【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その七】

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1なまら名無し
前スレ http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1041867920

地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。
過去ログはこちらから…。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/

      Special thanks!! Mr.161
2牛鍋蝸牛:2003/02/15(土) 21:08 ID:2PmxOY2. [ y068152.ppp.dion.ne.jp ]
あ!
スレ立ては、牛鍋蝸牛です。
3なまら名無し:2003/02/16(日) 09:40 ID:P6yaBBlU [ i222032.ap.plala.or.jp ]
新スレ乙カレー様!
4牛鍋蝸牛:2003/02/16(日) 21:42 ID:rDy4E3Ro [ N023216.ppp.dion.ne.jp ]
>>3
「ぎゅうなべかたつむり」と申します。
以後、お見知りおきを。
5菊水上町:2003/02/16(日) 21:54 ID:KbGczIWs [ h065.p184.iij4u.or.jp ]
>>1さんスレ立て乙です。
7本目の当スレッドでは新たな地名・名所デビューはあるべかなあ?

>無意根山
昨年どさんこワイドでリポータが登っていました。
隣の京極町と札幌市の境界をまたげるんだそうですよ。
6新川番地:2003/02/17(月) 11:30 ID:ibm9EH96 [ p124-dnb02sappo2.hokkaido.ocn.ne.jp ]
新川番地です
新スレて言うかpart.7すごい
良くネタもつきずにきたものだ

あびで札幌温泉見ました
コンパクトにまとまって見やすかったです
牛さんさすが

R漢習得中につき片言でスマソ
7牛鍋蝸牛:2003/02/17(月) 21:50 ID:BSZIgJ8w [ N016132.ppp.dion.ne.jp ]
新川番地さん、お褒めお言葉、ありがとうございます。
そもそも、この饒舌なワシがですね、A4一枚の紙に「札幌温泉」をまとめるというのは、それはもう…(泣
あのあびのマスターは、「地図を載せて説明文を作れ」と言っておいて、「本当はA4一枚でもでかい」だの、「お前はこっちの意図していることがわかっていない」だの、「推敲が足りんのだ」だのなんだのと…(泣泣
で、新川番地さん、R漢習得中…。
なるほど、なんとなく変だなと(失礼)

さて、「豊羽鉱山石山選鉱場」実地調査なのですが、なかなか本題にたどり着きませんで、申し訳ない。
実際、ワシも道に迷ったので、勘弁してください。
そもそもワシはPCでは年契のネット地図(INCREMENT P MapFan.net)を使っているのに、実地調査用の道路地図と言うものを持っていなかったのです。
持っているのはポケット版の地図のみ。
段取りの悪さを、しばし反省…。
一万分の一のを、今日買いました。
その地図によりますと、ワシの迷い込んだ道は「石山二号線」という道路だそうです。
前のレスで、「先に行くと二股に分かれる」と言ったのは間違いで、一応は十字路に当たるようです。
「札幌市水道局芸術の森高台配水地」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=496
はそのほんの手前でした。
8牛鍋蝸牛:2003/02/17(月) 21:51 ID:BSZIgJ8w [ N016132.ppp.dion.ne.jp ]
元来た道を戻って、なんなく(なんとか)「平岸通」へ出たワシは、左手を気にしながらゆっくりと進みました。
すると、そこには「京田食品梶vがあります。
「道内製パン業で売り上げ四位の京田食品は、京田貞雄氏(現会長)が一九四九年に札幌市南区石山で、せんべいなどの菓子店を開業したのが始まり。札幌中心部と定山渓温泉を結んだ当時の定山渓鉄道沿いの店に商品を卸し、会社の基礎を築いた」 
http://www5.hokkaido-np.co.jp/keizai/company-file/2002/0130.html
この会社のすぐ横の丘の上に鳥居を発見!
これが、「石山神社」でありました。
今回ワシの目指す「石山選鉱場跡」と「豊羽鉱山石山排水場」は、この神社の裏あたりから見えるのではないかと思い、お参りもかねてお邪魔することにしました。
思えばこのスレに参加してから、いくつの神社にお参りしたことでしょう。
ほんとに神社ってあちこちにあるもんです。
アメリカの西部開拓時代、人々は新しい土地に入ってまず、学校と教会を建てたと聞き及んでおりますが、なにはともあれ、北海道の開拓ではまず神社や祠がありきだったのですねぇ。
この「石山神社」の駐車場は、ここは京田食品鰍ウんの敷地内でないかいな?と思わせる、狭い上り坂を登ったところにあります。
この駐車場は、「硬石山」が一望できるちょっとしたビューポイント。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=491 
なかなかの風景。
思えば、「硬石山」って車で通る時、横目でチラッとしか見ない山だなぁ〜と。
しかし、こんなこと言ってはなんですが、採石って巨大な自然破壊ですよね。<つづく>
9牛鍋蝸牛:2003/02/18(火) 22:48 ID:QFTVuDtw [ L065201.ppp.dion.ne.jp ]
朝、人と会ったら「おはようございます」と言い、夜は「こんばんは」と言う…。
言った方が気持ち良く、言いそびれるとなんとなく気持ちが悪い。
ま、そんなわけでワシは神社があれば、とりあえずお参りします。
信心なんて持っていない罰当たりなワシではありますが、礼儀は礼儀ということです。
お賽銭をサッシのポスト風の投入口から投げ入れましして、「石山神社」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=490 
にお参り。
この神社に関して、「さっぽろ歴史散歩 山辺の道―定山渓紀行」(山崎長吉 北海道出版センター)に、
「集落の守護神としての石山神社は明治十九年石工によって石山一区(140番地)辻石材工業の裏手に創建、明治二十四年神社脾を建立した。明治四十三年現在地の丘上に移転した」と言う記述があります。
境内には「石山開基百年記念碑」他、いくつかの碑があるようですし、同書でも解説がありますがここでは割愛いたします。
ワシの調査の目的はあくまでも「石山選鉱場跡」と「豊羽鉱山石山排水場」。
きょろきょろと、いつもの挙動不審者振りを発揮しますと、神社の駐車場の裏から続く道を発見しました。
回りは白樺などの雑木林。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=492 
動物的カンで言いますとまさにこの裏側がクサイのでありますが、「他からもいけそうだな…」との判断の元、ここからのルートはとりあえず断念しました。
<つづく>
10牛鍋蝸牛:2003/02/19(水) 21:44 ID:1.zBJ9Rk [ U126042.ppp.dion.ne.jp ]
しかし、実はどうやらこのルート、「豊羽鉱山石山排水場」へのかなりの近道であったようなのです。
ま、これもうちに帰って、改めてネット地図を参照した結果言える事なのですが、おそらくは50mほど行けば、排水場を見ることが出来たような…。
ああ、今回はとにかく準備不足でありました。
ちゃんとネット地図なりをプリントアウトするとか、他の地図を用意するとか、ルートを決めておくとか、いくらでも手はあったものを、ただ、「実地調査行ってみよ〜♪」とノーテンキに出かけた、ワシのバカさ加減の結果なのです。
そして実は(実は、が多いナ)、どうやら(これも多い)、排水場へ車で行ける道があるらしいのですが、これも分かったのが家に帰ってきてから…。
そんなことは知りもしないその時のワシは、一端「平岸通」へ出て、今度はひたすら「日鉱団地」を目指しました。
「善住寺」「瑞現寺」など大きな寺を横目で見ながら、その裏側が気になります。
ワシは、ネット地図で緑の表示であったこのあたりを、「芝」の平地かと思っておりましたが、実際は小高い山々。
やはり、「現場百篇」、「犯人は現場へ戻る」、「真心の現場主義」(by 豊栄建設)です。
行ってみなけりゃ分からないのです。
「なんにもない」と言えるのは、行ってみて「何にもない」のを見たから言えるのです。
DA・KA・RA、実地調査が大事なんですねぇ。<つづく>
11牛鍋蝸牛:2003/02/20(木) 09:33 ID:WcweKOjI [ y069030.ppp.dion.ne.jp ]
石山2条5丁目に差し掛かる交差点を山側に曲がると、「北豊運輸」という会社があります。
ここに停まっているダンプカーの配色は、例の黄緑と黄色のツートン。
ワシがガキンチョの時初めて乗った、あの「豊羽鉱山」のダンプカーそのものでした。
この会社はやはり、「豊羽鉱山」の関連会社ということが分かります。
西創成さんのおっしゃるとおり、「北豊運輸」の裏側の山に「石山選鉱場」の「跨線橋」がありました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=489 
残念ながら、ここは「豊羽鉱山」の敷地内ですので、「関係者以外立ち入り禁止」。
ちょっと遠くからの撮影ですが、ご容赦を。
昭和14年開業の「石山選鉱場」のシンボルはさすがに痛みが激しいようです。
なんたって、60年以上前の施設ですからね。
感慨深いものがあります。
古い建築物ってなぜ、こう感じさせるのでしょうね?
ワシの死んだ母(嘘。生きている)は七十年以上の年代モノだけど、特別そのような感情を抱いたことはありませんもの…。
昭和25年の地図を見ますと、「選鉱場」本体は跨線橋よりもまだ山側にあったようです。
そして、定山渓鉄道からの引込み線は「藤野」から枝分かれして、現在の「中村記念病院付属看護学校」裏を通り、「石山南小学校」と「石山中学校」の間を斜めに抜けて選鉱場へと続いていたのです。
さて、こちら側から「排水場」へ行けるのはないかと思ったワシですが、山と雪、それに唯一行けそうな道も「立ち入り禁止」の表示に阻まれ、今回は断念しました。
ま、先に書きましたとおり、別ルートがあるようなので再度(近日中)挑戦するつもりであります。
所謂、「日鉱団地」と呼ばれる住宅街はその向かいにあります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=494 
まさに、札幌郊外の新興住宅街の態を擁しています。
以上を持ちまして、第463回「豊羽鉱山石山選鉱場跡」実地調査レポートを終わらせていただきます。
たいしたレポートでなくて、ごめんなさい〜。
1218丁目:2003/02/21(金) 01:17 ID:85Z5RNPU [ SODfi-01p4-90.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さんお疲れ様でございます。
夏になったら、いよいよ世界一のインジウム鉱床の豊羽鉱山本殿に踏み込みましょうか?
選鉱場跡は、住宅地に忽然と姿を現す遺跡のようで、趣があります。
1318丁目:2003/02/21(金) 01:22 ID:85Z5RNPU [ SODfi-01p4-90.ppp11.odn.ad.jp ]
もう住民の皆様、寝たかしら?
もー、じゃー醫學部文化村!
14西創成:2003/02/21(金) 07:22 ID:mRAjUO5A [ i239101.ap.plala.or.jp ]
いま起きました。

牛鍋さんお疲れさまでごさいました。

本文でふれている排水場へ行く道ですが、(おそらく、農協石山支店前の交差点から行く道ですか?)排水場から、良くて100メーター、悪くて400メーター位までしか近付けないようです。

牛鍋さんが調査に行くんだったら、北豊運輸のあたりのこと、ちゃんと書いておけば良かったと反省しております。

なお、石山3ー8交差点〜6区バス停〜石山2号線交点〜国道453・常磐橋バス停間(牛鍋さんが行かなかった所)は、ぬけみちとして使う車が多いのに、道幅がせまい所がありますので、お気おつけください。

そういえば、大通公園の「鯨森」のいわれってなんなんでしょう。
こんもりして鯨みたいだからでしょうか。
15牛鍋蝸牛:2003/02/21(金) 23:48 ID:cXC48dp2 [ N023205.ppp.dion.ne.jp ]
リベンジなるか!?
牛鍋蝸牛、二度目の「豊羽鉱山石山選鉱場跡」実地調査決行!
「関係者以外立入禁止」をどうクリアするのか?
秘策はあるのか?
そして、その勝算は?
前人未到の「排水場」へは行けたのか?
「跨線橋」の"真下"にあった物とは?
明日その実態が明らかになる!
乞うご期待!!
16牛鍋蝸牛:2003/02/22(土) 21:03 ID:asX987BE [ L068146.ppp.dion.ne.jp ]
お待たせしました。
第二回「豊羽鉱山石山選鉱場跡」実地調査のレポートです。
「石山神社」駐車場裏から林の中へ続く道が気になったワシは、再度そこから調査を実施しました。
人の歩いた跡のあるだけの道へ足を踏み入れますと、すぐになにやらフェンスを発見。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=508 
そのフェンスには「関係者以外立入禁止豊羽鉱山」の文字!
「おお!思ったとおり!」
なんと、ほんとに神社のすぐ裏が「豊羽鉱山石山排水場」だったのです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=509 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=510
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=511
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=516
巨大なプールなのでしょうが、雪がかかっているため一部に水面が見えるのみです。
モーターの音がかすかに林の中に響くのみで人影は見えませんが、雪かきの道具や、山側には簡易トイレが置いてあって、明らかに人が今も管理している施設です。
奥へ進むと、上の方へ続く道がありました。
車でも通れる程度の道で、重機で除雪をしているようです。
登っていくと、裏山にスロープを発見。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=512 
小学生の子供ならここでスキーをさせてもよさそうな場所です。
もしかしたら、これが鉱山の鉱石の残さいってヤツなのでしょうか?
そして、ここで第一村人発見!
カメラを手にしたおじさんです。
山で人に会ったら挨拶を、熊に会ったらそっと逃げましょう。
「こんにちは」
ま、もしかして関係者だった場合も考えて、心証は良くしておかなければならない。
先方は山の木を撮影しているアマチュアカメラマンと見ました。
何はともあれ、山の中を歩くのは気持ちがいいものです。
この先に何があるのか分かりませんが、知らない土地を歩くっていうのは、とても面白い。
だから実地調査はやめられない。
右手には相変わらずフェンスが続き、中には入ることは出来ません。
先で道がちょっと曲がっていて、そこを過ぎ、目にした光景にワシは、
「やった!」と思いました。<つづく>
17牛鍋蝸牛:2003/02/22(土) 21:38 ID:asX987BE [ L068146.ppp.dion.ne.jp ]
その道は、例の立入禁止の「跨線橋」へ繋がる道だったのです。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=513
さて、じゃ、こっちは「立ち入り禁止」ではないのか?と言いますと、確かに跨線橋まで行くと立て看板はあるものの、反対側(日鉱団地側)を向いているので、こちらからは見えない状態になっております。
で、ま、いいのかな?と…。
60年は時を経たと思われます、「跨線橋」をご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=514
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=515
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=521
実はこの下でも向こうから歩いてくるご老人にお会いしまして、「こんにちは」とご挨拶。
どうやら、日鉱団地の住民の方らしい…。
ここを通ると、下の「石山2条3丁目」方面へはかなりの近道。
それに車も通らないし静かだし、最高の抜け道です。
地元の方は"立ち入って"通行をしているようですね。
「立入禁止」とはなっていても実際は自由だった、パートタイム霊山「五天山」を思い出しました。
ワシは元来た道を引き返し、成果の上がった今回の調査結果に満足し、車でクラプトンの「One More Car, One More Rider」http://www.claptononline.com/(左のLISTEN NOW!をクリック)を聞きながらご機嫌で「あび」に向かったのでありました。
おしまい。

18丁目さんのおっしゃるように、夏になったら「元山」あたりまで行って見たいもんですね。
西創成さん。
「鯨の森」はhttp://www.city.sapporo.jp/chuo/profile/history/kujira.html ってことらしいです。
去年の暮れにHBCのテレビでも取上げていました。
1818丁目:2003/02/23(日) 02:51 ID:df5J.Ac6 [ SODfi-01p5-146.ppp11.odn.ad.jp ]
げげっ!鯨の森初めて知りました。
軍艦岬は知ってるんですけどね。
19札幌五代目本籍菊水元町:2003/02/23(日) 09:32 ID:O6z8Sujs [ N022162.ppp.dion.ne.jp ]
はじめまして。
友人から教えてもらい3日がかりで過去ログやっつけました。

素晴らしい。

実際の史実と整合させていこうとする努力に脱帽。
ここにカキコされていることの全てが正解だとは思っていませんが
(悪く取らないでください。体験した者以外の記述を元にしていることですので・・・)
「そうか!そうだよね!」と納得させられる展開で推理小説なみのドキドキをさせてもらいました。

私自身は今までさほど歴史などに興味を持ったことはありませんでしたが、
これから少しづつ本などを揃えていきたいなと思います。

ROM会員?として応援してます。
頑張ってください。
20中島村の住人:2003/02/23(日) 10:55 ID:rvZm5r/c [ p29d828.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
いやーすごいです。脱帽。
21なまら名無し:2003/02/23(日) 12:06 ID:zLQXvuL. [ J019075.ppp.dion.ne.jp ]
札幌市東区の元町と本町の関係について教えてください
本町の読み方は「もとまち」、「ほんちょう」、「ほんまち」?
22軽川の畔:2003/02/23(日) 12:25 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
牛さん>ご苦労様です。新スレになっても絶好調ですね。
私も含めROM住民の方々も更なる展開を期待しております
「元山」に行くのはまだ早いですね。次なるネタに期待!
23軽川の畔:2003/02/23(日) 12:33 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
んじゃ、ネタフリもかねて…
北7条東1丁目。札幌駅北口より東に向かい創成川を渡ったところに
『テイセンボウル』なるものがある。
ここはプロレスの興行や大規模な展示即売会などにも使われるホールを備えた
ボウリング場である。
写真http://web.puresilk.ac/~kitahe/syasin/24/TEISEN.jpg

このボウリング場。チョット渋いぞ!
24軽川の畔:2003/02/23(日) 12:45 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
元は帝国製麻の工場。
(以下引用、『札幌の街並み今・昔』北海道新聞社編、文・朝倉賢)
『帝国製麻の工場は、鉄道線路の北側、創成川に面して東にあった。
広大な敷地だった。
かつてはビール工場と並ぶ、札幌の二大工場と言って良かった。
 開拓使の頃、創成川右岸は工場地域と決められていて、ここも川に面した部分は、
本州から開拓の資材を一時保管する倉庫になっていたと言う。
戦時中、このあたりを通ると、かすかに休みなく機械の音が聞こえてきていた。』
とあります。大きかったんですね!
25軽川の畔:2003/02/23(日) 12:51 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
んで、皆さん疑問に思った事ありますよね?
帝国製麻がなんでテイセンボウルなのか?

んでこれは現地確認が必要だと思うのですが、ここにはこんな事書いてアリマス。
http://web.puresilk.ac/~kitahe/nikki/sapporo_otaru/TEISEN.html
帝国繊維株式会社に変わってるんですね。(未確認)
戦前からあったこの工場も今はボウリング場。隣にある煙突は当時の名残なのか?
26軽川の畔:2003/02/23(日) 13:03 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
おいおい、テイセンすごいぞ!
http://www.teisen.co.jp/profile/profile.htm#SEC1
27軽川の畔:2003/02/23(日) 13:07 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
連カキコすいませんでした。
しかも地名スレなのにスレ違いもいいとこでした。
新たなる展開を期待しつつ、クラプトンを聞きながら…糸冬
28西創成:2003/02/23(日) 13:41 ID:qkTrME0w [ i106137.ap.plala.or.jp ]
牛鍋さん、「鯨森」了解しました。
有難う御座います。

>>19 札幌五代目本籍菊水元町さんはじめまして。

それにしても、五代目とはすごい!
私など札幌はおろか、道民二代目です。

>>20 中島村さん はじめまして。
どうぞよろしくお願いします。

>>21さん こんちわ。
本町=ほんちょう
元町=もとまち

一応余談ですが、北海道の町村は、

〇町=森町以外、全部ちょう(森は町議会で決まっている)
〇村=全部、むら
と読みますが、

大字、小字については、
町=ちょう、まち共にあります。

>>23 軽川の畔さんこんにちわ。

「テイセン」は、過去にあった札幌の大工場の一つと数えてよい工場ですね。

過去の有名工場には、古谷製菓工場もありましたが。

そういえば「つつじ谷」は、皆さんご存じですか。
29沖縄病人:2003/02/23(日) 13:46 ID:Nng81aqQ [ k122215.ap.plala.or.jp ]
♪牛さん牛さんと呼んだとて、牛さんにゃ立派な角がある〜
3018丁目:2003/02/23(日) 14:05 ID:1UJKvoAE [ SODfi-02p1-172.ppp11.odn.ad.jp ]
軽川の畔さんよろしく
テイセンの東側北7東2にある熱供給センターのあたりが、昔の製麻工場の寮だったようです。
そこから東へと伸びる通称「斜め通り」は言わずもがなの有名な歴史街道ですね。
札幌文庫で書かれている札幌最初の割烹店は、明治2年元村の「越中屋」開店とされて
いますが、元村とは言え、限りなくこの辺りの「斜め通り」に面してあったのでしょう。

>21さん
「本町」の読みは「ほんちょう」
かつての上苗穂地区で、昭和42年本町と名称変更された。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#204
や、その2の牛鍋蝸牛さんの雁来町調査で「本町」の件あります。
所謂「元町」は一足先に昭和30年に命名されたが、「本町=上苗穂」地域
の住民は本当は「もとまち」と名づけたかったとよく聞きます。
31軽川の畔:2003/02/23(日) 14:27 ID:bUlwkXPs [ i112069.ap.plala.or.jp ]
>>30 18丁目さん
というコトは、あの煙突は昔の名残ではなく、
熱供給センターのものなんですね?
『札幌の街並み今・昔』(北海道新聞社編、文・朝倉賢)にはこうあります。
『この工場の敷地の北側にそって道を東に曲がると従業員の寮があった。
二階建てで見たところ学校の校舎を越えるほどの長さだった。』

古谷製菓もこの辺だったような…記憶に無い…
この辺は札幌の産業の基点というわけですね?

>西総生産
つつじ谷ってカートのコースの他に何かありますか?
実は母がその辺の土地を持っていたのですが、
見に行った事はありませんでした。
よく通る道なのに全然記憶に無い。
3218丁目:2003/02/23(日) 15:00 ID:n..plOg. [ SODfi-01p5-201.ppp11.odn.ad.jp ]
元町と本町の名称の件続けます。
所謂昭和の大併合時代以前にも、明治期から併合はあったわけです。
その過程のなかで、苗穂町・本町は大正期には既に札幌区内であった。
札幌村に含まれる苗穂村とは、現在の伏古・東苗穂のあたりのことで、上で書いた
通称「斜め通り」(篠路街道〜石狩街道〜元村街道)沿いの「元村町」も、札幌村
ではありません。
東区で昔から(大雑把な言い方御免)市街地として発展してきたのは、新川添(現
北光地区)、中通(所謂北光線=東8丁目通り)、元村町(鉄東地区・斜め通り添い)
苗穂町(現苗穂町、本町)です。
元町は、南が旧札幌村役場跡辺りから北が丘珠との堺界である庚申塚までで、昭和30年
の札幌市との併合後の急速な宅地化以前は、農村地帯だったわけです。
それが30年代後半に元町団地が造成され、元町商店街ができると、一挙に市街化が進み、
市営バスの売上が、他の札幌の路線とは桁違いのドル箱路線にまでなった経緯があります。
「苗穂町・本町」は今でも古い商店街が残り、「雪印乳業」「福山醸造」を擁しています。
これは古老に聞くしかありませんが、昔から札幌区民で街を形成していた地域の人が、あらたに
札幌市に併合された、農村に「元町」とついたのが納得いかなかったのではないでしょうか。
以上、例によって大雑把な書き方していますので、間違いがあったら指摘願います。
3318丁目:2003/02/23(日) 15:36 ID:CxQ4.BFA [ SODfi-02p1-84.ppp11.odn.ad.jp ]
ちなみにボウリング場としてのテイセンは大好きです(w
毎週月・水曜日はサラリーマンデイ(だったかな?)で、980円(2ゲーム・貸靴・
350ml発泡酒付)で遊べます。
不況なので、残業減らして毎週通おうかとも思っています。
地名じゃないので下げ
34フルヤのキャラメル:2003/02/23(日) 16:46 ID:jVZbzHdY [ i037021.ap.plala.or.jp ]
フルヤは、苗穂機関区とサッポロビールの真ん中くらいですよ。大日本印刷の裏あたりかな。
あそこにあった売店の5円だか10円の当たりくじ付きガムはあたり率が高くて
下手すると30%位だったかもしれない(笑

そういやぁ、伏古川ってほとんど痕跡もないんですよね、
苗穂小学校横のポプラ並木も、今は無いみたいなのでガカーリです。
原野のど真ん中だったモエレ沼も今や立派な公園のようで、、、

現東京都民のつまらない独り言でした・・・失礼。
35西創成:2003/02/23(日) 18:22 ID:nxltAJJk [ i105119.ap.plala.or.jp ]
補足と訂正

前スレ>>255で、道道小樽定山渓線のはじまりは、「定山渓観光自動車」が私道としてつくったとありますが、会社名が間違っていました。訂正しておわびいたします。

正しい会社名→小樽定山渓自動車(社長・地崎宇三郎)

この会社は、定山渓〜朝里〜潮見台間7往復運行していましたが、代燃車では走れず、昭和15年休止。
昭和18年12月1日付で、国策により「北海道中央乗合自動車」に合併して消滅しました
36西創成:2003/02/23(日) 18:56 ID:nxltAJJk [ i105119.ap.plala.or.jp ]
バスがらみで、もう一つおつきあいを。

昭和18年12月1日付(事業開始、昭和19年1月27日)で、札幌自動車、札幌観光バス、定鉄バス、小樽市街自動車など、石狩・空知・後志地方の民間バス会社は、戦時中の国策により、大合併し「北海道中央乗合自動車(中央バスの前身)」となりました。

それで、
昭和19年には、政府より、とりあえず昭和20年3月末まで全バス路線の休止せよとの通達があり、北海道では、同年6月2日付で「決戦非常措置残存路線」以外の路線で運行を取り止めました。

◎市内の「決戦非常措置残存路線」

・中央乗合自動車

 豊平〜月寒〜二里塚 2往復
 豊平〜月寒     17往復
 札幌〜茨戸〜石狩  9往復
 札幌〜茨戸     5往復

・札幌市営

 札幌駅〜北8東1〜北16東1 79往復
 札幌駅〜北5東2〜本村   9往復
 札幌駅〜北8条通〜大覚寺  9往復
 大通19〜北1条通〜琴似駅前 不明

これだけの運行だったそうです。
結局、戦前にあった路線系統が復活できたのは、昭和25年頃だったそうです。
37牛鍋蝸牛:2003/02/23(日) 21:38 ID:p39Ldqpc [ U127038.ppp.dion.ne.jp ]
仕事から帰りましてPCを立ち上げますと、ものすごい勢いでレスが…。
札幌五代目本籍菊水元町さん。
良きご友人をお持ちですね。
"ROM会員"とおっしゃらず、是非書き込みもお待ちしております。
中島村の住人さん。
今後ともごひいきに。
また、歌まで歌っていただいた方(沖縄病人さん)もおられて…。
最近ワシは新しい試みとして、このスレと音、あるいは音楽を融合したく思っております。
既出の"クラプトン"はその一例です。
ま、単なる思い付きですけどね。
>>21の名無しさん。
「元町」、「本町」関係なら18丁目さんのお手のモノです。
フルヤのキャラメルさんのレスで気が付きました。
もう今日は寝る予定のため、自分では調べませんが、「伏籠川」と「伏古川」ってあるよね?
素朴な疑問です。
同じモノなのでしょうか?
それと軽川の畔さんのレス、「帝国製麻工場」の件ですが、「麻生」地名の元になったのも、同じ「帝国製麻株式会社」。
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi1/22amanona.html   
この二つの工場の関係って?
まだ書きたいけど、眠いので勘弁してください。
じゃ!
3818丁目:2003/02/24(月) 01:23 ID:T0qu98Mw [ SODfi-01p2-43.ppp11.odn.ad.jp ]
帝国製麻について続きやりまーす。
東区今昔(昭和54年札幌市東区役所総務部総務課発行)から抜粋

北海道製麻株式会社は明治二十年に半官半民の会社として創立。
後の帝国製麻札幌工場の前身である工場が創業したのは、明治二十三年のことである。
一万六千平方bの敷地に、当時としては珍しいフランス式設計の赤レンガ工場が誕生。
当時戸数三千四百しかなかった札幌では、とてつもない大工場だった。
電燈が道内で初めてともされたのもこの工場。
翌年には、札幌電燈舎の手で一般家庭でも電気の恩恵を受けられるようになった。
ともかく、創成川に影をおとす壮観な工場の姿と電燈の輝きは、異彩な光景であったことだろう。
<続く>
3918丁目:2003/02/24(月) 01:43 ID:UE5D9Bes [ SODfi-01p3-100.ppp11.odn.ad.jp ]
『大友亀太郎が試作した亜麻』
ところで亜麻栽培の歴史は古く、エジプトのピラミッドの中に亜麻布を見ることができる。
日本で初めての繊維用亜麻の栽培は、慶応三年、幕府の依頼により大友亀太郎が試作
したのが始まりと言われている。
その後、本格的に栽培されたのは明治二十二年のこと。
札幌郊外雁来村に北海道製麻の手で約二十fの広さに亜麻が作付けされた。
そして、かれんな花をさかせ実を結んだ亜麻は、製麻産業の確かな歩みを約束した。
亀太郎は、札幌村の開拓にいち早く入植した人物。
それだけに、近村の雁来に亜麻が栽培されたのも何かゆかりがあるのであろうか。
<続く>
4018丁目:2003/02/24(月) 01:52 ID:UE5D9Bes [ SODfi-01p3-100.ppp11.odn.ad.jp ]
このころからすでに、亜麻は契約栽培であり、一反(約十f)当たり三円八十銭の収益があった。
当時、一反当たり大豆二円六十銭、小麦一円七銭しか収益がなかった農民は、こぞって亜麻を
栽培したという。
一方、亜麻を紡績の原料にするための製線工場も、わが国で初めて、雁来(現在の東区
苗穂町一丁目あたり)に建設された。
そこでは、ベルギー人コンスタン・オイブレヒトが浸水や製線技術を指導。
また、近村の琴似(現在の北区麻生)に亜麻工場を設置し、栽培技術を教え、
北海道の製麻事業の基礎を築いた。
<続く>
4118丁目:2003/02/24(月) 02:00 ID:UE5D9Bes [ SODfi-01p3-100.ppp11.odn.ad.jp ]
『わが国最大の製麻工場として』
北海道製麻は、後に十一の亜麻工場を持つ国内一の製麻企業になった。
そして、明治四十年、増大する亜麻製品の需要に、日本製麻と合併し帝国製麻と
名を改める。
その後幾多の変遷を経るが、帝国製麻札幌工場はわが国最大の製麻工場として、
ゆるぎのない地位を築きあげた。
しかし、戦後急激な成長をとげた化学繊維の波に押され、昭和四十年、ついにその歴史
の幕を閉じた。
現在残っている赤レンガの建物は工場のすべてではない。
だが、明治から続いた製麻の歴史は、赤レンガの中に深くしみ込んでいる。
<終わり>
4218丁目:2003/02/24(月) 08:10 ID:Qd4KEgkk [ SODfi-02p5-6.ppp11.odn.ad.jp ]
うん、琴似製線工場は碑もあるし、北区の歴史では必ず出てくるので知っていたが、
雁来が最初とは知らなかった。
しかも、このスレのその2で牛鍋蝸牛さんが追いつづけた雁来町問題に関わる記述
(苗穂町一丁目)も出ているし、資料はよく読んでおかないとだめですね。
43あぼーん:あぼーん
あぼーん
44牛鍋蝸牛:2003/02/24(月) 22:42 ID:7hbkADPM [ N022098.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さん、ご苦労様です。
(せっかくのレスのあとにしょうもないコピペがありまししたので、削除してもらいました)
さて、「北海道製麻株式会社」の件ですが、実はワシの持っている資料にも載っていましたので、引用させていただきます。
18丁目さんのレスを読むまで気が付かなかったことを特筆させていただきます。
久々の登場。
「札幌案内 明治三十二年」(昭和49年12月10日みやま書房 復刻版)より。
「北海道製麻株式会社 北七東一、一」
「創業は明治二十年にして資本金百六十万圓、内見払込高二十八万三千二十圓なり 仝社(どうしゃ)の営業は本道産の亜麻大麻を以って諸種の糸類及ひ織物を製造販賣するにあり 乃(すなわ)ち製線所を雁来、琴似、當別、新十津川、栗山の五ヶ所に置き五百餘人の職工を使役し工場(煉化作り六棟より成る比建坪三千餘坪)を本社内に設け男女八百餘人の職工を使役す 製品の重なものは糸類は帷子(からびら)用細糸、生平用糸、蚊帳用糸、漁網用糸、各種、縫糸、織物原糸等にして織物は帆布、雨覆ダック、生晒(さらし)各種リン子テル及ひ厚織麻布等なり 織物は陸海軍省、逓信省等各官衛(かんが)及各市場に製糸は東京、江、越、九州、其他各漁場に販賣す 殊(こと)に近来は漁網用捻糸及ひ製網の販路暫次開擴 (かいかく)し其需要頗る多しといふ 社長は澁澤喜作氏 支配人は宇野保太郎氏(電信略號セイマ)
カッコ内は牛鍋蝸牛。
45牛鍋蝸牛:2003/02/24(月) 22:43 ID:7hbkADPM [ N022098.ppp.dion.ne.jp ]
えっと、ここからは告知です。
ワシのPC最近、調子が悪く、「右クリックでコピー」が出来なかったり、「ぎゅうなべ」が漢字変換できなかったりします。
さて、何が原因なのか?
単にマウスの調子が悪いと思われますが…。
しかし、他にも不具合が発生したりしています。
いつダウンするか、やばそう〜。
もし音信不通になったら、あとはよろしく。
必ず復活します。
それとこっちは確実なのですが、ADSL乗り換えのため、2月28日より一週間程度ネットが使えなくなります。
ROM程度は、と思っておりますけど、その際は何とぞよろしく。
46牛鍋蝸牛:2003/02/24(月) 22:47 ID:7hbkADPM [ N022098.ppp.dion.ne.jp ]
>>44で「カッコ内は牛鍋蝸牛」と書きましたが、
>>宇野保太郎氏(電信略號セイマ)
のカッコは原文のままです。
正しくは、
宇野保太郎氏(電信略號」セイマ)
ですが…。
47牛鍋蝸牛:2003/02/26(水) 22:47 ID:mBuwfSK2 [ N020167.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「豊羽鉱山」に関しまして、一応の締めと言うことでよろしいでしょうか?
ま、ワシとしてはまだ「豊羽鉱山」ネタはあるのですが、春あるいは夏に、もしか実地調査が出来たらまたやりたいと思っております。
そうそう、そういえば、
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その四 の#101
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#101 で、mさん紹介で登場の「ベトンのブンカー」ですが、18丁目さんに画像をアップすると言っておいて、実地調査で撮影した写真を削除してしまい、それが出来なかったことは古くからの住民の方、あるいは過去ログを読んでいただいた方はご存知だと思います。
この件、ワシとしても非常に心苦しいので、近いうちに再度調査へ行って来たいと、そしてあの「巨大なスの入った湯豆腐」の姿を皆さんにご覧いただきたいと思います。
去年の調査の時には「撮影禁止」の看板がフェンスに張ってありましたが、今はどうなっているのかも知りたいしね。
なにしろ、今年度中に民間払い下げになる予定のハズですしね。
牛鍋蝸牛、「有言実行」がモットーです。
あとワシの座右の銘として挙げられるのは、「大言壮語」かな?
4818丁目:2003/02/26(水) 23:20 ID:ZykAAnUI [ SODfi-02p1-242.ppp11.odn.ad.jp ]
そーですね、まだまだ写真でアップしていない場所で、見たい見せたい場所
たくさんありますね。
菊水上町さんや、他の菊水マニアさんたちが喜ぶと思われるネタですが(w
菊水7条1丁目辺りの、要するに大門通りの西側住宅街に迷い込むと、未だに
菊水北町○丁目の、トタン製住所標示板がかかっている古い住居があります。

せっかく知名探訪するんですから、もっと記録を残していかなければと思っています。
文字で書いていることを読んでも、いまいちイメージが湧かないということもあるでしょう。
49牛鍋蝸牛:2003/02/26(水) 23:59 ID:mBuwfSK2 [ N020167.ppp.dion.ne.jp ]
例のサッポロファクトリーの「札幌写真ライブラリー」に収蔵されている写真だって、それ自体は街並みとか庶民の生活とか、普通の家にあるアルバムに貼ってあるような写真なのです。
日ごろ見慣れた街の風景は、一日々々当然のことながら変化していき、新しく生まれるものがあれば無くなるものがあるわけです。
つまらないと思われる風景も、記録をしておくことがとにかく大事なのですよね。
ワシも実地調査へ行って、つい、
「こんなもんはいらんだろ〜」と思って撮影しないで、家に帰って、「ああ、やっぱり撮っておけばよかった」とよく思うことがあります。
デジカメですから、基本的にランニングコストなんかはナイも同然。
バチバチ撮影しておけばいいのに、その時は、「ま、いいか…」で済ませてしまうんだよね。
でもね、あまり撮影ばかりに集中すると、その場の雰囲気を感じるための"感性"が鈍るような気もするのです。
修行が足りんのかな?
50菊水上町:2003/02/27(木) 04:13 ID:xY90NPTI [ h065.p184.iij4u.or.jp ]
>>47
「巨大な す の入った湯豆腐」いつも思い出します(変態)。外から観るだけでも
すごいインパクトなので、実際に足を運べそうな方は、ぜひ生で見ていただきたいな〜。
▼陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所(豊平区月寒東2条1丁目)
http://www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.24.1.2N43.02.13.2&Func=INDEX&&


>>48
まじっすか!北町の名残は郵便の「菊水北局」くらいかと思っていました。
なくならないうちに必ず見てきたいと思います。トタン製住所表示板さいこう

▼西町の名残・菊水西町歩道橋(白石区菊水2条1丁目)
http://www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.22.31.5N43.03.20.6&Func=INDEX&&
▼西町の名残・シャンボール菊水西町(白石区菊水2条2丁目)
http://www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.22.30.0N43.03.16.8&Func=INDEX&&
▼東町の名残・菊水東町福祉会館(白石区菊水6条4丁目3-10)
http://www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.23.7.4N43.03.7.5&Func=INDEX&&
▼北町の名残・菊水北局(旧菊水北町7丁目・白石区菊水7条2丁目)
http://www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.22.56.3N43.03.33.8&Func=INDEX&&
51軽川の畔:2003/02/27(木) 10:21 ID:zRs9ngQM [ m014222.ap.plala.or.jp ]
↑直リンク禁止なのでコピペして見てくださいネ。
52牛鍋蝸牛:2003/02/27(木) 22:08 ID:wMuLu5j. [ K103030.ppp.dion.ne.jp ]
さて、かねてより通知のとおり、ADSL環境変更のため、ワシの愛機、明日より一週間程度ネット接続できません。
ま、なんとか他からのアクセスで閲覧は出来ると思いますが、書き込みはしづらい状況になると思います。
てなわけで、その間、皆様なにとぞよろしくお願いいたします。
では、深く静かに潜行いたします…。
ブクブク…。
53西創成:2003/02/28(金) 01:52 ID:GyXKaF22 [ i101152.ap.plala.or.jp ]
町名看板って、市内でも幾つかの種類ありますね。

(1)琺瑯引きで、広告入り。
   「講和記念」とか「道博記念」と
   書いた物もある。

(2)プラスティク製で、広告入り。
   赤白のカラーリングで、赤部分に
   「ライポンS」や近所の医院の広告あり。
   昭和40年代のものらしい。

(3)鉄板製で、緑っぽい色。
   ライオンズクラブのマークがある。
   昭和50年代のものらしい。

(4)現在のもの
54牛鍋蝸牛:2003/02/28(金) 08:35 ID:FcisNQ3o [ L065087.ppp.dion.ne.jp ]
プッハァー!
一旦息をしに、海面に現れました。
>>53 
西創成さん。
ライポンは「S」ではなく、「F」ですヨ。
じゃ、これから本当に潜水します。
ブクブクブク…。
55牛鍋蝸牛:2003/02/28(金) 22:02 ID:fKksKiao [ U122026.ppp.dion.ne.jp ]
プッハー!
DIONの説明によると一週間程度ネットが使えなくなるとの事でしたが、なんもなんも、設定してみると即日OKでした。
と言うことで、なんなく復帰しましたのでご報告します。
今日はネタもなく、12Mのネット環境を暫く試したいと思います。
56西創成:2003/03/01(土) 01:01 ID:F5iH0idk [ i102079.ap.plala.or.jp ]
>>54 牛鍋さんの言うとうり。すみません。
家庭用食器洗い合成洗剤で有名な、ライポンFです。
現在でも業務用で販売されている、恐ろしく息の長い製品です。

牛鍋さん、魔女に海人間にされてしまったのかと思ってましたが、魔法が解けたようですね。とりあえずおめでとうございます。
57なまら名無し:2003/03/01(土) 02:12 ID:nQBaK.d. [ Y122004.ppp.dion.ne.jp ]
昔広告でやってた、「ぺけレット湖園」って何処にあるんだろう?
東区のどこからしい。もう、埋め立てちゃったのかな。(W

ご存知の方、いませんか。
5818丁目:2003/03/01(土) 04:29 ID:vk1bBFwI [ SODfi-01p5-36.ppp11.odn.ad.jp ]
ライポンF!
今日、自分の書き込んだ、菊水北町の看板の件を再度確認しに行きました。
近くのお焼き屋さんに寄ったついでにです。
まさしく、上半分の白地部分に住所、下半分の赤地部分にライポンFの広告でした。

>>57
ペケレット湖園は北区篠路町拓北ですね。地図確認してみてね。
59西創成:2003/03/01(土) 11:19 ID:6z4pmrHg [ j175230.ap.plala.or.jp ]
「ペケレット湖園」
中心部で帽子屋を経営していた、後藤某氏がこの地を昭和16年に疎開地として購入したのがきっかけで、戦後始めたという。

ちなみに、「ペケレット湖」は、昭和6年の石狩川の治水工事で、川の流れを変えた時にできたものだという。
60なまら名無し:2003/03/01(土) 17:36 ID:2a17wMYo [ Q117024.ppp.dion.ne.jp ]
>>58-59
情報ありがとうございました。
まだ、北区に残っていたのですね。
61西創成:2003/03/01(土) 19:35 ID:k7uAFzIk [ o051059.ap.plala.or.jp ]
昭和27年に南6条で、札幌市警・白鳥一雄警部が射殺(白鳥事件)されましたが、当時容疑者とされた、共産党軍事委員会のメンバーが殺害まえに、射撃練習を幌見峠・円山側手前の採石場でしたという話がありますが、その場所って今のどこなんでしょうか。
62なまら名無し:2003/03/01(土) 19:42 ID:2a17wMYo [ Q117024.ppp.dion.ne.jp ]
>>61
円山西町だよ。
西円山病院の坂を上り詰めたあたりじゃないかな?
今でもその辺を「幌見峠」と言います。
バブル時代は高級住宅地だったよ。
63牛鍋蝸牛:2003/03/01(土) 22:21 ID:eMZfENQc [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
ついに出ましたなぁ、「白鳥事件」…。
いつかは出ると思っていました。
実はワシ、「白鳥事件」の容疑者とされたM氏が住んでいた家(当時すでに空地)の斜め向かいに住んでいたことがあります。
毎年、事件のあった日には赤旗をたなびかせ、デモ隊が集会をやっていました。
小学生のワシの目には不思議な恒例行事として映り、自然に「白鳥事件」の名前を記憶しました。
場所は「中央区南6条西20丁目」。
以前に撮った写真がありますので、アップします。
あまりいい写真ではありませんが、ご覧あれ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=522 
フェンス手前の空地がそうです。
(その隣にある豪邸も見事なものです。ご存知の方も多いと思いますが…)
ちなみに、事件の現場(南6西17)近くにも、その後に引っ越して住んでいました。
ここらは今は、マンションだらけですね。
「幌見峠」の射撃訓練の際に使われた実弾って、鑑定されてど〜のこ〜のという話が何年か前にあったような…。
(実に不明瞭な記憶)
64ゆ〜き:2003/03/01(土) 22:31 ID:.HyYNuAw [ nthkid031164.hkid.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
失礼致します、管理人のゆ〜きです。

苦情が来ていますので、お気を付け下さいます様お願い申し上げます、、、
http://www.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=tawara&KEY=1045968827&START=180&END=180&NOFIRST=TRUE
65牛鍋蝸牛:2003/03/01(土) 23:02 ID:eMZfENQc [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
>>64
ゆ〜きさんへ。
ご指摘ですので、気を付けます。
しかし、その苦情の「ここってスレタイに地名ってあるけど、レスはかなりかけ離れているとおもう。しかもかなり馴れ合い」という指摘はいかがでしょう?
ワシとしては、本スレは十分に「地名」を語っていると思われますが?
苦情を言ってきている方は、この過去ログを最初から読んでのご指摘でしょうか?
ネタの合い間、あるいは端境期における多少の余談はOKと思いますが、みなさんいかがでしょう?
本スレはコテハンさんが多いので、「馴れ合い」と見えるのかもしれませんが、実態ははたしてそうでしょうか?
ゆ〜きさん。
誠に申し訳ありませんが、今後のために、具体的にどこが問題なのか教えてください。
66バカラ:2003/03/01(土) 23:20 ID:8dpX0dP6 [ YahooBB219168038038.bbtec.net ]
札幌で田舎っぽいところって結構多いけど、東区もちょっと
はずれてる感じ。伏古とかあまり有名じゃないのに、なぜか
伏古8条1丁目には「札幌市立札幌中学校」と、札幌の名前が
使われている中学が。最近そのことが疑問に感じる今日この頃
67バカラ:2003/03/01(土) 23:22 ID:8dpX0dP6 [ YahooBB219168038038.bbtec.net ]
あ、すいません、初カキコなのにあいさつなしで。
バカラと申します。みなさんよろしく!
68東橋小出身:2003/03/02(日) 01:37 ID:vGj/5Xs6 [ U067211.ppp.dion.ne.jp ]
>>50
名残は、西町、北町対抗の運動会&相撲大会だけだと 思ってました。
あ、もう二十年も前の はなしですが(w
スレ汚し スマソ。
6918丁目:2003/03/02(日) 02:11 ID:a71J68LU [ SODfi-01p2-124.ppp11.odn.ad.jp ]
>>66バカラさんさん初めまして
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#196
↑での、不肖18丁目の書き込みをご参照ください。
70啓タ:2003/03/02(日) 07:47 ID:pObMH112 [ EATcf-371p120.ppp15.odn.ne.jp ]
ぎゅうさん、あのエルム山荘がなくなるってよ。木立に囲まれた瀟洒な
建物だった。長島も試合後よく利用してたそうだ。
エンジに塗装された壁とまーるい窓が印象的で子供心にあの建物はいったい
なんだろうって横通るたびに不思議におもったもんだ。
ひとつぎゅうさんのコメントも聞きたい。

ゆ〜きさんの指摘だが、おれもけっしてスレタイの主旨からは
逸脱はしてないとおもうが・・・
一つの地名からいろんな顔がみえきて話題が広がっていくのが
地理のおもしろいところだとおもうんだがね。
馴れ合いについてはそうめくじらたてんでも・・・
71軽川の畔:2003/03/02(日) 11:22 ID:eY.E1jBM [ j177137.ap.plala.or.jp ]
>>64
ゆーきさん。いつも管理ご苦労様です。

私自身、これほどの良スレに出会った事はありません。
このスレを見れば、地名は歴史の上に成り立っているのが良くわかります。
過去ログ1スレの半分も見れば今の経緯は容易に理解できるかと思います。
私自身、最新100レス位の書き込みなので初心者です。
ななしの方の質問にも、皆さん気持ちよく明瞭簡潔に答えてます。
質問に対する答えが馴れ合いの様に見えるのは、資料を持っている方々が
正しい歴史を追い求めている末の形と理解してはもらえませんか?

ところで、このスレの1さんて何処?
スレ汚しスマソsage
72牛鍋蝸牛:2003/03/02(日) 12:25 ID:zM.3m38k [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
啓タさん、軽川の畔さんどうも…、って書くと「馴れ合い」と言われちゃうのかな(w
しかし、「馴れ合い」とは、
「都合よく事を運ぶため、事前に示し合わせておくこと」と辞書にあります。
このスレでお互い会ったことがあるのは、ワシと啓タさん、ワシと18丁目さん(しかも偶然に、一度きり)だけですので、馴れ合いたくても馴れ合えないのですが…。
本スレでは、今回のバカラさんのように新しい住人の方は、自然とご挨拶をし、古参の18丁目さんは>>69のように暖かく迎え、親切に対応するという"美しい習慣"も行われております。
「新しい方もどんどん書き込んでください」とは、ワシも何度も言っておりますし…。
ま、しかし、そういう誤解を受けるということはマズイので、気を付けるようにはいたします。
必要以上の遠慮、自粛は致しませんが(w
さて、ワシがスレ立ての時、必ず掲げております、
「地名を聞いてもいまいちピンとこない札幌市の地名をあげましょう。知名度ゼロ、名所ゼロの土地へ実地調査へ行き、見所を見つける良スレです。」
…という本スレの主旨は、そもそもこのスレを最初に立てた「1さん」が書いたそのままの文章です。
つまり、「地名スレ」と言っても、その地名の語源とかを語るだけのスレではないことが分かると思います。
言わばこれは、このスレの「理念」ですのでどうしょうもありません(w
以前にも、「地名研究そのものを取上げろ」というような意見が出されたことがありましたが、同じ理由を述べて分かっていただいたと理解しております。
いずれにしましても、今後とも末長く、皆さんと楽しんで行きたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

バカラさん、こちらこそよろしく。
啓タさん。
今日仕事で、もう出かけますので、「エルム山荘」については後でね。
73牛鍋蝸牛:2003/03/02(日) 21:14 ID:zM.3m38k [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
「エルム山荘」廃業ですか。
とは言いましても、ワシなんぞは行った事も無く、ただ子供の頃、
「変な家だな〜」と思っていた記憶があるのみです。
そしてその記憶は、本スレで「円山」から「山鼻」にかけての所謂「南円山」あたりをやった時に、改めて蘇った次第であります。
「ああ、あれが"エルム山荘"だったんだ」ってね。
おそらくは啓タさんも、今朝の道新の記事でこのことを知ったのだと思います。
高級レストランであった「エルム」がススキノから道路拡張のために、現在地に移転し高級料亭「エルム山荘」になったとのこと。
しかしながら、「エルム山荘」とはどう読んでも、ヒゲボウボウで雪焼けした登山家あたりが利用してそうなネーミングで、中で芸者さんが、「チントンシャン」と舞を披露しているという雰囲気ではないのが面白いと思っていました。
外観だけでも写真に収めなければいけないかな?と思っております。
さて、それはそうと、お題の「地名」を出さねば、また怒られる。
いいネタだれか振ってくれませんかの〜。
無ければ、自分で振っちゃいますが。
74バカラ:2003/03/02(日) 23:24 ID:W8e6EnoI [ YahooBB219168038106.bbtec.net ]
>>69 18丁目さん、ありがとうございます!大変勉強になりました!

そういえば、最近(でもないか・・・)、元町の西友で事件がおきましたよね?
あれですこしは元町の知名度はあがったのかな?でも悪い感じで知られても
あまりうれしくはないとおもいますけどね・・・今となってははお店はいつも
と変わらぬ姿で営業しています。まあ、平和が一番ってことで。
札幌って中央区あたりは結構最先端をいってますけど、だんだんはなれるにつれて
田舎くさくなっていきますよね〜・・・もう少し周囲の区も成長するといいのですが・・・

普段いろいろと忙しくてなかなか会話に入れない状況で、話がつながって
いなかったりします。すみません
7518丁目:2003/03/03(月) 00:44 ID:i9WWURJk [ SODfi-02p4-179.ppp11.odn.ad.jp ]
>>74バカラさん

あの事件で元町店は、世界一有名な西友となりました(w
ちなみに、あの西友元町店の場所は、玉葱畑だったところで、地主は私の友人の家でもあります。
札幌は実に日本一が多いところでもあり、玉葱、牧草、亜麻は日本一の生産出荷量を誇っていました。
76161:2003/03/03(月) 10:28 ID:nH0RTyuE [ o137195.ap.plala.or.jp ]
スレの勢いを思いっきり遮ってしまいますが、161です。
本格的に過去ログの整理に取り組もうと思います。
何しろログが膨大で、全部印刷してみましたが、70枚近くあるのですよ。
一応地名ごとに、その知名に関する話をまとめてみようと思っているのですが、
「こんな感じでまとめてみたら?」という案がありましたら、なんかメール送ってください。
元々筆(?)不精なもので、返信は怪しいですが、まとめる際の参考にさせていただきます。
77なまら名無し:2003/03/03(月) 13:01 ID:0BrM1MRQ [ ppp0255.va-spk.hdd.co.jp ]
>>65
>本スレはコテハンさんが多いので、「馴れ合い」と見えるのかもしれませんが、
>実態ははたしてそうでしょうか?

そういう状態のことを「馴れ合い」という。
気をつかって、今まで誰も言わなかっただけ。
過度な「馴れ合い」スレは、削除対象なんで。

コテハンだけで語りたいのであれば、自分たちで掲示板を借りればよい。
78遥香:2003/03/03(月) 17:08 ID:YzWjBMhM [ g034062.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>77
ここで語っているのはコテハンばかりだとしか受け取れない発言ですけど、
ここをよーく読んでの発言でしょうかね???
最初「なまら名無し」で発言したりROMったりして、後からコテハンつけ
ている参加者もいるって事はお忘れなきように。

それと、余計なお世話ですが、昼一に会社組織からのアクセスとは(以下略)

今は多忙にて発言できない状態ですが、ここの真摯な研究成果(?)しっか
りと見てますよ。
79西創成:2003/03/03(月) 20:43 ID:wzr8pGl2 [ i100189.ap.plala.or.jp ]
ふーん…このスレは、「常連客しか居ないから入りにくいスナック」だと。

まあ、そうゆうこともあるでしょう。

ただ、苦情等を言っていただくのは構わないが、ちゃんとはじめから読んで言っているのか?(全部読んだら相当時間がかかるが)

常連の皆さんも、その辺気つかっている事が読め取れるかと思いますかと。

77さんいかがですか。
削除依頼された方いかがですか。
そんな事言ってないで、ぜひ参加してくださいよ。
だれも知らない、札幌の地名。歴史。ご存じないですか。

話変わって。

「エルム山荘」さんの件。残念ですね。
昨年あたりから、いろいろな噂の類いが、私の耳にも入って来ていて、気になっていたのですが…。

そうそう
定山渓の「小樽内」と、石狩〜小樽の境の「ヲタルナイ(ヲタナイ)」の関係ですが、どうも関係ないようです。
どちらかというと、「小樽市街(ヲタルナイ)」のほうが、関係あるようです。
定山渓〜小樽市街に行く道筋だからという説もあります。
小樽内川が、ヲタナイまでつながっていた訳でもないようです。
80なまら名無し:2003/03/03(月) 20:50 ID:KDrRPRnE [ 203.14.169.19 ]
>78
ここをよーく読んでますが、いい意味でも悪い意味でも馴れ合いだと思いますよ。
いろいろ活動なさってて読む分には面白いですけど、
新しく入ってきた人は叩かれやすいスレだと思います。
しかもそれが今まで書いてきたことに対して批判的な場合は特にね(w

それと、余計なお世話ですが、いちいち人のアクセス先を(以下略)
もっと余計なお世話ですけどどうぞ(w
http://www.hdd.co.jp/adsl.html
81遥香:2003/03/03(月) 22:00 ID:0GmHDoqg [ j091043.ppp.asahi-net.or.jp ]
77で下げるの、忘れてましたね。
しかも結構怒りにまかせて文書いてるし。でも本音なんですけど。
地名についてネタが振れればまだいいのですが、それも今は考えられない
状態なので、しばらく頭冷やします。
スレ汚しですみません>皆様
82牛鍋蝸牛:2003/03/03(月) 22:33 ID:kI5NiSJQ [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
>>77さん。
>コテハンだけで語りたいのであれば、自分たちで掲示板を借りればよい。
そうそう!
そりゃそうだねぇ。
でも、一体誰ですか?
そんなこと言ったの?
ワシが怒ってあげます。
83牛鍋蝸牛:2003/03/03(月) 22:55 ID:kI5NiSJQ [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
>>76
161さん、どうも!
なんだか、ちょっと立てこんでいる状態ですが(w、そうすか…、ついにやっていただけますか。
どんなのがいいか、ちょっと考えさせていただきたい。
いいアイディアが出るかどうかは分かりませんが。
遥香さん、お久しぶり。
お怒りはごもっともです。
こういうのを、「木を見て、森を見ず」って言うんだなぁ〜って思っています。
しかし、このスレでもめる際の発端のレスは、なぜか同じリモホなんだよなぁ〜。
84牛鍋蝸牛:2003/03/03(月) 22:59 ID:kI5NiSJQ [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
レスを連続sageておいて、その後すぐageるということは、実際にはsageになっていないと思いながら書いているワシですが…。
札幌になんと、「器械場」という地名があるんですね。
これ面白そうじゃない?
85牛鍋蝸牛:2003/03/03(月) 23:00 ID:kI5NiSJQ [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]

しまった!
sageちゃった。
8618丁目:2003/03/04(火) 00:02 ID:B7TTfy4c [ SODfi-01p2-84.ppp11.odn.ad.jp ]
牛鍋さん
「器械場」って何処でしたっけ?気にはなっていたんだけど、いざとなると何処だったか
すぐ調べがつかなくなる・・・こんなときに役立つようなログ整理をしてくださいto161氏(w

西創成さん
小樽内情報ありがとうございます。でも今一腑に落ちないので、自分の継続調査案件とします。

遥香さん
久々の登場が、「怒りの遥香」とは(w 「李小龍in精武門」「怒りの荒野byジュリアノジェンマ」etc・・・

牛鍋さん
もめる発端者の件は、もしかしてサーティーワン?
彼は新手の構って君かもしれません。最近になって削除依頼というシステムを知ったのでしょう。
87札幌五代目本籍菊水元町:2003/03/04(火) 00:32 ID:6S61DhCU [ E168112.ppp.dion.ne.jp ]
お久しぶりです。
ROM会員なんで義務は果たしてました(笑)。
それで、
確かに牛鍋蝸牛を核としたコテハンさんが中心にレスは進んでいます。
しかしながら、
コテハンさん以外のカキコがしづらい状況には無いと思いますが如何でしょうか。
実際、名無しさんのカキコもあるわけですし。
このレスも含めてですが、不毛な事に労力消費するのも勿体無いと思います。
外野(こう表現することって「煽り」になっちょうのかなぁ)を気にせず進みましょう!
これからも「地味」にROMっていきます!(オイオイ)
88釜谷臼:2003/03/04(火) 00:42 ID:jqX6N7/o [ m176219.ap.plala.or.jp ]
みなさまはじめまして、過去ログを数日かけて読んで以来ずっとROMだったんですが、
立て込んできたので書き込みします。

『器械場』については
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#5
で名称が出てきていますが、掘り下がってはいなかったようです。
しかし中央バス停留場に『器械場入口(きかいじょういりぐち)』とあるくらいなので、
入り口の奥には何か器械があったのだと思います。
何があったんだ?山中なので製材関連かしら?

稀有の良スレ、私は十分楽しんでいます。
89西創成:2003/03/04(火) 02:17 ID:SnsNA7x2 [ i239195.ap.plala.or.jp ]
「器械場」これは、明治12年にできた「官営器械場」を指します。

滝野神社も明治43年に出来たときは、「器械場神社」だったそうです。

そいで、私は「器械場」を調べようとしていましたところ、「真駒内開拓」「西岡開拓」というのが出てきまして、その2つの開拓団の子供たちを通わせるために出来た「駒岡小学校(昭24,5,3開校)」の開校当初の情況が、なかなか面白いので、そちらを探ってみようとおもいます。

・道新見出「出席わずか7名 町と開拓団の対立」
・昭和25年駐留軍、校地で実弾演習開始
・昭和27年8月13日NHK(JOIK)ラジオ
 「教師の時間」駒岡小、長山校長特集
・道教委・古谷製菓製作
 「北国の子供たち」映画ロケ

このへんから調べてみようとおもいます。

ちなみに
中央バス南92系統にある、「真駒内2団」「真駒内3団」は、開拓団の名称のようです。
90牛鍋蝸牛:2003/03/04(火) 04:02 ID:ZHv5bpP. [ N047061.ppp.dion.ne.jp ]
よっ!いいよ〜!
>>86>>87>>88>>89
やっと乗ってきたね。
18丁目さん。
「地名原理主義者」だと思うよ。
札幌五代目本籍菊水元町さん。
>不毛な事に労力消費するのも勿体無いと思います。
そのとおりですね。
ま、「降りかかる火の粉は払わねば…」って程度でやりますよ(w
釜谷臼さん、始めまして。
>稀有の良スレ、私は十分楽しんでいます。
"稀有の良スレ"…。
おそらくサイレントマジョリティーはこのスレを、そう呼んでくださっておるのでしょう。
心強いですねぇ…。
で、肝心の「器械場」ですが、すでに啓タさんが挙げられていた!
これは見落としていました。
いや、啓タさんが実地調査に行かれた「湯ノ沢」に関しても、最近どうしても行ったみたい衝動に駆られているんですよ。
先日行った、「豊羽鉱山石山選鉱場」の裏手に当たる場所ですし、前スレ、軽川の畔さんのレスにも触発されましたし。
そうそう、「器械場」だった(w
西創成さん、さすが早いねぇ。
「真駒内」近辺って、なぜかワシのイメージでは"新しい街"なんだけど、実際は歴史があるんですよね。
さ、知っていること分からないことがあったら、"名無しさん"で結構、どんどん書いてくださいね。
みんな優しいよ〜。
でも、遥香さんは怒らせると怖いかな(w
91啓タ:2003/03/04(火) 06:31 ID:IaUANzrk [ EATcf-150p52.ppp15.odn.ne.jp ]
あらやんだよーぎゅうさん。(ぎゅうさんのくちまね。あっこのへんが
馴れ合いってか)わしすでにふったのに誰も見向きも
してくれないからやめたのよ。
やっと気がついてくれましたか。
場所は駒岡の樹海ロード(あ、これ夏場ね)をぬけると右手に
駒岡清掃工場、駒岡小学校、定山渓カントリーの看板左手
そこからすぐのところに器械場なる奇怪な名のバス停が。
民家が2−3軒程度。つきあたりを左手にいくと滝野霊園の
モアイ像がというシチュエーション。
滝野はあまり農地としてはめぐまれていなかったのでやはり
製材関係の用語の名残かと。
真駒内にしても真駒内○○番地という地名は真駒内のイメージとはおよそ
かけはなれた景観を呈しています。
ちなみに真駒内サンブライトの名で売り出した宅地は微妙に常盤のあたりです。
92牛鍋蝸牛:2003/03/04(火) 20:30 ID:050sHq1A [ N045249.ppp.dion.ne.jp ]
「器械場」…。
どう見ても地名とは思えない名前です。
字面から想像して、「先行者」みたいなモノを作っているのではないか思っている人いませんか?
(「先行者」に関して知らない方は、ご自分で検索してみてね)
さて、「器械場」は現在の「滝野」にあるっていうのは、釜谷臼さん他の方々の書き込みで判明しています。
ということで、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」でも当然、「滝野」の項に登場。
「明治十二年(1879)二月、開拓使は札幌本府建設のため多量の木材を必要とし、アメリカから水車式動力の製材機械を購入して厚別山水車器械所を厚別(あしりべつ)の滝の付近に設置した。製材所には八二馬力の水車元車二台のほか、柾挽きや大円鋸を備え付けて長野基礎から熟練した造材夫や製材夫を呼び、製材や屋根柾を生産して豊平館など多くの洋風木造建築に使用した。
北海道庁時代に入り、明治二十三年(1890)以降、一時無人の地になった時もあったが、同三十二年、広島町に入植していた石川県、福井県、高知県の人達が開墾に入り、同三十五年から器械場と呼ばれた。昭和十九年(1944)には厚別の滝があるところから、厚別川上、滝の上、滝の下、西山、器械場厚別、厚別器械場を含めて滝野と改称した。
現在も器械場入口というバス停があり、あしりべつの滝の上には貯木場跡、滝野神社付近には水車器械を動かすための導水路の溝跡が残っている。(以下略)」
93牛鍋蝸牛:2003/03/04(火) 20:35 ID:050sHq1A [ N045249.ppp.dion.ne.jp ]
さて、これは「水車町」で出た、「輸入モノ近代水車プラント」をもう一度おさらいしなければいけないかもしれない。
そういえば、北大植物園の「石臼」も未調査だったなぁ。
しかも、なにやら"溝跡"とやらが残っているという話。
こいつは実地調査向きのネタでもあるようです。
ま、"溝"だと今の時期の調査は出来ないけどね。
あと、戦争中であっても、結構、住所表示の変更ってのは行われていたようですね。
「五天山」調べていた時だったかにちょっと話題になりましたが、「平和」もあわただしい時期の住所表示変更だったのを思い出しました。
それと、「厚別山水車器械所」の画像がありましたので、貼っておきます。
 ttp://www.takinopark.com/pages/info/gaiyo/rekisi.html
9418丁目:2003/03/04(火) 23:11 ID:uysT5.SU [ SODfi-02p5-164.ppp11.odn.ad.jp ]
滝野の青少年自然の村。
私が小学校高学年の頃、子供会のリーダー研修会は、ここで開拓キャンプをすることでした。
確かドンガバ村、ドンガバ町、ドンガバ共和国と成長していった記憶が残っています。
何せ子供が多い時代だったので、子供会も充実していました。
雑談っぽいのでsage(w
95大谷地:2003/03/05(水) 17:22 ID:Sqrk13PY [ nthkid009249.hkid.nt.isdn.ppp.infoweb.ne.jp ]
はじめまして。いつも楽しく見させていただいています。
ドンガバ村・・懐かしいですね。私も子供会のジュニアリーダーで行った
記憶があります。けど、町になり共和国になったのは知らなかった(笑)
あれって、どのあたりだったのでしょうか?札幌市内たぶん南区だったと
思うのですが、ずっと気になってますが、同年代の友人に聞いてもわからなくて。
今はもうないのでしょうか?
96牛鍋蝸牛:2003/03/05(水) 22:34 ID:oPl90Rz. [ N044045.ppp.dion.ne.jp ]
大谷地さん、こんばんは。
札幌に「ドンガバ村」というマイナーな地名があったとは!
ま、この件に付きましてはワシ分かりませんので、18丁目さんお願い(W
開拓使の水車プラントに関して復習をしなければならないのですが、今日はやめとこう。
ちょっと眠いし…。
その代わり、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」(昭和52年)から「滝野」の続きを引用します。
ネタを膨らますヒントになればと思うとります。
「明治三十五年(1902)に厚別器械場教育所として開校された滝野小学校は、過疎化による就学児童の減少に伴い、昭和四十六年(1971)廃校となったが、これを改装して小・中学生を対象に宿泊学習のできる滝野自然公園として開設し、ハイキング、登山、オリエンテーリング、冬には林間を縫うツアースキー学習など野外活動の生活体験に利用されている。また、青少年キャンプ場、家族づれで宿泊できるファミリーキャンプ場もあり、集団宿泊訓練や組織的キャンプ生活にふさわしい自然環境である。
滝野から四キロメートル南にある野牛山の頂上には森林警備用の望楼があり、昔はエンジュの木が多かったことから槐平(えんじゅたいら)と呼ばれ、恵庭市のラルマナイ川の峡谷に続いている」
さて、昭和四十六年当時に「過疎化」と言われていた「滝野」。
一番新しい統計(02年10月)によりますと、世帯数は38世帯人口106人(男51、女55)。
札幌の一つの地名としては、かなり少なめと言わざるを得ません。
106人なら、全員顔見知りでも不思議ではない…。
97牛鍋蝸牛:2003/03/05(水) 23:41 ID:oPl90Rz. [ N044045.ppp.dion.ne.jp ]
誠に申し訳ありません。
>>96の訂正をさせてください…。
いや、ダメといわれてもします!
>これを改装して小・中学生を対象に宿泊学習のできる滝野自然公園として
は、「…滝野自然学園として」の間違いです。
ごめんなさい。
9818丁目:2003/03/06(木) 00:25 ID:OWrgkoF. [ SODfi-02p4-162.ppp11.odn.ad.jp ]
大谷地さま初めまして!
ドンガバ村は実に懐かしくて、かなり私の心の琴線に触れています。
あれは何処だったのでしょうね?
恐らく、滝野自然学園のあたりだったかとは思うのですが、よく分からないのです。
9918丁目:2003/03/06(木) 01:12 ID:F2mi8dPU [ SODfi-02p1-92.ppp11.odn.ad.jp ]
ドンガバ村続き
地域史に興味を持ち始めてから、実は私は実地調査、書籍調査、インターネット調査
の他に、キーとなる人物と知り合うというめぐり合わせが多いです。
札幌村では、大友翁に次いで有名な高木長蔵氏の子孫の女性(飲み友達)、米作で
唯一成功した武井惣蔵氏の子孫の男性(大学の先輩)。
手稲町では、初代町長蓑輪早三郎氏の子孫の女性(仕事関係)。
色々な調査の方法がありますが、歴史に関しては、生の声を聞くということが実に
面白いことでもあります。
しかし、このドンガバ村の思い出を語り合う人物にはついぞ今まで会えていません。

札幌市子供会のジュニアリーダー・・・共にに参加していた友人は2人いましたが、
一人は農林系金融機関に就職、現在英国。一人は某中堅商社に就職、現在米国。
嗚呼・・・あのガバチョは今何処?
激しく訳分からないでしょうし、雑談、馴れ合い、独白、板違いかと思われますので、
sage入れます。
(皆様ごめんなさい、ただ少しでも情報があればと思いまして)
100西創成:2003/03/06(木) 01:20 ID:fTV1CoCQ [ i098036.ap.plala.or.jp ]
>>89に書いた「駒岡小学校」のおはなし。

とりあえず、コレから。

昭和27年8月13日、NHKラジオ放送
『NHK夏のラジオクラブ・教師の時間』
《開拓前線の単級複式校・豊平町立駒岡小学校》

とゆう番組が放送され、当時の校長の手紙が紹介されました。

◇放送要約

駒岡小は、定鉄石切山駅より東へ約1里の場所にあります。

校区部落戸数、47戸。
戦後開拓をはじめた火山灰地です。

住民は、満州・樺太引揚者で、引き揚げ前は教師・役人等指導的立場にあった人々で、インテリであります。

私(校長)は、昭和24年5月2日に星置小より赴任したが、児童はおろか机のはてまで何もなく、豊平町役場に挨拶に行った際、尋ねると『児童はいるにはいるが、数はわからない。開拓者に連絡はしているが、利用しないので困っている』という。
通学問題や敷地問題での開拓地間対立が解決していない情況でした。

・西岡開拓地(学校の建った所)の言い分
『我々の所は、無木地帯で炭を焼く事すら出来ない。真駒内開拓地にくらべて諸施設にも恵まれない。せめて、学校だけでもほしい。しかも、位置が3開拓地の中心地点にある。豊平町議会の決議は当然である。』

・真駒内開拓地の言い分

『将来の入植を理由に水利悪く、電気もつかない立地に立てたことは納得いかない。防火施設もないあの山のなかに学校があっても、わずか12戸でやっていけるものではない。それに比べて、真駒内開拓地は人家も多いから学校の世話もできる。我々の言い分も聞かないで、町や議会が一方的に決めたことは不当である。おいでになった校長にはお気の毒だが、常会で、学校が建っても児童をやらないことにした。(石山へ通わせる)』

・豊平町の言い分
『将来の入植とにらみあわせて、学校の分布状態を重点において選んだ』

問題は解決しないまま、
昭和24年6月1日、西岡開拓地の児童6名と教師の子1名(計7名)来賓等34名で開校しました。

これを聞き付けた道新が、6月2日『出席わずか7名 父母登校拒む 町と書いた件の対立から』とゆう見出しで報道し、問題はさらにこじれたが、町・議会・支庁などが中に入って解決しました。

昭和24年には真駒内開拓団の協力により、開拓団自家発電施設からの電気供給も受けることができました。

現在は、児童33名で、西岡・真駒内両開拓地の児童が登校しています。
101西創成:2003/03/06(木) 01:42 ID:fTV1CoCQ [ i098036.ap.plala.or.jp ]
>>100のつづき

このラジオ放送に前後して、

昭和25年10月
校地及び付近の民家周辺が、米駐留軍に演習場として接収。
民家は移転し、学校が最後に残る。

昭和27年4月28日
米軍兵2千余、戦車300台この地に来る。
昭和27年5月7日
校舎周辺でだい演習開始
15時。砲の発射間断なく
   飛行機低空にて模擬弾投下
   児童登下校不能になる。

昭和29年5月28日
未完校舎に移転

という出来事もあったそうです。

ここで私は、色々疑問点などが出てきたのですが、明日にでも書くことにします。


>先程から出ている「ドンガバチョ〜」って、名前の出所は「ひょっこりひょうたん島」ですかね。sageします。
10218丁目:2003/03/06(木) 02:02 ID:F2mi8dPU [ SODfi-02p1-92.ppp11.odn.ad.jp ]
いやしかし、西創成さん、凄い資料見つけだしましたね。
思えば豊平町は奥が深いところであります。
何せ、今の豊平区、清田区、南区全域が町だったのですから。
私は一昨年までは、よく駒岡の辺りで遊んでいたもので、稀に自衛隊の演習時の
車輌の走行音、榴弾砲の発射音などは聞くことがありました。
駐留軍の演習地に小学校とは、壮烈な教育環境ですね。
103158:2003/03/06(木) 02:07 ID:j4rhw7Lg [ bb6119820252.snowman.ne.jp ]
前スレの「吉田山」で、口を挟んだ158です。
現駒岡小は、個人的に趣のある建築外観として気に入っている校舎です。

>>100の、「教師の子1名」の教師のHPがあります。
赴任当時の駒岡小の回顧録部分が、
ttp://www.asahi-net.or.jp/~MH2O-YMZK/05nijyuu/06gakusei.files/11kyousi.html
にございます。

「ドンガバ村」・・・
名前はなんとなく覚えがあるのですが、ボーイスカウトに入団していた頃かな?
104西創成:2003/03/06(木) 02:46 ID:fhShS1/E [ i105233.ap.plala.or.jp ]
>>大谷地さん、釜谷臼さん、バカラさんはじめまして。(ゴタゴタで遅くなりました。)
>>99で、わざわざ18丁目さんがsageたのに、あげてしまって…バカな奴だとお許しください。


いま、思い出したのですが、

中央バスの「器械場入口」、「真駒内3団」、「真駒内2団」の各バス停は、2ケ所づつあるのをご存じですか。

南92系統、恵開拓記念碑前〜滝野峠間は、普段の路線(真駒内駅〜恵開拓記念碑→〈左精進川に沿って〉→2団バス停→〈道道真駒内御料線に出る〉→3団バス停→器械場入口バス停→滝野峠〜厚別の滝〜滝野)と
季節運行の路線(真駒内駅〜恵開拓記念碑→〈精進川に沿って〉→2団バス停→〈定山渓CCに沿って?〉→3団バス停→器械場入口バス停→〈道道真駒内御料線に出る〉→滝野峠→厚別の滝〜すずらん公園)

市営バス時代から、こうなっているのですが、同じ名前のバス停にしては、距離が離れすぎています。どっちが本物なんでしょうか。
説明がうまく出来ていないので、地図か中央バスでもらえる路線図で確認してみてもらえるとうれしいです。
10518丁目:2003/03/06(木) 07:36 ID:cqrfRBuc [ SODfi-02p1-171.ppp11.odn.ad.jp ]
西創成さん、sage基調にになっているのが、逆に申し訳ないと思っています。
ただ、激しく雑談、馴れ合い、独白、板違いかと思われましたので(w
ageていただいても一向に構いませんし、トラブルメーカーのサーティーワン(
別名「地名原理主義者」「構って君」)もROM周期があるようで、
今このタイミングではROMしていないような気がします。
以前、牛鍋さんとの突発的秘密会談オフでの会話ですが、このスレは所謂インターネット
掲示板のひとつのスレッドとしては、ルールに抵触することが多々あるにも関わらず、
絶妙なバランスにより成り立っている稀有なスレだと。
あとは、管理人さんの判断に任せますが、コテハンだけの馴れ合いスレではない事だけは
理解してほしいので、自らアネックスへ移動する気は無いことを表明しておきます。
もー、地名のこと書いていないのでsage〜
106なまら名無し:2003/03/06(木) 10:53 ID:Cd.oWibI [ 203.14.169.19 ]
( ´_ゝ`)
107牛鍋蝸牛:2003/03/06(木) 22:14 ID:ssV8z26Y [ N044045.ppp.dion.ne.jp ]
しかしなんですな。
ワシ、この「滝野」とか「駒岡」とかって全然全く土地鑑がないことに改めて気が付きました。
ほんとの「真駒内」あたりはそうでもないのですが、こっちまでくると…、って感じです。
てなわけで、自分で振った「器械場」ではありますが、いささか困惑(w
「さっぽろ文庫」の「札幌事始」を見てみましたが、創成川沿いの製材所の記述はありましたが、「厚別山水車器械所」については全く述べられていません。
とりあえずと言ってはなんですが、西創成さんに釣られて「駒岡」について、最近発行された「真駒内物語」(谷代久恵著 北海道新聞社)より。
『真駒内開拓団は「駒岡」と改称』
「戦争がおわるとともに、樺太や満州から引き揚げてきた人たちや戦災で焼け出された人たちが真駒内に入植した。現在の西岡南の国有林から真駒内川上流の滝野までの無人地帯といわれていた1,600ヘクタールに、順次入植して真駒内第一団、第二団、第三団、西岡、滝野の各集落を編成し、1948年(昭和二十三年)までに入植を完了した。
これらの場所はもともと真駒内種畜場の放牧地だった。入植地となった土地は戦後すぐ、アメリカ軍に接収され、軍の演習用地とされていたが、引揚者が土地開放運動を行った結果、接収除外の許可を受けて300ヘクタールの土地の配分を受けた。
それら一帯を真駒内開拓団といったが、1949年(昭和二十四年)、小学校が建設されて名前を付けるときに、真駒内の「駒」と「西岡」の「岡」を取って、駒岡小学校とした。その後、1954年(昭和二十九年)校舎が移設されるのにあわせ、真駒内開拓団の地名をやめて「駒岡」と改称した。
ところで、旧校舎のころ、駒岡小学校は特異な教育環境だった。教室の窓から歩兵の戦闘訓練が見え、時折戦車や装甲車が行き来して、子供たちは落ち着いて学ぶことができなかった。しかし、その後、アメリカ軍が撤収し、豊平町が札幌市と合併してから、都市近郊の住宅地として開発されてきた。開拓農家のほか団地や一般住宅が開発されるようになり、豊かな自然環境の中での教育は今では逆に都会から羨望の眼差しで見られている」
やっぱり、さきに学校名がありきで、地名になるということがあったんですね。
「その壱」あたりで書いたけど、わがふるさと(?)「啓明」地区もやはり「啓明中学校」があったからだったに違いない。
108牛鍋蝸牛:2003/03/06(木) 22:27 ID:ssV8z26Y [ N044045.ppp.dion.ne.jp ]
駒岡小学校の校歌の二番が面白い。

作詞 浅井節 作曲 星野正明
未開の土地に建てられた 駒岡小の学びやに
遊びを学んで 考えて
まことの真理(みち)を 求めましょう

「未開の土地」って…。
109西創成:2003/03/06(木) 23:54 ID:itd2ivy6 [ i100091.ap.plala.or.jp ]
>>100,101 は、158さんがホローしてくれたホームページの、私の20世紀(1)からラジオ原稿を引っ張って、当方で加筆要約しました。
書き忘れですすみません。
158さんありがとうございます。

谷代久恵さんの「真駒内物語」は、わたしもピックアップしたのですが、さすがは牛鍋さん!早いですな。

今日、資料をあさってみたら、こんなの出てきました。

○札幌郡豊平町土場区

 昭和3年豊平町は部落名に区制を採用した。
 昭和15年区制廃止
 昭和19年「大字平岸村字土場」を「大字平岸村字常盤」に改称。
 なお「常盤」には、「大字平岸村字湯ノ沢」も含む。

※豊平町立土場小学校というのもあった。

※土場部落会には、土場区内規約というのがあるのが特長といえる。(これについては、さっぽろ文庫70巻・町内会今昔を参照されたい。)
110西創成:2003/03/07(金) 00:44 ID:opfHyZxE [ i100091.ap.plala.or.jp ]
◆駒岡のながれ

昭和22年4月
唐木田真氏が中心となって、米軍接収地の土地解放運動を行なう。

昭和22年7月
土地解放運動が実り、唐木田氏をリーダーに満州・樺太引揚者15戸が、現在の駒岡に「真駒内開拓団」開墾開始。
その後、西岡南の国有林〜滝野までの間、1、600ヘクタールに、2団、3団、西岡開拓、滝野開拓の順に入植。昭和23年で大体入植完了。

〜この間、町と真駒内開拓団住民に、学校敷地問題で対立した模様。

昭和24年
駒岡小学校開校。(6月)
場所は、真駒内と西岡開拓地区の稜線道付近だという。(現在の南区と豊平区の境にある道沿いの自衛隊西岡演習場のところあたりか?)
真駒内開拓団民児童の登校拒否事件あり。(詳しくは、当スレ>>100参照)

真駒内開拓団名称廃止(6月)
真駒内第一開拓農協設立(6月)

昭和25年、朝鮮戦争勃発により、米軍実弾演習激しくなる。
西岡開拓、滝野開拓地区、再買収されて離農。(現在の自衛隊の西岡演習場らしい。)

昭和29年。駒岡小、現在地に移転。演習地、米軍より返還。自衛隊に。

昭和46年。開拓行政終了。開拓農協解散。


◎参考書籍
・みなみ区ふるさと小百科 南区役所市民部編
・札幌文庫1 札幌地名孝 北海道新聞社発行
・札幌文庫45 札幌の碑  北海道新聞社発行
111あみ:2003/03/07(金) 00:56 ID:aa4t7DSg [ i092155.ap.plala.or.jp ]
最近は滝野が話題になってますね。自然学園懐かしい。昔は豊平町で1つだった
から関係ないけど、川の流れ的には滝野は清田区になりそうですよね。真駒内
からだと峠もあるし。
ところで、まだ清田区真栄の「アンデルセン福祉村」はでてないような。
バス停には1丁目と3丁目ありますが。2丁目はどこなのかな?
112西創成:2003/03/07(金) 01:09 ID:opfHyZxE [ i100091.ap.plala.or.jp ]
さて、ここまで書いて来ましたが、昭和25年〜29年の米軍による実弾演習と部落、学校の様子がもっと知りたいですねぇ。

開拓地の場所や駒岡小の場所の特定もしたい。

それにしても実弾演習を学校敷地でやっている情況ってすごいですね。

>>108 なかなか凄い校歌です。
ちなみに、私の出身高校の校歌の文句もなかなかです。

◎校歌の文句
『〜心ひとつに うち建てん 平和の世界 若き血潮高鳴る 正義の力〜』
『〜心ひろらに うち建てん 文化の郷土 若き眉はあがる 開拓の夢〜』
『〜心ただしく うち建てん 民主の社会 若き瞳 輝く 英知の光〜』

なかなか、戦後まもない時代らしいでしょ。
>18丁目さん、お気をつかわせてしまったようで。

昨日のままにしていたら、今日もsageにしてしまいました。意味はありません。
113牛鍋蝸牛:2003/03/07(金) 21:34 ID:YJe17znY [ U123077.ppp.dion.ne.jp ]
「駒岡小学校」って「特認校」だそうです。
ttp://www.komaoka-e.sapporo-c.ed.jp/ 
特認校制度とは、住所変更をすることなく、通学区域外からの就学を認める制度とのことだそうで、現在札幌市の特認校は、
「中央区 盤渓小学校」、「清田区 有明小学校」、「南区 駒岡小学校」、「東区 福移多小学校・福移中学校」とのこと。
なるほどねぇ、こりゃ、自然豊かな所が多いようですね。
というか、明らかに学童数の少ない学校だな。
とっても皮肉で意地悪な見方をしますと、都心部の子供は自由に田舎にいけるが、田舎の子供は都心部の学校に通うことは出来ない、という"不可逆的"な制度であるとも言えますな。(この"不可逆的"の使い方は誤った使い方です。良い子のみんなはマネしないでね)
なにはともあれ、上記のHPからメールが送れますので、西創成さん、旧駒岡小学校の場所、直接訊いてみたらいかがでしょう?

えっと…、ワシは「郷土史真駒内」(郷土史真駒内編集委員会 昭和52年)から「駒岡小学校」を語ります。
なぜ、「駒岡小学校」をやるのか?と問われたら、「なに…、ちぃ〜いと、西創成さんに釣られてね。ふふ…」と答える今のワシです。

駒岡小学校(所在地 真駒内140番地)
沿革 昭和二十四年六月一日、旧校舎開校、昭和二十九年五月二十八日現校舎新築落成、三十三年十月には体育館も完成し今日に至る。
駒岡は戦後引揚者の開拓地であり、米駐留軍の演習地でもあった関係から、旧校舎時代の本校は特異な教育環境に置かれていた。例えば300台を超える戦車、装甲車や歩兵二千余名の戦闘訓練の状景が教室の窓から眺められ、落ちついた学習が出来なかった。或は未墾地を開墾して学校園を耕作したり、薪炭釜を作って炭焼(すみやき)を実習理科教材とするなど、父兄の開拓事業と密着した生活教育であった。
昭和二十八年九月、僻地教育映画「北国の子供たち」の舞台となり、当時の苦闘の姿がフィルムに残された(略)」

ところで、どうも皆さん、ここらに土地鑑があるらしい。
あみさんも、
>清田区真栄の「アンデルセン福祉村」
な〜んて、おっしゃっておられるし。
今のところ、この地域の「キーワード」は、「子供」かな?と思っているワシなのです。
114牛鍋蝸牛:2003/03/07(金) 21:37 ID:YJe17znY [ U123077.ppp.dion.ne.jp ]
↑ あ゚〜。
酔っ払っているので、持ち前の自己顕示欲が現れすぎている…(汗
115西創成:2003/03/08(土) 01:15 ID:4tWEREl2 [ i106189.ap.plala.or.jp ]
釣りにいって、すきやき釣ってしまった私です。(へっへっへ)

今日は、駒岡について新しい報告はありません。(牛鍋さん、駒岡小に聞いてみます)

>>111 「アンデルセン福祉村」って、つしま記念学園の系統の専門学校や福祉施設が固まってるところですよね。
地名由来は、アンデルセン=童話作家だとか。


ところで、滝野霊園やタカヲ・真駒内カントリークラブ、タカヲ・滝のカントリークラブという物が滝野周辺にありますが、これらは、最近廃刊した方の北海タイムス系統の会社が作ったものですが、タイムス(廃刊時社長の一代前の社長のころ)=タカヲは、滝野地区にどうゆう理由で入り込んだのでしょうか。
116なまら名無し:2003/03/08(土) 04:42 ID:Hi0i1We2 [ 211.43.204.44 ]
>115
タカヲ関係は、地裁に和議の開始の申し立、
債権銀行との難儀中でもあり、あまり今の時期触れんほうがよかろうぞ。
117西創成:2003/03/08(土) 14:26 ID:3Z6ODUpE [ m174243.ap.plala.or.jp ]
>>116さん、たしかにそのとうり。

ただ、現在話題になっている滝野、滝野開拓地区のけっこうな部分が、滝野霊園とたかを社のゴルフ場になっているので、書いてみたのです。

昨晩、実家で、『北海タイムスの歌』とゆうレコードのジャケットだけのをみつけたので、タイムス=たかを=滝野と思い出しただけのことです。

それにしても、北海タイムスという会社は、社主に恵まれない新聞だとおもいますな。
118バカラ:2003/03/08(土) 19:02 ID:spxjDQpM [ YahooBB219168038106.bbtec.net ]
えっと、久々です。滝野ですか・・・なつかしいなあ。わたしもいきました。
子ども会やジュニアリーダーではけっこうおなじみな場所です。
最近は「自然の家」というきれいな施設が出来たので、そっちに人気が集まって
いるようですね。私もジュニアリーダーで何度も行ったことがありますが、滝野
はまだいいほうの施設だと思います。中沼青少年キャンプ場ってしってますか?
テントがはってあるんですが、中はクモの巣だらけ、カミキリムシ、わらじ、
その他いろんな虫さんの住処となっております。ついでにトイレはよく工事現場
にある簡易式で、ここもまたクモさんのすみかです。ほかにひどい施設って
知ってますか?
119軽川の畔:2003/03/08(土) 20:38 ID:KKa.rnTI [ i115062.ap.plala.or.jp ]
自然学園は小学校の宿泊研修で行きました。
滝野といえば個人的には『滝野丘陵すずらん公園』かな。
http://www.takinopark.com/
鱒見の滝の名前の由来(遡上した鱒が滝を見上げたという伝説)
は幼心にも、「んなこた〜ない」って突っ込んじゃいましたが。

ここしばらく実地調査ができない期間に(とは言っても私はした事ないが)
南区方面が熱くなって来ましたね。
土場、湯ノ沢、滝野、駒岡そして豊羽鉱山。
暖かくなってきたのでそろそろ進展有りか?
(人任せでゴメンネ)
12018丁目:2003/03/08(土) 21:15 ID:fvfuz2V6 [ SODfi-02p3-209.ppp11.odn.ad.jp ]
あーはははは、こんなにも元ジュニアリーダーの方がいらっしゃるなんて、
予想外でとても嬉しいです。
実は、ここでジュニアリーダーのこと書き込んだ翌日、以前「484ブルース」
のことを聞いた飲み屋http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/2_log.html#70
のマスターも元リーダーだと判明、翌日仕事もあるのに、思わず朝まで飲み明かしてしまいました。
>>118バカラさん
私はラッキーなことに、中沼青少年キャンプ場は未経験なんです。
>>109西創成さん
土場、常盤、湯ノ沢!
さっぽろ文庫、町内会今昔ですか。
町内会名もいろいろあって面白そうですね。
私のところは「すずらん町内会」でその上部組織が「元町連合町内会」です。

何となくsage
121西創成:2003/03/08(土) 23:24 ID:Q3nEBqeg [ i096069.ap.plala.or.jp ]
>>113 牛鍋さん 駒岡小にメールしておきました。


いま道内マスコミは、『札幌駅南口JRタワー』のことばかり報じていますが…。

私がこの前、タクシーを第一鳥居から乗ったときに、運転手氏と話題になった話なんですけどね。

◎内容◎

運転手氏によると、段々札幌駅に行く客が、ただ『駅まで』と言わなくなったのだそうで、『札幌駅まで』『札幌駅の南口まで』『札幌駅東口まで』『札幌駅西口まで』『札幌駅北口』『札幌駅のヨドバシカメラのとこまで』と、札幌駅またはJR札幌駅などという客が多くなってきたそうです。

運転手氏が言うには、大体、市内中心部〜豊平・円山・山鼻・北大あたりの客は、札幌駅=駅で、他の駅はJR、地下鉄、定鉄問わず、地下鉄の〇〇駅までなどと駅名言うのが一般的だったんですが…と言っていました。

たしかに、ただの「駅」「駅前」=札幌駅(前)とか、国鉄・JR=汽車。路面電車=電車。などといったものや、

条丁目の呼び方で、南と西は省略して言う
南1条西4丁目= 1条 4丁目。
南4条東1丁目= 4条東1丁目。
北1条西1丁目=北1条 1丁目。
北4条東4丁目=北4条東4丁目。
という言い方など。

そうゆう「札幌の常識?定説?」みたいなことが、無くなってきているのでしょうね。
122161:2003/03/09(日) 08:51 ID:fW8OcmPQ [ n217250.ap.plala.or.jp ]
ちょっとだけ更新してみました。ほんとにちょっとです。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/index.html
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/chimei/list.html

とりあえず整理した分から追加していくということで…
ああ、こんな話題もあったっけ、と懐かしんでください。
ログの順番に整理しているので、あとで出てきた新しい話題については順次追加します。
肝心な、雁来や水車町、五天山などがここに載るのはしばらくかかりそうです。
123軽川の畔:2003/03/09(日) 11:57 ID:2ZFvs1Js [ i138067.ap.plala.or.jp ]
161さん。ご苦労様です!
大変見易くていいです。マイナー度五つ星が多いのは
スレタイから言って当たり前か。

んで、自己レスですが>>119で紹介したページの中に
器械場の紹介があります。
www.takinopark.com/pages/info/gaiyo/rekisi.html

ところで滝野方面にバス停で三滝の沢、下三滝橋というのがある。
三滝って『アシリベツ』『鱒見』の他にもう一つは?
滝のことならあの方かな?(怒らせたら怖い?)
124軽川の畔:2003/03/09(日) 12:17 ID:2ZFvs1Js [ i138067.ap.plala.or.jp ]
良くみたらずーっと前に牛さんがリンク張ってたのね…鬱
このスレ初の逝ッテヨシですか?
125西創成:2003/03/09(日) 15:07 ID:CxtUmfVk [ i105196.ap.plala.or.jp ]
>>123 もう一つの滝は、「有明の滝」でないでしょうか。

なんかsage。
126牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 21:22 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
子供会とか、ジュニアリーダーとか、宿泊研修とか、皆さん参加されているのですなぁ…。
世代の違いだ…。
そういうもの自体、知らないもんな。
ワシの子供の頃は、炊事遠足で「藻南公園」、「十五島公園」に行ったくらい。
ま、おっさんになってから「実地調査」っての、してるけどねぇ〜。ワッハッハ!
西創成さんの駒岡小へのメールの返事、ちゃんと答えてくれるといいですね。
明日あたりくるかな?
161さんのログの整理には頭が下がります。
メールで、大した役に立たない提案をさせていだだきました。
そもそも、それ用に書き込まれたものではないレスを整理してまとめるというのは、気が遠くなる作業です。
みなさん、161さん励ましのメールでも差し上げてくださいね。
昨日、レスしないでソファで寝ちゃったので次、「駒岡」の第一開拓のこと書きます。
127牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 21:43 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
「郷土史真駒内」(郷土史真駒内編集委員会 昭和52年)より「真駒内百年のあらまし」「駒岡の第一開拓」。
終戦後、満州樺太から引揚者及び戦災者の一団が駒岡に入植した。通称石山陸橋から東南に一線を引き西岡南方国有を境界にし、真駒内川上流滝野までの無人地帯の1,600fに真駒内第一団、第二団、第三団及び西岡、滝野の各部落を編成し、昭和二十三年に入地を完了した。
駒岡はもともと真駒内種畜場の放牧地で、当時米軍に接収され演習地に当てられていた。渡満当初からリーダーであった唐木田真を中心に土地開放運動を展開した結果、昭和二十二年四月一日接収除外の許可を受け、同二十二年七月二十日先発隊唐木田真を団長とする十五名が入地し、300fの土地の配分をうけ、入地とともに天幕を張り測量分割して生きんがため命がけの開墾ははじまった。道路も家もなかった。開拓者同志の奉仕と協力によって家が建てられ。道路も開かれ、二十四年には西岡の地に駒岡小学校も建設され子供達も通学できるようになった。
また同年には第一開拓農業協同組合を設立、精進川を利用して、水力タービンによる自家発電が完成され、暗夜に光明が得られラジオの政治、経済の動向に耳を傾け、文化生活に浴することができ、酪農をとり入れ混同畑作の農業形態は逐次毛確立された。―思えば長い道程であった。馬もなく、生産した麦やそばを背負って出荷していたのが、精米・製粉もできるようになったのである」<つづく>
128牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 21:52 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
「昭和二十五年朝鮮戦争が勃発し、米軍の実弾演習が激しくなり、西岡、滝野地区約七十戸が再買収されて離農し、小学校もかねて希望していた精進川流域に移転再建された。
米軍が撤収し、早速真駒内に通ずる精進川の沿線五キロメートルの滝野線の道路の開発を叫び、三十年冷害対策事業として着手、翌三十一年に完成、定鉄バスが導入され、自分の家の前からバスに乗り、一日がかりだった札幌への用件も半日で済み、農業の生産も倍増となり住民の生活環境も改善されていった」
…なんとも思い入れの多い文章だと思ったら、「リーダー」で「団長」の唐木田真氏、ご本人の筆によるものでした
129牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 22:47 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
「駒岡」から離れますが、「湯ノ沢」関係で奇妙な脾があるようです。
「湯の沢台開放記念碑」
ttp://www.city.sapporo.jp/minami/minamiHP/html/09famo/meisyo/0503129.htm 
「豊滝の市道豊滝東線の脇にある石碑。台座には「この碑の由来に示せる湯の沢は比所を隔つこと南へ二キロ札幌岳の麓の地点にあり 森ヲキク 重一」と記された板がはめ込まれている。裏面 には、湯の沢の山林を所有管理していた森政市の温泉開発についての由来を記した碑文が刻まれている」
…ってことなんですけど、「解放」とは?
ご存知の方、いらっしゃいますでしょうか?
ものずんごく気になる。
130牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 22:50 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]

かっ!またやった!
「解放記念碑」の間違いです。
131牛鍋蝸牛:2003/03/09(日) 23:23 ID:o9dMVQpg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
>>123
>ところで滝野方面にバス停で三滝の沢、下三滝橋というのがある。
>三滝って『アシリベツ』『鱒見』の他にもう一つは?
>>125
>もう一つの滝は、「有明の滝」でないでしょうか。

う〜ん…。
滝のことなら"あの方"なんですが、もしかして「不老の滝」とちゃいますか?
13218丁目:2003/03/10(月) 01:26 ID:8ym72rpE [ SODfi-01p5-169.ppp11.odn.ad.jp ]
>>129
執念の湯の沢についてのこん跡発見ですね。
いやーよくもまた、こんなの発見したものだ、というべきか、よくも今まで
だれも発見していなかったものだ、というべきか。

三滝は、最初私も「不老」を思ったが、多分「有明」でしょうね。
なーんて、門外漢が浅い知識で思いを巡らすよりも・・・(w

161さん、ありがとうございます。
しかしよくまとまった地名検索板になりましたね、今後の実用性は非常に高いと思います。
133西創成:2003/03/10(月) 03:06 ID:MWlQyTQw [ i100015.ap.plala.or.jp ]
>>129  「湯の沢台」ですか…
碑の文章からいうと、盤の沢の一番奥あたりのようですがねぇ。
もしかして、湯の沢ってもう一つあったのかな。

>>下三滝橋…そういえば、このバス停のある道道真駒内御料札幌線沿いには、「上三滝橋」とゆう橋もあります。

>>127,128 真駒内開拓第一団のはなしですね。さすが牛鍋さん。

そいで、第2、第3、西岡、滝野の文献はなかなかないようですな。

>>122  161さん、凄い。頭、下がります。
134牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 06:39 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
>>127、128の「郷土史真駒内」は、>>107の「真駒内物語」の参考文献でもあるので、真駒内開拓第一団の内容は同じですね。
「郷土史真駒内」に開拓当時の「駒岡」の小さな写真が載っています。
林の中で、木を切ってそれを荷馬車に積んでいる光景です。
まさに"そのまま"の写真なので、あえてアップしませんけど(w
>>133
>第2、第3、西岡、滝野の文献はなかなかないようですな。
第一団とそう大差はなかったから、記録が取られていないのでしょうかね。
第一団に準ずる、ってことかな?

「湯の沢台解放記念脾」なのですが、「解放」ってやはり、米軍の演習場からの「解放」を意味するのでしょうか?
それにしては、
「「この碑の由来に示せる湯の沢は比所を隔つこと南へ二キロ札幌岳の麓の地点にあり 森ヲキク 重一」と記された板がはめ込まれている。裏面 には、湯の沢の山林を所有管理していた森政市の温泉開発についての由来を記した碑文が刻まれている」
という碑文とは、つながりがないような気がするし…。
そもそもなんで、湯の沢から二キロも離れた所に建っているのか?
もっと言うと「湯ノ沢」と「湯の沢台」って、はたして同じところを意味するのか?
「森ヲキク」さんと、「重一」さんは、「森政市」さんの何に当たるのか?
この碑はいつ建てられたのか?
「湯ノ沢」(湯の沢)の由来に関して、「その四」#226 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#226 で、本籍水車町さん(懐かしい…。お元気か?)が書いておられたのですが、その内容は「さっぽろ文庫1 札幌地名考」からと思われます。
疑問を解くカギになるかもしれないので、次にちょこっとだけ、改めて引用いたします。
135牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 07:05 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
そういえば、161さんも「湯の沢」に実地調査、行ったんだったよね。
さて、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」から「湯の沢」。
「真駒内川の上流、旧真駒内御料地であり、豊平町大字平岸字湯の沢であったが、昭和十九年(1944)の字名改正のとき常盤に包含された。明治三十五年(1902)徳島県からの入植者が開墾した地域である。
同三十八年ごろ、沢の奥に白い粉のついた石が発見され、お湯が出ているのではないかと多くの人が探索に入ったところから湯の沢とよばれるようになったといわれている(略)」
はて?
「常盤に包含された」ということは、「湯の沢」ってのは地域名として残っているだけなのでしょうね?
ということは、住所は「札幌市南区常盤○○○番地」なのでしょうか?
そうそう、「解放」だった。
米軍の接収された中に、「湯の沢」もやはり入っていたのでしょうか?
それとも、ナチスドイツに占領されていた「湯の沢」を、ソ連軍が解放したとでもいうのでしょうか?
わからん…。
行くしかないか…。
136西創成:2003/03/10(月) 14:50 ID:0kyVfGQo [ i100089.ap.plala.or.jp ]
きょう、あすは仕事はお休みなので、「湯の沢台」調査しております。

とりあえず

「湯の沢台」=「湯の沢」ではないようです。
「湯の沢台」は、豊滝・盤の沢より札幌岳方向に2キロくらいのところのようです。

「解放」とは、森政市氏が、温泉をつくって、市民に解放することにした(昭15)という意味のようです。

森家は、盤の沢で昭和4年12月より農業をはじめ、昭和20年農場開始、昭和37年11月頓挫その後、南8西5に移転したとのこと。

石碑は、国道230号、道路情報館前信号左折(札幌から行くと)→ずっと真っすぐ→道と盤の沢川が交わる所手前、盤の沢川に沿って進む林道のような道の入口にあるそうです。
碑文は、簾舞通行屋現当主、黒岩氏が書いたようです。
137五の31:2003/03/10(月) 15:57 ID:RQ.m2KFk [ J025102.ppp.dion.ne.jp ]
>>96
>>90
>>106

その「サーティワン」とは私のことですか。とすれば、削除依頼もしてないし、ましてや「トラブルメーカー」でもありませんぞ。侍部落在住者の移転先や貧民街の地名の列挙は問題があると思ったからそう書いただけのこと。それがなんでトラブルメーキングなのか。ここはおらたちのスレッドだから読むのは自由だが質問や意見は許さねえだ、というのならそれこそ個人のホームページでやるべきでしょう。

>>**
> それと、余計なお世話ですが、昼一に会社組織からのアクセスとは(以下略)

トラブルメーキングとはこういう不要な一言を付け加えること

自分の意見に賛同する人は好きで批判する人は嫌い、というのは感情の問題だから何も言いませんが、好きな人は発言内容の是非に関わらず擁護して嫌いな人は公然と悪口を言って追い出そうとする、というのはいけませんね。新しい人が入って来にくいし違う意見を持っていても言いにくい。スレッドは個人のものではなく、まちBBSに集まる人たちの共有物です。理解よろしく。

なお>>106はあきらかな名誉棄損なので発言者の謝罪を求めます。
138西創成:2003/03/10(月) 18:36 ID:XQUDyMHk [ m175250.ap.plala.or.jp ]
>>137 私は、貴方がその削除依頼等を出した人なのか知りません。
他の方が、貴方と断定しているのかも知りません。
お互いにあやふやで話してもどうにもなりません。
ましてや貴方が、侍部落、貧民街について、警鐘を鳴らす意見を書き込みしたからといっても、トラベルメーカーの首謀者だとか、このレスから追い出すなどといったことが、あるならば、それはたしかにおかしいことです。

ただ、現状>>105の発言(106は顔文字)に謝罪を求めるとなると、これには、貴方と断定する文句がない(サーティワン=地理原理主義者と書いているが、5の31さんだとあきらかに書いてる訳ではない)ので、難しいのではないかと思いますが。どうでしょうか。

お互い感情的になってもどうしょもない。
自分も含めて、お互いに反省する所はして、こんな話はやめましょうよ。

5の31さん、他の皆さん、ROMの方もどうでしょうか。
こんな話、やめましょうよ。
意見求む。
139西創成:2003/03/10(月) 18:49 ID:XQUDyMHk [ m175250.ap.plala.or.jp ]
きょうは、南区役所公聴課の方にとても親切にして頂きました。

「湯の沢台」のお話を伺うことができました。(内容は>>136
おまけに、みなみ区小百科と南区開拓夜話という本と、解放記念碑の地図まで頂きました。
本当に感謝したいとおもいます。
140西創成:2003/03/10(月) 19:20 ID:XQUDyMHk [ m175250.ap.plala.or.jp ]
その頂いた「南区開拓夜話」に、面白いのをみつけました。

「アシリベツ山器械場」

(内容要約)
・明治5年
 開拓使は、澄川に木挽小屋を建てる。

・明治12年
 滝野に官営器械場を設置。
 厚別の滝上に水車動力製材所をつくる。
 豊平館建設にもここの木材を利用する。
 労働者出入り多く、冬期は数百人にもなる。
 夜は芝居興行などもおこなわれる。

・明治22年
 その役目を終える。
 10年間での伐採石高2786石7斗9升1合
 原木数で、2460本

・明治23年〜32年
 無人になる。
 この間の記録はない。

・明治33年
 阿部仁太郎氏、貸し下げをうける。
 小作人が入り、農地開拓はじまる。
 製材所再開設、炭焼きもはじめる。
 冷害等多く、交通不便などの理由で、
 離れる人多し。

・昭和28年
 滝野周辺、米軍演習により接収。
 50戸移転

・昭和58年
 国営滝野すずらん公園できる。
141西創成:2003/03/10(月) 19:26 ID:XQUDyMHk [ m175250.ap.plala.or.jp ]
もうひとつ、「南区開拓夜話」から。

★真駒内開拓団の戸数

第一団 32戸
第二団 30戸
第三団 34戸
西 岡 16戸
滝 野 50余戸
142牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 19:27 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
>>137
五の31さん。
誰が書いたか知らないけど >>106は単なる笑顔の絵文字だし、誰もあなたのことだなんて思っていないと思いますし、>>90では、ワシは「地名原理主義者だと思う」と書いただけ。
まして>>96のことで怒られる筋合いはないと思いますけど?
143牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 19:41 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
西創成さん。
どうも、いろいろと気苦労をお掛けしておりますです。
皆さん、やっぱり「実地調査」というか「足」を使った調べが大事ですね。
ワシも今日明日は休みだたのですが、鼻かぜの治りかけのため、今日は大人しくしておこうと思い、調査を控えたのです。
南区関連の資料があまりなく、土地鑑もないためちょっと苦労しておった次第です。
でも市民"に"「カイホウ」なら「開放」でしょうにね。
「解放」ってのは市民"を"「カイホウ」した、というときに使うはずですよねぇ〜(w
144牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 19:47 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
↑ ちょっと文章として変でした。
>南区関連の資料があまりなく、土地鑑もないためちょっと苦労しておった次第です。
と、
>でも市民"に"「カイホウ」なら「開放」でしょうにね。
の間に、
「湯の沢台解放記念碑の件、了解です」と入れてください。
145札幌五代目本籍菊水元町:2003/03/10(月) 23:09 ID:8kinQu42 [ N023168.ppp.dion.ne.jp ]
読売新聞を読んでいたら、このスレに載せろとばかりの記事が。

札幌の統合小の校名案が「資生館」に決まる

 札幌市中心部の四小学校が統合して来春、開校する新小学校の校名を検討していた委員会は10日、校名案を「資生館小学校」と決め、善養寺圭子教育長に報告した。市議会で正式に決まるが、資生館は、明治の開拓期に札幌に置かれた学校で、約130年を経て平成の時代に復活することになりそうだ。
 新小学校は、児童数が減少した中央区の創成小、大通小、豊水小、曙小を統合する。校名については、昨年7月に四小の校長や地域住民からなる委員会で、案を公募し、協議を進めてきた。

 計525件の校名案が集まり、その中から創成小2年の加藤美樹さんら12人が考案した「資生館小」が選ばれた。資生館は、中国の古典「易経」の一節「至哉坤元 万物資生」に由来し、「大地の徳はなんと素晴らしいことか。すべての物がここから生まれる」という意味がある。

 1871年(明治4年)に官吏の子弟らの教育機関として置かれた資生館は翌年、札幌学校と改称されて、後の創成小となる。新校名に選ばれたのも、「四小が再び一つにまとまり、初心に帰って未来への新たなスタートを切ろう」との思いが込められているという。

新小学校は現在、創成小の敷地に建設中。新年度に校長と教頭の人事が決まり、校歌、校章、教育方針などを検討し、来年4月に開校する予定だ。
146札幌五代目本籍菊水元町:2003/03/10(月) 23:15 ID:8kinQu42 [ N023168.ppp.dion.ne.jp ]
コメント追加しようとしたら書き込んでしまった・・・さすがROM会員(笑)。

なんて言うんでしょ。
親が教えたのかも知れませんが(違ったらごめんね。美紀ちゃん)、生い立ち、成り立ちを振り返り命名したことに感動。
このスレといい、札幌って結構良いところかも。
147牛鍋蝸牛:2003/03/10(月) 23:23 ID:kwA7/1Zg [ N045084.ppp.dion.ne.jp ]
>>145
ほうほう…、「資生館小学校」。
古式ゆかしき名前ですね。
なかなか、かっこイイ!
ところで、讀賣新聞の記事ですが、「資生堂」のHPの文章と非常によく似ているのが、面白い。
ttp://www.shiseido.co.jp/s9604him/html/him00002.htm 
「資生堂という名称は、中国の古典『易経』のなかの一節「至哉坤元 万物資生」に由来する。この一文は「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味」

♪ なんでだろぉ〜 なんでだろぉ〜…
148西創成:2003/03/11(火) 00:04 ID:dgO2aLvg [ i107025.ap.plala.or.jp ]
区役所で頂いた「みなみ区小百科」から。

速報!

(1)元山=本山

昭和31年、字名を元山→本山と改称した。

(2)湯の沢台開放記念碑
この本では、開放となっている。

(3)開拓団いろいろ

・石山開拓帰農団(戦後開拓要綱に基ずく第一号)
石山8区(牛さんが、選鉱所に行くとき迷い込んだ石山2号線沿い、老人ホームより奥、一帯)に18戸当初入植。

・東京疎開入植団
昭和20年春、奥島氏を中心に石山6区20戸、常盤20戸疎開入植。数年ももたず。

(4)もうひとつの土場

昭和10年代、定山渓で木材の伐採が盛んになり、この運搬のために森林鉄道が敷かれ、定鉄定山渓駅と錦橋駅に土場、木工所があった。このころ定山渓は「土場のまち」と呼ばれた。

(5)滝野の旧字名

豊平町大字月寒村字厚別川上・滝の上・滝の下・西山・器械場厚別・厚別器械場を昭和19年字名改正で、豊平町大字月寒村字滝野にした。
149西創成:2003/03/11(火) 00:27 ID:V2ESYaRc [ o050016.ap.plala.or.jp ]
湯の沢台については、あす新しい情報をお届けできるとおもいます。

湯の沢台の石碑は、豊滝でも相当奥のようですね。

山のレジャーランド化計画をもうひとつみつけました。

「藤野三豊山(さんぽうざん)」

通 称「焼  山」→豊平山(ほうへいざん)
 〃 「牧場の山」→豊見山(ほうけんざん)
 〃 「下藤野山」→豊栄山(ほうえいざん)

と名前を付け、野の沢奥にダム湖をつくって、この三山を利用し(あわせて、三豊山)、一大レジャーランドのしょうとしたが、地質調査ノ結果、ダムがつくれず頓挫したという。
昭和22年、地元有志が夢見た案でした。
150なまら名無し:2003/03/11(火) 01:37 ID:PNhdXAI2 [ 1Cust226.tnt1.chitose.jp.fj.da.uu.net ]
五の31さんかどうかは知らないけど、削除依頼出した人の気持ちもわかるよ
それを、自分と違う考え方だからって「地名原理主義者」ってのはねぇ・・・
正直、最近のこのスレすごくつまんない。見なきゃいいんだけどさ。
最初は面白くてよく見てたもんでさ。だからって、最近の書き込みに文句を言うつもりもないけどね。
でも「そりゃよそでやんなよ」って内容も多い。と「思う」
そろそろ打ち止めにしても良いんじゃないの。
話題自体は「つまらない」とは思っていないから、それなりの新しいスレをたてれば良スレになるんでないの?
151西創成:2003/03/11(火) 02:13 ID:AzKHVQJk [ i098012.ap.plala.or.jp ]
>>145〜7 「資生館小学校」いい校名になりましたな。

「中央小学校」とかじゃなくて。

それと18丁目さん、ご探求の件「小樽内」ですが、みなみ区小百科にこうありました。

「小樽内川」

白井川支流、1級河川系。奥手稲山北西斜面から流れ、さっぽろ湖、定山渓ダムを経て定山渓の時雨橋の辺りで白井川に注いでいる。全長約19キロ。
語源は、小樽市の小樽内川がアイヌ語の「オタ・オル・ナイ(砂浜の中の川)」で地形に合致しているのに対し、この川では結びつかない。一説に和名との説やアイヌ語の「オタル・ナイ(小樽の方に行っている川)」との説もある。
参考、さっぽろ文庫1・地名孝 P226

と書いてありました。
152牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 09:21 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
>>150
なるほど…。
反省すべきは反省するという気持ちでやらせていただきますので、ご理解を願いたい。
ご要望にお答えできるは分かりませんが、一応、ワシの思っていることを書きます。

>正直、最近のこのスレすごくつまんない。
「つまらない」と言わずに、参加して面白くしていただければと思います。
なんと言ってもみなさんの調査や報告がなければ成り立たないわけですからね。
150さんは今まで書き込んでいただいたことがおありでしょうか?
書き込んで一緒にやってもらって「つまらない」ならしょうがないのですが…。
当たり前のことですが、ここに書き込んでいる人は、ただ単に"好きで"やっているわけでして、「読んでいて面白くなければダメ」と言われると、これはちょっとツライ。
ここはテレビでも雑誌でもないわけですから。
面白いネタの時もあれば、つまらないネタの時もある。
これはしょうがないですよ。
でも、面白いに越したことはないので、参加して面白くしてください。<つづく>
153牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 10:40 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
>でも「そりゃよそでやんなよ」って内容も多い。
これに関しても、書き込む方もスレを盛り上げようと、いろいろと試行錯誤を繰り返している結果、そう思われることもあるかもしれません。
ただ、潤滑油としての雑談はOKだと認識しておりますし、そんなにトンデモない内容のスレが、延々と続くってこともなかったと思っていますが、ま、それはそれとして、本題からあまり外れないようには注意いたします。

>それを、自分と違う考え方だからって「地名原理主義者」ってのはねぇ・・・
この件ですが、削除依頼を出された方の、ごくごく短いレスからはその真意がいまいち測りきれないのですが…、
今回の削除依頼の文面。
「ここってスレタイに地名ってあるけど、レスはかなりかけ離れているとおもう。しかもかなり馴れ合い」

スレタイの「地名」ってのに「ど〜しても、引っかかる」って人がおられるように思えるのです。
「地名って言うんだから、地名そのものの成り立ちについてのスレじゃないとおかしい」と思っている方。
今回の削除依頼もそう言っているように解釈できるとワシは思っているのですが、いかがでしょう?
たしかに、「札幌の地名」そのものの研究、ってことでは本スレは外れていますね。
本スレで「地名」といっても、「歴史」、「地理」、「風俗」、「人」、「産業」、はては「歌」まで、何でもあり。
つまりは、「博物学」(のようなもの)です。
そういうコンセプトで始まったスレですし、「実地調査で見所を見つけるスレ」ですから…。
その切り口として「地名」というキーワードを使っているわけです。
もし、「地名」という言い方が問題なら、じゃ、「マイナーな地域」って言えばいいのか。
「マイナーな場所」か。
「地区」、「地帯」、「一帯」、「区域」、「所」、「エリア」、「ゾーン」、「街区」…、もういっそのこと、「土地」…。
いろいろあるとは思いますが。<つづく>
154牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 10:43 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
しかし、いきなり削除依頼、というやり方にはこちらとしても当然、強行に反論します。
「自分と違う考え方だから、削除しろ」って言われたわけですからね。
本スレが削除されるとして、削除の要件の一体どの部分に抵触するというのでしょうか?
あくまで、削除依頼者の主観と違うというだけではないでしょうか?
このスレは「稀に見る良スレである」とワシも胸を張って言えます。
スレ批判は結構なのですが、ここはこうした方がよい、という建設的な意見をお願いしたいと思います。

>話題自体は「つまらない」とは思っていないから、それなりの新しいスレをたてれば良スレになるんでないの?
ということで、本スレは良スレであることは間違いないのですが、どうも最近のごたごたを見ていると新スレ立て直しって方法もありかな?とは思っています。
主旨を守っていくなら、形はどうであれ、皆さんが楽しく参加できるスレであればいいわけですからね。
その点に関して皆さんのご意見を伺いたいと思います。
150さん、おっしゃるような、「それなりの新しいスレ」はどういう形で立てたらよいでしょう?
ただ、立て直すなら「その八」でも良いわけですし。
是非ご意見を聞かせてください。
155牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 11:34 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
あ〜、疲れちゃいました。
きっとまた大反論がくるのだろうなぁ〜、と思うと気が重いんですけどね(w
ま、「こっちの気持ちも、少しは察してくださいな…」というのがホンネです。
>>148
西創成さんの報告だと、
>(2)湯の沢台開放記念碑 この本では、開放となっている。
ってことなので、南区のttp://www.city.sapporo.jp/minami/minamiHP/html/09famo/meisyo/0503129.htm が間違いだということになります。
これはやはり、一度行って見なけりゃ分からないですね。
でも、今日も風邪の名残りで調子が悪い。
天気はいいのだけど…。

>・石山開拓帰農団(戦後開拓要綱に基ずく第一号)
>石山8区(牛さんが、選鉱所に行くとき迷い込んだ石山2号線沿い、老人ホームより奥、一帯)に18戸当初入植。
はぁ〜、あんなところにねぇ。
偶然迷い込んだのですが、小山の尾根沿いの道で、今でもすごいところです。
無責任な言い方ですが、他に土地がなかったのでしょうか?
156牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 11:40 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
>>148
>(4)もうひとつの土場
>昭和10年代、定山渓で木材の伐採が盛んになり、この運搬のために森林鉄道が敷かれ、定鉄定山渓駅と錦橋駅に土場、木工所があった。この>ころ定山渓は「土場のまち」と呼ばれた。
1937(昭和12)年7月7日の蘆溝橋事件に端を発する、日中戦争が関連するようです。
「札幌市電が走った街今昔 北の都の路面電車定点対比」(札幌LRTの会・編 JTB 2003年3月発行)に、この時期のことが書かれています。
「石山選鉱場」のこともね。
同書の「定山渓鉄道」(松居国男・著)より。
「貨物輸送では、日中戦争を契機に豊羽鉱山の操業が活発化するようになり、同鉱山の選鉱場が石切山に建設されることになった。そのため藤ノ沢〜選鉱場間2.1qと錦橋〜水松沢間6.2qの専用鉄道が敷設され、この間の貨物列車を定鉄が受けもつこととなって、昭和14年(1939)4月から運転を開始した。情報も筆者の知識も乏しかった中学生の頃、錦橋から分岐し旧国道の下をくぐる非電化の線路を始めて見て、どこまで延びているのか疑問に思った記憶がある」
確かにそういう疑問を持っても不思議ではないと思います。
行き着く方向は山だしね。
あ、日中戦争といえば、たまたま昨日「鬼が来た!」のビデオ観ましたよ。
157なまら名無し:2003/03/11(火) 19:48 ID:3Aj4SFi. [ EATcf-509p238.ppp15.odn.ne.jp ]
私はこのスレ好きですよ。
がんばってください。

「資生館小学校」はいい名前ですね!
「つどーむ」やら「きたえーる」という札幌のネーミングセンスに
戦々恐々としていましたので。大通小だった私は安心しました。
158牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 20:40 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]
>>157
どうもありがとうございます。
ちょっと元気が出ました。しこしこやっていきます。

「資生館小学校」、いいっすよね。
でも、「しせいかん」とPCで打つと「死生観」になっちゃう。
単語登録しておこう…。
「きたえーる」、「つどーむ」…。
う〜ん、だじゃれの域を出ませんな。
今から百年経ったのちの人に笑われやしないかと、ちょと心配。
「キタラ」、「かでる2・7」。
個人的には、このあたりはセーフかな?
でも、「かでる」という北海道弁は、ワシ知りませんでした。
あ、「かでる」の駐車場、狭いので嫌いです。
そうそう、「Hiroba」。
「Hiroba」って、札幌ドーム周辺の施設の"総称の愛称"だと聞き及んでいます。
が、それにしても、だーれも使っていない。
オフィシャルサイトのURLにさえ、「Hiroba 」の文字は見られず、ttp://www.sapporo-dome.co.jp/ 
トップページでも小さく表示されている程度。
きっと命名した方も、困惑されているのではないかと思います。
もし、自分が命名者であって、仕事かなんかで誰かに紹介されたとして、
「あ、こちらは札幌ドームにHirobaって命名した牛鍋さんです」…、な〜んて言われたらきっと恥ずかしいだろうなと…。
そう言えば、去年の秋、長嶋さんが、
「日本ハムファイターズも、札幌のホワイトドームに移転して…」と、「ホワイトドーム」を連発していたなぁ(w
159菊水スレの人:2003/03/11(火) 23:24 ID:og0mR.g2 [ J021157.ppp.dion.ne.jp ]
>>144
次回は有意義なカキコよろしく!
160牛鍋蝸牛:2003/03/11(火) 23:37 ID:dfFa6Ayc [ N047220.ppp.dion.ne.jp ]

分かる範囲でね。
161真駒内川:2003/03/12(水) 00:15 ID:O./fwFcc [ p29d8d3.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
ずーっとROMってましたが、我慢できずに参戦させていただきます
滝野には現在の「丘陵すずらん公園」として整備される遥か前に中学校の宿泊研修で
キャンプをしました。
その数年後に当時あったロッジに部活で泊まったこともあり、
思い出深いところであります。
そのころは道路もまだ今のように広くはなくて、拡幅のために発破をしていたのを
ロッジに行く途中に遠くから見た記憶があります。
162西創成:2003/03/12(水) 01:10 ID:8eYfzkRQ [ i099180.ap.plala.or.jp ]
11日は、「湯の沢台」についての新しい情報がありません。

札幌市資料館に問い合わせをしましたが、情報得られませんでした。

あとは、簾舞小学校が調査したとゆう資料を探すのと、碑の文を書いた簾舞通行屋の方に聞くくらいしかないようです。

>>161 真駒内川さんはじめまして。
これからもどんどん書き込みお願いします。
当スレにいろいろな意見が出ておりますが、私としては、現状で良いと思いますけど。

牛鍋さん、風邪もっと悪くなってませんか。言霊にやられてませんか。

わたしは、駒岡の調べもしないとないのですが…。
163牛鍋蝸牛:2003/03/12(水) 21:37 ID:EOqJ5bRM [ U125051.ppp.dion.ne.jp ]
>>161
真駒内川さん、国連の決議を待たずして参戦ですか(w
西創成さんが、おっしゃるように、今後もレスお願いしますね。
「お便りだけが頼りです」というフレーズがあったけど、皆さんの真摯なレスがあることが、本スレの頼りなのですから。
さて、ただ単に文献からの引用ではおもしろ〜ない!と言われかねないので、同じ引用でも、素人の方の、生の声を記録したものがないかな?と探してみました。(ね、苦労してるでしょ?)
「さっぽろ文庫26 明治の話」より、「滝野の山ではクマにしょっちゅう」という馬鹿馬鹿しいお笑い…、じゃなかった、お話を…。
語り手は粟井與三松さん(89)(但し、昭和58年当時)
「(略)私は、小学校を出て十三の時から滝野の山に入った。それまで家では新聞も読んでいたが、山に入ってからは没交渉だったね。父の炭焼きの手伝いだったが、篠路兵村の共有地の奥で、ムシロ戸の掘っ立て小屋に住んだ。共有地は沢沿いの地味のいい所にあったが、炭焼き小屋のあったあたりは水田なんてもちろんなく、木がうっそうとした昼なお暗いような所だったねえ。だからクマがしょっちゅう出た。大谷地にも出て、目を取られた人もいたが、滝野では私も何度か危ない目に遭った。生きているのが不思議なくらいだねえ。私の母の姉の亭主が郵便屋だったんだが、滝野には器械場というのがあって、人が住んでいたのに、郵便物は週に一度溜めて届けられていた。ひどく遠かったからなあ」
…このあとクマとの遭遇の話が続きます。
何?
「滝野」に「篠路兵村」の共有地とな?
なんだ、それ!?
16418丁目:2003/03/12(水) 22:27 ID:Lq4Sqllo [ SODfi-01p4-197.ppp11.odn.ad.jp ]
滝野の篠路兵村といえば、有明公有地ではないでしょうかね?
165牛鍋蝸牛:2003/03/13(木) 10:43 ID:TKu6.3IY [ N046041.ppp.dion.ne.jp ]
♪ あ〜あ、そぉだよぉ〜
「有明」は、「もと篠路屯田の公有地であった…」と「さっぽろ文庫1 札幌地名考」にありました。
正解です、18丁目さん。
屯田兵村関係はやはり彼ですね。
しかしながら「はて?」と思いまして、>>163で引用した、「さっぽろ文庫26 明治の話」をもう一度見てみましたが、やはり、「篠路兵村の共有地」となっています。
「公有地」と「共有地」とでは全然意味合いが違いますので、どうやら粟井與三松さんの記憶違いか、聞き取りの間違いではないかと思われますな。
なにはともあれ、篠路屯田兵村もえらく遠くまで手を伸ばしていたものですね。
しかし、この今回のこの調査、「真駒内」、「石山」、「常盤」、「滝野」、「豊滝」、「定山渓」、果ては「有明」のご登場で、喩えるなら、まさに底なし沼のような態をなしております。
そういえば、>>111であみさんが「真栄」も紹介していたし…。
取り止めがなくなってきている(苦〜
南区に限って言っても、あと「藤野」、「簾舞」、「白川」、「砥山」、「小金湯」が出ればこの一帯を網羅することになりますね。
一旦勝手に結論を出しちゃいますと、開拓の手が入ったのは他の土地と比較してもそう遅い方でなかったのに、その困難さから、なかなか開発が進まなかった地域であるといえそうです。
現在の人口を見てもそれはいえるようですが、それだけに自然が残っていて、皆さんの子供の頃の想い出の地にもなっている、とこういうことでよろしいか?
やはり、キーワードは子供だったなぁ…。(と、ひとり悦にいるワシ)
166牛鍋蝸牛:2003/03/13(木) 11:00 ID:TKu6.3IY [ N046041.ppp.dion.ne.jp ]
関連ですので、ついでと言っちゃあなんですが、「札幌地名考」から「有明」の一節を…。
あ、昭和52年の本ですので、その点よろしく。
「もと篠路屯田の公有地であったので、そのまま公有地と称していたが、昭和十九年(1944)の字名改称の折に有明となった。公有地の「有」を生かし、明朗活達の気分を添えて有明という地名が生まれたようである。豊平区のなかでは一番広い地区で、大半は山林である。旧月寒村厚別(あしりべつ)、厚別(あしりべつ)南通、厚別(あしりべつ)西山、ニンベツ、厚別(あしりべつ)川上、三滝の沢、厚別(あしりべつ)川上流を含む地域である。
最初の移住は、一説には明治十八年と言われているが、はっきりしない。実際は同三十年ごろだろうと古老は言う。当時は一帯が大木うっそうと茂り、文字通り昼なお暗い森林地で、道という道はなく、木の間を通って曲がりくねり、シカの通路のような状態で移住者の困難は想像以上のものであった。
移住者の出入りが多く、地域の開墾には長い年月を要したという。戦後、奥の地域に三十五戸が入植したが、現在ではその当時の入植者は全部移転して一人もいなくなった。
この地区では、厚手土器や石器が、地下約一メートルのところから発見されている。またシカの角や骨も時々発見されるという」

う〜ん、また出た、「昭和十九年(1944)の字名改称」。
西区の「平和」とかもそうなんだけど、あの戦時下で「明朗活達」?
一度、このことも調べねばいけんのう。
167牛鍋蝸牛:2003/03/13(木) 21:48 ID:TKu6.3IY [ N046041.ppp.dion.ne.jp ]
>>165
>「公有地」と「共有地」とでは全然意味合いが違いますので、どうやら粟井與三松さんの記憶違いか、聞き取りの間違いではないかと思われますな。

これはワシのレスですが、今日ちょいと調べた所、事実誤認があったのでお詫びして訂正させていただきやす…。
ま、自分で間違いに気づくとこなんざぁ、やっぱり大したもんだな、と自分で言ってみたりして(く〜
注)すみません。いつもより多く酔っ払っています。

屯田兵制度下における土地の問題なんゾは、今日の今日までワシなんか全然知らなかったわけです。
ま、ワシに限らず、普通の人にはそんなこと、関係ないと思われます。
せやからワシかて同じやて!(すみませんねぇ。なにしろ酔っ払っているもんで…)
屯田兵とは、通常は北海道の開墾を旨とし、いざとなったら国土防衛(ロシアからの)に邁進するというのが任務の兵隊さんでした。
そして、当然のことながら、その屯田兵が開墾した土地に関してはちゃんと規定があったわけです。<つづく
168牛鍋蝸牛:2003/03/13(木) 21:50 ID:TKu6.3IY [ N046041.ppp.dion.ne.jp ]
おなじみ「新札幌市史 第二巻 通史二 第四章 屯田兵村の再編 第二節 兵村の土地 一 給与地 屯田用地」より(長い…)。
「兵村に関わる土地は次の四種に大別され、いずれも札幌の歴史とともに変遷し今日の市民生活の土台となっている。第一は個々の兵員に給与された土地、後に完全な私有権設定地となるもので、せまい意味で給与地と呼ぶことにする。第二は兵村という団体に下付された土地、給与地ではあるが第一の土地と区別して公有地と呼ぶことにする。規則上は共有財産の一部をなす土地で、共有地と呼ばれることもあるが、不動産を公有財産、預貯金株券等を共有財産(金)に分ける場合が多いので混同を避けた」
えっと、第三、第四の土地に関しては、今回は割礼…、じゃない、割愛させていただきます。
え?
教えろって?
言えないね。こっちも商売だから。<つづく>
169牛鍋蝸牛:2003/03/13(木) 21:53 ID:TKu6.3IY [ N046041.ppp.dion.ne.jp ]
閑話休題。
と、ここまで書いたら、賢明な本スレの住民の方々はお気づきでありましょう。
ワシが、>>165で書いた、「粟井與三松さんの記憶違いか、聞き取りの間違いではないか」というのが、トンデモない勘違いであったことを…。
すみませんです。
どうやら、屯田兵村の「公有地」は「共有地」とも言ったようです。
つまりは、屯田兵個人に与えられる「給与地」に対して、屯田兵村の共有である「共有地」、つまりは「公有地」であると。
なるほどねぇ〜。<つづく>

というわけで、まだ続くのですが、今日はもうオネムなのでとりあえず締めます…。
(+.+)(-.-)(_ _) ..zzZZ
17018丁目:2003/03/13(木) 23:21 ID:OZO6nJVs [ SODfi-02p5-240.ppp11.odn.ad.jp ]
閑話休題で菊水上町の散策路の情景です
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0019.jpg
実は私も菊水は好きなんです(w
171西創成:2003/03/14(金) 02:15 ID:0nFSExXs [ m077084.ap.plala.or.jp ]
今日は、「白川」

現在、
地区のよみかたは、「しらかわ」
浄水場、神社、旧小学校は、
         「しらいかわ」とよみます。

明治31年、紀伊より志願して、篠路屯田兵になった、小村亀十郎が、硬石山の白川道路(ガンケ道)を開削し、10数戸の入植者を募り、開拓をはじめた。

行政上は、「山鼻村」→「藻岩村」→「札幌市」となっていて、「豊平町」ではない。
札幌市と豊平町との合併後は、簾舞地区に属すが、白川小が、住民請願により藤野小に統合、橋が出来(元々は手作の釣り橋)、藤野側への往来が用意になったことから、昭和52年に、療養所町内会を除いて、藤野地区に編入した。

地名由来は、近くを流れる、白川(しらいかわ)からで、元々は「しろいかわ」という名前の河川で、地名も「しろいかわ」よばれた。
172西創成:2003/03/14(金) 02:41 ID:0nFSExXs [ m077084.ap.plala.or.jp ]
>>171のつづき。

白川では、小村亀十郎氏を中心に村作りがすすめられた。
彼は、部落住人一つの家族のように仲良く、自作、小作の悪習のない、理想郷をめざした。

小村氏自身も、部落民の面倒をよくみた。
農作業の共同化、貯蓄の推奨もすすめた。

大正2年の全道凶作のときも、ここには、雑穀が貯蔵されていて心配はなかった。
ましてや、他の村にまで、雑穀、現金の寄贈をしたという。

また、小村氏の影響か、この部落では教育にも熱心で、明治37年簡易公立教育所ができる前年には、私費で学校を作って運営していたという。

小村亀十郎氏は、大正4年白川を去った。
氏は明治31年〜大正3年の間に、土木関係の寄付として、4,000円ほどをつかった。

その後、小村亀十郎氏は、「上野々沢月寒公有地」、「三滝の沢」、「花畔」、「苫小牧」、「天塩」を開拓したという。


参考
みなみ区小百科 南区市民部総務課発行
南区開拓夜話  南区市民部総務企画課発行
173西創成:2003/03/15(土) 16:40 ID:b1qxGp7A [ i105139.ap.plala.or.jp ]
「月寒捕虜収容所」について、詳しくご存じのかたいらっしゃいませんか。
174牛鍋蝸牛:2003/03/15(土) 21:39 ID:DtppVnIg [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
>>173
げ?
残念ながら、全然分かりませんです…。
どなたかいらっしゃいませんか?
ということで、まことに申し訳ありませんが、>>169の続きを書かせてください。
昨日は家に持って帰った仕事のため、エクセルに取り掛かっていたもんで…。

篠路兵村公有地財産地として、確かに「月寒村字厚別」があったようです。
しかも2ヶ所。
252,893坪25と、442,210坪の土地です。
ほかには、「篠路兵村内」、「花畔」、「当別」、「山鼻村字白川」、「平岸村字簾舞」、「勇払郡厚真村字ノヤスベ」。
「屯田兵の研究」(佐藤 廣・著 同成社・刊 1992年)より。
他の兵村も同じように、あちこちに土地を持っていたのです。
知らなかったでしょ?
175牛鍋蝸牛:2003/03/15(土) 21:49 ID:DtppVnIg [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
え〜さて、なんとなくネタの端境期に入った様子なので、コラム的な話題を…。
「道新TODAY」の4月号に、「100年後の北海道 人口激減のシナリオ」という特集が組まれていました。
ご紹介しましょう。

「(100年後の人口は)国立社会保障人口問題研究所(東京)がまとめた推計によると、北海道は最悪200万人割れ。
札幌市は2015年ごろまでは増え続けるが、193万人をピークに減少に転じる。
2095年に100万人割れ。
ただし、人口減少とともに、周辺市町村に流失していた人たちやその子供、孫たちが札幌に戻るようになり、減少ペースは表よりも穏やかになるとも考えられる。
移動率をゼロと仮定し、少子化の影響だけを探ると2100年に43万7千人まで減少するという試算もある」

どないや?
スキスキス〜ノ、ガ〜ラガラになるんやて、札幌…。
176牛鍋蝸牛:2003/03/15(土) 22:02 ID:DtppVnIg [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
忘れておった…。

告知!!
明日か明後日、よっぽどのことがない限り、実地調査する予定。
ここに宣言します!
17718丁目:2003/03/15(土) 22:22 ID:NEOkHOGU [ SODfi-02p1-50.ppp11.odn.ad.jp ]
おー私も明日は久々に実地調査行くとしますか。
牛鍋さんは、最近話題の清田〜南区方面(旧豊平町)一帯ですか?
私は菊水〜豊平〜月寒方面かな?
ところで173の月寒捕虜収容所とは?和蘭人?独逸人?露西亜人?
178菊水上町:2003/03/16(日) 04:32 ID:lq2pBc9M [ h054.p184.iij4u.or.jp ]
>>48 菊水北町トタン製住所標示板
先日確認してきました。本当に当時のままという風情で、
菊水○町の名残としては一番強力だと思います。
どうして今まで気づけなかったんだろう・・灯台もと暗しとはこのことでした

>>173 月寒捕虜収容所
直接は関係はないのですが、陸上自衛隊月寒送信所観てきますた
夜間なのであまりよく見えませんでした。それでも相変わらず独特のオーラを
出しまくりでカコイイ 明かりがついててまだ稼働しているみたいです。(そりゃそうか)

▼陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所(豊平区月寒東2条1丁目)
www.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&SbmtPB=MAP&MAP=E141.24.1.2N43.02.13.2&Func=INDEX&&
179牛鍋蝸牛:2003/03/16(日) 05:44 ID:sBFSXZxE [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
お!
そうや!そうや!
そう言われれば、そうやった。
「陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所」の画像アップを約束していて、まだ果たしていませんでした。
忘れようとしても、思い出せない、ポテチン!(by 鳳啓介)
菊水上町さん、ナイスなレスありがとう。
今日(あるいは明日)の実地調査は、「月寒送信所」かな?
問題は、(一応、表向き、建前としては、公式には、大本営発表によると)写真撮影禁止のブツをさばくか、だな。
もしワシが、不詳・宮嶋ならどう攻める…?
ま、南区の実地調査は、できれば雪がもうちょっと融けてからのほうが、ベターかな?なんて思っていたりして。
う〜ん、葛藤、躊躇、焦燥、逡巡…。
18018丁目:2003/03/16(日) 14:18 ID:WiCqnuSM [ SODfi-01p1-20.ppp11.odn.ad.jp ]
実地調査行って参りましたが、デジカメバッテリー切れのため早々と
帰宅してしまいました。
撮れた所までアップしておきます。
最初は、出発点の何の変哲もない住所表示。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0020.jpg
181名無しさん:2003/03/16(日) 14:20 ID:k1hLCyBs [ YahooBB219024020197.bbtec.net ]
江別が有名になる方法ないかな?
18218丁目:2003/03/16(日) 14:27 ID:WiCqnuSM [ SODfi-01p1-20.ppp11.odn.ad.jp ]
私んちから、菊水方面に抜ける最短ルートは、旧篠路街道(旧名石狩街道、元村街道)
を行くのですが、途中本龍寺があります。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0021.jpg
18318丁目:2003/03/16(日) 14:36 ID:WiCqnuSM [ SODfi-01p1-20.ppp11.odn.ad.jp ]
同じ本龍寺の街道側にある碑ですが、雪でほとんど埋まっている・・・
そしてその隣には、我らが大友亀太郎翁の碑があって、撮ったつもりが撮れていなかった。
うーん、次回がんばろう。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0022.jpg
18418丁目:2003/03/16(日) 15:06 ID:WiCqnuSM [ SODfi-01p1-20.ppp11.odn.ad.jp ]
本龍寺妙見堂の案内板
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0023.jpg
開拓判官島義勇と大友亀太郎のことは素直に尊敬しています。
彼らは兵部省と開拓使の確執、旧幕府と新政府の確執に翻弄され、ほんの一時期で
その役職を去った歴史上の悲運の人物像と見て取れるだろう。
黒田長官をはじめとする明治以降の北海道の官吏を中心とした歴史観(屯田兵含む)
には、疑念を持ちつつ、篠路・白石・発寒・手稲などの屯田兵村以外の地の歴史に
とても興味を持っています。
185牛鍋蝸牛:2003/03/16(日) 15:13 ID:sBFSXZxE [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
お、18丁目さん、お帰りなさい。
実地調査の際のバッテリー切れは、皆さん経験してますね(w
満タン充電の上、予備も持って、寒い日はポケットに入れて暖めて…。
ワシの経験からのアドバイス。
レスは後から付けます。
ちょっと書き込みしていた最中なので、そちらを先に…。

えっと、大して期待もされているとは思っていませんが、万が一にそう言う方がいらしたら申し訳ないので、先に言っておきます。
本日は実地調査しませんです。
午後2〜3時の間、家にいなければならないのと、その後電気屋に行くため。
(早い話、110°CSに加入したいと思っている)
というわけで、調査は明日ということにさせて頂きます。
天気も明日の方が良さそうですしね。(まだ鼻声)<つづく>
186牛鍋蝸牛:2003/03/16(日) 15:21 ID:sBFSXZxE [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
そんなんなんで、今日も、"ネタ端境期用コラムレス"を…。
題して、「札幌碁盤の目神話」。
この前ワシの職場の、T君(30)と話をしていましたら、彼は次のように言いました。
「手稲山に登って眺めてみると、札幌って本当にきれいな碁盤の目になっているのが分かりますよね」。

前スレ「その六(札幌6番地)」 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/6_log.html で、「篠路」と「発寒」の区画のズレって話が出たときにも書きましたが(#51)、「札幌は碁盤の目」であるというのは、「札幌本府」に限っていえることだとワシは思っています。
実際、現在の「大札幌」は碁盤の目でも何でもなくなっているのですが、彼のような比較的若い年齢の人でも「札幌は碁盤の目」と信じて疑わないようです。
今でも学校では、「郷土のおいたち」とかなんとかいう社会の授業の時、そういう説明をしているのでしょうかねぇ?
<つづく>
18718丁目:2003/03/16(日) 15:21 ID:WiCqnuSM [ SODfi-01p1-20.ppp11.odn.ad.jp ]
この元村街道(斜め通り)を西南方面に行くと、既出のテイセンに出ますが、
今日は苗穂方面を抜け、苗穂アンダーパスではなく、JR沿いに苗穂分屯地(
旧糧秣支所)を横目に、上白石橋を渡ると、菊水上町と菊水元町の境界に出る。
そして、上町の住宅街に例のライポンFバージョンの住所表示発見!
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0024.jpg
残念ですがここでバッテリー切れのため帰宅止む無しとなりました。
188牛鍋蝸牛:2003/03/16(日) 15:22 ID:sBFSXZxE [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
実は、面白いものを発見したのでご紹介します。
昭和11年(1936)9月26日付け北海タイムス(現・北海道新聞社)の記事。
「グレート札幌 建設の序曲 廿年後の街を見よ 日本一の大都に 一市5ヶ町村合併放射街建設 待望の都漸く認可」
「新聞と写真に見る北海道昭和史」(北海道新聞社刊)によりますと、
「グレート札幌計画 豊平町、藻岩村、琴似村、札幌村、白石村の5町村を含めた札幌市の都市計画案が、9月21日付けで内務省の認可を得た。総経費4,900万円と20年の歳月を見込む"グレート札幌"プランが、26日付朝刊に紹介されている」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=525 

「一市5ヶ町村合併放射街建設」ですよ。
「放射街建設」…。
ちなみに昭和11年といえば、例の「サムライ部落」の記事が新聞に載った年です。
このときにすでに、「札幌を放射状の街にする」という大プランがあったわけです。
1936年+20年=1956年。
1956年(昭和31年)頃には、札幌は「碁盤の目」でなくなっているゾよ、と先人は先を見通していたのです。
えらい、さすがだ、りっぱだなぁ〜。
なのになのに、21世紀になって尚、もう来月になれば「鉄腕アトム」も誕生するというのに、我々は「札幌は碁盤の目だ」と思い込んでいるんですね。
不思議ですねぇ。
18918丁目:2003/03/16(日) 18:34 ID:Bsoy6.5M [ SODfi-01p4-248.ppp11.odn.ad.jp ]
バッテリ充電後、再度いってまいりました。
菊水北町のライポンFバージョンです(w
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0025.jpg
このあと南下して、豊平×条×丁目のライポンF発見しましたが、
今取引している会社の社長宅横だったもので、撮影断念しました。
19018丁目:2003/03/16(日) 18:43 ID:Bsoy6.5M [ SODfi-01p4-248.ppp11.odn.ad.jp ]
そしてわれわれは、とうとう某秘密通信基地の撮影に成功した!(ジャジャジャーン、ジャジャジャジャジャーン)
ヤオイネタのようになってしまいましたが、4倍ズームで画質悪いですが、
ベトンのブンカー画像です(w
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0026.jpg
今日は暗くなってしまったのでこれにて終了。
191西創成:2003/03/17(月) 01:55 ID:6M/v8Whc [ o051159.ap.plala.or.jp ]
さっき、ふと思ったのですが、
豊平駅舎って、ある意味変わってますね。

36号線かどの現在、じょうてつ旅行になっている、小さい平屋が元出札・改札ですね。
そのとなりの2階屋が、今も昔も本社事務所ですね。

結局、平屋の小さい方しか旅客用の施設がないことになります。

ターミナル駅としては、小さいような気がします。

観光地へ行く電車なのに、団体改札もなかったのでしょうか。
192軽川の畔:2003/03/17(月) 02:48 ID:kGKba9D6 [ m163043.ap.plala.or.jp ]
手稲の話が出てきたので出現します。
>>186「手稲山に登って眺めてみると〜
ttp://karino.jfast1.net/right/scenery/teineyama/teine.jpg
チョットわかりにくい写真だけど...
実際に見たらまあきれいな碁盤の目には見えませんねぇ

ところで
手稲に空港があったらしいのですがどの文献にも詳しい記述がありません。
このスレの住人ならなら誰か知ってるかな?

>>190
ブトンのベンガー。とうとう画像公開ですね!
実際に見に行かなくてわ。
193牛鍋蝸牛:2003/03/17(月) 04:28 ID:kqLzI26. [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
>>192
寝ていてちょっとオシッコに起きて、試しにPC立ち上げて覗いて見たら、軽川の畔さんの書き込み…。
>手稲に空港があったらしいのですがどの文献にも詳しい記述がありません。
>このスレの住人ならなら誰か知ってるかな?
それで、調べちゃったのが運の尽き。
眠いのに目をこすりこすりの調べとなりました。

分かりました。
場所は、まさに当時の軽川駅の左手。
但し、空港ではく、「北日本飛行学校」という飛行学校(当たり前)だった。
時は昭和の初期です。
結構詳しい記述がありましたので、後ほど。
夜が明けて、CSのセッティングして(110°断念。高い!普通のにした)、実地調査行ってから書き込みすることになるかな?
194西創成:2003/03/17(月) 07:07 ID:bev2g6Bk [ o050102.ap.plala.or.jp ]
軽川=手稲北口の三楽メルシャン工場
琴似駅の八軒側の森永工場
て、のもありましたな。
19518丁目:2003/03/17(月) 07:16 ID:iUMqh2wA [ SODfi-02p3-150.ppp11.odn.ad.jp ]
おはよーございます!
何だか皆さん早起きですね、ここはやっぱり高齢者スレなんですかね(w
>>183
手稲の飛行場が軽川駅の左手ですか。
ある資料では、曙に飛行場とあるが、これいかに?
196牛鍋蝸牛:2003/03/17(月) 09:06 ID:kqLzI26. [ N046138.ppp.dion.ne.jp ]
>>195
なるほど、「昭和7年(1932)現在の曙のあたりに飛行場ができる」と手稲区のサイトにありますねぇ。
http://www.city.sapporo.jp/teine/tthanasi/honbun/histry.htm 
これが、「北日本飛行学校」の飛行場でしょう。
「軽川駅の左手」と「曙」ってなんとなく違う感じがしたけど、地図で確認したら、すぐ北西(左手)にある「ワコー」という工場は「曙1条1丁目」です。
おそらくはこの辺りかと思います。
ちなみに、現在の手稲駅は「手稲本町」ですが、北側の西友や、渓仁会病院、そして手稲区役所は「前田」。
駅周辺には、三つの住所表示があるということですね。
ちょっと今忙しいので(例の作業中)、「北日本飛行学校」については後ほど…。
197軽川の畔:2003/03/17(月) 14:24 ID:U0P.7d7o [ i110169.ap.plala.or.jp ]
『飛行場とは本当に飛行機を飛ばす為の物だったのか?』疑惑。

手稲周辺には多数のジャンプ台が存在する。
もちろんスキーの...
http://www.city.sapporo.jp/teine/tthanasi/img/i_map.gif
40年後に迎える札幌五輪に向けて、日の丸飛行隊の施設ではなかったのか?

もちろんネタですが...sage
198なまら名無し:2003/03/17(月) 14:51 ID:9n4JWB6Q [ 203.14.169.19 ]
>197
面白くないので晒しあげ(笑
199なまら名無し:2003/03/17(月) 14:52 ID:9n4JWB6Q [ 203.14.169.19 ]
鬱だ氏のう。。。
200軽川の畔:2003/03/17(月) 14:58 ID:U0P.7d7o [ i110169.ap.plala.or.jp ]
>>198-199
ごめんなさい
201なまら名無し:2003/03/17(月) 17:14 ID:9n4JWB6Q [ 203.14.169.19 ]
>200
次のネタ待ってます(。・_・。)ノ
202牛鍋蝸牛:2003/03/17(月) 18:48 ID:Doql5aaA [ N047212.ppp.dion.ne.jp ]
>>197
誰しも考えることは同じ(w
ワシもネタとして、こんなのを考えていました。
「軽川駅横の飛行場から飛んでいたと思われる、飛行機の画像を発見しました!」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=527

え〜閑話休題(まことに失礼しました)。
まずはお詫び。
今日、"例"の作業が長引きまして、実地調査が…。
顛末はレス違いなので省略しますが、おかげさまで立派なアンテナがうちのベランダに付き、これでマトモな「F1」が…(略)。
軽川(現・手稲)駅の左手(曙1条1丁目あたりか?)に昭和の初期にあったという、飛行場。
この記述は、「飛行機博物誌 空飛ぶ機械のものがたり」(野沢 正 光人社NF文庫)ISBN4-7698-2364-9 にありました。
(「ISBNでネット書店をサーチ(改)」というサイトttp://alisato.cool.ne.jp/link/srch_isbn.htm にこのナンバーを入れるとどんな本か見られます) 

この本、以前にご紹介しましたね。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#296
「札幌飛行場」であった、アート・スミス氏の墜落事故の写真。 
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=422
ご記憶でしょうか?
著者の野沢正さんは、1916年夕張の出身で、幼少を小樽で過ごした方。
では、同書の「ヒコーキ野郎誕生」より、「アヴロ機で高度1メートルを飛ぶ」。
「小樽から汽車に乗って、札幌へむかう途中に、銭函という駅があり、そこからさきは海岸線が左に曲がって、広大な石狩平野が展開する。
銭函の次が軽川(がるがわ)いまの手稲で、駅の左手の原始的な原っぱのまんなかに、ある日、とつぜん大きな倉庫のような建物があっているのに気がついた。よく見ると、そばに赤と白の吹き流しのようなものが立っている。
もしやと思って行ってみると、案の定それは倉庫ではなくて、飛行機の格納庫だった」
あ、ご飯だ!<つづく>
203牛鍋蝸牛:2003/03/17(月) 21:38 ID:Doql5aaA [ N047212.ppp.dion.ne.jp ]
>>202の続き。
「軒の下に「北日本飛行学校」とあざやかに書いてあり、大きな扉のすきまから中をのぞくと、なんと、まえからときどき小樽の空を飛んでいたのと同じ型のアヴロ504K複葉機が一機入っていた。
そのころ、札幌〜小樽のあいだを四人で継走する駅伝競技が、両市の中学校のあいだでおこなわれ、私は二年生で、はやくもその選手となり、いちばんらくな二区を受けもつことになったが、その二区に軽川の飛行場があったあから、天にも昇る思いであった。
現地コースの慣らし練習のときに、スキをねらって格納庫に行ってみたが、その後もチャンスをみては、この飛行場に足を運ぶようになった」<つづく>
204牛鍋蝸牛:2003/03/17(月) 22:10 ID:Doql5aaA [ N047212.ppp.dion.ne.jp ]
「かつて遠藤辰五郎の飛行機に乗せてもらった味が忘れられないから、そこの教官らしい人にねだって、座席に乗せてもらったが、その後も異常な熱心さが認められて、ついに地上滑走路の飛行機に同乗することになった。
むかしのベテラン飛行士は、熱心な顔見知りの青少年を、よく内緒で飛行機に乗せたものだが、私もその伝(つて)で乗せてもらった熱心な少年の一人であった」
その後の記述は飛行機そのものに関してのものなので、割愛させていただきます。
では、みなさん、後は任せます。
レスよろしく。
(それにしても、この人の文章、ひらがなが多くってPC打ちにくかった)
205とろんとろん:2003/03/18(火) 22:05 ID:r.oUUqW6 [ 211.121.159.96 ]
はじめまして。「新琴似スレ」経由でやってきました。
一応過去ログほぼ全て追っかけ終わったので
感想がてらに記念カキコ。

それでなのですが、【その参】の121、150あたりで
取り挙げられている「ホシストアー」と「幌西アパート」、
懐かしい。一応今も公務員の息子なので小学生の頃
「幌西アパート」に住んでいました。小学校入学直前に
病を患ったのと父の転勤で緑丘小学校には二月ほどしか
通えなかったのですが。

ちょうど行く機会があったので昨年の夏あたりに自転車で
様子を見に行ったのですが、その時にはもう私の住んでいた
棟は壊された跡になっていました。
(まだそれでも半分くらいは残されていたが)
母親に話を聞くと丁度住んでいた20年程前はほぼ耐用年数
を過ぎていて家賃が安くなりかけていた、といふ話でした。
といふことは1960年代の始めに造成されたアパートでは
なかったかと。

そして私が書いておこうと思ったのが当時「ホシストアー」に
入っていた「ミリオンベーカリー」の話なのですが、
それが、なんと思わぬ形で再会することになったのです…<つづく>
206とろんとろん:2003/03/18(火) 22:06 ID:r.oUUqW6 [ 211.121.159.96 ]
いきなり書き込んでの連続書き込みで申し訳ありません。

五年程前から新琴似に移り住むことになったのですが、
「ミリオンベーカリー」はそんな家の近くで…営業していました。
どうやら聞いた話によると、「ミリオンベーカリー」は
地下鉄東西線西18丁目駅近くの「鑓水商店」でもパンを
置いているそうです。ここのパンは生地がふわふわと柔らかい
のでふっくらとしていてそれでいて何処か懐かしい田舎の
菓子パンの匂いがあるアジなパンを作るんだよなあ。
(まあそれが昔「ホシストアー」に買いに行った頃の懐かしい
匂いのするパンなのだけれど)
新琴似の店は一時期「新琴似スレ」でも話題になっていた
「新琴似地下街」のある「マルシン小林」が経営するコンビニ
の一つ、「柳月新琴似店」の斜め向かいにあります。

【その五】 の77にある本籍水車町さんが仰っていた、
狸小路8丁目(南3条西8丁目)の角の古本屋は「八光書房」
さんですね。100円ゾッキ本を、店外の道路側のシャッター
閉まる内側の壁本棚にズラッと並べている光景がとても
特徴的な古本屋さんです。
 あの、アーケードのない狸小路近辺のお店も結構風情が
あるんだよなあ。
 古いアーケードしかかかってない7丁目とかもね。
207牛鍋蝸牛:2003/03/18(火) 23:42 ID:pBqZotps [ U124250.ppp.dion.ne.jp ]
とろんとろんさん、こんばんは。
「ホシストアー」は、一時期、地場スーパーではそれなりの地位を築いていましたが、押し寄せる時代の波に「どっぷ〜ん」と呑み込まれ…。
ちなみに、その向かいの「伏見市場」はご存知なかったでしょうか?
ワシが子供の頃、「幌西アパート」の前にあった、ドブのような側溝でさえ、サンショウウオとかザリガニが捕れたもんです。
なんと自然豊かだったのでしょう。
ちなみに「新琴似」の「マルシン小林」も知っているけど、ま、スレ違いなのでこの辺で止めておきましょう。

さて、なんとなく今回のネタは「手稲」辺りかな?と思っています。
以前、「軽川」(川としての)調査は実施しましたが、本格的にはまったく着手していませんしね。
しかし、「手稲全般」ではちょっと広すぎる…。
いずれにせよ、皆さんのご意見を頂きたい。

尚、本日より連続10日間の勤務のため、実地調査はしばらくできません。
ご了承ください。
休みになって、元気があって、天気が良くて、気分が乗って、他に用事がなくって、戦争の影響がなかったら、是非、実施したいと思っております。
208牛鍋蝸牛:2003/03/19(水) 22:41 ID:dyN2OLvU [ N046127.ppp.dion.ne.jp ]
そういえば、18丁目さんの実地調査に関してレスすると言っておいて、してなかったです…。
>>189「ライポンF」。
「ライポンF」といっても、ご記憶の方は少ないと思います。
台所の洗剤の定番であったライオンの「ライポンF」。
ボール紙に銀紙を貼った、あのパッケージが懐かしい。
でも、ちょっと調べると、これによる悲惨な事件もあったようです。
本題ではなく、失礼しました。

このままだと、スレ違いなので、取って付けますです。
「手稲」ネタでワシとして、疑問があるのは、「手稲区前田」と「手稲区手稲前田」の違いなんですけど…。
わざわざなんで、区別したのだろう?
隣接した区域なのになぁ。
209なまら名無し:2003/03/20(木) 01:31 ID:q/oNHPHM [ o137251.ap.plala.or.jp ]
美香保っていうのは、昔そういう町だったんでしょうかね
210ちばっち:2003/03/20(木) 01:42 ID:VC27Rawc [ m077250.ap.plala.or.jp ]
>208
手稲区は広い。前田はもっと広い。
そして軽川はきたねえ!!!!!!!!!!!!!!!!
211牛鍋蝸牛:2003/03/20(木) 21:17 ID:/.L18cQ2 [ N046127.ppp.dion.ne.jp ]
「手稲区前田」と「手稲区手稲前田」に関しまして、手がかりになるかと思われる資料を仕入れてきました。
今日は調べているヒマがないので、後日語ります。
ちばっちさん、「軽川」ってそんなに汚かったっけ?
>>209
「美香保」は、札幌の地名の中でもかなりユニークな地名のようです。
このスレをご覧の方の中にも、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」をお持ちの方は多いと思いますが、
「『美香保』とは美香保公園付近一帯の総称であり、特定の行政区を指すものではなく、もちろんアイヌ語でも、開拓移民らによって呼称されたものでもない」
とあります。
「じゃ、なんなんだ?」となりますが、どなたかその後を紹介願いたい。
ちょいとハードな仕事が続いておりますので疲れたのです。
ま、それでも、これじゃ愛想ナシなので、ヒントだけ…。
「宮村朔三」、「柏野忠八」、「大塚藤四郎」。
212軽川の畔:2003/03/20(木) 23:40 ID:stH3GSnE [ o224149.ap.plala.or.jp ]
>>210ちばっちさん
春には軽川桜づつみがキレイですよ!
夏には虫が異常発生して、超でかい蛾も出ますが...

んで、軽川の語源(既出ならスマソ)
『渇水期になると川水が涸れる事から、涸れ川がなまって軽川になり、
一帯の地名も軽川といった』(札幌昔今昔、朝倉賢著)
らしい。

>>211
昭和3年、この地に公園を寄贈した宮村、柏野、大塚ら、3人の地主の名にちなんで。
当初「みかお公園」と呼ばれたが、「美香保」の字が当てられ、後に呼称が変化した。
(札幌フォークロアシティ・札幌地名考より)

さて、まだまだ仕事します。戦争になってることすら今知った...
213軽川の畔:2003/03/21(金) 00:00 ID:pTM5MoP. [ o224149.ap.plala.or.jp ]
あ、言い忘れてた。
161さん。グッジョブ!
214161:2003/03/21(金) 03:05 ID:wCJREESY [ o137226.ap.plala.or.jp ]
>>213
どうもです。今後も、ちびちびと更新していきます。
盛り上がった地名については、かなり時間がかかりそうです。。。
とりあえず過去ログ最後まで読んで、既出の地名を全部挙げるだけはしておきます。

美香保は初めて知りました。
前からあの辺通る度不思議に思ったものです。
21518丁目:2003/03/21(金) 04:01 ID:oYlmBEUk [ SODfi-01p4-165.ppp11.odn.ad.jp ]
美香保の由来は、元町出身の私には常識でした。
が、地名探訪を始める前までは、美香保公園内の高射砲塔台跡があるのは知りませんでした。
札幌最初の都市計画公園ですよね。
216牛鍋蝸牛:2003/03/21(金) 22:05 ID:BKegmEZM [ N046127.ppp.dion.ne.jp ]
とりあえず、「手稲」ネタは置いておいて…。
18丁目さん、東区のマスコット「タッピー」って知ってます?
「美香保」検索で引っかかっちゃうんですよ。
ttp://www.keshiin.com/00fuin/0009fu/00091111.html
ttp://www.city.sapporo.jp/higashi/about/symbol.html 

マスコットキャラクター「タッピー」
東区に住んでいるかわいいマスコット「タッピー」。東区を代表する農産物・タマネギの妖精です。愛くるしい顔と姿で区民みんなに親しまれています。区の行事や地域のまつりなどが行われるとき、タッピーの周りには子どもたちの輪がいつもできます。タッピーは、区民意識、連帯意識、ふるさと意識を高め、東区のイメージアップを図るために、多くの区民からの応募によって誕生。平成4年12月にデザインが選ばれ、翌年3月に名前が決まりました。「タマネギ」と「ハッピー」を組み合わせて付けられた名前には、東区の明るい未来とみんなの幸せへの願いが込められています。
217牛鍋蝸牛:2003/03/22(土) 20:59 ID:jyXCIoUY [ N046118.ppp.dion.ne.jp ]
えっと、ちょっと仕事の忙しさ(煩わしさ…。含む人間関係)にかまけ、レスがおろそかになっています牛鍋蝸牛でございます。
「手稲区」の「前田」と「手稲前田」関連に関しまして、仕入れてきた資料をまとめる前に「さっぽろ文庫1 札幌地名考」をなに〜げなぁ〜く見ていたところ、「へぇ〜…」と思ったことがありまして…。
ま、「手稲区」、「西区」に詳しい方なら、「あったりまえジャン!」とおっしゃることなのでしょうがねぇ。
「さっぽろ文庫1 札幌地名考」は昭和52年の出版です。
当時の行政区としては、「中央」、「豊平」、「白石」、「東」、「北」、「西」、そして「南」の七区。
その七区の中で、特徴的なのが「西区」でありまして…。
あ、ゴメンなさい。
ちょっとニュース見ます。
イラク戦争どうなっているんじゃろ !?
218牛鍋蝸牛:2003/03/22(土) 21:58 ID:jyXCIoUY [ N046118.ppp.dion.ne.jp ]
昭和52年当時の「西区」の図です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=528
ご覧の通り、「西区」の大部分は「手稲○○」。
逆にいいますと、「手稲」の名の付かない地域といえば、「発寒」、「八軒」、「琴似」、「二十四軒」、「山の手」、「小別沢」。
面積は圧倒的に「手稲」地区の方が広いのです。
この「手稲」地区が「旧手稲町」であったわけですね。(間違いないですか?)
この地域、旧手稲町民の気持ちであったのか、意地だったのか、全てに「手稲」の冠が付きます。
「手稲本町」の「本町」、「手稲東」の「東」以外は手稲固有の地名であるにも関わらず、「手稲前田」、「手稲山口」(これは他に、山口県があるけど…)、「手稲稲穂」、「手稲星置」、「手稲富丘」、「手稲金山」、「手稲西野」、「手稲平和」「手稲福井」(あ、福井県ありね)、「手稲宮の沢」と、もうクドイくらいです。
「西区」から「手稲区」への分区も調べると面白そうです。
で、だいぶ前に「西野」あたりでこのことに触れられた方がいらしたと記憶しております。
ま、その時ワシはことの重大性に気が付かず、なんとはなしに流してしまいました。
え〜っと、それでですね、分区された時、なぜ「手稲前田」は「手稲区前田」と「手稲区手稲前田」に分かれたのでしょうや?
いや、分区とは直接関係ないのかもしれない…。
まだ調べがついていないのでなんともいえませんが、なにはともあれ、やっと本題。
219西創成:2003/03/23(日) 01:18 ID:od2GaAj2 [ o050048.ap.plala.or.jp ]
手稲町の名残もので、こんなんもあります。
小樽の某タクシーの営業地域。
この会社は、小樽市と旧手稲町が営業区域となっています。

普通、小樽のタクシーは、札幌市内での旅客扱いは出来ません。(小樽発又は着の貸切は除く)
もちろん、札幌のタクシーは、札幌、江別、北広島、石狩以外の地区での旅客扱いはできません。(貸切は、札幌他3市発または着を除く)

ですが、この小樽の某タクシー会社は、手稲町合併前に認可を受けているので、現在でも旧手稲町境まで旅客扱いができるのです。
大変まれな例です。
220牛鍋蝸牛:2003/03/23(日) 04:51 ID:frD9LdoE [ N046118.ppp.dion.ne.jp ]
>>219
「旧手稲町」と札幌の境といいますと、「琴似」、「山の手」。
「琴似」、「山の手」といえば、その隣は「二十四軒」があって、「円山」辺り。
つまりは札幌の都心ともそう離れてはいない。
札幌は人もいるけど、競合も多いので一概にいえませんが、そのタクシー会社、小樽のみの営業区域よりは有利でしょうねぇ。
しかし何ですね、タクシー業界詳しくないので教えていただきたいのですが、「二十四軒」でお客拾って、たとえば「厚別」あたりまで行った場合、その帰りは営業認可がある所にもどるまで客は拾えないわけですか。
それもたいへんそうだけど…。

昔は小樽といえば、北海道のウォール街と呼ばれた町です。
その小樽と札幌に挟まれて存在した「旧手稲町」って、同じく札幌と合併した「豊平」とか「平岸」などとはまた違った
"味わい"があるのかも。
221西創成:2003/03/23(日) 06:12 ID:O88al4kw [ m077030.ap.plala.or.jp ]
>>220 牛鍋さん早起きですな。

タクシーの営業区域については…

(1)
札幌他3市で営業認可が出ているタクシーの場合。

〇 札幌駅(乗車)→太美駅(支払)→回送にする→札幌大橋渡って回送に→あいの里読売新聞(乗車)→大通2(支払)

× 札幌駅(乗車)→太美駅(支払)→太美駅(乗車)→札幌駅(支払)

(2)
小樽で営業認可のある普通のタクシーの場合。

〇 小樽花園2(乗車)→手稲駅(支払)→回送にする→市界をこえて空車→桂岡(乗車)→小樽天神1(支払)

× 小樽花園2(乗車)→手稲駅(支払)→回送にしない→手稲区役所(乗車)→大通1(支払)→丸井(乗車)→小樽手宮ターミナル(支払)

※札幌にしても、小樽にしても、×例の場合は、認可地区の境を越えているのに、客を乗せているので、終着地の如何問わず違法です。
よくある違法な例として、札幌から千歳空港へ客を乗せて来たタクシーをみつけて、乗るひとがいるが、乗せたタクシーは違法となる。(断っても乗車拒否とはならない)

道路交通法30条に、事業区域外の営業の禁止というのがあります。

牛鍋さんのご質問は、旧手稲町界を越えて乗車させることができないので、どっちにしてもだめです。

貸切にしても、発着地いずれかが、許可区域内でないといけないのです。

ちなみに貸切バスも、認可されている地区以外には営業できません。ただ、この場合は発着地いずれかが、営業認可地区内であれば良いです。

わかりやすい例として、
道南バスの場合でいうと、貸切営業許可は、室蘭・札幌・函館陸運支局管内及び、勇払郡占冠村となっています。

タクシーの場合は、例えば、札幌の会社の営業所が千歳あった場合でも、その会社の千歳営業所の車が、札幌で営業できません。
ですから、タクシーの前ドアに、〇〇ハイヤー(札幌)と書いてあるのです。

道内では、札幌圏(江別など)、その他地方各都市、各町村もしくは数町村一括りなどと営業区域が決まっています。
ですから、郡部では、数町村に営業できるタクシーが、数台しかないところもあります。
運輸系統とゆうのは、誠にややこしいものです。
222牛鍋蝸牛:2003/03/23(日) 09:18 ID:frD9LdoE [ N046118.ppp.dion.ne.jp ]
>>221
なるほど。
ややこしいといえばややこしいし、無駄といえば無駄。
タクシー会社とかドライバーにとっては、これが良い制度なのでしょうか?

皆さん、こんなわけでこのスレは「地名スレ」といっても、いろいろな知識も得られるということで。
さて、本日もこれから勤務のため、また夜にでもお会いしましょう。
223牛鍋蝸牛:2003/03/23(日) 21:58 ID:9RsERwvI [ N047024.ppp.dion.ne.jp ]
ということで、お約束の夜ですが…。
いっや〜、何も調べがついていません。
ゴメン。
「牛鍋、最近やる気ないんじゃない?」と言われそうだけど、勘弁して。
ワシ、これでも一所懸命やっとるんですわ(w
ま、今日は眠いので(万年寝不足)、sageでご報告だけしておきます。
224新川番地:2003/03/24(月) 11:13 ID:xd.yL4Go [ p3156-ipad13sapodori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
業務が超多忙につきROMっておりました。ご無沙汰いたしておりました。新川番地です。軽川またでましたねぇー川のフチに何年か前、花を咲かせた業者の者として思いで深いとこです。あの川は汚い?そーでしようかね?鮭の遡上も見たし鴨も営巣してますけど・・・
22518丁目:2003/03/24(月) 21:56 ID:0a05V1Tc [ SODfi-02p3-73.ppp11.odn.ad.jp ]
>>192軽川の畔さん
ブトンのベンガーでは無く、ベトンのブンカーです(w
>>214 161さん
大いに期待しています!
>>216 牛鍋蝸牛さん(久々にフルネームで呼んだw
東区のマスコットタッピーは東区スレでちょっと盛り上がっていますね。
マスコットがある区は東区だけのようです。
>>221 西創成さん
なんでそんなに博識なの?
>>224 新川番地さん
お久しぶりですね、新川の奥地と接しているのが手稲前田番地ですよね。
何かご存知ではないでしょうか?
226牛鍋蝸牛:2003/03/24(月) 22:10 ID:oDFFlGjg [ L066143.ppp.dion.ne.jp ]
>>224
お! 新川番地さん、お久しぶり!
そうですか、業務多忙ですか。
いや、どうなさっておられるかと今日もなんとなく思っておったのですよ。
ワシも仕事でなかなか大変な状況に陥っております。
プロジェクトXですよ(w

ワシも(川としての)「軽川」を調査しましたが、結構なかなか、まあまあだったと記憶しております。
桜の季節には、是非散策したいと思っているくらいです。
だって、これ見たら結構いけそうでしょ?
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=355 

あ〜、「手稲区前田」と「手稲区手稲前田」の件ですよね。
すんません。
ちぃ〜っと待ってください。

>>225
おぉ〜、18丁目さん。
在庫一斉大処分!
227西創成:2003/03/25(火) 01:37 ID:nd2bjlks [ i239192.ap.plala.or.jp ]
>>225

なんもなんですよ。
数年前まで、バス会社で車掌と窓口係をやってたからなんですよ。

そうそう。
戦後の引揚者開拓地入植者に、「札幌郡豊平町有明開拓地」へ入植後、駐留軍に土地を取られ、猿払村へ再入植して離農した人の話をみつけました。

猿払村の職員(のちに助役)前田保仁氏が書いた、
『拝啓 北海道知事町村金五殿』(昭38)
という手紙にこの事が書いてあります。

この手紙のは、1万字にもおよぶもので、開拓地の惨状を訴えたものです。
そのなかで悲惨な一例として、〇さんという家族をあげ、その家族が最初に入植したところとして、「豊平町有明開拓地」がでてきています。

ちなみに、道内戦後開拓農家は、昭和21年から昭和46年の間に、

入植累計 45,365戸
離農累計 31,985戸

と推移しています。
こりゃダメですな。

札幌市内の戦後引揚開拓地、また一つみつけてしまいました。


資料 北海道の歴史60話 三省堂発行
22818丁目:2003/03/25(火) 06:49 ID:cZH4i6Rc [ SODfi-02p3-23.ppp11.odn.ad.jp ]
北海道開拓は想像以上に過酷で悲惨な面が多いように思います。
江戸から明治期にかけてでさえ、離農が多いのだから、ある程度社会が成熟
してきた昭和期なんかには、少しでも人間らしい生活を求めての離農が増える
のは止む終えなかったのではとも思います。
戦後引揚開拓地とは違うが、戦中の空襲疎開で来た拓北農兵隊の「板橋地区」
(現在の東米里)も、10世帯が水害と闘い、敗れて去っていった。
手稲隊なんかは、牛舎(異様な臭気のする窓のない真暗な一間)に入れられたよう
ですし、悲惨な感じです。
229牛鍋蝸牛:2003/03/25(火) 07:59 ID:mjOpHceg [ L066143.ppp.dion.ne.jp ]
>>227-228
さて、吉永小百合。
ワシはさすがに吉永小百合世代ではないのですが…。
なにやら彼女は現在ボブ・サップ並み(?)に体を鍛えているとのこと。
え?
「なんで吉永小百合なんだ?」とな?
実は、彼女は次回作(映画)で、明治の初期に北海道に渡った女性の役を演じるそうなんですよ。
どの程度リアルな映画になるのかな?
ちょっと興味ありかも。
とは言っても、ワシも体験したわけではないからなんとも言えないか(w
230牛鍋蝸牛:2003/03/25(火) 22:16 ID:mjOpHceg [ L066143.ppp.dion.ne.jp ]
いや、申し訳ない。
実のあるレス、もうちょっと待ってください。
ワシも暇人とはいえ、仕事を持っている身。
ここのところ、時間的、体力的に制約が多く、まともな調査、ひいてはレスが出来ていません。
常連の方々、あるいはROMっている方、このスレのメンテナンスかたがたレスをお願いします。
では、疲れきったこの体を暫しの休息へと…。
(+.+)(-.-)(_ _) ..zzZZ
23118丁目:2003/03/25(火) 22:30 ID:P0pQsCoE [ SODfi-02p2-11.ppp11.odn.ad.jp ]
>>229-230
ちょっと待ったー!
牛鍋さんって超能力者?
>>228のレスで私は、北海道の歴史はそれぞれの時代でかなりのドラマ性を
秘めていると思っているので、それを題材とした映画なんか作れば面白いのになー、
なんて思っていたのですよ。
232西創成:2003/03/26(水) 00:22 ID:K61kwOaU [ i106103.ap.plala.or.jp ]
>>228
よく、外地引揚者は着のみ着のままで帰って来たという話が、本などに書いてありますが、それもひとそれぞれのようです。

特に満州方面あたりの方のほうが、酷いようです。

うちの親戚の家は、昭和20年8月はじめ、先に家財を漁船で樺太から稚内の旅館に運んでおいて、人だけあとで引き揚げたそうです。
我が家は、普通に樺太から引き揚げましたが、ひい爺さんの遺骨やらなんやら持ってきたようで、現存しています。
そのなかに、家の爺さんの実印とその証明書があって、日本語で書いた証明書の上にロシア語で殴り書きしたようなのが書いている物もあります。(なにに使う物かわからない

知り合いの和尚のところは、引き揚げて来るとき、大泊で寺院をしていたときに祀っていた本尊ももってきたそうで、現存しています。

まあ、いろいろなケースがあるのでしょう。
233西創成:2003/03/26(水) 01:10 ID:K61kwOaU [ i106103.ap.plala.or.jp ]
>>229
その吉永小百合主演映画
東映『北の零年』てのですな。

行定  勲 監督
那須真紀子 脚本
JR北海道
夕張市など 協力

【内容はこんなんらしい】

明治のはじめ、四国から一家3人で移住してきた士族の女性が主人公。
困難を乗り越え、牧場を経営するまでの実話に基づいて描く。
静内に入植した、淡路・稲田藩士の史実に基づき、本道の原点を描く。


静内に入植した稲田藩士といえば、

維持体勢の処理に絡んだ「稲田騒動」の処分として、静内、色丹のいずれかに入植しなければならなくなった藩士です。

明治4年、546人静内入りするが、資材等の入った建物、火災により全焼して裸同然で
開拓をはじめたという。
その後、第二団は船沈没して83人死亡したという災難続きの出だしだそうです。

ちなみに
「稲田騒動」については、
中山彰彦 著「眉山は哭く」

静内開拓については、
船山馨 著「お登勢」

という作品があります。

さてさて、どんな映画になるのでしょうか。
申し訳ない。札幌に関係ない話で。

この映画は、東映・松竹・東宝が、JR社長の仲立ちでできたらしい、シネマフロンティア劇場で、制作会見されたそうです。
234西創成:2003/03/27(木) 06:09 ID:U91xmtKM [ i101065.ap.plala.or.jp ]
あのぅ〜牛鍋さん。

むかしよく、「八軒」を「琴似八軒」と呼ぶことがあったでしょ。
「前田」と「手稲前田」そのへんから出てきているのではないでしょうか。

それとも、「手稲町字前田」と「手稲町大字手稲村字前田」があって、それをちじめたものなのかも。

そうゆう例に
「秋田県男鹿市脇本脇本字脇本」というのがあるのですが、これは、「南秋田郡脇本村大字脇本字脇本」これは、村、大字、字をとっばらってしまったとのことです。

それとも、「雄冬」のように、部落のなかに境界線があって、「浜益郡浜益村大字群別村字雄冬」と「増毛郡増毛町字雄冬」に分けてあるところのように、町界かなにかあってわざわざ手稲とつく前田とつかない前田が発生したのでしょうか。

または、どっちかの前田が、もともと違う地名で、改称したのでしょうか。

以上推測です。
23518丁目:2003/03/27(木) 07:46 ID:ty606XxQ [ SODfi-01p4-120.ppp11.odn.ad.jp ]
手稲前田のあたりは砂山でしたか?
以前のログ
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html
23618丁目:2003/03/27(木) 07:53 ID:ty606XxQ [ SODfi-01p4-120.ppp11.odn.ad.jp ]
番号指定忘れてました、すみません。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#79
237牛鍋蝸牛:2003/03/27(木) 23:34 ID:uO5ss4Oo [ L066143.ppp.dion.ne.jp ]
いや〜、本日を持って連続10日間の勤務終了!(しかも、油っぽい)
もうちょっと、待ってください。
明日…、明日になればきっと…。
まとめてお返事いたしますので。
238牛鍋蝸牛:2003/03/28(金) 09:23 ID:2wa84XOY [ L066143.ppp.dion.ne.jp ]
>>231
>超能力者?
そう思っていたのなら、18丁目さんこそ…。
ま、それとは別に、ワシは割と"カン"はいい方かも。
理由はありますが、あえてここでは語りますまい…。
>>234
なるほど…。
ワシも「前田」の地名に関しての資料は用意したのですが、「手稲区前田」と「手稲区手稲前田」の表示違いの具体的な理由は見つけていません。
というか、全然分析できていないので、西創成さんの推測を頭に入れつつ、ようやく調査を再開したいと思います。
「雁来町」の時の、「東雁来」と「東雁来町」って例もありますしね。
まずは地名としての、「前田」について語りたいと思っています。
そこから何かがわかるかもね。
詳細は後ほどして、キーワードをいくつか挙げておきます。
ご存知の方も多いかと思いますが、「前田農場」がその由来ですね。
「旧加賀藩主前田家十五代前田利嗣(としつぐ)公爵」がその創始者。
「後志管内共和町前田」は「手稲」の「前田」の先輩だそうです。
「前田農場」って、確か「五番舘」の時の出た「札幌興農園」も関係あったはず…。
「札幌興農園」関係。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#186
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#294 から。
239牛鍋蝸牛:2003/03/28(金) 21:45 ID:Ffi./45Y [ U121133.ppp.dion.ne.jp ]
なんとなく、よくわからない手稲区の「前田」地区。
まずは、「手稲町誌」(昭和四十三年三月発行)を見ていきましょう。
尚、「手稲町」が札幌市と合併したのは、前年の昭和四十二年です。
「手稲町誌(上) 第四章 手稲町自治体の事情」より「字前田」のくだり…。
「この地区は古い時代に先住民族が住居としていたことは、手稲遺跡(→北海道の歴史と手稲)が証明しているところで、この地区一帯が泥炭の湿地地帯で古い時代には人の入ることもできなかったところであったが、新川の向側の砂山には石狩方面から川をつたって入り込んだ先住民族が住んで原始生活を営んでいた歴史は、なにか現代人に対して開発の可能性を示唆したかに思われる。(略)
まず、近代の前田を記するには最もゆかりの深かった前田農場のことを述べなければならない。
前田農場の概要については、大正七年七月に刊行されている「前田農場要覧」(軽川本場)に、次のようなことがしるされている。
位置 北海道石狩国札幌郡手稲村大字下手稲字軽川本場事務所は、札幌小樽間鉄道軽川駅を距る数町の農場地内に在り、鉄路に依れば東方三里の地に本道の首府たる札幌区あり、西方七里の地には本道西岸の最良港たる小樽区を控へ又道路は附近農村を経て札幌区、小樽区乃至石狩港に通じ交通至便なるのみならず市場関係甚良好なり、而かも当軽川附近には農村多きを以って労力供給に不足を感じること少なく都会附近と異なり其賃銭亦比較的低廉にして本場の経済的位置は如上の市場交通労力供給の関係に於いて良好なるものなり」

なんだかとっても力が入ったPRぶりでしょう?
これには理由があったのですが、それを語るのにはしばらくかかりそうですわ。
240牛鍋蝸牛:2003/03/28(金) 21:45 ID:Ffi./45Y [ U121133.ppp.dion.ne.jp ]

うわ!
読みづらかった!
241牛鍋蝸牛:2003/03/28(金) 23:01 ID:Ffi./45Y [ U121133.ppp.dion.ne.jp ]
話があっちこっちいくようで申し訳ないのですが、今日の朝方、NHKの「ラジオ深夜便」というシブ〜イ番組を聞いていました。(18丁目さんが言うように、もう完全に高齢者か…)
「こころの時代(アンコール)「土に触れよ〜 恩師チクセン教授の教え」というタイトルで、横浜国立大学名誉教授の「宮脇昭」という先生が、日本古来からの植物が生息している「鎮守の森」のことを語っておられたのですが、その中で、
「ポプラやニセアカシヤのような繁殖力の強い外来種が、在来種を駆逐している」と言っておられました。
ま、北海道とか札幌とかとは言われておりませんでしたが、これはもう北海道のことでして…。
ポプラは外来種だって知っていたけど、アカシヤ(ニセアカシヤ)も外来種だったのですねぇ。
ライラックはどうなんでしょう?
いずれにせよ、北海道を代表する植物が、あの「ブラックバス」や「アライグマ」のような存在であったわけです。

なんで、「前田」の話でこんなことを言い出したかと言いますと、
先ほど、ワシも結構お気に入りの「前田森林公園」を検索していた所、こんなサイトを発見したのです。
「前田森林公園における水辺ビオトープの造成計画」
ttp://www.hit.ac.jp/~e-design/Topics/maesshin01.htm
「アカシア川一帯が,繁殖力の旺盛な外来種(ニセアカシア等)によって占められている」
で、宮脇明先生の放送を思い出したわけです。
242牛鍋蝸牛:2003/03/28(金) 23:28 ID:Ffi./45Y [ U121133.ppp.dion.ne.jp ]
しかも、これは外来種ではありませんけど、大正時代に「軽川」は「リリーの名所だった」という記述を読んでいたもので、尚更。
「手稲と植物」つながりってことで、ついでにご紹介します。
「さっぽろの昔話 大正編上」(大山黙笑編 みやま書房)より、「軽川(手稲)」「リリーの名所」。

「軽川といえば、すぐに連想するものにリリーがある、また鈴蘭とも呼ばれて、昔から有名である。(略)
(20年前)東京の友人から、私達にまで注文がきた。
そして又その頃は、リリーも多く咲いていた。あの馬頭観音の丘の上へ一面に咲いていたものである。(略)
何でもこのリリーは、琴似に居住していた外国婦人が、あの丘を散歩して居る折に、図らずしも発見して狂喜したという。
それから札幌在住の外国人の間に評判になって、軽川にはリリーという素晴らしい花があるそうだ、と日本人のハイカラ連にも知れわたるようになったとある。だから、『リリー』という、英語だか、毛唐めいた名称で、ポピュラーになって了ったのである。鈴蘭と呼ばれるようになったのは、それからずっと後のことである。(略)」

「リリー」って「ユリ」のことだと思っていたのですが、「すずらん」もそういうらしい。
とにかく調べなきゃ気がすまないワシ、調べましたら、正式には「a lily of the valley」というらしい。
なるぅ〜。
ちなみに「すずらんの花」となりますと、「a lily bell [cup] 」だそうな。
これまた、「なるぅ〜」。
しかし、「手稲」で「すずらん」、とは今は誰も言わないでしょうな。
今でも咲いているのでしょうか?
243牛鍋蝸牛:2003/03/29(土) 18:03 ID:elHRcgs2 [ N046082.ppp.dion.ne.jp ]
今日は久々に活発に動いてまいりました。
おかげさまで、かなりの成果が上がりましたぜ。

例の「ヴィトンのハンガー」…じゃない、「ベトンのブンカー」。
以前、撮影禁止とは知らずに撮った貴重な画像を、PC上であぽ〜んしてしまったボケはワシなのですが、も一度画像をアップすると約束しておきながら、ぎっくり腰やら風邪やらでサボっていたわけです。
してからに、実はどうしようかと悩んでおりました。
順法精神の塊の、このワシのことですからね。

で、先日、>>231で、18丁目さんがワシのことを「超能力者ぢゃないか?」とおっしゃったのを思い出しました。
「う〜む…。もしかして」と思い、生まれて初めての念写を試みましたところ、なんと成功!
かの、テッド・セリオスもかくやと思われる鮮明な画像をゲットしました。
しかも、ベトンのブンカーはどうやらワシの予想した通りの事態となっておりまして、なかなか興味深いのです。
え?
本当に念写かって?
ほ、本当ですよ…。

そして、「前田」の件。
「手稲区前田」と「手稲前田」の違い。
これも、実地調査の結果、分かっちゃいました。
地元の人には常識なんでしょうがねぇ。
行ってみなけりゃ分からない、と。

そして、そして…。
>>235の18丁目さんのレス「手稲前田のあたりは砂山でしたか?」の答えも。
確かに「砂山」の名残りがありました。
あそこは「砂山」だったのです。

ということで、いっぺんには書けません。
ぼちぼちと行きたいと思いますが、早くみなさんにご紹介したい。
画像満載でお届けします。
暫し待たれよ!
244牛鍋蝸牛:2003/03/29(土) 19:25 ID:elHRcgs2 [ N046082.ppp.dion.ne.jp ]
すいやせ〜ん。
「暫し待たれよ」と言いましたが、今日はナシです。
慢性睡眠不足のワシ、もう寝ます。
今日待っても無駄です。
24518丁目:2003/03/29(土) 19:56 ID:16pFjxi. [ SODfi-01p3-198.ppp11.odn.ad.jp ]
ふーむ、それじゃちょっくら飲みに出ようかな。
24618丁目:2003/03/30(日) 14:54 ID:S2ym4VZo [ SODfi-02p5-231.ppp11.odn.ad.jp ]
器械場入口のバス停です
なんと、市営バスの停留所に中央バスのシールを貼っただけ!
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0027.jpg
24718丁目:2003/03/30(日) 15:04 ID:S2ym4VZo [ SODfi-02p5-231.ppp11.odn.ad.jp ]
空沼登山口
日鉄鉱山を背に撮影しました。
一つ前には「展望台下」なるバス停が雪に埋もれていました。
ここら辺りが所謂「湯ノ沢」
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0027.jpg
24818丁目:2003/03/30(日) 15:09 ID:S2ym4VZo [ SODfi-02p5-231.ppp11.odn.ad.jp ]
油沢の坂!
西岡住民の方は皆さんご存知なのかしら?
ここが油沢と呼ばれていたことを。
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0029.jpg
24918丁目:2003/03/30(日) 15:13 ID:S2ym4VZo [ SODfi-02p5-231.ppp11.odn.ad.jp ]
>>247間違いました。
空沼はこちら↓
http://cgi28.plala.or.jp/~xapy/cgi-bin/source/up0028.jpg
250なまら名無し:2003/03/30(日) 18:59 ID:aJ2ZvWEo [ EATcf-364p177.ppp15.odn.ne.jp ]
>>249
常盤温泉もみたかった。
251牛鍋蝸牛:2003/03/30(日) 21:22 ID:2/JbxVGE [ x086224.ppp.dion.ne.jp ]
18丁目さんも実地調査に精を出しているようです。
ワシも負けてはおられません。
「ベトンのブンカー」です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=533 から。
今回はあくまで念写ですのですので、実地調査とは違います。
念写のため分かりにくいとは思いますが、なんと窓という窓が開かれているようです。
詳細を知りたく、テレポーテーションも試してみた所、なんとこれも成功しました。
どうやら、敷地内には多くの車が入り込み、また敷地外の正門近くにも業者らしい車が…。
窓は全て開かれ、さほど大きくもないドアまで開かれていました。
これはやはり、
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/kokuyuzaisan/9901/06sono1.html 
で書かれているように、民間払い下げのための引越しなのでしょうか?
(本当はもっと正門近くの画像も念写したかったのですが、衛兵の念が強く断念しました)
25218丁目:2003/03/30(日) 21:44 ID:flLieEQc [ SODfi-02p1-111.ppp11.odn.ad.jp ]
うーんいつ民間払い下げになるのでしょうね、この送信基地。
とにかく精細写真は本邦初公開でしょう。
私が以前公開した写真は画質が荒く、しかも某基地と存在を不確かにしたものでしたが、
今回は名称もはっきりとしているので、みなさん場所はわかりやすいですね(w
253牛鍋蝸牛:2003/03/30(日) 22:07 ID:2/JbxVGE [ x086224.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「前田」、「前田」と叫んでおりますが、そもそも、手稲区の「前田」あるいは「手稲前田」と呼ばれる辺りはどの辺りなのか?ということをご説明しなければならない。
細かい話はそれからなのですが、何はともあれ「前田」ちゅ〜んのんはかな〜り広い地域であります。
今はたいそう立派になったJR手稲駅の北側がすでに「手稲区前田」。
以前に書きましたように、「西友」、「手稲渓仁会病院」、「コジマ」、そして「手稲区役所」があるのが「前田1条11丁目」、「12丁目」になります。
言ってしまえば、ここが現在の手稲の中心地ですね。
(記憶が定かではないのですが、「山楽オーシャン」があったのが「西友」の場所だったのでしょうか?「手稲渓仁会病院」の前は、「ヤマモク」だったか、ダンボール箱の製造会社があったような…)

それが「前田」だけでなく、「手稲前田」ともなりますと、ゆうに新川を越え「石狩市花川」あるいは「樽川」にまで達するという按配です。
なんという広大さなのでしょう。
皆さん、今一度お手元の地図をご覧ください。
ご確認いただけましたでしょうか?
ならば、ワシは今日のところはこれにて退散…。
また明日お話させていただきましょう。
25418丁目:2003/03/30(日) 23:31 ID:kKi7weac [ SODfi-01p3-165.ppp11.odn.ad.jp ]
渓仁会の向こう側は、「トーモク」で、つい最近までは「ワコー」(トーモクの子会社)
でした。我が家のハイパワーA道路地図↓によると、「東洋木材」となっています。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/5_log.html#213
山楽オーシャンは区役所の向い辺りじゃないでしょうか?
そして、山楽オーシャンのあった辺りは、はその昔「日本石油軽川精油所」でした。
255菊水上町:2003/03/31(月) 01:40 ID:wLO5WhNg [ h054.p184.iij4u.or.jp ]
>念写
払い下げになって雰囲気も変わっちゃうのかな、と思うと
引っ越してしまうのは何だかさみしい・・
雪がとけたらもう一度観てこようと思います。

(それにしてもこの像の鮮明さ、山村貞子クラスの念写能力だ・・)
256西創成:2003/03/31(月) 02:57 ID:B9Kp0I9E [ i101088.ap.plala.or.jp ]
>>246
実地調査お疲れ様です。

この写真の器械場入口のバス停は、臨時系統のほうのようですね。

道道真駒内御料線の方にも、「器械場入口」のバス停がもう一ヶ所あります。

>>249
「空沼登山口」のバス停って、あれ、採石場の構内ですよね。
中央バス札幌ターミナルから、101系統に乗って、ぐっすり寝てしまって、終点ですよと運転手に起こされても、どうしたらいいか困ってしまうようなところです。
(札幌タ〜空沼二股、夏ダイヤのみ運行。真駒内〜空沼二股、通年運行。二股〜登山口間延長運転は、運行日のみ)

>>251
念写にしては、すごい。
牛鍋さんは、大日本霊能特異能力体質聯合協会石狩国支部念力写真組の有力者の方だったんですな。(なんだその協会?)
257牛鍋蝸牛:2003/03/31(月) 10:49 ID:8.keZeps [ N047247.ppp.dion.ne.jp ]
>>254
「トーモク」の子会社か。
「ワコー」ね。
そういえば、実はここに昔、面接に行ったことがあります(w
ワシのような有能な人間を採らなかった社長、見る目がない。
>>255-256
今度、全国超能力者念写写真展覧会(略称:超念展)にでも出品しましょうかね。(ないよ、そんなもん)

さて、閑話休題(アホ話はいいかげんにして)。
「前田」ですが、「手稲区前田」というのは多少の凸凹はあるものの、「条」で言いますと「前田1条」〜「13丁目」、
「丁目」では「1丁目」〜「20丁目」まであるのです。(本日現在)
そして、人口は世帯数15,911世帯、人口41,029人にも上るのですが、一方「手稲前田」は88世帯、人口242人。
地図で改めてご確認いただきたいのですが、面積といえば目測でも「手稲前田」のほうが圧倒的に広いわけで…。

なぜ、そうなのか?
それには理由があったのです。
「手稲前田」には基本的に人は住めないから。
先日行ってみて分かったことなのですが、「手稲前田」はどうやら"市街化調整区域"らしいと…。
258牛鍋蝸牛:2003/03/31(月) 19:11 ID:IVz0/6qQ [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
「前田」と「手稲前田」。
本日、半日仕事休みだったので、再度実地調査へ行ってきました。
またまた、面白いことが分かっちゃいました。
土地というものに、"血筋"というものが在ったなら、やはり血筋は争えないものだと…。
いや"地筋"と言うべきかな。
ちょっと感動ものでしたよ。
順を追ってお話しますので、これに関しては少々お時間を頂きたい。

ワシの記憶では、「手稲前田」というのは手稲からみて、「新川」を越えた所という認識があったのですが、実は「新川」から石狩側にも「前田」があったのです。
というか、割と最近に「手稲前田」から「前田」になったようです。
この地区は「前田11条〜13条」の「10丁目」に当たるのですが、まずは以前は「手稲前田」であった形跡をご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=536 
この町内案内図の右下の部分が、現在の「前田11条〜13条10丁目」に当たりますが、案内板は「手稲前田」の表示となっています。
また、ワシの職場にあった地図でもここは「手稲前田」となっておりましたな。
では、「手稲前田」と「前田13条」の境界線に行ってみましょう。
「手稲前田」から石狩方面を望むと、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=539
(この奥の「石狩市花川」には住宅地がびっしりと広がっております)<つづく>
259牛鍋蝸牛:2003/03/31(月) 19:13 ID:IVz0/6qQ [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
一方、くるっと反対を向いて、道路を一本はさんだ「前田」は、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=540 
どうやら、この違いであったようです。
方や市街化調整区域であり、方や一般の住宅地。
ま、ちゃんと裏を取らないといけないと思い、手稲区役所の公聴課へ行って聞いてみました。
答えとしては、「手稲前田」(番地)と「前田」(条丁目)の違いが市街化調整区域であるかいなかということに関して、それが完全に一致しているかどうかは調べてみないと分からないとのことでした。
ただ、「あまり人の住んでいないところを条丁目で割ってみても意味がないので…」、とは言っておられました。
それは当然なことで、市街化調整区域は今後どのような区割りがされるかまったく決まっていないわけですから。

そうそう、手稲区役所で頂いた「手稲区ガイド」を見ますと、手稲区ではこれが当たり前のようで、
「富岡」、「稲穂」、「金山」、「星置」、「山口」に関しましても、各々頭に「手稲」が付く地域がありました。
他に、「手稲」と付かなくても、番地表示と条丁目表示の二つある地名は「手稲本町」と「西宮の沢」の二つ。
なかなか複雑なのです。

さて、ワシは妙なものを発見してしまったのです。
車で走行中だったので写真は撮れなかったのですが、「道道手稲石狩線」の手稲郵便局前(前田7条)の信号の住所表示が「手稲前田」となっておったのを!
どうも、完全には徹底されていないようですね。
ちなみに、同じ道路の「新川通」との交差点にも「手稲前田」と表示があるのですが、ここは交差点名が「手稲前田」ということでOKなのですが。
260軽川の畔:2003/03/31(月) 23:16 ID:fqPyw.PI [ n132201.ap.plala.or.jp ]
市街化調整区域は田畑や山林が多く、土地の所有者も広大な土地を所有している為、
規則正しく区画割すると、余計に大変な事になってしまうと聞きました。
一人の所有者の一つの土地が複数の住所に分かれたりしてしまうので...

市街化調整区域から外れて家が建ってくると条丁目になるんですね。

んで、そんな話を知人としていたら、
手稲当たりでも当時は原野商法があったんだって聞きました。
26118丁目:2003/04/01(火) 00:54 ID:8nJtHO42 [ SODfi-02p1-153.ppp11.odn.ad.jp ]
>>260
そー言えば、常盤〜湯ノ沢辺りにもこの市街化調整区域の看板、しつこいくらい
立ってましたなー。

前田は広大ですよねー。牛鍋さんのレポートであらためて感心しました。
とんでもない泥炭地で、耕作には適さず、前田侯が取り組んだのが一大酪農事業
だったようで。
1週間も地面が燃えつづけたのがこの辺りだったとか。
地中が燃えて、空洞を作り、あるとき突然穴があき、牛が地面に吸い込まれてしまう
なんてこともしばしばあったようです。
262牛鍋蝸牛:2003/04/01(火) 09:31 ID:onkWGAvY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
海は荒海 向こうは佐渡よ
すずめ鳴け鳴け もう日は暮れた
みんな呼べ呼べ  お星さま出たぞ 

ご存知、北原白秋の「砂山」。
そう言えば、ジャズピアニストの山下洋輔氏もこの歌をアレンジして、ピアノに肘打ちなんぞしていましたな。
ま、今回の「砂山」はこれとはまったく関係ないわけでして…。(ト書き:小沢昭一的こころ風に)

「砂山」は18丁目さんご指摘のように、「その四」#79 
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#79 
で、「新琴似百年史」(昭和61年)より、「第十二章 戦火の響き 太平洋戦争とその後」から「幻の滑走路」のくだりをワシが紹介させていただきました。
「昭和19年11月、四番通りを軍用道路として拡張する工事が始められた。石狩町との町境樽川砂山付近の軍用機格納庫の建設と併行して行われたが、これが実は滑走路にするためというのは公然の秘密だった。」
通称「新琴似四番通り」が実は滑走路であったという事実には、ワシもさすがに驚いたものです。<つづく>
263牛鍋蝸牛:2003/04/01(火) 09:31 ID:onkWGAvY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
この「四番通り」(樽川通り)延長上の「砂山」は、「前田11条〜13条10丁目」とその「石狩」よりの「手稲前田」あたり、つまりは「道道手稲石狩線」より南東の付近を指します。
大正5年頃の地図をご覧ください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=542 
さて、前々回の実地調査中、林道といっても良いような道で車を走らせておりますと、こんなお店が…。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=543 

実はここテレビでも紹介されたことのある食料品の手作りのお店で、ここの農家の方がやってらっしゃるのですが、ワシも何度かは利用したことがあります。
しかし、店の名前なんぞは全然気にしていませんでした。
で、何気なく走行中に横目でチラッと見やりますと、なんとなんと。
「あ!」っと、叫んだ次第でこざいます。
これだから実地調査はやめられないんだよなぁ〜♪ <つづく>
264牛鍋蝸牛:2003/04/01(火) 23:28 ID:onkWGAvY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
今日は寝ますので、書き込みのある方はどうぞよろしく。
家に仕事持って帰って、エクセル使って疲れた…。
26518丁目:2003/04/01(火) 23:45 ID:CA7FZggY [ SODfi-02p4-218.ppp11.odn.ad.jp ]
素朴な疑問ですが、「砂山」はやはり砂山があったからそう呼ばれたのでしょうか?
266牛鍋蝸牛:2003/04/02(水) 07:16 ID:YIFHEaLY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
「砂山」がなぜ「砂山」と呼ばれたか?
答えは、YESです。
写真撮ってきましたので、夜にでも。
267牛鍋蝸牛:2003/04/02(水) 07:32 ID:YIFHEaLY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
と思ったけど、出勤前、大急ぎで。
お店の「すなやま」の向にはこのようなサイロもあります。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=544 
後に再度述べますが、「手稲前田」地区から「石狩市樽川」にかけては「前田農場」があったところですので、今も農場(跡も含めて)が点在しております。
で、「砂山」辺りの地質としては、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=545 
(注・写真左の"小さな砂山"は人工的なものです)
でわかりますように、砂地でして、この辺りは隣の「新川」方面から見ると、小高くなっています。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=547 
(ちょっと、写真では分かりにくいかも)
また、「前田13条」方面は再び低くなっており、なるほど「砂山」と呼ばれても不思議ではないと思わせるものがありました。
268牛鍋蝸牛:2003/04/03(木) 05:02 ID:8bkZeUAY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
>>266
>「砂山」がなぜ「砂山」と呼ばれたか?
> 答えは、YESです。
なんのこっちゃか分からない文章になってしまいました。
失礼…。
正しくは、

「砂山」はやはり砂山があったからそう呼ばれたのか?
答えは、YESです。

…です。
269牛鍋蝸牛:2003/04/03(木) 05:15 ID:8bkZeUAY [ N045180.ppp.dion.ne.jp ]
さて、161さんが一生懸命やってくださっております、
「ログから拾ったマイナーな地名」
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/chimei/list.html
久々覗いて見ますと、これがなかなかの進展を見せております。
161さん、お疲れ様でございます。
レスはどんどん付くし、大変とは思いますが、始めたからには最後までよろしく(w

実は先日「陸上自衛隊札幌駐屯地月寒送信所」を"念写"した日、例の「らーめんあび」に行きました。
マスターにお土産で、「石狩番屋の地ビール」を5本持って行ったからかどうか分かりませんが、店内に貼られた「札幌温泉」の写真と説明文の横に、もう一つスペースをもらえることになりました。
今後のために明言しておきますが、これはワシの要請ではなくマスターからの要望です。
結構、評判らしいのです、あの「札幌温泉掲示物」。
年配の方の中には、知っておられる方も結構いたり、親子連れなどはお父さんが子供さんに説明してあげたりしていて、あの殺伐とした「あび」店内に咲いた、一輪の可憐な花のような存在になっておるようです。
で、今度はどこを取上げるか?なんですけど、ある程度ビジュアル性も必要だし(アイキャッチ効果)、その中身も興味を引くものにしたいしと…。
ワシとしては、「札幌飛行場」なんか面白いかと思っている次第なのですが。

>>258
>土地というものに、"血筋"というものが在ったなら、やはり血筋は争えないものだと…。
>いや"地筋"と言うべきかな。
これに関しては近々に!
270161:2003/04/04(金) 11:58 ID:oPB0Hzco [ o137056.ap.plala.or.jp ]
沈みすぎ救済age

デジカメ買ってしまった…
どこか写真でも撮ってこようかな…
271牛鍋蝸牛:2003/04/04(金) 17:41 ID:UWxOljo6 [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
161さん、サルベージサンキュー!
デジカメは強力な武器です。
ワシは最近、最新兵器の双眼鏡をゲットしました。

さて、なかなかレスも付かない「前田」ではありますが、「砂山」に関してもうちょっと。
「砂山」を先日手稲区役所で頂きました、見てみますと、公園に「前田すなやま」というのがあるようですし、「砂山会館」っても、載っていますね。
しかし、「砂山」などという当たり前の一般名詞のような地名が、なぜここに付いたのか?とワシは考えるわけです。
それは、既出でありますように、この「砂山」以外の「前田」が泥炭地であったからなのでしょう。
泥炭地であるところに砂山がある。
だから、「砂山」なのでしょう。
では、この砂山は一体全体、なんなのか?
それは「砂丘」だからです。
これが「紅葉山砂丘」のなのです。
http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/3_log.html#135
272西創成:2003/04/05(土) 03:03 ID:Gs/cJTK. [ i103153.ap.plala.or.jp ]
私、手稲方面はほんと疎いんです。ごめんなさい。

手稲は、泥炭地と砂地が多いのでしょうか。泥炭はレータンとも言いますがね。

レータンストーブなんていうものもありますが。

手稲…ていね…テイネ…
「バッタ塚」「金山」「軽川温泉」「オリンピア・ハイランド」「追分」「試験場」「山口スイカ」「♪夜霧の札樽国道という歌」…こんなんしか出てこないのです。ほんとすみません。

そういえば…こんなこと思い出しました。

当初、軽川駅は簡易駅扱い(フラッグステーションと称したそうですが)だったので、旅客・貨物があるときには、駅員が紅白旗をだして、汽車を停めたそうです。(明治18年頃)
273牛鍋蝸牛:2003/04/05(土) 17:14 ID:CHq0OJMA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
西創成さんが土地鑑のない手稲。
ワシが頑張るしかないかな?

http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=548 
以前に啓タさんから戴いた、「北緯43度 札幌というまち…」(札幌地理サークル編 清水書院 昭和55年)の引用。
「変ぼうする河口のまち 石狩町 姿をかえる内陸砂丘 紅葉山砂丘」
「札幌の都心から石狩街道を北へ約14km、茨戸をすぎて間もなく右手に恵愛会病院がある、このあたりで道路は小高い丘を横断する。紅葉山砂丘である。この砂丘は、石狩湾の海岸線とほぼ平行に約6kmの内陸にあり、札幌市手稲前田の新川中央橋(手稲高校)付近から北東方向へ細長くつづき、新札幌団地、花畔団地の南東を通り、茨戸付近では茨戸川で切られ、生振から石狩まで約15km延びている。
砂丘の最高地点は、紅葉山の自衛隊演習場付近の18.5mで、平均14〜15mである、幅は200〜500mで、広いところは1,000mに達している(略)」
これが「砂山」の正体だったのです。
この石狩市側の「紅葉山砂丘」の上には今は多く家が建ってしまっていて、「砂山」は貴重なエリアのように思えます。
余談ですが海岸部にもう一つの砂丘、「石狩砂丘」がありますが、ここを利用して「手稲山口」で大正の初めから栽培され始めたのが、「山口スイカ」(現在のサッポロスイカ)です。
274牛鍋蝸牛:2003/04/05(土) 17:34 ID:CHq0OJMA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
>>192
> 手稲に空港があったらしいのですがどの文献にも詳しい記述がありません。
>このスレの住人ならなら誰か知ってるかな?

軽川の畔さんのレスですが、この答えとして>>202−204でそこは「北日本飛行学校」であったと書きました。
そして、先日の実地調査の際ついでだと思い、行ってみました。
昭和の初めのことなので、もう「飛行学校」や「滑走路」などは跡形もないはずとは思ったのですが、なにしろ「行ってみなけりゃ分からない主義」ですので。
「手稲駅西通」を線路方面へ南下しますと、右手に「ワコー」という会社があります。
そして、その先に何気なく目をやりますと…。
な、なんとそこには「飛行機博物誌 空飛ぶ機械のものがたり」(野沢 正 光人社NF文庫)に書かれている70年前と同じ光景がっ!

「とつぜん大きな倉庫のような建物があっているのに気がついた。よく見ると、そばに赤と白の吹き流しのようなものが立っている。もしやと思って行ってみると、案の定それは倉庫ではなくて、飛行機の格納庫だった」

超能力者としてすでに念写とテレポーテーションの能力を身に付けていたワシは、ついに時空を超え、タイムスリップする力までも手に入れてしまったのか! <つづく>
27518丁目:2003/04/05(土) 17:37 ID:hJlHWQww [ SODfi-02p4-219.ppp11.odn.ad.jp ]
す、凄い・・・
276m:2003/04/05(土) 17:44 ID:JZKuJpqI [ p7005-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>273
紅葉山砂丘は大昔の海岸線だった、と高校の時に習ったような。。。
違いましたっけ?
277牛鍋蝸牛:2003/04/05(土) 18:07 ID:CHq0OJMA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
mさん、確かその通りだと。
これについては後ほど…。

>>274のつづき。
「あ〜あ、牛鍋のヤツついに頭に来ちまったか…」
とお思いのあなた。
じゃ、証拠写真をお見せしましょう。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=550
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=549
どないや? <つづく>
278牛鍋蝸牛:2003/04/05(土) 18:40 ID:CHq0OJMA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
>>267のmさんのご質問。
ワシも詳しくは分からなかったので、調べてみたらこんなサイトがありました。
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/hakubutushi/ha_023.htm 
面白い。
7000年前の「紅葉山砂丘」は海岸線ではなく、「砂州」だったんですね。
当時、「江別」は海の底…。
さて、>>277のつづきは、また後で。
279牛鍋蝸牛:2003/04/05(土) 18:41 ID:CHq0OJMA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
間違えました。
「267のmさんのご質問」
ただしくは>>276です。
280m:2003/04/05(土) 22:14 ID:JZKuJpqI [ p7005-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
牛鍋さん、ありがとうございます!&('-')オヒサ♪です。

へっへぇ〜、砂州だったんですね〜(^_^)3 フムフム。
この辺一帯は海というか、サロマ湖のような巨大な海潟湖(?)
だったんですねぇ〜。勉強になるなぁ〜〜。
28118丁目:2003/04/05(土) 22:21 ID:hMAJF03c [ SODfi-02p1-118.ppp11.odn.ad.jp ]
紅葉山砂丘ですか。
以前よりちょくちょくこのスレでは出ていたけど、なるほど
こんなになっていたんですね。本当に勉強になる。
夏によくその辺で遊んでいるんだけど、まさに砂丘ですね。
282m:2003/04/05(土) 22:27 ID:JZKuJpqI [ p7005-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>278
江別は海の底で思い出したけど、昔、大麻に住んでた時にJR大麻駅建設の際に
大量の化石が出たって聞いたことがありますね。多分、アンモナイトの化石じゃ
なかったかな?アンモナイトは海の生物じゃなかったっけ?違うかな?

ふと、30年以上も前の話を思い出しました。。。(*^^*ゞ
283西創成:2003/04/05(土) 23:52 ID:X9NLsAZ2 [ i106207.ap.plala.or.jp ]
なるほど。勉強になります。

牛鍋さん、あれですかねぇ
時空をこえるときって、ラベンダーの香りがするんですか?
284牛鍋蝸牛:2003/04/06(日) 07:49 ID:VX.I5zEA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
>>283
ラベンダーは香らなかった(w
1972年、筒井康隆原作の「時をかける少女」をテレビドラマ化した「タイムトラベラー」にワシ等は夢中になったもんです。
主演は島田淳子(現・浅野真弓 柳ジョージの奥さん)。
未来人「ケン・ソゴル」が北海道のラベンダー畑で(誰かと)格闘をした時、土のはずの地面がペロリとめくれたのをワシは見逃さなかった!
スタジオ撮影だったからね〜。

閑話休題(レス違い失礼)。
「手稲前田」を調べていて、「紅葉山砂丘」で6000〜7000年前にも思いを馳せられ、しかもお勉強になって賢くなれるんだからこのスレは良スレだよね。
そう言えば、小学校の頃、藻岩山でも貝の化石が見つかったとかなんとか(あやふや)先生から聞いた記憶がワシにもあります。

正直言って、この件については反応大きいだろうと予想していました(w
「紅葉山砂丘」関連で、縄文時代のお話もしたいと思いますが、まずは手稲駅東側(曙)でワシが見た、70年前と同じ光景の件。
あなたも見たでしょ?
あの赤と白の吹き流しと格納庫。
あの正体はいったいなんだったのか?
70年間、「北日本飛行学校」が存在し続けたというのか?
しかし、地図には飛行場があるなどとは描かれていない…。

今日は日曜日。
興味があるなら行ってみなはれ。
あなたもタイムトラベルできるかもしれない。
場所は「手稲区曙1条1丁目」、「ワコー」という会社の敷地がJR函館本線と接する所だよ。
285牛鍋蝸牛:2003/04/06(日) 20:50 ID:VX.I5zEA [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
あまり勿体つけてもしょうがないので、例の「北日本飛行学校」跡については明日述べることに致しましょう。
もしかして、現地に行った方がおられるかも知れないので、実に淡い期待をもって今日のところは眠るとします。
さて、レスは付くのでしょうか?
286なまら名無し:2003/04/06(日) 23:53 ID:Cd.oWibI [ 203.14.169.19 ]
>285
今日じゃないのいかよ(w
287西創成:2003/04/07(月) 20:21 ID:Tfrty9c. [ i253033.ap.plala.or.jp ]
>>285
手稲初心者の私、とりあえず牛鍋さんの「北日本航空学校」の御報告、期待しております。
288牛鍋蝸牛:2003/04/07(月) 21:26 ID:3tj7b7hE [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、じゃ書きますです、昭和の初めに「軽川駅」(現・JR手稲駅)横にあったという「北日本飛行学校」跡のこと。
既出のように、
「銭函の次が軽川、今の手稲で、駅の左手の原始的な原っぱのまんなかに、ある日、とつぜん大きな倉庫のような建物がたっているのに気がついた。よく見ると、そばに赤と白の吹き流しのようなものが立っている。もしやと思って行ってみると、案の定それは倉庫ではなくて、飛行機の格納庫だった」
これは「飛行機博物誌 空飛ぶ機械のものがたり」(野沢 正 光人社NF文庫)に書かれている当時の描写。
実際に行かれた方は、これとほぼ同じ光景を今も見ることが出来ます。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=550
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=549

この格納庫に収められていたのは、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=554 
つまりは、ヘリコプターだったのです。
なんとなんと、「ヘリポート」が函館本線沿いの「ワコー」の敷地内に存在したのです。
このヘリ、よくご覧戴くとわかりますが、機体に「Doctor-Heli」と書かれています。
そうなんです、「手稲渓仁会病院」の「ドクターヘリ MD902(MDヘリコプター社)」だったのです。
関連サイト
http://www.drh.jp/this_base.html「これがドクターヘリだ」から「ドクターヘリの機体」をクリック。
<つづく>
289牛鍋蝸牛:2003/04/07(月) 21:27 ID:3tj7b7hE [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
これが、>>258で言った、「血筋は争えない」、いや「"地筋"は争えない」ということ。
今から70年前にあった「北日本飛行学校」とほぼ同じと思われるところに、今は「ヘリポート」があったのです。
しかも、飛行機である「アヴロ504K」とヘリコプターの「MD902」の違いこそあれ、目の前に現れた光景は当時の描写そのままに…。
いや、これはちょっと感動ものでした。
思わず、「え〜!あるじゃん!今でも〜!」と心の中で叫んでしまいました。

しかしながら、「北日本飛行学校」、あるいは「飛行場」とこの「ヘリポート」はいったいどのようなつながりがあるのか?
とっても気になるワシは、近くで凍り割りをしていた居酒屋の親父さんに声をかけました。
しかしながら気のいい親父さんは「北日本飛行学校」のことも知らなかったようです。
「かくなる上は直接取材しかない…」
ヘリポートの敷地内にあるプレハブの建物には、カーテンが引かれており、中は窺い知れません。
「誰もいないのかな?」
しかしながらしばらくすると、カーテンが開きました。
ちょうど昼休みだったようです。
ワシは隣設の公園を抜け、ぬかるんだ道からヘリポート内に入りました。
不審者扱いされぬよう、両手を挙げ、声をかけながら進みます。
「武器は持っていない! アメリカに降伏する! サダムはアホだ!」
290牛鍋蝸牛:2003/04/07(月) 21:33 ID:3tj7b7hE [ N045250.ppp.dion.ne.jp ]
>>289の訂正とおわび。
>凍り割りをしていた
を、「氷割りをしていた」に。
お詫び。
「しかしながら」がダブりました。
291なまら名無し:2003/04/08(火) 02:48 ID:AB4SzyCk [ 203.14.169.19 ]
>290
わざわざ訂正しなくても意味わかりますよよよ。
292とろんとろん:2003/04/08(火) 04:47 ID:lo1S2alU [ 211.121.159.96 ]
>>207牛鍋さん
>その向かいの「伏見市場」はご存知なかったでしょうか?

なのですが、その頃は小さかったので「ホシストアー」へ
母親と一緒に行くことはあっても、「伏見市場」へ行く
時は母親一人で、といふことが多かったので「伏見市場」
の思い出、といふのは残念ながらないのです。


あと以前牛鍋さんが云われていた「なんようどう書店」は、
「南陽道」ではなく「南陽堂」書店、ですね。
道路の区画整理の余波で近くのセイコーマートなどと同じく
ビルを建てて、以前より少し引っ込んだ3階建てのビルの
1階が「南陽堂書店」、そして3階には琴似などにもある
「ケルン書房」さんが入っているのでしたっけ。
(あと、牛鍋さんが「南陽堂書店」「ケルン書房」の話を
するのは「その六」の62あたりからです、参考までに)

あと気にかかっているのは……「真駒内公園0番地」の謎、
といふのがあるんだが……、誰か詳しいところ、わからない
かなあ、と思い投げつつ今回はここいらあたりまで。
293牛鍋蝸牛:2003/04/08(火) 22:28 ID:a6OEan8g [ N044003.ppp.dion.ne.jp ]
みなさま、どうもです。
今日は眠いので、簡単にいたしまして、失礼いたします。
本郷かまとばあちゃんとか、サイボーグ001とかが羨ましい牛鍋蝸牛です。
さて、明日あたり、新スレ立てなきゃいけないかな?
294西創成:2003/04/09(水) 00:46 ID:ikrBGPlA [ i100161.ap.plala.or.jp ]
>>292
「真駒内公園」については、一応、1番〜から順に番地がついています。

ちなみに、1番1号はアイスアリーナ、1番2号、3号は公園管理事務所、2番1号さけ科学館、3番1号は屋外競技場なんです。

公園部分にも、1番、2番〜とそれぞれついています。

0番地というのはないと思いますが。
あるとしたら、河岸部分か柏丘水道配水地付近に無番地か番外地というのがあるのではないでしょうか。

大概、国有林・国有地で建物などがないようなところは、無番地か番外地ですけど。
295牛鍋蝸牛:2003/04/09(水) 21:49 ID:naB/UDwQ [ N044003.ppp.dion.ne.jp ]
同じ「手稲」ですが、「前田」からちょっと離れますことをお許し願いたいのですが、>>289の続きです。
ヘリポートのプレハブからは3人の男性が、顔を現しました。
このお三方が、どうやら ttp://www.drh.jp/this_base.html 「出動!ドクターヘリ!」の運行スタッフのようです。
その中のお一人とお話をさせて戴きましたのが、同サイトの写真の方。
「北日本飛行学校」の件をお聞きしましたが、やはり初耳だったようでして、「直接の関係はありません」とのお返事でした。
ま、それはそれなのですが、やはり何かの因縁というものがあるように思えます。
これは単なる偶然ではないはずです。

さて、「新札幌市史 第四巻通史四」に「軽川付近」が「札幌飛行場」の候補地に上がっていたとの記述を発見しました。
※「札幌飛行場」に関しては「その四」 http://www9.plala.or.jp/xapy/chimei/4_log.html#59 から。
確証はまったくありませんが、やはりこの辺りがそうだったのではないかとワシは睨んでおります。
そして、「札幌のむかしばなし 小学校地域資料集」(茂内義雄・著 )(おそらく自費出版と思われる)に「北日本飛行学校」らしき記述がありましたので紹介いたします。
同書に収められている、昭和57年発刊の「札幌市立前田小学校開校5周年記念 郷土誌」から「昔を語る」。
「飛行機に乗って一周したこと 近藤安彦 明治二十三」
「大正の末期にね、飛行場ができました。中村という飛行士でしたよ。飛行士養成のためということでね。五〜六人の見習いを募集してました。
飛行場は樽川通りの左側、三浦さんのあたりにありました。単葉飛行機でね、私も乗りましたよ。
ぼくとね、あの時の村長さんとが乗りましたよ。一人乗りでね。場長が「大丈夫だから乗りなさい。」と言いましてね。
ぼくが先に乗り、光風館や、上手稲のずっと奥、それから琴似の上をとんで帰ってきました」

ちょっとはっきりしない口述なのですが、かなり私的な飛行学校だったことが伺えます。
そしてそれは、"三浦さん"の辺りにあったということが分かってきました。
でも、"三浦さん"ってどこだ?ってことになりますわな。
ご安心あれ、"三浦さんち"は分からなくても、飛行場そのものが載っている地図を見つけました。
それは明日にでも…。
296西創成:2003/04/10(木) 00:38 ID:TERT7AE2 [ i097141.ap.plala.or.jp ]
なるほど。
”地筋”とは、すごいものですな。
297牛鍋蝸牛:2003/04/10(木) 21:53 ID:pLY64AF6 [ U120171.ppp.dion.ne.jp ]
「軽川」の飛行場が載っている地図をアップしました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=558 
(元が不鮮明なので、例の赤字で表示)
これは「さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図 <昭和編>」(札幌市教育委員会 編)に載っていた、「札幌郡手稲村(大字三村時代)地図<昭和8年>手稲村発行(札幌市教育委員会蔵)」というシロモノですが、この地図によりますと、「○飛行場」と表記された所は、今の「曙温水プール」辺り(曙2条1丁目)となるのではないかと思います。
ま、現在の「手稲渓仁会病院」のヘリポートとはちょっと離れてはいますが、飛行場ってぇのは広いですからね。
ではご質問がなければ、一応「軽川の飛行場」については終わらせていただきたいと思いますが、いかがか?
今日もワシは眠いゾ…。
298牛鍋蝸牛:2003/04/10(木) 21:59 ID:pLY64AF6 [ U120171.ppp.dion.ne.jp ]
新スレ立てました。
こちらを使い切ってからお願いします。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その八】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1049979425
299軽川の畔:2003/04/10(木) 23:42 ID:k5iLhTbo [ q174197.ap.plala.or.jp ]
牛さん>>
ありがとうございました。
最近、非常に多忙でROMに専念しておりましたが、
私の疑問にお答えいただきありがとうございます。

次スレたてもおつかれ様です。
さてさて、次のスレはどんな地名が盛り上がることやら...
また、しばらくROMに専念したいと思います。
300なまら名無し:2003/04/10(木) 23:47 ID:RYMvYqoY [ 61-27-25-171.home.ne.jp ]
300