842 :
世界@名無史さん:2014/12/11(木) 01:00:55.16 0
ついさっきBSでやってた2012英国製作の軍馬のドキュメンタリー抜粋
・軍馬の98%が輸送用で、その他が純粋な戦闘用であった。サラブレッドではなく重種馬が多く徴用された
・泥や岩だらけの地帯では軍馬に頼るしかなく板をしいて軽いラバに渡らせていた
・しかし馬すら泥にうまって動けなくなったり馬蹄が傷つき病気になり砲声と塹壕に押し込められるストレスで次々死んでいった
・騎兵部隊は塹壕戦を想定しておらず、大量の志願者は都会の金持ちなどが「歩兵よりかっこいい」という理由で参加しており
・訓練から戦場での飼育までするのは困難を極めた。また、突撃はサーベルを前に突き出す方法。および馬から下りて射撃する方法の2種類
・軍馬は英国全土から徴用され、それでも足りずアメリカなどから十万頭以上が輸入された
・海すら見たこと無い馬たちは混乱し輸送中に飛び降りたり怪我したり病気になることもあった
・塹壕戦によって騎兵攻撃はまるで成功しないことがわかり騎兵は砲撃と空爆の中、馬を抑え付けて後方待機した
・しかし戦争末期の100日間は塹壕突破の戦車や浸透戦術の発展で塹壕戦の様相が変わり始め、再び騎兵が活躍し始めた
・浸透したり、機動作戦で敵後方霍乱や部隊の合流阻止、追撃、電信の破壊を行った
・戦後はもはや帰れなくなった8万頭が処分された。食糧難のフランスが食肉として骨から皮にいたるまですべて利用した
いくつかは騎士たちがいた時代でも似たようなことありそうな話
843 :
世界@名無史さん:2014/12/11(木) 01:02:56.67 0
WW1の話な
第三回十字軍のアッコン包囲戦で十字軍側はイスラム軍の救援部隊に包囲・挟撃される。
英王リチャード1世(獅子心王)は塹壕戦でこれに対応。
最終的には救援部隊を撃破しアッコンを陥落させた。
845 :
世界@名無史さん:2014/12/17(水) 16:42:40.00 0
アッカーでの包囲戦の十字軍側の勝利の要因は
塹壕に篭ったことよりも海上戦力がサラディン側に優っていたことによる
海上からの補給の容易さだったんじゃないのか?
東ローマのバックアップのおかげで海上は支配してたし、補給ばっちりよ
このころ海上を支配してたのって東ローマ帝国なの?
あのあたりはね
マムルーク朝のバイバルスが海軍再編するまでまとまった海軍無いイスラム系国家群
ヴェネチアが勃興して東ローマと協力体制ずぶずぶでオスマンがはじけるまでは持ってた
849 :
世界@名無史さん:2014/12/20(土) 01:16:32.82 0
いやいや、聖地周辺の海域を12世紀に支配してたのはキプロス海軍だろ
第三回十字軍に対して一番初めに援軍を送ったのもキプロスだし
キプロスってそんな制圧するような海軍性格ではなかったはずだが
なんか海戦とかして勝ってたっけ
851 :
世界@名無史さん:2014/12/23(火) 01:05:54.16 0
852 :
世界@名無史さん:2014/12/23(火) 01:08:42.42 0
持ち馬目録Horse-Inventoriesってのについて調べれば戦場での騎兵の総数がわかるんじゃないか?
もちろん上のWW1のレスにあるように輜重用の馬も大量にいただろうけど
ちなみに
>>851の論内で
フォルカークの戦いでは紋章官が行軍中に作成したフォルカークロールによって騎士が111人従軍したことがわかっている
そして戦いに参加した騎兵全体で2250人
111人の騎士以外にも参加したものがいたと考えて、
『戦闘技術の歴史』に書かれてた騎士を先頭に従士が続く騎兵楔形陣形と
その真後ろに続く随伴歩兵によって構成される小隊の連続によって構成される中隊規模の歩騎混成軍団って形にもあう
それを参考に単純に騎士の20倍計算でいくと、500人×20=1万人が最大騎兵動員力か
平均して20人くらいは馬のれる従士がいたってことか
ドンキホーテの中で従者が2,3人の騎士じゃ馬鹿にされてたって理由がわかるな
あと従者の身なりでも騎士の格が問われたとか
無理して馬にのせてたやつもいそうw
856 :
世界@名無史さん:2014/12/23(火) 16:59:02.07 0
でも騎兵の傭兵いたんじゃなかったっけフォルカーク
傭兵が4分の1くらいいたとして、騎乗する従士は平均15名くらいになるんかの
従士の馬とか鎧って雇ってる騎士が払ってたの金?
騎兵の傭兵って落ちこぼれの貧乏騎士か盗賊騎士多そう
最初に傭兵団立ち上げるときは、騎乗訓練積んでる必要がありそうだし没落騎士だろうなぁ
傭兵団内での二世代目ともなると、拾われたガキとかが能力身につけていったでもアリかもしれんが
861 :
世界@名無史さん:2014/12/25(木) 22:58:48.38 0
862 :
世界@名無史さん:2015/01/20(火) 21:23:35.81 0
やっぱり騎馬民族雇うのが一番いいな
863 :
世界@名無史さん:2015/01/31(土) 00:01:17.01 0
>>851 フランスは騎兵はイングランドより良質で数も多かったが
騎士の数ではどうなんだろう
同じくらいなのかな?
イングランドはそもそも人口が少ない。話にならない。
865 :
世界@名無史さん:2015/01/31(土) 19:47:45.88 0
100年戦争くらいの時期ならフランスに比べたらってだけで少なくはない
フランスと比較してのはなしでしょ
人口が少ないが騎士が多かったのか?
ブリテンじゃないほうの領土は、どれくらいの比率だったんだろ
869 :
世界@名無史さん:2015/02/01(日) 19:34:00.46 0
ジョン王が失う前?
フランス側の領土内の全ての騎士がイングランドに従ったわけでもないだろう
871 :
世界@名無史さん:2015/02/02(月) 20:42:12.42 0
自分の領地を離れてはせさんじた騎士が半分もいればいいほうでは
特に百年戦争前後なんて盗賊騎士うじゃうじゃだし
強盗騎士 ルノー・ド・シャティヨン
873 :
世界@名無史さん:2015/02/04(水) 02:04:01.53 0
強盗騎士も規模がどんなものだったとか文献ありませんかね
一匹狼ではなく徒党を組んだ野盗だと思うんですが
874 :
世界@名無史さん:2015/02/04(水) 14:05:54.91 0
ルノーは冴えない家柄だったけど
逆玉で一気に大シリアのカラクの領主になってムスリムの隊商相手に略奪しまくって
キリスト教徒からもムスリムからも嫌われてた騎士
だっけ
>>863 ロジャー・モーティマーとイザベラ王妃の率いる反乱軍がイギリスに上陸してきた時
エドワードU世は4万7千人以上の兵力を招集したそうだ(そのほとんどは反乱軍側についたが)。
そのうち騎士がどれぐらいいたのかは知らん。
皇太子など最大クラスでも1000騎士封だからね。
877 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 02:08:29.54 0
もとの英語版自体がいかにも・・・
3万の6ぶんの1なら5千騎か
欧州なら多く感じるけどハンガリーって遊牧民も混じった草原あるしもっといないもんかね
軽騎兵なら昔から多いが、重騎兵は鎧や軍馬など金がかかるから・・・
そもそもハンガリーには西欧的な封建制が存在していなかったという説まであるし
西欧でも同じだろ、1騎士に従者4−5人。
テンプル騎士団やホスピタル騎士団は
騎士一人に付き従者10人から20人とあったが
戦闘要員じゃない従者いれたらそれくらい金持ちは余裕でいきそう
騎士団の場合、戦闘以外の組織のための人数もいるから
比率は低くなるだろうね。
886 :
世界@名無史さん:2015/03/04(水) 01:45:32.63 0
ランスのタイプってどんなのがあったんですか?
まるで剣みたいな円錐形のものは中世末期には使われていたんでしょうか
テリージョーンズは、美化やファンタジーを除いたら
結局暴力団みたいなもんだ、と歴史番組で結論してたな
彼はケンブリッジの歴史学学位持ちだけど
権力機関はすべて暴力団みたいなものとはいえるよ
左翼がよくいってた思想
暴力団だって実力ある組織がその暴力団しかないなら正当な統治機構になるさ
890 :
世界@名無史さん:2015/03/06(金) 07:39:09.49 0
フランス革命前の領主貴族には、
狩りの際、農民の腹に足を入れて暖をとる特権があった。
それ出典は?