1 :
世界@名無史さん :
2011/07/10(日) 17:54:30.14 0 おしえてください
うーん、宗教改革が起きなかったからか?
3 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 18:27:40.63 0
トルコが近東からヨーロッパに寝返ったから、もう一歩だ あとすこし待て
途中までは文化・産業面で周回差付けてリードしてたよね
5 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 19:12:51.70 0
イスラム教ってプロテスタントよりも まともじゃない?
6 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 19:14:54.33 0
トルコは街並みは完全にヨーロッパ
逆にヨーロッパが中東の真似してんだよ
でもいつの間にか欧州に追い越された ついでに中国にも追い越された
9 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 19:44:11.47 0
10 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 19:46:14.59 0
キリスト教は中東発
11 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/10(日) 19:50:33.91 0
>>9 まぁヨーロッパだって長い歴史の中で中東の影響を受けたことは、
いくつかあったからね。それを真似と言うのかどうかは微妙だけど。
欧州がルネサンスで希羅文化を学んだ後、どうしてそこで停滞しなかったのが肝だろう 中東だってビザンツを通して学んでいたのに
なぜトルコは欧州になれなかったか いまだにEUにも加盟できていない
15 :
世界@名無史さん :2011/07/10(日) 21:16:34.06 0
そもそもなんでこんなに人口が少なそうな地域が発展できたのかが謎だ。 ローマとパルティア、東ローマとササン朝は互角っぽいイメージがあるが 人口は常に地中海・ヨーロッパ側が数倍だったそうじゃないか。 セルジューク朝はフランスより人口がすくなかったんだろ? 衰退した原因としてはモンゴルによるものが多そうだけど。
16 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/10(日) 21:29:01.47 0
>>13 中東も、ビザンツやペルシャを征服したばかりの初期イスラーム時代の頃は、
それらの地域から学んだものを独自に発展させてた訳で停滞してた訳では、
ないと思うんだけど。イスラム科学に関しては14世紀頃になると停滞するけど。
>>14 トルコはそれなりに先進国だと思うけどやっぱり「ヨーロッパ=キリスト教」という、
イメージが強いしトルコ嫌いの国も結構多いからEU加盟はまだ難しいだろうね。
17 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 08:08:23.49 0
なぜ欧州にならなければいけないのか?
18 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 08:53:22.97 0
>>17 この場合、欧州化というより近代化という意味だと思うが、
近代化しないと、飯が食えないからな
19 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 10:46:00.29 0
>>18 砂漠化に適用したオアシス農法が出来たのだ。
およそウイグル自治区からモロッコまで中東の基本はこれでよし。
無論、20世紀には近代技術を取り入れるようになってきたが、
ベースはかなり前に出来上がっている。
逆に19世紀まではオアシス農法でそこそこ食える中東に比べて
気候が寒冷な欧州は慢性的な飢餓で流民、移民多く気の毒に思われた。
植民地を支配しても大半が食えない状態がずっと続いた。
ただ、逆に産業振興という点ではアフリカ・アジアに比べて砂漠がなく、
森と川が多いのは強味だろう。
20 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 11:54:06.40 0
宗教のせいだろう 欧州はキリスト教の枷から逃れたルネッサンス以降から急速に力をつけてきたけど 中東では逆に宗教の影響が強まった
21 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 14:05:10.04 0
>>20 それは因果関係が逆な気がする。現在流行ってるイスラーム原理主義は、
中東がヨーロッパに比べて遅れをとってるのはイスラームの教えを正確に、
守ってないからであり、だからこそイスラームが厳密に守られてた時代を、
見習おうというのが基本的な考え方だと思うから。つまり、「宗教の影響が、
強まったから遅れた」のではなく「遅れてたから宗教の影響が強まった」と、
思うんだよね。近世ぐらいまでは中東もそんなに宗教の影響強くなかったし。
(まぁ、あくまで同時代のヨーロッパに比べてだけど)
22 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 14:28:10.54 0
>>21 そこから、プロテスタントみたいに近代化になるということは
考えられないのですかねぇ
清教徒革命のイギリスやカルヴァンの時代のジュネーブなんか
ホメイニやワッハーブ派のサウジも真っ青の宗教テロの時代だっただろう
ダンスをすれば、下手すりゃ死刑、生もない占いをすれば死刑
酒を飲んで暴れたら死刑そんな話がゴロゴロ転がっているだろう。
今のイスラム原理主義やワッハーブ派の流れから近代向かっていく
潮流が生まれるのですかねぇ
23 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 14:28:51.00 0
私もオツガイさんの見解が近いと思います。 イスラム過激派とか、原理主義という運動で直接現在のものと結びつくのは 20世紀に起こってます。列強の侵略の後です。 ルネサンス以後でも17世紀ではまだ異端弾圧・魔女狩りは続いてました。 欧州は世俗化したが、米国・イスラエルでは今でも宗教の力が強い。 つまり、「宗教の強さ=発展を阻害」ではなく、例えば同じ一神教でも ユダヤ・キリスト教は多国籍企業・規制緩和・自由主義色が強いが、 イスラム教は地元バザール経済中心・社会主義色が強く、この辺が違いを生んでいるのかも知れない。 これも因果関係が逆かな。
24 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 14:29:01.58 0
>>21 理性を重んじるムウタジラ派が廃れた以降のイスラム世界とヨーロッパを時間軸で追って見ればわかる
イスラム科学の黄金期を築いたのは合理主義のムウタジラ派
この宗派が宗教論争に破れて合理主義が廃れて理性よりも神性が重視されるようになってから
イスラムが下降の一途を辿ってる
逆にヨーロッパではルネッサンスを経て合理主義が台頭して宗教改革を経てイスラムとの力関係
を逆転させた
25 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 14:40:16.83 0
>>22 案外その考えも間違ってない気はするんだよね。ただ現実問題として、
現在のイスラーム原理主義が近代的なものには見えないんだけどね。
トルコ式のオーソドックスな近代化かそれをやめてイスラーム主義に、
走ったイラン式近代化のどちらがより近代的かは今後の政局によるね。
>>24 ムウタジラ派が廃れたのってイスラーム史の中では結構前半部分だよ。
それ以降もセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などが実際、
栄えてる訳だし、しかも
>>23 が言うようにルネサンス以降のヨーロッパも、
異端審問や魔女狩りは存在した。スーフィズムの台頭を衰退の原因に、
挙げる人は多いけど、それはあくまでイスラーム科学に限った話だと思う。
軍事的政治的にはそれより後の時代でもヨーロッパとまだ肩を並べてたよ。
26 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 14:43:39.88 0
近代化するにあたって、人民がどういう欲望を持っているのかも大事だと思う。 私から見てイスラム圏の人は平均的にアメリカ人や中国人、韓国人より 上昇志向が強いようには見えない。 そこの国の人民の本音がそこそこ食えれば満足なのか、それとも子どもがエリートとなり、 より広い家と大きい車、良い家電製品が欲しいのか、本音はどうなんだという事だ。 私にはイスラム圏の平均はどっちか言うと前者に見えるのだが。
中世イスラーム科学だがな、あれは英語のscienceと同じと考えていいのだろうか?
>>25 >それ以降もセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などが実際、栄えてる訳だし
ムウタジラ派衰退以降イスラム科学で何かの発展があった?
全体的には停滞してるじゃん
ルネッサンスの16世紀以降から欧州に押され始めたし、それまでイスラム勢力を支えてた
のはビザンツの遺産だけというありさま
あと、異端審問や魔女狩りが始まったのは宗教紛争が発端だから
まさに合理主義を捨てて極端に走る宗教が文明の発展を妨げる一例
29 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 14:55:44.49 0
>>23 う〜ん、どうだろう?イスラームとキリスト教に根本的な違いがあり、
イスラーム圏が遅れてるのはそれが原因だとすると、かつて中東が、
ヨーロッパより繁栄してた理由が説明つかない気がする。まぁでも、
イスラームがバザール経済中心というのはたまに言われるからね。
近世まではそれで成り立ったけど資本主義の発達した近代以降は、
それでは上手くいかず経済的に遅れる事になったという考えもあるね。
>>29 中東が繁栄してたのはイスラム成立以前からだろう
いまだに8世紀の教条を法律にしてる宗教だから、時代の変化に追いついて
いけないのは当たり前
31 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:00:40.68 0
>>28 やっぱりイスラーム科学に限った話じゃん。科学に関しては16世紀以降、
確かにぱっとしなかったけど、別に科学だけが全てじゃないからね。
16世紀はオスマン帝国の最盛期でもあった訳だし、ヨーロッパに、
押されるようになったというよりは、ヨーロッパが互角になってきたイメージ。
とは言え、16世紀のイスラーム圏を停滞してたと考えるのは見方が、
科学中心過ぎると思う。オスマン帝国なんかはまさにこの時期が最盛期だよ。
軍事力や経済力なんかはまだまだヨーロッパと比べても衰えてないでしょ。
32 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:06:46.12 0
>>30 まぁ確かにイスラーム以前から中東は先進地域だったけどイスラーム化後も、
しばらくは先進地域だった訳で、イスラームに原因を求めるのは違うと思うよ。
後、シャリーアは結構時代の変化に対応できてる面もあるよ。時代の状況に、
応じてウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。イジュティハードの門は、
閉ざされたはずなのにそれ以降の時代でもオスマン帝国とかは現実的に、
色んな法律を作って時代の変化に対応しようしてる。
>>31 16世紀以降欧州に押され始めたのはまさにその「科学」のせいだけど?
各分野において合理化、科学化が進められた結果イスラムの古い体制が
対抗できなくなって凋落の一途をたどった
産業革命以前からすでに人口も領土の数分の一の欧州国家に対抗できなくなってきたし
>>32 >ウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。
それは解釈可能な範囲の中でいじってるだけで、シャリーアそのものの方向性
に影響を与えるほどのものじゃない
だからマレーシアだろうとサウジだろうと量刑の軽重こそ違うが基本は同じ
「人間の合理性」を排除した神と預言者の意思による裁き
35 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:14:30.58 0
>>33 だから16世紀じゃオスマン帝国やサファヴィー朝が栄えてたから、
まだ押されてないでしょ。普通にカルロヴィッツ条約からが中東の、
衰退の始まりと見るべきじゃないの?16世紀じゃ軍事・経済面は、
まだ衰えてない。ていうか、16世紀の中東の社会や政治体制が、
同時代のヨーロッパと比べて極端に非合理的だったとは思えない。
ムウタジラ派衰退後も文化的に廃れてた訳では決してしないしね。
36 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:19:00.75 0
>>34 まぁ確かにそうか。でも同時代のヨーロッパの法体制もそうだっんたじゃないの?
あまり法制史に詳しくないので良く分からないけど、基本的な方向性はそんなに、
大きく変わってた気はしないなぁ、向こうの教会法だって。まぁどっちみち現在は、
シャリーアをそのまま法律にしてない国だって中東にはたくさんあるけどね。
>>35 >だから16世紀じゃオスマン帝国やサファヴィー朝が栄えてたから、
人のレスを読まない人だなキミ
軍事科学分野だけで見ても遅れてた西欧に逆転を許したのも16世紀だし
栄えてたのは結局旧ビザンツ地域を飲み込んだ結果でしかない
同じモンゴルに国土を荒らされたロシアが17世紀になってトルコを抑え始めたし
栄えてた!と言ってもイスラム成立以前からある繁栄の上に胡坐をかいてただけ
>>29 漏れはイスラームとキリスト教に根本的な違いがあるとは思わない
西欧が政教分離という方法を苦労して編み出さなければ、他の文明圏と同じように
停滞の道をたどっただろう
>>32 イスラームに原因があるわけではなくて、むしろ西欧の発展のほうが異常だったと
考えるべきだろう
>>38 合理主義が中国でも一時期流行ってて、それが宋王朝時代の発展につながった
そのあと精神論に逃げ込んで停滞し始めた
40 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:30:54.93 0
>>37 それはちょっとオスマン帝国を馬鹿にしすぎな気が・・・。オスマン帝国だって、
旧来あった制度を独自に発展させてる訳で今までの繁栄に胡坐をかいてた、
訳ではないでしょ。後、ビザンツ領を飲み込んでる訳でもないサファヴィー朝も、
繁栄してるよ。中東が遅れたというよりはは同時代の西欧が急速に発展しすぎた、
だけな気がするなぁ。当時のオスマン帝国やサファヴィー朝も文化的軍事的、
政治的な発展は見られた。だから、中東が遅れたというよりは西欧が急速に、
発展しすぎてその結果16世紀に西欧も徐々に肩を並べるようになった。とは言え、
まだこの頃じゃオスマン帝国なんかが普通に西欧諸国を押してたから逆転は、
されてない。この急速な発展がついに中東を追い越すに至るのが18世紀頃から。
まぁ、これは中東に限らず「なぜ○○は欧州になれなかったのか」シリーズに、
全て言えることのような気もするけど。中東が遅れたというよりはヨーロッパが、
発展しすぎた。同時代のオスマン帝国とか見てても決して停滞してた訳ではない。
前から思ってたんだがな、 世界史板でアラブ諸国やイスラーム世界に対して批判的な書き込みがあると、 なぜかそれに対して反発し、これらの地域を弁護するレスがつくよな 正直言って、もういい加減にしてもらいたいと思う
42 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:35:21.03 0
>>38 うん僕もそう思う。中東が停滞したというよりはヨーロッパが急速に、
発展しすぎた。むしろ西欧はなぜ中東にならなかったのかについて、
語ったほうが真実に近い気がする。ヨーロッパの発展が異常だった。
>>40 オスマン帝国の文化や制度を一回勉強してみ
精鋭部隊でさえキリスト教徒頼りだったぞ
44 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 15:40:33.41 0
>>41 判官びいきというのがあるだろうなww
それと、キリスト教、特にその流れの資本主義原理主義の新自由主義者が
ウザイというのがある。
45 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:41:02.47 0
>>43 いや、だからそうやってデヴシルメのような制度を独自に発展させてたのに、
それを停滞と言うのはおかしいでしょ。ヨーロッパの影響を受けてたというのと、
ヨーロッパに押されてたじゃまるっきり意味が違うし。それを言うのなら当時の、
ヨーロッパも同じようにオスマン帝国からいくつか影響を受けてたし。
>>45 だからビザンツの遺産を食ってないと無理って話じゃない?
時代が変化してイスラム騎兵隊だけでじゃ通用しなくなったから、キリスト教徒を
入れて火器部隊を作った
しかもその軍事力を維持できたのはほかではなく旧ビザンツ地域の経済力のおかげ
オスマンがビザンツの遺産なしで繁栄できるなんて夢の中でしか存在しない話
トルコ人やモンゴル人など、北アジアの諸民族は、武勇に優れ、民族・宗教の 別なく有能な人材を活用するのに長けていた けれどそれ以外の分野では、はっきりいってぱっとしないよな
49 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 15:52:41.03 0
>>46 そりゃビザンツの影響を受けてたのは認めるしビザンツの遺産がなければ、
オスマン帝国の繁栄があったかどうか怪しいけどそれはヨーロッパも同じ。
ヨーロッパだってビザンツや中東などが発展させたものを受け継いでそれを、
独自に発展させた。オスマン帝国もビザンツの影響を受けながらもひれを、
独自に発展させてる訳でそこは差にならないと思う。ビザンツの遺産なしじゃ、
成り立たないけどそれだけでも成り立たない。プラスアルファ的なのはあった。
ただ、ヨーロッパはそのプラスアルファ(つまり発展の度合い)が異常だった。
決してオスマン帝国が停滞してた(つまり独自の発展がなかった)訳ではない。
>>47 中東と欧州が差がついた理由についての議論だからスレ違いではないでしょ。
>>49 だから同じビザンツの文明遺産をもらっていながら、ヨーロッパはさらに発展できたのに
オスマン=イスラムができなかったのが宗教のしがらみのせいだろう、という話じゃん
合理主義を捨てた以上、合理主義に基づいたビザンツ=ギリシア=ローマ文明をさらに
発展させることなんてできるわけじゃない
それがオスマン停滞の原因
51 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 16:03:03.34 0
>>50 オスマン帝国の軍事や政治体制を見る限りそんなに非合理的ではないし、
オスマン帝国は同時代の西欧と比べて宗教のしがらみが特別強かった、
訳ではないと思うけどなぁ。先述したように宗教のしがらみが強くなるのは、
もっと後になってから。ムウタジラ派は衰退したけどだからと言ってすぐに、
宗教のしがらみがヨーロッパに比べて強くなった訳ではない。
>>51 ムウタジラ派が衰退し始めた当時ではルネッサンスが始まったわけじゃないだろう
合理主義を捨てて神(宗教)による支配を強めたイスラムに対して、欧州がルネッサンス
以降合理主義が台頭して宗教による支配から脱出して発展したと、ずっとそれを言ってる
じゃん
論点を理解してないかわざとはぐらかしてるとしか思えない
53 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 16:21:47.16 0
>>52 だからムウタジラ派が衰退した時じゃなくてオスマン帝国の時代と、
比べてるじゃん。オスマン帝国の最盛期にはすでにヨーロッパは、
ルネサンスを迎えてるけどそれでも同時代のオスマン帝国と比べて、
宗教の縛りが弱いかというとそうでもない。それとムウタジラ派が、
衰退した事と宗教の支配が強まった事はイコールじゃないと思うよ。
ムウタジラ派が衰退してイスラームに神秘主義的傾向が強まったのは、
確かだけどだからといって政治に宗教の影響が強くなった訳ではない。
まぁ、とは言え宗教改革がヨーロッパの異常な発展の一因ではあるのは、
間違ってないと思う。ただ、だからヨーロッパが急速に発展した訳で、
ムウタジラ派のせいでイスラームが衰退云々は無関係だと思う。さっきも、
言ったようにヨーロッパがルネサンスや宗教改革で急速に発展しすぎただけで、
イスラームが衰退した訳ではない。ムウタジラ派は衰退したけどそれでも、
従来通り独自の発展を遂げてた。中東の発展の速度が遅くなったのではなく、
ヨーロッパの発展の速度が速くなっただけ。それにムウタジラ派が流行った、
時期ってそんなに長くないし。イスラームがそれ以降も着々と発展はしてた。
>>53 一時代だけ切り出して屁理屈を言ってるだけじゃん
文明、文化の盛衰は10年20年で見るもんじゃないのに、「すぐ」だけにこだわる時点で
キミも自分の論議の空しさを理解してる
現にルネッサンス以降ヨーロッパ文明発展の傾向と、ムウタジラ派衰退以降イスラム文明
発展の傾向がはっきりしてるのに、無理やり一時代だけ切り出して「この時期ならまだまだ」
って屁理屈をこねまわさなければレスできない時点で終わってる
オスマン帝国はヨーロッパと接触があったけれど、江戸時代の日本の蘭学者たちのように 西洋のフィロソフィーまで学ぼうとしたわけではないからな 彼らの関心はもっぱら、軍事技術などのテクノロジー面に向けられていたように思える これがオスマン帝国の限界
56 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 16:59:40.13 0
>>54 オスマン帝国に限らなくてもムウタジラ派衰退以降の例えばセルジューク朝や、
マムルーク朝などでも同時代のヨーロッパに比べて宗教の縛りが特別強いとは、
言えないでしょ。ムウタジラ派にかなりこだわってるようだけど、ムウタジラ派の、
影響を過剰視しすぎだと思うよ。まぁ影響は無視できないけどムウタジラ派だけが、
イスラームの発展に貢献してきた訳ではないよ。ムウタジラ派が衰退してからも、
オマル・ハイヤームみたいな科学者は存在する訳で、それ以降の中東の発展の、
速度が特別遅くなったとは思えない。ヨーロッパが急速に変化しただけで中東に、
これといった衰退の兆しはなかったと思うな。中東が衰退したんじゃなくて西欧が、
異常に発展しただけ。ムウタジラ派が衰退してからも合理主義的な考え方は別に、
完全に消え去った訳ではないし、ましてそれ以降宗教の縛りが強くなった訳でもない。
欧州の軍事技術の発展は突き詰めて社会全体の改革につながってるけど それを無視して兵器製造技術にしか興味を持たなかったからなあ ナポレオンの銃剣方陣対してマルムークが突撃をかまして大敗したし
58 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 17:05:16.53 0
>>55 まぁ、あくまで自分たちのほうが有利だという自信があったからね。これは、
近代中国にも当てはまる気がするけど。下手に大国だと素直に向こうの、
文化や思想を学びにくいだろうね。軍事や技術は簡単に学ぼうと思えるけど、
精神や思考の核となる部分(宗教も含めて)はあくまで自分たちのほうが、
上だというプライドがあるせいで、そう簡単に学ぼうという気は起きにくいね。
19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。
>>56 >同時代のヨーロッパに比べて宗教の縛りが特別強い
15世紀ならね
それ以降両者の差がどんどん広がってたことは完全に無視なのか
あくまでもオスマン最盛期で比べたいのか?
都合のいい時期を切り出さないと論理が成り立たない時点で終わってる
ということ理解してる?
>>58 >19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。
学んだ結果、彼らが導き出した結論は政教分離だぞ?
61 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 17:13:30.41 0
>>59 それ以降は西欧が急速に発展したから両者の差が縮まっていったんであって、
中東側が衰退した訳ではないと言ってるでしょ。中東は順調に発展してたのに、
西欧が宗教改革やルネサンスを通して異常な発展を遂げたと上でも述べたじゃん。
ムウタジラ派云々はあまり関係ないでしょ。ムウタジラ派が衰退したのはもっと、
前だからもしあなたの考え通りならもう少し前から西欧と中東の差が縮まっていく、
事になるけど、実際は西欧との差がどんどん縮まっていくのは早く見積もっても、
十字軍のあった中世後期ぐらいだと思う。だからムウタジラ派云々は関係ないでしょ。
後、16世紀でも当時の中東がヨーロッパよりも宗教の縛りが強かったとは思えない。
62 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 17:17:50.73 0
>>60 まぁ、それだけじゃないけどね。オスマン帝国を崩壊させる原因になった、
西欧輸入の思想は政教分離もその1つだけどナショナリズムも大きいね。
19世紀頃から(見方によっては18世紀末から)オスマン帝国のエリートも、
西欧が急速に発展した理由は何かを探るために西欧の思想を多く学んで、
ナショナリズムや世俗主義などを輸入した。それらが複雑に絡み合って、
オスマン帝国は崩壊して今のトルコ共和国になったというのが大まかな、
流れかな。まぁ、実際はもう少し複雑でややこしいんだけど。
>>61 中東側が「停滞」してたのであって「発展」してたわけじゃない
オスマン成立してから19世紀まで制度や文化にほとんどと言っていいほど変化や
発展がなかったぞ
それに対して欧州は発展してたし、欧州で学んだオスマン帝国の若者たちも政教分離
してイスラムの枷から抜け出さないとトルコの発展はないと考えたし
全体の流れを見ずに執拗に十字軍とか15,6世紀にだけこだわるキミは
単に逃げ回ってるだけだから、これ以上キミと論議する意味はない
宗教のしがらみが強くても社会全体が発展した例を探して出なおして来い
64 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 17:26:50.78 0
>>63 もう少しオスマン帝国の文化や制度を勉強してよ。「停滞」なんて全くしてないよ。
政治制度だってティマール制から徴税請負制への変化や官僚機構の整備など、
変化してるし、法律とかも時代に合わせて柔軟に変えられてる。文化面だって、
建築面などは普通に発展してる。それなのに制度や文化に変化がないなんて、
言うほうがおかしい。オスマン帝国600年間が全く変化のない時代だと思ってるの?
ただ、それでも西欧の発展のスピードがそれ以上に早すぎただけ。停滞してはいない。
65 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 17:30:25.21 0
>>63 ついでに言うならオスマン帝国は宗教のしがらみが特別強くなかったと何度も、
言ってる。ムウタジラ派衰退以降だって中東の政治文化経済は発展してるよ。
ムウタジラ派衰退以降のイスラーム史が何の変化もなく停滞してた訳はない。
66 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:02:32.70 0
>>64 変化の激しい欧州の隣に居ながら600年間でそれだけの変化しかないって
ことは十分停滞してるじゃん
同時期の日本がどれだけ変わったのかを比べるまでもなく、中国と比べても
発展が遅い
そもそも7〜8世紀のアラビア半島に住むアラブ人の考えが国の基本指針に
なってる時点で発展のしようがない
中国や日本と比べてオスマン・トルコは発展してたの?
68 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:15:03.90 0
>>66 >そもそも7〜8世紀のアラビア半島に住むアラブ人の考え
イスラームのことを言ってるんだと思うんだけどそれを言ったら、
ヨーロッパだって完全に政教分離するのは18世紀後半からだし。
宗教改革だってあくまでもキリスト教内での改革で政教分離の、
遠因にはなってもそれ自体が政教分離とは言えない。つまり、
政治における宗教の縛りという点では近代になるまで中東と、
ヨーロッパではそんなに差がないと言えるね。
>変化の激しい欧州の隣に居ながら600年間でそれだけの変化しかないって
>ことは十分停滞してるじゃん
だいぶ変化してると思うけど。オスマン帝国の歴史を少しでも勉強すれば、
オスマン帝国が停滞してたとは言えないんだけどなぁ。上で挙げたのは、
あくまで一例で細かく挙げれば政治経済軍事における変化なんてきりないし。
オスマン帝国の通史は日本語でもたくさん出てるからそれらを読めば、
発展してることが分かると思うよ。鈴木董氏とか林佳世子氏とか色々あるから。
69 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:15:24.41 0
>>64 ティマール制の廃止や官僚機構の整備などはまさにヨーロッパを参考にして
西洋化改革だから、その時点ですでにオスマンが自らの遅れに気付いてる
ってことじゃん
70 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:17:39.52 0
>>69 官僚機構の整備が雄なわれたのはスレイマン1世の時代だし、
徴税請負制への以降は西欧化改革とは無関係だよ。
71 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:18:30.16 0
>>70 誤字訂正
×官僚機構の整備が雄なわれたのは
○官僚機構の整備が行なわれたのは
72 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:21:30.76 0
>>68 だから、一時代を切り出すのではなく、全体の流れで文明の盛衰を見るべきだって
何度言えばわかる?
政教分離、合理主義に進む欧州と、あくまでもイスラム指導の元に拘る中東の違い
を議論すべきなのに、○○世紀では違いはないとかまったく意味不明の話
言ってることもウソが多い
同じローマ法全集に触れながらもシャリーア法を元とする体制を堅持した中東と
ローマ法を元に法律体制を発展させた欧州とまったく違うし、その根底にあるのは
合理主義に基づくか否かであるにも関わらず、都合のいい角度だけ切り出してごまかしまくる
屁理屈こねれば満足なのかキミは?
徴税請負制って発展なのか?
74 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:25:18.11 0
>>72 だから全体の流れでも変わりなく中東は発展してると言ってるじゃん。
その一例としてオスマン帝国時代(600年間)を出したに過ぎないよ。
それ以前だってちゃんと合理的な発展してる。ただそれでも欧州の、
ほうがその発展の度合いが強すぎただけ。だから原因は中東じゃなく、
ヨーロッパに求めるべきだと言ってるんだけど。何度も言ってるけど、
中東が「停滞」したのではなくヨーロッパが以上に「発展」しただけ。
ムウタジラ派衰退以降の中東も「発展」してるが欧州ほどじゃなかっただけ。
75 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:26:18.96 0
>>70 >官僚機構の整備が雄なわれたのはスレイマン1世の時代だし、
それ、16世紀前半のことだし、文明や文化の発展と何の関係もない出来事じゃん
官僚制度はオスマン発祥なわけじゃないし、それ以前中近東を支配してた大国なら
どれも官僚制度が整備されてた
76 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:27:00.70 0
>>73 確かにかつては衰退の兆しと見られてたけど林佳世子氏が興亡の世界史で、
当時の時代情勢を考えればそれなりに合理的なシステムだったと言ってるよ。
77 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:28:11.39 0
>>73 東ローマから見たら発展ではなく退化
それを発展だと言い張る人も居る
78 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:28:45.10 0
>>75 政治制度の進歩は「発展」と言わないの?官僚制度自体は確かに、
前からあったけどスレイマン1世はそれをさらに効率的で集権的な、
方向に発展させてた。こういう変化があるのに「停滞」はおかしいでしょ。
79 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:31:18.23 0
>>77 徴税請負制への以降は東ローマが滅んでから数百年も後だからなぁ。
まぁ徴税請負制への評価は人によって分かれるけど最近は見直される、
傾向にあるね。少なくともビザンツ時代とは状況が違うから当時としては、
合理的だったのかどうかで考えるべきなんじゃないの。
80 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:31:43.79 0
>>78 官僚制度はそれ以前中近東に存在せず、オスマンによって初めて整備されたのなら
キミの言う通りだけど、それ以前あったものを引っ張り出してもう一回整備し直したところ
を「発展」と言わない
それを「発展」にカウントしなければいけないほど、変化や変革が乏しかったのは仕方ないけど
>>76 うーん・・・なんかずれてる気がする
衰退したぶん、行政力に相応しいやり方を選ぶことは合理的ではあっても発展というのとは違うんじゃ・・・?
82 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:34:30.20 0
>>80 全く一から新しいものを作るなんて不可能でしょ。どんな発展だってその前段階の、
何かがあるもの。オスマン帝国の官僚制度もそれまでの官僚制度の丸パクリじゃなく、
それらをかなり変えてる。特に顕著なのはウラマーを官僚機構に取り込んだことで、
これはそれまでの中東ではあまりなかった。前段階があるのは当たり前でしょ。
例えば古代ローマだってさ 衰退期に入っても政治形態がどんどん変化してはいるでしょ だからといってそれを発展と捉える人はほとんどいないと思うな ローマを四分するのが当時の国力に相応しくて合理的でもさ
84 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 18:35:04.91 0
>>79 それを「発展」だと言い張るなら西ローマ滅んだ後の西欧でも5世紀から10世紀まで
著しい発展を遂げたことになるが実際は違う
こんな屁理屈言わなければ擁護できないことは悲しいと思わないのか?
85 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:35:25.95 0
>>81 じゃあどういうのを「発展」というのか定義してよ。
86 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:37:36.09 0
>>84 中世ヨーロッパ暗黒説は古いと思うよ。同時代の中東とかよりは、
後進的だったとは言え、それなりの発展は遂げてるよ。とは言え、
それらはあくまで普通のペースでの発展でルネサンスなどを経て、
その発展のスピードが急激に上がったと言うべきなんじゃないの?
87 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:40:25.25 0
>>83 いや、徴税請負制は当時のオスマンの衰退した国力とかそういうのじゃなく、
普通に合理的な制度らしいよ。分権的になりやすいとは言うけどそれでも、
あくまで地方の有力者を中央につなぎとめておくことが出来る訳で、中央の、
負担を和らげながら地方まで確実に支配できるというメリットはあったらしい。
>>85 二つの要素があるだろうな
力自体の増加と、力の使用・増殖効率の向上
徴税請負制は力の限界を自覚することで相対的には力の濫費という無駄を減らしたかもしれないが
それが、力の増加につながったんだろうか?
89 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:42:54.25 0
>>88 徴税請負制へ移行してからしばらくするとキョプリュリュ時代を迎えて、
オスマン帝国は国力が増加してるからそういう意味では「発展」じゃない?
>>87 分権化するのに確実に支配っていうのがよく分からないが
そもそも中央の力が強ければ不必要な措置だろう
地方の力が強いから、その力の比率に相応しい制度にする
それは合理的ではあっても未来につながる発展ではないよね
92 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:51:02.81 0
>>90 >分権化するのに確実に支配っていうのがよく分からないが
>そもそも中央の力が強ければ不必要な措置だろう
当時のオスマン帝国はかなり広大な領土だった訳で当時の技術じゃ、
それらを完全に統制するのはかなり難しい。しかし、この制度ならば、
実質的な地方統治は地方の有力者に任せられるけど徴税請負権は、
あくまで中央から渡されてるためこのような地方の有力者が独立を、
図る心配がない。そういう意味では優れた制度だったと言えるらしい。
未来に繋がる発展とかいうのがいまいち分かりかねるけど。
93 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:53:11.65 0
>>91 それ以前のオスマン帝国ではちょっとした政情不安に陥ってて、
それを落ち着かせ領土を最大にしたのがキョプリュリュ時代。
その時に徴税請負制も
>>92 で述べたような理由で役立ってる。
>>86 誰も中世ヨーロッパは暗黒時代とは言ってない
明らかに発展した時代じゃないのは確かだろう
その時代で「合理的」にカール1世が全土を駆け回って税金を徴収してたし
メロヴィング朝の末期と比べて税収が向上したりけど、それを「発展」
と評する人はいない
>>92 >>92 そりゃ完全には無理なのは当たり前だろ、だから何だよ
地方の行政官を派遣して徴収すればいい、そのほうが地方の有力者は弱体化して万々歳だ
それはできないのは地方の力が強いから、逆に言えば中央の力が弱いから
そういう力の限界に相応しいのが徴税請負制でしょ?
ていうか普通に反乱とか起きてなかったか?
96 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 18:58:57.99 0
>>94 カール1世のそれが今までの制度と比べてプラス方向に変化してるなら、
「発展」で良いと思うよ。フランク王国の制度に詳しくないのでその変化が、
どっちなのかは分からないけど。それまでの制度より優れた制度になれば、
普通に「発展」と言って良いと思うよ。中世は発展のスピードが遅かっただけ。
別に「発展してなかった=停滞してた」という訳ではないと思うんだけど。
>>93 100が10になってさらに20になったら発展と言い張るのか
日銀マンになる資格アリだな
>>93 要は政情不安の中で生み出された地方権力への譲歩で国家を一次安定化させたという話にしか思えんのだが
それは譲歩が不必要だった時代に比べて衰退ではないのか?
99 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:04:41.54 0
>>95 アラブ方面には中央から長官を派遣してる地域もあったよ。ただそれをやるのは、
それをやるコストと利益が釣り合うか見てからだからなぁ。そこまでする必要は、
なかったと当時の政府が判断したから徴税請負制にした訳だし。ていうか当時の、
他の地域(ヨーロッパ含む)だって地方の有力者が地方を支配してたのが、
ほとんどでしょ。例外はあったけど。そういった封建的な制度(ティマール制)を、
より集権的な方向に発展させたのが徴税請負制というわけ。ちゃんと前の時代の、
制度よりは集権的(プラス)な方向に進歩してるから「発展」とは言えるでしょ。
>>99 中近東の発展から見ればそれは衰退した後の小さな回復でしかないじゃん
王が地方の長官を直接任命するなんてアケメネス朝ペルシアの時代からあったぞ
101 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:08:37.90 0
>>97 100から10の間は「衰退」で、10から20の間は「発展」でしょ。
そういう場合は「一度衰退してからまた発展した」と言えるね。
ただ、それは当時のオスマン帝国のパターンとは少し違う。
>>98 譲歩は前から必要だった。ティマール制はかなり初期から、
存在したからね。つまり「譲歩が不必要な時代」がなかった訳で、
そうじゃくて「封建的なティマール制から集権色の強まった、
徴税請負制への変化」と考えればプラス方向だから「発展」でしょ。
>>99 いや
要するに封臣が衰退したぶん地方の有力者が強くなったから譲歩しなきゃならなくなったってだけじゃん
コストと利益、の利益っていうのは当然反乱を抑えることが主たる利益なんだよね?
だったら徴税権を売って地方の権力者に富を与えるより中央が徴税を行ったほうがいいじゃん
>>101 >100から10の間は「衰退」で、10から20の間は「発展」でしょう
だからその論理だと欧州に衰退時代はなくずっと発展し続けたことになるじゃん
屁理屈言って楽しんでるとしか思えない
あるいはレス乞食か
104 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:13:17.94 0
>>100 いやだから中央から長官を任命することはオスマン帝国もやってた。
具体的に州知事まではオスマン帝国が中央から任命してたけど、
それより下の区分は徴税請負制で統治させてた。アケメネス朝も、
中央が任命したのはサトラップまでじゃないの?古代史はあまり、
詳しくないので自信ないけど。だったら大きな衰退からの小さな、
回復とは言いにくいと思うよ。あくまで中央集権は強まったからね。
105 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:14:56.73 0
>>103 その「100から10になった時期」が「衰退期」で「10から20になった時期」が、
「発展期」になるから衰退期が存在しなかった訳ではないでしょ。それが、
具体的にいつの時期かはまた別だけど衰退期がないという結論にはならないよ。
まあていうかそもそも論点がずれてるな 「欧州の発展に比べてトルコが停滞していたのはなぜか」と聞かれるのが気にくわないんであって 「欧州の急速な発展に比べるとトルコの発展が遅かったのはなぜか」と聞けば問題ないんだろ? で、なんでトルコはうすのろだったの?
107 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:19:48.37 0
>>106 だからオスマン帝国(ひいては中東)が遅いというよりは西欧が、
早すぎたと言ったほうが妥当だと思うよ。それで西欧がそんなに、
急速に発展したのは普通に宗教改革とかルネサンスだと思うけど。
108 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:23:27.98 0
>>104 の書き方だと誤解を生むかも知れないので補足すると、
当時のオスマン帝国では独立採算州と呼ばれる州に限り、
中央から長官を派遣してた。これらの地域は中央政府に
とって特に重要だったからね。それ以外は別にそれほど、
重要度が高くないのでコストも考えて地方の有力者を、
中央政府が任命する形にした。
>>107 急激に発展する欧州の隣にいながらオスマン帝国の600年間はほかの地域
と比べると発展が遅いと思うが?
日本は中世から幕末まで一気に変わったし、西欧と接してからの変化はさらに
激しい
中国も14世紀から19世紀初頭までを見るとかなり変わった
徴税の方法が変わった(キリッ、というしょぼい変化しかないトルコはうすのろすぎる
110 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:26:45.52 0
>>109 徴税法以外にも先ほど述べた官僚制や建築などの建築などの文化面や、
軍事技術や軍事制度、地方統治のやり方なども色々変化してるからね。
一度オスマン帝国史の本を何でも良いから読めばヨーロッパと比べては、
ともかく他の地域と比べて遅かったとは必ずしも言えないと気がするけど。
まあロシアに負けちゃってるからな
112 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:33:48.37 0
>>111 18世紀以降だけどね。ピョートル1世以降のロシアの西欧化政策が、
チートすぎた。まぁ、戦争においてはピョートルに勝ってるんだけど。
>>110 実際遅いよ
日本も中国も一度鎖国して変化の激しい欧州と接触を絶ったけど、トルコは
欧州が最も激しく発展したときを直に見てたしずっと関わってきたじゃん
14世紀から20世紀の間の発展といえばに、19世紀の西洋化以外に
「建築様式がちょっと変わった」「官僚制をちょっと整備した」とか、占領した地域
のものを取り込む程度の変化しかない
これをうすのろと言わずになんというのだろう
>>112 17世紀から欧州に負け始めたよ
18世紀以降にオスマンの劣勢がはっきりしたことで西欧化が提唱されるようになったじゃん
115 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:40:59.08 0
>>113 もはやそこまでいくと主観の問題かなぁ。デヴシルメやイェニチェリ、
火器を大量に使った戦法などといった軍事的な面から上に挙げた、
税制や官僚制の変化は結構大きな変化だと思うけど。ヨーロッパが、
急速に発展しすぎたから遅く感じるだけで他の地域と比べれば別に、
うすのろというほどではない。ヨーロッパと接触したとしても軍事的な、
優位のせいで自分たちのほうが優れてるという自信に溢れてたため、
19世紀になるまで西欧の思想をなかなか学ばなかったから西欧の、
発展スピードについて来れなかったのは仕方ない。ただそれは他の、
非西欧に当てはまるし、それらと比べては特に遅くないと思うよ。まぁ、
メフメト2世みたいな例外的な西欧かぶれも前近代にいたけどね。
116 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 19:44:36.93 0
>>114 17世紀では軍事的にはまだ互角。キョプリュリュ時代に最大領土を、
迎えるし。軍事的に西欧に劣るようになるのはカルロヴィッツ条約から。
対ロシアに限って言えばスウェーデンの援助付きだけどほぼ自力で、
勝ってるよ、大北方戦争の時に。これは18世紀の時だったはずだよ。
117 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 19:56:35.04 O
王朝が変わってないから。
118 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 20:15:56.47 O
李朝が良い例。 前半は王朝内部にもまだ活力があった。儒教のしばりも緩かったし。
119 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/11(月) 20:18:16.70 0
>>117 それはあるかもね。オスマン帝国は良くも悪くも長く続きすぎたから、
自国へのプライドが高くなり、ヨーロッパに隣接してたにも関わらず、
ヨーロッパの思想を学ぼうという気が近代まで起きにくかったのかな。
120 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 21:30:52.95 0
文明国のローマを征服したという事実が大きかったのかも ローマの西は所詮は野蛮なフランク人の国だと馬鹿にしてたんだろう
121 :
世界@名無史さん :2011/07/11(月) 23:33:34.61 0
そういえばオスマン帝国からアメリカやカナダに移住した移民なんてどれくらい居るのかな?
>>58 >>119 >まぁ、あくまで自分たちのほうが有利だという自信があったからね。
そういういのは「自信」ではなくて「過信」というのだ
明清代のの中国にしても、イエズス会の宣教師を通して西洋の文化に触れる機会が
あったにもかかわらず、その本質を理解していなかった
もうこの時点で負けなわけ
昔は自分たちのほうが上だったというプライドがどうのとか、落ちぶれた名門が
過去の栄光を誇るのと変わらないだろw
123 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/12(火) 04:05:39.99 0
>>122 まぁそうだね。そういう過信はどうしても拭いにくい面があるからね。
とは言え、近代になるとオスマン帝国も流石に西欧の優位を認め、
西欧化を図るようになるけど。セリム3世の頃にはもうそうなってた。
まあ、みんな専門知識のある方の発言ばかりだから、おれ如きが付け加える事は何も無いんだが、以下は、 素人の発言として聞いてね。土下座の差は結構あるんじゃないの。日本も土下座するけど、五体投地 ってのは宗教行為なんで洋の東西を問わないだろーけど、人間が人間に土下座しちゃダメだろ。西欧は 土下座度合が薄い文化だと思う。ところが、オリエント以東は、土下座文化がずーーーーっと続いていて、 ついこの間まで存在していた。人間を拝跪しちゃだめだろ。脳細胞が委縮し、湧く知恵も湧かんよーになるわw
それと西欧の中等学校以上の教育ってギムナジウムって言い方するよね、ギリシャ・ローマ文化を範にしている訳で、 アカデミズムの国際語も長らくラテン語だった。中世の暗黒時代を脱っして以降は自分たちの文化的臍の緒がギリシャ・ ローマに続いているとの明白な自覚を持つよーになった。(つーか、思い出したんだな、彼らは)それに反して、回教圏の 人々は、ギリシャ・ローマへの郷愁感つーか、伝統つーか、古典としてのアイデンティティーをギリシャ・ローマ世界に 求める、心の底からの要求が起きなかった。それは、彼らが、古代メソポタミア文明の後継者だからだろう。
126 :
世界@名無史さん :2011/07/12(火) 07:18:44.98 0
東ローマだって皇帝に謁見するときは土下座するんじゃなかったか
127 :
世界@名無史さん :2011/07/12(火) 07:20:46.51 0
ギムナジウムもそうだけど アメリカは上院議会を元老院っていうからなあ
128 :
世界@名無史さん :2011/07/12(火) 10:21:33.85 0
ユダヤ家系はオスマン帝国出身の者が結構大物が出てるな。 ルーズベルト家もサッスン家もオスマン帝国出身だろ。 シオニズムの源流であるサバタイ派もオスマン帝国だし、 オスマン帝国出身者がユダヤ史に占める重要度は高いと思う。
129 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/12(火) 15:07:38.33 0
>>128 当時のオスマン帝国には、スペインなどから迫害を逃れてやって来たユダヤ人が、
たくさんいたからね。オルハン・パムクの小説にユダヤ人の女商人が登場するけど、
ああいうのがイスタンブルなどを始めとする都市部に当時はたくさんいたんだろうね。
130 :
世界@名無史さん :2011/07/12(火) 16:28:09.55 0
>>128 卑近な例ではニール・セダカの父親も世代的にぎりぎりオスマン帝国時代のトルコ生まれのユダヤ人っぽいな
なぜか英語版にはないけど、日本版だと父親はイズミル出身
>>94 中世のヨーロッパはイベリア半島を700年奪われたまま奪還できず、モンゴルやトルコには東ヨーロッパを散々に荒らされる体たらくだしな
近世になって銃や大砲や造船技術が発達してからヨーロッパは急速に発展していった
モンゴルが悪い
133 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 01:48:37.60 0
134 :
更夜 :2011/07/13(水) 02:01:00.74 0
散々既出だが、単純に「暑い」から。 全てはこれが原因。 エアコンの効いてる職場と、効いてない職場では前者の方が効率が高いでしょ? 以上
ペルシアとかオスマンとかが長く支配しすぎなんだよ 中東にヒッタイトとかエジプトとか群雄割拠の時は あらゆる面で凄まじかったじゃん
136 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 12:30:25.12 0
>>117 イギリスはノルマンコンクエスト以降実質同じ家系が統治してたし
フランスもカペー朝以降カペー家の本家と分家が支配してた
>>132 得をしたのはモンゴル族と西ヨーロッパだけだったな
モンゴルがアジアが発明した火薬や印刷術などをヨーロッパに伝えたらしいな
138 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 13:36:01.04 0
モンゴルが居なくてもいずれ伝わる
139 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 15:38:38.35 0
>>135 オスマン帝国で中東は安定期に入ったのです。
オアシスで灌漑施設があればいいじゃないか。
欧州は安定期がなかったのです。食べる為には農業革命が求められたのです。
140 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 16:02:05.53 0
>アジアが発明した火薬や印刷術 また適当なことをw
>>125 >回教圏の人々は、ギリシャ・ローマへの郷愁感つーか、伝統つーか、古典としての
>アイデンティティーをギリシャ・ローマ世界に求める、心の底からの要求が起きなかった。
>それは、彼らが、古代メソポタミア文明の後継者だからだろう。
ふと思ったんだが、ロシアの西欧化も表面だけのものだったな
西欧において、近代的な市民社会的階層構造への移行に際してそれを正当化する
文化的装置として格別の意味付けを与えられたギリシア・ラテンの教養は、
ロシアの近代化を担った貴族文化にはなかなか浸透しなかった
フランス被れのローマ帝国後継者
143 :
世界@名無史さん :2011/07/13(水) 22:32:36.76 0
しかし、中東の人は西洋文明のどの部分が受け付けられないのだろうか? 立憲君主制にしても、議会制民主主義にしても 徴兵制や資本主義にしても基本的人権の尊重にしても 東アジアの人やアフリカ人いやインド人でさえ、うまく運用できるかどうかは別にして、 その考え方に触れた時は「理にかなっている」と評価したのだろう 紆余曲折はあるとはいえ、曲がりなりにも自分たちに合わせて 運用しつつあるみたいだけど むしろ欧米人のほうが近代西洋文明に対して 反発しているところがあるじゃないか 例えばホーキング博士の「神はいない」との発言や 量子力学や相対性理論など イスラムは量子力学やホーキング博士や相対性理論が けしからんと火をつけた人なんてほとんどいないだろう
144 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 00:22:52.98 0
文明の伝わり方を見ると エジプト→ギリシア→ローマ→フランク→ドイツ→ チェコ→ポーランド→リトアニア・・ 明らかにあったかくて豊かなところからそうじゃない所に移ってるじゃん。 農業の技術が発達するに従い文明が北上するなら、 よく言われてる「豊かさが文明の進歩を阻害する」みたいなのはウソなんじゃないの?
>>143 中東も一度西欧化政策をとったが、うまくいかなかった
その反動でイスラーム主義に走る
146 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 08:13:43.64 0
>>143 まぁ日本にだって幕末期には西欧文明を受け入れられない攘夷派とかが、
いた訳だし、急速な近代化について来れずに懐古主義に走ったり自国の、
ほうが西欧より優れてると思ってるナショナリストは少なからずいるでしょ。
それでも19世紀から20世紀前半にかけてはイスラーム圏も西欧の文明を、
学ぼうと近代化に励んでた。今でもトルコとかはその延長線上にあるけど、
イランみたいに近代化の途中でイスラーム革命によってぽしゃった例もある。
中東の場合は西欧文明からナショナリズムを特に多く学んでしまったと思う。
例えば、汎アラブ主義にしろイスラーム原理主義にしろアイデンティティの、
対象となるものが違うだけでナショナリズム的な考え方には違いないからね。
中東が西欧文明を否定しがちな方向にあるのはナショナリズムのせいかも。
147 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 11:45:14.11 0
>>146 中国の西洋化、近代化の過程と比べれば分かると思うが、中東と同じ懐古主義に阻まれたり
挫折したり、社会主義に走ったりしたけど、結局中東のように西欧全否定の原理主義に走る
ことなくさらに突き進むことになったから、中東のイスラム原理主義回帰はあくまでも中東
の特質だろう
第一次ウィーン包囲を成功させロンドンまで進撃してれば…
149 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 15:25:14.48 0
リーマンショック以降欧米の優位性が崩れたが今後どうなることか
151 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 15:32:32.28 0
>>147 まぁ別にムスリムだって西欧全否定の原理主義に走ってるのばかりではないけど、
確かに他の地域とかと比べれば多い気がするね。オスマン帝国末期辺りを見ると、
やっぱりあそこら辺の地域はナショナリズムという思想を輸入しすぎたように思える。
それと東南アジアや南アジアやアフリカと違って中東は中途半端な植民地支配を、
受けたからかも知れない。近代までオスマン帝国があったから中東が西欧列強の、
植民地になってた期間って意外と短いんだよね。植民地支配の長い他の地域だと、
西欧の影響も強いから完全な否定はしにくいだろうけど中東はそこまで長い支配は、
受けてなかったため逆に西欧アンチが多くなったのかな。そうじゃないのもいるけど。
中国やタイは欧米列強の半植民地だった アフリカの内陸部まで白人が行けるようになったのは19世紀になってから だからアフリカ諸国の植民地支配の歴史は意外に短い
153 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 15:54:57.39 0
>>152 アフリカも確か意外と植民地になってた期間は短いね。アフリカ分割の、
ベルリン会議は1884年だし。それでも中東はオスマン帝国があったから、
イラクやシリアなど中心的地域は第1次世界大戦後まで列強の支配は、
受けてなかった。オマーンとかの周縁地域とエジプトなど北アフリカは、
例外的に19世紀後半から植民地支配を受けてたけど。イランやトルコは、
半植民地化されたことはあっても植民地になったことすらないし。
戦後、日本を含む東アジア・東南アジア諸国が発展できたのは、アメリカ合衆国に 製品を輸出するための巨大市場があったから トルコ共和国の場合、ヨーロッパ諸国が保護主義をとっていて、トルコ製品を 輸出するための巨大市場がなかったことも、発展できなかった原因の一つかもしれない
>>154 トルコは対ソ前線としてアメリカに優遇されてきたよ
戦後欧州地域は二つの陣営に分かれた上、西欧の主要国はみんな製造業大国だから
トルコがねじ込む余地がなかったから、保護政策と関係ない
それに、石油に恵まれた中東諸国でも西欧化に徹してるわけじゃなく、むしろサウジ
みたいな古い体制を堅持するが多いから、体質の問題だろう
中東革命が起きたあとむしろイスラムへの回帰志向が強まったし
共産主義のアジアの防波堤とするためアメリカが日本を優遇していたと落合信彦が言ってた。 あと冷戦が終わり用済みになったから、プラザ合意やらなんやらで今度はボコボコにしたってマネー敗戦に書いてあった。
158 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 19:02:43.63 0
大前がそういうのならトルコの高成長は無理だな
159 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 19:14:30.37 0
個人的にトルコ贔屓なのもあるけど、それを差し引いてもトルコは中東じゃ、 それなりに発展してるほうだと思うよ。オイルマネーないけどOECDに入れる、 ぐらいの先進国ではあるみたいだし、政治面も中東じゃ安定してるほうだし、 民主的だからね。まぁEUには当分は入れてもらえなさそうな気がするけどね。
やはりケマルが農地改革を行わないうちに死去したのがマズかったのだろうか
161 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 19:24:48.62 0
>>160 ウィキペディアの「トルコの経済」のページには大土地所有制もそれなりの、
評価がされてて、小農民も大企業の社員という感じだと書いてあるんだけど、
実際どうなんだろう?まぁ、確かにトルコは広い農地が多かったと思うけど。
162 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 20:08:07.74 0
中東が発展しないのはアメリカから遠いからだよ 欧州=アメリカ大陸進出で発展 東アジア=アメリカ市場に輸出で発展
>>125 中世後期、イタリアの都市国家では「市民による政治」が行われるようになり、
それを正当化するためのイデオロギーとして、キリスト教の代わりにギリシア・ローマの古典
(ヘレニズム)が利用された
しかし新生トルコ共和国の場合、国民のほとんどはまだ農民だったし、市民意識の
ある者などほとんど存在しなかっただろう
そこでイスラームに代わって国民をまとめるためのイデオロギーとして持ち出されたのが、
ケマリズム(ケマル主義)だったんジャマイカ
ケマルの神格化もそう考えればすんなり理解できる
164 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 20:47:56.77 0
>>163 実際ケマルは「私がトルコだ」という言葉を残してるし、現在のトルコの、
政治でもケマル主義の影響はかなり強いからね。ケマルへの崇拝が、
国民統合に役立ってるのは確かだろうね。
165 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/14(木) 20:50:51.60 0
まぁでもケマル自身は個人崇拝を嫌ってたという話もあるから本人は、 そういうつもりはなかったのかも知れない。独裁はしてたけど。むしろ、 ケマル死後になってイノニュや軍部によってケマル主義は強まったね。
166 :
世界@名無史さん :2011/07/14(木) 21:48:04.49 O
>>163 キリスト教ってローマとは切っても切り離せないだろう。
カトリックやギリシア正教はローマ文化の媒介でしかなかったのではないか。
クローヴィスやイシュトバーンの改宗も
「うちらはローマの仲間入りします」という宣言だろ。
167 :
世界@名無史さん :2011/07/25(月) 23:19:09.32 0
水の問題はどうなのだろうか? 水があまりにもないだろう 中東は人が住んでいない砂漠が広がっているのだから 原子力発電所を作って、電力を輸出して 水は原子力造水プラントで大量に作るという手は使えないのだろうか?
168 :
世界@名無史さん :2011/07/26(火) 20:28:36.98 0
太陽光発電が発達したら 砂漠にパネルしきつめればいいんだよ 最高の資源
169 :
世界@名無史さん :2011/07/26(火) 20:57:14.75 0
山がちで雨の多い土地もあるイエメンはいつまでたっても負け組....
170 :
◆axCVsGomao :2011/07/26(火) 21:10:01.96 0
イエメンは合法麻薬のカートがあるから皆幸せだよw
171 :
◆axCVsGomao :2011/07/26(火) 21:16:43.81 0
将来的には湾岸諸国はなくなってペルシア除く中東全体がひとつの国家になってると思うんだけどね
172 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/26(火) 22:29:42.72 0
>>171 中東はEUで統合しようとしてるヨーロッパに比べて言語的統一性が、
高いからその点は有利かも知れないね。トルコとイラン以外の国の、
ほとんどがアラビア語を公用語としてるからね。まぁ、まだ統一には、
ほど遠い気もしなくはないけどEUも最初は不可能だと言われてたし、
今後どうなるかは分からないかな。
173 :
世界@名無史さん :2011/07/26(火) 23:43:51.44 0
そうなったら香港の一国二制度移行後みたいに中国本土の貧乏人が豊かな地域へ入ってくるのみたいに検問を通らせるのかな モーリタニアやイエメンの人が湾岸地域に来るのに対して
174 :
世界@名無史さん :2011/07/27(水) 13:37:23.45 0
同じ人がスレ立てしてるのかわからないけど、
>>1 さんこのシリーズ好きだねw
なぜ○○は△△になれなかったか、敗因を考えることも歴史の素養を深める上で大事だと思う
175 :
世界@名無史さん :2011/07/27(水) 17:50:45.32 O
「何故ヨーロッパはヨーロッパになったのか」 も疑問だ。 「何故中国(東アジア)はヨーロッパになれなかったのか」や 「何故朝鮮は日本になれなかったのか」もアリかな。
なぜなぜシリーズ
178 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/27(水) 23:04:42.57 0
>>175 >「何故ヨーロッパはヨーロッパになったのか」
結局はここに尽きる気がするなぁ。「なぜ○○は△△になれなかったのか」の、
シリーズのほとんどに当てはまると思うけど、○○が特別駄目だったというより、
ヨーロッパが特別すごかっただけだと思う(あくまで近代以降に限った話だけど)。
まぁ、ヨーロッパだって昔からずっと先進地域だった訳じゃないけど、なぜ近代に、
なるとヨーロッパが世界の中心地域になっていくのか考えるのは重要だと思う。
179 :
◆axCVsGomao :2011/07/28(木) 06:58:52.28 0
新大陸発見に尽きる
180 :
世界@名無史さん :2011/07/28(木) 09:45:19.52 0
>>175 ピレネーからオーデル川辺りまでの地域が
ローマ崩壊後異教徒や遊牧民に統治されなかった
フランク王国が秦にならなかった
なぜ日本は欧州になれなかったのか
182 :
世界@名無史さん :2011/07/28(木) 13:24:28.16 0
183 :
世界@名無史さん :2011/07/28(木) 15:09:05.41 O
ヨーロッパはフランスやドイツの国内からしてバラバラだったため、 隣国を併合することができなかったんだろうな。 イングランドは比較的まとまってたみたいだけど。
184 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/28(木) 15:17:19.86 0
>>183 何かちょっとスレ違いになってきたんで中東の話に戻すと、
中東も近世まではヨーロッパと同じくバラバラだったよね。
初期こそはウマイヤ朝やアッバース朝によってほぼ1つに、
まとまってたけど10世紀頃からだんだんバラバラになった。
それでも近世になるとオスマン帝国やサファヴィー朝など、
主要な大国の数が少なくなってしまってヨーロッパほどの、
群雄割拠はしなくなってたからなぁ。それも一因な気がする。
初期の頃のイスラムってすごい勢いで台頭したよね。 ギリシャ系の知識人を吸収したとかあるのだろうが。欧州や中国のような文化基盤がないところからあれだけ急速に台頭したのは不思議。
ビザンツやサーサーン朝の文化遺産を受け継いだから
ペルシャも文化レベル高いね。 そういえば昔何かで読んだがイスラムやモンゴルが台頭したのは身分差別が比較的軽く他文化の取り入れに積極的だったってあった。 インドは文化基盤高かったが、カーストがあるため世界帝国になれなかったと。
188 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/28(木) 16:09:59.19 0
>>187 まぁ、そういう面はあるかもね。イスラーム圏は結構成り上がりも多いし。
奴隷から解放された人がそのまま出世する場合なんかも割りとあるし。
189 :
世界@名無史さん :2011/07/28(木) 23:00:43.22 0
シュメール→バビロニア→アッシリア→メディア→アケメネス朝→ パルティア→ササン朝→アラブ・イスラム帝国 という感じで文化が受け継がれていった感じでいいのか。
オスマン帝国もサファヴィー朝もムガル帝国も、国としては開かれていても、 精神的鎖国(ひきこもり)状態だったからなあ 江戸時代の和蘭風説書のように、定期的に海外の情報を収集していた わけでもないし
191 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 11:04:08.85 0
>>190 オスマン帝国なんかは定期的に情報収集しようとしなくても嫌でも、
ヨーロッパ情勢は耳に入ってたと思うけどね。ただ、先述したように、
自国の方が優れてるという自信が西欧から何かを学ぼうという気を、
起こしにくくさせてた。ヨーロッパ情勢自体は自国の帝国的野心や、
防衛のためにむしろ積極的に収集してたと思うけど。それをもとに、
近代化・西欧化しようという考えは18世紀後半まで生まれなかった。
193 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 12:12:45.30 0
>>192 別にそんなに擁護してないしちゃんと中東が欧州になれなかった、
理由について考察して書いてるのに、なんでスレ違いになるの?
>>193 アンタ、以前もこのスレで同じことを書いてただろ
何度トラブルを起こせば気が済むんだ?
もう自分のブログでも作ってそこで知識を披露してくれよ
面白い内容なら誰かがコメントをつけてくれるだろ
空気を読めない奴は公共の掲示板に書き込むのはやめてくれ
195 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 14:45:04.72 0
>>194 別にトラブルになってないでしょ。何も荒らすようなことを、
書いてないのに空気読めないとか言われるのは心外だよ。
それに、ちゃんと「先述したように」と言ってるんだから上で、
同じような内容のことが書いてあるのは当たり前だと思うよ。
ていうか、冷静に考えればこの言い争い自体がスレ違いか。
申し訳ない。とりあえず今後はこの手のレスはスレ違いだと、
思うのでやめて下さい。僕自身は単に中東について書いてるのに。
196 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 15:08:34.22 0
このコテは以前も強引なイスラム擁護レスを延々と書いてたからな イスラムの擁護をしたければ別スレに移ってもらうのは筋だろう
197 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 15:09:34.05 O
>>189 アラブ人の隣は世界一の文明地帯だった。
198 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 15:12:55.21 0
>>196 別にそこまでイスラム擁護してばっかじゃないけど、
イスラム史好きだから贔屓目になってしまう部分は、
多少あるかもしれない。でも、このレスのタイトルは、
「なぜ中東は欧州になれなかったのか」というもので、
決してイスラム叩きのスレじゃないでしょ。だったら、
スレタイに関係した話題しか話してないのに別スレに、
行く理由はないよ。僕は中東が欧州になれなかった、
理由に関連することしか基本的に書いてないんだから。
199 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 15:29:53.45 0
>>198 >なぜ中東は欧州になれなかったのか
の時点でイスラム擁護のしようがないけどね
今の中東がいいなら別だけど
200 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 15:36:38.31 0
>>199 だから別に擁護してないって。多少贔屓目に見てる部分は、
あるかも知れないけど今の中東が全体的にヨーロッパより、
後進地域ということぐらいは理解してるしその理由について、
僕自身の見解なら上で何度か書いた。それなのに、なんで、
別スレに行けと言われるのか分からない。ちなみに言えば、
現在の中東だって国や地域によっては大分違うのにそれを、
全部まとめて「今の中東がいいなら」というのも何か違う気が、
する。まぁ、問題点もあるのは確かだしそれについて原因を、
考えるのはスレタイにも沿ってると思うけど。
201 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 15:44:30.33 0
>>200 擁護してるかどうか過去レス見れば分かるから
発展してる!と強引に擁護してたレスが今でも残ってるし
202 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 15:52:39.66 0
>>201 それ前近代の話じゃん。スレタイは現在中東が欧州になれてない、
理由についての話なんだから。
>>199 はそれで擁護しようがないと、
言ってるんでしょ。で、僕はその理由を近世のヨーロッパの異常な、
発展とそれによる近代以降のイスラームへの影響に求めた。でも、
その理由を近世の停滞に求める人がいたからそれについて近世も、
中東は発展してて停滞してはなかった。中東が遅れた原因は別に、
あると反論しただけ。このやり取りは明らかにスレタイに沿ってるよ。
203 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 16:01:35.06 0
>>202 以前にも書かれたけど、西洋化以外基本的に足踏み状態だったのに
発展してて停滞はしてなかった!と無理矢理擁護してるから文句言われる
そりゃ止まってはいないけど、2歩下がってはまた2歩進む状態なのに
よく擁護できたね
とりあえずこれ以上はスレチだから、イスラム擁護は他のスレでやってくれ
キミと話しても時間とスレの無駄遣い
204 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 16:15:52.52 0
>>203 だから、イスラムが遅れた理由は別にあると言ってるんだから、
スレチではないでしょ。別スレに行く理由が分からないんだけど。
それで以前の議論については近世イスラームは2歩下がって、
2歩上がるような状態ではなかった。普通に2歩上がってたけど、
その間にヨーロッパ4歩ぐらい進んでたように状態だったと言った。
それが中東が欧州になれなかった理由だと思うよ。停滞ではない。
>>204 擁護はもういいよ
少し冷静になれ
できなければ他のスレに移動して
206 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 16:46:33.57 0
>>205 まぁ、そうだね。スレタイに沿った話しかしてないのにスレチだと、
言われて少し熱くなりすぎたかも知れない。僕だってイスラムを、
100%擁護してる訳じゃない。ただ停滞は言いすぎと思っただけ。
大体、論点がずれてるし。最初はスレチか否かの話だったのに、
気が付いたらまた前の議論の蒸し返しになってる。とりあえず、
イスラム擁護だろうが何だろうがスレタイの内容に沿ってる限り、
つまり「中東が欧州になれなかった理由」について語ってる限り、
スレチではないと思うよ。だから別スレに行く必要性はないでしょ。
なぜフィリピンは日本になれなかったか
このスレ、発達障害者が一人いるせいで崩壊してしまう学級や職場みたいだな 世界史板住人は、オツガイ ◆EAbyJft1LY のお世話係ではないぞ
209 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 19:34:25.38 0
>>208 勝手に人を障害者扱いするだけの叩きならそっちのほうがスレ違いだから、
他所でやって。ここは「なぜ中東が欧州になれなかったか」を語るスレだよ。
210 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 19:36:49.50 O
モンゴルによる被害は凄まじいものだったと思うが。 バグダッドとホラズムという東西の中心地や各地の水路が破壊されてる。
211 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 19:44:01.52 0
>>210 確かにね。杉山正明氏なんかはモンゴルは中東に破壊しか、
もたらさなかった訳じゃないと言ってて実際それはいくつかの、
点で当たってるけど、それでもバグダードとかの被害がかなり、
すさまじかったのも事実だからね。ところで、ウィキペディアの、
「バグダードの戦い」の記事が要出典の嵐になってるんだけど。
モンゴル帝国以降もイスラーム圏では大国も生まれてるから、
それだけが原因じゃないとは思うけど被害の大きさは現実だね。
まぁ、モンゴルだって中東の文化を発展させた面はあるけど。
>>210 同じモンゴルに壊滅させられたルーシがそのあとトルコを圧迫するまで強くなったから、
モンゴルガー、は通用しない
ドイツが北方戦争や三十年戦争で蒙ったダメージも凄かったし
213 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 20:00:00.15 0
>>212 確かにモンゴル以降もサファヴィー朝やオスマン帝国などの大国が、
出来たことを考えると、モンゴルだけに原因を求めるのはおかしいね。
モンゴルによる破壊が大きかったのは事実だけど、モンゴルによって、
発展した面もあるから。やはり原因はもっと後の時代にあるだろうね。
214 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 22:26:57.08 O
いや、中東の国家や文明はかなり「脆い」のではないか。 世間一般では超大国とされているササン朝やセルジューク朝も人口はかなり少なかったらしいし、 その人口も大部分がオアシス都市に集中していたはずだ。 小国の高麗に苦戦して将軍まで打ち取られたモンゴル軍が あっさりと中東は制覇してるような。
215 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 22:34:59.49 0
>>214 杉山正明氏はモンゴル軍のホラズム・シャー朝の征服はかなり綿密な、
準備の上で行なわれたらしい。モンゴルが攻めてきた13世紀の中東は、
ちょうどホラズム・シャー朝が大国になりかけていた時期だから多少は、
モンゴル側に有利な点もあったかも知れない。いわゆる内乱期だったし。
まぁ、同じくほぼ出来たばかりであるマムルーク朝には敗れてるけどね。
確かに中東は都市型国家だからオアシスなど都市に人口が集中する分、
いささか脆くなりがちな気はするね。中東でも長寿だったオスマン帝国は、
どっちかというと砂漠のない地域が中心だったからと言えるかも知れない。
クソコテが荒らしまくってるせいで全く議論が発展してねーなw せっかく有識者が書き込んでくれてんのに、台無しだ。
217 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 22:53:07.47 O
講談社の「アーリア人」という本で、 「世間一般ではパルティアとローマ、東ローマとササン朝はタメをはってたイメージだが 実際の人口はイラン側が数分の一、 さらにササン朝末期の河川氾濫で人口激減」 という記述があったんだ。
218 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/29(金) 23:02:00.71 0
>>217 中東は昔から人口少なかったんだろうね。最盛期のバグダードの、
推定都市人口も最近は下方修正の傾向にあるみたいだし。実際、
人口だけだとペルシャは他の地域に比べて少なかったようだから、
その点が不利に働いた面はあるのかな。だからこそ領土を大幅に、
失ったが滅びはしなかったビザンツと違いササン朝は完全に滅んだ。
219 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 23:17:03.87 0
中東は野菜や園芸植物のようなイメージ。 人の膨大な手が加わって初めて繁栄できる。
220 :
世界@名無史さん :2011/07/29(金) 23:51:53.78 0
石油ならんでもいいや
>>214 南宋にも苦戦してたな
世界で始めて火薬兵器を実用化したのが北宋か五代十国時代だったかな
222 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 02:21:51.72 0
オスマン帝国は本拠地が旧ギリシア地域だから モンゴルとは分けて考えないとだめか。
西夏もモンゴル相手に20年持ったな。 モンゴルは攻城戦苦手というのはあるだろうが。 この頃のイスラム国の軍隊って騎兵中心の機動力勝負だったのかな。だとするとモンゴルには太刀打ちできないな。
224 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 03:34:27.09 0
>>215 当時のホラズムは西遼から中央アジアの覇権を奪い取ったぐらい最盛期だけど?
だからモンゴルがホラズム征服に乗り出した時も20万のモンゴル兵が緻密な作戦計画
に基づいて3方向から同時に攻め込んだという、金王朝侵攻のときと同じ、モンゴルの
全戦力をあげての大作戦をとった
しぶとく粘る金と違ってホラズムが崩れるのが早すぎたのが予想外だったらしいけど
226 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/30(土) 08:18:50.30 0
>>225 いや、まぁそうやって中央アジアの覇権を奪い始めたばかりの時期だから、
大国になりかけてた時期と表現したんだけど、最盛期と表現しても良いか。
金と違ってホラズム・シャー朝があっさり崩れたのはまだ大国になってから、
そんなに時間が経ってなかったからだと思える。先述したように杉山正明は、
当時のモンゴルはホラズム・シャー朝の侵攻はかなり綿密な準備のもとで、
進むられた言ってけど、それは金も同じはずなのにホラズム・シャー朝が、
崩れるのが早すぎたのは、ホラズム・シャー朝はまだ若すぎたからかな。
>>214 平地ばかりで森林が少ないのは守るうえで不利かもな
中東はよく中央アジアの遊牧民に征服されるけど欧州に征服されたのは近世までだとマケドニアのアレクサンダー大王の時くらいだから特別弱いということもないかな
ただ中央アジアはモンゴルや中国によく征服されてるから岡田英弘が言うように東高西低と言えなくもないね
228 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/30(土) 10:34:13.03 0
>>227 >欧州に征服されたのは近世までだとマケドニアの
>アレクサンダー大王の時くらいだから特別弱いということもないかな
一応、ローマ帝国と十字軍も中東を征服してるんじゃないかな。まぁ、
確かに近世以前だとそれぐらいしか例がない気がするけど、あぁでも、
ビザンツ帝国も中東から領土を奪ったり奪われたりしてるか。
中央アジアが取っても領土的に美味しくなかったというのもあるんだろう。 非遊牧王朝だと進出したのは唐のタラス河畔くらいだし。 中国は金遼に半分、元清に完全制服されているが欧州本土は、後ウマイヤ、オスマンに一部征服されたぐらいで後はよく防衛している。
230 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 12:35:43.88 0
まてまてw 欧州本土の定義ってなんなんだ?w 欧州の定義を旧ローマ帝国領とするならば シリア エジプト カルタゴなどの北アフリカはイスラムに征服されているし かつローマ帝国の首都コンスタンティノープルもいまだにイスラムに征服されたままだ イタリア南部やシチリアやアンダルスや東欧諸国は欧州の手に奪還されたけどさ 欧州はコンスタンティノープルをさっさととりもどすべき
231 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 12:55:45.56 O
なにせギリシア人もエジプトとシリアは自分たちの先輩や仲間とみなしていたみたいだからな。 セレウコス朝もバビロニア以東は別文明だが、 シリアは同文明としていたし。 ローマがエジプトを、パルティアやササン朝がメソポタミアを基盤としていたのも興味深い所だ。
232 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 13:06:09.86 0
ギリシアっていうといまではアテネをイメージするけど ギリシア哲学の中心ってアレクサンドリアだからな イメージと現実が乖離しているんだよ
234 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:13:41.80 0
エジプトが欧州ってw
235 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 13:17:26.94 0
アレクサンドリアやダマスカスやエルサレムやコンスタンティノープルが ムスリムに征服されてるのは現在では当たり前になっちゃってるけどさ ローマだってウィーンだってそういう可能性があったわけで
236 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:23:45.02 0
日本は朝鮮ゆかりの王朝だし、早く琉球人やアイヌ人に領土返還すべきだよな。
237 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 13:33:45.00 0
大和王朝の起源が大陸であることは明らかだよなー
>>227 金や西夏の主要部に平野だけどかなりねばったよ
地形で有利だったのは南宋とインドだけじゃないかな
あと、ローマは一時期メソポタミアまで制圧して属州にした
239 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:39:43.69 0
アメリカも早くインディアンに領土返還すべきだよな。
240 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:42:24.24 0
そもそも地球は恐竜のものだったから人間は爬虫類に領土返還すべきだよな。
双弓類が繁栄する前は単弓類の天下だったから問題なし
242 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:48:42.99 O
当時は「欧州」じゃなくて「地中海世界」みたいな認識かもね。
243 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:48:45.38 0
今のうちに火星の土地を買っておくべきだよな。
244 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 13:53:31.52 0
宇宙の歴史を考えると地球の歴史なんてどうでもよくなってきたな。
>>242 一応ヨーロッパ、アジア、アフリカの概念はある
246 :
◆axCVsGomao :2011/07/30(土) 14:12:16.92 0
アジアってアナトリア半島のことだったけどな
247 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 14:14:35.79 0
なぜ火星は地球になれなかったのか
248 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 14:19:31.20 0
極東の黄色いサルどもが白人様の地理学概念を語るのはおこがましいと思わんのかね。
>>229 中世以降は守りきってるな
中世欧州も守りは硬い
250 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/30(土) 19:29:04.80 0
>>246 確かに元々の意味はそうなんだけどね。それがいつの間にか意味が、
広がってしまって、ユーラシア大陸からヨーロッパを除いた共通性が、
あまりない地域をまとめて指すような言葉になってしまった。その上、
元々アジアの意味で使われてたアナトリアに多く領土を持つトルコは、
ヨーロッパに入りたがってるというのだから、何か皮肉な感じはするね。
251 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 19:56:23.93 0
>>245 東アジア世界の中に中国大陸、朝鮮半島、日本列島があるようなもんじゃね?
252 :
世界@名無史さん :2011/07/30(土) 20:00:27.72 0
本に書いてあったけど イスラム園はものづくりが苦手と書いてあった
>>249 トルコのウィーン包囲は欧州の内紛に乗じられたこともあって、どうにかなりそうな感じ
はあったが、モンゴルのときマジでヤバそうだった
バトゥの遠征軍は占領統治するほどの軍勢ではなかったから略奪目的じゃない。 モンゴルは巨大になりすぎてたし、攻勢限界点を越えていたと思う。 それより着実に領土拡大して統治機構も整ってたオスマンの方がじっく来るからヤバイ。 第一次の時にウィーン落としていたら欧州との力関係もまだオスマンの方が優勢な時代だし 世界地図が変わっていた可能性があったんじゃないかな。
ここは中東を賛美するスレになりました
なぜヨーロッパはヨーロッパになったのかスレだれか立ててくれないかな?
>>258 中世のころはイスラムから学問を学ぶ
ビザンツ帝国崩壊で優秀な人材が西欧に流れ込む
統一国家ではなく互いに競ってたってところかな
日本のイスラム研究者というのは、日本社会の中で負け組だった連中が多いんじゃね? で、同じく国際社会の中の負け組である中東諸国に異常なまでのシンパシーを抱く、と
と人生の負け組が申しています。
>>259 なるほどね。意外と議論の余地は少ないのかも。
263 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 18:00:02.76 0
>>255 >バトゥの遠征軍は占領統治するほどの軍勢ではなかったから略奪目的じゃない。
バトゥ自身は西欧まで侵攻する予定だったけど?
それに、ルーシー征服もそもそもホラズム残党を追撃するついでに起こしたものだったし
軍勢の数だけでモンゴル侵攻の意図を判断するのが間違い
264 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 18:04:38.38 0
第一次ウィーン包囲の時ヨーロッパが内紛してたし、ハプスブルグ家単独でも ウィーンの防衛に成功したから、トルコがそれ以上の戦果を望めないよ それを一番分かってたのはスレイマン1世
本拠地から遠く離れた10万そこらのモンゴル軍でどうやって欧州を恒久占領するんだよ。 そんなに簡単に占領できるなら一度撤退して二度とこなかったのは何故かしら? オスマンウィーンを落とせなかっただけであり、一世紀近くバルカン半島の支配を確立した。 東ローマとほぼ同じ領土を確保し外交も駆使して第二次ウィーンも敢行している。 通り魔みたいなモンゴルよりオスマンの方がよっぽど脅威だよ。
266 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 18:51:25.04 O
中東は点在するオアシス都市を除き、 環境が過酷すぎ。 スタートがもう少し早ければ東南アジアはかなり発展してたような気もする。
267 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 19:49:04.74 0
>>265 大量殺戮の恐怖で統治するのだろう
逆らったところは皆殺しの連続で
268 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 20:06:23.77 0
>>265 そう言う論理が通るならモンゴル帝国はファンタジー物語になるけど?
トルコを持ち上げる為に歴史を無視するのはイスラム擁護の論理か
269 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 20:09:46.59 0
>>265 >東ローマとほぼ同じ領土を確保し外交も駆使して第二次ウィーンも敢行している。
第二次ウィーン包囲の結果がさんざんでトルコ勢力の退潮の引き金になったけどね
だからあそこはトルコの限界
同時期欧州諸国の力が右肩上がりでトルコとの差がどんどん縮まってたのに、トルコが
攻め込めば欧州が取れるって歴史と現実を無視しすぎ
別にトルコを持ち上げているんではなくてモンゴルとトルコどちらが脅威だったのかって話してんだけどね。 いつのまにか第二次ウィーン包囲になってるけど第一次の時点でバルカン半島支配したオスマンの方がモンゴルより脅威だっていってるんだけど。 なんでイスラム擁護とかになるのかまったく意味不明。見えない敵と戦うお方ですか?
271 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/01(月) 21:11:28.02 0
>>270 確かに、純粋に欧州諸国にとって脅威だった期間はオスマン帝国のほうが、
モンゴルよりも圧倒的に長かったね。別にモンゴルを悪く言ってるんじゃなく、
単純に欧州にとって脅威だった期間の違いで言ってるだけだけど。とは言え、
欧州だってフランスみたいに逆にオスマン帝国と仲良くしてた国もあったから、
一概に欧州全体がオスマン帝国に対して脅威を抱いてたとは言いにくいけど。
272 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 21:33:13.80 0
西ヨーロッパはポーランドなどの広い後進地域が存在し、 そこを穀倉地帯として発展した。 中東にはそういう地域が無かったのが原因、と言ってみる。 あと、メソポタミアの時代からモンゴルの時代までメソポタミア周辺が 世界をリードしていたのは人口密度のせいではなかろうか。 砂漠ばっかだけどオアシスから水を引けばぐんぐん農作物は育ちそう。 で、そのわずかな地域ではどんどん人口が増える。 一方、ヨーロッパは分散していて都市が発達しなかったが、 そのかわり砂漠が一面に広がっているわけでもなく、全体が少しずつ発展していったと。
273 :
世界@名無史さん :2011/08/01(月) 21:52:27.44 0
>>265 モンゴルの支配は一人でも代官が殺されたら
住民を殲滅するってものだから少人数でも支配ができるんだよ
>>270 第二次ウィーン包囲を言いだしたのってトルコ擁護の人だけど?
それに、
>>271 でも言われたように欧州全体がトルコを脅威としてとらえたのはあくまでも
ウィーン包囲の軍事行動を起こした時だけ
それ以外は単に一大国としてしか見てない
実際第2次ウィーン包囲を起こした理由もハプスブルク家が対トルコ戦争で優勢だった
にも関わらずハンガリーをトルコから奪還しようとせずほかの権益に力を入れてたこと
>>273 その代わりに反抗しなければ宗教も文化も最大限に温存されたのだから
モンゴルの少数支配が可能だった
ロシアや中央アジア地域ではモンゴルの力が衰えた後でもチンギス王家の血筋が
尊重されてた
>>274 なんでウィーン包囲の時しか脅威感じないんだよw
コンスタンチノープル陥落前にジギスムントが十字軍まで結成してオスマン朝に挑んでるのに。
フランスが友好的であっても実際に占領されているバルカンで反乱あったら住民殺しまくってるのに脅威を感じないって呑気な人たちだな。
建国から数百年に渡って欧州の領土侵食したオスマンと一過性で二度とこなかったモンゴルじゃ脅威の度合いが違う。
モンゴル、モンゴルいいたいだけならスレ違いだぜ。
>>275 実際はそうだから仕方ないじゃない?
トルコと本気でやりあってたのはハプスブルク家だけだったし
建国から数百年って言っても基本的に東ローマの旧領だから、欧州諸国にとって本国
が攻め込まれてヤバいレベルじゃない
単純に脅威というのなら当時ヨーロッパ随一の大国ポーランドとドイツ騎士団の連合軍
を殲滅したモンゴルの衝撃が大きかった
直せる慢性病にかかってるのと不治の病にかかってるのと、どっちの衝撃が大きいか
比べるまでもない
黄禍論があってもイスラム脅威論やトルコ脅威論が出ないのが何よりの証拠
ここはモンゴルを持ち上げるスレになりました
278 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 08:03:50.94 0
>>276 >黄禍論があってもイスラム脅威論やトルコ脅威論が出ないのが何よりの証拠
いや、これはあまり関係ないでしょ。黄禍論は近代になって強まったものだから、
時代が違うと思うよ。まぁ、その時にモンゴルの記憶が甦ったりはしただろうけど。
それとイスラム脅威論やトルコ脅威論は普通にヨーロッパの移民社会において、
今でも唱えられてると思うんだけど。トルコがEUに入れないのはそれも一因だし。
まぁ、どっちにしろオスマン帝国とモンゴル帝国のどっちが脅威かという話題とは、
関係性低いね。まぁ、確かにハプスブルク家やバルカン諸国以外のヨーロッパの、
国々はそこまで真剣にオスマン帝国とやり合ってないからね。スペインは一時期、
敵対してたけどレパント以降は大して大きな戦いはやってないし。西欧の国々で、
オスマン帝国とガチでやり合ってたのは他にはヴェネツィアぐらいかなぁ。だから、
マヌエル2世が西欧諸国に助けを求めた時もほとんどの国が応じなかった訳だし。
まぁ、でもモンゴルだってガチでやりあった国は少ないんだから同じかも知れない。
なぜ中東は欧州になれなかったのか
280 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 10:09:59.50 O
これまでの議論からひとつの結論が導き出された。 ○欧州が発展した理由 :ユーラシア大陸の端にあったので、大陸からの侵略の被害が 少なかった。
282 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 16:32:09.65 0
>>278 欧州のイスラム脅威論は主に移民に向けてるものであって、イスラム国家が
強大化して欧州に脅威を与えるものじゃないから同列にできない
まあ、イスラムの脅威というのならトルコよりもウマイヤ朝になるはずなのに
なぜかオスマンばっかり持ち上げる人がいる
よほどオスマンに思い入れがあるのかな
ウマイヤ朝の時、ビザンツがギリシア火で盛り返してなければ欧州全域がイスラム化
してもおかしくなかった
>>280 オスマンにシルクロード、黒海航路遮断されたことが後の大航海時代、新大陸の発見に繋がる。
植民地+産業革命で欧州は欧州になった。
284 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 16:45:33.20 0
>>282 それ言ったら黄禍論だって日本の強大化という面もあったけど、
どっちかと言うと、移民に向けてる面のほうが大きかったでしょ。
まぁどっちにしろ時代が全然違うからほとんど無関係だろうけど。
ウマイヤ朝のほうが確かにイスラームの脅威には合ってるかな。
オスマン帝国の頃には、ヨーロッパのほうも大分発展してたからね。
ウマイヤ朝の頃のヨーロッパのほうが後進地域だった分、確かに、
脅威は大きかったかもね。とは言えオスマン帝国も脅威だったけど。
ウマイヤ朝の頃のヨーロッパが後進地域?? その頃はまだビザンツ帝国が健在でイスラム誕生からウマイヤ建国まで100年も立っていない。 駱駝の行商人の集団に毛が生えたレベルの頃だぞ。 ギリシャ、ビザンツの知識人吸収して科学文化で差をつけるのはもっと後の話。
286 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 17:14:40.32 0
>>285 まぁ、言われてみればウマイヤ朝もまだそんなに先進的じゃなかったか。
とは言えヨーロッパもビザンツ帝国除けば基本的に後進地域だったでしょ。
なにと比べて後進地域になるんだよ。西ローマ帝国滅亡後300年しか立っていないイタリア、フランクが文明後進地域か?
288 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 17:35:59.60 0
当時の東西ローマ地域は基本的にアラブより先進的だよな ローマのインフラや水道システムがまだ生きてた時代だし
289 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 17:47:17.55 0
>>287 ビザンツ帝国などの同時代の文明地域と比べてだけど。
ただ、個人的にこの時代の西欧にあまり詳しくないので、
同時代のウマイヤ朝と比べてどうだったかは分からない。
>>288 ローマ地域だったらウマイヤ朝も半分ほどは領有してる。
シリアや北アフリカやイベリア半島だってインフラはまだ、
生きてたと思うから、その点では互角なんじゃないの?
290 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 17:50:43.75 0
>>289 支配層のアラブ人がまだ後進地域のままだったけどね
ローマの文化を吸収したのはもっと後の話
291 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 17:50:57.27 O
>>189 アラブ人は野蛮でも、
すぐ隣に最先端地域であるメソポタミアがあるのはでかいな。
>>289 >ただ、個人的にこの時代の西欧にあまり詳しくないので、
そんな人間が後進地域言うなよw
293 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 17:57:58.25 0
>>290 ウマイヤ朝時代は少なくとも建築についてはローマよりも、
ペルシャ方面の影響のほうが強いみたいだからね。別に、
ローマの文化だってウマイヤド・モスクなどに多少影響は、
見られるから全く吸収してなかった訳ではないと思うけど、
大々的に吸収するようになるのはアッバース朝以降だね。
後、同時代の西欧がウマイヤ朝に比べてローマの文化を、
どれほど吸収してたのかは気になるところだけど。
294 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 17:59:30.74 0
>>292 でもビザンツとかと比べれば後進地域だと思うし、
当時の西欧がそんなに進んでたと思えないから。
まぁ詳しくないのは確かだからあまり偉そうな事は言えないけど。
296 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/02(火) 18:12:16.03 0
>>291 実際、イスラームはそれで発展したようなものだし。
初期イスラームはメソポタミアに限らずペルシャや、
ビザンツ(≒ギリシャ&ローマ)の影響も受けてたし。
後進地域の民族だったからこそ先進地域の文化を、
吸収することに熱心だったと言えなくもないのかな。
297 :
世界@名無史さん :2011/08/02(火) 22:48:41.61 0
>>280 古代ではこの特徴はむしろ
中東>ヨーロッパ
という序列の原因になっていたんだろうな。
ヨーロッパは大陸の端っこだったせいか、
ローマ文化(ここではキリスト教と考える)の到達が
ポーランドやリトアニアなどの北方ではやたら遅くなってる。
中東文化(ゾロアスター教、イスラム教)は拡散するのが早いのにな。
>>297 >中東>ヨーロッパ
これはローマ以前の序列だろう
ローマがヘレニズム諸国を併合して以降中心がイタリアからアナトリア、エジプトの
地中海沿岸に移った
299 :
世界@名無史さん :2011/08/03(水) 07:58:06.77 O
やはりエジプトは地中海文明(後のヨーロッパ文明)の元祖だからな。 そういえばシリアも中東と言うよりは地中海世界の一角と見なされていたような。 なら、ウマイヤ朝って案外ローマっぽいかもな。
300 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/03(水) 08:29:14.93 0
>>299 シリアのウマイヤド・モスクにはローマの影響も見られるらしいからね。
ウマイヤ朝はいかんせん短かったからローマ文化を吸収する途中で、
終わってしまった印象を受ける。しかも、アラブ人中心主義的だったし。
アッバース朝の時代になるとむしろ中心は東側にずれるから今までと、
違い地中海文明から少し離れるんだけど、ローマやギリシャの影響も、
それなりに多いんだよね。まぁペルシャの影響もかなり強まってるけど。
301 :
世界@名無史さん :2011/08/04(木) 15:05:19.11 O
ウマイヤ朝はパルミラ王国みたいだな。 地中海文明の一角だと。 ウマイヤ朝が続いてたら、イスラム教は「キリスト教アラブ派」とか 「キリスト教ダマスカス派」とかよばれてそうだ。
302 :
世界@名無史さん :2011/08/06(土) 23:56:25.99 0
ある時代には有利だった条件が別の時代には不利になったりすることは普通に ありそうだよな。 背の高い植物が生えている場所では首の長いキリンが有利だけど、 背の低い植物が生えている場所では首の長いキリンは不利だ。 それと同じで、ヨーロッパが中東より勝っているのも一時期だけの現象かも。
303 :
世界@名無史さん :2011/08/07(日) 21:30:53.85 0
>>281 いや、その当時の欧州各国の認識はそんなものだ。地中海の歴史をもっと見てみるといい。
オスマン帝国は16世紀にベネチア・スペイン・バチカン連合にプレベザの海戦で勝利したが、
同じ16世紀に同連合に敗北している。では、欧州各国とイタリア諸都市はそれ以外の時にオスマン帝国に対し同盟していたか。
同盟どころか地中海の覇権を巡ってベネチアとピサ・ジェノバは延々と抗争を繰り返した。
仮に他国がウィーンに援軍を送ったら、そのまま居座ってバルカン半島でオスマン帝国と戦うだろう。
まあ、欧州各国同士は政略結婚したから浅野・織田・豊臣・徳川が同じ日本人と思う程度の同族意識はあっただろう。
お互い支援の対象であるよりも監視の対象ではあったのだが。
欧州にもっとも脅威を与えた2度のウィーン包囲でも欧州諸国の対応が割れてるからな ハプスブルク家の勢力を抑えるためにカトリックのフランスがトルコと同盟したし ハプスブルク家の対応に不満を抱いたハンガリーがトルコと組んでたからな ヘンリク2世がワールシュタットで戦死した時に援軍を出さなかったフリードリヒ2世とベーラ 4世をヨーロッパ中が非難したという欧州諸国の反応とは好対照
欧州が覇権を握ったのは数百年いまや凋落傾向。歴史を振り替えると大体300年で大国も滅びる。 唐、明、清、徳川幕府、は大体300年。200年以上隆盛を誇った国というのも少ない。 欧州の時代は終わり、アメリカも磐石ではない。アメリカこけたら核と資源を持つロシアか中国の時代になるんかな。
306 :
世界@名無史さん :2011/08/09(火) 12:43:28.24 0
徳川幕府が覇権を握ったことはないし、中国では代替わりがあってもあそこにいる国がアジアを覇権を千年以上保持してきた 核と資源だけで覇権の判断基準だったらなにがあってもアメリカは外せない 世界で一番の資源大国&核兵器大国だから
核と資源と経済力だな。 経済力はマーケットの大きさ、人口が鍵となる。 技術力は情報化により拡散流出のスピードが早く平準化の流れが強いから技術で勝負してきた日本は相対的に不利となる。 世界の人口の半分近くを占める中国、インド、ロシアこの辺りでうまく立ち回れるかが鍵だな。
シーパワーとランドパワー。20世紀イギリス、アメリカのシーパワーの時代が終わり、21世紀は市場と資源を争うランドパワーの時代。 ユーラシアのハートランドを抑えた者がその盟主となる。 アフガンはソ連の侵攻をはねのけ、アメリカも撤退しつつある。 石油資源の中東諸国、核を持つイラン、中央アジアからウイグル自治区まで広がるイスラム系遊牧民族これらがイスラム同盟を組めれば21世紀はイスラムの時代になる。 団結できれば、の話だが。
309 :
世界@名無史さん :2011/08/09(火) 16:04:15.01 0
オスマンに資本主義がさっぱり育たない理由 「スルタンは土地の大部分を軍隊に与え、それを気の向くまま 処分するので、また帝国の官吏の相続財産を全て没収するので そしてある男が男子を持たずに死んだ場合にはスルタンが 所有権を持ち娘は用益権しか持たないのでこの国の財産は 大部分は不安定な仕方で所有されてるに過ぎない・・・・」
310 :
世界@名無史さん :2011/08/09(火) 17:04:06.07 0
>>307 >世界の人口の半分近くを占める中国、インド、ロシアこの辺りでうまく立ち回れるかが鍵だな。
中国、インドはともかく、ロシアはない
現在でも1億4千万程度しかないし、2050年で人口が日本より少なくなる
国だから
石油がなければ日本よりヤバい
人口なら現時点世界三位、しかも成長中のアメリカを入れないといけないのに
レス内容から見るとキミは反米っぽいから感情的に外したんだろう
イスラムは金利取らないから金融が発展しなかった。 キリスト教も金融を忌避するのは同じだが代わりにユダヤ系が発展させた。 資本主義の発展に金融は欠かせないからなあ。 ちなみにユダヤの陰謀論とかそういうのまったく興味無いから悪しからずw
そういえば昨日、先物取引で米復活したとニュースでやってたが、江戸時代、日本は金融先進国だったんだよね。 今でいう金融工学、裁定取引やオプション取引の発達が他国と比べても進んでいた。 第二次大戦、戦後の規制で長らく日本の金融機関ではその手法が忘れ去られていたが。
313 :
世界@名無史さん :2011/08/09(火) 17:36:40.98 0
>>311 >イスラムは金利取らないから金融が発展しなかった。
名目上の金利を取らないだけで実際は手数料という名の金利をとってる
合法で高利貸しやったり、博打の胴元やって寺銭稼いだ日本の仏教はおおらかだな。 今でも宗教法人で税金優遇されてるし。坊主丸儲け。
315 :
世界@名無史さん :2011/08/09(火) 17:51:31.93 0
政治の暴力が強すぎて欧州と日本以外は 民間資本の蓄積が異常に困難なんだよ 500年世襲の企業がある国なんて日本と欧州の一部だけだろ
日本の相続税も三代続けば0になるように設定されている。 これは財産の世襲を許さないという社会主義官僚的な考えで、設定されたと聞いたことあるな。
318 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 00:52:17.87 0
ドイツやイタリアには500年続く世襲ワイナリーがあって 日本にも同様な酒造メーカーがある 凶暴な国家権力、徹底的な破壊を伴う内戦、遊牧民の蹂躙 これらを奇跡的に避けられた西欧・日本のみに存在しうる奇跡
319 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 01:39:47.69 0
英仏100年戦争、ドイツ30年戦争、 ルネサンス期のイタリアの都市国家間での紛争 ですら中国やイスラムのガチ戦争とは違って 所詮は予定調和的な八百長戦争に過ぎない 戦乱に明け暮れた欧州っていうイメージは間違ってるんだよな
夏だな
321 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 05:27:40.94 O
オツガイを排除したい勢力はもっと説得力と弁舌を研かなきゃだめだね 正当性に欠けてますよ
>>319 最新の説では30年戦争で人口が1/3になったってのは間違いって
言われてるし、マグデブルクの話だってあれ一件だから
有名になったとも言えるな
欧州の戦争というのは、日本の戦国時代と同じく、所詮は同じ文明圏に 属する者同士の戦争だったということか
324 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 08:06:57.51 O
ヨーロッパの内部なんて日中韓越琉の関係よりよほど密接だわな
>>318 フランスのシャトーゴーレーヌは
1000年前から現在まで家族経営続けてるワイン醸造業者だよ
326 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 08:35:00.81 0
>>319 大航海時代以前はどこも似たり寄ったり大差ない同じ文明圏で兄弟喧嘩してるようなもんだ
火薬兵器が本格的に発達し導入され始めた欧州・明・オスマン・戦国日本の戦争に比べてしまうと
寧ろ遊牧民族の戦争が低次元の茶番に見えてしまう
>>319 キリスト教の影響だな
おかげで人材を無駄にせずにすんだ
アジアの戦争は町ごと虐殺が少なくなかった
328 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 11:16:33.92 0
>>327 アジアでも町が跡形も無く消える現象はねーよ
まず定住民把握するだけであの時代じゃ無理
>>328 チンギスハンが破壊したサマルカンド
アレクサンドロス大王が破壊したペルセポリス
330 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 11:56:17.49 0
>>327 >アジアの戦争は町ごと虐殺が少なくなかった
実際は少ないから起きた事例が延々と語り継がれてる
小説やマンガのイメージで語られても困る
あと、欧州でも村の大半が殺される事例があった
331 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 12:00:14.44 0
>>329 >アレクサンドロス大王が破壊したペルセポリス
これをあげてる時点で無知丸出し
アレクサンドロス大王がペルシャに傾倒してペルシア官僚を重用しすぎて
部下の反感を買ったの知らないのか
ペルセポリスは祭祀用の施設だったんだっけ
333 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 12:17:48.25 0
当時ペルシアの中心都市と言えばバビロンとスサだからな
334 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 13:43:24.72 0
で、スレタイの話はいつ再開するの?
佐々木良昭『革命と独裁のアラブ 誇りと甘えが交錯する中東の社会と心』(ダイヤモンド社) を読んでみた 中東では、サダカ(施し、喜捨)を受けるほうが堂々としているが、こうした姿勢が 独裁者と国民の間にも波及しているのだとか 独裁者に対して、「当然、あなたが食べさせてくれるんでしょ」という心理が働く コーランの中には「個々人が努力して、自ら道を開け。あなたが努力すれば アッラーが報いるだろう」という教えもある しかし、一部のインテリ層は別にして、一般人はどうしても「能力のある者が 面倒を見て、ない者は見てもらう」と、つい楽な方向に流れてしまう それがいつしか「能力のない者が面倒を見てもらうのは当然の権利だ」という 方向に拡大解釈されてしまう
336 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 16:43:58.86 0
>>335 アジアより欧州に近く工業化の成果も早い時期から見てきたのに未だに産業が育ってないからそれはあるかもね
>>335 一行にまとめると欧州になれないのは甘え。
キリスト教や仏教の場合、ほとんどの人間は、経典を言語ではなく翻訳で読む ところがアラブ人の場合、コーランをアラビア語で聞いたり読んだりする これの影響も大きいんじゃないかな アラブ社会では公の場で政治の話をするとヤヴァイからどうしても宗教の話題に偏る 彼らは預言者のエピソードや、カルバラの戦いの話を、子どものころから 日常的に周囲から聞かされている アラビア語でそういう話を聞いているうちに、預言者の時代と現代が頭の中の回路を 行き来して溶けあい、時に預言者がすぐ近くにいるような錯覚がもたらされる ある種の幻覚が生じ、時間的な感覚が欠如してしまう 古代のギリシア人は、吟遊詩人が語る物語を聞いたり、神殿に祀られている神像や彫像を見て、 現に運命を司る神々や現し身の英雄たちそのもののように感じていたらしいが、 それと似たようなものかも試練 ちなみにアラブの学生に、「アラブの出来事を歴史順に並べてごらん」というと、 うまく並べられない者が多いのだとか 500年前の出来事を言ったと思うと、突然10年前の出来事を話し、次はいきなり800年前に飛んだりする アラブの歴史をばらばらに、印象の強い順番に並べてしまう、というわけ
339 :
338 :2011/08/10(水) 21:04:33.56 0
×経典を言語ではなく翻訳で読む ○経典を原語ではなく翻訳で読む
340 :
世界@名無史さん :2011/08/10(水) 21:58:18.44 O
「ウマイヤ朝は地中海文明の一部だった」という視点は興味深かった。 ウマイヤ朝のままだったら、中東は新たなゾロアスター教かマニ教の国家が誕生してたかもね。 で、ウマイヤ朝はブラックアフリカに軸足を移すと。
341 :
◆axCVsGomao :2011/08/10(水) 22:02:07.37 0
ウマイヤ朝はペルシアじゃなくてシリアを中心とした国だったわけよ シリアは旧東ローマ帝国領 ウマイヤ朝がつづいていたらペルシア的要素がうすくなっているはず ゾロアスター教はペルシアだろが
>>327 西欧(イスラムと東方遊牧民の占領を受けなかった地域)には
シナのように九族誅滅とか住民を捕まえて食料にして進む反乱軍みたいな
身の毛もよだつ話はないからね
苛烈な拷問はあったけどこれは洋の東西共通だ
特殊な例をあたかも一般的に行われてたかのように語るのはどうかと思う
中東が欧州になれなかったのは、何でも他者(他国)のせいにする思考回路が原因では? 十字軍やモンゴルに始まって、今では何でも欧米のせい。 本来は自分たちで解決すべき問題まで、欧米のせいにしてごまかす。
345 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 10:10:50.77 O
もう少し砂漠が少なければモンゴルの破壊からもすんなり復帰できてた
やはり部族制を解体できなかったのが発展できない一因かと アラブ人は国家が国民を守ってくれるという発想が薄い 彼らが頼り、信頼するのは家族・親族・部族
>>324 西欧ってノルマン人の侵略・移動が完全に終息した
12世紀以降2011年現在まで上流階級って全く変化してないからね
中国なんて800年続くエリート一族なんて存在しないだろう
そう?騎士階級が没落して新興資本家が台頭したんじゃなかったっけ?
>>348 いや、今でも西欧におけるオールドアセット(土地、貴金属、美術品)の
オーナーは中世の騎士を祖先にもつ人たちが多い
あと19世紀の新興資本家もほとんどそういう名門の血を入れてるからねえ
350 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 11:54:21.82 0
>>347 >中国なんて800年続くエリート一族なんて存在しないだろう
数百年続く有力者はいるけど、キミが知らないだけ
あれだけ広く人口の多い国だからトップが入れ替わっても有力者が全員消滅する訳じゃない
むしろ協力的な有力者を積極的に残したりする
>>350 まあいないってのは言い過ぎた
行政院長勤めた孔祥煕とかいるからね。
ただ元・宋の士大夫階級が1949年の革命まで上流階級を形成してた
ってのは無いから。しかも均等相続が原則の中国にね
352 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 12:20:24.76 0
>>351 中国の場合は家じゃなく氏族単位で見るべき
>>352 日本、西欧・・・イエ
中国、イスラム、モンゴル・・・クラン
ここに現代資本主義の謎を解く鍵が・・・
354 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 12:32:57.81 0
新大陸航路が発見されるまでイスラム商人の力は絶大だった 金儲けに関してユダヤ人と並ぶ華僑が東南アジア諸国の経済を握ってる そして共産主義は名ばかりで実体はアメリカもビックリの超資本主義国家中国
中国本土の資本家ってどうなったんだろね。 あれだけ広い国だから革命が起きても全滅させられたとは考えにくいから 何らかの形で生き残ったのか。 文革とか切り抜けたんだろうか。
>>355 革命後も残ったいわゆる愛国資本家は使い捨て
党のポストは得るが所有権は放棄させられ
管理技術を習得させたら強制収容所行き
357 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 13:01:43.67 0
アラビア半島でも遊牧生活してるベドウィンとか氏族単位で見れば1000年以上続いてるだろ 姓でだいたい祖先が断定できる
>>352 科挙は一族の中の優秀な子を選んで一族上げてバックアップ。
で合格したら一族あげて利権に群がると。
九族誅殺ってのは日本人から見たら残酷だが、氏族単位で動く中国にしたら御家取りつぶしくらいの感覚か。単位が違うんだね。
>>356 高速鉄道の事故の時の責任者すごく偉そうにしてたね。
事故車両埋めろとかw
党のポストってのがある意味財産になるんじゃないかな。
絶対的な許認可権でものすごい利権だし。世襲できるかは微妙だが。
資本主義の財産とは違う、社会主義ともまた違う別の概念で階級再構築してるのか。
日本も秋田県知事に佐竹敬久氏がいるけど これって世界的にみると結構珍しい現象だね
361 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 13:23:24.71 0
>>355 文革で真っ先に潰される対象はずの孔子の子孫は普通に残って要職
についてたりするから、生き残る資本家がいてもおかしくない
そもそも文革は劉少奇一派の打倒が目的だから、毛沢東に協力的な人間や
潰したら困る人間は対象外
>>360 中国元首相の朱鎔基は明王朝王室の子孫
>朱鎔基は明王朝王室の子孫 これも怪しいんだよなあ 姓が200も無い民族で家伝と族譜だけでそう主張されてもなあ
幕末の使者がアメリカに行ってワシントンの子孫を見て大統領の子孫が一般市民!って驚くエピソードなかったっけ。 世界史的にみると世襲がない国の方が例外的に見えるんじゃない。 ケ小平は文革含め三度失脚したのによく生き残ったな。 毛沢東と同じく客家の出身だが革命や戦争を切り抜ける知恵とパワーが伝統的に受け継がれてるのかな。
364 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 13:41:22.39 0
>>362 族譜がアウトなら日本の系図もすべて怪しいことになる
365 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 13:43:47.52 0
てか伝統が続いているからどうかなんざ家系図しだいだよな アフリカ奥地やパプアの首長だってひょっとしたら2000年以上続く家系かもしれんし
366 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 13:56:52.73 0
>>362 >姓が200も無い民族で家伝と族譜だけでそう主張されてもなあ
現在正式に登録されてる姓は4700程度だが?
歴史書にあった姓も含めると1万以上
日本人は明治以前は名字の無い人がほとんどなわけで・・ 自分は某戦国武将と同じマイナーな名字で子孫ですかとよく聞かれるが全然関係無いとイチイチ説明してる。
>>365 それ言ったら人類は皆アフリカ人だw
重要なのは地元レベルでは名士・経営者・投資家であり
国家レベルでは軍人・官僚・文化人・学者として
奉仕してきた民族・国家を背負う名族として恥ずべきことは出来ない
っていうプライドなんだよねえ
369 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 14:16:25.32 0
>>368 >それ言ったら人類は皆アフリカ人だw
女系で見た場合ね
男系で見ると結構途切れたりするし、ここで言う家や氏族も基本的に男系
>>367 某戦国武将と同じマイナーな名字で
よく聞かれるが
長宗我部かな?w
372 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 14:32:07.95 0
>>370 長宗我部は超がつくほどメジャーな方だろう
>>353 アラブの王族は、日本の皇族のような“身分”ではなくて“血統”なんだよな
だから王子の数が多すぎるからといって臣籍降下させるわけにはいかない
モンゴルは母系主義だったな。ジュチとか男系社会だったらありえんなw 系統こだわってると欧州の王族にみたいに血友病が蔓延したりで、狭い血族で回すとろくなことがない。 オスマンとかはハーレムでとっかえひっかえだから遺伝子的にはこっちの方が健全だわな。
>>372 武将の話じゃなく、名字がマイナーって意味だろ
>>372 武将としてはそこそこメジャーで名字としてはマイナーなんだよ。
だから長曽我部みたいな感じ。
あんまりやると特定されそうだからやめれw
小さい頃から悪いことするとすぐバレるからと教育されてきた。
>>376 一般人も知っててかつ希少姓・・・
尼子
六角
どっちかだろう?w
378 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 14:52:56.62 0
>>376 なるほど
そういや昔学校で某小六の名字や某宇宙センターの名前のヤツがいたな
ああいう感じか
蜂須賀 種子島かw
アラブでは、王制の国はもちろんのこと、共和国でも大統領のファミリーによる “同族経営”が行われている この場合、同族以外のファミリーや部族に対して公平な扱いは行われない リビアで起きている動乱にしても、単にカダフィの独裁に対する反発だけではなく、 部族の利害対立や地域間対立がある そういえばムバラクも次男のガマールを大統領の後継者にしようとしていたな… たとえ世襲制でも部族制が存在せず、特定の部族だけが利益を享受するという状況が 存在しなければ、それは社会の安定につながるのだが
>>377 尼子は地方によっては結構いるよ。
まあ蜂須賀クラスだな。
もう一切レスしないからw
>>380 そう。さっきから西欧封建制の優位について粘着レスしてた者だけど
それを言いたかった。代弁してくれてありがとう
383 :
世界@名無史さん :2011/08/11(木) 15:08:06.25 O
そういえば西日本は家ごとの力が強く、東日本は氏族の力が強いと言われてたな。 だから西日本では自然発生の名字が多く、 東日本では武士由来の名字が多い。
>>374 >オスマンとかはハーレムでとっかえひっかえだから遺伝子的にはこっちの方が健全だわな。
でもその場合、ハーレムの女性や宦官の政治への介入を招いてしまう
>>384 オスマン衰退の一因だね。
しかしロシアや中東、アジア各国のの美女をミックスして代々血統繋いでるからすごい美男、美女が生まれそうなんだが。
オスマンの末裔はトルコに健在らしいけど顔見てみたいな。
メフメト6世でググったら画像でてきた。華奢なハンサムって感じだ。 しかしその数代前の皇帝は皆いかついトルコのおっさんって顔だな。
中東諸国の中でもインテリ層は、大学を出るとイギリスをはじめとしたヨーロッパに 留学する者が多い。 例えばイギリスに留学した者は、大英博物館で目にする宝物の70%が、実は中東から 略奪されたものであることを知る。あるいは数学、化学、天文学といった学問が、 実はアラブ繁栄の時代に、中東で発達したものだということに気づく。 「ヨーロッパが生みだしたとされている近代科学の基礎のほとんどは、イスラム文明の遺産じゃないか」 「決して欧米独自のものじゃないぞ!」 歴史の事実を知った彼らは、現在の我々がこんな体たらくなのはイスラムに対する 信仰心が足りないからだと考える。イスラムの信仰を取り戻し、アッラーの意思に かなう形で努力すればきっと諸問題が解決できると考える。 イスラム文明もまた、ビザンツやサーサーン朝など、先行文明の遺産を受け継いだものだったこと、 ヨーロッパが17世紀に「科学革命」を起こしたことに思い至らないのが彼らの限界かな。
389 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 08:40:49.09 0
アヴェロエスもガリレオも弾圧されたけど どうしてイスラム世界には次の世代の科学者がうまれなかったのか
390 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 08:43:55.01 0
実際問題自分がスルタンとして 自国領土から美女がハーレムに送り込まれてきて バルカン半島の美女に囲まれて堕落しないはずがないわな
391 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 09:01:36.66 0
>>388 欧州は学術と技術と商業が完璧な融合を果たしたからね
封建制により財産権が帝権から守られた
古代ギリシャローマを理想像にした
遊牧民に荒らされなかった
西欧全域にまたがる統一政権が生まれなかった
ま、この4つだろうね
大航海時代以降、ヨーロッパは以前の数十倍のスピードで発展した 大航海時代以降のヨーロッパが凄すぎるのであってアジアが衰えたわけじゃないだろう 中世の頃のヨーロッパは慢性的な食料不足で身長も小さかった あの頃は比較的食料が豊富だった中国のほうが体は大きかったかもな イベリア半島奪還に700年も費やしたのが中世ヨーロッパの実力
393 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 09:11:26.42 0
古代ローマの時代でもガリア人のほうが身体が大きいことが描写されていなかったか?
>>391 四季と自然が豊かだったのも大きい
ローマ人やガリア人が航海巧者だったのも大きいかも
395 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 09:17:13.67 0
まあ1860年代の欧州は異常だよ なんせ欧州ではロンドン〜NY大西洋海底横断通信ケーブルが完成してたのに 他の文明圏では飛脚とか松明信号とか駅馬車だろ ここまでの文明格差ってもう人類史ではないだろうな
396 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 11:56:43.72 0
>>392 中国停滞の原因は厳しい言論と思想統制を敷いた明王朝だろう
>>395 産業革命以降の発展はそれまで何世紀もの間科学と産業の発展の積み重ねがもたらした成果
397 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 12:19:41.21 O
朱子学は悪いわ。
>>395 スレとは直接関係のない話だが、
西暦1851年(嘉永4年)、世界最初の海底ケーブルがドーバー海峡に敷設された。
そして早くも翌嘉永5年に、その情報が長崎の和蘭商館長(和蘭の東インド株式会社日本支店長)
すなわち甲比丹から、長崎奉行経由で幕府に提出された和蘭風説書によって報告されている。
長崎の海軍伝習所では海防、兵備の研究から、電信機の研究も盛んに進められていった。
そうした時代に、風説書によって次から次に海底ケーブルの新知識とその発達の状況を知った
幕府重臣たちは、海に囲まれた国である日本にとって海底線ケーブル政策が
いかに重要なものであるかを知っていたらしい。
地球の反対側にいる日本がすばやく情報をキャッチして、その対策について考えていたのに、
いたのに、欧州のすぐ隣にあるオスマン帝国は何をやっていたんだ?
399 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 12:34:14.77 0
朱子学というか陽明学だろう 本来の朱子学は宇宙万物の原理を探求する精神を推奨してるのに、明になると それが道徳論に矮小化された
400 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 12:40:38.99 0
>>398 そういう情報をキャッチした幕府中枢部が開国論に傾いたけど、情報と無縁の
下級武士が火病を起こして攘夷を叫んで掻き回した
異なる文化を積極的に吸収する日本ですらそうだったから、イスラムの代表を
自負するオスマンがそう簡単に異教徒の科学を受け入れる訳がない
>>400 まあ、そうだ罠。
幕府というのは、結局武威によって政権の正当性(?)が保証されていたから、
情報公開して下級武士や庶民にまで西洋の軍事技術のスゴさが伝わると、
あっという間に倒れてしまう。(現にそうなった)
オスマンもイスラムの代表であるということがその正統性を保証していたんだから、
イスラムを否定したら政権の存在意義自体が問われてしまう。
オスマン帝国で大学が設立されたのは1846年で、日本よりも早かった。
でもDarulfunun(百学の家)と呼ばれたこの大学は、14世紀まで遡ることのできる
イスラムの教育施設が近代ヨーロッパの大学の影響を受けながら転身したもので、
創立後も伝統的学知からの離脱に時間を要している。
これに対して日本の帝国大学創設は、国民主義的西洋化、つまり西洋的学知の
徹底した移植を自ら目指していた。
それもこれも明治維新で徳川幕府が倒れたからできたことだが。
>>398 1800年頃から欧州に留学生派遣し軍の近代化に着手してる。1800〜1860年頃はロシアの南下政策で露土戦争、クリミア戦争と
血みどろに戦ってる頃で、全体的に苦戦してるがフランス等の援助もあって
セヴァストポリ要塞陥落させ局地戦勝利したりと壊滅的にやられていた訳ではない。
403 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 15:19:25.57 0
>>402 >1800年頃から欧州に留学生派遣し軍の近代化に着手してる
の割にトリポリ戦争で独立直後で少人数のアメリカ海兵にあっさりやられた
>>400 300年鎖国していた日本とトルコを比べるのはどうかと。
建国当初から欧州の領土獲得と共に人材、技術の流入が相当あったから600年帝国を維持できた。
コンスタンティノープル戦で使われたウルバンの巨砲はハンガリー人技師が開発し東ローマ等で採用されずオスマンが採用した。
新しい技術を受け入れないのは古い官僚組織や軍の伝統的であってどこの国でもある。
>>403 それを言うなら建国前のアメリカに独立戦争負けた大英帝国は激弱だなw
>>402 でもさ、日本の場合ラクスマン来航、レザノフ来航、フェートン号事件、アヘン戦争などの
ニュースを聞いてものすごい危機感を持ってたじゃん。
でもオスマン帝国の場合、グルジアの一部を譲ったり、キュチュク・カイナルジャ条約で
クリム・ハーン国に対する政治的保護権を放棄する羽目になっても、それほど
深刻に考えていたようには見えない。
もし江戸時代の日本が、蝦夷地の一部や琉球の保護権(?)をどこかの列強に 奪われることになったら、ものすごいショックを受けたと思う。
408 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 16:16:50.01 0
>>405 独立戦争はどういうものだったのか分かって言ってる?
>>406 見えないって言われてもなあ・・・トルコの歴史を注意して、よーく見たことあるの?
410 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 16:35:53.71 O
やはりオスマン帝国はでかすぎたのか。 マムルーク朝などが残っていれば。
そこまで見えていて、何であんな不平等条約を結んだのだ? あれで幕府は対外的に弱腰という評判が固まって致命傷になったのに。
>>411 あの時代、非西洋の国で不平等条約を無理矢理結ばせられなかった国があるのか?
あるなら教えてほしいんだが。
ちなみに、ラテンアメリカ諸国が独立時に欧米各国と締結した通商条約は、
アジア・アフリカ諸国とは違い、領事裁判権や協定関税率制度を含まない平等条約だった。
にもかかわらず、これらの国々はいまだに先進国入りできていない。
やはり近代化のやり方に問題があったのではないか?
まあラテンアメリカの話はスレ違いかも試練が
清朝もそうだけど領土広いと列強の浸食に全ての領土守るってのは不可能だから。 一部譲渡して時間を稼ぎ近代化としか打つ手はない。 領土的に日本とトルコじゃ広さが違うから同一に考えることもできない。 トルコが日露戦争の日本の勝利を自国のことのように喜んだという話があるが、これは反露感情の裏返し。 近代化、憲法制定、青年トルコ党・・これらは一朝一夕でできるものでは無い。 領土取られて戦争で何十万人も殺されてイイヨ、イイヨーってほどお人好しな国民性でも無いと思うけどね。
414 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 16:56:36.94 0
>>411 分かってるからこそ不平等条約結ぶ道を選んだのでは?
相手との差があんまりにも大きいから、戦って国が滅ぶより多少の不利益を被っても
近代化して国力を増強すべきだろう
攘夷論を叫んでたのは基本的に欧米諸国の力を分かってない連中だったし、長州
も薩摩も欧州と直接交戦して以降方針転換した
そういやNHKで日米開戦のドキュメンタリー再放送やってたが、日本も勝てないと分かってるから 近衛、東條、武藤までも開戦回避の努力はするんだが、アメリカはまったく妥協しないんだよね。 交渉というよりヤクザの因縁みたいな感じで相手の選択肢をどんどん奪っていく。 アメリカの外交えげつないなあと思ったよ。 スレ違いすまん。
416 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 17:14:16.07 0
>>415 そのシリーズを見たことがあるならわかるが、あのときは二重外交だったり
海軍と陸軍に引っ張られて外交方針ブレブレだったり、マスゴミを使って
世論を煽ったり煽られたりして暴走したのが敗因だったじゃん
実況スレでは「民主党批判じゃんこれ」の突っ込みが多かった
>>410 エジプト(ムハンマド・アリー朝)がもう少し頑張っていればなあ
418 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 17:52:20.26 O
上で人口の少なさや人口のオアシス都市への密集などといった、 中東の「脆さ」について指摘されてたが、 アラブ・イスラム帝国の征服まで中東でなかったことからわかるように エジプト、シリア、アナトリアってそういう脆さとも無縁だよな。多分。 むしろ西欧文明の兄貴分だ。 問題は、それらの東地中海とギリシアの文化圏が一つの帝国にまとめられたこと。
江戸幕府は不平等なのかどうかも内容がよくわからずに条約を結んだのが真実だよ。 始めての外交交渉で何がなんだかわからないまま、勢いで取り敢えず締結しただけ。
真実w
421 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 18:19:23.68 0
>>419 江戸幕府がペリー来航まで欧米に触れてなかったとでも思ってるのか?
欧米を警戒してた理由も清と欧米のやり取りを見た結論だった
あーっと勢いで締結してしまったあ。 それにしてもこの幕府ノリノリである。
423 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 18:24:22.55 0
>>406 オスマンの知識人は西欧を無視するようにつとめたとかなんとか
結局のところ十字軍以来の西欧蔑視の感情がのこっていたんでしょうな
424 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 18:40:07.59 O
アメリカがメキシコから領土を奪ったことも幕府の官僚は知っていた。
>>423 日本でも清でも西欧化反対勢力はいたわけで。
知識人が西欧化反対するのは自分の飯の種を脅かされるから本能的なもの。
426 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 18:52:19.65 0
イスラム世界は東ローマ帝国が存続していたほうがよかったかもしれんな 西欧の知識でも東ローマ帝国経由なら受け入れられるだろうし
427 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 19:02:19.55 0
>>425 日本はもちろん、清王朝の近代化の動きもトルコより早かったと思うが
>>427 反対勢力の有無を言ってるのであって時期については何もいってないんだけど。
早かったら何かあるの?
・部族制の解体 ・自由 この二つが揃わない限り、アラブ諸国の発展は無理っしょ。 あとは「失敗国家」になる道ぐらいしか残されていないんじゃないかな。 かつての欧州諸国は北アフリカの海賊に悩まされていたが、今は難民、不法入国者、 移民が頭痛の種。
430 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 19:30:12.59 0
>>428 日本も清王朝もトルコと違うのは早くから産業の近代化と育成に力を入れてた
431 :
◆axCVsGomao :2011/08/12(金) 19:36:10.66 0
>>429 部族制はイスラム黄金期でも存在したもんだからあんまり関係ないだろ
>>430 アブデュルメジト一世の西欧化、近代化のギュルハネ勅令 タンジマートが1840年頃から。
清朝 洋務運動 1860年頃。
日本 明治維新 1867年。
うーん、どっちが早いのかしら。
オスマン帝国が本格的に西欧の近代化モデルに学ぼうとしたのは、セリム3世 (在位:1789年〜1807年)の治世から、ということでいいかな。 ただこの時期には軍事力などのハード面さえ学べば簡単に劣勢を挽回できる、 と考えていたんだろうな。
434 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 20:08:15.88 0
>>432 タンジマートに産業の近代化はないけど?
あれは基本的に法律面と制度面の話
ラテンアメリカスレでもこれからは新興国の時代だ、と主張している奴がいるが、 正直言って、19世紀後半までに近代化を成功させられなかった国はこれからも ダメな可能性が強い。 1865年 アメリカ南北戦争終結 1861年 イタリア統一 1868年 明治維新 1871年 ドイツ統一 不倫して、相手の女に「離婚するのは子供たちが大きくなるまで待ってくれ」 という男がいるが、今、別れられない人間は将来も別れられない可能性が強い。 それと同じこと。 下世話なたとえでスマソ
>>434 欧州と地続きだから軍事産業の技術交流があったと思うが、
確かにトルコで日本のように産業が育ったという話は聞かないな。
第二次大戦までに大和、零戦を自力生産できるようにした日本が世界的に見ると異常だな。
438 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 20:39:31.86 0
>>429 氏族制は韓国ではセマウル運動、
中国ではおそらく文化大革命で解体した。
どちらも相当な荒療治だったようだ。
どちらも伝統文化をかなり破壊してしまった(特に文革)。
439 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 20:52:11.86 0
>>436 中国は早い時期から産業育成に着手してたから、ラテンアメリカとは違う
>>432 が言ってる洋務運動では造船所や兵器製造工場、近代化された民間工場
などの整備に力を入れてたし、日清戦争前まで小型艦艇の国産化に成功してた
この制度の改革よりも産業育成が中心の方針が今の中国にも引き継がれてる
イスラムマンセー、ラテンアメリカマンセー、中国マンセー
日本は近くに朝鮮半島があってラッキーだった。 半島から原始的資本を収奪する事で、近代化を達成する事が出来た。
やはり21世紀は中国の時代だな。 ちょっと中国語勉強してくる。
人が多く集まってにぎわっているスレには、なぜか他のスレから入り込んでくる奴がいるな さっさと東アジア関連のスレに帰れ
朝鮮じゃ資源も労働力もたいしたことないからインフラ整備等を考えたら赤字だろう。 満州を既得権益化できてたら工業、資源的にも大きかっただろうが。
日本が近代化できたのは、江戸時代に琉球と蝦夷地を世界システム論でいう “周辺”にしていたから
446 :
世界@名無史さん :2011/08/12(金) 21:56:31.53 0
ビザンツが現在のギリシアとマケドニアくらいを支配出来、 さらにマムルーク朝が存続していたら オスマンのいいケンカ友達になっていた。 三人じゃメンツがたりないかな
ティムールがオスマン滅ぼしてたら世界史かなり変わってたな。
>>446 ハプスブルク家やロシアとずっとケンカしてきたのに成長しなかったのだから
メンツが増えたところ変わらんだろう
449 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 02:15:40.57 0
>>448 オスマンは大きくなりすぎた。
アナトリアだけで十分。
イスラムって物づくりよりも思想の方が重視されるらしい 石油があるって資源的なことだけで存在感がある現状だが イスラムのつながりで西洋の金融業を乗っ取るとか そういうユダヤ的な裏側の組織は今後作れるかもね
『興亡の世界史 04 地中海世界とローマ帝国』(講談社)に、 ……ローマ人は規範を絶対としてまつりあげるのではなく、現実の人間の尺度に あわせる余地をいつも残しておくのである。 という指摘があった。 これを読んで連想したのが、徳川幕府が鎖国政策をとりながら、長崎、対馬、 琉球、蝦夷という「四つの口」を開けて、貿易や情報収集を行っていたこと。 イスラーム世界の場合、ローマ人や日本人のように、「余地をいつも残しておく」 ということは考えなかったんじゃないのかな。
452 :
◆axCVsGomao :2011/08/13(土) 09:27:50.07 0
日本が発展したのは戦後アメリカが資本投下してくれたおかげ 明治維新の帰結は1945の大敗で基本的には失敗したと思っている アメリカの日本統治がうまくいった
453 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 09:45:00.79 0
ロシア、ポーランド、中国、オーストリア、ドイツ、 朝鮮、ベトナムなどといった 現時点でのライバルもしくは将来ライバルになりそうだった国が 内戦や社会主義化でダメになったのもでかい。
454 :
◆axCVsGomao :2011/08/13(土) 10:13:45.76 0
今のロシアみてると社会主義ってそんなに悪いのかわからんけどな
455 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 10:23:39.37 0
近世以降のヨーロッパの発展の速さと、 アフリカの発展の遅さは異常。
産業革命以後の技術発展が異常。 第二次大戦の200年くらい前は鉄砲や騎兵でドンパチやってたのに第一次大戦で飛行機、戦車、さらに核兵器だからなあ。
457 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 16:56:20.80 0
>>456 あれはルネッサンス以降の科学技術発展が元になってるからな
電気、冶金、数学、物理、化学から法整備、社会と制度の変革は18世紀後半まで
西欧をこれまでとは全く違う世界に作り上げたから出来たもの
それまでの積み重ねを見ずに産業革命以降の発展だけ見ると唐突な感じがするが
それまでの流れを見れば来るべき時期に変化が起きた
ムスリムが西欧に関心がなかった、というのはもうさんざんいわれているが、 たとえばイギリスのように大帝国を築き上げても、情報収集に熱心な国というのもある罠。 この違いはどこから来るのか?
459 :
世界@名無史さん :2011/08/13(土) 23:53:29.21 0
>>458 の疑問に乗っかります。
イギリスって植物の標本あつめたり動物園つくったり近代には恐竜の発掘したりしてるよね。
中東は動物園なかったの?
植物の品種改良は積極的にしてことあるのでしょうか?
また、ヨーロッパは中国の磁器を国産化しようと必死で研究したけど中東は?
中東って探究心を感じられないのですがいかがでしょう?
ロシアは近代化に遅れたけどソ連時代は最先端の科学力でしたよね。
ロシア科学アカデミーは先端だったよ。宇宙分野、無線、電話の開発あたりで当時の先端をいっていた。 中国も清中期までヨーロッパにあまり関心持ってなかったね。17世紀頃までは欧州のアドバンテージもそれほどでなかった。 その後急速に台頭したから追い付けなくなった感じだな。
461 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:25:17.44 0
ソ連以前から進んでいたんですね。 中国はもともと探究心ありますよね。 東アジアは20世紀になって発展して、イランなんか北朝鮮からミサイル買ってるほど。 東アジアにも抜かれる中東に発展などないってことですよね。 インカやアンデスだって親指ほどだったトウモロコシを品種改良で有用にしてます。 ジャガイモも同様。 中東は中米にも劣るのでは?
462 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:31:33.95 0
ヨーロッパの中世前期(メロヴィング期くらい)は暗黒時代とかいわれるが、 その間に何かしらの蓄積はあったものかね? それとも中東がモンゴルの被害でやられた後に、 恐竜が絶滅した後の哺乳類みたいな感じで進出したのか。
アラブは商人の国。商人というのは要するに右から左にモノを動かすだけ。 しかも堅実にやるのではなく、隊商組んで一発狙ったり、ぼったくりで一発狙うのが 美徳だから始末が悪い。 ヨーロッパだと同じように右から左に動かす東方貿易でも、リスク分散のために 保険契約や有限責任の株式会社が発達したりしたのと対照的。 千一夜物語を見ても、成功譚というのは、宝物を見つけるか、有力者に見初められるかの どっちかだけという堅実性のなさ。
464 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:44:21.99 0
日本も不思議だわ。 開明的な人間が何人もいた旧政府が滅びて、 国一番の貧乏県の中世同然の野蛮人が政権を握り、 「国土が焦土になってもかまわんから外国人を追い出せ」 とか言ってた人物が国王と認められるんだからな。
465 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:46:01.50 0
>>463 そこが不思議なところなんだよな
少なくとも今の商売人は、原則整理整頓をきちんとして
毎日帳面をきちんとつけて、
出金・入金の管理を毎日きちんと行い、
原価計算をきちんとおこなうことを求められているのに、
几帳面さが求められているのに、
何故か複式簿記を発明して、几帳面な管理を
しようとせずに、ただ単に一山あててやろうとする
発想のやつしか出てこないのだよな
今の近代の商売人では考えられないのだが、
ヨーロッパだと複式簿記とプロテスタントと資本主義が結びつき、
日本だと禅と儒教的道徳と資本主義が結びついて
几帳面な商人像が出来上がったのだけど
中東はいつまでたっても、一山当ててやろうとする政商や山師
しか出てこないのだよなぁ
中世まではイスラムの方が進んだ分野多かったんだけどね。 科学分野では数学の代数、錬金術化学、医学などはヨーロッパに流入した。 地理学だとイブン・バトゥータがいるね。 しかし中世以降は科学分野で有名なのって思いつかんな。
467 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:52:48.72 0
複式簿記のあゆみ 複式簿記は、12世紀頃のアッバース朝のイスラム商人によって発明された。 リスク、チェック(小切手)などの言葉もアラビア語由来であり、起源は イスラム世界である。その後、複式簿記の仕組みはヴェネツィアや ジェノヴァの商人を経てヨーロッパにもたらされた と、Wikiにあるのですが... このスレが袋小路になってるのも、資料をひもとくとイスラムは先端なんですよね。 それがどうして停滞してるのかと。
>>465 山師しかいないところに石油が吹き出すから不思議だよなw
石油無ければ中東は終わった地域だったのに。アラーの御加護か。
469 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 00:57:32.41 0
モンゴルもでかいけどそれだけじゃ説明できないな。 アナトリアとエジプトとシリアはモンゴル領じゃないし。 あ、ギリシアとバルカンもか。
ヨーロッパは私的所有権がはっきりと確立していた。 つまり権力者の気まぐれで財産が奪われることがなかった。 このため、投資の回収まで何年もかかるような大規模な設備を立てられたり、 全く赤の他人に経営を任せるという株式制度が発達した。 一方でアラブは、権力者の気まぐれで財産は奪われる、また氏族を基本とした 内婚制大家族なので、親族にもたかられる。それ以前にザカートで財産は 神の授かり物で気前よくばらまくのが大物の証。 さらに十字軍だったりモンゴル人だったりトルコ人だったりと異民族が代わる代わる 攻めてくる。 よって、コツコツやっても無駄なので一発を狙いにいく。 一応、こういうことらしいが・・・ ポイントは法治と私的所有権の確立ということらしい。 日本は比較的私的所有権は確立していたが、せいぜい家単位で、個人財産とまでは 確立しきっていなかったそうだ。
ちなみに、小室直樹って人の説です。どこまであってるかはしらん。
472 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 01:09:11.83 0
ドバイの土地開発がすごいバブリー。 海に人工島つくって高級住宅地作ったり、800m、1000mのタワー作ったりと。1億の土地が翌年2億になる。 どうみてもバブルなんだが本人たちはまったく気にしていない。
474 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 01:12:39.99 0
どうせ設計はみんな欧米人なんだろ。
475 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 01:25:13.19 0
>>472 一応バングラもイスラム教徒が多数だから書き込むけど
グラミン銀行も商工中金と同じようになったのだよなぁ
しょせん金貸しは金貸しの論理でしか動けないのだよなぁ
>>474 1000mタワーはビンラディン一族の建設会社担当。
高い建物自体は地盤がしっかりしてれば技術的にそんなに難しくない。
費用対効果や日照問題があるから先進国では馬鹿みたいの作らないが。
北朝鮮ですら廃墟の300m越えビル作ってるからな。
>>460 >中国も清中期までヨーロッパにあまり関心持ってなかったね。
康熙帝が欧州の科学に脅威を感じて宣教師を皇帝直轄で管理してたよ
その後乾隆帝の時代で鎖国に踏み切った
松方冬子『オランダ風説書』(中公新書)より引用 ……しかし、研究すればするほど、風説書の限界が見えてくるのも事実である。 過大評価をする気にはなれない。 (中略) よく聞き取れないこと、理解できなかったこと、理解できても頭から退けてしまったことが、 ほとんどだった。地理的な距離、言語や文化の違い、政治制度、偏見、その他の 多くのものに阻まれて、情報はうまく伝わらなかったのである。現代の私たちからみると、 その様子は滑稽にさえ映ることもある。 だが、長崎出島で繰り広げられた情報のやりとりを、私たちは笑い飛ばしてしまえるのだろうか。 風説書は、江戸時代の対外関係の一側面をよく表わすものだが、一方で、情報の 普遍的な伝わり方を見せてもくれる。極端に一般化すれば、人間は興味のあることしか 知ろうとせず、自分の価値観に合致することしか理解しないのではないか。 それでも、なにがしかの情報にさらされ、どんなにあやふやでも知識をもっているということは、 何も知らないということとはまったく違う。
>>463 >有力者に見初められる
こういう事情は今でも同じらしい。
ウェイター「おー、ウダイさまではありませんか!お会いしたかったです!
あなたはサッカー選手の○○がケガをして入院したとき、わざわざ病院まで
行って励まされましたよね。ご立派です。誰にでもできることではありません」
ウダイ「お前は誰だ?」
ウェイター「私はもともと多くの人を使って会社を経営していたのですが、
神のおぼしめしにより、会社をつぶしてしまいました。再起を図るべく、
こうしてウェイターに身をやつしております」
ウダイ「そうか。そうか。おまえにはチャンスがある。バグダッドに来い」
481 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 11:03:05.39 0
1:なぜ欧州以外は17世紀以降停滞したのか 2:なぜ西欧だけが17世紀以降飛躍的に発展したのか 2:なぜ西欧の優位が明らかになってもすぐにその技術を取り入れようとしなかったのか
軍事的には、動員力が違うから。 国民皆兵で無尽蔵に兵力が湧いてくる、しかも徴兵制なので低コスト。さらに士気も全然違うから勝負にならない。 しかし、国民皆兵を実現するには、国民国家に仕立て上げないと行けない。 国民国家にするには、異民族を排除し、封建的特権を廃し、庶民に参政権を認め、教育と厚生を与えないと行けない。 ここまでするには、社会の根本的改革が必要。 でもここまでやれば、教育が技術革新を招き、それが経済を発展させ、軍事力を増強させる 正のスパイラルに突入する。
>>482 欧州が徴兵制になったのは19世紀の話だけど、それ以前からオスマンが西欧に負けてる
そもそも18世紀以降双方の戦争では基本的にオスマンの兵員>>欧米の兵員だから
数に負けたというの解釈はナンセンス
国民国家の軍隊と旧式の徴兵とはモチベーションが違うならそうかも知れんが
>>481 >なぜ西欧の優位が明らかになってもすぐにその技術を取り入れようとしなかったのか
テクノロジーは取り入れようとしたんだよ
でも自由やフィロソフィーなど、西欧精神の根本部分を取り入れようとしなかった
485 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 12:07:23.42 0
>>484 日本でも和魂洋才とか言っていたくらいだからな
言語の話なんだが、イスラム世界には、ダンテに相当する人物は現れなかったのか?
487 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 13:17:23.63 O
>>485 その「和魂」も歪なナショナリズムと創られた「伝統」だから
手放しで賞賛はできん。
489 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 13:45:21.80 O
着物を着て、畳に座り、米の飯を食べながら 西洋の思想や政治制度や科学技術を採り入れるのが最高。
>>487 和魂洋才という概念が提唱されたのは幕末の話だよ?
491 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 14:57:39.12 0
>>485 同時期の中国も中体西用を言ってたから、自国の伝統を維持しつつ西洋との差を
埋めるのが東西を問わず近代化方針の主流だった
492 :
スレ違マン :2011/08/14(日) 15:01:15.23 O
中近東の話をしろよ。先史時代は麦や動物の家畜化など1万年以上前から中近東が先進だった。 肥沃な陸地だった今のペルシャ湾辺りにいたのが中近東人の祖先らしい。つまりエデンの園はペルシャ湾説が有力。 黒海説もあるけど、氷河期が終わってペルシャ湾が水没したのがノアの洪水説だとか。 不思議に思うけどエデンやノアの話は、文字で確認されてる限り、シュメール時代に始まるのだが 時代が離れ過ぎてるから、やっぱりチグリス、ユーフラテスの氾濫なんだろうか?
493 :
いそべ :2011/08/14(日) 15:05:13.06 0
ついに答えを見つけたぞ。 まず17世紀のヨーロッパの発展の元は奴隷貿易にあった。 ではなぜアラブ人は奴隷貿易に関わったはずなのに拡大再生産に結びつけなかったのか? それは奴隷はランニングコストが問題になるからです。 奴隷を食わせるには、奴隷に百姓をさせにしても余剰がでるくらい収穫しなきゃならん。 そんなことよりすぐに転売したほうが手っ取り早い。死なれたら丸損だし。 一方、欧州人は奴隷を必要とした。というのも植民地として開発中のアメリカ大陸で 原住民がどんどん減っていくからです。減っていく理由は白人の持ち込んだ病原菌です。 欧州人はすでに新大陸開墾に資本を投入し、初期段階で成功を確信していたので 奴隷を買い込み拡大再生産に結びつけることを成し得た。 欧州は土地が痩せており、新大陸のトウモロコシやジャガイモを消費してくれるしね。 アラブ人の転売差益で手早く確実に儲けるという考え方は理にかなってます。 アラブ人が中国の白磁を国産化しようしなかったことも同じ考え方によるものです。 転売すればいいものをなんでリスクかけて国産化しなきゃならんのかと。 こうして欧州は拡大再生産の道をたどり、アラブはスローライフの道を辿った、と。
494 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/14(日) 15:06:19.05 0
>>484 新井政美氏は、オスマン帝国は早くも18世紀後半から西欧の技術を、
学ぼうとしてはいたけどあくまで軍事技術面が主だったと言ってるね。
政治や思想面も西欧に学ぼうという気になったのは19世紀以降だし、
それでもナショナリズムなんかが完全に根付くには時間がかかった。
オスマン帝国ではバルカン半島の独立なんかがあったせいで中央は、
ナショナリズムをあまり認めたがらなかったし、自由主義思想なんかも、
19世紀後半になるまでは劣勢だったからね。
江戸時代の日本では民間でも、武士・学者・町人によって私塾が開かれ、儒学や国学だけでなく、 洋学も講義されていた。 富永仲基や山片蟠桃は合理主義の立場から儒教・仏教など既成の教学に対して疑問の目を向けた。 イスラム圏の場合、こうした「下からの近代化」がほとんどんみられないんだよな。 オスマン帝国の場合、セリム3世が創設した陸軍工兵学校、海軍技術学校、 マフムト2世の治世につくられたリセ、マフムト2世学校など、どれもお上の 命令で出来たもの。 大坂や江戸をはじめ、各地の都市で蘭学知識人が開いていた洋学塾とは大きく異なっている。
496 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 15:15:29.40 0
>>492 キミこそスレ違いじゃない?
19世紀後半から中東とアジアで近代化に取り組んできたのに、21世紀の今
を見てると中東だけ失敗してるから、その理由をみんなが探ってるじゃん
なのにシュメールがうんだらかんだらって、意味不明にも程がある
初期イスラムの台頭を支えたのはイスラム教とイスラム法学だろうが、あれどうやって形成されたのか。 キリスト教の影響は多分にあるがマホメットやその周囲の人間だけで短期間で整備できるものなのか。 まあ、神のお告げってことになるのだろうが・・ 似た例としては太平天国の乱の洪秀全も短期間でキリスト教と法整備を整えたが2、30年やそこらで宗教と法整備できるものなのかしら。
逆に考えるとこうなるな。 欧州は何故1000年近くイスラムに地中海の覇権を握られていたのか。
499 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/14(日) 15:41:47.39 0
>>497 >短期間で整備
意外と短期間じゃないような気がする。小杉泰氏によるとムハンマドは、
メディナでウンマを形成するに当たりその都度アッラーの啓示と言って、
新たな決まりや教えを定めてたらしいし。クルアーン自体、現在の形に、
はっきりと正典化されたのはウスマーンの治世になってからだからね。
イスラーム法学も宗派ごとに色々な解釈がされてそれぞれがちゃんと、
固まったのもムハンマドが死んでから100年程度は経ってるだろうしね。
500 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 15:42:37.78 0
イスラムが握ってたのは東地中海の制海権だよ? それもビザンツが衰退した後から18世紀までの話だから、1000年って どこの平行世界の話?
ギリシャ・ローマ時代の隆盛を考えれば欧州は領土的にも科学分野でももっと早い時期に発展していておかしくない。 それを阻害したのはキリスト教。 ローマがキリスト教を国教化してからルネサンス・宗教改革はまさに欧州の停滞期。 欧州発展の阻害要因キリスト教よりイスラム教の方がマシだったということだな。
502 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 16:01:00.63 0
中世イスラーム世界では、学問が「アラブの学問」と「アジャム(外来)の学問」に 分けられていて、後者は西欧キリスト教世界よりもはるかに自由に研究がなされ、発展した。 問題はアラブの学問、特にイスラーム法学なんだよなあ。 こちらは人間の意思で勝手に変えるわけにはいかないから。
>>501 今を見ると結論は全く逆だよ?
イスラムにだけ都合のいい時代を切り出してどうする?
504 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 20:22:09.64 0
キリスト教の受容がローマ文化の受容を象徴するものなのだろうが、 それにしてもドイツやポーランドでキリスト教が受容されるのが 遅いぞ。
505 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 21:07:03.12 0
>>493 植民地獲得に乗り出した時点で
それはもうかなり文明が発展しているような気がする。
重火器とかも生産してたし。
506 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/14(日) 21:31:30.08 0
>>505 >重火器とかも生産してたし。
重火器(特に大砲)に関してはオスマン帝国もかなり大幅に活用してたけどね。
最盛期のオスマン帝国が関わる有名な戦争にはほとんど大砲が使われてるし。
とは言え、アメリカ大陸の植民地化が西欧の発展の一因になったのは確かだね。
プロテスタントが資本主義を是としたからかな。 宗教は基本的に資本主義を否定する。日本、中国は宗教色が薄い。 イスラム圏は資本主義に適応する宗教改革ができなかったと。
508 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 22:10:57.17 0
>>507 資本主義のどの部分がたいていの宗教とぶつかるのですかね?
目的合理性にもとづく組織的な経営形態が
非人間的だといっても
「利益を上げれないと、もしくは外からお金を供給できないと
たいていの組織は活動できないでしょうに」
とあからさまに利益を肯定する態度がいけないのですかねぇ
「商売人がけしからん、濡れ手で粟で儲けるのがけしからんといっても
商売人がいないと物は流通しないし、
原価と同じで右から左に物を回すだけでも
こっちの持ち出しになって身上を潰すでしょうに」
とそうやって開き直ってしまうところが嫌われたのですかねぇ
>>506 16世紀の最盛期ね
17世紀以降オスマンの兵器が西欧に対して優位に立った話は聞かない
第2次ウィーン包囲でも15万の大軍を擁しながら圧倒的に少ないオーストリア軍が
こもる新式城塞に苦戦してた
510 :
世界@名無史さん :2011/08/14(日) 23:45:19.23 0
でも銃火器は発明もその後の改良もみんなヨーロッパ勢だろ?
>>509 なんかどこにでも「軍事的に強かったからレベルが高い」とか言ってる人がいるが、
大軍に物を言わせて勝つのと武器や制度が新しくて勝てたのではまるで違う。
アドワの戦いの結果はどうであれ、
実質は イタリア>>>>>エチオピア だろう。
511 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 00:02:09.30 0
いつも遊牧民に略奪されてる明とかも銃火器の改良はせず、 ポルトガル人から買ってたからな。 やはり群雄割拠で常に戦ってないと改良はしないのかも試練。 同じ中国でも五代十国の時代に持ち込めば、急速に進歩しそう。
日本も戦国時代は銃の生産、戦術は進化したが江戸時代以降は停滞。 中東や中国も動乱期以外は安定した時期が長かった。 欧州はどこかでドンパチが継続的に続いたから武器も進化したと。
>>511 明は火器にかなり力を入れたよ
輸入したフランキや鳥銃を大量製造配備したり、地雷や水雷タイプの爆発兵器を
大量に開発したりしてた
特に対清の戦争はほとんど火器の威力に頼ってたし、朝鮮の役でも明の火器に
苦しめられた武将が帰国後競って大砲を増強するようになった
中国の火器開発が停滞したのは17世紀後半、清王朝が中国を制圧した後の話
ヌルハチ仕留めたのも大砲だったな。あと呉三桂が三藩の乱で大量の砲弾用意したとか。
16から18世紀欧州では北方戦争、30年戦争と7年戦争など数カ国を巻き込んだ大きな戦争 が続いてたから、兵器の開発と運用の進歩が凄まじかった
516 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 01:06:05.14 O
清は危機感を失ったんかねえ? そういえば、江戸幕府成立頃の東アジアの技術力ってどれくらいなものか。
517 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 01:44:55.37 0
少なくとも、水車の技術があったことは確か。 しかし簡単な米搗きか製粉くらいで、大型機械を動かすくらいにはならなかった。 ネジの技術は、鉄砲伝来で初めて伝わった。 あとは… 斧の柄と樽に関しては、西洋式が各段に上。
欧米人はよく、ムスリムが宗教(イスラーム)に縛られていることを嘲笑するが、 人間は何らかの神話なしには生きていけない生き物だからなあ。 そのほうが社会も安定するし。 欧米人も長い間、白人は本質的に有色人種よりも優れていると信じてきた。 最近では霊長類学の発達によって、人間とその他の種に今まで信じられてきたよりも ずっと多くの共通点があることがわかっている。 利他的行動、言語使用、道具製作、抽象的想像力、自意識・・・ 欧米では「動物の権利運動」なんてのも現れたからな。
520 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 08:18:05.70 0
>>509 確かに17世紀頃からは火器に関してはオーストリアとかも、
だいぶ改良しててオスマン帝国に対抗してたからね。ただ、
アメリカ大陸を植民地として開発し始めてた頃のオスマンは、
まだバリバリの最盛期だったからその時代について言った。
>>519 イスラム教国が安定してるとは思えないのだが?
なんかイスラムに幻想を抱いてないか?
522 :
いそべ :2011/08/15(月) 10:54:36.05 0
>>521 家族という単位が強固なこと。村単位で互助意識が強いこと。学校で学ぶ内容がぶれないこと。
などでイスラム社会は安定していると言えるでしょう。
でもこのスレのテーマは発展なので学校の授業がコーランばっかりっていうのはマイナスだよね。
池内恵『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)より引用 「神が生きている」社会というのは「世俗化」が進んでいない社会ということである。 宗教が個人の内面の領域での信仰に限定されることなく、価値規範や法として、 教育や政治といった公的な場においても強い支配力・影響力を持ち続けている社会である。 (中略) 『コーラン』が絶対の根拠であり、それに基づく解釈によってあらゆる問題に 確固とした判断が下される、と大多数の人間が信じることによって社会の秩序が 成り立っている以上、イスラーム諸国が世俗化するとすれば、社会の秩序と、 それによって個々人が得ている安心や、自信、確信が揺らいでしまいかねない。 逆に言えば、日本のように世俗化した社会というのは、この絶対的な確信を 失うのと引き換えに、内心や公的空間での宗教からの自由を得たことになる。 世俗化を経験した社会では、往々にして何を得て何を失ったのかも忘れられがちなのではないか。
524 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 11:40:07.25 0
>>522 >家族という単位が強固なこと。村単位で互助意識が強いこと。学校で学ぶ内容がぶれないこと。
しかし、すべては8世紀のアラブ半島を基準にしてるから現代に合致せず軋みが出まくりだよ?
白人嫌いが長じてイスラムなら無条件に擁護するアホは黙ってろ
525 :
いそべ :2011/08/15(月) 11:45:33.23 0
>>524 8世紀の習慣、価値観が21世紀まで存続しているならじゅうぶん安定してるって言えるんじゃないですか?
526 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 11:52:25.70 0
>>525 >8世紀の習慣、価値観が21世紀まで存続しているならじゅうぶん安定してるって言えるんじゃないですか?
存続してるのではなく、無理矢理存続させてるだろう
今のイスラム教国がどれもひどい社会問題を抱えてる時点でその論理が破綻してる
あと、イスラム擁護は別のスレでやれ
ここは中東が停滞してる理由を論ずるスレだから、キミの方向性は最初から間違ってる
最近、湾岸諸国がFacebook でだいぶ賑わってたな。 昔ながらのイスラムというとワッハーブ派が国教のサウジか。窃盗で手首切り落したりむち打ち刑が現役の国は。 トルコのように緩い国もるからイスラム諸国といっても温度差がある。 イラン、サウジといった油田国がイスラム色強いってのが今後どうなるか。
現代の中東諸国で、ウラマー達はどのくらいの既得権益を持っているのかな 宗教改革の時代、プロテスタント諸国では修道院の財産を没収したりしたが
529 :
いそべ :2011/08/15(月) 12:01:48.35 0
>>526 >ここは中東が停滞してる理由を論ずるスレだから
それがわかってないのがキミでしょ。
キミが519の安定という言葉に食ってかかったんだから。
オレはこのスレのテーマは発展だと言ってますよね。コーランばかりじゃマイナスだと。
キミが顔真っ赤にして擁護だ白人嫌いだとかズレたこと言ってるんですよ。
530 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 12:07:48.37 0
トルコはケマルの方針によって徹底的に政教分離されたけど、現与党はイスラム政党だから これからどうなるかわからない 現在のイスラム教義じゃ信者が現状への不満を改革ではなく更なる宗教への帰依に求めがちだから どうしても発展を捨てることになる 欧州は宗教改革によって宗教の枷から開放されたけど、イスラムは逆にムウタジラ派が消滅して 宗教の枷を強めた 今の世界はそのまま両者選択の結果だから、そこが変わらない限り中東に大きな変化はないだろう
531 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 12:09:10.30 0
532 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 13:05:00.15 0
>>530 正直、トルコの公正発展党は個人的には少し心配しすぎな気がするんだよなぁ。
エルドアンは首相になった後は国内の世俗主義者にある程度は気を使ってるし。
あまり露骨なイスラーム復古運動は軍部の反感を招くだけだと分かってるからね。
今のところそれっぽい動きはスカーフ着用の許可とかだけどこれはむしろ今まで、
禁止してたほうがおかしいと思うし(服装の自由ぐらいはあってしかるべきだろうし)。
まぁイスラーム主義くさいところは見られるけどアメリカの宗教保守派とかと大して、
変わらないんじゃないかな。少なくともトルコがイランみたいになるというのは杞憂。
後、ムウタジラ派が消滅したと言ってもその後の中東だってヨーロッパに比べて、
宗教の枷が特別に強くなった訳ではないと思うよ。むしろ弱いほうだったと思うし。
今みたいに原理主義が強くなったのは近代になってからだよ。上でも述べたけど、
ヨーロッパが宗教戦争などを経て政教分離が強まったのに対してイスラームは、
そのまま変わらなかっただけだからムウタジラ派云々は関係ないと思うんだけど。
533 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 13:13:31.92 0
最後の説明が少し分かりにくかったから補足するけど、 中東は宗教の枷がヨーロッパに比べて特に強くもない、 (むしろ弱いぐらいの)程度だった。そして、その程度が、 大きくは変わらないまま近代になったがヨーロッパでは、 宗教戦争などのせいで宗教の枷を弱める方向に働き、 中東が気付いた時にはヨーロッパのほうが宗教の枷が、 弱くなってたという訳じゃないかな。ムウタジラ派云々は、 あまり関係ないと思うよ。消滅した後も中東は発展したし。
534 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 13:14:51.61 0
>>532 >今みたいに原理主義が強くなったのは近代になってからだよ。
基本的に同じ意見だと思うが、説明が足りなかったかな
イスラム諸国の変革は近世の西洋化、社会主義化を経て最終的に原理主義に
辿り着いたことは何よりもイスラム世界で宗教改革がなかったのが一番の理
由だと思う
理性を重んじるムウジタラ派の消滅で欧州の宗教改革のように理性を重んじ
る流れを作れないまま変化の激しい近世、現代に突入して適応不良を起こし
て原理主義に走った
社会主義をとってるイスラム教国でも結局政府の強い統制があってこそ成立
するもので、国民の普遍的な価値観ではないから一気にひっくり返された
トルコではケマルのカリスマ性でどうにか世俗主義が踏みとどまるだろうと
思うが、それでもイスラム回帰の流れは止まらない
535 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 13:22:42.51 0
>>534 あぁ、なるほどそういうことね。確かに、ムウタジラ派の衰退以降の中東では、
感覚重視の神秘主義が流行したからね。ヨーロッパでの宗教改革みたいな、
合理性は徐々に失われていったのは大きいかもね。それとトルコに関しては、
オルハン・パムクの「雪」とかを読んだ感じだとまだ国内ではケマル主義への、
信奉のほうが圧倒的に大きい気がする。公正発展党もケマル批判はしないし。
ケマル主義は確かにトルコのイスラム回帰を防ぐのに役立っている ただこれにもマイナス面があって、ケマル批判がタブー化しているうちは 真の自由主義国家とはいえないだろう 欧米諸国でもユダヤ人批判は事実上タブー化しているが、それでもケネス・ウォルツ、 ジョン・ミアシャイマーのようにイスラエル・ロビーを批判する知識人がいる その意味でトルコが将来どういう方向に進むのか、見守る必要があると思う
537 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 15:02:17.13 0
>>536 一応トルコ国内でも少しはそういう声があるみたいだけどそれでも、
「ケマルは偉大だけど批判する自由はあるべき」みたいな意見で、
ケマルへの批判はほとんど聞かないね。まぁ、僕自身もケマルは、
普通に優秀な人物だったと思ってはいるけど。とは言え西欧でも、
ナチスへの賞賛なんかはほとんどタブーみたいになってるけどね。
日本の三大タブー ジャニーズ、韓流、そうか批判 皇室批判はOK
540 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 16:28:12.49 0
>>538 いや、
雅子さんが男の子生んでたら批判はタブーになってる。
541 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 16:52:32.59 0
本来は反天皇制のブサヨは女の子を産んだ雅子たんを庇い、 男の子を生んだ紀子たんを無視しようとする。 皇室マンセー派は、病気を理由に仕事をしない?雅子たんを責める。
542 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 17:26:46.44 0
オスマンを「中東」の典型みたいに扱っていいものか? 地中海文明か中東文明かどちらかはっきりとしてなかったウマイヤ朝 みたいな立ち位置だろうか?
543 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 17:28:46.63 0
400年以上中東を支配してイスラムの代表やってた国だからいいじゃない? 中東と欧州の勢力消長もオスマンの時代で起きたことだし
544 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 17:37:36.79 0
>>542 まぁ確かに微妙な立ち位置ではあるよね。オスマン帝国はイスラム以外にも、
ビザンツ帝国や遊牧国家的な影響もいくつか見られるし、国の中心地である、
イスタンブルは長い間キリスト教徒の都市でヨーロッパと言っても良いような、
場所だからね。とは言え、基本的には
>>543 の言うように中東の代表国と見て、
構わないんじゃないかな。もちろんそれだけじゃ説明つかない部分もあるけど。
545 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 18:14:05.16 O
イスラムであるかぎりは欧州じゃないな
アルバニアやボスニアは欧州じゃない?
日本人が考える欧州は通常、西欧文明圏(カトリック・プロテスタント諸国) のことだからな 同じキリスト教国でも、東方正教圏の国々のことは眼中にない
>>534 アラブ人はさ、中世に一度、ギリシアの学問に触れているんだよね
それでも変わらなかったのなら、これからも変わらない可能性が高いのではないかと
549 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 20:24:25.83 0
中世は最先端だったじゃないか。 問題は、なぜ中東はその後進歩がストップして ヨーロッパは進歩し続けたのかということ。 中東は退化しているようにさえ見える。 もちろん今からは欧米の影響で変化するかもしれないけど。
550 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 20:28:02.64 0
>>534 だから、そのギリシャの学問なんかに見られる合理性を宗教に取り入れたのが、
ムウタジラ派なんだけどね。それが衰退して以降、宗教に合理性を求めないで、
感覚を重視するスーフィズムが流行った事がヨーロッパに抜かされた一因かな。
とは言えギリシャの学問自体はそれ以降もイスラーム科学などに多くの影響を、
与えてたから廃れてた訳ではなかったと思う。ただ、その合理性を宗教のほうに、
取り入れようという動き自体は、ムウタジラ派以外では現れにくかったんだろうね。
上でも述べられてるけど中東では学問をアジャムの学問とアラブの学問の2つに、
分けてたからギリシャの学問はそのままアジャムの学問という事で科学などには、
取り入れられたけどアラブの学問である神学とかには取り入れにくかったのかな。
551 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 20:37:33.03 0
>>549 中東がストップしたんじゃなくてヨーロッパがすごく超進歩したんだろ
最近500年の進歩とその前の1500年の進歩のスピードの差を比べてみ
そもそも、合理主義的なものがスンナリ社会に受け入れられるとは限らない
(というより、反発を受けることも多い)
たとえば哲学者兼倫理学者のピーター・シンガーはこのようなことを主張している
http://www.ne.jp/asahi/village/good/PeterSinger.htm 第一の新しい戒律 人命の価値が多様であることを認めよ。
第二の新しい戒律 決定したことの結果に責任をもて。
第三の新しい戒律 生命に対する個人の欲求を尊重せよ。
第四の新しい戒律 望まれた子どもだけを産め。
第五の新しい戒律 種の違いを根拠に差別するな。
(シンガー『生と死の倫理』樫則章訳)
当然のことながら、西洋社会でも彼に対する批判・反発は多い。
554 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 21:13:21.49 0
ヨーロッパの主要国は中世から近世に移り変わるときに大規模な内戦を経ている。 イングランド:ばら戦争 フランス:ユグノー戦争 ドイツ:三十年戦争 これらがショック療法のように劇的に欧州を進歩させた。 あと、喧嘩友達(強敵(とも))の話が出てたが、 ハプスブルクやロシアでは距離が遠すぎて、喧嘩友達(強敵(とも)) にならない。 やはり、ビザンツやエジプト(リビアやマグリブやユーゴやブルガリア) でないとだめだったのだ。 オスマンがでかくなりすぎたのもそう。 本来なら中央になれるはずだった ビザンツやエジプト(リビアやマグリブやユーゴやブルガリア)が ただの辺境地になってしまった。
555 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/15(月) 21:18:02.80 0
>>553 だからこそ、ムウタズィラ派は衰退した訳だしね。多くの庶民にとっては、
変に理屈っぽいムウタジラ派よりも分かりやすいスーフィズムのほうが、
受け入れられやすかったんだろうね。
スペイン・ポルトガルは同じ西欧文明圏でも、結局宗教(カトリック)の力が勝って、 近代化に取り残されてしまったな。 スペインとアッバース朝の比較、なんてのも面白いんじゃないのか? カトリック両王からカルロス1世(カール5世)の時代のスペインは、遅まきながら ルネサンス文化が花開こうとしていた。 シスネーロス枢機卿がアルカラ大学を創設したり、フェルナンド・デ・ロハスが 『ラ・セレスティーナ』を発表したり、人文主義と古典文化への傾倒が広がっていた。
>>556 大航海時代の立役者で近世前半のヨーロッパを牽引したのに最後は科学技術競争に遅れてしまったな
558 :
世界@名無史さん :2011/08/15(月) 22:04:37.47 0
スペインとポルトガルって航海技術以外で進んでいた分野あるの? 1800年代のイギリスみたいにぶっちぎりではないでしょ? カトリック両王以前はあんまり目立たないような気がする。
テルシオ
スペインは自動車バイクを少しは生産しているが、ポルトガルってカステラ以外なんか作ってんの?
一応潜水艦の開発建造に実績があるけどね 空母からイージス艦まで一通り自国で作ってるけどあんまり知られてないな
スペインの場合、16世紀の中葉あたりから、プロテスタントの伸長に身構えるかのように、 人文主義やエラスムスの思想に対して危機感が広がった その上、北アフリカのイスラーム勢力の脅威があった さらに、内部に多民族、多宗教(ユダヤ教徒やムスリム)を抱えるスペインはを 国家として統一しておくには、正統なカトリックを強制するしかなかった
スペイン・ポルトガルとアッバース朝の共通点を探すと、どちらも市民(ブルジョワ)階級が 成熟しなかったことが挙げられるかな これはラテンアメリカにも共通している 旧宗主国であるスペイン・ポルトガルの中世的体質を受け継いだから
564 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 12:06:06.72 0
アッバース朝とスペイン・ポルトガルなら時代が数百年違うぞ。
保坂修司『サウジアラビア ―変わりゆく石油王国―』(岩波新書) ……1960年、教育省によって作られた教育基本原理を紐とくと、そのことが 高らかに謳われている。「主としてのアッラー、生きる道としてのイスラーム、 預言者、アッラーの使徒としてのムハンマドを信じること」からはじまり、 「イスラーム研究こそ小中高全学年の基礎であり、イスラーム文化こそ高等教育 全学年における基本教科である」といった文言が続く。 さらに教育の目的へと目を向けると、この特徴はより具体的になる。 「ムスリムの信仰と矛盾するあらゆる制度・原理を廃することによってイスラームの 信仰に忠実な精神を養い」とか「イスラームの教えを守り、その柱を実行するため、 コーランとハディース(預言者の言行録)を学び、暗記することにより、それらを 護持する」などなどである。 たしかに「科学的な思考法を養う」との目的も規定されているが、それもまた 「大宇宙におけるアッラーの奇蹟を知覚するため」にすぎない。つまり、数学や科学、 さらには社会科学系の教科もすべてイスラームに従属させられているのである。 ※これでは、発展できるわけがない。
566 :
いそべ :2011/08/16(火) 14:34:59.19 0
>>565 ダーウィンも無神論とかで弾圧されたけど処刑はされなかったよね。
ガリレオは裁判にかけられ終身刑。
ガリレオとダーウィンの間に合理主義が台頭してきたといえますね。
ダーウィンがアラブに生まれてたら処刑されたんでしょうかね?
567 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 16:24:03.85 0
>>566 それ全く逆。
地動説を唱えると命が危ないって言うのは
通常は中世の迷信深く頑迷固陋さの象徴として教えられるけど
実は中世神学ですら自然力学の説明に熱心だったという証拠
つまり中世神学無くして近代科学無しってこと
この辺は誰も言わないけどね
だからイスラム科学が〜なんていう的外れなことを言い出すことになる
プラトンの時代から、西洋では宇宙は真円(最も美しく調和した形)を成していると 考えられていて、ローマ・カトリック教会もこの考え方を受け継いでいた。 その意味では教会にとって、地動説よりもむしろケプラーの、太陽系は楕円軌道を 描いているとした研究の方がずっと危険なものだった。
>>495 で「下からの近代化」について言及したが、中世ヨーロッパの大学 (universitas)
というのは、王侯貴族や教会のような権力者・権威が創設したのではなく、
最初は知識欲の旺盛な者たちの集まりで、その後神聖ローマ皇帝の勅許状を
得たものなんだよな。
これは17世紀イギリスの王立協会も同じで、まずジェントルマン、貿易商、小売商人
といった人々が集まって協会を作り、後に国王の勅許状を得た。
要するに民間主導型、下からの科学、草の根科学。
近代以前のイスラーム科学や中国科学を持ち上げる人間は、 トマス・クーンやポストモダンの議論をしきりに援用する
571 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 21:57:26.28 0
>>566 あんがい殺さなかったのではないかな
キチガイ扱いされて、天寿をまっとうできたのではないかな
今でもホーキング博士が神様はいないといっても
イスラム教徒が騒ぐといったことはしないから
イスラム教徒の騒ぐ根拠がよくわからないのだよな
金歯を引っこ抜いたり、写真を毛嫌いしたり、テレビを禁止したり
魔術師を殺したり、占いを禁止したり、ブラジャーをはずしたり
音楽を禁止したり、葬式を禁止したりして
572 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:12:17.11 0
>>570 イリガライみたいに
流体力学の研究が遅れたのは男性優位主義だ!とか
主張する奴すらいるからねw
あとアメリカにはカントは黒人って主張するアフリカ主義運動家がいる
573 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:15:57.62 0
てかイスラムや中国って科学なんて無いでしょ 単発的な天才による発見・発明・技術改良はあったけどね 知識の弁証法的発展なんて存在しない
574 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:26:21.11 0
575 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/16(火) 22:30:36.46 0
>>573 中国は知らないけどイスラームでは科学はアジャム(外来)の学問ということで、
ギリシャの影響がかなり見られたから弁証法的発展はそれなりにあったでしょ。
キンディーなんかを見てるとかなりそんな感じがするからね。イスラーム科学は、
日本での知名度が低いせいでどうも誤ったイメージで見られている傾向が強い、
気がするなぁ。現在、学校で習っているような単元のうちで結構な割合の内容が、
イスラーム科学によって発見されてたりするからなぁ。
576 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:35:18.14 0
>>573 だって単なる経験の集積じゃん。有名なイスラム化学ですらね。
そんなことは中世の錬金術師だってやってたし
577 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:38:56.44 0
>>575 で、イスラムの科学者って
熱力学とか進化論とか電磁気学とか遺伝学とか
何でもいいけど何か重要な定理を発見したっけ?
578 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/16(火) 22:48:43.75 0
>>576 ヨーロッパだって科学は帰納法的方法で見つける場合がほとんどでしょ。
ベーコンなんか典型的だし。それでも中東ではギリシャ哲学の影響もあり、
キンディーみたいな人もいたけどね。まぁイブン・アル・ハイサムみたいな、
帰納法的科学者のほうが個人的には好きなんだけどね。
>>577 例えば、イブン・アル・ハイサムは屈折や反射に関する法則を、
かなり正確に導き出してるし、フワーリズミーは代数学を考え、
三角法や二次方程式の解法なんかを発見してるよ。ていうか、
ここら辺のことはちょっとググれば簡単に出てくるから調べれば、
イスラム科学が現在でも使われてる法則をどれほど発見したか分かるよ。
579 :
世界@名無史さん :2011/08/16(火) 22:52:59.93 0
もし、中東が全部キリスト教文化だったらヨーロッパ文化圏になってただろうか?
>>573 こいつただのアラシだから相手にしない方がいいよ。
581 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 00:47:44.00 0
イラク、イラン、中央アジアはモンゴル禍が大きいだろ。 カレーズの破壊とか。
582 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 00:49:34.57 0
>>579 逆に、もしイスラム教がエジプトとアナトリアとシリア
だけにしか広がっていなかったら「東方キリスト教」とか呼ばれてたかも。
583 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 00:58:38.18 0
関係ないけど、ヨーロッパの対岸で距離も近い北アフリカが取り残されたのはなぜ? 古代は海を隔てた北アフリカが仲間だったけど、 中世以降は陸続きの中欧北欧の方が仲間になっていったということか?
オスマン迂回するため希望峰航路、新大陸の方がメインになり重要性薄れたから。 あと1800年頃までイスラム系海賊が暴れてた。
585 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 03:03:02.75 0
ローマ時代末期には、ゲルマン人が支配してた時期もあっあのに
本拠地から海を挟むと補給やら援軍が難しい。 イギリスも大陸の領土守りきれなかったし。海をまたいで領土を維持してる国ってあんまり多くない。
>>573 >>576 禿同。
普通、科学(サイエンス)というとヨーロッパの近代科学のことを指すよな
イスラーム科学とか、中国科学とか、「科学」という言葉の大安売り
近代になってヨーロッパのサイエンスを知ってから、自分たちの文明圏にも
昔同じようなものがあった、と主張し始めた
>>571 ヨーロッパでは、神学が「諸学の女王」と呼ばれていた
しかしイスラーム世界では、伝統的に神学が重要な役割を担うことはなく、
重きをなしたのは法学だった
こういう違いも影響しているのではないかな
589 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/17(水) 07:41:21.01 0
>>587 そのヨーロッパの近代科学自体がイスラム科学やその元であるギリシャの、
科学を継承・発展させたものだからなぁ。そんなに違和感はないんだけど。
>>588 それはあるかもね。神学と違って法学は政治や社会と緊密に結びつくからね。
そのせいでヨーロッパと違い政教分離が行なわれにくかったような気はするね。
>>589 17世紀科学革命というのは、古典古代の自由な議論・批判精神と、
数学的な魔術的厳密性という、本来なら相容れないものを継ぎ合わせた
近代西欧最大の独創。
中東が発展できないのは、
>>578 >>580 >>589 のような、自分たちが欧州と同じ
近代科学を生みだせなかったことを素直に認められない連中が多いから
それにしても、このスレを読んでいると、非西洋人の間でいかに(自然)科学コンプレックスが 強いかわかるな 非西洋世界が西洋に比べて遅れているのは、本当は人文・社会科学系の分野なんだけどな
593 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 09:50:33.31 0
じゃあその持論を展開してくださいよ。
だからこのスレで何度も触れられてるじゃん イスラーム法学をなんとかしなきゃならないって
595 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 11:31:38.99 Q
なんだスレで散々既出なんだ。 本当は?なんだなんて言うからてっきりまだ誰も指摘してないことかと思ったw
中東は法学だけではなく、
>>567 が指摘しているように歴史学もダメなんじゃないかい?
イタリアの人文主義者が主張した「暗黒の中世」をまだ信じているとか。
アラブ人がフィロソフィー(西洋哲学)についてきちんと理解しているとは思えんのだが テクノロジーの根底にサイエンスがあり、そのまた根底に自由な政治社会と フィロソフィーがある そしてフィロソフィーとサイエンスが無いテクノロジーは、どこかで 頭打ちになって成長が止まる
598 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 12:10:18.34 Q
ここに書き込んでいるのは現代の日本人なわけで 誤った認識が投稿されたところで 中東人は関知しないこと。 中東人にいちゃもんつけてもしょうがないですよw
まあ、そうだな。 世界史板では、アフリカ人(黒人)が黄色人種に対して優越感を抱いているという話は さんざん既出だが、 アフリカ人が東洋人より優れていると信じるのも、 中世イスラーム世界にサイエンスが存在したと信じるのも、 彼らの勝手だ。
600 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/17(水) 15:13:23.56 0
>>590 まぁ確かに中東における科学はあくまでアジャムの学問だったから、
古典・古代のギリシャ科学的な影響は割りと受け継いではいたけど、
そこに数学的厳密性を持たせたかどうかは微妙かなぁ。でも数学も、
中東はかなり進んでたし当時の中東では数学者と科学者を兼ねてる、
人が結構いたからなぁ。ウマル・ハイヤームとかは数学的厳密性も、
それなりに兼ね添えてたように見える。イブン・アル・ハイサムだって、
厳密な実験を重ねて帰納法的に証明してたしね。でも、科学革命は、
どちらかと言えば宇宙観の変化のほうが大きいと思うなぁ。そっちは、
イスラーム圏では成し遂げられてなかったし。今までの宗教に基づく、
世界観や宇宙観を科学的に大きく変えたのが科学革命じゃないかな。
で、既に挙げられてるようにイスラーム法学の力が強かった中東では、
そういった変化がなかなか起きにくかったというのが原因な気がする。
>>591 中東が「近代科学」を生み出したとは行ってないんだけどなぁ。でも、
「近代科学」のもととなった「イスラム科学」は生んだと言ってるだけ。
>>597 キンディーやイブン・ルシュドなんかを見る限りアラブ人だって、
ギリシャ哲学に関してはきちんと理解できてるでしょ。とは言え、
それらはあくまでもアジャムの学問だったから科学なんかには、
取り入れられたけど、法学みたいな宗教的なアラブの学問には、
取り入れられなかった。
>>592 や
>>594 が言うように自然科学より、
法学や神学みたいな分野のほうが中東が衰退した原因としては、
より大きいね。だからムウタジラ派の衰退が上で挙げられたんだし。
>>597 そのフィロソフィーの根幹はスコラ哲学だと思うのだが、日本人より同じ一神教との
ムスリムの方が理解が早い気がするんだがなあ。
602 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/17(水) 17:30:25.37 0
>>601 ていうか、スコラ学に大きな影響を与えたイブン・ルシュドが、
イスラム圏にはいるからね。アリストテレスを良く知ってたし。
なあ、みんな、俺はこう思うんだ イスラーム科学=二次元の女 西欧近代科学=現実の女 こう考えればわかりやすい 「二次元美少女との恋愛こそ真実の愛だ!」と主張する人間に向かって、 「現実の女との愛に目を向けろ!」と説得しようとしても意味がない これはもはや根本的な価値観の違いだからな
604 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 19:57:42.70 0
ギリシアはすごいな。 ローマでも模倣に過ぎず、 中世のヨーロッパにいたってはキリスト教に劣化した思想が 断片的に混じっていただけなのか。 それがなぜルネサンスにおいてよみがえったのか、 そして何人がどうやって受け入れたのか不思議だ。
605 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 20:14:26.64 0
ベネツィア人とかだったら商人気質が強かったから、 カルト的な宗教観が無かったというのはどうか。
イスラーム科学や中国科学は存在する 二次元の世界に
そのうち、アフリカ科学、中南米科学、東南アジア科学なども新しく “発見”されるかもしれない
608 :
世界@名無史さん :2011/08/17(水) 21:04:38.76 0
ヨーロッパの進歩の速さとアフリカの進歩の遅さは異常。
609 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/17(水) 21:11:53.39 0
>>603 いや、それは違うでしょ。本当に科学史を学びたいんだったら、
どっちかだけを選ぶんじゃなくて両方とも良く知るべきだと思う。
そもそもイスラーム科学を継承・発展させたのが近代科学だし。
根本的に価値観が違う訳じゃないよ。むしろイスラーム科学と、
根(主にギリシャ)を同じにしながらそれをさらに進化させたのが、
西欧の近代科学だと思うんだけど(まぁ、影響はギリシャだけに、
限らないんだけど)。だから、あまり適当な喩えじゃない気がする。
最近、中東に関しては、研究者が書いた本より、ジャーナリストが書いた本のほうが面白い 研究者が書かない(書けない?)ようなことがバンバン書いてあるからな
もうイスラーム研究者の論点ずらし、レトリックは読み飽きた、聞き飽きた 高い金を払ってつまらん内容の本を読むつもりはない
「わたしも『アニメやエロゲーがあれば幸せ』という人種ならよかったのですけれど、 不幸なことに現実に興味があるのです」 「わたしも『イスラーム文明の過去の栄光の記憶があれば幸せ』という人種ならよかったのですけれど、 不幸なことに現実の西欧近代文明に興味があるのです」
前から思っていたんだが、過去のイスラーム世界や中国にもリベラリズムや デモクラシーがあった、と主張する奴はほとんどいないな。 科学についてはやたらこだわるのに。
614 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 09:09:45.99 0
>>613 誰も主張してないことを、誰も主張してないって指摘ですね。
それだけだと何の意味もないですよ。
たとえば「イスラムに科学があったとするならば、必然的にリベラリズムもなくてはおかしい。この二つは切り離せないものだから」
とか論理の展開があるなら別ですが。
>>473 >>474 >どうせ設計はみんな欧米人なんだろ。
そもそもアラブ人は西欧文明の根幹部分に興味があるわけではないからな
興味があるのは自然科学やテクノロジーといった表面に現れた部分だけで
例えていえば、女の身体には興味があるが、女の心には興味がない男のようなものだ
そういう男は風俗へ行って金で女を買う、あるいは年収で女を釣る
だから、アラブ人が欧米人の科学者や技術者を金で雇って自国のプロジェクトを
遂行させようとするのも少しも不思議なことではない
616 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 10:57:36.78 0
>>613 実際、なかったからね。過去の中東にイスラーム科学は存在したと思うけど、
自由主義は西欧のものだからね。近代になり西欧から中東に伝わってきた。
イスラーム科学などという言葉を使うからややこしくなる 「イスラームの学問」「イスラームの技術」という言葉を使えばよい
ここで中世イスラーム世界にも科学やあったと主張している連中は、ゲルマン人の 集会、モンゴルのクリルタイ、アラビア半島のマジェリスなどを持ち出して、 古代のゲルマニアやモンゴルやアラビア半島にもデモクラシーがあったと 主張しているのと同じ。 両者は似て非なるものだ。
619 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 11:22:49.36 0
>>617 「イスラームの学問」と言うと、法学や神学みたいな宗教系の学問と、
混同しそうな気がするんだけど。中東では宗教系の学問はアラブの、
学問と言い、イスラーム科学などのアジャムの学問とは分けてるから、
そこら辺はちゃんと用語にする上でも分けたほうが良いんじゃないかな。
「イスラームの技術」だとイスラーム科学は技術的なことだけじゃなくて、
ただの法則や論理の発見にとどまってるものもあるから説明つかないし。
だからイスラーム科学と言ったほうが良いと思う。イスラームという言葉が、
付いてるから西欧の近代科学と分けて考えてることは示せてると思うしね。
(とは言え、イスラーム科学は近代科学の1つの源流でもあるんだけど)
>>615 そうなんだよー
しかし、ペルシャ湾の産油国の大規模都市開発プロジェクトって、
すべて外人まかせなんだよね
基本コンセプト・全体設計:欧米建築界の名物建築家
詳細設計:欧米・日本の一流設計事務所
施工:日本、韓国、米国等の大手建設会社
作業員:パキスタン、マレーシア、インドネシア、フィリピン、パレスチナ等の出稼ぎ労働者
このとおり、ノウハウも人材もまったく産油国に蓄積されてないから
石油が枯渇したら、滅亡するね
そういう危機感とか現地アラブ人にはなさそうだ
621 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 11:34:01.29 0
>>618 それらは民主主義の原始的な源流と言えるだろうね。古代ギリシャの、
政体を民主主義と言うならそれらも民主主義と言って良い気がするね。
近代的な民主主義のみを指すのなら適当じゃないと思うけど。結局は、
民主主義を広い意味でとるか狭い意味でとるかの違いに過ぎないでしょ。
まぁ中東に関して言えばマジェリスとかやってたのは地方の田舎単位で、
国レベルでやってた訳じゃないから、民主主義とはあまり言えないかな。
科学に関しても同じで近代科学だけを「科学」と言うならイスラーム科学は、
含まれないけど広い意味でとるなら科学に含むでしょ。ていうか、さっきも、
言ったようにイスラーム科学という呼称自体が近代科学と区別してることを、
明確に示してる呼称だし。誰もイスラーム科学が近代科学とは言ってない。
俺は「ヨーロッパ的科学しか『科学』はない」というポパーの主張を支持している でもこのスレのイスラム厨はそうではないわけだ もはやこれは価値観の(以下ry
>>614 俺は、サイエンスの発展には自由が欠かせないと考えているがね
学問は、定義がないと成り立たない あれもサイエンスです、これもデモクラシーです、とどんどん広げていけば、 学問そのものが崩壊する それはもはや学問ではなくトンデモ
625 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 11:50:44.00 0
>>622 ポパーの科学の定義って確か反証可能性でしょ。これは確かに、
微妙かも知れない。イブン・アル・ハイサムみたいに帰納法的な、
実験を重ねたものだったら反証可能性はあるかも知れないけど、
それでも宗教的な価値観が強かった前近代じゃヨーロッパでも、
中東でも科学はほとんど存在しなかったということになるね。まぁ、
それ言い出したら科学史というものは近代以降しか出来ない気が、
するんだけどね。近代以前は科学は存在しなかったというのなら、
それはそれで1つの考え方としてありかも知れないね。
626 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 11:52:43.96 0
>>624 まぁでも、「科学」も「民主主義」も学者によってどう定義するか、
見解が分かれるからね。その時に広い意味での見解をとるか、
狭い意味での見解をとるかの違いということになるように思える。
>>620 もう、根本的に価値観が違うイスラム厨にはつきあっていられないから、
中東、イスラーム世界の話をしよう
カダフィが権力を握ったとき、彼は全国を行脚して、地域の住民と直接対話した
このとき、カダフィが思い描いていたのは、リビアの民主主義の実現という理想だった
ところがこの全国行脚で、彼は最初の壁を感じた。国民には民主主義という
概念など頭になかったのだ
対話を通じて国民からカダフィにもたらされたのは、
「何もしなくても、食えるようにしてほしい」
「俺たちも産油国の国民じゃないか。クウェートやサウジアラビアの国民みたいに、
ロンドンのカジノに行きたい。プレイボーイ・クラブでバニー・ガールを見てみたい」
そんな世俗的・物質的な要望だった。
またカダフィは各地の大学で、若者たちとも対談した。学生相手なら、自分が思い描く
民主主義の理想が共感を呼ぶと予想していたはずだが、学生たちからもたらされたのは
次のような声だった
「大学の運営の仕方に問題がある。単位取得をもっと簡単にしてくれ」
彼は、
「おまえらは、カンニングでもする気か」
と、苦笑するしかなかった
629 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 12:11:46.42 0
>>627 こういうのは完全に教育の問題だろうね。いくら形だけ近代的に、
取り繕っても、きちんと近代的な思想を国民に植え付けなければ、
意味はないだろうからね。そういうのが上のほうでも挙げられてる、
下からの近代化ということにもつながるんだろう。
630 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 12:13:35.09 0
>>623 それはイスラムには科学があったけど自由がないから発展できなかったということでよろしいでしょうか。
なにゆえ科学の発展には自由が必須なのかあなたの考えを説明してください。
ソ連は思想の自由がなかったけど化学は発展しました。北朝鮮もミサイル、囲碁ソフトと輸出するほどの力があります。
マイセンでは錬金術師を幽閉して白磁を独自開発しました。
これらはどうして可能だったのでしょう?
>>620 >石油が枯渇したら、滅亡するね
>そういう危機感とか現地アラブ人にはなさそうだ
ある意味、そういう将来のことを思いわずらうことがない国民というのは、
先進国の人間よりも幸せかも試練
>>627 の続き
自分の理想と国民の意識に大きなギャップを感じたカダフィは、自ら『緑の書』
と名付けた、政治理論を著した。これは、すべての既存のルールを破棄し、
国民が自らあらゆることを決定するという直接民主制だった。
具体的には、リビアではあらゆる組織に人民委員会が設置され、その委員会が
自分たちですべての政策を決定することになった。
たとえば、ある地方の人民委員会が乗用車の不足を訴えた。そこでカダフィは、
「お前たちが自分の手で、好きなだけ海外から輸入しろ」
と命じた。その結果、村には何万台もの自動車が輸入されたのだが、買い付けの
仕方や保険のノウハウもわからない素人集団の仕事である。トラブルが多発した。
スペア・パーツなどの管理もできず、港にはスペア・パーツや走らない車が山積みにされた。
画期的な政策ではあったが、結果的に人民委員会方式は十分に機能しなかった。
政治も教育の現場も混乱し、リビアを見限った若者たちの頭脳流出が起きた。
カダフィも当初は理想に燃えた若者だった。しかし、国民の意識とのギャップが
あまりにも多く、ついには強権を発動して独裁者にならざるを得なかったのだ。
633 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 15:08:46.19 O
近代思想や自由はヨーロッパのどこで始まったの? ヴェネツィアかジェノヴァかフィレンツェか。
>>632 の続き
中東の一般的な国民は、強力なリーダーがいて、彼のやり方に従ってさえいれば
食べていくのに困らないという平穏な日々を望む。
大衆は自分たちの安定した生活を期待して英雄を作り上げる。英雄はやがて独裁者に変わり、
そのファミリーも独裁の一翼を担って放蕩を尽くし、蓄財に励む。それが頂点まで達したとき、
国民の不満は暴発し、権力の座から引きずり下ろされる。独裁者を作るのも、
葬り去るのも大衆である。
一般国民が、「能力のない者が面倒を見てもらうのは当然の権利だ」「独裁者の
善意はただで受け取るものだ」という根本的な依存心を変え、「すべて自己責任だ」
という方向に意識を転換しない限り、これからも同じことが繰り返されるんだろうな
そういやイスラムで民衆の反乱ってあんまり聞かないな。 中国だと陳勝みたいに期限に間に合わなければお前ら皆殺しだってのがあるからすぐ反乱するけど。 オスマンがバルカン支配する時も大地主の小作がどうぞどうぞと手引きしたとか。
日本もリビアと変わらないな。 リビア人より少しだけ節度があるだけだ。
637 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 16:12:03.11 0
>>41 >前から思ってたんだがな、
>世界史板でアラブ諸国やイスラーム世界に対して批判的な書き込みがあると、
>なぜかそれに対して反発し、これらの地域を弁護するレスがつくよな
>正直言って、もういい加減にしてもらいたいと思う
おいおい、討論ってそういうものだろ。
ある争点に対して異なる立場から論じあうんだろーが。
べつにこの板、イスラムに限ったことじゃねーぞ。
同意してくれる人ばかりじゃなくて残念だったなw
>>637 何かこのスレにすごい幼稚なレスを繰り返すやついるが、リアル中学生なんだと思ってる。
639 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 16:51:16.20 0
>>638 ろくに反論できないからそうやって相手を中学生呼ばわりするしかない、と。
レッテル貼りですね、低レベルな。
そもそもイスラム批判派が集まるスレに、イスラム擁護派が乗り込んで荒らし始めたのが原因 お前らはイスラーム総合スレで議論やってろ
誰とは言ってないのに自覚おありの方、即レスご苦労様ですw
642 :
世界@名無史さん :2011/08/18(木) 19:21:06.01 0
は?べつにオレじゃない誰かが中学生のレッテル貼られている場合だって639のように言えるわけで。
このスレで、中世イスラーム世界に科学があったと主張している人たちは、 きっと木村鷹太郎の日本史学や、英ユ同祖論や、『ウラ・リンダ年代記』 のことも肯定するのだと思う ならばこれ以上議論をしても、永久に平行線をたどるだけだろう
644 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 19:39:58.94 0
>>643 いや、別にそれらは特に肯定してないけど。まぁスレチだから、
これらの内容に詳しい意見を述べるつもりはないけどそれらと、
イスラーム科学は別の話でしょ。全然違う分野の話だからね。
>>621 >結局は、民主主義を広い意味でとるか狭い意味でとるかの違いに過ぎないでしょ。
歴史を広い意味でとるのなら、木村鷹太郎の日本史学や、英ユ同祖論や、
『ウラ・リンダ年代記』も「歴史」の一部に含まれる
646 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/18(木) 19:49:10.49 0
>>645 まぁ、確かにそうだね。でも、それとイスラーム科学云々は、
無関係だと思うんだけど。ていうか、普通にスレチだろうしね。
何が『きっと』なのかさっぱりわからんが。このお方はw 643 : 世界@名無史さん [sage] 2011/08/18(木) 19:33:39.95 0 このスレで、中世イスラーム世界に科学があったと主張している人たちは、 きっと木村鷹太郎の日本史学や、英ユ同祖論や、『ウラ・リンダ年代記』 のことも肯定するのだと思う ならばこれ以上議論をしても、永久に平行線をたどるだけだろう
キモい
ネットストーカー
ふと思ったんだが、ロシアにも中東と同様、古典古代の学問がウクライナを通して 入ってきたんだが、結局あの国は西欧と同じにはなれなかったな まあ、中東に比べれば頑張ったほうだとは思うが
中東が発展できなかった原因の一つに、 西欧のローマ教皇と神聖ローマ皇帝、 日本の天皇と将軍、 このように二つの権威が並び立つという状況がなかったことが挙げられるのではないかな
652 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 08:57:41.37 0
>>651 それも微妙なんだよな
孔子・孟子・張魯の子孫には五胡十六国時代の狂王でも
モンゴルでも手出しできなかったし
イスラムのウラマーだって為政者より権威あるし
653 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 10:08:49.18 O
え? カリフは?
>>652 じゃあなぜ中国や中東は欧州と同じように発展できなかったんだ?
655 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 12:05:17.53 O
高麗の武臣政権も入るかな。
657 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 12:15:04.50 0
>>654 もう結論出てるじゃん
封建制(欧州)と国家官僚制(中国)
家制度(欧州)と氏族・宗族制(中東中国)
658 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 12:48:18.02 0
>>657 >封建制(欧州)と国家官僚制(中国)
欧州が中国を目指して絶対王政ー官僚国家に変革を遂げてこそ近代化に成功したけど?
17世紀まで欧州諸王が中国を理想として真似してた
659 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 13:42:48.01 0
>州が中国を目指して >中国を理想として 今度はニーダム厨かよ・・・w
660 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 14:06:03.70 0
知らないこと指摘されたらレッテル貼りか 単細胞らしいレスだな
中東の話をしろよ
662 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 15:04:34.24 0
>>660 で、
>欧州が中国を目指して
>中国を理想として
を早く説明してくれよw
663 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 15:05:05.75 O
そもそも「封建制」ってなんだ? みんな微妙に違う意味で使ってないか?
ふつうはフューダリズムのことだろう
宗教と科学はどちらも、世界を理解し説明するための試み キリスト教というのは実は個人の救済を目指した宗教ではなくて、社会全体を 支えるための宗教なんだよね(この点、イスラームや儒教と同じ) 現代の先進国の社会が科学(あるいは科学信仰)によって支えられているように、 中世にはキリスト教がヨーロッパ社会の屋台骨となっていた 近世ヨーロッパで見られた宗教と科学の対立という現象は、社会制度を担う 精神的支柱がキリスト教から科学に移行する際に起きた特異な現象
666 :
665 :2011/08/19(金) 15:25:38.09 0
ちなみに中世ヨーロッパのキリスト教(ローマ・カトリック)に相当するものは、 江戸時代の日本では朱子学だった その朱子学の世界観を批判したのが、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠、 富永仲基、山片蟠桃などの学者たち
667 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 15:29:58.88 0
>>663 国家の収益装置の一部の所有・用益・世襲出来る権利を
セットで臣下に下賜する制度
ルネサンス時代には、scienceという単語はただ単に“知識”という意味で用いられていた ガリレイやニュートンのような人々は、natural philosopher(自然哲学者)と呼ばれていた アラビア語においては、知識、学問、学知を意味するilm,ulumは、 宗教だけでなくすべての領域に用いられてきた
宗教と科学がどちらも、世界を理解し説明するための試みである以上、両者が 同じ場所で並び立つはずはない 唯一の方法は、政教分離というやり方で棲み分けること ただ、ムスリムのほとんどはサイエンスとテクノロジーを混同しているんだよな だから、「8〜15世紀において、イスラームと科学や技術が調和的に発展していた 黄金時代があった 、イスラームそのものが科学と対立するのであれば、そのような 時代は説明がつかない」などという見当違いな発言が出てくることになる 調和していたのは「イスラームと科学」ではなくて、「イスラームと技術(テクノロジー)」なんだよね
670 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 16:03:21.30 0
>>669 イスラム狂信者とニーダム厨は何言っても耳を貸さんからねえ
口を開けば「近代科学はイスラム科学が土台」、
「中国の4大発明が無かったら産業革命は起きない」だからw
671 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/19(金) 16:05:39.16 0
>>669 イスラーム科学はその名の通りイスラームの許す範囲での科学だったと思うよ。
宗教と科学は完全に両立する訳ではないけど完全に対立する訳でもないからね。
イランの宗教の教科書では「我々は科学を通してアッラーがこの世界をどのような、
法則に基づいて創造したかを知ることができる」みたいな内容を言ってたと思うし。
こういう考え方なら一応科学も成立する。ただし宗教の教義を覆すような法則は、
成り立たせないだろうから発展の程度が限られる気がしなくはないね。だからこそ、
宗教改革がなかったのが中東衰退の原因として良く挙げられるんだろうね。それと、
前にも言ったけど、イスラーム科学は実用的な技術だけではなく単なる理論や、
法則の発見に過ぎないものもあるから、テクノロジーとはまた違うと思うんだけど。
ともかく、宗教と科学はどちらも世界を理解し説明するための試みだけど中東では、
そのうち宗教のほうを優先して科学はあくまでその補助的役割に留まったのかな。
イランみたいな政教分離してない国ではいまだにそういう考えが根強いんだろうね。
だから「イスラーム科学は存在したけどイスラーム優位の壁を越えられなかったため、
中東は衰退した」と言うべきだと思う。あくまで科学はアジャムの学問だったからね。
アラブの学問である神学や法学のような宗教的学問のほうが優先されてしまってた。
テクノロジーと混同しているというよりはこっちのほうが実態に合ってるような気がする。
>>662 お前の眼の前の箱は何のためにある?
草を生やしたり相手の罵倒したりしか使い道がないのか?
サイエンス、キリスト教、イスラーム、朱子学、これらはすべて世界に数ある 「世界観」の一つにすぎない 遠い将来、サイエンスにとって代わる新しい世界観が現れるかもしれない
>>662 シノワズリでググってみて
18世紀前半までヨーロッパで中国が一方的に理想化されてた
>イスラーム科学
>>668 で指摘されているように、中世イスラーム世界には「科学」に相当する
単語は存在しなかったんだが
677 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/19(金) 19:11:32.80 0
>>675 まぁ、イスラーム科学というのはアジャムの学問のうち、
天文学や医学や光学などの現在世界において一般に、
科学と呼ばれてるものを総称して言ってるものだからね。
当時はそれらはみんなアジャムの学問の1つとされてた。
>>672 早く欧州が中国をモデルにして国家建設したっていう証拠を出せよw
このスレのイスラム厨やニーダム厨は、なぜ2chの住人ごときに認めてもらいたいと思ってるんだ? 同じイスラム厨、ニーダム厨同士で理解し合っていればそれで十分ではないのか? それにしても俺のような昭和(70年代)生まれのオタから見ると、平成生まれの オタというのは少々異様に思える 彼らの書く文章の行間からは、「認めてくれ、認めてくれ、皆俺を認めてくれ」 という承認欲求がダダ漏れ 正直引く 俺の学生時代、世界史オタなんて、周囲の人間が認めてくれなくて当たり前、 変わり者扱いされて当たり前だったからな
>>679 そりゃ日本人は真面目な対話をする文化はないからね
ネットで老若男女とも「しゃべり場」をしたいのさw
フランスでは一般人が詩人でも作家でもないのに
愛の定義ついて延々と会話するらしいけどw
自分語り乙。誰も聞いてないけど。
イスラム厨やニーダム厨がやっていることは、対話でなくて布教、折伏、つきまとい
683 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 20:54:07.84 O
イングランドなんて封建制が弱くて 王権強くなかった?
>>679 周囲から変人扱いされてた過去を世界史のせいにするなよ。
686 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 21:27:13.25 0
明清時代の中国から学べるものなんて実際皆無だしな
相対主義だ、ポストモダンだ、価値観の多様化だというのなら、 イスラム厨は「イスラーム総合スレ」でえんえんとイスラム文明を持ち上げまくり、 一方イスラム批判派は「なぜ中東は欧州になれなかったのか」でイスラムを批判する、 これが正しいあり方だろう でもイスラム厨はなぜか自分たちの巣から出てきて異なる意見の人間にストーカー行為を繰り返す
688 :
世界@名無史さん :2011/08/19(金) 21:42:45.35 0
なんで封建制が発展と関係あるのか皆目わからねえよ、 日本で封建制が強かったのは薩摩だが、 近代化と最も遠いところだろ、。
封建制って言ってみれば国家権能の民間へのアウトソーシングだよ だったら役人より民間人のほうが上手くやるに決まってるじゃん
690 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 01:19:10.62 0
封建制って幕藩体制みたいに地方単位で世襲化してる政治形態だろ そりゃ近代化の正反対だわ
日本の青年海外協力隊が途上国に行って技術移転をやろうとする しかし、現地人で日本人の給与の高さや持っている品物に憧れる者はいても、 日本人の態度(職場での規律や共同して仕事を遂行していこうとする態度)を 真似ようとする者はほとんどいない 途上国の人間というのは、具体的なものには興味があっても抽象的なものには 興味がないんジャマイカ?
アラブ人や中国人にしても、列強・先進国というステイタス、物質的な豊かさ、
西洋の自然科学、白人女性の外見の美しさといった表面的・物質的なものにしか
興味がないんだろうな
ttp://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/7c4248d347a4909761011ceb7cc737ae 現場を歩いてみると、自爆テロが「貧困」とも「イスラム教」とも関係がなく、
「中途半端な若者たちの自分探し」の結果だった姿が見えてくる。
(中略)
国松氏はフランスのアラブ系移民を取材しているが、移民の若者が特に
挫折感を味わうのは就職や失恋だという。それなりの教養があっても
望みどおりの就職が出来ず、白人女性との失恋はいたくプライドを傷付けられる。
「アラブのお坊ちゃんが西欧に行って、現地の女性から冷たくされ、
『これはアラブ人差別だ』とひがむのはよくあることだ」とルモンド紙の記者は指摘する。
693 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 10:08:11.31 O
>>690 江戸時代みたいに、中がそれなりに統一された小さなまとまりがいくつもあるのはいいが、
鎌倉室町時代や薩摩みたいに本物の封建制なら
発展なんかしようがないな。
日本で一番進んでいたのは畿内だろうが、封建制色強かったか?
>>658 近世になってからは国力を強化するために中央集権体制を強化したんだったね
中央集権体制や言論の自由や自由経済が近代化に大きく貢献したんだろうね
中央集権体制が構築できなかったインドは早くから欧州にやられてるな
>>685 だよなw
近代欧州の官僚制は中国を参考に作られたという話はよく聞くよな
欧州はオリエントや中国の制度の影響を 受けなかったのが発展の原因だな 特に中国の一見優れて見える官僚制度を取り入れなかったのは良かった
697 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 12:26:05.15 O
×封建制 ○複数のコンパクトな国家の並立
ttp://www.mec.gr.jp/NIRA/nira9.html (前略)
にもかかわらず西欧の科学にあってイスラムになかったものは、私が
先ほど近代科学の一つの大きな柱だと言ったデカルトの機械論なのです。
これがイスラムの中にはなかった。
むしろそこで有力だったものはグノーシス主義です。たとえばシャービル・
イブン・ハイヤーンの錬金術はグノーシス思想を根底にしておりますし、
アビセンナという哲学者、あるいはイブヌル・ハイサムという光学者、
こういう人たちは単なる哲学者、科学者ではなく、やはり根底的に
グノーシス的な思想を持っていたように思われます。
ですから、それはある意味で神仙秘主義的、といっても悪い意味ばかりではなく、 道教が神秘主義的だというのと同じ意味で神秘主義的な要因を持っていて、 それがイスラム科学の主流をつくつてデカルト的な機械論の形成がなかった。 したがって占星術や錬金術がイスラム科学の中で代表的な科学になるのも、 そういう背景があってのことだと思われます。つまりグノーシスの思想 というものは近代的な機械論的自然観と相反するものであって、これが やはり近代科学を生まなかった思想的な原因ではないか、というように 私は思うのですが。
中世イスラーム科学って、結局は魔術だったんじゃね?
ニュートンの本職は錬金術師だからな。
近世近代の科学は機械論の独壇場だったな 量子力学が出てきて機械論至上主義は終わった感があるけどね
703 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/20(土) 13:05:54.27 0
>>698-699 確かにイスラーム科学が結局近代科学になれなかったのはそこが原因かもね。
科学が宗教の影響なく発展するには機械論に基づく宇宙観が必要だったのかな。
中東ではそのような宇宙観・世界観が生まれなかったことに一因があるかもね。
704 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 19:52:43.90 O
モンゴル以上にトルコ人のせい。 アラブ人が知性に目覚めつつあったのに、野蛮なトルコ人が政権を取ったから。
アッバース朝時代の庶民の生活水準とか、現代と比べるとどうだったのかな アラブ諸国は貧富の差の激しい国が多いが、中世もそうだったの? 識字率はどのくらいだった? そういう史料はないのかな
707 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 21:37:19.53 0
てか中東はもともと遊牧民しかいない
708 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/20(土) 21:58:21.12 0
>>707 ジャーヒリーヤ時代のアラブ人はベドウィン的価値観が強かったとは言え、
全員が遊牧してた訳じゃないと思うけど。メッカやメディナとかは部族的な、
都市国家っていう感じがするし。後、ペルシャ人も遊牧民じゃないと思うし。
すごく乱暴かつ簡素に言うと中東がウサギで欧州がカメだったからじゃないだろうか
710 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 22:19:23.84 0
>>708 ペルシャも緊密に言うとアケメネスやパルティアは遊牧系
中東の生物学者が 人間はアッラーの造物では無く、猿から進化したって学説を展開したら やはりイマーム階級から迫害されたんだろうか
712 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/20(土) 23:10:46.52 0
>>710 確かにそうか。でもアラブ人といいペルシャ人といい、トルコ人や、
モンゴル人が侵入してきた頃にはほとんど定住化してただろうし。
まぁトルコ人やモンゴル人もしばらくしたら定住化したから同じか。
713 :
世界@名無史さん :2011/08/20(土) 23:15:11.38 0
ゲルマン人も先進地域の文物に触れて数百年してから やっと知性に目覚めた。 アラブ人は目覚めたが、トルコ人にはその時間が無かった。
714 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/20(土) 23:50:40.64 0
>>713 セルジューク朝はマドラサの建設を多く行なうなどそれなりに文化的なことも、
やってたけどね。それでも、すぐに分裂しちゃってるあたり遊牧国家っぽいね。
オスマン帝国も最近はトルコ人だけの国じゃないというのが定説になってるし、
トルコ人の侵入とスーフィズムの流行の時期がだいたい重なることからみても、
それが一因という感じはするね。オスマン帝国が発展したのはトルコ人以外も、
積極的に政治に関われた多民族国家だったからだし(セルジューク朝もかな)。
もう現代のアラブ人はさ、欧米諸国のように世界の文明の中心になど なりえないのだから、「自分たちの身の丈に合った生き方」を模索した方が いいと思うんだ 湾岸産油国の住民なら、石油のおかげで豊かな生活ができるのだから、 多少の不自由さは我慢する 石油が出ない国の国民は、先進国ではなく中進国を目指すとかさ
716 :
◆axCVsGomao :2011/08/21(日) 08:01:30.84 0
ブラックアフリカや中央アジアには石油以外の資源あるから それをうまく収奪することだな
そんな訳で高等教育は、あまり力を注がず、能力のある者は基本的に理工系にいくように勧め、 留学させてきた感がある。エンジニアなら実学的で体制に影響はないし、 進化論ぐらいが宗教と抵触するかもしれないが、それならキリスト教も一緒だしね。 逆に言えば、文系はマネージメントなどだったらいいけど、哲学とか文学にいっちゃうと 問題が発生する頻度が高くなる。そんなのを習得させるために、わざわざ留学に出すのを 奨励することはない、という訳だ。
アラブ諸国といえば、石油収入で豊かだという印象が強いが、実はそうではない。 アラブ諸国の1人あたりのGDPは1980年から減少しており、この原因は 人口の急増と水不足である。
欧州は緯度が高くて、英独あたりは夜九時まで明るいらしい つまり、電気がない時代でも野外でもよる九時まで働けるということだ 同様に朝4時には日の出しているだろう 一日15時間労働も可能だ これだけ明るい緯度ならば、寒冷でくいもんがないのが普通だろうが メキシコ湾の熱風のおかででけっこう暖かいというチートがある じゃがいも輸入でさらに食糧事情は強化された 一方中東が真ん中に近いので、日が出ている時間は短いだろう 明るい時間が一日3.4時間違うと、活動可能時間に大きな差が出て それがそのまま国力の差となっていく
721 :
◆axCVsGomao :2011/08/22(月) 22:32:18.63 0
ヨーロッパは涼しい
>>720 ロンドンに6月中旬に行ったけど
8時半までちっとも暗くならなくてビビったw
30分かけて陽が沈むぬを
国会議事堂を見ながら確かめたよ
723 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/22(月) 23:20:24.91 0
>>720 夏の間はそうだけど冬は逆にヨーロッパのほうが昼は短いでしょ。
まぁ、一般的には冬より夏のほうが働きやすいけどね。
福岡も夜の七時半くらいまで明るくてビビった。東京と比べると一時間くらい日没が遅いんじゃないかな。
725 :
世界@名無史さん :2011/08/23(火) 07:00:16.50 0
>>724 沖縄はそれでDQNが多くて、学力最低だと問題なっている
北方の人間は、太陽が天頂からもっとも遠いところにいる人間である。 これらの地域では寒気と湿気が強く、行けども果てしなく雪と氷とが 広がるだけである。かれらは心あたたまるユーモアに欠けている。 体は大きく、性質は粗野で、振舞はがさつである。理解力は鈍く舌が重く、 宗教的信条は堅固でない。北方のいちばん端にいる者は、もっとも愚鈍で、 粗野で、野蛮な傾向がある。 by 地理学者マスウーディー(896?〜956)
>>724 イラクの首都バグダードは北緯33度に位置し、福岡とほぼ同緯度。
したがってイラクの冬はかなり寒い。
北部の山岳地帯は雪もつもり、その気になればスキーさえ楽しめる。
バグダードでは雪こそ降らないが、真冬の最低気温は氷点下だ。
アラブ諸国の場合、「時は金なり」という概念が存在しないのが問題なのでは エアコンの効いたオフィスの中でも、何もしていない人間が大勢いる
同じ一神教でも、西欧キリスト教世界は占星術や魔術を排除・弾圧したのに対し、 イスラーム世界ではそうした秘教的科学が表通りのいわば十八番の学問となった、 キリスト教は唯一の超越的な創造神のみを残し、他の一切の魔的なものを払拭 しようとしたが、イスラームにおいてはこのことが徹底しなかったことは、 多くの魔的なジン(精霊)が依然として跳梁するのを見てもわかる。
730 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/24(水) 20:06:58.96 0
>>729 確かに中東ではヨーロッパほどには魔術を弾圧しなかったね。
まぁ、でもアジャムの学問として多神教的なギリシャの学問の、
影響が強かったことや、良くキリスト教に比べて寛容な宗教と、
言われてることを考えれば当然か。千夜一夜物語を読んでも、
魔術関係の話が結構あるし魔術と化学の中間のような存在の、
錬金術が流行ったりもしたからね。とは言え中東にも例外的に、
魔術を完全否定する者もいたけどね(イブン・ハルドゥーン等)。
キリスト教の教父たちがギリシアの自然観に対して行ったキリスト教的変容 (1)ギリシア的な「永遠な第一質料」という考え方を否定し、これに代えて神による 「無からの創造」というキリスト教的な考え方を自然学の中に持ち込んだこと。 これは、のちの西欧科学の一つの基本性格を根底において形づくることとなった。 (2)「世界の周期的循環」というギリシア的な考え方を否定して、世界を終末に向かう 直線的な「神の摂理」の進行というキリスト教的な概念をこれに代えたこと。 これは円環的時間に対する直線的時間の考えを初めて提起し、近代の進歩の概念にも 直接つらなる思考の変革をもたらしたものであり、やはり近代西欧科学の世界像の形成に 深いかかわりを持った。 (3)「天体の運動の人間の運命への影響」というヘレニズム占星術の考え方を否定して、 「人間の自由意志」を擁護したこと。この占星術や魔術の批判ということは、 その後のキリスト教西欧科学の主流となり、イスラム科学などとは異なる近代の 合理主義科学を創りだす大きな要因となった。
イスラーム世界で原子論を支持する学者は少数派だった。 イスラーム世界の物理学者たちはアリストテレスの影響を強く受けていたが、 彼らの大半は反原子論者だった。 アリストテレスは、すべての自然物は、命あるものもそうでないものも、すべて 四大元素が混合したものであり、さらに乾、湿、熱、冷の4つの基本性質を持ち、 どのような変化も動きもそれらの相互作用によって説明することができるという理論を説いた。 このアリストテレスの理論は、デモクリトスをはじめとする学者たちが主張した 原子論とは相容れないものだった。
中国も、最初は孔子が「子、怪力乱神を語らず」とか言っていたのに堕落しちゃったなあ
735 :
世界@名無史さん :2011/08/25(木) 12:14:15.75 0
元々朱子学も万物の原理を極めようという主張だったのにねえ 明王朝以降精神論にすり替えられておかしくなった
讖緯説は、儒家思想から、迷信・邪義として斥けられ、しばしば禁圧された にもかかわらず、民衆レベルでの浸透の勢いをとめることはできず広く流行し、 変容しつつ後の中国思想にも影響を与えた。
アラビア科学自体、欧州のオリエンタリストによって“発見”されたものじゃん そういえば中東を研究したオリエンタリストにはドイツ人が多かったが、 あれには何か理由があるのかな・・・
>アリストテレスは、すべての自然物は、命あるものもそうでないものも、すべて >四大元素が混合したものであり、さらに乾、湿、熱、冷の4つの基本性質を持ち、 >どのような変化も動きもそれらの相互作用によって説明することができるという理論を説いた。 どちらかというと風水術の木火土金水に近いな 違いと言えば、こちらは漢方処方に利用されてるのに対して アリストテレス科学はただの誤謬な事だが
金→水の説明が無理ありすぎる
740 :
世界@名無史さん :2011/08/26(金) 19:22:15.65 0
金だけが水を完全に止められるから、という意味の解釈じゃない?
741 :
世界@名無史さん :2011/08/26(金) 21:17:05.13 0
鉄板だが銃・病原菌・鉄はかなりの良書、このスレの疑問も割と明快に説明してくれてるな
>>741 ちゃんと読んだのなら、お前さんが明快に解説してくれ。
743 :
世界@名無史さん :2011/08/27(土) 00:07:58.23 0
744 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 00:32:44.49 0
>>737 そうなんだよねぇ。オリエンタリズムは、確かにヨーロッパ側の一方的な、
偏見なんかも交じるから一概にほめられたものでもないけどこのように、
今まで埋もれてた東洋史に関する様々な内容が発見されるという利点も、
当然あるからね。後、中東の研究者でドイツ人が目立つのは確かに不思議だね。
より知れ渡っている例。タリバンに核兵器の機密を漏らした疑いで最近 逮捕されたパキスタンの二人の核工学者のうちの一人は、かつて、精霊(ジン)の 力を活用することでパキスタンのエネルギー問題を解決しようと提案している。 コーランによれば、神は、人を土からつくり、天使と精霊を火からつくった。 そこで、この地位の高い工学者は、精霊を捕獲してそのエネルギーを抽出しようと提案したのだ。 (興味を持たれた読者は、スルタン・バシルディン・マフムードと私が 1988 年にやりとりした、かなりとげとげしい公開書簡を読まれたい。 公開書簡は、1991 年の拙著「イスラム教と科学 ─ 宗教的正説と合理性のための闘い (Islam and Science - Religious Orthodoxy And The Battle For Rationality)」に採録されている。)
中東が再び世界の覇者になる日は来るだろうか。
748 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 12:43:52.30 0
ムスリムの人口の多さを考えると十分あるだろう
750 :
世界@名無史さん :2011/08/27(土) 13:15:10.75 0
欧米白人の昨今の精神の惰弱さにより 現代文明がイスラム、中国人に踏み潰される日は来るとは思う 情け容赦なく異教徒や異民族を殺せるのは白人の中ではロシア人くらいだろ
751 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 13:18:07.35 0
ナチスは60年前のことだし 現在進行形ではイスラエルが酷いことしてまっせ
752 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 13:18:40.57 0
日本人が自爆特攻作戦をやっていたのも60年前
753 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 13:19:28.58 0
西欧勃興以前は ビザンツ イスラム インド 中国 っていう4地域が発展していたわけだけど
やっぱ旧オスマン帝国みたいなシステムを復活するしかないのかな 民族・宗派ごとに自治権を与えて
中東エリアだけ、 全ての国がBRICSの高度成長バスに乗り遅れたからな・・・ イラン革命さえ起こらなければ、今頃BRICIS6ヶ国になってたんだろうけど
仮に中東諸国が経済的に豊かになったとしても、心の飢えは満たされないんだろうな
757 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 19:58:39.06 0
中東諸国は心の餓えは無いよ 宗教があるから
日本から見た中東のイメージ(欧米が日本に吹き込んでる中東のイメージ) 「反米主義でいっつも暴徒化してるヒステリックな連中3億人」 「時代錯誤なイスラム刑法に支配された暗黒社会」 「石油地主と大多数の貧民のみで構成され、中間所得層ゼロ」 からすれば、アメリカへの怒りと生活苦で心飢えてそうに思うなぁ
760 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 20:13:46.80 0
自殺率比較すると寒くて宗教心の無い地域が高い 心が餓えているから自殺すると考えると 心が餓えているのは旧共産圏や北欧や日本のほうだな サウジアラビアは人口増で若者はそれほど豊かじゃないからな UAEとかカタールの若者は国外へ逃げないだろう 湾岸産油国はインド人やフィリピン人に労働させているけどな
761 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 20:29:42.64 0
正直、心が飢えてるかどうかなんて人それぞれだし、 個人的な問題という感じで、一概には言えないけど、 僕が今まで会った中東の人にはあまりそういうのは、 いなかったように思える。まぁ単なる主観だし、別に、 そんなに頻繁に会ってる訳でもないけど。陽気な人、 結構多いしね。心の飢えは確認しにくいものだけど。
これから先はイスラム原理主義は流行らなくなるんじゃないのかな それよりも民族とか部族とか宗派のほうが重要になっていく 最悪の場合、レバノン内戦のようになるとか
763 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 20:43:16.19 0
はっきりいって暖かい国は鬱になりにくい 寒い国は鬱になりやすい それは確実にいえる 日本で夏に自殺する人は少ないとおもう
764 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 20:46:45.61 0
民主化がうまくいったら欧州みたいに政教分離が成功して 欧州みたいな国になると思う
民主化の方向性がバラバラなんだよな 民主化運動の映像でも 一握りの学生が「デモクラシー」叫ぶだけで 低学歴な一般男性は「アッラーアクバル、アッラーアクバル」だもんな
766 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 21:01:10.49 0
民主化もイスラム化もどちらも独裁政権で抑えられていたものだから 一挙にでてきたんでしょう パレスチナ人は選挙でハマスを選択したな
767 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 21:07:17.73 0
>>762 イスラム原理主義自体がアラブ民族主義なんかの衰退をきっかけに、
広まったものなんだけど、今後はそれが衰退し再びナショナリズムが、
勃興するという訳か。でも、実際中東の少数民族ってクルド人以外は、
あまり目立ってなかったし、民主化をきっかけに目立つかも知れないね。
769 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 21:29:40.56 0
庇護民だろ
770 :
世界@名無史さん :2011/08/27(土) 21:33:03.35 0
>>765 そんなの1970年代くらいの日本でさえそうだろう。
しかし今は違う。
まあ、
>>764 が書いているとおりになってくれれば俺も嬉しいし、中東、ひいては
国際社会にとってもベストなシナリオだろうな。
そのときはイスラムマンセー論者の主張が正しかったと認めよう。
772 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 21:58:09.68 0
>>771 実際、トルコなんかはほとんどそんな感じなんだけどね。
公正発展党が与党とは言っても政教一致してはいないし、
それなりに民主的ではあるからね。ただ、今回の政変で、
中東にトルコのような国が多くなるかどうかは別だけどね。
773 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 21:59:19.58 0
アメリカが中東に関与できなくなったら 中東で独裁政権が倒れてイスラエルも消滅するのは間違いない ただそこから宗派対立とかで内戦が起こって ようやく西欧化に至ると思うな
774 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/27(土) 22:07:12.11 0
>>773 良くヨーロッパが近代になれたのは宗教戦争を経験したためだという、
意見は良く聞くしね。中東でも、宗派対立による戦争が発展のために、
必要なのかも知れないね。そういう意味ではレバノンは有利なのかな。
775 :
◆axCVsGomao :2011/08/27(土) 22:11:20.97 0
ムータジラ派の復興しかないなw
ttp://arabic.kharuuf.net/archives/480 キリスト教とイスラーム教が比較される場合、前者がorthodoxyを求める宗教であるのに対して、
後者はorthopraxyの宗教であると説明されることがしばしばある。ユダヤ教内の律法主義を
批判しながら成立したキリスト教では信条・教義の正しさが求められるが、ユダヤ教と同様に
戒律重視であるイスラーム教では、まず求められるのはおこないの正しさということである。
宗教の全体的な傾向について言っているのなら、このような対比は間違ってはいない。
近代初期までの西欧においてたびたび実施された異端審問のように、人の思想・信条に立ち入り、
それを裁こうとする試みは、同時代の中東イスラーム圏ではあまり起きなかったのも事実である。
って事はイスラーム国家で 礼拝の時間に若者が 「糞めんどくせぇ〜 あーコーラ飲みてぇわ〜」と内心思ってても とりあえず礼拝の様式がしっかりしてればそこは問わないって事か
778 :
世界@名無史さん :2011/08/27(土) 23:29:03.14 0
現代の話なの? 15世紀くらいにどうして発展に差が生じたかの話じゃないの?
779 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 02:52:30.70 0
いいか 欧州発展の理由は産業革命による近代化だ、 などと思うなよ。 軍事力の差。 19世紀もとい20世紀初頭まで、 最強の軍事力は馬。 銃があっても弓だろうと関係なく、 機動力をもっての飛び道具、これに勝る戦闘力は ついに20世紀に自動車が発明されるまで存在しなかった。 拳銃騎乗射撃により満州馬賊の張作霖が 中国支配にあと一歩まで及んだのはい馬でもない。 大型機械兵器は金がかかる。 よって金融をコントロールした国家が 世界を席巻した。 欧州が表舞台に出たのなんてつい最近の話だし 利息禁止のイスラム教では無理でしょ。
キリスト教とイスラームは同じ一神教というけど、調べれば調べるほど共通点より 相違点のほうが目につくようになっていく キリスト教の異端に一番近いのは「ビドア」だが、これは「前例の無い新しいことや発明」を指す。 法学上ではシャリーア上に根拠の無い新説のこと
781 :
◆axCVsGomao :2011/08/28(日) 07:32:00.76 0
有名なハディースには、 ムスリムは一番の多数派になっても、沢山のご飯が盛られたお盆のようになり、 あらゆるもの達から貪りとられる、 川に浮かぶ塵芥のような存在になる とあるらしいですな つまり現在のイスラム世界の状況はこのハディースのとおりなんですよ
782 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 11:58:11.81 0
原理主義はキリスト教のほう。 イスラムはその寛容さで ユーラシアの中心で広く受け入れられた。 過激さが目立つようになったのは キリスト教社会のマイノリティと位置付けられるようになってから。
784 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 12:45:34.49 0
で、これからも偉い技術者や科学者が生まれる余地はないの? これが、中国や韓国は言うに及ばず アジアの国々、タイ、マレーシア、フィリピンだと これから生まれてくるだろうが、 トルコあたりでも生まれてくる余地はないの?
785 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 13:13:19.18 0
偉い科学者とか技術者とかってなんだ。 処刑動画を世界配信する技術なんて史上最強だろうが 用途に問題がありすぎて著名にならないだけだ。 技術に権威を持たせるのは所詮プロパガンダ。 人類は無名の個人が常にいたるところで技術革新をおこしているよ
>>764 の予測通りになれば、将来は中東からも偉い科学者や技術者が生まれるだろう
787 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 13:50:41.71 0
>>785 じゃあ少し言い換えよう
数学者で業績をあげる人
生物学者で業績をあげる人
品種改良で業績を上げる農学者
相対性理論や量子理論を上回る原理を発見する理論物理学者
二足歩行ロボットを発明したり、
元素変換技術を確立する技術者
そういう人が中東から出るかな
せめて、金融屋じゃなしに、
京セラの稲盛や松下やヘンリ・フォードみたいな
きちんとした実業家が出るかな
788 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 13:56:00.45 0
商売人はいるだろうけど 貨幣に価値を感じない宗教に ドル換算の高収者は現れ得ないだろ。 今の評価される科学者技術者ってなんの功績挙げてんの? 納得できるのは農学者くらいだな。 量子力学とかってこの世の役には立たんだろ。 哲学としてなら理解できる。
プロ倫嫁 答えはすでに出ている
790 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 14:40:02.14 0
世界最高のタワー、ブルジュドバイがあるだろ。 これをヨーロッパがやれば「世界最高の技術」と称され 中東やアジアがやれば「バカと煙は高いとこ上る」と言われる それだけのことだ
文化相対主義の立場に立てば、別に中東が欧州と同じになる必要はない
>>790 そもそも、アラブ人自身が、黒人や黄色人種を見下しているからな
インドネシア人やマレー人のような、東南アジア出身のムスリムも見下されている
793 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 15:39:04.71 0
それは石油の力なのだ。 まあ総合してみると ”石油があるから頑張らない” これが結論。 必要ないでしょ
794 :
◆axCVsGomao :2011/08/28(日) 19:30:21.66 0
>>786 アヴェロエス
アヴィケンナ
イブン・ハルドゥーン
キンディー
795 :
◆axCVsGomao :2011/08/28(日) 19:33:08.77 0
>>787 きちんとした事業家ってw
サウジアラビアのアルワリード王子を知らんのか?
796 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/28(日) 20:49:08.61 0
>>794 そういうのじゃなくて「これからの中東で」ということじゃないの?
それらの人物ってみんな前近代の人物で、近現代においては、
科学や技術で名を挙げた中東の人物ってあまりいないからね。
例えば自然科学系のノーベル賞で中東出身はほとんど見ない。
>>764 でFAだろ
これ以上議論を続ける必要はないと思うが
798 :
世界@名無史さん :2011/08/28(日) 23:20:29.51 0
>>790 >世界最高のタワー、ブルジュドバイがあるだろ。
それは技術ではなく金だけ
既にあった建築技術を使ってコストの限界に挑戦してビルを建てただけだから
そこに科学の発展はない
グランドゼロの跡地にデッカいビルを建てる計画だけど、誰も「世界最高の技術」
と持ち上げたりしないのと一緒
イスラム教の性質上、未知への探求は御法度だからすでにあるものや技術を分野
に取り組むしかない
しかし、白人嫌いのイスラム擁護は客観的にものを見れないヤツが多いな
799 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/28(日) 23:45:58.20 0
>>798 >イスラム教の性質上、未知への探求は御法度だからすでにあるものや技術を分野
>に取り組むしかない
まぁ僕はそのタワーについては詳しく知らないので今までの技術だけなのか、
新しい独自技術が使われてるのかは知らないけど、上の文はおかしいでしょ。
イスラームは(少なくとも教義上では)別に未知の探求を禁止してはいないよ。
政教一致のイランのイスラームの教科書だって「科学とはアッラーの創造した、
世界の法則を良く知るために必要な学問だ」と書いてあるし歴史的に考えても、
中東には普通に「学者」と呼ばれる人が宗教的なアラブの学問だけじゃなくて、
アジャムの学問にも存在した。そういう人の中には今まで知られてないような、
事柄を調べようとした人もいたからね。イスラームの教義を見ても別にそんな、
内容はなかったと思うんだけど。とは言え近代以降の中東に著名な科学者が、
あまりいないのも一方では事実なんだけどね。それはまた別の理由だと思う。
コーランと近代科学
ttp://blog.goo.ne.jp/tintonshan/e/1e01bb76b7e8c610af7355b163ad8e5f アラブ・イスラム世界における科学技術に関する大きな問題は、イスラムと
切り離された科学技術はあり得ないということである。科学技術は、
イスラムとは無関係に存在し得ないのである。さらに言えば、アラブ・
イスラム世界における科学技術に関する活動は、科学技術活動のみならず
そのほかのさまざまな人間活動を含めて、「イスラムの枠」内に限られるということだ。
ところが、言うまでもなく、科学技術活動というものは、それまでの
人間の知見の枠を突き破って未知の世界に挑む活動である。何らかの
枠にとらわれているところに科学技術活動はあり得ず、枠を乗り越える
ところにこそあるのである。人類の歴史におけるすべての発見と発明は、
従来の枠を乗り越えたからこそ実現したのである。
ということは、枠のあるところに科学技術はない。つまり、イスラムと
科学技術は両立しないことになる。
801 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/29(月) 09:43:48.97 0
>>800 まぁ、上のほうでも述べたけど前近代におけるイスラーム科学というものは、
あくまでイスラームの枠にはまった科学だったからね。アッラーの創造した、
この世界の法則を探ろうというものだったから、イスラームの教義と明確に、
対立するような内容は探求されにくかったという面はある。とは言え、これは、
ヨーロッパも全く当てはまらないことではなくニュートンだって熱心に神学を、
追求しようとしてたからね。でも、中東にしろヨーロッパにしろこれはあくまで、
前近代の話で、現代では中東の科学者もそれなりに宗教の枠からはみ出て、
研究してる人もいるかも知れないね。その割りには著名な学者が少ないけど。
>現代では中東の科学者もそれなりに宗教の枠からはみ出て、研究してる人もいるかも知れないね。 そういう人間は欧米へ頭脳流出していくだろ
803 :
世界@名無史さん :2011/08/29(月) 09:52:43.47 0
著名な科学者が今後出てくる見込みは薄いというのはわかったが、 せめて、奇人変人の趣味人の類はどうかな 例えば、牧野富三郎みたいな人とか せめて、さかな君ww 一応大金持ちはいるのだし、そういった趣味に没頭できる人も 少しはいるだろう。 インド世界あたりまではそういった奇人変人の趣味人が 出てくる余地はあるのだから、中東世界でも
804 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/29(月) 09:53:26.37 0
>>802 確かにそうかも知れないね。中東に限らず途上国における、
先進国への頭脳流出っていうのは防ぎにくいものだからね。
いつの時代も、列強・先進国などと呼ばれる超勝ち組はひとにぎり 別に中東諸国が欧州と同じになる必要はない 平凡な、その他大勢の国々としてこれからもやっていけばいい
>>799 >科学とはアッラーの創造した、世界の法則を良く知るために必要な学問だ
要するに、中国の「中体西用」と同じ考え方だということか
イスラームこそが唯一絶対の真理、という考えを変える気はないってことだよな
807 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/29(月) 15:12:23.83 0
>>806 少なくともイランの公式見解ではそうなんじゃないの。教科書に、
書いてあったぐらいなんだから。中東にも、イスラームと科学を、
分けてる人もいるかも知れないけどね。そういう学者は
>>802 の、
言うように欧米へ頭脳流出する可能性もあるかも知れないしね。
「和魂」は「中体」と違って曖昧でつかみどころのないものだよな
810 :
◆axCVsGomao :2011/08/29(月) 20:45:09.74 0
>>798 ムータジラ派は運命論を否定しているんだが
井筒俊彦『イスラーム思想史』(岩波書店)によると、 ・アラビアの文化は、その純アラビア性においては著しく視覚的・聴覚的な文化である ・古代のアラビア人は著しく感覚的であり、従って物質主義者であり、個物的であった ・コーランは論理的にみれば矛盾に満ちている。このことは、後に主として ギリシャ思想との接触によって論理的に目覚めた回教徒自身も認めざるを得ないところであった ・仮にアラブ人を哲学者に見立てるならば、彼らは個物主義者であり、ノミナリストであった。 感覚的な現実の彼方に、それを超越するイデア的なものの実在を信じるレアリストではあり得なかった ※アラブ人の思考法と、ギリシャ文化との相性は悪かったようだな というより、人類全体でみればギリシャ文化のほうが特殊なんだろうけど
812 :
◆axCVsGomao :2011/08/29(月) 20:53:30.53 0
ガザーリーがすべて悪い
813 :
世界@名無史さん :2011/08/29(月) 22:51:12.86 0
>>803 生物学方面はもともと陸上の生物相が豊かでないところに、ハラル/ハラムの概念があるから難しいだろうな
研究対象を触れなきゃ話にならない
紅海の魚とかはサウジの王族の誰かが興味を示さないかな。陸上と違って豊穣の世界のようだし
814 :
世界@名無史さん :2011/08/29(月) 23:03:01.69 0
>>813 というと、品種改良に血眼になる篤農家という階級も
出てくるメドがないわけですね
815 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 00:07:57.72 0
>>742 明快に言うなら、
文明は、文明の積み重ねによって発展してきた
編み出された発明が途切れずに進展していくことが大切
中東は初期の発明が断絶されたことも多かったが、欧州は持続的な発展を続けた
その理由は気候など諸々
おけ?
816 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 00:11:38.13 0
>>742 >>815 だが、不足があると思うが、「その理由」についての上下巻本だからあとは賢いお前さん自身で読んでくれ
個人的には中東は欧州になれなかったというよりも、「ならなかった」のではないかという気もする
いずれにせよ、古代ローマの文献を中東が保守してくれてたのは神業
>>815 >その理由は気候など諸々
一番肝心な理由が全然明快じゃないぞw
818 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 01:26:13.46 0
>>816 815で補足してくれてない?ww
読んだことあったらそれで十分わかるからもう
>>815 さんスルーでいいと思うよー。
>>802 頭脳流出云々に関してはもっと知りたいところ。中東に限らないとは思うけれど。
819 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 01:28:36.28 0
あーごめん、安価間違えた。
>>817 816で補足してくれてない?ww
読んだことあったらそれで十分わかるからもう
>>815 さんスルーでいいと思うよー。
>>802 頭脳流出云々に関してはもっと知りたいところ。中東に限らないとは思うけれど。
で。スマソ
>>816 このスレの疑問に全然明快に答えてない。
読解力と文章能力が残念な人か。後、上巻しか買ってないのがバレバレ。下巻も買ってちゃんと読めよw
>>818 自演乙。レス番くらいちゃんとつけろよ。
低レベルな読書感想文はもういいよ w
821 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 02:34:59.17 0
822 :
世界@名無史さん :2011/08/30(火) 02:54:39.72 0
>>801 ヨーロッパとイスラムの違いは人間による新しい解釈が可能かどうかだろう
ヨーロッパでは新しい見解や解釈が許されるのだから、科学が聖書や聖職者
の枠にとらわれずに発展できたけど、イスラムではそういう事自体無理
だからヨーロッパで見られるような信仰と科学の両立はイスラムで見られない
823 :
◆axCVsGomao :2011/08/30(火) 07:08:39.22 0
ヨーロッパだってルネサンス以前は信仰と科学の両立はできなかった しかしヨーロッパ人は古代ローマと古代ギリシアに自分たちの起源を見つけた ムスリムにとってのルネサンスってイスラムの黄金時代の感性を取り戻すことだと思うんだけど つまりはアッバース朝のマアムーンの時代だな ガザーリーの完全否定とムータジラ派の再評価が必要なのかと
824 :
◆axCVsGomao :2011/08/30(火) 07:10:07.50 0
825 :
◆axCVsGomao :2011/08/30(火) 07:22:05.82 0
ムスリムの宗教的情熱が科学の方向に向いたら結構スゴイと思うんだけどな 人間やる気だから
826 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/30(火) 08:00:44.77 0
>>822 イスラームは別に教義上では科学に関して人間による新たな解釈や見解を、
禁じてはいないよ。ただ、イスラームの枠内での見解や解釈のみだったけど。
◆axCVsGomaoの言うようにガザーリーを否定しムウタジラ派が復活すれば、
科学と宗教の分離が中東でも可能だったかも知れない。
>>1 バーナード・ルイス御大にいわせると、イスラーム世界が発展できない理由は
自由がないからだそうです
828 :
◆axCVsGomao :2011/08/30(火) 08:20:43.20 0
ウラマーは日本の官僚みたいなもんなんだろうか
829 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/30(火) 08:41:50.58 0
>>828 良くウラマーはキリスト教における聖職者と違い、きっちりとした、
教会組織などによって選ばれるものじゃなく、単にイスラームに、
詳しい人間を漠然と指すものに過ぎない(ウラマーという地位や、
職業がある訳じゃない)と言われるんだけど、オスマン帝国では、
ウラマーは国家の試験を通ることで国家から正式に与えられる、
地位なんだよね。だからウラマーは官僚のようなものだと言える。
政教分離された現在のトルコでもウラマーの多くは公務員だしね。
これはトルコの政教分離というものが宗教を国の管理下において、
政治に関わらせないようにするものだから。
>>829 >これはトルコの政教分離というものが宗教を国の管理下において、政治に関わらせないようにするものだから。
じゃあビザンツや、聖職叙任権闘争(教皇革命、聖俗分離革命)が起きる前の西欧と同じなわけだ
初期中世には、皇帝はキリストの代理人だったが、ローマ教皇はキリストの使徒である
聖ペトロの代理人にすぎなかった
たとえば、オットー大帝の即位後の100年間のうちに、21名が皇帝によってローマ教皇に
任命され、そのうち5人が皇帝によって罷免されている
831 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/08/30(火) 09:21:01.13 0
>>830 まぁ、そんな感じかな。トルコでは宗務庁という役所があって、
全国のモスクやそこで働くイマームたちを管理・運営してるし。
だから、ウラマーたちは公務員として国から給料もらうらしい。
伊東俊太郎・村上陽一郎編『講座科学史 比較科学史の地平』(培風館) ……伝統的文化では既成の理論的見解に対して代替案がありうるという意識が発達していないが、 科学的な指向をもつ文化ではそのような意識が高度に発達していることである。 伝統的文化は「閉じて」おり、科学的な指向をもつ文化が「開かれて」いるというときに われわれが念頭においているのはこの差異のことなのである。 (中略) 閉じた社会では、宗教が一般的であるという事実は宗教が義務的なものだということを意味する。 というのは、たとえ強制ということがないとしても、自分の話す言語についてと同様に、 個人にとって他の人々がみな同意していることを受け入れるほかはない。選択の余地はないからである。 たとえこの人物が懐疑論者であったとしても、彼の疑念は周囲の人々が保持する信念の 表現に用いられている言葉を借りて表現するほかはない。 言い換えれば、代替案に対する意識がまったくない場合、既成の理論的教義の絶対的受容という方向に進み、 それに疑問を呈するという可能性をまったく奪ってしまうのである。こういった状況では、 既成の教義は信者に強制力をもつ。そのような教義を聖なるものとわれわれがいうときに 念頭においているのはこの力のことなのである。 (中略) 既成の教義がそれを奉ずる人々の間で絶対的、全面的妥当性をもっている場合、 教義に対するいかなる挑戦も混沌の兆しとされ、それゆえ強い不安を惹起する。
833 :
世界@名無史さん :2011/09/05(月) 19:33:15.08 O
砂漠ばっかで、僅かな人口はみなオアシス都市に集まる、と。
エジプトの衛星写真おもしろい ナイル川沿いに緑が集約されてる感じ
835 :
世界@名無史さん :2011/09/07(水) 07:46:38.17 0
イスラム教でがんじがらめだからでFA
837 :
世界@名無史さん :2011/09/08(木) 19:01:03.09 0
それを書くとイスラム擁護レスが連発するからやめれ
838 :
世界@名無史さん :2011/09/11(日) 00:53:11.38 0
>>798 同じだろ。
金をかければ技術は上がる。
欧米では高層化は景観を損ねるから
むしろ禁止してんだよ。日本は地震が多いから。
技術t的には現在2千メートルくらいのビルでも可能だそうだ。
やるアホはいないだけ。
839 :
世界@名無史さん :2011/09/11(日) 00:54:57.77 0
そんなことより、 いずれにしても技術とアホは神一重ということだ。 ブルジュドバイが否定されるなら、 欧米科学文化も否定される。 同じことだ。
>>1 中東は、中世に一度栄耀栄華を誇ったから、もう後は衰退していくのみ
エジプト人もカナン人も性的には乱交パラダイスだった、とモーセ五書は伝える。 別に中近東や北アフリカのみならず、古代ギリシャ・ローマも、戦国時代の日本も、男色や近親相姦はわりとありふれていた。 そして報いとして奇形児は多かった。結果社会システムとして続かなかったのよ、劣っているから。
中東は既存の学問に捉われない新しい学問を発明するのだ。 欧州の作り出した科学文明など捨て去って。
文明の盛衰はシュメールから始まって中東→欧州→中東→欧州ときたから 次はきっと必ず中東の時代が来る!必ず来る!
844 :
世界@名無史さん :2011/09/12(月) 21:04:49.67 0
>>842 まるで、既存の国際法に反発して、「大東亜国際法」を唱えた戦前の
日本人のようだなw
845 :
世界@名無史さん :2011/09/12(月) 22:14:06.77 0
科学というのは 単細胞の人間だからこそできる部分が大きい。 西欧の人間の頭脳のできがアジア人より粗雑で、それが 科学の進歩につながった。
846 :
世界@名無史さん :2011/09/12(月) 22:18:49.20 0
中近東がキリスト教になってたら欧州と区別つかないかも。 語族が違うだろというツッコミは無しで。
847 :
世界@名無史さん :2011/09/16(金) 14:09:02.78 0
>>846 住人の外見はクリスチャンなら欧州と同じコーカソイドだから区別が余計つきにくいな。
もちろん、若干肌の色、顔立ちは違うけど、住人の外見以上に違いが大きいのは自然と街並みだわな。
この自然と街並みの差は思想にも影響を及ぼすだろう。
やはり同じクリスチャンであっても、中東より欧州の方が金儲けなどの思想や技術に緻密になると思う。
未知の世界への探求は欧州のクリスチャンの方が強いと思う。
>>843 の思想はどっちが勝つか負けるかという競争意識の土俵があるが、
中東系はそういう西洋的な競争・勝敗の土俵自体に西洋人ほど興味はないと思う。
東アジア系は中国人も韓国人も日本人も西洋的勝敗へのこだわりがアジア一強いけどね。
競争での必死さ:中韓>日本>>>(超え難い壁)>>>東南アジア>南アジア>中東>北アジア
西欧文明とイスラーム文明は同じ一神教文明と呼ばれるが、細かく見て行くと 相違点のほうが多いと思う アラビア語の「ビドア」は、革新を意味するが、預言者とその弟子たちと 初期のムスリムたちが、人類に伝えられた神聖な神の命令や慣習から 逸脱することを示している。伝承は善であり、人類への神託を秘めている。 だから伝承からそれることは悪である。 とりわけ異議の余地があるようなビドアは、異教徒の模倣の形をとるものである。 預言者が語ったところによれば、「ある人々を模倣する人は、皆彼らのなかの 一人となる」
中東はシュメール→イスラムと歴史を経るにつれて 文明のレベルが上がっているからな。イスラムの次は期待できる。
どんだけスパン長いんだよっ!
欧米も中国も嫌いだから中東に期待してんだけど。 アラブの春ならぬアラブの奇跡期待してますぜ。
852 :
◆axCVsGomao :2011/09/19(月) 21:08:59.64 0
少なくともエジプトはじめとするマグレブやシリアなどは乾燥地域で暑いし 工業にむいていないから観光しか産業が無いよな
853 :
世界@名無史さん :2011/09/19(月) 22:03:08.24 0
中継貿易で永遠に潤うはずだった中東がなぜ凋落したか。 答えは簡単、海があったからだ。 イギリスその他が得た植民地利益は、 中東イスラム諸国は最初から手にしていた。 これらが全て奪われたのは 欧州人の大航海術のなせる技だ。 自殺を認めないキリスト教徒が 自殺に等しい大航海に出たから、それだけは認める。 それ以外はヨーロッパ人なんて技術力も科学力も全部後付け。
854 :
◆axCVsGomao :2011/09/19(月) 22:05:55.60 0
未だに中継貿易でドバイは潤ってるけどね イランが欧米寄り政権になったらどうなることやら
855 :
世界@名無史さん :2011/09/19(月) 22:14:33.91 0
そりゃ港湾都市なんだろ知らんけど、きっと。 クウェートとか西欧依存国はまたいろいろだ。 石油は中東の偶然だ。 でも太古より生物の活動中心地だったという 必然もあるかも知れない。いややはり人類とは関係ないな。
856 :
世界@名無史さん :2011/09/19(月) 22:29:19.65 0
>>853 それだけではない。共和制という政体は欧州で生まれた。欧州より前に共和制というのは存在しない。
共和制とは何か?アジアなど非西洋の帝国はスルタンや皇帝、シャーなどによる一元的な専制支配だった。
トップ・権力は一つだ。ところが、欧州は違う。教皇=宗教権力、皇帝=世俗権力、財界=経済権力という三つの権力があった。
その内、欧米では経済権力が世俗・宗教権力を凌ぐようになり、世俗権力まで動かすようになった。
イギリスやフランスの国王を処刑し、遂にはドイツのカイゼルやロシアのツァーはおろか非西洋の君主の地位まで自由自在に操るようになった。
欧州の君主自身が何人かは血祭りに上げられ、オスマン帝国と欧米の特権商人との関係は逆転していった。
非西洋ではイスラム圏も含めて国を乗っ取るという事は軍事的征服しかない。
しかし、欧米で国を乗っ取るというのはまず非軍事で背後から木偶にすると言う事だ。
軍事的征服は瀕死状態になってからの最後の手段だ。
オスマン帝国が地中海を押えたように見えた後もイタリア都市同士の覇権争いもオスマンとの貿易も続いた。
ムガールもジャワもマラッカもイスラム勢力であり、イスラム圏は完全な断交的対立ではなく少しづつ欧米に蚕食されていった。
857 :
世界@名無史さん :2011/09/19(月) 23:31:09.87 0
>>856 確かに共和制という具体的形態はヨーロッパで生まれたが。
古代ギリシャの都市国家をベースに。
でもギリシャってヨーロッパとしてはギリギリでしょ。ほとんど中東。
それに共同体社会って制度自体は世界各地で諸々あったと思うぞ。
日本にも一向衆統治の国がいくつもあったじゃねえか。
それはおんなじことですよ。
858 :
◆axCVsGomao :2011/09/20(火) 06:59:54.69 0
共和制っていうけどローマは結局帝政になったわけで それに権力の分散をいうならばイスラムのカリフとウラマー カリフとスルタンの関係も同じ
859 :
世界@名無史さん :2011/09/20(火) 07:44:35.40 0
世界で最初に「自由・平等・愛知主義」の哲人政治を完成させたのは ペルシアのキュロス二世大王だと、プラトンは述べてましたよ
860 :
世界@名無史さん :2011/09/20(火) 09:47:27.60 0
>>857 私は財界支配の事を言ってます。一向衆やウラマーの支配は宗教支配であって、
財界支配ではない。現代的な財界支配が誕生したのは欧米でしょう。
日本やイスラム圏ではあくまで商人は下の存在です。
日本やイスラム圏で大商人が権力者を倒そうとした事はないはずです。
861 :
世界@名無史さん :2011/09/20(火) 11:12:07.79 0
世界は今:9.11とイスラムのキリスト教改宗者:
中東では改宗は危険だ。家族の縁、友人、職場から締め出される。
米国に移民するしかない。それほど宗教の縛りは強い。
私の昔のエジプトの家庭教師はコプト教徒の青年だった。
職場のイスラム教の娘が好きであったが、結婚は掟で禁止されていた。
イスラムの娘はイスラムの男としか結婚できない。
無理に結婚すれば、娘の親族が男を殺すのだ。これが現代の中東である。
駿河山人
http://pub.ne.jp/surugasankei/
862 :
世界@名無史さん :2011/09/20(火) 11:15:41.47 0
>>857 何を以って共和制とするかだわな。実際王がいない、などといっても
王のような権限を持つものもいれば、王政なのに権力は家臣がもってます、なんてのはどこにでもある。
863 :
◆axCVsGomao :2011/09/20(火) 22:19:01.91 0
>>860 ウラマーを宗教の支配と断言してもいいものなのかな
そこは違うと思う
ウラマーは法学者であり法の支配 法源はコーランとシャリーアによるが
864 :
世界@名無史さん :2011/09/21(水) 01:45:18.65 0
>>846 マルタが中東世界全体に拡大したようなものか。犬の種類も多くなってただろうな。
タブーがないから座敷犬みたいな小型犬も王侯貴族がいろいろ生み出してそう。現実はグレーハウンドみたいなのとピレネー犬の親戚みたいなのしかないけど
865 :
世界@名無史さん :2011/09/21(水) 19:59:56.22 O
イスラム支配以後は中東はだめになったな
866 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 20:04:29.53 0
>>865 いや、イスラーム支配後もしばらくの間、中東は先進地域だったでしょ。
イスラム圏における商人の力を知らんようだな。 交易による収入がないと、そもそもイスラム国家の経営が立ち行かないだろうに
868 :
世界@名無史さん :2011/09/22(木) 13:10:40.70 0
>>866 それは当時西欧が後退したからじゃない?
ビザンツやアジアと比べればイスラムが進んでる訳じゃなく、むしろ若干遅れてる方
869 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/22(木) 16:15:53.46 0
>>868 う〜ん、時期によると思うけどなぁ。確かにイスラーム初期の頃はビザンツのほうが、
先進地域だったと思うけどアッバース朝以降は互角くらいになってたでしょ。それに、
イスラーム圏って言っても地域によってだいぶ違うからね。イベリア半島やペルシャ、
シリアやエジプト辺りは進んでたけど、アラビア半島とかのほうは遅れてたと思うし。
他のアジア地域(インドや中国や東南アジア)に比べて遅れてたという程でもないよ。
870 :
世界@名無史さん :2011/09/22(木) 16:36:15.33 0
>>869 >インドや中国や東南アジア)に比べて遅れてたという程でもないよ。
アッバース朝と宋王朝ならどっちかというと宋王朝の方が進んでたと思うが
871 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/22(木) 16:46:22.64 0
>>870 そもそもアッバース朝と宋じゃ最盛期の時代が、
違うから、安易に比べられないと思うんだけど。
872 :
世界@名無史さん :2011/09/22(木) 16:55:00.84 0
>>871 ペルシア、ビザンツ文化を吸収した直後が最盛期で、それ以降はダダ下がりだけどね
873 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/22(木) 17:04:49.95 0
>>872 「何」が下がってるのかによると思うけど。アッバース朝はペルシャやビザンツの文化を、
吸収した後、確かに国力に関しては衰退してたけど文化や学問や経済とかはその後も、
それなりの水準だったでしょ。学問分野に関してはセルジューク朝期ぐらいまでは結構、
発展してた。モンゴル帝国が来たりスーフィズムが流行るようになって学問面は確かに、
衰退したけど、文化や経済に関してはオスマン帝国の中期ぐらいまでは進んでたでしょ。
874 :
世界@名無史さん :2011/09/23(金) 00:13:44.64 0
>>860 財界って共和制と関係なくね?
帝政王制封建制に対して共和制だよ。
税金を金納したからといって共和制にはならんよ。
欧米でも大商人は政府を倒したりしとらんよ。
一向衆は堺の会合衆というのと同盟関係にあって
この会合衆は有力商人36人を中心とする合議制。ギリシャのポリスに似てる都市国家。
そうゆう存在は世界各地にありますから。
偶然というのもあるよね 福島県の県庁所在地が会津若松や郡山でないのはなぜか 山口県はなぜ下関でないか みたいなもの
イスラム教は人類史上最悪級のカルト宗教だからね いちどイスラム教に感染したら人間でない何かになってしまう
877 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/23(金) 14:20:41.01 0
>>876 いくら何でもそれは言いすぎでしょ。
偏見以外の何者でもないと思うよ。
イスラム教って知ると結構合理的だし、開放的なとこもある 俺の友達ムスリムだけど、豚食べるし、酒も飲む 偏見は人間関係狭くするし、原理主義じゃない人達の方が多い
今、アメリカ大陸の先住民の子孫は生き残っているが、その文化は博物館の中か、 あるいは先祖が作っていた民芸品を模倣して観光客に売る、そういう形でしか 生き残っていない 白人とほとんど交流がなかった時代の先住民の文化はもはや維持できない 先住民の子孫は、白人の作ったコーラを飲んで、Tシャツを着て、ハリウッド映画を観て、 インターネットをしている時点でもはや先祖たちとは別物 イスラーム文明、イスラーム文化というものも将来これと同じ道をたどるんじゃね?
>>879 逆のパターンになりかねないくらいムスリム増えてる
東京都内でもビルがモスクがわりに使われたりしてるし、アメリカなんかでは貧しい人達から信者増えてるし、黒人は元より、ヒスパニック系住民も改宗している
イスラム教はキリスト教から発生した宗教だから、実はクリスチャンには受け入れ易いよ
881 :
世界@名無史さん :2011/09/23(金) 18:10:52.37 0
やっぱ白人の文明が最も栄えていたということで。次点でイスラムと中国
882 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/23(金) 18:45:28.17 0
>>881 それは普通に時代によるんじゃないかな。
いつの時代の話かによって全然違うでしょ。
後、イスラーム圏はある意味白人の文明。
中東の人は基本的にコーカソイドだから。
中東が西欧と同じになれなかったのは、精神的な弱さのせい 奴らの自己欺瞞のせい 本当は西欧に憧れているくせにイスラーム復興などとぬかす 本当にイスラーム復興を考えているのなら中世と同じ生活水準に戻ればいいのにそうしない 国際社会はゆとり教育をやっている小学校と同じじゃねーんだ お手手つないで徒競争でみんなでゴールイン、なんてわけにはいかない
884 :
世界@名無史さん :2011/09/24(土) 00:55:33.79 0
お前が国際社会のなにを知ってるとゆうんだ。 まだ通園中のぶんざいで。
885 :
世界@名無史さん :2011/09/24(土) 01:11:18.20 0
>>879 それ日常的に生活が欧米化してる世界全般だろ
ネットしたりドライブしたりファーストフード喰ったり・・
886 :
世界@名無史さん :2011/09/24(土) 01:23:38.97 0
彼にとってはインターネットは白人文化らしい。
887 :
世界@名無史さん :2011/09/24(土) 17:14:44.63 O
メッカの方角を拝むのとかも1日五回から一回とかに減りそう。
これから先はどんどん社会の役に立つ研究が求められるようになる 自慰的な研究しかできない研究者は淘汰されていく
>>878 >俺の友達ムスリムだけど、豚食べるし、酒も飲む
そういう世俗化がイスラム教国で排斥されつつあるから危惧されるのでは?
キリスト教もほかの宗教も先鋭化、原理主義化が嫌われるのに
イスラムの原理主義化がどのメジャーな宗教よりも広く根が深い
現代のムスリムは中世のムスリムとは別物だからな 彼らはヘンな自意識を持ってるし というより自意識過剰というべきか?
第二次十字軍を扇動したカトリックの聖ベルナール イスラムは悪の壺だ 現世の我々が見ることのできる悪の標本だ この悪から解放するには、イスラム教の根絶しかない。 殺せ!殺せ! 原理主義はどっちにしてもおとろしい、
キリスト教が世俗化に進む、イスラム教が原理主義化に進んだ そこは欧州と中東の違いだろう
インドにはヒンドゥー・ナショナリズムが存在する
894 :
世界@名無史さん :2011/10/01(土) 16:39:14.29 0
文化に優劣はないと思うけどさ、 近代化に向いている文化と向いていない文化が存在するんじゃね? すべての文化が近代化しさえすればいいとは思わんが
895 :
世界@名無史さん :2011/10/01(土) 22:25:17.34 O
イスラム支配以前はよかったな
>>894 まあ自文明でそれなりに完結してやってけるならそれはそれで良いんだが
残念ながら現代世界において勝者である西洋文明は資本主義を生みだし今はグローバリズムを標榜してるから
そういうわけにいかないんだよね・・・。
人は優秀な文化宗教政治制度などを模倣したり取り入れたり従属したりせざるを得ない生き物 独自の文化など幻想 故に文化相対主義も幻想
もう欧米諸国が永遠に世界を支配し続ける、が結論でいいんじゃね
>>898 米が突出して強国なだけで欧州各国は最早弱小国
地域で纏まらなければ大したことも出来ん
>>853 中東から手に入れた技術や情報(水車にしても風車、時計など)を、
自分たちで改良したりしていたのは華麗にスルー。
科学力(天文とか)が発展したから、地球が丸く、西回りができる
と思ったから大航海に出たんじゃないの?大航海で、新大陸を発見したから、
科学力が発展したのかw
901 :
◆axCVsGomao :2011/11/02(水) 21:42:19.43 0
アヴェロエス アヴィケンナ
902 :
世界@名無史さん :2011/11/02(水) 22:31:52.83 0
アラビア数字はアラブ発
インドがゼロを発見したのと同じで、基礎で終わってしまっている。 体系的に発展させることができたのはヨーロッパだけ。
904 :
世界@名無史さん :2011/11/02(水) 23:33:56.75 0
アホか。 人が応用したらサルマネといい 自分が盗作したら発展と呼ぶ。 このへらず口こそがヨーロッパ最大の能力。 ベラベラの実の能力者。
それじゃあ日本はサルマネ国家だね
昔の日本、今の中国だね。
907 :
世界@名無史さん :2011/11/03(木) 01:39:20.73 0
模倣は技術の基本だよ。 じゃあ日本は何をサルマネと言われてるって? そりゃ東京タワーがエッフェル塔とそっくりだったりするトコだろ。 今ならその辺の著作権違反を遥かに凌駕する。
タワーはどっちかつーとダムやら橋やら冷却塔やらがお互い似ている のと同じようなもんで。重力や風を考慮した理論的な構築物に近い
機能がどうでも、 明らかにデザインがパクりなのだからどうしょうもない。
明治とかの西洋館とか、機能はともかく見た目だけでもパクる
それは建築工法なのだから仕方ない。
欧州が発展したのはアフリカ・アジア・アメリカ大陸の植民地化のおかげ そしてその欧州人によるアフリカアジアアメリカの植民地化を促したのは皮肉にもオスマントルコ帝国である オスマントルコの勃興により圧迫された欧州諸国は航海術を発達させて 後の大航海時代の基礎を作った そこがオスマントルコ(中東)と欧州の差を作った
植民地化のおかげで、航海技術や科学技術がアップしたんだよ。 間違いないよ。
ヨーロッパの人口が増えたのはジャガイモのおかげ。 ジャガイモが一般に普及する前に人口が増加しているけど、 間違いないよ。
>>889 今のイスラムが偏狭になったのは、サウジのワッハーブ派のせいじゃないのか。
昔のスーフィズムはもっと寛容だったはず。
コペルニクスが地動説を唱えたのは植民地化のおかげ コロンブスが新大陸を発見したのも植民地化のおかげ
中東が欧州になれる予感がまるでしないよ
>>914 ヨーロッパの増えすぎた人口を維持できたのはじゃがいものおかげ
何でもいいよ、とにかく植民地の富のおかげで、ヨーロッパは発展した。 ということにしないと都合が悪い。 悪逆非道な植民地支配を欧米から開放したのが正義の大日本帝国なんだから。
結局、宗教の呪縛から解放できたか、できなかったかの違いでしょ それで、自然科学から哲学にいたりまで、欧州は自由に発展した 中東世界はいまだにイスラム教の呪縛にとらわれている感じだし 奇跡的にフェイスブックとか若者に流行しているみたいだが、 果たして、それで、中東(アラブ)世界が脱宗教、現代化が大きく前進するかは未知数だ
921 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/06(火) 16:54:19.01 0
>>920 中東諸国にはまだイスラーム法の影響の強い国が多いからというのは分かるけど、
フェイスブック云々はそれとは直接関係ない気がする。そもそもフェイスブックスを、
見てもイスラームの教えに反するような事柄は特にない気がするんだけど。だから、
中東世界でフェイスブックが流行ってるのが奇跡的だと言われても良く分からない。
イスラームの縛り云々は置いておいてもそれとフェイスブックの流行き無関係でしょ。
中東でもトルコなんかは政教分離しててイスラーム法の影響から抜け出してるかな。
>>920 欧州は呪縛から逃れているけど、アメリカ人はかなりがんじがらめだよ。
>>921 だから、トルコは希望の星なんだが、一方でイスラム回帰の世論も一部で根強く難しいよね
ケマルアタチュルクは偉大だったよ
同じ、中東でも、民族がアラブ人とトルコ人の違いなのかな
>>923 民族というよりは西洋社会の影響を受けてたのが大きいんじゃない?
半分ヨーロッパだからね。
926 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/10(土) 20:29:39.96 0
>>924 19世紀のオスマン帝国領時代、エジプト以外のアラブ地域のほとんどは辺境の地という、
感じで、中央のイスタンブルなんかに比べると西洋社会との繋がりも多くなかったからね。
オスマン帝国は、19世紀前半にはすでに近代化政策を開始してたけど、それはやっぱり、
西洋諸国との関わりがそれなりに深かったからだと思う。まぁ逆にそれがオスマン帝国の、
近代化の妨げになった部分もあるんだけど。ケマルの革命も、基本的にはその延長かな。
現在のトルコでは近代化の功績の全てをケマルに帰する傾向があるけど、それ以前から、
オスマン帝国では近代化政策が進められてたね。だから政教分離だって成功したんだし。
さらに遡ってチューリップ時代にはある程度西洋文化受け入れの下地は出来てたよね
928 :
世界@名無史さん :2011/12/11(日) 02:07:12.03 0
中東は一般的に個人財産権の法的整備が不十分で、 こういう法的整備を阻む社会哲学が中東の社会を支配しているから、 近代資本主義の特徴である大きな固定資本投資を実現することが出来ない これはロシアにも同じことが言える 東方正教に個人財産権と矛盾する部分がある 固定的でない資本投資は流動的だからこういう土地柄でも可能 だからロシアも中東も民間は非製造業ばかり儲かる
929 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/11(日) 14:58:23.07 0
>>927 オスマン帝国における西欧文化の取り込みはかなり前から行なわれてたからね。
チューリップ時代もそうだし、メフメト2世なんかも西欧かぶれとして有名だったし。
とは言え、これらはヨーロッパにおけるオリエンタリズムの逆バージョンみたいな、
ものだったからこれだけをもって後の近代化政策の萌芽とは言えないだろうけど。
けれどもこれらのことが後にオスマン帝国近代化の際に西欧文化の受け入れの、
下地となったのは事実だし現在のトルコが自国をヨーロッパの一員だと主張する、
一因にもなってる。オスマン帝国は昔からヨーロッパとの繋がりが結構あったしね。
もしかしたら彼らの意識の中ではトルコ人はイスラム教を信奉するヨーロッパ人なのかもしれない (キリスト教徒が結構多いというのはこの際考えないとして)
>>930 余談だが、そもそもトルコ共和国の土地は、キリスト教徒の土地だったし
熱心なキリスト教国だったし
もっとも、それを言ったらシリアも元キリスト教徒の土地だ
932 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/12/13(火) 16:07:03.96 0
>>931 シリアもそうだしエジプトなんかもキリスト教徒が結構いた。レバノンやエジプト辺りは、
今でも、国内に少数派キリスト教徒が結構いてそれなりに政治的影響を持ってるしね。
トルコの場合は住民交換などもあったせいか今は昔ほどキリスト教徒はいないように、
思えるけど、コンスタンティノープル総主教があったりもして全く影響がない訳でもない。
そういうところで、ヨーロッパとの繋がりが今でもあるからEUなどにも入りたがるのかな。
宗教的に公法と私法を区別しない習慣があったから。 これでは資本主義と民主主義が成り立たない。 この2つは法の運用の裁量性を極力抑えてこそ成立する。 近世にはいって中東やロシアが西欧にどんどん引き離されていったのはこのため。 この意味での西欧はポーランド・リトアニア共和国まで。 この国は世界初の近代民主主義政体を作ったから。これを革命と捉えるロシアとドイツに潰されたが。
イスラムが商人重視だから、商人が力を持っていても、経済活動のために、宗教を 抑制し経済重視に転換できなかったから。
中国で産業革命が起こらなかったのと同じ理由かもしれんね 安定した王朝と、それに伴う習慣の固定化 西欧の急激な発展に着いていけなかった
イスラムが商人重視だから、商人が力を持っていて、経済活動のために、宗教を 徐々に抑制し経済重視するようになりそうだが。
937 :
世界@名無史さん :2012/01/08(日) 08:45:27.56 0
マムルークに支配されてダメになったイメージだな
イスラムの海賊が、ヨーロッパ人の職人を拉致して大砲製造を 行わせたりしてるけど、自分たちは関与せず。無理だろ。これじゃあ。
939 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/08(日) 15:26:03.17 0
>>937 マムルークといいイェニチェリといい初期のうちは国力を挙げるのに役立ったんだけどね。
次第に腐敗していき近代には民衆から嫌われるようになってしまった。
マムルークやイェニチェリ自体がだめというよりはそれらに頼りすぎたせいで、
彼らが次第に増長し中央政府も容易に扱いにくい存在になってしまったんだと思う。
>>938 最盛期のオスマン帝国は大砲などの火器の扱いに長けてたことが強さの源だったけどね。
17世紀頃からは西欧でも軍事革命が起きてきて性能が上がってきたから、
海賊たちも自分たちが作るよりもヨーロッパ人に作らせたほうが良いと思ったんだろうね。
海賊と違いオスマン帝国軍においては18世紀頃から軍事改革の動きが見られたけど、
イェニチェリが反発したせいでマフムト2世の時代までは思うように進まなかったし。
オスマン帝国を脅かす敵がいなかったから軍事改革が進まなかったのか? ロシアがまだ台頭してきていないからか。
941 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/08(日) 16:03:16.85 0
>>940 敵がいなかったというよりはイェニチェリが反発したからというほうが大きいかな。
ロシアの脅威が増えた17世紀になっても既得権益を奪われたくないイェニチェリが反発し、
改革が進まなかったからね。それにウィーン包囲で失敗するまでは、
まだまだオスマン帝国も西欧と対等に渡り合えたからあまり改革の必要性もなかったし。
942 :
世界@名無史さん :2012/01/08(日) 23:32:16.71 0
マムルークも世襲化してきちゃったんだっけか 今の日本の公務員もそんな感じだな
おとなしくトルコのもとで一致団結しとけばよかったのに ロレンスとかに煽られてバラバラになってカスの小国の集まりになりやがって アホだな
944 :
世界@名無史さん :2012/01/09(月) 09:49:59.75 0
ナショナリズムの影響でしょ そういう時代だったからしょうがないわ
945 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/10(火) 07:50:02.57 0
>>942 マムルークもイェニチェリと同じようにエジプトで大きな勢力を持つようになっちゃって、
民衆からはしばしば圧政をしくよそ者と思われてきたから、軍事的重要性が薄れるにつれて、
保守的で旧態依然としたやっかいなお荷物になってしまった。
最終的にはマフムト2世がイェニチェリを廃止したときと同じように、
ムハンマド・アリーが虐殺することで強制的に廃止させた。
>>939 ほう イェニチェリが衰退の一つの原因だったのか
征服して滅亡させたビザンチン帝国の熱心なキリスト教徒の少年達を徴兵したのが始まりでしょ
だから、ある意味、ムスリム・トルコ人に対して、積年の怨念を遠回しに復讐できたことになるのかもね
947 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/22(日) 16:20:30.03 0
>>946 まぁ、イェニチェリがオスマン帝国のお荷物になる頃には、
デヴシルメもあまり行われなくなり世襲化してきてたけどね。
そういう見方はなかなか面白いのかも知れない。
一方で、後にビザンツ帝国の後継者を自負するギリシャが独立戦争を起こすようになった時、
彼らとって圧政の代表者としてまず槍玉にあがったのがイェニチェリでもあるんだけど。
948 :
世界@名無史さん :2012/01/22(日) 20:00:28.61 0
>>135 やはり他国との戦争は科学技術を進歩させる動機たりえるな。
949 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/22(日) 20:22:53.57 0
>>948 オスマン帝国とか普通に他国と戦争しまくってたけどね。
それでも西欧の軍事革命についていけず18世紀には軍事的に衰退した。
まぁ、中期に西欧よりもサファヴィー朝などと多く戦争してたからかもね。
950 :
世界@名無史さん :2012/01/22(日) 20:36:00.82 0
ヨーロッパなんか同じ君主を戴く封建領主同士がゲーム感覚で領土を取り合いしてた気がするが イスラム世界と比べてどうなんだろう。
951 :
世界@名無史さん :2012/01/22(日) 20:39:59.95 0
ヨーロッパのチートは新大陸発見が大きいでしょ
952 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/22(日) 20:42:27.47 0
>>950 イスラーム圏でもセルジューク朝みたいに封建領主の強い国だと、
君主の断りなく勝手に領土を奪い合ったりもしてたみたい。
近世のオスマン帝国などは中央集権型だからあまりなかったように思えるけど、
それでもエジプトやシリアなどアラブのほうではそれなりにあったかな。
953 :
世界@名無史さん :2012/01/22(日) 20:44:33.40 O
古代ローマの遺産が大きい。 新大陸ならバイキングも発見してたし
セリム3世は、イェニチェリを改革せず、ニザーム・ジェディードを作ったら、 イェニチェリの反発は、当然起こると考えなかったのだろうか?
955 :
世界@名無史さん :2012/01/24(火) 21:13:50.34 0
オスマン帝国は中央から総督が派遣されていたからな 封建制度よりもよっぽど近代的だと思うけど
オイルマネーを手に入れても工業よりも金融と観光に投資。 工業蔑視みたいなのが昔からあるのか?
957 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/26(木) 21:53:40.23 0
>>955 オスマン帝国はいくつかの地方を除けば基本的に中央集権的な体制だったしね。
時代を経るにつれアーヤーンなど地方勢力が台頭するようになってきたけど、
近代に入るとまたオスマン帝国は中央集権化を志向するようになったね。
>>956 工業は技術が定着して軌道に乗るまで時間とコストが必要な割りに
後発の旨味があまりない
金融や観光はすぐ芽が出る、という差では?
特に金融はいくらでも金の出る財布持って博打してるようなもんだから
ほぼ確実にどっかで勝ってリターンあるんでしょ
959 :
世界@名無史さん :2012/01/27(金) 13:15:00.48 0
そもそもなる必要あんの? 西洋なんかもう落ち目でしょ
>>958 東南アジアも、韓国も、中国も工業に力を入れているけど、
この違いは何だろう。
そもそもなる必要あんの? 日本なんかもう落ち目でしょ
>>960 大量にいる安価な労働力じゃない?
アラブ辺りは人口結構少ないし
963 :
世界@名無史さん :2012/01/29(日) 22:05:41.26 0
アラブってもともと交易してたからでしょ
イスラムが全盛期でも工業力はしょぼかった。 もともと工業には不向きな地勢。逆に、中継貿易には適していた。 新しい貿易ルートをヨーロッパが発見したので、衰退。
965 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/05(日) 01:27:08.19 0
>>964 確かにイスラーム圏は伝統的に工業よりも農業や商業のほうが盛んだったイメージだ。
都市部やその郊外ではそれなりに手工業者も多く存在したから悪くはないんだろうけど。
遍歴職人とかツンフトのようなものはあったのだろうか?
967 :
世界@名無史さん :2012/02/05(日) 16:50:25.07 0
シリアやアンダルスでは工業盛んだったけど アンダルスはスペインに奪われ シリアの職人はティムールがサマルカンドに連れ去った
奪われる前に、職人を首都近辺に退避させるのが普通だろ
969 :
世界@名無史さん :2012/02/05(日) 17:10:49.69 0
ティムールはダマスカスの住民虐殺したんだから 退避させる暇なんてないだろ
虐殺したら工業力・技術を奪えないような。
971 :
世界@名無史さん :2012/02/05(日) 17:58:34.32 0
職人だけは助けてサマルカンドに連れ去ったんだよ 結構有名なエピソードだとおもうが
国境や敵国の近くに国の重要拠点がある。国防上問題があるような。 ソウルみたいに、わかっちゃいるけどやめらないなのか?
ティムールは容赦なく人々を女子供でも殺しまくったけど 学者や職人系の人間には敬意を払って接していたようだ
アッシリア、ペルシア帝国 イスラム黄金期など越えてる時期はあった
>>974 むしろ、イスラム化の進行で、それらの地域の民族的独自性が薄まり、
文明として劣化した印象すらある
イラン(ペルシャ)も、ゾロアスター教(非一神教)のままなら、ある意味、近代になるころ、
進んだ欧州の文明を受け入れ易く、そのおかげで早く発展できた可能性もあると思う
シリアもそう思う
そこは古代の多神教の次はキリスト教だったよね
欧州とつながり、早く発展できたかもしれない
キリスト教はローマの国教となりゲルマンの蛮族にまで広まったのに 中東や北アフリカでは主流にはならなかったな 後にイスラムが広まったから一神教を受け入れる余地はあったわけだが
主流ではないだろうが、 7世紀初めまでの東ローマ領の中東・北アフリカは正教圏だったな そりゃまあ正教が国教だから東ローマ領はどこも名目上そうなるけども
非一神教じゃないインドも中国もだめだったし イランもだめだったと思う
979 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/15(水) 19:17:37.82 0
>>975 イスラームが19世紀以後の近代化においていくつか弊害となったのは事実だけど、
ゾロアスター教だったらそうじゃなかったかも知れないというのはどうかなあ?
ゾロアスター教だろうとイスラム教だろうと宗教の縛りが強かったら、
結局同じなんじゃないかと思わなくもない。その点ではキリスト教も同じかな。
>>977 実際、シリアやエジプトなど東ローマ帝国領だった地域は現在でも、
キリスト教徒がマイノリティーとは言えそれなりに存在してるからね。
これらの地域がかつてかつてキリスト教圏だった頃の名残だろうね。
中東は日本や中国よりはマシ 日本はマジで幸福度低い