抗日主義者張学良の「抗日戦争」を語る

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1張学良
1937年12月の西安事件以来中国は抗日決戦の準備を急速に整えてました。
ところでこの西安事件の首謀者たる張学良についていろいろ調べてみましたが、
彼の行動はどれも不可解です。この点納得いく方法でご説明下さいませんか。
満州事変当時の彼の率いる三六万の軍隊の存在意義は何だったのでしょうか。
満州事変で僅か一万数千の関東軍に対して「不抵抗将軍」で、その後もずっと抗日
でなく共産党討伐戦やっておきながら、なぜ西安事件では「連共抗日」なんでしょう。
それに西安事件後に国民党内で抗日戦の方針が固まったわけなのに、
どうして抗日主義者張学良その人が抗日戦参加を認められず、
逮捕監禁になってしまったのでしょうか。蒋介石は彼を敵視してたんでしょうか。
いやそれにしても来るべき抗日戦で抗日主義者張学良を消すとはいかに。
それと殺さないで監禁状態にしておいたら、後で仕返しされかねないような。
参考サイト http://member.nifty.ne.jp/~monju/f3.html
http://www2.justnet.ne.jp/~huujin/daitoadata.htm

>>2>>3は前に僕が調べてこの板に書いた史料です。
2張学良:2001/06/14(木) 14:10
児島襄「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い2」(文春文庫)P11〜14より
 1935年の第七回コミンテルンは、各国に反ファシズム人民戦線の結成
を指示した。中国共産党もこの支持にしたがい、国共内戦を中止して
一致して抗日戦争に蹶起すべきだ、と国民党側に働きかけた。
<中略>
 ソ連首相スターリンは、十二月十四日、中国共産党指導部にたいして、
蒋介石逮捕は中国が必要とする抗日民族統一戦線結成に逆行する、
蒋介石だけが現在の中国を指導できる、蒋介石と協議して
平和解決に導くべきだ、との指示を打電した。
 このスターリン電報は、中国共産党指導部を困惑させた。
『西安事変』は、張学良、楊虎城、中国共産党の結合による画策であり、
蒋介石を逮捕した以上は、この三者で国民党軍もふくめた抗日戦線
の結成と指導をおこなう決意であった。
 スターリンの指示に従えば、蒋介石が「復活」するだけでなく、張学良、
楊虎城にたいする報復も予想され、結果は共産党側の分裂と敗北を招来しかねない。
 だが、中国共産党指導部はスターリン指示に従うことにして、
代表として周恩来を西安に派遣した。
 周恩来は、十二月十七日、西安に着き、そのご張学良、楊虎城の説得、
さらに南京から飛来した蒋介石夫人宋美齢、次いで蒋介石自身と会談した。
 周恩来は蒋介石を全中国の指導者として認める、
共産党も従来の考えを捨てて協力する、という二点を軸にして
話し合いを成功させ、蒋介石は十二月二十六日、南京に帰還した。

張家三代の興亡―孝文・作霖・学良の“見果てぬ夢”
(古野直也  芙蓉書房出版)   http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/
cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9973006445&USER=GUEST のP262より
「どうして蒋について南京へ行ったのですか」
「私は愛国心に燃えていたのだ」
これは嘘だ。軍閥の頭領が自分の軍隊を捨てて処罰を
受けに自首するだろうか。蒋介石を信頼して一杯食ったのだ。
英国の評論家サミエル・ジョンソン曰く「愛国心は悪党の最後の逃げ場だ」。
しばらくして学良は「善人に長寿なし」とつぶやいた。彼の住む三十階
建ての巨大なアパートの一階ロビーのケースには中国骨董が飾られ、
カーペットを敷きつめた長い廊下には一定の間隔で点々と中国の
高級美術品が展示されている。私は、若い頃の学良が北京の
故宮博物院(紫禁城)から多くの美術品を盗み出して海外へ送り出し、
売却して外貨を蓄積していたことを思い出した。
中国趣味のあふれんばかりの空気を吸ってあっと気がついた。
この何億ドルかする建物はひょっとすると学良の所有ではないかと。
3張学良:2001/06/14(木) 14:17
「蒋介石秘録 満州事変」(サンケイ出版)P46〜49より引用
当時、東北の各地では抗日義勇軍が各所で蜂起し、関東軍はその応戦に追われ、
熱河作戦を行うに足りるだけの兵力を持っていなかった。したがって、
中国側が兵員を増派、反撃の構えを見せれば、日本側のほうがホコをおさめて、
局地的なトラブルにとどまるだろうと読んだのである。
 事実、日本軍は間もなく朝陽寺を撤退、事件の拡大は免れることができた。
 ところが、張学良、湯玉麟とも、動こうとしなかった。

出兵を拒む張学良
湯玉麟は二万を超える正規・不正規軍をもって熱河に君臨していた。
だが、日本が東北につくったカイライ政権「満州国」にたいしては
“協調的”で、その「建国宣言」にも名を連ねるほどであった。
 その一方で、中央や張学良にも媚びを売り、どっちつかずの態度
を示していた。結局のところ、彼のねらいは、熱河省の地盤を維持し、
最大の財源アヘンの販路である東北も確保しておくことにあった。
 当時、北平の張学良のもとには対ソ復交問題を協議するため、
張群を派遣していた。
 八月五日には、張群にあてて次のような電報を打ち、張学良の反省をうながそうとした。
『漢卿兄(学良)に伝えてほしい。もし熱河に兵を進める決心がついているのならば、
速やかに出兵されたい。急がなければ時機を逸し、必ず敗れよう。
 私(蒋介石)は熱河出兵がのびのびになっていることに、実に焦慮を覚える。
ともかく漢卿兄には、機に臨んでただちに決断することを望みたい。敵の機先を制し、
敵に制せられないことが肝要なのである』
 張学良の煮えきらぬ態度にたいして、行政院院長・汪兆銘も腹を立て、
翌六日、張学良に辞職を求める電報を打った。
「現在、中央の軍隊は掃共に従事し、熱暑のなかで艱難辛苦を冒して
作戦を続けているが、内地の安定をはかり、後方を強固にするため、
これを中断するわけにはいかない。兄はもっとも多くの兵を擁し、
軍容ももっとも整っている。それに敵兵(日本軍)が騒乱する地域は、
まさに兄の防衛担当地区内である。
 実力から言っても、地理上の利点から言っても、敵人に抵抗するのは、
兄が職にある限り、他人のなしうるところではない。現在、兄は一兵も出さず、
一矢も放たず、抵抗に名を借りて中央に軍費を求めるだけだ。
 兄はすべからく辞職して、四億国民に謝罪されよ」
≪中略≫
『私(蒋介石)の考えでは、漢卿(張学良)は辞職してもしなくても、そのまま兵を
ひきいて熱河へはいり、奮勇抗日の決心を示さなくてはならない。それが自救救国
の道であり、他に活路はない。だが、漢卿にこの決心があるかどうか知るよしもない。
公私ともども憂嘆すべきことばかりだ』(八月八日の日記)
『このほど東北義勇軍が牛荘に攻撃をかけ、南満鉄道の軍事輸送を
切断した。これら義勇軍を日本軍は海陸一体となっても制圧できない。
日寇が、手のつけようもなく、やっきとなっているいまこそ、
張学良が義勇軍と呼応し、熱河を収復する最良の機会なのだ。
 それが国家、民族にたいする心の証を立てることにもなるというのに、
なんでまた、他人にとやかくいわれて、なお優柔不断のまま前進しようと
しないのか。まったく共に事を計るに足らない男だ』(八月九日の日記)

「蒋介石秘録 西安事変」P184の蒋介石の発言はこうです。
『早朝、張がまたあらわれ、入り口にただすんだまま、私に向かって
恥じ入るように泣いていたが、私が声をかけないので、しばらくして立ち去った。
 正午、張はまたあらわれた。
「私(張学良)は委員長の日記と重要分権にすべて目を通し、
委員長の人格の偉大さを初めて知りました。
委員長の革命にたいする忠誠、救国の責任を負う苦心は、
私たちの想像も及ばないものだということがわかりました。
委員長は以前から部下に対してあまりに寡黙でした。
もし、私が日記に書かれたことの十分の一、二でも知っていたら、
決してこのような軽率な行動は起こさなかったでしょう。
いま私は、自分の考えの誤っていたことを知りました。
私は全力で委員長をお守りしなければ、国家に顔向けできないと感じています」』
4名無しさん:2001/06/14(木) 16:31
蒋介石は地方軍閥の親玉は全員殺してるよ。
閻錫山も韓復クも李宗仁も白崇キもみんな殺した。
そもそも蒋の戦略は軍閥と日本軍を戦わせて消耗させようというもの。
国民党中央軍は常に督戦隊として逃げようとする味方を撃つ役。
もちろん揚虎城も殺されてる。
張学良は優遇された方だ。
5世界@名無史さん:2001/06/14(木) 22:25
張学良はやはり愛国者だったんだと思うよ。
でも愛国にも二種類ある。「国家」を愛するのと「民族」を愛するのと。
1928年の易幟は蒋介石に従うことで強い国家を求める動きだったんだろう。
満州事変時は、張学良は北京にいた。現地からの報告には
「わが軍は8月の蒋介石の指示に従って抵抗していない」とあった。
北京での会議では中央の指示を仰いでから行動することが決められていた。
中央のほうでは国際連盟から支持があるまで動けないという準備不足があった。
国民党は中華ソビエト政権への対応、内部対立、蒋介石の下野などの混乱期でもあった。
1933年熱河作戦のときには、蒋介石は張学良を援助するといいながら、
全責任を張学良に押し付けた。で、圧倒的な戦力差のもとに敗れた張学良は下野して
ヨーロッパに向かってる。
ファシズムに感銘を受けるなど、蒋介石を軸とする「強い国家」へのあこがれはまだ強かった。
しかし、イタリアのエチオピア侵略がショックを与えた。
日本の中国侵略を重ね合わせたんだろう。
そこから国家を救うイデオロギーから民族を救うイデオロギーへの転化が起こった。
西北に移動し共産党掃討に関わっていた日本により故郷を奪われた東北軍は蒋介石の
「安内攘外」(共産党掃討の後、抗日)に疑義を持ち始め、
一方、水面下では共産党との接触もあったんだろう。
1935年には共産党が「民族統一戦線」をだしているので、
これが張学良や東北軍の心理に合致したんだろう。

参考文献:西村成雄『張学良』岩波書店
6世界@名無史さん:2001/06/15(金) 05:34
ちょっと前に2CHで死亡説が流れたけど結局デマだったの?
7世界@名無史さん:2001/06/15(金) 10:12
西安事件の「抗日」は「不抵抗将軍」の汚名返上だろう。
今度こそ「抗日」しておかないと彼の立場が無くなる。
8世界@名無史さん:2001/06/16(土) 02:20
張学良って、自分が実際抗日戦争の指揮取ったことあるの?
9世界@名無史さん:2001/06/16(土) 03:17
西安事変に関しては松本重治の「上海時代」が面白いよ。
世界独占スクープをやらかしたわけだが、情報をつかんでから
翌朝までの行動はまさに国際ジャーナリストここにありだ。
10世界@名無史さん:2001/06/16(土) 15:07
>>8
33年熱河作戦のとき。
惨敗して下野。
37年以降は軟禁されてたが、抗日戦の指揮をとりたいと申し出をして
断られてる。
11世界@名無史さん:2001/06/18(月) 18:06
>>10 自身はろくな抗日戦争をやってないのに、「抗日英雄」か。
12世界@名無史さん:2001/06/19(火) 04:07
>>11
んまぁ、それだけ西安事件の影響が大きかったということで。
13>11:2001/06/19(火) 04:10
アメリカのプロペラ機にかすって墜落したジェット戦闘機のパイロットは革命烈士だ。
14世界@名無史さん:2001/06/19(火) 16:47
とりあえず、4は電波決定。
15世界@名無史さん:2001/06/21(木) 17:56
なにがどう「電波」なの?
16世界@名無史さん:2001/06/22(金) 10:14
張学良なんて麻薬中毒のボンボンだよ。
17世界@名無史さん:2001/06/26(火) 01:22
中国人の「抗日戦争」で大事なのは実戦で無くて掛け声なんだな。
18世界@名無史さん:2001/06/26(火) 01:29
ヤク中じゃ百まで生きられないよ。
いいガタイしてるし、虎の子は虎だ。
19ドクトル・ゲー:2001/06/26(火) 13:08
ハワイでまだ生きてんだよなぁ。すげぇなぁ。まさしく20世紀の生き証人だな。
20世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:07
父親を殺されたのだから、
親日でいるほうがおかしいじゃないか!
21世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:07
彼は中国(瀋陽)に帰還する気はないのかな?
その理由は?
22世界@名無史さん:2001/06/27(水) 15:28
>父親を殺されたのだから、

満州事変当時は36万の大軍を有して待ち構えていたと思いきや、
たった一万ちょっとの石原完爾の関東軍にイチコロ負けだったね。
でも中国人の抗日戦争は戦闘よりもかけ声のほうが大事らしい。
23名無的発言者:2001/06/27(水) 19:03
>>22
>たった一万ちょっとの石原完(莞)爾の関東軍にイチコロ負けだったね。
ちょうど張学良自身が関内にいたからな。それに、彼自身は
関東軍に抵抗したかったんじゃないか?
24世界@名無史さん:2001/06/27(水) 19:24
そういえばだいぶ前にここの板で
張学良死亡情報が流れたなー。
けっきょくデマだったみたいだけど。
2524:2001/06/27(水) 19:25
って、>>6でがいしゅつでしたな。
肯定する情報もなかったし、やっぱりデマだよね?
26世界@名無史さん:2001/06/28(木) 15:25
日華事変勃発でも張学良は抗日戦に参加して無いよ。
27アマノウヅメ:2001/06/28(木) 16:49
>>21
住み心地がいいからでしょう。
私だって帰りたくない。
28世界@名無史さん:2001/06/28(木) 17:06
なんにしろ、のこのこ帰るほど馬鹿じゃないでしょう。
29世界@名無史さん:2001/06/29(金) 12:32
張学良は近代中国史の見本のような人物です。
抗日戦争を一度もやってない「抗日英雄」。

中国人特有の「大言壮語」というやつだ。
30世界@名無史さん:2001/06/29(金) 12:38
実際戦後内戦に破れた国民党軍も張学良を監禁したままで、
それでいて侵略日本軍の司令官/岡村寧次を軍事顧問にしてる。
31世界@名無史さん:2001/06/29(金) 13:16
つまり「侵略」だの「英雄」だの「抗日」だのは建前の世界。本音の世界とは著しい乖離がある。
32世界@名無史さん:2001/06/29(金) 13:56
>>31
それはちょっと言い過ぎ。
それだけでは割り切れない、ってことは言えるけどね。
3331:2001/06/29(金) 14:01
いや、ちょっと誤解があったかな。建前だから意味ないとか重要でないというのでなく、中国人の世界って建前と本音の乖離が大きいといいたかっただけ。むしろ建前の重要さがあるからそうなるのだと思うけど。伝統的に中国人が歴史(にどう書かれるか)を意識するってそういうことじゃない?
34nanasi:2001/06/29(金) 18:36
>張学良は近代中国史の見本のような人物です。
>抗日戦争を一度もやってない「抗日英雄」。

>中国人特有の「大言壮語」というやつだ。

そう呼ばれるのは張学良のせいではない。
実際、かれの自己評価は極端なまでに低い。
しかし、第二次国共合作に果たした役割は
「千古功臣」(周恩来の評価)の名に値するとおもうけどな。
35世界@名無史さん:2001/06/29(金) 18:43
>>34
第二次国共合作を大きく評価されていますが、
有名無実だったのではないかと思いますが。
36世界@名無史さん:2001/06/29(金) 18:50
張学良にとっての分岐点は、やはり柳条湖だったと思います。
あの時点で、関東軍に抵抗していれば、その後、
東北地方の張景恵ら小軍閥も、
日本と組むことを考えなかったのではないかと思います。
そして、張学良が東北を失うこともなかったと思うのですが、
どうでしょうか。
37世界@名無史さん:2001/06/29(金) 18:54
>>35
つまり、西安事件がおこらず、従って国共合作が行われなかったとしても、
その後の展開に変わりはなかったであろう、、、ってこと?
その理由は?
38世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:00
>>37
その後の展開に変わりはなかったかどうかはわかりませんが、
国共合作しても、国民党と共産党が完全に協力関係にあったとは
いえず、国共が共同で日本と戦ったわけではないので、
第二次国共合作は、形式的な、一時的なものであったと思うんです。
39世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:01
>>37
あと、>>36の意見はどうでしょうか。
4035=36=38=39:2001/06/29(金) 19:26
何度も書き込みすみません。ただ、第二次国共合作は、
国共両党が、抗日という方向性を示したという点では、
重要であったと思います。しかし、その後の展開は、
日本、国民党、共産党、が三つどもえの戦いをしたわけで、
結果からみれば、合作の成果はそれほどなかったと思うんです。
4140:2001/06/29(金) 19:33
私は、柳条湖事件について、多少勉強した程度で、
この時代の詳しいことは殆ど知りません。
もしよろしかったら、>>35>>36>>38、40、について、
ご意見を聞かせてください。
42世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:41
柳条湖事件は明らかに日本側の先制攻撃であり、
応戦出来なかった張学良が「不抵抗将軍」にされたのは当然。
4340:2001/06/29(金) 19:45
最後に。>>35の「有名無実だったのではないか」という
表現は不適切でした。
「結果からみて、それほどの成果はなかったのではないか」
に訂正いたします。すみませんでした。
44世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:50
>>40
でも、形の上とはいえ、対日で固まり、国共が大手を振って
戦うことはなくなったというのは重要では? 国共合作で日本が
完全に引くに引けなくなったというのもあるし。

#んまぁ、それ以前から後に引けなくなっていたけど。
45世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:56
西安事件で国共合作が成立したとはいえ、国共が共同で日本と戦ったわけではないし、
日華事変継続中でも蒋介石は大いに共産党攻撃をやってたし、
また抗日戦が終ればまたすぐ内戦が再開してる。
 それでも西安事件が中国側の一致抗日決意の表明とも言えるのだろうが、
だからといってこの時期に抗日戦をやるのが戦略的に正しかったかどうかは別だ。

「参謀 下」(児島襄 文春文庫)によればA・C・ウェデマイヤーはこう回想している。
「もし、支那事変の開幕が二年間おくれていたら、それまでに中国には、
ドイツ装備の六十個師団が勢ぞろいし、空にはメッサーシュミット戦闘機、
スツーカ急降下爆撃機が乱舞し、海にはUボート潜水艦が群をなしていたかもしれない。
そして、その結果は、中国はドイツと同盟を結び、膨大な戦力をソ連にむけて、
歴史は大きく変わっていたかもしれない」
46世界@名無史さん:2001/06/29(金) 20:00
>「千古功臣」(周恩来の評価)の名に値する

・・・のならどうしてその功績で抗日戦の司令官になれなかったのかな。
それどころか日中戦争も国共内戦が終ってもずっと監禁されたまま。
あの悪名高き侵略軍日本鬼子の親玉岡村寧次将軍すら国民党軍事顧問なのに。
47世界@名無史さん:2001/06/29(金) 20:26
周恩来が張学良を評価するのは当然でしょう。
結果的に中国の政権をとる事が出来たんだから。
当時、共産党でもそこまでの見通しはなかったかもしれないが、
それでも共産党に合法的地位を与える事になった
張学良の行動は評価に値する。
軟禁されたのは、やはり蒋介石の怒りに触れたからでしょう。
張学良自身、蒋介石を兄のように慕っていたというし、
その後の軟禁生活中でも常に、西安で蒋介石に銃を向けたことにたいして
後悔の念を持っていたらしい。
楊虎城が殺されたのに、張学良は生き延びてるのは知名度・カリスマ性の差なんかなあ?
彼を殺したら民衆の激しい怒りを買う事は必至だから。
48世界@名無史さん:2001/06/29(金) 23:17
>>36
それにしても、彼が抗日しなかった理由は何なんだ?
当時は北京にいたらしいが、「腹心の部下」がいなかったのかな?
49makiko:2001/06/30(土) 00:08
関東軍の人数は少なくても、
張学良は、日本は当時満州の権益を護るためには
なんでもやると想像してたであろうから、
一時的に関東軍をやぶっても
本格的に日本と全面戦争する
決心がつかなかったのも無理はない。
50世界@名無史さん:2001/06/30(土) 00:14
>>49
同意。関東軍と本格的に戦火をまじえると、陸軍中央が本格的に
乗り出してくる。しかし、そうとはいえ、
張学良の不抵抗はやむをえなかったのだろうか。
51世界@名無史さん:2001/06/30(土) 09:47
武器弾薬・兵力だけは多くとも、指揮も統制もとれてない外見だけの雑軍だから、
いざ戦争がはじまってもろくに戦えず、司令官も含めて戦う気力すら無かった。>>3
52世界@名無史さん:2001/06/30(土) 11:13
どうしても張学良を貶めたい人がいるみたいだね。萎え。
53世界@名無史さん:2001/06/30(土) 23:12
そういえば、以前 netnews (fj.soc.history あたり) に中国について
ろくに知りもしないのにやたらと中国をけなす投稿をしていたやつ
(打通作戦がどうこうとか、中国軍はへぼだとか) がいたけど、こういう
やつってどこにでもいるんだなぁ。同一人物っていう可能性はあるけど。
54世界@名無史さん:2001/06/30(土) 23:19
>>53
同一人物でしょ、多分。っていうか、そう思いたい。
批判するも擁護するも分析するも、もちろん各人の自由だけど
せめてある程度の基礎知識は付けてきてから、モノを言ってほしい
ってのが私の本音です。ハイ。
55世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:05
まあなんにしろ、この男が中国近代史に果たした役割は大きいよ。
分不相応と言う批判があるにしても、その事実は間違いないと思う。
56世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:08
>>55
具体的にはどういうことをしたのでしょうか。
57世界@名無史さん:2001/07/01(日) 01:16
やっぱり西安事件のあれ。
過大評価しすぎるのは問題かもしれないが、国共合作で
中国側の雰囲気が変わったのは事実だろう。
日本にとっては限りなく痛い失点だった。
58世界@名無史さん:2001/07/01(日) 03:07
あげ
59世界@名無史さん:2001/07/02(月) 12:29
>「どうして蒋について南京へ行ったのですか」
>「私は愛国心に燃えていたのだ」 >>2

張は西安事件で自分が抗日戦争の司令官に任命されると考えたからだと思う。
その意味では「愛国心に燃えていた」のでは無かろうか。
しかしながら蒋介石は彼を信頼しなかったようだ。
60世界@名無史さん:2001/07/02(月) 15:18
西安事件は中国にとっては全国的抗日戦の準備ではあったが、
所詮中国の内政問題であって、日本側の知ったことでは無かろう。
615:2001/07/02(月) 15:34
中国の情報分析不足が
太平洋戦争の原因である。
今日でも意味は同じである。
62世界@名無史さん:2001/07/02(月) 16:21
何にせよ西安事件以後の張学良は幽閉されて
二度と返り咲くことは無かったのだ。
63世界@名無史さん:2001/07/02(月) 16:28
>>60
戦争している相手なんだから、知ったことないじゃ済まないでしょう。
汪兆銘政府が役に立たない以上、日本としては国共合作はなんとしても
避けたかったはず。
64世界@名無史さん:2001/07/02(月) 17:40
>日本としては国共合作はなんとしても避けたかったはず

避けるも何も中国の内政問題であり中国自身の選択。
65世界@名無史さん:2001/07/02(月) 17:49
>>64
だから、国共合作を避けるために、日本としては出来る限りの
手を打つべきだってったっていっているの。戦争に勝ちたくない
のなら話は別だけどさ。
66世界@名無史さん:2001/07/02(月) 18:00
中国大陸を統治していたのは中華民国政府であって日本では無いよ。
日本が中国の内政問題に干渉すべきだったとおっしゃるのかな。
それに「〜すべきだった」なんて所詮歴史のIF・仮想戦記にすぎんよ。
67世界@名無史さん:2001/07/02(月) 18:13
西安事件は日中外交問題で無く中国の内政問題であり、
選択の権利は全て中国にあったのだ。
68世界@名無史さん:2001/07/02(月) 19:02
>>66-67
だからこそ、中国(国民政府)側に圧力かけるなり懐柔するなりして
国共合作の方策を採るべきだったと思うがね。
↑当時の日本指導者層の立場ならね。
当時の日本知識人層では中国は「バラバラの砂」(これは孫文の言葉)で
ナショナリズムのような凝集性は現れないだろうと考えていたようだ。
したがって、国共合作が起こりうると予想できず、事件に対応できなかった。
69世界@名無史さん:2001/07/02(月) 19:03
>>66
「〜してはならない」なんて所詮法律上の建前にすぎんよ。
70世界@名無史さん:2001/07/02(月) 19:04
訂正。
×国共合作の方策を採るべきだった
○国共合作回避の方策を採るべきだった
71世界@名無史さん:2001/07/02(月) 20:34
60=64=66=67 はアラシなので放置ね。
72世界@名無史さん:2001/07/03(火) 10:13
>中国(国民政府)側に圧力かけるなり懐柔するなりして

教科書問題で「つくる会」を攻撃し、日教組を応援する中共みたいに?
73世界@名無史さん:2001/07/03(火) 13:32
西安事件から国共合作まで半年あっただろ。
その間に国民党三中全会があり、「赤化根絶決議」が行われた。
これを日本は蒋介石の対共産党最後通牒と受け止め、
蒋の本心は安内攘外政策の継続だと誤解してしまった。
事実は、決議の「赤軍の存在は認めない」とは
「赤軍を国民革命軍第八路軍&新編第四軍としてもよい」ということで、
これに毛沢東が応じて国共合作となった。
日本人は物事を常に自分に都合のいいようにしか解釈しない。
これでは個々の戦闘にいくら勝っても、最終的な勝利は望めない。
74世界@名無史さん:2001/07/03(火) 23:19
>>72
そうそう、あとロビー活動とかね。
75世界@名無史さん:2001/07/04(水) 17:58
>西安事件から国共合作まで半年あっただろ。

張学良は監禁されてもう出てこないんだけどね。
76世界@名無史さん:2001/07/04(水) 19:27
つまり抗日主義者張学良の「抗日戦争」は西安事件でオ・ワ・リ。
77世界@名無史さん:2001/07/04(水) 19:40
まあそうだな。つーか、事実上人生終了って感じ?
しかしでかい仕事して終わった人生だったなー。
78世界@名無史さん:2001/07/05(木) 12:28
つーか、西安事件ってソ連がらみの権力闘争じゃねーのか。
ソ連の後押しで抗日戦発動前にその指導者の地位を巡っての。
張学良だって純粋に抗日戦争がやりたいだけなら何も蒋介石に
迫らなくったって自前の兵力で東北三省奪回を挑めばよいことだ。
まず自分が抗日戦を挑んだ上で全中国人民の支持を訴えればいい。
79世界@名無史さん:2001/07/05(木) 12:45
「大言壮語」こそ中国人の伝統的お家芸であって、実績とは別なのだ。
張学良が本当に有能な人物と国民党内部で認められたなら西安事件、
いや少なくともWW2戦後には軍司令官に復帰しているはず。それどころか
張学良をさしおいて侵略日本軍の親玉岡村寧次が軍事顧問になってる。
80世界@名無史さん:2001/07/05(木) 22:42
52 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/06/30(土) 11:13
どうしても張学良を貶めたい人がいるみたいだね。萎え。
81世界@名無史さん:2001/07/06(金) 15:18
荒れろ荒れろウヒャヒャヒャヒャ・・・・
82世界@名無史さん:2001/07/07(土) 11:10
>>2にある通り、中国側一致抗日決意はソ連の指令であったのだ。
83世界@名無史さん:2001/07/07(土) 11:46
ソ連の側からの促しがあったことは否定できないが、中国共産党の
連中はソ連の言うことを唯々諾々と聞くほど、やわい集団じゃないね。
これはいけると自己判断したからこその決断でしょう。
84名無しさん:2001/07/07(土) 12:30
国民党とソ連の関係が気になるあげ
85世界@名無史さん:2001/07/07(土) 16:49
中国では自身がろくな抗戦もせず逃げてばかりでも
スローガンさえ高く掲げればそれで「抗日英雄」なのだ。
86世界@名無史さん:2001/07/09(月) 15:07
あの抗日英雄・張学良も自らは全く抗日戦争などやってない。
言ってしまえば太極拳と同じで、「抗日演舞」だ。
87世界@名無史さん:2001/07/09(月) 17:51
52 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/06/30(土) 11:13
どうしても張学良を貶めたい人がいるみたいだね。萎え。

もはや 82=85=86 のようなバカしか書き込まなくなっちゃったか。
88世界@名無史さん:2001/07/09(月) 19:16
>>87は真面目に歴史の議論をする気が全く無い単なる罵倒屋か。
89世界@名無史さん:2001/07/09(月) 19:28
張学良は抗日指導者で無くて抗日演舞家だな。

「抗日戦争」なんてちっともやってないじゃないかゴルァ!!
90他人だが:2001/07/09(月) 19:53
>>88
じゃ、お前なんか有益なことかけや。
91世界@名無史さん:2001/07/10(火) 00:05
別に張学良自身は自分のことを抗日英雄だとか抗日指導者だとか言ってないんだがな。
彼の自己評価は
「悪い軍閥である」(1925年 新聞インタビュー)
「再三にわたり考えるに、近年来、国を誤ること甚だ多く、政府長官にもご迷惑をかけ、
部下や友人にも累をおよぼしてきた。ただ、愛国しか知らず、
世の道、人の情けを慮らなかったため、多くの困難を生み出してきた。
私の気持ちは実につらい、もし愛国の2字がなかったのなら、
張氏父子の今日の結果はない(ここで感極まり、落涙)。
生命財産すべてを失い、外には隣国の仇となり、
内には国人の唾棄と罵りを受けている」(1932年北平綏靖公署主任辞職時の記者会見)

抗日に関してはこんなことも言っている
「介公(蒋介石)果たして能く積極的に抗日を実行せば、即ち、
(学)良等、身を束ねて罪に帰すも、亦楽しむところと為す」(1936年12月16日)
「私が西安事変を起こしたとき、確かに政府転覆の意図がありました。
根本的目的は、委員長に「抗日救国」を要求するためでした」
「(事変後、蒋介石を南京に送ったのは)私は事変中に委員長の日記を見て……抗日救国の
考えがないわけではないからです。委員長は私の提起した要求に応えるといわれたことから
目的は達した、と考え、個人の得失を省みず、特に南京に来て自らの罪を請い
応分の処分をこうたのです」(1936年12月31日南京、高等軍法会審)

それから、1937年中秋、蒋介石に「軍を率いたい」と願い出るが、
蒋介石は「勉強せよ」という指示をだし、聞き入れず。

東北大学の元学長で学良のブレーンだった王卓然が宋子文に宛てた1945年10月1日付の手紙
「党や国家の諸公が、もし真に国家民族の利益を党派の利益の上に置くならば
漢卿(学良)先生を起用するのが唯一の最善の難局挽回策だと思われます」

張学良の蒋介石への弔いのうた
「関懐之殷 情同骨肉 政見之争 宛若仇讐」
(おもいやりのあつきこと 情も骨肉と同じ 政見の争い あたかも仇讐のごとし)
92世界@名無史さん:2001/07/10(火) 09:30
張学良と蒋介石の関係は林彪と毛沢東のそれに似ていると思う。
一方で毛主席万歳を叫びながら実は毛暗殺を図ったというところが。
93世界@名無史さん:2001/07/29(日) 22:38
age
94世界@名無史さん:2001/08/08(水) 23:31
>「党や国家の諸公が、もし真に国家民族の利益を党派の利益の上に置くならば
>漢卿(学良)先生を起用するのが唯一の最善の難局挽回策だと思われます」

現実にそうはならなかったのはなぜ?
95世界@名無史さん:2001/08/10(金) 10:41
日華事変はそもそも中国人による通州の日本人虐殺が原因であった。
原因を作ったのは中国人であり、報復されるのは天罰に他ならない。
96あの世の毛沢東:2001/08/10(金) 15:38
清朝復辟派を騙しただけでなく満州帝国もろとも自身と道連れにしてくれた
大日本帝国には感謝のしようもない。
おかげ様で産地直送輸入品ラベルのまだ剥がれてなかった
反動のレッテルを貼るどころか有史以来不朽の売国奴メダルまで
贈呈する事ができて欣快の至りである。
ロシアのロマノフ家を後押しする組織的な王政復古派はあるが
清朝の復興派は世界広しといえども耳にしない。
この点についてみても過去の日本なくして今日の中国はなかったのは明々白々だ。
97世界@名無史さん:2001/08/11(土) 19:45
僅か一万の関東軍に36万の張学良軍が全滅だからね。
98世界@名無史さん:2001/08/11(土) 21:14
学良は虎なんだが、お坊ちゃん育ちで牙が発達してない。
監禁した蒋介石に「委員長」と呼びかけたまではいいが、
「まだ私を委員長と呼ぶか。それならすぐに釈放しろ。
そうでなければ銃殺しろ」と言われてひるんでしまった。
99世界@名無史さん:2001/08/12(日) 01:31
>>97
それで日本側は華北・内蒙古もすぐ勢力圏にできるぜと考え、
中国側はんなことになってたまるかいと抗日運動盛り上がりまくりだったのかなー
100世界@名無史さん:2001/08/12(日) 01:33
抗日戦は上海で中国国民党がやったもので、張学良はザコ。
101世界@名無史さん:2001/08/15(水) 18:34
中国軍はおしなべて兵力・援助武器は豊富でも戦闘能力は極めて低い。
しかし満州事変の張学良の東北軍はその中でも最低最弱の部類に入る。
102世界@名無史さん:2001/08/16(木) 07:48
中国軍は数だけは昔からやたらに多い。
これは軍事訓練されていない農民を戦争に動員するため。
だから軍は弱いし、軍規もわるい。
平気で自分の国の住民を略奪する。
103世界@名無史さん:2001/08/17(金) 22:27
張学良の抗日戦争こそまさに中国人の抗日戦争の本質では無かろうか。

掛け声だけ・・・・
104日本@名無史さん:2001/08/17(金) 22:45
>平気で自分の国の住民を略奪する。

これが戦後すべて日本のせいだとされてるんだよね。(呆
105名無しさん:2001/08/19(日) 23:47
やや議論がずれるか?
8月15日に瀋陽に行った。
張作霖、張学良の屋敷に行ったが、
張学良の高い評価の展示に比べ、張作霖
の影がうすい。
柳条湖の立派な博物館にくらべ張作霖の
爆破現場は目立たない碑がひっそりと
おいてあるだけだ。私はさんざん苦労して
やっとみつけたが、ガイドなしであそこに
たどりつくのは、大変だ。ガイドブックの
書き方が悪いのと、周辺が再開発されそうだ。
中国政府自身が張作霖を悪い軍閥として無視
しようとしているようだ。
106世界@名無史さん:2001/08/20(月) 18:43
でも張学良は「抗日英雄」なんだよね。抗日戦争なんてちっともやってないのに。
107世界@名無史さん:2001/08/20(月) 18:58
西安事件の真の主役は学良ではなく周恩来。
108世界@名無史さん:2001/08/20(月) 21:44
「抗日英雄」って呼ばれてるのか?
初耳。
109世界@名無史さん:01/09/04 21:38 ID:8ipJJZIg
中国では有名な「抗日英雄」でしょ。
110世界@名無史さん:01/09/14 17:26
周恩来って直接抗日戦争に参加しなの。林彪なら「平型間戦役」があるけど。
111世界@名無史さん:01/09/14 18:32
昭和6年当時の新聞ってきっと、「満洲でまた爆破事件!!首謀者はまた張学良」
て書かれてたんだろうね…

「ニューヨークTWCでまたテロ!!首謀者はまたラディン」
なんか似てない?
112世界@名無史さん:01/09/14 22:48
直接ってことになると毛沢東だって参加してないことになる。
政治畑と軍事畑は区別しないとね。
連隊の政治委員として戦場に身を置いたトー小平とか
総指令として自らは前線に出なかった朱徳とか、例外はあるけど。
113@名無しさん:01/09/15 00:45
日本は満州で鉄道の権利しかなかった。その鉄道も競合が
出てきて、もたなくなって来ていた。張作霖爆破は破れかぶれ
みたいなもので、やっても余り得はなかった。張学良だけが
遺産をもらえた。満州国を無理やり作った。
あんなことをしないで、少しづつ資本進出すべきだった。
石原などを評価するものもいるが、他の点では、大部分意見が
ちがうが、石原が失敗したという点では、佐高信に賛成だ。
114世界@名無史さん:01/09/22 21:22
満州国は日本陸軍の傀儡国家であったが、ソ連国境で存在したことは評価できる。
115世界@名無史さん:01/09/23 16:48
大正時代に日本を訪問した時、当時の皇后から皇太子(後の昭和天皇)と間違われた
って、昔NHKの番組のインタビューで答えてた。似てたらしい。年齢も近いし。
116世界@名無史さん:01/09/23 16:50
毛沢東も周恩来も、直接日本軍と戦ったことは一度もないはず。
むしろ毛沢東など、同志たちが前線で戦ってる間に、延安で自分の独裁
体制を築いてしまった。
117世界@名無史さん:01/09/30 04:06
そーいや、今年は満州事変(9.18事件)70周年だっけ。
当の張学良inハワイは何を思ってるんだろうねえ・・・
118世界@名無史さん:01/09/30 04:08
ん?もしかして存命中???
張学良が
119世界@名無史さん:01/09/30 04:12
張学良が氏んだら「知ってるつもり?!」で取り上げられるに一票。
120世界@名無史さん:01/09/30 04:43
たしか今年100歳だっけか?
121世界@名無史さん:01/09/30 04:57
6月で100歳になってるっす。
122世界@名無史さん:01/10/04 13:24
善人に長寿なし
123@名無しさん:01/10/06 21:15
私は蒋介石という人間を次のように理解している。
中国を日本のように共産主義でなく、軍閥もいない
近代国家にしたい。
そのためには、財閥からの資金援助も秘密結社も
利用できるものは利用する。
この原則で考えれば張学良は、排除されるべき人間だ。
中国という巨大な国で自分の理想を追求すれば日本で
考えるようなきれいごとではやりぬけない。
124張学良ファンクラブ会員:01/10/07 01:03
張学良のサインほしい〜
125世界@名無史さん:01/10/15 16:37
危篤だそうだから・・・・・
126世界@名無史さん:01/10/15 18:01
西安事件の張学良氏が死去=台湾紙
 【台北15日時事】台湾紙・聯合報(電子版)などによると、中国現代史の転換点となった1936年の西安事件の立役者、張学良氏が肺炎のため、入院していたハワイ・ホノルルの病院で14日夜死去した。100歳だった。
127世界@名無史さん:01/10/15 19:06
ついにお亡くなりか・・・
128世界@名無史さん:01/10/15 19:38
100歳か・・・
129世界@名無史さん:01/10/15 19:39
この板では頻繁にお名前の出る方だったし、合掌
130世界@名無史さん:01/10/15 19:55
結局、西安事件の深いところについては、墓の中に持って
いったのかな?
131世界@名無史さん:01/10/16 06:50
関連スレ「張学良、危篤か」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1002826852/l50
132世界@名無史さん:01/10/18 02:51
133世界@名無史さん:01/10/18 03:24
ついに歴史の教科書上にのみ存在することとなった張学良。
今後、歴史的再評価が行われていくのかもしれません。
中国人社会においては「異民族の侵略と戦った愛国者」として
語り継がれるのでしょうかね。たとえば岳飛のような。
134世界@名無史さん:01/10/18 03:37
135世界@名無史さん:01/10/18 11:34
20世紀は「戦争の時代」とかいうが、
彼は20世紀を文字通り生きぬいたね。
136世界@名無史さん:01/10/19 03:49
張学良(1901〜2001)
137世界@名無史さん:01/10/19 08:16
阿片愛好者の張作霖。
138世界@名無史さん:01/10/21 19:26
張学良が西安事件で幽閉されず抗日戦争に参加していたらどうなってたでしょうか。
139世界@名無史さん:01/10/21 23:41
>>138
歴史学的には「なぜ、そうならなかったのか」と考える方が適切だね。
戦争が中国側勝利に終わるとして、
蒋介石も東北地域が張学良中心に再編成されることをとめることはできなかったろう。
ところで、実際には戦後の東北は東北出身の共産党幹部(張学良の弟・学思も)によって
解放区を形成しつつあった。
蒋介石は共産党と張学良の連合を最悪のシナリオと考えていたのだろう。
しかし、張学良のカリスマは共産党なしでも東北の権力を集中させることはできたと思う。
つまり、張学良が復活しなかったことが、蒋介石の転落の第一歩だったのかもしれない。
140世界@名無史さん:01/10/21 23:42
141世界@名無史さん:01/10/22 00:17
張学良なんて満州事変で装備劣弱・僅かな石原莞爾の関東軍にイチコロ負け。

こんなザコ抗日戦に参加させても役に立つはずはない。
142世界@名無史さん:01/10/22 04:20
>>141
満州事変当時、張学良率いる東北軍は中国トップレベルの装備を保持。
とはいえ、関東軍とは比べものにならない。まともにやりあっては負ける。
たとえ善戦したとしても、東北軍は著しく消耗する。
軍閥的視点からいえば、これは避けたい。
国家的視点からいえば、日本と本格的に争う余裕は無いので、
国連に訴えることで解決をはかりたい。
とゆーわけで、蒋介石は張学良に「不抵抗」を指示。
張学良もこれに従い、東北軍は形ばかりの戦闘後、関内へ撤退。
日本、満州GET!
その後、国連によってリットン調査団が派遣されるも、
張学良の訴えもむなしく、日本は国連を脱退。満州国は既成事実化。
張学良は「不抵抗将軍」と呼ばれ、失意の日々を送ることになる。

NHKのインタビューによれば、張学良は
「当時、日本が国際秩序を破って本気で仕掛けてくるとは
予想しなかった。読み違えたのは私の責任だ」
というようなことを言っていた。
143世界@名無史さん:01/10/22 06:51
>>139
てことは、張学良が政治的に復活してたら
共産党が天下とることはなかったかもね
144世界@名無史さん:01/10/25 19:16
よっしゃー!今晩10時からNHK教育で張学良特集だ!録画するぜー!!
145世界@名無史さん:01/10/25 19:20
146世界@名無史さん:01/10/25 19:33
>>144
http://www.nhk.or.jp/etv21c/

「ETV2001」 10/25(木)放送
〜満州事変・日中戦争〜

出演 筑波大学名誉教授 臼井勝美

今年14日、満州の軍閥・張作霖の長男で、中国現代史の転換点となった
西安事件を引き起こした張学良が、ハワイのホノルルで死去した。100歳だった。
張学良は、1928年に父親の張作霖が日本の関東軍によって爆殺されると、
若くして奉天軍閥を引き継ぎ、1931年に勃発した満州事変では中国側の当事者となった。
その後、蒋介石の下で共産党軍との内戦に力を注いだが、
中国全土に日本への抗戦機運が高まっていた1936年、
西安で蒋介石を監禁して、内戦の停止と一致抗日を迫った。
この西安事件をきっかけに蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との合作による
抗日統一戦線が成立、日本と中国は全面戦争へと突入して行く。
しかし、張学良はその後半世紀以上にわたって軟禁状態に置かれることとなった。
1986年に軟禁を解かれた張学良は、今から10年前の1991年8月、
NHKとの単独インタビューに応じ、初めて沈黙を破った。
番組では10年前の張学良のインタビューに研究者の話を交えながら、
20世紀の日中関係の分岐点となった張作霖爆殺事件・満州事変・西安事件などを
振り返るとともに、これからの日中関係にとって、
日中現代史がどのような意味を持っているのかを考える。
147世界@名無史さん:01/10/25 19:39
今日の夜10時からの特集は見た方がいいかもです。
148世界@名無史さん:01/10/25 19:45
「知ってるつもり!?」とか「そのとき歴史が動いた」とかでも取り上げられるといいなぁ・・・
149名無し:01/10/25 22:47
満州は清朝満州人の本拠地であり、本来支那人の居住は許されなかった。
万里の長城の外である。
しかし清朝が衰退すると、貧民が移住し、治安は乱れ、いわゆる馬賊と言う盗賊
が横行する無警察地域になった。ここにロシアが目をつけ、清朝を脅して、鉄道を
敷設し、旅順に大軍港を建設した。日本が危機を感じて、日露戦争でロシアを破り、
満州のロシアの権益を継承した。
張作霖はこの貧農出身の盗賊の頭目であった。教育も無く文盲であった。
1912年清朝が滅亡し支那本土は、戦国時代に入った。無政府状態である。
このなかで蒋介石の国民当が共産党を破り勢力を満州に伸ばした。
そこで日本は主人のいない満州地域の主人を決めるべく、張作霖を殺し
満州国を建国したのである。
馬賊は32万いても所詮賊だから、精強な日本軍1万数千の敵ではない。

蒋介石が最後の共産党撲滅の掃蕩に入ろうとした。そこで毛沢東は
1936年12月共産党の生き残りをかけて、張学良に蒋介石を呼び寄せさせ、
軟禁した。西安事件である。そして敵を共産党から、日本にかえさせたのである。
国民党と共産党の協力だ。
1937年7月この密約に従い、国民党と共産党は日本人と日本軍に宣戦布告無き
奇襲攻撃を開始する。彼らの中日戦争の始まりだ。
日本は8月に上海で攻撃をうけて、支那事変に入った。
150世界@名無史さん:01/10/25 23:06
NHK教育を見た! 感動した!
151世界@名無史さん:01/10/25 23:34
見逃した!
再放送はある?

>>149
>このなかで蒋介石の国民当が共産党を破り勢力を満州に伸ばした。
>そこで日本は主人のいない満州地域の主人を決めるべく、張作霖を殺し
>満州国を建国したのである。

コピペだとは思うがつっこんでおく。
国民革命(北伐)は軍閥との対抗であって、共産党とは関係ない。
たしかに北伐中、共産党は27年に反共クーデターで大きな打撃をうけ、
国共合作は崩壊するが、国共が満州の勢力争いをしていたものではない
北伐を回避して東北へ退却する途中の張作霖爆殺は1928年6月。
張学良による東北易幟(国民党による国家統一)は同年末。
満州事変は1931年。
その背景は易幟による東北地区のナショナリズム高揚が
日本の権益を損ずると考えられたため。
152世界@名無史さん:01/10/25 23:42
>>143
ものすごく大胆に歴史のIFを考えると、
張学良が共産主義に傾いていたのは否めない一方、
蒋介石に対する尊敬も失っていない。
(西安事件直前に号泣しながら国共合作のための諫言をしている)
というわけで、両者の仲をとりもって
中国に二大政党制国家が成立していた、、、、かも??
153世界@名無史さん:01/10/26 00:31
特集みた。
臼井先生、感動して声がふるえてたよ。
154世界@名無史さん:01/10/26 00:43
>>152
IFじゃなくて、ちゃんと事実に基づいて語れよ。
155世界@名無史さん:01/10/26 00:47
じゃあ>>139のいうとおり。
張学良がなき東北では
東北出身の人材によって共産党解放区がつくられ、
国共内戦時に極めて重要な役割を果たした。
156世界@名無史さん:01/10/26 01:09
>146
見逃しちゃった! 今気付いたんだよ〜(泣)
是非とも再放送やってほしい。
157世界@名無史さん:01/10/26 02:05
http://www.nhk.or.jp/etv21c/
再放送する場合もあるようですね。要望を出してみては。
ついでに10年前のNHKスペシャルも再放送してほしいなぁ。
158世界@名無史さん:01/11/01 22:45
>馬賊は32万いても所詮賊だから、精強な日本軍1万数千の敵ではない。

張学良の面子丸つぶれだよね。後で抗日を叫ぶようになった理由はこれ。
159名無し:01/11/03 20:16
張学良は馬賊の御曹司だ。大金を持ち放蕩していた。
毛沢東は蒋介石に攻撃されて辺境を逃げ回り犠牲を払い(長征)延安に落ち延びた。
ところがここも討伐されそうになった。
そこで、標的をかわす為に、1936年12月、親を殺され、満州の
権益が怪しくなった張を説得して、蒋介石を誘拐脅迫し、国民党の敵を、
共産党から日本に切り替えさせた。西安事件と国共密約だ。
これで共産党は息継ぎと時間稼ぎが出きる。これが毛沢東の戦略だった。

蒋介石は、共産党は日本は皮膚病だが、共産党は心臓病だと言ったと言う。
そのとおりになった。

日本は1884年の日清戦争以来無政府状態の支那では数十年に渡り戦争はしていない。
日本は諸外国同様、治安維持のため、守備隊を置いていただけである。
それが突然1937年7月ろこう橋で中国軍に攻撃を受けたのだ。
そして7月29日に通州で日本人が大虐殺され、8月13日に日本人居留民が20万の
大軍に奇襲攻撃を受けたのだ。宣戦布告無しだ。
160世界@名無史さん:01/11/03 21:27
慮溝橋とか通州とかは劉少奇による白区工作の成果だな。
西安事件の前の4月に延安の天主堂で張学良と周恩来が会ってる。
すべては毛沢東の陰謀かもね。
161世界@名無史さん:01/11/04 23:32
>張学良は「不抵抗将軍」と呼ばれ、失意の日々を送ることになる。

そりゃもう、あったりまえ。あれだけ住民に重税を課して
軍備拡張につぎこんでおきながらあの負けっぷりなんだから。
なのにずっと後になって急に「抗日」と言い始めるのは本気で
日本軍と正面きって決戦するのではなく、満州事変の軍事的完敗
で失われた彼自身の面子を取り戻したかったからだろう。
162世界@名無史さん:01/11/05 00:08
>慮溝橋とか通州とかは劉少奇による白区工作の成果だな

通州は国民党支配地区でない。通州事件に共産党の工作を見出すのは困難だろう。
通州の保安隊蜂起は日本軍の誤爆が原因であり、したがって共産党が計画した事件とは考えにくい。
蘆溝橋以上に「偶発的」な事件なのだ。
蘆溝橋事件に共産党が関わったのも定説とは言いがたい。

>西安事件の前の4月に延安の天主堂で張学良と周恩来が会ってる。

これは事実で、両者は抗日について互いの理解を深めたが
周恩来は張学良に「反蒋」を促しており、
この会合で聯蒋抗日・国共合作という構想が生まれたとするの?
163世界@名無史さん:01/11/05 00:16
>この会合で聯蒋抗日・国共合作という構想が生まれたとするの・

……生まれたとするのならば、むしろ張学良が共産党に「聯蒋」を
促したと考える方が自然である。
会合直後の5月、共産党は
「五五通電」(「反蒋」方針の放棄を示唆したもの)を通達している。
164世界@名無史さん:01/11/07 01:22
NHK教育(関東?)で張学良氏のインタビューやってるみたい。
165今見てる:01/11/07 01:32
90歳越えてるんだろ?
矍鑠としたしゃべり方だな。
166156:01/11/07 02:29
今日の再放送で見ました。できればインタビュー全体を放送してほしかったが・・・
とりあえず臼井先生がお元気なことが確認できてよかった。
167:01/11/07 02:34
再放送見た。
>>1
の謎は解けず。
168ユクサー:01/11/07 17:31

>そこで、標的をかわす為に、1936年12月、親を殺され、満州の
>権益が怪しくなった張を説得して、蒋介石を誘拐脅迫し、国民党の敵を、
>共産党から日本に切り替えさせた。西安事件と国共密約だ。
>これで共産党は息継ぎと時間稼ぎが出きる。これが毛沢東の戦略だった。

これを詳しく教えてください。できれば根拠・出典も。
169世界@名無史さん:01/11/07 19:59
軍閥スレで書き込みをやっているものです。
このスレで気になることがあったので、少しだけ差出口を・・・

>>4
この中で本当に蒋介石に殺されたのは、韓復と楊虎城だけです。
李宗仁は、1949年に一時は蒋介石を引退に追い込み代理総統となっています。
国民党が敗退すると、李はアメリカへ亡命しましたが、1965年に共産党の招聘に応じて帰国。
文革期間中は周恩来の保護を受け、1969年に亡くなりました。
閻錫山と白崇禧は、共に蒋介石と共に台湾へ逃れ、そこで病没しました。
彼らも実質幽閉状態だったという説もありますが、
少なくとも彼らは台北で真っ当な地位を得ています。
罪人扱いの張学良よりも、むしろ優遇されたと言えるのではないでしょうか?

>>149>>159>>160については、
多くの方が突っ込んでいますし、これからも突っ込むでしょうから、
これ以上門外漢の私がでしゃばる必要は無いでしょう。
ただし、1点だけ。

北伐以前の中国が軍閥同士の抗争に満ちていたのは事実ですが、
無政府状態というのは間違いです。
袁世凱系の北洋軍閥が支配する北京政府と、孫文らがいる広東政府とが鼎立していましたし、
両政府はともに自分たちが「中華民国」の正統である、と主張していました。
各軍閥についても、清朝復辟を唱えるごくわずかな例外を除き、
錦の御旗と言うべき「中華民国」を否定しては他の勢力と争えなかったのです。
170名無し:01/11/09 20:18
>1
不可解なところはないように思われるが。
張学良にダマされて西安に呼び寄せられた蒋介石は、裏山へ逃げたと言う。
結局捕まった。
蒋介石はもう1歩で毛沢東を滅ぼすことが出来たのだから、張学良を恨んだ
ことだろう。
171世界@名無史さん:01/11/23 00:16
張学良氏の家族・親戚は今どうしてるの?
172世界@名無史さん:01/12/07 16:51
張作霖を爆殺した関東軍は
中国が儒教の国である意味を十分に認識していなかった。
張学良個人が父親に対してどういう感情を抱いていたかは
この際どうでも良い。
父親を殺した相手のいいなりにならず
東北に青天白日旗を掲げて蒋介石に擦り寄ったのは
当然予測の範囲でなくてはならないのに
そんなのに慌てるようでは
中国を軍事的に制圧するのに失敗したのも
むべなるかな。
173@名無しさん:01/12/07 22:57
中国の中学教科書に西安事件の解決した後、延安に飛行機で
帰った周恩来を共産党幹部達が出迎える絵が出ているが、
あれの元になる写真があるのだろうか?どなたか見たことが
ありますか?
174世界@名無史さん:01/12/07 23:29
>>172
長谷川慶太郎の本に張学良は、張作霖が爆殺される前は
アヘンでヘロヘロだったらしい。
だから関東軍は張学良なら自分たちの思いどうりにできると思って
張作霖を爆殺したが、父をころされた張学良はアヘンを焼き
周りの日本人顧問を殺し青天白日旗をあげて日本と敵対した。
関東軍もアヘン中毒な張学良がアヘンを止めて日本と戦うとは夢にも
思ってなかったんでしょね。
175世界@名無史さん:01/12/08 00:42
大うつけ、ということですか・・・
176世界@名無史さん:01/12/08 02:54
今は勝てば官軍でNHKなどああした放送を流しているが、
結局中国のその後の歴史を見ると、張学良や蒋介石は
中共に天下を取られ、民衆の立場からすると朝鮮戦争
や文化大革命でおびただしい人命が失われた。
一切によると日本との戦争で失われた以上の喪失だったとも。
日本と融和し、満蒙に防共の砦を築いておれば
無駄な人命は失われずに済んだ
とも言えますが。

そんなにエライ人ですかね。
日本人の目から見て。
177世界@名無史さん:01/12/08 03:05
それをいうなら
「ハルノートを受け入れていれば無駄な人命が失われずにすんだ」とか、
「ヴェルサイユ会議を行っていなければ〜」
「産業革命を行っていなければ〜」
「宗教改革を〜」
なんでもありになってしまう。
それに「日本と融和し、満蒙に防共の砦を築いておれば
無駄な人命は失われずに済んだ」とする積極的な証拠はない。
歴史のIFを持ち出すな、というのはこういう「ありえない歴史」を
持ち出して自分を慰めるなということだ。
しかし、これを逆転させて
「なにゆえ張学良が日本と融和しなかったか」と考えることには意義がある。
178世界@名無史さん:01/12/08 03:10
>>174
張学良がアヘンをやめたのは下野した1934〜5年ごろでは?
179世界@名無史さん:01/12/08 09:39
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19896811 p30、31
 ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
 また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
 これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
180世界@名無史さん:01/12/08 09:45
中国軍って弱かったの?
http://yasai.2ch.net/army/kako/994/994915752.html
「大陸打通作戦」統合スレ
http://yasai.2ch.net/army/kako/989/989117544.html
181世界@名無史さん:01/12/19 16:00
「抗日英雄」張学良の大軍を一撃のもとに葬り去った満州事変の
時の日本陸軍の作戦・戦闘能力は、純軍事学的には評価に値する。
182世界@名無史さん:01/12/26 00:21
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=04093523 P185
 広い額に黒い髪、がっちりとして引き締まった体格のワシーリ・イワーノヴィッチ・
チュイコフというロシア人が、第二次世界大戦が起こったとき、ソヴィエト陸軍武官
として重慶に勤務していた。彼は、彼が開いたといわれる記者会見で、蒋介石がソ連
から受けている大量の軍事援助について語り、その結果外交上の騒ぎがもち上がった。
そのため一九四二年のはじめにチュイコフはモスクワに召喚され、一九四二年三月、
戦線に参加した。予備軍司令官代理をほんのわずか務め、自動車事故で軽い怪我をした
りしたが、やがてスターリングラード戦線を補強するため司令部とともに派遣された。
183世界@名無史さん:01/12/26 00:37
西安事件その他ソ連の中国問題介入に触れないのは歴史の歪曲に等しい。
184世界@名無史さん:02/01/02 18:47
満州国は日本軍国主義の傀儡国で、「偽満洲国」だったという人も居る。
それでいてまた日本陸軍はヘボ軍隊であったとも言われる。しかし、
もしその両方が正しいとすれば張学良軍とそこの住民はあの広大な
満蒙の土地を「ヘボ軍隊」に簡単に明け渡してしまったことになる。
またソ連はヒトラーと結んででもポーランドやバルトを併合したのに、
こと極東に限って「ヘボ軍隊」によって運営されているに過ぎない
「偽満洲国」にどうして手を出さなかったのだろう。
185世界@名無史さん:02/01/02 22:11
中国人から見れば(今もそうかもしれないが)日本などという国は
何から何まで遅れきった土人の島でしかなく、米英独露と聞いた
だけで日本なんて身がすくんで震え上がってしまうのだろう。
だから米英独露が背後につくととたんに排日侮日になったのだ。
まさに強き(米英独ソ)に媚びて弱き(日本)を挫く最低集団だ。
日中戦争は全中国人民が英雄的に日本の侵略と戦っただなんて
思い上がりも甚だしい。全ては米英独ソが背後についてたからだ。
186世界@名無史さん:02/01/02 22:14
またか
187世界@名無史さん:02/01/02 22:18
>中国人から見れば(今もそうかもしれないが)日本などという国は
>何から何まで遅れきった土人の島でしかなく、米英独露と聞いた
>だけで日本なんて身がすくんで震え上がってしまうのだろう。

米英独露と聞いて身がすくむのは
中国人の想像する日本人ですか、実際の日本人ですか?

>全ては米英独ソが背後についてたからだ。

三国同盟ってなに?
188世界@名無史さん:02/01/02 23:04
三国同盟締結のずっと前に排日は始まってるよ。
上海事変で日本軍をてこずらせたトーチカはドイツが作ったもの。
それに、ものの考え方からして、東洋唯一のファシストは蒋介石だ。
189世界@名無史さん:02/01/05 15:47
中国人は日本に対しては威張りちらすが,米英独露にゃまるきり卑屈。
190世界@名無史さん:02/01/09 14:19
張学良は「抗日英雄」とされるものの実際には抗日戦に参加してない。
戦後国民党は岡村寧次をはじめ旧日本軍将校を起用したが、張学良の
釈放は無かった。抗日英雄より仇敵日本軍将校の方が頼れるってか。

西安事件はソ連指令と張・蒋らの権力闘争だろう。
191世界@名無史さん:02/01/09 14:37
それは外しまくってますが。
192世界@名無史さん:02/01/10 16:39
蒋介石が抗日英雄の張学良で無く侵略日本軍の岡村寧次を軍事顧問に
起用したのは、両者の軍司令官としての性能差があまりに大きかったから。

そうでなければ抗日英雄マンセーの方、このへんの事情をどう説明する?
193世界@名無史さん:02/01/10 17:05
(蒋介石の主観の上では)クーデター(と共産化)が怖いから。

「西安事件はソ連指令と張・蒋らの権力闘争」だったら
張学良は事件後出廷してないと思いますが。
194世界@名無史さん:02/01/11 03:54
文化大革命での四人組だって人民裁判に出廷してるよん。
195世界@名無史さん:02/01/11 03:56
>(蒋介石の主観の上では)クーデター(と共産化)が怖いから。

ほんじゃ侵略日本鬼子の親玉・岡村寧次は怖くなかったんか?
196世界@名無史さん:02/01/11 22:21
蒋介石が岡村寧次らを起用したのは、共産党への対抗という目的の他、
アメリカへの配慮もあります。
国際秩序が今後はアメリカ主導の下に動くと読んだ蒋は、対米尊重の外交を強め、
それに伴い、旧敵国日本への姿勢も転換したわけです。
当初は蒋も、日本の戦犯断罪や賠償請求を強烈に唱えていたにもかかわらず、
後にこの主張を和らげました。岡村寧次の起用もその一環だったと言えるでしょう。
197世界@名無史さん:02/01/12 10:04
>「西安事件はソ連指令と張・蒋らの権力闘争」だったら
>張学良は事件後出廷してないと思いますが。

「文化大革命は毛沢東指令と林彪・四人組らの権力闘争」だったら
四人組は事件後出廷してないと思いますが。
198世界@名無史さん:02/01/12 12:39
自ら出廷するのと出廷せざるを得なかったのでは事情が違うだろ。
199世界@名無史さん:02/01/12 12:55
蒋介石と張学良の関係は、毛沢東と林彪の関係に似ているのかもしれないね。

公的には「親愛なる同志」としておきながら、一方で権力闘争・・・
200世界@名無史さん:02/01/12 17:53
あの「抗日英雄」張学良をさしおいたまま、戦後国府軍が岡村寧次ら旧日本軍人脈
を起用したのは、大陸打通作戦での日本軍将校の有能さを示すものだと思う。
201世界@名無史さん:02/01/13 01:26
>200
有能かどうかより、>196で書いたように対外的な意味合いと反共が問題でしょうね。
(これ以上、繰り返しても仕方ないですが)
あと、蒋介石は岡村寧次を救った一方で、中下士官クラスについてはかなり苛烈な
報復を加えています。

それから、「張学良をさしお」くのは当たり前ですよ。
>193氏が言うようにクーデターを恐れた他、すでに東北軍が解体され、長期間軍政
の舞台を離れていた張を今更引っ張り出す必要なんて、蒋介石には無いです。
別に岡村らは、陳誠や何応欽といった蒋腹心の部下以上に優遇されたわけではありません。
202世界@名無史さん:02/01/13 11:31
戦後に人民解放軍の台湾侵攻をくいとめた根本博中将の機略巌島合戦の
戦法を応用した金門島の大勝利根本中将は蒋介石への義理を果たした
http://www01.u-page.so-net.ne.jp/sa2/sekiei/kurigoto/01021101.htm

大島 このとき旧日本陸軍の根本博中将がたまたま金門島を視察中で、
守備隊の作戦指導に協力したといわれています。 一九五八年八月二十三日、
人民解放軍は再び金門島を攻撃します。今度は対岸から四十四日間にわたって
四十七万発の砲弾をぶち込みます。しかし、このときも金門島は陥落しなかった。
http://scosv.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/1999/9910/taidan.html
203世界@名無史さん:02/01/13 14:22
何か、張学良の話題からどんどんズレてますね・・・?

まず、国共内戦末期に国民党軍が人民解放軍を金門島から撃退したのは、
唯一と言って良い大戦果なのは確かです。
ただ、これは人民解放軍側が海戦・上陸戦への準備が不足していたことも幸いしています。
(その後の朝鮮戦争勃発や毛沢東の判断によって、台湾攻撃にはストップがかかりました)。
1958年の金門島砲撃については、当初から大陸側に金門島占領の意図が皆無であったことが、
最近の研究・資料で明らかになっています(D・ランプトンなどの研究が有名)。
むしろ、(中国側から見て)修正主義路線を走るソ連への外交的牽制と言えるのです。
204世界@名無史さん:02/01/14 02:36
張学良以上に抗日戦の前線で戦い続けた東北軍の将領としては、
黒龍江軍閥の馬占山がいます。
一時は日本軍に降伏して満州国の高官となりながらも、
満州事変勃発から抗日戦終結まで関東軍に挑み続けた闘将です。
西安事件においても、張学良・楊虎城を補佐しました。
205世界@名無史さん:02/01/29 15:13
作られた英雄。
206世界@名無史さん:02/02/02 09:51
学良くんは蒋司令のペットではなかったのですか?
207世界@名無史さん:02/02/09 22:52
国敗れ 故郷の街は 焼かれども

打通の意地は 未だ消えまじ
208靡莫:02/02/15 01:56
>206
張学良は蒋介石の完全な言いなりという見方が一般的なようですが、
易幟後も、簡単に蒋介石に隷従したわけではありません。

事実、東北の軍政組織への中国国民党(あるいは中央政府)の浸透は鈍く、
人事についても張学良が大部分を掌握していました。

一方で、張学良個人は蒋介石への尊敬の念を抱いていたようですが、
実際の政治動向はそんな単純ではなかったのです。
209靡莫:02/02/19 00:34
張学良個人の評価について、参考として戦前日本人によるものを紹介します。

「張学良は父親に似て性極めて精悍頗る機智に富んでいる。世故に長け応酬に巧妙
にして外交的手腕がある。由来英傑に不肖な子はあるが之れは又公平に見て支那大官
の子としては珍しい位の秀才である。親の子として恥ずかしからぬ人物である」
(園田一亀;新聞記者、『怪傑張作霖』の著者)

「しかし長身痩躯、顔色蒼白、オール・バックにいつも清楚な身なりをし、貴公子然
たりし学良は、けっして凡庸な一介の貴公子ではなかった。十九歳以来、砲煙弾雨の
うちに馳駆すること数次、腹もすわっており、頭脳も明晰な上見識も高く、たとえ
亡父の遺徳なしとするも、優に大をなす素質を備えている。日本側との折衝に当たっても、
柔い物腰と、慇懃な態度と、洗練された表現とをもって応酬し、けっして不利な言質を
あたえるようなことはなかった」
(森島守人;奉天総領事館書記官)
210世界@名無史さん:02/02/19 05:49
関懐之殷 情同骨肉
政見之争 宛若仇讐

関懐(おもいやり)のあつきこと 情も骨肉と同じ
政見の争い あたかも仇讐のごとし

張学良が蒋介石に送った晩聯。ガイシュツか?
211世界@名無史さん:02/02/24 06:08
age
212世界@名無史さん:02/03/09 12:51
シナ事変の発端の蘆溝橋事件は、劉少奇の率いる救国抗日学生隊が起こしたもの。
だから東京裁判では蘆溝橋事件の真相は追求されなかった。

7月9日、11日、19日と日本側は停戦協定を成立させるが、支那軍はその度無視。
7月29日、通州で邦人約260名が虐殺。
8月9日、日支和平会議が開かれたが、上海で大山中尉惨殺事件が起きたため決裂。
8月13日、支那便衣隊が第2次上海事変を起こす。
8月15日、蒋介石が全軍総動員令を出し、ついに全面戦争突入。

支那事変に至るまでの経過を見れば、支那側が事変の拡大と長期化を望んでいたのは明らか。
213抗日宣言=対日宣戦布告:02/03/09 13:16
1935年8月1日、毛沢東率いる中国共産党は、以下の抗日宣言を発表した。
「ここにおいて中国ソヴェート政府と共産党とは、抗日共同戦線を結成すべき必要が目睫の間に
迫っていることを強調し、再び全国同胞に対し呼びかける。
各党が過去において、また現在において、政見的利害を異にするにせよ、各軍隊が過去及び現在
において敵対行動をとっているにせよ、いまこそわれらは兄弟●に鬩ぐの愚を自覚すべきである。
先ず一切の内戦を停止し、対立を超越して凡ゆる国力を集中し、以て抗日救国の目的のために戦
わねばならない。中国ソヴェート政府と共産党は更に一度宣言する。
国民党の軍隊は中共軍攻撃を即時停止し、何れの軍隊も対日戦争準備を遂行すべきだ。国民党軍
と中共軍は、過去及び現在の凡ゆる国内的紛争にこだわるを止め、直ちに対立を克服して親密な
る提携の下に共同救国を行うべし」
まだ「支那事変」の2年も前のことである。
214世界@名無史さん:02/03/09 14:45
>>212
>7月9日、11日、19日と日本側は停戦協定を成立させるが、支那軍はその度無視。
無視したのは当然だ。近衛内閣が華北派兵を公式に既に宣伝していたから、
そんなもの信じていたら兵力を急速集中してきた日本側に満州事変の再来を
許すようなものだ。
君はなぜ毛沢東が日本社会党の訪中団の前で
日本軍国主義者の所業に感謝したのか、その真の理由に思いを凝らしてみるがよかろう。
215888:02/03/09 14:55
Senkaku is belongs to CHINA!!!
216世界@名無史さん:02/03/11 12:21
>>214
歴史の教訓に学ばないウヨクが多いよね。
共産主義者を喜ばす所業を重ねてはいけませぬ。
217名無しさん:02/03/17 01:17
あげ
218世界@名無史さん:02/03/22 00:32
>>215
恥ずかしながら、尖閣列島がいくつの島から出来て
いるのか知らない。theの付く固有名詞なのか。
219世界@名無史さん:02/03/22 00:41
      ./                    .\
       /         ∧ .∧ .∧ ヘ l\ ヽ .ヽ \
..     /      ∧/ ∨: ∨: ∨ \| \|\l\\
.     |     ./::::::     ‐-、_     ,  ヽ     ・・・・・・・・
.       |    ..>::::、     ‐-、_ ` ‐-‐'´, -  ヽ,,,,
     |     >::ミ_ `‐- 、_  U ` ‐-‐'´   /〃   なんだって・・・?
     |    .>:::::::`‐-、_ `‐-、_      /::/ ヽ
     |     〉:::::     `‐-、_|||    ||:::/    ヽ  バカなっ・・・・・・!
     |  /⌒l ━┳━━━━━━━━━━━━┓
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     |  |::「]| |::::: \::iillllllllllllllノ :::::::u::::; |:iillllllllノ   オレのスレが・・・・・・・・・・・・
     |.  \_.l |::::U   ̄ ̄ ̄   :::::::::::::::::; |: ̄ /
.   ./|     N::::::::::  __,ノ (::::_::::::::::::; |  /
  ./::: |    /: :|:::::::::/              ‐┘v/    オレの・・・・・・
 / :::::: |.  ./:: ::|::::/:   ⊂ニニニ=====----- /
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220世界@名無史さん:02/03/22 00:49
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          「殺してやる!!、、、殺してやる!!、、、殺してやる!!」
221世界@名無史さん:02/03/22 00:50
      /                          ヽ
     /                           .ヽ
     /,  _,,,,,_       ,  ,   i 、      i"`''ヽ、ヽヽ
    i/ / ,,, i     / /  / i ;i '、'、'、'、    i, i`ヽ、ヽ, ',
    i / /'-.i i    /' ./   / ;i :i; '、 ヽヽヽ   '、'、,,i i '、 .i
    i/ .i 'ー"./   / /  ./ :;;i i;; '、 `、'、 'ヽ、 `ー、,ノ ;i i
    ii  ヽー''  // //  // :;;i i;;'、 '、 '、i '、 '、`''ー、,,,___丿ノ
    i`ー、__、-''"/ //  //  .i:::i i::'、 i, i '、 '、ヽ、''ー-‐'ノ
     iー-‐''"/  //  /:/  .ノ:::i i: i:: i'、 i'、 `'ー、,,,,,、ー-'''ノ
     `ヽ''"~,,,、-'"/--、,,,,,,,,,,,,、/i ノ,,,i、-i-/‐'''''ー‐"iミ、`、iヽi 最低・・・
      i//" /"'、  ̄、-,‐‐-、 " '"´ "‐/i"~;;~`フ  :i:'、i`i: .i i'
      ヽ i:i i"`、  `-"-゛'`...:::::::::::........`''''''´    i//i/i //
       ヽ',:i iヽ、'、  ''''''''""".::i""""´´´     /ノ:///''
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222世界@名無史さん:02/04/01 15:31
張学良は抗日戦争に参加してないし、戦後も旧日本軍将校さえも登用
されている中で彼の釈放は無かった。「作られた英雄」だったと思う。
223世界@名無史さん:02/04/15 15:56
あげ
224世界@名無史さん:02/04/18 15:25
満州国は国境沿いのソ連さえも日ソ中立条約で認めた、正統な国家だった。
225 :02/04/18 15:36
>>222
わざわざ「」は要らないよ。作られた英雄だったと思うで十分。
物書き気取りで、頭悪い文章なのにやたら使うイタイのがいるけど
「」むやみに付けると変。

日本史世界史・国際情勢あたりに多いね、
やたら長くてヘタクソな文章なのに「」だらけの書き込みする奴。
226中国共産党よ永遠なれ!:02/04/18 15:46
>>224
中華民国は国内法までデッチアゲて、武器供与を誤魔化しているアメリカでさえも
アッタリマエながら、いかなる条約でも認めてない非正統な国家である。
227@名無しさん:02/04/18 17:20
日本が中国、満州にいる存在理由は満鉄なのだが、
張作霖、張学良ともに、満鉄に平行する路線を
作って、満鉄を経営のほうから、破産させ、それに
より日本を満州から追い出す、高度な策略を
ねってたのでないか?
228世界@名無史さん:02/04/18 17:54
>>227
その策略はアメリカの入れ知恵じゃないの?
アメリカは日本が持っていた南満州鉄道の権益をのっとる事を狙ってたし。
229227:02/04/18 23:02
この作戦はかなり効果を発揮して、日本は苦しみもがき
追い詰められて、苦し紛れに満州事変を起こしたと考えて
みた。
230世界@名無史さん:02/04/19 00:22
>>229
違うよ。
張作霖は併行線を造った後に関東軍によって爆殺されたよ。
張作霖が勝手に造った併行線が満州事変の原因ではない。
満州事変は、形の上では大陸を統一した国民党が、その余勢をかって満州権益を強奪しようとした事と、共産党の反日テロが激しくなった事が原因だよ。
張学良は、この頃すでに国民党に服属してたよ。
231227:02/04/19 08:19
満州権益=満鉄
232世界@名無史さん:02/05/01 23:01
後で何を言い訳しようとも、張学良は満州事変ではろくな抗日戦もやらず
一目散にトンズラ、まさに「不抵抗将軍」とみんなから揶揄された通り。
233世界@名無史さん:02/05/24 19:18
故張学良氏って、息子や娘が居たんだっけ?
234@名無しさん:02/06/02 08:11
6月1日に張学良の保存されていた発言がアメリカで公開
されましたね。
235世界@名無史さん:02/06/02 09:18
http://www.asahi.com/international/update/0602/001.html

西安事件を詳述、故張学良氏の肉声公開へ 

 日中戦争が泥沼化する前夜、中国・国民政府の蒋介石を監禁し、共産党とと
もに日本と戦うよう求めた西安事件(1936年)の主役、張学良氏が生前に
残した膨大な口述記録や日記などがニューヨークのコロンビア大学で近く公開
される。西安事件に関する初めての詳細な肉声の記録だ。蒋介石の監禁を解い
たのは「中国をまとめられるのは彼しかいない」と思ったからで、その後、逆
に自分が半世紀以上軟禁されても考えは変わらないと回想。また、共産党の周
恩来・元首相にも「殺されなかったのは彼のおかげ」と感謝していた。

 西安事件は翌年の第2次国共合作、日中戦争の勝利、共産党による大陸統一
へと、歴史の流れの下地を作った。口述の新資料は、この中国現代史の転換点
に新たな光を当てるものだ。

 口述のインタビューは張氏の軟禁が解ける直前の90年前半に唐徳剛・元コ
ロンビア大教授が台北で、91〜93年には同大の張之宇氏らが台北と移住先
のハワイ・ホノルルで行った。昨年、張氏が100歳で死去し、誕生日とされ
てきた6月1日まで待つことを条件に遺族が公開を許した。

 記録の解読作業はなお続いているが、91年以降のテープだけで4800
ページ分あり、西安事件に約400回言及している。張氏はほかにもインタ
ビューに応じたことがあるが、事件に触れたことはほとんどなかった。

 張氏は、蒋介石に対する変わらぬ評価を述べるとともに、蒋介石を殺害しな
かった共産党についても「愛国的で民族主義的」と見ていた。共産党を代表し
て事件に対応した周恩来が、張氏の軟禁後に国民政府に対して圧力をかけたこ
とにも謝意を述べた。

 張氏は、蒋介石の南京行きに自ら進んで同行し、以後、半世紀に及ぶ軟禁が
始まる。殺されるかもしれないと思いつつ同行したのは「国を思って」「自分
は蒋介石側の人間と思っていた」からだったという。

 しかし張氏は、記録的な長さに及んだ軟禁について「妥当な扱いではない」
と不満も示した。また、日本については「軍国主義を今も許していない」とい
う趣旨の発言をしている。

 西安事件は、結果的に共産党現政権につながったが、この点について張氏の
考えは明確でない。インタビューに同席した趙一荻夫人が「彼がいなければ政
権をとれなかった」と力を込める一幕も記録に残っている。

 資料はコロンビア大図書館の稀覯(きこう)本・写本文庫で5日から公開さ
れる。蒋介石にあてた手紙、軟禁直後からの日記や写真も含まれる。3日には
遺族や宋美齢・蒋介石夫人を招いて式典が開かれる。
236靡莫:02/06/02 19:07
>>235
あとは『朝日新聞』も触れていますが、
張学良と周恩来の会談、そして周恩来と蒋介石との会談の内容が、
どこまで明らかになるかですね。
237世界@名無史さん:02/06/02 19:46
関連スレ

張学良、危篤か
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/china/1002826852/l50
「西安事件」の立役者・張学良氏が死去…百歳で(中国板)
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/china/1003144411/l50
238靡莫:02/06/02 19:47
>>229
それは、一面的な見方ですね。
227さんの言うように、並行線建設による日本の「特殊権益」侵害も、事変発生の遠因です。
そして、日本側でも満蒙領有などの強硬論が高まり、それを関東軍が利用したのが、
満州事変発生の直接の原因でしょう。

満州事変発生の経緯については、戸部良一『日本陸軍と中国』、中山隆志『関東軍』
(いずれも講談社選書メチエ)などが参考になります。
239靡莫:02/06/02 19:49
↑失礼、>>229ではなく、>>230でした。
240世界@名無史さん:02/06/02 22:40
>>237
うそ書くなよ。

張学良、危篤か
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1002826852/l50
241237:02/06/02 23:55
>>240
スマソ、コピペと手入力混在で書いたら間違えた。
242世界@名無史さん:02/06/17 16:19
ソ連だって日ソ中立条約で満州国を承認したのだから、満州事変は
国際的に言えばそれなりの合法性はあったと思う。
243世界@名無史さん:02/06/18 16:03
満洲國を承認した国は意外に多いのだよ。これを独立国と呼ばない
ならば承認した国々に失礼でろう。

日本 サルバドル ローマ法王廳 ドミニカ イタリア
スペイン ドイツ ポーランド ハンガリー スロヴァキア
中華民国(王兆銘政権) ルーマニア ブルガリア フィンランド
クロアチア デンマーク ソ聯 タイ ビルマ フィリピン
(満州国「民族協和」の実情 吉川弘文館 塚瀬進著による)
これは同時代の蒙古人民共和国(承認は三国?)よりも圧倒的に多く、
建国後15年時点の中華人民共和国よりも多分多い。
滿洲國が在った当時の独立国が50に満たなかったことを思うと
これは相当な数である。英国は条件次第で承認の構えであったし、
所詮、国家の承認などは政治力学で決まるものではないだろうか。
244世界@名無史さん:02/06/27 15:56
建国後10年以内の中華人民共和国よりも多いね。
245世界@名無史さん:02/07/06 22:23
汪兆明って悪いヤツだったの?
http://mentai.2ch.net/whis/kako/988/988550425.html
日中戦争、太平洋戦争開戦の真実
http://mentai.2ch.net/whis/kako/960/960725835.html
満州国の客観的な考察
http://mentai.2ch.net/whis/kako/974/974772392.html
通州虐殺事件を教科書に載せろ!!
http://mentai.2ch.net/whis/kako/999/999072572.html
246世界@名無史さん:02/07/27 21:00
日本陸軍兵器の優秀さは、中国人もこれだけ認めている!!!

http://member.nifty.ne.jp/~monju/f3.html
 ところで大陸共産化における日本の責任について一言付け加えると、台湾で
外省人(共産主義政権を嫌って蒋介石とともに台湾に渡ってきた人たち)から、
違う観点からの日本の責任問題を聞いたことがあった。戦争終結によって日本軍
が解体したとき、日本軍が使った大量の武器のほとんどが共産軍に渡ったという
のだ。その武器を手に共産軍は、日本軍との戦闘で消耗し疲れきった国民党に
反撃を開始、ついに大陸は共産化されたというのである。(1990.12.15 記)
247世界@名無史さん:02/07/27 21:28
陸軍兵器は優秀だとは思うが、運用する側にとてつもなく問題がありすぎて、
そう認識出来なかった人も多いと思う。中国は広大で、しかも人口も多い。日本の陸軍ごときでは、
所詮、物理的に考えて、点しか確保できない。
世界恐慌という、現在を不況という奴は1回死んで来いといっても全く過言ではない状況下では、
中国の市場化は必須ということは確かでしたが。
248世界@名無史さん:02/08/07 00:46
>日本の陸軍ごときでは、所詮、物理的に考えて、点しか確保できない。

中国軍もいくらアメリカの支援受けてもその日本陸軍を駆逐できなかったがな。
249西国のアズマ帰依者:02/08/07 01:18
戦争が陣取り合戦ならばな>248

そんなに優秀でも勝てない戦争
果たして問題は何?
250世界@名無史さん:02/08/07 01:22
つーか、中国を面で確保するなんて、当時のアメリカでも
相当無理があっただろう。
251世界@名無史さん:02/08/12 20:45
>>250
でも、面で確保しないと意味がない戦争だった。ってことで蒋介石を相手とせず
という近衛のクソバカ方針で敗北は決定。
252世界@名無史さん:02/08/23 22:09
満州事変でイチコロ負けした張学良軍は、無茶苦茶に弱かったな。
253世界@名無史さん
張学良が西安事件のあとで、抗日戦争の指揮をとってたらどうなったろう・・・