1 :
世界@名無史さん:
確か60とか70行ってなかったか?
古代ローマすれないからここがローマスレでいいのかな
いいと思います
5 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 15:05:29 0
塩野を元にウィキペディアを描くのはやめろ
多いね、その手の記述がw
片っ端から訂正してるけど、ホントにロマ物ソースが多くて死ねるw
ロマ物面白いけどWikiのソースにするなよと、小説なんだから
塩野が参照してる学説が古い上に本人の小説家としての想像力も盛り込まれてるからな
ウィキペディアに書くならそういう前提ぐらい理解してほしいのだが
8 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 22:47:49 0
塩野自身が 自分の作品は 娯楽小説と歴史書の中間をねらてるっていってるね
9 :
世界@名無史さん:2011/01/05(水) 22:54:47 0
2でなくてU、じゃねえ?
ローマ人の物語ソースでウィキペを改竄するバカはいい加減にしろよ
ローマ関連ならともかく関係ない項目まで捏造改竄すんなww
ノンフィクションタッチの小説だと事前に理解してないとね
結構な年輩者でもそうなるよ
歴史に関する情報が少なければ事実と思い込んでしまいがち
その改竄されたwiki情報を情報を持たない者が見ればもっと妙な方向に進む
どの部分かは知らないが、少なくとも複数のソースで判断しないとねぇ
自身の経験で言えば
大学での英語講師が割と基本的な英単語を間違えてた
指摘したら、講師が相当期間愛用している辞書を取り出してこちらを間違いと指摘
自身が持っていた辞書を見せると誤植だと主張
また商工会主催のとあるセミナーの講師は
「三国時代の項羽と劉邦・・・」ときたから、言い間違いかと思ったらそうじゃなかった
とは言っても、自身もローマに関心を持ったキッカケとしては塩本からだから
暫くは主観以外の情報は全て信じ込んでいた
ま、こんな方々が編集しているんだろうがねーw
12 :
世界@名無史さん:2011/01/08(土) 12:48:44 0
古代ローマは遺跡がたくさん残っているのがすごいな
同じ古代の百万都市でも、バクダッドや長安は遺跡がしょぼい
バグダットや長安(西安)も掘れば出てくると思うよ。特に現在のバクダット
と旧バクダットは完全にずれてるから、再現したら観光名所になるし考古学的にも
意義は大きいんだろうけど。現状じゃ無理だよね。
長安は唐代の仏殿が残ってなかったっけ
バグダードは掘れば出てくるでしょ、アメリカが資源強奪したからそんな金無いだろうけど
しかしコロッセウムは何で残ったんだろうな、調度いい建築資材なのに
コロッセオも残ったのは全体の3分の1程度、大理石の彫像や板は剥がされて
加工し易い大きさの石なんかも全て持ってかれてる。残ったのはコンクリで固めて
動かせなかった物だけ。とは言え、それでもあれだけ残ってんだからローマの建築
水準の高さは驚異だよな。
ミケランジェロが遺跡保護を主張するまでずっとローマの遺跡は破壊されていた。
チルコマッシモなど今はただの草原になっている。
中世期に不要となった建築物から資材持って行ったのは仕方ない。
でも古典文化復興をとなえたルネッサンス期の連中が古代建築破壊したのはマジで意味不明。
サンピエトロかざるためにパンテオンの銅板持って行ったり、コロッセウムの大理石剥がしまくったり。
リサイクルってヤツだよ、エコだエコ
ローマ美術はあくまでギリシャ美術の劣化コピーだと思ってたからじゃないの
考古学・遺跡保護が叫ばれたのは18世紀か精精19世紀、環境保護なんて
20世紀からだろう。それに初期考古学にしても平気で壁画や仏像の頭部だけ
切り取ったりする黒歴史もある。それ以前の人達に遺跡の保護なんて言っても
仕方ない。さすがにローマ大好きラファエロ辺りはローマ文明に憧れながら、
ローマ遺跡壊す事に悩んでたみたいだけど、そういう人は極少数派。それにしても
現代的価値観から言えば、世界遺産クラスの遺跡ぶっ壊してその材料で新しい
世界遺産クラスの建設物作る。イタリア人の感性と言うか、行動と言うかってのは
何とも言えないなあ。
ドイツ人やイギリス人は各地の遺跡で盗掘したり根こそぎ鋳溶かしたりしてたからな
ゲルマン人は蛮族だからしゃーない
長谷川博隆の「カエサル」を読んだら、
塩婆が実話の体で書いてた「捕虜にされるも解放後に賊を征伐」した話が創作として、
反対に、婆が創作と書いた「神殿に押し入って金品を横領」した話が実話として扱われてて興味深かった
捕虜にされて巧く取り入り解放後に賊を征伐する物語って
中国にも日本にもイスラム世界にもあるしな、創作だろ
25 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 20:19:54 0
しかしガリア戦記はホント面白い
百人隊長同士が功を争って奮戦する様子、
激賞されてるわけだがサラリーマンの自分には笑えない・・・
>>25 カエサルみたいな上官に就いたら大変だよ。ガリアの時から下に居たら
十年以上激闘しなければならない。しかも移動距離は重装備背負って地中海
を中心にほぼ一周という戦わなくても鉄人クラス。ある意味歴史上一番悲惨
な目にあった兵士達かもしれないけど。兵士達にもカエサルにもまったく悲愴
感がないから面白いな。
そりゃ勝ち戦続きだし、略奪・奴隷狩りし放題で金持ちになっただろうから
当然じゃね
28 :
世界@名無史さん:2011/01/12(水) 21:00:32 0
カエサルの軍で戦えた兵士は幸せだよ
士は己を知るもののために死す、だ
あんな上官なら
地中海一周だろうがガダルカナルだろうが喜んでついてくな
>>26 ローマ人の物語で、カエサル暗殺した後のブルータスが、
「あのままだとカエサルの奴隷として一生こき使われていただろう」
的なこと言ってたけど、あれだけの偉業を達成するには、
そりゃ誰かが無理しないとダメだったろうな
>29
カエサル「パルティア・インディア・セリカ制覇したら次はスキタイの北のほう行ってその後はアフリカの奥も征服したいな。それに海の向こうもどうなってるか知りたいねえ」
部下「勘弁して下さい」
カエサルもさすがにコキ使いすぎてスト起こされてたな
でも勝つ指揮官は良い指揮官だよ
負けたら死ぬか奴隷かが普通だし
近代以降の価値観や選択枝や価値観の基準が違う訳でね
職業選択の自由や個人の尊重なんてものは基本的にない訳で
特に共和ローマ末期のゴタゴタ続きの中じゃ
軍人は殺すか殺されるか
ならローマ民として死ぬか味方の上官から奴隷同然にコキ使われるほうがマシ
軍属の限りは衣食住は一応完備で、恩給っちゅーか、永年勤続で先の見返りも期待できる
それにカエサル軍っちゅーことは、現代の代表的な大企業勤務と一緒みたいなものでしょ
有象無象の見返りもあるしプライドも生まれる
「あれが噂のカエサル軍」って内外から羨望や畏怖される存在で自負心を満足させられる
不満爆発でストは起こしても暴動が起きなかったのは、そういった心理面が大きいだろうね
無論一兵卒にまで自負心を与えたカエサルの能力とカリスマ性があってのものだけどね
食い物切らさなかったのと給料払いが良かったのとたっぷり略奪出来たからだろ
それでもストやられるとかどんだけだよって話だ
カエサル軍というよりカエサル組だな
軍閥化してたからヤクザみたいなもん
35 :
世界@名無史さん:2011/01/14(金) 21:30:09 0
待遇はいいがスキルアップ怠ると内部で置いてけぼりを食うノードストロームみたいな軍団だったんだろう。
「来週までにガリア語基礎学んどけよ、でないと戦利品やらんからな」
みたいなノリで。
36 :
世界@名無史さん:2011/01/15(土) 01:08:59 0
ローマ史上最強の軍団は?
カエサル子飼いの軍団なのかも、て
職業軍人でない将軍が率いる軍隊がめちゃ強い、てのもローマだなー
人使いが天才的に上手い、殺すしかないよなそりゃあ
スキピオ マリウス カエサル ここらがトップクラスか。
トラヤヌスじゃないの
上の三人には一歩劣る印象
トラヤヌスの方が上
スラやカミルスは?
スッラは悪人だからマイナス査定。
スラが悪人とは思い込みと主観に過ぎない
対立が激化したからこそ、勝者スラが思い切った手段を用いたと考えたほうが適切
彼が滅私的だからこそ粛清を行ない、そして任期無制限独裁官を僅か2年で退任した
それほど内戦で乱れた時代で、そもそも仕掛けたのは今で言う革新の象徴マリウス派
あの当時で保守の立場なら揉め事の火種は一度徹底して排除が適切だったとは思う
自身がもし元老院名門ならば、粗野で下品な衆愚政治に陥ることを先ず危惧する
義務より権利を優先する採算の合わないヒステリック政治は受け付けられないだろうね
つまり守旧派にとっては荒療治でも善なる存在だよ
それに反対派の一斉粛清でどさくさでスラは王にもなれるチャンス
しかも権力のあるコルネリウス一門主流で英雄で虚名心の強いポンペイウスを
それなりのポジションに据えれば軍全体の抑えにもなる
実質の皇帝にもなれる機会なのに、権力の座をあっさり手放した
まぁ自身にとってはスラ>カエサルってな主観があるんだけどねw
しかし、スッラの処罰者名簿によってどれほどの少女が奴隷達にレイプされたか考えたらとても許せん。
股間が熱くなる。
まあでもスッラが生涯を全う出来たのはのんびりした時代だったからだろ
大きくなったローマで同じ事すればすぐ死ぬ
>>44 なにそれ場合によってはマリウス派に転向するが
他に何派があるんだよw
実権握ったスッラにマリウス派認定食らったら
良くて財産没収国外追放、悪ければ即死刑で神殿の前でさらし首ですよ
処罰者名簿に名前を載せられないように、有力者に抱かれた人妻や少女。
夫を目の前で殺され、奴隷達に輪姦された人妻。
父母を殺され街娼に身を落とした少女。
そんなのが沢山いたんだろうな。 熱くなる…
50 :
世界@名無史さん:2011/01/16(日) 19:48:50 0
おそらく
「4つんばいになれ」
「なれば名簿から削除していただけるんですね」
などのプロセスで削除してもらった人も男女問わずいたんだろうな。
処刑者名簿はアウグストゥスも使ってるからな
アウグストゥスの方が処刑した人数は多いぞ
あれ位徹底しないと長期間にあった守旧派と民権派の対立は更に泥沼化する
まぁ多くの貴族が様々なしがらみでやりたくてもできなかったことを
金コネ地盤無しのスラにやらせたってことにもなる
それにお互いの報復合戦はエスカレートしていたから
マリウスが勝利していたならマリウスが同じことを行っただけだよ
>>45 同盟市とポントス、国内外で内憂外欝状態
のんびりできない時代からこそ非情な手段を用いたんだよ
和を重んじ情を汲む日本の発想では理解できない
>>50 経済的利害や風見鶏でのマリウス派なら恭順を見せるだけで原則は許す
政治的ポリシーのないものは生かして適度なアメを与えたほうが何かと役に立つ
スラ自身は傍系の没落貴族で今で言うスラム出身の母子家庭だから金無しコネなし地盤なし
人の身分より資質に敏感だから、対象者が叛旗を翻すかどうかは看破しているだろう
つかカエサルへの評価「100人のマリウスが見える」ってのは本当なんかね?
マリウスに近い間柄で、後を継がれたら厄介だってのはわかるが
>52
マリウスが勝利も何もマリウス(と相棒のキンナ)が死んでからスッラは実権握ったのだが。
そもそもマリウスがローマで大暴れして反対者を根こそぎ殺しまくって急逝した後に
スッラが戻ってきて反対者を根こそぎ殺しまくったのだから、勝ってたら同じようなことも何も無い。
同じローマ人同士なら徹底性を欠くかもしれないといる理由で奴隷を解放して市民にして、徹底的に
反対者を虐殺したというらしい。
おそらく、いきなり家に押し入り「反逆者」として家の主人を連行、そして残った妻と娘を徹底的に輪姦。
今まで深層の令嬢として何不自由なく育てられた14・5才ぐらいの娘が、不潔で汚らしい元奴隷たちに
未成熟な胸を思いっきり揉まれ、真っ赤に腫れあがるほど吸い付かれ、全く濡れていない秘部に巨大な
男根をムリヤリ挿入され、あまりの痛みに悲鳴を上げる。母親もその傍らで口に、秘部に、そして肛門に
それぞれ巨大な男根を差し込まれ、苦痛と屈辱に涙を流す。
そういう悲劇がローマ中の至るところで繰り広げられたんだろうな。 かなり熱くなる。
マリウスとスッラが脇役w
上4行が邪魔w
>>54 マジかよ!ちょっと古代ローマに行ってくる。
58 :
世界@名無史さん:2011/01/17(月) 21:58:47 0
だが一応学問に通じるものがある。 史実だろうし。
というわけで続きをだな。
でも、あれだけ戦争のこと書いてるが戦争中後のレイプは一切書かれてないよな。
当然「暴行」って表現になるんだけど、俺の記憶じゃケルトショックの時に
「平民も元老議員も区別なく暴行された」ってのがあっただけだ。
略奪や奴隷はいくらでもあったのに。
それだけレイプが当たり前だったってことでは?
そりゃ奴隷狩りや絶滅が一般的だった国なんだからレイプは日常行事だろ
あの「ケルトショック」の話って
塩見先生:ローマボコボコにされて、金塊渡してようやく引き上げてもらった。引き上げるケルト人の後を襲って
わずかながら無念を晴らした
拓殖先生:一時期ローマが占領されたが、援軍が来てケルト?ボコボコにしてやんよ で追っ払った
全然違うんだけど。どっちが正しいんだろうか。
どっちも正しくないんだろ神話伝説の時代の話だし
でもカミルスの登場シーンは事実ならかっこよく登場しすぎだろ
マルクス・アウレリウス『自省録』―精神の城塞 (書物誕生―あたらしい古典入門)
上智大学文学部哲学科教授 荻野 弘之
参考文献
ローマ人の物語〈11〉―終わりの始まり 塩野 七生
歴史文学のベストセラーとして有名。マルクス伝に関しては、皇后の艶聞やコンモ
ドゥス帝の後継者指名など,従来失政とされた事績を弁護する。戦記の部分が詳し
く魅力的な読み物だが、個々の叙述や史観の問題を問題を指摘する史家も少なくな
い。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0282930.html
まあ小説ですから
物語だからね。史実と違うとかはヤボよ。
何せ、最初にカエサルが出てきた時に「我らがカエサルである」って書いてるぐらいだから。
そりゃ主観入りまくりですよ。
しかし、アウグストゥスがいつの間にか皇帝って表記になってるのがちょっとなー。
いい免罪符だな
70 :
66:2011/01/20(木) 20:57:58 0
>>67>>68 小説や物語とおっしゃるとおり
「参考文献1(G)マルクスとその時代を描いた文学」として
M・ユルスナール「ハドリアヌス帝の回想」
浅野忠夫「偽れる帝座」
の2冊とともに紹介されていました。
塩婆が不評な皇帝をよく擁護するのは何なんだろうな
オリジナリティ(笑)を出したいんじゃないの。
wikiにローマ人の物語をソースにするのやめてくれないかなー
塩野が散々これは物語だと言っているのに何で歴史書扱いするのかなー
司馬や北方を戦国や幕末、三国のソースにするのと同じくらい変なことに何で気付いてくれないのかなー
責任は塩婆より出版社にあると言いたいけど
陳舜臣は分を弁えてるから、やっぱ塩婆のでしゃばり精神のせいだなうん
75 :
世界@名無史さん:2011/01/27(木) 00:59:43 0
ローマ、もしくは古代・中世ヨーロッパで政治家は具体的にどんな仕事や一日を過ごしていたのか分かる書籍がありましたら、教えて下さい。
お願いします。
中世欧州は確実に無い、ローマも多分無い
書簡にはウソや曖昧な表現を書いて、口頭で詳しく説明するのが基本
ローマ時代は学術研究がギリシャに比べ停滞している
>>76 いや中世後期なら史料がローマ時代と比べ物にならないぐらいあるぞ
地方の農民がどういう生活してたかも裁判記録からわかる
>>80 当時の世帯の家族構成や人口についても教会の文書で調査されているぐらいだしね。
>>75 まずは通史や概説書を読めば。しっかりしたものなら巻末に文献案内がある。それと、
『西洋古代史研究入門』とか『西洋中世史入門』に研究分野ごとの文献が載っている。
まあ、そんな漠然とした質問をここでするくらいだからろくに本読んでいないし調べる気もないんだろうが。
>>80 ほんの一部ね、戦国時代の滅びた大名家と同じ程度
戦後はマルクス主義歴史学・社会経済史がメインだったから
農民関係の研究が充実してるのは当たり前
政治家の生活の研究となると、ジャンルとしては廃れていた政治史を
比較的最近の社会史的アプローチで見直すということだから
農民の生活や市民の生活と比べるとかなり少ないと思う
と必死なのであった
つーか政治史の記録もたくさん残ってるだろ
いい加減なことを知識で適当なこと書くな
古代の方が記録が残ってるってどんなトンデモだよ
古代史は文字史料が少ないから考古学の発見がないと先に進まないジャンルだろ
訂正
いい加減な知識で適当なこと書くな
常識的に考えて農村の記録が残ってるってことは
それ以上に政治に関する記録が残ってることなんだがな
>>82 戦国時代だとかなり史料が残ってる方だな
基本1000年以上前になると史料がガクっと減る
当時の記録が残っているのも、写本し続けた修道士たちの
涙ぐましい苦労の賜物だな
あーそういうことね
けど政治家の日常自体を対象にしてる本はあんまりないよな
いろんな本読めば支配階級の日常生活に関する情報はそこらに転がってるけど
日常生活なんて記録する動機に乏しいしな
*月*日、*時頃起床
*月*日、*時頃着替え
*月*日、*時頃朝食
*月*日、*時頃排便
*月*日、*時頃出仕
*月*日、*時頃昼寝
どうでもいい情報だけであほみたいな分量になるw
94 :
世界@名無史さん:2011/01/28(金) 22:58:30 0
>>66 戦闘に関する記述が多い、ってのは確かに
一部を除いてローマ皇帝って皆戦争屋だし
戦争が国家事業ってのもあるだろうし
当然といえば当然なんだろうが
エンターテイメントとしてしっかりと計算され尽くした読み物でもある
95 :
世界@名無史さん:2011/01/28(金) 23:05:41 0
ユリアヌスって創価とかみたいな宗教法人の特権なくしただけなんだよな
ローマ全盛期だったらそれで通ったんだろうけどね。キリスト教一色に染まって
行く時代には合わなかったんだろうね。150年前に産まれてたら背教者なんて
言われず名君になれたかもしれないね。
背教者なんて書いてるのはカルト儲だけだろ
98 :
世界@名無史さん:2011/01/29(土) 21:31:57 0
>93
その当時その地域では常識的な行為を記載する必要はないしな。
朝、トガを巻く
昼、昼寝する
とか描いてたらパピルスがいくらあっても足りない。
99 :
世界@名無史さん:2011/01/29(土) 23:47:09 0
イタリア人監督はアジアを制して凱旋式で出迎えられるかな?
>>102 横浜美術館でこの展覧会見たけど、
ホント楽しかったわ。
図録も買ったよ。
104 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 23:22:56 0
ヌマ・ポンピリウスが平和な時代築いたんだから
彼の息子のローマを統治させればよかったんじゃないの?
105 :
世界@名無史さん:2011/02/01(火) 23:23:03 0
俺は嫁と名古屋の展覧会に行って、
嫁が展示に感心してたから、古代ローマの書籍を見せて洗脳しようとしたが、
こっちの方はスルーだったorz
>>104 王政の話は歴史の話じゃないよ
それを言い出すのならロムルスとレムスは2人でローマを取りあわず
片方がヌミトルのアルバを継げばよかったなどとも言える
107 :
世界@名無史さん:2011/02/02(水) 02:12:09 0
>>104 戦争の無いローマなんてローマじゃない。
ガリア戦後のポンペイユスとカエサルが内戦回避するにはどうしたらよかったんだ
二人が軍隊解散するとは思えんし、ポンペイウスがスペインに素直に行くとは思えんし
111 :
世界@名無史さん:2011/02/03(木) 20:12:57 0
>108
ゲルマニアにでも遠征させておけばよかったんじゃないかね?
指揮官が持つインペリウムは強大過ぎだよなぁ
まぁ共和制初期の一年交代できるほど情勢は甘くなかったか
映画『アレクサンドリア』
2011年3月5日(土)より丸の内ピカデリーほか全国順次公開
4世紀のエジプトを舞台に、
ローマ帝国末期の混乱に翻弄(ほんろう)された女性天文学者ヒュパティアの数奇な運命を描く歴史ドラマ。
『アザーズ』『海を飛ぶ夢』のアレハンドロ・アメナーバル監督がメガホンを取り、
たぐいまれなる知性を持つヒロインとアレクサンドリア図書館で起こった悲劇をつづっていく。
主演を務めるのは、『ナイロビの蜂』のレイチェル・ワイズ。
ヒロインの凛(りん)とした生きざまと、異文化間の壮絶な争いは必見に値する。
配給:ギャガ
オフィシャルサイト
http://alexandria.gaga.ne.jp/ (C) 2009 MOD Producciones,S.L.ALL Rights Reserved.
114 :
ソンマ・ヴェスヴィアーナ:2011/02/04(金) 17:22:57 0
2月11日金曜日(13時から17時15分まで)、
東京大学農学部・弥生講堂一条ホールにおいて、
「国際シンポジウム、火山噴火罹災地の文化・自然環境復元
―2010年のイタリアにおける調査・研究成果を中心として―」、が開催されます。
プログラムはこんな感じです(敬称略)。
・青柳正規「ソンマ・ヴェスヴィアーナにおける発掘調査と学際的研究2002〜2010」
・ビデオ上映「Somma Vesuviana2010」
・クラウディア・アンジェレッリ他「ソンマ・ヴェスヴィアーナ「アウグストゥスの別荘」遺跡発掘調査成果の概要2002−2009ならびに2010年の新知見」
・向井朋生他「出土土器について(2003〜2010)」
・アントニオ・デ・ヂモーネ「ソンマの別荘遺跡(2002−2010):彩色装飾」
・大清水裕「ラテン碑文集成のデータベース化」
・藤井敏嗣他「ソンマ遺跡とヴェスヴィオ火山紀元472年噴火」
・小玉悠平他「古人骨および動物骨の化学分析によるローマ時代の鉛汚染の研究」
ヒュパティアって牡蠣の殻で責め殺された女の人だっけ
そうだったと思う。とは言え何で修道士達はこんなマニアックな殺し方
したんだろう。
117 :
世界@名無史さん:2011/02/07(月) 22:39:43 0
「ローマ人の物語」は東ローマの中〜後期が無い、
「ローマ帝国衰亡史」は建国神話〜帝政前期が無い。
誰かローマ建国〜東ローマ滅亡までの大著を書く人は出ないのだろうか?
十八史略並の大著になる予感
十八史略って大して分量ないだろ
唐書以降の史書や集史に比べるとカスみたいな文字数
せめて、テオドシウス朝東ローマ〜コンスタンティノープル陥落まで
エピソード拾ってくれる本の方が需要が高そう
あ、もちろん、当時の歴史家の評価と現代の歴史家の評価の差に関する考察込みで
121 :
世界@名無史さん:2011/02/07(月) 23:18:57 0
>>118 >十八史略並の大著になる予感
それは簡略な通史本だろ。
大著なら『資治通鑑』
塩野さんの書き方はローマ人的な生き方や考え方。キリスト教化されて
ローマンスピリットが無くなった後の事はまた、別の国の歴史と考えたん
じゃないのだろうか。本を読んでも政治や軍事だけでなく建築や芸術や宗教
を取り上げてキリスト教化やゲルマン化とそれ以前との関係を執拗に書いてる。
>>120 尚樹先生のとかオストロゴルスキーとか読めば
伊藤俊太郎の「12世紀ルネサンス」読むと
ローマ人はギリシャの学術書にほとんど興味示さず全然ラテン語訳しなかったんだと
おかげで東ローマと西ローマの接点がきれた時、西方には古代ギリシャの学問が全然残らなかったんだって
ローマ人は実学しか興味がなくキケロも数学とかバカにしてたらしい
なんのことはない中世の学問の低下の原因はローマ人にもあったのだ
塩婆の好きなローマって要するに軍事国家だしな
東方的な官僚制や学問を嫌うけど、それが西滅亡の原因という
ラテン語圏の西側は最盛期でも反乱祭りだからな
ガリアやアフリカで征服後に軍営都市造るときも、優良地から地元民を放逐、酷いときには虐殺して造る武断主義で
その上アホみたいな重税を毟り取られるときては、そりゃ幾らローマ軍が圧倒的でも反乱起こるよっていう
今までは危ういところでディオクレティアヌスとか五賢帝とか出てきて持ち直したのに、
東ローマの後期には何で救国の英雄が出なかったんだろ?
東ローマがバチカンみたいにコンスタンティノープルだけでも現在まで残ってたら良かったのに。
>>127 国が危機になる度に救国の英雄が出て国を救ってくれるなら滅びる国なんか
無くなるわ。
俺も古代ローマに生まれて、「カエサルの第10軍団の者だが・・・」
とかさり気に自慢したかったわ
>>127 ラテン帝国からコンスタンティノポリス奪還したミカエル8世が居るじゃないか
ヘラクレイオス1世も忘れるな!
ヤルムークで新しい危機作っちゃったけどさ
「誰だ、お前?」
「第9軍団のものだが...」
「なにィ! ブリタンニアで蛮族と戦って叛乱を起こして消滅した軍団か?!
おい、ここに第9軍団のヤツがいるぞ。みんなでシメちまえ!」
塩野好きから古代ローマの話さんざん聞かされたけど物語なんか
ガイ・リッチー監督、『300 <スリーハンドレッド>』の前章作を監督?
ザック・スナイダー『スーパーマン』で多忙
[シネマトゥデイ映画ニュース]
映画化されたコミック「300」のクリエイター、
フランク・ミラーの作品「クセルクセス」の映画版で
ガイ・リッチーが監督を務めるかもしれない。
ヴァルチャーによると、
ワーナー・ブラザーズは映画『クセルクセス(原題) / Xerxes』の監督を
ガイにオファーしたとのこと。
同作品は、“王の中の王”と呼ばれたペルシャ帝国の王クセルクセスを描いたものだが、
彼の在位は紀元前5世紀で、
タイムラインとしては『300 <スリーハンドレッド>』よりも10年ほど前にあたる。
前章作として製作すれば、ジェラルド・バトラーが再びレオニダス役で登場することも可能だと
カミングスーン.comは言っている。
『300 <スリーハンドレッド>』を監督したザック・スナイダーは
現在『スーパーマン』の新作に取り掛かっているため、
ガイに監督がオファーされた理由とも言われているようだ。
『300 <スリーハンドレッド>』後、ちょっと体の緩みが気になるジェラルドだが、
新作映画の役作りのために体を絞らなければならないと昨年のインタビューで語っていた。
先日、ハワイでパドルボードを楽しんでいたジェラルドは、
胸の筋肉も復活し、肉体改造に成功したよう。
果たして『クセルクセス』でジェラルドの姿をまた見ることができるだろうか?
http://www.cinematoday.jp/page/N0030405
>>133 まぁ、書き手の好き嫌いがモロに出てるからね。
でも誰が何したとか、そういうのは全部本当だから入門にはちょうど良いよ。面白いし。
ウソもふんだんに盛り込まれてるけどね
>>136 研究書じゃなくて文学作品・歴史「小説」なんだから、そこは構わんだろ。
司馬遼太郎とか山岡荘八なんかと同じだ。
入り口にはちょうどいいと思うけどねえ
ローマを王政から滅亡まで通して扱ったものって他にあまりないし
>>137 塩野はあれだけ「歴史」じゃない「物語」だと宣言しているのにな
>>137>>139 文庫版はちゃんと文学作品として並んでるのに、ハードカバー版は何故か歴史コーナーに並んでる事が多いのが原因の一つだと思われる。
この人は女であるだけに、女と言うものを良く分かっていて脚色しないね。
「見栄っ張りで、他人を陥れる。そういう意味で女らしい女だった」とか普通に書くし。
女を卑下する気は全く無いが、40過ぎて美しすぎる女子とか言われて悦に浸ってる女見ると
もう日本の女には魅力無いなと思ってしまう。
40過ぎて美しすぎる女子とか言われて悦に浸ってる女ばかりなわけないけどな
だが
>>141の心を捉えるのは悦に浸ってる女だ
魅力の無さに憑かれるのだ
144 :
世界@名無史さん:2011/02/20(日) 10:00:03.26 0
塩野の書き方はきれいごと。
裏の動きなどほとんど触れていない。
146 :
世界@名無史さん:2011/02/20(日) 22:13:16.06 0
ダキア戦記、読んでみたいよな〜
ローマのどっかの屋根裏とかに写本残ってないのかな
しかし、wikiを編集するロマ物ヲタはホントに屑しかいないな
サブアカ使って小説ソースで取り消し祭り、管理者アカで保護祭り
無知なだけならまだしもどんだけ屑なんだよw
歴史群像をまるごとコピペしてたウィキペディアあったな
そして歴史群像は塩野をまるごとパクった記事あるっていう。
ローマ人の物語は特定の個人が主役じゃないから司馬遼太郎なんかと違ってノンフィクションと勘違いし易いんだろう(大まかな流れは事実だし)。
ローマの通史があれば三国志演義みたいに正史との違いがわかり易いけど。
塩婆厨マジ勘弁、頭おかしいのが多過ぎる
なぜわざわざ宣言?かまってちゃんは理由を示さず根拠ない罵倒ばかりだな
小説を根拠にしちゃうロマ物厨が言っていいセリフじゃないなw
塩野七生氏の著作を必ずしも賛美する訳ではないが、悪いとも思わない。面白いところは多い。
しかしそもそも、自分と違う考え方をするものを「屑」「頭おかしい」と評するのは、会話のプロトコルにも礼儀にも反している。
そもそもどこがいい加減なのか具体的に列挙された試しが無い件について
奴らは解釈の違いで済むことを重箱ほじくるように糾弾するから・・・
ばっちゃはこう書いてたけど自分は史料○○を併せ見て□□に思うよ!って言えばいいのに
大まかな流れは正しくてもその学説自体古かったり
事実のように書いてる細部が実は根拠レスな創作だったり
塩野読んでたらよくあることだよね
それに気付かない人もいるんだろうなと思うと可哀そう
で、例えばどれが?と聞くと黙るのが塩婆アンチである
史料名や歴史家に触れずに一次史料のある部分をそのまま引用して自分の文章に続けている箇所もあるね。
読まずに批判、レッテル張りに勤しむのが史学科出のやることねえ、あほ過ぎる
過去ログにそんなのあったっけwww
例えば
「ブルータス、お前もか」はシェークスピアの創作なので
マルクスとデキムスのどちらを指すかという塩婆の議論は無意味
ネタ元のスエトニウスではギリシャ語で「息子よお前もか?」
ちなみに2人ともデキムスをデキウスにしてる
>>161 俺だけでも で、例えばどれが?と聞かれたから
3つ4つ挙げてやったことがあるな
>>162 そのシェイクスピア自身とそっちの読者的には全然無駄な考察じゃないだろ
シェイクスピア自体が既に歴史なんだから
シェイクスピア経由でローマ史に入った人に初心回帰してそういう知恵を与える意味を
想像できないからかび臭い研究室で文献漁る歴オタはだめなんだよw
>>163 とりあえず具体的に言おうぜ、俺の親は社長だとかそういうこと言ってるのと変わらん
ちなみにデキウスは文庫版ではデキムスにこっそり直してる
恥ずかしい
つか前スレの「塩野アンチは嫉妬厨」のレッテル貼りの子がついに登場したわけか
>>164 ヒスパニア占領とか五賢帝の時代とか挙げたと思うけど
あと追加でローマの税が軽いから国家予算が少ないというのもデタラメ
ローマは税負担は重いが中央の予算も多くないのが実態
167 :
世界@名無史さん:2011/02/23(水) 05:34:12.18 0
かつての北アフリカ属州が騒々しい。
願わくば、数あるローマ遺跡がぶっ壊されないのを願ってやまない。
イタリアでもローマの遺跡壊れてるし
リビアやマグレブの遺跡ってそもそも残ってるのかね
>>168 リビアの場合だと、キュレネやレプティス・マグナは世界遺産登録されているし、加えてプトレマイスやトクラ、
アポロニア、サブラータ、ラトラン、ラスアルヒラル、ジェルマといった遺跡が測量・調査されている。
リビア考古庁や現地の遺跡監督官も遺跡や博物館の管理整備・研究とその水準向上ににわりと意欲的らしいが、
それらを統括している上位の統治機構による度々の政策変更と、予算確保も安定していないのが現状。
ちなみに、中近東や北アフリカに現存するローマ・ビザンツ期の遺跡に関する研究プロジェクト(科研費・基盤研究S)
が2009年度から行われていて、まずリビアで実施されているみたい。
カダフィやるじゃん
>>166 2chでいうならソース付きでやれよな
>>ヒスパニア占領
どうせローマの暗部を書かないから悪い、その程度だろ
どっこいちゃんと書いてあったりするのをアンチは確かめもしない
>>171 2chでいうならソース付きでやれよな
>>どっこいちゃんと書いてあったりするのをアンチは確かめもしない
あなたも該当ページを提示してレスしたほうがいいよ
微苦笑
過去ログ読めって便利な言葉だよなー
いちゃもんでも通用したことにするんだからw
>>166 >>ローマは税負担は重いが
いくらくやしいからって歴史をクリエイトするのはやめろよな・・・
いつから重税国家になったかぐらい書け
ラテン語の知識まるでない癖に実際に読んでみたら良かったので古代人もイタリア語風に発音してた (キリッ
とかそういう話を挙げればいいの?
>>162 えっ
>ギリシャ語で「息子よお前もか?」
こんな有名な逸話をどや顔で語られても
あのばあさんはカエサル暗殺シーンを喜劇にしたりいろいろ楽しんでんだよ
無意味ってのはお前の主観だろ。客観的な間違いを出せといってるのにこのレスってのは
論理的理解力がないのか
史料を出せっていったら大真面目にスヴェトニウスを出してくる奴だから察してやってくださいw
スエトニウスが史料じゃないのなら何が史料になるのだろうか
塩野アンチアンチの人たちって基本的に何言っても無駄だから嫌なのよね
>>165 直しても直さなくても粘着されるんじゃたまったもんじゃないな、おい
>>179 皇帝伝は歴史資料としての価値はあるけど、史実性となるとイエローペイパーと断ずべきものだというのに。
皇帝秘書官の立場で知りえないことまで書いてたらおかしいだろ?
年代時期揃えて例えるなら、小泉元総理の秘書官が
水野忠邦、徳川慶喜、西郷隆盛、伊藤博文、吉田茂、佐藤栄作もろもろの
事跡・ゴシップを書いたってぐらいのものなんだぜ?
単行本5巻
>「ブルータス、おまえもか」のブルータスは、このマルクス・ブルータスではなく、
>デキウス・ブルータスのほうであったとする研究者は少なくなく、
>私もその説に同調する。
これ嘘だろ?
>>181 その点では同時代のギリシアの名士だったプルタルコスよりずっと恵まれてるんだよな
>>177 >>ギリシャ語で「息子よお前もか?」
>こんな有名な逸話をどや顔で語られても
その逸話はロマ物には載ってなかった
カエサルの他の有名なセリフやシーンも軽く流されてるような気がした
>>175 共和制の頃からずっと重税国家
ローマが支配すれば住民が逃げ出すってのは基本だろw
元々の高負担と取れる所から毟れるだけ毟る徴税人のコンボで住民半減祭り
>>181 近世以降と違い、古代の歴史家なんて扱う情報量も著述量も少ないんだから
優秀なら秘書官でも出来るでしょ、1000年後のギボンですらやれたんだし
>>185 人口下がった証拠は出そうぜ、具体的にどこに逃げたのかも詳しくだ
>>186 歴史著述はそれこそ一定の知性があれば出来るけど
ソースとしては頼りないどころか疑わしいってこと
ゲンダイだけが1000年後に残って、それが史実・一級史料ですって主張するようなもん
100年前の皇帝の隠棲先の島でのゴシップをどうして知ってんだと疑う常識があるかないかの問題だ
>>187 ブリタニアやガリアで反乱起こすに際して打つ演説の定番じゃん
ローマは殺戮と略奪を支配と呼び、荒廃と疲弊を平和と呼ぶ
我々はローマ人の殺戮と収奪によって半減してしまった、ってね
具体的に逃げた場所が分かるなら、それは逃げれてるとは言えないw
最近の説だと多くは軍隊に顔が利く大土地所有者の元に逃げたとされてるけど
アントニヌス勅令や職業変更・移動禁止令が発布されること自体、証拠みたいなもんだ
スエトニウスは当時そういう話が流れていた、ということを知る上ではタキトゥスに勝るというのが今の評価じゃないの?
ついでに皇室文書を直接参照できるから実際にどうであったかというランケ的な意味でも他の著述家に勝る部分もあると思うのだが
あとシェイクスピアはジュリアス・シーザーで参照したのはアミヨの仏訳プルタルコスを英語訳したものというのが定説だけど
っていうか、これは何の話だ?
>>188 突っ込まれると論点ずらしてるなお前
ディオクレティアヌス、百歩譲ってもカラカラ以前のローマが重税国家と抜かす奴はアホ
どうしてダンテの神曲で、キケロやカエサルが辺獄で、自殺した小カトーが
煉獄の管理人なのですか?
地獄の最底辺層で、ルシフェルに噛まれているブルータスが可愛そう
です。。
ダンテによる差別ですか?
>>188 もし逃げたのならローマの領域外だろうが防衛線の外の方が安全か?ってことだよ
重税で反乱起こるならどうして帝国の全域で散発的に起らないの?
支配者階級を温存したガリアで起っても結局収まるのは税率落としたから?
お前の主張には穴がありすぎるぞ
IDないからわけ分からんね
ばっちゃはそのシェイクスピアで人口に膾炙した「ブルータスよ、お前もか」は×マルクス○デキウスと書いてる。
同時にローマ人の物語書く以前の本では、それがマルクス向けだった場合
カエサルが最期の絶望感を込めてでなくお前までケツの青い集団に加担したのか、
という意味で言ったのかもしれないという推論をも書いている。
以下はそれを受けて自分の考えだけど、皇帝伝ギリシャ語表記の「息子」に「小僧」って
意味合いもあるんじゃないかしらん?とは思った。
この最期にまつわる話はスヴェトニウスもカシウス・ディオもプルタークも異説あるんだっけ。
「間違いが列挙されたことがない」を受けての間違いの例
1 ブルータスお前もかはシェイクスピアだからマルクス、デキムスを論ずる意味がない
1.1 デキムスをデキウスと間違えてる
1.2 デキムス派の方が多いというがそもそもそれは本当か
2 ローマの税負担は軽いは間違い
3 古典古代にラテン語をイタリア語風に発音していたは間違い
反論
1 シェイクスピアは歴史だからその解釈を記述することに意味はある
1.1 間違いを直しても文句言われるのか
1.2 現状言及なし
2 負担は重いとする方が間違い
3 現状反論なし
ってとこ?とりあえず1.1については単行本版では間違いとして確定でいいかね
>>195 1.2 デキムス派が多い
ってのは自分も知らないけど、全研究者にアンケート取らなきゃ無理じゃないかい?
それに例え現代の研究者の派閥調査が間違ってても、ローマ史探求へのいちゃもんとしても枝葉過ぎる
3 古典古代にラテン語をイタリア語風に発音していたは間違い
ばっちゃがどこで言ってたか知らん、これどこだっけ?
でもこれだってそんな重要か?と思う
表記に関してはトライアヌス⇔トラヤヌスもあるけど、全部いちゃもんだと思うよ
>>157 気になったから、前スレで×間違い・△疑問点が提示されているところを抜き出してみた
×コンセンサス(ラテン語ではコンセンスス)
×五賢帝時代に処刑されたキリスト教徒は12人だけというのは間違い
△皇帝弾劾剥奪→皇帝暗殺の連続(弾劾剥奪前後で率に変化はないのでは?)
△ローマ衰退の原因におけるキリスト教のウェイトが大きいのでは?
△キリスト教以前からある正戦思想を軽視していないか?
△帝国支配が上手くいかなくなった原因はローマ人がギリシャ語習得ばかりしたから?
もっと一杯あったけど、俺には正誤が判断できないからここまで
念のため、間違い指摘しているサイトがないか調べてみたら、ちゃんとあったことだけ報告しておきます
>>197 前スレでは、
塩野さんは「大筋は大体あっているけれど、細かい誤りが多い」ことを嘆くレスが多かった
切り貼りと評しているレスもあったが、そこまでは俺には判断できなかった
>>197 1.2についてはぶっちゃけ立証責任は塩野本人にしかないのでここでどうこうできないんじゃないかと思ってる
あと論点自体はデキムス派が多いということではなくそもそも論点になってんの?ってレベルからの話じゃないか?
3は重要かと言われればラテン語の歴史の基礎知識なので重要とも言える
古典ラテン語という概念を知ってれば絶対にやらない間違いなので
重要か否かを抜きにしても間違いであるのは変わらない
別に表記をどうするのかだけなら個人の趣味だけど彼女はこっちが正しいと思うとかいってたはず
場所はキケロだチチェローネだシセローだとか言ってるところだと思うのだが何巻の何ページかが分からん
ちなみにciをキでなくチと読むとか長母音の位置とかの話だからTRAIANVSをどう読むかとかとは全然関係ない
真面目に考察しようって雰囲気になれば多少はこんな風にできるのに
普段は2chで所詮小説だの貶めるのがどういう奴なのかは知りたいもんだナー
>>198 その間違い検証してるサイトのアドレスをなぜ貼らないのですか・・・
それが勘違いに終わってもいいから紹介しあおうよ、これぞいい意味でのID無し
勝者の混迷の巻末
>>190 どの部分が論点ずれてるか指摘してみてくれる?
あと、帝政初期からずっとローマは重税国家だけど、常識
収穫高の1/3、1/10税、消費税、人頭税、属州1/10税
ギリシャ諸国やカルタゴの植民地に対する税より大分高い、恐ろしいほど高負担
>>192 免税されてる軍隊と繋がった大地主の下に農奴や奴隷として逃げ込む方がマシってこと
ローマ支配に背く民衆は徹底して殺戮するからだよ
死ねば反乱も起こしようが無いし死にたくないなら重税に甘んじるしかない
それに反乱は散発的に起きてるよ
>>202 確認した。ありがとう
シセローは記憶違いだったか
彼女が「ドイツ式」と言ってるのが古典ラテン語のことでこれが変化して「イタリア式」になっていったとされている
だからそのあたりの記述は無知から来る全く見当はずれなものではっきりと間違いとしてよい
>>206 違う、重税に加えて悪名高き取れる所から不当に取る徴税請負制度
ラテン語初心者スレでも貶されまくってた
>>203 数字を書かずにどうして高負担と言えるのか問いただしたいな
税の種類が多い=重負担とでも思ってんのか?
>>収穫高の1/3 何イッテンノ?
>>1/10税 これも何?相続税なら5%だろ
>>消費税 消費税1%は低率、しかもこれで三百年
>>人頭税 ??
>>属州1/10税 合ってる、それでも兵役下の属州民は免除
これ以外に関税もあるが、そも直接税がないのがローマ税制の特徴だろが
都合悪くなるとこれは帝政末期のですとか言うのは無しな
人頭税あったよ
>西洋古代史研究入門 p.219
属州からの直接税
土地税tributum soli
人頭税tributum capitis
間接税
奴隷解放税
相続税
関税
>>209 帝政初期からずっとだよ
属州民が負担したのは1/3穀物税、1/10税、人頭税、その他
ディオクレティアヌスの時代の徴税額はアウグストゥスの時代よりも少ない
>>212 お前だけじゃね?
1/3税、人頭税、その他があったって言ってんの
ここまでざっと読んだけどまだ塩婆のローマ人観を根底から崩すようなのはないなあ
瑣末なことばっか
ねらーは敵にすると恐ろしいが味方にしても頼りないということですね
塩野アンチアンチの人たちって基本的に何言っても無駄だから嫌なのよね
>>214 かまってほしいんだよ。昨日今日はいっぱい相手してもらって
嬉しいと思っているだろうね。
2chならではの光景だな
かじっただけの歴オタの意見はどうでもいいよ、嫉妬だろうし
それこそ長谷川氏ぐらいの本職の見解を聞きたい
IDないからわけ分からんね
>>216 このスレに期待せずに自分で文献探して読めば?
長谷川で思いつく研究者が2人ほどいるんだがどっちだ?
そりゃ長谷川博隆氏の方だろ
>>218ざっと読んだけどこれ証拠というにはちと・・・
追加で、ローマ人は全然ギリシャ語学んでない
東方に赴任するような富裕層の上級官職者はともかく
>>224 それはばっちゃも同じ意見だったはずだろ
3 古典古代にラテン語をイタリア語風に発音していたは間違い
ラテン語初心者スレでどう貶められてたかは聞きたいな
どうも伝聞や多数決持込(それも狭い意味での世間の)ばかりでよくない
>>218みたいに各論あってよし、という証拠でもいいからちゃんと出し合おうぜ
>>226 いいからラテン語の本を1冊でも読んでこい
お前さんも殿様じゃないんだから俺が納得できるように説得してみろとふんぞり返られても面倒くさいだけ
イタリア語風に読むは明らかな間違いなので賛否両論の存在する余地がない
>>227 既出ってかそれはおかしいだろ
res gestae Romanorumなんざ本人が題字に使ってんのに
なんで知らないということに批判されてるのか
勝者の混迷の巻末要約
・現代都市名は極力現代語表記で書く
・人名、官職名はラテン語ギリシャ語に関わらず原語に忠実に訳す
・まずもって日本でのラテン語教育はドイツ式発音が支配的であること
・イタリアのラテン語学者が推測するに、遺跡の落書きを判断根拠にするなら
ドイツ式よりはイタリア式発音であるほうが妥当であること
・カエサル、キケロ、スキピオなど定着したものを除けばイタリア式発音表記を優先したこと
4つ目がまあこのスレで弾劾されてる勘違いなんだろうけど、どうも水掛け論くさいな
そも伝聞情報だし
日本語表記の基準についはもういちゃもんだろ
>>213 いい加減史実を認めろ、もう終わった歴史上の出来事なんだから
>>229 ちゃんと読めばわかるが、そこは”古代ローマ”をどう表現するかということで
ロマ物のタイトルとは関係ない
>>230 20世紀に古典式発音はヨーロッパに普及した
チャーチルがぼやいたり、フランスでは対抗組織ができたりした
イタリアでも教会式と古典式の2本立て、教会式がメインだと思う
水掛け論でも何でもない、図書館でもウィキペディアでもわかること
>>230 4つ目がじゃなくて3つ目以降が事実誤認に基づいて書かれてるから見当はずれってだけ
『ローマ人の物語』が正しいか間違っているかどうかを『ローマ人の物語』だけ見て判断できるわけないだろ?
休日に図書館行ってくれ
空いた時間に本屋の語学コーナーでも可
コロンボをコロンブスと表記したんはコラムでわかりやすいからといってたな
235 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 07:04:29.94 0
今の世界民主化の流れの原点がギリシャ・ローマにあるのは間違いない
中世の間はベネツィアがその精神を受け継ぎオアシス都市としての
機能をはたした功績は物凄く大きい
市民革命が英仏で起きた後は役目を終えるかのように滅びてしまったが
世俗主義、共和制の象徴としてもう一度独立してもよいのではないか?
今のジャスミン革命からの一連の流れの原点もギリシャにある
もう一つの独自の民主体制はインディオにあるのはあまり知られていない
民主政治なんてものは何所の地域の原始部族にもある
そしてローマの強さは民主制を採らず、富裕有力者による寡頭制を布いていた事
237 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 07:24:19.60 0
>>236 寡頭共和制だが市民集会が相当な力をもっていたことも事実だ
今の民主制度は形式的な民主政治で実質はローマと同じ寡頭共和制
つまり今の各国の政治形態の原点はローマにある
なら矛盾してるな、ギリシャは半分かそれ以上が直接投票の共和制
ローマは寡頭制、寡頭共和制は本来の寡頭と共和の意味が矛盾する意味不明な造語
239 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 07:45:44.81 0
>>238 矛盾しているも何も正式名称がローマ共和国で
これは東ローマ帝国が滅亡するまで変わらなかった
そして実体も民主制度の要素を取り入れた共和制 むろん帝政後期以降は全く別物だが
共和制=民主制ではない ギリシャの場合は民主共和制というべきだな
ローマの制度もホルテンシウス法以降はこの影響を相当受けている
共和制≦民主制、本来は民主制でない共和制はありえんよ
よく見掛けるけど
241 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 08:36:56.70 0
>>240 そんなことはない。共和制は古代ローマやベネツィア共和国の
体制を含む。共和制でなくても立憲君主制のもとでの民主制はありうるし
共和制であっても共産主義国のように民主制でない国はある
ギリシャの民主制とは現代の民主制とかなり違うと思うんだが。
男性の「市民」以外は投票権がない、すなわち後世の視点で見たら貴族の寡頭制としか見えない制度は、
現代の視点で言って民主的と言えるのか。
ハインラインが「宇宙の戦士」で提唱したような、一定の資格を有する選ばれたエリートのみが投票権を
持つ制度を、真の民主主義というのなら、それは民主的なのかもしれないがね。
そのへんを踏まえた上で共和制の議論を進めたらいかがかな。
243 :
世界@名無史さん:2011/02/25(金) 09:14:41.36 0
>>242 110年くらい前まで民主制を導入していても実体は
みなどこもそうだったのだが
サンマリノはどーよ
>>242 むしろ納税額に関わらず一律で与えるようになったことが
カラカラ勅令なみの「全員に与えた結果全員が失った」ということになり
政府と国民の乖離を防ぐマスコミの重要度が上がったともいえる
西洋の民主制を古代に起源を求めるけど実はあんまり関係ない
ってあたりは政治関係では基本の話
ただ実際はともかく今の民主制が起源としてみてるという部分は確かにあるから関係ないわけでもない
あとローマの共和政はノビリタス支配論が有力だけど民主制だったという主張もそれなりに勢力あるしこれは賛否両論と言える
それはそうだろな
貴族と平民の抗争の歴史がちゃんと残ってるし、
ホルテンシウス法や平民貴族が生まれたの現実主義なローマ人らしい
無駄に内部抗争してたら国が滅ぶという事情を無視してで古代の民主主義を褒めるわけにもいかんだろう
>>245 古代とは国家の規模も人口も生産力も桁が違うから
全員に与えなければ転覆するだけだな
単に民主主義以外の政体にリスクがでかいと言えば済むことだろ
本当にそれが合ってるなら現在進行形で選挙もくそもない北や中も早々に沈んで欲しいもんだけどな
全人代選挙が受け継いでるかどうかは別として
郷里選挙は貴族制的、寡頭制的な制限民主制でしょ
とりあえず、現代の世界では、ほぼあらゆる国家が「自由な投票」によって選ばれた「選良」たちが
合法的に政府を率いている。
朝鮮民主主義人民共和国においてでも、中華人民共和国においても。
「勧められた」立候補者に投票しないと命がないというささいな事実はおいといて。w
するってぇと、いまの世界はほとんど「民主的」な「共和国」って事になるのかねえ?w
>>251 3行目に同意する奴はいないと思うがな。
制度として整ってればいいとは限らん。
誰それに入れないとリアルに身が危ない国に何をかいわんや。
ローマの場合は領土内の民族で財力や名声次第じゃ貴族の仲間入りが可能って点が大きい
可能性としちゃあ、親の代が奴隷→開放で本人はローマ市民
その可能性としての受け皿の軍ってコースもあるし
芸能や剣闘士でも名声を博して立候補すれば元は下賤の民でも元老院入りが可能
民衆の代弁者になるか元老院の子飼いになるかどうかは別にして
護民官を経ても元老院入りが出来るシステム
血統主義で元々の市民の血がなければ、これらの可能性すら排除されるギリシャとは根本的に違う
>>247 慢性的な抗争があったからこそ、互いが折衷案で調整し続けた結果の繁栄であって
これらを元老院の強権で弾圧ばかりしてたら他の都市国家群と共に時代の藻屑だった筈だよ
貴族層や富裕層に関してはそうかもね
もっとも一般民衆からすると、専横的と非難されたアテナイの年賦金よりも遥かに苛斂誅求な
ローマの過酷な収奪と徹底した武断支配よりギリシャの方が全然マシだったろうけど
マリウスやスッラの粛清でそれぞれどれだけの数、世代、性別、連座の範囲で根こそぎになったのかいまいち分からない
都市国家の人口・年代・職業構成を実感してないせいかなー
ノビリタス支配論に立てば張り巡らされた婚姻関係とパトロネジで新人が上に行くのは絶望的で
市民でありさえすれば粉屋の息子でも指導者になれたギリシアの方がマシという見方もできる
257 :
世界@名無史さん:2011/02/26(土) 01:26:54.38 0
>253
元老院と言うのが名前通り年寄り集団ではなく実力者集団だったからできたのだろう。
>255
粛清は支配層・ローマ近辺の市民とその関係者界隈程度だったと思う。
アフリカやアジアの属州民や奴隷がどっち側とかまでは逐一調べなかったし無理だっただろうな。
というかそこまでやったら粛清リスト作るので一生が終わってしまうw
元老院と言えばカリグラ。
貴族の女子が娼婦扱いにされた時代と信じてる奴が未だに・・・スヴェトニウスの影響力おそろしす
260 :
世界@名無史さん:2011/02/26(土) 19:24:46.07 0
北アフリカはローマ時代の繁栄がすごかったんだな
世界遺産級のローマ遺跡がたくさん残っている
逆にイスラム支配後は、人口が減って文化面でも衰退したんだな
今や・・・
261 :
世界@名無史さん:2011/02/26(土) 20:03:54.70 0
>260
普通にエジプト・チュニジア・モロッコはイスラム支配後も繁栄しただろ。
>>260 イスラム支配後も欧州西部より繁栄してるけど
今ダメなのは、水と土地と木材があまりにも少ない必然
誰がどうやっても環境的な制約で発展余地があんま無いね
>>261 海賊業を繁栄したことにしていいものかどうかは議論の余地があると思うの
264 :
世界@名無史さん:2011/02/26(土) 22:21:05.95 0
マグレブは観光と天然資源で食いつなぐしかないのかな?
エジプトあたりは人的資源豊富だから教育次第で伸びそうな気はするが。
>262
昔ローマ帝国を運営するシミュレーションゲームがあったけど、シドラ湾の南側が途切れているというふざけたマップだった。
カダフィはよく抗議しなかったものだ。
266 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 00:54:10.25 0
>265
国土ハブられたら起こるでしょw
267 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 09:07:28.89 O
イスラム支配後は北アフリカの衰退と人口減少は激しいよ
たくさんの素晴らしい古代都市のあったチュニジアやリビアは海賊しか産業がなくなった
高い文化を誇ったシリアも開放的なスッブラから現代の暗い建物に変わって文化的には後進地域になった
北アフリカの繁栄と荒廃みると、古典古代の破壊はキリスト教にくらべ、イスラムの破壊力は過小評価されてるな
チュニジアやリビア?
意味不明だな、もしくは無知過ぎるw
イスラム化後も相変わらず地中海における主要な地域だし
人口もローマ時代よりは増えてる
結局、マグレブ地域で起こったベルベル勢力はエジプト行くかスペイン行くかどっちかだからな
ヴァンダル人は、北アフリカに移住して三世代も経つと、この土地の
繁栄と温和な気候のせいで尚武の気風を失い、世界で最も贅沢な人種に
なり果てたらしい。
別荘や庭園での休息、毎日の湯浴みの後で山海の珍味が豊富に盛られた
テーブルにつく、メディア風の緩やかに着流す絹の衣装には金の縁取りが
施され、愛と狩猟を楽しみ、退屈な時間は黙劇や戦車競技、劇場での音楽、
舞踏で紛らすといった有様。
マグレブはなんで古代は穀倉地帯だったんだろう
エジプトみたいに大河があるわけでもなく
石造りの重厚な建物が好きなんで
古代ローマとかほんと憧れるわ。
コロッセオとか4万人も収容できる巨大スタジアムとか
ほんと文明って感じだよな。当時は天幕がはってあって雨天でも
催しが楽しめたそうだな。しかも2000年前。
日本の江戸時代も好きだけど
建築という麺では2000年前のローマと比べ物にならんほど
みすぼらしいや
>>273 単に風土面から来る木と石の文化の違い
日本の気候でローマ建築なら特に夏場は湿気で不快この上ない
あと土木面で比較してみなよ?日本のほうが劣ってるどころか優れている
衛生概念は銭湯の習慣があるのでほぼ同様だろうが街の清潔さが違うわけ
観光地以外のローマやミラノの裏通りなんて本当にゴミで汚いよ
都市計画と言うより河川浸水しやすい場所が公共建築物で占められて
カエサル以前は城郭の概念があるから人口密度は5万/kuとかそんな感じで
その城郭内の多くの部分が有力な元老院騎士階級の所有
一家が住むワンルームのすぐ外は、石の道路と荷馬車は夜通しでもウルサいわ
煤煙だらけのコークで灯りを燈しているわで不快なことこの上ないだろう
>>274 まぁ生活全般を考えると
ローマより江戸のほうが楽しそうだな。
庶民文化の多彩さは凄いしな。
ただ、建築だとやっぱ
日本の建築はどうもなぁ。お城にしても外側は立派だけど
中は狭くて貧相だしw
その点、ローマ建築は外も立派だが中も吹き抜けの大天井だの
現代建築に通じるアメニティがありさすがと思わせる。
さらには法律とか社会システムでもローマ法ってめちゃくちゃ
現代的みたいだしな。商取引とかの法律は凄い合理的で
現代の法律の基礎らしいし。
江戸時代は、法律とか前近代的だよな。市中引き回しの後
打ち首とかさ。弁護士制度もないし。
ローマって古代とは思えないほど先見性があって
マジびびるな。
ちょっと美化しすぎじゃね
ローマ法も体系的、合理的にまとまったのはユスティニアヌス以後らしいし
弁護士も現代と同じといえるのか
英米はローマ法の影響ほとんど受けずに近代化したしな
上下水道もまともに機能しないから疫病は蔓延したし
さらにローマは学問レベルではほとんどギリシャの影響を受けずかなり後進的だよ
商業・産業、技術、学問面では比較にならないほど江戸の方が発達してた
ローマがいくら偉大だとしても古代基準で偉大だってことだよ
2000年前と300年前を比べられてもなぁ
275が勝手に比べてるんだけど
>272
サハラが乾燥化する前は植生豊かな地域だったらしいし、それ以降は溜池とか灌漑設備があったからじゃないのかな?
塩害の進行などで衰退したところもあったかと。
>>273 地震の多い国で石造りとかマジカンベンw
石組みやるのに明治時代に外国人に教えられ通り布積みでやってたんだが
地震に弱い上、コストもかかるので伝統の谷積みに戻したそうな
ニュージーランドでも古い建物は悲惨だったね
>>272 アトラス山脈より北は地中海性気候だけどな。
フランス統治時代はワインも栽培されていた。
マグレブの海岸沿いは冬に雨が降るらしい
モロッコからチュニジアにかけては比較的緑があって住める場所があるんだろう
リビアはほんと不毛で人口が少ない
イタリアもギリシアもトルコもついでにニュージーランドや中国も地震が多い地域
日本に地震が多いのは事実だけどなぜか他の地域に地震が少ないと思い込んでる人いるよね
温泉や火山があれば地震もあるに
ロマ物にも大地震と被災者救済の話があった
287 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 20:50:44.47 0
>285
ヨーロッパに木造建築がないというバカもいるしね。
アルプス・ドイツ・北欧などの民家は木造ばかりなのにw
古代ギリシアの建築も、もとは木造(楣式建築)だったんだが。
それを大理石や石灰岩で建て替えていった。
オリュンピアのヘラ神殿には、パウサニアスの時代まで木造の柱が
一本残っていた。
289 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 21:11:42.69 0
ローマ帝国は結果的にはキリスト教の拡大に手を貸した。
イスラム化以前のエジプトの最大宗派はキリスト教だから。
>>275 ローマは弁護士制度はあっても、警察制度も検察制度も無いからな
その面においては古代の部族社会に毛が生えた程度
商取引とかの法律なんて漢の方がよほど整備されてる
法律が体系化されるのは西が滅んでビザンツになってからだし
291 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 21:45:25.56 0
漢の酷吏と一緒にするなって
秦漢の法律下で暮らしたいとは思わんぞ
ローマ法は貴族の横暴から市民を守るもの
漢の法律は一般人を縛り付ける奴隷化法
でも漢は一応平等の建前だけれど
ローマは市民の下に属州民と奴隷が居るのよね
市民ならいいけどその下だと・・・
風土と気候面から来る木の価値と防災面って所でしょ
地中海側は日本と違ってリサイクルの概念は低い
伐採しても植林の意識が薄いからたちまち禿山で
植物が育つ春から夏は乾燥するから、植林しても効率が悪い
北側は日本の夏がない環境ってことで多少は木の生育にも影響するだろうが
年間を通じて一定の雨量と適度な湿気
燃料用途以外にも木は身近で、開発が遅れた分木々も残っていたし
寒さを凌ぐための素材としての木の必要性は地中海なんぞの比じゃない
木造だと都市の集積効率は低くはなるが、伝統建築としての木造建物が残ったのは至極当然
>>291 ローマ市民ならいいけどね、属州民や奴隷だった日には搾取虐待され放題
都市の集積効率が低くなる?
意味わからん
>>290 >法律が体系化されるのは西が滅んでビザンツになってからだし
ビザンツ時代にローマ法の発展が”止まった”ので体系化された
297 :
世界@名無史さん:2011/02/27(日) 22:51:42.96 0
>293
まともに植林しだしたのは日本でも江戸時代以降。
地中海沿岸も冬季は冷帯ほどではないが寒冷だし、暖房や船舶利用で木材需要は半端じゃないくらいに多いよ。
ローマ時代の木造建築が残らんと言っても同時期の木造建築は日本でも残存していない。
江戸周辺もハゲ山だらけだったとか
>>296 判例をだらだら継ぎ足すのを発展とは言わんだろ
ギリシャビザンツで体系化した後も不磨の大典じゃなく何度か大きな改変あるし
ローマって警察機構が無かったんだろ?
怖すぎる
wikipedia:ローマ法
>紀元前50年ころから紀元後230年ころまでを古典期という。(略)
>この時代の最初の250年間は、ローマ法学が最高度に達し、完成をみた時期である。
>この時期の法律家が文章と実践の両面で到達した成果がローマ法の独特の姿を形作っている。
具体的にどうなのかな
例えば孫子は初期の頃は易など非合理的な迷信的要素が含まれてたけど
時代が下るにつれて注釈者によって非合理的な部分が省かれて今の形になってる
果たしてローマ法も使われた当時はそこまですっきり合理的だったんだろうか
>>301 んなキチガイ管理者だらけの日本版ウソペディア持ち出して何がしたいんだよw
>>302 孫子に易が含まれてたことは一切無いけど
あると主張するならどの編の何所に書かれてるか教えてくれ
>>300 階層別居住区域別の自警組織が機能してたってこと
人口百万余の江戸で警察+裁判用人員は合わせても実質数百人
幕末までお巡りさん=十手岡持ちは実質任侠=893屋さんの仕事
「毒を以て毒を制する」
非合法組織に目的意識を与えて犯罪を抑制させる手法なんてのは別に江戸だけじゃない
各地域を仕切る豪族がいるイタリア本土なんて豪族の長=王で法
一例として手っ取り早く知りたきゃゴッドファーザー2(デ・ニーロ分)のコルレオーネ村を鑑賞すべし
まぁコレは恐怖で押さえつける例だけどねw
>>290 部族社会はいいすぎのような。
古代ローマがギリシアの文明から強い影響を
受けてることを考えると、法治主義や民主政に
ついてかなり洗練された考えを持ってたと思う。
ギリシアなんて権力の腐敗を防止するために
物凄い徹底した民主制度を持ってたし
ローマもその遺産を受け継いでるよ。
ちなみに法律は成文の法典化は遅かったみたいだが
基本不文法でずっと発展してきた歴史がある。
漢の法律がどのようなものかしらないけど
ローマの民法は「債権の第三者効と」だとか
今の法律概念の基礎になるものが盛りだくさん。
ローマの奴隷は今のイメージの悲惨なら奴隷とは
ちょっと違うだろうな。
解放されて自由民になるチャンスもあったし
固定化されたカースト制度ではなく流動的
搾取されまくりだったらもっと反乱起こってるし、地方に現代にも続くミニローマ都市はできてないな
闘技場や浴場もローマにしかないとか思ってるんだろう
ローマの凄いところは
文明力の高さを示して他民族を従えようとしたところだな。
水道橋や円形闘技場、大公衆浴場だの大建築を現地に建設して
他民族に畏敬の念を抱かせたんだよな。
やり方が何気にかっけーんだよな。
漢やペルシアも古代の大帝国だったとは思うが他民族の支配に
こういう手法を使ったんだろうか
文化力は低いけどな
>>309 反乱起きまくりの粛清しまくりだけど、タキトゥスも書いてただろ
ミニローマ都市の大半は、良立地の現地人を追い出してローマ兵が植民した都市な
>>310 ローマの凄いところは
徹底して何の仮借も無しに、反抗的な素振りを見せた他民族を
反抗する気が起きなくなるまで族滅した事だよ
>>307 現実にアウグストゥスの時代とディオクレティアヌスを比較すると税収減ってるらしいけど
繁栄してたなら増えるわなふつう
>>313 そりゃ帝国だからな。
アメリカもイラク人殺しまくったし今も変わってないな
>>312 ダキアやドナウ下流域はあてはまるけど、ガリアやブリタニアの都市では現地の
上流階級由来の人々が都市の運営や行政に深く携わっていたし、ギリシアやマケ
ドニア、アナトリアやレヴァントに存在していた都市だってローマの影響下支配
下に入ってローマ的な様相を多少なりとも帯びていった。
「都市」の資格(ius civitatis)を得るためには、都市参事会の設置とそれを支え
る富裕層が存在することと同様に、ローマ的な公共設備、都市景観を持つことも必要な
条件だったんだから。
>>313 ブリタニアのピクト人やブリガンテスに対しては成功しなかったね
318 :
世界@名無史さん:2011/02/28(月) 01:44:57.09 0
>310
同時期の他の帝国とも中世の帝国とも違うのは恩恵にあずかれるのが下層まであるような文化・文明だった点だろうな。
自由民なら無職でも食料支給に公衆浴場、演劇、剣闘、奴隷でも努力と運で自由民になれる制度など。
よそならせいぜい中の上くらいまでしか恩恵に被れない。
ローマは学問面が壊滅的に駄目だからな
高い文明と言われてもピンとこない
学問も全てが駄目だったわけじゃないでしょ。
先に話が出た法律に関しての法学とかもかなりの水準みたいだし
建築の技術書などもたくさん書かれている。
哲学だの数学だの形而上的な学問が駄目だっただけで
実利的な学問は発展したでしょうに
>>316 >都市参事会の設置とそれを支える富裕層が存在すること
これ、税金の取りっ逸れが無いようにするためだからな
現地の有力者はローマ市民権を付与されてたから
都市に住む多くがローマ兵に関連した人間以上は運営に携るのは当然だし
東側にローマ的な様相はあまり見られない
>>318 大多数は非ローマ市民だからな、奴隷が自由民になるのも例外的な出来事
そもそも漢の奴隷はローマほど酷い扱いじゃないし
徒手空拳の本質論や芸術を発展させたのがギリシャで
それを反面教師にして実学を発展させたのがローマでいいんじゃね
>>313 帝国とは名の通り帝に威光と権力を集中させる国家で、良くも悪くも帝と取り巻き次第だよ
民主平等自由名目で実質極度の格差社会な米国あたりのレッテル貼り→洗脳の結果に過ぎない
身分差が不自由に感じる人もいれば、身分毎の職分それぞれの既得権益が保護されてるシステムのほうがいいって人もいるだけの話
元老院と民会という二院制が国家運営に関わっていたし
専制君主のペルシアとはレベルが違うな
今の日本やイギリスとかの二院制の元祖
ローマを持ち上げたいからって、いくらなんでもそれは無理矢理すぎ
んだんだ、カルタゴがどうなったか思い出すが良い
ここは帝国=イギリスやアメリカのようなもの、よってローマもそうだったに違いないという思い込みで歴史を解釈する人が多いですね
>>313 族滅の意味わかって言ってるんだろうな?
ガリア初めとする地方有力者に元老院の議席を与えたのも
近代国家でもありえんほどの地方自治は全無視か
大体五賢帝以後生粋と言えるローマ人が皇帝に就いたほうが少ないじゃん
それでいて寛容とインフラ重視のローマンスピリットを持った皇帝を生み出せるのが
ローマ帝国のすごいところ
なんか塩野のお題目をそのまま信じ込んでる感じ
>>328 通信交通手段が限られてる時代において
地元の有力者も抱きこまないで帝国を築いた例は珍しかろう
ローマは住民殺して植民と抱き込みのチャンポンなんで優れている
あんまり抱き込まないで野郎皆殺しで植民政策の成功例は新大陸のスペインとかかのう
いわゆる現存インディオのY遺伝子の1〜3割しかインディオの遺伝子でないそーな
山奥のインディオでもそうなんだと
確かに現代からみたら前近代は都市国家を除いて全部地方自治みたいなもの
>>325 おおげさかもしれないけど
古代ローマの正式名称からして他の古代国家とはレベルが違う。
「元老院ならびにローマ市民」ってのが正式国名だぜ。
ラテン語で言えばSenatus Populusque Romanus、略してS.P.Q.R
S.P.Q.Rって言葉がローマの精神を表してるらしく
マンホールやらなにやらいたるところに刻まれてるらしい。
建前上は主権者は市民と元老院ってわけよ。
で、共和政から帝政で滅びるまでずっとこれが正式名称。
ペルシアや漢が議会と市民を国名にするとは思えんぜ。
そんぐらいローマってのは現代に通じる何かがあるのさ。
ペルシアとか皇帝からみれば市民なんてバッタみたいな虫けら扱いだぜ
だから現代に通じてるんじゃなくて現代が憧憬してるの
ベクトルの方向が過去→現代じゃなくて過去←現代の一方通行だって
>>332 ローマ市民の意味を理解してんのか?
元々の兵役負担層の子孫を除けば、貴族もしくは富裕有力者だぞ
ペルシア帝国の一般民に比べれば、ローマ属州民なんてバッタみたいな虫けら扱い
奴隷制社会だったローマに沢山いた奴隷はその遥か下
時代によるけどな
>>334 社会の中産階級をなす自作農はローマ市民じゃないってか?アホ過ぎ
グラックス兄弟やカエサルがあんだけ農地法整備に苦心した結果の安定社会構造なのだからな
ローマ=悪と断じたい幸せ回路の持ち主は搾取する側とされる側の二極構造でしか読めないのよね
>>334 江戸時代も人口の9割は悲惨な農民だよ。
ローマも市民は一部なのは了解しての上だよ。
ただローマの奴隷は封建的な奴隷とは違い
給料をためて資金貯めて主に渡せば解放される。
固定化されたカースト制度じゃない分、流動的で
江戸時代の丁稚奉公みたいなもんかとも思ったり。
以上バッタより
言いたい事を言いたいだけのローマ賛美もアンチ・ローマも自重しろ
ローマを持ち上げる(or貶める)ための時代を超えた比較もやめろ
>>337 無知の上を塩婆の小説的ローマ教観でべったり舗装されとるな、重傷
江戸時代の農民は労働時間長いけど結構高収入
悲惨なのは町人と東北の農民、小作よりも更に酷い
ローマの奴隷もほぼ固定化された身分、権利に関しては農奴より制限されてるし
島田誠
>ローマ市民社会を、全体として奴隷制社会と呼ぶことは、
>困難となりはじめている。
>>341 >江戸時代の農民は労働時間長いけど結構高収入
なんだそれ。
小作とか零細農民もお金持ちで毎日煎餅食べてお茶飲んでたでも
おっしゃりたいのですね
小作は別にかいてあるから自作農前提の書き方と読めるが。
町人が悲惨というのも新説だなあ
マクロ的に見れば町人階層が国の財力を握り
行政(幕府や藩)は両替商などに米を担保にして
借金。たびたび徳政令
江戸の町人は末端でも行商で月に10日は働けば生活できたらしい
ローマ暗黒史観述べてる奴はいい加減にしろよ
江戸時代の基礎知識でまで恥さらしするこたないだろw
>>345 それは免許制の商人、都市人口の大部分は町人
町人階層の生活は農奴や小作以上に劣悪
なんだ、香ばしい奴だったか
>>347 日本に農奴というシステムはないのですが頭大丈夫ですか?
>>349 昔実際に京都で経験したこと
農奴システムに近いものなら現在も名残りは残っている
そこでは人手が必要な時に被差別地区住民を使っていた
まぁ酷使の類じゃなく対価も発生するが、先祖代々から双方間では当然とのこと
それと農業の場合は拘束時間が長いだけで、シーズン除けば実労働時間なんて大したことない
働き者は徴税逃れに隠田しているから、悲惨と言われる地区でも裕福で
お伊勢熊野京詣では一般的、地方農家の息子娘は奉公に出されて商いやるなり
ある程度都市で経験積んで田舎に戻って後を継ぐなりで、侍以外は身分も流動的
>>349 何故突然日本に限定して農奴どうこう言うのですか?
反論出来なくなったから無理矢理こじつけて突っ掛かってきたんですか?
江戸時代の農村なんて間引き、姨捨で悲惨そのもの。
ボンボン子供を産んで土地を持てるのは長男のみ。
悲惨なものは娘を遊女に売るわ人身売買の温床・・・
悲惨だということを強調しても説得したことにはなりませんぞ
>>350 こういうのを知識バカという
長文で薀蓄披露すれば何とかなると思ってるところが痴的
>>354 実際の経験もなく当時の文献も見ずに
不正確なネット知識で判断するアナタこそ痴的
356 :
世界@名無史さん:2011/02/28(月) 23:56:20.84 0
密集陣形で肉弾戦で戦う
ラグビーやアメフトなどのスポーツが近いのか
生死がかかっているだけに、
仲間意識というか共に戦った仲間との連帯感あるだろうな
勝利を重ね、退役してローマ市民権を得た兵士達の充実感はものすごいだろう
ローマ人の物語でもあったな、ローマ街道沿いの墓標だかにあったと
戦って勝った、美味い酒を飲んだ、ビーナスの裸を拝んだ、みたいな
そういう人間臭いローマ人、素敵やん
357 :
世界@名無史さん:2011/03/01(火) 00:00:21.68 O
ローマを継いだイギリスに東洋はフルボッコにされて
世界がイギリスの真似をしないと生き残れなかったんだから
ローマが評価高いのは当然
>>357 ざっくりしすぎww
英なんて一番僻地なのにな
>>356 スポーツと違って、試合が終わった後には屈辱的な屈服と収奪
もしくは一方的な殺戮が待ってるけどな、ローマ軍相手の場合は特に
ローマの植民地でも相当の僻地の上に
ローマが去った後には侵入してきたゲルマン人ノルマン人に
民族としても政体としてもレイプされまくりのイギリスが
ローマの後継なんて言ってもねえ・・・
まだビザンツのほうが説得力あるわ
まあざっくりヨーロッパ文化って意味でしょ
ローマ的なるものを受け継ぐ民族としてギリシャ民族はあれだけ変容させたといういい例ではないだろうか?
アララーイ、アララーイ
>>357 イギリスってなんか態度でかいけど
ローマの植民地じゃん。
英単語のほとんどはラテン語由来だよww
それを言い出したら英語以外でもフランス語、ドイツ語も
ラテン語からかなりの語彙もらってんだよな
ヨーロッパ人がギリシア、ローマをリスペクトするのも分かるわ
日本も似たように漢語由来の単語がたくさんあって中国語に
憧憬いだいているようなもの(今の中共は嫌いだけどさ)
英単語のほとんどはゲルマン祖語由来だろw
>>366 おまえ無知だな。
基礎単語(机とか田んぼ)とかはほぼゲルマンな
けど概念やら社会に関する言葉とかはラテン語がめっちゃ多いよ
自分の無学を笑いなさい
はいはい、概念と社会に分類される単語数をどれくらいにとって
ゲルマン由来とラテン語由来、それぞれがいくつづつなら
めっちゃ多いに該当するのか書いてけよ
>>368 おまえ本当馬鹿だな。
クレクレする前に図書館行って自分で調べろカスww
>>368 何がなんでも突っ掛かりたいのはよく分かるwもっと他に言いようがなかったのw
80%くらい
生物系や哲学系はラテン語もそこそこ出てくるからなあ、実感はあるだろう
史学系はかび臭い歴オタばかりで客観性にかけてる人多いし分かれったって無理無理w
自然科学系のラテン語はカオス
ラテン語の読み物でもトヨタの車名なんかはよく出てくるが
生物の学名の話はあんまり出ない
自然学名はギリシャ語でしょ
ラテン語式アルファベット使ってるってだけじゃん
ラテン語の成語法で統一されてる。けどカオス
基礎単語は和語が多いけど、概念用語は漢語が多い日本は中国の植民地、っと。
>>378 つまりラテン語形式のギリシャ語ってわけか
ただそれやったのは中世・近世ヨーロッパ人で古代ローマは直接関係ないけどね
多くは近代以降では?
正確にいつかはわからんが
ギリシャの学問が西欧にまともに入ってきたのは12世紀以降だから
その時点でやってたかもしれないんで中世も一応入れといた
>>372 80%引いて2で割って最大限10%くらい
>>370 なにがいいたいわけ?
ローママンセーの連中って
ほんとまともに議論せず勝利宣言ばっか。
何度も書くけど英語はゲルマン祖語99ぱーだよ
文法書読み直せよ
何度もいうけど英語はゲルマン語だよ。
ここで英語の由来を論じてたことあったっけ?全然記憶にないことで勝利宣言されても困るだろ
ラテン語由来とか電波飛ばされても困るけどな
日本語に漢字や英語を和訳した造語があるように
英語にラテン語はいってるだろうがそもそもゲルマンの言葉だよなあ
英語の単語の99ぱーはゲルマン語だよ
1ぱーがフランス語
percentがラテン語
英語にラテン語の影響なんてほとんど無し。
あるなんていってる人はトンデモ理論なの
restaurantやcathedralはじめノルマン由来のフランス語は腐るほど英語に入ってるだろ
お前ら義務教育で何習ったんだよw
フランス語はフランク語を受け継いだもんだろ?
正確に言うなら英語に古フランク語の影響が見られるというべきだな
だな。古フランク語の影響が見られるってだけで
フランス語、ましてやラテン語の単語が英語になったわけでもなし。
ローマ賛美の脳内お花畑さんは全ての文化はローマ発祥とでも言いたいのでしょう。
>>395 言ってることはともかく、いい加減喧嘩腰なのはやめろって。
398 :
世界@名無史さん:2011/03/02(水) 07:00:50.53 O
ユリウスカエサルがイギリスの地を踏んだ時から大英帝国の歴史が始まった
ロシアも第三のローマを自称した
やはりローマは西洋文明の源流といえる
ローマ厨はギリシャもローマの功績だと思ってるからな
一緒にされたら迷惑だっつの
ローマは、それ以上でもなければそれ以下でもない
西欧において食生活はローマの影響を受けている事は確か
>>400 誰がそんなこと言ってんだ
煽り目的の下手糞な釣りがバレバレ
ギリシャ無視して西欧の源流とか言ってる時点でな
個人的には、ギリシア文明はローマがなければ西欧世界には
広がらなかったろうなと思ってる。
せいぜい地中海沿岸の一部で遺跡が残ってる程度。
もっとも、ローマがなければ今も中東地域が文明の中心だろうから
そこでギリシア文明がどういう扱いを受けたかだね。
古代ローマがなければビザンツも存在しなかったわけだから、世界の歴史は
かなり変わっていただろうな。
西欧もロシアもキリスト教化せず、多神教のままだったかも試練。
ギリシャの学問はローマと無関係にイスラムへ引き継がれたわけだから
ローマは在っても無くても大して変わりないでしょ
ギリシアの学問はエジプトやメソポタミアの文明を継承・発展させた
ものだし、地域の文明として忘れ去られるなんてことは無かったと思う。
古代ローマの安定した治世で写本だので膨大なギリシアの著作を
各地域の図書館に保管できたのも事実。
なんで古代ローマの果たした役割もでかいだろ
>>408 写本業が継続されたからこそ今に残っているわけだしね。
それにカリフやスルタンはキリスト教への対抗とイスラームの教義や神学の理論の強化のために
古代ギリシアの著作の写本を欲しており、ローマ(ビザンツ)の写本が重要な輸入品また
は貢納品だったよ。
>>407 ローマ法自体、特に優れていたわけでもないしな
あくまで中世西側のローマ教皇庁と同じく
近世の西側の政治的な権威付けに使われただけで
あんだけ膨大な領域にローマ人がその文化文明、生活スタイル、法、道路や浴場といったインフラ、
ペルシアの王があてつけにやるほどの寛容の精神に至るまで
残ったものも残らなかったものもあったろうけど、影響が無いと言い切れるほど盲じゃないな
>ローマ法自体、特に優れていたわけでもないしな
それはダウト。
ローマ法ってのは物凄く合理的だったんだよ。
古代社会の法律は通常、呪術的な色彩が入り込んでて
(たとえば熱湯に手を入れて赤くはれ上がれば有罪だの)
その地域でしか通用しないものがほとんど。
そんな迷信やらがはびこってた時代にローマは
合理性をきわめて重視した実務的な法体系を作ってたよ。
だから近代にいたるまで西洋の法学者はローマ法の研究を通じて
法律を作っていった。そんぐらい偉大
ローマですら大帝以前は綺麗に編集されてなかったとはいえ
体系的に法を整えるという概念すらなかった古代に多民族を治めなければならなかったローマ人が
選択した手段が哲学でも宗教でもなく法に依ったことをよくよく考えてみるべし
歴史は一直線に何事もなかったかのように突き進んでるわけじゃないんだよ
後知恵で語りたい人はそう考えがちなんだけど
未だ中世的宗教国家もあるってことも併せて考えるべし
しかし現実にはイギリスはローマ法の影響を受けない慣習法
フランスもローマ法の外形だけで中身は慣習法だという
ぶっちゃけゲルマン法の影響もでかい、
つまり法律なんてのはゲルマン人みたいに野蛮なやつらでも影響を与えられる
さらにギリシャの文化はわずかしかラテン語化されなかったため
西欧地域にまともに入ったのは12世紀になってから
東ローマの中身は外見ローマ風を装っても実質ギリシャ、都合のいい時だけギリシャに近寄るなって話し
ギリシャ人にとってローマ人は単なる野蛮な侵略者
>>古代ローマの安定した治世で写本だので膨大なギリシアの著作を
>>各地域の図書館に保管できたのも事実。
>>なんで古代ローマの果たした役割もでかいだろ
しかし当のローマ人はほとんど興味を示さず、実際に保存したのも東ローマのギリシャ人達
さらに時代が下るとビザンツからペルシャに追い出されたネストリウス派キリスト教徒達の役割が大きい
まぁちょい煽りっぽく書きすぎた感はあるが、生粋のイタリア半島のローマ人はギリシャ系の学問との関わりが薄いのは確かだね
>>412 >古代社会の法律は通常、呪術的な色彩が入り込んでて
原典の多くが残ってるのは秦律と漢律しかないと思うけど、どちらも物凄く合理的
法律を作るのは法学者じゃないけどな、法学者にしてもビザンツが編纂した物の研究だろうし
法律を制定するのに必要なのは過去の研究じゃなく現在の要請
>>415 ローマ人はそれぞれの民族に得意分野を任せていればいいという考えだったのでは?
オスマン帝国もそういう傾向があるけどな。
むしろ日本人のように、何でも自分たちでやらないと気がすまない民族のほうが
少数派なのかもしれない。
ローマ法古典期は法学者の力が圧倒的
学説>実務
>>413 ローマ法が適用されるのはローマ市民だけだけど
その他は治めるというより、支配し抑圧し徴発する感じじゃん
後期に出された身分固定法や移動制限法は、江戸幕府の似た様な法度よりもっと実効性無かったらしいし
>>418 近世以降の話を出したから近世以降の話で返したのに何故古代に戻ったの?
>>支配し抑圧し徴発する感じじゃん
一体何を持ってそういうイメージを得たか詳しく聞きたいんだが
学研マンガか?
>>419 誰?近世以降?
>418は>416へのレスのつもり
古代の人間は抑圧されてたことにしなきゃだめなんです!
いつの時代も抑圧から戦ってきたんです!
人類は常に進歩してるんです!現代は人類皆兄弟!素晴らしい!って
階級闘争史観染み付いてるおっさんかもしれないがな
19世紀のヨーロッパ人も、植民地の人間を支配し抑圧し徴発していたけどな。
>>421 西欧で歴史の一分野としてローマ法を研究し始めたのは早くても13世紀だし
そもそもローマ法を基にした事実が無い
しかし奴隷に属州民と抑圧された階級があったのも事実なんで
中世以降の奴隷に比べたらマシだろうけど
なんとなく、
ローマ人、トルコ人、日本人=実際的、活動的
ギリシア人、アラブ人、中国人=形而上学的、観想的
というイメージがあるな。
哲学に関して言えば
古代ギリシア・ローマのそれは
今でいう論理学につながるきわめて数学的、厳密なものだったのに
古代中国の哲学って
説教くさいというか道徳的、処世術的な感じなのが多いよな。
なんか根幹からして西洋文明と東洋文明って違ったのかなって感じ。
そりゃ数学的な哲学が下地にあるんだから西洋がいち早く科学革命
産業革命を起こして近代化したのもうなづける。
経験主義で科学的な発見(火薬だの羅針盤)があっても
数学的な哲学の下地がない分中国は発見したまま大して改良がなかった
哲学は哲学、数学は数学
中国にも数学は他の文明圏と同じ様に当然存在した
数学的哲学とか意味不明過ぎだろw 哲学は学問じゃあない
哲学は学問じゃあない?
>>428 おまえは
人生哲学とかの俗語のほうしか
しらないんだろ。
デカルト、スピノザとか数学者にして哲学者だよ
スピノザの「エチカ」なんてモロ数学。
西洋にはそういう科学的思考の伝統があるの
まあ英語をよく知らないから哲学が自然科学を含むことがわからんのだろう
疑うことを知るのが哲学の基本ではあるんだが歴オタが理解してるかっていうと・・・
歴史関連スレを眺めてると一史料丸のみでローマ暗黒史を語るやついるしなあ
ソースは多角的に拾えと常に言いたい
>>429 哲学は学問じゃあない、哲術とか哲家思想と訳した方がよかったのに
フィロソフィーは愛知学とでも訳したほうがよかったのでは?
哲学は一応人文科学に入れられているが、ミレトス学派の連中は自然について
探究していたわけで。
哲学でも数学的な論理学などあるし
単なる思想とは違うよ
古代ローマは闘剣士に殺し合いをさせて喜んだ暗黒時代。
ギリシア哲学に興味を示さず血を好んだ
21世紀アメリカはボクサーに殴り合いをさせて喜んだ暗黒時代
博士号を意味するPh.D.は、Doctor of Philosophyの略語だからな。
イスラーム世界では、学問を「アラブの学問」と「アジャム(外来)の学問」に
分けてきた。
「アラブの学問」に属するのは、法学、神学、文法学、書記学、詩学、韻律学、
歴史学、伝承学、クルアーン解釈学など。
「アジャム(外来)の学問」は、哲学、論理学、医学、数学、幾何学、天文学、
音楽、機械工学、錬金術、光学、地理学。これらの学問のうち、哲学、医学、
数学、幾何学などは「ギリシアの学問」と呼ばれていた。
イスラーム圏において、ローマ文化はほとんど影響がなかったと考えたほうが妥当。
ローマというか当時のラテン語文化って歴史書、文学など文系に偏ってるからな
で塩野はそういうのしか興味ない人だし、イタリア・ルネサンスが好きなのもよくわかる典型的な文系女
芸術や文学もいいけど今の機械文明を支えてるのは科学と数学
レッテル張りしてからそれを批判するってどんだけー
>>442 ローマ得意の土木、建築なんて科学の最先端じゃねーか。
農業書とかも残ってるだろ
お前はなにを言ってるんだ。
塩野が数学関係に苦手意識あるのは本当だがな
コラムでヴィンチ書くの断念した理由として理系の教養のなさをあげている
「そういうのしか興味ない人」でなく興味はあるが手に余ると考えているだけ
さらに当時の学問は理系文系がごっちゃという話の流れで、哲学の話やら博士の英表現の話がでてるのに
ことさらに科学を分離するなんて
土木や建築などは技術であって科学じゃないよ
科学はもっと形而上のもんだ
サイエンスとテクノロジーは別物だろ。
前近代の建築技術じゃそんな高度な数学は使わない
ヨーロッパでもイスラーム圏でも、工学のような手を汚す仕事は、リベラル・アーツに
比べて低く位置づけられてきたからな。
>>444 レオナルド・ダ・ヴィンチ自身は、自分を「知識人」だとは思わず、「技術職人」
だと考えていたと思うよ。
レオナルドの仕事の中に、今日でいう「科学的」な要素があったとしても、
彼はそれを「科学」として追求していたのではなく、職人的技術の一部として、
体系的にではなく、いわば偶然に把握していたにすぎない。
この時代にもscienza,scienceという言葉はあったけど、単に「知識」という意味で
使われていたのであって、「科学」「科学者」という概念はまだ存在していなかった。
ダ・ヴィンチの時代の各著名人にとっては教養が各分野でのひらめきの一助になりうる、
真の意味での教養足りえたってことだよね
同分野同畑学者に対してしか相手にできない、しかもウンチクばら撒いて終わりの奴とは違う
職人達の技術によって
火器やら冶金技術やら機械の旋盤技術なども発展したし技術を過小評価はできないけど
>>449 当時科学者という言葉があったかは知らんが現代的な意味での科学者は当時存在した
ダビンチは現代的な意味の科学者じゃないな、技術屋だ
ニコラウス・クザーヌスは科学的なこともいってるけど神学者だな
コペルニクスやガリレオ、14世紀のビュリダン、オレーム、その前のロジャー・ベーコンなど他にもいるが
そういった人たちは現代的な意味での科学者といえる
scientistという語彙が使われたのは、1834年から。
この言葉は初出時それほど歓迎されなかった。
一般教養を重視するジェントルマン的気風がいまだに旺盛な時代のイギリスでは、
専門的に科学に従事する者などうさんくさくみられた。
この語は世紀がだいぶ進んでから、むしろアメリカでよく使われるようになった。
アメリカは専門家の国だったから。
そもそも当時の一分野の研究量は少ないから複数分野をやるのが普通
科学者兼数学者兼哲学者とか当たり前
単にテクノロジーだけなら、オリエントのほうがギリシャ・ローマより進んでいたと思わね?
バビロニア人は土地台帳のために都市や運河の設計図を作成し、世界地図も描いていた。
また彼らは測量や代数学的問題にも相当通じていた。
バビロニア人もエジプト人も、三角形の面積といくつかの立体の体積を決定する
簡単な公式、あるいは円周率πの値や円の面積を求める公式を持っていたし。
ローマ街道とローマ水道の作りを見てもそう思うならそうなんじゃないですか?
ローマ水道なんて1kmの間に1cm傾斜があるっていうほどの
相当厳密な構造だよ。測量の技術は凄いレベルにあったでしょ
>>453 研究量以前に研究分野の分化もロクにされてなきゃ分離分化する必要もない
それに人口も少なきゃ文字読めるのもほぼ限られた階層
その階層みんながみんな優れた資質でもなし
逆に言えば大工や道路に敷くレンガ職人や農家なんかに現代で言う知的エリートな素材が普通にいる時代
識字層でも必然的に高い資質を持つ者が生まれる確率は建築や農家なんかと大差なく
学究エリートは嫌でも兼任せざるを得ない
>>454 確かヴィンチは医者でもあったんじゃなかった?
当時のキリスト系の平均的医者ってどうかね?
オカルト観だから病気は悪魔の仕業として頭蓋骨に頭開けたり吊るしたり
せいぜいが手足の傷が深かったり膿んでくれば壊疽と破傷風防ぐために
縛って止血してブッタ切るって概念でしょ
オリエントと言うかイスラム医なら焼きゴテにお湯(消毒)って発想がある
ただアルキメデスはギリシャ植民都市とはいえ、シチリアのシラクサだけどねww
結局はどこの地域かって言うより都市規模だよ
最盛期のシラクサのようにアテネと肩を並べるほどデカけりゃ
それだけの都市人口を養える国の人口もあるってことで、生産階層以外の階層もほぼ同じ
必然的にオツムの良い非生産階層の人数もほぼ一緒の割合
>ローマ水道なんて1kmの間に1cm傾斜
それじゃ流れない、30cm
16世紀にパレが血管を縛る血管結紮法を開発して焼き鏝使う療法が廃れるから
ダヴィンチの時代には焼き鏝使ってたと思うよ
ダヴィンチは解剖はやってたけど医師だったという話は知らないな
医学的知識はあっただろうけどね
>>457 レオナルドは若いころに数十体の遺体を解剖したけど、医者ではなかったはず。
ローマ水道は、供給された水のうち、6分の1は皇帝が使い、3分の1は個人宅に分配され、
残りが公共目的(公共水槽や公共浴場など)に使用された。
庶民は水を得るために、近くの公共水槽まで足を運ばなければならなかった。
つまり、いくら高度な技術に支えられていても、誰でも自宅に水道を持てる社会を
目指していたわけではない。
江戸やオースマンの改造後のパリではどうだったのかな。
江戸は井戸のほか上水を木のパイプ(一部閉管、基本開管)で下町の共通水場に運んだりした
その水を砂しきつめた池のようなものに流しいれ、砂でろ過したものを井戸から汲み取る仕組みが基本
閉管はサイフォンの原理使うため。溝などの下を管が通るとき使う
交換時にすぐわかるように継ぎ目の境目に境目ごとのマークつけたりした
463 :
世界@名無史さん:2011/03/03(木) 17:38:03.78 0
>461
ローマの場合、ローマ以外の都市にも高度な技術が導入されていたからねえ。
19世紀の日本やフランスは首都や一部の主要都市以外はしょぼい状況だったから比較するのはどうかと。
>>461 皇帝が何に使ったかが問題だろ
帝政期の全皇帝がそんなわけないな
五公五民を文字通り信じて人口7%以下の武士は半分も全部米食ってた!って信じてるタイプですかww
465 :
461:2011/03/03(木) 18:26:33.90 0
>>464 皇帝が個人として使う水のほかに、見世物として巨大なプールで摸擬海戦を
開催し、水を無限に使える力を市民に見せつけたのだとか。
さらに、私邸に水を引くことができたのは皇帝と懇意にしていた人物に
限られたので、個人宅用の水供給にも皇帝の権力が及んでいたといえる。
皇帝用にはカラカラ浴場などが含まれる
水汲み場は五賢帝時代に600ほど、一方でアグリッパが700追加したという記録も
ローマ帝国のインフラとメインテナンスは確かに素晴らしいけれど、文化面ではどうかな?
シリコンバレーで働いている日本人が、日本ではよく「国際エリートは教養が必要だ」、
「日本の歴史や文化をよく知らずして国際人になれない」みたいなことがいわれているが、
当地ではそんなことは全然なくて、みんな仕事関係・業界関係の話しかせず、それ以外は
テレビドラマとゲームと子どもの学校の話くらいだとか。
ヒューレット財団が催したフィランソロピーに関する集まりに参加してみても、そこには
フィランソロピーを仕事でやってる人たちが集まり「寄付金集めの方法」
などをひたすら語っているだけだったそうで。
で、帝国の首都ローマも世界中から人が集まってきただろうけど、そういう連中も
文化教養なんかに興味を持っていたのは少数派だったんだろうな。
ユウェナリスが、ハドリアヌスの即位にあたって、「学芸はただカエサルにのみ
希望を託し、存在を正当化するのみ」と風刺しているぐらいだし。
そういやオスマン文化はあるけど、ローマ文化やモンゴル文化はあんま聞かないな
単に俺が耳にしないだけかもしれないけど
つウェルギリウス、ホラティウス、オウィディウス、リウィウス、ストラボン、
セネカ、プリニウス、エピクテトス、タキトゥス、プルタルコス、プトレマイオス
迷信と呪術の時代に
合理性、現実性を追求したローマはやっぱ凄いな
エジプトなども土木技術は凄かったけど
ピラミッドの建築などもアラーの神など宗教的な施設。
その点ローマは水道、浴場、闘技場と世俗的、実務的なものがメイン。
イタリアという風土が合理性、世俗性を重んじる文化を作ったのかな。
ローマはもともと都市国家から始まったから、市民が快適に暮らせるための
建築を作った。
オリエントの建築は神や王のためのものが多いな。
>>470 ローマ人は神さまが大好きだよ。
ギリシャ、エジプト、パルティア、ユダヤなど、あちこちから神さまが
流入してきた。
スキピオが私邸に浴場を造った時は
「堕落したギリシア文化に染まった」と非難されたらしい
信長は京料理より濃厚な味わいのダギヤ料理を好んだし
ペルシャ帝国健在な頃のギリシャでも贅沢するとペルシャ的と攻撃されてたし
田舎者は洗練されたものや華美なものをお気に召さないんだろ
浴場といえば
古代ローマの温泉技師が現代日本にタイムスリップして・・
みたいな漫画があるらしいな。なんか賞を取ってるみたいだし
今度読んでみるか。漫画を読むなんて5年ぶりぐらいだ
キケロは「ギリシャ的なものをラテン的なものに結びつける」「哲学の教えは
知るべきだが、生きるのはローマ市民らしく」と教訓を垂れていた。
ただ、たとえばプラトンの『国家』を読んでも、実際の政治には役立たない、
それどころか有害ですらある、と漏れは思うな。
プラトンはイデア論にしても哲人政治論にしても
理想を追い求めたちょっと現実から浮遊した感じだからな。
ツボる人にはツボるだろうが、現実主義者の俺にはちょっと敷居が高いな
現実主義者の極みの一人であるところのマキャベリが理想としよく引用したのがローマだからな
マキャベリは無能なただの中二病小役人だけどな
エドワード・ギボンは、
「キリスト教の信仰告白には国民的性格の差異がはっきり現れている、
と我々は考えてよかろう。シリアとエジプトの民衆は彼らの生活を怠慢な
瞑想的な信心に捧げたし、ローマはこれを通じて二度目の世界支配を熱望し、
快活で能弁なギリシア人の知性は形而上学的な神学の論戦で蕩尽された」
と書く。
仏教や儒教の受容の仕方についても、各民族の性格が現れてそうだな。
481 :
世界@名無史さん:2011/03/03(木) 23:20:29.84 0
>480
ギボンも偏見に満ちてるな。
彼のローマ帝国衰亡史は東ローマもほとんど端折ってるし、神聖ローマは書かないし、恣意的なんだよね。
483 :
世界@名無史さん:2011/03/03(木) 23:37:46.16 0
神聖でもローマ的でも無く帝国ですらない神聖ローマ帝国w
けど東ローマより神聖ローマの方がイタリアの歴史はわかるな
別に取り上げる必要はないけど
アメリカが現代のローマ帝国とかよく言われるけど
アメリカの建国期の政治家に古代ローマに傾倒してた
人が結構いたみたい。だからワシントンとかの行政の建物に
ローマ風のものがあったり、政治システムとかにもローマ的な
ものを取り入れてる、とか。
2000年後の世界帝国にまで影響与えるってまじローマ的だよな
ローマ風は装ったけど
別にローマの政治システムは取り入れてない
ローマと議会制投票主義なんて相反もいいとこだしな
488 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 00:05:54.16 0
まああの共和政体は起源辿ればローマになるんだろうけど、
それはヨーロッパの伝統の継承だからで、直接的にローマに傾倒、
って訳じゃないだろうね。
建国時にローマを意識してセネターとかつけてるけど
実質イギリスの制度を導入したものだからな
共和制の起源は太古の部落社会だしね
フェニキアもカルタゴもギリシャの都市国家の一部も共和制
犬戎や鮮卑や統合される前の匈奴も共和制
アメの新聞のコラムで「ローマ帝国のように異民族に寛容さを」みたいな記事読んだことあるな
知識階層はローマ意識してると思う
492 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 00:25:03.85 0
パックス・アメリカーナと言う歴史次元での認識なら
多少はローマを意識してるかもね。
493 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 00:50:00.25 0
>>441 ギリシアからしか学ばなかったイスラム科学は12世紀以後衰退し
ローマから発展した西欧は13世紀にはイスラムなんか追い抜いているぞ
イスラムはローマから何も学ばなかったのが致命的
>>491 さすがにアラブ人皇帝やゲルマン人皇帝、奴隷から皇帝に成りあがったディオクレみたいなのは
どこの国でも無理だろ
ローマぐらいのもんだよ、こういう文化は
西欧はローマから発展した?凄い新説だな
そのうえ西欧が通説より4・5世紀も早くイスラム世界を追い抜いたと
事実ならノーベル歴史学賞かノーベル考古学賞貰えるな
イスラムはローマからなにも学ばなかった???
素敵な新説ですな。
なにもとは言わんがあまりローマというかラテン語圏からは学んでないね
学問は主にギリシャ、建築はビザンツ建築とか
それと西欧がイスラム世界を追い抜くのもジャンルによって違う
科学や技術はルネサンスに抜いてるがオスマンとの軍事力の優劣が決定的になるのは17世紀後半からだね
科学で追いついたのはやっと16世紀、技術は17世紀、軍事面で対等になれたのは17世紀後半
覇権国家としては過去の覇権国家を参考にするのは当たり前だろう
問題はアメリカ自身の帝国振る舞いにアレルギーを感じる人がまず国民内部にいるという点、
アメリカ自身がなぜ嫌われてるか恐ろしいほどの無自覚な点だが
世界の平穏のためというなら、もちろん日本の国益と繋がる点でもアメリカには覇権国家として振舞ってもらう方がいいのではあるが
少なくともロシアや中国が伸張するようでは世界は中世に逆戻りだ
>>494 グルジアの農奴やウクライナの労働者が書記長(事実上の皇帝)になれる国はあったが、文化とか技術はクソだったな
>>468>>469 マエケナス、プロペルティウス、プラウトゥス、カトゥルス、アウルス・ゲッリウス、ルカヌス、スタティウス
>500
そこの国は文学・音楽など文化はそれなりにあったし、治金・ロケット・戦車など技術も相応にあったのにあぐらを書いてダメになっていった印象。
>>501 俺ならマエケナスなんざ入れずルクレティウスを入れる
と思ったがエンニウスとか省いてるし帝政以降限定とかなのそのリスト?
好き嫌いは別にして、西欧文明の基礎になっているのはやっぱりギリシャじゃなくてローマだろうな。
「スキピオの夢」や「アエネーイス」は昔から西欧の知識人が親しんできた物語だし、
美術の分野でもルネサンス時代の芸術家が手本にしていたのはもっぱらローマ時代の作品だし
(だからエルギン・マーブルが西欧で公開されたとき、最初はほとんど評価されなかった)、
政治や植民地統治にあたっても何かと古代ローマを参考にしているし。
>>498 科学では14世紀の時点でインペトゥス理論などでイスラムより先にいってた
技術では機械時計など、あとオスマンの火器技術も主にヨーロッパ人雇ってたし
むしろイスラムの停滞についてはどういう考察をすればいいのかなっと
西洋は宗教家たちの科学に対する妨害を乗り越えていったけど、
アラブはコーランやアラーの教えの影響が強くて失速したって感じだな。
現在でもコーランやアラーを否定するような実験や研究はご法度みたいだし。
なぜ西洋のように世俗化できないのか理解できないなー。
キリスト教もイスラム教も大差ないのに、なぜキリスト教だけ
世俗化できたのか
>>505 オスマンの火器はビザンツを受け継いだアナトリアとバルカンでの生産ね
技術の拙い西欧人をわざわざ雇ってた事実なんて無いよ
科学では?意味不明過ぎ、たった一つしかも科学じゃなくただの観念論
509 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 13:18:42.80 O
イスラム科学は12世紀までだな
中東に限れば10世紀からダメだ
イスラムが西洋に学問面で抜かれたのはイスラム自身の衰退が要因
やはりローマから学ぶことがなかったからな、さらに12世紀以後は神権化してギリシャ哲学も学ばなくなったし
>>507 西欧文明が飛躍できた理由は、
・政教分離という方法を編み出したこと
・伝統的な思弁的自然哲学と、魔術的・数学的・職人的伝統の中で
育まれた実用主義とを融合させたこと
この二点ではないかと。
>>510 なるほどなー
西洋の実用主義の伝統は
やっぱり古代ローマにたどり着くんだろうな。
ローマも八百万の神で、ゆるやかな信仰心。合理性、実務性を
重視した学問。
こういうローマ文明を自分たちのふるさとと認識した西洋人は
宗教と科学・技術にうまく折り合いつけて発展できたんだろうな。
イスラムはギリシアや古代ローマの文献などが手元にあったけど
ギリシアやローマを自分たちのルーツ、ふるさととは考えなかったから
現実主義、実用主義、世俗主義を自分たちの伝統にすることができなかった、と
ヘレニズム時代の自然哲学(自然科学)も、イスラーム科学も、本質的に宮廷の
科学であって、ブルジョワジーの民衆レベルで科学が推進されたのではなく、
君主を中心とする一握りの知識人がそれを支えていたという社会学的な要素もある。
それと、デカルトの機械論に相当するものがイスラーム科学にはなかった。
むしろイスラーム科学で有力だったのはグノーシス主義で、たとえばシャービル・
イブン・ハイヤーンの錬金術はグノーシス思想を根底にしているし、アビセンナ、
イブヌル・ハイサム、こういう人々は単なる哲学者、科学者ではなく、やはり
根底的にグノーシス的な思想を持っていたように考えられている。
だからある意味神秘主義的な要因を持っていて、それがイスラーム科学の主流を
つくってデカルト的な機械論の形成がなかった。占星術や錬金術がイスラーム科学の
中で代表的な学問になるのも、そういう背景があってのことだったらしい。
>>508 ウルバンはハンガリー人だし
スペインからの亡命ユダヤ・モスレムからも火器技術を導入してる
火縄銃にも「オスマンの軍事革命」にハンガリーからの導入と書いてある
他の論文でもベネチアの影響とかな
>>508 それとインペトゥス論から万有引力の法則につながってるんだから
バカにできるもんじゃないよ
寒冷化による「必要に迫られた」かな
十字軍なんて大規模なイデオロギー戦争は余力があるからこそできたわけで
15世紀から寒冷化して食物の収穫効率と生育ラインが下がってくれば
必然的に隣国同士の生存競争になってくる
つまりイデオロギーどうこうどころか過去の因習すらも拘ってらんなくなるw
小国同士緊張関係になって他国に優れる技術発展が必要となってくる訳だから
人口減少と反比例してそれに携わる絶対数も増える
欧州が飛躍的な発展を遂げたのは大西洋を渡ってローマ以上に効率的な奴隷を得てから
温暖な気候なら適正人口なら文化も技術(実用)の種(発明)はできやすいが
現状に満足してそれ以上の効率化は求めないってのが個人的な考え
逆に寒冷化はその種を発育成長させる機会でもある
機械時計にしてもできた当時は性能がひどかったみたいだが
一般民衆にまで広まったのが大きいよな
グーテンベルクの印刷技術で民衆の知識人層も増えたし
ドイツは識字率が高くてローマ法がどの地域よりも広まった
アレクサンドリアのムーセイオンとか、学問の発達はスゴかったけど、
所詮は宮廷と一部知識人だけのもので、一般社会とは無縁だったからな。
伝統的な生産労働蔑視の考え方のせいで、科学と生産とが結び付かなかった。
>>513 ビザンティウム攻略に使った大砲は自前、据付の巨大砲だけウルバン指導のアナトリア製
当時のオスマンの火器技術は最高水準、スペインからの亡命ユダヤ教徒とムスリム?関係無い
火縄銃が発明されたのはルーム地方
>>514 インペトゥス論が万有引力の法則につながってるなら
全ての近代科学はエジプトとバビロニア由来だなw
はいはい苦しいね
そりゃまあルネサンスの精神が古代ローマの合理性への回帰という精神ですし
このスレの前の方でレオナルド・ダ・ヴィンチについて触れられてたけどさ、
彼は騎馬像制作のために馬のデッサンをしたり、鳥の飛翔の研究をしたりしていた。
ただ、デカルトが機械を見る目で機械の向こう側に生体を観ようとしていたのに対し、
レオナルドはあくまで生体を見る目で生体の向こう側に機械を観ようとしている。
デカルトをあえて「近代」とむすびつけなければならないとしたら、
それはまさにデカルトが機械を調べる目を以て、生きている動物を観ることを
始めたところにあるとすれば、レオナルドの姿勢は、「近代的」とはいえないだろう。
ただルネサンスしたイタリアは国土に恵まれなかったこともあり
ルネサンスの波及しなかったフランク系諸国の後塵を拝したのが史実
>>521 ルネサンス人ってのは、通常考えられているより、ずっと中世的な面も
併せ持っていたと思わないか?
ピコ・デラ・ミランドラの思想には、魔術や神秘主義など、非近代的な
要素が含まれているし、カスティリオーネの『宮廷論』は、プラトンや
キケロだけではなく、宮廷的な振る舞いや宮廷愛についての中世的な
伝統に依拠しているし、マキアヴェリの『君主論』も、ある意味では、
「鑑」といった支配者に対する助言の書という中世のジャンルに属している。
ローマのなにが凄いって
現代とさほど違わない手術器具(メスやカテーテルとか)
をすでにおおかた実用してたってとこだよな。
日本が多種多様な手術器具を使い出すのって
江戸時代末か明治からじゃないのか?
>>525 それが事実なら凄いな、事実なら
古代ではギリシャには存在せず漢でも数人しか為し得ていない偉業だ。事実なら
527 :
世界@名無史さん:2011/03/04(金) 16:57:59.75 0
>>468 逆にオスマン文化なんかはないような気がするんだが
アラブの付属物にすぎないだろ
偉大なローマ文化とは比べ物にならん
あるじゃんコーヒー、トルコ風呂、ハーレム、エロ
トルコってヨーロッパのすぐ隣なのに
オリエント扱いされてかわいそすw
EUにも難癖つけられてはいれないしw
>>510 単純に同じ位の国が並立し、戦争が継続し続けたからじゃないかのう
精度は現代とは比較にならないが
古代ローマでも手術は一般的に行われてたよ
>>532 エジプトのような切開手術やシナのような開腹手術の記録や伝承あったっけ?
焼きごてジュージューや切って瀉血は見たことあるけど
ガレノスは白内障の手術をやっていた。
焼きごても瀉血もヨーロッパでもイスラム圏でも使われた伝統的な方法なんだがな
パレが血液縛る方法を生み出すまでどこも焼き鏝
>>529 そりゃあの海峡がヨーロッパとアジアの境だからだろ、
地域的に常識的な判断というしかない
文明的にも現時点ではそうだし
>>535 おい、ローマ凄すぎるよ
明治の日本の道具といわれても気づかないかもww
>>535 すごいな
1000年後の十字軍の時代は
あいつら何でもかんでも切断処理しやがる
西欧の土人どもパねーっすってアラブ人に笑われる程度の医療だったのに
「焼灼」と出てくるけどそれも焼きごてと同じ治療法だな
>>539 それは「アラブから見た十字軍」にのってる
フランクの医者が荒っぽい治療で患者を死なせた話だよな
それには後日談があってフランク人がアラブの少年を治す話しもでてきて
一方的に嘲笑してるわけじゃないけどね
ローマ人の、人間の命に対する感覚は、現代人から見るとかなり違和感がある。
家父長が生児遺棄したり、闘技場で剣闘士を戦わせたり、死刑囚を猛獣に八つ裂きに
させたり、少女を雄牛と交合させたり。
生児遺棄については他の時代、他の地域にもあるが、残酷な見世物については、
いまひとつ彼らの感覚がよくわからんな。
>>540 見ての通り瀉血すればOK的思想
ギリシャ的腐ってそうな所は全部切除な感覚もありそう
パレの伝記読むと当時はちょっとした傷で体が腐って死んでしまうケースが多かったみたいね
>>543 現代先進国の死生観が優等生的すぎるだけなんだろう。
社会が極めて安定しているから。
ローマはいくら文明的といえどもしょせんは古代世界だから
疫病、病気、アパートの崩壊など、現代とは比べ物にならないほど
死が身近だったんだろ。だから闘技場だので剣闘士が惨殺されようが
それが日常的な光景ってことだろーな。
今が例外であって昔は死が隣にあった分、他人に対しても冷淡、残酷
>>543 特殊事例までローマ人の性向として定義付けるのは卑怯以前の問題
陸続きの隣国同士は絶えずイガミ合うもんだからね
今は中進国でも大抵食い物が不足することはないから
爆発するところまでいかないだけの話
要は現代の基準で観ると当時を見誤る訳
抗生物質なんぞないから免疫力を持つまでに多くの幼児は死ぬし
数分の1の確率で潜り抜けた者も破傷風なんかでコロっとヤられる
一見大丈夫で元気そうでも、内蔵に達した傷なら当時は基本的にアウトでしょ
隣国間は常に食い物の分捕り合いで憎しみがあるから、見世物として殺す
支配者としては民衆の不満が溜まって暴動起こされでもしたら身が危険
だからガス抜きとして刺激の強いものを提供する
ただ剣闘士の死亡率は現代イメージと違って少ない
つまり残酷だけでなく、人気商売=興行としての側面もあったからに他ならない
貴族が参加することもあったらしい
>>547 わが日本も人肉を食ったりニュースだけみてたら残酷な民だもんな
18.19世紀ボクシングは現代人から見れば違和感がある
貴族が囲ってひたすら単純なドツき合いで進化してもダウン=ラウンド終了
一方が失神するか戦闘放棄するかまで延々だから、死亡事故も多かったらしい
つまり「前々世紀の剣闘士」って訳だわ
そう言ってる現代人も20世紀末の食い物に困らない時代に始まったUFCってのが盛況
目突き延髄脊髄を潰す行為だけが×で、初期は金的に垂直落下肘落としまで可
つい最近までタコ殴りなんて野蛮な行為を堂々とゴールデンで流していた国もある
古代ローマ人は「金的とは卑怯卑劣な!」と罵ったかも知れない
マリウス以前のローマ時代なら観に来ている男性客の多くは戦場での経験者
その基準に比べればストップがかかりやすい甘い内容が剣闘士戦
「市民の義務」として否が応でも殺戮を行っている
ヤラなきゃヤラれるし、戦闘で仲間を殺された恨みもあるし
身内を亡くした遺族なんてーのは、昭和プロレスとほぼ一緒
「アメ公レスラーを叩きのめすローマの友人」見て溜飲を下げる
だから安全面は進化したものの、やってることの本質は2000年前とそう変わらない
まあそりゃそうだな、日本人や朝鮮人や中国人が穏健なだけで
DQNはいつまでもDQN
553 :
世界@名無史さん:2011/03/05(土) 08:02:38.99 O
遺跡がやたらたくさんあるのも古代ローマのすごいところ
帝国の隅々まで繁栄が行き届いた
イギリスのような辺境でもローマンバスが残ってたりする
>>546 >現代先進国の死生観が優等生的すぎるだけなんだろう。
「我々は、戦争が万物に共通であり、争いは正義であることを知らねばならない。
万物は争いを通じて存在し始め、また去っていく」
とエフェソスのヘラクレイトスは書いている。
古典古代の人間の標準的な考え方はこんなものだろうな。
戦争では掠奪や敗者の奴隷化も正当なものと考えられていた。
というより掠奪が一種の経済的行為だったし。
現代人のように、戦争をなくすべきと考えた人間も、キリスト教徒を
除いてはほとんどいなかったんジャマイカ
そこでなんで中韓まで混ぜるのか
あいつらは民族的性向としても割と・・・
古典古代の奴隷の扱い方が非人道的だったというけど、現在のアメリカ合衆国で、
メキシコ人違法移民は、掘立小屋に住んで、日雇い労働者がピックアップされる
場所まで毎朝出かけ、農場で働き、日当をもらって生活している。
精肉工場で働く労働者は、機械に足を挟まれて両脚切断なんてこともある。
発展途上国の工場でGAPやPoloの服を作る労働者は、工場の監督から虐待され、
組合を組織した労働者はすぐに解雇される。平均労働時間は1日10時間だが、
日によっては朝の4時まで強制労働を強いられ、その朝の7時には仕事場に
戻らなくてはいけない。労働者たちは工場に寝袋を持参しており、仕事の
能率を上げるために覚醒剤を使用する。長時間労働にも関わらず、彼らの
給料は週50ドル足らず。
奴隷制がなくなっても、奴隷と同じ境遇の人はなくならんな。
あー、昭和にしても平成にしても、プロレスってものはなぁ。
ケッフェイちゅうもんがあってな。
鍛え上げられた肉体を本気でぶつけ合いながら、よほどのアクシデントでもない限り怪我をしない試合ができるかどうかがプロとアマの境目になる、
エンターティメントなんだぜ。
本気で溜飲を下げる遺族がいると思ってる?
むろん、八百長ではない。
シェイクスピアの演劇を八百長という馬鹿はいないだろ?
558 :
世界@名無史さん:2011/03/05(土) 11:06:38.53 O
古代ローマの奴隷は流動的だな
オスマン辺りの奴隷ほど抑圧されてもない
所詮言葉の問題さね
形式上は奴隷でも解放の可能性はある、平和で経済が繁栄しており奴隷でも経済水準が高い
一方オスマンみたく精鋭の兵士ですら奴隷扱い、中華のように皇帝以外は砂粒、
高官だろうと事があれば族滅当たり前、どっちが奴隷制かね?
王は国家の公僕であると言った大王もいたヨネ
一応動産かどうかで区別はできる。
>>553 ローマ時代の公共浴場が凄いというけど、風呂で灼熱の炉に火をくべる奴隷の
境遇のことも考えてやってください。
>>561 そんなん現代でもボイラー管理人や製鉄所の労働者いるだろwww
>>557 S50前後まではそうだよ
戦争での死が身近にあるし、怨念は忘れないからね
もうとっくの昔に亡くなっているが田舎の祖母はある時期まで熱心に応援していた
「鬼畜」「敵性」としての「シロンボ」と「クロンボ」を観ていた
「イノキツルタ」がヤられ続けて最後に「ババ」のお約束で溜飲を下げる基本パターン
勧進帳の類で、結末がわかっててもそうならないと満足できない
鬼畜米英の例外は日本式に順応した(高見山)或いは味方になった(デストロイヤー)場合
古代ローマはウィルスも病原菌も知られていない暗黒時代
電気の灯りも無い(文字通り)暗黒時代
みんな鉛中毒
まだそんな時代遅れの珍説を信じてるのがいるとはwww
566 :
世界@名無史さん:2011/03/05(土) 15:18:05.57 0
人が密集する都市での伝染病が怖いから、予防としてのインフラが発達(上下水道・公衆便所・公衆浴場等)
電気がなくても炬火やコークで煤だらけの灯りならある
原油は使ってたのかどーかまでは知らんw
電気のない時代の都市民の労働時間なんてせいぜい4.5時間
せいぜい農家がシーズン中のみ8時間や10時間とかそんなもんだろ
567 :
世界@名無史さん:2011/03/05(土) 15:57:36.01 O
ちよっとスレチだが、都会の人間は晴れた満月の夜がどれだけ明るいかわかってない。
明かりなくて普通に活動可能。
文字もある程度読める
古代ローマでも、インスラ(集合住宅)に住んでいるような貧乏人にとっては、
ランプ用の油も高級品だったので、もっぱら自然光に頼る生活を送っていた。
暖房や炊事には、炉のかわりに火鉢が使われていたため、冬の寒さは
とうていしのぎきれず、それどころか、一酸化炭素中毒にかかったり、
火事を起こして建物を全焼させる、といった事故もしばしば発生している。
>>559 ローマの経済水準は同時代の漢と比べてもカスみたいなもんだよ
反乱や蜂起もちょくちょく起きてるし、数多くの奴隷の他にも裁判権が無く重税を収奪される属州民がいるっていう
またローマ暗黒史観信者が沸いてきたお・・・
571 :
世界@名無史さん:2011/03/05(土) 18:11:17.63 0
ローマも属州の庶民の生活がイマイチわからない。
東側はそれまで通りなんじゃね、あまり反乱起きてないし
そもそもそれまでどんな生活してたのか知らんけど
東地中海世界は、ヘレニズム時代から貧富の格差が拡大してたからなあ。
ローマの属州になってからも、庶民の生活水準はそれほど変化がなかったんじゃね?
ヘレニズム諸王朝のとりたてと、ローマのとりたてのどちらが過酷だったかはわからん。
5階建てのマンションにローマ人が住んでいたころ
日本人は、洞窟で石槍を研いでいた。
いつの時代の縄文史観だよw
日本の米作が遅れたのは自然採集分が豊富だった説もあるぐらいだしな
>>574 その5階建てのマンションは、よくぶっこわれたわけだがw
>>576 鉄筋が入ってない時代だからなー
ルネサンス期のフィレンツェとかも
重厚な石造りの建物とか残っているけど
あの時代はローマのときよりかは建築強度は
改善したのかな
<<573
もっと言うと属州総督次第な部分も結構あると思う。
属州民から訴えられるほど蓄財してたらヘレニズム諸王朝より厳しかったろうけど、
そうでなければローマの方が楽だったかも知れん。
この手の裁判って帝政になると聞かなくなるけど
住民に訴えられるようなひどい搾取は本当になくなったのか
皇帝が権力握ったために政治的話題にならなくなっただけなのか
どっちだろうか。
属州属州言うやつは具体的な属州名を全然あげねえもんなwww
>>578 アウグストゥスはシチリア総督を務めたウェレスのような腐敗を防止するために、
徴税請負制度をやめて、皇帝の任命した財務官が直接税金を取り立てるようにした。
また、不当な搾取は厳しく取り締まられ、総督をはじめとする属州の役人には、
一定の給料が支給されるようになった。
元老院が任命する総督の任期は1年だったが、皇帝直轄領の総督は決まった任期がなく、
元老院議員や皇帝腹心の騎士が統治を行っていた。
アウグストゥスが行ったこれらの改革のおかげで、ほとんどの属州が目覚ましい
経済発展を遂げた。
ほとんどの属州が目覚ましい経済発展を遂げた割に
アウグストゥス時代より税収額減ってるディオクレティアヌス時代
というか帝政期になってもガリアやイフリキア、マグレブは何度か反乱起こしてるっていう
ローマ化の優等生ってどこだったっけ?
ガリアの地中海沿海部
古代ローマの経済政策ってどうやってたのかな?
たとえば減税をすれば経済が活性化するとか
通貨供給量を増やせばインフレになるとか
そういう経済原理とかの参考文献とかあったのかな?
経済政策やるほど公務員抱えなかったのがローマでしょ
古代は必需品メインで穀物需給量に合わせた市場はあっただろうが
金融市場なんてない頃だから、現代のような嗜好品買い控えが原因の不況なんてないでしょ
当時は諸外国取引に依存している訳でもなし、あくまでも領土内で回す
金は国外に流出するなんてこともあまりない
せいぜいが労賃の安い属州に生産拠点が移って、本土の失業者が都市に流入してくる治安問題
まぁ規模のドデカい地産地消型と言うべきかw
鎖国時の江戸時代なんかとさほど変りないかと
国庫が苦しくなれば通貨の金銀銅含有率下げてのインフレと
近現代同様に紛争起こして需要を煽って物流の回転を上げてダブついた在庫一掃させる
って考え方でしょ
それにそもそも
>>585だし、支出面で悩みの種の軍でも平時は追加で金を出さなくても
大規模な土木建築事業もやってくれる訳でもあるし
あのなー
造幣局みたいなのあったはずだろ。
ローマの金貨発行してたじゃんか。
新規発行量とかで経済政策してたんじゃまいか?
>>586 そうだなー。
現在ほど債権だの株式市場だの
複雑な金融商品もないし
貿易相手も数が知れてるな。
ってことで経済政策といっても直感的になんとか
なるレベルだったのやも
>577
サン・ジミニャーノのように塔だらけのでは地震や手抜き建築で倒壊するケースが結構有ったとのこと。
道路への張り出しもよく崩れて禁止令が出たそうだ。
>588
サブプライム商品のような天才数学者集めて作った現代の金融商品も売るのは体育会系営業マンで販売手法は「儲かります!」の一点張りなのは変わらん。
昔と違うのは興味のない人相手でも営業攻勢するようになったことくらいかな?
ローマ時代の儲け話は酒場や邸宅の食事で知り合いに話す程度だっただろう。
ちょっと前まで東西南北へ何事も無く運べれば儲かってたんだしな
山賊や海賊が出なければな、シルクロードの歴史もコストとリスクの歴史だし
平和こそ最大のインフラというのもうなずける話
>>584 ぶっちゃけばっちゃの本(パクスロマーナ以降)読むのが手っ取り早い。アンチはキーキーうるさいが気にスンナ。
ネロ帝やカラカラ帝のやったことぐらいは高校の教科書でやってもいいと思うんだがな。
原則として前近代は自給自足
会計処理でいえば自家消費が中心の経済
イメージするのが難しい
ローマ貨幣出土はスカンジナビアからインドまで、しかも大量
悪貨の鋳造で急激なインフレが起こるくらいは理解してたんじゃないかな
意図的にインフレ率をコントロールするのは無理だったろうけど
銀行も中央銀行もないし、通貨流通量を把握する仕組み自体なかっただろうし
金の国外流出は問題として認識されてたらしい
>>591 当時、船を使えば、カルタゴ―オスティア間が3〜5日、アレクサンドリア―
ポッツォーリ間が15〜20日、スペインのカディス―オスティア間は9日間で
産物を運ぶことができたのだとか。
当時の平均的なローマの輸送船は、積載量が3000〜4000アンフォラ(1アンフォラ=26リットル)で、
容器の重さを計算に入れると、110〜180トンぐらいにあたる。
>>593 いやこのページ穀物税とか間違いあるから
それに相続税ったって今みたいな一律じゃないし今の贈与税に相当するもの
血族相続ならタダだよ
>>595 中央銀行ったって地方銀行に相当するものがあったかというと・・・
需要がなければ行政組織は少ない方が優れているといわざるを得ない。
そもそも古代の基幹産業はあくまでも農業だし、
金利政策しなきゃいけないほど赤字国債発行したり景気が落ち込むこともなかったから。
元老院階級の投資が中産階級の没落と格差拡大を招いたポエニ戦争後のこと、
カエサルが最終的に農地法でカウンターしたことがカラカラ勅令まで中産階級保持に
役立ったことは見逃せない。
ローマ帝国内の主要産物は、
金、銀、銅、鉄、鉛、錫、木材、琥珀、魚、馬、野生動物、染料、小麦、果物、
奴隷、葡萄酒、オリーブ油、塩、象牙、パピルス、ガラス、大理石、陶器、織物、
羊毛、皮革、毛皮、ハチミツ・・・
やっぱり農産物中心だな。
>>597 シリアからローマまで2ヶ月が基本だけどな
>>598 穀物税は属州によっても差が有るけど平均33%くらいだっけ
>>599 カラカラ勅令は西側で中産階級の没落が相次ぎ
ほとんど自作農民がいなくなったから発布したんだけど
中世ヨーロッパが未開野蛮だったのはキリスト教のせいみたいに思っている人が
いるけどさ、ローマ帝国がキリスト教化しようとしまいと、どのみち旧西ローマ帝国領が
未開野蛮の状態に戻るのは避けられなかったんじゃね?
もともと東半分に比べて文明の遅れた地域だったんだし。
>605
その後のモロッコ・アンダルスの繁栄を見るとそうとは言い切れない気もする。
コルシカ・トリポリタニア・サルディニア辺りは帝国時代からダメダメだったけどw
608 :
世界@名無史さん:2011/03/06(日) 22:37:47.29 0
トリポリタニアじゃない、ルシタニアだった。
>>606 モロッコ、アル・アンダルスの繁栄はイスラーム文明が持ち込まれたからでは?
もっともイスラーム文明自体、ペルシア、ビザンツなど先行文明の遺産を
引き継いでいるわけだけど。
ローマ文明が滅んで世界が未開化したように
現代文明も滅んだら、北斗の拳みたくバラック小屋で
みんなモヒカンでヒャッハーとか言いながら暮すんだろうな
612 :
世界@名無史さん:2011/03/06(日) 23:52:08.95 0
中世ヨーロッパもローマの伝統は生き残ってるよ
でなきゃあんなに学問科学が発展するわけがない
11世紀の中世盛時以後はイスラムとも互角以上
14世紀の段階でモンゴル以下なんですけど
現代のイスラムって落ちぶれたイメージだけど
今でもイスラムが最先端の科学分野ってあるのかな?
石油マネーを使っての金融工学とか凄そうなイメージがあるけど。
無いだろ、20世紀以前と以後じゃ比較になんねー
616 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 01:06:35.18 0
>614
イスラムっつったってマレーシアとソマリアとエジプトとトルコでは全く別だろ。
617 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 01:10:52.41 O
>>616 同感。スリランカとタイとモンゴルと日本、全部仏教国だけど「似たような国」とは誰も言わない。
ま仰る通りだね
主旨からは逸れるが、タイは男性語と女性語があって識字率が高く
産業革命以前に首都は100万都市で、欧米植民地時代も独立を保った国
人種文字文法気候も違うが、辿った過程は日本的(他のアジア諸国と比べて多少はってことだが)
日本人は一見して中国人や朝鮮半島系の容姿をイメージしやすい
モンゴル人もチベット人もイメージできる
でも実際には中国朝鮮人以上に見分けづらい
まぁこれは容姿に関連する特定遺伝子の比率が
中国朝鮮の各地域よりも平均的日本人に近いらしいから、当然と言えば当然
カルタゴはイスラーム勢力(ウマイヤ朝)によって破壊されるまで、ほとんど
無傷で残っていたらしい。
ヴァンダル人はカルタゴを王国の首都にしたし、ビザンツ軍も、ヴァンダル人から
カルタゴを奪回した後も、略奪や破壊は行わなかった。
イスラーム勢力によって破壊された後、カルタゴは200年以上荒廃したままだった。
その後初代ファーティマ朝カリフによってその一部、おそらく古い城壁の
二十分の一だけが再植民された。
16世紀初頭には、カルタゴには一つのモスク、学生のいない一つの学院、
25〜30の店舗、そして絶望的な貧困の中にある500人の農夫の小屋だけがあった。
この小さな村落も、カール5世がゴレッタ要塞に駐屯させていたスペイン軍に
掃蕩されて、カルタゴの廃墟は消滅した。
620 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 11:53:26.14 0
>>612 イタリアの都市共和国はローマの伝統を受け継いでいた
621 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 14:16:21.66 O
学問、文化面では中世ヨーロッパは結構馬鹿にできないな
イタリアには中世の建築も結構あるし
逆にカルタゴはイスラム支配時代はひどいな
中世ではカルタゴは衰退して、チュニスのほうが重要な都市になってしまった。
>>621 むしろ学問、文化面だと中世ヨーロッパは末期を除いて話にならないw
文明の周辺地域らしく軍事力や冶金はそれなりだけど
中世初期のイタリア半島はまさに暗黒と呼ぶにふさわしいと思う。
ビザンツ軍VS東ゴート軍の戦い、ランゴバルド族による占領、北アフリカの
海賊による被害・・・
やっぱ一部しか文明が発達していない古代のような場合は
輝かしい文明が滅んだあと、文明が後退するよな。
現代のような世界全体が文明化してる場合、たとえアメリカが滅んでも
現代文明自体が失われるわけじゃないよな。
こういう文明の大幅な後退って古代特有の現象かな
626 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 20:12:27.46 0
でもローマは長い間続いたよ
ローマの場合、東半分は生き延びたわけだし。
西半分の場合、もともと文明度の低い土地に、イタリアの風習が表面だけ
薄く塗られていたという印象だが。
>>625 ローマの水準まで回復するのに600〜1000年以上かかるほど後退した
ヨーロッパは、かなり特殊だったような気もする。
メソポタミアとエジプトの古代文明は、それ自体は一度滅んだけど
アッシリアやアケメネス朝ペルシアなどによって
文明の遺産は上手い具合に引き継がれたように思うし。
中国にしても後漢の衰退から400年くらいで隋が統一して
文明度としてはその時点でほぼ回復してる。
中国だと、元でもう一度衰退しているな
モンゴル(タタール)・ショックは賛否両論だから同列に話さない方がいいかもしれんけど
ビザンツはローマ時代以降も発展してるだろ
西側は首都周辺と南伊を除けばローマの時代からクソ田舎
ローマ人自身、南イタリアとシチリアのギリシア植民市を陥落させて、
初めて贅沢品というものを目にしたぐらいだからな。
ローマ帝国の西側は、日本列島でいえば古代の東日本みたいなもの。
俺ローマに生まれたら元老院議員になってたとおもう
634 :
世界@名無史さん:2011/03/07(月) 23:32:05.21 0
でも西側もガール橋やローマンバスなんか、世界遺産級の遺跡がいっぱいあるじゃん
領域の隅々まで繁栄したのがローマのすごいところ
万里の長城は世界遺産だから長城周辺は繁栄しまくりだな
>>632 古代の日本っていつの時代を指すのか知らんが、縄文のある時期は関東>>その他
採集と狩猟漁労だけでウン百万もの人口を抱えてた温暖期もある
>>634 東側でもパルミュラ、ボスラ、バールべック、アテネのオリュンピエイオン、
ヘロデス・アッティコス劇場、海辺のカイサリア、ウァレンス水道橋、
ヒエラポリスなどはローマ時代に造られたものだけど。
もともと東側のほうが先進地域だったのが、帝国末期になるといっそう東西の
経済格差が拡大してくる。西側はゲルマン人の侵入で混乱、衰退し、東方では
コンスタンティノープル、アンティオキアなどの大都市が繁栄。西帝国の首都は
ローマからラヴェンナへ移る。
穀物交易の最大の集中地はローマからコンスタンティノープルへ移る。
カルタゴを中心とする北アフリカの穀物が、とくに5世紀以降、イタリア・ガリアへと
輸送されなくなっていく。そのため地中海交易の重心はいっそう東方へ移る。
もともと文明度が低かった上にこの状態では、西帝国が滅亡するのも無理ないか。
639 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 08:33:57.53 O
いつから東欧と西欧が逆転したんだろ
四世紀はまだコンスタンティヌスが即位して東方征服とかしてはいるが、もう西方は衰えたのか選都したな
ローマ市が凱旋式をみたのも四世紀が最後だし、このあたりか
>>639 ローマは政治の中心ではあったけど、経済的には帝政初期から東側(ギリシア語圏)
のほうが豊かだったからなあ。
帝国末期になると、中央政府の実権が強化されて強大な利権が発生し、
それに魅かれて地方都市の有力者たちがコンスタンティノープルへと集中してくる。
で、地方の有力者たちは、中央に進出して元老院議員になる者たちと、
没落していく者たちに二極分化。
東側が豊かだったとか現代からはイメージしにくいな。
どうも停滞のイメージがあるので。
西側は聖(権威)と俗(権力)がうまく分かれて
政教分離原則が働き、科学、政治も発展したイメージだけど
東側は聖・俗がともに神聖ローマ皇帝が握ってしまい
そのおかげで駄目になったイメージ
ユスティニアヌス後の東地中海はイスラム絡みの長期の抗争で
各地の経済力がすり減った挙げ句、オスマン帝国下で
科学技術が停滞するからなあ。
現代の停滞はやっぱりオスマン帝国の影響が大きいと思う。
塩野七生 ローマ人の物語、最近、買って読み始めた
文庫本にしようかと思ったけど、Amazonで単行本中古100円
とかなので、価格、送料考えると上下とかに分かれてる文庫本不利
なので、単行本にした。今、二巻の真ん中ごろまできた
おもろいな、ハンニバル格好いいわ
>>641 >神聖ローマ皇帝
東ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)の間違いでは?
最初はオリエントで文明が起こり、次いで地中海世界、そして地中海世界が
没落した後はアルプス以北へ文明の中心が移った。
イタリア・ルネサンスは地中海文明最後の華という感じだなあ。
イタリアで生まれた人文主義は、16世紀に至ってアルプス以北の諸国に
広範に波及する。
さらにローマ教皇庁と神聖ローマ皇帝の権威も揺らぐ。
西側は教会と宗教の権力が強大で科学や政治・行政の発展が出遅れたけど
東は宗教や聖職者が世俗の下にあって科学や政治・行政が時代とともに発展した感じかな
国土の広さや資源の豊富さは西側のが圧倒的なのだし
ビザンツ時代の科学って発達してるか?
基本的に前の時代の遺産を受け継いだだけじゃないのか?
技術・科学的進歩を自律的に行ったってより、東西の交流の拠点になって西側の
経済・産業発展を促し、曳いては科学発展を促したたって事がビザンツ帝国の歴史的
意義なんじゃないか?毛織産業・絹織産業・染色産業・製紙産業・ガラス産業等々の
流入がなければ西洋の発展は無かったろう。
文明の中心は移るよねぇ。
日本も江戸時代までは潜在力ある岩石って感じ
だったけど近代化で一気に花ひらいた。
21世紀は東洋+インドのアジア圏が
ヨーロッパから文明の中心を奪い取るチャンス。
まぁ欧米文明には勝てないかな
649 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 19:37:01.33 O
哲学科学技術や法律、政治制度などでの業績は大きいからなあ
ギリシャ哲学とローマ実学の融合だね
ローマの七つの丘の一つ、テーヴェレ側の南岸にほど近いパラティヌスの丘には、
紀元前8世紀ごろに、わらぶき屋根の小さな家屋の集まった村落が築かれていた。
これらの家屋には羊飼いや農夫が住んでいて、鉄器時代以降には、それまでの
土葬に代わって、死者を火葬にした灰を丘の下の谷に埋めるようになった。
伝説によると、ロムルスがローマを建国したのは、この時期(紀元前753年)
のことだといわれている。
で、こういっちゃあなんだけど、この時期のローマ人の生活というのは無知と貧困(以下ry
ローマが都市としての体裁を整えてきたのは、エトルリア人の支配下に入って、
その政治体制と文化を取り入れるようになった紀元前6世紀以降のこと。
偉大なるローマも、初期は西地中海世界の田舎者だよね。
最盛期も田舎者、中華に対する初期の鮮卑みたいなもん
>>641 東方がいつまで栄えてたんだろね
少なくともローマ時代は東側の方が栄えてたんだろうけど
ローマ的合理性は、やはり西方にしか残らなかったのか
>>642 中東の没落は今に始まったことじゃないんだよな
イスラム支配後しばらくは文化的にも発展したが、十字軍のころにはもう何も生み出さない状態のように思われる
ローマ時代も豊かで都市もいくつも発展していたんだが
なぜここまで衰退したんだろ。
オスマン最盛期の頃まではイスラム圏もそれなりに発展してなかったか?
航海技術が発達してくると交易拠点としての中東の地位は低下していくけど
ローマ的合理性って何?
>>652 ローマ的実用主義ならまだわかるけどな。
>>654 ハンニバル戦争以来の会戦方式無敵の機械と自治を認める寛容さ。
宗教と哲学でなく法で多民族を統べる合理性。
各種インフラの採算度外視の投資。
ローマ的合理性って要するにモンゴル的合理性と同じだろ?
軍事と政治に特化した
659 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 21:00:13.28 0
>>644 ローマ帝国が好きな奴って、東ローマは大好きか大嫌いに分かれるよな。
神聖ローマ(笑)が好きな奴は滅多にいないだろうけど。
ローマ人が戦いに勝ったときの破壊と略奪はすさまじいものがあったが。
カルタゴ、コリントス、エルサレム・・・
>>656 ケルトのドルイドや、ユダヤ教に対してはあまり寛容ではなかったようだが。
662 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 21:20:02.47 0
BBCのROMEを観始めたぜ
とにかく細部へのこだわりがすごい
グラディウスはああやって使って、切れ味もあんなだったんだろうな
戦闘シーンも満足の出来だ
>>660 それどれも事前の外交交渉相当譲歩してても敵の過激派が戦闘に誘導したやつじゃん
エルサレムに至ってはもういい加減堪忍袋の緒が切れて良い頃だし
664 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 22:44:12.47 0
>648
インドも東洋だろ
>659
ローマ好きで神聖ローマ好きは少数だが、ハプスブルク好きは結構いるとおもう。
>>663 カルタゴは武装解除を飲んだのにローマが即時反故やらかして皆殺しにしたけど
ギリシャでも何度か反故攻撃してるし、ヒスパニアでも反故絶滅政策やったな
>>643 単行本の誤記が修正されてるから文庫本の方を選ぶべきだった
失敗したな
667 :
世界@名無史さん:2011/03/08(火) 23:27:07.06 0
東ローマ(ビザンツ)帝国の人って、
コンスタンティノープルがオスマン帝国に征服されたときまで、
ローマ帝国時代の服装や軍装してたの?
668 :
世界@名無史さん:2011/03/09(水) 00:37:06.19 0
>667
真面目に考えて、トガくるくる巻いたりグラディウス持ってたと思う?
>>664 仏教の発祥地ではあるけど
インドは東洋では無いよ
東洋といっても定義する人によって意見は違うな。
東洋=極東あたりをさす人もいれば
中国、日本、インドあたりをさす人もいるようだな。
東洋人といえばどうしても日本人や中国人の顔を思い浮かべるので
東洋というフレーズでインドは少々違和感がある
インドは確実に東洋、定義的にも住人的にも
インドは誰がどう見ても東洋だ
オリエントはトルコ以東は最低でも全部
人種的にはコーカソイドに近そうだけどな
おまえがバカなのは解ってるけど少しくらい進歩しろよ
間違ってることを認められずに理屈をこねているのをみるほど滑稽なことはない
>>673 キミが不特定多数に対して何を言っているのかを教えてあげよう
高砂族にハワイやフィジーやニュージーランドの先住民と
エジプト人とコンゴ人とタンザニア人と南アフリカ人は近い
ギリシャの場合は最初に手を出したのはギリシャ側だし、カルタゴの場合
も外交条件が合わなかった面もある。ローマ側が完全に正義でフェアな国で
怒りや復讐や差別・過誤とは無縁だったとは言わないけど、当時としてはそれ
なりに公正で寛容で理性的で戦後処理も巧みだったとは思う。だからユダヤとかは別にして、
属州として併合されると長く平和が続いた。末期になるとなんの為に戦争して
いるのか判らなくなるけどね。
当たり前だけど「天秤」だよ
経済的には惜しいが、「見せしめ」にしたほうが長期的利益に繋がるって判断の下でしょ
たとえが変になるが、犬は必ず上下関係で横の関係がない訳
政治的に似通ったシステムで、エジプトやオリエントのように
権力に権威を持たせれば通用するような気質じゃないし
一次二次のカルタゴ戦役を通じて掌を返す同盟国家なんてのも嫌ほど見てきている
しかもローマ人とは一見して違うほどの容貌の違い
放置すればまた叛旗の目が出てくるし、周辺国家も敵に回れば頭痛の種になる
民族や肌の色での対立ってのは、現代でもイデオロギー対立よりも感情に直結しやすい
それに幸いにも、エジプト近東イタリアイベリア小アジアなんて、元がギリシャ植民都市から発展が多く
祖を同一として、土着民族と混交しながら支配者層にもそれなりにいるしね
日本人の中には、ユダヤ人ディアスポラが第一次ユダヤ戦争の敗北以後に発生した、
と誤解している人がいるよね。
実際にはへレニズム時代初期からディアスポラのユダヤ人は存在していたんだが。
マカバイ王朝によるユダヤ国家の隆盛の時期に、ディアスポラのユダヤ人人口も
急速に拡大していったらしい。
「コンスタンティノープルの陥落」もAmazonで単行本が1円だったので
単行本を注文してしまった、今日か明日届くだろう、楽しみだ
同時進行で読もう
>>679 そもそもユダヤ人のディアスポラ知らない日本人の方が多いって(笑)。
>>676 インドはアーリア系の侵入もあるし
コーカソイドに無関係じゃないよ
ミトコンドリアDNA解析の結果は知らないけど
欧米系との共通性もあるんじゃないの?
少なくとも高砂人とエジプト人よりかは近い関係
歴オタはこれぐらい一般人知ってるだろって誤解を元に語るから困る
>>即位当初は絶大な人気を誇ったハドリアヌスだが、
粛清で震え上がった階級はそうでもないと思う
また、東洋、東洋人といえば
>>682 そう。東洋という言葉には複数の定義・意味があり
一般人と歴オタでは感覚が違うことも多い。
それなのに「東洋」にインドが含まれるのは当たり前ってのは
狭い視野での傲慢さ。
ちなみに東洋、東洋人といえば
いわゆる中国文化圏・北方モンゴロイドを指す場合と
広くインド、東南アジアまで含む場合の2通りがある。
ちなみに中国で「東洋」といえば「日本」のことを指す
>>677 ギリシャで先に手を出したのはローマ側
ナビスが勢力を拡大するのに危機感を抱いて何の理由も無く侵攻。
カルタゴの場合も無条件武装解除に応じた相手に対し
履行したのを確認した直後、和平を一方的に裏切りジェノサイド。
ガリアやイフリキアやマグレブやブリテン島で頻繁に反乱が起きてる
ローマ人の観念では、一つの国が自分の国の法律にしたがって生活しうる状態が
「自由」であり、それはローマから与えられた法律であってもよかった。
たとえばヘラクレイアは、ローマから与えられた法にしたがって生活していたが、
キケロはこれを、ローマがヘラクレイアに「自由」(libertas)を与えた、と表現している。
>>682 逆だよ、アーリア系はインドが発祥の地
そこから北西へ向かった
頻繁ってどのぐらいか言わないから相手にされないんだと思うよ
>>688 個人的には第二次ポエニ戦争以前と以後で分けた方がいいと思うんだがな
着々とイタリアで勢力を養っていた時期と
地中海最強として露骨になり始めた時期とを同じものとして論じれない
>>692 それならマリウス以前と以後だと思うがね
最後のカルタゴ殲滅は元老院主導だが、以後は共和末期まで独断先行が目立つ
つまり専門職としての軍人上層部が元老院の傘下から逆転
有力師団は事実上の力を持ち、その上で元老院各派閥との結び付きを強めて独自の判断を下す
元老院はケツ持ちして貰うし、有力師団は系統の元老院議員を使う
で、議会で議員に正当性を主張して貰うと
こんな風に妄想したりもする
694 :
世界@名無史さん:2011/03/09(水) 18:39:06.40 0
いつも不思議に思うのだが、古代ギリシャ人やローマ人というのは、
中国人(漢族)がきちんとした衣装を着ていた時代になっても、
なんで半裸に近い服装だったんだろう。
>>693 お前は普通に勉強しなおした方がいい
元老院階級はディオクレティアヌス帝までは政治・軍事いずれのキャリアもつんだエリートだ
マリウス以降職業軍人ができたとはいえ、指揮官は同じだぞ
だいたいその軍人上層部に該当するの、マリウス、スッラ、ルクルス、ポンペイウス、カエサルぐらいしかないじゃん
元老院階級は金持ちと有力軍人で政治関係無い
そしてローマの政治官職は儲かる
>>696 元老院階級とは、政治を行う上流階層なのだが...?
「政治関係無い」
とは、どこに書いてあったのでしょうか?
古代に政治家と軍人の区別なんかないんだがわかってんのかな
>>699 政治家と軍人は未分離でも古代にも政治を行う人達はいた訳よ。わかってん
のかな
1.騎士階級と言いたかった
2.元老院議員と元老院階級の違いを強調したかった
政治といっても軍事行動と徴発を除けば普段の部族的紐帯を適用するだけとわからないのかな
>>696 一応、元老院議員になるために
護民官かクアエストルの経験が必要だから間違ってね?
内乱の一世紀の時のことを言うのなら
元老院の力が落ちてくる時代の特殊な状況を
ローマ時代普遍的に通じたように話すのは感心しない
元老院議員も官職も無給なのに儲かるのか
プロコンスルがなれる属州総督と勘違いしてね?
免税特権忘れてない?
>>702 多分貴方の言ってる事は誰もわからんと思う。
>>695 徴兵から志願制度になって、職業軍人が出現した
軍閥が形成され、元老院議会に議員を送り込む時代に突入したってことだ
そして徴兵されなくなった一般市民は他人事の世界、より世間と分離していく
そして独自の考え方を形成するようになる
システム上はプロコンスルなりのシビリアンをトップに置かなきゃならないが
元老院は軍内部には容易に口出しできなくなって
逆に名目上のシステムに適うように元老院を操り始める
「取り込まれていた」ものが「取り込む」ようになる
元老院統制がコレで限界に来たってこと
ローマの帝国主義をマリウス改革の前後で分ける見方って一般的なの?
てかそれ誰の説?
第二次ポエニ戦争以降ローマが帝国主義的膨張を見せたことについて主要な学説は2つあって
1つは帝国を防衛しようとして戦争を続けた結果膨張していったという19世紀にできた説
もう1つは地方の総督が中央での政治的成功という個人的野心の為戦争をして総体として膨張していったというもので
その背景にローマの政治システムとかローマ市民の心性を据えるという20世紀に出てきた説
どっちにしろ元老院や民会の統一的あるいは長期的計画の不在を前提とする
と理解しているのだけど違うの?
ちなみに塩野は前者で説明してる
主要な学説は略奪や奴隷売買による富の獲得を目的とする軍事国家が
その過程で支配も行い植民地を広げたという説
まじですか
勉強し直すので教科書を下さい
ハンニバル戦争以後を軍事国家っていうけど、
市民集会はちゃんとマケドニア遠征否決してるんだぜ?
結局ハンニバルの教訓を持ち出して説得される形で出兵に決まったけど、
ローマはあくまでも元老院と市民の国家だっていい証拠だよ
マリウス以後の軍事国家云々も志願制とはいえローマ市民しかなれないこの制度を分かってるかどうかだ
元老院議員を送り込むなんてのは珍説もいいとこ
表面的には従来の元老院議員選抜と変わらないよ
いやローマはガチガチの貴族制的寡頭政国家と規定されてますけど
>>711 丁度、今週末にこの辺に辿り付くわ
楽しみだ
第四巻は今日か明日、来るだろう
週末に第四巻に進めるかどうかだな
>>712 確かにケルト・ショック以前はそんな感じかも
>>712 ホルテンシウス法以後は平民貴族なんて言葉が生まれるぐらいだし、こんな制度よそにはないわね
よく考えたら護民官自体そうか
寡頭政は間違ってないけど思想の硬直化が始まるのはグラックス兄弟前後からだし、
人材流動にいたっては帝政末期まで流動的でしょ
肝心な所が抜け落ちてる人がいるが
コンスル・プロコンスルといっても、多くは生え抜きの戦闘のプロでもなく常勤者でもない
基本的に省庁キャリアがいきなり地方支所所長で入ってくるようなもんだと思っている
ノンキャリからすれば雲の上の人であると同時に、反感を持ちながら取り込むなりする
そのキャリアが徒手空拳な理想論ばかりコイてたら、評価を下げる報告をする
そういったシステム以外の作用のほうが大きいと見るね
それに貴族による寡頭体制システムだからこそ、影響力のある平民を取り込む必要がある訳だ
自分たちの体制維持のため、それから自己保身のため
金の力を持つ騎士以外に、軍事の実権を持つ現場責任者に甘い汁を吸わせて勢力を保つ
平民軍人の実権者側も甘い汁を吸いながら元老院を利用する
ところが、元老院も一枚岩じゃなく派閥がある
システム上の理想をホザくだけでは追い落としを喰らうハメになるから
実情とシステムに合わせた判断を行なう
>>711 軍はケツ持ちと考えればいい
たとえば自派閥に有力師団を取り込む
そうすれば間接的にでもその師団の息のかかった護民官と護民官上がりを自派に取り込みやすくなる
平民寄りの派閥を形成すれば、軍及び平民からの人気も上がって
派閥の長は元老院内での権力闘争で優位に立てる「民衆の代弁者」
軍部出身の「平民の英雄」なんかを取り込めればベスト
平民と軍部の圧倒的支持を背景に、自らの派閥がローマを握ることすら可能ってな皮算用
要は「お互い持ちつ持たれつ」で実情に合わせるってのが実際だろうね
イヤ長文失礼
長文が正しいとは限らない
どころか要約能力無しとして間違いであることが多い
>>基本的に省庁キャリアがいきなり地方支所所長で入ってくるようなもんだと思っている
コンスルになるまでに百人隊長や大隊長など一通りの軍務を経験してるのが普通だぞ
>>金の力を持つ騎士以外に、
騎士階級について理解が足りないのがよく分かる文面だなおい
甘い汁云々ってどんだけお前ゆがんでんだよ
ローマ独自のパトローネス、クリエンテス関係抜きに共和制時代は語れないはずだぞ
>>師団
当時ローマが全部で何軍団、執政官は何個軍団率いるか調べ直せ
ローマ史に限らず長文で語るやつほど思い込み激しい上間違いだらけなのはなぜなんだぜ?
貴族って言葉が合ってないように思う。グラックス兄弟以降も軍人あがりの
マリウスや弁護士あがりのキケロ、貴族とは建前で没落も良いとこのスッラやカエサル
でも元老院に入れたのだから単純に血統や資産だけで元老院に入れたとは言い難い。
とは言え有力家系が執政官職に多数入ってた事実を考えると今も昔も親の地盤を
引き継いだ政治家は強いんだなと笑ってしまうが、元老院体制とは「過去の有力者の家系
・優秀な者・有名人・富裕者達による寡頭制」と言った方が良いと思う。
>>718 昔の本だと「師団」って書いてる本もありますよ。今では近代の編成で言う
のもどうかって事で、軍団でほぼ統一されてますが。共和制末期の騎士階級
には、徴税請負人と高利貸し兼ねて属州民から暴利を貪ってた連中も居なかった
訳ではないから
>>716の意見も間違ってはいない。でも
>>716の文章は冷戦中の
左派運動家みたいな文章だね。
百人隊長あがりのコンスルなんていたっけ?
貴族の子弟でもいきなり大隊長からのケースばかりだったともいえんのじゃ?
>>711 ローマは政務官、元老院、民会の三角形で説明するのがモムゼンのモデルで現在でも基本になってる
これにゲルツァーによる修正が加えられ政務官と元老院は近い立場にあったというのが通説
生き残った血統貴族と貴族化した富裕平民による寡頭政治だね
その民会によって否定されてるとかの部分は708で述べた計画性のなさの証拠の一つとされてる
というか長文の人は710で求めたソースをそろそろ出してくれないかな
元老院に派閥があるなんて確かにそういう学説もあったけど今では一顧だにされてない化石じゃん
パトロネジや婚姻関係からそういうのがあるかと思われたが実際は網の目のごとく張り巡らされていて、今では派閥や党派の存在は否定されている
塩野の参照学説も古いけどあんたもいつの本読んでるんだよ
アンチ塩野も重箱気味なの多いけどなー
ローマ観まで揺さぶるようなそれ以外の考えはなかなかないわ
長文の人ってやっぱアンチアンチと同じ人なの?
人の話きかないレス乞食っぷりはそっくりとは思ってたけど
>>716 同意見だわ、いつの時代のどの地域でも実態はこんな感じ
小説的世界観は、読む分には楽しいけど事実とは乖離してる
>>725 印象操作はいけないと思うし、絶対違うと思うぞ
塩婆以前の左翼臭さがぷんぷんする
>>726 自演乙
728 :
世界@名無史さん:2011/03/10(木) 21:14:04.25 0
切支丹でもないのになんで鬱になるんだw
キリスト教徒なんてそんなもんだろ・・・
十字軍のご一行に至っては特にね
これを読んでいると、学生さんかそのまま学問の世界に就職したような方が多い気がする
現実に即した考え方をせずにシステム上の建前論に終始している
この分じゃたとえば江戸時代スレで苗字拝刀がお題になれば
「貴族と侍以外にあるわけねーだろ」なんて意見が主流になりそうだね
システム=公的に認められてないだけで、大抵は苗字を自称しているから「**家之墓」がある訳だ
一定以上の地域や所属の代表者クラスにはお上から公的に苗字拝刀の許可が出る
現代でも高卒の現場と大学出の幹部候補じゃ明らかに待遇が違って対立するもの
大抵の場合は現場の懐柔に四苦八苦する
>>725 一応完読はしているし、小説としては非常に面白い
それにそもそもアンチなら読まない
>>727 残念ながら別人だよ
俺も賢帝の世紀までは小説として面白く読んでたな
その次辺りから急にネガネガ&塩野史観披露モードになって投げた
>>731が何を言いたいのかがさっぱり判らん。会社でキャリアの若い上司にでも
虐められてるんですか?
>>733 近年の歴史学は概ねそんな感じだと思うけど
むしろ20世紀後半になるまでが電波飛ばし過ぎ、あんなの学問じゃない
アンチの人はやっぱり読まずに批判してたのか
>>731 お前さんは経験に左右されすぎ
現場の高卒〜の件はどんだけ低学歴の職場からグチ吐き出してんだって普通の人なら読む
日本のような戦後社会的立場とそれに対する敬意が一旦崩壊した社会で
統率に苦労してるーなんて近視眼で見てもしゃあないだろ?
ノーブレス・オブリジュの伝統ある欧米の貴族は真の意味で統率のエリート多いんだから
>>737 お前さんは空想を疑いも無く信じすぎ
ヒーローに夢見てる幼稚園児じゃないんだから
このスレ結局論文もソースもなく自分はこう思うって言い合うだけなのね
先行研究への敬意も糞もない
空気読めてなくてすみませんね
もう二度と書き込みません
>>739 そんな拗ねるな。自分もソース出してないじゃん。今後ローマ史の研究
で大きな発展があるとすれば地上は大分発掘されたから、次は海底かな。
ローマ時代の沈没船臍組が丁寧で荷物のアンフォラなんかも新品なのに対
して、中世の船は釘打ちのお手軽船でアンフォラも使い回し品で焼きも甘い。
こういうところからもローマ崩壊が経済の崩壊でもあった事が証明されてる
と思う。
2世紀後半以降は船舶交易がほとんど確認されてないけど、西側
>>741 Yassi-adaは海上交易品に関するいいサンプル
>>742 北アフリカ産の穀物や、ヒスパニアや北アフリカ産のオリーブはどうやって
イタリアや帝国北部のリメスに輸送されたんですか教えてください。
ガリア南岸部とシリア等レバントとの交易は7世紀ごろまではシリア商人
主導で盛んに行われていたけどね。
>>744 陸送だよ陸送、そもそも軍隊以外はほぼ共同体内での自給自足だから
船を必要とするほど交易が行われてないし輸送量も乏しかった
747 :
世界@名無史さん:2011/03/11(金) 11:03:49.33 0
>736
上から2つ目は中村獅童に見えるw
>>744>>745 フランスで発見されてる「マドラク・ド・ジアン号」は全長40
m、積載量350t〜400t。7000〜8000個の大量のアンフォラも
同時に発見された。ほぞ組も丁寧で鉄釘は錆びるからと銅釘が使われ、船喰い
虫対策に薄くごく薄い鉛板を張るという豪華版。こういう船が紀元前70年頃の
技術で作られて、地中海を走り回ってたんだろうね。
軍隊用にね
その軍隊も帝政初期を除けばほとんど陸路での移動
751 :
世界@名無史さん:2011/03/11(金) 12:55:44.75 O
まあ、地中海交易がローマ末期まで盛んだったのは確か
イスラム支配後は十字軍まで衰退
黒海とかは深く酸素濃度が低く温度も低いから有機物がそのまま残る可能性
が高いそうだ。アンフォラとかの損傷が少なければ中身のオリーブ油やワインが
そのまま残った状態で発見されるかもしれない。
753 :
世界@名無史さん:2011/03/11(金) 14:18:02.56 O
北欧でそんなんあったな
>>745 北アフリカとガリアは陸路じゃ繋がってませんがな。
南仏まではどうやったって船で運ぶことになる。
>>751 ローマ時代は軍団駐屯地近辺を除いて交易の記録がほとんど残ってないし、実際無かったと考えられてる
分裂後1世紀頃から船舶の入港記録なんかが出てくる、まあ時代が違うけど
>>754 エジプトの穀物をわざわざゲルマニア近くまで運ぶことはしてないよ
というよりガリアから運べば済む事で、そんな無駄な事するバカはいない
ローマ本国の消費する穀物→北アフリカ・シチリアから輸送
コンスタンティノポリス辺りで消費する穀物→エジプトから輸送
だと思ってた
>>757 ギリシア付近はアレクサンダー大王以前から黒海地方だのみだろw
>>756 まさか「北アフリカ」がエジプトを指してると思ってんの?
ありえそうで困るwwww
>>759 はい、じゃあ何所を指すつもりで書いたか
具体的にどうぞ↓どっちにしろ同じだけど
ローマ史で北アフリカというと、広く見ても
(マウレタニア〜)ヌミディア〜アフリカ〜トリポリタニア(〜キレネイカ)
大体この地域を指すと思ってる
エジプト(アイギュプトゥス)は別区分でしょう
穀物を輸出に回せるのはイフリキアくらい
ガリアから運べば済む事で、わざわざ遠くゲルマニアまで輸送する馬鹿はいない
考えてその結論かよw
北アフリカ属州いくつあったか調べて来いよ
いくつ調べても一緒、輸送していた事実は出て来ないよ
事実と異なるからね
アホなのが延々自己主張してんな
アフリカ属州・旧カルタゴなんかローマ帝国西側を支える超穀倉地帯じゃん
無知を指摘されて延々嘘でごまかすって・・・
えっ?アフリカ属州とカルタゴ本領はモロ被りだけど
それにわざわざイフリキアと書いたのに、見えないの?
やっぱりよく分かってないじゃんww
ローマ史の書籍漁っててイフリキアなんてまず目にしないんだが何読んでるんだろうな
イフリキア呼称はビザンチン時代だね。ゲルマニアへの輸送にはコスト的に
合わないかもしれないけど、首都ローマにとっては超穀倉。順風に恵まれれば
イチジクがみずみずしいうちにローマに着きます。てか、
>>761は何でローマの南
端から北端に輸送するみたいな極論するの?
ヴァンダル族が北アフリカ席巻して、いよいよ首都ローマが窮乏の一途をたどったことぐらいは
分かってるだろうと思うがそうでもなさそうだよなw
何を言いたいのかさっぱりだぜ?
>>773 それにしてもIDぐらいあったほうがいいよなここ
首都ローマの人口100万人の生活物資がどの位の量になるかを考えれば
船で運んでくるしかないって事は小学生でも判りそうなもんだけどな。
逆に首都ローマ以外の生活物資は地産地消が原則
ハイコスト・ハイリスク・ローリターンで割に合わない
??君は商人でも船乗りでもないね。商人なら行きだけ荷物持って行って
帰りは空船なんてもったいないと思わない?また大きな船が空船のままだと
浮力がありすぎて危険、バラスト積まないと沈没しかねない訳よ。ってな訳
で帰りはイタリア産のワインとかオリーブ油、毛皮、大理石やガラス、金属製品
が運ばれた。
属州でももちろん一部の金持ちはいるだろうが、大半が嗜好品を消費できるほど経済水準が高いわけじゃないぞ
オリーブ油は食糧の保存や夜間燃料に大量に使われたし、ワインだって一般
庶民が飲める程一般的な物だった。庶民だって服は着るし、寒ければ毛織物のマントや毛布
が欲しかっただろうし、靴だって歩けばすり減る。ベルトの金具や日用品や農器具
には金属製品が必要だし、女性なら髪飾りや手鏡の一枚も欲しいだろ。そういうのは
確かに嗜好品で自作出来ない事はないかもしれないけど、専門的な職人が大量に制作して
船で安全に運べればより安価に品質の良い物がより多くの人に手に入る。そういう事を
実現したから「パックスロマーナ」と呼ばれたんじゃないかな?
あの時代にどんな靴があったのかに興味はあるぞw
ローマ時代の彫刻観ろ。サンダルや短靴。革紐で調整する。カリグラとは「小さな
軍靴と言う意味」。北方では長靴になる、イギリスの軍団基地跡では靴底を金属で補強
してスパイクの付いた靴なんかも発見されてる。
だから靴じゃなくてサンダルだろ
金のある階級でも皮製のすっぽり型よりサンダルで通したそうだし
ワインやオリーブは1世紀末には多くの属州で生産されるようになっていたし
陶器や金属製品やガラス製品はエジプトやシリアやアナトリアやギリシアが産地
>>777 奢侈品や嗜好品こそ商人の出番だけど、消費するのは貴族・土着貴族や軍人だから
いるのは辺境なわけで必然的に陸路の運搬になるっていう
意味不明だな、河川輸送出来ないし、する意味もあまりない
ついになりふりかまわず煽るようになったなw
アホ以前の問題だろこれww
現代日本の物流だって50%強海路&河川じゃん
江戸時代なら物流はほぼ100%近い
ローマ街道整備された全盛期でも河川や海路の利便性には適わんぞ
>>788 ただかまってほしいだけでしょ
まともに相手に出来ないし、する意味もあまりない
現代日本に河川輸送なんてないけど、鉄道が敷かれ始めて河川輸送は消えた
ローマ中枢である軍団駐屯地も多くは輸送に便な河川の近傍へ置かれてないし、現に水路輸送の記録は乏しい
時には誤りを認めて大人しく黙ることも必要だと思うけど
船を使った交易が無かったのではなく
海上交易はローマ東側の紅海〜インドにかけてのインド洋航路が盛んだったんでしょ
ローマ全盛期の主要な軍団基地を西北東南の順に現代の地名の方が判りやすい
方は現代名で古代の方が判りやすいところは古代名で書くと。
イギリス:ヨークはワーズ河、チェスター・カーレオンはアイリッシュ海
クサンテン・ケルン・ボン・ストラスブールはライン河及び支流。
ウィーン・スーニ・ブタペスト・ベオグラード・スウィシトフ・シリストラ・イグリツァ
はライン河。マラティヤ・サムサット・バルキスはユーフラテス河。
エルサレム・ベトシャーンは死海とヨルダン川。ニコポリスは地中海。
大規模な河川や海に面していないのは地勢上海や川のないルーマニア(属州ダキア)
のアルバ・ユリア。トルコのサダック。スペインの少数民族を監視する為に置かれたレオン。
属州ヌミディアのランベースかな。
>>792 それは飲み水の要請上ね、輸送の便とは無関係
あと関係無いけど、ローマ西側、イタリアやガリアの農耕器具や農業技術はゲルマン人よりも遅れていたらしいね
いや、関係あるのか?
>>793 ゲルマン人の農耕技術が発展してるならもっと都市文明発展してるだろうw。
当時のゲルマン地域でローマ帝国領より発展した都市遺跡があったら挙げてみたら?
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
|| →婆・95割・キチガイは放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
|| 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>793 軍団基地が河川や海沿いに無いなんて意見が実証的に論破されたから、次は
飲み水説かw。古今東西大都市が発展するのは海や河川沿いで、その理由は物資
の流通は船での輸送が一番安価で大量に運べたから、なんてのは歴史学の常識なんだが。
きっと
>>793の頭の中ではローマ人は物資をトラックで運んだって思っているんだろうな。w
ことごとく逆なこと抜かしてる奴はいい加減コテハンでもつけてくれよ
>>795 農耕技術や農耕器具の発達と都市文化の進展は直接的な関係無いよ
実際にローマ領西側の出土物はゲルマン人居住地からのそれより粗雑
>>797 えっ?日本語読めない? >輸送に便な河川の近傍へ置かれてない
現実に地中海での船舶輸送が乏しく、当然に河川輸送が行われた記録ほとんど無い
あるべくローマ世界を空想するのは勝手だけど、実際に起きた事実に対しては自分の想像を引っ込めないとダメだよ
輸送無しで近隣に農地もない軍団基地でどうやって自活したんでしょうかねw
歴史書って当たり前のことは逆に書いてないって事も知らんのか
>>802 特にワインやオリーブはどうやってまかなっていたのか知りたい
マケドニア北部の都市(StobiやScupiなど)ですらワインを輸入に頼っていたし、
オリーブなんか北部国境付近ではどうやっても現地生産できない。
だからワインやオリーブは属州でも生産されてる、栽培の難しい作物じゃないし
ガリアでもルメリアでもキリキアでもシリアでもエジプトでも作られてる
ストラボン 4-1
>ガリアの河川と住民区分
>…そして、以上の流れは多くが地形上相互に好都合な位置にあるため、
>どちら側の海からもその反対の海へ物資を輸送しているが、
>その際に船にはわずかの間だけ平野を通って難なく陸路輸送し、
>ほとんどの間では川を利用して運び上げたり、下ろしたりする。
いい加減自給自足君はちゃんとした原典だしたら?多分荒らしでやってんだろうけど
軍団基地は川沿いに無いってのは
>>792氏が軍団基地の位置を書いて否定してくれたし、
川を輸送に使わなかったってのは
>>804氏が否定してくれた。ゲルマン圏の方が農業技術が
発展していると言うなら、具体的な当時の記録とか発掘者の比較論文とか書くべきだろう。
君の文章をそのまま返せば
あるべくローマ世界を空想するのは勝手だけど、実際に起きた事実に対しては自分の想像を引っ込めないとダメだよ
だね。
オスティア・アンティカ港(皇帝港)の説明文で主要な輸入品に穀物・ギリシャ
産大理石、エジプトからの家畜等は判るんだけど、シリア産のヤシが重要輸入品と
書かれてる。当時のローマ人はヤシを何に使ったんだろうね。
>>792 >ウィーン・スーニ・ブタペスト・ベオグラード・スウィシトフ・シリストラ・イグリツァ
はライン河。
ドナウ川ね。
>>806 ストラボンが生きていたのはまだ地中海交易が行われていた時代。
軍団駐屯地に河川輸送した記録もほとんど無い。
ゲルマン圏の農耕器具の方がローマのしょぼい農具より進歩してたことについての詳細は
残念ながら持ってる書籍が尻切れだから無いんだな、知りたいなら中国の科学と文明10巻48章参照。
>>805 そう、ガリアもルメリアもキリキアもシリアもエジプトも生産できる気候
そして現にワインもオリーブも栽培されていたので、わざわざイタリアから運ぶ
まして北アフリカから運ぶような馬鹿なマネはせず、陸送していた
ところで何故急に「北部の属州(ゲルマニアやモエシアなど)」などと言い出したんだろうね、いや解ってるけど
>>805 あと、文献示してくれるのはありがたいけど英語全く読めないんだ俺
バルカンとエーゲ海とADしか単語解らない、完全に意味不明
なんとなく、南海交易でシナ人やインド人やアラビア人がコンテナ陶器使ってたのと
同じような事例を解説してるのかなぁと憶測したけど
西洋古代史研究入門 p.178
地中海の沈没船1992年1月までのデータ
前3世紀 64隻
前2世紀 154隻
前1世紀 183隻
1世紀 180隻
2世紀 158隻
3世紀 86隻
パクス全盛期には往来量も多い、五賢帝の2世紀に減ってるのは航海技術の向上もあるのだろうかと読めるね
西洋古代史研究入門 p.177
>…デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドで発見されたイタリア、
>とりわけガリアとライン諸属州からの紀元後1世紀から4世紀末に作られた輸入品を…
>>809 ストラボンが生きてた時代は内乱が終わって「パックス・ロマーナ」が始まった
時代。平和になって治安が回復してなんで貿易量が減るのかと。
ローマ時代の話で何で中国の科学と文明?せめて西洋史の本持ってこようね。
>>813 学者は純粋に2世紀中頃から交易量が減ったと考えてるみたいだけどね
実際、軍隊の移動記録に海路が出なくなるのも同じ頃から
>>815 単純にオリーブやワインのような日用品がローマ各地で生産されるようになって
地中海交易の量が減ったってことじゃないの、額はともかく
紅海〜インド洋交易は変化しないか増えてるわけだし
3段目は読んでるときにたまたま出てきた、俺も半信半疑で
詳細が書かれてる巻を持ってないから何とも判断しようがないけど
まあ偉大な学者が根拠も無くそんなこと書かないでしょ、あとネタとして面白いw
学問の場に権威主義や多数決持ち込んだら終わりだろ
そろそろネタ本が知りたい
北アフリカの主要な輸出品は、古代には農産物、中世にはサハラを超えて運ばれてきた
金だったが、この地域で手工業があまり盛んにならなかった原因は何なんだろう。
砂漠化による燃料不足と遊牧化じゃない。手工業とはいえ大量に水や木を
使う。中世には木材を黒海から金属製品はヨーロッパから輸入しなければいけ
なかった。外国に輸出する余裕なんてなかったんじゃないかな。
北アフリカやエジプトは農業適地が狭いから幾ら生産性が高くても人口養えないし
木材の再生性や水が乏しいから、国が大きくなるにつれて不利になるわな
そういう条件があまり必要じゃない古代には
カルタゴやエジプトやシリアやギリシャの手工業は発達してたわけだし
スッラの魅力について語ってくれ
スッラは信長的なところはあるけれど、その改革の方向性が間違ってたのは後知恵ならずとも分かるところかな?微妙かな?
確立したはずの体制を自分の死後、配下だった奴らから崩されるのだから、引退後の小泉純一郎とダブって見えることはある
カエサルですらスト食らって対応に追われることがあったのに
スッラは全くそんな事無かったってのが凄い
どういうふうにいう事聞かせてたんだろ
>>825 目線にドスがものすごく効くタイプなんじゃないかと残った彫像から想像してる
大スキピオもストライキ起こされたんだっけ?それどうやって静めたか知ってたらplz
827 :
世界@名無史さん:2011/03/19(土) 10:37:46.77 0
>>684 BBC地球伝説は要チェックだな
10日にもスパルタクスやってたし
また教えてくれると有難い
しかしあんな荒涼とした土地を転々としながら長年渡り歩いた
ハドリアヌスは偉大だよな
アフガンもイラクも飛行機でひとっ飛びの現代では考えられないハードワークだ
>>824 スッラの場合、数少ない引き継がれた政策にしても、必ずしも
いい効果を生んでるとは言えんからねえ。
例えば元老院の増員がカティリーナ一味みたいなのを生んだとも言えるわけで。
定員が300人の時代なら、監察官に元老院議員の資格を抹消されてたレベルだろう。
日本語の書籍は相変わらず馬鹿みたいに高いな・・・
情報化社会とは言ったものの
コアな分野だとやっぱり書籍頼みなのよね
すれ違いかも知れないけど
十字軍物語のほうを読んだ人はいる?
>>832 そもそも日本国内の歴史関係の本って、内容当たりの値段が娯楽本より高くね
歴史に興味ある人も書く人間も少ないのか知らんけど
いるよーノシ
ばっちゃの一神教に対する考えは変わらずなのでこっちも入っていきやすい
自分の残りの人生を定めた男は〜のくだりは、ああやっぱりこの作者、人間を見る目がある人だと思った
白人はどう言う民族だったか知っているのか。文明を興した事もない。
エジプト文明、インダス文明、ギリシャ文明、そしてローマ帝国。
これらは全て褐色人種の興したもの。
白人は今から500年前まで原始人だった。農耕も知らない。便所もない。風呂も知らない。
文字が無い。食器が無い。服もない。毛皮で生活だ。しかも決まった食料も無い。
手ずかみで物を食らう。
それが白人の世界だった。
勿論國なんかない。文字もない。それが白人の社會だ。
世界では何人が支配したか。イスラムの民と同じ褐色人が支配したんだ。
世界の4大発明は支那大陸発祥。文字。紙。火藥。印刷。
白人はガリレオの時代ですら地球が丸い事を知らなかった。
もうそんな事は4大文明では全て分かっていた。
日本でももう5世紀には中華文明に接している。
ネアンデルタール人と白人の謎。
837 :
大マケドニア帝国の成立 T:2011/04/02(土) 13:04:55.21 0
「もしも、ローマが東地中海・オリエントを侵略していなかったら」という仮定に基づくif歴史です。
紀元前197年、フィリッポス5世治下のマケドニアは全ギリシアの統一とトラキアの征服を成し遂げた。同じ頃、セレウコス朝シリアはガラテア・ビティニアを征服した。
前192年、小アジア西部の小国ペルガモンをめぐってマケドニア・シリア間の戦争が勃発した。トラキア騎兵を加えたマケドニア軍は強く、マグネシアの戦いにおいてシリア軍に大勝する。
フィリッポスは東進し、僅か3年で小アジア・アルメニア・メソポタミアを征服し、ペルガモン及びポントス王国を属国化した。前189年には首都アンティオキアが陥落し、セレウコス朝は滅亡する。この時、エジプトはマケドニアの属国となり、キプロスを割譲した。
フィリッポスは治世の残りを内政に費やし、安定した帝国統治体制を築く。また、共に東征を戦った将兵を中核に史上初の「常備軍」を創立し、マケドニア王国及び国王への忠誠心を植え付けた。
838 :
大マケドニア帝国の成立 U:2011/04/02(土) 14:21:53.79 0
前179年、嫡子デメトリオスが王位を継ぐ(史実で王となったペルセウスは、長男だが庶子)。彼はパルティアの征服を目論んでいた。騎兵が中心のパルティア軍に対抗するため、父の代に蓄積された豊富な資金を使い北アフリカや黒海北岸から多量の騎兵を雇い入れた。
前177年、パルティア遠征が開始される。王デメトリオス自らが率いる15万のマケドニア軍は一路、首都ヘカトンピュロスを目指した。郊外の野で会戦が行われたが、マケドニア軍の圧倒的な兵力の前にパルティア軍は蹴散らされ、ヘカトンピュロスは陥落する。
地方豪族の処理は部下に任せ、デメトリオスはバクトリア王国の征服に向かう。バクトリアも、マケドニア軍には敵わなかった。バクトリア王は降伏し、インダス川以東の地を安堵された。以後バクトリアはマケドニアの属国となり、インディア王国と呼ばれるようになる。
デメトリオスは、征服地に留まり統治体制を盤石にした後で王都ペラに戻る。そして、バシレウス・バシレイオン(王中の王)の称号を名乗った。以後マケドニア王は皇帝と呼ばれるようになる。
治世の晩年の前149年、ローマに攻撃されたカルタゴが救援を求めてきた。早速援軍が派遣され、リビアを征服しつつ、包囲されているカルタゴに向かった。ローマ軍は包囲網の外側からマケドニア軍に襲われ、ほとんどが戦死した。カルタゴはマケドニアの属国となる。
839 :
大マケドニア帝国の成立 V:2011/04/02(土) 15:45:49.64 0
前142年、デメトリオスの息子アレクサンドロス4世が即位する。3年の準備を経て、彼は20万の大軍を率いてローマの同盟国ヌミディアに侵攻した。マケドニア軍の兵力は圧倒的であり、質も申し分なかった。ヌミディア軍は蹴散らされ、ローマ軍も再び一敗地にまみれた。
さらにアレクサンドロスはマウリタニアを征服し、イスパニアに侵攻する。マケドニア軍は原住民に解放者として歓迎され、早くも前136年、ローマ勢力はイスパニアから一掃された。これを見たギリシア系都市国家マッシリアはローマからマケドニアに鞍替えした。
続いてアレクサンドロスはピレネーを越えてガリアに入り、諸部族を次々と撃破していった。マケドニアの大軍を見ただけで怖じ気づき、降伏する部族も多かった。前133年には全ガリアが平定される。
同じ年、ペルガモン王アッタロス3世が没し、王国をマケドニアに遺贈した。
あの、if話はここではなくそれ相応の場所でやって頂けると光栄だと思うんです
842 :
世界@名無史さん:2011/04/02(土) 17:54:42.12 0
藻前らフロベールの「サランボー」読んだことある?
ポエニ戦争後のカルタゴでの傭兵の反乱の話 ポリュビオスの「総史」を下敷きにしてるそうだが
象部隊の攻撃や攻城機械が活躍する、戦記ものの小説でもディティールに関しては髄一の出来だと思うよ
塩婆の本程度の予備知識じゃ聞いたこともない民族名やら地名やら神名がてんこ盛りだけどな
4行目が主張のメインだというのはよく分かった
最初サクランボーと読んだ
後悔はしていない
古代ギリシャ・ローマの戦術書ってポリュアイノスしか現存してないんだよな?
残ってるだけでも大したもんじゃね
文字バカの中国人やギリシャ人でも戦術書は残ってないし
中国では孫子の兵法書ってのがあってだな。日本ではうだつのあがらない
サラリーマンがビジネス本として良く買ってる。ギリシャではクセノホンとか
ポリュビオスとかトゥキディディスとかいるけど日本人は誰も知らん。
歴オタはどうしてこう否定の言葉を入れなきゃ語れないのだろうか
クセノホンとかポリュビオスとかトゥキディディスは戦術書書いてないし
孫子の兵法も戦術書じゃないわな
>>850 数少ない知識をひけらかそうと必死なんだよ、きっと。
帝政前期を理想視しつつ、組織編成(陸・海)や軍事教練から戦闘方法、陣形、補給などに関しても著述したウェゲティウスは有名じゃないんだな
>ウェゲティウス
軍事論て邦訳無いの?
自省録を読むと皇帝陛下に比べて至らぬ自分に気付いてへこむ
そんなのと比べる無謀さを笑うべきか、志高いのはいい事だと褒めるべきか
そういえば、自省録はハドリアヌスが一切出てこないって本当?
857 :
世界@名無史さん:2011/04/05(火) 14:47:22.75 0
858 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 09:07:56.65 0
ハドリアヌスってローマ没落のきっかけを最初に作った人だよね
なぜか名君扱いされてるけど不思議でしょうがない
ローマ没落のきっかけを作ったのはアントニヌス・ピウスだよ。
養子のマルクス・アウレリウスに属州・軍事経験させないで
結果、次代の異民族大挙襲来の時にローマ軍を苦戦させて
後々の禍根を残した。
そのきっかけってなんだよ
マルクス帝におけるライン・ドナウ防衛線を異民族に突破されたことだろ。
それは哲人皇帝の責任だろ
端緒となることまで責任にするのはどうかと
ハドリアヌスの場合、帝国全域の防衛システムをあれだけ元老院から理解されない中で
熱心に巡幸して構築していった点、どうみても帝国の寿命延ばしたことに貢献してるよ
治世の初期に先帝トライアヌスの重臣4名を問答無用で殺している上に
最晩年は元老院議員を告発しまくったからな。
元老院との関係はティベリウス帝並の険悪さだろ。
まあ、当時の元老院にハドリアヌスの政治を理解できる人が極めて
少なかったのもあるな。
だから風呂に凝ったのか?
それはテルマエ・ロマエだろw
連載だと、今月に単行本の三巻でるそうだ。
ハドリアヌス萌えのお前らには朗報だぞ。
アンティノーのようにアヌス綺麗にして待ってろ。
テルマエはかなり細部に凝ってるからな、期待していい
トラヤヌスでなくトライアヌス表記になってる本の一つでもある
実写映画化するそうだが、まさか日本人にルシウスやハドリアヌス
演じさせるのか?
トライアヌス浴場再現するだけで制作費飛びそうだ。
そこはCGでいいだろ
>>863-864 元老院階級が無能揃いの上に不相応な権力を持っていたわけっすな
皇帝のお陰で多少は延命出来たと
871 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 23:33:20.61 0
しかし、アベ・カン がイタリア人ってのもなぁ・・・・・
そこはローマ人というべきだろ
血統的にも文明的にも今のイタリア人とは・・・
クオ・ヴァディスに出てくる未知の北方民族ルギィ人がいいね
作者のシェンキェヴィチはこれをポーランド人の先祖と考えているようだ
リギア(本名カリナ)やウルスス(本名不明)は彼の中ではポーランド人という設定
カリナはポーランド語で可憐な花とかいう意味らしい
シエンキェヴィチはタタール系のイスラム教徒の家系の人だが(本人はカトリック)
>>858 ローマ没落のきっかけを作ったのは、トラヤヌス帝なのでは?
トラヤヌスのパルティア遠征を多くの後継者が模倣し続けたので、
ローマは軍事力を浪費してしまった。北方の対ゲルマンよりも、
東方の対イランの方を優先する手本となってしまった。
後のウァレンス帝は、ササン朝との戦争を優先して、ゴート族を
対ササン朝の増援とすべく招き入れてしまった。
ダキア征服後、トラヤヌスがマルコマンニ族らも征服したのならば、
ローマ本国がより安全となった事は言うまでもない。
ローマ兵が略奪する物の無い北部で戦うとは思えんなあ
ダキアの場合、執拗に侵攻してきたので、ローマは応戦せざるえなかったとされる。
後にダキアの場合と同様に、マルコマンニ族らが侵攻したので、ローマは応戦した。
>>874 だからそういうのは模倣した皇帝の方に責任があるとみなきゃだめじゃん
ダキア戦役をやってなきゃそこから蛮族大量流入で3世紀入る前に早くもローマ滅亡してた可能性が無いとは言えんだろ?
歴史を結果論だけで見てるからそうなる
>>874 歴代ローマ皇帝のパルティア遠征は、トラヤヌス帝への模倣というより、
経済的要求だったのでは?
当時、ローマ社会は、インドの工芸品・中国の絹など東方の文物にたいする
需要が多かったようです。
インド洋から紅海をへてエジプトに荷揚げするより、船でインドからペルシャ湾を
経由してメソポタミアを陸路で通過するルートの方が経済的だったようです。
その交易ルートを邪魔するパルティアやササン朝ペルシャは、歴代ローマ皇帝
にとって制裁を加えなければならない対象だったのでしょう。
ローマ市民の安全と物質的な要求に、ローマ皇帝は応ぜざるを得なかった為、
巨費を投じて軍事行動をしてローマ市民の支持を得たかったのでしょう。
>>878 >>その交易ルートを邪魔するパルティアやササン朝ペルシャは、
アウグストゥス以来パルティアとのデリケートな関係を考えればその発言は無知といわざるを得ない
パルティアとササン朝ペルシャを一緒くたにしたらだめだ
トラヤヌス以後のローマ皇帝のパルティア方面の遠征は純国防上の必要であったとする方が正しい
安息国の偉い人も中華から大秦への中継貿易で利益を上げる為に
色々と妨害してるよ、交易を遮断したりはあまりしてないけど
>>873 ルギ族は東ローマに唆されてイタリアに攻め入って、
オドアケルの反撃で滅ぼされたりしてるんだよなー
テオドリック大王のイタリア征服にも参加しているけど
いつの間にかテオドリックを裏切ってオドアケルについて一緒に滅ぼされている
>>878 トラヤヌス帝自身もそうだが、アレクサンドロス大王への強い憧れがあったとされる。
暗殺前夜のカエサルも、クラッススの弔い合戦も兼ねたパルティア遠征を計画していた
とされる。もし、カエサルのパルティア遠征が実行され成功したのならば、後継者らが
広大な領土の維持にかなり苦闘した事が想像される。おそらく、ローマはもっと早期に
分裂せざるえなかっただろうな。
カエサルが遠征しても成功後は国境線確定のための戦いにしたと思うぞ
それこそガリアはローマに組み込んでもライン川向こうは攻め込んでも国境外にすることを選んだように
ガリア遠征時のブリタニアとゲルマニアのように、併合しなかったかもしれないね。
併合はしたでしょ、ゲルマニアやブリテン島は費用ばかり掛かって利益があまり上がらないけど
パルティア領は裕福だし、その後独立されるか奪還されるかは知らん
886 :
世界@名無史さん:2011/04/17(日) 05:10:05.41 O
そう考えてみると、対ゲルマン戦から撤退したコンモドゥス、あながち馬鹿ではないな。
887 :
世界@名無史さん:2011/04/17(日) 06:23:37.45 0
フロンティヌスの「戦略論」や、プロコピオスの「戦史」の邦訳ないの?
古代ローマの種本って邦訳案外少ないよな ベルサリウスの活躍も原典読めんとは
>>885 しないって
アレクサンダー大王の前例があるだろ
あの時のマケドニア人も現地人使った統治はしたし、
融和のための合同結婚もやったが所詮はマケドニア男x現地女だ
ローマ的な同化がオリエントで簡単に行くわけない、というぐらいカエサルなら見越す
マウリタニアやアルメニアやユダヤ同様そのままにしただろうよ
大河川を国防ラインにしていった軍事上の思惑も加えれば尚更
カエサルは、土地を持たないローマの無産階級市民たちに希望を与えて軍団化して
率いてガリアに遠征し同地のローマ化に成功したと言われてます。
柔軟性と創造性豊かなカエサルだったらメソポタミアの穀倉地帯ぐらいはローマ化
できたかもと思うのです。
ローマと対立するよりローマと組んで繁栄しようかと思わせる説得力が、カエサル
には在りますから、パルティア全土は無理だったかもしれませんがメソポタミアの
穀倉地帯のローマ化は可能だったかもしれません。
文明国のメソポタミアをわざわざローマ化する必要はないのでは?
ガリアの場合は、当時まだ半農半牧民だったガリア人らを定住させる為に、
ローマ化が必要だったとされる。
スエビ族に追われたヘルウェティー族の移動をきっかけに、ガリア人らが
キンブリ族のようにローマ領に押し寄せてくる事を阻止する為だった。
>同地のローマ化に成功した
現地祭祀階級も部族ごとの大幅な自治も認め、元老院階級の議席与え、
有力者子弟のローマ留学を義務付けた形でな。
第十軍団初めとする退職軍人による植民都市は既に属州だった南仏でしかやってない。
ローマ化の実行力については同意
けどそれでもあえてやらなかっただろうと思う
そもそもカエサルが不在時の役職指名したのは二年間だから。
二年じゃパルティアの征服は無理だろう。
泥沼に引き込まれて長居してるうちに本国で大変な事態になった
ガリア遠征時のような失敗はカエサルも避けたいだろうし、
二年前後で帰るつもりだったとしたら、本格的な征服じゃなくて
国境画定戦争にすると思う。もちろんローマ有利な条件で。
元老院の決議には終身独裁官としての拒否権で対抗出来るにしても、
遠征してたら拒否権発動が間に合わない場合もあるだろうし。
例えば遠征が三年目に食い込んだ場合、執政官がカエサルの希望通りに
指名されるかどうかは実際やってみないと分からない。
選挙で共和派が当選して今までの政策が変更される恐れもあって、
そう考えると、カエサルが例えば五年とかの長期遠征を計画していたとは
思えないんだなあ。
893 :
大マケドニア帝国の成立GAIDEN〜東方世界との接触 T〜:2011/04/17(日) 12:40:58.79 0
場違いではあるでしょうが、せっかくなのでこのスレで続けさせていただきます。
その前に訂正
837の2行目
×紀元前197年
○紀元前197年までに
838の3行目
×多量の騎兵を雇い入れた
○多量の騎兵を購入し、軍に組み入れた
839の1行目
×アレクサンドロス4世
○アレクサンドロス5世
いやだから創作は別スレ立ててやれって
ブログでやればいいんじゃね?
896 :
大マケドニア帝国の成立 W:2011/04/17(日) 13:59:34.52 0
893のタイトルは無視してください。
前112年に即位したカッサンドロス2世は、前105年、蓄えに蓄えた軍事力を以てローマにとどめをさすべく攻撃を開始する。
カッサンドロス自ら率いる陸軍はイリリア地方を征服したのち北からイタリア半島に雪崩れ込み、属国カルケドン(カルタゴ)の将軍ハスドルバル・ハンノが率いる海軍はコルシカ・サルディニア・シチリアを征服後、南からイタリアに上陸した。
陸軍は、北伊に居座っていたキンブリ族・テウトニ族を蹴散らしルビコン川を渡る。
田舎出の将軍マリウスの活躍を始め、ローマ軍はなかなかに善戦するが結局敗れさった。ローマ兵も愛国心に支えられてはいたが、職業軍人であるマケドニア兵と比べるとやはり差があったのである。
ここに、全オリエント及び全地中海世界を統べる大マケドニア帝国が完成した。
やめろって言ってるだろ
だいたい人に読ませる文章意識してるならちゃんと適度に改行しろよ
vipでやれ
甘英がパルティア人に惑わされずにローマまで辿りつけてたら、お互いどう記録したんだろうな
特にローマの街を見た漢人の感想を見てみたかった
漢人にとっての記録って大抵自己マンセー目的
901 :
大マケドニア帝国の成立GAIDEN〜東方世界との接触 T〜:2011/04/17(日) 15:12:05.24 0
前150年頃、マケドニア帝国の北東端ソグディアナ属州に、匈奴に追われて西進してきた月氏が攻撃をかける。しかし精強なマケドニア軍の前に彼らは一敗地にまみれ、以後歴史の闇の中に埋没してしまう。
ソグディアナ属州の北方には、アケメネス朝の時代からイラン系遊牧民サカ族が居住していた。彼らはしばしば南下を試み、マケドニア軍と武力衝突した。
前140年、西征準備中だった当時のマケドニア皇帝アレクサンドロス5世は、サカ族をゲドロシア属州に移し定住化させることに成功した。
しかし翌年には、ソグディアナに侵攻してきたトハラ人との紛争が起こっている。
>>900 マンセーしたくてマンセーするわけじゃなく
謙虚に書いてもウソは書けないからマンセーせざるを得ないだけだな
ローマまで辿り着けてたら、葡萄酒とオリーブが豊富で農耕によって生活し軍兵の数が多い、とか書かれたんじゃね
後漢書には、大秦国の繁栄ぶりとか選挙のようなものについて記述されてるんじゃなかったっけ
>>903 後漢書では最大限褒めている
大秦なんて国名つけてるし
例えば中国と大きく異なる大理石の巨大建築、公共施設の多さ、公職の選挙制度なんかは驚きをもって記述されるだろう
905 :
大マケドニア帝国の成立GAIDEN〜東方世界との接触 U〜:2011/04/17(日) 16:36:23.50 0
前128年、帝都ペラにて皇帝アレクサンドロス5世と、遙か東方のセリカ国(大漢帝国)からの使者・張騫なる者との会見が行われた。張騫は、漢と手を組み強大な遊牧民・匈奴を挟撃してくれるよう求め、彼らがいかに野蛮で攻撃的であるかを語った。
彼の話から、帝は東部国境の恒久的安定には匈奴討伐が必要だと考えた。
翌年、ソグディアナ属州総督アンティパトロス率いる、ほとんどが騎兵からなる30万の大軍が東方に派遣される。既に漢の攻撃を受けていた匈奴には、これに抗する力は無かった。
しかし、これ以上の東方への領土拡大は良策ではないというアレクサンドロスの判断により、匈奴が掃討された土地は漢の領土となる(フェルガナ王国(大宛)はマケドニアの属国となった)。マケドニアと漢は直接国境を接することとなった。
>>904 甘英の情報源がすごく気になるな・・・。
やっぱり、ローマ側の人間と接触して、ローマ帝国内の諸々の様子を聞いたんだろうか。
微妙に正確な報告だよね。
>>904 概ね賞賛されてるよね、石造りの城郭を特筆されてる、公共施設は漢と比べちゃうと多くない
数十の小国を属国に従え、石を以て城郭を造る、人民の習俗は農業を専らとし
道に伝馬を構えて公的文書を遣り取りする、人民は正しく育ち中国に類し
金銀奇貨多く様々な玉石があり、諸国の珍奇な物が集まる
商売は正直で穀物を常食としている、パルティアへの皮肉?
>>906 おそらく西域(中央アジア)の商人あたりからの又聞きと思われる
比較的大秦の情報を得ていた漢に比べ、ローマ側はあまり中国の情報を得ていない
ローマ帝国が中国に使者をよこすのはビザンツ時代以降(大秦国王安敦の使者はどっかの商人が騙った偽者)
こういうのは自分の功績になることも見越して過大評価することもあるしね
日本でイエズス会の宣教師がベタ褒めしたのもその例
数十の小国を従え、の件はどう解釈すればいいんだろ
>>910 正確な情報収集・伝聞・記録には及ばなかった、そこまで執着する人でなかったというしかない
司馬遷クラスの人間が見たならば春秋以前の周とその傘下の国に例えたかも知れん
大幅な自治を与える市民社会の属州や同盟国などそれぞれの実情を正確に理解できたかとなると疑問だが
>>908 中国史の方だと、甘英はシリア辺りまで行ったとされてるから
実際にローマ人に会った可能性も相当あると思う。
ただ、当然ローマ側はギリシャ語(かラテン語)だろうし、
甘英の方にギリシャ語を中国語に直接訳せる人がいたとも思えんから、
間に幾つもの言語を挟んだ結果、翻訳と伝言ゲームでそういう記述になった可能性は高い。
>>910 イタリア=本国で、属州を属国と解釈したのかも知れん。
カエサルが2年分の人事決めてて、その間に遠征終わらせる予定だったのは史料的にも確かだけど
実際戦役の行方はどうなっただろう?帰りのドナウ河制覇も含めて2年きっちりで終わったと思う?
終わらないし終わらせる必要も無かったんじゃね
一応終わらせるフリは大事だけど
>>913 後漢書が伝聞調なので直接会った可能性は低いと思われる
甘英も実際にローマ人と接触出来れば記録に残すだろう
パンとサーカスって現代だと
ベーシックインカムとPC+BB環境を国がタダで保障したって感覚だよね
しかもそれってイスラムがエジプトを占領するまで続いたんでしょ?
パンとサーカスはキリスト教が自分らを迫害した時代のローマに対するプロパガンダだと何度言えば(ry
ああそういう配給制度は無かったんだ
でもなんでこんな嘘が広まったのかな?
>>919 いや福祉配給制度自体は小麦法に基づいて飢え死にしない分量だけは配給される
けどそれも資格があるのは一定収入以下の戸主とその長男のみ、行列並んでとなれば
資格があっても並ばない方を選ぶ
皇帝や元老院階級がたまに配ることはあってもそれは代替わりの祝いか公共建築同様の
ノーブレス・オブリジュの精神からでしかない
日本でいうなら小金持ちの結婚式の菓子撒きと考えればよろしい
五賢帝の時代、風刺詩人のユヴェナリスがローマ市民の堕落をこの一言に込めたのが
分かりやすく残ったってとこね
921 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 15:35:12.09 0
922 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 17:11:26.52 O
>>920 喩えて言えば「20世紀末、日本の女子高生は皆売春していた」みたいな話だな。
パン(福祉サービス)もらえるのはローマ市民かつ都市に住んでる奴だけで
属州民や奴隷は当然貰えないし
ベーシックインカムとは似ても似つかない
華族で23区に居住してるような感じか
925 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 18:54:11.41 O
>>923 だって市民権が無いもの。国籍と社会福祉や参政権がリンクしているのはむしろ当然では。
初期のころの皇帝達が支配するローマは、公式には帝国ではなく共和国と
名乗っていました。
ディオクレティアヌス帝が専制君主制(ドミナートゥス)をはじめるまで
ローマ皇帝は、ローマ人口の多数を占める無産階級市民と兵士たちの支持
を必要としていたため、パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)
でつなぎとめるようなことをしていたのでしょうか?
>>925 ローマ市民権はローマ内部の極一部の人間だけが持ってた特権
国籍とはまったく異なる性質のものだろ
928 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 19:51:14.22 0
ローマ市民権ってローマ帝国人口の何%が持ってたの?
929 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 21:53:36.56 0
なんか中世後期までローマの文化は完全に放棄されていたみたいな
主張を見かけるが、ほんとうか?
フランクや東西ゴート王国など、
それまで部族集団でしかなかったやつらが国家を建設できたのは
ローマの作った制度やローマ人官僚が必須だったんじゃないだろうか?
そもそも言語もロマンス語になってるし。
930 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 22:06:23.83 0
>>929 そもそも西ローマに官僚いなかったし、フランク王国は部族社会のままだし
旧ローマ支配層 → 聖職者
ゲルマン人・アラン人 → 貴族・騎士
933 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 23:23:51.90 O
>>931 ディオクレティアヌス以降の西ローマ帝国って、凄い官僚機構があったはずだけど。
メロヴィング朝の頃までは給与で雇われた官僚がいたよ。
そもそもアウグストゥスの時代からコシリウムという内閣に相当する機関があったしな
935 :
世界@名無史さん:2011/04/18(月) 23:35:26.33 0
官僚機構が肥大化すればするほど国家は弱くなる
これ古今東西不変の定理だね
>>933 幕藩体制初期よりも粗雑な官僚機構が凄いのか
ビザンツの官僚機構は超驚天動地凄絶官僚機構になるなw
>>934 鎌倉幕府にも内閣に相当する機関があったよな
室町幕府と違ってお役人どころか高級官僚もいないけど
938 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 01:20:04.27 O
939 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 01:29:26.08 O
そもそも官僚のいない国って何だよ。
どんな組織だって運営実務の担当者がいなけりゃ動かないだろうに。
940 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 01:40:29.44 0
>>939 政治家がいればあとの実務は民間委託でいいじゃん
>>938 政治家ではあっても官僚ではないな、途中参加の重臣だし
>>939 運営実務を私人が担当する国なんていくらでもあっただろ、というかローマも
942 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 02:11:23.23 O
>>940-941 と、俗に言うがね。
その受託業務に従事して生計を立ててる人を官僚でなく民間人とする根拠は?
>>941 官僚と政治家を判別する基準を教えてほしいな。
一歩譲って大江広元が政治家だったとして、広元の部下、具体的に公文所の職員は政治家? それとも民間人? 官僚ではないの?
>>942 そりゃ国家が召抱えて給金払うか、そうじゃないかだろw
官僚ではないよ、あくまで寄子や大江家の眷属だし
944 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 02:55:26.79 O
>>942 それだと有給で従事していた職員ならローマにもいたでしょ、という話になる。
公文所の吏僚、大江家から給料貰ってたの?
>>944 見返りや特権と給与は違う、という話だよ
幕府から給料貰っていないよ、奉行衆なんかとは違って
そもそも吏僚じゃないし
946 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 08:08:49.81 O
>>945 それ言うと、江戸幕府の役人も職務の対価は原則貰ってない。家禄は役と無関係に貰えるから。足高は別にするとね。
江戸幕府にも役人がいないことになるよ。
>>939みたいに思考が浅いと恥かくねえ
潜在的な国家主義思想がそうカキコさせたんだろうが・・
948 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 12:10:16.21 O
>>947 ローマにどれだけ軍団があったか考えろよ。専任のロジスティックス担当無しに運営できたら奇跡だわ。
949 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 12:18:51.01 0
ロジはフェニキアとかの商人が契約結んでやってたんじゃないの?
豊臣軍が近江商人に物資補給関係を外注してたように
950 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 15:24:39.77 O
>>949 なるほど。
これは釣りでも煽りでもなく、大きな事務方組織無しにあれだけの軍団を維持管理したのなら、ローマ人は天才としか言いようが無いな。
その手法を是非研究したい。
>>946 貰ってるよ、幕府から役職による支給があった。幕府の代官職も藩の村役人もね
江戸幕府にはローマの西側と違い役人も官僚もいた
>>948 ローマの軍団がどれだけ反乱簒奪起こしたか考えろよ
軍団の事務が官吏によって行われたものなら平時にああも頻発しないよ
唐末の軍閥よりも独立性が高いのに官僚制も糞も無いわ、分権し過ぎ
953 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 20:03:20.02 O
>>952 そういう意味じゃなくて。
軍が軍として機能するには、誰にどこで何をやらせるか(人事)と、武器その他の必要物資をどこでどれだけ調達するか(会計)の仕切りが絶対必要。
これらは簡単ではない。将軍独りでやれる仕事じゃないし、日頃は戦闘に従事してる奴が手空き時にやって間に合うものでもない。また下っ端が決めて皆の納得が得られる話でもない。
となると、官僚の仕事をする何者かは絶対必要なんだよ。違うか?
「それを担当したのは文官でも武官でもない民間人」という可能性はある。だが、まさに事務官僚の仕事をしている何者かの身分をあげつらって現代社会の定義を杓子定規に当てはめ「官僚じゃない」と言い切るのはあまりに形式的だし、実態を誤解させるだけ。
そういう意味で「ローマに官僚無し」「軍隊に官僚不在」という意見には同意できない。
954 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 20:59:24.29 0
3 :名無しさん@恐縮です 「テルマエ・ローマエ」に阿部寛を起用
田亀源五郎のコミック古代ローマ漫画『ウィルトゥース』の間違いぢゃネエのかナッ?
阿部寛はゲイだけど、包茎(皮かむり・すぼけ)だったっけ?
愛人の男性は誰が演じるのだろう?
同じくゲイの坂口憲二か平井堅あたりが有力候補だろうゼッ!!!!!
主題歌は男好きの槇原でも平井堅でも、どっちでもイイけどナッ!!!!!
伊藤英明や榎並大二郎らも加わって、3Pや4Pシーンも登場させるとヒット間違い無しだゼッ!!
ここまで財務官(クワエストル)とか按察官(エディリス)とかいう単語なしに議論するのに失望した
956 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 21:20:54.45 0
>>953 軍団実務は軍団の指揮官やクワエストルが
私的にスタッフ集めてやってたんじゃないの
そういうのは官僚って言わないよね
現代アメリカの猟官制に近い部分はあるな
主計官ならは司令官の家のクリエンテス関係のローマ市民や
帝政時代なら解放奴隷から市民に昇格してってのもあるでしょ
官僚の定義を最広義に取れば官僚だし、
ウェーバーみたいに狭義に取れば官僚制じゃないというだけの話でしょ?
959 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 22:56:57.61 O
>>951 町役人はともかく、武士が貰ってたのは禄と足高でしょ。
足高はあなたの言うとおりだけど、禄ってのは職務の対価じゃないぞ。
960 :
世界@名無史さん:2011/04/19(火) 23:16:24.49 0
>>959 まあ厳密にいえばそうだが武士が職務を拒否できる訳ではないので
やはり一種の官僚と考えられないだろうか
>>959 家禄は家禄、幕府や藩お抱えの代官や下役人は俸給あり
962 :
世界@名無史さん:2011/04/20(水) 02:07:07.12 0
2 名前:名無しさん@十一周年 「テルマエ・ローマエ」
浴場でのハッテン場面は、どういう風に撮影するつもりなのかナッ?
男性同士の乱交シーンは何回位出て来るのかナッ?
69や兜合わせは始終、登場するんだろうナッ!!
「皇帝の愛人アンティノウス役に是非とも出て頂けませんか」
というオファーがあったが、「芸人風情に成り下がれるものか!!!」
と言下に断ってやったゼッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
分かったナッ!!!!!!!!
ギリシャのスレでやれw
964 :
世界@名無史さん:2011/04/20(水) 06:16:58.23 0
7 名前:名無しさん@恐縮です
上戸彩と綾戸智恵とは同一人なのかナッ?!
何にせよ、田亀源五郎のコミック古代ローマ漫画『ウィルトゥース』の間違いぢゃネエのかナッ?
阿部寛はゲイだけど、包茎(皮かむり・すぼけ)だったっけ?
愛人の男性は誰が演じるのだろう?
同じくゲイの坂口憲二か平井堅あたりが有力候補だろうゼッ!!!!!
主題歌は男好きの槇原でも平井堅でも、どっちでもイイけどナッ!!!!!
伊藤英明や榎並大二郎、山本太郎らも加わって、3Pや4Pシーンも登場させるとヒット間違い無しだゼッ!!
分かったナッ!!!!!!!!
>>928 帝政初期のアウグストゥスの時代でも500万人位居る。当時のローマ支配圏の
人口が6000万人前後と言われてるから単純計算で言えば12人に1人。でも現実
的に考えれば人口の半分は女だし、未成年層も相当あっただろうから。成人男性の
割合で言えば5人に1人位が妥当な数字じゃないのかな。
そんなにいないよ、150万人くらいだよ
当時のローマの人口が3800〜4300万人だから成人男性の7人に1人くらいじゃね
アウグストゥスとティベリウス連名の調査で約500万って数字が出てる。
紀元前90年の同盟者戦役でカエサルの叔父がユリウス市民権法出して北イタリア以外のイタリア
人には市民権与えられるようになったし、カエサルが後に北イタリアにも市民権を
与えた。これに政策的にローマ市民権与えた人達や海外に移民した人達、兵役済ませて
ローマ市民権貰った人達、軍団基地に駐留する軍団兵等々を足していったらそん位の
数になったんじゃね。
500万人は市民権の無い女性も奴隷も含めた数字ってのが定説
ローマ市民権者
(BC28) 4,063,000人
(AD47) 6,000,000人
『西洋古代史研究入門』
西洋古代史研究入門のその節を書いた執筆者が錯誤したか
>>969がわざと間違えて読んだか。タキトゥスはciviumとしか書いてないし
女性と奴隷がciviumに含まれてたの?
>>968の文献教えて欲しい
奴隷はともかく兵役義務が無くなったあとのケンススで
女性やローマ市民権非保持者を除外する意味無いわな
マリウス改革以降、軍役がローマ市民の「義務」から「職業」に変わったの
は事実だが、ローマ軍団の正規兵になれるのはローマ市民権保持者だけ、また
それだけでなくローマ市民には直接税免除や食糧給付・被裁判権等の無視できない
特典がある。逆に言えば国家の側からすればローマ市民権保持者の数をしっかり把握
しないと徴税や財政支出の面で多大な支障が出る。ローマ市民権保持者と非保持者を
しっかり分ける理由はそれなりにあったんじゃないだろうか。
元々のケンススはギリシャの市民兵名簿と同じで
帝政期のそれは戸籍的なものでしょ
確かに戸籍的なものではあるが、古代は現代と違って身分によって人々が
分断された時代。中世ほど職能と身分が一致するとまではいかないが、その点
は変わらない。だから身分によって権利や義務、用いられる法が変わってきて
命の軽重が全然違ってくる場合もある。だから古代の戸籍調査を現代の調査と
同一にするのは時代背景を見落として危険。
まして、そういう事が当然視される時代にあっては家族だからとか同じ家に
住んでる奴隷だから等の理由があっても一緒くたに合計されるなんて事はありえない。
帝政期のケンススは徴税が目的なんだから
女子供や解放奴隷も一緒くたに合計されるのは当然
種類分けはされただろうけど、付記でしょ
帝政期に人頭税があったのか
帝政期に人頭税あったじゃん
>>977 古代ローマにあってはローマ帝国を支配する権利のあるローマ市民とそれら
の人達に安全を保障して貰う代わり税を納める属州民に分かれるのだから、
付記される事が逆。ローマ市民権を有する××の妻とか奴隷とかXXの所有
する土地とかになる。
>>978 ある。ローマ市民権保持者には無いが、属州民にはある。地域によっては男
だけだったり、男女共に課されたり、税率違ったり地域差があったらしい。
逆にローマ市民権保持者であっても貧乏人は調査から除外する場合もあった
この場合ローマ市民権者の実数は増える
>>980 ローマ帝国は特権階級のローマ市民権保持者と戦闘を担う軍団兵
被支配者として税を搾取される非ローマ市民権保持民に分かれる
徴税する側からすれば非ローマ市民権保持民の把握が大切
983 :
世界@名無史さん:2011/04/22(金) 23:17:00.93 O
>>937 本郷和人東大准教授の著書にこういう下りがある。
「1321(元享元)年、幕府の実務官僚として活躍する二階堂行雄は…」
(講談社選書メチエ「人物を読む日本中世史」P38)
「(鎌倉)幕府の実務官僚」と、はっきり鎌倉幕府に官僚が存在したことが書かれている。是非東大の先生を論破してみてくれ。
>>983 yahoo辞書(大辞泉・小学館)
役人。官吏。特に、政策決定に影響力をもつ中・上級の公務員。
wikipedia(官僚)
日本における「官僚」とは、最も広い意味では試験に合格して採用された公務員全般を指すが、
一般的には国家公務員一種試験に合格して採用された国家公務員を指す。
また「高級官僚」は、国の行政機関に所属する国家公務員の中でも、
特に中央省庁の課長以上の地位にある者を指すことが一般的である。
官僚という用語は法律で規定されている訳ではなく、公的なものを含めて明確な定義は存在しない。
日常会話において「官僚」と言う場合、霞ヶ関の中央省庁で政策に携わる公務員を漠然と指すことが多い。
大臣や副大臣、大臣政務官は上級の公務員であるものの、
選挙で選出された政治家(国会議員)であるため官僚にあたらない。
地方公務員は通常、官僚とは呼ばれないが、大規模自治体の幹部職員に対して
「都庁官僚」のように比喩的に使われることがある
(一部抜粋)
役人、官吏という意味なら鎌倉幕府にも官僚はいたことになる
中上級の公務員、国家公務員一種試験合格者という意味では鎌倉幕府には官僚はいない
前者は役人の総称であり、後者は公務員制度が成立した以後の世界のみ出現しうるものであるためである
>>983 一時的に司った仕事の内容が官僚的でも
組織のありようとしても、仕事のやり方としても、御恩と奉公の関係からしても
官僚とは呼ばない、はい論破。
>>984 現代の官僚の定義持ち出してもだめだろ、コピペすりゃ説得力上がるとでも思ってるのかい?
大江広本はじめ中央でくすぶってた下級貴族官僚が来てただろ
関東御家人や在地領主とは結びついていないという点で十分官僚と言っていい
もういい加減スレチすぎるな、次スレよろ
>>985 文章どおり『官僚の存在の有無』なら定義が必要でしょ
『官僚』の定義からみてYesかNoか判断するわけだから
この場合は大雑把な意味である役人として捉えるか
それともより狭い意味の公務員、そして最も狭い国家公務員にするか
それによりけりだけど答えとしては十分と思うが
仮にその時代の古文書に『官僚』という言葉が既に存在していれば、
その言葉が指すもの・意味が官僚であって、
それ以外は異なる。という帰結になるし。
>>988 文字通りの官僚でなく官僚的なものでも
存在していたと言うのは無理があると思うな、まあ定義しないと話進まないけど
もし通りの「官僚」ではなく後世に官僚的と言い得る存在がいたのなら
官僚が存在したと行っても無理はないと思うがな。
そして巨大な組織を維持管理するのは、後世に官僚的と言える人々なしには
考えにくい。
>>990 私人が私人のために官僚的な仕事するのは官僚とは呼ばないんじゃないの?
994 :
世界@名無史さん:2011/04/23(土) 15:58:32.97 O
>>993 そのあたりはあんまり厳密に断言できないんだわ。戦前の日本でも公式には「官吏は天皇への奉仕者」とされてたが、実態はどう見ても召し使いとは違うわけで。
現代日本でも官僚は、日本国憲法第15条第2項によると
「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
とあるけど、召し使いと違う事は明らかだね
さらに、不正を働き私欲をむさぼる事をしていることを考えても、とてもではないが召し使いとは言えない ←これは冗談
冗談とな?召使いがご主人様を顎で扱き使ってるのは真実じゃないか!
997 :
世界@名無史さん:2011/04/24(日) 05:28:30.60 0
塩野七生はただの外専オンナ。
>>886 コンモドゥスがパルティア遠征をしなかった事は評価すべきだな。
毎度ゲルマンを撃退しても、東方遠征の為に守備兵を動員してしまうので、
またゲルマンの国境を突破され、東方遠征を中止してまた対ゲルマン戦に
なる事が繰り返された。
単にローマで遊び呆けて趣味の剣術やりたかっただけじゃね。まあヘラクレス
の化身を称する割には戦争しなかったのは怪我の功名か。
>>901 マケドニア帝国の北東端ソグディアナ属州の北方には、
アケメネス朝の時代からイラン系遊牧民サカ族が居住していた。
彼らはしばしば南下を試み、マケドニア軍と武力衝突した。
前150年頃、匈奴に追われて西進してきた月氏が、サカ族に攻撃をかける。
マケドニア皇帝デメトリオスと月氏は、手を組みサカ族を挟撃する。
月氏はサカ族を征服して、マケドニア帝国と月氏は隣国となる。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。