中世に詳しくなりたいので
中世好きなら知っておくべきことを教えてくれ
あとおすすめの本があったら教えてくれ
2 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 02:39:57.82 0
えーっと魔女狩り?異端裁判?火あぶりとか拷問とか?
まず「ヨーロッパの中世」はいつからいつまでか、だな
6 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 09:49:18.03 0
>>3 一般的には西ローマ滅亡から東ローマ滅亡という偶然かと思うほど区切り易い時代
確かにこの二つは欧州史でも特に巨大なイベント
魔女狩りや異端裁判が盛んになったのはむしろ近世
8 :
1:2011/08/11(木) 17:54:09.38 0
9 :
世界@名無史さん:2011/08/11(木) 20:11:36.27 O
イングランドではバラ戦争、フランスではユグノー戦争、
ドイツでは三十年戦争で分ければ。
イタリアは?
2世紀末から8世紀頃までを「古代末期」とするわけ方もある
ただローマ帝国の埒外にあったドイツ・ノルマンやスラヴ地域が、
476年からぱっと「中世」にかわるというのもどうなのか
十字軍ちゃんとやってれば9.11はなかった。
大学で好きだったのは、カルロ・ギンズブルクでした。
魔女狩りも扱われていますし、本も入りやすいものが出ています。
>>11 フランク王国勃興からと考えれば大差ないかな。
そりゃ、シャルルマーニュが西ローマ皇帝冠を戴冠するまでを一つのエポックとしてもいいけど。
どうしても年単位で区切りたいのならやっぱ西ローマ滅亡から東ローマ滅亡までだろうな
なんの偶然かちょうど英仏百年戦争も終わったしな
16 :
世界@名無史さん:2011/08/12(金) 12:30:05.29 O
東ヨーロッパの一都市国家の消失が
ヨーロッパ全体の時代区分になるのは変。
それによってオリエントを経由しインドへ至る道を絶たれたのだよ。
すなわち大航海時代の幕開けである。
十字軍で悪いのはムスリムだった
その後もヴェネチアがオリエントと商売続けてますが
20 :
世界@名無史さん:2011/08/12(金) 18:56:57.99 0
中世ヨーロッパはヨーロッパ男性の下半身が
最も情けない恰好をしていた時代。
南欧はタイツ(股間に陰嚢膨らませ袋内蔵)
北欧はミニスカート(中はノーパン)
これが正装だったからね。
22 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 00:13:08.57 0
@-古代の終わり、A-中世の始まり、B中世の終わり
フランス:@西ローマ撤退、Aメロヴィング朝フランク王国建国、Bユグノー戦争
イングランド;:@西ローマ撤退、Aゲルマン人の上陸、Bバラ戦争
イタリア:@西ローマ滅亡、A東ゴート王国建国、B?
ドイツとかはわからん。
中世の終わりは三十年戦争でいいと思う。
23 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 03:11:03.27 0
>>20 カタリ派かなんかが都市から裸で追放されてる絵があって、
だいたい同時代の資料なんだけど、
男はみんなパンツみたいなのだけはいてんだよね。
中世のギルドで「下着商」ってのも普通の存在だし。
まあどんな下着なのか、というのはあるが。
24 :
世界@名無史さん:2011/08/14(日) 10:22:01.26 0
>>23 日本のふんどしもそうだが、
麻で作っていたのかねぇ
そうだとしたら、かなりゴワゴワとした肌触りだと思うが?
日本でも木綿はかなり遅くに入ったのだからな
家康の時代は、木綿のほうが絹よりも高かったのでは?
と言われているくらいだから
25 :
世界@名無史さん:2011/08/15(月) 20:57:51.28 0
>>22 西ローマ帝国の滅亡・・・中世の始まり
東ローマ帝国の滅亡・・・近世の始まり
神聖ローマ帝国の滅亡・・近代の始まり
ロシアンローマ帝国の滅亡・・現代の始まり
26 :
世界@名無史さん:2011/08/29(月) 21:01:41.17 0
>>20 イギリスのどっかの地方では男なのにスカートを履いてる
>>23 >>20 股間のたまたま隠し袋だが、あれは穿かない人が多かったみたいだぞ
教会の要請でたま袋をつけろと御触れが頻繁に出てる。
ちらちら見えてご婦人が困ったそうな
>>27 おお!
そうなんだ。
何に書いてあった?
29 :
世界@名無史さん:2011/08/30(火) 00:15:56.47 0
>>6 いわれてみればほんとにウソみたいに分かりやすい区切りだよな
30 :
世界@名無史さん:2011/08/30(火) 00:17:20.56 0
中世ヨーロッパの庶民の服装になるとわからないことが多そうだな
古着商の組合ができたのはもっと後だっけ?
>>28 すまん7年以上前で忘れた
十字軍の騎士が鉄製の玉覆いつけてた話も同じ本であったから
中世ドイツかフランスの十字軍時代の庶民の話だと思う
庶民のは皮やら布だったとか
32 :
世界@名無史さん:2011/08/31(水) 22:37:51.59 0
ナイル川
ボラポラス海峡
ドン川
以東がアジア
ヒストリアより
ボスポラスじゃね
34 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 00:27:54.24 0
やっちまた orz
35 :
世界@名無史さん:2011/09/01(木) 00:28:49.84 0
しかも上げちまった orz
七つの海とは
地中海
黒海
紅海
ペルシャ湾
大西洋
印度洋
カスピ海
ソースは、ヒストリア
アラビア海という表現つかわないのか
中世ヨーロッパについて質問があります。
爵位は公爵や候爵など数えるほどしかないのに、舞踏会や夜会に呼ばれる貴族が何百人といるのはなぜでしょう?
A家の伯爵、B家の伯爵、のように同じときに同じ爵位を与えられる人が複数いるととらえてよいのでしょうか?
39 :
世界@名無史さん:2011/11/03(木) 19:23:43.82 0
あげ
>>38 部長、課長、係長が各々一人ずつしかいない会社にお勤めか?
トランプのキングにはモデルがいるんだね
舞踏会はともかく、夜会はあったのかねぇ。
当時は照明は貴重で非情に高価だったし、そもそも当時は、日の出と共に起きて日没と共に休むような生活サイクルでしょ?
松明(たいまつ)なら安いのでは?
ススがひどいだろうけどね。w
>>38 そこは「貴族とは何ぞや?」という問いの答えにもつながる。
基本の公・伯に、時代や地域によって侯・辺境伯・宮中伯・方伯・城伯・副伯etcの
いわゆる諸侯は一番わかりやすい貴族。
このクラスは、絶対に一人で参加しない。奥さんや子供、教育を委託されている
他の貴族の子弟、そして複数の臣下を引き連れてやってくる。
そして大司教・司教・修道院長などの高位聖職者。
厳密には彼らは世俗の貴族とは違うが、大半が貴族の次男・三男の出身で、
特にドイツでは聖界諸侯として領主も兼ねていたので、こういう会合の常連さん。
次いで、諸侯の下に来る城代や中小領主層、一族代々都市参事会員に連なる都市貴族等の
中小貴族クラスが続く。皇帝や王、大諸侯の高官を務める有力ミニステリアーレ(家士)も
含めていいと思う。彼らもこの時点では称号こそ持たないが、立派に貴族。
近世以降、王様が子爵だの男爵だのという爵位をバーゲンセールしたのはこのクラス。
とまあ、中世は後代のように貴族階級についてのシステムが固まっていないので、
爵位がない「貴族」がごろごろいる。また、一人の人間が複数の称号を持つことも普通にあった。
こういう人々を総動員すれば、皇帝フリードリヒ1世の二人の息子の騎士叙任式と
その後の宴会に、約7万人が列席したという記録も作れる。
貴族の定義が、国・時代によって違うんだよね。だから、イングランドでは
貴族が少なくて、フランスだと多いとか言われるんだけど。
それぞれの定義が違うから比べてもしょうがない。
>>45 イギリスは内戦のバラ戦争が終息したら、貴族が30家弱まで
減ってしまってたそうですね。
それから徐々に増やしたけどフランスに比べたら少ないのでしょうね。
>>46 イングランドで貴族の数が減ったのはそのとおりだけど、それよりはイングランドではジェントリーが平民なのに、フランスではジェントリーに相当する階層が貴族だからでしょ。
逆にイングランドの爵位貴族は全員peerだけど、フランスではpeerに相当するpairの称号を持つのは爵位貴族の一部だけで、その数は相当少ない。
フランスでは貴族の子はみな貴族なんだっけ?
貴族の割合が一番多いのはポーランドないしスペイン
ポーランドの場合貴族同士に身分の上下も参政権の差別もなく、政治的に平等
いまの時代のビジネスマンのようにビジネス上の上下関係があっただけ
ヴェネツィアやフィレンツェのような都市国家共和国にも
支配階級としての貴族はいたが、別に爵位はなかったな
そら君主国家にしか無いわな
ヴェネツィアの元首は公爵じゃね
ドージェ(公)の称号は東ローマの冊封体制に組み込まれていた頃の名残り
ポーランドは君主国家だったが貴族は皆平等という制度があったから爵位というものを嫌がって導入しなかった
爵位を持っているポーランド貴族がいるが、
それらの爵位は他国由来のもので、ポーランド国内では法的な意味がない
55 :
世界@名無史さん:2011/11/12(土) 19:18:23.67 0
38です。
御礼が遅れましたが、答えてくださった皆様ありがとうございます。
勉強になりました。
中世ヨーロッパ好きなら、知ってないとまずいだろうって人は誰だろうね
まあカール大帝とか、ジャンヌ・ダルクは常識に類するんだろうけど
個人的に、騎士道の話になると即引き合いに出されるウィリアム・マーシャル(ギョーム・ル・マレシャル)や、
中世のご婦人の代表格扱いにされるエレアノール・ダキテーヌを一押し
>>56 裸足のハインリヒ4世とジョン失地王の2名は譲れない。
60 :
世界@名無史さん:2012/01/14(土) 12:01:55.58 0
なにここ面白い
中世ヨーロッパで強い国ランキングしてくれ
S イタリア?
A
B
イタリアという国はまだ無い
「強い国」の定義にもよるんだよな
65 :
61:2012/02/19(日) 10:27:09.96 0
だれか答えられる情強いないの?
「中世」という時代区分自体範囲が広いし、一概に言えないんだよな
「東フランク王国とノルマン朝シチリア王国、どっちが強い?」と言われても、ねぇ
「国家」の定義がこれまた現代とは丸で違うし。
盛期中世までは、一国の王より威勢を振るった公や伯や都市共和国が
ごろごろあったから、単純に「○○帝国>××王国」とはなかなか言えない
勤め先が潰れて強制ニートわろた
中世後期の吟遊詩人やその時代のイングランド〜フランス〜スコットランド辺りの文化に詳しくなれる本でオススメってあります?
せっかくだから色々好きなもの読みたいのだけれど、どれが良いのかわからなかった哀れな情報乞食めにどうか教えてください
裸で寝ていなかった。
69 :
世界@名無史さん:2012/09/18(火) 23:37:58.57 0
>>61 Sシュレイマン大帝統治下のオスマン帝国
Aアブドルラフマーン3世統治下の後ウマイヤ朝
Bハインリヒ3世統治下の神聖ローマ帝国
中世にエジプトの製糸法がヨーロッパに伝わり、
14世紀、ヨーロッパ(特にイタリア)から中東に紙を輸出していた。
72 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 18:45:06.97 0
この有名な手紙、一番最初の手紙、これが私宛の最初の勧誘メール。
ダビデの星がね、綺麗にねデザインされていて、こんなのが直接来るのよ。
こういうとっても怖いのが来ちゃうわけよ、普通だったらビビるでしょ。
普通だったらパンパースかなんかなっちゃうでしょ。(笑)
ところがリチャード・コ○ミズはちょっと太り気味でパンパースが入らなかったのね。
ということで、あんたなかなか結構やるじゃんかと、そこは認めてくれてる。
で認めてくれたうえで、あんた凄いと思ったのはヒットラーの件まで分かっちゃってると。
あんたの言うとおりにヒットラーは死なないで戦後、南米に逃れてガキの二人も作ってるんだよと。
で名前はフリードリッヒとオルガだということまで書いてある。
でとにかくあちら側に寝返れと、寝返ったらあんたは一生ヒットラーやロックフェラーのような、
豪華な生活を送ることができると、そういうふうに勧誘いただいたわけだ。
これほんと勧誘レターよ、この後また何通も何通も来てるんだけど。
僕はこのメールをもらってから五分以内にこれをネットに上げたね。
そして十五分以内に翻訳文を上げたね、それが彼らに対する対抗策。
向こうはビビッたと思うよ、自分達が苦心惨憺作ったメールを、あっという間にネットに上げられた。
というわけでどうやらドイツのメルケル首相はヒットラーの娘のようです。
http://www.youtube.com/watch?v=eJzQm_-z0ic 【メルケルは】Merkel ist eine Tochter von Hitler.【ヒトラーの娘】
http://www.youtube.com/watch?v=weOg9Ut4GAA
73 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 23:27:16.08 O
中世ヨーロッパでは虫や豚が正式な裁判を受けて刑を執行されていました(虫は教会から破門された)。
74 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 01:58:01.03 0
中世ヨーロッパを楽しく語るのであれば、
重要なのは神聖ローマ帝国とハンザ同盟とプロイセンの位置づけだろうね。
プロイセンがバルト海沿岸のハンザ同盟の交易事業の拡大の中で、産業革命の波に旨く乗り、先進工業国となって行ったのに対し、
ハプスブルグ家の封建的悪しき伝統の世襲で、自滅していった神聖ローマ帝国の諸侯たちの落日。
両者の比較と、フランス革命と共に派生した軍国化に伴うナポレオンの栄枯盛衰とを併せて考察すれば、
中世ヨーロッパ史の醍醐味がかなり味わえると思うよ。
釣りか?
ハンザ同盟の交易事業が拡大中なのは、何世紀迄で、衰退したしたのは何世紀からと思っているの?
ここで言う、中世って何世紀まで続いているの設定なの?
ここで言う、プロイセンって何世紀から始まるの?
中世からプロイセンと神聖ローマ帝国が覇権を握り争っていて、
ハンザ同盟と提携したプロイセンが勝利しました。面白すぎ。
>>76 中世には神聖ローマ帝国と争ったプロイセンは存在しません
つーかルクセンブルク家の皇帝ジギスムントが
ホーエンツォレルン家にブランデンブルクを与えたのが15世紀入ってからで
どうやっても中世にプロイセンは皇帝と覇権を争えないよ
圧倒的従属的立場
チュートン騎士団と争ったバルト系先住民プロイセン人ならいるな
80 :
世界@名無史さん:2013/01/08(火) 04:25:05.46 0
この時代はイスラムが世界の中心でヨーロッパは辺境の蛮族
81 :
世界@名無史さん:2013/01/08(火) 07:09:20.61 0
中世っていっても初期と後期じゃずいぶん違うよね、
8世紀だと城は掘っ立て小屋みたいで
アニメ、ファンタジーに出てくるような壮麗な城はないし
ノイシュバンシュタインみたになのは後期でもない。
マジャルが落ち着いてハンガリーになってから中世スタート
d'Anjouとかd'Aquitaineが、ダンジューとかダキテーヌと読むのが不思議だった
フランス語のお約束だったのね
>>82 色んなとこに文化の中心があったわけで、インドと中国が中心ってのも間違い。
>>74-77 そのあたりは11世紀も過ぎると18世紀半ばまで約7世紀間はポーランドが全ての中心となっている
有名無実のローマである神聖ローマも、ポーランドの属国に過ぎなかったプロイセン国家も、周辺史に過ぎない
>>86 いやインドと中国が中心だよ
ここに黄金が集積されてくからな
89 :
世界@名無史さん:2013/01/23(水) 07:09:22.57 0
>>81 ノイシュバンシュタイン城は19世紀だから中世どころか、さらには近代どころか、近現代に入る。
産業革命後だから、現代初期の建築と言ってもいい。
中世は全く関係なく、バイエルン王の道楽、ディズニーランドorネバーランド趣味に過ぎない。
90 :
世界@名無史さん:2013/01/23(水) 07:10:14.68 0
産業革命で税収が増えて、バイエルン王の道楽のカネも増えたから建てたラブホ。目黒エンペラー。
92 :
世界@名無史さん:2013/01/24(木) 13:59:20.13 O
中世を見る上で知っておくべき事
それはカタリ派の存在。
中世を見る上で知っておくべき事
歴史あまり興味の無い層の間ではすさまじいほど美化されてる
そのあまりのギャップに中世アンチになってしまったり、歴史好きの間でも中世を必要以上に貶める風潮があること
いまやってるアニメのまおゆうとか言うのも中世をモデルにしたとか言っててワロタわ
94 :
世界@名無史さん:2013/01/24(木) 18:25:11.65 0
そしてその美化した中世像の間違いを指摘するとキレられる
アニオタ漫画オタは妄想の世界を守るの必死すぎw
95 :
世界@名無史さん:2013/01/24(木) 18:29:14.82 0
実は中世の暗さや不潔さもたまらない魅力なんだけどね、
個人的にたちが悪いと感じるのはベルセルクかな・・・
そうそう
美しいのがいい、じゃなく色んな意味でカオスなことになってた中世の魅力がいいんだよな
それが理解されないと中世好きを布教するのは難しい
ベルセルクって、蝕の前までしか読んでないけど、典型的なゲーム世代の中世観だと思ったわぁ。
参考図書を写しまくってるから、描いてる対象(城・服 etc)はリアルなんだけど、
作者の歴史的感覚がアレだから、ちくはぐなんだよね。
中世盛期以前の城郭に、中世後期〜ルネサンスの鎧に、
お姫様はなぜがバロックの宮殿で、ロココの衣装を着て、舞踏会を開いているという・・・。
まぁ漫画だからフィクションと割り切ってれば別にいいんじゃないか
漫画をもとに中世のイメージ作ってる読者がたちが悪い
お前らの敵ってマンガだったのかよ…
>>97 野戦砲があってしかもそれがかなり柔軟に運用できる辺りは17世紀、18世紀の話だしな
しかも野戦砲が発達してるのにアルケブスやマスケットは存在せず相変わらずクロスボウが戦場の主役という
中国の火薬とイスラムの巨大投擲技術を組み合わせたモンゴルの攻城はとても遊牧騎馬民族と思えなかったそうな
そんなのなくても中世ヨーロッパの国々じゃ太刀打ちできなかっただろうけど
102 :
世界@名無史さん:2013/01/24(木) 21:44:29.23 0
>>91 ソ連のスターリン様式も、代々木のNTTドコモビルも、どっちもゴシックリバイバル様式。
つまり中世ヨーロッパの薫り高き伝統である。
103 :
世界@名無史さん:2013/01/24(木) 23:42:28.76 0
モンテーニュが1580年、ドイツ・スイス・イタリアをめぐる旅に出たときの様子。
秘書による興味深い日誌が残っていて、旅行中のモンテーニュの様子が
よくわかる。病を患いながらの旅で痛みに襲われる記述は読んでいて辛いものがあるが、
各地の有力者の訪問の記録や歓迎の記録、またドイツやスイス各地での
カトリックとルター派、カルヴァン派、ツヴィングリ派の共存や対立の
ありさまがそれぞれいきいきと描かれていて大変興味深い。
モンテーニュはドイツの宿屋や食事がとても気に入っていて、城館の
料理人を連れてくればよかったと後悔している。
また、フランスでは水で割って飲むのが一般的だったワインをドイツで
は生で飲んでいるなど、国柄によって特徴的なことが多いことがわかる
。彼は全般的にドイツの几帳面さやまじめさ、清潔さなどをを気に入っ
ていて高く評価している。
http://www.honsagashi.net/bones/2008/09/post_1270.html
やべえ
餓鬼の頃読んだから
モンテーニュが温泉飲んでたこととかしか覚えてねえ
そういう風俗の記述に注意する癖がついてないときに史料読むと見落としまくっちゃうんだよなあ
>>102 ゴシックリバイバルは運動というか気運であって、様式ではない。
ゴシック建築をかなり再現したものもあれば、自由奔放にゴシック的要素を組み合わせた建築もある。
106 :
世界@名無史さん:2013/01/26(土) 12:55:33.27 0
107 :
世界@名無史さん:2013/01/31(木) 07:08:09.95 0
┌─┐
|● l
/\ ├─┘ /\
< ● \ _|__ / ● >
\/ \/___ノ(_\./ \ /
../_愛●国_.\
/ (≡) (≡) \
|/// (__人__) /// | ホルホルホルホルホルホルホル
\ |r┬-| /
ノ. ` ー'´ .\
上で中世欧州が一般に小奇麗なイメージを持たれてるって指摘されてるが
騎士とかは超絶美化なんてものじゃない、もはやファンタジー
騎士について調べていくと幻滅なんてもんじゃすまない
109 :
世界@名無史さん:2013/01/31(木) 21:48:34.41 0
教会の腐りっぷりがピークに達してた時代
効率的に統治するための権力機構として各国で利用されてたら必然的に利権が拡大し…
教科書的だなw
間違っちゃないんだろうけど
111 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 00:41:36.47 0
フリードリヒ2世の功績と失敗は知っておいた方がいい
中世の時代に生まれた近代人
112 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 00:53:21.53 O
巧妙な外交とは
阿部謹也の
「中世賤民の宇宙」
とか面白かったような。
中世の差別とか刑罰って結構エグい。覚えてないけど。
あとカタリ派については文庫クセジュにフェルナン・ニールの「異端カタリ派」というのがあるよ。
114 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 14:07:25.60 0
お前らの中にイケメンいない?
イケメンじゃなくても、話すの好きならOKみたいなんだよね。
稼げるのかレポ頼むw
URL貼れないから
めんずーーがーでーん
って検索して!
115 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 18:47:17.49 0
ルイ9世とかいうネタキャラ
116 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 22:00:05.93 0
>>108 豆知識:騎士が近代化したのはポーランドのフサリアから
>>116 その近代化って何やねん。
銃を近代化というなら、その時代にはもう騎兵なんて用なしになりつつあったやろ。
>>117 ならねーよバカ
結局エンジン積んだ車が出てくるまでは騎兵は戦場において必要な存在だった
機動力ある存在が他にねーからな
120 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 22:41:57.28 0
121 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 22:48:31.05 0
ポーランドってフサリア作ってからはヨーロッパ屈指の大国でオスマンともやりあったけど
中世はいろんな部族に侵入されて分裂しまくってたらあげくの果てにモンゴルとかいうチートのための防壁にされてしまったかわいそうな印象しかない
ルーシを虐めるくらいの力はあったようなんだがな
>>118-120 世界大百科事典より
>近世に入り,火器の発達にともなう大砲の地域制圧力, 小銃の狙撃力によって,戦場で
>その目標になりやすい騎兵はその力を失い, 軍の主兵の地位から脱落した。
ばーか
狂えるオルランドには、銃が出てきて、
騎士がこんなものが出てきちゃやべって感じで封印する箇所があるわ。
つまり、実際には騎士なんか無用の長物になっとったわ。
>>119 エンジンを積んだ車が出てくるまでやてwwwww
>近代に入ると,ナポレオンは諸兵種連合の師団を創設したが, 騎兵は師団内において
> 3 兵種の一つとして活躍した。 しかし,火力の著しい向上はふたたび騎兵の地位を
>低下させ, かつ,国民兵役をとるようになった各国では歩兵に比べて訓練上の困難性
>をもつ騎兵を制限したので, 各国の騎兵勢力は激減しその役割も捜索, 警戒に変わった。
その前に衰退しとるわ、あほが
125 :
世界@名無史さん:2013/02/02(土) 23:29:24.95 0
モンテーニュ殿は、イタリアくらい美人の少ない国は今まで見たこと
がないと語られた。宿も、フランスやドイツよりずっとよくないと
お感じになった。まったく、食物もそんなに豊富でなく、ドイツに
比べたら半分もないし、その調理もそんなにうまくないのである。
ここではどこへ行っても脂肉を差し込まずに肉を出すが、ドイツでは
味つけがずっとよく、ソースやシチューも変化に富んでいる。イタリア
の宿屋はずっとおちる。広間が全くないし、窓は大きくて開けっぱなし。
日差しや風をよけようとしてもただ人きな木の鎧戸があるだけである。
http://www.geocities.jp/nomonomo2011/MontaignUp060122.htm
騎士の話なら、間違いなく銃器が出てくるまでがピークだろう。
近世に活躍したのは騎士(←身分の一つにまでなる)じゃなくて、騎兵。
騎兵の話だと、ウィキペによれば
重武装騎兵衰退
↓
乗馬歩兵の活躍
↓
近代的な運用で騎兵復活
↓
銃器の発達で衰退
みたいだし、双方、それぞれに間違いがあるんじゃないのw
しかしウィキや百科事典をソースとか釣りなのか天然なのか迷うな
とりあえず騎士スレで議論され切ったから読んできたほうがいいよ
>騎士の話なら、間違いなく銃器が出てくるまでがピークだろう
間違いです
銃器が浸透する前から没落はじまってます
まぁこれ以上はスレチなんで当該スレでしたほうがいいでしょうが、そのスレでは既出の話題だと思います
2chのスレをソースにする方が笑いものだと思うけどw
2レスも続けちゃって…
130 :
世界@名無史さん:2013/02/03(日) 10:09:34.61 0
131 :
世界@名無史さん:2013/02/03(日) 12:30:15.61 0
初歩的な質問で申し訳ないですけど
フランスやドイツあたりの中世って
だいたい何世紀から何世紀ぐらいまでを指すんですか?
「中世」の定義って文章にするとどんな感じですか?
一段落目は、それこそ wikipedia 見た方が早いとおもうw
中世は原義が中間の時代だし、中世前期と後期では統治機構一つとってもだいぶ違うから、
あまり定義というのは意味がない。
端的に言うなら、古代の終わりから、近世の始まりまでというしかない。
>>132 もう一度騎士だの騎兵だのについて語ってくれよ(・∀・)ニヤニヤ
クロービスがどうのなんて時代と、アビニョン捕囚の時代は隔世の感がある。
あんまり中世の定義って出来ないんでないの。
それこそ古代と近代の中間としか。
中世といえば封建制度ってイメージだけど、実際には、フランスでは中世盛期には崩壊してんだよな〜。
138 :
忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) :2013/02/03(日) 20:44:03.15 O
なるほど、ありがとうございます。
近世ってルネサンスを含むの?
そこら辺の線引きは諸説あってあいまいだよね
宗教改革、イタリア戦争あたりから近世っぽくなるイメージ
俺はね
あと新大陸発見とか
ルネッサンスは何か特殊な時代。中世にも近世にも入れたくない気がする。
>>122>>124 「用なし」と「主力から脱落」「衰退」は全く別物だろ
哨戒や斥候としたら騎兵に代わる兵科はなかったから
結局第二次世界大戦辺りまでは「用なし」にはなってないんだよ
>>126 銃器が出る前に槍持った歩兵が隊列組んだ時点で
戦場の主力としての騎兵って相当オワコン扱いになってたぞ
もともとルネサンスというのは、文化的というか、もっというと美術的分類だから、
それをもう少し広い歴史に当てはめると、無理が生じることが多いな。
シモーネ・マルティーニとかの国際ゴシックや、ファン・エイクの末期ゴシックに対して、
マザッチョとか、ピエロ・デラ・フランチェスカとか、レオナルド、ミケランジェロを見せられると、
確かにルネサンスは存在するとしか言いようがないんだけど、
芸術以外の分野を見てみると、これといった目印が見当たらないというか。
文芸復興なんてのは12世紀以来の延長線上のものだし
ルネサンス自体に中世、近世の区切りは関係ないよね
政治経済的にいうと新大陸発見や宗教改革の方が目印になる
147 :
世界@名無史さん:2013/02/04(月) 15:19:47.57 O
イメージ的に言うと、ルネサンスは中世の海の中の島のような感じかな。
フィレンツェでルネサンスが花開いていた頃、イタリアに住む人間のほとんどは中世を生きていた。
また全ヨーロッパ的に「ルネサンス期」という時代区分があったわけではないよね。
美術で言うと、ジョットがパドヴァでスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画を描いたのは1305年。
デューラーがドイツのニュルンベルクで「四人の使徒」を描いたのは1526年。
(両者をルネサンス絵画に含める事には異論もあるけど)。
ジョットとかダンテは、かつてはルネサンスということになってたけど、
いまではどっちも中世の最後の方という分類だね。
ジョットは後期にはゴシック帰りしているし、
ダンテの場合は、神曲自体がキリスト教にどっぷりつかった作品だし、
グエルフィに属していた点とかでも中世性が指摘されてる。
149 :
世界@名無史さん:2013/02/04(月) 20:08:35.73 0
グエルフィに進んで成ったわけじゃないがな。
しかも白派だし。
ゲルフ内の内ゲバでフィレンツェ追放くらったぐらいだし、積極的に政治活動してたんじゃね?
神曲の中でも、いろいろ愚痴こぼしてた気がする。
151 :
世界@名無史さん:2013/02/05(火) 07:00:52.21 0
その神曲のなかに、
両方から、誘いがかかって、
迷惑だ、みたいな記述があるんだが。
152 :
世界@名無史さん:2013/02/05(火) 07:17:59.30 0
>>117 騎士階級や騎兵の「近代化」はポーランドでそれぞれ14世紀・16世紀に開始している。
14世紀に騎士は法律で「ポーランド市民」として再定義され、王冠領では人口の25%を占め、しかも現代の市民同様、労働による所得を得ていた。
16世紀に騎兵が改良されて史上最強の騎兵軍団「フサリア」が登場する。
このフサリアの発達は銃砲の発達を凌駕していたが、その時代が終わったのは高所得層が自分たちへの増税を嫌がり、
政府がフサリアの予算を増額できなかったからという、これも非常に「近代的」というか「現代的」な理由。
そういう「新自由主義」の流れについてはフサリア時代当初の大元帥ヤン・タルノフスキ自身が警告しているという、この慧眼もまた超近代的。
ポーランドは他のヨーロッパ諸国に比べて騎士階級(シュラフタ)の人口比率が高かったんだよね。
ところで中世を「古代と近世の間の時期」とすると、
「近世の始まり」は何を目安としたらいいのかな。
154 :
世界@名無史さん:2013/02/05(火) 17:29:26.33 0
イギリスでは薔薇戦争で騎兵は長弓兵のいい餌食になったせいで
戦死したときのリチャード3世も騎馬してなかったりする。
中世を知る面白さは、人の不幸みる面白さと似ている。
157 :
忍法帖【Lv=9,xxxP】(1+0:8) :2013/02/07(木) 07:16:34.73 O
あ、「近世の始まりの目安」は、
過去に皆さんがいくつか述べてましたね、すみません。
中世って、車裂きの刑(車輪刑)とか、
「なぜわざわざそんな方法を?」
と思ってしまうようなエグい刑罰がありますね。
そういうのは近世でも古代でもやってると思う
13世紀頃まで大衆浴場は混浴だったらしいけど
てか、ヨーロッパの温泉って、ふつう混浴じゃね?
水着着用のとこも多いけど、バーデンバーデンとかの温泉は全裸だった(ヌーディスト用じゃない)。
>>153 特権階級の特権の程度に差が大きくあって、自分で畑を耕す
特権階級もいた。
江戸時代の武士で、村に住んで畑を耕すのに似ているような
似ていないような。
162 :
世界@名無史さん:2013/02/26(火) 03:13:33.19 O
近世の武士って城下町に集住させられてたと思ってた
案外そうでない人もいるのかな
163 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 21:29:19.95 0
ポーランドは13世紀のペスト大流行で全く被害をこうむらなかった唯一の(都市国家でなく)領域国家
完全に無事だった
不思議
猫を大事にしてネズミが少なかったという説
過密な都市構造を嫌って、都市も家屋がいくらか離れていたので清潔だったという説
命の水(アルコールのこと。後の時代にウォッカと呼ばれるようになった)をヨーロッパで唯一各家庭で日常消毒薬として使っていたほど普及していたという説
いろんな説がある
おそらくだがこの全てが事実で、これが複合的に作用してペスト流行なしという奇跡が起きたんだろうね
165 :
世界@名無史さん:2013/03/11(月) 21:11:25.45 0
>>164 あの不潔で知られるロシアより被害をうけた。
166 :
世界@名無史さん:2013/03/11(月) 21:13:52.73 0
ロシアより「も」被害を受けた。
どうせほとんど嘘なんだろ歴史なんて
魔女狩りとかうそ臭すぎるわ
同調圧力なんて恐ろしい言葉だが、現代でも全然絵空事じゃない
むしろこれから民主化が進んで資料が公開されて歴史がわかるようになる
ポーランド史がこんなに人気出たのは1980年代まで考えもつかないことだった
真実がどんどん明らかになると、ドイツ・ロシア・スウェーデン・リトアニアその他の歴史の嘘が次々と明らかになり、
ポーランド史が陽の目を見るようになった、というよりいま欧米における欧州史の分野でポーランド史大人気
今の国際情勢見たって
嘘つきまくってどっちの領土だの正義の戦争だの言ってんのに
こんな大昔の歴史がまともに残ってるわけない
歴史はくだらねえ
羽根を背負った重装騎兵の、銃砲をものともしない中央突破の集団突撃
って、中二要素満載だからな、人気出ないほうがおかしい
金銀の鎧の下に緋色のビロード、そして豹の毛皮のマントを纏って
中空構造の長大な突撃槍を持ち腰にはピストルと剣と盾
最強だろフサリア
その容貌で200年間無敗とか、どこの漫画だよ的な。
ま、あんまり言ってっとポーランド厨にされてしまうのも致し方ない話。
フサリアがその容貌で統一したのは1500年代の終わりごろから。
それ以前は緋色のビロードはなかったし、甲冑ももう少し簡素だった
そのかわり毛皮系がモサモサついていた
もともとトランシルバニアから来たバートリ王が連れてきたセルビア騎兵が当初のモデルになっている
これがポーランドで装備が変化して独特のものになった
この分化に決定的な役割を果たしたのは王冠領大ヘトマンのヤン・タルノフスキ
175 :
世界@名無史さん:2013/03/12(火) 04:28:47.34 0
古代より文明が衰退してること。
一世紀のローマの街は江戸時代の江戸レベルよ
>>175 それはないんじゃないか?あの時代は温暖な気候の上、土壌浸食が致命的な
水準まで進んでなかったからあの人口維持できたんで。中世なら同じ技術あって
も無理じゃないか
>>144 歩兵が槍持った密集陣形を飛び道具でチラしたところに突撃。あるいは突撃の形で近くまで
進んで歩兵が恐怖で陣形崩れたらそのまま突撃、崩れなかったら引いて歩兵がつられて
陣形崩して追いかけてきたら第二陣が突撃。古代に重装騎兵対槍の密集陣形は成立している
東南アジアだからの火山の噴火のせいで地球全体がかなりやばいことになってた時代
ポーランドの黄金時代はロマンがありますな
滅亡したので儚い印象があるが、よくよく年代を見てみると、
アメリカ合衆国の黄金時代よりも昔のポーランドの黄金時代のほうがずっと長い。
儚いわけではなく、相当長い期間最強国として繁栄したんだよ。
貴族の力が強く隣国ドイツと同じように国レベルでかじ取りできた時代は短いような
最強というのはリトアニア併合以降だろうが選挙王制、スウェーデンとの戦争、国内
宗派の対立と繁栄はちょっと言い過ぎかな。周辺諸国もグダってるけどさ
181 :
世界@名無史さん:2013/03/19(火) 23:50:37.62 0
ポーランドの黄金時代は1410-1612。だいたい2世紀。
「黄金時代」と「黄金の自由」という市民主義制度の時代とを分けないと
黄金時代が継続したのは
>>181の言うように1410年から(早ければ)1612年までの203年間
黄金の自由の制度が続いたのはヘンリク条項からだから1573年から1791年までの209年間
>>180の言ってるのは後者のことで、これは黄金時代とは一部被っているが基本的に違う概念を適用する期間
1791年の5月3日にポーランド・リトアニア共和国で共和国憲法が制定され、国号もポーランド共和国に統一され、
「黄金の自由」の特徴である自由拒否権(リベルム・ヴェト)が廃止されて、
「黄金の自由」が終了
つまり「黄金の自由」の最初の40年間で「黄金時代」が終了している