日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課

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1イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、829でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 22:26:51 ID:HWhYbE0a
初代スレ
「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ
「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ
「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/
3イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 22:30:26 ID:???
このスレの結論の1つをあらかじめ掲げておきますと、日本の
「最大の戦争犯罪」は支那大陸に中共政権を生み出したことです。
4イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 22:50:29 ID:???
         ,..-─,ヘ-.、
       (,.r-/ _@r-i
       i ノルハノリノノ
       ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ =3 状況開始
        rX,つ旦O     
        と/§)__)〉
5イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 23:00:53 ID:HWhYbE0a
前スレ>>823 >>824 さま

遅ればせながら、どうもでございます。これからも精進して参りますので
どうぞよろしくお願い致します。

ちなみに日中戦争について、自分の最初の1冊は『日本と中国はなぜ戦ったのか』
(益井康一著、光人社:2002年刊)です。この本からスレが始まったと言っても
過言ではありません。

著者は「毎日新聞」の元記者で、支那戦線での従軍経験もありますが、平易な文章で
要点を手堅くまとめており、非常に読み易い文体です。良い意味で「さすが新聞記者」
と唸らされる好著です。

前スレ>>828 >>降格がいやならクーデターを起せば良いじゃない。

クーデターを起こして、自分がカ*フィ大佐になるのはどうも…(藁)。
6元前スレ32:2006/05/17(水) 23:17:37 ID:???
>>1
乙です。

昇進どういたしますか?
7イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 23:29:09 ID:HWhYbE0a
前スレ>>789 >>主計大佐だった新庄健吉がアメリカで総力戦に関する正確な情報を
>>纏め上げたのですが、それが首脳部に省みられることなかったことを考えてみれば、
>>当時の戦争指導者は幼稚園児以下ですな。

新庄健吉(主計大佐)は、『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか』(斎藤充功著、新潮信書:
2004年刊)の方が今では有名かもしれません。簡単に説明すると、野村吉三郎大使の開戦通告が
遅れたのは、「日本は負ける」と公言していた新庄健吉大佐(ワシントン駐在武官)の葬儀に
出席していたからだとする内容です。今までの通説を覆そうとする新説ではありますが、
その真相はさておき……。

要するに新庄健吉大佐が主張したのは「日本の国力はアメリカの20分の1」だと
いうことです。これ自体は、陸軍省の戦争経済研究班(秋丸次郎中佐:主任)でも
同様の結論を出しており、新庄大佐だけが特筆されるというものでもありません。

何にせよ、日本の国力が20分の1だろうが、50分の1だろうが、ハル・ノートの
前では無力ですw。
8イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/17(水) 23:42:08 ID:HWhYbE0a
このスレでも推薦して頂きましたが、『第二次大戦に勝者なし――
ウェデマイヤー回想録』を読んでいて、冒頭で驚いたことがあります。
ハル・ノートの記述ですが、

1.日本は中国より全部隊を撤退させて、日支戦争における『完全な敗北』を
  認めること。

2.日本は仏印から同様に撤兵して、『経済封鎖に屈服したこと』を暗黙のなかに
  認めたうえ、今後は仏印の主権を侵さぬようにこれを尊重すること。

3.日本はフィリピン、ソ連領シベリア、蘭領東インド、中国、タイ国が攻撃され
  ないように保証すべき実際効力のある多辺的不可侵条約に参加すること。

4.日本は中国および『満州国において』日本のつくり上げた傀儡政権を廃止し、
  中国においては蒋介石政権以外のいかなる政権も支持しないことを米国に
  公約すること。
9イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/18(木) 00:03:54 ID:5IBAXBfY
5.日本は日独伊三国同盟条約に規定された独伊両国に対する義務を事実上、
  廃止すること。

こんな過激な(苛酷な)条文だったか?と驚きまして、ハル・ノートの原文を
見直してみましたが、やはり>>8 はオーバーな文章でしたw。

実は>>8 はウェデマイヤー本人の記述でなく、訳者の妹尾作太男が『訳注』として
挙げたものです。そして妹尾が根拠としたのは『真珠湾の審判』であり、この本の
著者であるロバート・A・シオボールド海軍少将は、太平洋艦隊の駆逐艦部隊
司令官でもありました。

もちろん>>8 はシオボールドの思い込みであり、一般に流布されている原文と訳文
こそが正しいのは言うまでもありません。しかし、当時のアメリカ人の考え方・
感じ方の一端を垣間見ることができ、非常に興味深いと言えるでしょう。

そして訳者の妹尾がわざわざ、この訳文を取り上げたことに『作為』を感じて、
想像を働かせなければならないのは、言うまでもないことです。
10イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/18(木) 00:22:05 ID:5IBAXBfY
まあ、グダグダと述べまして、何が言いたかったかといいますと、
太平洋戦争開戦前にアメリカが進めていた『勝利の計画』を知れば

>>当時の戦争指導者は幼稚園児以下ですな。

という議論がアホらしく思えてきますw。少なくともハル・ノートを
日本が呑もうが土下座しようが、日米開戦は避けられなかったこと――
際限なく追い詰められていったであろう事がよく分かります。

もちろん「真珠湾奇襲」が最善手であったかは、全く別問題ですがw。

ウェデマイヤー(中国戦線米軍総司令官)の『第二次大戦に勝者なし』、
これは必読の1冊です。今なら上巻は500円、下巻は2100円からw
(アマゾン・ユーズドマーケットより)。
11イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/18(木) 00:35:06 ID:5IBAXBfY
>>6 毎度どうもでございます。もうしばらく精進して中佐でいたいと思います。

さて、このスレのお約束ですが、『東方』ネタが分かる方は歓迎します。
布教も兼ねておりますので(笑)。

>>7 >>野村吉三郎大使の開戦通告が遅れたのは、「日本は負ける」と公言
>>していた新庄健吉大佐(ワシントン駐在武官)の葬儀に出席していたから

現時点では『ミステリーの域を出ない説』というのがもっぱらの評価ですが、
本当かもしれないと仮定と想像を働かせてみるのも面白いかもしれません。
外務省がどうして真相を明らかにせず、非難されるがままにしているのか?
などと……。
事実が真実であるとは限らない。

しかし事実は歴史として刻まれていた――。
13純情きらり:2006/05/18(木) 22:06:41 ID:PkNbW5Rg
1920年(大正9年)桜子0歳 日本国際連盟加入
1921年(大正10年)桜子1歳 ワシントン軍縮会議
1922年(大正11年)桜子2歳
1923年(大正12年)桜子3歳 関東大震災
1924年(大正13年)桜子4歳
1925年(大正14年)桜子5歳 普通選挙法成立、治安維持法成立
1926年(昭和元年)桜子6歳
1927年(昭和2年)桜子7歳
1928年(昭和3年)桜子8歳
1929年(昭和4年)桜子9歳 世界大恐慌
1930年(昭和5年)桜子10歳 ロンドン軍縮会議
1931年(昭和6年)桜子11歳 満州事変
1932年(昭和7年)桜子12歳 五・一五事件
1933年(昭和8年)桜子13歳 日本国際連盟脱退
1934年(昭和9年)桜子14歳
1935年(昭和10年)桜子15歳
1936年(昭和11年)桜子16歳 二・二六事件
1937年(昭和12年)桜子17歳 日中戦争(支那事変)、南京攻略
1938年(昭和13年)桜子18歳 国家総動員法、日本軍徐州占領
1939年(昭和14年)桜子19歳 ノモンハン事件(日ソ武力衝突)、第二次世界大戦開戦(ドイツ)
1940年(昭和15年)桜子20歳 日独伊三国軍事同盟、大政翼賛会、日本軍仏領インドシナ北部(北部仏印)進駐
1941年(昭和16年)桜子21歳 日本、英米蘭に宣戦布告、ハワイ真珠湾攻撃、日本軍ルソン島、北ボルネオ上陸、グアム占領
1942年(昭和17年)桜子22歳 日本軍イギリス領ビルマ制圧、ミッドウェー海戦、日本軍フィリピン全土攻略
1943年(昭和18年)桜子23歳 ガダルカナル島撤退、南樺太を内地に編入、イタリア降伏、学徒出陣
1944年(昭和19年)桜子24歳 インパール作戦、日本軍洛陽占領、米軍サイパン上陸、グアム島日本軍玉砕、レイテ沖海戦、神風特別攻撃隊
1945年(昭和20年)桜子25歳 東京大空襲、名古屋大空襲、沖縄戦、ベルリン陥落、広島・長崎原爆投下、ポツダム宣言受諾、終戦
14イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/05/19(金) 00:00:08 ID:tnQk/KIq
何のコピペかと思ったら、NHKの朝の連続テレビ小説ですか。マトモな生活を
送っている人間には、とても見られた「時間帯」ではありませんw。

さて、新スレの始まりに何をやろうかと迷っていますが、支那の「幣制改革」について
週末からザックリ触れたいと思っています。まあ、ごく簡単にですが。

続いて「北支の治安戦」を今のところ予定しています。
15名無し三等兵:2006/05/19(金) 18:58:36 ID:CP8yTM+r
★イラク陸自隊員が実弾紛失、穴埋めに他から抜き取る

 復興支援活動のため、イラク南部のサマワに派遣されている陸上自衛隊第9次
復興支援群の准陸尉(52)が4月下旬、自分が管理していた9ミリ拳銃の実弾1発を
一時紛失し、それを穴埋めするため、武器庫にあった別の弾倉から実弾1発を抜き
取っていたことが分かった。

 陸自は19日、この准尉を停職処分とする。2004年1月に陸自先遣隊がサマワ
入りして以来、イラク派遣部隊で懲戒処分者が出るのは初めて。

 関係者によると、准尉は4月30日、射撃訓練から宿営地に戻った際、ゲートの
出入り時に行われる点検で実弾1発が足りないことに気づいていたが、その場を
取り繕って武器庫に返却。その後、拳銃の手入れ作業の際に紛失分を穴埋め
するため、武器庫内にある他の隊員用の弾倉から実弾1発を抜き取った。

 同日午後、別の隊員が武器庫内の弾数を点検中に1発足りないことに気づき、
上官に報告。部隊で宿営地内を捜した結果、翌日、ゲート付近で実弾1発が見つ
かった。この弾の刻印から、准尉が使った拳銃の弾と判明。准尉は、抜き取った
事実関係を認めたという。

 陸自は、准尉を自衛隊法に基づき、停職5日の処分とするほか、拳銃の返還時に、
目視で確認しなかった隊員や上官ら計3人を訓戒などの処分にする方針。

 9次群は、6月上旬までに帰国予定で、准尉については、警務隊が窃盗容疑で書類
送検する見通し。


員数つけてくるという帝国陸軍以来の伝統が今も健在なんですね
16名無し三等兵:2006/05/20(土) 02:23:36 ID:???
純情きらりの宮崎あおいは可愛いので絶対見るべし
17名無し三等兵:2006/05/20(土) 11:09:40 ID:asr4Q7E9
中国が共産化したのは
中国、満州の利権に目が眩み、本来同盟関係になるはずの日本と中国を
対立させようとするソ連の陰謀に気づかなかったアメリカがアフォだったからです。
18名無し三等兵:2006/05/20(土) 12:28:17 ID:O8FRSb26
教えてください。
日中戦争初期の頃から陸軍の派遣部隊に
100番台の番号のつく師団が出てくるのは
何故なのでしょうか?
単純に1から始まって10、20、30・・・って
数字順にならないのが不思議で。

イメージとしては
新年度予算が国会で承認。
陸軍省が予算に基づいて師団を新設。
東京管区で○個、仙台管区で○個、名古屋、大阪・・・って
割り振るときに、例えば、単純に前年度まで20個師団が
あったから新年度は「21」から数字が割り振られるんじゃ
ないのかなーという疑問です。

どなたか教えてください。
19名無し三等兵:2006/05/20(土) 12:40:44 ID:9ATpBxmU

いよいよ長江に三峡ダムが完成オープン。

世界最大の発電量(一つで九州電力の総発電量を上回る)

世界最大のコンクリート重量(崩壊したWTCビル1棟=超巨大タンカー、の200倍の重量)

世界最大の貯水量(日本の全ダム合計の貯水量の2倍弱)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:200407-sandouping-sanxiadaba.jpg

その重量は、アメ公自慢の大型空母の実に810隻分だぜ。

アレが810隻並んでんのよ? 8隻ならべたのが100個あんのよ? WTCが200本突っ立ってるのよ?

これが中国の実力。これが中国のスケール。これが中国のインテグラル。

アメ公が巨象に踏み潰される日もそう遠い日ではないだろう。

資本主義者どもの悲鳴が聞こえるな。
20名無し三等兵:2006/05/20(土) 13:13:48 ID:???
>>18
そういうきまり。年度計画で定められてる。
事変初期の百番台の特設師団は各常備師団の留守師団で編成されており
下記のように

常備師団   特設師団
1         101
4         104
6         106
8         108
9         109
10        110
14        114
16        116

と対応してる。
2118:2006/05/20(土) 16:54:51 ID:bvEI2wal
>>20
レスどうもです。
つまり戦局が拡大していくなかで、
留守師団が順次出撃していったので
戦闘序列に一桁、二桁に混ざって百番台の
師団があったわけですか。

情報元は失念してしまったけど、対中工作として
(国内向け戦意高揚の目的も含め)
「日本軍は百万の精鋭部隊。戦わずに潔く降伏しろ」
みたいな宣伝をしていたと見聞きしたことがあって
その裏付けとして、敢えて百番台の数字を
付与したのかなーなんて今まで思ってました。
いやー胸のつかえが取れた思いです。
ありがとうございました。
2218:2006/05/20(土) 17:09:59 ID:bvEI2wal
すみません立て続けで。
「陸軍オール舞台名鑑〜帝国陸軍編成総覧・索引〜」って
冊子を持っていて、読んでいると終戦時までに編成された師団の番号も
ところどころ欠番があるんですよね。これってどうしてなんでしょう?

例えば

第44師団(橘)と第46師団(静)があるのに第45師団がなかったり、
第66師団(敢)と第68師団(檜)があるのに第67師団がなかったり。

70番台は4個の欠番、80番台は5個の欠番、90番台は6個の欠番
だったりして。

終戦間際の急造師団のなかにも
第140師団(護東)と第142師団(護仙)があって第141師団がなかったり、
100番台は第161師団(震天)で終わり。200番台にとんで16個師団あるけど
欠番がたくさんあって第234師団(利根)まで。300番台にとんで
第303師団(高師)からはじまって11個師団あるけど第355師団(那智)まで。

まさか思いつきで空いてそうな番号を付与したのかなーなんて。
そんなはずないですよね。なんででしょうね?
23えICBM:2006/05/21(日) 00:09:24 ID:???
>>1

大佐に昇進

>>3
飛躍してますので、中佐に降格

>>8
オーバーだが、内容的にはあってる。
ただし、日米間の明るい将来もハルノートには書かれてるので、片手落ち。

>>10
「勝利の計画」は対枢軸国のための戦略計画「レインボー五号」を実行する物的、人的プラン。
そして、「レインボー五号」は米英がドイツを枢軸国の主敵とみなし、まずドイツを倒す戦略プラン。
(戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯<5>から)
24えICBM:2006/05/21(日) 00:11:38 ID:???
>>14
土曜の午前中にBSで一週間まとめて放送している。

>続いて「北支の治安戦」を今のところ予定しています。
戦史叢書に同名の本があります。
ぱらぱら見た程度ですが、とても詳しくてよさげです。
手に入れてください。
25名無し三等兵:2006/05/21(日) 00:32:00 ID:???
>>22
師団によっていろいろで例外ありまくりなんだけど、
補充地と師団番号の下一桁を見てると何か見えてくるかもね。
26名無し三等兵:2006/05/21(日) 10:40:17 ID:jH/D/RNC
師団の話はよそで質問しろよ ヴォケ
27だつお:2006/05/21(日) 19:59:43 ID:olHxwASv
>工業製品全般で日本製製品の品質は欧米製よりも圧倒的に劣り、

本当に劣るかどうかは、まず中国人にドイツ陸戦兵器なりアメリカ航空隊
なりで武装させて、そこに97式中戦車チハを走らせてみればわかるよ。
史実では皇軍戦車は品質いいから、故障も少なく3000キロを疾走して、
中国人という中国人を片っ端から虫けら同様に3500万を殺戮した。
97式中戦車チハは、天下無敵の殺戮マシーンとしてその名を轟かせた。
中国国民党エセ抗日チンピラゴロツキ団は、この痛撃に断末魔の悲鳴を
あげてハイパーインフレ起こして轟沈してしまった。
中国人は数が多すぎるから、片っ端から殺戮しておいたほうがいいよ。
その方が97式中戦車チハの優秀さを世界に向かって証明できるし、
チンピラゴロツキの人口爆発は地球環境を汚染するから。
すごい、すごい、あまりに凄すぎる皇軍戦車の大陸打通3000キロに、
日本人の中国人に対する圧倒的優位性を認めざるをえなくなった。
日米講和条約が成立した背景には、こうした事情が大きかったはずだ。
(ただの反共防波堤ならフィリピンや中華民国でもよいはずだ)

    9 7 式 中 戦 車 チ ハ

それは機械的信頼性と走行性と燃費効率を兼ね揃えた、当時の最先端
自動車製造技術力の集大成であった。皇軍の優れた近代科学兵器の前に、
中国人は虫けら同様に大量虐殺されるしかなかったのだ。

そうだろう、なあ、そうだろう、なあ。

http://p2.chbox.jp/read.php?host=tmp5.2ch.net&bbs=asia&key=1120186708&ls=all
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1120186708/all
大陸打通作戦〜大地を駆ける3000`の雄叫び
28えICBM:2006/05/21(日) 22:33:29 ID:???
4スレ目で、だつおのレスは三つ。
だつおも見向かないスレなのか?
邪魔だから、それの方がいいけど。
29名無し三等兵:2006/05/22(月) 06:15:41 ID:???
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho3/p-s20/p-117.mpg

【武漢三鎮攻略】 1938年10月、日本軍は徐州作戦に引き続き、
漢口作戦を目的とする武漢三鎮(漢口・武昌・漢陽)を攻略。
攻撃は4方向から行われ、各地で苦戦の末、ついに日本軍は粤漢線
を遮断、中国軍は全線にわたって後退。
映像は武漢に進む日本軍、カメラ目線でわざとらしく万歳する兵士。

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho4/p-s25/p-133.mpg

【汪兆銘 和平建国宣言】 1940年3月12日、親日反共を主張
していたイケメン汪精衛が主席となり、南京に国民政府を樹立した。
11月に日本は日華基本条約を結び正式に承認したが、日本の傀儡政権にすぎず弱体であった。
映像はイケメン汪兆銘、国民政府樹立式典のようす。

http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho4/p-s26/p-141.mpg

【重慶大爆撃】 作戦が終了するまでに72回に及ぶ長期連続の空襲が行われ、
とりわけ6月24日から29日までの6日間は記録的な連続爆撃が行われたが、
重慶はそれに耐え、1941年9月、日本軍は作戦を打ち切る。
映像は、日本軍航空部隊の爆撃弾投下のようす。
30名無し三等兵:2006/05/24(水) 22:21:46 ID:PC2DD5K6
イナゾウ中校カムバック!!
31名無し三等兵:2006/05/25(木) 10:02:36 ID:???
パソコンの調子かな?
32名無し三等兵:2006/05/26(金) 00:18:15 ID:???
どうして昭和天皇は、日中戦争にはノリノリだったんだろうなぁ。
33名無し三等兵:2006/05/26(金) 19:35:34 ID:???
君主は損得より正義でものごとを判断するだろう。
中国自身が条約で認めた租界を武力で接収しようとしたということで
中国側に正義がないと判断したのだろうな。
34名無し三等兵:2006/05/26(金) 20:29:38 ID:???
昭和天皇と石原莞爾の関係は面白いね。

満州事変のときは、昭和天皇は「言語道断の暴挙」と呼んで石原を批判(当たり前か)。
226事件の時は、「断固鎮圧」方針の石原を賞賛してる。

日中戦争では、「ドイツの軍事顧問を受け入れて入念に準備してる蒋介石と、正面から
ヤるのはまずいです」という石原の判断を退けて、派兵に積極方針。
上海の包囲を解いて南京まで攻め込んだのはよかったが、その後は泥沼化。

まぁ石原も、法華経ががってたりしてかなりDQNなんだが。
35名無し三等兵:2006/05/27(土) 18:12:16 ID:???
>>34
陛下は数々の協定違反と部隊の移動等から、一戦を交えるまで交渉の余地なしと判断したそうだ。
一戦を交えた後に交渉と言うのは理に適っている。

しかし、「戦力的にきつい。 戦うとなれば止むを得ないが、何とか一戦を避けれないものだろうか」
、と言う判断は当時の参謀本部では主流だった。泥沼に陥ったのは近衛とか廣田が…

ただ、棄民同然の層とは言え居留民を見捨ててまで戦争を避けると言うのは戴けないだろう。
36名無し三等兵:2006/05/28(日) 00:18:36 ID:???
戦前の英米協調はあくまで米英との衝突を避けながら大陸での国益の確保・拡大を狙った路線で米英支持ではないだろう。
37名無し三等兵:2006/05/29(月) 17:33:19 ID:???
大陸でどれくらい日本は儲けたんだろうか
38名無し三等兵:2006/05/30(火) 15:47:00 ID:???
三文文士イナゾウ
39名無し三等兵:2006/05/31(水) 10:36:47 ID:0eYg2S24
        ∧_∧  カエルカ            (,,,,,,,,,,,,)ソウスルカ
        ( ´ <` )                 ( ´_ゝ`)
       m( 米 )m                /( 露 )ヽ
   ───┼──┼──┼──┼──┼──┼────
   ───┴──┴──┴──┴──┴──┴────
                                ∧∧
     モウシラネ     . /|       |\     / 中\  
   <⌒/ヽ-、___ . /  |       |  \   ( `ハ´#)
 /<_/____//   し      ∪   \ ( ~__((__~)
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜─────
           )     ∧∧  。  ∧∧ (
      )   (  -〜 <`∀´>。  <`д´>  人
          )    ι 韓 っ_  ∞朝 ) ノ
    从     ) 〜‐ ヽ.__ノ -〜 丶 ヾ<
          乂   〜‐         〜〜人
         ノ        〜‐   〜‐    ヽ
40名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:33:56 ID:???
旧日本軍の内務班のリンチ・メニューはじつに豊富。盛りだくさんだった。

1..ミンミン蝉=単に「蝉」ともいった。室内の柱にしがみつかせ、「ミーン・ミーン」と鳴き声を出させる。
腕が痺れてきて柱から落ちると最初からやり直させた。
2.うぐいすの谷渡り=兵隊達が寝ていた木製のベッドの下を四つん這いになってくぐらせる。
くぐり抜けるとすぐ不動の姿勢をとらせる。くぐり抜けと不動の姿勢を繰り返し続けさせるが、このとき
「ホーホケキョ」と鳴かせる。
3.自転車競走=両脇に机を置き、その机に両手を置いて腕だけで体を支える。両足を自転車をこぐ
ようにグルグル回させる。腕が疲れて両足が床につくと、またやり直し。
4.女郎のマネ=手ぬぐいを頭にかぶり、廊下に立ち「ちょいと、兄さん、寄ってらっしゃい」という呼び
込みを女の声音で言わせる。
5.各班まわり=水の張ったバケツを両手にもち、水をこぼさないようにして、各班から一発ずつ殴られ
てくる。どんなパンチを浴びても水はこぼせない。こぼしたら、もっと苛酷なリンチが加えられるから、
体のバランスを失いながら必死でバケツを水平に保つ。
6.編上靴なめ=靴の扱いがぞんざいだったという理由で、靴を首からブラ下げ、謝罪の言葉を大声で
言わされて各班をまわる。「山本一郎は本日、編上靴に対し欠礼をいたしました。お詫びいたします」と
いってお辞儀をしては、首にかけた靴をぺろりとなめながら一周してくる。
7.捧げ銃=兵器特に小銃の手入れは毎日が原則だったが、時間がなく出来ないこともあった。
そんなときに限って点検があるものだ。小銃の手入れを怠ったと、「三八式歩兵銃殿、山本一郎二等兵
は本日手入れを怠りました。自分は軍人としての恥を知りました」と大声で言わされ、手が痺れるまで
捧げ銃をさせられる。捧げ銃とは銃をもったときの敬礼のやり方で、両手で銃を持ち、自分の前面にその
両腕を伸ばし、銃を垂直に保つ。
8.痰壺なめ=説明する気になれない。
41名無し三等兵:2006/06/01(木) 03:48:27 ID:???
4月に出た新刊。

日中戦争の軍事的展開(慶應義塾大学出版会)
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/476641277X/503-3835216-6779131
42名無し三等兵:2006/06/01(木) 15:54:43 ID:???
イナゾウ先生まだぁ〜??(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
43名無し三等兵:2006/06/01(木) 19:39:16 ID:gTphqjRZ
>>40
菊門磨き 班長の菊門を舐める
銃磨き  菊門を舐めながら筒をしごく
44名無し三等兵:2006/06/02(金) 14:57:54 ID:???
ロシアだかどこかの軍隊では、ストーブに抱きつかされて「俺は馬鹿だ!」と叫ばせるいじめがあるらしい。
45名無し三等兵:2006/06/02(金) 15:02:00 ID:???
イギリス海兵隊で新兵を裸にして、
ダーツのようなものを投げて的にするといういじめがあったらしい。
TVのニュースで見たことがある。

漏れは咄嗟にワハハ本舗を想起したよ。
46イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 01:34:04 ID:???
師団の話が出ていましたので、ゆうか氏の真似をして少しまとめてみましょう。
ズラズラ続きますが、以降の話をするための「基礎資料」になりますので
ご容赦をw。

●明治〜大正期に創設された師団

・近衛師団(宮)編成地:東京、補充担任:東京 
・第1師団(玉)編成地:東京、補充担任:東京
・第2師団(勇)編成地:仙台、補充担任:仙台
・第3師団(幸)編成地:名古屋、補充担任:名古屋
・第4師団(淀)編成地:大阪、補充担任:名古屋
・第5師団(鯉)編成地:広島、補充担任:広島
・第6師団(明)編成地:熊本、補充担任:熊本
・第7師団(熊)編成地:札幌、補充担任:旭川
・第8師団(杉)編成地:弘前、補充担任:弘前
47イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 01:46:29 ID:???
・第9師団(武)編成地:金沢、補充担任:金沢
・第10師団(鉄)編成地:姫路、補充担任:姫路
・第11師団(錦)編成地:善通寺、補充担任:善通寺
・第12師団(剣)編成地:久留米、補充担任:久留米
・第13師団(鏡)編成地:仙台、補充担任:仙台
・第14師団(照)編成地:宇都宮、補充担任:宇都宮
・第15師団(祭)編成地:名古屋、補充担任:敦賀
・第16師団(垣)編成地:京都、補充担任:京都
・第17師団(月)編成地:姫路、補充担任:姫路
・第18師団(菊)編成地:久留米、補充担任:久留米
・第19師団(虎)編成地:羅南、補充担任:羅南
・第20師団(朝)編成地:龍山、補充担任:京城

●日中戦争(盧溝橋事件)〜太平洋戦争開始までに編成

・第21師団(討)編成地:金沢、補充担任:金沢
・第22師団(原)編成地:宇都宮、補充担任:仙台
48イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 01:57:09 ID:???
・第23師団(旭)編成地:熊本、補充担任:熊本
・第24師団(山)編成地:満州、補充担任:熊本
・第25師団(国)編成地:満州、補充担任:大阪
・第26師団(泉)編成地:華北、補充担任:名古屋
・第27師団(極)編成地:華北、補充担任:佐倉
・第28師団(豊)編成地:満州、補充担任:東京
・第29師団(雷)編成地:満州、補充担任:名古屋
・第32師団(楓)編成地:東京、補充担任:東京
・第33師団(弓)編成地:仙台、補充担任:宇都宮
・第34師団(椿)編成地:大阪、補充担任:大阪
・第35師団(東)編成地:旭川、補充担任:東京
・第36師団(雪)編成地:弘前、補充担任:弘前
・第37師団(冬)編成地:久留米、補充担任:熊本
・第38師団(沼)編成地:名古屋、補充担任:名古屋
・第39師団(藤)編成地:広島、補充担任:広島
・第40師団(鯨)編成地:善通寺、補充担任:善通寺
49イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 02:10:04 ID:???
・第41師団(河)編成地:龍山、補充担任:宇都宮
・第48師団(海)編成地:海南島、補充担任:台湾
・第51師団(基)編成地:宇都宮、補充担任:宇都宮
・第52師団(柏)編成地:金沢、補充担任:金沢
・第53師団(安)編成地:京都、補充担任:京都
・第54師団(兵)編成地:姫路、補充担任:京都
・第55師団(杜)編成地:善通寺、補充担任:善通寺
・第56師団(龍)編成地:久留米、補充担任:久留米
・第57師団(奥)編成地:弘前、補充担任:弘前
・第101師団(なし)編成地:東京、補充担任:京都
・第104師団(凰)編成地:大阪、補充担任:名古屋
・第106師団(なし)編成地:熊本、補充担任:熊本
・第108師団(祐)編成地:満州、補充担任:弘前
・第109師団(肝)編成地:小笠原、補充担任:甲府
・第110師団(鷺)編成地:姫路、補充担任:姫路
・第114師団(将)編成地:華北、補充担任:溝の口
50イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 02:20:47 ID:???
・第116師団(嵐)編成地:京都、補充担任:京都

●太平洋戦争開始後に編成

・近衛第1師団(隅)編成地:東京、補充担任:東京
・近衛第3師団(範)編成地:東京、補充担任:東京
・第30師団(豹)編成地:平壌、補充担任:平壌
・第31師団(烈)編成地:タイ、補充担任:甲府
・第42師団(勲)編成地:仙台、補充担任:仙台
・第43師団(誉)編成地:名古屋、補充担任:名古屋
・第44師団(橘)編成地:大阪、補充担任:大阪
・第46師団(静)編成地:熊本、補充担任:熊本
・第47師団(弾)編成地:弘前、補充担任:弘前
・第49師団(狼)編成地:京城、補充担任:京城
・第50師団(蓬)編成地:台湾、補充担任:台北
・第58師団(広)編成地:華北、補充担任:熊本
・第59師団(衣)編成地:華北、補充担任:柏
51イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 02:32:03 ID:???
・第60師団(矛)編成地:華北、補充担任:佐倉
・第61師団(鵄)編成地:東京、補充担任:東京
・第62師団(石)編成地:華北、補充担任:京都
・第63師団(陣)編成地:華北、補充担任:宇都宮
・第64師団(開)編成地:華北、補充担任:広島
・第65師団(専)編成地:華中、補充担任:名古屋
・第66師団(敢)編成地:台湾、補充担任:台湾
・第68師団(檜)編成地:華中、補充担任:大阪
・第69師団(勝)編成地:華北、補充担任:弘前
・第70師団(槍)編成地:華中、補充担任:広島
・第71師団(命)編成地:満州、補充担任:旭川
・第72師団(伝)編成地:仙台、補充担任:仙台
・第73師団(怒)編成地:名古屋、補充担任:名古屋
・第77師団(稔)編成地:旭川、補充担任:旭川
・第79師団(秦)編成地:羅南、補充担任:朝鮮
・第81師団(納)編成地:宇都宮、補充担任:宇都宮
・第84師団(突)編成地:姫路、補充担任:大阪
・第86師団(積)編成地:久留米、補充担任:久留米
52イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 02:43:32 ID:???
・第88師団(要)編成地:樺太、補充担任:旭川
・第89師団(摧)編成地:札幌、補充担任:旭川
・第91師団(先)編成地:千島、補充担任:旭川
・第93師団(決)編成地:金沢、補充担任:金沢
・第94師団(威烈)編成地:マレー、補充担任:大阪
・第96師団(玄)編成地:京城、補充担任:福岡
・第100師団(拠)編成地:ミンダナオ島、補充担任:名古屋
・第102師団(抜)編成地:ビザヤ島(フィリピン)、補充担任:熊本
・第103師団(駿)編成地:ルソン島、補充担任:熊本
・第105師団(勤)編成地:ルソン島、補充担任:広島
・第107師団(凪)編成地:満州、補充担任:弘前
・第111師団(市)編成地:満州、補充担任:善通寺
・第112師団(公)編成地:満州、補充担任:久留米
・第115師団(北)編成地:華北、補充担任:旭川
・第117師団(弘)編成地:華北、補充担任:柏
・第118師団(恵)編成地:華北、補充担任:京都
53イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 02:56:03 ID:???
・第119師団(宰)編成地:満州、補充担任:東京
・第120師団(邁進)編成地:満州、補充担任:善通寺
・第121師団(栄光)編成地:満州、補充担任:善通寺
・第122師団(舞鶴)編成地:満州、補充担任:東京
・第123師団(松風)編成地:満州、補充担任:名古屋
・第124師団(遠謀)編成地:満州、補充担任:仙台
・第125師団(英機)編成地:満州、補充担任:広島
・第126師団(英断)編成地:満州、補充担任:熊本
・第127師団(英邁)編成地:満州、補充担任:宇都宮
・第128師団(英武)編成地:満州、補充担任:金沢
・第129師団(振武)編成地:華南、補充担任:長野
・第130師団(鍾馗)編成地:華南、補充担任:京都
・第131師団(秋水)編成地:華南、補充担任:金沢
・第132師団(振起)編成地:華中、補充担任:大阪
・第133師団(進撃)編成地:華中、補充担任:熊本
・第134師団(勾玉)編成地:満州、補充担任:満州
・第135師団(真心)編成地:満州、補充担任:満州
54イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:04:51 ID:???
・第136師団(不抜)編成地:満州、補充担任:満州
・第137師団(扶翼)編成地:満州、補充担任:満州
・第138師団(不動)編成地:満州、補充担任:満州
・第139師団(不屈)編成地:満州、補充担任:満州
・第148師団(富嶽)編成地:満州、補充担任:満州
・第149師団(不撓)編成地:満州、補充担任:満州
・第150師団(護朝)編成地:京城、補充担任:姫路
・第158師団(不滅)編成地:満州、補充担任:満州
・第160師団(護鮮)編成地:平壌、補充担任:広島
・第161師団(震天)編成地:華中、補充担任:熊本
・第320師団(宣武)編成地:京城、補充担任:朝鮮
55イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:19:49 ID:???
●『本土決戦師団』1945年2月以降、日本内地で編成

・第140師団(護東)編成地:東京
・第142師団(護仙)編成地:仙台
・第143師団(護古)編成地:名古屋
・第144師団(護阪)編成地:大阪
・第145師団(護州)編成地:広島
・第146師団(護南)編成地:熊本
・第147師団(護北)編成地:旭川
・第151師団(護宇)編成地:宇都宮
・第152師団(護沢)編成地:金沢
・第153師団(護京)編成地:京都
・第154師団(護路)編成地:広島
・第155師団(護土)編成地:善通寺
・第156師団(護西)編成地:久留米
・第157師団(護弘)編成地:弘前
56イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:25:41 ID:???
・第201師団(武蔵)編成地:東京
・第202師団(青葉)編成地:仙台
・第205師団(安芸)編成地:広島
・第206師団(阿蘇)編成地:熊本
・第209師団(加越)編成地:金沢
・第212師団(菊池)編成地:久留米
・第214師団(常盤)編成地:宇都宮
・第216師団(比叡)編成地:京都
・第221師団(天龍)編成地:長野
・第222師団(八甲)編成地:弘前
・第224師団(赤穂)編成地:広島
・第225師団(金剛)編成地:大阪
・第229師団(北越)編成地:金沢
57イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:31:09 ID:???
・第230師団(総武)編成地:東京
・第231師団(大國)編成地:広島
・第234師団(利根)編成地:東京
・第303師団(高師)編成地:名古屋
・第308師団(岩木)編成地:弘前
・第312師団(千歳)編成地:久留米
・第316師団(山城)編成地:京都
・第321師団(磯)編成地:東京
・第322師団(磐梯)編成地:仙台
・第344師団(剣山)編成地:善通寺
・第351師団(赤城)編成地:宇都宮
・第354師団(武甲)編成地:東京
・第355師団(那智)編成地:姫路
58イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:46:29 ID:GiRq9Ykc
以上、日本陸軍の『全師団』です。

付加価値をつけるために「通称名」も揃えておきました。編成地だけでなく
「補充担任」も併記したのは、支那事変以降もそうですが、太平洋戦争末期に
なると外地で師団が編成されるケースが激増したためです。

「編成地:華北」「編成地:満州」「編成地:マレー」などがズラズラ並びますと、
まるで兵隊となる人間がボウフラのように湧いて出ているような印象が拭えませんw。

あくまで日本人の戦争であると強調するために、それぞれ「補充担任」を京都、
熊本、大阪などと明記しました。

本来であれば、編成時期を「何年何月何日」とまで明記すれば、スレの上の方にある
質問にも明快な答えが説明できるのでしょうが、とてもそこまで手が回りませんw。
長くなりましたので、もろもろの講評・所感等は明日にしたいと思います。
59イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/03(土) 03:54:07 ID:GiRq9Ykc
最後、ついでのオマケに『欠番の師団名』を少しだけ列記して置きます。

『欠番』

第45師団、第67師団、第74師団〜第76師団、第78師団、第80師団、
第82師団〜第83師団、第85師団、第87師団、第90師団、第92師団、
第95師団、第97師団〜第99師団、第113師団、第141師団、第159師団、
第162師団〜第200師団、第203師団〜第204師団、第207師団〜第208師団

(以下略)orz.力尽きました…w。
60名無し三等兵:2006/06/03(土) 04:22:32 ID:???
3,6、9,11,13,16、18、101、114師団は
南京大虐殺の犯行部隊
61名無し三等兵:2006/06/03(土) 04:26:41 ID:???
早朝から釣りかよ。
62名無し三等兵:2006/06/03(土) 09:49:27 ID:???
ttp://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaiguntop.html
ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/index.html
いうちゃなんだがこのへんのリンクはっときゃ済む話じゃないの
63イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 00:00:33 ID:???
>>60 >>3,6、9,11,13,16、18、101、114師団は
>>南京大虐殺の犯行部隊

当該スレでは、「南京大虐殺」は華麗にスルー。これ定説ですw。

>>62 >>いうちゃなんだがこのへんのリンクはっときゃ済む話じゃないの

リンクを貼ったところで見ない人の方が多いでしょうw。半ば強制的に見て貰う
意図もありますし、すぐ後で自分が参考にするとき便利です。

あと「書き取り」と同じな訳で、自分のための勉強でもあります。いちいち書いて
みることで、はたと気付かされる事があるものです。写経のようなものですw。
64イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 00:22:25 ID:BzaINC6w
>>18 >>日中戦争初期の頃から陸軍の派遣部隊に100番台の番号のつく
>>師団が出てくるのは何故なのでしょうか?

満州事変以後の「非常時体制」から、日本では国家総力戦の思想が強まります。
そして1936年に『軍備充実計画の大綱』が作られ、1937年〜1942年の5年間で

●戦時兵力40個師団の大計画が建てられた訳です。言うまでも無く、支那事変が
 起こる(1937年)の前年に当たりますが、単なる偶然です。

平時に置いては、日本内地に14個師団、満州国に10個師団、朝鮮に3個師団の
計27個師団を整備しておくという遠大なものです。しかし、一気に師団数を増やすのは
無理がありますから、従来の「歩兵連隊4単位(一個師団あたり)」から、「3単位」に
減らす方針が立てられた訳です。
65名無し三等兵:2006/06/04(日) 00:40:58 ID:Ikae8+tj
イナゾウ中校殿 おかえりなされ^^
66イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 00:48:16 ID:BzaINC6w
当然、師団は従来より「軽量級」になってしまう訳ですが、そもそも師団は
『戦略単位』として、総合的な作戦を遂行できる組織です。陸軍中央としては
将来の大戦争に備えて、「戦略単位」という持ち駒の数を増やそうとしたのです。

実際、支那事変で「第11軍」「第12軍」といった師団より上級の司令部が
設定されます(戦闘序列)。支那大陸という「広大な戦線」を考えれば、この
目論見は正しかったと言えるのではないでしょうか。

しかし、日本の軍司令官は「軽量級の師団」を多く揃えるより、数が少なくなっても
「重量級の師団」の配属を好んだとされますから、その他列強に比べて日本は師団に
対する愛着というか執着が強かったのかもしれません。

さて100番台の師団ですが、直後の方が少し説明されているとおり、
「特設師団」と呼ばれるものです。そして1936年の「軍備充実計画の大綱」が
下敷きになっていることは言うまでもありません。
67イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 00:59:44 ID:???
>>65 どうもでございます。5月病でノイローゼに罹っておりましたw。元来、躁鬱病です。

繰り返しになりますが、「特設師団」(100番ナンバー)は支那事変勃発前に作られた
1937年度の動員計画によって編成されたものです。当時の常備師団は、その師団管区内に
おいて、『常設師団(甲)』と『特設師団(乙)』をそれぞれ編成することになりました。

>>20氏が書いたのを拝借させて頂くと、以下の通り。
68イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 01:07:02 ID:???
常備師団   特設師団

近衛         無し
1         101
2          13
3          15
4         104
5         105 
6         106
7          無し 
8         108
9         109
10         17
11        111
12         18
14        114
16        116
19         無し
20         無し 
69イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 01:50:42 ID:BzaINC6w
抜けなどを少し加筆・補足させて頂きましたが、これで「常設師団17個+特設師団
13個」計30個師団の出来上がりです(一応は)。

>>64 で挙げた『軍備充実計画の大綱』とは全く異なりますがw(大綱では、満州国に
10個師団、そもそも全体として1942年までの目標:平時24個師団、戦時40個師団)、
これは支那事変の勃発(盧溝橋事件)が、動員計画にも新たに影響を与えています。まあ、
形を変えての手っ取り早い前倒しですし、大綱はあくまで大綱ですw。実際とは違います。

さて、特設師団の中に100番ナンバー以外の師団も(第13師団、第15師団、第17
師団、第18師団)が見受けられますが、これらは全て大正時代の宇垣軍縮によって廃止
された師団です。これらは地元民からの強い要望も受けて、その機会に復活したものです。

このとき特設師団の編成が見送られた近衛師団・第7師団(旭川)、第19師団・第20
師団(朝鮮)については、説明しなくても何となく理由は想像できるでしょう。

ちなみに特設師団は、火砲などの装備が劣るため、せめて歩兵部隊の数で補おうと
従来どおり4個単位(連隊)のまま編成されましたが、何事にも例外はつきもので
3単位の臨時編成で出動した師団もあります(第15、第17師団)。
70イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 02:27:09 ID:BzaINC6w
>>18 >>単純に1から始まって10、20、30・・・って数字順にならないのが不思議で。

支那事変が勃発するまでは、もちろん番号順でした。ちょうど第20師団までですね。

>>22 >>第44師団(橘)と第46師団(静)があるのに第45師団がなかったり、

第42〜47師団は、第62〜第67独立歩兵団がそれぞれ基幹となって編成される
予定でしたが、第65独歩団は1941年10月に第65旅団に改編されてフィリピン方面に
回されます。その後も南方戦線で作戦を続け、最後まで師団を編成できなかったために
結局、第45師団は欠番になっています。

>>22 >>第140師団(護東)と第142師団(護仙)があって第141師団がなかったり、

>>55 を見れば早いでしょう。他の140番ナンバーは、下ひと桁が大元の編成地と一致して
います。この場合、東京は「近衛」(第140師団)で押さえられていますから、同じく
編成地が東京になるばずの第141師団が欠番になってしまったのでしょう。
71イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 02:58:42 ID:BzaINC6w
>>22 >>まさか思いつきで空いてそうな番号を付与したのかなーなんて。
>>そんなはずないですよね。なんででしょうね?

>>70 で見られるように本来、師団に改編される予定がそうはならず欠番になったり、
大元の所在地に合わせようとしたり、番号順に埋めようとしたり、本土決戦師団など
性格(コンセプト)によって「キリ」の良い番号から始めてみたり、など色々な思惑が
絡み合っている訳です。

思い付きも少しはあるでしょうが、もはや欠番など気にせず、ガンガン割り振って
いったのでしょう。

>>25 >>師団によっていろいろで例外ありまくりなんだけど、
補充地と師団番号の下一桁を見てると何か見えてくるかもね。

通称号を見ても「護東、護古、護仙」など共通パターンが見られる場合が
ありますから、理解の一助となるでしょう。とにかく例外事項ばかりで、
個別に見ていくことも可能ですが、とても説明できる量ではありませんw。
72イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 19:04:58 ID:Zr7VFsPX
>>22 >>まさか思いつきで空いてそうな番号を付与したのかなーなんて。

スレ違いの話が長くなりましたので、最後にザックリと「師団の性格」に触れて
手仕舞いにしたいと思います。これだけでも支那事変・太平洋戦争の戦況が目に
見えてきます。本当に大まかな区切り方なので、細かい突っ込みはイヤンw。
まずは支那事変直後の20番台師団から……。

●20番ナンバー師団=余剰連隊で師団増設

 常設師団を4単位制から3単位制に変えるとき、余った1個連隊を基幹として
 編成されます。それゆえ大部分は現役師団として精強だったと言えるでしょう。
 ただし、第21師団・第22師団はまったくの新設師団であり、これに当てはまり
 ません。第27師団は、支那駐屯兵団をもとに編成されました。 
73イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 19:23:20 ID:Zr7VFsPX
●30番ナンバー師団=支那占領地の「治安」師団

 主に1939年に編成され、支那各地の占領地の治安維持を任務としていました。
 師団の人員は常設師団より少なく、1万4千人程度。装備もやや劣ります。

●50番ナンバー師団=満州永久駐屯部隊の後釜(留守師団・平時編成)

 1940年の「軍備改変要領」によって、従来、各師団の数年交代の持ち回りだった
 満州国への派遣が『永久駐屯制』に切り替わります。これはノモンハン事件の戦訓を
 生かそうとしたものです。これにより、第1師団、第8〜12師団、第14師団……など
 計13個師団が満州国に派兵されました。50番ナンバー師団の多くは、それらの
 留守師団をもとに内地で編成されたものです。戦時要員の確保が目的なため、平時編成で
 装備・人員とも通常の3分の2程度でした。
74イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 19:43:01 ID:Zr7VFsPX
●40番ナンバー師団=戦時編成された、動員計画上の常設師団

 40番ナンバー師団の多くが、50番ナンバー師団より『後に』出来ました。
 先に編成された50番ナンバー師団は「3単位制(連隊)」でしたが、その
 もとになった留守師団は4単位制であったため、必然的に1個連隊が余ります。
 これらの余剰連隊と、その他の独立歩兵団を基幹として編成されたのが40番
 ナンバー師団です。簡単に言うと、50番ナンバーは内地に置かれ、戦時目的で
 動員されたのが40番ナンバーなのです。

●60番ナンバー師団=支那占領地の「治安」師団

 1942・1943年に支那戦線にあった「独立混成旅団」を改編したもので、目的は
 30番ナンバーと同じく占領地の治安維持です。その兵力は約1万2千人、
 歩兵旅団2、独立歩兵大隊8、師団工兵・通信・輜重などで、砲兵部隊は
 ありませんでした。相当、見劣ります。
75イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 19:58:42 ID:Zr7VFsPX
●70番〜90番ナンバー師団=日本内地の兵備強化師団

 太平洋戦争終盤に内地の兵備強化のために編成された師団です。欠番が多いため、
 実際は半分の14個師団です。これらは内地、樺太、千島、北朝鮮、済州島などに
 分散配置され、満州では第71師団、マレーでは第94師団が編成されています。
 特筆すべきは、第81師団(宇都宮)・第93師団(金沢)で、歩兵・砲兵・工兵の
 各「実施学校教導部隊」の人馬を充てているため、非常に優秀でした。

●100番ナンバー師団=フィリピンの独立混成旅団が昇格

 支那事変直後の特設師団は詳述したので略。太平洋戦争終盤に、フィリピンに
 駐屯していた独立混成旅団が基幹となったものです(第100、102、103、
 105師団)。兵力は1万3千人程度で、60番ナンバー師団と同程度。師団砲兵隊は
 砲迫3個中隊という名ばかりのものでしたw。
76イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 20:19:17 ID:Zr7VFsPX
●110番ナンバー師団=南方転用部隊の穴埋めのため編成

 ほとんど全てが満州・華北で編成されています。これは1944年後半、フィリピン
 などの南方、あるいは宮古島に転用されていった部隊の穴埋めに編成された
 ものです。お決まりの如く、残留部隊と独立歩兵旅団が基幹となっています。
 
●120番ナンバー師団=関東軍の現地編成師団

 1945年2月、満州の関東軍が現地で編成した師団です。ここから「通称号」が
 1文字から2文字に変わっています(英機、英断など)。兵力は1万2千人程度、
 師団砲兵も3個中隊と非常に見劣りします。その後、兵力は1万5千人程度、砲兵も
 連隊規模に拡充した師団もありましたが、もはや関東軍の昔日の影はありませんw。
77イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 20:42:51 ID:Zr7VFsPX
●130番ナンバー師団=関東軍の「根こそぎ」動員

>>53 >>54 に注目。1945年2月に、中支・南支で4個師団、関東軍で6個師団が
 編成されました。後者は「補充担当」も満州になっており、いわゆる関東軍の
 根こそぎ動員です。兵力は1万6千人を予定し、8月には衛生隊・制毒隊その他が
 動員下令されましたが、終戦でアウトです。

●140番〜160番ナンバー師団=沿岸張り付け部隊

 1945年2月、本土決戦の第1次兵備として、日本内地と朝鮮に沿岸配備師団
 16個師団が編成されました。通称号も「護阪」「護京」など、特徴的な名前が
 並びます。沿岸に張り付き、敵上陸部隊を拘束することが目的とされました。
 砲力の不足を補うために歩兵連隊は4単位で、3個連隊が沿岸で敵を拘束し、
 残りの1個連隊が機動力を活かして反撃するという目論見でした。

 なお162以降は欠番で、次はいきなり200番ナンバーに飛びます。 
78イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 21:27:28 ID:9k+riBdw
●200〜210番ナンバー師団=本土決戦の機動師団

 1945年4月、本土決戦の第2次兵備の中核として編成されました。「機動兵団」
 として、沿岸配備師団に対応するものです。当初は文字通り、「決戦師団」とも
 呼ばれましたが、のちに改められました。通称号をみても、「武蔵」「安芸」
 「比叡」「阿蘇」「常盤」など、海軍の戦艦の名前に使ってもいいものばかりで
 (というかパクリのような気が……w)、気合の入り方が分かるというものです。
 兵員も現役が多く、装備ともに良好でした。

●220番〜230番ナンバー師団=本土決戦の「根こそぎ」動員

 1945年5月、本土決戦のための第3次兵備として臨時動員された師団です。
 名前こそ、前述の「200〜210」と同じ機動師団ですが、兵力1万3千人程度と
 質量ともに酷く劣ります。「根こそぎ」動員のため、編成・装備に多くの問題を
 抱えていましたが、まず形だけでも整えて徐々に教育訓練を施す予定でした。
79イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/04(日) 21:55:00 ID:9k+riBdw
●300番ナンバー師団=最後の沿岸配備師団

 同じく1945年5月に本土決戦・第3次兵備として臨時動員され、
 沿岸配備に回された師団です。合計11個師団が編成されましたが、
 第1次兵備での同じ「沿岸張り付け部隊」140〜160番ナンバー
 師団と比べても、質量ともに劣りました。兵力は1万2千人ですが
 充足率が悪く、編成途中で終戦を迎えた部隊もありました。 

以上でオシマイですが、合計でたかだか170個ほどです。「受験勉強」を
考えれば、全師団を「頭に叩き込む」のはそれほど難事でも無いでしょう(藁)。

ちなみにドイツの場合、バルバロッサ時で全師団数は205個です。その内の
145個を投入しています。
80真実:2006/06/04(日) 23:11:07 ID:???
他板で既出かもしれないが
台湾陸軍の参謀の実践教育したり
陸軍大学の教官したのが帝国陸軍の支那派遣軍
共産中国の空軍を立ち上げ教育、指導したのは
後に失脚する林ピョウの起っての願いで帝国陸軍飛行隊が
担当した。

台湾、中国の軍隊は、帝国陸軍の掌で活動し、伝統は
今も健在。 大日本帝国陸軍万歳
81名無し三等兵:2006/06/05(月) 04:16:19 ID:???
山本七平は103師団の砲兵少尉だったよね。
著書でその内情をリアルに語ってる。村岡師団長とも面識あるしおもろい。
「員数師団」とか笑える。
82名無し三等兵:2006/06/05(月) 04:20:37 ID:???
そうそう山本七平の従軍記のおもろいところは戦記物ではなく、
評論で、現実を淡々と語るところ。
戦闘シーンはほとんどなくて、なにやってんだこいつら…って現実がひたすら続く。
83楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/05(月) 22:46:33 ID:???
>>38 >>三文文士イナゾウ

       .「^ヽ,ry'^i
       ,ゝ"´ ⌒`ヽ
      くi Lノノハノ)」    
       λ.[i ゚ ヮ゚ノi!   >>三文でも文士と呼ばれるようになりましたか、ムフフン。
       レ',ヘ.i`ム'」つ旦~  とニヤついているわよ、まったく逆効果ね。
 ((  ,ノ⌒,く_,//T.rヽ    
    `'ー´ `!,ン'''´'-'
閑話休題で書評を1つ……。新刊文庫です。

『日本陸海軍・あの人の「意外な結末」』(日本博学倶楽部著、PHP文庫)

タイトルの文字通り、明治から昭和まで日本陸海軍人の「意外なその後」を追った
雑学本です。帯コピーには「真珠湾奇襲の英雄が伝道師として米国へ!?」とありますが、
もちろん淵田美津雄のことです。

ここで取り上げる理由は、「支那派遣軍総司令官」の岡村寧次や「白団」の根本博、
そして渋い所では、「支那事変当時の参謀次長」である多田駿など、代表的な『支那通
軍人』が収録されているからです。

特筆すべきは「岡村寧次の項」で、本文写真が滅茶苦茶カッコイイ! キャプションには
「満州事変時、塘沽停戦協定を締結した際の岡村ら関東軍の面々」とあり、関東軍兵站
司令部から岡村を先頭に10数人が出てきた時の写真ですが、背筋がゾクゾクするほどです。
前スレ186 >>歴史の捏造をするなよ民族差別者め

「差別するがために『民族』という括りはあるのだよ。

 一体どこの誰に話しかけているか判っているかね? 私がカーキ色の帝国陸軍
 軍装を着ていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ? 一体何人
 *したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』
 の集団にかね? 民族差別者? 何を今更!! 半世紀ほど言うのが遅いぞ!!

 よろしい!! 結構だ!! ならば私を止めてみろ自称健常者諸君!! しかし残念
 ながら私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ。私の敵は、重慶の
 国民党政府!! 延安の共産党政府!! いや!! そこに嬉しそうにたたずんでいる男だ!!」
86えICBM:2006/06/05(月) 23:14:16 ID:???
区別じゃねか?
その後に差別。
と、まあ前スレで書き込んだ訳ですがw、

>>暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』の集団にかね?

上記の『日本陸海軍・あの人の「意外な結末」』にある岡村寧次の写真は、
この「支那通の集団」に全くふさわしい写真なのです。支那通を志す軍人は
プロマイドにして肌身離さず身につけなさい、デスクトップのスクリーン
セイバーにしなさい、と言いたい程です。

コートを肩から羽織った岡村寧次が渋過ぎます! 写真提供が毎日新聞社なので
ネットの「毎日フォトバンク」から画像をウPすることも出来るのですが、
さすがにヤバイ(毎日新聞社のマークが写真に上書きされる)のでw、
ぜひ書店で岡村寧次のページ(199P)だけでも立ち読みしてみて下さい。
88イナゾウ中佐@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/05(月) 23:43:31 ID:C+aLohgk
他にも、「32歳の頃の東郷平八郎」や「関東大震災時に首相をやっていた
山本権兵衛の芝生での閣議」「中学校長になった秋山好古の生徒との記念写真」
「ドイツ留学時の森林太郎(鴎外)」「軍務局長室で暗殺された直後の永田鉄山
の遺体」「2.26事件で岡田啓介と間違われて殺された松尾伝蔵大佐」「飛行場での
石原莞爾」「巣鴨プリズンでスーツ姿のヒデキ(東条英機)」「インドネシアで
子供に揉みくちゃにされる今村均」「ベルリンオリンピックで馬上競技中のバロン西」
「ラオスで行方不明になる前の最後の写真:辻政信」「渡米してアメリカのジェット機に
乗る源田実」など、自分も初見の写真が数多くありました(新聞社ではなく記念資料館
所蔵の写真のもの)。

個人的には、永田鉄山の「永田の前に永田なし、永田の後に永田なし」の文句と、
ヒデキの辞世の句「我ゆくも またこの土地にかへり来ん 国に酬(むく)ゆる
ことのたらねば」が載っているだけでお腹一杯なのですが、雑学本という括りなだけに
詳しい人には内容的に物足りないかもしれません。まあ、入門者用です。

昔の「別冊宝島ムック」のような、日本陸軍人の人形の表紙が目印です。ちょっと不気味w。
>>86 >>区別じゃねか? その後に差別。

いきなり差別するのが、支那通軍人の「心意気」ですw。
90えICBM:2006/06/05(月) 23:52:42 ID:???
当時の状況を語るのには不可欠な心構えかもしれない。
91名無し三等兵:2006/06/05(月) 23:59:01 ID:???
>>85
>そこに嬉しそうにたたずんでいる男だ!!
とはだれだろうかと妄想してみたり
92イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/06(火) 00:02:44 ID:C+aLohgk
>>山本七平は103師団の砲兵少尉だったよね。
>>そうそう山本七平の従軍記のおもろいところは戦記物ではなく、
>>評論で、現実を淡々と語るところ。

山本七平の本は高校生ぐらいの頃に読んで、それっきりです。いま読み直して
みると、また新しい発見があるかもしれませんね。山本七平がフィリピンではなく
支那戦線に配属されていたとしたら、どのような本の記述になったか気になる所
ではあります。あのシュールさが堪りませんw。

兵頭軍師がよく強調されていますが、フィリピンで日本兵は51万8千人死んでいます
(厚生省その他)。これは支那戦線での全戦死者46万人を上回ります。ちなみに
ニューギニアは13万人、ビルマは14万6千人(インパールは3万人)、沖縄は
9万4千人です。
93イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/06(火) 00:11:29 ID:C+bDAKqQ
山本七平氏がいた第103師団は「ルソン島」に配備されていましたが、
1945年1月9日に米軍がリンガエン湾に上陸を開始します。

6月に空挺部隊がアパリに降下すると、第103師団所属の第80旅団が孤立。
師団主力もカガヤン付近の攻坊で撃破されると、山岳地帯にこもって持久戦を
余儀なくされました。飢餓とマラリア、原住民のゲリラにも殺され、まことに
お気の毒だったとしか言いようがありません。

>>>そこに嬉しそうにたたずんでいる男だ!!
>>とはだれだろうかと妄想してみたり

ご想像にお任せします。ちょうど良い人がいたら教えてくらさいw。
94イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/06(火) 00:16:00 ID:???
ちなみに、フィリピン戦線の戦死者の8割が餓死とも言われています。
95名無し三等兵:2006/06/06(火) 00:22:43 ID:lAchcPcu
教えてください、日中戦争で支那側h
麻雀戦、地雷戦、地道戦、運動戦、をしかけ地形に手を加えて戦ったと
ある本にありましたが、これって何ですか?
96イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/06(火) 23:29:51 ID:yYuSI/ZW
>>95 >>麻雀戦、地雷戦、地道戦、運動戦、をしかけ地形に手を加えて戦った

中共の代表的なゲリラ戦法です。「麻雀戦」は、小部隊が雀のようにチョコマカ
出没して、行軍中の日本兵に射掛けることを意味します。

特に北支は「丘陵地帯」が多かったため、数人の土人兵が小銃の弾が届くギリギリの
射程から撃ってくるケースが非常に多かったのです。当たるも八卦、当たらぬも八卦と
いった具合ですが、もちろん運が悪いと命中して死傷者が出ます。

まあ左右はともかく、丘の頂上などから撃つために大抵は「高さ」の照準が合いません。
はるか頭上を弾が飛んでいく事も多かったのですが、嫌らしいことこの上ないです。
また迫撃砲もよく撃ち込んできましたw。

撃たれた日本軍は、一個分隊や小隊を差し向けますが、数人の土人兵は丘の向こうに
スタコラサッサと逃げてほとんど無駄足に終わります。酷い場合、待ち伏せの部隊に
逆襲されますから、ほとんどの場合は無視して、撃たれるがままにしていました。
97イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/06(火) 23:51:07 ID:yYuSI/ZW
「地雷戦」は文字通り地雷を埋めての戦い、「地道戦」は地下道の戦いを意味します。

「運動戦」は毛沢東の言をそのまま引用するならば、『勝ていれば戦い、勝てなければ
去る。今日の我々の運動戦に対する通俗的な解釈である。攻撃だけを認めて、
移動や退却を認めぬような軍事家はいないはずである』となります。

要するに日本軍に姿を見せることを極力避けたうえで、ひたすら僅かずつの
『出血』を強いていくことです。

こうした共産ゲリラが跋扈した日本軍の占領地では「中隊討伐」や「大隊討伐」を
行ないますが、当然出撃する側から情報がダダ漏れな訳で、土人兵の姿を補足する
こと自体、極めて困難でした。例えば、怪しいとされる部落に入ってもひとっ子一人
いないような状況です。

数人の遺棄死体や武器などが押収できれば、それだけで戦果上々といった具合です。
その一方で地雷やブービートラップに引っかかって、日本兵の損害は累積していきます。
98名無し三等兵:2006/06/06(火) 23:58:12 ID:???
まるでベトナムですね
99えICBM:2006/06/07(水) 00:04:59 ID:???
ゲリラは新しい言葉だが、概念はとても古い。
ということか。
100イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 00:05:12 ID:KUcJiT9X
中共ゲリラを相手とした、フラストレーションの坩堝のような戦場で
日本兵による部落に対しての『虐殺や拷問』もあった訳ですが、「だから
どうした?」というのが自分の感想です。

おそらくは自分もガンガンやっているでしょうw。良心は犬に喰わせるべきです。

さて上記の中で、一番違和感があるのが「地道戦(地下道戦)」だと思います。
どうしても『ベトコン』のイメージが強いでしょうが、支那の土人兵も穴を掘って
村内の連絡網をつくったり、兵器の地下工場や倉庫を隠していたのです。
101名無し三等兵:2006/06/07(水) 00:14:53 ID:???
>>97 正直は基本的に美徳ではありますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しですよ。気持ちは分かりますが。

大陸での蛮行は、再徴集された兵、都市部出身の兵士に多かったそうですね。
102えICBM:2006/06/07(水) 00:16:23 ID:???
まあ、ゲリラを支えるのは現地住民であるから、現地住民から反感を買う政策はゲリラへの支援となる。
103名無し三等兵:2006/06/07(水) 00:21:00 ID:???
>>92
山本7平は員数師団の内情をシュールに語ってますからおもろいと思いますよ。
興味深いのは10師団の将校と山本少尉のギャップとか。
10師団はフィリピン戦最後の援軍としてアパリ付近に上陸します。
「純粋培養の帝国陸軍将校」とか毒吐いてます。
104イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 00:21:35 ID:KUcJiT9X
自分の手元に『共産軍根拠地掃蕩の参考』という教本の抜粋がありますので、
少し例に挙げておくと、以下の通り。

●道路不良で通行困難な場所の上方(丘など)に隠蔽場所が多い。

●墓地を利用して「ニセ墓」を作り隠蔽する。欺瞞のために墓標を立てて
 花束を添えるが、記入文は当時存在しないはずの部隊や死亡時期のケースが
 多い。また一般的に墓標も盛り土も新しい。

●畑中に埋没して隠蔽する。板の上に藁と布を敷き、弾薬を載せ、さらに
 その上に布を被せ、盛り土して作物を植える。

●石垣の一部を取り除いて横穴を掘り、再び石垣を構築する。糧秣や印刷機、
 宣伝用の紙が隠蔽されているケースがある。
105えICBM:2006/06/07(水) 00:29:39 ID:???
当時の日本が本気で中国を領土にするつもりだったら、住民の支持を得るため住民保護を優先しただろう。
中途半端な気持ちで攻め込むから泥沼化したのだろう。
106イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 00:35:50 ID:KUcJiT9X
●馬厩の地下を利用して病院を設置するケースがある。馬の餌置きの下に
 入り口を作り、穴倉の中に病院衛生兵3名、その他、糧秣書類が多数
 隠蔽されていた。縦横23メートル×15メートルの面積。

●かまどの煙抜きを偽装して、その空間内に物資を隠蔽する。

●部落の井戸の途中に横穴をつくり、連絡道と兵器工場を作っている
 ケースがある。横穴は、鏡をもって井戸の底を太陽に照らした時に
 偶然発見された。

●土間あるいは空き地の隅に穴を掘って地下室として、兵器修理所や
 人員収容施設、弾薬を隠蔽するケースが多い。入り口には農作物や
 石炭、馬糞などを集めて隠蔽するのが常である。

 空き地では板の上に盛り土して、一見分からないようにカモフラージュ
 するが、歩行により異音を感じて発見できる場合が多い。
107イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 00:41:38 ID:???
>>101 >>正直は基本的に美徳ではありますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しですよ。

「正直は基本的に美徳でありますが?

一体どこの誰に話しかけているか判っているかね? 私がカーキ色の帝国陸軍
 軍装を着ていれば良かったかな? 我々は参謀本部第二部支那課だぞ? 一体何人
 *したと思っているのかね? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』の
 集団にかね? 過ぎたるは猶及ばざるが如し? 何を今更!! 半世紀ほど言うのが遅いぞ!!

 よろしい!! 結構だ!! ならば私を止めてみろ自称健常者諸君!! しかし残念
 ながら私の敵は君らなどではないね。少し黙っていてくれよ。私の敵は、重慶の
 国民党政府!! 延安の共産党政府!! いや!! そこに嬉しそうにたたずんでいる男だ!!」
108イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 00:42:37 ID:???
え? しつこいw。まあ、冗談です(藁)。
109イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 01:20:40 ID:KUcJiT9X
>>101 >>大陸での蛮行は、再徴集された兵、都市部出身の兵士に多かったそうですね。

まあ、自分の印象では部隊を率いる「中隊長次第」です。

中隊長が泣く子も黙る『拷問・処刑も容赦なし』で周辺住民から震え上がられている
ケースもありますが、その全く同じ部隊が、中隊長が大人しい人物に代わってしまったため
途端に気が抜けたような軟弱になってしまう事もあります。

しかし前者の中隊長の方が当然、部隊の統制はキッチリしている訳で、後者の中隊長では
末端の兵士が弛緩して蛮行・暴行を醸成している場合も考えられます。

まあ、難しい所ですw。

>>中途半端な気持ちで攻め込むから泥沼化したのだろう。

今考えれば、民族絶滅戦争ぐらいの覚悟が必要でしたが、とてもその意識や気概は
ありませんでしたねえw。
110えICBM:2006/06/07(水) 01:26:06 ID:???
>>109
民族絶滅させても移住させる邦人の数には限度があるし。

それにしても、これほど「泥沼」と言う言葉が見事に当てはまる例は他に知らない。
111名無し三等兵:2006/06/07(水) 12:28:40 ID:???
植民地経営自体が泥沼の自転車操業だからしょうがない。
英国のインド経営みたいに何百年もやれるなら元が取れるが。
112名無し三等兵:2006/06/07(水) 16:24:45 ID:???
うまくいっていれば自転車操業で、
うまくいかなければ泥沼か。

別に日中に限ったことじゃない。いまでも政府ってのはそうじゃないかね?
もちろん、古代エジブトから繰り返していることだがね。
113イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 23:02:07 ID:L579nl+G
>>80 >>他板で既出かもしれないが台湾陸軍の参謀の実践教育したり
>>陸軍大学の教官したのが帝国陸軍の支那派遣軍

前スレ、前々スレでも『白団』(パイダン)の事は取り上げましたが、具体的な
教育内容については触れていませんでしたね。興味のある方は、

『白団(パイダン)――台湾軍をつくった日本軍将校たち』(中村?悦著、芙蓉書房出版)

が入手容易でひと通り詳しいです。自分は文華堂で入手しましたが、その後もチラホラ
再入荷しているのを見ています。記憶では2千円以下で買った覚えがあります。

このスレで触れても良いですが、かなり地道な記述となり、書く方も読む方も辛い
かもしれませんw。
114えICBM:2006/06/07(水) 23:06:48 ID:???
>>113
なぜアメリカに支援を頼まなかったのかが疑問だ。
相手にされなかったからなのか?
115イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 23:21:42 ID:L579nl+G
『白団』の団長である富田直亮少将(第23軍参謀長)と、国民政府側の駐日代表
である曹士澂、そして日本側の身元保証人である岡村寧次(支那派遣軍総司令官)の
3人が署名した「盟約文」を紹介するのに、ここでは留めましょう。

「赤魔は、日を追って亜細亜大陸を風靡する。平和と自由とを尊び○○(中日)提携の
 要を確認する○○○○(中日両国)同志は、此の際亜東の反共連合、共同保衛のために
 決起し、更に密に協力して防共に邁進すべき秋である。

 ここに、○○(日本)側同憂相謀り欣然として赤魔打倒に精進する○○○○○○○○
 (中華民国国民政府)の招聘に応じ以って○○(中日)恒久合作の礎石たらんことを期する」

*原文は○字が伏字となっています。

ちなみに『白団』の名前の由来は、団長の富田直亮の中国偽名が「白鴻亮」で
その頭文字から取ったものであり、中共のシンボルカラーである『紅』に対応
したものです。
116イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/07(水) 23:48:05 ID:L579nl+G
>>114 >>なぜアメリカに支援を頼まなかったのかが疑問だ。
>>相手にされなかったからなのか?

もちろんアメリカの軍事顧問団も台湾に来ています。1951年5月2日のことです。
しかし蒋介石からすれば、一度はアメリカに見捨てられて、大陸から台湾へと
落ち延びてきたのであり、また何時援助が打ち切られるか分かったものではない
という不信感が当然あったでしょうw。

とどのつまり、日中戦争・太平洋戦争時のような無制限の支援など望むべくも無い。
「カネもなければ、物資もない。そして数だけは無限にあった人もいない――」

そのような中、蒋介石が目を付けて吸収しようとしたのが「旧帝国陸軍」なのです。
「カネもなければ、物資もない。人間の数は豊富だったが、飛び抜けて多い訳でもない」
しかしながら精強を誇っていた帝国陸軍、そのエッセンスを学び取ろうとしたのです。
117イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/08(木) 00:09:33 ID:C5m/M+XG
分かりやすく説明しますと、ふんだんな補給を元に物量で圧倒するような
「米式戦術」を取り入れても、台湾の蒋介石にとっては意味が無い訳です。

重機や軽機、迫撃砲の弾をバラ撒くような戦法を台湾軍に導入しても、
アメリカの援助がストップすれば「お終い」です。

実際、日中戦争で「米式装備の新編師団」を増やしていった蒋介石の
国府軍ですが、第二次国共内戦ではアメリカからの兵器・弾薬の補給が
政治的な理由から途絶してしまいました。「虎の子」の師団が機能せず、
逆に命取りになった訳です。

「カネもなければ、物資もない。そして数だけは無限にあった人もいない――」

繰り返しになりますが、台湾に籠城した蒋介石が必要と感じたのは、弾薬を節約して
少ない物資で戦果を上げていた(例えば、九二式「狙撃」重機wなど)日本軍の
エッセンスこそなのです。
118イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/08(木) 00:21:53 ID:C5m/M+XG
まあ、日本軍の精強さを「誰よりも肌身で感じていた」のが蒋介石です。

日本軍に苦しめられた体験から、客観的な判断というよりも、心理的に
かつての仇敵を過大評価してしまったと言えるかもしれませんw。

しかし、米国に過度に頼りすぎてしまったために、中国大陸から敗退して
文字通り『元も子もなくしてしまった』ことも事実です。台湾の蒋介石から
すれば、今後の「究極の選択」を強いられたとも言えるでしょう。

ちなみに、台湾に来た米国の軍事顧問団は『白団』を白眼視して、陰に陽に
追い出そうとしています。

「敗戦国の日本の軍人を教官として呼んで何かやっているそうだが、実に
 けしからん。さっさと全員帰国させろ」といった具合です(W.C.チェイス)w。
119えICBM:2006/06/08(木) 00:21:53 ID:???
ネットでちょくっと調べたら、白団といえば中村祐悦だが、中村祐悦といえば『白団(パイダン)――台湾軍を
つくった日本軍将校たち』しか著書が無い。
この中村祐悦って何者だろう?
120イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/08(木) 00:29:03 ID:C5m/M+XG
>>この中村祐悦って何者だろう?

まあ、「著者略歴」から引用しますと以下の通り。

「1955年8月22日、石川県七尾市生まれ。『帝国陸軍編制総覧』(芙蓉
書房出版)などの編集協力を経て、現在、編集者・ライターとして活動」

本書の出版が1995年ですから、発刊当時で40歳。現在50歳強となる訳です。
一回限りのペンネームだと考えて、フリーのライター・編集者をしていると
考えるのが無難ではないでしょうか? 別名で他の書籍を出しているかもしれませんね。
121えICBM:2006/06/08(木) 00:33:39 ID:???
うーーん、著者から内容の信憑性を判断するのは無理っぽいですね。
122名無し三等兵:2006/06/08(木) 00:40:41 ID:D3n54mc7
余り上手くないイラストで申しわけございませんが、第二次世界大戦をイメージしたCGイラストを作ってきました。

枢軸三国
http://img404.imageshack.us/my.php?image=r1vs.jpg
ドイツ
http://img417.imageshack.us/my.php?image=nazisgerman7xt.jpg
日本
http://img417.imageshack.us/my.php?image=dainipponteikoku6yz.jpg
イタリア
http://img404.imageshack.us/my.php?image=italia1kg.jpg
日独伊VSアメリカ
http://img404.imageshack.us/my.php?image=usarmyvsaxis8fi.jpg
123えICBM:2006/06/08(木) 00:40:59 ID:???
まあ、事実とすると、アメリカの近代兵器が山のようにある状況での軍事教練は楽しかったではないかとも思う。
124イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/08(木) 23:07:48 ID:pAHJrgZY
>>121 >>うーーん、著者から内容の信憑性を判断するのは無理っぽいですね。

まあ、蒋介石を『良い人』に持ち上げすぎなのは気になりますが、簡潔によく
まとめていると思いますよ。内容の信憑性うんぬんは、とくにかく他の本を
数多く読み比べてみるしかないでしょうw。

>>123 >>まあ、事実とすると、アメリカの近代兵器が山のようにある状況での
>>軍事教練は楽しかったではないかとも思う。

アメリカは、台湾に援助を再開した1951年から1965年までに約15億ドルを
提供しています。その内、8億ドルが軍事援助ですから相当な額です。

「白団」が行なったのは参謀教育です。蒋介石が理想として求めたのは、日本の
陸軍大学のような機関です。つまりは「大軍の統帥」「動員編制」「戦史」ですね。
アメリカの軍事顧問団が行なったのは実兵訓練ですから、近代兵器が山のように
提供されていれば、楽しかった?のかもしれませんw。
125イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/09(金) 00:00:14 ID:TnA1M2NQ
>>14 >>さて、新スレの始まりに何をやろうかと迷っていますが、支那の「幣制改革」について
>>週末からザックリ触れたいと思っています。まあ、ごく簡単にですが。

遅くなりましたが、支那の「幣制改革」について触れたいと思います。

「幣制改革」が実行されたのは1936年11月3日で、支那事変の前年にあたります。
日中戦争で果たした役割は非常に大きく、蒋介石率いる国民政府の『継戦能力』を
飛躍的に高めたと断言できるでしょう。

もし「幣制改革」が行なわれていなかったとすれば、支那は早期に「白旗」を上げて
その後の太平洋戦争も起こらなかったかもしれません。それくらいインパクトが大きい
出来事で、繰り返しになりますが「支那事変の前年」に行なわれたのは何やら
運命的なものを感じます。支那からすれば、天佑だったでしょう。
126イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/09(金) 00:15:35 ID:TnA1M2NQ
>>支那からすれば、天佑だったでしょう。

ただし、ここで言う支那とは「国府政府」の事であって、支那民衆に
とっては間接的な『収奪』以外の何物でもありませんでしたw。

最初に1点だけ「幣制改革」のもたらした利点を挙げておくと
以下の通りです。

●銀の国有化により軍需資材の輸入力を増大させた

 法幣と引き換えに、民間が所有する銀を中央銀行(国府政府)に
 集中させました。銀を米国に輸出することにより、対外的な輸入力を
 確保することができました。
127イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/09(金) 00:28:24 ID:TnA1M2NQ
同様に、法幣と引き換え(増発)に民間から重要物資を収集し、これを
海外に輸出することで外貨や軍需資材、あるいは国民生活必需品を獲得
することが可能となりました。

まあ噛み砕いて言いますと、「幣制改革」の名の下に、国府政府の手中へ
莫大な額の『現銀』が集まったということです。国内すべての銀貨・銀地金の
国有化ですね。

加えてそれ以降も、「無制限の通用力」(国内で)を持った法幣を刷り放題の
フリーハンドです。
128名無し三等兵:2006/06/09(金) 05:10:05 ID:???
朝鮮戦争に台湾軍を参加させてもう一度朝鮮から中国大陸を狙う
蒋介石に意見具申したいなあ


129名無し三等兵:2006/06/09(金) 11:59:24 ID:6mddRoqv
薩長軍に利用された市民
鳥羽伏見の戦いで、慶喜が大坂城を脱出した後、薩長軍は大阪城に乗り込んだのだが
城内には入らなかった。それは、薩長軍は城内に地雷が仕掛けられていることを知っていたからである。
そこで、『大坂城内には誰でも入れる。こういう時でないと見学はできない』
というような内容のお触れ書きを大坂市民に出した。

そこで、物見高い者達は城内にくりこみ、物品を強奪したが、薩長軍はそれをとがめようとはしなかった。
そうこうしているうちに、地雷が爆発して大勢の人が死んだ。
それを見た薩長兵達は大阪城への入城を禁止し、奪った品物を返せと布告した。
結局、地雷の瀬踏みのために大坂市民が利用されただけだった。
味方の将兵を見捨てた慶喜も酷いが、市民の命を利用した
薩長もけっこう酷いものがあるような・・・。

大阪塵あわれw
130名無し三等兵:2006/06/09(金) 15:40:34 ID:???
>>128
中華民国軍の朝鮮投入を進言したマッカーサーはトルーマン大統領に解任
されており、アメリカの同意を得られなければ蒋総統も動き様がないかと
思われ
131イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/10(土) 00:42:25 ID:S0f/de5d
>>111 >>植民地経営自体が泥沼の自転車操業だからしょうがない。
>>英国のインド経営みたいに何百年もやれるなら元が取れるが。

日本(政府)は移民を積極的に送り込もうとしましたから、その点が欧米の
植民地経営とは更に異なるところです。言うまでも無く、一般的に植民地は
宗主国の商品市場、原料供給地という位置づけです。

例えば、日露戦争時の外相であった小村寿太郎は、1909年2月の帝国議会の
演説でいわゆる『満韓移民集中論』を述べて注目を集めています。それまで
ハワイや南北アメリカなど、世界各地に日本人移民が分散しているのは
『不可』として、満州と韓国に集中させるべきだと説いた訳です。

また、満鉄の初代総裁である後藤新平は当時、「50万もしくは100万の
日本人を満州に送り込み移住させれば、事実上帝国の領土となり、後年還付の
場合においても我の利益は確定不動」だと述べています。
132イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/10(土) 00:59:39 ID:S0f/de5d
小村寿太郎や後藤新平は、「満州の権益強化」のために日本人を送り込む
ことを考えていた訳ですが、移住した日本人が満州でどうような職業、生活を
営むのかについては全く述べていません。

とにかく日本人の数を増やすことが満州権益の強化に繋がるのだという発想であり、
肝心の移住後に何をすべきかについては何も考えていなかったようですw。

結局、初期に満州に渡った日本人が出来た仕事は、同じ日本人相手の商売がほとんど
であり、満鉄社員や関東都督府の官吏、はたまたシベリア出兵時の日本兵が相手でした。

これを皮肉って、当時から「在満日本人同士の『共食い』」と呼ばれていましたが、
そのものズバリを表していると言えるでしょうw。
133イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/10(土) 01:33:05 ID:S0f/de5d
ここで「幣制改革」の話に関連してくるのですが、そもそも(日露戦争後に)
満州に渡って来た日本人は、「日本兵」相手の商売が始まりであり、支那人を
相手に取り引きするノウハウは、時代が下ってもなかなか蓄積されませんでした。

その理由として満州、そして支那の貨幣が統一されていなかった事が挙げられます。

度量衡も場所によってマチマチであり、日本人居留区から離れて満州内地に踏み込んで
商売を行なうには、『各地の換算率』に習熟する緻密な頭脳が必要とされました。

大豆を買うにも綿布や雑貨を売るにも、仕入地と売り地の「貨幣の換算率」を比べて、
さらに輸送費、関税および利益とを加えて売買価を決める能力が必要とされた訳です。

三井物産などの商社や、例外的な個人事業主を除いて、日本で食い詰めて満州へ渡って
きたような人間にはとても無理な相談です。結局、日本人同士で群れて固まり、同じ
日本人同士の『共食い』状態が長く続いたのです。
134イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/10(土) 01:38:27 ID:???
>>129 >>結局、地雷の瀬踏みのために大坂市民が利用されただけだった。

どこのコピペか知りませんが、「市民」なんて言葉が出てくると途端に
うさん臭くなりますw。当時、市民なんていないでしょうw。

いたのは大坂の町民ですw。今の日本にも、いるのは市民ではなく町民です。
135だつお:2006/06/10(土) 05:40:30 ID:YbTJnjHm
だれか「四式戦闘機疾風キ84」のスレ立てろや。

エンジンが不良で弱かった→大陸打通作戦の大空を飛び回った→
極東は第二戦線→皇軍のやりたい放題→中国は戦勝国で日本は敗戦国→
ドイツだって敗戦国、全ての作戦は無意味→ドイツはMe262で敢闘した→
皇軍の四式戦だって打通作戦で敢闘した→日本の飛行機はダメダメだった→
ならば97式中戦車チハは飛行機も追いつけぬ速さで大陸打通3000キロ!

チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍

無限ループにかけてやるから、いつでも来いや!
136イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/10(土) 09:14:18 ID:???
う〜む。トリップをつけて欲しいですね。「だつお兵」は一体何人ぐらい
いらっしゃるのでしょうか?

他スレには佐官級の「だつお」氏もいましたが……。
137イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 00:00:42 ID:9+xnP75H
>>128 >>朝鮮戦争に台湾軍を参加させてもう一度朝鮮から中国大陸を狙う
>>蒋介石に意見具申したいなあ

朝鮮戦争が始まるのが1950年、台湾に落ち延びてきた(1949年)蒋介石が
「総統」に復帰したのも同じく1950年です。このとき蒋介石は、

『1年準備、両年反抗、3年掃蕩、5年成功』と大陸反攻のスローガンを掲げて
いますが、当時は生き延びるのに精一杯の状態です。とても無理でしょう。

もちろん、蒋介石自身が「支那本土進攻」の意志を捨てなかったことは確かです。
1958年8月23日から始まった『金門島砲撃戦』を切っ掛けに、蒋介石は大陸西方に
上陸するため出陣したという話もあります。

まあ、朝鮮戦争以来、台湾海峡を封鎖していた米第7艦隊に阻止されてしまい
ましたが……w。
138イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 00:25:40 ID:lHmqQPR+
結局、台湾の『大陸反攻作戦』を終始阻止してきたのはアメリカなのですが、
蒋介石が執念深く「やるぞ、やるぞ」と脅かし続けてきた事が「台湾の防衛」に
大きく貢献したと言ってよいでしょう。

「金門島砲撃戦」が起きた直後の1958年9月15日には、米国で「台湾防衛決意表明」が
出され、国務長官のダレスが台湾に派遣されています。まあ、10月23日には「ダレス・
蒋介石共同声明」の中で『支那本土への侵攻』が否定されてしまいますがw。

「大陸反攻」について蒋介石が弱音を吐き始めたのが、ようやく1963年頃ですね。
「ずっと反攻しようと思ってきたけれど、歳を取って気力が無くなった。本当に残念だ―」
ある会食の席での話しとされますが、蒋介石はこのとき既に80歳を超えていました。

最終的に台湾が「大陸反攻」を企図したラストチャンスが、1966年から始まった
「文化大革命」による混乱ですが、国防局で相当議論されたにも関わらず見送られました。
139イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 00:36:12 ID:???
>>138 で何が言いたかったかといえば、「攻めの姿勢」が必要不可欠だと
いうことです。

蒋介石が「大陸反攻」を念頭に置き続けてきたことが、中共との全面対決を
恐れる米国の多大な援助を引き出し、台湾の防衛に寄与したのです。

「攻めなければ、何も守れない」
140イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 01:13:27 ID:lHmqQPR+
>>130 >>中華民国軍の朝鮮投入を進言したマッカーサーはトルーマン大統領に
>>解任されており、

トルーマン政権の中で、マッカーサーが直接敵対したのが国務長官のディーン・
アチソンです。1950年1月5日に、トルーマン大統領は『台湾海峡不介入』の声明を
出しますが、これもアチソンの強い口添えによるものです。

アチソンは、「蒋介石のためのいかなる介入も成功は難しい」と述べていましたが
要するに、中共軍が台湾を侵攻してもアメリカは関与しないという内容です。

結局、この「台湾海峡不介入」声明が、米国のアジアにおける軍事介入の可能性低し
という印象を与え、北朝鮮の南進、朝鮮戦争を引き起こす事になります。
141イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 01:21:01 ID:lHmqQPR+
朝鮮戦争勃発直後に、台湾海峡へ第7艦隊が派遣されますが、これも
表向きの理由は『国民政府軍の大陸攻撃を阻止する』という名目ですw。

国務省とGHQ(マッカーサー)の対立は何とも言い難いものがありますw。
結局、勝ったのはトルーマンに近いアチソンでしたが……。

>>138 >>米国で「台湾防衛決意表明」が出され、国務長官のダレスが
>>台湾に派遣されています。

ちなみにこの時の米大統領はアイゼンハワーです。
   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ i
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /  「幣制改革」は、核心部分だけ述べても普通の人は
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ   サパーリ重要性をつかめないだろうという事で、徐々に
   ,メ∪イ-i、ゝ      支那の経済ネタを増やしながら続けるんだとさ。
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       お金の話は、面白くないかしらね?w
143名無し三等兵:2006/06/11(日) 01:43:58 ID:???
おっかねー
144名無し三等兵:2006/06/11(日) 21:10:15 ID:???

    |          サー ミナサン   \
    |  ('A`)      チュウゴクノ ウタヲ
   / ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄   ウタイマショー  /




    |                   \
    |  (゚д゚)          シャン ハイ
   / ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄           /

     ,r---、     
   _ソヽ/`、シi   >>143 はひねりが無いので、死刑。
   _>=ヘ 山/=<,   
.  ((ん'ノノルレム))  
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_  
   ),k'ヲつ::つ
    (ン::::/:::l::ヽ    
    `~i,ンT,ノ~´
146イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 23:15:50 ID:iVJ8E1Z6
「支那の経済ネタ」ということで、日本と少しでも比較関連づけるために
初期の満州を取り上げたいと思います。その方がイメージとして分かり易い
でしょう。

日本が満州へ本格的に進出し始めた日露戦争直後、日本には既に整った「貨幣制度」
がありました。しかし満州には「雑多な貨幣」が流通しており、当時の日本人にとっても
貨幣の『無秩序地帯』に感じられたのです。満鉄の調査報告にも「その種類多くして、
その系統の複雑なのは、想像の外にある」と述べられていますw。

さて、そんな満州に初めて「日本の貨幣」が流通するのが日露戦争時です。もちろん
それは日本軍の『軍票』であり、必要物資や現地の労働力を確保するためでした。
戦争後、日本政府は軍票を回収し始めますが、ここで一策を考え付きます。

ただ単に軍票を回収するのではなく、軍票の代わりの銀行券を発行流通させようと
したのです。「雑多な貨幣地帯」である満州に、日系通貨の流通地域を確保しよう
とした訳ですね。
147イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 23:38:37 ID:iVJ8E1Z6
もちろん言うまでも無く、これは『満州市場』に将来的な橋頭堡を築くため
です。日本製品を輸出するにせよ、現地の物資を輸入するにせよ、自国の
影響力が強い通貨が、現地で流通していた方が有利ですよね。

日本政府は「横浜正金銀行」に軍票を回収させると同時に、銀経済の支那(満州)
に合わせて、『鈔票』と呼ばれる「銀建て通貨」を発行させたのです。

しかし在満日本人に、この『鈔票』が使われることはあまりありませんでした。
その理由として、1907年4月に関東都督府が収支の基準を『金勘定』に改めたことが
挙げられます。そして続く満鉄も同年10月『金勘定』に移行しました。

そのため、在満日本人は主に内地と同じ「金建て」の日銀券を使っていた訳ですw。

ここで認識して置かなければならないのは、日本が「金本位体制」を取っていたのに
対して、支那は『銀本位制』で銀建て通貨を使用していたことです。
148イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/11(日) 23:56:20 ID:iVJ8E1Z6
もし日本人が支那人と商取り引きをし、普段から支那人と関わりを持つ日常生活を
送るのであれば、『銀建て通貨』は必要不可欠な訳です。しかし先にも述べたように、
在満日本人は、日本人同士のコミュニティの中で暮らしていましたので、「金建ての
通貨」だけで不都合が無かったのです。

満州での「日本人同士の『共食い』」商売気質が影響している訳です。>>132 で述べた
後藤新平や小村寿太郎の「移民政策」の思惑と現実は大きく異なり、満州に渡る日本人は
あくまで一攫千金を狙うだけの「腰かけ移民」であり、用が済んだら日本に帰ろうという
者がほとんどでした。当然、必要が無ければ支那人とも『没交渉』になる訳ですw。

この「金建て」「銀建て」論争は、以後も尾を引き、日本人が支那での商取引を行なう
上での大きな壁となります。支那に整った通貨制度が無いのも拍車を掛けて、まるで
『ATフィールド』並みの障壁となりますw。
149名無し三等兵:2006/06/12(月) 00:52:50 ID:30o/760N
ナチス政権誕生時のドイツと、現在の日本国における共通点

 ドイツ             日本

・敗戦国である         ・敗戦国である

・その結果帝国が崩壊した    ・その結果皇国が崩壊した(事実上)

・インフレで経済格差が広がる  ・小泉改革で経済格差が広がる

・失業者が続出         ・ニートが続出

・在独ユダヤ人が跋扈し、さらに ・在日朝鮮韓国人が跋扈し、さらに
 経済、政治を支配        経済、政治を支配

・ソ連共産党という脅威     ・中国共産党という脅威

・生真面目だが         ・生真面目だが
 乗せられやすい国民性      乗せられやすい国民性

・ワイマール憲法という幻想   ・日本国憲法という害毒
150名無し三等兵:2006/06/12(月) 02:25:41 ID:fEuwKmqb
オレサマは宇宙一かっこい共産主義者です。
日本人をレイプする外国人は全員公開処刑するべきだと思います。
統計を見ると米兵のみならず、アジア系外国人も処刑及び入国禁止対象にするべきと考えています。
日本人だけの清らかで美しい共産国家樹立のためにがんばりましょう!
米兵とアジア系外国人を一人残らず日本からたたき出せ!!!
日本人民万歳! ビッグ・エターナル・革命万歳!!!!!

けがらわしい右翼勢力よ!
オレサマのブログを炎上させられるものならやってみるが良い!(コーラス:イーハー!)
オレサマのブログをビッグ炎上させられるものならやってみるが良い!(コーラス:イーハー!)
http://b log.goo.ne.jp/gamute1999/
http://11ravens.b log69.fc2.com/
151名無し三等兵:2006/06/12(月) 05:11:25 ID:???
アメリカは中国で自国兵を動かさずに共産党に敗れた苦い教訓から
ベトナムでは自国兵を出したのかな

152名無し三等兵:2006/06/12(月) 20:29:32 ID:???
224 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/06/12(月) 20:17:47 ID:???
>>214 仁科博士だったかな、理化学研究所の
彼は日本ではもっとも原爆製造に近い科学者だったと言うね。
ドイツすらもウランを分けてもらったけど、結局は材料の量に制約をうけて
原爆は完成できなかったね。しかしサイクロトロンと言う研究は世界的に上位で
敗戦後にGHQに科学的な先進的な平和利用の研究として陳情し、認知されたにも関わらずに
押し込んできた米兵に分解され東京湾に沈められ仁科博士は涙を飲んだと言うね。

日本の先端技術には米にも関心があったらしく、米軍は爆撃を避けた施設も多数あったと言うね
戦後に真っ先に飛んで来たそうな、東京の杉山区久我山の高度二万メートル迄届く「対B29用」15センチ高射砲なんか
終戦後、アメリカ調査団がとんで来て「日本には素晴らしい高射砲が東京付近にあるはず。それをぜひ見たい」と伝えてきた
責任者の黒山大佐が呼び出され「素晴らしい。こんなすごいものを日本は作っていたのか」と賞賛されたと言います。
外国兵器の模造が大半の日本でしたが必要とあれば努力の結晶は形となって作り得る程に日本人は優秀でした。

153名無し三等兵:2006/06/12(月) 20:31:53 ID:???
世界恐慌から銀の暴落が日本の金建て通貨を不利にして満鉄の権益が損なわれた。
満鉄の南側に並行して敷設された支那側の鉄道もこれによりさらに低賃金での輸送を可能にした。
そしてとうとう昭和6年に満鉄は赤字300万超えを出すに至り営業不振に陥る。

そして石原・板垣ら関東軍の水面下で模索していた満蒙政策が本格化していく。
154イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/12(月) 23:53:01 ID:si1ZG0RU
>>151 >>アメリカは中国で自国兵を動かさずに共産党に敗れた苦い教訓から
>>ベトナムでは自国兵を出したのかな

自分はベトナム戦争は詳しくないので、その辺の「機微」について確かなことは
言えません。しかし、アメリカは1945年末にマーシャル将軍を特使として支那に
派遣して『国民党と共産党の連立政権の樹立』を図らせるなど、アホな事をやって
元も子も無くしていますから、それについての反省はあったかもしれませんw。

フットボールに例えられる事がありますが、アメリカは試合(戦争)が終わるとすぐ
家に帰って勝利を祝いたがるのです。要するに動員解除ですね。兵士を家に帰せと。

第二次世界大戦が終わると「選挙民」のプレッシャーから、支那なんぞの世界の僻地に
自国の兵士をずっと駐留させるなど困難です。だから、「国民政府と共産主義者の連立」
といった酷く弱気というか、「事なかれ主義」が前面に出てくる訳ですね。
155イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/13(火) 00:13:12 ID:8H1KrqB/
本来なら『直接の戦争』に勝利した後こそ、本当の意味での戦果の刈り入れ時です。
しかし民主主義国家であるアメリカにはそれが出来ませんでした。

「やっと戦争が終わったのに、その後に息子が戦死した!?」

このような有権者の怒りに「為政者」がヒヨってしまう訳です。もちろんソ連の
ような独裁国にとって、この手の心配は『どこ吹く風』であって、戦争が終わった後は
ここぞとばかりにプレッシャーを強めてきます。

アメリカは多くの犠牲を払って『果実』を実らせるだけ実らせましたが、肝心の収穫の時に
どこかに引き揚げてしまいました。言うまでも無く、ソ連といった共産主義者が全て美味しく
いただいた訳ですw。
156イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/13(火) 00:19:15 ID:8H1KrqB/
ベトナム戦争で自分が調べたいと思っているのは、「北支の治安戦」との
比較対象です。両者とも共産主義者との戦いであり、先にも少し述べましたが
ベトナム戦争の雛形が「支那事変」で既に見受けられるのです。

色々非難される事の多い日本の治安戦ですが、ベトナム戦争時のアメリカ軍の
対応と比べることで、それではどうすべきだったのか?など、より具体的な
教訓が浮き彫りにできるでしょう。
157イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/13(火) 23:17:10 ID:TYCkVXxn
>>153 >>そしてとうとう昭和6年に満鉄は赤字300万超えを出すに至り
>>営業不振に陥る。

しかし、その前年の1930年の満鉄の黒字は「2167万円」出ています。民間株への
配当も1929年(11%)に比べれば目減りしていますが、8%を確保しています。

1931年の満鉄の「赤字300万円」には満州事変(1931年9月18日)の政治的影響も
大きい事が抜けていませんか? ネット等を覗きますと、満鉄が赤字になった危機感から
満州事変が起こされたという記述が散見されますが、ごちゃ混ぜになっているようですw。

ちなみに当時の新聞記事から引用要約すると、以下の通り。
158イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/13(火) 23:33:04 ID:TYCkVXxn
『神戸新聞』1932年5月22日 「不況と事変で満鉄にも赤字――財政重大危機に当面」

【大連21発連合】満鉄昭和6年度(1931年)決算は21日に発表されたが、経済界
不振のほか、『時局』のため極度の収入源を示し、一方で支出は反対に増加し、遂に
前例のない赤字決算を余儀なくされた。

収入について、鉄道は前年比で1千万円の減収となり、石炭は前年度108万円の利益に
対して、本年度は僅か1万6千円という悲惨な数字を示すほか、各収益とも2割ないし
5割の減収で「計5108万円」である。

損金においても、総体費は1857万円に上り、前年度より800万円の激増を示した。
その他計5448万円にて、差し引き『340万円』の欠損である。
159イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/13(火) 23:46:30 ID:TYCkVXxn
そのため右赤字に対して余儀なく、社員退職給与積立金850万円の金額および、
特別積立金の中から750万円、計1600万円を本決算に戻し入れした。差し引き
1260万円を『今期純利益金』として計上し、さらに前年度繰越金770万円を加え、
これを昭和6年度(1931年)の利益配当金に充当した。

これにより辛うじて政府持ち株2%、民間持ち株6%の配当が出来ることになったが、
もしこれ以上の増配を求められるならば、明年度の繰越金はゼロとなり、満鉄の根本的
財政は一大危機を迎えることになる。
160イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/14(水) 00:00:16 ID:???
以上になりますが、真に驚くべきポイントは>>159 の方かもしれません。

実際に1931年度は340万円の赤字だった訳ですが、満鉄は社員の『退職
給与積立金』を取り崩してでも、株式の配当に回しています。現代のような

「今年の決算は赤字だったから、もちろん無配なんだw。ゴメンッ」で
済むような甘っちょろい時代ではなかったのがよく分かります。戦前はw。

結局もろもろ取り崩して、前年の1930年度並みの配当原資を捻り出しています。
そして明年度の繰越金が枯渇しかけていますから、1932年度もこの経営状態なら
無配になる可能性が出てきました。

満鉄が本当にのっぴきならない事態に陥ったのは、むしろ満州事変が起きた
後のことでしょうw。
161イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/14(水) 00:33:12 ID:287rHnzC
まあ、しかし、満州事変直後の混乱から立ち直った1932年度の満鉄決算は
『前年比5倍の大増収』(!)を達成していますw。(1932年4月〜1933年3月)

これは満州事変終盤と満州国建国に伴う『鉄道収入』の大幅増収によるものです
(1933年6月発表)。

紆余曲折はありましたが、最終的に「満州事変」が大恐慌に対する満鉄への
カンフル剤になったのは間違いないようですw。
162俄将軍:2006/06/14(水) 04:24:28 ID:???
>>125-127
法幣の影響というのは、銀の国有化によって、日本が銀を入手する手段を封じ
るだけでなく、租界により、銀が、守られるということになるのか、などと。

日本側が、法幣を入手しても、ポンドなどの外貨に、ということもあるのか、
などと。

>>146-148
日本の紙幣というのは、日本銀行だけではなく、朝鮮銀行も、ということにな
るのか、などと。

不適切な為替レートということになると、様々な通貨を、右から左に、動かす
だけで、濡れ手に粟という構図に、ということになるのか、などと、適当に
書き込んでみたり。
163名無し三等兵:2006/06/14(水) 12:47:21 ID:???
【旧日本軍】遺棄化学兵器処理事業、一時凍結へ
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/tropical/1144587341/l50
164名無し三等兵:2006/06/14(水) 18:53:44 ID:???
>163
お!いいニュース。
165イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/14(水) 23:27:00 ID:3UHYBVS0
>>161 の補足。 >>満州事変直後の混乱から立ち直った1932年度の満鉄決算は
>>『前年比5倍の大増収』(!)を達成していますw。

その当時の新聞を引用すると以下の通り。多少、口語体に意訳しています。

『大阪朝日新聞』1933年6月21日 満鉄の大増収――前年の約5倍

【大連特電20日発】満鉄の「1932年度決算」は拓務省の認可を得て6月20日に発表された。
収入2億4600万円、支出1億8500万円、差し引き利益「6100万円」で、前年度
利益金に対して約5倍増である。

これは主として「満州事変」に基づく『鉄道収入』の驚くべき激増によるものである。即ち
1932年度の鉄道収入6500万円は前年度の4800万円に対して、約2千万円近くの増加を
示している。
166名無し三等兵:2006/06/14(水) 23:39:25 ID:???
>>164
どうかな〜。
一度やるっていっておいて止めるんじゃ、
相手の心証をかなり悪くしないか?
167イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/14(水) 23:48:34 ID:3UHYBVS0
こうした戦前の世相を知るために、当時の『新聞記事』を調べたいと思って
いる人に絶対お勧めなのが、神戸大学のデジタル版「新聞記事文庫」です。

農業、鉱工業、貨幣金融、交通、国際経済、各国経済事情、都市など
「各分野・産業別・年度別」に主だった新聞記事を収録しています。

ご丁寧に「新聞記事の切り抜き」そのものをスキャニングして載せて
いますから(横に別途テキストデータあり)、説得力抜群ですw。

まあ、あらゆる新聞全体の量からすれば、ここに収録されているのは
ごく一部なのでしょうが、それでも膨大な数を誇っています。何より
インターネットで「お手軽」に見れるのが最高です。

興味のある方は直リンは絶対に貼りませんので、自力で探してみて下さいw、
168イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/14(水) 23:50:51 ID:???
>>166 釣りで「貴重なスレの容量」を浪費するのは止めましょう(藁)。
169イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/15(木) 00:14:37 ID:0jYJN2nV
>>162 >>日本側が、法幣を入手しても、ポンドなどの外貨に、ということも
>>あるのか、などと。

できます。支那の「法幣」は、上海や南京が陥落した直後でも『基準相場』である
「1シリング2ペンス半」の対外価値を長く維持していました。

太平洋戦争が始まる直前には「3ペンス」にまで暴落して『法幣崩壊』の危機に
陥りましたが持ち直し、とにかく『戦争通貨』としての機能を果たし続けたと
言えるでしょう。

>>日本の紙幣というのは、日本銀行だけではなく、朝鮮銀行も、ということにな
>>るのか、などと。

朝鮮銀行は「金券」です。後で詳しく触れますが、寺内内閣で横浜正金銀行の
『鈔票』(銀券)を廃止して、朝鮮銀行券を満州に広めようとしています。
170イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/15(木) 00:42:07 ID:0jYJN2nV
そもそも、日本は『法幣を偽造』して金条(金の延べ棒)やタングステン、
石油、ガソリンなどの必要物資を支那で入手していましたので、何をかを曰んや
ですw。偽造の対象は、例えば中央銀行の5円券・10円券など……。

>>162 >>不適切な為替レートということになると、様々な通貨を、右から
>>左に、動かすだけで、濡れ手に粟という構図に、ということになるのか、

つーか、様々な通貨どころか、「円」自体が不均衡な為替レートを招いて
大問題になっていますw。1938年頃の話ですが、支那での「円」の価値は
日本内地での「円」の4分の1以下ですw。

まあ、占領地での「軍票」が絡んでいるためですが。具体的に、日本内地では
日銀券100円で米貨23ドル余り買えるのが、支那占領地の軍票では同じ
100円で8ドル弱しか買えません。にも関わらず現地では、軍票と日銀券は
同じ円ということで『等価交換』されましたから、どういう事になるか
一目瞭然でしょうw。
171イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/15(木) 00:52:36 ID:0jYJN2nV
これ以上は不可能な程度に分かり易く説明すると、以下の通り。

日本内地で、100円を出して米貨23ドルを買う。

→支那占領地で、23ドルを出して軍票300円を買う。

→軍票と日銀券は占領地で等価交換されているので、軍票300円を
 日銀券300円に交換する。(一旦、法幣に交換してワンクッション
 置くケースもあり。その際は、軍票80円で法幣100円が買えた)

→支那の占領地から日銀券を内地に持ち込む。元本の100円が300円に化ける。
 ウマ、ウマ、ウマーw。
172イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/15(木) 00:54:42 ID:???
これを放置すると、占領地の円安(軍票)に引きずられて、日本内地の
円まで暴落しますから、当然のことながら対策が採られました。

(外国為替管理法による送金の許可制など)。
173俄将軍:2006/06/15(木) 03:36:56 ID:???
>>169
日本軍が、現地で、物資を調達するにしても、如何なる通貨を用いて、という
ことになるのか、などと。

法幣が駆逐できないのであれば、日本軍が使用する通貨と、如何なるレートが
生じるのか、ポンドなどの外貨に、兌換できるのか、ということで、プレミ
アが生じてくるということになるのか、法幣以外の紙幣では、漢奸に、と
いうことになるのか、などと。

中国は、外貨の取り合いを、上海と香港に集中させ、申込書、審査、許可証と
いう手続きを経ることで、統制しようとした、ということになるのか。
174俄将軍:2006/06/15(木) 03:42:34 ID:???
>>170
租界などでは、法幣でなければ、物資が調達できなかった、ということになる
のか、などと。

円が、場所によって、レートが異なるというのは、日本の銀行ですら、中国で
は、円を外貨と兌換しないようでは、ということになるのか、などと。

満洲、北支などの開発に、日本から、資本が流出するということになると、日
本国内では、インフレが生じたりもするのか、などと。
175俄将軍:2006/06/15(木) 03:46:05 ID:???
>>171
戦前の本邦が株式相場、先物相場、為替相場のダイナミックさというのは、現
代よりも、ということになるのだろうか、などと、嘯いてみたり。

海外旅行で、お土産を大量に買い込んでも、旅行前よりも、旅行後が、現金の
手持ちが増えるような、不思議時空を満喫した中の人は、口をつぐんでいた
りするのは、敗戦直前に、手持ちの円をドルに兌換したりするのと、同じ
ような話、ということになるのか、などと。
176イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/16(金) 00:39:41 ID:oJHsx3Gp
>>173-175 毎度のことながら、何が言いたいのかよく分かりません。書き込みの
時間を見る限り、もっと自分の文章を推敲しましょうw。適当過ぎです。

>>173 >>日本軍が、現地で、物資を調達するにしても、如何なる通貨を用いて、
>>ということになるのか、などと。

日本は占領地で必要物資を『現地調達』していましたから、これを阻止する国民党と
共産党との間に「三つ巴の通貨戦」が起こります。もちろん日本の占領地で「法幣」の
使用は厳重に禁止されていましたが、所詮日本の占領地は『点と線』です。

広大な「支那大陸」を支配しているのは依然として『法幣』であり、それこそが法幣の
価値をしぶとく維持させた理由でしょう。日本の占領地を一歩でも出ますと、『法幣』で
なければ必要物資の「現地調達」は不可能だったと言えます。徴発は別としてw。

従って当面の日本の目標としては、いかにして『法幣』の価値を崩して国民政府の抗戦力を
減衰させるか、少なくとも出来るだけ多くの法幣を取得して物資を獲得するかに絞られます。
177イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/16(金) 01:12:05 ID:oJHsx3Gp
また逆に言えば、日本の占領地では初期に軍票が主流でしたし、後期には中央儲備
銀行が設立されて『儲備券』が登場しました。また華北では、連合準備銀行による
『連銀券』が使用されていました。

そして「軍票」の価値維持のために、日本軍が多大な努力をしたのも事実です。
まあ、経済戦は『複雑怪奇』すぎて断片的に解説するのが精一杯ですw。
178俄将軍:2006/06/16(金) 07:04:20 ID:???
>>176
現地軍が、現地調達する為の現地支払い通貨によって、期間、費用によって、
影響が変わってくるということになるのか。

満州事変では、関東軍は、朝鮮銀行券を用いたわけですが、日本の選択肢にな
る軍票、日本銀行券、朝鮮銀行券、満洲中央銀行券による違いは、というこ
とになるのか、などと。

長期戦ということになると、満洲、中国への投資だけでなく、日本から中国へ
の輸出、中国での物資調達など、為替の影響ということになるのか。
179俄将軍:2006/06/16(金) 07:07:10 ID:???
>>177
中国国内で、日本画に有利な、法幣の代わりに流通させる通貨を確立できなか
ったのは、何故か、ということになると、金、銀を有せず、外貨のポンドや
ドルと兌換できない通貨など、ということになるのか、などと。

中国連合準備銀行など、租界に守られているのに、何故、中国国内の銀行が、
協力しなければならないのか、ということになるのか。

経済戦も、中国の幣制改革に協力したのは、当初、英国だけであり、米国も、
銀貨の暴落による米中銀協定といったように、複雑怪奇ということに。
180名無し三等兵:2006/06/16(金) 08:01:55 ID:???
安倍総理誕生の暁には軍票の清算汁
181名無し三等兵:2006/06/16(金) 16:22:34 ID:???
またそんな金のかかるようなことを…
182名無し三等兵:2006/06/17(土) 05:01:33 ID:???
私は衆院事務局に勤務していた頃、大正から昭和の初め一高、東大で教育を受け官僚から戦後に政治家と
なった前尾繁三郎・椎名悦三郎・福田赳夫といった人物から、直接間接に指導を受けた。
この人たちの全てを評価するものではないが、心の底にある「左翼コンプレックス」を知ったとき、これが
敗戦後の日本を再生させた根本思考だと感動した。
それは一高、東大の同級同窓生で左翼運動に生涯を賭けた友人に対する感性であった。
 
「自分達は官僚として、政治家として権力を握り、それなりに日本資本主義の発展に尽くし、それなりの
贅沢と栄誉を体験した。しかし思想信条に生き、貧しい人たちのために一生を尽くした人たちの方が、
人間として立派だ」という話をしばしば聞かされた。
 
前尾・椎名・福田といった人たちがいた自民党政治には「人間の匂い」があった。
この人たちが逝(な)くなり、引退した後、自民党の政治は狂ってくる。
東大出身の政治家は大勢いるが、自分の権勢欲を追求するだけの人が実に多い。
民主政治は少数派の権利を大事にすることで成り立つ、という思想を知っている政治家は自民党には
ほとんどいなくなった。東大出身者が「金儲けを目的」とする時代になったからだ。
 
近代日本を創り上げたのは、東京大学だと言っても過言ではない。
それは権力と金について厳しい倫理観を身につけていたからである。最近の東大出身者で犯罪的行為
を行っているのは、ホリエモンや村上だけではない。
難関といわれる国家試験に合格するためには、人間性を失わせることが条件という日本である。
さらに東大に入学するために人間性を歪める人たちが大勢いるといわれている。
近代日本を創り上げた東大が、現代では国家を亡国に導く犯罪予備軍のエリートを育成しているのではないか。
183名無し三等兵:2006/06/17(土) 10:23:58 ID:???
>>181
だって、心酔している教祖様の指示だもの。
ttp://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=007&date=20060619
184イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/17(土) 22:09:41 ID:9l2ca2mV
>>174 >>租界などでは、法幣でなければ、物資が調達できなかった、ということに
>>なるのか、などと。

具体的に「租界」とは何処を指すのでしょう? 上海でしょうか? それなら法幣と
軍票の2本立てです(1940年末に汪兆銘政権が樹立してからは、法幣も回収されて
『儲備券』に全て一本化)。もちろん軍票でも物資を調達できました。

当初(1938年)の軍票の『対法幣価値』は、法幣100円に対して軍票80円で、概ね
維持されていました。「為替レート」が成り立つという事は、物が買える事と同意義です。

支那事変当初は、「日銀券」だけで戦争をやろう(超短期決戦)という目論見でしたが、上海
上陸後3ヶ月で破綻しますw。とりあえず支那に持っては行きましたが、華中においては日本人
居留民の間でさえも「日銀券」の使用例が無かったのです。当然、支那では「日銀券」の値が
つかず、「支那円」の暴落が「内地円」にも悪影響を及ぼしたので、軍票によって切り離されました。
185イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/17(土) 22:27:22 ID:9l2ca2mV
参考までに、支那事変『当初の目論見』を簡潔にまとめると以下の通り。
●支那派遣軍は、将兵の俸給・給与その他の「現地支払い」に充てるために
 『最小限度』の日銀券を携行する。

●軍需品・必要物資は、可及的速やかに「日本内地より追送」する。なお現地における
 調達物資の代金も、日本人に対するものは可能な限り『内地支払い』とする。

●苦力賃・運搬費・その他、支那人関係で止むを得ない「零細支払い」に限り、
 現地法幣を使用する。

というものでした。また法幣支払いするにしても、当時の上海における日本側保有の
法幣は全て掻き集めても、僅か200万元程度に過ぎませんでした。

想像して見て下さい。あなたが「主計将校」だとしたら悪夢以外の何物でも無いでしょう。
支那の幣制改革では、北支で日本側が「現銀の輸送阻止」などをしていますが、軍人から
すれば敵地の通貨がどうなるかは重大な関心事なのです。
186イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/17(土) 23:02:53 ID:9l2ca2mV
>>174 >>円が、場所によって、レートが異なるというのは、日本の銀行ですら、
>>中国では、円を外貨と兌換しないようでは、ということになるのか、などと。

上海の『円安問題』(内地の4分の1)は、何とかして上海で外貨を円系通貨に
換えて(銀行からすれば逆の行程)、内地に送金することで不当な利益を得よう
とする人間が多かったことの証拠にもなります。

もちろん日本内地では、外国為替管理法によって「200円以上」の現金の内地
持ち込みは、大蔵大臣の許可が要ることになっていました。

それに加えて支那事変勃発後は、大蔵省の財務官事務所が上海に新しく設置されて、
日系銀行が『円為替の送金』を組む場合には、1件1件『許可制』を取るという
膨大な手間を掛けていました。

それも全て、正規の為替管理下にある『国内円』を『支那円』(現地相場で下落した
日銀券、円系通貨ともいうべき軍票)の影響から切り離すためです。
187イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/17(土) 23:08:46 ID:???
もちろん、支那の占領地で『日銀券』が真っ先に流通を禁止され、
『軍票』と引き換えに回収されたのは言うまでも無いことです。

国民政府の手じゃないですよ、日本側の政策によってですよ。
188俄将軍:2006/06/18(日) 05:57:06 ID:???
>>184-486
円系通貨というのは、軍票を除けば、日本銀行券、朝鮮銀行券、満洲中央銀行
券があり、日本銀行券と、朝鮮銀行券、満洲中央銀行券が、等価で兌換でき
たのは、円ブロックを円形通貨で、形成しようと考えていたから、という
ことになるのか、などと。

華北で、軍費に日本銀行券でなく、朝鮮銀行券を用いたのは、法幣と、日本銀
行券、朝鮮銀行券の間のレートが変わることによる影響が、異なるというこ
とになるのか。

法幣と、朝鮮銀行券とのレートに差が生じた場合、「為替レート」が成り立つ
ので問題ないというのは、ドイツのハイパーインフレも、「為替レート」が
成り立っていたので、問題ないということになるのか、などと。
189俄将軍:2006/06/18(日) 06:01:06 ID:???
>>188
円系の通貨が、ポンドやドルに兌換できるのか、法幣にしか兌換できないのか、
中国の軍費に用いるので、是が非でも、法幣に兌換せねばならなかったのか、
ということになるのか、などと。

日本は、中国での戦費の負担だけではなく、満洲、華北などに、投資する必要
もあったということになると、「為替レート」の影響というのは、法幣が高
くなればなるほど、負担になるということになるのか。
190俄将軍:2006/06/18(日) 06:14:42 ID:???
>>189
中国連合準備銀行にしても、金、銀の裏付けがなく、ポンドやドルに兌換でき
ないような聯銀券など発行しても、法幣と「為替レート」で対抗できるのか、
ということに。

「為替レート」によって、悪性インフレということになると、日本の財政は、
破綻するということになるのか、などと。
191俄将軍:2006/06/18(日) 06:18:35 ID:???
>>187
日本側が、軍票を用いるのは、自由でありますが、軍票を受け取った中国の中
の人が、軍票を用いて、日本軍に挑発された適正な代価を受け取れるか否か、
ということになると、単なる略奪になるのか否か、ということになるのか、
などと。

太平洋戦争中での南方なども同じですが、軍票にもレートが、ということに。
192名無し三等兵:2006/06/18(日) 17:38:44 ID:???
北朝鮮が侵略を開始した6月25日は、日曜日の早朝でした。
翌26日(月)の株式市場は、185万株の大商いでした。この時代の平均出来高は、約100万株です。
戦争は、買いか?売りか?両方の説があり、誰もよく分かりません。
この日の終値は、0.81円高の92.75円で、あまり値動きはありません。

ソウルが占領され、韓国側の圧倒的な不利が伝えられると、株価は下がりだします。
日本の隣に、共産国家が誕生する可能性がでてきたのです。
1950年7月6日、株価は85.25円となり、最安値を更新します。
7月中旬、国連軍の武力制裁が決議されると、株価は出来高を増やし暴騰しだします。
7月17日の出来高は、空前の944万株、株価は109.34円で5.52円高でした。
アメリカが参戦する以上、簡単に負けるわけがありません。戦争は、長引きそうです。

日本の繊維産業、鉄鋼産業に戦争特需がもたらされます。
デフレで山積みされた在庫が、戦争景気で換金できるのです。
この戦争は、買い!市場のコンセンサスが成立します。

1950年9月15日、マッカーサーは、ソウルの西の仁川に奇襲上陸し、北朝鮮軍の背後を突きます。
この作戦は、戦局を逆転させ、北朝鮮軍は敗走し始めます。
38度線の北に戦線は移動しますが、国連軍は追撃を止めません。
9月15日の株価は、0.87円高の110.35円、出来高は171万株でした。
◆◆国連軍の勝利のニュースには、株価は反応しません。◆◆
◆◆ 国連軍が勝利して戦争が終るのが、◆◆
◆◆日本経済にとってマイナスと考えたのでしょうか?◆◆
193イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/19(月) 22:34:18 ID:jOdZ6NcK
>>俄将軍 あーた、質問多過ぎますw。文末が「全て疑問形」なのはいかがなものかとw。
>>188 >>円ブロックを円形通貨で、形成しようと考えていたから、ということになるのか

>>147 で述べた通り、横浜正金銀行は『鈔票』と呼ばれる「銀建て通貨」を満州で発行して
いました。これは日露戦争で日本が発行した軍票を回収すると同時に、円系通貨を支那に
拡大させるためです。

次に大きな動きが起こったのは寺内正毅内閣の時であり、1916年10月に『鮮満一体化』を
掲げて、朝鮮銀行が発行する金券(『金票』と呼ばれた)による「幣制統一」が推進された
のです。これにより、横浜正金銀行は本来の業務である為替・貿易金融を行なう金融機関に
特化し、朝鮮銀行が満州における「中央銀行」に転換されることとなりました。

このような歴史的背景があるため、華北で支那事変当初、朝鮮銀行券が軍票の代わり
として使用されたのは自然な事と言えるでしょう(上海では日本銀行券)。何より、
日本は北支5省の『分治工作』を従来より進めていたため、結果的に華中よりは
事前の準備が出来ていた事になります。瓢箪から駒かもしれませんがw。
194イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/19(月) 23:01:59 ID:jOdZ6NcK
>>188 >>華北で、軍費に日本銀行券でなく、朝鮮銀行券を用いたのは、法幣と、
>>日本銀行券、朝鮮銀行券の間のレートが変わることによる影響が、異なる…

華北で「朝鮮銀行券」の(軍票代わりとしての)使用が取り止められる決定は、支那
事変の勃発直後であり、普通の人が想像する以上に早い時期です。1937年9月12日には、
近衛内閣で「北支金融対策要綱」が閣議決定され、『華北(中国)連合準備銀行』の
設立準備が始まります。

まあ紆余曲折があり、実際に連合準備銀行が開設されたのは1938年3月10日となりますが、
それでも比較的早くに手を打てたと言えるでしょう(中支で軍票が『一般通貨』とする旨が
決定されたのは1938年9月23日)。

日本としては当初、第29軍長・宋哲元の機関銀行である「河北省銀行」を利用する考えで
したが、この構想は打ち切られて、資本金50万円とする新銀行(連銀)の設立となりました。
195イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/19(月) 23:23:35 ID:jOdZ6NcK
「連合準備銀行」の設立に当たっては、支那の民族資本を巻き込む事が要望され
ました。そのため、華北の「臨時政府」首班である王克敏が工作を担当しています。

1937年12月23日、北京に「中国・交通・金城・塩業・大陸・中南・河北省・冀東」
計8銀行の代表者を招いて、連合準備銀行への参加を呼びかけ、出資の割当案を
提示したのです。

しかし当然の事と言うべきか、現実には「河北省・冀東」の2銀行だけが参加
しただけに終わり、他の6行は出資しませんでした。結局、その分だけ空座の
資本金を有したまま、「連合準備銀行」は開業せざるを得なくなりますw。

>>189 >>円系の通貨が、ポンドやドルに兌換できるのか、法幣にしか兌換できないのか、

1938年の当時、「天津為替市場」における日本円相場は「1シリング2ペンス」です。
支那の法幣が「1シリング2ペンス4分の1」でしたから、そこから裁定するならば
日本円100円は「法幣98.24円(元)」に相当するはずでした。
196イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/19(月) 23:41:35 ID:jOdZ6NcK
しかし実際には日本円の暴落が始まっており、日本円100円=法幣93円にまで
低迷していたのです。さらに当初の連銀の開設予定、1938年3月1日が延期されるに
及んで「91.2円」にまで低落してしまいますw。

そのため苦肉の策として、横浜正金銀行と朝鮮銀行が手持ちの「法幣資金」を総動員して
『円買い・法幣売り』の買支えを行ない、更に支那で商売をしている日本の綿花商に対して
円売り停止を要望することで、ようやく『円元パー』に持ち込んだのです。涙、涙w。

こうした事前工作の末に、1938年3月10日の『日本陸軍記念日』に中国(華北)連合準備
銀行は開業された訳です。そして「円元パー」の原則を謳った宣言が行なわれたのは言う
までもありません。

いやはや、『プロジェクトX』の番組ネタにいかがですか?(藁)。
197イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/19(月) 23:56:14 ID:jOdZ6NcK
>>190 >>中国連合準備銀行にしても、金、銀の裏付けがなく、ポンドやドルに兌換できない
>>ような聯銀券など発行しても、法幣と「為替レート」で対抗できるのか、ということに。

ご指摘の通り『連銀券』は、金・銀いずれの本位貨および兌換に関する規定が全く
ありませんので、純然たる「管理通貨」に当たります。これは前述の満州における
『鈔票』と呼ばれる「銀建て通貨」とも、金券である『朝鮮銀行券』とも異なります。

また紙幣の印刷は、北京にある政府印刷局をそのまま接収利用し、同局にあった清朝の
『大清銀行』の紙幣原版をそのまま使用しています。

法幣との「為替レート」ですが、当初は規定の「円元パー」を維持できていましたが、
1939年3月に「旧通貨」の流通禁止を強引に行なった以降、逆に『連銀券』が闇相場で
買い叩かれ、「法幣100円=連銀券130〜140円」というベラボウな相場も
現れましたw。
198イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 00:01:16 ID:???
この辺の経緯は、また長くなるので後述w。

『連銀券』が発行された1938年3月の同じ月、北支にいた共産八路軍も
『辺区券』と呼ばれる紙幣を刷り始めたことを指摘するに留めましょう。
これプラス、国民政府の『法幣』です。

要するに支那事変の裏側では、三つ巴の「通貨戦争」をやっていた訳です。
199イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 00:21:39 ID:???
>>193 >>朝鮮銀行が満州における「中央銀行」に転換されることとなりました。

もちろん、これは満州国が設立されるまでの話です。満州国では、満州中央銀行が
発行した『国弊』が流通しています(当初は銀建て、1935年以降は金建て)。

しかし、朝鮮銀行券(関東州の法定通貨だった)も満鉄付属地を中心に使用
され続けています。
200俄将軍:2006/06/20(火) 06:28:32 ID:???
>>193
満州事変でも、朝鮮銀行券を用いたわけですが、満洲中央銀行券を用いなかっ
たのは、通郵問題でも、問題になったように、満州国という表記が、という
ことになったのか、などと。

円ブロックで、考えると、中国国内でも、日本銀行券、朝鮮銀行券、満洲中央
銀行券とリンクした通貨でなければ、ということになるのか、などと。

>>194
国民党の中の人も、銀行の預金払い出しを制限したり、華北の法幣を華中に移
し、対抗策を打ち出したことによって、法幣との「為替レート」というのは、
拡大していった、ということもあるのか、などと。

日本軍の中の人が、法幣を欲すれば欲するほど、朝鮮銀行券の価値は、下がっ
ていくということになるのか。

日本国の軍事費も、拡大していくということに。
201俄将軍:2006/06/20(火) 06:39:59 ID:???
>>194-195
冀察政務委員会委員長であった、宋哲元の機関銀行が発行する華北省銀行券は、
法幣とほとんど等価で流通しておりましたが、何故、うまくいかなかったの
か、ということになると、法幣ほど、流通しなかったのは、軍費現地支払
い通貨として、用いるのに、適していなかったのは、何故なのか、とい
うことになるのか、などと。

華北聯合銀行の中国側準備委員会に、法幣側の中国銀行、交通銀行の支店長の
中の人など、如何にして、加えたのかは、スルーしますが、現銀など、払い
込むはずもなく。
202俄将軍:2006/06/20(火) 06:49:35 ID:???
>>196-197
「円元パー」というのは、日本銀行券、朝鮮銀行券、満洲中央銀行券、聯銀券
と、法幣は、等価で兌換できるということで、臨時政府に、働きかけをさせ
ますが、正貨に乏しく、ポンドやドルに兌換できないような通貨など、と
いうことになるのか、などと。

法幣の場合、元銀を有し、英米が後ろ盾になって、ポンドやドルと兌換できる
ということになると、ということになるのか。

外貨準備というのは、ポンドやドルの手持ちの紙幣などだけでなく、金、銀な
どによっても、ということになるのか、などと。
203俄将軍:2006/06/20(火) 06:55:36 ID:???
日本の金保有量というのは、第一次世界大戦による好景気に湧いていた192
0年から、開戦前までに、減少し続けているということになるのか、などと。

>>192
>文末が「全て疑問形」なのはいかがなものかとw。

「俄将軍」の中の人は、疑問系、ということで、何卒。
204俄将軍:2006/06/20(火) 11:03:26 ID:???
>>203
ギモン系ライトのべる、ということになるのか、などと。
205名無し三等兵:2006/06/20(火) 11:14:31 ID:???
疑問系だけでなく、あまりに散文で脈絡がつかめないから
俄のおっさんの文章はストレスが溜まる
206名無し三等兵:2006/06/20(火) 11:28:26 ID:???
炉将軍は以下放置でお願いします
 
207炉将軍:2006/06/20(火) 13:20:36 ID:???
>>206
満洲国だけじゃお腹いっぱいにならないYo!ってやつですか!
208えICBM:2006/06/20(火) 15:49:45 ID:???
あー、大陸での通貨問題は全くもっての不勉強だな。
日本軍が長期占領をしたのだから当然重要なはずなのに。
勉強しなくちゃ。
209名無し三等兵:2006/06/20(火) 21:43:33 ID:???
岸と鮎川は意気投合した。石原莞爾は堅物すぎる。
参謀総長の東条英機は毎晩高級料亭で芸者と遊ぶのが大好き人間である。
岸もご同様だからこちらの方が御しやすい。
そこで東条に接近した。
「満洲の夜の帝王」と呼ばれている甘粕正彦は東条と仲がいい。

岸信介の叔父が満鉄総裁の松岡洋右である。
国際連盟を脱退した責任を取って満洲にきたものの、政界に返り咲きたい未練がたっぷりある。
華やかな舞台で演説し、脚光を浴びるのが好きなのである。
こうして野望を抱く者たちがその本性を嗅ぎつけ、たちまち結束した。
そして鮎川は満鉄から産業部門を切り離させ、自分の傘下に組み入れた。
もちろん見返りは桁外れの政治資金の供与である。
おかげで1940年7月22日に成立した第2次近衛内閣で、松岡は外務大臣に就任し
拓務大臣も兼任した。
そして東条はついにあこがれの陸軍大臣になれたのである。
星野直樹も内閣書記官長の座に就いた。

満鉄の従業員は約25万人である。このうち10万人が日本人で、15万人が満人である。
満鉄と直接労働契約をした者と把頭の支配下にある者は半々である。
そこでこの7万5千人の満人を集めるために11人の把頭が存在した。
しかし、これは満鉄という大企業だから日本人が雇い入れた満人が多いのであって普通
の会社では満人はほとんどが把頭の傘下にある。
210イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 22:10:36 ID:???
さて、支那の『通貨制度』は文字通り死ぬほどややこしいですが、初見の人も
日本の軍事行動を支えた

●中国連合準備銀行=「連銀券」(華北) ●中央儲備銀行=「儲備券」(中支)

の名前だけは覚えておきましょう。覚え方はカンタンw。受験勉強的に、

●連銀券→レンギンケン→鋼のレンギン術師→鋼の錬金術師→エルリック兄弟w
●儲備券→チョビケン→チョビ(犬)→動物のお医者さん→ハムテルw

ハイ、これで「名前と存在」だけは、忘れられなくなったはずです(核藁)。
211名無し三等兵:2006/06/20(火) 22:13:00 ID:???
松岡・鮎川ラインのユダヤ人満州受け入れ構想が実現してればなぁ。
東條だって樋口に手を貸してユダヤ人を救助した経歴があるんだし。
212イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 22:53:06 ID:J896/WUt
>>190 >>「為替レート」によって、悪性インフレということになると、日本の
>>財政は、破綻するということになるのか、などと。

「悪性インフレ」で喘いでいたのは支那の方です。日中戦争が勃発する前と
物価水準を比べてみましょう。

1936年を100とすると、1942年における日本内地の物価指数は180です。
同じく支那の場合ですと法幣物価は2900、同年末には4000を突破します。
これが「悪性インフレ」でなくて一体何でしょうw。

日中戦争は当然、支那を戦場として行なわれますから、戦争の長期拡大とともに
現地の生産力はどんどん低下していきます。その真逆に、支那派遣軍の自活物資や
日本内地が占領地に期待する物資もますます増加して、金と物のアンバランスは酷く
なるばかりです。結局、それは悪性インフレの物価高として表面化してきますw。

「軍票」や「儲備券」「連銀券」を日本が使用したのは、こうした経済的破滅から
日本内地を可能な限りシャットアウトする目的がまずある訳です。
213イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 23:19:01 ID:J896/WUt
ハイ。>>212 を読んで、「あれ?」と思った方は良いカンをしています。

>>支那派遣軍の自活物資や、日本内地が占領地に期待する物資もますます増加して、

支那派遣軍の「自活」はともかく、ここで日本内地が出てくるのはどうして?と
普通なら思うはずです。そうです。日本は支那占領地に物資を送るのでなく(補給)、
逆に内地の『物不足』を支那から賄うことで、補っていた面が大きかったのです。

太平洋戦争の戦局が悪化すると、それが如実に現れてきます。一気に時代が下りますが、
一例を挙げてみましょう。

1943年上半期、中支の「通貨流通増加額」(儲備券の発行増加額から、軍票の回収額等を
差し引いたもの)は45億元(円)です。その内、日本側の放出分が36億元で、全体の
80%強を占めています(!)。

この中の22億元が「政府資金」の散布超過額で「全体の2分の1」ですから、いかに
日本が中支経済に依存していたかが分かるでしょう。
214名無し三等兵:2006/06/20(火) 23:19:39 ID:???
もっと簡潔に
215名無し三等兵:2006/06/20(火) 23:33:56 ID:???
と、陸大卒論を白紙で提出された石原莞爾閣下が仰せであります。
216イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 23:38:02 ID:J896/WUt
さらに具体的な例を挙げると、中支(汪兆銘政権)に対する『綿糸布』の強制
買い上げがあります(1943年)。

過去にあれほど紡績で有名だった日本ですが、太平洋戦争の戦局悪化に伴い、
「制空権・制海権」を失っていくと、紡績原料の不足に苦しむことになります。

そこで日本の「興亜院」は、占領地内の綿糸布の「全面的買い上げ」を決定
してきた訳です。

まあ、この背景には「物価高騰」を見込んだ物資の買占め・隠匿(当然、更なる
物価高を招くw)風潮に、ショック療法を加える意図もありますので、一概に
支那における物資の収奪とも言い難いのですが、太平洋戦争後半になると支那は
日本の物資供給地としての面が一層強まります(とくに汪兆銘政権に対して)。
217イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/20(火) 23:53:53 ID:J896/WUt
結局、>>216 の「綿糸布・強制買い上げ」は、予想外の成功を収める訳ですが、
これには日本側が代金として『金塊25トン』を支那へ現送したことが大きいと
されます。

もし仮に「買い上げ代金」を全て儲備券で支払うならば、通貨の膨張に拍車をかけて
更なるインフレ・経済崩壊をもたらします。この金塊支払いのオプションは、汪兆銘
政権側から提案されましたが、その理由がふるっています。

「日本は既に米英に宣戦しているから、黄金(通貨の本位となる)は廃物に等しい。
 であるから、ここで儲備券を増発して経済を悪化させるよりも金塊支払いが望ましい」

涙がちょちょ切れそうですw。
218えICBM:2006/06/21(水) 00:02:10 ID:???
よっぽど金払いが悪かったのだろう。
219少佐:2006/06/21(水) 00:03:21 ID:yzEVNze6
部隊によっては羊や豚なんかの肉が食べ放題だったという部隊も
あるというじゃないか。
もちろん豆類、麺類、穀物、野菜なんかも食べ放題。
当時の日本の庶民の食生活を考えたら、めちゃくちゃ幸せだろう。
おまけに酒や麻薬もあったのだからね。
220名無し三等兵:2006/06/21(水) 00:04:23 ID:???
よっぽど腕のいい主計将校がいたんだろう
221普通の魔法使い 霧雨魔理沙 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/21(水) 00:08:09 ID:???
>>214 >>もっと簡潔に
   ______
  ´>  `ヽ、
 _,.'-=[><]=.,_
 ヽi <レノλノ)レ〉'
  ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ  これ以上、簡潔に書くのは無理だぜ。中身がスカスカに
  `k'_.〉`=' !つ 無くなる、だとさw。人間努力が大事だぜ、お互いにな。 
   i_ノ'i! ̄i!>、 おっと、私には関係ない話だけどな。まあ、頑張れや。
   ~'i,ンT,ン"~
222少佐:2006/06/21(水) 00:12:15 ID:Plu4485E
グルメ大国の中国だから、料理の鉄人のチン健一みたいなのも
たくさんいたりして、「日本人様に腕によりかけておいしい
料理作ったあるよ」なんてこともあったんじゃないか?
223少佐:2006/06/21(水) 00:15:16 ID:Plu4485E
あとは腕のいい気孔や鍼灸の先生なんかがいたりして、
長年の肩こりが治ったなんてこともあったんじゃないか?
現在でも有名な先生がいるんだから、当時はもっといたんじゃ
ないのか?
漢方茶を飲んで精力絶倫になったなんてこともあっただろう。
224少佐:2006/06/21(水) 00:20:36 ID:Plu4485E
また中国にはアメリカみたいな自動小銃は無かったのだし、
チハ戦車でも戦える戦場だったんだろ?
欧米から最新戦闘機を支援してもらっていたとしても、その数
や整備力から言って零戦や隼でも十分戦えたんじゃないか?
楽勝だったと思ってる人間もいるんじゃないか?
225名無し三等兵:2006/06/21(水) 00:23:13 ID:/h0FGcrT
今朝、ワタクシ目を覚ましますと、枕元にテポドンが四つ置いてありました。
おやおや、もうそんな季節かと思い、テポドンを四つ建て終えると
思い切ってお布団の外に、飛び出してみました。
四十二歳厄年、モッズ系猛禽類、自称北の大酋長、
フルーツ好きの朝鮮労働党員で御座います。
朝の八時から朝の八時まで、喜び組と戯れておる傍ら、
休憩時間に日本人の拉致を欠かさず行っております。
月に一度の休日は、反乱軍と激しく殴り合っております。
百戦百勝の鋼鉄の霊将、金正日四十二歳厄年、平壌在住、
世界の流れについていけない、男はつらいよのファンで御座います。
白頭山を歩くのが似合うんです。労働党のマークしか認めません。
偉大なる将軍様、金正日四十二歳厄年
糖尿病歴五年、カプセルで育った未熟児で御座います。
援助を受け入れたいんです。
現在、経済制裁を受けております。
近頃、ノムヒョンの前で堂々と話す力が身に付きました。
朝鮮、はなし方教室在席、金正日四十二歳厄年、訴えたい事がないんです。
メッセージのない独裁家で御座います。
恫喝は得意で御座います。見返りが欲しいんです。
朝鮮総連推奨、金正日四十二歳厄年。
親愛なる指導者で御座います。
尊敬しておるアーテストは、金日成で御座います。
好きな女優は、金敬姫とプリンセス・テンコーでございます。
好きな諺は、「瀬戸際外交」で御座います。 南朝鮮の事を考えると、眩暈がするんです。
朝鮮民主主義人民共和国、朝鮮労働党最高指導者、総書記担当
あぁ 、第七艦隊のお出ましだ、巨大な空母が攻めて来る。
核を持っているって言ってるだろ、イラン製じゃ無いんだよ。
俺はなぁ、本気なんだよ。
口だけじゃないんだよ、日本のくせにアゴで使いやがって。
ただ今よりテポドンを発射します。
226イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/21(水) 00:27:10 ID:???
>>214 >>もっと簡潔に

真面目にレスすると、自分の平日に書き込める時間はせいぜい2時間な
訳です。可能な限り分かり易く書いているつもりですが、推敲するにも
時間的な限界がありますw。

まあ、自分がせいぜい3行ごとに間隔を1行空けているのも、少しでも
読み易くするためですw。

あと金払いというか、刷るだけなら幾らでも札を刷れました。怖いのは
その後の極悪インフレw。

>>部隊によっては羊や豚なんかの肉が食べ放題だったという部隊もあるというじゃないか

全部、徴発だけどなw。しかも作戦行動中は、次々に新しい部落で徴発できますが
一旦部隊がある地点で長期間駐屯し始めると、途端に飢餓が迫ってくる罠w。

アフリカの象の群れではないですが、絶えず移動しないと餓死に直面する
というのに近いですw。あ、今寝る間際なので、テキトーに書き込んでいますw。
227全裸黄金 ◆KoxG3j4sWc :2006/06/21(水) 01:26:12 ID:???
>>226
中世近世の軍隊そのままですねw
クレヴェルトの「補給戦」どうりwww
たいした近代陸軍ですね。



orz
228少佐:2006/06/21(水) 02:31:19 ID:Plu4485E
>>226
中国の日本軍はなにも5億人くらいいたわけじゃないだろう。
中国は一応10億の人口を食べさせる食料生産力を持つ国だよ。
229名無し三等兵:2006/06/21(水) 02:50:30 ID:???
少佐 

あんた、おもしろいね。
230名無し三等兵:2006/06/21(水) 03:54:48 ID:???
>>227
日本は昔から食料自給できなかったんだからどうしようもない。。
231俄将軍:2006/06/21(水) 05:59:15 ID:???
順番は、前後しますが。

>>212
支那のインフレで、支那の物価が高くなるということは、日本銀行券、朝鮮銀
行券、満洲中央銀行券、聯銀券が、等価という前提の円ブロックで、何を引
き起こすのか、ということになると、日本国内で売るよりも、支那に輸出
した方が、利益が出るということになるのか。

日本国内の物価指数が抑えられているのは、物価が統制されていたからであり、
「贅沢は敵だ」ということで、倹約、貯金によって、戦争遂行の為に、国債
を買わせるということになるのか、などと。

日本と支那の間での貿易黒字というのは、ポンドやドルに兌換できないばかり
か、物不足の日本から、物が消えるという不思議時空を引き起こすというこ
とに。
232俄将軍:2006/06/21(水) 06:11:22 ID:???
>>210
中国連合準備銀行は、1938年に開業し、中央儲備銀行は、1941年に開
業するわけですが、連銀券というのは、法幣に敗北し、蒋介石の重慶政府に
対抗させる為、汪兆銘に、南京政府を建てるわけですが、聯銀券と同じく、
正貨の裏付けもなく、外貨の手持ちもなく、汪兆銘のネームバリューに
期待していたわけですが、法幣に、対抗できなかった、ということに。

>>213
前スレッドだったか、前々スレッドで、書き込んだと思いますが、1943年
というのは、真珠湾攻撃後、ということで、租界が消えるということに。
233俄将軍:2006/06/21(水) 06:18:03 ID:???
>>216
中国との通貨戦争というのは、日本国が、日本、満州国、中国だけで、鎖国し
て、経済が成り立つのか考えてみると、ポンドやドルでなければ、入手でき
ない物資などが、存在するのか、ということに。

>>217
第一次世界大戦で、独逸帝国が、金を保有していても、戦争によって、物資を
入手することが、出来ないということになると、真珠湾攻撃後の金塊支払い
のオプション、租界の元銀などからすれば、本末転倒、ということになる
のか、などと。
234俄将軍:2006/06/21(水) 06:28:32 ID:???
>>226
真珠湾攻撃後、南方の占領地域で、日本軍の現地支払い通貨というのは、軍票
を用いたわけですが、現地通貨とパーで、ペソやドルといった現地通貨表示
の軍票にしたのは、連銀券、儲備券で、懲りたということになるのか、な
どと。

>>213
真珠湾攻撃後の中支の「通貨流通増加額」というのは、租界は消えたが、貿易
も不可能になったというような、本末転倒の結果、ということになるのか。
235俄将軍:2006/06/21(水) 06:34:59 ID:???
>>214
戦前の日本経済もそうですが、何処からはじめれば、ということになると、簡
潔にというのは、困難ということになるのか、などと。

>>218
金の場合、闇で売買ということもあるのか、などと。
236名無し三等兵:2006/06/21(水) 20:03:03 ID:F5QXiErL
 長崎名物はた揚げ盆まつり 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら
   ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

 遊びに行くなら花月か中の茶屋 梅園裏門たヽいて 丸山ぶうらぶら
   ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

 はた揚げするなら金比羅風頭山 帰りは一杯機嫌で 瓢箪ぶうらぶら
   ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

 大井手町の橋の上で子供のはた喧嘩 
         世話町が五、六町ばかりも 二、三日ぶうらぶら
   ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

 梅園太鼓にびっくり目を覚まし 必ず忘れぬように また来て下しゃんせ
   しゃんせしゃんせと云うたもんだいちゅう

 沖の台場は伊王と四郎ヶ島 入りくる異船はスッポンポン
   大砲小砲を鳴らしたもんだいちゅう

 嘉永七年きのえの寅の年 四郎ヶ島見物がてらに オロシャがぶうらぶら
   ぶらりぶらりと云うたもんだいちゅう

 紺屋町の花屋は上野の向う角 弥生花三十二文で
   高いたかいと云うたもんだいちゅう
237名無し三等兵:2006/06/21(水) 22:44:58 ID:???
陸軍歩兵連隊の部隊歴
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gwife/butai/butaireki.htm

歩兵第18連隊
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gwife/butai/18.htm


1940年(昭和15年)達彦22歳 徴兵 → 宜昌 → 長沙
1941年(昭和16年)達彦23歳 漢水
1942年(昭和17年)達彦24歳 満洲に駐屯 海城(奉天)
1943年(昭和18年)達彦25歳 
1944年(昭和19年)達彦26歳 サイパン島に進駐 → グアム島に移駐
1945年(昭和20年)達彦27歳 終戦
238名無し三等兵:2006/06/21(水) 22:47:53 ID:???
                   │
━━━━━━━━━━━┓ │
─┐             ┃ │
到│シ右          .┃ │
着│此臨          ┃ │
日│ノ 時    岡  臨  ┃ │
時│令召          ┃ │
─┤状集    崎  時  ┃ │
昭│ヲ ヲ          ┃ │
和│以命 松 市  召  ┃ │
十│テセ          ┃ │
五│當ラ. 井 橋  集  ┃ │
年│該ル          ┃ │
七│召依 達 見  令  ┃ │
  │集テ          ┃ │
月│事左 彦 町  状  ┃ │
二│務記          ┃ │
十│所日    *     ┃ │
日│ニ時          ┃ │
午│屆到    *     ┃ │
後│出着          ┃ │
一│ヅ地    番     ┃ │
時│ベニ          ┃ │
  │シ參    地     ┃ │
  │ .著          ┃ │
239イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/21(水) 23:02:06 ID:akKoTOV0
>>173 >>法幣以外の紙幣では、漢奸に、ということになるのか、などと。

太平洋戦争が日本の敗北に終わると、支那大陸の「汪兆銘政権」も重慶政府に
よって接収される事となります。その時に問題となったのが、日本軍の占領地で
流通している『儲備券』の扱いでした。

当然『儲備券』の流通は禁止され、重慶政府の『法幣』によって吸収されるのですが、
その交換比率は何と「200対1」と決定されました。早い話が、儲備券200元が
法幣1元に相当する訳です。これは情け容赦ない苛酷な扱いで、日本の占領地住民は
完全に『漢奸』扱いです。

想像して見てください。昨日あなたが貯金していた200万円が、今日には1万円に様変わり。
1000万円が5万円に。1億円が50万円に。もっと単位を下げると、1万円が50円な訳ですw。

戦勝したはずの蒋介石政権が、共産軍に敗れて台湾に落ち延びざるを得なかったのも、
日本の占領地だった住民に対する『経済的な失政・破綻』が挙げられます。
240イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/21(水) 23:30:34 ID:akKoTOV0
自分が主な参考資料としている本に『日中戦争裏方記』(岡田酉次著、東洋経済
新報社)がありますが、著者は陸軍主計少将で、汪兆銘政権の軍事顧問ならびに
経済顧問でした。南京(汪兆銘)政府の財政部長である周仏海とも親しく、非常に
示唆に富んだ内容と評価できます。

その著者が、重慶政府による『儲備券』の処理(200対1)の決定後(1945年9月26日)、
これに抗議して日本や支那の銀行家たちと上海で座談会を開き、『法幣』と『儲備券』の
合理的な交換レートを話し合っています。その結果、

『儲備券』と『法幣』の発行総額、儲備銀行が保有する金塊・銀塊の数量、また米ドル・
英ポンド・スイスなどの外国為替、上海・南京・重慶の物価指数……等々を比較して、
どんなに懲罰的なレートでも、100対1を超えてはならないというのが結論でした。

岡田少将は、蒋介石の元に呼び出されて、回収地区の情勢と経済的接収の重大性を報告し、
「このような混乱が続くと、重慶政府は国土を回復しても民心を失う」と不服を述べたと
言いますが、事実その通りだったでしょう。
241イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/22(木) 00:04:54 ID:DmUqkRw6
中央儲備銀行の『副総裁』だった銭大槐は、重慶政府によって『死刑判決』を受けて
上海堤監橋の監獄に収容されました。以下は、銭を見舞った人の回想です。

「死刑の判決にも関わらず、銭大槐は個人の生死については一言も弁明しなかったが、
 ただ(重慶)政府ともあろうものが、しかも接収の代表者は金融界の人でありながら、
 一時の意地で『儲備券』の交換比率を不当に決めてしまった――。

 この点は、自分が死んでも死にきれない一点だとして、1つ1つ儲備銀行の資産内容を
 挙げてその不当さを訴えた。重慶側の法幣発行高や準備資産の状況まで詳しく比較して
 いかにも200対1の比率は不当で、これが占領地住民に与えた経済的損失・打撃は
 実に莫大なものがある、と涙ながらに語った――」

日本の敗戦に伴う「香港の軍票問題」が今でも取り上げられますが、『儲備券』の
処理は、更に深刻な影響をその後に与えました。まあ、重慶政府自身の手によるもの
なので、あまり触れられる事が少ないですがw。ぶっちゃけ自業自得ですw。
242イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/22(木) 00:21:41 ID:DmUqkRw6
ちなみに、『儲備券:法幣=200:1』の交換レートが公布されると、
重慶側から怒涛の如く、法幣が「接収(日本軍旧占領)地区」に流れ込みました。

この混乱で接収地区の物価は『ほぼ直角w』に跳ね上がり、そのリバウンドで
重慶地区でも同時に暴騰が始まります。人を呪わば、穴二つですw。

接収前に、中央銀行の為替公開相場「1ドル:法幣20元」だったのが、
半年後の1946年3月には「2200元」となり、また1947年8月には「3万
9000元」、さらに1年足らずの間に「100万元」に下落します(!)。

第1次大戦後のドイツ・マルクに匹敵するような破滅的状況となり、最終的に
法幣の価値は、終戦時に比べて5万1250分の1にまで落ち込みました。

繰り返しますが、これは戦争が終わった後の話ですw。戦争中の話では決して
ありません。さらに『儲備券』は、法幣の200分の1で交換された末路を迎えた訳で
言うまでも無く、華中の引き揚げ邦人にも甚大な影響を与えています。
243俄将軍:2006/06/22(木) 11:27:47 ID:???
>>239-241
1937年に、日本国側で、中華民国臨時政府を立ちあげるわけですが、「旧
通貨整理理弁法」では、期限後は法幣を用いるのを禁止するので、期限内に
等価で聯銀券と兌換するように、といった弁法、政府命令、政府声明など、
公布、発表しているわけですから、重慶政府の中の人としても。

「儲備券」になると、「法幣」を回収することで、ポンドやドルと兌換しよう
と考えてたわけで、「儲備券」の保有者が、漢奸になるのか、などと。

金、銀などの本貨、ポンドやドルの裏付けもないのに、勝手に、通貨を発行し
たあげくに、責任は、重慶政府に、ということになると、重慶政府は、敗戦
後の日本に対して、戦時賠償ではなく、「交換レート」の裏付けを求める
べきだった、ということになるのか、などと。
244俄将軍:2006/06/22(木) 11:36:30 ID:???
>>241-242
日本も、戦後のインフレによって、戦時国債など、紙くずになったわけですが、
日本の敗戦後、国民党と中国共産党の間で、内乱が、ということになると。

「儲備券」を発行していた中の人が、為替レートに、云々するというのは、ブ
ラックジョーク、ということになるのか、中国の民心が、重慶政府から失わ
れて、共産中国が誕生するのであれば、中国の民心というのも、自己責任
ということになるのか、などと、嘯いてみたり。

蒋介石だけではなく、国民党の偉い人というのは、日本に留学経験のある親日
派、知日派も多く、反蒋で、反日が用いられたりもしたわけですが、冀東防
共自治政府、南京政府の中の人が、漢奸ではないというのは、如何なもの
か、などと。
245蓬莱の人の形 藤原妹紅 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/22(木) 22:54:45 ID:dKp8KY6W
>>243 >>金、銀などの本貨、ポンドやドルの裏付けもないのに、勝手に、
>>通貨を発行したあげくに、

    ,-へ,  , ヘ
    ,ヽ_,_i=/__,」
   ,'   `ー' ヽ
   i <〈」iノハル.!〉
   i L>゚ ー ゚ノiゝ   適当なこと抜かすな、オッサン。
  i>i ir^i `T´i'i |
  .i>i !>^ `''´'iイ|
   i.ル'ヽr_rr_r'レ'
246俄将軍:2006/06/22(木) 23:19:54 ID:???
>>245
真珠湾攻撃の前と後では、ということになるのか、法幣を回収することで、担
保しようとしていた、ということになるのか。

汪兆銘のネームバリューと、銃剣によって、政治力を裏付けに、発行、流通さ
せていたので、特に問題はないということになるのか、などと。

日本の中の人は、中国の幣制改革など、成功しないという名目で、協力を断っ
たわけですが、「儲備券」とは何ぞや、ということになるのか。
247イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/22(木) 23:30:26 ID:dKp8KY6W
あ! もこたんインしたお!(藁) それはさて置き、中央儲備銀行(汪兆銘政権=南京
国民政府)の概要をまとめると、以下の通り。

1.資本金:国幣1億元(全額国庫支出)。ただし、所要に応じて民間株式の募集を認める。
2.役員 :総裁・周仏海、副総裁・銭大槐、理事・陳君彗、張素民、柳汝祥……。

3.特権 :@本位貨幣および補助通貨の兌換券発行、A政府鋳造の本位貨幣・補助貨幣
      発行の経理、B国庫の経理、C内外債の引受けならびに元利支払い事務等。

4.発行準備:@発行準備金は、少なくとも100分の40の『現金準備』を保有するを要し、
       その残高は国民政府の発行あるいは保証する有価証券ならびに所定の諸手形
       A兌換券の現金準備は、銀貨および地金銀、外国貨幣および外国貨幣により預け金

*4割の比例準備制を採用していますが、発足当時は『全額の現金準備』がありました。さらに
 兌換券の最高発行高は(南京)国民政府の許可を要するとしていますから、正確には「最高発行高
 制限を加味した比例準備制」、という長ったらしい名前になりますw。
248イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/22(木) 23:47:43 ID:dKp8KY6W
念のため、当時の新聞記事からも引っ張ってくると以下の通り。

『報知新聞』(1940年12月21日)●新中央儲備銀行設立――資本金1億元、
                総裁・周仏海氏、1月6日営業開始

中央儲備銀行は資本金1億元、(南京)国民政府還都以来の税収入の余剰金をもって
これに当てた純然たる国立銀行で、全額払い込み済みである。

発行兌換券は、1元、5元、10元、50元、100元の5種類および補助券であり、
発行兌換券の『現金準備』は銀貨、地金銀、外国貨幣ならびに外国貨幣による預金とし
準備金は毎週これを公表するものとする。

中央儲備銀行発行の『新法幣』は、旧国民政府発行の『旧法幣』と等価として、漸次
旧法幣を回収するもので、同時に華興商業券はその発行を取消すが……
249名無し三等兵:2006/06/23(金) 00:19:34 ID:???
■やっぱり事実だった100人斬り■ 『いわゆる「百人斬り」事件の虚と実』秦郁彦

次の論点は投降した捕虜処刑の有無だが、筆者は志々目証言の裏付けをとるため、志々目が所持する
鹿児島師範付属小学校の同級生名簿(有島善男担任)を頼りに一九九一年夏、数人に問い合わせてみた。
明瞭に記憶していたのは辛島勝一(終戦時は海軍兵学校75期生徒)で、野田中尉が腰から
刀を抜いて据えもの斬りをする恰好を見せてくれたのが印象的だったと語ってくれた。
 また北之園陽徳(終戦時は海軍機関学校生徒)は、
「(野田は)実際には捕虜を斬ったのだと言い、彼らは綿服を着ているのでなかなか
斬れるものではなかった」と付け加えたと記憶する。
他の三人は野田が来たのは覚えているが、話の中味はよく覚えていないとのことであった。
 裏付けとしてはやや頼りない感もあるが、最近になって野田の母校である県立鹿児島
第一中学校の名物教師だった安田尚義の著書に付された年表の一九三九年七月二十四日の項に、
「朝礼後野田毅中尉の実戦談を聴く」と記載していることがわかった。

 野田が鹿児島を訪問したのは三九年五月に戦地から岐阜へ帰り、八月に北朝鮮の会寧へ転勤
した合い間の七月で、鹿児島一中、付属小、それに父が校長をしていた田代小学校と少なくと
も三ヵ所に顔を出したようだ。
その時、鹿児島一中の三年だった日高誠(のち陸士五十八期を卒業)は、野田が全校生徒を前
に剣道場で捕虜の据え物斬りの恰好をして見せたのを記憶している。
彼は違和感を持ったが、あとで剣道教師からも「とんでもない所行だ」と戒められたという。
250イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/23(金) 00:27:28 ID:R7lVG2Mt
さらにダブルチェックで傍証を挙げると、日銀上海会発行の『遥かなる上海』という
本があります。

日中戦争時に「日本銀行上海支店」に勤務していた人たちの回想録で、著者の1人である
大久保太三郎氏は、上海在勤当時を振り返って以下のように述べています。

「1943年秋から1945年春ごろまでに、中支では全部で50トンくらいの『金現送』があり、
 終戦前にこの金で儲備銀行との預け合い勘定を決済したが、尚お釣りがあった――」
251イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/23(金) 00:54:15 ID:R7lVG2Mt
>>俄将軍
散文過ぎて、問題とする論点がズレているのか、核心を突いているのか、
単なるブラフなのか、何が何だか分かりませんw。

裏付けとなる知識があって呟いているのか、テキトーに書き込んでいるのか、
判然としないのですw。こちらが貴官の意図が何なのか、イマジネーションを
働かせなければならない(藁)。

自分の場合、自分の書いた文章に対して「どこが弱点なのか」自分で予想ツッコミ
できますが、貴官の呟きはそれから悉くズレています。

あるいは自分の方が「知識不足」なのかと、勘ぐって混乱してくる訳ですw。

ちなみに、>>250 の核心部分(弱点)はどこなのでしょう?
>>251 ちなみに、>>250 の核心部分(弱点)はどこなのでしょう?

   _、,、,、_
   `、r`=Y
   , ' `ー '´ヽ
   i. ,'ノノ ))) 〉
   | ii;゚ - ゚ノ|!  中央儲備銀行の闇は、横浜正金銀行――。
   ||kリ,_\_リiつ   ヒントはここまで、あとは自分で考えることだな。
   !k'J,、,、>、
  ´' "i,ンイノ~`
253俄将軍:2006/06/23(金) 04:44:22 ID:???
>>250-252
中央儲備銀行の闇は、横浜正金銀行といわれても、よくわかりませんが、>>250
の「預け合い」ということであれば、支那派遣軍が、軍費現地支払い通貨で
ある儲備券が、スムーズに受け取れるように、預金に利息を付けたり、儲
備券発行で利息を得たり、国債を買ったり、といった操作によって、円
と儲備券を交換しようとしていた、ということを意味しているのだろ
うか、などと。

「1943年秋から1945年春ごろまで」ということになると、インフレに
よって、ということになるのか。
254俄将軍:2006/06/23(金) 04:57:01 ID:???
>>253
中央儲備銀行と横浜正金銀行との間で、「預け合い」契約をすることで、法幣
に対抗しようとしたことをいっているのか、真珠湾攻撃後は、租界が消えた
ことで、どうでもよくなったということになるのか、金というのが、投機
の対象になったことを意味しているのか、などと。

如何なる物資不足による悪性インフレでも、流通している通貨量を超える価格
が、ということになるのか。
255俄将軍:2006/06/23(金) 05:03:45 ID:???
>>254
中国連合準備銀行と朝鮮銀行の間、中央儲備銀行と横浜正金銀行の間での預け
合いによって、借り入れた形になる聯銀券、儲備券で、ということになるの
か、などと。

インフレで溶かすということになると、借りれば借りるほど、お得ということ
になるのか。
256俄将軍:2006/06/23(金) 06:14:55 ID:???
>>251
基本的には、適当な思いつき、ということになるのか、などと。
257イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/24(土) 09:15:19 ID:2BSf7ufy
>>254 >>中央儲備銀行と横浜正金銀行との間で、「預け合い」契約をすることで、

正解です。内容はもっと「悪質」ですがw。1943年から中央儲備銀行(汪兆銘政権)と
横浜正金銀行との間で「預け合い」が開始されました。その意図するところは、もちろん
軍費の調達目的で、両銀行が同額を預け合い利子も付けていた訳です。

しかし『暗黙の了解』がありまして、横浜正金銀行は中央儲備銀行にある自分の口座から
好きなだけ『儲備券』を引き出せますが、中央儲備銀行は横浜正金銀行の自口座から引き
出せない事になっていたのです。ちなみに利子の支払いは帳簿上の操作だけです。

すなわち、横浜正金銀行の口座から軍費目的で『儲備券』だけが一方的に流出して
乱発される事になります。「預け合い」という帳簿上の操作による具体的な「裏付け」
のない通貨発行ですから、当然、悪質インフレを招きますw。
258イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/24(土) 09:31:31 ID:2BSf7ufy
なぜ儲備銀行が横浜正金銀行から預金(円)を引き出せなかったというと、もちろん
『円元パー(イコール)』だからです。内地円の極悪インフレを防ぐためです。

まあ、ウルトラ・ライトウィンガー(極右w)の自分が言うのも変ですが、
収奪というのは「物資そのもの」だけを指すとは限りません。上記の場合は、
貨幣価値からの収奪であり、占領地の支那住民から「カネで物を買う力」を
インフレによって徐々に奪っていったと言えるでしょう。

要は日本が戦争全般の遂行のために、いかに支那経済(物資)に依存していたか、
という事です。ただし、日本が何も考えずに「預け合い」を利用して儲備券を
大乱発したかというとそうでもなく、前述のとおり

>>「1943年秋から1945年春ごろまでに、中支では全部で50トンくらいの『金現送』があり、
>>終戦前にこの金で儲備銀行との預け合い勘定を決済したが、尚お釣りがあった――」

な訳です。
259イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/24(土) 09:52:13 ID:2BSf7ufy
1950年代前半の国会議事録を読むと、左翼系議員(?)が当時のことを
与党や官僚側に責めています。

1943年ごろ、北支・南支のインフレ調査に出かけたが、問題の根本は
(儲備銀行と横浜正銀の)預け合い勘定にあると思った。このことを
報告したら、軍部から「けしからん」と非常に睨まれた。大蔵省が当時
のことを「戦時だったからインフレは止むを得ない」と逃げるのは遺憾である――。

当時の日本の至上目的は、いかに「戦時必要物資」を獲得して、さらに内地の
経済(円)を守るかということですから、史実のような事をするのはある意味
当然であり、必然であり、理に適っています。道義的なものは抜きにしてw。

「50トンの金現送」の話は、前述の岡田主計少将の本からの孫引きですが、
実際の現場にいる軍人からすれば、『最終的に』裏付けのない通貨発行では
なかったから問題ではない、という理屈になるのでしょう。
260イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/24(土) 09:58:59 ID:???
単なる「帳尻あわせ、自己満足」と切って捨てるのは簡単ですが、
当時の日本軍の立場から言えば「やるだけのことはやっている」と
自分は弁護しておきましょう。

本来「金現送」自体、別にやらなくても済んだ話ですから、それだけ
気は遣っていた訳です。

法幣だって、「投げっ放しジャーマン」的な通貨発行をやっていますw。
261俄将軍:2006/06/24(土) 20:29:53 ID:???
>>257
日本国内の物価統制も、国民には、「贅沢は敵だ」と、民間の消費を抑制させ、
軍事に回し、預貯金を奨励し、国債を買わせることで、価格を抑えていたわ
けですから、横浜正金銀行が中央儲備銀行名義の円口座から、円預金を引
き出されては、困るということになるのか、などと。

>>258-259
儲備券発行によるインフレが生じることが、明々白々、ということになると、
商人が売り惜しみするのも、自明ということになり、実際に生じている物
不足と相まって、ということになるのか、などと。

物不足も、日本の収奪だけではなく、貿易、物流といった面もあるわけですが。
262俄将軍:2006/06/24(土) 20:45:54 ID:???
>>289
毎月1ドル360円のレートで、米国債1ドル分買ったら、毎月1ドル120
円のレートで、毎月240円損する、というサイクルが、続くよりも、イン
フレで、溶けていくということに。

50トンの金というのは、インフレで溶けることが、前提ということになると、
500トン、5000トンの金の価値に、化けるということになるのか。

インフレが前提ということになると、発行した分の裏付けなどは、最初からあ
るはずがないということに。

>>260
清算しなければ、インフレ率の異なる横浜正金銀行の円口座の円預金が、とい
うことになるのか、などと。

法幣の「投げっ放しジャーマン」的な通貨発行というのは、インフレ率で考え
ると、日中戦争、真珠湾攻撃後で、異なってくるということになると、戦時
賠償など求められると、日本の戦後復興は、洒落にならないということに。
263俄将軍:2006/06/24(土) 20:54:21 ID:???
重慶政府の財政というのも、阿片から税関まで、日本に抑えられているのにも
関わらず、何故、抗戦が可能だったのか、ということになると、日本が援蒋
ルートの遮断に躍起になったり、天津の租界問題に関連して、現銀引渡、
法幣流通、中国連合準備銀行への協力など、英国に要求したのか、と
いうことになるのか、などと。


>>262
上記の >>269 宛は、 >>259 宛の誤りであります。
264俄将軍:2006/06/24(土) 21:01:14 ID:???
米国も、1939年7月26日、米通商航海条約を破棄を通告することで、英
国をサポートした、ということになるのか、などと。

>>263
>上記の >>269 宛は、 >>259 宛の誤りであります。

「上記の >>289 宛は、 >>259 宛の誤りであります。」に修正。
265えICBM:2006/06/24(土) 21:20:40 ID:???
>国民には、「贅沢は敵だ」と

陸軍も装備面で贅沢をせずに、慎ましやかな装備で我慢した。
美談だ。
266俄将軍:2006/06/24(土) 21:33:53 ID:???
>>265
「贅沢は素敵だ」と、阿片などのキックバックで、豪遊していた陸軍の中の人
などとは別人種、ということになるのか、などと。

豪遊したいが為に、中国軍を第一の仮想的として、慎ましやかな装備を強要し
た中の人など、ということになると、目も当てられないということに、など
と、嘯いてみたり。
267名無し三等兵:2006/06/24(土) 22:48:04 ID:???
俄将軍氏ね
268俄将軍:2006/06/25(日) 06:43:48 ID:???
>>262
日本国内でのクーデターの影響から、1937年1月に、期限付きとはいえ、
貿易に用いられる為替取得が、結果的には、歯止めがかからなかった「輸
入為替管理令」によって、許可制になり、真珠湾攻撃前までになされた
対米金現送の純金量というのは、ということに。

仏印進駐での横浜正金銀行とインドシナ銀行との間では、金か金に交換できる
外貨で、決済ということで、33トンの金が、フランスに、タイ国になると、
日銀保有のタイ国イヤーマーク金は、約45トン、1941年と1945
年の金現送が、約6トンということになると、ということになるのか、
などと。
269俄将軍:2006/06/25(日) 06:53:38 ID:???
>>267
中の人の異なる「俄将軍」による「インフレ」が、生じたということになるの
か、などと。

>>268
50トンの金で、中国聯合準備銀行と中央儲備銀行の「預け合い」契約で、日
本の債務を返済するということができたのは、金が、現地にあったからとは
いえ、幸運だった、ということになるのか、などと。

ポンドやドルといった外貨が、意味をなさなくなった時点で、日本にとっての
金の価値は、ということになるのか。
270名無し三等兵:2006/06/26(月) 11:59:51 ID:???

このスレは中共に監視されています


   中 国 共 産 党 国 家 安 全 省 

   |  |∧             ∧/|  |
   |  |支\           /支|  |  __
   |_|`ハ´;).          (`ハ|_| [.lШШl]
   |  | o【◎】           .(  o|  | (`ハ´ ;)
   | ̄|―u'            `u.| ̄||| | | | |
   """"""""         """"""""""""""""

271名無し三等兵:2006/06/26(月) 17:23:01 ID:???
>>270
国民党と話はついているので、いまさら蒸し返しても台湾の国民党を批判するのと同義の諸刃の剣とういう罠。

中国共産党による私有財産没収につながると、共産主義革命から資本主義革命へ道を開くという恐ろしさ。
272名無し三等兵:2006/06/26(月) 18:40:26 ID:ZSBqgEjN
だって、今の今までまともな資本主義なんかなかったんだもん。立派な共産主義の建設には資本主義とのた戦いの勝利が必要なんで。やっぱ資本主義と帝国主義から基本に忠実なんが大切だしさ。
273俄将軍:2006/06/26(月) 19:34:08 ID:???
>>271
台湾の国民党の中の人、中国共産党の中の人による、権力抗争に、用いられる
ということになると、日本、中国、台湾だけにとどまらず、米国や、英国に
まで、波及していくということもあるのか、などと。

旧ソビエト、ドイツにまで、ということもあるのか、などと、適当な思いつき
など、書き込んでみたり。

>>272
まともな資本主義というのが、中国の歴史上ではなかった、ということになる
のか、世界史上でなかった、ということになるのか、などと。

共産中国は、市場開放の後、真の「共産革命」に、邁進するということになる
のか、などと。
274イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 19:44:24 ID:/73yuLwy
>>261 >>儲備券発行によるインフレが生じることが、明々白々、ということに
>>物不足も、日本の収奪だけではなく、貿易、物流といった面もあるわけですが。

『儲備券』のインフレというか、価値低落ですが、最も大きかった要因はもちろん
第二次大戦における枢軸国側の劣勢です。日本の敗色が濃くなるに従って、その
傀儡である「汪兆銘政権」が発行している通貨の信用は地に堕ちていきます。

重慶政権側(そして地味にですが共産軍側も)は、自分に有利な世界情勢を日本の
占領地にも反映させるべく盛んに『宣伝工作』を打ってきます。日本軍側の担当者
の言を紹介すると、以下の通り。

「物価暴騰の第一原因は、戦勝に関する日本不信任の問題である。1943年春以降の
 独ソ戦、北アフリカ、地中海戦線ならびに南太平洋方面における戦況の不利は、鋭敏に
 市況に反映した。この頃、日本は支那側に対して、租界返還、治外法権撤廃、敵性資産の
 新規移管、物資統制(権限)の移譲など、対支新政策として様々な手を打ったが、その
『政治的効果は一向に経済面に反映せず』、換物人気を煽るだけだった――」
275イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 20:07:25 ID:/73yuLwy
>>274 の補足 >>『政治的効果は一向に経済面に反映せず』

さらに「汪兆銘政権側」の『人材不足』も挙げられます。1943年3月に日本軍は
物資搬出入の許可権を、南京国民政府側の「物資統制機関」に移譲しました。

しかし日本軍の「軍票政策」と比べれば、汪兆銘政権側のそれは全くお粗末そのもの
な機関で、物と金のアンバランスは深刻化していくことになります。

『儲備券』が生まれる前の議論として、せっかく「軍票」で上手くいっているのに
わざわざ新通貨に切り替えてリスクを冒すのは如何なものか?、という反対意見が
ありましたが、残念ながらその心配は的中してしまったと言うべきでしょうか?w。

戦況が悪化するにつれて、現地傀儡政権(汪兆銘政権)の民心を繋ぎ止めるために、
日本は色々な政治的譲歩(租界・治外法権の撤廃など)を行なう訳ですが、現地機関の
行政能力が(占領地の日本軍より)低いために、却って混乱と情勢の悪化を招く
『皮肉な結果』となっていますw。
276イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 20:58:24 ID:awzCYx4D
>>262 >>法幣の「投げっ放しジャーマン」的な通貨発行というのは、インフレ率で考えると、

具体的に、法幣の「年間発券額」を列挙すると、以下の通り。

●1937年:14億8千万元 ●1938年:23億1千万元 ●1939年:42億9千万元
●1940年:78億7千万元 ●1941年:151億元   ●1942年:344億元
●1943年:754億元   ●1944年:1895億元  ●1945年:5569億元

ちなみに参考になる数字を幾つか挙げると、1939年の国民政府の財政支出が28.5億元、
戦費が18億円〜24億円。日本の『偽造法幣』工作で、実際に支那で流通した額が25
億元とされます(登戸研究所で制作したのは総額40億元)。

まあ、しかし>>242 で挙げた、終戦後の『極悪超ハイパーインフレ』に比べれば、まだ
全然マシというところでしょうかw。というよりも、上記のような通貨発行額の積み重ねが
あって、更に「→中共との内戦再開」「戦後復興」「日本占領地の接収失敗(経済的)」が
最終的に、撒かれたガソリンに火を付けたのかもしれません。
277イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 21:39:18 ID:awzCYx4D
>>263 >>重慶政府の財政というのも、阿片から税関まで、日本に抑えられているのにも
>>関わらず、何故、抗戦が可能だったのか、

『 無 制 限 』 の 通 貨 発 行 で す w 。

まあ冗談はさて置き、戦時中の国民政府の「財政」を簡潔にまとめた資料は
どこかにないかしらん? 黄仁宇の『蒋介石』でも読めば、少しは掴めるかも
しれないと思いつつ、まだ本棚の肥やしになっていますw。

>>日本が援蒋ルートの遮断に躍起になったり、

ちなみに日中戦争が始まった後の「上海にも厳然と租界」が存在しており、英米の
援蒋ルート遮断は、太平洋戦争の勃発を待たなければなりません。当然、これらの
租界には多数の有力外国銀行があり、旧法幣の支援を続け、現地経済に喰い込んで
いました。
278俄将軍:2006/06/26(月) 21:48:53 ID:???
>>274-275
日本軍の「軍票政策」ですが、香港で考えてみると、日本本土の物不足と同じ
ように、配給制になったわけですから、「軍票政策」の行政能力云々する以
前の問題として、ガナルカナルと同じく、輸送が途絶えているということ
になるのか、などと。

インフレによる物資の隠匿が、更に、拍車をかけるということになるのか。

汪兆銘政権の行政能力ですが、漢奸の政府に、中国人の人材が集まるのか、と
いったような、当たり前の話に、ということになるのか、などと。
279俄将軍:2006/06/26(月) 21:50:15 ID:???
>>277
書き込みが終了したと勘違いして、>>278 を書き込んでしまいました、申し訳
ありません。
280イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 22:25:24 ID:awzCYx4D
>>277 の補足。>>『 無 制 限 』 の 通 貨 発 行 で す w 。

金融面における英米の「支那援助」ですが、例えば1938年12月にはアメリカが
対華借款2千500万ドル、同じく英国が500万ポンドの供与を始めています。

さらに1939年3月には、英国が「旧法幣安定資金」として1千万ポンドの設定と
合わせて、300万ポンドの追加借款を決定するなど、並々ならぬ力の入れ具合を
見せつけている訳です。

この金額の巨大さは、法幣の誕生時である「リース・ロスの幣制改革」で英国が
設定した援助資金が、同じく1千万ポンドである事からもよく分かるでしょう。
また同じ金額を積んだ訳ですw。

『外貨不足』に喘いでいた日本からすれば羨ましい限りですし、支那事変の早期解決に
何より焦っていた陸軍は、英国を『目の仇』にしたのは自然な事でしょう。
281イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 22:45:25 ID:awzCYx4D
他にもざっと、英米ソの支那に対する『資金援助』を挙げると、以下の通り。

●1938年3月、アメリカ:1500万ドル借款 ●1938年6月、ソ連:1億5千万ドル借款
●1940年3月、アメリカ:2000万ドル借款 ●1940年9月、アメリカ:2500万ドル借款
●1940年11月、アメリカ:5千万ドル借款  ●1940年12月、イギリス:1千万ポンド借款…

などなど…。資金援助とは言っても、武器援助とのバーター取引(借款の金額で代金を支払う、
ディスカウント価格の場合が多し)であったり、法幣の安定化資金などは、実際に払わなくても
「英国が**ポンド供与する」と宣言(宣伝)するだけで、大きな効果を発揮しますよね。

具体的な内容は、恐ろしく煩雑になるでしょうから取り上げませんが(つーか、把握できないw)
これだけ外貨の援助があれば、実際は「無制限の通貨発行」だとしても、法幣の戦時における
国内的な価値は、辛うじて維持出来たのかもしれません。
282名無し三等兵:2006/06/26(月) 23:20:04 ID:???
283イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 23:20:51 ID:awzCYx4D
>>264 >>米国も、1939年7月26日、米通商航海条約を破棄を通告することで、
>>英国をサポートした、ということになるのか、などと。

米国も徐々に「日本の首」を絞めていく訳ですが、支那側からすれば支那事変が勃発
した以降も「石油や鉄鋼など、戦略物資を日本に売り続けて中国侵略に手を貸した」と
『怨み節』があるようですw。

また日本が、米国の『中立法』発動を避けるために、わざと宣戦の布告をしないで
支那『事変』の形を取ったのは周知の事実ですが、ルーズベルト大統領も当初は
中立法発動に積極的ではありませんでした。

大義名分的には、「中立法は交戦国双方への武器の輸出を禁じている。発動して
より多くの不利益を蒙るのは(武器を国産している)日本よりも、アメリカから
武器を輸入している中国である」というものでしたが、実際はそうではありません。

米国の「対日貿易額」は全欧州の2倍であり、大口の輸出先を失うことを米国資本家たち
は恐れた訳です。それが大統領へのプレッシャーへと繋がった次第です。
284えICBM:2006/06/26(月) 23:39:51 ID:???
>>272
いや、マルクスの言う立派な共産主義になるには、高度に発達した資本主義という段階を経る必要がある。
レーニンのソ連も、毛沢東の中共も、自分らの共産主義が正統で無い事を百も承知。
285イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 23:43:31 ID:awzCYx4D
>>266 >>「贅沢は素敵だ」と、阿片などのキックバックで、豪遊していた陸軍の中の人
>>などとは別人種、ということになるのか、などと。

「日米避戦」の期待が込められた『ヒデキ(東條)政権』が実は、支那権益に最も関係が
深い人たちの集まりであった――。

支那撤兵の是非が「最大の焦点」だったにも関わらず、まるでブラックジョークのような
事実が明らかになったのが、前スレだったか、前々スレだったか、もはや記憶が曖昧ですw。

けれども、ヒデキを筆頭とする当時の日本の指導者層に、あの戦争で私腹を肥やしたような
人間がいなかったのは、日本人が誇りに思っていい事だと思います。

逆に重慶政権では戦時中、「塩・酒・茶・マッチ・タバコ」など生活必需品が政府の『専売制』
となり、いわゆる蒋家や宋家など『4大家族』が投機によってボロ儲けですw。また後で補足
しますが、「公債の引き受け」などを通じても多大な利益を得ています。
286境目に潜む妖怪 八雲紫 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/26(月) 23:49:40 ID:???
>>270 >>このスレは中共に監視されています

    __,. -=- ,、   
 '「'_r.'´_r-、>r-、  
  //`Y´_>,_ノ<_ン'、 
  i | r'_r',!イノ)ノン,),´ 
  ヽ>,_(.ノノ!゚ ヮ゚ノ)´  私のスキマからも監視されているわよー。
   `ー '(kOi =ikつ   
     ,</,_|鬥|ヽ   
     `"-r_ォ_ァ-'"  
287華人小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/27(火) 00:05:40 ID:???
>>269 >>中の人の異なる「俄将軍」による「インフレ」が、生じたということに
>>なるのか、などと。
       _
     '´ ☆ ヽ
   / ,.'´  ̄ ヽ!
  丶  ノリノ ))〉
   ノノ.|i.゚ ヮ゚ノ!   「俄将軍」は共用コテだったんですか?
  (( ( リi.._\_iリつ   それより、何で私がこのスレで今ごろの
     ∪_||j     登場なんでしょう? え?自爆ですって?w
     `し'ノ
288華人小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/27(火) 00:20:00 ID:???
>>276 の補足。>>更に「→中共との内戦再開」「戦後復興」「日本占領地の接収失敗
>>(経済的)」が最終的に、撒かれたガソリンに火を付けたのかもしれません。

要するに「日本と戦争する」より「戦後復興」の方が金が掛かった、という事さねw。
289イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/27(火) 00:21:06 ID:???
久々に間違えた…w。
290俄将軍:2006/06/27(火) 07:13:06 ID:???
>>276
1935年の幣制改革以前の南京政府が財政というのも、1933年には、関
東軍の長城作戦に対抗したわけですが、1934年には、旱魃、米国への銀
流失など、中国経済が悪化し、第五次「剿匪」事業で消費したような、軍
事行動にも制約が、ということになるのか、などと。

1935年の幣制改革から、法幣の「年間発券額」というのも、軍事費支出を
賄った、ということになると、日本の戦時国債発行と、発行した戦時国債の
結末からすれば、ということになるのか。
291俄将軍:2006/06/27(火) 07:18:35 ID:???
>>277 >>280-281
>『 無 制 限 』 の 通 貨 発 行 で す w 。

本邦も、戦前戦中の日本国内で消化した国債発行というのは、インフレによっ
て、有耶無耶にした、ということになると、大して変わらないということに
なるのか、などと。

日本軍が援蒋ルートの遮断に躍起になり、海南島まで占領するわけですが、援
蒋物資というのは、資金援助と同じように、法幣、蒋介石の軍事行動を支え
た、ということになるのか。
292俄将軍:2006/06/27(火) 07:32:26 ID:???
>>283
日米航海通商条約が失効しても、米国向けの金の現送に、影響がでるような施
策を米国がとらなかったことからすれば、ということになるのか、などと。

金を米国に現送し、ドルに交換して、ロンドン、ニューヨークの為替市場で、
決済をしないことには、為替相場は、というほどに、日本が「戦略物資」
を輸入していたことからすれば、ということになると。

>>285
ABCD包囲網の元凶が、東条一派、ということになると、何故、支那派兵に
拘ったのか、私服を肥やしたのは、誰だったのか、ということになると、予
備役入りから免れたり、親族、知人の懐にだったり、というような、迂回
ルート、ということになってくると、領収書は、別の人の名前で、とい
うこともあるのか、などと。
293俄将軍:2006/06/27(火) 07:42:49 ID:???
>>287
他のスレッドで、中の人が異なる「俄将軍」による影響、ということになるの
か、などと。

>>288
現実に、物資が不足するようでは、貨幣に信用があっても、インフレが生じて
くるということになるのか、などと。

疲弊した英国と異なり、米国は、後先考えずに、国民党を切り捨てた、という
ことになるのか、などと。
294名無し三等兵:2006/06/28(水) 00:00:23 ID:???
>>283
1939年7月のアメリカ側からの日米通商航海条約破棄の通告は
10日前に日本とイギリスとの間で行われた天津租界封鎖の件での会談でイギリスの日本への譲歩が
アメリカの反発を生んだんじゃないでしょうか。
295イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 00:25:34 ID:u9dKmen5
>>285 の補足。>>また後で補足しますが、「公債の引き受け」などを通じても
>>多大な利益を得ています。

1927〜1937年まで、国民政府の「公債発行額」は26億元に上ります。ちなみに
それ以前の北洋軍閥時代では15年間で6億2千万元でした。

問題はその引き受け方法です。公債には年額6〜8%の利息が付けられた他に、
額面の3〜5割引(!)で銀行に引き受けられましたから、その利益は膨大な
ものとなりました。村上ファンドも吃驚仰天です(藁)。

もちろん、その背景には蒋家などの「4大家族」が控えており、『官僚金融資本』
と呼ばれる権力基盤が形成されていくのです。

さらに借款を通じて英米の金融資本と結び付き、従属化、そして『幣制改革』へと
進んでいく流れが理解できれば、まずは「及第点」です。
296イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 00:40:05 ID:???
>>292 >>ABCD包囲網の元凶が、東条一派、ということになると、何故、支那派兵に
>>拘ったのか、私服を肥やしたのは、誰だったのか、ということになると、

参考までに「前スレ」を引用します。当然、過去ログ倉庫に入っている訳ですが、
専用ブラウザを使っている人は見れるのかしらん? ちなみに自分はド・ノマールの
仕様で書き込んでいますw。
297イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 00:44:19 ID:???
前スレ『日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課』より
>>251 :名無し三等兵 :2006/03/02(木) 03:26:49 ID:jt+HJ+Qo

>>鈴木貞一が興亜院の実力者となると、盛文頤は裕華塩公司と言う塩の販売会社をつくり、
>>この阿片と塩の両方を扱うことになりました。

>>東条内閣において対米開戦回避のためには即時中国撤兵という問題が大きくあったはずです。
>>しかし、閣僚を並べてみれば、東条、岸、星野、賀屋、そして鈴木、みな中国権益に深い縁の
>>ある人ばかりなんです。

>>星野は満洲行政のために阿片専売の収入を充てにしていましたし、岸が一官僚としても
>>一閣僚としても尋常でない額の金を動かせたのも里見がいたからでした。
>>この内閣では即時中国撤兵ははじめから無理でした。
298イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 00:47:46 ID:???
>>260 :イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/03/02(木) 22:53:05 ID:I5Drpn8T

>>おお! 凄い知識量ですね。思わず脱帽しました。もっと勉強します……。
>>とにかく本を読む時間が欲しいのですが、仕事上でも読まなければならない
>>本が山積みになっているのが悩ましい……。

>>東条内閣の多くが、「支那権益」に深い関係を持っていたという切り口は
>>非常に面白いですね。賀屋興宣も北支那開発株式会社の総裁でしたし。
299イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 01:16:51 ID:u9dKmen5
>>293 >>疲弊した英国と異なり、米国は、後先考えずに、国民党を切り捨てた、という
>>ことになるのか、などと。

第二次大戦後、米国は国民政府(蒋介石)に20億ドルの借款援助を与えていますから、
一概に切り捨てたとは言えないでしょう(国民政府の米国への要求は、復興5ヵ年計画で
40億ドル以上)。

要するに、米国内における「対支政策」の混乱(一本化できなかった)に尽きます。
当時の議論を要約すると以下の通り。

@対支援助慎重派……中国共産党にも援助供与を。また中国共産党の拡大を防ぐために、
          国共を含めた『連合政権』が必要。

A国民党政権(蒋介石)全面支持……蒋介石だけが中国を統治しうる存在。

B……@・A以外の考え方。米ソ対立に繋がらないように、国民党への援助が必要。
300イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 01:28:02 ID:u9dKmen5
自分の私見では、とにかく米国は「ソ連との対立」を避けていたように
感じられます。また米国内に中国共産党に対するシンパが多くいたのも
事実でしょう(当然、国民党の腐敗を訴える)。

また「国共内戦の調停」を目的に、特使として派遣されたマーシャル元帥は
完全に@の立場です。Aはウェデマイヤー中将(元・中国戦線米軍総司令官兼
蒋介石付参謀長)など非常に少数派でした。
301俄将軍:2006/06/28(水) 08:28:25 ID:???
>>295
中国の関税収入の減少というのは、満州国建国だけでなく、冀東防共自治政府
経由する密輸など、関税が、国民政府の主要な財源であることからすれば、
如何なものか、ということになるのか、などと。

幣制改革以前の中国経済が、1934年、米国の銀買上法によって、34年、
35年の国外への銀の大量流出で、大打撃を受けた、ということもあるわ
けですが。

>>296-298
1926年から、北伐が始まるわけですが、日本側の対応としては、27年に、
日本本土で、「東方会議」が、大陸では、「大連会議」が、開催され、「満
蒙特殊論」といった論理が、ということになるのか、などと。

円ブロックの形成にしても、日本に必要な資源というのは、繊維といった軽工
業であれ、重工業であれ、軍事的な要求であれ、満洲と支那を併合しても、
欠落しているところは大きいわけですが。
302俄将軍:2006/06/28(水) 08:42:50 ID:???
>>299-300
米国国内には、主義者、シンパなどが、蔓延していたというのは、お約束、と
いうことになるのか、などと。

マーシャル・プランといった復興計画の前に、中国は、内戦を克服する必要が
あった、ということになるのか、日本への復興資金などとは異なり、中国の
場合、何処かへ、資金が消えていったということになるのか、などと。

当時の中国の中の人も、中国共産党による、文化大革命を知っていたならば、
蒋介石、中国国民党が、マシだった、ということになるのか、などと、嘯
いてみたり。
303イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/28(水) 23:31:13 ID:rovc3ict
>>278 >>「軍票政策」の行政能力云々する以前の問題として、ガナルカナルと
>>同じく、輸送が途絶えているということになるのか、などと。

中支那で『軍票』の価値を「物資面の裏付け」により支えるために、『中支那軍票
交換用物資配給組合』が1938年9月に設立されています。まあ、正式名より『軍配
組合』(ぐんぱいくみあい)の通称の方が有名でしょう。

日本の商社を主体に、綿、人絹、毛糸、毛織物、工業製品、染料、紙、穀肥、砂糖
などの8部門から構成され、日本からの「輸入物資の配給」を統制していました。

しかし太平洋戦争が始まると状況が一変します。物資の欠乏から、日本から支那への
輸送どころではなくなり、全く逆に『支那から日本への輸出統制機関』に変貌して
いきます。

汪兆銘政権は、そのような状態の中からのスタートですから、全く同系列で比べるのは
確かにフェアではないでしょうね。ちなみに「軍配組合」の機能は、『儲備券』への
統一と合わせて、1943年7月に「中華日本貿易連合会」(中貿連)へと引き継がれます。
304イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/29(木) 00:05:44 ID:P5cKjtQ+
>>276 >>汪兆銘政権の行政能力ですが、漢奸の政府に、中国人の人材が集まるのか、
>>といったような、当たり前の話に、ということになるのか、などと。

「それを言っちゃあーオシマイヨw」なのですが、まあ一言二言。左翼系に言わせると
有為の人材はみな重慶に敗走してしまったか、共産ゲリラの工作員(高学歴が多かった)に
なったという事ですが、右左の好き嫌いは抜きにして、これは相当程度当たっているかも
しれません。

戦記本を読んでいると、確かに「妻も子供も置き去って重慶に向かっていった」という
記述を見たことがありますから、そのような事例も珍しくなかったのでしょう。

汪兆銘政権が苦しんだのは、政府上層部の人材というよりも「末端の地方行政」です。
日本軍も何とか優秀な人材を揃えようとしますが、集まるのは金品目当ての土豪で
あったり、地場の軍閥くずれだったりで、とにかく『品性劣悪』であったと言いますw。
305イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/29(木) 00:22:30 ID:P5cKjtQ+
当時の報告を1つ2つ引っ張ってくると、以下の通り。もちろん日本軍のものです。

●県知事***は県内土豪の出身で、治安維持会副会長より知事に就任した
 人物であるが、とても行政手腕は期待できない。

●県城において自衛団を組織し、各村より将来、自衛団団長となりうる人物
 約50人を招集したところ、その過半数は程度不良であった。村民より若干の
 金銭を貰い、拝み倒されて出てきたような始末である。

「高学歴の人間ほど、愛国心が強い――」。これは万国共通の鉄板ですが、
地方行政を担うべき(小・中学校卒レベルの)人材に、汪兆銘政権を問わず
日本軍の占領地行政で総スカンを喰らっていた事は言えるかもしれません。

もちろん上記は一面であって、他にも色々な話がある訳ですが、その辺は
また後述します。
306イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/29(木) 00:45:20 ID:???
>>304 >>集まるのは金品目当ての土豪であったり、地場の軍閥くずれだったりで、
>>とにかく『品性劣悪』であったと言いますw。

下層レベルの支那人に『品性劣悪』でない人間がいるのか? などとは、
口が裂けても自分は言いませんw。

また愛国心云々ですが、例えば米国の影響下にある「民主イラク政権」に
有為の人材が集まらないかと言えば、そうでもないでしょう。

と書き込もうと思いましたが、並列政権(蒋介石・汪兆銘)だった支那事変と、
また米帝と大日本帝国では違い過ぎるので、比較の対象になりませんね。
今のはノーカウントで(藁)。
307俄将軍:2006/06/29(木) 22:14:07 ID:???
>>303
北支、中支で、何故、日銀券(朝鮮銀行券、満洲中央銀行券)と、聯銀券をパ
ーにしようとしたのか、ということになると、他の列強が、貿易面において、
如何なる不利益を被るのか、というこになるのか、などと。

真珠湾攻撃前に、米国との関係が悪化しただけで、日満支ブロックというのは、
崩壊したわけですが、それはそれとして。

>>304
>汪兆銘政権が苦しんだのは、政府上層部の人材というよりも「末端の地方行政」です。

蒋介石も、同じように、苦労しているということになるのか、などと。

>>306
「民主イラク政権」も、汪兆銘政権の轍を踏むか踏まないかは、米国の中の人
次第というのは、変わらないということになるのか、などと。
>>287 >>「俄将軍」は共用コテだったんですか?

    ,..:::─:::.、
   ,:'::::::::::-==ヽ
   i/<:L:iλ::i::」   今までの「俄将軍」が中佐の自作自演だったら、
   i::i::|i ゚ ヮ゚ノ:|  衝撃的なのにねーw。って、さすがに片方は
   .,':::r'ヽ∞イi::|   もう息切れ?
  /:::〈_/,.-=-!〉|
  〈._;;;く,、__,_、〉:|
309イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/29(木) 23:58:05 ID:/IV70h4u
>>269 >>50トンの金で、中国聯合準備銀行と中央儲備銀行の「預け合い」契約で、
>>日本の債務を返済するということができたのは、金が、現地にあったからとはいえ、
>>幸運だった、ということになるのか、などと。

終戦時の中央儲備銀行には、設立以来、溜め込んできた発券準備の外貨紙幣のほか、
日本から現送された金塊が50トン(前述の綿布強制買い上げ代金、日本軍の借り上げ
儲備券代として)を下らなかったと言います。

しかし重慶側の接収員が上海にやって来ると、それらの外貨や金塊は彼らの手に渡り、
正式な「儲備銀行」の引継ぎ以前に、大部分が消えてしまった訳ですw。

また重慶政府の指令により、接収が完了するまで「儲備銀行は重慶派遣の軍政人員に
対して儲備券を必要なだけ供給する」ことになったため、『儲備券』が大乱発される
結果となります。要するに、接収員の身分証明書を見せるだけで、儲備券を好きなだけ
要求できた訳です。儲備券が「200対1の紙クズ」になるのは無理ない事でしょうw。
310イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/06/30(金) 00:29:39 ID:vSZL0Jy/
>>305 の補足。>>もちろん上記は一面であって、他にも色々な話がある訳ですが、
>>その辺はまた後述します。

上海の占領統治を例に挙げてみましょう。上海の有力財界人中、杜月笙と虞洽卿の
いわゆる『両巨頭』は重慶に逃れてしまいましたが、この2人に劣らず上海住民の
信頼を得ていた3老がいました。いずれも立志伝中の財界トップです。

それが「聞蘭亭、林康侯、袁履登」の3人であり、日本軍は中支の物資統制のために
何とかして協力を得ようと出馬を要請します。もちろん汪兆銘政権の、例えば周仏海
財政部長などが工作に当たりますが、なかなか色良い返事が得られません。

戦前から3老と面識のある特務部の「支那通」軍人なども出向いて、ようやく口説き
落としていた訳です。最初に『袁履登』が折れて「もう1人、林康侯が参加するのなら」
という条件で、汪兆銘政権の物資統制の責任者に就きました。
311俄将軍:2006/06/30(金) 17:40:57 ID:???
>>308
>>308
中の人の異なる「俄将軍」によってなされた、他スレッドにおける書き込みも、
俄陰謀論、電波系ではなく、他の固定ハンドルの中に人への誹謗中傷という
ことになると、悪名は、さらなる「インフレ」を、ということになるのか、
などと。
>>309
真珠湾攻撃後、租界が消えたことにより、法幣側だった銀行などから、現銀、
外貨など、ということもあるのか。

1943年から1945年の間に、横浜正金銀行上海支店に現送された約50
トンですが、日本側としては、敗戦を見越して、送られたということになる
のか、などと。
312俄将軍:2006/06/30(金) 17:53:50 ID:???
>>304-306 >>310
中国の場合、中央から地方を統制することの難しさというのは、清朝末期から、
変法運動でも、行政単位としての省が大きすぎることにより、「省利権」が
生じており、省を小さくするべきだ、というような、辛亥革命後、軍閥が
生じたように、蒋介石も、国民党内部の反蒋介石勢力に対抗するだけで
はなく、地方への関与を如何にして、ということになるのか。

都市部での物価統制も、物資が入ってこないということになると、自給自足が
できない分、自給自足できない地方よりも悲惨なことに。

上海は、大都市でありますが、地方の農村など、都市と地方の格差というのは、
明治から昭和にかけての日本のように、徐々に問題化してきた、ということ
になるのと、日本の敗戦後、国共合作による共産党の勢力圏の将来は、と
いうこともあるのか、などと。
313イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/01(土) 21:44:04 ID:p3U2GM7I
>>261 の補足。>>この2人に劣らず上海住民の信頼を得ていた3老がいました。
>>いずれも立志伝中の財界トップです。

このうち袁履登、聞蘭亭の略歴は分かりますので、カンタンに触れておきましょう。

●袁履登=淅江省・寧波の出身で、セントヨハネス大学第1回の最優等卒業生。こうした
     経歴から子弟の英才教育に力を注ぎ、その人柄は上海の人望を集めた。推薦に
     より公共租界工部局董事、納税華人会理事などを歴任。寧紹輸船公司や寧紹保険
     公司を起業経営していたが、汪兆銘政権の『米糧統制委員会』に乞われて出馬。

●聞蘭亭=江蘇省・武進出身。幼少時に故郷から上海に出て、紡績業に従事して成功。紗布
     交易所の理事長を長く務める。国民党の第3革命時には、その費用を求められて
     捻出し、国民革命の「功労者」とも言える存在。しかし政治に直接関わることを
     避け、商売に専念。上海社会の福祉にも貢献した実直方正の人士と呼び声が高い。
     汪兆銘政権では、上海の物資統制をはかる『全国商業統制総会』の初代理事長に。
314イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/01(土) 22:46:10 ID:INi9ZgJY
言うまでも無く、「モノの極端な欠乏」「インフレ爆発寸前」の当時の支那で、
『物資統制』の責任者となった上記の2人は、貧乏くじを無理やり引かされた
存在でした。

本来なら、絶対的な軍事力を背景とした日本軍の占領統治によってこそ『物資統制』
は辛うじて成り立つのでしょうが、内地中央の政治的理由から、実力もまだ不十分な
「汪兆銘政権」に大幅な権限が支那派遣軍から移譲された訳です。困難に直面するのは、
火を見るより明らかです。

そして奔放な「商業資本」を背景とする2人が、『統制経済』の何たるかを理解・
実行できるはずもなく、早々に行き詰まり、間もなく辞意を漏らし始めます。

思えば自身が望んだ役割でもなく、占領下の上海の経済的窮乏、引いては上海住民の
苦痛を幾らかでも軽減することを求められ、財界元老であるという己の立場からは
拒否できなかった訳です。しかし終戦後は両者とも、蒋介石によって『漢奸裁判』に
かけられるという、まことに気の毒な結末を迎えていますw。
315イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/01(土) 23:25:03 ID:INi9ZgJY
>>そして奔放な「商業資本」を背景とする2人が、『統制経済』の何たるかを理解・
>>実行できるはずもなく、

さて『統制経済』という言葉はよく使われますが、具体的なイメージが付く人は
少ないでしょう。その根本は『物資欠乏下でインフレを防ぐ』という事であり、
一言でカンタンに表現するなら『買う方も売る方も、抜け駆けは許さん!』となります。

日本内地の場合「贅沢は敵だ!」といったスローガンのもと、放って置いても
ある程度の「相互監視」が期待できてしまう『素敵な世界』ですがw、占領地ですと
当然そうはいきません。

支那だけでなく南方の占領地においても、消費レベルの末端となる住民達には
連帯責任を負う『五人組』といった組織を強制させる事になります。もちろん
この上部には各村落ごとに、農産物の生産(強制買上げ)組合、生活必需品の
配給組合などがあり、『統制経済』はフル稼働していく訳です。ただし至上目的は、
もちろん日本の戦争継続を支える点にあり、住民の生活・幸福などは全く考慮されませんw。
316イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 00:09:42 ID:Oe1vst/+
>>314 の補足。>>しかし終戦後は両者とも、蒋介石によって『漢奸裁判』に
>>かけられるという、まことに気の毒な結末を迎えていますw。

最後に「聞蘭亭と袁履登」のその後を書いて、この項の締め括りとしましょう。

聞蘭亭は『漢奸』として獄に繋がれますが、法廷にも出頭を拒否して、牢獄で終始
座禅し両眼を閉ざしていたと言います。上海住民は挙げて、その冤罪を訴えましたが
有期刑が言い渡され、1948年に79歳で寂しくこの世を去りました。

袁履登も『漢奸』として法廷に立ちますが、以下のように弁明します。『余は必ず
期日を定めて、民衆に食料を配給することを条件として「統制会」の仕事を引き受け、
その通り実施してきた』と。

当時の食料困窮事情は、その場にあった者だけが知ることであり、まことに困難な
仕事であった――これに身をもって当たった老人が漢奸の罪に問われるとは、など
関係者から同情を集めますが、やはり有罪。7年の徒刑を言い渡されましたが、
重病のため猶予。1948年に大赦されて香港に去り、1954年まで生きました。

    ,-へ,  , ヘ
    ,ヽ_,_i=/__,」
   ,'   `ー' ヽ
   i <〈」iノハル.!〉
   i L>゚ ー ゚ノiゝ   う〜ん、チト気の毒だねw。結局、自分が引き受けざるを
  i>i ir^i `T´i'i |  得ないと思って矢面に立ったら、やっぱり矢に当たって
  .i>i !>^ `''´'iイ|  しまったというところかな?
   i.ル'ヽr_rr_r'レ'

     ,r---、     
   _ソヽ/`、シi   
   _>=ヘ 山/=<,   
.  ((ん'ノノルレム))  
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_  世の中が理不尽だったなんて言い訳は既に通用しない。
   ),k'ヲつ::つ   判決は、意外にも予想通りだった――
    (ン::::/:::l::ヽ というところかしら?   
    `~i,ンT,ノ~´
319イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 01:21:10 ID:???
お気付きの通り、最近「東方」キャラがよく出てきますが、
これは『魚雷は大人になってから』のオマージュです。

「さゆりん」と「みっしー」の代わりですw。

加えて、自分が普段は抑えている「心の闇」を代弁してもらっています(藁)。
320イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 21:26:28 ID:dtD9Nhcu
>>312 >>都市部での物価統制も、物資が入ってこないということになると、自給自足が
>>できない分、自給自足できない地方よりも悲惨なことに。

最も悲惨な状況になると「物資統制」どころか『人減らし』です。太平洋戦争中の
「香港」がこれに当たりますが、前スレまでで既述かもしれませんw。

まあ、それはさて置き「日中戦争の長期化」により、太平洋戦争勃発時の香港の
人口は180〜200万人に膨れ上がっていました。この多くは支那本土からの
難民流入によるものです。

日本が香港を占領すると、当然のことながら英米との「中継貿易基地」の機能は
完全にストップして「資源の供給」も途絶えますから、人口過剰問題が浮上して
きます。そして言うまでも無く、香港は「自給自足」など考えられない立地です。

日本軍は、食料・水をはじめとする物資の供給力からみて、香港で養いうる人口は
せいぜい70万人だと算出しました。ハイ、これで約100万人が余分になった訳ですw。
321名無し三等兵:2006/07/02(日) 21:28:16 ID:???
●反日TBSキャスター筑紫哲也・・・・(→朴 三寿:元朝日記者、共産キャスター)
●池田大作(草加学会)・・・・(→父:ソンジャンチョク、帰化人)  (在日への選挙権推進、韓国での反日活動の実績)
●サラ金(消費者金融)及び街金融、そして闇金・・・・実際は在日朝鮮人が経営に当たり凶悪な取り立ててで暴利をむさぼっている。客が自殺しても冷酷なのはチョンだからか?
●麻原影晃・・・・父が朝鮮国籍。
●林ますみ・・・・(和歌山毒入りカレー犯人)在日帰化。
●宅間 守・・・・(大阪池田小学校大量殺人犯)朝鮮部落出身。密港在。
●織原誠二・・・・(英国人ルーシーブラックマンさん殺害犯)親が韓国。
●李 昇一・・・・朝鮮人の強姦魔。「ガキの使い」語り140人以上の女性をレイプ。
●金 保・・・・(少女強姦魔の牧師)在日
●酒鬼薔薇聖斗・・・・(東慎一郎・神戸の首切り猟奇小僧)両親とも在日
●関根 元・・・・(埼玉愛犬家殺人犯)在日
●郭 明折・・・・韓国キリスト教の宣教師。連続強姦魔。被害者100人以上
322イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 21:51:46 ID:dtD9Nhcu
結局、香港在住・支那人の「大部分の出身地」である広東省に100万人を
追い返す政策が取られる事となります。これを「人口疎散問題」と言いますが、
1943年9月までに香港の人口は『目標通り』の60万人にまで激減しますw。

この政策により、初代香港総督だった「支那通」磯谷廉介中将は戦犯として、
敗戦後に訴追される事になりました。支那側はとくに取り上げませんでしたが、
イギリスが強く主張した訳です。宗主国としてのメンツがあったのでしょう
(磯谷中将は無期徒刑に、1952年釈放)。

もちろん「強制移住」ですから、憲兵隊がトラックで「浮浪者狩り」をして
無理やり船に乗せて、海上に送り出すなんて事もやっています。当時の「人口
疎散策実施要領」を取り上げると、以下の通り。

「香港・九龍地区における軍作戦ならびに治安維持上、とりあえず九龍地区における
 下層階級なかんずく浮浪者を他に強制的に移住疎散せしむるべし」とあります。
323名無し三等兵:2006/07/02(日) 21:55:23 ID:???
>1=>322
日本人なら口が裂けても日中戦争など申すな
324イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 22:16:14 ID:dtD9Nhcu
「抗日分子」をあぶり出すという目的もありますが、あまりに強制的な移住だったため、
船に乗せられると海上で突き落とされて処分される(された)というデマ風説や、
海南島に労働力として「強制連行」されたなどの話もあります(多分、後者は本当)。

とどの詰まり、憲兵隊による「浮浪者狩り」「難民狩り」「抗日分子狩り」な訳ですが、
ぜひ現代日本でも実施して欲しいと思うときが多々ありますw。今日の「手相を見せて
下さい」は異常にしつこかった…。衝動的に裏拳が出てしまいましたw。

『統制経済』とは、物流の停滞・ストップを必然的に招きますから、それが
食料や生活必需品にまで及ぶと、住民は悲惨なことになります。ただ支那は
この点についてまだ全然マシです。

南方地域は、イギリス植民地のマレー半島を中心軸とする「東南アジア
交易圏」に完全に組み込まれていましたから、日本軍の占領によって
それが寸断バラバラにされると、経済破綻するのは目に見えていますw。
325イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 22:24:09 ID:???
>>323 >>日本人なら口が裂けても日中戦争など申すな

「アジア太平洋戦争」より全然マシw。それに1941年末以降、第二次
世界大戦に組み込まれると『支那事変』では正確でなくなる。よって
「日中戦争」の方が通りが全然良い。

敵国語を使うな、と言うのとレベルが変わりませんw。
326イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 22:50:14 ID:dtD9Nhcu
要するに「南方地域」の多くは商品経済に組み込まれて『自給自足できていない』
訳です。例えば、東南アジアの穀倉の役割を果たしていたのは「タイの米」ですね。

シンガポールを物流(対外輸出)の中心基地として、マレー半島や蘭印、北ボルネオ、
タイ、ビルマなどから、ゴムや錫などの資源物資が集まる一方、米を各国に輸出供給
していのたがタイになります(ちなみに、ゴムなどの輸出先は、アメリカ・英国・仏国・
カナダ・日本・インドなど)。

もちろん「産米国」は他にもありますが、ビルマは→インドやセイロンに、仏印は→
香港、仏領アフリカ、フランス本国など、宗主国関係に組み込まれていました。

>>物価統制も、物資が入ってこないということになると、自給自足が
>>できない分、自給自足できない地方よりも悲惨なことに。

支那はやはり恵まれた土地なのです(少なくとも、食料は自給自足可能)。
東南アジアの占領地は悲惨でした。
327イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/02(日) 23:00:29 ID:???
多くの場合、(日本の)戦争遂行に必要のない商品作物のプランテーション畑を
潰して、米や綿花の増産を各地で図らなければ、まず「衣食」がままなりません。

これを放置すると、食料や衣類の極端な不足が続いて「極悪インフレ」を招きますw。

さらに日本の軍政区の違いが、モノや金の移動を停滞させて(早い話がタテ割り行政)
住民の負担をさらに苦しいものとしていました。いやあ、占領地行政って本当に
難しいものですね。把握するだけで頭が痛くなります(核藁)。
328俄将軍:2006/07/03(月) 21:04:37 ID:???
脈絡もなく、順番は前後しますが。

>>317-318
「漢奸裁判」も、最初から、判決が決められていた、ということになるのか、
中国の民衆の「漢奸」への怒りが、洒落にならなかった、ということもあ
るのか、などと。

>>326-327
開戦前の日本の船舶量というのは、ということになるのか、などと。

軍政区の違い以前に、軍部の中の人が、経済を理解していたら、真珠湾攻撃に
まで、至るようなことはなかったということになるのか、経済を理解してい
たからこそ、真珠湾攻撃に至った、ということになるのか、世界情勢の変
化に、対応できなかっただけということになると、何故、ということに
なるのか。
329俄将軍:2006/07/03(月) 21:17:01 ID:???
>>324
支那といっても、清朝が崩壊した後、軍閥などが、跋扈していたわけですから、
治水に回す資金があれば、軍事費に化けるということになり、旱魃が生じた
場合、餓死者続出、ということになると、支那は、清朝崩壊後、年々、状
況が悪化していたとすれば、流民というのは、ということになるのか。

中国人の中の人に、抗日の中の人に対するイメージということになると、中国
のナショナリズムというのは、ということに。
330俄将軍:2006/07/03(月) 21:25:30 ID:???
>>320 >>622
香港の人口を減らしても、食料の供給が、粥を啜るというようなレベルに、と
いうことになると、責任は何処に、ということになるのか、などと。

>>324
日中戦争の期間は、抗日で耐えても、日中戦争終了後の不満というのは、国民
党の中の人に、ということになるのか。

>>314-315
「統制経済」で、何が得られるのかというと、日本の軍事力に化けるだけ、と
いうことになると、実効性というのは、甚だ薄いということに。

中国の中の人にとっては、「統制経済」に協力しても、何のメリットもないと
いうことになるのか、などと。
331俄将軍:2006/07/03(月) 21:34:36 ID:???
>>327
台湾領有から、占領行政の為の研究というのは、大日本帝国では、実施されて
おり、満洲鉄道調査部に、ということになるのか。

法制度、風習などの調査とは別に、中国の場合、田畑の均分相続によって、と
いうことになると、日本の農村とは、別の問題が、ということに。

占領地行政というのも、平時、事変、戦争によって、異なってくるだけでなく、
平時であっても、法幣だけでなく、為替相場、金銀の市価、関税、貿易など、
猫の目のように変わる激烈な経済戦争が、ということになると、日銀、大
蔵省の中の人なども、外地で、国策の遂行に、ということに。
332イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/03(月) 23:32:30 ID:a5f6ARk/
>>328 >>中国の民衆の「漢奸」への怒りが、洒落にならなかった、ということもあるのか

むしろ「蒋介石の怒り」ですねw。「漢奸裁判」については、自分が手本とする益井康一氏が
書いた『漢奸裁判史』をぜひ読みたいのですが、4500円はチト高いですw。ボッタクリ。
神保町の「古本祭り」の割引セールまで待とうかしらん?w

さて蒋介石は「非常に執念深い」性格であり、自身が書いた日記には、まざまざとそれが
現れています。ちなみに蒋介石は、ゴーストライターを使いません。もちろん後々に
日記を書き換える事もありますが、どこまでも自分で推敲しています。

例えば1925年に、広州で「反英デモ隊」がイギリス軍によって射撃され、80人余りが
死亡した際(このとき蒋介石は黄埔軍校の校長)、蒋介石の日記には「高熱が出て」
「危うく気絶して倒れそうになった」と書かれてあり、以後毎日、『仇英』のスロー
ガンが日記に書かれる事ととなります。
333名無し三等兵:2006/07/03(月) 23:47:47 ID:???
从'A`从 ムシササレタ
   ̄( )V゚
    < \

  从'A`从 テニッ
   ̄( )V゚
   / >
    。_
   ('A`从 モロコッシィ〜
   ̄( )
    l´ \

もろこし体操を踊られたスレはまもなくdat落ちします
スレ立て人も逮捕されて戦犯として処刑されます
謝れば4階級降等で済むかもしれません さぁどおする?
334イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 00:02:13 ID:a5f6ARk/
さらに1928年、日本が北伐を妨害した「済南事件」の後には、日記に『雪辱』の欄が
毎日綴られ「数年間は間断なく」続きますw。

蒋介石は、主観に従い直感に任せる『王陽明哲学』の信仰者であり、自身の日記にも
「自らの行動は論理的でないかもしれない」と綴られています。しかし、この執念深さ
こそ、蒋介石を蒋介石たらしめた「最大の強み」である事は間違いないでしょう。

もっと極端な例を挙げると、「西安事件」で張学良と共に蒋介石を拉致監禁した楊虎城の
末路があります。楊虎城は「西安事件」における3者妥協(国民政府・共産政府・張学良)
の公約で『生命財産と自由の保証』がなされ、その後に外遊して支那から離れていました。

支那事変が始まると、楊虎城は「愛国心」が押さえがたくなり、急遽帰国を果たします。
ハイ。こういうのを『飛んで火に入る夏の虫』と故事に言いますw。楊は蒋介石の命で
捕らえられて牢獄に監禁されました。楊の妻は「公約無視」に怒って獄中で食を断ち、
最後は餓死します。
335イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 00:15:54 ID:U+gpzurn
その後11年間にわたり、楊虎城は牢獄に捕らえられます。

1949年8月、毛沢東に敗れて「支那大陸」から台湾へと去る前に、蒋介石は最後の
仕事を為すべく急遽重慶へと飛び立ちました。「重慶監獄」には特殊な囚人が収容
されており、もちろん楊虎城はそこに居た訳です。

楊虎城と息子、娘、それに忠実な秘書と更にその妻――。支那事変勃発後の帰国より
11年間、重慶郊外の秘密機関が支配する強制収容所で囚われの日々を過ごしてきた
訳ですが、蒋介石は大陸を去る前夜にわざわざ重慶を訪れ、彼らの死刑執行命令に
自ら『蒋中正』と署名したのです。

一同は牢から引き出され、楊以外は銃殺、楊だけは生き埋めにされました。

>>中国の民衆の「漢奸」への怒りが、洒落にならなかった、ということもあるのか

蒋介石の「漢奸」への怒りが、洒落にならなかった、ということでしょうw。
336イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 00:33:14 ID:U+gpzurn
「西安事件」が駆逐される寸前だった『共産勢力』の息を吹き返させた事は
疑いもなく、反共の権化である蒋介石からすれば、楊虎城は同様に『漢奸』
だったと言えるでしょう。

逆に一連の『漢奸裁判』において唯一、蒋介石が特赦(減刑)を与えた例も
ありますが(周仏海:汪兆銘政権財政部長)、長くなるので後で補足します。

>>328 >>軍政区の違い以前に、軍部の中の人が、経済を理解していたら、真珠湾
>>攻撃にまで、至るようなことはなかったということになるのか、

どちらにせよ『南方作戦』自体が、やっつけ仕事です。東南アジアの占領計画(軍政)の
具体的な検討を始めたのが1941年2月ですから、準備期間が1年も無い事になります。
各作戦軍の『兵要地誌』すらロクに整備されないまま、戦争に突入していますから
何をかをいわんや、ですw。
337イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 00:47:31 ID:U+gpzurn
南方派遣軍で「ジャワ宣伝班長」として赴いた町田敬二著『戦う文化部隊』には

「大東亜戦争は、あらゆる方面で準備不足だった。それは急変する世界情勢に
 押し流されて、にわか仕立てに国策を決定し、急ごしらえに開戦した日本と
 しては無理もなかった」

とありますが、正にその通りだったでしょう。

現代に例えて言うならば、今まで自動車を作ったこともないメーカーが
車体からエンジンまで、1年足らずで自社ブランド製品を作り上げるのに
似ているかもしれません。当然、色んなところで齟齬が出てくるのは
避けられないでしょうw。
>>333 >>謝れば4階級降等で済むかもしれません さぁどおする?

     ,r---、     
   _ソヽ/`、シi   
   _>=ヘ 山/=<,   
.  ((ん'ノノルレム))  
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_  死刑。
   ),k'ヲつ::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ    
    `~i,ンT,ノ~´
339名無し三等兵:2006/07/04(火) 01:17:43 ID:???
从'A`从 アイアー!!!
         ̄( )V゚
          < \
340名無し三等兵:2006/07/04(火) 14:03:23 ID:???
大日本帝国以外に大東亜共栄圏を作ろうとしたことある国家なんてないからどうしようもない。
まさに前代未聞の大大大事業。
世界帝国を築いたイギリスだって数十年のスパンで成り上がっていたんだし。
341イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 22:30:09 ID:VNMqHw4O
>>334 の補足。>>蒋介石は、主観に従い直感に任せる『王陽明哲学』の信仰者であり、

王陽明の哲学は、論理的ではありませんが、物事を決断するという点では優れています。
行動をもって知識に代えれば局面を打開できる――左か右かと思案して細かく考慮すれば
何時までたっても決心が付かない。

言うなれば非常に「日本人好み」の哲学でもあり、かの東郷平八郎も日本海海戦の後に
「一生涯低頭して王陽明を崇拝する」という印章を掘り込んだと言います。

蒋介石は日本に留学して陸軍士官学校の予備校である「振武学校」を卒業し、高田の
砲兵第19連隊に勤務しています(1909-1911年)。そこで日本の陸海軍将校が王陽明の
『伝習録』を読んでいるのを知り、これを真似たとされます。

ちなみに後に蒋介石は、台北の草山を「陽明山」と改名していますから、この辺りからも
王陽明信仰を窺えるでしょう。
342俄将軍:2006/07/04(火) 22:30:43 ID:???
>>333
「日中戦争」ということに関して、>>323 の中の人であれば、「日中戦争」の
期間が、支那事変と大東亜戦争を含んでいるので、便利、ということになる
のか、などと。
343俄将軍:2006/07/04(火) 22:32:27 ID:???
>>341
お先にどうぞ、ということになるのか、などと。
>>334 >>蒋介石は、主観に従い直感に任せる『王陽明哲学』の信仰者であり、

     ,r---、     
   _ソヽ/`、シi   
   _>=ヘ 山/=<,   
.  ((ん'ノノルレム))  「汝いまだ花を見ざるとき、この花は汝の心とともに寂に帰する。
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_    汝が花を見れば、その花の色はたちまち心に明らかだ」
   ),k'ヲつ::つ    (君がこの花を見ない間は、この花は君の心とともに静寂に帰して
    (ン::::/:::l::ヽ   いた。それを今君がここへ来てこの花を見たとき、花の色は一時に
    `~i,ンT,ノ~´     明るくなってきたのだ)『伝習録』巻下、第75条

要するに、王陽明は「花が存在するかどうかは問題ではない。私のこの花に対する『反応』に
こそ意義がある」と言いたい訳です。もっと言えば、王陽明は真理が『客観』から出ることを
認めていないのです。上記は「日本人的」解釈が強いですが、これほど革命に向いた考え方も
ないでしょう。

     ,  ‐‐-、___  
   /   ., '´⌒⌒ヽ
  ./   、 i´ノ)ノ)ノ))ハ) 
  ||     メ)ハ)゚ ー.゚ノl)  >>344 ちょっとアンタ! 私を差し置いて
  ヽ.   _Q)#」ネl」)つ    花の話題をしないでよねw。
     ̄ ,</_#,#ハ   
       ` "i_フ_フ"
346イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 23:23:33 ID:VNMqHw4O
>>342 >>「日中戦争」の期間が、支那事変と大東亜戦争を含んでいるので、便利

昔、アマゾンで『太平洋戦争・主要戦闘事典』という文庫本のレビューを書いた
ことがあります。第1章をまるまる日中戦争について取り扱っていましたので、
タイトルが少し正確ではなく、本来なら『日中戦争・太平洋戦争 主要戦闘事典』が
ふさわしいでしょう、と触れました。本のタイトルが冗長かは、ともかくとしてw。

すると自分の後ろにレビューを書いた人も同意見らしく、中には『大東亜戦争・
主要戦闘事典』と今すぐタイトルを改題すべきだ、という強硬論もございました。

あのー、著者は『ド左翼』の太平洋戦争研究会なんですが……w。まあ、確かに
「大東亜戦争」と銘打てば「日中戦争」も「太平洋戦争」も含まれますから、
正確にはなるのですが、迫力があり過ぎて一体どんな人が買うのでしょうw。

日中戦争は、時間的には「支那事変」も「太平洋戦争」も含みますが、地理的には
ご指摘の通りダメですね。右翼なら『大東亜戦争・主要戦闘事典』、左翼なら
『アジア太平洋戦争・主要戦闘事典』が正当なのです(藁)。あ、本自体はお勧めですよ。
347イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/04(火) 23:45:18 ID:VNMqHw4O
>>328 >>軍政区の違い以前に、軍部の中の人が、経済を理解していたら、真珠湾
>>攻撃にまで、至るようなことはなかったということになるのか、
>>340 >>大日本帝国以外に大東亜共栄圏を作ろうとしたことある国家なんてないから
>>どうしようもない。

少し前に自分が書いたもの(南方占領政策)を読み直すと、まるで日本軍が
「アホの子の集団」のように見えますがw、実際はもちろん違います。

例えば、『支那通』の代表的な軍人である和知鷹二は、ドイツ語にも精通しています。
大隊張時代(少佐・1929年)には、第一次世界大戦における独国の占領地軍政を原著で
ひもとき、日本語に翻訳・研究していました。彼曰く、

「この翻訳は参謀本部に送るつもりだ。日本の将来にきっと役立つぞ」と。

ということは、「支那通」でもある和知は、日独支の3カ国語を理解する
トリリンガルになります。ちなみに自分は英語も全く話せませんw。
348イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/05(水) 00:01:38 ID:VNMqHw4O
自分の語学コンプレックスは「初代スレ」でも披露しましたがw、
こんなことなら第2外国語をスペイン語なんて取らずに、チャイ語に
しておけばよかったと、今さながらに後悔していますw。

しかも、スペイン語は「ドハマリ」科目でしたorz.

それはさて置き、和知は大隊張時代、副官が「懇意の芸者と本気で結婚したい」
と言ってくれば、師団長の許可を取るべく自ら運動もしてくれた「いい男」です。

しかーし! 和知は太平洋戦争が始まると、第14軍の参謀長(少将)としてフィリ
ピン攻略に携わります。そして、そのまま「比島軍政監」を1944年まで兼ねている
のです(当時は、軍参謀長が「軍政監」を兼任していた)。

フィリピンの日本軍の軍政の実態は、また詳しく調べませんと何とも言えませんが、
とりあえず和知自身が手がけた「第一次大戦時のドイツ占領地軍政」の研究成果は
あまり役に立ったとは言えなさそうです。いわんや、日本の将来にはw。
349イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/05(水) 00:15:38 ID:???
しかし、支那の「法幣改革」は全然終わりが見えない…。多分、このスレを
使い潰すぐらいは掛かるでしょうw。

その後は、前述の通り「治安戦」を、あとほんの少しだけ「慰安婦」問題にも
触れたいと思います。
350名無し三等兵:2006/07/05(水) 00:48:54 ID:???
>>348
もしやスペ語の教師はSで始まる苗字でしょうか。
それなら私もスペ語でドハマリを経験しているので同じ教師かもしれません。
351名無し三等兵:2006/07/05(水) 11:12:10 ID:???
宋家の三姉妹って映画に出てくる蒋介石は偉い頑固者として描かれていた
妻になる美齢は、蒋介石を”リンカーン”だと讃えていた
姐は”田舎のナポレオン”だと酷評していたが・・・
共産主義者を殺しまくる蒋介石と、融和を説く姐、
二人の間に次第に埋めがたい溝が広がっていく・・・

西安事件では国民党本部は空爆を決定
空爆で例え蒋介石が死んでも共産党を壊滅させるつもりだった
しかし妻の美齢が直接西安に乗り込み事なきを得る
ここで共産党と蒋介石が死んでいたら・・・

映画の中でちょっとだけ孫文が出てくるけど、前に見た映画孫文の役者と
同じだった
高い理想と厳しい現実、あの役者さんほど似合う人はいないだろう
352俄将軍:2006/07/05(水) 14:19:15 ID:???
>>347
南方占領政策というより、米、小麦などの食料供給に関しては、三井、三菱と
いった日本の商社の中の人が、阿片の取り扱いのように、タイ、ベトナムと
いった米所から、買い付けたり、ということになるのか、などと。

船舶量という問題があったことは、日本本土の食糧不足と、変わらないわけで
すが、それはそれとして。

「支那通」の中の人も、色々、ということになるのか、などと。

>>351
蒋介石の評価も、国民党と軍閥、共産党との関係だけでなく、国民党内部の権
力抗争、で考えてみると、蒋介石による統治形態、という面が、ということ
になるのか、などと。
353イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/06(木) 01:47:54 ID:???
>>360 >>もしやスペ語の教師はSで始まる苗字でしょうか。

いいえ。Mで始まるスペ語の教師ですw。スペイン語は発音がローマ字読みで
楽そうなので取ったのですが、やはり罰が当たったのかも。

スペ語が「ド・ハマリ」なのは、全大学共通なのか……w。
354イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/07(金) 22:38:21 ID:6E1bUpzT
>>351 >>宋家の三姉妹って映画に出てくる蒋介石は偉い頑固者として描かれていた

息子である蒋経国の教育に対しても、その頑固さは「テキメン」に現れています。

蒋介石は10歳の経国に対して『説文解字』を読ませようとして、清の段玉裁が
書いた『説文解字注』(最も優れているとされる)を送っています。ちなみに全
30巻(上下15編)ありまして、漢字を体系的に解説した支那最古の字典です。

日本人に分かり易く言うと、『諸橋大漢和』を10歳の子供に読ませようとする
ようなものですw。

蒋介石は経国に対する手紙の中で、「毎日10字覚えていけば3年で読み終わる。
そしてその恩恵は一生涯尽きることがない」と述べています。さらに「四書の意味を
理解し、『春秋左氏伝』『孟子』『荘氏』『離騒』の精華を熟読すれば、自由自在に
作文ができるだろう」とも綴っています。空恐ろしい教育方針ですw。
355イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/07(金) 23:08:03 ID:6E1bUpzT
>>351 >>妻になる美齢は、蒋介石を”リンカーン”だと讃えていた

宋美齢ですが、意外と唸らされるような名言も多い『女傑』でして、
日本人に例えるならば「北条政子」といった具合でしょうか。

美齢の名言bPは、「彼らは権力の味を知らないのよ」(欧米の記者達が
中国共産党の清廉さを褒めているのを聞いて)ですが、これは裏を返せば
「権力の味を知れば国民党同様に腐敗する」と将来を予言していることに
なります。

そしてスティルウエル(在中米軍司令官)に対して、夫である蒋介石を説得
しようとして失敗した事を指して、「彼を謀殺する以外なら、すべてやったわ!」
と叫んだのも、けだし名言でしょうw。
356イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/07(金) 23:53:56 ID:6E1bUpzT
>>329 >>支那といっても、清朝が崩壊した後、軍閥などが、跋扈していたわけですから、
>>治水に回す資金があれば、軍事費に化けるということになり、

ちなみに1927年〜1937年までの国民政府の公債発行額は26億元ですが、
その使途は以下の通り。

軍事費86%、金融9%、災害救助4%、国内建設1%

しかし「軍閥割拠」時代は、各地で正税の10〜20倍の苛酷な地租を取り立て
さらに10〜15年先の『税金前取り』がザラでしたから、まだ公債発行がまともに
行なえる分だけでも、マシといったところでしょうかw。

また当時は各軍閥が独自に「紙幣」を乱発しており、軍閥の没落によってそれらは
一夜にして無価値になりましたから、通貨に対する不信感は根深いものがあります。
357イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/08(土) 00:13:54 ID:M/hvwXHY
>>356 >>軍事費86%、金融9%、災害救助4%、国内建設1%

災害救助が『国内建設費を上回っている』ところが、何気に興味深いです…w。
やはり治水がまったく不備だったということでしょうか。

また『軍閥=大地主』でもあり、例えば袁世凱(大総統)は、郷里の河南省・
彰徳県の3分の1の土地を独占していました。

他にも湖南省の軍閥・張敬堯は、7千町歩(2100万坪)の農場を保有し、
広東省の軍閥・陳烱明は広大な他人の土地に「将軍府」という標識を勝手に立てて
囲い込みをしていました。え? イギリスの「エンクロージャー」じゃないですよw。

また江西省の軍閥・陳光遠は、江西省歳入の8割を私的に着服していましたから、
軍閥時代というのは「やりたい放題」もいい所です。こういった状態を「群雄割拠」と
呑気なことを言っていられるのは近代までで、1900年代では単なる列強の草刈場です。
358名無し三等兵:2006/07/08(土) 11:41:58 ID:???
こんなことばかりやってたのなら満州にシナ人が大量流入した事も頷けるなあ。
359名無し三等兵:2006/07/08(土) 19:39:49 ID:???
7日付の米紙ワシントン・ポストは、このほど訪米した小泉純一郎首相が、イラクで負傷した兵士
慰問のためワシントンにあるウォールター・リード陸軍病院を訪れたことを紹介した。
6月29日に約45分間病院を訪れた首相は、足を切断するけがをした空挺(くうてい)部隊所属
のマクスウェル・ラムジーさん(36)から「コンニチハ、ハジメマシテ、オゲンキデスカ」と
あいさつを受けた。驚いた首相は「日本語、とても上手だね」と英語で答えたという。
妻が日本生まれというラムジーさんによると、首相はけがの回復具合を尋ねるとともに、「がんばっ
てください」と励ました。ラムジーさんは自衛隊のイラク派遣をたたえるとともに、最後は首相が
大ファンのエルビス・プレスリーの「グローリー、グローリー、ハレルヤ」を一緒に口ずさんだという。
同紙は首相が30日に大統領とともにプレスリー邸のあるテネシー州グレースランドを訪れた際も
大きく取り上げた。
ウォールストリート・ジャーナル紙も22日付社説で、自衛隊をイラクに派遣した首相の
「政治的勇気」を称賛した。

これって張景恵総理が負傷した関東軍将兵を
見舞ったみたいな感じの記事なんかね
360名無し三等兵:2006/07/09(日) 00:04:51 ID:???
俺なら吉本興行慰問団 「わらわし隊」を思い出す
361イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/09(日) 00:42:43 ID:kANp07kl
>>358 >>こんなことばかりやってたのなら満州にシナ人が大量流入した事も頷けるなあ。

1927〜1929年にかけて、中国本土から満州へ渡ってくる支那人は年間100万人
にも達します。この頃がピークであり、ちょうど蒋介石の「北伐」が終わる時期に
重なる訳です。

日露戦争直後、満州にいた支那人は1000万人であり、これが満州事変が起こる
直前の1930年には3倍の3000万人に激増しています。日本人はこの時点で僅か
22万8千人しかいませんでしたw。

後藤新平は日露戦争後に、50万人から100万人の日本人を満州に送ることを
主張していましたが、目標の半分にも達していません。日本人が20万人に増える
のに20年以上かかっているにも関わらず、支那人は年間100万人増えていく――。

人口で支那人に圧倒される危機感も、満州事変が起こる根底の理由にあったでしょう。
362イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/09(日) 00:53:39 ID:???
>>359 >>これって張景恵総理が負傷した関東軍将兵を見舞ったみたいな
>>感じの記事なんかね

上記の喩えだと、「イラクのマリキ首相が負傷した米軍将兵を見舞った」
の方が近いと思われ。

満州国=民主イラク=傀儡政権w
363名無し三等兵:2006/07/09(日) 01:15:24 ID:???
満州国は傀儡とはいえ一応法治国家だから、
シナ軍閥のような無体な税の取立てはなかった……のかな?
364イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/09(日) 01:22:03 ID:kANp07kl
>>357 の補足。>>やはり治水がまったく不備だったということでしょうか。

元来、支那民族は「無政府主義者」に近い連中ですが、その彼らが政府の存続を許し、
苛酷な徴税に甘んじているのは特に『治水』のためです。大規模な土木工事ばかりは、
個人の力ではどうしようもありませんからねw。

例えば「黄河」ですが、洛陽の東から扇状に「黄河デルタ地域」が広がります。もともと
上流から流れてきた豊饒な黄土が堆積して出来た土地であり、水さえあれば肥料が無くても
よく作物が育つ豊かな農業地域でした。しかし、この水こそが最も深刻な問題なのです。

黄河は現代でこそ渇水が問題になっていますが、もともと水量は豊かであり、たびたび
氾濫を繰り返すのが悩みの種でした。しかも歴史上、黄河はデルタ地域でその流れを大きく
変化させ、北は天津・南は南京まで、南北900キロに渡って海への河口を激しく動かして
いるのです。ちょうど「自動車のワイパー」みたいなものでしょうw。
365イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/09(日) 01:47:38 ID:kANp07kl
日本に無理やり例えるなら、利根川の河口が激しく動いているようなものですw。

言うまでも無く利根川は、茨城県と千葉県の県境を流れている川ですが、時として
東京湾・相模湾・駿河湾などに河口が変化していると考えればどうでしょう?w。

激しくのた打ち回る黄河の流れですが、「泰山」(済南のすぐ南)だけは頑として
黄河に屈せず、泰然として昔からの場所に居座っています。支那人から「神山」と
崇められるには理由がある訳です。

さらに華北は乾燥地帯であり、水は黄河だけに集中してしまうことから、大規模な
農業生産には「治水工事」が必要不可欠です。しかも黄河の氾濫を防ぎつつ、各地に
バランスよく適量の水を配分するという、非常に頭の痛くなるような仕事になります。

そして、>>軍事費86%、金融9%、災害救助4%、国内建設1% な訳ですw。
366イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/09(日) 02:20:47 ID:kANp07kl
>>363 >>満州国は傀儡とはいえ一応法治国家だから、
>>シナ軍閥のような無体な税の取立てはなかった……のかな?

差別はあったでしょうが、「無体な税の取立て」は無かったと思います。満州国は
「事変」によって突然生まれたイメージが強いかもしれませんが、日露戦争以来、
日本は関東州や満鉄の経営などで、ある程度の統治経験を積んでいる訳です。

満州国の成立前後で最も差別されたのが、今話題の「チョン」共ですw。当時の
朝鮮総督から、「曲がりなりにも帝国臣民なのだから…」と苦情が出ていますw。

>>さらに10〜15年先の『税金前取り』がザラでしたから、

日本も近い将来、支那軍閥のような政権ができると「国民年金」の10年〜15年先の
『前取り』が強制されるかもしれませんw。NHKが政権を獲得しても、受信料で同じ事を
きっと行なうでしょうw。
367名無し三等兵:2006/07/09(日) 02:41:35 ID:???
>>363
新京の周辺くらいまでな、あとはまあ二重取りや税務滞納で別のところに逃げちゃったりとか。
満州国の国旗や国歌レコードを強制的に買わせる制度があり現金で買えない場合は米や家財を差し押さえたとか。
税金とは違うが手に朱を塗って地図にペタリとついてその土地を接収したりもした。

この辺は割りと「満州の歴史」にも出てくる有名なのだが。
368名無し三等兵:2006/07/09(日) 20:26:38 ID:???
満州国税制についてはこんなのが

満州国について語るスレ 大同二年
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120745389/89-98
369イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/10(月) 23:41:09 ID:3oVz06ce
>>367 >>新京の周辺くらいまでな >>368 >>満州国税制についてはこんなのが

どうもでございます。紹介して頂いたスレがかなり詳細に触れていらっしゃるので
近々よく読んでみたいと思います。満州国関連は、詳しい人はどこまでも詳しいので
なかなか手が出ないのですが、もっと勉強しなくては……。

つーか、「俺は満州育ちでこうだったんだよ!」とか電話で言われると、その時点で
反論不可能となって話が頓挫しますw。

さて自分も読んでいる途中なのですが、割とお勧めなのが以下の2冊です。
●『満州国――「民族協和」の実像』『満州の日本人』(共に塚瀬進著、吉川弘文館)

満州に関する本は、どうしても帝国主義や植民地論、それに対する反動など、思想や
史観にドップリ浸かった本が多いですが、上記の2冊はそれらを極力排除した良著です。
リアリスティックというか、文章的にも大変読みやすいので初心者でもOKです。特に
『満州の日本人』は、満州建国以前の日本人の生活を詳しく分析した珍しい本でございます。
370名無し三等兵:2006/07/10(月) 23:53:48 ID:???
甘粕正彦半生記(サインいり)なら持ってる
371イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/11(火) 00:07:42 ID:???
俄将軍との『禅問答』もひと段落ついたようなので、また満州国あたりに
時間を戻したいと思います。まあ、おかげで随分と話が進みましたので
一応感謝してますよん。虫食い状態ですけどw。

なので、今までの「補足」と並行して行なう予定です。また仕事が忙しくなって
きまして、ペースが落ちる(ついでにパワーもw)と思いますが、奇特な方は
お付き合いくださいませ。
372俄将軍:2006/07/12(水) 02:39:11 ID:???
>>371
幣制改革も、視点を中国情勢だけでなく、国際情勢などから、ということにな
ると、猫の目のように、変わるということになるのか、幣制改革によって、
利益を、ということになるのか、などと。

中国の「税金」というのは、軍閥だけでなく、土匪、馬賊といった匪賊にも、
ということになるのが、根の深いところ、ということになるのか。
373イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/12(水) 23:55:11 ID:3afOdFfH
うー忙しい。という訳で、困った時の「悪質な閑話休題」ですw。つーか、単なる雑談w。

いずれは「具体的な戦闘」にも戻らないといけないのですが、そこで立ち塞がるのが
『地名』という壁です。極端な話、「徐州作戦」の徐州がどの辺りかパッと思い浮かぶ人が
どの程度いるのだろうか……と。言うまでも無く「徐州」が分からなければ、お話にも
ならない訳ですw。ならば「大行山脈」や「秦嶺山脈」ではどうかと…w。

まあ、この問題は「ヨーロッパ戦史」でも全く同じでしょうが、中国の地名を頭に
入れるための上手い方法は無いのだろうか……と。それで思い出したのが『三国志』
です。自分自身は『三国志』について詳しくないのですが、軍板と三国志ファンは
どの程度、重なるものなのでしょうかね?
374イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/13(木) 00:16:22 ID:VNu6Y1DG
繰り返しますが、自分は『三国志』の知識はほとんどなく、『日中戦争』
前後に特化している少数派です。あと日本陸軍とヒデキですねw。

なので『三国志』が好きな人と話をしていると、たまに感じ方の違いに
驚かされることがあります。例えば「大陸打通作戦」について話しますと、

「なに〜!? 日本軍って洛陽まで攻め込んだの?(キチガイだなw)」

という反応をする訳です。自分は「洛陽ごときで何を驚くのか? 世が世なら
重慶や昆明、洛陽のそのまた先の西安や延安でも日本軍は占領しておるわ!」
と思うのですが、その知り合いの「驚き」は新鮮に感じる訳です。

まあ、よくよく考えてみれば「洛陽」は曹操とも縁深いですし、日本軍に
『汚された』という感じがするのでしょうか?w
375イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/13(木) 00:32:06 ID:VNu6Y1DG
要するに「地名」を「地名」だけで覚えようとすると、電話番号を無理やり
暗記するのと同じで困難な訳です。何かイメージで関連して覚えるのがより
ベターなのですが、直接の日中戦争だけでなく、もう1つ全く別の記憶媒体が
欲しい。「相乗効果」が働いて飛躍的に頭に残るようになる。あ、三国志が
あったじゃないか、という事ですw。

まあ、自分は昔『三国志』を面白がるなんて「悪魔に魂を売るようなもの
じゃないか? 魂が腐るぜ」と言って周りから顰蹙を買っていた訳ですがw、
最近は「好き嫌い」抜きで見直しつつあります。

日中戦争に興味があるけど、三国志も別に読んだことがない、という人は
三国志も並行して紐解いてみると、迂遠なような実は近道かもしれません。
376動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2006/07/13(木) 00:50:51 ID:VNu6Y1DG

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   知識にとって、差別と偏見は「敵」なのよね。
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|  でも、単純な好き嫌いこそ、人間を動かす根源的な 
    !γリi.ハiリつ    エネルギーだわ。好きな事なら誰だって夢中になれるでしょう?
    |,( ll」i l i_|」  ちなみに中佐は、岩波新書は棚に近寄るのも嫌っているわ。
    └'i,_ィ_ァ┘      もったいないわねw。あ、もちろん、私のヴワル魔法図書館
              には、「岩波新書も全巻そろっている」わよw。
377黒い鼠 霧雨魔理沙 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/13(木) 00:55:48 ID:???
   ______
  ´>  `ヽ、
 _,.'-=[><]=.,_
 ヽi <レノλノ)レ〉'
  ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ   おっと残念w。岩波新書も、私が何冊か拝借してるぜ。
  `k'_.〉`=' !つ  
   i_ノ'i! ̄i!>、 
   ~'i,ンT,ン"~
378名無し三等兵:2006/07/13(木) 13:22:01 ID:???
             ,,----、,,,,,,,,,、、
  ;'' "''―-、γ   / ,,-‐―、ヽヽヽヽ
  |      ヽυ 〔/     ))))ヾヽヽ
 ヽ    .,,,,、、)  /.,,,,、、 ,ヽξ\Ξ/
 Ν    -== \/ ==/  .,==-   レi! 
 (6ヽ...........''''' ) (´ ),(_,、ノ( "",,ノ:: 6)  
 |::::::::::::::::::::::::::::::::::3ε  ^ン ...::::: |/
/ 〔::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::. .::.. ::...::::::/ λ
    ::::::::::::::::::::::::::)::::::::::::::// . λ
       __ノ  ̄|

イナゾウ中佐 俄将軍の蜜月

   ,.ィ ーrーr 、
  y' "´ ̄`'ヽ
  .ノくノノ人リ))ゝ
  ルi§゚ ヮ゚ノ§       >>378 順路通りに進んで尚且つ力で圧倒する。
   'k'_,i`ム'_i〈つ[|三>  これが文句を言わせないコツですわ。まあ、
   ,し'/_ハ.ゝ、       そんな便所の落書きでは誰も止められない、
   `'ト_ノ'ト,ノ"         何も動かない、時間の無駄、空間のゴミね。
380イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/14(金) 01:37:44 ID:0nwAnjgg
>>363 >>満州国は傀儡とはいえ一応法治国家だから、シナ軍閥のような
>>無体な税の取立てはなかった……のかな?

満州国が税金の対象として、まず飛びついたのが「関税・塩税・アヘン」です。
1938年までは、この3つで歳入全体の50%以上を占めていた事に注意しなければ
なりません。

これは満州事変以前、東北各省は独自の租税体系を持っており、財政的には分離・
独立状態だったためです。そのような混乱した税制を整えて、安定した歳入を
得るには上記3つが手っ取り早かった訳です。

ちなみに関税が30%、塩税が10%、アヘンが10%強といった具合です。

所得税や法人税など、いわゆる内国税の歳入が関税を上回るのは、実に1940年
のことです。要するに、日中戦争が始まって戦時体制が強まるにつれて大規模な
増税が行なわれていった訳ですね。
381イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/14(金) 01:59:03 ID:0nwAnjgg
支那の「関税や塩税」は19世紀後半以来、イギリスを中心とする外国人
税務司によって管理されていた国際機関の業務です。

とくに関税を司る「海関」は、支那に対して列強が引き受けた外債や賠償金の
担保となっていましたから事は重大です。満州国が「海関」を接収して、関税を
財政に組み込もうとするならば国際的な摩擦は避けられません。

しかし日本がいち早く、関税収入の半分近くを占める「大連海関」(税務司を始め
日本人職員が多数務めていた)を手中に収めたこと、また大恐慌の混乱も続いていた
こともあり、イギリスの宥和的な対応を引き出せました。さらにアメリカもこれに
追随したため、特に大きな混乱を招く事なく「海関」の接収に成功したのです。

しかし、そのやり方も強引な手法で、「大連海関」に勤める日本人職員が全員
「自己の判断」で辞表を出し、満州国に寝返るというものでした。明くる日には
満州国「海関職員」として業務を始めた訳ですw。
382ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:17:47 ID:???
アジア・太平洋戦争が侵略戦争じゃなかったって?www
笑わせるな。歴史もちゃんと勉強してないくせに戦前の日本擁護しすぎ
お前らみたいなアホが最近増えてきたせいで自民党も調子乗って愛国心教育とかぬかす
やってることはお前らの大嫌いな中共と変わりませんよww
383ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:19:43 ID:???
ネット右翼は社会的に弱者のはずなのに粋がって権力寄りの自民党を支持する。
なんでだろう?それは平和的な左翼なんかより強圧的な右翼が格好いいと思ってるからだ。

ま さ に 厨 二 病
384ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:20:24 ID:???
日本は大本営連絡会議でも最後まで本気で本土決戦、一億総玉砕を議論していた。
原爆投下、ソ連参戦が木戸幸一内相をして昭和天皇に戦争続行を諦めさせたんだよ
385ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:22:48 ID:???
原爆がなければ
日本は降伏するつもりはありませんでした。
ポツダム宣言に対しての鈴木首相の有名な記者会見とか知ってる?
386ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:23:34 ID:???
まったく…
387ポル ◆UKHp94hcQk :2006/07/14(金) 03:37:25 ID:???
世界でパリ不戦条約以降も帝国主義を続けたのは日本だけ!

日本は悪い国!
388名無し三等兵:2006/07/14(金) 04:18:31 ID:???
>>387
これは新しいアホ共通コテ?
389名無し三等兵:2006/07/14(金) 21:53:30 ID:???
どうやらテポドン関連で流れてきたみたいだね
390名無し三等兵:2006/07/14(金) 22:00:28 ID:???
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
391イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 21:10:26 ID:9hcpsN+8
あまりに暑いので、冷房を16℃でガンガンかけていたら風邪引きました……。
ゴホゴホ言って3連休が終わったよ……orz. それはさて置き「幣制改革」も
いい加減に終わらないと『スレが駄目になる』と感じつつ(もうなっている泣)、
全然終わりませんw。

やはり自分のレベルでは、まとめるのは無理だったわー、と先にギブアップして
おきますw。後は、補足等でお茶を濁させてくださいw。

さて、「満州国」以前にもう一度話を戻します。これは支那の幣制を語る上で、
日本人にまだ身近な話に感じられると思うからです。最低限の復習としまして、
支那は『銀建て経済』、日本は『金建て経済』と覚えておいてください。

日本も「日露戦争の軍票回収」に伴い、横浜正金銀行から『鈔票』(しょうひょう)
と呼ばれる「銀建て通貨」を満州で発行してはいますが、1907年に関東都督府と満鉄が
「金勘定」に改めたことから、日本人の間でもあまり使用されませんでした(在満日本人は
金建ての日銀券を多用)。
392イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 21:36:38 ID:9hcpsN+8
1916年10月に『鮮満一体化』を掲げる寺内正毅内閣が成立すると、朝鮮銀行が
発行する「金券(金票)」による幣制統一が推進されました。

寺内内閣は、満州で銀建て通貨の『鈔票』を発行していた横浜正金銀行を本来の
業務である「為替・貿易金融」に特化させようとし、代わりに『朝鮮銀行』を
満州の「中央銀行」に転換させようとする構想をブチ上げた訳です。

ここまでが既述の復習になりますw。

さて「満州事変」以前、すなわち1910年〜1920年代の満州には、各省ごとに
金融機関から発行される紙幣が異なりました。例えば、奉天省では「奉天票」、
吉林省では「吉林官帖」、黒龍江省では「黒龍江官帖」、あるいは「哈爾浜
大洋票」など、実に20種類以上です。

これらは言うまでも無く、何の裏付けのない「不換紙幣」であり、発券銀行は
軍閥の私有物でした。当然、それら軍閥の消長により価値は紙クズになりますw。
393イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 22:12:23 ID:9hcpsN+8
とくに国民党による「北伐」が行なわれた1920年代は価値下落が激しく、例えば
1917年を基準とすると、奉天票は100分の1、吉林官帖も100分の1、そして
黒龍江官帖はざっと「300分の1」ですw。

あなたの持っている1万円が30円余りになると考えれば手っ取り早いでしょうw。
支那土人は、軍閥からの強制によって、上記のような紙幣を掴まされいた訳ですから
『通貨不信』になるのは止むを得ないところですw。当然、「貯蓄手段」としては
用をなさず、資本の蓄積も困難になります。

最も分かりやすい例として、張作霖の「奉天政権」を挙げてみたいと思います。
張作霖もまた、北京・中央政界への進出という野望を持ち続け、多額の軍事費を
捻出するために「奉天票」を乱発しています。

張作霖は、もちろん『馬賊の出自』ですが、張作霖(政権)が一代で急成長を
遂げた背景には、満州の豊富な農産物を利用して「財」に代えた点があります。
394イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 22:45:22 ID:9hcpsN+8
張作霖が目をつけたのは、ズバリ満州の『大豆』です。

そして、張作霖が『官銀号』と呼ばれる「(発券)銀行」を経営していた
ことにも合わせて触れなければなりません。

要するに張作霖は、『官銀号』から不換紙幣である「奉天票」を発行し、
軍事力をバックに「強制通用」させることで財を成していた訳です。
これに『大豆』がどう関わってくるのか、具体的には以下の通り。

張作霖は「官銀号」と同時に、その下部団体として『糧桟(りゃんざん)』と
呼ばれる「大豆の買い付け」組織を手中に収めていました。

この「糧桟」が農民から、不換紙幣である「奉天票」を使って『強制的』に
大豆を大量に買い集めるのです。そして、これらを日本人商人や海外に売り
渡して、例えば『鈔票(横浜正金銀行:銀建て)』や『金票(朝鮮銀行:金建て)』
を受け取り、自らが発行した不換紙幣を、兌換券である外貨とすり替えた訳です。
395イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 23:11:58 ID:9hcpsN+8
カンタンに整理すると、

奉天票(不換紙幣:紙クズ)→大豆強制買付け→金票などの外貨(兌換紙幣)

とする事で、印刷代しか掛からない「紙クズ紙幣」を手品のごとく、実体化
させた訳です。また、張作霖政権が『外貨』を得ることで、軍事力の他にも
奉天票が流通する上での「裏付け」を成していたことも見逃せません。

非常に良くできた「マジック」ですが、所詮は軍閥の紙幣です。張作霖政権の
消長によって価値は大幅に下落し、1920年代後半は乱発によりヒドイ事になります。

イナゾウ銀行が発行する『ニトベ券』が暴力を背景に、周辺の農家から強制的に
米を買い集めて外貨と交換する、と言えば、どのくらい無茶苦茶かよく分かる
でしょうw。
396イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/17(月) 23:47:36 ID:9hcpsN+8
>>395 >>イナゾウ銀行が発行する『ニトベ券』が暴力を背景に、周辺の農家から
>>強制的に米を買い集めて外貨と交換する

ここを読んで「違和感」を感じた人は、勘が鋭い人です。特に「外貨と交換する」
の箇所ですね。もちろん日本国内では事実上不可能です。張作霖が同様のことを
大豆で行なえたのは、満州の特殊事情に拠ります。簡潔にまとめると、以下の通り。

●何より大豆の生産量が多かったこと     ●大豆の「海外市場」が存在したこと
●鉄道・港湾による輸送手段が整備されたこと ●外貨が大量に流通していたこと

後の蒋介石による北伐、張作霖の爆殺といった混乱により、奉天票は大暴落する訳ですが、
これは一例に過ぎません。こうした満州の雑多な「貨幣制度」が整理されるには、満州国
成立以後の『満州中央銀行』による「幣制統一」を待たなければなりません。
397イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/18(火) 00:11:58 ID:???
>>382-387
独り言は癖になりますから、程ほどにしておいた方がいいですよ。
398普通の魔法使い 霧雨魔理沙 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/18(火) 00:31:10 ID:ZA4FSWSp
>>389 >>どうやらテポドン関連で流れてきたみたいだね
   ______
  ´>  `ヽ、
 _,.'-=[><]=.,_
 ヽi <レノλノ)レ〉'
  ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ    私の新スペル、「アトミック・マスタースパーク」で
  `k'_.〉`=' !つ    チョンは半島ごと地図から消してやるぜ。
   i_ノ'i! ̄i!>、 
   ~'i,ンT,ン"~
399名無し三等兵:2006/07/18(火) 00:34:12 ID:???
中華料理の一種で、下記のようにレストランで楽しく食べています。
ttp://www.geocities.jp/tyuugokujinno2/tyugokujin.htm

子供の誘拐にはくれぐれもご注意ください。特に中国に行く方は。
400名無し三等兵:2006/07/18(火) 17:21:10 ID:x4cK6PIc
支那戦線で居留民が作った自警団
その名も「自衛隊」 嗚呼
401イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 00:47:06 ID:9p28Xpqt
>>393 の補足。>>張作霖は、もちろん『馬賊の出自』ですが、

張作霖のみならず、満州と言えば『馬賊』ですが、その実態は一体どのような
ものだったのでしょうか? 『外務省警察史』という資料に、日本人でありながら
「馬賊」に加わった根本市郎という珍しい人物の供述書が残されていますので、
紹介しておきましょう。

ちなみに根本の簡単な略歴は、以下の通り。1897年福島県生まれ。1917年に鉄道
守備隊員として渡満。除隊後の1920年、現地で質屋を営みつつ裏でモルヒネ売買に
手を出す。1923年に馬賊と知り合い、これに合流。

根本が加わった馬賊は「仁義軍」という名前ですが、総員1200人、日本の三八式
小銃300挺、支那式小銃300挺、モーゼル拳銃200挺、小型拳銃150挺、
機関銃2挺を備え、弾薬も多いときには1人当たり200発を携行していたと言います
から、たかが「馬賊」と「馬鹿」にできない装備量です。
402イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 01:06:03 ID:9p28Xpqt
根城となる山は人里離れた奥地にあり、1年間ぐらいの食料が蓄えられていた
と言います。馬賊は『人さらい』と同義でして、連れ去られた人質はアジトに
監禁されています。常時120名前後の人質が居たとされますから、本当なら
エライことですw。

また倉庫には人質と一緒に、身代金で得た軍資金80万ドルが収められており、
金が支払われれば人質はすぐに釈放されましたが、そうでない場合は耳や指を
チョン切って家族に送り付けましたw。

この「仁義軍」という馬賊の場合、根本の他に5人の日本人がおり、うち1人は
機関銃が扱えたために重宝されたと言います。

上記のように、馬賊というと近隣の村々を略奪するイメージが強いかもしれませんが、
これは反撃を受ける危険性も高く、あまり割に合わなかったようです。という訳で、
馬賊のメインビジネスは『営利誘拐』でした。まあ、最近はあまり聞きませんが、
少し前まで、日本人ビジネスマンが海外でよく誘拐されてニュースになっていましたねw。
403靖国神社参拝:2006/07/19(水) 01:16:40 ID:mFRW2tX0
ここで日本人として最高の礼を尽したかったからです

台湾出身真の方で先の大戦で亡くなられた志願兵、28,000余柱も靖国神社に祀られています。この方達は日本の守り神となったと日本では信じられているからです。
そんなわけで、凶惨恐怖支那政権や、シナ人の馬英九、そしてシナ系の台湾のマスコミが言っていることは根拠の無い言い掛かりです。 
これに対して、靖国神社は一切の反論をしません。
反撃するのは日本人で靖国神社ではありません。神道とは人と争わない宗教です。神社はひたすら祀るだけです。
他の神社にも行かれることを薦めます。清浄感と静寂さ、そして森と水を大切にする日本人の心を感じ取る事が出来ると思います。
多分、大東亜戦争末期に龍潭から多くの若者が、沖縄の空を目指して特攻に飛び立って往かれたことをご存知の方であったと想像しています。
龍潭は近くの、八塊、観音両基地と共に沖縄に向けての前進基地として、1945年四月から六月まで陸軍特攻隊が連日のように出撃しておりました。
 龍潭は一式戦闘機“隼”を使う飛行二十戦隊の出撃基地であったと記憶しております。八塊、龍潭から飛び立った台湾の若者達、そして彼等が出撃までの数日をすごした、大渓と言う町の佇まいは六十余年を経た今でも忘れることが出来ません。
404イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 01:38:04 ID:9p28Xpqt
>>394 の補足。>>張作霖は「官銀号」と同時に、その下部団体として『糧桟(りゃんざん)』
>>と呼ばれる「大豆の買い付け」組織を手中に収めていました。

別に『糧桟』は張作霖だけが保有していた訳では無論なく、「糧桟」とは本来、満州の
「穀物問屋」の総称です。糧桟は農民から農作物を仕入れるのみならず、日用品などの
消費財を農民に販売していました。まあ、入口と出口を両方とも押さえていたのです。

という訳で、糧桟の多くは「地主や金融業」も兼ねており、満州の流通機構にひときわ
強固な地盤を築いていました。

官銀号(各省に置かれた金融機関)の下に置かれた糧桟を特に「官商筋糧桟」と呼び、
張作霖の支配した糧桟はこれに該当します。満州建国後の1933年には、農産物の適正な
流通(糧桟では農民に対する買い叩きなど、不当な価格がまかり通っていたとされる)
を阻害するとして、官商筋系は廃止させられました。
405イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 02:12:56 ID:9p28Xpqt
さて、ここから『満州国の幣制統一』へ一気に話が飛びます。

この『満州国の幣制統一』は実際に驚異的な成功を収め、満州国を賛美する史観では
「偉大な功績」として必ず取り上げられますし、満州国を単なる傀儡とする史観でさえも
否定できない事実とされます(但し、満州の幣制は自然に統一へと向かっていたはずであり、
満州国はそれを継承しただけで改革した訳ではない、と文句はブツブツ言われるw)。

それまで各省にある「官銀号」(事実上の中央銀行)が独自に通貨を発行し、紙幣だけでも
「幣種15、券種136」とも呼ばれた複雑怪奇な満州の幣制が、3年間で統一された訳
ですから、お世辞抜きで特筆に価します。

満州の幣制統一の成功について、もう少し補足した後、ではなぜ日本は支那事変で逆に
「法幣」の駆逐に失敗したのか?、「法幣」と「満州の雑多な紙幣」は何が違ったのか?
などに触れてみたいと思います。比較対照することで、理解が容易になることでしょう。
406名無し三等兵:2006/07/19(水) 08:21:45 ID:???
      _
   ,;´,    ヽ
    iミj !ノ! i!ノ)
   ヾリ ゚ ヮ゚ノ
    ⊂) 丱iつ      なんだかよくわからないけど、
      ぐ介〉       サラたん貼っときますね。
     し'ノ
407イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 23:22:14 ID:eJb4bvSe
満州国成立後の1932年6月、「満州中央銀行」が設立されます。ここから3年間に
わたって満州での幣制統一事業が行なわれる訳ですが、1935年6月の終了時点で、
旧紙幣の回収率は『97%(!)』に達しました。

日系通貨である『金券』(朝鮮中央銀行券)を除いた数字ですが、ここに満州中央
銀行券(法幣に対して「国幣」と呼ばれる)による幣制統一が成功したのです。

『満州中央銀行十年史』の中でも「世界貨幣史上、未だかつて見ざる好成績」と
自画絶賛されていますが、この大成功にも幾つかの要因が挙げられます。

まず、各省の金融機関(中央銀行)である『官銀号』の現銀をいち早く差し押さえた
ことです。関東軍は満州事変以前より、現地支配のための運営資金として目を付けて
おり、火蓋が切られると同時に真っ先に現銀を奪取したのでした。もちろん、ほぼ
手つかずのまま状態でです。
408イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/19(水) 23:55:28 ID:eJb4bvSe
関東軍が手に入れた『現銀』は朝鮮銀行を経由し、これに三井・三菱の資金が
加えられて、満州中央銀行が「それなりの金融基盤」を確保した事が成功の
第一の理由です。また相手となった銀行が、奉天軍閥の「弱小資本」だった事も
見逃せない要因です。

しかし支那事変の勃発後、日本は華北で満州国と同様に「中央銀行」の設立を
目指しますが失敗しました。これは前者と全く逆のパターンに陥ってしまった
ためであり、簡潔にまとめると以下の通り。

●華北の銀行が保有していた『現銀押収』に失敗

日本が設立を計画していた「華北連合銀行」の資本金は8千万円を予定して
いましたが、華北の銀行が保有する現銀を相当程度あてにしていました。しかし、
支那事変がすでに勃発しており、蒋介石の国民政府も満州での二の舞を演じる
ことはありませんでした。結局、日本軍は『現銀』の押収に失敗します。
409イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 00:17:27 ID:waKlskln
>>1937年12月23日、北京に「中国・交通・金城・塩業・大陸・中南・河北省・冀東」
>>計8銀行の代表者を招いて、連合準備銀行への参加を呼びかけ、出資の割当案を
>>提示したのです。

>>195 で少し既述ですが、華北の主要銀行も「連銀への出資」の呼びかけを拒否
したため、日本の華北経済支配の青写真は大きく狂います。結局、日本からの融資分
現銀350万円を加えた『合計1070万円』の資本金をもって、新銀行設立に踏み
切らざるを得なくなり、1938年3月に「中国連合準備銀行」(連銀)がスタートした訳です。

●『法幣』のバックには浙江財閥が。浙江財閥のバックには英米資本が。

要するに、国民政府のバックには浙江財閥があり、同時に英米の資本が付いて
いた訳です。軍閥の弱小資本とは訳が違いますw。この点、日本も金融力には
大きな不安を抱えており、それゆれ「現銀押収」は新銀行のファンドとする上で
非常に重要だったのです。当初予定の8分の1の資本では、『連銀券』の力は
著しく弱いものとなってしまいました。
410( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 00:23:01 ID:???
乙であります。
土人兵とは最高の造語ですな。
411イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 00:40:29 ID:waKlskln
もちろん『連銀券』設立と同時に、法幣の回収ならびに華北の幣制統一が
目指されますが、前述の通り失敗に終わります。

まあ後で補足しますが、支那事変勃発以前から、華北は「分治工作」そして
「日本の恒久的資源供給地域」「第二満州国」と位置づけられ、事前の綿密な調査
準備が進められていた訳です。また、戦争開始後も軍事力の点では圧倒的な力を
誇っていました(中支と比較して)。

にも関わらず、1939年3月の幣制統一事業の終了時点で法幣の回収率は、僅か
『6%』に過ぎません。しかも共産軍が発行する「辺区券」にも苦しめられる
始末ですw。

個人的な感想を述べますと、北支は「中支」と比べれば、事前の準備期間にしても
モロモロの条件にしても、よほど恵まれていた訳です。中支は浙江財閥の本拠地である
上海がありましたし(当然、法幣の大元)、重慶の正面として国府軍とも真っ向から
向かい合っていました。
412( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 00:51:25 ID:???
このスレッドはとても良いですね。
アホの妨害など何処吹く風なところがグッドです。
413イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 00:52:39 ID:waKlskln
中支では『法幣の回収、幣制統一』など夢物語であり、劣勢な状況のなか
いかに「モノの買える通貨」を維持するかに主眼が置かれました。事実、
『軍票』はそれなりの働きをしていた訳であり、善戦と言ってよいでしょう。

これに比べると、北支の『連銀券』は事前の優位があったにも関わらず、
「ふがいない」の一言に尽きると思いますw。戦前の貯金(準備)を
いつの間にか、喰い潰していた訳です。
414蓬莱の人の形 藤原妹紅 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 00:56:55 ID:???
>>406 >>なんだかよくわからないけど、サラたん貼っときますね。

    ,-へ,  , ヘ
    ,ヽ_,_i=/__,」
   ,'   `ー' ヽ
   i <〈」iノハル.!〉
   i L>゚ ー ゚ノiゝ    なんだかよくわからないけど、モコたん
  i>i ir^i `T´i'i |     貼っときますねw。
  .i>i !>^ `''´'iイ|
   i.ル'ヽr_rr_r'レ'
415イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 01:01:20 ID:???
>>410 >>乙であります。土人兵とは最高の造語ですな。

どうもでございます。
もちろん、ナウシカの「巨人兵」のパクリでございます。

ついでに「土人軍」はいかがでしょうかw。
416( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 01:42:04 ID:???
http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/spy_boshi_1.html

ここに中国共産党の手口についてすべて記されています。
参考にしてください。
417( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 01:55:09 ID:???
参考までに一例を挙げると


> 2.テレビとラジオ
 A これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意思伝達の媒介体ではない。
この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
具体的な方法を示せば「性の解放」を高らかに謳いあげる劇又は映画、本能を刺激する音楽、歌謡等は望ましい反面、
スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、歌謡ならびに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、
民族一体感を呼び覚ますものは好ましくない。前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。

> C 委員会解説。「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、
我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。なお、本校のすべての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、
いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。



1972年以降、初期は無害を装って油断させる準備期間、これが10年。その後に活動を開始する初動に10年、
それが実を結ぶのが20年後の92年あたりです。この頃から男女の恋愛だの、愛は世界を救うだの、世界の中心で愛を叫ぶだの、
妙に恩着せがましいテレビ番組やドラマや音楽が増え始めます。
また、性の解放、つまりは下半身ネタが増えます。
418( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 02:02:07 ID:???
>《「くの一」の術に引っかかる不覚不明》
 ・中国の場合、そのカモは日本の政治家にとどまらず、ビジネスマンもターゲットだ。
自称「妻」がカモを探し、自称「夫」が現場に踏み込んで「妻を寝取った」と脅迫するという「仙人跳」というものも横行している。
そうやって掠め取られた金額は、農民の年収の一万倍に達する一千万人民元を超えることもよくある。


仙人跳ならぬ銭人跳ですね。


>《世界に跋扈する産業スパイ》
 ・世界の大技術は太古の時代に中国人が発明したものだから、逆にアメリカなどに対して、パテント代を要求していいなどと、
泥棒が被害者を泥棒呼ばわりするような荒唐無稽な言説がこの国にはあるのだ。


泥棒が警察にごねるようなやり方は、通用しません。治安が良くなければ経済は成立しないのです。


> ・「相手の嫌がることをわざわざするのが悪い」「相手あっての外交だ」などと、中国よりも日本の政府をなじる政治家や学者がいる。
このような中国に対する露骨な迎合、従属姿勢を取る売国の言論のうしろには、中国が糸を引いているという場合が実に多い。


はて、何処の政党でしょうか、見当がつきませんが(w
419( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/20(木) 02:10:36 ID:???
>《人間の精神まで支配する「秘密防諜」)
 ・全国民の総スパイ化を目指す中国だが、中国人というものは現実社会だけでなく、精神的世界においてでも、スパイによってがんじがらめにされている。

 ここでいうスパイとは、道教におけるカマドの神である。これは一年中、一家の生活を監視し、年末になると昇天して、天帝にその報告をするものと信じられている。
そして悪いことを報告されると、その一家は翌年不幸な目にあうので、除夜に供物という「賄賂」を贈り、カマドの神の歓心を買うのである。
 このほか日常生活を監視する神としては、門の神、厠の神、土地の神もいる。三尸(さんし)の神のように人間の体内に入り、人間が熟睡中に抜け出して天帝に注進するものもある。
人と共に働き、恵みを与える日本の神々とは全く異なる神々たちだ。このため中国の民衆は神々に対し、ひと時も祀りと供物を捧げることを忘れないのである。



「心せよ 神を装いて戯れば 汝神に祟られるべし」
いつまでもふざけた事やってるとぶち殺すぞと言う台詞ですね。
420名無し三等兵:2006/07/20(木) 13:06:53 ID:???
>>415
「エチオピア土人軍」を思い出した
421イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 22:19:30 ID:???
>>416-419
おお、何かすごいサイトですね。今度、ひまを見つけて読んでみます。サンクス。
422イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 22:43:03 ID:biejo8lu
>>418 >>泥棒が警察にごねるようなやり方は、通用しません。治安が良くなければ
>>経済は成立しないのです。

「制裁と報復」の徹底こそ、平和への第1歩です。

>>419 >>ここでいうスパイとは、道教におけるカマドの神である。これは一年中、
>>一家の生活を監視し、年末になると昇天して、天帝にその報告をするものと
>>信じられている。そして悪いことを報告されると、その一家は翌年不幸な目に
>>あうので、除夜に供物という「賄賂」を贈り、カマドの神の歓心を買うのである。

そういえば昔、「カマドの神様」は聞いた事があるような記憶があります。しかし支那人は
一年中、監視されているという『深層心理』が残っているのですね。非常に興味深いことです。

「おてんとさまが見ているよ」=「お天道さまが見ているよ」

も道教に関係があるのでしょうか。日本の除夜は108回、鐘を鳴らしますねw。
423イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 22:59:22 ID:biejo8lu
>>420 >>「エチオピア土人軍」を思い出した

同人誌に伝説的な名著、『エチオピア土人軍』があるそうです。
自分も昔、冗談で「土人系」の戦闘解説本は買ったことがありますが、
あまり興味が持てませんでしたw。

「ズールー族の戦術革命」(包囲殲滅戦術)とか、「神速の機動力を
旨としたズールー族戦士団と古代ローマ軍団の関連性」など、逆に
イタリア軍のヘタレ振りが目立つばかりです。つーか、ヘタリア軍w。

自分が興味を抱くのは、「支那土人軍」と「エチオピア土人軍」のどちらを
相手にした方が手強いかどうか?です。おそらくは後者でしょう。少なくとも
ガッツはありそうですw。しかし、どちらにせよ「捕虜にはならない方がいい」
と『戦陣訓』を出す羽目になりそうですw。
424イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 23:01:16 ID:???
何にせよ、男は黙って「機銃掃射」です。
425俄将軍:2006/07/20(木) 23:43:38 ID:???
>>404-405
満州国の幣制統一と、大豆などの農作物を関連させた話でありますが、治安戦
との絡みで考えてみると、ということになるのか。

中国の地方を抑えるというのは、阿片、銀行を抑えるということにも繋がるの
か、熱河作戦の場合、阿片が先に来るのか、ということになると、日本陸軍
の中の話も、興味深いということになるのか、などと。

>>409
以前に書き込んだ気もしますが、英国を相手にした租界問題、ということに。

>>424
安易な、「機銃掃射」によって、悪名ということになると、百年どころか、千
年の禍根、ということになるのが、本邦が日中戦争の教訓、ということにな
るのか、などと。
426イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/20(木) 23:54:41 ID:biejo8lu
>>411 の補足。>>まあ後で補足しますが、支那事変勃発以前から、華北は「分治工作」
>>「第二満州国」の対象とされ、事前の綿密な調査準備が進められていた訳です。

「冀東防共自治政府」が作られるなど、1935年から華北に『親日政権』を樹立すべく、
「支那駐屯軍」が大規模な経済調査に乗り出しています。いわば下準備ですね。

例えば『乙嘱託班』と呼ばれた調査グループは、総勢150人余りで6班に分かれ、

●工業班=工業立地条件と投資条件  ●経済班=金融・関税・貿易・産業・合作社
●鉱山班=鉱山の位置・地質・品質・埋蔵量 
●港湾班=港湾・内陸河川・水力発電の候補地
●鉄道班=華北の鉄道現況と新線状況・自動車道路・水路状況
●自動車・交通道路班=道路全般と給水状況

の調査を行なっています。ちょうど支那の「幣制改革」は全く同時期に
ぶつかっています。
427イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/21(金) 00:19:10 ID:bI+YYkAx
「原文」を単に紹介するのは芸が無いので、あまり好きではないのですが、
こういう資料もあります。『支那駐屯軍司令部 乙嘱託班調査概要』より
(多少、現代語に意訳)。

昭和10年(1935)11月3日、国民政府は幣制改革を断行し、この実施を
全国各地に通告し、北支の支那当局もまた遵守実行に着手した。この幣制改革の
通告は、あたかも「乙嘱託班」の設置直後に発表され、このため日本側の自主的
ないし指導的立場からみる『北支の通貨政策』は、まったく封じられた形となった。

したがって経済班においても、北支の通貨工作に関しては立案を中止し、しばらく
国民政府の幣制改革の推移を注視し、その成績を調査することとする――。

当たり前のようですが、自分が割と驚くのは、北支においても国民党(蒋介石)中央
の威令がちゃんと行き届いていることです。問題がモロに金銭なだけに、もっと
足並みが崩れてもおかしくはないのですがw。当時では、現代の自分たちが感じる
以上に、それは意外だった事でしょう。
428イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/21(金) 00:41:01 ID:bI+YYkAx
>>425 >>中国の地方を抑えるというのは、阿片、銀行を抑えるということにも
>>繋がるのか、

昔は、日本軍が「阿片」と関わっていたと聞くと、少なからず罪悪感を覚えた
ものですが、支那の経済関係を調べていると、最近は全然感じなくなりました。

だって「通貨そのもの」なんだもん!w(チト言い過ぎ)。

貨幣(紙幣)が未発達、そして日本軍の『法幣不足』もあったでしょうが、奥地では
宣撫工作(物資収拾)の一環として「阿片」がよく使用されました。ここで注目したい
のが、同様の目的で「薬」を配る事でも大きな効果を発揮したことです。

ゆえに宣撫工作員として「富山の薬売り」経験者が、対象となる屯(村)を
定期的に巡回するなどというケースもありました。

文字通り『毒も薬も同じ』な訳です。
429イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/21(金) 00:57:30 ID:bI+YYkAx
>>425 >>安易な、「機銃掃射」によって、悪名ということになると、
>>百年どころか、千年の禍根、

何時でも『根絶やし』にする覚悟(と準備)を持つことで、土人への
対応にも余裕が出てくるというものです。

現代の日本人がいちいち、チョンや土人の挑発に対して冷静さを保てないのは
その気概が足りないからです。
430イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/22(土) 01:28:32 ID:???
>>429 の補足。>>何時でも『根絶やし』にする覚悟(と準備)を持つことで、土人への
>>対応にも余裕が出てくるというものです。

要するに「核戦力の整備」という事になりますw。
431俄将軍:2006/07/22(土) 02:07:49 ID:???
>>430
「俄将軍」の中の人は、傷ついたレコードのように、相互確証破壊な戦略核体
系を構築など、繰り返し、書き込んだりしてきたわけですが、中国の核恫喝、
核攻撃を抑止ではなく、日本から中国へ、大規模な先制核攻撃、というこ
とになるのか、などと。

米国が、日本に、核の傘を提供するのではなく、日本が、米国の核の矛になる
ようでは、ということになるのか、反日を国是としてきた中国共産党、漢民
族への反日教育などに対して、大規模な先制核攻撃は必須ということにな
るのか。
432イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/22(土) 02:09:50 ID:HPrAEZCT
さて、いよいよ核心部分の『幣制改革』に突入します。その前に支那の幣制を
一度おさらいしておきましょう。

軍閥が割拠していた1920年代、支那の沿岸交易地域では「メキシコドル」「香港ドル」
「円銀」などが流通していました。これに支那で鋳造されていた「袁世凱銀貨」や
雑多な銅貨、また既述の「各軍閥が発行する紙幣」、中小銀行である銭荘(せんそう)が
出していた「銭票」が加わり、通貨制度はまさに『複雑怪奇』を為していましたw。

1929年の大恐慌以降、先進各国が「金本位制」を放棄して『管理通貨制度』に移行
したにも関わらず、支那が旧態依然として『銀系通貨』の流通をとどめていた
究極の理由は、支那が「半植民地」だったという事に尽きます。

英仏米日独など列強各国は軍閥を使って支那を「分割統治」し、また各国が沿岸都市の
租界を中心に貿易・金融・商業を支配した結果、支那に統一された通貨圏が誕生することは
なかったのです。要するに、一国の列強が「支那市場を独占する」ことはタブー(不可能)
だったのと同意義ですね。つーか、「九ヶ国条約」に違反しますw。
433俄将軍:2006/07/22(土) 02:14:20 ID:???
>>427
>当たり前のようですが、自分が割と驚くのは、北支においても国民党(蒋介石)中央
>の威令がちゃんと行き届いていることです。

威令が行き届くように、地方を、蒋介石に、直轄する仕組みを構築した、とい
うことになるのか、などと。

>>428
貨幣価値の下落、阿片の蔓延からすれば、阿片は、タバコのような、物々交換
が便利な嗜好品ということになるのか、金、銀、銅といった一種の本位制に
近い、ということになるのか、物々交換でも、タバコ、銅より、持ち運び
に便利、ということになるのか、などと、適当な思いつきなど書き込ん
でみたり。
434イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/22(土) 02:43:12 ID:HPrAEZCT
しかし1920年代後半、大きな変化が生じます。言うまでも無く、蒋介石が率いる
国府軍の『北伐』成功です。1928年6月に北京への入城を果たしたことで、支那に
おける軍閥割拠の時代は基本的に終わります。

国民政府による『支那統一』の見通しが立ったことで、全国経済会議が1928年6月に、
全国財政会議が1928年7月に開かれ、「幣制改革」への糸口が用意された訳です。

そこに、国民政府による中国統一が不可避だと判断した欧米各国は急速に支援の方向を
明らかにしました。要するに土人に『媚を売り始めた』訳です。もちろん、北清事変
(1900年)以来、大規模な支那への出兵は(日本以外)不可能との判断も働いています。

ここで問題なのは、自国だけが「国民政府に取り入って甘い汁(市場)を吸えれば良い」
と考えたことで、他国はむしろ支那の『排外運動の標的』となるよう誘導した点です。
もちろん日本は格好の標的ですw。列強の足並みが揃わなかったのは、最終的に支那事変、
日中戦争といった事態を招き、結局、支那市場の完全喪失という大きなしっぺ返しを喰う
結果となるのです。まあ日本が悪いと言っちゃー、それまでですけどw。
435イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/22(土) 03:13:06 ID:HPrAEZCT
ちなみに米国が支那の関税自主権を認めたのが1928年7月、国民政府を承認したのが
11月です。英国は12月に関税自主権を認めると同時に、国民政府を承認しています。

このとき日本はというと、1928年6月に張作霖が爆殺され、息子の張学良が12月29日
「晴天白日旗」を掲げて国民政府に合流されてしまいますw。結局、日本の国民政府
承認は、1929年6月まで大幅にずれ込むのでした。

まあ、日本は地理的に有利(近い)がために、支那の「英米接近」が許せなかったの
でしょうねw。それは後のリース・ロスの幣制改革への対応でも如実に表れます。

張作霖爆殺は田中義一内閣の意図したところでは全然ありませんでしたが、日本だけ
軍事力の行使が容易な分、独自路線を歩むこととなり、方向転換もかえって出来なく
なりました。

しかし何事も順風満帆とは行きません。1929年がやって来ます。世界大恐慌です。
436イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/22(土) 23:37:27 ID:g/9GOdS+
>>431 >>日本から中国へ、大規模な先制核攻撃、ということになるのか、などと。

日本からの支那への『先制核攻撃』というとギョッとする人がいるかもしれませんが、
現実の支那は日本への核オプションを持っている訳です。

今年の3月刊に新書で『中国、核ミサイルの標的』(平松茂雄著、角川書店)が
ありますが、そこでは支那の「核標的」はあくまでアメリカであり、その目的は
台湾侵攻の際に米軍の動きを封じることが至上命題とあります。

ただし、そのオプションとして「東京や沖縄」への核攻撃もあり得るとして、
これまた米軍の牽制目的だそうです。日本は「刺身のツマ」ですか?w

それはさて置き、日本も支那に核を落とすとしたら、優先順位をどこにするか、
そのような思考訓練も必要ではないでしょうかw。北朝鮮への『先制攻撃論』程度で
政治問題化するようでは情け無い限りです。みみっちいこと、この上ありませんw。
437イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 00:02:24 ID:Ezvnbyn+
近い将来、日本が考えることが出来るのは「トマホークをどこに落とすか?」
程度ですか。フウ…。まあ、9月には安倍総理が誕生するのが確定ですかね。

誰かのケツの穴を皺まで奇麗に舐め取る『日経新聞』の嫌がらせに負けないよう
頑張ってもらいたいものです。今回の騒動についてですが、『昭和天皇独白録』
でも疑う人はいますw。まあ、そりゃそうなんですが。

>>416 >>ここに中国共産党の手口についてすべて記されています。参考にしてください。

支那の「宣伝戦」は昔も今も巧妙で、無意識に騙されている人も多いのでしょうね。
例えば、「日本が核を『2発や3発』持ったところで、支那は国土や人口もケタ違いに
大きいから無駄だ』というオナニー言説ですが、だったら北鮮の核開発に支那が懸念
する必要ないだろうがよ、という話ですw。

北鮮が核をもって支那の脅威になるのなら、いわんや日本が、です。
438イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 00:12:01 ID:???
何が罪かわかりますか。
知恵の実を口にしたからではありません。

何が罪かわかりますか。
蛇の甘言に耳を貸したからではありません。

まだ罪がわかりませんか。
それこそがあなたの罪なのです。
                 Frederica Bernkastel
439( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/23(日) 00:20:54 ID:???
>>437
日経新聞とは、経済欄以外は役に立つというのが評判の新聞のことですね。
440イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 00:37:38 ID:???
例えば、日中戦争冒頭の「上海攻防戦」も、蒋介石からすれば
『対外的な宣伝戦』なのです。

このスレでも何度か取り上げた『蒋介石日記』(黄仁宇著)ですが、
米国の『タイム』誌に上海攻防戦がどのように取り上げられたかの
記述があります(日本軍に占領された上海の地域が、前の週から
どれだけ増えたかコラムで図示されている、云々など)。

蒋介石からすれば、可能な限り長く上海で粘り強く戦い、欧米列強の
関心と同情を集め、日本に対する制裁と自国への援助を期待していた
のですが、その目論見は『杭州湾上陸』で短期に崩れ去ってしまいました。

それにしても、上海戦を『宣伝戦』の立場から分析した日本側の書籍は
自分が知る限り少ないですねw。まあ、発想の違いでしょうか。昔も今も
「対外的な宣伝戦」は日本の最も苦手とするところですw。
441イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 00:59:56 ID:Ezvnbyn+
日本は「対外的な宣伝戦」が絶望的に苦手な代わりに、昔から個人外交が盛んです。

先の北鮮への「非難決議」の成果は、ブッシュ・小泉の人間関係に拠ったところが
大きいでしょうが、悪くすると田中均の「秘密外交」になりますし、ワンマンプレーの
『個人外交』と言えば、松岡洋右に並ぶ人物はいませんw。

松岡の場合は、国を滅ぼしていますから、個人外交の恐ろしさは、ゆめゆめ忘れるべきでは
ないでしょう。先の「非難決議」の成功は大きな成果ですが、同時に本当に稀有な例です。
442名無し三等兵:2006/07/23(日) 01:27:14 ID:???
三国同盟や日ソ中立条約は松岡がいなくてもやってたのでは?
443イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 01:39:14 ID:Ezvnbyn+
>>433 >>威令が行き届くように、地方を、蒋介石に、直轄する仕組みを構築した、
>>ということになるのか、などと。

1935年前後でも、蒋介石が「各地の軍閥」を完全に統制できていたかというと
甚だ疑問です。北支に限っても、山西省の閻錫山、山東省の韓復など、親日派
ではないにしても「反蒋介石派」という首領がゴロゴロいますw。また冀察政務
委員会の長である宋哲元(第29軍軍長)にしても、もともとは反蒋派なのです。

まあ、わざと日本に接近しておいて、逆に蒋介石に自分を高く売りつけようと図る
人間がいかに多かったかという事ですw。

>>433 >>阿片は、タバコのような、物々交換が便利な嗜好品ということになるのか、
>>金、銀、銅といった一種の本位制に近い、ということになるのか、

物は嵩張りますが、綿布も通貨の代わりとなるでしょう。衣料が欠乏している農村に
対しては特にインセンティブになります。
444( ´ー`)y─┛~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/23(日) 01:46:21 ID:???
>>441
まあ、キューバ危機のような例もありますから、よほど重要な場面だけですよね。
445イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 02:22:31 ID:???
>>433 >>阿片は、タバコのような、物々交換が便利な嗜好品ということになるのか、
>>金、銀、銅といった一種の本位制に近い、ということになるのか、

あと言うまでも無いことですが、阿片は栽培できます。金、銀、銅は新たに
栽培できませんw。
446名無し三等兵:2006/07/23(日) 08:33:37 ID:???
米本位が成立した国もありますから。
447イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 21:37:40 ID:B+N05TCE
今日は『全英オープン』の最終日なので、早めに出現します…w。

>>446 >>米本位が成立した国もありますから。

日本のことかしらん?w

>>442 >>三国同盟や日ソ中立条約は松岡がいなくてもやってたのでは?

それは松岡を舐め過ぎです。三国同盟はともかく、あの当時の日ソ中立条約は
松岡の力技です。踊らされていたかどうかは、ともかくとしてw。

もう1つ「日ソ中立条約」あるいは「日ソ不可侵条約」が結ばれる可能性が
あったのは、満州国成立直後の1930年代前半です。ソ連は満州国を日本の膨張
政策の拡大として、大きな脅威を感じていました。
448イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 22:00:32 ID:B+N05TCE
満州事変への不干渉もそうですし、1932年から始まったソ連が所有する「東支鉄道」の
日本への売却交渉もその流れです。東支鉄道は売却額の折り合いが付かず、実現したのは
ようやく1935年のことですが、ソ連が売却に応じたのは、満州国の圧迫に伴う営業成績の
不振と、何より日本(極東)との摩擦・衝突を避けたかったためです。

東支鉄道の買収問題では、「統制派の雄」永田鉄山と「対ソ戦の権威」小畑敏四郎が
参謀本部で『骨肉の争い』を演じているのも、問題がこじれた1つの要因ですね。

とにかくソ連による極東シベリアの開発が進むのは1930年代後半以降のことであり、
極東での紛争を回避するため、ソ連側から日本へ「不可侵条約」の締結を提起しています。
当時の相手はカラハン外務次長ですが、一説には何と「満州国との不可侵条約」まで
是認したと言います。

当時の日本は犬養毅内閣が「5.15事件」(1932年)で倒れ、斎藤実内閣が成立した頃
ですが、その混乱もあってかソ連側への提案に対する反応が鈍く、結局お流れとなって
しまいましたw。もったいないと言えば、もったいなかったかもしれません。
449イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 22:11:45 ID:B+N05TCE
結局、日本との「不可侵条約」を諦めたソ連は、西欧諸国との関係改善を
優先させます。1932年中にフィンランド、ポーランド、ラトビア、エストニア、
フランスと「不可侵条約」を結び、西部国境の安定に力を注ぎました。

そして支那とは1932年12月に「中ソ国交再開に関する合意」を成立させ、要するに
蒋介石と和解した訳です。これは特筆すべき点であり、蒋介石は1927年4月の
『上海クーデター』、いわゆる「白色テロ」で革命勢力を皆殺しにしてw、
スターリンを激怒させていますから画期的な出来事です。

やはり日本がソ連と「不可侵条約」を結ばなかったのは、もったいなかった
かしらん?w 締結していたら「皇道派」がなんというか、あまりに大きな
歴史のパラレルで、その後の展開は想像がつきませんw。
450名無し三等兵:2006/07/23(日) 22:30:36 ID:YmiPdDn2
すみません、戦争関係で凄いことが起きると聞いたのですが・・。

なにかご存知な方??

今回の日経の富田メモもあまりに唐突で、緊急な中国へのメッセージ性を感じずにはいられなくって。。
中国との関係を一旦緩和しないといけないような、大きいことなんじゃないかと・・・。

451名無し三等兵:2006/07/23(日) 22:37:35 ID:???
>すみません、戦争関係で凄いことが起きると聞いたのですが・・。

>なにかご存知な方??

>今回の日経の富田メモもあまりに唐突で、緊急な中国へのメッセージ性を感じずにはいられなくって。。
>中国との関係を一旦緩和しないといけないような、大きいことなんじゃないかと・・・。




人間の鎖メールみたいな文章ですね。
さすがは捕虜の手を数珠繋ぎにしたチョソ。
452イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 22:40:41 ID:B+N05TCE
>>442 >>三国同盟や日ソ中立条約は松岡がいなくてもやってたのでは?

まあ話が飛びましたが、もう一度1941年の松岡の話に戻ります。なぜ陸軍が
三国同盟にあれほど熱心だったかと言えば、『支那事変』の解決のためです。

日本単独の力では不可能なため、日独伊の外交施策を活発にし、ソ連を加えて
「四国同盟」とする。これにより支那を浮き上がらせ、同時にアメリカを支那
から手を退かせる。可能であれば、日米の斡旋により「英独和平」の斡旋をする。

繰り返しますが、あくまで「支那事変」の解決のためです。ゆえにヒデキは三国
同盟にあれほど情熱を傾けたのであり、ヒデキ・松岡の蜜月時代もあった訳です。

松岡の外交が「疾風迅雷」だったことは事実です。当時、駐ソ大使だった建川美次
(参本第二部長などを歴任)に、突然「スターリンにアポを取れ」と強引に迫り
泣かせていますし、外相のモロトフとも、すったもんだの交渉をやっていますw。
453イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 22:45:48 ID:???
>>450 >>中国との関係を一旦緩和しないといけないような、
>>大きいことなんじゃないかと・・・。

いま『全英オープン』見ながら書いているので忙しいです。谷原ガンガレ!
454名無し三等兵:2006/07/23(日) 22:49:48 ID:YmiPdDn2
あの、噂レベルでの情報が欲しいのです??

増田俊男や他の情報でもちらほらときこえてくる、「なにか」の噂がしりたいだけなのです。


ご存知な方???

455イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 23:23:09 ID:B+N05TCE
>>452 の補足。>>外相のモロトフとも、すったもんだの交渉をやっていますw。

松岡がドイツを発って、モスクワに着いたのが1941年4月6日です。その日の朝、
ドイツ軍はユーゴスラビアとギリシアに侵攻しました。ソ連はユーゴスラビアと
「不可侵条約」を前日の4月5日に結んだばかりの出来事です。松岡らはドイツから
一言も聞いていませんでしたw。

そんな慌しい状況のなか、松岡とモロトフ外相との会談が4月7日から始まるのですが、
始めから難題にぶち当たります。日本側は、ソ連が領有する北樺太の買収を要求する
のですが、当然モロトフは一言に拒否します。逆に「南樺太はソ連の領土だから返せ、
譲渡しろ」ぐらい要求してくる訳ですw。

>>448 の1930年代前半とは状況はまったく異なり、ソ連は極東シベリアにも
勢力を伸張させ、にも関わらず、極東の出口をすべて押さえられていました。
大連・旅順は遥か昔に日本に取られ、千島列島・千島海峡・南樺太も以下同文で、
「日ソ中立条約」など話にもならない状態でした。
456名無し三等兵:2006/07/23(日) 23:32:04 ID:kdpET8Ir
>>455
大戦末期のソビエトが
「日露戦争の復讐」に躍起になるのがよく分かる話ですね。

そりゃ、どさくさ紛れに北海道も狙うわな。
457イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 23:39:19 ID:B+N05TCE
松岡はドイツに行く前の往路で、ソ連に一度寄っていましたが、その時は
「日ソ不可侵条約」を打診していた訳です。しかし帰路では「中立条約」に
条件を落としています。

これは独国でリッペントロップ外相に、「なにも日本は無理してやることは
ない。向こうは何かをきっと代償に要求する。そんなにしてまで不可侵条約も
中立条約も結ぶ必要はない」と松岡に示唆したためです。

4月7,8,9日のモロトフとの交渉も頓挫し、これでオシマイかと思われたのですが、
松岡は1日、間をおいて観光を挟みたいとソ連側に申し入れます。これは松岡外交が
よくやる手ですが、案外にもソ連は承知しました。松岡はカマを掛けた訳ですね。

「とっとと帰れwとは言わない。これは脈あり」と感じた松岡は、10日にレニーン
グラードに赴き、11日にモスクワに戻り、さらに翌日の12日にスターリンと
会談します。ここで急転直下、「日ソ中立条約」が結ばれる訳です。その時の
スターリンの松岡に対する熱烈な(オーバーな)歓待ぶりは、既スレに書いた通りです。
458イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 23:52:46 ID:B+N05TCE
始めからソ連(スターリン)も「中立条約」は結ぶつもりで、あとは
どれだけ日本側から有利な条件を引き出せるか(むしり取れるか)、
だったような気もしますが、松岡のパワーを感じさせる一件です。

>>457 >>スターリンの松岡に対する熱烈な(オーバーな)歓待ぶり

少しだけ繰り返しますと、●スターリン「きみ、約束したことは守れ」
●松岡「日本には昔からウソを言ったら、首をやるという諺がある」
●スターリン「これで日本と中立条約が出来たので、ヨーロッパで恐ろしい
ところはなくなった」●松岡「いやいやヨーロッパどころか、世界で恐い
ものはないじゃないか…」などなど、ですw。

対米牽制(そして支那事変の解決、英独和平)を目的とした『四国同盟』の
第1歩を踏み出し、松岡のいわば絶頂期を迎えた訳ですが、それも一瞬のこと
でした。わずか2ヵ月後の1941年6月22日には『独ソ戦』が開始され、奈落の底に
松岡は落とされる事になります。
459イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/23(日) 23:56:07 ID:???
>>458 >>奈落の底に松岡は落とされる事になります。

それは「日本人初メジャーか?」と一瞬期待してしまったにも関わらず、
11アンダーから、ボギー、ダブルボギーを連発してしまった谷原の
比ではありません(藁)。
460+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/24(月) 00:04:01 ID:???
>>459
そして「欧州情勢は複雑怪奇なり」というあの有名な言葉が発せられたわけですね。
461元前スレ32:2006/07/24(月) 00:18:18 ID:???
>>459
イナゾウ中佐、いつも拝読しています。
難しい問題をやさしくまとめてくださるのに感謝。

松岡さんはドイツのバルカン侵攻を見て、日ソ中立条約の成立を確信しています。
独ソの対立を利用したわけで、
こうしてみると独ソ戦もどの程度意表をつかれたかはわかりません。

彼の外交技術は高度すぎて余人にはなかなかわからないところがありますね。
だから、支持を失って失脚するわけで。
外交家としては一流でも、味方が付いてこれないのが松岡外交かと。

海千山千の英代表リース・ロス、背後で暗躍する米代表ラモンドなど、
中国財政問題も複雑怪奇。

今後の展開に期待しております。
462俄将軍:2006/07/24(月) 02:03:00 ID:???
>>436-437
「俄将軍」の中の人が、相互確証破壊な戦略核体系の構築を、念仏のように唱
えているのは、中国からの核攻撃、核恫喝の抑止が前提であり、米国と中国
が主役な、日中間の限定核戦争、ではお話にならず、日中間の全面核戦争
が、米中との全面核戦争に繋がるようでなければ、お話にならないとい
うのが。複数の軍事板「民主的平和論」スレッドにて、電波発信など
試みてきた、ということになるのか、などと。

日の丸な核弾道搭載トマホークなど、中国に発射した後、中国から、日本の何
処に、報復核攻撃など、実施されるのか、よくわかりませんが、中国の場合、
地域勢力が、ということからすれば、悪名だけが、日本に、という落ちに
なるようでは、お話にならないということになるのか。
463俄将軍:2006/07/24(月) 02:11:06 ID:???
>>440
満州事変と上海事変の関係からすれば、日本軍の中の人からすれば、上海事変
が、「宣伝戦」の一種ということになるのか、などと。

列強などへの「宣伝戦」も、日本、中国が、何を重視していたのか、軍事力な
ど、手持ちのカードに、何を有していたのか、ということになるのか。

第一次世界大戦がプロパガンダ戦から、何も学んでいないということになるの
か、日本が有していた「宣伝戦」に対するイメージ、ということになるのか、
日本の「宣伝戦」の前に、陸海軍、外務省が、統一見解を、ということに
なるのか、などと。
464俄将軍:2006/07/24(月) 02:16:14 ID:???
>>443
中国国民党は、各地の軍閥との関係だけではなく、中国国民党の内部でも、反
蒋介石の中の人など、ということになると、中国の地方に、蒋介石直系の中
の人を送り込む仕組み、ということになるのか、などと。

目と耳、ということになると、地方組織のトップでなくとも、ということに。

蒋介石の中の人自体が、軍事力を背景に、ということになると、中国各地の有
力な、軍閥の中の人との関係は、微妙なものに、ということになるのか。
465俄将軍:2006/07/24(月) 02:25:27 ID:???
>>443 >>445-446
インフレーションが問題になると、貨幣よりも現物、ということになるわけで
すが、持ち運びが不便であれば、銅貨というのは、銅の塊を持ち運ぶのと同
義、ということになるのか、などと。

嗜好品というより、文字通りの中毒症状を引き起こす阿片というのは、金持ち
であれ、貧乏人であれ、食料品のように、等しく欲するものということにな
るのか、などと、適当な思いつきなど、書き込んでみたり。

阿片の価格が、治安維持に、直結するのか否かは別としても、三菱、三井が、
外国から輸入するほどに、中国国内だけの栽培で、中国国内の消費量が賄
えるか否か、ということになるのか、などと。
466名無し三等兵:2006/07/24(月) 02:27:11 ID:???
松岡とスターリンの失敗はヒトラーを買い過ぎたことかとw
467俄将軍:2006/07/24(月) 02:30:09 ID:???
>>465
江戸時代の米であれ、中国の阿片であれ、物々交換のレートとの関係性、とい
うことになるのか。

阿片不足は、食糧不足と同義、ということで、米騒動があるのであれば、阿片
騒動に繋がるのか、阿片欲しさに、治安の悪化に拍車が、ということもある
のか、などと、適当な思いつきなど、書き込んでみたり。

満州国の大豆も、海外に、輸出していたとするなれば、何処が、満洲産大豆の
お得意様だったのか、何に用いていたのかで、満洲産大豆の価格に影響が、
ということになるのか、などと。
468俄将軍:2006/07/24(月) 02:44:32 ID:???
>>462
「日の丸な核弾道搭載トマホーク」を「日の丸な核弾頭搭載トマホーク」に修
正。
469+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/24(月) 03:24:02 ID:???
まったく、日本人のお人好しぶりにはそろそろ愛想が尽きそうですよ。
470俄将軍:2006/07/24(月) 04:04:46 ID:???
>>469
何に関して、お人好しといっているのか、よくわかりませんが、本当にお人好
しなら、まだマシということになると、救いようがないという落ちもあるの
か、などと、嘯いてみたり。
471イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 21:53:30 ID:IMyrJ/fu
>>455 の補足。>>日本側は、ソ連が領有する北樺太の買収を要求するのですが、

もちろん、目的は北樺太の石油です。大本営政府連絡会議の「対ソ交渉要綱」には
買収が無理なら『北樺太の利権を有償にて放棄』という記述があります(1941年2月)。
その際は、「石油は向こう5年間で25万トンを供給」がソ連に対する要求でしたw。

>>461 >>イナゾウ中佐、いつも拝読しています。難しい問題をやさしくまとめて
>>くださるのに感謝。

毎度どうもでございます。日中戦争スレも去年の10月に「乗っ取り」を開始して
もうすぐ1年。時が経つのは早いですね。

>>松岡さんはドイツのバルカン侵攻を見て、日ソ中立条約の成立を確信しています。
>>独ソの対立を利用したわけで、

松岡がドイツを訪れた際、「バルカンに位置を占める」とは仄めかしたようです。
472イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 22:08:00 ID:IMyrJ/fu
>>461 >>松岡さんはドイツのバルカン侵攻を見て、日ソ中立条約の成立を確信しています。
>>彼の外交技術は高度すぎて余人にはなかなかわからないところがありますね。

松岡が独国・ソ連を歴訪する際には、永井八津次という陸軍大佐を随員として連れて
いました。永井は後に、支那派遣軍参謀や陸軍省軍務課長を務めています。その永井が
当時の松岡の言葉をこう述べています。

「永井さん、これから日ソ中立条約をつくるんだが、少し関東軍が国境で紛争を起こす
 ように話してくれ」

と真剣に言ったとされます。ドイツのユーゴ・ギリシア侵攻(1941年4月)は、ドイツが
ソ連と不可侵条約を結び、そのまたソ連がユーゴと不可侵条約を結んだ翌日に攻め込んだ
のですから、事は重大な訳です。しかし上記のような松岡にすれば、ご指摘の通り、むしろ
「絶好のチャンスだ」と感じたのかもしれません。

まさに「外交技術が高度すぎて余人にはなかなか分からない」が当てはまるのでしょう。
473楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 22:44:24 ID:IMyrJ/fu
最後の一文は皮肉でもなんでもなく、松岡が「超一流の外交家」であったのは
間違いのない事実です。『怪物』以外の何者でもない、ヒトラーやスターリンを
向こうに回して一芝居打てる「日本の人材」が、他にどれだけ居たでしょう。

(ちなみに訪独の際は、「シンガポール攻撃」の言質を期待していたヒトラーを
 松岡は会談で煙に巻いている:1941年3月27日)

松下幸之助の言葉に「能力の高い人に仕事を任せると会社を潰す」というのが
ありますが、松岡は日本人離れしたパワーゆえに、国家を潰す一因となりました。

今ニュースで「昭和天皇メモ」が性懲りも無くやっていますが、メモが本当なら、
昭和天皇は「心底、松岡を嫌っていたのだなあ」と改めて思います。だいぶ前に、
安倍晋三が「A級戦犯の岸信介の孫」ということで叩いた痴呆がいました。

この分だと「安倍晋三は松岡洋右の縁戚」とわざわざ嫌がらせする阿呆が出て
くるのに、1リリアン賭けます(藁)。
474名無し三等兵:2006/07/24(月) 22:55:21 ID:???
松岡構想だと南進は予定にない。
それどころか、陸海軍に南進するなら開戦の決心をしろと警告してる。
475イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 22:57:13 ID:IMyrJ/fu
ギエーッ! また「コテハンスレ」に書き込んだ時のハンドルネームを
戻すのを忘れた…w。

>>473 の補足ですが、安倍晋三の家系図をたどると、本当に遠戚ですが
松岡洋右の名前が出てきます。

そんなことを言ったら、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の方が余程
松岡洋右に近い親戚になるのですがねw(松岡の姪が佐藤栄作の奥さん)。

そして言うまでも無いことですが、安部晋三の母方の祖父である岸信介と
佐藤栄作は兄弟です。まあ、安倍と松岡はそれぐらい遠い縁戚なのですw。

>>461 >>松岡さんはドイツのバルカン侵攻を見て、

元はと言えば、イタリアが勝手にギリシアに侵攻して惨敗した事の尻拭いな訳です、
ドイツのバルカン侵攻は。おかげでバルバロッサ作戦も遅延していますw。
476イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 23:47:35 ID:IMyrJ/fu
>>474 >>松岡構想だと南進は予定にない。それどころか、陸海軍に南進するなら
>>開戦の決心をしろと警告してる。

それは「独ソ戦の開始直後」です。松岡は末期状態になると、主張を180度
転換させていますから、松岡の発言を断片的にしか知らないと、そのような
擁護論が出てくる訳です。

独ソ戦開始(1941年6月22日)後の大本営政府連絡会議で、松岡は以下のような
『神掛かり的』な発言をしています。>>474 の指摘は「この部分」でしょう。

「我輩の予言は的中する。南部仏印に進駐すれば石油、ゴム、錫などは入手困難になる。
 英雄は頭を転向する。我輩は先般『南進論』を唱えたるも、今後は北方に転向する」

日ソ中立条約を結んで帰ってきてからは、松岡はこう述べています(独ソ戦開始以前)。
477イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/24(月) 23:59:20 ID:IMyrJ/fu
「永井君、統帥部はだらしがなくてしょうがないじゃないか。南方に対する、
 要するに米国に対する決意がないじゃないか。本当にやる気があるなら
 対米工作ももっと上手くいく。

 統帥部が尻込みするから、やりにくくてしょうがない。対米施策が上手く
 いかないなら、南方施策は早く進めにゃいかんじゃないか。腹が出来て
 おらんじゃないか」

ところが総理だった近衛の考えは、松岡とまるで逆な訳です。「統帥部が
そんな(南進)準備をしては、できる交渉もできなくなる」と主張します。

松岡はチップをひたすら積み上げていけば米国は必ず降りる、という超強気の
考え方ですが、公家出身である近衛との性格の差も如実に出ているでしょう。

まあ、この部分だけ取るならば近衛の方が正常な訳ですが、人物評論の場合、
どの発言を切り取るかで、評価は全く変わってきます。
478イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 00:08:51 ID:c8eLrLez
松岡の場合「独ソ戦の開始」を境に、南進論も北進論も両方主張しています。

これを言い換えれば、松岡は『南進論にも北進論にも、両方反対していた』訳です。

ですから、松岡は「南進論には反対していた」あるいは「北進論には反対していた」
という全く逆の擁護論が同時に出てくるのです。

上記のような複雑さが、現代でも「松岡の評価」を非常に困難ものとしています。

まあ「昭和天皇メモ騒動」については、兵頭軍師のコメント(放送形式)が秀逸だと
思いますので、自分の意見はそれを推薦しておくのに留めますw。
479イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 00:29:46 ID:c8eLrLez
>>463 >>満州事変と上海事変の関係からすれば、日本軍の中の人からすれば、
>>上海事変が、「宣伝戦」の一種ということになるのか、などと。

別宮(暖朗)翁が、「支那事変は蒋介石の作戦意図を持った先制攻撃によって始まった」
と方々で主張されていますが、これは云わば70年遅れの『宣伝戦』な訳です。

太平洋戦争の「宣伝戦」とは、いわゆる『大東亜共栄圏』であったり『聖戦思想』
だった訳ですが、多分に国内向け・占領地向けのものでしたね。ここまで来ると
もう手遅れですが、支那事変の初期に効果的な「宣伝戦」が出来ていたら、少しは
マシな展開になったのでしょうかw。

>>日本の「宣伝戦」の前に、陸海軍、外務省が、統一見解を、ということに

「統帥権」の前に統一見解もクソもありませんw。政府は、陸海軍の腹を読めな
ければ、明日の作戦も掴めませんw。それは極端な話、陸相も海相も同様です。
ヒデキが首相と陸相と、さらに参謀総長を兼任した理由を考えるべきでしょう。
480イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 01:26:28 ID:c8eLrLez
>>「統帥権」の前に統一見解もクソもありませんw。

さらに陸軍と海軍で「統帥権」は、別枠ねw。

>>463 >>満州事変と上海事変の関係からすれば、日本軍の中の人からすれば、
>>上海事変が、「宣伝戦」の一種ということになるのか、などと。

あ、スマソ。「第一次上海事変」の方ですか。勘違いしてました。それは
「宣伝戦」とは言わないのではないかと思います。殺人の証拠隠滅ために、
家ごと火を付けるようなものでしょうw。しかも日本の立場は余計に悪く
なっています。

宣伝戦とは「大義名分」を訴えるものですが(事実関係は別として)、
支那の方が三国志からやってる分、日本より上手なのかもしれません。
481+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/25(火) 01:37:47 ID:???
>>480
日本陸軍の場合、謀略は好むくせに宣伝は下手だったみたいですね。
中野学校が10年早くできていたら歴史は変わっていたといわれる理由がわかりました。
482名無し三等兵:2006/07/25(火) 01:40:34 ID:???
>>477
松岡の言うことがコロコロ変わるのはその通りですが、
それは前提となる国際情勢がコロコロ変わるのだから当たり前の事だと思いますけどね。
ところで、そこで松岡の言っている「南方政策」とは、いわゆる日蘭会商ではないですか?
483イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 23:13:32 ID:Kj3DQgdv
>>482 >>松岡の言うことがコロコロ変わるのはその通りですが、それは前提となる
>>国際情勢がコロコロ変わるのだから当たり前の事だと思いますけどね。

それなら何を言ったって「状況が変わった」で許されますw。松岡が第二次近衛内閣で
「存在が浮いた」のは、自説に固執(こんな生易しい表現ではない)したあげく、180度
主張を転換し、また更に押し通そうとしたからです。

>>ところで、そこで松岡の言っている「南方政策」とは、いわゆる日蘭会商ではないですか?

「シンガポール攻撃」です。と言いたいところですが、永井の回想の記述が断片的すぎて
断言できません。それを抜きにしても、松岡が「日ソ中立条約」調印後の4月下旬の閣議で
シンガポール攻撃を発言しているのは事実です。

また5月12日に日米了解案の「修正案」が決定されて上奏したとき、松岡は「米国が
(欧州)参戦の場合、日本はドイツ・イタリアの側に立たなければなりません」と
言って不興を買い、昭和天皇はそれを木戸に漏らしています。
484イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 23:29:54 ID:Kj3DQgdv
「軍首脳部は弱腰すぎる。ドイツ、イタリアに不義理を重ねて日米交渉を成立
 させようとしているようだが、そんな弱腰では駄目だ。アメリカは参戦に
 決まっているから、いくら交渉しても駄目だ」

と来まして、独ソ戦開始(6月22日)の夜に松岡は天皇に独断で上奏し、

「独ソ開戦した今日、日本もドイツ・イタリアと共にソ連を討つべきです」

と主張して、天皇から「近衛とよく相談するように」と叱責を受けています。
昭和天皇の「松岡嫌い」はこの件が決定的でしょう。でさらに、

「我輩の予言は的中する。南部仏印に進駐すれば石油、ゴム、錫などは入手困難になる。
 英雄は頭を転向する。我輩は先般『南進論』を唱えたるも、今後は北方に転向する」

と来るわけですw。もちろんこの時点で、最優先の課題は「日米交渉」の進展です。
485イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/25(火) 23:51:16 ID:Kj3DQgdv
>>477 >>永井君、統帥部はだらしがなくてしょうがないじゃないか。>>482 >>そこで
>>松岡の言っている「南方政策」とは、いわゆる日蘭会商ではないですか?

永井八津次(大佐)は、松岡の「ヨーロッパ歴訪」の随員を務めた後、軍務局付として
陸相官邸に背広姿で出勤させられます。言うまでもありませんが、このときの陸軍大臣は
ヒデキ、軍務局長は武藤章です。永井は随員の経験を買われて、陸軍の松岡外相に対する
「折衝係」をさせられています。>>477 はその時の回想です。

松岡は「近衛では駄目だ。俺に(内閣)をやらせろ。俺に任せてくれれば俺がやってやる」
という気持ちが多分にあって、我々親しいもの(永井等)には言外にちょくちょく漏らして
いたとされます。

要するにまかり間違えば、近衛が「第二次内閣」を投げ出した後継は、ヒデキではなく
「松岡洋右が首相になっていた」というifも考えられる訳です。この場合、松岡が日米
開戦内閣ですね。天皇の不興を買っている時点で『絶対に』有り得ませんがw。絶無です。
486イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 00:20:38 ID:Xte4lbU1
>>466 >>松岡とスターリンの失敗はヒトラーを買い過ぎたことかとw

言うまでもなく、スターリンの元には英国から「ドイツのソ連侵攻」の警告も
送られていた訳ですが、信じようとしませんでした。

そこへ松岡が熱心に「日ソ中立(or不可侵)条約」のラブコールを送ってきますから、
なおさらドイツの侵攻の可能性は無いと思い込んだ。三国同盟の関係上、ドイツがソ連に
攻め込むなら日本は極東から挟撃するチャンスですし、逆にソ連と中立条約を結ぶのなら
ドイツに対する背信行為になるからです。

もちろん勘繰ろうと思えば、ドイツの侵攻を承知の上で「渡りに船」とばかりに、
背後を固めるために日本と中立条約を結んだとも考えられますが、この場合、日本は
単なる道化ですね。つーか、アホですw。

まあ誰しも、自分に都合の良い情報しか聞きません。仕事で「この2案どっちがいい?」と周りに
聞いても無駄です。自分の意見に賛同してくれる人の方が多くなるまで、聞き続けるからですw。
487+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/26(水) 00:37:29 ID:???
>>486
そして悲惨なあの冬将軍がやって来るわけですね。
488イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 00:38:03 ID:Xte4lbU1
>>465 >>文字通りの中毒症状を引き起こす阿片というのは、金持ちであれ、
>>貧乏人であれ、食料品のように、等しく欲する

とりあえず、苦力にとって塩と阿片は『生活必需品』です。塩分が不足しますと
足腰が立たなくなりますからね。ですから北朝鮮の収容所でも、足腰を弱らせる
ために、塩気のある食事は取らせませんw。

>>貨幣よりも現物、ということになるわけですが、持ち運びが不便であれば、
>>銅貨というのは、銅の塊を持ち運ぶのと同義

もちろん「資源収拾」の目的で、支那の銅銭も集めていましたが、これはモリブデンや
タングステンの鉱石などと同じ意味合いで、日本側が集めるものです。

持ち運びのコスト(重量対価値)で言うなら、金と阿片がもっとも割がよく最強ですw。
支那事変の初期には、三八式小銃と岩塩をバーターで入手したケースもありますが、中古
武器(訓練用で使い物にならない)のストックが無くなってくると自然に止められました。
489俄将軍:2006/07/26(水) 03:18:08 ID:???
>>472
>まさに「外交技術が高度すぎて余人にはなかなか分からない」が当てはまるのでしょう。

インパール作戦の遙か上をいく、マリアナ作戦を思わせる高度さ、ということ
になるのか、ABCD包囲網打破の真珠湾攻撃と同時に、ソビエトへの奇襲
攻撃に続いて、日独伊三国同盟を解消して、独伊に宣戦布告、といったよ
うな支離滅裂さ、ということになるのか、などと。

単に、満洲大豆の輸出先との関係を優先しただけ、ということになると、目も
当てられないということになるのか、現在でも、思い浮かぶ日本企業など、
ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
490俄将軍:2006/07/26(水) 03:24:27 ID:???
>>479-480
>宣伝戦とは「大義名分」を訴えるものですが(事実関係は別として)、
>支那の方が三国志からやってる分、日本より上手なのかもしれません。

満州国建国から、目をそらせる為に、上海事変という別のニュースを、という
ことになると、満州国建国の「大義名分」というのは、ということになるの
か、満州国建国への列強の反応に、ということになるのか、上海事変を引
き起こした中の人の宣伝戦の理解に、問題があった、ということになる
のか、などと。
491俄将軍:2006/07/26(水) 03:37:14 ID:???
>>488
紙幣は、インフレによって、目減りするということになると、貨幣機能に、重
大な問題を抱えているということになるのか、などと。

物々交換よりも、嵩張る通貨、巨大な石のお金など、ということになると、持
ち運びに関しては、庭石、石灯籠と同様、問題外、ということになるのか。
492俄将軍:2006/07/26(水) 03:41:34 ID:???
>>481
陸軍、海軍、外務省などで、自分に都合の良い、内に争うような宣伝戦、外電
を発するようでは、お話にならないということになると、宣伝戦を実施する
前に、国策の統一などが、ということもあるのか、などと。

現在の日本国も、省庁で争うどころか、省庁内で争っているということになる
と、戦前を継承しているということになるのか、などと、嘯いてみたり。
493えICBM:2006/07/26(水) 22:51:47 ID:???
松岡の外交政策の中心は対米避戦じゃねか?
そのための三国同盟、四国同盟、日米交渉、南仏印進駐徹底反対だったし。
あの時期で松岡以外にきっちりビジョンを持っていた奴っていたのか?
494イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 22:56:04 ID:rSSoH12+
>>464 >>中国の地方に、蒋介石直系の中の人を送り込む仕組み、ということになるのか

「塘沽停戦協定」(1933年5月)が結ばれると、軍政部長だった何応欽上将が軍事委員会
北京分会の主任として送り込まれますが、このパターンですね。

>>目と耳、ということになると、地方組織のトップでなくとも、ということに。

日本軍(関東軍)の『お眼鏡』に叶う人物でないと「強烈なクレーム」が来ますw。
太平洋戦争前の日米交渉で、ハルから暗に「松岡を外相から外せ」という条件が
ついて「内政干渉だ!」と激昂しましたが、似たようなものですw。

要するに、日本は「北支分治工作」を邁進させていましたから、北支の国民党側の
責任者に『中央系』の人物が付くのは好ましからざる事になります。それよりも
地方軍閥の首領のような人物の方が、工作によって「切り崩しやすい」のです。
495イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 23:26:12 ID:rSSoH12+
例えば、盧溝橋事件で「魔女の婆さんの鍋」に放り込まれる『冀察政務委員会』
委員長の宋哲元です。

宋哲元と聞くと少し知っている人は、「第29軍長」など『雑軍の権化』のように
思い浮かべると思いますが、事実その通りですw。

宋哲元はもともと「チャハル省主席」でした(同時に第29軍長)。それが
『土肥原・秦徳純協定』(1935年6月)で国民政府が日本側(関東軍)の要求に
屈服したことによって、チャハル省主席を解任されます。

さらに『塘沽停戦協定』(1933年5月)の非武装ラインがチャハル省の一部にまで
拡大されたため、宋哲元指揮下の第29軍はチャハル省を追われて北京に移動を
余儀なくされます。この辺りは、満州から駆逐された張学良の東北軍に似ていますね。

宋哲元にしてみますと、もちろん関東軍も憎いが、自分を解任した蒋介石も恨めしい。
このアンヴィヴァレンスな感情が更に、日本の分治工作の格好の対象となるのですw。
496名無し三等兵:2006/07/26(水) 23:53:29 ID:???
>>493
松岡の目標は満州権益を維持した上での対米避戦。
で、満州問題は日米ともに最後まで譲らなかった部分(日本は最後に撤退を持ち出したが)。
もしなにか魔法のような手段で国民、政治家、軍部が心変わりして
満州を放棄していいってことになったら、松岡ならさっさと交渉をまとめてしまっただろう。
497イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 23:54:56 ID:rSSoH12+
例えば、リース・ロスの「幣制改革」(1935年11月)が取り沙汰されると、
それに対する『拒否反応』で北支の分治工作が激化します。

蒋介石の国民政府は、宋哲元を「冀察綏遠(軍政)主任」に任命しますが、宋は
土肥原少将の工作により、北支の実権者となる野望を募らせ、何応欽の説得を
退けて辞任しました(その後さらに、冀察政務委員会の委員長に任命されるw)。

まあ、この辺はグチャグチャなので混同しても仕方が無いことです。いいですか。
『冀東防共自治政府』と『冀察政務委員会』は全く別モノですよw。ゴッチャに
なっていませんか?

>>493 >>松岡の外交政策の中心は対米避戦じゃねか? そのための三国同盟、
>>四国同盟、日米交渉、南仏印進駐徹底反対だったし。

そうです。松岡の『究極の目的』は日米避戦です。そのために、どこまでも
どこまでもうず高く「チップ」を積み上げていった訳です。
498+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/27(木) 00:07:12 ID:???
>>496
権益というのは、早い話が搾取のことですね?
499えICBM:2006/07/27(木) 00:08:09 ID:???
>>496
>もしなにか魔法のような手段で国民、政治家、軍部が心変わりして

アメリカによる対日全面禁輸なんてのが魔法に当たりそうだ。
もっともその時期には松岡は内閣から放逐されてるから何も出来ないが。
もし松岡が外相の席についてたら、史実とはかなり違う外交が展開されたかもしれない。
対米戦の無謀さを知るタフゴネジェータの松岡が内閣を引っ掻き回す様を見てみたかったものだ。

>>497
チップを高く積んだ奴に責任を取らせずに放逐を要求したアメリカも何と言うか、思いっきりマヌケ。
まあ、アメリカにとっての松岡はファシズムの先鋭的存在であり、対米回避思想があるなんて夢にも思わなかっただろうが。
500名無し三等兵:2006/07/27(木) 00:15:17 ID:???
>>499
相手も自分と同じ考えだと思い「違う」と分かると裏切られたと思い火病る
501イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/27(木) 00:20:53 ID:ipG5mUlj
よく言われる記述ですが、松岡は日米開戦の決定を知ると(1941年12月6日)

「三国同盟は僕の一生の不覚であった」と周囲に漏らしたと言います。

また山田風太郎の『人間臨終図鑑』で松岡は、「相手の手を全然見ずに、己の
手ばかり見ている麻雀打ちであった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」
と評されています。

さらに『昭和天皇独白録』だと「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいき
になった。恐らくはヒットラーに買収でもされたのではないかと思われる」と散々な
言われ様ですが、次のような見方もあります。

横山一郎(最終:海軍少将、1940年アメリカ駐在武官:日米交渉担当、1942年球磨艦長、
1943年海軍省首席副官など)が敗戦末期、松岡宅を訪れたときのエピソードです。
502えICBM:2006/07/27(木) 00:28:08 ID:???
対米戦への事実上のターニングポイントである南部仏印への進駐をこれでもかと反対した松岡に対して
歴史は不当な扱いをするのであった。
まあ、三国同盟もかなり対米関係を悪くしたのも確かだが。
503イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/27(木) 00:35:30 ID:ipG5mUlj
横山は1945年5月、米内光政海軍大臣に「駐ソ駐在武官」を命じられて
その準備をします。当然、ソ連を仲介とする和平工作も含まれていた
ことでしょう(結局、ソ連側のビザが下りず赴任できなかった)。

横山は「ソ連人をどう思うか」を聞こうと、伊豆・長岡の松岡宅を訪ね
ました。いつも通り松岡は一方的に喋るだけで、横山に口を挟む機会を
与えません。その内「疲れたから」と言って奥に引っ込んでしまいますw
(結核をわずらっていた)

最後にこれだけは聞いて置こうと、横山は「三国同盟をなぜ結んだか?」
と食い下がります。すると松岡の答えは、以下の通りです。

「このことに関しては言いたくないが、簡単に言えば自分はドイツが
 怖かったのだ」
504名無し三等兵:2006/07/27(木) 00:36:38 ID:???
瀬戸際外交やってんだし三国同盟の悪影響ぐらい想定の範囲でしょ。
松岡にとっては。
505名無し三等兵:2006/07/27(木) 00:51:21 ID:mueV6Zi7
つうか松岡は日独伊を結んだ後にソ連を
含めて米英仏と対抗しようという計画だった
そうな
506えICBM:2006/07/27(木) 00:54:18 ID:???
>>505
そうなんだけど、独ソ開戦後に外交方針を軌道修正する前に首を切られて悪事のみが残ることになる。
運命の人だね。
507イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/27(木) 00:59:18 ID:ipG5mUlj
>>簡単に言えば自分はドイツが怖かったのだ

今でこそ悪い冗談ですが、当時は「ドイツがシベリアを突き抜けて極東に
進出してくる」と本気で心配されていました。

>>504 >>三国同盟の悪影響ぐらい想定の範囲でしょ。

「ぐらい」と切って捨てられるような、簡単な問題ではないのですがw。

>>493 >>あの時期で松岡以外にきっちりビジョンを持っていた奴っていたのか?
>>502 >>松岡に対して歴史は不当な扱いをするのであった。

松岡の『日本人離れした構想力と行動力』は確かに一流であり特筆でしたが、それに
比例して『人格が破綻』していたのも事実ですw。言い方に品がないですが、薬でも
キメてるのかと言われても仕方ないところです。内閣を追い出された理由は、そちら
の方が大きいでしょう。松岡が隣にいたお陰で、ヒデキが人格者に見えたそうですw。
508えICBM:2006/07/27(木) 01:08:27 ID:???
>>507
独ソ戦開始後の松岡の北進論はロシアを制したドイツとの緩衝地帯を設けるのが狙いだったしね。

>薬でも キメてるのかと言われても仕方・・・
当時の陸軍を相手にするならそれぐらいでなければ無理でしょう。
実際かなり陸軍を抑える事はできたし。
けど、まあ、日本人の組織の中では短命にならざる得ない性格なのは確か。
独ソ戦開戦で待ってましたと言わんばかりに首切られるし。
しかし、残った連中は簡単に対米開戦、交渉続行なんて単なる時間つぶしだからどうしょうも無い。
509名無し三等兵:2006/07/27(木) 01:39:23 ID:???
ブッタキム♪ ブッタキム♪ ぶった切り♪
510名無し三等兵:2006/07/27(木) 01:59:56 ID:???
NHK教育でちょうどこの時代のことがやっているね
松岡洋右も国連脱退の時の映像にでていた
511イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/27(木) 22:50:08 ID:f312IeCN
>>509 >>まあ、日本人の組織の中では短命にならざる得ない性格なのは確か。

日本の組織で「人の話を全然聞かない」のはタブーです。俺の話を聞け〜♪
ではマズイ訳ですw。しかし自分はご存知の通り「大のヒデキ贔屓」ですが、
一般的にも東條英機に同情的な人は多いと思います。保阪正康の『東條英機と
天皇の時代』も最近ちくま文庫になりましたしね。

けれども、松岡洋右を「擁護する意見」がこんなに多いとは思わなんだ。
正直スマンかった…w。

>>当時の陸軍を相手にするならそれぐらいでなければ無理でしょう。
>>実際かなり陸軍を抑える事はできたし。

狂った陸軍を相手にするには、それ以上の狂人とならなければ
なりませんか。報われませんw。
512イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/27(木) 23:42:09 ID:f312IeCN
>>464 >>蒋介石の中の人自体が、軍事力を背景に、ということになると、中国各地の
>>有力な、軍閥の中の人との関係は、微妙なものに、ということになるのか。

支那は軍閥時代、四百余州を通じ地方長官のほとんどが軍人で占められていました。
蒋介石による中央統一が進んでからも、1928年から1934年の間に地方軍閥で12回も
内戦をやっていますw。

「幣制改革」が断行された翌年の1936年でも軍閥の力は相当残っていた訳です。北支の
状況は少し前に取り上げましたので、今度は南支(西南派)を挙げますと、例えば
『広東の胡漢民』『広西省の李宋人・白祟禧』などが有力でした。

もちろん国民党中央は、両地域を屈服させようとしましたが、とくに広西省の「李白」の
地盤は強固で難渋します。結局、両省は不承不承ながら中央と妥協し、不即不離の関係に
ありました。もちろん、北支が日本の「分治工作の対象」となったように、南支においても
『支那通軍人』の魔の手が伸びますw。まあ、前出>>347 の和知鷹二(中佐)ですけどねw。
513イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/28(金) 00:09:50 ID:vvFN7dQM
まあ、面白いエピソードがありまして「大陸打通作戦」の桂林攻略戦ですが、
出元は第40師団(鯨:善通寺)です。

師団が湖南省から広西省に入ると、部隊から「軍夫がいなくなった!」と騒ぎが起きます。

各隊は「支那人(土人兵)の捕虜」などを、荷物や病弱者の装具運搬、食料の調達・炊事
などの雑役夫に使って重宝していましたが、土人たちが広西省に入ると一斉に姿を消した
のです。

「部隊の手記」によると、土人たちも部隊に懐いており、不眠不休の追撃や湘西山地越えの
苦労を共にしてきたのですが、ほとんどが省境を越える前夜に無断で、一部が広西省に
入った当日に断わって、別れを惜しみつつ湖南に帰ったと言います。
514イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/28(金) 00:29:36 ID:vvFN7dQM
当日まで残った土人たちに理由を尋ねますと、「広西省人は排他心が強く、
他省人が入ると皆殺しにされる」と答えたと言います。

当時の部隊も、日本では考えられない「省の対抗意識」に驚いていますが、
支那の複雑さと「統治の困難さ」を如実に感じさせるエピソードです。そんな
ことでは、軍閥の地方政権がいつまでも力を持って当然というものですw。

ところが第40師団の指揮官連中は「内心しめしめ」と感じたと言います。
当時の「桂林・柳州地区」の防衛は、

●第3戦区(江西・浙江省)●第6・第9戦区(湖南省)●第7戦区(広東省)
から「精鋭軍」を転用しているとの情報が流れていましたが、この分では他省軍が
本気になって「李宋人」や「白祟禧」の国である広西省を守ろうとは思えなかった
からです。広西省の第4戦区軍だけなら、兵力・装備的にも大したことはないと。
515イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/28(金) 00:51:28 ID:vvFN7dQM
>>「広西省人は排他心が強く、他省人が入ると皆殺しにされる」

一体どこの未開の原住民族の話だという気がしますが、広西省の現在名が
「広西チワン族自治区」である事を考えますと、何となくさもありなん
という感じもして来ます。

支那土人軍が概して弱かったのも、上記のように各戦区軍で連携が上手く
取れなかった点も大きいでしょう。部隊が異なると言葉が通じないのも
よく指摘される事ですね。

日本でも県民性の好き嫌いや、薩長軍閥・会津賊軍といった恨み辛み、
差別はありましたが、だからといって殺される程ではないですよねw。

余所者が入ってくると殺されるというのは、日本ではせいぜい戦国時代ぐらい
まででは無いでしょうか。近現代史以前は、全然詳しくありませんがw。

   ,ヘ,_. -─ r,ヘ,
   ヽ,ニ)   ヽメ
    i. ,'ノノ ))) 〉
    | ii ゚ ∀゚ノ|.!   中佐が「東方キャラ」をスレに貯めているので
    ||kリ,_\_リiつ    お邪魔させてもらうよ? キモけーね参上!w
  _,,.-!k'J,、,、>、    
 ´⌒ '"i,ンイノ~`
517名無し三等兵:2006/07/28(金) 08:50:50 ID:???
>けれども、松岡洋右を「擁護する意見」がこんなに多いとは思わなんだ。

日本外交史でこれほど面白い人物はなかなかいないのでw
518名無し三等兵:2006/07/28(金) 12:22:28 ID:???
>>515
当時の蒋介石の国民党軍は、中央の精鋭以外は土人と思って間違いないと思いますよ。
「読んではいませんが」、おそらくウェデマイヤーの回想録を読めばその結論に至ると思います。
519+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/28(金) 12:28:01 ID:???
>>518
まあ、日本陸軍も土人軍があったので、必ずしも質が良いとは言えませんが(w
ま、アメリカ陸軍の敵ではありませんね。
M26なんて要りませんよ、M4で充分です(w
520えICBM:2006/07/28(金) 20:38:08 ID:???
戦史叢書大東亜戦争開戦経緯4をちょっと読んだが、南仏印侵攻をたくらむ陸海軍に対して松岡は
「米英と戦争する気があるのか」とさんざん詰問し、陸海軍は仕方が無いから「対米英戦も辞さず」
と思っても無いのに言う羽目になったらしい。

松岡って、南仏印侵攻を煽っただけじゃないか?
もうちっと読み進めてみるが。
521俄将軍:2006/07/29(土) 05:27:34 ID:???
>>494
大日本帝国の場合、満州国に限らず、日本人顧問など、送り込んだりするのは、
他の列強諸国の顧問などと、ということになるのか、などと。

中国の場合、中国統一という大義名分、形式だけでも、中央に、ということと、
実質的に、地方は、何処の支配下にあるのかには、差が生じており、広東空
軍の買収など、「西南問題」というのは、中国的な解決、ということにな
るのか、などと。
522俄将軍:2006/07/29(土) 05:31:32 ID:???
>>497
>『冀東防共自治政府』と『冀察政務委員会』は全く別モノですよw。ゴッチャに
>なっていませんか?

中国の中央化との関係、ということになると、日本と中国の間での綱引き、と
いうことになるのか、などと。

蒋介石直系の中の人を、地方に送り込むというのは、名称は失念しましたが、
そのような制度が、ということに。

国民党も、孫文から、ということになると、中の人の派閥も、色々、というこ
とになるのか、などと。
523俄将軍:2006/07/29(土) 05:46:17 ID:???
>>518
国民党軍にしても、軍人、兵隊さんの中の人が、如何なる経緯を経て、国民党
軍に、ということになるのか、などと。

匪賊、軍閥などから、食い詰め者として、流れ流れてきたということになるの
か、反日抗日の中の人かで、相当の違いが、ということに。
524名無し三等兵:2006/07/29(土) 21:39:56 ID:T7A+IfbL
黄浦軍官学校出の人らは愛国心に萌えた
インテリ階級かと思うがいかが
525俄将軍:2006/07/29(土) 21:42:21 ID:???
>>524
愛国心に溢れたインテリ階級の中の人だと、主義者に染まる可能性も、という
ことになるのか、などと。

主義者な傾向ということになると、中国だけでなく、日本も、ということにな
るのか、などと
526イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/29(土) 23:27:59 ID:???
おそらく来週後半から8月中旬以降まで、仕事がクソ忙しくなる予定なのでw、
今の内に書き込めるだけ書き込んでおきます。当分いなくなるかもしれません。

休日になると途端に「バタンキュー」なので、メリハリのある平日の方が多く
書き込んでいる罠w。

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|    こんなこと言ってるけど、超時空要塞ビグザイトには 
    !γリi.ハiリつ        血ヘド吐いても行くみたいよ。タクシービュンビュン。
    |,( ll」i l i_|」     ところで今後の展開だけど、幣制改革が終わったら 
    └'i,_ィ_ァ┘         北支の治安戦より先に「阿片問題」を本格的にやろうかと
                 迷ってるようね。まあ、阿片だけでも支那事変を「相当」語れる
                 ことに気付いたみたいだわ。悪いけど「今ごろ」よね、中佐w。
528ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2006/07/29(土) 23:54:47 ID:???

    , '´, ̄ ヽ
    ! l (ハノハ)!
   ノl!| ゚ д゚ノl|   ワタシも万難を排して
   ( ハ∨/^ヽ)    夏祭りに逝きます!
   ノ::[三ノ :.'、
   i)、_;|*く;  ノ
     |!: ::.`.T~
     ム、__|

529名無し三等兵:2006/07/30(日) 00:04:09 ID:???
>>528
この時間から祭りということは、男女一組だけで隠れてやるお祭りなのか、などと。
530えICBM:2006/07/30(日) 00:12:22 ID:???
一人で路上で裸になる祭りとみた。
531動かない大図書館 パチュリー・ノーレッジ ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 00:12:51 ID:R1sGtbQZ
>>467 >>満州国の大豆も、海外に、輸出していたとするなれば、何処が、
>>満洲産大豆のお得意様だったのか、

満州で生産された「大豆の半分」が、特に加工される事もなく現物のまま
海外へ輸出されました。その内訳は以下の通り。数字は1936年のものです。
●日本:21% ●61%:ヨーロッパ ●支那:14% ●その他:4%

最大の輸出先であるヨーロッパの中でも、一番多く消費したのがドイツであり
7割に及びます。次いでデンマークが2割。最後にイギリスが1割です。

よって大豆価格はロンドン相場で、主としてドイツの需給によって決定されます。
また輸出に伴う「大豆の運賃市況」もロンドンで動かされました。

もちろん、ドイツはなぜ大量の「満州産大豆」を輸入したのか?という疑問が
湧き上がります。これは、当時のドイツが欧州有数の「畜産産業」を保有しており、
安価な「満州産大豆」は飼料用として非常に大きな需要があったのです。
532イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 00:30:14 ID:???
またハンドルネーム直すのを忘れた…orz. そのうちに「#」を間違って消して
トリップを『情報公開』してしまう悪寒w。まあ、別に気にしませんけど。

>>529 >>この時間から祭りということは、男女一組だけで隠れてやるお祭り
>>なのか、などと。

俄将軍もハンドルネームを直すのを忘れましたか? まあ、今日は新宿のメイン
ストリートで「エイサー祭り」がやっていました。お前等、紀伊国屋に行きたい
のに邪魔だっつーの!w そういえば、今日は隅田川の花火大会でしたか…。

>>530 >>一人で路上で裸になる祭りとみた。

いいえ、「廃人オリンピック」です。2004年には「アテネ・オリンピック」とも
『同時開催』でしたw。路上で裸になる人間が出たら、来年から無くなりますw。
今年は雨が降るか猛暑か、どちらにしても、翌日は休めるように仕事を終わらしたい…。
533名無し三等兵:2006/07/30(日) 00:41:39 ID:???
ばば様はミナト派ですかそうですか。
534イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 01:04:23 ID:R1sGtbQZ
>>531 の続き。
ドイツは極端な「重工業政策」を取ったために、第一次大戦で「穀物問題」が
生じて痛い目に遭っています。そのため戦間期では、農業保護政策を打ち出して
食料自給率の確保に力を注いだ訳です。例えば、以下の通り。

●じゃがいも、砂糖:100%以上 ●豆類56% ●一般脂肪(油脂類)45%
●果物64% ●玉子68% ●牛乳加工品90% ●野菜90% ●獣肉97%

それでもご覧の通り、豆類(および油脂類)が不足しています。念のため補足しますが、
大豆からは油脂類が取れますね。サラダ油、天ぷら油、そしてマーガリンの原料にもなり
ます。畜産産業が盛んだったのも、飼料として豆類が不足した大きな要因でしょう。

ところが泣かされるのが、ドイツの『外貨不足』です。すでにナチス・ヒトラー政権の時代に
入っていましたが、決済に必要な外貨が逼迫して、一時「満州国産大豆」の輸入差し止め
措置が行なわれました。イタリアもそうですが、何とか輸入物資はバーター取引で済まそう
としていた時代ですねw。輸入差し止めになったのは、別に満州大豆だけではないでしょう。
535イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 01:29:28 ID:R1sGtbQZ
日本も他人様の事をとやかく言えた義理ではもちろんなく、外貨不足に不安を
抱えていたのは指摘するまでもありません。

そもそも支那の「幣制改革」にあれほど日本が強硬に反対した(あるいは指を
咥えて見ていたw)のは、イギリスの「1000万ポンド設定」といった絶大な
金融支援に『対抗不能』だった訳です。

それを考えますと、日独伊は貧乏国同士で同盟を結んだのだなあと、つくづく感じます。

さて大豆と言えば、なぜ現代で「穀物メジャー」たるアメリカの名前が出てこないのか
不思議に思う人もいるかもしれません。米国では1930年代から爆発的に大豆の生産量を
伸ばしてきたのであり、1920年代はそれ程でもありませんでした。

しかし1925年に500万ブッシェルの生産量だったのが、約10年後の1934年には
4倍の2千万ブッシェルと飛躍的に伸ばしており、末恐ろしい限りです。ちなみに
現代の日本の「大豆輸入量」は97%ですw。
536俄将軍:2006/07/30(日) 09:28:41 ID:???
順番は、前後しますが。

>>232
他のスレッドで、語尾に、「などと」をつけるのが、癖になった、という「名
無し三等兵」な奇特な中の人など、見かけたこともありますが、>>529 を書
き込んだ中の人と、「俄将軍」の中の人は、別人であります。

>>535
満洲産の大豆というのは、当時、全世界の生産額の三分の二程度を占めていた
わけですが、1929年が世界恐慌の影響というのは、世界的な農業恐慌に
も、ということに。

世界的な景気の影響が、世界的な農業への影響、ということになると、日本の
生糸と同様、ということになるのか、などと。
537俄将軍:2006/07/30(日) 09:43:55 ID:???
>>531 >>534
ナチスヒトラー政権ですが、1934年5月に、ブルガリア産の大豆とドイツ
の染料をバーターすることで、満洲産の大豆を一時的にではありますが、輸
入禁止すると、通告してきたということになるのか、などと。

1932年12月には、ご指摘のように、ナチス・ヒトラー政権は、マーガリ
ンなどの生産制限に加えて、高率な課税によって、国内での油脂原料生産の
保護奨励を実施した、ということに。

米国の「中立法」も、何時もニコニコな、「現金購入・自国船輸送」であった
としても、支払いに関しては、米ドルか金、というということになると、1
939年8月の米国のFRBによるヨーロッパ各国の外貨準備、ドル資源
に換算してでありますが、金準備、ドル準備、をドルで換算して算出し
てみることで、国力を把握するということになると、ということにな
るのか、などと。
538俄将軍:2006/07/30(日) 09:57:14 ID:???
>>537
ドイツだけでなく、日本の外貨獲得、金、銀などの獲得というのは、というこ
とになると、金の米国輸送で、レートを維持していたわけで、中国の幣制改
革、外貨獲得の手段としての満洲産大豆の輸出は、ドイツの輸入制限だけ
でなく、満州事変以来、中国の排日政策には、排満政策でもあり、防穀
令によって、満洲産大豆の中国への輸入を禁止したり、ということに。

>>535
英国の「1000万ポンド設定」も、英国の中国投資が、一億ポンドという桁
が異なる単位でありますから、日本の中国への投資の資金も、日清戦争での
賠償金が元手、ということになると、貧乏は、今に始まったことでもない
ということになるのか、などと、嘯いてみたり。

>それを考えますと、日独伊は貧乏国同士で同盟を結んだのだなあと、つくづく感じます。

ドイツも、第一次世界大戦で、痛めつけられたわけですが、現状打破、という
ことからすれば、ということになるのか、などと。

世界恐慌の影響は、ということになるのか、現在の特殊法人など、連想させる
満洲利権などは、ということになるのか、大日本帝国海軍な軍事費など、と
いうことになるのか、考えさせられるということに。
539俄将軍:2006/07/30(日) 10:05:21 ID:???
>>526
現実世界に与えるようであっては、本末転倒、ということで、掲示板ですし、
間隔が空いても、ということになるのか、などと。

>>527
「阿片問題」と、北支の治安戦の関係は、阿片と地方の銀行、ということにな
るのか、北支というからには、満洲事変後との関係で、幣制改革による租界
などとの関係、ということになるのか、などと。

熱河作戦だけでなく、流通ルートとしての「阿片ルート」の取りこみ、という
見方もあるわけですが、如何なる切り口で見せてくれるか期待しております。

>>528
秋葉原や、モノレール駅近くで、お祭りにいく中の人など、見かけるだけで、
一回も足を運んだことがなく、負け組、ということになるのか、などと。
540イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 21:55:36 ID:TjzFlAM7
>>536 >>書き込んだ中の人と、「俄将軍」の中の人は、別人であります。

それは失礼いたしました。現実世界でも思い込みが激しいというか、ブラフで
「カマをかける」癖がありますので…w。

>>1929年が世界恐慌の影響というのは、世界的な農業恐慌にも

当時の新聞記事の見出しを拾っていくと、確かに「北満の大豆恐慌」という
言葉が出てきます。1930年末頃からチラホラ見られ始め、例えば

●「大豆輸出激減」(東京朝日新聞:1930年11月26日)●「大豆の輸送減」(満州
日日新聞:1930年11月26日)●「満州大豆の欧州輸出不振、過剰は免れぬ」(京城日報:
1930年12月16日)●「北満大豆の滞貨昨年の3倍、特産界不振の証左」(京城日報:
1931年1月14日)●「紙幣を増発して大豆を買占めよ、北満の大豆恐慌対策」(大阪朝日
新聞:1931年1月18日)……などなど。
541イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 22:32:10 ID:TjzFlAM7
もちろん、1931年9月には『満州事変』が待ち構えている訳ですが、こうした
満州の農業恐慌も影響していた訳です。しかし「大豆市況」の立ち直りは早く、
>>531で書いているように、1934年頃には完全復活、そして好況を迎えていますね。

一番気になるのは、満州事変へと繋がる『満鉄経営への影響』でしょうが、要するに
ドル箱だった「大豆の輸送量と運賃収入の激減」として直撃しています。満鉄の経営は
悪化し、実質的な赤字に陥ったのです。

そこに懸念されていた張学良政権の「満鉄平行線(包囲網)」が加わり、また満州在住の
日本人は『満鉄頼み』の暮らしを送っていましたから、満鉄がコケたら日本人が総コケに
なると危惧された訳です。これはオーバーでも誇張でも何でもなく、そのぐらい当時の
在満日本人は満鉄に依存していたのです。

張学良政権の「満鉄包囲網」がどのくらい満鉄経営に影響を与えたかは、諸説様々です。
しかし世界恐慌は、支那の本位通貨である『銀の暴落』を招いていますから、金建てで
あった満鉄の運賃が相対的に割高となり、経営に悪影響を与えたのは事実です。
542+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/30(日) 22:42:32 ID:???
>>541
「張」学良というと、国共合作で有名ですね。
543+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/07/30(日) 22:58:01 ID:???
ついでに満州事変ですが、土人は最新兵器に慣れてないので、あっさり降伏したそうです。
544イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 23:24:49 ID:TjzFlAM7
>>538 >>日本の中国への投資の資金も、日清戦争での賠償金が元手、
>>ということになると、貧乏は、今に始まったことでもない

まあ、それを言ったら「アヘン戦争」(1840〜1842年)が嚆矢ですけどね。しかし
イギリスが賠償で得た金額は2100万両、日清戦争でのそれは3億両とケタ違い
です。時代が半世紀以上くだりますので、インフレ率の換算など、比較が困難ですが、
とにかく莫大な額であるのは間違いないでしょう。

さらに北清事変での『北京議定書』(1901年)と比べた方が分かりやすいかも
しれません。土人共があれだけの狼藉を働いたにも関わらず、賠償額は8カ国で
4億5千万両に過ぎません(日本の取り分は、出兵のメインとなったにも関わらず
7.7%の3480万両w)。

しかし上記の表現は誤解を招く書き方です。正確には、北京議定書の賠償額が少ない
のではなく、日清戦争の賠償額が途方も無いだけでしょうw。
545イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/30(日) 23:41:19 ID:TjzFlAM7
>>544 の補足。>>正確には、北京議定書の賠償額が少ないのではなく、
>>日清戦争の賠償額が途方も無いだけ

何か1つ1つの話が長くなって恐縮ですが、補足しておきます。

北京議定書での賠償額は4億5千万両ですが、39カ年払いの年率利子
4%とされましたから、利払いトータルで8億5千万両にも上りました。
ちなみに支那(清国)の年間予算は「1億両足らず」(当時)ですw。

賠償の支払いが一応終了(6億5千万両でストップ)したのは実に1938年の
事となります。また後の国民政府は、清国の債務を引き継ぐ気はサラサラ
なかったでしょうが、支那の海関(関税)を列強が押さえていましたから、
まがりなりにも完済できた訳ですw。

ちなみに、現在の清華大学(理系。北京大学が文系)は、米国が受領した
賠償金で建設したものです。卒業生には、朱鎔基や胡錦涛などがいますね。
546イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/31(月) 00:01:10 ID:TjzFlAM7
>>489 >>単に、満洲大豆の輸出先との関係を優先しただけ、ということになると、

今までの「回答漏れ」を見直していたら俄将軍。あーた、この時点で結構鋭いことを
指摘しているではありませんか。主語が無いので見逃していましたw。もっと分かり
易い日本語の文章を心がけて下さい。

>>上海事変を引き起こした中の人の宣伝戦の理解に、問題があった

『宣伝戦』について改めて指摘して置きたいのは、第一次上海事変は、日本が
起こした謀略工作です。第二次上海事変は、支那が起こした先制攻撃です。

>>492 >>現在の日本国も、省庁で争うどころか、省庁内で争っているということに
>>なると、戦前を継承しているということになるのか、などと、嘯いてみたり。

トラウトマン工作での日本側の和平条件も、各省庁の要求をそのまま全部横に
並べました、というのに近いですw。誰も取捨選択できる人がいなかった訳です。
547イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/31(月) 00:08:15 ID:???
もう少し言い方を変えると、各省庁の「概算要求」がそのまま通るという
のに近いかもしれませんw。

F1が始まったので、そろそろ堕ちますw。
548イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/31(月) 00:22:23 ID:o4qbb9HL
>>524 >>黄浦軍官学校出の人らは愛国心に萌えた インテリ階級かと思うがいかが

蒋介石を知る上でそこは必須なので、いずれやります。そんなに長い話に
なりませんので、阿片問題の前にどこかでスポッとやるでしょう。

まあ、自分は「土人土人土人」と連呼していますが、当時の日本の官僚然とした
指導者層と比べたら、蒋介石は明治の元勲に近い存在だと思っています。

強いて言うなら、山県有朋に近いですかね。国軍の建設という点でも共通点が
あります。また人気があまり無いのもですねw。
549イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 00:13:50 ID:7qQYMRqJ
>>518 >>当時の蒋介石の国民党軍は、中央の精鋭以外は土人と思って
>>間違いないと思いますよ。

まあ、当時の支那は「文盲率」が90%以上、ついでに「貧農率」も90%以上
ですからねw。これが1920年代に遡りますと、文盲率は95%にまで達します。

では「中央の精鋭」とは、どのようなものだったのでしょうか? >>548 で述べた
ように、いずれ詳しく触れますが『黄埔軍官学校』の最初期だけでも見てみましょう。

言うまでも無いことですが、黄埔軍官学校は1924年5月3日、中華民国の大総統だった
孫文が「大元帥」の名義により、蒋介石を「校長」に任命したものです。

1924年6月16日に入学式が行なわれ、第1期の学生は499人でした。そして同年11月30日の
卒業試験によって456人が合格しました。1年後には、この『半数以上が戦死』しています。
550イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 00:45:30 ID:7qQYMRqJ
>>549 を読んで、まず驚くべきなのが「学習期間」の極端な短さです。僅か
5ヵ月余りの速成教育でしかありません。

黄埔軍官学校の設立準備のとき、各委員は訓練期間を少なくとも1年間と考えて
いましたが、蒋介石だけは『3ヵ月』と強硬に主張しました。蒋曰く、

「もし訓練期間をこれ以上延ばせば、中国は滅んでしまう」と。

最終的に中間を取って6ヵ月となりましたが、実際は既に述べたとおり5ヵ月余り
でした。これは要するに、当時の国民政府がいかに脆弱な存在だったかを示して
います。当時の広東省内は、依然として軍閥が跳梁跋扈している状態だった訳です。

蒋介石は、設立当初の軍官学校の門に「升官発財(官僚になり蓄財しようとすること)
目当ての者は他に行け。生を貪り死を恐れる者はこの門に入るな」と書き出しています。
ですから、インテリかはともかくとして、維新志士を目指すような愛国心のある者たちが
蒋介石を慕って軍官学校に集まって来た、とは言えるかもしれません。ちとオーバーw。
551イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 01:11:43 ID:7qQYMRqJ
蒋介石の教育方針は、1924年9月13日の第一期生に対する訓話に全てが
現れています。曰く、

「学問と戦争は、別々の事だと思ったら大間違いだ!」

さらに1925年4月13日の『第一期同学録序』、また1926年1月10日の講演で蒋は、

「第1期生のうち、私に従って出征した約500人の子弟と、教導団の3千人の
 同士の死傷者は、ほぼ3分の1に達した」

「第1期生はもともと460人だけだった。だが第2、第3、第4期生の既卒者、
 未卒者を含めると、今では5540名の学生がいる。しかし、第1期生は
 140名が存命なだけだ。他の者は全て死傷してしまった」とあります。

ここだけ読むと、蒋の教育はとんでもないものに思えます。しかし繰り返しますが
当時の革命政府の状況は、それ程厳しかったのです。蒋の危機感たるが故でしょう。
552イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 01:25:05 ID:7qQYMRqJ
まるで高杉晋作の「奇兵隊」のようだと感じた人もいるかもしれませんが、
それは蒋介石に怒られるでしょう。

蒋が尊敬していたのは、湘軍を組織して「太平天国の乱」の鎮圧に功績を挙げた
曽国藩です。蒋が黄埔軍官学校に傾けた情熱を見ると、自分を曽国藩にダブらせて
いたのかもしれません。

余談ですが、高杉晋作は1864年に清国に渡り、「太平天国の乱」を見聞して
大きな影響を受けています。そして同じく1864年は、曽国藩が太平天国の首都
天京(南京)を陥落させ、太平天国を滅亡させた年です(この功績により
侯爵となる)。

歴史は、ひょんなところで繋がっています。
553華人小娘 紅美鈴 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 23:00:48 ID:usrD3OBm
>>523 >>国民党軍にしても、軍人、兵隊さんの中の人が、如何なる経緯を経て、
>>国民党軍に、ということになるのか、などと。
       _
     '´ ☆ ヽ
   / ,.'´  ̄ ヽ!
  丶  ノリノ ))〉    国民党軍がどのように徴兵していたのかも、
   ノノ.|i.゚ ヮ゚ノ!    中校が解説してくれるそうですよ。国府軍による
  (( ( リi.._\_iリつ    人狩りも相当あったみたい。もちろん日本軍の
     ∪_||j      所業として伝えられている場合も多いですけどねw。
     `し'ノ       かくいう私も似たような口で門番やっています。 
554イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 23:25:02 ID:usrD3OBm
>>539 >>秋葉原や、モノレール駅近くで、お祭りにいく中の人など、見かけるだけで、
>>一回も足を運んだことがなく、負け組、ということになるのか、などと。

何も好き好んで人間を辞める事はありませんw。しかし、軍事系なら
「えげつないやん家」というサークルは足を運ぶ価値があると思います。

自分は「女人の行列」に身を小さくして買っているだけですがw、主催の
堀江蟹子氏(ペンネームですよね? 本の奥付に書いてあるし)は、自分の
軍事知識の軽く10倍以上をお持ちの方です。

それに加えて絵は超絶上手いし、ネタは毒のある小気味の良さ。毎回主役クラスの
森下信衛は大和艦長ですが、やん家さんの漫画で初めて関心を持ったぐらいです。

あるいは栗林忠道に関する4コマで、いきなりポンチ絵になるので意味が分からないと
思っていたら、しばらくして『玉砕総指揮官の絵手紙』(小学館文庫、栗林中将が幼い
息子の太郎に自筆の絵を描いて送った手紙を収録)の存在を知って、初めて得心しましたw。
555イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/01(火) 23:43:22 ID:usrD3OBm
他にも「2.26事件」の青年将校の指導者格であった、大岸頼好(大尉)です。

少し前に、幻の国際商社と言われる昭和通商の本を読みまして(『阿片と
大砲/陸軍昭和通商の7年』)、大岸が昭和通商の広東支店長を務めて
いることを知って驚いたのですが、「やん家さん」の本の人物紹介には
小さくですが、しっかり書かれていましたw。

自己基準のランクで言いますと、中将に値する方でしょう。恐るべき、確実に
恐るべき存在です。もし総集編が売ってたら、初めての方は即刻買いでしょう。
556イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/02(水) 00:00:07 ID:???
自分は中佐を名乗っていますが「経歴詐称」で、実際は中尉に任官して数年、
陸大に入っても大尉になるまで、まだ2〜3年かかる年齢です。

しかし今までの人生を振り返って、絵の勉強と支那語は学生時代にもっと
やっておくべきだったなあと後悔しています。

こんな便所の落書きのような文章が書けても、クソ拭く紙の役にも
立ちませんw。学生の方は、以って他山の石として勉強を頑張って
ください。やはり社会人になったら限界がありますよん。
557イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/02(水) 00:35:03 ID:M9+b1Jgz
>>435 >>しかし何事も順風満帆とは行きません。1929年がやって来ます。
>>世界大恐慌です。

誰もいない間に「幣制改革」の話を進めたいと思いますw。もう遥か昔の話だと
思ったら、まだ>>435 は10日前ぐらいの書き込みですね。復習したいという
奇特な方は、その前後を読んでおいてくらさいw。

1929年10月の「世界恐慌」については、今さら詳しく書く事でもないでしょう。
ですので、支那経済に与えた影響を中心に取り上げることにします。

北伐を完了した国民政府は、1928年に全国経済会議と全国財政会議を開いて
軍事のみならず、経済的な統一を目指しますが、全部ぶち壊しになりました。

経済的な統一には、列強の「支那諸権利の回収」が不可欠ですが、1928年7月には
米国が、同年12月にはイギリスが「支那の関税自主権」を承認する条約を締結した
矢先のことですから、スタートして第1コーナーでクラッシュといった具合でしょうw。
558イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/02(水) 01:07:21 ID:M9+b1Jgz
1つ補足しておきますと、この前後の1929年に国民政府はアメリカから
ケメラー教授を招聘して「幣制改革」の青写真を描かせています。

ケメラーの骨子は、金本位基金を設定して「通貨の伸縮」は為替の売買を
通じて行なう一種の「金為替本位制」でした。

支那側が慎重であったために結局お流れになりましたが、実現していたら
史実より更に恐ろしい事になっていたかもしれませんw。

ちなみに日本の浜口雄幸内閣の「金輸出解禁」は1930年1月です。
559名無し三等兵:2006/08/02(水) 01:26:58 ID:zIoOCf1P
今井武夫とイナゾウ中佐ではどっちが支那通なのですか
560名無し三等兵:2006/08/02(水) 03:59:07 ID:???
一番悲惨なのが国民党の兵士

恩給も無い、戦後賠償も無い、名簿も無い 共産化で発言の機会も無い
561イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/02(水) 23:25:12 ID:uHKI8Udh
>>559 >>今井武夫とイナゾウ中佐ではどっちが支那通なのですか

なんつー、不遜な(笑)。今井武夫の『支那事変の回想』は、大抵の日中戦争本の
参考文献に取り上げられる必須文献ですよ。でもスイマセン、自分はまだ未読です。

今現在は、黄仁宇の『蒋介石日記』を読んでいます。あと三野正洋の『わかりやすい
朝鮮戦争』をチラチラとw。

文華堂でいつも見かけるのですが、4500円は「ちょっとなーw」という気がします。
しかも後半は「資料」ばかりで、今井自身の生身の肉声が少ないのです。パッと立ち読み
での印象ですがw。2000円ぐらいなら気軽に買えるので、値段下げてくれないかしらん?w

そんな訳で『支那事変の回想』は買うのを躊躇していますが、同じ5千円前後の本ならと
『日中戦争の軍事的展開』(慶應義塾大学)を選択して買いました。まだ部屋で埃を
かぶっていますが、「読書リスト」の優先順位は高めに設定しています。
562イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/02(水) 23:53:14 ID:uHKI8Udh
>>560 >>一番悲惨なのが国民党の兵士

参考までに「国民党兵士の給料」を挙げてみましょう。太平洋戦争が始まる
直前の1941年の数字です。

少尉で排長(小隊長)の月給が42元、上等兵だと11元前後ですね。これは
あくまで一例で、部隊の上級指揮官が「給与全体」から着服するのが当たり前
だからです。ゆえに師によって大きく異なるでしょう。

ちなみに「上記の部隊」が駐屯していた雲南省の町や村では、麺一杯の値段が
法幣3元でした。

ですから、少尉の月給は麺14杯、上等兵の月給は麺4杯弱となります。ほんの
小遣い程度と同じですね。現代に直しますとラーメン500円として、少尉が7千円、
上等兵が1200円弱です(藁)。
563イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/03(木) 00:18:33 ID:9F8ZeWS7
さらに参考として、この地方の土匪は、国府軍の軽機関銃を「一挺7千元」で
買い取っています。まあ、上等兵の給与40年分な訳です。

ざっと現代の価格に類推すると120万円前後になりますかね。適正価格では
ないでしょうか。要するに、国府軍の給与が「雀の涙」であるだけの話ですがw。

当然のことながら、夜中に兵士が持ち逃げしようとする事件が絶えず、部隊長が
鎖で軽機関銃を縛りつけるなどの予防措置も取られました。敵襲があったら、
一体どうするのでしょうw。

この辺りの話は、単に支那人の品性が下劣である、などという理由で到底説明
しきれるものではなく、国府軍全体の問題から探っていく必要がありますが
更に救いようのない話になっていきますw。

「パッと取り上げる」にはとても字数が足りません。今後取り上げる大きなテーマ
として宿題にしたいと思います。
564イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/03(木) 00:39:58 ID:9F8ZeWS7
>>558 の続き。支那が実は「金本位制」を模索していたことは興味深く、当時の
新聞見出しを参考に挙げておきましょう。

●「金本位制採用を蒋介石氏自ら表明、実行の決意を語る」(中外商業新報、1930年1月)
●「ケメラー博士の支那幣制改革案、金本位実施不可能を暗示する膨大な内容」(大阪毎日
  新聞、1930年3月)

●「支那いよいよ金本位制導入か。実施期日はなお未定」(国民新聞:1931年3月)
●「いよいよ支那が金為替本位制、5月から金準備紙幣を発行」(大阪毎日新聞、1931年4月)

●「支那の金輸出禁止、日本への流出に備えるため。銀の輸入制限は外国銀行に限る」
 (神戸新聞、1930年5月)

●「支那の金本位になぜ日本は反対なのか? 支那顧問語る」(時事新報、1931年5月)
●「西原借款だけでも3億数千万円、それを踏み倒すつもりじゃないか。問題の債務整理
  会議への提案。驚くべき支那の無誠意」(大阪毎日新聞、1930年11月)
565俄将軍:2006/08/03(木) 00:51:20 ID:???
>>562
抗日戦は、国民党ではなく、共産党が、主力で戦ったかのような、歴史教育、
ということになるのではなかろうか、などと。

台湾に逃げた、国民党の中の人とは別に、共産党に投降することなく、大陸に
留まって、戦った中の人も存在した、ということになるのか、などと。

>>554
今月の商業誌に、沖縄特攻の大和をネタにした漫画を描いていた中の人なのだ
ろうか、などと<堀江蟹子

>>555
偶に、昭和通商の蔵書印がある古書など、見かけたりもしますが、昭和通商の
大陸支店名の蔵書印がある古書を有していたことを思い出しました。
566イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/04(金) 00:46:28 ID:???
>>565 >>共産党に投降することなく、大陸に留まって、戦った中の人も存在した、

昆明などに抵抗拠点が残ったという話を聞いた覚えがあるのですが、何の資料だったか
記憶がありませんw。ちょっと探したんですけどね。う〜む。こうやって忘れていく訳ですw。

>>今月の商業誌に、沖縄特攻の大和をネタにした漫画を描いていた中の人

いまググってみたら、商業誌に連載しているのを初めて知りましたw。
『月刊アームスマガジン』や『ミリタリークラッシクス』なんて読まねーよっ!
ウワーン!・゚・(ノД`)・゚・。
567イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/04(金) 01:15:32 ID:hFeAG5b4
>>564 の補足。

ちなみに支那が「金為替本位制」を導入した場合の新通貨名は『孫』でしたw。
しかし当然のことながら、支那はそれまで「銀経済」でしたので、一国全体を
いきなり「金経済」に変換するというのは無理があり過ぎます。

なので、支那国内では「孫」銀貨を流通させて引き続き「銀経済」を持続し、同時に
外国で金準備(3億3千万ドル)を設定して対外的には「金為替本位国」として振舞う
という複雑極まりない制度になるはずでした。考えるだけで頭が痛くなりそうです。

オジャンになって幸いでしょうw。しかし、自分は何気なく1930年の記事をズラズラ並べて
いますが、支那の1930年というのは『中原会戦』など、大規模な「反蒋介石闘争」が続き
幣制改革どころの話ではないのですけどねw。
568イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/04(金) 01:33:21 ID:hFeAG5b4
いずれ、北伐やこの時代の支那も詳しく取り上げるつもりですが、
『中原会戦』(1930年5月〜10月)というのは、曲がりなりにも
北伐を成功させて「支那の国内統一」(北京入城)を果たした
蒋介石に対する大規模な反乱です。

李宗仁、白祟禧、閻錫山、馮玉祥といった名だたる軍閥の首領が蒋に
反旗を翻し、中央軍と反蒋軍を合わせた「総兵力140万」の激突です。

蒋介石側の死者2万人・戦傷者6万人、反蒋側の死傷者が15万人に達する
内乱でもう一度、軍閥の時代に戻ったかのような戦いでした。

とくに馮玉祥は、1日あたり2万発以上の砲弾を消費し、このような記録は
抗日戦争中にも見当たりませんw。

ハイ。ここで>>564 をもう一度、読んでみて下さい。「幣制改革」なんて、
やってる場合じゃねーwと思うはずです。
569イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/04(金) 01:51:24 ID:hFeAG5b4
>>「西原借款だけでも3億数千万円、それを踏み倒すつもりじゃないか。問題の
>>債務整理 会議への提案。驚くべき支那の無誠意」(大阪毎日新聞、1930年11月)

言うまでも無く、「西原借款」とは段祺瑞政権の支援のために寺内正毅内閣によって
行なわれた借款(1917年)です。大戦景気でよほど儲かっていたのでしょうw。

日本は1930年に支那の関税自主権を認めていますが、この北京政府が締結した
「西原借款」の債務を国民政府が受け継ぐことが条件でした。まあ、関税を自分で
何%に決めようが、肝心の関税収入は対外債務償還のための担保として、列強に
押さえられたままですけどねw。西原借款もそこに含まれた訳です。

とにかく1930年は、本来なら「幣制改革」なんてやっている場合では
ない年です。そして世界大恐慌の影響がさらに被ってきますw。
570俄将軍:2006/08/04(金) 22:35:29 ID:???
>>567-568
本邦も、陸海内に争い、その余力を持って米英と戦うということになると、中
国の権力闘争も、国民党、国民党内部、共産党など、様々な思惑が絡み合っ
て、ということになるのか、などと。

中国内部での権力闘争は、抗日戦争よりも、問題ということになると、国民党
内部でも、反蒋介石派の中の人は、日本軍を挑発し、反日を煽ることで、蒋
介石への攻撃、ということもあるのか、などと。

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉_     中佐に突撃取材をお願いしたら、写真に埋もれて死にそうに
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn    なっていました。仕事で整理するのも大変ですよね。まあ、
 ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ    私も人のことが言えませんけど。なので、今日はお休み
  `,し/~/:ハ      だそうです。そして読みにくいでしょうが、私の名前は
   `'ィ ァ~ィ ァ´     〔しゃめいまる・あや〕。今売り出し中の鴉天狗です。私に
    T  T       掛かれば、他人のプライバシーなんて目じゃありませんよ。
              中佐の連隊討伐や粛清作戦のベストショットも収めていますw。

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉_    
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn    要するに大量虐殺と拷問、強制連行ですw。
 ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ    大人しく私の言うこと聞いてくれないと、
  `,し/~/:ハ       戦犯の証拠として記事にしてしまいますよー。
   `'ィ ァ~ィ ァ´    
    T  T       
             

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´
    `i Lノノハノ」_〉   
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|    今日も仕事だ、休日勤務。月月火水木金金♪
    !γリi.ハiリつ      ……て、ちょっと。7曜の魔女である私の
    |,( ll」i l i_|」   「土符」と「日符」がどこにいったのよ?w 
    └'i,_ィ_ァ┘        
574サントスは日本代表にいらない!!:2006/08/06(日) 10:43:56 ID:C6Kwdr5m
大阪商船の得意技ですね。
りおのみならず、あるぜんちな・ぶらじる・さんとす・らぷらた等がいますからね。
元飛龍艦載機パイロットの方が手記を残していますが、開戦直前に洋上訓練に出たところ
コースを間違えて飛龍を見失ったそうな…。
夕方になっても飛龍が見えないので、不時着やむなしと諦めの心境に達したとき、
突然海面からサーチライト投射。
「汝、飛龍機なりや? 我さんとす。 飛龍に誘導す」
さんとす? 何者だ? 敵の罠か…と半信半疑でついていくと、本当に飛龍が待っていた…とか。
潜水母艦さんとす丸が彼の捜索と誘導に成功したわけですが、
航空屋さんは潜り屋さんの新鋭母艦の存在を知らなかったため、あらぬ疑いを持ってしまった由。

その一方、那智丸・牟婁丸なんてローカルな船を持ってるのも大商らしいお茶目っぷり。
>>572 >>大人しく私の言うこと聞いてくれないと、戦犯の証拠として記事にしてしまいますよー。

 ヽ、_ ,、  ,、 γ
 r>iゝ!' ,.ゝ-ヽiノ,.i    天狗は「強い者には下手に出て、弱い者にはキツク当たる。
   ゝ,) ,   ,ヽイ    また強いのに惚けた振りをする」。文(あや)は新聞記者だから
   γ ノi」ハノイ」      誰に対しても『一見』丁寧だけど、馬鹿には分からないように
   ,'イレi ゚ ヮ゚ノ〉     バカにしたりるすからねー。まあ、弱みを握られたら握り返す  
   (_ハ((8i,ハ,iつ曰    ぐらいでないと痛い目見るよ。女子中学生(自称w)の外見に
   .リ.,く_ハλハリ       騙されないよう気をつけなさんな。ね、世のダンナ方。
    `"r_7i_7"
576伝統の幻想ブン屋 射命丸 文 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/07(月) 00:49:55 ID:+atqL6yS

    ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ    うるさい! 外見が小学校高学年の「アル中」の鬼に
   | i.|ノリハノリ〉    とやかく言われたくありませんねー。取材元とは時に
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノii ,   共存共栄。とても素晴らしいことじゃありませんか?
 ゝ,<,⊃〔i◎〕 、   中佐も忙しさに負けず頑張ってくださいねー。特ダネ
  `,し/~/:ハ     期待してますよ。内部告発、抗命上官暴行、敵前逃亡
   `'ィ ァ~ィ ァ´    なんてのも良いですよね? ところで山西残留の日本兵
    T  T      問題、詳しくご存知ないですか…? ね、イナゾウ中尉?
577イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/07(月) 01:01:17 ID:+atqL6yS
自分は山西省に残留した(させられた)日本兵のように、兵が下士官を名乗り、
下士官が将校を名乗り、尉官が佐官を名乗るような「自己申告階級」はやって
いませんよ。

カマをかけるのは止めて下さいw。他人様が誤解します。

まあ、自分が中尉で山西省に残留したら、中佐を名乗る。実際に起こった
ケースを見ると、ちょうど相場ではありますがw。
578名無し三等兵:2006/08/07(月) 11:20:47 ID:???
連日の猛暑でイナゾウも気がふれたなW
579名無し三等兵:2006/08/07(月) 22:40:45 ID:???
>>577
下士官を名乗った兵というソースを教えてください。
日本人は全員将校待遇だったと思いますが。
それに自己申告階級ではなく、
中国側からの任免だったのではないですか?
580イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 00:20:23 ID:???
>>578 >>連日の猛暑でイナゾウも気がふれたなW

だから今頃が、盆前進行のピークで糞忙しいと一週間前ぐらいに書いてんだろーがよ!
よく読んどけや。こちとら何時間睡眠だと思ってんだよw。

まだカタログも買ってないと言えば、どれだけ多忙か分かる人には分かるでしょうw。
一体逝く気あるのか?という話です。

『東方』ネタは、いつも言うように「布教」であり「確信犯」です。

このスレは東方と共にあると冒頭にも明記してあるはずです。
581イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 00:42:48 ID:V5Qqq6L7
>>579 >>下士官を名乗った兵というソースを教えてください。

スイマセン。昨日ベッドで『全英女子オープン』の終盤を見つつ寝ながら
書いていましたので、今見直したらテキトーでした。ご指摘の通りですw。

>>兵が下士官を名乗り、下士官が将校を名乗り、尉官が佐官を名乗るような

具体的には一個ずつズレていまして、正しくは「下士官が将校を名乗り、
尉官が佐官を名乗り、佐官が将官を名乗るような」ですw。

>>それに自己申告階級ではなく、中国側からの任免だったのではないですか?

もちろん「中国階級」の事ですが、かなり我が儘が効いたので上記のような
表現にしました。例えば、今村方策(今村均の実弟)は第114師団の参謀で
大佐でしたが、ダダをこねて「中国階級」で中将を獲得しています。
582イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 01:15:02 ID:V5Qqq6L7
その頃の閻錫山軍で「第一の闘将」と呼ばれたのが趙承綬(のちに共産軍へ投降w)
でした。肩書きは「中日野戦軍総司令・大将」です。閻軍の総兵力は、老人子供など
掻き集められるだけ掻き集めて10万未満でしたが、趙はその内のマトモな5万の
兵を任されていました。

また日本側の最上級者が「元泉馨」という終戦時、独立歩兵第14旅団長で
山西に駐屯していた少将でしたが、この人が「(中日)野戦軍総副司令」です。
中国階級は「中将」でした。

日本側の義勇軍である「暫編独立第10総隊総司令」の職に今村方策が
後に就いたのですが、「元泉と同じ階級でなければ総司令の威厳が保たれ
ない」という理由でダダをこねて、中将の位を獲得していますw。
583イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 01:33:10 ID:V5Qqq6L7
ざっと終戦時の階級と、山西省に残留した後の中国階級を比べて
見ると以下の通り。

元泉馨少将→中将(中国名:元全福、戦死後:上将〔大将〕に)
今村方策大佐(中佐と書かれる場合あり)→中将(中国名:晋樹徳)
城野大尉→少将
岩田少佐→少将(中国名:干福田)
某曹長→上校(大佐)w
遠谷文雄曹長→中校(中佐)

割と上級者ばかりで、いわゆる一般の兵がどの程度の階級を獲得したのか、
具体例が手元の資料にありません。曹長レベルで佐官を名乗っているケースが
ありますから、尉官でも将官になれたかもしれませんw。
584名無し三等兵:2006/08/08(火) 01:49:00 ID:???
兵卒の曹長クラスだと年齢から言って佐官が相応しいでしょう。
尉官も兵卒からの叩き上げでしたら相応の年齢になっていますから将官と言っても通じたかもしれませんね。
585イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 01:58:47 ID:V5Qqq6L7
ちなみに自分の資料が『無国籍兵団』(楳本捨三著、新国民出版社)ぐらい
ですが、「山西問題」で上手くまとめた本があれば、どなたか教えて下さいw。

上記の本は文華堂で転がっているのを偶然見つけました。ネットで
調べますと、山西の日本兵残留問題を取り上げた国会答弁があって以前
読んだ事があるのですが、これもあまり参考になりませんw。

映画でこの問題をテーマとした『蟻の兵隊』がやっていますが渋谷に
見に行ってこようかしらん? あまり気が進みませんが、これも何かの
きっかけでしょうw。仕事も峠を越えたようですし。
586イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 23:03:53 ID:drPBNY4u
そんな訳で『蟻の兵隊』を見に行ってきましたw。詳しくは映画のHP参照です。
タイトル名でググれば一発で出てくるでしょう。簡単にストーリーを説明すると、

終戦後も日本に帰れずそのまま山西省で共産軍と戦わされ続けた奥村和一という
80歳の老人が「自分たちはなぜ残留させられたか?」真相に迫ろうとするものです。

旧日本軍の山西残留問題はイチから説明すると鬼のように長くなるので省略しますw。
そのぐらいはネットで調べましょう。もしくは以降の断片的な情報から類推して下さい。
映画の感想のみを書くことにします。

さて奥村は現在80歳との事なので、終戦の1945年では20歳そこそこになります。
本人も終戦間近の昭和20年に「初年兵教育」を受けたと回想していますが、徴兵されて
直ぐに終戦→そのまま山西に残留というコースを辿ったことになります。この時点で
まず余程「運が悪い」と言えるでしょうw。
587イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 23:24:21 ID:drPBNY4u
奥村は1949年まで山西で戦い続けますが、その頃には共産軍によって
閻錫山軍は壊滅、いわゆる日本人義勇軍である「暫編独立第10総隊」
も同様の最後を迎えました。

戦死を免れた旧日本兵は共産軍に降伏・捕虜となり、奥村が日本に帰国
したのは更に5年後の昭和29年(1954)でした。20歳で徴兵されて
命からがら戻ったのが29歳。20代を丸々棒に振った事になります。

やっと故国に帰ってきたと思ったら、日本政府からは「お前達は好き勝手に傭兵として
戦っていたんだ」と定義され、軍人恩給などの戦後補償も受ける事ができませんでした。
日本政府の事情としましては、日本軍の武装解除がなされていない『ポツダム宣言違反』
になりますので、奥村たちの主張は絶対に認められない訳です。

2005年に「残留日本兵」が戦後補償を求めて最高裁に上告しましたが、つい最近
棄却されて公判は開かれなかったというナレーションで映画は幕を閉じます。
588イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/08(火) 23:48:49 ID:drPBNY4u
それでようやく映画の感想ですがw、お金を払って「自分の貴重な時間」を
犠牲にして見に行きましたので『好き放題』書かせて頂きます。

まず不安だったのが果たして「本当に上映しているか?」でした。行ってみたら
「やってませんでした」というのが第一の不安だった訳ですw。ところがどっこい、
場所はミニシアターだったのですが、着いたら既に行列が出来ています。これには
驚いた。しかも整理券を配っています。

これは「ひょっとして『当たり』のドキュメンタリー映画かも?」と淡い期待を
抱いたのですが、すぐに裏切られる事になりましたw。結局100席ぐらいの
シアターで埋まったのは30席ぐらいです。それでもドキュメンタリー映画の
平日の客入りにしては驚異的な数字でしょう。

もちろん老人が多かったですが、大学生ぐらいの若い人もかなり入っていた
印象です。映画自体もかなりのロングランのようです。
589イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 00:08:02 ID:vggEOqgv
肝心の映画『蟻の兵隊』ですが、特筆すべき点は以下の通り。

●ミニシアターの座席が「ゆったりサイズ」で尻の収まりが非常に良く、普通の
 映画館も全部こうだったらいいのにと感じた。

●始まる前の予告編で流れた『太陽』(イッセー尾形が昭和天皇を演じ、終戦の
 御前会議から「人間宣言」までを描く。桃井かおりが皇后、佐野史郎が侍従長
 を演じるw。極秘裏に撮影されたロシア映画<アレクサンドル・ソクーロフ監督>
 ですが、危ぶまれていた日本公開が決定)が非常に面白そうで、ぜひ見に行こう
 と決めた。

の2点です。映画自体は糞でした。山西問題で自分が知りたかった事は、ほとんど
得られませんでした。以上ですw。
590イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 00:25:39 ID:vggEOqgv
「時間を返せ」とは言いたいですが、それでも「金を返せ」とまでは言いません。
幾つか興味深い点もあり、1800円のチケット代ですが200円程度の価値は
あるでしょう。とにかく映画を見ていて「苦笑」というか、顔がニヤついて仕方が
ありませんでした。館内が明るくなくて本当に良かったですw。

というか、つい何回か鼻で笑ってしまい、周りの顰蹙を買ったことでしょう。

まず冒頭の靖国神社のシーンですが、初詣に来ているアホ女の集団に奥村が話しかける
訳ですが、ヤラセ臭くて見てられません。カメラマン(兼取材者)が「このお爺ちゃんは
戦争が終わってからも軍の命令で中国で4年間も戦っていたんだよ。けれど日本に帰ると
政府はお爺ちゃんたちが勝手に戦っていただけだと、知らんぷりしているんだ」

と紹介するのですが、アホ女の集団は焼きソバを掻き込みながら、「えー、それって
ヒドイっすねー」と言うぐらいで、靖国神社が戦死者を祀っていること自体も知らず
初詣に来ているという素振りを見せます。
591イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 00:49:09 ID:vggEOqgv
ヤラセではなくリアルだとしても、限りなく「誘導尋問」臭く、冒頭から
ドン引きさせられます。この点は「奥村が悪い」というよりも、取材者が
『日本軍非難』の規定路線に持っていきたいらしく、映画全体に意図的な
ものが終始見え隠れします。

奥村と医者の話(終戦後の戦闘で体に砲弾の破片がずっと埋まっている)も
ヤラセ臭く、前半は裁判の話ばかりで、ひょっとしてこのまま日本国内の
現代ドキュメンタリーだけで終わるのではないかと悪い予感がし始めたころw、
ようやく話が中国の山西省への調査に飛びました。

奥村の目的は、戦犯逃れのために「日本兵残留」の裏取引をしたとされる
澄田?四郎中将(第一軍司令官)と閻錫山の『密約』の決定的証拠を探す
ことですが、もちろん見つかるはずもありません。
592名無し三等兵:2006/08/09(水) 00:52:15 ID:Ag1JMrOi
( ^ω^) kskしてくれお

高2ですが500いったらおっぱいうpします
http://ex16.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1155047968/

593イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 01:09:33 ID:vggEOqgv
様々な状況証拠(山西省での戦いが「大東亜戦争の目的の貫徹」であるという
『本義』を書いた趣意書がある、また日本人義勇軍の祝日が旧日本軍と全く同じ
である=単なる閻錫山に雇われた傭兵ではない)から、澄田と閻錫山との間に
『密約』があったのは規定事実な訳ですが、日本の裁判ではこうした状況証拠は
ことごとく無視・却下される訳ですw。

ですから奥村は『密約』を直接示す決定的証拠を、と捜し求めるのですが、無論
残っている(残している)はずも無く、また見つかったところで日本政府からは
無視される事は必定です。

にも関わらず、奥村を始めとする他の残留日本兵の原告団(当然80歳以上)は
「もっと決定的な証拠を」「もっと主張を整理して強く訴えなければ」と延々と
堂々巡りを続ける訳ですから、ある種の残酷な『喜劇』でもあります。
594イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 01:38:32 ID:???
長くなりましたので一旦切ります。 後半に続くw。
595名無し三等兵:2006/08/09(水) 13:31:54 ID:8a/w1Tsj
ノモンハン周辺、簡易地図
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
\ ・731
\ ・721フイ高地
\ マンズテ湖
\タヤ湖

\ハルハ河
\ ・739 ウズル水
ハラ大地 A ┃
パインツァガイン
┃ ・672 ・737 ホオルステイ湖・758 ノモンハン
┃ キルデゲイ湖 ・752
┃ 日の丸高地
┃ ・673 ・731 イリンギン湖 ・742
北渡
┃ ・755 ・757
┃ ・733 バル西高地 ・738
コマツ台地 ┃ 三ツボサ高地
河又 菊形高地 ・747 ホルステン河
(合流点)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ・753
\ クイ高地 ・749
┃ ・691 ・742 Aニゲーソリモト
/ ノロ高地
中ノ島 ・758 ・757
┃ ボサ山 ・754 ・747

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
596名無し三等兵:2006/08/09(水) 15:04:56 ID:???
【8月15日】はマッカーサーと連合軍に感謝しようね

今の日本を作ったのはマッカーサーと連合軍だよね ^^

領土も取らず、賠償も取らず、復興資金&食料援助、民主的な憲法制定、
国民主権、天皇人間宣言、農地改革、財閥解体、シャープ税制・・・

真の日本人なら誰に感謝すべきか・・・そろそろ目を覚ますべき ^^
597名無し三等兵:2006/08/09(水) 20:10:30 ID:???
廃両改元政策など通貨改革に並んで国民党は金融機関の統制に成功したが、
資本の蓄積の薄い中国で国内資金による国債消化には限界があった。
おまけに上海では銀行の破綻が続いていた。財政部長・孔祥熙は海外での資金調達を試みる。
しかし斜陽の大英帝国は単独での借款供与には耐えられず、
9月財政顧問リース・ロスを東京に派遣し、共同での中国援助を提案した。
昭和恐慌をようやく切り抜けた当時の日本はロシア東支鉄道買収交渉の最中であり、
蔵相・高橋是清は「無い袖は振れない。」と断わる。アメリカは財務省と国務省との間で意見が割れていた。
リース・ロスは孔に借款の供与ではなく、通貨制度の改革をアドバイスする。
国民党政府は1935年11月3日、銀貨流通を禁止し、
中央銀行、中国銀行、交通銀行の3銀行の銀行券を銀と交換させるという法幣改革を行った。
598名無し三等兵:2006/08/09(水) 20:11:17 ID:???
以後中国はドルとポンドにリンクした管理通貨制をとることとなった。
この改革により漸くデフレは収束し、金融市場も安定化に向かう。
抜け目のない孔祥熙は同時に銀国有令を発布し、天津銀行公会に対し華北における銀を上海に輸送するよう命じた。
こうして孔祥熙は国民から莫大な銀をかき集めた。
しかし日本にとって、手持の銀を国民党に引渡すことなど考えられないことであった。
満州、華北の開発を進め、円ブロックを確立することにより国家経済を守ろうと考える日本は、
幣制改革を妨害する方針をとった。
11月8日駐華大使館付武官・磯谷少将は、「現銀輸送防止に実力発動を辞せず」と声明した。
11月11日為替市場が開くと同時に、日本は横浜正金銀行を通じて大規模に中国通貨を売り浴びせる。
しかしエール大(米)・オベリン大学(米)卒の孔祥熙は米国とのコンタクト・ラインを維持していた。
彼は10月の間に、通貨防衛に必要な資金を確保すべく、米財務長官モーゲンソーに銀購入を要請していた。
結局米国は中国から銀5000万オンスを、市場実勢を大きく上回る値段で購入する。
代金はそのままニューヨークに留められ、米国の助言の下で為替介入が実施された。
こうして日本の通貨攻撃は撃退された。

為替戦争に勝つことが出来なかった日本は、軍事力で華北を国民党の支配から切り離すという北支分離工作を展開していく。
599名無し三等兵:2006/08/09(水) 20:14:16 ID:???
11月25日に冀東防共自治政府、同30日には冀察政務委員会という2つの傀儡政権が樹立された。
1937年7月7日盧溝橋で日中両軍が衝突し、ついに日中戦争に発展する。
日本は軍事力だけでなく銀密輸、法幣偽造等あらゆる手段を講じて国民党政府の経済基盤に攻撃をかけた。
孔は必死に応戦する。やがて銀の在庫が底を尽くと、孔は英国に助けを求めた。
1939年3月8日、英国は中国と法幣安定借款協定を調印する。
この協定の内容は、中国銀行、交通銀行両行に、香港上海、麦加利の英系銀行を加えた4行が、
香港に新設された基金へ1000万ポンドを融資するというものである。
各行の融資は英国政府の保証付きであった。さらに1941年4月25日平衡基金協定が調印され、
アメリカは中国に5000万ドル、イギリスは500万ポンドを供与する。
この1941年までの7年間に米国が中国から購入した銀は1万6000d、2億6266万ドルに上った。
当時の円ドル相場は1ドル=約3.45円なので、米国の購入額は9億円以上になる。
1935年の日本の軍事費総額が約10億円であり、これは史上最大の戦艦大和を7隻建造できる金額である。
600名無し三等兵:2006/08/09(水) 20:21:04 ID:???
しかしこの話はこのままハッピーエンドにはならない。
1941年12月日米両国の全面戦争が始まると、アメリカにとっての中国の位置付けは低下した。
一方で、腐敗の進む国民党政府要人達は海外援助からの不正蓄財に励んでいた。孔祥熙も例外ではなかった。
彼は法外なリベートを受け取り、さらに妻・宋靄齢と一緒になって、政府高官の地位を利用してのインサイダー取引を行い、私腹を肥やしていった。
通貨発行権を手にした国民党は、戦争の激化につれインフレ政策をとった。
管理通貨制度は政府が幾らでも紙幣を印刷できる、言わば打出の小槌である。
従って、財政担当者には通貨の価値を維持するため厳しい規律が要求される。
だが、為政者の多くはいつも安易な道を選ぶ。孔祥熙は発行額に制限があり利払いも必要な借入よりも、紙幣乱発を選んだ。
幣制改革から1937年6月迄の法幣発行高は14億元。1942年6月の発行量は249億元、
1948年になると国共内戦による支出増大と国内産業の疲弊を反映して、法幣の発行高は6,640億元に膨れ上がる。
この大インフレによって法幣の価値は下落し、やがてはただの紙切れになった。
601579:2006/08/09(水) 21:37:40 ID:???
>>583

>曹長レベルで佐官を名乗っているケースが
>ありますから、尉官でも将官になれたかもしれませんw。

某曹長というのはN軍曹のことでしょう?
彼は特別ですよ。終戦前にすでに閻から勧誘を受けていますし、
一時は第三大隊長もつとめています。
国会議事録でも下士官で首謀者としての名が出てくるのは彼ぐらいです。
城野との間では、最終的に日本人の生命の保障について、
N氏に一任することが約束されていました。
602579:2006/08/09(水) 21:38:41 ID:???
>>586
>奥村和一という80歳の老人

彼は恩給運動を積極的にやっていた方ですが、
中帰連ではないと思います。名簿にありませんでしたから。
ただ映画に登場する金子中尉はバリバリの活動家ですがね。
603579:2006/08/09(水) 21:40:21 ID:???
>>593
>澄田と閻錫山との間に『密約』があったのは規定事実な訳ですが、
>日本の裁判ではこうした状況証拠はことごとく無視・却下される訳ですw。

仰る通りで、日本の司法の事実認定は政治的事情で左右されません。
山西残留は限りなくグレーですが、自願残留です。
困ったことに右も左も「自願は嘘」と頑張っていますが。

山西残留について最も分かりやすいのは厚生省の報告書です。
下記のサイトに全文が掲載されています。
もちろん結論は自願残留、澄田・山岡の関与は否定ですが。
http://shanxi.nekoyamada.com/archives/000193.html

またご存じでしょうが、下記には防研にあるという命令書が掲載されています。
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/daiicigun_mokuji.htm
個人的に気になるのは、2月4日の命令書が防研にあるかどうかです。


で、現役将兵の残留の流れを分かりにくくしているのは、
鉄路槍修工程隊と特務団の関係です。
実際は、特務団→工程隊→民間人と合流・保安団→十総隊という流れなわけです。
ただ準拠する軍令が異なり、その点で特務団受諾者に対して
錯誤を生じさせたわけです。
そこが「自願でない、軍命があった」という根拠になっています。

末端では、受諾者への待遇説明で現地除隊の件が
告知されなかったことはあり得ますが、
その後、3回にわたって1600人もの人が
帰国している事実がある以上は「自願でない」は無理があります。
もちろん、心情としては救済しても良いかと思うのですが。
604イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 23:39:23 ID:10MhhfC7
>>579 さま
色々ご教示いただきまして、まことにありがとうございます。ご指摘の通り、
自分は山西問題について全く勉強不足です。

>>山西残留について最も分かりやすいのは厚生省の報告書です。

こちらのサイトは初めて知りましたのでよく拝見させて頂きます。
山田ネコさんという方が管理されているのでしょうか? 物凄い情報量ですね。

>>またご存じでしょうが、下記には防研にあるという命令書が掲載されています。

そちらのサイトは「山西問題」について以前調べた時に、チラチラと覗いていた
のですが、「命令書」などは実際に自分で読んでみるという作業を怠っていましたw。

映画を見た方が他にもいらっしゃって少し嬉しい気分です。さすがに映画館が限られ
ますので軍板でも見た人は限られると思っていました。
605579:2006/08/09(水) 23:52:29 ID:???
>>604
いや、映画は見てないんですよ・・・。
私も同じように鼻で笑ってしまいそうですので。
監督の前作が「延安…」で怪しさ100倍ですよね。
606イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/09(水) 23:57:50 ID:10MhhfC7
>>603 >>困ったことに右も左も「自願は嘘」と頑張っていますが。

たまに右と左の意見が「奇妙に一致する」事がありますねw。

>>その後、3回にわたって1600人もの人が帰国している事実がある以上は
>>「自願でない」は無理があります。

『蟻の兵隊』HPの「あらすじ」をチラと読んだだけでも、閻錫山軍に合流した
2600人中、約550人が戦死、700人以上が共産軍の捕虜とありますから
単純に引き算しても1200人余りがどこに消えた?という事になりますね。

その辺りの説明は、このスレの南京虐殺に対する扱いと同様に『華麗にスルー』
されていますw。

以前、読んだ本の中でも「罵倒されて日本に帰る」くだりが出てきますので、
「自願でない」というのは確かに無理があると思います。
607イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/10(木) 00:09:20 ID:???
>>597-600
おお、詳しいですね。幣制改革に話が戻った時に「引き合い」に出させて
頂きます。今現在、1930年で話がストップしていますw。

というか、コピペじゃないですよね?(藁)
608名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:15:22 ID:???
蟻の兵隊、昨日の朝日の夕刊に出てたよ
裏切り者司令官は金銀財宝をどっさり持って帰国したそうな

609桜子:2006/08/10(木) 00:20:20 ID:???
松井達彦の行方を知りませんか
豊橋の連隊から支那へ出征して
長沙作戦に参加したとこまでは
分かってるのですが それ以後行方がわかりません
どこにいるのか教えて下さい お願いします  
610名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:20:21 ID:Y8KO5AQg
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!

概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
611579:2006/08/10(木) 00:28:37 ID:???
>>608

>裏切り者司令官は金銀財宝をどっさり持って帰国したそうな

そういった話って良くあるんだよね。
澄田自身が自著に書いてるよ。
船賃で使い果たしたって。
文無しだったから、小遣い稼ぎに旧軍人の台湾密航に関与したわけ。

閻も飛行機に金の延べ棒積んで逃げたと言われるけど、
当時の飛行機にどれだけ積めたかとか、
戦後、台湾で引退した閻が、
赤貧生活の中で反共著述に専念したこととかって
たぶん、話としてはおもしろくないからスルーなんだろうね。
612イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/10(木) 00:35:35 ID:Uh/Hyz0h
>>603 >>鉄路槍修工程隊と特務団の関係です。実際は、特務団→工程隊→民間人と
>>合流・保安団→十総隊という流れなわけです。

そういえば山東省の戦記を読んだときも、終戦後1946年初頭くらいまで共産党相手に
「鉄道守備の目的」で日本軍が戦わされた話を思い出しました。

国民党軍が山東省に進出してくるのを援護するためですが、山東半島から済南に向かって
西に進出するので、日本に帰れるどころか、ますます遠くなると嘆く記述がありますw。

>>実際は、特務団→工程隊→民間人と合流・保安団→十総隊という流れ

その辺りの複雑な流れは、映画では『華麗にスルー』でしたw。ただただ、閻錫山と
澄田の『密約書』を探し求める話です。山西省の県庁か公文書館で、閻と澄田の間の
書簡を見つけて「これが軍命令の決定的証拠ですよ!」と大騒ぎしています。

自分は人間不信なので、本当に閻(澄田)の書簡なのか、まず疑って見ていましたw。
613579:2006/08/10(木) 00:43:56 ID:???
>>612
山東省の話は十分あり得る話ですね。
国府は1月末に日本人の徴用解除を命じていますから。

閻と澄田の間の書簡というのは興味ありますね。
どこだろう?太原の文史館にあったのかも。
文書類はたくさんあるはずなんですよ。
太原陥落時に書類焼却の回想が見あたらないし。
共産党は供述させてしまいえば・・・ってんで、
あまり証拠にこだわらないのかもしれませんね。

澄田は回想録などから受ける印象と行動が見事に乖離しています。
完全な食わせ者です。
仏印で活躍した謀略家として面目躍如といったところでしょう。
614イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/10(木) 01:00:02 ID:Uh/Hyz0h
>>613 >>閻と澄田の間の書簡というのは興味ありますね。

スイマセン。自分は「若年性痴呆症」なので(というか、仕事の利害関係がなければ
同じ会社の人の顔と名前も覚えないw)、閻と澄田の書簡というのは間違い無い
のですが、どういう内容だったか記憶が曖昧ですw。

確か、澄田が募兵か何かのために一旦日本に帰りますだの、偽名を使った方が良い
だのという話だった覚えが……。

他にも山西で共産軍の捕虜になった日本兵の事情聴取書(懺悔書w)も出てきましたが、
閻と澄田の書簡にしても、係官のお姉さんかオッサンが、箱から無造作にドサドサッと
机に出してきて、一瞬にして証拠が見つかるので、映画の編集にしても都合のいい展開
だなあwと感じました。
615イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/10(木) 01:19:08 ID:Uh/Hyz0h
>>文書類はたくさんあるはずなんですよ。太原陥落時に書類焼却の
>>回想が見あたらないし。

映画から受ける印象ですと「クソ沢山」残っていそうですw。

>>戦後、台湾で引退した閻が、

台湾に移ってからの閻が赤貧だったという話はよく聞くのですが、ネットなどで経歴を
見ますと、僅かな期間ながら「行政院長」(1949〜1950年、台湾に逃げ延びた直後)を、
それ以後は国民党の中央評議員などを務めたとありますが、やはり『捨て扶持』だった
のでしょうか?

映画の感想ですが「後半に続くw」なんて書いてしまいましたので、今さらどうしようかw
と迷っています。しかし「毒を喰らわば何とやら」で、恥を覚悟して書き切って置きたいと
思います。1800円と2時間を犠牲にした元は取るのです(藁)。
616イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/10(木) 01:19:44 ID:???
しかし寝ますので、また後日w。
617名無し三等兵:2006/08/10(木) 04:59:02 ID:???
イナゾウ中佐先生は講義しているのかね
こんな授業うちの大学にないかな
618名無し三等兵:2006/08/10(木) 18:17:33 ID:???
イナゾウ中佐の講義を聞けば
陸軍大学に行かなくてすむ 

         歩兵第九連隊将校団
619名無し三等兵:2006/08/11(金) 19:31:48 ID:???
08/13 21:00 NHKスペシャル
「日中戦争・なぜ戦争は拡大したのか」

▽8年間にわたった戦闘の真実
▽中国国民政府が描いた長期的構想
▽日本軍が見誤った中国の戦力ほか

620イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 21:19:06 ID:???
>>617 >>イナゾウ中佐先生は講義しているのかね こんな授業うちの大学にないかな

講義で「土人」を連呼する先生は、直ぐに解雇されると思いますw。多少、仕事にも
役立ちますが、人様に何か講義するような職業ではありません。所詮アマチュアです。
きっと光人社等に逝ったら「バイト以下の知識」でしょうw。

元ネタの漫画は忘れましたが、趣味でコーヒーを入れるのに非常に凝っていた人が
友人から「お前プロになれるよ、専門の店で働いてみたら?」と勧められて、門を
叩いたら『バイト以下』の腕でしか無かった、という話がありますw。

>>618 >>陸軍大学に行かなくてすむ 

陸大はきちんと出ましょう。希望する仕事も出来なくなります。まずは組織の中で
生き残ること――。それが今のあなたが積める善行です。
621イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 21:50:17 ID:ypf1gdpa
>>602 >>ただ映画に登場する金子中尉はバリバリの活動家ですがね。

そういえば『蟻の兵隊』を見に行って貰ったチラシに、「緊急国恥」じゃなかったw
「緊急告知」とありまして、その金子中尉が映画の「公開記念ティーチ・イン」に
登場するそうです。

「8.15 中国残留兵の集い 開催のお知らせ」として、8月15日10:00〜の上映
終了後、30分間の予定とあります。出席者は「池谷薫(映画監督)、金子傳(元
中尉)、小俣佐夫郎(元上等兵)、奥村和一(元兵長)」とありますが、実際に
このメンバーが出てくるかどうかは分かりませんw。

しかし気になるのは奥村の階級です。1945年に初年兵教育を受けた人間が「兵長」
にまで出世しているのは何故でしょう? いわゆる「ポツダム昇進」で1階級上がった
としても早過ぎる気がします。という事は、山西に残留期間中も昇進していったという
ことでしょうか? また今までの話の流れからすると、奥村にも中国階級(士官相当?)
があるはずですが、映画ではもちろん『華麗にスルー』です。
622イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 22:10:20 ID:ypf1gdpa
その辺の話を「ティーチ・イン」で質問の時間がありましたら、
「スイマセン、奥村さんの中国階級は何だったのですか?」と

嫌味で聞いてみる妄想を膨らませてみたのですが、そこまでヒマでは
ありませんw。そんな時間があったら靖国神社に行きます。また多分、
奥村氏も出演が終われば渋谷からその足で靖国神社に行くのでしょうね。

『蟻の兵隊』のラストですが、終戦の日に靖国神社でコスプレ行列する馬鹿
右翼が大写しになりますw。ここはコミケの延長なのかと小1時間…(略w)は
さておき、何と小野田少尉も映画ラストに登場してくるのです。

山西省で4年残留(中共の捕虜拘留も含めれば9年)した奥村氏と、フィリピンで
30年戦っていた小野田氏。当然、今まで映画で見せ続けた奥村の存在の方が
霞んでしまうのは明らかです。この点は製作者の意図を疑うところですが、
623イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 22:33:38 ID:ypf1gdpa
終戦日の靖国神社で小野田氏が、
「私はフィリピンで30年間戦って来ましたが、生き残ってしまったので
 ここにいる英霊たちと比べれば大した事がありません(笑)」

と一席ぶって聴衆が「やんやの喝采」を浴びせる足元に、奥村が『心霊写真』の
ように写っています…w。その後「小野田さん、侵略戦争を賛美するのですか?」
と喰ってかかりますが、小野田は軽くあしらって人混みに消えて行きます――。

この「作為的なシーン」を最後に見せたかったのでしょうw。小野田も良い迷惑です。
しかし小野田も今年で84歳ですが、そういう(靖国神社を賛美する側の)道化役を
演じなければ、フィリピンから帰って食えなかったのもかもしれません。まあ、全く
根拠の無い自分の想像ですがw。

まあ、8月15日のティーチ・インでは映画のキャッチコピー通り、
「このままでは、死んでも死にきれない!!」とやるのでしょう。
624イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 22:58:18 ID:???
話が非常に長くなって恐縮なのですが、まだ言いたい事の半分ぐらいですw。
まあ、それぐらい「ツッコミ所が多い映画」という事で、1つご勘弁を……。

もちろん説教が長い「四季映姫さま」の影響ではありません。つーか、四季様なら
こんな程度では済みませんw。ていうか、四季さま中心のサークルがカタログを
広げても(今日w)見つからなかった、というのは一体どういう事ですか?(藁)

しかし資料批判できる知識がない(習慣が無い)人は、こんな映画でも鵜呑み
にしてしまうのかしらん?……そんな心配も話が長くなっている要因です。

それに何より、この映画の論議は「幣制改革」のあとに取り上げる予定の
「北支の治安戦」に非常に重なってくるのです。調度よい『予行演習』だと
思っています。
625579:2006/08/11(金) 23:09:58 ID:???
>>621
確かに言われてみると、奥村氏の兵長というのは少し気になりますね。
あの方はS19徴兵・S20派兵でしょうか。
戦地で一等兵として、その後上等兵、ポツダム兵長というのは少し早い気がします。
残留受託者は一階級おまけというのがあったのかもしれません。
奥村氏って3MBsでしたよね?
暇なときに調べてみたいと思います。
中国階級は准尉でしょう。兵は全員、准尉待遇だったらしいですから。
626イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 23:16:27 ID:ypf1gdpa
>>625 >>「北支の治安戦」に非常に重なってくるのです。
例えば、この映画のパンフレットに――

「終戦当時、中国の山西省にいた陸軍第1軍の将兵59000人のうち約2600人が、
 ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく中国国民党系の軍閥に合流」

とありますが、山西省に残った日本兵「2600人」という数が不自然に少ない訳です。
要するに、当時は「中共側」に回って閻錫山軍と戦った旧日本兵も多くいたわけで、
無論これもポツダム宣言違反でしょうw。

それとも彼らは「軍命令w」に拠らず、自願で残った義勇兵(傭兵)なので違反には
当たらないのでしょうか? もちろん、これも映画では『華麗にスルー』ですw。

中共側に回って戦った日本兵は、終戦後のみならず、戦時中も多くいた訳です。
この問題は以降の「北支の治安戦」で詳しく触れることになるでしょう。
627イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 23:27:47 ID:???
>>625 >>中国階級は准尉でしょう。兵は全員、准尉待遇だったらしいですから。

疑問に思っていた点が1つ解けました。ありがとうございます。

明日は4時起きで「超時空要塞ビグザイト」に逝ってきますので
もう寝ます。「えげつないやん家」と「太陽帝国」の新刊が楽しみ
です。きっと東館の「マリみて」から回るでしょうw。

明日は夕方から雷雨…orz. 待機列の午前中でないだけマシですかね…w。
628579:2006/08/11(金) 23:37:08 ID:???
>>626

>当時は「中共側」に回って閻錫山軍と戦った旧日本兵も多くいたわけで、
>無論これもポツダム宣言違反でしょうw。

中共については正規の徴用という形ではなく、
義勇兵という形式だったわけで(成り行き上そうならざるを得ない)、
その点ではポツダム宣言違反とは言えませんよ。

条約違反は、正規の公務員による違法行為で、
国際法上の国家責任が問われなければなりません。
そもそも中共は政府承認を受けていないので、
ポツダム宣言には拘束されません。
ただ、交戦団体承認は事実上受けていたと言えそうなので、
その点では本来帰還させるべき日本軍民の取り扱いについて
問題になる余地はあります。ただ、それも義勇兵であれば関係ありません。

山西残留が問題なのは、(事実上)日本国軍の徴用が
中国政府の正規の命令によって指示され、
それに日本の公務員が関与してなされたか否かであるわけです。

映画を作る側はそれがあった=ポツダム宣言違反だったという論理で、
実際に国もその点については恐れたでしょう。
報告書が作成された時点で、日本はまだ主権回復していませんでしたから。
ただ、法的に言えば、やはり自願なんですね。
629イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 23:43:37 ID:ypf1gdpa
>>619 >>08/13 21:00 NHKスペシャル
>>「日中戦争・なぜ戦争は拡大したのか」

多分3日目は夜、アキーバで「残敵掃蕩」に当たるので見れないでしょうw。
なので今のうちに書いて置きます。

>>▽日本軍が見誤った中国の戦力ほか

まったく逆にこうも書けます。

>>▽中国が見誤った日本軍の戦力ほか

ファルケンハウゼンの誤算でもありますが、上海戦で日本の予備役・後備役の
動員があれほど迅速に行なわれる(行なえる)とは蒋介石の計算外でした。

要するに彼らの頭には「常設17個師団」しか日本軍の戦力は無かった訳ですw。
630イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/11(金) 23:53:45 ID:ypf1gdpa
>>中共については正規の徴用という形ではなく、義勇兵という形式だったわけで
>>(成り行き上そうならざるを得ない)、その点ではポツダム宣言違反とは言えませんよ。

>>そもそも中共は政府承認を受けていないので、ポツダム宣言には拘束されません。
>>ただ、交戦団体承認は事実上受けていたと言えそうなので、

う〜む。法律論は難しいですね…。ルーシー・リュウのように「ヤッチマイナー」
のようには逝きませんですw。

そうですね。義勇兵でしたらポツダム宣言に違反しないんですね。だから日本政府側が
彼らは「自願」の義勇兵だと主張しているのですし。

帝国軍人たるもの、「国際法」も勉強しなければならないのか…orz.w

上記の「やんどころない理由」がありましてw、今度こそ寝ます。失礼したします。
631イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 04:54:54 ID:CK+0JELK
ふー。うつらうつらするだけで全然寝れなんだわー。そろそろ逝って来ますw。

>>1800円のチケット代ですが200円程度の価値はあるでしょう。

何点かありまして、こうした反戦映画にお決まりの懺悔シーンが『蟻の兵隊』にも
幾つかある訳です。まるで『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』のような
ノリですがw、要するに「刺殺訓練」と「支那人の警備隊(保安隊)の処刑」です。

それを奥村が「私も人を殺した事がある」と映画で懺悔する訳ですが、突然、豹変します。
後者でです。大変興味深かったので、その1点だけは一見の価値ありです。

詳しくは、また後日w。
632イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 22:00:35 ID:cNu2Nifw
>>631 >>要するに「刺殺訓練」と「支那人の警備隊(保安隊)の処刑」です。

『刺突訓練』については少し説明が要るでしょう。これは日本軍の支那現地における
新兵教育の一環です。中共のゲリラ・工作員・捕虜などを柱に1人ずつ縛り付け、新兵に
銃剣で突かせる訳です。もちろん刺された土人は死にますw。

これによって「心臓を一突きにせよ」「突いて直ぐに引かなければ、刺された相手の
筋肉の硬直で銃剣が抜けなくなる」などと教育する訳です。まあ、何より新兵の
『度胸づけ』のためですね。もう戦場に居るのです。

もちろん新兵ですからガクガク震えて、柱に縛られた土人の「怨」の視線に耐えられず
上手く刺せません。少し肉を抉るような「おっかなびっくり」で、上官からやり直しを
命じられる事になります。
633名無し三等兵:2006/08/12(土) 22:08:58 ID:tHmYMRnN
【東京ビッグサイト】コミケで失禁・脱糞者続出!?トイレが足りない!!
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1155320660/

すごいことになってるようですwww
634イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 22:21:40 ID:cNu2Nifw
そこに大隊長などが「新兵の訓練視察」に訪れると、さあ大変!ですw。

ビビッて何時までも柱に縛られた土人を刺突できない新兵などがいると、
「中隊長(小隊長)は何を教えとんじゃ!」となり、自分の評価に関わります。

追い詰められた中隊長(小隊長)は古参の代理の者を指名して(時には自分で)
「ええい、バカ者! 何をやっておる! 銃剣とはこうして突くのだ!」と土人を
一突きにして場の体裁を繕う訳ですw。

この訓練の始まりは、北支那方面軍司令官だった岡村寧次(大将・1941年7月〜
1944年8月。その後、第6方面軍司令官に転出)が「実戦のごとく訓練せよ」と
方針を出したのがきっかけです。

奥村は「刺突訓練」を大隊長が視察にきた事をもって、軍の組織的な残虐行為
だと非難していますが(自分も刺している)、岡村寧次の方針に触れないのは
単なる勉強不足でしょうかw。
635イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 22:43:53 ID:cNu2Nifw
ちなみに「刺突訓練」は、全く別の人が書いた複数の戦記で確認していますので
事実でしょう。詳しくは「北支の治安戦」で触れたいと思います。

映画での奥村の発言で気になるのは、支那人の「女学生」もこうした刺突訓練の
的になったと述べている点です。幾らなんでもと思いますが、中共に限らず
女工作員(間諜)が、日本軍の駐屯地に村民を装って出入りもしていますので、
「ゲリラ扱い」で柱に縛り付けられた場合もあるのかもしれませんw。

また中共ゲリラを対象とした日本軍の「中隊討伐」や「大隊討伐」は出撃する側から
情報がダダ漏れで、怪しいと目される部落に押し入った時には人っ子1人いない訳ですw。

もちろん手ぶらでは帰れませんので、適当に部落を破壊して回り、もし要領の悪い支那人が
村に残っていようものなら「これは怪しい」とされ、拷問込みで情報を吐かせることになり
ます。無論そのまま処刑されるケースもありました。
636579:2006/08/12(土) 22:53:48 ID:???
>>634
刺突訓練が岡村さんの指示に基づいていたというのは初耳でした。
ただ、訓練としては意味があったんですかね?
米軍はベトナム戦争の頃に豚の内臓や糞尿をまき散らした場所で
匍匐前進させたと言いますけど。

実際に白兵戦になったときに、怖じ気づいて敵兵を刺せない兵士なんて
いなかったでしょう。手榴弾に青龍刀で向かわれて、
生きて捕まったらどんな惨い殺され方をされるか分からないわけです。
腰抜けでも全力で戦います。
その際に必要なのは、防具を付けた銃剣術であり、
刺突訓練というのは意味がないでしょうね。

単に処刑役を訓練とか余興の名目で初年兵に押しつけただけではないでしょうか。
誰でも人殺しは嫌な仕事ですし、首切りは相当にうまくないと格好つかないですから。
637+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/12(土) 22:56:00 ID:???
>>632
少し言葉を慎重に使った方が良いと思いますよ。
組織の指導者が統率し、制服や識別印を身につけたゲリラや軍の捕虜を刺殺したとすればジュネーブ条約違反です。
工作員、便衣兵、テロリストに変えましょう。これなら何の条約にも違反しません。
638イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 23:01:06 ID:cNu2Nifw
『蟻の兵隊』は奥村が刺突訓練を懺悔する(自分も刺した)シーンが長過ぎて、
一体この映画のテーマは「山西省の日本兵残留問題」なのか「北支の治安戦」
なのか疑問に思ったくらいですw。

ただ1点興味深いのは、奥村は1945年に「初年兵教育」を受けていますから、
岡村寧次が北支那方面軍司令官をとうに去った後もずっと、「刺突訓練」は
続けられていた事になります。

もちろん岡村は最後の「支那派遣軍総司令官」ですから、一旦は訓練が中断されて、
また復活した可能性も考えられるでしょう。多分ずっとやってたと思いますがw。

しかし、この「刺突訓練」というのは、そんなにショッキングな話ですかねえw?
自分の感覚がマヒしているだけかもしれませんが、土人の1匹や2匹で何を眠たい事を
というのが正直な感想です。

「支那人の警備隊(保安隊)の処刑」については、またまた続くw。
639+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/12(土) 23:11:18 ID:???
>>636

イナゾウさんが>>632
>「突いて直ぐに引かなければ、刺された相手の筋肉の硬直で銃剣が抜けなくなる」などと教育する訳です。


こう述べていますね。実際に突かないと要領はなかなか掴めないものなのですよ。
まあ、貧弱な小銃を白兵戦に用いた場合は精度が悪化して小銃としては使い物にならなくなるので、銃剣術の訓練なんて役に立たないとは思いますけど。
ちなみに、戦国時代の場合は槍を突くのはもちろんですが、主にぶん殴るのに使っていました。
塹壕で最も役に立ったのは男のロマン、スコップです。
640イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 23:13:41 ID:cNu2Nifw
>>636 >>刺突訓練が岡村さんの指示に基づいていたというのは初耳でした。

少し補足させていただきますと、岡村寧次が述べたのは

>>「実戦のごとく訓練せよ」

の方針だけです。それを下(部隊)が解釈すると「刺突訓練」に
なった訳ですw。司令部が止めさせた話を聞いた事がありません
から、上も「別に問題なし」と認めたものと考えています。

いま時期が時期なので(明日も4時起きw)、資料をきちんと開かずに
記憶だけで書き込んでいます。「北支の治安戦」をやる時には、もう一度
事実関係を見直しますので、最近の書き込みでオーバーな点、短絡的に結び
つけた点がありましたら、お詫びして訂正させて頂きます。

まあ、今のところは話半分に聞いておいて下さいw。
641579:2006/08/12(土) 23:19:17 ID:???
>>639
いやあ、どうなんでしょうね。私、突いたことないんで。
ただ、突いたり、斬ったことのある方からすると、
技術的な所を除けば、どうということはないと言われますよね。
ノウハウは古年次兵から口答で十分伝えられますから、
あとは技量の部分というわけです。
旧軍では突撃発起時に円ぴを持ったんですか?
642イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/12(土) 23:20:32 ID:cNu2Nifw
>>636 >>ただ、訓練としては意味があったんですかね?

実戦訓練というよりも、単に「シャバっ気」を抜くという理由だけだったりw。

>>単に処刑役を訓練とか余興の名目で初年兵に押しつけただけではないでしょうか。
>>誰でも人殺しは嫌な仕事ですし、首切りは相当にうまくないと格好つかないですから。

処刑でいつも首を斬るの買って出る兵隊を、手持ちの戦記で読んだことが
今日は調べ直す時間がありません。まあ、そうですね。初年兵に上手く
押し付けたという理由もあるかもしれません。
643名無し三等兵:2006/08/12(土) 23:58:47 ID:???
579
uzee
644名無し三等兵:2006/08/13(日) 00:59:49 ID:???
579
uzakunee
645笠間憲兵司令官:2006/08/13(日) 19:57:16 ID:???
イナゾウ中佐は憲兵司令部の許可を得ずに
コミケなる不穏団体の会合に参加せる
は陸軍軍人たるの体面を
著しく毀損せるものである
コミケはコミューン系の
きんもー☆な団体であり
国体を破壊する団体の会合に
参加したイナゾウ中佐の軽率なる
行動は看過しえぬものである
よってイナゾウ中佐の階級を降等せしめ
参謀本部での任を解きOO要塞司令部付
に異動せしむるよう陸軍大臣に勧告する
ものである

      憲兵司令官 笠間ゆかり 中将
646名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:31:47 ID:ju9V3T+G
関連スレ
NHKスペシャル 「支那事変」 其ノ壱
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1155466976/
Nスペ「日中戦争」 日本人は通州で地獄を見た 2
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1155471081/
NHKスペシャル 「日中戦争」 part4
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1155471591/

647名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:36:50 ID:???
>>646
だれもみてないの。
648名無し三等兵:2006/08/14(月) 01:17:48 ID:???

イナゾウ中佐のスレを汚すなよ
649名無し三等兵:2006/08/14(月) 17:19:38 ID:???
日中戦争は中狂の陰謀!

大日本帝國も中華民國も中狂に嵌められたのだ。
650名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:04:46 ID:???
帝國が相当お間抜けなのか
中共がしたたかなのか
651名無し三等兵:2006/08/14(月) 20:07:53 ID:???
関東軍
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D

ワロタ。こんなジャパニーズ・ジョークがあったとは↓

慣用句として
関東軍が中央政府のコントロールに従わずしばしば独自の行動をとったことから、
中央の方針に従わず勝手に行動するグループや、開拓民を見捨てた誤解から弱者を
見捨てる人のことを「関東軍」に例えたりすることがある。

(用例)取締役会の意向を無視して勝手に暴走する○○事業部は我が社の関東軍だな。
652イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 21:13:42 ID:???
>>633 >>【東京ビッグサイト】コミケで失禁・脱糞者続出!?トイレが足りない!!

こんな釣りに、コミケ歴もそろそろ長い自分が引っかかるとでも思っているの
ですか? 社説板に飛んで確認してきなさい! 即興ですが自分ならこう作りますw。

【東京ビッグサイト】コミケの帰り客行列と救急車が衝突事故! 魔の横断歩道。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1155320660/

東京ビッグサイトで行われている"オタクの祭典"と呼ばれる同人誌即売会「コミックマーケット」
(コミケ)で13日、癌研有明病院に搬送される途中の救急車が、横断歩道を渡ろうとした男性と
接触して一時騒然となった。男性は腕の骨を折る重傷。緊急のため救急車はそのまま病院へ直行した。

ビッグサイト前の横断歩道は、コミケイベント開催中、参加者の長い行列が途切れなく続くことから
交通機関への支障が以前から問題になっていた。近年は、警備員を横断歩道に配置して行列を誘導して
いるが、衝突した男性は係員の制止を振り切って強引に渡ろうとした模様。血まみれの本が散乱して
現場は異様な雰囲気に包まれた。事故の起きた13日はコミケ最終日で、例年もっとも混雑する。
653イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 21:18:31 ID:???
救急車だと嘘臭いのでダンプにしようかと思いましたが、今度はリアル過ぎる
から止めましたw。
654イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 21:31:00 ID:???
>>643 579 uzee

そうですか? 他はいろいろ話してみないと分かりませんが、>>579 氏は
少なくとも「山西問題」について自分よりも遥かに詳しい方ですよ。
勉強させて頂いています。

そんなことを言ったら、このスレは「第●使徒、俄将軍襲来!」すら乗り切って
いるのですから、ちょっとやそっとでは堪えません(↑ゴメンなさい)。

唯一怖いのが、某大学生のようにクソレスを大量投稿されることですが、粛々と
進行していきます。スレが尽きたら次スレを立てるだけです。
655イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 21:57:50 ID:???
>>645 >>イナゾウ中佐は憲兵司令部の許可を得ずにコミケなる不穏団体の会合に参加せる

最近は中国人、朝鮮人など大陸系の不穏な参加者が増えているため、挺身潜入に
赴いたのです。不当な言い掛かりでありますw。と思ったら、アンタ何ちゃって
憲兵司令官じゃないですか!? 皇軍の詐称は、軍法会議のうえ銃殺です。

ところで「笠間ゆかり」って誰? と思って「はてなダイアリー」で調べたら
ホットドッグ屋のデブい店員さんですか。自分も東館待機列で見ていましたが、
確かに態度が悪かった。キレながら接客してました。自分も買ったもののゴミを
店のゴミ袋に捨てようとしたら、「よその店のを捨てるな!」と怒鳴られましたw。

しかし、こうして直ぐ実名が暴露されるのですから怖いなあ…w。くわばら、くわばら。
つーかあの人19歳だったのですか(当時)、その方が衝撃の事実です。でも自分の
ブログに、勝手に他人様の顔写真のせて「オタクきんもー」と書いたら、訴えられそうに
なって当然ですw。
656イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 22:17:44 ID:dUyCakzp
>>647 >>646 だれもみてないの。>>関連スレ NHKスペシャル「支那事変」其ノ壱

何かもう全部、見れなくなっていますよー。
>>datが存在しません。削除されたかURL間違ってますよ。

昨日は帰って一息ついたのが9時45分ごろで、それから見始めました。
ちょうど南京攻略戦のくだりからなので、正味3分の1ぐらいしか見れて
いませんでしたが、まあ「普通」の出来だったのではないでしょうか。

NHKの番組で『この時期』ですから、某売国新聞と同様に電波ムンムンな
内容だと思っていたのですが、マトモだったので何だか「拍子抜け」ですw。

良く言えば「手堅い」、悪く言えば「無難、平板」な作り。取り立てて突っ込む
ところもありませんでした。強いて言えば、「蒋介石の写真はもっと良いのがある
でしょ?」「ソ連の参戦問題をあんなに強調する必要があるのだろうか?」です。多分、
番組の構成として「中国の戦略」というのをクローズアップしたかったのでしょう。
657えICBM:2006/08/14(月) 22:27:53 ID:???
中国の戦略とそれを読む気がさらさら無い日本って話だったよ。
ソ連のお話は、その結果と言う意味で重要じゃね?
658イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 22:39:23 ID:dUyCakzp
>>日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜 8月13日(日)午後9時〜10時14分 NHK総合テレビ
>>その背景を物語る重要な資料が公開された。当時、中国国民政府を率いた蒋介石の日記である

番組の「番宣」をチラと見直しましたら、かなり前にアメリカの大学に寄贈された
蒋介石日記の情報を元にしたそうです。しかし「番宣」を読む限り、取り立てて
新しい発見はありませんでしたw。

というか、蒋介石の残した日記、文書の類は「クソ膨大」な量がありますから
1人の研究者が生涯を費やしても、それら全てを精査するのは困難でしょう。さらに
読んだところで、蒋介石の真意がすべて記されているとは限りませんw。蒋介石
日記が全て公開されても、新発見が出てくるには相当な時間がかかると思われます。

そこでお勧めしたいのが、『蒋介石―マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記』
(黄仁宇著、東方書店)です。これは新刊書店でも購入可能で、メチャクチャ参考に
なります。お値段は4千円以上しますが、内容からすれば安い買い物です。
659えICBM:2006/08/14(月) 22:42:51 ID:???
今までわかってる史実が中心だたよ。
蒋介石日記は味付け程度。
それでも、意外と知られて無い日中戦争拡大過程をわかりやすく説明してたよ。
この点が重要だろね。
660イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 23:01:02 ID:dUyCakzp
軍閥時代の北伐、1930年代の掃共戦、満州事変、そして日中戦争など
蒋介石の心理が詳細に分析されており、間違いなく一級資料です。

とくに「軍閥時代のトドメとなる中原大戦」「第1次から5次に渡る
掃共戦」などが、要領よく簡潔にまとめられており重宝しました。また
何気に戦場図なども非常に分かり易く、下手な戦史叢書の図よりも断然、
理解しやすいでのす。惜しむらくは、太平洋戦争後の記述がプッツリと
途絶えていることです。第二次国共内戦が詳しく知りたいのに…orz.

いずれ自分の「参考文献」も全て上げる事も「ネタとして」あるでしょうが、
上記の『蒋介石日記』はその筆頭にランキングされる予定です(現時点)。

ガンダムで言うならば「MSN-04 サザビー」に値する機体でしょう。ただし、
乗りこなすのは著しく困難です。ニュータイプ、もしくは強化人間に限られ
ます。初心者には意味不明となるかもしれません。自分は、支那通軍人として
「Boosted Man」処理がなされているので、辛うじて実戦投入が可能ですw。
661えICBM:2006/08/14(月) 23:10:41 ID:???
>>660
重慶爆撃で厭戦気分が蔓延し対日交渉論が出る中、中共だけが徹底的に交戦継続を叫んだ頃はどう書いてる?
662名無し三等兵:2006/08/14(月) 23:20:58 ID:???
コミケ帰りの中佐は面白いなぁ。
この時分だと畑中少佐か井田中佐か。
663イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 23:21:56 ID:dUyCakzp
>>649 >>日中戦争は中狂の陰謀!大日本帝國も中華民國も中狂に嵌められたのだ。
>>650 >>帝國が相当お間抜けなのか 中共がしたたかなのか

まあ、その話を詳しく取り上げると『1スレ使い潰す』ことになりますから
具体的には避けますが、盧溝橋事件は1937年7月7日に起きました。そして
日本軍による南宛の総攻撃は7月27日です。その間、20日あることを
よく考えるべきでしょう。

盧溝橋事件はあくまで切っ掛けに過ぎず、たとえ盧溝橋事件が起こらずとも
必ず似たような事件で火蓋が切られたでしょうし、逆説的に言えば、盧溝橋
よりも前に、もっと物騒な事件が起きていた(その際はボヤで済んていた)
のかもしれません。

むしろ、前年末(1936年)の綏遠事件と西安事件を開戦理由として考えるべきです。
これにより支那人のナショナリズムは沸点に達しました。また「幣制改革」(1935年末)
もです。要するに北支の分治工作です。
664イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 23:31:33 ID:dUyCakzp
>>659 >>それでも、意外と知られて無い日中戦争拡大過程を
>>わかりやすく説明してたよ。

分かり易いのは何より大事ですね。映像、文章を問わず読み手を考えない
「表現物」は単なる作り手のオナニズムです。ただし要点を簡潔にまとめる
のは容易ではなく、製作者が100%対象を理解できていないと不可能ですし、
短絡的・怠慢的・意図的な悪意の改ざんも付き物ですw。

>>661 >>重慶爆撃で厭戦気分が蔓延し対日交渉論が出る中、中共だけが
>>徹底的に交戦継続を叫んだ頃はどう書いてる?

スマソ。まだ武漢陥落(1938年10月)、王精衛出奔(1938年12月)まで
しか読めていません。歯応えあり過ぎで、ようやく半分まで来ましたw。
665イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/14(月) 23:55:04 ID:dUyCakzp
>>638 >>「支那人の警備隊(保安隊)の処刑」については、またまた続くw。

何か間が空きましたが、映画『蟻の兵隊』批評の続きです。奥村は「刺突訓練」と
ともに山西省で残留中に日本軍部隊が起こした「処刑」事件を懺悔します。映画の
パンフレットでは、奥村が丘の上から街並みを見下ろす写真がメインに載っていますが、
ここが虐殺(処刑)のあった場所とされます。処刑の経緯は以下の通り。

時期は不明ですが、奥村の所属する旧日本兵部隊が「鉱山の警備」に支那人の保安隊を
使っていました。日本の部隊が直接雇ったのか、それとも閻錫山に属するものなのかは
触れられていません。

ある日、中共軍が鉱山に押し入り、同じ支那人の保安隊(50数人)がほとんど抵抗
らしい抵抗もせず、中共部隊のされるがままになったことが、日本軍の逆鱗に触れて
処刑の原因となりました。

日本兵は支那人の保安隊を丘の上に連行して、1人ずつ刀で処刑(銃だったかも?w)
して、辺りには支那人の首が多数転がったと言います。
666えICBM:2006/08/15(火) 00:00:52 ID:???
>>664
頑張れ。
じゃ無いと降格だ。
667イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 00:19:27 ID:x6D52gru
奥村は老体に鞭打って「処刑現場」である丘の上に辿り着くのですが、
そこで線香をあげました。

その前後に、日本軍の処刑をただ一人免れたという支那人の保安隊員の
息子と孫が奥村のインタビュー(最寄の村落で)に呼び出されるのですが、
『怪しさ100%』もさることながら、中共の手回しの良さには驚かされます。

ところが、奥村が遺族(?)のインタビュー中に豹変します。映画の中でも
「ドクン、ドクン」と心臓の音がなるような奇妙なサウンドが流れ始めて
おかしな事になりつつあるのですが、長くなりましたのでまたまた更に続くw。
668イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 00:24:53 ID:???
今日の小泉首相の靖国参拝ですが、やはり開門した直後の早朝ですかねえ?

自分が起きる頃には「終わっている」に150リリアン賭けますw。
669名無し三等兵:2006/08/15(火) 00:34:58 ID:???
>>668
全国戦没者追悼式が11時51分開始ですから、10時過ぎでないでしょうか。
前回は開門直後でしたけど、今回はアケッピロゲでいく気がするのですが。
670名無し三等兵:2006/08/15(火) 10:57:57 ID:???
>>668
早朝でした。マヂで寝ている間に終わったようです。
まぁ、馬鹿が集る前に終わらせたと言うべきでしょうか。
671イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 21:30:18 ID:+Jl5v7xp
>>667 の続き。>>「ドクン、ドクン」と心臓の音がなるような奇妙なサウンドが流れ始めて

奥村は、日本軍の処刑を免れた「保安隊員の息子と孫」に向かって詰問を始めます。

「なぜ50数人居たにも関わらず、中共の部隊に抵抗しなかったのか?」
「同じ支那人という理由で戦わなかったのではないか?」
「戦わずに裏切ったのなら、日本軍に処刑されるに決まっている」
「なぜ日本軍が激怒してやって来る前に逃げなかったのか?」
「そんなことでは処刑されて当然だ!」

『お前等にも非がある』といった口調で、映画を見ている自分の方がドン引きw
してしまったのですが、これにはカメラを回している取材者も頭を抱えた事でしょう。

しかし、それよりも自分が興味深かったのがインタビュー相手の支那人です。父親が
馬鹿にされているのに目が笑っています。ところが顔はちゃんと引き攣っているのです。
内心はどうあれ、どんな状況でもニタついて相手に直接敵意を見せない習性がよく分かります。
672イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 21:45:54 ID:+Jl5v7xp
自分が『蟻の兵隊』で一番面白かったのがこの場面で、200円の価値はあった
でしょう。その後、奥村はカメラマンの取材者に問い詰められます。

「奥村さん、何であんなことを言ったんですか? ああ言えば、処刑に関わった
 自分の責任が少しでも楽になると思ったんじゃないですか?」

「うーん。全くそれが無いと言えば、嘘になる。自分は戦争が終わった後も中国に
 残留させられて、澄田や日本軍に対して怨みを持っていたけど、60年経った今でも
 自分の中に『日本兵として考える自分』がいる事に気付かされたんだな……」 

茶番が実に多い映画ですが、ここだけは本当にリアルでした。取材者から見れば、
この場面はカットすることも一度は考えたでしょうが、おそらく『日本兵の呪縛』
という切り口で残したのでしょう。ご丁寧に、変な心拍音のバックサウンド付きですw。
673イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 22:07:42 ID:+Jl5v7xp
トドメと言わんばかりに、映画の中には『閻錫山の参謀』だったという男も
奥村のインタビュー相手に登場します。先の「保安隊の息子と孫」は7、8割は
本物だと感じましたが、ここまで来ると最早何でもアリですw。

奥村(80歳)よりも歳上(確か85歳くらい?)を名乗りますが、どう見ても
その「元・閻錫山の参謀」の方が若く見えます。肌のツヤが全然違いますw。大体
終戦時25歳程度、最大限(1949年時)見積もっても30歳弱で閻錫山の参謀とは
一体何なのでしょう?w 可能性が無い訳ではありませんが、限りなく疑問符が付きます。

しかし言っている事は非常にマトモでした。奥村が「日本兵の山西残留問題について、
軍司令官の澄田中将と閻錫山の『密約』の決定的証拠を自分は探している。あなたは
何かご存じないか?」と尋ねると、その男はこう答えました。

「閻錫山は非常に『秘密主義』の人物で、重要なことは全て当事者同士の1対1で
 話し合って決めていた。そのような証拠は残していないだろう。しかし何らかの
 密約があったのは確かである。もう山西問題は現在というよりも歴史の問題へと
 入っている。もう貴方もいい加減、心静かにして諦めたらどうか?」 
674イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 22:29:34 ID:+Jl5v7xp
これには奥村が激怒して、
「あなたは何て事を言うのだ! 第一、私はあなたよりも若いのだ! 歴史の問題などと
 とんでもないことだ。私は死ぬまで、澄田と閻錫山の密約の決定的証拠を探し続ける
 積もりだ!」と叫びます。

また更に映画で印象深かったのが、日本での冒頭場面です。終戦時に支那派遣軍の参謀
だった宮崎少佐(97歳)の入院先を奥村が訪ねるシーンです。映画の説明によると
終戦後、山西省・日本軍部隊の引き揚げがちっとも進まないので、宮崎が確認しに行くと
日本軍残留の『軍命令書』を確かに見た、とされます。しかし証拠は残っていません。

歳を見れば分かる通り、宮崎は病院のベッドで糞尿垂れ流しのような状況で、看護の
娘さんも「何を話しかけても父は理解できないだろう」とお見舞いに来た奥村に告げます。

映画には、これより13年前の84歳の宮崎少佐の証言も出てきますが、この時の宮崎は
赫々たる明瞭な話し振りで、とても84歳の老人には見えない、さすがに生粋の元軍人と
感じさせるだけに、97歳の宮崎の姿は無残としか見えません。むーざん、むざん。
675すみません:2006/08/15(火) 22:42:51 ID:???
 すみません,
こちらのスレッドに日中戦争に関して質問をさせていただいても
宜しいでしょうか?
676イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 22:50:03 ID:+Jl5v7xp
しかし、娘さんが「山西省で戦われた奥村さんがお見舞いに来られましたよ」と
耳元で呟くと、宮崎がうなり声を上げて微かな反応を示します。

これに娘さんが「あら不思議。奥村さんが来られた事が分かるみたい」と驚きます。
奥村は立て続けに、宮崎の耳元に口を近付けて

「宮崎参謀。私は必ず、死ぬまでに必ず、澄田軍司令官と閻錫山の『密約』の
 決定的証拠を草の根分けてでも探し出します。そのために私は中国の山西省を
 もう一度、訪れたいと考えています。ですから宮崎参謀は見守っていて下さい」

と告げると、宮崎はベッドの上で

「うううーーーーーーーーーーーーーーーーーー、うーーー!ううううううーー!」

と、部屋中に響きわたる『奇声』を上げて反応を示しました。この場面も印象に残り、
少なくとも宮崎のそれは鬼気迫る姿です。娘さんの素振りが少し、ヤラセ臭いですがw。
677579:2006/08/15(火) 23:05:59 ID:???
>>673-674
『閻錫山の参謀』というのは、せいぜい第二戦区司令長官部に居たというぐらいでしょうね。
少なくとも今も生き残って、閻の参謀を名乗れるぐらいですから、
レッドスリーパーだったことは確かでしょう。

宮崎参謀が見たという軍命令書というのは、鉄道修理工作隊とは別に、
「特務団」の名称を使ったものなのでしょうかねえ。

防研に残っている資料は、基本的に澄田・山岡ラインが納品したものですから、
(宮崎証言が正しければ)そのような危ない文書はなくて当然なわけです。

残っている作命綴には、すべて中国側の命令に基づいて特務団編成を
「援助する」としています。ですから武器弾薬を引き渡して、
完全武装で将兵が離隊していても言い逃れができるわけです。

ただ、やはり現地除隊については当初より了解があったと見るべきで、
結局、自願であることには変わりませんね。
678イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 23:07:19 ID:+Jl5v7xp
上記の点のみ、映画『蟻の兵隊』は見る価値があります。しかし全体的には
きっと(必ず)後悔する内容でしょう。

また既に述べた通り、今日は8月15日。渋谷の映画館イメージフォーラムでは
上映後の「ティーチイン」に奥村が訪れたはずです(チラシの予定通りならばw)。

そこで奥村が何を述べたか、行く気もサラサラ無いので知りませんがw、昼頃の予定
でしたから当然、小泉総理の靖国参拝の情報も伝わり、それにも触れられたはずです。

また映画のパンフレットには、よりにもよって鳥越俊太郎の推薦文がありw、紹介して
おくと以下の通り。

「小泉・安倍氏は『国のために命を捧げた魂』のため靖国神社に行くという。一寸待ってくれ!
 ここに国に棄てられた兵隊がいるじゃないか! 怒りを呼び戻そう」

気分が欝になるばかりです。鳥越俊太郎……w、勘弁してください。
679イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 23:15:15 ID:+Jl5v7xp
また映画のパンフレットには、

「このままでは死んでも死にきれない!!」

と大書してあります。しかし奥村の行動、そして執念は、

●澄田と閻錫山の決定的証拠など、今さら見つかるはずがない
●たとえ発見されたとしても、今さら政府(裁判所)が認めるはずがない

という二重の理由で悲劇であり、また喜劇でもあります。奥村は死ぬまで
舞台に残り続け、自身も含めていずれ誰もいなくなるでしょう。
680――― ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 23:18:44 ID:???

臨終の人間「ああ、この世には神も仏もないものか?」

「無い」――四季映姫・ヤマザナドゥ
681――― ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 23:22:58 ID:???

さらに臨終の人間「いま、神仏が無いと言ったのは、どこのどいつだ?」

「――――」

答無し。――暗い虚空に、ただ「ぼうぼう」と風の音。
682イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/15(火) 23:36:39 ID:???
どうもでございます。自分であれば、自分の事も含めて、こう喩えます。

「人生は影、所詮は三文役者。いろんな悲喜劇に出演し、出番が終われば
 消えるだけ――」

しかし、こうも言えると思います。

「この世に生きるという事は、いわば演劇だ。だから自分というものに
 忠実に生きようとすれば、何回も下稽古を積まなくてはならないのだ」

四季映姫様――、今日は自分の故国である日本の8月15日にあたります。
何かお言葉を頂戴できれば、これに勝る喜びはありません。

「新しい花を咲かせよう。
 散る事が運命だったとしたなら、咲く事もまた運命。
 それが魂の輪廻であり、魂の花なのだ――」
                        
            ♪BGM=『散華嬉遊曲――Flower Divertimento』
684イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/16(水) 00:50:48 ID:1Sng4i3Q
>>670 >>早朝でした。マヂで寝ている間に終わったようです。
>>まぁ、馬鹿が集る前に終わらせたと言うべきでしょうか。

早朝でも結構な数の「馬鹿」がいたみたいですけどね。昼間に行った人の
話だと、参拝するのに1時間ほど掛かったそうですw。

かくいう自分は仕事帰りに参拝して来ました。午後7時閉門というのを知らずに、
3分の2ぐらい門が閉まりかけていたところを潜り抜けての「駆け込み参拝」です。
手水で清める時間もあったもんじゃありませんw。間に合って良かった…orz.

正門が閉まった後も、門の前に賽銭箱が置かれて、かなりの数の人が門に向かって
参拝していました。1人靴を脱いで、正座して拝んでいる人がおりましたw。

しかし戦前これは決して特異なことではなく、昭和天皇が靖国神社に参拝される時は、
一般人は全員地べたに正座して迎えます。もちろん現代の警察官の代わりに、周りを
「憲兵」がひしめいているのは言うまでもありません。
685イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/16(水) 01:04:50 ID:1Sng4i3Q
>>675 >>こちらのスレッドに日中戦争に関して質問をさせていただいても
>>宜しいでしょうか?

とりあえず、書いて味噌。直ぐに答えられるかどうかは、全く別問題ですが。

そういえば「武漢攻略戦について教えて下さい」という質問が大昔ありました
けれど、いまだに未回答ですねえw。

地名の壁をクリアしないと無理です。特に武漢あたりはややこしいこと
この上ありません。文章で説明するには限界がありますし、それを超えて
分かりやすく(面白く)解説するのは、自分のレベルではまだ無理ですw。

釣りなら無視します。同様に答える価値が無いと思われる質問も無視します
(要するにググれという程度のもの)。ネタでも『面白ければ』回答しますw。
686すみません:2006/08/16(水) 01:19:32 ID:???
ああ,ごめんなさい.
釣りではないですが,ググっても答えが多くって
一体どの説が世界では信憑性が高いといわれているのか
判断がつきかねています.
--------------------------
 お題は「日中戦争での日本軍が殺害した中国人の数」です.
極東軍事裁判では150万だとかいう数が使われていたような
気がするのですが,近年の日本の教科書では1000万という
数が使われています.

 はたして?

おかしな質問で申し訳ありませんです.
687名無し三等兵:2006/08/16(水) 14:20:37 ID:sx7eUL+D
>>561>>なんつー、不遜な(笑)。今井武夫の『支那事変の回想』は、大抵の日中戦争本の
参考文献に取り上げられる必須文献ですよ。でもスイマセン、自分はまだ未読です。

『支那事変の回想』、数年前に近所の本屋で買いました。ちなみにお値段\480
オイラレベルの人間が持ってるよりも、イナゾウ中佐ドノに譲った方が良いような・・
688名無し三等兵:2006/08/16(水) 15:36:10 ID:???
>686
3500万人に決まっている。無敵皇軍は支那大陸で百戦百勝。
弱兵支那軍は事ある毎に支那派遣軍精鋭100万に粉砕された。
1937年〜1945年まで殺戮スコアを積み重ね、遂に大陸打通作戦で3500万人を達成したのだ。
689名無し三等兵:2006/08/16(水) 18:12:16 ID:kbpw9GPy
大変だ!黄河が決壊したぞ。
690+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/16(水) 18:30:05 ID:???
>>639
ディスカバリーチャンネルのAK47vsM-16を視聴しました。
双方ともにそれぞれAK74、M16A2に改良されているので今ではマシになっていると思いますが、感想。
やはりM-16の利点は狙撃に使えることと、軽量故に弾薬の持ち運びが楽なことですか。
どちらかというと市街戦用。
対するAK47は単純で強く、白兵戦にも使えて部品も作りやすく、とにかく壊れない、掃除が楽。
どんな状況でも使える、実戦向き。
後進国で普及している理由がよくわかりました。
海空と異なり、陸戦はハイテク技術以外の要因が重要ですね。
日中戦争で日本軍が最終的な勝利を得られなかった理由が何となくわかりました。
691+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/16(水) 18:38:33 ID:???
さてさて、89式はどうなんでしょう?
私の予想では極めて壊れやすく、白兵戦には使えず、弾薬が少なく、泥や砂に弱く、掃除が大変で部品が複雑、火力も弱い。ただし命中精度はトップクラス・・・こう思うのですが、
この程度のことは漏らしても機密漏洩にはなりませんよね。
何故このようなことがわかるかというと、三八式小銃がそんな感じだからです(w
692名無し三等兵:2006/08/16(水) 19:39:38 ID:???
89式は世界で最も部品数の少ない小銃の一つですよ。
バラした写真を見ればわかりますが、掃除は楽かと。
693イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/16(水) 23:55:39 ID:OX96sibU
>>686 >>極東軍事裁判では150万だとかいう数が使われていたような気がするのですが,
>>近年の日本の教科書では1000万という数が使われています.

150万人はどう考えても少な過ぎますw。1000万人が妥当ではないでしょうか?
試しに、主な戦役における『支那軍の死傷者数』を列記してみましょう。

●第二次上海事変(1937年8月〜):33万3500人余(戦死傷者)
●河北作戦(1937年9月):2万5000人余(戦死傷者)
●南京攻略戦(1937年12月):戦死者2万9000人余、捕虜の処刑1万6000人、
              民衆の戦争被害(巻き添え)1万5000人
              (『図説 陸軍史』森松俊夫著より)
●徐州作戦(1938年4月〜):約6万人撃滅
●武漢攻略作戦(1938年8月〜):遺棄死体19万5000人、捕虜3万2500人
●広東攻略戦(1938年10月):捕虜1300人
●南昌攻略戦(1939年3月):遺棄死体2万4000人、捕虜8600人
●棗東作戦(1939年5月):遺棄死体1万5000人、捕虜1600人
694名無し三等兵:2006/08/17(木) 00:04:55 ID:???
>>691
自衛隊89式には、火山灰や泥にまみれても平気で動作していたという逸話もあります。
整備分解も高卒二士程度でもできてるわけですし、さして問題ないのでは?
695イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 00:19:27 ID:aGF/K8Je
●かん湘作戦(1939年4月):遺棄死体4万4000人、捕虜4000人
●南寧攻略戦(1939年11月):遺棄死体6000人、捕虜660人
●翁英作戦(1939年11月〜):遺棄死体1万6000人、捕虜1200人
●賓陽作戦(1940年1月〜):遺棄死体2万7000人、捕虜1200人
●宜昌作戦(1940年5月〜):遺棄死体6万3000人
●中原会戦(1941年5月〜):遺棄死体4万2000人、捕虜3万5000人
●北支の対共産匪・粛清作戦(1940年累計):遺棄死体19万人
             (1941年累計):遺棄死体9万8000人
●第一次長沙作戦(1941年9月〜):遺棄死体3万1300人、捕虜2770人
●101号作戦(重慶大爆撃、1940年5月〜):死者4000人
●浙かん作戦(1942年5月〜):遺棄死体4万人、捕虜1万8000人
●江北殲滅作戦(1943年2月〜):遺棄死体8600人、捕虜2万3000人
●江南殲滅作戦(1943年5月〜):遺棄死体31000人、捕虜4000人
●常徳殲滅作戦(1943年11月〜):遺棄死体2万9000人、捕虜1万4000人
696イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 00:22:30 ID:aGF/K8Je
●大陸打通作戦(1944年4月〜)
 ―☆洛陽攻略戦(1944年5月〜):遺棄死体4000人、捕虜6000人
 ―☆衡陽の戦い(1944年6月〜):遺棄死体4000人、捕虜1万3000人
 ―☆桂柳攻略戦(1944年10月〜):遺棄死体5600人、捕虜1万3000人
697+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/17(木) 00:31:09 ID:???
>>692
重要なのは部品数ではなく、要するに部品そのものが単純な素材や加工なのかどうかです。
早い話、本土爆撃で工場アボーンとか万が一の本土決戦というときに短期間で大量生産できるかどうかということですね。
この場合、たとえ部品点数は少なくとも、材質が高級だと話になりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/89%E5%BC%8F5.56mm%E5%B0%8F%E9%8A%83


少し調べてみましたが、やっぱりM-16A2の劣化版みたいな感じですね。
64式はA1の劣化版ですか。
ベトナム戦以後、泥や砂、掃除に関しては改良が施されたみたいですね。
>>691の予想はどうやら64式で完全的中だったみたいです。

http://military.sakura.ne.jp/army/rifle/ur_an94.htm
これがAKの次世代。どうやら事故盗難防止装置が付いてるみたいですね。
陸戦兵器は技術(頭脳)よりも体力(肉体)ですな。
698すみません:2006/08/17(木) 00:32:44 ID:???
イナゾウ中佐殿,お答えありがとうございます.
しかし,それらを足し算しても,とても1000万には程遠いのですが.

もちろん,他の戦闘での死者や民間人の死者をどの程度と見積もるかで
大きく違うのでしょうけど...

ともあれ,お答えありがとうございます.
他の情報ございましたらまたお教えください.M(_ _)M

699+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/17(木) 00:34:34 ID:???
ちなみに、ディスカバリーチャンネルのF86セイバーVSミグ15も視聴しましたが、
こちらは空戦なので、技術力の高いセイバーが10倍の敵機を相手に勝ちました。
700名無し三等兵:2006/08/17(木) 00:39:01 ID:???
>>697
一方的に89式の肩を持つわけではありませんが、
掃除の容易さについてのレスに生産性の話を振るのは何故ですか?
701イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 00:40:25 ID:aGF/K8Je
上記の戦死者だけで、ざっと120万人です。
さらに作戦によっては、一部の遺棄死体しか計上されていません。
民間人も含めれば1000万人というのが妥当では無いでしょうか?

一応、いま自分の手元に有ります『1億人の昭和史:日本の戦史E
日中戦争』では842万人の中国民衆が死んだ、とあります。1979年
の本なので、若干数が少ないとして(日本兵の死者も39万2500人
と少な目の数になっている)、やはり1000万人ぐらいだと思います。

しかし日本軍の遺棄死体数もまったく当てにならず、ダブルカウント、
トリプルカウントは当たり前ですw。要するに1つの支那兵の死体を
それぞれ違う人間が何回もカウントしている訳です。

合計する際にも「重複」は考慮されず、そのまま累計されますから
上記の遺棄死体数は、かなりオーバーな可能性が高いですw。
702+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/17(木) 00:43:31 ID:???
>>700
部品がもろくて掃除の最中に壊れたりしたら、掃除が難しいことになりませんか?
陸戦兵器は土人の蛮用に耐えなければ話になりませんよ?
703イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 00:54:12 ID:aGF/K8Je
>>698 >>イナゾウ中佐殿,お答えありがとうございます.
>>しかし,それらを足し算しても,とても1000万には程遠いのですが.

3500万人にはもっと程遠いですw。上記はあくまで、主だった直接の
戦闘のみです。

日中戦争を称してよく言われる台詞ですが、「戦闘は大会戦22回を含めて
3万8931回」あった訳です。

>>689 >>大変だ!黄河が決壊したぞ。

例えば、徐州作戦で蒋介石は「黄河の堤防」を決壊させる訳ですが、これだけで
支那人の被災者は1250万人、死者・行方不明者は89万人と、上記の120
万人に匹敵してしまう訳です。他にも長沙の大火災、焦土戦術、飢饉など日本軍
とは直接関係無い(つーか国府政府w)死者も含まれているのでしょう。
704名無し三等兵:2006/08/17(木) 01:18:53 ID:iBVAj4kO
Nスペ再放送age
705名無し三等兵:2006/08/17(木) 01:20:48 ID:iBVAj4kO
Nスペ再放送アゲ
706イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 01:28:24 ID:aGF/K8Je
>>687 >>『支那事変の回想』、数年前に近所の本屋で買いました。ちなみにお値段\480

ちょっとちょっと、自分が見た値段の10分の1ですか?w。あまり文華堂ばかりに
頼りすぎるのは良くないですかねw。かえって専門書店でない方が、その価値が
分からずに『捨て値』で売られているのかもしれません。

まあ、おいおい入手して読みますw。とりあえず今は『蒋介石日記』で精一杯です。
707名無し三等兵:2006/08/17(木) 01:34:35 ID:???
なんかファルケンファウゼンとされる人物はファルケンファウゼンじゃねーだろ?

若すぎる
708イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/17(木) 01:37:03 ID:???
>>705 >>Nスペ再放送アゲ

こんな時間から再放送されても困りますねw。もう寝ます。しかし見逃した
ファルケンハウゼンのくだりは興味深い……。上海攻略戦は前にかなり詳しく
触れましたが、もう一度やってみようかしらん?
709+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/17(木) 02:20:01 ID:???
>>686
中国は派手なのが大好きですから、カウントは一桁減らすとちょうど良いかもしれませんね。
つまり、3500万人から一桁減らして350万人。
中国で語られる英雄物語や逸話も、とにかく派手です。
710名無し三等兵:2006/08/17(木) 02:48:57 ID:???
沢山殺した事を発表すれば手柄になるし、宣伝にもなる。
逆に沢山殺された事を宣伝する根性は理解できん。

どー考えても遠回しに手前の無能さを誇っている様にしか ・。

711成瀬少佐:2006/08/17(木) 02:56:43 ID:???
お初にお目にかかります。イナゾウ中佐殿。私もNスペ見たのですがショックは
皇軍は大陸で、ドイツの兵器と戦っていたとは・・・・
日中に武器を売る死の商人で、軍事顧問団派遣とは。そりゃ泥沼に嵌りますわ。
陸自の90式戦車の滑空砲もフルメタル社のライセンス製品ですた。


712名無し三等兵:2006/08/17(木) 03:16:53 ID:???
ドイツは国民政府と取引があった。
支那からは鉄鉱石や石炭、タングステンなど天然資源をドイツに
そしてドイツから支那へは、軍需品や工作機械を輸出していた。

なんかドイツが共産党と取引していたと勘違いしてなくね?
防共協定なんだから、ドイツが支那の防共を考えた場合、国民政府に支援するのは妥当であるが。
日本とドイツの防共は、第一にソ連の拡大に対してであって、支那の共産党の脅威、規模といったら当時はねえ…
713つ☆ソ連(コミンテルン)の謀略作戦:2006/08/17(木) 11:04:46 ID:???
…反動的戦争においては、革命的階級は、
ただ自国政府の敗北のみを望むことができる。
政府軍の敗北は、日本の君主(天皇)制政府を弱体化し、
支配階級に対する内戦を容易ならしめるであろう。
中国の植民地的従属のための日本帝国主義の現在の戦争においては、
日本共産主義者の行動スローガンは、
「中国の完全独立のために闘え」でなければならない。
中国ないしソヴィエト連邦に対する帝国主義戦争という状態においては、
日本共産主義者は、敗北主義者たらねばならないだけでなく、
ソヴィエト連邦の勝利と中国人民の解放のために積極的に闘わねばならない。

(〇m〇) (^■^ ラ [・ム・ ]
結局、支那国民党、米、英は、
ソ連と支那共産党のために
無駄な戦争をしたわけだ。
714名無し三等兵:2006/08/17(木) 12:03:17 ID:???
そもそも中華民国が国連に報告したのって二三百万でしょ。
民間人入れて五六百万程度かと・・・
大体日本軍の戦死者が五十万だから十倍程度が常識的。
ちなみに南京戦だと四千だから十倍で四万は固い数字。
民間人は三割説が強いがそれも水増しっぽいから数千としかいいようがない。
715名無し三等兵:2006/08/17(木) 12:07:36 ID:???
スターリンは国民党と取引してたから中共への支援は形だけだけどね。
元々国民党は孫文以来容共だし。もっともこれが原因で仲違いすることに。
そういや金日成もあっさり見捨てたし・・・特亜嫌いだったのかな?
716名無し三等兵:2006/08/17(木) 18:00:16 ID:???
無敵皇軍に恐れをなした蒋介石は堤防決壊など自国のインフラを破壊し焦土戦術に頼るしかなかった。
更に支那派遣軍精鋭100万の猛撃により流通機能が麻痺した支那は飢餓状態となった。
即ち1937年〜1945年の支那人は皇軍によって屠られたといって差し支えない。
かくしてチンピラゴツキ3500万を殺戮し大陸打通3000Kmによって皇軍の偉業は完成されたのだ。
717名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:19:14 ID:mkZTG2IR
このスレの過去スレ読める場所ないですか?
718名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:52:07 ID:???
   も
   り
   た
もりたぽたりも
   た
   り
   も
719名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:52:53 ID:???
半億人にふえたんでねーの
720名無し三等兵:2006/08/17(木) 22:06:40 ID:IkD5BaO8
イナゾウ中佐殿、他皆様、レスポンスありがとうございます。
日中戦争の中国側死者の件、以下の内容に疑問を持ったため
ここでお伺いさせていただきました。

 うーん・・・・
-------------------------------------------------
NHK特集への質問の回答がNHkから帰ってきました.
「World War U Almanac 1931-1945」って 信憑性あるの?

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
このたびは番組ご覧頂き有り難うございました。
番組中で「中国の犠牲者は1000万を越えると言われています」と表現した件につき、
その根拠をお伝えします。 現在、文部科学省検定済みの高等学校の複数の歴史の
教科書でこの数字が記載されております。私どもが確認できたものでも、実教出版
「高校日本史A」、清水書院「高等学校日本史A」桐原書店「新日本史B」が
あります。桐原書店の「新日本史B」では、兵士一般住民あわせて死者930万人、
行方不明290万人と記載しています。

また、世界の多くの戦史研究家が引用している次の書籍に、統計史料として
10143241人という数字が記載されております。
“World War U Almanac 1931-1945 by Robert Goralski”

今回の番組では、以上のような様々な情報を検討した結果、「中国の犠牲者
は1000万を越えると言われています」と表現しました。今後とも、NHKの放送
をよろしくお願い申し上げます。


NHKスペシャル「日中戦争」番組担当
-----------------------------------------
721イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 00:42:15 ID:???
明日から帰省するので書き溜めて置きますw。>>701 の補足。

>>合計する際にも「重複」は考慮されず、そのまま累計されますから
>>上記の遺棄死体数は、かなりオーバーな可能性が高いですw。

もっと信じ難い話を紹介すると、支那戦線では日本軍が受けた損害に「ある係数」を
かけた数字を「支那軍に与えた損害」として計算していた説があります。つまり、
キルレートの事ですね。仮に5:1とすると、日本軍が1000人損害を蒙った
としたら、支那側の損害は5000人と(核藁)。さすがにウソかホントか…w。

同じ理屈を海戦に当てはめると、味方のゼロ戦5機が帰って来なかったら米軍の
F4は25機撃墜ですw。でも流石にこれは無理がある事が分かりますよね。

たとえ本当だったとしても、あくまで支那戦線特有の話でしょう。日本軍より
支那軍の方が圧倒的に兵員が多いにも関わらず、逆に日本軍の方が一方的に
追い散らしていた。しかも捕捉殲滅は著しく困難。こうした事情に因ります。
722イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 01:14:18 ID:???
>>710 >>逆に沢山殺された事を宣伝する根性は理解できん。
>>どー考えても遠回しに手前の無能さを誇っている様にしか ・。

それだけ時代が下ってきたという事でしょう。もちろん『沢山殺された事を宣伝する』のは
『反日教育』のためですが、自国の同時代人が生きている間は数字の水増しが難しい訳です。
仰るとおり「手前の無能さを誇っている」事になりますからねw。実際に日本軍から被害を
受けた人間からしてみれば、色んな意味で耐えられないでしょう。

しかし戦争を体験していない世代が台頭してくると、『先祖の無能』は別に自分の能力
とは関係ない訳です。ですから、どれだけ殺害された人数が雪ダルマ式に増えていった
としても、日本に対する『敵愾心』が増幅されるだけでプラスの効果だけなのですw。

自分の先祖はこんなに殺された、あんな恥辱を味わわされた。あるいは『借金』に喩えると
もっと分かり易いかもしれません。「自分の先祖は1億円の負債を背負わされた。だから、
自分はこんなに苦労している」を『3億円』に増やしても、相手に対する敵愾心(先祖への
哀れみと同情)は増幅されても、やはり自分の能力には無関係で恥じる必要はないからです。
723イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 01:33:37 ID:RdA01y1s
>>707 >>なんかファルケンファウゼンとされる人物はファルケンファウゼン
>>じゃねーだろ? 若すぎる

まあ、ファルケンハウゼンは1878年生まれですからね。1937年時点で既に
59歳です。顔写真を確認したい人は、別宮翁の『第一次大戦』の<昭和天皇
と日華事変拡大>の項に、顔アップの写真があるので覗いてみるのが吉です。

一応、ファルケンハウゼンは1938年まで支那の軍事顧問を務めておりますが、
「台児荘の戦い」で支那軍が悲願の勝利を収めたにも関わらず、李宗仁が日本軍への
追撃不徹底に終わったことを知り、頭を掻き毟ったエピソードまでは確認しています。
724イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 02:03:33 ID:RdA01y1s
>>711 >>私もNスペ見たのですがショックは皇軍は大陸で、ドイツの兵器と
>>戦っていたとは・・・・

その認識で少佐は荷が重い。コテを続ける積もりなら少尉からやり直す事を
お勧めします。それでは下級者が誰もついてこないでしょう。

蒋介石の「直系軍」(中央軍)は外国人から「Chiang's Own」と呼ばれており、
これはイギリス国王や女王の部隊が「King's Own」や「Queen's Own」と称される
のに倣ったものです。

多数のドイツ式装備を備えた師団や「機械化部隊」が含まれており、言うまでも無く
国府軍の最精強です。さらに新しい軍隊建設の準備として設立された『教導総隊』は
蒋介石の肝入りで、数千人すべてが新式のドイツ装備を与えられました。

この教導総隊は、人員の選抜も非常に厳しく、あらゆる兵士の背丈は一定の基準に
達しており、訓練も厳格そのものでした。
725イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 02:25:25 ID:RdA01y1s
蒋介石の狙いとしては、この「教導総隊」で兵を鍛え上げ、将来の下士官候補とし、
各軍の『標準化』の基礎とするものでした。

しかし蒋介石の直系軍は、上海戦と南京までの撤退・攻防戦に惜しげも無く
投入されて壊滅、以後旧に復することは二度とありません。

ドイツ式装備の「Chiang's Own」部隊は8万人の規模でしたが、その5分の3に
あたる約5万人が死傷、下級指揮官の損害は1万人を超えました。ただでさえ
少数だった砲兵や工兵とその装備も、以後完全に補充される事はなかったのです。

上海戦は再度また補足する積もりですが、今は長くなるので以上で止めて置きます。

ただ1つ強調して置くならば、当時の支那には日本のような近代的な軍はなかった
訳です。支那にあったのは『中世の同盟軍』だけです。蒋介石の直系軍もまた、
その内の「最精強」だった1つの軍に過ぎません。この点を見失うと、一切合財
何も分からなくなります。
726イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 02:50:35 ID:RdA01y1s
>>712 >>防共協定なんだから、ドイツが支那の防共を考えた場合、国民政府に
>>支援するのは妥当であるが。日本とドイツの防共は、第一にソ連の拡大に
>>対してであって、支那の共産党の脅威、規模といったら当時はねえ…

それはそうなんですが、1937年8月21日に「中ソ相互不可侵条約」が結ばれると
状況が変わってきます。対ソ目的の「日独伊防共協定」が締結されたのは直後の
1937年11月6日です。中共だけでなく国民政府を含めた支那がソ連に接近するのを
ドイツは恐れた訳です。

すなわちヒトラーが望んだのは、中ソ関係が瓦解し、日本が支那との戦争を停止して
反共(対ソ)のための実力を保つことです。ゆえに南京陥落にかけて1937年末に
ドイツの駐華大使であるトラウトマンが登場してくる(和平工作)訳です。

この頃(1937年12月)になってくると蒋介石の胸の内も揺らいできます。日記には
「ソ連と結ぶのは倭寇を威嚇するためである。倭に悟るところがあれば役に立つ」と
言外に和平工作に期待する望みを匂わせています(日記は1937年12月2日)。
727イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 02:56:09 ID:???
>>すなわちヒトラーが望んだのは、中ソ関係が瓦解し、日本が支那との戦争を
>停止して反共(対ソ)のための実力を保つことです。

ゆえにトラウトマン調停が失敗すると、ヒトラーは支那への軍事物資の禁輸を
準備して、駐華大使を召還しました。また蒋介石に対して、ドイツ人軍事顧問の
契約解除を要求します。

ドイツ式装備で「直系軍」を創設していた蒋介石からすれば、自分の部隊が
壊滅した挙句、さらに二重の打撃となります。
728イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 03:18:43 ID:???
誰も8月15日の「四季映姫・ヤマザナドゥさま」のくだりにツッコミを入れて
くれず『放置プレイ』なので自分で入れる事にします(藁)。まずは>>680-681

>>臨終の人間「ああ、この世には神も仏もないものか?」
>>「無い」――四季映姫・ヤマザナドゥ

は、山田風太郎の『人間臨終図鑑1』からのモジリwになります。原文は

臨終の人間「ああ、神も仏もないものか?」 神仏「無い」

となります。>>681 もほぼ同様です。>>682

「人生は影、所詮は三文役者。いろんな悲喜劇に出演し、出番が終われば
 消えるだけ――」

は、言うまでも無くシェイクスピアですね。
729イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 03:24:50 ID:???
>>682
>>この世に生きるという事は、いわば演劇だ。だから自分というものに
>>忠実に生きようとすれば、何回も下稽古を積まなくてはならないのだ

は、劇作家のサローヤンの言です。また、>>683 の四季英姫さまのお言葉

>>新しい花を咲かせよう。
>>散る事が運命だったとしたなら、咲く事もまた運命。
>>それが魂の輪廻であり、魂の花なのだ――

『散華嬉遊曲』からの出典ですが、上記はいわば「最後の締めの部分」であり、
前段がいくつもあります。


730名無し三等兵:2006/08/18(金) 08:16:28 ID:???
>>723
中佐こんにちはです

ファルケンハウゼンの高解像度写真ありましたので貼っておきます。
ttp://www.autosautos.com/Record.asp?InventoryID=2865

NHK放送時の「ファルケンハウゼン」とキャプションがついたキャプチャー
画像だれか持ってませんかね・・・当方確認とれず。

(左にファルケンハウゼンとされる人物 右に蒋介石でした)
731イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 10:03:55 ID:???
>>730 >>ファルケンハウゼンの高解像度写真ありましたので貼っておきます。

ベリーサンクスコ。ここは生の写真(サイン入り)を売っているサイトですかね。

>>729 >>『散華嬉遊曲』からの出典ですが、上記はいわば「最後の締めの部分」
>>であり、前段がいくつもあります。

一応、紹介しておくと以下の通り。つーか、四季「映」姫さまの名前間違えたよ!w
この世には理不尽なことが多過ぎた。
自分にとって生も死も、善も悪も、充足も虚無も
全て人間の傲慢さが生み出したものだった。

その場所では華が舞っていた。
咲いては散り、散っては咲き、
ただただ華が舞っていた。

風も妖精も寝静まった音の無い夜、
逝き場を失った人間の霊たちは
月見草の花を一斉に開花させる。
人として生きていた頃を思い出す。
自分の意志だと思って行動していたつもりだったが、
あらかじめプログラムされていただけかもしれない。

河のせせらぎは思い出を洗い流してくれる。
那由他の時間を流れるこの河を見ていると、
生など涅槃寂静の一瞬に過ぎないことが実感できた。
自分にも罪を認め、罰を受けるときがやってきた。
世の中が理不尽だったなんて言い訳は既に通用しない。
判決は意外にも予想通りだった。

全ては自分自身の業による因果応報。
理想を語った罪は実行することでしか赦されない。
どうやら自分はあまりにも怠けすぎたらしい。
新しい花を咲かせよう。
散る事が運命だったとしたなら、咲く事もまた運命。
それが魂の輪廻であり、魂の花なのだ――。
736イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 10:28:37 ID:fzUbXXfW
>>715 >>スターリンは国民党と取引してたから中共への支援は形だけだけどね。

ソ連の目的は、欧州情勢がますますキナ臭くなる中、日本を牽制することですから
組織の体を成していないような中共に支援するより、実際にメインで戦う事になる
国民政府に援助した方が即効性がある訳です。

中共軍が取り残された「戦線の後方」で雪ダルマ式に増えていくのは、支那事変中盤
以降の話です。またスターリンは中共自体を好んでいませんでした。

何にせよ、蒋介石もスターリンも「腹の内の探りあい」で、お互い疑心暗鬼です。
蒋介石日記から一部引っ張ってくると以下の通り。
737イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 10:38:38 ID:fzUbXXfW
●「ソヴィエト・ロシアの外交は険謀無比である」(1937年8月1日)

●「(日本と比べれば)ロシアは狡で、倭は暴であり、我が中華は
  その真っ只中にいるのである」(1937年9月30日)

●「対ロ問題の処理が特に難しい。国の災いには穏と急がある。倭の患いは
  急にして防ぎやすい。ロシアの災いは穏にして計りがたい」

支那事変が始まる前、中国の理想的な外交方針は明白です。日ソの対立が激化
するなか、横目で中立を保ち、その隙に国力を充実させるというものです。

しかし現実は全く逆でした。日支の紛争が激化するなか、ソ連が横目で中立を
保ち、その隙に国力を充実させるというものでした。

前述の「中ソ相互不可侵条約」にしても、日本の牽制という目的がある一方で、後に
ソ連が自分を日本に高く売り付けるための布石でもあるのです。ロシア外交、恐るべしw。
738イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 10:48:57 ID:fzUbXXfW
>>717 >>このスレの過去スレ読める場所ないですか?

一応、自分はワード形式でデスクトップに全て保存してますけどね。なんつーか、
ファイルで「名前を付けて保存」するやつで。

何回も書いている通り、自分はパソコンも携帯も「必要最低限の機能」しか使わない人
なので、この書き込みも専用ブラウザではなく「ド・ノーマル」でやっていますw。
つーか、自分は携帯でメールが送れません(核藁)。しかし、パソコンでブラインド
タッチは出来ます。え?、やれて当然?w

専用ブラウザもで過去ログ倉庫のは見れないのですかね? やっぱり有料のビューワー
なるものを購入しないと見れないのかしらん? まあ、別に大した事は書いてないです。

つーか、まだレスが700番台だと油断していたらもう463KBまで来てますw。
500KBで容量がご臨終なので、このスレももう直ぐ天寿を全うします。
739イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 10:55:25 ID:fzUbXXfW
>>719 >>半億人にふえたんでねーの
もう1億人でいいですよw。つーか、表記は「たくさん」でいいですよw。

>>725 の訂正。
×当時の支那には日本のような近代的な軍はなかった訳です。
◎当時の支那には日本のような近代的な『国軍』はなかった訳です。

>>720 >>「World War U Almanac 1931-1945」って 信憑性あるの?

自分は「洋モノ」は無知なので全く分かりませんw。眠い人上級大将なら知って
そうな気がします。書籍スレか、初心者質問スレによくいらっしゃるので、聞いて
みるのも1つの手でしょう。書籍スレだと結構、洋モノも話題に上がることが多いです。
740イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 11:07:25 ID:fzUbXXfW
>>720 >>番組中で「中国の犠牲者は1000万を越えると言われています」と表現した件につき、

大体ですね。自分が少佐時代に「大隊討伐」で中共支配地区の村々に押し入って、
逃げ遅れた間抜け共を、●して●●して●した人数は、どこにどうカウントされて
いるのか?と小一時間、問い詰めたいw。統計の出し様が無いではないですか?

ちなみに「晋察冀辺区粛清作戦」などというオドロオドロシイ作戦名もよく戦史には
出てきますが、この場合『辺区』とは「中華ソヴィエト区」の意味です。

またさらに、「晋」は山西省、「察」はチャハル省、「冀」は河北省の別称です。
すなわち「晋察冀辺区粛清作戦」とは

山西省とチャハル省と河北省一体の中共ソビエト区の殲滅作戦だっと事を意味するのです。
この辺りの地名も覚えておかないと理解が深まりません。まあ、難しいようですが
日本の戦国時代の「駿河」「三河」「丹波」「薩摩」などと同じようなものです。
741イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 11:12:40 ID:fzUbXXfW
>>720 >>番組中で「中国の犠牲者は1000万を越えると言われています」と表現した件につき、

大体、国民政府軍の各師(師団)は人員の水増し(と請求)が常態化していた
訳です。数字はテキトーですが、ざっくばらんに1師あたり7000人ぐらい
本来いるところに、実際は5000人ぐらいしかいない。それで7000人分の
経費を中央に請求する訳です。

そして日本軍と戦闘があって2000人ぐらい死傷したとすると、最初の水増し人員
も含めて、中央には4000人死傷して、現在は3000人しかいませんとやる訳です。
こういうのが統計にどう反映されているか知りませんが、いかに「中国の犠牲者数」なる
ものがワケワケメか実感できるでしょう。

とりあえず1000万人で良いですよw。
742イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/18(金) 11:14:32 ID:???
前述のとおり、これから帰省しますので数日間いません。最後の方は
「書き殴り」でスマソw。それではアディオス・アスタラビスタ。
いつまでも、あると思うな、親と金
744俄将軍:2006/08/19(土) 13:09:19 ID:???
何故、「蟻の兵隊」やら、山西省の残留日本兵の話題がでてきたのか、不思議
でしたが、戦争特番のテレビ、ラジオで、大きく取り上げられる予定だった
から、ということになるのだろうか、などと。

>>654
>そんなことを言ったら、このスレは「第●使徒、俄将軍襲来!」すら乗り切って
>いるのですから、ちょっとやそっとでは堪えません(↑ゴメンなさい)。

中の人の異なる「俄将軍」が、使徒として、立て続けに襲来している情景など、
ということになるのか、などと。
745+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/20(日) 06:59:59 ID:???
>>727
精鋭の建て直しは、よっぽど見る目がないと難しいですからね。
746イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/20(日) 23:31:43 ID:???
>>744 >>何故、「蟻の兵隊」やら、山西省の残留日本兵の話題がでてきたのか、

全てはここから始まりました↓w。

576 :伝統の幻想ブン屋 射命丸 文 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/07(月) 00:49:55 ID:+atqL6yS

    ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ    うるさい! 外見が小学校高学年の「アル中」の鬼に
   | i.|ノリハノリ〉    とやかく言われたくありませんねー。取材元とは時に
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノii ,   共存共栄。とても素晴らしいことじゃありませんか?
 ゝ,<,⊃〔i◎〕 、   中佐も忙しさに負けず頑張ってくださいねー。特ダネ
  `,し/~/:ハ     期待してますよ。内部告発、抗命上官暴行、敵前逃亡
   `'ィ ァ~ィ ァ´    なんてのも良いですよね? ところで山西残留の日本兵
    T  T      問題、詳しくご存知ないですか…? ね、イナゾウ中尉?
747イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/20(日) 23:48:47 ID:Eh6dM+EI
「あやたん」のカマかけに不用意に答えた勘違いを、>>579氏にツッコまれて
以下『山西問題』が始まった訳ですw。

そして、あまり資料が無いので参考になるかと『蟻の兵隊』を見に行ったら
これが酷い映画で憤慨し、8月15日まで嫌がらせのレビューが続きますw。

つーか、1ヵ月ぐらい時間をかけていたような気がしましたが、始めてから
半月も経っていないのか……orz.

「あやたん」のテーマ曲『風神少女』♪は、かなり好きです。突き抜ける感じが非常に
グッド! ポッと出の新キャラが、次作では「主役級の扱い」という強力な娘ですw。
748イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 00:20:04 ID:Op4WK7hl
>>744 >>中の人の異なる「俄将軍」が、使徒として、立て続けに襲来している情景など、

つーか、いつも「中の人の異なる」を強調されていますが、そんなに共有コテとして
広く使用されているのでしょうか? ちっともそんな気がしませんが…w。

いや「俄将軍」だけが立て続けに襲来という意味では無く、失礼を承知で今までの
歴代『使徒』を思いつくままに挙げると、以下の通りw。

第1使徒「32」さま(この人が最初に相手してくれなかったらスレは無かったかもしれません)
第2使徒「俄将軍」(初代スレを確認したら2番目の登場!)
第3使徒「だつお」(この人も早い登場でした) 第4使徒「名無しロサ・カニーナ 」
第5使徒「唯」(台湾の人。英語と中国語だけの書き込みで対処不能でしたw。)

上記は「初代スレ」をざっと見直しただけですが、コテの人に限るとこのくらいですかね。
「俄将軍」が初代スレから、ガンガン書き込んでいるのに気付いてビックリしましたw。
最初の頃は「荒らし」としか認識していなかった模様。正直、スマンかった…w。(;´д`)
749イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 00:31:11 ID:???
え? そういうお前は何だって? 自分は四季映姫さまを中心にして
円陣を組む『量産型エヴァ』で結構ですw。自分と同じようなのが
あと8体いますw。
750イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 01:14:59 ID:Op4WK7hl
>>716 >>更に支那派遣軍精鋭100万の猛撃により流通機能が麻痺した支那は
>>飢餓状態となった。

1938年末の「武漢攻略戦」以降、国民政府(重慶)は内陸部の奥地に追いやられる
事になります。当時の支那はお世辞にも工業が発達しているとは言えませんでしたが、
内陸部にあった工場は、支那全土の僅か6%を占めるに過ぎないのです。

すなわち、当時の支那は「かつての6%」の工業力で抗日戦を続けなくては
ならなくなった訳です。英米の対支援助が全開になるのは、太平洋戦争開始
以降ですから、その間の1939年〜1941年というのは悪夢以外の何物でもありません。

奥地の発電力は全国の4%(!)。内陸部の各省の鉄鋼生産量は僅か1200トンに
過ぎません。その後、支那側の「資源委員会」の努力により10倍に増えましたが
1944年に至るも1万トン余りにしかなりません。重巡1隻分にも満たないのです。

当時の先進工業国の鉄鋼生産量は、毎年・数千万トンが当たり前でした。
751イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 01:23:26 ID:???
ちなみに戦前日本の鉄鋼生産量が500万トン(1945年時は50万トン)。

現代日本が1億1000万トン、現代支那が2億7000万トンです。
品質はともかくとしてw。
752名無し三等兵:2006/08/21(月) 01:38:17 ID:???
笠間ゆかり@平型関 

「なにここ? 八路軍ばっか きんもー☆!!」

「日本軍武器ないじゃんw 日本軍きんもー☆」
753名無し三等兵:2006/08/21(月) 01:49:00 ID:???
笠間ゆかり@平型関 

「八路軍ちゃんと並べっつうの!!! なんかこいつらキモすぎ〜☆」

「そこの日本兵 書類こっちに捨てるなよ(怒) きんもー☆」

「やってらんない 帰る☆ 」

754イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 01:54:03 ID:Op4WK7hl
>>745 >>精鋭の建て直しは、よっぽど見る目がないと難しいですからね。

それ以前に、当時の支那は「予備役」の概念(システム)自体がないので、
一旦壊滅すると「普通の部隊」でも建て直しが著しく困難ですw。

日本の場合ですと、外征部隊が出ていった後に「留守師団」が編制されて
兵員の補充や、新規師団の立ち上げ、新兵の徴集や訓練を担当します。

これは当たり前のようですが、当時の支那には逆立ちしても真似でき
なかった事なのですw。
755名無し三等兵:2006/08/21(月) 01:55:12 ID:???
そりゃあ師団制を取り入れるほどのレベルではありませんから。
中世?
756+( ´ー`)y-~~ ◆nmnV5aVd8s :2006/08/21(月) 01:58:05 ID:???
>>755
紀元前後くらいの方がよっぽど良かったですね。
757イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 01:58:24 ID:Op4WK7hl
>>755 >>そりゃあ師団制を取り入れるほどのレベルではありませんから。中世?

既述の通り、そういうことです↓。

>>725 >>ただ1つ強調して置くならば、当時の支那には日本のような近代的な
>>国軍はなかった訳です。支那にあったのは『中世の同盟軍』だけです。
758755:2006/08/21(月) 02:27:06 ID:???
ややっ、すぐ上のレスに気づかぬとは・・・orz
WFでの疲れが残っているのかもしれません。
会場には九四式軽装甲車(1/1ダンボール製)がありましたね。
759俄将軍:2006/08/21(月) 07:20:19 ID:???
>>743
「俄将軍」の中の人は、中の人の異なる「俄将軍」というのも、殆ど目にする
ことはないのですが、知らないだけで、関知していないスレッドで、活動し
ていることもあるのか、などと、「俄将軍」だけが、使徒として、幾度も
襲来している情景など連想したものですから。

斉藤充功著『陸軍中野学校 情報戦士たちの肖像』の帯に、『謎の商社「昭和
通商」とは何か? 新たに語られるスパイ学校の素顔』とありますが、日本
の商社は、元来、スパイ機関として、戦前戦中どころか、戦後も、一貫し
て、活動しているということになるのか、などと。
760イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 10:16:50 ID:sIIRcY5a
>>758 >>ややっ、すぐ上のレスに気づかぬとは・・・orz
>>WFでの疲れが残っているのかもしれません。

もちろん日本も他人のことが言えた義理ではなく、例えば航空機のパイロットも
米国に比べれば『大量生産』に失敗しています。まあ、各種努力をした訳ですが
海軍を見ていますと、事実上初期の『機動部隊の搭乗員』ワンセット(但し神クラス)
を消耗し尽くすと途端に厳しくなります。

要するに、何かを『ワンセット』作るのは比較的容易です。問題はその後です。

支那も「盧溝橋事件」が突発的に劣らず、順調に日本への開戦準備を整えることが
出来ていたならば、欧米列強からの輸入により『相当な空軍力』も備えられたでしょう。
しかし、機体数にしてもパイロット数にしても「ワンセット」だけです。開戦と同時に
消耗したら、それでジ・エンドです。
761イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 10:20:44 ID:sIIRcY5a
当時の日本は曲がりなりにも『近代国家』ですから、陸軍師団の急速な
動員のシステムはきちんと構築できていた訳です。支那は陸軍力においても
『ワンセット』あるだけの状態でした。

たとえ蒋介石の直轄軍のように一部分が『最精鋭』だっとしても、
これではあまり意味がないですよね。消耗したら終わりです。

そして、それこそが『近代国家』と『中世国家』の壁な訳です。
762名無し三等兵:2006/08/21(月) 10:23:52 ID:???
763七色の人形遣い アリス・マーガトロイド ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 21:46:56 ID:3BGZjZdc
>>758 >>WFでの疲れが残っているのかもしれません。

   _,........,_   
 , ´,.-== ,ヽ    
 i (ノノλノ)リ      中佐は帰省時に何年かぶりに、ガンダムのプラモデルを
 ルイ);゚ -゚ ノ)     「素組み」で作って感動しているレベルだから、WFは
  `,く_,`ハ,イつ    ハードルが高いかもしれないわねw。ちなみにモノは
  ,(,ノ┐ハゝ       『∞ジャスティス』だそうよ。
  `'-i'_ィ,ァ"´    

「コミケの翌週は辛い…」とか泣き言いってるけど、私なんかコミケに出て、
WFとスーパーコミックシティも全部かけもちでサークル参加なのよ。でも
手伝ってくれるスタッフ(友達)がいないのよ……w。上海、蓬莱、あなた
たちだけが頼りだわ(泣)w。
764イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 22:11:26 ID:3BGZjZdc
>>763 >>でも手伝ってくれるスタッフ(友達)がいないのよ……w。

アリス嬢、自分が免官になったら幾らでも手伝ってあげますよ…(泣)。

>>758 >>会場には九四式軽装甲車(1/1ダンボール製)がありましたね。

そういう「キチガイ」は嫌いじゃないですね(笑)。いかに下らない事に
執念をかけられるか? 感動はそこから生まれますw。しかし自分はコミケで
200Kぐらい使いますから、WFに行くと『危険水域』に突入しますw。

何かイメージですと、カタログチェック(?)する関係で、コミケより
入場が混む感じがするのですが、どんなものなのでしょう。仮に朝6時半
ぐらいに『超時空要塞』に到着すると何万人か既に並んでいるのでしょうか?
765イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 22:47:45 ID:3BGZjZdc
>>759 >>日本の商社は、元来、スパイ機関として、戦前戦中どころか、戦後も、

「昭和通商」については、自分も手持ちの資料が少ないのですが、『阿片と大砲』
の著者・山本常雄氏は、早稲田大学専門部商科を卒業して、そのまま昭和通商に
入社していますから、全員が中野学校に関係がある訳ではありません。むしろ
ごく一部ではないでしょうか。

ちなみに山本氏は幼少に患った「両股関節機能障害」のため運良く徴兵を免れましたが、
『不具廃疾兵役免除』という不名誉なレッテルを貼られたため、何とかお国のために
役立つ仕事を自分もしたい、という逆のベクトルが働いたようです。

まあ、いわゆるコンプレックスを抱えていたのであり、友人が次々と出征していく中、
肩身の狭い思いをしていたのでしょう。

ちなみに山本氏は1942年の入社。その年の早稲田大学出身者は6人。全員で50数人
入社だったそうですが、全員、官・公・私立の大学と高等専門学校からの採用でした。
766イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 23:02:19 ID:3BGZjZdc
また山本氏が「昭和通商」を志望するきっかけが面白い。山本氏が大学の
就職課に「(自分はこんな体だが)何とか職を通して国家に奉仕したい」と
相談に行くと、担当官が昭和通商を薦めたと言います。要約すると以下の通り。

「(就職〔人事〕課長):この会社の仕事の内容は、私にもよく分かって
 いない。だが先日、君らの先輩の1人でこの会社に入った男が大学を尋ねて
 きての話では、腰に一丁ピストルを下げて支那の奥地へ物資調達に出かけて
 行っているそうだ。

 危険もあるが気持ちも充実して、戦争遂行の影の役となっていることを
 実感していると、胸を張っていたよ」

山本は「昭和通商」の門を叩く事に決め、入社試験の口頭試問では役員を前に
「どうか御社へご採用ください。必ず御社のため、国家のために尽くせる男
 だと信じています。ぜひとも私を使ってみて下さい」と切願しています。
当時の雰囲気が伝わってきて、興味深いと言えるでしょう。
767イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/21(月) 23:36:56 ID:3BGZjZdc
>>762 >>中国空軍についてはこげなものが

ベリーサンクスコ。デスクトップに保存させて頂きましたので、また
「支那の空軍力」について詳しく触れる時には参考いたします。

1つ2つエピソードを知っていますので書き込もうと思いましたが、
最近パソコンの使い過ぎで目がショボショボ痛いのでまた後日w。
768名無し三等兵:2006/08/22(火) 00:05:27 ID:???
>>764
>コミケより入場が混む感じがする

列に関しては当日0時から闇ノートにより整列。
始発が到着する頃は夢の大橋手前のつどいばし?あたりでしたね。
4人一列で並び最長時だと観覧車あたりとのことです。

これがコミケよりも多いかどうかは私には判断できません。
実は私はコミケに行ったことがないのでw

会場では日本軍のコスプレがちらほら、は当然として
日露戦争モノのヒストリーフィギュアがあってちょっと感動しましたね。(1/35連隊旗手など)
769イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/22(火) 00:08:20 ID:???
>>766 >>当時の雰囲気が伝わってきて、興味深いと言えるでしょう。

まあ1942年の話ですから、こんな雰囲気でしょう。
770俄将軍:2006/08/22(火) 01:26:24 ID:???
>>765
スパイ機関として機能するのであれば、商社の中の人が、皆、軍人、スパイで
ある必要もないどころか、会社の内部であっても、身元が明らかだと、「仕
事」にならないということになるのか、などと。

商社に限らず、玄洋社、黒竜会、東亜同文会といった結社も、東亜同文書院を
設立したりするわけですが、日本が、大陸に送り込んだ、宗教団体のように、
欧米列強も、同じく、大学などの教育機関、教会などの宗教施設、商社な
ど、同様、ということになるのか、などと。

数十年単位どころか、親子代々のスリーパーでさえ、当たり前、ということに
なるのか、などと。
771名無し三等兵:2006/08/22(火) 01:50:06 ID:???
スパイといえば川島芳子は外せませんね。
王族の娘で美貌の男装、軍司令官として実戦経験もあり、ほとんどアニメの主人公みたいな設定。
今もそうですが、この時代、女性元首や閣僚はいても女将軍はいない
772名無し三等兵:2006/08/22(火) 09:13:19 ID:???
無責任な昭和天皇(戦争のすべてを 「あっそう」 で流して天寿を全うした人)
実はこれだけ軍事政策にどっぷりと関わっていました。

・天皇の発言によって軍事行動が左右された事項
1、1933年・熱河作戦の一時指し止め
2、1936年・2・26事件における反乱軍の武力鎮圧の決定
3、1937年・日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定
4、1938年・張鼓峰事件における武力行使方針の一時指し止め
5、1939年・「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正要求
6、1940年・宜昌再確保への作戦変更
7、1942年・フィリピン・バターン要塞への早期攻撃の実現
8、1942年・重慶攻略の方針の決定と取りやめ
9、1942年・ガダルカナル攻防戦における陸軍航空隊の進出
10、1943年・ガダルカナル撤退後のニューギニアでの新攻勢の実施
11、1943年・統帥部内の中部ソロモン放棄論の棚上げ
12、1943年・アッツ島玉砕後の海上決戦のたびかさなる要求と、海軍消極姿勢への
厳しい叱責による統帥部引き締め
13、1943年・陸軍のニューギニアでの航空戦への没入
14、1943〜44年・絶対国防圏設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部指示など)
15、1944年・サイパン奪還計画の立案
16、1945年・沖縄戦における攻勢作戦の実施(防御部隊が突撃させられアボーン)
17、1945年・朝鮮軍の関東軍への編入取りやめ

<例>
1、「沖縄では守るだけか、海軍はどうしたのか」→防戦予定が突撃させられる、
大和特攻が敢行され死者3721人。
2、「(特攻隊は)そのようにまでせねばならなかったか。しかし良くやった」
→現地では「よくやった」とのお言葉をもらったと続々と続く一要因となる
3、1947年9月20日、寺崎英成を通して、「沖縄に関する軍事占領を継続する
事を希望する」「25年ないし50年という長期が良い」と要望した覚書をGHQ顧問
からマッカーサーに提出。 (「昭和天皇の軍事思想」校倉書房)
773元32:2006/08/22(火) 12:20:02 ID:???
>>748
第一使徒指名 キタ━(゚∀゚)━!

最近、忙しくて書き込めませんが、いつも読ませていただいております。
大変勉強になっています。
リース・ロスと幣制改革についても、整理していただいて感謝しています。

>>772
コピペなのでしょうが、元ネタの本を熟読されるといいですよ。
著者は左翼の研究者ですが、参謀本部・軍令部の空想的な戦略、戦術に引きずられていない点で、
それなりに昭和天皇(と東條)を評価しています。
最後の方にある天皇の責任追及はちょっととってつけたような感じがしますね。
左翼の人が読むと、相当なショックを受けるはずの本です(しかし高い)。


774717:2006/08/22(火) 12:50:03 ID:ZNI1ZqmO
誰かイナゾウまとめ作れよボケ死ね糞軍ヲタどもくずくずくず
775イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/22(火) 22:58:26 ID:???
>>768 >>4人一列で並び最長時だと観覧車あたりとのことです。

コミケと「待機列」の形態が違いすぎて、よく分かりませんですw。観覧車というと
気が遠くなるのですが……。コミケだと東館は最寄の大駐車場、西館はパナソニック
の建物横で一杯になったら公園、といった感じです。

そういえばコミケで海軍の『第二種軍装(白服)』で超カッコイイ方が歩いているのを
見かけました。身長180センチ以上で、背筋もピンとしていて、カバンもきちんとした
ものを抱えていらっしゃいました。コスプレするなら見る人を惹き付けるものでなくては…。

リアルでも「薄汚い」格好の人はコリゴリです。自分も関東軍時代の岡村寧次みたいな
外套を羽織ったコスプレをしたいなあと思う時がありますがw、やるならリアルでなくて、
いわゆる「らしい」格好を揃えたいと思います。←要するに「映画や芝居」映えするものですねw。
776暫編第一軍:2006/08/22(火) 23:23:10 ID:???
ご無沙汰しておりますイナゾウ中佐殿。国民党軍の補充について多少補足させて頂きます。
 国民党軍の精鋭である「調整師」には補充団(3個営)が存在します。
 この人員装備は建前上正規の歩兵団に相当し、野戦補充隊のような役割を果たすつもりであったと思われます。
 しかし記録を見ると、本土戦の常として補充団のまま作戦に投入されることも少なくないようです。
 尚、補充団は後に編成された編制装備の劣った師にも存在する場合があります。

 また、日本の留守師団や後の師管区部隊に相当する軍管区、師管区が存在しています。
 これらは各師現役兵の徴集補充、各兵役召集教育、動員計画実施、管区戸口調査綏事務に当るものとされます。
 日本との早期開戦と広大な領土を被占領下に置かれた為、動員補充計画は大きな混乱をきたしたと思われますが、中世システムで戦う気ではなかったのです。
 
 各地方軍閥軍に関しては現在資料を持ちませんが、こちらは中世システムの可能性は高いかもしれません。
777イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/22(火) 23:24:36 ID:EWyT+hNL
>>770 >>会社の内部であっても、身元が明らかだと、「仕事」にならないということに

要するに「隣は何をする人ぞ」の世界です。管理職はともかくとして、末端の「社員」になると
任務を指示した上司と、それを実際に活動する者以外、ひとつひとつの行動は他の誰にも知ら
されません。また自分の任務は同僚にも決して漏らさないという「暗黙の了解」がありました。

前述の『阿片と大砲』の著者・山本氏は末端の社員ですから、当然「昭和通商」の全体像を
知る立場にはありません。ですから、それぞれの任務を果たした他の体験者(元社員)の
証言を戦後にコツコツ集めるという作業をしているのですが、その中で判明している
昭和通商の『業務内容』は以下の通り。

<北支・中支・南支方面>
●兵器器材供給先=北支臨時政府、蒙古連合自治政府、汪兆銘国民政府の軍隊並びに
各警備隊等。●取扱い品および事業=銅幣、タングステン、モリブデン等の非鉄金属
の収買。桐油、菜種油、棉実油、ゴマ油、落花生油、梓油、紅桐油、牛脂、豚脂等の
動植物性油の収買。豚毛、岩塩の収買。麻、桐樹の栽培事業。兵器製造。
778イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/22(火) 23:42:40 ID:EWyT+hNL
↑異様に「油類」が多いのが目立ちますねw。

<南方方面>
●兵器器材供給先=タイ国軍、インドシナ土民軍等。●取扱い品および事業=
錫の開発・精錬。軍需資源の生産確保および物資調達。野戦兵器工場への軍需
資材の収集、納入。薬草の栽培。廃弾処理。銅、タングステン、ニッケルなど
非鉄金属の収集。泰緬鉄道・クラ地峡鉄道建設の必要器材の収集。兵器の製造。

↑最後の「泰緬鉄道・クラ地峡鉄道建設」が気になりますw。

<満州方面>
●兵器器材供給先=満軍。●取扱い品および事業=軍需物資調達。関東軍補給監部
指令による現地部隊への納入。南方交易(満州からモリブデン、柞蚕絹紬、ペイント、
硫安、大豆、大豆硬化油等を輸出し、油草、桐油、綿布、銅幣、生ゴム、錫等を輸入)。
779イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/22(火) 23:59:11 ID:EWyT+hNL
他にも「昭和通商」創設期には、北中南米でも活動していましたし、もちろん
阿片やヘロイン絡みの『ダーティな仕事』もありました。またドイツやイタリアなど
「日独・満独軍事協定」「日伊・満伊軍事協定」による相互物資の交流にも
昭和通商が関わっていたようです。

>>770 >>スパイ機関として機能するのであれば、

「昭和通商」でスパイ機関として機能したのは「調査部ニ課」でしょう。青年将校の
指導者格だった大岸頼好(調査二課長)を筆頭に、旧軍人やその筋からの紹介者が
多かった訳です。ちなみに調査一課は、文化人など学識経験者が占めていました。

「調査二課」は昭和通商の中でも強大な発言権を有し、機密費や工作費もベラボウな
額に上りました。また陸軍省で通用する『大八州』という暗号帖と乱数表を所持して
自由に特信を使用できるなど、第二課員は全社員の羨望の的だったと言います。
780イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/23(水) 00:09:56 ID:???
>>暫編第一軍さま >>国民党軍の補充について多少補足させて頂きます。

こちらこそご無沙汰いたしております。国民党軍の組織については全く勉強不足で
『蒋介石日記』(あと少しでやっと読み終わる…w)でようやく、蜃気楼のように
ですが、その実態が分かりかけてきたレベルでございます。

いつか国民党軍についても詳しく取り上げたいと考えておりまして、またその際には
ご教示いただければ幸甚です。
781イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/23(水) 00:23:58 ID:xcRBSPIT
さて1点だけ国民党軍について触れておきます。基本中の基本、英語で言うところの
アルファベットみたいなものですが、支那の軍組織についてです。もちろん日本とは
組織が異なる訳で、最初は混乱すると思います。なまじ漢字表記で似ているだけに
かえって紛らわしいw。要約すると以下の通り。左が日本で、右が支那です。

●師団=師 ●旅団=旅 ●連隊=団 ●大隊=営 ●中隊=連 ●小隊=排

となります。組織の長はそのまま、師長・旅長・団長・営長・連長・排長ですね。
この他に軍長、班長(分隊長)などもあります。もちろん軍長は、師長の上です。

肝心の覚え方ですが、これはもう単純に

「しりょだん、えーれんはい♪ しりょだん、えーれんはい♪ しりょだん、えーれんはい♪
 しりょだん、えーれんはい♪ しりょだん、えーれんはい♪ しりょだん、えーれんはい♪」

と100回、呪文を唱えましょう。少なくとも『営連排』だけは記憶に残るはずですw。
782イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/23(水) 00:41:47 ID:xcRBSPIT
ですから、参考までに一文を拝借すると

>>776 >>国民党軍の精鋭である「調整師」には補充団(3個営)が存在します。

は、国民党軍の精鋭である「調整師」には補充大隊(3個中隊)が存在します。

に置き換えられます。ほんの少し分かり易くなったでしょう?
783イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/23(水) 00:47:39 ID:???
このスレも「寿命」(500KB)が尽きるまで、あと僅か…。
結局、「幣制改革」は脱線話が多過ぎて終わりませんでしたよ。ウワーンヽ(`Д´)ノw
784俄将軍:2006/08/23(水) 07:47:15 ID:???
>>777-779
山本隆著「東亜同文書院生」に、著者の祖父は、日清貿易研究所の初代所長根
津一と同期、日清戦争では、大本営作戦参謀、父親も、孫文の第一次革命に
参加、士官学校に入学、退役後は、済南の中国軍の情報蒐集を目的に、山
東省の鈴木商店青島支店勤務とありますし、著者も、影佐少将、朝日新
聞上海支局長の白川威海、岡本総領事、河北省主席何中将秘書松本渓
風と、祖父、父親などの関係で、関係がという記述など。

昭和通商では、朝鮮軍、十三軍、北支方面軍の間を飛び回り、南京総軍から、
軍用電信電話に、汽車船舶飛行機の使用、武器携帯、警備兵の供与の便宜
までもが許された真っ赤な星のマークのついたパスポートを供与され、
板垣朝鮮軍司令官に会って金の供出を協力に頼んだ、等々。
785俄将軍:2006/08/23(水) 07:57:48 ID:???
>>784
東亜同文書院の学生による中国各地への調査大旅行など、ということも
あるのか、などと。

>>783
大変申し訳ない<脱線話
786イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:12:50 ID:ycY2Xq96
今スレの『反省会』を始めたいと思います。ご意見・ご要望・次スレのリクエスト
等がございましたら、どうぞ。 あと5KBしかありませんがw。

とりあえず、次スレでは『幣制改革』をちゃちゃっと終わらせましてw、

●北支の治安戦
●阿片売買からみた支那事変史
●国民党軍から見た第二次上海戦(or他戦線)
●人物史(川島芳子など面白いかも)

などを予定しております。しかし毎度のことですが、盛大に「脱線話」が
繰り広げられるでしょうから、当てにはなりませんw。
787名無し三等兵:2006/08/24(木) 00:22:20 ID:???
>>786
関東軍の内蒙政策をお願いします
できれば満州事変前後〜1937年の蒙古連盟自治政府の樹立、蒙彊連合委員会の成立まであたりで
788名無し三等兵:2006/08/24(木) 00:25:41 ID:???
>>772-773
というか、元タイトル「昭和天皇の軍事思想と戦略」
タネ本のタイトルくらい間違えるなよといいたい。

御下問が実際どの程度戦争指導に影響したか、という面から
実証される必要があるとは思うけど、面白い本だと思います。
789イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:31:01 ID:ycY2Xq96
>>771 >>スパイといえば川島芳子は外せませんね。

川島芳子は詳しく取り上げても面白いかもしれませんね。そう言えば、上坂冬子著の
『男装の麗人・川島芳子伝』を入手して未読になっているので、引っ張り出してくる
つもりです。「モノになる」ようでしたら、やってみませふ。

>>773 >>左翼の人が読むと、相当なショックを受けるはずの本です(しかし高い)。

どうもでございます。『昭和天皇の軍事思想』は面白そうなので今度読んでみようと
思います。しかし高いですねw。でも『日中戦争の軍事的展開』(慶應義塾大学出版会)
よりは安いです。慶應のを読み終わったら(購入して未読w)……。まあ、気長にやりまふ。

>>774 >>誰かイナゾウまとめ作れよボケ死ね糞軍ヲタどもくずくずくず

あのね、坊や。自分が2chで書き込んでいるのは、HPなどを作成管理する
手間を省くためなんだよw。しかも不特定多数の読者が即、見込めるしね。
790イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:34:43 ID:???
>>788 >>というか、元タイトル「昭和天皇の軍事思想と戦略」
>>タネ本のタイトルくらい間違えるなよといいたい。

失礼。何かアマゾンで調べたら「昭和天皇の軍事思想と戦略」なので、
おかしいなあと思いつつ、>>789 で自分も上記で書いてしまいましたw。
791イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:45:00 ID:ycY2Xq96
>>784 >>昭和通商では、朝鮮軍、十三軍、北支方面軍の間を飛び回り、

スパイのイメージからすると、一番「らしい組織」かもしれませんね。

>>755 >>大変申し訳ない<脱線話

いや「脱線」というのは、『蟻の兵隊』や『コミケ話w』などを指しますから、
俄将軍との問答ではありません。俄将軍のつぶやきが無ければ、単なる自分の
「ひとり語り」でしたから、Q&A形式となって結果的に良かったと思います。

しかし、このスレの反省点を1つだけ述べるとしたら、
792イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:46:25 ID:???
>>378
             ,,----、,,,,,,,,,、、
  ;'' "''―-、γ   / ,,-‐―、ヽヽヽヽ
  |      ヽυ 〔/     ))))ヾヽヽ
 ヽ    .,,,,、、)  /.,,,,、、 ,ヽξ\Ξ/
 Ν    -== \/ ==/  .,==-   レi! 
 (6ヽ...........''''' ) (´ ),(_,、ノ( "",,ノ:: 6)  
 |::::::::::::::::::::::::::::::::::3ε  ^ン ...::::: |/
/ 〔::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ::::. .::.. ::...::::::/ λ
    ::::::::::::::::::::::::::)::::::::::::::// . λ
       __ノ  ̄|

イナゾウ中佐 俄将軍の蜜月
793イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:47:45 ID:???
↑上記を貼った不届き者は、軍法会議のうえ銃殺です。
794イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 00:52:29 ID:???
新スレは明日の木曜か、あるいは金曜日に立てる予定です(多分週末)。

また引き続き、ご意見・ご要望がありましたら「スレの余白」潰しにどうぞw。
795伝統の幻想ブン屋 射命丸 文 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 01:15:48 ID:xdqyWTJF
>>792
          パ
         シ          ,.へ
         ャ         ∠______ヘ\        |
        パ        _,|/    ',_7.._       |
       シ       ,. '"::::`ー──'ヽ、::`ヽ、     |  
       ャ      ./::::::::::::i::::::::i::::::::;::::::ヽ;::::::',.  |ヽ'.  
      パ      /:::/:::::、:::ハ:::::ハ::::::ハ:::::::ハ::::::::!  |.    
      シ      イ:::i:::/::ハ|-、レ'  V,.-レ/:::!:::::::|.  |.      
     ャ  __r‐┐_!イ_/:レ;〈 O   ´O 〉'i:::::::::|  |.     ぺドフィリアだと思われていた
       「「]  [|  ̄|,.!、:iハ!ゝ- ' _´__ ー '/!:::::::::::|. |     中佐が実はホモ。
       | | 【○】 |-,i:::/l.."  |/ ̄ヽ.u"/::ハ:::ハ:::| |     これはスクープです!!
       ,(ヽ、====,/ !::::/>.、 '、_____」,.イ/ー'、/!/ ム    
       iヽヽ、 ̄   iVレ>''/`T'''T〈/    ハ〈 /|  
       ヽi`'ー-、,  'く_/´' !  /|//      〉.  |/ ̄ !ヽ._
         `ヽ  ヘ   'く / ヽ! レ 〈_r,へ_   _/
           ',  〈' ,   \ /ハ/   `>_r'    
           ',   'へ、   `ヽ'    //    ,.-─-、 
            ヽ、__/  ト 、     / 〈    !。::::。::!
                  く `'r-r'"     >、  i⌒7:::::::'、 
                //へ/  \   // \.ヽ/:::::::i:::ヽ,
            -‐''"/ /    /ヽイ  i  ハ ハ:::::::::|:::::ハ
796名無し三等兵:2006/08/24(木) 01:21:34 ID:???
中佐そろそろネタがアレですよw
関東軍にでも異動されたいのですかw
797イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/08/24(木) 01:24:42 ID:???
まあ、スレの最期なので悪ふざけです。新スレはまた真面目にやりますよw。
798俄将軍
>>791
>スパイのイメージからすると、一番「らしい組織」かもしれませんね。

世界の如何なる辺境にいっても、キリスト教の教会が、といったように、人を
送り込まないことにはという面も、ということになるのか、などと。

宗教に限らず、探検、学術調査、人道支援など、ということになると、チベッ
ト、モンゴルどころか、日露戦争以前に、シベリアなども、ということに。

真珠湾攻撃前に、メキシコで、三井物産のニューヨーク駐在員の変死など、メ
キシコ屑鉄の買付ではなく、メキシコの日本大使館に、帝国海軍の暗号票を
届ける云々など、といったことになると、陸軍、海軍で、ということにな
るのか、などと。

米国の日本大使館でも、駐在武官が遭難、等々ということに。