1 :
天之御名無主 :
2000/10/21(土) 12:03 ギリシアとかの密集陣には弓は通用しなかったんですか。 時代、時代で使われる戦術とか違う理由を教えてください。 後、騎馬隊って臆病な馬使って残党狩りとか除いて有効なのか、教えて ください。
2 :
天之御名無主 :2000/10/21(土) 16:40
蒙古は何故強かったんだ。 馬から弓撃つ技術がすごかったのか。手軽に動けるから人数が多かった のか。 製鉄が優秀とか聞くけど中央アジアでそんなこと可能だったのか。
3 :
天之御名無主 :2000/10/21(土) 16:43
密集集団のギリシア軍と日本の戦国時代の長槍足軽ではどちらが 強いのか。
質問はひとつに絞りなさい。
5 :
世界@名無史さん :2000/10/21(土) 19:03
>>1 この当時の飛び道具はキルパワー(=命中精度+威力)が低かったのです。
密集陣のメリット
正面攻撃力が高い
正面防御力が高い
密集陣のデメリット
機動力が低い
想定外の面に対する防御力が低い
6 :
世界@名無史さん :2000/10/21(土) 21:04
>5 弓が改良されると、密集陣は駄目なのはわかるがそうなると、弓兵中心 になるのか、それとも盾持っての突進も重要なのか、そこらへん教えて。
7 :
世界@名無史さん :2000/10/21(土) 21:34
>>6 飛道具の威力が密集陣の対応力を上回るのは普仏戦争頃。
クレシーの戦い(この場合は相手は騎兵ですが)のように地形を利用しない限りは弓だけで勝つのは難しいです。
8 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/22(日) 10:32
弓じゃなかなか絶命させられないにしろ、何十mかの射程はあるわけだからその間 槍持った歩兵は結構損害受けたのか。次の矢つがえる前に馬なら突進できたのか。 銃の速射ができるようになる前の、戦争のありかたがよくわからないので、教えて ください。 私の読んだ本では、アレクサンダー大王はわざと騎兵で歩兵の密集陣に突入してけ ちらすことでダレイオスを倒したとか書いてありました。 モンゴルと、マケドニアと同じ兵数でぶつかったら、どちらが強いかとか皆さんも 興味あると思うので、近代以前の戦術や兵科に知識のある人、書き込んでください。
9 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/22(日) 10:41
私の読んだ本ではワーテルローでもマケドニア軍なら銃撃に馬が慣れ れば勝ってたろうと書いたいます。題名が思いだせないので申し訳な いですが。 上の人のいうとおり、飛び道具の威力が圧倒的になるのは普仏戦争以 後で、それ以前は東洋の騎兵や軽装歩兵とギリシアの密集陣をくみあ わせたアレクサンダーの軍が用兵術で既に頂点に達していて以後の進 化は少ないという話でした。
10 :
世界@名無史さん :2000/10/24(火) 10:53
ローマ時代にすでにカタパルトやバリスタが大量に装備され、密集陣形は不利となり、 各歩兵間の距離を開けるようになった。そのため騎兵に対して有効な対応ができなくなり、 以後の千年間は騎兵が主力となった。 と本に書いてあったよ。
11 :
世界@名無史さん :2000/10/25(水) 00:51
>10 カタパルトってどういうものですか。矢をまとめて放つものでいいんですか。 それとも投石機ですか。
12 :
世界@名無史さん :2000/10/25(水) 01:06
>>11 投石器。
といっても射出するのは石とは限らず、ギリシャ時代には既に石油などの混合物を砲弾として使用していた。
映画「グラディエイター」冒頭の合戦シーンは必見!
13 :
世界@名無史さん :2000/10/25(水) 22:29
>12 有難う。 古典的密集戦が通用しなくなると、機動力と、地形にあった戦いかたが必要になった ということですかねえ。 日本の源平やヨーロッパのように騎兵が花形の時代になったのもその中では馬の機動 力が重要だったんでしょうねえ。
14 :
void :2000/10/27(金) 17:56
>13 おーい、花形っていってもアルプスやピレネーぐらいしか 山の無いヨーロッパと日本じゃ比べられないよ。多分判ってると思うけど。 それに騎兵戦術って効率的にはどうかな?って思うんですけど。 ユーラシアの北側なら有効だけど、密林地帯や湿地帯だとね。 現にモンゴル軍はベトナム、ビルマあたりで散々な目に会ってるし。
15 :
世界@名無史さん :2000/10/27(金) 22:49
>14 そりゃあくまで一般化した話として書いたんだが。 いろいろ障害物のあるところならそれを生かした陣地戦なりになるだろ うし、時代や国で違う。 ただ傾向として機械で動ける前は、馬力が一番有効で、国家なり権力な りの基盤だろう。 第2次大戦では機甲部隊の時代になるように。
16 :
世界@名無史さん :2000/10/27(金) 23:55
>>1 密集陣と一口に言っても色々ある。
もっとも有名なファランクスは、槍と大きな盾を装備して、
隣と肩をくっつけるぐらいに密集。
ローマのレギオンは投槍と短剣、小さ目の盾を装備して間に人が一人ぐらいの間隔で並び、
切りこみがメイン。
スペインのテルシオは槍兵と銃兵をミックスして密集。
密集の最大のメリットは、兵が勝手な行動が取れないこと。
複雑な運動が出来ない戦技の未熟な市民兵や、戦意のない傭兵を
強制的に、効率よく闘わせるにはベストな戦法なのです。
騎兵は、概して戦略的価値は高いが、戦術的には差ほどでもない。
機動性は凄まじく高いが、携行できる武器は限られるからです。
17 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 00:00
>16 詳しそうなので初歩的な質問。ファランクスの場合、第一列と後ろの列 とで死傷の割合が違うから、そこらへんの調整はどうなっていたのか?
18 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 00:29
前の兵士が死んだら、すぐに後ろの兵士が進んで穴を埋めます。 なお、前後よりも大切なのは左右です。 ファランクスは、左半身は自分の盾で、右半身は隣の人の盾で守ります。 危険から身を避けるのは人間の本能ですから、隣の人の盾に隠れようとして、 右にずれようとします。すると、全体として隊列が右に傾き、 右のほうが前に進んでてしまうことになります。 それを修正するため、端の兵士は特に優秀な兵士を当てます。 なおこの習性を利用して、敵から見て右翼に兵力を集中することによって ギリシア世界最強のスパルタ軍を破ったのがテーバイのエパミノンダスです。
19 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 00:35
>18 感謝。
20 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 00:45
警察の機動隊なんかも対集団の時は密集隊形を組んでるけど、 盾を並べての突撃力はハンパじゃないらしいよ。 暴走族と衝突した時も、あっという間に鎮圧したらしいし。
21 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 09:34
蛇足ながら、18さんに付け加えておくと、隊列を整えるとき、左翼はもっとも 危険であるため、ギリシアの複数のポリスが連合軍を編成する場合、左翼は常に スパルタが担当しました。なんでかというと、スパルタは当時ギリシア世界最 強の陸軍を持っていたから。この最強というのは、もっぱら兵士の資質によって います。
22 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 11:05
>20 機動隊は近々世界デビューするので、どれくらいのレベルなのか注目してます。 …ワールドカップのVSフーリガン戦で。 韓国との比較もできそう。
23 :
痛いよ− :2000/10/28(土) 11:26
>20 ちょっと昔(10年ちょいぐらいかな)、 西成で暴動があったんだけど、 機動隊スゲー。 暴徒と化したプータロ&ヤンキーに対して密集陣形を作って接近し、 盾を水平に持ち替えて(胸ぐらいの高さ)突撃。盾を使った第一撃を加え、 暴徒の最前列を横倒しにすると同時に盾を持ちなおして、 横倒しになった暴徒を機動隊の第2列目以後に取り込んでタコ殴り。 こうやって暴徒の群れを一枚ずつ引っぺがすやり方を生まれて始めてみたもんで、 エラク感心しました。
24 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 12:14
>>22 どうだろう、日本の暴動はおとなしいからね。
投石・火炎瓶・爆弾に対抗できるだろうか?
文字どうり機動隊員をぶちころすくらいの暴動が
あったら迫力負けすると思う。
そいえば、天安門のときも、民衆側が機動隊?を
3,4人リンチにかけてぶち殺してるね。
25 :
痛いよ− :2000/10/28(土) 13:10
>24 そうですね。60・70年代の学生運動相手にしてた人間も 現場から遠ざかって久しいわけだし(ちゅーか既にほとんどが退職)。 世代交代/技術伝承がきちんとなされてるかどうか不安です。
26 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 14:15
機動隊、スキスキage
27 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 16:39
機動隊には思う存分「ボクトー」でフーリガンの脳天を 粉砕すれ
28 :
世界@名無史さん :2000/10/28(土) 19:30
機動隊のやることは軍隊とノウハウが違うからな〜。 あの当時の中国で自国の人間を殺さず鎮圧する方法をちゃんと訓練してなかっ たのかも。で、発砲して…。嫌なハナシだが。 70年代はじめに現場の若手だった奴が今50代だからなんとか技術は 残ってないかな。 韓国の機動隊はやっぱり催涙弾ボコボコなのかなぁ。
29 :
世界@名無史さん :2000/11/03(金) 02:52
あげ
1) > ギリシアとかの密集陣には弓は通用しなかったんですか。 > 時代、時代で使われる戦術とか違う理由を教えてください。 > 後、騎馬隊って臆病な馬使って残党狩りとか除いて有効なのか、教えて > ください。 弓が、全く通用しなかったわけではないし、逆に、 弓兵にやられまくった訳でもないと思います。 密集体型が破られるのは、密集陣形が崩れたとき。すなわち、騎兵の突撃、雨のような矢の嵐、 敵歩兵の猛攻など、原因は何であれ、密集陣形を組んでいる兵隊一人一人が、突き崩されたならば 敗退します。盾を持っていない側面からの攻撃に弱いのは突き崩されやすいからですね。 ですから、訓練度が低かったり、士気が低い兵隊達で組まれた密集陣形は、やっぱり 矢の嵐の前には、慌てふためいて陣形が崩れやすいことも多かったんじゃないかなぁ。> 9)名無しさん@そうだ選挙にいこう さんへ >私の読んだ本では〜 『戦争の起源』 アーサー・フェリル 鈴木主税/石原正穀=訳(河出書房新社) ではないでしょうか? 同様のことが載っていますよ。私も読みました(^^)
31 :
世界@名無史さん :2000/11/12(日) 11:21
>30 レスついてる! 30さんは別なスレですが近世以前で最強の武将って誰だと思います。 時代による戦術や指揮能力の違いは大きかったか小さかったかという 「戦争の起源」にもでてくるテーマに興味あってたてたスレですが。
31)さんへ 近世以前で、後々の時代の戦術にも大きく影響を与えたという意味では、 西洋ならばアレキサンダー以上の武将は、なかなかいないと思いますよー。 ハンニバル・スキピオ・カエサルと、彼の戦術を応用したことを思えば、 戦力の機動的な運用を確固たる物として確立した意味では、大王は大きな 存在と思います。 東洋ではならば・・・難しいですねぇ。上に上げた4人のように 民族・文化圏の異なる外敵と戦って、新しい、もしくは古来からある戦術を 確立した人・・・うーん。申し訳ないのですが、私は東洋の軍侍史には 詳しくないので、あまり深いことはいえないのですが(^^;; 現代にも通用する。という意味であるならば、東洋の勇は、孫子であると 私は思っています。戦術と言うよりは、戦略家としての評価が正当なのですが、 戦術的な要素も十分はらんでいたと私は思いますよ。 では♪
33 :
世界@名無史さん :2000/11/12(日) 21:32
>32 有難うございます。
34 :
世界@名無史さん :2000/11/17(金) 12:59
ネタフリに戻りますけど・・・ >1 ギリシア式密集陣では隊列後方の人達は槍を斜め上に上げ、これによって弓を防いだそうです。 当時の弓は中世の複合弓程には射程がなかったはずなので、 突撃すれば弓で損害を受けるより早く斬り合いに持ちこめたのではないでしょうか。
35 :
世界@名無史さん :2000/11/17(金) 14:34
>>2 >>3 >蒙古は何故強かったんだ。
馬から弓撃つ技術がすごかったのか。手軽に動けるから人数が多かったのか。
馬上からの戦闘技術は世界最高だったでしょう。モンゴル人は馬に乗って
生まれるといわれるくらいだし。また、1人の騎兵が2〜3頭の馬を引き連れて、
圧倒的なスピードで進撃できた。常備兵などがほとんどいなかった時代に、
こんなスピードで侵攻されれば、守備側はまともな兵馬をかき集める間もなく
戦闘を強いられた。それに、モンゴルは戦術的にも結構多彩で、騎馬だけでなく
攻城戦でも投石器を使ったり、元寇でおなじみのロケットの原型みたいな兵器を
使ったりもしている。中国での戦闘経験が役に立ったんだろうが、騎馬の機動力に
個々の戦闘力の高さ、新兵器と強さの秘訣はそれなりに整っているように思える。
あと、常に野戦みたいな日常の遊牧生活も、応用が利きやすいのかも。
36 :
世界@名無史さん :2000/11/17(金) 17:08
モンゴルと例えばシーザー軍が戦うとどちらが有利なんですかね。 シーザーなら、その場の戦術でポンペイウスの騎兵無力化したりいろ いろするし、味方が陣地で防ぐだけの工兵技術も豊富だから、それほど モンゴルの機動戦術も恐れないように思えますが。時間さえ稼いで決戦 に持ち込めば楽勝しそうに思える。 進撃のスピードならアレクサンダーの方が速いし。
37 :
名無しさん@1周年 :2000/11/19(日) 12:28
モンゴル軍は不利になるとワラワラとアメーバーのように逃げ散って、再結集なり、包囲なりを試みるから… 数が同じなら、モンゴルの勝ち? 時間さえ稼げば決戦に持ち込めるかもしれないが、モンゴル軍の一番の 利点が「望むとき、望む場所」で戦える機動力だからやはり、モンゴルの勝ち。
38 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 17:36
ただ決戦になれば、歩兵のいた方が強そうだが。 騎兵は中世のヨーロッパでも、歩兵の隊列崩すためにあって、ある程度 密集して隊列保てる歩兵には洋の東西を問わず、有効でなかったようで モンゴル軍の逃げられる場所にもよるが、陣地作るのモンゴル軍下手そ うだから、騎兵でにげたモンゴル軍を電撃的に追撃して逃げたところで つぶすのも充分可能なような。 トップレベルの歩兵の機動力なら一日数十キロ動けるから、そうは騎兵 と変わらないし、騎兵は補給が大変だ。
39 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 19:05
>騎兵は補給が大変だ。 それが不思議。 モンゴルの数万もの騎兵に供給するマグサは どうやって調達していたのだろう? 彼らの故郷のステップなら現地調達かもしれないが、 中近東やロシアで簡単に手に入るものなのだろうか? モンゴル帝国が古代ペルシャやローマに匹敵する官僚機構を整備して、 延々数千キロもマグサを補給していたとは思えないし・・・
40 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 19:22
>>39 糧は現地に拠れ と言う方法と、
馬を何頭も連れて行き、馬乳を飲んだりして突き進む。
41 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 20:22
>>39 人間の食料に関しては、モンゴルでは結構保存食の技術が優れてたりします。
42 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 20:29
>41 チーズとかの乳製品ですか?
43 :
世界@名無史さん :2000/11/19(日) 23:08
>39 ロシアでなら、簡単に手に入る。 中東では、その疑問の通り。実際にラクダ騎兵のマムルーク朝に 負けていたりするわけで、バクダット辺りで止まってますよね。 イル=ハン国になってからは途端にイスラム化しちゃったし。 ただ、中東では結構競馬が盛んだったりする。現在の大きな馬体の 馬は中東が原産ですからね。そこらへんは詳しくないので、何ゆえか 分かりませんが。
44 :
世界@名無史さん :2000/11/20(月) 01:50
モンゴル兵は一人5〜6頭の馬を連れている。 いざとなりゃ、その肉を食える。また血も大事な食料(水分&塩分補給)。 しかしマムルーク朝って、西からはルイ9世、東からはモンゴルという挟み撃ちにあって それに耐えた国なんだよなあ。マムルーク万歳。 やはり豊かなエジプトと、インド洋貿易をがっちり押さえていたからだろうか。 で、話はずれるけど、そのマムルーク衰退の契機となったプレヴェザの海戦。 なんで負けちゃったの?
45 :
某研究者 :2000/11/20(月) 02:42
まあ矢張り正面と上方に向けた矢で同時に攻撃した場合 大型の盾を構えた兵が撃破される可能性もある訳だろうか 無論ローマの亀甲隊形の様に上方からの攻撃を防護可能な物も有るだろうが 騎兵突撃は同数程度であればパイクで止められるとしても 当然密集隊形は機動力が低いので投石器で攻撃された場合は問題だろうか (或いは炸裂弾を投げ込まれた場合は問題だろうか)
46 :
某研究者 :2000/11/20(月) 03:06
まあ騎兵では盾を持ち密集した歩兵には抗う事は出来ぬと有るが 確か盾を貫徹する為の槍(先端から半分が金属製)と言うのが有った様であるから 其れを馬で速度を付けて投げ込まれれば薄い盾では貫徹する恐れも有る訳だろうか (只無論敵の弓の射程内からの攻撃では意味は無いだろうが 300m以上槍を飛ばすのは非現実的であり奇襲の先制攻撃用に限られるだろうか) 或いは火矢等で盾を攻撃された場合炎上の可能性は無いのか 後は戦車に投石器やバリスタ(射程300m以上)を取り付け密集隊形の部隊を攻撃すると言う方向性は
47 :
某研究者 :2000/11/20(月) 03:49
矢張りバリスタで分散された歩兵への 騎兵・歩兵からの弓での攻撃というのは有効であり バリスタが利用不能な状態であれば敵は密集し 事実上攻め手は歩兵での近接戦闘しか無くなる訳だろうか
軍事板に帰りなさい、だろうか
49 :
名無しさん@1周年 :2000/11/21(火) 13:38
人類の歴史は戦争の歴史。 問題ないと思うよ?
50 :
世界@名無史さん :2000/11/21(火) 14:20
>43 マムルークはもともとトルコ系遊牧民であって、馬の騎兵です。 中東=ラクダってのは先入観だよ。 サラブレッドの御先祖様もアラビア産の馬です。 でも、砂漠地帯ではカイバはどうしてるかは知らない。すいません。 >44 プレヴェザの海戦はオスマン対ヴェネチア。 だから、ディヴ沖の海戦の間違いじゃないかな?
51 :
世界@名無史さん :2000/11/21(火) 15:27
マムルークはトルコ系が多いけど、基本的には奴隷出身だから。 別に馬を連れてエジプトに入ったわけじゃない。 まあ、確かに中東とラクダを結び付けるのは早計かもしれないが、 アラビアのロレンスなんかでもラクダに乗ってたし、ラクダの 競馬もあるしなぁ。全くラクダの騎兵がいなかったというわけでも ないと思うんだが。まあ、詳しくは知らないんだが。史実としても、 どこかに載っていたような気がする。
52 :
50 :2000/11/21(火) 20:19
>51 う〜ん、全くラクダがいないとは言ったつもりなかったんだけどなぁ…すまんす。 >別に馬を連れてエジプトに入ったわけじゃない。 つまり、逆に言えば馬連れじゃない遊牧民出身者に馬を供給できるほど、 馬がいたんじゃないでしょうか。少なくともエジプトには。 エジプトはナイルの流域だけ緑があるからカイバには困らないだろうしね。
53 :
世界@名無史さん :2000/11/22(水) 22:56
>3 >密集集団のギリシア軍と日本の戦国時代の長槍足軽ではどちらが >強いのか。 異なる時代の異なりすぎる環境のものは一概に比べられません。 戦国時代の長槍足軽だけ、という部隊はすぐ逃げますよ、指揮官がいなければ。 戦国後期、関が原あたりの日本兵3千人とギリシアファランクスなら、 日本兵の圧勝でしょうね。ギリシアファランクスは銃撃の対処は考えてないから。 というふうに全部あたりまえのことで書いてくとつまらんですね。 夢のあることを書きましょう(藁
54 :
世界@名無史さん :2000/11/22(水) 23:26
時代による武器や戦術の進歩に伴う違いが大きいか ある程度複雑な兵科の合同作戦や電撃戦やれたマケドニア軍等の錬度と 士気の高さは相殺できるのかが問題ですね。 中世の日本やヨーロッパの方が武器の進歩に見合った戦術取ってる から基本的には強いにしても、封建階級の弱さで集団戦でもろさがあっ たと思うから。功名争いのゆるさが出て。 もしかしたら、マケドニア,カエサルの軍隊なりが同じ武器持って ちょっと訓練すれば、圧勝するかもしれないと妄想するのですが。
55 :
Age of Kings :2000/11/23(木) 00:06
このスレッドの書き込みを見ると、 Age of Kings での各技術段階での最適ゲーム戦法が、 対応する時期の実際の戦争の最適戦法に近いことが判って、 ちょっと感心した。
56 :
44 :2000/11/23(木) 01:45
>50 まったくその通り。ボケてました。ウツダシノウ。
57 :
世界@名無史さん :2000/11/23(木) 13:49
まあ、マムルーク朝はインド洋貿易を押さえて繁栄したけど、 インドに行く航路が、バスコ=ダ=ガマによって拓かれ、独占的な利益を あげることが無くなった。それに加えて国内政治はドロドロで君主がコロコロと 暗殺によっていれ変わるような状態。そこに昇り竜のオスマン=トルコが来たら、 勝てそうにないですな。
58 :
世界@名無史さん :2000/11/24(金) 22:47
>もしかしたら、マケドニア,カエサルの軍隊なりが同じ武器持って >ちょっと訓練すれば、圧勝するかもしれないと妄想するのですが。 一応忠告しておきますが、発想が志茂田カゲキになってますよ。
59 :
世界@名無史さん :2000/11/24(金) 23:17
>58 確かに文章だけだと、そうですね(w ただ要するにたたき台として、軍事技術の正味のところをしりたいだけ なんすが。文明史の一環としての、統帥技術の進歩とそうでない部分。
60 :
世界@名無史さん :2000/11/24(金) 23:28
世界史的に考えれば、軍事技術は同時代のものしか比べられないからね。 あくまでも、史実から考察をすすめるわけだから。 して、統帥技術とは、いかなる技術かな? 同時代であれば、チンギスハンとサラディン、獅子心王リチャード1世を 比較してみたい気もするんだけどね。
61 :
世界@名無史さん :2000/11/24(金) 23:48
チンギスハンとサラディンは面白そうですね。 ただ、アレキサンダーの電撃戦はある意味、ナポレオンの機動戦術を 先取りしてるとの評価もあるし、ギリシアから数年でインドまで行く 統率力と、補給技術は後の時代の一国レベルの小競り合いに終始した 多くの名将達より上だから、逆にそれに匹敵できる奴いないという結 論だってでそうだし。 結局、隊列と地形読んで、いかに崩すかが近世以前の戦闘で、その中 で実戦の記録などから、比較しうる部分も大きいと思う。
追加 野戦限定。 統帥技術とは人間を物象化して、物として、きっちり作戦行動取らせる 技術。
>人間を物象化して、物として、きっちり作戦行動取らせる それは一体どう判定するのだ? 実例希望。
64 :
世界@名無史さん :2000/11/27(月) 00:06
サラディンとチンギスハンを比べるとして、さらに野戦で比べるとして、 どう比べる? 例えば中東で戦うならサラディン有利だし、中央アジアならチンギスハン有利。 どちらでもないとすると今度は情報量が不足している。 どうする?
65 :
世界@名無史さん :2000/11/27(月) 21:31
>63,64 情報量がないからどちらにしても答えは出ませんね。 実証というよりも、感想でもお聞かせ願えればと思ったんですが、話のネタとして。 言い方がきつくなったのは誤ります。 ただ、戦争テクノロジーは有史以来、ナポレオン以前はそれほど劇的に進歩してい たとも思えないので、そこそこ資料のあるところで比較もできるかと。 申し訳ないが、私にその力量がないのでスレで集めようとしてるのですが。
誤ります× 謝ります○
67 :
傭兵 :2000/11/28(火) 19:19
密集陣が有効なわけねえだろ。 俺たちなら10人いりゃ2000人は全滅させられるね。 警察の機動隊?ああもう全滅させたよ。 東京タワーも倒しちゃったしな。 ここの奴等も逃げながらひーひーするところを皆殺しにしてあげるよ。 くくくくく。
>67 なんぞやの能力者さんですか?さすがですね。 その調子で頑張ってください。
69 :
世界@名無史さん :2000/11/29(水) 22:50
>67 いつも思うんだが、こういう文章書いていると恥ずかしくならないんだろうか。 マジで不思議です。
70 :
世界@名無史さん :2000/11/30(木) 02:29
>67 もとネタは、ヤングマガジンの「代紋2」だろ 世界史板は、結構まじめな専門板なんで ガキっぽい煽りをやらないように。
71 :
世界@名無史さん :2000/11/30(木) 09:09
67みたいなのは始末に要注意。 無視すりゃつけあがるし たたけばノボせるし 公衆トイレの落書きでおさまってりゃいいが コンクリ詰めや暴走車になりかねない。
72 :
世界@名無史さん :2000/12/01(金) 00:59
ま、元ネタなければ書けないヤツは芸が尽きるのも早いから。 早く有名なコテハンにでもなってくれい。
73 :
世界@名無史さん :2000/12/01(金) 01:40
67のせいで駄スレになりかけているので話題ふり。 ローマの騎馬重装歩兵の事例からいうと、 騎兵に対しては密集陣は有効だったんじゃない?
74 :
世界@名無史さん :2000/12/01(金) 02:06
>73 一概に言えないんじゃないの? カンネーじゃ裏に回りこんだ騎兵によって崩れているし。
75 :
世界@名無史さん :2000/12/04(月) 02:17
寂しいね
76 :
世界@名無史さん :2000/12/04(月) 22:21
で話題戻して、普仏戦争以前は火器は決定的威力持たずに(実際、ナポレオンだ って騎兵の突撃と刀剣頼りにしている)という意見が一方にあって、一方では、 弓なり投石器なり鎧なり馬や鐙なりの射程や強度や性能の違いで戦術は全然違う という意見があって、そこらへんに対して意見聞きたいです。
77 :
世界@名無史さん :2000/12/06(水) 11:09
理論的に可能というのと、実際の戦闘はちがうでしょう? 騎馬軍団が突撃してきたら、いくらきちんと対処すれば歩兵でも勝てるとかいっても、経験のない兵士だったら浮き足だつんじゃない?象とかも、対処しらないと恐慌になるけど、対処しってればうまくやりすごせる。 古代・中世はたった一度の決戦ですべて決まることがあるから、むずかしいよ。
78 :
痛いよー :2000/12/06(水) 12:47
↑ 騎兵が密集陣あいてに戦うときには 『如何にして敵陣の体型を崩すか?』が最大の課題になるわけですね?
79 :
世界@名無史さん :2000/12/06(水) 14:22
↑ そうだろう。だから遼のように、数百騎単位で多方向から連続して突撃・牽制して 崩れたところを全軍で総攻撃とか、金のように馬にも鎧を着せて破城槌や重戦車的 に敵陣を崩すとかの戦術が採られる。
80 :
世界@名無史さん :2000/12/06(水) 17:00
マターリと行きましょう
81 :
世界@名無史さん :2000/12/06(水) 20:26
1の人はもう聞きたいことはないのかね?
82 :
79 :2000/12/07(木) 14:08
今気がついたが、これは密集陣の有効性についてであって、騎兵対歩兵ではなかった。 …金の陣形は馬による密集陣だから、後半部は無視しておいて。
83 :
1 :2000/12/07(木) 19:07
>81,82 遼とか金とかの戦術とかどういう資料に出てたんですかねえ。 後は自分で地道に調べていくしかなさそうですが。
84 :
世界@名無史さん :2000/12/15(金) 16:55
85 :
痛いよー :2000/12/15(金) 19:01
機動隊の話が出てたついでに・・・ 「走り回るフーリガン対策に機動隊員も身軽な装備を――。 2002年に日本と韓国が共催するサッカーのワールドカップ(W杯)の警備で、 警察庁は強化プラスチック製の盾を機動隊員に持たせる方針を決めた。 現在使っているジュラルミン製の盾は約5.6キロあり、ヘルメットや防護衣をつけると隊員の装備は計約12キロになる。 軽い盾、ヘルメット、防護衣で「2、3割の軽量化」を目指す。 」 もう既に、現場配備は終わったものだと思いこんでた・・・ このニュースを読む限り、銃器の持ちこみは税関でキャッチできると仮定してんだろうなー 実は俺、船舶関係の仕事してんだが、船舶経由だとザルなのに・・・
86 :
ゲッター田村 :2000/12/21(木) 23:49
アタシャ、東洋史には詳しくないので、恥ずかしい質問なのですが 中国には、歩兵の密集陣って確立しなかったのですかね?? (方形陣でいいのか??) アレキサンダーの様な、密集陣を駆使した著名な人物がいないだけか??
87 :
世界@名無史さん :2000/12/22(金) 00:03
>>86 中国では兵士の訓練がほとんどといっていいほど行われないので、
機械的な陣形による密集陣と言うのは無いです。
大きな部隊単位の陣形はありましたが。
88 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/12/22(金) 02:09
中国人は弱いものには強いが、強いものには弱いので、すぐ逃げてしまう。
89 :
世界@名無史さん :2000/12/22(金) 02:17
>88 それは生物として、また個人としては正しいといえますね
90 :
世界@名無史さん :2000/12/22(金) 09:11
疑問なんだが、密集陣って基本的に同時に戦闘を行うのは最前列のやつらだけ? つまり、100列x100人の陣形が戦闘を行っているとき、実際にチャンバラ やってるのは最前列の100人だけなのか? なんか効率悪い気がする。いや、2列目移行は前のやつが倒れたら穴埋めで 戦闘に参加するってのはわかってるけどさ。結局兵力の逐次投入に過ぎない 気がして・・・。
>90 逆に、横に薄く5列ぐらいしかいないと考えるととてもやばくないですか、騎馬隊の突進を止めらるとおもいますか?
ローマの戦史を学びましょう
93 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/12/22(金) 17:50
戦国時代の長槍足軽は二列目、三列目も戦闘に参加してたよ。
94 :
名無しさん@1周年 :2000/12/22(金) 20:34
スイスの後期パイク歩兵とかだと五列目までで一組の槍の構えかたの組み合わせをつくって、 それで騎馬隊の突進を止めようとしてたね。
95 :
90 :2000/12/23(土) 11:12
いやー、槍もってた足軽もさ・・・二列目、三列目は本当に 戦闘参加できたのかね。槍を振り下ろして敵殴ろうとすると 一緒に前列の奴の頭や肩を殴っちまうぞ。 突き槍ならわからんでもない。でも日本の足軽の槍は突くための 武器じゃないからな。 どうもな・・・銃の発明と普及以前の歩兵達の戦闘をうまく イメージできんのだ。ドラマのように敵味方入り乱れて乱戦 やってるはずないし。でも密集してたらリーチのない手持ち 武器じゃ最前列の連中しか戦闘できないんじゃないかな、とね。
96 :
世界@名無史さん :2000/12/23(土) 12:04
>90 でもさあ、徴兵されて無理矢理戦場に連れてこられた奴が 密集方陣を組んで突進してくる敵を見たらどう思うよ? 俺なら逃げるね、間違いなく。 結局密集方陣とぶつかり合えたのは、 兵が勝手に逃げ出せないようになってる密集方陣と、 士気の高い貴族で編成された騎兵だけだったんじゃなかろうか。
97 :
世界@名無史さん :2000/12/24(日) 09:12
一人一人の戦力なんて戦場では無意味だから、いかに隊列組んで、士気を崩さずに 戦うかが全てだったらしい。 密集陣に限らず。 ただ実際にどういうふうに陣形組んで飛び道具や騎兵と関わり、引く時進む時どう やってたのかよくわからない。 地形や障害物でも変わるだろうし。 騎兵の役割も相手の歩兵を突っつきながら引っ張って陣形崩すのが仕事で正面から 渡り合うものではなかったらしい。 陣形さえ崩せば戦力にならない。
98 :
97 :2000/12/24(日) 15:02
だから兵が逃げ出せないように、また飛び道具の射程と貫通力が 程度を越す時代以前では密集方陣が中心だったのだろう。 銃器が威力を増してからは横隊で匍匐前進で展開することになるが。
99 :
世界@名無史さん :2000/12/27(水) 15:19
お題に戻りますが、 密集陣は古代オリエントの時代から採用されていた戦術だったそうです。 (ギリシア独創のものではないらしい・・・) 訓練度が低くとも士気が高ければ強力な戦術だと思うので、 市民皆兵制を取る古代都市国家には採用しやすかったのではないでしょうか。
100 :
世界@名無史さん :2000/12/27(水) 15:35
>>99 隣や前後に戦友がいれば士気も保ちやすいしね。
101 :
クリューセーイス :2000/12/27(水) 22:16
ちなみに、密集陣といっても、いろいろありますよね。 ギリシャタイプ、マケドニアタイプ、ローマタイプ、 近世のものはよくわかりませんが・・・ ローマだと、最終的に、50センチだかの剣が主力武器 になったとか書いてあったけど、なんか、マケドニア とちがいすぎますね。
102 :
世界@名無史さん :2000/12/28(木) 01:04
ガリア戦記を読むと、野戦のたびにローマの隊形は崩れてるよ。 そして、隊形が崩れても再結集して戦っている。隊形は接触と同時 に崩れるもので、旗(でもなんでも)を結集点にして再起することが できる軍隊が乱戦を制するんだと思うな。乱戦にならないきれいな 正面衝突ならギリシャ・マケドニアの方が分かあるだろうけど、圧 倒的ではない。それに、戦場を選ぶのは足が速いほうだ。 ギリシャ的ファランクスは、隊形がなかなか崩れないのかもしれ ないけれど、一度組むと方向転換もままならず、崩れたときにはそ のまま全滅するしかない。 そこを騎兵でおぎなったのがマケドニアということなんだろうけ ど、重武装の長槍歩兵だから、再結集しにくい欠点はそのままだろ う。騎兵同士の戦いで負けると欠陥が露呈してしまう。
103 :
102 :2000/12/28(木) 01:07
もちろん勝手な想像だけど。でも連隊旗を大事にするのには 意味があったんだと思うな。
104 :
クリューセーイス :2000/12/28(木) 13:33
>>103 さん
いや、非常に参考になります。
私も、ローマ軍団は、柔軟性が取り得だったのでは?と思います。
あと、大隊レベルでの活動とか。
武器にしても、いろいろ取り入れて改良してるし。投槍とか。
すると、ローマ軍団は密集陣とはいえないのかな?どうなんでしょう?
105 :
クリューセーイス :2000/12/28(木) 14:14
おお、すでに
>>16 さんが、いろいろ密集陣の比較検討をなさっていた。反省・・・
106 :
世界@名無史さん :2000/12/28(木) 14:31
ダイアモンド隊形が最強だろ。 運動会の騎馬戦でも有効だったぜ。
107 :
世界@名無史さん :2000/12/28(木) 14:33
108 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/12/28(木) 15:01
>>99 >訓練度が低くとも士気が高ければ強力な戦術だと思うので、
>市民皆兵制を取る古代都市国家には採用しやすかったのではないでしょうか。
市民兵+傭兵(属州民)という兵員構成の場合
密集陣形には、忠誠度の高い市民兵で傭兵部隊を凹型に囲んで、傭兵が戦場から
逃げられないようにするという意味もある
109 :
世界@名無史さん :2000/12/28(木) 17:05
金持ちじゃないとつらい陣形
110 :
世界@名無史さん :2000/12/28(木) 21:57
イタリアの名前をみてちょっと笑っちゃたの私だけ?
ローマは大隊指揮官のレベルが高かったんだっけ? とにかく中間管理職が強いところは底力に溢れる。
112 :
世界@名無史さん :2001/01/04(木) 23:07
グラデゥエイターみたよー。 投石機ってあんなのとばしてたのね。 球形の陶器(?)の入れ物に油をいれて、それに布を被せて火をつけて飛ばすと。 たしかにありゃ密集してたらまとめて焼け死ぬわ。
113 :
名無しのふさふさ :2001/01/05(金) 02:35
>>111 ローマ運の強さの所以は「ローマ軍の背骨」と呼ばれた百人隊長でしょう。 大隊指揮官は軍団長、軍司令官に選ばれる枠が多かったが 百人隊長は、兵士によって大半が選ばれることが多かった。 特に作戦会議に出席できる、各大隊の首席百人隊長を務めることは 当時、一生の名誉となったらしい。 で、細部がしっかりしているため柔軟な戦術を採ることが出来る。 ああ、あとグラディウスって短剣を乱戦用に採用したことも大きいかな。
114 :
世界@名無史さん :2001/01/05(金) 17:20
あげ
115 :
愚礼 :2001/01/07(日) 12:14
素晴らしいスレッド、有難うございます。 あと、これは私見ですが ローマの重装歩兵隊は、密集隊形と言えるのかな? チェックのような隊形で、疲れた兵と回復した兵と、すぐに交代 出来る様、柔軟な隊形と聞いたが…。
116 :
世界@名無史さん :2001/02/09(金) 23:13
こういう素晴らしいスレをあげなくてはならぬ
117 :
世界@名無史さん :2001/02/09(金) 23:35
>115 ファランクスと違って密集という程は密集していない。グラディ ウス(約70cm)が振り回し易いように1m近い隙間を兵士と 兵士の間で空けている。現代でいう警察の機動隊隊形かな? ローマ最強の武器はやはりピルムによる敵の盾攻撃かな?
118 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 03:49
>115 ローマの重装歩兵の戦術的柔軟性の高さは、百人隊規模で 密集の程度を調節できるところにある。 射撃武器には、散開させて被害を最小限に留め、騎兵突撃 に対しては密集して撃退する。 密集隊形が長く採用されてきた最も大きな理由は、兵士を 兵士たらしめるためではないだろうか?集団からはぐれた 兵士は、個人になり個人は敵を恐れ容易に義務を放棄して 逃げ出してしまう。 声や銅鑼の音が聞こえる範囲にしか指揮統制が行えない時 代では、その統制から一度はずれた者を呼び戻し戦力化す ることが困難だった。そのため、火器が発達し密集隊形が 途轍もない被害を発生させるようになっても、それが無く なるには長い時間を必要とした。
119 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 04:10
密集方陣の意味はひとえに「合理的な兵力の集中」につきるのでは?
120 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 18:59
>>118 の意見に賛成。
個々人の判断能力を使わずとも済むのが密集陣なのだから。
当時の人間では最良の判断は「逃げる」でしょうから。
121 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 21:13
密集陣による突撃って、日本が旅順攻撃で延々と繰り返した戦術で、お まけに、第一次世界大戦のフランス軍も初期にはこの突撃戦法で大損害 を出している。 結局、廃止されて散兵戦が主体になったのは、第一次大戦の後期からと いうことですかね。 機関銃が実用化される前は、意味のある戦術であったということでしょ うか。
122 :
118 :2001/02/10(土) 23:19
>121 旅順の頃は既に密集隊形ではないだろう。 鉄条網と機関銃で防御された陣地に、碌な準備もなく芸のない平押し をかけ、結果として大損害を出しただけだ。 比較的に発射速度と命中率と射程に劣る前装銃の時代は、密集隊形で あっても突撃時に数回の射撃を受けるだけで済み、致命的な損害では なく、その犠牲は許容範囲に収まると考えられていた。 旋条銃の普及によって、火器の射程と命中率と発射速度が劇的に向上 することにより、密集隊形が耐え難いほどの損害を受けるようになっ たのは、南北戦争がその嚆矢であろう。 南北戦争では、それ以前の戦争に比して歩兵火器の射程が大幅に向上 していた。それにも関わらずナポレオン時代の戦術で戦ったため、総 動員数の25%という膨大な戦死者(死傷者ではない!)を出すこと になった。
123 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 23:44
あ。本の丸写しだな。
124 :
世界@名無史さん :2001/02/10(土) 23:50
前装銃って銃口の先から火薬と弾丸を入れる奴ですよね?
125 :
118 :2001/02/11(日) 01:39
>124 そうそう。 >123 うぅ・・違うけど証明できない。 参考にしたのはS藤D輔の小説、松村某の新書、昔のLogin(w あとはWeapons&Warfare in Renaissance Europeかな。 あ、もちろん日本語訳したやつね。
126 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 01:55
朝鮮戦争時の中国軍はどうよ?
127 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 01:58
>>122 >それにも関わらずナポレオン時代の戦術で戦ったため、総
>動員数の25%という膨大な戦死者(死傷者ではない!)を出すこと
>になった。
散兵を最初に効果的に運用したのは確かナポレオンだったはずです。
ナポレオン軍の初期の強さはナポレオンが鍛えあげた兵士達により散兵
戦が可能だったことにつきると思います。
結局その優秀な兵士達程損耗が激しく、後期のナポレオンの手元には散
兵などとてもこなせない弱兵しか残らず、ワーテルローではあんな戦法
しかとれなかった・・・
つまり「ナポレオン時代の戦術」を密集隊形の典型のように言うのはど
うかと思うわけです。
128 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 02:48
そういやあ「パトリオット」て映画も 密集隊形で鉄砲の一斉射撃の後に白兵戦してたな。 あれはアメリカ独立戦争が舞台だったけど。
129 :
118 :2001/02/11(日) 03:50
>127 そう言えばイエナの戦いでも、散兵が閲兵式のように隊列を組んで行進してくる プロイセン兵を射的の的を撃つように狙撃していた、か。しかし、この時代は未 だ方陣が有効な時代であり、その突撃衝力が戦場での勝敗を決していたはず。 ナポレオンの時代が、密集隊形の典型であると言うつもりはない。しかし、122 の表現も間違ってはいないと思うが?
130 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 10:23
>122 あなた映画の見過ぎ…旅順要塞には機関砲は約50門しかありませんで した。あの莫大な被害は大砲による榴散弾被害(死傷者の4割はコレ) です。
131 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 18:35
ま、間違い無いのは旅順では密集陣は使われていない、ということだな。 密集陣という言葉で誤解しているのかもしれないが、実際の戦闘では 『柔軟な戦力の運用』というのが近代では重視されているから、固まったり散らばったりは当たり前。 つまり旅順の攻防なんか兵士が固まっているから密集陣のように見えるが、 実際は全然違うということ。
132 :
世界@名無史さん :2001/02/11(日) 21:43
というか、密集陣と密集隊形による突撃は違うものだね。 古典的な密集陣による戦闘は、駆け足ではなく、軍楽隊などのリズムに あわせて、隊列をくずさず整然と進撃する方式で、近代的な白兵突撃と はまったく違うものだ。 旅順攻撃などでも、縦列突撃は行われているが、あれは本来の密集陣で はない。銃剣突撃はどうしても兵の間隔が開いてしまうし、統制はとり にくいので、最終局面では散兵戦と変わらない形態になってしまう。 ただ、突撃自体が集中的に実施することに効果があるのだから、縦列に せよ、横列にせよ、密集隊形をとったことも確かだが。 散開した隊形のまま突撃するというのは、塹壕から機関銃掃射や砲撃を 避けながら突撃するようになってからの変形だろう。
133 :
世界@名無史さん :2001/02/12(月) 00:54
>>128 題名忘れたけど、同じ映画かな?
太鼓にあわせて、イギリスの赤服歩兵が整然と進軍してきて、射程距離に入ると
一斉射撃をしてから、銃剣突撃をしてた。
突撃開始後は、陣形もみだれて、乱戦って感じだけど、それまでは撃たれても、
すぐ次列の兵が前に出て密集陣?をくずさないのと、とにかく、やたらとゆっく
り進撃するので意外感があったのを覚えている。
でも、あれは横隊でせいぜい5列くらいの感じだから、密集陣といえるのかな。
当時のイギリス軍って指揮官の命令があるまで 密集陣を崩してはならない規則があったそうな、 そこへアメリカ軍の散兵にイギリス軍が2列縦隊になってる所を まず指揮官から狙撃して、その次が副官といった感じで階級順に 殺していったとか。
135 :
世界@名無史さん :2001/02/12(月) 20:35
古代ギリシアは「重装歩兵」の密集陣なので、 陣形や戦術以上に全員が金属製の鎧で防備できたという点が強さの秘密では?
136 :
世界@名無史さん :2001/02/12(月) 20:40
>>135 つまらない突っ込みで恐縮だが、ギリシャの重装歩兵の装甲が金属だっ
たとは思えないのだが。確信はないが、皮革製の甲冑なのではないだろ
うか。
なにか金属製であったという出典・論拠をお持ちだろうか。
137 :
世界@名無史さん :2001/02/13(火) 15:03
>136 どっかの世界史の本で、 「鎧は青銅製、槍は鉄製」だったと読みました。 詳しい出典は忘れました(笑
138 :
ななし :2001/02/14(水) 11:15
ガトリングというお医者さんが 有史以来の戦術を台無しにしました。
139 :
世界@名無史さん :2001/02/16(金) 17:39
だ、か、ら、密集陣が有効性を失ったというか、密集陣が戦術的に放棄されたのは、 機関銃の出現によるのか、長射程、高命中精度のライフル銃の出現によるのかを議論 してたの。 で、いまのところは、機関銃以前のライフル銃、特に元込め銃の出現の時点で、すで に密集陣の有効性はなくなっていたという説が押してるの。
140 :
ななし :2001/02/16(金) 20:25
>>139 ネタなんだからまぁそう怒りなさるな
では過去スレに基づいて逆に聞きましょう
密集陣は相手の武器による影響だけで放棄されただけなのかい?
そもそも密集陣の意義は戦力の集中と指揮官の戦場管制という
意味合いがあったのでは?
過去スレを見ればそういう議論の方が多いようだけど
それに密集陣の一形態の横隊突撃は第二次大戦まで行われているよ。
これはどう説明するの?
確かに武器の進化により密集陣や横隊突撃が危険なものになった
のは事実だけどでは指揮官の戦場管制や戦力の集中といった
初期設定は何処いっちゃったの?それだけで放棄しちゃうの?
代替手段ができて密集させる必要がなくなったってことでしょ。
じゃあ代替手段って何?となると
>>16 さん
>>99 さん
>>118 さんがほぼ正解に近いヒントくれてるでしょ。
通信手段が発達したからじゃないの。無理に損害覚悟の密集陣をしなくても
総指揮官は戦場を管制できるようになって戦力の集中が出きるようになった
ってことでしょ。通信によって相互支援できるようになり過去だったら各個撃破
を受ける動きが戦術運動に変化できたからじゃないの。
じゃあ密集させないと兵士が逃げるという議論は?というと
国民国家の概念が成熟して封建時代のような個人的な忠誠から国家的な忠誠へと
代わったってことは考慮の対象には入らないのかな?傭兵から国民皆兵への書き
込みもあるでしょ。
軍事板ならそれでいいけど(いやあそこはもっと手厳しいか)世界史板で銃火器
だけが理由は悪いけど痛いよ。
141 :
世界@名無史さん :2001/02/16(金) 23:27
現代戦では広域制圧兵器が驚異的に発達し、精密誘導技術との組合わせで 兵士の分散はさらに進みつつあります。通信技術が高度に進化すると共に それが許される環境が生まれているのでしょう。次世代の歩兵装備をみて みると、そのことがよく理解できますね。 米軍が開発中の動力外骨格も、その延長線上で考えられているのかもしれ ません。広域制圧兵器と指揮統制技術が極限まで発達する未来の戦場は、 いったいどのようなものになるのでしょうか?
142 :
名無したちの午後 :2001/02/17(土) 13:21
多分140が言った事が密集陣形が放棄された理由だろうね 要するに、これまでは密集させとかないと兵士をコントロールできないし逃げちゃうので あっちこっちに分散させるなんて不可能だった。 兵器の発達もあるだろうけど、決定的だったのはやはり無線機の方ではないかと思ふ
143 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 09:58
うーむ、面白い流れだな。俺も意見させておくれ。 俺としては密集陣の有効性が大きく失われているのはやはりローマ帝国期のカタパルト等の発達か、と。 要は近接支援兵器の発達自体が、士気統制上必要であった密集陣に対する対策だとおもう。 現実に、これ以降は騎兵の時代になるよ(西欧中心で話しています) ここまで書いて、思ったんだけど、密集陣の定義を決めない? 旅順の攻防まで密集陣の中に含められちゃ、ちょっと話しがまとまらなすぎる。
144 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 10:28
西から昇ったテポドンが 東に落ちる(マンセー! マンセー!) これで いいのだ (アンニョン ハセヨー!) これで いいのだ (ツングル ムニダー!) チョン チョン バカチョン バカ チョンチョン キチガイ国家だ バーーーーーカ チョンチョン!!!! ____ Y/ニニ|>o<|\ / //\___\ |/ / === |  ̄ | / ・ ・ | \(6 (_λ_)\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / _ ||||||| _| < チョンなのだ!! |(( \□ ̄□/| | \  ̄ ̄ ̄ ノ \__________ / ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|了 / |: | ̄ ̄ ̄ ̄ | |______| | | | | | | | |
145 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 10:34
警察の機動隊は今でも密集陣を使用していると言えると思うが、 この流れで行くと警察は通信手段の発達の恩恵を受けていないのか? などと言う愚かな質問を投げかけてみる。
146 :
118 :2001/02/18(日) 12:48
機動隊は鉄砲つかわねーだろ。
147 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 14:29
って事は、通信手段が発達しても鉄砲が無ければ密集陣は有効なんだな? つまりそれは鉄砲の発達が密集陣の有効性に大きく関係しているという 事では?
148 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 16:00
だから、通信と火力の進歩が密集陣の有効性を無くしてしまったわけだ。 誰も火力の増大と密集陣の有効性が関係ないとは言ってないだろ。 火力が主因であることには賛成できないということ。 ちゃんと読んでるか?
149 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 16:26
鉄砲(銃)が使われなければ、通信手段があろうがなかろうが密集陣は有効。 銃の発達により、密集陣は有効でなくなった。その代替になるものを 可能にしたのが通信手段の発達。 これで良いのかな?
まあ良いだろう。
151 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 18:25
17、18世紀はまだ密集陣だったよねえ やはり通信の発達した19世紀から密集陣は戦場から消えていった。
152 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 18:50
って事は、通信妨害の手段が発達すれば密集陣が復活する目もあり得る?
153 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 20:36
仕切るつもりはないが、ちょっと整理しよう。 本来の密集陣はギリシャやマケドニアの重装歩兵が採用した戦術で、 特にマケドニアのファランクスが有名だった。 これらは古代のもので、ローマ時代には比較的少数の兵士の集団単位 を縦横に運用する戦術に変わっている。 この数十人から100人程度の小部隊から構成される軍を指揮するの には、旗による合図などが使われていた。 古代の密集陣の有効性が薄れたのは、武器の問題よりも、戦術の進歩 によるものというのが一応の通説のようだ。 一方、密集隊形のほうは、近代戦でも採用され、軍楽隊の演奏などで 歩調をとりながら、2段から段列程度の横隊で進撃し、指揮官の号令 で、一斉射撃をした後、銃剣突撃を行うものや、現代のデモのように 梯団を組み、密集隊形を維持して早足で進撃し、そのまま、あるいは 横隊に変形して、一斉射撃を行ったのちに突撃する方法が19世紀末 ころまで存続していた。 近代の密集隊形は、機関銃の出現で完全に消滅し、白兵突撃の場合も 塹壕などの遮蔽から、ホイッスル、信号弾などの合図で一斉に散開し たまま突撃する方法に変わっている。 近現代戦で、小隊、分隊などの最小の戦闘単位にまで無線通信による 指揮通信手段が整備されたのは第2次大戦以降のこと。 といっても、第2次大戦時には、末端への配備は、全部隊ではなく、 斥候、偵察部隊にとどまっている。 近現代の密集隊形の放棄についての「通説」は読んだことがないが、 こちらは一般的には、炸裂砲弾の進歩、鉄条網と機関銃などの影響と 考えられることが多いようだ。 また、中世においては、大部隊による戦闘があまり行われなかったた めか、密集陣、密集隊形の話題はあまり聞かない。 あるいは、軍事力の主力が重装歩兵から、重装騎兵、騎士に移行した ためだろうか。 中世軍事史に詳しいヒト、このへんの解説をどうぞ。
154 :
末尾が消えたので、再掲 :2001/02/18(日) 20:40
また、中世においては、大部隊による戦闘があまり行われなかったた めか、密集陣、密集隊形の話題はあまり聞かない。 あるいは、軍事力の主力が重装歩兵から、重装騎兵、騎士に移行した ためだろうか。 中世軍事史に詳しいヒト、このへんの解説をどうぞ。
155 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 21:07
う〜ん、中世も基本的な戦術はローマ時代よりあまり変わってない そうですよ、ただ大部隊を動員できなかったから小部隊による密集隊形 にとどまってたかも。
156 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 21:52
古代ローマの1個軍団は、主力となる約1万人の歩兵に同数程度の 同盟軍、騎兵、歩兵を加えたもの。 これが戦略単位で、戦闘時は兵力集中に努めたようだから、1万〜 2万程度の兵力で戦争をしてたことになる。大戦争では、一度に数 個軍団が動員されている。 中世の戦闘について読むと、特に籠城戦なんかは、ほんとうかよっ てくらいに、少ない兵力で戦ってるね。 ただ、中世の戦闘記録って、騎士の数だけで小姓とか従者と呼ばれ るような補助者の数はカウントされていないのだろうか。 ローマの騎士は、本来は戦車で、騎兵の多くは属領や同盟者のもの。 戦闘の主力ではなかったが、中世の戦闘の主力は騎士のように描か れている。本当はどうだったのだろう。
157 :
世界@名無史さん :2001/02/18(日) 22:26
十字軍遠征時のヨーロッパ側の兵力ってどれくらいだったんかな。
158 :
127 :2001/02/18(日) 22:57
おっ、このスレ久々に見た。話も大分進んでるみたいだね。 とりあえずなんで密集陣の有効性を議論する前提に、どうして密集陣が生まれたの かについて検討してみたい。 密集陣の原型であるギリシアの密集方陣は重装歩兵が左手に盾、右手に剣を持って 方陣を組むというもんだった。 この陣形はひとえに兵士の練度の低さを装備と陣形でカバーしようとしたもの。 つまり、体がすっぽり隠れるほど大きな盾を並べながらひたすら剣を振る。こうす れば素人だって比較的怖くないし十分戦える。最前列の奴がやられれば後列からす ぐに人員が補充されるから算を乱して潰走することも比較的防げる。良いことづく めというわけ。 この陣形を採用してもなおギリシアの方陣は盾のある左へ左へと無意識的に進んで しまいまっすぐ進ませるには将の高い指揮力が必要とされていたみたいだから、も しこの陣形じゃなかったらどうなっていたかはおしてはかるべしという感じ。 こう考えると、密集方陣は個々の兵士の能力の低さを補うための陣形だといえる。 つまりは仕方が無く密集方陣という陣形が採られていたというわけ。 こういう理由から下士官・一兵卒クラスまで職業軍人で構成される軍隊では密集陣 を取る利点が少ない。 だから職業軍人が密集方陣を採っている事ってまず無いでしょ? ナポレオン以降密集陣が散兵に取って代わられたのはある意味当然の成り行きだと 思うけどどうかな?
159 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 00:00
つまりさ、密集陣は古代ギリシアのものと中世のもの、現代のものでは違う、ってことでしょ。 それを同列で論じたりするからおかしくなる。158さんの説明が一番わかりやすいね。
機動隊の密集陣は路地を塞ぐ目的でやってるぞな。
広野だったらあんな事しないぞな。
中世にはテルシオという立派な密集陣があるぞな。
ナポレオンの散兵はあくまでも軍団前衛ぞな。
主力は大隊横列と縦列を柔軟に組替える密集陣ぞな。
ワーテルローで思いっきり双方とも密集陣かましているぞな。
>>158 はなかなか良いとこついているがそれは兵士から見た
視点ぞな。大将の立場でただっ広い野原で万単位の人間を
リアルタイムで動かすこと考えてみるぞな。
161 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 02:53
でも、ローマの歩兵は小隊単位で密集隊形を組んでたんだろう? 同じ古代でも密集陣だったりそうでなかったり するんじゃないの? 単純に古代、中世、現代と分ける事は出来ないだろう。
162 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 09:16
あ、スペインのテルシオ忘れてた・・・ 鬱だ でも160さん、これは俺は知識レスなんで知りたいんだけど、 ナポレオン時代の火力では密集陣を打ち破れなかったの? 小銃に限らず、後方の砲なんかも含めての話で。
163 :
ななし世界@名無史さん :2001/02/19(月) 12:20
>>149 通信手段が発達していたら
機動戦に持ち込まれ
動きの鈍い密集陣じゃ包囲殲滅されるよ。
密集陣は太鼓や烽火といった原始的通信手段の世界で
発明された戦法。手段が変われば戦法が変わる
ということです。
恐るべしマルコーニ(だけじゃないけどね
164 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 12:50
議論がお題からはずれてしまっていますね。 1さんの聞きたいのは「古代ギリシア」の密集陣についてですから。 私としては、用語と概念の混乱を避けるために、発言の時には 「古代ギリシアの密集陣」と言う風に接頭語をつけるか、 「ファランクス」「テルシオ」「レギオン」のように固有名詞で呼ぶことを提案しときます。 あと当然ながら、 古代・中世・近世・近代・現代では話が違ってきますんで、 全般を通して共通する特性を見つけるのは難しいんではないかと。
165 :
160 :2001/02/19(月) 13:20
ナポレオンの頃は丸っこい砲丸ぞな。 当たってもめり込む程度ぞな。 ぶどう弾のような散弾はあるが射程が短いぞな。 弾がはじける技術(榴弾)は産業革命前ではむりぞな。 小銃はマスケット銃。これは火縄銃と同じ滑空銃なので 照準無視のクソ銃。みんなで並んでまとめて撃ったら 何人か当たったと喜ぶ世界ぞな。 だからみんな並んだ横隊じゃないと当てられないぞな。 当然相手も同じ事するし密集した者同士で撃ち合ったら ボロクソぞな。そりゃたくさん死ぬぞな。 でもそうしないと鉄砲持ってる意味ない時代だったぞな。 大将が軍団規模で目標決めやすい利点もあるぞな。 多少兵器が進歩しても一緒ぞな。兵隊が勝手に動いたら 大将いらんぞな。
166 :
162 :2001/02/19(月) 13:31
160さん、ありがとう。メチャわかりやすいです。 それにしても横隊組んで弾幕射撃(というべきか?)とは乱暴な戦術だなあ。 でもそこまでしないと当たらないのか。 なるほど、まだ騎兵が有効なわけだ。
167 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 13:39
それって中世から戦術的に変わってないって事か それでも騎兵による突撃は概に有効では無くなってると思うんだけど。
168 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 14:22
ナポレオニックな銃の有効射程範囲ぎりぎりから騎兵が突撃したとして、 何回射撃が出来ると思う?
169 :
162 :2001/02/19(月) 14:45
成功こそしなかったけど、ワーテルローでは騎兵が突撃しているし。 それは当時はまだ「騎兵突撃は有効である」という認識があったからでしょ?
170 :
世界@名無史さん :2001/02/19(月) 15:12
ナポレオンの頃はマスケット式だったんだろう? 有効射程距離が100mからだとしたら1回か良くて2回なんじゃない。 >168
171 :
名無しさん :2001/02/19(月) 16:24
たとえ人間に当たらずとも馬に当たるだけで十分に崩せると思うが >騎馬突撃
172 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 01:10
>171 だから騎兵突撃は意味がないと? 騎兵の突撃衝力を1、2回の射撃で破砕できると主張したいわけですか? 当時の丸い鉛弾が空気抵抗の大きさから現代の銃弾よりも急速に運動エネ ルギーを失ってしまう事実にも留意してください。
173 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 03:41
マスケット銃といっても火縄じゃないよね?
174 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 03:46
マッチロックかフリントロックではないのか? この時代ではどっち?
175 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 08:49
数百数千の騎兵の突撃を当時の火力で突き崩すのは無理だろう。
176 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 09:37
ルイ十四世の時代に、フランス軍からは完全に火縄銃駆逐されてるね。 ナポレオニックな時代はたぶん、フリントロック式のはず。
177 :
世界@名無史さん :2001/02/20(火) 11:30
>>175 当時は大鎌で武装した農民の反乱でさえも簡単には鎮圧できなかった
>>176 当時の出来事についての映画を見てみたら?
岩波ホールでやってる「パン・タデウシュ物語」では
ロシア兵の撃ち方が描写されているが、時代が時代だけに
フランス軍も同じだったろう
178 :
160 :2001/02/23(金) 12:06
>>177 大鎌を馬鹿にしてはいかんぞな。
当時は大鎌を改良したミリタリーフォーク
という武器ができた程の対騎兵用の有効な武器ぞな。
考えてみるぞな。でっかいフォークを前に突きつけられたら
騎兵も突っ込めないぞな。もちろん歩兵にも槍としても使える
万能兵器ぞな。
179 :
世界@名無史さん :2001/02/23(金) 12:54
180 :
世界@名無史さん :2001/03/01(木) 10:16
3/1記念age(意味なし
181 :
世界@名無史さん :2001/03/03(土) 18:11
昨日、パトリオットを観た。 18世紀ってあんなおっそろしい戦争だったとは・・・。 「せめて伏せて撃て」と思っちゃいました。 なんで伏せないの?
182 :
世界@名無史さん :2001/03/03(土) 18:18
騎兵は槍衾に結構弱い。 ブレイブハートでも騎兵突撃が槍衾にあっさり阻止されてたね。
183 :
世界@名無史さん :2001/03/03(土) 22:50
>>182 確かに、騎兵って短時間の機動力と突進力が武器だから、突撃や奇襲が止められると
槍の餌食でしょう。でも、突進する騎兵の集団の前面に立つのって、
よほど訓練されているか覚悟決めないと耐えられないんじゃ。
そのプレッシャーがあるから「騎兵突撃」が存在した理由の1つになっていると
思うのですが。
184 :
世界@名無史さん :2001/03/04(日) 00:24
>>182 同感。普通は逃げるよね。
だからこそ、あのシーンはすごくかっこいい。
185 :
世界@名無史さん :2001/03/04(日) 19:28
「密集陣はローマの人馬混合陣(レジマン)が考案されるまで無敵の布陣だった」 どこらへんが密集陣に勝ったのでしょうか?
186 :
世界史 :2001/03/05(月) 19:41
騎兵は実は何のかんのいって実は第二次大戦前まで有効な機動兵器だった。 実際第一次大戦後のソ連=ポーランド戦争でもポーランド騎兵が勝利に 少なからず貢献している。 ワーテルローは英仏両軍とも騎兵の使い方を間違えた最悪の例。 騎兵だけで突撃し銃兵と分断されて壊滅している。 密集陣にしろ騎兵にしろ単科兵種では複合兵種の連携攻撃には勝てない。
187 :
世界@名無史さん :2001/03/05(月) 20:47
>185 戦術の柔軟性。
188 :
世界@名無史さん :2001/03/05(月) 21:29
>>186 第一次世界大戦前までの間違いでは?
赤軍のポーランド侵攻が失敗したのは、騎兵が有効だったからというこ
とではないでしょう。
日露戦争の時に、すでにコサック騎兵は日本の機銃に押されていますよ。
189 :
世界@名無史さん :2001/03/06(火) 06:46
190 :
世界@名無史さん :2001/03/23(金) 10:37
>>186 司馬良太郎が日露戦争ネタで書いてる騎兵無用論に対しての反論は?
191 :
世界@名無史さん :2001/03/24(土) 14:16
騎兵は攪乱、もしくは追撃、迂回用の兵種と認識すべし。 防御力の極めて弱い戦車という認識でもいい。
192 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 00:16
>>191 それって近代戦の騎兵ですよ。
中世の封建諸侯の集合体のような騎兵に、そのような機動的運用ができたわけがないと思いますが?
中世においては、敵陣に突撃し、粉砕するための兵種ですね(少なくとも西洋のそれは)。
また古代の鐙のないころの騎兵は槍をかまえて突撃なんて事ができなかったので、
槍を投げて使っていたそうで、その頃の運用法もまた違っていたでしょう。
193 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 00:54
少しずれるけど中世のオスマントルコのイニチェリは歩兵 ですよね、騎兵なんかはセルビア人に任せてましたし それなのになぜ十字軍に対して有利に戦えたんでしょう?
194 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 01:32
>>193 あのね〜 さすがにまずいよ。これわ
オスマントルコは騎兵民族です。
ついでになぜオスマンと十字軍?時代ずれてます。
ああ間違えてました、十字軍の時代は1096〜1270年ですね セルジューク・トルコと戦ったんですね。 オスマン・トルコのイニチェリは徒歩兵だったと思うのですが 自分はアンカラの戦いとかコンスタンチノープル攻略戦 を見てそう思いました。
196 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 03:10
>>194 ほんとだね。
厳密に言ってもオスマン帝国成立1299年、十字軍終了1291年だからね。
ただ、レパントの海戦のキリスト教側は十字軍とも言えなくもないよ。
193の弁護には全くならないけどね。
197 :
世界@名無史さん :2001/03/25(日) 03:18
>>196 イエニチェリは単にスルタン直属の部隊じゃなかったっけ?
奴らについてはよく分からないけど、オスマン帝国軍は奴らだけで編成されていたわけではないから。
だいたい奴らは元キリスト教徒だし。
198 :
197 :2001/03/25(日) 03:19
199 :
世界@名無史さん :2001/03/26(月) 02:29
>>192 いままで近代戦の騎兵の話題になってなかったか?191はそういう意味で書いたと思うが。
200 :
192 :2001/03/26(月) 03:31
>>199 近代戦における騎兵の話は、186からというきわめて短い間でしたからねえ。
いきなり「騎兵は〜」などと騎兵を総括するようにかかれたから突っ込みたくなったわけです。
別に近代戦の騎兵はそれでは間違いとはいってないから、いいじゃないですか。
ごめんなさい。m(__)m
まあ本論からずれた言い合いになると、収拾がつかなくなるからやめましょうや。 言った、言ってないで荒れるのはもうコリゴリだから、さ。
203 :
世界@名無史さん :2001/03/26(月) 15:30
古代では騎兵が迂回しているじゃん。 192は中世だけの話だろ
204 :
203 :2001/03/26(月) 15:31
あ、202、ごめん。
205 :
世界@名無史さん :2001/03/26(月) 21:24
密集陣は包囲攻撃にはとてつもなく弱いぞ。 密集陣を相手にしたときは面でぶつかるようにするべし。
206 :
192 :2001/03/27(火) 01:47
202の方、すまない。最後にこれだけ言わせてくれ。
>>203 だから古代は運用法が違うと書いてますが・・・。
ただし、少なくとも「防御力のきわめて弱い戦車」のような使い方はできないと思います。
191の方が挙げたうち「迂回」ぐらいしかできませんね。
「攪乱」も「投槍による敵陣形の攪乱」という意味ではそうでしょうが、
「機動力による遊撃及び攪乱」というよなことは難しいでしょう。
追撃に至っては、そんなことしようものなら密集陣に蹴散らされますよ。
>>190 日露戦争の騎兵無用論ってなに?
司馬良太郎だからだいたい想像は出来るけど…
208 :
世界@名無史さん :2001/03/27(火) 23:18
最後に、って、これだけ書けばそこからまた議論が発展するだろう。 202のいうとおり、無視して本題にもどろうぜ。
久しぶりに見たらいい感じになっとるぞな。
>>194 >>195 >>196 実はマイナーだがオスマントルコと十字軍は交戦しとるぞな。
1396年のオスマントルコによる第一回コンスタンチノープル包囲時に
ハンガリー王ジギスムントを中心とする中欧・東欧諸国による
ギリシャ正教聖都救援軍(十字軍)10万とオスマン軍20万が交戦し
十字軍は敗れとるぞな。そのかわりバヤジット1世はコンスタンチノープルの
包囲を諦めてるぞな。
その後のバヤジット1世の末路はみんな知ってるとおりぞな。
オスマントルコの軍制はバルカン半島側のヨーロッパ軍団と小アジアのアナトリア軍団
とスルタン直属軍団(イニチェリなど)に分かれてるぞな。
>>193 はヨーロッパ軍団の
セルビア人傭兵のこといっとるぞな。
トルコ最強の騎兵はスパヒ近衛騎兵ぞな。(もちろんセルビア人ではないぞな)
ぞなぞな申し訳ないぞな。
210 :
世界@名無史さん :2001/03/28(水) 00:34
>>209 >十字軍は敗れとるぞな。そのかわりバヤジット1世はコンスタンチノープルの
>包囲を諦めてるぞな。
>その後のバヤジット1世の末路はみんな知ってるとおりぞな。
こう書くと、十字軍と戦ったからコンスタンティノープルの攻囲を諦めた
みたいに取れるぞ、ティムールのアナトリア侵攻を迎え撃つためでしょ。
その戦い(アンカラの戦い)に負けて捕虜になっちゃったわけだ。
>トルコ最強の騎兵はスパヒ近衛騎兵ぞな。(もちろんセルビア人ではないぞな)
アンカラの戦いでもっとも勇敢に戦ったもはステフェン王に率いられたセルビア兵
と聞いてるが?アナトリア騎兵寝返っちゃうし(藁
もっともこの戦いだけかもしれんがね。
>>210 わしが言っとるのはニコポリスの方ぞな。
アンカラは1402年ぞな〜
6年間大軍貼り付けるのは兵站能力を無視しとるぞな
それに大都市6年間完全包囲したらコンスタンティノープル市民
いいかげん餓死するぞな。
ニコポリスで勝ったはいいが兵站・士気が限界になって
軍事的解決手段から外交手段に切り替えてるぞな。
包囲といっても見張り程度ぞな。
コンスタンティノープルからニコポリスまでの移動距離を
考えてみるぞな。その上包囲続けりゃこの時代の兵隊ぶっ倒れるぞな。
一回動員解除せにゃ国家財政も破綻するぞな。
アナトリア軍団あてにならなかったらトルコ人国家成り立たんぞな。
でも
>>210 の言ってる事も合ってるぞな。
実際何年も事実上包囲されたも同然でした。 ボスフォラスは二つの要塞で封鎖され、第一既にビザンティンは臣従を誓っております。 コンスタンティノポリスは単純な兵糧攻めは不可能に近いです。6年くらい耐えます。 第4回十字軍も海軍力があってこその占領。 テオドシウス城壁に真っ向から挑んで突破したのはオスマントルコが初めて、みたいです。 大砲万歳ですな。大砲がなければ籠もっていればよかったのを、あったために迎撃&補修が必要になり門開のスキをつかれたのですから。 あと一応「十字軍」はルイ9のあれまでにしときましょうや・・・ きりがないし・・ 以上、本スレ蛇足なのでsage。
213 :
210 :2001/03/28(水) 22:18
>160氏 そうでした、ニコポリスの戦いの後、年貢金と引き換えに講和 したんでしたっけ。勘違いスマソ アンカラの戦いは第4回目の攻囲戦の時だね。 しかし、ニコポリスの戦の敗因を作ったフランス騎士はオオバカ だね、敗走と戦略的撤退がわかんないじゃね。 ジギスムント(ハンガリー王)が可愛そう(藁
>>210 そんなことないぞな
よく勉強してるなと感心してるぞな。
意味合い的には間違ってないから自信持つぞな。
>>212 コンスタンティノープルは1453年の滅亡の時一ヶ月足らずで
深刻な食糧不足になっとるぞな。外との連絡を遮断されたら
自給自足できない大都市の運命は決まっているぞな。
>第一既にビザンティンは臣従を誓っております。
これを外交的勝利というぞな。
>あと一応「十字軍」はルイ9のあれまでにしときましょうや・・・
教科書レベルで議論するのはつまらんぞな。
退職者の送別会で飲みすぎてちょっと酔ってるぞな
気に障ったらすまんぞな
215 :
世界@名無史さん :2001/03/29(木) 00:30
正規の十字軍とされてるものでも、おかしなものはあるわけで。 コンスタンティノープル占領して結局聖地に行ってない第4回とか 領土的野心で北アフリカに上陸しただけの第7回とか。 それに比べりゃ、イスラム教徒のヨーロッパ進撃をくい止める ためのニコポリス十字軍は、まだ十字軍らしいと思う。
216 :
須田長義 :2001/03/29(木) 04:44
>>214 いえいえ、丁寧なご指摘ありがとうございます。
ただ1400年代初頭ではオスマントルコによる海上封鎖は不可能でしょう、と思ったわけで
実際13**年(スマソ忘れた)ヘレスポントゥスはまだオスマンが突破不可能なトコロをビザンティンの内紛で明け渡してしまったのですし。
それほど海軍力はないと思われます。
さすがに1453はオスマンは海軍もそろえてきましたね。(それでも何隻か援軍の輸送船が突破したのは笑えますが)
なんかビザンティンのパラエオログス朝の誰か(?)のおかげでビザンティンの海軍はズタボロになったというのを読みました。
3年ほど前の「Decline and Collapse of the Roman Empire」からです。
いい加減な知識ですが。
さて。
せっかくだから題名に戻しましょう。
しかもビザンティンネタです。
「ローマの伝統を継ぐビザンティンの軍制について」
どうでしょう?
218 :
世界@名無史さん :2001/03/30(金) 02:28
AOKで散々な評価をされているカタクラフトは実際にはどうだったのでしょうか。
219 :
世界@名無史さん :2001/03/30(金) 04:16
>>218 普通の重装騎兵っぽい。
弓持ってるとかあるみたいだけど、実際の使われ方はそのままっぽいよ。
220 :
世界@名無史さん :2001/03/30(金) 11:01
コンポジットボウ凶悪だよー ヴァンダル・ゴートの歩兵なら射撃→突撃でKOできる
221 :
世界@名無史さん :2001/03/30(金) 13:49
AOCだと最強レベルまで行ったカタフラクトはメチャメチャ強い。
でもチュートンナイトはもっと強い。
乱戦に持ちこめば勝てるがね。
ちなみにカタクラフトは間違いだぞ、
>>218 よ。
誤爆か?
224 :
218 :2001/03/31(土) 04:18
カタフラクト・・・。 鬱出汁脳。
ラヴクラフト(ボソッ
226 :
日本@名無史さん :2001/03/31(土) 16:32
テケリ・リ・・・
227 :
世界@名無史さん :2001/03/31(土) 23:21
>カタフラクト アジア系の弓軽騎兵に対抗するため槍重騎兵に弓まで持たせたわ。 当時では最強だったらしい(ササン朝ペルシャに勝ってる)けど あまりに重くなりすぎて、騎兵の機動力を減少させ柔軟な戦術が取れなかった
中東の方は弓騎兵でローマを破ってるくらいだから…
229 :
世界@名無史さん :2001/04/01(日) 02:11
カタフラクトは「柔軟」とはほど遠い運用をされていた。 といっても中世ヨーロッパの騎兵はどれもそうだけどね。 カタフラクトの役目は敵に突撃し、粉砕すること。それのみ。 ただ普通に突撃してもはねかえされてしまうため、まずは歩兵部隊を前進させ、カタフラクトは後方待機。 歩兵部隊が敵と交戦し、敵の陣営が崩れると、カタフラクトが出撃、粉砕する。 重装騎兵の長所と短所をよく理解した、理想の使われ方なのではないかな。 ちなみにカタフラクトの攻撃が失敗した場合、 歩兵部隊が出てきてしんがりとなり退却する。 歩兵部隊は使い捨てか?
230 :
李密 :2001/04/01(日) 03:19
>227 カタフラクテスの本家本元はパルティア→ササン朝だから、 重槍騎兵に弓を持たせたというより、 そのまま真似したんじゃなかろうか? 元々ローマ帝国にはロクな重騎兵がいなかったんだから、 改造したところであまり役には立たなかったんじゃ……。
231 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 01:26
ハンマーと金床の理論を勉強しよう
232 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 01:39
>>230 多分ローマ帝国には「ろくな」どころではなく、重装騎兵自体いなかったと思いまする。
前に書いたことがあるのですが、ローマ時代に騎兵突撃などということはほぼ不可能です。
あぶみが存在せず、槍で突いたらそのまま落っこちるから。
ですから騎兵は投槍及び剣での白兵を行う部隊として存在してました。
よって突撃を行うカタフラクトという兵種は全く新しい考え方と思って良いと思いまする。
むしろ「弓を持ってる」方がそれまでの騎兵の概念として自然であったと思いまする。
ちなみに西洋の重装騎兵は歩兵の槍衾さえもはねのけるように進化しています。
体全体を覆う鎧で矢を防ぎ、
集団で長い槍を構えてをこちらから槍衾作ることにより歩兵に槍衾を作らせず粉砕する。
この部隊を歩兵で撃ち破るには圧倒的な士気か、突撃をゆるめるなにかが必要でした。
233 :
李密 :2001/04/02(月) 02:05
>あぶみが存在せず、槍で突いたらそのまま落っこちるから。 ですから騎兵は投槍及び剣での白兵を行う部隊として存在してました。 マケドニアのヘタイロイはどうなるんです? 鐙のない時代の騎兵は、 西洋騎士のように槍を持ったままぶつかるのではなく、 馬のスピードを利用して槍を突き立てると、 そのまま槍を手放して去るようです。 もう1つ。 東ローマのナルセスと戦ったトティラ率いる東ゴート騎兵は もっぱら槍騎兵だったそうですが、 この時代、西欧には鐙は存在していなかったはずです。 また、ビザンツのカタフラクテスを描いた絵の中には 鐙を描いてないような絵も存在しているようです。 鐙は確かに騎兵の戦闘力を上げますが、 それなくして槍騎兵はない、とまでは言い切れないのでは?
234 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 02:47
>>233 槍を持っていても、それをどう使うかは問題なんですよね。
私も投げる槍には言及しておりますし。
ちなみに「投げる槍」の元ネタはゲルマン系民族ですから、
東ゴートはそちらの方かと。
ただ、槍を突き立てるというやり方は知りませんでした。
しかしそれで、密集してる歩兵に真正面からぶつかって、戦果があげられますかね。
カタフラクトと運用上の概念が違うと申しましたのは、
軍の運用上、歩兵を中心に考えるか、騎兵を中心に考えるかということです。
ローマ時代の軍は、両翼に騎兵を配置していましたでしょう。
これはすなわち、騎兵の任務が側面攻撃にあることを示しているわけです。
しかしカタフラクトは、軍の中心に配置され、正面及び側面を歩兵に守られます。
これはすなわち、カタフラクト、つまり騎兵が正面から敵歩兵を粉砕するためにあることを物語っています。
この違いを持って、カタフラクトは全く新しい兵種と申しました。
あと、私が書いた「騎兵突撃」とは、騎兵が陣を張った歩兵に真正面から挑むことです。
言葉足らずで申し訳ない。
後、よく考えたらカタフラクトも導入直後とその後で運用法が違うかもしれないですよね。
私のそれは10世紀ごろのものです。
あなたの考えているものとは違うかも。
235 :
李密 :2001/04/02(月) 03:19
マケドニアのヘタイロイは3m前後の長い槍を使用していたそうです。 できれば東ゴートよりもこちらの方についての言及をお願いしたい。 正直、東ゴートはヘタイロイの補助論みたいなもので書いたので。 資料も東ゴート族よりマケドニアの方が豊富なので そちらでお願いしたいのですが。 えーと、「密集してる歩兵に真正面からぶつかって」 ということですが、 アレキサンダーはヘタイロイを結構荒っぽく使っていたようで、 メムノンのギリシャ傭兵からなる歩兵隊に真正面から突っ込んだり しています。 刺し殺すより駆け込んだ後に蹴散らす、という使われ方のようで、 相手の隙を突くやり方だったようです。 ヘタイロイは「鎚と金床」の鎚にあたり、 マケドニア密集陣の正面に 敵を追い込む・拘束する役目を果たしています。 単なる投げ槍の軽騎兵には難しい役目と思います。 騎兵の個体の殺傷力自体は 騎兵隊による騎兵突撃にはあまり関係ないのではと 思うのですが。 例えばサーベル騎兵というのがありましたが、 ナポレオンの槍騎兵が誕生するまでずっと サーベル騎兵が主流だったんですよね? 歩兵に突撃している限りは問題が表面化しなかった、 ということではないでしょうか? つまり、槍騎兵とは対騎兵に力を発揮するのであって、 歩兵方陣に対する突撃自体に大きな効果をもたらす物ではなかった のではないでしょうかね? カタフラクテスを含んだビザンツの陣形については 戦役によって様々なんでしょうが、 両翼に配置して、歩兵横陣と組み合わせて 追撃を主体に使われていた時期があったようです。 おそらく8〜9世紀頃と思われます。
236 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 04:09
>>235 マケドニアの方ですが、申し訳ないがそちらについてはよく知りません。
調べることは可能ですが、この時間ではちょっと。
ただあなたの書き込みを見る限り、「騎兵によって敵軍を粉砕する」という使われ方はできないと思われまする。
私の書き込みの主眼は2段落目にあります。
つまり歩兵が主か、騎兵が主か、ということです。
マケドニア軍は敵を、ヘタイロイで粉砕するのですか?
マケドニア歩兵軍がいなくても、ヘタイロイは機能しますか?
ビザンツ軍は敵を、(10世紀の)カタフラクトで粉砕するのです。
歩兵は単なる緩衝剤であって、いなくても機能します。
当然両方組み合わせた方が強力であるから、歩兵は不可欠の要素となりますが。
結局何メートルの槍を持っていようと、「騎兵突撃」で歩兵の陣を粉砕できなければ、
カタフラクトや西洋の重装騎兵のような運用はできないと思われます。
これをもって私は、ローマに重装騎兵無しといっているわけです。
といっても、後半の書き込みを見る限りあなたと私とでは騎兵に対する認識が違うようです。
私が「重装騎兵」と総称しているものは、歩兵であろうが騎兵であろうが粉砕する目的で運輸されます。
重装騎兵はいつでも敵陣に槍を構えて正面から突撃し、敵陣を崩し、サーベルに持ち替えて敵を撃破します。
サーベル騎兵が主流とおっしゃってますが、サーベルなんぞで歩兵の陣に正面から突撃したら、
かもがねぎしょって突撃するのと同じようなものです。
クルトレーの戦い、クレーシーの戦い以後は騎兵突撃より歩兵、それも飛び道具による戦術が優勢となり、
騎兵が槍を持つ必要がなくなったかもしれませんが、
それ以前は騎兵は槍を持っているのが当たり前です。
ナポレオンの登場までというのは恐らく近代騎兵を指しているのでしょう。
カタフラクトについては、恐らく初期はローマ時代の騎兵と同じ運用をされていたのでしょう。
ということは、「重槍騎兵に弓を持たせたというよりそのまま真似したんじゃなかろうか」
というあなたの話はまったくその通りであると思われまする。
パルティア・ササン朝の騎兵がそうそうローマの騎兵と違う運用していたとは思えないし、
ローマ騎兵に「弓を持つ」という概念があったとは思えませんから。
237 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 04:21
>>235 しかしなぜにこの沈みそうなスレにsageを使うのですか?
沈みそうだから?
確認しにくいのですが。反応してきたのか。
238 :
李密 :2001/04/02(月) 16:36
>237 つーことであげ。 >236 違いました。私の言ってるのも10世紀でしたね。 レオン6世の「戦術書(タクティカ)」です。 カタフラクテスは騎兵だけで敵を粉砕したわけじゃないですよ。 敵の攻撃を歩兵横陣で受け止め、カタフラクテスで追撃しただけです。 戦術書によるならば野戦機動軍の1つの軍団は 2000弱のカタフラクテスと10,000前後の歩兵横陣から なっていたそうですから。 歩兵横陣が中央に入り、 左右にそれぞれ700〜800ほどの騎兵隊が楔形陣形で配置されたそうですが。 ビザンツの野戦機動軍(タグマ。複数形タグマタ)は騎兵2万と歩兵10万強で 編成されていたという資料がありますが、 これ以外に地方軍であるテマの軍は歩兵が中心です。 (実体が農民徴募軍であることを考えれば当然のことです) ビザンツとは言え、歩兵に頼っていた面は大きいのです。 (歩兵が主体とは言いませんが、カタフラクテス主体ではありません。 騎兵のうちかなりの部分がフン族の傭兵やトルコ系の弓騎兵だからです。) ギリシアの火は対ブルガリア戦役など陸戦でも使われましたが、 これを使っていたのは歩兵ですし。 >サーベルなんぞで歩兵の陣に正面から突撃したら、 >かもがねぎしょって突撃するのと同じようなものです。 そうとは限りませんよ。 騎兵突撃が威力を発揮できるかどうかは、歩兵の装備ではなく、 歩兵方陣に物理的な間隙、(隊列のズレなど) もしくは精神的脆弱さがあるかという事によるはずです。 そもそも、騎兵が歩兵横陣に対して白兵戦を挑めば それこそ歩兵のカモです。 訓練された軍馬でも槍の壁がいつまでも崩れなければ足を止めてしまいます。 ここの崩れるか否かが正面突撃の際の勝負のヤマであって ランスだろうがサーベルだろうが、相手が崩れなければ結果は変わりません。 おそらく最初の一撃で槍騎兵が歩兵横陣の一列目の兵士を刺し殺し、 そこから騎兵隊が突き崩すというイメージを持っておられるようですが、 歩兵隊の方から崩れない限り(一部例外を除いて)無理というべきでしょう。
239 :
李密 :2001/04/02(月) 16:52
>歩兵は単なる緩衝剤であって、いなくても機能します。 緩衝剤であって、いなくても機能するのではなく、 「緩衝剤が必要」なんだと思いますが。 十字軍遠征でも サラディン対リチャード獅子心王のアルスーフの戦いでは リチャードはイスラムのアウトレンジ攻撃から騎兵隊を守るために 歩兵隊を全面に出してじっと耐えたんだそうです。 そして、イスラムの攻撃が弱まると同時に騎兵隊の突撃が行われたそうで、 緩衝剤というのは歩兵戦術における散兵にも通用する物ですが、 「なくてもいい」などという物ではありません。 騎兵は攻撃力と機動力しかないので、 (重装騎兵の場合は攻撃力のみ) どうしても何かに守られなければならない存在です。 突撃するその瞬間までは歩兵や軽装兵に任せるしかないはずです。 (西欧騎士の軍隊は様式化していたと言えると思います。 なぜならエドワード一世とスコットランドの戦役や、十字軍戦役など 他の文化圏と戦争したときは騎士だけで勝つなどと言うことは起こりえなかったからです。 騎士が正面から歩兵隊を蹴散らせたのは、そういう文化圏で戦争をしていたからでしょう)
240 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 18:25
歩のない将棋は負け将棋
241 :
世界@名無史さん :2001/04/02(月) 18:46
様様な戦闘教義を大雑把に知りたいなら 「戦争学」 松村 劭 著 文春新書
242 :
李密 :2001/04/02(月) 19:36
239の補足。 >エドワード一世とスコットランドの戦役 イングランド対スコットランドの戦役といった方がいいですね。 1314年のバノックバーンの戦いでのイングランド軍の動きや、 1332年のダブリン・ムーアの戦いなどでは 弓兵と長槍兵、騎士による明確な役割分担が見られます。 特にスコットランド長槍兵のスキルトローム(槍の壁)陣形は 騎士だけではとても撃破できず、 弓兵をもってその陣形を乱さなければ粉砕できなかったのですから。
243 :
シャールフ :2001/04/03(火) 00:10
>カタフラクテスの本家本元はパルティア→ササン朝だから、 >重槍騎兵に弓を持たせたというより、 >そのまま真似したんじゃなかろうか? 李密氏はとても詳しいので反論するの気が引けますが パルティア、ササン朝の騎兵は、軽弓騎兵と重槍騎兵 に分かれていたのでは? 両王朝軍にカタフラクトのように重槍騎兵に弓を持た せたとは聞いたことが無いです(オイラが知らないだけ? オイラの聞いた範囲では、ビザンチン軍には両兵科をそろ える無駄を省く意味で、重槍騎兵に弓も持たせちゃったとか。 しかも、カタフラクトはササン朝の重装騎兵より装甲が 丈夫で、ビザンチン軍の弓(バリスタ含む)はササン朝の 装甲を打ち抜けたが、カタフラクトはササン朝の矢を 跳ね返したとか。(ダラスの戦い) 間違ってたらスマソ
244 :
236 :2001/04/03(火) 01:33
まず訂正。
カタフラクトの使い方で、歩兵で敵陣を崩した後突撃させると書きましたが、
ネタ本をよく読んでみると最初に突撃させたようです。
しかもカタフラクトだけでなくすべての騎兵が。
歩兵は騎兵の突撃が失敗した場合に騎兵を守るためにあるらしいです。
実際は私の記憶よりさらに騎兵は攻撃的な運用をされていたようです。
>>238 まず「タクティカ」に載っているカタフラクトですが、
その配置が左右翼である以上レオン10世の運用法は古代のものだったというしかないです。
古代のものである以上騎兵で粉砕しないのは当然です。
私は当初からそういってますが。
私のネタ本の時代はマケドニア朝最盛期のものです。
同じ10世紀なのにカタフラクトの運用法、というか軍の戦術全体が違うのは・・・。
どこかで軍制の大改革が行われたか、私のネタ本が間違いか・・・ですな。
ネタ本が間違いであった場合、カタフラクトの運用は完全にあなたの説であってると思います。
騎兵対歩兵の話ですが、
中世というのはこれが崩れる、いや、崩れると信じられていた時代なんですよ。
あなたが「歩兵方陣に物理的な間隙、(隊列のズレなど) もしくは精神的脆弱さがあるかという事によるはずです。」
とおっしゃっているとおりです。
騎兵に対する精神的脆弱さがあったんですね。
そしてそれを増長する存在が槍であったわけです。
確かにサーベルでも崩せるでしょう。しかし槍の方が効果がある(実際に想像すれば明白でしょう)。
経済的に余裕があれば、槍を持たない馬鹿はいないんです。
もちろん槍は、対騎兵という点でも有用な武器ですしね。
ただ、「槍」にはあまりこだわる必要はないのかもと思い直してきました。
あぶみの登場でどんな装備の騎馬兵も攻撃力を向上させられるから。
私のネタ本のカタフラクトも、メイス装備が主力のようですし。
245 :
世界@名無史さん :2001/04/03(火) 01:50
まず上の書き込みは省略されてないです。
最後の真っ白な行が引っかかってしまっただけです。
>>239 -242
私も「歩兵は不可欠の要素」と書いているのですが。
「緩衝剤が必要」でも歩兵を「緩衝剤」としている時点で、
運用の概念の上で大きな違いがあります。
古代の戦いは明らかに歩兵が「主力」だったのですから。
歩兵が「攻め」に使われていた、と言い変えてもいいかもしれません。
そう考えた場合、李密さんが挙げた例は私の論にまったく反していないと思われます。
〜だけで機能するかというのは極論した場合の話です。
ここは言葉足らずでしたね。
最後に、私の本には、カタフラクトが弓を持っていたと載っていないです。
どうやら私の言ってるカタフラクトは、名前だけ同じで全くの別物なのかも。
まあ私の本が間違えでなければの話ですが。
246 :
李密 :2001/04/03(火) 02:26
>243 えーと、ササン朝にもビザンツにも 2種類の騎兵があったようで もう1つは「クリバナリウス」とか呼ばれていたらしいです。 こちらの方は軽装だったそうなんですが。 パルティアでも重騎兵のことをカタフラクテスと呼んだようで、 軽装備の弓騎兵があったことは、 クラッススのパルティア遠征の記録でもはっきりしています。 あと、タラスの戦いはユスティニアヌス帝の頃で、 ビザンツと言うより東ローマ帝国といった方が正しいような年代でしたので この場合は出さなかったとお考えくだされ。
247 :
李密 :2001/04/03(火) 03:06
>244 マケドニア朝最盛期ということは ニケフォロス・フォカス〜バシレイオス2世あたりでしょうか? もしそうなら私の言っている資料とあまり変わらないと思います。 さてさて。 ちと時代を進めて、コムネノス朝のマヌエル1世の頃の話ですが。 この人物「西洋かぶれ」という評判の皇帝で、 騎兵隊の訓練を西欧風の訓練法に変えてしまった人物でした。 (逆に言えばカタフラクテスはどちらかというと中途半端という欠点も持ち合わせていた、 といった方がいいかもしれません。) この変革のおかげで西欧の騎士たちからビザンツ軍が見直されたというので、 こと接近戦にかけては西欧の騎士隊の方が強かった、 という見方もできると思います。 もっとも、この後にマヌエル1世はトルコ軍に大敗しているので、 実戦では弱くなっていたのかもしれません。 (西欧騎士は飛び道具を平民の武器として軽蔑する傾向があります。 つまり、変革前は弓を使っていた、という見解もできるのではないでしょうか?) わかっているのはユスティニアヌスのゴート戦争の頃は 確実に東ローマには重装弓騎兵といえる存在がいました。 プロコピウスという当時の記録家が、 「我が国の射手隊は鞍にまたがって見事に馬を乗りこなす。 彼らの頭と肩は兜と円楯で保護され、 脚には鉄の脛当てを履き胴体は鎖かたびらで覆われる。 彼らの右の腰には矢筒、左には剣が下がり彼らの手は接近戦に際して 槍を投げるのに馴れている。彼らの弓の弦は強くて重い。 彼らは前へ後ろへ或いは両脇へと、どんな方角へも前進ないし 後退しつつ弓を射る。彼らは弓の弦を胸元まででなく右の耳まで 引き絞るように教えられていて、彼らの矢柄の激しい勢いを 食いとめる鎧はよほど堅固なものに相違ない。」 と表記しているからです。 また、その後も強兵策として「弓術の奨励」が掲げられているので ビザンツ騎兵が弓を持っていたというのは確定してもいいと思います。 それに、ビザンツのギリシャ人騎兵が弓を持っておらずとも、 スラブ人傭兵やフン族傭兵などが騎兵隊としていたので 弓騎兵がビザンツ軍内部に存在したことは確かです。
248 :
世界@名無史さん :2001/04/03(火) 03:34
>マケドニア朝最盛期ということは ニケフォロス・フォカス〜バシレイオス2世あたりでしょうか? はい、そのころです。 だからネタ本の方を疑ってるわけで。 可能性としては、フォーカス家あたりが軍制を改革した、といったところが考えられるのですが・・・。 ただネタ本の方も、弓騎兵は存在するように書かれています。 ただし、ことカタフラクトに関する限り、弓持ってる必要のない使われ方してるんですよ。 カタフラクト隊に弓隊がくっついてきてるし。
249 :
李密 :2001/04/03(火) 03:35
>ネタ本をよく読んでみると最初に突撃させたようです。 しかもカタフラクトだけでなくすべての騎兵が。 歩兵は騎兵の突撃が失敗した場合に騎兵を守るためにあるらしいです。 実際は私の記憶よりさらに騎兵は攻撃的な運用をされていたようです。 モンゴル軍の常套戦術では軽弓騎兵で騎射や偽装退却をして 相手が崩れたところに重騎兵が突撃してとどめを刺したそうです。 トドメの一撃としての突撃ですね。 リーグニッツもこんな感じだったそうです。 ウィリアム征服王のヘースティングスの戦いでも 口火を切ったのは弓兵(この時代はロングボウではないはず) だったそうで、この戦いを描いたバイユーのタペストリでも 矢を放つ徒歩の弓兵が描かれています。 この戦いでは歩兵同士の死闘が終わった後に ノルマン騎兵が縦横無尽に暴れ回ったそうで、 これまた例に反します。 リチャード獅子心王のアルスーフの戦いもそうです。 確かに騎兵隊が最初に突撃した例も多いです。 クレーシーをはじめとして、フランス騎士隊は先手必勝で突撃しましたし、 トティラ率いる東ゴート騎兵も歩兵を後方に置き去りにして 騎兵だけで単独突撃を敢行しました。 ですけど、「全ての騎兵」というのは絶対に違います。 (そのタネ本を書いた人は物事をバッサリ斬るタイプの人みたいですね) ちなみに、アルスーフの戦いでは リチャードは闘争心旺盛な騎士たちを押さえ込むのに 苦労したそうです。(彼は戦争マニアでしたが猪突猛進ではなかったようです) 最初に突撃するというのは 指揮官の闘争心が旺盛な場合に多いだけではないでしょうか?
250 :
李密 :2001/04/03(火) 03:42
新紀元社の出版という、あんまり説得力のない著作物なので、 絶対的信頼は置いておらんのですが……。 カタフラクテスの編成は頻繁に変化し、 5騎中3騎が槍を持って2騎が弓を持つという編成もあった、 と書いてありました。 原典も不明なので保留中の資料ではありますが。 (まあラテン語・ギリシャ語の原典なぞ読めませんが信憑性という意味で) これだと、カタフラクテスは多兵科の混合部隊ということになりますね。
長いレスばっかり・・・ どこかにまとまったWebページがありませんか(泣
252 :
李密 :2001/04/03(火) 17:45
>244 およそ重騎兵と呼ばれる兵科が敵陣の「粉砕」を目的として 使用されるのは同意の確認をするまでもないことです。 問題は、「騎兵が陣を張った歩兵に真正面から挑んで効果を上げられる」 という点にあります。 カタフラクテスを擁する10世紀のビザンツが相手としていたのは ブルガリアとサラセンです。 西欧騎士が相手としていたのは寄せ集めの封建時代の歩兵です。 このうちどれか1つに「陣を張った歩兵」と呼ぶにたるだけの 歩兵隊を擁していた軍隊があるのでしょうか? ブルガリアとサラセンは軽装の歩兵が中心でしたし、 (重歩兵が出てくるのはオスマントルコあたりからです。) 封建時代の歩兵は鎧すら付けていない軽装の民兵と、 その中にぽつぽつと重装備のサージェント歩兵が混ざっていたという 雑多なものだったと記憶しています。 歩兵隊が整備されるのはエドワード3世やエドワード黒太子の ロングボウ兵による戦法が確立されたあたりからですが、 このあたりから騎士は役立たずになっていっています。 アレキサンダーの戦ったメムノン率いる2万のギリシア傭兵隊や、 ネー元帥をくい止めたイギリス軍歩兵隊とは 練度や装備からして比べられないと思いますが。 別にカタフラクテスや西欧騎士が優秀な兵科であったから 正面から撃砕できたのではなく、 相手にしていた歩兵隊のタイプ(重装兵か軽装兵か)や 練度も考慮に入れるべきではないでしょうか。
253 :
李密 :2001/04/03(火) 18:05
また、正面から歩兵隊を撃砕している というのをそのまま「新しい兵科」と評価するというのも いささか危うい物があるのではないでしょうか。 重騎兵の本質とは機動力とそれによって生み出される衝撃力ですが、 「正面からの撃砕」というのは「機動力を活かしきっていない」 と言えると思います。 正面から叩きつけることを考えれば重装歩兵の密集陣と 何も変わらないからです。 側面攻撃や後背に回り込むというのは、その騎兵隊が弱いからではなく 「側面や後背に回り込めるから」でしょう。 カタフラクテスは重装備すぎてそこまでの機動力はのぞめません。 正面から撃破できた、ではなく 正面から突っ込むしかなかった、と言えるのではないですか? (ひどいことを言わせてもらえば「退化」と言えるのでは……) 機動力がある重騎兵隊で わざわざ危険な正面突撃にこだわる理由もありませんし。 迂回突撃の方が成功もしやすく効果的でしょうし、 歩兵・弓兵隊との共同作戦もしやすいでしょう。
254 :
248 :2001/04/06(金) 01:53
遅れて申し訳ない。
ここ数日嵐のように忙しく、パソコンにさわれもしませんでしたもので。
>>249 えーと、これは私の書き方がいけなかったのかな。
「すべての騎兵」というのは、「ビザンツ軍の」、という意味です。
ネタ本はビザンツ軍についてしか書いていませんから。
カタフラクトやテマから徴収した騎兵、軽騎兵、通常の騎兵が、ということです。
ただし、側面を守る騎兵、遊撃を担当する騎兵は別行動だったそうです。
>>252 歩兵の質ということですが、残念ながら私には詳しくはわかりません。
これはトピの内容に直接絡んでくる内容なので、広く意見を聞きたいところですね。
それほどにギリシアを代表とする歩兵の密集陣が優秀なら、なぜその後この戦法が使われなくなったのか。
練度は高かったのか(スパルタは高かったでしょうが)、本当に全員が重装備を用意できたのか。
この戦法、というよりこの徴兵方で、封建時代の軍隊とまともに戦えるだけの頭数をそろえられたのか。
といったあたりが論点としてあげられそうですが、誰か答えてくれないですかねえ。
>>253 機動力についてですが、ビザンツ軍に関する限り「軽騎兵」などもいますので、
カタフラクトは敵陣撃破に重点を絞った兵種であると思って矛盾はないと思います。
騎兵の運用方法として、正面からの突撃が有用であるとわかったので、
それ専用の騎兵を作ってみました。といったところではないでしょうか。
中世と古代の騎兵運用の一番大きな違いは、
正面からの突撃ができると思っているか、いないかということだと思います。
密集陣全盛のころは、騎兵を密集陣に正面から突撃させるなど、
自殺行為だと思われていただろうと思います。
何せ刃物の壁に勢い付けて突っ込むようなものですからね。
それより、簡単に後ろ回れるのだからそっちで使おう、と思うのは自然でしょう。
しかし次第に、正面から突撃させても結構使えることがわかってきた。
真っ正面から猛スピードで近付いてくるものの前にたつというのは、なかなかできないことですから。
だったらそれ専用の騎兵を作ってしまおうと考えるのは自然でしょう。
そしてその運用法が何よりも強いと考えたのが、西洋なのではないでしょうか。
>>251 そんなページ知ってたら、こんなに書いてませんです。
255 :
世界@名無史さん :2001/04/06(金) 19:09
アゲテオコウ
256 :
シャールフ :2001/04/06(金) 23:21
>それほどにギリシアを代表とする歩兵の密集陣が優秀なら、なぜその後この >戦法が使われなくなったのか。 一般的見解ですが、カタパルト、バリスタ、石弓など、長射程で殺傷力の高い 武器が普及したため、密集していると被害が大きい。それで歩兵が散開したと ころを、騎兵に突入され、敗れる。 だったと思います。6世紀の「カシリナムの戦い」などよい例かと。
257 :
257 :2001/04/07(土) 01:10
>>256 早速の返信、有り難うございます。
カタパルトやバリスタ等については、このスレの前の方でも出てきましたが、
あれって基本的に「砲」、つまり城での攻防で使われるものですよね。
野戦でそう頻繁に使われていたものなのでしょうか?
カシリウムの戦いに使われたのは主に弓であるようですし。
258 :
シャールフ :2001/04/07(土) 01:29
>>257 東ローマ帝国ではカタパルトはともかくバリスタは野戦でも多く使われ
ていたようです、1個軍団に100〜200門の割合で配備されていたそうです。
>カシリウムの戦いに使われたのは主に弓であるようですし。
そのとおりですね。でも、この頃はビザンツ軍も、アジア系遊牧民の合成弓
から学んだ可也強力な短弓になっていたと思います。
多分、石弓も多く使われたのでは。
259 :
254 :2001/04/07(土) 02:00
>>258 なるほど、バリスタは結構使われていたんですね。
確かに矢を放てば、陣形を崩すのに有効そうですからね。
2,3人まとめて吹き飛ばせそう。
反面カタパルトは・・・あんまり使えなさそうですね。
弓って、そんなに強力なものだったのでしょうか。
盾があればそれなりに防げそうなものですが。
弓自体は密集陣全盛のころにもあっただろうに、
なぜかように「弓」がキーポイントになってくるのでしょう?
石弓や合成弓などの技術の向上が効いたということでしょうか。
それとも陣を崩すに十分なほど大規模な集団で運用するようになったから?
しかし、私の前回の書き込みの名前、わけわかりませんね。
何でこんな間違いしたんだろう。
260 :
217 :2001/04/08(日) 21:31
久しぶりにのぞいたら・・・感動。 あげ。
261 :
李密 :2001/04/09(月) 05:48
>歩兵の質ということですが、残念ながら私には詳しくはわかりません。 これはトピの内容に直接絡んでくる内容なので、広く意見を聞きたいところですね。 それほどにギリシアを代表とする歩兵の密集陣が優秀なら、なぜその後この戦法が使われなくなったのか。 練度は高かったのか(スパルタは高かったでしょうが)、本当に全員が重装備を用意できたのか。 この戦法、というよりこの徴兵方で、封建時代の軍隊とまともに戦えるだけの頭数をそろえられたのか すんません、今から睡眠取るんでレスは明日……もう今日か(汗) ただ、質の高い歩兵ってのは歩兵の社会的ステータスをあげるか、 市民制のあった場所でないと編成できません。 サージェント歩兵なんて名称からして従属的なものですから。 まあテマ制の農民軍はなかなかに優秀だったそうですが、 ビザンツの財政が行き詰まった事による、 テマ制を支える農民層が没落がおこって、テマ制で兵力を確保するのは不可能になったそうです。 騎乗の戦士というのが誇り高い貴族身分のものであるというのは ガリア・ケルト人あたりから続く伝統的なものです。 マキアヴェッリがフィレンツェで一時「市民軍制」を敷きかけましたが、 彼の失脚で全部消えてなくなりました。
262 :
李密 :2001/04/09(月) 05:56
>シャールフ殿 ローマ帝国のレギオンにも弩砲は装備されてましたよ。 もっと言えば、マケドニア軍が「ねじれ弩砲」なるものを考案し、 野戦でもこれを盛んに使ったそうです。 >254 追加です。 ルネサンスのあたりまで教会勢力が古代ギリシャの文物を 異端としていたこと、騎士は文盲がよいとされていたこと、 スイス農民軍で騎兵が編成できないという理由から生まれた パイク戦術がヨーロッパ随一とまで言われるスイス傭兵隊を生んでしまったこと、 あたりから類推すれば 「なぜその後この戦法が使われなくなったのか」という問題の答えは出てくると思うのですが。
263 :
世界@名無史さん :2001/04/09(月) 11:34
すげえレベル高いんですけど、最近。 いや、参りました。
264 :
李密 :2001/04/09(月) 15:35
>259 補足しておきましょう。 古代で言われるところのバリスタとは 矢(というよりほとんど投げ槍)のみを放つのではなく、 石弾・その他(人間の首等)を放つ多目的の石弓のようなものです。 主体は矢よりも石弾の方だったそうです。 >弓自体は密集陣全盛のころにもあっただろうに、 なぜかように「弓」がキーポイントになってくるのでしょう? スパルタの密集陣がアテナイの軽歩兵に敗れたのを思い起こして欲しいですね。 密集陣は密集しているが故に飛び道具(手持ちの弓だろうが砲だろうが) に弱いです。 密集陣をしくときは軽歩兵や散兵を持ってこれを保護しますよね。 ですが、軽歩兵や散兵では騎兵に対しては圧倒的に不利なわけです。 散開した歩兵では騎兵突撃に耐えきれませんから。 考えていただきたいのは 大規模な歩兵横陣がビザンツを除く西洋から消え失せたのは ゲルマン民族の大移動の頃です。 この頃はやフン族など、騎射を得意とする民族も流入してきており 弓騎兵が戦場で多く見られるようになっています。 弓騎兵というのは歩兵の一番の天敵でしょう。 よく訓練された弓騎兵ならば野戦では歩兵に負けることはないはずです。 アンカラの戦い(ティムール対バヤズィト)や、 リーグニッツの戦い、アドリアノープルの戦い等々。 上で書いたエドワード1世のスコットランド戦役も イングランド騎兵が控えているために散開できなかった スコットランド槍兵隊を弓兵で制圧したようなものです。 弓がキーワードになるのは、 動きの遅い重歩兵や歩兵密集陣が抱える宿命的な弱点だからでしょう。
265 :
李密 :2001/04/09(月) 16:18
>中世と古代の騎兵運用の一番大きな違いは、 正面からの突撃ができると思っているか、いないかということだと思います。 密集陣全盛のころは、騎兵を密集陣に正面から突撃させるなど、 自殺行為だと思われていただろうと思います。 何せ刃物の壁に勢い付けて突っ込むようなものですからね。 それより、簡単に後ろ回れるのだからそっちで使おう、と思うのは自然でしょう。 しかし次第に、正面から突撃させても結構使えることがわかってきた。 真っ正面から猛スピードで近付いてくるものの前にたつというのは、なかなかできないことですから。 だったらそれ専用の騎兵を作ってしまおうと考えるのは自然でしょう。 そしてその運用法が何よりも強いと考えたのが、西洋なのではないでしょうか。 西ローマの滅亡と共に、西洋では彼らの習慣に基づいた 一からの出直しをするはめになったはずです。 西洋に限れば「次第に正面からでも……」というのはありえません。 少なくとも西洋の騎兵隊はカール・マルテルの頃にできたばかりで、 それ以前にはフランク族には騎兵隊そのものがありませんでした。 騎兵戦術としては極めて未熟な部類と考えるのが当然でしょう。 ヘースティングスの戦いでは何回も突撃を跳ね返されています。 正面突撃が有効だったというより、正面突撃に固執していたように思えます。 側面攻撃を行わなかったのは騎兵を構成する騎士階級の身分意識が 邪魔をしていたからでは。 正面からの運用法が何より強いと考えた、というのは無理があるでしょう。 クルトレーやクレーシーなどの戦いで歩兵に痛い目にあった結果、 百年戦争以降は正面突撃ではなく、 歩兵・砲兵・弓兵との共同攻撃をするようになったのでしょう。 ビザンツの騎兵運用についてですが、 そのネタ本には当然戦例が載せられていると思うのですが、 1つ2つ挙げていただけませんかね? 私は「タクティカ」の運用法しか知らないので何とも言えません。
266 :
世界@名無史さん :2001/04/09(月) 16:22
267 :
李密 :2001/04/09(月) 17:19
>261 バテないうちに書いてしまおうと思います。 まず、ギリシャやマケドニアのようなしっかりとした陣形は 士気が高く、訓練を受けた歩兵でなければなりません。 つまり 「それほどにギリシアを代表とする歩兵の密集陣が優秀なら、 なぜその後この戦法が使われなくなったのか。 」 に対する解答は 「歩兵の密集陣を構成できるだけの質の高い歩兵が準備できるか」 というところにあります。 ギリシャ、ローマでは市民であったので歩兵の地位は高く、 王制のマケドニアでは騎兵が重視され王の直属部隊とされてからも、 歩兵は騎兵と同等の兵科とされていました。 イギリスではヨーマン層からなる長弓兵は次第に重視され始め、 幼少から指の骨格が変化するほどの厳しい訓練が為されていました。 クレーシーでは騎士は下馬させられ、 槍兵と共に長弓兵を守る役割をさせられました。 スイスでは農民反乱軍であったため騎兵が用意できず、 パイク兵が主力兵科として訓練されました。 以降、スイス傭兵はヨーロッパ各国で活躍しました。 オスマン・トルコでは親衛兵団としてイェニ・チェリが設立され 孤児であった彼らは命知らずの戦い方で恐れられました。 上で挙げた例は常備軍であるイェニ・チェリを除けば、 あとは富裕な農民や市民を徴兵して作った軍です。 「封建時代の軍隊とまともに戦えるだけの頭数をそろえられたのか」 というのは逆でしょう。 徴兵制というのは数が一番揃えやすい方法です。 ビザンツのテマ制だって最盛期は約二十万の兵力を揃えたんですから。 問題は数の揃えかたではなく、富裕農民や市民を 経済的に保護する処置を取っておかねばならないことです。 基本的に徴兵制は20〜40歳あたりを目安にして 平時は訓練させながら生業を営ませ、 戦時に軍隊として武装させるというものです。 もし、富裕農民や市民が経済的に没落すれば 働き手にあたる20〜40歳の人間を集められなくなります。 ビザンツでテマ制が廃れて異民族の傭兵軍が主力になったのは この農民層の没落が原因らしいです。 では西洋ではどうであったかというと、 歩兵の主体を為していたのは 各封建領主の家臣であるサージェント歩兵です。 当然彼らは普段は各領主と共に生活しており、 国軍としての統一された訓練など行っていませんでした。 だいたい、国王が平時に貴族たちの家臣を集めて訓練するなど 封建制の理念からしてありえないことです。 個人個人の鍛錬はしていたでしょうが、軍事訓練はしていませんでした。 戦時の時だけ集合するような軍隊が整然とした陣形を取れるはずもありません。 もう1つの歩兵は直轄都市から集められる民兵です。 彼らは平時は都市生活を営み、都市の警備や門番として 活動していました。 やや徴兵制に近いですが、 彼らにしても軍事訓練を受けていたわけではありません。 特にフランスでは騎士が真っ先に突撃するので 民兵隊は防衛戦でもない限り出番もなく、 熱心に訓練する必要もありませんでした。 どちらかといえば、彼らは戦場で略奪などによる 副収入をあてにして従軍するのが常だったからです。 ビザンツの敵手であったイスラムやペルシャでは 軽騎兵が盛んで、あの地域の暑さもあって重歩兵そのものが 発達しませんでした。 あちらで盛んなのは軽騎兵(駱駝も)や軽歩兵で、 そもそももとが騎馬民族系ということから いきおい歩兵の地位は低かったことでしょう。
268 :
シャールフ :2001/04/09(月) 23:23
>李密氏 長文ご苦労さまです、まさに仰るとおりだと思います。 オイラのような上辺だけの知識しかないものには、とても 勉強になりました。 アドリアノープルで東ローマのレギオンが西ゴートの 騎兵に敗れてから グスタフ・アドルフが三兵戦術を 編み出すまで、まさに騎兵の時代でしたね。 ついでに質問 サラセン軍は、石弓を馬上で使っていたそうですが、 操作に時間がかかり、あまり有効な武器(使用法) ではないように思うのですが、特別な仕掛・理由 があったのでしょうか? 後、別スレではおさわがせしました<スマソ
269 :
李密 :2001/04/10(火) 02:56
サラセン人たちが言うところの「フランク人」たちは、 大勢の浮浪者同然の巡礼と完全武装の騎士(+従者)で アジアにやってきました。 このうち、完全武装の騎士には サラセンの弓は効きにくかったようなのです。 そのため、馬上での操作が困難なのを承知で 威力の大きい石弓を使うこともあったそうです。 ただ、騎射が有効だったのも事実らしいので、 数多く矢を射れる弓が主体だったようですね。
270 :
世界@名無史さん :2001/04/10(火) 07:30
>>267 イェニチェリは孤児じゃなくて、
キリスト教徒家庭から徴用してきた強制イスラム教改宗者です。
いちおう家庭からは切り離されて兵士にされていますから
ほんとど孤児みたいなものではありますが、
実際には栄達してからも故郷や親族とのコネクションを維持した例もあって
一概には「家族無しの命知らず」と言いきれないみたいです。
本筋と関係ないレスでごめんなさい。
271 :
李密 :2001/04/10(火) 14:17
おっと、ご注意申し訳ない。 そういえば……なんで孤児と思ったんだろう?(汗)
272 :
李密 :2001/04/10(火) 22:00
喉に引っ掛かった骨は取り除いておくべきでしょう。 もしくは靴の中の小石など。 >244 >私のネタ本の時代はマケドニア朝最盛期のものです。 同じ10世紀なのにカタフラクトの運用法、というか軍の戦術全体が違うのは・・・。 どこかで軍制の大改革が行われたか、私のネタ本が間違いか・・・ですな。 ということなのですが、やはり改革がありました。 私が言っていたレオン6世時代のものもあっているようですし、 244さんのも(おそらく)間違ってるわけでもないんでしょう。 マケドニア朝はヴァシリオス1世(867-886)から始まっていますが、 この頃の軍事力の基盤であったテマ(セマ)とは、 中小土地所有農民からなる徴募軍でした。 ところが、マケドニア朝あたりから徐々に大規模な地主が現れ、 テマの兵士となる中小土地所有農民を犠牲にしていく傾向が現れました。 ロマノス1世(920-944廃位)や、彼と一時期共同統治していた コンスタンディノス7世らはこれら中小農民たちを保護し、 土地の売買の対して厳しい価格設定を強いたり、 一旦買いあげられた土地を回復要求するのに有利な法律を設定して 中小農民を保護していました。 これが軍人皇帝として有名なニケフォロス2世(963-969)の時代に一転し、 地主層がすでに買い上げた土地を保護する法律を作りました。 ただ、未だ買い上げられていない土地に対しては価格設定を3倍にし、 これ以上中小農民が没落しないように手を打ちました。 これは地主層にはより充実した軍備を求めるシステム改変と受け取れます。 彼らが小数の重突撃部隊であるカタフラクトを構成したのではないでしょうか。 次のヨアニス1世(969-976)も領土拡張で有名ですが、 特に政策の転換はないので同じようなものだと考えられます。 ただ、これはブルガリアを征服した ヴァシリウス2世(976-1025)の時代に再び一転し、 強引な方法で地主層の土地を取り上げ、(ほとんど強奪に近い) 中小農民の増加政策をとっています。 ヴァシリウス2世以降は中小農民の没落には歯止めがなくなり、 ビザンツは自前の軍すら満足に維持できず、 (金はあったが、兵役に就くものがいない) 外国人傭兵の部隊に依存するようになったので これ以降はカタフラクトそのものが衰退してしまったと見ていいのではないでしょうか。
273 :
シャールフ :2001/04/11(水) 00:52
>李密氏 お答えありがとう御座います。 やっぱ、西欧州の重装備兵対策だったかけですね。 >270 デウシルメ制ですね。 しかし、イエニチェリになると栄達といっても最高 イエニチェリアースゥ(軍団長)どまりだからやは り、選別の段階で小姓(「内の少年」)に選ばれないとね。 小姓に選ばれれば、大宰相にまでなれますから。 てゆうか、小姓にならないと大宰相にはなれませんけど。 (メフメッテ2世以後)
274 :
李密 :2001/04/11(水) 01:14
>273 時代的にはビザンツはササン朝やイスラムのカリフには それなりの注目をしていましたが、 カロリング朝については直接隣接しないこともあって、 大して気にしてなかったと思います。 イスラム勢力、あるいはブルガリアでしょう。
275 :
259 :2001/04/13(金) 02:21
また間を空けてしまい申し訳ない。
私が留守のうちに、多くのレスがついていたようで。
皆さんに感謝(別にこのスレは私が立ち上げたわけではありませんが)。
まず、密集陣やそれを構成する質の高い歩兵を得るためには、
歩兵が社会的に高いステータスを持たねばならないというのは私も賛成します。
ただ、ここが私が「封建時代の軍隊とまともに戦えるだけの頭数をそろえられたのか」と書いた理由でもあるのです。
すなわち、ヨーロッパに、封建時代の軍隊と対抗しうる数の歩兵を生む富裕農民・市民を維持できるほどの、
強力な権力が登場し得ただろうか、ということです。
李密さんの書きこみをみてもわかるのですが、どの古代の権力も強力な歩兵軍の維持に失敗しているんですよね。
それはすなわち、歩兵軍の土台となる土地持ち農民の没落を防げなかったことを意味していると思われます。
結局領土が大きくなれば兵士数はさらに必要となるのに、
そこまで強大な権力がないため土地の偏りを防げず、
歩兵軍は大規模戦闘の戦力として機能しなくなった、というところなのでは?
ということがいいたいわけです。
スイスのパイク兵は確かに優秀ですが、
それが「スイスの」となっているところにも、
他の国でそれをまねできなかったことが現れていると思います。
また、騎兵のステータスの向上についてですが、
これは卵と鶏になりそうですが、
なぜ騎兵のステータスが向上したか?という見方もできますよね。
歩兵が強いという信念があるなら歩兵の方がステータスが高いですよ。
騎兵の方がステータスが高いということは、騎兵の方が強いと思われていたということでしょう。
ステータスが高いから正面突撃。それはすなわち騎兵が強いから正面突撃と同義だと思うのですが。
後、フランクに代表される西欧の騎兵ですが、
西欧では最初から「騎兵」というもののを「恐ろしいもの」と認識して輸入したのだと思います。
だから西欧ではすぐに騎兵のステータスを高くする試みが行われるし、
騎兵の正面突撃重視の方向で武具が発達したのだと思います。
>>272 なんと、調べてきてくださったのですか。
これで私のネタ本のとんでもの可能性も、少しは減ったかな。
戦例ですか。困ったな。
実はネタ本が孫引きなので、戦例はネタ本のネタ本を読まねばわからないのですが・・・。
英語の訳か・・・。ここにもそんなにこれないのに、時間あるかなあ。
276 :
世界@名無史さん :2001/04/13(金) 05:21
騎兵のステータスが高くなるのは、ステータスが高い層でないと 馬を維持できないのではないでしょうか。 遊牧民族以外の定住農耕社会で、馬を維持するためには かなりのコストがかかります。 農耕馬を軍馬に転用できない以上、軍馬は生産力になりません 従って社会的な階級がかなり高くないと、騎兵になれない のではないでしょうか。
277 :
李密 :2001/04/13(金) 05:32
>275 >どの古代の権力も強力な歩兵軍の維持に失敗しているんですよね。 は? ギリシャ・マケドニアが歩兵軍の維持に失敗したというはなしも聞きませんし、 ローマが騎兵主体に切り替えたと言う話も聞きません。 (あなたが言いたいのは「市民軍制」を維持できた国がない、では?) 中国王朝は歩兵を軸に騎兵がいるという構図でずっとやってきました。 例外として漢の武帝がいるだけでしょう。 イェニ・チェリはずっと維持されていましたし、 (イェニ・チェリはそもそも農民兵ではありません。) イギリスの長弓兵がなくなったのは銃の普及のせいだと思いますが? ばら戦争では双方の陣営で大いに使われたようです。 ギリシャやローマ、マケドニアが滅びたことについては、 どの国もいずれは滅びるということでしょう。 騎兵なら違うとも言えないんですから。 テマ制崩壊後はビザンツは自前の軍隊そのものを準備できなくなりました。 当然、コムネノス朝の時代には主役はラテン人やトルコ人が主役です。 それと、スイス以外では真似できなかった、というのは邪推でしょう。 フランドルでも農民反乱の後はパイク傭兵の供給源になってました。 テルシオだってスペインの国産歩兵ですし、 だいたい、15世紀くらいの「騎士」は戦場では多くが下馬してたんですから。 (ばら戦争や百年戦争のポワティエやアジャンクールが代表例ですね) 重装の騎士が真に強力ならなんでわざわざ徒歩で戦うんです? 百年戦争のフランス騎士なんて長弓兵への対処のために 下馬したんですよ。 機動力を捨てた騎兵がいかに役に立たないかの証明だと思いますが。 (念のため改めて確認しておきますが私が役立たずと言っているのは 「正面突撃」に固執した重装騎兵であって、それ以外の機動力を備えた騎兵ではありません。) 「強力な歩兵軍が維持できなかった」というのも邪推です。 「市民軍制」が維持できなくとも、傭兵隊の歩兵がそれに当たったからです。 ビザンツのヴァリャーグ軍団はテマ制崩壊後の精鋭部隊ですが、 初期はロシア人、後期はアングロサクソンからなる強力な歩兵隊です。 騎兵でもマムルークなんてのがあるんですから、徴募兵にこだわらずとも 強力な歩兵軍は維持できます。
278 :
李密 :2001/04/13(金) 05:39
>276 どうも、私があいかわらず「省略されました・・」という クソ長い文章を書いている間に書き込んでくださったようで。 全く同意です。 西洋における騎乗の戦士という存在は富の証明、 つまりは支配身分の証としての意味合いが強いと思います。 ガリア人やゲルマン人でも馬を持っている人間というのは 富裕者の証明でした。 西洋の騎士に限れば「騎兵だから高位の存在になった」のではなく、 「高位の存在だったから騎兵になれた」んだと思いますね。
279 :
李密 :2001/04/13(金) 06:02
西ローマが滅亡してから東ゴートが幅を利かせていたので まるで騎兵の時代が来たように思われますが、 カール大帝以前のフランク王国は歩兵の国です。 東ローマのナルセスが歩兵からなるフランク族と戦った という記録があります。 そしてシャルルマーニュの時代に「シュヴァリエ」なる存在が生まれ、 有力者や戦功をたてた勇士がこれに叙任されたというわけです。 フランス・ドイツ・イタリアはカール大帝の帝国がもとになってます。 つまり、「ヨーロッパでは有力者が騎士になった」と言って差し支えないでしょう。 騎兵が強いからステータスを上げてきたわけではありません。 元々ステータスの高いものや勇士を集めただけでしょう。
281 :
世界@名無史さん :2001/04/13(金) 11:22
異民族との戦いから戦略的即応性を高めるために騎兵の比重を増やしたビザンツと、 馬に乗ると偉いからという理由で騎士主体となった中世西欧諸国を混同して扱っちゃいかんよなあと思ってみたり。
282 :
世界@名無史さん :2001/04/13(金) 14:22
日本の武士化とパラレルに見て、少人数の小競り合いへの適応とい
うことは、考えられないんですかね。
>>279 の指摘にあるように、中世初期の軍隊の主力は自由民皆兵を
ひきずった歩兵でした。基本的にタダで呼べる代わりに、常時配置は
困難でした。しかも各地域の治安はむちゃくちゃに悪化していました。
その中での治安当局や、あるいは治安悪化の元凶にとっては、数人・
数十人規模の戦いしか想定されません。陣形の有利不利もなく、ひたす
ら個人戦闘力強化に向かっていくのが合理的な方向だったのではないで
しょうか。
283 :
李密 :2001/04/13(金) 17:55
中世ヨーロッパの戦争って、 かなりの部分が「相手の領地を荒らす」ことが主眼になっていたと 複数の本に書いてありました。 事実、「騎行」と和訳される戦法が常套手段のように 使われていたそうなんですが、これって ようするにあちこちの村を略奪したり焼き払ったりする戦法のことらしいんですよね。 双方がこういう戦法に終始しているとすればそもそも会戦の準備など要らないことは確かです。 むしろ個人の強さがものをいうのですから陣形うんぬんより武術の方が役に立ったかもしれませんな。 たまに会戦があっても騎士たちの武芸披露の場だったようですし。 >280 いやいや、こちらが反論する根拠がありすぎるので、 一気に全部詰め込もうとするとああなっちゃったのです。
284 :
李密 :2001/04/13(金) 18:02
それと、今日調べてきたんですが、 イングランドの封建主義というのは やや非封建的だったんですね。 国王が貨幣鋳造権や城郭建築の統制権を持っていただけでなく、 誰の家臣であれイングランドに領地を持つものは国王に忠誠の義務を負うそうなのです。 家臣の陪臣に対しても国王は忠誠を要求できるそうです。 しかもイングランド封建制では軍役は代納金で支払われることが多く、 (普通は教会領などに課す。) 当初から騎士封建軍ではなく代納金で集めた傭兵が主体をなしていたそうです。 一口に封建制でくくるのもあぶないな、と思ってしまいましたよ。
285 :
275 :2001/04/14(土) 02:23
ふー、なんかやたらとこちらの考えが伝わってないようで。 書き込みだけで人にものを伝えるというのは難しいことだと痛感しますよ。 自分の書き込みの下手さもね。 まず歩兵制についてですが、 これについてはこちらが聞きたいのですが、 『「それほどにギリシアを代表とする歩兵の密集陣が優秀なら、なぜその後この戦法が使われなくなったのか。 」 に対する解答は 「歩兵の密集陣を構成できるだけの質の高い歩兵が準備できるか」 というところにあります。』 と、 『「強力な歩兵軍が維持できなかった」というのも邪推です。』 はどうつながるのでしょう? 強力な歩兵軍が維持できるならそのまま使えばいいでしょうに。 それこそ重騎兵なんぞ用なしですよ。 しかし重騎兵という兵科は存在するんですよね。西欧だけでなくビザンツにも。 なぜ? 「どの古代権力も」についてはヨーロッパに限定してたつもりなのですが、伝わってないですね。 まあ多かれ少なかれどの古代権力にもあると思いますが、 対極として中国やオリエントを想定したのですが・・・見事にその例を出されてしまいました。 領域が拡大するとヨーロッパでは土地の偏りを防げず、徴募制の歩兵軍は維持できなくなったのでは? そうなれば、そのような歩兵軍は騎兵の突撃を防げるとは思えませんから、 ステータスの高いもの達を専属の「重装騎兵」とし、それを主力とした軍を編成できるのでは? 同じ環境下で各国がせめぎ合う場合、このような軍の編成も非現実的な話ではないのでは? といいたかったのですが。 もちろん、維持できなくなれば即騎兵が主力に取って代わるわけでもありません。 騎兵が主力となるからには騎兵自身が古代のそれより強力になっているのが当然の前提条件ですね。 これについては当初から私はあぶみをその例としてあげてますね。 ただ、李密さんによれば歩兵軍は強力なまま維持できるようですが。
286 :
275 :2001/04/14(土) 02:42
後、恐らく勘違いされているだろう事を書き込みます。 完全に私の書き込み下手のせいです。申し訳ない。 まず、騎兵については私はヨーロッパのものを主として書いています。 「重装騎兵」なんつうものを馬鹿みたいに発展させたところはここしか知りませんから。 なんか私が中国やそのほかの騎兵までひっくるめていると思われているように読めましたので。 また、私が「重装騎兵」を有効な兵科と考えていると思われているようですが、 私はこの兵科に関する個人的な意見は一言も書いて無いつもりです。 「重装騎兵」が強いと思われていた時代はあっただろうと書いているだけで。 最後に、李密さんのような優秀な方がなぜイングランドの長弓兵や、 百年戦争前後のことを例として出してくるのか私にはわかりません。 古代から中世にかけての話ですよねえ。元々。 そこに中世から近世にかけての軍制の話を持ち出されても・・・。 そりゃあ私としても肯定するしかありませんよ。 そこら辺から騎兵の立場は右肩下がりなのですから。
287 :
275 :2001/04/14(土) 03:13
>>279 やはりそれではなぜ西欧で騎兵の方がステータスが高いのか私にはわかりかねます。
騎兵の方がコストが高い、というならそれは常識です。
でも、騎兵と歩兵が同等、もしくは歩兵の方がステータスが高い社会があるのでしょう。
すなわちステータスが低くても騎兵になれる社会がある。
そういわれたから私があのように書いたわけで。
それがあるなら、歩兵の方が強い限り、有力者が騎兵になる意味はなかったと思います。
普通に考えてわざわざ高い金払って弱い兵科にはなりたくないでしょう。
どうせ歩兵と同等のステータスの人でも騎兵になれるのですから。
有力者が自然に騎兵になるには、
騎兵が強力であると思われているか、
総大将の権力が非常に強力であるかのどちらかが必要となるでしょう。
西欧での騎兵隊の創設はカール・マルテルの頃ですが、
彼にそのような強力な権力が果たしてあったのでしょうか。
まあ騎兵の方がステータスが高いのが西欧の文化だ、といって片づけることもできます。
ただそれだと、十字軍以降軍制が大きく変革するはずですよね。
明らかに押されてるのですから。重騎兵一本の戦法は。
288 :
世界@名無史さん :2001/04/14(土) 12:34
>強力な歩兵軍が維持できるならそのまま使えばいいでしょうに。 >それこそ重騎兵なんぞ用なしですよ。 >しかし重騎兵という兵科は存在するんですよね。西欧だけでなくビザンツにも。 >なぜ? 諸兵科連合という言葉を知っているとは思いますが、つまりそれです。 強力な歩兵軍を有しているからと言って、重騎兵がなくなるわけではないでしょう。 国力が衰えて、どちらか一方に絞らなければならなくなったら、騎兵か歩兵の どちらかが、弱体化することはあるでしょうが。
289 :
世界@名無史さん :2001/04/14(土) 13:16
李密氏ではないけど、ちょっと気になったので。 >まあ騎兵の方がステータスが高いのが西欧の文化だ、といって片づけることもできます。 >ただそれだと、十字軍以降軍制が大きく変革するはずですよね。 これはそうなんじゃないの? ルイ9世の最後の十字軍が1270年だけど、このころイングランドではヨーマンが現れ、スイスでは独立の気運が高まっている。 で、スイスのパイク兵が騎士軍を蹴散らしたモルガルテンの戦いが1315年。陸戦で再び歩兵が重要視されてくるけど、 ちょうど教会、領主権威の失墜と市民文化の(ゆるやかな)上昇と重なっていると思うよ。
290 :
288 :2001/04/14(土) 13:17
>有力者が自然に騎兵になるには、 >騎兵が強力であると思われているか、 >総大将の権力が非常に強力であるかのどちらかが必要となるでしょう。 このように考える、理由が分かりません。 有力者が、騎兵になるのは 1 馬を所有している 2 日常から、馬に乗れる からだと思います。 兵科に強弱はないでしょう。 騎兵は、馬に乗って戦闘すること自体が訓練を要するので 基本的に練度が高いとは思いますが。
291 :
289 :2001/04/14(土) 13:53
>>289 に自己レス。
もちろん東欧は事情が違うけど、西欧の話だからいいか。
1410年のグルンヴァルト(第1回タンネンベルク)の戦いなんか、まだ騎士同士がチャンバラやってるからね。
292 :
289 :2001/04/14(土) 15:30
>>277 >ローマが騎兵主体に切り替えたと言う話も聞きません。
知ってると思うけど、コンスタンティヌス大帝の頃から、ローマ軍は騎兵の比重が格段に増えているよ。
もちろんこれは野戦軍のみで、国境に張り付いている軍は歩兵主体だし、歩兵の役割が消滅したりはしないけどね。
話がちょっとずれているかも。ごめんね。
293 :
ふゆふ=282 :2001/04/14(土) 17:14
練度の高い歩兵密集陣に対する重装騎兵の正面突撃はうまくいかないというこ
とでは、いいんですよね。しかし、練度の高い歩兵密集陣なるものがでてこない
社会条件があるということでも、いいんですよね。
ただそれが、
>>275 「どの古代の権力も強力な歩兵軍の維持に失敗している」
ということになると、あれっと思ってしまいます。市民兵のときも、後の傭兵の
ときも、ローマは良質な歩兵軍を持っていましたから。書き間違えたのかと思っ
たのですが、そうではない?
歩兵密集陣の空白期は、西欧ではローマの崩壊から12世紀くらいまでとみる
のかな。相手に質の高い歩兵密集陣がないことがわかっているときに、こちらが
少数もてる精鋭の戦士を、重装歩兵(下馬して歩兵も可)として作るのがいいのか、
それとも重装騎兵として作るのがいいのかという話になるのでしょう。そういう
ことなら
>>285 から
>>287 までの主張に賛成できます。いつもうまくいくとは限ら
ないとしても、重装騎兵で正面から仕掛ける方が良かった時代がそこにあったの
でしょう。
>>293 ローマ末期においては、泰平に慣れたローマ兵の質は格段に落ち、
まともな兵はわずかに辺境地域(ドナウ防衛線地域など)兵のみでした。
その兵さえもその勇猛さゆえにかえって酷使されて激減したそうです。
この状態ではとても「良質な歩兵軍」は編成できる状態ではなかったと思います。
個人的な意見としては、
重装騎兵は「牙が長すぎて滅んだサーベルタイガー」だったのではと
思っています。(独断と偏見を持って)
牙が短ければ、多少の役には立ったのでしょう。
関係ないですが以下、ビザンツの歴史:
http://home.att.ne.jp/sun/male-nostrum/byz-history.htm
295 :
世界@名無史さん :2001/04/14(土) 18:16
あ、あと上のURLから引用: -- この重装騎兵軍団はニケフォロス2世によって完成された部隊であり、 富裕な農民達を組織化して作り上げられたものである。 彼らは重い甲冑に身を固め、重い長剣、戦斧、槍、弓で武装し、 盾の裏にも恐るべき威力を持った投げ矢を3本装備していた。 今日の戦車部隊のような物である。 そして、西欧の騎士達よりも遥かに集団行動に優れ、 くさび形の陣形で突撃するのが得意であり、 古代ローマ以来のビザンツの伝統的な猛訓練と歩兵と騎兵の 有機的な運用を確立した完成された戦術ドクトリンと相まって、 当時世界最強を誇っていた。 ロシア人達も、アラブ人達も、そしてブルガリア人達も、 いくら矢を浴びせてもそれを物ともせずに一塊になって 突っ込んでくるこの重装騎兵団を撃退することはできなかった。 -- これだけ見ると、カタフラクトのイメージが随分変わりますね。 あと「富裕な農民」から構成されているというのも意外な話です。
296 :
275 :2001/04/15(日) 00:32
稚拙な私の書き込みに、これだけ返信してくださったことに感謝します。
>>288 というより、問題は「重装騎兵」というものの存在価値なのですよ。
李密さんの書き込みでは、基本的に敵陣に対し正面からぶつかる「重装騎兵」は役立たずだと私には読めましたので。
別にそのこと自体には反論はないのですよ。
しかし、それならなぜこの兵科が存在するのか?ということが私が問題としたいところなのです。
このことが、私の書き込み方の問題でしょうが、皆さんに全く伝わってなかったようです。
>>289 十字軍の影響とするなら、変革はもう少し早くて良いのではないですか?
その頃なら、別の影響を考慮に入れても良いような気がします。
>>290 -291
あなたに徴兵の紙が来たとしましょう。
騎兵が弱い兵科なら、あなた、騎兵になりたいですか?
兵科に強弱は無いというのは、戦場にいないから言えることだと思います。
いざ戦場にたてば、強うそうな隊、強そうな(被害の少なそうな)兵科になりたいと思うのは当たり前でしょう。
そして徴兵するのが有力者であればあるほど、強制的に「弱い」兵科として徴兵するのは難しくなります。
単純に、おまえ金持ってるから騎兵になれといわれても、騎兵が弱いと思われてるならなりませんよ。
>>293 私の問題としたいことは、先にも書いたように「重装騎兵はなぜ現れたか」だったのですが、
後半の意見は、初めてのそれに対する直接の、そして納得できる答えだと思います。
ちなみに私のその問題に対する意見は、今まで何度も出している「騎兵が強いという意識が生まれたから」だったのですが。
で、「どの古代の権力も強力な歩兵軍の維持に失敗している」 についてですが、
これは、なぜ歩兵が没落したか、歩兵密集陣の空白期がなぜ起こったかについての私なりの意見であると思ってください。
ヨーロッパのどの古代権力も、市民軍というべき軍の土台となる農民層の没落を防ぎ得ていませんでしょう。
そして傭兵に頼るようになっている。
それを「維持に成功している」と言っていいものかという話です。
そこに、「重装騎兵」なる兵科の登場の鍵の一つがあると思ったのですが、
傭兵で事足りるとなると再考せねばなりませんね。
>>294 申し訳ないのですが、
「牙が長すぎて滅んだサーベルタイガー」とはどういう意味でしょうか。
非難しているとかそういうことではなくて、純粋に意味が分からないもので。
297 :
289 :2001/04/15(日) 03:36
>>296 >十字軍の影響とするなら、変革はもう少し早くて良いのではないですか?
変革のスピードはこんなものじゃないのかなあ。即座に反映はしないでしょ。
度重なる十字軍による封建領主の没落だけが市民(と歩兵)の地位向上につながったとは思わないけど、大きな要因だったはずだよ。
298 :
275 :2001/04/16(月) 02:12
>>297 いや、十字軍ってもっと前からあるじゃないですか。
それこそその100年ぐらい前から。
そこで得た教訓で、
「重装騎兵」一本の戦術ぐらいは見直すんじゃないかなあ、と思ったわけです。
勝てない戦を何回も続けたら、自分たちの文化を見直すのではないでしょうか。
あなたが出した例は、絶対王権とか、国民意識とかにからめた方がしっくりくる、
社会的な変動が原因となっているものだと思います。
私が言いたかったのは、もっと即物的な、
「俺達のやり方ってだめじゃん」、みたいなレベルの話でして。
300 :
289 :2001/04/16(月) 12:40
>>298 戦場での話なら、変化は弓兵の増大という形で現れているよ。
十字軍は回を重ねるにつれて、イスラム軍の襲撃から騎兵を守るために、クロスボウ兵や槍兵を雇い入れるようになっているよ。
ドラスティックな改革にならないのは、騎兵が騎士だからだよ。戦場では騎士が勝負をつけるって発想があるものだから、騎士を保護する方向に動いたんだね。
十字軍から離れるけれど、第2回ラテラノ公会議(1139)でのクロスボウ禁止令がいい例だと思うよ。
結局、そうそう簡単に自分たちの文化を見直したりはしないんだよ。歩兵の復活は戦場での教訓だけじゃなくて、市民層の地位向上を待つ必要があるんだよ。
301 :
275 :2001/04/18(水) 00:34
>>300 弓兵の増加という話なら少しは知っているのですが、
やはり問題は、ドラスティックな改革にいたらなかったということなんですよ。
それって見方を変えれば、
十字軍の敗北は「戦場では騎士が勝負をつけるって発想」を変化させるほどの衝撃ではなかったということでは?
西欧の騎士達は、「十字軍では負けちまったけど俺達のやり方でいけるんだなー」と思ってしまったということではないでしょうか。
それって結局、「文化」が重装騎兵を生んだ「最大の」原因ではないということでは。
>>299 えーと、すごく単純に言うと、
突撃の効果の増大という要請(環境への適応)と、
騎士のステータスの高さによる「これで勝たねばならない」という要請(ステータスシンボル)が、
重装騎兵に異常な重量化という「過適応」の道を歩ませ、
そのため火器などの飛び道具の進歩、歩兵隊の復活といった「環境の変化」に対応できなくなった、
といった理解でよいのでしょうか。
302 :
風来坊 :2001/04/18(水) 01:21
ものすごく久しぶりに来てみたらすごい白熱してる(汗) とりあえず騎兵の話が出ているようなので一言。 騎兵の長所はといえば「機動性」と「突撃時の衝撃力」につきます。 このうち「機動性」というのはもっぱら軍の行軍速度として発揮されるのが通常で すが、一流の用兵家が運用する場合に限って敵の備えの薄い場所を急襲して一気に 勝敗を決する部隊として絶大な威力を発揮します。 この「機動性」を生かすためには騎兵の「機動力」を損なうわけには行きません。 したがってこの場合の騎兵は「重装騎兵」ではありえず、「軽騎兵」たらざるえな いわけです。 一方、騎兵運用に長じていない指揮官は騎兵を上記のような急襲部隊として有効に 活用することができません。そこで「機動力」を損ねてでも「衝撃力」を強化した わけです。こっちなら特別の騎兵運用のスキルを持たなくてもそれなりの成果は上 げられますから。 これは騎兵運用に長じた遊牧民が決して重装化せず、機動力を生かした急襲戦法を 用いたのに対し、騎兵運用が比較的下手な農耕民が騎兵をひたすら重装備にしてい ったことからもわかると思います。 というのも301さんの299さんへのレスで「環境への適応化」という言葉がちょっと ひっかかったものですから。 重装化は「適応化」というよりも「苦肉の策」といったニュアンスが強いような気 がします。(いきなり現れて本筋と関係ない話。すいません)
303 :
李密 :2001/04/18(水) 01:25
あ、相変わらずでんな、ここ^^; >李密さんの書き込みでは、基本的に敵陣に対し正面からぶつかる「重装騎兵」は役立たずだと私には読めましたので。 別にそのこと自体には反論はないのですよ。 しかし、それならなぜこの兵科が存在するのか?ということが私が問題としたいところなのです。 この どうも……実際の戦史を 効率だけで判断していては疑問が起こるのは当然だと思います。 純軍事的には非効率的でも社会文化的な原因から、 軍事が制約を受けることは実際多いはずです。 別の場所で「そんな非効率な事はしたはずがない」という 論法をお持ちの方がおられましたが、 これは全く社会的なことを無視した戦史観だと思いました。 余談ですが、日本や西欧などのように、 仲間内でこもって戦争している所ほど戦争は様式化し、 実戦的ではなくなってくるのです。 南米文明も宗教的に様式化された戦争だったそうですが……。 あなたは >十字軍の敗北は「戦場では騎士が勝負をつけるって発想」を変化させるほどの衝撃ではなかったということでは? とおっしゃいますが、純軍事的にはそうなんです。 ただ、重装騎兵という者が社会的な身分差から生まれていることを 忘れてはいけません。 ビザンツのニケフォロス・フォカスの重装騎兵だって 中小農民が没落して、少数の地主層が出現したから生まれたんです。 西欧の騎士なんて説明する必要もないでしょう。 社会的なものから生み出されたという側面を持つ重装騎兵を 純軍事的な問題だけで説明するのはハナから無茶があるのだと思いますよ。
304 :
李密 :2001/04/18(水) 01:40
それと一つ疑問なのですが、 傭兵の使用を「維持に成功したといえるか」 という疑問についてですが、騎兵を自前でまかなえるのは 騎馬民族国家くらいですよ。 西欧騎士なんて雇われ騎士が多かったですし、 イギリスに到ってはそもそも封建騎士を 軍事的にアテにしていませんでした。 1168年のヘンリー2世の改革に始まり、 エドワード一世のころには主力は 契約した傭兵が極めて多くなってきていました。 そもそも、封建騎士は1年に40日くらいの軍役義務しかありませんから。 (これを越えたら帰っていい。) スイス傭兵の戦場での働きから考えても 傭兵を維持失敗と見なすのは無理があります。 (傭兵に頼ってまで歩兵を維持しようとした、 という見方だってできるでしょう?)
305 :
289 :2001/04/18(水) 03:13
>>301 >「十字軍では負けちまったけど俺達のやり方でいけるんだなー」
うーん、これは違うと思うな。ドラスティックな改革にならなかったのは、
保守化しているからだと思うよ。
自分たちのやり方が通用しなくなっているとを感じたからこそ、
クロスボウの禁止令(実はロングボウも禁止)なんかが出てきたんじゃないかな。
身分に固執するから、脅威の排除をしたんだね。
もっとも、十字軍の戦闘は、騎乗突撃はそんなにしなかったという説もあって、
なんとも言えないかな(攻城戦も多かったしね)。
余談だけど、中世の西欧では重装騎兵一本の戦術が戦果を上げたことは少なくて、
他兵科と共同で戦う方がはるかに多かったとの説もあるよ。
諸兵科連合と言えるほど立派なものでもないらしいんだけど。
>>302 西洋の騎士の重装化は、矢の貫徹力に対抗するためって説が一般的みたいだね。
苦肉の策って、結構当たりだと思うよ(偉そうでゴメンね)。
306 :
李密 :2001/04/18(水) 04:55
十字軍についてですが、 元々あれは他国から遠く離れての遠征であったため、 また直接利害が絡むものではなかったので 騎士階級も呑気に構えていられた面が大きいでしょう。 参考とすべきは、100年近くも続き 結果としてその地域を恒久的に奪取することに成功した レコンキスタ戦役ではないでしょうか。 こちらは直接利害が絡んでいたので様式などにかまっていられません。 生きるか死ぬかの瀬戸際になれば鎌倉武士でも石塁を築きますから。 で、レコンキスタでのキリスト教の戦力ですが、 こちらは実は北方の騎士よりもっと軽装備な騎士が多いのです。 これはスペインの騎兵には平民騎兵が多い事もあります。 元々国家制度が整っていない、というよりこれから制度を作るような 情勢だったのでスペインの平民騎兵とは免税権を得るだけの専業戦士を指すだけでした。 ちなみにこれは年2回の閲兵式に馬と武具を披露できるかが検査になっていました。 彼らの戦い方は小ぶりの騎槍と投げ槍をつかった一撃離脱の戦法で、 いわゆる西欧の重騎士の突撃とはかけ離れたものです。 無論、スペイン戦線でも富裕階層はおり、より重装備の騎士もいましたが、 主力は平民騎兵と自由民からなる頑強な歩兵だったそうです。 滅ぼすか滅ぼされるかという生存競争が繰り広げられたレコンキスタの戦役では 軽装騎兵や歩兵がきっちりと存在感を示していました。 夜襲や伏兵戦術なんてのも取っていたようで(シッドの歌にあります。) 機動力を重視していたとしかいいようがありません。
307 :
李密 :2001/04/18(水) 05:07
それと、重騎兵一本の戦術なんて イタリア・ドイツ・フランスしかやってなかったんじゃないですか? イギリスはエドワード1世の頃から 弓兵と騎兵の共同戦法を武器としてますし、 レコンキスタは軽騎兵のゲリラ戦と自由民歩兵です。 ハンガリーやポーランドになるとアジア色が強くなってくるので 西欧とは全く毛色が異なってきます。 イギリスはアングロ・サクソンやスコットランドと、 レコンキスタはムスリム勢力と、 それぞれ異文化勢力と生死をかけた戦いをしていた場所です。 マジになって戦っていた場所では「俺達のやり方ってだめじゃん」というのはあったと思います。
>>301 そう考えています。なので、
・最初のうちは重装騎兵は十分戦場に適応した”有効な戦術だった”
・途中からは(弓の発達により)無効な戦術になったが、
ステータスシンボルとして残ってしまい、さらなる過適応が進んだ
・その結果戦場に適応できなくなり滅んだ
と考えています。
(
>>303 の前半の意見に近いのかな)
よって、初期の重装騎兵と後期の重装騎兵をいっしょくたにして
論ずるのはちょっと違うのではないかと。
309 :
ふゆふ :2001/04/18(水) 19:29
レコンキスタの南北国境は、無人地帯になっていました。略奪・殺害が常態化 してとても住めないからです。国境というより前線です。付近の住民は全員民兵 で、略奪・襲撃が生活の一部です。こういうところの軍制をみても、重装騎兵が 無効という話にはならないでしょう。要らない鎧を脱いだから軽装が主力になっ たのではなくて、とにかくみんな戦士にしたから軽装が主力になったんですよ。 初期のイングランドもそういうところがあります。外敵(サクソンやらデーン やら)の脅威度が高いために国民皆兵的になり、それゆえ強かろうと弱かろうと 歩兵として整備せざるを得ませんでした。その伝統があって、歩兵を生かせる長 弓にとびついたのでしょう。本来貧乏国でもあるし。
310 :
日本@名無史さん :2001/04/18(水) 20:44
>302 そう言う視点もあるんですね。ためになります。
311 :
李密 :2001/04/19(木) 02:11
>309 それはかなり極論ですよ。 特にイングランドの方は絶対違います。 なぜか? 「外敵(サクソンやらデーン やら)の脅威度が高いために国民皆兵的になり」 と 「歩兵として整備せざるを得ませんでした」というのは結びつくものではないからです。 イングランドは品種改良された良馬の産地として有名で馬保有数は多く、 人民もノルマン騎兵の流れを組む騎馬文化が盛んな所だったからです。 十分な重騎士を用意できる素地は確かにありましたよ。 財政についてもフランスのように直轄地からしか収入の見込めない封建制と違い、 イギリスの封建制は軍役代納金を広く一般に使った人頭税のような形をとっていました。 中央王権の財政だけならフランスより余程健全だったはずです。 また、「とにかくみんな戦士にしたから軽装が主力になったんですよ」という事ですが、 じゃあ重騎兵って何ですか? お金のある国が自己満足で用意する兵科にしか思えないですよ? 「平時の最良の軍隊」とでもいいましょうか。 ユーラシア大陸に騎兵は数多くありますが、機動力を消すほど重装化を進めたのは 中国の晋〜南北朝と西欧・一時期のビザンツだけです。 中国でも唐以降、正確には隋末期の大叛乱で 突厥の戦術を模倣した唐の騎兵に完膚なきまでに叩き潰されて以来 重騎兵の軽装化が進められました。 最盛期のモンゴル・ウルスやマムルーク朝の重騎兵が徹底的な重装化を進めなかったことからしても すでに答えは出ていると思うのですが。
312 :
世界@名無史さん :2001/04/19(木) 02:34
騎兵の運用、霍乱にあり!
313 :
李密 :2001/04/19(木) 02:40
それと、私がここまでヒートアップした要点を書いておきましょうか。 >275 勝手にいくつか引用させていただきます。 事後で申し訳ないですが。 「ちなみに西洋の重装騎兵は歩兵の槍衾さえもはねのけるように進化しています。 体全体を覆う鎧で矢を防ぎ、 集団で長い槍を構えてをこちらから槍衾作ることにより歩兵に槍衾を作らせず粉砕する」 という、232の書き込みです。 もうひとつ236の「騎兵突撃だけで歩兵であろうが騎兵であろうが敵を粉砕できるのが重騎兵である」というものですね。 確認しておくと、「私が「重装騎兵」を有効な兵科と考えていると思われているようですが、 私はこの兵科に関する個人的な意見は一言も書いて無いつもりです。」というのは一致した見解なんでしょうか? 上の2つを読む限り大変に西洋タイプの重騎兵を評価されておられるように見受けられますが。 私が上の見解に反論するに当たって 「重騎兵のみで歩兵を粉砕できる、というのは西洋タイプの重騎兵が特に強いのではなく敵自体が脆弱だったからではないのか?」 と反論しました。 つまりは、「その敵の弱さなら他のタイプの重騎兵でも粉砕できるだろう」ということです。 で、まともな強さを持つ歩兵隊と重騎兵の対決の戦例を長々と書いてきたわけですね。 よって、「歩兵隊が重視されなかった=歩兵が脆弱であった時代」では 重騎兵の正面突撃でも有効とされた時代があった、ということなら何も反論はしません。 ただ、それを持って上の見解を納得することはできないでしょう。 なお、「そこら辺から騎兵の立場は右肩下がりなのですから。」ということですが、 なぜ右肩下がりになったのかを考えていただければわかると思いますが。 それこそ歩兵が互角の兵科として復権してきたからでしょう? 真に歩兵陣の槍衾を粉砕しうる「全く新しい兵種(234のレスです)」ならば この時期に右肩下がりする要素など無いはずです。 私が言っている「中世〜近世」つまり、13世紀〜15世紀あたりには まだ銃や大砲は出回っていませんよ。
314 :
275 :2001/04/19(木) 02:40
おお、なんか話題が広がってて、いい感じですね。
今後もよろしくお願いします。
>>302 運用上の簡便さゆえの選択ですか。
非常におもしろい話で、参考になります。
ただ、これは「適応化」と言って良いのではないでしょうか。
騎兵が運用下手な社会に適応した、みたいな感じで。
まあ、そんなに目くじら立てる点じゃないですが、なんか返事したかったもので。
>>303 -304
総論賛成、各論反対、といった感想です。
社会的な要請から、非効率的な兵科を運用せざるを得なくなったということについては賛成です。
というか、「古代権力」うんぬん自体、この話に持っていきたくて出したようなものですから。
ただ私はそれと、実際に運用する者が「非効率的」と認識して使っていたかは別物だと思っています。
十字軍については、
騎兵が単に文化を起因として隆盛したなら、そして十字軍にすさまじいインパクトがあったなら、
その文化を改めるだろう、
それが改められないということは、他に「重装騎兵」を生む要素があるのだろう、
そういう考えで書きました。
その例として考えられるのは、封建制という社会制度の問題、
もしくは十字軍自体が「重装騎兵」の存在を危うくするほどのインパクトを持たなかったか、といったところだと思います。
傭兵についてですが、
傭兵に頼るようになったということは、社会制度自体が「強力な歩兵隊」を維持するに適さないようになったのではないか、
ということがいいたいのです。
それはすなわち、「歩兵」というものの絶対量の不足を暗示するのではないか。
そのような歩兵隊を、「強力な歩兵隊」と言っていいものか、それで騎兵に勝てるのか、
と考えたわけです。
もちろんこれは、一対一で戦ったら確実に騎兵に負けるであろう歩兵だからこそ出てくる考えですが。
で、スイスのパイク兵が「スイスの」兵隊であること自体、
「スイス」という特殊な社会条件だからこそ「強力な歩兵隊」であることを許されている事の現れではないか。
そのほかの地域は既に「強力な歩兵隊」が維持できなくなってるから「スイス兵」が注目されるのではないか。
と思うわけです。
ちょっと時間的に厳しくなってしまったので、
申し訳ないのですがこの後の書き込みに対する返答は次回にさせていただきます。
315 :
289 :2001/04/19(木) 03:58
>>313 火器は14世紀には登場しているし、戦場にも姿を見せているよ。
ほとんど役に立っていない、あるいは野戦ではろくに使用されていないって意味で書いたんだと思うけど。
一応火器が使用されている戦闘を書いておくと、
ベヴェルフーツヴェルドの戦いが1382年で、ヴィトコフの戦いが1420年だよ。
316 :
李密 :2001/04/19(木) 04:41
>それはすなわち、「歩兵」というものの絶対量の不足を暗示するのではないか。
つまり、安価で大量動員可能なはずの歩兵隊が
騎兵とおなじ希少性を持っては
それ自体歩兵の最大の長所を消している事になる、
本末転倒である、ということでしょうか?
傭兵歩兵隊で十分な数がまかなえていたということは
歴史が証明していますが……?
また、「それで騎兵に勝てるのか?」
ということについても、実際傭兵隊による歩兵は勝ってました。
あれこれ理論をならべるまでもなく。
それと、傭兵騎兵が主流になっていったということに
貴方の論法を使うなら
「社会制度自体が強力な騎兵隊を維持するに適さなくなったのではないか」
と思うのですが。
実際、ビザンツでもカタフラクテスがあったのはニケフォロス・フォカスからマケドニア朝の終焉までです。
すごく短いですよ、これ。
西洋でも
>>309 のふゆふさんのカキコにあるとおり、よっぽど豊かな所でもないと重騎兵は揃わないんですよ。
317 :
李密 :2001/04/19(木) 05:07
純戦術的にいって、 歩兵の長所は組織力と防御力、 騎兵の長所が機動力と衝撃力であることを考えると、 正面突撃する重騎兵というのは、(機動力を活用しない騎兵) ギリシャやマケドニアのファランクスと(衝撃力を重視した歩兵) 同じ運用法を騎兵でやっているだけではないのですかね? おそらく利点も欠点も同じようなものだと思いますが。 足をとめた時の強さが重歩兵密集陣の方が強いくらいでは? 逆に衝撃力に関しては重騎兵突撃の方が強いんでしょう。 それくらいの差しかないと思います。 モンゴルも重ジャグン(百戸隊)を正面に据えて戦線を支えさせて、 軽ジャグンが側面攻撃・スカーミッシュで敵陣を混乱させていたので。 マケドニア・オーダーミックスを全部騎兵でやってたようなモンでしょう。 (もちろん細部に騎兵オンリーであるための相違点はあるでしょうし、(偽装退却の使用など) 全体的なスピードは段違いに速いでしょう。)
318 :
ふゆふ :2001/04/19(木) 13:10
材料としては重騎兵優位/劣位どちらで解釈してもいいものですが、 重装騎兵は高いぞ!というのを見てみるです。クレーシーのキャン ペーンのときに英国が払った給料です。1シリング(s)=12ペンス(d)。 正騎士 4s/day 騎士見習 2s 従者 1s 軽騎兵 1s 長弓兵 6d 軽歩兵 2d メンアトアームズ1人のために、2人の徒歩従者(見習と従者)と3 頭の馬(軍馬・乗馬・鎧)が必要とされました。もちろんどこまで厳 格にやっていたかは疑わしいですが。
319 :
ふゆふ :2001/04/19(木) 13:12
それをクレーシーの兵力推計と照らしあわせて給与を試算してみます。 もちろん重騎兵部分が一番いいかげんになりますが、3人1チームと して計算すると、こんな感じ。 総兵力 11000 重騎兵2000人(667騎) 軽騎兵500人 弓兵7000人 軽歩兵1500 重騎兵18%(6%) 軽騎兵5% 弓兵63% 軽歩兵14% 経費 8917s/day 重騎兵4667s 軽騎兵500s 弓兵3500s 軽歩兵250s 重騎兵52% 軽騎兵6% 弓兵39% 軽歩兵3%
320 :
ふゆふ :2001/04/19(木) 13:28
これっぽっちの重装兵のために給与の半額が吸い取られています。 エドワード3世はフランス遠征のために借金をふみたおしたり議会 に増税をお願いしたりしてなかなか苦労しました。 フランスは3万以上でそのうち2/3は重騎兵です。この戦いに限 らず、フランスはコンスタントに万を越える重騎兵が使えます。人口 と豊かさを兼ね備えたフランスだけにできる芸当でしょう。負けるわ けがないと思ったのも無理ないです。それが他兵種を徹底的に使うま いとするアホな戦術にいきつくのですが。
321 :
李密 :2001/04/19(木) 15:11
フランスが万を越える重騎兵を用意できたのは封建制の違いでしょう。 フランスの封建制では諸侯の領土や陪臣などには一切関与できない代わりに 向こうは向こうで自前で軍隊を持ってきてくれます。 (至極普通の軍役ですね) もちろん、こちらの指示も中々聞かない上に、自分勝手な行動を取るので 始末の悪い軍隊ですが。 一方イギリスは陪臣の数まで申告させると言うやや特殊な封建制をしいています。 軍役の代わりに陪臣の数に応じた軍役代納金を納めさせるので、王室財政は極めて健全ですが、 軍隊を用意するには王室が自腹を切る必要があります。 よって、お金がかかる重騎兵の数を抑えたのは当然といえば当然でしょう。
322 :
李密 :2001/04/19(木) 15:19
ちなみに、自前というのは武器や鎧などの装備のことです。 フランスの封建制でも封建騎士に日当てを払う事では、 農民兵や傭兵が主体のイギリス軍と変わらなかったそうですから。 兵士を十分に武装させる手間がかからないと言う意味で フランス王の軍は大量の重騎兵を揃えられただろう、ということです。
夜な夜な西洋そろばんをはじいているリチャード獅子心王やら フリードリヒ2世やらを想像すると萎えるね
324 :
李密 :2001/04/19(木) 21:01
>314 >「スイス」という特殊な社会条件だからこそ「強力な歩兵隊」であることを許されている事の現れではないか。 そのほかの地域は既に「強力な歩兵隊」が維持できなくなってるから「スイス兵」が注目されるのではないか。 と思うわけです。 これについてのレスは前にしたはずです。 フランドルのパイク兵も有名で、スコットランドの槍兵はあれは自前です。 レコンキスタのスペイン歩兵も自由農民からなる歩兵であり、 イギリスのヨーマンからなる歩兵もれっきとした自前です。 また、傭兵歩兵では「維持できない」とみなすという根拠はなんです? 傭兵歩兵で強力な歩兵隊が維持できているのなら全く問題ないと思いますが。 スイス歩兵はちゃんと成果を上げており、強力な歩兵隊と呼ばれるに足る存在だと思いますが? また、希少価値のある歩兵でもなく、敵味方にスイス傭兵がいることだってありましたよ。 それと、維持できる・できないの話なら、重騎兵だって維持できる国家は希少だと思いますがね。 たぶんこの「維持できる・できない」というのは話の本筋とはズレた問題だと思います。
325 :
275 :2001/04/20(金) 01:02
・・・短い間にこんなに・・・。
返答しきれない。すごいなあ。
>>305 ドラスティックな改革の無かった理由に「保守的であること」を持っていきたく無い理由は、
>>314 に書いた通りです。
それだったら
>>306 の李密さんの、「呑気だったから」の方がまだ理由として頷けると思います。
ただ289さんが指摘しているようにドラスティックではない変革は確実に起こっていますから、
「呑気」で片付けるのもどうかなあ、と思いますが。
レコンキスタについては、社会制度の問題が大きいような気がしますね。
私はそんな地域で、いまだ重装騎兵が使われていた方が、
重装騎兵の存在価値が中世に置いて確実に存在したことを示していると思いますが。
>>311 イングランドについては、それでも重装騎兵はいるんだということが問題ですね。
はっきり言って、歩兵が強いなら貴族みんな歩兵にしちまえばいいんですから。
もちろん、強力なサクソン歩兵隊と戦うには弓兵他各種の兵科の協力は不可欠でしょう。
しかしそれでも重装騎兵が無くならないというのは、歩兵隊が強くないという考え方もありますが、
それはなさそうなので、イングランド側に、貴族を歩兵隊にしてしまったら負けてしまう原因があったのでしょう。
>>313 やはりこちらの意図が伝わってないのはそこからですか。
おかしいと思ったんですよ、こちらの意見が全く正しく伝わってないような印象を受けたので。
元々の話は、ローマに重装騎兵はいない、というものであったはずですね。
この場合私は、重装騎兵の定義を述べなければならないはず。
そこで、「歩兵の槍衾によって崩される兵科です」と書くわけにもいかんでしょう。
明らかにそんなことを想定して運用されてはいないのですから(ていうか、そうだったら運用しませんね)。
というわけで、重装騎兵はこういうものである、そんな兵科はローマにはないであろう、と書いたつもりだったのですが、
そこがうまく伝わらなかったようで、
ここを反論されたら、私は「重装騎兵はなぜ存在するか」に話を持ってかざるを得ず、
すぐ後で、「中世とは重装騎兵で歩兵隊が崩れると信じられていた時代」と書いたのですが・・・。
なんかさらにヒートアップさせてしまいましたねえ。
また、「歩兵隊が重視されなかった=歩兵が脆弱であった時代」について反論はしてません。
わからないから皆なんか書いてー、とはいいましたが。
326 :
275 :2001/04/20(金) 02:45
続きです。
>>308 西欧の重装騎兵が、一番極端でわかりやすいんですよ。
実際に無効となれば、百年戦争中からその後のフランスを見ればわかるように騎士も下馬しますから、
「過適応」中も完全にその意味が失われているわけでもないですからね。
ただ、だんだん私が言った「重装騎兵」の意味が、
一人歩きしてあなたの言うようにごっちゃになっている感もしないでもないです。
私は敵陣に正面突撃する騎兵を便宜上総称して「重装騎兵」といったのですが・・・。
「重装騎兵」は「重装」している必要はないんですよね。
>>316 というよりもっと単純な話で、
傭兵でまかなえるなら重装騎兵なんざ使う必要がないのでは?傭兵を並べれば勝てるではないですか。
といことです。
局所的に勝てても(というか勝てるでしょう)、それが「軍」として成立可能かどうかはまた別問題だと思います。
やはりそこには、社会制度的な問題が絡んできますから。
例えばフランスの重装騎兵隊の突撃に耐えられるほどの軍を、
スイス兵やフランドル兵だけで、神聖ローマ帝国が用意できたか、ということです。
もちろん傭兵を使う=社会状況の変化=軍制の改革と、短絡的に行くとは思っていません。
普通は社会状況を元に戻そうと努力しますし、傭兵だけで何とかしようと思うでしょう。
しかし結局は時代は「中世」へと移行していく。
社会状況の変化を放任し、傭兵だけに頼ろうとしたとき、傭兵がそれまでの歩兵隊の質・量を維持できるのか、
ついに権力が自前の歩兵隊を維持することを諦めた社会状況が、優秀な傭兵を歩兵隊の崩壊を埋めるほど生む土壌として機能するのか。
そして、傭兵による歩兵隊が重装騎兵の存在を許さないほど整えられたか。
といったところが、私の中でこの話の出発点となったのですが。
傭兵騎兵の話ですが、だいたい「重装騎兵」が圧倒的に強い時代なんざほとんどないのですから、
社会が重装騎兵に適さなくなったと考えても良いと思います。
「過適応」に突き進む時代というのは、「無理している」時代でもあるのでしょう。
あと、フランドル、スコットランド、レコンキスタのスペインは、あの時代においては「特殊な社会」だと思いますがねえ。
イギリスも、かなりその気がありますね。
327 :
275 :2001/04/20(金) 02:58
>>317 それくらいの差って、段違いだと思いますが・・・。
こと、すべての兵隊が「脆弱化」している状況では。
少なくとも歩兵が騎兵の突撃を止めるには、その突撃に臆さないことが必要です。
この、いわば「心理的圧迫感」こそが、騎兵突撃が強いと思しめていた元凶であると思われます。
象兵の突撃さえもいなしたローマ歩兵ならともかく、脆弱な封建歩兵共に対しては、
歩兵と騎兵の「防御力」の差より騎兵と歩兵の「心理的圧迫感」の差の方がはるかに勝っていたことは想像に難くありません。
328 :
李密 :2001/04/20(金) 05:11
あ、わかった。 >イングランドについては、それでも重装騎兵はいるんだということが問題ですね。 はっきり言って、歩兵が強いなら貴族みんな歩兵にしちまえばいいんですから。 ここははっきり私の意見を勘違いされてますね。 歩兵のみの軍隊なんて私は評価してませんよ。 それじゃ古代ギリシャのファランクスじゃないですか? マケドニアのオーダーミックスにコテンパンにされた。 歩兵と騎兵が対等の兵科として相互に助け合うのが理想なのです。 私が同意しかねるのは「兵科として騎兵の方がはっきり上である」という考えです。 そしてその考えに偏重した重騎兵一本の戦術を批判してるわけですよ。 それと「脆弱な封建歩兵共に対しては」ですが、 私「封建歩兵は騎兵に対抗できる」なんざ書いた覚えはありません。 「封建時代の歩兵は弱いんだから、そんなもん打ち破っただけでは評価しかねる」 とは書きましたが。
329 :
李密 :2001/04/20(金) 05:27
へースティングスの戦いやクルトレーの戦い、
スコットランド戦役を見る限り、
まともな歩兵にあたっては重騎兵の正面突撃では打ち破れないことが証明されていますが?
それと、確認しておきますが
これは別に「重騎兵一本の戦術と歩兵一本の戦術はどっちが強い?」なんて
「痛い」話をしてるわけじゃあないんですよ?
まあ「重騎兵の正面突撃は歩兵を打ち破れるか?」という限られた状況だけなら
話す意味はあると思いますが(つーか、その限られた状況の話をしている)
どうも神聖ローマの例といい「歩兵だけで」ということにこだわっておられるように見受けられますが?
私の意見は
>>239 でも書いたとおり「歩兵・騎兵の密接な連携が必要である」ということです。
少なくとも重騎兵一本の戦術を「歩兵がいなくても機能する新戦術だ」とは思いません。
>私は敵陣に正面突撃する騎兵を便宜上総称して「重装騎兵」といったのですが・・・。
「重装騎兵」は「重装」している必要はないんですよね。
これはその軍隊のバトル・ドクトリンによるもので兵科の差ではありません。
その兵科をどう使うか、どのような位置付けに置くかという違いだけです。
戦術上の差であって、これを別の兵科として扱う意味はどこにもないと思いますが?
というか、「正面突撃する騎兵=重騎兵」ということなら、
「ワーテルローの戦い」のネー元帥の騎兵に限れば重騎兵ですね。
ウェリントンの歩兵横陣に正面突撃をぶちかましたわけですから。
しかし他の戦いでは側面突撃をすることが多いのでこのときは重騎兵ではなくなりますね。
330 :
李密 :2001/04/20(金) 05:41
ああ、そうそう。 神聖ローマはスイス傭兵ではなく 「ランツクネヒト」で知られるドイツ傭兵を使ってました。 スイス傭兵と双璧として知られる、というより ランツクネヒトはスイス傭兵をかなりライバル視していたようです。
331 :
李密 :2001/04/20(金) 05:57
>329 下の方はやや勘違いですね。 あなたが言っていたのは 「最初から正面突撃をすることを想定し、さらに騎兵のみで敵を粉砕する」でしたっけ。 という事は言い換えれば「単独での正面突撃しか頭に無い騎兵」ともいえますね。 最初から正面突撃を想定した騎兵がわざわざ側面に回り込むわけ無いからです。 で、私が言ったのは 「まともな敵と当たった途端に使い物にならなくなるような騎兵」と言ったわけですね。 「封建歩兵(しかも教会からの石弓の禁止等制約付き)のような脆弱な敵を相手にしてるのがせいぜい」 ということです。
332 :
李密 :2001/04/20(金) 06:07
やや抽象的な言い方をお許しいただけるなら、 歩兵とは頑丈な棍棒、騎兵とはガラスでできた鋭いナイフのようなものでしょう。 殺傷力はガラスのナイフが勝りますが、 相手と打ち合えばすぐに砕けてしまいますし、 鎧や楯に阻まれても砕けてしまいます。 一方の木の棍棒は殺傷力では劣るかもしれませんが、 相手と打ち合ってもどうということはありません。 つまり、相手の隙ができるまで木の棍棒で打ち合い、 ガラスのナイフで柔らかい部分を突く、というようなものでしょう。 歩兵と騎兵はこのような関係だと思っていますが。
333 :
李密 :2001/04/20(金) 08:11
>イングランドについては、それでも重装騎兵はいるんだということが問題ですね。 はっきり言って、歩兵が強いなら貴族みんな歩兵にしちまえばいいんですから。 もちろん、強力なサクソン歩兵隊と戦うには弓兵他各種の兵科の協力は不可欠でしょう。 しかしそれでも重装騎兵が無くならないというのは、歩兵隊が強くないという考え方もありますが、 それはなさそうなので、イングランド側に、貴族を歩兵隊にしてしまったら負けてしまう原因があったのでしょう。 クレーシーやポアティエでは騎士は全部歩兵として 長弓兵を守ってましたよ。で、フランス軍に圧勝しましたけど。 そういえば、正面突撃で攻撃しない騎兵は装備がどうであれ あなたの「重装騎兵」の範疇には入らないんですよね? じゃあスペインの重騎兵隊はたぶんあなたの 「重装騎兵」の範疇には入らないと思いますよ。 正面から突っ込むのではなく、シッドの歌にあるように側面攻撃をしていたんですから。 あなたの言う「正面から突撃する騎兵」という意味では スペインやイングランドに「重装騎兵」がいたかは疑問ですがね。 ところで、ヘタイロイなどの 「機動力を活かす重騎兵」はなんて呼べばいいんでしょう? とりあえずすごいややこしいのでこのスレ限定で何か決めませんか?
334 :
李密 :2001/04/20(金) 08:40
重装騎兵が必要とされていたからドラスティックな変革が起きなかった、 って言いたいんだね。 世の中は常に必要なものしか残らないのか? 十字軍のような異文化の軍隊と戦う以前は、社会様式から 富裕者の騎兵というのが元々あったというのは以前のレスでいったと思う。 つまりこの頃はあった、わけで必要だから作ったわけじゃあない。 で、異民族とぶつかり合うようになってから変革が起きるわけだが、 元々あったものをすぐに変革させるような状況というのは 余程に切羽詰った緊急事態でもない限り起きないはずだ。 たぶん「重騎兵があったら負ける」くらいならドラスティックな改革が起こっただろう。 でも、「重騎兵も工夫すればまだ使えるぜ」くらいではそんな改革をおこすエネルギーは起きないよ? 人間そんな効率重視にできてねーもの。 特にビザンツが滅ぶまではサラセンに対する防波堤があったんだから 余計にそんな深刻な事態は訪れていない。 (イベリアのムワッヒド朝や後ウマイヤ朝の軍隊は歩兵中心だったそうな) 逆にこんな状態でドラスティックな改革が起これば フランス騎士たちは余程進歩的な連中という事になる。 必要性が無くなっただけではドラスティックな変革は起きない。 つまり、ドラスティックな変革が起きなかった事自体は 「(貴方のいう)重装騎兵」の必要性を示すものではないという事だ。
>>333 便宜的なら「機動的重騎兵」はどうでしょう
336 :
李密 :2001/04/21(土) 06:07
>334 補足。 >富裕者の騎兵というのが元々あった これは昔にさかのぼれば馬を用意できるほどの有力者が騎兵になれた。 そういう人物はもちろん良質の装備一式を用意できたとも言える(富裕であるから) 逆に徒歩兵はそのようなものを用意できない貧民が主になっていた。 装備は劣悪で、すでにこの時点で極端な差があった。 ただ、シャルルマーニュの頃の騎兵は軽騎兵で騎槍とジャベリンでの波状攻撃が 主な戦術だったそうな。 おそらく、西欧騎兵が正面突撃に固執、つまりは自分たちだけで勝負を決めよう という風になったのは支配者たる貴族・騎士が騎兵だったからであろう。 封建社会のような武勲で報土をもぎ取るような社会で、 下層民である徒歩兵がに劣らぬ武勲を立てるようになっては 支配することが難しくなっていってしまう。 軍制を制定するのは貴族や騎士である。 切羽詰った事情でもない限り、自分たちの首を締めるような変革をおこすとは考えにくい。 >たぶん「重騎兵があったら負ける」くらいならドラスティックな改革が起こっただろう。 これが実際に起こったのが百年戦争ではないのか? 正面突撃するタイプの重騎兵ではある種単純な長弓防御陣にも全く歯が立たなかった。 死傷者の比率から言っても完敗・大敗であって、多少の工夫ではカバーしきれなくなった。 実際、百年戦争中には文字通りドラスティックな改革が起こっており、 初期のフランス軍と中期〜後期のフランス軍は全く違う軍に変貌している。 少なくとも自由弓兵や砲兵の重要化、騎兵の組織的整備など、 百年戦争のような切羽詰った自体(一時期はイギリスに半分近くの領土を奪われた) が起こらなければあったかどうかも疑わしい。
337 :
ふゆふ :2001/04/21(土) 11:56
長弓はこれはこれで使いにくい兵種です。1424年のVerneullの戦い でイングランドは、中央が重装兵、両翼に長弓という伝統の布陣を敷 きました。しかしフランスはしかけず。にらみあいに焦れてイングラ ンド軍が動き出したときに、フランス重装騎兵が突撃して左翼の長弓 兵を蹂躙しました。この騎兵は、英軍の後ろに抜けてから、英軍予備 弓兵の陣前で撃破されました。戦闘自体も、中央の白兵戦を制したイ ングランド軍の勝利。 が、重装騎兵の突撃は、正面突撃でさえ、無効と決まったわけでは ない例だと思います。タイミングと地形によっては有効。戦例をあげ られないけれど、フランドルのパイクも無敵だったわけではないです。 長弓はむこうから攻撃してくれないと威力を発揮できません。フラ ンスがにらみあいに徹して動けないイングランドにゆさぶりをかける 戦術をとるようになると、勝てなくなりました。この段階でも、重装 騎兵はイングランドの機動の自由を封じるのに役立ってように見えま す。それは結局のところ機動的重騎兵なのかもしれませんが、仕掛け なしで正面撃破されるほど弱かったわけではありません。
まちがい。 >にらみあいに焦れてイングラ >ンド軍が動き出したときに、フランス重装騎兵が突撃して左翼の長弓 やられたのは英軍右翼でした。
339 :
ふゆふ :2001/04/21(土) 19:20
ヨーロッパでの歩兵対騎兵の戦い、という論題で検討するなら、まずは下馬騎士 と、乗馬騎士の戦いをみなければなりません。もう一つはパイクやハルバードだが そっちの実相は私は知りませんので。わざわざ降りて戦う傾向をみると、また騎馬 突撃を受けても壊乱しないところをみると、純粋に敵と渡り合う技術としては、徒 歩のほうが分がいいのでしょう。しかしはっきりした優劣は見えません。 究極まで発展した西欧重装兵は、歩かせると史上のいかなる兵種より遅い存在で もあります。弓矢の脅威があるところでの殴りこみ部隊としては、重騎兵の方が適 役と思います。
340 :
世界@名無史さん :2001/04/22(日) 11:44
平野や岡、野戦築城とかと兵種の優劣性の関係はどうだったのでしょう? それによってもだいぶ違ってくると思いますが? 戦史上でどうだったのか詳しい人が多いのでお願いします。
341 :
李密 :2001/04/23(月) 15:38
>ふゆふさん ふゆふさんのおっしゃるような騎兵ならば何も問題はないのです。 バノックバーンの戦いでスコットランド軍は槍兵によるスキルトローム陣形をエサにして イングランド弓兵隊を誘い出した所に騎兵突撃で弓兵隊を蹴散らしています。 相手の陣形を崩す算段や、歩兵陣を避け弓兵を直接狙うなどすれば騎兵突撃は有効です。 逆にいえば崩れてもいない陣形や、長槍兵の陣形に正面から突撃しても効果は上がらないと言う事ですが。 もともと陣形を組んでいない軍隊なら最初から突撃しても勝てるでしょうけどね。 もはやこの頃の重騎兵隊は歩兵の前に布陣したり、 全軍の中央に位置するというのは少なくなっていたはずです。 また正面突撃でも「重騎兵単独突撃」となると実用性は大きく減ります。 実際、15世紀に入ってからのフランス軍には自由市民からなる弓兵や 火砲すらありました。 イギリス軍が射戦で好き勝手できる時期は過ぎ去りかけていたということでしょう。
342 :
李密 :2001/04/23(月) 16:05
>フランドルのパイクも無敵だったわけではないです。 パイク兵のみを破るのは簡単です。 正面を避けて側面から突っ込めばいいのです。 このスレのかなり前のほうのレスで 「ファランクスなどの密集陣は正面にだけ強い」 というのがありましたが、まったく同意です。 正面の接近戦だけに強く、 機動力も遠距離攻撃力もまったくないパイク兵は 逆にいえば機動力や遠距離攻撃で簡単に料理できます。 重騎兵で勝つなら機動力を活かして正面以外から突っ込めばいいのです。 もっとも、一番簡単にパイク兵を料理するのは接近戦に長けた 普通の歩兵をぶつける事ですが……。 長槍を上手く避けて肉薄してこられるとスイス歩兵ですら ただの人形ですから。 逆に機動力があるはずの騎兵で正面突撃を敢行する理由がないのです。 無論、士気や戦術上の駆け引きもあるので 「長槍兵の陣形に騎兵が正面突撃をかければ絶対100%負ける」 とは言えないでしょう。 ただ、これが「十中八九」ならかなり真実だとおもいます。
343 :
李密 :2001/04/23(月) 16:10
>弓矢の脅威があるところでの殴りこみ部隊としては、重騎兵の方が適 役と思います。 殴りこむ、というのは相手が準備不足でもない限り歩兵だろうが騎兵だろうが無理なことなのは アジャンクールが証明しています。 弓兵は極めて戦術的な兵科ですから、相手の戦術の範囲内で戦う限り弓兵は常に優位です。 予想された方向や、予想されたタイミングで仕掛ける限り臨戦体制の弓兵陣に殴りこむのは無謀でしょう。 また、騎兵が弓兵に向かない理由の1つに、馬は人間ほど我慢できないというのがあります。 馬を狙い撃ちされると、馬は死ななくとも暴れだすのです。 これは訓練された軍馬でもそうです。余程の名馬でない限りは。 クレーシーではその場でしゃがみ込んでしまった馬もいたそうです。 普通に考えればアジャンクールで下馬して戦ったのはバカな事としかいいようがありません。 おっしゃるとおり、下馬騎士ほどのろい兵科はありません。 いい的ですよね。 しかし、相手の陣にたどり着く所までいったのはアジャンクールの方だったのです。 なぜかというと、馬が暴れだしたり、立ち止まるということがなかったからです。 相手の弓兵の待ち構えている所に殴りこむのならば まだしも防御を整えた歩兵の方がマシということでしょう。 一番いいのは迂回して相手の防御陣の裏をかいたり、 そもそも相手は動かないのだから放って行くことでしょうが……。
344 :
李密 :2001/04/23(月) 16:24
>340 >平野や岡、野戦築城とかと兵種の優劣性の関係はどうだったのでしょう? 平野では騎兵(槍騎兵でも弓騎兵でも)、丘陵地では起伏にもよるでしょう。 平野に近ければ近いほど騎兵が有利に、激しければ激しいほど歩兵が有利になります。 山岳地帯ではまず歩兵の方が有利です。 野戦築城というのは歩兵が使う戦法ですよね。 そもそも、野戦築城とは軍隊の機動性をきれいサッパリ消してしまい、 その代償として強力な防御力を得る戦法です。 元々の機動力がなければないほど、マイナス面は目立たず プラス面が目立つのです。 そういうわけで野戦築城と騎兵は相性が悪いです。 騎兵を使うのは機動性や走破性をいかしてこそなのに、 野戦築城とは機動力を必要としない戦法だからです。 逆に機動力や走破性はかけらもない砲兵は野戦築城にむいているということです。 短所を補い、長所をいかんなく発揮できるわけですから。
345 :
李密 :2001/04/23(月) 16:31
>340
逆説的ですが、
例え山岳地帯であろうが、
機動力や走破性をいかしさえすれば騎兵は活躍できます。
また、平野でも機動力に関係ない戦い方ならば歩兵は活躍できます。
私が正面突撃してくる騎兵を役立たずというのは、
側面に回りこむよりも正面の方が機動力は関係ない、
つまり機動力をいかそうとしていない、ということから来ています。
>>337 のふゆふさんのレスですが、
「にらみあいに焦れてイングラ
ンド軍が動き出したときに、フランス重装騎兵が突撃して左翼の長弓
兵を蹂躙しました。」
とあります。
敵が動き出した時を狙い済まして突撃するのは機動力を要求されます。
これは方向から言えば正面ですが、立派に機動力をいかしているわけですよ。
で、どれくらい機動力を生かすなり殺すなりの状況って生じたの? 結局、戦況読めて、決めてを出せる統帥力次第ってことでしょう? そういう人間稀にしかでてこないが。
347 :
275 :2001/04/24(火) 01:09
いやはやなんだか。
やっぱりこちらの言いたいことが全く伝わってないようで。
>>328 別に勘違いしていませんよ。
歩兵が強いなら、貴族を騎兵にする必要はないといったのです。
軽騎兵が欲しいなら貴族に頼る必要はないでしょう。傭兵でまかなえるのですから(ですよね)。
そして貴族達は、金がかからず強力な歩兵に喜んでなるでしょう。
しかし現実はそうなってない、なぜかと私は言ってるのですが。
その答えの一部は、後半に書き込まれていますね。恐らく意図的にではないでしょうが。
>「封建時代の歩兵は弱いんだから、そんなもん打ち破っただけでは評価しかねる」
別に全戦史的に「重装騎兵」を評価したいなんぞ考えてませんよ。私は。
しかし、封建時代には「重装騎兵」が歩兵を打ち破れる状況が現出してたのでしょう。
それの原因を私は知りたいわけです。何度も書いていますがね。
>>329 なんか前にも同じ意味のことを書いたような気がするのですが、もう少し違った語で書きましょう。
「機能する」と「勝てる」を混同していません?
ヘースティングの戦いなんかは、愚かにも騎兵をほとんど単独で「機能」させ、
しかも「勝って」しまったまれな例だと思いますが。
ただし、当然ながらこんなほぼ幸運とも言える例で、
「重装騎兵」の運用想定通りの圧勝などできるわけがないですがね。
神聖ローマの例は、「歩兵だけ」と言うより、それら傭兵でフランス軍に対抗しうるマケドニア型のような柔軟な軍隊をつくれたのか?
というか単純にフランス軍に対抗するだけの頭数をそろえられたのか?を問題としています。
歩兵と「重装騎兵」を戦わせたらどうか、など眼中にもありません。
問題は、「まともな歩兵」を封建時代に現出させられたのか?
できなかったのならなぜか?
できたのならなぜ「重装騎兵」なんてものが生まれちまったのか?
ということです。
348 :
275 :2001/04/24(火) 01:53
続きです。
>>329 バトル・ドクトリンの差ですか。
最初からその違いを持ってローマに「重装騎兵」無しとする、といったはずなのですが。
新しい兵科にする必要はないといいますが、明らかに「過剰適応」していくものまで含めると、
そして、社会変動により一気にはしに追いやられる運用法であることを考えると、
また、この運用法自体古代社会と中世社会を画する一現象であるように「見える」事を考えると、
新しい兵科と評価して、それが隆盛する時代を考察することになんら無駄はないと思いますが。
といっても、これもそこまで目くじら立てる話ではありません。
バトル・ドクトリンの違いとした方が理解し易いならそれでもかまいません。
ただ一つ言わねばならないのは、ネー元帥の例のような明らかに社会的背景が違っている例は、
新しい兵科と評価する必要が無くなっているということです。
ここではもはや、「重装騎兵的運用法」以外の何の意味も持ちません。
>>331 何でこのような性急な話が出てくるのか。
確かに騎兵のみで「機能する」と書きました。
西洋の「重装騎兵」は歩兵陣さえうち砕くよう想定されているとも書きました。
しかし、それと、実際に教科書通りにそのように運用するのとは違います。
私は「緩衝剤としての歩兵」が必要不可欠だと書いていますし、
初めから正面突撃で勝てると思ってる部隊を側面に回らせることも、采配上あり得ます。
アレクサンダーとて本来なら回り込ませるべき騎兵を正面から突撃させたのでしょう。同じ事です。
>>332 その理解に対して、何ら反論はありません。
私としては、その関係の中から「重装騎兵」がどうして生まれてきたか、が問題なのです。
初めに騎兵のナイフとしての再評価、すなわち騎兵の正面突撃、いけるじゃん、敵の陣が崩れれば。
が出てきたと思うのです。
しかしそこからどうして、
ヘースティングの戦いのような、またクルトレーの戦いのような、
敵の陣も崩れないうちに突撃をかけるような方向へ行ってしまったのか。
それに固執した、本当にそれだけが原因なら十字軍で終わってるだろうし、
だいたいなぜヘースティングの時点でやってるのかわからない。
その原因には、何かしら社会的要請があるに違いない。というのが私の問題意識なのですが。
349 :
275 :2001/04/24(火) 02:40
さらに続きです。
>>333 クレーシーやポワティエの例が、私の問題にとって何らの意味もないことは上に書きましたね。
もはや、その戦争とそれに続く内乱後に、絶対王政が成立するような社会に、
「重装騎兵」に対する社会的要請があるとは思えませんから。
まあその前に、あの戦いでのイギリス軍は、まともにやり合って勝てる状態だったかという話もありますがね。
スペインの例については、無かった可能性もあります。
何せ封建制のほの字もないような社会ですからね。
ただ、側面攻撃をその時点でしていた、というだけで「いなかった」というのは無理があります。
その理由も上に書きましたね。
イングランドについては、リチャードが使ってましたから。
かれはイングランドには上陸していませんが、
少なくとも彼が支配する社会にそれを受け入れる地盤があったということにはなるでしょう。
>>334 「重装騎兵」が必要とされていた、というのはその通りです。
しかし、その「必要」とは戦力としてではなく、社会的要請によるものだろう、と。
もし、「重装騎兵」が文化的なプライドのみで存在していたのなら、
そのプライドをずたずたにされたあの戦いで変革を起こすはずだと思います。
といっても、これは何らあなたの書き込みに対する反論ではありませんね。
>「重騎兵も工夫すればまだ使えるぜ」
ってのは戦力としての「必要」が失せてない、言い換えれば十字軍ってその程度だった、てことでしょう。
>>336 まず、富裕者のみ騎兵になれるというのと、富裕者が望んで騎兵になるというのは違うと、
何度も私は言ってきたのですが。
わざわざ高い金払って騎兵になるんですから、富裕者を騎兵にするインセンティヴがなければならないでしょう。
それは何かと考えたとき、騎兵が強いという意識か、強力な権力しか私には思い浮かばない。
もしくは騎兵の方が位が高いという「常識」を先に作り出す、事かな。
その後の貴族の武功うんぬんに関しては、私の問題関心上かなり興味深いものですが、
それは「過剰適応期の重装騎兵について」という話において。
いかんせんそこまでに行き着く過程がさっぱりわからない。
後貴族とて勝てる戦をしたいのは心情。そこに軍制改革をする余地があると思います。
十字軍の影響によるドラスティックな改革についてを論じていたのはわかるのですが、
何か、貴族は軍制を絶対に変えないと言ってるように見えましたので。
百年戦争期については、そりゃあ変革したでしょうとしか言いようがありません。
そもそも社会的要請が変化しているのですから。十字軍とは同列には語れません。
後、前の方でクロス・ボウ禁止令について書かれていましたが、
あれ、忠実に守ったのはフランス軍ぐらいのものらしいですよ。
守ったのはフランス軍というところに、どれぐらい守られていたかが伺われますな。
350 :
275 :2001/04/24(火) 02:44
あ、忘れてました。 ヘタイロイについては、私の問題関心上「軽装騎兵」です。 問題関心上と書いたのですから、まさか「あれは軽装じゃない」なんて反論は来ませんよね。 また、他のところで「軽装騎兵」と書いて嘲笑されたなんて言われても、私には責任をとりかねますので。
351 :
李密 :2001/04/24(火) 07:32
>そして貴族達は、金がかからず強力な歩兵に喜んでなるでしょう。 しかし現実はそうなってない、なぜかと私は言ってるのですが。 1つめは、封建制度では個人的武勲を立てなければ名誉も褒賞ももらえません。 歩兵は隊列を揃えた時にはじめて効果を発揮する兵科です。 戦争する事で初めて身分が保証される貴族や騎士たちが平民と肩を揃えて隊列を組むことを是とするはずがありません。 平民階級と同じ武勲しか立てられないんですから。 2つめは、身分意識です。貴族や騎士はさっきも言いましたが、戦争で強いということが根拠となって 支配階級に君臨しています。もし貴族や騎士が下層階級である歩兵に、あるいは歩兵と同等の地位に落とされては、 どうやって支配階級に君臨しつづけられるのでしょう。 3つめは、私の論理などどうでもいいのです。クレーシーの戦いでイギリスの騎士たちは下馬させられ、 長弓兵を守らされた事はいいましたが、このとき騎士たちはものすごく嫌がったそうです。 エドワード3世はそれを強権を発動して無理やりやらせたのです。 だいたい、騎士や貴族たちというのは石弓や弓をきらい、公会議などでは 異教徒以外には石弓以外にも単なる手弓すら禁止させようとしていた連中です。 これって効率重視の考えですか??? どう考えても自分たちの地位を守るのに汲々としている連中です。 「金がかからず強力な歩兵に喜んでなるでしょう」とはこういう事実を無視した考えです。 金がかからず強力な歩兵が欲しいのは王であって、貴族や騎士ではないのです。
352 :
李密 :2001/04/24(火) 07:55
別にヘタイロイが貴方の中で軽装騎兵でもかまいませんが、 さすがに人から聞いただけ、しかも根拠のようわからん分類を他所で書くほど 軽率ではないようです。ご安心を。 ふむ、さすがに長引いたのでもう一度最初に戻った方がいいと思うのですが、 もう一度ここに貴方のいう「重装騎兵」の定義を書いちゃくれませんかね? これまでで論拠とすべきところも増えたように思いますし、より多角的にその存在を書き著すことができると思いますが。 お手間をおかけして申し訳ないが、たぶんその方が話はより円滑に進むであろうと思うのですが。
353 :
李密 :2001/04/24(火) 09:23
>イングランドについては、リチャードが使ってましたから。 リチャード獅子心王のことですか? アルスーフの戦いはイギリス兵はほんの1部だったので除外して構わないでしょう。 テンプルやヨハネ騎士団、シャンパーニュやブルゴーニュの騎士など、 寄せ集めの軍隊なので、それにあわせた戦術を取るのも当然です。 構成人員はフランス人が多いですから。 となると、あとはフィリップ・オーギュストとの戦いですが、 彼はこの戦いではクロスボウと騎士の共同戦術を取っており、 私の「重装騎兵」の定義には当てはまりますが、 貴方の「重装騎兵」の定義とは外れたものであると思いますが? 少なくとも、騎士の正面突撃で勝負が決まり、歩兵はいなくても機能する、 というほどの格差のある戦法は取っていないはずです。
354 :
李密 :2001/04/24(火) 11:40
重装騎兵にすべき社会的要請ですが、滅び行く貴族の側には確実にありますよ。 第二次世界大戦のフランスの将軍が戦車の本質を見抜けなかったように、 成功した戦術を捨てるのはなかなか勇気がいることです。 例えば、あなたは(学歴があった場合に) 学歴を重視する考え方を捨てられますか? 一生涯をかけた方式を捨てるのは、誰にとっても難しいものです。 ローマ帝国崩壊時の騎兵の威力を思えば、それを知る貴族達が 重装してまで騎兵を捨てなかったわけも理解できます。
356 :
李密 :2001/04/25(水) 08:11
>後、前の方でクロス・ボウ禁止令について書かれていましたが、 あれ、忠実に守ったのはフランス軍ぐらいのものらしいですよ。 守ったのはフランス軍というところに、どれぐらい守られていたかが伺われますな。 クロスボウを使っていた人間も考えてからいって欲しいですな。 クロスボウを使っていたのは傭兵や民兵、つまり騎士の敵対者であります。 騎士が禁止させようとして、傭兵や民兵はそれでも気にせず使いつづけた、ということです。 それとも騎士や貴族がクロスボウを使ってたんですか? もしそうであれば、騎士や貴族は戦争の現実を認めるだけの柔軟性を持っていたという証明ですが、 私はそんな例は知りません。
357 :
李密 :2001/04/25(水) 08:17
>「重騎兵も工夫すればまだ使えるぜ」 >ってのは戦力としての「必要」が失せてない、言い換えれば十字軍ってその程度だった、 そのとおり。十字軍のようなこちらから遠征して行くだけの戦いでは 騎士や貴族のお堅い頭を変えることはできなかったという事ですな。 実際自分たちが攻められてみないと、つまり切羽詰った状況にならなければ人間変わらんものではないのですか? ただ、「工夫すればまだ使える=必要性がある」 というのはかなりこじつけだと思いますがね。 使おうと思えばまだ使えるってのは、はっきりいって必要性じゃなくて すでに趣味趣向と同レベルの世界ですよ?
358 :
李密 :2001/04/25(水) 08:30
>>354 ああ、もういいや。こっちで話しちまえ(藁
>そして、社会変動により一気にはしに追いやられる運用法であることを考えると、
また、この運用法自体古代社会と中世社会を画する一現象であるように「見える」事を考えると、
新しい兵科と評価して、それが隆盛する時代を考察することになんら無駄はないと思いますが。
普通は「新しい兵科」ではなく「新しい社会的地位」として分類するでしょうね。
「兵科」というのは軍事上の分類であって
>古代社会と中世社会を画する一現象であるように「見える」事を考えると
云々という社会制度的な問題から「新しい兵科」という概念を生み出そうという事自体ナンセンスです。
まあ、この考えでいけば「兵科として騎兵はすでにして歩兵より上位であるはずだ」という考えも出てくるでしょうね。
私はそれ以前に兵科と社会的地位は必ずしも一致しないという考えですので
(ヨーロッパ以外の実例を挙げればキリが無い)
当然、こういう考えは出てきませんが。
それと、あなたは過去のレスで
東ゴートの騎兵は重装騎兵ではないと言いましたね。
ヘタイロイは重装歩兵と同格の地位しかないという理由で軽装騎兵とおっしゃるのはわからなくもないですが、
東ゴート騎兵は歩兵の前に配置され、歩兵はあくまで備えにすぎないという
編成なのですが、これも重装騎兵ではない???
ああ、ちなみに東ゴート騎兵は投げ槍騎兵ではなく、槍騎兵ですよ。
359 :
李密 :2001/04/25(水) 08:48
>もはや、その戦争とそれに続く内乱後に、絶対王政が成立するような社会に、 言っておきますが、西欧で騎兵というものがカール・マルテルの頃に 発生し、それが制度化されたのがカール大帝の時代である以上 西欧での騎兵運用の歴史は8世紀〜です。 さらに貴方のいう運用法の革命が起きたのは11世紀です。 それ以前はミリテス・ぺディテスといって歩兵隊にもエリートがいましたし、 騎兵は投げ槍と短めの騎槍を持った軽騎兵だったのですから。 11世紀からメール・ホーバークや馬鎧などの重装備化が進み、 騎士道という概念が徐々にではありますが生まれてきはじめるのです。 つまり、正味貴方の「新しい兵科」が活躍したのは11〜15世紀です。 このうち百年戦争は14〜15世紀ですが、貴方は三分の一を無視して話を進めているに等しいのですよ。 >スペインの例については、無かった可能性もあります。 何せ封建制のほの字もないような社会ですからね。 いいかげんな事を……。 封建制のほの字も無いんですか? 一番原始的な形で封建制が保持されていた社会だと思いますがね? フランスと違って封建制をおもちゃにしているような国とは違うはずです。 あれが封建制でないというなら、どういう社会なんですか?
360 :
李密 :2001/04/25(水) 09:06
ああ、それと初っ端の問題をまとめておきましょうか。 東ローマのカタフラクテスはパルティア騎兵がモデルになっている、 というものですが、これは ローマにはロクな重騎兵がいなかった、というものでした。 で、これについて275さんは「ローマには重騎兵そのものがいなかったのではないか?」 とおっしゃったので重騎兵の定義について延々話していたハズなんですね。 で、これについての答えですが、 私が過去のレスで「ユスティニアヌス帝の騎兵とニケフォロス2世帝の騎兵は別物であった」 ということから、ユスティニアヌス帝のカタフラクテスそのものが275さんの重騎兵という概念にそぐわないものであった ということが言えるでしょう。 順番からすれば ローマ騎兵・パルティア騎兵→ユスティニアヌス帝の騎兵→ニケフォロス2世帝の騎兵 ということですから、ニケフォロスの騎兵は農耕民族のオリジナルであるという見方もできます。 ニケフォロス2世はすでに地主となっていた人間の財産は保護し、 人工的に貴族を作り上げたわけですから。 ただ、少なくともカタフラクテスがパルティアが元祖である以上、 カタフラクテスという名にふさわしいのは直系のユスティニアヌス帝の騎兵であることは さして問題のあることではないでしょう。 さて、ニケフォロス2世帝の騎兵ですが、 どうやら役割分担をしていたようなのです。 5騎の内3騎が槍騎兵、2騎が弓騎兵といった具合に 1騎の騎兵が弓騎兵と槍騎兵を兼務するのではないようです。 で、どうやらこの槍騎兵の方は「クリバナリウス」と呼ばれている騎兵なのかな、と考えました。
361 :
李密 :2001/04/25(水) 10:52
ちなみに、歩兵より騎兵が好まれる理由として考えられるのは 「騎行」つまり略奪のしやすさにもあると思いますね。 略奪をするのは騎士・傭兵・民兵を問わず、 様々な階層の人間が半ば戦術のように略奪を働いています。 少数で敵地に侵入して略奪を働くのは 確かに騎兵の方が便利でしょう。
362 :
李密 :2001/04/25(水) 14:50
>バトル・ドクトリンの差ですか。 最初からその違いを持ってローマに「重装騎兵」無しとする、といったはずなのですが。 新しい兵科にする必要はないといいますが、明らかに「過剰適応」していくものまで含めると、 そして、社会変動により一気にはしに追いやられる運用法であることを考えると、 また、この運用法自体古代社会と中世社会を画する一現象であるように「見える」事を考えると、 新しい兵科と評価して、それが隆盛する時代を考察することになんら無駄はないと思いますが。 といっても、これもそこまで目くじら立てる話ではありません。 バトル・ドクトリンの違いとした方が理解し易いならそれでもかまいません。 ただ一つ言わねばならないのは、ネー元帥の例のような明らかに社会的背景が違っている例は、 新しい兵科と評価する必要が無くなっているということです。 ここではもはや、「重装騎兵的運用法」以外の何の意味も持ちません。 この人にとって「兵科」というのは 社会的背景によって定義づけられるもののようですね。 私にとっては兵科というのは「重装騎兵」や「重装歩兵」や「軽装歩兵」、「弓兵」のような、 純粋に装備で決まるものと解釈していますが。 普通社会的背景によって決まるのは 「封建的身分戦士」だの「市民兵」だの、「奴隷兵」だの そういう分類だと思うんですが。 社会的背景うんぬんと大変なご高説ですが、 はっきり言って使う用語を間違えているとしか考えられません。 兵科とはもっと純軍事的なものであって 直接それ自体をもって、各時代の社会的背景の考察に使うものではないはずです。
363 :
李密 :2001/04/25(水) 15:03
第一日本語的にすでに変ですね。 重装備であるか軽装備であるかが 重装騎兵の定義に関係ないそうですから。 以前のレスで「別に重装備である必要はないですね」とおっしゃっておられませんでしたか? はっきり言って自分のみの言語解釈で話されてもこっちはさっぱりです。 >バトル・ドクトリンの差ですか。 最初からその違いを持ってローマに「重装騎兵」無しとする、といったはずなのですが。 >ネー元帥の例のような明らかに社会的背景が違っている例は、 新しい兵科と評価する必要が無くなっているということです。 ここではもはや、「重装騎兵的運用法」以外の何の意味も持ちません。 貴方はバトル・ドクトリンの意味がよくわかってないんですよ(藁) ネー元帥の騎兵が運用法で区別されるのに、 なんだって、重装騎兵は運用法まで決まった兵科なんです? ああ、そりゃあなたが「西欧の重装騎兵はあの時代特有の運用法で運用された極めて特殊な存在である」 と言いたいのはわかります。 ですがそれと「これをもって新兵科とする」というのは普通の日本語では成立しません。 この場合重要なのは「あの時代特有の運用法」であって それを含めて兵科という時点ですでにして変です。 貴方の理論でいうとアテナイやスパルタの重装歩兵と テーバイのエパミノンダスの斜線陣の重装歩兵は別兵科ということになりますね? なぜなら、バトル・ドクトリンが全然違うからです。 バトル・ドクトリンの差を持って別兵科とするのでしょう? まあ普通は「兵科は同じだがバトル・ドクトリンが違う」とするんですが。
364 :
nanasi :2001/04/25(水) 21:47
皆様テルシオの話はあんましでないけど ここではタブー?密集陣古代限定?
テルシオは古代ローマ戦術を研究して生まれたと聞いたんで、 軍事面のルネサンスという意味合いがあるのかな?(推測)
すごいですねここ。勉強になります。 >李密氏 (藁)とか「ああそりゃ、あなたが」とか相手を感情的に見下すような書き方は控えられた方が せっかくの内容の濃い書き込みがそれだけで相殺されてしまってもったいないですよ
367 :
李密 :2001/04/26(木) 07:57
>366 申し訳ない、自分でもそう思わなくもなかったんですが。 どうも話しに熱中してくると語調が荒くなる傾向があるようです。 >364 なんか最近こっちでは騎兵の話しかしとらんですね(汗) 騎兵スレに移そうかとも思ったんですが、手間がかかるのでやめようかと。 ところでテルシオですが、当時の練度では 縦隊で行軍してきた軍隊が このテルシオ陣形を組むのには丸一日かかることもあった、 ということを本で読んだことがあります。 テルシオというのは画期的戦術というより 古代への回帰の第一歩なのでしょうね。 (もちろん、当時にあっては例え丸1日かかろうが、 画期的と言えるほどに効果的だったのでしょう) ここから加速度的に西欧の戦術が発展し始めたわけですから。
368 :
世界@名無史さん :2001/04/29(日) 00:27
長篠、関ヶ原の戦いは当時の世界の数十%の鉄砲が集まった戦いだそうだが、 これを参考にすることは例外なのだろうか? 騎馬隊は(西洋の重騎兵とか抜きにして)それなりに活躍したいし、 槍兵もそれなりに戦った。大筒、鉄砲の乱舞する中で。 特に長篠の戦いは三段構えの鉄砲隊が活躍したらしい(あくまでらしいね)が、 騎馬隊は一矢でも二矢でも報いたんだろう。その辺の有効性を論じて欲しい。 いくら武田が騎馬隊が自慢でも目の前で鉄砲にやられたんでは、足軽はそれなりの 戦法を取っただろう。また、織田側にも騎馬隊はいただろうし、武田側にも鉄砲隊は いただろうし。 その辺を論じて欲しい厨房です。
369 :
世界@名無史さん :2001/04/29(日) 00:49
>>368 武田の騎馬と言っても、西洋のような集中運用じゃなかったと聞いたけどな
長篠で織田・徳川の鉄砲は集中運用したはずだけど
370 :
世界@名無史さん :2001/04/29(日) 03:20
長篠は鉄砲だけで勝ったんじゃないよ あらかじめ巧みに陣地構築して諜略や足軽の後退戦術で そこに武田軍をおびき寄せて鉄砲でつるべ打ちにした 三段撃ちは嘘らしいよ信長公記には記述されてないことからも分かる 鉄砲斉射は色々な戦術の中の一端に過ぎなかった。
371 :
275 :2001/04/29(日) 06:30
少し時間をあけたら、非常に多くの書き込みが・・・。
全部にレスを付けるのは、ちょっと無理かな。
>>351 やっと、問題の焦点に近付く反応が得られました。
あなたが書いたようなのを、「必要」というのだと私は思いますが。
ただこの場合、貴族にとっての「必要」ですがね。
よって次に、なぜ強力な軍を必要とする王が、貴族を軍に編入せねばならなかったのか、
という話になってくると思います。
>>352 「重装騎兵」の定義ですか。
「敵の陣を正面から突撃して粉砕することを目的とした騎兵」です。
>>353 といっても、リチャードはフランスの貴族だから、その軍にフランス人が多いのはあたりまえでは。
当然そうであるから、彼が「重装騎兵」を使えるのは当然ですね。
というわけで、彼を例にだした私が馬鹿だったということで、他の例で。
バノックバーンのイギリス軍って、しっかり「重装騎兵」してませんか?
>>356 クロス・ボウを使っていた人の話ということですが、
禁令前には貴族も使っていて、
その後傭兵・民兵のみが使うようになったというなら話は分かるのですが、
前も後も傭兵・民兵が使ってたでは、軍制改革をしなかったと考えた方が妥当では?
>>355 「滅び行く貴族」とはいつ頃のことでしょうか?
「ローマ崩壊期の騎兵の威力」とはどのようなことを想定しておっしゃられているのでしょうか。
なかなかおもしろい発想だと思いますので、ここら辺をもう少し詳しく教えてくださらないでしょうか。
>>358 >>362 -363
ちょっと言葉足らずだったかな。
ここで社会背景を強調したのは、古代・近代の重装した騎兵とは違うということ、
そしてその違いを考えているのは無駄じゃないんじゃない?ということを言いたいだけで、
書き込みの主眼は、「過剰適応」というところと、バトル・ドクトリンという認識でもかまわないというところです。
もともと私が「重装騎兵」を「兵科」と見なしたのは、
西洋のそれやニケフォロスのカタフラクトがあまりにも正面突撃に特化した形態になっているからで、
これはあきらかに、古代や近代の単なる重装した騎兵とは区別するべきだろうと思ったからです。
よって「重装騎兵」の定義は上のようになります。
ただ、これは「兵科」という概念と完全には一致するものではないため、
最初からそう「定義」し、またバトル・ドクトリンで理解し易いならそれでいいと書きました。
>>359 確か
>>309 のふゆふさんの社会状況の書き込みに、なんら反論なさってませんでしたよね。
そんな社会状況でも軍制改革の言い訳にはならないとはおっしゃってましたが。
あの社会状況が、「封建制」ですか?
それを考えて、封建制のほの字もないと書いたのですが。
それとも「スペインの重装騎兵」とは、あの書き込みの内容とは関係ないのですか?
それなら私の読み違いですが。
>>368 -370
手短に。
日本についてはまず、騎馬隊がどの程度の規模だったかが問題ですね。
武田の騎馬隊は、明治国家の創作という話までありますから。
長篠については、
>>370 さんの書き込みのようなことを、NHKでやってました。
それによると武田軍を挟むような位置に「陣城」とやらを築いたんだそうな。
372 :
(*゚Д゚) :2001/04/29(日) 14:00
>>368 三段構えは創作、長篠での織田方の鉄砲使用量も1000丁ぐらい、
というのが最近の定説。
>>370 の通り、陣地戦に持ちこんだのが長篠の勝因。
武田軍の鉄砲による死者も全体の一桁%台程度。
撃ち方にしても、似たようなことは当時鉄砲を運用してたどの
大名家でもやっていたらしいし、鉄砲の利用は織田以外でも
当たり前の事だった。
当時騎馬隊と言っても騎乗して突撃する訳ではなく、馬は移動や士官用。
突撃の時は馬を下りて歩兵になった。武田の騎馬隊も例外ではない。
>「重装騎兵」の定義ですか。 > 「敵の陣を正面から突撃して粉砕することを目的とした騎兵」です。 この部分に激しく違和感を覚えました。 兵科の定義を戦術の一形態によって規定することにです。 戦場で重装騎兵を運用する方法は、多数あります 「突撃」、「翼側からの突撃」、「機動防御」そのほか諸々 それに、敵の騎兵集団との戦闘が全く視野にないように思えます、 重装騎兵の華々しい一部分を取り上げて、これが重装騎兵と 断言されるのはどうでしょう? あと一つ、李密氏の文章に比べると275氏の文章はかなりわかりにくいです。
>>373 の重装騎兵は「正面攻撃に特化した騎兵」でも「重装備の騎兵」でも同じことです
375 :
368 :2001/04/29(日) 15:27
ふむふむ。 みなさまサンクスでした。
>>373 んと、ここ最近のレスでは、議論の都合上
「重装騎兵」=「正面突破・突撃を主目的にした重装備騎兵」
と定義されているみたいです。
その辺は過去レスを参考にして欲しい・・・といいたいところですが、
既に誰もが議論の流れを追えなくなっていると思います(泣
確かに論点が分散しまくってるな(笑
378 :
ふゆふ :2001/05/01(火) 12:51
では私から報告しましょう。最初の論点は、こうです。 1) 重装騎兵による歩兵陣正面撃破能力。 2) 重装騎兵が行える用兵の幅。特に側面、後方への戦術機動。 3) 総合的な重装騎兵の有用性。 以上について、このようにきれいに分かれて論戦スタートしました。美しい。 275等氏が、1=撃破可能、2=機動不必要、3=有用 李密氏が、1=撃破不可能、2=機動不可能、3=無用 その後変遷をへて現在どうなっているかはちょっと解きにくいです。 ちなみに、蝙蝠的なふゆふは、1=互角、2=機動可能、3=有用 簡略化しすぎた整理には当事者からの反論があるでしょう。実際ふゆふも自分 についての整理に不満が(笑
379 :
ふゆふ :2001/05/01(火) 18:21
スペイン中世に何を見るかは、時代と封建制の定義によって変わります。 レコンキスタの時代は、初期中世の名残りが強い自由民皆兵時代です。自分の 土地を持ち、自分の武器を持ち、戦う用意がある男。力があれば男は功を立て、 富を奪い、貴族に成りあがろります。また、成り上がるチャンスもふんだんにあ ります。だからこの男は平民としての平等な権利を求めず、むしろ騎士に近いメ ンタリティーをもちます。 領主と農奴に分化した荘園経済を封建制のめやすにするなら、当時のスペイン は封建制ではありませんでした。ちなみに農奴は軍事的にみれば、武装を失うか わりに農業に専門化した人です。 国内にちらばる城主が力を持ち、国王を頂点に軍事的な上下関係がはりめぐら され、地方分権であるというような体制を封建制というなら、スペインは封建制 でした。 スペインにも重装備の重装騎兵はありました。費用がかかるので平民には手が 出ません。しかし実際の働きがどうなのかは、戦史を読んでないのでわかりませ ん。今まであげられてきた小戦闘がレコンキスタの日常ですが、もちろん大規模 な会戦もありました。が、その戦闘で各部隊・兵科がどんな働きをしたのかまで はわからないのです、私が読んだ程度の本では。
380 :
李密 :2001/05/01(火) 19:17
>>378 待たれい、ふゆふさん。
私としては「機動不可能」というより「機動不必要」
というところが「無用」と断言する根拠なのです。
>379
ちなみに、スペインを封建制と見なさない場合、
イギリス本土についても封建制ではなくなります。
(アキテーヌ地方についてはフランス封建制をそのまま使っていたと思われる)
すでに封建的軍役は有名無実なものとなり、
軍役の代わりに代納金が一般化し、
イギリス軍は代納金からなる潤沢な資金を利用して、
雇われ騎士と
(一種の傭兵で、普通の騎士役と違って日数は契約によって異なる。
騎士役は最初年間40日と決まっていた)
ヨーマンなどからなる自由農民兵の集団となっていたからです。
ちなみに、戦場に出かけない騎士層が後世のジェントリーの母体になります。
しかしそれでもイギリスは異質ではあるものの封建制とされます。
軍事的にはイギリスよりも純粋な封建制である(少なくとも軍役によって兵力を集めている)
スペインはこの話題においては封建制と呼ぶに不都合ないと思います。
>379
カバレロスと呼ばれる平民騎士が騎兵隊の主力をしめていたスペインにも
貴族、あるいは宗教騎士団の重装備騎兵はいました。
ただ、上の平民騎士が多数戦闘に参加する以上、
重装備騎兵の戦い方が全軍の戦闘法になったかはかなり怪しいのではないでしょうか。
カバレロスの装備は軽めの騎槍や投槍、あるいは軽めの胴鎧であって、
真っ向勝負するには不安な装備です。
381 :
李密 :2001/05/01(火) 19:29
>バノックバーンのイギリス軍って、しっかり「重装騎兵」してませんか? スコットランド槍兵の「槍の壁」陣形に突撃した事をおっしゃってるんですか? これは敵左翼を迂回機動しようとしていたイングランド騎兵隊が それを察知したスコットランド歩兵隊に阻まれた結果です。 あくまで「機動失敗」であって、 「機動をしなかった」わけではないと思います。
>>378 私としては、ふゆふ氏の説と同様に、
1=互角、2=機動可能、3=有用
です。
但し、初期と後期では全然話が違うと考えていますが。
383 :
275 :2001/05/03(木) 03:30
論点の整理が行われているのですか。
確かに私は書き込み下手なので、こういう風潮になってくれるとありがたいかも。
>>378 私の最初の論としてはそれで間違いないのですが、
勘違いして欲しくないのは、
私は「重装騎兵」の「戦力上の有用性」を弁護する気など更々ないということです。
「重装騎兵」の存在まで否定する気はいまだありませんが、そこまで頑固でもないです。
現在では
1=撃破可能(封建社会なら) 2=機動切り捨て(後述) 3=有用(ただし戦術上ではなく社会的に)
という感じです。
>>373 たしかに重装備の騎兵は多くの使い方ができるのですが、
私が「重装騎兵」とよんでいる西洋の騎兵やニケフォロス流カタフラクトは、
そのほか諸々の使用法をあえて無視した、突撃専門の部隊のように思えるのですよ。
騎兵を有効に活用するなら機動力を使って側面に回り込んだりした方がいいと思うのですが、
それなら、古代ローマやマケドニア軍、そしてテルシオのように、騎兵は両翼に配置した方が効率がいいでしょう。
でも、こいつら軍の真ん中にいるんですよ。突撃が我々のお仕事といわんばかりに。
しかもニケフォロスの軍の場合、両翼にしっかり弓持った騎兵が配置されていまして、
突撃のサポートをするぜと言わんばかりなのですよ(実際すると書いてありましたが)。
西洋の騎兵に至っては、軍馬が一頭じゃ足りなかったというほどの重装備ですから、
こいつらに突撃以外をするほどの機動性があったかどうか。回り込む間に馬が潰れそうですし。
これらを単に重装備した騎兵と同じ兵科と見なす方が私には不自然に感じますが、どうでしょう?
後私は、軍全体として機動戦術を採用しなかったとは思っていません。
まあそれこそが、「重装騎兵」を兵科と見なした理由でもあるんですが、
機動性を確保したければ、その軍は「軽騎兵」を編成したと思います。
役割分担ですね。
>>379 -380
いやいや、スペイン全体を封建制と見なさない、というのではなしに、
いきなり「スペインの重装騎兵」と出てきたから、前の話の続きだと思ったということです。
出典も同じ「シッドの歌」ですしね。
そんなアナーキーな状態での小競り合い(いや、「シッドの歌」がどんな状況か知りませんが)で側面まわってるからと言われても・・・、
といいたかったわけです。
別にそういう意図で書いたのでないなら、それでかまいませんって。
>>381 いくら機動性を切り捨てたからって、そこまで教科書通りに軍隊を動かさないと思いますが。
それより、一度ぐらいの機動失敗で槍の円陣に突っ込んでく奴らの方が問題だと思います。
槍で円陣なんか組んだら機動力は皆無ですからね。陣に戻る余裕はあったでしょう。
それを追撃してきたら、それこそ思うつぼですし。
>>372 私は、完全に「騎馬隊」がなかったという説にも消極的ですね。
もしかしたら、かの有名な赤備えぐらいはそうであったかもしれない、ぐらいには思ってます。
部将、もしくは国人の子弟をそろえれば、小規模の騎馬隊ぐらいはできると思います。
伊達の騎馬鉄砲隊なるものはそうしてつくったらしいですし。
まあ、つくってどうするかはまた別問題ですが・・・。
384 :
世界@名無史さん :2001/05/04(金) 22:44
age
385 :
ヒロヒトラー :2001/05/04(金) 23:11
どうせ なにやつたって かっこうつかねえんだから ばかやって世界中から 尊敬をあつめろ 裸の日をつくるとか 全裸で電車でのるとかしたら おもしれえぞ とにかくばかやれ
386 :
世界@名無史さん :2001/05/05(土) 05:08
日本の場合は騎馬集団でも基本的には軽騎兵的な使い方だったのでは 特に鎌倉時代の戦場の様子なんか小集団の騎馬隊で弓を使ってますし。
そういえば、三方が原の戦いで武田軍が採った戦術は、 中央突破を主眼とした「魚鱗の陣」ですよね。 騎兵の中央突破と言えるのかな? 話の流れからすると違うっぽいですが
388 :
世界@名無史さん :2001/05/05(土) 13:40
騎射がメインだったのはもっぱら鎌倉時代だろ。 あれは偉い奴が馬に乗って打ちまくっているだけ。いわゆるアジアの軽騎兵とは運用形態が異なる。 そもそも日本の馬は中央、西アジアの軽騎兵のように、右に左に動き回って射撃をあびせられない。 馬格が小さいし、蹄鉄がないため。
389 :
世界@名無史さん :2001/05/05(土) 14:37
>>387 うん。違うと思う。
下馬して戦闘していたことと、武田軍はむしろ包囲するように動いていた。
結果的には徳川軍は中央から崩れたけど。
390 :
275 :2001/05/12(土) 00:16
一週間書き込まないと沈むんですね。ここは。 恐ろしいところだ。 日本においては騎馬隊がいたとすれば、 私が言うところの「重騎兵」に近い形の兵がいた可能性は高いと思います。 なぜなら日本は元から「騎兵」=「身分が高い」という状況であったろうから。 日本の「武士」というのはもともと貴族ですからね。 貴族が領主権力化し、その権力誇示のため馬に乗ってるという側面が大きいと思います。 また武士のそのような側面のために、日本には大規模な騎馬隊など生まれ得なかったのだと思います。 このため日本の騎兵とは、正面突撃はする(ここら辺が「重装騎兵」に近い)が敵陣を粉砕するほどの規模をもてない、 まあ言ってみれば「突撃するとき強力な歩兵」レベルのものになると思います。 結局全然違うか。
391 :
世界@名無史さん :2001/05/12(土) 01:07
>>388 だったらなんでモンゴル軍は騎射戦術に長けてたんだ?
知ってるかもしれんがモンゴル馬は日本在来種と同じ馬種なんだよ
中央アジアが起源のね。
走行可能な平地の差とか、 家之子郎党が飼う匹数と氏族が飼う匹数の 差じゃないの?
393 :
世界@名無史さん :2001/05/12(土) 01:25
>>392 それはそうなんだけど馬体が原因とか言ってたから
それはちと違うんでないかと。
あ。こりゃ失礼。ぼくは通り掛かりで、最後のカキコみただけで
思いつきで書きました。
>>388 氏とは別人です。
ご歓談をおつづけください。
このスレのファンです
395 :
388 :2001/05/12(土) 01:58
そうだね。木曽馬とモンゴルの馬のDNAが同じだったなんて話があった。なんか勘違いしてた。 ごめん。忘れて。
日本の中世武具は馬上戦闘に不向きなものばかりです。 片刃の日本刀は騎兵向きですが長すぎる。
397 :
世界@名無史さん :2001/06/22(金) 03:30
age
398 :
世界@名無史さん :2001/07/09(月) 04:51
だいたい、日本の馬の調教は少々レベルが低かった。
399 :
世界@名無史さん :2001/07/19(木) 01:27
400 :
世界@名無史さん :2001/07/19(木) 01:29
日本では馬の去勢しないからコントロールが難しいとか・・
401 :
世界@名無史さん :2001/07/19(木) 04:51
>>396 長いほうがいいのでは?
近代軍隊の騎兵の軍刀は、他兵科の軍刀に比べて刀身が長いはず。
402 :
アマノウヅメ :2001/07/19(木) 10:25
>>396 日本刀は寸法が色々ありますよ。
普段差しているのは2尺2寸から2尺8寸まで。
主として身長で決めていたようですが3尺以上になると重くて
とても使えなかったらしい。
しかし、4尺、5尺なんてのが残っていて騎馬用といわれています。
403 :
世界@名無史さん :2001/07/19(木) 10:32
普通日本刀って呼ばれる刀は歴史が新しいんじゃなかったっけ? 平安鎌倉の昔は太刀だったでしょ、それなら長い。
404 :
アマノウヅメ :2001/07/19(木) 11:38
>>403 太刀と書くべきでしたね。
つい、うっかりしてました。
鎌倉時代の太刀を江戸時代に使っていた例はかなりあります。
殆どが大名道具で秘蔵されてましたが。
405 :
403 :2001/07/19(木) 12:31
>>404 ええと。
日本刀=打刀は太刀とちょいと系統が違うんだよね、たしか。
長さと拵えで区別するんだっけか。
とにかく、ふつう日本刀といって武士が腰に指している刀は、
騎兵用ではなかったと思います。
抜刀するなら下馬したときでしょう。
406 :
アマノウヅメ :2001/07/19(木) 12:59
>>405 専門用語ですか?
それなら私はお手上げですが、一般的には2尺以上が太刀又は大刀で
2尺未満が脇差ですね。
町人でも正装するときは刀を一振さしますが、これも「お太刀」というのが
慣例です。実態は脇差と思われますが。
勤皇の志士で、太刀を差すのは間違っている、佩くものだと言ってつるして
いた人がいますが誰も真似しなかったところを見ると使いにくかったんでしょう。
日本刀というのは明治以後の呼び方と思われますが。
407 :
403 :2001/07/19(木) 13:09
>>406 なるほど…ちょっと混乱してます。
詳しくないのに乏しい知識を書きこむんじゃなかった。(笑)
ふつう刀・脇差と言って腰にさしているのは
佩くほうの太刀と区別して打刀って言うんだと記憶してます。
もともと打つ武器である太刀とは別の、
刺す武器だった刀(短刀)が長くなって
太刀のように打つ能力をもったものが起源だったはず。
間違ってたらすんません。
408 :
リトル愚礼(というより、愚礼) :2001/07/19(木) 23:56
日本最初?の本格的な密集陣は… 奈良時代には、中国の兵法を取り入れた訓練が行われたらしい。 中世ではいったん廃れるが、南北朝ごろから徐々に復活。 「菊池千本槍」は槍隊の密集突撃だったらしい。
409 :
世界@名無史さん :2001/07/21(土) 03:51
410 :
世界@名無史さん :2001/07/21(土) 03:55
>>409 笑った。
じゃあ、投石とかしたりするNGOや学生のみなさんは現代の散兵?
411 :
世界@名無史さん :2001/07/21(土) 04:06
>>401 長くてもいいんですが、ただ単に長いだけでウェイトが手元に集中してない剣は
片手に手綱を握りながらでは振り回しづらいです。
日本の武士たちは
>>396 さんの言うように確かにちと非合理的な武器ばかり使ってたようですが、
その位大和魂の前では屁でもありません(笑
413 :
世界@名無史さん :2001/07/21(土) 07:31
太刀っていうのは刃側を下にして佩く、反りの深い騎馬上戦用でおおよそ室町期まで、一方打刀は刃側を上にして佩く、反りの浅い徒歩戦用で、幕末に流行したものだという記憶がありますが?
414 :
アマノウヅメ :2001/07/21(土) 10:05
>>413 室町時代の太刀なら博物館でかなり見たけど、特に反りがあるようには
思えませんでしたが。
幕末にできた刀なら余り出来のいいのはないでしょう。
名のある武士は古刀を用います。
415 :
世界@名無史さん :2001/07/21(土) 23:31
age
>>414 室町刀こそ鈍ら揃いと聞きましたが・・・
417 :
アマノウヅメ :2001/07/22(日) 00:00
>>416 室町時代がですか?
名刀ぞろいのはずなんですが。
一振り作るのに一ヶ月はかけていた鎌倉時代の刀なら傑作揃いだけどね。 太刀は打刀のように刀身全体が湾曲しているのではなくて、鍔元で急に反っていて 切っ先に行くに従って徐々にまっすぐになっていく刀のことを言います。
419 :
刀好き :2001/07/22(日) 05:52
実際の戦闘で刀を使っていたのか、疑問を呈している本があります。鈴木眞哉著、刀と首取り(平凡社新書)。西洋と違い、日本では遠戦志向が強かった。したがってよほどのとき以外は弓や槍、鉄砲で戦闘をした。軍紀物では多少脚色もあったのでは?というのが氏の考えのよう。
日本の刀は純粋な実戦用というよりは多分にフェチック(斬殺マニア?)な要素が強い物で、 刀がメインアームであった時代は少ないです。 打刀が戦国時代に愛されたのは、両手で柄を握って振り下ろすモーションが、畑を耕す鍬のそれと酷似しており 馬にも乗れず弓も扱えない百姓あがりの武士にとって非常に扱いやすい武器だったためでしょうね。
421 :
世界@名無史さん :2001/07/22(日) 09:06
大業物とかなら、戦闘でも使えてたのではないかと。 この時代の刀は、なかなか折れにくかったと聞いています。 槍のほうが使いやすかったのは、事実ですけど。
422 :
世界@名無史さん :2001/08/04(土) 05:34
ケーブルテレビのディスカバリーチャンネルで、 密集陣に関しての特集みたいのをやったって聞いたけどホント? なんか友人の嘘っぽいんだけど……
423 :
世界@名無史さん :2001/08/04(土) 10:29
日本刀に関しては鎌倉と江戸がよい。室町と明治以降は 輸出が盛んになったためか、粗製濫造気味。
でも戦国時代の野戦での主力兵器は長槍でしょ。 長槍は集まると針鼠みたいになるから強かったのかな?
425 :
フニャフニャディ :2001/08/06(月) 21:52
ああ、しばらく見ないうちにすごくいいスレに育ってるじゃないですか。
>>424 長槍 は乱戦になると機能しません。
統制下にある集団での使用が必須です。
横陣が展開できるくらいの地積も必要ですし。
>1) 重装騎兵による歩兵陣正面撃破能力。
>2) 重装騎兵が行える用兵の幅。特に側面、後方への戦術機動。
>3) 総合的な重装騎兵の有用性。
僕は
1-1)歩兵側のモラルハザードが起きた場合、有効
1-2)それ以外、無効
2)重量、地形による制限を除き、
軽装騎兵に準ずる機動は可能であるし望ましい
3-1)機動力、火力、装甲力のバランスが取れている場合、有用
3-2)それ以外、無用
(悪くすれば味方の作戦機動に対する障害)
と考えます。
戦術機動による間接的圧力だけでなく、
味方他兵科の火力投射や包囲攻撃によって敵部隊が動揺しているな状況において、
弱所への突撃(直接的圧力)にすぐに転換しうる柔軟さが重装騎兵の持ち味かと。
もちろん、「間接攻撃諸兵科の支援」や「突撃の受け皿になってくれる歩兵の包囲陣」なくしては、
じきに重装騎兵の突撃などは後退した歩兵陣に持ちこたえられてしまいますけどね。
うほっ 誤)動揺しているな状況 正)動揺している状況 鬱なのでクレシー逝ってきま。
427 :
世界@名無史さん :2001/08/06(月) 22:40
戦国時代の主兵器は 弓 鉄砲そして槍、と聞いた。 騎兵でも白兵戦闘のときは下馬して 戦った、らしいとは聞いたことがあるが
428 :
世界@名無史さん :2001/08/12(日) 01:58
>>427 ヨーロッパでも英仏戦争当時とかは
「騎士」が馬から降りて戦ったといいますね。
429 :
大スキピオ :2001/08/12(日) 06:52
ほう、そうなんですか? クレシー村の戦いでは何度も突撃を掛けるフランス重騎兵たちにイギリスのヨーマン長弓隊が、徹底した遠距離射撃で対抗し、みごとにフランスを敗退させましたな。フランスの敗因の一つとして弩弓を使うジェノバ傭兵部隊を採用したことがあげられます。彼らが一回射撃する間にベテランのヨーマンは、6回も射撃できたとか… 丸太や落し穴でフランス騎兵はイギリス槍兵隊の前面に誘いこまれ、次々と倒れていった… なんか長篠の戦いに似てますな…
430 :
世界@名無史さん :2001/08/12(日) 07:30
グラディエーターにそれらしきシーンがあるな
431 :
大スキピオ :2001/08/12(日) 08:13
我がローマの面汚し将軍テレンティウスめが、「私ならハンニバルをくい止められます」とか言って出ていったが… 奴のつかった中央を厚くする密集方陣“レギオン改”は、ハンニバルの半月陣形にあっけなく破れ去ったな… フフ、馬鹿め!私の中国をきかなかったからだ!
432 :
名無し :2001/08/12(日) 19:55
兵力の集中運用を戦場で行った場合だろう。 総合力で少なくても、密度で相手を凌駕できる。 桶狭間がよい例だ。
433 :
世界@名無史さん :2001/08/13(月) 10:23
密集陣は人海戦術絡みであれ実の所、前近代においても敵軍の主戦力も歩兵である場合にのみ有効性が高いというのが 中国史を概観した限り得られる、戦史的教訓である(例えば遼対北宋、金対南宋、清対明)。 余程の兵力差でない限り(おそらく数十倍)、歩兵部隊を凌駕する機動力、破壊力の どちらか一方だけでも備えた軍種の部隊の有無、ないし優劣が局地戦闘の勝敗を分ける事となったのである。 だからこそ日本では「葵徳川三代」の頃、中国では明朝が、満洲人の騎馬部隊への対抗策として兵士の頭数を揃える事より 砲兵部隊の火力増強に力を注いでいたのである。 さて密集陣はたんなる射的にしか成らない21世紀初頭の現在では、歩兵の対抗戦力も増強されたとはいえ今なお、現代の騎馬軍団たる戦車・機甲戦力や 前近代に引き続いての遠戦火力支援戦力、そしてそれら以上に近接航空支援戦力の要素が局地戦の帰趨を定めると言える。 前文の三要素をほとんど欠き、対応戦闘能力も装備や練度の点で問題にならない歩兵部隊ならば いくら人数が勝っていても長期的な正規戦に対処するには果たしてどれだけの兵員数格差を要するのだろうか。 長期的な塹壕戦にもつれこんだら人海戦術でもしばらくの間、耐久レースは可能だが 機動戦に終始したなら数十倍の兵力差でも対処できないのが現状か? 最後の方はスレ違いだが、人海戦術への哀悼を込めてあげさせて頂く。
434 :
433 :2001/08/13(月) 11:29
段組の配慮を忘れて 各行の区切りが文単位、文節単位じゃなくなっちゃた。 フォントサイズは中以下にしてくんろ。 スマソ。
435 :
世界@名無史さん :2001/08/13(月) 12:02
哀悼の途中ですまんが、日本や中国が火器兵科の増強に力を入れたのは、 当時の火器の性能では大量に数を揃えなければ戦場での火力集中を 達成しえなかったことが理由ではないのか? 別に銃や砲でなく、弓や大型投石機であっても大量に揃えられるならば 問題なかっただろう 火薬兵器の利点である操作に習熟する期間が短く、未経験の大量の 人員を短期間で兵士として教育できること、工業化により火薬兵器 の大量生産が可能になったこと、兵站組織の確立などが火器兵科の 増加の原因だと思う 威力の問題ではなかったと思うがどうだろうか? あと、このスレでは中世の長弓射手や弩兵を現代の砲兵に なぞらえられているのだろうか? 個人的には21世紀では絶滅寸前の直協支援砲のほうが 近いと思うんだが もっとも、過去の兵科と現代の兵科を同一視するのには 無理があるんだろうけど
436 :
朝鮮よ人海戦術を君すてるなかれ :2001/08/13(月) 12:32
>>435 大型投石器はともかく弓を大量に揃えることは
コスト面でも大量生産技術面でも
銃砲よりは遥かに容易だったと思うよ。
にも関わらずプレートアーマーどころか
革製の鎧を着込んだだけの軽騎兵集団でも
頃合を見計らって突撃してくるのを阻止するのは
長短を問わず経験に富んでいても弓兵には到底無理であった。
伝統中国ではね。
結局、密集陣を組んで長柄の槍衾を敷いた歩兵が
それこそ岳飛の如き天才の指揮を受けてようやく
総崩れにならないですんだ程度だった筈だ。
437 :
フニャフニャディ :2001/08/13(月) 12:58
>>436 あくまで支援火力である弓兵/砲兵は、
「一定の地積に展開する敵部隊への継続的な公算射撃」
が身上ですからね。
騎兵にかかわらず、敵突撃の阻止なんてできやしない。
これは火器が出現してからも変わりませんね。
むしろ敵突撃の阻止を可能にしたのは陣地設置方式の機関銃の出現でしょう。
さらに、携行可能な軽機関銃の普及によって、
歩兵は真の直協支援火器を手に入れたとは考えられませんか。
438 :
世界@名無史さん :2001/08/13(月) 13:05
>>436 銃でも威力の面ではそう変わらなかったと思うが
それ故にこそ個々の命中精度や威力ではなく、
量の充実を追求したのではないか?
主に命中精度の問題から、火縄銃の運用法は短射程で
濃密な弾幕を構成することだったが、発射速度が低く、
しかも装填は立姿で行うのが普通だったため、
少数のグループでは遮蔽物のない野戦場では殆ど
役に立たなかった
量の問題を完全に解決することができなければ、
弓を使用したほうが良かったと思う
それと、未経験の人間を徴募してきて兵士として訓練する場合、
弓兵よりも銃兵のほうが遙かに容易だろう
基本的に弓兵でも銃兵でも余程の戦力差がなければ
単独では騎兵の突撃を阻止し得ない
敵騎兵の機動を制約できる障害の構成や陣地の構築、
他兵科の掩護があって達成できると思ったが違うのだろうか?
それとも、自分の勘違いで純粋に威力の問題だったのだろうか?
439 :
世界@名無史さん :2001/08/13(月) 13:19
>>437 成る程、火力集中と敵の機動発揮の制限が突撃を阻止する要因であり、
それさえ達成できれば機関銃だろうが銃だろうが弓だろうがどうでもよく、
これは今も昔も変わらないと思っていたが、どうやら間違いだったようだな
それと、中近世の砲には公算射撃のような芸当は無理だと思っていたが
これも自分の勘違いだったようだ
スレ乱して申し訳なかった
440 :
世界@名無史さん :2001/08/13(月) 14:36
>>436 「岳飛の如き天才の指揮」というのは具体的にはどのようなものでしょうか?
通常、槍兵の密集陣は騎兵の正面からの突撃には十分抵抗できる筈ですが。
もちろん、密集陣は側背からの攻撃に脆弱なので、他の密集陣や他兵科との相互支援や、
防御の肩部となる地形上の要点の確保、野戦築城などにより、側背からの
攻撃に対処しつつ正面の戦闘に専念できるよう創意されてる筈です。
もしそうであれば、最高指揮官の天才的な手腕ではなく、槍兵を指揮した下級指揮官や
兵卒たちの手柄ではないでしょうか?
最高指揮官の手柄は贔屓目に見ても事前の情報収集や訓練と指揮統制の徹底であり、
それは最高指揮官としては当然の仕事だと思うのですが。
他の指揮官が無能であったと判断してよろしいでしょうか?
それとも、何か別の戦術を採用していたのでしょうか?
441 :
436 :2001/08/13(月) 15:36
力尽きたのか?
443 :
436 :2001/08/13(月) 16:20
すいません、上は誤爆です(^^;
>>438 >基本的に弓兵でも銃兵でも余程の戦力差がなければ
単独では騎兵の突撃を阻止し得ない
敵騎兵の機動を制約できる障害の構成や陣地の構築、
他兵科の掩護があって達成できると思ったが違うのだろうか?
おっしゃる通りだと思う。
ただ連携する他兵科の任務負担の軽減や自軍展開地の選定余地拡大を
火力部隊の編制がもたらしたろうし、それは有効射程拡張や命中威力増大
そしてあなたが挙げた理由も併せて弓兵にとって代わっていったのでは
ないだろうか。
>>440 偉そうな口叩いておいて申し訳ありませんが
岳飛にまつわる個々の具体的戦史には
とんと疎いのが実際の所です。
ただ想像するに敵騎兵部隊が高機動性を生かして
正面や側面、背面に突撃しては退却を繰り返したりして
交戦地点・時間の選定主導権を常に把握している戦局で
敵軍の全面攻勢を誘致する戦術の勘所を掴んでいたのではと。
当該の史実に詳しい方がご覧になってレスして下されば幸いです。
444 :
世界@名無史さん :2001/08/14(火) 09:52
444げっちゅー!!!
騎兵は足を止めないことには どうしようもないということでしょうか・・・ 騎兵の突撃が阻止された(あるいは失敗した)例として 有名なのはワーテルローでのネイ元帥の突撃だと思うんですが あれが成功しなかった理由ってなんでしたっけ?
446 :
世界@名無史さん :2001/08/14(火) 18:05
足止めないでどうやって走ってる騎兵潰すのか? 密集陣の槍襖は騎兵の突進を止めるためのものであって、 騎兵を串刺しにするためのものではない ワーテルローで成功しなかった理由は後退掩護が任務で 他兵科の支援を受けられなかったから
ワーテルローといえば、イギリス騎兵もボコられてるが フランス槍騎兵に横合いから突っ込まれたっていうのと 砲兵に粉砕されたっていう二つの記述があった どっちが正しいんだよ・・・
449 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 11:16
今は亡き密集陣の冥福を祈りあげ
450 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 13:14
>>449 各国の機動隊では未だ健在。
最前列のものが、垂直に盾を並べる
次の列のものは、頭の上に盾を水平に並べて密集陣全体を投石
から防御
敵(デモ隊)と接触したら、スクラムの要領で押しまくり
敵陣に乱れ場見えたら、散開して包囲殲滅
451 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 14:12
>>450 火力が用いられない局面ではいまだに有効ということやねえ。
各国の機動隊の盾をみると、円盾と方盾がある ヨーロッパは円盾が主流なのかな?
453 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 14:35
馬鹿な質問ですみません。 以前司馬遼太郎の作品で「騎馬軍団」を使いこなせたのは 近代以前はチンギス=ハーン・源義経、近代になってドイ ツのフレデリック大王というのを読んだんですが、騎馬兵 の集団流用ってそんなにムツカシイものなんですか?
454 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 14:52
国によって戦略や戦術のスタイルは違うし、 騎兵に求められている戦術的役割も違う 一概にムツカシイと論ずるには無理がある
455 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 16:31
騎兵の集団運用は難しいよ 草原地帯以外では馬の為の牧草が大量に必要になるし 砂漠地帯では、大量の水の確保も必要 蹄鉄無しで長期間騎乗すれば、蹄がすり減る。 軽騎兵独特の長距離機動戦術は、よほどの戦術眼がないと 悲惨な結果に陥るのが落ちでしょう。 唐の太宗、モンゴル軍団あたりが得意としていたはず。 どちらにしても、情報収集のうまさが際だっていた。
456 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 17:08
つーか、なんでフリードリヒ大王が? 抜きんでて優れていたか?
457 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 18:45
458 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 19:12
>>456 フリードリヒの布陣は暗黒時代に退歩しきった戦術を
元に戻したという点で、相対的に優秀であった。
今から見るとただの斜線陣だけど、無から思いつくのは天才だろうねえ。
459 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 19:14
>>458 古代ギリシアの焼き直しじゃないかな
テーベ軍が斜線陣を使っていて、それをルネサンスで見直したはず。
460 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 22:14
>>456 いやそれは知ってるけど、
>>453 で「騎馬軍団を使いこなせた」って書いてあるから。
フリードリヒ大王が騎馬軍団って違和感ない?
つーか、453氏、その司馬りょーたろーの本ってナニ?
461 :
アマノウヅメ :2001/08/16(木) 22:23
>>460 『義経』だったと思いますが間違いだったらごめんなさい。
462 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 23:11
「坂の上」だろ
463 :
世界@名無史さん :2001/08/16(木) 23:42
Be Together Be Together 今夜は ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ (つ / (つ / (つ / (つ / ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) (_)_) (_)_) (_)_) (_)_) Be Together Be Together 朝まで ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ∧_∧∩ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ ( ゚∀゚ /./ (つ / (つ / (つ / (つ / ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) (_)_) (_)_) (_)_) (_)_) Be Together Be Together 踊るよ lヽ lヽ lヽ lヽ ∧_∧l 」 ∧_∧l 」 ∧_∧l 」 ∧_∧l 」 キラッ ( ゚∀゚ )|| ( ゚∀゚ )|| ( ゚∀゚ )|| ( ゚∀゚ )|| ( つ ( つ ( つ ( つ ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( (__(_) (__(_) (__(_) (__(_) Shake Shake Shake my soul! ∧_∧ アヒャ アヒャ∧_∧ ∧_∧アヒャ ,,,,,,,,,,,,,,, ( ゚∀゚ ) ( ゚∀゚ )( ゚∀゚ ) ( 。A。)アヒャヒャヒャヒャ "~~~~~~;:' ∴*;~~~~~~∴"~~~~~~;:': ;;':;: ・*;: ∨ ̄∨ ミ ;;':;: 彡;::: ミ:;: 彡:;: <二|= 三;;' :;≡:=|二<二|=;;≡ ;;' 三 =|二フ (~~~~~~つ ⊂~~~~~~) (~~~~~~つ ⊂~~~~~~) | |) ) | |) ) | |) ) | |) ) (_)_) (_)_) (_)_) (_)_)
464 :
世界@名無史さん :2001/08/17(金) 00:35
>>458 >フリードリヒの布陣は暗黒時代に退歩しきった戦術を
>元に戻したという点で、相対的に優秀であった。
これは、ちょっと言い過ぎでは?
長らく続いたプロイセン〜ドイツ至上主義への反動からか
非ドイツ語圏でのフリードリッヒ評価はそれほど高くはない。
ナッサウ伯マウリッツ〜グスタフ・アドルフのラインを
「軍事革命」の本流と見る方が、現在の通説では?
確かに名将・大政治家ではあるんだけどね。
大が小を飲んで国土を倍増させたのは、
ガチガチの勢力均衡が成立しつつある中で、非常に賞賛されるべきこと。
横レス失礼。
465 :
世界@名無史さん :2001/08/17(金) 16:49
>>433 -443
なかなか興味深いやりとりだと思う。
マジレスを請う。
466 :
世界@名無史さん :2001/08/17(金) 20:21
グスタフ・アドルフは線状隊形の採用により火力集中を達成し、 騎兵の強襲任務を限定的に復活させ、テルシオの成功により 息詰まっていた戦術的停滞を打破した フリードリヒの密集陣は精緻な部隊運動と厳格な陣形維持により 更に銃兵の効率的な火力集中を容易にした ナポレオンは部隊の機動力を上げ、局地的に相対戦闘力の優越を 確立して成功した しかし、これら革新的と言われる軍事改革は、訓練豊富な兵士の 供給なくしては有り得ない 新戦術により発生した新たな負担の大部分を兵士に押しつけるからだ 一方、昔から軍隊には「大量の未経験の若者をいかに短期間で兵士に仕上げるか」 という先天的な問題が存在する 弓や弩が消え、銃が個人投射兵器の主流となったのも、この命題に対して軍隊が出した 解答の一つだ そして、この命題を無視した新戦術はしばしば自壊する危険性を含有していた グスタフ・アドルフの軍隊は、質を維持するためにスウェーデンは平時においても 巨大な常備軍を維持しなければならなかった 8年戦争末期のプロイセンは壮年層が払底し、破産の一歩手前まで来ていた ナポレオンの強みの一つは、フランスがヨーロッパ有数の人的資源を保有していたことだった 故に訓練豊富な兵士を大量に準備することが可能だった しかし、それでもナポレオン戦争末期には訓練不足の新兵が主流となったナポレオンの軍隊は、 機動性を捨てて火力と防御力を追求した鈍重な大型方陣へと回帰することになる 彼らは新戦術を創出した故に賞賛されたのではない 同時代の多くの「無能者」たちが算盤を片手に「割に合わない」と判断した思いつきを 試み、実行させたところにあるのではなかったか さあ叩いて、謝る覚悟は出来ている
467 :
世界@名無史さん :2001/08/18(土) 01:15
とりあえず8年戦争じゃないな
7年戦争だった・・・・ スマン
最新の学説では8年なのかと思っちった
465氏のリクエストにお応えすべく頑張ってみたが駄目ダッタカ すまん、466は皆の心の中で削除してくれ・・・・
471 :
世界@名無史さん :2001/08/18(土) 16:25
>470 泣くな漏れがついているぞ。 二重橋前広場の玉砂利に跪いたあの時の誓いを忘れたのか?
>>471 うう、有り難う(涙
修行して出直して来る・・・・
473 :
世界@名無史さん :2001/08/20(月) 21:28
>>466 あの当時のフランスの人口はかなり多かったみたいだね。
ヨーロッパ随一?
474 :
世界@名無史さん :2001/08/20(月) 22:11
ロシアの方が多いよ。フランスも多いけど。 それよりフランスの場合は、戸籍をはじめとする諸制度が整っていたので、 動員(徴兵)が容易だったという点が大きい。
475 :
アマノウヅメ :2001/08/20(月) 22:23
>>474 人頭税の始まりは兵役免除のためで、フランスでは帳簿が整備されてた
そうです。
476 :
モリース・ド・セックス将軍 :2001/08/20(月) 23:31
>>475 フランスにおける人頭税って、シャルル五世が、常備軍(モドキ)を
創ろうとして失敗したときにかけたのが最初じゃないの?
477 :
ハドリアヌス6世 :2001/08/20(月) 23:42
>>476 その時に、特別に税金出せば兵隊には取らないという条件だったそうです。
のちには何が何でも税金は取るってことになったようですが。
478 :
モリース・ド・セックス将軍 :2001/08/21(火) 00:29
479 :
世界@名無史さん :2001/08/21(火) 11:19
なんか話が横に流れてるぞ…
480 :
人民軍マンセー :01/08/26 18:48 ID:yWWfhcY6
是非是非鋼鉄の霊将であらせられるかの御方におかせられては 人民軍の祖国統一戦争用戦術ドクトリンとして 採用して頂きたくあります。
481 :
世界@名無史さん :01/08/26 21:45 ID:qJOTiRsA
>>480 う〜ん。あんまり嬉しくない話題だな。
そういえば、朝鮮戦争末期の人民義勇軍だったっけ?中共軍の人海戦術ってあったけど、
あれは密集陣になるのかな。
記録写真なんかで見ると、あまり散開しないで突撃かけてるように見えるけど。
482 :
世界@名無史さん :01/09/01 13:54 ID:p1o15KYg
age
483 :
世界@名無史さん :01/09/07 15:45
>481 近代戦における銃剣突撃はいくら 密集してみせても前近代の歩兵集団陣形とは 密度において格段の差があるから 別の用語を適用した方が実態に即しているんじゃないの…
484 :
大スキピオ :01/09/07 18:37
>>483 人海戦術ですか?
ちょっと前まではそれなりに強かったですね。
現代の密集陣は機動隊の対暴徒対策でしか見られないん じゃないのかな?
486 :
世界@名無史さん :01/09/18 11:06
あげ
487 :
アマノウヅメ :01/09/18 12:14
>>485 機動隊と学生の戦いならテレビでしょっちゅう見てたけど、密集陣とは
気がつきませんでした。
実戦経験のある人にどんなだったか聞いてみよう。
488 :
世界@名無史さん :01/10/09 23:12
『コサックス』やってる? あれの密集陣はいいね。
489 :
コサックス 〜 攻城の世紀 〜 :01/10/09 23:16
いや、最後の一行はお気になさらずに。以前、軍事板ではったやつです。 最近、一番欲しい思ってるゲームです
491 :
ななしさん :01/10/10 02:06
>489 イイ!! 今俺がやってるのはインペリアリズム2だけどコッチよりよさげ!
492 :
世界@名無史さん :01/10/13 01:45
コサックスage このゲームにもでてくる「胸甲騎兵」は、 重騎兵の一種と考えて問題ないのだろうか。 古いが、275氏の論調が多少気になる。
493 :
世界@名無史さん :01/10/13 07:21
散兵戦術への切り替えは後装銃が普及したモルトケの時代に決定的ということで いいの?ナポレオンの頃から?詳しい人希望。
494 :
世界@名無史さん :01/10/13 07:59
Cossacksダウンロードしてやってるけど、面白そうだな
>492 >493 どちらでも好きなほうでいいんでないか? 取り敢えず両方とも理由は揃えられるが? しかし、こーいうのは結局は神学論争だから 議論すると最後には相手のアラ探し合戦になるんだよな
496 :
AIR SHIP :01/11/16 21:53
>493 ナポレオンも最初は、前線に軽歩兵を散開させ、狙撃を行わせていたが、戦闘の連続 によってベテランの兵士が損耗し、密集隊形の射撃戦に為ってしまったのです。 狙撃は、敵の指揮官や戦列を乱す為の要を撃っていました。
微妙に間違ってるぞなもし
499 :
世界@名無史さん :01/11/19 20:12
>498 いいのか? 本当にやるぞ? ま、ウザイって怒られるだろうがな >492 胸甲騎兵は、戦場で集団的に運用するという意味では重騎兵の後継と言える しかし、決定的な打撃力を有さず、重騎兵の戦術的任務に耐えないという点で 重騎兵の一種とは言えない >493 散兵戦術の定義により解釈が異なる 密集隊形、即ち当時の横隊戦術への反語ととらえるならば、 情報伝達手段の発達する20世紀を待たねばならない ただ単に隊列を組まない兵士の集団ととらえるならば、 最初に注目されたのは1740〜1741年にオーストリアのもとで フリードリヒ2世の率いるプロイセン軍と戦ったハンガリーとクロアティアの軽歩兵で、 彼らは上部シレージエンへのプロイセン軍侵攻を喰い止めている 部隊訓練の満足でない兵士の戦術で、戦闘展開を終えた横隊戦術には火力の面で 対抗できない ナポレオンの散兵もこの子孫に当たる 故に、ベテラン兵士の損耗がフランス陸軍の密集隊形への回帰の原因であると するのは間違い 本当の原因は、散兵では野砲の火力に対抗できなかったため 火器の技術的進歩から考えるならば、後装式小銃の普及ではなく、 機関銃の実用化が散兵戦術への移行の契機となった ボーア戦争でイギリス陸軍1個大隊が僅か2挺の機関銃で全滅した事件を契機に、 それまで機関銃の装備に消極的だった各国はこぞって機関銃を採用することになり、 歩兵の戦闘隊形も機関銃の圧倒的な火力集中に対抗すべく散兵隊形へと移行することになる
散兵縦隊戦術の場合は後者で良いのでしょうか?、資料に拠っては本当に 縦隊を組んで突撃したとか書いて有ったけれど、これは勘違いですよね?。。
>500 縦隊といっても前後に細長い縦列ではない 従来の横列より正面を緊縮し、幾分縦深が深い横隊というのが実相 イメージ的にはテルシオの槍兵の隊列に近い
誰かこのスレ続けたって。 また、要求不満でタラレバコピペして、あたりちらされたらかなわんわい・・・
>502 俺がいつタラレバコピペした? 妄想癖でもあるのか?
>>501 つまり火線を構築する薄い横隊戦列の前に、小規模の方陣(或いは半角方陣?)を
並べる訳ですね。まさかとは思っていましたが、お陰でイメージが掴めました、どうも
有り難うございます。
505 :
世界@名無史さん :01/12/16 23:01
涼スレあげ
なんか一気に読むと後半の長文が全部李密さんに見える。 ボーア戦争、高校の世界史の先生が「奴等は銃の扱いがうまかったからイギリス軍は苦戦した」 とおっしゃられてましたが機関銃だったのか・・遠からずとも当たらず。
507 :
世界@名無史さん :02/01/01 03:00
あげとくヨ。 今年も軍事史ファンにとって、良いレスがつくことを祈る。 それと何かといえば日本史もちだすお若い方が、自らの視野狭窄に気付き、より広い視野を持つ 優良レスの書き手になることを祈る
508 :
リトル愚礼@ロズウェル逝きます! :02/01/01 14:10
あけましておめでとうございます。 昔騎兵スレをやってたものです。 で、2002年、W杯も近いということで 騎兵スレを復活させようと思ったのですが… 「クッキーをオンにしてチョ」といわれ… 騎兵は多少詳しいが、インターネットはサパーり。 暇な方オセーテ。 いっそ、こっちに合流するのも手かもしれないが。 方法が分かっても、スレ満席なんだし。 ちなみにコサックスでは、フランスの18C竜騎兵が好き。 数出せるから、大量生産して敵軍蹂躪です。 が、重騎兵には速攻接敵され壊滅。 しかし、そんなに数多かったのか?18世紀のフランス騎兵って?
509 :
世界@名無史さん :02/01/01 14:53
おお。ブルボン王朝の兵力は数字調べるべきの、絶好の研究課題ですね こりゃ、調べて見なくちゃ・・・
510 :
世界@名無史さん :02/01/19 05:10
あげとく。 そんだけ氏も復活してるでな。軍事板の戦術と陣形スレで
512 :
世界@名無史さん :02/01/26 03:38
うお〜 なんか、このスレ懐かしいな〜。
513 :
世界@名無史さん :02/02/12 23:11
保全あげ
ありがたいオスプレイのシリーズが出てから、あれを消化しないことには何も 書けないという強迫観念ができてしまいました。でも素人には大変です。まあ、 あと何年かは無理でしょう。 そんだけ氏のスレを見て感じたのですが、オスプレイをネタ本にするのがだめ という基準で、書きこめる人が何人いるでしょうか。私は、オスプレイ太郎を 名乗ってわが身を銃火にさらす人物の登場を待望しています。まだ見ぬオスプ レイ太郎氏は、なるほど完全無欠ではないでしょうが、皆をもう一段高いとこ ろに導いてくれるはずです。
気持ちは嬉しいけど、正直ウザイって感じ。
516 :
世界@名無史さん :02/02/24 00:50
保全あげ
517 :
リトル愚礼@ロズウェル逝きます! :02/03/11 22:09
上げしかないんかい(泣)!!
さげ
519 :
世界@名無史さん :02/04/05 09:21
隊形の理由として、市民農民を無理やり兵隊にするわけ ですから、逃亡をみはりやすいか?ということは?
520 :
世界@名無史さん :02/04/05 10:02
古代ローマまではアブミがまだ開発されておらず、馬を自由に操るのがむずかしかった。 ゆえに、歩兵を中心にした、密集戦術。 アブミが中東からヨーロッパに伝わった8世紀以降は、騎馬の突撃による戦術が中心。 馬の扱いに熟練する必要から、兵士がプロフェッショナル化、騎士階級の出現。 と、大学の先生か言っていたよ。Stirrup Theoryというきちんとした1つの学説らしい。 みんながいっている古代ギリシアやローマの騎馬っていうのは、 馬の引く車に乗った、戦車兵のことなのかな? あんまり詳しくないので、この辺を詳しく解説してくれる人の出現を希望。
えーっと最近このスレ読んでないから記憶に頼って書くと、
>>519 密集陣を組む理由。
>命令伝達能力の低さ
>殺傷能力の低さ
>逃亡の阻止
等があったと思います。
なんで密集を組まなくなったか?では、
>無線による命令伝達能力の向上。
>機関銃等の実用化に伴う殺傷能力の向上。
とかがあったと思います。
愛国意識とやらを持った市民兵の登場による士気の向上もあったかな?
>>520 鐙なんかなくても馬は乗れます。お偉いさんにはそれが分からんのですよ!
と微妙なネタを振って見るテスト。
ギリシアもローマも多分騎馬と書いてあるときは騎兵です。
戦車ならば戦車と書くかと。
まぁあいまいな記憶ですから誰か突っ込みいれてください。
>>520 >鐙なんかなくても馬は乗れます
たしかにそうだけど、
Stirrup Theory(ってのはリン・ホワイトなんかの説だと思うけど)の要点は、
鐙があると槍で突撃した場合の衝撃に耐える度合いが段違いだという点。
あと鐙の他にもう一つ、何つったか?、槍を脇の下に引っかける装置が開発された。
(腕だけで槍を持つとぶつかった時に肩が外れる)
以上の2点が騎士の突撃戦術を生み出した、という話だったと思う。
523 :
世界@名無史さん :02/04/05 22:07
阪神ワッショイ!! \\ 阪神ワッショイ!! // + + \\ 阪神ワッショイ!!/+ + + ⌒*⌒ ⌒*⌒ ⌒*⌒ ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`) + (( (つ ノ(つ 丿(つ つ + ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) ) (_)し' し(_) (_)_)
矢張りネタが微妙だったか・・・
>>522 ええ。鐙が無いと馬上で立つことができずに体を固定しにくいんでしたっけか。
槍をわきの下に引っ掛ける装置はランスレストではなかったでしょうか?
525 :
世界@名無史さん :02/04/05 22:25
石原莞爾の「戦争史大観」て隊形についての詳しい 説明があったと思いますが。
526 :
世界@名無史さん :02/04/06 02:34
SSBN、私を導いてくれ・・・
これでいい?
>>520 「ヨーロッパ」というのはどこのこと?
西ヨーロッパには8世紀段階では鐙はつらいかと。カール大帝の像についてないし。
西ヨーロッパのことです。 ノート見直したら8世紀後半位に伝わった、って書いてあったよ。 明らかにおかしいなら、俺のノートの取り間違いかも。
追記&訂正 だから、騎馬の突撃戦術が一般化するのは9世紀いこうかと。 >明らかのおかしいなら、 明らかに年代がおかしいのなら、
529 :
世界@名無史さん :02/04/06 07:40
>>522 ローマの騎兵はあぶみ無しで乗ってたよ。
ながーいめのグラディウス、円盾、投槍装備がポピュラー。
>>526 感謝。
>>529 多分、鐙の登場による、突撃兵科としての騎兵を仰ってるのだと思います。
・・・・ヘタイロイって鐙ないけど突撃してませんでした?
リン・ホワイトJrの説は、発表され通説的地位を保って約半世紀だから大したもんなんだけど、 いくつかの批判はある。 >西ヨーロッパには8世紀段階では鐙はつらいかと。カール大帝の像についてないし。 8世紀段階では考古学的資料はいくつか存在していますが、 鐙の導入→カール・マルテルの軍制改革→騎士階級の成立、 といった革命的な変化が8世紀に短期で起こったと見るのは極端ではないか? 長期的な過程を考えるべきではないか? という批判が一つ。 >ヘタイロイって鐙ないけど突撃してませんでした? 確かに古典古代にも騎兵の突撃はあった。 膝の締め付けでコントロールするから、鐙を利用した場合ほど衝力を期待できないけれど、 練度の低い歩兵や、軽装騎兵を蹴散らすには分があったはずだ。 とすると鐙による戦術変化の意義は何か? という話が一つ。 もう一つ。 中世において騎兵の突撃はそれほど一般的な戦術だったのか? という話。 軍事行動→「会戦=極少/攻囲=ほとんど」、な状況で「突撃」の出番はあったのか。 機動性に重点を置いた使われ方(偵察・攪乱)が中心だったんじゃないの? 実戦よりはむしろトーナメント(騎馬試合)における意義が大だったから、 「突撃」は過分に持ち上げられたんじゃないの? 等々。 この学説は、もっぱら技術の変化のみによって社会構造の変化を説明できるところが 冷戦時代のアメリカ人などには人気だったんでしょうね。
>>SSBN
なんというか、流れ的に「軟弱者」のほうが良かった気もする。
>>532 >>527 いや、「伝わってた」と「普及してた」は違うかなー、と。
知ってるのはカール大帝と目される像(テラコッタというのかな)に鐙が無いって事だけですがね。
そこから考えると一般的だったと考えるのはどうよ?って感じで。
実際はどうだったんすか?
>>532