【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その参】

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1牛鍋蝸牛
1さん忙しそうなので、代行で新スレ立てます。
前スレ
【知名度】スレも立たないマイナーな地名in札幌【ゼロ】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1026308494

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その弐】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1027482867
2なまら名無し:2002/08/21(水) 13:08 ID:pOYgup2U [ f-kanagawa-137243-l3.zero.ad.jp ]
地名をこれからもたくさん挙げて下さい。
3なまら名無し:2002/08/21(水) 13:09 ID:/9HBWmOg [ eAc1Aev031.tky.mesh.ad.jp ]
     ∧Λ∧
 *〜 ''''ミ*・ヮ・ミ <2ゲト1新スレおめ!
   じ'''''じ'''J
4なまら名無し:2002/08/21(水) 13:15 ID:ok.VSXG. [ PE242191.user.veloxzone.com.br ]
記念パピコ
五天山は「ゴテンヤマ」「ゴテンザン」どっちでしょうか?
5牛鍋蝸牛:2002/08/21(水) 13:20 ID:mI/gt2Mo [ y068047.ppp.dion.ne.jp ]
前スレ>>282 の元福井六丁目さん、レス遅れました。
今回の調査では「ネオンサインの看板」とやらは発見できませんした。
とにかく、道が狭く藪の中という状態なのです。
昔もああいう感じだったのでしょうか?
すっかり、荒れ果てちゃったんじゃないでしょうか?
ま、住人の方の話だと登山道はいくつかあるようですが。
福井側へ降りる道(おそらく、犬御殿へ行く途中の)は、今は公園造成の
ため使わせていない、とも言っていました。
じゃ、これから仕事のため、失礼します。
6牛鍋蝸牛:2002/08/21(水) 13:21 ID:mI/gt2Mo [ y068047.ppp.dion.ne.jp ]
>>4
「ゴテンザン」です。
前スレ読んでね。
7なまら名無し:2002/08/21(水) 13:30 ID:ok.VSXG. [ PE242191.user.veloxzone.com.br ]
>>6
すいません。そしてありがとう。
1年くらい前に五天山登ろうとして、登山口に入ったら山頂から来た車に轢かれそうになったなぁ。
俺もまた今度登ってみます。
8菊水上町:2002/08/21(水) 14:28 ID:alDaqHy. [ h045.p185.iij4u.or.jp ]
>>1さんおつであります。3スレ目ではどんなマイナー地名がデビューするかな?
9前スレの178:2002/08/21(水) 14:47 ID:kOoWuVIY [ 202133217.ppp.seikyou.ne.jp ]
おおっ
軽川のことが・・・
前スレに回転川はどう?と書きこんだ者です。
私があげた「回転川」とは旧軽川のことです。
今まで誰も反応してくれなかったんで…
なぜ回転川と呼ぶかという説はいくつかあって、
1、昔はよく逆流してたから
2、旧軽川を続け字で書いたものをまちがって回転川と読んでしまったから

などがあるそうです。
10なまら名無し:2002/08/21(水) 15:34 ID:yn5aFv.E [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
がるがわについて質問したものですが、エリアとしては
どのあたりをさすのでしょうか。
旧手稲町全体が該当するのでしょうか?
それともその回転川沿い一帯をさすのでしょうか。
11前スレの178:2002/08/21(水) 15:43 ID:kOoWuVIY [ 202133217.ppp.seikyou.ne.jp ]
軽川は現在の手稲本町あたりをさす地名だったと・・・
12前スレの178:2002/08/21(水) 15:53 ID:kOoWuVIY [ 202133217.ppp.seikyou.ne.jp ]
あと、川としての「軽川」は国道5号線から函館本線までは
道道石狩手稲線の真下をとおっています。
なぜこのようになっているかはわかりませんが・・・
13牛鍋蝸牛:2002/08/21(水) 21:24 ID:6jhi0Fbg [ N043050.ppp.dion.ne.jp ]
なんだか急に忙しくなったこのスレですが、ただただ、ひたすらに雑感を述べます。

1さん、出張中かな?
18丁目さん、デジカメのドライバ手に入ったかな?
「カリキorカレキ」問題に新たな展開。ワシも気がついたことがあります。
で、本籍水車町さんの調査レポートも興味あるし。
「軽川」かぁ…。ここから、どう切り口を見つけるかだな。今後の展開に期待。
「五天山」って結構みんな登っているので、驚いたよ。
ま、くれぐれも午後3時前に登ってね(w
ところで、朝は何時からなら登ってもいいんだ?

そういえば、このスレの趣旨を「その壱」から引用すると、
「地名を聞いてもどこかピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ名所ゼロの土地へ実地調査へ逝き見所を見つける良スレです」ってことです。
そう言えば、「書を捨て、街へ出よう」と言ったのは、かの有名な作家であったなぁ…。
141??:2002/08/21(水) 23:56 ID:2R.TqOtk [ p7110-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
1です。前スレの270くらいから急激に伸びてました…。
3日ほど留守でしたもので。これからゆっくり読み直して見たいと思います。

ちなみに、コノスレの1ゲトは牛鍋蝸牛さんなので、
今後分かりやすく「1です。」になります。みなさん、ヨロ。
15牛鍋蝸牛:2002/08/22(木) 09:15 ID:UKBkIP06 [ U126080.ppp.dion.ne.jp ]
1です。さん(w お仕事ご苦労さんです。
留守中に勝手しまして、ごめんなぁ〜。
ホントに急にスレが伸びたもんで、緊急に立てました。
「その四」の時は頼みますね。
ま、語呂は「1です。」のほうが良いかもね!
16牛鍋蝸牛:2002/08/22(木) 23:13 ID:m47nDBgE [ N022060.ppp.dion.ne.jp ]
本籍水車町さん。
前スレの>>293 で『「水車通り」が当時は単なる道路名ではなく、地域を指すものでもあった
のは一つの発見でした』て書かれていますが、同じく前スレ>>195 でワシ、書いてるじゃあ〜
りませんか!
『学校(北海中学校)の裏手方面は今でも水車通りと呼ばれて居る通り、
むかし札幌にまだ電気精米のない以前は、水を利用して車を動かし、精米
の本場であった』「さっぽろの昔話」大正編上 みやま書房より
ね?
ま、お互いの調査の結果が一致したということで喜ばしいことですが(w

ええっと、どうせヒマなので、ちょいと調べたことを書かさせていただきたい。
「五天山神社」に奉ってあった「馬頭観世音菩薩」のことです。
「馬頭観音菩薩」って何だろう?
なんで、「五天山神社」は「馬頭観世音」を奉っているのだろう?
疑問に思いませんか?
え!ワシだけ?

別名「馬頭観世音」またの名を「馬頭明王」とも言う。
梵名ハヤグリーヴァ。
真言 「オン アミリト ドハンバ ウン ハッタ」 
(この真言を唱えれば、無病息災、畜類救済が得られる)
「馬頭観音」「馬頭観世音」「馬頭尊」などと刻んだ供養塔が建てられる。
「六観音」の変化像であって、宝馬が四方を駆けて四魔を承伏し重障を食い尽くすことから信仰された。
しかし頭に馬頭をのせていることから、時代が下るにしたがい庶民から馬の守護神のように思われ、
農耕用や交通手段としての馬の健康、そして死んだ愛馬の冥福を祈る対象とされた。
建立場所はたいてい死馬を葬ったところか、山道などの交通の難所、追分など。
※真言とは
「呪文」「祈願を唱える文句」「ダラニ」「マントラ」。

ということで、「五天山神社」では当時、農耕用の馬の健康と供養を目的に「馬頭観世音菩薩」を奉った
のかもしれません。
場所的には、平和側から福井側へと向かう交通の要所と言えないない事もありませんが、現場に行っ
てみたワシには、これにはちょっと無理があるように思われます。
もしかすると、馬を葬った場所かも知れません。
他に調べたところによると、死んだ馬から破傷風菌が発生する可能性から、馬の墓としての「馬頭観世音」
は人里から離れたところに作られたとの記述もありましたので…。
17牛鍋蝸牛:2002/08/22(木) 23:19 ID:m47nDBgE [ N022060.ppp.dion.ne.jp ]
>>16
でも、死んだ馬をあの山の中腹まで運んでいくのもなかなか大変だな、とも今思った!
コロコロ変わるなぁ、我ながら…。
18本籍水車町:2002/08/22(木) 23:43 ID:amhTDHyM [ pd33834.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん。ごめんなさい(T_T)、お詫びのかわりに新情報。
「明治2年に上手稲の開祖といわれる福玉仙吉、中島太郎、石井助太郎の三人が山口県岩国から分霊して宇野八幡宮をまつり、西野神社創建後、五天山の高台に移転して安置した」という記述を発見しました。詳細は不明ですが、神社のマークが二つあったのは、一つはこれでしょう。
 もう一つ。いつだったか誰かが「水車川の水は平岸の用水路から引っ張ってきたのでは?」と書いてましたが(これは全くの誤り)、実は下流で一緒になってた時期もあったようです。水車川は今の36号線あたりでまた豊平川に戻っていたのですが、これを延ばして平岸用水路と合流、東米里まで引っ張っていたこともあったようです。この二つの流れに精進川が加わって、人々の記憶がゴッチャになってるようです。
19本籍水車町:2002/08/23(金) 00:33 ID:djACzDr6 [ pd33834.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
6さんはなんで五天山に登ろうとしたんだろう…それにしても、時間制の霊山って…。山中にいるうちに3時を過ぎたらどうなるのかな。馬頭観音って昔この字を初めて見たときケンタウロスを想像してしまった。藻岩下にも確かあったな。
 回転川の語源は想像してたとおりでしたが、割りと新しい表現のような気がする。逆流するなら普通は「逆(さか)川」、「逆さ川」と名付けるから。あるいは氾濫で流れがコロコロと変わったってことはない?あ、逆流ってたいていは大きな川や海に注いでいる河口部分から、水が上流へと流れるんだけど、軽川ってそれ当てはまるだろうか。昔は発寒近辺が大きな沼地で、軽川も発寒川もそこに注ぎこんでたらしいけど。興味ある素材だけど、昔の地名だしな。静観しつつ、発展すれば参加します。
 484は「しばし」とも読めるな、とは思ってた。本当は何て読むんだろ。「よんはちよん」?「よんひゃくはちじゅうよん」?←何気にかわいい。
 水車町に関してはいろいろ考えていたことがあるんだけど…。また今度まとめます。担当者だからね(そうだっけ?)。でもスレタイからいくと、水車町は多くの人が知ってたし、現住人からもレスあったし、雁来や五天山とは違うのに。ブツブツ…。どっちみち、そろそろ水車町は終わらせないと。「謎はすべて解けた、じっちゃんになりかけて!」
20なまら名無し:2002/08/23(金) 01:00 ID:sN1IV6cg [ z137.61-115-80.ppp.wakwak.ne.jp ]
自分の持っている札幌地図に気になる所が。
五天山の東、小別沢トンネルの西に「小さな魔女の森」という場所があるのですが、
これは一体何でしょうね?
住所的には西区 小別沢に位置するのですが。
21前スレの178:2002/08/23(金) 01:01 ID:0y5HH/RQ [ 202132251.ppp.seikyou.ne.jp ]
たしか旧軽川が軽川に合流するあたりのポンプ場(のような物)が
「回転川〜」って名前だったと思う。
このポンプ場は見た感じそこまで古いものではないと思います。
だから比較的最近なのかもしれません。(←回転川になったのが)
でもかなり昔に回転川という表記があったような…。

ここらへんは小学生くらいのときになにかで読んだ記憶がもとになっていますので、
あまり信用しないでください。
22牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 01:16 ID:ods1OiaA [ N022060.ppp.dion.ne.jp ]
>>18
「札幌の神社リンク集」ですね。
ttp://nekonote.ath.cx/~sapporo/
う〜ん、このサイト、どうなんでしょねぇ。
東区の神社で「瑞穂神社」と「雁来神社」が出ていますが、前に書いたように、実際はこの二つは同じものなんだけど、
そこらを混同しているしねぇ。
いや、雁来町を調べ始めた頃、ここの記述に惑わされて混乱したことがあるので、「ちょっと…」って印象があるのですよ。
確かに「西区平和」には、
ttp://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200106/nishi/nishi04.pdf
にあるように福玉仙吉さんが岩国から持ってきた宇野八幡の分霊ってのがある(あった?)ようですが、これが「五天山」
にあるのかなぁ?
ちょっと整理しますと、「札幌の神社リンク集」の「五天山神祠」は写真から判断すると、山頂にある祠と思われます。
では、中腹の「五天山神社」(ここには“跡”の文字があったのが気になるが)が、「札幌の神社リンク」の言うところの「宇
野八幡」かというと、ワシが見た限りには現場にはそんな名前はなかったんだよね。
しかも、五天山レポートにも書いたように「札幌文庫」の記載されている通りの「五天山神社」の由来、つまり「昭和10年
井上弥一郎の夢枕に大国主大神のお告げ…」ってヤツが書いてあったわけで、福玉さんの明治2年とかいうのとは時代
からして違うしねぇ。
福玉さんの建てた「宇野八幡」ってのはどこかにあるんでしょうが、「五天山の高台」ってだけでは…。
てなことで、「札幌の神社リンク」はあやふやな点が多いと思っちゃうんだよね、ワシ
そうだ!前に紹介したHPでお寺のがあったでしょう。
ええっと、これだ。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bouzu/f/f32.htm
(関連サイト「霊場通信」はここ。ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bouzu/
この「第32番霊場宝寿山吉祥院」の「五天山の奥の院」ってどこだ?
たしかにあそこには「不動明王」もあったけど(アルバムにアップしてます。
“おーいお茶”が供えてある石像)、あのことか?
しかし、この調子で行くと、「五天山」は神社仏閣だらけになるゾ!?
いやもしかして、ここは何でもありなのかもしれない…。
「宇野八幡」ってのも、あそこのどこかにあるのかも…。
う〜ん、よくわからんくなってきたダスよ。
23牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 01:48 ID:ods1OiaA [ N022060.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、シツコインデスガ、「五天山」…。
この前登ったのとは逆、つまり東方向にも道があるようです。
既出でどなたかが言っていた、「福井から平和へ抜ける道」から出ている小道が。
こっちも調べにゃならんな。山道の調査はキツイけどね。
思えば、「雁来町」の調査は楽だった…。
>>21
前スレの178さん。
「旧軽川」が「中の川」に合流するところには「旧軽川排水機場」ってのがあります。
そこじゃないんでしょうか?
>>20 さん「小さな魔女の森」ってのはワシの持っている(複数の)地図には出ていません。
でも、わかりました。
ttp://www3.tky.3web.ne.jp/~yurika5/yurikagohoiku.html#anchor425291
へ行ってみてください。
>>19
本籍水車町さん。
「じっちゃんの名にかけて!」じゃない?
それともネタ?
ま、ワシも決めておくか。
「余の顔、見忘れたか…」
(意味はありません)
24牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 01:49 ID:ods1OiaA [ N022060.ppp.dion.ne.jp ]

人のアラ探していたら間違えた!
「この前登ったのとは逆、つまり東方向にも道があるようです」
これを「西方向」に訂正!
25本籍水車町:2002/08/23(金) 02:04 ID:djACzDr6 [ pd33834.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん、ネタです。気付いてくれてアリガト。さて、宇野八機の件は「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」に出てました。それから、書き方が悪かったかもしれない。[明治2年]は分霊を持ってきた年で、西野神社ができてから五天山に移してますが…五天山神社って昭和10年だよな、常識的に考えてそれより前か。何か時間の関係がわからなくなってきたぞ。
26魔女:2002/08/23(金) 02:34 ID:sN1IV6cg [ z137.61-115-80.ppp.wakwak.ne.jp ]
>>23
なるほどー。情報どうも!
・・・しかし毎度のことながら牛鍋蝸牛のリサーチ力は凄いですね。
関心しちゃいます。
27打倒Sタウン:2002/08/23(金) 02:46 ID:faAjdadg [ ppp0320.va-tyo.hdd.co.jp ]
Sタウン
28牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 06:12 ID:PRNe2Phk [ y068199.ppp.dion.ne.jp ]
おっはようございます!
そっか、「さっぽろ文庫」か〜。
ちゅ〜ことは「「札幌の神社リンク集」の元ネタも「さっぽろ文庫」ということかな?
「さっぽろ文庫」では「瑞穂」「雁来」両神社はどのように記載されていますか?
参考までに教えてタモ。
ま、それはそれとして、明治2年に分霊となると、かなり遡ることになるでしょ?
わからんくなってくるでしょ〜?
しかも、「西野神社」から分霊したということは、「西野神社」がいつできたのかっ
てことになる訳です。
しかし、そこまでいうと「福玉仙吉」さんって誰だ?ってことになる…。
ワシもまるで、近所のじいさんのように今まで書いてきましたが、不勉強のため初耳。
そこで、まとめて「福玉仙吉」情報!
ttp://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200106/nishi/nishi02.pdf
ttp://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200106/nishi/nishi03.pdf
ttp://www.city.sapporo.jp/somu/koho-shi/200106/nishi/nishi04.pdf
う〜ん、立派な人だったのだな〜。
記録のため、要約してテキストにしておきます。
しばらく時間かかるので、<つづく>にしておきます。

>>26 魔女さん。
もっとホメテ!
>>27 Sタウンですか。
あれ、地名かぁ…(w
新琴似ですね。サッポロビールと清水建設で作ったんだよね。
バブルの名残りのプロジェクト。
最高は15階の高層マンション群。
A〜E棟くらいまであるのかな?
もちろんオートロック、警備員常駐。
地下駐車場もあって、内装もそこらのマンションとは比較にならない豪華さで、まさに
ひとつの「街」のようだったが、価格帯が馬鹿高で売れ残りがかなり出たはず。
というか、途中で売れた部屋を買戻ししたはず。
虫食い状態では管理費用が馬鹿にならないので…・。
賃貸もあるけど、これも高かったね。
割と最近までチラシなんか入っていたけど、全戸売れたのかな?
29牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 09:40 ID:PRNe2Phk [ y068199.ppp.dion.ne.jp ]
福玉仙吉
1837年(天保8年)江戸深川の商人福玉平八の次男として生まれる。
なぜ北海道に移住したかには諸説ある。
一般的には判官・島義勇の従者説が有名だが、「幕府旗本の士山岡某の僕として慶応2年発寒から上手稲に移り開墾に従事した」との記述もある。
彼は今も観桜の名所である札幌神社(現・北海道神宮)境内に、明治8年4月に桜の木を150本を初めて植えた。
それは「佐賀の乱」に巻き込まれ、「江藤新平」らとともに処刑された島の霊を慰めるためとも言われており、その碑(献桜百五十株碑)も大正5年に
札幌市街馬車軌道株式会社によって建立、碑文には「島判官従者福玉仙吉」とある。
しかしながら、仙吉が明治元年に土地の割渡しを受けた書類が残っているなど、明治2年に来道した島の従者であったとは考えにくい。
仙吉は私費で学校を開校し、「右股道路」(現在の右股通の一部)を開削、山口県岩国市の宇野八幡の分霊を平和に安置したりもした。
後に上川郡風連町に移り、大正5年札幌神社の碑文を否定することなく、この世を去る。

ここからは牛鍋蝸牛、語る。
さて、なぜ札幌市街馬車軌道(株)が「献桜百五十株碑」を建立したか?
これはおそらくは、当時円山村であった札幌神社への参拝客、春の花見客が馬車軌道を使ったので、その関係でしょう。
確か、「さっぽろの昔話」にも、円山が別荘地として発展したのは鉄道があったから、という記述があったはず。
この頃は石山からの石材輸送で始まった鉄道馬車が、旅客輸送を本格的に始めた頃。
お互いも持ちつ持たれつの関係だったと思われます。
改めて調べなきゃいけないけどね。
一応、「福玉仙吉」翁についてはこの辺で…。

どうでもいい、オマケ。
>>23ttp://www3.tky.3web.ne.jp/~yurika5/yurikagohoiku.html#anchor425291
「小さな魔女の森」のところで、
「その中で蟻さん,いぬ,馬,牛,わらじ虫など昆虫や動物と身近にふれることができます」って書いてあります。
なんで、蟻だけ「さん」付けなんだぁ?
馬呼び捨てにすんなって、「馬頭観世音菩薩」に怒られるぞい!
かえって全部呼び捨てで、最後に(順不同・敬称略)とか入れればいいのにねぇ(w
30なまら名無し:2002/08/23(金) 11:13 ID:.nc94mM6 [ T35.V9485d3.rppp.jp ]
はじめまして
問題の「札幌の神社リンク集」を管理している者です。
まず、このサイトの文章は、北海道神社庁が平成11年に発行した「北海道神社庁誌」というものから転載しています。
この本は、とある神社よりお借りしたため、一般に販売されているものか、図書館等にあるものかはわかりません。
基本的に、この本がすべてでページを作ったため、瑞穂神社と雁来神社のようなことが起きてしまいました。逆に言えば、神社庁側でも、これらの2社を混同しているのかもしれません。
確かに、神社の由来や祭神が同じというところなどからも、これらが同一の神社であることは想像できます。こちらの調査不足は反省しています。また、ページも近いうちに修正する予定です。
なお、北海道神社庁誌における雁来神社の参考文献は『さっぽろ文庫39札幌の寺社』となっています。
31なまら名無し:2002/08/23(金) 11:14 ID:.nc94mM6 [ T35.V9485d3.rppp.jp ]
次に、五天山神祠についてですが、こちらは西野神社が管理しているそうです。こちらのページも参考にしてみてください。
http://www.phoenix-c.or.jp/~jinjya/kyoudo/korou/a_batou.html
宇野八幡に関しては、参考文献がやはり『さっぽろ文庫39札幌の寺社』です。また、次のページの記述によると、昭和59年6月に西野神社に合祀とあるので現在は何もないかもしれません。
http://www.phoenix-c.or.jp/~jinjya/kyoudo/korou/a_hachiman.html
神社庁誌では宇野八幡、このページでは宇佐八幡と異なっていますが、年代等からみて同一のものだと思われます。
なにぶん、古い情報も多いため“あやふや”な点も多く信憑性も薄く感じられるのかもしれませんが、皆さまからいただいた情報をもとに、より完全なものに近づけていこうと思っています。
あやふやな情報ではありますが、でたらめな情報ではありません。情報がないよりはマシ程度に受け止めていただければ幸いです。
32牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 11:50 ID:0Fw5LbYU [ B136109.ppp.dion.ne.jp ]
>>30>>31 「ねこのて堂」さんですね、どうも恐縮です。
いや、ちょっと悪く書いちゃってごめんなさいね。
やっぱり、見てたのね。ほほほ…。
「雁来神社」と「瑞穂神社」に関しては、ワシが先日撮ってきた写真がありますので、これを参考
にでもしてください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=23
「旧雁来神社の由緒来歴」
ご覧の通り、「雁来神社」は「瑞穂神社」に改名されています。
「宇野八幡」はもしかして、「宇佐八幡」ではないか?というとこまでは実はワシもたどり着いてい
ました。
これからもうちょっと調べようと思います。
ま、今後ともお世話になりますので、よろしくお願いします。
じゃ、これから実地調査へ行って来ます。
33ねこのて堂:2002/08/23(金) 18:09 ID:.nc94mM6 [ T35.V9485d3.rppp.jp ]
>>32
宇野八幡と宇佐八幡が気になったので、西野神社に問い合わせてみました。
宇佐は宇野の誤りだそうで、「宇野八幡」が正しいとのことです。
なお、現在は合祀されたことにより何も残っていないそうです。
それから、五天山神祠=五天山神社で間違いないのですが、
馬頭観世音菩薩は神社とは別に、五天山に祀られています。
こちらも、とても勉強になるスレでお世話になっています。今後もよろしくお願いします。
34前スレの178:2002/08/23(金) 18:56 ID:LrCfKUn6 [ 202133202.ppp.seikyou.ne.jp ]
>>23
牛鍋蝸牛さん
今日行って確かめたら確かに「旧軽川排水機場」でした。
でもどこかで昔は回転川だったというのを読んだような…

軽川が付け替えられて、それまでの軽川が「旧軽川」となったのは昭和44〜46年頃とのこと。
この時代にふつう読み間違いってあるかなぁ?

なんか自分の記憶が怪しくなってきました。(笑)
妄想だったりして・・・

>>19
本籍水車町さん
逆流するというのは、ありえると思います。
新川は海からずっと直線でしかも高低差もほとんどありません。
実際、新川中央橋付近で水の流れを観察すると中心部へ向かって流れてることがよくあります。
夏には磯の香りもします。河口から5キロ近くあるのに
35牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 19:33 ID:AXoyQmRQ [ N023193.ppp.dion.ne.jp ]
>>33
ねこのて堂さん、貴重な情報ありがとうございます。
そうすか、「宇野八幡」ですか。
「宇野」は情報が少ないんですよねぇ〜。
実は、ワシとしては「宇野」のほうがこれから展開が多そうで喜んでいたのですが(w
しかも、「馬頭観世音菩薩」が「五天山神社」とは直接の関係はないと…。
今日、図書館で調べたんです、「手稲町史」(上、下) 昭和43年3月30日発行。
で、少し分かってきたことがありますので、明日にでも報告します。
 
>>34
前スレの178さん。
行ってみましたか。その心がけとってもイイ!
「現場百篇」、「犯罪者は現場に戻る」。
何度も言いますが、これですよね。
実はね、ワシも今日の実地調査は「転川&旧軽川」だったりして…。
画像アップしますか…。
えっと…、じゃ。
でも、まだタイトル、キャプション付けてません。
撮った写真とりあえず、全部アップします。
容量の問題もあるので、後で削除します。今日中は間違いなく全部見られます。
その代わり、つまらん写真も混じってます。皆さん、ご自分で判断してください。
今日は、ワシ、3時間しか寝てないのに実地調査と図書館通いしてたので、もう駄目ぽ。
それに、ビールがっぱり飲んじゃったしね。
ま、レスあれば答えるかも…。んじゃ、ちょっと待ってね。画像アップします。
36前スレの178:2002/08/23(金) 19:34 ID:LrCfKUn6 [ 202133202.ppp.seikyou.ne.jp ]
>この時代にふつう読み間違いってあるかなぁ?
これは私の読み間違いでなく回転川の由来の2説についてです。
37牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 19:52 ID:AXoyQmRQ [ N023193.ppp.dion.ne.jp ]
「アルバム」へアップ終了!
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=121
からスタート。
38牛鍋蝸牛:2002/08/23(金) 20:19 ID:AXoyQmRQ [ N023193.ppp.dion.ne.jp ]
ぎゃ!また間違っているダ!
>>35
『実は、ワシとしては「宇野」のほうがこれから展開が多そうで喜んでいたのですが(w』は、
「宇佐」に訂正!
ワシ、おっちょこちょいだって、最近自分で気がつき始めました。
3918丁目:2002/08/24(土) 09:17 ID:oMkCNuAE [ SODfi-02p5-110.ppp11.odn.ad.jp ]
明日まで私は白金温泉です。まー2日間雨のようだから、実地調査はできなくてもいい。
それから忙しすぎて、デジカメのドライバ入手さえままならなかったです。
軽川いいですね!私も歴史探索は東区の次に手稲区が好きです。
西区は手稲と分区してからあまり見るべきものはないかなー?なんて考えていましたが、
ここの五天山見てて考え変わりましたよ。
平和にある慰霊碑とか、まだまだ掘り出せば出て来そうですね。
40牛鍋蝸牛:2002/08/24(土) 11:58 ID:9L0nq8RY [ y068022.ppp.dion.ne.jp ]
毎度どうも…。
また間違い訂正です。すみません。
>>35 の「手稲町史」を「手稲町誌」に…。
尚、発行元は「札幌市」です。
現在、「五天山神社」「西野神社」宇野八幡」「宇佐八幡」の関係をまとめています。
「宇佐八幡」(宇野?)のあった場所が判明しまたので、
地図をアップしておきます。
明治30年代の「平和第一」の居住者の図です。
縮尺がはっきりしませんが、川と道の形・関係を見るとそれがどこか分かってきます。
詳しくは後ほど報告しますが、>>18 での本籍水車町さんの記述と合致しますね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=160
18丁目さん、白金温泉かぁ。
何年か前に行ったけど、あそこは今日あたり寒そうだなぁ〜。
41牛鍋蝸牛:2002/08/24(土) 20:51 ID:9L0nq8RY [ y068022.ppp.dion.ne.jp ]
まずは、「宇野」あるいは「宇佐八幡」と「西野神社」の創立に関してまとめます。
出典によって諸説紛々で、どこからどうまとめるかが大変なんで、ちょっと分かりづらいと思いますが、ご容赦を。
「手稲町誌 昭和43年3月札幌市発行」では、
「手稲町字平和は平和第一、平和第二、平和第三の部落によって成り立っている。
平和一は明治17年に山口県人の春木屋孝造、春中島太郎、石井助太郎等が移住
次いで明治19年福井県越前の移民13戸が入地して開墾が始められたところである。
明治19年以来続々入植し、明治30年代には第27図
(http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=160)
に示すような在住者となった。
この地区は、明治19年以前にすでになに人かが入地して開墾したのではあるまいか、とされている。
坂井三郎右衛門の居所であった奥地に、草分の神として宇佐八幡の神をまつったほこらがあって、それには石井
助太郎の筆によって『明治2年より初まる』と帰されているというのである」とあります。
この図では「宇佐八幡」となっていますが、ねこのて堂さんの取材によると「宇野」の間違いとのこと。
実際に「手稲町誌」の「手稲町の宗教事情」には「宇野八幡」とあります。
さて、「明治19年以前の入植者」というのが、本籍水車町さんから既出の、
「明治2年に上手稲の開祖といわれる福玉仙吉、中島太郎、石井助太郎の三人が山口県岩国から分霊して宇野八
幡宮をまつり、西野神社創建後、五天山の高台に移転して安置した」
「さっぽろ文庫39 札幌の寺社」
とつながるわけのでしょうが、肝心かなめの「福玉仙吉」は「手稲町誌」には出てきません。
しかも、「中島太郎」と「石井助太郎」は出てきますが、時代が15年も違うのです。
※「手稲町誌」の「春中島太郎」は「中島」の誤植と思わる。
ちなみに、「北海道神社庁誌」には、
「明治18年、西野開発の為入地した5戸の移住民により小祠が建立され」とあるそうです。
<つづく>
42牛鍋蝸牛:2002/08/24(土) 20:54 ID:9L0nq8RY [ y068022.ppp.dion.ne.jp ]
そして、この27図に描かれている「宇佐八幡」(宇野八幡)の場所、これはほぼ間違いなく「五天山」の中腹の、
現在「馬頭観世音菩薩」が奉られている場所と思われます。
この図は明治30年代のものだそうなので、「西野神社」創建(明治31〜33年。これも意見の分かれるところ)後
であると思われ、「さっぽろ文庫」の記述とは合致します。
しかしながら、ということは「宇野八幡」はそれ以前には別の場所にあったということになりますが、「西野神社」
創建の時移したとなると、「札幌の神社リンク集」にあるように(出典「北海道神社庁誌」)、「西野神社」に合祀さ
れる前の「右股、左股、広島の三地区に奉祀する小社」のどこかだったのではないか?ということになります。
しかも、ねこのて堂さんの取材によると後に「西野神社」に「宇野八幡」は合祀されているので、今は「五天山」に
は残っていない、とこうなるわけです。
そして、昭和10年の神のお告げで新に「五天山神社」が無名山の頂上に出来て山の名前も五天山となるわけ。
(山の持ち主「佐々木千代松」さんからは、200坪寄付されたとのこと)
で、後に山頂では「お参りが大変だ」との理由で、中腹(おそらくは宇野八幡跡)に移されたってことかな?
「馬頭観世音菩薩」もいつの頃からか同居していたわけですが…。
しかし、今そこも「五天山神社跡」となっています。
「アルバム」見てね。
以上、複数の違う記述のソースを無理くりまとめてみた物です。
はっきり言って、非常に苦労しました(汗
よくわからないってのが本音です。
そうそう、「ゼンリン住宅地図2002」で確認したところ、「五天山山頂」には「五天山神社跡」と神社マーク、中腹には
名なしで神社マークが2つ付いています。てな訳で、「五天山」には都合、3つの神社マークがあるのだよ…。
とほほ。
最後に感想…。
こんなにややこしくなると、このスレに誰もついてこなくなるような気がするワシでした。
43牛鍋蝸牛:2002/08/25(日) 20:08 ID:K98xXVUw [ y068133.ppp.dion.ne.jp ]
ほら、やっぱり丸一日レスが付かないじゃないか!
44本籍水車町:2002/08/25(日) 21:16 ID:Eqakcuo2 [ pdddb4a.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
あとで書き込むからね、とりあえず水車町に関してまとめられそうだから。どうも読み違いしてたみたい。じゃ、またね。
4518丁目:2002/08/25(日) 21:22 ID:EXWK/mQ. [ SODfi-03p1-42.ppp11.odn.ad.jp ]
孤軍奮闘中ですね牛鍋蝸牛さん。
私は札幌地名じゃないですが、気になった地名をひとつ。
12号が雨で275号晴れてたんで(バイク組みに配慮して)275号で
帰途についたんですが、対雁は当別からあるんですね。
白金温泉は白髭の滝がなかなかでした。
今月に入って銭函4丁目での水難で計何名亡くなったかな?
あそこはレジャーするところじゃなくて、小樽内橋やバッタ塚を探訪するところ(w
46草加のせんべい屋の寄宿人:2002/08/25(日) 21:49 ID:43F1sP0E [ Cksgy1DS73.stm.mesh.ad.jp ]
>>前スレの266
牛鍋鍋牛さん,頑張っていらっしゃいますね。私は応援していますよ。
ちなみに住まいは草加駅に近いところです。谷塚にはたまに埼玉草加病院に
逝く時に使ってます。ちなみに私がリアル消防の時も五天山の神社の方は
ヤバイと言われていたような。結構悪ガキだったので日がくれるまで山で遊
んでいることもありましたが,さすがに神社の方には昼も近づけませんでした。
でも日が落ちるとなんだか寒気を感じるので一目散に走って帰るような小心者
でしたが(藁

>>前スレの283
もと福井6丁目住人さんこんにちは。そうですね、私も最近福井の空気を吸いた
いなという衝動に駆られます。飯能にはさすがに逝った事がないですが,
武蔵五日市の方面と東松山なら逝った事がありますよ。
なんだかいいなぁとおもいつつ余りの遠さがネック。。。
47牛鍋蝸牛:2002/08/26(月) 07:46 ID:g5c/mzuU [ E168156.ppp.dion.ne.jp ]
みなさんの暖かなお言葉に涙〜。
昨日は北海道マラソンのお手伝いに行ってきました。
ランナーの汗は飛ぶ、よだれの入ったコップは拾わにゃならんでドロドロになったヨ。
というわけで、ヒネくれて、サボってたわけではありません…。
場所は西5丁目通りでした。
さて、北大の近くには「鉄西連絡所」ってのがあります。
ここのことは「その壱」の262 さんが言っていたね。
で、そのすぐ近くに交通局の変電所があるんだけど、これが「鉄北変電所」。
これでは混乱しますわな。
なんのことか分からない人は「その弐」読んでね。
それと、「軽川」の写真ですが、少しだけタイトル等付けました。
レポートは後ほどします。じゃ。
48牛鍋蝸牛:2002/08/26(月) 22:05 ID:ja3i3H1c [ N043120.ppp.dion.ne.jp ]
「五天山」関係で書きたいことはまだあるのですが、とりあえずは「軽川」。
ただし、“川”の「軽川」と「旧軽川」レポートです。
実際に回った順番は違いますが、分かりやすくするため旧5号線と交差する辺りから書きます。
さらさらと手稲山を下ってきた「軽川」は「手稲本町」の「岩隈脳神経外科」横から旧5号線の地下
に潜り、陸橋の下で顔を出し函館本線を横切り、南に進路を変え「軽川桜づつみ」(散策路)へと続きます。
河川敷はかなり広いのですが、水量は小川程度。
子供連れでも安心でしょう。
「テックランド手稲」の北、「寿命薬湯」(黎明薬湯改名)の脇辺りから「旧軽川」が枝分かれしますが、
それは水無し川でした。
洗濯物を取り込んでいるおば様に聞き取り調査を実施。
「旧軽川」はほとんど水が流れたことはないとのこと。
「一度(いつからの?)だけ台風のとき水が流れたことがある…」ってことです。あとは雪解けのときくらいだ
そうですよ。
「旧軽川」は「軽川」の放水路としてあるようです。

さて、「藤川」「ワラビ川」というのはなんなんでしょう?
うちの地図に出ていたのですが…。
「中の川」は合流する前に「藤川」に名前が変わるのか?
そして合流地点にあっる「ワラビ川排水機場」は何ゆえ「ワラビ川」というのか?
この前はこのことに気づかず調べもしなかったので、誰か教えて。
49なまら名無し:2002/08/27(火) 00:24 ID:yoh51T.s [ proxy.hutch.com.au[YahooBB218127138010.bbtec.net] ]
>>48
札樽道以北→5号線
札樽道以南→旧5号線
ですよ。
50本籍水車町:2002/08/27(火) 01:27 ID:tjKZjhas [ pdd2fc5.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
さてと。
水車町に人が住み始めたのは、豊平川神社が創建された(と伝えられる)明治20年、さかのぼるとしても1.2年でしょう。集落ができるとまず神社ができる。祠のようなものかもしれないし、切株にお札(ふだ)を置いただけの「切株神社」だったかもしれない。とにかく早い時期にできました。それほど生活と密着していたわけです。
 これ以上さかのぼるのは難しい。というのは、当時の豊平川は暴れ川でした。資料によると、2.3年に1回は氾濫し大洪水を起こしています。こんな所には住むわけにはいきません。開拓使は何度か堤防を築くのですが、安っぽい物だとすぐに決壊してしまいます。明治15年には史上二番目という規模の洪水が発生、開拓使はたまりかねて国に支援を要請。本格的な護岸工事にとりかかり完成したのは19年だからです。
 水車川は「豊平川から水路を引いてきた」という記述から、人が住んですぐに水車小屋ができ始めたわけでもなさそう。水車は30年頃から稼働したと書かれているので、神社の創建がもう少しあとになるかもしれません。ただ、ここまで読んだだけで、製材所は入り込む余地がないことがわかります。何か勘違いしていると思う。「明治初期に製材所があった」→「動力は水車を使用していたようだ」→「現在、水車町という地名が残っていて、昔水車小屋が集まっていたらしい」→「じゃあ、製材所もあったのでは」。こうは考えられないだろうか(特命リサーチかっ!また日テレネタだな…)
 〜PART2へ続く。
51牛鍋蝸牛:2002/08/27(火) 09:38 ID:yXA7D4kg [ E168086.ppp.dion.ne.jp ]
>>49 さん。ご指摘ありがとうございます。
旧5号については、「よくわかってなかった…」というのが本音です。
言い訳ですが、ワシ既出のように今から20年以上前に東京に転居しまして、10年ほどいて
その後こちらへ戻ってきました。
その間に札幌はかなりの変貌を遂げ、なぜか「5号線」と呼ばれていたものが、「旧5号線」と
なっていました。
で、いつからか、どこからか分からないまま現在に至る、ということでして、失礼しました。
え〜、ところで「旧5号線」って厳密にはどこからどこまでなんでしょう?
本籍水車町さんのレポート、期待してますヨ。
それと、18丁目さんの画像アップまだのようですが(プレッシャーかけとく)、「カレキ」の件
、前スレ271 「かれきしんはし」のことについて。
これはワシの全くの推測、推論だけど、「小さな橋」の名前というのは慣行的に「古い土地
の名称」をつけるのではないのでしょうか?
「赤坊川」の「上篠路」側には、「第2五ノ戸橋」と「十軒橋」というのがあります。(前スレ267)
「五戸」も「十軒」もここの旧地名です。
それと、高速道路なんかを走ると連絡橋(?)ともいえる橋が上に架かっていますよね。
北海道では高速を余り使わないのでよくわからないんだけど、昔、関東方面を走っていると
それこそ「マイナー」な名前が各橋々に付いていたので、不思議に思っていたのです。
どこから持ってきたのかな?と…。
「かれきしんはし」もそういうことで、わざと古い「かれき」という呼び名をつけたのではないかな?
関係者の方、いないでしょうか?
「五天山」はもう一度実地調査へ行く必要を感じています。
前回の調査後、明らかになったことの確認のためです。
管理人さんがいれば聞き取りをしたいし、石碑に書かれてあるかもしれない文字も読みたい。
尚、山頂の祠にも寄進者と思われる名前が彫られていましたが、ビニールシートでほとんど読め
ない状態でした。
52m:2002/08/27(火) 12:21 ID:zwWy0b8o [ p2190-ipad11sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
旧5号線でしたら札樽道宮の沢料金所近辺から北1条駅前通り(?)までじゃ
ないでしょうか?
現5号線は通称「札幌新道」の創成川の西側、それより東は274号線ですよね?
ちょっと自信無しなので、誰か補足願います。

でも最近の札幌の変動は凄いですね。私も札幌離れて20年になりますが、実家へ
帰る度に街の風景が変わってます。JR高架完成から急変しましたね。
最近帰って驚いたのは北十八条の「エルムトンネル」です。
53牛鍋蝸牛:2002/08/27(火) 14:24 ID:KU5v1cJU [ B136173.ppp.dion.ne.jp ]
mさん、お久しぶり。
実はワシ、昔、二十四軒に住んでました。
地図を世〜く見ると、「5号線」はやはり、「北1条宮の沢通」(と言うようです)の最西端(所謂、第一鳥居)からですね。
これは昔と変わらない。
で、「札幌新道」まで…。
うちのパソコン地図、今回気が付いたけど道路がちゃんと色分けになっていました(w
「旧5号」は「「北5条手稲通」が正式な「通り」の名称ですね。
しかしながら、「北1条宮の沢通」は「石山通」から「道々124号線」であり、「札幌新道」までを言う。
ややこしい…。
話は変わりますが、「第一鳥居」の辺りって、雨と天気の境界線になっていました。
道路に直線でくっきり濡れた所と、乾いたところが分かれていたりしましたね。
バスで通ったとき何度か見て、感動したのを思い出しましたよ。
54なまら名無し:2002/08/27(火) 14:49 ID:bBPdw/wE [ pdd2e49.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
情報が錯綜してるようですが・・・

5号線は北1西1から創成川通→札幌新道を経て、札幌西ICへと向かいます。
>>53の第一鳥居〜札幌新道は、旧5号線です。
ちなみに北1西1は、5号線の終点です。起点は函館。

北5条・手稲通は、北5条通〜(北5西25)〜旧5号線で、新道までです。
北1条・宮の沢通は、一般的には北1条通をそのまま西へ向かい、山の手・西野を
経由して5号線の西宮の沢に出て、追分通になる道を指すかと。
地図によっては>>53のとおりに旧5号線を指す場合もあります。


ところで、石山通と新川通の境目ってどこなんだろう・・・
地図を見て、ふと疑問に思った。
55m:2002/08/27(火) 15:15 ID:/Sr.Un0Q [ p1050-ipad01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
石山通りは北18条西15丁目(エルムトンネルの入り口交差点)までで、そこから北西へ
新川沿いの道が新川通り、前出交差点から西へ前田方向に伸びてるのが下手稲通りでは
ないでしょうか?違うかな?

おお!牛鍋さん二四軒ですか。中学校は二四軒でした、私。
56なまら名無し:2002/08/27(火) 16:04 ID:E/qIiltQ [ fb151062.sa.FreeBit.NE.JP ]
>>55
『前出交差点から西へ』行っているのは環状通りでありまして、
下手稲通りはもっと西側の八軒5条東5からとなるでございます。
57:2002/08/27(火) 16:58 ID:T4.Wg2m2 [ p6016-ipad11sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>55さん
ありがとさんです。そっか、環状通りもありますもんね。
58牛鍋蝸牛:2002/08/27(火) 21:26 ID:B9xDpB6k [ N043163.ppp.dion.ne.jp ]
>>54 さん。
ごめん、また間違えた!
そうそう、「旧5号線」と書くつもりで、つい昔の感覚で書いちゃいました。
その昔、東京に住んでいた頃、「国道17号」と「新大宮バイパス」の境目がどこからか判別つかなかった
ことを思い出したなぁ。ま、ありゃ埼玉だったけど。
mさんへ。
ワシね、残念ながら、中学校は啓明なんです。(前々スレの35)
二十四軒にいたときはもう大学行っていたのれす(w
あのあたりもすっかり変わってしまったねぇ〜。
中学校といえば今日、「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道」って本を読み始めたのですが、啓明中のことが書
いてありました。
「円山第二尋常小学校」が「札幌市立中学校」の第一号となり、「陸軍被服廠札幌支廠」に接収された後、
いくつかの変遷を経て「札幌市立啓明中学校」になったという話が出ていました。
中には「寺田京子」さんの話も…。
実はワシ、「寺田京子」さんち(妹さんのご主人の家)へ遊びに行っていたりしたんだよね。
姪御さん、甥御さん、元気かなぁ。
さて、「五天山」。
まだだま調べたことあります。
それと「旧軽川」の「回転」についても思ったことも。
また、後ほど…・。
59牛鍋蝸牛:2002/08/27(火) 21:59 ID:B9xDpB6k [ N043163.ppp.dion.ne.jp ]
「五天山神社」のお祭りは昭和40年代までは結構盛大に行われていたようです。
「手稲町誌」昭和43年発行「福井」より。
「最近は五天山の山腹に採石工業が行われ連日ダンプカーが砂塵を立て採石が搬出されている。
また五天山には宅地造成が行われ、中腹には五天山温泉が開かれ、札幌地方の観光に進出しようとしている。昭和41年には、左右間道路が自衛隊の奉仕作業によって開通し奥地の交通開発に一新機軸を聞いた。(原文のまま)
これは、やがて、札幌盤渓からの連けい路線に開発され、手稲山南面の絶景を眺めるスカイラインの構想にもつながるものとなろう。
時代は大きく変わりつつある。昔の茅屋から近代的な豪華な住宅へと部落の様相は全く一新された。
五天山神社が五天山山頂にまつられ、毎年秋のお祭りはこの地区の一行事として重んぜられている」
未だ手稲へ抜ける道は出来ていませんが…。<つづく>
60牛鍋蝸牛:2002/08/27(火) 22:34 ID:B9xDpB6k [ N043163.ppp.dion.ne.jp ]
さて、ここで出てきた「左右間道路」とは例の「福井」から「平和」に抜ける五天山の西を通る、今の「平福線」のことです。
「手稲町誌」の「左右間道路」のくだりを…。
「昭和41年8月3日から自衛隊(陸上自衛隊第十一師団)が演習を兼ねてこの道路開さくに奉仕し、遂に9月16日、1,300m
の道路開通を完了し、この日師団長(陸将藤井一美)町長立会いのもとに引渡しを終わったのである。
この間の工程僅か45日、これに要した費用も町側、自衛隊側併せて168万円という極めて僅少なものであった。
この道路は、平和ならびに福井の奥地の交通連絡を便ならしめるだけでなく、これが将来は札幌市盤渓との道路に連絡
し(進行中)、さらには、既に平和の滝まで路線の完成している平和道路を奥に進み、同じ標高をたどって手稲山の南面を
東から北に迂回して山頂に達する道路が考えられるが、このような道路の構想はやがて開かれる国際オリンピック道路と
して活用されるばかりでなく、天下の絶景をほしいままにする札樽スカイラインとしても重要かつ価値のある路線となっるこ
とは間違いないところであろう。
左右間道路はこのような将来を約するものとして、大きな意義づけをしたのである」

>>59 の「採石工業」のことですが、「石平採石」「北陽採石」「第一採石」という会社名らしきものが「手稲町誌」に出ていました。
しかし、これが何を意味するのかは全然、説明はありませんでしたが。
61なまら名無し:2002/08/28(水) 11:18 ID:sif3Wmsw [ i135141.ap.plala.or.jp ]
ちゃんとROMしてるので、がんがってください
62牛鍋蝸牛:2002/08/28(水) 22:05 ID:XwCVJbO6 [ B136104.ppp.dion.ne.jp ]
>>61さん、ありがとうございます。がんがります。
このスレのギャラリーって、何人くらいいらっしゃるのでありましょうや。
閑話休題。
「手稲町誌」の記述ですが、なかなか興味深い…。
途中からは期待と願望がまじってますな。SFと言ってもいいかな(w
21世紀の今日、夢は未だ果たされず…ですな。
「五天山神社」のお祭りは今はやっていないのでしょうかねぇ。
自衛隊が道を作るってこと当時は結構あったのかな。
じゃ、今日は寝ます。
暑くて疲れたのだ〜。
63なまら名無し:2002/08/28(水) 23:10 ID:RSySdv2o [ j174010.ap.plala.or.jp ]
いつも楽しみにROMってます。
64本籍水車町:2002/08/28(水) 23:35 ID:ow4PgRDc [ pdd74a0.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
今日は暑かった!体が秋モードに入っているのでバテたね。
さてPART2です。
 昭和20年代以降、人が住み始め水車小屋も増えて、製粉・精米は軌道に乗ってきました。冬に凍結するという弱点を抱えつつも、大正末期まで隆盛を極めました。この間、明治の末か大正の初め、水車川の水路を直すため、薮に火をつけ焼き払ったのですが、多数の蛇も焼かれてしまい、蛇を供養するため「大龍王神」にまつりあげ蛇神社を建立したのです。しかし、市内の他の地域で電動による製粉が行われ、大正末期には水車も止まってしまいました。
 ここからは牛鍋蝸牛さんのレポートの引用になるのですが、実は報告を読み違えてまして…「中西夫妻が明治30年に水車町に移ってきた」とカン違いしてたんですね。それで難得神社の成立がツジツマが合わなかった。
 水車(産業)がなくなり蛇神社も存在意義を失った。そこに越してきたのが中西夫妻。講を結成し、さびれていた蛇神社も入手しました。この時点で蛇神社としての歴史は終わります。昭和27年には新しい鳥居を建てるわけですが、額には「難得」といれました。社殿はそのままに生まれ変わったのです。
 こう考えれば納得がいきます。蛇神社の創建には明治30年から大正初期まで異説がありますが、私は丁水鉢に刻まれた「奉納 大正4年」がその年ではないかと思っています。
 つかれているので(←漢字変換忘れるくらい)この辺で、とっぴんぱらりのぷ
65遥香:2002/08/29(木) 16:48 ID:zIPnHH3I [ i232080.ppp.asahi-net.or.jp ]
私も楽しみにROMってます…って違ーう!!
なんか書きたいという気持ちだけはあるのですが、思うようにいかなくて。
落ち着いたら、ボソッと書き込みしているかもしれません。
66牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 17:23 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
昨日の道新に「軽川」の「前田橋」で男性の死体が発見されたとの記事が出ていました。
この前の実地調査では川下から遡って、「旧軽川」へと折れたので「前田橋」には立ち寄らなかったが、これも何かの縁。
ご冥福をお祈りいたします。
え〜っと、今日は「水車町」に行って来ました。
ここ何日かで本籍水車町さんがレポートされていますが、「平岸街道」以東の調査をしていなかったこともあり、再度訪問
しました。
で、結局行ったのは「難得神社」です。
鳥居や灯篭に刻まれた文字を確認したいと思ったのです。
それと実は、「蛇神社」の由来がどうも気になって…。
というのは前回の調査で「蛇」に関したものは発見できなかったからなのです。
祠の中にはそれらしき絵が一枚だけありましたが…。
本籍水車町さんには悪いが、これはワシとしては、はっきりせんと気がすまない。
さて、「難得神社」へ着くと、既出でありますが、となり(敷地内)のお宅のご主人らしき方が、軽のワゴンの中で片付けをされ
ていました。
まずはご挨拶をしまして、境内へ。
「難得」と刻まれた石の鳥居や灯篭、手水鉢(?)などを確認しました。
手水鉢が一番古いようで「奉納」とあり、裏面には「大正十二年六月 佐々木キヨ」の文字があります。
これは既出の「旭水会館」の手水鉢と関係があるのだろうか?
本籍水車町さんは「旭水会館」のものを昔「蛇神社」で見たと言っているし。
「難得神社」には二つ手水鉢があったのか?
ま、疑問があれば人に聞いてみようってことで、先ほどのご主人にインタビュー敢行をします。
虎はなんと吠えるのか。
次回、驚愕の一部始終を見よ…。<つづく>
67牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 17:59 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
このご主人は、境内の隣(ほんとにすぐ脇)に住んでらして、「難得神社」のお世話をしていらっしゃる「T」さん。
「T」さんは「山鼻」の出身で、「幌西小学校」出身の方。
その後「市立中学」(か、工業中学と言ったと思うが…。市立中学なら、既出の「啓明中学校」の前身。ワシの大先輩)
元々は地元の人ではないのです。
しかも、信者さんでもないとのこと。
それがなぜ、この神社のお世話をされているかと言うと、水車町に住んでいた熱心な信者で、数年前に100歳で亡くなった「おばあちゃん」の姪御さんが「T」さんの奥さんにあたり、ここへ家を建てたという方です。
さて、その「おばあちゃん」が亡くなるときに、
「わしの知っていることを全部話す…」と語ったのが、今回聞いたお話。
前回調査の時もらって帰った、テキスト「難得様の起源について」(その弐 125参照)の補足となるものです。
(この文章は「難得神社」を開いた「中西みゆき」さんのお孫さんで、東京は杉並在住の「中西」さんが書かれた)
では、「T」さんの証言、どうぞ。

「難得神社」開祖の「中西みゆき」の霊感は「経王寺」での修行によって開花したものであったが、その才能は生国である四国は愛媛県にいるときからあったようだ。
屯田兵として北海道にやって来た「中西夫妻」だが、実はかなりの大家であった。
しかし、だまされたかで家は人手に渡ってしまい、ある日、みゆきが家に帰ると庭にあったいくつもの大木は切られていている最中であった。
その時、切られた木から「あるもの」が出て来た。
みゆきはそれを誰にも知られないように北海道まで大事に持ってきたのである。
それが今の「難得神社」の御神体である。
敬称略。

確かに「難得様の起源について」でも経王時の参詣のとき、「初めて霊感を自覚」と書いてあります。
霊感はあったのに「自覚」はしていなかったわけだな、これが…。
さて、その「難得神社」の御神体である「あるもの」とは何なんでしょう?
しかしがらその前に、この「難得神社」の現在の状況と今後を書きたいと思います。
<つづく>
68牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 20:17 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
現在、杉並にお住まいの「中西」さんは水車町の出身だそうで、現在75、6歳の方。
出身校は「札商」。
当時の仲間も水車町にはたくさんいるとのことです。
さて、未だ「難得神社」は宗教法人にはなっていません。
宗教法人ではないということは、税制の優遇も受けられないってこと。
中西さんはまわりの土地(前の駐車場もツバメ交通に貸している)も持っているので、かなりの税金を支払っているようです。
そこで、自分に何かあったときは相続税も発生し、何かと信者の方に迷惑をかけるということで、最近になって杉並区に宗教法人申請を出したのだそうですが、これがなかなか認証を得られずに困っている。
そう、例の「オウム真理教」の後遺症。
「杉並」って彼らの拠点だったところでしょ。
意外なところに「麻原彰晃こと松本智津夫」が汚い顔を出すわけですわ。
「♪しょ〜こ〜、しょ〜こ〜、しょこしょこしょこ〜」(アホか…)

「難得神社」は神仏混交のため、経王寺からお坊さんが定期的に来るそうですし、北海道神宮からもちゃんと、神主さんがやって来るのだそうです。
お坊さんだって、ただの坊主ではいけないらしく、山に入って修行をした人が“はだし”で来られるとのこと。
そんな、神社だから法人格を与えてもなにも問題はないと思われますが、宗教法人になれずにいる“神社”には、道内各地からいろんな人が来るんだって…。
年に何人もが、
「自分にここを任せてくれ」と。
しかも、
「宗教法人にすれば、かなり儲けられるよ」と持ち込むそうです。
Tさん怒ってましたけどね。
そうそう、道内の某テレビ局が信者の迷惑を顧みず、勝手に上がりこんで大々的なテレビ撮影をしたこともあったんだってさ。
しかも、数度に渡って…。
厳重抗議したところ、ディレクターだかプロデューサーだかが、
「Wアナウンサーが勝手にやった。しゃべった」と言ったそうです。
(WはCMにも出るね)
Tさんは、
「アナウンサーが勝手にしゃべるわけないじゃないですかぁ…」って言ってましたよ。
そして、取材テープを提出するように申し入れ、返してもらったとのこと。
「ま、向こうは当然、ダビングくらいはしているでしょうけどねぇ」って言ってました。
ま、そんなこんなで、結構生臭い話も出てくる今日この頃だそうです。
<つづく>
69本籍水車町:2002/08/29(木) 20:17 ID:HFtR225A [ pdda0ab.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
ワクワク(俺がワクワクしてどうする)。
中西さんって石灯籠に名前があったね。ただ、資料をあたると昔は「難得」って単語は出てこないんだよね。
70牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 20:40 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
さてはて、物語はまだまだ続くんだな、これが…。
そしてそろそろ、「御神体」の正体に触れようかな?とも思うのだけど、まだなんだな、これが…(w
まずは、本籍水車町さんの気にしている、「蛇神社」の呼称についてです。
「蛇神社」という通称は後に付けられたものだろう、と「T」さんはおっしゃってました。
つまりは、「龍」と「蛇」の混同だな、にょろ。
あるいは、「蛇は山に千年、海に千年棲む龍になる」(海千山千)からの連想でそう言われたのだろうとのことだな、にょろ。
そもそも、ここが「蛇の巣窟」であったとは考えにくいとのこと、にょろ。
逆に言うと、当時ここに限らず蛇やトカゲなどはどこにでもいたわけで、珍しくもないと言っておられましたな、にょろ。
やはり、初めに「難得大龍神」ありきなのです。
では、本籍水車町さんからのレポートの「大蛇説」「蛇焼死説」は、となるのですが、これには「あっ!」とおんどろく事実がぁっ!
短いけど、第4スティント終了。
引っ張る意味で<つづく>。
71牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 20:41 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]

「蛇は山に千年、海に千年棲む龍になる」は、
「蛇は山に千年、海に千年棲むと龍になる」の間違い!
72牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 21:38 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
え〜、本籍水車町さんが前スレで「広報さっぽろ」かな?と言っておられました、「水路を直すのに水車川の草を焼き払ったら、たくさんの蛇が焼け死んで、その供養に神社が建てられた」説ですが、出所はTさんの話だと「有料の本」(それも結構高価な)だったとこのことです。
出版元は、お役所(だと言ったと思うが、ちょいと怪しい。なにしろ、長い話だったので)であったと。
もしかすると、これは本籍水車町さんの言っているとおりかもしれないが、有料無料、どっちにしろ役所が絡んでいたそうです。
で、その本を札商で同級だった友人たちが、東京の中西さんに、
「おい。こんな風に書かれているぞ」と送ったそうですよ。
なんでそうしたか?
それは、書かれていた内容がまったくの「デタラメ」だったから!
Tさんは出張所長に、
「これはいったい誰が書いたのか、教えてほしい」と言ったそうです。
別に何をどうしろとかといった意味ではなく、間違ったことを書いたのは一体誰なんだ?そこが知りたい、という気持ちだけで聞いたとのことですが、
所長からは、
「いや、それは。あの…、教えられない」との返事。
Tさんは、所長は記述のヤバさに気が付いていたんだろう、と言ってましたね。
かなり粘って、なんとかやっとこ聞き出したところ、
「あの人なら知っているかも…」と言われたのが○○会長。
(牛鍋蝸牛ちょっと、伏せます)
○○会長ものらりくらりの返事で、誰の文章か言おうとしない。
そのうちに言い出したのが、
「その人は、市会議員で議長まで勤めた人だ!」とくだらん権威を盾にして、しかし、絶対に名前は言わなかったそうですわ。
Tさんは、
「議長だろうかなんだろうが、そんなのは関係ない」と食い下がったそうですが遂に口を割らなかった。
しかも、
「もう死んで居ない」とまで言ったそうだ。
そして、他の関係者にも聞き込みをしたが、その件になるとみんな口を噤んでしまうありさまで、はっきりしないんだそうです。
ようは、誰かが憶測で物を言ったのか、面白がって言ったのか、とにかくそれがそのまま何の検証もされずに、公になってしまったってのが真実のようです。<つづく>
73牛鍋蝸牛:2002/08/29(木) 22:16 ID:mOZ7UvbE [ U126195.ppp.dion.ne.jp ]
しかし、Tさんはこうも言っておられましたな。
「だけどね、信者の人達は誰一人としてそのことで腹を立てる人はいなかったんですよ。私もこの歳だけど、まだまだ修行が足りないのかな?って思いました」と…。
「その後、別の豊平区の資料(?)でちゃんとした紹介がされましたけどね」と言ってました。
その本が、区役所の2階でもらえるということで、ワシ行ってみました。
これは既出の「区政施行30周年記念 豊平区の歴史」平成14年発行です。
(公聴課のカウンターに積んでありますが、「一人一冊」とのこと。
数に限りあるそうですので、欲しい方はお早めに)
しかし、そこには「難得神社」の記述はありませんでした。
どうやらこれは、Tさんの勘違いと思われますが、「歴史散歩…?」ともおっしゃっておられたので、「山崎長吉」氏の絶版になった「さっぽろ歴史散歩」シリーズの一冊かな?とも思っていたりしています。
(いずれにせよ「さっぽろ歴史散歩」シリーズは古本でも探したいけどね)
御神体ですが、Tさんは北海道神宮の偉い人と一緒に見たそうです。
ん?
あのさ、御神体って、正体ばらしちゃいけないんじゃない?
う〜ん、言わない方が良いよなぁ。
いや、これネタでもなんでもなく、今本当に書こうと思ったのですが、やはりこういうトコに書き込んじゃいけませんよねぇ。
止めときます。
ま、クリビツテンギョウ、奇妙奇天烈、なものではありません。
失礼ながら、いわしの頭も…と申します。
そんなような「物」です。
「難得神社」は法人化されたらもうちょっとメジャーな神社になるかもね。
ただ、信者さんの信仰の深さは、そこらの大きな神社より凄いかもしれないと思いました。
まさに地域に根付いた神社なのです。

編集後記
今後取材には、何がしかの録音機材が必要かも…。
今回、20分以上の話だったからな。
古いテレコは持っているが、あれじゃ警戒されるよな。
「探偵物語」の「工藤ちゃん」じゃないんだから…。
「あ〜、あ〜テスト、テスト。女は太いのが好き」
74本籍水車町:2002/08/29(木) 23:31 ID:e.HJLrtA [ pdda0c1.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
牛鍋蝸牛さん、お疲れさまでした。
初めからおかしいとは思っていたんだ。蛇の供養のためなら碑を建てればすむこと。それを龍にまつりあげるというのも。龍神なら八大竜王でこれは仏教だし。「難を得てもらう」というのも虫のいい話だし。ただ…何かあったんだろうね。歴史を抹殺されて書き換えられてしまうほどの何かが。そのため町内会では、社殿があるにも関わらず、蛇神社を捨ててしまったんだから。蛇神社は「講」の会場として細々と生き残っているわけですな。だからこそ、一同で奉納した手水鉢を移転したわけですな、フムフム。
ただ、どちらの言い分を取るにしても、依然として疑問点や矛盾は残るわけですが。宗教がからんでいるものにはあまり首を突っ込みたくないんで。この辺りで水車町は終了にしない?
75牛鍋蝸牛:2002/08/30(金) 21:17 ID:viWRQd1c [ N022058.ppp.dion.ne.jp ]
>>74
「ただ…何かあったんだろうね。歴史を抹殺されて書き換えられてしまうほどの何かが」
う〜ん…。
ワシは、正直に言って、それほどのことはないと思っています。
昔話には枝葉が付くものです。
「蛇焼死説」もどっかの誰かが、「与太」で話したことが取り上げられてしまい、後になってみんな蒼くなった…ということでしょう。
でも、これって考えてみれば笑い話ですよ。
情報が限られると、どんな情報でも貴重だとと思ってしまうという落とし穴があります。
でも、実際には捨てなければいけない情報もあるんだと、今回はそういう教訓を得ました。
76牛鍋蝸牛:2002/08/30(金) 22:29 ID:a4SvQG.c [ B136122.ppp.dion.ne.jp ]
えっと、次はどこをやりましょう?
ワシとしては「五天山」まだやってはいますが、そろそろ収束に近づいていると感じていますし、
「軽川」に関しては一応、実地調査には行きましたが、その後の展開はいまいちのようですしね。
みなさんよろしくね。
かといってお任せはだめですよ。
ちゃんと自分でも調査・報告してね!
難しく考えないでいいのです。
たとえ疑問や間違いがあったとしても、そこからまた新しい展開があるものです。
気楽にやっていきましょう!
77牛鍋蝸牛:2002/09/01(日) 12:53 ID:2t4sfUtc [ U127194.ppp.dion.ne.jp ]
ちょっと一段落って感じでしょうか、ここも(w
ワシもいろいろ報告したいんですが、ここへ来て、軽い過労状態に陥りました。
休みの日、実地調査等がんがっちゃったもんでね〜。
体をいたわりつつ、今後もやっていきますですが、ちょと小休止。
じゃ!
78発寒1条1丁目:2002/09/01(日) 18:22 ID:yc9xOQwM [ SODfa-01p5-34.ppp11.odn.ad.jp ]
はじめて書き込みます。
昭和51年頃まで円山北町という地名があったはずですが、いつまで存在していたのでしょうか?
そのエリアは現在ではどの範囲になるのでしょうか?なくなった経緯をご存じの方いらしゃいますか?
円山○町という地名は現在西町しかないようですが、昔々は南町、東町という地名があったのでしょうか?
7918丁目:2002/09/01(日) 18:29 ID:s/zbBSIc [ SODfi-01p1-170.ppp11.odn.ad.jp ]
うーんまだまだ掘り下げ甲斐のあるマイナー地名は残っているが、
掘り下げないと単なる地名だし、最近出来た地名からいにしえの地名まで色々ある。
東区の奥地から北区の北東辺はまだ秘境が隠されている思う。
これも札幌がグレート札幌を標榜し、拡張路線をたどった結果でしょう。
何にせよ、フィールドワークが必須なので、新たな調査員の出現を期待しつつ、
自らも出来ることをやっていきたいと思う今日この頃。
80北栄:2002/09/01(日) 18:53 ID:EwLBMgLY [ SAPba-30p122.ppp13.odn.ad.jp ]
>>78
昭和50年に南6〜12条西と旭ヶ丘になってます。<円山南町

昭和40年に北5〜15条西、
昭和52年に北5〜6条西と宮の森1条になってます。<円山北町
81北栄:2002/09/01(日) 18:55 ID:EwLBMgLY [ SAPba-30p122.ppp13.odn.ad.jp ]
>>78
追加。
ちなみに旧円山町の町名は
円山・円山南・円山北・滝の沢・宮が丘の5つ。
円山東町という町名は元々無いでつ。(東側は市街地の条丁目にかかるから?)
82なまら名無し:2002/09/01(日) 19:03 ID:PyF0L1Xg [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
旧定鉄の鉄路に北茨木というしゃれた名前の駅があったそうだが
どのあたりか?何故その地名は消滅したか。以上2点について
リサーチ所望。
83なまら名無し:2002/09/01(日) 19:05 ID:PyF0L1Xg [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
もひとつ南区川沿の「かたいしやま」がいつから「こうせきやま」と
呼び名がかわったのか。
8418丁目:2002/09/01(日) 19:14 ID:s/zbBSIc [ SODfi-01p1-170.ppp11.odn.ad.jp ]
北茨木については前スレに↓
96 名前: 遥香 投稿日: 2002/07/30(火) 20:10 ID:WFLaNwB. [ i232191.ppp.asahi-net.or.jp ]


そして、北茨木。
現在の地下鉄南北線澄川駅のところにあった、定山渓鉄道の駅名です。
所有していた農場を鉄道用地として寄進した地主、茨木与八郎の名字にちなんだ
名前です。ということで、>>94の21さん、正解です!
8518丁目:2002/09/01(日) 19:20 ID:s/zbBSIc [ SODfi-01p1-170.ppp11.odn.ad.jp ]
あるHPのぱくりだけどこんな説明がありました。
南区澄川4条2丁目
現地下鉄澄川駅
この駅はもと”北茨木駅”として用地を提供した茨木氏の名から命名されたが
その後精進川の流れの美しさから澄川と地名が改名されたのに伴い昭和24年
駅も同様に”澄川”と駅名を変えた。
86発寒1条1丁目:2002/09/01(日) 19:48 ID:yc9xOQwM [ SODfa-01p5-34.ppp11.odn.ad.jp ]
北栄さんありがとうございます。
北町の完全消滅は昭和52年なのですか。
その頃旧5号線の向こうは北6条になっていたのを記憶しています。
最後に残ったエリアというのは、
北5条通と旧5号線と宮ノ森に囲まれた区域になるようですね。
向陵中は条丁目だったと思うので・・・
その昔北15条までですか?かなり広大な地域だったんですね。
円山という地名で現存するのは山自体と西町のみなってしまっていますが、
デベロッパーがマンションの名前で使っているのはなんとも・・・
87北栄:2002/09/01(日) 20:43 ID:EwLBMgLY [ SAPba-30p122.ppp13.odn.ad.jp ]
詳しい変遷については住宅地図見れば一発で判るんだけどなぁ…
一応職場にはオリンピック後のものは揃ってるんで見てみようか。

条丁目で言われるよりも旧町名で言われた方が
すんなりと場所がイメージできるという点ではマンション名に旧地名を
使用し始めているというのも判るような気がします。
88本籍水車町:2002/09/02(月) 00:34 ID:/uof3Qn2 [ p29b3d3.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ]
界川神社のお祭りののぼりが立ってたな、15日は豊平川神社のお祭り。蛇神社は私が水車町に住み着いた昭和40年頃、すでに何もやってませんでした。でもTさんの言うこともいくつか不自然で。
 宗教法人は確かに税制上優遇はされるが、恩恵を受けるのは巨大な教団の場合。小さいところだとあまりメリットはない。法人化で信用ができ信者が増えることはあるが。ただ、書類集めが大変。信者の名簿、役員名簿、議事録、財産目録、活動実績を示す書類…。
 しかし、揃えて提出すれば原則として認証する。受理しないケースもあるが(総本山で宗派が争ってるとか)役所は宗教に立ち入れないので、ほとんどの場合、認められる。これは法律で「受理したら3ヵ月以内に認証しなければならない」ときまっているため。受理できない場合はダメ出しで返されるから(不備があった場合も)。申請するのは事務所のある都道府県庁。間違っても杉並区ではない。何かな…。
 改めて札幌の地図見てるけど、競馬場近辺もグチャグチャしてる。それにここが中央区ということを初めて知った、北区じゃないんだ。線路から北は北区だと思ってた。
89なまら名無し:2002/09/02(月) 19:06 ID:AXOC.HK2 [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
サカイガワ神社ってどの辺?
ついでに温泉山って?
90なまら名無し:2002/09/02(月) 20:28 ID:uq7hdOTA [ p7216-ipad01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>88
北桑地区は、むかしよく友人に「中央区飛地」と馬鹿にされた。。。
91なまら名無し:2002/09/02(月) 21:45 ID:Okwje4FE [ 61-21-234-125.home.ne.jp ]
界川神社の場所は知ってるけど住所って何条になるんだろか...。
双子山なのかな、あそこは...。
92牛鍋蝸牛:2002/09/02(月) 22:16 ID:4wP53rjM [ U126250.ppp.dion.ne.jp ]
暑かったねぇ〜。
もうちょっと休みますので、よろしくね。
「堺川」辺りの話題も出てますね。ワシの生まれて育った辺りだよ。
「温泉山」は前々スレに出てるよ〜。別名「吉野山」。
じゃ、寝ます。
93なまら名無し:2002/09/03(火) 00:35 ID:Z2fCPzX2 [ sapporokita1-78.ppp-1.dion.ne.jp ]
あそこら辺一体はやっぱりというか山地名だらけですよね
旭山 円山 双子山 大倉山 旭が丘 山鼻 宮ヶ丘 
うーん興味わいてきたぞ
94牛鍋蝸牛:2002/09/03(火) 06:02 ID:qelYUgBs [ N022108.ppp.dion.ne.jp ]
>>93
先日ちょっと書き込んだけど、「啓明地区」も含めてあの辺りのことが、「さっぽろ歴史散歩 定山渓紀行」 山崎長吉・著 に書かれています。
定山渓からパイプラインで温泉を引いて、一大リゾート地を作ろうとした話や、明治期にあった弾薬庫の話など。
これが、なかなか面白いのだ。
今度書きます。
>>88
「難得神社」の宗教法人化については、「現在、そういう方向に進んでいる」ということでご理解いただきたい。
Tさんも言わば当事者ではないので、ディティールでは違っていることもあるかと思います。
ワシも聞いていてちょっと疑問に思ったこともあって聞きなおしたけど、はっきりしなかった点もありました。
「難得神社」お社の中に置いてある例のプリント「難得様の起源について」には、中西さんの住所と電話番号が書かれています。
(ワシ知ってるけど、ここには書けないので…)
中西さんに電話すれば教えてくれるでしょう。
95なまら名無し:2002/09/03(火) 07:06 ID:JTRcVt96 [ net029.mech.tohoku.ac.jp ]
茨戸にあった札幌テルメって知らないうちに復活してたね.
9691っす:2002/09/03(火) 09:32 ID:xuaM810Y [ 61-21-234-125.home.ne.jp ]
また質問でスマソ。
今日すごい久しぶりに幌見峠を通ったら、ラベンダー園なるものが出来てた。
あれって、いつ出来たのかなぁ。
あそこの峠って道狭いからあんまり通らないんだよね。
97なまら名無し:2002/09/03(火) 09:39 ID:C5mUJCig [ ASt-Lambert-101-1-1-119.abo.wanadoo.fr ]
>>95
山梨の菓子メーカー「シャトレーゼ」が購入したそうですよ。
98本籍水車町:2002/09/04(水) 00:03 ID:8t31Bk6c [ pdd2ed2.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>95
知らないうちって…TVでも大々的にやってたんだが…。
>>96
去年ラジオで知って行きました。オープンはごく最近のはず。今年も行こうと思ってたんだけど、場所忘れちゃって<笑>そうか、幌見峠だったか。
 界川に温泉街って想像できないな。5.6軒はあったというんだから。鉱泉も沸いてたとか。それより定山渓からパイプでお湯を引っ張ってきたって、すごいよな。何考えてたんだろう、採算は?あと、温泉電車も走ってたのか。ただ、数年で終わってるんで、写真も残ってないとか。西友のあたりが昔牧場だったのも…。高校に通ってた頃は、そんなことは露知らず。
 温泉で思い出したのだが、昔の地図に「山鼻鉱泉」ってあるんだけど、今のどの辺りだろう。
99牛鍋蝸牛:2002/09/04(水) 04:03 ID:S0ZC.2Cs [ y068253.ppp.dion.ne.jp ]
>>98
「山鼻鉱泉」。
別名「山鼻温泉」、「藻岩温泉」、「松浦温泉」。
「風詠館」という温泉宿がありました。
詳しくは後ほど…。
100なまら名無し:2002/09/04(水) 07:41 ID:QPgODPYw [ m080080.ap.plala.or.jp ]
このスレいいなあ…
101牛鍋蝸牛:2002/09/04(水) 12:20 ID:IN63ZILQ [ E168101.ppp.dion.ne.jp ]
>>100さん。
ええやろ?このスレ(w
余談ですが、昨日の夜からサーバーが詰まったらしく、正常にメールが落とせなくなっちゃって大変でした。
先ほど、ソフトを入手して、サーバーのメールを直接削除してやっと元に戻ったよ。ふ〜(汗
ん?スレ違い?
ま、そう言うなかれ…。
ちゃんと地域情報を入手して来ました。
「テックランド手稲」に行ってきたんですが、近くのJR稲積公園駅の上(辺りか?)を高架が通るんですよね。
この前、発見したんだけど、報告忘れてた。
今後とも「転んでもただでは起きないゾ」精神でがんばります。
さて、積み残しの懸案について、まずは整理をしたいと思います。
「五天山」は最終実地調査へ行くべく、体調を整えておる最中であります。
資金の調達、ルートの設定、ネパール政府の入山許可、シェルパの確保など問題は山積みだ。
「かたいしやま」「こうせきやま」の呼称に関しては、今日図書館へ行ってみて調べてみます。
今のところワシ全然、分かっていません。
「円山」関係ですが、「堺川神社」は双子山1条1丁目とうちの地図ではなってます。子供の頃ここらで遊んだけど、なぜか「堺川神社」は記憶残っていないなぁ。
行けば思い出すかな?
「伏見稲荷神社」は今みたいにりっぱじゃなかったけど、遊んだ記憶ありです。
オマケで「伏見稲荷神社」鳥居の画像アップしておきます。
結構キレイなんで。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=161
「温泉山」=「旭山記念公園」とか「弾薬庫」「山鼻温泉・風詠館」については夜にでも。
102牛鍋蝸牛:2002/09/04(水) 21:16 ID:Xklu2Z9I [ y068237.ppp.dion.ne.jp ]
「かたいしやま」と「こうせきやま」の件ですが、正式名称は「かたいしやま」のようですね。
薄らぼんやりの記憶では、バス停の名称が「こうせきやま」で、とかなんとか…。
どなたかにこの件、よろしくお願いしたい。
さて、「円山・藻岩山麓」の調査ですが、いろいろと出てきましたよ。
ここで本籍水車町さんに質問ですが、>>98 で述べられている「ただ、数年で終わってるんで、写真も残ってないとか」は温泉のことでしょうか?
温泉の写真残っていますよ。
それに電車の写真もね。
「札幌温泉」の建物は“かなーり”立派なものです。
著作権の問題がありますんで、アップはおおぴっらに出来ませんが、既出の「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道〜定山渓紀行」35Pに出ています。
「朝鮮総督府」級の建物ですよ。(古い〜)
もしかして電車の写真だとしたら、「新札幌市史 第四巻通史四 第八章転換期の札幌 第三章都市計画と社会資本整備 札幌郊外電気軌道」に出ています。
さて、今回もあちこちの資料の記述に齟齬があり、うまくまとめるのが大変です。
ひとつひとつ書いていくしかないですねぇ〜。
中には地元出身の、ワシのあやふやな記憶から言っても、明らかに間違っているもの、調査不足、説明不足のものがあります。
そこらを補完しながら書くことにしたいと思います。
103牛鍋蝸牛:2002/09/04(水) 22:54 ID:Xklu2Z9I [ y068237.ppp.dion.ne.jp ]
「円山」関係のサイトではここがお勧めです。
ttp://www5.ocn.ne.jp/~doshinmy/story/story.html#9
さて、「円山」の南山麓から「藻岩山」にかけての地域は細かく地域名が分かれます。
それは「円山西町」から始まり、「双子山」「堺川」「旭ヶ丘」「伏見」を通り、「山鼻」に至る地域です。
条丁目表示となっている所も「啓明」「伏見」「山鼻」地区と地区名を持っていたり、一筋縄では行きませんな。
(「伏見」は地区名、条丁目両方に使われている)
土地鑑のない人には分かりづらいか、それとも細かく分かれているからかえって分かりやすいのか…。
明治9年に「山鼻屯田村」が設置されたのがこの地域の発祥です。
北は南3条、西は9丁目辺りが札幌との境になっていたようです。
現在の「菊水旭山公園通」を境に「啓明中」から坂を登った二股辺りから「双子山」「堺川」「旭ヶ丘」に分かれますが、「旭ヶ丘」には当時、火薬庫がありました。
これは安全のため人里から離れたところに作る必要があったから。
ここからは「さっぽろ歴史散歩」の記述。
 「火薬庫には番兵所が必要で、今の旭可丘碑のあるところに設けられ、火薬庫は、その奥、今の南藻園のところに設けられ土塁で囲った。
最初は専属の衛兵が配置されたが村里から離れているばかりか、クマやキツネの出没にも肝を冷やした。
冬になると猛吹雪に生きた心地はしなかった。
ところがその衛兵の殺害事件が起きたので、それからは衛兵を交代勤務にし、食事を町から届けることにした。
 明治29年に山鼻屯田村が解体し、第七師団に引き継がれた。
そして明治32年にこの施設は歩兵代25連隊に所属替えになった。
ところが明治39年にこの一帯に山火事が発生、火薬庫爆発の危険が生じたので、急遽月寒に移された」
(「南藻園」については後で説明します)
この「火薬庫」の勤務体制というか、勤務の状況がかなり面白いのですが、今日はこの辺で…。
10418丁目:2002/09/05(木) 19:04 ID:URom1Amg [ SODfi-01p3-213.ppp11.odn.ad.jp ]
今日は珍しく早く仕事から帰ってきて、PC立ち上げた途端
近所で花火が数発あがった。
札幌村神社の祭りかな?ちょっといってきます。
105北栄:2002/09/05(木) 19:49 ID:p56DAHeU [ SAPba-25p15.ppp13.odn.ad.jp ]
>96
幌見峠のラベンダー園、山のてっぺんの方が有料駐車場になってて
そこから札幌の夜景が見えるという仕組み。
でも山の奥の幌見峠も中央区なんだよな。

…夏の晴れた日の夜は車で来たカプールがハァハァしてるでつ(笑)
106牛鍋蝸牛:2002/09/05(木) 21:07 ID:AUEaR2nc [ E168112.ppp.dion.ne.jp ]
>>104
18丁目さんの「18丁目」って、「東18丁目」だったんんですね。
そうそう、先日(水車町の2度目の調査の日)遅まきながら、「大友公園」行ってきましたよ。
「本竜寺」も見てみたかったけど、時間がなかったのだ。
>>105
「幌見峠」は、ワシの小学校の時の遊び場だったりするわけです。
その頃とほとんど変わらないんじゃない?
あの道…。
さて、ちょっと気になるんですが、ワシ、ここに勝手に本に書いてあったこととか書いちゃってますが、いいのかな?
出典は明らかにするようにしてますが、どうなんでしょう?
許されるのでしょうか?
誰か教えて…。
107牛鍋蝸牛:2002/09/05(木) 21:33 ID:AUEaR2nc [ E168112.ppp.dion.ne.jp ]
引用について
著作権法上認められた「引用」とは、報道、批評、研究などの正当な目的のために、その目的上正当な範囲内で記事等を使うことを指します。
正当な範囲とは、
(1)その著作物のその範囲を引用する「必然性」がある
(2)質的にも量 的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」という関係にある
(3)本文と引用部分が明らかに区別 できる――という条件を満たすこと、及び出所の明示が必要です。
ttp://www.asahi.com/information/copyright.html

…だそうですので、このスレのワシの場合、「許される」と判断しました。
安心して引用しますゾ。
でも、昨日の続きはまた明日ね。
眠いんだよ。
108本籍水車町:2002/09/05(木) 23:50 ID:xHXJEEXc [ pdd2f8a.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
高校時代の友人(川沿在住)は「こうせきやま」と呼んでいた。でもバスは「かたいしやま」じゃなかったかな。「何でだ?」と友人は文句を言ってたから。ま、地元と行政のすれ違い、「すいしゃまち」と「すいしゃちょう」みたいなもんですね。
>>牛鍋蝸牛さん。山鼻鉱泉の現在地がわかりました。啓明ターミナルのあたりらしい。えっ、エルム山荘じゃないよね?ちなみに「円山鉱泉」も見っけ。これは今の北洋銀行研修所か。元は拓銀の看板が出てたはず。
 南藻園←風詠館については大体知ってました。あの辺の高校だったもんで。ただはずかしながら、温泉軌道(昭和3年開通、5年廃止、って早すぎるぞ)は知らなかったんだよね。以前誰かが書き込んでたけど。そうか、写真が残ってますか。どんな電車だったんだろう。誰か模型で作らないかな。私は以前、定鉄の車両を作りかけで断念しましたが。昭和以前には円山から伏見、宮の森辺りにはいくつか温泉施設があったみたいだね。札幌温泉、藻岩温泉、円山温泉、風詠館、不老閣、延命園…。郊外型銭湯みたいなもんかな。馬頭観音の資料入手したけど、また改めて。
109なまら名無し:2002/09/06(金) 19:53 ID:zhNOolTQ [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
水車町さん勉強不足です。川沿あたりのお年寄りにそんなこといったら
こっぴどくしかられますよ。
もともとは石山軟石に対して「かたいしやま」とよんでいたのがいつのまにか
かってに「こうせきやま」と変化したのです。バス路線は「こうせきやま」線と
よんでるはず。「かたいしやま」と発音するのが地元では通。
どういう経緯で変化したのかおいらはそこをきいとんのだが・・・・
110なまら名無し:2002/09/06(金) 19:59 ID:zhNOolTQ [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ちなみに温泉山って現旭山のことでなかった?たしか昭和43年ころの
5万図にはのってるはず。近くの高校通ってたもんで地理の授業で
みたことあるよ。
111本籍水車町:2002/09/06(金) 21:14 ID:JPzDebOw [ pdd2eef.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
「なんせき」に対して「こうせき」になったのかな。この話題は昔、新聞にも読者から投書があったのを読んだような記憶も。ただ、どっちがどっちだったか(バスのアナウンス)忘れてしまって。ちなみに温泉山は旭山のことです。私も近くというか、麓というか、あの山でスキー学習やる高校に通ってました。
112牛鍋蝸牛:2002/09/06(金) 21:43 ID:VD9a2n7U [ N022155.ppp.dion.ne.jp ]
「硬石山問題」勃発!?
本籍水車町さんと>>109=110さんはもしかして、同窓か?
この時間は「北の国から」をごらんの方も多いと思いますが、ワシの部屋のテレビが昨日から変調をきたしまして、とっても見ていられる状態ではなくなりましたので、書き込みに専念します。
(ビデオ撮ってるから、新しいテレビ買ったらみよう)
さて、ここで提言をひとつ…。
「円山西町」〜「山鼻」の件ですが、地域名が幾つもあるので説明の際、煩雑ですので、一まとめにして便宜上「円山南山麓」と呼ぶというのはいかがでしょう?
じゃ、そういうことで、「円山南山麓」方面の話をいたします。
「円山温泉」「山鼻鉱泉」の地図(大正5年)をアルバムにアップしましたので興味のある方は確認してください。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=171
ちなみにその前の橋の写真はオマケです。(9月4日撮影)
札幌近郊の橋です。どこか分かるでしょうか?
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=163
書きたいことが沢山ありますが「札幌温泉」など温泉関係の話をします。
「弾薬庫」のことを書くつもりでしたが、変更。
時代的には逆行しますが、許せ。
まずは「さっぽろ歴史散歩」より「札幌温泉」の巻。
「旭山記念公園への途中、左側にある南藻園は、鉄道弘済会の寮である。ここはかつて、札幌温泉のあったところで、大正11年札幌温泉土地会社が設立され、大正13年温泉浴場を娯楽場を設けた。
そして堺川の宅地分譲も始めた。温泉の湯は、定山渓から簾舞・白川・硬石山・八垂別・藻岩下・伏見を通って埋設パイプで運んだ。まさに今様のリゾートの先がけであった。
昭和3年にできた札幌温泉電車は、昭和5年に変電所が焼けて電車運行ができなくなったばかりか、湯を運ぶ管も途中でこわれ、宅地分譲も順調に行かなくなって、札幌温泉土地を電気軌道の会社は倒産。
昭和25年に温泉跡地を鉄道弘済会に売却。
昭和28年跡地に南藻園を開園した」
さて、ここで「南藻園」についてですが、「さっぽろ歴史散歩」の著者、山崎長吉さんは「鉄道弘済会の寮」と言っていますが、これはちょっと変。
「南藻園」はワシも知っているが、養護施設です。
ここで、「さっぽろ文庫12 藻岩・円山」の平井秀松さん(大学の教授?)の記述。
「鉄道弘済会が昭和29年の台風で沈んだ洞爺丸の遺児収容のため設立した施設ときいている。
NHKテレビ「旅路」という北海道の国鉄職員の一人を主人公としたドラマがあったが、この主人公が旭川駅長を最後に国鉄を定年退職した後、南藻園の園長になってドラマを終わったのを覚えていて懐かしい」。
実際にワシが小学生の時(緑丘小)、クラスに二人くらいはここの子が通学していた。<つづく>
P.S.「なんせき」に対して「こうせき」…。
これ、正解!
113牛鍋蝸牛:2002/09/06(金) 22:23 ID:VD9a2n7U [ N022155.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「温泉山」はアルバムの一番最初、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=1
の「旭山記念公園」のかつての名前。
これは既出のように、前々スレに書き込みました。
「温泉山」に関しての記述。
まずは「さっぽろ歴史散歩」より。
「さて、旭山公園に近づいたので、改めてその沿革に言及してみよう。
明治30年頃から開墾を始めたが、その当初は、炭焼きのため木を伐採した。その跡にムギ、マメ、イモを植え、のちに野菜やイチゴを栽培した。
この山を吉野山と称したのは、吉野国太郎が所有していたからで、のちには吉野牧場とも呼んだ。
しかし、経営不振のためこの土地は札幌温泉土地会社に売られた。この会社はのちに倒産し、倒産後は北海道拓殖銀行のものとなった。戦後銀行はこの土地を札幌市に寄付した。
札幌市は昭和43年が創建100年になるところから、記念事業として5年の歳月をかけ。イタリヤ露壇式と、イギリス風景式を併用する造園をし、昭和46年に開園した。記念公園と呼ぶのはそのためである」
ワシも「温泉山」と呼ばれていた頃は、本籍水車町さんと同じく、リフトもない、休憩所もないあの吹きさらしの山でスキー学習をしたもんだ。
さて、ここで「さっぽろ文庫12 藻岩・円山」の記述引用しますが、これがまたちょっと変なんだな…。
「ところで、古い札幌の人たちが、この辺一帯を「温泉山」と呼ぶのを私は暫くいぶかしく思っていたが、かつて大正から昭和の初期にかけて、この辺に温泉街があったというのである。
円山公園市電の終点からここまで、単線の軌道が敷かれ、小林一三の宝塚温泉の経営方式がとられたらしい。
私は会う人ごとに温泉山という山はどこですかと問いかけたが、誰もここですと答える人には出会わなかった。それほどこの辺、堺川・双子山にかけての地形は旭山記念公園の造営とも相まってほとんど原型をとどめぬほどに変わってしまったらしい」
そんなことはない、とワシは言いたいね。
「温泉山はどこか?」と聞かれれば、「あそこです」と小学生のワシでも答えたであろう。
しかも、「旭山記念公園」の造営であの辺りの地形が変わった、なんてことはない。
前とそうは変わってはいないはずだよ。
よしんば変わったとしても、公園が出来てから100年もたったわけではないしねぇ〜。皆知ってるでしょ!
その土地を知らない人に頼んで書いてもらうからこんな事が起きるのだ…。
札幌市、反省!
その後の記述をついでに書きます。
「このあたりから、伏見、宮の森にかけて、曰く、札幌温泉、藻岩温泉、風詠館、不老閣、延命園、円山温泉など大温泉旅館があったらしいが、昭和初期に全部姿を消してしまった。もともと鉱泉のわかし湯や、定山渓から延々40kmの送湯管で給湯するという無理な経営だったようである」
「山鼻鉱泉」の場所について明日にでも詳しく書きますが、「エルム山荘」もその一部だそうですよ。<つづく>
114なまら名無し:2002/09/07(土) 07:18 ID:oAXtFsPc [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべかぎゅうさんていったいなにもの?すごいおたっきーというか
プロの域ですね。ってぎゅうなべさんも同窓のようで 藁)
どーもあの高校出は変人が多いですな(自分も含め)
ちなみにあたしゃ道内では重鎮といわれる沼田先生に師事。
しばらく遠ざかってましたがこれ読んでるとわくわくしてくるす。
鉱泉の湧き出たあとってみてみたいなとおもうんですが今でも
のこっているんだろうか。
ちなみに今は藻岩山でスキー学習だそうで・・・夜間徒歩遠足もなくなったとか。
深夜、木造校舎の石山小での臭いトイレタイムやもなみ公園そばにあったプリンスホテルの
看板がみょうに記憶にあり。ねたふりでした。
またちなみにさかいがわは界川ですよね?今でも緑ヶ丘小のトイレの下をながれているの
だろうか?洪水になったこともあったらしい。
115なまら名無し:2002/09/07(土) 07:43 ID:oAXtFsPc [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべさんの博識なところでもひとつ質問。
月寒あたりを走ってておもたんですが東北通りが
なんで途中で栄通りに化けるザンすか?そこんとこ聞きたい。
ガイシュツなら失礼。
116東北通り沿い住人より:2002/09/07(土) 08:32 ID:4b.cHizw [ cse6-21.sapporo.mbn.or.jp ]
えっ?東北通りはずっと東北通りなんじゃないの?違うっけ?
一部の人が、通りの「東北通り」と地名の「栄通」をごっちゃに
してるだけだと思ってたけど・・・。
117なまら名無し:2002/09/07(土) 08:53 ID:99xjpIpM [ sapporokita2-146.ppp-1.dion.ne.jp ]
私の認識では白石区側から見ると「栄通り」豊平区側から見ると「東北通り」だったと思うんですが因みに中央バスの呼称では「東北通り」ですよね
118なまら名無し:2002/09/07(土) 08:54 ID:oAXtFsPc [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
なるほど・・・栄通りは通り名じゃなく地名だったのか。なんかまぎらわしい。
119牛鍋蝸牛:2002/09/07(土) 09:52 ID:tk4FiU6. [ B136081.ppp.dion.ne.jp ]
>>144さんへ。
あ、ワシ、「堺川」って書いてたね。
「界川」の間違いです。すみません。
訂正します。
あのね、ワシは「牛鍋蝸牛」と書いて「ぎゅうなべかたつむり」です。
「かたつむり」と入力してみてください。
「蝸牛」と変換されるはずです。
あとはねぇ、ワシは地名に関しては全然博学ではありませんよ。
分からないから調べているだけなのです。
ただ、良い地図ソフト(ネット接続)と使いやすい検索ソフト、札幌の歴代の地図を持っていて、図書館が近くにある、ってな条件が揃ってはいますが。
そしてワシは、残念ながら「ガオカ」ではなかった…。
当時、それだけの学力が無かったのですぅ。
小学校が「緑丘」、中学校が「啓明」であったのは事実ですがね。
そう言えばワシの住んでいた家の前に当時川が流れていたけど、あれはなんだったんだろう?
確か伏見方面から流れていたと思ったけど…。
「界川」とは方向が違うように思えます。
まだ幼児の頃、母親が「伏見市場」に買い物に行っていた短い間に、大雨でその川が氾濫して家の玄関が水浸しになった。
ワシは賢いお子様だったので、上がり口に新聞紙を敷いて、玄関の靴を全部上げておきました。
帰ってきた母は賢いワシをたいそう誉めましたとさ…。おしまい。
120牛鍋蝸牛:2002/09/07(土) 09:53 ID:tk4FiU6. [ B136081.ppp.dion.ne.jp ]

あ、>>144さんは、>>114さんの間違いでした。
ごめ〜んね!
121なまら名無し:2002/09/07(土) 10:07 ID:oAXtFsPc [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
伏見市場なつかしすぎるっす。今はマンシオン。ホシストアーもなくなり
小さなラーメン屋もなくなりましてあの界隈はマンシオンだらけですな。
向の都市の空洞化現象の生き字引のような畑もとうとうラルズに変貌。
北弘電社も桑園に引越し、マンシオンに・・・・
水車町さんなんかとオフカイしたらもりあがるでしょうな。
余談はさておき、白川は「しらいかわ」ですよね。なにげに?
122牛鍋蝸牛:2002/09/07(土) 14:07 ID:p.IUwH2U [ U127141.ppp.dion.ne.jp ]
>>121
ふぉんとだ!
「しらいかわ」。
ずっと「しらかわ」だと思っていた。
今度、是非取り上げてみたかった地域だったのに、知らなかったよ。
さて、「伏見市場」ですが、数年前に建物がまだあった頃、一度行ってみました。
3軒ほどの店が営業していましたが、まるで廃墟のような状態でしたねぇ。
ワシが生まれて初めてシャープペンシルを買ったのがあそこにあった文房具屋だったなぁ。
あの界隈では「板井歯科」はまだ健在ですね。
新聞だったかな、「イタイ」っていう歯医者ということで取り上げられていたけど。
ワシが小学生の低学年の頃、治療に行った時、「治療の道具をいじった」と歯科衛生士のおばはんにしつこく因縁をつけられた記憶あり。
やってない!ちゅーに!
変なことを思い出しました(w
123なまら名無し:2002/09/07(土) 15:21 ID:oAXtFsPc [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ほんとにイタイ歯科でした。わしも歯抜かれて血とまらんかった記憶あり。
もっとも30年以上昔のはなしですがね。息子さんでもあとついでるんですかね。
受け付けのおねーさんやたら小学生おこってましたね。そーいえば。
よくもってますな。なつかすい。
ところで山鼻鉱泉とエルム山荘について聞きたいす。
ちなみにシャーペンって早川電器(現シャープ)の発明品でしたよね。
12491っす:2002/09/07(土) 17:25 ID:Y1rOTEnI [ 61-21-234-23.home.ne.jp ]
ラベンダー園はつい最近出来たんすねぇ。
夜はやめとこ(笑)

旭山は温泉山って呼ばれてたんんっすか〜。

電車も走ってたんだ〜。
昔父が、ここに電車が走ってたんだぞ!
って、言ってたのは本当だったんですね。
こんな変なトコ電車走らせて、何があるんのかなぁ〜?
と、思ってましたが。まさか、温泉とは...。
今電車あったら便利なのになぁ〜。

赤字路線確定だけど(笑)

そーいえば牛鍋蝸牛さん、あの橋の写真って、ミュンヘン大橋じゃないですか??
125牛鍋蝸牛:2002/09/07(土) 19:45 ID:s2tqp3eo [ U127088.ppp.dion.ne.jp ]
91っすさん。
残念でした。
「札幌近郊」ってことですんで、札幌ではないんですよ。でも、ごく近くです。
ま、ちょっとスレ違いですがね(w
さて、こっそりとある写真をアップしました。
著作権に触れるかな?
ま、とっくに期限切れてるか。
これが「札幌温泉」です。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=172
サービスで「風詠館」の画像も後ほどアップしちゃう!
>>123さん。
ハンドルネーム付けません?
「なまら名無し」じゃそっけない(w
それと「啓明」に“あるもの”があったことを思い出しました。
あれこそ、「山鼻屯田」の頃に出来たものだったのではないかなぁ…。
じゃ、メシ食う(一杯やる)ので後ほど。
あ、シャーペンね、ノック式じゃなくって、廻して芯を出すヤツだった。
壊れたときは泣けたなぁ〜。
126牛鍋蝸牛:2002/09/07(土) 22:05 ID:s2tqp3eo [ U127088.ppp.dion.ne.jp ]
「北の国から 2002 遺言」をご覧の方々を尻目に、ワシはカキコしまっせ!
テレビを買ったら観るからいいんだよ〜だ。
ま、それほどのフリークではないんだけど。
では「山鼻温泉」(鉱泉)について、「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道 定山渓紀行」より一席…。ベベンッ!
「この一帯の歴史をたどると松浦丑次郎を抜きには語れない。
松浦丑次郎は羽後国(現、秋田県)に生まれ、明治17年に分家して伏見のこの地に移住し、開墾を始めた。
明治21年に道庁森林看守となり、以後二十余年間山を守り、林を管理した。
明治31年に自宅付近に鉱泉を掘り当て、これを温泉にし、山鼻温泉、別名藻岩温泉、俗に松浦温泉と称した。
ここを風泳館と名付けたのも風流を思わせる。
温泉営業開始は明治38年と推定されるが、翌年園田長官も立ち寄ったようである。
その位置は、今残されている林の中で、30坪の離れ座敷と浴場があり庭園と称するところは4000坪(約1.33f)の広さを有した。
大正後半は最も繁盛した時期で団体客でにぎわった。
しかし、昭和の不況で客足が減り昭和9年に廃止した。
現在、その跡地の一角にあるエルム山荘は、昭和28年に日本式庭園を持つ和風の割烹と食堂で渡辺夫妻が経営している。
そのとなりに中華人民共和国札幌領事館があるがここもも藻岩温泉の跡地である。
松浦丑次郎の所有地は今の伏見稲荷神社の崖上、崖下にまたがる広大なものであった。
札幌西郊の温泉については既述の札幌温泉、藻岩温泉・風詠館に加え、藻岩鉱泉(南13条西23丁目)、円山温泉(荒井温泉)(宮の森904)、延命温泉(延命園)(双子山509)、不老閣(南10条西25丁目)、円山鉱泉(宮の森992)などがあり、札幌温泉を除いて温泉湧出を利用したものであった。
離れて手稲には軽川温泉光風閣(富丘、三樽別川近く)もあった。
これぞ札幌近郊温泉の元祖である」
お気づきかな?
「風泳館」と「風詠館」二通りの既述がありましたねぇ。
この本のとおりに書きました。
この本は誤植と、編集時の間違いが結構あるのですよ。
てな訳で、「風詠館」が正解と思われます。なぜなら、その方が“風流”だから…。
「風詠館」は札幌温泉のようなごっつい建物ではなかったようです。
じゃ、画像アップ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=174
「松浦」といえば、今じゃ「亜弥」だけど昔は「丑次郎」だったんだよねぇ〜。
ま、そんなことはどうでもいいが、ここでまたまた「さっぽろ文庫 12 藻岩・円山」との食い違いが出てきました。
「札幌温泉」以外の温泉は“湧出温泉”であったのか、“沸かし湯”であったか…。
「さっぽろ文庫」では“鉱泉の沸かし湯”だと言い、「さっぽろ歴史散歩」では“湧出温泉”であると言っています。
はたしてどちらが本当なのでしょう?
最近、有名な温泉教授こと「松田忠徳」さんに登場願いますか?
にはともあれ、これの解決には第三の資料が必要になりますな。
でね、ちゃ〜んとワシはね、用意してますがな(w
例の、「さっぽろの昔話 大正編上」 大山黙笑編。
これにその疑問を解く、ヒントが書かれています。
これはまた次回(か、次々回)に書きます。
その前に書きたいことがあるのです。
ワシがここんとこ書いてきたことへの注釈なんかなんですけどね。
自分で書いたことへのツッコミとか…。<つづく>
あ、>>125 で書いた「あるもの」とは何か…。
それも、今度だな。
じゃ、おやすみなさい。
127本籍水車町:2002/09/07(土) 22:47 ID:BsMcaVqo [ pdddbfc.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
札幌温泉立派!なんであんな所に温泉街を?しかも定山渓からお湯を引っ張ってまで。バブルでもそんな無謀なことやらんぞ。ところで宝塚温泉方式って?
 沼田先生の授業、けっこう好きだった。白地図に色塗らされた時は、なんだかわからなかったけど。重鎮でしたか。「札幌の自然を歩く」でしたっけ?114さんって割りと年が近いと思う。ちなみに夜間遠足は白川の野外教室でも休みました。白川は近くに白井川があるので紛らわしいため。ということは「しらいかわ」か「しろいかわ」という言葉が先にあったということ?ややこしそうなので、整理しておきます。
 牛鍋蝸牛さん、石狩の橋?あと、紀行文なんかはそれほど現地調査とか聞き込みとかせずに書いてる場合もありそう。ついでだから、馬頭観音についてのちほど書かせてね。
128啓明ターミナル:2002/09/08(日) 11:24 ID:ElTjZjcs [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ご要望によりHNつけました。昔なつかしい地名がでてくるのでうれしくて涙でそう。
現中国領事館は藻岩鉱泉の跡地だったとは・・・・あおこはずっと空き地でなにもなかった。
むかいに興銀などの社宅がならんでいたっけ。となりは小さな公園があった。
あの感動物の札幌温泉ってのは結局どのあたりにあったの?
旭山公園のあたりとおもっていいのかな。市電まで走ってたとは・・・ってことは
現西友のあたりから双子山の方まで市電が走ってたのかな。
水車町さん同窓のようでよろしゅう。わしあの先生のおかげで地理大好き人間に。
しぶめでしたがあの職人芸にほれましたな。
また一つ質問。現盲学校のあたりは昭和40年頃、山元(本?)町とかよばれてませんでしたか?
いつ頃消えたんでしょう。
129開拓4&5世:2002/09/08(日) 13:37 ID:uoSj2Gmo [ p8077-ip03sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
 1ヶ月くらい前にこちらを発見して、読ませていただいておりました。
このところ、高校時代の懐かしい思い出と重なる地名がたくさん出てきて、
きゅうんって感じです。
そして、同窓の地理好きの方が複数いらっしゃるようで、
「私もです!」とつい声を上げたくなってしまいました。
 私は話題に出ている次の地理の先生に習ったのだと思います。
(夜間遠足がなくなってからの世代です。)
ほんと私も地理が大好きで、今も微妙にかかわってます。
でも、あのへんに温泉があったなんて、ぜんぜん知らなかった!!
そんなことも知らなかったのかとはずかしい気がするのと同時に、
すごく興味がわきます!!
これからものぞかせていただきますね。

 ちなみに山元町についてですが、電車事業所をもう少し南にいくと、
外科記念病院の隣に山元団地がありますね。
私は「このへん山元っていうのかな?」と疑問に思っておりました。
130啓明ターミナル:2002/09/08(日) 17:25 ID:ElTjZjcs [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
そうでしたか。電車事業所のあたりをさすのでしたか。
やはり山元町は存在したんだ。
もすこし歩くと上山鼻川があって、軍艦岬にでるですね。たしか。

どなたかが第一鳥居が天気の変わり目とか書いてありましたが、中央区と南区の変わり目が
よくまちがえる軍艦岬のあたりにあり、北区は北辰中のあたりでよくかわりますよね?
そういう経験ありません?どうでもいいことですが。
この変わり目をさす気象専門用語あるんだけどつい失念してしもた。
131本籍水車町:2002/09/09(月) 00:27 ID:FJNLctmk [ pdda0ae.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>129、130(多分先輩&後輩)
「札幌地名考(さっぽろ文庫1)」には「藻岩山東山麓に南北に細長く広がる文字通り藻岩の山元の名」で昭和16年に町名となったそうです。が、現存しない地名とは知らなかった。この本は昭和52年発行なんで、消えたのはそれ以降、そんな昔じゃなさそうです。地元では反対はなかったのかな。それとも「中央区○条○丁目」の方が、地価があがったり、マンションの売れ行きがいいとかあるのかな。
 山麓といえば慈啓会入り口にラーメン屋があって、学生ラーメンやかき氷大盛りが思い出されます。満員の時は居間に通してくれたっけ。今年11月8日に我々の代が幹事で紫雲会総会を行います。ってスレ違いだな…。
132なまら名無し:2002/09/09(月) 02:11 ID:rLKIXs3k [ i098131.ap.plala.or.jp ]
始めてここのレスを見たんですけど、かなりあついっすねー!!
俺は今大学生なんだけど新聞配達で界川とか伏見のあたりを配ってるので
知ってる地名が出てきています。
温泉の話なんですが今でも山鼻温泉ていうのがあるんだけど
ここで出てきているのとは違うのでしょうか?
133牛鍋蝸牛:2002/09/09(月) 05:40 ID:w3j5qYQo [ U127030.ppp.dion.ne.jp ]
またまたとんでもない時間帯に書き込んでいますが、気にしないでね。
まずは、「啓明」地区にあった“あるもの”なんだけど、それは「茅葺(かやぶき)の家」です。
住所で言うと、南10条西21丁目5番地。
「緑丘小」の正門から今で言う「環状通り」の交わったところにありました。
家の通り側(西側)の壁が一面、映画の看板になっていて、日本を舞台にした「007は二度死ぬ」(1967)なんかがかかっていたのを覚えています。
その家は、確かにどなたかが住んでいたはずですが、ワシは一度もどんな人かは見たことがありませんでした。
興味津々だったのだけどね。
あれは、山鼻屯田村時代からあったのではないでしょうか?
どなたか分かる方いませんかねぇ。関係者さんとか…。
さて、あとは、レスに対する返答などを書きます。
>>127 本籍水車町さんの、「宝塚温泉の経営方式」に対するお答え。
これは、ちょいと前にテレビでやっていて、ワシもなんとなく覚えていたのだけど、もう一度調べました。
その経営方式を発案実行した、「小林一三」さんは、阪急電鉄株式会社の創始者であって元会長。
出来たばかりの「箕面有馬電気軌道」(阪急電鉄の前身)の経営に参加。
「客が来なけりゃ呼べばいい」と、1911年(明治44年)終点の宝塚に「宝塚新温泉パラダイス」を開業させた。
人口も僅かな山間の寒村に白亜の洋館が突如出現した。
当時、温泉と言えば泊りがけだったが、これにより日帰りが可能になった。
女性客を狙って浴場には大理石を使い、化粧室などにヨーロッパ調の家具や大きな鏡をおいた。
そして、小林氏はその沿線を開発し宅地として安く分譲する。
また、「温泉地に入浴施設は当たり前」と、リピーター対策に「宝塚少女唱歌隊」 を作り、客に飽きが来ないよう演目を変え、温泉施設で上演させた。
お分かりのように、これが今の「宝塚歌劇団」となったわけ。
このやり方は「東急」とか、他の電鉄も真似してますよね。
ワシは昔、東京に行った頃、「東急東横線」の沿線の町にあるのが東急グループばかりで驚いたことがあったが、「東急が作った町なんだから当然だ」と言われモット驚いたもんだ。
うまくいっていりゃ円山南山麓には、今頃、「札幌温泉歌劇団」なんかがあったのだろうか?
なんとなく、「お猿の学校」のほうが似合っている感じもするけどねぇ〜。
「札幌温泉電気軌道株式会社」(札幌郊外電気軌道株式会社)についてはまた後ほど書きますが、最初の営業路線は円山3丁目(南1西23)〜温泉下(界川)間です。(「円山3丁目」を「大通り」と書いてあるものもありますが、同じ円山線の終点でしょう)
>>128 啓明ターミナルさん。
祝!命名〜。
>>あの感動物の札幌温泉ってのは結局どのあたりにあったの?
これはね、>>112 でワシが書いているよ(w
「旭山記念公園への途中、左側にある南藻園は、鉄道弘済会の寮である。ここはかつて、札幌温泉のあったところで、大正11年札幌温泉土地会社が設立され、大正13年温泉浴場を娯楽場を設けた」
ちなみに、書く書くと言いながら、まだ記述されていない例の「弾薬庫」も、時代はずっと遡るのですが、「南藻園」と同じ場所にあったそうです。
>>130 「天気の変わり目」の「第一鳥居」はワシが書きました。
天気の専門用語では「天気界」というのかな?
啓明ターミナルさん、合ってます?
(しかし、「啓明ターミナル」ってのも懐かしい…)
長くなったので、とりあえず送信、っと…。
134牛鍋蝸牛:2002/09/09(月) 16:10 ID:w3j5qYQo [ U127030.ppp.dion.ne.jp ]
「山元町」ですが、こんな地名があったとはワシ知らんかったです。
ガキンチョの守備範囲を超えていたんですね。
で、大正5年の地図には載っていなく、昭和25年では「山本町」と字が違って出ています。(この頃の地図の得意技、誤植か?)
そして昭和50年製では「山元町」で表記あり、平成4年では当然なし。
…とこうなっておりますな。
ネット検索では、
ttp://www.asahi-net.or.jp/~tr4k-urkw/tsuguo/urara37.htm
でヒット。
「山元町」に住んでいる女性が東京の人に住所を説明する場面で、
「住所は山元町といったが、それより南二十四条西十四丁目のはうがわかりやすいと付け加えた」とあります。
なかなかおもちろい…。
あとは、ざっと調べたところ、札幌市の墓地関係の条例文に“ちょこっと”出てくる程度です。
>>132 さん。
坂の多いところの新聞配達、ご苦労さんです。
書き込み遅い時間でしたが、今日は休刊日だったね。
ナットク。
現「山鼻温泉」ですが、どこにあるのでしょう?
別物だとは思いますが、興味深い…。
例の橋の写真ですが、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=163
本籍水車町さん正解です。
「茨戸川」越しに観た「花畔大橋」です。
最近、石狩市花畔地区に、石狩農協の倉庫を改造して「ART WARM」という喫茶店兼ライブハウスのようなものが出来てました。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=177
その裏に茨戸川川岸に降りるこことのできる、ウッドタイルのスペースがあります。
そこから撮った写真です。
実は「軽川」関係で調べたいことがあって、この先の「川の博物館」に行こうかなと思ったのですが、時間が無くって諦めたのです。
それで、撮った写真でした。
スレ違いですが、なかなか“日本離れ”した良い風景でしょ?
次回は「さっぽろの昔話」に出てくる、「界川温泉」について…。
「界川温泉」て初登場…。
135啓タ:2002/09/09(月) 18:06 ID:MxI0RXXU [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ばんなぐろの紅葉山砂丘、伏籠川の自然堤防など昔むか〜し地理でならったっけ。
でも花畔は石狩だよね。あと石狩川の三日月湖?形成途上にある生振も石狩でしたか?
がるがわをねたふりしたのはわたしですが、がるがわという川ってあるんですか。
てっきりアイヌ語に由来する手稲一帯の総称かとおもっていました。
136啓タ:2002/09/09(月) 18:39 ID:MxI0RXXU [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
かぎゅうさんいやかたつむりさん(わし難聴わずらったもんでつい蝸牛管(かぎゅうかん)連想しちゃって
かぎゅうさんっていいそう。
追記、その茅葺の家って察するにカローラのあたりにあったの?昭和50年頃住んでたが
記憶にないな。すまん。それより北海道最初の高級分譲マンション「旭丘マンション」
のほうが強烈に印象深いざんす。あと医大分院前というバス停もありましたな。
また、昔をカタルシスになってもた。
137牛鍋蝸牛:2002/09/09(月) 20:00 ID:cN0xmJ26 [ N022166.ppp.dion.ne.jp ]
>>135 啓明ターミナルさん。
「紅葉山砂丘」の「紅葉山49号遺跡」に、ちょうど一年前の9月8日に見学に行ってました。
ここの見学会はめったに行われないもので、大変貴重な経験でした。
あの一帯の林がそのまま縄文人の見た風景かな、と思うと感慨深いものがありました。
そういえば、例の事件からも一年経ちますね。
あの日、NHKの10時のニュースをワシはなぜか録画していたのです。
月日の経つのは速いもんですねぇ。
「軽川」はつい先日、ワシちゃんとレポートしてますがな(w
本スレ検索のこと。
アルバムにも写真で出ますので、見てね。
「茅葺の家」の場所ですが、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=178
見てね。文字見づらいけど。
この家は昭和50年にはもう無かったな。
そのまったくの対角線上にあったとも言える「旭ヶ丘マンション」。
Y君という同級生が住んでいました。
当然、見た目も華奢なお坊ちゃまタイプ(w
元気かな?
ま、それはともかく、「旭ヶ丘マンション」は、あの界隈の話をするときは避けて通れませんな。
ワシも書き込むつもりでした。
昭和36年に建てられた北海道最初の高級分譲マンション。
見物人が来たとかドラマの舞台になったとか。
平成5年に老朽化のため取り壊し。
現在は「ロイヤルホスト旭ヶ丘店」になっちまったい!
しかし、「旭ヶ丘マンション」と同時に同じデザインコンセプト、カラーコーディネイトで建てられた「旭ヶ丘交番」はいまだ健在のはずです。
あの時代でもかなりボロかった「旧・旭ヶ丘交番」は生まれ変わってなんと呼ばれたか?
なんと、「モダン交番」って皆呼んだもんだぁ。
今もそう呼ぶ人いるかな?
さて、まだまだ書きたいこと山ほどありますが、とりあえず、送信っと…。
138牛鍋蝸牛:2002/09/09(月) 20:28 ID:cN0xmJ26 [ N022166.ppp.dion.ne.jp ]
連続カキコで、大変申し訳ありません。
しかし、書きたいことだらけの上、どんどんネタが増えるし、それにみなさんからのレスに答えたいこともあって、勘弁してください…。
え〜っと、個人的なことですが、実地調査の大事なアイテムであるデジカメに、不具合が発生しました。
SONYのP1なんですが、ここ独自の「インフォリチウムバッテリー」が充電できなくなったのです。
実は前に同じ症状が出て、バッテリーを交換してもらったのですが、今回は別に買ったものが同じ症状を発症しちゃいました。
ご入院です。暫くはデジカメなしでがんばりますわ。
さて、円山南山麓方面の“温泉”は温泉だったのか、鉱泉だったのか?の疑問についてですが、ワシ自分で書いていて読み違いをしていた。(変な表現ですが)
>>126 で、
「「さっぽろ文庫」では“鉱泉の沸かし湯”だと言い、「さっぽろ歴史散歩」では“湧出温泉”であると言っています」
と書いたけど、「さっぽろ歴史散歩」でも、松浦丑次郎が、
「…自宅付近に鉱泉を掘り当て、これを温泉にし」と書いてあった。
沸かしていたんだね。
ということで、あの辺りの“温泉”は鉱泉(冷泉)だったようです。
ワシ、反省!
で、改めて「講談社カラー 日本語大辞典 第二版」で調べると、「鉱泉」には温泉を含める場合と、含めない冷泉のみのことを言う場合があるそうです。
ま、ややこしいので「鉱泉」=「冷泉」ということにしておきましょう。
じゃ、気を取り直して、「さっぽろの昔話 大正編上」(昭和2年8月12日〜同年10月28日にかけて“北海タイムス”紙、現・
北海道新聞に連載されたもの)から「界川温泉」の巻。
語りは北海タイムス社の記者(らしい)です。
この「円山の話」は大正10年頃のもの。
尚、「界川」は「堺川」と表記されています。(大正5年製地図によると「界川」となっているので、誤植の可能性あり)
「…その麓路を自動車を駆って行く南方の札幌温泉、やや藻岩に属しておるからしばらくおくが、その下から西方のだらだら坂を登って行く、中垣内輝君が近頃始めた堺川温泉と云うのは、円山の南麓になっている。
すなわち深渓の堺川に臨んで建てられた瀟洒な田園住宅風の温泉宿である。
温泉の水はその堺川の谷底から湧き出ている。
何でも、北海道としては最も早く発見された鉱泉であって、付近の農民は昔からこの鉱泉を飲んだり浴びたりして諸病を癒していたそうだ。
それが不思議に能く効くので、評判が大きくなり、遂には遠くから桶を持って汲みに取りに来る者もある様になったという。
それを中垣内君が手に入れたのは、昨年の秋の末のことである。
ぜひ見て呉れとあって、私はそこの谷に連れ出された。
ひどい林の中であった。蔦に縋りながら私達は下った。
商業会議所の落合君も一緒であった。
なる程鉱泉みたいなものが沸いていた。
だが、この沢に、この藪の中に何うして家を建てるのか、私には不思議でならなかった。
けれどもこの夏、いよいよ中垣内君が理想の温泉宿が出来上がってから行って見ると、いかさま違ったものだ。
沢枝画伯が、これや好い、いい絵が出来ると、早速カンバスをもち出した程の絶景である。
総じて円山を中心に付近一帯は景色が佳い」
う〜ん、中垣内輝君も沢枝画伯も、いったい誰なんだか分かりませんが、ま、そういうことで…。
昔から鉱泉が涌いていたというのなら、今でも出そうな感じがするけどね。
どうなんでしょう?
旭山記念公園の沢あたりを探せば、湧き水くらいありそうなもんだが…。
とかなんとか思っていたら、こんなサイトを発見しました。
またまた、「札幌温泉」の雄姿が見られます。
しかも背景付きでっせ!
ttp://www.city.sapporo.jp/chuo/profile/history/200201.html
う〜〜ん。まだまだ書きたいっ!!
139m:2002/09/09(月) 21:46 ID:hSPfPszY [ p5183-ipad02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
久しぶりに太美〜釜谷臼〜茨戸〜花川〜前田と車で通ったけど
あまりの変わりようにビックリ( ゚д゚)
20年ほど前、私が札幌に住んでた頃は一面原野&牧場だったのにね。

太美は今でも住宅はまばらだけど数年後はベッドタウン化が進むん
だろうね。
生振なんて孤島状態だったのに、今は立派な国道が出来ちゃって。
時代の流れを感じてしまいました。

一部、札幌市以外の話ですんませんm(_ _)m
140啓タ:2002/09/10(火) 18:41 ID:cuhZIvko [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ねたふりにアイヌ語に由来する川。福住あたり、ウラウチナイ川(簗を仕掛ける川)
八紘学園のあたり、ラウネナイ川(意味不明だが深い川だったかな)
ほかにも市内にありますか?

温泉山でスキー授業のときどこかに源泉ないかなとさがしたものですが
ついぞ発見できず。このあたりには焼きがまもあったときいたことがあるが
炭焼き小屋のまちがいだったかな。
141牛鍋蝸牛:2002/09/10(火) 19:48 ID:udY/ZFhU [ N023144.ppp.dion.ne.jp ]
>>140
「札幌焼」ですな。
いずれ触れねば、と思うとりました。
http://www.city.sapporo.jp/chuo/profile/history/sapporoyaki.html
温泉、そうは簡単に見つからんでしょう。
しかも、スキー学習のときってことは冬。
もし温泉が涌いていたら、湯気立ってるよね〜(w
えっと、今日、実地調査に行ってきました。
「円山南山麓」へ。
デジカメ故障中が大変残念でした…。
今日、テレビは買ったけどね。
明日届きますので、来たら報告します。
いらない?
あ、っそ。
142牛鍋蝸牛:2002/09/10(火) 22:41 ID:udY/ZFhU [ N023144.ppp.dion.ne.jp ]
最初にお詫びと訂正。
既出の「モダン交番」こと「旭ヶ丘交番」ですが、行ってみて分かりました。
正しくは「南円山交番」でした。
やはり、実地調査は大事ですね。
しかし、「モダン交番」はすっかり、「ボロ交番」になっていました。
平屋の交番があの痛みようでは、今は無き本体のマンションも、推して知るべきという状態であったのでしょう。
ええと、昨日紹介しました、中央区のサイト「歴史の散歩道」からそのまま「札幌温泉」のページをコピペします。
テキストとしての保存用ですので、悪しからず。

リゾート施設の先駆け−札幌温泉
娯楽場も備え、大勢の浴客でにぎわいながら、わずか六年で営業を終えた幻の温泉「札幌温泉」を紹介します。
札幌温泉が誕生したのは、今からおよそ80年前のこと。当時の札幌は市制を施行したばかりで、人口はようやく13万人に達するころでした。現在、閑静な住宅街となっている界川・双子山地区も、農耕地や牧場などのどかな風景が広がっていました。
しかし、大正11年になると、界川・双子山地区でも大規模な宅地分譲が始められることとなり、さらには環境整備の一環として温泉施設の建設も計画されたのです。温泉施設の建設を行ったのは、宅地分譲も手掛けた札幌温泉土地株式会社でした。当時は、湯脈を掘り当てる技術が発達していなかったため、同社は定山渓から界川までの約30キロの道のりにコンクリート製の管を埋め込んで湯を流し、再度沸かす方法を取りました。こうして、13年秋に「札幌温泉」が現在の界川1丁目に完成したのです。
この温泉は、コンクリート造り二階建ての洋館風の豪華な施設で、前庭には、噴水やヒグマのおりなども置かれ、浴客の目を楽しませていました。宿泊施設も完備され、一度に50人も入れる浴槽が二つ用意されていたといいます。
また、当時の札幌温泉までの交通機関は、夏はバス、冬は馬ソリでしたが、浴客を増やし、分譲販売を促すため、札幌温泉土地株式会社は、電車事業にも着手し、昭和3年の春には、当時の円山3丁目停留所を起点とし、二子山通り分岐路まで至る単線(約2キロ)の運行を始めました。その後、温泉をはじめ分譲地区への交通は季節を問わず快適なものとなり、札幌温泉は市内各所から家族連れや職場の同僚同士など、多くの市民でにぎわう憩いの場となったのです。
しかし、5年になって、電車の変電所が焼失するという思い掛けない事故が起こりました。この事故を引き金に、電車の運行は廃止され、さらに定山渓からの送湯システムにも支障をきたしてしまいます。このため、浴客は激減してしまい、同年中に札幌温泉はわずか6年間でその栄華に幕を下ろすこととなり、まさに幻の温泉となりました。

レポートはこの後…。
143牛鍋蝸牛:2002/09/10(火) 22:43 ID:udY/ZFhU [ N023144.ppp.dion.ne.jp ]
今日は「札幌温泉」のあった、「札幌南藻園」付近を中心に調査しました。
あの豪華な建物がどの辺りにあったのかということくらいですが…。
「南藻園」は「旭山記念公園」へ続く坂(界川本通)の左側にあり、敷地の右には裏手へ回る下り坂があります。
裏手へ回ると、そこには「界川」が「南藻園」を取り巻くように流れています。
川はコンクリートで補強されてはいますが、もともとは沢であったと思わせるに十分な傾斜を持ち、曲がりねって住宅地の下を流れています。
道路からの高低差は5〜6mはあるでしょうか。
周りは鬱蒼とした木々に覆われています。
「さっぽろの昔話」に出てきた「鉱泉」はこんな所から涌いていたのかもしれないと勝手に想像。
確かに降りるのにも、ましてや家を建てるというのもなかなか大変であったであろうと思われます。
この、川の「界川」と生活道路の先には住宅がありますが、そのまた先は「旭ヶ丘高校」のグラウンドになっています。
「旭ヶ丘高校」の住所は「旭ヶ丘」ですので、「13年秋に札幌温泉が現在の界川1丁目に完成」という「歴史の散歩道」が正しければ、やはり「南藻園」の敷地内にあったとしか思えません。
「界川1丁目」は細長い土地で、しかも、川の「界川」が「旭ヶ丘」との境界線になっていますので、あれだけの大きさの「札幌温泉」を建てるスペースは、現「札幌南藻園」敷地しか考えられないとの結論に達しました。
最初から、そう言ってるじゃない…、と言うなかれ。
行ってみて、初めてナットクできることもあるのです。
「歴史の散歩道」の写真ですが、あれはどこから撮ったものなのでしょう?
後ろに見える高い山は「藻岩山」でしょうが、画面右方面が下がって見えるのです。
つまり左のほうが高い…。
山の感じからいうと「双子山」方面から撮影したとも思われるのですが、それでは距離が遠すぎる気がします。
当時、このような画角になる望遠なんてあったのかな?
そうではないとすると、「温泉山」の麓辺りからと考えられます。
建物と目線が同じと考えると、ある程度の高さから撮ったような気もしますしね。
でも、さっき言ったよう左が高く、右が下がっているようにも見えるし、前もかなり開けていいるように見える。
なんとも難しい…。
中央図書館に行ってみるべきだったかな?
その後、ラーメン食べに行っちゃったからなぁ…。
144啓タ:2002/09/11(水) 07:17 ID:zoaRkw3A [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべさんうらやましい。わしものんびり市内探訪してみたい。
ところで双子山の地名の由来ってなんだろう。むかしは双子山=アフターケア(古い)
っていうイメージだった。
145なまら名無し:2002/09/11(水) 08:26 ID:FCm2la26 [ i104051.ap.plala.or.jp ]
今の白石区菊水○条○丁目の地域は、昔は菊水○町○丁目(東町・西町・南町・北町)
だったらしいのですが各町の境界と、なぜ○条○丁目に変わったのか?知っている
方いますか?
146牛鍋蝸牛:2002/09/11(水) 16:41 ID:nR2a6TsY [ B136190.ppp.dion.ne.jp ]
織田無道が捕まりました。
公正証書原本不実記載ということで、どうも既存の宗教法人を乗っ取ろうとしたらしい。
HBCラジオで青野さんという弁護士が言っていたが、最近は新規の宗教法人の申請がなかなか通らないらしです。
その為、ある種の人物は既存の宗教法人に目が付けるのでしょう。
「難得神社」の宗教法人化が難航しているというのはやはり事実のようですね。
啓タさん、実地調査はいいですよ。
基本的にあまり土地鑑のないところへ行くことが多いわけです。
普段だったら絶対に行かないところへね。
住んでる人にとっては見慣れた町でも、ワシにとっては非日常です。
それに何もなさそうな所でも、自分の推理と想像を豊かにするといろいろと見えてくるんですねぇ。
段々と日も短くなって来ますし、雪が降れば調査も難しくなりますので、今が絶好のチャンスです。
みなさんも書を捨て町に出よう!
147啓タ:2002/09/11(水) 21:25 ID:zoaRkw3A [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
こんなこと聞いちゃ野暮なんだが、ぎゅうなべさんの本業っていったい
なにされてんだろう。
はぐれ雲みたいに自由きままな感じがして。
なんともうらやましい。機会があればごいっしょさせてほしい。
148本籍水車町:2002/09/11(水) 22:43 ID:xI.lXo6Q [ pdd2f9d.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>牛鍋蝸牛さん、高校名は「旭丘」です。界川というと「界川扇状地」を思い出す。高校の時これを習い「こんな小さな川が」と思った。ただ、ホント平地はないからな。対岸の旭ヶ丘3丁目辺りって線はない?あの辺一帯の地名「旭ヶ丘」も「界川町」も「双子山町」も昭和25年にできた地名だから。双子山は「円山の南側から藻岩山にのびるところに2つのコブがあるため双子山とよばれ」たそうです。宅地造成が進んじゃ元の地形はわからない。>>145さん
菊水と命名されたのは昭和29年。豊平川沿いに上流から西町、北町、上町、元町(菊水は省略しました、念のため)となり、残りは34年に南町、東町となった。が、48年には西、北、南、東は○条○丁目に。元町○番地は元町○条○丁目へと住居表示が変更になりました。理由は書いてないけど、政令指定都市になったのが前年だから、近代的にしたかったのでは。境界は…古い地図を見付ければ。
149啓タ:2002/09/12(木) 07:31 ID:xyAxDKjk [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
界川扇状地・・・なんともなつかしいひびき。沼田門下生ですな。やはり。
旭丘あたりのあのがけは豊平川の側侵によってできたといってもいいのかな。
そして界川のような複数の小さな川で作る扇状地群によって構成されているとかなんとか
習った記憶が。もっとも札幌の街は豊平川の大きな扇状地の上にあるわけで
清華亭や北大あたりに伏流水が湧き出るというわけだ。
そして水のわきでるところには、かならずといっていいほど水神を祀っている
三吉神社や水天宮などが建立されているはず。
150牛鍋蝸牛:2002/09/12(木) 21:31 ID:8a1W0f.g [ N043221.ppp.dion.ne.jp ]
はなれ糞…。
あ、いや…、なはれ雲ねぇ〜。
そうねぇ、ワシは子供の頃から群れるのが嫌いだったので、その点はそうかも(w
「札幌温泉」の場所ですが、「現・旭ヶ丘3丁目説」。
当時の「界川1丁目」が「旭ヶ丘」を含むとすれば、立地条件と写真の印象から言って、その方が自然と思われます。
例えば、「旭丘高校」の校舎の場所辺り。
とっても、知りたい…。
今度こそ、「弾薬庫」のこと書きますので…。
あ、そうそう、緑丘小学校の南にあった「札幌幌西アパート」、ただいま取り壊し作業中でした。
もうすでに建物はありませんでした。
子供の頃、あそこには何人かの友達が住んでいたし、周りの側溝のような小川にも、サンショウウオが泳いでいたんだが…。
151なまら名無し:2002/09/13(金) 07:16 ID:yaT84sGA [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
校舎説だと温泉山と向き合う形になるので南藻園説のほうが自然かと。
あるいはゲレンデとして利用した斜面あたりかと。(噴水の下のほう)

西アパって道庁の官舎のこと?それと道銀の南向にある古いアパのような
建物未だにそのまま。誰か住んでるのかな。通学路だったのでよく見た建物。
なんかスレからズレてきたがま、いいか。

弾薬庫ってつきさっぷ郷土資料館裏にある頑強な建物のこと?撤退するとか聞いたんだが。
152牛鍋蝸牛:2002/09/13(金) 09:42 ID:/2nJTJSs [ B136230.ppp.dion.ne.jp ]
アパート取り壊しの件ですが、工事の看板には「職員公宅札幌幌西アパート解体工事」となっていました。
あそこは「幌西アパート」と言ったようです。
札幌の西であることは間違いないが、「幌西小学校」の印象が強いのでちょっと場違いな感じがするね。
月寒の「弾薬庫」ですが、それは「界川」から明治39年に急遽、移転されたものです。
そこらも含めて、書きます。
もうちょっと待ってください。
それと、「札幌温泉」の位置特定はなんとしてもやり遂げたいなぁ。
もう一度行かなければ、と思っています。
聞き込みしても当時のことを知っている人はいないだろうし、資料を求めて「中央図書館」にも行く必要ありかも。
(あそこ、駐車場も混むんだよね…)
前回の実地調査のとき、「山鼻温泉」跡地にも行って来ました。
子供の頃あそこらでも遊んだもんだけど、「エルム山荘」の記憶は“うすらぼんやり”です。
あの特徴のある窓、見たことがあるような気もするけど…。
昭和28年から営業しているので、あったはずなんだけどね。
「伏見稲荷神社」付近には、あの裏の崖を必死で登って辿り着いたもんです。
153牛鍋蝸牛:2002/09/13(金) 15:10 ID:eGbR7Pl. [ y068203.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌温泉」はまだやります。
「札幌郊外電車軌道」も路線と、その顛末なんかも。
それと、>>126 の「さっぽろ散歩」の記述、
「離れて手稲には軽川温泉光風閣(富丘、三樽別川近く)もあった」の「光風閣」のことが「札幌案内」(明治32年)に出ていましたので、、希望があれば書き込みますが、どうしましょう?
さて、ここで一旦、時代を遡ります。
「弾薬庫」のこと。
で、よ〜く見てみると、「火薬庫」となってますた。
勝手ながら、これより、「火薬庫」に訂正、統一します。

「さっぽろ散歩」の「旭ヶ丘入口」より。
「さて、この地は山鼻屯田兵村と深いかかわりがあるので言及しよう。
明治九年に山鼻屯田兵村が設置され、その一施設として演習場と火薬庫、それに射撃場が必要であった。
火薬庫こそ兵村から離れ危険を避けてこの地が選ばれた。
火薬庫には番兵所が必要で、今の旭可丘碑のあるところに設けられ、火薬庫は、その奥、今の南藻園のところに設けられ土塁で囲った。
最初は専属の衛兵が配置されたが無r里から離れているばかりか、クマやキツネの出没にもきもを冷やした。
冬になると猛吹雪に生きた心地はしなかった。
ところがその衛兵の殺害事件が起きたので、それからは衛兵を交代勤務にし、食事を町から届けることにした。
明治二十九年に山鼻屯田兵村が解体し、第七師団に引き継がれた。
そして明治三十二年にこの施設は歩兵第二十五連隊に所属替えになった。
ところが明治三十九年にこの一帯に山火事が発生、火薬庫爆発の危険が生じたので、急遽月寒に移された」
<つづく>
154菊水上町:2002/09/13(金) 18:18 ID:RVOaRvEY [ h127.p184.iij4u.or.jp ]
>>145
東札幌図書館の白石村郷土資料パネル展示コーナーみたいな場所に
「白石の語り部たち」というような冊子が展示されており、改名した
昭和29年当時のことが詳しく載っていますた。

菊水エリアの分かれ目は、米里通と南郷通(水穂大橋に続く道路)がクロスする
地点です。ちょうどコジマ薬局やレンタルビデオ店があるあの交差点です。
▼当該地点を中心とした地図
http://www2.mapfan.com/map.cgi?ZM=11&MapSize=1&SbmtPB=MAP&MAP=E141.22.53.1N43.03.19.8&Func=INDEX&&MapSize=0
菊水はクロスした2本の道路によって4つに切り分けられ、それぞれ
東町(右 幌東小や東高のある区画)
西町(左 病院や菊水駅、遊郭跡のある区画)
南町(下 白石園のある区画)
北町(上 若葉公園や東橋小のある区画)…となりました。
▼昭和40年当時の地図
http://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki79.pdf
今の菊水駅3番出口(菊水3条2丁目)近辺は、当時「菊水西町13丁目」でした。

ローカルネタで恐縮ですが、菊水フードセンター前の歩道橋には
「菊水西町歩道橋」と当時の呼び名を残した表示があります。熱い!!
155啓タ:2002/09/13(金) 20:34 ID:yaT84sGA [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
発寒1条さん。おそレスですが、円山北町と表示のついた信号機
向陵中から旧5号線抜ける道で見た記憶ありますがあれはなんなんでしょう?
156牛鍋蝸牛:2002/09/13(金) 21:39 ID:EeS3BzXc [ U126060.ppp.dion.ne.jp ]
「菊水」ネタ、発展し始めていますね。
ところで「菊水」って地名の由来は?…と振ってみました。
(「菊水」って麺屋さんはやっぱり、この「菊水」から命名したのでしょうか?と尚且つ、しょうもないネタで振ってます)
ええっと、「火薬庫衛兵の逸話」というのが「開拓史史書の屯田兵記録」 山田勝伴 に出ているそうですので、「さっぽろ文庫」の資料から引用します。

「屯田兵の練兵と演習記録」
「火薬庫は藻岩山麓にあり、その詰所は屯田兵屋同様の建方であった。
火薬庫まで詰所よりは三町もあり、樹木鬱蒼として昼尚暗き密林である。
火薬庫の詰所まで行くには札幌より一里も距り荊棘(けいきょく)を開きたる山道であり、その詰所より火薬庫の衛兵の屯所迄近距離であるが、極めて淋しい処で、一時間交替の往復共実に寂漠を感ずる。
夜は狐狸や梟(ふくろう)の鳴き声を聞き雨の夜はまだしも吹雪の時など夜半耐えられぬ苦労があった。
ともかく山中に火薬庫を設けた当時は、毎日衛兵の派遣は容易ではないので番人を常置してあったが、それが何者かに殺されたので後は衛兵を派遣することになった。
火薬庫は三棟あり屋上には避雷針を立て相当の設備をなし此等の衛兵に対しては札幌の喜六と称する弁当屋より仕出しの弁当を出す。
この弁当は材料豊富でご御馳走あり、夜半まで日に四回供給される。
しかも、二合入の函入の函弁当盛沢山である。
喜六は任侠肌の弁当屋で兵卒を遇することを極めて鄭重であった。
それで当時の兵村の粗食に馴れてあった屯田兵は、衛兵として派遣されるのが苦労であるが、一面この弁当を食うことが当時当番に当たった衛兵の楽しみとして居った。
藻岩山麓の火薬庫へも四回天秤棒にて胆ふた使いがこの弁当を届けるので夜中には青土瓶が届けられ、それは茶ではなく酒が約一升入って居たり、一層兵は此の青土瓶を楽しみに山中の火薬庫をまもる勤務の苦労が緩和された次第である」

どう?面白いでしょう?
157菊水上町:2002/09/13(金) 21:53 ID:RVOaRvEY [ h127.p184.iij4u.or.jp ]
>>156
この地に菊亭ユキスエ(漢字が難しい)という旧華族が入植してきたから菊水…
だったと思います。菊水の麺はわりかし有名ですよねー。やっぱりここから名付けたのかな?
158牛鍋蝸牛:2002/09/13(金) 22:11 ID:EeS3BzXc [ U126060.ppp.dion.ne.jp ]
さて、じゃ、一気呵成に「札幌郊外電気軌道」について…。
まずは路線ですが、「さっぽろ歴史散歩」より。
「円山二丁目電停(大通り西23丁目)から南進、南六条で山根通に出て、南七条、今のなんまるスーパー角から西進、今は医大精神科分院跡の空地で左折、さらに阿部商店のところで右折、双子山一丁目吉田たばこ店(今は住宅)前を終点に札幌温泉行電車ができた。
あとはそこから歩いて札幌温泉(現、南藻園)に達した」
これが昭和3年のこと。
では、「新札幌市史 第四巻通史四」平成9年3月31日発行 札幌市教育委員会 より 「第八篇 転換期の札幌 第三章 都市計画と社会資本整備」から、「札幌郊外電気軌道」。
尚、この記述は、「失われた鉄道・軌道を訪ねて」 濱田啓一・渡辺真吾 の「札幌温泉電車軌道」よりの抜粋とのこと。
「昭和3年4月藻岩村において札幌温泉電車軌道株式会社が設立された(取締役社長川原直孝)。
最初の営業路線は円山3丁目(南1西23)〜温泉下(界川)間が4年6月30日営業を開始した。
また同社は琴似駅前〜南1条間も営業認可を申請し、琴似の村民からも軌道達成が陳情された。
しかし、昭和5年8月31日、電車へ配電していた変電所が焼失し、臨時に札幌から受電しようとした。
またこの5年下半期に会社名を札幌郊外電気軌道株式会社と改めた。
変電所焼失のため、4月ガソリン客車で営業を継続しようとして認可申請をし、8月認可された。
しかし、動力車は一台だけでそれも故障続きで営業成績は良くなかった。
8年5月円山3丁目琴似駅間軌道工事が認可された。
しかし、9年8月には温泉下までの軌道営業休止を申請した。
会社も札幌から東京へ移して会社更正に努力しなければならなかった。
さらに琴似線の工事施工延期申請が却下されて、その特許も喪失した。
11年度の営業報告書によると、累計赤字が4万円を超えている。
その後12年5月軌道撤去と道路原状回復終了の届け出がなされた」
159牛鍋蝸牛:2002/09/13(金) 22:25 ID:EeS3BzXc [ U126060.ppp.dion.ne.jp ]
「菊亭脩季侯爵」関係のサイト発見。
http://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki38_39.pdf
じゃ、あと別になければワシは寝ますが、よろしいか?
160牛鍋蝸牛:2002/09/14(土) 06:46 ID:n4fnm2rw [ N022051.ppp.dion.ne.jp ]
さっきSTVラジオ聞いていたら、「河村道夫の桃栗サンデー」の明日の予告で、気になることを言っていた。
「北海道の明治・大正の歴史にはまっている人もいます」ってことで、明日聞ける人いたら聞いてみて。
ワシ仕事なので、聞けるかどうか分からないのでよろしく。
161啓タ:2002/09/14(土) 08:26 ID:lGtHfB5. [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
話があちこちとんですまん。
わしもあの豪華絢爛の札幌温泉気になるので何度も写真みてみたが
建物の後ろに丘か山の稜線のようなものが写ってる。
ってことは南藻園のあるとこだとバックには山はないはずでは。
旭丘高校の校舎だと藻岩山がバックになるはずで低い山は写らない。
消去法でいくと旭山説。うしろの低い山も旭山のような気がするんだが・・・
この連休天気よさそうだからちょっと巡検でもすてみるか。
ついでにひさしぶりに界川の誠寿司でもよってみるか。
16218丁目:2002/09/14(土) 09:40 ID:Kdhb9UGU [ SODfi-02p2-180.ppp11.odn.ad.jp ]
久々に札幌村支部から報告します(w
菊亭侯については、菊水の歴史で有名ですが、現在の東区にも侯爵の庭園があったようです。
場所は現北8東7(当時北8東2)の灰野宅があった場所(少し前まではリカーショップ灰野
、今はユニクロがある一角)で、伏古川のよどみを利用した広さ2ヘクタールに及ぶみごとな
庭園だったようですが、その後明治中期以降は皆さんもご存知のように、豊富な水源を利用した
工場の形成により、伏古川の汚れと湧き水の減少により庭園も消えていったようです。
その後その地は、菊亭家から富樫家(東区栄町に碑が残る農場主)を経て現灰野へと
渡りました。
要するに札幌ビールの工場の辺り一帯が一番良い湧き水地帯だったことがうかがえますね。
寂しい事にその工場も操業を止めてしまったので、湧き水はどーなっていくんでしょう?
163牛鍋蝸牛:2002/09/14(土) 21:54 ID:qSQql.zE [ E168033.ppp.dion.ne.jp ]
「札幌温泉」の新たな画像を入手しました。
写真が古いだけでなく、Webサイトの画像のため小さく不鮮明なので、いくらかでも見やすくするために画像処理をして、画面のサイズも大きくしました。
残念ながら背景は写っていません。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=179
は先日見つけたもの。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=180
が新しいもの。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=181
は最初の写真(さっぽろ散歩 掲載)と同じものですが、トリミングがされていないもののようです。
看板に「千代田」と読める文字と、よく見ると女性が二人が見えます。
164啓明ターミナル:2002/09/15(日) 13:29 ID:gtIfHiA. [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
蝸牛さんよろしく、生来の知的好奇心がうずいてとうとう書を捨て街にでました。
163の1番目をプリントアウトして現地調査へ。
ひさしぶりに紫雲たなびく母校によってみましたがどうみてもここではない。
藻岩山が近すぎる。
つぎに南藻園に。敷地に入ると不審者と間違えられた。事情話すと親切な先生が
札幌温泉の面影を残す石段の跡を教えてくれた。写真と照らしてみた。う〜む
しかしどこか違う。背景の藻岩山の稜線がどうみても一致しない。
中井貴恵が住んでたとか言う双子山の方からも眺めてみたが背景の山が違う。
80年前だから樹木の育ち具合で山の形も変化するのかとも思うが納得できない。
一番奥の山はおそらく藻岩山ではなく大倉山へとつづく稜線ではないのか。
それか合成写真か?奥の山が藻岩だとするとなだらかすぎる。旭丘、界側方面から
見た藻岩山は右側が急斜面になっているのです。
うちのかみさんが1月前くらいにテレビでもやっていたのをみたそうです。その話を
聞くとどうも南藻園らしいのですが。この疑問にどうこたえてくれますか。
165なまら名無し:2002/09/15(日) 17:22 ID:kc05kbA6 [ i106143.ap.plala.or.jp ]
牛鍋蝸牛さん、お返事遅れてすみません。132でカキコしたものです。
久々に(一週間ぶりに)実家に帰ってきたら数多くの書き込みがあって
びっくりです。(まぁ一週間ぶりだったら当たり前か・・・)
現山鼻温泉なんですが、店の人がたまにいくらしいんですけど、詳しい住所
はわからないんですが、南11条近辺で、石山通より豊平川方面に行ったところ
にあるらしいです。一応きちんとした温泉らしいんだけど、中身はほとんど
銭湯らしいです。今度きちんとした住所を聞いてみたいと思います。
166牛鍋蝸牛:2002/09/15(日) 21:55 ID:.pOsXhRY [ y068185.ppp.dion.ne.jp ]
あ、まずは>>165 さんにレス。
「現・山鼻温泉」の場所は、すでに確認済みでした。
ちょいと、かなり都心部よりですね。
はっきり言って、こりゃ銭湯ですな(w
昔の「山鼻温泉」は既出のとおり、「現・エルム山荘」「中華人民共和国領事館」「伏見公園」の辺りです。
土地鑑がおありのようですので、わかると思いますが、今はその面影はありません。
「領事館」前には交番(ポリスボックス?)が有りまして、ちょっとうろつきにくい雰囲気があります。
そう言えば、ワシの行きつけのラーメン屋、「らーめん あび」のマスターが言っていたけど、「さっぽろ温泉」って名前で数年間だけ営業した(例の「札幌温泉」とは違う)温泉が、最近まであったそうです。
元は工事現場だか飯場だかで、お湯が出てくるのは塩ビのパイプから。
なんだか、ほったて小屋のような温泉だったそうですよ(w
「札幌温泉」って名前の温泉は長続きしないのでしょうか?
さて、啓タさんへ。
ご苦労様です!
いいでしょぉ〜?
実地調査は…。
今日なんか天気は良いし、最高だったのではないでしょうか?
不審者に間違われたのはちょっと可哀想だったけど、そうですか、「札幌温泉」の石段跡!
興味深い…。
さて、レポートによると、場所の特定はかなり難航しそうですね。
今のところ、山の稜線の違いに関しては何とも言えません。
何かがあるのか、それともないのか…。
合成ってことなはいだろうけどね(w
藻岩は山火事があったり、進駐軍が法を無視して乱開発(スキー場、ジャンプ台、リフト、ロッジなどを作った)した話もあるので…。
(山火事は南西部というから関係ないかな)
ただ、背景の山の「近い、遠い」という問題に関しては、“写真をかじった”ことのある方ならわかると思いますが、レンズの種類によって映し出される画像はまったく印象の違ったものになることがあります。
建物や風景を撮影するなら広角レンズを使うのが一般的ですが、たとえば28mmくらいのレンズなら、遠近感が強く出るので背景が遠くに見え、見た目よりもずっと広い感じに写るわけです。
逆に望遠レンズなら、奥行きの遠近感はほとんどなくなるので、距離はつかみにくい画像となります。
この写真がどんなカメラで撮られたのか、ましてやあの時代にどんなレンズがあったのか、残念ながらちょいと分からない。
ちゅ〜ことで、ここらが難しいところですねぇ。
やはり一度、「札幌市資料館」と「中央図書館」へ行かなければならないか。
それから現地にもう一度行くと…。
明日行こうかな?
休みなのに仕事入れられて頭来てるけど、終わってからでも。
月曜は休館日だけど明日は旗日だからOKのはずなんでね。
あ、河村道夫のラジオ聞いた人いる?
ワシ、最初のとこだけちょっと聞いたけど、「丸井」がどうのこうのって言っていたな。
早い話、STVラジオの本の宣伝だったのかな?
ちなみにワシは普段、HBCラジオ聞いていますが。
167啓明ターミナル:2002/09/16(月) 07:13 ID:zrAsXXb6 [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
早速ですが、写真に手を加えていなければどうみても南藻園のところから
写した写真とは思えないですな。
ただし、妙なことに気づいたのですが、写真を裏返してすかしてみると
若干ですが今の藻岩山に近い形状となるが勘ぐりすぎか。
いくら大正時代とはいえ左右反対にうつることはないよね。
ってなわけで地元民がいう南藻園の札幌温泉と写真にある瀟洒な温泉館は
別物ではないのだろうか。
168牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 10:52 ID:6EhnaouI [ y068095.ppp.dion.ne.jp ]
3枚の「札幌温泉」の写真の出所は確かなので「別物」ってのはないでしょう。
しかし、http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=179 が「裏焼き」ではないか?というのは説得力あり。
ってことで左右に反転してみたら…。
あっ!と叫んだ!
藻岩の稜線が一致!
気になっていた左右の傾斜の不自然さも解消!
ま、見て。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=182
デジカメ故障のため先日の調査で藻岩をスケッチしてきたのですが、それと比較してみて、特に画面右の特徴のあるとんがった尾根なんかそのものです。
つまり、ID=179 の写真(中央区のサイト)は「裏焼き」だったのです。
(“裏焼き”とはプリントの際にネガを裏返して焼き付けてしまったものを言います)
啓タさん、お手柄。
ってことは出典の中央区のサイト、
ttp://www.city.sapporo.jp/chuo/profile/history/200201.html
が間違っているのか、そのまた出所の、「札幌市教育委員会文化資料室」が間違っているのか。
こりゃ、裏取りのため、もう一度調査に行かねばなるまいて!
待ってろよ、堺川1丁目!
16918丁目:2002/09/16(月) 11:58 ID:J69xKi5M [ SODfi-02p2-93.ppp11.odn.ad.jp ]
最近まであったさっぽろ温泉なるもの、確か川下のあたりに看板
だけ残っているのがそうかな?
なんか以前凄く気になって、看板の矢印の指す方探したけど、それらしい
所見当たらなかった覚えがある。
しかし牛鍋さん凄いね、カメラがなけりゃスケッチまでしちゃうとは、ただ脱帽。
170牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 16:02 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
緊急報告!
「界川1丁目」に行って来ました。
詳細は後ほど語るとして、結論から。
「札幌温泉」は「札幌南藻園」敷地内にありました。
ロケーションが左右反転した写真とばっちり合致。
写真を撮影した場所もほぼ特定しました。
啓タさんが「石段」のことを述べられておりましたが、ワシも「札幌温泉」の建物の残骸であろう、コンクリート片(と言ってもでかい)を発見。
そして、なぜ中央区のサイトに「裏焼き」の写真が掲載されたかも判明。
近いうちに訂正されるかと思います。
そして、いろんな人にも会いました。
偶然にも「啓タさんご一家」とも!
あと、謎の「四駆美人」…。
これから書きます。
少々お待ち…。
また長いレスになるのをご容赦くだされ。
171牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 17:21 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=183
に、「札幌温泉」があったであろう場所をアップしました。
「南藻園」敷地内でありますが、現在の建物があるところではなく、向って右側、今は木造の廃屋が二つ建っているあたりから鉄棒などの遊具があるところです。
その裏は>>143 で書いたように、「界川」が沢であった雰囲気を未だに醸し出しつつ、流れています。
撮影した場所は道路を隔てた、「旭山記念公園」の一番下のあたりと思われます。
現在は民家がありますが、そのちょいと上辺りかと。
嘘だと思ったら、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=182
をプリントアウトして現場に行ってみてね。
ま、感動するほど藻岩山の稜線がぴったり合うYo。
そして、「札幌温泉」のあの雄姿が、あなたの目前に現れるという寸法です。
いや、冗談抜きに行ってみてやってみて欲しい…。
人間、簡単に感動するのもどうかと思うけど、結構、ウキウキしちゃいます。(au by KDD)
啓タさんが案内されたという石段ですが、ワシもお願いして見せてもらおうかな?と思い、「南藻園」の事務所を覗いてみましたが、ちょうどお昼時。
しかも、休日とあっては就学児童も園内で昼食、未就学の子供たちももちろんいるだろうし、先生方も忙しかろと思い、遠慮しました。
で、遊戯具のある所辺りにちょいとお邪魔。
そこに何げなく転がっているのは、1m以上はあると思われるコンクリートの塊です。
その巨大なコンクリート片の特徴はといえば、一目瞭然。
使われている砂利がこれまた巨大なことです。
いや、「砂利」というのは「ガキンチョ」の別称でもあるくらい、本来は小さなもののはずですが、ここのは1個が4〜5cmはあろうかと思われる大きさです。
思わずムール貝かと思ったくらいだ。
ワシは別にコンクリート評論家ではありませんが、どう見ても現代のものではありません。
これは「札幌温泉」のものだと断定しました。
ちなみに、このことは後ほど証明されるのですが…。<つづく>
172牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 18:15 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
さて、啓タさんの発見で思わぬ展開を見た、「札幌温泉」。
ここは番外編です(w
ワシは「南藻園」正門の道路を隔てた歩道に立って、コンパスを取り出し、地図に見入っていました。
で、何度も何度も、プリントアウトした写真と実際の風景を重ね合わせてみました。
ほぼ、気が済んだ頃、一台の四駆(だと思う)が上がってきました。
その車には細身の美人が…。
ご婦人は、ワシの方を見ると「ニコッ」っと…。
そして、車はそのまま右折してワシのいる歩道へ入り込んできました。
ワシはそのまま地図を見ていたのですが、車はワシの隣に来て、かなりの徐行運転。
というか、ほとんど停止状態。
ワシはその時、こう思いました。
ワシは、ここへ来る前にレスで「待ってろよ、堺川1丁目! 」と書き込こんで、勇んで車を飛ばしてやってきた。
とすると、リアルタイムでレスをご覧になった人がいても不思議ではない。
このご婦人はもしやして、スレの住人、あるいはギャラリー、はたまた怖いもの見たさの物好き…。
ま、なにはともあれ、ワシとしては見知らぬ女性にいきなり、
「初めまして、お嬢さん…。ワシが牛鍋蝸牛ですら」というのも変だし、ましてやこのスレの住人やギャラリーのかたとは限らないわけで、そのまま地図を見ていたわけですわ。
車はゆっくりと、ワシの横(歩道)をすり抜け、また今来た道を戻っていかれました…。
う〜ん、なんか関係者くさい行動だったゾヨ。<つづく>
173牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 19:27 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
なにはともあれ、あの「歴史の散歩道」という中央区のサイトの「札幌温泉」の画像は「裏焼き」であることが確認されましたので、ワシはその足で「札幌市資料館」(大通り西13丁目)内の「札幌市教育委員会文化資料室」へ急ぎました。
ここで、郷土史相談員の「Aさん」という女性とお会いしまして、
「中央区のサイトに載っている、札幌温泉”の画像は、裏焼きである」との旨、プリントアウトした資料を付け添え、お伝えしました。
女史はさっそく、ワシを写真資料の検索コーナーへ案内してくれました。
ここの写真資料は、サムネイル状態でジャンルごとに分類されているカードから目的のものを探し出し、その分類番号から別途保存の本体の写真を出してくる、といってみれば、昔の図書館のやり方です…。
暫く探して、例の「札幌温泉」の写真が出てきました。
はたして、そのインデックスの写真は「裏焼き」だったのです。
「元本が間違っていたか…」とワシは思いましたが、その「原本」を探しに行った女史の声が聞こえました。
「あ…」
持って来られた原本は当然、「裏焼き」なのですが、その写真の裏には(ややこしい)はっきりと赤で「裏焼」の文字が!
つまり、もともとこの写真のプリントは「裏焼き」だったわけです。
さて、なんでわざわざ「裏焼き」なのか?という疑問ですが、これはね、ワシ以前に何かで聞いたことがあるんだけど、忘れた!
いや、昔の人には写真を裏焼きにしたがる「習慣」があったようです。
これはA女史もおっしゃっておられた。
結構あるのですよ、昔の裏焼き写真や映像って。
しかし、今回の場合、
「裏焼きですよ」の表示があるわけで、こりゃ使った中央区の不注意。
裏焼きをもとに戻す必要があるのに、忘れていたか気が付かなかったかのどちらかです。
A女史はワシの持っていったプリントのコピーを取られ、中央区に連絡しておくとおっしゃってくれました。
ま、そんなわけで、近いうちには訂正されるのではないかと、思われます。
女史にはこのスレのことを説明しておきました。
前にも書いたけど、なかなか難しいのですよね、インターネット掲示板とかの説明って。
A女史からは名刺をいただき、ワシも自作の名刺を差し上げました。
「また、面白い話があったら教えてください」と言われましたよ。<つづく>
174牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 19:57 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
実地調査の後は「らーめん あび」へ…。
これ、ワシの鉄則です。
「あび」でマスター相手に今日の成果についてプリントなどを駆使し、説明をしていましたら、ご主人と奥さん、そして二人のかわいい娘さんのご一家がご来店されました。
ワシは席をずれ、暫くおとなしくしてましたら、マスターがその娘さんの手にしたプリントを見つけ、
「それ、この人(ワシ)の…」と言いました。
ご主人は、
「いや、これは私ので…」と。
マスター怪訝な顔。
ワシもなんのことだか分からなかったのですが、ご主人は、
「今、札幌温泉てのがインターネットで話題になっていて、これはそのプリントで」ってなことをおっしゃいました。
「!。関係者だ…」とワシは思いました。
マスターも、
「お前の仲間だぞ」て顔で見ています。
ご主人もそれに気が付いたようです。
ワシは、ちょっと躊躇しましたが、
「あ〜。私、牛鍋蝸牛です」と自己紹介。
すると、奥さんが、
「きゃ!」とか声を発せられました(w
ご主人は、
「あ〜、こりゃ!」って顔で、こう答えられました。
「啓明ターミナルです」
ってな具合で、ラーメン食いつつ、思わず始まった「札幌温泉」談義。
あとは、「啓明地区」の話などもね。
でもね、なんだか照れくさいもんですよ。
ネットで知り合った人といきなり、こんな風に出会うというのは。
ワシは、啓タさんの指摘を確認すべき「界川」に言って確認してきたこと、「札幌資料館」へ行った事等をお話しました。
啓タさん一家はこれから、「堺川」「旭ヶ丘」へ向われるということなので、ワシの「反転札幌温泉写真」(これがオリジナルだが)を差し上げ、実際にも見事にこのとおりであるので見てきてね、と申し上げました。
啓タさん、どうでしたぁ?
そうそう、「らーめん あび」に来られたのはワシが何回かスレに書いたのでとのことでした。
でも、あの時マスターが、啓タさんが持ってこられたプリントを、さっき見たのと同じものだと気が付かなかったら、ワシの置き忘れだと思い違いをしなかったら、いや、そもそも娘さんがそのプリントを出さなかったら、お互い知らない同士だったわけです。
いや、面白いもんですねぇ〜。
啓タさんとは、
「また、ネット上でお会いしましょう」と小粋にお別れしました。
175啓明ターミナル:2002/09/16(月) 20:06 ID:zrAsXXb6 [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべさん、さきほどはどうも。思わぬ形でオフカイしてしまいましたね。
我が家でも牛鍋ファンがいていったい何者かと話題になっていたのでスター級の
扱いでしたよ。
いつもながら長文による詳しい報告感謝です。
わたしの何気ない独り言がおもわぬ展開のなろうとはおどろきでした。
一役買って光栄に思います。
普段何気なく通過していたご近所も古きよき時代に思いを馳せると
ちがって見えてくるものですね。あのあともういちど界川にたちより
しっかりと80年経ても今も変わらぬ藻岩山の稜線を確認してきたという次第です。
これで胸につかえてるものがすーっと下りた気がします。
また興味ある話題を提供してください。
あーっと「あび」さんの塩ラーメンおいしかったす。
176牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 20:13 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
>>171 の訂正。
「au by KDDI」が正解。
ワシには「I」が足りないようです。

それと、書き忘れの補足です。
コンクリートの砂利について、資料館のA女史も、
「古いコンクリートの砂利は今よりかなり大きい」とおっしゃっておられました。
以上、ごめ〜んね!
177牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 20:33 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
啓明ターミナルさん、お疲れ様です。
そうですか、「藻岩山」の稜線確認しましたか。
お互い、すっきりしましたね。
このスレの凄いところは、一人では解決できそうもない問題が、何人にもよる何回ものスレによって、
どうにかこうにかでも、それでもちゃんと答えが出てきているってことだと思います。
大きいところでは、「雁来町」「水車町」「五天山」「札幌温泉」…。(その他にも沢山あるけどね)
これからも面白そうな場所を求めて、がんがっていきやしょう!
>>169 18丁目さん。
レス遅くなりました(w
もともとワシは絵が好きだったのです。
でもね、もう二十年もろくに書かなかったらヘタクソになっていたよ!
178serinagy:2002/09/16(月) 21:08 ID:443FosYY [ p5064-ipad11niigatani.niigata.ocn.ne.jp ]
初めまして。serinagyと申します。
実は私もこのスレは数ヶ月前からROMしてました。
このスレは実に良スレ。インターネットの醍醐味を味わえるスレです。
推理小説のように面白くて、本当は自分も実地調査に参加したいのですが、
札幌からは二十年以上も離れているものですから。
札幌温泉の写真は私も何処をどう撮ったらああなるのか不思議でしたが、
裏焼き写真を見たら当に見た瞬間にピッタリ。うーん、気持ちいい。
啓明ターミナル一家との遭遇などもドラマチック。
でも牛鍋蝸牛さん、まだ最大の謎が解決されていないんですけど。
四駆美人は何者だったのかという謎が。 (笑
このスレには似つかわしくない(?)、
ラブロマンス的展開にワクワクしていたのですけど。
今後もよろしくお願いします。
179牛鍋蝸牛:2002/09/16(月) 21:36 ID:k1qS.FmM [ N043064.ppp.dion.ne.jp ]
serinagyさんへ。
「四駆美人」ね。
またいつかお会いできる日を楽しみにしています(w
札幌にいない方も、このスレをよく見てくれてるようですね。
「良スレ」ってのは一番うれしいホメ言葉。
こちらこそ、よろしくお願いしますね。
180啓明ターミナル:2002/09/16(月) 22:08 ID:zrAsXXb6 [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
寝る前にもう一度ひらいたらなんと新潟からのレスとは・・・
読んだら一言書かずにいられなくなっちゃった。あほだねおれも・・・
マイナーからメジャーへの予感ですな。
ほんとこのスレ一度読んだら最期、はまっちまってぬけだせなくなるかも。

気になる例の4駆美人はひょっとするともうこのスレに登場している方では。
例えば開拓4&5世さんとか・・・女性的文体だし上品そうな感じがする。
ま、謎めいていた方が興味そそるけど。
ではおやすみなさい。
181発寒1条1丁目:2002/09/17(火) 00:28 ID:FlHL/bUA [ SODfa-01p3-203.ppp11.odn.ad.jp ]
連休不在でした。すごい展開になっていたのですね。
札幌温泉とてもおもしろく読ませていただきました。
牛鍋蝸牛さんありがとうございます。
私は、実家で関連のさっぽろ文庫などを引っぱり出して読んでおりました。
東北通と栄通が気になっていて・・・
で、啓明ターミナルさんの北町の信号機の表示ですが、
向陵中から旧5号線へ抜ける道というのは具体的にはどの辺なのでしょう?
環状通りでしょうか?
私はあまり記憶にないのです。どこかの信号機で見かけたような気もするのですが・・・
182開拓4&5世:2002/09/17(火) 00:31 ID:I0l/Eye6 [ p0445-ip01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>180 啓タさん(私も啓タ使ってました。懐かしい。)
 残念!私ではありません。
札幌には買い物に行きましたが、
フィールドワークするほどの時間はなかったのです。
今は地方の町に住んでいるので…(札幌からそう遠くはないのですが)。
話題に出していただいて、うれしいです。
上品そうですか?うれしいなぁ。
今微妙にふられぎみなので、特に心にしみますよ…。くぅ〜。

 きっとここを見ている多くの方が、藻岩の山の形を確認したのでしょうね。
(もちろん私も写真で確認しました!)
 札幌温泉ネタで、たいしたことではないのですが、
私が気になっていることがあります。
それは、旭丘高校の開校30周年のときにもらった記念誌の中に
開校当時のことが書かれていて、
そこに確か高校を建てているときの地域住民の声が載っていました。
「当時は学校というより、あんな山の上におっきいもの建ててるけど、
温泉か何かわけわかんないものをつくってるんじゃないのか
みたいな風に思っている住民もいた。」というようなことが書いてあった
気がするんですよね。
15年も前の記憶なので定かではありませんが(探してますが…)。
つまり何が言いたいのかというと、
住民のこの思いの裏には札幌温泉のことがあったのではないかということです。
ただそれだけなんですけどね。

「四駆美人」さん、気になりますね。
牛鍋さん、啓タさん、フィールドワークお疲れ様でした。
新発見、すごいです!!(拍手)
183なまら名無し:2002/09/17(火) 10:21 ID:rVnRi2yY [ sapporokita3-17.ppp-1.dion.ne.jp ]
基本的にROMですが、時々合いの手を入れてる者です
しかしここで「あび」がでてくるとはっ!
大将 関係者だったの? いったいあなたは何者だ
ラーメンネタ以外でも接点があるとは
因みに私は将来郷土史研究家と呼ばれることを夢に
少しずつ丘珠近辺の勉強をしています
大友堀〜伏古川・豊平川〜石狩川あたりでうろうろとしています
いつかここで長文UPしたいな
ただ仕事の多忙さとよる年波でフィールドワークが・・・
建設業なので冬が暇なので文書中心でやってます
みなさんの豊富な運動量と好奇心旺盛さには敬服の一言です
184牛鍋蝸牛:2002/09/17(火) 13:06 ID:1SjA6Ml. [ B136107.ppp.dion.ne.jp ]
昨日はお祭りのような日だった。
書き込みも久々に多かったしね。
>>183 さん。
「あび」のマスターが言ってました。
「郷土史研究家は、地味目の茶色のポロシャツにボウタイ。それにベレー帽かぶらにゃいかんな」
ま、イメージですね。
あのマスターの正体ですか?
あの人の正体は、単なる「ラーメン屋のおやじ」ですよ(w
ワシより年は上ですが、22年来の友達なんです。
さて、昨日の報告の補足を…。
「写真の裏焼き」について札幌市資料館・札幌市教育委員会文化資料室のA女史と昨日お会いしたとき、女史は、
「なぜか昔の写真はそれが粋だということなのか、裏焼きが多いんですよね」と言っておられました。
確かにそうなんです。多いんだよねぇ。
動く映像としては北海道で最古の、「北海タイムス」(現・北海道新聞社)の初代社長の葬儀のフィルムがあるそうですが、それも裏焼き(“逆焼き”とも言うらしい)だったそうで、NHKが反転して、正規のものに戻したとか言っていました。
(ここでいう「北海タイムス」は数年前に潰れた新聞社ではありません。
潰れた「北海タイムス」は、本来の「北海タイムス」が他の数社と合併してできた「北海道新聞社」から再度分かれてできた新聞社だったはず。
もともとの「北海タイムス」とは関係はないはずです)
昨日書いたけど、どこかで「裏焼き」の件について聞いたことがあるような気がするんですが、全然思い出せません。
「裏焼き“粋”説」だったような気がしますが…。
あと、自分なりに推理しました。
「当時のネガである“乾板”には裏表の表示がなかったので間違いが多かった」
(ホントか!?)
「当時の人はそんな小さなことは気にしなかった」
(全員がか!?)
さて、あとは「文珍博士」の答えだけだな…。
185菊水上町:2002/09/17(火) 22:12 ID:oTF170n. [ h159.p185.iij4u.or.jp ]
連休中見ないうちに展開が凄いことに…
これから未読消化にとりかかろうと思います。
どの投稿も濃くて読むのが大変だなぁ。

毎年(歴代?)の市内地図がズラッと並んでて、気軽に
閲覧できる場所ってないもんだべかなあ。
15年前といった比較的最近の地図でも、見てると
タイムスリップできた気がしてワクワクします
186なまら名無し:2002/09/18(水) 17:23 ID:2DY3weKc [ sapporokita4-134.ppp-1.dion.ne.jp ]
>184
今度そのスタイルでラーメン食べに行ってみます
ひげはありなんでしようか

>>185
図書館に行くと「さっぽろ文庫」の別冊がありますが・・・
既にご存じでしたかね
187啓明ターミナル:2002/09/18(水) 19:38 ID:Gf9V0emM [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
商売柄かきいれどきなもんでレス遅れました。
発寒1条さん、円山北町の表示たしかにあの辺りでみましたよ。
西町はよく耳にしていたので北町もあるのかと印象に残っています。
緑色の看板のハンバーグ屋さんをもう少し超えたあたり、旧5号線の手前
を右に入った中小路だったような。一度足を運んでみてください。
東北通りと栄通りについてはガイシュツです。

開拓さんひきあいにだして失礼しました。同窓ということでつい調子こいてしまいました。
文脈からすると30期ぐらいですか。師事された地理の先生はどなたでしたか。
4&5世ということは山鼻屯田兵さんをご先祖におもちなのでしょうか。
おっーと余計なことを詮索してしまいました。失礼。
わたしが在学していたころは旭山公園が造成されたばかりで地元の人は
まだ温泉山と呼んでいた記憶があります。地元の人にとって伝説の札幌温泉が
どのように思われていたのかわかりませんが30年史の文から察すると今でいえば
バブル期につくった贅沢なリゾートホテルと同様におもわれていたのでしょうね。
牛鍋さんとも話しましたが、なんてったって定山渓から湯送管をひっぱったってのは
すごいですよね。
さてつぎはどんなネタでもりあがるのか楽しみにしています。
188発寒1条1丁目:2002/09/18(水) 20:59 ID:v8E4MHe2 [ SODfa-01p7-159.ppp11.odn.ad.jp ]
啓明ターミナルさん。早速週末に逝ってみようと思います。
ご指摘の場所は環状通りを北に向かい旧5号線の手前を右ですね。
1年前にこのあたり、うろうろしたのですが・・・
現存しているでしょうか。

東北通りと栄通りの件ですが、
一般的には東北通りを栄通りと呼ばれていますが、
この辺育ちの友人の話では、本物の栄通りは別にあるんだと。
で、彼の云う栄通りとは、アサヒビールの裏手あたりの栄通6丁目から13丁目まで、
栄通と称する街区の中央部を東北通と平行に走る通りとのこと。
ところが、さっぽろ文庫の札幌地名考(だったかな)によれば、
同じく書かれており、栄通りはもともと界通り(月寒と白石の界)からきたとあります。
白石区の一連の○○通りシリーズは通りの両サイドが同じ地名(南北はありますが)
なのですが、ここだけは例外なのでしょうか?
それとも友人の説が正しいのか?←こっちのほうがスッキリすると思っていますが。

ガイシュツじゃないですよね。
189啓明ターミナル:2002/09/18(水) 22:18 ID:Gf9V0emM [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
へーっそりゃ初耳だわ。バスや車で走ると東北通り走ってるのに
いきなり栄通りというバス停があらわれたりするので、ガイシュツにある
解釈が一般的とおもってましたが・・・
実際に栄通りという通りがあるとはビッグな情報ですね。
その通りとはサイクリングロードより月寒側にあるのかな?
どのあたりかおしえてほしいっす。
190牛鍋蝸牛:2002/09/18(水) 22:22 ID:UdeAArfI [ N043045.ppp.dion.ne.jp ]
>>186
ひげは、なしでしょう。
何しろ元は「小学校の先生だった…」という設定ですので。
>>108 で本籍水車町さんが「札幌郊外電気軌道」の写真を見たいと言ってたので、今日はサービスしちゃう!
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=184
次は「円山十勝」という、住宅地としての「円山」の宣伝ポスター。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=185
いずれも「新札幌市史 第四巻 通史四」より。
「円山十勝」の「十」にこうあります。
「円山南麓に札幌温泉土地株式会社経営の定山渓温泉浴場あり前者と共々其設備理想的なり」
(前者とは「九」の「電車終点脇に電鉄会社直営の娯楽園あり」のこと)
「札幌温泉」は「定山渓温泉浴場」ってことだったんだ。
ま、お湯は「定山渓の湯」だから違いないわけだな、これが。
でも、考えれば考えるほど、「定山渓」からお湯を引くというのは凄い発想だし、実現させたのもこれはエライ!
やはり途中でポンプなんかで中継したのでしょうかね?
それとも、ただ単に、上から下に「樋を渡した方式」だったのだろうか?
この給湯システムだって、まだ残骸が残ってそうだけどね。
潰れた会社が30km 以上あるパイプ・ラインを撤去したとは思えないもんね。
191牛鍋蝸牛:2002/09/18(水) 22:38 ID:UdeAArfI [ N043045.ppp.dion.ne.jp ]
言い忘れていました。
デジカメ直ったとのことですので、明々後日でも、もう一度「界川」へ行って、「札幌温泉」関係で写真を撮ってきます。
目的は、例の「裏焼きだった写真」と同じ構図でと、「札幌温泉」の残骸であるコンクリート片など。
これをもって、「札幌温泉」の一応のけじめとしたいと思います。
192啓明ターミナル:2002/09/19(木) 18:24 ID:dSvLELBU [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
>>190
牛鍋さんまたすごいものを提供してくれましたね。
電車の写真は双子山との交差点のあたりですかね。バックの円山が
すぐ後ろに迫ってますね。
次の不動産屋さんのポスター感動ものです。十勝の勝はセールスポイント
ってことですか。興味ある資料です。しかもカラーが鮮明。
実物あったら相当のお宝でしょうな。

ところでわが恩師沼田武氏の主宰する札幌地理サークルが20年以上前に出版した
「北緯43度札幌というまち・・・」に久しぶりに目を通したら昭和53年の札幌、
銭函5万図が掲載されていて富丘の札樽自動車道わきに「手稲温泉」ってのが
温泉マークつきで大きくのっているのを発見。
がいしゅつかもしれないがこのあたりに天然温泉があったとはびっくり。
もっとも手稲山自体火山だから温泉が出ても不思議はないのだが。
今はどうなってるのか知りたい。
193開拓4&5世:2002/09/19(木) 19:52 ID:eBfr372Y [ p0255-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>187
 個人的な話ですみません。
はい、私は30期で、地理はます○ちゅうじろ○先生に習っておりました。
しかし、大学で地理学を少しかじっていたものですから、
どちらかというとそちらの先生の方がお世話になってます。
沼田先生の地理、受けてみたかったですね。
 私はひいおじいさんたちが富山県から旭川に入植した子孫です。
ここにきている皆さんの中には、自分の先祖を調べたり気になるという方も
多いのでしょうね。
194牛鍋蝸牛:2002/09/19(木) 21:45 ID:bfc49Q7Y [ U126123.ppp.dion.ne.jp ]
>>192 啓明ターミナルさん。
あら、やだよ。
>>153 で書いただよ…。
「手稲温泉」はつまりは「軽川温泉」。
詳しくは、
ttp://www.edu.city.sapporo.jp/teine/kawaraban/990220/rekisi09.htm
を見てね。
で、昭和53年の「手稲温泉」は廃墟として残っているようです。
サイトもあるし、画像も出てる。
ただし、心霊サイトですが(w
>>193 屯田4世&5世さん。
うちも父方は富山です。
多いんですよね、富山出身者って。
(ちなみに母方は京都、奈良方面)
ワシの本名は、富山県のある地名に因んでいるようです…。
さて、またまた面白い資料を発見しましたが、とりあえず送信っと…。
195牛鍋蝸牛:2002/09/19(木) 22:35 ID:bfc49Q7Y [ U126123.ppp.dion.ne.jp ]
いつもの事ながら、沢山書きたいことがあるので、今日は全部書けませんが、まずは、昨日アップしました「円山十勝」のポスターの件。
「十勝」は「とかち」とはではなく、読み方としては「じっかつ」だと思います。
(“じゅっかつ”という言い方もあるが、日本語としては“十”の後に数字以外の語句が来る場合、“じっ”と発音するのが正しい。例えば、“十手”は“じゅって”ではなく、“じって“が正解)
つまり、「勝」は「まさる」であって、相手より優れていることを指すのでしょう。
啓タさんのおっしゃる通りです。
第一次世界大戦後の札幌の住宅事情なんですが、当時の円山村に関して、「新札幌市史 第四巻 通史四 第八章 転換期の札幌 第七章 社会生活」よりのお粗末…。(って、怒られるかな?)
「まず、藻岩村大字円山村の場合、大正十三年札幌電気軌道(昭2札幌市営電車となる)が円山公園まで全通したことを受けて、十四年四月には円山地主会(大11創立)が名称も円山振興会と改め、住宅適地の宣伝に乗り出した。
『大正十四年丸山振興会寄付芳名簿』によれば、宣伝の目的として、円山村の発達、道路の新設、各利益の促進、住宅適地をを掲げ、各地主が所有反別に応じ、三円から二十円の計百七十五円の寄付金を募り、宣伝用のポスター代としてるのがみられる。
この時1,000枚印刷されたポスターは「円山十勝」として、円山の環境、交通、地代の低寡、公課金の僅少、物価の安価等の利点十項目がアピールされ、札幌市内はもちろん周辺の鉄道駅に掲示された]
ということだって。
いや〜、眠い…。
椅子から落ちそうですので、寝ます。
そうそう、「菊亭侯爵」の噂も聞いたぞい!
次回か、次々回を待て!
19618丁目:2002/09/20(金) 01:15 ID:9q7fQ7LM [ SODfi-01p2-201.ppp11.odn.ad.jp ]
>193
実は私の母方の曽祖父も旭川入植の屯田兵。しかも特許の水稲直播器発明した人。
父方は曽祖父が小樽の漁師で、祖父は電信屋さん、父は電話屋さん、私自身は
電算機屋さんで、札幌元町生まれの元町育ち。
旭川のご先祖様の事と、自宅の元町のことを知り始めてから、地域史の妙に興味
を持ち始めて現在にいたりました。
旭川の屯田は今の東旭川で、本来の旭川だが政府がいきなり今の旭川を旭川と名付けてしまった
為に旧旭川村の住民感情を逆撫でした。結果行政府が謝罪をし、現東旭川に名誉のため
旭川名の学校や神社を残した。
札幌元町は屯田ではないが、旧幕府の直轄入植地で、札幌の由来のような地域だが、
明治政府は今のJCB北海道の辺りに本府を置き、今の東区方面は東8丁目以東が
農村地帯として、政治の中心地としての札幌とは異な進化を遂げていく過程で、政府VS
旧幕府の開いた街という構図が成立してしまった。やはり元町(旧札幌村)にも、札幌小学校・
札幌中学校、札幌村神社と札幌の名が多数残っている。ただし札幌村はその後、昭和の大併合
時代(昭和20年代)に札幌市から併合の話を持ちかけられたとき、最初のうちは併合反対派
が大多数だった。当時の札幌市財政困難、人口増大等さまざまな問題を抱えていたが、札幌村
の農村はいわゆる小作農や水呑百姓といった面はなく、大成功した豪農の集団であって、市との
併合に少しの魅力も感じていなかったのである。とかく古い地域で農、工、商が盛んな場所は、
新興の他地域の住民から疎まれ易く、しかも札幌村は開拓時代の本州役人の視察時においても、子供
達の行儀の悪さ、教育の低さに驚嘆されていたようで(w 現代にも残る東区はちょっと違う論は、
歴史を遡ってみても理解できる面もある。
そして今私の働く職場は南1東1(元開拓史工業局工作所敷地)。
学校で習うどっか遠くの親近感の沸かない歴史より、まったく自分と関係を持たない
遠い外国でのサイトシーイングより、身近な事始を知ってゆくことに無常の喜びを感じています。
19718丁目:2002/09/20(金) 01:46 ID:9q7fQ7LM [ SODfi-01p2-201.ppp11.odn.ad.jp ]
追伸
先程すすきのの某飲み屋で、若いホステスさんに484ブルース歌ってもらいました。
しかもその娘は20代中盤にさしかかろうかといった齢でありながら、いろんなこと知っていて、
484とは囚人番号の事だと教えてくれました。同席していた山形県出身の方は、何で
この曲が平田満の手によるものなのか、驚いていました。
そうすると件の娘いわく、囚人が歌った歌を後に詞を補って作ったものだとの事です。
いやー意外と良い曲だったのと、もの知り娘の出現に私は大満足でした。
198発寒1条1丁目:2002/09/20(金) 08:39 ID:c93bvwiM [ SODfa-01p2-27.ppp11.odn.ad.jp ]
啓明ターミナルさんへ
栄通りと称する通りは、旧千歳線と東北通りの間にあると云う話です。
199牛鍋蝸牛:2002/09/20(金) 21:41 ID:NE8YE.bY [ U126165.ppp.dion.ne.jp ]
ぢゃぁ、「軽川温泉 光風館」について、啓明ターミナルさんよりリクエストがあったと判断し、「札幌案内」(明治32年)の「附録の一」 より引用します。

「光風館は札幌郡下手稲村に在り明治二十六年十一月三日創めて開業したるもの小樽の人東幸三郎(こうざぶろう)氏の所有なり
館は二階造にして手稲山麓眺望佳なる所に建てられ其北に面するを以って夏は暑を避くるに宜しく秋は前山(ぜんざん)の楓葉(ふうよう)霜に飽きて二月の花よりも紅の所林間楓(もみじ)を焚いて酒を暖むるの煩(わずらい)を要せさるも仝館(どうかん)の巧みなる調理に酒肴は命令一下直ちに備ふるを得へく遊楽の閑地として札樽間恰適(こうてき)の所たり
炭鉱鉄道札幌駅より軽川駅まて六哩(まいる)五○仝駅より十五丁にして達するを得へし札幌より陸路三里小樽より仝六里なれは歩行しても左程(さほど)労せさるべし
温泉は慢性筋及間接僂麻質斯(りゅうまちす)、通風、神経痛、皮膚病、濕疥(しつ)、疥癬(ひせん)、痒疹(できもの)、慢性潰瘍、腺病、經久梅毒(ふるきかさ)、気管支加荅留(きかんしかたる)、慢性便秘(つうじあしき)、痔疾、消化不良(こなれあしき)、貧血、諸般の子宮病、神経衰弱症、生殖病、胃弱脳病等に効あり」

※ 振り仮名は牛鍋蝸牛。
感想 旧かな使いや昔の病名など、打ち込むのにひどく疲れた…。
200なまら名無し:2002/09/20(金) 21:41 ID:Tt5hP2bQ [ PPPa566.e5.eacc.dti.ne.jp ]
200だ
201牛鍋蝸牛:2002/09/20(金) 22:41 ID:NE8YE.bY [ U126165.ppp.dion.ne.jp ]
さて、昨日書いた「菊水」の名前の由来となった「菊亭脩季侯爵」のウワサ…。
先に紹介した、
ttp://www.city.sapporo.jp/shiroishi/rekishi/pdf/reki38_39.pdf
では、侯爵の来道の動機を、
「かねてから北海道開拓の志に萌えていたので、北海道で活躍していた伯父の三条實美のいる北海道に渡り…」とあるのだが、「なんだか怪しい」「かっこよすぎる」と、育ちの良い、人を疑うことのないワシは思っていた。
で、発見しました。
こんな供述を…。
「さっぽろの昔話 明治編上」 (河野常吉編)から、「何とぞスリ鉢だけは助けてくださる様に」 (中山久蔵談) より。
「放蕩華族 菊亭侯爵は放蕩の結果兄より勘当同様にされて札幌に来り、二十五円の月給で勧業課詰になった。法華宗であった」
あ〜、やっぱりねぇ…。
202啓明ターミナル:2002/09/21(土) 00:52 ID:yn5aFv.E [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべさんいつもながら痛み入ります。
偶然ですが我が家のご先祖も父方越中富山だそう。
家系図もありまして砺波平野のあたりらしい。
手稲温泉了解しました。いまは心霊スポットとは・・・
ちょっとこわ。廃墟あるのか言ってみたい肝。

ところで円山十勝を「じゅっかつ」ではなく「じっかつ」なんてよませるあたり
う〜ん、とことんこだわりのひとというかただものでないというか。
その辺の郷土史家とはちがうな。正体やいかに。

発寒1条さん、栄通りそのうちたしかめにいきます。ちょくちょくあのへん
でかけますんで。円山北町みっかりました?
円山整形外科の帰り道にみつけたから多分あのへんにまちがいないす。
町名変更ないかぎりは。
203牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 05:07 ID:aHiJESds [ N022030.ppp.dion.ne.jp ]
あ、間違いに気がついた!
>>210 で「菊亭侯爵」の来道の動機について、
「かねてから北海道開拓の志に萌えていたので」と書いちゃたけど、意識せずに「萌え」と2ちゃんねる用語使っていた!
これは当然、「燃え」です。
(クドイが、放蕩侯爵はホントは燃えてなかった)
明治・大正時代の札幌のマイナーな近郊温泉(定山渓温泉以外ってことだね)についてはまだまだ“在庫”があります。
「十二軒」の「円山温泉」(荒井温泉)についてもね。
これも、リクエスト待ちのネタにします。
あ、ねこのて堂さんいますか?
実は関連で調べていて気が付いたんですが、「札幌の神社リンク集」の「荒井山福壽稲荷大明神」。
http://nekonote.ath.cx/~sapporo/sapporo/m003araiyama.html
住所ちょっと古いんですぅ。
さすがに「十二軒」はもうすでになく…。
ま、これは例の「北海道神社庁誌」のデータが古いわけで…。
>>202 啓タさん。
ワシ、郷土史家、ちゃいまんにゃ〜(w
きょうどしかちゅ〜のんは、「地味目の茶色のポロシャツにボウタイ、ベレー帽」でおまんがな。
(ひげなしでっせ。そうそう、ポロシャツは当然、長袖)
最後に。
18丁目さんはススキノの若い(チレイナ)おネエちゃん相手に「484のブルース」を語り、ワシは「らーめん あび」のおやじを相手に語る…。
世の中、不公平だッ!
204牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 05:09 ID:aHiJESds [ N022030.ppp.dion.ne.jp ]

ごめん。
間違いの間違い…。
>>210 じゃなく、>>201です。
反省。
205牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 09:03 ID:a3x2F3bA [ y068126.ppp.dion.ne.jp ]
まだまだしゃぶれる、味がする「札幌温泉」。
当時の界隈の様子が、「新札幌市史 第四巻 通史四」に出でますので紹介します。
いやだぁ?だめぇ。
「昭和に入ると、全国的な登山熱からか、札幌早起健康会が円山登山や札幌温泉高台登山を催し、体力つくりに励むようになり、会員も800〜1000人にもおよんだ(北タイ 昭和2.6.1 6.24夕 7.31)」
「札幌温泉高台」ってどこでぃ?
「温泉山」の事かい?
というわけで、いまや高級住宅地の感のあるあの辺りは、昔から札幌市民の憩いの場だったようですね。
会員が1000人規模となると、かえって今よりも賑わってたかも知れませんね。
しかし、ここで「札幌温泉」の工事(建物も、定山渓からの給湯管も)関係を調べていたワシは、このパラダイスのような保養施設の影の部分を発見してしまったのです…。
長くなりますが、北海道の歴史としても大事な部分ですので。
「新札幌市史 第四巻 通史四」の「第八篇 転換期の札幌 第六章 社会運動と女性問題 第二節 無産政党と労働運動 一 労働者の状態 タコ部屋存続」より…。

「北海道名物とされるタコ部屋(土工夫を監禁状態で使役する)は、札幌においても明治中期から存続していたが、大正中期になると、いたるところの工事場に出現していた。
とくに定山渓鉄道の工事場には、タコ部屋が軒を並べていた。
タコ部屋改善政策が開始された大正末期になっても、タコ部屋は減少せず、豊平川水系発電所には、多くの労働者が虐待の犠牲になった。
大正末期に工事が開始された札幌温泉の建築工事もタコ部屋の労働者によって進められた。
温泉の工事が進められている場所は市民の散策地であったから、多くの市民がタコ部屋のリンチを目撃し、タコ部屋の恐ろしさを知った。
札幌温泉の工事場では、警察官も暴力の犠牲になった。
大正13年9月には、円山駐在所の巡査が土工夫によって暴行を受けた(北タイ 大13.9.9)
また、同年8月には、定山渓工事場の請願巡査が土工夫に襲われ、負傷した(北タイ 大13.8.4)
<つづく>
206牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 10:13 ID:a3x2F3bA [ y068126.ppp.dion.ne.jp ]
「タコ部屋」の続き…。
「土工部屋の虐待は、土工部屋改善を目的に結成された「北海道土工殖民協会」(昭和7.6.23発足)が活動を開始した昭和期に入っても改善されなかった。
昭和9年10月に着工され、11年夏まで行われた藻岩山の発電所工事でも多くの土工夫が酷使の犠牲になった。(中略)
10年に藻岩村に入り込んできた土工夫数は実に3,646人に達していた。
この3,646人のすべてが発電所工事に従事したわけではないが、藻岩発電所工事が札幌始まって以来の大工事であったことがわかる。
藻岩山麓には数十のタコ部屋、信用部屋が立ち並び、日本語、朝鮮語が乱れとんだ。
多数の朝鮮人土工夫が就労していた。
日本人土工夫と朝鮮人土工夫はしばしば民族的反感から対立し、10年12月4日にはあわや乱闘騒ぎがおこるところであった。
10年6月13日には9人が崩落のため生き埋めになり、4人だけが救出された。
犠牲者の中には、朝鮮人が混じっていた。
少年の頃、この工事現場で測量手伝いをしていたある人は、知り合いの土工夫が、くたびれて休んでいるところを幹部に発見され、小便を飲まされた上、埋め戻し場に投げこまれ、上から土を積まされて死亡した光景を目撃した。
地元の人は、幾人ものタコが逃亡する有様を見た。(以下略)

…という状況だったわけです。
「札幌温泉」でも、「定山渓」から「界川」までパイプラインで給湯するという途方もないシステムが実現したのは、こういう現状があったからなんですね。
とても尋常な工事とは思えなかったけど、やはり…ってのが感想です。
20718丁目:2002/09/21(土) 16:58 ID:lkJwElLY [ SODfi-01p4-15.ppp11.odn.ad.jp ]
196,197は酔っ払って書いてるのでまとまりなくてすみません。
牛鍋さん、行き着くところに行ってしまいましたね(484の歌詞にもあったなw
史実の裏側を知ろうとすると、当然ダークサイドも出てくる訳で、メジャーな
歴史本等ではなかなか知りえない面でもあるので、われわれにはおいしい話しでも
ありますよね。
平和の滝にある慰霊碑も、逃亡した朝鮮人タコのものですし・・・
牛鍋蝸牛歴史の裏側に鋭く切り込む!次号待て!
208牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 17:53 ID:BbaEEA2Y [ E168028.ppp.dion.ne.jp ]
不詳・宮嶋…、もとい!不詳・牛鍋、臥薪嘗胆の時は過ぎ、歴史の裏側に鋭く斬り込むべく、お祭りの後片付けに忙しい南藻園の先生に許可を得て、彼の地の裏側に鋭く斬り込むべく決死の撮影を決行したのは、本日の1700(ヒトナナマルマル)時のことであった。
え〜、今日はちょいと疲れたので、とりあえず一枚だけアップしますだ。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=182
となるべく同じ構図になるように頑張ってみた写真が、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=188
です。
本当はもうちょっと高い位置から撮ったと思うのですが、現在そこは民家となっております。
ここの二階から撮影したら、ばっちり同じ絵になると思われますな。
ま、今日の調査は、ここの工事で酷使された日本人、朝鮮人土工夫に思いをはせた調査となりまして、感慨も新たなものがありました…。
今あたかも、北朝鮮による日本人拉致事件で世間が騒がしいおり、日本の統治下で強制連行された朝鮮半島の方々のことをも思わずにはおれませんな。
時代・背景は違えど、何はともあれ、人間とは残酷なことをするものです。
209啓明ターミナル:2002/09/21(土) 19:09 ID:yn5aFv.E [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
ぎゅうなべさんまたすごいことを・・・・
家中画像アップするたびに「おーっ」「おーっ」っと
雄叫びをあげながら食い入るように見てましたよ。
すごいのひとことです。あっぱれあっぱれ。
ってまったく興味のない人はあほかとおもわれるんだろうな。
きっと。このすごさが分かる人だけでいいっすよね。
例の石段は確認できなかったんですね。結局。
210牛鍋蝸牛:2002/09/21(土) 19:18 ID:BbaEEA2Y [ E168028.ppp.dion.ne.jp ]
>>209
イシダンカクニンス。
ジゴノホウコクヲマテ。
211本籍水車町:2002/09/22(日) 05:17 ID:XHmgpRXU [ p29b3ac.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ]
忙しくてご無沙汰してたら凄い展開になってるな…すっかり出遅れた。牛鍋さんが以前書いてくれた宝塚方式の説明、「どこかで読んだ内容だな」と思ったら「パタリロ!」でした。「ツタカズラ・シティー」って、どうでもいいですね。
 一気にいろんなことが解決に向かっていく。郷土史家って多そうなのに、あまり手をつけてない分野なんだろうか。電車の写真も拝見。うーん、ロマンだ。この計画がうまくいってたら、あの辺りは今、どんな光景になっていたんでしょうね。少なくとも高校はなかっただろうな。あ、業務連絡です。212ちゃんねるが復活してます。学校板もあります。啓タさん、開拓4&5世さん、気が向いたらこちらにもどうぞ。
 さて、南27西14近辺にも自衛隊弾薬庫があったらしいのですが…。
▼追伸、「北海道難読地名スレ」が立ってます。これは地名を上げてるだけ だけど、「それってどこにあるの?」と、うちらに近い部扮もある。とい うか「類似スレは立てないように」と小一時間…。
▼追伸2、四駆の女性は遥香さん。という可能性はないかな。大体、このス レの人口はどのくらいなんだろう。
212開拓4&5世:2002/09/22(日) 06:00 ID:lA4VKOBE [ p0022-ip02sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
 業務連絡ですみません!

>>本籍水車町さん
 私、212が閉鎖になったのをきっかけにこちらにくるようになりました。
つまり、212ちゃんねる学校板の住人(?)です。
たぶん誰かわかるんじゃないかな?
水車町さんも212の方じゃないかと思っておりましたよ。
20期の方のようですので、たぶんあの方かな?
213啓明ターミナル:2002/09/22(日) 08:55 ID:mK1By.Jw [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
なんかここがおか関係者多いすね。おたっきーな学校だったからかなw)
がおか関連で申し訳ないが、わが師の恩、沼田武先生はご健在だろうか。
10年くらい前旧教育大近くのレストランでばったりお会いしたが・・・
水車町さんも習ったのかな?高校、大学を通じ、名だたる地理学者に
何人も遭遇したがあのフリーハンドですらすらとかきあげる世界地図の見事な
までの正確さ、日本中くまなく行脚したアルバムの数々・・・
これぞジオグラファーの鏡。「君たちが出世したらバス1台寄贈してくれ、
ぜひ巡検(本物はフイールドワークとはいわない)の授業で活用したい」
旨のことを冗談まじりによくおっしゃってた。
すれちがいなたわごとですまん。
214牛鍋蝸牛:2002/09/22(日) 09:35 ID:x.RGZVPI [ N023181.ppp.dion.ne.jp ]
昨日撮影した写真のめぼしいものを、まとめてアップしました。
タイトル、キャプション、順列の整理もまだですが、必要のないものは今後削除しますので、とりあえず見たい方は見ておいたほうがいいかもね。
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=188
からスタート。
さて、朝風呂入ろうっと…。
215牛鍋蝸牛:2002/09/22(日) 16:04 ID:x.RGZVPI [ N023181.ppp.dion.ne.jp ]
昨日は、早めに実地調査に行きたかったのですが、一ヶ月近くのどの調子が悪く、咽喉科に行ってからの調査となりました
誰も心配してないだろうけど、一応言っておききます。
ファイバースコープを鼻から入れられて、成体の生体である声帯の生態をテレビで見せられました。
ま、炎症ということで、「うがいでもしとけや…」との仰せでした。
てなことで、お昼過ぎてしまったので、まずは「らーめん あび」へ…。
啓タさんとの遭遇の後日談などをマスターと話し、旧聞ながら「五天山の採石はどこに使われたか?」で、ワシの仮説「国道5号線の舗装工事使用説」を展開し、味噌ラーメン食べてから「界川」へ。
「札幌南藻園」のグラウンドは何やら賑やか。
万国旗やテントなど。
すでに催しは終わって撤収作業中でしたが、迷惑顧みず作業中の女性の先生に声をかけ趣旨を説明、遠くにいた男性の先生の許可を得ていただきました。
聞くと今日は園のお祭りとのこと。
女の先生には、忙しい中、わざわざ例の「石段」の場所を教えてもらいました。
ここの敷地は、以前に「廃屋」と書いた平屋が建っているところが数メートル高くなっており、裏側に旭丘高校グラウンド下に続く細い生活道路が「界川」の流れを横切っています。
石段はその平屋(実は物置として使っている。お祭りの日だったから分かった事実!)への坂にありました。
基本的にここの地形は「札幌温泉」当時と一緒のようです。
当時の写真にもこの坂と思われる坂(崖?)が写っています。
石段は札幌軟石のようです。
土と草に覆われていますので、幅ははっきりしませんが2m以上はあるかと。
すっかり坂に同化してしまい、石は転んで今は階段の役目は果たせません。
上から行ったのでグラウンドに降りようとするのに苦労しました。
ほとんど、五天山登山の下りのよう…。
石段の途中にコンクリートが剥き出しになった所があります。
見ていただくとわかると思いますが、砂利とは呼べないような石が、びっちり詰まった塊です。
言わば、「じゃり」ではなく、石の「成体」ですな。(くどい)
これは今のコンクリートとはまったく違います。
敷地の奥、現在ブランコなどが置いてあるところ(裏は崖で界川が流れている)にも、コンクリートの塊がありました。
ワシの靴と大きさを較べてもらえばわかると思いますが、巨大なものです。
同じく、ムール貝状の大きな砂利が使われています。
あ、言い忘れました!
実は、ワシは巨漢。
当然、足もでかいのです。
このGTホーキンスのサイズは11インチ。
外寸は実測で31センチの靴ですので、そのつもりで見てね。
ま、そんなでかい靴がかわいい幼児の靴のように見えますなぁ。
(みえねぇ〜よ!)<つづく>
216啓明ターミナル:2002/09/22(日) 20:25 ID:mK1By.Jw [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
つかぬことをお聞きしますが
「不肖宮嶋」ってまさか文春のあのカメラマンではないすよね。
217なまら名無し:2002/09/22(日) 20:38 ID:vqenrUmA [ a130035.usr.starcat.ne.jp ]
ながっっ(A'-')
218牛鍋蝸牛:2002/09/22(日) 21:10 ID:x.RGZVPI [ N023181.ppp.dion.ne.jp ]
「南藻園」敷地内には他にもレンガや、遊び場には場違な、大きな石が転がっておりました。
80年も前のものがここに残っている…。
確かにここに「札幌温泉」があったのです。
感動というほど大げさでなものではないにしろ、やはり、時空を越えた何かを感じてしまう、ワシでありました。
ただ、ワシにはそれでも、ちょいと引っかかることがありました。
当時の写真、どれを見てもあの建物が、「界川1丁目」の中だけに収まりきる物ではないように思えてしかたがなかったのです。
二階建てであったという資料がありますが、ただの二階建てとは到底見えません。
車が写っている写真がありますが、その比較から言ってもそう思えます。
しかし、裏はすぐ川が流れていますし、今は護岸がコンクリートで固められているとはいえ、もとは沢であったことはロケーションから言って間違いない。
川の流れは大筋で変わっていないと思われます。
しかしながら、昭和25年の地図を見ると、既出の「南藻園」横から下る生活道路はないように見えます。
ワシは「札幌温泉」の建物は一部、界川2丁目にもかかっていたのではないか?と思っています。
そのほうが当時の写真の印象と合致するように思えるのです。
どなたか、行ってみて感想を聞かせて欲しいなぁ。

あ、>>208 で「不詳」って書いた!
正しくは、「不肖・宮嶋」です。
>>216 啓タさんへ。
「不肖・宮嶋」はそのとおり、文春のカメラマンです。
>>208 で、「不肖・宮嶋シリーズ」の文面を余興として真似てみました。
219遥香:2002/09/22(日) 23:39 ID:YZkzhxyU [ j091061.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>211 本籍水車町 さん:
 久々に名前出していただいて感謝ですm(_ _)m
 私が乗っているのは確かに四駆ですが、地名的には最近アクティブでないので、
「四駆の〜」のくだりがよく分かりません(すみません)。
 どのスレのどのあたりだったか教えていただければ…。
 教えてちゃんでホントすみません。
220菊水上町:2002/09/23(月) 01:04 ID:xa4nB.5Y [ h159.p185.iij4u.or.jp ]
投稿が濃いわどんどん進むわで追い切れません!
菊亭ユキスエご先祖様はオレの中で超お上品なヒーローだったんですが、
実のところそうでもなかったみたいですね…そこも菊水らしくていいかな?
221本籍水車町:2002/09/23(月) 01:57 ID:vK1AWiO2 [ pdd7493.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>遥香さん。
このスレの170辺りから。牛鍋さんがフィールドワーク中におなじようなことをしている女性に出会ったというエピソードです。
>>啓タさん、開拓4&5世さん。
高校の地理は増田&沼田の両先生でした。212ちゃんねるにカキコしてる20期生は私だけのはず(そう、あの人でした)。開拓4&5世さんってどの人だろう。30期?
 札幌温泉か…強者どもが夢のあと(例えが違ったかな)。なんかいいな、こんな遺跡。産業遺跡を巡っている人も最近多いようで。個人的には手稲の鉱山跡や防空壕などに魅かれるのだが、この辺は心霊スポットとも重なっちゃうからな…。電車といえば、今度の日曜は市電フェスティバル。電車事業所まで行って來ます。ついでにあの周辺も見て。確か馬頭観音があったはず。防空壕もあったような気がするんだが…。
 しかし、このところ解説の長文レスは全然書いてないな。
222啓明ターミナル:2002/09/23(月) 09:31 ID:K6sS3/pE [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
本州にいくと1000年くらい前の遺跡なんてごろごろ
ころがってる。しかし他県にくらべると歴史の浅い北海道とはいえ
わずか80年前の人間の営みをにおいを感じとれるのはいいもんだねー。
もういちどその文字通り牛さんのように大きいぎゅうなべさんの足が
かわいらしくみえるという巨大コンクリート片を見にいってくるか。

水車町さんは馬頭観音に興味おもちですか?たしか石山通り沿いの南署の近くに
一つありましたな。それと平岸街道の天神山墓地でもみましたな。
ところで昔平岸あたり麻畑とよばれていたのをご存じのかたいますか。
223なまら名無し:2002/09/23(月) 13:27 ID:qrd6YTn2 [ proxy.fun.ac.jp ]
ところで昔、手稲西町とか円山北町とかあったと聞いた事があるんですが本当ですか?
224啓明ターミナル:2002/09/23(月) 14:25 ID:K6sS3/pE [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
水車町さん天神山のそれは馬魂碑のあやまりです。すまん。

コンクリート片みてきましたよ。たしかにじゃりがでかい。
ついでに向の店舗付き売家(ここは蕎麦やだった一度食べたことあり)にあがりこんで
担当のおじさんと雑談。なんとその家の前のだだっぴろい歩道は
札幌温泉のバスが乗り入れしたところだそう。近所の80になる
おばあちゃんから聞いたとか。あの瀟洒な建物を実際に見たひとはけっこう
いるんだ。

円山北町ありますよ。ついでに円山西町は昔滝ノ沢とよんでいた。
手稲西町は西友のあるあたりではないの。
225なまら名無し:2002/09/23(月) 15:35 ID:qrd6YTn2 [ proxy.fun.ac.jp ]
今でも円山北町あるんですか?
西友って手稲駅北口?それとも宮の沢?はたまた西町のですか?
226遥香:2002/09/23(月) 16:31 ID:fbPszqHM [ i232196.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>221 本籍水車町さん:
 どうもありがとうございます。該当部分読んでみましたが「美人」「細身」と
いう部分で、もう違うなーって感じで(^_^;)
 私はフィールドワークしていないので、真面目な話、別の方ですね。
 紅葉の時期が終わったら、ストップしていた地名のサイトを再開させようと
思っているので、そろそろ始動していこうと思っています。よろしく!

>>225さん:
 住所表記としては現在、円山北町はありません(場所としては、向陵中の周
辺)。
 ただ、私が以前住んでいた菊水の、すぐそばにあった歩道橋が「菊水西町歩
道橋」と今でも称されているように、残っているケースはあると思います。
…と気になって地図で見てみたら、団地の名前にありました。
 それと、くだんの西友は、手稲西町ということですから、西区西町南6にあ
る西友のことだと思いますよ。
227なまら名無し:2002/09/23(月) 17:05 ID:qrd6YTn2 [ proxy.fun.ac.jp ]
>>224さん,>>226さん
ありがとうございます
手稲区にはならず、西区になったんですか。
分かりました。
そう言えばあの辺の信号機にも古い地名が書かれてます。
旧国道5号線と札幌新道の交差点って、「手稲宮の沢」になっていますよね。
あれを変えないのは意図的(物理的に無理とか、わざと残してる等)なものなのでしょうか。
それとも忘れられてるものなのでしょうか。
22818丁目:2002/09/23(月) 19:31 ID:K/0E000E [ SODfi-02p5-192.ppp11.odn.ad.jp ]
久々に遊びついでにフィールドワークやってきました。
今日は軽川源流を見てきました。牛鍋さんの調査報告でも源流までは出て来てなかった思います。
写真撮ってきたけど、ドライバ未だ入手していないんでアップできません。
それにしても以外な場所だが、人目に触れる場所なので、結構知っている人多いかも?
ある施設の内側だけど、気軽に入っていける場所なので、未だ見ぬ人は一度いってみてはいかがでしょう。
手稲の分区に伴って多くの地名変更があったようで、比較的最近の変化なので、調べもつきやすいかも。

遥香さんホームページのグレードアップ期待しています。
229牛鍋蝸牛:2002/09/23(月) 20:24 ID:WtCyECAM [ U127049.ppp.dion.ne.jp ]
>>220
菊水上町さんは菊亭脩季候の子孫なんですか?
ワシは立川談誌の遠縁に当たるものです。
関係ないけど。
>>224 啓タさん。
「札幌温泉」にはバスも出ていたとな!
ま、確かにあそこは、みょう〜に広い歩道になってますねぇ。
なる程…。
砂利、デカかったでしょう?
今はあんなにりっぱな砂利は、日本国内にはありませんな。
最近は砂利を輸入しているらしいです。
数年前の「金丸訪朝団」も北朝鮮の砂利の利権がらみであった、と今日ラジオで言ってました。
ま、昔は砂利よりもセメントのほうが貴重だったのかも知れません。
推測ですけどね。
交差点などの昔の地名の名残りですが、「継続性の重視」ってこともあるような気がします。
区画整理での地名の変更は避けられないものの、交差点などの名前がころころと変わると、混乱するからって理由はどう?
交差点は文字通り「点」ですし、基本的には地名や条丁目の境に当たります。
「面」である地名よりなおさら分かりづらくなるでしょ?
230牛鍋蝸牛:2002/09/23(月) 21:45 ID:WtCyECAM [ U127049.ppp.dion.ne.jp ]
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=188
からの写真にタイトル、キャプション付けました。
気の利いた文面ではないけど、勘弁してね。
改めて見ると、写真の腕はまだまだだと反省。
資料として撮る写真っていうのは難しいもんだわ。
231すうおろ。:2002/09/23(月) 22:01 ID:Jmwotc5. [ IP1A0251.hkd.mesh.ad.jp ]
知名度ゼロin札幌・・・それは篠路・・・。
地元民として激しくそう思う。
232なまら名無し:2002/09/24(火) 13:42 ID:J4WJIdfg [ proxy.fun.ac.jp ]
>>231
いや、西茨戸だろ
233牛鍋蝸牛:2002/09/24(火) 22:17 ID:cKEeFuc. [ U127134.ppp.dion.ne.jp ]
>>232
「茨戸」が単なる地名か住所表示か、と言うことさえ考えたこともなかった…。
でも、単に、「茨戸」という住所はないようですね。
あるのは「東茨戸」と「西茨戸」の二つか?
「東茨戸」。
ここは所謂、「茨戸」だな、と思える場所。
しかしながら、「西茨戸」はこれは、シブイ!
ここに、「西茨戸」ならでは、と言ったものがあるのだろうか?
ベルリンの壁崩壊し、幾星霜。
ここに「西」と「東」の「茨戸」の存在が明らかになった!
234なまら名無し:2002/09/24(火) 22:23 ID:O2/dv4m. [ ASt-Lambert-101-1-1-119.abo.wanadoo.fr ]
福移とペケレット湖も忘れないでね
23518丁目:2002/09/25(水) 03:21 ID:.uCX1bSI [ SODfi-01p3-83.ppp11.odn.ad.jp ]
茨戸か・・・
西茨戸×条×丁目、東茨戸×条×丁目の住所に住んでいる知人居ないなー。
先日、東15丁目屯田通(この道路貫通して本当にいい、だって元町あたりから
気軽に屯田〜石狩方面に抜けられる)走ってて気づいたんだけど、栄町も元町のように
全て条丁目に変更されているかと思いきや、まだ栄町×番地残ってるんですね。
元町は私が小学校低学年位までは元町×番地残っていたと思う。電々公社の丘珠分室
あたりがそうだった記憶が残っています。
っと、あら!?99年度版生協地図にはNTT丘珠交換局の記載があるが、02年度版
では記載されていない。はーこの局舎はもう通常の交換業務行っていないのかな?
でもすぐ近くのちっぽけな特定郵便局は未だ健在だな。小泉さんががんばると、多くの
特定郵便局は地図から消えるのかな?(地名とは関係ない話しですみません)
そういえば、元町ジャスコ(旧HBCゴルフセンター)の所にあった、北海道民放第一声
の地の碑はどうなってるんだろう?
思いつくままを書き散らしてしまって申し訳ありませんでした。
それではお休みなさい。
236なまら名無し:2002/09/25(水) 11:51 ID:Jl9jjglA [ z187.61-115-81.ppp.wakwak.ne.jp ]
>>235
「北海道民放第一声の地の碑」は残ってますよ。
個人的にはパットパットゴルフがなくなったのが残念。
屋上にでも作ってくれないかなぁ。

スレと関係ないのでさげときます。
237なまら名無し:2002/09/25(水) 13:29 ID:Hjwiw7iQ [ proxy.fun.ac.jp ]
簾舞、中山峠、流通センターもagaらないな
238なまら名無し:2002/09/25(水) 15:35 ID:PvJguNKU [ SAPba-13p61.ppp13.odn.ad.jp ]
流通センターって人住んでるの?
239遥香:2002/09/25(水) 16:55 ID:J1Wz2wbM [ g035091.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>238
目立った住宅はない場所ですから、いないって考えて良さそうです。
(もしかしてもしかしたら1世帯ぐらいいるかもしれませんが)
隣接する平和通は住宅地なんですけどね。
240遥香:2002/09/25(水) 17:00 ID:J1Wz2wbM [ g035091.ppp.asahi-net.or.jp ]
書き忘れた…。
>>235の18丁目さんの文を読んで気づいたのですが、東15丁目通りって屯田通
っていうんですね!北光線とか行啓通とか、通りについている名前(愛称?)って
いうのも結構おもしろいですね。って、面白がっているのは私だけかも。

地名とそんなに関係ないのでsageます。
241牛鍋蝸牛:2002/09/25(水) 20:59 ID:dz5JQM2c [ N022129.ppp.dion.ne.jp ]
世帯数 総数 男 女
白石区 流通センター2丁目 1 2 1 1
白石区 流通センター7丁目 1 1 1 0
白石区 流通センター 2 3 2 1
242牛鍋蝸牛:2002/09/25(水) 21:02 ID:dz5JQM2c [ N022129.ppp.dion.ne.jp ]

やっぱりずれた…。
流通センター2丁目 世帯数 1 総数 2  男 1  女 1 って具合に読んでね。
243なまら名無し:2002/09/26(木) 09:21 ID:HGubmB.Y [ proxy.fun.ac.jp ]
エ、マヅ?
人住んでんだ、氏ランカッタ
あと西新川は?
アソコって新川n番地とかと混在してる気が…
いかにも人が住み始めたんで後から付けた適当な住所って感じがしてならぬ!
そんな事言ったら新琴似も新発寒も西宮の沢も全部そうだが
ってか金山、曙もagaらないね
一方、ポールタウン、オーロラタウン、APIAで地上のビルと直結してない建物の住所ってどーすんの?
ちゃんと測量するんですか?
だとしたら地番とか住居表示はどうするんですか?
そーいえば今気付いたんだがどうも〜m条n丁目って〜m条までが地名みたいなんだけど本当にそうなんですか?
情報キボンヌ!
244なまら名無し:2002/09/26(木) 11:16 ID:oViVjo4U [ i135162.ap.plala.or.jp ]
245遥香:2002/09/26(木) 16:11 ID:X3GUXjzw [ i232036.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>241 牛鍋蝸牛さん
 やっぱりいるのかぁ〜流通センター。
 1世帯ってところがミソですね。
 2丁目と7丁目ですね_(._.)φメモメモ 実家が地味に近いので、今度行くことが
あったら怪しまれない程度にぐるぐるしてきます。
246牛鍋蝸牛:2002/09/26(木) 23:08 ID:jIsJLQVA [ U126007.ppp.dion.ne.jp ]
今日はね、とっても疲れているのね、ワシ…。
だから、小難しいことは考えられません。
と言いながら、「流通センター」の住人って管理人さんとかかな?と…。
遥香さん、ちょこっと聞き込み、してみない?
247遥香:2002/09/27(金) 06:58 ID:LHH8sLGg [ b146192.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>243
私も「〜m条n丁目って〜m条までが地名」って聞いたことがあります。
郵便番号簿で、条丁目の「条」で番号が分類されているのはそのせいとか。
そういえば、北海道以外の地域で「○条」っていう住所、そんなに多くは
ないですよね(京都には多いけど)。

>>246 牛鍋蝸牛さん:
 聞き込みかぁ。何か刑事ドラマみたーい(^_^;)
 とりあえずぐるぐるして、クサいところで聞き込みしてみるです。
でもいつ行こう…。時間が…。
248なまら名無し改め新川番地:2002/09/27(金) 09:24 ID:GXJA8og6 [ sapporokita1-19.ppp-1.dion.ne.jp ]
>243
新川は新川×条××丁目と新川西×条××丁目と番地地域があります
私は12〜3年前から番地地域に住んでますが最初は新川町×××番地でした
新川西は最近区画化されたんだと思うんですけど
何せ爆発的に人口が増えてるんで・・・
琴似発寒川まで結構広いですよ、西は
番地地域はもうほとんど無いらしいです
国際情報高校周辺の荒れ地あたりまでなんでしようか

枝番は住居表示と地番で、ずれてることがあるので地名となると条丁目までなんですかね
札幌市職員の方いらっしゃったら教えてね
249なまら名無し:2002/09/27(金) 13:40 ID:KcKfl5iY [ proxy.fun.ac.jp ]
>>247
>>248
地図等の住所表記では「〜m条」迄は漢字、「n丁目o番p号」ないしはn'丁目o'番地のp'」は数字
って事はやっぱ「〜m条」は地名ですね
でも道路標識は「m条」も数字だけど…
250啓タ:2002/09/27(金) 18:43 ID:hbY5qpCY [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
札幌温泉の衝撃強すぎてしばらく書く気になれん。
所謂ひとつの燃え尽き症候群ってやつかな・・・・
しばしご免。
251牛鍋蝸牛:2002/09/27(金) 21:10 ID:h5Ti5/Oo [ N043241.ppp.dion.ne.jp ]
>>250 啓タさん。
そう言うもんです。
ワシもそれを繰り返しています。
でも、また興味のある素材に当たると、なんとなく始まっちゃいます。
さて、ワシとしてはこのところ話題に出ている「北区」に食指が動く。
「北区」は、なかなかバラエティの富んだところです。
その中でも、今のところ実地調査対象は、「西茨戸」かな?
小学生の頃、今で言う「中央区」から、自転車で「十銭浜」まで行ったものです。
今の「石狩湾新港」ですな。
変速機も付いていない自転車でよく行った物だと自分でも感心するけど、「茨戸」辺りはその途中で、フナとかを釣りにも行きました。
草が深く、住宅もなく、石狩街道沿いには商店が一軒だけあったと記憶しています。
魚を釣った辺りは川が交錯していた記憶があるので、「西茨戸」や石狩市の「緑宛台」であった可能性がある。
今週はいろいろと仕事が煩雑で忙しく、体がぼろぼろなのですが、明日は休み。
さ〜て、どうしよう…?
252なまら名無し:2002/09/27(金) 21:34 ID:bBPdw/wE [ pdd2e49.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>249
住民票などは条の部分も算用数字で表記されます。
あくまで予想ですが、条は町名には含まれないのでは?
地図や郵便番号等は、事務処理の都合上『○丁目』よりも前の部分を
機械的に町名として処理してるのではないかと。
253牛鍋蝸牛:2002/09/27(金) 22:47 ID:h5Ti5/Oo [ N043241.ppp.dion.ne.jp ]
「条丁目」と「地名」。
まずは、「地名」の定義をはっきりさせる必要あり。
ttp://www.tamariver.net/jouhou/tamagawashi/parts/text/074110.htm
これは「多摩川誌」のサイトですが、参考になる。
いろいろと書いてありますが、
「…いずれの場合でも,地名のこれまでに持っていた特性の1つに,その呼称の中にはその指示している土地の性質−土地の位置・形状・広狭・土質・植生など−あるいはその地が利用されてきた状態−歴史的な利用としての耕地・宅地・使用目的・居住者または所有者などの名称等−を表現しているということがある.これが民衆の共通認識であったところに,地名を土地に対する住民の命名法−観察の重点の表現−がうかがわれる理由であり,民俗の一端として取り上げる根拠である」
ここが大事でしょう。
残念ながら、「〜条」に関しては、行政による単なる座標軸的な呼称であります。
もちろん、上記の条件には適合しないわけで、ワシ個人としては「地名」ではない、とこう結論付けちゃいます。
尚、「講談社カラー版 日本語大辞典」で「地名」を引くと、
「土地の呼び名 地形の特色・開発・産業・信仰・人名に関するものなど、それぞれの土地に由来するものが多い」とあります。
254遥香:2002/09/28(土) 08:13 ID:dk1Jm0iY [ i232030.ppp.asahi-net.or.jp ]
>>253 牛鍋蝸牛さん
 書かれていたURL、サラッとですが読んできました。地名の成り立ちを
調べるにあたって、認識しておくべき大事なことが書かれているなと感じま
した。
 私は>>247で脳天気にコメントしちゃったんですが(ちょっと反省)、こ
のスレでは「○条」の前の部分を「地名」として取り上げていく、ってこと
でいいでしょうか?>ALL
 私個人的には例えば「菊水1条」と「菊水2条」の「地名」としての違い
をうんぬんするつもりはもちろんありませんが、新琴似にある「第○横線」
にはちょっと興味があったりします(*^_^*)
255新川番地:2002/09/28(土) 09:30 ID:lH6GysYI [ sapporokita3-42.ppp-1.dion.ne.jp ]
「地名」の定義ってそーなんですね
消えゆく地名や埋もれている地名、そこにかつて在ったものやそこで起こっていたことの痕跡をたどる
条・丁目は「地名」ではない(ようだ)
マクロに見るとそれでも良いし、ミクロで見るとそこに拘るべきものもあると思うので
何とも言えませんが、「なぜウチの辺りだけ番地地域で新琴似に食い込んだかたちになっているのかな」
なんて素朴な疑問も個人的にはあるので、また地域の通称として残っているところもいまや条丁目に整理されている現状を鑑みて
私としてはこの辺にはひっかかりがあるので、この冬からは(何せ土木系の仕事してるもんで)
この辺にやや拘りつつ参加していきたいと思います

で、「第○横線」や「n番通り」「○×街道」辺りに注目していたので遥香さんナイスですねー
横新道とかね・・・
「第○横線」や「n番通り」は「基線」があって成立するはずなので
新琴似通りあたりが基線かなって気がしますよね

ああっ現場に行かなくてはっ
後ほどっ!
256牛鍋蝸牛:2002/09/28(土) 09:34 ID:IrDBtYd6 [ B136056.ppp.dion.ne.jp ]
>>254 遥香さんへ。
ここのスレで取り上げるのは、「何でもあり」でいいんじゃないすか(w
「地名」をあえて定義すると、ということで>>253 は書きました。
早い話、わかりゃいいんですわ。
ただ、皆さん、このスレではもっと大事なことがありますです。
「1です。」さん(そう、このスレの創造主ですが)が“前説”で書いていたことを思い出してね。
「地名を聞いてもどこかピンとこない札幌市の地名をあげましょう。
知名度ゼロ名所ゼロの土地へ実地調査へ逝き見所を見つける良スレです」。
つまり、実地調査がこのスレの命なんですねぇ〜。
すっかり忘れてた人、知らなかった人いるでしょう?
てなことで、実地調査も皆でよろしくお願いしますね。
257すいません新琴似データベースです:2002/09/28(土) 11:42 ID:tDIEh7qg [ proxy.fun.ac.jp ]
そ-言えば新琴似って第8横線迄と6番通りまであるな-
恐らく、
第1横線
 つぼ八、ニトリがあり、地下鉄南北線終点麻生駅から地下鉄東西線終点琴似駅に向かう市バスが通る新琴似通で1丁目と2丁目の間の通り
第2横線
 琴似栄町通で本の岩本が別の店に変わり、丸正南新琴似店がある7丁目と8丁目の間の通り
 新川と屯田にイトー・ヨーカ堂を構え、新川側にはBIG SHIP、屯田側にはJOYFUL A.Kも
第3横線
 9丁目と10丁目の間の通りでSATY食品館が潰れ、LUCKYになったっけ…
 ずっと住宅街の細い道
 4番通と5番通の間に納骨堂が出来る話があり、LUCKYの向かいの家が猛反対の張紙があり
第4横線
 西野二股、盤渓方面に向かう13丁目と14丁目の間の通り
 何か通りの名前があった様な…西野・屯田通だったっけ
 丸正新琴似店や道銀四番通支店があり
第5横線
 天狗橋を経由してで国道5号線西宮の沢〜屯田町迄通じる16丁目と17丁目の間の通り
 OAK BIREDGE WAOや中央バス自動車学校、マンモスマンション「ロイヤルシャトー」があり
第6〜8横線
 新琴似町の通り
 自分の予想では将来的に第6横線が追分通を経由して北1条・宮の沢通に通じる交通の要所になる筈
1番通
 1条と2条の間、それと新川(牧場等のある番地)の通りで1丁目〜新川数百番地迄
 地下鉄南北線北24条駅バスターミナルから新川営業所に向かう市バス新72が通る
 その理由は国際情報高校、新川バスターミナル、新川高校、手稲高校へとバスが向かうスクールゾーンの為
 第3横線辺りで繁華になり、最後はスーパーエースの駐車場に直結
 最近は石狩手稲通迄繋がったらしいが未確認
2番通
 3条と4条の間の通りで北34西5〜新琴似町迄
 国際情報野球グランド、グリーン公園、光陽中学校、2番通公園、札幌北郵便局と続く
 最終的に北34西5で西5丁目樽川通、札幌新道と五差路に
 冬場は第4横線付近で猛吹雪、吹き曝しに遭い、視界不良の事も多々あり
3番通
 5条と6条の間の通りで1丁目〜17丁目に行き、道が曲がって4番通と交差
 地下鉄南北線麻生駅から新川バスターミナル中央バス麻06が通る
 マンモスマンション「ロイヤルシャトー」、丸正南新琴似店、銀座山形屋、Sタウンと続き、最後は第1横線新琴似通で突き当たり
4番通
 新琴似で最も重要な通りだから詳細に説明する
 まずこの道は石狩市新港の国道337号線から砂利道を通り、石狩手稲通で道幅が広がるがここからが多分始点
 つまり石狩市花川南5条1丁目から始まり、発寒川か琴似川を越え、札幌市になる
 第6〜8横線全てが交差している通りは恐らくこの通りのみでそれらは新琴似町
 第5横線からは7条と8条の間を通り、OAK BIREDGE WAOや中央バス自動車学校、道銀四番通支店、SATYが潰れて出来たLUCKY、新琴似小学校、新琴似中学校、ニトリ、道銀麻生支店があり
 石狩市民、屯田の住民の交通の大動脈の為、朝7時台は地下鉄南北線終点地下鉄麻生行、札幌バスターミナル行のバスが屯田6条16丁目や花畔、花川等から28〜30本以上走る
 中には第2横線琴似・栄町通や第5横線で屯田に曲がるバスもある
 麻生五差路ではJR新琴似駅に向かう通り、北42条通、旧国道230号線で突き当たる通りと西5丁目・樽川通りと交差するが、一応名目上、西5丁目・樽川通に連結
 何故ならこの通りは四番通西5丁目・樽川通となっている為
 北42条通は丘珠空港、COWBOY伏古店等があり、最後は東雁来町の国道275号線で突き当たり
 西5丁目・樽川通りはMARUI PLACAが撤退して出来た東急ストア麻生店、ダイエー麻生店、生協北33条店が撤退して出来たベスト電器札幌本店、北大、
 ヨドバシカメラを経由しJR札幌駅を通過すると中心部に入るが、最終的に南8条ぐらいでKING MOOが現れ突き当たり
 つまり四番通は石狩市新港〜麻生町を経由し、南8条西5丁目迄だと考えられる
5番通
 9条と10条の間で住宅街の通りで丸正新琴似店がある
6番通
 11条と12条の間で同じく住宅街の通り
258なまら名無し:2002/09/28(土) 12:43 ID:MD3CxyFg [ pdd2e49.spprac00.ap.so-net.ne.jp ]
>>257
新琴似通と琴似栄町通りが逆ですよん。7・8丁目の間が新琴似通です。
ニトリ前が琴似栄町通で、新琴似1丁目と西○丁目の間です。
あと、第3横線は10丁目と11丁目の間だと思います。ラッキー西側ですね。
第1横線は北郵便局の通りだと思うんですが、どうでしょう?
これだと第1〜8横線が等間隔になるんですが。

屯田○番通ってのもあります。創成川の北○番橋に対応してますが。
1番通:屯田3条。石狩街道の学園都市線陸橋の途中から分岐してます。
2番通:屯田5条。北2番橋の通りです。
3番通:屯田7条。北3番橋、東15丁目屯田通です。
4番通:屯田9条。北4番橋、ヨーカドーの通りです。
5番通:屯田11条・・・ってあるのか?北5番橋の通りです。
259なまら名無し:2002/09/28(土) 16:09 ID:y1g.94Mk [ nthkid026238.hkid.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>257
5番通と6番通が簡略すぎるよう。
確かに何もないけど。
260なまら名無し:2002/09/28(土) 16:26 ID:KZfsajcg [ SAPba-01p91.ppp13.odn.ad.jp ]
金山PAそばにある「手稲稲穂」ってのが気になる・・・。
既出?

北34条駅にあるという「名店街」という廃墟(?)も・・・。
あ、これは地名ではないかな。
261なまら名無し:2002/09/28(土) 17:46 ID:/fpZoE0Q [ sapporokita2-200.ppp-1.dion.ne.jp ]
>260 地名と言うより産業遺跡?

現場から帰ってきたらすげー書き込み!
でも、どうして条丁目じゃなくてn番通り第n横線なんでしょ
畑だったから?
n番通りなんて新琴似〜新川と屯田あと江別くらいでしょ
他はn線n号ですよね 石狩とか十線浜の線もそうだし
なにか決まりがあるんでしょうか
262牛鍋蝸牛:2002/09/28(土) 17:52 ID:3SJqL.0o [ N043205.ppp.dion.ne.jp ]
「西茨戸」に行ってきました。
なかなかユニークな所でした。
以前一度、迷い込んだことがあったのを思い出したよ。
さて、その報告は後ほどにして、まずはこちらから。
「雁来町」で出てきた「484のブルース」に関しての新情報、ゲット!
「484のブルース」に関しては、いままで文献では一切情報がなかったのですが、やっとめっけた。
そして、「札幌温泉」の新たな記述も…。
実は両方とも「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿」に出ていました。
前から「札幌事件簿」は調べなきゃと思っていたのだけど、手付かずだった…。
じゃ、「484のブルース」から先に書きますが、本文長いのと、実際のところ「484のブルース」と直接の関係がある記述ではない部分が多いので要約します。
「昭和31年(1956)2月16日、3月2日薄野やくざ市街戦−雁来のバラ、斃れる」より。

「昭和31年2月16日午後3時40分過ぎ、「会津会小高一家」の三代目を約されていた「雁来のバラ」こと「荏原哲夫」は薄野(南5条西4丁目の俗にいうジャンジャン横丁で、舎弟のIと一緒にいるところを飛び出してきた7〜8人の男たちに取り囲まれ、愛用のブローニング45口径を発射、反撃するもするも、相手のMに拳銃で腹部を打ち抜かれた。
「バラ」は南4条西1丁目の「保全病院」へ搬送され、緊急手術の末、一時小康状態を保ち、上機嫌で愛唱の演歌「薄野ざんげ」を口ずさんだりもできた。

 冬のつららを匕首(どす)がわり
 持って暴れた夜もある
 あの娘の涙で俺も亡き
 思い出は辛い薄野よ
 酔えない夜に誰がした

だが18日夜になって容態が悪化し、8時15分絶命、31歳だった」

さて、「雁来のバラ」こと「荏原哲夫」のことをそのまま書きます。
「雁来のバラで通っていた荏原は滅法腕っぷしが強い。戦後東京は新宿、中野で場数を踏んで札幌に帰ってきた。24年5月の抗争での殺人で、札幌刑務所のもっそう飯を5年間食ったという“男の勲章”を持っている。それ以来札幌アンダーグラウンド社会の若手実力者としてにわかに頭角を現した。小高一家の実子分(親分候補)たる地歩には揺らぎはなかったのだが」

ま、その事件の背景は面倒だし、どうでもいいので書きませんが、この文章の最後に、こうあります。

「…バラが死んで12年、昭和43年のことだが、薄野界隈でこんな演歌が流行った。

 義理や人情にあこがれた
 十九 はたちが花だった
 ここはその名も雁来町
 いきつく所は承知(かくご)の上で
 ままよこの道おれはゆく

その曲名の「484のブルース」はどうやら札幌刑務所の地番「東苗穂484番地」を意味するらしい。つまり「網走番外地」を意識したムショソング札幌版というやつだ。だが薄野筋では、雁来のバラを知る人も知らぬ人も、彼に捧ぐる鎮魂歌だと信ずるものが多かった」
(主要参考文献・藤田五郎著「やくざ逆破門状」)

刑務所ソングってのは分かっていたし、「らーめん あび」のマスターや、18丁目さんが行ったススキノの(若くてチレイナ)ホステスさんからの情報でも、「484」は番地であると薄々分かってはいたが、こんな話があるなんて…。
しかし、よく考えてみれば、たしかに「網走番外地」ってのも「住所」なんだよね。
「484のブルース」で、「網走番外地」は当然連想したけど、「番地つながり」だったんだぁ〜!
あっはっはっ!
…。
263牛鍋蝸牛:2002/09/28(土) 18:09 ID:3SJqL.0o [ N043205.ppp.dion.ne.jp ]
さて、「雁来のバラ」は「枯木のバラ」とも言うらしい…。
しかも、かな〜り有名なやくざだったんだねぇ。
ワシャ、
「バラの彫り物でもしてるのかな?ずいぶん洒落たやくざだな」
と思っていたのですが、「雁来の荏原」「カレキのエバラ」が省略されたものだった。
生まれが「雁来」というのがシブイ。
ttp://www.ichigo.sakura.ne.jp/~saeka/meigen_hist/meigenn_10.htm
ttp://www.atc.ne.jp/seikindo/densetunoya.htm
264発寒1条1丁目:2002/09/29(日) 13:44 ID:LVspVEIY [ SODfa-01p7-128.ppp11.odn.ad.jp ]
>>202 啓明ターミナルさん
先週 北町界隈探索しました。信号機表示はもうないようですね。
旧5号線の環状通と北5条通との間に押しボタン信号があって、
それに地名消滅後もしばらくくっついていたような気がしますが。

栄通の件ですが、友人に再度確認しました。先週日曜日に車で走行しました。
それなりの商店街が10丁目付近に形成されており、通りに名前があっても不思議ではないと思っております。
時間がなかったので、聞き込みはできず。またの機会に試みようと思います。

スレもすすみ、新琴似、屯田、茨戸ねたがでてきたので、少々。
○○横線についてですが、屯田にも存在します。
新琴似第3横線が屯田に通じていますが、屯田では屯田第2横線といいます。
屯田から新琴似の中学へ通ったのですが、新琴似人と屯田人が会話すると混乱します。
○○横線ってのも、条丁目の拡大と新規住人が増えあまり聞かなくなりました。

西茨戸ですが、以前は東茨戸ともに茨戸と称していました。
西と東に別れてもう10年位経過しています。
住宅地が石狩街道に近いところに形成されているほかは、豊明高等養護学校があります。
この学校は10年程前に豊平から移転しました。
忘れていました、そのむかし、茨戸油田というのがあったと何かで読んだことがあります。
具体的な場所は解りません。もしかしたら石狩市エリアかも・・・
265257:2002/09/29(日) 15:41 ID:YSuB2m.Q [ proxy.fun.ac.jp ]
>>258
第1横線は北郵便局の通りと言う事はラーメン「駅」とか麻生整形、新琴似小学校横の通りですか?
つまり、2丁目と3丁目の間…確かに距離的には等しくなるけど第1横線と呼ぶには貧弱な気も…
北2番通が一番繁華だった記憶が…
5条と6条の間で大きい市住や中央バス(01、02、03、04→廃線、14)の終点「屯田6条12丁目」があった筈
ちなみに04と14については地下鉄南北線終点麻生駅前迄同じ路線(第5横線経由の新琴似4番通)を走り、
04はそのまま西5丁目・樽川通を進み、時計台の辺りを経由し、
14は旧国道230号線(東1丁目と東2丁目の間)を経由し、北12条辺りで国道230号線に合流し、
終点が中央バス札幌バスターミナル
だったが04は北大付近の慢性的な渋滞の為、ダイヤが作れず廃線
>>259
確かに簡略し過ぎました
あまりあちらの方が詳しくないもので…
>>260
地下鉄南北線北34条駅地下の名店街はほぼ全滅
本屋とか安い服とか唯一頑張っていたと思われる「スーパーまつだ」があったけど
こないだその最後の切り札「スーパーまつだ」も潰れて完全廃墟と化してます
一方、地上にある「ジャンボレンタル」は向かいの潰れた生協跡のベスト電器札幌本店と一緒に頑張ってます
確か元の駅名店街にも店があった筈だけど
結構あそこ誰も目を付けてないのかレアなCDとか売れ残ってたりすんですよ
深夜営業もしてるし

ところで釜谷臼って札幌なんですか?
それとも石狩川の先なんですか?
26618丁目:2002/09/29(日) 19:47 ID:HyUOxS4w [ SODfi-01p1-205.ppp11.odn.ad.jp ]
>265さん
釜谷臼はれっきとした札幌北区ですよ(w
>発寒1条1丁目さん
>新琴似人と屯田人が会話すると混乱します
これは面白いですね、私は高校3年間北区の学校通っていたけど
全然気づかなかったです。というより○番通、第○横線の呼称が覚えきらなかったので
あまり住所の話しには加わらないようにしていました。
>牛鍋さん
うわー雁木のバラかー
今年の後半の目標は、484ブルースの音源入手と、カラオケで歌えるようになることだ!
>>260
手稲稲穂は高速をまたいで微妙に住所が飛び地になっていて、仕事でその辺行ったとき
迷いまくった記憶があります。
267なまら名無し:2002/09/29(日) 20:11 ID:Wsnxa4YY [ m176175.ap.plala.or.jp ]
かなり前からROMってましたが、
地元ネタが出てきたので書き込ませてもらいます。

>>255
新川が食い込んでいる件、毎日1番通りを通ってるので気になってました。
14丁目から急に新琴似3条辺りまで食い込んでますよね。
やはり、宅地ではなく牧場であることが絡んでるんでしょうか?
(農地ではない7条16丁目もあの区画のなかではポツンとある条丁目ですし)
あと、アルルの街が形成中ですが、あそこは今は番地住所ですよね。
しばらくしたら、「新川6条14丁目」が出来るってことでしょうか?
(もうできてるのかもしれませんが)

いきなり長文失礼しました。
268267:2002/09/29(日) 20:45 ID:Wsnxa4YY [ m176175.ap.plala.or.jp ]
で、新琴似第1横線ですが、私の地図(スーパーマップル広域札幌圏)では、
258さんがおっしゃる、北郵便局や新琴似神社の通りを指すようです。
地図でいうと新川2条2丁目と3丁目の間(新道のコジマ裏)〜屯田2条2丁目に突き当たっている道ですね。

ちなみにこの地図は「親琴似第1横線」と誤植されていますが(鬱
269牛鍋蝸牛:2002/09/29(日) 20:46 ID:.NpYAick [ y068086.ppp.dion.ne.jp ]
では、「札幌温泉」の「温泉電車」に関して「さっぽろ文庫 37 札幌事件簿」より。
締めと言うこともあり、全文掲載します。

「昭和5年(1930)8月31日 消えた温泉電車−変電所火災でケチ」
「昭和の初年、札幌西部の藻岩山麓を走っていた札幌温泉電気軌道といっても知る人はほとんどいなくなった。発足翌年の5年8月末、変電所を火災で焼失したのがケチのつき始め。経営不振が続き、やがて無許可営業休止を理由に免許取り消し処分になるという全国の鉄道でも珍しい最後を迎えた。
           ※                     ※
札幌温泉電気軌道は札幌市内の円山3丁目(札幌市電円山線西23丁目電停横)と界川間1.8qを結んでいた軌道で、昭和4年6月30日営業を開始した。
札幌の市街軌道は明治42年(1909)札幌区内〜豊平町石切山穴の沢間に敷設された馬車鉄道が始まりで、昭和2年12月札幌市が買収したときはすでに電化後9年を経過し、路線も市内の主要地にはほぼ展開を終えていた。
そこへ新規に参入した温泉電気軌道は、双子山の下、界川に新設された札幌温泉への入浴客輸送を目的に開業したといわれている。
この札幌温泉は「サッポロの宝塚」をもくろんだ地元の実業家が界川の土地33万uを10万円で買収、ここに温泉つきの娯楽センターを大正15年(12月25日昭和と改元)5月8日開業したもので正面に女神像をいただいた鉄筋三階建ての道々たるものだった。湯は20km奥の定山渓からコンクリート管と土管をつないで引いてきたが、問題は温泉への足。そこで温泉経営者によって設立されたのが温泉電気軌道だ。
途中の停車駅は南三条、南三条、南八条、南10条の四ヶ所。、単線で電車二両を使い、日中は30分間隔、早朝・夜間は1時間間隔の運転だったという。
ところが運行を開始して1年2ヶ月後の昭和5年8月31日深夜、界川の電車車庫に隣接する変電所から出火する。温泉を経営する札幌温泉土地株式会社は温泉周辺を別荘地として分譲する予定だったが、当時はまだほとんど無人地帯だ。発見の遅れもあり。、なすすべもなく全焼させてしまう。31日は山鼻記念祭で、ただでさえ少ない住民が深夜までにぎわった山鼻に出かけていたのも不運だった。
出火原因は漏電だといわれたが、ともあれ変電所がなくなっては電車を動かせない。温泉軌道は引き続き円山3丁目〜国鉄琴似駅間4.4kmの着工を予定していたが、これも突然の火災でそれどころではなくなる。当座の資金を工面し、何とかガソリンカーを一両購入し、運転を再開したものの、輸送力は半減した。もっとも半減しようとしまいと乗るお客もいなかった。
計算上は熱いお湯が界川まで届くはずだったのに通水してみると過熱しないと使えない温度で親会社・札幌温泉の経営は初めからふらふら。まず親会社が倒産し、ついで軌道の方も手をあげる。
運行停止は9年8月末、よほどせっぱつまって余裕がなかったのだろう。路線廃止んぽ手続きさえとらなかったため昭和12年3月12日付で長期の無許可営業休止のかどで免許取り消し処分になるという珍結末をみる。全国でもこんな例はほかにないだろう。温泉軌道電車は変電所火災のあった昭和5年、社名を札幌郊外電気軌道とあらためていたが、社名の改称は気分の転換になっても経営の転換にはなり得なかった。(北洞 孝雄)

「さっぽろ文庫」より「札幌温泉軌道の路線図」
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=211
270.:2002/09/29(日) 20:59 ID:Syppsa6k [ p2161-ip01sapodoori.hokkaido.ocn.ne.jp ]
>>269
ここのサーバに限界があるので
長文のコピペは自粛願います
271啓タ:2002/09/29(日) 21:14 ID:IfACJJG2 [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
発寒1条さんのレス目にして復活。そうでしたか表示はもう消えていましたか。
栄通りまだたしかめてませんでした。お風呂やさんのある通りですかね。

新琴似4番通りに昔友人が住んでて個人的に思いいれあるのでひとこと。
あの界隈団子屋さんが多いようにおもうんですがなんでだろう?
今はなくなりましたがとらやさんだったかな(ふくやさんだったかも)
よくごま団子買ってきました。
27218丁目:2002/09/29(日) 21:18 ID:1q1Lmlp6 [ SODfi-02p3-214.ppp11.odn.ad.jp ]
>267
近藤牧場も閉鎖で、まともに経営している市内の牧場はこれが最後でしょうか。
その辺りから以北ほこれからも、どんどん新住所ができそうな勢いですね。
北区、手稲区、石狩の際のところの混ぜんとした場所も住宅街になるのでしょう。
そうすると北区の人口は多すぎなので、やはり篠路中心の新区の成立は近々現実
のものとなる。そして新地名ができ・・・とこのスレは生き残ってゆくか?
273牛鍋蝸牛:2002/09/29(日) 21:19 ID:.NpYAick [ y068086.ppp.dion.ne.jp ]
>>270
はい、なるべく長文にはしないように気をつけます。
引用文は細かくすればOKかな?
あまりいじると著作権上の問題もあるし、難しいのですよ。
274牛鍋蝸牛:2002/09/29(日) 21:56 ID:.NpYAick [ y068086.ppp.dion.ne.jp ]
さて、昨日行ってきた「西茨戸」ですが、これがなかなかオツでした。
「創成川」と「発寒川」「伏籠川」(合流し茨戸川になる)にはさまれた三角地帯でして、しかもすぐ東に「石狩街道」(創成川通)、西には「石狩市緑宛台」が迫る、特殊な地域です。
しかも、ご丁寧に、その中には「茨戸耕北川」という細い灌漑用水のような川が地域を取り囲むように流れているのです。
「石狩街道」の「西茨戸」側に「西茨戸」の表示はなく、「篠路」と「東茨戸」のみがありました。
目立つ建造物といえば、既出の「豊明高等養護学校」と「パーラー太陽グループ」が作った「野球場」くらい…。
あとは住宅地と会社・資材置き場、空き地でしょうか。
ワシが調査に行った時も一台のタクシーが迷い込んできて、そのまま抜けられると思ったようですが、抜け道らしきものがなく(実際はあるが…)、慌ててUターンしていました。
タクシードライバーも迷う、ここはかなりマイナーな地域であることは間違いない。
「北商団地」というレトロな看板を発見しましたので、以前は商業団地としての利用が図られた場所かもしれません。
道は狭く、冬は大変そうですし、雪のない今でも、発寒川よりにある道は車がすれ違えないような幅しかありません。
琴似川を越えると、「石狩市緑宛台」があり、ここがキレイに区画が整理されて分譲されているのとはかなりのギャップがあります。
ま、「緑宛台」の人工的な街の雰囲気は、ワシはあまり好きじゃないけどね。
アルバムは、
http://groups.msn.com/mle7qlifk9homg4ge6fkail261/in.msnw?action=ShowPhoto&PhotoID=212
からスタート。
>>264
「茨戸油田」に関しては、
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi2/38fukidashi.html
に詳しく出ています。
275発寒1条1丁目:2002/09/29(日) 22:12 ID:Dy.dxqsw [ SODfa-01p4-15.ppp11.odn.ad.jp ]
>>271 啓タさん
団子屋さんが多い件、甘い物はどうもって方なので、気にしたことがありませんが、言われてみれば確かに多いですね。
4番通りよりも第3横線(10丁目と11丁目の間の道)が割と多いようなイメージをもっています。

横線関係では、新琴似通りが第2横線なのですが、20年程前に拡幅されました。
第1,第3横線とともにそんなに広い道ではなく、新琴似1条付近で消滅していました。
札幌新道へは通じていませんでした。
>>258さん、267さん正解です。

栄通り(友人説)ですが、南郷札幌幼稚園のある通りです。
276五天山のサイレンが懐かしい:2002/09/29(日) 22:38 ID:rlhx6QnU [ SODfa-01p3-246.ppp11.odn.ad.jp ]
通りすがりでごめんなさい。

西区福井について語ってるスレってどこ?ここ?
この前チラリとみたんだけど。
277牛鍋蝸牛:2002/09/30(月) 07:38 ID:QnD1MxLk [ E168234.ppp.dion.ne.jp ]
>>276
西区福井スレは別にあると思いますが、「五天山」に関してなら、ここの前スレ、
【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その弐】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1027482867
から本スレにかけて出ていますよ。
278啓タ:2002/09/30(月) 08:01 ID:FZswO86I [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
20年くらい前の話だが新琴似は大根の作付けも多く(新琴似大根とか)
4番通りの旧拓銀支店(10丁目くらいかな)をもう少し北上(横線っていうの?)
したところに大きな漬物工場があったはず。今どうなってるだろう。
279啓タ:2002/09/30(月) 16:56 ID:FZswO86I [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
発寒1条さん、栄通りしかとこの目でたしかめてきましたよ。
南郷幼稚園の近く、私のいってたお風呂屋さん(黄金湯さん)のある
通りでした。間違いなく栄通り10丁目の信号機ありました。
黄金湯さんむかし市内の大衆浴場の分布調査の際とてもお世話になりました。
タイルの絵が未だにあるのはめずらしい。かえりにフルーツ牛乳ご馳走になり
ました。とても親切であったかい老夫婦だった記憶が。
灯台もと暗し。まさかあの前のとおりが栄通りとはね。
これで栄通り=地域名という定説はくずれた。
280なまら名無し:2002/09/30(月) 21:05 ID:3..c.IT6 [ m077133.ap.plala.or.jp ]
南大橋を渡った所の交差点(セヴンイレブン前)はなぜ一方通行の場所があるのでしょうか???
分からないので教えてください。
281牛鍋蝸牛:2002/09/30(月) 21:14 ID:CmouLzAo [ N043204.ppp.dion.ne.jp ]
>>278
啓タさんへ。
「新琴似」は土地鑑がありますが、「漬物工場」というのは今はないと思いますよ。(煎餅の工場なら知っている)
で、「新琴似大根」ってのも初耳だったけど、調べたら、
ttp://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi1/27hadanoyosa.html
で、
「新琴似でつけ物屋を始めたのは村田勇さんである。その工場は、新琴似歌舞伎の常設劇場「若松館」を解体、移設したもので、直径2メートルのつけ物樽が並んでいたという」という記述があり、あの「新琴似歌舞伎」と因縁があったとことを知りました。
そして、「〜線」で思い出いだしたことがあります。
小学生の時、ワシの本籍は生まれとも育ちとも関係ない、親父の縁の地になっていました。
中学校に上がるのに本籍の確認をするため、先生が教室で各生徒の本籍地を読み上げました。
「牛鍋さん…。え〜、上川郡○○町大字二十五線!」
クラス中、大爆笑。
「〜線」なんて付くのは、ワシだけだったからねぇ…。
ワシは、正直、
「ウケタ…」と満足し、にんまりとしたもんですよ(w
282牛鍋蝸牛:2002/09/30(月) 21:22 ID:CmouLzAo [ N043204.ppp.dion.ne.jp ]
>>280
すみません。
いずれにせよ、お答えできないので恐縮ですが、「南大橋」をどちらからどちらへ渡ったところにある、セブンイレブンなのでしょうか?
出来れば住所を記載願います。
283啓タ:2002/09/30(月) 21:48 ID:FZswO86I [ SAPba-17p173.ppp13.odn.ad.jp ]
>>269
ぎゅうなべさん労作の長文つい目を通すの忘れ、今じっくり読みました。
路線図おもしろい。かなりおおざっぱですが西23丁目を市電が走ってたなんて
不思議な感じがする。
はかない運命だったようですが大正ロマンですなー。
284発寒1条1丁目:2002/10/01(火) 00:52 ID:VjsY.Su. [ SODfa-01p8-166.ppp11.odn.ad.jp ]
>>278,279啓タさん
栄通りは今のところ友人説だけなので、暇をみて裏取りが必要と思っています。

新琴似大根は札幌五輪の頃にはもうすっかりという状況だったようです。
漬け物屋さん(工場)ですが、12条7丁目にあったものだと思われます。
新琴似通りと6番通りの角にありました。4番通りからだと北洋銀行の角を北上したところです。
たしか、河本食品工業という名のブロック塀で囲まれた工場でした。
この辺り、漬け物と煎餅工場の匂いが交わり強烈なものがありました。
漬け物の方は新琴似通りの拡幅のころに操業はやめたようです。
その後デリーズを興し・・・

ところで、6番通りは現在拡幅工事に入っています。用地買収はほぼ終えているようなので、
来年あたりから工事が本格化するようです。
285上白石町:2002/10/01(火) 01:59 ID:2YuuIv5c [ PPP472.hokkaido-ip.dti.ne.jp ]
こんばんわ。
ずっとROMでしたが、ちょっと書き込みを。
菊水の話題が出ておりましたが、興味深く読んでました。

今、手元に昭和50年発行の札幌市内地図があります。(名寄の古本屋で購入)
バス路線図なども載っており、なかなか楽しめる内容です。
バス停といえば、既に地名から消えてしまった地名も停留所名に残ってる例が
ありますね。(有名どころでは、大谷地の「吊橋」停留所など)
白石だけ見ても、「西白石」「中白石」「白石仲町」「白石本町」と言う停留所名が残っています。
(地図上、大きく「白石町」との表記もあります)
この辺の地名は、昔からあったものなのでしょうか・・?
286なまら名無し:2002/10/01(火) 02:02 ID:LmpDGC2k [ proxy2.sappr1.hk.home.ne.jp ]
昭和30年代に厚別の方のバス停で横町ってあったんですけどその名残は今はどこにもないですよね。
287牛鍋蝸牛:2002/10/01(火) 09:16 ID:ijJ1m5gs [ N022208.ppp.dion.ne.jp ]
>>284
そうそう、あったあった、「河本食品工業」。
で、それで思い出して確認してみたんだけど、すぐ近くに「北一食品梶vって漬物屋さんがありました。
ていうか、現在もあると思われます。
新琴似11条7丁目、GSの「ジョモ」のとなり。
すっかり忘れていたよ。
「新琴似大根」の関連だったんだ…。
なんでこんなところに漬物屋さんが…、と思っていたもんです。
>>283
啓タさん、レスありがとう。
今後も古い話題も取り上げつつ、がんばります。
288新川番地:2002/10/01(火) 09:24 ID:pvoni2eg [ sapporokita2-200.ppp-1.dion.ne.jp ]
新琴似の漬物屋さん、確かにありましたね
第二横線の新琴似駅の通りの北札幌病院の院長のお母さんがやってた
さっぽろ文庫にも寄稿してる人でした。
屯田兵で新琴似に入植し・・・という話でした
たまたまご本人を知っていたので、漬け物もらったこともあり
亡くなったときは残念におもったものです
道路拡幅で建物がかわったなぁと思っていましたが
やめたんですね

話は変わりますが「庚申塚」は塚の名前ですが、バス停があったりして
僕らの子供の頃は地名として扱われていました。
こういうの、あり?
ほか「農本北」とか「札苗」って丘珠高校OBとしては懐かしい地名です
マラソンするとモエレ沼とか農本とかコースなんで
ガイシュツ?
289なまら名無し:2002/10/01(火) 13:22 ID:690SkHV2 [ proxy.fun.ac.jp ]
モエレ沼と言えば豊畑ってバス停あるけど昔そーゆー地名あったんですか?
290牛鍋蝸牛:2002/10/01(火) 14:23 ID:WEI4hbZM [ U127231.ppp.dion.ne.jp ]
>>289
はい。
前々スレ、【知名度】スレも立たないマイナーな地名in札幌【ゼロ】
http://hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1026308494
で「雁来町研究」の時にもちょいと話題になって、「豊畑神社」が出てます。
由来はそのまんま、「豊かな畑になりますように…」ってことで付いたそうです。
時間がないのでこれにて失礼。
291なまら名無し:2002/10/01(火) 21:13 ID:iHv0MN/M [ SAPba-13p18.ppp13.odn.ad.jp ]
ずっとROMってました。新琴似育ちですのでなつかしいです。
5番通、6番通のあたりは漬物工場おおいんですね。
新琴似の大根を市場に運ぶのに「大根道路」とよばれた道がある,
と、昔何かで読みました。ご存知の方いらっさいますか?
292牛鍋蝸牛:2002/10/01(火) 21:19 ID:ZLJJzC/Y [ N023151.ppp.dion.ne.jp ]
>>291
http://www.city.sapporo.jp/kitaku/episode/epi1/27hadanoyosa.html
では、「二条市場」へ「石狩街道」を通って運んだ、とありますが…。
293291です。:2002/10/01(火) 21:42 ID:iHv0MN/M [ SAPba-13p18.ppp13.odn.ad.jp ]
>>牛鍋蝸牛さま
じゃ、もしかしたら4番通から麻生5叉路をまっすぐ石狩街道へ
通ってる道かも、です。麻生なのに「新琴似橋」って橋があった。
昔は、(地下鉄が開通する前)中央バスのバス停のなまえにもあった筈です。
294牛鍋蝸牛:2002/10/01(火) 22:15 ID:ZLJJzC/Y [ N023151.ppp.dion.ne.jp ]
291さん。
>>293 「4番通から麻生5叉路をまっすぐ石狩街道へ通ってる道かも」…。
ちょっと話はずれますが、「道がひどかった」ということであれば、その道がぶつかった「石狩街道」自体も、「新道」までの間、昭和50年代前半までは、ひどいでこぼこ道でしたよ。
しかも、「石狩街道」(創成川通)を一方通行で南方面から北上して、「札幌新道」を超えたとたん、対面交通になるという状態でした。
ある日、ワシは車で麻生方面から右折、都心に向おうとして走っていると、反対車線を向ってくる“車列”に遭遇しました。
一番前は、ダンプカーでワシがクラクション&パッシングで「あんた、逆走しとんぞ〜」と知らせると、慌てて右へ避けました。
すると、その後ろには乗用車がいて、気が付き急ハンドル!
そのまた後ろにも、盲目的に追従していた車がいて、これまた逆走に気が付き反対車線へ…。
そんな車が次々現れ、ワシはずっと、クラクション&パッシング…。
マンガのような光景でしたわ(w
さて、そろそろ次のスレの準備が必要かと思われます。
「1です。」さんいますか?
もう、300 来ちゃいますよ〜。
295牛鍋蝸牛:2002/10/01(火) 22:46 ID:ZLJJzC/Y [ N023151.ppp.dion.ne.jp ]
「新琴似大根」で「新琴似の農家」に思いをはせた。
「新琴似の農家」ってことは、当然、「新琴似農協」だわな、と思い、「新琴似農協」と言えば、「不正融資事件」だよなぁ…とこうなる。
ネット検索で「新琴似農協」を調べたら、どうやら「札幌市農協」と合併したようだ。
そして、「JR新琴似駅前」の「新琴似農協のれんが倉庫」の「取り壊し」問題ってのも出てきた。
当然、「保存して欲しい」の声もあると。
でも、それらは2年前のことだったらしい…。
その後、一体どうなったんでしょう?
ワシ、6年くらい前まではあそこらをうろちょろしていたんだけどねぇ。
29618丁目:2002/10/01(火) 23:47 ID:jOQt7WJE [ SODfi-01p6-128.ppp11.odn.ad.jp ]
新琴似大根は今はもう聞かないですよね。
私が高校通っていた頃までは、季節になると漬物の匂いが立ち込めていました。
今仕事でたまに通るが、もうそんな匂いも感じない気がするが、地元住民の方々
いかがでしょうか?
297発寒1条1丁目:2002/10/02(水) 00:19 ID:eupeo.as [ SODfa-01p6-242.ppp11.odn.ad.jp ]
>>牛鍋蝸牛さま
創成川沿いの道、確かにひどかったです。舗装はなし降雨後の水たまりは深さ10センチ以上って感じでした。
私の記憶では、新道以北は昭和52〜53年頃までは道は無かったはず。
なんとか通行可能になったのは54年頃からだったと記憶しています。
当時新道以北の230号の拡幅工事が始まったころで、通行できるようになった時点は用地買収終了後と考えられます。
国道整備ですから管理者は国で、ほとんど工事用通路って状況で道路とは云えなかったと考えられます。
新道以北の道路が完成したのは昭和57年頃になります。
現在の状況になるのには結構時間がかかりました。西茨戸付近で道路が狭くなっていた時期がありました。
用地買収でもめていたそうです。

半月前新琴似駅へ行きましたが、れんが倉庫どーだったかなー
れんが倉庫ですが、3年前に篠路の駅付近を散策した際、篠路ではまだまだ健在だった様子。
こっちの倉庫のほうが味がありました。
篠路の駅前付近、都市化が進んだものと思っていたらば、ぜーんぜーん変わっていなくって
タイムスリップ感を覚え少々感動しておりました。その後はどうなっているのでしょうか?
298なまら名無し:2002/10/02(水) 03:11 ID:gAO/3zb. [ p7069-ipad03niigatani.niigata.ocn.ne.jp ]
五天山公園整備についての記事が出ていたので一応貼っておきますね。

>札幌市緑化推進部は、五天山公園整備として二〇〇三年度に一億五千万円程度を投入し、
>主要施設の一つである花園の丘や芝生広場の切り盛り土を中心に整備する。
>発生土の数量は数万立方メートルとなる見通しだ。
>メーンとなるセンターハウス等は〇五年度以降を予定している。

http://www.kensin.jp/homepage/omonakizi/21001news.html#3
299なまら名無し:2002/10/02(水) 03:29 ID:yGYZ2/Q2 [ nimax1-ify.wdy.docomo.ne.jp ]
私の実家は白石区川下です。子供を育てるにはとても環境が良く土地も安いですよ。親戚は北区篠路。祖母は江別市野幌。いいとこですよねー。ホノボノ。
300なまら名無し:2002/10/02(水) 04:02 ID:lg9TBqyk [ f-kanagawa-136184-l3.zero.ad.jp ]
オーイエァ!知らない地名カモン!オーライ!!!