【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その八】

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1牛鍋蝸牛
前スレ http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1045310800

地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。

過去ログはこちらから…。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/

      Special thanks!! Mr.161
2菊水上町:2003/04/11(金) 00:20 ID:hB1bFVEs [ h054.p184.iij4u.or.jp ]
>>1さん、新スレ立ておつでした。
当スレッドで8つめ、新地名・新名所のデビューはあるかな?

今回の飛行場のレポートは、手稲(特に曙エリア)近辺の
過去に思いを馳せるよすがとなりそうです。

過去スレにある、北大エリア飛行場(?)でのエピソード
(トラブルの際惠迪寮生を援軍に呼びみんなで飛行機を引っ張る)も
印象深かったなあ。
3西創成:2003/04/11(金) 00:57 ID:0h8NzRQI [ o050177.ap.plala.or.jp ]
>>1
新スレたてお疲れさまでした。

今回のスレでは、何が出てくるのか楽しみですな。

4新川番地:2003/04/11(金) 19:38 ID:d2SJiuyM [ p2159-ipad26sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さんスレ立てお疲れさまです  もうpart8ですか。すげー・・・しばらくROMってますが何かの折りには突然出てきますのでよろしく
5test:2003/04/11(金) 22:43 ID:9RXo62oM [ p17060-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ほー、なるほど。
6牛鍋蝸牛:2003/04/12(土) 00:24 ID:P7KjtKHA [ N046146.ppp.dion.ne.jp ]
おっとろしいことに、「その八」、突入しました。
なにはともあれ、皆さん今後ともよろしくお願いします。
今日は仕事で、ちょっと(かな〜り)飲みました。
明日(もう今日か…)も早いので、ご挨拶だけさせていただきますね。
7本村:2003/04/12(土) 18:57 ID:YqUJbZGU [ p17060-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
いやー継続調査案件も新規案件も何もない状態です。
ちなみに、プロバイダー変更しました。
8牛鍋蝸牛:2003/04/12(土) 22:12 ID:P7KjtKHA [ N046146.ppp.dion.ne.jp ]
本村さんお久しぶり…って、その実体は18丁目さん。
さて今後の予定ですが、「手稲前田」のことをもう少しやりたいと思っております。
実際には「前田農場」のことになると思います。
サダム・フセインの生死に関わらずイラク戦争が終結しようとも、「前田農場」に触れずして「手稲前田」ネタを収束するわけにはいかないのです。
もうちょっとお付き合いを願いたい。
もちろん、「別ネタを…」って方はやって戴いて結構です。
どんどんかましてください。
では、ワシはベッドに入ることにいたします。
ここでレスをして、ベッドに滑り込む時が至福の時なのであります。
9なまら名無し:2003/04/12(土) 22:13 ID:c6PSBGLE [ JJ055185.ppp.dion.ne.jp ]
南沢ってわかりやすか?
10軽川の畔:2003/04/13(日) 00:44 ID:Svmc5lTU [ j174140.ap.plala.or.jp ]
新スレ乙です!

>>9
1スレ
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html#64
あたりから出ております。
ぜひ参考に...
11軽川の畔:2003/04/13(日) 00:48 ID:Svmc5lTU [ j174140.ap.plala.or.jp ]
ありゃ?。飛ばない。
レス64あたりのことです。
12西創成:2003/04/13(日) 00:48 ID:rsQw/l3c [ i099085.ap.plala.or.jp ]
>>9
南沢

旧八垂別の中の地域の一つ。
旧八垂別には、1号沢〜8号沢という地域があったが、昭和16年、町名改正により、旧八垂別は、川沿・北ノ沢・中ノ沢・南沢と改称した。
旧8号沢を南沢という。

正式地名では、北ノ沢・中ノ沢にはカタカナの「ノ」が入るが、南沢には入らない。

旧8号沢には、自助園牧場(大12〜昭16)、ラベンダー栽培の道内始祖である、麻田農園がある。
13161:2003/04/13(日) 01:28 ID:K5EPumQI [ n217237.ap.plala.or.jp ]
相変わらず私事ですが、しばらくPCがまったく起動しない状態が続いてました。
増設したメモリが原因らしく…
で、本日何とか復旧。サイトの方も続けていきます。あっ、その7を追加しなければ…

>>11
レス番は、0を含めて3桁で指定してください。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html#064
14牛鍋蝸牛:2003/04/13(日) 22:06 ID:DPCRnM6A [ N046146.ppp.dion.ne.jp ]
調査依頼のありました、「南沢」についてちょっと口を挟みたいと思います。
「さっぽろ文庫 1 札幌地名考」から抜粋しますと、
「(略)硬石山や砥山を含めて現在ラベンダー(香水の原料)が栽培されている南沢一帯は、明治十四年に山鼻小学校の学田に指定された地域であり、八号の沢右学田、八号の沢左学田などの地名も戦前まで残っていた。
明治二十二、三年ごろに山鼻屯田から贈られたリンゴの苗木が植えられ、果樹園も多かったが、今は家の周りにわずかに残っているのみである。
佐藤善七が山鼻の自助園を南沢に移したのは大正十二年のことで、現在の向陽学園付近を中心に約五十ヘクタールの牧場を開いて酪農を始め、自助園バターとして売り出した。山鼻まで牛乳を運んで三色アイスクリームを製造し、客車で小樽、函館、旭川まで送り販売したという。
自助園の牧場であった昭和十八年ごろまでは乳牛が遊び、一面、牧草地と果樹園だった南沢の楽園も、大学が建ち道路も整備されるにつれて団地造成が進み、現在では新興の住宅地に変容しつつある」
…て、なことですが、これはあくまで昭和52年当時の記述です。

で、お気づきの方もいらっしゃいますでしょうねぇ。
「ラベンダー」ですよ。
つい最近も「ラベンダー」が登場しましたねぇ。
偶然ですけどねぇ。

ちなみに、「自助園」ってのは、芸能人がよく行くっていう六本木の焼肉屋さん、
ttp://www1.ocn.ne.jp/~natural/zyozyoen.htm ではありません。
15牛鍋蝸牛:2003/04/13(日) 22:19 ID:DPCRnM6A [ N046146.ppp.dion.ne.jp ]
↑の補足。
さて、「佐藤善七」さん…、といえば、例の「雪印」ですなぁ。
「南沢」に関しましてはまだネタありますが、とりあえず他の方々にゆだねることにいたします。
16西創成:2003/04/14(月) 02:55 ID:FItrCE96 [ i239197.ap.plala.or.jp ]
>>14
それは、ジョジョエン!
やはり、牛がらみの方だけに焼肉屋は気になるのでしょうな。

◎南沢◎

「みなみさわ」「みなみのさわ」どっちの読み方が、正しいのか。
役所資料は「みなみさわ」。
川名や学校には「の」を入れて、「みなみのさわ」。
どうしてこうなってしまたのでしょ。

ちなみに、「中ノ沢」でも「の」「ノ」が混乱していて、地名は「ノ」市営バス(4/1から定鉄に移行)は、「の」を使っているのです。
17西創成:2003/04/14(月) 03:22 ID:FItrCE96 [ i239197.ap.plala.or.jp ]
叙々園じゃなくて、

「自助園」は、
『天は明るく者を助く』という、フランクリン氏の名訓から命名したという名称です。

佐藤善七、貢、昇親子は、大正12年、土地検分後ただちに適地として購入し、牧場を開きます。
その後、電化や施設改良を行い充実した経営をする。
自助園バター・日本初の自助園三色ブリックアイスクリーム(チョコ・ストロベリー・レモン味)を発売し人気を博す。

善七氏らは、この牧場の成功から、技術指導や会社設立で奔走し、牧場経営を従業員等にまかせることが多くなり、昭和16年廃業したそうです。

>>14も加味して読んでください。
18西創成:2003/04/14(月) 03:29 ID:FItrCE96 [ i239197.ap.plala.or.jp ]
なお、佐藤善七氏長男、貢氏はのちに雪印乳業名誉相談役として、平成11年死去されました。(享年101歳)
19西創成:2003/04/14(月) 04:07 ID:FItrCE96 [ i239197.ap.plala.or.jp ]
ラベンダーですが…。

そもそも、この作物を植えさせた人物は、曽田香料という会社の創始者、曽田政治氏です。
曽田氏は、昭和のはじめに南フランスを旅した際、地中海沿岸のプロパンズの丘で咲くラベンダーに魅せられ、帰国後(昭12)に、フランスよりラベンダー種子5Kgを輸入して、札幌・北見・千葉・長野・岡山で試作したが、結果は札幌が良好であったといいます。
それで昭和15年、現南沢の麻田農園の土地15haの委譲を受け、北斜面一面にラベンダーの耕作をはじめました。

昭和17年、ラベンダーオイルの抽出(日本初)に成功し商品化するが、戦局悪化により転作せざるえなくなり、ラベンダーは品種保存の意味で細々と栽培していました。

昭和23年、ラベンダーオイル生産が本格化して、栽培も本格化しました。
ハマナス・バラもあわせて栽培し、地区は活気に湧きました。
このころ、富良野などへも苗移植をしました。

昭和40年、外国(ソ連)から来る安い合成香料におされ、
昭和47年、この地区での栽培は無くなりました。
20西創成:2003/04/15(火) 00:45 ID:kUkcKEk6 [ i097113.ap.plala.or.jp ]
>>16〜19は、
南区開拓夜話 平14,5 南区市民部総務企画課発行を参照しました。
21牛鍋蝸牛:2003/04/15(火) 04:10 ID:AlYgYKO6 [ N047197.ppp.dion.ne.jp ]
>>4
そうだった!
新川番地さん、遅レスですが「清華亭」、「割烹いく代」で登場の、例の「斎藤いく」(小林いく)さんの追加情報。
いくさんは、板前職人の「小林喜三郎」さんと結婚する前に、別の人と結婚をしていたようです。
(ま、当然離婚したわけですが)
以前図書館で見つけた「ススキノ」関係の本に載っていたのですが、ここに書き込む機会を逸してそのまま返してしまったので、今は詳細を書けません。
ごめんなさいです。
ちなみに、前夫との間に生まれた息子さんも「ススキノ」の要職にあると書いてありました。
22牛鍋蝸牛:2003/04/15(火) 04:51 ID:AlYgYKO6 [ N047197.ppp.dion.ne.jp ]
「自助園アイスクリーム」のポスターと「ブリックアイスクリーム」の資料がありました。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju4j-ishr/kiso-icecream1b.html
それと、>>17
>「自助園」は、『天は明るく者を助く』という、フランクリン氏の名訓から命名したという名称です。

これは、「自ら助くる者を助く」が抜けているのではないかと思いますが?
ttp://www.law.keio.ac.jp/~kubo/seminar/kenkyu/sotsuron/sotsu11/smita.html 
(二)個人主義 ベンジャミン・フランクリン(功利主義的個人主義)を参照。
この言葉はベンジャミン・フランクリンが著書の中に引用した「慣用句」「ことわざ」であって、本人の言葉ではないようです。
("ベンジャミン"に反応して、どうしても「伊東四朗」の顔が浮かぶ…)

補足です。
「佐藤善七」さんってそもそも一体、何者なのか?と言いますと、「さっぽろ歴史散歩 山辺の道―定山渓紀行」(山崎長吉・著 北海道出版企画センター)によりますと、
「藻南地区の開拓に尽くした佐藤善七の努力も多としなければならない。佐藤善七は山鼻屯田村の家族で、兵村の開拓後、藻南を開拓して牧場経営に乗り出した。藻南福祉会館の佐藤善七頌徳碑は、その功績をたたえて建立されたものである」とあります。
「札幌百年の人」「さっぽろ文庫 66 札幌人名事典」にはもっと詳しい記述がありますので、後ほど紹介いたしましょう。
じゃ、また寝ます。
あ、「前田」やらねば…。
23西創成:2003/04/16(水) 01:39 ID:xK3ECFck [ i105254.ap.plala.or.jp ]
牛鍋さん補足ありがとうございました。

たしかに、ご指摘のとうり、
「天は自ら明るく者を助く」の間違いです。
訂正してお詫びします。
24牛鍋蝸牛:2003/04/16(水) 05:23 ID:ZARn5o/c [ N045137.ppp.dion.ne.jp ]
>>23
ありゃ?
それでもなんか違うような(W
Heaven helps those who help themselves. が元らしいですね。
有名なこの言葉ですが、ワシはこんな笑い話を思い出しました。

「ある村に、とても信心深い男がいた。男は朝から晩まで神に祈りを捧げ、生活をしていた。
ある日村が洪水に襲われた。
最初に、役場の人間が男に避難するように言って来た。
しかし、男は"神さまが助けてくれるから大丈夫だ"と言って聞き入れなかった。
水は次第に増えつづけ、男は家の二階に上った。
すると浮き輪が流れてきた。
しかし、男は"必ず、神さまが助けてくれる"とそれを拾おうとしなかった。
なお水は増えつづけ、次に自警団がボートでやって来た。
しかし、男は"神さまが助けてくれるから放っておいてくれ"と言って救助を断った。
どんどん水は増えつづける。
男は屋根の上った。
すると今度は、救助隊のヘリコプターが飛んできた。
またもや男は"私には神さまが付いている。構わないでくれ!"と叫んで断った。
その直後、男はついに濁流に飲み込まれ、死んでしまった…。

天国に着いた男は、すぐさま、神さまに文句を言いに行った。
"神さま!
私はずっとあなたを信じてきました。なのに、今度の洪水であなたは何もしてくれなかった。おかげで私は死んでしまったではありませんか!"
すると神さまはこう言った。
"何を言う。ワシは最初に役場の人間、次に浮き輪、その次にボート、最後にはヘリコプターまで出したじゃないか!"」
25バカラ:2003/04/16(水) 21:19 ID:GaR0Z/pI [ YahooBB219168038023.bbtec.net ]
とってもとっても久しぶりです!皆さん元気ですか?
しばらく忙しくてのぞいていないうちに新スレがw 乙でしたあ☆
>>24お話とっても面白いですね!神様を信じて信じ抜いて信じぬきすぎちゃいましたねw

んと、今日は高校の名前についてききにきました。ほとんどの公立高校は
そこの地名からとってることが多いみたいですが、東西南北、開成等、地名
からとってない学校もあります(まあ、東西南北はその方位にあるからですが)。
さて、高校で、これはマイナーだろうという地名の名前の高校って、札幌には
どういうのがあるのですか?あと、東豊って地名ですか?誰か知ってる人、
教えてください(^^;
ああ、また皆さんの話題に関係のないことを書いてしまいました。すみません。
26西創成:2003/04/17(木) 00:24 ID:uW67riVU [ i096078.ap.plala.or.jp ]
>>24
たしかに。私のは少々変ですな。
笑ってお許しを。

>>25
バカラさんこんばんわ。

高校の名前ですか。

道立高校は、〇稜とか、緑なんとかとか、〇丘などをよく使ってますな。

マイナーなの…ん
廃校になった石山高校なんていうのはいかがでしょう。
27軽川の畔:2003/04/17(木) 12:08 ID:QLflW7.U [ o099121.ap.plala.or.jp ]
>>26
石山高校。
とある掲示板に以下のような記述がありました。
http://www.railers.net/doo/sapporo0400.html
『20年ほど前の地図をみますと,上野幌あたりにじょうてつバスの営業所が存在しています。
啓北商業高校が南23条に存在し,今の啓北商業の場所が石山高校となっていた時代です。
ちなみに石山高校は平岸に移り,平岸高校となっています。』
とあります。

>>25
お久しぶりです。
東豊とは東西や南北と同じように東区-豊平区間を表しているのではないかと...
線路や高速道路・峠などはそういうネーミングが多いですね。
札沼線や石勝線。日勝峠、石北峠、札樽自動車道など
28バカラ:2003/04/17(木) 15:25 ID:JZu929uA [ YahooBB219168038023.bbtec.net ]
へえ、東豊ってそうだったんですか!どうもありがとうございます〜!
石山高校・・・ですか・・・どっかできいたことがあるような・・・ないような・・・
平岸なら聞いたことがあります(^^;
29西創成:2003/04/17(木) 20:31 ID:Q2SrDLms [ m174113.ap.plala.or.jp ]
7〜8年前、免停の講習に手稲試験場にバスで行ったとき、試験場の一つ前に「曲長通」というバス停があったんです。

「かねちょうどおり」と読むようです。

変わった名前だと思っていたのですが、忘れていました。

それで、今日思い出しまして、さっぽろ文庫1 札幌地名孝をひっぱり出しまして、読んでみたところ、書いてありました。

「曲長通」
『曲長通は、起点が手稲稲穂307番地、終点が手稲山口417番地の延長約2,5Kmほどの市道である。
曲長の名は、明治7年札幌に移住した江州大津の人・本間長介の屋号から取ったものである。
〜略1〜
本間長介は、明治中期に手稲前田に農場を開き酪農を経営した。当時、既に隣接地には前田侯が開設した前田農場があり、共にこの地域の開発に力を入れたのである。
〜略2〜
曲長通は、この農場の農道であるが、それ以来、山口と手稲市街を結ぶ主要道路として重要な役割を果たしてきた。』
※さっぽろ文庫1 札幌地名孝から多少省略して抜粋

(略1)
本間長介の曲長商店は、明治10年の創業で市内では最も古い酒造業。(店舗は南3東2)「初緑」という銘柄で知られた。

(略2)
前田地域は泥炭地で排水が悪く、水田には不適当であったために、酪農を中心にした。


▼牛鍋氏に連絡
南4の石川書店1階入り口すぐの札幌文庫のある棚に、『いく代の70年・割烹いく代』という冊子が売っていました。(今日確認)1200円だそうです。
袋に入っていたので、中身が見えませんでした。表紙は白。ややシミあり。
お持ちでしたか。
30西創成:2003/04/17(木) 20:51 ID:Q2SrDLms [ m174113.ap.plala.or.jp ]
>>27
軽川の畔さんこんばんわ。

ご提示の掲示板見てみました。

たしか元々、定鉄バスの営業所は上野幌には無いはずです。

あったところは下記のとおりです。

・慈恵学園前〈廃止〉(現・東急ストアー自衛隊駅前店)
・豊平〈廃止〉
・真駒内(南町)〈廃止〉※20年前ならここかと思う。
・洞爺湖
・川沿
・藻岩(旧市営バス藻岩営業所)

上野幌は、その頃じょうてつの分譲地があったはずです。
ただ、バス路線はありませんでした。

啓北商業はたしか、今の住宅展示場の辺りにありました。
31なまら名無し:2003/04/17(木) 21:58 ID:m7RhYpG. [ m002032.ap.plala.or.jp ]
161氏のサイトを見つけてから「このスレすげー」とROMってましたが、
父の母校石山高校と弟の母校啓北商業が取り上げられたら書かずにはいられず。

石山高校→平岸高校であっていると思います。
父の同窓会名簿らしきものに両方の校名があったのを憶えてます。
あと、石山高校は定時制のみの高校だったとも聞いた気がするのですが、
本当のところどうなんでしょうか(父に聞けばいいんですが)。
父は定時制卒で、その名簿も平岸高校は定時制のみの扱いとなっていたような気がします。

話がそれた気がするので地名に戻します。
高校時代、学校林の整備とやらで白旗山に草刈りに行ったことがあるんですが、
この白旗山ってどうでしょう?
過去スレでは、ちょっと出てきてあっさりスルーされていたような…。
32なまら名無し:2003/04/17(木) 22:12 ID:3CulU.Mg [ i112089.ap.plala.or.jp ]
ロムってましたが、石山が話題になっているのでひとこと。
石山高校はもともとが定時制高校で普通科はなかったと記憶。
平岸高校が開校して平岸高校定時制として再スタートしたはず。
石山高校あとに啓北商業が移転したのはその通り。
ところで石山陸橋の由来についてお聞きしたい。
33軽川の畔:2003/04/18(金) 00:34 ID:jEjLbQmI [ o099121.ap.plala.or.jp ]
自己レススマソ
>>東豊とは東西や南北と同じように東区-豊平区間を表しているのではないかと...
これは間違いですねぇ
南北は正しいですが東西は東区じゃありませんねぇ。
ということは、大まかに南北・東西に分けたのが正しそうです。
あくまで、個人的な考えですが...
34西創成:2003/04/18(金) 01:11 ID:xtyOHHnc [ j175227.ap.plala.or.jp ]
>>32
石山陸橋について。

旧道々札幌支笏湖線(現国道453号)と市道川沿石山連絡線(旧国道230号)との交差点の渋滞解消にとの意味でつくられた。
昭和61年完成。全長230メートル。
正式名称は、石山高架橋。

石山高校について。

昭和25年月寒高校石山分校として開校。
昭和55年閉校
なんだそうです。
定時制であったと私も聞いています。
昼間定時制か夜間定時制か私も知りません。詳しい方、卒業生の方よろしければ教えてくださいませんか。

>>33
「東豊」が、地下鉄線名からでてきた地名と仮定してみると、(東豊高の開校日を私は知らない)

国鉄の札沼線みたいな話かも。

札沼線は、
起点の札幌の「札」と、かつて終点だった石狩沼田の「沼」を合わせて「札沼線」と命名したそうです。

それで、東豊線は、
東区又は東と豊平区が起点・終点だから、一字ずつ取って「東豊線」なんじゃないかと思ったわけです。
35西創成:2003/04/18(金) 01:26 ID:xtyOHHnc [ j175227.ap.plala.or.jp ]
>>31さん
とりあえずこんばんわ。

白旗山(321,5メートル)ですが、

名前の由来はこうゆうことだそうです。

前のスレのレスに、「有明公有地」のはなしがでてました。それにからんでおります。

篠路屯田兵が、篠路地区の開拓についで、近隣地に「公有地」を設定し、測量にあたった際、測量旗をこの山に立てて基点としたことから、この名前がついたそうです。
現在も三角点の標注があるそうです。

さっぽろ文庫1 札幌地名孝を参考にしました。
3631:2003/04/18(金) 07:30 ID:h4fI4ReY [ m002032.ap.plala.or.jp ]
>>32さん、西創成さん、ありがとうございます。
白旗山、平凡な名前の割には開拓時代からの由緒ある名前なんですね。
石山高校については今度父に電話してみようと思いますが、
このスレだと他の方から先にレスがありそうですね。

ついでに書くと、父は前スレで話題になった駒岡小学校出身でもあるんですが、
在籍していたのが昭和30年代なので、あまり面白い話はなさそうな気がします。
37牛鍋蝸牛:2003/04/18(金) 22:12 ID:piRMwv0M [ N045137.ppp.dion.ne.jp ]
「手稲前田」から「紅葉山砂丘」、ほてから「曙」の「飛行場跡」なんぞをやりまして、一段落、いつもの"燃え尽き症候群"真っ最中の牛鍋蝸牛です。
ある一つのネタを消化しますと、陥っちゃうんですよねぇ、これに…。
てなわけで、ちょっと休養中の間に(とは言っても、一日半ほど)レスが進みましたね。
いや、結構なことです。
すばらしい。

さて、いろいろ書きたいことはあるのですが、今日もあいかわらず酔っ払いっています。
そんなわけでまともなレスができるかどうか、ご容赦を…。
まんず、>>29西創成さんからの「曲長通」に関してのレスですが、実はまったく偶然ですが、この「曲長通」、昨日走っちゃいました!
なぜこの辺りにいたか?というと、ワシの家の、台所のリフォームのために「トステム」様のショールームを見に行ったからなのです。
昨日、担当していただきました「かわいいお嬢さん」(名前分からず)、どうもありがとうございました。
デジカメで、バシバシ、システムキッチンを撮影していた"巨漢"といえばお分かりでしょう。
キッチンはオタクに決めましたので、ご安心を。
で、見積もりを出していただいている間に、ちょっと買い物に出まして帰り道、不覚にも迷いました。
その時に走ったのが、「曲長通」でした。
話が遠回りしましたが、この道、なんとなく面白そうですねぇ。

『いく代の70年・割烹いく代』
了解しました。
本スレの過去ログをご覧の方はご存知でしょうが、「いく代」はもともと、新川番地さんの守備範囲だったののです。
しかし、成り行きでワシが担当してしまいました。
この本、興味深い。
「魔術を弄した」に関しては、未だ解明できていませんので、休みにでもゲットしようかな?(現物確認の上)と思っています。
ご報告ありがとうございました。

う〜〜ん。
あとまだ、たくさん書きたいのですが、きょうのところはこれで勘弁してやる。
38西創成:2003/04/18(金) 23:17 ID:bWvNXA1k [ o051087.ap.plala.or.jp ]
>>36
お父さまからの情報を楽しみにしております。

>>37
キッチンのリホームですか。
流し台も、公共住宅型からシステムキッチンまで色々ありますものね。

昔は、タイル張りのややたらにシンクの浅い奴なんかもありました。

それにしても、曲長通を出したのは偶然でした。
39牛鍋蝸牛:2003/04/19(土) 22:39 ID:S.xajuxI [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
>>29で、西創成さんからご紹介のありました、「曲長通」ですが、この通りの由来となった「本間チョウスケ」さんは「長介」ではなく、「長助」さんでした。
誠に僭越ながら、訂正させて頂きます。
で、このお店、明治三十二年の「札幌案内」には載っていないのです。
明治十年の創業ですから、その二十二年の間になくなったのか、移転したのか?
「初緑」(はつみどり)はどこへ行ったのでしょう…。
(まだ、リハビリ中)
40西創成:2003/04/20(日) 00:13 ID:9c0RF8Ds [ i098220.ap.plala.or.jp ]
>>39
「長介」さんじゃないですね。ご指摘ありがとうございました。

長助さんですね。失礼しました。

私の手元にある、「大日本職業別明細図・索引附住所入信用案内」昭和11年5月30日発行・東京市澁谷區 東京交通社
には、

金麗醸造元
長¬(カネチョウ)本間長助商店
南3東2     電話191番

と書いてあり、地図でみると現在のサンシャインスポーツクラブのところにあったようなんですが。
41なまら名無し:2003/04/20(日) 00:40 ID:/DStCNh. [ 61-21-232-3.home.ne.jp ]
>>30
上野幌(現厚別南5)には東急ストアがあります。
じょうてつの分譲地とは今の厚別南4〜7丁目付近(旧千歳線以南国道274号以北)
の宅地の事じゃないでしょうか・・・
昭和56年の地勢堂の地図にはこの上野幌ニュータウンと大洋団地(現上野幌3条2丁目)があります。
4231:2003/04/20(日) 21:27 ID:Y0t18Gu6 [ m002032.ap.plala.or.jp ]
どうも。
さっき父に電話したら、石山高校には昼間定時制と夜間定時制の両方があったそうです。
あと、実家に駒岡小学校開校50年の記念冊子があったはずなのでこれも聞いてみましたが、
どこに行ったかわからない、ということで。
まあ駒岡はもういいですか。
43牛鍋蝸牛:2003/04/20(日) 22:43 ID:58MwYk7k [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
えっと、ワシの場合、実地調査の際に一番大事なアイテムがデジカメなのですが、ワシのSONYのDSC-P1、今回、"リコール"がかかりました。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#138 で書きました症状、これが実は個体の問題ではなかったようです。
「白石遊廓」の調査の時もきっとこの症状だったのでしょう。
この時バッテリー切れで調査中止、後日もう一度行きました。

本日、「スーパーペリカン便パソコンポ」にて「茅ヶ崎」(たしかそのはず)に行っちゃいました。
ワシ、この十余年、飛行機乗ってないのにうちのデジカメ君は何度も乗っています。
ま、バッテリーパック2個、新品になるようですので、直ったら思う存分実地調査します。
皆さんも、現場へ行ってみてください。
思わぬ発見があるかもよ〜。
44西創成:2003/04/21(月) 01:20 ID:1qqSbMcs [ m077114.ap.plala.or.jp ]
>>42
31さんありがとうございました。

なるほど「石山高校」には、昼間と夜間があったんですね。

現在でも、昼間定時制高校というのは、主に農村部(ニセコ・留寿都など)にありますが。

農村部の昼間定時制では、農繁期休校などもあったようですね。
45西創成:2003/04/21(月) 21:25 ID:.yrEhcCU [ i100007.ap.plala.or.jp ]
>>41
定鉄の分譲地というのは、一時沢山売り出されましたね。
46ヘリトンボ:2003/04/22(火) 21:01 ID:XQ6EcHtE [ q176216.ap.plala.or.jp ]
何だかすごいスレですね。初めて見ましたが、恐ろしいほど"濃い"です。
これから過去ログをゆっくりと読ませてもらいマス。

ところで、突然質問なのですが、道道273号線・花畔札幌線って
地図で見るとおかしくありませんか?
石狩市役所前から札幌駅手前まで、グニョグニョしながら走っている道です。
中央区や東区は碁盤の目な街なのですが、この道だけウニョウニョしているので
かなり奇怪です。やはり歴史ある道なのかなぁ。
47m:2003/04/22(火) 21:46 ID:4UxLH7D2 [ p3026-ipad23sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>46
この道は伏篭川に沿って造られた、かなり古い街道だと聞いたことがあります。
堤防の役目も果たしてたとか?(間違ってたらごめんなさい)
とにかく古くからある道で、そのあとから東区方面は碁盤の目になっていった
と考えられますが。。。
実際にこの街道筋には神社や寺、小中学校などが多いですよね?これは古い
集落の名残なんじゃないでしょうか?

どなたかフォローを(^^ゞ
48本村@18丁目:2003/04/22(火) 22:19 ID:Nrtaab8w [ p19193-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
うーん久々に言いたい言いたい(w
ヘリトンボさん
この花畔札幌線の札幌から元町方面に向い、大覚寺を右折すると、苗穂駅付近で線路にぶつかります。
そこから先、豊平川を渡り菊水を通り36号線から平岸街道となります。
花畔札幌線は通称ななめ通りとして有名ですが、そこにつながる無名なこの道こそ、鉄道なんかが
出来る以前からの道路のなれの果てではないかと思っております。
大覚寺には大きな「ヤチダモ」の木がありますが、これが先人達のランドマークであったと。

mさん久方振りです
この街道筋は元村町ですね。この付近には「あび」という通な店がありますが、これはまた別
の話で(w
49ヘリトンボ:2003/04/22(火) 22:32 ID:atBifVuM [ r014022.ap.plala.or.jp ]
mさん、本村@18丁目さん、レスありがとござます。
たしかに、この道は伏篭川とほぼ平行して走っていますね。
で「伏篭川」でググッてみたら、このようなページに遭遇しました。
www.mmjp.or.jp/isc-net/jcea-kogiken/kg041.htm
> 札幌は開拓期から計画都市として発達し、整然とした街路で仕切られているが、
> この伏篭川沿いにだけは著しく屈曲した札幌には珍しい道路がある。
> 嘗て元村街道と呼ばれた道で、自然堤防の上に自然に踏み分けられた往還が元になっている。
まさしくmさんの仰る通りでした。
碁盤の目が多く、あまり楽しくない道が多い東区においてこの道は結構好きなのですが、
こういう歴史があったとはー。

ところで、「あび」ってラーメン屋さんですよね? あそこはなかなか(ry
50西創成:2003/04/23(水) 00:47 ID:Cxs1VEmU [ j175246.ap.plala.or.jp ]
皆さんこんばんわ。
旧平岸街道ってご存じですか。
51本村@18丁目:2003/04/23(水) 01:08 ID:/FFB7Ztk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
西創成様こむばんは!
旧平岸街道って、旧豊平町役場跡の横の斜め通りですか?
52なまら名無し:2003/04/23(水) 07:02 ID:v5R1uJ1I [ q247080.ap.plala.or.jp ]
アンパン道路と月寒アンパンの相関関係についてお聞きしたい。
53西創成:2003/04/23(水) 08:29 ID:uFElF7r. [ o050007.ap.plala.or.jp ]
>>51
そうですそうです。
ところで、あの区間は切り替えをしたのでしょうか。

>>52
明治44年10月29日開通
施工 月寒歩兵25連隊兵員(のべ7,500人協力)・住民有志

わずか4ヶ月で完成したというこの道。
明治43年、豊平地区札幌区編入に際し、役場所在地を豊平から月寒に移転した。
ただ、平岸村方面住民は、役場に行くとき、現・36号線まで迂回して行かなくてはならなく不便なため村会決議により着工した。

なお、工事に動員された兵員には毎日、「月寒あんぱん」5個を間食に配った。

兵員にあんぱんを配ることにした月寒の軍隊の偉いさんは、東京・銀座木村屋のアンパンの名声を聞いて、月寒地区の菓子屋に命令してあんぱんを作らせた。

月寒地区の菓子屋では、当時、パンの作り方も知らなかったし、見たこともなかったという。
それで、いわば想像で作ったのが「月寒あんぱん」である。

それ以降、月寒地区の名物となり、数件の店で製造されたが、いまでは(株)ほんまのみとなった。
54牛鍋蝸牛:2003/04/23(水) 14:09 ID:tstdX45Q [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
新しく書き込みに参加された方々、遅ればせならこんにちは。
ワシ、過労のため、しばらく大人しくしていましたです。
"木の芽時"です。
皆さんもご自愛ください。
さて、リハビリってことで、画像をアップしてお茶を濁して…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=559
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=560
豊平区編集の「区制施行30周年記念 豊平の歴史 〜THE HISTORY of TOYOHIRA WARD〜」より拝借。
各々、開削当時の「アンパン道路」と「平岸街道」です。
「アンパン道路」に関しては西創成さんのレスが詳しいので、割愛します。
で、同書より、「平岸街道」の記述を引用します。
あ、「旧平岸街道」ってことではありませんので、その辺はよろしく。

「平岸街道は、開拓使が現在の平岸3条1丁目から18丁目にかけて原生林を一直線に切り倒して開いただけの道路でした。この道路に沿って62区画に土地を分け、ここに、明治4年(1871)年、開拓移民が入植しました。入植した人たちは、割り当てられた土地を開削しながら、木の根を抜くなどして、道らしい道を造ったのです。
入植した人たちは、当初。飲み水を豊平川までくみに行っていましたが、明治6年(1873)年に道路の中央に用水堀「平岸掘割」を造り精進川から水を流しました。この堀は昭和36年(1961)年に埋め立てられまで、使われていました。
現在、この道路は平岸通と呼ばれ、国道453号の一部として、重要な幹線道路となっています」

余談ですが、去年この本の、「水車町」関連の記述間違いで豊平区役所へお邪魔した時に、担当のO課長さんより、
「急いで作ったので間違いがあるかもしれません。どんどん指摘してください」と言われておりますので、違っていたらレスください。
その時の顛末、「その五」 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#91 と #94 

デジカメ、昨日、直ってきました。
えらく早かった…。
55牛鍋蝸牛:2003/04/23(水) 14:49 ID:tstdX45Q [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
>>52−54補足。
そういえば、「その四」の#130と#131 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#130-131 で「月寒あんぱん」社長から、直接詳しい話が聞けるとの啓タさんからの情報がありました。
あんぱん買って取材するのも一興かと。

で、「手稲前田」のまとめをしなければ…、と思いつつ。
ttp://www6.ocn.ne.jp/~aa1toyo/tiku/s3-yakiba/link2.htm 
「豊平」の「斜め通り」って分からなかったので、今、調べてみました。
数年前まで、「札幌ライラック病院」に何度か用事があって、行ったことがあったことを思い出しました。
当時、あの付近の道路で何かの工事をやっていた記憶があります。
しかし、「斜め通り」は走ったことがなかったと思います。
あの辺りって、これまたなんとなく、独特の雰囲気があるところですよね。
うまく口では言い表せないのですが。
56m:2003/04/23(水) 21:50 ID:m5tYqDj6 [ p8034-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
平岸街道ネタです。
http://www.digi-pad.jp/urasando/s_gallery06.html

ところで平岸街道の斜め道って↓の辺り?豊平区方面はよくわからなくて。。。(^^ゞ
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=141/22/27.940&scl=20000&pnf=1&sfn=all_maps_00&uc=1&grp=all&nl=43/02/38.036&size=500,500&
57牛鍋蝸牛:2003/04/23(水) 22:03 ID:tstdX45Q [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
>>56
いや、ワシもあの辺りは無案内なんですが…。
北海学園大前の「平岸街道」の右を斜めに走る道路です。

「アンパン道路」に関して、より詳しい記述がありましたので報告します。
「平岸百拾年」という昭和五十六年「平岸百拾年記念協賛会」発行の本から抜粋し要約しますと、
「豊平町役場移転に伴って、平岸方面から直接月寒へ通ずる道路がなく豊平を迂回しなければならないため不便であった」というのはご案内の通りなのですが、実はこのために「大字平岸村」(平岸より定山渓まで)を「豊平町」より分離独立する分村運動が起き、建議案が町会に提出されたそうです。
結局、この建議案は反対多数のため否決されたのですが、分村運動はなかなか収まらなかったとのこと。
そのため、豊平町長吉原兵次郎は、この運動を沈静せしむるべく、平岸と月寒を結ぶ連絡路開削を町会の賛同を得て約したそうで…。
しかし、道路用地は関係地主から寄付を得たが工事費が十分でなく、吉原は苦慮の末、歩兵第二十五連隊長稲村新六大佐に連隊歩兵の助力を要請し、明治四十四年(1911)六月着工、同年十月に完工しました。
出動兵員は延べ七千五百人に上ったそうです。(間食のアンパンに関しては、既出の通り)
この工事には関係部落民の馬車、労力の提供も多く、軍民協力の道路であり、町長吉原兵次郎の誠意も認められ、分村運動は自然消滅したと、と同書では述べています。
ただ、アンパン食って作ったわけじゃなかったのねぇ〜。
58本村@18丁目:2003/04/23(水) 22:12 ID:/FFB7Ztk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
なるほどー
しかし昔の豊平町はとてつもなく大きな町ですよね。
59ヘリトンボ:2003/04/23(水) 22:19 ID:gZ3vM5Mk [ r007233.ap.plala.or.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん
> 新しく書き込みに参加された方々、遅ればせならこんにちは。
こんにちは。過去スレを読ませてもらっていますが、牛鍋蝸牛のリサーチ力に脱帽w

しかし、こう見ると斜め通りって味がありますねー。
map.yahoo.co.jp/pl?nl=43.4.36.980&el=141.21.47.312&la=1&fi=1&sc=3
ここら辺なんかにも気になる"斜め"が。
細い斜めの道が数本走っています。それだけなら別に良いのですが、
それに伴ってかオートバックス、TSUTAYA&ミスド、ビッグハウスなどの店舗が
碁盤の目のマスの中に納まっているにも関わらず、斜めに配置されているのです。
これらの店は新し目の建物なのに、何故斜め配置のままなのだろう。
60牛鍋蝸牛:2003/04/23(水) 22:23 ID:tstdX45Q [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=560 
「平岸街道」の補足。
「平岸百拾年」にもこの写真が出ていて、「平岸街道の開削と開拓者住宅」(平岸2区、長専寺より北方をみる=昭和4年)とあります。
昭和4年??
こりゃ、「明治」の間違いでしょうね。
同書本文には「明治四年(1871)、開拓使はピラ・ケシ・イ(平岸)の原生林の中に…」とありますもの。
場所は正しいとすると、現「平岸3条16丁目」ってことになります。

ヘリトンボさん、恐縮です。
ワシ、単なる暇人です。
61ヘリトンボ:2003/04/23(水) 22:24 ID:gZ3vM5Mk [ r007233.ap.plala.or.jp ]
余談ですが、アンパン道路に昔アンパンマンが実写ロケにやってきたそうな・・・。
62牛鍋蝸牛:2003/04/23(水) 22:36 ID:tstdX45Q [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
もう寝なくちゃいけないのですが(w
>>59のヘリトンボさんの疑問ですが、ワシとしては「ついに出ました」って感じ。
「天使病院」の辺りね。
この付近も面白い。
斜めの道路があることは気が付きませんでしたが、いずれネタにしようかな?と思って、ちょっと写真撮ってあったりして…。

過去ログを読んでいただければお分かりでしょうが、この辺りは、西の「円山公園」、北の「偕楽園」、南の「中島公園」に続き、開拓使(岩村判官)が公園にしようと目論んでいた土地です。
結局、公園は出来なかったのですが、もしかしてそれと関係あるのかな?
63本村@18丁目:2003/04/23(水) 22:46 ID:/FFB7Ztk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>59へりとんぼさん
東区役所裏は完璧に大友掘のこん跡ですな。
蔦屋のところの斜めは、既出の花畔札幌線(旧篠路道、石狩街道、元村街道)
と並行して北側に出来た道路のこん跡です。
反対に、北西から南東方面の斜めは、元村街道と天使病院(札幌初のベットを導入した病院)
方面を結んだ道路のこん跡でしょう。
いずれも、伏古川流域の自然地形に沿った道路であり、屯田兵や開拓使の手によるものではない
街の形成が要因であると思います。
64本村@18丁目:2003/04/23(水) 22:55 ID:/FFB7Ztk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん
天使病院の西側一帯にあった東皐園ってご存知?
65ヘリトンボ:2003/04/23(水) 23:05 ID:gZ3vM5Mk [ r007233.ap.plala.or.jp ]
>>59ですが、
牛鍋蝸牛「さん」のリサーチ力に脱帽w
の誤りです。何をいきなり呼び捨てにしているんだか (ごめんなさい) 。

>>本村@18丁目さん
なるほど、ここも伏篭川の形状が影響されていたのですか。
ほとんど碁盤の目ですけれど、かろうじて細い斜め道が
地図上でその痕跡を残しているのですね。

東こう園
www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi1/05tenka.html
> 札幌の北に偕楽園、南に中島、西に円山、
> 東に東こう園 (現・天使病院付近) を配置する遠大な構想があった。

東公園じゃなくて東皐園だったのですね (どうりで検索しても出てこない訳だ) 。
66本村@18丁目:2003/04/23(水) 23:52 ID:/FFB7Ztk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東皐園のことは書きたいネタあるんですけど、それはさておき。
ヘリトンボさん
あのあたりの斜めは面白いですよね。
そこで地図を東南に下って見てくだされ。
北7条あたりにサッポロビールの工場があり、そこはいたってまともな碁盤の目状態です。
しかしそこから北側の元村街道までの間はもう斜めも斜めで、斜めと斜めが交錯してweb
状になっています。
札幌のタクシーの運ちゃんは、元町方面に行く際は、必ず元村街道を使いますが、私は
車だろうが、自転車だろうが、徒歩だろうが、このweb状の道を駆使して帰宅します。
ある行き方を使うと、サッポロファクトリーから札幌村入口(北13東15)まで、
信号待ち無しでの通行が可能です。
67西創成:2003/04/24(木) 00:30 ID:oZSQUXEg [ i100211.ap.plala.or.jp ]
平岸街道旧道のうち、豊園通との交差点辺りを工事して、旧道をR36〜平岸方面へ直進出来なくしてしまいました。(この工事を牛鍋さんは見たのではないですか。)
皆さん情報有難うございました。

それと、牛鍋さん。
あんぱん道路補足有難うございました。
月寒ほんまさんに、あんぱん買いにいってみょうかな。

斜め通りの宝庫はやはり旧札幌村、元村・苗穂方面なんでしょうね。
68菊水上町:2003/04/24(木) 05:31 ID:tdX5E5Lo [ h054.p184.iij4u.or.jp ]
札幌の道路って外見こそ舗装されたり周囲の建物が一新したりで日々変身
してますが、その「走り方」は歴史を隠しきれず、見事に露見させてますねー。
オレも斜めに走る道路だいすきです。道道273号もワクワクするなあ…

>偕楽園
あのへんごちゃっとしててわかりづらいですが、何というか
「ここはただ者ではない」というオーラを発散しまくってる気がします
69牛鍋蝸牛:2003/04/24(木) 21:00 ID:W7NkaqVU [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
え〜っと、18丁目さん(実は本村さん)の「東皐園」解説に先んじて、こんなことを言っちゃいます。
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi1/05tenka.html 
に記載されている、
「当初開拓使の胸中には、札幌の北に偕楽園、南に中島、西に円山、東に東こう園(現・天使病院付近)を配置する遠大な構想があった、という。」
ってのとはちょっと違う記述を発見しましたぜ。
http://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200204/higashi/higa04.pdf 「ひがしくすとーりー」を参照のこと。
どうも「東皐園」ってのは、開拓使が当初企画した公園ではない、と思える内容…。
皆さんいかがでしょう?
蛇足ですが、「北区新琴似8条2丁目」の「ダイハツ」の隣には、「東皐園ハイツ」てマンションがあるぞい!
ワシは、この「東皐園」って中華関係かな?って、今日の今日まで思っていました。
70本村@18丁目:2003/04/24(木) 21:06 ID:ZcI9..Ns [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>69
牛鍋さん
新琴似に東皐園ハイツありますか、なるほど。
多分、恐らくそのマンションは、東皐園を作った上島正のお孫さんのマンションでは
ないかと思います。
71牛鍋蝸牛:2003/04/24(木) 21:12 ID:W7NkaqVU [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
>>70
せやで〜!
上島さん一族があそこに住んでいらっしゃる!
隣の「ロイズ」の入っているビルは「上島ビル」だし、裏には「上島さん」宅があります。
(「上島ビル」の裏の家は、元横綱「KONISHIKI」の、元の奥様のご実家でありました)
72本村@18丁目:2003/04/24(木) 21:45 ID:ZcI9..Ns [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
今HTBで放映中の「動物のお医者さん」見ているのです。
私この原作漫画の大ファンなんですよ。
劇中の「H大学」とは言うまでもなく、北海道大学のことで、
ここの獣医学部を舞台としたものです。
まさかこれTV化されるとは思ってもいなかったので、驚きと
喜びでいっぱいなのです。
以前本スレでもちょこっと話しています↓
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#77
73牛鍋蝸牛:2003/04/24(木) 21:50 ID:W7NkaqVU [ N045015.ppp.dion.ne.jp ]
へっえ〜…。
思いがけない展開でした。
あの「東皐園ハイツ」がこんな所で…。
あの「上島さん」がねぇ〜…。
ここで「上島正」(かみじま ただし)について述べます。
とは言っても、「さっぽろ文庫 66 札幌人名事典」より。

「天保9.5〜大正8 花木園芸の元祖。長野県諏訪郡に生まれた。祖先は信濃国上伊那郡の上島城主だった。
十七歳のとき、幕府に任官する目的で江戸に出たが、幕末の騒乱時でもあり途中で志を変えて商人になる。明治7年、商業をやめて東京府に雇われ測量技師になったのは、青雲の夢が忘れられなかったためだろうか。そのときの部下が開拓使に入り、さかんに上島に誘いをかけた。
10年札幌へ。
一年間試みに単身で住んでみたが、すっかり北国が好きになり、永住を希望して翌年家族も呼び寄せた。開拓使から土地一万坪の貸付を受け、開墾作業に打ち込んだが、もともと欲のない性格だったため、これをすべて花園にしてしまった。17年には「東皋園」と名付け、一般に公開している。開拓使が欧米から取り寄せた外来種が多く、偕楽園から回ってきたものであろう。札幌における花木園芸の元祖である。
最も得意としたのは、花菖蒲、芍薬、ベゴニヤの栽培だった。書画にも秀でいていた」

さて、「東皐園」と「東皋園」。
「皐」と「皋」。
これはどちらも同じ字で、「さつき」の意味だそうです。
「ハイツ」のほうは確か、「東皋園」だったなぁ。

…と思ったら、「札幌百年の人」(昭和44年 北海道新聞社)に、「東泉園」って書いてあるのを発見。
これについてはまた、明日にでも…。
「手稲前田」、そのうちにまとめます。
御免なすって!
74本村@18丁目:2003/04/24(木) 21:55 ID:ZcI9..Ns [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
お詫びと訂正の巻
「動物のお医者さん」は、いくえみさんではなくて佐々木倫子さんでした。
訂正してお詫びいたします。
75ヘリトンボ:2003/04/25(金) 02:07 ID:RPKQ/sfw [ o135080.ap.plala.or.jp ]
>>66 本村@18丁目さん
確かに、斜めだらけですねー。
元村街道とは垂直に交わっている交差点がいくつもあることからも
歴史を感じます。

>>68 菊水上町さん
自分もです。斜めフェチになりそうw
76ヘリトンボ:2003/04/25(金) 02:13 ID:RPKQ/sfw [ o135080.ap.plala.or.jp ]
>>73 牛鍋蝸牛さん
> 長野県諏訪郡に生まれた。
諏訪で気になっていたことがあったのですが、なるほど、これで謎が解けました。
上島正さんについては既出っぽいので、これも皆さん知っていることでしょうけれど。

ttp://nekonote.ath.cx/~sapporo/sapporo/004suwa.html
> 明治11年信濃の国人、上島正他30余名がこの地に入植。
> 移住者の総意により明治15年3月12日、信濃一の宮・諏訪神社の御分霊を勧請したのが鎮座の由来である。

何でこんな所に諏訪やねんと思っていたのですが、なるほどなるほど。
77新住人:2003/04/25(金) 17:06 ID:rK7QfdKg [ pl1383.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
78新住人:2003/04/25(金) 17:10 ID:rK7QfdKg [ pl1383.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
79牛鍋蝸牛:2003/04/25(金) 22:17 ID:t6xyHOQ6 [ U125093.ppp.dion.ne.jp ]
ヘリトンボさん、「諏訪神社」って、ワシの知っている限り、日本で一番チェーン展開(?)している神社です。
東京辺りでも、「諏訪神社」と名乗るお社は、まぁ〜、いたるところで見かけます。
長野の「諏訪大社」にはスキーのついでに三度ほど行った事があるのですが、今回これを機会にちょっと調べた所、ワシの行った「諏訪大社」は実は「茅野市」に建つ、諏訪大社上社の前宮(まえみや)であることが判明しました。
ttp://www.dynax.co.jp/sinsen/culture/jinjya/j_suwa.html
いやどうりで、以前、テレビで観た「諏訪大社」とワシの行った「諏訪大社」が違ったはずだわ。
「変だ、変だ」と思っていたのです。
「諏訪大社」自体が、言わば複数の社の集合体のようです。
「東皋園ハイツ」といい、「諏訪大社」のといい、長年の疑問がここで一気に二つ、氷解しましたです。

新住人さん、ご苦労様です。
こう言った地道な活動、生意気ながら評価させていただきます。
ワシが社長なら、夏のボーナス、色つけちゃうんですが…。
信号などに付いている標識は、警察の管轄なのでしょうね。
一般の住居表示とはまた違うのでしょう。
前に書きましたが、「手稲区」でも明らかに「前田」なのに、「手稲前田」って表示が信号機にされていたりしましたし。
(これは予算とか、手間の関係かな?)
ま、ワシも以前は「アザブ」と言っていました。
しかし、正しくは「アサブ」ってことですし、その由来もはっきりしていますので、今ではそのように言っています。
でも癖で「ザ」と言っちゃうことがありますが…。
正式名称は、あくまで「アサブ」ですので、このスレの住民の方々もできれば、そう呼んで頂きたいとワシは思うとります。
80牛鍋蝸牛:2003/04/25(金) 23:03 ID:t6xyHOQ6 [ U125093.ppp.dion.ne.jp ]
上島正氏に関して、「札幌百年の人」より引用。
「札幌の花づくりの元祖。天保九年(1838年)五月、長野県諏訪郡湖南村に生まれた。家は代々家老職。商店の奉公、土地測量技師などをしていたが、明治十年札幌へ。
はじめ月寒で水田造成していたが、やがて北十二条東一付近に移り、開墾に従事。
たまたま東京から持ってきたハナショウブを植え、開拓使雇いのアメリカ人園芸技師、ポーマルの助言などをもとに、品種改良を試み、新しいハナショウブ数種を作り出した。
とにかく眠いので、明日へ<つづく>
81西創成:2003/04/26(土) 01:01 ID:LOkkxZmg [ i096020.ap.plala.or.jp ]
>>77,78
新住人さんはじめまして。

この写真は、北33条辺りの西5丁目通の物ですか。

この青看板の先に行きますと、「パチンコ・アザブ」だの「アザブ自動車学校」などの「アザブ」勢力の皆さんが控えておりますが…。

それと「諏訪神社」周辺の件ですね。
なるほど。それであの場所に神社があるのですね。
諏訪さんも全国に沢山ありますが、八幡さんもたくさんありますね。

私は過去にご紹介した「湯の沢台」に行ってみたいと数回チャレンジしましたが、場所が特定できていません。
82ヘリトンボ:2003/04/26(土) 01:21 ID:J61JGn/M [ m162008.ap.plala.or.jp ]
>>79 牛鍋蝸牛さん
> 「諏訪神社」って、ワシの知っている限り、日本で一番チェーン展開(?)している神社です。
言われてみれば確かに色んな所に「諏訪神社」ってありますね・・・。
大人気。

自分、子どもの頃東京に住んでいたので、
どうしても「麻生」と「麻布」を書き間違えるし、
「アザブ」と「アサブ」も間違えてしまいます。
今ではどっちが東京で札幌なのかもゴッチャになっちゃっていたり・・・。
話が逸れてしまいますが、南北線問題もあります。
東京の人は確実に「ナン<ボ>クセン」と言っていますが、
札幌の場合、「ナン<ポ>クセン」という人が結構いるので、
正式名称は<ポ>なのかな、と一時期信じ込んでいました。
83本村@18丁目:2003/04/26(土) 21:30 ID:eByMK2Ig [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
以前も書いたかも知れませんが、私は七五三、病気平癒、初詣すべて諏訪神社です。
84西創成:2003/04/27(日) 01:53 ID:dj/Fkd52 [ i106084.ap.plala.or.jp ]
そういえば、国道12号線に「釣橋」というバス停がありますが、たしかその名称に至る話があったと思いますが、ご存じの方はいませんか。
85本村@18丁目:2003/04/27(日) 10:08 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>69
>え〜っと、18丁目さん(実は本村さん)の「東皐園」解説に先んじて、こんなことを言っちゃいます。

あはは、私東皐園のこと解説しなきゃならなかったのですね。
でも、長いからなー。
86本村@18丁目:2003/04/27(日) 10:20 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
よーし、ゴールデンウィーク、SARSが恐くて海外旅行止めた人の為にも…

東皐園やりまーす!

〜みごとだった花しょうぶの園〜東皐園
今は人家の密集する天使病院の西側一帯。ここはその昔、東皐園という上島家の庭園
があった。五月も下旬になれば、数え切れないほどの花しょうぶが咲き乱れ、その美
しさをひと目見ようという人であふれたという。
87なまら名無し:2003/04/27(日) 10:28 ID:mp2KEKiY [ proxy323.docomo.ne.jp ]

――――― 君が、屁を、こいた。 ―――――
88本村@18丁目:2003/04/27(日) 11:02 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東皐園「東区今昔」より引用

〜原野に咲き誇った花〜
現在の東区北十から十三の東一〜二丁目あたりが切り開かれたのは、明治十一年にさ
かのぼる。開拓使からこの地を借り受けた長野県人上島正が開墾。当初大友掘(のち
の創成川)から水を引き米を作る計画だったという。
しかし、計画途中にして正は花つくりに熱中してしまった。それは、彼が東京を立つ
時に慰めに持ってきた花しょうぶが、この北の地で見事に開花したことに始まる。
当時、札幌には花しょうぶがなかった。もちろん、札幌の開拓がやっと軌道に乗り始
めたこのころ、人々は花を育てるという余裕も少なかったに違いない。多くの人が
彼の家を訪れその美しさをほめたたえた。以来彼は、花つくりに没頭し始めたという。
札幌近郊のいたるところで田畑を切り開くためにオノを振う音が打ち響いたこのころ、
正は花畑を作るためにクワを打ち降ろしていた。
<つづく>
89本村@18丁目:2003/04/27(日) 11:18 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東皐園「東区今昔」より引用

人々の安らぎの場に
東皐園は花で満ちあふれた。苦しい開拓当時のこと、人々は美しく咲き誇る花に心の安
らぎを求めた。そこにはやがて、あずま屋が設けられ、だんご売りまで出るようになった。
数々の句会や碁会、また謡曲などの盛んに行われたという。
”東皐園”は初め”東耕園”と名付けられた。開拓の当初このあたりを字東耕と呼んで
いたのがその由来。のち正は”耕”の字を”皐”に改めた。皐は皐月(五月)の皐で、
水辺や沢地、気の澄み渡る所という意味をもつ。なるほど、花しょうぶは水辺によく咲くし、
静かな庭園では風流人がよく会していたという。
<つづく>
90牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 12:26 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
い、いかん!
>>80で、「とにかく眠いので、明日へ<つづく>」と書いたのに続きを書いていなかった!
パソコンの横に「札幌百年の人」が開きっぱなしになっていて、「なんで、開いたままなんだろ〜?」などとノンキに思っていました…。
では、18丁目さんの補足ということで、「札幌百年の人」から「上島正」の続き。

「また、自分の土地を東耕園(のちに東泉園と改名)と名付け、シャクヤク、スズラン、ベゴニアはじめ、内外の珍花を栽培した。現在の諏訪神社は正が故郷の信州諏訪神社の分霊を自分の土地にまつって造営した。虚舟または天九翁と号し、書画もよくした。大正八年没」

余談ですが、疲れがひどいので、薬屋で「レオ○ンファイブ」ってのを買ってきて飲んでいます。
飲んでまだ二、三日。
そのせいか、体は未だ疲れているのに、首から上だけがみょ〜にテンパッちゃって…。
91牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 12:55 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌百年の人」に「自分の土地を東耕園(のちに東泉園と改名)」とありますが、これは誤植でしょうか?
ま、今まで「誤植」で片付けておいたら実は違って、それなりに意味があったってなことがありましたので、断言はしませんです。

「スズラン」がまた出てきました。
「スズラン」は本スレでも以前出ました。
「その七」#242 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/7_log.html#242
「さっぽろの昔話 大正編上」(大山黙笑編 みやま書房)より、「軽川(手稲)」「リリーの名所」の引用です。
「珍花」というのだから当時はやはり珍しい花だったんでしょうねぇ。
ちなみその他の「珍花」として、ハナショウブ(花菖蒲)は、ttp://members.tripod.co.jp/musoan/hanasyoubu.html 
シャクヤク(芍薬)ttp://members.tripod.co.jp/musoan/syakuyaku.html 
ベゴニアttp://members.tripod.co.jp/musoan/begonia.html
をご覧ください。
なんてワシって親切な人なんだろう…(涙

シャクヤクと似た名前の植物にシャクナゲ(石楠花)というのがありますが、それは
ttp://members.tripod.co.jp/musoan/syakunage.html です。
お間違いのなきよう。
92本村@18丁目:2003/04/27(日) 13:07 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
とにかく天気が良かったので、飼っている亀さんの散歩をしていました。

東皐園「東区今昔」より引用

正は明治十四年、開拓使の雇米人の造園師ルイス・ベーマーとともに豊平館の造園
にも参加。のちに正の庭園を訪れたベーマーの助言で、彼は独特の花しょうぶも作り
あげた。このころには、庭園も三万五千株の花しょうぶが咲き乱れ、訪れる人も数千
を数えたという。
「札幌まつりのころは、一年中でいちばん花がきれいに咲きました。おじいさんは、
ここを札幌の花の名所にしようと考えていたらしい。見物に来た人にも花を安く分けて
あげて、それで十分生計をまかなっていたようです。」上島正氏の孫にあたる上島太郎
さん(北区新琴似八条二丁目七0歳)は、なつかしい写真を前に語る。
東皐園の広さは約二f。花しょうぶの他に、北海道で初めて栽培したと言われる
ドイツスズランやベコニアなどもあった。また、原生林の代わりにドイツ松やオンコ、
ツツジなどを植え変え、その数は数万本に及んだという。
<つづく>
93本村@18丁目:2003/04/27(日) 13:16 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東皐園「東区今昔」より引用

公園づくりの先がけとして
札幌に公園ができたのは明治四年の偕楽園が最初。自然の景勝に人工を加えて公園
としたものに、中島公園、大通り公園などがある。いずれも東皐園よりは後のこと
である。いかにこの花園が市民の憩いの場となったかは、このことからも想像はつく。
現在、野幌の開拓記念館に上島正氏が描いた開拓当初からの絵巻き物が残されている。
そこに描きだされた東皐園の絵の中には、美しく咲き乱れる花に心を寄せている人々
の楽しげな様子が詳しく描かれている。(昭和53年6月掲載)
<おわり>
94本村@18丁目:2003/04/27(日) 13:21 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
<おまけ>
上島正(一八三八〜一九一九)は信州(長野県)の名家上島刑部の子孫。
彼は花づくりのほか、稲作においても大きな業績を残している。
厚別もち米は、彼の勧誘で郷里から移住した人たちが、彼の造田技術を受け継いで
つくりあげたものだ。
95牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 13:24 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、ご苦労様です。
新琴似の「東皋園ハイツ」とは >>93で繋がるわけですね。
ところで、開拓使が企画した、東西南北四つの公園の計画と「東皐園」は直接関係がないと思われますな。
言ってみれば上島正さんの「気まぐれ」が生んだ公園だったわけですから。

で、亀ってやっぱり散歩させたほうがいいのでしょうか?
実は、うちにも銭亀君(さん?)がいるのですよ。
96本村@18丁目:2003/04/27(日) 13:24 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東泉園は恐らく誤植ではないかと思われます。
明治の古地図にも、東皐園の地名が見られるものは多く、泉と書かれているものは
思い当たりません。
それにしても新琴似の東皐園ハイツはめっけもんでしたね。
97本村@18丁目:2003/04/27(日) 13:30 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>で、亀ってやっぱり散歩させたほうがいいのでしょうか?

あくまで飼い主の気まぐれです。
なにしろうちのは水槽を脱走することが多いもので・・・
戸外に出したのは今日がはじめてです。
98牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 13:30 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
>>96
>それにしても新琴似の東皐園ハイツはめっけもんでしたね。
新琴似のマンションの表記は「東皋園」となっております。
「ダイハツの隣」と書きましたが、これは記憶違いで、正確には「北区体育館の向い」です。
仕事でしょっちゅう行っていた事があったもんで…。
上島さんちにも行っていました。
99新住人=77・78:2003/04/27(日) 19:46 ID:Zy7zDwMk [ pl478.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
PRAT6の29に書き込んで以来ずっとROMってました・・・。
何かかきこまなきゃと思ってたら、もうその八なんですね。
今更ですが、
PRAT1(http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html
の117、121、141、156、
PRAT2(http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html
の299に出てきた烈々布の画像です。
http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/ocachan/vwp?.dir=/%a5%de%a5%a4%a5%ca%a1%bc%a4%ca%c3%cf%cc%be&.dnm=%ce%f5%a1%b9%c9%db%b2%f1%b4%db.jpg&.src=ph&.done=http%3a//jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/ocachan/vwp%3f.dir=/%25a5%25de%25a5%25a4%25a5%25ca%25a1%25bc%25a4%25ca%25c3%25cf%25cc%25be%26.dnm=%25bd%25bd%25b8%25ae%25bf%25c0%25bc%25d2%25a3%25b2.jpg%26.src=ph
からスタート

ついでだったので、十軒神社にも行って来ちゃいました。
PRAT4(http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html)の
284、286に出てきました。

http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/ocachan/vwp?.dir=/%a5%de%a5%a4%a5%ca%a1%bc%a4%ca%c3%cf%cc%be&.dnm=%bd%bd%b8%ae%b2%f1%b4%db.jpg&.src=ph&.done=http%3a//jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/ocachan/vwp%3f.dir=/%25a5%25de%25a5%25a4%25a5%25ca%25a1%25bc%25a4%25ca%25c3%25cf%25cc%25be%26.dnm=ASABU.jpg%26.src=ph
からスタート

なぜ、いまごろこんな実地調査をしたかというと・・・
単にデジカメをいじりたくなったから(w
何か写したいなぁと思ってね・・・
話を脱線させるようなことしてゴメン
100牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 21:00 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
新住人さん、ワシは大歓迎。
古いネタでも、何度でも味わおうじゃありませんか。
ましてや、画像アップしていただけるのはありがたいです。
その場所って、写真であっても、見てみないとイメージ湧きませんしね。
しかも、このスレがちょっと他と違うのは、「スレのために調べてみる、行ってみる」ってところだと思いますし。
早い話が、「俺がやらなきゃ誰がやる」精神。
つまりは「真心の現場主義」(by 豊栄建設)

さて、ワシも「東皐園」関係で、実地調査行ってきました。
で、それに先立ちまして、>>62で、
>斜めの道路があることは気が付きませんでしたが、いずれネタにしようかな?と思って、ちょっと写真撮ってあったりして…。
と書きましたが、
「また、牛鍋のヤツ適当なこと言って…」と思われるのもシャクナゲで、もとい、しゃくなので、証拠をお見せいたしましょう。
ちょっと待ってなはれ。
101牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 21:40 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
>>100の続き。
今年の冬、1月8日に撮影したものです。
「東区北13条東2丁目」の一角から「天使病院」を撮影。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=563
この一角には由緒ありそうなお宅が数軒見受けられます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=564 
しかも、地下鉄北十三条駅のすぐ横なのにかなりの空地があり、木造の倉庫らしきものも…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=565 
ま、「幻の開拓使東公園」や「東皐園」抜きにしても、ちょいと気色の変わった一角ではあるのです。

つ〜わけで、この時点ですでにこの場所には目をつけていたのさ!
えっへん!
そして、本日改めて調査(実際は写真撮影のみ)してきました。
それはまた明日かな?
102本村@18丁目:2003/04/27(日) 21:41 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
私、天使病院に6ヶ月ほど入院していたことありまして、その間外出時に付近はよく
歩きましたです。
本当に、歩かなきゃ気づかないほど細い斜め通りが、無数にあります。
それと、昭和初期からあると思われる木造住宅(外壁が木板)も残っています。
これが豊平4条5条であれば、住んでいる人たちが自立しているので、斜めの公道
を勝手に自宅の敷地にしてしまうところでしょうが、このあたりはいまだに借地
が多いと思われ、律儀に斜め通りのままなんです。
103牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 21:52 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、今日、それらを撮影してきたんですよ!
で、フェチの方々のためにホーローびき(?)の住所表示もね(うふ
これからレタッチしますので乞うご期待。
104牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 23:01 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
前スレ「その七」#53 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/7_log.html#53 で西創成さんが言っておられた、
>町名看板って、市内でも幾つかの種類ありますね。琺瑯引きで、広告入り。「講和記念」とか「道博記念」と書いた物もある。…の件。
これがそれ。
今日行った「斜め通り」角にあった、古いお宅に貼ってありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=566
「講和記念」の文字とスズランの絵が…。
「講和」とは当然、「対日講和条約」(サンフランシスコ平和条約)です。
1951年(昭和26年)9月8日調印。
ってぇ〜ことはこの種の看板ってのは、52年ほど前のもの…。
ひぇ〜!ですなぁ〜。
しかも、「池田バンビ」との言わば「ダブルネーム」だよ。
105本村@18丁目:2003/04/27(日) 23:07 ID:ZopG6l4w [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>104
ガツーンと来ました、しかも条の字が條です。
待ってた甲斐がありました。
牛鍋さんもっともっと!
106牛鍋蝸牛:2003/04/27(日) 23:19 ID:qXXle0ik [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
あ、看板はこれだけです(w
今日はもう寝ましょうや。
ワシ、明日も休みだから、また明日ってことでさ。
107菊水上町:2003/04/28(月) 00:19 ID:S2MbsTms [ h054.p184.iij4u.or.jp ]
>>104
神画像降臨
近いうち本物見てきます。ごっつぁんでしたー
108ヘリトンボ:2003/04/28(月) 02:36 ID:V9OVC2Zk [ n133140.ap.plala.or.jp ]
天使病院付近の"斜め"は北17条くらいまで確認できました。

>>84 西創成さん
自分も 釣橋って妙な名前だな と思っていました。
二里川にかかる橋がそうですよね。
「川と橋はその地の歴史を物語る」と誰かが言っていましたが、たしかにそうかも。
ちなみに12号線×三里川の橋は砂山橋です。こっちも謎な名前。
更にちなみに南郷通×二里川の端は上の橋。
一里川はどこやねんという話にもなりますな。
109牛鍋蝸牛:2003/04/28(月) 08:51 ID:9WqErMp. [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
「東区斜め通り」を先にやっつけちゃいます。
昨日報告しました、>>104の琺瑯看板、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=566
があったのが、 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=567
の斜め通り角の青い屋根のお宅です。
ちなみにこの写真、「Photoshop Elements 2.0」により複数の画像を合成したパノラマ写真です。
ワシのSONY DSC-P1では広角がイマイチなので、今まで苦労していましたが、先日「Photoshop Elements」の「photomarge機能」を使えば、自動で大広角パノラマ写真ができることに気が付きました。
この機能自体は以前から使っていたのに不覚でしたわ。
今後、活用していきたいと思います。
閑話休題(それはそれとして)。
この、http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=567
の斜め通りを入っていくと、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=568 のようにさらに右に角度を付け、曲がりますな、これが。
子供達が遊んでいて、なかなかイイ風情を醸し出しています。
その他、この辺りの斜め通りを撮影しましたので、ご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=569
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=570
この付近を地図で見ると、このようになっています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=574
110牛鍋蝸牛:2003/04/28(月) 13:14 ID:9WqErMp. [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「古い道路を探すには、古い地図を見ろ」とは、フランスの探検家「ビーフフォンデュ・エスカルゴ」の言葉ですが…。
「東区斜め通り」(勝手に呼んでいるだけ)。
まずは明治の地図と思いましたが、手元の明治29年頃のものは縮尺が、5万分の1で判別不可能。
大正5年頃のものでも、ちょっと発見できず、昭和26年頃のものでやっと分かりました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=576 
「東8丁目通」と交差するのは、「北16東7」。
現在の「とんでん」の裏辺り。
南は「北9東6」までが太く、その先細くなって「北8条通」まで。
北西方面はヘリトンボさんがおっしゃるように、「北17東5」の「大友恵愛園」敷地内を通過したところまで。

…と思ったのですが、さっきまで見えてこなかった大正5年頃の地図をもう一度みると、なんとちゃんと載っているではありませんか。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=577 
当たり前ですが、現在とは街並み道路が違うし、縮尺の違いもあるのでたまにこういうことがあります。
と言い訳。
てなことで、この道は「北17条」をなおも北上し、「東3丁目」辺りで「北19条」の通りを左に折れ、「東1丁目通」まで繋がっていたようです。
大正の地図では果樹園が見えますので、もともとは区画が整理されていない所の農道、あるいは近道として開かれたもののようですね。
今は途切れ途切れになってしまったこの道ですが、一度歩いてみるもの一興かと思います。
111本村@18丁目:2003/04/28(月) 23:33 ID:53ufw9b. [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あはははは!
とうとう東区の秘密を暴露されたって感じです。
大友恵愛園裏の斜めなんて、本当に律儀なほどに斜めを護持しているって感じなんです。
その斜めを、もう一条西に行くと、北光市場の裏口につながるんですが、以前自転車で
カメラ撮影していたら、市場に住んでいるらしいおばあさんに叱られました(w
112とろんとろん:2003/04/28(月) 23:46 ID:FFa1p4RI [ 211.121.159.96 ]
おそらく前スレで「真駒内公園0番地」の謎、
と少し提起したところでしばらく覗いていなかった
ので少し補足をしとかんと上手く伝わってないかも……。
元ネタにあるのは深夜番組でもう随分と長い旅を
やらかしている「ノブナガ」といふ番組の一コーナー
「地名しりとり」、といふヤツです。

といふことで私も少し調べなあかんかなあ。
ここのスレに触発されて「札幌飛行場」の正門跡は
観てきたけど……、正門の説明板の近くにある
ブロンズ像は現在正門の奥に住んでおられる坂さん、
といふ彫刻家の方によるものなんですね。
これもまた実際行って観ることをしないと、
なかなかわからないものですねえ。

あとこないだ札幌の各区役所等で貰える「さっぽろ市民便利帳」
を貰ってきたのですが、この冊子の巻末には札幌市内の町名と
その読み方が書かれていますので、もしよろしければ参考に。
113本村@18丁目:2003/04/29(火) 00:17 ID:.RXR9DKs [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
私としたことが、111のレス大間違いです。
西に行くのは丁目でしたね。条は南北です。
ああ地名スレッドなのに〜
114西創成:2003/04/29(火) 00:25 ID:nQB/8SOk [ m176034.ap.plala.or.jp ]
>>104
なるほど、講和記念ですな。
こうゆう看板専門の広告会社があるのでしょうか。

>>112
真駒内公園0番地はないと思いますがね。
無番地だったらありそうですが。

CBC中部日本放送制作のノブナガで、0番地にしりとりの芸人さん行ったんですか。
115ヘリトンボ:2003/04/29(火) 00:43 ID:vx5MvdvM [ n130193.ap.plala.or.jp ]
>>110 牛鍋蝸牛さん
おぉ・・・。その地図のラインマーカーの通りは
途切れ途切れではありますが見事に今も残っていますね。
もっといっぱい斜めの道が走っていたのかと思っていましたが、実は2本でしたか。

>>81 西創成さん
> 私は過去にご紹介した「湯の沢台」に行ってみたいと数回チャレンジしましたが、場所が特定できていません。
ここで言う「湯の沢台」とは、記念碑のことですか?
116新住人:2003/04/29(火) 09:29 ID:1bjmvdgs [ pl1138.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
>>112
ノブナガで、真駒内公園に行ったときは、
住所をミカカに訊いたら、その後の番地とか町名はないと言われたはずです。
最後に「ん」がついたので、積丹町に戻りました。
詳しくは
ttp://hicbc.com/tv/nobunaga/siritori/quize/092/index.html
でも、このことは上辺のお話で、探っていくと、新たな真実がわかるかも!?

ちなみに、この番組は、HBCで金曜深夜にやってます。

>>99で撮影した烈々布会館、何か会合をしていたらしく、
顔が真っ赤の人たちがぞろぞろと出てきておりまして、
カメラを烈々布会館に向けていたら
その人たちのある1人が「歴史的建造物?」などと言ってました。
牛鍋さんとかも、通行人などから怪しまれたりしませんでしたか?
117西創成:2003/04/29(火) 11:50 ID:xH/49z4c [ i099044.ap.plala.or.jp ]
>>115
「湯の沢台」開放記念碑の碑文が差す場所です。
だいたい見当はついてるのですが、その道の入り口にいつも作業用自動車が停まっていて道をふさいでいて、行けないのです。
そこを通らないと行けないので、近くまですらたどりつけない訳です。
それで、どうもならんのです。

>>116
「ノブナガ」のホームページを見てみました。積丹町美国町字船澗→真駒内公園→美国にもどる→真駒内公園→美国というのですね。

私はこの回を見ていないのですが、
アイスアリーナは、真駒内公園1番1号なんです。
この「真駒内公園」という地名のところは、全部道有地でして、公園事務所に確認しましたが、公園緑地部分にも番地があるらしいが知らないというお話でした。

「真駒内」の場合は、現在の団地部分「真駒内〇町」となっているところでも、過去は「真駒内〇番地」とついておりましたので(名残として、真駒内駅、自衛隊敷地は真駒内〇番地となっている)どうなんでしょうか。

ここは元々ゴルフ場であったそうです。
118牛鍋蝸牛:2003/04/29(火) 21:14 ID:rlhx6QnU [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌飛行場」ですが、>>112とろんとろんさんの、
「正門の説明板の近くにあるブロンズ像は現在正門の奥に住んでおられる坂さん、といふ彫刻家の方によるものなんですね」を読んで、ワシは、
「ドコカガチガウ、ナニカガチガウ、ホノカニチガウ…」と思ったわけです。
で、調べましたがな。
「その四」の>>68 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#68 で、
『「札幌飛行場」の横には「風雪」という碑があって、これは故坂担道氏の製作。プロペラをかたどった彫刻です。
で、門の奥は羊が丘の「丘の上のクラーク」像を作った坂さん(故人)という方のお宅だそうです』
ってな事を書いております。
「故坂担道さん」???
「坂さん(故人)」???
これって同一人物ですよねぇ…。
「故坂」なんて苗字ないですよね。
トンデモない間違いでした。
ま、>>113で本人も謝っているので、許してやってください。( ̄― ̄')
119ニナルカ:2003/04/29(火) 21:20 ID:3aN/p1Es [ YahooBB219048164162.bbtec.net ]
はじめてカキコします。みなさん濃い内容で恐れ入ります。

>>117

真駒内公園は1-4番地まであります。
1番地は、屋内競技場(アイスアリーナ)や公園管理事務所
2番地は、豊平川さけ科学館周辺
3番地は、屋外競技場(オープンスタジアム)一帯
4番地は、五輪通りをはさんで1番地の南側一帯

になります
120牛鍋蝸牛:2003/04/29(火) 21:26 ID:rlhx6QnU [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
>>116
「牛鍋さんとかも、通行人などから怪しまれたりしませんでしたか?」
そうねぇ…。
あえて言うなら「全身白装束」」てぇのんは、時節柄、あきませんな。
もちろん、
「スカラー波で攻撃されている」などとは、絶対に口走らないほうが賢明です。

あと、ワシなんかはちょっと"ヤバそうなところ"で調査していて人に会ったら、先に挨拶しちゃいますね。
相手との間合いが取れない空間の場合は、これ、有効であると思いますね。
尚、この手は先手必勝です。
先に挨拶しちゃいましょう。
他に有効な手段としては、「気配を消す」ことでしょうか。
なんとなくなじむ…。
これも大事。
場の空気を読んで、溶け込む。
そうしないと、>>111の18丁目さんのように、
「カメラ撮影していたら、市場に住んでいるらしいおばあさんに叱られました(w)」、てなことになっちゃいます(w

お!
>>119 ニナルカさん、お初!
121西創成:2003/04/29(火) 23:44 ID:Ev7FHJUQ [ i220167.ap.plala.or.jp ]
>>119
ニナルカさんはじめまして。
一応、私も最初にご質問いただいた時に似たようなことを書いておいた覚えがあります。
「真駒内」のうち、番地地区をのぞく各町では〇番地とはしないことになっていて、建物は〇番〇号、ただの土地は〇番としていて、「地」の字は入らないようです。

あと番地の付け方でおもしろいのは、真駒内曙町1丁目や真駒内緑町4丁目などです。
曙町1丁目と緑町4丁目は、ほとんどの部分が公団団地ですが、そこのアパートは全部1番という番地で、枝番は、アパートの棟番―部屋番号(例えば2号棟101号室だと、2―101号)となっています。

ニナルカさん、ごめんなさいね。

ところで、ニナルカさんの「ニナルカ」って地名でしたか?思い出せないのです。
122ニナルカ:2003/04/30(水) 01:03 ID:Gj4fCEmE [ YahooBB219038096138.bbtec.net[pdda09e.spprac00.ap.so-net.ne.jp] ]
牛鍋蝸牛さん、西創成さんはじめまして。

>>121
>「真駒内」のうち、番地地区をのぞく各町では〇番地とはしないことになっていて

おっと、基本中の基本でしたね、失礼しました。ご指摘ありがとうございます。


ついでに
>>117
>アイスアリーナは、真駒内公園1番1号なんです。

真駒内公園1番1号は小体育館で、
真駒内公園1番2号が公園管理事務所、
真駒内公園1番17号がアイスアリーナになります。


ニナルカはご存知の方もあると思いますが、勇払の静川あたりの旧名です。
苫東計画が挫折した今後がどうなるか不明ですが、安平川あたりで国道の
廃道があったりなかなか興味深いところです
123ヘリトンボ:2003/04/30(水) 01:20 ID:5n8CqGKw [ m200185.ap.plala.or.jp ]
真駒内と言えば、
平岸通 & 定鉄 (南北線) と石山西岡線 & 精進川の間の山? を切り拓く計画があったそうですね。
前テレビで見ました。
結局、何のメリットもないということで計画はあぼーんしたようですが。
124西創成:2003/04/30(水) 01:54 ID:XYk0VUqU [ i102019.ap.plala.or.jp ]
>>122
アイスアリーナは17号ですか。
ご指摘ありがとうございます。

ニナルカ了解しました。

>>123
「桜山」ですね。
もともとは、五輪通を越えて自衛隊駅の東側の山とつながっていたという。
真駒内種畜場の放牧地で、桜の名所でもあった。
昭和21年に米軍に接収された際、ガソリン集積場(現在の養護学校のところ)と射撃場をつくるため削られ、現在の形になった。

昭和34年ころ、道庁は返還された旧キャンプクロホード跡の道有地166,7ヘクタールを団地造成する計画をたてた。(昭41完成)
その時に桜山を宅地にする話があったらしい。桜山保勝会をはじめとする、住民の反対があり、断念した。
昭和45年には、保健休養林となった。
125ヘリトンボ:2003/04/30(水) 02:13 ID:zGiTKQXw [ i152056.ap.plala.or.jp ]
>>124 西創成さん
詳しくありがとうございます。
でも、テレビで見た桜山切り拓きは極最近の計画だったような・・・。
しかし保健休養林になっているのならそれはあり得ないですね。
ただの見間違いかな。

スレ流れ無視ですみませんが、知人が豊滝にいるので
ついでに湯の沢開放記念碑を見てきました (今更・・・) 。
かわいそうに、記念碑の周りはごみがいっぱいでした。
記念碑からちょっと離れると、ただのごみではない、不法投棄のごみの山も目立っていました。
実に許せません。捨てたのはどこのどいつだ( ゚Д゚)ゴルァ!!
しかし、実際の湯の沢とはまっっったく場所がかけ離れているよなぁ・・・。
126西創成:2003/04/30(水) 02:26 ID:Nyd1czY2 [ i096136.ap.plala.or.jp ]
>>125
そうそう、最近もあったんですよ。
住民の反対で、これも頓挫。


前にも書いたのですがね、開放記念碑の差す「湯の沢台」は、常盤の湯の沢ではないのです。碑文にあるとうり、碑より札幌岳方向に2キロのところに個人で「湯の沢台」という温泉のようなものを作ろうとしたそうです。
私は、盤の沢林道の奥と睨んでおります。
そこの林道の入り口に、私が行くと作業車がデン!と停まっていて行けないんです。
127ヘリトンボ:2003/04/30(水) 02:35 ID:zGiTKQXw [ i152056.ap.plala.or.jp ]
>>126
ムムッ、常盤の湯の沢の部分の過去ログしか読んでいませんでした。
128なまら名無し:2003/04/30(水) 02:39 ID:XfOfTNvY [ 195.98.229.211 ]
過去ログを読んでいないとついていけないスレ
129なまら名無し:2003/04/30(水) 07:17 ID:FosyWp5k [ m021009.ap.plala.or.jp ]
>>125
桜山は保安林なので宅地化はむずかしいが、真駒内駅や自衛隊駅周辺の再開発は地下鉄の
乗降客増にもつながるからおもしろいかも。上町あたりにもうひとつ駅を新設するという
計画もあったらしいがコストの面で頓挫したらしい。
130西創成:2003/05/01(木) 01:44 ID:ve9VldHE [ m175212.ap.plala.or.jp ]
>>129
地下鉄南北線の地上部分の駅間が、長いようです。
平岸〜南平岸、自衛隊〜真駒内間は間に駅があってもいいと思います。

>>128
161という方が、過去ログを編集されています。1のアドレスからご覧になれます。
ぜひどうぞ。
131なまら名無し:2003/05/01(木) 22:44 ID:fB.19Hys [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
月初めの今日、書類作製のため目が疲れてショボショボ…。
ワシはノンスモーカーなので、職場の受動喫煙もキツイです。
あ、そう言えば、以前「あび」で18丁目さんに偶然お会いした時、一本だけ貰いタバコしました。
貰っては吸うんですねぇ。
ワシ、ケチですか?

さて、以前に「西茨戸」http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#274 を一人淋しく調査したのですが、
その時に、「北商団地」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=420 
という地域名を発見しました。
しかし、その名前の由来など一切分からず、そのまんまになっていました。

ところが、「茨戸を知っているか」http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1045450660 
というスレがあることに最近気がつき、その件で質問をさせていだきました。
すると、ある名無しさんから、
>北商株式会社ってのがあったらしい。
>その会社が私設の木橋をかけ、「北商橋」とつけたんだって。
>そして近くに「北商団地」の看板を立て石狩街道からも見えるようにしたため
>団地の目印として大変便利になりハイヤーを呼んだり自宅を教える時にも
>「北商団地」・・と呼ぶようになったって・・・
>町内会の「記念誌」にかいてあったよ。

とのご返事を戴きました。
そして追加で、
>説明不足。
>当団地は6期にわたり6業者により宅地開発が行われていた寄り合い団地であり
>特に、第1、第2期造成地では団地名は無く第3期に造成した北商(株)が私設の
>木橋をかけ、北商橋と名付けるとともに・・・
>と、つけたします・・・・「記念誌」からお借りしました。
…とも。
皆さんにご報告いたします。
名無しさん、サンクス!
132牛鍋蝸牛:2003/05/01(木) 22:45 ID:fB.19Hys [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]

失礼。
このレス、牛鍋蝸牛です。
133ヘリトンボ:2003/05/02(金) 01:44 ID:.9tfamrk [ i223071.ap.plala.or.jp ]
「茨戸を知っているか」スレはたまに見ますが、あのスレを見るまでは
茨戸は石狩市だと思っていました。どうもすみません (。_。)ペコッ
茨戸には"パラト中島橋"という橋がありますが、これは茨戸の元の名前 (アイヌ語) かしら。
しかし、札幌と石狩の境界線はえらいことになっていますね。
発寒川を整備したときに、境界線も変更すれば良かったのにと思います。
134ヘリトンボ:2003/05/02(金) 01:48 ID:.9tfamrk [ i223071.ap.plala.or.jp ]
速自己レス。
> 茨戸 : アイヌ語、パラト (広い・沼) が転化した呼び名
なるほど。たしかに納得してしまう地名ですね。
135新川番地:2003/05/02(金) 16:34 ID:isrVgfMM [ p2099-ipad01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
新札幌団地って知ってます? ま、札幌でも今の新札幌でもない花川なんですけど でわー
136なまら名無し:2003/05/02(金) 17:04 ID:/O.qX/Ds [ q248039.ap.plala.or.jp ]
知ってる。5月の広報いしかりにでてた。
137西創成:2003/05/02(金) 18:55 ID:ZdrYkdrg [ o050237.ap.plala.or.jp ]
>>135
内外緑地株式會社あたりが、内外レジャーランドや現在の花川団地を売り出すのに使った名称でしたか?

一時は、花川行の中央バスも「新札幌団地 」行でした。

この団地名称は、国鉄線、新札幌駅開業後もしばらく残っていたようです。
消えたのは、昭和54年前後ではないでしょうか。
138なまら名無し:2003/05/02(金) 19:35 ID:LUWrC12M [ p3172-ipad23sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
130>>

え  あたし南平岸駅近くにすんでるけど平岸まで
かなーり近いよ

駅間にもう一個駅なんていらん
139本村@18丁目:2003/05/02(金) 22:00 ID:XjfPoYzE [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
明日、私はご先祖様の足跡を確認する旅に出ます。
大げさですが、旭川ですので日帰りです。

やっぱり花川といえば、スカンジナビアパビリオンですか。
地図を見れば見るほど防風林沿いに、石狩〜屯田〜麻生の軌道ができてもおかしくは
ないなーなんて思ってしまいます。
140牛鍋蝸牛:2003/05/02(金) 23:31 ID:4s4Xf3zA [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
なんとなく「石狩スレッド」になっております(w
>>136さんに釣られてみて、これが「広報いしかり5月号」。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=578
「だからなんだ?」とお怒りの貴兄に…。
ただ、ワシはいろ〜んな資料を持っているんだぞと、自慢したかっただけなのよ。
 
でもね、これをみて「お?」と思ったあなた、さすが!
日本語が読めるッ!
ま、そんなわけで今月の「広報いしかり」では、「地名で探る私たちのまち」なぁ〜んて特集をやっておられますな。
中身を読むと、うちのスレでやっているような内容で、もしかして「パクッた」んじゃない?
な〜んてね。
141本村@18丁目:2003/05/03(土) 00:36 ID:HHzD1tfk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
お気に入りの眼鏡(サングラス)が紛失してしまい鬱です。

それはさておき、石狩方面札幌北部の地図を眺めていて、あることに気づきました。
屯田墓地って石狩市なんですね。
142ヘリトンボ:2003/05/03(土) 02:28 ID:EnPjGmAQ [ o129199.ap.plala.or.jp ]
>>141 本村@18丁目さん
あの屯田墓地の"屯田"は、地名としての屯田ではなく、
その昔、夥しい数の"屯田"兵を葬ったからその名がついたという話を聞いたことがあります。
あそこは有名な心霊スポットですよね・・・。前行ったときはマジで怖かった・・・。
あぁぁぁあ・・・ ((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル
143牛鍋蝸牛:2003/05/03(土) 04:32 ID:kNwoG5p6 [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]
「屯田墓地」って「石狩」にあるけど、札幌市のものなのでしょうか?
ってぇ〜のが、http://www.city.sapporo.jp/reiki/honbun/aa00203941.html を参照していただくとわかるのですが、札幌市墓地条例の第1条では、「本市は,墓地を設置し,その名称及び位置は,別表1のとおりとする」とあり、その表が次の通り。

平岸霊園 札幌市豊平区平岸5条15丁目
里塚霊園 札幌市清田区里塚
手稲平和霊園 札幌市西区平和
円山墓地 札幌市中央区南4条西28丁目
盤溪墓地 札幌市中央区盤溪
上篠路墓地 札幌市北区篠路4条9丁目
中沼墓地 札幌市東区中沼町
苗穂墓地 札幌市東区東苗穂5条2丁目
丘珠墓地 札幌市東区丘珠町
白石本通墓地 札幌市白石区平和通10丁目北
月寒墓地 札幌市豊平区月寒西3条8丁目
澄川墓地 札幌市豊平区平岸2条18丁目
北野墓地 札幌市清田区北野2条2丁目
八垂別墓地 札幌市南区川沿町
藤野墓地 札幌市南区藤野4条8丁目
滝野墓地 札幌市南区滝野
発寒墓地 札幌市西区発寒5条6丁目
手稲墓地 札幌市手稲区手稲本町4条4丁目
山口墓地 札幌市手稲区手稲山口
屯田墓地 石狩市花川東 

てわけで、なぜか「石狩市花川東」に「屯田墓地」が、飛んでんねん(苦〜
144牛鍋蝸牛:2003/05/03(土) 04:35 ID:kNwoG5p6 [ N045246.ppp.dion.ne.jp ]

ごめんなさい。
墓地名と住所表示の間に、スペースが入りませんでした。
コピペした時にはスペースあったのに〜。

18丁目さんのサングラス見かけた方、いらっしいませんか?
145牛鍋蝸牛:2003/05/03(土) 23:21 ID:BZvFsmHg [ N045090.ppp.dion.ne.jp ]
実地調査関係を含め、PC上に撮り貯めた写真(画像)が増えてきました。
もちろんそれなりの管理はしているのですが、かなりの枚数になっているのでどうしようか、と思っておりましたところ、「Adobe Photoshop Album」というソフトが出まして、なかなか便利そう…。
発売前に予約しましたところ、すっかり忘れた頃に送られてまいりました。
現在それを使ってシコシコと画像の整理をしています。
ソフトを使っても面倒といえば面倒なのですが、今後の地名研究の利便性を考えてもやっておかなければならない作業であります。
なわけで、ワシ、ちょっと忙しいので(家のリフォームもあるし)、皆さんヨロシクね。
146本村@18丁目:2003/05/03(土) 23:41 ID:HHzD1tfk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
てな訳で、札幌市の墓地は、昭和四十六年で二七ヶ所で、多くの墓地が里塚霊園
への移転のため調査をしている。昭和四十七年の札幌市厚生局による、札幌市
墓地一覧表は全墓地の概要を記してあるが、全てをここで紹介するのもなんなので、
うち設置許可年月が不詳なものだけを抜粋して記します。

屯田 石狩町字花畔
元町 元町138
雁来 東雁来町24
藤野 藤野276
山口 手稲山口347

地名の変遷が分かって面白いなーと思いますた。
石狩町字花畔→石狩市花川東
元町138→北19条東20丁目
藤野276→藤野4条8丁目
147西創成:2003/05/04(日) 00:17 ID:XN5bXlyE [ i098085.ap.plala.or.jp ]
>>146
石狩町字花畔と石狩町大字花畔村とは、別物なんでしょうか。
148なまら名無し:2003/05/04(日) 08:11 ID:xc.e8wIE [ m021038.ap.plala.or.jp ]
う〜ん、ずっとここ読んでるが最近は札幌温泉のようなインパクトのある
記事がないなー。なんかないかなー。う〜ん、う〜んでてこない。
149本村@18丁目:2003/05/04(日) 09:27 ID:nO6HJNBE [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>147
さてどうなんでしょうか?
わかりますか、石狩市在住の「バ○ルのようなもの」さん。
150牛鍋蝸牛:2003/05/04(日) 11:56 ID:1LcN9.tM [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>148
「札幌温泉」は確かにインパクトがあったねぇ。
ビジュアルにも訴えるものが多かったし。
でも最近では、「砂山」(紅葉山砂丘)とかも小ヒットだったんじゃないかな、と思っていますけど。

で、その「砂山」と関連あるのが、現在"番外"で取上げられている「石狩市花畔」あたり。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=579 
つい最近、7000〜6000年ほど前までは、「紅葉山小学校」までは海だったわけでして、その南側に砂丘が広がっていたのです。
ここでは現在、「紅葉山49号遺跡」という縄文時代の遺跡の発掘が行われています。
青森の「三内丸山遺跡」など共に、北方縄文遺跡として世界遺産に登録しようという動きもあるのです。
第4532回ゴールデンウィーク記念として今回、ご紹介しましょう。

…でもねぇ、ワシんち、明後日からリフォーム(玄関上がりのフローリング張替え、キッチン・洗面所の改修、サイディングの一部の塗装)がありまして、部屋の片付けで忙しいんだよね。
誰か、やっていてくれないかな?
ああ!忙しい!
151新住人:2003/05/04(日) 12:14 ID:g0dwouBw [ pl723.nas921.sapporo.nttpc.ne.jp ]
スレ違いだと思うんですが、書き込みました。
各地の今が見られるライブカメラです。
これだと、家にいながら実地調査ができる!?

ttp://www.ilive.hokkaido.isp.ntt-east.co.jp/
152牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 20:27 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
「紅葉山49号遺跡」なんて、余計なこと書いちゃったよなぁ〜。
仕事も、家のことも忙しいのに…。
しかもゴールデンウィークだからみんな遊びに行っちゃって、書き込み少ねぇ〜し…。
でもやっぱ、書かなきゃいかんだろうなぁ…。
スレ盛り上げなくなぁ。
だっけどさ、金も貰ってないのに、なんで俺だけが苦労しなきゃいけない…

…あ!
い、いたの?みんな!

さて、第6793回ゴールデンウィーク特集としてお送りしてまいりました、「あなたの知らない 紅葉山49号遺跡」も今日が最終回です。
ご存知のように「紅葉山49号遺跡」については、
ttp://www.city.ishikari.hokkaido.jp/kakubu/kyouiku/49iseki/index_m49.htm#C01 が、なぜかやたら詳しいので、そちらを読んでいただくとして、私が2001年秋に調査した時の写真をご紹介いたしましょう。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=580 からスタートです。

さ、皆さん、ゴールデンウィークも終りだから、本来の「札幌の地名」に戻りましょう。
153牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 20:30 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>152
おいおい。
>スレ盛り上げなくなぁ。
じゃなく、「スレ盛り上げなくっちゃ」だろ〜。

…って、あの人が言ってましたよ。
154牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 21:14 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>147
>石狩町字花畔と石狩町大字花畔村とは、別物なんでしょうか。

う〜ん、わからにゃい…。
しょうがないので、第7829回ゴールデンウィーク特集のおまけとして、>>136>>140で出ました、「広報いしかり」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=578
の「特集 地名で探る私たちのまち」から「道内屈指の難解地名 花畔 ばんなぐろ」でお茶を濁すことにしよう。

「アイヌ語で『川下人の村落』を意味する『パナウンクル・コタン』が略されたものが由来と言われています。
昔は石狩川に沿って、上流と下流にそれぞれの部落がありました。これらの部落は互いにぺナウンクル(川上人)、パナウンクル(川下人)と呼んで交流を深めながら暮らしていました。このパナウンクルの集落があったのが現在の花畔地区だったということです。
江戸時代には原音に近い『ばなんぐろ』くらいの音で呼ばれていたらしく、これに『花(はな)』と『畔(くろ)』が当て字されたと考えられています。<つづく>
155牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 21:14 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
明治四年に、岩手県民三十九戸が入植し、正式に『花畔村』として開村しました。
その後明治三十五年に隣接する樽川村と合併して花川村となりました。そしてわずか五年後の明治四十年に石狩町と花川村が合併したのです。
当時の花畔村は広大でしたが、現在は区画整理などで花畔、新港(東・西・南・中央)、花川(北・南・東)、志美、緑苑台に分割されています。
明治四年から百年以上の歴史を持つ『花畔』という地名。
昭和五十四年に花畔団地が完成した時に改名しようと言う意見もありましたが、やはりそのままにしようと改名されなかったと言う経緯があります。『花畔』という名が住民の間に深くなじんだ証拠でしょう」

どや?
15618丁目:2003/05/05(月) 22:02 ID:2rijVTQk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
どーもね、この樽川村ってのが曲者のような気がしますね。
現在の銭函3丁目あたりから、花川地区に村ごと移動させられた。
昭和20年代には、教育問題から石狩町を離れ、手稲町に合併しようとする分村
運動も起きています。
「何だかあの辺はよくわかんね」とは、昨日飲み屋(484の居酒屋)で隣で飲んでいた、
丘珠在住のおじさんの言です。
小樽、石狩、札幌(手稲、新川)の境界は複雑ですね。
157牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 22:19 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>156
「何だかあの辺はよくわかんね」
丘珠のおやじ。
同感だ。
158なまら名無し:2003/05/05(月) 23:37 ID:TRTYUT.Y [ 1Cust97.tnt1.chitose.jp.fj.da.uu.net ]
市外もOKなのかい?
159牛鍋蝸牛:2003/05/05(月) 23:49 ID:wZbUpO1c [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>158
ゴールデンウィーク特別編集です。
明日からはスレタイ通り、札幌に戻りたいと思っております。
160牛鍋蝸牛:2003/05/06(火) 21:34 ID:ztSe/JaU [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
自レスの>>101なのですが、中途半端になっています。
そうそう、"途中半端"って言う人がいますが、それは間違いでしゅね。
だって、「♪ ちゅうとはんぱはやめて〜」、…って黛ジュンの歌もあるくらいですから…。

いや、あそこらへん(天使病院の北)は実に、不思議な雰囲気が漂っているのです。
その画像をアップします。
おぉっと、その前に…。
冬の風景としては、既出のhttp://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=563 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=564 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=565 
…などがありますが、最近の光景としては、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=589 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=591
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=590
等など。

ま、今では「街の中」といってもが過言ではないこの地域がなぜ、このような雰囲気を醸し出すに至ったか、はたまた、この状景はいつまで続くものなのか、とっても気になる、気になる、気になる、気になる、気になる。
もう今日は(も)酔っ払いでして、椅子のまま後ろへ倒れこみそうなので、今日のところはこのヘンで。
んじゃ!
16118丁目:2003/05/06(火) 23:45 ID:2llvFsZE [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>160
うーん、やっぱり上島さんか、その次の地主さんが土地をデベロッパーに渡さなかった
からじゃないかしら?
16218丁目:2003/05/07(水) 00:10 ID:hs.K49LM [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
今日久々に歩いて帰宅しました。
あんまり大発見ではないかも知れないけど、あることに気づきました。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0032.bmp
サッポロビール札幌工場の裏手、JR線路と大日本印刷敷地に囲まれた狭い場所に
住宅が十数軒ほどある場所があります。
いい風情で、以前から気にはなっていたんですが、何とも不思議な陸の孤島的
な存在になっているのです。
そこでマピオンで調べてみると、そのあたりの北5〜北7の東10丁目は存在しない住所
のようです。北4条にも北8条にも10丁目はあります。
ビール工場は北7東9となっています。
久々に「○条×丁目は存在しない」ネタでした。
163ヘリトンボ:2003/05/07(水) 00:54 ID:teqQ12L2 [ m200187.ap.plala.or.jp ]
>>162 18丁目さん
あそこは確かに「陸の孤島」という表現が合いますね。
中央区で唯一の踏切を味わうために、たまに通ります。
ん? あの踏み切りは東区かな?

自分の持っている地図では、北5条東10丁目を確認することができました。
マンション1棟のみが、この住所に当てはまるようです。

ttp://www.mapion.co.jp/c/f?el=141/23/07.484&scl=20000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=43/04/20.506&size=500,500
ここ、面白いですね。
北7条東18丁目の北東に北6条が、そして南にも北6条があります。
16418丁目:2003/05/07(水) 01:05 ID:hs.K49LM [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
むむ、北6条東19丁目が飛び地になっていますなー。

サッポロビール裏の件、10丁目がないのは北7条だけのようですね。
165西創成:2003/05/07(水) 02:35 ID:mPuT16o2 [ i221221.ap.plala.or.jp ]
苗穂交番は、北6条東19丁目にあります。
あの角だけ19丁目なんでしょうか。

それと、花畔村の件皆様ありがとうございました。
166牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 09:35 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>162-165
こらこら、キミら、ワシも交ぜてくれたまえ。

そこらの関連でよ〜く見てみたら、「JR北海道苗穂苗穂車両工場」って、ちゃんと条丁目が設定されているんですね。
ちょっと見づらいけど、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=593 
北大構内とかと一緒ですね。
でも、「JR苗穂工場」は北大のように自由に入れるところではないし、なじみのない住所の筆頭かも。

ちなみに、マピオンで「JR苗穂工場」を表示しようとしてみると面白いです。
行けそで、行けない…。
167牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 20:31 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]

しばらくしてから気が付きました。
「JR北海道苗穂苗穂車両工場」、じゃぁない。
「JR北海道苗穂車両工場」です。
168牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 20:48 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
この「JR北海道苗穂車両工場」あたりになりますと、もはや「条丁目」表示は意味をなさず、かえって混乱を招きかねないと思われます。
だって、「北7条東14丁目」なんかも、かなりシブイし…。
ここを座標軸で現すのは、かなり無理がありますよ。

条丁目の設定と、「JR北海道苗穂工場」(昔は、"苗穂機関区"と言ったよね)の操業はどっちが先で、どうなっているのか、今のところ調べてもいないのでなんとも言えませんけど、これがあるから、ここらはこうなんでしょう。
(死んだ爺さんが、よく、ナニがナニして…と言っていたのを思い出した)
169牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 21:44 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
ttp://www3.tky.3web.ne.jp/~jrnaebo/shop_guide_j/Common/TopPage.htm  
「JR北海道苗穂工場」のホームページ、これもシブい。
「もっと見たい。知りたい!」と思わせる奥ゆかしさ…。
そして、「開設日 1996-10-09 更新日 2001-05-09」とありますが、この間、どこをどう更新したのか表立って分からないようにしてあるところも、なかなか憎いですね。

さて、創業が明治42年(1909)と言いますと、そろそろ一世紀を迎えようとする施設であります。
「新北海道史年表」(北海道出版企画センター 編纂北海道)によりますと、
「明治42年12月8日 鉄道院北海道管理局札幌工場創立。'10.2.3岩見沢工場から木工職43人を転勤させて、開業。'15.4.1札幌工場を苗穂工場と改称」とあります。
なお、これにも出典があり、「苗穂工場五十年のあゆみ(日本国有鉄道苗穂工場編)によるものだそうで。

そして、この工場で作られた、「スーパー宗谷」といえば、あの「振り子特急」。
先日、偶然にNHKBSで、ハイビジョンスペシャル「特急列車大図鑑」(日本を走る特急列車のすべて 車体のデザイン、メカニックの工夫など魅力のすべてを紹介)って番組を見ちゃいました。
ワシってなんてカンがいいんでしょう。
170牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 22:20 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
お詫びです。
>>169の「「もっと見たい。知りたい!」と思わせる奥ゆかしさ…。
そして、「開設日 1996-10-09 更新日 2001-05-09」とありますが、この間、どこをどう更新したのか表立って分からないようにしてあるところも、なかなか憎いですね」
を取り消します。
検索エンジンでたどり着いたサイトを見て書きましたが、ワシはフレームの一部分しか表示されていない状態を見たのでした。
ごめんなさい。

で、JR北海道さまに、お詫びの意味で宣伝いたします。
こんなに面白そうな施設があるんだって。
ttp://www3.tky.3web.ne.jp/~jrnaebo/ 
「北海道鉄道技術館」。
17118丁目:2003/05/07(水) 22:35 ID:hs.K49LM [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん・・・
私リンクのURL叩いたらトップページのみだったんで、何かいやな予感してました。
ところで、昨日の北7条東10丁目の件、実は存在するんではないかな?
マピオンでは出てこないだけで。
今日、ある製紙工場で仕事の合間を見て地図みていたら、ビール工場内も細かく
住所を記してあるのを見つけました。
どなたか、決定打お願いします。
172牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 22:41 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>171
18丁目さん、実在します、「北6〜7条東10丁目」。
ただし、上に「虻田郡倶知安町」が付きますけどね。
札幌にはないですね、この住所。
17318丁目:2003/05/07(水) 23:01 ID:hs.K49LM [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛さんありがとうございます。
ところで、もーネタはつきたかな?なんて思っても、なんだかんだとネタ続きますよね
このスレ。
さー次なる地名はなんじゃらほい!
174牛鍋蝸牛:2003/05/07(水) 23:28 ID:qEw0iq3U [ N044048.ppp.dion.ne.jp ]
>>173
もう、ついでだし、このまま「苗穂」をやりたいな〜、と思っておりました。
ちょっと調べてみたんです。
今日はもう寝ますけど。
17518丁目:2003/05/07(水) 23:38 ID:hs.K49LM [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
苗穂といえば、とさらさらと資料本よんでいたら、以前から気になっていたが、
調べきれていなかった、”山中”の地名の謂われを見つけたよ。
うれしー!一人でよろこんでしまいました。
176なまら名無し:2003/05/07(水) 23:57 ID:jizhVJrY [ 203.14.169.19 ]
>167
こういう訂正いちいちしなくても、みんなわかるからしなくていいよ。
どうしてもしたいんだったら次の書き込みでどうぞ。
177西創成:2003/05/08(木) 02:44 ID:dTcz1w0A [ i239172.ap.plala.or.jp ]
苗穂工場は、苗穂工機部と言っていた時代もありました。

苗穂機関区は、苗穂運転所として現存しています。

「北6・7東10」ってあるんですかね。

旧古谷製菓工場は、北6東11だし。

>>172
関係ないけど、倶知安町北6、7東10は、旧国鉄胆振線・六郷駅裏手、東稜中学校前国道393号向かい側ですね。
17818丁目:2003/05/08(木) 07:42 ID:7Gx..YQw [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
苗穂工場は明治中期、札幌官園第四葡萄園だったようです。

>旧古谷製菓工場は、北6東11だし。
ええ、あすこの踏み切り渡るときいつも香ばしい匂いで、おなかがすきました。
179なまら名無し:2003/05/08(木) 22:01 ID:K4W1cl0M [ n141189.ap.plala.or.jp ]
そういえば古谷製菓の社長宅が山鼻16条にあったっけ。立派だったなー。
180牛鍋蝸牛:2003/05/08(木) 22:08 ID:0M2eIUWs [ N044012.ppp.dion.ne.jp ]
「池田製菓」は「バンビキャラメル」。
「古谷製菓」は「ウインターキャラメル」…、で良かったでしょうか?
というのが、今「苗穂ネタ」で改めて認識した次第でして、なんとなく両社を混同していた次第です。
181西創成:2003/05/09(金) 01:28 ID:3HZDtdaA [ o050081.ap.plala.or.jp ]
>>180
古谷製菓は、フルヤミルクキャラメルとウインターキャラメルとバターフィンガー。
小樽・池田製菓は、バンビキャラメルと豆菓子。
坂食品は、ラインサンドなどのビスケット。
そういえば、
ラーメンの西山製麺創業者西山仙治氏は、昭和22年頃、札幌に来て、当時の国鉄苗穂工機部正門前の家を借りてラーメンの製麺をはじめたそうです。
なんでも、仙治氏はかんすいの入手先を知っていたので、ラーメンの製麺を始めることができたそうです。

戦後、札幌でラーメンの製麺をはじめて行なったのは、龍鳳の松田勘七氏で、昭和21年、南3東1兼正旅館前で屋台のラーメン店をはじめた時に用意したもので、かんすいの代わりに重曹を使ってつくったそうです。
182なまら名無し:2003/05/09(金) 01:55 ID:PG6GyWSo [ accel09.lax.untd.com[dsc03-lai-ca-6-31.rasserver.net] ]
苗穂懐かしいね。
昔、サッポロビール園近くにすんでたころ
付き合ってた女に旦那がいて、
札幌駅では嫌だということで、
苗穂駅でよく待ち合わせをした。
結局、別れちゃったけど、すんげー切ない思い出。
183ヘリトンボ:2003/05/09(金) 02:20 ID:4P.Bc30o [ o098001.ap.plala.or.jp ]
平和通と北3条通がつながるから、
苗穂駅も少しは栄える???
184牛鍋蝸牛:2003/05/09(金) 04:10 ID:CC6YdOyU [ N044012.ppp.dion.ne.jp ]
>>181 
「坂ビスケット」、出ましたね。
子供の頃住んでいた近くに、同社のえらい方(社長か専務)のお宅がありました。
というか、今も「坂」さんち、あります。
南9条西21丁目。
小学校の頃に、社会科見学で「坂ビスケット」の工場行きましたし。
おっと、「苗穂」から離れちゃったな。

「苗穂」が、札幌ラーメン発祥に関係のあった地とは知りませんでした。
ちょっと調べたら、「西山製麺」の創業者である「西山仙治」氏とその甥で後に社長となった「西山孝之」氏も、最初は「だるま軒」という屋台のラーメン屋をやっていたそうですね。
当時は「かん石」を「かん水」の元にしていたそうで、その入手方法を知っていたとのこと…。
http://www.seimen.co.jp/wonderland/gotouchi/history.html 

ここから激しくスレ違いになりますが、ちょっとお付き合いを…。
ラーメンの麺って、かん水が使われていることは有名だけど、かん水って何のために入れるのか…。
これもワシは長年、気にはしていたのだけど、その実体を知りませんでした。
ラーメンに詳しい人は皆さん、知っているのでしょうか? 
何のために入れるのかというと、どうやら何のためも何もなく、ラーメンの麺の風味そのものらしいのです。<つづく>
185牛鍋蝸牛:2003/05/09(金) 04:11 ID:CC6YdOyU [ N044012.ppp.dion.ne.jp ]
かん水を使わなければ、中華麺にはならないそうで。
ま、そりゃそうかな?
うどんだって元は、小麦粉だもんな。
ま、しかし、同じ小麦粉を使っても、世界各地で食べられる麺とかパンに違いが出るのはグルテンの量の差だそうですが、ラーメンがラーメンであるのにはかん水が必要なのですね。

元々は中国北方の「鹹湖」(かんこ)から採った天然の炭酸塩がかん石だそうで、実は「機動戦士ガンダム」の第16話「セイラ出撃」にも「鹹湖」が出てきます。
ホワイトベース内の「塩」がなくなり、「木馬」は「鹹湖」へ塩の採取に行くことになるというお話。

ミライ 「あったわ、シルクロードにある鹹湖」
ブライト 「鹹湖?」
ミライ 「ええ、塩を含んだ湖。そこに行けば塩が取れるかもしれないわ」
タムラ 「ほ、ほんとかね?」

本当は、ホワイトベースの食堂でラーメンの麺を切らしてしまい、乗員から苦情が出て、鹹湖へかん水を採りに行ったらしい。
これはジャブローからの情報です。
186牛鍋蝸牛:2003/05/09(金) 05:02 ID:CC6YdOyU [ N044012.ppp.dion.ne.jp ]
>>182
なんかいいですねぇ…。
不倫だからホントは良くないんだけど、いいですねぇ。
「札幌駅では嫌」…か、気持ちわかります。
「苗穂駅」ってのが泣かせます。

>>183
ヘリトンボさん、「平和通」と「北三条通」繋がるんですか?
ちゅ〜ことは新しく橋を架けるのかな?
大事ですなぁ。
どこで合流するのでしょう?

さて、「苗穂」といえばワシにとっても、ゆかりの地でして。
とは言っても「ゆかり」というは女の名前ではなく、実は、学校出てすぐに、この辺りの会社に勤めていたことがあるのです。
今はもうなくなった「苗穂踏み切り」辺りは舗装もされていなく、雪融けの時なんか道はドロドロでして、「ひどいところだな」と思って通勤しておりました。
夏は夏で埃がひどかったし、年中会社に着いてから靴を拭くのが習慣でしたね。

踏み切りで列車の通過を待つ時は、なるべく離れて息を止めていました。
だって、当時は"例のもの"撒き散らしだったでしょ。
列車のトイレには、「停車中は使用しないでください」ってプレートが貼ってあったもんです。
札幌駅で止まっている列車から「ボタボタ」と落ちるの見たことあるし…。
あ、そうそう!
ここ、「苗穂踏切り」は有人踏み切りだったのですが、小屋の中では国鉄職員がマンガ本を読んでおりまして、おいおい、大丈夫かよ!って。

余談が多くなりました。
「苗穂」に関しての詳しい調査は、のちほどちゃんとやりますのでご容赦を。
でも、あまり良い思い出がないところだな(w
187なまら名無し:2003/05/09(金) 06:19 ID:CbUc2TZg [ wgpproxytn0601.skyweb.jp-t.ne.jp ]
小林峠
188新川番地:2003/05/09(金) 09:43 ID:ZwvSplN. [ p6224-ipad01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
平和通りは今、豊平川沿いの東橋下流の岩田建設跡に橋が架かっていてその先もすでに北3条通りとつながっているのがうっすら解ります。北2条からのアンダーパスとX字状に交差しています。だから「北3条平和通り」とかになるんでしょうね。苗穂駅周辺の再開発もすでに始まっています。どうなるのでしょうか、苗穂
189ヘリトンボ:2003/05/09(金) 11:01 ID:i7lkZTgk [ n138003.ap.plala.or.jp ]
>>186 牛鍋蝸牛さん

>>188の新川番地さんの仰る通りです。
名前は平和大橋? だったっけ?

苗穂の開発も始まっているようですし、
活性化するでしょうかね。

苗穂駅って札幌駅から1駅しか離れていないのに、
特に何もない駅 (もちろん工場など、重要な拠点ですが) ですからね。
もっと華やかになっても良いですね。
190西創成:2003/05/09(金) 14:54 ID:QKJgp5C6 [ i220055.ap.plala.or.jp ]
今日は、こんな昼間にカキコできるのです。
>>184,185
カン湖のカン石が原料のかんすいは、現在ではお上に使用が禁止されています。

それで、
現在は、炭酸ナトリウム・炭酸カリウムなどの合成かんすいか、重曹などを使っています。
一時期、工業用ソーダを使ってた業者もありました。

札幌では、初めてラーメンを出した(大10)北9西4の竹家食堂では、炭酸ソーダを使っていたそうです。

私は実際に、かんすい使用の麺と重曹使用の麺を作ってみたことがありますが、腰などは工夫次第で遜色ありませんでした。かえって、かんすいより薬臭くなくよいかんじでした。

かんすいの効用は、煮上がりがはやくなり腰がでて、独特の風味がでるというものです。
麺が黄色いのもかんすいのせいです。
ただ、最近の物はほとんど黄色くならないので、着色料などを使っています。

「だるま軒」さんは、現在も二条市場で営業中です。
191西創成:2003/05/10(土) 03:32 ID:AQPKoJso [ i220221.ap.plala.or.jp ]
>>187
「小林峠」
名称の由来は、この峠にちいさな林が多かったからとか、産業観光開発道々促進期成会の会長小林新夫氏の姓からとも言われています。

元々は、けもの道として存在していて、冬季は通行出来なかった。
盤渓から嫁入りした人は、冬は迂回しないと実家に帰れないことから、嫁泣き峠の別名もありました。

昭和35年、地元期成会等による陳情により工事開始。
この区間は難工事で、重機すら谷にずり落ちること度々だったそうです。
昭和40年、峠完成。
昭和41年、道道貫通。
192西創成:2003/05/10(土) 03:35 ID:AQPKoJso [ i220221.ap.plala.or.jp ]
>>191は、「みなみ区ふるさと小百科」を参考にしました。
193牛鍋蝸牛:2003/05/10(土) 05:58 ID:7o7gYcLs [ x086097.ppp.dion.ne.jp ]
昨日は実地調査を兼ねていろいろと回ってきました。
恥ずかしながら、今頃「湯の沢」付近への調査へも行きましたが、これといった収穫もなく、「日鉄鉱業採石所」でUターン。(その奥は勝手には入れないようです)
帰りは「苗穂」調査をとも思い、「水穂大橋」を渡り、18丁目さん御推薦の線路裏の「斜め通り」を走りました。
しかし、4時近くであり、空腹に耐えかね、逡巡の末調査は持ち越し、結局は「あび」へ…。
てなわけで、今回は「苗穂」に関しての調査はさておきまして、その他のネタを。

「こばやし峠」で写真撮影してきましたよ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=594 から3枚アップ。
石碑があります。
碑文は次のとおり。

産業観光開発道道促進期成会 会長 小林新夫 平成元年十月二日建立

「藻岩地区は北西の藻岩山・西南の砥石山と堅石山に囲まれ、その麓一帯を占める地区の大半は東方の豊平川へと傾斜している地形から「陸の孤島熊の巣」と称されていた。北の沢地区は開村以来入植者によって細々とした道はつけられたが依然起伏は険しく、急病人を運ぶに支障をきたし又肥料が運搬出来ないなど農業の衰退をも引き起こした。
この事態を憂いた有志が団結、昭和三十一年産業観光開発道道促進期成会を結成し、道路造りに着手した。道路用地は幾多の辛酸により開墾された土地が地主の強い郷土愛によって無償で寄付された。関係行政との交渉道路工事時の困難を乗り越え昭和四十年十一月今日の道道西野真駒内清田線の貫通を見るに至った。
現在通称「こばやし峠」と呼ばれるこの道は、札樽国道・国道虻田線・国道千歳線を最短距離で結び、又藻岩山の四季折おりの姿を観賞できる道として広く市民に親しまれている。ここに先人の苦労を偲び北の沢の限りない躍進と繁栄を祈念する。」  記 川淵初江
<つづく>
194牛鍋蝸牛:2003/05/10(土) 05:59 ID:7o7gYcLs [ x086097.ppp.dion.ne.jp ]
ということで、「あび」のマスターも関係者から聞いたと言う、「こばやし峠は小林さんの個人所有」というのは俗説ですね。
碑の裏側には小林さんを含め、道路用地を寄付した方々22名のお名前が彫ってありますし。
ここらはワシの、ご幼少の砌のホームグラウンドでした。
「こばやし峠」の記憶というのはある時から突然、という印象なのですが、きっと物心ついた頃と開通した頃が一致するからなのでしょう。
これまた長年の疑問が解けました。
なお、当時はまだ砂利道でしたね。
「陸の孤島熊の巣」に小学生が気軽に行けちゃうようになったんだから、地元の人たちの喜びはたこばかりか…、もとい、いかばかりか。
(前にも使ったな、このギャグ)

そしてここには、山歩きルートの入口があるのですね。
しょっちゅう通るのだけど、車を停めてみたことがなかったので知りませんでした。
多少の駐車スペースがあり、いつも車が停まっているのはここから入山する人の物なのでしょうか。
今なら山菜採りだろうけど、クマが出るそうですので、行かれる方はご注意を。
たて看板の文章紹介。

「中の沢〜小林峠・源八沢ルート 延長14.9km 健脚者向き
みどころ…砥石山、三角山(通称)。八垂別の滝
コースの概要…砥石山山頂(標高826.7m)周辺はすべて国有保安林でエゾマツ、トドマツの巨木がそびえ、山頂に立つと、南西部山地の展望が見事です。なおこの山頂へは、「中の沢」、「小林峠」「源八沢」の各入口から登ることができ、その間それぞれ異なった趣を楽しむことができます。
注意…なお、このルートは野鳥、野草など豊富ですが、時にクマも出没することもあり単独行動は禁物です。必ずグループで歩くようにしましょう。

「チェックメイトキング2!チェックメイトキング2!こちらホワイトロック!
当方、常に単独行動につき、今回は入山を断念し、転進する!」
「こちらチェックメイトキング2。ホワイトロック、了解…」  <つづく>
19518丁目:2003/05/10(土) 11:37 ID:XKfpYr3I [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん、以前平和大橋の件は何度か出ています。↓
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#298
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/6_log.html#003
それで、もうほぼ完成に近い状態で、あとは橋桁を架けるだけという状態にきています。
↓この小沼川散策路のつきあたりの白い壁が、菊水上町の南側で
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0016.jpg
↓新道路の北側はこんな感じです。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0019.jpg
そんで、↓のようななんとも良い風情が消え去るのかな?などと思うわけです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=330

橋を建設している「岩田建設」のHPには施工状況が克明に記されています。
便利になって良さそうですけどね、岩田さんは立退き料を貰いつつ、工事も請けることが出来て
ウハウハでしょうね。
196なまら名無し:2003/05/10(土) 14:46 ID:ebCmLqSo [ p2014-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
1
197なまら名無し:2003/05/10(土) 14:56 ID:ebCmLqSo [ p2014-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
東区の水揚場って知ってますか?
19818丁目:2003/05/10(土) 17:17 ID:XKfpYr3I [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
水揚場
蒸気機関の黒煙がたなびく−中沼農業振興組合
市バス丘珠線に乗り、広広とした玉ねぎ畑の続く丘珠を過ぎる、そこからさらに
東へ進むと、中沼小学校の手前に「水揚場」という停留所がある。現在は畑の
広がるこの地区は、かつて中野と呼ばれ、蒸気機関でモエレ沼の水を揚げ、稲作
が盛んに行われていたものである。
(昭和52年7月掲載)
199対山橋:2003/05/10(土) 18:34 ID:UzMyilUs [ hospro006163.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
 ご無沙汰しております。2回目の書き込みです。

 西区と中央区を結ぶ「小別沢トンネル」が2車線(歩道付き)になって
4月25日に開通したので、先日行ってきました。
 西区側は、旧トンネルよりかなり手前で新道に分岐してから新トンネル
の入口へ向かうのですが、中央区側は新トンネルの入口が旧トンネルの入
口とほぼ同じ場所にあるようで、分岐点をはっきり見つけられませんでし
た。ひょっとしたら、旧トンネルを一部壊してしまったのかもしれません。

追伸 私のHN「対山橋」(たいざんばし)とは、ジェイ・アール北海道
   バス山鼻環状線の幌平橋駅前近くにある、鴨々川を渡っている何の
   変哲もない橋の名前です。
200なまら名無し:2003/05/10(土) 18:58 ID:bF8IRJXM [ r007132.ap.plala.or.jp ]
あれのことかー。対岸にテニスコートがある?15年毎日通ってたのに
気付かなかった。
201牛鍋蝸牛:2003/05/10(土) 20:18 ID:kWzTKTLE [ U121177.ppp.dion.ne.jp ]
>>195
「平和大橋」ですか。
これが「あの」写真の…。
そうだったすか、気が付きませんでした。
これは近いうちに行ってみなければなりませんね。

そんなこんなのうちに、<つづく>と書いてからまたまた、レスがたてこんでしまったわけ。
そもそも「苗穂」をやっておるのに、南区へ紛れ込んでしまったワシは、ちょぉ〜っと、焦っている。
ちゃんと、整理をしてレスにお答えして、言ったことは実行して、なんとかやって行きたいと思っておるのでありますが…。

誠に申し訳ないのですけんど、ここでまたややこしい話をさせていただきたい。
>>12
西創成さんのレス中の、
>正式地名では、北ノ沢・中ノ沢にはカタカナの「ノ」が入るが、南沢には入らない。
に関して、こぉ〜んな風景を、昨日見ちゃったのです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=597

ここで西創成さんに質問なのですが、「南沢には"ノ"が入らない」というのは、表記上だとワシは判断していたのですが、この信号の表示だと「呼称」でも「ミナミサワ」と発音するようなのですが、このあたりいかがなのでしょう?
しかも、この住所表示、あきらかに最近、「no」が消されているし…。
あ、そうそう、この先の信号の表示では「Minami Sawa」ってなっていたんですよ〜。

でね、「苗穂」、「水揚場」。
資料、たんと仕入れてきましたゼ。
ぬかりはない。

対山橋さん。
お久しゅうございます。
いや、ワシもね、昨日「西野」を走っていた時、気になっていたのですよ、「小別沢トンネル」。
ついに完成ですか。
札幌の心霊スポットも段々、その数を減らしていきますねぇ。
ワシはそういうものは、全然信じていないけどね。
202対山橋:2003/05/10(土) 20:21 ID:UzMyilUs [ hospro006163.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
 200さんの想像しているのって、白樺でできた橋のことじゃないですか?
 あれは確か名前がないはず。
 対山橋は、山鼻環状線のバスが走っているアスファルト舗装の橋なんです。
203牛鍋蝸牛:2003/05/10(土) 20:51 ID:kWzTKTLE [ U121177.ppp.dion.ne.jp ]
で、「苗穂」なんだけど、「水揚場」ね。
そっち先にやっちゃいますか?
って、おざなりだと怒られるかもしれませんけど、こっちだって必死だ。

「東区今昔」(昭和54年 札幌市東区役所総務部総務課発行)では、「蒸気機関の黒煙たなびく 中沼農事振興組合」の項に「水揚場」の地名が出てきます。
「市バスを丘珠線に乗り、広々とした玉ネギ畑の続く丘珠を過ぎ、そこからさらに東へ進むと、中沼小学校の手前に「水揚場」という停留場がある。現在は畑の広がるこの地区は、かつて中野と呼ばれ、蒸気機関でモエレ沼の水を揚げ、稲作は盛んに行われていたものである」

…って!おいおい、>>198の18丁目さんのレスを同じだって、真面目に今、気が付いたよ!
これだったのね、「東区今昔」。

さて、どうする?18丁目さん。
本文紹介してくれる?
してくれるなら、ワシは補足として、「東区今昔3 東区拓殖史」から引用するけど。
204西創成:2003/05/11(日) 00:16 ID:dovkas6w [ i103093.ap.plala.or.jp ]
>>201
「南沢」は、住所の読みは「みなみさわ」です。
ただ、「南の沢川」「南の沢小学校」などと「の」が入る施設がこの地域にあり、余計混乱させています。
ただ、札幌地名孝(さっぽろ文庫1)では、「南沢」は「みなみのさわ」とかなふりがしています。
現在の南区資料各種では「みなみさわ」となっており、札幌地名孝発刊後(昭52)改正されたか、それとも地名孝の誤記かはわかりません。

私の推測では、「つきさっぷ」が「つきさむ」と読むようになったように、元々「みなみのさわ」なのを漢字の読みから読み方を変えたのではないかと思います。
205ヘリトンボ:2003/05/11(日) 01:22 ID:mUhgURlw [ i223065.ap.plala.or.jp ]
宮ヶ丘、宮の丘、宮丘もそうなのでしょうか?

>>203 牛鍋蝸牛さん
> 現在は畑の広がるこの地区は、かつて中野と呼ばれ
なるほど。
あそこら辺に中野幹線や中福移中野線といった道路があるのは、
こういった理由だからですか。
20618丁目:2003/05/11(日) 03:13 ID:DYdcyafk [ p1002-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>205
中野はスレその5で結構語られています。
牛さん私は酔っ払ったので、お願いします。
207なまら名無し:2003/05/11(日) 07:46 ID:zBwwemCg [ r002161.ap.plala.or.jp ]
南の沢は昔から「みなみのさわ」だろう。だれがなんといってもな。
道路標識だって地元のことわりなしに勝手に役所が「みなみさわ」
って書きかえてんじゃないの?これだも「かたいしやま」にしても
「つきさっぷ」にしてもはえぬきの古老がおこるのもむりないわ。
地元民無視してなんでも官主導でかえるなちゅうの。
「さん沢」の残り二つはどうなるんだ?「なかさわ」「きたさわ」って読ませるわけ?
まったく整合性がないんだから。
208なまら名無し:2003/05/11(日) 08:18 ID:3EoszISk [ EAOcf-134p20.ppp15.odn.ne.jp ]
test
209牛鍋蝸牛:2003/05/11(日) 22:16 ID:3XpfuKmA [ L066094.ppp.dion.ne.jp ]
「南の沢」に関しては、住所表示は「南沢」、一般周知の地域名は「南の沢」ってことですね。
「水車町」(行政上は"すいしゃちょう"、住んでいる人たちは"すいしゃまち"と呼んでいる)と似ているね。
(「水車町」に関しては、「壱」から「参」にかけ、延々とやってます)
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html 
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html 
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html 
ま、しかし、>>207さんのおっしゃるように、行政はなんで、わざわざ呼び慣れない呼称にするのだろう?
(これと同じことを、「あび」のマスターも言っていたのが面白い)

何はともあれ、「水揚場」と「苗穂」なんですが…。
18丁目さんも酔っ払いか。
申し訳ないのですが、>>197さん、「水揚場」ちょい待ってほしい…。
「苗穂」先ってことで。
その後やりますので。

「苗穂」に関しては、いろいろと資料が残っています。
もちろん「国鉄」とか「機関区」とかがメインのキーワードなのですが、意外だったのが「水」。
「苗穂」の知られていない面を発見しました。
実は「苗穂」は、水が命だったんですねぇ。
210西創成:2003/05/12(月) 02:08 ID:c8CJBzkI [ i107122.ap.plala.or.jp ]
>>207
まったくそのとおり。
行政側は、全般に地名改正には、歴史や旧地名の意味、整合性関係無く簡単にわかりやすくすればいいといった感じです。
よくある例だと、難しい地名を緑町だの栄町だのに変えてしまうのがあります。

>>208
苗穂は水をつかう産業も多いですな。
サッポロビール
トモエ・福山醸造(北海道醤油)
宝酒造
雪印乳業

地下鉄工事の時、この地区で地下水が減って、土地が沈んだこともありますね。
211なまら名無し:2003/05/12(月) 02:15 ID:9KgRPaVI [ 64.19.68.3 ]
行政主導とは限んないけどね
以前に清田区スレで、緑区がいいだのと言う輩もいたし
212新住人:2003/05/12(月) 02:22 ID:PQWMX5IA [ proxy309.docomo.ne.jp ]
北郷と南郷の読み方が北郷は訓+音に対して南郷は音+音なのも行政側の都合?それとももっと奥深い理由があるのかなぁ?
213新住人:2003/05/12(月) 02:22 ID:x5rQXMCQ [ proxy323.docomo.ne.jp ]
北郷と南郷の読み方が北郷は訓+音に対して南郷は音+音なのも行政側の都合?それとももっと奥深い理由があるのかなぁ?
214牛鍋蝸牛:2003/05/12(月) 07:34 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
「苗穂」。
「水」に関してはおいおい出てきます。

>>166で述べました件、つまりは「JR北海道苗穂苗穂車両工場内の条丁目設定」のことなのですが、ワシ、以前に自分で書いていました。
「その弐」の#194 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#194 
でも、>>168
「条丁目の設定と、JR北海道苗穂工場操業はどっちが先で、どうなっているのか」と書いちゃった。
条丁目で区割りされたのが大正14年。
「鉄道院北海道管理局札幌工場」設立が明治42年12月8日。
当然、すでにあった工場敷地内を条丁目で区割りしたということになります。
ひとつの疑問がここで解けたと…。

改めて、昭和の初期に苗穂駅長であった「小国孝臣」氏の文章(さっぽろの昔話 大正編上 大山黙笑編)から引用。
「大正十四年、札幌市内町名の改正によって、苗穂町なるものが現存しなくなった。北何条、東何丁目と。正しく条丁目が区割りされて、立派な新札幌に、名も形も換えてしまったのである」
現在、「JR苗穂駅」は住所表示上の「苗穂」にないのはこのせいだったわけですね。
今、「苗穂」という住所は以前の「苗穂村」(その後札幌村)だったのです。
例の「雁来町研究」(その壱 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/1_log.html と、その弐http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html
を復習しなければ…。
大分忘れている(w
215牛鍋蝸牛:2003/05/12(月) 08:04 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
>>212
新住人さん。
住所としては「北郷」はありますが、「南郷」はありませんね。
あるのは「南郷通」。

ただし、戦後までは地区名として「南郷」と呼ばれてそうです。
その由来に関して、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」では「北郷」も「南郷」も「不明」となっています。
ちなみに「本郷通」の名は、昭和31年当時の札幌市長「高田富与」が「本通」と「南郷通」から1字ずつとって付けたとのこと。
216牛鍋蝸牛:2003/05/12(月) 10:47 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
資料が少ないと困るけど、多いとこれをまとめるのが大変です。
まずは「苗穂」の開拓の歴史を探ります。

お決まりの「さっぽろ文庫1 札幌地名考」では、
「明治三年(1870)山形県の酒田、新潟県の柏崎から188戸が入植した。その年はちょうど庚午(かのえうま)の年であったので庚午一の村と称し、翌四年四月岩村通俊判官によって苗穂村と改めた。
苗穂とはアイヌ語の「ナイ・ポ」「ナイボ」「ナイホウ」で、子である川、小さな川の意である」、とあります。
「北緯43度 札幌というまち…」(札幌地理サークル編 清水書院 昭和58年)でも、「36戸120人の入植にはじまる」というところ以外は同じ内容。
ただし、
「明治17年の調査によると(略)戸数も177戸、人口は283人」となっております。
注・「庚午二の村」は「丘珠」、「庚午三の村」は円山。

でも、はいはいと納得してしまっては、このスレの甲斐がない。
「さっぽろの昔話 大正編上」の昭和初期の苗穂駅長・小国孝臣さんの記述では、
「元来苗穂は、慶応二年幕臣大友亀太郎をよび高木長蔵等が数名の同志を伴うて、現鉄道省苗圃付近に移住したのに、歴史が始まっている」となります。
慶応二年は1866年。
「それから翌三年には、中村磯吉以下数戸、南部地方から移住して来て、鬱樹蓬草を切り拓いて農耕に従事したとある。当時現在の札幌村役場付近に御倉米貯蔵所というのがあった。冬期に於ける移民の糧食貯蔵所であった、幕臣が管理していたそうだ」
「苗穂」の由来についても、
「明治二年島判官が鋭意開拓に努め、将来をおもんばかって植林事業に着眼し、苗の栽培をこの方面に試みた。それが暫次拡張したので人呼んで「苗穂」というようになった。後に苗圃と改まり、又苗穂と称するに至ったとある」

ちょぉ〜っと(だいぶん)、違うなぁ。
217啓明でいいの?:2003/05/12(月) 14:29 ID:TlHjSdiA [ YahooBB219169039096.bbtec.net ]
引っ越してきたばかりなので聞きたいのですが、
中央区なんですが、円山の南側で旭ヶ丘のふもとなのですが、
近くに緑丘小学校や啓明中学校があります。
啓明線というバス路線があるので啓明でいいのかな?と思うのですが。
そのあたりに住んでいる方、または住んでいた方教えてください。
教えてちゃんでスマソ。
218牛鍋蝸牛:2003/05/12(月) 21:19 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
>>217
う〜ん…。
で、あなたの今日のご質問は?
と、「テレフォン人生相談」のごとく逆質問。

とは言っても、ヤサシイ牛鍋蝸牛のこと、おそらくは「自分の住んでいる地域名は"啓明"でいいのでしょうか?」という質問だと勝手に判断しました。
小学校が「緑丘」、中学校が「啓明」となれば、お答えできる人間はこのスレにおいては、おそらくワシしかおらんでしょ。
で、万が一、もしかして他にもいらっしゃったら、それはそれでスレが盛り上がるゾ、という思惑のワシなのですが…。

>>217さん。
あなたの住んでおられる地域名は「啓明」です。
以上 !!
219牛鍋蝸牛:2003/05/12(月) 21:33 ID:.Zt8DjkY [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
実はちょいと気になって、しょうがないことがあります。
>>29の西創成さんのレス、
「▼牛鍋氏に連絡
南4の石川書店1階入り口すぐの札幌文庫のある棚に、『いく代の70年・割烹いく代』という冊子が売っていました。(今日確認)1200円だそうです」
の件。
買いに行きたいのですが、なんともおっくう…。
車で移動のワシにとってはススキノあたりは、「あ〜、イラツク…」ってなもんでね。
どなたか替わりに買って、「らーめん あび」に預けてくれる奇特な方はおられないだろうねぇ。
実費はお支払いしますけどね。(本代とラーメン代くらい。ただし、ラーメン代は700円まで)

あ、それはさて置き…。
>>216で出てきました、「大友亀太郎」は本スレではお馴染み。
「高木長蔵(ちょうぞう)」に関して、「さっぽろ文庫66 札幌人名事典」から要約しましょうや。

「東区元町開発の先駆者。新潟県の旧家出身、分家して土木請負いを業とし、三十三歳で単身北海道へ渡る。箱館で大友亀太郎と出会い、元村へ入植し、大友掘の開削等に土木経験を生かす。
本陣(現中央区南2東1)に出仕後、8年元村に戻り、外国人ボーマーの指導でリンゴ園を経営し、本道リンゴ栽培の草分けとなった。かつてこの地は広大なリンゴ園が広がり、啄木の歌にも歌われた」
22018丁目:2003/05/12(月) 21:50 ID:iuIdDA4c [ p14242-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ふーむ、苗穂・元村といえば、知りすぎちゃってますので、発言は控えましょう。
ちなみに、以前も書きましたが、高木長蔵さんの子孫とは飲み友達です。
っかー!りんご園のこともとうとう出てきましたね。
「石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ」
石川啄木の有名すぎる処女歌集「一握の砂」で詠まれたのは、元村の橘智恵子を慕っての
ものです。
啄木は当時元村まで訪ねて来たんですよね。
221なまら名無し:2003/05/13(火) 06:50 ID:Oq7EP16Q [ n137010.ap.plala.or.jp ]
「石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ」
この歌碑、たしか天神山国際ハウスにあったような・・・
222新川番地:2003/05/13(火) 09:15 ID:eHa6XsDw [ p3148-ipad27sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋殿っ! 私が買いましょうか(2冊ないでしょうかね。私もほしい) 塩のA+本代ですか
223217:2003/05/13(火) 10:23 ID:stjX33FU [ YahooBB219169039096.bbtec.net ]
レスありがとうございます。
啓明でいいですかと言うことだったのですが、わかりにくくてごめんなさい。
堂々と「啓明に住んでますが何か?」と言えまつ。
啓明ってあまり使われてないようなので、友達に説明するのに戸惑っていました。
224牛鍋蝸牛:2003/05/13(火) 12:30 ID:lZ428mcE [ N046004.ppp.dion.ne.jp ]
う〜っむ…。
ちょっとまた気になることが…。
>>219で書きました、啄木の歌ですが、「さっぽろ文庫66 札幌人名事典」に書かれているのは確かに18丁目さんのおっしゃるとおりの、
「石狩の都の外の君が家 林檎の花の散りてやあらむ」。
でも、札幌市環境局緑化推進部公園のサイト「文化と歴史を感じる 文学碑のあるところ」
ttp://www.city.sapporo.jp/kankyo/ryokuka/koenkanri/mokuteki/bunka/bungaku.htm によりますと、
「天神山緑地・豊平区 平岸林檎園記念歌碑
林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と歌っています。」
…と、まさに>>221さんのご記憶の通り、この歌は「平岸」の歌だと言っております。

「元村」を歌ったものなのか、「平岸」を歌ったものなのか?
これって大問題じゃない?
ちょいと調べたら、啄木が惚れた「橘智恵子」って人は教員として当時函館に住んでいて、札幌(郊外)にはりんご園を経営する智恵子の"実家"があったんだそうで。
函館大火にあって臨時教員の職を失い、札幌に来てからも智恵子を想って、なぜか彼女の実家の歌を歌ってしまった啄木。
じゃ、その「橘智恵子」の実家ってどこさ?ってなるわけでして…。
そこには「北海道林檎発祥の地」なる碑があるということです。
これどこ?

「いく代の70年・割烹いく代」、新川番地さんも欲しいとな?
おそらくそうだろうなと思っていましたがお声掛りがなかったので、「あびラーメン付き」でエージェントを募集したのです。
んじゃ、いくさんの遠縁に当たる新川番地さんにお譲りするとしましょうか。
でも、そうなるとラーメン付きの件は当然、ご破算ですよ(w
「いく代」に関しては例の、アノ、「魔術を弄する」だけ気になっているので、その辺りを教えていただけたらと思います。
教えてくれたら、新川番地さんにチャーシュー付けるよう「あび」に言っておきます。

>>223さん。
「啓明」って結構有名だと思うけど、確かに地下鉄ができてからは知名度が下がったかもね。
以前にも書きましたが、それ以前、大通りからの市営バス啓明線はとにかく頻繁に走っていたものです。
22518丁目:2003/05/13(火) 23:54 ID:I1CLJfvk [ p14242-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
まさに、林檎といえば豊平美園平岸というのが札幌市民の定説です。
これこそ、マイナー地名スレの面目躍如と言いましょうか、天神山の碑の件です。
明治初期、林檎の苗は各村に配られました、最後まで栽培を続けたのは平岸でした。
碑が建立されたのは昭和ですね。
はー、またもや酔っ払っているので、緻密なレスは書けませんが、碑文となった詩は
あくまで、元村の橘智恵子を想ってのものですが、智恵子の実家は元村でした、啄木
が尋ねたのも、元村であるのは間違いありません。
平岸の碑は、昭和の平岸住人が札幌の林檎の代名詞はここだという意志により、建立
したものです。
違ったかな?さーどっちだどっちだ?
22618丁目:2003/05/14(水) 00:25 ID:ZUozN/Us [ p14242-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
明治40年(1907)9月14日、札幌の地を啄木は踏んだ。
石川啄木は札幌の第一印象を「秋風記」で次のように言っている。
「札幌は誠に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシ
アの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり
木立の街なり。おほらかに静かにして人の香りよりは樹の香りこそ勝りたれ。
大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき
都会なり。」(「秋風記」)
227新川番地:2003/05/14(水) 09:08 ID:6qOlrRPg [ p6250-ipad27sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
リンゴ発祥の地は「あび」の近所では?
228牛鍋蝸牛:2003/05/14(水) 22:14 ID:Wjq6lNH2 [ N045249.ppp.dion.ne.jp ]
啄木ゆかりの「りんご園」は…。

…あ〜、眠い。
疲労の度が濃いので今日は勘弁してください。
書きたい、喋りたい意欲はあるものの、希求欲求には勝てまへん。
おやすみなさい。

そうそう、「苗穂」には近々に戻ります。
22918丁目:2003/05/14(水) 23:10 ID:MjFQ01yY [ p19063-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
今日はタイムリーに函館日帰り出張行って来ますた。
啄木記念館の前を何度か通ったんですが、寄ってはこなかったです。

んで、私も眠いのでおやすみなさい。
230ヘリトンボ:2003/05/15(木) 00:10 ID:vQFUV3rs [ m022013.ap.plala.or.jp ]
めっちゃアバウトですが、
こちらの地図に橘智恵子氏の実家の場所が載っています。
ttp://www.phoenix-c.or.jp/~oosuga/sapporo-map/sapporo-map-main.html
231西創成:2003/05/15(木) 01:00 ID:O22eCyBw [ m176189.ap.plala.or.jp ]
啄木さん、小樽に来たとき『初めて見たる小樽』のなかで、『函館〜内地的・青柳町の百二十余日、予は満足できなかった。8月25日の夜の大火は、函館の背自然の悪徳を残らず焼き払った天の火である。〜秋風と共に焼跡を見捨てた』といい、
『札幌〜予は初めて北海道趣味を味わうことができた。〜しめやかなる恋の沢山ありそうな都、詩人の住むべき都』といいつつ、
『然し札幌にまだ一つ足りないものがある。〜生命の続く限りの男らしい活動である。二週間にして予は札幌を去った〜』といい、
小樽には、男らしい活動=自由の空気がある。
などと誉めているが、その小樽も彼が最初に気に入った、小樽人の男らしい活動とやらがいやになって、出ていってしまう。
『かなしきは 小樽のまちよ うたうことなき人々の荒さよ』ってわけである。

この人どこ行っても、すぐ飽きちゃうらしい。転職は多いは、おねーちゃん好きだわ、身内の方は大変だったのでしょうな。
232牛鍋蝸牛:2003/05/15(木) 06:13 ID:UHloUpbg [ N044034.ppp.dion.ne.jp ]
や〜、オネムの二人がサボっているうちに、ヘリトンボさん良い仕事してくれました。
「林檎の碑」で改めて検索してみたら、
ttp://www.phoenix-c.or.jp/~oosuga/takuboku/sapporo/takuboku-sapporo-map.htm
ttp://homepage2.nifty.com/folk/bunko/045.htm 
ttp://www.naebo-e.sapporo-c.ed.jp/04machi/ 
ttp://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?c=5&kiji=433 
http://www.yin.or.jp/user/sakaguch/020.TXT 
がヒット!
「橘智恵子」の生家は「東区北11条東12丁目2-15橘氏宅庭内」であることが判明。
まさに前スレで語られた、「北八条」の「斜め通り」(道道花畔札幌線)の沿線であることが判明しました。
18丁目さんの主張は正しく、しかも、>>227の新川番地さんの、>リンゴ発祥の地は「あび」の近所では? というレスも大正解!
ワシがネットから調べた「北海道林檎発祥の地」の碑ってのは、この「林檎の碑」の間違いであったようです。
混乱させてしまいましたね。

…で、何を調べていたんだっけ?
そうそう、「苗穂」の開拓の歴史をやっていて、「高木長蔵」が出てきて、「りんご園」が出てきて、「啄木」の歌が出てきて、「橘智恵子」が出てきて、「碑」も出てきた。
あれ、「碑」が出てから、「橘智恵子」か?
ま、いいや…、「平岸」が出てきて「北海道のりんご発祥の地」はどこだ?となって、「橘家」の場所ってことだな…。(独り言)
233牛鍋蝸牛:2003/05/15(木) 06:14 ID:UHloUpbg [ N044034.ppp.dion.ne.jp ]
でね、確かに話の流れはそうなのですが、「北海道のりんご発祥の地は元村であった」かどうかは、これだけでは分からない。
これまでの調査では、あくまでも啄木の歌、
「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」、は「元村」のりんご園を歌ったということが判明したにすぎません。

「豊平区の歴史」(札幌市豊平区役所編)によりますと、「札幌官園」(開拓使本庁舎内の果樹園)から明治8年(1875)に道内各地にりんごの苗木が配られ、「平岸」にも425本が配れたそうです。
まさに「高木長蔵」が「元村」に戻ったのが同年です。
高木は米国人ボーマー("ベーマー"との記述も)の指導で洋式農法によってりんご園を経営し、本道りんご栽培の草分けとなり、明治19年に亡くなった、と「さっぽろ文庫66 札幌人名事典」では言っております。
「平岸」でりんごの栽培が本格化したのが明治17年(1884)とのことですので、このタイムラグから(あえて言うなら)、「元村」が北海道のりんご栽培発祥の地である、と言ってもよいのかな?と…。

なにはともあれ、>>224で紹介しました、「札幌市環境局緑化推進部公園管理課」のサイト
ttp://www.city.sapporo.jp/kankyo/ryokuka/koenkanri/mokuteki/bunka/bungaku.htm の、
>林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と歌っています。
という記述は誤りであることが判明しました。
ちなみに、啄木の歌が刻まれた「平岸林檎園記念歌碑」が「平岸」の「天神山緑地」に建立されたのは、昭和41年(1966)とのことです。
これも18丁目さんのおっしゃるとおりでした。
こういう風に史実は歪んでゆくのですな。
ま、平岸側に悪意があったとは思いませんが結果的に、上記サイトのような誤解が発生するわけです。
「札幌市環境局緑化推進部公園管理課」には後ほど注意しておきましょう、いや、マジで。

「苗穂」を出発点として、ひょんなことから「啄木」に行き着いてしまったのですが、西創成さんの言われるとおりこの人はトンデモナイ人だったらしい。
一昨年あたりにテレビで新しい切り口での「啄木の生涯」をやっていましたが、借金は作る、女は作る、仕事は続かない、あちこち転々とするってことで奥さんも非常に苦労したらしいです。
若くして亡くなり、詠んだ歌もナイーブだったので、死後これまでの評価を得られましたが、身近にいたらかなり迷惑な人だろうなと思いました。
234なまら名無し:2003/05/15(木) 07:28 ID:wFk0YbDg [ r011135.ap.plala.or.jp ]
偉人なんてそんなもんだろう。一皮むけば同じ人間。
あの野口英世だって結婚詐欺士、二宮金次郎だって
えごい金貸しだったらしいから。
235牛鍋蝸牛:2003/05/15(木) 09:46 ID:UHloUpbg [ N044034.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌市環境局緑化推進部」に電話しまして、
ttp://www.city.sapporo.jp/kankyo/ryokuka/koenkanri/mokuteki/bunka/bungaku.htm の、
>林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と歌っています。
の件の間違いを教えてあげました。
電話に出られたお姉さんは、その場でネット検索して間違いを確認してくれ、HP更新の際には訂正する旨のお返事を戴きました。
CP使える人だったのでたらい回しもなく、すんなりことがすみましたし、丁寧な対応で好感を持てました。
更新時の訂正の際には、連絡くれるとのことでした。
以上、ご報告申し上げます。
23618丁目:2003/05/16(金) 03:15 ID:9fVsCJhw [ p19063-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
札幌市役所とはそういうところです。
指摘=クレームです。
それがどんなに間違いでも、クレーマーにはあたらずさわらずが方針(あ、牛
さんがクレーマーという意味では無く)で、もともと元村が元祖か否かは彼等
には重要ではないのです。元村は札幌市からしてみると、永遠の反体制。平岸
は体制側でしょう。本当は違うと分ってはいても、指摘があるまでは、絶対に
訂正はするつもりは無かったでしょうね。
237牛鍋蝸牛:2003/05/16(金) 22:16 ID:BCaV7Rww [ L066091.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌市環境局緑化推進部公園管理課」のサイトの間違いの件。
同課より本日、電話ありました。
男性の方からで、改めて調べてみた所、間違っていることを確認しましたので訂正しますとのことでした。
訂正する文章も、「こうします」ということで言っておられたが、実に簡単なものになるようです。
そもそも「平岸」にある碑に、この歌が刻まれていることが自体がヘンなのですけどね〜。

実は昨日、「苗穂」周辺に行って来ました。
あ、例の「橘智恵子」さんの生家にある、「林檎の碑」にも行ってきました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=600 から3枚が「林檎の碑」。
碑文は次のとおりです。

「札幌村元村の林檎は橘仁が此地に定住し苗木を植付ける時より始まる
仁は東京に於て津田仙氏の学農社に学び明治十七年春 苗木妻戸籍を携え此地に住付き栽培す 適地で順調に生育せる樹は明治二十三年より結実初めて販売す 橘林檎園の誕生なり 隣地の農家ににて之を倣したる約十名も全て林檎園とし以後十年余は年々収穫を増し当時仁は札幌の林檎栽培の第一者として知られ北海道果樹協会(会長北海道大学南次郎博士)の役員を努め全国博覧会に優等賞を受けその果実は宮内省に献上の光栄を担うに至る 其後病害に会い他の農園は全て玉葱に天候せしも仁は再度作付し二十余年の後昭和五年六月十四日仁没と共に林檎園は消滅す 仁が此地に基を定めて百年以上経ち其の孫三十余名は国内はもとより米国伯国に在る今祖父偲びて此の碑を建立す 尚橘家と共に林檎栽培せる松澤巌氏此の企てに加わり大なる力となり共に喜ぶ事が出来たのは幸ひである 昭和六十一年(一九八六年) 橘忍誌
此の林檎園に関わりのある詩を一首加ふ
石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ 「一握の砂」より
238牛鍋蝸牛:2003/05/17(土) 09:56 ID:oKC1EdFM [ L066037.ppp.dion.ne.jp ]
明治時代の橘家と橘智恵子さんの写真が、東区発行の「東区今昔」に出ておりますので、興味のある方は図書館等でご覧ください。
同書に、啄木が橘家に立ち寄った時のことが書かれています。
碑文を書かれた、橘家三代目忍さんの言。
「私の父が大学時代のこと。一人で留守番をしていたところへ、二重マントのあまり風さいのあがらぬ新聞記者が智恵子を訪ねて来ましてね。乳は彼女が留守ということで帰ってもらったらしいが、あとで話を聞くとこれが啄木だったということです」

「元村」の林檎園は碑文にあるように、明治の末期にほとんど消えました。
他にも「苗穂」「篠路十軒」でも多く栽培されていたようです。
りんご腐乱病やリンゴモニリア病というのにやられ、以後は玉葱に転作されたとのこと。(同書より)
他にもカイガラ虫、リンゴ芯食虫などもはびこった(東区今昔3 東区開拓史より)ってことで、病害虫に弱かったんだね。
さて、啄木の歌の件も落着したようです。
「苗穂」に戻ることにしましょうか。
23918丁目:2003/05/17(土) 11:25 ID:G1cEcJcI [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
苗穂ですか。
私はこれから東苗穂の王子でゴルフの練習です。
240なまら名無し:2003/05/17(土) 12:04 ID:ibIlEBFk [ EATcf-376p82.ppp15.odn.ne.jp ]
…ちなみに道南では明治元年から林檎の栽培が始まっているんで
 札幌周辺に「北海道の林檎発祥の地」があるってぇのも怪しいもんですが。

※ ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~koukaen/mametop.htm より
241牛鍋蝸牛:2003/05/17(土) 20:38 ID:oSaFkh6. [ U120048.ppp.dion.ne.jp ]
>>240
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~koukaen/mametop.htm
ふっ…。
ついに「七飯」の名が出ましたか。
じゃ…。
確かに道南「七飯」でも明治初期にりんごの栽培が行われていたようです。
明治32年出版「札幌案内」の「果樹園」の項を見ますと「七飯」の名が出てきます。
山鼻村にあった「水原(すいばら)林檎園」の記述です。

「水原林檎園 當區南七條の附近、山鼻村二百八十八番地に在り 園の起源は明治七年開拓使に於て米國より林檎の苗木を求め七飯に試植せるも民間これを栽培するものなき 時に當り翌八年故水原寅藏氏が娯楽の爲め資を投じて養成したるもの遂に今日に至りたるなりと云ふ(略)」

これによると「七飯」でのりんご栽培は試験的なもので、地元には定着はしなかったようですね。
どこまでどうしたら、なにをどうしたら、「りんご栽培発祥の地」の栄誉を得られるのか?
あるいは「先駆者」「第一人者」と呼ばれるのか?
なかなか難しいとこではありますな。
本家・宗家・家元・元祖、みたいなもんですね。
「水原林檎園」に関してあえて言うなら、「原寅藏氏が娯楽の爲め」というところがちょっと動機としては不純かな?と(w
 
さて、「札幌案内」では「水原林檎園」の他に「平岸村」の「高瀬和三郎」氏の林檎園、「中島遊園地内」の「五十嵐鶴三郎」氏の果樹園が書かれているのみ。
「橘林檎園の記述はありません。
これが18丁目さん言う所の「元村」の差別によるものなのか…。
それは単なる深読みなのか…。
みなさん、どう思う?
24218丁目:2003/05/17(土) 20:55 ID:G1cEcJcI [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
七飯の件は、明治初期の勧農政策によります。
ケプロンの献策で、明治四年に東京官園、道内には七飯官園、札幌官園、根室官園
が設置された。
これら官園の役割は、外国から輸入された動植物を、まず東京で試験し、さおも結果
を見て。七飯ついで札幌へと移そうというのであって、その中で風土に適するもの
を売り下げ、繁殖、奨励しようとした。
「札幌歴史写真集<明治編>」の農業技術の導入の項より抜粋
243牛鍋蝸牛:2003/05/17(土) 21:44 ID:oSaFkh6. [ U120048.ppp.dion.ne.jp ]
>>242
「七飯」(当時は「七重」。明治12年、七重村、飯田村が合併して七飯村となった)に官園が出来たのは明治3年という記述もあります。
同年11月に、開拓使が、
「プロシア人ガルトネルの借地の一部と付属物などを収め、七重村に開墾場(通称七重官園、正式名称は1873年5月七重開墾場、75年4月同農業試験場、76年1月勧業課試験場、78年7月勧業試験場などと変遷)」したと。(「新北海道史年表」編纂 北海道 北海道出版企画センター1992年二刷)
他参考 ttp://www.town.nanae.hokkaido.jp/info/nanae/default.htm 

ま、りんごの話はこの辺でOKでしょうか。
「苗穂」戻りますけど?
「水」の話、しなけりゃね。
244ひんかも:2003/05/18(日) 15:16 ID:YG3p7Of. [ aa89.ade.ttcn.ne.jp ]
すっげー、楽しいBBSですな。本日なにげに見つけました。
おいらも個人的に札幌のことは調べているんですが、現在東京在住のため
フィールドワークに出向くことは出来ません。
20年前までは丘珠で生活していました。
おやじは教職員で平岸、札苗、中沼の小学校で教鞭をとっていた時期もあり。
20年前の東区なら、記憶の底から引っ張り出せば詳しいこと知っている(かも)。

つわけで、ただ単に写し取ったページを運営中(札幌村史)。

http://sapporo.cool.ne.jp/hinkamo/

よろしかったらご参考に。

ところで昭和20年代に苗穂あたりにあったと思われる「日発」って何なんでしょう?
その地に現在は何が存在するのでしょうか?
知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。

東京に来てから郷土に興味を持つ、なんだかなぁという感じ。
245軽川の畔:2003/05/18(日) 16:16 ID:wS3qzBhM [ i109038.ap.plala.or.jp ]
しばらく忙しくてROMっておりました。
何か書かなくてはと思いつつネタもないのでsageにてカキコ。

>>244
ひんかもさん。はじめまして。
もちろんそのページは閲覧させていただいております。

私もそろそろ落ち着いたらフィールドワークします。
引き続き苗穂ネタ。期待しております。
246なまら名無し:2003/05/18(日) 16:28 ID:F1i8HERs [ r004227.ap.plala.or.jp ]
三吉神社って「みよし」ですよね。さんきちさんってよんでるけど。
三吉神社のお祭り晴れると、札幌神社は雨とか言う言い伝えが・・・
ってことは6月15日は雨?
ちなみに三吉神社はどこも水神をまつっているので必ず地下水が沸いてるはず。
多分あの界隈なら昔、伏流水でも流れてたのかな。
アイヌ語ではメムっていうんだよね。
247伏古:2003/05/18(日) 17:05 ID:CqMRZj3g [ m019192.ap.plala.or.jp ]
はじめまして。
>>244
good job!
24818丁目:2003/05/18(日) 18:06 ID:v8E4MHe2 [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>244
ひんかも様初めまして!
スレの前半に少しばかり引用させていただきました。
「日発」気にはなっていましたが、調べは付けていませんでした。
いやー大御所の登場ですね、今後ともよろしくお願い申し上げます。
24918丁目:2003/05/18(日) 19:08 ID:v8E4MHe2 [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
日発雨龍変電所
 本村の産業とはその経営に於て直接関係のない雨龍電力株式会社は昭和十五年
雨龍電力を変電するため、本村下苗穂に札幌変電所のの設立を計画、十六年に着工
したが、十九年に至り完成をみたので同年三月から営業を開始した。
 たまたま八月に至りこれを日本発送電に譲渡するところとなり、石狩川系統の
電力を本変電所に於て道南、道北に亘り融通調整するとこで現在に至つている。

これは奇しくも、ひんかも様のHP上で公開されている、札幌村史の記述を転載
させていただきました。

文中の下苗穂は、現在の伏古地区ですので、恐らく現在の苗穂変電所のことだと思います。
場所は此処↓
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0033.bmp
250伏古:2003/05/18(日) 20:00 ID:CqMRZj3g [ m019192.ap.plala.or.jp ]
>>250
話がそれますが、そのあたりの町内会は「変電所町内会」といいます。他にも「刑務所町内会」があります。
251伏古:2003/05/18(日) 21:55 ID:CqMRZj3g [ m019192.ap.plala.or.jp ]
今、その弐を読んだところですが、大変勉強になります。当方、札幌オリンピック当時の地図を持っているだけの親父でして、このスレで資料収集に使わせてもらいます。
ROM親父に徹したいと思いますが、時に空気を読めない書き込みをしたとしても、軽く流してください。
25218丁目:2003/05/18(日) 22:03 ID:v8E4MHe2 [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
何をおっしゃる伏古さん。
何卒、現地リポートお願いいたします。
「変電所町内会」はまだしも、「刑務所町内会」まであるとな?
もっと変わった町内会名は無いかのう(w

ああ、一点質問なんですが、「山中」って地名ご存知でいらっしゃいますか?
253牛鍋蝸牛:2003/05/18(日) 22:53 ID:sa.sEfP2 [ N046232.ppp.dion.ne.jp ]
ひんかもさん、遅いっすよ!
いや、このスレの存在に気がつかれるのがね(w
スレの当初、「雁来町研究」の際など、貴殿のHP参考にさせて頂きました。
いや、すごいサイトだなぁ〜って思っておりました。
そんなわけで、実は何度かメールにて、本スレのことをご報告しようかな?とも思っておったくらいです。
ま、ネットの世界って広いようで狭いのか、蛇の道はヘビというか…。
嘘だと思ったら、ログを読んでね。
ですよね?伏古さん?

「日発」の件、ワシも調べてみました。
今日も今日とて酔っ払っているので、簡単に書きます。
戦前のエネルギー統制により民間電力会社がひとつになり、「日本発送電力梶vが出来、戦後、「電力再編成令」にてコイツがまたもや、電力九社に分割されたらしい。(いや、酔っ払っているのでチョットあやすい…)

「苗穂」に関して今日、ある調べがつきました。
「雁来町研究」の時、ワシが結論として提示しました、
実は、「その壱」の#74 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#74 の「雁来町が無くなった理由」に関連する事柄なのですが、「札幌村と苗穂村の一部」がなぜ、明治43年と昭和9年の二段階に分かれて「札幌區」へ編入されたのか?という疑問の答えです。
答えは「新札幌市史 第三巻通史三 第七編近代都市札幌の形成 第二章諸町村の近代化と行財政 第一節ムラの変貌と近代化I 一札幌村 苗穂新道の札幌区編入」に書いてありました。
でね、今日はもう眠いので明日ってことでカンベンさせて…。
254ひんかも:2003/05/19(月) 21:40 ID:IPVZfKHk [ aa89.ade.ttcn.ne.jp ]
>>245
軽川の畔様、はじめまして。使っていただきまして至極光栄。
>>247
伏古様、お褒めにあずかりまして恐縮です。
>>248
18丁目様、大御所、ですか?たまたまそういう古い書籍が手元にあって、それをそのまま
にしておくのはもったいないと思い、サイト構築しただけです。
内容的にはなんのヒネリもなくて格好悪いんですが(つか、ひねったら資料価値がゼロ
になってしまう)
>>253
牛鍋蝸牛様、どうも遅ればせながら。

>>249
そう、この札幌村史を全編通しで読んだ時、この「日発」だけが不可思議な存在
として浮上したとですよ、いやまったく。
「札幌村史」3−5(http://sapporo.cool.ne.jp/hinkamo/origin/three_5.html)の
個所で「日発屋上からの風景」の写真がありますが、あの写真風景と昭和25年の地図を
にらめっこしながら某友人と「どこだ〜、この日発ってどこなんだあ」と探し
まくった記憶があります。
某友人は20年間札苗在住だったので、そのあたりの地理は詳しいと踏んで調査したのですが
なにせ2人とも東京出て来て10年以上も経っており、記憶のあやふやさといったら
天下一品、果たして「変電所でないか?」との結論に達しましたが、実施見聞もさること
ながら資料の少なさに断念しておりました。
というわけで、やっぱり「あの」変電所でしたか、1つ疑問が氷解しました。
つか、その当時、日発くらいしか高い建物がなかったのね。屋上からの写真はまるで
閑散としているのがわかります。

誰か同じように「変電所」の屋上から現在の風景写真を撮ってくる奇特な人は・・・いないよなぁ

マイナーな地名といえば(今は結構有名になってしまった感のある)中沼ですかね、自分的には。
モエレ沼が公園という美辞麗句によって無残な姿をさらす前、子供時代の自分にとっては
格好の「冒険広場」だったのを思い出します。
現在の北36条東30丁目近辺から自転車でモエレ沼まで2時間以上かけて出向き、
帰りは沼にはまった泥だらけの状態で農道を走った記憶があります。
そのころ親父は「中沼小学校」で教鞭をとっており、今じゃ珍しい複学年教室(1・2年生、
3・4年生、5・6年生それぞれで1クラス)だったような記憶が。
家でボヤいていたのを思い出します(「違う学年を同じ教室で教えるのは難しい」とかなんとか)

未だに中央バスは中沼小学校まで走っているのでしょうか?(あれ、市営バスだったかな?)
もう、丘珠通りはメインストリートでなくなってしまったようですね。
手元に新しい資料が発見され次第、何か書きますのでよろしく。

追記:
「札幌村史」は未だ完成しておりません。近々に情報をアップするつもりです。
255ヘリトンボ:2003/05/19(月) 21:54 ID:nOKPPelU [ n130112.ap.plala.or.jp ]
>>254 ひんかもさん
「札幌村史」さんはてっきり札幌市あたりが運営しているものとばっかり
思っていました (ホントすみません!!) ・・・。
素晴らしいページですね〜。

中沼小学校前は現在は市営バスが走っています。
が、札幌市営交通は赤字など色々あって、
来年あたりには東区も中央バスに移行するそうです。

ちなみに、中沼小前の道は今まさに整備工事が行なわれており、
走りやすい道に生まれ変わるっぽいですよ。
256牛鍋蝸牛:2003/05/19(月) 22:38 ID:NH39tMas [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌村史」サイト版…。
ワシの通う図書館にも「札幌村史」がありますが、読みやすさの点では圧倒的にひんかもさんのサイト版に軍配が上がります。
なんたって、手元(PC上)でこれだけの資料が拝見できるのは魅力でしょう。

さて、遅くなりましたが、>>246さんのレスに出ました「メム」(湧泉)。
「三吉神社」に関してのレスではありますが、これがまさに奇しくも「苗穂」のキーワード「水」に関連します。
「苗穂」は本来、良い湧き水があったところです。
恵まれた伏籠川の伏流水、これが「苗穂」が札幌の工場地帯になるためのひとつの要素であったようです。
>>210で既出の各工場「サッポロビール」、「福山醸造(北海道醤油)」、「宝酒造」、「雪印乳業」そして、「現・JR北海道苗穂工場」もこの豊富な地下水を利用をすべく、建てられたのではないでしょうか?
そして、あの「西山製麺」の前身もかくやと…。
ま、多少妄想も混じっていますので、どなたか証明していただけたら、ありがたい。
257ヘリトンボ:2003/05/20(火) 00:38 ID:EG0PGQU2 [ n130112.ap.plala.or.jp ]
>>256 牛鍋蝸牛さん
ttp://www.city.sapporo.jp/higashi/EASTSIDE/column1.pdf
東区のホームページにこんなPDFファイルがありました。

ビール園にある開拓史麦酒記念館は1905年に創業を開始。
元は精糖工場だったものをサッポロビール園が買収。
この辺りは湧き水の多い所で水質も良く、鉄道が近く交通の便が良いため、
ビール製造に最適の場所だった。

てな感じだそうです。

余談ですが、本町の宝酒造が一切無くなって更地になっていました・・・。
ちょっとびっくり・・・。
258西創成:2003/05/20(火) 02:12 ID:W9V9l9oI [ i221182.ap.plala.or.jp ]
ひんかもさん、はじめまして。
凄いことをされてますね。参考になります。
北電の合併会社の件、以前図書館で系譜みたいなのみつけたのですが、コピーでもしとけば良かったと、いまさら思っています。

伏古さんもはじめましてですね。
いろんな町内会の名称、あるんですね。

>>256
西山仙治さんが、なぜ苗穂工場前で製麺をはじめたのかよく解らないのです。
一説によると、「かんすい」のでる井戸の場所を知っていたから製麺をはじめたという話があって、もしかしたら(妄想です)苗穂工場の付近にあったのではないか?と思ったのですが、さて、アルカリ水のでる井戸なんてゆう物があったは疑問なんですがね。
259西創成:2003/05/20(火) 02:40 ID:W9V9l9oI [ i221182.ap.plala.or.jp ]
>>257
現在のビール園(第二工場)のところを、(有)札幌麦酒会社が購入したのは、明治36年5月(1903)だそうで、その後改造や増築して開業したという。(それで、ヘリトンボさんの資料には1905開業となっているのかも)

元々、この工場は「札幌製糖会社」が、明治22〜3年にかけて建てた、甜菜製糖の工場だったという。
それを精麦工場にしたそうだ。

ちなみに第一工場は、現在のファクトリーである。

札幌ビール工場の名物は、レンガ建物と第一工場の大煙突だという。

『真黒けのけ節』

♪サッポロの
 ビール会社の煙突は
 太くて長くてでっかくて
 吐き出す煙は真っ黒けのけ
 エエ 真っ黒けのけ

この唄、芸者さん歌ったのかな。
260西創成:2003/05/20(火) 02:44 ID:W9V9l9oI [ i221182.ap.plala.or.jp ]
>>259の資料は、穴釜升夫 著 サッポロビール(HTBまめほん24)

すみません。また資料名書くの忘れてしまいました。
261牛鍋蝸牛:2003/05/20(火) 07:32 ID:lW4muYPw [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
出勤時刻が迫っております。
「苗穂地区」の札幌區編入問題と、先日の苗穂実地調査(たいした事はない)は忘れたわけではありません。
ヘリトンボさん、西創成さん、「苗穂と水」のレポート、サンキューです。
ではまた、夜にでも…。
262牛鍋蝸牛:2003/05/20(火) 22:05 ID:lW4muYPw [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
ごめん、寝る…。
(+.+)(-.-)(_ _) ..zzZZ
26318丁目:2003/05/20(火) 22:35 ID:GEhUIUws [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
なんでやねん!
26418丁目:2003/05/20(火) 22:48 ID:GEhUIUws [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
水に関して、伏古川の件を少々

伏籠川が札幌川の本流時代にも平坦地を流れる川の常として、その流域は出水の
たびに変化したのであろうが、、ともかく、その川によって運ばれた流域の沖積
土の豊穣肥沃さは、札幌開拓の鍬を最初に迎え入れ、わが国の玉ねぎ栽培発祥の
地として世界的に名声を博した札幌玉ネギを今日あらしめてきた。
今の豊平川に本流が移ってからは、伏籠川の水源は北一条東二丁目付近といわれて
いるが、本流が変わった以後、この付近まで旧河川の水は伏流水となって、この辺
りから地上に流れを見せたと考えられる。
五十嵐竹治氏著述「川の思い出−消えゆく伏籠川」
26518丁目:2003/05/20(火) 22:59 ID:GEhUIUws [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
伏籠川の本来の姿が東区にどうにか残っていたのは、大正末期まで。それまでも
上流は次々と埋め立てられて、北八条東七丁目のサッポロビール第二工場(当時
製麦工場)北側のホップ園のあったあたりから細々と流れをみせていた。
そして、フルヤ製菓工場裏から大覚寺前を経て、北札幌農協の東側で大友掘と
国鉄苗穂工機部前からの支流を合わせて北に流下する。札幌小学校、伏古三条
二丁目、同五条三丁目付近では大きく馬蹄型のカーブを描き、ゆるやかな流れを
見せていた。
鉄東地区の区画整理が行われた昭和三十七年ころから、伏籠川の埋め立ては進み、
昭和四十六年から伏古地区の区画整理によって、札幌中学校から伏古八条までの
流れは、四年間ほどで完全に姿が消えてしまった。
五十嵐竹治氏著述「川の思い出−消えゆく伏籠川」
266ヘリトンボ:2003/05/21(水) 03:08 ID:RAHboyVs [ j177013.ap.plala.or.jp ]
ttp://www.sapporo-factory.co.jp/beer_museum/kaitakujsi-beer/index.htm
サッポロファクトリーのホームページに、
地味に色々な情報が置いてありました。
オモロイかも。
267牛鍋蝸牛:2003/05/21(水) 05:39 ID:Mg1Z2Cmc [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
おはようございます。
普段の基本的な睡眠時間が5時間弱の牛鍋蝸牛。
今日も3時半には目が覚めて…。

メム(湧泉)の源である「伏籠川」。
>>264-265の解説をビジュアルで…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=606 
大正5年頃の「苗穂周辺」です。
青いのが「伏籠川」ね。
ふ〜、早朝より辛気臭い作業をしてしまいました。

ナニはともあれ「苗穂」は"札幌ラーメン、麺の発祥の地"であり、「札幌伏籠川」の源流であるということです。
>>266ヘリトンボさん紹介の「札幌ビール」のサイトによると、「伏籠川」はその昔、そのまま飲料用水になるくらいキレイだったわけですしね。
立派なもんじゃありませんか。
どうも「苗穂」のイメージって一般的に、イマイチなんですよね。
「暗い」、「汚い」、「開発が遅れている」、「これからは良くなる…」。
「これからは良くなる」説はもう何十年も前から言われているフレーズなのではないでしょうか?
ま、ワシも最初に悪口書いたけど(w
268牛鍋蝸牛:2003/05/21(水) 06:35 ID:Mg1Z2Cmc [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと余談を差し挟みます。
先日「橘智恵子生家」へ行きましたが、その後、例の如く「らーめん あび」に行きました。
今回たまたま、「あび」と「橘智恵子生家」はめちゃくちゃ近かったけど、ワシは実地調査の際、ほとんど「あび」に寄りますね。
なにしろ調査をする場所は曰く因縁があるところばなりなので、あそこで厄払いをするわけです。
あくの強い店主とラーメンで、体を清めるわけだ。
…っていうか、毒をもって毒を制すわけだ。
で、マスター曰く、
「苗穂の水は不味そう」。
どうもそういう印象がある。
開拓使顧問のケプロンが、「創成川以東は札幌の工業地帯に―」と決めた時、「苗穂」の運命も決まったわけですよ。
うちの家人も、
「苗穂の水は鉄くさいのでは」とか「ぱっとしない街」とか言うしね。

そもそも、そんな「苗穂」の成り立ちについて、まだちゃんと語っていなかったような。
ま、あまり土地鑑のない方のためにも、「苗穂」(JR北海道苗穂工場周辺)の画像をご覧ください。
説明文は後ほど。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=609 より6枚。
26918丁目:2003/05/21(水) 07:33 ID:59lvneSw [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
朝っぱらから資料を一つ作ってみました。
484の居酒屋のマスターが東雁来出身だと言いましたが、彼は子供の頃自転車で
街(札幌中心部)へ出る祭に、丁度苗穂辺りを通るわけです。
その際は言い知れぬ恐怖で泣いたこともあるそうです(w
曰く、田園地帯、住宅地帯を抜け、苗穂で突然国鉄の工場や倉庫の立ち並ぶ迷路にぶつかる
とのことです。
解説地図はこちら↓
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0034.xxx
270牛鍋蝸牛:2003/05/21(水) 10:27 ID:Mg1Z2Cmc [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
では、第一回苗穂実地調査の解説。
苗穂駅http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=609
「札幌の建築探訪」(北海道近代建築研究会編 監修角幸博 北海道新聞社刊)によりますと、
昭和10年(1935)に出来た建物で、木造平屋(同書では"平家"となっている。"源氏"ってのはない)設計者は北海道鉄道管理局。
「線路に沿って横に長い駅舎である。正面入口の右手に待合室があり、左手に駅事務所、駅長室、その隣に理髪店が並んでいる。札幌駅周辺では数少なくなった昭和初期の木造駅舎である。
昭和15(1940)園の図面で見ると「待合所」は入口の左側まで広がり、事務所に接して出札と手小荷物の受付窓口があった。駅舎の正面右手とホーム側には「上家」がまわっていた。現在の庇(ひさし)はその名残りである。」
ワシが行ったのが昼間ってものあったんでしょうが、乗降客も少なく、客待ちタクシーも2〜3台いるだけ。
つ〜か、タクシーに関しては、向かいの道路で休んでいるほうが多かったです。
のんびりとした田舎(風)の駅でして、かなり頻繁に走っている「フリコ特急」なんかももちろん素通り。
改めて思うに、こんな都心の近くにこんな駅があるのが不思議でした。

次、旧苗穂踏み切りhttp://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=607 
今はアンダーパスとなっている脇が以前の「苗穂踏み切り」です。
左手に見える小屋が、踏み切り小屋(?)で既出のように、当時はマンガ雑誌が机の上に積まれておりました。
「開かずの踏み切り」と呼ばれたこともありましたから、それで良かったのか???
しかし、東京辺りの「開かずの踏み切り」と比較したら、月とすっぽんでしたなぁ〜。
271牛鍋蝸牛:2003/05/21(水) 11:06 ID:Mg1Z2Cmc [ N046215.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=610 
D51の車輪だそうです。
実はもうひとつ、この周辺に同じオブジェがありました。
機会があったら探してみてください。

http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=611 
「JR北海道苗穂工場」(正式名称 北海道旅客鉄道株式会社苗穂工場)辺りにもマンション開発が進行しておりまして、西側にはご覧のようなマンション群が立ち並んでおります。
なんたって、となりは超低層の苗穂工場ですから眺望が開けておりますよね。
札幌のマンションの中でも視界の広さという点では、第一級のマンションかもしれません。
その他周辺には、JRの寮、研修センター、道開発局の研修センター、パチンコライジング苗穂などがあります。
ワシはある所に車を停め、折りたたみ自転車で開発局研修センター正門前の"公道"を二度通ったのですが、検問所(案内所)のおじさんが睨むのよね〜。
元警察関係?

http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=608
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=612
陸橋がありましたので、そこから撮影しました。
同社HPからの数字でご紹介しましょう。
苗穂工場の敷地面積は、19万6千平方メートル(甲子園球場の約5倍)ということです。
東京ドームとか札幌ドームと比較しないとことが奥ゆかしいっすね。
ちなみに札幌ドームは、ワシんちの約3,400倍です。
そして社員数は330名いらっしゃるとのこと。
しかしながら、この中がちゃんと「条丁目」で区切られていることを知る人は少ないでしょう。
でもね、これってどう考えても意味が無いような…。
27218丁目:2003/05/21(水) 22:06 ID:59lvneSw [ p13159-adsao02sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さんお疲れ様です
寝た子はただで起きない(?)ですね。
苗穂はあまり好かんといいつつも、しっかりと分り易い解説をしていただきました。

「伏古川」は、古くからの近隣住民には母なる流れのようです。
昔の豊平川(新札幌川)は、よく流れが枯渇しそうになったりしていたそうで、そんなときにも
伏古川(旧札幌川)は札幌川の本流として豊かな水量を誇っていたそうです。

伏古川物語(昭和42年 札幌中学校刊)が面白そうな資料ですが、未だ読んだ事
がありません。
27318丁目:2003/05/22(木) 07:45 ID:kPceySQw [ p15186-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
あ、そういえば一昨日のローカルニュースで、南沢のラベンダーやってました。
ニュースの要旨は、ラベンダーは富良野が有名だが、元祖は札幌のこの辺りだった
という内容。
いつも、このスレで取上げたことが、そのすぐ後にテレビ等で取上げられる機会が
多いですね。
しかも、やはり南の沢は正式に南沢と言っていました。
274牛鍋蝸牛:2003/05/22(木) 11:51 ID:6R55YiBQ [ N045178.ppp.dion.ne.jp ]
>>272
>苗穂はあまり好かんといいつつも…
ありゃ、18丁目さん。
ワシャそんなこといっておらんがナ。
全方位外交、人類皆兄弟、日和見主義、これがモットーですもん。
>>273
これ今日の道新にも出てましたね。
東海大学の催しです。
275牛鍋蝸牛:2003/05/22(木) 19:20 ID:RuINTNoI [ U122018.ppp.dion.ne.jp ]
遅くなりましたが、>>253の件。
「新札幌市史 第三巻通史三 第七編近代都市札幌の形成 第二章諸町村の近代化と行財政 第一節ムラの変貌と近代化I 一札幌村 苗穂新道の札幌区編入」に書かれていた、「札幌村と苗穂村の一部」がなぜ、明治43年と昭和9年の二段階に分かれて「札幌區」へ編入されたのか?という疑問の答え。

「苗穂新道の札幌区編入  
札幌区では明治四十年より札幌村の編入を計画し、調査を行っていた。当初大字苗穂村字苗穂新道(及び大字札幌村元村の一部)、札幌村字新川添の二地区が編入の予定であったが、前者が四十三年に編入となり、後者は昭和九年に編入された。
明治四十二年の調査では戸数二一八戸中農業は六八戸、残りは商工、雑業であり、札幌と連絡する道路沿いは市街の体裁をなしていたという。札幌村長宮崎健三郎が区域変更を認めた四十二年三月三日の「答申書」では、編入地域の状況につき以下のように記されている(境界変更ニ関スル書類)。
住民ハ概ネ商業其他ノ庶業ニ従事シ人情風俗経済状態等全然区住民ト異ナルトコロナリ。他ノ農村部落トハ万事常ニ氷  炭相容レサルモノアリ。之ヲ同一条件ノ下ニ統轄セラルヽヲ以ッテ村冶上下共ニ不便不利ヲ感シツヽアリ。此際之ヲ其状態相等シキ札幌区に編入シ本村ハ他ノ純然タル農家ヲ以テ形成スルコト行政上尤モ当ヲ得タルモノナルヲ信ス。
これによれば、都市住民と農民が混在すると「村冶上下共ニ不便不利」であり、純農村の形成のために区域変更を是認し   ているのである。
この結果、面積180町、本籍者239戸、1195人、寄留者73戸297人が札幌区に編入になった。」

言葉では分かりづらいので、ひんかもさんのサイト「札幌村史」http://sapporo.cool.ne.jp/hinkamo/ から拝借し
ました地図をご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=617 
この地図で示す1が明治43年、2が昭和9年、3が昭和25年編入です。
つまり、「苗穂」でいえば現在、「条丁目」表示のところは明治43年に札幌となったところで、「苗穂町」表示のところは
昭和9年と、こうなるわけです。
分かりやすいといえば、分かりやすい。

それにしても「ネット版 札幌村史」、あれでも未完とは…。
276牛鍋蝸牛:2003/05/22(木) 20:10 ID:b.9QB.jc [ U122242.ppp.dion.ne.jp ]
http://www.city.sapporo.jp/kankyo/ryokuka/koenkanri/mokuteki/bunka/bungaku.htm に関して一昨日、ワシの留守電に「札幌市環境局緑化推進部公園管理課」よりメッセージが…。
>林檎園が多かった平岸界隈を石川啄木は「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と歌っています。
という記述の間違いを訂正しましたとのことでした。
で、直った文章です。
>林檎にちなんだ石川啄木の一首である「石狩の都の外の君が家林檎の花の散りてやあらむ」と刻まれています。

…?
に、日本語になっていない…。
277なまら名無し:2003/05/22(木) 20:11 ID:KiDC0M4E [ o134014.ap.plala.or.jp ]
>273
だれがなんといおうが南の沢だろが!!だれが勝手ににいつきめたんだい!!!
278牛鍋蝸牛:2003/05/22(木) 21:01 ID:b.9QB.jc [ U122242.ppp.dion.ne.jp ]
あ〜、「南沢問題」。
これ、どなたか決着つけなければいかんですね。
詳細をご存知の方求む。

「苗穂」でワシ等が思っている中心地はあくまで「JR北海道苗穂工場」ではないでしょうか?
「苗穂駅」自体はあのように小さくっても、「苗穂工場」は甲子園球場の5倍の大きさ。
あれこそが「苗穂」の代名詞のような気がします。
んがっ!(正しく鼻濁音で発音してね)
あそこは住所表示では「苗穂」とは呼ばれずにあくまで「条丁目」。
「苗穂町」ってぇのんはちゃぁ〜んとベッコにありまして、それがかなりマイナーな場所であります。

などと、一杯やっていい気分の状態で改めて、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=617 の地図を見ていて気が付きました。
昭和9年に札幌に編入になった所、必ずしも現在の「苗穂町」にあらず、と…。

ごめんなさい。
ワシ、間違っておりました。
昭和9年編入のところでも、現在「条丁目」表示のところありました。
北2条東16〜20、北1条東16〜19。
ここです。
お詫びして、訂正いたします。
と、ところで、ちゃんと日本語になっている訂正かッ?
279277:2003/05/22(木) 22:37 ID:Kgoe2A0M [ m162050.ap.plala.or.jp ]
南沢問題だがよく道路表示でみる「旭丘」でも「あさひがおか」ってよむだろう
だれもあさひおかとは読まんだろう。「宮丘」とかいて「みやのおか」とよんでない?
だれも「みやおか」なんてよまんぞい。そのたぐいだとおもってたが。
川沿の藻南公園近くの交差点にある道路表示は10年以上まえから南沢とはなっていた
がみなちゃんと「みなみのさわ」とよんでたぞ。
それがいつから「みなみさわ」になったわけ?しまりない読み方。
もし、地元の人これみてたら感想聞きたい。
280西創成:2003/05/23(金) 15:29 ID:9DV/NOAA [ i105111.ap.plala.or.jp ]
市役所に問い合せた。
南沢について。

昭和16年北海道公報公示によると、字名改正時に南沢=「みなみさわ」となっているので、最初からだという。

札幌地名孝が間違っているらしい。

なんだこれ。
281西創成:2003/05/23(金) 15:42 ID:9DV/NOAA [ i105111.ap.plala.or.jp ]
町会などは、「みなみのさわ」を使っているそうです。

字名改正時に役人が書き間違ったのかもしれない。

似た例に
留萌駅を最初に役人が書き間違えて「萌」の日のところを月とした例や、旭川駅を「あさひがわ」としてしまった例がある。
282牛鍋蝸牛:2003/05/23(金) 22:25 ID:DZuqxQqA [ x086147.ppp.dion.ne.jp ]
「南沢問題」…。
ちょいと口を挟みます。
西創成さんの積極的な聞き込みにより、昭和16年にはすでに「みなみさわ」となってとのこと。
ところが、ワシの持っている地図では、昭和25年までは「北の沢」のみ表示されており、「中ノ沢」、「南沢」は各々「五号沢」、「八号沢」となっておるだけです。
ではこの、「五号沢」、「八号沢」は、一体どう読んだのかというと、「さっぽろ歴史散歩 山辺の道―定山渓紀行」(山崎長吉 北海道出版企画センター)によると「ごごうのさわ」、「はちごうのさわ」と呼んでいる。
尚、そもそも同書では「南沢」は「南の沢」と表記されておりますけんど。
あまつさえ、同時に「札幌南沢神社」とも書かれていますので、「南の沢」という表記は確信の上と思われます。
小学校名は「南の沢小学校」ですが、中学校は「南ヶ丘中学校」だし、「南ヶ丘公園」もあったりで、ど〜も節操が無い…。
あ、ついでに、町内会連合会は「南の沢」ですよ。
会館は「南沢」表記(読み方は不明)だいっ!
んもッ〜、知らん!
トホホ…。

ま、この白髪頭に免じて、住所表示は「みなみさわ」、地区名としては「みなみのさわ」ということで手を打ってもらえますまいか?(注・ホントのワシは白髪頭でもハゲでもない)
283牛鍋蝸牛:2003/05/24(土) 08:31 ID:sgooKnHk [ x086236.ppp.dion.ne.jp ]
突然ですが、「さっぽろ文庫2 札幌の街並み」に「伏篭川流域 元町今昔」という項がありました。
「伏篭川はたくさんのメム(わき水)からなり、東七丁目から東十六丁目まででも三十五、六ヵ所も数えられたという。このメムから湧き出る清流は、鮭の産卵にとって格好の場所となり、伏篭川を遡る鮭がひしめきあったと伝えられる。大正の初めでも鯉や鮒や?(うぐい)やきうりその他の小魚も多く、糸に馬鈴薯をつけてさげれば蟹もとれ、玉石をおこせばざりがにがいた。八つ目も多く稀にはうなぎもいて住民の蛋白源ともなり、子供のよい遊び場であった。」

そして、「さっぽろ文庫11 札幌の駅」に苗穂駅附近の条丁目表示の件で新たな事実が…。
>>214でも書きましたが、「その弐」の#194 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#194 で引用した昭和初期の苗穂駅長さんが語った、
「大正14年、札幌市内町名の改正によって、苗穂町なるものが現存しなくなった。北何条何丁目と区割されて、りっぱな新札幌に名も形も換えてしまったのである。けれども、札幌ッ児は依然として「苗穂、苗穂」と、いわゆる元の苗穂町方面を呼んでいる。そうした中には、雁来や元村方面まで混同して苗穂だと思っている向きもあるらしい。」の弁によって、大正14年が「苗穂」の条丁目表示の年だと思っておりましたら、「さっぽろ文庫」では、
「大正十一年(1922)札幌区に市制が敷かれた際、駅附近一帯は苗穂町から札幌市○条○丁目と住居表示が改称され、駅の場所は「北三条東十一丁目」となったが、今でも駅界隈は苗穂と呼ばれている。」と。
こっちのほうが正しいのかなぁ?
284なまら名無し:2003/05/24(土) 08:32 ID:EQiYrMpo [ q249250.ap.plala.or.jp ]
マイナーな南沢が話題なったところでひとつ。
南の沢には平家の落人が開拓に入ったって聞いたことあるが
真偽のほどはいかに。
28518丁目:2003/05/25(日) 09:08 ID:W5tTEUJw [ p15186-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>284
あるインターネットサイトでこんな文面見つけました。

今はひなびた僻村に住むが,そもそもの先祖は平家の落人だったなどとする伝説
である。実証できない場合が多いというが,柳田國男は,このような落人の末裔
たちの心理を「均霑努力」と呼んでいる。現在の貧しい境遇を,京にあった当時
の先祖の栄光と落人としての宿命によって心理的に補償しようとするメカニズム
である。
根拠地を中心化する このような例をとおして思うことは,本来,地域主義や地
方主義の基盤であるはずの,地方そのものをそれ自体として価値化する思想や文
化が,日本社会ではいかに乏しく,根が浅いか,である。

北海道でも各地で、似たようなこと聞くことがあります。
286なまら名無し:2003/05/25(日) 15:44 ID:7oIQ0JGo [ r014053.ap.plala.or.jp ]
>285
おしえてくれた人にたしかめたら、平家ではなく藤原家の末裔といってました。すまん。
これでも柳田國男説に起因するものなのかな。
南の沢に藤のつく苗字の人は知ってるが。特に関係はなかったのか。
九州の五家の荘や福島の桧枝岐村は平家の落人がすみついたと社会科で習ったが?
ひょっとしてあれもうそ?
287西創成:2003/05/25(日) 17:19 ID:q9LLMUbQ [ j176128.ap.plala.or.jp ]
当家のはじまりは、藤原のだれそれだとか、平のだれそれだの、源のだれだかという家系図がよくあります。ただ、真偽はよくわからないものも多いです。
>>286さんに教えてくれた人も、うそ教えた訳ではないと思われます。
そこのお宅では、そういわれているのでしょう。

うちの母方の家は、源頼朝が島流しされたときに地元の女性と結ばれたのがはじまりらしいですが、真偽は解らないです。
28818丁目:2003/05/26(月) 00:35 ID:xIHumeTA [ p15186-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
落人伝説・・・・・
何度か出ている「484の居酒屋」の奥さんは新十津川出身ですが、平家のうんぬん
という言い方はしないで、その昔天皇家に仕えた者の末裔だったと言われていたら
しいです。
289牛鍋蝸牛:2003/05/26(月) 00:53 ID:ArkN4Sn6 [ N046235.ppp.dion.ne.jp ]
ワシの母方の祖母が「新十津川」出です。
奈良県の「十津川村」は、"平家落人伝説"とは関係ないでしょう。
ここの人たち、「壇ノ浦の戦い」(1185)以前の「保元の乱」(1156)には参戦したみたいですけど。
290西創成:2003/05/26(月) 02:21 ID:pWDje.4Q [ o050043.ap.plala.or.jp ]
奈良・十津川郷は、7世紀ころには既に人が住んでいたと聞きましたが。
291なまら名無し:2003/05/26(月) 19:33 ID:K118lhbs [ n129022.ap.plala.or.jp ]
十津川郷の北海道移住の歴史を児童向けに出版した五条市に住む
高校の先生がいたな。たまたま新十津川の本屋さんで見つけた。
泣かせる話だった。書名は「荒野の・・・・」だったような。引越しのとき
どっかいっちゃった。
この本読んで新十津川の先人はただものではないと思った.
スレ違いでごめんなさい。20年以上昔の話。
292ひんかも:2003/05/26(月) 21:16 ID:cU31CU/k [ cf202.ade.ttcn.ne.jp ]
ウチの家族は以前、新十津川に住んでいました。新十津川町の「吉野」というところ。
もう30年以上前の話(年がバレる)
十津川郷の現在「吉野町」になっているあたりから集団移住した土地らしいとのこと。
・・・
だんだんスレちがいになっていってしまうのでこのへんで。

ちょと札幌村史再チェックしていたんだけど、生振村って、いまどの辺なのでしょう?
札幌も町名改変の嵐で昔の町名が死んでしまったところが多々あるため、実態が
つかみづらくなってきました。
「生振村」に関してはさほど気にも止めていないんで、べつにどーでもいいんですけど、
なんとなく気にかかったんで。

手稲区、清田区、厚別区と区が増えてからというもの、何だかよくわからなくなってきて
しまっているひんかもから、ROMってばっかりいないでたまにはカキコしようと
思い、よくわからないことを書いてみました。
29318丁目:2003/05/27(火) 00:19 ID:kOJ9D1Vc [ p15186-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
ひんかも様
生振はここです↓
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0036.xxx

札幌で次に分区すると噂されているのは、篠路地区です。
294ひんかも:2003/05/27(火) 19:29 ID:EzQ6lrII [ cf202.ade.ttcn.ne.jp ]
>>293
18丁目さんありがとうございます。

・・・

何だって!?石狩ぃ?
そうだったのか・・・
どうりでワカラン筈だやなぁ〜

篠路・・・
昔から分区されるといわれつつ早や十数年。いまだあそこは「北区」なんですねぇ。
295なまら名無し:2003/05/28(水) 01:02 ID:EXV0Z1rk [ vd.sasebo.ne.jp ]
295
296牛鍋蝸牛:2003/05/28(水) 06:45 ID:SWh31O6c [ N045134.ppp.dion.ne.jp ]
おはようございます。
新スレ立てました。
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その九】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1054071344
こちらを使い切ってから、移行してください。
 
話は変わるけど、昨日ビール飲んで潰れました…。
でも、昼に実地調査行ってきましたよ。
29718丁目:2003/05/28(水) 07:08 ID:iybxnc/A [ p15186-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
おはよー、はいっ次!
298なまら名無し:2003/05/28(水) 10:04 ID:XPhGVmR6 [ p8173-ipad26sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
有明&川下
いつになったら市街化調整区域から解除(=宅地開発)されるのだろうか?
299とろんとろん:2003/05/28(水) 22:13 ID:FFa1p4RI [ 211.121.159.96 ]
あ、やっぱり勘違いしたまま書いてしまったかな、
と思いつつログを更新したら、「ノブナガ」関連で
スレが伸びてて良かった……。
そんなこんななのでここに書き込んだら「ノブナガ」
のHPに行ってみるかあ。
詳しく正確な情報を紹介してくれた人に感謝。

それでちょうど「ノブナガ」はこないだの正月深夜に
地名しりとりだけでスペシャルやってたので早速確認。
真駒内公園のアイスアリーナに深夜たどりついて、
地名を確認しに行ったときあった地名プレートには、
「真駒内公園1」とあったので、やはり真駒内公園
1番地なのだな、とは思いましたが1番17号に
当たるのですね、アイスアリーナは。
ともかく皆さんのおかげで引っかかってた疑問は
あらかた解けました。ありがとう。

あと気にかかるのは「新琴似スレ」でもうログが
流れてしまった「Sタウン」関連の話を残しては
おきたいところなんだけどな。昔あそこはサッポロ
ビールのホップ畑があったとか云々、といふヤツね。

ところで私のHN「とろんとろん」も実は
どこかの地名にあるらしいけど、こんなマイナー話
わかる人いるのかなあ。

>>180
ちょとスレ違いだけど池田製菓はバンビキャラメルの
復刻版が功を奏して黒字になりチョコキャラメルも
復刻したとか。
300なまら名無し:2003/05/28(水) 22:56 ID:n5RpbbmA [ 160.193.164.2 ]
300