倭寇の対症療法として水軍はわりと充実していたんだが基本が腐っているからな。
まともな奴が少数いても、既得権益に潰され続けた。
758名無し三等兵:2007/12/02(日) 14:21:23 ID:???
>>752
朝鮮軍が日本軍を破った戦いって、具体的になんのこと?
大・中規模で朝鮮が勝った戦いなんかあったか?
759名無し三等兵:2007/12/02(日) 14:58:17 ID:???
>>756
文禄役が始まった時、朝鮮水軍に亀船はまだない
760名無し三等兵:2007/12/02(日) 15:07:51 ID:???
>>759
あったよ。その後、日本水軍に壊滅されて終戦まで、再建されなかった。
761名無し三等兵:2007/12/02(日) 15:21:53 ID:???
>>760
亀船は開戦してから完成した
762名無し三等兵:2007/12/02(日) 15:48:01 ID:???
>>761
開戦のもっと前からあったよ。
763名無し三等兵:2007/12/02(日) 16:10:48 ID:???
あったあったじゃわかんないからソースを出し合ってくれよ・・・
764名無し三等兵:2007/12/02(日) 16:40:49 ID:???
>>762
亀船という船はかなり前からあった
しかし文禄役開戦時に亀船はない
765名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:02:10 ID:???
>>763
開戦2ヵ月後の李舜臣攻撃(二回目出動)に集合が間に合って、参加しているよね。
開戦後に作っていたら間に合わないよ。
出典、乱中日記。
766名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:37:43 ID:???
開戦時にはまだない
その2回目に出撃した亀船は3隻だ
1回目にはいない
767名無し三等兵:2007/12/02(日) 17:59:09 ID:???
じゃあ李舜臣の手元にいないだけで配備も保有もされてたんじゃん。
768名無し三等兵:2007/12/02(日) 20:51:03 ID:???
あーすまんw、亀船は開戦時一艘完成していたようだ
文禄元年四月に一艘だな
前年に三艘の新造を決めた
それまで亀船は配備されていない
769名無し三等兵:2007/12/02(日) 20:58:25 ID:???
李舜臣が全羅左道水使になったのは1591年2月13日だな
亀船は李舜臣の命で建造した
それまでは配備されてない
770名無し三等兵:2007/12/03(月) 07:07:48 ID:???
それ以前にも亀船はあったがな。
771名無し三等兵:2007/12/03(月) 21:10:10 ID:???
>>768
ねっ?在ったでしょ。
確認は金在瑾本かな?
772名無し三等兵:2007/12/04(火) 00:52:58 ID:???
朝鮮人チェッカー

・名字に東西南北、金、新井、大木や正対象など、名前のほうは男だったら
(正、光、龍、竜、浩、喜、貴、幸、成、仁、哲、聖、勲、甫、泰)等 女だったら(光、姫、美、栄、樹、珠、成、清、淑)等
・免許証の本名と本籍を見よう(ただし最近ではなぜか本籍が掲載されない謎の方針に・・・)
・パスポートを見よう
・宗教はキリスト教、創価学会が多い
・上下の朝鮮国を批判して同意を求めてみよう
・出身や家系が大阪、京都、兵庫である
・同胞のタレントやスポーツ選手を異常に持ち上げる、逆に華々しい活躍をする日本人を執拗に貶す
・親の家業がパチンコ屋、焼き肉、医者など案外金持ちも多いが下品な成金趣味
 また母親が元パンパン(売春婦)というパターンも多いため風俗業などに抵抗なく働く女も多い。
・眉や髭が薄く一重でエラが張った平べったい顔 
・あるいは整形の人工的な不自然な顔
・体臭がキムチ臭い(周囲を通るとツーンとするような臭い)
・ファッションセンスの自己主張が無駄に激しい
・「竹島は日本の領土です」と言わせてみよう
・「十五円五十銭」とスムーズに言えるか言わせてみよう
・ゴキブリのように性欲が異常に強くレイプ犯が異常に多い、女性を見る目が血走ってないか
・仲間内で空気が読めない、キレたら何をするかわからないという評判がある
・トイレや風呂場に入る時チンポが異常に小さくないか見てみよう(全世界最小、勃起時でも9.6cm)
・白人コンプレックスが歪んで強く、それによる残忍な犯罪も多い。だが匿名の場ではなぜか自分を白人に見立てて気取る。
・日常的にも道ばたにゴミを平気で捨てる、携帯禁止の電車内で思いっきり喋る等非常識
・成り済ましてても日本人なら直感でわかる「コイツなんかおかしいぞ?」という感覚は結構当てになる。

注・日本に現在いる多くの在日朝鮮人の真実のルーツは、母国を捨て戦後金目当てに日本へ不法密入国したもの。
「白丁」と呼ばれ差別されていた本国の奴隷だった人たちが自分の国を捨て
「祖国よりこっちの方が金になる」と人様の国に逃げてきて、居着いて被害者ぶり、賎しくも増殖したものです。
773名無し三等兵:2007/12/14(金) 18:28:55 ID:???
あげ
774名無し三等兵:2007/12/15(土) 18:28:07 ID:???
秀吉が夢見て果たせなかった大陸進出を成し遂げたんだから皇軍はすごい
775名無し三等兵:2007/12/15(土) 19:36:37 ID:???
>>774
というか秀吉の遠征軍編成がまずかっただけじゃないのかと
普通は総司令官を据えるものだろうに、何で据えなかったのか疑問
776名無し三等兵:2007/12/15(土) 19:43:23 ID:???
つか中国地方攻めなどの慎重な攻め方に比べて朝鮮出兵はかなりイケイケドンドン的な無謀な攻め方をしていたりして
何を考えてるやらよく分からん。
777名無し三等兵:2007/12/15(土) 22:09:18 ID:???
>>774
当初は自ら渡海するつもりだったのでは?
生きていれば秀長あたりを据えたかも
778名無し三等兵:2007/12/16(日) 17:16:51 ID:???
しかし朝鮮も占領できないとは情けない。
779名無し三等兵:2007/12/16(日) 20:41:20 ID:???
こうなると実は過剰兵員を減らすための口減らし遠征って説がにわかに信憑性を帯びてくるな。
もっとも、一番危険な家康の力を削げなかったわけだから、この説も穴は小さくないけどね。
780名無し三等兵:2007/12/16(日) 21:59:57 ID:???
>>779
なら素直に徳川と戦えば良いじゃん
781名無し三等兵:2007/12/16(日) 22:32:17 ID:???
>>780
上手い口実をデッチあげる事ができないと家臣の離反を招く両刃の剣だからなぁ
その点外国相手なら身内の忠誠や結束についての問題はない
782名無し三等兵:2007/12/17(月) 01:55:14 ID:???
兵員減らしなら、朝鮮より南は台湾、北は樺太を攻めて屯田すれば良かったのに
783名無し三等兵:2007/12/17(月) 02:16:27 ID:???
事大主義者の朝鮮人は、無気力でプライドの無い民族であるが、
時折「古来から大朝鮮帝国はアジア全域を支配していた」などと
生意気な誇大妄想を口走る癖がある。

そんな朝鮮人の気質を見抜いていた清の太宗は、妄想がちな朝鮮王に
己の立場を思い知らせるため、9回頭を地面に叩きつけて土下座する
「九叩三拝(または三跪九叩)」という“くどい礼儀作法”で忠誠を表すように
強制した。

また、後世に朝鮮人が歴史を歪曲できないように、この「九叩三拝」の
事実を記した碑文を3種類(モンゴル語版、満州語版、漢語版)も用意し、
ソウルに建てた。

   ∧∧
  / 中\
 (  `ハ´)    ∧ ∧
 ( ~__))__~)  <`Д´ >,,  ノ ))
 | | |   (( l|lll|lll| (⌒,)
 (__)_)  と<   とノレ
          ∨ ∨ Σ ガンガンガン

これが有名な、「三田渡碑(サムジョンドビ)」である。

1945年、太宗の懸念通り、朝鮮人は三田渡碑を埋めて証拠隠滅を
謀ったが、1963年の洪水で碑が再び地上に姿を表すと、天罰を怖れた
朝鮮人たちによって戻された。

ちなみに、この恥辱的な石碑について韓国人は、「朝鮮と清が同盟を
結んだことを記念して、清王から贈られた」と、相変わらず歴史を歪曲して
観光客に説明している。
784名無し三等兵:2007/12/17(月) 17:56:51 ID:???
>>782
当時、北海道はアイヌの国だし南の琉球も独立国。だからさらにその先にある樺太と台湾は元から考慮外。
琉球王国と北海道の大きさを比べて支配地としての朝鮮半島の大きさに魅力を感じたという考え方は無理は無い。
北海道は当時の技術で米を作れるかどうか微妙という点もあるいは影響したかもしれないし、琉球も必要とする海上輸送能力に比べて
土地の旨みは少ないかも。それに当時の琉球は東洋の中では唯一の海洋国家と言っても良い位置にあったけど、その琉球を征服したとして
海上輸送拠点として有効に利用しきれたかどうかも微妙。まあこれは現実にも江戸時代に琉球征服をした時に海上輸送拠点としての価値は
喪失してるんだけど。
785名無し三等兵:2007/12/17(月) 19:11:37 ID:???
北海道は秀吉の時代には渡島半島と道南が松前氏の勢力圏に入ってる。
さすがに完全に地理不明な樺太にまで行こうとは考えていなかったろうけど。

秀吉は琉球を独立国とは看做していなかったし、ルソンに服属を要求する手紙を
送ってるくらいだから、考慮外とは考えにくい。
それと江戸時代でも琉球自体の海上輸送拠点として価値は喪失していない。
秀吉が活用できたかは別にしてね。

一番の理由は大明征服、仮道入明、征明教導が目的だったからに尽きると思う。
786名無し三等兵:2007/12/19(水) 22:36:57 ID:???
ageる。
宗氏最悪。滅びれ。
787名無し三等兵:2007/12/19(水) 22:44:53 ID:3Wi8RNGj
NHKの「そのとき歴史は動いた」、なにあれw

本当にNHKは朝鮮大好きなんだね・・
788名無し三等兵:2007/12/19(水) 22:51:24 ID:???
へぇ、今日の「その時歴史は動いた」は宗氏なんだ
嘘つき二枚舌外交一族の糞っぷりは前々から知ってたが、
どうやら放送内容はいつもの売国マンセーっぷりのようだな
789名無し三等兵:2007/12/19(水) 23:06:43 ID:???
朝鮮通信遣と聞くと“ニワトリカエセヨー”のAAを思い出すな。
劇中で出るかと期待したが案の定出なかった。さすがNHK。
790名無し三等兵:2007/12/20(木) 00:07:16 ID:???
つうか宗家文書返せよ
791名無し三等兵:2007/12/20(木) 01:04:49 ID:???
4-2-3-1
4-4-1-1
3-2-3-2
3-3-3-1
792名無し三等兵:2007/12/20(木) 07:10:30 ID:???
10-0-0-0

素人にはおすすめできない諸刃の剣
793名無し三等兵:2007/12/23(日) 14:14:36 ID:???
ジャガイモがもう少し早く伝わっていれば、北海道・樺太征服は価値があったかも・・・・。
794名無し三等兵:2007/12/24(月) 08:35:36 ID:???
古代ローマの戦闘を手取り足取り教えてくれるスレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1197660143/106-113
795名無し三等兵:2008/01/01(火) 20:30:15 ID:???
0-0-0-0
796名無し三等兵:2008/01/04(金) 20:28:58 ID:???
age
797名無し三等兵:2008/01/06(日) 11:18:50 ID:???
大河ドラマ朝鮮出兵希望
798名無し三等兵:2008/01/06(日) 21:57:00 ID:???
主役は対馬の宗とか
799名無し三等兵:2008/01/15(火) 06:19:48 ID:???
普通に加藤清正だろ。
大穴で小西行長か?
最後の朝鮮からの脱出で盛り上がりそうだし。
800名無し三等兵:2008/01/16(水) 19:13:10 ID:???
age
801名無し三等兵:2008/01/16(水) 19:24:03 ID:???
>>779
キリシタン大名の奴隷貿易
802名無し三等兵:2008/01/17(木) 20:54:47 ID:KvL8RB0y
文禄慶長戦役における明兵ってどんな鎧や兜をみにつけていたの?
文禄慶長戦役における日本兵って典型的な鎧兜をみにつけて戦っていたの?
803名無し三等兵:2008/01/17(木) 20:55:51 ID:KvL8RB0y
明と日本の鎧兜ってどちらが優れていたの?
軽さとか防御力とか
804名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:33:05 ID:???
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1147423539/

668 :世界@名無史さん:2007/09/02(日) 03:17:35 0
上の方で元寇での日本勝利は暴風雨のお陰という相変わらずの書き込みがあるが、
ディスカバリチャンネルで元寇のことを取り上げたときに、日本の勝因は、やはり上陸
されても橋頭堡を築かせなかったこと、長大な弓を使ったので、射程ギリギリでは
日本の弓の方が威力があったこと(劉復享が小弐景資に射倒されたのは、日本軍
弓の射程外と思っていたらそうでなかった)、接近戦では刀剣の扱いに巧みな鎌倉
武士の方が強かったこと、そして急に船を揃える為に生粋の浅い内陸河川用の船
を多数徴用したので、台風にはひとたまりもなかったとかなり客観的に分析してる。
再現ビデオの日本軍の時代考証は滅茶苦茶だったが。
アメリカが無理に日本びいきにする必要もないわけで、勝てる要因があったから
勝てたというきわめて当たり前の分析だったよ。
別のアメリカの歴史番組をアメリカにいる時に見たときには、皮や布製の元軍、高麗軍
の鎧は、騎射や槍を構えての突撃には身動きが容易で向いていたが、鉄の鎧を貫通
する日本の弓矢と斬撃に向いていた日本刀に対しては有効な防御にはなってなかった
と言ってたな。実際中国の鎧を矢で打ち抜いたり日本刀でばっさり切り裂いて見せていた。
805名無し三等兵:2008/01/17(木) 21:33:29 ID:???
669 :世界@名無史さん:2007/09/02(日) 07:46:56 0
当時の甲は小札鎧や綿甲といったところだろうか。

元寇記念館にある甲や明代後期の絵画に描かれた兵士なんかを見ても
その頃から明末清初まで装甲にほとんど革新があったようには見えないのだが
フロイスなどは明軍の甲冑について「従来最優秀を誇っていた日本の刀や槍が
利かなかった」と書いており、その点については日本側の史料にも同様の
記述がみられる。
まさか戦国時代の武具が鎌倉時代よりも退化していたわけでもないだろうが
何がどう変わっていたのかはよく分からない。

670 :世界@名無史さん:2007/09/03(月) 00:49:07 0
>>669
明代は歩兵も明光鎧を着用するようになっており、騎兵の鎧も環鎖鎧といういわゆる目の細かい
チェーンメイルになっていたから、見た目に大きな違いがなくても防御性は進歩している。

671 :世界@名無史さん:2007/09/03(月) 09:09:09 0
鎖帷子はモンゴル兵も装備してた。モンゴルまで旅した教皇庁の使節が記録している。

明光鎧って小札鎧に円盤付けたやつでは?(それを言ったら綿甲もスケールメイルを
裏返しただけとも言えるが・・・)
806名無し三等兵:2008/01/20(日) 23:02:08 ID:???
へ〜、面白いな
807名無し三等兵:2008/01/24(木) 15:24:45 ID:???
3世紀の征伐の方は、秀吉の征伐に比べると情報が少なくて
どうにもお腹一杯になれない。
wikiP以外でお勧め有る?
808名無し三等兵:2008/01/24(木) 20:57:57 ID:???
八世紀の征伐は?
809名無し三等兵:2008/01/25(金) 10:05:38 ID:???
3世紀に倭なんかに統一政権なかったしw
倭の最初の輸出品は奴隷というように農業、手工業も原始的で製鉄も伽耶頼み
鍛冶も渡来人頼み
ようやくヤマト政権がまともにモノを作れるようになったのは6世紀前半の欽明
期で百済の二十二部司制を真似た錦部、鍛冶部、衣縫部、陶部などの伴を組織し
てからだ
それも全て渡来人頼みだが
しかも7世紀中頃、斉明大王が渡来人により建てられた蘇我氏の飛鳥寺に対抗し
て小墾田に宮殿を造ろうしたが、倭人のみの技術では瓦葺きの建造物を建てられ
ないということで中止されたぐらいだ(斉明元年十月己酉条)
これ日本古代史の常識
810名無し三等兵:2008/01/25(金) 12:52:21 ID:???
何勘違いしてんだ?此奴w
誰も統一政権なんて話はしてないだろうが。
大陸三大進出も知らん奴が得意げに書いてんのか?
811名無し三等兵:2008/01/25(金) 14:16:18 ID:???
単に自分のうわべの知識も開かしたいんだろ。
レスからして的はずれだし。
812名無し三等兵:2008/01/25(金) 15:33:42 ID:???
スレタイも読めない奴が増えたねぇ(笑)
征伐関係ならともかく。
813名無し三等兵:2008/01/30(水) 07:41:13 ID:???
保守
814名無し三等兵:2008/01/31(木) 17:37:03 ID:???
大陸、それは甘くて美味しくみえるが酸っぱい葡萄w
815名無し三等兵:2008/01/31(木) 19:04:04 ID:???
半島は腹の足しくらいにはなるだろうと思っていたら腐った残飯以下でしかなかったしな
816名無し三等兵:2008/01/31(木) 19:09:33 ID:???
<#`Д´> < 3世紀の征伐も8世紀の征伐もみんな超時空太閤HIDEYOSHIがやったニダ!謝罪と賠ry

…というネタはこの板的にはアリですか?
817名無し三等兵:2008/01/31(木) 20:25:23 ID:???
>>815
そう、腹下しにしかならないのだ。
818名無し三等兵:2008/01/31(木) 23:00:46 ID:???
ププ負け惜しみ乙ニダ
819名無し三等兵:2008/01/31(木) 23:54:09 ID:???
>>815
もし半島に何らかの価値があったら秀吉が死んだくらいで撤収しなかったろうな。
820名無し三等兵:2008/02/02(土) 10:07:06 ID:???
×もし半島に何らかの価値があったら秀吉が死んだくらいで撤収しなかったろうな。
○もし何らかの勝ち目があったら秀吉が死んだくらいで撤収しなかったろうな。
821名無し三等兵:2008/02/02(土) 13:51:34 ID:???
>>820
勝ち目自体は十二分にあった。
でも勝ってもなんの見入りもない戦争に諸大名は嫌気がさしていたのに、
モーロクした秀吉はムキになって継戦を指令し続けた。
んで、秀吉が死んだ事で諸大名は採算取れない赤字経営をようやく止める事ができた。

もっとも、アンタの言う勝ち目ってのが「採算の取れる黒字経営」って意味なら間違ってはいないけどさ。
いくら戦闘に勝って戦争目的を達成しても、それがメリットの拡大/デメリットの減少に繋がらなければ意味がないからな。
822名無し三等兵:2008/02/03(日) 02:15:53 ID:???
自給自足ができずに万年餓死するような領土を抱えるとやばいだろうな。
統治のしようがない(−−;。

日帝時代も台湾は援助不要の黒字国家になったが、朝鮮は最後まで赤字の日本の足をひっぱる形になったし
朝鮮は使えない国だな。
823名無し三等兵:2008/02/03(日) 06:08:36 ID:???
朝鮮人に日本がまず教えたことは農民に1日ちゃんと働くことだったからな。
働いても両班に搾取されるだけなので午前中しか働かないって民度だったから餓死するのも自業自得なアホ国家だし。
824名無し三等兵:2008/02/04(月) 20:31:57 ID:???
家康が海峡警備して半島中部から攻めてればな。
総力戦に出来ない秀吉の負けか・・・
825名無し三等兵:2008/02/06(水) 02:33:37 ID:???
よかったな倭国も
新羅が唐を駆逐して半島統一してくれて
もし新羅が唐と仲たがいしてなかったら唐に一撃で倭国は占領されてたな
白村江含めいわゆる百済の役で倭軍は水戦で4連敗、陸戦で1敗
しかも全て惨敗
当時の唐・新羅連合軍主力は高句麗討伐で出払い、百済駐留の唐・新羅連合軍は
唐軍1万、新羅軍7000しかいなかった
百済で遺臣の反乱が起きたため、唐本国に救援要請し兵7000、140艘の水
軍が送られた
対する倭軍は3波で第2波でさえ2万数千の大軍
倭軍の第3波の水軍と先の救援に来た唐水軍との戦いが白村江の戦い
推定1万数千の倭水軍に対し、数で劣勢であったが、唐水軍が奮戦、4たびうち
破り倭船400艘を沈め、ほとんどの倭兵を戦死させるか捕虜とした歴史的大勝
渡来人の力がなければ城どころか瓦葺きの建物すら建てられない倭は惨敗後に非
常に動揺した

唐が攻めてきたら終ってたね
唐帝国倭郡か
826名無し三等兵:2008/02/06(水) 03:18:44 ID:???
くやしいのう腸卑人www元寇で日本に負けて、朝鮮征伐で日本に捨てられて、
親分の清が明治政府に負かされて、あげくの果てに朝鮮そのものが明治政府に植民地にされてくやしいのうwwwwwww
827名無し三等兵:2008/02/06(水) 03:49:35 ID:???
新羅の統一

中国が統一され隋唐王朝は高句麗を攻撃開始。新羅は隋唐王朝と同盟を続け、援護しながら様子を見た。

侵略してくる中国唐軍と高句麗・百済・日本が激戦し、高句麗・百済は中国に滅ぼされた。
しかし中国も疲弊しており 漁夫の利を得た新羅は苦戦しながらも中国を追い出し、
半島南半分(現在の韓国)の統一を果たした。

ちなみに高句麗の後継者である渤海王朝も成立し、新羅と南北対立を続けた。

渤海の領土は半島北半分(現在の北朝鮮)+満州。ただしピョンヤンは中国領。
828名無し三等兵:2008/02/06(水) 06:30:45 ID:???
百済の阿呆がしでかさなければ倭軍は地の利を生かして勝っていたのでは?
掻き回されて自爆、組んだ相手が悪い。
829名無し三等兵:2008/02/06(水) 07:43:10 ID:???
>>828
百済は倭が来る3年前に滅んでるんだけど
ましては高句麗とも連携せず、アホじゃねぇ倭人つて

倭は戦闘で唐、高句麗には過去1度も勝てず、全て惨敗だけど
新羅は唐、高句麗に単独で何度も戦闘で勝ってるな
倭人も新羅がまだ国家体制が整っていなかった時に何回か海賊的少数兵力で襲撃
してきたが、何回も新羅軍に惨敗してるね
830名無し三等兵:2008/02/06(水) 08:36:25 ID:???
日本は百済を支援し続けたけど、百済は滅んでしまった。
義理立てせずに、百済を併合してしまえばよかったんじゃないか。

【がんばってみた雄略天皇】

雄略天皇8年2月(464年)に日本府軍が高句麗を破り、9年5月には新羅に攻め込んだ。
新羅を撃破し続けたが、将軍の紀小弓宿禰が戦死し、指揮系統の内乱ために退却した。

20年(476年)に高句麗が百済を攻め滅ぼしたが、翌21年(477年)、
大王は百済に任那を与えて復興したという。
この他、呉国(宋)から手工業者・漢織・呉織らを招き、また、分散していた秦民の統率を強化して、
養蚕業を奨励したことも知られる。

479年4月、百済の三斤王が亡くなると、入質していた昆支王の次子未多王に筑紫の兵500をつけて帰国させ、
東城王として即位させた。兵を率いた安致臣・馬飼臣らは水軍を率いて高句麗を討った。
831名無し三等兵:2008/02/06(水) 16:29:33 ID:???
チョンの歴史じゃその辺消されてるからな。
倭と百済なんて実質今のアメリカと日本だろう。
新羅が上手かったのは結局立ち回りだな。
唐を利用するときだけ上手く利用した。
832名無し三等兵:2008/02/06(水) 17:20:21 ID:whaq5QL3
そういう風に外国の力を使ってじゃないと半島では主力になれない伝統。
まあ、もう反日だから日本は頼ることないが、ロシア・中国・アメリカ
が頼られていやな思いする。中国が一番なれてるだろうけど。
833名無し三等兵:2008/02/07(木) 00:32:15 ID:???
戦えば負けるててんで使えない倭兵
554年百済の援軍依頼により倭から竹斯物部莫奇委沙奇、筑紫国造率いる兵を
送った
百済本紀や百済紀をもとにして書かれたにも関わらず事実を歪曲し事実に反する
ことを捏造する日本書紀ではあたかも竹斯物部らが奮戦し百済王子余昌を助けた
ように書かれている
しかし実際はこうだ
百済王の聖王は加羅、倭と連合し、新羅の菅山城を攻めた
新羅は新州軍主の金武力の軍を送った
新羅軍の副将高干の都刀は奇襲により百済王を戦死させ、百済・倭・加羅連合軍
は惨敗し壊走、新羅軍は佐平4人を含む士卒29600人を斬り殺し、連合軍側
には馬が1匹も帰らなかった

倭軍は後の百済の役でもそうだが、戦術を全く理解せず、猪突猛進するだけで簡
単に敵に撃ち破られたのである
ただ単に倭は人口が多いだけの話だ
百済はその後、新羅と和睦し同盟を結んだ
新羅と仲たがい後も倭でなく、高句麗と結んだ
倭が丸っきり使えないことを悟ったのだろう
834名無し三等兵:2008/02/07(木) 01:04:37 ID:???
在日といえば、税金はろくにしない、年金払わないでおいて年金くれ、賭博業や高利貸しなどしても
検挙されない、銀行で仮名口座作って相続税払わない、金があっても生活保護もらえる・・・
と特権階級なのは皆さんご存知だと思いますが、さらに韓国系企業のソフトバンクから
韓国人向け激安プランが出ました。

何と4500円/月で、実質的に他社とも通話無料(26250円通話料込み)、パケットし放題、
端末無料、韓国への通話は5円/分というソフトバンク大赤字プランが出ました。
ソフトバンクの日本人社員は、使い捨て、低賃金と酷い扱いなのに在日同胞には
特別プランまで作っているなんて凄い差別です。
ロッテやリーブ21も在日特別価格とかあるのかもね

民団新聞広告
http://mobiledatabank.jp/s/src/MDBS2867.jpg

前スレ
◆ソフトバンク携帯、在日韓国人に特別激安プラン提供
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1202246069/
835名無し三等兵:2008/02/07(木) 02:11:02 ID:???
>>833
元寇でも唐入りでも日清戦争でも韓国併合でも使えない支那チョンの兵士について何か一言w
836名無し三等兵:2008/02/07(木) 04:56:37 ID:???
百済、新羅あたりまでは朝鮮でまだ突っ込みどころがないまともな国だったがそれ以降は腐り始めてたな。
高句麗、高麗あたりは腐臭がただよってきてた。

朝鮮人が誇れるのは新羅までだな。
837名無し三等兵:2008/02/07(木) 05:49:20 ID:???
>>834
ニートのあんたは保険料や年金を親が支払ってくれて学校の学費も払ってくれて
タダ飯も食わせてもらい、寝る場所を提供される親の保護を受けられるもんなw
838名無し三等兵:2008/02/07(木) 11:21:24 ID:???
>>835
唐に5回も惨敗して唐が攻めてくるとブルっていた倭国もたいした出世だな
839名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:29:21 ID:???
少なくともただの使節に一国の王様が3回も土下座して、九回も地面に頭を叩きつけてた朝鮮ほどは卑屈じゃなかったなw。
840名無し三等兵:2008/02/07(木) 15:53:44 ID:???
中国南朝梁の職貢図の裸足で布を巻いただけのみすぼらしい服(脛裳)の倭の使
節を見れば、600年の第一次遣隋使が偉そうに自国を尊大に見せ、しょうもな
い原始的な自国政治を述べた倭の使節に隋の高祖が呆れて「此れ大いに義理無し
」と言い放ち追い返したのがわかるな
841名無し三等兵:2008/02/07(木) 17:50:16 ID:???
>>838
あれぇ?チョンの事について全然触れてないよぉ〜
日本語読めないのに無理しちゃダメでちゅよぉ〜www
842名無し三等兵:2008/02/07(木) 18:47:56 ID:???
遣隋使・遣唐使の時代と倭の五王の時代では国の力も様相も異なるんだがな。
承和の最後の遣唐使に至っても粗略な扱いは受けていない。
843名無し三等兵:2008/02/07(木) 20:09:40 ID:???
>>841
桓武天皇の母親って誰よw
天に唾吐いてどうすんの
京都もチョーセンのハーフのおかげでできたんか
倭人らしいわwww
844名無し三等兵:2008/02/07(木) 20:53:06 ID:???
百済王族の末裔であって、百済人そのものではない訳だが。
つか、今のチョンって新羅系だろ?www
845名無し三等兵:2008/02/07(木) 22:20:49 ID:???
            ___
           , '::::::::::::::::::ヽ
          /:::::::::::::::::::_RC_  
          |_,----<__,ノ⌒) 
         Yヘ|  -≧y ,_!ソ
          ー   y、ュヾ/     お前らスレタイ読んで朝鮮出兵の話をしろよ
           ゝ  T三ゝ/__   
      J )ヽ  `;'ー  ̄オ(::::::::::::::::丶
       `丶/:\ier Cats ┌'' ̄丶::::|
         丶::::|   18 i 、(\ i ̄!
          メリ     <_   (__ノ
           〈      i  ̄ ̄ 
          _ ■]■[l ■]
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  /´     、.-‐''''  ̄     `\  丶
./:::>t--ー''''~             メ  丶
(:::::,ヽ                    \. ノ::ヽ
  ̄                       ヽ::::::::´ )
846名無し三等兵:2008/02/08(金) 05:37:44 ID:???
朝鮮は、国民全員餓死寸前の乞食だったから、閔妃を殺した日本に感謝すべきだよね。

英祖、正祖の農業政策は、過去のにがい経験からにじみ出た打開策を見出そうとしたものであったが、
朝鮮の農業はすでに重病にかかっており、衰弱の一途をたどる徴候しか見られなかつた。
農業の衰退を挽回するためのこのような努力をしたのたが、水利施設もわずか五十二年間(英祖六年〜正祖六年)に37か所の堤堰が廃堤になってしまった。

隠結の増加は目をまどわすばかりであり、土地制度は混乱の一途をたどるのみ、
公私の耕地を相食み、紊乱した権豪汚官の腹をみたすことになった。                                               
純祖朝(1800-1834)に入るや、化膿した腫物はいよいよふき出しはじめた。
凶作や早魅は連続し、怪疾や輪疾は止むことなく、勢道苛斂は極度に紊乱して政治経済状態に拍車を加え、民心は極度に動揺した。

憲宗朝にも、旧のごとくに勧農の綸音が出されるとともに、勃発する大旱魃、凶作の対策、上疎(四年の徐有築の品種にかんする上疎、
同年の李正淵の田植を禁じる上請など)が頻発になされたが、それらはただの論議にすぎず、逆効果を生むばかりで、
あたかも早天に豆が発芽するかのように、まつたく偶然にむかえる豊作の年にも、小民の苦労はかえって不作の年よりも激しく、
年々、停滞する還穀、身布の未納、賦役などにたいする督促は星火のようにはげしく、一年分の豊穀も、ことごとく官に納入させられるという凄惨な光景を呈した。

応急の対策として蕩減、免税や奸吏の検察のため暗行御史を各地に分遣したりしたが、あたかも堤防の決潰を土をひっかいて食い止めようとするにすぎなかった。
このような混乱の一途をたどる国内事情は、外来の刺激とともに、彩済たる実学の風潮を拡大することになった。
847名無し三等兵:2008/02/08(金) 05:43:29 ID:???
朝鮮は支配層が48%になったって、それじゃ農民が激減して、国民全員餓死一直線だよね。
日本が李氏朝鮮を倒さなかったらいまだに、北朝鮮以下の乞食国家だったよねw。

支配層は、国家官僚となる資格をもった両班(文官である文班と武官である武班)であり、
末期になる程、世襲による両班が人口の48%にまで増大し、かつ両班内部の不毛な内紛が激化した。
その下には常民階級である農工商があった。職人層は蔑視され、その作品にも名を残すことはなかった。
848名無し三等兵:2008/02/08(金) 20:57:31 ID:???
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1933309
★李舜臣も失敗した作戦があった!?★ | 伝統
No.1684146 投稿者: hivo2040 作成日: 2008-02-08 04:44:18 閲覧数:170 推薦ポイント:0 / 1

閑山島大勝で鶴翼陣という戦術で大勝をおさめて. 鳴梁海戦で極悪の不利な状況でも勝利をおさめた李舜臣..
23戦 23勝..無敗.
彼にも失敗した戦術があった....[やはり人は完璧ではないようでww]
-------------------------------------------------------------------
李舜臣が失敗した作戦たち
東西古今に戦争で一番(回)の失敗もなしに皆勝利に導いた将軍はない. どんな名将も時には作戦に失敗するものだ.
もしどんな名将が一回の失敗もなかったと言えば, 彼が空から下った長寿ではないたいてい, それは嘘だ.

李舜臣は壬乱の時戦勝(23戦 23勝)をおさめたと通常言われる. それでそれに対して懐疑を抱く人々もいる. 事実を言ったら, 李舜臣は本当に 23戦 23勝をおさめた.
しかし彼は壬乱の時の 30余私はを行ったと国内外の歴史研究者たちは言う.

それでは, 李舜臣は 30回作戦で一番(回)の失敗もなかったのか. そうではない. 李舜臣は, たとえべた負けは夏至アンアッドでも, 作戦で失敗した事はある.
ところで国内李舜臣関係著述家たちは彼が作戦に失敗した歴史記録は適当にオルボブリか目を閉じてしまうきらいがある.
それで国内李舜臣関係著述書たちは専ら彼が壬辰戦争で一回の失敗もなしに全勝をおさめたことになっている.

例外的に, 近来に出た本 <李舜臣と豊臣秀吉(傾向メディア 刊)>に李舜臣の承前と同時に失敗した作戦も扱っているのに抜粹してここに紹介する.
皆が歴史的記録に基づいた内容なのは確認した.
849名無し三等兵:2008/02/08(金) 20:59:36 ID:???
李舜臣水軍, ウングポ攻撃失敗
朝鮮朝廷は照明連合軍が平壌城を奪い返してソウルを向けて進軍を開始すると水軍にとって釜山の倭軍水軍及び輸送台を掃いてしまって退路を封鎖するようにすることで朝鮮に上陸した倭軍を残すことなしに無くそうとした.
調整は李舜臣水軍の釜山戦闘勝捷によって大きく鼓舞されている中だった. 宣伝官を旅愁に急派して釜山一帯敵水軍を攻撃して敵艦たちを皆燃やしなさいと李舜臣に言い付けた.

(1593年) 2月 6日李舜臣艦隊が出動こんにちはだった. 板屋船四十がぽんとなどで構成された彼の艦隊はギョンネリャングで元均艦隊七振りをしながら,
そして後に従って来たイオックギ艦隊四十尺と合流して朝鮮数だね伝えることは板屋船だけしても八十区尺になった.李舜臣は二つの捜査と相談して先にウングポの敵艦台を攻撃する事にした. ウングポは洛東江水路と釜山に行く海路要衝地だった.
倭軍司令部は朝鮮数だね艦隊がまた釜山這うのを攻撃するか心配でまた洛東江補給路を朝鮮水軍から守るために力強い防御基地をウングポに建設していた.

朝鮮連合艦隊は 9日には一日中雨が降って動くことができずに 10日にはウングポ攻撃を始めた. ウングポにはイルバックシブで尺の倭軍大小戦艦たちが停泊していた.
ところで朝鮮水軍は予想する事が出来ない状況と出くわした.
潟入口の方に杭がぎっしりとできておいて戦艦たちが進入することができなかったし倭軍戦艦たちは潟深く隠れていて艦砲の十字路から脱していたし入口両方尾根に弔銃部隊たちを配置させて朝鮮水軍が近付けば集中射撃を加えているのだった.
ウングポの敵することをそのまま置いて釜山に出ることはできなかった. 李舜臣は作戦が不如意さが分かったが調整の命令を無視してそのまま撤収することもできなかった.
850名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:00:49 ID:???
朝鮮艦隊はウングポの敵する攻撃をまた試みた. 朝鮮水軍たちはこの間釜山津攻撃成功で日本水軍を見下げていた.
戦闘中水が抜け始めて撤収を早急に急いでいる途中我軍引き写そうぞお互いにぶつかって転覆するせいで戦艦四尺と水兵数百余人が死んでしまった.大きい損失だった.
李舜臣はもうそのまま退くことができないと思って攻撃を続いた. 朝鮮数だね艦隊は 2月 6日から 4月 3日までおおよそ五十でまもなくウングポ1ヶ所だけ前後五つ回も攻撃したが皆失敗した. 敵する二十で尺を撃破毀損させただけだった.

李舜臣水軍が釜山津攻撃どころかウングポ攻撃も失敗したという報告が調整に入った. 朝鮮水軍の釜山津攻撃で水軍に大きく期待をかけている調整は大きくがっかりした.
李舜臣のウングポ攻撃失敗はその間連勝で得た彼の名声を水の泡となるようにしてしまった.



李舜臣水軍, 釜山津攻撃しくじる
(1597年) 強化交渉が決裂されると朝鮮朝廷は慌てて明にその事実を知らせて派兵を要請した. 日が変わって精油年になった. 戦争六年目に立ち入った.

先祖調整に李舜臣に対する不満が高まっていた. しかしソウル朝廷では海の情況をよくモルヌンジだと李舜臣に出撃強要だけ固執することができなかった. 戦場は現地の長寿が一番よく分かるしかないのだ.

元均の表文が上って来た. “今私たち水軍は強いです. 当然釜山沖合に随時に出撃しなければなりません.それでは敵軍は恐ろしくなって海を渡って来る事が敢えてできなくなるでしょう”と言う内容だった.
海事情を李舜臣劣らずよく分かっている元均からそんな表文が上って来ると調整で勇気を得るようになった.
851名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:02:04 ID:???
加藤君が海を渡って来るという情報が入って来た. 先祖は大臣を閑山島にまで行くようにして李舜臣に出動して加藤君を撃退させなさいと言い付けた.
しかし李舜臣は, “海戦の常識で推し量って情報に疑心の行くところがありなさい. 必ず時の伏兵があることです. また私たちが戦艦台を導いて出れば敵方が分かってやっぱり戦艦台を導いて備えているようになることです.
それでも一部艦隊だけ導いて出れば敵に撃破あうようになってしまうのです. そして釜山沖合には兵士らがたまに休むことができる適当な場所がオブソ”と言って出動しなかった. 加藤は果して朝鮮側に知らせてくれた日付に到着した.
彼は李舜臣の艦隊を待つように何日を海上に泊まってから上陸した.

1597年 1月 12日勇ましい朝鮮青年が釜山倭軍陣営にしのび込んで火薬庫を爆発させて時の軍糧と戦艦二十で尺を燃やして倭軍を大きい混乱の中に落とした. 李舜臣部下たちが自分たちがその事をしたと虚偽補高廈だった.
李舜臣は釜山津を攻撃しなさいという先祖の繰り返された命令に苛立たしくてある中だ. 李舜臣は嬉しくて自分部下たちが釜山津を燃やしたという長計を調整にあげた.
ところで事実は彼のようではなさが明かされた. 長計はもう調整に上がってしまった後だった.

李舜臣は大きく荒てた. もう調整でどうして自分をそのまま置くか. この危機からすり抜けて来る道は先祖の命令どおり釜山津を攻撃して大きい功を立てるのがいるだけだった.
釜山津日本艦隊は長く間朝鮮艦隊の動きがなかったから油断していると判断して李舜臣は釜山津不時攻撃作戦を敢行こんにちはだった.
852名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:03:01 ID:???
加藤君が海を渡って来るという情報が入って来た. 先祖は大臣を閑山島にまで行くようにして李舜臣に出動して加藤君を撃退させなさいと言い付けた.
しかし李舜臣は, “海戦の常識で推し量って情報に疑心の行くところがありなさい. 必ず時の伏兵があることです. また私たちが戦艦台を導いて出れば敵方が分かってやっぱり戦艦台を導いて備えているようになることです.
それでも一部艦隊だけ導いて出れば敵に撃破あうようになってしまうのです. そして釜山沖合には兵士らがたまに休むことができる適当な場所がオブソ”と言って出動しなかった. 加藤は果して朝鮮側に知らせてくれた日付に到着した.
彼は李舜臣の艦隊を待つように何日を海上に泊まってから上陸した.

1597年 1月 12日勇ましい朝鮮青年が釜山倭軍陣営にしのび込んで火薬庫を爆発させて時の軍糧と戦艦二十で尺を燃やして倭軍を大きい混乱の中に落とした. 李舜臣部下たちが自分たちがその事をしたと虚偽補高廈だった.
李舜臣は釜山津を攻撃しなさいという先祖の繰り返された命令に苛立たしくてある中だ. 李舜臣は嬉しくて自分部下たちが釜山津を燃やしたという長計を調整にあげた.
ところで事実は彼のようではなさが明かされた. 長計はもう調整に上がってしまった後だった.

李舜臣は大きく荒てた. もう調整でどうして自分をそのまま置くか. この危機からすり抜けて来る道は先祖の命令どおり釜山津を攻撃して大きい功を立てるのがいるだけだった.
釜山津日本艦隊は長く間朝鮮艦隊の動きがなかったから油断していると判断して李舜臣は釜山津不時攻撃作戦を敢行こんにちはだった.
853名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:03:27 ID:???
朝鮮艦隊が釜山津潟の中にジッチョ入って行った. 日本艦隊は潟深く篭っていて陸地砲台でばかり大砲と鉄砲をソアデッダ.
朝鮮艦隊は前進を止めて対立して砲撃戦を展開した. 苛立たしくなった李舜臣は自分の期することを前進させた.
両軍が砲撃戦をする中に時間が流れて引潮の時になった. 水が抜けながら李舜臣期することがつい座礁されてしまった.
倭軍の弾と大砲弾たちが期する方で癰のように飛んで来た.
驚いた朝鮮水兵たちがファングマングヒ小さなお腹を出して期するに近付いて李舜臣を負って永いで危機を辛うじて脱した.期することはどのようにして求め出したが戦闘中戦艦一尺を失ってしまった.
李舜臣は窮地から脱しようとしたがもっと窮地の中に入って行くようになってしまった.

彼は, ゾングウンが死んで元均が転出した後三年間これといった承前を一度もおさめることができなかった. それでそうか李舜臣がその以前に勝戦したことは皆ゾングウンと元均徳沢だったという記録が見える.
“ゾングウンが死ぬと日本軍事たちが ‘もう朝鮮水軍に恐ろしい人がいない!’と好きだった”は記録も見える.



連合軍のすべて反撃
(1598年, 9月) 日本幕府では豊臣秀吉の死を極秘で送った. そして ‘朝鮮で撤収しなさい’と言う彼の遺言によって出征君全面撤収を決めた. この決定は朝鮮地の侵攻君長寿たちに秘密裡に伝わった.

ところで照明連合軍側で秀吉の死を見抜くようになった. どうしてこんな好機会を逃そうか! 連合軍側は今総攻撃すれば朝鮮地倭軍は腐った家崩れるように崩壊するようになってしまうと判断した.
連合軍は陸軍と水軍シブイマンで人を動員して止めを差すことに決めた. 開戦であると言う最大兵力だった.
照明連合軍は三人の部どおり分けて凍露だねサムマンで人は加藤の一万烏川人が守る蔚山性を, 中路だねサマンで人は倭軍腕千余人が守る四川省を, お互いにだね有情提督(諸督)のサマンで人は小西の一万四天で人が守るウェギョ-城を攻撃する事にした.
人ジンリンなど長寿たちの水軍一万九天で名菓朝鮮李舜臣数だね七川で人は有情君の攻撃に合わせて海上でウェギョ-城を攻撃する事にした.
854名無し三等兵:2008/02/08(金) 21:04:30 ID:???
中路君が先に攻撃を開始した. 10月 1日中路君が四川省功城戦をしたが倭軍に逆攻勢あって大敗してしまった. 蔚山性を攻撃した凍露君は加藤君の頑強な抵抗で失敗して結局 6日霊泉性に退却してしまった.

西路君は水陸合同作戦を広げてウェギョ-城を攻撃した. 10月 2日照明連合軍が陸地と海で猛烈に攻撃を加えた.
陸地で有情君は城の門を開いて敢然と出た白鳥市郡に反撃にあって敗れた. 海で李舜臣水軍はウェギョ-しも上陸して奮戦したが多くの名医長寿たちが負傷当たりこんにちはだった. 3日連合水軍が夜間攻撃を敢行こんにちはだった.
引潮の時になったが人水軍がまだすり抜けて来ることができなくて数百余人が戦死した. 4日ジンリン李舜臣連合水軍がまた攻撃を敢行したが失敗してしまった.

四川省を攻撃した中路君の惨敗消息が伝えて来ると名君提督有情は戦意を喪失してしまった. 彼は全軍に撤収命令を下した.
有情君がスンチョンでムルロナメ照明連合水軍も古今島で退いた.

照明連合軍陸軍数だねシブイマンで人が総攻撃したし倭軍は完全に潰滅されるしかない状況だったが驚くべきことに連合軍皆撃退されてしまったのだった.



ウェギョ-性攻略前の時の作戦圏は有情, ジンリンにあった. したがって李舜臣の失敗というより有情, ジンリンの作戦失敗と言わなければならないでしょう.
ウェギョ-性戦闘の時李舜臣水軍は最善をつくして争った. とにかくこの戦闘やはり李舜臣が成功することができなかった作戦の中に属すると言えるでしょう.


*本文はオープン百との <李舜臣が失敗した作戦たち>の下部が切られたから補ったのです.
855名無し三等兵:2008/02/08(金) 22:08:13 ID:???
3行にまとめてくれ
856名無し三等兵:2008/02/09(土) 08:55:10 ID:???
ほし
857名無し三等兵:2008/02/09(土) 09:48:20 ID:???
戦後日本の復興は朝鮮戦争がなければありえなかったしそれに加えて
ベトナム特需があったからこそバナナイズどもはバブル景気で踊ることが可能だったわけだが
そんなエコノミックアニマルどもがいまさら国を愛するとか言うのは大笑い海水浴場なわけで
アメリカがいろんな国を陵辱するついでに自国の少女まで陵辱させておいてなにが日本の誇りだ
それはあれか
強いものには千切れるまで尻尾を振りますという自覚なのか
戦後日本の政権はほぼ自民党が握っていたというのに
戦後教育を批判するオツムのいい方々は結局自民党に票を投じ続けて現在の状況だよ
日本に「軍隊」がいるというのであれば、いちばん組織的に
領土を侵し利用している米軍とまずは一戦交えてもらうことになるんじゃないのか?
まあ、軍隊が無かった国に軍隊ができたらその銃口はまっさきに自国民に向けられるんだけどな
突きつけられた64式にたいして石を投げることが僕たちはできるだろうか?
858名無し三等兵:2008/02/09(土) 09:54:02 ID:???
朝鮮戦争の特需で復興した、というのが既に間違い。
859名無し三等兵:2008/02/09(土) 21:00:55 ID:???
ほー、朝鮮戦争特需による日本経済の復興は近代経済史では既成事実だがね
またくだらん捏造神話をバカウヨは作ったのか
860名無し三等兵:2008/02/09(土) 21:14:00 ID:9o1laqrw
特需は経済発展の引き金になったんだよね。
朝鮮特需だけじゃ発展できないお。
861名無し三等兵:2008/02/09(土) 21:21:27 ID:???
単なる挙げ足取りかよ
ムカつく奴だな
862名無し三等兵:2008/02/09(土) 21:35:39 ID:???
ttp://note.masm.jp/%C4%AB%C1%AF%C6%C3%BC%FB/

>特需は日本経済にとっては多分に偶然的な,外的な,特殊な需要であって,
>内的な,ないしは実力が当然に生み出した需要ではない。
>したがってそれは〈金へん景気〉〈糸へん景気〉などをもたらして日本経済拡大の契機にはなったが,
>休戦後需要が急速に減少すると特需によって持ち直していた経済はたちまち不況におちいり,
>日本経済の自立がなお主要な経済政策上の目的とされねばならない状況になった。

いきなりレッテル貼りから入るような人には無駄かもしれないが、一応
特需が無益だったとか、言っているのではなく
特需で復興したのではない、と言っているだけ。
863名無し三等兵:2008/02/09(土) 21:55:37 ID:???
戦後日本経済において重要なのはGHQによる三大改革である
@財閥解体→日本に経営者資本主義思想を導入した
A労働改革→20世紀に不可欠な経営・労働の協調体制を生み出した
B農地改革→戦前の大土地地主制から日本農業を開放し、技術・所得改善した
しかし終戦から数年は思うような芳しい発展は見られず、朝鮮戦争による需要増
によりようやく再建の軌道に乗った

『日本経済―その成長と構造』中村隆英著 東京大学出版会
『現代日本経済史』橋本寿朗著 岩波書店
以上を抜粋要約した
864名無し三等兵:2008/02/09(土) 22:39:13 ID:???
どうして在日はスレタイ読めない馬鹿ばかりなのかw
865名無し三等兵:2008/02/09(土) 23:09:38 ID:???
>>864
ニート予備軍の糞餓鬼は早く寝ろ
866名無し三等兵:2008/02/09(土) 23:49:44 ID:???
>>865
在日乙w
867名無し三等兵:2008/02/10(日) 02:34:58 ID:???
>859

やっぱ、在キムチ人は劣等だな。朝鮮戦争で自軍の消耗を嫌ったアメが、日本に一部、
軍事的負担をさせることにした、それで日本が占領状態から解放され、自分たちで国運営が
できるようになった。
日本人は勤勉だから、自分たちの自由になった途端、経済力をつけただけのこと。
大体、高度経済成長が始まったのが、昭和43年。朝鮮戦争が、25年だから、
戦争開始から、18年もたって経済効果がでるわけネーだろが。
まあ、悪いことは言わんから、精神科に行って、妄想が消える薬をもらっておけ。
868名無し三等兵:2008/02/10(日) 02:55:20 ID:???
>>867
ちげーよw
特需でも勤勉だからでもねーよww
アメリカの技術援助がガ一番の原因。
アメリカは新技術導入に不利益を得る旧技術により恩恵を得ていた勢力の圧力があったが、
日本や西ドイツはそういった勢力がないため、
むしろ技術援助をしたアメリカよりもスムーズに新技術を導入できたw
869名無し三等兵:2008/02/10(日) 03:14:23 ID:???
技術援助って具体的にどんな技術援助?
870名無し三等兵:2008/02/10(日) 05:10:51 ID:???
トラックに乗ってチョコレートを蒔く技術
871名無し三等兵:2008/02/14(木) 21:38:09 ID:+nUT10br
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察その5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188893412/

世界史板のスレが活況。
でも馬鹿ばっかや。
872名無し三等兵:2008/02/15(金) 01:53:45 ID:???
たった一人にかき回されてるって感じですな>世界史板
地に堕ちたもんだ世界史板も
873名無し三等兵:2008/02/15(金) 07:20:21 ID:???
>>872
たぶん一人の仕業だよな。
874名無し三等兵:2008/02/15(金) 07:53:21 ID:???
明が三万の損害で国が傾いたw
875名無し三等兵:2008/02/15(金) 16:14:10 ID:???
ベトナムは侵攻してきた15万の明軍を破って撃退しておりますが何か
なんだかんだ言っても日本は結局半島南東部に押し込められて撃退されたんでし



ヘタレ
876名無し三等兵:2008/02/15(金) 16:45:50 ID:???
別に負けたわけでもない。
ただ、やる気満々な奴が死んで、
やる気もなさ過ぎるタコが高笑いしてただけだろう。

明に頼らないと何も出来ない、小僧以下のチョンは半島にしがみつく能力だけが取り柄だ。
まぁ他の土地なんて無いからなw
877名無し三等兵:2008/02/15(金) 18:08:38 ID:???
ほう、554年に倭国は百済と連合して新羅攻めたが3万の戦死者を出す大敗し
たことあるくせに
その後、百済は倭が全然使えないのを悟って新羅と和解し、同盟するがね

日本は元に勝ったとか言ってるが、しっかり対馬や壱岐で敗北して逃げ出したよ

暴風雨がなければ九州は旧南宋の老兵10万の屯田地じゃねえか
878名無し三等兵:2008/02/15(金) 18:46:51 ID:???
>>877
スレチガイ
879名無し三等兵:2008/02/15(金) 20:58:58 ID:???
万年奴隷身分の属国朝鮮は失せろ。
880名無し三等兵:2008/02/16(土) 08:34:03 ID:???
>>877
その弱い日本に併合された国があるらしい
881名無し三等兵:2008/02/17(日) 02:29:54 ID:???
>>877
日本が大陸を攻めると朝鮮半島のソウルや平壌は簡単に占領できるのに、
大陸からは朝鮮と中国が束になって日本を攻めても九州に拠点を築くこと
すらできずに撃退されちゃうのね。
公平に比較すれば中国と朝鮮は日本より圧倒的にへタレだろ。
882名無し三等兵:2008/02/17(日) 13:26:44 ID:???
最近はどうかな?
ノムが対馬奪回・九州征伐を実行したら成功しただろう。
883名無し三等兵:2008/02/17(日) 19:40:29 ID:???
今は日本が鵜飼いで韓国が鵜
北朝鮮は乞食かな
884名無し三等兵:2008/02/20(水) 20:45:09 ID:???
戦争指導をしていたのは明が派遣してきた将軍なんだろ?
885名無し三等兵:2008/02/21(木) 04:46:01 ID:BPVy8s3S
研究家の皆さんにお願いがあります!!

「竹島の日」って単語を入れるだけでもいいので日記を書いて下さい。
そして、国内・韓国の掲示板への書き込みお願いします。
一方でYouTube,GoogleEarthでの書き込みもお願いします。

「韓国への意思表示」「日本国内での関心」「世界への発信」が重要です。
手分けしてやりましょう。
デモに行けない人はwebで!!!

韓国なんでも掲示板
http://japanese.tour2korea.com/07T2KZone/main.asp?kosm=m7_1
グーグルアース
http://www.panoramio.com/photo/2059848
ゆーちゅーぶ
http://www.youtube.com/watch?v=fWDEBHjMT_g

捨てアド作って、太極旗と竹島が写っているなどのストレスを与える投稿には
容赦なく「不適切な投稿」をクリックしてね!
886名無し三等兵:2008/02/21(木) 06:56:32 ID:???
世宗による対馬侵略(世に言う応永の外寇)で対馬の現地軍に敗れた李朝の軍隊。
なぜかそのことをもって対馬は自国領と主張する現代朝鮮人。
ちなみに世宗は李朝最高の名君とされます。
887名無し三等兵:2008/02/21(木) 15:38:08 ID:???
364年 倭兵侵入するが、吐含山麓で新羅軍の伏兵により全滅
393年 倭軍、金城に侵攻するが、独山で新羅軍の騎兵と歩兵に挟撃され、倭兵の
多くが戦死又は捕虜となった
415年 新羅軍、倭人と風島で戦い勝利
431年 倭軍、明活城攻撃するが、新羅軍に撃退される
444年 倭兵、金城攻撃するが、新羅軍に撃退される
459年 倭人、船百余艘で東海岸を襲撃するが、新羅軍が迎撃、賊軍は戦死又は溺
死した
463年 倭人、歃良城攻撃するが、新羅軍の将伐智と徳智により伏撃され大敗
476年 倭人、東部海岸襲撃するも新羅軍の右将軍徳智に迎撃され敗北
477年 倭軍、侵入するが、新羅軍に敗退
554年 倭軍、百済と連合し攻撃するが、新羅軍により三万戦死する惨敗
888名無し三等兵:2008/02/21(木) 20:18:21 ID:???
>>887
日本はまるで古代のヘタリアだな
そういや日本は新羅をたびたび攻撃したが、どこも占領したことないもんな
889名無し三等兵:2008/02/21(木) 20:32:19 ID:???
その反対にも同じことが言えるけどな。
890名無し三等兵:2008/02/21(木) 21:30:56 ID:???
用は補給線だよ。
半島は伝統的に貧しいから現地調達が出来なくて
自前で物資を用意する必要があるわけ。
船の大型化にともない次第に日本優位になっていって、
蒸気船の時代にはついに全土制圧出来るまでになった。
891名無し三等兵:2008/02/21(木) 23:10:41 ID:???
しかしその割には唐は海上からの上陸戦の一撃で百済を滅ぼしているな
続いて日本に対し少数兵力で数度日本を破っている
892名無し三等兵:2008/02/22(金) 07:50:25 ID:???
というか、>>887とかにある倭軍の戦略目標は、
恒常占領じゃなく示威的なものだったのじゃない?
新羅を占領しても旨味ないし。
(任那などは良質の鉄の産地としては、優良な土地だが)
倭軍が目標を達成して自主的に撤退したのを「敗北」と記述しているだけかもしれんが。
記紀を見ると勝利している記述の方が多いようだが。
893名無し三等兵:2008/02/22(金) 12:56:03 ID:???
>>892
そんな都合のいい話なんかあるわけないだろう
襲撃程度の出兵だって人的、財政的負担は馬鹿にならんし、人的被害=農民数減
少につながるからな、そんな割の合わないことするなら最初からしなければ良い
むしろ日本書紀の方が敗北を勝利したように歪曲して記しているだろう
前の方のレスに誰か書いてたな
894名無し三等兵:2008/02/22(金) 15:41:11 ID:???
スレチ
895名無し三等兵:2008/02/22(金) 18:41:00 ID:???
>>891
そりゃ短期戦だもの
896名無し三等兵:2008/02/22(金) 19:20:14 ID:???
つーか唐と倭国のどちらが動員力・補給能力が上かって言うまでもねえだろよ
897名無し三等兵:2008/02/22(金) 20:57:57 ID:???
何が敗北で何が勝利か

半島から撤退=敗北
半島の軍勢を打ち破った=勝利

どっちも本当でしょ。
898名無し三等兵:2008/02/22(金) 21:29:02 ID:???
>>896
白村江ではたった170艘7000人の唐軍に400艘15000人の倭軍が惨敗したが
899名無し三等兵:2008/02/22(金) 21:44:47 ID:???
>>893
そちらの方が都合のいい解釈だろう。
何より、示威活動による戦略面での軍事行動は、
国家戦略にも重要な要素だぞ。
900名無し三等兵:2008/02/22(金) 21:51:27 ID:???
900
901名無し三等兵:2008/02/22(金) 22:05:31 ID:???
で、慶長の戦役では、日本側は連戦連敗だったの?
902名無し三等兵:2008/02/22(金) 22:29:32 ID:???
903名無し三等兵:2008/02/22(金) 22:35:34 ID:???
>>902
乙!
904名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:22:48 ID:???
>>899
日本側の記述は曖昧でも許され
日本と敵対する側の記述には厳格な正確さを要求する
だから現代に至るまでの日本側が勝利した記述は海外の軍事アナリストから疑問
符をつけられるんだよ
太平洋戦争史を編纂したモリソン博士なんかいい例だろう
905名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:28:28 ID:???
>>904
で?
906名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:30:55 ID:???
>>904
その敵側の記述とやらは12世紀の代物だろ
普通にインチキ史料じゃん
907名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:32:32 ID:???
世界史板の次はここで暴れる気か?
908名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:37:43 ID:???
>>907
?
909名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:41:48 ID:???
倭城はともかくとしても、
京城などの大陸式の要塞・都城では、
日本軍はどのように防御したのだろう?
構造が違う(城壁の内側も雁木などじゃなく、垂直な傾きの壁になっていることなど)
のでどうやっていたのだろう?
910名無し三等兵:2008/02/22(金) 23:47:44 ID:???
>>902
乙!
911名無し三等兵:2008/02/23(土) 08:57:06 ID:???
家康を渡海させてればどうなっていただろう?
912名無し三等兵:2008/02/23(土) 08:59:46 ID:???
商品の値段が10万円以上場合、消費税の税率を8%にする。

商品の値段が10万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。


これが最善の消費税率。
913名無し三等兵:2008/02/23(土) 10:59:39 ID:???
>>911
大阪を通過するあたりで、本能寺を再現です。
914名無し三等兵:2008/02/23(土) 11:51:36 ID:mBUlD7/V
>>898
朝鮮出兵も
わずか明軍4万に日本軍20万が撃退されている
915名無し三等兵:2008/02/23(土) 12:45:55 ID:???
>>914
明軍は4万より多いし、日本軍は20万もいない
916名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:16:56 ID:kTlHX44N
慶長の役は明四万vs日本軍20万(増援含む)
くらい差があっただろう。

明の犠牲者は一万前後
日本軍はほぼ半数死んだ

慶長の役は明の圧勝だよ
917名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:23:04 ID:???
慶長の役

明軍 4万3千 vs 日本軍16万〜23万5千

wiki
918名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:23:55 ID:???
ってそれは文禄の方だろ〜
919名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:25:05 ID:???
>>916
明軍は蔚山城の戦いだけで2万以上(明史)が死んでる。
書いてることが適当過ぎ。
920名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:25:06 ID:???
そうだ。ちょっと間違えてた。文禄の方ね
921名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:27:11 ID:???
文禄の役は撃退されてないだろ。
日本軍が朝鮮半島に駐屯したまま講和が成立してる。
922名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:32:52 ID:???
まあ、文禄、慶長がごっちゃになっているな
曖昧なまま書き込むと錯綜するから気をつけてね

文禄
日本軍 23万
明   4万

慶長
日本  14万
明   10万

犠牲者
日本  13万
明   3万
923名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:35:18 ID:kTlHX44N
>>921
スマン。
おれが悪かった。
その数字に間違いはないよ。ありがとう。
924名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:36:58 ID:???
>>921
大明国の国境を越えられずに撃退され、半島の端にまで追いやられているだろうが。
925名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:41:06 ID:???
>>924
半島にまったく足場のない状態からスタートして、半島の南岸確保したまま
講和に持ち込んだんだから撃退されてないだろうが。
926名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:44:48 ID:???
蔚山城だけで2万以上の明軍が死んでるようだが
慶長の役の明軍の犠牲者総数3万が正しいなら、残りの1万はどこで発生したんだろうな?
927名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:45:40 ID:???
>>952
明国、日本から見て半島というのは
戦局の趨勢に影響する土地なのかな


そうだといえば撃退されてないとも言うし
そんなはずはないといえば撃退されているとも言う。

どっちでもいいよ。つまらん言葉の揚げ足取りするなよ
928名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:48:26 ID:???
どっちかというと、揚げ足取ってるのは>>924じゃないか?
929名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:49:50 ID:???
>>926
蔚山城の犠牲者も所詮明史だしな…実際は600前後?
仮に一万、二万死んだとしても朝鮮兵の死亡者が含まれてたらなんともいえんわな。

明史は文禄では李如松の四万しか出してないのに10万出撃させたとか
いい加減な誇張が多い
930名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:50:30 ID:???
>>926
文永の役の際に平壌で全滅した祖承訓の明軍と碧蹄館で大敗した李如松の明軍の
死者の合計だけでも余裕で1万超えてる。
931名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:51:55 ID:???
だって、目的は唐入りだし。
932名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:52:09 ID:kTlHX44N
撃退されたかそうでないかの考えは>>927でいいんじゃね?
半島半分の結果は日本から見ても不本意だったと思うがな。
933名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:52:16 ID:???
>>929
だとすると、>>922で挙げられた動員兵力と犠牲者数は何を根拠にしてるの?
934名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:54:18 ID:???
wikiだろ。
935名無し三等兵:2008/02/23(土) 13:58:00 ID:???
世界史板の明マンセーの馬鹿がこっちに来たのか?
936名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:00:04 ID:???
>>933

朝鮮役に関しては、陸軍参謀本部や色んな学者が研究しているから
そのあたりの数字だろうな。
多くは明史を鵜呑みにして数字出さないだろうし
937名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:02:52 ID:???
417 :世界@名無史さん:2008/02/14(木) 10:12:15 0
日本などすぐにひとひねりだと豪語した李如松が明軍来援したのは
1593年の正月
そこから各地で日本軍は敗戦を重ねて1593年 3月
漢城付近まで追いつめられる

漢城で連署された報告書には
小西・宗 18700→6692人
加藤   10000→6629人
鍋島   12000→7644人
大友   6000→2052人

まで減っている

弟を殺された小西は明軍を甘く見てた。桁違いだとフロイスに手紙を書いているし
大友は士気壊滅で勝手に脱走→改易
それを見てた最上義光は明日は我が身だ。坊主になっても生きながらえたい。せめて死ぬなら祖国の土の上でと手紙を残す



↑この数字は事実なの?


938名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:06:09 ID:???
>>937
明史よりは一応信頼できる資料だな。
ただ結構死んでるね。日本軍の死者は文禄で出したのが殆どなのかな
939名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:07:33 ID:???
>>936
その研究が基にしているのは、明史や朝鮮王朝実録、日本側の記録等々だろうにな。
940名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:10:40 ID:???
この時代に慣れない異国で長期間軍事行動すれば、何もしなくても疫病などで
普通に大量の死者がでる
941名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:11:09 ID:???
>>983
平壌あたりの気候はロシア並だから
真冬に敗走すると結構パタパタ逝くよ。
942名無し三等兵:2008/02/23(土) 14:19:37 ID:???
平壌の日本軍の敗北が1月ですか
あの時期の平壌は確かに氷点下いくね。
943名無し三等兵:2008/02/23(土) 16:50:22 ID:???
>>937
全員が戦死したわけじゃなくて
負傷や病気で戦線離脱した兵士も多いんじゃないか?
944名無し三等兵:2008/02/23(土) 17:06:47 ID:???
>>911
家康は、名護屋まで軍勢を率いて参陣しているのだが。
利家も家康もどちらも、渡海する前提で軍勢を用意してきている。
秀吉も実際には渡海予定だったが、
石田三成の現場報告で中止になったようだが。
945名無し三等兵:2008/02/23(土) 17:23:26 ID:???
age
946名無し三等兵:2008/02/23(土) 18:35:51 ID:???
三成の小細工がなければ、
秀吉本軍、家康、利家軍の渡海により余裕勝ちだったろう
947名無し三等兵:2008/02/23(土) 18:44:16 ID:???
>>946
小細工なのか?
948名無し三等兵:2008/02/23(土) 19:30:49 ID:???
ヌルハチが秀吉に臣下の礼をとらなかったのはなぜなのかね?
自発的に服属を申し出るべきだったんじゃないかと思うのだが…
949名無し三等兵:2008/02/23(土) 19:34:14 ID:???
意味が分らん。
950名無し三等兵:2008/02/23(土) 19:38:00 ID:???
950
951名無し三等兵:2008/02/23(土) 20:28:43 ID:???
>>949
秀吉の大陸出兵は、ヌルハチにとってはグレの戦い前後の厳しい情勢の最中にあたるだろ?
当時の孤立していたヌルハチにとって、秀吉は強力な庇護者になりうるように見えたんじゃないかと思うのだが
952名無し三等兵:2008/02/23(土) 20:31:29 ID:???
>>951
加藤清正が明に侵攻して、女真族と交戦しているが。
確か加藤清正の報告では、統一した指導者がまだいなかったとかいう感じだが。
953名無し三等兵:2008/02/23(土) 21:01:35 ID:???
?
954名無し三等兵:2008/02/23(土) 22:24:26 ID:???
「戦争の日本史」に文禄慶長の役が出たが、
読んだ人いる?書評きぼそ
955名無し三等兵:2008/02/23(土) 23:07:21 ID:???
>>954
で?
956名無し三等兵:2008/02/24(日) 00:06:08 ID:???
小西隊が平壌での戦い前までは15000有していたところを見ると
原因は、ほぼ凍死(もちろん追撃で討たれたのもいるだろうが)で良かろう

お前等は寒さってもの過小評価していると思うが
だったらば、今すぐ家でて2、3時間寒空の下で過ごしてみたらどうか
と思う。

まして平壌は氷点下で雪が降る。
暖も風よけもないなか数日間〜数週間行軍というのは敗僧兵に取っては殆ど地獄
957名無し三等兵:2008/02/24(日) 00:10:55 ID:???
当然、寒けりゃ食料も殆ど手に入らないし
雪が降れば進軍は遅れて補給は滞る
死馬や人肉でもくらって凌ぐとしても
不衛生だから、疫病は蔓延するつーわけで
ほとんど死の行進だわな。

日本では数ヶ月に及ぶ戦なんて殆どなかったからな
958名無し三等兵:2008/02/24(日) 00:23:18 ID:???
>>956-957
半島自体が不衛生で疫病が蔓延していたというのはなくて?
959名無し三等兵:2008/02/24(日) 00:36:57 ID:???
半島も不衛生だよ。
ただ李朝を少し弁護するならば

ただロシア遠征やインパールとかでも、敗走中の兵隊さんが疫病でバタバタ死んでいったように
普通の荒野でも敗走を続ければ、衛生状態は最悪だ。
極度の寒さや疲労は極端に人の抵抗力と体力を奪う。
それこそ些細な風邪に掛かった場合でもあっさり死に直結しうる程ね。

これを疫病で死んだとするか寒さで死んだとするかは別だが
朝鮮の衛生状態はあんまり関係無かったんじゃないかなと思う。

ちなみに明史では
明軍は凍った鴨緑江を渡ったと記載がある
鴨緑江が凍るのは氷点下15〜だから
かなり厳しかったようだね



960名無し三等兵:2008/02/24(日) 06:40:50 ID:???
だから違うでしょ?
 動員定数
 実働員定数
 漢城点呼員数
 その時本隊とは別に後方にいた員数
 実損失数

馬鹿?
961名無し三等兵:2008/02/24(日) 06:54:32 ID:???
>>960

お前の方が馬鹿だと思う
962名無し三等兵:2008/02/24(日) 09:24:38 ID:???
963名無し三等兵:2008/02/24(日) 11:23:45 ID:???
で後置した員数は無視?
後で増えているのに。
964名無し三等兵:2008/02/24(日) 11:56:07 ID:???
脱走・脱落した兵士がほぼ帰って来れるほど朝鮮って治安良かったか?
明軍の追撃や残党狩りも凄まじかったろうに
ナポレオンの時、途中で脱走した兵士の殆どは現地の農民や残党狩りに処刑されて
一度本体から脱落すれば生存はほとんど絶望的なのがよくわかる

あと加藤も別の書面で「我が軍の半数殺されたか、死んだ」と記してるから
俺はやっぱりほとんど回復してなかったと思うよ
どこまで回復したかという分析してほしいですな
965名無し三等兵:2008/02/24(日) 12:22:54 ID:???
481 名前: 某研究者 投稿日: 2007/08/14(火) 21:48:26 ID:F9j/MNZK

所謂信長の鉄甲船と言うのも
大砲で勝ったのでは無く
大量の板を貫ける大鉄砲の数と
上方からの小型銃の銃撃で
勝利していたと言う事は無いのかだが



482 名前: 名無し三等兵 [age] 投稿日: 2007/08/15(水) 10:10:38 ID:???

↑日本語でおk!




亀だけどワロタ
966名無し三等兵:2008/02/24(日) 14:32:36 ID:???
一応、日本軍も寒さ対策に唐辛子を大量に持ち込んでいるんだよな。
その唐辛子が後に...
967名無し三等兵:2008/02/24(日) 17:14:52 ID:???
スレ読んでると中国は明の時代はまともだったんだね
968名無し三等兵:2008/02/24(日) 17:30:27 ID:???
>>967
どの辺が?
969名無し三等兵:2008/02/24(日) 17:32:03 ID:/FScCms4
おまいら、なんで強姦魔が辞められないか知ってる?
経験者から聞いた話なんだが、レイプしようとすると大抵の女は始めは嫌がるんだが、
暴れて疲れるとほとんど身動きも出来なくなる。もう好きにして状態になる。
そして驚く事に、女はレイプされるともの凄く感じる。
普通にセックスした時よりも、比べ物にならないほど激しくイクらしい。痙攣してイキまくる。
それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。
吊り橋効果と似ていて、レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、
アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、
脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、体が快感を覚えて反応し、挿入からしばらくすると、
膣が充血する事で、クリトリスや膣内の性感帯が過敏になり、
膣が刺激される度にピストン運動にあわせて脊髄反射で腰を振ってしまったり
痛みに対して悲鳴を上げるように、快感に対してよがり声をあげてしまうわけなのです。
女性というのは、そういう風に出来ているのだそうだ。
(動物学者の真面目な研究で霊長類・特にオランウータンとチンパンジーは
同意婚よりレイプ婚がむしろ多いってのと関係してるかもしれない。)

だから強姦はクセになって、しまうのだそうです。
ついでに言うと、強姦被害者がよく自殺なんて話があるが、あれは強姦されたことが嫌で死ぬわけではなく、
強姦されて激しく快感を覚えた自分の体に嫌悪して死ぬのだそうですよ。
ちなみにこれは知り合いの弁護士が連続強姦魔から聞いた話です。
強姦魔の話では、強姦をするときに女性が自分が感じてしまっている事への戸惑いと
快楽に身を任せる表情とが入り混じってたまらないと言います。
どんな美人でも最後には泣きながら自分から腰を振るそうです。
嫌だとは思いながらも体は感じすぎてしまい拒絶できない。むしろ自分から求めてしまうそうです。
強姦魔によると、美人が泣きながらも苦悶の表情で、「イク」と言うのがたまらないと言います。
一度知ったら誰であろうと絶対に辞められるわけないとも言っておりました。

※女がオナニーするとき8割がレイプを想像するという調査結果が出ています。
970名無し三等兵:2008/02/24(日) 17:44:12 ID:???
>>967
逆、歴代王朝の中でも一番狂ってるよ。
971名無し三等兵:2008/02/24(日) 17:51:25 ID:???
>>969
マジで?
中国史では明、唐、漢は評価が高いと聞いたことがあるがどの辺がダメだったの?
972名無し三等兵:2008/02/24(日) 18:10:14 ID:???
いや明は軍事的にはまともだよね。宋や清に比べると。
外敵に対してちゃんと数万の軍を出兵させている。
宋も清はやられっぱなしだった。
973名無し三等兵:2008/02/24(日) 18:13:44 ID:???
>>972
でも、北虜南倭なんだよな。
974名無し三等兵:2008/02/24(日) 18:18:14 ID:???
>>971
◇◇ 明 ◇◇
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1144130494/

世界史板が詳しいけど
まず、暗愚な皇帝が多かったこと。
暗愚なだけなら他の王朝にも珍しくないし、名臣が政治を取れば上手くいく事もある。
しかし、その数が多い上に暴君の性質や精神的に異常とも思える性質を合わせ持った皇帝が居た。
あるいは奸臣に操られて悪政を布く、清廉な人でも潔癖すぎて賢臣忠臣を粛清。
どっちにしても粛清と虐殺が付き物だった。

極めつけに
官吏の「給料」は中国史上最も低く、
官吏の「収入」は中国史上最も高かった。

生きて帰れるか分からなかったので
出仕する前に家族と水杯を交わしてから出仕した、という逸話もあるそうだ。
975名無し三等兵:2008/02/24(日) 18:21:49 ID:???
>>972
清がやられてるのは王朝末期の太平天国(それでも最終的に勝利したが)と
西洋列強・日本だけだよ。
明は王朝の歴史を通じてやられっぱなし。
皇帝が捕虜になってるくらいだ。
反乱軍や異民族に官軍が敗れたのも一度や二度ではないよ。
976名無し三等兵:2008/02/24(日) 19:16:25 ID:???
age
977名無し三等兵:2008/02/24(日) 20:40:31 ID:???
アルタン・カンに首都を包囲されても、手も足も出せなかったそうじゃん>明
978名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:05:20 ID:???
そんな明にも勝てなかった日本><
979名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:06:24 ID:???
>>978
負けたのか?
980名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:15:08 ID:???
>>978
明に負けたのではない
時間に負けたんだよ
981名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:26:40 ID:???
982名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:35:10 ID:???
家康を渡海させておればよかった。
983名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:36:04 ID:???
北条氏を滅ぼさずに朝鮮に送り込めば良かった
984名無し三等兵:2008/02/24(日) 21:42:49 ID:???
>>983
北条氏は、小田原征伐の時点で斜陽だろう。
家康を255万石のまま据え置いていたのが問題だな。
せめて、小牧や長久手の戦役の処理で、
毛利や前田と同格に120万石くらいにさせておけばよかった。
985名無し三等兵:2008/02/24(日) 22:11:17 ID:???
で?
986名無し三等兵:2008/02/24(日) 22:16:09 ID:???
あるか
987名無し三等兵:2008/02/24(日) 22:49:21 ID:???
宇喜多秀家は、朝鮮征伐でどうだった?
988名無し三等兵:2008/02/24(日) 23:50:38 ID:???
文禄の役 戦闘序列

一番隊
宗義智 小西行長 松浦鎮信 有馬晴信 大村喜前 五島純玄(宇久純玄)
二番隊
加藤清正 鍋島直茂 相良頼房
三番隊
黒田長政 大友吉統 
四番隊
毛利吉成(森吉成) 島津義弘 高橋元種 秋月種長 伊東祐兵 島津忠豊
五番隊
福島正則 戸田勝隆 長宗我部元親 蜂須賀家政 生駒親正 来島通之 来島通総
六番隊
小早川隆景 小早川秀包(毛利秀包) 立花統虎(立花宗茂) 高橋統増(立花直次) 筑紫広門 安国寺恵瓊
七番隊
毛利輝元
八番隊
宇喜多秀家
九番隊
豊臣秀勝 長岡忠興(細川忠興)
989名無し三等兵:2008/02/24(日) 23:54:38 ID:???
>>975
農業生産力はあの宋(二億国)すら上回っているらしいし
海洋貿易が盛んだったから
以前程の勢いがなくても世界最大の国家だったのには違いないのでは?
軍隊や戦争が弱いイメージがあるよね。
まあ、きっちり日本とヌルハチぶっころしているけど
最終的には内乱で滅んだ。
990名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:03:45 ID:???
>>989
農業生産力は清のほうが上だし
商工業も清代のほうが上、政治的安定が違いすぎるから。
明は貿易も基本的には私貿易を許さない海禁政策だよ。

ついでに日本をぶっころしてもいないよ。
991名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:11:40 ID:???
13万の犠牲出して追っ払われたのを負けてないと言うのはご結構なことw


まあ、それはおいといて
>農業生産力は清のほうが上だし
宋は「江南熟すれば天下足る」石高推定二億石だったな
明は農本主義をとったお陰で「湖広熟すれば天下足る」推定二億六千万石

清はどうか?
たしかに生産率は上がった。
しかし、人口がそれをまかないきれてない位爆発している
結果貧しくなっているんだよ。清は

宋明の一人当たりのGDPは日本より高かったが
清は江戸日本に逆転されて日本の六割くらいしかなかっともいわれている。
992名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:15:03 ID:mn9qK/jy
明の解禁政策は建前
実際は東シナ海の制海権を持っていたのは中国人倭冦達
こいつらの上層はほぼ中国人


当時、世界で一番船が行き交っていた海域は
東シナ海とも言われている。
そしてその海を我が海とし盛んに貿易していたのも中国人
993名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:16:52 ID:???
>>991
君の言う、ぶっころすってのはどんな状態なんだ?
994名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:17:33 ID:???
三国志の時代に戦乱や疫病で人口が2/3以下になったとかいうが、
定期的に大量死させないと問題が出るんだな。
995名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:18:44 ID:???
>>993
13万あぼん
996名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:19:43 ID:???
>>995
その、出展は?
997名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:28:18 ID:???
明までの中国

前近代のすべての文明の中で最も優れていたのは中国だった。
16世紀に人口は1億〜一億五千で
ヨーロッパの全て(5000万前後)を足してもかなわなかったし、優れた灌漑技が施された
豊かな耕地は、多くの運河で結ばれていた。教育度の高い儒者が優れた官僚制度を整えていた。
中国には古くから大きな図書館があった。印刷があり、書物が有り、紙幣が有り 、100万の人口を抱えた都市が有り、昼夜を問わず明かりが灯した豊かな社会を、そういった社会を10世紀の段階で実現していた。
火薬も羅針盤も紙も中国の発明であり、中国が全てに置いて優れた文明を誇っていた。
当時の中国を訪れた外国人の全ては、この洗練された国家を
全貌の眼差しで見ていたのだ。

オスマン帝国も含めたイスラム社会は中国文明の劣化コピーだったし
欧州社会はそらにそのイスラムの劣化コピーでしかない

前近代の欧州はユーラシアの僻地であり、資源も乏しく、地政学的にも圧倒的に不利であり
貧しさが約束されていた土地であった‥‥

ポール・ケネディ 大国の興亡 上巻 巻頭より抜粋
998名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:29:23 ID:mn9qK/jy
>>996
参謀本部 戦史 朝鮮役
999名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:33:08 ID:???
>>997
ま、その圧倒的な中国社会も明末期あたりは確実に斜陽だったけどな。
登り調子のオスマンや日本よりやや上という程度だろう
1000名無し三等兵:2008/02/25(月) 00:33:55 ID:???
>>998
その元を聞いてるんだよね。
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