トルコ共和国ってさ

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1音速の名無しさん
イスラム教国でありながら、なんでNATOに参加したり、EUに入ろう
としたりするのかな?
イスラム教国のイメージは、反米反シオニスト的なんだけど…?
2名無しさん:2001/04/22(日) 01:52
やっぱ、1920年代の建国の父ケマル・アタテュルクの影響でしょ。

「イスラム教徒」ではなく「トルコ国民」を
つくるのが彼の政策だったからね。
3世界@名無史さん:2001/04/22(日) 01:56
良い感じのレス、感謝。
実はまったくその建国のことについては全く知らないんだけど、も少し
掘り下げてもらえたらうれすぃっす。

1948年(?)のイスラエル建国時、トルコはどういった対応だったんですか?
4名無しさん:2001/04/22(日) 02:49
イスラエル建国時の動向については、知らないけど
その後の中東戦争を見ていけば、反イスラエルの中心とは
言えないでしょう。

トルコ共和国建国時については、その時期の概説本を読め、
では味気ないのでほんの概略を言うと、第一次大戦に敗れた
オスマン帝国は、英仏など列強の意のままに各地の利権、土地を
割譲する協定を承認。その結果、英仏軍やギリシア軍が進駐する中で
それらを軍事的勝利や外交によって次々に撃退したのが、
ムスタファ・ケマル。彼は国民議会をつくり、スルタンを追放、
1923年のローザンヌ会議で、列強にトルコの完全な独立を承認させる。

共和国宣言後は、カリフ制を廃止、新憲法の制定、太陽暦の採用、
イスラム教を国教とする条文を撤廃、アラビア文字の廃止、などの
西欧的改革を次々と断行。また外交でもソ連といち早く手を結び、
その後英仏とも友好関係を構築・・・といった具合。

こういった事績を見れば、彼がアタテュルク(=トルコの父)と
呼ばれるようになったのも当然かもね。
5世界@名無史さん:2001/04/22(日) 02:53
トルコ共和国の前身はオスマン帝国ですよね。
この国は日本の明治維新と同じころに、
近代化、つまりヨーロッパ化を目指した歴史がある。
結果的には失敗して第一次世界大戦に負けてしまったわけだけど、
バラバラになってしまったオスマン帝国の中から
トルコ系のイスラム教徒が多かったアナトリア地方をまとめあげて
トルコ共和国を作ったのがケマル・アタテュルク。
アタテュルクはもともと近代化(欧化)政策の旗手だった
オスマン帝国陸軍青年将校のひとりで、
オスマン帝国の改革の失敗の原因を
他民族国家だったオスマン帝国が国民国家になりきれなかったことと、
イスラムを政治から切り離しきれなかったことにあると考えて、
トルコ共和国を「トルコ民族の世俗主義国家」に仕立てようと考えた。

いまもトルコ共和国はアタテュルク、
ひいてはオスマン帝国の欧化主義の伝統の延長線上にあるから、
少なくとも国家エリートたちの頭の中には
自分たちはいつかアジアを脱してヨーロッパの一員になるんだ、
って意識があるわけです。

トルコは歴史的にユダヤ人を多く抱えていたこともあってか、
イスラエルとは友好的ですよ。
6世界@名無史さん:2001/04/22(日) 03:23
>>4-5
あんがと。
初めて知ったことばかりだった。
面白い歴史を持つ国だね。
最近のパレスチナ問題を見ていて、気になっていたんです。
7ガージー:2001/04/22(日) 03:54
しかし、政教分離を目指したため、政治と宗教が密接なイスラムでは、
政教分離に反対の勢力も伸びてきています。そして政教分離の守護者と自認しているのが、軍なんです。
トルコでは、軍部のクーデタが起こっていますが、その原因は、イスラムの巻き返しに対抗する物なんですね
8世界@名無史さん:2001/04/22(日) 11:18
民主主義と政教分離とどちらが大事か。究極の選択なり。
9吾輩は名無しである:2001/04/22(日) 11:24
イスラム地域研究
http://pweb.sophia.ac.jp/~m-kisaic/turkey-pakistan.html
のトルコの調査報告、
トルコ・カルチャー・インフォメーション
http://www.os.xaxon.ne.jp/~turkiye/
の掲示板、
それから、トルコの方言研究をしている言語学者が書いた「トルコもう一つの顔」(中公新書)を読んで、
アレヴィー派に興味を持ちました。すごい変なイスラムです。トルコに詳しい方、情報ください。
「トルコもう一つの顔」は面白い。「トルコで私も考えた」とあわせ読むと、トルコのいろんな側面が感じられる。かなり強硬な政教分離政策をとっているはずなのに、アタチュルクの時代から、ウラマーは国家公務員で、国の費用でモスクとか建てるそう。トルコの政教分離の実態についても情報希望。
10世界@名無史さん:2001/04/22(日) 12:12
>トルコは企業等では性差別が少なくて日本と比べても管理職や専門織に女が占める割合も高いらしい
>中流以上での話だし、家庭などでは話も違ってくるそうだけど(主婦も多い
11世界@名無史さん:2001/04/22(日) 13:40
余談だが、トルコ語をアルファベットで表記するようになったのは、
アタテュルクの近代化政策の一環から。
これによって国民の識字率は一気に上がった。
だけど、日本語も結構通じちゃう。
3年前に、トルコ帰ってきたての人に聞いたら「英語より通じてびびった」
ケマル・アタテュルクの本名はケマル・パシャ。
アタテュルクとは「土耳古の父」と言う意味で尊称。
12ジョーカー:2001/04/22(日) 14:12
>1
トルコはオスマン時代からユダヤ人に非常に寛容だったんだよ。
イスタンブールや(当時オスマン帝国領だった)テッサロニキ
ではユダヤ人は安心して生活していたんだ。
ケマルの革命で共和国になってからもユダヤ人の安住の地。
親イスラエルなのは、ケマル以来の脱アラブ文化・脱イスラムの
政策と、第二次世界大戦後からの反共・親米路線からでしょう。
因みに、トルコ共和国は第二次世界大戦末期に対独宣戦。
13ジョーカー:2001/04/22(日) 14:14
トルコとイスラエルは中東の「自由の砦」なり。
共産主義者とバース党とイスラム原理主義者を殺せ!
パレスチナ過激派とクルド過激派を撲滅せよ!
14ジョーカー:2001/04/22(日) 15:15
トルコ共和国万歳!
イスラエル国万歳!
シャー・パフレビー万歳!ホメイニは地獄でもがき苦しめ!
15ジョーカー:2001/04/22(日) 15:16
サダム・フセイン、アサド、ハメネイ、カナフィーを殺せ!
アサドは死んだか。
16名無し:2001/04/22(日) 17:13
 ケマル・アタテュルクって日本大好きなんだよね。そのお陰かトルコはかなりの
親日国だね。まぁ、イランも親日っぽいけど
17世界@名無史さん:2001/04/22(日) 17:30
トルコの女性は綺麗な人が多いなあ。
親日なのは、日露戦争でトルコを追っ払ったからだってさ。
18ケマル=アタチュルク:2001/04/22(日) 19:27
でもトルコ人て外見は白人だよな。
ケマル=パシャなんて金髪碧眼だし。
19世界@名無史さん:2001/04/22(日) 20:10
大戦末期には、対日宣戦もしてるよー。
でも、国民は大の親日家。
20ガージー:2001/04/22(日) 21:09
>18
トルコ人は混血が進んでるから見た目ではわからないよ。いかにもアラブ人みたいな人もいるし
21ど〜でもいいけど:2001/04/22(日) 21:22
>>11
>ケマル・アタテュルクの本名はケマル・パシャ。

だれも突っ込まないので、念のために書き込んどきます。
ケマル・アタテュルクの本名はムスタファ・ケマルだと思いますよ。
アタテュルクはおっしゃるとおり、国父の尊称ですが、パシャも将軍
を意味する尊称だと記憶してます。
もともとは、単にムスタファだったのが、よくある名前なのでケマル
という姓を付けてムスタファ・ケマルと呼ばれ、青年トルコ党を率い
て活躍してケマル・パシャ、最後にトルコ近代化の父としてケマル・
アタテュルクと呼ばれたのではないでしょうか。
22Cavabien:2001/04/22(日) 21:33
ちなみにケマルというのは通っていた幼年学校の先生がつけたあだ名で、
「満点」という意味だそうです。
23Cavabien:2001/04/22(日) 21:35
あらら、途中で・・・。
そのあだ名が定着して性として通用するようになったんでしょうね。
24名無しさん:2001/04/22(日) 21:53
トルコは、WWUの時に当初は日本に対して好意的中立を守っていたが、ほぼ勝敗が決した1945年2月になって国際情勢からしかたなく日本に宣戦した。
しかし、終戦まで日本とトルコが直接戦火を交えることは一度もなかった。
25名無しさん:2001/04/22(日) 21:55
>>23
そもそも、オスマン帝国時代には、トルコ人に姓といえるものはない。
26Cavabien:2001/04/22(日) 22:03
>>25サン
 そうでしたか。ご教示ありがとうございます。
27ガージー:2001/04/22(日) 22:24
姓もケマルが作ったんだよ、みんなに作れといったんだね、だからみんなその時期につくたったんだよ、だから面白い名前も多い
それとトルコ帽の禁止や、西暦の採用(その前までは、イスラム暦は、今もすこしは使われているが、毎年季節とずれていくので公式行事のときは使われない、軍人は政治に参加できないなどの制度を作ったのもケマルです。
28世界@名無史さん:2001/04/22(日) 22:52
とはいえ、トルコはクルド人問題という爆弾も抱えている国なんだよなぁ。
もっとも、トルコに限ったことではなくてイラク・イラン・アルメニア・
アゼルバイジャン等の国もそうなんだけど。
29世界@名無史さん:2001/04/22(日) 23:16
トルコ人て元々はモンゴロイドなんだよね?
30ジョーカー:2001/04/22(日) 23:18
>18
ケマルの母親はアルバニア人、父方の祖父はポマル人(イスラムに
改宗したブルガリア人)。
ただ、ケマルに限らず、トルコ人の多くはヨーロッパ人的
ないしはアラブ人的な容姿だよ。東部アナトリアの遊牧部族の中には
中央アジアのトルコ系民族によく似た人もいるけれども。
31ジョーカー:2001/04/22(日) 23:39
>29
二千年以上前から様々な人種・民族と混血していたらしいから、
”元々”は不詳。
325:2001/04/23(月) 01:01
>>9
「トルコのもうひとつの顔」は読んでないんで重複するかもしれないですが・・・。
アレヴィー派はアラビア語ではアラウィー派と言って、シリアあたりで生まれたシーア派系のイスラム分派です。
教団員のみにしか伝えない秘儀がある、
女性に魂が存在することを認めない、
など古代地中海世界の秘教的な香りを強く持っているのが特徴。
正統的なスンナ派や、シーア派主流の、大多数のムスリムたちからは
あまりの自分たちのイスラムとの違いぶりから
アレヴィー(アラウィー)を異端と見なし差別する傾向があるそうです。
トルコではアナトリア東部のトルコ系・クルド系の人々に多く信徒がおり、
南のシリアでは軍人や支配政党のバース党員にアラウィーが多いらしいです。
アサド前・現大統領父子もアラウィー信徒だったなじゃないかな。

>アタチュルクの時代から、ウラマーは国家公務員で、国の費用でモスクとか建てるそう。
トルコ共和国には宗務庁という役所があって、
そこで一元的にイスラムを管理する政策を取っています(少なくとも建前では)。
トルコの世俗主義は、イスラムを政治から追い出すというよりも、
政治によって押え込んでしまおうという側面が強いということのようです。
ちなみに小田急線で代々木上原駅あたりを通過するとき、
車窓から派手なミナレットが見えてびっくりさせられますが、
これはトルコ系ムスリムのためのモスクで、
実はトルコ共和国のお金で建てられています。
335:2001/04/23(月) 01:10
>>21
ケマル・アタテュルクの本名は「ムスタファ」。
士官学校時代にあだ名として与えられた「ケマル」を添えて
「ムスタファ・ケマル」。
この時点ではケマルはあだ名であって姓ではありません
(オスマン帝国時代のムスリムは姓を持つ習慣はなかった)。
第一次大戦中の戦功によって少将(将軍=パシャ)に任ぜられ、
ガーズィ(聖戦に従事する戦士の意)の称号を与えられて、
「ガーズィ・ムスタファ・ケマル・パシャ」と呼ばれるようになります。
のち共和国を建国しその初代大統領となったケマルは
ヨーロッパ諸国の民法に倣って創姓法を制定させますが、
その際トルコ国会は建国の父としてのケマルの功績を称えて
「アタテュルク」(父なるトルコ人)の称号を贈りました。
これ以降、「ムスタファ・ケマル・アタテュルク」が
ケマル・アタテュルクのフルネームとなります。
つまり、「アタテュルク」は称号であると同時に彼の姓でもあります。
34なな氏:2001/04/23(月) 01:23
10年程前に、日本に出稼ぎに来ていたトルコ人の青年に
(建築現場でバイトをして知り合った)聞いた話ですが。
第1次大戦の後、ギリシャの攻撃を受けたトルコに、日本の陸軍
が秘密裏に、日露戦争で鹵獲したロシア製兵器や、食料を
渡して、独立を支援したそうです。(英仏を裏切っていたわけですね)
サカイヤ川の決戦(?)に参加したおじいさんから聞いたとの事。
国籍不明の貨物船から、荷を下ろしていたら、日本人が居たそうです。
「日本大好き」と言っていた、彼の姿が思い出されます。
もっと詳しい話を聞いて置けばよかったのですが、
当時私は、アホ大学生でトルコに興味が無かったもので・・・。


35素女:2001/04/23(月) 03:45
アレヴィage
アレヴィー派についての論文を
トルコ国内で書くと抹殺されるんですってね
おけげでみんなフランスなどに亡命して
別の国の言語で書いてるんだとか・・・
怪しすぎる異端で魅力的

それからオスマン帝国のエリート教育ってすごいですね
フランス意識してるのがよくわかる・・・
36ガージー:2001/04/23(月) 16:38
アレヴィー派について
5さんの言うように、アサド前大統領もアレヴィー派のようです、そのためシリアの多数派であるスンニー派の反乱がハマという都市で1982年におこっています。
そしてその戦いで、2万人の死人が出たそうです、そしてその反乱のあった土地は、建物は全部壊されコンクりで埋められ駐車場になっているそうです
37世界@名無史さん:2001/04/23(月) 19:36
アナトリア(小アジア)の住民はペルシア人やギリシア人やトルコ人のと混血ですけど、
母体は古代オリエントのリディア人の血をひいているといわれています。
所属意識、文化意識としては遠くモンゴリアに発祥したトルコ人の継承者ですが
遺伝子としてはありまで混血。
あと人口のかなりの部分が「トルコに同化されたクルド人」が多く
生っ粋のトルコ人は案外多くない。
これら混血の素であるリディア人、ペルシア人、ギリシア人、トルコ人、クルド人は
すべてモンゴロイドではありません。
(トルコ人も大昔モンゴリアにいた頃からすでにモンゴロイドではない)
38世界@名無史さん:2001/04/23(月) 21:41
アナトリア(小アジア)の住民はペルシア人やギリシア人やトルコ人のと混血ですけど、
母体は古代オリエントのリディア人の血をひいているといわれています。 あと人口のかなりの部分が「トルコに同化されたクルド人」が多く
生っ粋のトルコ人は案外多くない。
>
すると所属意識がトルコだと思っている連中は、
実際は全然ちがうわけだね。
日本人が神国でもなんでもなく
朝鮮やら中国やらポリネシアやら樺太方面やらいろんな所から
きた連中が混雑した「日本人」なるもの実態は同じわけなんだな。
39世界@名無史さん:2001/04/23(月) 21:56
>>24
トルコも日本に戦線布告してたのですか。
すみません、少し話題がそれますが、一体
日本は何ヶ国から宣戦布告されたのでしょうか?
4037:2001/04/23(月) 22:01
>>38
つーか世界中どこの民族も似たようなもんだよ。
民族っていうのは政治的決断の問題であって血筋は幻想以上のものではない。
41世界@名無史さん:2001/04/24(火) 00:22
このスレ、最近の世界史板にしては、おもしろいですね。

現在のトルコは、風俗とかも他のアラブなどのイスラム諸国にくらべて
近代化されてるというか、ヨーロッパ的なんでしょうか?
例えば女性が、上から下まで黒ずくめの格好をしていたりとか、イスラム
の慣習が色濃く残っていたりとか、あまりなさそうですが。
男女交際に関しても、恋愛の自由が比較的認められているとか、そんな
事情を詳しく知りたいです。

もともとアラブやイランなど他のイスラム国家があるような砂漠地帯は
非常に乾燥しているので、イスラム教以前から女性は頭の上から下まで
チャドルのように布で全身を隠していたような話も聞きました。
イスタンブールがあるところは、その必要性がない気候なんでしょうかね。
合理的なんでしょうか?女性もせいぜい髪を隠すように、ショールを被っ
ているだけのようですね。
42世界@名無史さん:2001/04/24(火) 00:29
宣戦布告された・・・・というか
交戦国は52ヶ国のはず。

アメリカ、イギリスに対しては日本から宣戦布告してるし
中国に対しても同じようなもの
ソ連みたいに宣戦が無かった国もある。
また、フランス領インドシナ、オランダ領インドネシアへの
進駐は既にヨーロッパでドイツに本国がやられた後の進駐だったので
宣戦の類はなかったはず。

日本に対し宣戦した国はブラジルやらペルーやらトルコやら
途中で同盟から脱退したブルガリアやらいっぱいありますが
名目上の参戦国が多いです。
43世界@名無史さん:2001/04/24(火) 00:50
ちょっとスレの内容から脱線してしまうんだけど、
それらの国々は戦後日本に対して賠償金を請求したの
でしょうか?
ちょっと気になったもので・・・。
44世界@名無史さん:2001/04/24(火) 01:19
>>32,>>36
「トルコのもうひとつの顔」によれば、アラウィー派(シリアにおいては少数派ながら
支配的地位にあり、トルコ南東部にもいる)とアレヴィー派(トルコ東部に多く、特に
トゥンジェリ県に集中)とは全然別だそうです。

シーア派と同じくムハンマドの娘婿のアリーを神格化してるという共通点は
あるのですが。

アレヴィー派は輪廻転生を信じ、モスクに行かず、一日五回の礼拝もせず、断食の時期
も違い、酒を飲んでも良く、ブタ肉に加えてウサギ肉がタブー、女性はベールを
被らず男女平等、コーランを読まずメッカ詣でもせず……
とまあそんなぐあいなので他のムスリムからはイスラムと見とめられず差別くらったり
したそうです。
455:2001/04/24(火) 01:30
>>39
トルコは隣国のブルガリアまで枢軸国が攻めてきていて、
東にはスターリンのソ連、南には英仏の植民地があるという事情があったので
第二次大戦は巻き込まれないように中立政策を取っていたんですが、
連合国側が優勢にたってからは英仏米の連合国側参戦要求に拒否しきれなくなって
1945年月なんていう戦争末期にようやく独日に宣戦布告しています。
ただ戦後になると中立政策は放棄され、すぐにアメリカ陣営について
NATOの東の砦となり、朝鮮戦争では国連軍の一翼を担っていますが…。

>>43
直接日本と戦火を交えていないトルコのような国は賠償請求はしていないはず。

>>41
>現在のトルコは、風俗とかも他のアラブなどのイスラム諸国にくらべて
>近代化されてるというか、ヨーロッパ的なんでしょうか?
イスラム教徒が多数を占める国としては、かなり西洋的なほう。
とくに都市部の若者の多くはまったく欧米風の服装になっています。
そういう一方で体全体を覆う(顔は隠さない)「イスラム的な」服を信仰の証として自発的に着る
都市部の若い女性も増えてきているのがトルコの面白いところですが。
イスラムの規定では女性は
「外出する際は体のラインが見えなくなるよう頭から足までを覆うように」
と定められているのだそうです。
>男女交際に関しても、恋愛の自由が比較的認められているとか、
>そんな事情を詳しく知りたいです。
都市部では自由恋愛の風潮が強いのに、
農村部では伝統的なお見合い婚が普通で自由恋愛による婚姻は
今も「略奪婚」とみなされるほどらしいです。
>女性もせいぜい髪を隠すように、ショールを被っているだけのようですね。
トルコの世俗主義者は公式の場でイスラムを連想させるスカーフを着用することを嫌います。
おかげで大学生や公務員のスカーフ着用の是非がしばしば国民的な論争を巻き起こしているそうです。
反対派は「イスラム的で世俗主義の国是に反する」と主張し、
賛成派は「スカーフは個人の信仰・信条を表しているので
政治上の世俗主義とは矛盾しない」と抗弁するといった具合。
465:2001/04/24(火) 01:36
上、切れてしまいましたね。失礼。

>>44
その本、アレヴィーとアラウィーって違うって書いてあるんですか。
本来は同じ名前のアラビア語とトルコ語の差のはずなのに…
地方差がいつのまにか別の宗派のようになってしまったってことかな。
47世界@名無史さん:2001/04/24(火) 01:47
>>46
多分アレヴィーもアラウィーもアリーからきてるんだと思いますが、
それ以外は各々別地域で既存宗教などと融合して出来た別宗派ってことかな。

しかしトルコ語でアラウィー派がアレヴィー派だったら…アラウィー派でない
アレヴィー派との区別がむっちゃややこしいな(^-^;。
48邏�螂ウ:2001/04/24(火) 04:20
繝�繧カ繝シ繝偵ャ繝預ge
49素女:2001/04/24(火) 07:18
ムザーヒップage
50世界@名無史さん41:2001/04/24(火) 09:43
>>45
>反対派は「イスラム的で世俗主義の国是に反する」と主張し、
>賛成派は「スカーフは個人の信仰・信条を表しているので
>政治上の世俗主義とは矛盾しない」と抗弁するといった具合。
詳しいレスありがとうございます。へえ、おもしろいですね。多分に西洋的というか
他のイスラム諸国では考えられない論争ですね。こういった感じなら、イスラム教も
排他的とか言われないでしょうにね。まあ、そんなに簡単なものではないのでしょうが。
5146:2001/04/24(火) 10:40
>>47
ええ、トルコ語のアレヴィー Alevi は
アラビア語のアラウィー‘Alawi のトルコ語風発音のはず。
だからシリアのアラウィー派信徒のことも、
トルコでは「アレヴィー」と呼ぶと思います。
アラウィーって言葉は「アリーに関わるひと」って意味みたいです。
52ガージー:2001/04/24(火) 22:03
アタチュルク侮辱禁止法あげ
53吾輩は名無しである:2001/04/26(木) 10:45
9ですが、32=5さんどうも。
シリアのアラウィー派とトルコのアレヴィー派とは別物のようですね。
>ちなみに小田急線で代々木上原駅あたりを通過するとき、
>車窓から派手なミナレットが見えてびっくりさせられますが、
>これはトルコ系ムスリムのためのモスクで、
>実はトルコ共和国のお金で建てられています。
80年代くらいに壊して、それから長いこと建てられなかったけど、
お金の問題だったのですかね。
日本の政教分離だと、とにかく国家の行為として宗教にはかかわらない、
(だから靖国神社参拝も公人としてか私人としてかが問われる)宗教のために
税金は使わないというのが原則だと思いますけど、
トルコやフランスはベール着用とか、私からすれば
そんなの個人の自由じゃんと思われるようなことを問題にしている。
イスラム諸国会議機構(OIC)にも創設以来加入しているし、トルコ流の政教分離って
どうもよく分かりません。
5432:2001/04/26(木) 19:10
>>53
>シリアのアラウィー派とトルコのアレヴィー派とは別物のようですね。
普通の日本語の概説書類では同じ物に分類してるんですけどね…。
>トルコやフランスはベール着用とか、私からすれば
>そんなの個人の自由じゃんと思われるようなことを問題にしている。
ある意味では日本の靖国の公式参拝と一緒ですよ。
靖国参拝で無条件に軍国主義を想像して抵抗する人が多いように
イスラムが「公」と関わるのはすなわち無条件に非政教分離である、
と感じてしまう人がいるわけです。
>トルコ流の政教分離ってどうもよく分かりません。
宗教を政治で抑え込み、政治の中に宗教を取り込む政教分離、でしょうか。
イスラム国家というのは元来宗教的原理によって政治が支配されてきたわけですが、
イスラム教では宗教と政治は本来分離不可能なものですから、
ヨーロッパのように宗教を政治から切り離すことをし切れずに
政治が宗教を抑え込んで見せかけの政教分離をかろうじて達成した、
ということではないいうこかと思います。
55猫電波:2001/04/26(木) 23:53
>イスラム教では宗教と政治は本来分離不可能なものですから、
でも、アタチュルクはイスラーム的に政教分離は正しい、として行なったわけですよね
5632:2001/04/27(金) 00:33
>>55
>でも、アタチュルクはイスラーム的に政教分離は正しい、として行なったわけですよね
そうですね。
アタテュルク以来トルコの体制に近い側の知識人は、
イスラムは本来純粋に人間の内面の信仰の問題であって
政治に口出しをするのは後世の逸脱である、という建前を取っています。
もっともトルコの外でイスラムを扱う宗教学者でそう考えている者は
ほとんど全くと言っていいくらい居ないんじゃないでしょうか?
57世界@名無史さん:2001/04/27(金) 11:51
 歴史的に、トルコと日本の両国関係は、必ずロシア(ソ連)が関わってくる。
日露戦争のエピソードとして、海峡通過問題がある。実は、ロシアとしては、
バルチック艦隊だけでなく、露黒海艦隊も極東に派遣したかった。ところが、
黒海艦隊のボスポラス海峡通過に対して、日本と同盟国の大英帝国のみならず
オスマン帝国の抵抗にあい、結局黒海艦隊を、日本に派遣できなかった。
あと、意外なところで、乃木希典は、在イスタンブール大使館付武官だった。
 結論として、ロシアの南下政策からの連帯感と、東洋系が西欧人に対して頑
張っている近親間があるようだ。フィンランドの東郷人気も、ロシア繋がりである。
58世界@名無史さん:2001/04/27(金) 14:42
>>56
インドネシア、マレーシアが割とトルコと似た傾向。
特にインドネシアは九割近くがイスラム教徒で、圧倒的多数にも関わらず
世俗主義の国民国家。
宗教団体が支持基盤の政党ももちろんあるが、「民族」や「国民」を
掲げていて、建前としては宗教政党ではない。

建国の父であるスカルノがアタチュルクを尊敬していた、という
事情もあるけど。あとスハルトにも世俗主義の方が都合がよかった。

その付近は土屋健治の「インドネシア 思想の系譜」に詳しい。
なければ去年出たNHKの「イスラム潮流」でもどうぞ。
59猫電波:2001/04/27(金) 16:55
>>56
確かにアタチュルクにとって「建前」に過ぎなかったというのはそのとおりですね
建前とは何か?にもよりますが、背後にあったのが宗教的考察でなかったのは確かだと思います
誤解を招く表現を謝罪します>all
ただ、アタチュルクが言う様に政教一致が自然発生というのも事実ですね
>もっともトルコの外でイスラムを扱う宗教学者でそう考えている者は
>ほとんど全くと言っていいくらい居ないんじゃないでしょうか?
そう考えてるってのは、「ムハンマドは政教分離主義者だった」と「イスラームは政教分離が不可能」のどっち?
前者なら当然そうだろうと思います
政教分離なんて発想自体無かったわけですから(逆に言えば政教一致という概念自体も存在しないということになるけど)
6056:2001/04/27(金) 19:06
>>57
当時ボスポラス・ダーダネルス海峡は
ロシア艦艇の通過を認めていなかったから
日露戦争に際して黒海艦隊が送れなかったのは当然ですね。
何隻か商船に偽装して通過したという話もあるようですが…。
>あと、意外なところで、乃木希典は、在イスタンブール大使館付武官だった。
それは誤解です。
日本とオスマン帝国の間には最後まで正式の国交は結ばれず、
日土の最初の国交が結ばれたのはトルコ共和国時代の1925年。
だから乃木存命中の明治時代には、
そもそも在イスタンブール日本大使館が存在しません。
乃木自身は一度イスタンブールを訪問したことがあるそうですが。
ではトルコに赴いた駐在武官で有名な人はいないかというと、
のちの陸軍桜会のリーダー、橋本斤五郎が1920年代に駐在武官を務めています。
6156:2001/04/27(金) 19:18
>>58
>宗教団体が支持基盤の政党ももちろんあるが、「民族」や「国民」を
>掲げていて、建前としては宗教政党ではない。
現在のトルコの宗教系政党「美徳党」の前身の前身に、
70年代に何度も連立政権の一翼を担った宗教政党で
「国民救済党」というのがあるそうなんですが、
なんだかそれを思いださせるものがありますね。

>>59
>そう考えてるってのは、「ムハンマドは政教分離主義者だった」と
>「イスラームは政教分離が不可能」のどっち?
ああ、そこのところ紛らわしかったですね。
そう考えてる、というのは直前の
『イスラムは本来純粋に人間の内面の信仰の問題であって
政治に口出しをするのは後世の逸脱である』
という考えを指したつもりでした。
つまり、端的に言えば前者のつもりです。
62有吾堂:2001/04/27(金) 19:55
個人的にはアタチュルクは「反イスラム」だったと思う。
はっきり口に出してそう言ったことはなかったけど。
理由はまあそのうち。
63シメオン@コンスタンティノポリス:2001/04/28(土) 14:47
>62
彼は「トルコ」を愛していたのであって、イスラムを愛していたわけでは
ないですね。また、「トルコ」を愛すると云っても、
遊牧時代やその名残の文化への懐古趣味・愛着も無し。
ケマルは近代主義者にして現実主義者。
そして、当時一流の西欧的インテリ(フランス語に超堪能)。
神秘主義教団や原理主義者、更には大トルコ主義者をも弾圧。

因みに、イスタンブルとは、「町へ」を意味する”イスティンポリス”
がトルコ語訛りしたもの。これはケマルとは無関係だけど。
64猫電波:2001/04/28(土) 18:50
>>62
いや、それを否定するきはないっす
ところで、有吾堂って大日本天狗党の?
6561:2001/04/29(日) 04:06
>>62
トルコ人はあんまり認めたがらないと思うけど、
我々トルコ国外の非ムスリムの世俗主義に慣れ親しんだ人間が見れば
反イスラムとしか思えないですよね。

>>63
>また、「トルコ」を愛すると云っても、
>遊牧時代やその名残の文化への懐古趣味・愛着も無し。
「トルコ民族」を顕彰するために、
イスラムと関係の薄いトルコ文化を発掘したり
「トルコ民族」の起源を突厥−匈奴−フンに溯らせたりしていますけど、
アタテュルクにとってはそれも近代的国民国家創生のための方便って印象ですよね。
せっかくできたトルコ共和国の存亡に関わりかねない
大トルコ主義は弾圧の対象であったわけですから。
66名無し:2001/04/29(日) 22:45
>>34
 それ凄い話だな。当時の情景からして日本がトルコとギリシャの争いに興味なんか
まず無いはずだが、ようはそんな話が出るくらい親日なんだなーあの国は
67世界@名無史さん:2001/04/30(月) 00:02
>>34 >>66
う〜ん。一概にあり得ないと断定するのもどうかな。
日露戦争の戦利品のうち、艦艇などは二線級の海防艦などに利用して
いたが、小銃などは補充弾薬の規格が違うから使い道がない。
ソ連は潜在敵国だし、満州や北支の軍閥だと第一次大戦の余剰武器で
ドイツ製やチェコ製のものが大量に売り込まれていたようだから、競
争力がなさそうだし。
当時のトルコがヨーロッパから孤立していて、武器の補充に苦しんで
いたのなら、ちょうどいい売却先というか処分先だとも思われ。
日本政府が積極的に推進したとは考えられなくても、商業ベースでは
ありそうなことだけど、史実はどうなんだろ。
6861:2001/04/30(月) 01:54
>>67
中公新書の『イスタンブールを愛した人々』(松谷浩尚著)という本によると、
浄土真宗西本願寺第22世法主の大谷光瑞が、
当時トルコに投資を狙っていたこともあって
日本陸軍に働きかけてアンカラのトルコ国民軍に武器の支援を行わせた、
という話が大谷の門下生の上村辰巳という人が書いた
『トルコ革命秘史』という本にあるそうです。
松谷氏はこの話を裏付ける資料もないとして、
信用に足りる話かは疑問符を付けていますが。
69日本@名無史さん:2001/04/30(月) 02:33
〜(; ゚З゚)≪アヒャヒャヒャヒャ!≫
〜(; ゚‐゚)〜(; ゚ж゚)≪マツリダゴルァ!≫
〜(; ゚〇゚)〜(; ゚−゚)〜(; ゚Д゚)≪コロッソゴルァ!≫
〜(; ゚Ο゚)〜(; ゚н゚)〜(; ゚▽゚)〜(; ゚д゚)≪デイリダゴルァ!≫
〜(; ゚*゚)〜(; ゚з゚)〜(; ゚о゚)〜(; ゚υ゚)〜(; ゚∀゚)≪アニョニェー!≫
〜(; ゚э゚)〜(; ゚ь゚)〜(; ゚Ж゚)〜(; ゚ш゚)〜(; ゚ο゚)〜(; ゚щ゚)≪ゴルァッツッテンダゴルァ!≫
〜(; ゚D゚)〜(; ゚I゚)〜(; ゚ц゚)〜(; ゚□゚)〜(; ゚у゚)〜(; ゚∪゚)〜(; ゚θ゚)≪トーゴービール≫
〜(; ゚―゚)〜(; ゚〜゚)〜(; ゚〓゚)〜(; ゚∈゚)〜(; ゚⊂゚)〜(; ゚◇゚)≪須磨の浦≫
〜(; ゚∩゚)〜(; ゚∨゚)〜(; ゚¬゚)〜(; ゚⌒゚)〜(; ゚∇゚)≪マッドオナニスト≫
〜(; ゚с゚)〜(; ゚β゚)〜(; ゚α゚)〜(; ゚U゚)≪一億玉砕!≫
〜(; ゚ν゚)〜(; ゚ρ゚)〜(; ゚V゚)≪激しく尿意!≫
〜(; ゚σ゚)〜(; ゚皿゚)≪激しく交尾!≫
〜(; ゚г゚)≪同情するなら金をくれ!≫
70世界@名無史さん:2001/04/30(月) 03:50
予備校講師が言ってたけど、日露戦争に勝利した日本に感動して、
君主制を否定したケマル・パシャは明治天皇の御真影に毎朝拝んでいたとか、
一番大きい通りを東郷通りとなづけたとか本当?
71世界@うはは:2001/04/30(月) 04:15
>>64

漫画オタめ。(笑)
その話、どれだけの人が理解できると思ってるんだ。
72憂国の士ジョーカー:2001/04/30(月) 11:49
ケマルを一番支援したのはソヴィエト・ロシア、
その次に日本。
7361:2001/04/30(月) 16:47
>>70
さすがにそれはオーバー。(笑)
>ケマル・パシャは明治天皇の御真影に毎朝拝んでいた
明治天皇を尊敬していて執務室に肖像画を飾っていた、
とはよく言われています。ただし真偽不明。
>一番大きい通りを東郷通りとなづけた
子供の名前に「トーゴー」と付けるのが流行って、
その名残で今もアンカラの大通りに「トーゴー」という
靴屋の老舗が店を構えているという話は本当らしい。
複数の本に書いてありました。
ただ、「トーゴー」の店員に「この店の名前の由来は知ってる?」と聞いたら
「アフリカの国の名前じゃないんですか?」って応えられたという話も。
トルコはいくら親日といっても遠く離れた国の話だから、
多少は割り引いて考えたほうがいいかもね。
日露戦争のときは日本をひいきにするあまり、
「天皇はすでにイスラムに改宗しているらしい」という噂が信じられていたと言います。
74世界@名無史さん:2001/05/01(火) 21:54
なにはともあれ、大の親日国ということですね。
ほんと、どこかの国とは大違い
75名無しさんの主張:2001/05/01(火) 22:35
エンベル・パシャはどうなんだ。
76天之御名無主:2001/05/01(火) 22:45
>>68
確か、本願寺の重臣の下間家の子孫が、トルコ人と結婚してイスタンブールでホテルを経営しているらしい。
77天之御名無主:2001/05/01(火) 22:46
>>76補足
「下間」の読みは、「しもづま」
78世界@名無史さん:2001/05/02(水) 01:32
age
79世界@名無史さん:2001/05/02(水) 02:39
>>75
エンヴェルはトルコ革命のとき、
ケマル派に干されて何も活躍できなかった。
新天地を求めて赤軍と結んで中央アジアに行くが、
現地では赤軍とトルコ民族主義者のゲリラ(バスマチ)が
戦っているのを目の当たりにしてバスマチに投じてしまう。
しかしバスマチは劣勢一方、エンヴェルも人知れず戦死…
ロマンあふれる人生だったと思います。
ケマル・アタテュルクとは違った意味で。
ただ、アタテテュルクの政敵だということで
トルコでは長いこと評価が低かったらしい。
オスマン帝国滅亡の最後の失策、
第一次大戦のドイツ側参戦の責任者として。
80名無しさんの主張:2001/05/02(水) 20:30
ケマルはアルメニア人虐殺と関係してんの?
81ジョーカー:2001/05/02(水) 21:17
>80
無関係です。
82ジョーカー:2001/05/02(水) 21:26
トルコに行くのであれば”変なオジさん”に気をつけなさい>青年&女性
83シメオン@コンスタンチノポリス:2001/05/02(水) 21:36
イスタンブールを攻略せよ!
84世界@名無史さん:2001/05/03(木) 01:12
>>80
アルメニア人虐殺したのはオスマン帝国末期の話ですからね。
ケマル台頭より前です。

>>82
「若い女性は怪しい男に気を付けろ」
ってガイドブックに書いてありますよね。
トルコは親日国だからと気を許してはとんでもない目にあうとか。
85ガージー:2001/05/03(木) 02:14
>>82
たしかカッパドキヤで3年前ぐらいに若い女の子が行方不明になりましたよね
イスラムでは若い男でも貞操を守らないと危険なような気がする、
あっちではひげを生やさないのはホモの証だからひげを生やせば少しは防げるかも
86名無し:2001/05/03(木) 03:15
http//www.showtvnet.com/magazin/wallpaper/unluler.shtml
87名無しさん:2001/05/03(木) 03:18
88名無しさん:2001/05/03(木) 03:19
↑トルコのねーちゃんたち
8984:2001/05/03(木) 03:25
>>85
>イスラムでは若い男でも貞操を守らないと危険なような気がする、
そういうのを「偏見」っていうんじゃないでしょうか。(笑)
まあ、イラン方面なんかミニアチュールに美少年趣味がにじみ出てるくらいだし、
実際に男色趣味は普通だったところもあるのでしょうけど。
いまのトルコではどうなんでしょうね。
90世界@名無史さん:2001/05/03(木) 07:33
>>80
しかし、クルド問題には大いに
91ガージー:2001/05/04(金) 22:10
>>85
確かに偏見かも
>>80
虐殺はしてないかもしれないけど、ケマルはアルメニア人の独立運動をつぶしましたよね
9284:2001/05/05(土) 07:18
いわゆるアルメニア人虐殺は1900年前後のアブデュルハミト反動時代と第一次大戦中の話。
アルメニア人独立運動はセーヴル条約のとき、
オスマン帝国領(東アナトリアの内陸部)のアルメニア人が独立を図って
旧ロシア帝国領のアルメニア人たちと連携して起こしたものですが、
ケマル(アタテュルク)に潰されてしまいました。
たしか一時は独立宣言を出したり元ロシア帝国領地域と合邦を宣言したりしていたはず。
その元ロシア領地域は赤軍(ケマルのアンカラ政権と友好的)に占領されてソ連に入り、
いまのアルメニア共和国に繋がります。

>>90
セーヴル条約でクルド自治領が策定されていたのを、
ケマルのアンカラ政権は潰してますね。
トルコの独立戦争以来1920年代にはクルド人の反乱が
アナトリアでは何度も起こっていますが、
クルドの中にもスンナ派、アレヴィー派が入り交じってバラバラだったのが
けっきょく最終的にクルド人地帯がトルコ領になった理由でしょう。
93ジョーカー:2001/05/05(土) 13:37
立て!クルド人とアルメニア人!―両者の歴史は必ずしも
友好では無いが―。
パレスチナ人や(アルジェリアの)ベルベルと連帯せよ!
94ジョーカー:2001/05/05(土) 13:51
西アジア・カフカス・北アフリカの被抑圧民族よ団結せよ!
9584:2001/05/05(土) 13:58
>>93
そもそも今世紀初頭のアルメニア人虐殺の立役者の半分はクルド人じゃないですか。(笑)
トルコ人とクルド人とアルメニア人が入り交じっていたところから
アルメニア人だけを叩き出したのがアルメニア人虐殺なのだから。
96ジョーカー:2001/05/05(土) 14:25
>95
シリアが、アルメニア人過激派を支援していたのは、
アメリカとイスラエルの盟友たるトルコ共和国を揺さぶる
目的の他に何かあるのでしょうか?
9795:2001/05/05(土) 16:10
>>96
すいません、その話は初耳です…。
まあ、トルコとシリアが歴史的に仲が悪いのは事実。
トルコは仏信託統治領時代のシリアから、
アラブとトルコの混住地域で地理的には歴史的シリアの一部である
イスケンデルン地方(アンティオキヤ周辺)を奪っているので。
98ジョーカー:2001/05/05(土) 16:58
>97
ケマルが、イスケンデルン・アンティオキヤ一帯をシリアにから
奪ったのは、1930年代ですよね。
当時はともかく、現在のイスケンデルンのアラブ系住民も
”シリアのような独裁・恐怖政治の国は御免。
トルコには自由があるから良いよ”と言う人が多いとか。
99世界@名無史さん:2001/05/06(日) 01:59
オスマン帝国の皇室の子孫は今どうしてんだろ。
100世界@名無史さん:2001/05/06(日) 08:00
>>99
http://home1.gte.net/eskandar/ottomans.html
Googleで探したらこれが出てきました。
アメリカのMonarchist Societyという団体のページらしい。
写真の右の女性がアブデュルハミト2世(青年トルコ革命で打倒されたスルタン)の
息子であるセリム4世という人物の娘ということらしいのですが。
真偽はわからないです。
たしかオスマン家の子孫はトルコ共和国に立ち入り禁止ではなかったかな。

http://www.almanach.be/search/t/turkey.html
こっちのほうが詳細そうなんだけど長すぎて読めない…。
101ジョーカー:2001/05/06(日) 13:24
20世紀以降に革命・政変で共和制になった国家の
大半は、旧王家の入国を禁止している。
102えがしら:2001/05/06(日) 15:16
トルコ史に僕は残りますか?
103日本@名無史さん:2001/05/06(日) 20:26
頼む、死んでくれ。
理屈もなんにもなくこちらを良く思ってくれる国なんて、かけがえのない財産なのに。
104100:2001/05/07(月) 14:33
http://www.almanach.be/search/t/turkey.html
ざっとこのリスト(オスマン家構成員リスト)を流し読みしたところでは、
オスマン家には主にフランス・アメリカを中心に多くの子孫がいるようです。
このページが書かれた現在、36代アブデュルハミト2世の孫にあたる
エルトゥルル・オスマン殿下という今年で89歳になる人物が
始祖オスマンから数えて45代目当主としてニューヨークに在住。

ただこのリストにはhttp://home1.gte.net/eskandar/ottomans.htmlに載ってた
アブデュルハミト2世の息子セリム4世なんて人いなかったんだけど。
ご落胤なんでしょうか。(苦笑)

>>102
そういえばそんな事件もあったなあ…。
105世界@名無史さん:2001/05/10(木) 20:48
あげ
106世界@名無史さん:2001/05/13(日) 18:50
ケマル萌え!
107素女:2001/05/14(月) 01:10
アーリーパシャ萌え!
108世界@名無史さん:2001/05/14(月) 12:45
トルコ共和国にはモンゴロイドっぽいトルコ人はいないんですか?
109世界@名無史さん:2001/05/14(月) 14:31
>>107
アーリー・パシャって19世紀の欧化官僚の?

>>108
トルコ共和国ではトルコ国民はすべてトルコ人であるという建前なので、
トルコ共和国国籍を持っているモンゴロイドがいれば
それがモンゴロイドっぽいトルコ人でしょうねえ。
まあそれはそうとしても、現在でも遊牧を守っていて
日常にトルコ語を話すトルコ人がいますが、
彼らの風貌もまったくコーカソイドなので
おそらくアナトリアに入る以前からコーカソイド的な顔つきだったか、
完全にコーカソイド系の人々と混血してしまったかでしょう。
110素女:2001/05/15(火) 03:22
>109さん
うん!そだよ!

ここにいる人たちはトルコ史専攻なの?
くわしいよねえーー
111ガージー:2001/05/15(火) 23:23
>>109
たしかトルコ政府の見解では、クルド人問題も、東方トルコ人問題といって民族問題とはとられていないんですよね
もうこのスレも終わりかな?
キプロス問題とかクルド人問題とかもっと話したいけど・・・
112109:2001/05/16(水) 07:21
>>110
秘密…。

>>111
「山岳トルコ人」ですね。
トルコ政府はクルド人を独自の民族ではなく
山岳地帯に住み特殊な言語・部族意識を獲得した「トルコ人」であるとしているのです。

たしかに…終りかな。
下がりっぱなしですしね。
113名無しさん:2001/05/17(木) 17:45
>>101
しかし、近年の欧州では、旧王家の帰国を認める国が多くなっている。
フランスでは、既に1950年代にオルレアン家の帰国が認められている。
(フランス・ブルボン家は既に子孫が断絶)
オーストリアも、1980年代にハプスブルク家の帰国を認めた。
特に、近年は、旧ソ連や東欧諸国などでも、旧王家の帰国を認める国が増えている。
114αジョーカーω:2001/05/18(金) 02:11
>113
成る程、そうなのですか。
イランは勿論の事、イタリア、ルーマニア、トルコ位なのかな、
未だに旧王族の帰国を認めていないのは。
70年代に共和制に移行したギリシャやポルトガルは?
115名無しさん:2001/05/18(金) 12:36
>>114
第二次世界大戦後に王制を廃止した東欧諸国の場合は、国民が自らの意思で廃止したというよりも、ソ連の圧力で仕方なく王家を追放した国がほとんどだから、旧王家に対する悪い感情は、あまりないのだと思う。
最近では、かつてのセルビア王家が、一時帰国したことが、数ヶ月前の新聞に載っていた。
116>112:2001/05/18(金) 16:14
「山岳トルコ人」は実際は1200万人以上おり、
出生率が高いので、100年後にはトルコの人口の
過半数を占めてしまうかもしれないね。
117世界@名無史さん:2001/05/18(金) 17:12
そのころにはイラクやイランのように口実を設けて
駆除活動に入ると思われる。
もうヨーロッパ連合に入る見こみは全然無いし、開き直る可能性高し。
118112:2001/05/18(金) 20:41
>>116
その「山岳トルコ人」を正真正銘のトルコ人にしたいらしいけど…
無理でしょうね。
トルコが自国を他民族国家と認める日は来るのやら。

>>117
トルコはちゃんとEU正式加盟候補国になりましたよ。
今はやっとこさ捕まえたPKKのオジャラン議長の刑に手心を加えたり
ボロボロの経済を立て直そうと努力したりで頑張ってる。
まあ、どちらにしろ当分EUには入れないでしょうが。
119名無し:2001/05/18(金) 22:15
 俺的な勝手な意見とすれば、アジアの国なのに何故EUなんかに入ろうとするのか
理解できん。むしろアジアの中東をまとめる国として他のイスラム圏をまとめて
欲しいと思うが・・・・一筋縄じゃ行かないんだろうな・・・・
120ガージー:2001/05/18(金) 23:20
>>119
やっぱり建国の父のケマルの影響が大きいんでしょう。
彼は、西洋に追いつこうとする事を目標にしていましたから
かなりの部分、ケマルは、西洋の真似をしていますよね、ローマ字の採用、政教分離、民主主義など、
それと、遅れてきた地域の国は、上位の国に、並ぼうとすることが多いですよね、日本の脱亜入欧など
121112=5:2001/05/19(土) 00:28
これは>>5でもちょっと触れたことなんですが、
アジアの中では古くからヨーロッパと真っ正面から付き合ってきた歴史のあるトルコは、
オスマン帝国の時代から
「もともとあいつらは自分たちと対等もしくは格下だったんだから、
今では遅れを取った自分たちも頑張って追いつけば仲間に入れてもらえるんだ」
っていう楽観的な脱亜入欧主義みたいなものがあるんだと思います。

一方ではやっぱり119さんの言うように、
オスマン帝国以来のイスラム世界、トルコ世界の最強国としての、
そして現代での西アジア中の近代化(西欧化)の優等生としての意識もあって、
その路線での外交も、CENTOとか最近の中央アジア接近とかに見られる。
もっとも西アジア・中央アジア諸国の間では、
アメリカの威を借りた狐のように思われている面もあるようですが…。

そこのところの二重の価値観は日本の脱亜入欧や
今の東アジア外交にも似たところがあるような気もしますね。
122世界@名無史さん:2001/05/19(土) 01:52
どなたかチュルク人とトルコ人の違いを解説してくださらんか?
なんだかよくわからんのです。
123112=5:2001/05/19(土) 02:18
>>122
テュルク(チュルク)はいわゆる「突厥」で、
広義にはテュルク諸語というひとつの言語グループを母語とする人々の総称、
やや狭義としては突厥帝国以来のテュルクの自称・他称を持つ人々のこと。
もっとも狭義にはヨーロッパ人によって
(ウズベク人とかカザフ人とか呼ばれる他のテュルクと異なって)
単にTurkとだけ呼ばれてきた、アナトリア(現トルコ共和国)に住む
元オスマン帝国主要構成民族としての
テュルク人たちのことを指します。

トルコはテュルクのヨーロッパ訛り、もしくは漢語訛りから生まれた日本語で
つまり「テュルク」そのもののことを指しますが、
現代日本ではアナトリアのトルコ共和国のテュルクを「トルコ」、
アナトリア以外のものも含めたテュルクの総称を「テュルク」「チュルク」
と言って区別することが多いです。

…わかりにくいかな?
124112=5:2001/05/19(土) 02:30
言ってみればモンゴル帝国を作った遊牧民の末裔で、
モンゴル諸語を話している人々の総称が
(ブリヤートやカルムィクなんかまで含めて)モンゴルと言い、
狭い意味ではモンゴル国と中国の内蒙古自治区を作っている民族のことを
モンゴルと言うのと同じだと思います。
トルコ(テュルク)の場合はそれがモンゴル帝国より前の突厥に溯り、
古いぶんだけ分布も幅広いってことです。

もちろん、モンゴル系諸民族のすべてがモンゴル帝国の末裔というわけではないだろうし、
テュルク系諸民族の全てが突厥帝国の末裔でもないのですが。
現在知られているテュルク系諸民族にはモンゴル帝国の後継諸国家が
言語の面でテュルク化したものから生まれたものに起源を置くものも多いのです。
125世界@名無史さん:2001/05/19(土) 03:17
トルコではパン・トルキズムの考えが強くて、
トルコ系諸語の民族(東はウイグルあたりまで)を
仲間とみなすのはいいんだけど、どんどん拡大解釈して、
アルタイ諸語からウラル諸語の民族、果ては日本人まで
トルコ人の一種だとマジメに言う奴がいるそうだ。
126名無しさん:2001/05/19(土) 14:32
>>119
トルコの領土の3%は、バルカン半島側にあり、そこはれっきとした欧州の一部です。
127世界@名無史さん:2001/05/19(土) 18:11
まあ、一応ヨーロッパにも領土もっていて、それがあのコンスタンチノープルを
含んでいるから、ヨーロッパの国といっても間違いはないよな気がしないでもない。
どうせ、元ビザンツ帝国民のやつらもかなり、トルコ化させられていると思われ。
領土的には、昔のビザンツ帝国のまんまだからのう。
だから、アジアよりもヨーロッパに固執すると思われ。

128世界@名無史さん:2001/05/19(土) 18:25
少なくともトルコ人がアラブ世界をまとめるのは難しいでしょ。
129世界@名無史さん:2001/05/19(土) 19:51
トルコで人気のスポーツはサッカーとバスケット。
若者にはNBAがかなりの人気だそうです(詳しくは不明)

サッカーのほうは欧州、アラブ諸国と同じように大人気で
各国リーグ王者(最近は違うが)が欧州一を決めるチャンピオンズリーグ
およびリーグ上位のクラブが多数参加して戦うUEFA杯、その
どちらにもトルコのクラブは参加しており、最近ではトルコ一の
人気クラブのガラタサライ・イスタンブールがUEFA杯を獲りました。
ガラタサライはチャンピオンズリーグでも上位に進出しており、また
ヨーロッパ選手権(欧州各国限定のワールドカップのようなもの)にも
参加を認められており、2000年の大会でも好成績を残しました。

上記いずれも欧州ではたいへん人気と権威のある大会であり、それらにおける
トルコの活躍において欧州ではトルコ・サッカーをかなり認知しており、
また、欧州の舞台で活躍するトルコ人選手たちをみてトルコ国民は
熱狂しています。おそらく中田やイチローが活躍するのとはまた
違った意味での熱狂ではないのでしょうか。
「欧州のメンバー」というの意識の高まりもあるのでしょう。
欧州の人たちがトルコをどう捉えているかはわかりませんが。認知度は高いはずですが。

トルコがこういった欧州の人気と権威のあるコンペティションに参加できるように
なった背景事情は知らないのですが、地理的要因以外にも、
やはりNATOの一員として参加を認める、という意図もあったのでしょうか?

トルコリーグは大変活況です。外国人選手は主に東欧系が多いそうな。


以上サカヲタの分かりにくいトルコと欧州の大衆レベル?の一側面でした。
分かりにくかったらゴメンなさい。ワールドカップ予選勝ち抜いてね、トルコ!
130名無し:2001/05/20(日) 01:45
>>126 >>127
 それを言うならインドネシアも1部分オセアニアの地域を含んでいるから
インドネシアは立派なオセアニアの一員だと言ってるのと変わらないと思うが・・・・
まぁ、イスタンブールは確かにヨーロッパだ。しかし今の首都はアンカラでそこは立派な
アジアだと思う。
>>128
 まぁ現実問題としてはそうだろうな。
>>129
 国が近い分どうしてもそうなるか
131名無しさん:2001/05/20(日) 02:02
小アジアは、欧州の一部と見なしても良い。
132世界@名無史さん:2001/05/20(日) 03:18
旧世界を3分割するなら、
アジア・ヨーロッパ・アフリカではなく、
東及び東南アジア・インド中近東欧州・ブラックアフリカだと思う。
133名無しさん:2001/05/20(日) 03:26
>>132
要するに、モンゴロイド地域、コーカソイド地域、ネグロイド地域で分けるってこと?
134アルメニア@名無史さん:2001/05/21(月) 02:45
>>9
お、「トルコのもう一つの顔」(中公文庫、小島剛一)ですか、いいですねー。漏れも
この本でトルコの多民族性と過酷な政治体制に気付きました。この本を読むと、この国が
EUに入るのはとても不可能に思えますが。
で、ケマルですが、彼はテッサロニキの出身ですね。当時のテッサロニキは「バルカンの亡霊たち」
(ロバート・カプラン、NTT出版)などを読むとかなり多民族だったようですね。民族構成が大きく
変化するのはギリシャに編入されてから。漏れもテッサロニキに行ったことがありますが、ケマル
の生家は現在トルコ領事館となっていて、入り口2カ所とも軍隊(警察か)の詰め処で固めていて、
領事館が面している通りにも警備のバスが4台くらいでガッチリ固めて、車で突っ込めないように
なってました。現在のトルコとギリシャの関係をうかがわせる光景でした。
>>96
漏れも初耳ですが、アレッポにアルメニア人コミュニティーがあるしエレバンとアレッポの
間にはアルメニア航空とシリア航空の直行便が週1便ずつあります。シリアとアルメニアの
関係は悪くないと思います。

135世界@名無史さん:2001/05/21(月) 02:53
俺はアテネからイスタンブールまでバスで行った。
国境検問敬5時間を入れて24時間の旅だったが、
テッサロニキに着いたとき、サロニカって言ってた。
今はギリシャ領だからテッサロニキと言うべきだが
サロニカの方が通りがいいようだ。
136112:2001/05/21(月) 07:57
>>129
トルコのサッカーは古い時代にヨーロッパから直輸入されたものだからとか、
たぶんそんな理由じゃないかと思いますが。
たしか19世紀くらいにガラタに駐留していた西欧人が始めたのが起源だったはず。

>>134
トルコって国は地方支配が旧時代的というか、そんなイメージがあるんですが。
これが現代世界で珍しいことなのかは知りませんが、
トルコにはいまも陸海空軍と同格で「憲兵軍」があるそうです。
と、いう話は「トルコのもうひとつの顔」に書いてあるのかな。

>>135
サロニカという名前はたしか英語(というより、西欧語)ですからね。
トルコ語ではセラニクって言うんじゃなかったかな。
137世界@名無史さん:2001/05/23(水) 07:38
トルコとイスラエルは、ワールドカップ予選は
欧州の予選のほうに参加しています。

イスラエルはアラブ諸国が反対しているという背景事情が
読み取れるのですが、トルコが欧州予選に参加していることに
ついてアラブ諸国はどう思っているのでしょうか。

なんでトルコ人の日本びいきは継続しているの?
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kokusai&key=988479400
138アルメニア@名無史さん:2001/05/23(水) 15:44
>>129>>137
トルコやイスラエルだけじゃなく、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニアなどの
コーカサス諸国もUEFA加盟国で当然欧州地区の予選に参加してます。で、驚いたのが、これ。
http://ton.2ch.net/test/read.cgi?bbs=football&key=989518822&ls=50
「カザフスタンUEFAに加盟申請」というやつ。なぜカザフスタンなんだ!

で、トルコサッカーですが、4年前に見たことがあります。オコチャがフェネルバーチェに
アモカチがベシクタシュに、ハカンとハジがガラタにいたころです。
たまたま行った時、土曜にフェネルとイスタンブルスポル、日曜にベシクタシュとガラタという
イスタンブールダービーが2日連続でありました。夜7時からあると宿の人に調べてもらって、
タカをくくって行ったのですが、着いたときには(7時少し過ぎ)には券を持ってても入れない人
(100人以上いた)が大騒ぎしている状態でした。で、そのうちファンの一人が金網をよじ登って
入れることに気が付き数十人がよじ登っていきました。結局試合終了の15分くらい前にゲートが
フリーパスになったので入れなかったファンが大量に押し寄せる事態に。
翌日はこれに懲りて昼に2時くらいから待つことに。7時のキックオフなのに3時前には開場になり、
4時ごろにはほぼ満員に。で、試合開始まで両チームはファンはえんえんと応援合戦をし続けるわけです。
まだトルコサッカーがヨーロッパでマイナー扱いされた時期です。

ちなみにフェネルバーチェはアジア側。kadykoyのフェリー乗り場からbostanci(ボスタンキと発音していた)
行きのバスで約10〜15分。左手にスタジアムが見えてきます。
ベシクタシュはヨーロッパ側。タクシム広場から歩いて10分くらい。
試合日程はFANATIK,GUNES,FOTOMACなどのスポーツ紙に載ってます。

139世界@名無史さん:2001/05/23(水) 19:04
小島剛一氏の著作は確かに非常に興味深いのだが、あれは
トルコの現状の一部分と思われる。

日本にも民族的な差別問題はあり、外国人ジャーナリスト
が被差別集団サイドに立ったノンフィクションを書いたら
ああいった感じになるのでは。

もちろん、そういった視点も重要だとは思うが、それだけ
を根拠に論議を行うのはちょっと危険ではないか。
140世界@名無史さん:2001/05/23(水) 20:24
>>138
カザフはコーカソイドが多いのとヨーロッパでプレーする選手が
多いからかな? とはいえ、地域を無視してそんなこと言ったら、
カザフ以上にコーカソイドばっかりで、かつヨーロッパでプレー
する選手が多いオーストラリアがヨーロッパになっちゃう。
141αジョーカーω:2001/05/23(水) 20:40
カザフスタンにはロシア系を始め欧州系住民も
多く居住している。
142112:2001/05/24(木) 10:00
旧ソ連諸国は国際的な枠組みのいくつかではヨーロッパ扱いですよ。
日本の外務省でもヨーロッパ扱いじゃなかったかな。
トルコはアジア枠なのに。

>>138
>kadykoyのフェリー乗り場からbostanci(ボスタンキと発音していた)
カドゥキョイ、ボスタンジュだと思います。
トルコ語でCの発音は「ジャ」行で、
(点のない)Iは日本語の「ウ」みたいな母音。

>>141
ソ連崩壊前ではカザフスタンの人口は
カザフ人の割合とロシア人の割合が逆転していたそうです。
今はロシア人がいくらかロシアに「帰還」してくれたおかげで
カザフ人のほうが辛うじて多いという状態のようですが。
143名無しさん:2001/05/24(木) 15:10
>>142
それは、イとウの中間音。
144名無しさん:2001/05/24(木) 15:16
>>138のスレより

>カザフスタンはアジア人よりもヨーロッパ人の方が多いとして
>AFCに加入していることは不幸であるとしている。

>カザフスタンサッカー協会は、「カザフスタンの12パーセントにあたる40万平方キロメートルはヨーロッパに属している。
>トルコは3%しか属していないのにUEFAに加入しているし、イスラエルに至ってはヨーロッパに属していないのにUEFAに加入している。
>我々の会長がゼップ・ブラッター氏(FIFA会長)とレナート・ジョンソン氏(UEFA会長)に会うことになっている。
>そして我々は、W杯を前に韓国で行われるFIFA会議にこの議題を取り上げてもらうことを希望している。」としている。

>現会長のラハト・アリイェフ氏は昨年末にクラルベク・オーダバエイェフ氏から引き継いだが、
>それ以来、旧ソ連から大多数が加入したUEFAにカザフスタンも加わることを押している。
>1994年にAFCに加入した旧ソ連の国はカザフスタンのほかに、キルギスタン、ウズベキスタン、
>トルクメニスタン、タジキスタンがある。また、グリーンランドも地理的には北アメリカに近いが
>文化的にはスカンジナビアとのつながりが強いとしてUEFA加入を熟慮している。


カザフ領の12%ってウラル川以西のことかな?
145名無しさん:2001/05/24(木) 15:21
>>141-142
現在のカザフスタンの人口は、カザフ人40%、ロシア人36%です。
確かに、ソ連末期には、ロシア人の方が多かったのですが、近年になってカザフ人が巻き返しました。
この理由には、ロシア人の本国への帰還のほかに、ロシア人よりカザフ人のほうが出生率が高いことがあげられます。
146142:2001/05/24(木) 15:23
>>143
確かにイとウの中間音だけど、
日本語話者の耳にはたぶん「ウ」としか聞こえないから、
カタカナに移すなら「ウ」って言っちゃっていいんじゃないかと思います。
「トプカプ」宮殿は絶対「トプカピ」にはならない。
147世界史@名無史さん:2001/06/14(木) 02:56
「世界の都市の物語〜イスタンブール」(陳舜臣、文春文庫)というのもかなり萌える
本です。「ビザンチン幻影」「大スレイマン光と影」など、トルコ時代だけじゃなく、
それ以前のビザンチン時代に言及しているところがうれしかったですね。
昨年イスタンブールに行ったときは、これを参考にしながら街歩きをしました。
今、ギリシャ正教の総本山は金角湾右岸(海に向かって)を少し上がったフェネル地区
(ファナリオットの語源)にあります。宿(スルタンアフメット地区のペンション風)
の兄ちゃん(トルコ人)に場所を聞いたところ、ちゃんと知ってました。
148先週までアクサライに居た:2001/06/14(木) 03:35
Cの下にヒゲが付いてなかったかい?
ヒゲのあるCはチ音だよ。普通のCはヂ音ね。
それと例の宮殿の名前は「ト(プ)カプ」とでも
表現すべきかな。最後は「ピ」とは聴こえない。
149αジョーカーω:2001/06/19(火) 20:38
イスタンブールは、スルタンがギリシャ語で「町へ」を
意味するイスティンポリスと名付けたのが(勿論、コンスタンティノポリス
攻略後)、一般のトルコ人はイスタンブルと訛って発音したので、
それが定着したとか。
150世界@名無史さん:2001/06/20(水) 00:02
>>149
たしか征服以前にもイスタンブルと呼んでいる用例があるって
ずいぶん前になにかの本で読んだような…。
自然発生的にトルコ人が呼び始めた名前じゃないかな。
逆にオスマン時代もコンスタンティノスの町という
呼び方がのこったらしいですし。
151世界史@名無史さん:2001/06/20(水) 01:33
>>150
前掲の「世界の都市の物語〜イスタンブール」によれば、オスマン朝が崩壊するまで
コンスタンチノープルと名乗っていたようです。日本語でも「君府」といっていたし。
で1885年のデータでイスタンブールの総人口40万7000人中、ギリシャ正教
9万2000人、アルメニア教徒8万4000人、ユダヤ教徒2万2000人とあります。
住民の半数が非イスラム教徒という事実はかなり萌えますな。
「Ne Mutlu Turkun Diyene!」(トルコ人といえることはなんとすばらしいことか!)
というスローガンを掲げている現在の状況とはだいぶ違うようで。
152世界@名無史さん:2001/06/20(水) 01:39
>>151
多民族国家だったオスマンと、単一民族国家を自称している(当然、実状
は違う)トルコ共和国とでは、そりゃ大違いですね。
153150:2001/06/20(水) 02:10
>>151
トルコ共和国のギリシア人(より正しくは「ギシリア正教徒」)は
ギリシアとの住民交換協定によりほとんどギリシア移住させられましたが、
イスタンブルでは例外として残留が認められたそうです。
その後の第二次大戦中のトルコ・ナショナリズムの締め付けなどで
今はずいぶん減ってしまったらしいけど。

>「Ne Mutlu Turkun Diyene!」(トルコ人といえることはなんとすばらしいことか!)
それを言うなら“Ne Mutlu Turkum Diyene!”ですよ。
(ウムラウトちゃんと出るのかな…?)
Turukunだと「なんと幸せか、『お前はトルコ人だ』と言える者よ!」になってしまう。
154世界@名無史さん:2001/06/20(水) 08:00
今でもキリスト教諸国の発行する地図ではイスタンブールではなく、
コンスタンティノープルと表記していると聞いたが、本当?
155世界史@名無史さん:2001/06/21(木) 01:27
>>153
で、ウムラルトが出ないんですが、どうやったらいいの?
156世界@名無史さん:2001/06/21(木) 02:14
最近、トルコ資本がロシアに進出してるらしいな。
ラムストアだったかな。
157世界@名無史さん:2001/06/21(木) 02:25
ttp://www.lib.utexas.edu/maps/europe/europe_ref_2000.jpg

アメリカの地図ではイスタンブールになってますが・・・
ギリシャとか正教会系の国ではどうなんでしょうね。
158スラヴァ:2001/06/21(木) 03:40
>>156
ラムストールですね。超巨大ショッピングセンターで、値段も手頃です。羊が常備してあるとこ
ろなどさすがかと。
ケバブロシアでも人気ですよ。コーカサス経由で入ってきたので、名前はちと違いますが。
シシケバブ>シャシリク で、豚肉が主流です。
ドネルケバブ>シャウルマ@モスクワ、シャベルマ@ペテルブルク
159αジョーカーω:2001/06/21(木) 21:25
今、エルバカンのイスラム原理主義政党(共和国憲法が障壁となって、
何度も非合法化され、表面上は過激では無いが)と共に、
過激なトルコ民族主義政党が台頭している。
トルコは1960年代から原理主義(在野の
最大組織では「ヌルジュ」)や民族主義(在野団体では「蒼い狼」)が
台頭しているが、その度に、ケマル主義の軍部がクーデターで介入して、
ブっ潰しているし、クーデターは起こさなくとも、
政府に圧力をかけて、非合法化させている。
その繰り返し。
160αジョーカーω:2001/06/21(木) 21:37
>157
アメリカは、冷戦時代から、地中海・黒海地域において
対ソ戦略・中東戦略に重要なので、ギリシャ・トルコ間の紛争でも
トルコ共和国を半ばエコ贔屓しています。
161世界@名無史さん:2001/06/21(木) 22:28
>>159
現与党には民族主義政党の民族主義者行動党が入ってるんだよね…。
エジェビト首相は中道左派のはずなんだけど。
162αジョーカーω:2001/06/21(木) 22:40
エジェビット首相は、民族主義者行動党が嫌いで、
軍部の”圧力”を使ってでも、
エルバカンの福祉党(旧イスラム繁栄党)諸共、
国会から追放したいらしいが、
大統領(名前は忘れましたが、元最高裁判事)―
彼も右翼ではないが―は、公正な判事で名高い人物だった
事だけあって、右翼だろうがなんだろうが国民に
選ばれた政党を非合法化するのには断固反対らしい。
また、首相を含め政府や軍部も、キプロス問題が
有るので、民族主義勢力との全面対決には踏み切れない
そうな。
163αジョーカーω:2001/06/21(木) 22:41
162>161
164αジョーカーω:2001/06/21(木) 23:10
軍部の介入を許しても、原理主義勢力や民族主義勢力の
台頭を放置しても、EU加盟に不利になり、
大統領・首相・蔵相らはジレンマに陥っている。
165世界@名無史さん:2001/06/22(金) 01:53
トルコ行進曲ってあるけど
モーツアルトやベートーベンの頃は
もうトルコはウイーンの敵で
なくなっていたのでしょうか?
166世界@名無史さん:2001/06/22(金) 03:26
>>165
「ウィーンの敵」てのは何を言いたいのか良く判らない
んだけど、18世紀にはハプスブルク朝とオスマン朝の
力関係が逆転していたのは確か。

トルコ行進曲については、その頃トルコの影響を受けた
軍楽隊が欧州各地に出来ていて、芸術音楽でもメフテル
の語法を取り入れた多くの作品が書かれてます。有名ど
ころでは、二人の他にハイドンも書いてるそうですな。
167161:2001/06/22(金) 06:15
>>162
そういえば25年前トルコがキプロスに派兵したときの
首相はエジェビトで副首相がエルバカンの
中道左派・宗教右派連立内閣だったはず。
トルコ政界って不思議。

>エルバカンの福祉党(旧イスラム繁栄党)
繁栄党は福祉党の別日本語訳名。
福祉党解党・エルバカン公職追放のあと
復活した現在のイスラム主義政党は「美徳党」。

>大統領(名前は忘れましたが、元最高裁判事)
現大統領はアフメット・セゼル氏ですね。
公正なんだ、福祉党に違憲判決を出したのは彼なのに。
よほど軍から圧力がかかってたのかな…。

>>164
トルコは福祉党を解散させたとき
欧米からは非民主的だと非難されましたから、
民族・宗教右派を抑圧したくてもできないんでしょうね。
168αジョーカーω:2001/06/22(金) 20:24
>167(161)
セゼル大統領でしたか。
それでは公正とは云えませんね、済みません。
ただ、トルコ共和国は経済政策や宗教問題での、右翼・中道右派・中道左派の
相違は明確でも、民族問題となると、余り違いが無いのかも。
169世界@名無史さん:2001/06/22(金) 21:50
 俺、日本語教師としてトルコ行かないかって勧められてるんだよね。資格もあるし、トルコは歴史的な魅力があるから結構面白いだろうと先生ばかりでなく父まで勧めている。
170161:2001/06/23(土) 05:31
>>168
セゼル大統領が最高裁主席判事だったころの記事ですが。
http://asahi2.asahi.com/paper/special/islam/991126.html
もともと軍よりだったのが人権擁護派に方向転換したのかな?
よくわかりませんねえ。

>>169
公衆の面前で裸になったりしなければ
友好的に受け入れてもらえるんじゃないかな。
171ガージー:2001/06/23(土) 10:25
http://www.yomiuri.co.jp/05/20010622id30.htm
イスラム政党の美徳党が解散命令だそうです。
イスラム政党の問題はトルコの宿命的問題だね。
それにEUが文句をつけているようです。
なんかEUはトルコにイチャモンつけてEUにいれないように
しているように感じるのは僕だけ?
172自転車小僧:2001/06/23(土) 14:17
>165
本来なら音楽板で書くべきかも知れませんが、
モーツァルトのトルコ行進曲は楽器としてシンバル
を使ってトルコ風の効果を出そうとしていたり、
トルコ音楽の7/8や13/16と言ったテンポを真似よう
とした形跡があります。
当時ヨーロッパでトルコに対する抵抗感もある反面
オリエンタリズムと言う動きがあったためできた曲
だと思います。
当時の服装にもすそを長くしたり、背の高い帽子を
かぶったりしてトルコ風の衣装としている絵もかな
りありますし。
173世界@名無史さん:2001/06/24(日) 02:32
>>171
ありゃ、美徳党まで解散させられるのか…。
前身の福祉党(繁栄党)が解散させられてから、
穏健な右派系大衆政党に脱皮しつつあると言われていたはずだったのに。

>なんかEUはトルコにイチャモンつけてEUにいれないように
>しているように感じるのは僕だけ?
トルコの世俗化勢力の人たちは
イスラム政党(これでも昔と比べたらずいぶん穏健になったのに!)
を潰してまで一生懸命欧化を進めようとしているのに
ヨーロッパにいちゃもんつけられて心外でしょうねぇ。
174αジョーカーω:2001/06/24(日) 13:26
EUは不公平だ。
ドイツのシュレーダー政権も、極右の国家民主党を非合法化
する(既にしたか?)ではないか。
これでは、トルコでイスラム主義者や民族主義者を
勢い付かせてしまう。
エルバカン一味とチュルケシュ一味に死を!
オジャランにも死を!
175世界@名無史さん:2001/06/24(日) 14:38
トルコの第2次ウイーン攻囲は1680年だよね。
城壁の下に穴を掘ってる音を早起きのパン屋に聴きつけられたとか。
城壁の周りに濠を掘って水を溜めときゃ数ヵ月で餓死するだろうに。
戦術が下手なような気がしてならない。
176αジョーカーω:2001/06/24(日) 14:44
第二次ウイーン包囲失敗から、バルカンにおける
オスマン帝国の凋落が始まった。
地中海では、その百数十年前のレパント海戦敗北からだね。
オスマン帝国に限らず、「太陽の沈まぬ国」など無いのさ。
スペイン然り。
177世界@名無史さん:2001/06/24(日) 15:40
>>174
>チュルケシュ一味に死を!
奴等、いま議会第2党で与党…。
テュルケシュ本人はもう死んだんだんだったかな。

>>175
第二次ウィーン包囲は補給線を繋げないで
強引に攻めたからそもそも持久戦は無理。
急いで行軍したのでたしか大砲を持ってこれなかったはず。
そして強行突破しようとしてうまくいかず攻めあぐねているうちに
ヤン・ソビエスキ率いる援軍が来てボロボロに破られてしまっているから、
持久戦に持ち込んだとしても結局負けていたでしょう。
178αジョーカーω:2001/06/24(日) 20:06
1はトルコ共和国が反米・反イスラエルのイスラム国家に
なって欲しいわけなの?
179名無し:2001/06/24(日) 21:26
 EUなんかよりもウチ等日本と組もうよトルコさん。
イランも日本と組ませて大アジア連合発足だ〜。
180名無し:2001/06/24(日) 21:29
 EUなんかよりもウチ等日本と組もうよトルコさん。
イランも日本と組ませて大アジア連合発足だ〜。
181世界@名無史さん:2001/06/24(日) 21:32
三国軍事同盟並に無意味だな。
182世界@名無史さん:2001/06/25(月) 00:24
CENTO復活?
183世界@名無史さん:2001/06/25(月) 03:16
トルコは日本にとって貴重な国だよね。

そういえば昔、
なぜクラシックは西洋の発展地域であるイタリアでもフランスでもなく、
ドイツ語文化圏それもウィーンで栄えたのかを考えたとき、
軍楽を確立させたオスマン・トルコの隣国だったからかなと思ったことがあります。
思いつきの真偽を含め、誰か情報をプラスして下さる方いませんか。
184世界@名無史さん:2001/06/25(月) 03:56
クラシック音楽も、ちゃんとドイツの前にイタリアで栄えてるよ。
185世界@名無史さん:2001/06/25(月) 04:02
軍楽、マーチバンドはオスマン帝国が最初のはずです。
一説によると突厥に遠い起源があるとかないとか…。
ほんまかいな。
186世界@名無史さん:2001/06/25(月) 04:42
>>175に誰もつっ込まんようだから言おう。
第二次ウィーン包囲は1683年です。

あと当時トルコ軍がウィーン包囲戦線を長期間維持することは不可能でした。
ヨーロッパ各地から続々とキリスト教国の援軍が集い、その数は12万で
あったとか。
それに対するトルコ軍も12万前後。しかし、さらにウィーン守備軍が2万程
居たので、トルコ軍の敗北は明らかでした。
そして>>177さんも仰しゃっているとおりポーランド軍3万5000がトルコ軍本営に
壊滅的打撃を与え、トルコ軍は潰走。
包囲を続けていた軍も各個撃破されました。
187αジョーカーω:2001/06/25(月) 11:47
トルコ共和国と北朝鮮が国交樹立。
188アマノウヅメ:2001/06/25(月) 13:01
>>183
トルコの昔風の軍楽隊をテレビで見たことがありますが、西欧の音楽家に
とってはショッキングだったと思います。
悪く言えばガチャガチャした感じだけど、にぎやかで迫力がある。

音楽の才能のある人なら感じるものがあったでしょうね。
それまでの西欧の音楽はひたすら優雅で(宗教音楽は荘厳ですが)
バッハ以降のものとはまるで違ってましたから。

トルコ行進曲は、モーツァルトとベートーベン以外ににも何人か
作曲している人がいるはずです。
189ドクトル・ゲー:2001/06/25(月) 14:08
ふぃ〜ふぃ〜ずんたかたずんたかたずんたかた
トルコ軍楽はイイですねぃ。リアル厨房のとき初めて聞いて感動した
覚えがあります。
190世界@名無史さん:2001/06/25(月) 14:18
>>188
> トルコ行進曲は、モーツァルトとベートーベン以外ににも何人か
> 作曲している人がいるはずです。

 >>166で既出だよ〜ん。女史にしては珍しいチョンボ。

 トルコ軍楽って言われてもピンとこない人は、ビートたけしが
出てるグ○ン○ンのCMの曲を聞いてみそ。
191アマノウヅメ:2001/06/25(月) 14:44
>>190
う〜ん
見落としましたか。仕事の合間にやってるんで、確認する余裕がないんです。

なにはともあれ、失礼しました。
192185:2001/06/25(月) 16:08
トルコ共和国文化省HPのイェニチェリ軍楽隊MP3ダウンロードページ
http://www.kultur.gov.tr/english/kultursanat/muzik-14.html

いまビートたけしのCMでやってたり
かつてドラマのテーマ曲に使われたりしたのは
上から3番目の「ジェッディン・デデン」(祖父も父も)です。

>>187
そうみたいですね。
かつての朝鮮戦争の国連軍でトルコが激闘したのも今や昔…。
193異邦人さん:2001/06/25(月) 21:56
スレッドの主題からずれるので下げて書きますが、トルコの軍楽って
生で聞くと凄い迫力です。

イスタンブールの軍事博物館へ行けば、毎日15時から生演奏が聞け
ます。ホールの後ろの壁が横に移動し、中庭の木立の間を軍楽隊が演
奏しながら進んでくると、もう鳥肌もんですよ。
ただ、日本人の団体さんが居ると『さくら、さくら』なんかやってく
れちゃうので、そん時だけは興醒めなんですけど。(涙
194192:2001/06/25(月) 23:06
そういえばオスマン帝国スレになりかけてる…。
195世界@名無史さん:2001/06/26(火) 13:53
軍事博物館は、
生演奏の時間帯だと入り口付近からでも音が鳴り響いてくるほど迫力ある。

正直、トルコ共和国が立派な軍事博物館を建てた理由って何だろう?
196世界@名無史さん:2001/06/26(火) 14:01
ヨーロッパってどこの国も立派な軍事博物館あるんでは?
197世界@名無史さん:2001/06/26(火) 16:43
アタチュルクが反対派を粛正しすぎたために彼の死後はトルコの発展が滞った、という説を聞いたことあるぞ。
198αジョーカーω:2001/06/26(火) 19:50
>192
昔、紳士服メーカー(?)のターバンのCMでも
使われていましたよね。
199世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:47
えっ、ヨーロッパってどこでも「軍事」の博物館ってあるものなの?

そういや、
日本でも「軍事」と銘打った博物館ってあるのだろうか?
200世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:49
那須高原に行った時、それらしいモノを見かけた。
201名無し募集中。。。:2001/06/26(火) 23:51
ケマル・パシャがいなかったらトルコも
イスラエルみたいになってたんだろうね。
202世界@名無史さん:2001/06/26(火) 23:56
>>199
靖国神社の博物館。
軍旗とか戦車があるぞ。戦前にタイムスリップした気分になる。
203考えぬ名無しさん:2001/06/27(水) 00:22
>>183
イタリア・フランス・フランドルでオーストリアより先にクラシックが栄えたのは
184氏のいうとおりだが、マリア・テレジアの頃から19世紀半ばくらいまで、
オーストリアはヨーロッパの先進地域。
ただ、産業革命に関しては帝国内の西チェコ(ズテーテン地方)が中心になったため
帝国瓦解後はウィーンは田舎町になってしまったが。
204196:2001/06/27(水) 07:35
>>199
どこも、は言い過ぎかもしれないけど
たとえばイギリスには戦争博物館があるし、
ベルギーには王立軍事博物館があるし、
たぶん仏独にもあるでしょう。
205世界@名無史さん:2001/06/27(水) 11:34
>>204
ドイツにはムンスター軍事博物館、フランスにはソミュールがありますね。
ソミュールは特に有名です。
http://www.panzermuseum.com/
http://www.musee-des-blindes.asso.fr/
ロシアにはクビンカと砲兵博物館、オーストリアにも軍事博物館があるし、
スペインは、アル・カサルの内部が軍事博物館です。
その他、ハンガリーやスウェーデン、フィンランドにも軍事博物館があり
ますね。
206204:2001/06/27(水) 12:15
>>205
情報ありがとうございます。
ということで、トルコに限らず欧州諸国は
どこの国も軍事博物館を置いて
自国の軍事意識をたかめたりするのに使ってるんですね。

日本も靖国だけじゃなくて、
防衛庁がちゃんとした軍事博物館で作ればいいのにね。
自衛隊の役割を知ってもらうとかいう名目で。
207世界@名無史さん:2001/06/27(水) 17:42
>>206
ちなみに欧米だけではありません。アジア圏にも国立の軍事博物館が
ある国は結構あります。抗日戦や独立戦争の記念に建てられたものが
多いようですが。
208世界@名無史さん:2001/06/29(金) 04:31
オスマン・トルコ帝国時代にヨーロッパ征服してくれれば良かったのに。
209世界@名無史さん:2001/06/29(金) 12:10
オスマン帝国がどこまで広がったとしても
けっきょく第一次世界大戦までに独立されていただろう。

トルコ共和国はそれでもあれだけの領域を確保できたのだから上出来。
しかし多く確保したがためにアルメニア人問題やクルド人問題で
いまも苦しめられているわけだが…。
210ガージー:2001/06/29(金) 17:37
イスラム教国家の中では、経済的にはもっとも発展してるよね、
これは、ケマルの政教分離の、政策が成功したと考えたほうがいいのかな、
他にも色々理由はあるであろうけど(ヨーロッパに近いことや、
ずっと独立を維持してきた、オスマントルコの遺産など)
イスラム教国家でナンバー2はエジプトだろうから、やはり、政教分離は、経済発展には欠かせないのかな?
それとも、イスラム国家の中では安定した政権(クーデターはあったけど)のおかげ?
211あまり安定してないよ:2001/06/29(金) 19:48
1922-50 共和人民党一党独裁政権(ケマル・アタチュルク→イノニュ大統領)
(46年総選挙で多党化、50年選挙で与野党逆転)
1950-60 メンデレス民主党「独裁」政権(親米・開発独裁的政権)
(60年クーデタ)
1960-61 軍政
1961-63 イノニュ連立政権(共和人民党中心)
1963-65 イノニュ少数単独政権(キプロス問題の緊張により辛うじて存続)
1965-70 デミレル公正党(民主党の後身)政権
(1970年、軍部の圧力でデミレル首相辞任)
1970-74 連立政権不安定期(共和人民党中心で三度首相交替)
1974-75 エジェヴィト共和人民党(中道左派)・国民救済党(宗教右派)連立政権
1975-77 デミレル保守派連立政権(中道右派・宗教右派・極右民族主義の連立)
1977 エジェヴィト共和人民党少数単独政権(議会で不信任)
1977-78 デミレル保守派連立政権(第二次)
1978-79 エジェヴィト共和人民党政権
1979-80 デミレル公正党単独政権
(80年クーデタ)
1980-83 軍政
1983-91 祖国党(中道右派)政権(89年に党首オザルは首相から大統領へ)
1991-93 デミレル正道党(公正党の後身)・共和人民党中道連立政権
(93年、オザル大統領の死去にともないデミレル大統領に就任)
1993-95 チルレル正道党・共和人民党中道連立政権(初の女性首相)
1995 ユルマズ祖国党・正道党中道右派連立政権(党首間の反目ですぐ崩壊)
1995-97 エルバカン繁栄党・正道党連立政権(初の宗教右派首相)
(97年、軍部の圧力でエルバカン首相辞任)
1997-99 エジェヴィト民主左派党・祖国党少数連立政権
(99年総選挙で極右の民族主義者行動党が躍進)
1999-現在 エジェヴィト民主左派党・祖国党・民族主義者行動党連立政権
212211:2001/06/29(金) 19:49
トルコ共和国では第二次世界大戦以来、
経済の悪化や宗教化・共産化を憂える軍部の圧力がしばしば起きて
頻繁に政権交代が繰り返されている。
また、共和人民党系中道左派(民主左派党も含む)と
民主党系の中道右派(現在は祖国党と正道党)が安定二大政党をつくれず、
宗教右派(国民救済党→繁栄党→美徳党)や
極右民族主義(民族主義者行動党)が
しばしば政権交代のイニシアチブを取ってしまうという難がある。

しかし、この多党乱立状態も民主主義あればこそかもしれない。
他の中東諸国は大統領や国王・首長による
長期独裁がザラだからね。
213世界@名無史さん:2001/06/29(金) 19:54
軍部って基本的にケマル主義なので、難癖の内容が西欧的価値観から
見ると合理的っていうのが、他の国の軍部とはちょっと違うところ
なのかな?

って、同じこと >>7 さんが言っているか。
214211:2001/06/29(金) 19:54
しかし一番驚くのは60年代以来の政党のリーダー、
中道左派のエジェヴィト、中道右派のデミレル、宗教右派のエルバカンが
90年代にも政権を担当していることか。

デミレルは大統領の任期が切れたからさすがに引退したと思うが、
エジェヴィトなんていまも首相。
215世界@名無史さん:2001/06/29(金) 20:25
高校で世界史をやっていたとき、
資料集に出ている将軍時代の帽子被ったケマルはすごく格好良かった覚えがある。

で、実際にトルコ行ってアタチュルク見てみると、
すごく険しい顔つきの絵ばっかだった。

政治の世界は軍事の世界よりストレス貯まるのかね。
216世界@名無史さん:2001/06/29(金) 22:55
>>215
政治家時代のケマルの写真はちょっとハゲかけてるような感じ。
217世界@名無史さん:2001/06/29(金) 23:11
トルコの人と話すとき、「アタチュルク」と無理に発音するより
「アタちゃん」と呼んだ方が通じやすい。

どうでもいい話でした。
218世界@名無史さん:2001/06/29(金) 23:19
>>217
マジすか!?(藁
219世界@名無史さん:2001/06/30(土) 02:02
>>218
鍵をクレみたいな話ですな。
220ガージー:2001/07/01(日) 01:58
>>211
そうですね
でも日本でも、年寄りがいまだにがんばっているような
(宮沢元総理はGHQ時代マッカーサーの通訳をしていたそうです)

そうするとトルコの経済発展の原動力は何でしょうかね?
サウジなんかを見ていると王族がろくな事にお金を使ってないから
(世界中の格闘家を集めてトーナメントをしたり、高い馬を買い集めたり
、ヨーロッパのホテルを買い取ったり)
自国の経済に生かしてないように感じます
221211:2001/07/01(日) 12:17
>>220
>そうするとトルコの経済発展の原動力は何でしょうかね?
「反共の城」として重視するアメリカの後ろ盾と
ヨーロッパ向けの安い労働力、軽工業製品と農産物でしょう。
しかも、この50年間慢性的にインフレを起こしている感がある。

共和人民党一党独裁時代は国家資本主義と呼ばれる一種の計画経済でした。

50年代の民主党は親米政権で、10年間の「独裁」を助けたのは
主としてアメリカの援助による農業好況。
インフレが起きても都市民の不満を黙殺して強引な政策を変えず
しかも政権に固執したからクーデタで倒されたんだけど。

60年代・70年代は国産化推進の時代。
西アナトリアを中心に工業化が進められたが、
東西の貧富の格差が拡大、物価も上昇。
70年代後半にはオイルショックとキプロス派兵のあおりをくって
累積債務の増加、インフレ率の急上昇で空前の不況を起こし
テロの頻発を招き、80年クーデタに終る。

80年代は経済閣僚出身のオザル首相のもとで自由経済化が促進、
IMF受け入れ、外国企業の誘致、輸入自由化が行われ、
観光産業の発展などもあって経済はある程度回復した。
が、80年代末ごろから金利の自由化問題などで経済が混乱、
90年代を通じてのハイパーインフレを引き起こした。
庶民生活は輸入自由化やいわゆるグローバル化で
それなりに豊かにはなったのだが。
現在は世界銀行のトルコ人幹部デルヴィシュ氏を呼び戻し、
財務相に就任させて建て直しをはかっている。
222世界@名無史さん:2001/07/03(火) 22:00
age
223世界@名無史さん:2001/07/04(水) 02:28
>>201 >>209
漏れは「もしトルコがセーブル条約を批准していたら、以後の世界史はどうなっていたか?」
と妄想することがあります。
セーブル条約とその後の英、仏、伊、希、露などの密約によってトルコは分割されるところ
だった。具体的には
イズミルを中心とするアナトリア南西部とエディルネ(アドリアノープル)を中心とする東トラキア→ギリシャへ
アンタルヤを中心とする地中海沿岸のアナトリア南部→イタリアへ
現在クルド人の活動の盛んなアナトリア南東部→フランスへ
ヴァン、カルス、トラブゾンなどのアナトリア北東部→ロシアへ(ベルリン条約で割譲済み)
アナトリア北西部の黒海沿岸とアンカラを中心とする内陸部、イスタンブールの近郊だけがトルコ領
となってました。もし、アタチュルクの新政府軍が勝利しなければ、ギリシャによる
「メデア・イガリ」(大ギリシャ主義)が実現していたかもしれません(具体的には
イスタンブールの奪還)。
戦後処理に入っていたクルド人やアッシリア人、アルメニア人による国民国家の建設が
実現していれば、歴史は大きく変わっていたでしょう。
漏れは昨年、イスタンブールからギリシャまで鉄道で旅行しましたが、今は何の変哲
もない乾いた平地に80年前はトルコとギリシャの軍が行ったり来たりしてたのを
想像してかなり萌えましたね。
ギリシャとの国境の3駅くらい手前から急に駅に戦車が置いてあったりと、今もピリピリ
した感じが伝わってきました。
第1次大戦後の英仏による割譲もアラブ人の解放という大義名分(?)があったわけで
、トルコの国土観、民族政策はいまだにこの時のことがトラウマになっていると思われ。
アテネの軍事博物館にも行きましたが、「メデア・イガリ」やイズミル陥落についての
展示は一切なく、ナチスドイツにいかに抵抗したかという展示ばかりでした。
やはりこっちもトラウマになっていたか・・・。
224209:2001/07/04(水) 12:24
>>223
>漏れは「もしトルコがセーブル条約を批准していたら、以後の世界史はどうなっていたか?」
>と妄想することがあります。
成る程…そうやってifを考えてみるのも面白いかもしれないですね。
オスマン帝国はオスマン家が君臨したままアナトリア内陸の小国家になる。
いや、小さくなりすぎて革命が起きるかな。
小トルコ=オスマン帝国は失地回復したいから間違いなく枢軸側に参戦するだろう。
でもトルコの帰趨くらいで戦況は変わらずどうせ負けるだろうと思われ、
そうしたらコーカサスから入ってきたソ連に占領されて
独立アッシリア・クルディスタン-アナトリア・トルコ-ギリシアは共産圏化していたかも。
225世界@名無史さん:2001/07/12(木) 19:40
age
226世界@名無史さん :2001/07/13(金) 02:32
だとしたらトルコもソ連崩壊後はせっせと内戦やってたりして。
227世界@名無史さん:2001/07/14(土) 09:58
クルド人は酷い目にあってるぞ。
228日本昔名無し:2001/07/15(日) 12:41
オスマントルコの事だけど、アラビア半島を領土にしていたら世界史は変わっていた。
229世界@名無史さん:2001/07/15(日) 14:05
>>228
してたじゃん
230世界@名無史さん:2001/07/16(月) 02:29
>>229
いや228はネジド地方のことを言ってるのかも。
…違うか。
231世界@名無史さん:2001/07/16(月) 04:02
トルコ人と日本人しかいないシンポジウムで
英語で発表するのがウザイよーちくしょーーーーー
232世界@名無史さん:2001/07/16(月) 13:30
>>231
んまぁ、共通語があるってことはいいことだとポジティブに考えても
いいかと。
英語が母国語じゃない人同士のほうが英語が通じるって感じがしますし。

#韓国に行ったとき、英語しかしゃべれなかった…
233世界@名無史さん:2001/07/22(日) 15:09
>>224
いずれにせよ、トルコは運がよかったよ。ロシアから領土を返還してもらえて、その後
ロシア側から失地回復とばかりに再占領されることもなく(モルドバやポーランド、
バルト3国なんかがそう。ポーランドも東部の旧ロシア領はソ連領に組み込まれた)、
過去のアルメニア人問題や現在のクルド人問題にも頬かむりしたまま、EUに加盟しよう
としてる。日本もこのくらい毅然とした態度をとるべきだった。マジでトルコがうらやましい。
234ななし:2001/07/23(月) 09:19
>>233
とはいえ、長い間オリエント・バルカン地域の盟主だったのが、いまや
アナトリアの小国なわけですから。
235世界@名無史さん:2001/07/24(火) 00:43
>>234
小国ってわけでもないでしょう。漏れはトルコの民族政策には批判的ですが、軍事面
での存在感はやはり大きい。中央アジアのトルコ系諸国にとってはリーダーなわけだし、
経済面もEU主要国とは差があっても東欧諸国では存在感あります(批判的な漏れが褒めて
しまった)。
236世界@名無史さん:2001/07/24(火) 00:57
私にはトルコ共和国というと小国の中の大国ってイメージがあるな。
衰えたりと言えどもオスマンの遺産のおかげで軍事的な要地であり、
アジア・ヨーロッパ、黒海・地中海の経済的な結節点だからね。

>>235
中央アジアのロシア化したエリートにしてみたら、
こっち=元ソ連=まがりなりにも先進国の一部
あっち=トルコ=オスマン帝国から後進的なアジアのまま
という意識もあるみたいで、
一概にトルコ系のリーダーとして認めていないフシも。
汎イスラム主義にも繋がる大トルコ主義への警戒もあると思われ。
237ナポレオン:2001/07/24(火) 01:10
いっそのこと「中国」という概念を作ってみては。
238236:2001/07/24(火) 01:16
>>237
それじゃチャイナとかぶるよぅ。(笑)
239世界@名無史さん:2001/07/24(火) 01:16
あ、大国、中国、小国の中国か。
しばらく悩んじゃった。
240ナポレオン:2001/07/24(火) 01:30
>>238
おおう!
自分で書いてて気がつかなかったっす!
もう駄目だ
241世界@名無史さん:2001/07/24(火) 01:34
>>237
地域大国って言葉無かったっけか?
なんかの新聞でナイジェリアのことをそう表現していた記憶がある。
242236:2001/07/24(火) 01:37
地域大国と言うにはトルコの近くには
紛れもなく大国のロシアや
人口・中央アジアへの影響力で似た位置のイランがあるからなぁ。
243αジョーカーω:2001/07/24(火) 20:59
ケマルの風貌はヨーロピアンでカッちょいい!
事実、大統領時代の写真・肖像画・映像
は禿げ上がっているが、それでもトルコ人や
アラブ人によくいる無様な禿げじゃないしね。
244世界@名無史さん:2001/07/24(火) 21:24
アラビア数字を否定したのが気に食わん・・・。
245αジョーカーω:2001/07/24(火) 21:26
>244
まさか!アラビア数字ではなく、アラビア文字を廃止して、
ラテン文字(に基づく新トルコ文字)を採用したのでしょう?
だって、アラビア文字って1、2、3、4・・・のこれだよ?
246244:2001/07/24(火) 21:27
あ、そうだね。
247名無史さん:2001/07/24(火) 21:31
>245
文字革命が良かったかどうかについてはトルコの中にも議論があるらしい。
特に宗教関係者には批判的な意見が多い。
日本でも戦後GHQが日本語ローマ字化を計画したらしいが、もしそれが
実行されていたら。複雑な日本語はなくなり、非常に簡略化されていたかも
しれんな。でもそれがいいかどうかは別でしょう。
 
248世界@名無史さん:2001/07/24(火) 22:57
かな、漢字を捨てたら赦せんな・・・
249世界@名無史さん:2001/07/25(水) 00:04
トルコの文字改革は文章語を口語に近づける運動や
文章語からの宗教色・アラビア色・ペルシア色の排除とパラレルな現象でしょう。
トルコ語は母音が8つもあるので、
(そのままでは)母音を書かないアラビア文字ってのは
トルコ語を書いていく上でキツかったのは事実。
だから、アラビア文字で文章を書くと純トルコ語要素では表現が難しく、
どうしてもアラビア語・ペルシア語の影響が強くなってしまう。
だから、アラビア文字を残していたとしても
そうとうな正書法の改正をしないとやってけなかったでしょうね。
現代ウイグル語みたいに全部の母音を
変形させたアラビア文字で書くことにするとか
(ただ、かなり読みにくく感じるけど…)。

>>243
ケマルはサロニカ出身だけにスラヴの血がそうとうに入っていたと思われ。
250247:2001/07/26(木) 00:24
>249
解説どーも。
アラビア文字は複雑だしねぇ。
ただ、イスラムにおいてコーランはアラビア文字で書いてなければ
ならないそうです。日本語に訳した奴とか売ってるけど、彼等に
言わせるとその時点でコーランとは呼べないそうです。
251249:2001/07/26(木) 00:37
>>250
コーランはアラビア語じゃないとダメらしいですね。
アッラーがアラビア語で啓示を下されたことが大事らしい。

トルコでは文字改革と同時にトルコ語訳コーランを礼拝に用いさせ
アザーン(礼拝の呼びかけ)をトルコ語訳にかえさせたけど、
やっぱりなじまずにすぐにアラビア語に戻されたそうです。
252アルメニア@名無しあん:2001/07/26(木) 00:38
>>249
トルコの文字改革の理由の理由のひとつがトルコ語の母音の多さにあったというのは
漏れも聞いたことがあります。トルコ語にしろペルシャ語にしろマレー語にしろ、
アラビア文字もラテン文字も同じ外来文字だったんだしアラビア文字→ラテン文字
への転換はさほど抵抗なかったと思うのですが。
ケマルは民族的にいうと何人だったんでしょう? >>134にテッサロニキのケマルの
実家の現在の様子があります(漏れのカキコです)。彼の現実主義的思考、欧化政策
など彼の血筋や育った環境のなせる業でしょう。
253249:2001/07/26(木) 01:31
>>252
現代ペルシア語も短母音3つ・長母音3つで
アラビア語と同じ数しか母音がないです。
そもそも言語の成立においてアラビア語の影響が強すぎるので、
トルコのような文字改革・「ペルシア化」は難しいんでしょうね。
トルコ語の母音8つというのは短母音の話です
(本来、トルコ語には長短の区別は無いらしい)。

>ケマルは民族的にいうと何人だったんでしょう?
トルコ人。
当時のバルカンではイスラム教徒はトルコ語がロクに話せなくてもトルコ人扱いされたし、
ケマル本人が自分はトルコ人だと主張していますから。
彼の民族的自意識がどうであれ、
やはりサロニカ(テッサロニキ)という土地で育ったことは大きいでしょうね。
宗教と民族が入り組み、西欧人もたくさんいたようですから。
ケマルの改革の先駆である「青年トルコ」の中心人物たちも
多くがもともとサロニカ駐在の将校・下級官吏です。
254アルメニア@名無しあん:2001/07/26(木) 22:14
>>253
ではケマルの母語は何語だったんでしょう?
まあたしかに当時のオスマン帝国は宗教が国民のアイデンティティーの元でしたから、
トルコ語が満足に話せなくても、ムスリムならトルコ人と自分では思ってたんでしょう。
ボスニアに住んでいたスラブ系のムスリムも第1次大戦後の住民移動で「自分たちは
ムスリムだからトルコ人だ」ということで、わざわざ父祖の地からトルコへ移住して
いった人たちもいるくらいですから。
255249:2001/07/27(金) 00:48
>>254
ケマルの母語はたぶんトルコ語だと思いますよ。
ブルガリア・マケドニアあたりには
いまもトルコ語を母語とするムスリム(=トルコ人)が
住んでいるそうですから。
ブルガリアではトルコ人は結構大きな少数民族で、
ブルガリア語を母語とするムスリム(ポマック)とは
別の民族として考えられているみたいです
(これ、第一次世界大戦後のギリシアでは
ギリシア語を母語とするムスリムも
「トルコ人」としてトルコに強制移住させられたのと
対照的で面白いと思います)。
256αジョーカーω:2001/07/27(金) 20:14
>254、255(249)
ケマルの母親がアルバニア人だったのは確からしいですが、
父親に関しては、ポマクらスラヴ系ムスリム出自説・
トルコ化したギリシャ人ムスリム出自説など諸説有るそうですね。
257αジョーカーω:2001/07/27(金) 21:23
ただ、トラキアなどルメーリア(バルカン)や
西アナトリアのトルコ人はギリシア人やスラヴ人と
混血しまくっていたから、それを云えば切りが無いか・・・
258249:2001/07/28(土) 23:32
>>257
あのへんの民族の顔つきの区別は、我々にはよくわかりませんよね。
やっぱり混ざってるからと考えるのが自然か。
259世界@名無史さん:2001/07/28(土) 23:39
トルコ人はトルコ人。
260世界@名無史さん:2001/07/28(土) 23:53
トルコ行ったけどイスタンブール以外の
田舎ではいかにもトルコ人って顔の人が多かったよ。
261249:2001/07/29(日) 00:14
そうなのかなー。
あんまり区別つかないと思うけど。

でも、髭生えてるし違うといえば違うのか。
日本人と韓国人だって顔つき違うって言うもんね。
262世界@名無史さん:2001/07/29(日) 01:05
>>136
ごめん、今このスレ発見したんで超遅いレスなんだけどさ。
憲兵「軍」というのがあるかどうかは知らないけど、日本のような建前上軍隊のない
特殊な国でない限り憲兵隊は当然あるよ。憲兵ってのはMilitary Policeの日本語訳
だから。つまり本来は軍内部での犯罪やなんかを取り締まる警察ってこと。フランス
なんかでも文民警察がいないような田舎ではその役目を兼ねてる場合もあるはず。
263136:2001/07/29(日) 12:58
>>262
あ、そうなんですか。
トルコでは憲兵軍のことをまさにそのフランスの憲兵Gendarmeから借用して
「ジャンダルマ」って言うんだそうですが。
ってことは、その存在時代は全く珍しくないのかな?
264世界@名無史さん:2001/07/29(日) 13:26
>>263
珍しくないです。軍人としての罪(例えば戦場や訓練中に民間人を殺したり)を犯せば
憲兵隊につかまって軍事法廷逝きです。極論すればこの仕組みがなければ戦場で
軍人を殺しても殺人罪で文民警察に捕まる可能性もあるわけで。もちろん民間人が
同じ事をすれば殺人罪ですが。
ただそれを「軍」と呼べるというのは珍しいと思います。
265世界@名無史さん:2001/07/30(月) 23:21
PKKがんばれ。
266世界@名無史さん:2001/07/31(火) 00:42
オジャラン議長捕まっちゃったし。
死刑判決になったんだっけ?
267世界@名無史さん:2001/07/31(火) 01:11
海外サカ板にトルコ代表スレが。
http://ton.2ch.net/test/read.cgi?bbs=football&key=996505902&ls=50
268世界@名無史さん:2001/07/31(火) 01:18
インドネシアにはその名もずばり「警察軍」てのがあるね。
ほかにも「戦略予備軍」とか、あの国は萌えるものばっかりだ(w
269世界@名無史さん:2001/07/31(火) 02:24
ロシアの内務省軍も警察軍だよ。
要するに文民警察に対する軍民警察。
270世界@名無史さん:2001/08/06(月) 22:50
アタテュルクの宗教政策について詳しい人教えて。
礼拝するとき、トルコ語を使うようにしたってあったけど、今ではどうなの?
それで、アッラーのことをタラン(だっけ?)と呼び変えたりしたというけど、今ではどうなの?
教えてきぼんぬ。
271世界@名無史さん:2001/08/07(火) 01:15
>>270
礼拝についてはがいしゅつです。(>>251

純トルコ語で神様は「タンル」、「テングリ」のアナトリアなまりです。
今はアッラーを無理に言い換えたりはしないみたいですね。
日常語でも「インシャーラー」みたいな「アッラー」の入ったアラビア語の単語を使ってますよ。
272270:2001/08/07(火) 20:53
そうだったか。スマソ。
273270:2001/08/07(火) 20:56
あ、でも、いまでもその”タンル”という語は使ってるの?
274271:2001/08/08(水) 07:25
>>273
普通名詞で「神様」の意味で使いますよ。
アッラーを絶対タンルって言い換えなきゃいけないことはないみたい。
275270:2001/08/08(水) 21:05
なるほど、そうなのか。
ありがとう。
276世界@名無史さん:2001/08/19(日) 12:42
質問ですが、共和国が成立して確かマルタかどっかに亡命したスルタン
及びその子孫は今どうしているのでしょうか?
277世界@名無史さん:2001/08/19(日) 13:41
戦争弱いねぇー
(メジャーになれない、マイナー選手って感じ)
278世界@名無史さん:2001/08/19(日) 18:46
>>276
このスレの前の方>>100 >>104でスルタンの子孫について言及してます。
関連スレ↓「スレイマン国王について」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=978955916&ls=50

>>277
トルコは戦争強いよ。オスマン帝国時代に領土を蚕食されたから弱いイメージあるけど、
共和国になってからは結構強い。もし弱かったら現在の領土は維持できてなかった。
クルド人も抑え込んでるし、キプロスにも出兵してるし、逆にトラブルメーカーなくらい。
「アメリカの巨大な滑走路」と揶揄されたりもするが。
279276:2001/08/19(日) 21:35
>>278
ありがとうございます。
280世界@名無史さん:2001/08/19(日) 22:02
アタテュルクの手腕だな。
281世界@名無史さん:2001/08/19(日) 22:31
ケマルの方針は
トルコに平和を世界に平和をだったと思うよ
282酔鯨ジョーカー:2001/08/20(月) 01:22
ケマル「内に平和を!外に平和を!」。 話しが逸れるがイランにもトルコ共和国を見習い世俗主義・親欧米路線になって欲しい。パーレビー王朝の復古を望む訳じゃないが、ウラマーにはテヘランからコムに帰ってもらう。
283酔鯨ジョーカー:2001/08/20(月) 01:34
トルコとイスラエルとの海軍や空軍の共同演習も良いねぇ。それに革命前のイランの秘密警察サバックも良かった。イスラム急進派に氏を!
284酔鯨ジョーカー:2001/08/20(月) 01:50
これからもトルコ共和国にはイスラム主義者やクルド過激派を討伐し続けてもらいたい。
285世界@名無史さん:2001/08/20(月) 02:04
アメリカの手先でシオニストの共犯者じゃねーか> トルコ共和国&イラン王国
286日本@名無史さん:2001/08/20(月) 05:24
ケマルの指導によるトルコのアルメニア人虐殺問題についてはどうなのですか。
287世界@名無史さん:2001/08/20(月) 20:39
>>282
イラン帝国ってトルコとともにイスラエルの中東における橋頭堡だったんだが、今
となっては信じられんよな。エルアル航空も1959年8月1日から79年2月10日まで
テヘラン便を飛ばしてた。90年代にバンコク便やデリー便を飛ばすようになるまで
エルアルで唯一イスラエルより東へ行く路線だった。
2年くらいまえの朝日の正月の外信面の企画にあったのだが、60年代のイランでは
女の子がミニスカートはいてた。「深夜特急」に出てくるのだが、70年代は長距離
バスでもアルコールサービスがあったようだ。早くあのころに戻ってほしいよ。
288ななし:2001/08/20(月) 20:46
>>286
アルメニア人虐殺はケマルの指導とは必ずしもいえないのでは?
青年トルコの大暴走なのは確かですけど。

クルド人弾圧なら全面的にケマルの責任ですけど。とはいえ、クルド人国家
建設はトルコにとっては認められない要求ですからね…。
289276:2001/08/21(火) 00:03
深夜特急にアフガンの記述が出てくるね。
あのころに戻れたら旅するのに。
290世界@名無史さん:2001/08/22(水) 02:33
>>289
「深夜特急」によれば、当時のカブールはパッカーの巣窟だったとか。ただでさえ
観光資源少なそうなのに、バーミヤン壊してどうする気かね?

>>288
たしかに直接手を下したわけではない。しかし、セーブル条約を破棄して
西アルメニアを奪還したという意味ではアルメニア人にとって罪人かもしれない。
ケマルにはギリシャ人の方が痛い目に遭ってると思うが。
291大スキピオ:2001/08/22(水) 06:50
>>290 ロケット砲で破壊した石仏の石を、御本尊、御神体として、インド・日本などに広く輸出しとります。
292世界@名無史さん:2001/08/22(水) 07:55
ケマルって、ヒットラーについてどう思っていたのかなぁ?
293酔鯨ジョーカー:2001/08/22(水) 08:45
>292 私もそれを知りたい。ケマルは1938年まで生きたからオーストリア併合あたりまでは知っていた筈だし。
294酔鯨ジョーカー:2001/08/22(水) 13:44
トルコ共和国・(イスラム体制が倒れて)イラン共和国・イスラエル国の
三者が力を合わせてイスラム原理主義やアラブ民族主義に
対抗すべし!
295世界@名無史さん:2001/08/24(金) 01:03
>>293
このスレの>>224にあったのだが、もしトルコ共和国が解体かそれに近い状態だったら、
失地回復すべくドイツ側に立っていたでしょう。で結局また負けて共産化されていた・・。
あの時点で許容できる範囲内の失地だったから枢軸側にはつかなかったと漏れは見てます。
反露、第1次大戦での負け組と共通項は多いですから。それに今の民族政策だって、
十分ナチス的だと思いますが・・。
296世界@名無史さん:2001/08/24(金) 01:13
アゼルバイジャンが何故赤化したのであろうか。
297世界@名無史さん:2001/08/24(金) 01:15
ケマルはドイツにだけはついて行くな、と言ったらしい。
戦争やってもイタリア以上に足手まといになっただろうしね。
革命が失敗してスルタン政権が残ったら絶対枢軸で参戦したろうけどね。

ケマルは革命の初期の段階でソヴィエト政権の支援を受けていた
って話を聞いたけど、どの程度のものだったの?
298世界@名無史さん:2001/08/24(金) 04:45
トルコは朝鮮起源 ソースもある
299世界@名無史さん:2001/08/24(金) 23:15
>>298
馬鹿なこと言ってるんじゃないよ。
シ・ネ

>>297
実質的な援助は得ていない。
300世界@名無史さん:2001/08/24(金) 23:33
唯一の旧宗主国(オスマン・トルコ)ということでパレスティナ問題に一石投じて欲しいものだ。
301アーガ・ベイ:2001/08/25(土) 01:32
トルコが親日国なのはいいとして、
さて、トルコ人が一番嫌っている国はどこでしょう?
ロシア?
ブーッ。はずれです。ロシアは二番くらいかな。
一番嫌われているのはなんてったってギリシア。
ビザンツ帝国復興なんてとんでもない野望を抱いて
アナトリアの奥深くまで侵略してきたギリシア軍を
すでにボロボロだったトルコ軍が撃退できたのは奇跡。
でもその直後、トルコ人は逃げ遅れたギリシア人を
「軍が憎けりゃ民間人まで憎い」と大量虐殺。
おかげでギリシアのほうもトルコを憎みつづけている。
(ちなみに住民交換はその後のことです)
西側諸国はギリシアびいきなもので、おかげでトルコは冷遇されている。
EU加盟にしてもギリシアが根強く反対しているから難しいのでは?
サッカーでトルコ対ギリシアなんてなるともうほとんど戦争。
でも先日の地震ではこの両国はお互い助け合ったそうな。
やっとこさ雪解けなのだろうか?そうも思えないんだが・・・。
キプロスは相変わらずだしなあ。
302世界@名無史さん:2001/08/25(土) 01:35
日本と韓国の関係みたいなものだ。
303世界@名無史さん:2001/08/25(土) 01:43
あとアルメニアがあるな。
反トルコ。
304世界@名無史さん:2001/08/25(土) 01:54
トロイの遺跡ってトルコにあるんだね。ギリシャかと思ってたよ。ああDQN治れ。
305アルメニア@名無史さん:01/08/26 18:26 ID:iIYZbbX.
>>301 >>303
ブルガリアも反トルコ色が強いね。ギリシャとアルメニア、イランは反トルコで仲が
いい。軍事協力もしてるもよう。漏れがアテネの「軍事博物館」に逝ったときも、
国防雑誌があった(英語版)のでチラチラと読んでると、ギリシャの国防相がイラン
を訪問したときの記事が載っていた。一方トルコはアゼルバイジャン、イスラエルと
反イラン、反アラブで緊密。
漏れは1年ほど前にイスタンブールからテッサロニキに鉄道で移動したことあるが、
国境の3つくらい前の駅から引き込み線に戦車が置いてあったりと今も緊張が感じられた。
19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけてギリシャやブルガリアはトルコの領土を蚕食
し続けた。ギリシャ側にすれば失地回復と異民族支配下のギリシャ人解放という言い方が
できる。
アテネの「軍事博物館」にメデア・イガリ(小アジアやイスタンブールを含む大ギリシャ主義)
や「イズミール陥落」についての資料や展示があるかと期待してたのだが、第2次大戦のドイツ
の侵略やその後の解放についての展示はやたらあったのに、前者の展示はいっさいなかった。
ギリシャの近代史にとっては、そっちの方が明らかに重要だと思うんだが。
とくにアテネよりテッサロニキの方がトルコに近い分、トルコ支配が最近まで続いた分、
対トルコ感情が厳しいように感じたのだが(ちなみに>>134)。
極論だがギリシャの対トルコ感情はイスタンブールが陥落するまで好転しないのでは。
306303:01/08/26 21:09 ID:ZVHaMvjI
オスマン帝国時代の治世ってそんなに嫌われるようなものだったのか?
オスマン帝国の政治は歴史的にも優れた部類に入ると思うが。後期はぼろぼろだったけどな。
アルメニアはともかく、ギリシアもブルガリアまでもねぇ。

イスタンブールがギリシアに落ちたら、今度はトルコ人の方が反ギリシアに染まっちゃうだろ。
307世界@名無史さん:01/08/26 21:27 ID:MiVEMV92
トルコ風呂
308世界@名無史さん:01/08/26 22:32 ID:Kj4ty4eE
>>306
後期のボロボロの中から独立した側のナショナリズムが、
自分たちに身近な「圧制」イメージを
オスマン支配時代のはじまりから一貫して続くものととらえる
マイナスイメージの歴史叙述が行ってきたためだと思われ。
309アーガ・ベイ:01/08/26 22:39 ID:5FPJWULI
ギリシア人がオスマン帝国の支配に対して「イヤだ」と言い出したのは
フランス革命によって発生したネーション・ステートという概念に
大きく感化されて、「ギリシア人の国民国家が欲しい!」と
考えるようになったため。またこれについては当時の西洋知識人が
ギリシア人に独立心を吹き込んだ可能性もあり。独立戦争には
古代ギリシアを精神の故郷と仰ぐ多数の西洋インテリが志願して
参加していたりする。よってオスマン帝国の統治が劣悪だったと
いうわけでは特にないと思われ。
アルメニア人は気の毒な人々だが、ギリシアについては西洋列強の
虎の威をかる狐、という気がして、私は嫌いだね。
310酔鯨ジョーカー:01/08/27 16:06 ID:tuSQ2/cs
いや、ギリシャも西欧列強に振り回されてきたよ。
ましてや、キプロス問題では、(少なくともトルコに
よるキプロス北部占領までは)英米はトルコに味方していたしね。
311 :01/08/27 20:33 ID:oW6nd6Zc
312世界@名無史さん:01/08/27 23:09 ID:kPf2RSQI
でもトルコがギリシアに対して歩み寄っても、ギリシアはいつも敵対的。
313世界@名無史さん:01/08/27 23:44 ID:gsqj/LDI
>>312
キプロスがまだアレだからいくら歩み寄っても無駄に等しいよYO
314世界@名無史さん:01/08/28 00:47 ID:g1OnxHfU
キプロスって独立国じゃなかったっけ?
315ANT:01/08/28 01:03 ID:5rAjijWc
>>314
独立国。けど北の方は北キプロス共和国かなんかを自称してて、実際はトルコの占領下。
キプロスの住民は8割くらいがギリシア系なのでギリシアへの復帰をめざしてたし、そして
それが北側をトルコが占領した原因でもある。

こんな感じでどう?間違ってたら誰か訂正ぷりーず(w
316世界@名無史さん:01/08/28 03:09 ID:v9GRMQjs
>>315
トルコが派兵・北キプロスを占領したのは
ギリシア併合推進の過激派がクーデタを起こして
穏健派の初代キプロス大統領マカリオス(もともと正教会のニコシア主教)を
追放したのがきっかけだった。
トルコ共和国にトルコ系住民保護のための介入に
格好の口実を与えてしまったんだな。

停戦後、南側は順調に経済発展してるみたいだけど、
国際社会から承認されていない独立国家である北キプロスは貧しい。
トルコから貧しいトルコ人が流入してきているそうだ。
キプロス問題の解決にはまだまだ時間がかかると思われ。
317 アーガ・ベイ:01/08/28 20:27 ID:1FLp6qVc
 私はやっぱりギリシアって嫌い。
 新婚旅行で逝ったのだが、イメージ悪すぎ。なんというか、
相手にされていない感じがした。これはコンプレックスなのか?
フレンドリーな人があまりいなかったのは私の人相が悪すぎたから
かもしれんのだが、なぜかアテネでトルコ人と知り合いになったり
していたのはなんでなのだ?
 まそれはいいとして、かなり前の話題だが、マケドニアに対して
「その国名を使うな!」といちゃもんをつけたのなんか、まさに
噴飯もの。「一体あんた何様のつもり?」って感じ。
 ギリシアには「栄光の古代」しか誇れるものがないんだな、
とつくつく感じ、むしろ哀れに思ってしまったよ。
318酔鯨ジョーカー:01/08/28 21:22 ID:RkPr0ldQ
俺に言わせりゃトルコ人もギリシア人も怠け者の糞民族。
319ANT:01/08/28 22:46 ID:flLv2E4Q
>>317
そもそもマケドニアは古代ギリシア人から見れば野蛮な外国人なはずだったんだがなぁ
今でもマケドニアの正式国名は旧ユーゴスラヴィアマケドニア共和国だっけ?逆かも(w
320世界@名無史さん:01/08/28 23:36 ID:f7Bb/OAM
ギリシアが西欧列強に振り回された云々ってあったけど、それでもギリシア人が調子こいてた部分があるだろう。
イスタンブールを一時期占領して、更に調子こいてアナトリア内部に突入して反撃食らって壊滅。
結局、ギリシア人がトルコ人が憎くしということだったんだろ。

> かなり前の話題だが、マケドニアに対して「その国名を使うな!」といちゃもんをつけた

その道理の無さは、日本の近くの某国にそつくり。
なんかギリシアが嫌いになってきた・・・
321酔鯨ジョーカー:01/08/28 23:41 ID:lTJm8NZ2
トルコ人もギリシア人もヤリチン&モーホーが多いよ。
322世界@名無史さん:01/08/29 00:31 ID:LVkjN0zs
>>319
正式名称は「THE FORMER YUGOSLAV REPUBLIC OF MACEDONIA」
帝国書院では「マケドニア 旧ユーゴスラビア共和国」と訳されている
323ANT:01/08/29 02:57 ID:V0lHwEFM
>>316
すまん。お礼を言い忘れてたよ。補足というか訂正というか、ありがとう。
>>322
ありがとう。マケドニアのほうが先ですか。
気持ちとしてはマケドニア(旧ユーゴスラビア共和国)て感じなのかな。
324酔鯨ジョーカー:01/08/29 08:33 ID:VcuA.9iU
ギリシア北部(北東部の西スラキアは別)がマケドニアという行政地域名って事も有るだろうな。
325酔鯨ジョーカー:01/08/29 12:41 ID:bm8vMI8A
アルバニア人が共通の問題になってからはギリシアとマケドニア共和国の関係は好転したよ。
326酔鯨ジョーカー:01/08/29 13:09 ID:OfMtKYLM
ありゃ324・325は同じ携帯から書き込んだのにIDが
同じだな???
327酔鯨ジョーカー:01/08/29 18:22 ID:DoQjLY4E
訂正:IDが同じ⇒IDが違う
328( ´D`)ノ:01/08/29 18:28 ID:rusaYoB6
>>324-327
っていうか全部IDが違うのれす! 何が起こってるのれすか?
携帯からカキコしたことがないんで、イマイチ仕組みがわからない
のれす。
329酔鯨ジョーカー:01/08/29 18:40 ID:DoQjLY4E
>328
そうなのですか。それでは荒し防止効果は無いのでは?
330ANT:01/08/29 18:47 ID:DeVZ.ZF2
>>329
つなぎっぱなしじゃないと同じIDって事は無いんじゃないのでしょうか?
確かに防止する意味はないかなぁ…なんのためにIDついてるんだろ?
331アルメニア@名無史さん:01/08/31 01:14 ID:klkWJ1Rk
>>317 >>319 >>320
ここは別にギリシャやトルコの個人的な好き嫌いを語るスレではないと思うのだが・・。
もともとの「マケドニア」というのは現在の「マケドニア共和国」領(ギリシャ側が
スコピエ政府と呼んでいる国)、ギリシャ領、ブルガリア領の3カ国にまたがる広い
地域で、それぞれ「バルダル・マケドニア」「エーゲ・マケドニア」「ピリン・マケドニア」
と呼ばれている。もともとブルガリア人、ユダヤ人、ギリシャ人、セルビア人、トルコ人、
アルバニア人が混住してて、現在の境界も20世紀初めのギリシャとブルガリアとセルビアが
トルコの領土を分割していく過程でできた。で、その後国境に沿ってエスニッククレンジング
しちゃった。だからギリシャ側が「マケドニア」を名乗る権利もあるし、「マケドニア共和国」
という名称にケチをつけるのも、それなりの理由がある。
ちなみに「マケドニア共和国」が当初国旗に定めた「ベルギナの星」はギリシャ側でもマケドニア
地方の旗として使われていて、「マケドニア共和国」が白地に赤なのに対し、ギリシャ側は
白地に青(ギリシャ国旗の色から取ったと思われ)。

>>320
ギリシャ軍がイスタンブールを占領したことはないと思うが・・。第1次大戦後の短い期間に
英仏軍が占領したことはあったが。
332ANT:01/08/31 07:00 ID:/Cj7xg.E
>>330 自己レス…?
今は逆に別人でも同じIDってのが頻発してるらしい…ますます意味ないじゃん(;´Д`)
333耶蘇吉ジョーカー:01/09/01 13:53 ID:7a1ICvLQ
うむ、第一次世界大戦後にイスタンブール(コンスタンチノープル)を
占領(「保障占領」)したのは英仏軍。ギリシャ軍は英仏に
入れてもらえなかったの。イスタンブール以外の東トララキアは
イズミル(スリュミナ)はギリシャ軍が占領したけれどね。

話は変りますが、トルコ共和国の少数民族は、クルド、ラズ(カフカス系)、
ヘムシン(アルメニア人ムスリム)、以外にもいるのかなぁ?
例えば、1923年の住民交換で、ギリシャからトルコに移された
ギリシャ人ムスリムの多くはどこに移住・居住したのだろう?
334上岡士文:01/09/01 14:18 ID:hZKdwx72
酔鯨ジョーカーことジーモン@ケー二ヒスベルクです。
やはり、こんなID表示制は意味無し。
メルアド公開義務制にすべし。
私が2chにレスを入れる際の他のメルアドは、
[email protected][email protected]
335アーガ・ベイ:01/09/02 19:59 ID:xP0gZUQE
>>331
 うーんと、それならね、たとえば日本が中国に対して、「日本にも
中国地方というのがあるから、PRCはいついかなるときにも「中国」と
いう名称をつかってはいけない」といういちゃもんをつけるのも可、という
ことね。ウヨ厨房の好きそうな話だと思わない?

 私はたしかにギリシアが嫌いだけど、このスレで話題にしたかったことは
トルコ共和国のナショナル・アイデンティティにとって決定的に重要な
意味を持つ対ギリシア関係に焦点を当てたかったからなのね。
 トルコとギリシアはたしかに異なる部分も多いけどさ、共有する部分
だって多いでしょ?オスマン帝国では比較的仲良く共存していた
両エスニック・グループが近代の訪れとともに敵対し、殺しあったという
歴史こそを話題にしていきたかったのよ。
 重なる部分といえば、食文化は大きく重なるとは思わない?
 だいたいギリシアの国民酒ともいえるウーゾは要するにラクでしょ?
 ほかにも名称だけ変えた料理ってあるじゃない?ドネル・ケバブは
ギリシアではgyro(読み方はイロ)っていうけど、意味は「回る」
っていうの。たしかドネルも「回る」じゃなかったっけ?
 近代以前は、基本的にトルコ人もギリシア人もまあ宗教以外は
同じような生活をしていたんじゃなかろうかね。

>>333
 おもにイスタンブールないしその近郊に移住し、ギリシア語を忘れ、
大部分はトルコ人に同化した。
 なおギリシアに移住してきたアナトリアの正教徒もだいたいはアテネと
その周辺に移住したそうな。
336アーガ・ベイ:01/09/02 20:20 ID:E/cNw7Is
>>333
 いや、まてよ、そういえば東部のクルド人居住区に入植
したのが引揚者だったという話もどこかで聞いたような・・・。
それから新首都アンカラの住民はどこから来たんだっけ?
 うーん、やっぱりよくわからん。
337世界@名無史さん:01/09/02 20:59 ID:jWKQkOd6
トルコ人はイスラム教以外に何か宗教ないの?
イスラムだけじゃつまらんだろうに。
338fotis:01/09/03 11:09 ID:4aiMKmak
3000年近く続いたアナトリアのギリシャ文化を抹殺したのは、
トルコ人の歴史的犯罪だと思う。
せめてトルコ領内ギリシャ人自治区を作るくらいで手を打って欲しかった。
あと、コンスタンティノープルに住んでいたギリシャ人も保護すべきだった。
339ANT:01/09/03 11:32 ID:6vCpop.A
>338
トルコ人にはオスマン帝国末期、各地が独立した苦い記憶があるのでなかなか
自治区とかは認めないでしょうね。恐らく、自治区=独立のイメージが…
340世界@名無史さん:01/09/03 23:55 ID:0zo0vMaE
>3000年近く続いたアナトリアのギリシャ文化を抹殺したのは
それが歴史の流れって奴だ。
341fotis:01/09/04 13:14 ID:eAVJZ00w
1922年スミルナ陥落当時、スミルナ市民の半分がギリシャ系だったそうです。
小アジア北東部にはギリシャ系ポントス人が独自の文化を守っていました。
ケマルが強いからという理由だけで彼らを追放すべきだったのか疑問です。

>それが歴史の流れって奴だ。
200X年ギリシャ対トルコの戦争が起きれば、流れも変わるでしょう。
1vs1ならトルコが勝つと思いますけど、ギリシャの方が味方が多い。
342世界@名無史さん:01/09/04 23:39 ID:QZppFnhQ
確かにトルコは周辺国に嫌われてるかならなぁ。
でもイスラエルを味方に引きこめれば、アメリカも・・・
343酔鯨ジョーカー:01/09/04 23:52 ID:.OKEiXVQ
ありがとうございます。>335・336 確かにトルコ人もギリシア人も文化面で互いに強い影響を受けたですね。でも、ギリシア軍がエブロス川を突破して、イスタンブールことコンスタンチノポリスを包囲したらおもしろい。
344アーガ・ベイ:01/09/04 23:56 ID:thpRTYV6
>>338
>>341
 なぜトルコがアナトリアのギリシア文明を消滅させたかというと、
ギリシア人のあいだにナショナリズムが蔓延したからだね。
 ナショナリズムは容易に膨張主義に転じるわけでさ、調子に乗った
ギリシア人たちは「アナトリアのわれらが同朋のために、かの地を
征服しよう」などと考えてアナトリアの奥深く侵入したわけね。
 その際にギリシア軍もトルコの民間人に対して略奪行為を働き、
恨みをかったそうな。トルコ軍はなんとかギリシア軍を撃破したが、
反ギリシア感情はどうしようもなく膨れ上がり、イズミル陥落時には
ギリシア系住民の大虐殺が起こったわけね。
 もはや抑えようもなく憎みあうようになってしまったギリシア人と
トルコ人。その結果としての住民交換は苦肉の策だけど、最善の一手
ではあったんじゃないかね。当時としては。まあなんというか、
「アナトリアの正教文化を滅ぼしたのは他ならぬギリシア人の傲慢」
ともいえるわな。
345酔鯨ジョーカー:01/09/05 00:02 ID:WN.cOtqk
アナトリアはトルコ人もの!トラキアとキプロスはギリシア人のもの!
346世界@名無史さん:01/09/05 00:46 ID:hxJGn.bU
ギリシャ文化を破壊したのはキリスト教だろう?
347アルメニア@名無史さん:01/09/05 02:56 ID:vurrSLZc
>>335
>たとえば日本が中国に対して、「日本にも中国地方というのがあるから、PRCはいついかなるときにも「中国」と
>いう名称をつかってはいけない」といういちゃもんをつけるのも可、ということね。
例になってないんだが・・。大体「中国地方」と「中国」はまったく語源が別だし、地域も
まったくかぶってない。「琉求」(台湾のことね)は隋書にも出てくる由緒ある地名だから
「琉球」を使うのはケシカランというなら、まだあるかもしれんが、それすら起きてない。

で、マケドニアについて、も少し書いとくが、331で「ブルガリア人やギリシャ人が混住してた」と
書いたが、「マケドニア人」とは書いてない。マケドニア語とブルガリア語はきわめて近い言語
で、当時の民族分布はブルガリア側は「ブルガリア人」と表記していたし、セルビア側は
「スラブ語を話すマケドニア住民」と表現してた。サンステファノ条約(1878)で
マケドニアのほぼ全域がブルガリア領→トルコに返還→第1次バルカン戦争で3分割となった。
で、「バルダル・マケドニア」(現在の「マケドニア共和国」)を獲得したセルビアが
ブルガリア人と違うアイデンティティーを持たせ、ブルガリア語との差異を強調した
結果が現在の「マケドニア語」というやつだ。「マケドニア語」は1944年にユーゴ政府
が初めて標準の規範を決めた新しい言語だよ。
まあ「マケドニア」に住んでるんだからマケドニア人なんだが、それならテッサロニキ
に住んでるギリシャ人だって「マケドニア人」を自称する権利はあるだろ?
ブルガリアはずっと「スコピエの連中は同じブルガリア人だ」と領有を狙ってたけど、
さすがに現在はブルガリアでも少数意見だ。

ちなみに同じようなケースはモルドバもそうだね。モルドバ人っていうと「モルドバ共和国人」
と「ルーマニアのモルドバ地方の人」の両方の解釈が可能だが、同じルーマニア系のせいで
呼称問題は起きてない。

訂正1 >305 メデア・イガリ→メガリ・イデア
訂正2 >331 「マケドニア」のベルギナの星は赤地に黄色。ギリシャ側は青字に黄色
http://www.ace.unsw.edu.au/fotw/flags/mk-1992.html
http://www.ace.unsw.edu.au/fotw/flags/gr-local.html#mac
348世界@名無史さん:01/09/05 03:35 ID:IHlg6O.o
>>344
それってけっきょく一番責任あるのは
ギリシア人にナショナリズムを吹き込んだ
近代西欧の国民国家体制とロマン主義ってことになるのか…。
349世界@名無史さん:01/09/05 04:14 ID:ZgNSsSjg
>>332
自宅の電話や携帯からダイヤルアップで接続したり、会社や学校で
もPC立ち上げる毎にサーバからIPアドレスを割振ってもらう仕
組みであれば、そのつど表示されるIDは異なるようです。

ただ、書込みのIDが同じなら、かなりの高確率で同一人物による
ハンドル名の使い分けと見なして良いのでは。
350ANT:01/09/05 10:49 ID:1rhJuF4A
>349
そうなんですか。でも見た目明らかに質問者と解答者だったけどなぁ…各地で自作自演
に騙されちまったのか。

>347を見てて思ったんだけど、トルコ人って何を基準にして決められてるんでしょうか?
決められてるって言い方はおかしいかな。トルコ人は自分がトルコ人であるという基準
…て、同じか(w
351世界@名無史さん:01/09/05 13:21 ID:IHlg6O.o
>>350
一般的な定義は(アナトリア・)トルコ人とは
トルコ語を話すバルカン・アナトリア在住のムスリムのことでしょうね。
ただし、かつてギリシアであったように、
ギリシア語を母語としトルコ語をまったく話せなくてもムスリムである、
という者も「トルコ人」として認定されたこともあったりして、結構あいまい。
かつてはボシュナク人(ボスニアのスラヴ系ムスリム)も
地元でトルコ人扱いされていたこともあったとか。

ところで、トルコ共和国憲法には
トルコ国民がすなわちトルコ人(テュルク)である、と定められております。
だからトルコ政府に言わせりゃクルド人もトルコ人の一派なの(w
352シモニス@コンスタンチノポリス:01/09/05 13:48 ID:G.J0F9D2
テュルクとユダヤを皆殺しにせよ!
353アーガ・ベイ:01/09/05 22:34 ID:qNHm3KlM
>>347
>例になってないんだが・・・
 もともとの事例自体が前例すらないドキュソなんだからさ、
あえて例を挙げるとしたらこんなわけのわからん例にしかならんのよ。
 歴史的経緯はあなたの説明で必要十分だと思うよ。たしかに背景を
知っておくことは大事だよね。
 たださ、いくらなんでも相手の国名にたいしていちゃもんをつける
なんてのはさ、まあこの世界には無礼千万な国にはこと欠かないんだけど、
それでもほとんど前例もないようなドキュソな振る舞いだったわけ。
まともな頭の持ち主なら、こんなことをしたら国際的にも呆れられる
だけというのはわかりきったことなのに、それでも非難を敢行した
ギリシアの病的なナショナリズムが問題なのね。
 ギリシア人は自分たちを「西洋文明の祖である偉大なる古代ギリシア人の
末裔」と自己規定しており、周囲の東欧人やトルコ人を見下すことによって
かろうじて自我を支えている、と、そんなふうにも思えるわけ。

>ところで、トルコ共和国憲法には
 さて、クルド人問題はトルコのアキレス腱だね。
 トルコは公式にはクルド人というトルコ人とは別個のエスニック・グループ
が存在することを認めていない。さらに「クルド語はトルコ語の方言」と
断定している。トルコ当局にいわせれば「国内のイスラム教徒は
トルコに同化しなさい」ということなんだと思うんだけど、クルド人の
中にはこうした政策に抵抗している勢力もあるわけだね。
 なんというか、私はトルコの対クルド人政策を見るとさ、ちょうど
明治政府の対アイヌ政策を見るようで心苦しくなるんだけど、これは
トルコ共和国を語るにあたっては避けては通れない問題なんだろうなあ。
354酔鯨ジョーカー:01/09/05 22:47 ID:eJT5scvM
そういえば、在日(駐日)トルコ大使館のHPでも、
トルコ共和国政府の対クルド政策の正当性と、
クルド労働党の凶悪性を必要以上に強調しているね。
後ろめたさがあるのかな?
355世界@名無史さん:01/09/06 01:30 ID:yASIiVHA
346が正解。
356酔鯨ジョーカー:01/09/06 22:00
そう、古代ギリシャ文化を破壊したのはキリスト教、
ビザンツ文化を破壊(といってもバルカンのそれは比較的安泰)したのは
トルコです。
357酔鯨ジョーカー:01/09/06 22:16
トルコ共和国とイスラエル国を地上から抹殺せよ!
358世界@名無史さん:01/09/06 22:50

おまえが抹殺されろ。
359酔鯨ジョーカー:01/09/06 23:17
大ドイツと大ギリシアの復活、そしてユダヤの撲滅を望むことが悪いの?
360世界@名無史さん:01/09/07 01:40

ユダヤ人が何をしたというのだ。
361世界@名無史さん:01/09/07 13:55
イスラム教国でありながら、なんで酒を飲んでもいいのか。
362世界@名無史さん:01/09/07 13:59
政教分離してるからだよ。

ちなみに日本に来てるイラン人酒のんでるゾ!
363世界@名無史さん:01/09/07 14:02
オスマントルコの時代でもわりと宗教には寛容だったと
思うけど。遊牧民族の特徴か?
364世界@名無史さん:01/09/07 14:44
>>362
イスラム教は、神に謝罪すれば軽微な罪は赦されるのです。
365アーガ・ベイ:01/09/07 20:15
 基督教徒でも宗派により禁酒の掟があるところがあります。
 プロテスタント系の新興宗派に多い。アーミッシュとか、モルモン教とか。
 エホバの証人も確かそうだったはず。

 トルコ人の酒好きがどこからきてるのかは、深遠な命題すぎてわからん。
 でもトルコでもイスラム聖職者はさすがに酒は飲まないだろうと思われ。
366酔鯨ジョーカー:01/09/07 20:49
私は反トルコでもなければ反ユダヤでもないよ。 トルコ人とギリシア人は飲兵衛ぶりでも似ている。因みにホメイニ革命前のイランもイスラム圏では有数の左党天国だった。
367世界@名無史さん:01/09/07 21:02
ラクって有名な棗(なつめ)で出来た酒があるよ。
すごいきついんだよね。

ちなみにウイグル人も酒好きだね。
368アルメニア@名無史さん:01/09/07 21:17
イランの飲酒の話は「深夜特急」にも載ってたね。バスの中でビール飲んでる話。
「砂のクロニクル」って小説にもイスラム革命後に密輸入した酒を売り歩く話が出てくる。
今もアゼルバイジャン地方にワインの名産地があって、そこでは酒造を黙認されてる
そうだ。まあ「シラーズ」の原産地だからね。

>>359
これってネタだよね?ユダヤの撲滅と大ドイツ主義には親和力があるんですか?
369アーガ・ベイ:01/09/07 21:20
>>367
 ラクの原料は棗にかぎらない。干し葡萄やイチジクも可。
 発酵させた果実酒を蒸留してつくる。
 ただ最後にアニスで香りをつけるのは必須。
 なお全く同じものをギリシアではウーゾ、南仏ではパスティス
といい、土地の名物となっている。全て水で割ると白く濁る。
 でもアニス酒って地中海文化と何か関係があるんだろうか?
370酔鯨ジョーカー:01/09/07 21:23
>368 ネタというか泥酔による迷言です。
371:01/09/07 21:37
あらく萌えー
らいら萌え−
372酔鯨ジョーカー:01/09/07 21:42
日本のトルコ料理店やギリシア料理店でも飲めるよ。
373世界@名無史さん:01/09/07 21:43
トルコ国歌イスティクラル マルシュってかっこいいよね。
374酔鯨ジョーカー:01/09/07 21:48
ケマルの死因はアル中らしいけど、トルコの学校とかではどう教えているのかなぁ?いくらなんでも、「アタチュルク」がアル中死じゃねぇ・・・
375341:01/09/07 22:36
>>353 マケドニアの名称が問題になる原因の一つとして、ギリシャ北部の分離独立運動が挙げられます。
ギリシャの北部はアテネを中心とする南部に対し違和感を持っており、テサロニキを中心とする「マケドニア」として独立しようとする動きもあります。また、北ギリシャの住人に対しては、いまだに「マケドニア人」という分類がなされることがあります。
ギリシャ政府にとって、すぐ隣に「マケドニア」などと名乗る国があるということは、国土の分裂を促進する危険因子になりかねません。だから、ギリシャ政府はマケドニア共和国に抗議するとき、「領土的野心」を理由に挙げたのです。
名称問題は「無礼千万」だけで済む話ではないと思います。

酒の話で盛り上がっているところに堅苦しいことを書いてすいません。
376アーガ・ベイ:01/09/08 23:03
>>375
 うーんと、まだ説得力に欠けると思われ。
 EU加盟国では国内に分離独立運動を抱えていない国のほうが少ないし、
それだけでは「無礼千万」の言い訳にはならないだろうねえ。
 第一、「分離独立を主張する国内の少数民族と同じ名称の外国が存在する」
というケースは、フランスとイギリスもそうなんだよ。
 ブルターニュ地方のブルトン人は言語も風習も多数派であるオイル人
(広義のフランス人)とは違うんだけどね、ブルトン語が
長年にわたって弾圧されてきたこともあって、
暴力的なものではないけれど分離運動が根強くあるわけね。
 一方、イギリスは正式名称の中に「グレート・ブリテン」というのが
あるんだけどさ、ブリテンというのがブルトン人の土地という意味の
ラテン語「ブリタニア」からきているというのはご存知でしょう?
 あなたの主張でいくと、フランスはブルトン人の分離独立運動を
牽制するためにイギリスに対して「グレート・ブリテンという名称を
使うな!」といちゃもんをつけてもいいことになるよね?
 いやね、こういう文句をつけたというのがイラクとかPRCとかなら
「なんだ、またかよ」ですむんだけどさ、かりにもギリシアはEU加盟国
でしょう?どう考えても正気の沙汰ではないわな。
 ギリシア人というのはさ、血統的には古典古代のギリシア人とは断絶が
ある、というのはほぼ確かなんだけど、現代ギリシアの国家的アイデンティティ
は「自分たちは栄光或る古代ギリシア人の末裔であり、またビザンツの
後継者である」ということなのね。血統的には怪しいぶんだけ、余計に
古代ギリシアと自分たちの親近性というか思考方式の近さを自分たち
自身にアピールしていかないといけないんだろうね。
 だからさ、マケドニアという国名を見てさ、「これは偉大なる
アレクサンドロス大王の国の名前のはず→昔のギリシア人なら、
バルバロイが何を偉そうに、と思うんじゃないだろうか→自分たちは
そのギリシア人の末裔のはず→だからわれわれも僭称者たちに対して
居丈高にでるのが当然なのではないか」なんて考えたんじゃないの?
ま、とにかく、20世紀後半のギリシア共和国は、「隣国の国名に対して
愚かしい文句をつけた恥ずかしい国家」として永く人々の記憶に
残るに違いありませぬ。
 
377アーガ・ベイ:01/09/08 23:08
ま、とにかく、20世紀後半のギリシア共和国は、「隣国の国名に対して
愚かしい文句をつけた恥ずかしい国家」として永く人々の記憶に
残るに違いありませぬ。
378世界@名無史さん:01/09/08 23:51
>>376-377
ギリシャの話題はトルコのスレで、トルコの話題はギリシャのスレで展開
するあなたも、変なコテハンとして永く人々の記憶に.....
ってこともないでしょうが、せっかくギリシャ共和国スレがあるんですから
なにも、トルコ共和国のスレでいつまでもネチネチ言ってなくてもいいでし
ょうに。

あと、マケドニアという国名に対するギリシャの反応で言えば、375氏の
説明が妥当だと思います。
国名というのはかなり政治的なものです。気分でどうのというレベルであ
れこれ憶測して、一国の外交をバカ呼ばわりするのはいかがなものでし
ょう。
379アブデュルハミト:01/09/09 00:12
トゥラン主義って何よ。
トゥラン主義がトルコ主義の拡大版ということしかしらん。
380シモニス@ハドリアノポリス:01/09/09 12:40
トゥラン主義とは、中央アジアのテュルク系地域を「回復」しよう!
というトルコ極右の電波思想です。因みに、現実主義者ケマルによってパージ
されました。
381シモニス@ハドリアノポリス:01/09/09 12:41
エブロス川を突破せよ!>ギリシャ軍
382ジョーカー:01/09/09 12:50
58歳(←確か)にして逝ったケマルの死因を教えて下さい。
383世界@名無史さん:01/09/09 13:23
>380
パージ…もしやあなたは天上人様(謎)
384世界@名無史さん:01/09/09 22:53
>>382
肝臓を悪くしました。
俗にアル中と言います。
385世界@名無史さん:01/09/10 14:52
それにしても、シオニスト的思想ってギリシアにしろコソボにおける
ユーゴにしろ本場のイスラエルにしろ、とんでもないことになりますね。

どう考えても、ケマルがトゥラン主義を撲滅したのトルコにとっていいこと
だよなぁ。
386世界@名無史さん:01/09/11 12:44
汎トルコ主義はまだまだしぶとく生き残ってるけどね。

現連立政権の一角、民族主義者行動党が汎トルコ主義的主張を掲げる極右系政党。
今は政権に入っただけに随分おとなしくなっているようだが。
387世界@名無史さん:01/09/11 13:21
パン・トルコ主義は冷戦後の旧ソ連のアジア地域に大々的に
喧伝された。トルコ系企業が多数進出。しかし、いかんせん
トルコ自体が経済危機で次々と撤退。現在は欧米資本が進出。
理念だけで飯は食えないってことね。
388世界@名無史さん:01/09/11 13:37
パン・トルコ主義って現実的じゃないんだよね。
389世界@名無史さん:01/09/11 21:03
しかたないことだ。
トルコ一国で、トルコ系発展途上国を引き受けるようなものだからな。
390酔鯨ジョーカー:01/09/11 22:19
>384 肝機能障害が死因でしたか。何せケマルは、オードブルをつまむ程度の食事で、毎日毎晩コニャックなど強い火酒を喰らっていたそうですからね。
391世界@名無史さん:01/09/11 22:22
カコイイ!
コニャック酔死!
392世界@名無史さん:01/09/17 05:50
このスレ勉強になるなあ……
393世界@名無史さん:01/10/01 05:16
トルコ人が全てキリスト教に改宗したらEUにはいれますかね
394世界@名無史さん:01/10/01 07:17
イスラム教の国でありながらアラブに嫌われてるトルコはちょっとかわいそう。。
395世界@名無史さん:01/10/01 17:33
宿敵であるギリシャが拒否権を乱発するだろうし、
トルコ人流入によるネオナチの勃興が進むことにドイツ政府がどう反応するか。
国内のクルド人問題もある。

政治は難しいのだ。
396世界@名無史さん:01/10/16 11:25
age
397  :01/10/16 12:57
トルコの宿敵は支配していたことがあるギリシャよりむしろ
ロシアやアラブ圏だろう
シリアなんか禄にいききしていないじゃないか。
398世界@名無史さん:01/10/23 01:22
>>397
確かに宿敵はロシアだが、ギリシャは側でうるさいから嫌ってるのよ。
399世界@名無史さん:01/10/23 01:27
トルコ=日本
ロシア=中国
ギリシャ=韓国
400世界@名無史さん:01/10/25 16:05
トルコにとってイラク=ロシアではないかな。400get
401世界@名無史さん:01/10/26 09:57
いや、クルドがあるから関係は微妙です。
402世界@名無史さん:01/11/01 22:26
そーいや、大学時代のトルコ人の講師も大酒のみだったなあ、、、
酒、いいんですか? なんて聞いたら
SANA NE? (お前にゃ関係ねーだろ?)
だってさ。
ごもっとも。
403ホンモノの1です:01/11/02 04:52
いまさらながら、1です。
まさか400超えるとは思ってませんでした。
みなさんありがとう!
404世界@名無史さん:01/11/05 22:31
>>399 お前がトルコを賛美する理由って何? つうかお前の対応表って誰が見ても変だろう。そもそも西アジア〜東欧と東アジアを比較する意味ってあるの? お前、対応表だけ作ってメッセージが何も無いのか?
厨房は氏ねよ
405399氏ね:01/11/08 21:54
まったく こいつはとことん腐っている
399の精神はまるで病人
その病気とは 「いつどんな時も、とことん真剣になれぬ」という病だ
自分が特別な存在なのは人間なら当たり前だが やつはあまりにそれに溺れすぎ
自分の空想と現実をごっちゃにする甘ったれだ
いつだって 許されると思っている
クソスレを立てようと  極論 板を飛ばしたとしても
自分は悪くない 自分は許される なぜなら
いま起こったこの事態はあくまで「仮」で、本当の俺の預かり知らぬこと
そう考えるからだ 嘘じゃない
2chでは無駄なスレッドは立てるなど散々書かれているはずなのに
やつは自分の都合でそれを勝手にねじ曲げる
気分次第で破ってもいいようなものに作り変えてしまうんだ つまり真剣でないのだ
根っこが腐っているとしか言いようがない
通常やつのような人間は 生涯その仮から目覚めない
愚鈍に寝たいだけ寝て 半ば眠っているような意識で日々を繰り返す
退屈を忌み嫌いながら その根本原因病理には ほおかむり
少し熱心になる瞬間といったらこんな だれも見ないクソトピを立てたり
エロ画像を検索するときくらい
なぜそんな糞おもしろくもない気分で この貴重な一日一日を
塗りつぶせるのかというと いつどんな時も現実は
やつにとって「仮」だからだ つまり偽物
「こんなものが自分の本当のはずがない」やつは
そう思いたいんだ ゆえに 30、40になろうと
やつは言い続ける 自分の人生の本番はまだ先なんだと
「本当の俺」を使ってないから今はこの程度なのだと
そう飽きずに言い続け 結局は 老い・・・・死ぬ!!
その間際嫌でも気づくだろう 今まで生きてきたすべてが
まるごと「本物」だったことに
406399氏ね:01/11/08 21:58
     ┏━━━━━━━━┓
     ┃  /      \  ┃
     ┃/         \┃
     ┃ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ┃
     ┃彳 人____ ノ.┃
     ┃λ丿ー◎-◎ーヽミ..┃
     ┃ r  . (_ _)    )┃
     ┃ (  ∴.ノ▽(∴  ノ ┃
     ┃⌒\_____ノ⌒┃
     ┃    ┗━┛   ..┃
     ┃   .ど.れみ.命.  ┃
     ┗━━━━━━━━┛

   やっと氏んでくれたね。>>399
407世界@名無史さん:01/11/15 06:19
祝!トルコ、ワールドカップ出場!!
408YP:01/11/16 00:11
ワールドカップではトルコはどんなふうに呼ばれるのかな?

無敵艦隊、ゲルマン魂、カナリヤ軍団、シャンパンサッカーみたいな感じで。
(カナリヤやシャンパンは世界史とはちっとも関係無いが)
409世界@名無史さん:01/11/16 00:19
カイジ面白いよね・・・
410世界@名無史さん:01/11/16 01:28
>>408
Cim bomマンセー
411世界@名無史さん:01/11/16 07:56
>>408
どうせなら「ケマルの子どもたち」とかいう、トルコに興味がある人以外は
意味不明なのがいいな。
412世界@名無史さん:01/11/16 21:37
399は出てきて406に反論しろ。
413332:01/11/21 21:31
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414世界@名無史さん:01/11/24 23:20
まだまだ続きますぞ。
W杯本選に期待しつつ海外サカ板のトルコ代表スレをリンクしておく。
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/football/996505902/l50
415世界@名無史さん :01/11/24 23:28
ところでトルコは韓国か日本、どちらに逝きたいんだろう?
416世界@名無史さん:01/11/24 23:36
>>415
クジ運次第でどっちでも行くでしょう。それより下関がキャンプ地に立候補してるそ
うだが、もう決まったのか?6月から招致活動してたそうだが、場所的には日韓どっち
にも行ける。
http://www.t-side.co.jp/soccor/worldcp.htm
417世界@名無史さん:01/11/24 23:44
>>415
日本でしょ。
親日らしいから。「親日」が悪口の国にはいきたくないと思われ。
418世界@名無史さん:01/11/24 23:47
吉原のトルコ行きたい。
419世界@名無史さん:01/11/25 00:31
トルコ人は韓国も好きだと言うが・・・
朝鮮戦争のとき、アメリカについで二番目に多くの兵力を出したのがトルコ。
韓国は自分達が守りたてた国という意識がある、らしいが・・・
本から得た知識なので本当かどうか知らない。
420世界@名無史さん:01/11/25 01:40
トルコ人に日本人と韓国人の区別が果たしてつくのか?
日本語と韓国語は外人が聞いたら同じに聞こえるとゆうし。
この疑問はぜひトルコ人にぶつけてみたいものじゃ。
421世界@名無史さん:01/11/25 02:20
>>417
ずばり関係ありません。
トルコの親日っつうのはおとぎの国に対する憧れっぽい所があって
あまり現実味を持ってません。

「先進国、ロシアに勝った国、何か凄い国」って言う漠然としたイメージからくる
憧憬みたいな物で、実際に日本を知っていて日本が好きと言うのはちと違う。

従って反日の国だから韓国に行きたくないとか言う論法は全く成立しないと思われ。
422世界@名無史さん:01/11/25 02:46
>>421
日本人がスイスを好きなのとにたようなもんか。
423世界@名無史さん:01/11/25 03:02
そうでもないぞ。
実際にトルコへ言ってみると日本人かってよく聞かれるし、
第2ボスポラス大橋を作ったの日本だってみんな知ってるよ。
424世界@名無史さん:01/11/25 04:12
シュキュル エムレ オカン
がむばれ
425  :01/11/25 04:42
トルコ人のアルメニア人大虐殺って余り知られていないね。
正直、WW2のユダヤ人と同じぐらいの人が死んだらしいね。
426世界@名無史さん:01/11/25 08:12
組織的虐殺の主体であるオスマン政府が消滅してるところは
ナチスに近いものがあるかもね。
現代のトルコ共和国は責任の所在がトルコ国家にあることを認めないと
ディアスポラ・アルメニア人や欧米の人権擁護者に批判されてるが、
いまのトルコ人は「俺たちゃ関係ない」と思ってる。
共和国初期の東部における軍事行動も
ケマル神格化の結果、美化されているから
そのさいの犠牲者もトルコ人の目には入るまい。
427【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:01/11/25 19:08
トルコ人を中央アジアへ追い払おう!
428トルコ政府:01/11/25 19:12
今でもクルド人を抑圧していますが何か?
429【^▽^】東夷ジョーカー@穢土:01/11/25 19:25
クルド人なんぞ煮て喰おうが焼いて喰おうが構わんが、
トラキアは勿論、アナトリアもギリシャ人のものだから
チュルク豚には出て行ってもらう。
430世界@名無史さん:01/11/25 21:29
>>423
だから具体的な日本の話は知らないで単なる憧憬なわけですよ。
橋作ったのは日本、ってだけで別に日本を知ってるわけではないでしょう。

表面上の政治では世界一の親韓国日本なわけですし
トルコの一般市民層が韓国の細かい事象を知ってるとも思えないですし。
431 :01/11/26 05:15
>426
過去のことではないよ。
今でもトルコとアルメニアの関係は非常に気まずい。
大使館も置いていないしね。
国境を接しているけど、
両国を繋ぐ道路は全て封鎖され、陸路で渡ることはできない。
432426:01/11/26 07:56
>>431
過去のものだと言ったつもりはないよ。
ただトルコ人は「現代のトルコ国民には責任はない」と思ってるってこと。
アルメニア人や欧米がしつこく謝罪を要求するのは
うざったく感じているし、だからトルコ−アルメニア関係は悪い。

あのあたりの民族憎悪って日韓なんてまだまだたいしたことって思わせてくれるよなぁ…。
433「義勇奉公」こそが市民の信念:01/11/26 10:16
トルコといえば「大地震」彼らの「自信」はケマル・パシャ!
ケマル将軍といえば「ガリポリの戦い」ということで、
やはり第一次世界大戦で英仏軍を撃退した誇りは
434.:01/12/06 11:15
正直、決勝Tでトルコ対ロシアを見てみたい気もする

トルコ強いぞ
中東風味の、局地戦の強さ(テクニック)
東欧風味の、速さ(スピード)
そして、西欧風の肉体(フィジカル)

地理関係からか、いろんなスタイルがミックスしているような印象がある
435.:01/12/13 10:59
turkey is the best team in the GROUP C
436語って下さい:01/12/13 15:31
いわゆる小アジアってのは、アナトリア=今のトルコ共和国なわけだけど、
トルコ以外に小アジアの範囲を拡大して2カ国数えるとしたら、もう1カ国とは
ギリシア、ブルガリア、キプロス、シリア、イラク、
イラン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア
などのうちどれになるでしょう?
「小アジア」やアナトリアの語源にのっとった説でも、
歴史的な経緯からでも現在の国情からでも、どんな説でもいいです。
437世界@名無史さん:01/12/13 19:00
何でトルコ以外に二国なの? 学校の課題かなにか?

ギリシア、ブルガリアはどう考えてもヨーロッパでしょう。
438世界@名無史さん:01/12/14 06:12
いや、トルコ以外に2国じゃなくて、
トルコふくめて2国。トルコ以外のもう1カ国は?
ってことです。
439名無しさん@1周年:01/12/14 18:16
>>411
ケマルの子供たち
なんかチャウシェスクの子供たちみたいでやだ。
440名無しさん@1周年:01/12/14 18:19
>>437
あえていうならギリシァかな。
小アジアはあの半島のことだからどの他国もすこしもひっかかっていないの
だが、ギリシァのエーゲ海の島々は小アジアの付属に勘定されていたものが
ある。(ロードスなんかのことだが)
441世界@名無史さん:01/12/14 23:38
シリアはかえってトルコ共和国がシリア地方に侵食しているくらいだから除外。
南コーカサスとアナトリアの境目をどこに置くかが問題じゃないかな?

大アルメニアが実現していれば
間違いなくアルメニアがアナトリアに入るんでしょうけど…。
442名無しさん@1周年:01/12/15 13:11
>>441
>大アルメニアが実現していれば間違いなくアルメニアがアナトリアに入るんでしょうけど…。

あるいはクルディスタン共和国が成立していれば、クルディスタンがアナトリア入り
443世界@名無史さん:01/12/16 00:02
>日本でしょ。
>親日らしいから。「親日」が悪口の国にはいきたくないと思われ。

そもそも、トルコ人が韓国の反日を知っているかどうか疑問
昔、BSか何かのテレビで見たんだけど、
ウズベキスタンに、汎トルコ主義を唱えている人がいて
中央アジアのトルコ系民族はトルコと日本を中心に
まとまるべきだと言っていた。
何で日本?かとおもったら、どうやら日本人はツングース系で
同族であるいう理由らしいのね。でも、最近の研究で
言語学的にも、遺伝子学的にも、日本=ツングース諸族説は
否定されちゃってるでしょう。なんかかわいそうだった。
で、その人は、明らかにツングース系である
朝鮮人については、全く触れてなかったよ。
たぶん韓国なんて存在すら知らないんじゃないの。
444世界@名無史さん:01/12/16 01:13
>443日本=ツングース諸族説は否定
そうなの、俺はツングース+ドラヴィダかオーストロネシアと
思ってんだけど
445【^▽^】縄文太郎ジョーカー:01/12/16 11:54
日本もケマルのアラビア文字廃止を模倣し、
漢字を追放すべきである。チャンコロ文化追放!
446世界@名無史さん:01/12/16 23:30
大野晋ですか?>444
身障ですか?>じょーかー
447世界@名無史さん:01/12/22 06:19
>>443,>>444
日本語もトルコ語も朝鮮語もツングース系じゃないよ。
443はツラン語と混同していると思われ。
448世界@名無史さん:02/01/05 01:35
姉妹リンク。ここには相当トルコについて詳しい方がいるようです。
世界史板の人の意見も聞いたいです。「史実」が全てらしいので。

なんでトルコ人の日本びいきは継続しているの?
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/988479400/
380以降。
449世界@名無史さん:02/01/07 02:34
あー、あの論争まだ続いてんだ。
450世界@名無史さん
>>448
基地外は放置するのが原則。