78 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 21:22:24.16 0
カルマル同盟の枠組みでスカンジナビア半島統一国家さえ出来ていればなぁと思う俺ゲーム脳
>>79 それがいやだー、って反乱起こして独立してバルト帝国作ったのがスウェーデンだろうに
だってカルマル同盟で同君連合組んでるのに
エーレスンドで容赦なく税金取り立てたらそりゃスウェーデン人怒るわいな
82 :
世界@名無史さん:2012/07/02(月) 22:18:59.67 0
83 :
世界@名無史さん:2012/07/05(木) 23:45:03.53 0
60 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/03(火) 17:45:16.05 0
高校の世界史でデンマークは当時はスウェーデン・ノルウェー・アイスランド・ドイツ北部を
支配するヨーロッパの強大国だったと習いました。
でも、今ではヨーロッパでも面積は小さい方だし強大国というと軍事的イメージがありますが
いまではそんなのはなく世界が羨む福祉大国になっています。
どういう経緯でデンマークは変わったのでしょうか?学校ではその辺はやりませんでした。
61 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/03(火) 19:19:16.71 0
そりゃ開発が進んで人が増えて経済力も付けてきたら、本国の思うままには動かなくなるわな。
62 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/03(火) 19:41:53.28 P
参考までに。
デンマルク国の話 信仰と樹木とをもって国を救いし話 内村鑑三
http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/files/233_43563.html 64 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/03(火) 20:55:39.04 0
>>60 端的に言えば,その中のスウェーデンに独立され,そのままスウェーデンに北欧の覇権を取られて傾いてった。
その後は歴史の表舞台に立てず,1815年のウィーン議定書でノルウェーを取られ,
1864年のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争ともいう)でドイツ北部を取られと領土縮小。
しかし,経済的には立て直し,いろいろありつつも豊かな福祉国家になっていったのは,
>>62の話にもある通り。
68 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/04(水) 00:13:16.92 0
デンマークって近代以前に領土が削られまくってた時代も
領土ほど衰退してったわけではなく東インド会社でそれなりに稼いだりしてて、結構抜け目無い
84 :
世界@名無史さん:2012/07/05(木) 23:51:32.37 0
ホルシュタイン戦争は、実は王家とその親族間の骨肉の争いがバックにあるのよな
アウグステンブルク家とグリュックスブルク家は本当は仲良かったんだが、
クリスチャン9世がフレゼリク7世の後継ぎに選ばれたから、
なんとなく微妙な関係になってしまった
85 :
世界@名無史さん:2012/07/21(土) 09:57:20.06 0
金髪王朝って凄い名前だな。
王が金髪だったの?
86 :
世界@名無史さん:2012/09/28(金) 23:57:45.94 0
エーレスンド(海峡)税って、何を基準に課税するんだ、1隻いくらなのか?
そうしたら大型船が増えるよね。
なんでデンマーク側だけ課税権があるんだ、対岸のスウェーデンも課税すればいいものの
いちいち止まって臨検されるんじゃ。
時間ロスな気がする。
せまい海峡があるんだっけか。そこに大砲すえて通行料よこせやぁぁぁってヤクザやな。
1.最も狭いところで7kmあるんだよ。大砲なんかあたらないきもするが。
2.通行料でぼろもうけなら、自分がスウェーデン王なら、迂回ルート用の運河を掘削してお手頃価格で
通過させる。ジブラルタル海峡に対するミディ運河みたいなやつ。
3.艦隊運用に支障が出るんじゃないの?監視の目的もあるのか?
93 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 16:47:22.06 O
クヌートの北海帝国
94 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/10/07(日) 07:21:50.64 0
>>89 対岸のスコーネ地方って17世紀まではスウェーデン領じゃなくてデンマーク領だったから、
海峡税をとりたくてもとれなかったんじゃないかな。まぁ、スウェーデンはスコーネを得る前から、
すでに免税特権を手に入れてたから、海峡自体は自由に通行できたんだけどね。
エーレスンド海峡税が莫大な収入になった話はよく聞くけど、
ジブラルタル海峡税で莫大な収入になった話とかないよね。
>>95 >ジブラルタル海峡税で莫大な収入になった話とかないよね。
これを払わないため、ルイ14世はミディ運河を作って、しかも世界遺産に登録されていますが。
で、フランス王室の莫大な収益になり、イギリスの収益は減少したかと言えば不明
98 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 20:48:32.54 0
経済的な理由もあるだろうけど、それ以上に軍事的な理由の方が大きかったんじゃ?
スペインが攻めてきそうもないし。
南仏とボルドー方向に兵員輸送してどうするの?
軍事的なら、アルザス・ロレーヌとかでは?
100 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 23:59:32.20 0
ジブラルタル封鎖ってことだろ
ミディ運河って、幅5.5mしかないから、厳しくないか?
何が?
103 :
世界@名無史さん:2012/10/24(水) 17:18:03.75 0
ベルギーのアルデンヌは素晴らしい景色をもつ場所だよ。みんなも一度訪れればいいさ。
ベルギーのアルデンヌは素晴らしい景色をもつ場所だよ。みんなも一度訪れればいいさ。
ベルギーのアルデンヌは素晴らしい景色をもつ場所だよ。みんなも一度訪れればいいさ。
ベルギーのアルデンヌは素晴らしい景色をもつ場所だよ。みんなも一度訪れればいいさ。
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ベルギーのアルデンヌは素晴らしい景色をもつ場所だよ。みんなも一度訪れればいいさ。
ヘルゴラント島は
日本語版Wikiだと
1714年大北方戦争によりデンマークが領有。
1814年ナポレオン戦争によりイギリス領有。
なぜ、デンマークに返還しなかったんだになるけど。
英語版
1714年にデンマークが領有。
1807年ナポレオン戦争でイギリスが占領
密輸スパイ活動の拠点となる
1814年キール条約によりデンマークはイギリスに譲渡
日本語版Wikiだと
キール条約にイギリスが関与しているような内容がない。
なぜ、割譲したんだろうになる。
英語版
デンマークのフレデリク6世が、イギリスに割譲し、反フランス同盟に参加した。
その後は、
1890年にヘルゴランド・ザンジバル条約でドイツ領となる。
日本語版はもっと小国を充実させてほしい。
105 :
世界@名無史さん:2012/10/27(土) 21:39:54.80 0
301 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/27(土) 18:19:02.30 0
アメリカ大陸に渡ったバイキングの定住失敗というのは、
具体的にはどういう過程で人口減少から消滅にいたったのですか?
302 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/27(土) 19:19:54.62 0
コロンブスがアメリカ大陸を発見する数世紀前にノルマン人などヴァイキングが、
北米のニューファンドランド島やラブラドル半島に辿り着いていた史実はあったようだが。
本来ヴァイキングは卓越した航海技術と武器や戦術で欧州南方の文明国や穀倉地帯に攻め込み、
侵略と略奪や搾取の蛮行を繰り返し、自分たち領土を拡大したわけだ。
しかし彼らが辿り着いた北米は場所が悪過ぎた。荒涼とした原野が続く痩せた大地で、文明とは程遠い世界だった。
農業や酪農技術に乏しい彼らにとっては、厳しい寒い土地で越冬する事は到底できなかった。
304 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/27(土) 19:53:03.93 0
いや、アイスランド植民には成功してることを考えればニューファンドランド島あたりはまだ厳しすぎる自然環境とは言い難い。
故郷から遠すぎて進出限界を越えてしまったってことだろう。
陸続きならともかく北欧→アイスランド→グリーンランドから更に北の海を渡って行くんだぜ?
305 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/27(土) 20:03:44.90 0
中世のアイスランドの人口は四〜五万、グリーンランドで三〜五千だったそうだ。
そっから先に行こうなんて奴はせいぜい数百人だろうし、その場合に中継地になるグリーランドの入植地も消滅しちゃったしね。
306 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/10/27(土) 20:57:25.84 0
ヴァイキングが北米とかグリーンランドへ入植してた時代って、かなり温暖な時期(の最後ころ)だったのだけど、
その後どんどん寒冷化が進んで流氷やらなんやらで航海が難しくなり、中継地のグリーンランド
入植地が維持できなくなってしまって、そっから先の北米も本国との連絡を絶たれたために消滅した
世界の気象から歴史を読み解くとかって本(正式なタイトルは忘れた)にはそんな解説があった
ヴァイキングが農業技術に乏しいw
世間一般人のヴァイキング像のままだな。
所詮質問スレ。
聞く方も答える方もその程度。
108 :
世界@名無史さん:2012/10/28(日) 00:27:28.64 0
ヴァイキングは、農民でもあったってことでいいのかな?
ヴァイキングスレが別にあると思うが。
農民だよ。農民といっても農業専門じゃない。
普通に、ヴァイキング関連の本を一冊読めばわかる。熊野聡氏は特に農民
としての側面を強調されている。
ヴァイキングのむらや集落には、移動職人が渡り歩き必要な道具を作ったり売ったり
修理したりする。
ほしいものが手に入らない場合は、交易もする。交易専用業者はいない。
農民は、ものを売る商人にも早変わり、みんなで交易品を積んで、物々交換する。
相手が弱そうなら、海賊に早変わり。海賊といっても、相手に船を襲撃するのではなくて、
村とか町とか襲う。とはいえ、通常はたいした人数出ないので町は襲撃できない。
みんなで町を襲撃するのは、後期。
もともと西欧の史料をベースに研究が始まったので、海賊の襲撃イメージが先行、
のちに北欧の史料・考古学的な分析が入って、海賊のイメージを払拭するんだけど。
バイキング料理はなぜ食べ放題なのですか
105のレスの301は結局どういう答えが正しいの?
ニューファンドランド島にあるランス・オー・メドーが、ヴィンランドだとすると、
長期間定住していない、何らかの理由で、短期間に撤退したと考えられる。
サガでは、先住民たち(スクレリング)との対立があることから考えて、
先住民との抗争で撤退したと思われるが推測に過ぎない。
長期間滞在していれば、
住居の建造年数に幅があり、または、増改築があっていいはずだ。
遺骨や墓や埋葬跡があり、女性の骨や子供の骨がでてくれば、定住期間が長かったと
推測できる。
さらに、先住民との長い間の抗争があるなら、沢山の武器の出土、戦乱の跡、防御構造
もあるかもしれない。しかし、そんな情報はない。
301も306も長期滞在していたことを前提にしているので、いまのところ無理がある。
302のラブラドル半島に辿り着いていたは、サガの話からの推測で、考古学的には何もない。
305、306のグリーランドが中継地といっているが、ランス・オー・メドーは1000年前後、
グリーンランドの入植全滅は15世紀で、中継地点の方が後につぶれているので、連絡を
絶たれたというのがおかしすぎるし、温厚な時期でランス・オー・メドーから撤退しているのもおかしい。
ランス・オー・メドーがヴィンランドへの中継地点だった。そして、ヴィンランド
自体は見つかっていないが正しいと仮定すると、ヴィンランドの状況などわかるわけもない。
113 :
世界@名無史さん:2013/01/02(水) 04:03:54.06 0
知らなかったけど、グリーンランドって独自の政府がある、半ば国だったんだな
114 :
世界@名無史さん:2013/01/02(水) 08:50:05.70 0
住人はデンマークへの帰属意識は引くいんじゃなかたっけ
115 :
世界@名無史さん:2013/01/02(水) 23:11:40.94 0
定住するために行ったんじゃなくて商売するために毛皮でも買いにアメリカに行ったら、
原住民のインディアンが金貨なんて食えないものは欲しがらないから商売が成り立たなくて、碌なものが手に入らず諦めてヨーロッパに帰ったんだろ。
116 :
世界@名無史さん:2013/01/03(木) 11:44:43.37 0
バイキングがこの際に天然痘やペストを新大陸に持ち込んでいたらなあ、と思うことが良くある。
もちろん史実と同様に大流行してインディアン・インディオの人口が一時的に激減するだろうけど、
生き残った免疫のある連中が(コロンブスが到達するまでに)人口を増やして、おまけに大災害にあったことで現実主義に目覚めて文明を発展させていたら、欧州人を返り討ちに出来たかもしれないのになあ、と。
117 :
世界@名無史さん:2013/01/10(木) 16:49:17.71 0
西欧の異常な発展は
西欧の複数国間の絶え間ない闘争による切磋琢磨が大でしょう、
アメリカ大陸の方で仮に数百万くらいに人口増やしたとしても
現地でゆったりと発展する程度で返り討ちできる勢力化というは無理があるんじゃ、
さしあたりアジア・アフリカのように先住民系のほうが圧倒的に多数派、つー感じかな
119 :
世界@名無史さん:2013/01/11(金) 11:54:07.38 0
広げてたら財政破綻してたでござる
スペイン「馬鹿すぎワロスw」
121 :
世界@名無史さん:2013/04/13(土) 10:04:47.66 0
>>116 重要なのは鉄・馬の利用じゃない?
天然痘やペストでインディアンがばたばた死んでいく一方、
風土病で渡来したヨーロッパ人もばたばた死んでいってる。
デンマーク王室がホルシュタイン公国を所有ということは、
神聖ローマ帝国の部下でもあったということか。
>>117 戦争で国土荒廃。
軍事費で財政を圧迫し国家成長ができない。
という展開もあり得たし、
そもそも東欧は平和だったのかというとそうでもないし。
125 :
世界@名無史さん:2013/09/10(火) 22:30:28.08 0
>>123 フランス王国に対するアンジュー帝国みたいなもんだな
プロヴァンス伯領みたいに、吸収できなかったのはなぜだろう。
127 :
世界@名無史さん:
シュレースヴィヒ北部だけは住民投票でデンマークに編入させれたじゃん。
プロヴァンスでは元々オック語が話されていたのが近世以降フランス語(オイル語)話者に支配される様になったのに対し
シュレースヴィヒおよびホルシュタインでは各公国はあくまで同君連合の形の支配だった訳で、だから北端のほんの一部だけが低地ドイツ語よりもデンマーク語の話者が優勢であるに過ぎなかったんだろう。
もっともプロイセン王国がでしゃばってくるようになると北ドイツでもドイツ語(高地ドイツ語)が学問語としての地位を確立するから、文化的影響力:ドイツ語>デンマーク語という言語的プレスティージの問題とも言えるのかもな。