うわーい
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ
県ニハ既ニ通信力ナク
三十二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付
本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ
之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ
県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知ル範囲ニ於テハ県民ハ壮青年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ
残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ
僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場ノ小防空壕ニ避難
尚砲撃下(三字不明)風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ジアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦炊事婦ハモトヨリ
砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮敵来タリナバ
老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ
親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄リナキ重傷者ヲ助ケテ(二字不明)
真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ
輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ
之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレテ
御奉公ノ(二字不明)ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ(数字不明)コトナクシテ
本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形(数字不明)一木一草焦土ト化セン
糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
それが叶えられてない・・・戦争には負けたく無いっすね
戦争に負けたからというより戦後政治のせいなんだがな…
6 :
名無し三等兵:03/07/23 18:47 ID:OYsBA1Rt
良スレage
7 :
名無し三等兵:03/07/23 18:58 ID:MkJHe0v8
足の指角にぶつけたとき
パート1で、急に「珍走を撃破してみろ」とか
「こんな話読んで泣いてる偽善者」とか抜かすアホが出て来て
読んでたらすげえムカついた。死ね、バカ。
9 :
名無し三等兵:03/07/24 12:59 ID:tzoBeMXr
>>8 オマエもいちいち蒸し返すな。
馬鹿。死ね。
10 :
名無し三等兵:03/07/25 15:31 ID:pJZOsx2R
保全
11 :
名無し三等兵:03/07/25 18:55 ID:Wmysmfr1
そういやウチのばーちゃんが
「ソ連兵が攻めてきた時、ソ連軍兵士が腕に何個も腕時計を巻いていて、
ウチの人がなんでいくつも時計をしているのだ、と聞いたら
『1〜2日で針が止まるから、新しく動いているのを見つけて使う』
と答えたのよ。時計の巻き方を知らなかったらしいのよ、ホホホ」
シチュエーションが笑えませんて…。
よくぞ日本に。
12 :
名無し三等兵:03/07/25 21:42 ID:OgrSNbTa
所で、誰かが言うようにもし本当に沖縄が捨て駒に過ぎなかったら
大和は出撃しなかっただろうな・・・・。
といってAGEてみるテスト
13 :
名無し三等兵:03/07/25 23:54 ID:FC6rLbiy
>>11 ソ連兵ってヨーロッパの大都市では電球とか水道の蛇口を集めるヤシが
かなりいたそうだし。->単独で使えるモノと思ってたらしい。
まあ禿既ではあるが。
>12
「大和の出撃」そのものは沖縄の評価とは関係ないよ。
あれは単に「大和も特攻で沈んだ」という形をとることで
海軍が見栄を張ろうとしただけのこと。
大局として見れば、やっぱり沖縄は捨て石だった。
ただしそれは沖縄だけでなく他の日本全土も捨て石だったのだがね。
ソ連が参戦してこなければ首脳部は大陸に逃げ、
本土に米軍を引きずり込んで出血を強要し講和条件を有利にしよう、っていう妄想が
日本の大戦末期の戦略らしきもの、だったわけで
そういう意味では捨て石になったのは日本全土、日本人全員、だ。
捨て石っていう言葉にこだわるなら、
沖縄が捨て石にされたのは沖縄戦ではなく
むしろサンフランシスコ講和条約のほうなんだけどね。
17 :
名無し三等兵:03/07/26 17:41 ID:BvTzX8BN
保全
18 :
名無し三等兵:03/07/26 20:08 ID:KVHTyp81
>>15 「大和も特攻で沈んだ」という形をとるなら
沖縄でなく、相模湾か東京湾で座礁させる方が効果的だった。
海上砲台として本土決戦まで保全しておけば良かった。
救援を送らなければ、それこそ沖縄を捨て石にできる。
むしろ、全力を尽くしたけれども助けられなかったという沖縄へのメッセージ。
そのメッセージを受け取れなければ、死んだ将兵たちは犬死にだろう。
それと、日本人全員が捨て石ってのは戦後教育的な考え方。
当時は日本全体が喜んで戦争に邁進したことを忘れてはいけない。
19 :
名無し三等兵:03/07/26 20:37 ID:yVSRGADA
自衛隊版のスレで、
「陸自のコピー用紙は自費調達だぞ!」
とかあると、泣けてくる。
20 :
名無し三等兵:03/07/26 20:42 ID:m/dlM+XV
過去スレにあるかもしれないが、「戦争論2」の前田利貴の話は泣ける。
>19
コピー用紙どころかコピー機本体を自費調達した幹部がおったぞ!
M1尉、お元気ですか。差し入れのたこ焼き、美味かったであります。
>18
将兵たちが犬死にだ、だから何?
作戦の本質をそういう情緒論で覆い隠してしまうのは、
それこそ死んでいった将兵たちへの侮辱にあたると思うぞ。
日本全体が戦争に邁進したから本土決戦構想を弁護できるってのは
あまりに無茶な立論だろ?
先帝陛下だって自らの椅子のために国民全員に死を強要するような
こんな構想にどこまで賛意を示していたか、怪しいもんだ。
24 :
名無し三等兵:03/07/26 22:55 ID:smi0i/GJ
昭和大帝
特攻について「そこまでせねばならないのか。遺憾である。しかし、良くやった。」
沖縄について「攻撃は航空機だけなのか。海軍にもう艦は無いのか。沖縄を救うことはできないのか」
という血を吐くような叫び
25 :
:03/07/26 22:59 ID:???
特攻についてだけど
チャンネル桜に 「国破れても国は滅びず」 て言う動画がある
戦後日本における最初にして最後の特攻証言集!
航空特攻で散華した英霊は約四千名。
戦後六十年近くが過ぎましたが、特攻隊員たちは「軍国主義日本の犠牲となり、
若い命を捨てた可哀想な青年達」という固定した戦後イメージで常に語られてきました。
しかし、果たしてそうだったのでしょうか。
死への恐怖を乗り越え、祖国と同胞を守るため、進んで自らの命を捧げた彼らの特攻精神こそ、
今、世界中の人々に誇ることのできる、私たち民族の文化遺産なのではないでしょうか。
この作品は従来の戦後イメージとはおよそかけ離れた特攻隊員と特攻そのものの姿が伝わる貴重な作品です。
暗闇の坂道を山裾の搭乗員室に向かう。搭乗員室とは名ばかりで、道端の椰子の葉で葺いた堀っ建て小屋、土間に板を並べただけのものである。その入り口に近づいた時、突然右手の暗闇から飛び出して来た者に大手を広げて止められた。
「ここは士官の来る所ではありません」と押し返してくる。
私はその声に聞き覚えがあって、むっとした。それは二〇三空の倉田上飛曹であった。厚木空の教員時代、同じ分隊におり、同じラバウル帰りの長野、山本の同年兵である。三人組で私の下宿へ押しかけて来ては妻の酌で飲んでいった奴である。
「何だ、倉田じゃないか。どうしたんだ」
私の声に彼も気がついた。
「あッ分隊士ですか。分隊士ならいいんですが、士官が見えたら止めるように頼まれ、番をしていたものですから」と変なことをいう。
不審に思ってわけを聞いてみると、
「搭乗員宿舎の中を士官に見せたくないのです。特に飛行長には見られたくないので、交代で立ち番をしているのです。飛行長が見えた時は、中の者にすぐ知らせるのです。しかし、分隊士ならよろしいですから見て下さい」
そう言われてドアを開けた。そこは電灯もなく、缶詰め空缶に廃油を灯したのが三、四個置かれていた。薄暗い部屋の正面に、ポツンと十人ばかりが飛行服のまま、あぐらをかいている。そして、無表情のままじろっとこちらを見つめた目が、
ギラギラと異様に輝き、ふと鬼気迫る、といった感じを覚えた。
左隅には十数人が一団となって、ひそひそ話している。ああ、ここも私たちの寝床ではない、と直感して扉を閉めた。
「これはどうしているのだ」倉田兵曹に聞いた。彼の説明では、
「正面にあぐらをかいているのは特攻隊員で、隅にかたまっているのは普通の搭乗員です」
と言う。私は口早に質問した、
「どうしたんだ。今日俺たちと一緒に行った搭乗員たちは、みな明るく、喜び勇んでいたように見えたんだがなあ」
「そうなんです。ですが、彼らも昨夜はやはりこうしていました。目をつむるのが恐いんだそうです。色々と雑念が出て来て、それで本当に眠くなるまで、ああして起きているのです。毎晩十二時頃には寝ますので、
一般搭乗員も遠慮して彼らが寝るまでは、ああしてみな起きて待っているのです。しかし、こんな姿は士官には見せたくない。特に飛行長には、絶対にみんな喜んで死んで行く、と信じていてもらいたいのです。だから、朝起きて飛行場に行く時は、
みんな明るく朗らかになりますよ。今日の特攻隊員と少しも変わらなくなりますよ」
私は驚いた。今日のあのゆうゆうたる態度、嬉々とした笑顔、あれが作られたものであったとすれば、彼らはいかなる名優にも劣らない。しかし、また、昼の顔も夜の顔もどちらも本心であったかも知れない。(
角田中尉の話かあ・・・・・特攻隊員任命時と戦後の対照的な写真は印象的だったなあ。
31 :
名無し三等兵:03/07/28 20:54 ID:ns4PYT/Z
3月末まで鹿児島にいたんだけど、結局知覧には行かなかったなあ。
何時でも行けると思うと、却って行かなくなってしまう。
夏休み中には知覧の特攻観音拝んでくるかな。
チャンエル桜の特攻がどうのなんてアレなレスを見た後だと、
なんか泣けるというよりほっとしてしまう
「零戦特攻」、良い本でした
土井たか子(李高順=イ・コジュン)は西宮の朝鮮人部落の出身
(両親共に朝鮮人)で、後に朝鮮国籍から日本へ帰化しました。
戸籍に今も記載されている事実です。社民党関係者は全員
がもちろん知っており、地元の兵庫7区でも多くの有権者が
知っているようです。『祖国のために政治家になりたい』と言って
日本に帰化したそうです。
土井たか子の親族(甥、姪)が平城に住んでおり朝鮮労働党の幹部と
なっていることもあって、北朝鮮の信任が最も厚い政治家です。
ごく最近の話、ニュースで知ってる人も多いかと思うが。
大分県の久住山で遭難した12歳の少年を捜索に参加した陸自隊員が見つけたんだが、
そのとき、少年は冷え切った体だったので隊員は自分の上着を脱いで着せてやり、
そして熱いお茶とチョコレートを食べさせてやった。
救助ヘリが到着し、収容される前、隊員の一人が少年に言った。
「今度はお前が人を助けてやれる男になれよ」
少年は父親と再会して話した際、
「自衛隊のおじちゃんが来てくれたときとっても嬉しかった」
と感想を漏らした。
ニュースで、発見を知らせる白いタオルを丘に駆け上って一心不乱に振る隊員の姿。
泣けるというか、感動的な光景でした。
>>34 映画の話で恐縮&スレ違いスマソなんだが、
その話を聞いて(見て)、「二○三高地」の、
高地をとったときに兵士がふらつく足で、ぼろぼろの旗を振りながら
「とったぞ〜!!」(だったっけな?うろ覚え)
っていうシーンを思い出して、少し泣けた。
スレ違いスマソ
36 :
名無し三等兵:03/07/28 23:18 ID:0ne2tF8A
>>35 なぜか名古屋弁で「とったがやー」だったとおもう
38 :
35:03/07/28 23:47 ID:???
>>36 そうかー、サンクス。
>>37 いや、あの旗が振られるまでに両軍の兵士が(特に日本軍が)大勢死んでるわけで。
んで、その旗を振っている兵士も、(うろ覚えだが)ふらふらなわけで、(っつーか、直後に撃たれてなかったか?)
あれ自体は映画だけれども、想像すると何か泣けてくる。
お約束ということで…
泣けないヤツを怒るより、己の涙に恥じない振る舞いをせよ だっけ?
40 :
名無し三等兵:03/07/28 23:59 ID:99RTJyS8
>>36 あれは、金沢第9師団だったから、石川方面の言葉かと。突撃前は「さぁ、いきまっし」?
42 :
名無し三等兵:03/07/29 01:01 ID:tzmd5fk3
日露戦争と言えば仁川海戦もけっこう泣ける
日本側 巡洋艦6 水雷艇4
ロシア側 巡洋艦1 砲 艦1
出港のさいワリヤーグの甲板でロシア国歌を
奏でる軍楽隊、軍楽隊の乗ってない砲艦コレーツ
では水兵達が甲板で「ウラー」と鬨の声をあげる・・・・
人情話ではないのですが、この板ということで…。私的に情けなくて泣けました。
2・26で有名な昭和維新の歌…、青年日本の歌という、あれの冒頭です。自称ライトの
坊やが言いました。「屈原が憤して、雲を飛ばすんですよね…」
当時、社会情勢が悪く、自殺者が多くて、性風俗が乱れているという表象だったはずでした
のに。
安っぽい憂国が勘違いでないことを祈るのみです。
45 :
名無し三等兵:03/07/31 12:59 ID:b5GSJSJ0
あさま山荘事件の話
作戦前夜、佐々淳行は第2機動隊長の内田隊長に声を掛けた
「最後の御奉公だと思ってやってくれ(内田は公安1課長に昇進
が決まり、最後の警備任務だった)」
「全力を尽くします」
「突入前にみんなでやってくれ」
佐々は黒のジョニーウォカー(当時は高級酒だった)を手渡した
「ありがとうございます、封を切らないでおきます、警備が終ってからやります」
この後、内田隊長は本当に最後の御奉公になるのだが、これには後日談がある
内田隊長の葬儀の席上の事である、武家の家の作法に則り短刀が内田隊長の遺体に
のせられていた、奥さんと若い娘さんは抱き合い涙していた中、内田隊長の明治生まれ
の御母堂は姿勢を正し、「尚孝はお国為に死んだんです、泣いてはなりません」と
気丈な振る舞いをしていたそうな、佐々は「息子を返せ」と詰め寄られるより辛かった
と語っている、毎年作戦のあった2月28日にはかつての戦友が集まり黒のジョニクロが
殉職した、高見、内田両隊長の墓前に供えられる。
長文スマン
46 :
名無し三等兵:03/07/31 15:59 ID:ECsvQEps
>>39 泣ける話を酔っていると揶揄するより、
泣ける話で泣ける人間になりたいものだ。
というのもありましたね。
>>29>>30 角田さんの著書は必読ですね。
様々な人々とのエピソードが満載。
飯田大尉のお話は・・・(涙
「86年振り返って、何だかむなしい人生だったような気がしますね。
戦争中は誠心誠意働いて、真剣に戦って、
その事にいささかの悔いもありませんが、一生懸命やってきた事が戦後、
馬鹿みたいに言われてきて。つまらん人生でしたね」
(「零戦の20世紀」より進藤三郎元海軍少佐の言葉)
泣けると言うのとは少し違うけど、初めて読んだ時にしみじみ悲しかったのを思い出したよ・・・・
>46
すみません、検索してみたんですが話題の著作って
「修羅の翼―零戦特攻隊員の真情」
の事でしょうか?
51 :
名無し三等兵:03/08/01 16:31 ID:dbxVW0gV
>>49 そうです。
私のは朝日ソノラマ文庫版「零戦特攻」ですが。
最近、「修羅の翼―零戦特攻隊員の真情」として
再版されたようですね。
北チョソのお陰で軍オタの地位は向上しつつある。
そうでもない
たしかに軍事に対する関心は向上しているかもしれないが
関心の高さに見合う質の情報をメディアが提供してないのもご存知の通り・・・
なんか皮肉書こうとしたらこっちの方が泣ける話だな
54 :
49:03/08/02 00:38 ID:???
>51
ありがとうございます。
明日は仕事もお休みなので書泉にでも行って購入します。
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
57 :
名無し三等兵:03/08/02 18:44 ID:GwLV9j/h
>>56 激しくガイシュツだが、良作なので許してやる
58 :
名無し三等兵:03/08/02 19:10 ID:DeNJhSKe
時にはWWU以外のものでも・・・・。
第三次ポエニ戦争にて。初めてカルタゴ市は挙国一致体制が出来、
貧富の差も消えた。
カルタゴは旧同盟国だけでなく同胞である他のポエニ人に達にさえ見放されるが
三年間カルタゴ市に篭城、その後陥落。市民の9割位が戦死し、残りは全部奴隷にされる。
カルタゴ市内は焼き払われた後に再建できないようにしっかり耕され、農地にも出来ないように
塩をまかれた。攻城軍は石畳や街道の敷石も一枚一枚全部割り尽くす念の入れよう。
かつて、100年前までは地中海で最も強大だったカルタゴの末路に涙。
難を逃れた市民は極々少数のみ。(その中の何人かはその後地中海の海賊化したという話も・・・ほんまかな?)
僅か28歳で、重要な局面で師団長を任された白善火華。
それだけでも泣けて来る…
60 :
名無し三等兵:03/08/03 21:09 ID:WQGIoTWK
age
61 :
_:03/08/03 21:12 ID:???
62 :
電話交換手:03/08/03 21:21 ID:H+MsnOpF
朝、家を出るとき母が門まで見送って、
「気をつけてね」 と声をかけた。いつもはそんなことをしないのに、
と思って可香谷(よしがだに)シゲは思わず振り返っ てみた。
母は心細げにシゲを見つめていた。
「大丈夫よ」 シゲは微笑みを返し、自転車のペダルを踏み込む。
空は晴れ渡っていた。さわやかな夏の風がシゲの髪 をなびかせた。
昭和二十年八月一九日、樺太南端にある真岡市の 真岡電話局では、
就業開始後まもなく、局長による 非常召集が発令され、全職員は
持ち場を離れて会議 室に集合した。
63 :
電話交換手:03/08/03 21:23 ID:H+MsnOpF
「皆さんも御存知のように、時局は重大な局面を迎 えております」 上田局長
は眼鏡を外してハンカチで拭う。
半白の 坊主頭から額にかけて汗が流れ落ちた。 上田局長の言葉は、可香谷シゲ
の心にくすぶって いた不安を大きく燃え立たせた。現在どのような局 面にある
かはシゲでも知っている。 八月六日に広島に原爆が投下され、九日には日ソ
不可侵条約を一方的に破棄してソ連軍が樺太国境を 越えて南下してきている。
八月十五日の玉音放送が戦争の終結を告げたにも 拘らず、ソ連軍の攻撃は激
しさを加えていたのだ。 数週間のうちにソ連軍はこの真岡市にも殺到するだ ろう。
それまでに日本軍が体勢を立て直して反撃すること ができるのだろうか。
64 :
電話交換手:03/08/03 21:25 ID:H+MsnOpF
次の言葉をためらうように局長の顔は歪んでいた。
隣にいる高石ミキが汗ばんだ手でシゲの手を握りし めた。ミキはシゲと
同期に電話局に奉職して九年と 四カ月になり、独身の交換手の中では最年長者であっ た。
「陸軍からの緊急連絡によると、ソ連艦隊が真岡沖 に結集しております。
まもなく鑑砲射撃が始まりソ 連陸戦隊が上陸して来るでしょう。これに対する陸
軍樺太方面指令官からの命令を伝達します」
皆は顔を見合わせた。ソ連海軍による真岡市の直 接攻撃は予想しない事であった。
戦争はすでに終結 しており、地上戦もソ連側が攻撃を中止することに かすかな
望みを繋いでいたのだ。
真岡市には、樺太駐在の守備隊が結集し最後の防 衛線を張っているが、その貧弱
な装備ではソ連軍の 総攻撃を食い止めることは不可能だと思われた。
局長はもう一度眼鏡を外し額の汗を拭いた。
65 :
電話交換手:03/08/03 21:29 ID:H+MsnOpF
「この真岡電話局は、樺太における最後の連絡拠点 であり、今後の作戦遂行上
その機能を停止すること はできません」
局長は並んでいる電話交換手の顔に目を移し、シ ゲとミキのところで視線を止めた。
「決死隊を募り、最後までこの電話局の業務を死守 せよとの命令です」
五十数名の電話交換手は呆然として局長の顔を見 つめた。
「この任務を遂行するには十五名は必要でしょう。十五名の交換手を残して、
他の職員は直ちに退去し て頂きます。お国の為に死ぬ覚悟のある方は一歩前 に出て下さい」
局長は声を震わせてそれだけ言うと俯いてしまっ た。
十五人の決死隊。これは十五人に死ねというこ とである。
声はなく誰も動かない。局全体が氷に閉ざされた ようであった。
八月、夏の盛りとは言いながら樺太の気温はそれ ほど高くはない。
局長は額から首に流れ落ちる汗を 拭っている。
「私は皆さんにこのような事を申すのは心苦しい。 しかし、これは軍の命令です」
局長は直立不動の姿勢をとって言葉を続けた。
「軍の命令は天皇陛下の命令です。天皇陛下の御為 に命を捧げるのは、
男女を問わず日本国民の義務で あります」 しばらく沈黙が続いた。
シゲには全職員の鼓動が 聞こえるような気がした。
「南方では幾多の若者が神風特攻隊として自ら死地 に赴いています。沖縄ではひめゆり部隊が・・・・」
局長の声がか細く消える。
シゲの頭の中が白くなっ た。
66 :
電話交換手:03/08/03 21:31 ID:H+MsnOpF
天皇陛下の為に命を捧げる。これはもはや神の お告げに等しい、絶対的に冒すべからざる宣告であ る。
重苦しい沈黙。皆は息をすることすら止めて自分 の存在を隠そうとしているようであった。
シゲはミキの手が大きく震えるのを感じた。
シゲの手を振り払うように離してミキが一歩前に 出た。
「局長、私が残ります」 ミキは昂然と顔を挙げた。
「死ぬ覚悟が必要ですよ」
「わかっています」 シゲの鼓動が早くなった。親友のミキは死ぬつも りで志願した。
いずれにしても十五人は死ななけれ ばならない。
自分がその十五人から外れることがで きるだろうか? ミキだけを死なせて良いのだろう か。
シゲの背筋に汗が流れ鳥肌が生じた。激しい動悸 が突き上げ、足が震える。 気がついたとき、
シゲも一歩前に踏み出していた。 ふと今朝別れたばかりの母親の顔が浮かんだ。
67 :
電話交換手:03/08/03 21:33 ID:H+MsnOpF
「他に志願者は?」 あちこちから泣き声が起こった。
「シゲさんが残るなら私も残ります」 松橋ミドリが泣きながらシゲの横に並んだ。
「ミドリさん、あんたはまだ若い。残っては駄目」 シゲはミドリを後ろに押戻そうとした。
「いや、シゲさんと一緒に私も死ぬ」 集団催眠にかかったように、泣きながら次々と志
願者が前に出て十五名が揃った。
局長はもう一度最終意思を確認した。この局舎が ソ連兵に占拠されたとき、彼らの
陵辱を受けるか、 自ら死をもって純潔をまもるか。それは自身が決め ることである。
自決するときの毒薬が配られた。
「もう一度確認します。残った方は死を覚悟しなけ ればなりません。残りたくない方
は後ろに下がって 下さい」
誰一人として後ろに下がるものは居なかった。
「皆さんは国を守るための尊い礎です。どうか最後 まで任務を全うして下さい」
局長の言葉はシゲの耳を素通りした。
68 :
電話交換手:03/08/03 21:41 ID:H+MsnOpF
空白になった頭の中に、子供の頃両親と旅行した 北海道の山野が浮かんできた。父が戦争にとられて 戦死したのはそれからしばらくしてからだったなあ とぼんやり考えていた。
ミキにうながされて気がつくと、決死隊の十五人 を残して、局長以下職員は姿を消していた。なにか、 とんでもないことに自分が巻き込まれていることの 実感が初めて沸き起こってくる。
人気のない局舎は巨大な器のように森閑としてい た。皆は机や椅子を運んで表の入り口を封鎖した。
一段落すると三階に集まり、特殊任務の隊長に任 命されたミキを囲んで、十五人の乙女は円陣を組ん だ。
「三人は窓から海と町を見て状況を報告すること。 十人は電話の交換台に、二人は無線の通信をする こと」
ミキは手際よく役割分担を指令する。
この任務は軍の極秘事項であり、家族や友人に漏 らしてはならないことを命じられていた。誰も家族 に連絡することは許されない。
軍関係の交換台だけ を残して、他の交換台は閉鎖された。
69 :
電話交換手:03/08/03 21:43 ID:H+MsnOpF
真岡電話局は山のすそ野の小高いところにある。 シゲは三階の電話交換室の窓から真岡市の町並みを 眺めてみた。
青い空と人家の向こうに海が広がって いる。いつも見慣れた平和な光景であった。
本当に 戦争になるんだろうか。八月十五日で戦争は終わっ た筈だ。何かの間違いかもしれない。
遠雷のような微かな音が聞こえた。双眼鏡で見る と水平線の上にぽつりぽつり点が見える。ソ連の軍 艦であろう。艦砲射撃が始まったのかも知れない。
電話交換台のランプが激しく点滅し始めた。
軍か らの連絡を受けて大泊、豊原、その他の近辺情報部 へ繋ぐ。
ときどき窓の外を見てはその状況を軍の通 信部に無線で打電する。
夕方になると交換台がすこし静かになった。窓か ら外を見ても様子に変わりはなかった。 皆は高石ミキの周りに集まってきた。
70 :
電話交換手:03/08/03 21:44 ID:H+MsnOpF
「敵が攻めてきても日本軍がおっぱらってくれるわ ね」 若い交換手が呟くように言った。
「そりゃあ当然よ。そのために私達が頑張っている んだもの」 ミキが笑って見せた。安心したように若い交換手 がうなづいた。
「わたし、怖い」 文子という若い交換手が泣きだした。
「怖ければ今のうちに裏から逃げなさい」 シゲが優しく文子の肩に手をおいて言った。
文子の頬をミキが平手で打った。
「逃げては駄目。始めから覚悟していたことでしょ」
おびえた目で文子はミキを見つめる。文子は助け を求めるようにシゲに視線を移した。
「怖がってるのにかわいそうではないの」
「そんなことを言ってる場合ではないでしょ。怖い のは誰だって同じ。でも私たちは決死隊よ。死ぬ覚 悟は出来ているはずでしょ」
「でも、一人抜けたって任務には支障はないでしょ う」
「馬鹿を言わないで。これから戦になって負傷者が でたらどうするの。この人数でも足りないくらいだ わ」
シゲとミキは激しく言い争った。 ミキは机を叩いて叫んだ。
「ここでは私が隊長。隊長として一人の脱落者も許 さない」 シゲは口をつぐんだ。
71 :
電話交換手:03/08/03 21:45 ID:H+MsnOpF
ミキの言うことの方が正し い。一人でも脱落すれば臆病風に吹かれて次々と脱 落者が出るであろう。 でも、とシゲは思う。国のためとは言いながら、 こんな若い娘を死なせるのは残酷だ。決死隊といっ ても自分達は兵士ではない。民間人の非戦闘員だ。
夜に入ってひとしきり交換台が騒がしくなり、や がて静まっていった。
ミキとシゲが当直として交換 台につき、他のものは休ませることにした。
「どうして志願したの」 ミキが訊ねた。
「だって、誰かがやらなければならないでしょ」
「でも、あなたが志願しなくても・・・・」 シゲにはミキの言いたいことはわかっている。
ミ キの婚約者は神風特攻隊として出陣し戦死したので ある。ミキが婚約者に殉じたい気持ちが分からぬこ ともない。
では自分は? 母の悲しむ顔が目に浮かぶ。
72 :
電話交換手:03/08/03 21:46 ID:H+MsnOpF
息子を戦争で失い、 頼りの娘まで死んだなら残された母はどうして生き ていけばいいのだろう。
一時の感情にかられて軽率だったのだろうか。そ うは思いたくない。
五十数人いる交換手のうち十五 人が死ななければならないのなら、年長者であるミ キと自分が死んで、若い娘を助けるべきではなかろ うか。
ミキのその気持ちが理解できたからこそ、自 分も志願したのではないのか。
親友のミキを死なせ て自分だけが生き残ることが許されるだろうか。
不法にも日ソ不可侵条約を破棄して参戦し、終戦 を受け入れた後にもなお攻撃を止めないソ連に怒り を覚える。
祖国のために、残された母のためにも自 分が戦わなければならないのだ。
73 :
電話交換手:03/08/03 21:47 ID:H+MsnOpF
ここでミキと二人だけで居ると、死ということが 信じられないように思う。
夜はそれほど静かに時を 刻んでいた。シゲはそっと胸ポケットの毒薬を押え てみた。
地を揺るがす轟音に目覚めて、シゲが身を起すと ミキはすでに窓から外を凝視していた。
夜明けの黒 さが薄れるにつれて、沖合いに浮かぶおびただしい 軍艦が姿を露にしていた。 艦側に光が走る毎に市街地の何処かに火柱が上が る。海岸には無数の上陸用舟艇が群がっている。
「上陸したわ! すぐに打電して!」
一人が無線機に飛びついて懸命にキーを叩く。
「テキグンジョウリクセリ。シガイチチュウシンブ ニセッキンチュウ」
何度も繰り返して打電する。電話交換台のランプ が激しく点滅する。回線を繋ぐ交換手のかん高い声 が行き交う。
74 :
電話交換手:03/08/03 21:48 ID:H+MsnOpF
市内の大道路を逃げまどう民衆。それに容赦なく 銃撃が加えられている。
味方の反撃は? 双眼鏡をもつシゲの手が震えた。
日本軍の兵士の 姿はここからはほとんど見えない。もう全滅したの だろうか。
道を走る民間人が次々と倒されていく。 砲弾が一階の事務室で炸裂した。交換台が激しく 振動した。
「シゲちゃん。家に電話しなさい。お母さんにすぐ 逃げるように言うのよ」
ミキは双眼鏡を覗きながら叫んだ。私用の電話は 禁じられている。
「いいのよ。五分だけ話しなさい」 午前七時十分、シゲの家に電話がつながった。
「シゲ、何処にいるの?」 母はおろおろ声で叫んだ。
電話を通して炸裂音が 響く。
「お母さん、早く逃げて。ロスケがそちらに向かっ てる。すぐに山に逃げるのよ」
「シゲ、何処にいるの? なにしてるの?」 母は帰らぬシゲを待っていたのだ。
「お母さん、すぐに逃げて。これが最後。もう会え ない」 電話は切れた。
75 :
電話交換手:03/08/03 21:49 ID:H+MsnOpF
電話回線のいくつかは既に破壊さ れている。 炸裂音は局舎に集中し始めた。
三階の交換台室に砲弾が炸裂した。窓から覗いて いたミキがはねとばされた。立ち上がりかけたミキ が崩れ落ちるように倒れた。ミキのモンペが引き裂 かれ腰部から鮮血が噴き出している。
「ミキちゃん。しっかりして!」
シゲが駆け寄って抱き起こした。硝煙で煤けたミ キの顔が青ざめていく。
ミキはうっすらと目をあけて瞬きをした。
「もう駄目。歩けない。くすり、くすりを飲ませて」
「大丈夫よ。やられたのは腰だけじゃあないの」
「目も見えないの」 ミキは胸のポケットを探ろうとした。そこには自 決用の青酸カリの包が入っている。
震える手でミキのポケットから薬の包を取り出し、 ミキの口に含ませた。
「先に行ってるから。ごめんね、シゲちゃん」 ミキは弱々しく微笑んで目を閉じた。
まもなく息 づかいが粗くなり、激しく痙攣して動きが止まった。
76 :
電話交換手:03/08/03 21:51 ID:H+MsnOpF
「みんな!」 シゲは皆を呼び集めた。
「ここは私一人で守る。みんなは裏の山に逃げなさ い!」
「シゲさんはどうするの?」 ミドリが不安そうに訊ねた。
「私は最後までここに残る」 ミドリが声をあげて泣いた。
「シゲさんが残るなら私も残ります」
「駄目。全員死ぬ必要はないわ。死ぬのは私とミキ ちゃんだけでいいの」
「いやだあ」 ミドリがシゲに取り縋った。
「任務が終わったら私も逃げるから心配しないで」
「シゲさん一人では守り切れないでしょ」
確かにまだいくつかの交換台は生きている。連絡 があれば繋がなければならないし、市街の状況も打 電しなければならない。
「じゃあ、六人だけ逃げなさい。ここは私を入れて 八人居れば大丈夫」
シゲは文子を含めて若い順に六人を指名した。
77 :
電話交換手:03/08/03 21:53 ID:H+MsnOpF
「これは私の命令ですよ。はやく逃げなさい」 躊躇する六人を大声で叱った。
「はやく逃げるのよ。そして私たちの事を皆に伝え て頂戴!」
六人の若い娘は後ろを振り返りながら裏口から姿 を消した。
「みんな、後悔しない?」 シゲは残った七人に微笑んでみせた。
七人もぎこ ちなく微笑んでうなずき返した。
「さあ、仕事につきましょう」
交換台のランプが光り始めた。
線を繋ぐ合間を縫っ て、豊原、大泊の電話局に現状を逐一連絡する。
軍 の情報本部にも市街地の状況を打電し続ける。 僅かに残っていた日本兵の姿が見えなくなってい た。 砲弾は確実に局舎に命中している。
シゲは最後の交換台から豊原に連絡をいれた。
シ ゲの悲痛な声が銃声に混じって部屋に響いた。
「敵は完全に市街地を占領しました。ここもまもな く占領されます。これが最後の連絡です。もうすぐ 電話線も切れます。さようなら。みなさん、さよう なら。これが最後です。さようなら・・・・」
全ての電話線が切れた。
78 :
電話交換手:03/08/03 21:54 ID:H+MsnOpF
「もう任務は終わったわ」
交換台からおりてシゲは裏の窓から外を見た。
激 しい銃撃音がして弾が耳元で鳴った。
部屋に戻ってシゲはべったりと床に座った。
「駄目、裏にも敵がいる」 皆もシゲを囲んで座った。
ソ連軍の銃声が間近に聞こえてきた。まもなく入 り口が破られて敵が侵入して来るだろう。
79 :
電話交換手:03/08/03 21:54 ID:H+MsnOpF
「任務は終わったけど、もう一つだけ残ってる」
シゲは胸のポケットから毒薬を取り出した。
「飲むかどうかは自分で決めて頂戴」
「飲むわ」 ミドリが答え、皆がうなずいた。
「それなら、みんなで一緒に飲みましょうね」
皆が涙を流しながら薬を口に含むのを見届けて、 シゲは無線機の前に座った。
「ワレニンムヲオエリ。サヨウナラ。サヨウナラ。 サヨウナ・・・・」
手が痺れ目が見えなくなった。 シゲは最後の力を振り絞ってキーを叩いた。
「・・・・ラ」
崩れ落ちるシゲの目には、母と一緒に歩いた故郷 の野原の景色が映ってすぐに消えた。
この九人の乙女の犠牲によって、真岡市に結集し ていた日本軍は殆ど無傷で樺太から撤退したという。
>>電話交換手
泣ける話だね・・・。
終戦の1〜2週間後だったかに
北海道付近で引き揚げ船がソ連の潜水艦に沈められた話もあったっけ。
戦争が終わったのに犠牲にならなければならなかった人々の気持ちはどんなだったろう...。
大事の為に小事を切り捨てる
必要だということはわかるけど残酷だよね
孤島に見捨てられるのは
個人的には北方領土は要らない気もするが、
陸上自衛隊に頑張って貰って樺太、北方四島、千島列島を再占領し、雪辱を晴らして彼女達の供養としたいものだ。
で、ロシアに向かって「ざまぁみろ!」って言って勝鬨を挙げて引き上げるの。在住ロシア人を本国へ送還するの面倒臭いし。
ああ、なんでこんな糞レスを返してしまうんだ(涙
もうみんな終わってしまった昔の話なのだよ。
> この九人の乙女の犠牲によって、真岡市に結集していた日本軍は
> 殆ど「無傷」で樺太から撤退したという。
・・・・・。
86 :
名無し三等兵:03/08/04 15:04 ID:diFKRzRo
泣ける話ではないけど、誰かに伝えておきたいので書き込みます。
母方の祖父は兵卒として戦地に2度赴任していきました。
一度目は日中戦争に、二度目は大東亜戦争で南方の野砲大体に配属されていたそうです。
祖父が戦場で考えていた事は「生きて帰る」事だけだったと聞きました。
野砲部隊では野砲を撃つ事ではなく「運ぶ」事が任務だったそうです。
1発撃てば敵の反撃を避けるためにすぐ分解して担いで移動する。そんな日々の繰り返しだったそうです。
戦地で話していた会話に「関東の連中は死んでも靖国が近けん、(遺族が)すぐ会いにこりんしゃろうけど
(会いにくるだろうけど)福岡からじゃ、靖国にくるのも一苦労やし、金もかかろうけん死なんごとしょう」
と誓いあっていたそうですが、そんな祖父の部隊は全滅に近い被害を受け戦友会で靖国神社に行く時は
「あげん、死なんごといったのに結局(靖国神社に)いかにゃいかん。そやけど、いかんと寂しかろうけん・・・もう、
こっち(この世)に残こっとるモンも少なかけん、こっちに会いにきてもらわにゃいかんが」と口癖の如くいっておりました。
そんあ祖父も鬼籍に移り、今頃は部隊に合流し靖国あたりにいるのかな?
88 :
名無し三等兵:03/08/04 17:51 ID:wNAM2Zb8
★幻の満州国皇帝救出作戦 旧日本軍の台湾人 邱さん
・五十八年前の夏、一機の軍用機が岐阜県各務原飛行場を飛び立った。日本は
敗れ、日本が建国した満州国も崩壊した。軍用機は同国の皇帝、愛新覚羅溥儀
(あいしんかくらふぎ)の救援機。溥儀は当時のソ連軍に捕まり、脱出できなかった
ことを自伝「わが半生」に記述しているが、日本軍が救援機を飛ばした史実を知る
人は少ない。その作戦に加わった台湾人、邱錦春さん(78)が台北で健在だ。
「作戦参加を今も誇りに思っています」という邱さんに敗戦直後の救出作戦を聞いた。
邱さんは台湾・高雄市の出身。宮崎県の都城実業から栃木・宇都宮の陸軍学校に
入り、陸軍第七飛行部隊に配属、そこで八月十五日の敗戦を迎えた。二日後、
邱さんら五人は「満州国皇帝をお迎えに行く」との命令を言い渡された。邱さんは
航空士で伍長。翌十八日午前八時、兵舎から飛行場に行くと、「四式重爆(キ−67)」
が待機していた。「救出命令に特別な気持ちはなかったが、機翼の日章旗と尾翼の
部隊記号がペンキで塗りつぶされていたのは悲しかった。戦死したら、犬死にになる。
靖国神社に祭られないのではないかと思った」
89 :
名無し三等兵:03/08/04 17:51 ID:wNAM2Zb8
正午すぎにソウルに着陸。関東軍司令部から連絡はない。次に平壌を目指す。
ここでも連絡がとれず、軍の招待所に宿泊。翌朝、関東軍からの無線連絡が入った。
「満州国皇帝は奉天(現瀋陽)から平壌に行く。そこで即時、離陸できる態勢で
待機せよ」。すぐに始動できるよう暖機運転を繰り返したが、その日も翌日も来ない。
二十一日昼、緊急連絡。「皇帝は十九日、ソ連軍に逮捕され、平壌に日本軍の
救出機が待機していることが知られてしまった。ソ連軍は平壌飛行場攻撃のため
南下中。即時離陸せよ」。二十一日夕、各務原に帰還した。
邱さんは帰国後、専売局勤めなどを経て、貿易会社を経営し、今は悠々自適。
敗戦の最大の悲しみは「日本人から外国人になったこと」。今も戦友と親密な
交際が続くが、五人のクルーのうち二人は他界し、昨年を最後に戦友会は解散。
それが「寂しくてならない」と話した。
http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/sya/20030804/eve_____sya_____005.shtml
電話交換手
思わず泣けた。
征途*佐藤大輔*徳間文庫の第二巻冒頭のお話のもとだと思います。
ドラマ化が待たれます。
91 :
名無し三等兵:03/08/04 21:24 ID:QPze4grP
>90
というか御大がモチーフにしたというだけの話だろう。
>>90 9人の乙女の碑は、稚内に建立されています。
稚内駅から徒歩10分。ロープウェイで稚内公園へ。
遠くサハリンを眺める丘に、このような石碑が立ってます。
「これが最後です。さようなら。さようなら。」
けっこう有名な話。少し大きなガイドブックには紹介されているはず。
少し話し外れるが、初代ゴジラだったかなにかで、ゴジラに
引き倒されるラジオ塔でアナウンスが「ゴジラがこのラジオ塔を狙ってます。
この放送が最後になると思います。さようなら。さようなら。」と
アナウンスする場面がある。明らかに元ネタは9人の乙女の物語。
ちょっと不謹慎だと思ったね。
94 :
名無し三等兵:03/08/04 23:09 ID:N9MT7/Kc
過去スレの4は倉庫にも無いみたい
誰か補完を
公式に戦争が終わったのって8月15日じゃないんですか?
なんで降伏したのにソ連は攻めてきたのよ?
96 :
名無し三等兵:03/08/04 23:38 ID:fanRo9Hx
>>95 「公式に」の趣旨を特定してから質問しなさい
>95
8月15日はポツダム宣言受諾の日であって、この日で戦争が終わった訳ではない。
9月2日に日本側が連合国と降伏文書に調印して初めて、停戦協定が発効した訳。
だから、ソ連がその分け前を求めて、日本を攻める根拠は一応ある訳で。
98 :
名無し三等兵:03/08/04 23:43 ID:qN3oszaq
>>96 >>98 ここは2ちゃんの中でも良スレだと思うからさ…。絡まず、煽らず、泣ける想いを
共有しようや、な。
100 :
名無し三等兵:03/08/05 00:38 ID:912Lu4Ay
軍事の話とはズレるかもしれないけれど、米兵捕虜のいい話。
山口県小野田市には捕虜収容所があり、多くの捕虜が宇部の炭鉱で働かされていた。
当時は食糧難。日本人が食べられないのにいわんや米兵をや、というわけである。
こんな状況では捕虜たちは死んでしまう。
そう考えた世話役の下士官は一計をめぐらせ、こう上官に申し出た。
「捕虜の運動不足解消のため、市内を散歩することを許可していただきたい」
そして下士官は英語のわかる人の家を訪ね、
捕虜のために少しでも食べものを分けてもらえるよう頼んだ。
そうしたことを何回か繰り返しているうちに日本は敗戦し、
捕虜収容所のあった所は米軍が駐留することになった。
当然捕虜収容所に関わっていた人間は所長を始めみんなとっ捕まり……
つまりは立場が逆になったわけだが、その下士官は何もされなかった。
さて、話はまだ終わりではない。
すさまじい物量を誇る米軍のこと、元捕虜たちのために莫大な物資が送られていたが、
元捕虜たちはその物資を貨物列車数台分、その下士官に横流ししたのであった。
102 :
:03/08/05 04:15 ID:???
>>87 今の官僚組織だって、同じ様なモノでしょ。
本来国民の為の組織であるはずが、自分達の既得権を守る為の組織になっているからね。
本末転倒とは、この事だよな・・・。
103 :
電話交換手:03/08/05 07:17 ID:1V1SnVqn
民間人が犠牲となり兵隊が助かったとか、官僚の既得権益とかが醜いという議論
はまた別の話です。
プロとして崇高な責任感、いやそれ以上に我々の祖母と同世代の、当時の若い女性
達が、戦争という巨大な機械の歯車の一つになりきってしまったこと。
あらゆる意味で感動しました。
電話交換を兵士が出来るわけも無く、また官僚が国民に替わって働くことも出来ないの
ですから。
>>84が不思議というか面白いというか、なんとも言えない味わいのレスですなあ。
>>87 お前、沖縄戦スレを荒らしていた香具師だな。
前線では軍が最優先事項だろう。
兵力を温存しなければ国も守れるものも守れなくなってしまう。
>ミキにうながされて気がつくと、決死隊の十五人 を残して、
>局長以下職員は姿を消していた。
局長!!逃げんな!!!
トオモターヨ。
>>102 官僚組織が絶対悪であるかのような表現になっているよ?
俺の育った家は大の役人嫌いで、俺も役人嫌いに育ったが、日本はなかなか良い国だと思っている。
ということは官僚も日本の役に立っている可能性が高いと思われる。奴らは日本の主導権を握っているからね。
俺が何を言いたいかというと
>>103と同じかもしれんが、
日本の悪口をいうより、彼女らの貢献に報いる方法を考える方が良いんじゃないのか、ということ。
彼女らだって日本の悪口なんて聞きたくないだろうと思うよ。
ただ護衛の兵士を付けるとか、脱出方法を用意するとかはできなかったもんだろか…
などとは思ったりする。
>>110 当時、軍が民間組織に「氏ね」も同じな命令を出せたと仮定しても、
その民間組織内ではそんな指示出せるわけはないんだから、
もしも、みんなに「やだ!」といわれたら直接軍の命令をうけた
責任者の局長さんがひとり残らなきゃならないのかな?
111 :
名無し三等兵:03/08/05 21:26 ID:22ENOpM1
112 :
電話交換手:03/08/05 21:29 ID:1V1SnVqn
8月20日早朝、真岡郵便局の交換室では、ソ連軍が真岡港に向かった旨の連絡
を、幌泊の監視哨から受信して危険をいち早く知った。女性交換手たちは、これを
さる16日、緊急疎開するようにという指示を受けていたが、急を告げる重要な電話
の機能を守るため引き揚げるわけにはいかないと主張してとどまっていた。その朝、
交換室の監督、高石ミキさんは、宿直者全員を起こして交換台につかせ、緊急を告
げるための電話回線を守った。避難する町民や他の主要な町への連絡を維持する
ために。港からは凄まじい艦砲射撃、町の角々ではソ連兵が機銃掃射を浴びせ、
一般住民を見境無く次々と撃ち殺している。郵便局長の上田豊蔵さんも、郵便局に
向かったが、激しい銃撃のためにたどりつくことができない。彼女たちの身にも刻々
と危機が迫ってくる。電話局は警察の隣りにあるため狙われ易く、後ろが崖で逃げる
ことができない絶体絶命の状況だった。そんな中で、9人の交換手たちは、ソ連軍の
辱めを受けるくらいならと、用意していた青酸カリで自決したのであった。元同僚だっ
た原君子さんは、「私も同じ立場であったなら、ためらうことなく皆と運命を共にして
いたことでしょう」と証言する。自決した可香谷シゲさんは、兄に「内緒だけど万一の
時には、これを飲むんだから」といって、薬紙に包んだ青酸カリを見せていたという。
「皆さん、さようなら…さようなら」の声を泊居(とまりおる)の交換台で聞いた田中みよ
さんは、「ダメよ!生きるのよ!生きるのよ!」と絶叫したが、ついに二度と再び応答
は無かったという。ショックを受けた田中さんの隣の席の同僚Aさんは、その後、大量
の睡眠薬を飲んで自殺した。
113 :
電話交換手:03/08/05 21:30 ID:1V1SnVqn
さて、どちらの逸話が真実でしょう?
114 :
電話交換手:03/08/05 21:36 ID:1V1SnVqn
>>110 民間組織ではないでしょうね。
逓信省ですよ。
局長は局長という職務を果たしていたのではないか?
局長は電話交換手の技能は無いと考えないか?
>>114 民間組織を訂正、文民組織。
技能はなくとも軍の命令は局長になされるはず。
結局上記のお話だと「自発的決死隊」を募らなければならないはずですね。
やべえ、116を貼ったものですが、読んでみたら泣けます、そのスレ。
当時の状況が良く書かれています。
話には聞いていましたが、真岡郵便局の話は、
虐殺の中の一つの悲劇だったんですね・・・。
涙です。
118 :
名無し三等兵:03/08/06 14:06 ID:SsRcrIr5
>>113 どうでしょうね?
ネタとしては反日サヨ的に歪めた逸話と極端に愛国的な逸話が並んでると笑えるんですが。w
このスレで「反日」だの「サヨ」だのと謂う蔑称は、
ゆめ軽々しく使う莫れ。
浅慮な一部同胞の軽挙妄動が、英霊先人の死を軽んじているのは事実だが、
幾柱もの方々は、彼らも安心して暮らせる社会のために命を投げ出されたのだ。
あくまでそのような方々を顕彰し語り継ぐことこそ肝要だと思うが。
(とは申せ、我が卑小な優越感を満たさんと、
折りに付け浅慮な諸君が頓珍漢なことを並べるのを期待してしまう自分自身もまた、
反省すべき今日この頃)
電話交換手だったのか
電信局員かと勘違いしてた
>泣かない人間を非難する前に、自らの涙に恥じぬ振る舞いをせよ。
初代スレ756氏
>>121 きれいごとだと思う。
戦わなければ手に入らないものもある。
なりふり構わず争う者も世の中には必要だ。
夏だねぇ・・・。
ここは常夏のスレでつね。
125 :
122:03/08/07 14:04 ID:???
126 :
122:03/08/07 18:42 ID:???
>>121 もう一度読み直してみたが、やっぱりキモイ言葉だな。
二度と過ちは犯しません、てな論調と似ているんだ。
例えば「原爆を落としたアメリカを批難する前に、自らの行いを反省しろ」
とかに言い替えても通用しちゃいそうだということ。
俺はそういう論法は聞き過ぎてアレルギー状態なんだ。w
批難したいと思ったら素直に実行する。
そこから対話が始まるかもしれん、ケンカになるかもしれん。
でもそれでいいんじゃないか、と思っているのさ。
何か物凄い勘違いをしている人が来ちゃったね
痛すぎるな
はぁ… 溜息がでちゃうね。
ある意味泣ける話ではあるなあ・・・・
ご両親が不憫だ…
132 :
120:03/08/07 21:46 ID:???
( ̄□ ̄;)え!?
電話交換手と電信局員勘違いしてたのは
そんなに痛いことだったのか(-_-;)
2ちゃんソースは信用できない。
>>133誤爆か?
夏になるたび「かわいそうなぞう」を思い出す。
幼少時に読み聞かされたあれは最早トラウマ
ああトンキーとかワンリーとかジョンって象のヤシね。
136 :
電話交換手:03/08/07 22:13 ID:qN9yzRPF
>>132 そうではないと思います。
その頃は、電話より電信が信頼されていたし、まだまだ主流だった。
かく言う私も、何故この話に惹かれたのかというと、祖父が電信マンだったんですよ。
札幌中央電報局ね。
「札幌中電の百年」って局史には、札幌〜豊原間の電信に関する最後の逸話が載っています。
しかし、この交換手の話は、生き残った方が3名いるらしいのですが、全く公表されて
いませんね。
そりゃ創作だからね。
でも局長にげたんですよね。
富永みたいに!
女の子の部下を死なせて自分は生きる、ね・・・
公務員としてどうかは知らないよ。ただ、少なくともサムライのすることじゃないよな。
それでも俺なら逃げると言う奴、スイッチオン。
カチ
いやあ折れはサムライじゃないし。
ニンジャのほうが良いな。
143 :
名無し三等兵:03/08/07 22:46 ID:ox7l1Azu
>>141 ミ ∧_∧
ミ ⊂ ヽ(・∀・ ) カチカチカチカチカチ
∩⊂~~ ⊂~)
━━━━━━┓
/ ̄ ̄ ̄ ̄\┃
| 2 0 |┃
\____/┃
_| .┃
━━━━━━┛
えーい、皆の衆、これを読んでからレスしなされ。
昭和20年8月20日 ソ連軍 樺太真岡侵攻
http://yasai.2ch.net/army/kako/1014/10149/1014989961.html 創作でも無い、事実だよ。
局長がいなかったのも、職直がたまたま彼女達だったと言う事が
大きい理由だったみたいだね。
そもそも、停戦条約を受け入れた8/20の話だ。
そこにソ連が攻めこんでくると言う事自体が予測できず、
また、町長や守備隊も再三、降伏を申し出ている。
この時に重要な通信機関である電信所が機能していなかったら、
もっと事態は混乱したかもしれない。
そこに悲劇があると思う。
〉〉電話交換手氏。
上のリンク読んでみてくださいです。
当時の状況が解りますです。
大虐殺の中の一つの悲劇ですね。
読んでみれば解りますが、ソ連は降伏を認めず、
もう、そこらへんで人が殺されている様な状況なので、
その中の一つの悲劇の様子ですね。
この話の元は、たしか、数日後に新聞に載った事から
有名になった様子です。
原文をどこかで見たのですが、忘れてしまいました。
この新聞のニュースは、まだ証言が出きっていない時に書かれたものですから、
多少の事実との違いがあると思われます。
そこが、いくつかの話の食い違いに結びついているのかもしれませんね。
最近の2ちゃんねらは芸が細かくなったな〜
夏休みの宿題でもしろよ。
146 :
122:03/08/08 09:23 ID:???
>>127-131 おいおい何で勘違いなんだ?
初代スレの756とやらの発言には
>>121に書いてあることとは異なる、深い意味合いが隠されていたのか?
だったらそっちも見てみるが、もしそうなら
>>121はなぜこの言葉を引用したんだ?
「他人に悪口言うよりも、彼女達の献身に応えられるような立派な人間になれ」という意味に解釈したんだけど、違うのか?
147 :
名無し三等兵:03/08/08 12:47 ID:ai0VjViM
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030808-00000027-kyodo-soci 会ニュース - 8月8日(金)6時5分
「モー娘。」で自衛官募集 防衛庁がポスター一新
防衛庁が、制服制帽姿が定番の自衛官募集ポスターを一新し、モデルに
「モーニング娘。」を起用する。少子化の進行に加え、きつい仕事を敬遠
する若者気質を意識。イラク復興支援特別措置法の成立などで、海外派遣
任務も増えそうな中、狙いは高校生らを対象にした話題作りだ。
新ポスターは「モーニング娘。」のメンバー15人が並んだ写真に「一
生懸命って、いい感じ GO!GO!PEACE!」のコピー。コピーが
なければ、ただのアイドルポスターに見える。
アイドルを起用した前例はあるが、いずれも制服姿。今回はモデルのイ
メージを前面に出しインパクトを高めるため、制服や軍隊を連想させる装
備類を初めて一掃した。事務所側も撮影済み写真を使うとの条件で、無料
出演を承諾した。
防衛庁の宇田川新一前人事教育局長(現契約本部長)は「高校生たちが
『部屋に張りたい』と思ってくれれば大成功。まずは話題になること」と
話す。
新ポスターは8月10日ごろから、全国の自衛隊地方連絡部や自治体の
窓口などにお目見えする。(共同通信)
[8月8日8時33分更新]
150 :
:03/08/08 12:55 ID:???
何だか防衛庁内局の正気を疑いたくなってきた、話題になりさえすれば良いって・・・・・・。
152 :
名無し三等兵:03/08/08 12:58 ID:ai0VjViM
菅野美穂「守ってあげたい!」
ぐらいなら、、、
中2でレイプされて処女失った従姉妹のこと思い出すと今でも泣ける
>122氏
君のようなタイプは無記名掲示板には向いてない。
議論は相手を特定できることがその有効性の大前提であって
いくらでも書き逃げ・煽り・中傷・虚偽発言・なりすましといった
議論の有効性をまったく無にできてしまうこの場では、
君の「信条」は残念ながら
不毛な煽りあいを延々と続けるだけの議論厨しか生まない。
そして、このスレはそういう状態では機能しえないスレなの。
言い合いがしたいのならそれにふさわしいスレが用意されてる。
◆◆最初に読もう!軍事速報&雑談スレ64◆◆
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1060265625/ こちらならば論争も思う存分に出来よう。
156 :
名無し三等兵:03/08/08 13:09 ID:WXeI8hTh
>何だか防衛庁内局の正気を疑いたくなってきた、
>話題になりさえすれば良いって・・・・・・。
禿同。落ち目のモー娘なんか起用するより、
飛ぶ鳥落とす勢いのあややを使うべき。こんな事もワカランとは。。(呆)
>>156 いや、そう言う問題ではなく・・・・・・
>>156 でも、最近の「あやや」って、天狗オーラ出しまくりじゃね?
正直、可愛さよりも憎たらしさの方が募ってくる・・・・・・
で、逆に最近のモー娘は、立場が微妙なところが自衛隊と被ってたりしてw
159 :
名無し三等兵:03/08/08 15:49 ID:MQ75EcZL
あややは一回ぶん殴らないとダメだと思う
162 :
122:03/08/08 16:55 ID:???
>160
> 一回ぶん殴らないと
上まぁ、この場合「一回分、殴らないと」なのか「一回、ぶん殴らないと」のいずれなのであろうか。
上まぁ、前者の場合「殴る」ことの「一回分」を定量的に定義する必要があるというわけだろうか。
後者の場合は、むしろ「ぶん殴る」という行為が人によって猫パンチから思いっきりグーで殴る
ことまで異なる以上、正確な定義がひつようというわけであろうか。
>>166 そうか?そうなのか?
猫パンチは、実際には人間には行ないえず、
だいたいはピンタにならざるを得ない。
それは、「殴る」ようなものではなく、「はたく」「たたく」の類と思われ…。
まあ、「掌打」「掌底」なら、また話は違ってくるのだが…。
>167
上まぁ、猫パンチに関しては、あれでメダルを取ったケビン・コスナーという存在もあることなので
一概に人間にはムリと断じてしまうのは早計に過ぎないのではないかと言うことであろうか。
「泣ける話五代目」ではついにコテすら率先して荒らしに加わるようになった
>>169 最近レスが荒れてないか?
見ててもイタい。
171 :
名無し三等兵:03/08/08 20:56 ID:QYG91LQT
ぶん殴るの「ぶん」はブンブンのぶん主に振り回す動作
に使われる擬音語だから、腕を振り回しぶん殴るということは
振り突き(アッパー)の可能性が高い
激しく概出かもしれんが
陸自の中隊経費自己負担といふ話は涙なくしては・・。
海の人さん、なにか嫌なことでもあったの?
>>海の人
申し訳ないのですが、猫パンチはミッキー・ローク
だと思います。
軍板の有名良コテとして名をはせた
海の人氏が最近は荒らし気味なのが泣ける。・゚・(ノД`)・゚・。
>174
げ、失礼しました_(__;)_
猫パンチ かわいい・・・
にゃんぴっぴ萌え〜
ミッキー・ロークは映画の撮影(リハーサル)中に
シルベスタ・スタローンのアバラを粉砕したことがあったのだぞ
スタローンのアバラは馬鹿にして良いかもしれないが
ロークの猫パンチを馬鹿にしてはいけない
1992年、アフガニスタン・カブールでイスラムゲリラの内戦により動物園が戦場になった。だが激しい戦闘の中でも飼育係のアクバル氏は動物園の岩陰に寝泊りし、動物たちを慰めて回った。
「去ることが出来ませんでした。私たちはこの動物たちを愛していました」とAP通信の記者に語っている。
銃弾を浴びて苦しむ動物たちを治療しようにも医薬品は消失し、安楽死させることも出来ず、ただそばで涙を流しながら慰めの言葉をかけることしか出来なかったのだ。
一年半の激戦で動物六十余頭が死んだ。戦場も移動し、アクバル氏は残されたわずかな動物たちの世話に余念が無かった。
マルジャンという雄ライオンがいる。ライオンと戦いたいと檻に入った兵士をかみ殺し、その復讐で兄から手投げ弾を投げつけられ、顔面は傷だらけ、盲目で歯は抜け落ち、後ろ足はビッコを引いていた。
アクバル氏はこのライオンを連れて散歩することを日課にしていたのだ。
その後、タリバンのカブール侵攻で再び動物園は戦場になった。
アクバル氏の消息は途絶え、残った動物は食料として連れ去られ、残ったのはマルジャンだけだった。
マルジャンが亡くなったのは2002年一月。死因は老衰だった。
>>178 そりゃスタローンはステロイドの使いすぎで骨が脆くなってたんだよ!
181 :
179:03/08/09 23:47 ID:???
>>181 以前ニュース番組で特集してたよ。
泣いたさ
>>179 いい人はなんで早くに死んでいくんだよぅ!?
184 :
名無し三等兵:03/08/10 16:38 ID:6d+RpuKb
146 名前:鍾馗 ◆NwV0eZdXH. [] 投稿日:03/07/18 15:51 ID:ZV3jseT/
厚生省の遺骨収集団への誘い大学に毎年あり、数人の大学生が参加していました。
収集団に参加した後輩から聞いた話なのですが・・
>>144 サイパンでの遺骨収集団に参加した時、日本人のカップルと後輩との会話
(南国の観光地に長袖長ズボン、ゴム長、シャベルを持った一団を見て)
カップル:学術調査ですか?
後輩:いえ、日本軍の遺骨収集です。
カップル:ここまで侵略してたんだ!
後輩:・・・・・・・・・・・・・
カップル:死んでまで日本に迷惑をかけるんですね、日本軍は!
後輩:少し、いえ歴史の勉強をやり直した方がいいですよ(怒
カップル:???
その場を離れ際に
カップル:今の右翼だったんじゃない?
今から約10年ぐらい前の話です。
185 :
名無し三等兵:03/08/10 16:41 ID:6d+RpuKb
155 名前:鍾馗 ◆NwV0eZdXH. [] 投稿日:03/07/20 21:52 ID:bHhhEjpe
>>153-154 しらない人大杉です・・・・
後輩は帰国した後、「日本人はおかし過ぎる」と男泣きしてました。
後日談といいますか、アッツ島(だったと思います)での遺骨収集団に参加した
違う仲間の話になりますが、この仲間とともに勤労奉仕団に参加した際に今上陛下
からの御会釈を賜り、遺骨集集団に参加した事を奏上させていただた事があります。
偶然同じ日程で勤労奉仕に参加されていた違う団体のご婦人のご主人が、アッツ島
で戦死されており遺骨収集の話を聞かれ涙を流されていました。
戦死公報のみ届き、遺骨は届かなかったそうです。
方や、日本軍を侵略軍と認識している戦後の若い日本人、公に応じ肉親を失いながらも
それを誉れとする日本人、同じ日本人なのにこの断絶の深さは何なんでしょう?
シベリアで遺骨収集を行った仲間は御遺骨が出て来たとき「涙が止まらなかった」と
「日本に帰れず、埋められ50年以上もこんな寒い凍土に埋葬された事を知っている
日本人が少なすぎる!と嘆いていました。
まだ外地には収集されていない御柱が百数万余体以上あると聞いています。
小野田さんは、「われわれは死んだら神になって国民が靖国神社で手を合わせて
くれると思えたからこそ戦えた」と発言されたそうですが、我々が出来る行為は
「外地で国のために戦死された方に手をあわせる。」「英霊に恥じない日本に戻す。」
それしか英霊に報いる事が出来ないと思っています。
長文乱文失礼。
日本が侵略云々はとりあえずおいといて、
異国の地で亡くなった方々に対する最低限の礼儀というものがあるだろ…
まあDQNは相手にしない方がいいんだろうが。
まぁ、わずか我々でも、英霊に対し奉り最敬礼をしましょうや。びしっとね。
あ、右翼じゃないですよ、私。
>>184-185 一度、グァムで玉砕した軍属の遺書を読んだ事があってさ、その人の遺書の最期に
「遠い祖国の若い男達よ、強く逞しく朗らかであれ。懐かしい母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ」
って書いてあったんだけど・・・・・・何だか本当に悲しくなるな、涙も出ないよ。
うちのばあさんが貰っている軍人恩給の少なさに涙が出そうです。
バブル期の散財を遺骨収集、軍艦のサルベージに使えたらなあ。
糞銀行への公的資金?
大和の引き上げができるだろうが。
>>184-185を読むと戦後教育がわかりやすいね。
「東京大空襲の前に米軍は爆撃コースと時間を教えてくれたのに
日本軍部は無視した。その結果数十万の人間が焼き殺された。」
↑これはもはや都市伝説にまで発展した日教組の捏造話。
いつのまにか虐殺者の米軍=いい人達になってます。
例え教えてくれても殺し合ってる敵のいうことを馬鹿正直に信じる奴はいないだろ。
まったく中学生でも気づきそうな欺瞞をするような教師では、情報を元に事実を組み立てていき
自力で思考することの大切さを教えることなど不可能でしょうな。
まあ、コースと日時がわかっててもどうにもならない力の差があったわけだが(泣
>>193 俺も聞いたことがある。コースと時間を教えて市民を避難させろって勧告したんだってw
厨房の頃って教師の言うことが間違ってないと思ってるから軍ヲタですら洗脳される
場合がある。売国奴の洗脳教育の果てに184のようなカップルが出てくると。
そういや唯一の地上戦とか沖縄は言われるけどさ
日本領であり日本人もたくさん住んでいただったサイパンやテニアンは何故無視されるのだ?
今の日本人にはあそこも日本の領土だった、と言う意識が薄いんだろうなあ。
ほかには千島とかもね。
>196
言われてない。
接頭詞を意図的に書き落とすなよ。
>唯一の地上戦
満州、樺太や支那戦線は無視ですか?
>>193 ヤベエ、東京大空襲じゃないけど、
小学校の時に空襲前に避難勧告のビラを米軍がまいていたと
先生が教えてくれたの、今まで信じてた。
いま、そのことをググッてみたけど、出てこないからガセみたいだね。
しかし、何故、大空襲とビラでぐぐって、
誰々のオマンコ画像というページがヒットするのか疑問だ。
本土の防空能力を見切った上でのことだった訳ですね。
>>198-199 (日本で)って脳内で付け足してやるだけのやさしさはないのかお前たちには
俺にもそういうやさしさはあまりないが
>>203 満州は同盟国という事で百歩譲るとして
樺太は?
205 :
名無し三等兵:03/08/11 06:59 ID:Zpeo98Fp
樺太、千島列島、台湾、サイパン(信託統治領)
・・・全部当時の日本の領土だ。
まあ、「現在日本の統治権が及ぶ範囲」で、
「パンピーが大規模に陸上戦に巻き込まれた」のは沖縄が最大だろうな。
207 :
名無し三等兵:03/08/11 09:59 ID:DmAjpPS3
日教組と朝日新聞、ほんとに売国奴だね。
ぶっころしてえよ
>>207 殺しちゃダメ
生かしたまま暴走族>珍走団化のように世間での評価をすり替えたほうがいい
でもさ、世間のイメージって
日教組・朝日新聞>>>>>>>>暴走族(珍走団)>2ちゃんねら
位だよね。
マスゴミが意図的にそういう風に報道してるのかもしれないけど。
サイパンに旅行に逝く、会社のOLに『バンザイクリフ』で手を合わせてこいよと
言ったら「なにそれ?」と変な顔された。普段は軍オタの「ぐ」の字も出さない
漏れだったが、あまりにも哀しくなって小一時間説明というか説教してしまった。
その後しばらく漏れはウヨのレッテルを貼られた数年前の20代半ばの夏。
サイパンの地図にも載ってるし、一般常識と思ってた漏れがマヌケだったのか?
>>210 いや、よくやった・・・ここの軍オタに誉められてもうれしかないかもしれんが。
風化してしまうのは止むを得ない事なんだろうが、
そういう事実があったことを、知らしめるのは、本当は必要なことなんだよなあ…。
バンザイクリフを教えたらウヨなのに沖縄広島について語るのは平和主義
・・・なんかおかしい
>>210 サイパンの遊覧船の観光案内で初めて知り
驚く日本人は多いそうだ
そういう恥をさらしな馬鹿を一人減らした
それは誇れる功績だと思うぞ
214 :
119:03/08/11 23:22 ID:???
過ちて改めざるを過ちといふ
一度で気付いたんだから、それでいいじゃないか。
英霊や先人のためのスレで、誰かを貶めるのに力入れるのはやめようよ。
英霊は神様だからそんな狭い了見は無い
若い人がまた1人わかってくれたことでよしとしないか。
>>210 チミは(・∀・)イイ!!ことをした。
乙カレー
大学生にもなって憲法九条が国を守ってると信じてる香具師が知り合いに居ます
そんでもって民主主義を妄信してるあたりがなんともはや
あと、後輩に自衛隊の必要性と軍事の何たるかを説いた所
話が終わったところで妄想の一言で片付けられますた
小馬鹿にしたように「で、一体何処が攻めてくるんです?」
そいつは家族の誰かが労組関係者らしいから
陰謀厨じゃないが凶産の工作員認定したくなりますた(泣
でも実際問題、どこが攻めてくると聞かれても困るわけだが。
(ゲリラ戦やテロ活動は除く
もちろんそれは平和憲法が存在するから…なわきゃなくて、
自衛隊+米軍が睨みをきかせてるからなんだけどね。
まあわからんちんには何を言っても無駄だから放置しる。
攻められたら戦う意志を見せることが安全保障につながる訳だから具体的に攻めて来る国を挙げる必要は無いんだけどね
そもそもそんな時にすぐにあげられる国があるなら軍隊の必要性を訴えるよりその国を攻めることを考えた方が早いし
むしろ、永世中立を歌ってるスイスやスウェーデンがかなり強力な軍隊を持ってることを説明した方が早いかも……
まあ、前に名古屋の街を歩いているときに左翼さんたちが「日本もスイスのように軍隊の無い国に」とか言ってたのにはワロタけど
ヤツらは永世中立と非武装を勘違いしてないか?
かつてはサイパン、テニアンが国内旅行という事だったと教えれば
馬鹿でも分かりそうだよね。そうすれば民間人も死んだんだと分かると思う。
スイスからコスタリ(PAM PAM
スイス式にしたら国民全員に軍事教練の義務が課せられますな。
向き不向きや意志も無視して。彼らが(ついでに折れも)耐えられるか自信がない。
>>217 後者の方は半ば本気で確信犯だと睨んでる、
ヒトラーの評価すべき点とかしっかり押さえてたし
「機会の平等」って言葉も知ってやがったし
スイスがハリネズミだって事も知ってやがった。
上まあ三流大学しかも理系な訳だが
矢張り3点とも抑えている香具師にはお目にかかったことは無い
>221
それが香具師らの狙いなんっすよ。
民兵組織して人民軍設立の礎にとうのが本音。
有る程度数そろったら革命起こすつもり。
>>218 そんな連中を左翼とは呼ばないでくれよ・・・
225 :
210:03/08/12 20:06 ID:???
>>211-215 バンザイクリフについて説明しているうちに脳裏に日本人女性が飛び降りるあのシーン
が浮かんできて、つい感情的なってしまいました。
今度同じような機会があればもう少し淡々と説明しようかなと、今更反省してまつ。
でもサイパンの観光本にもしっかり説明されているんだよなぁ。
>>225 観光気分で浮かれているところにそんな話持ち出しても野暮なだけだろ。
だが、俺はお前のやったことは正しいと確信する。
まあ小一時間説教ってのがちょっとあれだったかもね
これだとキモイやつがわけわからん説教はじめたって感じになって
若い女の子からしたら話の中身なんか関係なくキモイやつの説教ウザーで終わってしまいそう
小さな親切、大きなお世話といったところか・・・
イスラム原理主義者が鬱陶しいのと同じな訳だ。
中国大陸戦線、日本陸軍某連隊長。
功を焦らず、じっくりと体勢を整え、損害を極限しつつ目的を達成することで、
定評のあった連隊長だった。
ある戦線で作戦100日、戦死者40名は、
当時としては奇跡に近い、戦死者の少なさだった。
戦功からこの連隊長、その戦線での作戦終了後、栄転することになったが、
気になっていたのは、その戦線での快進撃が逆に災いして、
兵二柱の遺体を収容できなかったことだった。
転出が完了すると、早速、中隊長代理の少尉を、遺体収容のため、
もとの激戦地に向かわせた。
遺体を乗せた列車が、零下20度にもなる駅に到着するまでの間、
連隊長はプラットホームでじっと待っていた。
少将昇任を目前にして、出世工作や根回しに走るような、
同じ立場の将校が部下をなおざりにする例が多い中、
その連隊長は、部下の遺体をじっと待って、迎えた。
231 :
名無し三等兵:03/08/13 23:17 ID:rg6k/0JM
>>231 イイ奴ほど、早く死に、名前も残らないものさ。
残るは功績と航跡のみ。
で、誰なんだ?
>>230
230です。
出典が、古書店で入手した、古い自衛隊幹部学校の部内誌で、
この連隊長の部下だった方が、統率について寄稿した論文からなのですが、
(実は「しょうもない知識を披露するスレ第四幕」のレス602も、
書いたのは私で、出典は同じです)
その連隊長が誰で、その後どうなったのかについては、触れていないのです。
あまり邪推をたくましくしないことにしていますが・・・。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
235 :
名無し三等兵:03/08/16 07:44 ID:VkTBhTLl
>>216 亀レスだが俺はそういう時は拉致事件を例に出す事にしてる。
奴らは今まで巡視船に発見されても攻撃されないとたかをくくってたから拉致や麻薬の売買をやりたい放題だったじゃないかと。今まで工作船を見付け次第撃沈していたら現状の様な100名以上拉致されていたのかどうなのか?
警官・海上保安官・自衛官の任務を国民の生命財産を守ると定義すると日本国民を拉致する行為は日本国に対する攻撃である。
俺はあの銃撃戦は立派な紛争だと思うがどう思うか?
舐めた真似したら痛い目にあわされるそれが抑止力だという風に説明してるよ
満州独立守備隊歩兵第十二大隊 部隊長 行徳守治中佐(陸士十九期/中将)
北満厳寒の深夜。零下三十度、四十度の酷寒ともなれば睫も凍り、鼻毛さえ鼻孔の中でピンと
凍る。しょっちゅうこすっていないと上の睫と下の睫とが凍ってくっついてしまう。防寒外套に
身をつつみ、スッポリと目深に防寒帽をかぶり、毛の厚い防寒靴をはいていても、五体がしびれ
るような寒さに襲われた。
夜中の二時過ぎ。ぼんやりとした雪明かりの中を、誰やらが歩哨に近づいて来る。
「誰かっ」歩哨が油断なく銃を身構える。戦地のこととて実弾が装填されており、銃剣がギラリ
と闇が光る。
「わたしだ、行徳だ、部隊長だよ。ご苦労ご苦労、寒かろうなあ。風邪ひかぬよう気をつけるん
だよ、分かったね」
優しい笑顔がソッと歩哨に近づき、緊張し切った歩哨を抱くようにして、防寒手袋の上から歩
哨の手を温めようと、懸命にさするのである。
部隊副官さえ知らぬ、この部隊長の深夜の歩哨線めぐりは決して巡察ではなかった。監視でも
なかった。全部隊の衛兵につくべき兵という兵のほとんど全員が、部隊長の大きな手に抱きしめ
られ終わったころには、この新編成部隊は完全に面目を一新し、粗暴だった部隊も、いつしか第
二独立守備隊きっての軍律正しい部隊になっていた。
陸士時代は第十九期生きっての乱暴者であった、行徳部隊長の掲げる「衆心一誠」のモットー
は、決して空念仏ではなかったのである。こんな部隊長だから、若い将校たちも親父か、兄貴の
ように慕っていた。
「陸軍へんこつ隊長物語/満州守備隊の姑娘浴場」 後藤四郎著/毎日新聞社より
泣ける話ではないけど。
昨日宮古、沖縄観光から帰ってきました。
那覇空港に向うタクシーの中では高校野球沖縄尚学のラジオが掛かっていました。
途中正午にアナウンサーの「1分間の黙祷を」の声とサイレンの音を聞いた時、瞬間脳裏に沖縄戦太田中将の「沖縄県民斯く戦えり、後世県民に格別の御高配賜らん事を。」の一文が浮かんだ。
黙祷しながら聞こえてきたサイレンの音が百万語の言葉以上に胸にずしりと来ました。
空港のロビーに入ると丁度沖縄尚学の9回最後の守りをTVで放送していた。
隣のブースでは観光歓迎イベントで鳴り物と共にシーサーが踊っていたが、それも途中から自然と野球の応援へと変わっていきました。
そして勝利の瞬間、ロビーは歓喜の声に満ちていました。
わずか30分ほどの出来事でしたが何か特別な体験をしたような気分でした。
長文スマソ。
>>238 ん、ほんのり良い話です。
泣ける話で良いと思いますです。
>>236 それよりサブタイトルの「姑娘浴場」がなんなのか、気になって気になって仕方ないのだが(w
>>236 そういえば、古い映画だが、高倉健主演の「動乱」でも、中隊長が兵に懐炉を手渡す
シーンがあったな…
242 :
名無し三等兵:03/08/17 07:59 ID:MerV+SHz
くちなしの花 ある戦歿学徒の手記/宅嶋徳光より
(恋人・八重子あて、1944年3月頃)
「私自身の未来を私は予知することができない。
そして私は私であっても、私の私ではない。
このことは賢明な君は良く理解してくれていると信ずる。
もはや私は君一人を愛すること以上に、日本を、そして君を含めた日本の人々を愛している。
[略]君に会える日はもう充分ないだろう。あるいは永久にないかもしれない。」
宅島(日記、1944.6.11)
「その時(戦死の時)のあるを覚悟して俺はすべて身の回りを整えておきたい。
このような俺の信念は、どうしても君を不幸にさせたくないということの考えに通じている。
妻のただ一人の、最も信頼すべき味方は常に夫である。
若くして夫を失った妻の将来はひじょうに不幸である。
そのようなことが君の身に起こるということは、俺にとっても寂しい。」
宅島(日記、44.6.13)
「はっきりいう。俺は君を愛した。そして、今も愛している。
しかし俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った。
それは、君のように優しい乙女の住む国のことである。
俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、
俺たちに頭を下げてくれる子供たちのいじらしさに強く胸を打たれたのである。
もしそれが、君に対する愛よりも遥かに強いものというなら、君は怒るだろうか。
否々、決して君は怒らないだろう。そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。
ほんとうにあのような可愛い子らのためなら、生命も決して惜しくはない。」
宅島(日記、44.6.30)
「俺の言葉に泣いた奴が一人 俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併(あわ)せてたった一人……」
243 :
名無し三等兵:03/08/17 08:02 ID:MerV+SHz
>>243 この手記がモチーフになって、渡哲也の名曲『くちなしの花』が生まれたんですよね。
しかし、短い生涯でたった一人の女性を真剣に愛し、その人を残して散っていく心情って
どんなものだったのか、私には想像がつきません……(;O;)
>>242 何度読んでも漢泣きしてしまいます。
この方たちが今日の日本を見たら…ともどうしても考えてしまいます。
ま、この話題はスレ違いでありますのでこの辺で。
別に明日特攻に出かける必要もない、毎日空襲におびえることもない、よほどじゃない限り
食べるところ住むところに困ることもない、良い世の中になったと喜んでくれるよ。
悲憤慷慨調で、今の世相をなじったところで、つまんない戦争でばたばた人間がしぬことと
比較すれば、それがどれほどちっぽけなことを大げさに言い立てているか思い知るだけだわな。
ですな、そういう自慰は(所謂)サヨクの人に任せておけばよい訳で
いわゆるウヨクの方々も同じ精神病にかかっているわけで
自分たちの偏狭な世界観に現実がそぐわないことを、
批判されるべきでない故人の言動をもって非難しようとする態度。
大好きな話のコピペ
211 名前:名無し三等兵 投稿日:2001/07/29(日) 04:54
ガキの時分に、鍼灸師のジジイから聞いた話。ちょっと変わった幽霊談です。
ニューギニアのあたりのある戦場でのこと。
大規模な戦闘をした部隊があって、その後、その部隊の前線基地に、
夜な夜な、死んだ兵隊たちが現われるようになったそうです。
彼らはいずれも、足がちゃんとあり、懐かしそうに
「よお!」とか言いながら、現われるのだそうです。
いずれも確かに戦死した連中ばかり。
神主の息子の兵士がまじないをやったり、お経をよめる兵士がお経を詠んだりしても、まったく効き目無し。
そのうち、ズカズカ上がり込んできて、貴重な飯をバクバク食う始末。
しかも、いきなり手がスルスルっと伸びて、木の実を取ったりして、明らかに化け物化している様子。
怖いやら迷惑やらで困っていたのですが、なんとも手の施しようが無い。
見るに見かねた中尉だか大尉だかの隊長さんが、幽霊たちが集まっているところへ、
ツカツカと歩いていって、いきなり大声で、
「全員、整列!」
と言うと、素直に整列したそう。そして、
「貴様らは、全員戦死した兵隊である。よってこの世にいてはならん。
全員あの世へ行って成仏するように。これは命令である!」
隊長が涙を流しながら言うと、幽霊たちは、しばらく呆然とした顔で佇んでいたが、
そのうち全員が泣き始め、やがてボロボロと土人形のように崩れていったそう。
あとにはその土だけが残り、彼らは二度と現われることはなかった。
兵隊たちはその土の大部分は現地に埋め、残りを少しづつ日本に持って帰って、供養したそうです。
「へんな幽霊だね」と僕が言うと、ジジイは、
「日本人の幽霊でも、死んだ場所が変わると、ちょいと変わるんじゃい」
と言っておりました。
>>248 その幽霊部隊に夜襲させれば最強だと思うのだが?
氏んでまで戦わせるのが忍びなかったのかな?
野暮なつっこみで申し訳ないが。
>>250 の、ように、言わなくていいことを言う香具師がいる。
泣けてくるぜ・・・・・・
>>235 亀レスだが俺はそういう時は拉致事件を例に出す事にしてる。
まず、奄美沖の事件は撃沈した訳ではない。止めようとしたら
勝手に自沈しやがった「不幸な事故」である。
不審船を海保が見つけて追い回しはじめたのは、別にここ数年の事ではない。
実に60年代から、見つける度にイタチごっこを繰返してきた。
ただ、殆どが見つからないだけだ。数年〜十数年に一度しか。
それも大抵のきっかけは出所が怪しい上に遅い、防秘情報や公安情報。
偶に漁船が「変な奴がいる」と教えてくれる程度。
つまり、海保が「見つけ次第問答無用で撃沈」なんて厨房国家な
対応をしていたとしても、不審船事案の根絶は難しかったという事だ。
警察と民間防衛組織による海岸線の常時警戒や年中検問の実施など、
余程の国内的に影響のあるな締め付けをせねば防げなかっただろう。
それでも普通の漁民を買収されたら台無しだ。
ついでにパスポートが欲しいだけなら、拉致せず硫酸どろどろ〜な
対応に切り替えられたらそれでおしまい。
過激な対応が何か前向きな事を生むと思い込むのはよくない。
>>248 それと似たストーリーが黒沢明監督の「夢」にあった。
場所は日本、主役は復員して来た兵士(おそらく中隊長だったはず)
トンネルから部下の兵隊が隊列を組んで行進してくる
と言うものだった。
>>240 >それよりサブタイトルの「姑娘浴場」がなんなのか、気になって気になって仕方ないのだが(w
それほど期待するような内容ではないと思うが・・・もうちょっと待っとくれ。
勿論「その手」の話も載っとるが、スレ違いなのではないかと思うぞ。
まあ、なかなか良い話であると思うがな。
>>253 兵隊たちは帰って行くが、最後に軍用犬(?)が出てきましたよね。
峠の向こうに瞬く実家の灯りを見て、泣いて帰りたがる部下を宥める中隊長、というシーンもありましたな。
その後、中隊(の亡霊)を号令一下、「トンネルの向こう」に追い返した後、入れ替わりに飛び出してきた
真っ黒な犬に吠え付かれて立ち竦む・・・という感じでしたっけ。
258 :
253:03/08/19 21:11 ID:???
も一回見直そうかな>「夢」
保守
ほしゅ
hoshu
自分的には、メイドさんに萌えて祖国を崩壊に導いた
「海軍メイドさん事件」に泣ける。涙が止まらない。
諸君らもご存知のことと思い、詳細は記さない。
自分の頬を伝う涙は、断じて感動の涙ではないが・・・。
いや、↑って2ちゃんねる発祥のネタという説があるんだが…
文献には載ってない話だよなあ?
どうなんだろう どっかのスレで見たっきりなんだが…
帝国陸軍ならあり得る いや あったに違いない
そう思えてしまうのが悲しいというか情けないというか
海軍だ海軍
「海軍メイドさん事件」については
文春新書 「昭和史の論点」
に出てた。他に載ってる本あるかな?
まー、どこまで本気の話か置いといて(笑)
>自分の頬を伝う涙は、断じて感動の涙ではないが・・・。
悔し涙か、同士よ・・・。w
でもドイツと日本って似てるトコ色々あるからな。
勤勉で真面目で工業力技術力に長けてて。真面目なバカって感じ。
ファシズムやらなんやら、違うところも多々あるけど。
メイドさん事件は日本人についてよく勉強しとる証拠か。
国を動かすのは女だなぁある意味
当時の日本は工業力・技術力ともに
お世辞にも長けてるとは言えん。
第一、ドイツ人が勤勉だというのも幻想で
農村部に行けばマターリした赤ら顔の人々が出現する。
273 :
名無し三等兵:03/09/01 08:55 ID:A1tmsrk8
age
>274
それは無い。MARINEの件で確かに軍板にチョソ・在日チョソが来ているのは
わかったけど、265はどう見ても違うだろ。
反論が出来ない時の厨房の口癖ですぜ>チョソ認定
ホントのチョソ相手なら認定などする間もなく向こうにボロが出るし
277 :
265:03/09/01 19:03 ID:???
いいえ、わたくし在日朝鮮人ですから問題ありませんよ。
278 :
265:03/09/01 20:20 ID:???
>>277 誰ですか?
確かに私の祖父は半島からやってきましたが父の代に帰化して私は日本国籍です。
はっきり言って貴方のように他人の名を騙れるような卑屈な人間より日本国に対して
忠誠心があると自負してますが。
>>265 って私が書いたんだけど…
ちなみに生まれはイランだぞ(w
つーか軍事板にまでチョンがどーのこーのっての持ち込むなよなぁ
別にナニ人だってかまわねーじゃねーかよ。
そういうのはコヴァ板とか極東板でやれよ。
283 :
大宮二等兵:03/09/06 10:31 ID:q2HmRife
日本のために戦った者は、たとえ半島人であろうと台湾生まれだろうと
帝国軍人であり、日本人である。
国籍は本人の意思で決めること。出身は問わない。
そこまで単純な話じゃない。
>>283 国籍を問題にしてないの。問題は民族なの。
生物学的にあいつら「 別の生き物 」なの。わかる?
これだからアカ教育に染まったバカは・・・
バカサヨは小・中の9年間日教組教育を受けてバカサヨになる
バカウヨは数ヶ月ひきこもって2chにかじりつくだけでバカウヨになる
>>285のように
283の事実誤認
> 日本のために戦った
日本のために戦ったのは日本人だけ。
半島や台湾は泥棒しに来ただけ。
> 帝国軍人であり、日本人である。
半島や台湾のどこがどう日本人?
> 国籍は本人の意思で決めること。出身は問わない。
それで、在日共が帰化したがるのを見過ごすと。
日本がどんどんドキュソで埋まってゆくのを見過ごすと。
288 :
名無し三等兵:03/09/06 14:22 ID:/nhTUEzw
>>285 「民族」と「人種」の違いが分からないバカのようですね
生物学的にといったな?
それなら「人種」だろーがボケ
「民族」は言語・文化・宗教などでの分類だろ
あほ逝けや
こういう展開が続くことの方が情けなくて泣ける
馬鹿は放置して話を戻せ
このスレ自体が泣ける話になってきたな…
( Θ_Θ) / <このスレはワレワレが占領した
Σ(゚Д゚;エーッ!
「税金払えば皆市民」ってフレーズを思い出した
>>245 後半蛇足だ。前半で十分。 相変わらずだなまったく。
>>283と
>>287の間には戦後五〇年間に日本人が積み上げてきた愚かさが横たわっているのさ。
そしてそれは
>>283と
>>287が問題にしていることを両方とも生みだしているのさ。
そこには戦争を自分のこととして引き受けきれず、忘れることに精を出してきた結果横たわっている
>>245みたいな神妙な顔をして御託を述べるバカが横たわっていてもう何もかもオシマイなんだよ。
だいたいなんで軍板が趣味の板、ってところが色んなことを物語っているわけだ。 まあどうでもいいや。
>>295 「車」と字が似てるから。
信じられないが、本(ry
>>メイド事件
恥ずかしながら、今まで鮫島事件*の類かと思ってた。
註 鮫島事件…オカルト板における釣り用語
しかして、その実態は架空の事件であり、
それに続く者はすべからく鮫島事件を即興で記述しなくてはならない。
>>297 馬鹿!お前鮫島事件には触れるなってあれほど言ったろうが!
sssssssssssssssssssss
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○○●●●○○○●●●○○○●●●○○
○●○○○●○●○○○●○●○○○●○
○○○○○●○●○○○●○●○○○●○
○○○●●○○●○○○●○●○○○●○
○○○○○●○●○○○●○●○○○●○
○○○○○●○●○○○●○●○○○●○
○●○○○●○●○○○●○●○○○●○
○○●●●○○○●●●○○○●●●○○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
301 :
名無し三等兵:03/09/08 13:32 ID:JqA+o3vA
>>216 んなウザイ話聞きたくねーんだよ。適当に話返されたことくらい気付けよ。
>>217 放置されてるのはお前だってことに気付け。
軍オタども
>>301 貴方の歪み螺子繰れた心に、涙を禁じえない・・・・・
捻じ繰れた、じゃなかったっけ?
>>304 遺族にとっちゃシャレにならないよな。
戦時中とはいえ。
>>304 結果としてドイツの軍需工場で使役されていた捕虜の
やってたサボタージュと同じになってしまうとは
>308
動員学徒とか徴用工じゃぁ捕虜の皆さんと
そんなに変わらないんじゃ〜。
うちの職場ではそういうのを、現場作業者による段取りの簡略化(コストダウン)と呼んでおります。
>310
んなこと言ってバケツで臨界起こした例もありましたな。コワヒコワヒ
戦争の名言と迷言スレから転載
>426 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/09/16 23:49 ID:6aah6gLy
>「おれは最後までおれらしくいこう。
> 無理せず力まず」
>
>日本軍の特攻兵器に乗って死んだある青年の残した言葉らしい。
>他の人達が「国に報いる覚悟であります」とか「名誉の出立を迎え嬉しい。撃滅あるのみ」とかの
>張り詰めた言葉かもしくは家族への別れの言葉を残してる中でこの人だけマイペース。
>
>写真も残ってたけど、他の人達の精悍だったり幼さが残ってたりする中で
>この人は長細ーいぬそっとした顔で眠そうにぬぼーとしてていかにもマイペース派。
>
>確実な死を前にしてよく自分を奮い立たせる言葉も無しにこんな事言えたもんだ。
>ある意味大物だ。
>生きていればぽけーっとした人生をぽけーっと送れたろうにと思うと悲しくなる
検索かけたら出てきた。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-attak1.htm 多分ここの最後に載ってる人だ。
・・・・WRENCHさン?
>>314 つかな…そこに書いてあることなんざ、大学一般に共通の事項だと思うぞ。
程度の差があるってだけだ。
大学一般に職員の質は、できない地方公務員以下と思っていい。
教育機関って意識が、学生を「顧客」とみなすのを阻害してるんだ。
いや、教育機関がすべからく学生を「顧客」とみなせといってるわけではないんだけどな。
ただ、少子高齢化の中で、企業体としての経営を考えたら、殿様商売じゃやってられんのだよな。
できた教員がいれば、もうリカレントはじめ、
学生の多様化を進めないといけないってことは判ってて、市場開拓ははじめてんだけどな。
ただ、それに比べれば、職員の意識改革はちょっと遅れ気味だ。
特に地方の大学で、それは顕著になるだろう。
それが学長とその取り巻きがムッチャ露骨なんですわ。
学長の命による「工作活動」もしてるよ、教務課職員さんは。そんな職員に対する不満はまあ置いといて・・・(マジでムカつくけどね)
学長が好き勝手してます。大学の金で自分の銅像なんかも作ってますョ・・・。違法活動もなんのその。法律なんか何処吹く風。
元政府高官(ただし官僚)だからね。大抵の事はコネで潰すんだ。
表に出てきた息子の過激なセクハラもうやむやにしてるしね・・・。ほぼ確実に何人かレィープしてるよ、こいつ・・・。
↑院政してる旧学長ね。これ以上はスレ汚しなんで控えます。失礼しました。
軍事と大学ということで…。某旧帝大は戦時中は捕虜の生体解剖をする
ことで、戦後は、引揚げ港が近く、大陸方面から引き揚げた婦女子の堕胎で、
その持てる力を発揮したそうな。
前者については語る言葉を知らんが、後者については、そうせざるを
得ない状況に、泣けるというか、腹立たしいというか。
>>319 フィクションである「従軍慰安婦」では騒ぐくせに、リアルに性的虐待を受けた「大陸から引き上げて来た日本人婦女子」の事では知らん振り。
日本という国が、いまだ「そういった状況にある事」に泣けるというか、腹立たしいというか・・・
>320
だって、満州在住日本人の悲劇やシベリア抑留者を生み出したのは
戦後日本の中枢にいた人たち自身なんだもん……
>321
馬鹿者は帰れ。
323 :
名無し三等兵:03/09/19 14:33 ID:IKzK/NFS
どっかで隊の最後の生き残りになった兵士が死に際に書いた言葉
敵の弾に当たって死ぬのは覚悟していましたが、飢えて死ぬとは思いもしませんでした
出典も覚えてないが。
戦争に行って飢えて死ぬのだけは嫌だねえ
しかも帝国陸軍戦没者の過半が飢えか病気ってところが、余りにも悲しすぎる・・・・・・。
>>323 >戦没者の過半が飢えか病気
1.離島に兵隊を送り込む
2.後から食料を送り込もうとする
3.米軍に探知され補給船が飛行機と潜水艦であぼーん。
4.離島の兵隊は飢えと病気で・・・
というパターンがあまりにも多いのではと推察。
戦没者の無念を悼みます。合掌。
>>325 多いというより正しく正確に全てそのパターン。
ハッキリ言って連合軍が上陸して襲い掛かって来るなんてのはまだいい方で、
飛び石作戦で無視された島になると補給は来ない敵も来ない、食いブチは減らない食料は足らない、
挙句の果てに原住民は食人族なんてオチまでついた島もあったと聞く。
>>326 ソロモンならね。別の地域のことも勉強しようや。
>327
大陸だって似たようなもんだろ・・。
中●料理だって人間レシピあるワケだし。
小野田少尉が帰国したとき、あの戦争に軍人として参加したことがある人達は、
どういう感想を持ったんでしょうか。
最後に任を解いた元上司とかやっぱり泣きながら命令したんですか?
>>330 かなりあっさりしたものだったと何処かで読んだ。
周りで捧げ銃していたフィリピン兵のほうが騒いでいたくらいだとも。
332 :
名無し三等兵:03/09/23 15:15 ID:6IfhsQs/
軍人は勤務中、感情を露にしません
>>332 つぅことは、小野田少尉はもちろん、その上官も(その時は?も?)
軍人としての勤務中だったったということかな。
ご発言の趣旨はとても理解できるのだが…やや、説明不足かと。
ただ、小野田少尉の敬礼は、とても立派(表現が難しいが)だったと
記憶している。
補修
>>316 そうかな?大学の職員、というか教官には尊敬できる人も多いと思うぞ。たまたま貴方がそんな人に巡り会わなかっただけかもしれながな。
大学は教育機関である前に研究機関、必ずしも全ての人が行く必要はないし無理に学生にあわせる必要もない。今みたいに同年代の半数が大学に行く事自体、異常と言っていい気がする。遊び呆けていても大学に行けるんだからね。
学生の多様化?だから何って感じかな。戦前みたく本当にその分野に進みたくて努力を重ねた学生だけが来ればいいんだよ。事実、下の方の大学に行くほど無気力無目的な学生が多い。
>>336 大学の職員は、必ずしも教員・教官だけではないという罠
日教組ってのが最近やっと実感できた。よりによって歴史の教師で、アカの手先のオフェr(ry
そんな教師が漏れの学校にいるんだよ。しかも日本史で毎日1時間ある。
今教わってるところが第一次世界大戦のあたりでさ、そいつもテンションが上がってきてるんだろうな、
いよいよキナくさくなってきてる。
日本が「した」ことを大々的に取り上げ、「された」事とかはほったらかし。プリントにも年号と1行程度の説明文のみ。
侵略、侵略、という言葉を1時間のうち20回は使ってる。
おまけにそいつの言い回しがどうにも日本を悪者にしたくて仕方ないといった感じ。
今日尼港事件が終わったんだけど、ひでえの。協定破って攻撃してきたとか、虐殺されたとか一切なし。
日本軍が攻めて、攻め返されて、今度はこちらから攻めかえそうとしたらもういなかった、とか。
日本だけがしつこく占領しようとしていた、とか。
オイオイオイオイお前は本当に歴史家かと。でさ、もうちょっとしたらさ、第2次世界大戦なんだよ。
いよいよだろう。最近妙に血色がいいはずだよ。人間楽しみがあると生き生きするんだね。
こいつが教える事を皆本当に信じちゃうんだろうなって考えると、
本当にもう情けなくて、悔しくて、泣いてしまいそうになる。
申し訳なさで胸がいっぱいで、日本史の授業中はいつも心の中に言葉にならない叫びがある。
なんとかできないものかと、歯ぎしりをしてばかりだ。漏れはどうすればいいんだ?
お前が「先生そんな単純じゃありませんよ」と言って説明してみたらどうよ
無理だったらやらんでニヤニヤしていた方が良いけどw
340 :
名無し三等兵:03/10/03 23:42 ID:Pal6Zn06
>>338 おまいがリア厨か高坊であることだけは良く分かった
341 :
338:03/10/03 23:46 ID:???
思うに「日本史」「世界史」って分けてもいいのは文化で、こと「戦争」に関しては
二つを混ぜた形にしなければならないと思う。
日本史で教わる日本のしたこと、しようとしたこと、されたこと(なぜかこれはあまり教わらない)、だけでなく、
世界史で教わる世界各国のしたこと、しようとしたこと、されたこと。このあたりを全て教える必要があると思う。
言うなれば「戦争史」とでも言うのか、特に日本の戦争についてはそれこそ当時の世界各国の
情勢やら状況やら、まず最初にこれがこうしてこうなったから結果こうである、といった、歴史の流れや動き。
っていうか、ここまで書いて思ったがもしかしてこんなヒドイ教師は漏れんトコだけか(;´Д`)
読みにくい無意味な文をダラダラとすまんかった。誰かに聞いて欲しくてたまらんかった(泣
>>338 釣りかな?ま、好意的に解釈しても、そのような悲憤慷慨は別の板・スレの
方が適切じゃないか?
漏れだけかも知れないけれど、戦の時の人の生き様、死に様の話に
関心があるから、このスレを読んでいる香具師の意見として。別に君を
叩くつもりはないよ。
343 :
馬鹿:03/10/03 23:52 ID:???
344 :
名無し三等兵:03/10/03 23:55 ID:LZAIW0Dy
下手に何らかの行動に移るような事は控えるのを進めるよ。
「俺としては」ね
そーそー
適当にハイハイと聞いておいたほうがいいよ
カレーってのが最近やっと実感できた。よりによってビーフカレーで、アメリカ産の肉のオフェr(ry
そんなカレーが漏れの目の前にあるんだよ。しかも給食で毎日1食ある。
今食ってるところが柔らかくなったジャガイモのあたりでさ、そいつもテンションが上がってきてるんだろうな、
いよいよ中までふっくらになってきてる。
料理人が「した」ことを大々的に取り上げ、「しなかった」事とかはほったらかし。レシピにも作り方と1行程度の説明文のみ。
弱火で、弱火で、という言葉を1時間のうち20回は使ってる。
おまけにそいつの言い回しがどうにもカレーうどんを悪者にしたくて仕方ないといった感じ。
今日カレーのルー入れるのが終わったんだけど、ひでえの。
まだ全然タマネギに火が通ってないとか、具が大きすぎるとか一切なし。
タマネギを炒めて、まぜ返されて、今度はこちらからニンジンを入れようとしたらまだ切ってなかった、とか。
俺だけがヨーグルト入れようとしていた、とか。
オイオイオイオイお前は本当に料理人かと。でさ、もうちょっとしたらさ、できあがりなんだよ。
いよいよだろう。最近妙に色がいいはずだよ。人間楽しみがあると生き生きするんだね。
こいつが作ったカレーを皆本当に食べちゃうんだろうなって考えると、
本当にもう情けなくて、悔しくて、泣いてしまいそうになる。
申し訳なさで胸がいっぱいで、家庭科の授業中はいつも心の中に言葉にならない叫びがある。
なんとかできないものかと、舌鼓を打ってばかりだ。漏れはどうすればいいんだ?
「自分ちで作ったら?」
ぬぉ! 意外と真面目に返事が返っていらっしゃる。
ふざけてたのは俺だけですか。ごめんなさい。
348 :
名無し三等兵:03/10/04 00:07 ID:1seQfokx
>>346 カレーうどんを悪者にするんじゃねえよ!!
ほんと最低な話だな
爆弾でも仕掛けるしかないって
カレーぐらいで爆弾持ち出すとは情けない
>>349 カレーじゃねえ!!
カレーうどんを馬鹿にされてんだよ!!
勘違いするなカス!!
あからさまにすれ違いなのでsage
351 :
名無し三等兵:03/10/04 00:22 ID:MWIrjkP3
>>338 俺、昔バカ教師とやり合ったこと有るよ(笑)
やつら、侮日スローガンを刷リ込まれているだけで、実際は無知だよ、
普通に資料を出して反駁するだけで、ギャフンだろ。
ただ問題はその後やね、
教師の性格をよく見極めてやらないと、
反日教師には、トンデモナイ粘着お子ちゃま教師が多いから…
無意味な長期戦に引きずり込まれるおそれがある。
↑
見直しましたぜ。
純真な学生に余計なこと吹っかけるな
教師ってのは反抗する奴には容赦ないからな
愚痴だけじゃ申し訳ないので微妙に泣ける話をひとつ。
漏れの祖父が支那派遣軍で湖南省に行ってて、空腹を抑えるため支那人も喰わないような貝を食ったり、
近所の支那人と助け合いながらして望郷の念に耐えながら日々を過ごしていたそうだ。
故郷に還る日を指を折って数えながら。
そしてついに帰国の日はやってきて、百数十キロを歩き通し、ようやく一同は船に乗った。
そこである事件が起こった。
以下原文
「船内の一椿事」?は読めない字
吾々を乗せた舟が丁度金口鎭を通り掛かった時 上甲板の太い?木が折れて
船内にいる兵隊の顔え降りかかつて来た 思いがけない出来事に船内大騒ぎ
遂に死者一名 負傷者数名を出し(読めないから中略)
よろこびを乗せた舟にこんな椿事が起きるとわ一寸先わ闇とわ全く此の事であろを
という事件が手元の手記に漫画付きで描かれている。
なんてツイてないんだろうか…(´Д⊂
というかこの手記そろそろ博物館に納めようと思うんだが、風景画や簡単な漫画、詩などが描かれていて実に面白いんだ。
やっぱ治納める前にコピーとかとっといたほうがいいよな…
356 :
名無し三等兵:03/10/04 00:42 ID:ZvvcNG8v
私は >342に一票。
コヴァ系にも同調する部分はありますが、ここはそういうスレじゃない。
357 :
338:03/10/04 00:44 ID:???
上の
>>355は 338ね。
>>351 自分今高3だから、すごい微妙な時期にこられたものだ…
>>352 ありがとう、行ってきます。
ていうか皆さん板違いごめんなさい あとありがとう。
こうしてみると…知られにくい戦記としての駆逐艦「松」の話は秀逸だったな。
>>357 げ、なんか少年兵を見送った気分… (経験はないけど)
消防の頃の歴史の授業の話。
教師が「戦争中の思い出を聞いた事がある人は?」と挙手を求め、一人が手を上げた。
「ぼくのおじいちゃんの知り合いは、『突撃ィー!』と叫んで立ち上がった瞬間に飛行機に撃たれて死んだ
そうです。」
次の瞬間。
教室は教師を含めて大爆笑の渦に巻き込まれた。
みんなはきっとドリフのコントみたいなシーンでも思い浮かべたんだろう。
「丸」で米軍のブルドーザーでかき集められて穴に放り込まれる日本兵の死体の群れの写真を見た事が
あった俺だけは。
最後まで笑えなかった。
そんな奴らが書く「戦争はいけない事だと思います」みたいな作文は・・・・・・・
どうでもいい子供時代の思い出を
ここにつらつらと書き込む香具師がいることに泣けてくる
泣けるかどうか判らんが…。
陸軍が輸送艇を作った。
正式名称「陸軍潜航輸送艇」、秘匿名「○ゆ(まるゆ)」。
設計は陸軍技術士官、建造は機関車・ボイラー工場。
艦尾には旭日旗ならぬ日章旗が掲げられ、前部上甲板に唯一の武器、戦車砲改造型が搭載されていた。
台湾近くでは哨戒中の米潜水艦がマニラに向かう艇を発見し…
「ワレ船籍不明ノ潜水艦発見。南下中。」
「船尾ニ日の丸。シカモ浮上航行中。」
「日本海軍ニアラズ。当分監視ヲ続行スル。」
と、歯牙にも掛けられず、
マニラ湾では味方の海軍艦艇から…
「ナンジハ何者ナルヤ」
「帝国陸軍潜水艇ナリ」
「……。潜水可能ナルヤ?」
と嘲られた。
ちなみに、この時の艇長の返答は、手旗信号にて、「ヘントウノ要ヲ認メズ」と送っている。
自分のような30過ぎのオサーン連中なら経験があると思うんですが、
中学の地理の時間、大日本帝國によって北朝鮮は工業地帯とされ、
南朝鮮は農業地帯とされた。
日本の身勝手な行為によって作為的に作られた悲しい国である。
と、教科担任が発言した事に対して、
「一つの勢力内であれば、
大規模な工業地帯や農業地帯を作ったほうが効率がいいんじゃないの?」
などと、教員の思惑をぶち壊す発言をして、しまいには逆切れした教員が、
「それならお前が授業やって見ろ!」
などと発言し、その後自分が授業をやった。
そして定期テストで最低だった自分のクラスが、平均点がぶっちぎりのトップになった事を思い出す(核爆)
その教師に、
「あんたの存在価値は?」
などと訪ねたら、
「内申書覚えてろ!」
と、怒鳴られた事は、今となっては良い思いでだったりする。
って優香、同窓会の話題に必ずあがる。
↑くだらんことを自慢げに書くな池沼
>>363 (核爆)とか「って優香」とか馬鹿じゃないの?痛杉
サイパンに社員旅行に言ったことがあるが
バンザイクリフの観光では皆が景色を楽しんでいるようだった
でも自分は早々にバスに引き上げた
何も知らないってのはある意味幸せなんだなと痛感した
あすこは立ってるだけで涙が出てくる
内地に一番近いっていう、その一心で彼らは・・・
コピペに釣られるなよ…
>>341 議論は大いに結構!だがここは政治討論をする場ではない。
姑 娘 浴 場
それから間もなく、私たちの小隊は同じ間島地区のケイカンラーズに移駐することになった。
ケイカンラーズは大北溝よりさらに奥地で、新設の清郷工作地区だった。
住民は朝鮮人、満人を合わせて数百人の貧農たちで、規模は大北溝よりやや大きいぐらいであ
った。私の小隊は、ここでも小学校の開設から始めた。
先生は岡田三好一等兵、通訳の鄭君とその細君。校舎は兵舎の一画を使った。もちろん、学用
品など買い調える予算など、軍が支給するわけはない。私は大連や奉天、新京の満鉄関係者に義
捐の依頼状を出した。間もなく古い学用品、中古衣料品、玩具などが思いがけぬほど大量に送り
届けられた。送る方は満鉄社員、当方は独立守備隊なので運賃もただであった。
そこで、私は営庭、といっても集落中央の小さな広場に住民を集めて、男女別、年齢差に応じ
て、これらの義捐品を配給することにした。「頂好、頂好」「謝々」と、住民たちは大喜びだ。
満鉄社員家族にとっては不要の中古品も、ここでは極上の特級品である。何回か、こうした配給
を行っているうちに、住民たちは守備隊に対する警戒心を次第にほぐしていった。
兵隊学校の成果も、日一日とあがっていった。大北溝では遊戯を教えることができず、図們日
本人小学校まで三日がかりで出張、遊戯を習ってきた岡田一等兵の兵隊先生ぶりも、すっかり板
についてきた。
だが、私たちを悩ましたのは、子供たちの異臭であった。なにしろ、満州は日本よりかなり湿
度が低い。従って一般の民衆でもあまり入浴する習慣はない。ましてこのあたりの貧農たちにな
ると、生まれてこの方、ただの一度も入浴していないのである。
だいいち、この集落には浴場、浴室が無い。仕方がないので子供たちの異臭追放のため、大工
の心得のある兵隊に命じて、兵用浴槽の隣に児童用の浴槽を作らせた。
男の子は兵士たちが手とり足とりで入浴させたが、ひどくぬるま湯好きで、ちょっと熱いと尻
ごみしてしまう。女の子は鄭通訳の細君が、石鹸の使い方から教えて入浴させてやったが、生ま
れてはじめての入浴に、浴場はキャッキャッと大騒ぎである。
しばらくすると集落の若い細君や姑娘たちが、三々五々、手に手に燃料用の薪を持ってやって来
て、入浴させてくれと言うようになった。
内地の兵舎では想像もつかない珍風景である。まして満州を含め中国の家庭では、奥さんや娘
さんは一般によほど親しい来客でない限り、客の前には顔を見せない。それが、兵舎にもらい風
呂に来るようになったのである。
私はこの風景を見ながら、山一つ向こうのソビエト地区より、我々守備隊の方が善政をしいてい
るのだ、という自信を深めていった。
「陸軍へんこつ隊長物語/満州守備隊の姑娘浴場」 後藤四郎著/毎日新聞社より
>>370 こういう話こそ国語の教科書に載せるべきだと思う。
なんでこんないい話がたくさん残ってるんだ。戦争中のがいい人がイパーイじゃないか…
そしてなんでこういう話は全然教わらないんだ…
>>371 いい人ばかりでは無かった事も忘れてはならないと思うが?
>>372 それを言ったらいつの時代でも同じ事だろう
良い人間もいれば悪い人間もいる
>>371は貴殿の言うような類の人間による悪行ばかりをことさら強調するような
教育が行なわれている今日の状況を憂いての発言と思うが、どうだろうか
国語教育にまで思想がかったことを入れるなんて俺は逆にぞっとするな
ある特定の思想を埋め込むのが教育だからなぁ。。。
っていうかさ、純粋にいい話じゃん、思想だなんだでなく。
中学とか小学校の頃にこういう話を教科書で読んだとして、
これで思想がどうしたこうしたなんて考える奴はほとんどいないよ。
大体の人は昔いい話があったんだなくらいの感想文を書いておしまいだよ。
皆考えすぎだよ。いい話を聞いて純粋に感動する心をなくしちゃってる
ムリして入れるほどのことでもないと思うけどな。
「国語」の教科書としてふさわしいかどうかが要点であって。
>>378 なんだなんだ。どうしたんだ。そのスレは。
上二段すっとばしレス、スマソ。
国語としては無理じゃないかな。でも、私が小学生の頃は「道徳」という
授業科目があったものだよ…。子供心にも泣ける話もあってさ、
「アッツ桜と兵隊」だったかな?ウヨサヨのどっちだったかも、道徳か
国語かのどっちだったかも忘れたけどね、もう一度読んでみたい…。
歳が知れますね。
381 :
名無し三等兵:03/10/05 23:49 ID:UDiMyMWH
>>366 恋愛には涙しても、軍というだけでアレルギーを持つ人も多いから。
382 :
380:03/10/06 00:01 ID:???
あ、「姑娘浴場」については、何の思想が入っているのか分らん。
場所が戦場というだけで、良い話じゃないですか。民政じゃなく、
軍政というのが気にいらんとか、それを見ていた兵ののスケベ心を
許せんというなら別ですが…。
383 :
厨:03/10/06 00:08 ID:???
>>370 いい話だ。まあ教科書に載せるのには無理があるんだろうな。
「戦争」関係は避けるべきものだからなあ。今は。
>>376 が言っている事が一番いいと個人的には思うが。
イタリア軍の兵士が夜中に目を覚ますと小隊の隊長がどこかに行こうとした。
部下の兵士はどこに行くのかと訊ねた。
すると隊長はこう答える。
「俺は国のためには命をかけない。俺は奴隷じゃないからな」
荷物を整えながらその隊長は歯をキラリと光らせ、
「俺が命を賭けるときは惚れた女を守るときだけだ!アディオス!」
と、笑顔でさわやかに言うと戦線から離脱していった。
部下は引きとめた。
「隊長!待ってください!」
そして振り向いた隊長に部下はこう言った。
「俺も一緒に行きます!」
と。
かくして朝になり、他の隊員が目を覚ますと隊員の数は減っていた。
日が経つに連れ、一人減り、二人減り・・・・そして、イギリス兵と戦う前にその小隊は姿を消した・・・・
>>384 確かにある意味泣けてくる話ではあるな。
>>384 そういう時は黙って一人で行けっ!と思う漏れは…
>387
いや、隊長一応一人で行こうとしてるし。
B-29 42-28489号機の話。
3月17日の神戸大空襲で伊丹飛行場を発した陸軍飛行第56戦隊緒方淳一大尉操縦の
飛燕による体当たり(緒方大尉戦死)を受け、神戸市生田区再度山公園から大龍寺裏、
塩ヶ原池西側にかけて落下。
9名の遺体は抑留者によって埋葬され、機体残骸下から緒方大尉遺体と同機体も発見
された。
航法士Nelson少尉と通信士Augunas二等軍曹が再度山外国人抑留所にパラシュート降
下し、兵庫県警察部外事課に拘束された。
神戸憲兵分隊経由大阪憲兵隊司令部に送致。
中部軍管区司令部では、捕獲された二名を全国の先例として軍律会議に諮ることとし、
準備、7月18日大阪城内同司令部内で軍律会議を行った。
会議は「無差別爆撃を行い市民多数を殺傷した」として、軍罰(銃殺)を宣告、二人は即日、
泉南郡横山演習場(現和泉市)に連行され、斬首された。
戦後、本件の取り調べを受け自殺を図った中部憲兵隊付軍医吉田耕三医中尉は、病状
回復後、GHQ法務局の訊問に対し、Augunas二等軍曹の最後の言葉を陳述している。
「私はあなた方を恨まない。私が任務を実行したように、あなた方も任務で行うのだから。
ただ一つ言いたいことは、このいまわしい戦いは間もなく終り、そして永遠の平和がもたら
されるだろう」
執行直前二人は「see you again」、「good luck !」 と言いながら握手、刑に臨んだという。
泣ける話もいいけれど、良い話もいいですねぇ。
これって捕虜虐待だょ〜。
>>392 一応一般市民を攻撃した
B-29の乗組員は通達で軍法会議かけた後ほとんど死刑になってる
戦後問題になって全部現場のせいにして
(確か指令した人は「処置しろといっただけで殺せとは言っていない」とか言う詭弁で無罪)
うやむやにして終わり(現場は死刑になった人がかなりいる)
これだ
683 名前:名無し三等兵 投稿日:03/08/29 21:10 ID:VdrP0dfA
戦後GHQ横浜BC級裁判で捕獲搭乗員処刑の責任への追及が続けられた。
「適当に処置せよ」との私信を出した、外事課長は、処刑せよいう命令は出していないと言い逃げ切り、無罪。
その結果多くの現場の責任者が有罪となった。
東海軍司令官の岡田資(たすく)中将は、捕獲搭乗員38名の処刑の責任を問われ、1948.5、B級戦犯として、横浜の連合軍裁判所で絞首刑の判決を受けた。
翌1949.9.17の執行であった。
ほんとに最低な課長だな
現場に押し付けて自分は知らん振り
684 名前:名無し三等兵 投稿日:03/08/29 21:14 ID:???
>>683 私は貝になりたい&アンボンで何が裁かれたか
アッツ島血戦勇士顕彰国民歌を聞きながら…。記録を。
発:アッツ島守備隊 山崎大佐(緊急要請)
「歩兵一大隊半(中略)三八式普通実包10万発、99式実包50万発(中略)糧食(後略)」
(♪一兵の援、一弾の 補給を乞わず敵情を:嘘ですね)
発:北部軍司令官 樋口中将。
「中央統帥部の決定にて、本官の切望救援要請作戦は、現下の情勢では、実行不可能
との結論に達せり。本官の力及ばざること甚だ遺憾に絶えず。深く謝意を表する
ものなり」
発:アッツ
「戦する身、(中略)なお、爾後報告は戦況よりも、敵の及びこれが対策に重点を
置く。(中略)その期至らざれば、在島将兵全員喜んで一丸となりて、死地につき、
魂魄は永く祖国を守るものと信ず」
発:アッツ島訣別電
略’<有名ですので)
(♪他に策なきにはあらねども 武名はやわら穢すべき 傷病兵は自決して:これも…
他の策とは捕虜ですか…)
発:? 宛:故アッツ島守備隊
(参照)
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/shouwatennnou1.htm 事実に近づいてなお、当時の価値観と人の想いを思ってちょっと、切なくなります。
>395
読みにくくて何がなんだか
>>396 表示している横幅の問題なんだよねえ
変更してみたら??
(^^)
>>396 補足 396君のCRTの窓や解像度の変更の方ね。 ^^A
>>398 横幅よりもむやみに多い省略と、引用と注釈と感想が入り混じっているのが
396が読みにくいと感じる主な原因なのでは無いかと思われ。
漏れも読みにくかった。じっくり読めば判らんことは無いが。
1945年、○ゆ艇の艇長だった人の話。
潜航訓練中、適当な所で「ポカッ」と浮かんだまでは良かったが、何処をどう間違ったか、其処は呉軍港のど真ん中。
忽ち、監視艇に問答無用で拉致されて、取り調べを受けたり、艦載機に襲われ、危うく撃沈され掛けたりしたが…。
ある日、基地に帰還する途中、来島海峡に差し掛かった所で、前方から「山のような」ものがやって来るのに出逢い、
肝を潰している。
「山のようなもの」は、戦艦大和であった。
陸兵と言えども、呉でこの巨大艦のことは聞いていた。
其処で、手すき要員に「登舷礼用意!」を掛けている。
艦と艦がすれ違う際に交わす海の儀式で、何時かはやってみたいと思っていた。
この場合、相手に不足が無いどころか、お釣りが来るくらいの大物である。
いよいよその時、艇長は軍刀を引き抜き、甲板整列の要員に「頭ーっ、右!」。
一世一代の晴れ姿だった。
が、次の瞬間、あっと思っている。
大和甲板上にも総勢百人くらいの水兵たちが全員整列。同じように「頭右」しているでは
ないか。おまけに最大級の挨拶である喇叭吹奏付なのだ。
この時の戦艦大和は菊水一号作戦発動により、沖縄特攻に行く途中だったと言う。
折から、瀬戸内の島々は一面の桜吹雪であった。
上まあ何度読んでもいい話だ。
>402
そ、斬首。
その根拠は、1942年7月に陸軍省、参謀本部が敵搭乗員を非軍事目標への攻撃に加わった戦争犯罪者
として処罰することとした、「空襲軍律(案)」。
これを防衛総司令官、内地各軍司令官、外地総軍司令官に実施を命じ、1945年4月に防衛総司令部が
廃止され、第一総軍と第二総軍が編成されると、第一総軍は、第一総軍軍律と第一総軍軍律会議規定を
制定して、これに基づき無差別爆撃に加わった搭乗員に対し、非公開、非弁護、一審終結制の軍律会議
を開廷して審議する。
運用実態としては無実になることなど無く、即決で死刑を宣告し、斬首刑を行なうと言うものだった。
以後、米機の搭乗員が捕縛されるとこの様な形式での処刑が日常茶飯に行なわれるようになったが、
末期には、軍律法廷の開廷すら行なわなかった。
後者が、>394で触れられている岡田資中将のケース。
これも泣ける話なのだがね。
>>403 そ、そうだったのですか。ありがとうございました。
(´Д⊂ザ、ザンシュ……オーウ、ハラキリサムラーイ
まあ敵国の市街地を爆撃して撃墜されたらどうなるか・・・搭乗員も大体予想はつく罠。
>404
横レスで申し訳無いですけど、岡田中将の話なら大岡昇平氏が「ながい旅」
という小説にしているのでご一読あれ。
407 :
そもそも歴史は悲しいもの:03/10/14 02:47 ID:T9xNDZSk
393ないし683は他でもよくみる書きこだが、ビミョーに事実混同。
憲兵司令部の山村義雄外事課長が各憲兵司令官に出した私信は、
「他ニ便方ナカリセトセハ適当ナル処置ヲトルモ已ム得サルモノナラン」
命令でも、指示ですらもなく、個人的に思うことを各憲兵司令官(北部、
東北、東部、東海、中部、西部憲兵司令官)に個人的に出したお手紙とい
い逃げ切ったの。(ちなみに山村課長は大佐、各憲兵司令官は少将。山村
課長に命じて私信を出させた憲兵司令部憲兵司令官大城戸三治中将も無罪)
683>その結果多くの現場の責任者が有罪となった。
山村私信は横浜裁判では大阪憲兵隊事件でのみ取り上げられたもので、
(大阪憲兵隊では末端の憲兵はほぼ全員無罪)
東海軍司令官の岡田資(たすく)中将とは全く関りがない。
東海軍、西部軍による捕獲搭乗員の処刑は参謀本部第二部第六課(情報部
英米班)の大屋角造中佐、吉川正治少佐により起案された、今後(廿年五月
以降は)B29搭乗員は情報価値ある者のみ、米海軍搭乗員は全員参謀本部
に送致せよ、という主旨の「捕獲搭乗員の取り扱いに関する件通達」による
もの。こっちは参謀本部の責任を追及すると明治憲法の統帥に関る問題が生
まれるため、逃げ切った。
408 :
こっちも悲しい話:03/10/14 02:47 ID:T9xNDZSk
393>「処置しろといっただけで殺せとは言っていない」とか言う詭弁で
これは西部軍司令官横山勇中将と中部軍司令官内山英太郎中将の実話。
横山中将は巣鴨や横浜に向うバスの中で少尉、下士官からも「おまえのせい
だ」「ばかやろー」とボコボコにされていたと聞く。判決は九大事件と西部
軍事件で絞首刑ふたつ。二度死刑判決を受けたのは横浜では一人だけ。心臓
麻疲で巣鴨でベットから落ちて死んでいたことにされている。
一方、ノモンハンでは関東軍砲兵監としてブイブイいわせ、バロン西と芸者
を取り合ったことでも有名な男爵内山英太郎中将は、優秀な個人弁護人を金
にあかせてつけ、軍律会議事件、大阪憲兵隊事件のふたつ合せて重労働70
年と死刑を逃げ切った。有期としては巣鴨最長。以後、マージャン王として
巣鴨に君臨、部下からなけなしのタバコをまきあげていた。男爵のくせに取
りたてがきびしかったらしく、
「あの野郎だけは許せない」という声をいまだに聞く。
ついでに横浜BC級裁判でB29捕獲搭乗員処刑の責任を問われて絞首刑を
執行されたのは東海軍司令官岡田資中将、東京憲兵隊外事課内勤班長本川貞
憲中尉、第一四七師団歩兵第四二六聯隊第一大隊挺身中隊長満淵正明大尉の
三人のみ。(満淵大尉は「楽にしてやれとはいったが、命令ではない」「介
錯は武士道に基くもの」と主張。裁判中はまだ逃亡中だった部下が「斬らせ
てほしそうな訴えをしていた」と遺書に書いている)
>>407 「トマス・ベケット式解決法」
ですな。
ヘンリー2世
「あの邪魔ものを余の目に付かないところにやってしまえ!」
・・・・・
「こ、コロセなんて言ってないよ?」
外征した日本兵が最初に覚える言葉は
支那方面ではポコペン!
英語圏ではサービス!
・・・・・・本来ならば出征地の市民に言ってもらいたい言葉なのだが
>>410 北海道にはポコペンというゲームがある。(他はどうだか知らない)
北陸にもあります、ポコペン。缶蹴りの亜流ですが…。
因みに、のらくろで豚軍が「〜するのはポコペンな」と言っていたのを
思い出しました。
>>408 心臓麻疲で巣鴨でベットから落ちて死んでいたことにされている。
「されている」ってのはひょっとして「寝ているときに濡れタオル顔に被せら
れて朝には冷たくなっていた」っていうパターンか?
ガクガクブルブル・・・。
>>411 ぽーこぺーんぽーこぺーん、だーれつっついた?
>>414 そのとおり!缶を使わないでそこらへんのパイプとかを使う缶ケリみたいなゲームですな。
ぽーこぺんぽこぺんだれつっついた?は一体どう言う意味なのかと小1時間………。
あと関東に住んでた頃、鬼ごっこで捕まえた時は「タッチ」だったのに、
北海道に来た時「えった」と言われて物凄く驚いた覚えがある。
泣けないね。
>>414 ぽーこぺーんぽーこぺーん、だーれがさいごにつっついた
ぽーこぺーんっ
だったなうちでは
その隠れんぼ、つっついた最後の相手が鬼に当てられたら鬼に替わる
ルールかな。
とても懐かしく思うけれど、次の発言を促してもいいかな?
ポコペン!
ポコペン、ポコペン、ダレーガ、ツツイタ、ポコペン、ダレーガ
幸いに戦災を免れたAの家は残っていたが、二人の兄は戦い
に散り年老いた母だけが一人寂しく留守を守っていた。
「この食糧事情の下で、女一人では大変だったでしょう」と
慰めると、母は意外な話をした。
「実は戦争が終わって間もなく、若い女の人が訪ねてくれて、
『私は海軍の看護婦をしておりました。お宅の息子さんが海軍
病院に入院中お世話しておりましたので、よく存じ上げており
ます』と言って米や味噌などを持ってきてくれたんだよ。それ
から一年間、毎月定期的に食糧を届けてくれてね。ところが先
月来て言うには『間もなく息子さんが復員されます。誠に申し
訳ないことですが看護婦をしていたと言うのは嘘でした』とい
うんだよ。詳しく聞いたら逃げるように帰ってしまってね。全
く不思議な話だけどお蔭で私も女一人で飢えることもなかった
よ」
昭和十九年十月初旬、衛兵司令A中尉は衛兵伍長の運転する
サイドカーにうちまたがって、夜明け前の巡視のため基地の街
中をまわっていた。 通称「Pハウ」と呼ばれていた遊郭の一
隅に三人の下士官がたむろしていた。 「この非常時に何事ぞ」
誰何するほどもなくA中尉の鉄拳が彼らの顔面を見舞っていた。
それからおもむろに事情を質すと、彼らは飛行艇の搭乗員で、
その日の午後、フィリピンに向け出撃の予定だという。A中尉
も出撃を目前にしての彼らの心情と行動が理解できた。
「こんな所で、モタモタするな。カカレ」そう言い残してA
中尉はサイドカーを走らせた。同乗の衛兵伍長が「衛兵司令、」
味なことをやりましたね」とニヤリと笑った。
十一月中旬、A中尉にも出撃の命が下った。行く先は仏印の
カムラン湾である。送別の宴で不覚にも酔いつぶれたA中尉が、
目を覚ましたのは何とあの「Pハウ」の一室であった。気がつ
いてみると、その部屋には黒リボンに飾られた海軍下士官の写
真が祀られてあった。女の運んでくれた酔い醒めの水は冷たか
った。女は静かに言った。
「A中尉、この前は本当に有難うございました。この写真の
主も、心置きなく戦死することができたでしょう」
そして女は自分の身の上話を始めた。北九州のF市の出身で
あること、写真の下士官とは結婚の話まであったことなど…。
出撃を明日に控えたAも感傷的になっていた。自分もF市出
身で年老いた母が一人で家を守っていること。同じF市で伯父
が病院を経営していること…。そして、あの時以来、指揮所に
届けられていた柿や栗や芋などが彼女の密かなお礼の気持ちで
あったことも知った。
あれから三十数年、Aはいろいろ手を尽くして女の消息を探
してみたが杳として分らぬままである。毎年実りの秋が来るた
びに、Aはその女のことを思い浮かべるのである。
女の人はどうなったんだろうね・・・
ごんぎつねみたいだな
ばあちゃんから
セイシン(北朝鮮)に住んでいた頃、8月になって引き上げ命令が出て。
でも、そのころは○○(俺の叔母)の出産予定日だったのよ…。
おじいさん(祖母の夫の意)が戻ってこなかったから、一人で荷物を
持って、家具は2軒となりの朝鮮人のおばさんに全部あげる…って
伝えて出てきたのよ。
そして駅についたら、陣痛が始まって…
初めての出産で、内地引き上げの大混乱で、何をどうして良いのか
さっぱりわからない。
しょうがないので痛みをこらえて引き返して、もう夜だったけど
産婆さんの戸を叩いたの。朝鮮人の産婆さんで、いつも綺麗にお化粧
してた人よ…夜中にもかかわらず、出産を手伝ってくれたの。
翌日引き上げの列車に乗ろうとおもったけど、
「出産したばかりの時は、荷物をかかえて歩いたりしてはいけない。
母が後遺症を患っては子供も可哀想じゃない」
とたしなめられて…。
でも、鞄1つの私を見て、子供服を一式とサラシ布をいくつもくれた。
さらに2日後駅に行った時にはもう、切符も手に入らないのよ。
そしたら、その駅に居た巡査さん(日本人)と朝鮮人の人が…
どこでどうしたのか、次の列車と、それに続く引き揚げ船の切符を
持ってきてくれたの。そのおかげで、日本に帰ってこれた。
引き上げのお礼を言いたくても、巡査さんは日本に帰って来た足跡を
見つけられなかったし(調査した事あるらしい)、駅にいた朝鮮人の
若者は、名前もわからないし、生きていても国交が無いでしょう。
あなた(俺の事)は「韓国人は嫌い」と言ったけど、私は朝鮮人の
人に助けられて、日本に帰ってきた。困っている人がいたら、
朝鮮人でも助けてあげなさい。戦争の頃一つだけ良かったのは、
日本人も朝鮮人も仲が良かったし、医者も大工さんも漁師さんも
みんな平等だった。
426 :
名無し三等兵:03/10/24 08:47 ID:ATOB7zEW
age
>427
やっと天国でお逢いになれるんですなぁ、黙祷
>>424,425
泣けました。
そうだよなぁ・・・。
オイラのじいちゃんも満州で地元民に助けられました。
>>424-425 で助けてくれた人々は親日派として(ry
なんて事になってない事を切に祈る。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
437 :
名無し三等兵:03/10/24 22:55 ID:4mUDSCVA
また、キ〇ガイが荒してるな。。。
>439
うる覚えだけど、史料によって違うらしい。
年齢の数え方も違うのでは?
>>441 (バカにするつもりじゃなくて)
こういう有名人の出生年すら史資料によってまちまちという点が
19世紀後半−20世紀初頭に掛けての中国の民度を良く表してる、と思う。
あと、満年齢か数え年かの違いなら、104か105、105か106となることはあるけど、
104か105か106となることはないと思う。
出生年だけわかってて月日が曖昧だと、
誕生日前と見れば満104、
誕生日後と見れば満105、
数えならばどっちでも106、
となることはあると思う。
ご婦人の年齢を云々するのはいかがなものかと・・・。
_
_( @)___ >>444 中国にはそんな
/ 爪゚∀゚) /\ 文化慣習が無いから
/| ̄ ∪∪ ̄|\/ 没問題。
|さいたま .|/
>>424 セイシンですか。
そういえば私の祖母もセイシンにすんでいまして、
列車に乗り遅れて途方にくれてたら、
巡査さんの取り計らいで軍用列車に乗れたそうですが。
447 :
名無し三等兵:03/10/25 20:52 ID:6E9OayBm
ニュー速+でええはなし見つけた。
153 名前: 名無しさん@4周年 [sage] 投稿日: 03/10/25 20:44 ID:/dT6VTAp
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた
【政治】「拉致に冷たい党」 土井党首、大ピンチ!演説でも支持者数人・・社民危機★8
ttp://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1067077104/l50
>>447 ひょっとしてそれはギャグのつもりなのか?(AA略
>>447 スレ違いスマソだが。
土井の第一声は甲子園口駅前からかぁ。南口かな?北口かな?
北口なら、おそらくは土井が第一声を発したその正面に、
レンタルビデオ店があったと思うが、
そこって昔はアパートが建ってて
震災のときに崩壊して、小さな子供が生き埋めになって、
3日間身動きがとれないながらも生きていたけど
結局、救助が間に合わず、4日目だかになくなった場所なんだよな・・・。
考えてみると、社会党(当時)の村山首相は、
その子供が苦しんでるときに、官邸でのんきにテレビみてたんだよなぁ。
よくもまぁ、あそこで演説できるもんだなぁ。
>>450 伊丹です。管轄は中部。てゆーか、古いコピペですな。
地元的には燃料不足なネタなんで萎え。
被災地が親自衛隊に即転換するっつーのは、外から見た幻想でしょう。
現実には、爆音がうるさいとか言って、自衛隊の輸送ヘリ発着を拒否したり、
地主が宿営用地の提供を断ったりつー例もかなりあります。恥ずかしながら。
まー自衛隊の即日大規模派遣なんて非現実的なアレは置いといて、
「何かのときは自衛隊も一緒に仕事してもらわにゃ困る」って意識が
割と普及したのは確かです。地元の社会党(当時)議員ですらそうでしたし。
被災地だけに。
453 :
名無し三等兵:03/10/25 22:09 ID:HcMSnDcI
村山の糞爺が自衛隊を派遣できなかったのは、やっぱり
社会党の方針からなんだろうか
454 :
名無し三等兵:03/10/25 22:10 ID:HcMSnDcI
できなかった、っていうか故意に
しなかった、のか。
っていうか、あの時は誰がやっても似たような結果にしかならんのだが…
自分のクビ覚悟で法律無視システム無視の緊急行動を…なんて政治家、
日本に何人いるってのさ?
そんな人間を選出するシステムには、
日本の選挙は、悲しいけど、 なっていない。
>>451 それどころか、被災当時の緊急事態に独断で出動準備を整え、災害出動を申し出た自衛隊の指揮官に向かって、
「おまえらなんぞ呼んでない!」
と当時の県知事が追い返したと側聞しているが、あれは事実なのか?
非常事態において自衛隊を早急に出して被害拡大を防ぐ為の有事法制でもあったのだが
反対していた社民党には恐れ入る。
もまいら、
泣ける話ではあるが、社民党ネタはほどほどにな。
どちらかというと情けなくて泣ける話ではある
>456
「おまえらなんぞ呼んでない!」というやりとりがあったかどうかは知らないけれど、確か
震災発生後、地元の部隊や通勤途中の隊員から予想外の大災害が発生したことを把握
していた中方が、あんまりにも自治体の対応が遅いので、気を利かせて「災派の依頼をくれ」
という要請をしたところ「知事がいないのでわからない」とガチャ切りされた、というのは有名な
話だと思う。
その後、兵庫県庁では「そんな電話は受けてない」→「あくまで尋ねられただけ」→「知事が
いなかったので判断できなかった」と二転三転して醜態をさらしたわけだけれど。
(個人的には、あのあと兵庫県知事が再選されたり、兵庫県庁の職員が、まるで英雄の
ように扱われたのが信じらんないけど・・・兵庫県民ってバカ?)
その後の自治体と地元の部隊との災害時の出動要請や運用連携を改善させるきっかけに
なった事件ではあるんだけど、あんときゃほんとに政府からの災派出道命令も遅くて、気が
急いたよなぁ。
>>460 当時の新聞では、災害出動の要請あり次第出動できるように準備を整えた現場部隊の指揮官が
県庁を訪れ、「いつでも出れます」と知事に伺いをたてようとした所、
「何しに来た!自衛隊なぞ呼んでない!」
と怒鳴り散らして追い返す兵庫県知事の姿が報道されていたのを思い出します。
結局官の対応は地元は大混乱、中央は何もわかってないというしょーもない状態の中で右翼や
暴力団まで被災民救援の炊き出しを始めた姿が妙に印象的だったり。
ヒ86船団は?
>461
山口組は近隣の大規模災害のときにはしばしば救援活動やってますな。
彼らの「任侠団体」としての最後の一線といったところか…
>>460 >兵庫県民ってバカ?
兵庫県は阪神間だけじゃないんでつよ〜。被災してないとこの方が
よっぽど広いんでつよ。
ま、それはともかく。
震災半年後に西宮を離れた漏れにとっても、県知事の再選にはびっくりしたの確か。
周囲はみんな「これで県知事と市長は、次の選挙ダメやな」って言い合ってたからねぇ。
ま、震災復興事業関連で、巨大な利権が動いていたあたりに
ポイントがあったんじゃないんですかねぇ。
スレ違いスマソ。
>>463 これまたスレ違い板違いだが、山口組には災害対策本部なるものがあり、
日本間のテーブルにパソコンがズラリ並べられた本部の写真が週刊誌に掲載された事がある。
各地の組員からの情報により災害時の被災状況が手に取るようにわかり、救援隊や炊き出し
隊をスピーディーに派遣出来るという触れ込みだった。
>>464 私も祖父が西宮市に居住しており、当時の話を幾つか聞きましたが・・・・・
確か、市役所がこれ幸いとばかり半世紀近くも前の都市計画を掘り出して、
強引にそれを復興計画として推進しようとした、なんて噂がありました。
それによって、ようやく家屋や生活を再建した人々が強制立ち退きの憂き目に逢い、
かなり悲惨なことになったとか。
幸い祖父のマンションは修理可能な範囲で損傷が留まっていたので、
何とか生活を再建できましたが・・・・・。
震災当時尼崎市民だった。
…すまん、住民だったがあそこは大阪府だと思っていた。
荒れそうな話題で恐縮だけど、震災救援物資を積んで海上自衛隊艦艇が
神戸港に入港したら、「これは救援の名を借りた軍事演習だ云々」と言って
労組に入ってる港湾職員がサボタージュしたという噂は本当なんだろうか。
表向きは読売新聞記者が不正確な情報を元に書いてしまった誤報、と言う
ことになってるようだけど、朝日新聞や港湾労組が「このデマを流したのは
海上自衛隊幕僚監部広報室の可能性が高い」とか陰謀論めいたことを主
張しとるらしくて、却って噂の信憑性が高く思えてしまう。
震災とは関係のないうえに更にスレ違いの話だが、昔々ハローワークで自衛官の
募集を行うようにしようとしたところ、労組が「人殺しの募集は出来ない」とゴネて出
来なかったということもあった。
それで、建前上は民間労働者の職業紹介ではないから出来ないことにしてハロー
ワークでの自衛官募集は現在も出来ない状態。
これ、志ある人・団体が「職業選択の自由」で争えば少なくとも一審段階では(苦笑
勝つ可能性は相当高い。
誰かやってみる?
>>469 ひでえ勘違いだね。
やはり、役人は・・・と思ってしまう。
>470
勘違いじゃねーだろ。政治的状況を勘案した、やむを得ない措置だ。
文句があるなら言う相手は労組だろ?
労働者のためじゃなく、ソ連や中国のために運動する裏切り者団体。
とりあえず組合費カエセ、と。
うちの労組は自衛官を含む公務員の待遇改善を謳ってたりする
おまいらそろそろスレ違いに気づきませんか
475 :
名無し三等兵:03/11/01 11:00 ID:GqeQ+ca5
age
>>474 あれは、自分んちの抗争を隠すために大騒乱を起こした挙句に
それで市民から向けられるようになった不信の目をかわすためにやったこと…
477 :
昭和二十年四月国分基地で...:03/11/04 09:28 ID:6fZXzh7K
甲飛四期生(私が筑波空で受け持ったクラスである)の某准士官がいた。
彼は妻帯者であり、准士官にもなっているので、技量も優秀なのは当然で
ある。彼が特攻出撃の前夜私のところに来て、
「特攻攻撃とは爆撃命中率百パーセントであれ、という意味ではないので
すか。私は敵艦に完全に命中させる自信があります。その場合、生きて帰っ
てはいけないのでしょうか」と私に問いかけた。
私は返事に困った。
「いや、それはいけないのだ」
とは知っていながらも、彼を前にしては言えなかった
(中略)
翌朝、特攻隊は例の如く、出撃のため号令台の前に整列し宇垣長官のはな
むけの言葉をちょうだいした。
「前日は、小官所要のため特攻隊の見送りができなかった。本日お前たち
が行ったら、昨日出撃していった者たちによろしく伝えてくれ。みんなの
成功を祈る」
長官の言葉が終わったとき昨夜の准士官が、
「質問があります」
と言って手をあげた。長官は彼の方を見た。
「本日の攻撃において爆弾を百パーセント命中させる自信があります。
命中させた場合、生還してもよろしゅうございますか」
彼が言い終えるや否や、長官は即座に大声で答えられた。
「まかりならぬ」
の言であった。
「かかれ」
の号令があって彼は私のところに走り寄った。
「今聞いていただいたとおりです。あと二時間半の生命です。ではお先に」
と言い残して機上の人となった。
(空母零戦隊 岩井勉 文春文庫2001)
宇垣、それでもし勝っていたら大きい顏してたんやろうな。
>>478 所詮、彼等は武人ではなく、官僚ですからねぇ。
参謀本部 編成動員課
「二課(作戦課)との関係は言いたくないですね。私たちは兵力を作り上げる任務ですが、
二課に対しては出来ないとは言えないんですよ。何とかすると言って、三課(編成動員課)
で戦力の分析(兵力、資材を調達出来るか)をするのですが、難しい検討でした。
出てくる数字が、人も物もぎりぎりの数字です。
その中でやり繰りして何とか部隊を作ったんです。冷静な判断が出来なかった…」
陸軍省軍事課 資材担当者
「参謀本部の参謀とはしょっちゅう喧嘩ですよ、市ヶ谷の大本営の廊下で、つかみ合いもしました。
五個師団分しかできないのに、向こうは平気で十個師団要求してくる。とても要求は満たせません。
代わりのない者は代用品でやれ、ですよ。無理と判って多くの部隊を作りました。辛い仕事でした」
陸軍省兵備課 人員担当者
「あの戦争のことは思い出したくもないですね。やっちゃぁいけない馬鹿な戦をしたものです。参謀本部は
作戦要求の一点張り。人がいないと言っても、まだ予備役、後備役の人が沢山居るだろうと言ってくる。
このために兵役法も随分変えて、要求に応えましたが…。兵役法というのは国民の権利ですよ。そんな
ものを無視して、ただ軍隊を作れ、作れと…」
参謀本部 編成動員課課員
「あの戦争はよく油で負けたとか、船が足りなくて負けたとか言われるけれど、私らの立場で言うと人でも
負けたんですね。あんまりたくさんの部隊を作ったから、人も足りなくなったんです。
予備役、後備役の人が未だ沢山居るだろうと考える人もいましたが、戦力になる人は残っていなかった
んです。
最後には第二国民兵も召集しましたが、実際に集めてみると身長が低くて、銃剣が持てないんです。
銃は(身長の低い人の多い)国民兵の人の為には作ってないから、国民兵の人には大きすぎて操作も
できない。重い荷物を背負って行軍するのも大変です。軍服も倉庫から引っ張り出した、古いボロボロの
ものを着せましたがダブダブなんです。こういう兵隊では戦は出来ない。
また装備も十分に行き渡りませんでした。当時は飛行機の生産が最重要で、兵隊の持つ小銃も作れなく
なりました。よく『鉄砲も持たない兵隊を作ってどうするんだ』と言われました。それでも作戦の要求に従って、
部隊を作らなければいけないのです」
陸軍省兵備課 人員担当者
「戦争は負けたら、お仕舞いなんです。勝つまでやらなければいけない。負けたら何にもならない。
最初から兵隊の数などを決めてやるものではないのです。一旦戦い始めたら限度を超えても勝つまでやる
しかない。
それが戦争というものです」
0年ほど前、地元ラジオ局の終戦特番の監修を依頼された。
リスナーから募集した戦争体験に、匿名・匿住所の1通があった。
裏づけがとれず、作り話の可能性も捨てきれず、結局使わなかった。
昭和十九年初夏、負け戦が誰の目にも明らかとなったある野戦病院に、楽器だけは
ピカピカにしたビルマ方面軍軍楽隊が慰問にやってきた。いつイギリス軍の空襲が
あるか分からず、演目は病院側の要請で大幅にカットされることとなった。
通常、軍楽隊の慰問は「陸軍分列行進曲」「愛国行進曲」で始まることになっている。
しかし、その日は「勝ってくるぞと勇ましく」も、「父よあなたは強かった」も流れ
なかった。
プログラムは「年の初めのためしとて」で始まった。「青葉繁れる櫻井の」、「柱の
傷はおととしの」「さぎり消ゆるみなと江の」と次から次と唱歌が演奏されていった。
最後の曲は「村祭り」だった。数十人の傷病兵たちが泣きながら絶叫する声がビルマ
の空に響いたという。
「ドンドンヒャララ、ドンヒャララ、ドンドンヒャララ、ドンヒャララ」・・・・・
それ以来、ノーテンキなはずの「村祭り」を聞くたび、泣きたくなってくる。
どれだけ帰りたかったんだろうかと。
イラクでの岡本某の発言を聞いて思い出した。
>>481‐482
こういう話って、なんとも切なくなるなぁ。
われわれは、過去の教訓から学んでいるのだろうか・・・。
理想を放棄することにより人は老いる。
信念を持てば若くなり、疑念を持てば老いる。
自信を持てば若くなり、恐怖心を持てば老いる。
希望を持てば若くなり、絶望を持てば老いる。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
…今こんな感じの気分だ。
スレ違いスマソ
>483
「慰問 軍楽隊」で検索してみたら、それらしい話がありました。野戦病院
への慰問ではありませんが。
(検索にかかったページは、「東功」という方のご子息が、一周忌の時に身
内の方に配ったものを転載したということだそうです。)
その中の上野実朗という方の文章の中に、ビルマ方面軍軍楽隊の慰問の話
がありました。以下に一部転載。
> だんだんビルマの敗戦が近くなった時に、私はイラワジ川上流のミンジャ
>ン飛行場にいました。そこへラングーンのビルマ方面軍軍楽隊が慰問演奏に
>来ました。四年間でただ一度のことでした。私たちはそんな軍楽隊のあるこ
>となど忘れていました。
> 軍楽隊は軍歌も行進曲もしませんでした。そして民謡と小学唱歌「村祭」
>をしてくれました。ボロボロの軍服を着て、真黒に日焼けして、ヒゲぼうぼ
>うの兵隊たちは、ドンドンヒャララドンヒャララと手をたたき、涙を流し、
>大声で歌いました。まるでみんなは日本の生まれた村の鎮守の森に帰った子
>どものようでした。
「『母と生活』昭和六十三年6月号より」とのこと。
なお、東功氏はこのとき慰問演奏にきた、ビルマ派遣第二十八軍軍楽隊の隊員
だったということです。
靖国や渋谷を流しているうるさいだけの害宣車にもゼヒ「村祭り」や「ふるさと」
などをかけてもらいたいものです。(個人的には「ウサギのダンス」きぼー)
お礼に、モッと哀しい話を。
サンフランシスコ講和会議まであと八ヶ月。吉田茂総理大臣兼外務大臣は、難航して
いた日比賠償交渉で、非公式に賠償放棄を提案した。アメリカ軍による戦犯の管理を
ゆだねられていたフィリピン共和国キリノ大統領は直ちにセブ島事件独立歩兵第百七
十三大隊の戰争犯罪人14名の死刑執行書にサイン、一月十九、二十日二回に分けて銃
殺刑が執行された。
絶筆
(刑場へ輸送のトラックの中での走り書き)
いずれお前達も俺達の後から来るだらうが力を落すなよ。鉛筆が折れた。
あゝもうだめだ。
八時二十分 斎藤
山上一郎 殿
陸軍伍長 斎藤 助 昭和二六年一月二十日モンテンルパ、ニュービリビッド刑務所で刑死 三二歳
(世紀の遺書 巣鴨遺書編纂会 昭28)
大統領、それじゃ身代金を取り損ねて人質を頃す山賊と一緒だよ・・・・・・。
何度も言うがフィリピンは国民も大統領も糞しかいない
マルコスなんか、経歴からしてぁゃιぃこと極まりないしな。
496 :
名無し三等兵:03/11/18 20:33 ID:t3KjeDqx
497 :
名無し三等兵:03/11/18 20:51 ID:t3KjeDqx
幕末の日本、幕府は軍事教練のため、海外から多数の外国人を招いた。
しかし時流は新政府軍にあり、幕府に雇われた外国人の大半は帰国の途に着く。
ところが本国からの引き上げ命令に反し、榎本率いる幕軍と行動を共にした人たちがいた。
フランス人のブリューネ大尉とカズヌーブ伍長である。
むろん幕軍には外国人と共に戦うことを好ましく思わない者もいた。そんな彼らに
ブリューネ大尉はこう言った。
「あなた上野で負けましたが、弱くありません。これから私、蝦夷行きます。わらびの根、食べます。
開陽、大変良い船です。負けません。来年3月、(ここに)帰ります。その時、あなた、上野、花見ます。
楽しみますか。酒呑みますか。喜びますか。私、思いません。あなた、泣きます」
これを聞いた面々は、感激に言葉を詰まらせたという。
……漏れは「ラスト・サムライ」はブリューネ大尉をモデルにすべきだったと思ってるんだがなあ。
499 :
名無し三等兵:03/11/22 19:42 ID:vFDt46cu
佐久間艇長の潜水艇は事件後、海軍の手で引き上げられた。
イタリア、イギリスで同種の事故の際、ハッチ付近で累々と横たわる断末魔の
凄まじさを仄聞していた海軍は死者の名誉を傷つけることを恐れ、引き上げた
潜水艇に家族をも近づけず、潜水隊司令ほか3名のみが実況見分を行った。
そして艇内を検視した潜水隊司令は艇内の秩序整然たるさまと乗組員が
それぞれの持ち場を離れず生けるが如く瞑目している状況を確認し、
監察指揮官に「よろしい!」とひと言叫ぶなりその場に崩れ落ちて号泣したという。
ちなみに佐久間大尉の六号艇は引き上げ後、佐久間神社として潜水学校の構内にまつられていたが
終戦のどさくさで行方不明になった。鉄屑にされたのでは?という話だ。
指揮官が崩れなかったから、部下も最後まで士気を保ったのだろうな。
それにしても、恐るべき意志力ではある。
●米 田んぼで作るも、一年に一回5粒程度が限度。
●バナナ 主食として口にする。年中食べる。
●甘藷 こちらも主食。畑で栽培。
●タピオカ芋(島民の常食) 頭痛、頭重
●タロイモ 沢山食べると口がしびれる
●マンゴー 落ちた実を食べると赤痢
●鼠 捕って焼くとホットドッグのように焼け上がり上等な焼き肉となった。
トラック島の鼠は上陸後15日くらいで全滅。
●トカゲ 便所のハエを食べに来るのを一発で捕らえる。鼠と同様。
●鰻、海老、蟹 最高に美味であったが、鰻、海老は川にいるので2、3日で全滅。
蟹は最後まで食べた。
●カタツムリ 一つ、二つは美味。四つ、五つは異常有り。
次に飯ごう一杯食べた。ところが腹が痛い、金玉痺れると言うので食用中止。
●海亀 余り美味しくない。
1943〜45年のトラック島での生活。
富山から送り出されたの兵士2000名中、300名が戦病死。
503 :
名無し三等兵:03/11/22 22:40 ID:6mQLZgPR
ラバウルではカエルを食べたが脚だけなら大丈夫だが、頭や内臓を食べると
食中毒が出た。そのためカエル食禁止令が出た。
>>503 川魚と一緒だね。
日本でも雑食の川魚のワタは食べてはいけないです。
一部のエサになる蛾が毒をもっているからだそうです。
悪食と言われるイワナとか、コイとかかな?
有毒な蛾というとドクガ・マイマイガとか?あとジャコウアゲハとかも
たしかに摂取したらヤバそうだ。
と言うか、川魚でワタが食べられるのはアユだけです。
他はすべてダメなはず。
サンマもうまいぞ
鮎はコケばっかり食ってるから大丈夫なんだっけ?
でも虫も食ってなかった?
>>507 鮎は苔しか食べないのでワタを食べても大丈夫
>>507 川虫を食う時期もあるけど、友釣りをする時期は岩についた藻を
食べとります。よってOKなのでしょう。
510 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :03/11/23 21:00 ID:qx4TBsuL
>499
一億人の昭和史別冊第2巻に遺書の全文が掲載されてます(原文の写真が)。
機会があったら一度ご覧ください。
>>507 お前の世界のサンマは川を泳いでいるのか。
良い川だな。
512 :
名無し三等兵:03/11/23 21:18 ID:E4krjU+v
サンマは胃と腸が真直ぐに伸びていて、食べたプランクトンを速やかに
消化して残滓は速やかに排出するので漁獲されたとたんに胃腸の中身は
空になりますのでサンマの内臓は食べても大丈夫です。
サンマのワタか。
前に開けてみたら消化器に赤虫のようにも見える謎物件が入ってたことがあって・・・
まあ、洩れは避けるようにしてるけど奈。
514 :
名無し三等兵:03/11/23 21:33 ID:E4krjU+v
アニサキシスはあるかもしらんからナマは危ないかも>サンマ
「さあここで釣り師サイドから「俺はリアル中学生、文句ある?」発言が飛び出してきました」
「直球勝負に出ましたね。明日学校で云々、など基本は抑えておりますがこれからの時間帯でボケ切れるかが勝負の分かれ目です。
釣り師として最も実力が試されるときです。奮闘が期待されます。」
うちの裏には目黒川が流れてるけど、毎年秋になると
サンマがたくさんのぼってくるよ。
泣けねえよ
糞スレ認定キタ━━━━(°Д°)━━━━!!!!
軍事板屈指の良スレだったこのスレも、
とうとう糞スレと化したか・・・。・゚・(ノ∀`)・゚・。
まあ、話の種を探しつつマターリと風向きが変わるのを待とうじゃないか。
朝日新聞昭和二十二年八月七日
追悼と平和への祈り
昨朝廣島市で「平和祭」
[廣島発]六日午前八時十五分平和への第一弾が廣島の上空五百メートルで破裂して丸二年
廣島市はその日を平和へのスタートとして午前八時から爆心地に建てられた平和搭で平和
式を挙行した(後略)
平和への第一弾・・・・・
昭和22年じゃ、しょーがないと思うが…
確かに原爆に関する記事をGHQが検閲してた時代とはいえ、ここまで肯定的に
書く必要があったのか疑問だなぁ。
それ以外の書き方をしたらどうなるか…
当時の日本が米軍占領下だったことを忘れてないか?
たとえば今のイラクで全国紙が
小児癌患者の急増をアメリカの劣化ウラン弾と結びつけて報道して、
それを見のがしてもらえるとでも思う?
>>527 とは言え、劣化ウラン弾は平和の第一弾、なんて記事が掲載されるとは思えんが?
>>528 それを同列に扱うのは無理があるよ。
昭和20年初期に原爆がどのようなものであるのかの知識は
一般には浸透してなかったんだから、どうとでも言える。
それに引き替え劣化ウラン弾の有害性は、イラク戦争前から
周知の事実。
滑走路の反対側では巨大なカブト虫に似た一台の中型戦車が日本軍のトーチカに向かって
進んで行き、五十フィート足らずの近距離から75ミリ砲弾を撃ちまくってこれを爆碎し
始めている。
すると一人の日本兵がトーチカの中から躍り出してきた。彼は白いふんどしのほかは真っ
裸だ。やにわに戦車のキャタピラの下に体を投げ出す。この日本兵の手にした手榴弾がさ
く裂して小さい爆発を起す。しかし、彼の自殺攻撃は武士の本望をとげる望み以外には彼
に何も利益を得させなかった。その手榴弾は戦車のキャタピラを爆破することさえできな
いのだ。
(ロバート・シャーロッド タラワ 光文社)
昭和18年11月25日在タラワ海軍第三特別根拠地隊本隊4700名玉砕。
捕虜146名(うち132名は徴用朝鮮人)
531 :
名無し三等兵:03/11/29 00:56 ID:frvYeS/T
そういえば、落下傘降下で、悲壮な最期を目撃したこともあった。
B29迎撃に向かったわが軍の戦闘機が2機、武運つたなく撃墜され、搭乗員がパラシュートで脱出したが、パラシュートがもつれて開かないのだ。
「開けッ、開けッ」と祈りながらぼくたちが見守るなかを必死にもがきながら落下してきたその搭乗員が、二〇〇メートルの高さで、いまはこれまでと覚悟したのか、
斜めの姿勢のまま不動の姿勢をとり、挙手の敬礼をし、そのままイラカの波の彼方の、三鷹の中島飛行機工場の屋根の向こうに消えた。
見守っていたぼくたちの頬を涙がつたう。今も目に焼きついて離れない、立派な男の死にざまだった。
あとでわかったが、この搭乗員は陸軍戦闘機隊の佐藤芳雄軍曹だった。
佐々淳行「戦時少年」
泣けるね・・・。
この前の、入間でのt-33の不時着事故を思い出したよ・・・・・。
こんな平和な時代に、貴重なベテランパイロットが事故死しなければいけないとはね・・・・。
民間人を守るために敢えて危険を冒した二人の航空自衛官へ黙祷。
>533
現代の世にそういう高潔な精神をもった侍がおり、今日本の空を守ってくれていることに
同じ日本人として誇りに思います。
>>534 まぁ昔も今も、少ないからこそ侍なんだがな…
漏れみたいな馬鹿が多すぎw
>>533 一部の人からすごく叩かれてて激しく憤りを覚えた事件だったな。
あれは立派だったな。
遺族の方は悲しむだろうが、あの方たちがああしなかったら
何十人という人たちを巻き込んだだろうからね。
本当に立派だと言える。
普段自衛隊を叩いている奴等は自衛隊員が死ぬ事に喜びを感じるようだ。
非常に情けない国だと思う。
平和教育のおかげでしょうw
>>539 人の死を喜ぶ平和教育…か。
皮肉だねぇ。
>540
大の虫を生かすために小の虫を殺す、ということに、
なんの疑問も覚えない方々ですからね、連中。
>大の虫を生かすために小の虫を殺す、ということに
言葉の使い方間違ってないか・・・。
>542
「大の虫」の定義が彼らはかなり歪んでる、そのことをお忘れでないか。
彼らの考える「大の虫」とは、いわゆる「絶対平和」国家の建設。
そのためなら「小の虫」、すなわち一自衛官の生命や自分以外の国民の命など
どうなってもいい、と彼らは思っているのですよ。
何年か前になるが、夏にNHKだかが特攻隊の特集をやっていた。
その中で紹介されていたエピソードで、出撃前夜の特攻隊員が
普段からとてもお世話になっていた基地の近くの食堂のおばさんに
「僕は明日、特攻で死にます。オバチャンには最後まで本当にお世話になったので、
死んだら蛍に生まれ変わってきっとお礼を言いに来ます」
といった内容の手紙を置いていったというのがあった。
で、その翌日だか翌々日だかの夜、少し開いていたお店の入り口から一匹の蛍が入ってきて
暫くの間店内を飛んでいたそうだ。
数年前の番組な上に録画も残していないので、話が若干違ったかも知れないが、
大体こんな感じだったという事でご容赦願いたい。
いやぁ、これ見た時は号泣してしまったよ。嗚咽じゃない、本当に号泣だった。
(´ー`)。○(仮に蛍に生まれ変わったとしてもオバチャンの所に来る事が出来るのは今日明日じゃないでしょ、なんて言えないよなぁ・・・)
スマソ。
我ながら嫌みな連中だな・・・リアリストという人種は。
それはリアリストじゃなくて空気読めないって言うんですよ
547 :
名無し三等兵:03/12/01 20:29 ID:8I3lKiS+
1945の話ですが、わたすのおじーさんは特攻に逝くことがきまてたそうですが
2日後に終戦になったそうな。
('_')逝カナクテイカッダナァ
>>544 何年か前に、ホタルという映画になりますたよ
>>548 映画化されていたのですか!それは知りませんでした。
今度探してみようと思います。
550 :
名無し三等兵:03/12/02 01:01 ID:LDRmqLUe
人が死なないと魂に感じないのかこの国は?
1945?・2003??何の関係がある???
イラクに向かって敬礼!
これ以上「泣かなくてはいけない話」を作らないためにも、
自衛隊にイラク派遣反対。
涼月は途中で沈んだのであろう。沖縄決戦で失われたのは、大和、矢矧、磯風、浜風、霞、朝霜の6隻に、涼月を加えて七隻となる。そう考えていたとき、午後2時20分、涼月は後ろ向きのまま9ノットのスピードで、佐世保に帰って来た。
(中略)船体はかろうじてバランスを保っていた。いや、どこからかしみこんでくる海水で、状態は少しずつ悪化していた。それは賭けでもあった。
佐世保まで約290キロ。このまま艦を沈めては戦死した57人の英霊と、
泳ぐことのできない34人の負傷者に申しわけない。
また、戦闘中に沈まなかった涼月を、我々の努力が足りなかったために
沈めては申しわけない。
よしやろう。駆逐艦乗りだ。負けるものか。
涼月の乗組員達はそろそろと後進をかけた。めいめいがコマネズミのように働いた。
「フネを沈めるな」を合言葉にがんばった。
ふたたび見ることはあるまいと覚悟を固めていた故郷の春の緑が、涼月の乗員達の目にしみた。しかし、彼らにはそれを見つめる余裕はなかった。ブイにつなごうとしたとき、急に船脚が低くなり始めたのに気づいた。艦が沈みかかっている。
一分一秒が貴重だった。ドッグに入るやいなや、涼月は、ズズズズとドッグの底に座り込んだ。
「感動しました。我々も頑張ったが、フネも頑張ってくれたんです。フネも生きているんです。我々の仲間なんです。やったなあ、涼月。すごかったぞ。」鴫之沢砲術長が、目を潤ませてそういった。
砲術長はそのあと艦内を調べていたとき、一番砲の弾薬通路の左舷側、
水線下にある一部屋に、下士官、兵長、兵の三人が倒れているのを発見した。
見るとその部屋は丸太で隔壁を支え、カスガイを打ち、完全に海水を塞ぎ止め
てあった。
砲術長は電気でうたれたように、その三人の遺体に向かって頭を下げた。
涼月は前に10度傾いていた。
それ以上前部が沈下すれば沈没は免れなかった。
この三人は、最期までこの部屋の空間を守って、浮力がそれ以上減るのを
身をもって防いでくれていたのだ。人も艦も、一体だった。
涼月がそれを、証拠だてた。
吉田俊雄著「壮烈!水雷戦隊より」
>551
私は逆だと思う。
なんで自分の国の人間が死んだのに、アメリカに尋ねないと詳細がわからないの?
なんで民間人が現に危険にさらされてるのに、自分の国の力で守ってやれないの?
それ以上になんで民間人「しか」、危険にさらさないの?
557 :
名無し三等兵:03/12/02 03:55 ID:LDRmqLUe
戦後の方向を誤った悲劇とも言える。
国民性?・天皇セイ?反吐がでるぜ!!
死んだ2名の前で思え・誓え!日本は国民主権である限り
イラクだろーとドコだろーと死んだ国民の責任は、派遣を
を指示した「「責任」」は国民主権である。
>552-555
こういう話を、真剣に読んで理解しているのであれば、口が裂けても「省力化」なんて
バカな話は出てこないはずなんだけどね・・・。
戦場が危険なのは当たり前。
人が死ぬのが当たり前なのが戦争。
>>558 あんたが言いたい事はよく分かる。
命賭けて国を護ろうとする方々には申し訳ないよな。
だが、その葛藤は皆が抱くもの。何かを得ようとする為には何かを失うってやつだ。
バカな話などと簡単に切り捨てるのも…と思うが、どうか。
>>560 uminimajiresukakowarui
http://awn.ath.cx/cgi/bbs2/light.cgi [3437] 無題 投稿者:赤い山女魚
> 犠牲になった運転手はかわいそうだと思うし、井ノ上という人はイラク
> 戦争に批判的だったとの話もあるらしい。
> しかし、奥という人物に関しては、形式的に日本政府を構成するにとど
> まらず、外務省のHPを読むと、日本政府の立場=イラク攻撃支持そのもの
> であると思われる。
>
> 「大量破壊兵器・アルカイダとの結びつき」という、ブッシュ自身の
> 言っていた戦争「正当化」の論拠すら失われたこの戦争、膨大なイラク
> 民衆を殺害したこの戦争を支持していた張本人が、イラクにいて何者か
> に銃殺された。
>
> 私には、奥の死亡を悼む理由はない。
>562
ひでぇ話だ・・・
かつて大東亜戦争中、敵国元首ルーズベルトの死に
立場を超えて哀悼の意を表した日本人の美徳はどこに行った?
百歩譲って赤い山女魚とやらの主張を認めてもよい。
だがなぜそれを口に出すのだ?
平地に乱を起こすだけではないか?
要約すると「忌むべき異教徒が死んだ。それがどうした。異教徒は死んで当然!」なわけね。
なにを信じるか、何を考えるかは個人の責任において権利であり自由である。
しかしまあ、人間として品性までも信仰に売り渡したくないものだが。
まあ、見知らぬ人には違いないから、おれだって、奥氏の死を悼む理由はないわな。
しかし、それを積極的に口に出すという神経は、やはり
>>565の言う通りなんだろうな。
仮定がいつのまにか真実になる、Aというものの極端な場合を否定することにより
A全体を否定する、その逆にBというものを肯定することによりBの極端な場合を肯
定する、恣意的なレッテルはりで「我々」と「彼ら」を峻別する、「反対のための反対」
が第二の天性になってる連中の書く文章の要素がぎっしり詰まったような文だな。
十ウン年前に大学で民青なんかが配ってた文と十年一日で笑えて来さえする。
あ、ちなみにこの手の掲示板でIP抜かれることもあるらしいので(ちょっと前にも海
保?の職員が昼休みに職場からこの種の掲示板に反対意見を書きこんだことを
事大した、って事件があった)よいこのみんなは煽りに負けて安易に書きこむなよ!
>>567 いってる本人がレッテル貼りに終始してんじゃ、目糞鼻糞の類だな。
それにIP抜くって何よ?
赤い山女魚タンって、こういう文章書く人だったけ?
なんか騙りが出没してるヨカーン
つーか、赤い山女魚タンとかその仲間達とかって何様のつもりなの?
こういう人たちって韓国に対してはほとんど批判しないよなw
韓国軍は犬の薬をイラク人に与えたんだがな。
>>568 IPも知らんで、ネットは、やるな。危ないぞ。
お前さんみたいなのは2chでIP抜かれちゃうぞ!
それを防ぐには、
名前欄に「fusianasan」といれるだけです。
>570
ベトナムでの韓国兵の乱暴狼藉も、彼らによると国が分断され生きるため米帝の尖兵に
ならざるを得なくなるきっかけを作った日帝が悪いらしいですから。
関係ないけど、IP抜くって話、今日のインターネットウィークの
講演だと、「IPアドレスは個人を特定することが可能な情報だ
から個人情報保護法案で保護されるべき情報」てな話があっ
た。
IP抜いて晒す、てのはその人の同意なきゃやっちゃいけない
わけで。
>>562 なんだ、イラク人民がいくら死んでも我々は悼む必要ないってことじゃん。
なんで戦争に反対なんだこいつら?
>>571 馬鹿な奴だな。
IP抜くってのは、どういう事だ?って質問してるんだよ。
ちなみに、たいがいの掲示板スクリプトは、書き込みのIPを記録してるんだよ。
それが、IP抜きか?
馬鹿じゃねーの?
まぁ、目糞鼻糞の類だから、しかたないな。
というか、その本人に直接かみつけづに、ここでオナニーか?
愛国者気取りの、へたれだな。
>>575 名前欄に「fusianasan」といれてみるといい。
出自は失念(多分「一億人の昭和史」)しましたが、韓国人の元慰安婦の体験談より。
サイパン戦末期、現地の住民は軍と行動を共にしており、その中には
日本人と朝鮮人の慰安婦の一団も含まれていた。
慰安婦は軍の命令で武装し、洞窟の中に隠れて最期の時を待っていた。
もはやこれまで…と玉砕する覚悟を決めていたが、日本人の慰安婦達が
「あんた達まで無駄に死ぬ事はないよ。代わりになるから隠れてなさい」
と身代わりとなって防戦し、全員戦死した…。
581 :
コピペ:03/12/06 16:24 ID:???
泣けると言うかちょっと良い話
【海上自衛隊】「きりしま」応援オフ【勇躍出航】
http://off.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1039314666/ より
901 名前:GONG00 メェル:sage 投稿日:03/01/03 21:51 ID:qGqfmcRJ
本日、呉の護衛艦「さみだれ」、補給艦「とわだ」無事帰還しました。
そして信号旗の「UW3」(お帰りなさい)を掲揚してのお出迎えを実施してきました。
返答はもちろんありまして、発光信号による「anthr」(了解したの意)と、マイクにより
「右舷、陸より旗りゅう信号『UW3』を掲揚している者がいる。総員帽振れ!!」
「お出迎え、ありがとうございます!!」とのお言葉まで頂きました。(^_^)v
その後、2隻は一端呉港沖に停泊。13:00予定で接岸しましたが、地元反戦平和団体が、帰港阻止
運動を展開。近くにいた一般人は呆れた表情で眺めてました。
ひとまず、「きりしま」を含めた現在インド洋に展開している艦隊とPKOで活動している無事任務完遂と
帰還を祈るものであります。
582 :
531:03/12/06 16:31 ID:Dc/iaRJ4
>>533 同じような話が他にもありました。それと本の題名が正確ではありませんでした。
厚木の海軍夜間戦闘機隊「月光」部隊の英雄、遠藤幸雄海軍大尉が戦死した。1月十
四日B29迎激戦に舞い上がった遠藤大尉は遠州灘上空でB29一機を撃墜、一機を撃破した
が被弾炎上し、同乗の西尾治少尉をパラシュートで脱出させ、自らは燃える「月光」を
民家の上に落ちないよう山間部まで操縦し落下傘降下したが、落下傘に火が燃え移り、
そのまま落下、壮絶な戦死を遂げた。ぼくらを護ってくれていたB29十九機撃墜の国民
的英雄だった。この撃墜王の戦死を悼んで、ぼくは1月十六日の戦時日記にこう誌して
いる。
「……前略……家で、遠藤海軍大佐(B29撃墜王)が未帰還との父よりのニュースにガ
ッカリした。帰るを祈る」
戦時少年 佐々淳行 父と母と伊藤先生 佐々淳行 文春文庫
583 :
531:03/12/06 17:03 ID:Dc/iaRJ4
ついでにカキコ
連合軍が恐れた五人の提督 佐藤和正 より
創造と先見の人 小沢治三郎
……前略……だが浮沈戦艦とうたわれた「プリンス・オブ・ウェルズ」も、刻一刻、傾斜を深めていった。
駆逐艦「エキスプレス」が右舷後部に横付けして生存者を収容しはじめた。沈没は時間の
問題だった。幕僚の一人がフィリップス提督に、
「提督、どうか退艦して下さい」
と懇願したが、提督はただ一言、
「ノーサンキュー」
と言い放って退艦しようとはしなかった。
午後二時五十分、最後の時がきた。突然、大音響とともに艦内の弾火薬庫が爆発、同時に
グラリと横転すると艦尾から急速に沈んでいったのである。フィリップス提督と、リーチ艦
長が艦と運命をともにしたのだった。
中略
馬来部隊の将兵たちは、この大戦果に酔いしれていた。小沢部隊の軍医長、野村守大佐が
旗艦「鳥海」の長官休憩室に小沢を訪ねて祝意を述べた。ところが小沢は沈痛な表情をして
目に涙さえ浮かべていた。そして呟くように言うのである。
「俺もいつかは、フィリップス長官と同じ運命をたどらねばなるまい。」
小沢の、敵将の末路をいたむ心情にふれた大佐は、胸をうたれ、襟を正して引き下がった
のである。
>>583 カルタゴを滅ぼしたローマの小スキピオに通ずるものがありますね。
585 :
名無し三等兵:03/12/06 17:58 ID:mmycZ1W0
>>531 シンガポール占領後、小沢提督を迎えて閲兵式を行ったとき山下将軍は
捕虜代表者のパーシバル将軍も整列させていた。
小沢提督はパーシバル将軍の前に立ち止まると、丁寧な敬礼をしてから云った。
「将軍は国家に対する義務を十分にはたされました。今後はゆっくり休養を
されてください。」
パーシバル将軍は涙をこらえながら小さく「サ、サンキュー」とだけ答えた。
軍人の自己満足ばかりで泣ける話はないなあ
釣れますか?
588 :
:03/12/06 18:40 ID:???
航空攻撃によって限界まで傾斜した軍艦から最後まで高角砲を打ち上げた話はどこの船でしたか?
PoWかハーミス?
590 :
名無し三等兵:03/12/06 20:01 ID:NRTJrxDi
吉田 満 著 「戦艦大和ノ最期」より
忽忙ノ間、第五波、前方ヨリ急襲 百機以上
時に「矢矧」、本艦前方三千米ニ停止シ、
「磯風」ヲ横附ケセントシツツアリ
(中略)
「矢矧」魚雷数本ノ巣ト化シ、タダ薄黒キ飛沫トナッテ四散
「磯風」モ停止、黒煙ヲ吐キツツアリ
辛ウジテ轟沈ヲ免レタルモ、爆弾数発命中セルカ
右ニ「冬月」、左ニ「雪風」、ソノ身ニ数倍スル水柱ノ幕帯ヲ
突破疾走シツツ、「大和」宛発信シキタル
−「ワレ異常ナシ」
屈強ニ艦、ソノ名ヲ賭シテノ力闘ナリ
591 :
名無し三等兵:03/12/06 22:39 ID:q56e5Pl2
昭和十八年の五月のこと。北太平洋のアリューシャン列島に
アッツという島があるが、その島にアメリカの軍隊一万一千が上陸した。
守る日本兵は僅かに二千六百。五月十二日に戦が始まり、激戦の末、遂に五月二十九日、軍は玉砕する。
その最後の時、守備隊の山崎部隊長から大本営あてに電報が入った。
それにはこの電報を発信したあと、暗号書は焼却し、すべての無線機も破壊して、最後の夜襲攻撃に
移るという内容だった。
その時の参謀総長は杉山大将。翌三十日参内して昭和天皇に報告した。
その時のことを杉山は次のように語る。
「陛下は静かに奏上をお聞きになり、何も御下問はなかつた。アッツ島部隊の
将兵を追悼されてゐる様に拝した」
しばらく沈思瞑目した後、昭和天皇は杉山にぽつりと
「部隊の将兵は最後までよくやってくれた。この事を伝えよ」
いぶかしんだ杉山は「畏れながら、只今奏上いたしました如く、無線機は既に
破壊してしまつてをりますので、お伝へすることはできません」と答えた。
それに対し、昭和天皇は
「構わぬ。それでも構わぬからとにかく彼らに電報を出してやってくれないか」
と杉山に告げた。
杉山は一礼して無言のまま引き下がり、控えの間に至ってから袖で顔を覆って号泣したという。
『文芸春秋』特別号「大いなる昭和」より
592 :
名無し三等兵:03/12/06 22:41 ID:q56e5Pl2
アンガウル島守備の日本軍、指揮官後藤少佐以下約1200名。
昭和19年9月17日、米軍約21,000名が上陸。
10月19日、玉砕。米軍側損害約2500名。
日本軍と行動を共にしていた現地島民の証言。
「・・・・・後藤少佐は午前二時に最後の突撃をと命令。私達島民も
参加するといったら、砲兵隊の松沢中尉が
『皆さんは日本人でもないのによく協力してくれました。
私達軍人は日本のために死ななければなりませんが、みなさんはその必要は
ありませんので 投降して米軍の保護を受けなさい。これは命令です』
と説得されましたので、涙ながらに皆さんを見送った・・・・・・」
アンガウル守備隊の親部隊、第十四師団十五連隊と五十九連隊の主力は、昭和21年2月
パラオ本島から復員した。江口連隊長は入港に際し、全員に軍装・階級章を着用させ、
「師団は米軍の物量の前に敗れた。しかし今後の諸君の任務は、復興を果たし
米軍を追い落とすことにある」
と訓示した。江口の意を汲んだ入国管理官は規定を破って連隊を3日間兵舎に留め置いた。
そして21年2月21日、空前絶後の昭和天皇による帝国陸軍部隊最後の部隊親閲を受けた。
江口連隊長は
「臣 八郎不肖にして歩兵第五十九連隊長の付託の重きに堪えず
戦い敗れ、多くの赤子を殺し・・・・・」
と言いかけて絶句し泣き崩れた。
昭和天皇は江口の肩に手を置き、居並ぶボロボロの将兵を見ながら
「御苦労だった。ほんとに御苦労だった」とお言葉をもらした。
後に届けられた公式の言葉は
「パラオ集団は真に統率力を徹底して立派に戦闘し、復員も善く出来、
誠に満足に思ふ」
江口連隊長の日記より
「アンガウル地区隊に対し畏くも皇上より御嘉賞の御言葉を拝す。
忠魂正に瞑すべし。
只、如何せん、敢闘のち倒れし勇士に対し之を報告する手段なく
断腸の極みなり」
594 :
名無し三等兵:03/12/06 23:37 ID:Dc/iaRJ4
連合軍が恐れた五人の提督 佐藤和正 より
果断の人 山口多聞
ありあわせの空き缶を杯に代えて水を注ぎ、まず司令官から艦長へ、次に一同が飲み交わした。
一掬いの水に終日の渇きをうるおすと、山口司令官は夜空を仰いで言った。
「いい月だなあ、艦長」
加来艦長も中天を仰ぎ、ふっと笑みを浮かべながら答えた。
「月齢は二一ですかな」
「うん二人で月を賞でながら語るか」
「先ほど、主計長が金庫の処分を聞きにきましたので、そのままにしておけと命じておきました」
「そうそう、あの世でも渡し銭がいるからなあ。それに地獄でたらふく食うのにも金が必要だろう」
二人の会話をそばで聞いていた幕僚たちは思わず涙にくれた。副長をはじめ、幕僚たちが
その周囲から一歩も動かないでいるのを見ると、山口司令官は大声で、
「早く行け、退去せんか!」
と厳命した。司令官は、つと身を向け直すと、
「副長、駆逐艦に移乗を終えたら、魚雷で本艦を撃沈するように。以上だ、頼むよ」
そう言うと艦橋に歩き出した。そのとき伊藤中佐が叫んだ。
「司令官、何かお別れに頂くものはありませんか」
ふっと振り向いた司令官は、黙って自分の戦闘帽を脱いで渡すと、静かに艦橋に向かって歩いてゆく。
加来艦長もあとに従って艦橋へのラッタル(鉄格子)を昇っていった。
これが山口多聞少将と加来止男大佐の最後の姿であった。
両司令官の最後の模様を涙ながらに聞いた連合艦隊司令官山本い五十六大将は、次の歌を供えて冥福を祈った。
かねてより思い定めし道ならで火の艦橋に君昇りゆく
>>591 こういう言い方は失礼かもしれないが、昭和帝っていい人だなあつД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
596 :
名無し三等兵:03/12/07 02:19 ID:sk3iPLe/
でも、たった一人開戦を止めることが出きる方でしたが、
何もしませんでした。
しかし、戦争を止めさせることは出来ました。
国民の犠牲は想像以上でしたがね。
598 :
名無し三等兵:03/12/07 03:14 ID:2SNYsqTp
昭和帝陛下は絶対君主にならないよう常に心がけておられた。議会や政府の決定事項に異を唱えて覆す事は一切なかった。近代君主として素晴らしいお方であった。
>>596 立憲君主制について、もう少しお勉強してから発言しようね。ъ( ゜ー^)
昭和帝が長い在位の間、立憲君主の立場を自ら放棄し積極的に国策に意見したのは僅かに二度である。
一度は2.26事件の鎮圧について、もう一度は太平洋戦争の終結に関して。
601 :
名無し三等兵:03/12/07 03:53 ID:sk3iPLe/
>>591 こういうエピソードを知ると
昭和帝をはじめ当時の日本人は、人の魂というものを信じ
今よりもずっとずっと大切にしていたのだとつくづく思う。
この届くはずの無い電報は、亡くなられた将兵の魂に必ず伝わったと信じたい。
>>602 「氏ね」と命令された漏れ達にとっちゃ全然意味無いけどナー。
せめて捕虜になりたかったYO!!
603はチョソ
当時の軍は「天皇機関説」を地でいってたからねえ
600 :名無し三等兵 :03/12/07 03:37 ID:???
昭和帝が長い在位の間、立憲君主の立場を自ら放棄し積極的に国策に意見したのは僅かに二度である。
一度は2.26事件の鎮圧について、もう一度は太平洋戦争の終結に関して。
3回目はブラックバスが皇居のお濠で繁殖して、在来種が絶滅寸前な話を聞いて
ブラックバスの駆除を命じた、というのがある。
なにしろ昭和天皇は生物学者で、皇居の森を自然のままにしておくよう
命じた事もあるぐらいで、外来魚の流入は我慢ならなかったそうだ。
>>606 どっちかというとそれは信じられないが本当だスレ向きだなw
なかなか面白いとオモタ
608 :
名無し三等兵:03/12/07 10:32 ID:3qgmPGaU
>>592 このシーンを読んで俺は映画203高地のラストを思い出したよ。
部隊の将兵も多分、涙涙だったと思う。
天皇に「GOOD JOB!」って言われたらあの時代の人は本望だろう。
609 :
名無し三等兵:03/12/07 10:38 ID:3qgmPGaU
終戦直後GHQは日本のトラック生産を禁じていた。
曰く、トラックは軍用に転用が可能で、非武装であるべき日本は
生産してならない。
日本の運輸担当のある官僚は産業の復興にはトラックが必要であると
考え、GHQ担当者の所へ交渉に行った。
両者の主張は平行線をたどり、交渉は決裂するかに見えた。
そのとき官僚はそばにあったペンをつかみ自分の手の甲に刺した。
あっけに取られる米担当官に鮮血のほとばしる手を突きつけながら官僚は叫んだ。
「ペンだってこのように武器にもなれば本来の機能も果たすではないか!!」
官僚はペンを抜いて紙に何かを書き始めた。その紙にはこう書かれていた。
Sorry, I want peace.
官僚の心に動かされた担当者は規制の再検討を約束し、後日その約束は果たされた。
事情を聞いたマッカーサーは朝のブリーフィングでこう語ったという。
「敗戦国とはいえ日本には、まだすごい男がいる」
そもそもネタが輪廻し始めたな。
594も609も過去スレで既出ですな・・・。
611 :
名無し三等兵:03/12/07 10:49 ID:438fdgOv
>>609 イイ話だ。
>>610 誰もがオマエみたいな暇人じゃないんだから、
過去スレ全部見てられねーよ。
よって良い話は、どんどん貼って欲しい。
>>601 >
>>600に対してのご意見は?
立憲君主制について、もう少しお勉強してから発言しようね。
> 日本の一番長い日でも見てから感想を言って下さいな。
映画の話をされてもね。
手紙をありがたう。しつかりした精神をもつて元気で居ることを聞いて喜んで居ます
国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください。
今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど、
先生とあまりにちがつたことをいふことになるので ひかへて居つたことを
許してくれ。
敗因について一言いはしてくれ。
我が あまりに皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである
我が 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
明治天皇の時には山縣 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが
今度の時は あたかも第一次大戦の独国の如く 大局を考へず 進むを知つて
退くことを知らなかつたからです
戦争をつゞければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなつた
ので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである
穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があつたら きいてくれ
寒くなるから 心体を大切に勉強なさい
九月九日 父より
明仁へ
摩耶山丸沈没数時間後の2305に米潜水艦「スペードフィッシュ」より雷撃され、30分ほどで沈没した。
米国側の資料では、魚雷六本のうち四本が命中と有るが、私の体感では三発と記憶している。二発は
空母前部後部それぞれの航空燃料タンク付近に命中した為、数度の大誘爆を起こし、艦は忽ち焔に
包まれ、右に傾き、艦尾から沈んでいった。艦首の100mほど先を泳いでいる時、艦首を暗闇の空に
突き刺すようにして、沈む速度を増していった。
まだ、燃え盛る海の灯に、菊の紋章は、無念の最後を見せながら、消えた。
北緯32度59分、東経123度58分に、空母「神鷹」は、痛々しい姿で、多くの英霊と共に眠っている。
(空母神鷹生存者、元海軍中尉)
この大船団(ヒ81)は、フィリピンに増強する陸軍を満載した大型輸送船と、艦隊の燃料を確保する為、
シンガポールに重油を積みに行く、海軍の高速タンカーで編成された、日本最後の優秀船団でした。
その最後尾に、神鷹が対潜航海を行ないつつ、護衛してくれました。その2万トン近い巨体と、上空を
警戒してくれる零戦の姿は、非常に心強いものでした。これなら、シンガポールまで、絶対大丈夫だと、
皆で言ったものですが、それも二日間の味方でした。
真夜中に、見張りの当番を終えて、部屋に帰ると同時に、ドドドーンと、もの凄い衝撃音、甲板に飛び出て
見ると、ああ、これがこの世の出来事か、真夜中というのに、辺りは真昼です。神鷹の航空燃料に火が
ついて、轟々と燃え盛り、艦上機が2,3機海に滑り落ちるのが見えました。神鷹の周囲は火の海、これは
全滅だと直感しました。人間の泳ぐ所など有りません。本当に生存者がいたんですか、信じられません。
救助に馳せ付けた護衛艦も、余りの火の勢いに、近寄ることも出来ず、ウロウロするばかりです。
これらのことが、真夜中に全部見えるのです。それほど、火の勢いが凄かったのです。15ノットの船団
速力で1時間くらい走りましたが、未だ明るく、地獄の様相が判りました。
(みりい丸、元甲板員の手紙)
>>606 素晴らしいイイ話ですな。
「雑草という名の草など無い」と言った昭和帝のお優しい心根がよく判りますね。
>>615 それは昭和天皇が怒った話で
ブラックバスは国策とは関係ないぞ
無粋な方ですね
>>616 山縣が名将の範疇に入るかには議論の余地はあるが偉大な軍人政治家ではあった。
軍政家としての手腕は西郷従道や大山巌をしのぐものがある。
山縣なかりせば日本陸軍は鎮台兵のままであったろう。
>>605 >当時の軍は「天皇機関説」を地でいってたからねえ
ハァ?
621 :
名無し三等兵:03/12/07 19:55 ID:sk3iPLe/
陸軍省内では 一部で”天ちゃん”と呼ばれていたらしいから
天皇の命令で 戦病死した人たちは可哀想だよ。
>>620 ハァじゃなくて根拠のあること言ったほうがいいよ、基本的に通説では605のとおりなんだから。
>>623 通説というからには、その説を主張されている方がいっぱいいらっしゃるはずですな。
10人ほど挙げていただきましょうか?
620は「天皇機関説」を「天皇は機械人間だ」という説だと思っている、に一銭五厘。
626 :
620:03/12/07 20:41 ID:???
>>625 ハァ?天皇で動く機関のことを言ってるに決まってんだろ!ハァ?
馬鹿は出ていってくれないかな?
良スレの汚れだ。
天皇機関説、の意味をそもそも知らないに2000ペリカ
必死だな
日本を陰で操る秘密組織「天皇機関」のことを
こんなところで聞けるとは!
泣ける話書けや
このスレにおける最近の厨房跋扈で泣けてくるよ・・・・
↑
禿同
火が消えると風もなくなり、月影のない海は嘘のような静けさになった。見えるものは星だけになってしまった。敵潜が大胆にも浮上したのか、
砲撃戦の閃光と爆発音。
遠くで爆雷投下しているのか、ズシンと水にふやけた体に震動が伝わる。その数十秒後に海面を伝わって来た音が「ドドーン」と耳に届く。
水中を伝わる方が速いということは、「物理で学んだ通りだな」と感心したりした。近くで爆雷投下されたら水圧で内臓出血となることだろう。
兎にも角にも、此処まで生きてこれたのだから、後は極力体力の消耗を避けて救助がくるのを待つしかない。
血を出している怪我人が居ると鱶が近寄ってくる危険があるが、心配しだしたらきりがない。やれる範囲でベストを尽すより他はなかった。
海面に漂う数個の群れから軍歌が聞こえてきた。「天に代わりて…」この歌詞からこれは便乗の陸軍関係者と分った。17日が終わったの
であろう。
寒気が増してきた。軍歌はその元気付けの為のものだろう。私は自分の隊員に「軍歌は歌わないこと、眠らぬよう努力すること」を強いた。
気を緩めると、潮流の為か集団はバラバラに崩れてしまいそうになる。時々お互い名前を呼び合うことにした。
私は念仏を唱えるように、「必ず救助に来るから心配するな!」これだけを、或間隔を置いて繰り返した。
ライフジャケットを着けていても、只ジィーッとしていると、俯き加減になる。
時々姿勢制御のために立ち泳ぎが必要になる。
そうすると脇の下に新しく冷たい海水が入ってくる。体が冷える。生理学的なことはよく分らないが、寒いから小便が出るのか、小便が出る
から寒く感じるのか、冷えであちこちの筋肉が痛む中、小便が少しずつ出る。
これは体温と殆ど同じで海水よりは10度以上も暖かいから、出たら膝を合わせてこの熱源を逃さないようにした。
水温は12度。軍歌も聞こえなくなった。体の冷えは進んでいるようだ。
物言うのさえ、億劫になってきた。冷えると血管は弾力性を喪うだろうし、血液は粘っこくなって、脳に行く血液量が少なくなっているらしく、
睡魔が襲ってくる感じで、神経も変調になるらしく、寒い冷たいという感覚が次第に鈍くなってきた。
暗闇で何も見えなくとも、自分の隊員がまだ集団を為していることや、誰がどの辺にいるかは、声や気配で分った。
海面上と同じ高さに頭があり、海原ではエコーがないからであろう。首だけ出して浮いていると真上の星は見づらいが、水平線に近い星は
楽によく見えた。真っ暗闇が一層星の輝きを引き立てている。
突然、「分隊士、味方の海防艦が救助の発火信号しています。行きましょう」と一人が叫んだ。
私は目をこらしてみたが、それらしいものは見えない。
水平線に近い星が、棚引く雲の切れ目でちらちら見え隠れするのであった。
私の説得にも拘わらず、彼は星に向かって行ってしまった。
続いて2人が「お先に」と彼の後を追って行ってしまった。
これも運命なのかも知れない。
私とて誰も救助を確約してくれた訳ではない。
私の言う通りにしていても死ぬかも知れない。
どうせ死ぬ運命なら本人の納得できる方が良い。私はそんな考えになった。
彼らは死に向かって行ったが自殺ではないのだ。自分で生きると信じて行ったのだから。
私はそう思って、説得の無能さを嘆くことを止めた。
海に入って3時間ほど過ぎたと思う頃、私が呼びかけても反応が無くなった。
体が波に乗って、ゆっくりしたリズムで上下する。睡魔に襲われているのか、既に息絶えて
しまったのか…。暫く静寂が続いた。
突然、「お母さん!」と泣き叫ぶ声が静寂を破って、遠くの方から聞こえてきた。
始め、自分の錯覚ではないかと耳を疑った。
しかし、間もなく私の前後左右から、今まで静かに眠っていた赤ん坊が急に目を覚まして
むずがるように、「お母さん! お母さん!」と救いを求めるような声が湧上がった。
そして一大コーラスのように、その海面を覆った。
生きる為の何らの術もなく、自分の死を直感した時、安らぎを求めて母を慕うのであろうか。
その叫ぶような声も花火のように闇に消えていった。その後には、「天皇陛下万歳!」も、
「お父さん!」もない。
私はこの声に共鳴こそしなかったが、私自身も丁度父母を思い出していた。
子供の頃、御崎発電所の近くの浜辺で手を取って水泳を教えてくれた父のことや、母の後に
付いていき、お寺で小豆粥を食べたことなどが、懐かしく浮かんでは消えた。
引き続き父母の思い出を楽しんでいるうちに、遂眠りの世界に入ってしまった。
子供の頃の御傘山神社のお祭り、出店の綿飴機の銅板の周りに、中を覗こうと手を掛けた時、
パアッと急に目の前が明るくなり、そのショックと共に夢から目覚めた。
夜明けのまだ薄暗い中を駆逐艦が白波蹴立てて、100mほど前方を走って行くではないか!
救助に来てくれたのだ。「おーい!救助に来たぞ!本当に来たぞ!」と嬉しいのに、それは
怒号に近いものだった。
進行中の駆逐艦に向かって泳いでも追いつけるものでないが、兎も角私は夢中でスタート
を切った。
意識が戻った時は、着ていたものは全部脱がされ、毛布が掛けられてあった。
頭の横には乾パンが山のように積んであった。
これにご焼香箱でもあれば、仮に意識が戻らなかったとしても、そのまま受け入れられる
ような状況であった。
生きていることを実感した時、涙が溢れ出た。
私は直衛の駆逐艦に救助されたのであった。
寝かされている所は艦首に近い所らしく、高速で波を蹴る音が、水の塊を切るかのように
衝撃を伴って、力強く体に伝わってきた。
(空母神鷹乗組。飛行整備士、第七期飛行機整備予備学生出身、江口少尉の手記より)
筏より 伸べしわが手を 払いのけ
空虚ろな眼にて 泳ぎて行きぬ
妻、母の名を呼び
水を求めて波間に入り
幾多の兵士帰らざる人
兄が玉砕したと聞いた時の驚きと悲しみは、私の全身の血を停止させ、足腰の力が急に抜けてしまった
老いた父母になんと報告すべきか? その悲嘆を想像するだけで私は動転した
あの頑健な兄が戦死するとは・・・・・ 神仏すら軽蔑したくなる内面の空虚な痛手
これは二百八十万の遺族だけが体験した無残非情な、終生忘れることの出来ない深い心の苦悩であった
父は兄に家業を継がせようと手塩にかけて愛育した
落胆は余りに大きく、急に物言わぬ人に変わった 母は人陰に隠れて泣く事が続いた
その年の夏
「陸軍伍長井上総一 昭和19年12月31日、ぺリリュー島○○地点において戦死確認」の公報が届いた
巷間で噂される通りの一枚の紙片であった 遺骨も無く、誰が末期の水を取ってくれたのやら、遺言があったのか
形見の品は遺されていたのか 何でもよい、最期の模様が知りたいのが肉親である
やはり戦死した場所を見て、遺骨を拾ってみなければ諦めきれないのだ
戦死の公報受領後、旬日にして芝の増上寺において遺骨の引渡しを受けた
白木の箱に納められた兄の変わり果てた姿を見た父は、嗚咽しながら
「ご苦労さん!お帰り・・・」と白木の箱を撫でた 生きて帰った息子の肩を撫でるように・・・・
私は翌日、白木の箱をそっと開けてみた 中にはお粗末な位牌が入れてあった
641 :
名無し三等兵:03/12/08 21:40 ID:Ywvfb8Y3
・゚・(ノД`)・゚・。
まさに「遺族にとっての戦争」
>>640 このような泣ける話が2,800,000もあるなんて・・・。
しかもその大半が餓死病死か。
全くやりきれんな。
イラクに行かれる自衛隊員の方々や、その家族の方々が
>>640 のような事にならないことを切に願うばかりです。
でもその願いは叶うかどうか…
わが国の行く末は往くも地獄、往かぬも地獄。
特攻へ 新聞記者の美辞麗句
特攻隊 神よ神よとおだてられ
各々の ふるさと向かいて別れ告げ
万歳が この世の声のだしをさめ
俺の顔 青い色かと友が聞き
必勝論 必負論と手を握り
機上にて 涙の顔で笑って居
死ぬ間際 同じ願いを一つ持ち
父母恋し 彼女恋しと雲に告げ
あの野郎 行きやがったと目に涙
還らぬと 知りつゝも待つ夕べかな
今日もまた 全機還らず月が冴え
春の空 今日も静かに暮れて行く
友を待つ 空にまばらな星のかず
チョウ日新聞と売日新聞やなぁ。
>>647 軍上層部をバカにしたり、自虐ネタで笑いあったりするのは、
洋の東西問わず兵隊の数少ない娯楽だよ。
戦士にも息抜きは必要。
反日扱いするのはかわいそうだ。
649 :
名無し三等兵:03/12/16 11:00 ID:f7w/lhXW
>>649 いい話でつ。まあ、どんな最悪の状況にもホロリとくるいい話はあるものです。
シベリア出兵構想の甘さとか、撤退判断の遅れとか、周辺の事情を横に置いておけば。
>650
まあ、「そこに居た」理由の内容は善行を打ち消すことにはつながりませんから。
ポーランドの子供たちを救うために「そこ」に居た、とかいう捏造やってるわけでもないし。
これってもしかしてTV局の人が2chで知って企画がたったのかな?
>>442 亀レスだけど、中国人は0歳からじゃなく
1歳から数えるらしいですよ。
中国人留学生に聞いたから間違いない。(ハズ)
>656
一行目・二行目に対する脊髄反射なんだろ。 いちいち絡むな。
>>654 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
夢遠し身は故郷の村人に酒勧められ囲まれてあり 市丸利之助海軍少将
「ルーズベルトに与うる書」で有名な方ですが、
図書館で読んで泣いちゃいました。
和歌山県日高郡美浜町田井 昭和18年頃の話
内地から外地へ赴くことになったその兵は、記念のために一枚の写真を友人に撮ってもらった
戦地に行った彼はついに還ってこなかったが、その記念写真が残され、友人が彼の実家にとどけてくれた
不思議な事に、その兵のにっこり笑った写真の背後に、まるで彼を抱きかかえるように大きな影が写っていた
それはいかにもその兵をを非常に可愛がってくれた祖父の姿に似ていた
祖父が自分の孫をいとおしんで写真に現れたのに違いなかった
661 :
名無し三等兵:03/12/20 22:04 ID:dCLRHJcC
松谷みよ子age
当たり
あの本は素晴らしい
あの本って?
皇国の守り神
航空戦艦伊勢という艦、そしてエンガノ岬沖海戦という戦いのことは、
軍事マニアか太平洋戦争に詳しい方しかご存じないでしょう。
レイテに突入する第一、第二艦隊を援護する為、
あえて囮になった小沢提督率いる機動艦隊の戦いであります。
事実上、このレイテ戦(捷一号作戦)が大日本帝國海軍の終焉と言えるのです。
雲霞のごとく押し寄せる米軍機の攻撃を跳ね除け、
満身創痍になりながらも内地に帰りついた艦があります。
戦艦「伊勢」。
しかし、かの艦も昭和20年7月28日の空襲で、百機に近い艦載機の攻撃を受けました。
命中弾14発、至近弾無数。 呉にて大破着底、その命運を終えたのですが・・・・・・
2番砲塔に1発の3式弾が装填されたまま仰角43度を指していました。
普通なら砲口から入って信管を抜き、発射薬、砲弾の順に抜き出すのですが、
水圧不良、電圧不良のためそのままなんとか湾外方向に向け発射したのです。
やっと砲塔を中心線まで戻すも、そこで全ての動力が尽き、
最大仰角に砲身を振り上げたままもう2度と動くことはありませんでした。
太平洋戦争最後の主砲弾発射を終えながらなお、
伊勢は戦いを続けるかのように36センチ砲を高々と天に向けていたのです。
結局、艦は放棄することとなり、軍艦旗を卸そうとしましたが、
どうしたことか、旗索を引いてもなかなか旗が降りてこなかったのです。
「そうだろう。伊勢は、まだ戦うつもりなんだ……」
その傍にいた士官が、死してなお皇国を守らんとする伊勢に、声をつまらせました。
艦なぞ、言ってしまえばただの鉄の塊にすぎません。
しかし、こういうエピソードを見ると、艦に宿る『魂』というものを感じずにはいられないものです。
つまらんツッコミをすれば・・
エンガノ岬沖海戦で「伊勢」は弾幕射撃で米軍機を蹴散らして満身創痍になぞなってないし。
呉で大破着底したのは7月28日じゃなくて24日だし
そもそも主砲の最大仰角は43度も無いし。
つまらんツッコミで申し訳ないが間違った伝聞になるのもアレなので(大筋は間違いでは無いが)。
ただ、「伊勢」を書くなら「日向」や「榛名」の事も忘れてはいけない。
667 :
名無し三等兵:03/12/31 15:39 ID:mVQZt0z5
>>666 「日向」や「榛名」の泣ける話。お聞かせくだされ。
お手数ですが、おねがいしますじゃ。
668 :
名無し三等兵:03/12/31 16:44 ID:XzVUIDpI
>>666 「満身創痍」ってのは見方によって違うのでは?
海戦後、実質的な損害は軽微だったものの、外板には至近弾のせいで蜂の巣のように穴が開いていた
ハタから見れば「満身創痍」と呼べるのでは?
バロン西の逸話って、本当なんでしょうか?
米軍から、その卓越した馬術を惜しんで
投稿勧告があったって話。
子供の頃テレビドラマで観た憶えがあるんですが。
実際の記録によると無かったとか
しかしその奮闘も凄まじい
最後の頃は火炎放射器に顔を焼かれ、片方の眼球が飛び出してなお戦闘を続けたと言う
>そもそも主砲の最大仰角は43度も無いし。
ハァ!?
伊勢級は戦前最後の改装で43度まで引き上げてなかったか?
昭和20年11月28日。第89回帝国議会。
最後の陸軍大臣、下村定大将の答弁。
反軍演説で有名な斉藤隆夫の質疑
「陸軍大臣は軍国主義の発生およびその跋扈の経過を明らかにせよ」
これに対し下村陸相は、
「軍の指導者が間違っておりました。ことに許すべからざることは、
軍の不当なる政治干渉であります。かようなことが、重大な原因と
成りまして、今回の如き悲痛な状態を、国家にもたらしたことは、なんとも
申しわけがありませぬ。私は陸軍の最後にあたりまして、議会を通じて
この点につき、全国民諸君に衷心からお詫びを申し上げます。」
と、壇上に手をついて謝った。そして
「陸軍は解体いたします。過去の罪責に対しましては私どもは今後・・・
事実をもって罪を償うことが出来ませぬ。まことに残念でありますが、どうか
従来からの国民各位のご同情に訴えまして、国を想い、身を挺して戦った
純忠なる軍人の功績を抹殺し去らないこと、ことに幾多戦没の英霊に対し
まして、深きご同情を賜らんことを、この際、切にお願いいたします。」
満場は一瞬鎮まりかえり、次の瞬間大拍手が起こった。
675 :
:03/12/31 22:07 ID:???
>>674 その後の米内の答弁拒否の方が印象深いが
>>674 ょぅι゛ょ型地雷なら小官もむしろ突撃したいであります!
677 :
名無し三等兵:03/12/31 22:27 ID:JWzXk1L5
えんがの岬沖海戦では伊勢だか日向のカタパルトが至近弾のあおりを喰って飛行甲板上を転げ回って三連装機銃と操作員を道連れに海に落ちたはずだが、、、
小柳ゆきの君が代は泣けた。
>>674 >幾多戦没の英霊に対し
「彼らに申し訳ない」と、支那の占領地からの撤退を拒む理由にされてもいるが。
死者をいいわけにすれば許されるという、我が国の悪しき伝統の一つではないだろうか。
>680
そう、まさにあなたのそのレスにその悪しき伝統がもっともよく現れているな。
個人と組織とを分離させて考えることが出来ない、幼稚な精神性が。
下村陸相は「軍は解体するしかなく、組織としてはもはや罪を償う道が無い」と
はっきりと言っているのに、よくもまあそういう反応ができたもの。
とりあえず、その手の議論は荒れるのでここらで手打ちを願いたいのだが・・・・。
では次、何も無かったかのように再開をば。
683 :
甜菜:04/01/01 20:45 ID:???
>無題 Name 名無し 04/01/01(木)18:21 No.283729 [返信]
>橿原神宮に初詣に行ったついでに初めて「瑞鶴の碑」を見てきましたが
>碑の前には数本のお酒が置かれており、その中のひとつに
>
>『○○兵曹、○○兵曹 平成十六年元旦だぁ! 一緒にのもう祝酒〜』
>
>と書かれていました.....(T^T)
某スレのポーカー氏みたいに元気で茶目な爺さんが、他にも居るのだな。
685 :
名無し三等兵:04/01/02 03:46 ID:XMwSjSoP
>>683 橿原神宮に瑞鶴の碑があるのですか。
知りませんでした。
お参りに行かなくていけませんね。
>>686 真の慰霊とは、
持場持場で己のなずべきことをなすこと
だよ。
慰霊碑の前に行かなければ慰霊ができないなんて事はないです。
>>687 つっても、そこら辺に酒瓶置きまくるわけにもいかんだろ。
貴様のは正論だとは思うが、それが鼻につく。
689 :
686:04/01/02 18:58 ID:???
>>687 >>688 お二人のおっしゃることは、どちらも正しいと思います。
レス、ありがとうございました。
691 :
688:04/01/02 21:05 ID:???
ここか?噂の鼻にくっつくインターネットは
>>683 。・゚・(ノД`)・゚・。
俺の爺さんの墓にお盆になると必ず戦友が塔婆をおいてゆく・・・59年間欠かさずに
>>693 素直にジーンときた。
その戦友さんもご高齢だろうに…
>>693 何か、拭い切れない負い目みたいな感情があるのだろうか?
人知れぬドラマを感じるな。
負い目って……情けなくって泣けてくるわ。
負い目と言えば自分が生き残った事以上の負い目は無いだろう。
泣ける泣けると書き込みつつ実際に泣いてる奴は殆どいないんだろうな
>>698 俺は原文を読んで本当に泣けた話だけ書きこんどるよ
>>699 一等自営業閣下の作品を読んで泣いてるのか?
過去ログからのコピペ
レス番号が前後しているが時系列順に私が並べ替えました。
737 名前: 733 投稿日: 2001/06/16(土) 22:09
>734さん
ご指摘の段御尤もです。以下補足。
特攻隊員大石清は昭和20年3月13日の大阪空襲で父を失い、
続いて重病の母の死を知った。小学生の妹(静恵)ひとりが
残されて、伯父の許に引き取られていた。先の文章(733)は
彼が妹に宛てて書いた遺書である。5月20日に鹿児島?の万世
(ばんせ)基地に到着、その後数日を置かずして突入、散華。
妹の作った特攻人形を「突入の際怖がると可哀相だから」と
言って、あたかもおんぶするが如く背中に吊っていたという。
なお神坂次郎というのは著者(取材者)の名である。生き残
ってしまった特攻隊員だそうで。以上余談。
続きです。
739 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/06/17(日) 07:37
737さんに補足します。涙が止まりません。
大石清伍長「妹への手紙」
静(せい)ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。お送り
したお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。神だな(棚)などに
供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。兄ちやん
の給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これ
からも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。では元気で、
をぢさん、をばさんによろしく。
兄ちやんより
このあとが737で紹介された遺書です。
733 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/06/16(土) 17:36
がいしゅつだったらすみません。
なつかしい静(しい)ちゃん!
おわかれの時がきました。兄ちゃんはいよ/\出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なは(縄)の海に散ってゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼ない静ちゃんを一人のこして
いくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であづけてゐたいうびん
(郵便)通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上るときにつ
かつて下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下のをぢさんに
たのんで、売ってお金にかへなさい。兄ちゃんのかたみなどより、
これからの静ちゃんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。ではお兄
ちゃんは征きます。泣くなよ静ちゃん。がんばれ!
神坂次郎「今日われ生きてあり」より
最後です
740 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/06/17(日) 07:39
上の遺書を託された兵からの手紙
大野沢威徳からの手紙(万世基地にて)
大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと
思ひます。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どの
は今日、みごとに出げき(撃)されました。そのとき、このお手紙を
わたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へん
だいじにしてをられました。いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の
背中につつてをられました。ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や
落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、
伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶ
でもするやうに背中につつてをられました。飛行機にのるため走つて
行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、
うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう。
同行二人・・・・仏さまのことばで、さう言ひます。苦しいときも、
さびしいときも、ひとりぽつちではない。いつも仏さまがそばにゐて
はげましてくださる。伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたの
でせう。けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、
いつも見てゐてくださることゝ思ひます。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。静恵ちやんも、
りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください。
さやうなら
こういう話を聞く度に特攻なんか考え出した腐れ外道に唾を吐きかけてやりたくなるな
泣けてくるよりむかついてくるよ
>>706 その唾は多くの場合、まわりまわって自分に当たるわけだが・・・
今も昔も、
歴史のダイナミックな流れの中で
その流れに抗するのは時に無力・・・だからこそ特攻隊員が鮮烈に美しく見えるわけだが、
>>707 >特攻隊員が鮮烈に美しく
>>28-29を読んでもそう思えるのか?
所詮は他人事だからそんな風に思えるんだろうな
個人的には、遣る瀬無いと言うのがこの文を読んだ感想でした。
710 :
707:04/01/05 02:05 ID:???
>>708 別に煽るつもりはないけど
醜いか美しいかで言ったら美しいだろ?
感傷に浸る気もないし、彼らを象徴的に祭り上げるつもりもない、
語彙を酌めよ・・・他人事とか随分ないい方だなぁ・・・まいっか。
>>706 腐れ外道とか、過激な言葉を使うから反発されるんだよ。
普通の言葉でしゃべれば、みんな話を聞いてくれるよ。
特攻なんてのは誇りでも何でもなく、恥だな。
卑しくも近代国家の軍隊のする戦争ではない。
散華した隊員こそ気の毒だ。
特攻と言ってもその大半は会敵することなく自爆した、という話を聞くたびに泣ける。
あえて言おう「無駄死に」だ。
これを「敗戦のための人身御供」と言った人もいる。
たしかに無駄死にと言うよりも納得のいく言い方ではあるが……。
714 :
706:04/01/05 19:18 ID:???
すいませんでした
「当時の状況では、特攻は仕方のない手段だった」
とか逝ってる香具師、渡辺洋二の
「彗星夜襲隊」
を読め。
天山も夜間雷撃でそれなりの戦果を残している。
一回きりしか使えないのだから純軍事的にも大失敗の戦術。
最後は敵艦に体当たりするという目的よりも単に死ぬことが
目的になってたからな、特攻は。
>>715 その芙蓉部隊の部隊長 美濃部少佐の言葉だぞ、それは
本当にその本読んだのか?
>>717 だからさ、本当にあらゆる手段を尽くした人と、
最初から考えることを放棄した人とでは、
言葉の重みが違うってこと。
>>718 というと、マトモな航空支援が絶望的となった時に決断された最初の神風攻撃隊は認められて、
それ以降は尻馬に乗った奴らの後追いという風にもとれるな。
感情を廃して純粋に戦術的側面から見た場合、確実に高い命中精度を期待できた初期の特攻隊
には意味があったと思うが、特攻そのものが目的になった末期には相手の対抗策が大きな効果を
挙げているにも関わらず最後まで「行け、突っ込め」で済ましたのは大きな失策だと思う。
「搭乗員の練度がそれ以外の戦法を許す技量に達していなかった」のは確かだが、特攻のために
消費した物的人的資源を本土決戦準備や本土防空戦に回した方がまだ良かったと思う。
特攻については、
この安全地帯(今の時代のことね)にいる漏れたちが
とやかく言うのは無意味かつ無礼だと思う。
あの修羅場、当時の日本人の一般的死生観を
再現しない限り、漏れたちはそれを感得することはできない。
>>721 感情論か?それじゃ、当時の馬鹿ウヨといっしょじゃん。
当時の技量では夜間通常攻撃もできないし
ましてや昼間の通常攻撃もほぼ無理じゃ打つ手無しだよな。
>>721 感情論的には同意する部分もあるが、
軍事作戦としての特攻の無意味さを検証・議論・批判することを封じないで欲しい。
フリートインビーイングじゃ無いけど、何も出来なくても、数本土に残しときゃ
本土上陸への抑止にはなったろうに。
まぁ、結局核が来るんだろうが、逐次投入より遥にまともな戦略じゃなかろうか?
君たちの話は泣けないから。
なんかこう純粋に特攻について論じてる連中が一番冷たいような気がするのは気のせいか?
>>728 そりゃ冷たいはずだ
戦争ってのは冷徹な計算でやるもので,成算があって効果が絶大で
それが戦争目的の達成に繋がるなら,兵士の命が失われて構わない
自国の兵も敵国の兵も
730 :
720:04/01/06 22:28 ID:???
>>728 そりゃそうだ。特攻については感情を完全に封じない限り、マトモに語れたもんじゃない。
純粋に戦術的側面から眺めようとしても途中途中で感情的思考に陥らないように注意する
必要があり、だからなおさら冷たく感じるのだと思う。
そして忘れていけないものは「特攻に対しての暖かい気持ち(?)」こそが、さあ彼らに続け
とばかりの特攻の無意味な、全く無意味な、どうしようもなく無意味な激化につながった事
だと思う。
当時の死生観云々の話があるが、誰もが望んで死にたがったわけじゃない。
決して国のためなんかじゃなく妻や恋人、家族のために仕方なく行くんだと悔し紛れに語っ
た者。
「明日世界は滅びるんだ。」とブツブツ言いながら宿舎の中をグルグル歩き回って一晩過ご
した者。
爆弾を投下できないように改造された機体に特設の投下装置をつける者。
何の意味があるのかと上官に食ってかかる者。
特攻戦術の無意味さを嘆き、必死に通常攻撃を続ける者。
玉音放送後の最後の特攻出撃に息子が参加し、「なんで戦争終わってまでうちの息子を道
連れにしたのか」と嘆いた親。
誰もが死にたがったわけじゃない。
統帥の外道
732 :
720:04/01/06 22:35 ID:???
>>729 それはゲームなんかをやる時の話。
実際の所は、兵士の命がいくら失われても構わない戦争目的などは存在しない。
達成された先の未来を担うべき若者が死に絶えるような戦争計画を策定するよう
な国家は滅びてしかるべきであり、そもそも戦争目的などという者を履き違えて戦
争に勝つ事、甚だしき場合は戦争自体が目的となっている。
戦争目的という物は勝利によってのみ得られるものではなく、勝つためには何を失
ってもいいという事にはならない。
>>732 「いくら」という単語を勝手に脳内補完するから
そんな結論になるわけで
734 :
720:04/01/07 02:12 ID:???
>>733 しかしその脳内補完が実際に行われていた事実があるので。
いい加減おまいら他所でやれ
>>732 ま、兵員の命は、どっちかっつうと失ってもいいものの範疇に入るのが戦争だと思うが。
そんな戦争と将兵について考える事自体、感情の一部を停止させないとできないこと。切なすぎるから。
それがひょいひょい出来る人でなしが、趣味カテゴリー軍事板の住民。
そんな漏れらだからこそ求めるのが「軍事・泣ける話」
物知りのエロイ人、もっと泣ける話を頼む。
できればご先祖様以外ので。
>>736 失ってもいいものつか、戦争の目的・目標を達成するための「手段」「資源」と解された方がよかろうかと思われ。
「手段」にせよ、「資源」にせよ、無尽蔵ではありませんよ。
有効かつ効率的に使うことが肝要では…
まあ、こんなことを書くのも悲しいものですが。
まぁ、クラウゼウィッツも「戦争論」で、そのものずばり「資源」と述べてますからな。
739 :
泣:04/01/12 15:42 ID:???
因通寺の参道には、遺族や引き揚げ者も大勢つめかけていた。
昭和天皇は最前列に座っていた老婆に声をかけられた。「どな
たが戦死をされたのか」
「息子でございます。たった一人の息子でございました」声を
詰まらせながら返事をする老婆に「どこで戦死をされたの?」
「ビルマでございます。激しい戦いだったそうですが、息子は
最後に天皇陛下万歳と言って戦死をしたそうです。・・・天皇
陛下様、息子の命はあなた様に差し上げております。息子の命
のためにも、天皇陛下さま、長生きをしてください」
老婆は泣き伏してしまった。じっと耳を傾けていた天皇は、
流れる涙をそのままに、老婆を見つめられていた。
引き揚げ者の一行の前では、昭和天皇は、深々と頭を下げた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だったであろう」と
お言葉をかけられた。一人の引き揚げ者がにじり寄って言った。
天皇陛下さまを怨んだこともありました。しかし苦しん
でいるのは私だけではなかったのでした。天皇陛下さまも
苦しんでいらっしゃることが今わかりました。今日からは
決して世の中を呪いません。人を恨みません。天皇陛下さ
まと一緒に私も頑張ります。
この言葉に、側にいた青年がワーッと泣き伏した。「こんな
筈じゃなかった。こんな筈じゃなかった。俺がまちがっておっ
た。俺が誤っておった。」
シベリア抑留中に、徹底的に洗脳され、日本の共産革命の尖
兵として、いち早く帰国を許されていた青年達の一人であった。
今回の行幸で、天皇に暴力をもってしても戦争責任を認めさせ、
それを革命の起爆剤にしようと待ちかまえていたのである。天
皇は泣きじゃくる青年に、頷きながら微笑みかけられた。
昨今の陸自重装備大幅削減は、紛れもなくハードソフト両面における戦争資源損失であり、
とてもとても悲しいことだ・・・・・もう涙も出ない。
実は大和が沖縄特攻作戦に出撃すると、艦内の若手の少尉
や中尉たちの間で、「特攻死」の意味をめぐって激しい論争が
戦わされたという。
学徒出身組の士官たちは、せめて納得できる死を願った。
「祖国のために散る、それはよく分かっている。しかし、いか
に特攻精神で突っ込めと言われても飛行機の護衛もなく、燃料
も片道ではただの犬死にではないか」
それに対し、兵学校出身の士官たちは、「国のため、君のた
めに死ぬ。それ以上になにが必要というのか。もって瞑すべし
ではないか」と主張した。ついには学徒出身組の「腐った性根
を叩き直す」と鉄拳の殴り合いが始まった。その時、若手士官
室を統率する臼淵大尉が、こう言った。
敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になる
のだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃない
か
「日本が新しく生まれ変わるための先導になって散るのだ」
という静かな言葉が伝えられると、士官達の論争は止み、一致
して戦場に臨んだという。
Japan On the Globe(153)
国際派日本人養成講座
Common Sense: 海ゆかば
〜慰霊が開く思いやりの心
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog153.html
すでに米軍が沖縄に侵攻していた昭和20年5月のある日、二人
の童顔の陸軍将校が、佐賀県の鳥栖小学校を突然訪ねてきた。上野
歌子先生が応対すると、二人は言った。
自分たちは上野音楽学校(現・芸術大)ピアノ科出身の学徒
出身兵です。明日、特攻出撃することになりましたが、学校を
出て今日まで演奏会でピアノを弾く機会がありませんでした。
もちろん祖国のために命を捧げる事は本懐ですが、今生の思
い出に思いきりピアノを弾いて二人だけの演奏会をやりたいの
です。今日は目達原の基地から、あちらこちらとピアノを求め
歩いて、やっとこの小学校にたどりつきましたが、どうぞお願
いいたします。
上野先生の胸中には灼きつく熱いものがこみあげてきた。
どうぞ兵隊さん、時間のある限り弾いて下さい。私もここで
聴かせていただきます。
静かな放課後の音楽教室で、二人の少尉は、代わる代わるピアノ
に向ってベートーベンの「月光」などの曲を奏でた。その一時間程
の間に、どこから聞きつけたのか二十人程の学童達がいつの間にか
集ってきて、一緒にピアノの演奏に耳を傾けた。
やがて帰隊の時刻も迫ってきた時、上野先生は二人に向って言っ
た。
有難うございました。こんな素晴らしいピアノを何年ぶりか
で聴かせていただきました。この子供達もあなた方のお姿と一
緒に永遠に今日のピアノ演奏を忘れることはないでしょう。明
日は愈々ご出発とのことですが、心からご武運を祈らせていた
だきます。お別れにこの子供達と『海行かば』を合唱させてい
ただきます。
教室一杯に静かに『海行かば』が流れた。送られる二人の少尉も
いつしか声をあわせて一緒に合唱していた。
帰り際、二人の少尉は「この戦争はいつかは終わります。しかし
今自分達が死ななければ、この国を君たちに残すことはできませ
ん」といって、子供たちの頭をなで、満足の微笑みをたたえながら
去って行った。
翌日の午前、鳥栖小学校の上空に一機の飛行機が現われ、二度、
三度と翼を大きく振りながら南の空へ飛び去っていったという。こ
の時のピアノは今も、鳥栖小学校に保存されているそうだ。
Japan On the Globe (80)
国際派日本人養成講座
ミラー大尉の残したもの
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog080.html
>742
どんなに言葉を飾ってみたところで「犬死に」は「犬死に」だろう・・・時々JOGって
妙な文章が紛れ込むな。
つうか、その記事書いたやつに「海上護衛戦」の大井さんと軍令部のやりとりを500回
書写させた方が良いのでは。
発令した連中は、はっきり犬死にだと認めてるわけで。
現場の中間管理職が、その場を納めるために言ったことを必要以上に崇拝するのは
いかがなものかと。
…「犬死に」だから、「嘲(あざけ)るべき」だとも?
犬死にかどうかを決めるのは上の連中か?
やはり本人たちじゃないのか。あるいは我々後世に生きる者かもしれない。
何にせよ、
>発令した連中は、はっきり犬死にだと認めてるわけで。
だから犬死に、と短絡してしまうところがイタイ
>現場の中間管理職が、その場を納めるために言ったこと
本心でないとなぜ断定できるのか
>>746 つまり、あの異常な状況の中での苦渋の思いを引用して、
「日本人とはこういうヤツラなのじゃ」と思われてはたまらんという事だと思うよ。
海の人の言葉を借りれば、現場の中間管理職の悲哀を描いた文章とも取れる。
じゃ敗戦国の戦死者は全員犬死で結構って事だなw
751 :
名無し三等兵:04/01/13 04:31 ID:eLR+0yZ7
海の人に、ここ数レスの間の流れから言わせてもらえば
「それを言っちゃ終わりだろ」
と。
お利口さんな事は幾らでも言えるけどね。
お願いだから雰囲気を壊すような事は言わないでくれ。
壊してるのはお前
753 :
名無し三等兵:04/01/13 09:51 ID:vrThsbgS
やっぱ膿は荒らしなんだな。以降放置ね。
特攻に関しては、雰囲気だけの問題とは思えんよ。
漏れ自身は、特攻に従事した個々の人の死を、「犬死」とは言いたくない。
敗戦国の戦死者は、全員犬死でけっこうとも思わない。
しかしだな。国難にあえて殉じようって個人の思いにおんぶ抱っこで、
それを軍事作戦として採用するのはいかがなものか。
まして、発案者自身が「統帥の外道」、すなわち、まともな軍事作戦ではない、
と言明しているような類のものなのだからね。
特攻の持つ悲劇性、しばしば伝えられる個々人の勇気・理想、
それに涙するのはいい。人間性がまともにある人間なら、それが当然。
だけど、それだけに流されちゃいかんだろ…という具合に意見表明しておくのは、
このスレでも許容範囲のうちだと思うんだが…。
特攻戦術の創始者である大西提督は、はっきりと「統率の外道である」と言っている訳だが。
美化も一種の思考停止だ。後を継ぐ者としては、何故我らの父祖がかくも悲惨な「統率の外道」を敢えて踏んだのかを考える義務がある。
雰囲気なんかどうでもいい。
特攻隊員の崇高な心情を否定する気はさらさらないが、特攻作戦が愚行であるのは厳然たる事実だ。
あれは全くもって「統率の外道」であり、軍事技術者としてやってはならない事だった。
756 :
755:04/01/13 10:10 ID:???
>754
ケコーンですな(w
つーか、大和の話しだろ?
あれが、どういう目的で何をしに行ったのかを考えれば、自ずと答えは出ると思うが…
犬死により、さらに酷い話しじゃないのか?
国家の為ではなく、ただただ、海軍の面子を立てるために死にに行かされたんだぜ。
翻って今を見るに、なんか、こういう情緒を煽る様な物言いは、どうかと思うがね。
758 :
:04/01/13 10:33 ID:???
>>750 特攻だけがなぜか犬死犬死言われるんだよな。
>758
軍事的合理性を持たない作戦で死に追いやられたから、でしょ。
760 :
:04/01/13 10:50 ID:???
>>759 それならば特殊潜行艇の戦死者、
菊水作戦による戦死者、
本土上空でB29に体当たりして死んだ搭乗員も犬死にですね。
おまいらのやり取りを見てると、戦に負けるということがこんなに惨めなものか、と泣ける。
つうかさ、戦死者を「犬死」かそうでないか分けるのって無意味だろ
死んだ者には何の落ち度もないんだから、死者を冒涜するような言葉は使うな。
「犬死に」にこだわってるね。
まぁ、ことの本質を見抜けずに、ありもしない虚像に吠えるのはコヴァ諸君の典型ではある。
>760
事実誤認があるよ。
>特殊潜行艇
帰還することを前提とした作戦だったので、それなりに合理性はある。
>菊水作戦
「海上特攻」という言葉が独り歩きしてるけど、これは神参謀御得意の「艦隊殴り込み」の一種。
撤退可能であり、事実大和以下を失って撤退した二水戦の生き残りが批判されたという話は無い。
本物の各種特攻作戦よりはまだ合理性がある。
>本土上空でB29に体当たりして死んだ
震天制空隊のことなら、確かにそう。しかし「普通の迎撃よりも難しいので犬死にしかならない」という判断から、部隊は拡大されなかった。
>つうかさ、戦死者を「犬死」かそうでないか分けるのって無意味だろ
意味はある。合理的な作戦を遂行中に戦死することと、非合理的な特攻作戦での戦死では、作戦立案者や指揮者の責任がまるで違う。
文字面に惑わされて判断力を失ってどうするの?
正直、死者を冒涜、ってえのが理解できん。
むしろ、うやむやにして、なんか特攻って格好いいとか持ち上げる方が、冒涜しているようにすら思える。
個々人の特攻で散っていった方々は、それこそ、お国の為、家族の為死んでいったんだろうし
誰も、それを冒涜しようとなんて思ってないだろうに…
が、大局的に見れば、犬死には犬死に、それを犬死にじゃ無いって言うのは、
死んでいった個々人を擁護する事では無く、なーんも考えなしに、面子やら体面やらを
取り繕うために、国民を犬死にさせていった上層部を擁護するだけだろ。
兵士が戦死すれば英雄であり名誉を手に入れる事ができる
その死に意義があったかどうかは後の人々が決める事であり
当人が気にする事ではないし解釈によって白にも黒にもなりうる
「ただ駆け抜けるのみ」その姿勢が人を感動させるのであり
その勇気を賞賛すべきである。うむ。
なにが「うむ」だ、ヴォケ
うむ
769 :
伯爵:04/01/13 12:54 ID:???
うむ。完璧すぎる説明で追い込んでしまったようだ。
どうかね? お詫びに私が焼いた自慢のスコーンをご馳走したいのだが
うむ。馳走になろう。
771 :
伯爵:04/01/13 13:07 ID:Qr5nesYf
貴殿はユーモアのわかる方のようだ
失礼した。ミスター東郷・・・
握手はしない習慣だったね。
思うに、「犬死」という侮蔑を含んだ言葉を用いるから荒れるのではないかと。
冗長ではあるが「軍事的には無意味な犠牲」程度の表現にとどめるべきでは。
>>763 なんだコイツ?w
勝手にコヴァ認定して悦に入ってるわけね。
虚像に吠えてるのはどっちなんだかwww
お前ら、スレタイをよく見てから自分の書き込み見返してみろ。
>>765 特攻格好いいとか持ち上げてる?どこが?
脳内変換もたいがいにしろよ
あーはっはっはっはっはっはっは
あーはっはっはっはっはっはっは
∧_∧
( ´_ゝ`)
( )
特攻ほど効率の良い作戦はない
え?まじ?
>773
悔しかったんだねプププ
まあ、一番賢いのは病気のふりして特攻を逃れたうちの爺ちゃんってこった
まぁ人生色々だな
泣けるぜ・・・。
>>780 軍隊がいやで、台湾で憲兵やってたウチのじーさまと比べてどっちが賢いかな?
「自由主義に毒された不純な」学徒出身パイロットは、特攻なんて馬鹿馬鹿しいと思ってた人も多いよ。
まあ、当たり前と言えば当たり前だ。科学的な思考のできる人間なら付き合ってられんわな。
ソ・フィン戦のような純粋な防衛戦争ならまだやる気にもなるだろうけど、大東亜戦争は国家主義者
とマスコミに扇動された大衆がおっぱじめたようなもんだから、命を賭ける気にならないのも当然。
戦時中は自由主義的な学問は弾圧されてたしね。当時の手記を読んでも、軍人や一般大衆の無知、
頑迷さに絶望したって記述は結構ある。
特攻へ 新聞記者の美辞麗句
特攻隊 神よ神よとおだてられ
各々の ふるさと向かいて別れ告げ
万歳が この世の声のだしをさめ
俺の顔 青い色かと友が聞き
必勝論 必敗論と手を握り
機上にて 涙の顔で笑って居
死ぬ間際 同じ願いを一つ持ち
父母恋し 彼女恋しと雲に告げ
あの野郎 行きやがったと目に涙
還らぬと 知りつゝも待つ夕べかな
今日もまた 全機還らず月が冴え
春の空 今日も静かに暮れて行く
友を待つ 空にまばらな星のかず
どう考えても合理性も何も見えてこないメチャクチャな状況。
組織の面子だけを考え、死に行く兵のことは何ひとつ考えていない命令書。
そうした状況がもはや避けえないことが明確となったときに、
それでも自分自身の死を無意味だと位置づけて死んでいけるほど、
人間は自分の生命に対して冷淡にはなれないだろ。
だからせめて現場では何らかの意味づけをしたいじゃないか。
…だから、現場の人が考えた「意義」と、
命令自体が「無意味」だと主張することとは何の相違も行き違いもないと思われ。
泣けるスレ
>>743 それは映画の月光のピアノの原作ですか?
10年くらい前に観た様な…
>743
結論から言うとそのモデルの少尉殿は無事復員されておられたとか・・。
あえて感情論を吐かせて頂けるなら、硬直した官僚組織に成り下がった
帝國陸海軍の体面を保つという「犬死」という本質があるからこそ…
実際に特攻で亡くなった方の最期の叫びが胸をうつ、という側面もある。
仮に特攻で戦局が(一時的にでも)好転したなら、(空母の五〜六隻も一挙に沈めたなら)
私たちの心の中に特攻を「した意義」が生じてしまったかもしれない。
特攻を肯定する人たちには別の面で「した意義」があるのだろうが。
駆逐艦涼月物語は何度見てもじわっときてしまう
>>792 感情論で言うならそんなことでうちのおじさんは亡くなったのかと言うのが先に来るよ
親戚もまるで触れちゃいけないことのようにそのおじさんのこと話さないし
私自身、そのおじさんを写真でしか見たこと無いが家族の中でその人だけがまるで存在しない人のような扱いなのがやりきれない
爺ちゃんから聞いた話
「あいつは一回こっちに帰ってきて小学校で先生やってその後また召集されたので
駅まで一緒に歩いている途中で行くのは船上だから朝日新聞からもらったジュラルミンの
ライターのケースをあげたらあいつはこりゃ良いやと言って持って行ってそのままだったなぁ。」
4月7日あの船が大叔父の墓標です。
反戦映画なんか有り難がる香具師はクソ
軍事板に来るな。
>軍事板に来るな。
オマエガナー
799 :
名無し三等兵:04/01/14 17:28 ID:XtE1w39/
とりあえず
>>1- 999
自己陶酔の悲壮美に浸るのはよしなさい
浪花節モードでは厭戦気分になるだけでつよ
では続きを
800 :
789:04/01/14 17:31 ID:???
>>796 ぐぐったらご指摘の通りでした。記憶違いでした。ありがと。
フラッシュもよかった。こういうのが観たくてここに来たのにあんまりないんですか?
>>56のは泣けました。
前スレ見れないんで既出の名作観られないのが悔しいです。
うちのじいちゃんは歳をごまかして志願兵になり特攻にも志願した筋金入りの
愛国少年だったらしいのですが、出撃直前に終戦になり助かったそうですが
台湾に行く船団のほかの船は沈められたが自分の船だけは助かったり結構
運が強い人だったみたいですが、引き上げてきて非国民といわれるのはつらかったそうです。
当時がどうだったかは知りませんが、日本人の変節ぶりには憤りを覚えます。
広島師範の師範徴兵の方ですか。
実際のところあの船で将来有望な教育者を大勢失いましたからね。
現在の県下の教育界の惨状を招いたのはその結果でDQN共を採用せざるをえなかったことにあるのでは。
804 :
800:04/01/15 22:10 ID:???
保守
俺の祖父さんは酔うとよく戦争の話をしてた。
とっくに死んで、昔の話だからあんまり覚えてないけど
たしか中国の方に行ってた。
鉄砲の弾はめちゃくちゃ遠くまで届くとか
穴掘りばっかりしてたとか
いつも同じ話。
俺は酔っ払った祖父さんがあまり好きじゃなかったから
正直ウザかった。
ある時なんとなく聞いてみた。
「爺ちゃん、人殺したことあるの?」
今思えば、祖父さんが戦争の話をしなくなったのはたぶんその日から。
あの時黙ったままだった祖父さん。
そしてその何年か後、いい歳して農薬飲んで自殺した祖父さん。
俺が馬鹿だったのか?
祖父さんの葬式にはちっとも涙の出なかった俺だけど
最近よくあなたを想い出します
>>806 いいなそれ。
ウゼェジジイを黙らせる良い方法だな。
809 :
808:04/01/22 05:03 ID:???
すいませんでした。
謝らなくていいから、げっぷが出るまで農薬飲んでてくれないか?
旧海軍で新兵イジメといえば有名な「バッターリンチ」。
整列させた新兵に古兵が「気合いを入れる」と称して精神注入棒でケツを
腰が抜ける程ひっぱたく行為は、洋上陸上を問わず新兵である限り受け
続けねばならなかったのである。
時は太平洋戦争末期。南洋の孤島に取り残されたある海軍守備隊。
ここに最後に配属された新兵は、全員二度と内地の土を踏む事は無かった。
原因は戦死でも病死でも餓死でも無く。
補充が来ない故に最後まで新兵であり続けた彼らは、全員最後の一人まで
続けられたバッターリンチによる衰弱死でこの世を去ったのである。
恐るべし帝国海軍の伝統。
812 :
808:04/01/23 22:48 ID:TrwTAZn6
>809
誰だてめぇ?
ところで、ウチのジーさん(シンガポール→ラバウルと転戦したらしい)が戦争の話を始めたんで、早速 >806の方法を使ってみた。
そしたら、
「ああ、俺は通信兵だったから、実戦で銃撃ったこと無いんだよ。ハッハッハッ。」
………_| ̄|○
813 :
808:04/01/23 22:51 ID:???
ふーん
814 :
808:04/01/23 22:54 ID:???
ワラタ
お江戸
816 :
808:04/01/23 23:00 ID:???
お七
福岡県北九州市若松区XXXX
818 :
吉原3等兵:04/01/24 22:50 ID:3gGY0UiE
話題が途切れ気味だから、ちょっと感動した話を。
(昨日、漏れがソープランドで体験したこと)
吉原のとある中級店。
入店して待合室に通されると、なぜかそこにオバサンがいる。
数人の客となにやら話をしていた。
スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたてていると、全盲の息子が筆下ろしをしたいと言うので、付き添いで来たらしい。
オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、話し相手の客数人は
「大丈夫」、「心配しなくていいよ」
などとなだめていた。
しばらくたって奥から、白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。息子だ。
革靴はピカピカで、服もけっこう上質だ。この日のために揃えてあげたのだろう。
母はソファから飛び出して姫と軽く会釈し、息子に聞いた。
「どうだった?いいこと出来た?」
「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」
実は姫を指差すつもりが別の方向だったので、姫が素早く指した方向に移動。
母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら
「あんたよかったね〜!!」
と背中を何度もさすっていた。
客も拍手したり「よかったなあ」と激励していた。
今まで無口だった893風の客まで立ち上がって、青年の肩をポンポン叩きながら、
「あんたも一人前の男になったぞ」
と祝福していた。
姫も感動して泣いていた。実に素晴らしい光景。
涙腺の弱い漏れは新聞で顔を隠しながら泣いた。
有名なコピペ
まあいい話だけどね
金で買われる性奴隷のソープ嬢が可哀想で泣ける
漫奴隷も忘れないで!w!
822 :
名無し三等兵:04/01/24 23:33 ID:MOAahg2O
自衛隊員の結婚式の時、おじいちゃんが現れて「大和に乗っていました」
と言って、会場の自衛隊員が敬礼したという話しを誰か貼ってください。
827 名前: 名無し三等兵 投稿日: 02/02/16 02:09
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが
>>820 その点海の人は偉い!
自分がキモイから買われる女が可哀相だと言って風俗に行かないのだ。
奴は真の漢だよ。
もう50代だから単純に勃た無(ry
>825
失礼な、「まだ」50代だYO!(プンプン
>>826 50代がこんなとこ書き込んでちゃだめじゃん
829 :
名無し三等兵:04/01/25 20:46 ID:zL3be8wq
822です。
>>823さん、ありがとうございました!!やっぱり泣けます・・・・。
739 名前: 大人の名無しさん 投稿日: 2001/07/10(火) 17:15
セルビアだかクロアチアだか。
街への攻撃がひどくなって、住民が疎開する。
破壊された我が家に一家が戻ってきて
子どもは瓦礫の中にかわいがっていたぬいぐるみをみつける。
”おきざりにしてごめんね。ひとりぽっちで怖かったよね
待っててくれてありがとう”
不安と緊張の日々の中の、一瞬の緩和。
ぬいぐるみを抱き上げる。
仕掛けられた爆弾によって
子どもはもっとも親しいトモダチに
殺された。
というか、「まあそんなもんだろうな。」と思う自分が嫌
>>831 読み終わってどん底まで鬱になった漏れはここでは異端か?
>834
それがふつう。
3週間生き残れれば、あーなる(>832-833)
子供や民間人向けのトラップを仕掛ける側に廻りたくはないね。
仕掛けられるのもアレだが。
ブートラなんて歴とした戦士のやることではない
こういうのを見て、
「で、死んだ子供がその直前まで考えたことが
どうして判ったんだ?」
とか思ってしまうのは汚れているのだろうか・・・
>>838 この手の話に弱い漏れとしては
君の思慮深さが羨ましい。
>>838 俺は、かわいがっていた=昔からあった、ぬいぐるみに何で爆弾が?とオモタ
あの手の爆弾入り玩具って、最初から爆薬入りで生産されているんじゃないのか?
あと、あの手の爆弾って仕掛けるときに「誰も掛かりませんように…」って祈りながら仕掛けるらしいね。
レベル低下も甚だしい
>>840 ぬいぐるみの裏側から伸びる細いワイヤーが、瓦礫のカゲに
据えられた爆弾の信管部に伸びている
・・という図を想像できんか?
ドイツ軍は緻密さでは筋金入りなので、
家の戸口に爆弾、ドアに爆弾、双眼鏡に爆弾・・・と爆弾を仕掛けまくった。
イギリス軍もだんだんわかってきて、臭い場所はとっとと爆破しちまおう、と
放棄された家屋に爆弾を仕掛けて導火線を引き、
近くのくぼ地に伏せてニヤニヤしながら爆弾のスイッチをオン!!
----その瞬間、くぼ地に仕掛けられた爆弾が大爆発した!!
>>844 キツネと狸の化かし合いだね。
ベトナム戦争の映画で良く村ごと焼き払うのは
ブービートラップが怖いからだね。
>>844 おあつらえむきのくぼ地が近くにあるということを怪しいと
思わなかったイギリス人間抜けだなw
日本軍が中国でやったのも似たような物かも
怪しい家のかまどに小銃弾を何発か仕込んでおく
日本軍が去った後戻ってきて安心してかまどに火をつけたら・・・
旧軍グッジョブ!
>>847 他の話だと手榴弾を突っ込んでおくというのもある
851 :
名無し三等兵:04/01/26 21:14 ID:AamShGCk
ってかさ、ここの軍ヲタって
「悲しいかもしれないが戦争なのだからしょうがない」って
言ってる自分に酔ってるよね。子供っていうか・・・
「僕は冷徹な人間にはなりたくないけどならなければ
戦争は語れないんだよ」
って感じ?
>>833とかさ、「というか、「まあそんなもんだろうな。」と思う自分が嫌」
って言ってるけど本当に自分がいやなら書きこまないだろ。
結局はお前ら自分は冷静で頭が切れるって言われたいんだろ?
まぁかなり煽りみたいな文になったけど最低でも
「犬死に」
って言う言葉はちゃんと分かってる軍ヲタなら絶対に使わない言葉だと思う。
そこらへん考えて成長してくれ
852 :
833:04/01/26 21:15 ID:???
>>847 遺棄死体に毒薬を塗っておけば、 拾い食いした支那兵が・・・・・
855 :
::04/01/26 21:39 ID:nWQItHpX
>>851 やっぱり特攻のフィルムとか見ちゃうと泣けるよな。
あの犬死にっぷりが。
>857
ヽ, `ヽ /゚ヽ
,.' -─-ヽ. / )
<i iノリノ))))> / (
ノl i_゚ ヮ゚ノli / )
( (i/wkつつ7 (
∠,ノ,イつつ )
(,
釣れまつか?
まぁ、特攻は犬死にだろうな。
つか、戦争で死ぬこと自体、大半の人にとっては犬死。
猫死に
∧||∧
( ⌒ ヽ
∪ ノ
∪∪
>>851 隼スレで暴れてるなでるくんっていう気違いに言ってやってくれ
ま,誰かが死んで「他の誰かのためになった」という事例なんて
あんまり聞かないがな
ドナー登録してたから死後臓器が提供された・・とか別にして
>>862 ドナーカードを持ってると、死にかけなのに
(死んだ)と、判定され生体解剖を食らう可能性が、
今の日本の現状だと否定しきれない。ので
ご注意いアソバセ!
☆ 植物状態と脳死状態との違いを説明できない人は、
自分で良く調べるようにネ!
医者はドナー登録をしたがらない、という話は聞くな・・・。
>863
ドナーカードの実物見ずに批判すんなよな…
「どの臓器の提供も承諾しません」の項目にチェック入れておけば、
そういった事態はドナーカード持ってるからこそ防げるわけで。
866 :
名無し三等兵:04/01/28 00:44 ID:rMoy8KZl
>>851 激しく同意!
なんかこのスレの犬死って叫んでる香具師
らは本当にあんたの言うとおち「たいしたことない」
軍ヲタだと思うよ
もれも病院でドナーカード貰おうと思って看護婦さんに言ったら
ちょっと気まずい感じになったな
全くスレ違いだが、有名な奴
オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。
先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか
妖怪も混じっていたり。「ばあちゃん、よく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。
>>868 やめろよ、俺そーゆー話に弱いんだょぅ・・・(号泣
871 :
名無し三等兵:04/01/29 01:01 ID:vSGUEgMS
>以前から心配していた船体の前後に付いている菊の御紋章、後部部分はやはり盗まれていた。幸い船前方先端にはカキジャコがびっしり
付着し、それがあることすら隠してくれている。
文月は駆逐艦だから、誤紋章はないんだよ、、、
菊水の紋章のことだろ
菊水の紋章なんて付いてたっけ?
ひとらーの遺書は泣けるよ。
875 :
名無し三等兵:04/01/29 02:09 ID:45Jar5wA
/⌒/ ̄ ̄ ヽ
/⌒ ⌒\
/ ( ( ノ ノノ ヽ
〈 / \ )
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(( \●≫|≪●/ ))
ヽ /|\ /
ヽ / | \ /
ヽ / | \ /
ヽ/ 〈 〉 \/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(ー――――一) < エース◆3Ug.lZaPiYは腹切って死ね
\  ̄ ̄ / \_______________________
ヽ___/
___/|\ /|\___
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スレずれでスマソ
おいらのじいさんは海軍予備役(早い話が商船乗の予備役)だったらしいが、
機銃掃射をうけてラバウルで入院。
病院で「立てるものは立て」の命令を受けて隣のベットの方に助けて
もらってようやく立って病院船に乗れたらしい。
じいさんの乗れた病院船が最後の病院船になったそうだ
(次の船は撃沈だそうだ)。
おかげでじいさんは無事帰れたが、
戦後、タンカーの船長になって中東戦争の封鎖を破って
石油を運んだ。
日本のためと言うより本音は、帰れなかった戦友の無念の万分の一
でも晴らそうとしたことだそうだ
(じいさんには戦争になった原因が石油をはじめとする資源だ
という認識だったらしい)。
鬼籍に入ってしまったが大人になるにつれ敬意を深めるこの頃である。
1東条英機「日米開戦汁!」
2武藤章「はげしく同意! かれいに2ゲッツ」
3星野直樹「また国防厨か・・・つーか日本は満蒙なくてもやってけるし
くそスレたんな>>1 」
4南次郎「国防は政治に先行する」
5荒木貞夫「国防は政治に先行する」
6大島浩「>>4−>>5.ケコーン。独逸!独逸!」
7大川周明「精神主義厨、南、荒木、は逝ってヨシ!独逸病も逝ってヨシ!」
9東条「精神病、大川キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!」
10武藤「キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!」
11土肥原憲二「陛下の御心は御国を肥やすことのみに非ず(ぼそ」
12東条「清貧主義キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!」
13武藤「満州のローレンスキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!」
14嶋田重太郎「陸軍uzeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!
貴様らは真の愛国者ではない!」
15武藤「>>14(´ι _` ) アッソ」
首相「やもなきに至り。カイセンすることになり升タ」
↑
これだけ見ると嶋田がやけに(・∀・)イイ!!人に見える。
880 :
名無し三等兵:04/01/29 12:31 ID:vSGUEgMS
>>2武藤章「はげしく同意! かれいに2ゲッツ」
「ヲレは戦争が大嫌いだ!そんなに戦争が好きならオマエガ勝手にやれ!」
とか軍務局で叫んで、日米交渉を最後まで継続していたような、、、、
日本人って烏合の衆だよな・・・。今も昔もさ。
うむ,やたがらすは神国日本の象徴である
>>878 9を大川は根に持って裁判で頭をペチリとやったわけだな
で、8は誰? なんて言ったの?
885 :
名無し三等兵:04/01/31 01:12 ID:3GmfLOnP
ローズ「奇襲キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!! 武器キボンヌ」
陸軍弾道研究所「予算キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!! 」
ノイマン「ENIAC作りますタ。1人で作りますタ」
モークリー、エッカート「ユ○矢の抜け駆け巧名キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!! 」
日本の○○達「負けますタ。戦力放棄シマツ(はあと」
とるーまん「勝ちますタ。冷戦です。武器キボンヌ」
IBM社「米軍の協力体制キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!! 」
ベル研「豊富な資金提供キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!! 」
富士通「資金不足デツ。撤退シマツ。アメリカの独占デツね・・」
日本電気「資金不足デツ」
嶋正利「CPUのワンチップ化シマツ!資金協力キボンヌ!コンピューターの革命デツ」
日本の○○達「防衛費は減らしますが何か?日本をアメリカの戦争に巻き込むつもりですか?」
インテル「協力しますが何か?」
テッド・ホフと嶋正利「マイクロプロッサ4004開発しますタ」
某電気ヲタ「個人用こんぴゅーたーの出現だ!!」
マジで泣ける
でも4004は電卓用だけどね。
すっかりネタ切れ
>>744 …隣町じゃんか。
今度の日曜にでも、見学してこようかなぁ。
890 :
名無し三等兵:04/01/31 16:49 ID:o03yNjbn
組み込みとか印刷用ならナー
携帯でも使っているだろうが。
893 :
名無し三等兵:04/01/31 21:11 ID:YkB9pk+B
坂本対ビルゲイツ対談きぼんぬ
坂村?
:-p
>>851様のお陰ですっかりスレの空気が和やかなものになりましたね
897 :
名無し三等兵:04/01/31 22:28 ID:RvCwmRw4
父 おまいも851のような立派な人になるのだぞ。
子 はい、851のような人になりたいでつ。
かつての優良スレも糞スレに成り下がったな・・・・
泣けてくる・・・・・・・
900get!
901 :
名無し三等兵:04/02/01 14:38 ID:EHfzGqB8
>>56の「所感」は泣いちまった・・・カッコ良すぎるぜアンタ・・・(泣
こういう言い方なんだかけど、俺らの世代でまたかつての民族主義とかナショナリズム
(悪い意味にとらんでくれ。旨い言い方がみつからなかった)が復活してきたのって
サブカルチャー全盛の時代に生きてきて「非日常」の存在がある程度理解できるからこそ
戦争の中から光も影も見つけることができるようになったのではないかなぁ・・と思う。
だって、この特攻隊員殿ってそのままマンガやアニメになれそうなくらい
ヒロイズム溢れてんじゃん?
そもそも戦争だの特攻だのは、漫画やアニメと相性がいいんだよ。
なんで日本の漫画やアニメで戦争ものが多いかというと、実写では世間が
うるさくて表現できないから。最初のガンダム、ヤマトなんかはハードな戦争物の
代替品としての役割を担ってきた。
こういった戦争風味満載のサブカルチャーで育ってきたものが、特攻隊員に
似たような感覚を見つけて興味を持つのは当然だろう。
まあそういうのも使い古されて特攻隊員のヒロイズムなんて今ではギャグにしか
ならないけど、当時は真剣にやってたんだろうな。
なぜ朝日はガンダムなんか放映する気になったのだろう…
まぁ、あれだ。
今の自衛隊には地味で情けなくて泣ける話は似合うかも知れないけど、
切なく悲しくて泣ける話は似合わない。
つーわけで、イラクへ行かれる自衛隊員は、
全員、「必ず」無事に帰って来るように!
よろしくおながいします。
>>903 朝日はアニメだの漫画だののサブカルチャーには妙に理解がある。
>>903 ガンダムは横暴な軍人が民間人保護の義務を放棄して
辻売りから商品を取り上げたり,民家に上がり込んで
放蕩したりする番組だったような
>>903 朝日という組織は一枚岩じゃないってことさ。
>>903 人気があったから放送する気になった。
視聴率のためならなりふり構わないのが朝日の特徴。
>視聴率のためならなりふり構わない
おいおい、民放はみんなそうじゃないか。
でも、朝日新聞とかに批判記事載らないのか?
やっぱ身内は例外か?
ガンダムのTV版は人気薄で早期打ち切り、
ブレイクしたのは映画が公開されてからだと思ったが。
>>911 映画より先にブレイクしていたよ。
テレ朝は名古屋テレビ、朝日放送の後にガンダムを放送している。
ガンダムが人気薄で放送打ち切りというのは、名古屋テレビでの
ローカル放送時代のこと。
ガンダムは本放送が終わってからプラモでブレイクしたので、
プラモは買うけど本放送を観ていないという人間がたくさんいた。
そういう「本編童貞」の要請で作られたのが映画版。
>>912 ガンダムの放送期間がテレ朝と名古屋テレビで違うってことは
ないだろ。
>>912 端から全国放送。
ガンダムの人気が爆発したのは再放送(昔は再放送ばりばりだった)から。
おまいら通常の3倍スレ違い!
年齢層がよく分かっていいね。
おいらもそっち側だ。
851様ありがたやありがたや
種ももしかして再放送で人気に火がつくのを狙ってるんじゃw
日経いわく、1st以来のヒットらしいので、既に火は付いている、らしい。
ガンダムのどこがいいのか全然理解できん。
軍オタにはガンダム好きが多いとは聞いていたが。
装甲騎兵ボトムズっていう奴の方が
ガンダム見るより遥かにおもろいぞ。
マジンガーZの方が面白いと思うが。
種が人気?
放送終了と同時に、人気も終わってしまったように思えるが。
先の冬コミケでも、種のエリアは人が少なかったというし。
悲しいけど、おまいらスレ違いなのよね。
だからスレ違い野郎は!
イデオン面白いよ
このスレでアニメネタのレスが多発する事実。
泣ける話だ。
キルヒアイスが死んだときは泣いた
銀河英雄伝説のタイトルが「herdensagen〜」になってた頃は笑った。
しかし軍ヲタならダグラムは見ておけと言っておく。
ある意味、真正面から戦争を扱ってるので。
良スレかと思って除いたら駄スレだった・・・・・
933 :
931:04/02/06 10:22 ID:???
更に駄スレだった・・・・・
(・∀・)ニヤニヤ
>921と>930
どちらも同じ高橋良輔作品だが…「ガサラキ」は軍板的にはあんまお勧めしない、かも。
ダンバインはカミカゼアタックがあるぞ
アニメの話はアニメスレでやっとくれ。
昨年、弟が「RPGやりたい」と言い出したので、俺が持ってるRPGを一通り貸してみた。
FFは4〜9まで。ロマサガ1〜3。聖剣は2〜3まで。
その他はクロノトリガー、グランディアやスターオーシャンなども。
しかし、弟はどれもやってみたが長続きせず、どれも途中で投げてしまったらしかった。
だが昨日、俺は見た。
弟がなぜか泣いていた。ふと居間を覗いて様子を見てみると、クロノトリガーのエンディングの音楽が流れていた。
クロノとマールが風船で空へと舞い上ってゆくシーンだった。
俺はそのままふすまを静かに閉めて部屋を出た。
なんかとても嬉しかった。弟がゲームやって感動しているところなんて初めて見た。
そして思った。クロノトリガーは偉大だな、って。
俺も大好きだし、未だに最高のRPGだと思う。
人を感動させる事ができるゲームって本当に素敵だよ。
昨年、弟が「RPGやりたい」と言い出したので、俺が持ってるRPGを一通り貸してみた。
パンツァーファウストは30〜100まで。M72はA2〜A3。パンツァーシュレッケは43〜54まで。
その他はRPG-7、やジャベリンなども。
しかし、弟はどれもやってみたが長続きせず、どれも途中で投げてしまったらしかった。
だが昨日、俺は見た。
弟がなぜか泣いていた。ふと居間を覗いて様子を見てみると、M1戦車が沈黙していた。
RPGで仕留めたのだった。
俺はそのままふすまを静かに閉めて部屋を出た。
なんかとても嬉しかった。弟が戦車を仕留めてるところなんて初めて見た。
そして思った。RPG-7は偉大だな、って。
俺も大好きだし、未だに最高のRPGだと思う。
人を感動させる事ができるRPGって本当に素敵だよ。
…国産車の性能はお粗末で、性能は悪く、故障も絶えなかった。
陸軍大臣の乗用車は、陸軍自動車学校の研究を名目にして購入させた高級外車。
1939年、陸軍自動車学校校長になった武内少将がこうした現状を憂い、
「陸軍は、国産車を育成させているのだから、陸軍大臣は国産車に乗るべきだ!」
と、抗議すると、陸軍省からは、
「大臣は陛下のお供をしますから、その時万一、事故が起きては畏れ多いから、
これはやっぱり、国産車じゃなくて外国車ですよ」
という返事が返ってきたという。
941 :
851:04/02/16 19:14 ID:8WRkPI8q
当初の予想どおり、この板の住人のレベルがよくわかるスレになったな(w
ネタが尽きると有象無象のクソが集うようになる
>>56のFLASH「所感」で使用されている曲はなんて曲?
教えてください!
945 :
名無し三等兵:04/02/18 18:57 ID:BpdQkc1+
age
946 :
名無し三等兵:04/02/18 20:23 ID:tjBYOCWH
947 :
名無し三等兵:04/02/18 21:15 ID:oL4jL+Rt
>>944 菅野よう子作曲「月の繭」
∀ガンダムのED曲と聞いてますが。
小4の時の1月15日連休最初の日だっけかな?
いつものメンバー5人で俺の住んでたマンションで遊んでいた。
あん時はミニ四駆を廊下で走らせてて騒いでは管理人さんによく怒られたもんだ。
俺は改造が下手でいつも遅かった。そん中の香具師が肉抜きしてやるから貸してや
といわれて俺はどうしても1番になりたかったから貸して改造をお願いした。
休み終わったら学校に持っていくわと言われてかなり楽しみにしてた。
その休み明けそれが1月17日震災の日だった。
俺は電球の傘にぶつかって額を切ったがなんとか無事だった。
避難した公園にいつもの奴らが集まってくる4人揃ったが後1人こない。
心配になって4人とうちの親父とでそいつの家の前に行ってみた。
光景は悲惨なものだった。1階部分が見る影もなく2階しかなかった。
そいつの姉貴が2階で寝てたらしくて無事に出てきたがワンワン泣いていた。
「お母さん、お父さん、〇〇、何してんのよ早くねてらんと早く出てきてや。」
俺たちもその前で立ち尽くすばかりで何もできずそれぞれ親戚の家や知り合いの
家に避難することになってしまった。
そして2月に入っての新聞。死亡者名の欄にあいつと、あいつの両親の名前が載っていた。
俺はそれを聞いて地元にいったん戻った。2月20日の合同慰霊祭。あいつと対面したのはその日だった。
スプレー塗装が剥げてるボロボロのミニ四とメモをやつ姉貴が渡してくれた。
メモには「ちょっとオマケでスプレーもしといたで。これでお前もいっちょまえになれるな
次走るとき楽しみにしてるで」
「いつ走るねんや。アホが」涙で言葉はそれしかでなかった。
あれから9年、色あせてもう動くことはないだろうミニ四
今も部屋の机の上に置いている。
216 名前:名無しさん@4周年[sage] 投稿日:04/01/28 20:33 ID:8S50Do3g
地元の人はそのままにしてあげて、と言うらしいな
うちのじいちゃんは戦争に行って生きて帰ってきたけど
死んだら靖国へ!と生死のギリギリのところでもそう念じていたらしい
もちろん生きて帰れるなら家族の下へ、と思うらしんだけど
一蓮托生生死を共にした仲間と死んで会えるのは約束の地、靖国
なんだそうだ・・・でうちのじいちゃんの老衰86でなくなったんだけど
火葬時、死ぬ間際までよく被っていた海軍帽を棺に入れてあげました
本当は形見で取って置きたいと親戚のおじさん(じいちゃんの長男)が
言ったんだけど、ばあちゃんが
「あの世で戦友さんと顔をあわせるとき被ってないとわからんじゃろ?
うちのとーちゃん皺くちゃんおじいさんだもん」と言って結局一緒に火葬した
自分には靖国に眠る祖父がいる。
が、先日某極左新聞に「靖国のA級戦犯をなぜ奉るのか」という内容の投書があった。
俺の祖父を戦犯扱いされた事に号泣した。
>>951 > 俺の祖父を戦犯扱いされた事に号泣した。
いや、戦犯は名誉回復してるし戦犯の定義自体が連合国の恣意的なもので・・・・
ただ戦犯って言葉だけで犯罪者のイメージってのは見識としては如何なものかと。
>951
その内容だと
「靖国のA級戦犯」を問題視しているのであって
「靖国に奉られている一般の英霊」については何も言っていないと
思うんだが・・・
A級戦犯は言ってみれば戦時中に特に責任ある地位にいたとみな
された人物なわけだが、
自分の祖父を勝手にそれらと同列扱いする
>>951はある意味不遜
といえようw
>>953 禿同
なんか951には多少のムカつきさえ覚える
951の祖父はきっと東條英機なんだよ。
ぼー まいにち おとなちく ちてるか おばあちゃまや おじちゃまが いらっちゃるから
うれちいだろう
おたんじょうび みんなに かわいがられて よかったね おめでとう おめでとう
おとうちゃまは まいにち あぶーにのって はたらいている
ぼーが おとなちくして みんなに かわいがられているときいて うれちい
もうちょろちょろ あるかなければいけない はやくあるきなちゃい
おかうちゃまの いうことをよくきいて うんと えいようをとって ぢょうぶな よいこどもに
ならなくてはいけない
ちゅき きらいのないように なんでも おいちいおいちいってたべなちゃい
でわ さようなら おとうちゃまより ぼーへ
のなかたんハァハァ(;´Д`)
959 :
ルガー大好き:04/02/21 09:47 ID:rnBvYAqF
敗戦といういたましい事実が頭にこびりついていたし、気の毒な帰還兵の姿
を毎日のように見ていた頃ですから、義務をつくして苦しい戦いをたたかっ
た人々のためには、できるだけ花も実もある姿として描きたい、という気持
ちがありました。
中略
それから、当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持ちは、新聞や雑誌に
はさっぱり出ませんでした。それどころか、「戦った人はたれもかれも一律
に悪人である。」といったような調子でした。日本軍のことは悪口をいうの
が流行で、正義派でした。義務を守って命をおとした人たちのせめてもの
鎮魂をねがうことが、逆コースであるなどといわれても、私は承服すること
はできません。逆コースで結構です。あの戦争自体の原因の解明やその責任
の糾弾と、これとでは、まったく別なことです。何もかもいっしょくたにし
て罵っていた風潮は、おどろくべく軽薄なものでした。
竹山道雄 「ビルマの竪琴ができるまで」より抜粋
名作は、この御気持ちから生まれたのだと思います。
>>959 ブサヨの反戦映画なぞ持ち出す香具師は何か臭いがする。
プ〜ン
旧ソ連製映画は傑作が多かった。
愛国心がある左翼と愛国心が無い左翼とではなぜここまで差が出るのだろう。
>>960 『ビルマの竪琴』は左翼から日本兵を美化していると叩かれている
作品なのだが。
あと映画化はされたがもともとは小説なのだが。
見境なくなんでも叩くんじゃないよ、ウヨサヨ以前の池沼が。
963 :
名無し三等兵:04/02/21 16:04 ID:Ow/zg/Sw
「鬼戦車!T-34」をTV放映してほしい。
964 :
名無し三等兵:04/02/21 17:00 ID:4efgK3W9
別に日本兵を賛美してるとは思わなかったけどな。
日本兵も兵士である前に喜怒哀楽ある音楽も楽しむ普通の人間だって当たり前の表現をしたら賛美した事になるんかね。
中共の反応ならわからんでもないが奴等のアイデンティティってどうなってんのやら
「鬼が来た」って中国映画に対する中共の反応そっくりだ
960 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:04/02/21 13:02 ID:???
>
>>959 >ブサヨの反戦映画なぞ持ち出す香具師は何か臭いがする。
>プ〜ン
>『ビルマの竪琴』は左翼から日本兵を美化していると叩かれている
>作品なのだが。
右も左も似たようなメンタリティの持ち主が多いってこったろ…
反対側を叩いているだけで快楽が得られる単純な人たちなんです。
たまたま右か左かに倒れたかの差でしかないので、どうかなま暖かく見守ってやってください。
ブサヨ反戦なんて歯が浮くようなコヴァ言葉、未だに吐く野郎いるんだな
ビルマの竪琴や水木しげるの作品を左翼だとしか感じなくなったら
それはもう人としてお終い
軍事板で
>>960みたいにありのままの事実を言うと、
たちまち>>962-
>>967みたいな日本国籍をもたない生き物の煽りで埋め尽くされる。
泣ける話だ・・・
あーだめだだめだ。
アフォがいなくなるまでこのスレ放置だな。
>>968 お子ちゃまはコヴァ板や極東板に帰りなさい
というか、何事にもウヨサヨのラベルを貼らなきゃ気が済まないメンタリティ
を持っていること自体が泣ける話だ罠。
すごい釣果だね
と言うかビルマの竪琴を読んだor観た上で言ってるのかな?
974 :
960:04/02/21 20:40 ID:???
すいませんでした
>>973 あの作品はどうも一部ニューギニア戦線と混ざってるような
もっとも、ビルマにも本当に食人民族がいるらしいが
>>960 ビルマの竪琴は泣けるぞ。
日本を悪くしか言わんブサヨに、こんな物語は作れない。
小林のアホは司馬遼を悪く言ったり、水木しげるにケチつけたりしてるが、
自分の思い込みに反すると見境い無く喚き散らすような単細胞のバカに
かぶれる香具師がこれほど多いのは、ゆとり教育のせいか。
ROか・・・
ぶっちゃけ、
教育畑の人間がこーいう現実と乖離した妄想しか吐き散らさないから
子供たちが教育者を信用しなくなっていくんだがね。
受験競争の現場を知っている塾講師に「カリスマ」が生まれ、
教師が軽蔑し唾棄される人間として見られている現状をちぃとは考えろ、と。
今や教師とは子供たちにとって「その場しのぎ」「無責任」「自堕落」の同義語と思われているというのに。
>>977 元々この手のゲームに向いてない人が無理してプレイなんかするから
こんなトンチンカンな結論に達する訳で。
軍事と関係ないのでsage。
>>977 韓国のネトゲーに誘いまくり、日本人と自己紹介させて罵倒&殺戮。
話しても無駄な相手が、確かにあるのだということを学んで、
ちょっとだけでも人間的に成長してもらう。
>>982は何か少し勘違いしているような気がする。
まあ軍事と関係ないが。
>>959 ビルマの竪琴は子供の頃テレビで映画版を放映した時、
爺ちゃんが真剣な目でじっと見てたな。
その時は何故だか解らなかったけど
後で戦争中ビルマに行ってた事を知った。
色々と当時のことを思い出してたのかもしれん・・・
を
>>984 インパールやコヒマの地獄を見てきたのか…
そうでなくても、インパール戦後のビルマ全土の敗勢は目を覆うものがあるしな…。
まあ、そういう人にとっては、当の作品に対しての、現地の仏教に関する理解が浅いなどのちまちました批評などは、どうでもいいことなんだろうな。
本当は、ビルマの竪琴は、小乗仏教の教義から考えると絶対にありえない設定なんだけど。
(ぶっちゃけ僧侶は楽器なんか使っちゃいけない)
物語として素晴らしいから日本人が楽しむ分には問題なし。