さすがに世界の荒鷲といわれただけあって
坂口は北米でもチャンピオンだったのですね!
それもシングルもタッグもとは、ホントにすごい!!
ところで北米ってどの辺のことですか?
サモアンズの挑戦は二度受けて一度目は引き分けている
全般に挑戦者チームの質が低かったとはいえ、
完勝(決勝がフォールorギブアップ)での防衛が多い
この王者組にしては珍しい引き分け防衛
サモアンズは国際のお古とはいえ、当時NYでそれなりに
実績残してたから、それなりの扱いをしたということかな
二度目はストレート勝ちだが
124 :
お前名無しだろ:03/10/22 12:17 ID:HU+GuPUn
ジョジョ・アンドリュースですが何か?
アンドリュースとアレンはMSGで挑戦してるんだよな
WWFで実績あったのか?
>>125 アンドリュースって国際に来てたザ・カサバブのことだよね?
WWFでの実績はほとんどないと思う
127 :
お前名無しだろ:03/10/22 15:03 ID:HU+GuPUn
あのころのMSGでの遠征試合ってダークマッチ扱いなのかな?
当時は試合順序とか考えずに観てた
この時は知らないけど、後の遠征では猪木と藤波の試合はちゃんとプログラムの載ってた
でも坂口と長州はMSGはたぶんこれが最後だったろう
関係ないがこの日(坂口組×アレン組と同日)行われた猪木×アイアン・シーク戦って
猪木の新日以降の米国遠征でもっとも盛り上がった試合なのではないだろか
Iシークは向うではヒールだったから少なくともその相手が東洋人でも
「ヒールの対戦相手」だからベビーとして認識され図式が成立してたんじゃない?
そのへん、猪木も空気読んでシークのターバンを引き裂くパフォーマンスしてたな。
>>129 ちょうど米人人質事件があってイランが憎まれている時期だった
たしかマイクで観客を挑発するI・シークの衣裳を奪って引き裂き、
試合中に凶器シューズも奪うが、これは奪い返され逆にそれで殴られて
流血するも最後は延髄斬りで勝利、という流れだった
場内は ”アントニオ”コールの大合唱!
でもこの後の猪木の海外遠征試合は今イチ消化不良のが多かったような気がする
>>130 翌年シェア・スタジアムでのラリー・シャープ戦や年末MSGでのボビー・ダンカン戦
なんて今なら「Boring」コールが響き渡りそうな試合だったな(w
>>131 フロリダでやったバックランドとのWWF戦(80年だったか?)
も盛り上がらなかったね
バックランドはフロリダでもベビーフェイスに決まっているし、
猪木がヒールに徹するならともかく、善玉同士では盛り上げる訳ないのだが、
「米国のファンにストロングスタイルの神髄を魅せてやれ!」
みたいな幻想を抱きつつ、当時は観ていたような気がする
ハワイでのブロディ戦は現地ではどう評価されてたんだろう
ラリー・シャープやボビー・ダンカン相手に盛り上げるのも
なかなか難しいかもしれない
日本でならそれなりに沸かしてしまうんだろうけど
>>134 シャープはともかく
ダンカンは当時WWFとAWA股にかけたトップだったぞ
137 :
:03/10/27 11:48 ID:/yY1qy7k
今思うと、このチームすんごいねえ
ダンカンはMSGシリーズでシンに苛められてた試合があったね。
ダンカンが反撃しても、観客はマイナーなダンカンを素直に応援
していいものか、戸惑っていたリアクションだったな。
ダンカンにしろ、パテラやスタッド、あとスローターやGバレンタイン等もか・・・。
親日に来るアメリカの有名どころは、こぞって親日には馴染まないタイプだった。
昔っから自前でスター(陰のイメージのヒールばっかだが)を育ててきた体質みたいなものが
受け入れなかったのか・・・。ローデスも来日回数的には多いが、期間自体は短いし。
まだ、大型アメリカンスタイルな一流が好きな馬場(全日)なら手厚い待遇で働き場所は
見出してたかもな。
>>139 ダンカン、パテラ、スタッド、スローターは新日よりも全日に先に来てる。
パテラはPWFに挑戦してるし、スローターも来日時は員数外人扱いだった
けど馬場のアメリカ遠征時にスーパー・デストロイヤー二号として挑戦した。
スタッドは顔見せ来日でこれからどういうポジションになるのかと期待させて
おきながら新日に転出だった。
>>139 そんな中でアドニスは新日でポジションを確立できた理由は
何なのでしょうかね? 北米タッグは消滅してしまった時代だけど。
142 :
139:03/10/29 10:34 ID:qfM1CBOg
>>140-141 来てたんだよね。たしかパテラはブラジルと組んでインタータッグも挑戦した。
139で挙げたレスラーってやっぱアメリカでこそ受けるキャラで、どちらかとつうと直線的ファイト、
ただでさえ80年代初期の親日ってイケイケ状態で働きの悪い外人には容赦無かったし
(本人らが実際そいいう憂き目にあったかどうかは?だが)。
アドニスは試合運びや観客へのアピール、いい意味でのショーマンスタイルに
熟達していたと思う。器用な部類だった。タイトル戦線では「北米」は時期的に
無理だったけど、ちゃんと「IWGP」で、その名を刻んで然るべき存在だったな。
ただ、スタッドはもっと使えなかったかなあと思う。親日だとアンドレの当て馬や
流星仮面のパートナーたりえたはずだがフェードアウトしたな。素行になんかあったのかな?
143 :
139:03/10/29 11:05 ID:qfM1CBOg
>ちゃんと「IWGP」で
正確にはIWGPタッグやMSGタッグリーグ、WWFインタータッグ等々、って感じかなw?
なにぶん老人性記憶(ry・・・w
パテラは2度のNWF挑戦ではそれなりに見せ場を作った
”桁外れ”のパワーといった感じだった
でも・・尻すぼみというイメージだったが
新日に馴染まない、というか扱いが酷かったといえばブッチャーだな
移籍当時の新日の向かっていた路線がブッチャーのスタイルとは
遊離しつつあったのは事実だろう。
しかし、全日でのブッチャーといえばシングル・タッグのリーグ戦に軒並み参加させ、
他の外人レスラーと次々闘わせて人気を盛り上げてきたのではないか。
それが新日は一度もリーグ戦に参加させなかった・・・本来IWGP参戦が移籍の
理由だったのにそれさえもだ、新日もどういうつもりだったのやら。
俺はしょっ中、このテのスレにこういう書き込みをするのだが、
ブッチャーや戸口に低ポジションしか与得なかった理由は、
新日>全日、或いはIWGP>NWA のイメージをファンに
与えたかったのではないかと。
当時はタイガーマスクや古館の実況で動員も視聴率も良かったから
ブッチャーらを使わなくても十分売上出せてたからね。
でも、上手に使えばもっと俺達としては楽しく観戦出来た筈。
>>146 >>新日>全日、或いはIWGP>NWA のイメージをファンに与えたかったのではないかと。
まあそういうことかとも思うのだが、でもマードックはよく使ってたよなあ、
アンドレやホーガンに比べると微妙に下の扱いだったかも知れんが、
お互いにとっていい関係で仕事をしていたように感じる。
ブッチャーだって一応アレンというパートナーがいたのだから
MSGタッグに出すなり、もう少し上手に使えたと思う。
それとパテラにしてもそうだが、坂口が準”エース”というポジションだったら
好勝負をする余地もあったかも知れないが、この時期はフェードアウトしつつ
あったんだよな・・(ブッチャーとはそれなりの試合はしてたが)
坂口が馬場について全日に行き、鶴田も入団して
坂口&鶴田組が実現してたら、実際強いだろうし
豪快で見ていても楽しいチームになったろうな
坂口は何かの節目(UN奪取とか十番勝負終了とか)になったら鶴田
にナンバー2の地位を譲りそうだな。
坂口・鶴田組から鶴田・坂口組に表記が変わると。
>148,149
馬場・坂口・鶴田組ってすごいと思う。
ところで、もし坂口が全日に行ったら、ほかの選手は?
小沢(キラー・カーン)や木村健吾もついてくるのか?
大木や上田馬之助はどうするんだろう?
反対に、国際プロレスからの選手のレンタルや、杉山の移籍がなくなり、
馬場の国際プロレス登場もなくなるのかな。
スレの趣旨と違った方向になるからやめよう。
>>150 小沢は当時は吉村道明の付き人で翌年春吉村が引退したんで
坂口に付けられたはず。
まさに坂口が新日に移籍する直前に。
坂口はプロレス入りした頃から腰に爆弾を抱えていたような状態だったらしい。
俺はレスラーとしての総合力では鶴田がNO1だと思うが、もし坂口の腰が無事なら坂口が文句無しNO1。
1度でいいから坂口のドロップキックを見てみたかった。
あと相手を再起不能にしてもいいからバックドロップも。
↑ んなことはない。
鶴田と坂口じゃ、レスリングの幅が違い過ぎるよ。
腰がどうあれ、坂口が名勝負を作れる相手は限られてる。
しかし坂口は未完の大器
腰の持病もそうだろうが、もっとプロレスをする環境が違っていたら
とてつもなく凄いレスラーになっていたかも知れない、、、という気はもたせるな
もっともそれは鶴田も同様かも知れないが、
あとグレート草津とかも、、とかいったら「並べるな!」と鶴田ファンに怒られそうだが
155 :
152:03/11/04 21:54 ID:6WUfYzXB
俺は坂口なら(腰が無事だったとして)ガチでアンドレを倒せる力があったと思う。
ま、このくらいの夢、見させてください(笑)
しかし坂口の腰は具合は実際どうだったのだろう?
テーズ&ゴッチ戦(73)などを見る限りは全然感じられないが、
(鶴田がよくやってたように)ロープを軽々と飛び越えたりしてるし
80年頃になると明らか悪そうだった
腕力はあるのに腰のせいで相手を高く持ち上げるのがキツそうだったな
ディノ・ブラボーなんかはアトミックドロップでブッチャーを高々と
持ち上げていたが、坂口はほとんど上げられてなかったし
アンドレに対しても払い腰で転がしてはいたが、
ボディスラムでは投げれなかった(猪木や長州は投げたのに)
猪木がアンドレをボディスラムで投げた事情については
高橋本に詳しくかいてあったな
興味深いような、興醒めのような・・・
北米男の坂口だが、アジア王座にも若干の縁があった
もっともアジアヘビーは決定戦でシンに負けて載冠ならず、そのまま消滅
アジアタッグは小林と初代王者となるもシン・上田に取られてやはり消滅
タッグは北米タッグと同じ組み合わせでは意味ないだろうに
シングルはこの時点では無冠だった坂口が取る為のものだあったようにも
思えるのだが・・どうも意味のわからない企画だった
全日のアジアタッグが復活するのにあわせて企画されたのでは?
逆に新日のアジア選手権にあわせて全日がアジアタッグ復活させたような気が
しないでもないが。
さすがにその頃はまだプロレス見てないから後付知識なんでちょっとあやふや
>>159 新日が先にブチ上げて、全日がぶつけてきたんじゃなかったっけ?
昭和51年だから猪木がNWFとって3年たったころだった
となれば坂口にシングルを持たせるための企画であるべきだったように思うが
シンはまだまだ猪木とNWFをめぐって抗争を繰り広げている時だから
アジアヘビーをとらせてもあまり意味なかったろう(実際なかったが)
>>160 どつちが先かはわからんが結局残ってるのは全日のアジアだな。
日本最古のタイトルなどと二度にわたって放置されていたこと事実など
抹消されてw
新日のは返上まで五年、実際に防衛戦とか行われていた時期に至って
は二年くらいだしね。
時系列で見ると
昭和51年新春に極道コンビが復活アジアを戴冠。
同時期に、小鹿はシングルでも大木に挑戦していたね。
対する新日がベルトを新設するべくアジアリーグ戦を
開催したのは昭和51、52年の初夏のシリーズ。
様々な事例を考えても、日プロの遺産の大半は全日が
受け継いだと考えて良さそうだね。
ちなみに、新日で印象に残っているのは、坂口・小林組
がシン・上田組に取られた時の試合。
坂口が失神KOされた後に、猪木が乱入してひと暴れ。
「こんなベルトくれてやる!」とシン組に投げ渡し、
挙句の果てに2歳上の小林にビンタ。全く勝手なアゴだよな。
アジアンテローズってのがその時来たな。TVマッチで、猪木(だったと思う)に
覆面引っ剥がされ、ハゲ丸出しのゴリアスだったっけ。
164 :
お前名無しだろ:03/11/08 13:03 ID:g2iXn8r3
165 :
お前名無しだろ:03/11/08 17:48 ID:sJACer1q
この当時の新日視てなかったのでわからんのだが、
そもそもこの企画は日プロのアジア王座の復活させるというものだったの?
それは別にしても日プロにはインターとアジアのふたつのタッグ王座が
あって、それなりにうまく機能していたと思うのだが
同一チームに持たせても意味ないよなぁ
166 :
お前名無しだろ:03/11/10 19:24 ID:zuGb+K+L
プロレス入り前の格闘技歴で最強とかいうのだったら、
元横綱の輪島はどうだ? 相撲では本当に天才だったぞ
北尾とか曙とか、体のデカさだけで相手を押しつぶすのではなく
そういうデカい奴らセンスと技術で投げ飛ばして頂点を極めたんだ
ようするにプロレスを ”巧く”なれなかっただけだろう
もう少し年が若く、時間的に余裕を持って取り組めたら違ってたかも知れない
鶴田・輪島組とか、強力なチームとして名を残していたかも・・?
なまじ横綱は妙なプライドあるから「プロレスなんて」と思ってるんじゃないか?そんな気持ちでいるうちはプロレスで大成せんだろう
168 :
お前名無しだろ:03/11/12 17:36 ID:32I4Kee2
坂口はもうリングには上がらないのかな?
現役時からの因縁のある相手ならともかく、高山あたりとやっても
レトロファンとしては今イチ盛り上がらんな
ガチでやるとでもいうなら別だが
1・4ドームは、昭和の原点回帰をテーマにして
猪木・小鉄・木戸・藤波 vs 坂口・星野・長州・健悟
だったらいいね