1 :
お前名無しだろ:
ラッシャー木村 グレート草津 ストロング小林 マイティ井上 アニマル浜口
豊登 ヒロ・マツダ 寺西勇 鶴見五郎 若松市政 米村天心 マッハ隼人 デビル紫
阿修羅原 大位山勝三 スネーク奄美 高杉正彦 菅原伸義 冬木弘道 田中忠治 マンモス鈴木
外人勢もビル・ロビンソン カール・ゴッチ モンスター・ロシモフ ホースト・ホフマン
ジョージ・ゴーディエンコ アレックス・スミルノフ ジプシー・ジョー マイク・ジョージ
モンゴリアン・ストンパー キラー・トーア・カマタ ミスター・ヒト スティーブ・オルソノスキー
ジ・エンフォーサー ザ・UFO オックス・ベーカー マッドドッグ・バション
いろいろ思い出を語ろう。
2 :
お前名無しだろ:03/09/09 21:45 ID:sRxBr6iB
ラッシャー対カマタの金網デスマッチが
懐かしいです。
3 :
1:03/09/09 21:48 ID:Si7gNIoa
すいません剛竜馬選手が抜けていましたね。
他にも抜けている日本人をご指摘くだされ。
4 :
お前名無しだろ:03/09/09 21:49 ID:ZhfrAr5r
グレート草津は日プロの猪木のポジションだったね。
全員で外す四の字固め、コブラツイスト、ドロップキック。
坂口と猪木を足して二で割ったような、といっても坂口は後のデビューだが。
小畑千代、佐倉輝美、千草京子を忘れんなっつーの
>>5 彼女らは柔拳の創始者で柔道家の木島7段から技を仕込まれたらしいね。
だから3段くらいの男でもポンポン投げ飛ばしていたんだって。
稲妻二郎は留学生のはしりかな?
黒潮太郎というのもいました。
>>1 S55年2月〜S56年11月まで大木金太郎が入団したよ
サンダー杉山
10 :
委員長:03/09/09 22:48 ID:???
本当にパイオニア精神溢れる団体だったよね。
○外国人エース
○金網デスマッチ
○ヨーロッパ路線
○レスラー個人テーマ曲
○日本人覆面レスラー
○男女同居団体
○サンボの導入
○現役レスラー以外が社長(これは例外あるかも)
○複数エース制
その他にもたくさん、すべて国際プロレスが初めて行ったことですからな
1を見て思ったけど、
このメンツならインディ団体の2つや3つ楽に作れるのにね。
つくづく時代に恵まれない団体だったな。
第一回IWAワールドシリーズでのロビンソンーゴーディエンコ
第三回IWAワールドシリーズでのロビンソンーゴッチ
ご覧になった方はいらっしゃいます?いたら感想を聞きたいな。
フレアー初来日は国際ですよね
>>13 昭和48年にGIカットっぽい頭で初来日。
マードックやローデスも一緒に来日したと思う。
よくインディーのはしりと言われるけど、違うと思う。
TBSやテレビ東京の放送がついていてインディー団体はないはず。
上田馬之助は?
S51年にラッシャーからIWAのベルトを奪っているけどフリー扱いだったんじゃないかな
新日に参戦する前の箔付けのために
新間氏の手引きがあったとか。
秋吉豊幸 阿部脩 エル・アキ 扇山大五郎 大磯武 金城正勝 剛竜馬 佐野浅太郎
サンダー杉山 篠原実 ジプシー・ザンバ 大剛鉄之助 高橋貢 竹下民夫 長沢秀幸
肥後宗典 覆面太郎 松村幸治 マティ鈴木 ミスター珍 ヤス・フジイ
ヤス・フジイは藤井東助、零戦隼人、ドクター・ヒロ・オオタ、コロネル・ヤンキー
と名前をいろいろ変えた。
21 :
お前名無しだろ:03/09/10 02:49 ID:xtCrB34f
22 :
お前名無しだろ:03/09/10 07:31 ID:LiTLWcw2
エルマンソー兄弟はおもしろかった。
ティト・コバとかカシモドなんて今だったら放送禁止なんだろうなあ
1>>
何で、サンダ−杉山がいないんだよ。
あの雷電ドロップを忘れたか。
>>23 WWEのザックを滅多打ちにしたレスナーが深夜に放送されていたけどね
>>24 選手名の追加で出ている。若いスレ主なのだろう。
鳥人ダニ−・ホッジも好きだったなあ。
ダニーホッジ・・・
テーズとのTWWAヘビー級タイトルマッチをみた人います?
28 :
お前名無しだろ:03/09/10 08:32 ID:Niq+gmIr
>>15 でもテレビ放送って全国じゃなかったんだよね。田舎に住んでたので、月刊誌
でしか知らなかった国際プロレス。
動くラッシャー木村を初めて見たのは、全日本のオープン選手権だったか。
近くの街に巡業で来たけれど、知名度がなくて客入り悪かったらしい。酔客が
「馬場も猪木も出ないのか。偽者だ!」って騒いだりとか。
フレアー、マーテル、キッド、ムラコ、ケンパテラ
みんな国際マットが日本初見参。
スパイロス・アリオン、レイ・メンドーサ横取りは悔しかったろう
アイザック・ロザリオ ジ・アウトロー アクセル・デイター アジェット・シン ジ・アトミック
ジ・アベンジャー アリババ・マルスターニ アル・プルジョー アル・ヘイズ アル・ホブマン
アルゼンチン・アポロ アルバート・ウォール アレックス・スミルノフ アンジェロ・ポッフォ
アンジェロ・モスカ ジ・アンダーテーカー アンドレ・ザ・ジャイアント アンドレ・ボレー
アントン・ラスロ イアン・キャンベル イワン・コロフ イワン・ストロゴフ イワン・バイテン
イワン・ブレストン イワン・ボルコフ ジ・インターンズ1号、2号 ジ・インフェルノ
インディオ・ゴカール ジ・インベーダー ウィリアム・ホール ウインター・ホーク エディ・グラハム
エディ・サリバン エド・フランシス エド・モレッティ エドワード・カーペンティア
エミール・エルマンソー エリック・フローリッチ エル・クルセロ エル・コバルデ エル・サイクロン
エル・ドーベルマン エローデス ジ・エンフォーサー エンリケ・エド オックス・ベーカー
オットー・ワンツ オビラ・アセリン オレイ・アンダーソン
カーチス・イヤウケア カール・ゴッチ カール・ファジー カウボーイ・ボブ・エリス ザ・カサブブ
カシモド ザ・カナディアン カルロス・コロン カルロス・プラタ キース・ハート
キューバン・アサシン1号、2号 ザ・キラー キラー・ジョー・ノボ キラー・トーア・カマタ
キラー・ブルックス ギル・ヘイズ ギレス・ポワゾン キング・タイガー ザ・クエスチョン
クラッシャー・ビル・ドロモ クラッシャー・リソワスキー グラン・ブラジミア グラン・ラバン
クルト・フォン・ヘス クレージー・アラブ クレージー・ボビー・バス グレート・ムルンバ
グレート・東郷 グレッグ・ガニア クロンダイク・ビル ケニー・ジャイ ケビン・ヒューズ
ゲーリー・モンティ ケン・イーツ ケン・パテラ ゴージャス・ジョージJr ゴードン・アイビー
ゴードン・ネルソン コーリン・ジョイソン ザ・コマンド1号、2号 コンデ・マキシミリ
サージ・デュモン サージェント・スローター サバタ・マルチネス サム・スティンボート
ザ・サモアンズ1号、2号 シーク・エルマンソー ジーン・マリノ シーン・リーガン ジェーク・スミス
ジェーク・ロバーツ ジェフ・ポーツ ジェリー・オーツ ジェリー・クリスティー ジェリー・ブラウン
ジジ・ザ・グリーク ジプシー・ジョー(初代) ジプシー・ジョー ジミー・ジョーンズ ジミー・ダラ
ジム・スター ジム・ダルトン ジム・ハジー ジム・ブランゼル ジャック・クーガー
ジャック・クレイボーン ジャック・デ・ラサルテーズ ジャック・ベセク ザ・ジャックナイフ
ジャック・ウィルキンス ジョー・アデール ジョー・キーガン ジョー・コルネリウス ジョー・スカルペロ
ジョー・ターコ ジョー・ベンチュラ ジョー・ルタッグ ジョージ・ゴーディエンコ ジョニー・イーグルス
ジョニー・ケイス ジョニー・コワルスキー ジョニー・バレンタイン ジョニー・パワーズ
ジョニー・ロンドス ジョン・コックス ジョン・ダ・シルバー ジョン・トロス ジョン・フォーリー
ジョン・リーズ ジルベール・ボアニ ジン・アンダーソン スイート・ウィリアムス
スイート・ダディ・バンクス スーパー・アサシン スーパースター・ビリー・グラハム スカイ・ハイ・リー
スカンドル・アクバ ザ・スコーピオンズ1号、2号(カナダ) ザ・スコーピオンズ1号、2号(メキシコ)
スタン・ザ・ムース スタン・スタージャック スティーブ・オルソノスキー スティーブ・リッカード
スパイク・ヒューバー スパルタカス セーラー・ホワイト ゼブラ・キッド セレソ・ソテーロ
ソルダ・ゴーリキ
ターザン・ゾロ ターザン・タイラー タイドーネ・ムッソリーニ ダイナマイト・キッド ダグ・ギルバート
ダスティ・ローデス ダニー・デュボア ダニー・バビッチ ダニー・ホッジ ダニー・リトルベア
ダニー・リンチ ダビッド・シュルツ ダン・ジョンストン ダン・ミラー タンク・モーガン
チーフ・ブラック・イーグル チーフ・ブラック・イーグル(2代目) チーフ・ホワイト・ウルフ
チーフ・ホワイト・フェザー チャーリー・ファルトン チャールズ・ベレッツ チャック・カルボ チン・リー
ディーン・ホー ティエラ・ビエント・イ・フエゴ ディック・ザ・ブルーザー ディック・マードック
ティト・コバ デーブ・ラーセン デーブ・ラール デール・ルイス テキサス・アウトロー
テキサス・マッケンジー デニス・スタンプ デニス・ホール デビッド・シュルツ デビル・ブッチャー
デューク・サベージ テリー・ギャップス テリー・ラザン ザ・テンベスト ドクターX ドクター・デス
トニー・チャールス トニー・マリノ トム・アンドリュース トム・スタントン ドリー・ディクソン
ドン・バス ドン・ムラコ ドン・モロッコ ドン・レオ・ジョナサン
ナランジャン・シン ニキタ・マルコビッチ ニック・カーター ニック・ボックウィンクル
ネルソン・ロイヤル ノーベル・オースチン
バーン・ガニア ザ・バイキング バグジー・マグロー バジル・リッキー バスター・マシューズ
パット・ケリー バッド・コディ パット・ローチ バッドボーイ バッファロー・ザリノフ バディ・ウォルフ
バディ・キラー・オースチン バディ・コルト バディ・ロバーツ バリー・ダグラス ハロルド坂田
バロン・シクルナ バロン・フォン・ラシク ハン・リー ハンス・シュローダー ハンス・ロックス
パンチョ・ロザリオ ビースト・コロンビア ピーター・メイビア ピート・スチュワート ピエール・マーチン
ビクター・ロゼッターニ ビッグK ビッグ・コマンチ ビッグ・ジョン・クイン ビッグ・ダディ・リッター
ビリー・ジョイス ビリー・ハミルトン ビリー・フランシス ビリー・レッド・クラウド ビル・ドロモ
ビル・ハワード ビル・ホワイト ビル・ミラー ビル・ロビンソン ビル・ワット ブッチャー・バション
ブッチャー・ブラニガン ブッチャー・リンチ ブラック・シャドー ブラック・ロッキード
ブラックジャック・マリガン ブラックジャック・ランザ フランク・バロア フリッキー・アルバーツ
プリティーボーイ・アンソニー プリンス・クマリ ブル・グレゴリー ブル・デービス ブル・バリンスキー
ブルー・ディモン1号 ブルータス・ムルンバ ザ・ブルート ブルーノ・アーリントン ブルーノ・ベッカー
ブルドーザー・ビッグ・ベン プロフェッサー田中 ザ・プロフェッショナル ヘイスタック・カルホーン
ペドロ・サムソン ヘラクレス・アヤラ ベルモ・サルバトーレ ベン・アレクサンダー ベンジー・ラミレス
ホースト・ホフマン ポール・エラリング ホセ・アローヨ ホセ・クインテロ ホセ・ベンチュラ
ホセ・リベラ ホセ・ルイス・ベンディエタ ボビー・クリスティー ボビー・スローター ボビー・ヒーナン
ボブ・ウィンダム ボブ・オートン ボブ・グリフィン ボブ・スウィータン ボブ・ダラセーラ
ボブ・チャンバート ボブ・ブーシェ ボブ・ブラッガーズ ボブ・ブラウン ボブ・マーカス ボブ・ミラー
ボブ・ラムステッド ホワン・ラマス
マイク・ケリー マイク・ジョージ マイク・バドーシス マイク・ボイエッティ マイク・マーテル
マイク・マリノ マイク・ミラー マイケル・ネイダー マグナ・クレメント マスクド・アタッカー
マスクド・インターン マスクド・インベーダー マスクド・グラップラー マッド・ジョック・キャメロン
マッドドッグ・バション マリオ・ミラノ マリオ・レオーネ ミスター・ギロチン ミスター・タイガー
ミスター・ダンラージ ミスター・ブラウン ミレ・ツルノ ムース・ショーラック ムース・モロウスキー
メッサー・シュミット モーリス・バションJr ザ・モンゴリアン モンゴリアン・ストンパー
ザ・モンゴリアンズ1号、2号 モンスター・ロシモフ
ザ・USSR ザ・UFO
ラーズ・アンダーソン ラパパポスキー ラリー・シャープ ラリー・ヘニング ランディ・オルズ
ランディ・タイラー ランディー・ローズ リー・シャロン リチャード・チャーランド リッキー・トンプソン
リッキー・フィールド リッキー・マーテル リック・オリバー リック・フェララ リック・フレアー
リッパー・コリンズ リップ・タイラー ルー・テーズ ルーク・グラハム ルーク・ブラウン ルター・レンジ
レイ・キャンディ レイ・ゴールデン・アポロン レイ・スティーブンス レイ・ハンター レーン・ゴルト
レオ・バーク レオ・ロペス レジー・パークス レス・ウォルフ レス・ソントン レッド・デビル
レッド・デビルス1号、2号 レッド・バスチェン レン・シェリー ローム・マスク ロジャー・カービー
ローラーボール・マーク・ロッコ ロジャー・スミス ロッキー・ブリュワー ロバート・ハンビー
ロベルト・ガステル ロベルト・ソト ロン・バス
ワイルド・アンガス ワイルド・ヌウ ワフー・マクダニエル
黒潮太郎 スミス・ハート ヤーン・ヘルマンソン P.ジェラール
任大洙 呉均銭 呉大均 南海山 金基坤 金光植 梁鎮五 力抜山
何でも書きまくりゃいい、ってもんじゃないだろう
31〜36全部読み通した奴がいたら凄い
38 :
お前名無しだろ:03/09/10 20:15 ID:uEvIx+uL
最初荒しかと思いました(笑
IWEマニアの人かな?
AWAと提携後、確かにいいレスラーが来日するようになったけれど
「ガニアはケツの毛までむしりとる男」と吉原社長も言うように
いいように利用されてしまったらしいね。
例えばスーパースター・ビリー・グラハムには週7000ドルを払わされていたとか。
ラッシャー木村は打たれ強い!
>例えばスーパースター・ビリー・グラハムには週7000ドルを払わされていたとか。
グラハムが国際に上がってたのってWWWF獲る前だろ。
あんな怪力だけで客も呼べない木偶の坊に、新日や全日のトップ外人以上のギャラ払うなんて。
ガニアもえげつなかったろうけど、吉原社長も超の字がつく
お人よしだな。
そんなんじゃ団体経営上手くいくわけないっての。
知ってると思うけど、L・A・へイズは吉原さんの人柄こそ高く評価すれ、
プロモーターとしてのお人よし加減には異を唱えていた。
ファビュラスムーラ、ビッキーウィリアムス、ペギーパターソン、
スーザングリーン等女子選手が抜けてるよ
国際プロレスは当初から女子部を置いていたのですか?
いつ頃まで女子部は存続していたんでしょうか?
私のような20代のものは女子部門の存在はあまり知りません。
あのころのグラハムはラシクとのタッグでAWAで売り出し中の若手トップヒールだった。
前人気も高かったので日プロに対抗すべく泣く泣く高ギャラを支払ってたんだと思う。
ファビュラス・ムーラー、ジョイス・グレイブル、サンデー・パーカー、小畑千代、柳みゆき、巴ゆき子など
女子部設立は1974年秋頃らしいです
国プロの女子部はTBSから東京12チャンネルに移った時に、
12チャンネルの意向で始まったと思う。
柳みゆき、巴ゆき子はいないよ。ムーラーも来日してないよ。
48 :
お前名無しだろ:03/09/11 01:13 ID:LAPMJOKC
国際の旗揚げ戦には猪木も参戦している。
確かヒロマツダとタッグじゃなかったっけ。
49 :
お前名無しだろ:03/09/11 01:21 ID:wgBEEVhs
12チャンの国際の放送は、毎週のように流血試合があるのに
なぜか気持ちがなごんだよな。
>>50 貴方が当時からプロレスがヤオだと悟っていたか、
杉浦アナのマターリ口調のせいか、
どちらかだろうな。
スーザン・グリーンは佐倉輝美に一斗缶で頭を殴られ
シャレにならない位流血してテレビで見ていても気の毒になった。
女子部の小畑、佐倉、千草らは地方興行には同行せず、
地方では外人選手同士がマッタリと試合をしていた。
女子部っていうよりは、WINGが全女から選手を借りて
1.2試合女子プロレスのカードを組んでた形態に近いね。
このあたりも時代を先取りしてたんだね。
≫47 ムーラは国際女子部の設立シリーズに来日しました。
当時全日本女子はミルドレットバークの方から選手をブッキングしてまし
たから、問題はなかったのです。
でもメイ・ヤングとかムーラが未だにリングに上がって
バカやってんだから恐るべしWWE!
で、ヴィッキー・ウィリアムズが修道院に入ったって情報は
本当だったんでしょうか?
79年に日本に最後に来たあと、メキシコで大活躍して、そのあと
修道院に入ったという話を、俺も聞いたことあるなぁ。レズだったとも
56 :
お前名無しだろ:03/09/12 01:22 ID:d3uFm8NB
せめてルーテーズ杯争奪戦までやらせてあげたかった。結局予選で終了だったもんな‥
>>56 キングコング・コジャックはみたかったなあ
コジャックって実在する選手だったのか?
それほどまでにデータが皆無だったよね。
誰かコジャックに関する知識がある方、
カキコ願います。
>>50 自分に突っ込んでどうする(笑)
たしかに杉浦アナの淡々とした実況は無駄な高揚がなくてよかったなあ。
古舘風の絶叫アナウンスばかりの今、新鮮かも。
>>60 10年位前に亡くなったんでしたよね、確か。もっと前かな?
>>60 情報サンクス。
リンク先を見ると、1967年英でデビューした後
カナダでドリーのNWAに挑戦…、となっていますが
当時の月刊プロレスや月刊ゴングに紹介されたことは
あるのですかね?
また、1975年からはドイツ・オーストリアなどでトーナメント
を荒らし…、であればハノーヴァートーナメントあたりのレポ
ートに登場してきても良さそうなものなのに。
64 :
お前名無しだろ:03/09/12 22:48 ID:Air+Zisp
確か、このマル・カークはビッグ・ダディのボディ・プレスを受けて死んだのでは
なかったかい?
ビッグ・ダディってあの英国の長老レスラーの?
今のガファリみたいな感じだったね
ゴーディエンコvsロビンソン
ビデオないかなあ・・・
68 :
お前名無しだろ:03/09/14 23:16 ID:+ZK7KAUq
いつだったか忘れたけど
”金網放送席”ってあったよね。
国際が持ってたIWAって消滅と書かれてるけど、今のアメリカやプエルトリコや鶴見青果市場で行われてるIWAとはどんな関係なの?
IWAは鶴見青果市場じゃなくて浅野さんのほうだった、ごめん。
71 :
名前なし:03/09/15 01:23 ID:ac0+1YEi
ゴーディエンコVSゴッチの試合は
知り合いが持ってるよ。他にも国際の試合
沢山持っているので来週知り合いの所行くので
見てきます。確かゴッチがアンドレをジャーマン
で投げた試合もあるはず。
>>69 つうか国際のIWAって、実体の無いお手盛りタイトルだったし。
鈴木部長は何処へ?
>>71 ゴッチvsロビンソンとかも御友人は持っています?
76 :
名前なし:03/09/15 18:46 ID:2I6KmGjS
75さんへ
多分持っているはず。前に聞いたら「あるはず」
と言ってた。知り合いと会うので聞いてみる。
初代マミーの試合はあるって言ってた。
>>56 で、ルーテーズのベルトはどうなったのだろう。
>>76 初代マミーのビデオって日本プロレス来日時の上田馬之助戦ですか?
それとも国際に別名で来日した時の試合でしょうか?
79年のアンドレと井上の絡みは興味深い。
新日からのレンタル参戦にもかかわらず、アンドレが親友井上に対し、
猪木と同じ完成度のリバーススープレクス、フライングヘッドシザーズ等をやらせている。
坂口にはNGだったのにね。猪木神話への皮肉にも映ったな。
「プロレスは一人じゃできないんだよ」。アンドレの名言がよぎる。
>>79 鶴見、高杉 VS マミー、ブラック・マミー
>>80 その時のシリーズでは、他に
木村が逆エビ、浜口が飛行機投げ、を掛ける体勢
まではやらせて貰っている。
米マットに売り出してくれた吉原社長への恩が
そうさせたんだろうね。
84 :
お前名無しだろ:03/09/16 13:53 ID:tPETwozF
デビル・ブッチャ− VS ラッシャ−木村の覆面剥ぎマッチを
見た記憶があるなぁ
前のシリ−ズで足の怪我をして休場していて、松葉杖姿でお客さんにリング
上から挨拶していた所 突然乱入してきて 張り手をくらわせた これに激怒
した木村が次期シリ−ズの試合で負けたら覆面を剥ぐという設定だった。
・・・・と思う
>>84 それって71年3月の隅田川決戦の時の
木村対ザ・?(マッチョマンの父上)の
金網デスマッチのネタではなかったでしたか?
それともネタの使い回しをしたのでしょうか?
86 :
名前なし:03/09/16 19:21 ID:7iKqBP+r
79さんへ
日プロ時代じゃなくて国際の時。
81さんへ
了解です。
あと、思い出したけどブルクラVS草津、小林の
金網戦(暴動が起きた試合)があるって言ってた
>>86 おお、それは凄い!名古屋の金山体育館でしたかな?
ブル・クラって日プロでもがんばってたんだっけ?
それだけに、ジ・アウトローズ共々、チームとして呼んだ
今更ながら国プロは凄い!!
でも「和製」があるくらいだからハイ・フライヤーズ
(G・ガニア&J・ブランゼル)は国際が呼んで欲しかった。
89 :
名前なし:03/09/17 02:03 ID:FtYYdlsn
87さんへ
それは昭和47年11月27日の愛知県体育館の試合
(間違えていたらすいません)
84さんへ
デビルブッチャー(スティーブリッカード)は46年1月新春パイオニア
シリーズに来日しております。その次のAWAビックファイトシリーズに
ミスタークエスチョン(アンジェロ・ポッフォ)が来日して3月2日に金網
戦をおこなっています。ビックファイトシリーズにはデビルは来日していな
いのでその時期には行っていないです。その後はデビルは金網をしていない
はず。
44さんへ
女子部ができたのは47さんの言うとおりです。調べたら49年9月23日
(スーパーワイドシリーズ)でした。いつ無くなったのかは調べれば解ると
思います。
48さんへ。国際の旗揚げ戦の43年1月3日の事ですか?
その時は確か猪木は日プロの蔵前国技館に出ていませんでしたっけ?
(別名隅田川の対決・国際と日プロの興業合戦)
猪木、マツダが組んだのはその前の国際、東京プロレスの合同興業
「パイオニアシリーズ」では?その時猪木、マツダはNWAタック王者です。
ちなみに国内での初防衛戦は41年7月5日(対サムスティンボート、エディ
グラハム組、大阪府立体育館)
最後が42年1月24日(対ジェークスミス、ルークブラウン組、栃木県
営体育館)この防衛戦を最後にタッグは解散してベルトを返上しています。
【IWA】懐かしの国際プロレス【金網】
すまんが、国際プロレスはIWAじゃなくてIWEじゃなかった?
12ch初期のオープニングの入りが70年代してて最高だった。
まず大技シーンを杉浦アナの名調子と共にダイジェストでたたみ掛ける。
「バーックドローップ! / バーックドロップ! / バーックドローップ! / 今度わぁ〜パーイルッドライバー!
/ そしてぇ〜ブレーンバスターー!」
その直後にテーマ曲が鳴り響き出し、画面は光学合成処理されたモザイク模様へと。
なにしろ別の試合をつなげた頭んとこが見事でね。
>>90 団体名は「IWE」タイトル名が「IWA」。どちらともいえるわけで
>>91 TVCMでも使われてました。なんでもない昼間にも流れてて中継が始まったと勘違いして悔しい?思いした記憶があります(W
93 :
お前名無しだろ:03/09/17 11:35 ID:r3Aht3YQ
よく大学のプロレス研究会に、「デスマッチ用の金網を組むバイト
しませんか?」と連絡があったものです。
バイトと言いながら金銭報酬はなしで、無料で試合観戦できるとい
うものでした。でも、プロレス好きにはそれで十分でした。いかに
も昭和的というか、国プロ・12ch臭のする話だったなぁ…と思
い出されます。
近くで見た、生オックスベーカーは本当に怖かったよ。
>>90 そう。IWEは来日外人が使っていた国際プロレスの呼称。
IWAは国際お手盛りの世界タイトルの名称ですな。
だが設立当初の理想では後のIWGP並みの世界的構想だった。
インターナショナル・レスリング・エンタープライズ
ひとつ質問なんですが、TBSが国際プロレスを中継していた際に使用した
「T・W・W・Aプロレス中継」という番組タイトルは、放送を打ち切るまで、
一貫して使われたのでしょうか?
というのもプロレス史の本などでは、「TWWA」という組織が実質的に活
動したのは1年余で、その後は「IWA」に取って代わられたというように出
てますので。
97 :
お前名無しだろ:03/09/17 23:45 ID:0d2cZQWY
イワン・ブレストン VS ミスタ−珍&デビル ムラサキ(だっけ?)
の2対1 変則マッチ をTVで見た事があるな。
ミスタ−珍が例によって食べ物でつったり ゴム攻めなど反則攻撃をしたが
てんで相手にならず 劣勢になると 「ムラサキ お前行け!」
とタッチをして 代わったムラサキが やられまくっていた。
アナウンサ−も 「かわいそうなのは ムラサキです」などと
言っていた (w
98 :
場数王:03/09/18 02:22 ID:2kqunP83
ブレストンはベルギーのレスラーですね。ほかにも、イワン・バイテン、イワン・
ストロゴフ、グラン・ブラジミア、チャールズ・ベルハルスト、そして御大ゴッチ
とベルギー出身のレスラーはかなりいますね。
ポーゴが「ミスターセキ」として参戦した第一戦でムラサキとシングルが組まれてボコボコにされた
ガキながらに何かあったのか?って思った
100 :
委員長:03/09/18 18:47 ID:???
ずっと疑問だったんですが、IWAベルトの中央にデザインされていた
人のような大仏のようなものは一体、何なんでしょうか?
>>99 セキはその前のシリーズから参戦。
新シリーズが開幕して、セキではなく村崎にとって
凱旋帰国第一戦となった試合だろ
今月の「漫画実話ナックルズ」にポーゴ様のインタビューが載っている
なかなかおもしろいぞ
ゴーディエンコの試合って見てみたいなあ。
ラッシャーは事あるごとにゴーディエンコ最強を口にしているね。
アンドレvsカール・ゴッチ
アンドレvsドン・レオ・ジョナサン
見てみたい・・・
アンドレがキリキリ舞いさせられたVSラシクが見たい
アンドレvsマイティが見たい
ロシモフとカシモドやロシモフとティト・コパのタッグマッチは面白かった。
国際プロレスの貴重映像ビデオシリーズとかを発売したら売れそうだな。
何とかならんもんかなあ・・・
たしか茶色っぽいパッケージで出てたような記憶が・・・
国際出身でプロレス史に一番名をなしたのは
小林や木村ではなく冬木ではないだろうか
ストロング小林対ジョナサンの奴は見たな。
ジョナサンはまさしく天才。
ターザンが惚れるのも無理は無い
>>108 >>109 >>111 確か、TBSで中継していた時の映像が、「マイカルハミングバード」(浅
香唯が在籍したことで知られる。現在は解散。)から、また、12chで中継し
ていた時の映像及び国プロのファンクラブが8mmで撮影したとされる映像が、
「日本スポーツ出版社」(ゴングでお馴染み)からそれぞれ発売されていた。
但しいずれも10年ほど前のもので、現在は廃盤。前者は昭和46〜47年の映像だ
が、どうやらそれらがTBSに残っていた映像の全てとのこと。また後者は、
一部のものにここだけの話、入場時に流れたドラムソロの曲が収録されている
のがうれしい。ただ8mmのもは、白黒で無音声のものが多かった。
それにしても、TBSとテレ東はジャンクばかりしてないで、残っている国
プロの映像を、全てビデオソフト化してほしい。(個人的には、12ch時代の
ものが見てみたい。当地では「国プロアワー」がネットさせてなかったので。)
あと、このスレの71でふれている「ビデオ」については、私も興味ありま
すね。それが当時のテレビ中継のVTR映像ならば、もう真の意味で「お宝」
ですね。(12chといえば、参天製薬提供の時代の「女子プロレス中継」の映
像を持ってる人っていますかね?)
>>111 2Mでニップアップができるのはジョナサンくらいだろう。
映像を見ると、手加減して闘っているのがよく分かるひとでもある。
テーズやガニアもジョナサンには梃子摺っていたものなあ。
しょあ しょあ しょあ
草津、小林、剛、アシュラ……
国プロが本気で売り出した選手はみなロクなもんではなかった。
118 :
お前名無しだろ:03/09/24 00:18 ID:XlceG+RN
>>112 '76勇猛シリーズ最終戦のラッシャー対ジプシー・ジョーの
金網デスマッチが日本スポーツ出版社から出ていますね!
オイラこれもってますが、この試合の入場時に流れた曲は
CDか何かで現在も入手可能なのでしょうか??
(ドラムのヤツ)
119 :
お前名無しだろ:03/09/24 00:36 ID:0gwQ5F8D
・・対エル・アキ。突如、組まれた謎のワンマッチ。あれから約30年、私には謎のまま。
ジ・アンダーテイカー
ハンス・シュローダー
122 :
:03/09/24 18:17 ID:???
この間ヤフオクで、IWA世界タッグの本物のベルト(片方)が
出品されてたよね。もう片方はM井上選手が持ってますって
書いてあった。確か六十数万円で落札されたような気がする
>>118 結論からいうと、ない。自分もあの曲は気にいっているので、「プロレス
Q」シリーズを買った際に、付属のハガキでリクエストした事があるけど、
結局なしのつぶてで…。ただ、噂によるとあの曲って、東京12チャンネルの
スポーツテーマらしいという話も…。
余談だけど、くだんのビデオの冒頭で出た字幕、「金『網』デスマッチ」
となるべきところが、「金『綱』デスマッチ」になってません?(鉄のワイ
ヤーでリングを囲むデスマッチ、痛そうな痛くなさそうな…。)
>>122 おいホントかよ!?「なんでも鑑定団」の日本ヘビー級選手権のベルト出
品の悪夢再びってか。
まじで!IWAシングルは木村が持っているのかな?それとも故吉原社長の遺族かな?
>>122 出品者は誰? 評価欄見たいのでID希望
>>122 >>124 最後のIWAタッグ王者て井上+原組だった。
井上がまだ持ってるってことは、当然
原から流出したんだろうな。
>>126 原め。
いい年してオヤジの年金で食わしてもらっていると聞いたが、
とうとうそんなお宝まで……。
そんなに金に困っているのか。
はたらけよ。
128 :
122:03/09/25 10:13 ID:???
意外とみんなヤフオクチェックしてないんだな
出品されてたのは皆さんの予想通り最終型のモデル
はじめ最低落札価格100万円で出品されて流れ、
しばらくしてからまた出て落札された
裏には井上だか誰かのサインがされてた
歴戦の疲れを見せつつも金色に鈍く輝く姿はまごうことなき本物だった
IDは覚えてないが、確か他にもオッと思うようなお宝系のものを
出品している人だったから、まめに評価見てればすぐ見つかると思う。
愛知県東海市のベルトマニアか?
本物とレプリカはどう区別するの?
>>124 「IWA世界ヘビー級選手権」のベルトは、数年前、国際プロモーションの
鶴見五郎が、吉原家から譲り受けるか借りるなりして、「IWA(インディペ
ンデント・レスリング・アソシエーション)世界ヘビー級選手権」として使っ
てませんでしたっけ!?
>>129 その価値をよく分かっていて、かつ大事に保管してくれる、マニアなりコレ
クターなりの手に渡ったほうが、ベルトにとってはベストだと思うよ。
何でもそうだけど、逆にその価値を全くわからない奴が持ったなら、その末
路は悲惨だよ。
>>131 http://www.asahi-net.or.jp/~ff4a-tky/iwk60720.htm によると、それはビル・ロビンソンが巻いてらしいと
書いてあるから初代の楕円形のモデルじゃないのかなあ
スタッフのかたとやらもよくわかってないのかもしれないが
引用
今回からIWAヘビー級のチャンピオンベルトとして、旧国際プロレスで使われていたベ
ルトが復活した。スタッフのかたの会話を立ち聞きしたところによると、「ビル・ロビン
ソンが巻いたベルト」らしい。
私の席は本部席の真後ろにあったため、間近でこのベルトを見ることができた。だが、
プロレスファン歴が浅い私には、このベルトの価値がわからない。それがすごくもどかし
かった。
休憩時間中、本部席を通りかかった鴨居長太郎選手が、一瞬このベルトに目を留めた。
このとき彼の心の中には、どんな思いが去来したのだろうか? 懐かしのベルトをすぐ近
くで見て感動したのか? それとも、現在のIWAヘビー級のベルトとして、欲しいという
思いがめぐったのか? じつは何も思わなかったのか? ひとごとながらそれが少し気に
なった。
レプリカでいいからベルト1本ほしい。
友人がカリビアンタッグを一本持ってる
原が獲得した「WWUジュニア」ベルトはどうなったのかな?
しっかり初期の「IWA」と同一デザインだったけどw
そういやテーズらが巻いた「TWWA」もその次のIWAベルトに流用されたのか、
全く同じデザインだったような。
135 :
お前名無しだろ:03/09/28 20:38 ID:7GHTi73W
シュータースレでここを教えていただきました。
ベルトの話題を遮って申し訳ないんですが、
アレックス・スミルノフのことを教えて下さいませんか?
数十年、スミルノフが好きと言い続けている私ですが、
実際に憶えているのは、ある一場面と「好き」という思いだけ。
何分、幼い頃の思い出だけに、
今ではそのきっかけさえも現実だったのか空想だったのかわかりません。
それでもいいと思っていましたが、先日、週プロで彼の写真を見た途端、
「もっと知りたい」気持ちがこみ上げてきました。
経歴・戦歴もありがたいのですが、
できればみなさんの印象や、テレビ・会場観戦を通しての思い出を
語っていただければ嬉しいです。もちろん否定的な意見でも結構です。
よろしくお願いします!
136 :
135:03/09/28 20:40 ID:???
上げてしまいました。ごめんなさい・・・。
>>135 スミルノフ好き、なんてネタか?
でも俺が記憶に残ってるのは
1.国際初登場のSではR木村から何度もフォールを奪い
メチャ強の扱いだった
2.その後の来日で火炎殺法を出した(当時は多分日本
プロレス史上3人目)
ってとこだな。
2はタッグマッチだったけど場外に出てからエプロンに上がるまで
セコンドの国際の選手達が総勢で何かを仕込んでるな、ってのが
厨房だった俺にもよくわかったもんだよ。
ちなみに「ある一場面」って何なのですか?
スミルノフは90年代にも新日本プロレスに来日していたね。
ノートンとかとタッグも組んで日本人チームと闘っていたけど、
テレビ放送での三人タッグの試合では一発も攻撃を受けていなかったなあ。
でももうハイスパートの時代だったんでスタイルは浮いていた感もあった。
国プロがバーン・ガニアAWAとの提携を終え大剛鉄之助が外人ブッカーになってからの
外人エースだったね。ジプシー・ジョーやマイク・ジョージもいたが、
やっぱ国プロエース外人といったらスミルノフの印象が強い。
長マントに大鎌の出で立ちだったが、あの大鎌を凶器に使ったらどうしようと心配したもんだ。
139 :
グレート・ガマ:03/09/28 21:13 ID:CclVbMBY
>>138 それは記憶違いでは?
スミルノフの最後の来日は87IWGPチャンピオンシリーズだったと思います。
テレビマッチで坂口にハーフボストンでギブアップしたのが印象に残ってるけど
国際でトップをとっていたことも知らない当時のわたしは、員数あわせのイメージ
しかなかったですね。
>>138 国プロのエースっていったら来日回数の多かった
ジョーの印象の方が強いけど。
いつだったか、スミルノフとストンパーが一緒に来日した時は
ストンパーがエース扱いでIWA王座への挑戦権を獲得。
嫉妬したスミルノフがタイトル戦に乱入してストンパーを椅子で一撃、
なんてこともあったっけ。
国プロ崩壊後、この2人が揃って全日のチャンカンに参戦、
どっちも白星配給係になっていたのは悲しかった。
ジプシー・ジョーは来日回数は国プロだけなら11回だっけ?
スミルノフが確か7回。
>>137 スミルノフって火炎攻撃をやった事があるんですか?
ジ・エンフォーサーの間違いではないですか?
>>139 そうですか。でも一応気になるので来日の記録とかの分野に強い人が
いらっしゃったら教えてください。もう完全にえっ、こんなロートルが!?という時期です。
ただスミルノフがワープロ放送でのタッグで打撃、投げともに一回も食らっていなかったのは
よく覚えています。こんな事もあるんだ、ってな感じでよく覚えています。
>>142 2人ともスキンヘッドにロングタイツの強面だね。
あとオックス・ベーカーもそうだし新日から払い下げられた
KKクラップもそう。
できればストンパーにもロングタイツはかせて欲しかったな。
国プロはこのタイプのB級外人が好きだったね。
145 :
135:03/09/28 21:55 ID:???
みなさん、ありがとうございます!
>>137 全然っ!! ネタじゃないですよ。
本んとに好きなんですけど、前述の通り、自分の中での裏付けがないんですよ。
でももう、何を聞いても知っても、思いが崩れることはないかと思って、
記憶に眠ってるであろう、スミルノフを探すことにしました。
ある場面というのは・・・
これは検証になりそうでちょっと怖い気もしますね。
ちゃんと整理して、後ほどまたレスします。
新日に上がっていたのは、私も知っています。その他大勢扱いでしたね。
チャンカンは憶えてませんでした。火炎攻撃も知らなかったなぁ。
ジョーは本気で怖かったです。
でもスミルノフは理知的なイメージが・・・単に容姿のせいかな?
国際つぶれたあとスミルノフを全と新で争奪戦になりました
たぶん彼にとってのわが世の春だったのでは?
全日本に移籍後初の鶴田戦でもピン勝ちといい扱いうけてました あくまで最初だけ
ストンパーとスミルノフが同時に参加したリーグ戦は
IWGPリーグ戦じゃなかった?
なんだか記憶違いレスの連続だな。
ストンパーが新日に参戦したことはないぞ
ストンパーはIWGPには出てないよ
ストンパーって、ザ・ブッチャーと名乗って馬場のインターに挑戦したんだよ。
そのときは1対1の引き分け。
だから、スゲー大物かと思ったんだが……。
>>150 ストンパーは国際崩壊後に
参加したチャンカンでも馬場と両リン引き分けを演じている。
あの格で馬場と2戦して負けなしってのはまず考えられない。
何かあったのだろうか。
>>150 あながち嘘ではないがそれもまたドン・ジャーディンとごっちゃに
なってるよう棚。
モンゴリアン・ストンパー
「踏みつぶし屋」の異名どおり相手をひたすら蹴りまくり、ダウンしたところを踏みまくるという
ブル・ファイター。幻の強豪と呼ばれていた頃はキラー・カーンのように口髭に弁髪という
モンゴル人スタイルであった。意外にもジャイアント馬場が苦手にしており、昭和46年の
インター選手権で両者リングアウトの引き分け、昭和57年のチャンピオンカーニバル開幕戦でも
両者反則の痛み分けに持ち込んでいる。修行時代のアントニオ猪木のパートナーを勤め、
新日本プロとパイプのあったカルガリーを長らく主戦場としていたにもかかわらず
新日本プロにはなぜか一度も来日しなかった。本名アーチバルト・ゴルディ。
ストンパーってぜんぜんモンゴル系に見えないのになんでモンゴルキャラになったんだろう
ストンパーはカルガリーからの新日TV中継の時に
猪木の救出に乱入して期待を持たせたんだけど、
その後、全然ストーリーが進行しなかった。
チャンカン参戦中の全日の中継で一度、
ストンパーのフィニッシュシーンがオープニング映像で使われたの覚えてる。
リング中央で大の字になった相手(多分大熊あたり?)めがけて
ロープのリバウンド利用して走りこんでストンピングして終わり。
それだけでカウント3つなんてウソだろって、
いくら前座でも説得力なさ過ぎって萎えた。
158 :
135:03/09/28 23:51 ID:???
スミルノフについて、
シュートスレ中に「実は気がやさしく・・・」という件がありましたが、
そういう雰囲気を感じた方はいますか?
花束贈呈の子供たちを、今にも抱きかかえんばかりの表情で見つめる流血怪人。
これが、私の忘れられない「ある一場面」です。
トップヒールとしてはあるまじき、あのやさしい笑顔を
記憶されている方はいませんか?
>
>>158 スミルノフってアマレスでも一流で
ガチも相当強かったって話だね。
でも真紅のロングタイツに流血ファイトにロシア人ギミックにと
キャラが上手くたってなくてかなり損してたな。
あれならまだ、クラップやラシクみたく
ドイツ風の名前名乗ってナチスギミックで売り出した方が
インパクト残せてヒール人気も盛り上がっただろう。
なんかめちゃめちゃだな
161 :
137:03/09/29 00:29 ID:???
>>142 R木村、G草津 vs A・スミルノフ、カサバブ !!
アレックス・スミルノフ
「流血怪人」と呼ばれた大型ラフ・ファイターで、ジプシー・ジョーと共に中期〜末期の
国際プロレスを支えた外人エース。初来日時はマイク・デュボイスというフランス系の
地味なレスラーだったが、帰国後サンフランシスコでロシア系のスミルノフに変身し、
いきなり同地区の英雄パット・パターソンを血祭りに挙げ、ファンの度肝を抜いた。
54年のデビリッシュ・ファイト・Sでは木村を倒しIWA世界王者となるが、四日後に奪回されている。
国際プロ崩壊後は、全日本、新日本と二重契約を交わし関係者のヒンシュクを買い、
それが影響したのかどうか、国際で見せたような活躍は見られなくなってしまった。
何か、マジレス風のネタがあるな。
故意に嘘を書いてはいけません。
ストロング小林の事ですが、S49年に脱退し猪木と闘い次の年に新日に入団しましたね。
この脱退の件については真相はどうなんだろう?
もともと性の嗜好の特殊性などのため、国プロ内で浮いていた小林に、
新日が入団前提に脱退を促したという噂もあるが。
しかし小林も新日移籍後は北米タッグを取ったりしたくらいで大した活躍はできなかった。
やはり新日内でも浮いていたのだろうかね?
当時の格闘技路線も小林にとっては場違いな感もあっただろうし、
新日地獄のトレーニングの雰囲気に小林って何かそぐわないイメージなんだよなあ・・・
>>163 いや、35歳以下の青年層には国際プロはきついんだよ。
それでも頑張ってレスしてるんだから、間違いに気づいたら教えてあげればいい事。
>>164 TBSが打ち切りになるし、もう小林を雇えなかったのでは?
移籍金として東スポから1000万円貰って、
井上や木村をエースにして、12チャンネルで再スタートできたし、
やっかいばらいですね。
小林が新日で浮かなかったのはやはり腰が相当悪かったんでしょう。
引退後タレントのストロング金剛としてスポーツ番組などによく出ていたが、
砲丸投げや腕立てふせの見本を見せるつもりがポシャッってしまい、
そのたびに「いや〜腰を痛めちゃってて…」と言い訳していた。
でもあれは本当のところだったのだろう。
168 :
お前名無しだろ:03/09/29 07:31 ID:m0p7WB9Z
>>156 >リング中央で大の字になった相手(多分大熊あたり?)めがけて
>ロープのリバウンド利用して走りこんでストンピングして終わり。
これがストンパーのフィニッシュ。馬場も猪木もこれでフォールされたはず。
>>168 ストンパーはブーツに鉛仕込んでるって話だったな。
でも大して蹴り上げもいない足でストンピングしてカウント3つなんて
ショボすぎ。
これじゃ会場も盛り上がんないし、ましてやテレビじゃ使えない。
新日が使わなかったわけだよな。
カルガリーでの猪木のからみからしてエース級の待遇で迎えないといけないのに
数字なんかとれっこないし。
逆に言うと、馬場が2度も引き分けたのも何とか
この木偶の坊の商品価値を引き上げるためだったのかも。
>>166 やっかい払いといえば聞こえはいいけど、
エースが王座返上して離脱の上他団体の選手に完敗したんだから
国プロの受けたダメージは深刻だよ。
日プロ崩壊で混乱していた時期、マット界のリーダーシップを
握れる唯一のチャンスがあったのに、TBSは失うし、
国プロのマイナーイメージはこれで決定的になった。
吉原社長もそれで焦って、新エースの木村に猪木を挑発させたんだろうけど、
格上意識丸出しの猪木の態度の冷たいこと。
自分が馬場に対して散々やってたことやられる立場になって
少しは馬場の気持ちわかったんだろうか。
>>169 いや、全盛期は凄かったんですよ、殴る蹴る踏む殴る蹴る踏むで。
国際に参加したときはパワーに陰りが見えててました、裸締めなんか使ったりしてね。
それもガニアが特参してきたら急に使うにやめたりして気の弱いところもありましたし。
あげくにはガニア翁に「だからあいつはダメなんだ」って言われちゃって気の毒でした。
でも、大好きな昭和レスラーです
ストンパーは「八代亜紀」、若しくは「天津敏」(←時代劇の悪役)に似ている・・・。
伝説の羅臼興行の試合結果です。新人の秋吉が最後の最後にデビューしてるんですね・・・
昭和56年8月9日 北海道羅臼町町民グラウンド特設リング 1100人
菅原伸義(5分42秒片エビ固め)秋吉豊幸
冬木弘道(12分44秒反則)ミスター珍
米村天心(15分22秒体固め)高杉正彦
寺西勇(14分59秒リングアウト)マッハ・隼人
阿修羅・原(10分23秒片エビ固め)ジ・エンフォーサー
ラッシャー・木村、マイティ・井上(18分17秒体固め)ジプシー・ジョー、ジェリー・オーツ
金網デスマッチ
鶴見五郎(7分22秒両者リングアウト)テリー・ギブス
>>173 その後の流浪人生を重ね合わせると
涙なしには見れないメンバーですな・・・
>>173 エースの木村を押しのけて鶴見がメインかぁ。
ご当地でもないのになぜ?
エース外人のエンフォーサーはIWA戦終わって用済みだから
阿修羅の噛ませ犬か。
ジョーはセミで木村とからみ、やっぱり大事にされてたんだね。
なんかいろんなこと見えてくるなぁ。
この興行の様子、当時の月プロでカラーで紹介されてたけど、、
グラウンドの一角を紅白の幕で囲ったショボイ会場で、
客席の椅子、5〜6列しか並んでなかったぞ。
入ってたのいいとこ100人か150人くらいじゃないか?
>>175 この興行の様子、当時の月プロでカラーで紹介されてたけど、、
カラーではなかったな、モノクロページだったよ、たしか
試合の様子ではなく、スナップ風に
グランドで四股を踏む木村
秋吉の練習を見守る原
宿舎で食事する寺西、
会場で握手攻めに会うミスター珍
といった写真が載ってたと思う、懐かしい
国際プロレスって
SWSのような感じなのか
WARのような感じなのか
FMWみたいな感じなのか
ノアみたいな感じなのか
今の全日みたいな感じなのか
WJみたいな感じなのか
当時を知っている人誰か教えてください
ウン、木村時代の国際が月刊誌にカラーで取り
上げられる事って、ほとんどなかったよね。
ちなみに地方では中堅どころの金網メイン、っての
結構あったよ。
>>173 この後吉原さんは新日との対抗戦をぶち上げるが、井上、菅原、米村、冬木は全日へ、
鶴見は欧州へ、隼人と高杉はメキシコへ、稲妻はカナダへ、
新日との対抗戦に参加が決まっていた原はフリー→全日へ、
結局新日と闘ったのは木村、浜口、寺西の3人だけになった。
外人エースだったジプシー・ジョー、アレックス・スミルノフも全日へ行ってしまった。
あと若松は悪役マネージャーとしてのちに新日へ、ミスター珍は引退した。
そのどれとも違って、
いい見方をすれば、プロレス界の善人の集まり、
悪い見方をすれば、社長のアイディアを具現化できなかった、塩分高めのレスラーの会社。
>>172 天津敏!似てるぞ
>>179 スミルノフのWブッキングに関して吉原さんの「スミルノフは私が説得すれば必ず新日本のリングに上がります」と断言していたのが気の毒。
新間あたりにかなり追求されたと思う。
>>177 当時とは状況が違うからなあ、ごく大雑把に国プロのプロレス界での
位置付けを書くので判断してみて(ややこしいので東京プロレスの事は割愛)
昭和41年
国内唯一最大団体・日本プロレスから独立誕生、二団体両立となる、位置付けとしては
メジャー(日プロ)に対してマイナー(国プロ)、しかし除々に安定していく
昭和46〜48年
日プロ内紛、猪木(新日)馬場(全日)独立、日プロ消滅、三団体は一長一短あり
力は拮抗、国プロは老舗という事になり、最も安定しているようにも思えた
昭和49〜50年
TBSの打切り(現テレビ東京が放送開始するが、当時はネット力が断然弱かった)
エースS小林の離脱、主要外人招聘ルートの変更=弱体化などがあり、
競って拡大を続ける新日・全日に対して、マイナーのイメージが強くなっていく
昭和56年
春にテレビ東京が事実上放送打切り、夏に活動停止
経営的にはかなり以前から苦しかったようだが、
表面的なイメージとしては馬場・猪木のような看板スターが育たなかったことと、
特に50年以降、全日・新日が外人レスラーを充実させていった時期に
国プロは外人の弱体ぶりが顕著になっていき、マイナーのイメージが強まった
>>172 間違ってたらごめんなさい 天津敏は金目教の教祖やったひと?
特に昭和50年代は、親日(猪木)と全日(馬場)の両輪あっての時代で、
sのなかで国際のポジションは・・・、言い方は悪いが、クラスでの、いじめられっこの
影の薄さがかえって目立って(浮いてしまう)しまいがちな存在だった気が。
親日中堅のヤマハや永源あたりにトップクラスが四苦八苦し、M斎藤には「弱すぎ」と
コケにされ、NロイヤルのNWAジュニア問題で馬場&新間からクレームがつき・・・。
なんか、ネガティブな記憶バッカ出てくる〜(悲
>183
ピンポ〜ン.卍党党首でもありんす.
>>184 国プロと東プロが提携したときのトラブルが尾を引き、
吉原社長は猪木を信用していなかった。
日プロ追放時、国プロが拾って目玉にすればという
周囲の助言も断固拒否したくらい。
一方、馬場のことは信用していたようで一時期提携も活発だったが、
力関係の優劣は明確、エースの木村でさえ鶴田や戸口と同レベルの扱い、
(馬場にしてみれば、格下の木村相手に不完全決着勝利で済ましてやることが
せめてもの配慮だったのだろう)
たいしたメリットもなく、結局はあれほど嫌っていた
新日との提携、さらには団体崩壊後は新日のフロント入りせざるを得なかった。
嗚呼、悲しきプロレス人生哉!
188 :
名無し:03/09/29 18:13 ID:C2WeqTe7
国際プロレスといえば東京12チャンネルの故杉浦アナも忘れてはいけません。
あの独特の口調は、国際の晩年にはピッタリ合っていました。
昭和54年2月の浜口・井上対山本・星野のIWA戦を新日の興行する体育館の
隅の放送席でやっていたのを憶えています。
また、ある時は、寺西対キッドをフルタイムそのまま放送をしていました。
全日のオープンタッグで木村・草津組が、ブッチャー、シークに両者リングアウト
で引き分けた試合は、さすがラフファイトに強い国際と思いましたよ。金網の
鬼木村を馬場はうまいこと引き出したんだと思います。
木村・草津vsブッチャ-・シークってTV放映してなかいでしょ?
国際プロレスの話は聞けば聞くほど渋すぎますなタマラン
191 :
名無し:03/09/29 21:10 ID:0Oc4VqLU
IWAミッドヘビー級選手権というのもありましたね。確か寺西勇が王者
だったと思います。大位山勝三と鶴見五郎の独立愚連隊っていうのも
ありましたね。晩年は、大木金太郎が加入してテコ入れしたけど、
あの加入会見の木村と浜口の喜んでいない表情が印象に残っています。
>>191 入団発表の時、「木村君には悪いがエースとしてやらせてもらうつもり」とか
コメントしてたしね。
もう全日や新日ではトップを張れなくなったときに国際からエース待遇での
オファーがあり、なおかつ全日でも新日でも認めてくれなかったインター王座の
防衛戦やらせてもらえたのがうれしくて舞い上がっちゃってたみたいね。
でも契約切れで、半年くらいであっさりいなくなったはず。
国際が武道館クラスの大会場で興行やったのは、この大木、木村のWエース
のときが最後じゃなかっただろうか?
大木VSニック、木村VSパワーズの2大タイトルマッチは
国プロが提供できる最大リミットのカードだったね。
193 :
名無し:03/09/29 21:37 ID:0Oc4VqLU
>>192 >大木VSニック、木村VSパワーズの2大タイトルマッチは
>国プロが提供できる最大リミットのカードだったね。
これらの試合は、すべて後楽園ホールでやりました。4大タイトルマッチ
で他には原対剛と井上・浜口対山本・星野だったと思います。
国際が最後に国技館使ったのは、昭和53年11月25日だったと思うが、
日本リーグ争覇戦決勝トーナメント1回戦の井上対鶴田戦と木村対ドク戦
でした。観衆は公式で4000人か4500人だったと思います。
大木−ブルーザーなんてのもあった
>>井上・浜口対山本・星野だったと思います
違うね。誰か訂正してやってくれや。
>>193 じゃ、おいらが。
「井上・浜口対木村健吾・永源遥」です。
>>196 こういうレトロスレは格調高く行かなければいけないのだよ
単なるウル覚えでカキコして貰っちゃ質悪くなるだろ
今迄国プロスレは何度か立ったけど今回のは格段にレベルが
低いね
カキコする奴はちゃんと調べて事実確認した上で行えよな
196よ、俺にそんなこと言わないでお前が調べてカキコしろよw
国プロがTBSでやってた時は地方局は現在と違いかなりねじれていました。
仮面ライダーで例えると毎日放送制作(現TBS系)でしたが
当時はNET(現テレ朝系)ネットでしてストロンガーの放映途中に同時間帯の
「はじめ人間ギャートルズ」と入れ替えがありました。
子供心に衝撃でした。
でTBS系とはいえ現在のテレ朝系で地方はやってたでは?
詳しくはお兄さん達に記憶補完をキボーン!します。
当初の新日本プロも名古屋地区だと中京TV(現日テレ系)で放映してた気がする。
ちなみに国プロ放映当時のテレ東のネットなんて
大阪、名古屋にはネット局が存在しなかった。
テレビ大阪、テレビ愛知なんて随分新しいぞ!
岐阜放送、三重テレビ、KBS京都などの
昼には放送してないようなローカル局が静止画のCFで放送していた・・・
そんなマイナーな団体だった気がします。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ l⌒l
/ \ |. |
/ ヽ | |
l::::::::: \,, ,,/ /⌒⌒ ⌒`i
|:::::::::: (●) (●)(. !)
.|::::::::::::::::: \___/ .! ノ 200ゲッツ!!
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ヽ イ
/::::::::::::::: | |
>>198 悪いですが、この一つ以前の国プロスレはこのスレのレベルの半分強くらいの充実度でした。
202 :
:03/09/30 01:00 ID:???
国プロ知ってる人間はもうトシだし絶滅間近だから
みんな生きてるウチに何でもカキコしてくれ
TBSプロレスのスポンサーは、キョーリンとかソニーで、
CGと電子的な音楽のCMが印象に残っていた。
かたや日本プロレスは、ゴム草履をはいた若手レスラーが
リングを掃除機の風神や新風神ではくという、やぼったいけど
アイデアとしては面白い「生コマ」が印象に残った。
そこを清水アナウンサーがゆったりした口調で、
「これが、み・つ・び・しの、しん・ふうじんです」と実況していたのがよかった。
大木金太郎の国プロ入団について
昭和プロレス系サイト等でも、大木の入団は力道山直系の選手を欲した
吉原社長の意向という解釈をしているところもあるが、
当時のメディア報道からの印象だと、吉原社長の頭越しに
東京12チャンネルが強引に進めた事、という感じだったな
>>198 >>こういうレトロスレは格調高く行かなければいけないのだよ
あんたが拡張とかいうなよw
でも、結局大木が入団しても、扱いが木村とバッティングするというか、
例えば、IWAとインターの国際内での格付けあんばいが難しかったり。
来日する外人の、駒不足な顔ぶれから考えても、挑戦者の割り振りとか対処しきれて
いないし、シリーズの焦点もぼやけがちだった。
>>206 木村IWA=パワーズと防衛戦→新日のお下がり
大木インター=ブルーザーと防衛戦→全日のお下がり
大木対ブルーザーは全日からのクレームもあってノンタイトル
結局、インター戦はできないのかと思ったら、次シリーズでルダックと唐突に実現
その後の挑戦者はジョー、上田、ドロモ・・・微妙な顔ぶれだ
ジョーの時は本来、義父ブルーザーの仇打ちというアングルでスパイク・ヒューバーが
挑戦すると思った。上田は来日中止になったカーペンティアの代打で試合は滅茶苦茶
ドロモは大木からアジア王者を奪った実績がある(アジア人以外の唯一の同王者)
が、この時は衰えが甚だしかった
次はインタータッグがらみの因縁でクラップが挑戦するのかと思ったが
大木の離脱で実現せず・・・クラップも気の毒だった
インターの権威に相応しい挑戦者はいなかった、といわれればそうだろうが、
力道山や馬場と同王座を競ったようなレスラーの多くはロートルになっており、
この当時認識されていた「インターの権威・伝統」に相応しい挑戦者が世界に
どれだけいたかも微妙、それでもブルーザー、カーペンティアの挑戦が
実現していれば、防衛記録にハクは付いていたかも知れないが
>この当時認識されていた「インターの権威・伝統」に相応しい挑戦者が世界に
>どれだけいたかも微妙、
当時の新日や全日のトップ外人なら十分納得がいくだろ。
インタっていっても所詮日本だけのドメスティックなタイトルなんだし。
残念ながら国プロにそのクラスをブッキングする力はなかったわけだが。
今でもよくわからないのは、猪木嫌いの吉原氏が、
全日との提携から新日にのりかえたこと。
たしかに、木村は馬場に勝てなかったが、鶴田には勝ったし、
アジアタッグもとったし、国プロのレベルとしては
決して冷遇とはいえなかったしなあ。
大木の付き人は冬木だったそうです
昭和55年('80)当時で、「カーペンティア来日か!?」と聞いて、
「まだ試合してんの、この人!?」って疑心いだきまくりでした。
あのころですでに「伝説のレスラー」的だったと思う。
で、ダイナマイトシリーズがうちの近所にもやってきて、パンフ見ると
来日外人に「ミスターZ」・・・。説明文は全部「????」・・・。
一部では、ダスティローデスが覆面をつけての来日という噂もあったっけw
>>212 翌年の全日のときも発表だけして結局来日しなかった
ゴングでデストと胸倉つかみ合っている写真を見開きで使い抗争再燃って煽ってたけど、理由は肺炎だったかな?
>>209 >>インタっていっても所詮日本だけのドメスティックなタイトルなんだし。
それはさ、今だからいえることなわけだよ
まあ当時だって、大木の国プロ入団があるまで忘れられてたようなものだったけど、
でも、力道山以来の伝統・権威ある別格のベルトだといわれりゃ、当時はネットなど
ないからよくはわからんが、大方のファンは否定しなかったんじゃないか?
この頃までは全日派はNWA王座が世界でもっとも権威があると思っていたし
新日派も実はそう思って悔しく感じながらも、NWF王座こそ猪木の激闘によって
世界最高まで高められたと主張していた。
そういう時代にあって、最も権威のあった時代のNWAがルー・テーズの偉大な
功績に対して送った、というインターの由来は概ね信じられていたし、それを奪取
した力道山そして馬場が世界の強豪と名勝負を繰り広げ守ってきた、というのは
まあ事実といえるだろう。日プロ崩壊後封印されていたこともかえって神格化される
要因になったかも知れない
>>210 新日がヒロ・マツダたちを呼んでプレ日本選手権を開催したとき、
国際がそれに対抗するイベントとして日本リーグ争覇戦を企画した。
全日もこれには協力したけど、木村優勝が前提の国際主導のイヴェントだけに、
吉原社長が強く望んだ馬場の参加は実現せず、シード参加の
大木と鶴田もやる気のないファイトに終始し、イマイチ盛り上がりに欠けた。
予定通りこの大会に優勝した木村は、試合直後のインタビューで早速
プレ日本選手権に優勝した猪木との日本選手権をぶち上げていたから、
ちょうどこの大会が、吉原社長が全日から新日に乗り換えた転換点だったんだろうな。
続き
で対抗戦の相手を新日に切り換えた国際だけど、
看板のIWAタッグの挑戦者はヤマハブラザースらいいとこ中堅クラス、
エースの木村にしても、かつての同僚の小林を対戦相手にあてがわれ、
肝心の猪木戦は結局団体崩壊まで実現できなかった。
予想以上の冷たい扱いに、吉原社長は「これならまだ全日と
やってた方がよかった」とか思ったことだろうね。
>>216 しかし54年春から夏にかけて、新日からの斡旋で
狼軍団として組んでいた上田馬之助・マサ斉藤、スーパースター・ビリーグラハム
アンドレ・ザ・ジャイアント、ヘイスタッグ・カルホーンらが続々来襲し、話題になり
盛り上がったのも事実。たしか視聴率10%超えた事もあるし(当時のテレ東では
画期的)、木村の顔面アップが月プロの表紙を飾ったりもした。
しかしそれがジプシー・ジョーら元からの常連を地盤沈下させてしまった面もあるが
その仕打ちが、その秋のロイヤルのNWAジュニア戦開催のクレームと
翌正月のキッド横取りか・・・。
そういやCブラックウェルも(これは全日だが)、秋のシリーズ来日宣伝での
ポスターに写真が載ってた。
あの小林戦の直後に対戦アピールしてきたときには
呑めるわけない条件出して破談させ、
夢のオールスター戦のときも、その後の対抗戦のときも、
もう新日内で藤波、長州に抜かれ5番手に落ちていた小林に相手させた。
結局、初対戦は国際崩壊後の対抗戦のときで、もちろん木村は大ヒールの役回り。
いつも馬場の格上意識を批判していた猪木だが、
その馬場が最低限の顔だけは立てていた木村に対してこの扱い。
格にこだわりが強いのはどっちなんだか。
そもそも国プロ北米支部があり、主要外人窓口だったカルガリーに
54年夏に新日が乗り込んで、ルートを強奪したようなかたちになった
事情が今イチわからん
まさかダイナマイト・キッド一人を奪うためか?
>>220 大剛が暗躍したんだろ。
国際と新日じゃ、当然新日のほうが払いがいいわけだから
そっちに乗り換えようとしたんじゃない?
でもキッド獲るならストンパーも獲って欲しかったな。
>>221 大剛は国プロの北米支部長だろ、裏切ったということか?
俺は大剛もルート盗られた被害者かと思っていたんだが
ストンパーはこの頃は南部のアラバマあたりが主戦場じゃないか?
>>222 詳しい事情はわからんけど、少なくとも新日にルート奪われて
恨みに思っているようなやつが、その後この地域に遠征してくる
新日の若手選手の面倒見たりはせんだろう。
>>223 そういわれりゃそうなんだが・・・
ただ翌年1月のキッドの新日登場時の裏事情が、ミスターヒトの言葉として
PかGに載ってたんだが、それによると既に新日行きが決まっているキッドを
騙すかたちで、大剛が国プロ行きの契約書にサインさせたらしい。
そのことをキッドは怒っており、国プロには行かないと言っている、
という内容だった。古い話だがこういう記事があったことは間違いないんだ
ところで木村対パワーズって、木村のリングアウト勝ちみたいだけど
どんな試合だったのですか?
パワーズは元は猪木の最大のライバルだろうけど
この頃は新日ではかなりひどい戦績だったのでしょう?
>>225 ほぼラフファイトオンリーの流血戦。
パワーズはエルボー攻撃を多用していたような気が。
確か月プロか月ゴンどっちかでカラーで紹介されてて
「不振が続いていたパワーズ、死神復活を思わせる暴れっぷり」とかいう見出し。
でも大半のファンは、
新日お払い箱になったパワーズにピン勝ちできない木村を見て
国際のマイナーイメージをさらに強めただけだったかも。
そうだな、かなりパワーズが一方的に圧してたような気がする
木村は血だるまで8の字かけられて苦しんでいた
最後はリングにすべり込んだという感じだったかな
>>226 >>227 早速のレスありがとです
しかしここでも新日に貶められるような結果だったんですね
>>212 そうそう!テレビでも顔写真までだしてローデスが来るかもしれないって
煽ってた。たしか解説の菊池さんまで同調してた。
子どもの知識でも絶対に有り得ないと思ったよ。
>>230 54年春のビッグチャレンジシリーズ前半に出場している
上田と組んで浜口・井上のIWA世界タッグに挑戦して反則負け
232 :
名無し:03/09/30 21:58 ID:+zb7RLlo
>>231 確かそのシリーズには、ジョーとブルックスといった常連も
参加していましたよ。エース級が複数参加していて凄いシリーズ
だと思っていました。確か東京12チャンネルの視聴率も良かった
と思います。
>>229 菊池さんかどうかはおぼえてないが、ローデスが
「日本でそんなに大きなイベントがあるなら自分も参加したい」
と発言しているとかいってたんだよ、
それって国際の三大タイトルマッチではなく
新日の第一回MSGタッグのことじゃないかとツッコミたくなったんだ
>>232 ジョー、ブルックス、ミスターヒトらが通しで、
上田、斉藤が前半、Bグラハムが中盤(この時はエエ仕事してたでぇ)
後半には欧州からミレ・ツルノ(WWUジュニア王者)とチャールズ・ベレッツ
(=ジョニー・ロンドス、欧州組もこの時は新日ルートか?)
木村は上田、グラハム、ジョー、ブルックスとIWA4連戦、たしかになかなか
豪華で盛り上がった。(斉藤の挑戦がないのは当時の微妙な位置付けを物語っている)
後に米国でブレイクするジャンクヤード・ドッグがビッグダディ・リッター
として来ていたが、ほとんど目立たなかったくらいだ。
>>234 上田と斉藤は新日のビッグファイトSとMSG・S連続参戦の合間の出場で
この時期だけは「悪の名コンビ」という風だった
関係ないけどビッグファイトSではこのコンビが坂口・小林の北米タッグに
挑戦する予定だった。それがマツダ・斉藤に変更になってタイトル奪取、
小林が無冠になってしまったのだ
>>234 WWUって実在したの?
ジュニアっていうんだからヘビーもあるんだろうが
WWU世界ヘビー級選手権って一度も聞いたことない
>>235 坂口がこのとき奪われたタイトル取り戻したとき、パートナーは
もう長州に代わってたんだっけ?
上田も上田で、この時期にはタッグパートナーがコロコロ代わり、一時期は
やはり国プロのエースだった杉山をパートナーに起用してたこともあるな。
それまでは、日テレ系列のバラエティで気のよいデブオヤジみたいな
イメージが定着してたから、チェーンもって流血ファイトする杉山の姿に
すごく戸惑ったよ。
それにしても、小林といい杉山といい、国プロと絡むようになってからというもの
かつてのエースを冷遇するあたり、立場の弱い者を見下す新日の
嫌味な体質が露骨に出てるよね。
>>236 かのローランド・ボックが世界ヘビー級王者・・・ということになっていた。
中止になった54年夏新日登場時のポスターにはそう記載されていた。
新日・国際共同のデッチ上げか、実際にボックがそう名乗っていたかはわからない
>>237 ビッグファイトSの後が小林が予選落ちしたMSGシリーズ、
その後、坂口・長州がロスに乗り込んで取り戻したんだよ。
次のサマーファイトSで小林は木村健吾と組んで新王者に挑戦したが
長州に決勝フォール取られた・・・小林・長州逆転劇の完成というわけだ。
ただ決勝シーンはたしか生放送の時間切れで流れなかった・・幸か不幸かね
杉山はプレ選手権開催にあたって、フリーのレスラーの頭数が少ないので
かつぎ出された感がつよいね、上田との繋がりってあまりなかったろうし
>>240 杉山ってあの大会でる前は主にどこでファイトしてたんだっけ?
考えてみたら、オレが杉山のこと知ったのって、
「びっくり日本新記録」とか「底抜け脱線ゲーム」とかの体力系
バラエティにプロレスラーって肩書きで出演してたのよく見てたからで、
杉山のファイトってそれ以前にはあまり見覚えないんだよね。
初期の全日にはよく上がっていたがやがて使われなくなったという話もよく聞くし。
日テレのバラエティの仕事って、本業でつかってやれなかった罪滅ぼしに
馬場が斡旋してたのかもね。
時系列的なことをちゃんと整理して把握しろよ
杉山は上田が国際に参戦した時にパートナーとして
IWAタッグに挑戦しているぞ
その後、第6回IWAワールドシリーズにタッグトーナメント
(パートナーは剛)にのみ出場して、プレ日本選手権以降は
新日の名古屋大会のみに出場する、というパターンだった
上田とは名古屋繋がりという縁もあるのだよ
全日からお払い箱になったのは、馬場が杉山の芸能活動との
二足の草鞋を認めなかったからなんだよ
馬場が斡旋しただと?(プッw
国際の54年秋のシリーズに上田がジョー・ルダックとともにエース格で
参加していたが、名古屋大会に杉山が出場し、木村、草津対上田、杉山という
なかなかグッとくる試合が実現した、乱闘に終始してしまったが。
これが杉山最後の国際参戦かどうかはわからんが、TV放映されたのは最後だな
>>229 >>233 212です。あの頃は、前年以来の、かつてのAWA提携時代を思わせる
強力な外人が、特別参加ながら何度か登場してた。春のブルーザーから
ちょっと間を置いていたけど、ローデスの名前がなにげに浮上した時、
「もしや、この勢いでかつて初来日させた実績を汲んでの再来日かも」と
勝手に解釈してたっけな・・・w。
>>245 そうすね!前年(54年)前半は新日からの斡旋でアンドレ、グラハムらが
新日との関係が怪しくなった後半は久しく途切れていたAWAルートで
ニック、ガ二アらが来日して、外人的には割と充実した1年だった。
AWAは国際との提携が切れた後は全日と関係を持っていたが、
この時は全日からの斡旋ではなくガニアとの直談判ということだった。
御大ガニア自ら来たのだから、本格提携復活かと期待もしたのだが
単発的なものに終わったしまったなぁ・・
まあ国際もそういう離れ業をみせる事もあったけど、にしても当時の
ローデスといえばNWA・WWF系の超大スターだから、それはないだろうと
思ったよ、でもTVで写真まで出したのだから、もしや・・って気もしたけど
エンフォーサーの火炎殺法をテレビでみたかった
>>247 このときエンフォーサーはバニーガールのマネも帯同してたけど、
実は奥さんだったとか。
正月に新日きたときは火炎もマネ帯同も認められなかったらしいけど、
国際ではどっちもOK。
随分太っ腹だなあと思ったら、マネはエンフォーサーが自前で
連れてきてたらしい。崩壊間際の国際の安いギャラでペイできたのかなぁ?
俺はキングコングコジャックが見たかった
エンフォーサーは既に新日で坂口の北米ヘビーに
挑戦して秒殺負け。そんなのが今更…だったよね。
それより前シリーズでスティーブ・オルソノスキーが
新生・原のライバルとして…という感じでいけなかったのか。
ギロチン・ゴードンの変身がエンフォーサーですね
252 :
名無し:03/10/03 10:27 ID:tYlYKils
昭和54年のデビリッシュファイトシリーズから登場したマッハ隼人
って入団の会見みたいものって無かったように思います。また、事前の
告知も無かったような気がします。
国際プロレスのビデオってあるのか?
少ないけどあるよ
色々なサイトで書かれたりしているけど、小林離脱の真相って今ひとつよくわからない
最近、小林のサイトの主宰者のインタビューで新日での晩年の事情について
「猪木や新間に邪魔物扱いされた」と語ったそうだ。
切ない話だが、まあそういうことなのだろう。しかし猪木・坂口のいる新日に、
わずかだが年長の小林が入ったら当然予想されるべき結果だろう。
どんな事情があったのかわからんが、プロレスのキャリアでも、
それ以前の競技歴でも上の草津、杉山、木村を差し置いて
エースに据えてくれた国際に残るべきだったのではなかろうか。
新日で引退試合ってなかったよね。
>255
さすが人情の国際プロスレ
自分もビデオ1本だけ持ってますが、実家に置いてるんで詳しい
内容までは覚えていませんので、年代やTBSか12chかはわか
りませんが、カードは
阿修羅原 VS ジプシージョー
マイティ井上&ラッシャー木村 VS 上田馬之助(まだら狼時代)&マサ斎藤
です。レフェリーはボディービルの遠藤会長がやっとりました。
お宝になるのかな??
261 :
剛州力:03/10/03 19:05 ID:???
オマエらよぉ、当時の新日なんてアゴがアレなんだからよぉ、
火とか女とかなんてまったくアレに決まってんだろっ!
でも国際なんて全然アレだから、火なんかバリバリにアレだったんだけどよぉ、
だけどよぉ、そんなことよりこの時、最初はエンフォーサーが完全にアレだったんだぜ、
それじゃあんまりアレだろってんで、ジョーをアレしたってわけよ
>>260 79年春のビッグチャレンジS、たぶん開幕戦だな、無論現テレ東
家庭用ビデオが一般化する前だから貴重なようにも思えるが
結構この頃のビデオ売りにでたりもしてるんだよな
>>252 昭和54年のデビリッシュファイトシリーズに参戦した際は
マッハ隼人はテスト生扱いだったんですよ。
それを経て昭和55年の新春パイオニアシリーズから所属選手
となったのです。
私の持ってるビデオは 小林VSジョナサン 杉山木村寺西VSロシモフコパバイテンです
だれか詳しい方いつごろの試合か分かりませんか?
ジョナサンはIWEには一回しか来日していないのでどのシリーズかは容易に判別できる。
それはS47年IWAワールドシリーズ&ワールド選抜シリーズですな。
三人タッグの方も同じシリーズでしょう。このシリーズは、ジョナサン、ロシモフ、ラシク、
ホフマン、ゴーディエンコ、コパ、バイテン、アリババ、R・G・アポロが来日。
凄い物を持ってますね。
72年4月のワールド・シリーズ。
この頃は、日曜日の6時からの放送ではなかったでしょうか。
267 :
お前名無しだろ:03/10/03 23:35 ID:8LRqIvxB
>>263 ウン、当該シリーズの後楽園大会を観戦したけど
その時のパンフには、「鶴見五郎 vs マッハ」
とだけスタンプされていた。
シリーズ前に件のロス牛丼男の参戦発表など一切
無くって、マッハなんて言われても文朱以外に
連想するものは無かったけどね。
でも当時は本格ルチャを体現出来る人なんて殆ど
いなかったし、浜田と共に先駆者と言ってよかった
よね。何の前触れも無くこういう試合が見れて
(ノーTV)で凄く得した気分だったよ。
268 :
お前名無しだろ:03/10/04 00:26 ID:qYhNBaNs
S52年IWAワールドシリーズに凱旋帰国したアニマル浜口に萌えた。
いやあかっこよかったよ! 髪は長髪になり、体もひきしまった。輝いていた。
そして帰国第一戦に、あのジプシー・ジョーとシングル戦。
敗れたりとはいえ当時エース格のジョーとラフで互角以上に渡り合った。
そして狂犬マッドドッグ・バションには大金星をおさめた。
(記憶違いならすまん)
それからというものの国際プロの中継でA浜口の試合は欠かさず見るようになった。
国際プロ倒産後、はぐれ国際軍団になっても狂信的な猪木信者の群れの中で声をからして応援したものだ。
269 :
お前名無しだろ:03/10/04 00:30 ID:qYhNBaNs
剛竜馬は国際プロでどのような扱いだったの? 詳しい事情知りたい。
テクニックにはいいものがあったので俺は結構好きだったが・・
彼があのまま国際プロにいてレスラー人生をまっとうしていたらどうなったか?
彼の人生も国際プロの運命も少しは変わっていたのではないだろうか?
270 :
お前名無しだろ:03/10/04 00:40 ID:0L0kMA7c
S52年IWAワールドシリーズの浜口は結局公式戦で井上に負けた。
ジョー戦は開幕戦ではないが飛行機投げで追い込んだのに
フォールしなくて逆転負け。
バションには逆さ押さえ込みという返し技でピン勝ち。
同シリーズ中に同時開催されたタッグトーナメントでも
寺西と組み、ジョー・バション組にまさかの大金星。
でも浜口が活躍する程度だから歴代のワールドシリーズ中
最低レベルと考えていいだろう。
>>265 いやどうもありがとうございます そんな古いものだとは知りませんでした
もっと探してみます
バションとジョーのシングルは恐ろしかった
同シリーズの井上とジョーの膝をついたままの殴りあいも凄まじかった
273 :
名無し:03/10/04 11:20 ID:uScxKoIl
>>270 S52年IWAワールドシリーズの最終戦はちょっと不可解でした。Bブロックの公式戦、
の井上対ジョー戦があり、しかもその日に決勝がありました。Aブロックからは
木村が決定していましたが、Bブロックでは、井上やジョーが決勝に出てきても
おかしくない選手なのに最終戦で直接対戦ってどうなっているのって思いました。
結果は、両者KOで決勝戦には出れずになんと3位のバションが出場しました。
その日、バションは2試合したんでしょうか。
274 :
お前名無しだろ:03/10/04 12:16 ID:0L0kMA7c
大会ルールでは、A組1位(木村)vsB組2位(実際は井上とバションが
同率で並んでいた)、B組1位(ジョー)vsA組2位(草津)をやって
勝者同士が決勝を争う、というトーナメント形式でしたよね。
草津が、クイン・へス組に渡っていたIWAタッグ奪還に命運を賭ける
為、トーナメントを辞退。ジョーと井上は273の言うように戦闘不能、
という事で自動的に木村−バションの一騎打ちとなった。
とにかく、井上かジョーは一日3試合させられる可能性もあった、
不思議なマッチメークでしたな。
くそう、いいなあ。IWAワールドねえ。
おれ、国際をTVとかで見始めたの同じ昭和52年(小6だな)だけど、画面には映るは
キラーブルックスらが参加したシリーズあたりから(たぶん秋ごろ)。
U局でやってる事すら知らなくて、プロレスのTVは殆ど親日&全日だけだと思ってた。
その頃で記憶にあるのは三軍対抗戦かな。浜口&鶴見がアジアタッグ(極道コンビ)に
挑戦してたり、丁度、大木&ダクが保持してたインタータッグに木村&草津が挑戦してたっけ。
幾度か「全、国、韓」でやってたと思うから正確な日時は思い出せないな。
276 :
名無し:03/10/04 13:59 ID:9522/yzJ
>>275 3軍対抗戦は、
第1戦;昭和53年2月18日;蔵前国技館でメーンが木村対馬場
第2戦;昭和53年2月21日;大阪府立体育館でメーンが木村対鶴田
第3戦;昭和53年2月22日;岐阜県立体育館でメーンが木村・草津対大木・ドク
木村が悲劇のヒーローになっていました。第1戦と2戦が日本テレビでの
全日本プロレス中継で全国放送されました。
>>267 その辺が国際プロレスがバカ正直というか、マスコミの扱い方が
下手なところでしたね。
これが新日本や全日本だったら
「メキシコでデビューした日本人マスクマン逆輸入参戦!」
というような感じで煽ってもらっただろうに。
279 :
お前名無しだろ:03/10/04 20:36 ID:Zx5qakRa
末期の地方興行の前座で吉原社長が試合してたってどこかで
聞いたんやけど、真相を知ってる方おります?
280 :
お前名無しだろ:03/10/04 20:36 ID:0L0kMA7c
>>275 正確には浜口・鶴見が昭和53年の全日ジャイアントSに
乗り込んでの挑戦です。鶴見が極道に子供扱いされたましたな。
その直後に一週間程度のミニシリーズ形式で全日・国際の全面対抗戦が
行われたので、例のアジアタッグ戦は本格開戦前の名刺交換
のような位置付けでしたよね。
そうして暮の全日・オープンタッグ選手権(木村・草津及び高千穂と
混成コンビを組んだ井上が参戦)→276氏の言う翌年春の三軍対抗戦
へとストーリーが展開したんですよ。
隠密シリーズってあったよね?
282 :
280:03/10/04 20:56 ID:0L0kMA7c
280
283 :
280:03/10/04 20:58 ID:0L0kMA7c
訂正です。スマソ
一行目の「昭和53年」は「52年」でした
284 :
名無し:03/10/04 21:04 ID:BRl8LcgZ
そういえば、昭和54年秋の全日のジャイアントSに一日だけ、ジョー・ルダック
が参加して、確か小鹿とのシングル戦をしたと思います。
国際のエース級の外人レスラーが全日の中堅と相手か、って思いました。
それと鶴見五郎ってTV放映の解説している吉原代表を殴って独立愚連隊になったそうですが、
詳しいいきさつ知っている人っていますか?
>>269 剛は、「国際のギャラでは両親の面倒を見られない」といって
新日本に引き抜かれたのです。
でも、その後のこと考えると、剛がプロレスで潤ったことはないんじゃないか?
つーか、プロレス以外でも潤えなくて例の事件になったわけだが。
剛の経歴は割と嘘や誤解があったりするから油断できません。
まーどうでもいーんだけどな、あんなの。
>>284 確かある大会で遅刻してしまって試合に間に合わず、それによって
吉原社長からペナルティを申し渡されたら、逆ギレして殴って
それ以来正規軍から独立した・・・というような事だったと思いますが。
どこまでがガチの話かはわかりませんがね
>>284の小鹿−ルダックの結果は両リン。
これは国プロが抗議すべきだった。
愚連隊結成は国プロの苦し紛れのアングルでしょう。
シリーズ開幕戦を遅刻した鶴見が試合を組んでもらえず
吉原社長に抗議して暴行を働き、選手会を除名された
との事でしたね。
鶴見制裁の名乗りを上げたのが、留学生で何故か会社への
忠誠心の強い稲妻二郎。R木村をレフェリーとした試合に
負けた鶴見は坊主頭に。
その後、孤立気味だった鶴見と浜口が組み、上田・フジイ組と
戦うが鶴見と浜口は仲間割れし、上田らは鶴見に加勢。
シリーズが終わって上田らが帰ると、引退していた大井山を
復帰させて独立愚連隊を結成。既にレフェリー専業だった
ミスター珍をマネージャーに引き入れた、という流れです。
これって、昨今のインディーで取りざたされてるエンターテイメントの
ハシリかも?
290 :
275:03/10/05 12:58 ID:???
>>276 >>280 あー、スイマセンです・・。
昭和52年から53年にかけて幾度か合い交えてましたよね。
そうそう鶴見はチョット極道コンビにコケにされた展開だった・・・w
で、蔵前って鶴田VS井上もあったかな。試合後、控え室に戻った井上に
インタビューしてて、なんか、消化不良的な内容(と思う)にすごく腹を
立ててコメントしてた記憶がある。あと、韓国戦で向うのリングアナも来ていて
妙なイントネーションで紹介してたっけ・・・。
>>289 事前にマスコミにも宣伝をせず行ったと言うシリーズなんですが、そういう名前だったんですか?
>>291 シリーズ名も何もなく関東近辺をサーキットして(レスラーが自宅から通える)
東スポや月刊誌にも試合結果の載らないシリーズがありましたね。
実際に見てないので断言は出来ないのですが、低料金で試合数を減らして宣伝のために
プロレスの面白い所だけをみせる、相撲のショッキリのようなものだったのではないでしょうか。
>>292 そうなんですか。それはそれで面白そうな内容ですな
294 :
お前名無しだろ:03/10/05 16:13 ID:QiQkcuRJ
吉原氏のことをあまり悪く言う人はいないけど
経営者として見た場合、やはり問題があったと思う。
>>187にもあるように、日本プロレスを追放された
猪木を恩讐を超えて引き入れていたら、その後の勢力図は大きく
変わっていただろうし、小林や剛を引き抜かれた時も
馬場みたいに宣戦布告して引き抜き返したりするような
「やられたら、やり返す」怖さとか迫力がなかった。
崩壊は、必然的な流れだったと思う。
>>294 あの日プロ追放劇のとき、国際が猪木を迎え入れていたら
どうなってたんだろうね?
吉原社長が猪木をコントロールできたとはとても思えないし、
また小林以下国プロ生え抜きの選手とウマがあったはずもないので、
短期的には盛り上がっても結局は喧嘩別れ→再離脱してただろうね。
でもそうなると、馬場の独立→全日旗揚げもなく、
離脱後さらに信用を落とした猪木の再旗揚げもなかっただろうね。
ガニアはケツの毛までむしりとる男とはよく言ったが、
吉原さんは人を性善説で捉える戦後の日本国憲法のような人だったのだろう。
297 :
お前名無しだろ:03/10/05 17:27 ID:yxtS5gFq
田中忠治の消息情報をキボーン。
なぞのキャラだったというが。
298 :
297:03/10/05 17:55 ID:yxtS5gFq
ついでに田中忠治の国プロでのファイト、扱い、引退の事情なんかもキボーン。
なんか気になる人なんですが。
>>291 80年のビッグサマーシリーズ終了後、たぶん第2次ビッグサマーシリーズ
とかいう名称で実施されたものが該当すると思う
外人は残留でジプシー・ジョー、ロッキー・ブリューワー、
それにあのジェーク・ロバーツが参加したはず
オープン戦扱いということで、専門誌に熱戦譜が掲載されなかった
・・・というか国プロからの発表が無かったらしい
それ以前に同様のシリーズがあったかどうかは知らない
シリーズ中にロバーツに子どもが生まれ、帰国を望んだが、
ジョーに説得され思い留まったというエピソードが美談として紹介されていた
>>299 結局そのシリーズ?の存在は、貴方自身はどういう媒体で
知ったのですか? ご当所のポスター見て実際足を運んだとか?
301 :
お前名無しだろ:03/10/05 19:27 ID:0IUGVcOy
国プロすれですか〜うれしいなぁ(^-^)
さて、新日と業務提携した後
なぜジョン・トロスやクラップ、パワーズなど使い古をブッキングする必要が
有ったのでしょうか?
吉原社長もそんな事解ってた思うし、新日国際潰しなのかなっと
思ったが、あのコロ新日は経営上も国プロの面倒を見ようとしていたなんて
話しもあるし、それじゃわざわざポンコツ投入することないし
わかる人います?
外人ルートを作りたかったからでは?
崩壊の年の春、馬場のブッキングで折るそのスキーとエラリングが来たけどな。
304 :
お前名無しだろ:03/10/05 19:40 ID:0IUGVcOy
>>302,303
その頃、ブッキング先がなかったのか?
大剛も裏切ると言おうか、金の問題かな。
それで最後、阿修羅のサーキットコース関連になったのか?
305 :
299 :03/10/05 19:45 ID:???
>>300 当時は専門誌(P&G)に各団体ごとのコラム的な情報ページがあり、
開催されるということについての告知はされていた
日程まで載っていたかどうかは憶えていない
ジョーとロバーツの話もこれらの頁かまたはデラプロ連載の
レフェリー兼外人係だったマンモス鈴木のコラムで読んだのだと思う
熱戦譜については、読者からの要望はあるが国プロの発表がないので
掲載できない、という内容の記載があった
グラビアでの紹介は当然無かったと思う
>>294 >「やられたら、やり返す」怖さとか迫力がなかった。
やりたくてもできなかったのでは?
理由は、吉原氏が現役時代が短く、かつ一流ではなかったことだろう。
レスラーは自閉的な生き物で、「受け身をとった者でないと俺たちの
ことはわからない」などと本気で思っている。
アメリカで主力レスラーとしてやってきた馬場が、
プロモーターとして信頼されていたというのは、金払いのよさだけではなく、
「仲間」という意識を持たれていたのだろう。
>やりたくてもできなかったのでは?
>理由は、吉原氏が現役時代が短く、かつ一流ではなかったことだろう。
>レスラーは自閉的な生き物で、「受け身をとった者でないと俺たちの
>ことはわからない」などと本気で思っている。
でも国プロの所属選手や外人選手は、みんなそんな吉原社長が大好きだった。
人が良すぎて経営者として一流とはいえなかったが、配下のレスラーたちの
人望が厚かったことは事実。
あのジョーなんか、全日に引き抜かれたときでさえ吉原社長に
申し訳ないみたいなコメントを出してたし。
インディなんて枠組みがなかった当時、新日や全日に上がれないクラスの
選手はみな、そんな自分を使ってくれた吉原社長に感謝してたんだろう。
でも、彼の死後もほとんど悪口や陰口を利かなかったのには、篤実な人柄が
偲ばれると同時に物足りなさも感じる。
馬場や猪木みたいに、叩けばいくらでもほこりが出てくるようなヤツじゃないと
この世界でトップにはなれないんだろうな!
>>306 このスレであんまり「ガチ」とかいう言葉は使いたくないんだけど、
吉原社長ってガチにはかなり強かったんじゃないの?
当時の本の裏話的な類でも「道場では一番社長が強い」のような事を
よく書かれてる気がするし。
後、吉原氏も外人のギャラの支払いにはキチッとしてたんじゃないかな?
全日もそうだったけど、国際の外人もギャラの支払いで揉めたって話も「
あまり聞かないし。
弱いよ
三沢さんにボコられて泣いてた
吉原社長は当然アマレスの技術はあったが、所詮
ライト級の人。新人時代の猪木を翻弄したという
証言もあるが、総合判断として突出した強さではなさそう。
311 :
名無し:03/10/05 21:39 ID:sOz4xSqa
東京12チャンネルでの放送が昭和55年10月より月曜夜8時から土曜夜8時に
変更になってから視聴率が下がって半年後に打ち切りになりました。
月曜夜8時のままなら国際プロレスもあんなに早く倒産しなかったと思います。
そしたらルー・テーズチャンピオンベルト争奪戦が行えたと思います。
優勝者はやはり木村だったんでしょうか。
312 :
お前名無しだろ:03/10/05 21:48 ID:yxtS5gFq
国際プロレスのもしも・・
(1)グレート草津が練習嫌いでなかったら。
(2)剛竜馬が必殺技をもっておいたら。
(3)阿修羅原のデビューが10年早かったら。
(4)上田馬ノ之、松岡巌鉄が国プロに来ていたら。
(5)ヒロマツダがエースだったら。
>>311 12チャンネルで国プロ中継の責任者だった編成だかスポーツ局だかの
役職は吉原社長の早大時代の同級生。
TBSに見放された国プロを拾ってくれたのも彼だった。
とはいえ、視聴率の取れない国プロ中継は
社内でも支持されず、改変期のたびに打ち切りが噂され、
それがとうとう現実のものに、国プロをかばっていたこの同級生氏も、
全員集合などがひしめく土曜8:00で結果を出したら続行してもいい
という言質を得るのが精一杯だった。
もちろん、全日でさえ撤退したこの時間帯で国際が結果を出せるはずもなく
あえなく打ち切り決定。
国プロはそれから半年と持たずあえなく崩壊、プロレスにおける
テレビ中継の重要性があらためてクローズアップされた。
続き
そういや12チャンネルは、国プロの中継打ち切った後も
シリーズ中1,2試合程度はスタッフを会場に派遣して
試合の収録をしてたはず。
この映像は、結局どっかで日の目を見たのだろうか?
関東地区では昭和56年の
5月3日にビッグチャレンジシリーズ開幕戦(4月18日・後楽園)、
9月16日にビッグチャレンジシリーズ最終戦(5月16日・後楽園)、
9月23日にダイナマイトシリーズ最終戦(6月25日・清水市鈴与記念体育館)
がそれぞれ放送されました。
放送時間は5月が日曜の夕方6時から、9月の2回は木曜の深夜12時過ぎだったと
記憶しています。
316 :
お前名無しだろ:03/10/05 23:06 ID:SSzSWcij
>>305 日程は別冊ゴングの下欄外に載っていました。
そこでも「オープン戦」ということが一言付け加えられていました。
会場は「油壺マリンパーク」があった事だけ覚えています。
>>315 見ました。何の告知も無かったんで9/16は見逃しましたが
9/23はどうにか見れました。
あまりに深い時間帯だったので途中で眠りこけてしまいました。
上田馬ノ之…
林牛ノ之
ミスター雁ノ之
でも、上田もよく豊登がフザケ半分で付けた名前を
ずっと通してきたもんだよな
ハナ肇がふざけ半分でつけた
いかりや長介、荒井注、高木ブー、仲本工事、加藤茶と同じだね。
山本小鉄、星野勘太郎なんてのは割といいと思うんだけどね。
そういえば大熊は一時大熊熊五郎だったらしいし、北沢は高崎山猿吉・・・
あと冬木のサムソン冬木は誰が命名したのかな?
クツワダは馬場にとっては裏切り者なんだから、そのリングネームを
使いまわししようとは思えないのだが。
>クツワダは馬場にとっては裏切り者なんだから、そのリングネームを
使いまわししようとは思えないのだが。
いや、あれは確か馬場がつけた名前だよ。
全日に入団後海外遠征に出されて、凱旋帰国を飾った時にサムソンになった。
それなりに売り出すつもりでいたようだが、そのすぐ後に長州たちが
参戦してきてウヤムヤになり、割を食ったカッコウだった。
友だち連中はあの体型と髪型を見てみんな「長州のマネしてカッコ悪い」とかいっていたが、
オレはあの柄パンに国プロ魂を見る思いだった!
321 :
お前名無しだろ:03/10/05 23:38 ID:SSzSWcij
ゼロ戦隼人なんて人もいましたね。
あと思いで深いのはミスター珍のヒール転向です。
「ヨトだよぉ!」
国際崩壊時のテレ東で一番視聴率が良かった
「やんやん歌うスタジオ」が平均8%位だった。
国際は4〜6%とどこかで読んだので、
打ち切られるほど悪い視聴率だったとは思えないんだが。
もっと泥臭い裏がある予感。
>>320 いま、国プロ魂を全身で体現しているのは北原だな
今、国際プロレスを体現している団体はZERO-ONEだな。
橋本=ラッシャー
大谷=マイティ
田中=浜口
小川=大木
テレビ東京で放送。
てことは潰れるな。
325 :
お前名無しだろ:03/10/06 10:20 ID:BI96zOml
>>322 そうですね、新日は国プロを目の仇にしていたから新間が暗躍したか。
猪木は元祖キャッチの国プロが嫌でしかたなかったようだ。
木村の昔のスタイルもネチッコイレスリングしているしな。
326 :
名無し:03/10/06 10:26 ID:vLjn3UWn
>>322 確かに12チャンネルの国際の視聴率は良くなかったが、他の12チャンネルの
番組よりはよかったはず。特に54年のビッグチャレンジS以降は10%越えていた
と思う。55年に大木が加入してからも5〜8%あったはず。だが、土曜の8時に
なってからは5%未満だったような気がします。
それとチェーンデスマッチと金網デスマッチの放映について残酷すぎるって
いう投書もあったと思います。
327 :
お前名無しだろ:03/10/06 10:28 ID:4Wgl3sRD
林牛之助 小鹿雷蔵 大坪飛車角
結構、全日での対戦成績を見ると、ラッシャー木村やマイティー井上なんか
20年ぐらい前はいい成績だよ。ラッシャーはジャンボと引き分けだし、
マイティーなんて弱いと思ったらチャンピョンカーニバルとかの成績は
全く中堅日本人レスラーにみんな勝っている
月曜8時に放送してたとき
浜口と誰かの金網戦の中継で、浜口が額に鋏を突き立てられ、
このシーンは残酷なので放送できませんという事で
杉浦アナの実況だけが流れた事があったのを思い出した。
>>322 >>326 12チャンネルの国プロ中継ってスポンサー企業どこだったっけ?
プロレスは八百長や流血などマイナスイメージが強いため、
一部上場クラスの企業がスポンサーにつくことはまずない。
当時は新日だって小松やRYOBI,全日もイセキや鬼桜あたりだったしね。
マイナーイメージの強い国プロで12チャンネルとなったらなおさらで
相場よりかなり安値で枠を売らないといけなかったのでは?
>>329 富国石油ってのがあったな。
でも日プロ時代は「三菱電機」がついてたじゃん。
332 :
お前名無しだろ:03/10/06 13:16 ID:BI96zOml
>>328 この前、ジョンボ鶴田のビデオ見たのだが
木村vs鶴田で、ジャンボがツープレックスで3カウントを木村から取った後
テレビでは映らなかったんだが、木村が何事も無かったようにスックと立ち上がり
インターバルの間も余裕で待ってます。
木村はガチも強かったと思いますヨ。
チョップなんか見栄えを考え、避けれるような打ち方してたから。
ところが新日参戦で
それを猪木が必死でかわしてるの見て、猪木ってバカだなぁ〜と
思ったものです。
打たれる時もタイミングを外してわけだけから効かない。
木村はそれでもプロレスを続けたけどね。
一発、スリーパーで落としてやれば良かったのに。
それやったら、新日クビだろうな・・・・・
>一発、スリーパーで落としてやれば良かったのに。
>それやったら、新日クビだろうな・・・・・
新日クビだけじゃなく、その後全日にも上がれなかっただろう。
あの屈辱的なブックに耐えたからこそ馬場は木村を信用したんだし。
そういや新日との抗争アングルのとき、
秩父特訓で編み出した肝臓破り水平ってのがあったはずだが、
あれはどういう技だったんだろう?
煽っていた割に結局使われなかったが、
ホントに使われたらガチでヤバイと思った猪木から
ストップがかかったんだろうか?
335 :
お前名無しだろ:03/10/06 13:38 ID:BI96zOml
>>333 今から思えばあの新日のブックが酷いって言うか
猪木はプロレスできる状態じゃなかったんじゃないだろうか(糖尿病?
木村なんかチョップ・頭突きしか技を使ってない
ちょいと木村が切れて、危険なパイルを猪木に打ったとき
解説の小鉄は黙ってましたが・・・・
せめてブレーンバスターくらい使わせりゃいいのに
その後、新日オリジナルのラッシャーラリアートって
よく、この扱いにラッシャーは耐えたと思います、ホント
>よく、この扱いにラッシャーは耐えたと思います、ホント
新日VS国際の全軍対抗戦にもっていくはずが、
井上や阿修羅には離脱され、看板外人のジョーやスミルノフも全日に持っていかれ
結局残ったのは木村、浜口、寺西の3人だけ。
吉原社長は「話が違うじゃないか!」と新間に散々やり込められ、
また小林戦の二番煎じじゃ面白くないとばかり、交渉のたびに条件が悪くなっていたんだろうね。
恩人である吉原社長をかばうためにこの屈辱的な条件を丸呑みした
木村は本当の漢だよ。
337 :
お前名無しだろ:03/10/06 13:49 ID:BI96zOml
肝臓破り水平か・・・・・ホントに幻の技だな
猪木が見て、受けれないと判断したんでしょうね。
とことん木村は不幸だったな
肝臓破り水平か?
多分猪木が延髄斬りを仕掛けてきたとき、
カウンターの水平打ちを肝臓にぶち込む技では?
力の加減難しそうだし、受身取り損ねたら確実に肩を脱臼するだろうし、
こんなの喰らったら、猪木はひとたまりもなかっただろうね。
>>330 国際の中継スポンサーは、
立川電業、清酒力士、山桜名刺かな。
その後、立川電業は潰れたはず。
ほぼ同時期に、テレ東の「ドン・ドラキュラ」というアニメが
3回の放送で終了したことがあり、
原因は「Dr.スランプの裏番だから」と囁かれてましたが、
真実はスポンサーのアノアが降板(その後倒産)したからで、
それに近いことでも起きたのでしょうか?
それと新日の扱いですが、
それでも木村は、ヒールとはいえメインで扱ってくれた新日の方が、
全日より良かったという証言が、国際旧スレに書いてありました。
>>331 富国石油は番組提供スポンサーではなくて、団体そのものの
スポンサーです。たぶんグレート草津のラインだと思いますが。
番組提供スポンサーは月曜8時の頃は「清酒・力士」「第一家庭電器」
「山桜名刺」、土曜8時の頃は「ホテルニュー岡部・塩原」
などでした。
341 :
339:03/10/06 14:20 ID:???
>340
第一家電でしたか。
立川は記憶違いかな?
新日は木村、浜口、寺西の3人にそれぞれ御当所興行のプロモートも
させてるんだから、一概に扱いが悪かったとは言えない。
ただ、新間ー吉原ラインで全選手を引き取る筈が猪木の余計な一言で(全員の面倒は見れん、エース級だけでよい)
駄目になり、井上、原らが全日に移ってしまい、新間氏が随分と苦労をされたようだ。
この時の教訓から旧UWFが崩壊した時、
全日は前田、高田のみにオファーを出したのに対して
新日は全員を引き取るという事で、前田らを確保できた。
343 :
340:03/10/06 14:37 ID:???
>>341 自分は実はリアルタイムでは土曜8時の頃しか見ていないんだけど、
後年ビデオで月曜8時の頃のを見る機会があった時、昭和53、54年
頃のテロップにはその辺の名前がありました。
344 :
お前名無しだろ:03/10/06 14:45 ID:BI96zOml
>>342 IWGP予選でキラー・カーン売り出しの為、木村からピンとらしたり
ボックのツープレッスクスをまともに受けさしたり
メインと言っても完全な猪木の引き立て役でしょ。
ブッチャーなんか、アホらしいと思ってたんじゃない。
345 :
ジャントニオ猪馬:03/10/06 18:19 ID:CW7Jwf6I
知り合いがレッドバスチェンの友人だったので宿泊先の東急ホテルに会いに行ったことがありました。
部屋に行くとワフーマクダニエルやオレイアンダーソン何かがいて一緒に飲もうと言われ非常に感激した
記憶があります。別れ際にワフーから自身の絵柄T−シャツをかばんから取り出して、これ「あげるよ」
という笑顔が忘れられません。でも数年前亡くなられたようですね。合掌
額の傷跡は、まじかで見るとすごかった!
346 :
お前名無しだろ:03/10/06 18:24 ID:BI96zOml
木村が全日移籍した時、確か世界タッグだったかな馬場と組んで
鶴田・天竜とやった時
久しぶりに強い木村だったよ。
天竜からピンを取れるのに取らないで
思いっきり攻めていたもんな。
この辺が馬場と猪木の違いと納得したよ。
でも、このシリーズだけだけどね。
それと天竜離脱まえに、馬場の指示か知らんが
ちょいとガチを天竜にやったみたいやね。
肝臓破り水平…? 頭突きじゃなかったっけか?
でも、これをプロレスチックな見映えあって相手が怪我しない
技として完成させて欲しかったな。
これ一つで他流試合の匂いプンプンになるし、結局ラッシャーには
インパクトのあるフィニッシュ技が無くて、ずっと消化試合
ばかり見せられているような記憶だな。
>>346 うんうん、この試合はリングサイドで泣きながら大騒ぎしている
剛竜馬の印象しか残ってない人が多いと思うけど(違うかw)
木村の攻撃をじっくり見てみると半端じゃなく凄い迫力。
天龍が正面から思い切り受けてるのもあるけど、チョップ一発とっても
明らかに天龍より重量感あるし、鶴田と相対しても存在感でも
全然負けていない。
国際崩壊後の木村のベストマッチって意外とこれなんじゃないかと
思うんだよね。
「肝臓破りの必殺技」とかいうフレーズだと思ったが「水平」と付いてたかなぁ?
付いてたとすれば大体どんな技か推測できたろうが、実態が全然わからなかった
でもあえて推測すれば
>>338猪木が延髄斬りを仕掛けてきたとき、カウンターの水平打ちを肝臓にぶち込む技
ということになるだろう
351 :
名無し:03/10/06 21:08 ID:pu5csrzY
最近はノアの試合にも木村は出場していないみたいですね。
木村は、裏4の字とかスタンプホールドとかいろいろな新手の技を晩年は、
使っていましたね。
>>351 ブルドッキングヘッドロックや十字チョップ、
それにダブルアームスープレックスの体勢から
相手を宙吊りにして閂に決めた腕を絞る風車吊りって技も使ってたね。
見かけによらず器用な半面、いろいろな技を使いこなしたのが仇になって
代名詞的な必殺技はとうとう最後まで体得できなかったね。
>>352 そして最後に披露したのがグランド卍固め!
たしかレギュラー放送最後のレイ・キャンディとのIWA戦がテレビ初公開
その後、ジョーとのIWA戦でもきめているのをグラビアで見た
国プロ末期の木村は少し体を絞って新技を積極的に使っていた
裏4の字、風車吊り、グランド卍に、弓矢固めの名も熱戦譜にはあったと思う
研究熱心は結構だが、この手の技は木村が使うとどうも不器用なイメージになる
これは入団早々X固めなる新技を披露した大木に対するライバル心もあったか
また54年にニックのAWAに挑戦した時、追い込む技が逆エビの他には強引な
逆さ吊りベア八ッグ(ジョーをギブアップさせたことあり)位しかなかった事への反省からか
他にドロップキックも時々披露した
木村のそれは正面飛びで、ボブ・サップのイメージにやや近かった
若い頃は、回転四の字固めなんてのも披露してたな。
356 :
お前名無しだろ:03/10/06 21:57 ID:VKrmlY/G
相手がコーナーのトップにあがって何か技を仕掛けるぞってときに、
かわして自爆させたりむっくり起き上がって反撃とかということが
絶対になかったラッシャーさんは素敵だ。
357 :
お前名無しだろ:03/10/06 22:57 ID:k44FtMi+
木村は「ガチ」なら強いという声が多いけど
本当かな?
俺が疑問に思うのは、上田やマサ斉藤が参戦した時
明らかに格下を見るような態度だったから。
少なくても猪木や馬場に対する時とは全然違っていた。
彼らの自伝などを読んでも木村が「強かった」と
いうようなコメントはない。
レスラー仲間で「木村が強い」と言っているのは
アニマル浜口ぐらいしか知らない(藁)。
海外でも活躍した本当の意味での猛者に
ある意味舐められていた木村を、
どうしても「強い」とは思えない。
358 :
:03/10/06 23:09 ID:???
ちょいと国際の話とはズレるけど、最強タッグでの馬場との仲間割れ
当初から「仲間割れして馬場と対決」という予定で木村を獲得したということでOK?
359 :
お前名無しだろ:03/10/06 23:09 ID:BI96zOml
そういわれれば、そうだな浜口位しか聞いたことない。
それと天竜が、さすがIWAの王者だっただけことはあるとか言ってたな。
ゴーディエンコに教えてもらい、ハノーバー3位って日本人では
最高位じゃないかな、それと海外では数回ドリー(NWA)に挑戦して
るし、一応海外でも活躍してます。
360 :
お前名無しだろ:03/10/06 23:10 ID:BI96zOml
>木村は「ガチ」なら強いという声が多いけど
>本当かな?
バックボーンの大相撲は幕下止まり。
日本人レスラーとしては大きい部類だけどトップ外人には見劣りするし、
体硬いし動きも速くないし、これといった必殺技もない。
国プロのエースになったのも小林離脱というタナボタのおかげ。
確かに、木村が本当にガチが強いかどうかはともかく、
ガチの強さを証明する根拠には乏しいんだよな。
新日であれだけ屈辱的なブックを受けつづけたことが、逆に
「ガチだったら強い」という神話を生んだのかも。
まあオレも、ガチだったら猪木よりは強かったと思ってるけどさ。
ただ子供の頃(国際末期〜新日参戦時)にみていたラッシャーは
本気でやれば目茶苦茶強いんだろうなという気がしていたよ。
サップとかとはまた違った地味な怪力というのかな、
変な状態でホールドされている場合でも体全体の怪力で
相手を持ち上げるてしまうようなパワーガあったよ。
あと相撲出身だけあって他の格闘技出身より明らかに打たれ強かった。
やっぱ首がしっかりしているから顔面をやられても踏ん張れるんだよ。
>>358 >>360 血盟軍アングルね。
そりゃ木村一人だけだったら、当時空席だった馬場のパートナーに収まって
万事めでたしだったんだろうけど、剛とか鶴見とかがついてきてたからね。
いつクビ切られてもおかしくない彼らのポジション考えたら、ああいう役回り
にならざるを得なかったのでは?
それにあのあとすぐ長州たちが全日に参戦してきたから、馬場は木村たちを
緩衝材に使おうとしてたのかも。
数年前にゴングに載ったゴーディエンコのインタビュー記事で、
2度目の来日時に印象に残ってる事として「木村が強くなった事」
を挙げていたな。
木村が相撲を辞めたのは弱かったからではないと聞いた気がします。
実力的には幕内は確実なモノがあったとか。
どんな理由で辞めたんでしょうか?
糖尿か何かじゃなかったっけ?
改めて>>1の日本人のメンツを見ると、他の業界から転向組みが多いな。
アマレス出身は鶴見・奄美くらいかな?
結局ガチに強いって言われるのはアマレス・相撲・柔道経験者が多いよね。
草津・小林・マイティ・浜口・阿修羅。。。この辺はガチに強い云々という話は
聞かないな。
>>363 鶴見はもともと全日外人部隊にいたでしょ
その最強タッグにも途中から出てたし
モルガンから鶴見にパートナーが変わったというのは
アングルというより軽量のモルガンから泣きが入ったんだと思うが
剛竜馬はまあ木村が連れてきたのかな
血盟軍は正規軍やジャパン軍にくらべれば弱々しすぎたから
井上・寺西といった血盟軍入りしなかった元国際の選手や
消えてた原をなんとかうまく使って盛り上げて欲しかったなあ
血盟軍といえば全日の試合見に行ったときに50歳位の
オヤジが木村や鶴見に本気で罵声をあびせてたよ・・・・・
当時厨房の俺でもオイオイと思ったが
今思えば幸せな時代だったもんだ
370 :
お前名無しだろ:03/10/06 23:47 ID:kxxV0jpj
>>365 ラッシャーは元々プロレス入りしたくて、相撲界に入ったのも体を作るため
だったと聞いた事があります。
力道山存命中に一度は入門を請い、確約はもらっていたそうです。
371 :
369:03/10/06 23:47 ID:???
そうそう、思い出した
「お前ら国際にカエレ!」とか野次ってた
帰れるかってのw
372 :
お前名無しだろ:03/10/06 23:57 ID:ofTUouu5
>>370 それが本当なんでしょうが、異説として宮城野部屋の稽古を見学に行ったら
スカウトされ、気が弱くて断りきれず入門してしまったというのもありますね。
373 :
痴呆症:03/10/07 00:01 ID:???
テーズが「強い選手は誰ですか?」と聞かれ、
馬場や猪木の名が出る期待を裏切るように
「木村が強い」とか言ってなかった?
374 :
お前名無しだろ:03/10/07 00:10 ID:MNZJR7i0
アレックス・スミルノフが流氏のインタビューで木村を誉めていたそうですね。
「ボストンクラブとスリーパーしかない男だがキムラは実力者だよ」
しかし国際のエースとしてバリバリやっていた頃だから、
幾分ヨイショはあるでしょうが。
あと84年の最強タッグで馬場と組んで超獣コンビと戦った時に、ブロディが
木村をかかえ、そこにハンセンがコーナーからダイビングしてのラリアット
をかますという連携を見せていますね。
(右ラリアットを除けば)ハンセンがこんな「特殊な」ラリアットを見せたは
これっきりじゃないでしょうか?
これも木村のタフさに敬意を表して・・・は考えすぎかな?(笑
375 :
お前名無しだろ:03/10/07 00:25 ID:EkZ/VH51
>>340 >>341 亀レスすまぬ。
「安〜い安いよ立川電業〜〜」が正解。
因みに「紙のことならやまざくら〜〜、
やまざくら〜〜あめいしぃ」もありよ。
>>374 ダイビングラリアット→馬場が木村を見殺し→次週仲間割れ
というアングルだったかと
その試合で木村はジュースも出してるし、
ガチでの強さはともかくいい仕事してましたな
流智美さんといえば、大の国際マニアで、営業部長だった鈴木利夫さんからの依頼で
よく来日外人レスラーの出迎えを手伝っていたらしいね。
ブルーザー、ニック、クラップ、ストンパー、ジョー、スミルノフ、
ガニア、ジョージ、ルダック…といろいろ出迎えた。
ブルーザーを車で出迎えた時はあのギャングのようなダミ声で
後部座席から話しかけられ、とても恐かったそうです。
流さんのマニアとしての興味対象は国際プロの影響が大なんじゃないかしら。
シュートレスラー、ランカシャーレスリング、B級C級レスラー、レスラー仁義・人情・・・・・・
コアなところは正に国際プロレスと言う感じだけど。
>>367 そりゃそうだよ。
相撲や柔道は格闘技。元々相手を倒す競技。
小林や井上はボディービル。相手を倒して勝つ競技ではない。
元格闘技出身の方が、個人技スポーツよりガチで強いのは当たり前。
その点で言えば、馬場も元野球選手なんだから、
ガチでどうこうなんていうモノサシで語るのは酷だ。
プロレスは強さより上手さだよ
>>370 それ、ラッシャーの著書『猪木へのラブレター』に
出てた話じゃない?
それによると確か、十両に昇進すると地元で後援会とかができて
簡単に辞められなくなるから、幕下のうちに無理やり髷を切って
日プロに駆け込んだとか。
あの本では新日との抗争までで終わってたから、是非続編を出して
その後のU,全日、ノアのときの話も書いて欲しいね。
382 :
sage:03/10/07 11:28 ID:2B8Uq0Xo
俺にとっては木村のベストはvsニックですね。
AWA奪取かって試合でニックも技受けすぎでレフリーのテーズがどうしようか
と思ったくらいの試合でした。
最悪はやっぱり猪木との3対1です。
こんなアホらしい試合、あの頃よくやったと思います。
いまのWWEそのまんま・・・
特に二回目だったかな、木村が小鉄の高速カウントで初めに退場って
バカ丸出し。
猪木戦では大阪で猪木にどつき回された試合が逆に木村凄いなっと思ったよ。
..
>>382 高速カウントなら木村が負けても傷つかないし、
3対1なら猪木が負けても傷つかない、
という理屈じゃないかしら?
今日久しぶりに猪木vs国際軍団のビデオを見る(失業状態なので・・・
初対決は木村、猪木とグランドでも互角な戦いしてます。
特に木村のクロックヘードシザースとか足首を決めるなど。
それが2,3戦目となるとじょじょに猪木中心の試合になって行きますが
その辺が新日らしい展開(ブック)と思われる。
2戦目だけです、猪木が木村の技受けたの
他はチョップと蹴りの対決と腕十字中心で、最後は猪木のナックルパートko
で喧嘩ファイトも猪木が強いという落ちでしょうか?
最後の方は木村は少し痩せてますが、かなり心労もキツカッタのでしょう。
>最後の方は木村は少し痩せてますが、かなり心労もキツカッタのでしょう。
だって当時、自宅にもアゴヲタから落書きとか投石とか散々嫌がらせされて、
長年可愛がってた自慢の愛犬も死んじゃったっていうじゃない。
木村本人ばかりか、奥さんや子どもの心労だって相当キツカッタはず。
そんなひどい扱いによく耐えたものだ。何度も逃げ出そうと思っただろうに、
義理堅い木村のこと、自分の力不足で会社を潰してしまったという後悔の念と、
猪木や新間にいいようにもてあそばれる吉原社長への忠誠心がそれを
思いとどまらせたんだろうね。
でも木村の2人の息子って、どっちもできが良くて、一流大学を出て
堅い職業に就いたらしいね。
あんなシビアな環境でありながら子どもがちゃんと成人したあたり、
木村の人柄がよくわかるよ。
国プロ崩壊後に始まった吉原―新間の対抗戦交渉。
しかし雇用者と被雇用者の力関係の優劣は歴然、
おまけに原や井上の離脱というマイナス材料もあって、
内心「バカにするな!」と思いながら席を立つこともできず、
新日が次々に出す屈辱的条件を呑まされる吉原社長。
吉原「すまん、木村。わしに力がないばかりに。こんな試合しか組んでやれんで」
木村「いいんすよ、社長。わしら社長についていくだけ、社長の
まとめてきた話通りに試合するだけですから」
こんな泣けてくるやりとりがあったんだろうな、きっと。
大阪で猪木にノックアウトされた試合は木村は歩行困難な程
腰痛に苦しんでいた。
だから技は頭突きのみ・・・・猪木はその事を後に知ったらしい。
新間!そんな大事な事猪木に言っとけ!
もし、木村に何かあったら猪木もアウトだったんだぞ
ストロング金剛っていなかったっけ
ラッシャーは意外にテクニシャンで、人間風車も得意技だった。
力士出身にしてはなかなかの形で、安田の美しくないそれと比べると歴然だった。
あと怪力ファイターらしく、ダブルアームの体勢から風車吊りもよく見せていたね。
ついでに猪木vs木村3戦目、大阪で木村ショボイリングアウト勝した試合
なんですが、試合のはじめロープ際で木村が猪木の肝臓あたりパンチを入れて
猪木がやたら痛がってます。
これが幻の肝臓破り水平を打てなかった木村の意地でしょうか?
謎ですが・・・・・
>>390 肝臓破り水平くらって悶絶する猪木の醜態見たかったなぁ。
あの猪木のエエカッコしいにフラストレーションたまってた矢先、
そんなシーン見られたらどれだけ溜飲が下がったことか。
>>391 何故か国際側のコーナーにいる小林。
金剛になって猪木の毛切った時は笑たけど。
>>393 あれは旧知の国プロ勢が参戦したため
里心がついて寝返った、ってアングルじゃなかったっけ?
国プロ軍の小林としてのファイトはほとんど見られなかったけど、
もうまともな試合のできるコンディションじゃなかったのだろう。
木村には猪木と金網でやってほしかったな 1回くらい勝たせてくれたかも?
今、酒飲んでます。
木村がバションからIWA奪取した試合見たかったなぁ〜
金網でボストンクラブでKO
金網、これブックでもやってもいいって吉原社長のサインだったかな
あの、何も言わない木村が何度も猪木にせまり猪木は完全無視だったらしい。
ヤフオクに国際の映像でてるよ。
国プロがマイナーで終わったのは木村が地味だとかTVとか色々あるが
俺はヒールの真がいなかったことが最大の原因とおもう。
特に全日ブッチャー、新日シンの時はチャンスだったのよ吉原社長!
その当時国プロはどうしてもバションだった。
ほんとはセーラ・ホワイトをヒールのエースってよていじゃなかったのかな。
バションは向こうでも超売れっ子で中々これないし。
セーラ・ホワイトなら背丈もあってブレイクしそうだったのに
ジョー、カマタなどシリーズ毎に終わる展開が原因ではないかと思う。
ホワイトは人間的にも問題あったか?
それと木村、何故か上田には弱かった・・・・
やはり先輩意識が強かったか?
んで、ほんとのマダラ狼登場で上田が木村からIWA奪取!
このアングルだけは俺はいまだ謎です?
誰か解説できる人います?
まぁ〜フィニッシュは凶器突きですが。
>>375 ビデオで54年のビッグサマーシリーズの提供を見ると
竹中建設、清酒力士、ホテルニュー塩原、第一家庭電器、
アトムハウスペイント、サム紳士服センター、となってる。
月曜8時の時間帯は6年間放送されたから、時期が違うだけで
340も341もどっちも正解でよろしいと思われ。
>それと木村、何故か上田には弱かった・・・・
>やはり先輩意識が強かったか?
これは木村本人よりも吉原社長に原因があったのでは?
同じ日プロ出身の先輩後輩でも、
上田と木村は力道山にしごかれたそうでないかという違いがある。
自身力道山に重用された吉原社長は、力道山に鍛えられた選手が好みで、
自分とこのリングにそういう選手を引っ張ってこれなかったことを悔いていたらしいし。
ところで、上田も木村も一時期十字チョップをフィニッシュでよく使ってたけど、
これは上田が先で、木村のはそのパクリだったっけ?
それとも違う> 詳しいヒト、情報キボンヌ!
クロスチョッブみたいな、しょうむない技フィニッシィは上田(イトー)以下
海外田吾作組でしょ。(清見川)
たぶん海外プロモーター指定のオリエンタルクロー以外の日系の技じゃない。
木村は痛め技で及び見た目で使ってたけど。
>これは上田が先で、木村のはそのパクリだったっけ?
中途半端なソースだけど、パクリでない事は証明できる。
昭和51年春に鶴田の試練の十番勝負第2戦の一本目は
クロスチョップ→ブレンバスターで木村がフォールしている。
上田の国際参戦は、その年の夏だったか秋だったかでしょ?
404 :
お前名無しだろ:03/10/07 23:21 ID:hIovhAoC
>>387 あの大阪の一戦は
逆に木村が満足に動けなかったから
ああいう試合になったんだろ。
技のやり取りで見せられないから
叩きのめして強引に終わらせた。
俺はむしろ、下手すりゃ暴動が置きかねない
状況で気の荒い大阪の客を満足させた
猪木のセンスを感じたよ。
こういう芸当は、木村にはできないだろうなぁ。
ヨーロッパかなんかで清見川に木村が伝授されたんじゃないっけ?
クロスチョップ。
>>404 そうかな、木村メインの最後の試合ってな感じで
あれは猪木やりすぎじゃない
リアルで見た時は猪木無茶苦茶するなぁ〜と思ったけど
今、考えればやっぱり猪木ってな試合と思う
407 :
375:03/10/08 00:24 ID:5YymDSZb
>>405 伝授って、あんなのただ十字に構えた腕をカウンターで相手の
喉下に打ち込むだけじゃん。何か他に極意があるのか?
まあバックドロップなんかもテーズから伝授されたっていって箔つけたりするけど、
清見川じゃね。
結局日本でも、クロスチョップと言えばマスカラスのフライング式のほうが
メジャーになっちゃったしな。
木村のクロスチョップは体重をかけて打ってるので説得力あるが
上田はパンチの要領で腕を伸ばして打つので威力あるかどうかは?
>>409 上田の十字チョップ、ロープから跳ね返ってきた相手に決まる時は説得力あったよ。
日本人選手としては長身の部類だし、
対戦相手の多くが自分よりチビだっただけに、打ち下ろす感じで見栄えよく決まってたからだろう。
猪木坂口はともかく、小林長州クラスまではあれでよくピン取ってた記憶がある。
田鶴浜さんの話では日本人で始めてパイルドライバーやったのが上田だそうだ
へぇ〜上田ってそんな技使ったんだ。
へんなコブラとカルテッドクロー&クロスチョップしか印象にない。
いざという時は腕がらみ ですよおぉぉぉ!!!
411ですが私も実際観たことない
上田のパイルドライバー
おぼろげな記憶だが全日でシンと組んで馬場・鶴田のインタータッグへの
最初の挑戦で鶴田と一本ずつ取り合った、その時にフィニッシュにした気がする
416 :
お前名無しだろ:03/10/08 21:26 ID:zNJfHtxL
誰か田中忠治の試合、あるいはリアルタイムで姿を見た人はいませんか?
S51年ごろ、1度だけミスター珍とタッグを組んで、鶴見・浜口組と試合をやったのをテレビで見たような気がするんですが。
彼は国プロでどんな扱いだったのか? 私生活は? 引退前後の事情は? その後の消息は? ・・ 興味の引かれるレスラーです。
417 :
お前名無しだろ:03/10/08 21:32 ID:zNJfHtxL
小5の時、初めて国プロのTV中継を見た。その陰気臭さ、マイナーさ・・になぜか引かれた。
同じくプロレスファンの友達と、レスラーデビューするならどの団体がいいか?って話をした時、みんな「俺は新日」「俺、全日」という声が圧倒的な中で、俺だけが「国際プロレスの若手」と答えて
ものすごい変人扱いされたものだった。今となってはしゃれにならない笑い話なのだが。でも今でも好きです。国際プロレスまんせー!
>>417 オイオイ、国プロに入ったらあのキモイ、キャピタルの黄色い
トレーニングウエア着なくちゃいけないんだぞ。
昔、高田馬場界隈でそれを着て歩いている米村と高杉を見た
けど悪い意味で際立ってたな。ちなみに身長167cmの俺が見て
も小さいな〜、って印象だった。
田中忠治は昔ゴングで地元でザ・キラーと金網デスマッチで勝った
と白黒グラビアで見たことあります。
TVでも見たことないし・・・・印象ないです。
420 :
お前名無しだろ:03/10/08 22:02 ID:zNJfHtxL
>>418 「オイオイ、国プロに入ったらあのキモイ、キャピタルの黄色いトレーニングウエア着なくちゃいけないんだぞ。」
そうそう、あの「キャピタルの黄色いトレーニングウエア」!
あれが好きだった。
子供心にも、全日・新日に比べて弱小団体であることが感じられ、判官びいきも手伝い、心引かれたのだろう。
421 :
お前名無しだろ:03/10/08 22:08 ID:DOMkUpSG
>>416 パティ・コルトとかいう外人とライトヘビー級のタイトルマッチを
勝つまで何回もやってたような記憶があります。
まだガキだったので「弱くてつまらんレスラー」くらいの印象しか
ありません。
今見れば、もっとちがう所も見えるかもしれません。
>>421 一応売り出そうとしていたのか
うっすらと思い出しました、見たことないが
>>418 >>420 キャピタルウェアってグリーンのバージョンもなかったっけ?
昔全日との対抗戦で木村と鶴田が対戦したとき、
木村のセコンドの国プロ勢はグリーンのキャピタル着てたような。
そういや団体が潰れた後の新日との抗争では、
木村たちはキャピタル着てなかったね。
団体より先にブランドが潰れちゃったのかな?
424 :
お前名無しだろ:03/10/08 22:46 ID:FvGF6C8K
>>423 >そういや団体が潰れた後の新日との抗争では、
>木村たちはキャピタル着てなかったね。
つーか、その時点ではもう新日の一員だから。
スレ違いだけど全日のウエアもキャピタルじゃなかった?_
426 :
お前名無しだろ:03/10/08 22:50 ID:FvGF6C8K
>>416 日プロ時代、豊登の付き人をしていた関係で、
東プロ→国プロと、豊登と行動をともにした。
ミツ・ヒライと同期で、馬場や猪木よりも先輩レスラー。
忠治はリングネームで、本名は別だったと思う。
>>425 そらそーだよ。
ミスター珍が全日にキャピタルを紹介したんだもの。
最初は自分を売り込んでいたんだけどね。
キャピタルにミスター珍はFMWに上がる前は就職してましたね。
ミスター珍は日プロから国際にどう移籍したの?
新日登場の時は特別レフリー若松がグリーンのきてます。
背番号もあったはず
431 :
名無し:03/10/09 17:10 ID:vE8B4d+f
>>423 今日、家でジャンボ鶴田最強列伝1?のビデオ以前買った。そこには
昭和51年3月の鶴田対木村戦があるので見てみるよ。
432 :
お前名無しだろ:03/10/09 22:24 ID:a9R47I0q
剛竜馬のタッグマッチがあまり記憶にない。IWAワールドシリーズ時のサンダー杉山くらいか?
あと1度R木村と組んで、Wアンガス・Mインベーダー(?)とやったのがテレビで中継された記憶がある。
マイティ井上あたりとタッグを組めばよかったのにと当時思ったが、やはり国プロでも浮いた存在だったのか?
433 :
お前名無しだろ:03/10/09 22:46 ID:a9R47I0q
今考えると、寺西勇っていいレスラーだったよな。
当時出世の登竜門だった海外遠征の経験が寺西は短期の東南アジアサーキットだけだった。
あのレスリングテクニックは当時の外人レスラーも舌を巻いたそうだ。
彼にもう少し欲がありゴッチ道場で修業したり、あるいは、もう少し遅く生まれていれば、寺西の扱いも全く違うものになったと思う。
>やはり国プロでも浮いた存在だったのか?
離脱して藤波に挑戦したのが22か23のとき。
なんつうても若すぎたよ。
カルガリーでは長州と一緒だったそうだが、
体育会の先輩至上主義が骨の髄まで染み込んでいる長州は
5歳年下の剛をさんづけで呼んでたそうだ。
435 :
お前名無しだろ:03/10/09 23:00 ID:a9R47I0q
>>434「離脱して藤波に挑戦したのが22か23のとき。なんつうても若すぎたよ。」
そうだよな。あまりに若くして性急に出世街道を駆け上り、こけてしまった・・という典型的なパターンだ。
剛の失敗はわれわれレスラー外の人間にとっても他山の石かもしれない。
もっと時間をかけてでもじっくりレスリングに打ち込むべきだったのだ。
ところで、剛は国プロに入団する前に、日プロの練習生だったこともあるらしいな。
だとすると、あの藤波とも接点があったかも。
それを考えると剛は日プロでデビューして、崩壊と同時に新日か全日に行っていたらそのレスラー人生も全く違うものになっていたに違いない。
ひょっとしたら剛は藤波以上のレスラーになっていたかもしれないよ。
人間の運命なんてどう転ぶかわからないものだ。
>あのレスリングテクニックは当時の外人レスラーも舌を巻いたそうだ。
なんか昔の国プロのパンフレットにそんなこと書いてあった記憶があるな。
それよりオレは、そのパンフレットで始めて知ったマンモス鈴木の存在に驚いたよ。
かつて馬場や猪木と並び賞された大物が、もうとっくに現役退いて
マイナー団体のレフェリーやってることにショックを受けた。
残念ながらその日の試合では見られなかったけどね。
>ところで、剛は国プロに入団する前に、日プロの練習生だったこともあるらしいな。
>それを考えると剛は日プロでデビューして、
もちろん剛本人もそれを望んでたんだろうけどかなわなかったね。
剛が国プロ受けたのは、ある日プロ関係者からうちではデビューさせてやれる見込みがないからと
吉原社長を紹介されたのがきっかけらしいし。
国プロのパンフレットでは、日プロ時代の話はなかったことになってたけど。
でも中卒すぐの15歳、線細い、アマ実績ナシっていうなら藤波だって同じなんだよな。
藤波はOKで剛はダメだった境目は一体何だったのだろう?
437 :
プロフェッサーイトー:03/10/09 23:44 ID:6Xvij+8F
上田がアメリカ転戦していろころ、あのダニーホッジからNWAJrヘビーをとったことがある。
その時の必殺技がパイルドライバーだった。
>>437 それが昔の上田の売りだったですね。
でも上田のプロレスって俺的には非常に退屈でした。
Mインベーダーって、あのホセ・ゴンザレス?
カマタとコロンの時にも来てなかったなぁ〜
アンガスの時は知らん
アンガスのフィニッシュはシュミット流でしたっけ?
>>433 寺西は初代佐山タイガーとの試合がベストでしょ
手があったんでしょうね
国際軍団では一番扱いがよかったのでは
八木の時代から吉原さんの事、考慮しゴングなんか欧州遠征の話しなんかが
小さい記事で扱われていた。
今から考えれば、雑誌社も持ちつ持たれつでいい仕事してました。
もともと寺西はラフファイト向きの選手じゃなかった。
それを、「国際はぐれ軍団」などと無理やり悪役にした、
新日が悪い。
早いうちから星野や木戸、藤原あたりと絡ませたり、
若手の壁役にしてやるべきだったと今でも思う。
>>441 そうなんですか?
顔つきはラフファイターですよね
初代タイガーの最後の試合では
物凄い打たれ強さを見せていましたね。
顔面を硬いブーツで蹴られるわ、顔面に肘をモロに落とされるわ、
でもちゃんと反撃してたもんなぁ。
445 :
名無し:03/10/10 17:54 ID:b0PVsW35
>>444 IWAミッドヘビー級チャンピョンだよ。また、キッドと時間切れ引き分け
もやっているよ。
>>444 浜口&井上は ”和製ハイフライヤーズ”だったぞ
井上もカーペンティアでは?
448 :
お前名無しだろ:03/10/10 20:28 ID:cXLG+iiC
浜口は和製ブルーザーだぞ。
国プロは国際のくせに和製が好きなのな。
小林は和製人間発電所だったんだぞ!!
450 :
お前名無しだろ:03/10/10 22:46 ID:pDxrOt1E
>>436 「藤波はOKで剛はダメだった境目は一体何だったのだろう?」
プロレスとは関係がないが、生まれ育った家庭環境によって形成された人格だと思う?
藤波は生まれ育ったのはごく普通の両親がそろった家庭だ。まあ「育ちが良い」といっていい。
日プロ練習生当時も「素直で純真な子供」そのもので練習も熱心だったから先輩レスラーにかわいがられた。
それに対して剛は極貧、小さな弟妹が下にもいる母子家庭だ。
中学生時代から「新宿2丁目」の富士ソバでアルバイトをして母弟妹を食わしていたという。
この仕事場所から推察されるのは剛は、まだ年少の頃から大人社会の極北・底辺のいびつな空気を吸ってきた。
変な「世間」を知ってしまい、子供にしてはどこか純粋でない部分があったのかもしれない。
そして「育ちの悪さ」から何とか抜け出そうという、上昇志向が見え見えであった。
また往年のファイトぶりから推測されるのは、対戦相手のことを考えず、自分が目立つことしか考えない。
だから剛をかわいがっていたという先輩の話はあまり聞かない。
でも藤波と剛を比較して持って生まれた天性の素質というか運動能力を考えると俺は断然、剛竜馬に軍配を上げる!
藤波みたいな「育ちのよさ」があれば剛はきっとAクラス級のレスラーになっていたはずだ。
>>448 WWAでメインはったみたいです。
あの頃の日本海外組みは恐ろしくレベル高かった
ホントの逆輸入ミスター・サクラダ>これも国プロ
>>450 言えるな
藤波なんか売り出した頃、ファイトのファンはふ〜んてな感覚でした。
剛(八木)は皆が協力したが
それが何だったのかわからなったんだろうな
人生って複雑だ!
>>450 阿修羅の試合やね
まったく酷い試合だった・・・・
>>451 >>ホントの逆輸入ミスター・サクラダ>これも国プロ
桜田って国プロに関係あったっけ?
ミスターヒトならわかるけど
>>454 新日がプレ日本選手権、国プロが日本オープンだったかな
全日から参加の目玉がサクラダ&石川だった
海外で実績だして参戦
ゴングでもサクラダをちょっとプッシュしていた。
でも、あの頃はサクラダみたいなキャラはまったく受けなかった。
俺はガキながら注目してたけどね。
456 :
お前名無しだろ:03/10/10 23:09 ID:pWhVlSUz
>>455 >国プロが日本オープンだったかな
日本リーグ争覇戦。
石川はその頃は一応フリー。
たしか、桜田が背広の記者会見で乱闘をやらかしたと記憶している。
当時の12CHは、その模様をうつし、次に馬場の笑顔をうつしていた。
457 :
454:03/10/10 23:22 ID:???
>>456 78年の日本リーグ争覇戦のことか、たしかに桜田はそれなりに目立った
しかしあれを、国プロの逆輸入というのか?
もっとも桜田は79年の新日のカルガリー遠征時の特番にもたしかミスターヒトとの
コンビで出てた、当時、全日所属で新日の放映に出るってのは結構凄いな
団体を超越した存在の先駆けか
逆輸入レスラーの正確な定義など知らんが
所属レスラーの帰国や提携団体からの斡旋を逆輸入とはいわんだろ
でも敢えて逆輸入レスラー最初の大成功例といったら
国プロが仕掛けた、上田馬之助だろう
459 :
お前名無しだろ:03/10/10 23:58 ID:pDxrOt1E
>>452 「剛(八木)は皆が協力したがそれが何だったのかわからなったんだろうな. 人生って複雑だ!」
禿同!!
おそらく剛は自分だけでプロレスができると思い上がってしまったのだろう。
なにせ海外修業から凱旋帰国した時は「20歳!」だぜ。
若さゆえ周囲の大人の自分に対する気配りに気づかなかった。
ある意味で剛竜馬のプロレス人生って、あのケンちゃんシリーズの宮脇某のタレント人生に似ていないか?
若くして周囲におだてられたこの2人の人生には多くの共通点があると俺は思うのだが。
ところで、もし藤波が国際プロレスでスタートしていたら、きっと剛以下だっただろう。
本当に藤波って、運がいいレスラーだったんだな。
日本リーグ争覇戦がサクラダの日本での一番花だったって
思うのは俺だけか
顔わるいからマスク被せるなよ馬場さん
ドリームマシーン
国プロはスミルノフ登場までブックが悪すぎ!
これは吉原さん責任大。
木村なんかギル・ヘイズに一本とらしてるのよ・・・・
オックス・ベーカーが来た時に木村とスミルノフにブックまかしたのか
それから少し面白くなったけど。
でも、上田やヤマハに負けるって吉原さんの心境はよくわからん。
スミルノフとストンパーが送りつけてきたビデオがよかった。
三本指とチェーンを突き出して唾を飛ばしまくりながらアピールするスミルノフ
画面一杯に映りこみ倒れんばかりに顔を真っ赤にさせてトんだ眼でアジるストンパー。赤いヘッドギアが印象的でした。
>でも敢えて逆輸入レスラー最初の大成功例といったら
>国プロが仕掛けた、上田馬之助だろう
IWAのベルト巻かせてあげたのに逃げられちゃったから結果的にはどうかな?
力道山にしごかれた選手がどうしても欲しかった吉原社長にとって
上田の獲得は渡りに船だった。それに日プロ崩壊以後のいきさつを考えれば、
国プロで多少いい目を見れば新日、全日にはまずいかないだろうという読みがあったのだろうけど、
上田はあっさりと新日に、そしてその後は全日にも移ってしまった。
上田は吉原社長が考えるよりはドライな商売人だったんだよね。
>>465 国プロの成功例ではないね
逆輸入レスラーとしての成功例
>ある意味で剛竜馬のプロレス人生って、あのケンちゃんシリーズの宮脇某のタレント人生に似ていないか?
>若くして周囲におだてられたこの2人の人生には多くの共通点があると俺は思うのだが。
黒ネコのタンゴの皆川おさむとか
念力の関口少年とか
大五郎の西川某とかもみんなそうね。
子どもは子どもらしくというか、
あまり早くから周囲が大人ばかりの世界に入るのも考えものだね。
剛とジェシーバーとの友情?て何?
>>468 別に友情とかじゃなく、ルートでお互い合意したんじゃない
どうでもいいテリトリーで
ブルースブラザーズはよかったけど、剛はうけれんがな(-_-;)
剛は俺的には新日だな
八木の時代から、あの金のない国プロから投資だけしてもらって
何もせず良い企業にいった、クズのサラリーマンだわ
おまけに原あいてに、どうしようもない試合して
あの小鉄ですら、これは使えんと思ったんだろう(無意味な反則勝ち
まぁ〜、ねっからのバカってこいつのことだろな
ガキの頃の不幸なんか売りにするな!
プロレスバカじゃなく、世の中をなめたバカだ剛は。
470 :
お前名無しだろ:03/10/11 23:54 ID:to9zyzdX
>>469 おまけに原あいてに、どうしようもない試合して
あの小鉄ですら、これは使えんと思ったんだろう(無意味な反則勝ち
剛対原の試合ってどんなだったの?残念ながら俺は見れなかった。
試合後、原がG草津にふがいなさをビンタされたそうだよね。
プロレスのスレを見るととにかくどうしょうもない試合だったというが。
詳しく知っている人、試合の状況を教えて!
>>470 新日がブック関係なしにやれって言う、腐った試合だった。
きっと新間なんか頭割れそうじゃなかったかな。
浜口には受身の取れないトペで健吾が失敗!
剛は調子にのって緊張してる原にまったく技を出させない。
見てるほうが気分悪かった。
これから新日の崩壊が始まったって思うのは俺だけか?
それと上田は日プロ離脱後、ローカルエリア転戦
リップタイラーとか、ほんとの二流連中と車で移動していた。
吉原さんがいくら力動の教え子が欲しいって
これじゃ井上・寺西・木村が浮かばれんがな
もうイッチョ
木村がはじめて猪木に挑戦表明は吉原さん抜きに選手会表明だったん
ですよね。
これってプロレス風マジネタじゃなかったんじゃないでしょうか?
ゴングでは意味深く挑戦に意味を解説してましたが・・・
時代を超えてました国プロは
あのころからガチ勝負しようとしたのか?
474 :
お前名無しだろ:03/10/12 00:49 ID:/giJGoxB
若手の鬼コーチ役として、全日にはマシオ駒(S51年死去)、新日には山本小鉄がいた。
国際プロではそれに当たるのは誰だったのか?
剛、鶴見、原を育てたのは?
もしかすると超ベテランの田中忠治やミスター珍、長沢秀幸だったのか?藁)
国プロ道場には鬼コーチは存在しなかったのか?
もしそうなら、若手が育つはずもない。
道場の主のような鬼コーチがいなかったことも国プロ崩壊の遠因の一つではないか?
>>474 若松がコーチじゃなかったっけ?
無茶苦茶厳しかったみたいよ
冬木が全日とはやりかたが違うって泣いてたけど。
476 :
お前名無しだろ:03/10/12 02:09 ID:Hx9S9UXZ
すいません、剛vs原の話題が出ましたが
藤波vs原はどうなんですかね…
何かフィニッシュが三角締めって当時は珍しかったですよね
決まった後にセコンドの若松がレフェリーにやたら怒ってた感じでしたが…
>>470 あの試合小鉄がレフェリーじゃなかったっけ?
確か最後は放送席の机にアトミックドロップ仕掛けたときに反則裁定にしてた
ような記憶がある。
でもあの試合を見て「原はまだまだ剛に及ばない」とか書いてた節穴評論家もいたけどな。
>>473 吉原社長の忠犬だった木村が一人でそんな大それたことするはずない。
あれは全部吉原社長が後ろで糸引いてた。
小林の完敗劇で価値を貶された国プロとしては、新エースの木村に
挑戦表明させておく必要があったんだろう。
でも全日との提携を本格化させていた当時、猪木と対戦させる意志が本当に
あったとは思えないけど。
今日、某青果市場で試合前の鶴見五郎選手に握手してもらいますた。
25年ぶりで、白髪がふえてますたが身体はパンパンにパンプしており
さすがだな〜と思いますた。
つまらなくてスミマソン。
>>477 厳しい意見だな、でもそれも事実・・・・
誰も言わないけれど、国プロの失敗の原因は吉原さん
とにかく判断ミス多すぎたな
剛竜馬に関するネタをひとつ。
昭和57年の闘魂シリーズでボブ・オートン・ジュニアと対戦。
オートンのバックドロップホールドで敗れた後の花道。
ひきあげようとする剛の前には一人の中学生が。
すると、剛はその中学生に向かって一言…
「どけっ!貴様っ!」
どう考えても順当負けなのは誰の目にも明白なはず。
それをたまたま目に入った中学生に向かって大の大人が…。
このとき、何人かの仲間と一緒だったんだけど、
その後、誰かが前にいると「どけっ!貴様っ!」。
思いっきりネタにさせてもらいました。
>>476 そりゃ怒るデしょ
反されない技をいきないやったからね
>>476 あんときの原細かったね。
筋肉質のボディにちっちゃい黒パンツが似合ってた。
全日上がる頃には豆タンクみたいになっちゃってたけど、
やっぱり減量きつかったんだろうか。
それと、誰かデビュー当時の原の写真持ってたらウプしてほしいな。
あのネグリジェみたいなコスのインパクト、今でも忘れがたいよ
新日はこんなことやったらどうなるかって国プロで
試してたんだろうな
そこを解ってるのに吉原さんは黙っていて、なにもしない・・・
最後はエンフォーサみたにな大根あいてにやった
国プロの最後のメンバーってほんと人間的に凄いよ
バカ猪木よりよっぽど、良い人だな
477
トップロープにアトミックドロップの要領で原の股間を打ちつけたんじゃ
なかったっけ? そんな記憶が・・・
あの、興行見に行った. 永源がもの凄くでかく見えたのを覚えている.
他にも,パワーズとニックが来てた時や稲妻二郎凱旋興行&マッハ隼人の後楽園デビュー戦(対鶴見五郎)
とかも生で見ているなぁ.
俺昔ロイヤルホテルで馬場と遭遇したのよ
普通に挨拶したかったのに、何か詰まらん奴がやたらヘコヘコもとこと
喋りやがって、俺は握手できなかった
国プロねたじゃなくてすみません
>>483 エンフォーサーは確か西海岸のマットでトップヒールとして活躍してて、
当時はまだ月刊だったプロレスやゴングで幻の強豪みたく紹介されたから、
興味を持った新日が呼んでみたら禿しく塩だった。
普通はその時点で相手にしないものを、
そういう選手をエースで呼んでしまうというのが、なんとも国プロらしかった。
12チャンネルにも見放された当時は、ジョーみたいな常連以外は
こんなのしか呼べなかったんだろうな。
>>480 特殊学級の人だったんですね、剛(八木)って
>>474 アニマル浜口が道場長だったんじゃなかったかな。
練習熱心な浜口を吉原社長が認めていて「道場内では誰であろうと
浜口の指示に従う事。」という通達を出していたと何かで読んだような
覚えがあるけど。
>>488 そのときの経験が今のジム経営とか
何度もアマの世界チャンプになった娘の育成に生かされてるんだろうな。
レスラーの副業や引退後の第2の人生としてのジム経営って
U系のイメージが強いけど、浜口のはパイオニアにして最も成功した1つ。
レスラーのジム経営ってのも、そう考えると国プロ生まれのビジネスモデルかも
>>486 最後の新日ダメオシでしょ!
新間=猪木って陰険だな
だのに吉原は沈黙・・・・
今日は日曜日だったんだ・・・・
浜口エアプレーンスピン(死語
>>490 エンフォーサーって新日から押し付けられたの?
どういう契約だったのか知らんけど、ホントならひどい話だな。
まあ末期の国プロは外人えり好みなんかできなかったから、
BC級でもブッキングできれば幸いだったのかもしれないが
>>492 ゴングなんか、無理から盛り上げる内容書いていた。
あのドンクサイ坂口が2分で終わった相手よ。
あの頃の雑誌記者はやさしかったなぁ〜
ターザン見習えって、こいつも剛までいかんけど
勘違いはなはなしいアホやね。
読み手はもっと知ってるって解ってないのよ<=バカ
494 :
お前名無しだろ:03/10/12 23:26 ID:/giJGoxB
S52か53年頃だと思うけど、鶴見五郎とサンダー杉山の大乱闘ってなかった?
俺はその時、テレビ中継を途中から見て前の経過を知らなかったが、鶴見と杉山がシングルで戦って、杉山が鼻血(?)を出し、鶴見が狂ったように鉄拳を見舞っていた。
最後は杉山がソバット(?)で鶴見を蹴散らした。試合の勝敗はわからなかった。
そして、翌週その因縁を引きずって、剛・杉山組対鶴見・大位山のタッグマッチが行われた。
この試合はなかなかの熱戦で大技が出るもいずれもフィニッシュに結びつかず、最後は両軍リングアウトだったと記憶している。
あの杉山と鶴見の因縁は何だったのだろうか?
495 :
サンダー 杉山:03/10/12 23:28 ID:IL4lTEaA
アマレス時代の遺恨
496 :
お前名無しだろ:03/10/12 23:40 ID:/giJGoxB
497 :
お前名無しだろ:03/10/13 12:14 ID:+LE4uehi
ちょっと前に木村はガチでどうかという
話があったけど、それに関して思うことをひとつ。
木村は全盛期のガタイを見てもわかるように
決して「弱い」レスラーではなかったと思う。
でも木村には、いざとなったら何をするかわからない
というような怖さがなかった。
ルー・テーズがよくいう「殺戮本能」という奴ね。
アニマル浜口は確かに「木村さんは強い」といったが
その前に「もし本気で怒ったら」という前提条件を付けていた。
トップレスラーは、客を呼べる力とともに、掟を破った
レスラーに対して制裁を加える役目も求められる。
猪木や馬場、長州には、ガチの強さ云々の前にこれがあったと思う。
木村にはそういう「裏エピソード」がない。
だから、レスラーの中でも格下に見られていたのだろう。
性格的に非情になりきれないタイプだったんだろうな。
>>497 あまりにもショッパイレスラーが来た時
手加減しなかった試合が有りました。(相手は忘れた
499 :
お前名無しだろ:03/10/13 15:01 ID:2xIReXX7
>>497 猪木は、強い外人が来ると気後れして何も言えなかったらしいけどな w
>>499 新日で強い外人ってアンドレ(ロシモフ)くらいしか思い浮かばないなぁw
ロビンソンとボックか?
おっとルスカ&アレンか!
>>492 エンフォーサーは新日の斡旋というわけではないと思うよ
新日と国際の提携ってすごく波があって、あの時点では途切れていたと思う
エンフォーサーは新日登場前にゴングがとにかく煽っていた
推測だが、ゴングはロスに特派員がいて何か書かせなきゃならんのだけど、
当時のロスマットは斜陽期で、エンフォーサーくらいしかネタがなかったのだろう
ベーカーとタッグを組んだとか、上田がマネについたとか色々紹介していた
国プロがエースでの来日を発表した時はのけぞったが、その後にテーズ杯やるつもりだったので
スミルノフとかクインとかは温存したかったのだろうと解釈してた
503 :
お前名無しだろ:03/10/13 19:53 ID:2xIReXX7
クインは、凄く強い印象があります。
欧州ではバンでまわっていて。
イギリスではビッグ・ダーティー・リターのボディスラム一発で負けたなんて
情報があったけど
木村のクインの強さはやった奴でわからない
は、あの木村のコメントでも説得力があった
それも新日がぶち壊したけど
前座相手にはプロレスやったのはプロですね。(MSG
505 :
名無し:03/10/14 12:43 ID:9K66K1wI
東京12チャンネルで放送されたプロレスアワーの対戦カードを記録した
ノートが出てきました。昭和49年9月から放映開始で終わりは昭和56年3月28日で
定期放送を終えています。
クインはマジで強いんだがわがままでルール破りが多いのでアメリカでは干されていた。
地元カナダでも居心地が悪いんで後年は欧州エリアをジプシー的にサーキットしていた
>>505 早速質問ですw
昭和50年暮のオープン選手権関係の試合は
12chで放映されたのですか?
自分の記憶では力道山追悼興行のときの
木村−ラシク、草津−ホフマン、井上−マツダ
だけだと思ったのですが。公式戦でもないし
全日系の選手の放映はダメ出しだったのか確認
したいもので
508 :
名無し:03/10/14 22:16 ID:e5feyem0
>>507 昭和50年12月15日に木村対ラシクとNWAジュニア選手権マツダ対井上
が12チャンネルで放映されました。新聞のTV欄写したものなので
草津対ホフマンも放映したかどうかは不明です。
また昭和50年11月10日放映分で浜口・寺西対クツワダ・高千穂
戦があります。なおこれは、11月3日、17日も同じ会場からの
放映だと思います。昭和49年9月23日放映開始です。
木村・草津対グラハム・ラシクと小畑対ムーラの女子プロです。
509 :
お前名無しだろ:03/10/15 01:14 ID:1Wh/ymVO
>>508 NWAに加盟していない国際なのに、ジュニア選手権か?
ネルソンロイヤルのときは、馬場と新間がタッグ組んで文句いったのにな。
>>509 アフォですか?
別にNWA非加盟団体の選手が王座に挑戦しようと
問題ないだろ? 敵対団体所属選手の挑戦だったら
ややこしくなるがね。
それに井上−マツダは全日本のリングで行われている。
更に言うなら、馬場・新間がクレームを付けた件は、
王座から転落したロイヤルを王者として呼んで試合を
させた事が問題だったんだろうが!
>>509 そうじゃない。
別にNWA非加盟団体の選手が王座に挑戦しようと
問題ないはず。 敵対団体所属選手の挑戦だったら
ややこしくなるけどね。
それに井上−マツダは全日本のリングで行われている。
更に言うなら、馬場・新間がクレームを付けた件は、
王座から転落したロイヤルを王者として呼んで試合を
させた事が問題だったんだと思うよ。
朝っぱらから何で
>>510はそんなに怒ってんのかね
そんな書き方するくらいなら書き込まなきゃいいのに
ということで恥ずかしいプヲタ代表
>>510の代わりに
理性的プヲタの俺が適切な表現で書き直してやったよ
あのクレーム会見は馬場は新間に騙されたって聞いたけど。
木村・草津対グラハム・ラシクか、この時キューイズも来てなかったっけ。
この頃の木村の雰囲気が一番いいな、技も多かったし。
513 :
お前名無しだろ:03/10/16 00:59 ID:DFBnam6s
ワ〜イ、511は510に釣られた厨みたいだな〜w
その調子でいろんな人のレスをどんどん添削してくれっちよ(ゲラ
514 :
511:03/10/16 01:18 ID:???
>>513 応援ありがとうございます
これからもがんばります
昭和55年の暮れに来たドーベルマンとカルロス・プラた。
リング穴(飯橋って名前だったか、若い人)のコールがたぶんスペイン風に、
「カルロォ〜〜ス・プラタ〜」 「エルドべェ〜〜〜ルマン〜〜」。
キャプテンフォールデスマッチなんていうルチャファンはニヤリとするような
試合もやってた。
国際で行われたデスマッチは金網 チェーンのほかどんなのがありますか?
↑ ワフーVS草津のインディアンストラップ
518 :
お前名無しだろ:03/10/16 12:00 ID:Js1RShzU
国際は現在存続していたら、間違いなくメジャーだったろうに。
>>517 インデアンとチェーンは似てるからなあ・・ 新日本の釘板とか見てなんか考えなかったのかなあ
520 :
名無し:03/10/16 13:06 ID:6CPcxA1z
国際って昭和40年代まではいわゆる正統派レスラーも沢山参加していたんですね。
ロビンソン、ガニア、ロシモフ、ゴッチ等。それが50年代になるとラフファイター
が目につくようになりました。開幕から大荒れで最後に木村と金網で決着戦
という図式でした。一時草津をチェーンデスマッチの鬼として育てようと
いていたこともありました。しかし、デスマッチは吉原代表がアマレス出身だから
あまりしたくはなかったんだろうと思います。
521 :
お前名無しだろ:03/10/16 14:34 ID:l/NGUciz
「風車吊り」って技があったよね。
それなのに後期には乱発して 皮肉なものだなあ
ベーカーとテキサスデスマッチやってない、木村?
テキサス・・てどんなやつ?
525 :
お前名無しだろ:03/10/16 19:19 ID:/vqtGDi6
>>521 何か「4の字固め」のできそこないみたいな技もなかったか?
何だったっけ?
526 :
お前名無しだろ:03/10/16 20:46 ID:Ur3wFE4H
527 :
お前名無しだろ:03/10/16 22:04 ID:whicQF5A
国際が崩壊したのは、ひとえにエースである木村の
魅力が乏しかったから。
木村自身が、無口な性格だったから、マイク
パフォーマンス(後年はなぜかやるようになったが)や
リップサービスなどが苦手で
他団体に比べ、話題性で大きく差をつけられた。
記者会見の時なんかも、面白味のないコメントを
ボソボソ言っているようでは、マスコミも積極的に
取り上げてくれない。
ふだんの服装もセンスがなく、エースとしての自覚というか
見た目なんかにももっと気を遣うべきだろう。
こういう部分は、吉原氏がもっと指導すべきだったと思う。
木村にはこちらの想像を超えた「何かやってくれる」という
期待感を感じられなかった。
試合内容は決まって反則やラフファイトの応酬。とりあえず
流血して、最後に勝って淡々とリングを降りる。
何か訴えてくるものがなかったんだよなぁ。
528 :
GAN−DO:03/10/16 22:47 ID:JV4Pq2uS
はじめまして、GAN−DO(ちなみにギャンードゥと読みます)
私も国際ファンでした、後楽園の興行は小中学生無料の日がよくあり只見しました、
確か、原がWWUタイトルを取った試合も無料でした。
木村の喋りでのお気に入りは、三軍対抗戦の大阪をダイジェストで見た
「全く私はついてませんよ???????」リングで
後楽園で井上と組んで、斎藤・上田戦後のTVインタビューで
斎藤が「木村 お前ら大した事ないな」と言った事を杉浦アナに突っ込まれて
「あいつらこそ、レスリングではなく、只、暴れてるだけですよ」
(たしか上記の様な内容)と律儀に応えてた事です。
>>527 それらも勿論だが、プロレスといえば馬場や猪木、という風潮も。
つまり我々の認識が器量不足だった(かも知れない)。
530 :
お前名無しだろ:03/10/17 21:16 ID:iTtvmkFT
531 :
お前名無しだろ:03/10/17 21:23 ID:N7QdOTst
テレビ中継は首都圏しかなかったのも大きいね。当時は雑誌は月刊だから
印刷メディアへの露出もあまりない。そんな状態で巡業しても「馬場も猪
木も出ないの?」ってなるよ。
>>531 寺西がTBSから12chに移ったのがきつかったって言ってたよ。
だいたい木村に喋らすな!
でも、木村がIWA取った試合見たひといるの?
金網でのバションとの試合見たかった〜
テレビで奇跡的に見れたのは
井上がグラハムからとったIWAは無茶苦茶感動もんだったけど・・・
逆さ押さえ込み
俺はなんか木村がすきだったなぁ〜
高校でも、プロレス好きな奴が『木村か頭突きやな』とか言ったり・・・
バタバタした動きしか出来なかったけど
ブレーンバスターはやっぱり木村と思います。
ラッシャーはかなりの実力者だったと思うが決定的に華がなかった。
エースとして団体を引っ張っていくには荷が重かった。
ただヒールとしての魅力は、実は馬之助なんかよりずっとあったんだよね。
新間氏はおそらくそこを見抜いてたんじゃないかという気がする。
それがはぐれ国際軍団のブレイクにつながったんだと思う。
もし国際が「ヒールのエース、ラッシャー木村」というのを確立させてたら
また新しい形の団体になってたかも。
その辺の発想にもパイオニアでいられたらよかったのに。
>>535 あの頃はヒールのエースなんかいくら国際でも無理じゃない
でも、馬場・猪木相手に良くやったと思うよ
実力ではホントに強かったと思うよ
斎藤なんかどうしていいのかわからなかったんじゃない
上田は、馬場・猪木より先輩だったらしい・・・
だから好きなように出来た、いやさしてもらったんじゃない
新日の木村がヒール!
あれはただの猪木万歳でしょ!!!
537 :
お前名無しだろ:03/10/18 01:14 ID:YoCJ2ASm
>>533 ラッシャーがバションからIWAを獲った試合は
札幌中島でノーTVの金網だったはず。
TVではその試合の写真が何枚か紹介された。
イオラの記憶違いでなければ。
>>537 そうなんですか・・・・
確かゴングではIWA奪取だのに真中モノクログラビアだったような記憶
この辺が吉原さんがダメだったんですね
バションはシンのことボロクロ言ってた時代だったのに
ノーテレビって木村のこと、この歳になってますます好きになった!
木村なんて全然ヒール役こなせてなかったよ。
浜口や寺西が一生懸命チャチャ入れて盛り上げてる
姿勢に比べ、かなり温度差があっただろう?
大体、黙って猪木の張り手に耐えて打たれ強さを
PRしてるだけで、ヒールといえるかね?
スターの資質としては別に昭和49〜50年位の木村の
雰囲気が一番魅力があったな。
国際全体としても、草津・井上がまだ世界の一流
所と対等に戦えていた時期だったし、選手層に他団体
並の厚みが感じられた。
彼等が成り下がって、相対的に浜口がナンバー2と
評価される時期になってから、弱小団体のイメージが
確立してしまった、と俺は見ている。
夢のオールスター戦を見に行った人なら納得してくれるでしょうか?
例えて言うなら、90年代の全日四天王プロレスの頃に、
三沢や小橋が抜けて田上がエースになってしまった。
そんな感じじゃないかな。
とりあえず今いちばん強そうなやつだから、みたいな感じで。
このスレの話題とは違いますがZERO−ONEって面白いですね。
まるっぽ昔のプロレス!
橋本みて木村かと思いました(^-^)
>>540 ほんとは井上をエースにしたかったんじゃない。
やはり小さいのが問題だったのかなぁ〜
あのままエースで木村・草津が絶えずバックアップする感じだったら
面白かったと思うのですが・・・
井上やジョーのサイケパンツに子供の頃は
どうにも抵抗がありましたw
名前忘れちゃったけど営業本部長(だったかな)の
鈴木さんのリングアナウンサーぶりは格好良かったですね。
あのドスの効いた声、
自分の中ではあの人を越えるリングアナは未だに出現しません
544 :
お前名無しだろ:03/10/19 00:08 ID:11KdOR5v
その324は貴方ですね、543さん
小川は草津じゃないでしょ
ロビンソン?
>>537-538 自分は当時を知らない人間だけど、流智美氏があるムック本に書いていた
ところによると、当時のスポーツ紙は、この試合について一切取り上げなか
ったんだとか。
>当時のスポーツ紙は、この試合について一切取り上げなか
たんだとか
何で?
デスマッチのタイトル戦は認められない、との事なのか?
別情報によれば、シリーズ前の時点で最終戦での木村−バションの
金網戦は決定事項。王座が、井上→バションと移った流れから
急遽、件の試合はタイトル戦になったとの事。
それでも取材陣にとっては、ノーマークの興業だったとは思えないが
>>547 ベルトの移動の流れからしても、この一戦は小林離脱後エース不在だった国プロが
今後は木村をエースに立てるってことをアピールする意味があったわけだろ。
そういう重要な試合のパブリシティが全然できてないあたりが
国プロのダメッぷりを物語っているよな。
吉原社長は、TBSにいいようにかき回された挙句最後は捨てられたもんだから
マスコミ不信が強かったのかもしれないが、そのマスコミと上手く付き合わない限り
プロレス自体成り立たないってことをよくわかっていなかったのでは?
>>548 その前の井上vsバションが強烈な試合だっただけに吉原さんは東京スポーツと
小林の関係で移籍金もらったとしても、ギクシャクしてたのだろうか?
井上vsバションはタイトル移動試合だったためバションってこんなに
強いのかと思ったよ。
変形スリーパーで井上はほんとうに落ちかけてるのに
ギリギリで落とさないバションは凄かった。
上田がIWA奪取も大阪スポーツは試合結果に太字で書いてあっただけでした・・
そのかわりゴングが久しぶりカラーグラビアで上田がベルトにキスしてる
アングルは最高でした。
>上田がIWA奪取も大阪スポーツは試合結果に太字で書いてあっただけでした・・
>そのかわりゴングが久しぶりカラーグラビアで上田がベルトにキスしてる
>アングルは最高でした
でもその上田にあっさり勝ち逃げされて看板タイトルの威信に傷が。
日プロ崩壊、全日離脱の経緯からして上田は新日にも全日にも上がりづらかったはずなのに
こうも簡単に鞍替えしちゃうとはね。
上田は吉原社長が考えるよりずっとドライな商売人だったんだろうし、
まあ国プロの待遇も悪かったんだろうね。
>>550 結局、金でしょ。
上田もその頃かなりの負債があったって聞いたことある。
しかし、吉原さんは企業防衛とか戦略的にまったく何も出来ない
経営者だったと思う。
上田も悪かったと思ったのかその後国プロにあがったけど
ホントに最後の最悪の時に少しでも協力したら男をあげたのにな。
>上田もその頃かなりの負債があったって聞いたことある。
上田の借金はシャチ横内からみ。持ち家一軒手放したとか。
自分で幹部追放を仕切ってたわけじゃないのに日プロ崩壊時に一番の悪者にされたように、
上田はもともとお人よしで世渡り下手な性格。
多分借金も老練な横内に付けこまれたこしらえたんだろう。
でも、そんなお人よしの上田にさえ手玉に取られちゃったんだから
吉原社長の人の良さは想像を絶するね。
友だちにはしたいけど、親や上司には絶対なって欲しくないタイプだな。
553 :
お前名無しだろ:03/10/19 13:15 ID:psxse2g4
>>550 上田が帰国後、まず国プロに上がったのは、その当時、日本テレビとの
契約がまだ残っていたからじゃないの。上田はそのへんきっちりしている。
ネットの少ない12chはともかく、ライバル団体・局のテレビ朝日に出たら
秩序もへったくれもなくなると配慮したんでしょう。
ちなみに、上田より早く新日に出た大木は、もともと日本テレビと
未契約だったらしいし。
おそらく、吉原さんもそのへんを了解(国プロは日本テレビの契約が切れるまで)
していたと思う。
ベルトを取らせたのは、力道山門下生を重んじる吉原さんの格付け意識からのもの
じゃないのかな。
当時は確かに、力道山道場を知っているかどうかは、
暗黙の基準だった。
極道やヤマハがギリギリ、高千穂や木村はグレーゾーン、
坂口はそこから外れているわけだ。
>ベルトを取らせたのは、力道山門下生を重んじる吉原さんの格付け意識からのもの
>じゃないのかな。
これじゃ木村が浮かばれんがな
もし、それが理由だったら吉原さんは気が狂っていたとしか思えん。
それとも木村のエースを交代させようとしていたのか?
俺は、上田を国プロヒールのエースの予定じゃなかったのかと思う。
だからベルト取らして最終戦奪回、そして木村納得せず時期シリーズへ
続くが吉原さんストーリーだったと思う。
ところが上田はベルト貰ったとたん新間からの連絡で
IWAベルトをもったまま新日へのオファーがあり
いくらなんでもベルト持ったまま無理となり移籍のオファーは受ける。
それを吉原さんに言ったら、吉原さん怒らない!!!!
それどころか奪回戦は上田怪我で欠場までプレゼントした!
もうお人よしというか、国プロレスラーからしたら滅茶苦茶
だと思うのですが、一時か万事吉原さんはこんな事やっていたので
国プロ所属レスラーも諦めたって感じじゃなかったんじゃないかな。
結論は上田が金で動いても、何も制裁もしない吉原さん・・・・
じゃないでしょうか?
も一つの推理は新間は国プロの財政状況を知っていて
まとまった移籍金を国プロに払った。
だから揉め事もなくすんなり移籍となった。
俺も暇だなぁ〜
>俺は、上田を国プロヒールのエースの予定じゃなかったのかと思う。
禿同
外人エースや複数エースを導入した国プロのこと、
上田を前代未聞の逆輸入エースやヒールエースに仕立てようと考えても不思議はない。
自分の配下に力道山門下生がいないことにコンプレックスのあった吉原社長は、
上田はどうしても欲しかったタマだし、少なくとも複数エースの一人には絶対考えていたはず。
それでベルト巻かせておけば、馬場とも猪木とも感情的しこりがあるだけに
多少ギャラが安くても国プロに定着してくれるだろうと読んだのだろうが、
その読みはあっさり外れた。
まあお人よしとして知られた上田のさらに上を行くお人よしだったってことだよね。
結局次期シリーズブックを上田に伝えれなかった(あんまり考えてなかったか?
吉原さん<=ダメ会社の社長そのものやね、しかも3代目くらいかな(;^_^A
旧オタの色々な推理がカキコされて素晴らしい展開だね。
私が、議論したいのは“格”による強弱の相対関係の問題です。
まず、全日初期における上田と日テレとの契約関係の問題だけど
全日では前座扱いしかされなかった上田をTV局が拘束するとは
思えない。少なくとも日プロ時代の序列で、上田>吉村 が
成り立ってないと、と思うのですが、ここら辺はどうでしょうか?
国際は上田が木村に勝ち逃げされた状況でしたが、同時期に
IWA世界タッグ戦(草津&井上vs上田&杉山)の3本勝負で
上田は井上と一本ずつ取り合っており、上田≒井上が出来ており、
将来的に 木村≧上田 の関係にストーリーが変わって行くと
思われたところに、上田>木村 のまま、新日へ転出。
新日参戦初期にシンと組んで坂口&小林組から北米タッグを奪取し、
猪木&坂口組の挑戦を退けたものの、展開として、シンから一本目を
取られた坂口が、二本目は上田から返して、三本目が反則決着。
これで、猪木>坂口>上田>木村、のイメージが出来てしまった。
この点を、吉原氏は抗議するべきだと思うのです。
日本シリーズおもろいな
さて、上田逆襲はマスコミ(ゴング等)ではまったく注目されてなかった。
俺も上田って、あの上田かぁ〜てな思いでした。
しかし!ゴングで試合予想記事が!
上田とはセメントの試合になる?
あの頃、私はセメント?????
ある意味凄いですね、この頃記事にセメントなる用語が出たってことが。
結局試合はプロレスだったようですが・・・・
>旧オタの色々な推理がカキコされて素晴らしい展開だね
やっと評価されたみたいですね
>も一つの推理は新間は国プロの財政状況を知っていて
>まとまった移籍金を国プロに払った。
>だから揉め事もなくすんなり移籍となった。
いくらなんでもそりゃないだろ。
円満移籍なら、ちゃんと木村にピン負けしてベルト返していけってなるはず。
まあ吉原社長のことだから新間に手玉に取られていいなりになったのかもしれないが。
それに当時の国プロは、ヨーロッパからもAWAからも疎遠になってラフ主体に
移行しようとしてた時期。
ラフファイターの上田は使いつづけたかったんじゃないの?
>吉原さん<=ダメ会社の社長そのものやね、しかも3代目くらいかな(;^_^A
早大アマレス部出身の経歴から、生前はインテリとか紳士とか言われてた人なんだけどねぇ。
まあそんな人がプロレス界に入ったこと自体誤りだったということか。
>>559 そうなんですよね。
日プロでは浮いた存在じゃなかったのか?
試合もしょうむない試合してたし。
しかし、新間の野郎は思いっきり国プロにダメージあたえやがったな。
あの頃の暴露本だしてほしい思い。(また嘘を書くかも?
>しかし、新間の野郎は思いっきり国プロにダメージあたえやがったな。
>あの頃の暴露本だしてほしい思い。
『さらばアントニオ猪木』『アントニオ猪木の伏魔殿』読んでも、
国プロの話は小林戦の仕掛けやはぐれ軍団との抗争の話でチョロっと出てくるだけ。
猪木や馬場の話なら腐るほど出てくるが。
新間が敵として意識してたのはなんと行っても馬場全日。
国プロはオポジションというより選手の引き抜き先、払い下げ先、
あと全日との興行戦争を有利に運ぶための利用相手くらいにしか思ってなかったのでは?
ageるとID表示されてしまうので、粘着人な事がバレちゃいますかねw
>まあそんな人がプロレス界に入ったこと自体誤りだったということか
とにかく吉原氏はニッチな発想を経営資源にしてきた人。先見性とは
ちょっと違いそう。上流行程(≒市場シェア)を握ろうという意欲は
なかったのでしょうね。
東プロ崩壊で、路頭に迷う選手の受け皿にはなったが、新間氏の受入れ
は断ったという。あの大塚直樹氏も、国際でバイトしていた時期が
あったらしいし、80年代新日ブームを仕掛けた彼等が国際にいれば
もっと違った展開があったかもしれない。
566 :
お前名無しだろ:03/10/19 20:17 ID:psxse2g4
>>559 >少なくとも日プロ時代の序列で、上田>吉村 が
>成り立ってないと、と思うのですが、ここら辺はどうでしょうか?
いや、日プロは関係ないの。
そうじゃなくて、日プロがつぶれたとき、残党の全日合流について
馬場、百田家、日プロ選手会(大木会長)でちょっともめて、
日本テレビが間に入り、残党は全日ではなく日本テレビの契約選手(たしか
3年契約)として日本テレビ子会社の全日に上がるということにしたわけ。
上田の格の問題ではなく、上田は日本テレビの契約レスラーだから
他局の放送する団体には上がれないでしょう。
まあ、その点、国プロも12chも業界的には番外地ですから、
そっちの方は黙認ということで……
といっても、もしかしたら、一応吉原代表から馬場代表に
仁義きってるかもしれないけどね。
俺は北米で小林の右腕を脱臼さした(これプロレス
試合こそやられたって思いました。
俺、高校生だよその時(-_-;)
しかし、よく考えればテレビ丸抱えは問題ありですね。
そう思えば、今は本当のプロレス団体が出来るかも知れない
期待が少しありますね。
まったく国ネタとは関係ない話しでした。
>>559 補足 プロレスって高視聴率の超人気番組だった過去があります。
TV黎明期を支えたのも、普及を推進させたのもそうですね。
で、ほんの少し前までレスラーはTV局とも個人契約してました。
独占よ、他局には絶対でませんと。
バラエティー番組もです。(笑っていいともに長州でたとき驚いた)
局アナと同じ扱いみたいでした。
日米プロレスサミットの他団体対決が
TV放映が契約外だった外人のベイダーVSハンセンだけというのも納得ね。
浪人期間が発生しやすい商売でした。
契約がなくなったのは全日崩壊@日テレ からですかね?
馬場の全日のスポンサー向けポスター見た記憶がある。
金額までかいてあったな、確かあの時代で1000万以上だったよ
全日崩壊とかいうより今はレスラーそのものに魅力がないもの
TBSのオールスター感謝祭でろくなしゃべりもできないの見ると悲しくなるよ
もうサラリーマンレスラーは要りません。
基地外精神主義やハチャメチャな私生活、科学トレを拒否する肉体訓練・・・
VTなんていいから常識に染まらない超識レスラーを希望します。
それが色気につながると思うし。
日本全体が平均化・均等化・平等化しているから致し方ないとは言え、
スターならぬスターダストのレスラーに銭は払えません。
国プロ後期最低の外人はジョン・トロスだな。
全盛期でもたいした事無いのに。
昭和56年の全日のインターチャンピオンシリーズの開幕戦(TV中継)だかに
国際プロに参戦中のスティーブ・オルソノスキーが
ブロディかブッチャーにボコられるドリーを助けるために乱入?したんだけど
あれは何か意味があったのかな?
まさかガチでやられていると思って助けに入るってのもおかしな話だし、
スティーブ・オルソノスキーの全日への売込みだったにしても
こういうやり方は馬場が一番嫌うだろうから疑問符がつく。
オルソノスキーで思い出されるのは阿修羅・原の
雪崩式ブレーンバスター。凱旋帰国したシリーズ
前にこの技の発表があって、開幕戦で初披露を…
という段取りだったのに、直前の新日興業で健悟が
パクッチャった。
お人好しの吉原氏はここでもクレーム入れられなかったのか?
ポール・エラーリング&スティーブ・オルソノスキー、81ビッグチャレンジSに来日
結局大成はしなかったが、当時、まだ見ぬ次代のホープであったことは間違いない
よく国際が来日させた、とは思ったが、またよりによって何故、
TVレギュラー放送打ち切り&ルー・テーズ杯予選終了直後に・・・
>>575 しかも健吾は失敗!
これで健吾のレスラー生命も事実上終わった。
578 :
名無し:03/10/20 21:08 ID:xsJyS9PR
>>573 ジョン・トロスよりもケビン・ヒューズが最低だと思うよ。
>>574 オルソノスキーをブッキングしたプロモーターが(中西部だっけ?)
「日本に行ったら馬場に挨拶してこいよ」と因果を含めていたと
当時の「ゴングゴシップ」に書いてありましたよ。
で、馬場としても、せっかく来たんだから
「ちょこっとリングに上がっていけや」てな話を持ちかけたのでは?
要するにオルソノスキーをブッキングした側と馬場との間で話が出来ていたんでしょうね。
またしても吉原さんはないがしろにされたかもしれないんですが
580 :
エリス:03/10/21 01:45 ID:H6/FMp0V
>>578 「カウボーイ」ボブ・エリスの
ショートタイツの方が最低だと思うよ
581 :
お前名無しだろ:03/10/21 02:07 ID:87SfA+bt
>>579 でも、結局オルソノスキーは全日マットでビジネスはしなかったんでしょう?
>>579 最後の方はクズも多かったが味のあるレスラーもたまに来てましたね。
オルソスキーの件はしらなんだ、酷い話しですね。
583 :
574:03/10/21 17:48 ID:sV/FaGjc
>>579 サンクスコ。なるほど「ご挨拶」ってことだったんだ。
そういえば倉持さんも山田さんも全然パニくらず「これは国際プロレスに参戦中の〜」って
すぐ名前を出して冷静に実況、解説していたような気がする。
>581
オルソノスキーは84年の1月に全日に参戦してます。
鶴田のインターにも挑戦しました。
ただ、このときはゴディ&ヘイズやリスマルクが一緒だったんで、
あまり目立たなかったのが残念でした。
いい選手のはずだったんですが、
その後なぜか全日に呼ばれたことはありませんでした。
どこが馬場に嫌われたのか、今でもわかりません。
それとも、何かやらかして日本に呼べなくなったとか…。
ケビン・ヒューズって国プロ及び昭和の最低レスラーらしいですね。
どんなファイトか見た人います?
586 :
お前名無しだろ:03/10/21 21:31 ID:fFD78C/x
>585
知障だったんでしょう。
>>585 当時のゴングかプロレスに
あまりの情けないファイトにジョーが控え室で涙しながら
鉄拳制裁を喰らわしたと書いてありましたね。
それでも本人はケロッとしていたらしいですが。
しかし、この時(80年1月)は正月シリーズなのに寂しいメンバーでしたね。
クラップ、ジョー、ヒューズ、後は若手インディアンレスラーだったかな
蒲郡でやった木村vsクラップのタイトル戦もTVで見たけど盛り上がらなかったなぁ
で、ヒューズのファイト振りですが全く記憶にありません
ヒューズは帰国後精神病院に入院したとか。。。。
入場の際、リングへの踏み段を踏み外してスッ転んだらしいですね。
>>588 しかし、そんな奴よくブッキングしたな
またも騙されたのか?
>>585 外人の数が少なかったので何度かTV出てたが、試合全部が放送された事はなかったと思う
体ブヨブヨ、ほとんど一方的にやられてるシーンばかりだった
技らしい技といえば・・・ヘッドロックはやってたな、あとパンチやキックも
591 :
名無し:03/10/22 17:33 ID:/RnMvgK3
>>590 木村と対戦した時は、全部放送したと思う。確か3分ほどで木村が勝った。
木村もやりにくそうだったよ。80年1月の新春パイオニアSのポスターには
ダイナマイト・キッドも載っていたよ。参加はしなかったがね。
592 :
お前名無しだろ:03/10/22 17:37 ID:opvVXG1I
>>584 >鶴田のインターにも挑戦しました。
げっ、そんないい扱いだったのか。
うーん、たぶん、全日の期待が大きすぎて、それに応えられなかったから
次から呼ばれなかったのかも。
>>592 うろ覚えで恐縮だが国際から全日の来日の間に
怪我か病気かしたのではなかったろうか?
それで活躍が聞かれなくなって、やっと再来日したけどやはりダメだった、
というふうだった
国際来日当時はテーズからブリスコと続く正統派の後継者という感じだったが・・
>>591 それは木村とチーフ・ホワイト・フェザーの試合ではないだろうか?
フェザーのピンチにヒューズも乱入したが、軽く蹴散らされてた
木村とヒューズの試合は放送なかったように思うが(違ってたら失礼)
フェザーはインディアンスタイル、シオ系ではあったが
ヒューズに比べればだいぶマシだった、しかしとにかく非力だったな
佐山とは英国で共にサーキットしたことがあり友人らしい
ダイジェストで杉浦アナが『今日は木村が桁外れの強さをみせました』
ってみたことあるが、まさかそれがケビンヒューズじゃないでしょうねσ(^_^;)?
>>587 クラップとのIWA戦は大阪でもやってたんじゃない?
客もわりと入ってたらしいが・・・。
597 :
お前名無しだろ:03/10/22 18:54 ID:fsjuwwbN
折角の良スレだと思って読み進めてると、馬場フェチのアホロートルや週刊ヒュンダイのマンセーどもが入り込んで所々猪木の中傷。
ゴキブリって、僅かな隙間からでも入り込むのよねえ。
>>599 あんな大根はみとめません(;^_^A
投票できんぞ!
ポール・エラーリングとIWA取ったのはラリー・ラザン?
602 :
名無し:03/10/22 21:35 ID:XE4QXdmb
>>594 木村とヒューズ、木村とフェザー、両方とも放映していました。
チン・リーっていう外人レスラーってよく国プロに参戦していましたけど、
覆面かぶってレッドデビルスや、スコーピオンズとかになっていたような
気がします。
603 :
お前名無しだろ:03/10/23 01:45 ID:0fGKKgqi
倉持アナはしきりに「スティーブ・オー」と言っていました
604 :
お前名無しだろ:03/10/23 17:36 ID:F0JZy41A
>>604 あの頃の国プロに来たレスラーって、何か本当に危ない感じの
今までにないデイープなレスラーが来てたな。
デビット・ショルツとかテリー・ラザンってニュー・ブロンドス
の片割れじゃなかったっけ?
>>602 それは失礼しました
しかし、その他に木村、草津VSフェザー、ヒューズなんていう試合も
放送されていたから、このシリーズはホントにマッチメークに苦労してたなあ!
607 :
お前名無しだろ:03/10/23 19:34 ID:F0JZy41A
ラリー・ラザン(レイザム)は80年6月にウェイン・ファリスと
ニューブロンドボンバーズとして来日が発表されたがドタキャン
翌81年6月にはカール・ファジーと新(?)ニューブロンドボンバーズ
としての来日が発表されたがまたドタキャン・・・
理由は共に怪我ということだと思ったが・・なんという奴だ!
もっともラスト1年半位の国プロはD・キッドに始まり、
外人レスラーの変更・キャンセルがホントに多かった
>>608 ありがと
曖昧な記憶しかなかったもので・・・・
しかし、ニューブロンドボンバーズがあの頃の国プロに来るかも知れない
ってちょっと期待していました。
エリック・ザ・レッド、マイティー・イゴールも
来なかったね
見たかった>大剛ルート
>>609 国プロは80年のラザン来日中止の時はロッキー・ブリューワーを代打にして
ファリスとニュー〜にしようとしたけど、ファリスも中止になって頓挫
81年の時はトルコ系のザ・ターク(ブロンドなのか?)を呼んで、ファジーと
ニュー〜にしようとしたと思ったがが、ビザか何かの都合でタークも中止
よくよく国プロもニューブロンドボンバーズには縁がなかったね
元祖のブロンドボンバーズは国プロが売り出し、新日でブレイクしたのに
>>611 恐ろしく詳しいですな\(^o^)/
でも、海外ではニューブロンド売り出してたでしょ
フリーバーズにあのショッパイのがいてビックリしましたが
>>612 たまたまこの時期(80年前後)よく見てただけですけどね
でも本来のニューブロンドボンバーズというのはラザン&ファリス?
それともデビッド・シュルツがからむのかな?
もしファリスが来て、ブリューワーとIWAタッグにでも挑戦してたら
ニューブロンドボンバーズとして日本のプロレス史(?)に名前が残ったのかな?
>>611 ザ・ターク 当時の月刊プロレスに「得意技はフロントスープレックス」
と書いてあって、ちょっと期待してたんだけどな。
>>611 元祖ブロンドスの当時を見てるならもう少しカキコしてよ。
どっちかは小林に挑戦してるんだよね。
新日に来た時は、小林を翻弄していたけど、国際当時の
ファイト振り・インパクトを知りたいです。
雨天心配無し、移動体育館
617 :
お前名無しだろ:03/10/24 01:46 ID:BLsTcRvs
何といっても俺的にはクレイジー・セーラー・ホワイトのインパクトが強い
618 :
お前名無しだろ:03/10/24 02:12 ID:/gjf9F/M
>>617 ああ、全日と掛け持ち参戦したちゃっかりさんか。
619 :
かすかな記憶:03/10/24 07:32 ID:CsOhZxly
>615
小林とタイトル・マッチをやったのは、ジェリー・ブラウンの方だったな。
>>614 611たがスマン、国プロのボンバーズはみてないんだ
戦績だけみると、そこそこに良いみたいだが
しかし新日は初登場した時は凄い役回りだった
猪木&坂口、坂口&小林を半殺しといっていい程に痛めつけてた
猪木なんかロスでやられて病院送りにされたんじゃなかったかな
新日のT・J・シン、全日のA・ブッチャー、国際のJ・ジョー
新日のS・ハンセン、全日のB・ブロディ、国際のM・ジョージ
ジョーは昭和52年くらいまでは妖気プンプンだったけど
その後、見事に穏健派になっちゃったよね。
ジョージは国際崩壊後、受け皿になった新日があっさり
潰しちゃった。全日に行った方が扱いはよかったかも。
UNかインターに挑戦は出来たと思われ。
マイクジョージ 新日で木村と組んでたね 木村を追って行った?
625 :
ストーン:03/10/24 22:13 ID:kDbV/UYu
スティーブ・オーってアメリカでも言われてなかった?
>>623 ジョージはカルガリーが主戦場だったから、
国際の次は新日というのはごく自然な流れでは。
仮に国際があと数年くらい存続してそこで人気が出てたとしても、
キッドみたく新日に引き抜かれ、同じような結果になっていただろう。
確かにいい選手だと思ったけど、つぶれてしまったのは所詮
その程度のタマだったということだよ。
でも「カナダの電光男」だっけ、妙にそそられたな、あのニックネーム。
627 :
お前名無しだろ:03/10/25 00:00 ID:nbS5nbAQ
>>625 アメリカで言われてた。通り名は全てそれです
628 :
力士CM:03/10/25 00:56 ID:k0YRNRQN
酒飲めば〜この世は楽し〜
力士なら〜なお嬉し〜
(どこ見てんだい!)
飲む程に〜酔うほどに〜
清酒力士は旨い酒
(明日を磨く男の酒)
力士〜〜〜〜〜〜
(杉浦アナ)
さぁ〜、本日は常陸太田体育館より
マイク・ジョージVSラッシャー木村のIWA世界選手権をお送りします……
629 :
お前名無しだろ:03/10/25 01:04 ID:Ev3sO7wQ
マイクジョージの売り出し方はハンセンを意識してたような。
ファイトスタイルも凄く似てる。それからスミルノフ=シンだな
630 :
お前名無しだろ:03/10/25 03:54 ID:v7BlA2Uu
ジョージの初来日は全日で、ボブ・オートンJr.、スチーブ・カーンが一緒だった。
スタン・ハンセンの初来日より少し前だった。
ルー・テーズ杯にはどうしてスミルノフやストンパーがエントリー
しなかったのだろうか?
>>631 確かにエントリーしてた外人は、全日のおさがりの
レイ・キャンディとかあまりなじみがない選手ばっかりだったけど、
ルー・テーズ杯にはテーズの推薦枠と国プロの推薦枠があったからね。
当時の国プロに大物を投入する余力はなかっただろうから、
結局はジョーとかスミルノフとかの常連さんをその枠に充てていたのでは?
♪はじめましてのご挨拶〜♪
♪紙のことなら山桜〜♪
♪山桜〜名刺♪
634 :
ストーン:03/10/25 21:31 ID:sjpNZDcQ
やっぱ外人の質がな・・・。全日でペケのカール・ファジーあたりが
タイトル挑戦してるくらいだから・・・。
カール・ファジーって来てたのか!
これニューブロンドの片割れじゃ、しかもIWA戦やったなんて
全然知らんかった・・・・
せめてもの救い(かどうかは微妙だが)は、カルロスプラタを窓口とする
メキシコNWA路線。トニーサラサーが見れると思ったが怪我かなんかでキャンセル
だったな。
木村の新日は、新日移籍の条件に国プロ事務員の退職金を新日が保証する
だったらしい・・・
>>636 よっぽど金なかったんだろうなぁ〜
最後の羅臼大会のカードわかりませんか?
R木村さんが唯一自分の意志で納得して移籍した団体は
全日への移籍だったとか…
羅臼大会のカード、どっかに出ていたような…
>>638 記憶違いかも知れませんがメインは鶴見vsテリー・ギップスの金網だったような気がします
Mジョージは蝶野の海外での抗争相手だったな。初めてシングルベルト
獲ったのが、ジョージからだった筈。その縁で再来日してくれるかなと
思ったんだけど・・・・
>>640 その日で国際が終わるのは選手は知っていたんでしょうか? どんな感じで終焉を迎えたのか知ってる方いましたらぜひ教えてください
Mジョージが新日に来たとき、タイガーマスクの試合に国際軍団と一緒に乱入
して、タイガーにショルダーバスターを食らわしてたけど、思えば新日でTV
に映ったのはあれ一度だけだったような。
>>642 タイトル戦も何もない野外興行にゴングも月刊プロレスも取材に行っていた
って事はそのシリーズが区切りになるということは周知の事実だったんでしょうね。
ゴングは「オラが街にプロレスがやってきた」という連載企画で
当日の模様をカラー2頁で紹介。しかし団体崩壊については一言も触れず。
プロレスの方は「国際プロレス最後の日」と題してモノクロ数頁にわたって
特集していました。
巻頭記事も「国プロ吸収合併か」みたいな記事だったような気が・・・
しかし何分、22年前に立ち読みしたきりなので記憶は曖昧です
なるほど 羅臼はシリーズの最終戦だったんでしょうね それにしてもよりによって羅臼なんていかにも最期を象徴しているみたいだなあ
その日はたまたま新日のシリーズ最終戦と同日でした。
新日の方は蔵前で猪木vsマスクド・スーパースターの「覆面剥ぎ&賞金マッチ」
その試合結果が見たくて東スポを買ったら、羅臼大会の結果も載っていました。
但し結果のみで写真等は一切無し。東スポは取材に行かなかったのかも?
そのシリーズに根室で行われたIWAタッグ戦の時も東スポは控え室で乾杯の写真のみ。
多分、以前の試合の時の写真の使い回しだったんでしょうね。
室蘭の木村vsエンフォーサーの時はちゃんと試合写真もありました・・・
って何でこんなこと覚えているんでしょうねw
吉原さんは国プロ存続の為の援助を馬場には頼まなかったのか?
全日馬場全面協力だったら、もう少し生き延びたかも。
でも、あの会社の姿勢だったら潰れる事は間違いなしか・・・・
>>647 国プロが新日のプレ日本選手権にぶつけて日本リーグ争覇戦を開催したとき、
全日も鶴田と大木を派遣するなど協力したけど、肝心の馬場参戦実現しなかった。
それ以前の対抗戦もイマイチ盛り上がりに欠け、全日との提携に限界を感じた
吉原社長は以後対新日に路線をシフトした。
争覇戦優勝した木村が「猪木と戦いたい」っていったのが路線チェンジの合図かと。
東プロのいきさつからして、猪木や新間とは付き合いたくなかったはずだが
背を腹には返られなかったのだろう。
馬場も自伝のなかで国プロ崩壊のいきさつにふれてて、
「提携していたときなら手を差し伸べただろうけど、あの時点では
新日と組んでたわけだから特に何をする義理もなかった」って書いてたな。
そういえば例の「田コロこんばんわ」事件のちょっと前、
12チャンネルの深夜で国プロの特番が放映されたことがあったな。
今思えばあれが国プロが電波に乗った最後だったわけか。
649 :
お前名無しだろ:03/10/26 14:03 ID:bkRrvhBO
ただ馬場の態度も優柔不断のところがあった。
あの温厚な吉原氏が
「馬場君は結論の出せない人だ」
と珍しく批判したらしいから。
もし何事も無く、あのまま国際が興行を続けていたら、秋のテーズ杯決勝リーグの
面々は・・・・、
Mジョージ、Bスイータン、Rキャンディ、Aスミルノフ、Gジョー、BJクイン、
推薦枠つか希望、Pエラリング、Rマーテル、Mバション、Mロコ、Mネイダー(ナドール)
特別参加でNボックウィンクル、Aジャイアント(←かなり無理w)
あと、親日とか日系、フリーからS小林、キムケン、Pタナカ、サクラダ、安達、フジイ
>>649 優柔不断というより関わりたくなかったんじゃない?
M子はケチだし
UN挑戦権を与えられたジョー、スミルノフ、スティーブ・Oや、
ハンセンのサブ・パートナーとして活躍、インタータッグまで獲得した
ロン・バスの厚遇ぶりを考えると、マイク・ジョージは全日に直で行くべきだったな。
国際倒産の負債とかは木村たちレスラーはかぶらなかったのかな それとも木村は役員じゃなかったのかな
654 :
お前名無しだろ:03/10/26 22:11 ID:sz7PBEPo
>>652 ジョーは初参戦の開幕戦(だっけ?)で馬場と一騎打ちだもんな、破格の扱いだ。
「カマタも」って突っ込まないでね、崩壊を前提としてるから
655 :
お前名無しだろ:03/10/26 22:57 ID:9On9fLR5
>>654 それでもその時のジョーは、同日(開幕戦)の最終試合で
バトルロイヤルながらドス・カラスに完璧なフォール負け。
馬場とは両リンだったけど、そのままズルズル負けブック
飲ませれ続けていく扱いになる予兆を感じてしまったね。
それにカマタは崩壊とは別にしても思い切った扱いだったな。
サンマルチノやエリック、ブルーザーら相手に防衛記録を
築いて、猪木との差別化を確立してきたのに、何でカマタ…?
>>656 そのときの馬場は、確か腰痛が最悪だった。
松葉杖ついて帰国したときだったんじゃないか。
反則負けは、むしろ精一杯の体面。
町田町蔵(現・町田康)がアマチュア時代に
「馬場はカマタに負けよった」という歌を唄っていました
これだけの面子がいながら崩壊・・・・・・
今のインディーやメジャーもどきなんかカスだな
つくつくこんなちっちゃい連中が小競り合いで興行戦争してるなんてあほくさい
こんな状況じゃプロレスに日の目なんてねぇな
>>659 プロレス雑誌系がどんな団体でも取材するのも間違ってますね。
マイナー系は取材しないくらいでないと、安易に団体が立ち上がる。
661 :
お前名無しだろ:03/10/27 18:40 ID:F9S3Zd0O
>>656 突っ込まれネタの「防衛期限」がギリギリだったのもある
休みたかったのも確かだろう
662 :
sage:03/10/27 20:11 ID:DygetoBu
>>661 会場=秋田=タイトル移動の地は深読み過ぎ?!
S52.3UN ×鶴田−ロビンソン○
S53.6PWF×馬場−カマタ○
663 :
名無し:03/10/27 22:22 ID:F6mCiQuy
>>650 昭和56年10月に大阪府立体育館を国際が予約していたと思うよ。
馬場は、日本リーグ争覇戦の昭和53年11月25日蔵前大会に新日の小林邦明が参加
していたのでかなり怒ったらしいです。だからその後、国際と
距離を置き、経営が危なくなっても援助しなかったと思います。
664 :
お前名無しだろ:03/10/28 12:57 ID:o6b7Plyn
そもそも何で国際は剛竜馬問題で敵対している団体と
趣旨を同じくしたシリーズ(新日のプレ日本)で
相互賛同を求めていったのだろうか?
しかし、吉原氏のこの行動が、全日と新日のクッション役
になって翌年のオールスター戦実現に貢献したのではないだろうか。
いやいや オールスター戦にはやはり東スポの力が大きいよ 国際は2団体の間で右往左往て感じでしたな
666 :
名無し:03/10/28 17:51 ID:6b017eZs
オールスターでも国際は格下扱いでしたね。木村対小林なんですから。少なくとも
シングル戦なら鶴田か坂口が妥当と思いました。鶴田とは2回ほど対戦していたので坂口
なら面白いと思っていました。グレート草津は欠場したしね。
>>665 東スポは主催者だったから当り前の話だろ!!
国際が新日と接点を持ってなかったら…を考えれば
664の言いたい事もわかるだろう?
>>666 木村vs他団体ナンバー2でスンナリ完全決着
付けられないですよね? やはり木村のリング
アウト勝ちでイイのでしょうか?
それにしてもエースの木村が、落ち目で新日
四番手の小林からフォールを取れないブック
(リングアウト勝ち)って、何なのだろう?
>それにしてもエースの木村が、落ち目で新日
>四番手の小林からフォールを取れないブック
>(リングアウト勝ち)って、何なのだろう?
新間が押し付けたんでしょ!
小林が国際にいたとき木村は格下だったんだから、
猪木に挑戦したかったらまずかつての格上・小林を倒してからにしろってね。
木村vs小林戦は、この後にももう一度IWA選手権として実現し、
さすがに木村がピン取ったよ。
そのときの小林はもう長州にも抜かれて五番手以下に落ちてたけどね。
>>668 667です。
徒に664さんの話の腰を折る内容だったので
批判したくなり、カキコしました。
>>669 その日の坂口のマッチメークは?
どうして木村だけがシングルなのかわからんかった
もちりングアウトはも一つ納得しなかったけどね。
672 :
名無し:03/10/29 10:37 ID:L44T4RhQ
>>671 全日のロッキー羽田とシングル戦です。当然坂口のフォール勝ちです。
木村のリングアウト勝ちでもけっこうブーイング飛んだらしいですから
国際はイメージダウンしたと思います。むしろ木村は、ロビンソンとかの
外人レスラーとやった方が良かったと思います。
>>672 ロッキー羽田か、思い出した!
まぁ国プロは蚊帳の外ってな感じですね。
674 :
お前名無しだろ:03/10/29 10:52 ID:qWn4817O
新間がブチ上げた「8.26ビデオ・DVD発売」はどうなったんだ?
>>664 >国際は剛竜馬問題で敵対
別に敵対もしてなかったんじゃないの。
剛が「国プロのギャラでは年取った親を養えない」とぬかしやがったし、
新日から国プロに移籍金が入ったかも知れないし、
入らなくても、剛の人件費が浮くし、
その頃は阿修羅原もいただろうから、剛は余剰だったんじゃないの?
>木村のリングアウト勝ちでもけっこうブーイング飛んだらしいですから
この試合は、小林がリング下から木村の足を引っ張っている状態で
ゴングがなり、木村がリングアウト勝ちの不透明決着。
しかも裁いたのも国プロのレフェリーで、試合後小林が抗議するおまけつき。
とことん勝利が貶されるブックだったわけね。
10年ほど前、格闘チャンプフォーラムで放送した国際プロレス特集の前後編、
サムライで再放送してくんないかな。
オールスター戦での木村の対戦相手を東スポでは
「小林か坂口か?」という煽り方をしていた
でも坂口だと勝敗の付け方が難しかったのだろう
坂口・小林×木村・草津なんてカードでも面白かったようにも思うが
>>678 この日の注目はなんと言っても8年ぶりのBI砲再結成で、
それに次ぐインパクトがあったのがブッチャー+シンの初合体と
鶴田+ドラゴン+マスカラスの編隊飛行。
坂口vs羽田、木村vs小林は残り物のカードって感じがしたね。
武道館にロッキーのテーマが鳴り響き失笑が起こったのを覚えています。
売店にジュースを買いに行っている間に試合は終わっていましたw
国際勢ではオープニングマッチを勤めたスネーク奄美が光っていましたね
681 :
ストーン:03/10/29 21:37 ID:YLZ+N4Xl
夢のオールスター戦スレになってるな。
>>675 違うね。
剛と国際の契約が有効か無効か(剛は長期海外武者修行から帰国して
以降書面にサインは一切していないと主張)で裁判沙汰になる程、
揉めていた。
後に、G誌が明らかにしていたが、始めから新日が引き抜き目的で
剛をフリー宣言させ新日へ、という段取りを手引した。小林の時と
同じ手口をカマされておいて、違約金だが和解金だかを詰まれても
感情のしこりは残るはずだろう?
それに原の入団は剛離脱以降の話なので、剛の抜け穴という理屈は
成り立たない。どんなに期待されていようと入団当時の原は既に
30歳。二十代前半で、しかも15歳のクリクリ坊主の頃から面倒を
見てきた国際としては、絶対に手放したくない人材だったはず。
国際時代は塩分が目立たなかったし、結構、ルックスは良かったモンね。
とにかく675氏の意見は全て却下してやりたい。
>>682 まぁまぁ
あんな腐れ剛ごときの事で揉めないように(;^_^A
木村VS坂口だったら恐ろしく凡戦だったろうな・・・・
たぶん両リンだろうし
>>683 貴方にレス付けてもしょうがないんだが、
「国プロのギャラでは年取った親を養えない」
ではなくて「年の離れた妹弟がいて、ギャラが遅配に
なって、養えない…」、だった筈。
それに対しP誌では吉原氏は「剛自身か、G誌が嘘を
言ってるのでしょう」とコメント。
とにかく、オールスター戦前後の三団体の関係・関係した
人々の人間模様を正確に整理する事は重要。
675氏も俺が書き漏れている事があったらバンバン書いてくれ。
そういえば 剛はオールスター出てた?
>>685 出てないでしょ
しかし、パイオニアって国プロでもセミすらはれなかったメンバーを
よく新日があげたな。
木村の二番煎じ狙ったのかな?
>>686 北尾がらみでは? たしか菅原が北尾のスパーリングパートナーでした
689 :
お前名無しだろ:03/10/31 18:07 ID:M6c00jPh
違うはず。
菅原とパイオニアは既に袂を分かっており、
北尾を新日に引き合わせた功績として菅原個人が
新日入団を認められた。剛・高杉は独自のアクションで
新日参戦が可能となった。この部分が俺も謎。
当時パイオニアと縁のあった青柳や栗栖など中小
色物系の参戦で前座の局地戦でも活性化させる
狙いでもあったのかも?
ちなみに、菅原が新日軍としてパイオニア戦士と
5対5のイルミネーションマッチで戦っていた。
更に、レイジングスタッフとパイオニアのイルミ
ネーション試合のビデオは俺の宝物。
オールスター戦の頃(79年夏)だと草津は殆どリングに上がってなかったな。
正月にIWAタッグ獲られて以来、少なくともTVで見なかった。
フロント入りしてたんじゃなかったっけ・・・?
691 :
お前名無しだろ:03/10/31 19:16 ID:C2oi16/K
>>689 藤波のドラゴンボンバース興行の相手として選ばれての流れって言うのはどう?
>>690 それは間違い
草津は79年初めにIWAタッグを失ってからは
TVへの登場は減っていたが、試合はしていた
翌80年夏に怪我をして、長期欠場→引退となった
草津って色んな部分で坂口と対比されるけど、
自分が矢面に立ってやろう、という
意欲はなかったのかな?
小林が脱退した時に草津は32歳、192センチの長身
国内外で充分キャリアを積んできていた
ラフファイターの木村や、まだ若くて小柄の井上より
草津がエースになって当然だったように思えるのだが
何故そうならなかったのだろうか?
695 :
お前名無しだろ:03/10/31 21:12 ID:tEHq0rlY
>>695 君がいいたいのはテーズ戦の失神事件のことかい?
あの件が草津の、あるいは国プロの運命を決めてしまった・・と
そういうプロレス的な幻想でなく、実際の事情はどうだったのか?
が知りたいんだけどね
@一度挫折を味わった人が再び表舞台に立てる風潮の無い時代だった
Aエースを任せられるだけのガチでの強さが欠けていた
何となくという想像だけど、俺の中での草津への興味は尽きないな。
>>696 幻想とかじゃなく、実際問題として一度傷ついたイメージは挽回不能って
ことじゃないのか?
699 :
お前名無しだろ:03/10/31 23:23 ID:d2/BaqDz
草津はプロレスに対する思い込みが
乏しかったんじゃないかな。
彼の試合で、印象に残るものって
思い浮かばない。
国際が崩壊した時も、草津はさっさと
引退してサラリーマンになったしね。
そういうプロレスに対して淡白な部分を
吉原氏は見抜いていたのかも。
テーズに挑戦した時、馬場に今度チャンピオンになりますとか言ってたらしい。
なれなかったけど・・・・・
それにいくら国プロでも、草津のエースは無理って判断じゃないかな。
俺は草津の四の字よりか回転エビくらいしか記憶にない。
あっ!キチンシンクはいけてたな。
でも海外ではガニアに勝ったらしいね、どうでもいいけど。
青柳と越中の試合は新日では久しぶりに面白かったなぁ〜
越中って試合の組み立て巧かったのね、全日と新日のいいとこをmixした形かな。
そういうのが木村にはなかったネ。
702 :
お前名無しだろ:03/11/01 01:23 ID:YofpbmK9
>>699 イオラのバヤイ、草津の試合では
オープンタッグ仙台での馬場&鶴田対木村&草津戦が
強烈に印象に残っているよ。フィニッシュの16文
2連発を食らったやられっぷりが。
>>702 当時、馬場の16文でフォールされる奴って殆ど
いなかったと思う。(後に大木が2〜3回あるけど)
それだけに、「え、これで終わり?」「何なんだよ、草津!」
って感じだった。
>703
オープン選手権ではブッチャーにはギロチンでフォール負け。
デストにはボディーシザーズでピン、いずれも相手の2番手の技。
草津・・・・・ってな感じだったな。
705 :
お前名無しだろ:03/11/01 14:04 ID:k8anROLS
>>703 うーん。でも、上田あたりはちゃんと当たらず逃げていたし、
真正面から16文を受けた草津にはすがすがしいものを感じたよ。w
さすが、元(不肖の)付き人だけあるなと思った。
それより、その試合の後、鶴田と木村を握手させてたけど、
ああいうところに、エースを狙う人ではないんだなと感じたね。
日本リーグ争覇戦でも、井上に勝っているのに、
後の試合で両リンを連発して、決勝トーナメントは結局井上に譲ってるし。
どちらかというと、フロントから出向しているレスラーという感じだったな。
706 :
お前名無しだろ:03/11/01 18:22 ID:Nt85d0RD
G草津は素質的には抜群の逸材であったはずだ。
せめてA浜口ぐらい練習好きでプロレスに対する思い入れが深かったら・・。
国際プロレスの歴史も変わっていたかもしれない。
707 :
お前名無しだろ:03/11/01 18:55 ID:0LJywL1f
草津失神事件というのも興味深いよね。
G東郷がエース格気取りで鼻高になっていた草津が癇に障り
テーズへ恥をかかせてやるよう根回ししたとか、
あるいはテーズがTBS側によるレスラー私物化の態度に反抗した結果だとか。
708 :
お前名無しだろ:03/11/01 19:38 ID:32E7ML3o
>707
別冊宝島のインタビューで、テーズは次のように語っていたと記憶し
ているのだが。
・TBSがプロレス界のしきたりを無視して、実力も実績もない草津を、
テーズとのタイトルマッチで勝たせて強引にチャンプにするつもりで
ている事を、TBSに会社を乗っ取られ、そのやり方に不満を持って
いた吉原氏から聞かされた。
・そして、吉原氏からタイトルマッチでは、TBSの要請を無視し、
草津に華を持たせることはないと言われ、TBSの魂胆にプライドを
傷つけられたテーズも吉原の意向を受け、タイトルマッチに臨んだ。
つまり、最終的には、テーズがTBSの態度に反抗した結果というこ
とになるのだが、そこには、当時、TBSに会社を乗っ取られた格好
になった吉原氏も絡んでいたようだ。
>>708 だとすると、国プロが浮かび上がれなかったおおもとの原因である
草津失神事件は、ほかでもない、草津を引き抜いた吉原さん自身が
作ったわけだ。ということは、国プロがつぶれたのも自業自得?
TBSはスターなんてテレビの力を持ってすれば一夜で作れると思っていた。
名前もTBSプロレスに変えられ、吉原さんとすればレスラーとしての
プライドを何だと思ってるんだ!という感じだったらしい。
だいたい当時の草津はグリーンボーイに毛がはえた程度で、
そんな力量のレスラーを一夜でスターだなんてもっての外だと
テーズも吉原も思っていた。ラグビー出身で器用でもなかったしね。
705さんを始め、みんないいカキコをしてくれるねえ。
吉原・テーズvsTBS・草津 という構図でいいのでしょうか?
その後、草津はパートナーを幾度も変えながらも、IWAタッグ
の歴史をずっと任されてきた訳だが、フロントに近い人間として
吉原氏との関係はギクシャクしてなかったのだろうか?
712 :
お前名無しだろ:03/11/01 22:43 ID:XOuf0pEe
>711
TBSプロレス第2弾のシリーズ途中で、東郷のブッキング料が原因で、TBS
と東郷がケンカ別れし、吉原を担ぎ出して欧州路線に入ることになる訳だが、
もし、草津がテーズに勝って王座につき、TBSの目論見どおりに高視聴率をあ
げていたら、TBSは東郷に約束どおりのブッキング料を払っていたのではない
かと思う。
そう考えると、あのテーズ×草津戦がきっかけで、TBSプロレスは国際プロレス
となって自分の手に戻ってきたのだから、吉原は草津に対して、「捨て石」とな
って自分の団体を守ってくれたことへの感謝の念と、「捨て石」にしてしまった自
責の念があったのではないか?
吉原が草津をマッチメーカーに据えるなど、幹部扱いしたのは、吉原のこうした
感情があったように思うし、草津は、その辺の事情を理解していたから、両者の関
係はギクシャクすることはなかったのかもしれない。
ただ、社会人としての経験がある草津は、リング上でスターになることよりも自分
で会社を動かすことに魅力を感じ、その結果、レスラーとしての成長が止まってし
まったのだと思う。
(草津が坂口に似ていると言われるのは、その風貌だけでなく、この辺もあるよう
に思うのだが。)
結局国プロはテーズに始まり、テーズで終わったって事か。
そもそも草津はどういう経緯でプロレス入りしたんですか?
TBSの方針は既成のスターを使わないということ。
だからヒロ・マツダや豊登でなく草津や杉山を抜擢したわけ。
でも草津はテーズの急角度バックドロップで大恥を晒し、
つづいてテーズのベルトに挑んだ杉山も負け、さらに
豊登もパワーボムで惨敗。結局TBSの意向どおりにスターは
生まれず、確固たる日本人エースが作れない状態になった。
で、仕方ないからダニー・ホッジがテーズに挑戦したという流れ。
しかし、もっと日本人エース問題は何とかならなかったものか・・・
つくづくテーズの誇りと実力にやられてしまった感じがする。
>>714 最初は八幡製鉄の社会人ラガーマンで、昭和40年に日プロ入り。
馬場の付き人をしてました。
件のテーズ戦では日プロのインター戦、馬場vsクラッシャーの
向こうを張っての試合でした。視聴率なら互角だった様ですよ。
>>716 草津は日プロデビューでしたか 馬場の付き人してたのに日プロ飛び出すなんて よほど思うとこあったんですね
718 :
お前名無しだろ:03/11/02 00:27 ID:o7C3QkRD
>715
そこで出てきたのが、力道山の死後、冷遇され、猪木、坂口の日プロで立場が
ますます危うくなっていた、大木金太郎の引き抜きという訳ですね。
仙台で行われた、テーズ対豊登戦の終了後、大木金太郎がリングに上がって、
テーズへの挑戦を表明するという段取りができていて、大木も仙台入りしてい
たようなのですが、何らかの圧力が大木にかかって、この引き抜きは未遂に終
わってしまいました。
この時、誰が、どのような圧力を大木にかけたのでしょうか?
詳細をご存知の方、教えてください。
719 :
702:03/11/02 00:27 ID:DaroQ+SU
>>703 この試合での16文は馬場みずからロープへ飛び
リング中央の草津へ一発、そんでもって更に反対
のロープへまたもやみずから飛び、フラフラっと
立ち上がる草津へ2発目という、「ノーマル16」
ではなかった。オイラは「こりゃ、効くなぁ」と
思ったが。
>>712>>714>>717 日刊ゲンダイの「あの人は今」の草津インタビューによると、
高卒でスポーツ入社だから出世しそうもない自分を
(日プロに)引き抜いたのが吉原さんということらしい。
だから国際プロレスができたとき、草津が行動を共にし、
そしていい待遇で迎えられるのは当然だった。
>>718 町井久之という在日のヤクザ。有名でしょう。
児玉よしおとともに、日プロの用心棒だった。
頭突きしかない大木が、同胞の力道山亡き後、
馬場・猪木につぐナンバー3にプッシュされたのは
町井久之の力が強かったと思うよ。
721 :
718:03/11/02 15:12 ID:1t8zyRGf
>720
レス、ありがとうございます。
なるほど、大木に圧力をかけた(と言うよりも、同胞として、日本での後見人
として因果を含めて大木を説得した、と言った方が正解かな?)のは、東声会
(だったと思います。)の町井氏だったのですか。
ついでに、もう一つ伺いますが、日プロの誰かが町井氏に状況を説明し、
大木の引き留めを依頼したものと思われますが、それは誰だったのでしょう?
この件で東郷を襲撃したユセフ・トルコが、町井氏に大木の引き留めを依頼
したのではないかと思うのですが。
テーズからTWWAのベルトを奪ったホッジは時期シリーズも残留だったけど、
そこで挑戦したのは外人のフレッド・カリーだったんだよね。
結局日本人はこのベルトを巻く事はなかったんだっけな?
タッグの方は豊登&杉山がようやく取ったけどね。
相手がテーズやホッジでは草津、杉山、豊登が勝てるはずないわな。
つくづくヒロ・マツダの脱退は惜しかったですね。
この後TBSと東郷が喧嘩して、結果吉原さんは双方と別離。
アメリカにブッキングの手段を失っていよいよ欧州路線へと傾いてゆく。
>>721 >ユセフ・トルコが、町井氏に大木の引き留めを依頼
>したのではないかと思うのですが。
たぶんそうでしょうね。
トルコ氏は日プロの攻撃隊長ですから。
遠藤やゲタが腰が引けて何もできないところを
ぐっと背中を押す役割だったのでは?
724 :
お前名無しだろ:03/11/02 21:25 ID:On65qfxZ
>722
欧州とのコネクションを築いたのは、吉原氏のアマレス人脈から。
AWAとコネクションを築いたのも、吉原氏の尽力によるもの。(ガニアには
足下を見られてボラれたが。)
草津エース路線がコケたのに、その後、約5年間もTBSが中継したのも、
吉原氏の尽力によるもので、TBS放映打ち切りの後、東京12chが放映
を開始したのも、吉原氏のアマレス人脈によるもの。
こうしてみると、吉原氏は信頼できる、責任ある経営者だったのではないか
なぁ。
>>725 なんども書いて木村オタって思われるかもしれんけど
俺はまじで猪木より強かったって思ってますよ。
妄想と言われてもね(^-^)
↑ ああ、あんたのは妄想だよ。
ノーガードで張り手合戦をやれば日本で屈指の存在だと思うけど、
それは相撲が最強と言ってるのと似たようなもんだ。
728は大人ならTPOを弁えたまえ。
馬場は国プロっとなんだかった有っても木村の顔は潰さなかった。
なんで?吉原さんとの関係。
俺は今暇だからじっくり考えたけど、馬場流日本メインを張れると馬場が判断
したのではないでしょうか?
長州が来た時も、逆エビすらかけさせない馬場はプロレスのプロ中のプロ
見せながらけっして、それがわかっていても強く思わす。
猪木とは対極なんだけど
木村はあまりにも業界ルール通りで真面目なんだが
もう一丁やってほしかった。
たまにはルールギリギリ違反くらいはね。
んな感じかな
馬場対木村ってうまくスイングするんだよね エプロンの4の字での不透明決着もぎりぎり木村のプライド考えたからなのかねえ
732 :
お前名無しだろ:03/11/03 12:58 ID:zMrU7ZRM
>>731 ジョーさんを悪者にしたってところがミソだな
733 :
お前名無しだろ:03/11/03 13:19 ID:DbPjAg6A
>>732 あの時のレフェリーは芳の里だった気が。
>>732 いや、エプロン4の字の時のレフェリーは芳の里だよ。
「不慣れな芳の里の判定だから」っていうあたりで、
国際側のメンツをギリギリ保たせようとしたのでは?
735 :
734:03/11/03 13:23 ID:CKShUUqH
かぶった。すみません。
樋口はサブレフェリー。あのおかしな判定を一緒になって
裁いた共犯だ。敵対団体だった新日本からは、当時、揶揄
のコメントはなかったな。
>>736 そりゃそーだろ。
新日のレフェリングもひどいものだったぞ。
時間調整やレスラーの顔を立てるなど、
ブックミエミエの速カウントはひどかった。
レフェリーと言えば阿部レフリー!
このレフリーくらいなもんじゃない、血だるまにされたの
芳の里曰く『木村は死に体だった・・・』
んなアホな
740 :
お前名無しだろ:03/11/04 09:21 ID:JdwlOII+
>>736 共犯っていうか、今考えるとあの試合の「仕事」は樋口が拒否したか馬場が樋口に
やらせるの嫌がったかで芳の里に役目が来たんじゃないかって気がする。
741 :
名無し:03/11/04 10:28 ID:G5pYJ2ti
一番ひどかったのはラッシャー木村がレフェリーをした鶴見対稲妻の試合だろうね。
メチャクチャなレフェリングだったよ。
694=696です、蒸し返して恐縮なんだが草津の事、
別冊宝島のテーズのインタビューというのは高橋本発行の前だろうから、
それ自体は(真実のヒントはあっても)フィクションだと思った方がいいのではないか。
失神事件の真相は不明だが、実はテーズも草津も吉原氏も納得づくの脚本だった可能性が
高いのではないだろうか、TBSは知らなかったのかも知れないが。
大事な緒戦での敗退なら、猪木だって新日旗揚げ戦でゴッチに完敗している。
グリーンボーイだった草津と違って猪木は元日プロの準エースで三冠王者、
でもあの敗戦が傷になったなんて誰も思わない、要はその後の脚本の書き方だろう。
逆に草津が大成しなかった、という結果があって出来た伝説なのではないだろうか?
早くから国プロの取締役だった草津が吉原氏との関係が悪かったとは思えない、
一方で練習嫌いだったとも聞く・・まあ少なくとも小林離脱の段階では
年齢・実績・センス等から考えてエースにと会社も本人も考えなかったのだろうか?
というのはやはり疑問だなぁ。
743 :
お前名無しだろ:03/11/04 13:03 ID:sBT/vMfs
テーズって気に入らない相手には最後のバックドロップの角度を急にしたりして
勝利を決して贈呈しない部分があるんだよね。
大木やブルーザーなんてひどい目に遭ってるらしいし。
それをテーズが万一独断でやっても東郷&テーズには逆らえないだろうし・・・
でもあの事件はTBSが本当に知らなかったのかね?
TBSだってプロレスの事情は分かっていたと思うし、彼らの理想とする
TV番組主流の新しいプロレスにみあった展開を権限行使で作れたと思うんだが。
遠藤光男のレフェリングはダサかった。自分ではカッコいいと思ってたんだろうけど、プロレスを全然見てないハゲチャビンだけに、ありゃダメ過ぎ。
>>742 まことに無粋な話題なんでアレだけど、全部が全部脚本なのかな?
海賊男とかならいざ知らず、通常はアドリブで格やその場の空気から
阿吽の呼吸で自ら負けることもあるし、本当に押さえ込まれて返せず
負けることもあると思ってるんだけど・・・・・・
いや、だから草津が根性なくてブックをこなせなかった。
そこが問題。
ただの負けならともかく、戦意喪失なんてひどすぎる。
「負け」にテーマも今後の道筋も見えてこない。
プロレスってさ、ただの勝ち負けじゃなくて、
そういうイマジネーションが全てだから、
夢のない試合をやったら、そのレスラーも団体もおしまい。
猪木のゴッチ惜敗とは全く事情が違うんだよ。
プロレスファンならその違いぐらい見極めてくれよ。
なるほどね。
はやく柴田の試合みたいなー。
ありゃすげー感情移入できるレスラーだよ
テーズがもっと水平に岩石落としを決めてあげれば良かったのに。
でもテーズは草津の力量はアメリカ修行時代を見てるから知ってるわけで
なぜ急角度で落とす必要があったのか。
これは完全に掟破りではないのか?想像力が膨らむ。
どうでもいいけど、この話題になると熱くなって喧嘩になるケースがある。
過去のスレッドでたびたび見ているよ。気をつけようお互いに。
これは俺のかってな推測なのだが一流になればなるほど
ブックは勝ち負け位で、組み立てなんかは一流といわれるレスラーに
任していたのではないだろうか?
この前インディーの選手の事がどこかに書いてあったが
その選手は技の出す順番まで決まっているとか言ってた。
俺はそいつが五流だからだろうと思ったのだが。
そこで草津は惜しくも破れるパターンで、いくらテーズが急角度でも
プロなのだから戦闘不能までにはなると思わなかったじゃないかな。
もし、こらしめるならテーズの隠れ得意技アームロックを折る寸前までやって
草津に解らしたはずだし・・・・
ちなみに木村は猪木のバックをとってグリグリに耐え切ってました。
関係ないけど。
>>746 >>748 無論喧嘩などする気もないけど、イマジネーションといわれてもねぇ・・w
どうしてもってわけでもないけど、事実関係が知りたいだけなんだがね
>草津が根性なくてブックをこなせなかった。そこが問題。
これって2ちゃん的には定着した見解なの? そうなのかなあ
俺には失神試合放棄という結末自体が草津も了承していた脚本のように
思えるけどね、そういう見方をする人はいないのかね
テーズ×草津は3本勝負で、テーズ自身が「こいつは1本譲ってもいい」と
思う相手のみ譲り、その時の草津では無理だったと。だから急角度バックドロップ
で失神させ、3本勝負を成立させなかったというようなことを読んだことがある。
世界を極めた王者ならではの発想ですね。まさか、60分ノーフォールなんで
高度な技術がグリーンボーイにできるわけないし。
>>750 たぶんリアルタイムで見ていればそういう人もいるでしょうが、
この掲示板は20代30代中心なので推論から演繹していくしかない
と思います。
草津の息子がK-1行っちゃったのも
親父のプロレス愛が薄かったせいかもね。
でも石井浣腸は、「偉大な父親」とか持ち上げて
息子に親父のリングネーム継がせたんだよな。
グレート草津って名前にも、それなりの価値があったってことか。
754 :
お前名無しだろ:03/11/05 00:23 ID:SwF1CC/e
こう考えるとつくづく猪木がオープニングシリーズののちに国プロへ入り、
マツダとの2枚看板で行っていたら歴史は大きく変わっていたのだろうと思う。
そもそもマツダだけでも残っていたらテーズやホッジといい勝負が出来ただろうに。
でもマツダもTBSの方針に激怒して脱退してしまった・・・・・・
>>754 マツダ、猪木に東プロからの斉藤、木村に新入団の小林、
渡米中の草津、杉山が帰国して揃えば、なかなか壮観な顔ぶれだった
格付けをどうするかは困ったろうが、このフレッシュな日本勢で
マツダルートの米南部中心の外人勢を迎え撃てば、魅力的な試合が組めたろう
加えて欧州ルートも開拓できてれば更によかった
>>731-
>>736 遅レススマソが、あのエプロン4の字は今思い出しても神業だぞ。
あんな態勢でもみ合ったら、90%以上の確立で両者リング下に転落するはずだが、
ギリギリのところで重心保って世にも奇妙なあの宙吊り→リングアウト決着になった。
俺も長いことプヲタやってるけど、あんな場面他に見たことないし。
馬場と木村の呼吸が絶妙だったんだろ。
>>753 >グレート草津って名前にも、それなりの価値があったってことか。
TBS時代にメインで出ていた草津、杉山、小林あたりの知名度は、
一定の年齢以上の人にはかなりのものがあるよ。
758 :
お前名無しだろ:03/11/05 18:32 ID:Fes4BY+w
》757
ある意味、12ch時代の木村以上でつか?
ロシモフの頃は確かに杉山・草津だったな。
>756
しかも、その試合の後日に、解説席にいた東スポの記者に馬場戦の載った
東スポを見せて「これでリングアウトは無いでしょう?」のマジ抗議のオマケ付き。
>>719 遅いレスですが
そのタイプの16文は海外でよくやってませんでしたっけ?
馬場が海外行ったら、チョップとキックしかやってなかったな。
木村の海外試合のフィルム(写真でもいい)あるのかな?
763 :
757:03/11/05 21:25 ID:GWT7mV5l
>>758 ある意味、12ch時代の木村以上でつか?
12ch時代と限定すれば間違いなく木村以上でしょう。
日プロ中継より低いとはいえ、水曜夜7時に20%の
視聴率を稼いでいたわけですから。
>>761 全日と国際が交流戦をやっていた70年代後半に実現した
馬場vs木村2度目の一騎打ちで起こった珍事。
馬場に4の字を仕掛けられた木村がロープブレークし損ねて
上半身がエプロンから宙吊りに。
相手が他の選手なら場外に転落するところだが、
足の長い馬場の重心はリングにあるため、その態勢のままピクリとも動かない。
ブレークも認められず、かといってギブもできずもがき苦しむ木村。
で何を思ったか、レフェリーがカウントを取り始めていつの間にかゴングが。
あとは
>>731以下を嫁ばわかるが、世にも不思議な
馬場のエプロン宙吊りリングアウト勝ち裁定が下ったというわけ。
草津は晩年だったけど、変形コブラツイストを披露した。
相手の右足を自分の右手で掴みあげて、片足にした状態で
コブラで締め上げるというもの。誰か使わないのかな〜
>>764 ちなみにこの試合は生中継で、試合終了前、
木村のもだえ苦しむ表情がアップで映ったまま終わったような。
馬場のリングアウト勝ち裁定は
翌週の放送で知ったはず。
>>766 いや、その後番組のニューススポットの画面上段に字幕が出た。
>>766 正確には放送終了間際に、試合終了のゴングがなって
倉持アナが「一体、どういう事なんでしょうか」調の
コメントを残して次週…、という展開だった。
>>764 すみません試合経過は私もテレビで見て怒り狂ってました。
でも、詳細ありがとう
私が知らないのは
>東スポを見せて「これでリングアウトは無いでしょう?」のマジ抗議のオマケ付き。
の部分です。
これ12chで吉原さんが言ってたのでしょうか?
770 :
お前名無しだろ:03/11/06 22:33 ID:W8eVvpOL
意外に昭和46年3月31日〜の第三回IWAワールドシリーズの話題がでませんね。
まあ自分も含め殆どの人がリアルタイムでは知らないからだろうけど、伝説のシリーズですよね!
参加選手:カール・ゴッチ ビル・ロビンソン モンスター・ロシモフ シン・リーガン
ドクター・デス(ムース・ショーラック) ダニー・デュボア マグナ・クレメンテ
ジャック・クレイボーン バスター・マシューズ(ピエール・レ・グラン)
ゴッチがロシモフを爪先立ちの原爆固めで投げたのは語り草です。
ロシモフはこの後かねてより誘いのあったAWAへ転戦してゆきます。
>>769 このときはどうだったか忘れたけど、この一戦の前に実現してた
馬場vs木村の初対決のときは、吉原さん猛抗議してたよ。
(馬場のピン勝ちだったが、ダメージの多くはブッチャーの乱入で負ったもの)。
ピンやギブですっきり決着つけると、負けた選手の価値が下がると考えられていた時代、
選手としての格でも団体同士の力関係でも、馬場と木村の優劣は明らかだったなか、
木村はこれでギリギリ面子を保ってたんだろうな。
>>770 覚えてるよ。
でもね、持ち点減点法はわかりにくいし、公平でない感じもした。
何より、前年まで優勝していたロビンソンが、優勝を逃したのに、
表彰式ではでっかいメダルをぶら下げてにやにやしているのが
解せなかった。
たしか、ロビンソンもゴッチも一つずつ取りこぼしがあって、
最終戦で、2人が引き分けたため、ロシモフが漁夫の利で
優勝したというストーリーだった。
日本プロレスは、この年、第12回ワールドリーグを、何と2ヶ月の
ロングラインで開催。馬場、猪木、坂口の優勝争いが熾烈だった。
>>765 それってスワスティカじゃないの?結構ポピュラーな技だけど。
774 :
お前名無しだろ:03/11/06 23:00 ID:W8eVvpOL
>>772 同シリーズではゴッチvsラッシャー、ゴッチvsロビンソンという興味深いカードが実現していますね。
たしかゴッチとロシモフの試合は、ゴッチがジャーマンで投げた時にレフェリーが失神していて、
三カウントを取ったと思ったゴッチが呆然としている隙を突いてロシモフがゴッチを押さえ込み
サブレフェリーが三カウントを取ってしまったんですね?
これを機にIWEは欧州路線から本格的にAWA路線になり、AWAにだいぶいい外人を持っていかれましたね。
775 :
お前名無しだろ:03/11/07 00:18 ID:ARKraust
オレはリアルタイムで見てたよ。ゴッチにしびれた。
圧倒的な存在感。去年のWCでオリバーカーンの存在感に
みな圧倒されてただろ。あんな感じ。ロビンソンとの試合
ではゴッチがこれから入る技をロビンソンに告知するんだ。
例えばボストンクラブだと「次は右だ!・・・・こんだは左!」
ロビンソンは防戦一方。フルタイムドローだったけど
内容的にはゴッチがレッスンつけてたような感じ。
ロシモフ戦もみた。次々に関節を決める。ロシモフ
はずせない。すると「しょうがない」って感じでゴッチの
方からはずしてやるんだ。そして次の技をまたすぐ決める。
こんな感じで全然勝負になってなかった。最後はお約束ごと
でロシモフに勝ちだけは譲ったんじゃないの?
杉山戦も見た。あっという間にゴッチが勝った。まだこれ
からというところでめんどくさいとばかりにローリングクラッ
チホールドで決めてしまった。あっけにとられた。
776 :
お前名無しだろ:03/11/07 00:31 ID:ENKCXBnJ
ほあっ、さすがリアルタイム世代は生き生きしたレポだ。
ゴッチとロビンソンはリング外ではすでに仲が悪かったらしいですが、
リング上ではゴッチのイメージを崩さないようにロビンソンが格下的に
試合をしたのでしょうかね。猪木戦もそんなところがあったし。
ロシモフはゴッチからそういった関節技を習ったって聞いた事があります。
このときの出会いでの事でしょうか。
>猪木戦
ゴッチー猪木戦のことです。
778 :
お前名無しだろ:03/11/07 07:31 ID:rzh0zHfq
>770
>ドクター・デス(ムース・ショーラック)
ムース・モロウスキーですな。
>>778 鶴田が国内デビュー戦で勝った相手かな?
木村はその程度の格の人と因縁づくりしていたと。
780 :
お前名無しだろ:03/11/07 20:34 ID:mVzISw35
S43年第一回IWAワールド・チャンピオン・シリーズもマニア心をくすぐる外人が来ていた。
ビル・ロビンソン、ジョージ・ゴーディエンコ、ピーター・メイビア、マイケル・ネイダー、レイ・ハンター
ジョン・ダ・シルバー、レイ・ゴールデン・アポロン、ジルベール・ボワニー
ロビンソンvsゴーディエンコという、当時ロイヤルアルバートホールを満員御礼にしていた
ポンド箱カード?を実現させたのが憎い。
しかしながらゴッチがここに入っていたら凄かったと思う。
当時は日プロコーチだっけなゴッチは?つくづく二人は行き違いでしたね。
>つくづく二人は行き違いでしたね。
説明不足。ゴッチとゴーディエンコです。
英国マットでもゴッチが国を出た直後にゴーディエンコが来たそうな。
782 :
778:03/11/08 01:06 ID:1KVwYdjd
モロウスキーが全日本でデストロイヤーとタッグ・マッチで闘った時、パートナー
が四の字固めでギブアップした。試合後モロウスキーがデストロイヤーに
「四の字固めっつう技はほんとにこれほど効くだか?いっちょ、おらにも掛けてみれ」
と言って寝転がった。デストが応じて四の字をかけるやいなや
「ぎゃあああー、脚が折れたあああ!!」
と大騒ぎであった。
このように、ムース・モロウスキーには、人の良い大男という印象があったのだが、
その後、極悪非道のドクター・デスの正体であると知ったときは
(((( ;゚Д゚)))))ガクガクガクブルブルブル
であった。
(上のエピソードのせりふについては、わたしの想像です)
783 :
お前名無しだろ:03/11/08 04:02 ID:2ji6ZRhz
第3回のワールドシリーズの話題が出てるけど、その翌年に開催された第4回
大会も豪華だったよ。前年優勝のロシモフにジョナサン、ゴーデイエンコ、これ
が初来日だったホフマンに当時AWA圏でトップを張っていたラシクまで参加す
る大盤振る舞い!
日本側は小林、杉山、木村の当時の国プロビッグ3が迎撃。G草津が公式戦に
参加できないほどのハイレベルなリーグ戦だったよ。
ちなみに決勝はロシモフをカウントアウトで下した小林が悲願の日本人初優勝
を達成した。
ゴーディエンコとジョナサンは対戦していませんね (´・ω・`)
>>783 このとき草津は長期海外(AWA圏?)遠征中ではなかったっけ?
第5回(S48)は、小林、木村、草津、マリガン、デール・ルイス
ムース・ショーラック、ラーズ・アンダーソン…
第6回(S52)は、木村、草津、井上、ジョー、バション、クイン
ヘス…
回を重ねる毎に、地味に収束していった感じだな
7回以降はナシで正解
>>783 ピンこそ取れなかったとはいえ、シングルでアンドレを破るなんて
まさに小林の絶頂期だな。
このほんの数年後には、オポジションのNO.2に過ぎなかった
猪木が旗揚げした団体で飼い殺しに会うなんて夢にも思ってなかったろうな
IWAワールドシリーズは第3回と第4回が絶頂期で、
同時にこのあたりが国際プロレスのピークでもあった気がします。
第6回のバション、ジョー、クイン、ヘスというのも
地味といえば地味だが、魅力もあるな
790 :
お前名無しだろ:03/11/08 20:13 ID:dNVyHAvq
>>789 伝説の豊橋、バション対ジョー
あの二人にタッグを組ませた上、同じブロックに入れたのは快挙
791 :
名無し:03/11/08 20:50 ID:0Uv1yNXs
>>790 しかも仲間割れをさせた後にシングルマッチさせたよ。
井上対ジョーの公式戦と決勝を同じ日に行った国際は、
さすがと思いますた。木村とバションの決勝は、阿部レフェリーが
バションに攻撃されて流血したんじゃないでしょうか。反則のゴング
が鳴ったにもかかわらず、決勝だからって試合を続行させた阿部レフェリーは
最高だったよ。
ジョーは始めの頃はかなり胸板ぶあつかったな
793 :
お前名無しだろ:03/11/09 12:22 ID:tCYSgbYf
マイティ対ジョーの座り込んだままの殴り合いは凄まじかったね
794 :
お前名無しだろ:03/11/11 00:05 ID:JPqm3USr
花柄タイツ同士だったのでは?
795 :
お前名無しだろ:03/11/11 03:18 ID:5wp9lRHX
はぐれ国際軍が新日で悪役をさせられている時
木村や浜口、寺西が酒を飲みながら
「おっとう、ホントにやればおっとうが一番強いよ」
と浜口がいったという文をどこかで見たのですが、
何でしたっけ?
ちなみにおっとう=ラッシャーです。
796 :
お前名無しだろ:03/11/11 06:17 ID:DMtS/WPT
>>795 高橋の本。
12チャンネルのビデオ持っている人っているの?
マニアなら持ってるのかな。
テレビ東京にはもう無いよね。杉浦実況が聞きたい。
ヤフオクで検索すると出てくるよ
国プロネタをやってると、プロレスって何なのかって思うところ大ですね
今、だったら確実にファンがいたと思うし
あの頃のプロレスに対する幻想が潰した団体かな
その幻想を俺も、もっていたが
ブックなんてまさかと信じてた俺もガキだったしなぁ〜
800 :
お前名無しだろ:03/11/13 00:58 ID:6fbmL9wM
第一次UWFの初期が国際プロレスと二重写しになるのは私だけ?
801 :
お前名無しだろ:03/11/13 15:22 ID:M7wQE1/K
国際プロレスのその後の命運を象徴した日プロとの「隅田川決戦」。
TWWA選手権でルーテーズにグレート草津が失神KO負け。
歴史的に見てこの時以上の興行、試合はないと思います。
以後の国際は二流の評価が定着したように感じます。
あの試合の不可解な結末、以後にもたらした影響について
当時を知る方や国際ファンの皆さんの見解をお願いします。
単純に言えば、「スター」が居なかった事に尽きるんじゃない!?
あ、俺は昭和50年代の「末期国プロファン(なのでそれ以前は関連記事の受け売り)。
だからその試合で、初っ端に見事にコケた訳だ・・。 >二流の評価
あと、吉原社長が口にしてた「うちには力道山門下生がいない」という
コンプレックスが、卑屈にさせたかどうかは知らないけど、会社の雰囲気を暗いものに
してたんだろうか・・・。
リングアナウンサーも月とすっぽんだったしね。
篠原と竹下の違いは大きかった。
デスマッチ多かったから子供心にこわかったよ
805 :
お前名無しだろ:03/11/13 23:10 ID:ytHnWbgQ
国際がつぶれたときって、このスレッドみたいに国プロに好意的なファンって
少なかった気がする。
マスコミは一部(竹内とか菊池とか)が応援してたけど、おおかたのファンは
無関心か冷たい視線を送ってたし。
物書き系では、村松友視とか高千穂遙などは露骨に国プロをけなしてた。
あの高い所から見下したような胸くそ悪い文章は、今でも記憶に残ってる。
いまの社民党と当時の国プロがダブって見えるのは俺だけ?
>>805 言うか、正直仕方ないなと思った。
ルーテーズ杯の面子もショボかったし、新日との関係も酷かったし。
最後のエンフォーサが極めつけだったしな。
>>801 草津事件でズッコケたとはいえ、TBS時代が一番の
華だっただろう、日本人・外人の層の厚さを含めて。
とりあえず同じTBS時代に持ち直した…と。
>以後の国際は二流の評価が定着したように感じます
BIが偉大過ぎたからこれは仕方ないでしょう。
でもBIの“A級”に対して“B級”という表現に
して欲しかったですね。
>>805 おいおいw
社民党は自業自得
永年の嘘が白日の下に晒されただけ
同情の余地なし
まあ民主党辺りに入れてもらおうとしてカエレコール受ける
土井のババアの姿を想像すると笑えるがw
>>807 同意
少なくともTBS時代はパ・リーグくらいの位置にはあった
末期はウェスタンorイースタンみたいなもんだったが
809 :
お前名無しだろ:03/11/14 19:49 ID:lyFEM8sT
>>808 国プロ崩壊時も当時はファンの反応はひどく冷たいものだったよ。
ジリ貧状態で矢尽き刀折れる様は、まるで今の社民党。
一部マスコミが情緒的に擁護してるところも似てる。
社民党がもしなくなって15年くらいたってから、いま社民党をけなしてる輩が
「昭和時代の社会党の意義は」なんてしたり顔で肯定的に語るんじゃないの?w
歴史は時間が過ぎてから判断されるもだしね。
>>809 問題は自業自得か否かってことだろ
国プロ倒産も営業努力不足のせいだから自業自得だとでも
言うならそれでいいけど
>>問題は自業自得か否かってことだろ
なんで?
自業自得かどうかが、なんでそんなに重要なの??
似てるところ多いから「ダブってる」て書いたんだけど。
何がお気に召さないの?w
自業自得か否かなんて一条件に過ぎないと思うよ。
アホかチョンコ党より国プロの方がよっぽど立派<=テリーラザン
国プロ好きの集まるスレで、永年労働組合や市民運動を食い物
にし北鮮に媚売ってきた腐れ政党を国プロにたとえれば反感買う
のが当たり前だろ
814 :
お前名無しだろ:03/11/15 00:41 ID:mGDeZApY
ラパパポスキーという奴が来日した時は、あたしゃ、アナウンサーに同情しましたね。
815 :
お前名無しだろ:03/11/15 01:06 ID:mX5/0/Nx
国際から新日時代のラッシャー木村の表情、後姿に男の哀愁を感じるね。
不遇な者の意地や悲しみを背追って戦っていたよ。
歴代レスラーで最もブルースの似合う男だったね。
>>809 根本的に違うな。
社会党は、自民党を補完する政党であり、
そもそもオポジションではなかった。
アンタ、55年体制という言葉知らないのかい?
>>816 805よーく読んでみ。
「【今の】社民党と【当時の】国プロ(つまり末期)が似てる」って書いたんだよ。
国プロの通史を言ってるんじゃないから、55年体制云々など根本的に関係ないでしょ?w
冷たい視線の中で朽ちていく様子と、それでも応援する一部マスコミが似てるということ。
しかも「新進気鋭」の物書きが露骨にけなすところも似てるじゃん。
しかし、2ちゃんでの社民党への嫌悪・嘲笑はすごいね。
社民党はダメ政党に墜ちたけど、そこまで過剰に反応するほどでもないだろうに。
2ちゃん全体にドグマでもあるみたいだよ。
酸いも甘いも知ってる大人が多い国プロファンのスレくらいは、そういう話題も「ぬるく」
話せると思ったのにな。例外に漏れずお熱い「新進気鋭」の方々が多いようで。
社民党嫌い=若造か
決めつけが酷いな
猪木の悪口言ってるのはみんな新参のプヲタとか言ってる
重度の猪木ヲタみたい
819 :
お前名無しだろ:03/11/15 11:19 ID:/t3vT6mY
社会党の話題はもうやめましょう。
それぞれの政党支持、評価は国際プロレスとは関係ありません。
プロレスの魅力は現実社会の権力闘争から離れた夢の世界を構築してある事
にある思います。
12CHの時の国プロのテーマソングの題名て知ってますか?
>>818 まあお気持ちは分かるが、若造と新進気鋭は意味が違うと思う。
まあ国プロスレにこれ以上殺伐とした雰囲気は似合わないな。
杉山が抜け、小林が抜け、草津はある時期からセミリタイヤ。
奇をてらった井上エース路線から、木村時代移行になってから
外人の質もグッと下がって(どこの馬の骨かわからん悪党ばかり)
しまった。
昭和50年全日のオープン選手権で参戦した木村、草津、井上という
ネームバリューのある三本柱体制をうまく維持して、阿修羅の台頭
に繋げていけばまだ生き残る可能性はあったのだが。
ケチの付け始めは、昭和51年春の全日との対抗戦で草津・井上が
全日の中堅(つまり格下)である極道コンビと引分け試合をして
しまったことにあると思う。一年前にガニアと引き分けた井上が
大熊と一本ずつ取り合うなんて論外なブックだと今でも思ってるよ。
とにかく、背が低く、シングルの実績もない浜口がナンバー2に繰り上
がってしまったのが、破綻の道を加速させちまったのだよ。
823 :
お前名無しだろ:03/11/16 00:17 ID:iuMEl0XH
まあヒロ・マツダとストロング小林が抜けてしまった時点で
衰退はやむなしだったと思うよ。
824 :
お前名無しだろ:03/11/16 00:24 ID:1r7i4Vyo
>>820 東京12チャンネルのスポーツテーマ。
曲名はわからん。申し訳ない。
825 :
名無し:03/11/16 10:49 ID:IORnnNBj
>>822 昭和52年のオープンタッグでは、木村、草津、井上の3選手が参加
していましたが、井上の地位低下が目立っていました。そして、木村にしても
ドリーとのシングルではあっけなく負けていました。
一方、公式戦では草津と組んでブッチャー、シークと両リン、そしてシークとのシングル戦では
さすが金網の鬼っていうファイトでしたが、これも国際は、ラフには強いが、
正統派レスリングでは弱い印象を与えたのではないでしょうか。
826 :
お前名無しだろ:03/11/16 12:00 ID:ZZrmlKai
TBS主導時代を除けば、国プロにはギラギラした野望とか、他社をおとしいれても
のし上がろうとするエゲツナサがなかった気がする。
企業としてはそれじゃダメなんだが、そういうところが子供心にグッときたよ。
実生活で出世や金もうけに血眼な国プロファン・・・全然似合わないw
827 :
お前名無しだろ:03/11/16 17:42 ID:1r7i4Vyo
>>825 オープンタッグでは岐阜大会で木村&草津対
ブッチャー&シーク戦が行われ、両軍ROでしたが
最終戦での表彰式で木村&草津が敢闘賞を受賞した際
倉持アナが「なにしろ、ブッチャー&シーク組みに
得点させなかったことが、敢闘賞に値しますねぇ〜」
と言っていたが、これってブッチャー&シーク組は
”悪”って決め付けているから出てきた言葉だよね。
なにげに笑ってしまった。
結果から考察すると、オープンタッグにおける国際コンビの位置付けは
馬場&鶴田 ファンクス 凶悪組の三つ巴の次位だったな。
韓国師弟コンビとは星を分けた。
で、ロビンソン&ホフマン組よりポイントを上回るという、国際時代における
両者(ロビンソンと、だな)の立場が逆転していたのは興味深い。
その他、デスト&レッド、羽田&天竜、高千穂&井上ら各チームには
軒並み勝利を収めたし、敢闘賞は当然の結果。
しかし、確かにマイティの扱いはチョットなあ・・・。
829 :
お前名無しだろ:03/11/16 20:44 ID:DNbzNOvX
デスト&レッドは、デストロイヤーを封じ込んで
レッドライオンを仕留めれば勝てる。
羽田&天竜、デビューして2〜3年の天竜や
塩の羽田に負ける様では話にならん。
高千穂&井上、こんな急造チームにタッグで
負ける様ではこれも全く論外。
>>829 >レッドライオンを仕留めれば勝てる。
そのときのパートナーはテキサスレッドで、
義兄のビリーレッドライオンではなかったぞ。
831 :
お前名無しだろ:03/11/16 22:58 ID:Cm5ApHQ6
ロジャー・カービーだね
>>831 それは80年のPWF杯タッグトーナメントの時の相棒ザ・クルーザー
初代テキサス・レッドはレッド・バスチェン
国際の話と違って悪いんだけど
デストの義兄のビリー・レッド・ライオンは
全日にデューイ・ロバートソン(ミッシング・リング)と組んで
クルセイダーズの名前で来日しませんでしたっけ?
>>827 どうして木村・井上じゃないのか不思議だった。
草津はいらん
>>833 その頃はまだプロレス見てないが何かの本で見かけた
確か昭和51年だか52年の新春シリーズのはず
キャリア晩年に差し掛かってたライオンはともかく
ロバートソンは試行錯誤してたんだろうな
で、その帰結がミッシング・リンクへの変身と。
もひとつ、BRライオンという名・・・。
昭和54年の全日「スーパーパワーシリーズ」において、デストが7年の日本滞在に区切りを
つけ帰国することが告げられた。リングに興奮と同時に親近感を持たせてくれた
彼が居なくなる、ということで一抹の寂しさを覚えたのが懐かしい。
そして義兄のライオンと組んでBT砲に挑戦、明らかに格下(と思われる)チームが
一矢を報いたの(三本のうちの一本ね)は厨房な俺にも解る馬場のデストへの礼儀と、
知るに至ったな・・・。
うわ、ッ全然スレチガイだわ・・・w
>>836 うんうん。たしか馬場が試合後のインタビューで、
「デストロイヤーの貢献度を考えたら、ベルトをあげてもいいと
思ったが、鶴田ががんばった」というようなことを言っていたけ。
鶴田はブックを破ったのか?
まさかね。馬場もよく言うよ。うまいうまい。
>>836,838
オイオイ、何間違った事言ってるんだ?
インタータッグ挑戦試合に関して言えば
デストが馬場や鶴田と一本ずつ取り合っても
おかしくない序列だったんだぞ、晩年であっても。
馬場の礼儀=最終戦のシングルでピン負けしてあげた、
事と勘違いしてるんじゃないの?
他にそのシリーズで馬場はライオンとも一本ずつ
取り合っていた事もあった。
残り少ない良スレに脱線レススマソ
840 :
名無し:03/11/17 21:18 ID:M7LsObzC
オープンタッグの直前に全日との1週間ほど間、対抗戦があったが、その時の
最大のカードが木村対鶴田。これに木村が勝てば馬場が木村と対戦するって
言っていた。結果は、微妙なピンフォールで木村の勝ちになり、その時のレフェリーが
樋口だったので馬場は、勝ちは勝ちだから対戦する。しかし、鶴田も納得していないから
もう一度鶴田ともシングル戦やれって言われて3軍対抗戦で木村は、馬場と、鶴田と
それぞれシングル戦を行い、両方とも不可解な結果で国際がマイナーであることが
よりはっきりとした。
>残り少ない良スレに脱線レススマソ
しかしながら国プロはまだまだ掘り下げがありますね。
はっきり言って奥はかなり深いですよ。
この掲示板の年齢的に12ch時代の話題が多いですが、
TBS時代の事もリアルで知らないなりに考察がまだまだ
出来るし、外国人の話題もまだまだ足りないくらいです。
世代的には12ch放送末期を見れた筈なんだが
当時漏れの地方ではネットしてなかった
今はテレ東系のネット局あるけど
843 :
お前名無しだろ:03/11/18 19:05 ID:JGiJSHyW
>>841 確かに奥が深い
一時代を築いたのにも関わらず関連書籍などが皆無に等しい。
生き証人はまだまだ健在なので、ここらでゴング得意のMOOKを出してほしい。
844 :
839:03/11/18 19:18 ID:sgP5/wsm
昭和54年の夢のオールスター戦での観客の態度を見るに
国際選手への反応は、全日・新日の選手のそれに比べ
極めて冷ややかなものであった。
特にデビューしたての阿修羅への罵声は、初物を痛ぶっている
としか思えないほど、本当にひどかった。
観衆の中に関東圏(=12ch可視聴圏内)在住の人が当然
多かった筈だが…
それらから推察するに、全日・新日は見るが国際には目も
くれない、というプロレスファンが多数派だったのだろうか。
845 :
お前名無しだろ:03/11/18 19:42 ID:JGiJSHyW
>>844 結局、プロレスファンではなく新日ファン、全日ファンの数が国際ファンを凌駕してしまったんだね
プロレスマスコミにも問題があったと思うが
847 :
お前名無しだろ:03/11/19 00:10 ID:ryBN/mOn
国際プロレス、オイラ嫌いじゃなかったんだけどなぁ〜〜。
848 :
お前名無しだろ:03/11/19 00:13 ID:hAWQf54y
ロード・アル・へイズがいうように、欧州路線がそれなりに軌道に乗って
人気を博していたのにAWAと業務提携を結んで、欧州レスラーが上がれる
リングをなくしてしまったのはプロモーターとして失敗だったかもしれませんね。
ヘイズはあれが無ければ今でもIWEは続いてるとまで言いましたからね。
結局ガニアがロシモフやロビンソン、ボーツ、ホフマンといった一流どころを
遅かれ早かれAWAに引き抜き、それからは一度もIWEに来日させなかった訳で。
849 :
お前名無しだろ:03/11/19 00:15 ID:hAWQf54y
あ、アンドレだけは吉原さんに義理立てて参加してますね。
>>848 ヨーロッパマットの衰退を見るとそれは欧州マット出身のヘイズの
欲目だと思う
イギリスやドイツのプロモーション弱体化はもちろん、フランスなんて
プロレス自体が消滅したし
でも、ガニアにしてみれば彼も彼で、多分に視察を兼ねた来日で
思わぬ鉱脈を掘り当てたわけで、未知の強豪、未完の大器をフトコロに
することができ、手持ちのレスラーを相当なギャラで次々と送りこめた。
結果論で括るしかできないが、やはりアンドレにしてみればガニアの存在は
計り知れなかった。
いずれにせよダシにされた吉原氏もいい面の皮だが、今となってはそのガニアも・・・。
吉原さんはいいひとすぎてガニアとかに絞り採られた感じだった 吉原さんの側に汚れ仕事を引き受ける人間とゆうか狡賢いブレーンがいたらガニアの思いどうりにコトは進まなかったよ
853 :
お前名無しだろ:03/11/19 17:28 ID:Z7MyWs1G
>>852 確かに、国際に汚れ仕事担当はいなかったような気がする。
新日の「汚れ」担当は新間だったが、全日では誰だったんだろう?
855 :
お前名無しだろ:03/11/19 17:49 ID:Z7MyWs1G
>>854 おお、仰せの通りだわ>汚れ担当=元子
ただ、外国のプロモーターを正面から相手したブレーンも元子だったんだろうか?
マクマホンシニア相手にヒケをとらなかった新間みたいに。
そういう意味で気になって。
馬場は米国のプロモーターとは信用商売だろう
支払いを遅らさない、値切らないっていうのはアメリカではかなり信用
を集める
その分日本人選手相手にはアコギだったからモトコはそっちの方の
不満を集める役って感じ
最末期(昭和56年の春頃)に台湾から留学生(ボディビルダー)を3,4人入団させて
新しいスターを作るっていう記事を月刊プロレスで読んだことがある。
当時、消防だったけど「まだまだ国際は元気あるんだなぁ」と思わせる記事だった。
阿修羅・原の凱旋帰国記事(同時期に帰国、国内定着した天龍の凱旋帰国記事より扱いが大きかった)、
KK・コジャックの記事もそうだったけど、
結構月刊プロレスはズタボロになっていた国際を盛り立てていたような気がする。
>>857 マイク・ジョージ級の挑戦者の場合はIWA戦もちゃんとカラーグラビアで
報道してたね
さすがにキャンディとかエンフォーサーみたいな他団体で半年〜一年前
に員数外人やってたヤツの場合は白黒だったけど。
ただ当時の天龍はドン底だったから原の方が大きく取り上げられたのは
至極当然。
戸口の引き抜きがなければまだまだ海外に居たままだったろうな。
あの時の天竜の凱旋はダメダメだったなあ
Cブラックウェルに対しいい所無しの試合してた記憶がある。
>>859 それはその前、79年の凱旋じゃない?
高千穂と組んでアジアタッグ挑戦した時
あの頃は戸口どころか羽田もまだ元気だったからさらに居場所無しって
感じだった。
原の扱いに関しては、それまで散々辛酸な目にあっていた
国際に何とか一矢報いて欲しい、という各マスコミの
後押しがあったのではないでしょうか?
でも、誰もヘーシンクのプロレス転向より大きな扱いを
受けた奴はいないな。
862 :
お前名無しだろ:03/11/19 19:43 ID:kPLExzdw
>>857 その記事は憶えているけど、別に台湾からの留学生ではなかったと思うよ
友好関係にあるボディビルジムからの斡旋で入門と、3人紹介されていた
キックボクシングか何かの経験者もいたと思った
863 :
お前名無しだろ:03/11/19 22:12 ID:Yx6tbtgZ
>>860 2〜3シリーズこなしただけで最強タッグを前にひっそりと渡米したんだよね。
馬場がレイスからNWA獲ったりしたから余計に影が薄かった
864 :
お前名無しだろ:03/11/22 13:16 ID:EkHtlCoz
ジプシー・ジョーの使ってた凶器って何だっけ?栓抜きorはさみ?
ジョーは場外乱闘のドサクサで客からカステラを
奪い、リング上でムシャムシャ食べながら相手の
首を締めていた事があったな。
>>864 ジョーと言えばパイプ椅子。
乱闘で椅子を持ち出して、相手に奪われて、
背中を連打されるも椅子のほうが壊れて
タフネスぶりにびっくりした相手が根負け、
っていうのはジョーの試合の最大の見せ場。
全日行ってもやってたな、このパターン。
全日末期は叩かれると辛そうだったな
W☆INGに来た時はもっと年いってたのに
そんなに辛そうに見えなかった
868 :
864:03/11/23 00:16 ID:jJA08jY9
>>865 そんなことがあったんすか。爆笑です。
当方、昭和57〜58年ごろからプロレスを見始めたもので国プロはよく知りません。
これからも色々とご教授くださいませ。
>>866 ジョーの日本での全盛期は初来日から2,3年かな。
ニードロップも怪我させないギリギリを狙った所をグサリって感じ迫力満点。
ブレーンバスターも滞空時間が長い、全日の頃とは身体が全然違う。
870 :
お前名無しだろ:03/11/23 11:56 ID:ioxEuASa
全日移籍第一戦で馬場に角材で脳天唐竹割りされてた
ジョーの裏話では「カツ丼が好物だった」とか「日本語で焼き鳥を注文してた」
「炉辺焼きに入り浸ってた」とかホノボノとしたエピソードばかりが多いよね。
かなりの日本びいきであることは間違いない
小柄だがガッチリして濃い目の顔のジョーみたいなオッサン、
よく見かける。焼き鳥屋とかの飲み屋で。
873 :
お前名無しだろ:03/11/24 07:59 ID:shgo/vyO
IWAジャパン時代は菊池さんと昔の戦友同士のようによく喋っていたね
874 :
国際急所隊:03/11/24 10:39 ID:PDeA5TNQ
国際って反則の急所攻撃、多くなかった?ただの股間パンチは茶飯事、
コーナーポストの電気アンマもよく見られた。
ジプシー・ジョ−なんて急所に噛み付き攻撃までしてた。
よくやられてたのは井上や寺西。
SMチックで興奮して見てた記憶が有る。
876 :
お前名無しだろ:03/11/24 20:42 ID:zC40/yQQ
877 :
お前名無しだろ:03/11/24 23:09 ID:fAFLfzEC
>>875 井上の体、ゴツくて頑丈そう、、といえなくもないが、
空中戦を売りにする若きエースとしては太り過ぎだよな
このエース起用は無理があった
878 :
お前名無しだろ:03/11/25 17:09 ID:oJfaR0bx
>>874 セーラー・ホワイトがやたらめったら股間にストンピングをするのが学校で話題になった。
みんな青ざめてたな
879 :
お前名無しだろ:03/11/25 17:35 ID:bPTelGuy
>>875 寺西のプクンと突き出たお腹がなんとも・・・。
国際はラッシャーもマイティも浜口も、他にもお腹が出たレスラーが多かった。
レフェリーの遠藤がいちばんマッチョだったんだよなあ。
880 :
お前名無しだろ:03/11/25 17:37 ID:oJfaR0bx
>>879 レフェリーのマンモス鈴木が一番の長身でもあった
>>875 国際があと一年もってたら、恐らく原がテーズベルト巻いてたと思う。
そしてテーズベルトを巻いて全日へ移籍。
鶴田とUNとあわせてダブルタイトル戦なんてことになってたかも…
882 :
お前名無しだろ:03/11/25 18:02 ID:Jttm8rPK
ワロタ
昨日の夜中にG+で昭和53年の世界最強タッグをやっていたが、
当時の現役AWAチャンプのニックボックウィンクルと元AWAタッグ王者の
ブラックジャックランザが出ていた。アナウンサーがやたらと御大の全米での
顔の広さを強調してたけど、国際崩壊の2年半前には既にAWAとの提携もなくなって
たってこと? NWAとの提携だけでも十分豪華な外人呼べるのに、御大もひどいよな。
まあ、うかうかしてたら新日がAWAと提携した可能性もあるだろうから、仕方ないのか?
>>883 翌79年の秋から年末にかけてニックとガニア、80年春にもニックが
国際に参加してる
ニックは王座転落後の80年末にはまた最強タッグに出たけど
885 :
お前名無しだろ:03/11/25 20:59 ID:Dl2tAvSb
>>883 あの豪華なワールド・チャンピオン・シリーズの直後、
75年を境に国際はAWAとの提携をスッパリ断ち切り
AWAは全日と関係を持つようになった・・のだが
>>884のように79年から80年にかけて突如ニックとガニアが国際に来日した。
現王者と帝王が相次いで来たのだから、提携復活か! と思ったのだが、
まったく広がることなく終わってしまった
今でもあれは一体なんだったのかと不思議に思うよ
この時期は全日からの斡旋ということは有り得ないし、
国際・AWA双方がどういうつもりだったのだろうか?
本格提携復活の意図があったのか? 単発のお付き合いと割り切っていたのか?
>>883 当時の国際の状況では、AWAのトップクラスは呼べなかったのでしょう。
884に有る来日も、多子化特別参加だったはず。
AWAとの提携自体が費用対効果の関係で、終了してたような記憶もあるが。
887 :
お前名無しだろ:03/11/25 22:31 ID:bXKQYFVH
吉原社長は放送席で、自分が呼んできたのにかかわらず、外人を酷評することがあ
った。「マリガンはいいが、ランザはよくない」と言ってたことがある。
888 :
お前名無しだろ:03/11/25 23:00 ID:eErenUHQ
ランザとマリガンのブラックジャックス。
初めはプロ入りの早いランザが、当然のようにエース格だったが、
すぐにマリガンがエースに変わっていたな。
>>885 確かに
でも、あの次期ニックって日本にきてなかったんじゃ?
全日のAWAはラシク・ロビンソンは常連みたいだったし
あっ!ロビンソンはあの頃NWAで
確かラシクもAWAを離れていたはずだし
ホースト・ホフマンはAWA圏か
マリガンはWWWFで・・・・
わからん
昭和54年の来日メンバーは確かに充実していた。
春のビッグチャレンジにはGジョー、Kブルックスの2大悪党がフル参戦、
上田&斎藤の狼コンビや、1週間ほどの参加だったけどビリーグラハムが
久々に参加してたな。阿修羅原のジュニア戦線も活発化して、WWUジュニア(IWAミッドヘビーを
化粧直ししたんだろうなw)王者のミレツルノとパートナーのCベレッツ(Jロンドス)
夏のシリーズはキッドやマーク・ロコ(ブラックタイガー)、秋には物議をかもした
NWAジュニアのネルソンロイヤルら錚々たるメンバーだった。
893 :
お前名無しだろ:03/11/27 13:09 ID:lUYzr8Qn
>>892 月刊プロレスに「ようやくやる気を出した国際」と、誉めてるのかけなしてるのか
分からない鈴木庄一の批評が載ってましたなw>昭和54年
翌55年もビッグマッチとヘッポコシリーズを繰り返しながらも、ガニアが来日した
冬までは、会社の体力がないわりには頑張っていたと思う。
でも、数字には結びつかず、56年に力尽きて・・・(⊃д`)
894 :
お前名無しだろ:03/11/27 14:22 ID:Awaxeza6
>>892 些細なことですまんが、マーク・ロコが来たのはキッドと同じ夏ではなく、
ロイヤルと同じ秋のダイナマイトS、この時はもうひとつ目立てなかったな
たしかに昭和54年は春から冬にかけては新日からの斡旋や、
AWAとの一時的な提携復活で豪華で多彩な外人レスラーが来日して楽しかった
・・が、豪華な顔触れが重なってしまった為に今イチ目立てなかったり、
ジプシー・ジョーのように地盤沈下を起こしてしまったレスラーもいたが
895 :
名無し:03/11/27 21:11 ID:AqqFC8Vv
>>893 ガニアは、昭和54年のデビリッシュファイトシリーズです。昭和55年には、
大木金太郎が加入したが、54年ほど盛り上がらなかった。
大木も半年ほどで辞めてしまったしね。
おお、これは記憶違い。失敬
ああ二重カキコだ・・・重ねて陳謝(⊃д`)
一応IDがアレなんで書き込みに来ました。
サモアンズの頭突きは説得力あるな
それとブルックスのギロチン
902 :
お前名無しだろ:03/11/29 00:40 ID:B/mF4Xqk
ギロチン・ドロップだったら、ギル・ヘイズを推す。
クイン&ギル・ヘイズってエルボー&ギロチンコンビだったのネ
ブルースな雰囲気
昭和53年くらいなら、全日と取引してデストロイヤー
を外人エースにしたシリーズやっても面白かったのでは?
905 :
お前名無しだろ:03/11/29 09:29 ID:bIDObmpJ
>>904 デストは日テレのスターだったからテレ東移籍は駄目でしょう。
日テレが引っ張って来たけど見切りつけたヘーシンクを
廃品利用で…
まあやる気のないやつはどこ言っても駄目だったろうな。
>>906 ヘーシンクを全日に上げるのに、日テレは当時の金で5000万円つぎ込んだらしい。
東京オリンピックで日本柔道の面子を丸つぶれにした怪物の看板料だろう。
株落としたとはいえ、エースの小林さえ東スポに1000万円で売り渡した
国プロが手を出せる商品じゃないよ。
しかも、大枚はたいても回収できないってわかってるわけだし(w
国際のレスラーって最終的にはなんらかの形で
ほとんどが全日と新日のマットにあがってるんだよね。
高杉や菅原でさえも新日に上がってるし、剛も一時期全日で
ファイトしてた。
全然関連が無かったのは、草津の新日登場及び若松の全日くらいかな?
それと90年代インディのレスラーを上げまくった新日も鶴見はなぜか
縁がなかったんだよな。
>>908 鶴見五郎、新日に上がってますよ。山本小鉄の引退試合は、
山本小鉄・星野勘太郎 対 鶴見五郎・大位山勝三 ですよ。
910 :
sage:03/11/30 23:12 ID:aSnapOpy
>>908 あなた若いでしょ?
リアルタイム世代からするとパイオニア戦士の新日参戦は
国際とは別次元の問題だと捉えてますよ
911 :
お前名無しだろ:03/12/01 00:01 ID:J4Ai9l35
そういえばお情けでドラゴンとパイオニア剛がやっていたね
912 :
お前名無しだろ:03/12/01 02:42 ID:lrmdS5Pi
>>911 先に入場した剛が笑みを隠せずに頬を引きつらせてニヤニヤしてた。
藤波戦を実現させただけでもう満足だったんだろうなあ。
その頃の藤波戦で、剛の乳首立ってるのに気づき引きました。
たしか、バイオニア剛と高杉の新日参戦て、2戦程度だったよね。
すぐに見切りをつけられたという感じだったなあ。
ああ、高杉は、昔メキシコに行ったとき、勝手に帰国して
馬場の逆鱗に触れ、1度くびになったんだけど、
木村が馬場にお願いして、国際血盟軍で復帰した。
菅原もどうせそんなもんだろう。
試合では国際血盟軍の旗を振って、「おい馬場、コノヤロ」とかやってても、
控え室に戻ると、「次のシリーズも剛と高杉と菅原をヨロシク」なんて
やってたんだろうなあ。
その後、3人がリストラされたのは、その時点で彼らが所属選手では
なかったからだと思う。
915 :
お前名無しだろ:03/12/01 11:22 ID:mqIGCGyk
「Do My Best」をもじって「Go My Best」を座右の銘にしてたな
916 :
お前名無しだろ:03/12/01 11:53 ID:Rvr89fRd
>>916 一時期剛が「国際同窓生」を売りにしていたが、個人的には「?」だったな。
一部選手間ではもうわだかまりはなくなっていたのかも知れんが、ファン側から
見るとどんな事情があっても剛は裏切り者。国際をメシの種にしてほしくなかった。
917 :
お前名無しだろ:03/12/01 11:53 ID:Rvr89fRd
自己レス自爆スマソ
918 :
お前名無しだろ:03/12/02 00:06 ID:4B0TKN0e
>>914 高杉は国際崩壊後、マッハ隼人のラインでメキシコ入り。
全日ラインでメキシコに行ったワケではない。
翌年帰国したのも、ウルトラセブンになるためにであって、
馬場に断りも無くどころか、全日に請われて帰国したはず。
その後は昭和59年暮れまでセブンを勤めあげ、
欧州遠征から帰国した菅原と共に突如素顔になり血盟軍のメンバーに。
別に馬場に不義理も何もしていないと思うのだけど。
61年のリストラ(維新軍参加の為に人員余剰)は悔しかったでしょうけど。
でもパイオニアが始まる前は地元・茅ヶ崎大会のリングには上がっていました。
馬場もすまなく思っていたのでしょう。
>>918 いや、ちがうちがう。
馬場がくびにしたのは、
セブンで帰国したときではなくて、三沢や越中達と行ったとき。
920 :
お前名無しだろ:03/12/02 19:37 ID:Jol+rwLv
セブンのようなアイドル志向を狙ったレスラーがマスクのまま
場外でセコンドを勤めている姿はプロとして如何なものかと思っていた。
そういえばマッハ隼人さんも全日に上がってましたね。カッコよかった・・・
TVでの、ビッグサマーシリーズ特別参加の予告にアンドレが映し出されたが、
静止画像(写真)で、BGMがなぜかインベーダーゲームのピコピコ音だったw
922 :
お前名無しだろ:03/12/05 04:00 ID:0r1Nc4bY
>>920 隼人はリスマルクとのライバル関係の構想があったんだっけ?
923 :
お前名無しだろ:03/12/06 20:15 ID:lo497npa
あのまま全日に残っていたら最近までプロレスを
続けられていたかもしれないよ。
多分国際血盟軍に編入された後で剛、高杉、菅原とセット
で契約解除されていたと思われ
925 :
お前名無しだろ:03/12/07 19:28 ID:+wBKTorw
テーズは世界中に何本のベルトを売りつけたんだろう?
928 :
お前名無しだろ:03/12/08 06:13 ID:XzsMeOne
今出てる宝島のプロレス本にS小林へのインタビューが載っています。
なかなか興味深いことが満載なんで買ってみては?
>>927 私の知る限り、国際と、Uインターと、アメリカの独立団体(ウイットネスとして
件のベルトを持ってきたが、実際王者が巻いたのは別のベルト。多分アドリアン・アドニス
が巻いたNWAベルトに酷似した奴だったと思う)
>>929 アドニスが王者になったのはテキサス・サンアントニオ地区のジョー・
ブランチャードのプロモーションだったね。
テーズはあそこにも肩入れして、息子のタリーにバックドロップ伝授
したりしてた。
「ザ・レスラー」という英国の専門誌の’69年10月における世界ベスト20をみると
世界第4位に小林省三が入っているんだよね。
一位が当然当時のNWA王者のドリーファンクJRで2位がビリー・ロビンソン、
3位がブルーノ・サンマルチノだったのだからたいした評価だよ。
欧州、AWA、WWWFでトップをはった小林は馬場以上の実績が海外であったと言っていいかもよ。
>>931 WWWFではブルーノに挑戦してるからトップ張ったと言えるかも知れないけど
AWAではそれほど高いポジションでもない
>>931 ブルーノが3位って所からどうかと思うが。
小林はNWAエリアでの実績に乏しいし。
ハノーバートーナメントで上位に入ってただろ?
>>933 サンマルチのは当時のWWWFチャンプだから妥当ではないでしょうか?
ギディオン・ギダに国際プロが来日を働きかけていたらしいですね。
今週のゴング誌に載っていました。
>>932 いちおう69年の翌年である70年にはAWA圏でビル・ミラーを破り
IWA王者を取り戻していますが、ポジション的にはどうだったんでしょうね。
>>934 ハノーバー出ていましたっけ?気が向いたら調べてみます。
937 :
936:03/12/12 07:30 ID:g5DnGNLl
>いちおう69年の翌年である70年にはAWA圏でビル・ミラーを破り
おっと失礼。71年の間違いでした。
いや、IWA王座自体がAWA圏では価値ゼロだから
一応ガニアの来日時には国プロの顔立てて挑戦したりダブルタイトルやったりはしてたけど
>>931 英国の専門誌ってのがなあ・・。
やっぱアメリカの専門誌でジュニアやらと肩を並べるレーティングスでないと。
つか、ああいった雑誌のランクって地元びいきみたいなところもあるしね。
AWAだと小林より草津のほうが知名度とかあったんじゃない?
日本のファンは各国の中でも客観性を重んじるからね。
俺はけっこう各国各州の主観が入っているものも好きなんだけど。
アメリカのレーティングスにアスラム・ベールワンが入っていたこともあったが、
ああいう訳がわからないのが面白い。
子供の頃にみた国プロで、場外でレスラーがリングシューズを脱いで
殴り合っているシーンを強烈に覚えているんですが、
よくあったことなのですか?
943 :
お前名無しだろ:03/12/16 20:44 ID:CZHdQyvx
>>942 たぶん79年冬のデビリッシュファイトシリーズ
木村への挑戦権をめぐって、モンゴリアン・ストンパーとアレックス・スミルノフが
争いになり、そういう場面があったと思う
ストンパーのシューズには鉛が仕込まれているのではないか、
という噂があった
944 :
お前名無しだろ:03/12/16 21:01 ID:6EEEWL4n
ttp://www.geocities.co.jp/Athlete-Sparta/1977/s46.html ◎1月30日 アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス/会場名不明
☆AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
◎2月4日 アメリカ、ウイスコンシン州ミルウォーキ/会場名不明
ストロング小林(勝ち)エドワード・カーペンティア
◎3月8日 アメリカ、イリノイ州モーリーン/会場名不明
ストロング小林(時間切れ引分け)クラッシャー・リソワスキー
◎4月10日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(反則勝ち)ストロング小林
945 :
お前名無しだろ:03/12/16 21:02 ID:6EEEWL4n
◎4月16日 アメリカ、コロラド州デンバー/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(反則勝ち)ストロング小林
◎4月24日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
ストロング小林(リングアウト勝ち)ディック・ザ・ブルーザー
◎4月29日 カナダ/マニトバ州ウイニペグ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
◎4月30日 アメリカ、ウイスコンシン州ミルウォーキ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
ストロング小林(反則勝ち)バーン・ガニア
◎5月14日 カナダ/マニトバ州ウイニペグ/会場名不明
ジン・キニスキー(反則勝ち)ストロング小林
◎5月15日 アメリカ、イリノイ州シカゴ/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
ストロング小林(無効試合)バーン・ガニア
◎5月19日 アメリカ、イリノイ州モーリーン/会場名不明
ストロング小林(リングアウト勝ち)クラッシャー・リソワスキー
◎5月22日 アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス/会場名不明
AWA認定世界ヘビー級選手権試合?
バーン・ガニア(勝ち)ストロング小林
ガニアの王座に何度も挑戦してて、一度は反則勝ちしてる。
ブルーザーやリソワスキーにはリングアウト勝ちしてる。
これって十分トップだったと思うんだが。
947 :
お前名無しだろ:03/12/16 22:17 ID:J9rJyJe2
私の親は、「小林の対戦相手が馬場、猪木と比べるとちょっとなぁ・・・。」
などと言ってましたが。
944−946
乙です。
これが事実なら海外の実績では
小林>藤波、長州、前田ですなあ。
昭和55年頃、月刊ゴングの増刊として
発売された「ザ・レスラー・ベスト100」
には、小林は入れて貰えなかったんだよね。
日本人枠10人に限定されてけど、下手な
2流外人よりは小林入れるべきだった…と今更ながらw
>>948 日本人10人って誰だったっけ?
力道山、豊登、馬場、猪木、大木、坂口、鶴田、木村、藤波と
あと一人だったような気がするが。
>>948 その三人の海外の実績と比べるのは小林に失礼。
951 :
932:03/12/17 11:34 ID:BySUpMDQ
>>950 その三人の中でもさらに
藤波>前田>御小とランクがあるよw
マイティ井上の海外遠征って、ヨーロッパだけでしたっけ?
954 :
お前名無しだろ:03/12/17 16:30 ID:73M1+95j
小林の海外実績ならむしろ
小林>猪木、坂口、木村
と表現してあげるのが適当かと
プロモーターのブルーザーに、シカゴのアンフィシアターで
リングアウト勝ちって、下手すりゃキラー・カーンより上じゃないか?
>>952 大して差があるとも思えんが。
>>955 藤波=ハノーバートーナメント勝ち越し
フロリダ地区でグレート・マレンコと抗争
ミッドアトランティック地区でTウッズ(Mレスリング)フレアーらと引き分け
メヒコでトップルード(後にリンピオ転向)
新日のお膳立てとはいえWWFジュニア・インター奪取
前田=イギリスで世界王者
新間のごり押しとはいえWWFインター(二本目)奪取
長州=ドイツ・オーストリアのレスリング・トーナメントでそこそこ活躍
フロリダでゴッチから逃げて干される
カナダ・モントリオール地区で前座
「北米大陸」での実績ははっきりと違う
ちなみにブルーザーは当時まだプロモーターじゃないし
テリトリーはインディアナポリス
まあ全盛期のブルクラとアメリカで当たって勝ってるというのは確かに凄い
>>957 その時は一回華々しく凱旋帰国してから泣かず飛ばずに
なってからの島流し遠征だから評価が難しい
横浜の鶴見あたりでやってる国際プロレスとIWAは関係あるのですか?
960 :
お前名無しだろ:03/12/18 21:33 ID:mp2U0Q13
ない
>>957 長州が勝ったと言っても反則勝ちでしょ?
疑問なのは、長州如きにベルト取らせて
面白いストーリーが作れるとでも思ってたのか?
とこだと思うんだが。
ちなみにカネックが国際に来てたらどんな戦績に
なるのでしょうかね?
>>945 すばらしい活躍ぶりですね。AWA、WWWF、欧州と
まさに世界をまたに駆けたのですね。
小林選手は海外を主戦場にすれば人生も変わったかもしれませんね。
964 :
お前名無しだろ:03/12/20 10:15 ID:tUFtUaGA
そういえばハンセンが自伝で「小林は一番アメリカ向きだった」って
言っていたっけ。
>>963 本人もそう言ってた。AWA遠征から国際プロレスに帰るときに
ガニアとブルーザーに残留を勧められたらしい。
アメリカじゃゲイへの偏見も少ないしな
男色蔓延の江戸時代なら良かったのに、大力士として名を残したかも
でも小林は新日へ移籍してどんどんランクを下げられて
行った。当然、不満はあったと思うが、それを表に
出せなかったのはガチで弱かったと言う事?
外様だからね
移籍した時点はいい扱いでも次第にそういう扱いになっていくことを
予想できなかった本人が悪いんだが
>>967 う〜んセメントの強さがすべてじゃないから。
国際でも人間関係で問題があったわけだし。
セメントといえばイワン・ゴメスには手も足も出なかったね。
>>969 このスレまだ続いていたのか・・・・
猪木との初対戦は俄然小林の試合じゃん
カナディアンからのジャーマンからの流れは小林が主役
>>971 そうですねσ(^_^;)?
イワン・ゴメスがシュート試合しかけてきたので
小林ビックリしたんじゃない
猪木も滅茶苦茶なするなぁ〜
973 :
お前名無しだろ:03/12/21 13:58 ID:lh6BiFQV
小林の男らしい顔(?)と筋肉美は
外国のファンに受け入れられやすかったと
聞いたことがある。
アメリカで割りに扱いがよかったのも
そのせいかもしれない。
でもボディビルダー出身で、格闘技の経験がないから
ガチの強さはなかっただろうね。
性格的にもおとなしいタイプだったようだから
そのあたりがプロとして大成できなかった要因かもしれない。
>>967 >>968 新日に正式に入団した後、最初の頃は坂口と同格扱い。
でも主な見せ場はほぼ坂口との北米タッグに限られていて、
シングルではエース外人の噛ませ犬的な役どころだった。
でそのうち藤波、長州にも抜かれて、
国際と新日の交流戦では、かつての格下木村にピン負け。
でも国際がつぶれて木村たちがはぐれ軍団で乗り込んできたときは、
昔のよしみかなんか、噛み切りマッチで猪木の髪きったりして
木村たちの助太刀してたよね。はぐれ軍団加入アングルを組めば
最後の一花咲かせられたかもしれないのに、そうはならなかったし。
あの頃はもう腰がダメダメだったのかな。
小林は金剛になった時点ですでにだめだめでしょう
小林が最後にリングに上がったのは11〜12年くらい前の
新日のレトロ企画で、坂口とのタッグでシン+上田組との北米タッグ戦が
再現されたときだったっけ?
まだ現役だった相手組や引退して間もなかった坂口がちゃんとレスラーとしての
コンディション維持してたのに比べて、小林はリング上がるのも辛そうだったな。
持ち前の怪力技も使えず、ただ上田をコーナーに叩きつけるだけしか
できなかったように覚えている。
正式な引退試合はやってない?
>>977 やってないよ。
長州がジャパン結成して新日から去り、
代わりにマシン軍が登場した頃、ひっそり辞めたはず。
えーっそんな時期まで現役だったかなあ? 維新軍のころにはすっかり過去の人だったなあ
980 :
お前名無しだろ:03/12/22 00:48 ID:2A1dHpNL
引退試合はやっているよ。
確か故郷の青梅のリングだった。
猪木もリングに上がっていたよ。
新日本はとやかく言われているけど
こういうところは、割合キチンとしている。
982 :
お前名無しだろ:03/12/22 09:25 ID:JWVKlbuH
>>961 カネック、国際だったら良いポジションになったと思う。
木村や井上は正統派とも良い試合しますから
金剛が猪木の髪の毛切った時は笑った
そういや小林は81年春頃にメヒコ遠征に出されてた時、
短期遠征してきた坂口を襲ったりもしてたね。
帰国してから抗争するのかと思ったら国際軍団の登場
やらでうやむやに…。
小林の最後の試合はIWGP出場権をかけてのvs坂口戦(昭和56年)だったと思う。
986 :
お前名無しだろ:03/12/22 20:57 ID:JWVKlbuH
>>985 >>小林の最後の試合はIWGP出場権をかけてのvs坂口戦(昭和56年)
それはかの名高き86・9・23田園コロシアム決戦の1カード
(ブラディ・ファイト・シリーズ最終戦)IWGPアジア予選
小林は次の闘魂シリーズ途中まで出て欠場、そのまま引退した
最後の試合は同年10月16日の
小林、藤原対ホーガン、マードック戦のようだ
987 :
お前名無しだろ:03/12/22 21:43 ID:BlVNw/w6
昔観た第一試合。デビル・ムラサキ対高杉正彦。国際の選手って背はそんなに
高くはなかったけど、胸板が厚いいい体してた。その日のメインが木村対ジョー
の金網。ザ・UFOなんてのもいたな。
新日時代は小林と当時のスポンサー、小松フォーク
リフトがやけに俺の中ではカブッている。
それはきっと“馬力”というコンセプトが結び付けて
いるからなのだろう。
ちなみにTBS時代はどんな会社がスポンサーだったのでしょうか?
小松のロゴはリングにもあったから団体そのもののスポンサーだったのかもね
990 :
お前名無しだろ:03/12/22 22:48 ID:U8Rv1VH+
>>986 と言うことは自分は長期欠場1週間前の試合を見ていたことになります。
10/10 東戸塚駅前特設リング
ホーガンvs小林でした。
小林が水噴き攻撃をしたことだけ印象に残っています。
国際勢もこのシリーズから参戦していました。
事前に知らされていなかったので得した気分になりましたね。
浜口&寺西組はビリー・クラッシャー&ディノ・ブラボーと対戦。
結果は忘れましたが木村さんが腕を吊ってセコンドに付いていたのは
覚えています。
その2日前に猪木に逆十字を極められて、この日は欠場ということでした。
でも駅から歩いて会場に現れた木村さんは腕なんか吊っていなかったし、
試合前も堂々とトレーニングしていました。
しかしトラックの荷台が控え室だったのには悲哀を感じましたが・・・
早22年前のコトですが今でも忘れられません
991 :
1:03/12/22 23:15 ID:IgkSXkAj
Part2は必要でしょうか?
国際スレは少し期間を置いた方がいいのか、このまま続けたほうがいいのか、
もし要領を熟知していらっしゃる方がいたらご教授を。
このペースだとネタ切れで次スレの250あたりでグダグダになる可能性があるからいったん
終わらせてもええような・・・。