2 :
世界@名無史さん:2010/10/30(土) 22:06:26 0
3 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 00:58:42 0
先ほどの世界ふしぎ発見でイギリスの王族領のチャンネル諸島やマン島を取り上げていましたが、
そのひとつサーク島では2年前まで封建制が続いていたと言います。
島はトラクターや馬車以外、自動車は禁止、政治は領主が行っていたのらしい
ですが、こういうことは人道的に見てどうなのでしょうか?
島民は600人?ほどの島らしいのですが、まるで半分領主の奴隷のようでは
ありませんか。こんな制度がつい最近まで存続していたことが大いに疑問です!
シーランド公国とは違うの?
wikipedia:サーク島 より
16世紀にエリザベス1世から島の統治権が領主に与えられ、当時の地主40人が議員となり、議会を独占する体制を確立する。
以降約450年間もの間、封建制による自治を存続することになる。
1850年頃から、ボーモント家が領主を務めることになる。以降、約150年間にわたって、同家による領主体制が続く。
2000年、欧州人権裁判所が同島に対して封建制の廃止を要求する。
地主達は、長年に渡って戦争などが無く平和であることを理由に抵抗する。
しかし、イギリス政府からも圧力が掛かり、民主化を受け入れることになった。
2008年1月、地主らによる話し合いによって、それまで地主が独占していた議会を、公選制による議会制(28議席)に変えることを決定する。
2008年12月10日、サーク島で初の選挙が行われた。この結果に基づき、全住民による自治が開始された。
別に奴隷制やってたわけではないし、特殊な村みたいなもんだからなあ。
トラクターで移動するのだって小さな島だから別に不自由ではないし、環境にも配慮してるじゃないか。
リヒテンシュタインだって一応絶対君主制だぜ。
イギリスは伝統を大切にする社会だからね。ちょっとくらい不便でも、
平和だしいいんじゃね?ってことで特に問題なく続いてきたんだろう。
>まるで半分領主の奴隷のようではありませんか。
そんな状態だったらデモや暴動が起きてとっくに封建制なんて打ち倒されてるよ。
封建制っていっても領主が住民の要望を聞いて自治を行ってたんじゃないかな?
>>3 住民の人権といえば、合衆国のアーミッシュとか思い起こされる。
問答無用で18世紀の生活様式を親に強いられてる子供はたまったもんじゃないよ。
要は日本で言えば江戸時代だ。
太秦映画撮影所みたいな所で髷を結って着物着て、夜は行灯の明かりのみ、
移動手段は馬か駕籠。
外部の情報は遮断され、教育は寺子屋で読み書き算盤のみ。
こんな人生を送らされてる人が合衆国にはまだいるんです。
アメリカにも産業革命以降の科学技術を全部拒否した村とかあるよ
畑耕して聖書読んで寝る生活
9 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 01:33:11 0
イギリスにはチルタン領っていう不可解な制度もあるなぁ
下院議員を辞めるとそこ村の番人になるらしい
制度上の建前なのか、実際にそうなのかは分からないけど…
リヒテンシュタイン公国は今も絶対君主制だよ
11 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 01:43:57 0
サーク島がなにげにグーグルの過去1時間の急上昇ワード、第8位に
なってる件。
>>7 ところが電気は使えないがガスは使えるんで、今時はガス灯はもちろん、ガス式の冷蔵庫まで有るらしい。
13 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 02:51:10 0
ナチスドイツの退廃芸術の基準って何?
今のいわゆる萌え絵ってのもナチスの基準じゃ退廃芸術になるの?
>1 乙
15 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 03:08:11 0
チャネル諸島は日本でいえば対馬とか壱岐に当たるだろ。
シャージー島でエリザベス女王がノルマンディー侯爵と呼ばれてるのは
ノルマンコンクエストと関係あるんだろな、
16 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 03:14:38 O
アーミッシュのガキは都市に出てきたら、ほとんどがアーミッシュには戻らずに文化的生活を満喫しだす
アーミッシュはガスやガソリンエンジンはオッケーらしい
現代文明を否定する生活をしているはずなのにな(笑)
18 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 12:37:02 0
歴史上もっとも強いのは誰?※素手で
19 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 13:25:12 0
素手だったら現代の格闘家でしょ
UFCヘビー級チャンピオンのベラスケスだ
喧嘩の技も科学だしね。時代が進めば進むほど有利なのは当然
21 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 13:35:23 0
じょん・でんぷしー
22 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 13:44:36 0
素手で戦うことなんて無意味だからな
昔は槍とか弓とか盾の使い方が重要で
騎乗技術が流行すれば馬に乗って騎射する技術が重要で
火器が流行すれば火器の取扱いうまいやつが重要で
人を殴ったり蹴ったりするのが上手くてもなんにもならん
23 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 13:46:17 0
空手とか柔道だって帯刀禁止になって再評価されただけだからな
はっきりいって太極拳と変わらんと思う
江戸時代は刀や槍や銃や流鏑馬を練習して
誰も空手とか柔道なんて練習しんだろうて 無意味だから
柔術・組討は、敵を組み伏せるのに必要だから総合武術の一環として剣術道場でも習う
まあ相撲は全国的に盛んだったが
シェイクスピアを一冊も読んだ事ことないですが(シェイクスピアに限らずバルザックとかアチラの歴史物語)。
あんなモノは司馬、塩婆と同じで読む価値無し!と吐き捨てるには何冊読めば良いでしょうか?
そもそも歴史物語、10〜20代に読み済ませておかないといけない本でしょうか。
リチャード3世を読もうと思いながら毎度毎度後回しで、まったく嫌な感じなんすよ。
26 :
25:2010/10/31(日) 14:48:05 0
ちなみに、小生、歌舞伎や演劇はアホと思いますが、世阿弥はおおいにリスペクトしてます。
そう思えば、シェイクスピアはアリと思いますが、日本の俳優等が舞台でマクベスとかやっ
てると果てしなくアホに見えるんすよ。 まったく嫌な感じなんすよ。
文学板池
>>25 そもそもシェークスピアを歴史物語として読もうとする方が邪道では?w
>>25氏が司馬遼太郎氏、塩野七生女史をどれだけ読んで貶しているのかは知らないが
歴史の世界を舞台にした物語を正しい歴史ではないと貶すのなら、これまた大幅にピント
はずれな言葉。
いくつになってシェークスピアを読んでも、それなりに得るものはある。
嫌な感じなら読まなければいい。
読まないで貶したいのなら、それは君の自由だ。
シェークスピアはどんな観点や目的でこの史劇を作ったか、とかを知るには重要だろう
400年前の古典作品だから歴史的価値は充分あるし、英国での歴史観の一端を知ることもできる
もちろん史実と文芸は分けて考えねばならんが、その辺の研究も進んでるよ
文学史とか思想史、文化史・社会史の観点から見るべきものだよね。
史劇の内容をそのまま、現実の政治史として見ることはできない。
31 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 16:55:17 0
作品に対して史実に忠実さを求めるなら、極端な話、実時間かかりますがな
32 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 17:16:25 I
33 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 17:17:09 0
シェークスピアなんて歴史物語なんかじゃないわよ。
イギリス万歳のプロパガンダものよ。
リチャード3世は実際は悪の魅力たっぷりの渋い男前よ。
実際にチビで目つきの悪い悪人風なのはヘンリー7世のほう。
マクベスは歴代スコットランド王のなかでも優れた人物。
マクベス夫人も悪妻でなく当時のスコットランド王族のなかでは
ダンカン王以上にピクト王家の血を濃く受け継ぐ人物よ。
事実のダンカン王は賢い老人なんかじゃなく、愚かでむこうみずの若者、不良よ。
うるせーオカマ
35 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 17:44:04 0
かまうな
>>33 リチャード三世が悪の魅力たっぷりの渋い男?
うーん、シェークスピアの描写するリチャードはそんな感じかな。
説得力というか、口で人を言うなりにする能力も高いし、戦場では勇者だよね。
でも、肖像画を見ると、史実のリチャード三世には神経の細さが見えるし、クレバーな感じがする。
肩のラインがおかしいのは、従来の説の通り後世に描き加えられたせいだろうね。
決断を下すべき時には果断に判断して行動する度胸はもっていたんだろうな。
運さえ味方すれば、名君と呼ばれたかもしれないのに、残念。
37 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 17:55:16 0
39 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 18:29:30 0
>>36 テューダー家の時代に描かれたイメージ(伝記、年代記)は最悪だけど、そんなの絶対ウソ!
リチャード3世協会の見解を支持するわ。
40 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 18:34:59 0
善人ではないけど、有能。
容姿は醜悪ではなく、それなりに男前。
当時の貴夫人の日記に男前との記述も。
41 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 18:37:15 0
最強は大山マスタツだろ
よく考えろ
徐福は日本・台湾・フィリピンのどれかに渡りそこで没した。
という説はどれくらい信じることが出来ますか?
流石に現地の王になったとか邪馬台国と関係が・・とかはトンデモだと思いますが。
43 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 18:44:13 0
トンデモは、オカルト板とかメンヘル板でやれ
旧オスマンの統治地域で、ギリシャだけが反トルコ感情が強いのはなぜですか?
ギリシャで特別過酷な統治を行ったとかあったんですか?
徐福は世界史で良いだろ……
ここで議論するより別のスレのほうがいいけど
クルドやアルメニアだっていろいろあるじゃろうが。
普通に考えれば、徐福は単なるサギ師だろ
始皇帝騙してそのまま秦の中央にいたら危ないから、その金持って逃亡したのだろうが
逃亡先が日本など海の外とは限らない
騙し取った金を使うためには、中華文明圏にいなきゃ意味ないしね
童男童女や百工は?
49 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 20:02:06 0
>>44ああいった「作られた民族」によって成立する国は必ず
どこかのアンチ国家である場合が多い。敗戦後の朝鮮半島とかね。
50 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 20:42:40 0
51 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 20:42:46 0
鄭和はマゼランより早く世界周航した
>>48 かの十字軍でも似たような話あったけど
そんなもん、人買いが喜んで買い取ってくれる。
>>47 焚書坑儒も徐福のような詐欺師に騙されまくったあげく、
さんざん金をむしり取られたのが原因の一つらしいね。
>>25 シェイクスピアは文学じゃなくて芝居だ。
本なんか読まずに舞台を見ろ。
>>51 紀元前から北極の自転軸の周囲をグルグル回っていたイヌイットの方が先です。
そもそもマゼランは比島で原住民とトラブって棍棒で叩き殺されてるし。
アラブやアフリカに売り飛ばされたスラブ人達の末路を教えて
それは世界一周というのかw
いやまぁ、ある意味一周してるが。
ちなみにマゼランの船に乗っていた、奴隷だったかなんだったかが
出身地の関係上、マゼランより先に世界一周してたような……
58 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 22:46:22 0
中国史、韓国史を学ぶために
韓国の歴史ドラマとか中国の歴史ドラマとかって有効でしょうか?
それともあれは創作ものだからあまり参考にはならない?
歴史を学ぶ時って本や文章およびちょっとした地図や絵でしか頭の中に入っていないので
根本的に自分なりの勝手なイメージを作り出してる可能性もあるわけで
視覚的に見たほうが頭に入るのかなと
>>58 日本史を学ぶために大河ドラマや時代劇が参考になると思うなら、
見てみてもいいんじゃないかな?
韓国の歴史ドラマは歴史資料性は水戸黄門以下のレベルだけど
ドラマを見て人物を覚えたり時代のイメージをつかむのはアリだと思う。
でもその後ちゃんと歴史の本を読んで欲しい。
すでに製作側が「自分なりの勝手なイメージを作り出してる」からな
歴史系作品はプロパガンダ部分も大きい
>>58 水戸黄門を見ながら「副将軍なんてポストは無い」「当時の大名は髭なんて生やさない」「そもそも水戸の隠居が
他所の藩で内政干渉出来る訳が無い」とつっこみながら見る感覚で視れば良い。
ツッコむためには、その時代・地域・人物などについての知識がいる
>>58は歴史を学ぶためにドラマを見たがっているのに、それだと
>>58はドラマを見るために歴史を学ばなくてはならないな
朱元璋とか武帝とか
細かいツッコミは多いけど
たとえば日本ではなかなかイメージがわかない
紅巾の乱における当時の具体的な描写とか
皇帝としてのどういう風に部下に接していたのか?
永楽帝との関係とか
とかイメージは変わってけどなぁ
それまでは朱元璋は皇帝になってからは残忍で排他的な性格で
気にくわない部下は次々と殺していったっていうイメージがあった
実はそんな事も無かったわけで
三国志なんかも
正史よりも結局は横山三国志や蒼天航路や光栄の三国志のイメージが強いわけで
歴史系ドラマや映画をやると、だいたいムックとか周辺書籍も出る
それにちらほら歴史コラムっぽいことが書いてある
それを検証するため、軽めの歴史系書籍(文庫とか新書)をいろいろ読むなり、ネットで調べるなりすればよい
江戸末期の様子を見たいなら「JIN-仁」という時代劇がオススメ。
主人公以外は歴史上の人物だし、ヤマサの創業者や緒方洪庵など
一般的にはマイナーな人物も出てきたりするし、蘭方医と漢方医の対立とか
今まで扱ったことのない事柄が出てきて面白い。
ちなみに来年4月から第二部放送決定だそうです。
68 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 23:51:47 0
>>58 韓国史に興味を持つ上で、韓国時代劇はそこそこ貢献してるだろうな。
大体、チュモンだのソンドク女王(トンマン)だのテジョヨンだのイサンだの、
そんなの日本じゃ誰も知らなかったからな。
好太王(タムドク)やキムユシンやキムチュンチュ(武烈王)は、
古代史マニアは名前だけは知ってたが、ビジュアルのイメージなんかなかった。
好太王なんてデカイ石碑のイメージだしなw
そういう意味じゃ、韓流時代劇はとっかかりとしては悪くないよ。
69 :
世界@名無史さん:2010/10/31(日) 23:53:38 0
いまや好太王といえば、ペヨンジュンの微笑みしか思い浮かばない。
>>64 ドラマを観てイメージが出来てから、学んでつっこみ返してもいいけどな。
いずれにしてもドラマを見て歴史を学んだ気になるのはいけない。
乙支文徳主役の高句麗征伐戦ものとか、
金春秋主役の新羅の朝鮮半島統一戦争ものなら見てみたい
西太后の中の人55歳の割りに老けてみえるな〜
>>68-69 あの広開土王は「天地人」の直江兼続並みに酷かった。あんな武将いないし、あんな衣装も無い。
74 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 00:03:07 0
韓流時代劇って、「南」(韓国)で作ってるドラマなのに、
チュモン、好太王、ヨンゲソムン(高句麗)とか、テジョヨン(渤海)とか、
やたら「北」地域の人物が主役というのが、なんか面白いなw
そりゃ北方の蛮族の方がカッコイイし魅力あるからな
日本だって陸続きだったらコイツらと同じように侍より北方の騎馬民族に憧れていただろうよ
だって、朝鮮半島の南部には、ドラマになるような強国無かったもの。
>>74 現韓国人のルーツは北朝鮮から中国東北部だからね。
檀君神話とか北朝鮮の白頭山から民族の歴史が始まると記してるし。
古代南朝鮮は北から来た朝鮮人の祖先であるペダル民族(ツングース系)淘汰された。
その発端が好太王なんだよね。
78 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 00:27:05 0
>>77 檀君王儉(Dangun Wanggeom)の神話の成立は13世紀だ
実態と違うと思われ
79 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 00:28:44 0
>>76 新羅の「善徳女王」ってドラマ(BSフジ)は面白いぞ。
日本古代史でも名前だけ出てくる金ユ信とか金春秋も重要な役で出てくるし、
カヤ勢力もけっこう絡んでくるし。
倭国については、ほとんど言及ないけどな。
太王四神記では百済に進軍した談徳(好太王)の陣中で斥候の偵察部隊が
「倭国が百済南方に攻め込んで来ている」とか報告する場面があったね。
神功皇后の三韓征伐の描写だと思われる。
81 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 00:40:20 0
でも、好太王の物語なのに、倭国との戦争を正面から描いてないよね。
北朝とか北方民族との抗争は描いてたけど。
>>81 百済・新羅という緩衝地帯があるから。
どっちからも、あそこはウチの裏庭(属藩)という認識。
高句麗の気分は、わが裏庭(百済)のへりっちょを泥棒猫がちょっかい出している
くらいのものだろう。
>>81 ドラマは王位を確立するまでの話で、倭との戦争はもっと後になると思われる。
いや、ドラマはチュシンの王の生まれ変わりであるタムドクと火天会の抗争を軸に
タムドクとキハとスジニの男女三角関係を描いてるからね。
結果的に姉妹丼という結末でめでたしめでたしというのがあらすじだった。
あと何よりも久石譲センセの音楽最強でしたね。
CGで出てきた西百済(山東半島)攻めの強襲揚陸艦とかも圧巻。
現存”しない”ものを含めた世界でもっとも長い王朝はどこ?
86 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 10:05:24 0
それは俺が来年からつくる
それは”存在”しないじゃね?
88 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 11:33:46 0
「企業秘密」だから言いたくなかったが、しょうがない、訂正
それは俺が退職して来年から長大王朝を舞台とした小説をつくる
次
90 :
25:2010/11/01(月) 16:48:12 0
源氏物語を読んでなくても能の‘葵の上’は充分楽しめますしね。
シェイクスピアの劇を楽しむのもおんなじようなもんすね。
変な質問にご回答ありがとうございました。
91 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 18:01:14 0
おれはシェイクスピアの劇より シェイクヒップのダンスのほうがはるかに興味あるけど
92 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 18:24:48 0
鄭和>>>>>>>>>マゼラン
マゼランは白人だからって優遇されてる教科書にも大々的に取り扱われてる
実際は鄭和の方が優秀
93 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 18:27:53 0
マゼランのほうがすごいのは世界中の、そして日本中のひとがみとめている。
94 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 18:41:03 0
鄭和って宦官でしょ。
>>92 イギリス人乙
そんなにスペイン・ポルトガルを貶めたいのか・・・
キエフ建国以前のロシアって、どんな感じだったの?
ロシアやウクライナの公や大公って誰かの臣下?
97 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 19:26:26 0
>>56 黒海周辺の遊牧民は軍事奴隷になった
いわゆるマムルークね
>>92 鄭和がメッカ巡礼を行ったというところまでは蓋然性はあるが、マダガスカル付近どころか赤道以南に
行ったという記録はないし、技術的に無理。
何を持ってマゼランより優秀というのか、具体的に説明キボン。
>>94 むろん、鄭和は宦官でイスラム教徒で、しかも優れた航海者ですが、何か?
「公/公爵」と漢訳される地位にはいろいろある。
プリンスはラテン語のプリンケプス(第一人者)、デュークはラテン語のドゥクス(指揮官)に由来する。
ドイツでは翻訳してフュルスト(英語のファースト;第一人者)、ヘルツォークなどと呼んだ。
初期には各々の族長が勝手に名乗っていたり、他国から「あんたが一番偉い」と認められたりしてついたもので、
必ずしも国王や皇帝が任命したってわけではない。というか周の五等爵を西洋の爵位に当てはめようというのは無理がある。
ルーシの「公」はクニャージの意訳で、英語のキング、ドイツ語のケーニッヒと同じく「族長」「王」を意味する。
いわゆるキエフ・ルーシが細分されてからも各々の君主がクニャージを名乗ったため、結果的に「諸侯」クラスにまで格が落ちた。
クニャージというと、クニャージ・スウォーロフぐらいしか思いつかん。
しかし、
>>99氏よ。
「漢訳」ではなく「和訳」ではあるまいか?
ヨーロッパの貴族の翻訳で、あきらかに「公」か「大公」なのに、「王子」と訳した変な歴史小説があったっけ。
なんだったかな...?
>>94 鄭和の弟達や従弟達も宦官になっているので、一族はいません。
もとは雲南の土司の家柄で、鄭和の父は当主だったのです。
一代限りの身分だったので、皇帝から信頼が厚かったのです。
102 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 20:17:11 0
>>97 マムルークって、奴隷市場で半裸で鎖につながれてるのを、
主人になる人がみつくろって購入するのかな?
で、言うこときかないヤツは奴隷商人や主人から鞭打たれてたとか?
103 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 20:24:45 0
プリンツオイゲンのハナシでっか?
104 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 20:33:14 0
>>102 マムルークは奴隷っていっても出世する可能性あったわけで
エジプトとかインドではマムルークが王朝築いたわけで
>>96 ウクライナ(黒海北岸地域)には、紀元前からキンメリア、スキタイ、サルマタイなどの遊牧王国があった。
しかし彼らが支配できたのは平原地帯だけで、キエフ以北の森林にはフィン・ウゴル系の人々がいた。
またベラルーシあたりにはバルト・スラヴ語派の言語を話す人々がいたようだが、
ヘロドトスはネウロイという狼に変身する種族や、アンドロパゴイ(人食い部族)がいると伝えている。
その後もゴート・フン・アヴァール・西突厥・ブルガールなどが活動し、7世紀頃テュルク系のハザール可汗国が成立。
この頃には東スラヴ人が広がり始めたが、フィン人ともどもハザールに服属・貢納していた。
9世紀になってスカンジナビアからルスとかヴァリャーグと呼ばれる人々(スウェーデンのヴァイキング)が進出し、
南のビザンツやアラブと交易する中継地としてこの地域(この頃ガルダリケと呼ばれた)を往来し始めた。
「原初年代記」には、スラヴ人とフィン人が「我々の土地は豊かですが指導者がいません」といい、
ルスの族長の一人リューリクを招いて指導者にしたという話が伝わっている。
もうマムルークと半裸で鎖の奴隷の話はいいよ
107 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 20:42:07 0
買われてからは出世したかもしれんが、
売り買いされてる段階では確実に半裸で鎖だろ。
108 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 20:47:43 0
黒海周辺のマムルークは騎乗技術という特殊技能を持っている連中だからな
アメリカの黒人奴隷よりは扱いはマシだよ
>>105 つまりヨーロッパで王国や公国作って封建制やってた頃、
ロシアではまだ部族制やってたってことか。
110 :
世界@名無史さん:2010/11/01(月) 21:04:32 0
ドイツの諸侯なんかも部族大公が起源だろ。
「封建制」と訳される西欧のフューダリズムにしても、
シナの「分封建国」や日本の「御恩と奉公」とはいろいろ違うしなぁ
>>102 そういう近代奴隷のイメージとは全く違うよ。
マムルークは、ぬっちゃけていえば、旧来の支配層の一員ではないから、便宜的に奴隷身分というだけであって、
頼み込んで破格の俸給や特権を与えて招聘している。
同じ定義の仕方なら、日本の明治初期の“お雇い外人”と大体同じような地位だ。
マムルーク(個人の資質を見込まれて招聘された人)やトルクメン(一族丸抱えで招聘されてもともとの社会形態を
維持して移住)になっている騎馬トルコ人は、軍事・商業に優れていたために、治安維持、徴税、物流、通信の役割を
期待されて招聘された。日本の封建時代に喩えると、殿様や公家がアラビア人やペルシャ人の在来支配層、士農工商
の士・商のかなりの割合が呼ばれてきた騎馬トルコ人、農工が在来のオアシス住民、といった具合だ。
ゴルバチョフってなんで共産党解散したり
ペレストロイカできたり
ソ連を解体に持って行ったり
あんなにやりたい放題出来たの?
あそまで思い切った事って独裁じゃなきゃできないよね?
胡錦涛でも共産党解散とか言っても多分無理だと思う
>>113 ゴルバチョフはゴルバチョフで巧みに政敵を粛清したり、
自分の派閥を作ったりして、絶対的な権力を確立させていったんだよ。
政治手法はかなり独裁的だったから、その分反発も大きくて、それが命取りになったが。
>>113 誤解しないでほしいが、ゴルバチョフは共産党やソ連を解体したかったわけじゃない。
行き詰ってたソ連を立て直したかっただけだ。だから、共和国の連邦からの離脱などには断固たる態度で臨んだ。
ソ連が解体したのは、エリツィンがロシアをソ連から離脱させて、ソ連の存続が不可能になったから。
今まで記録に残ってる全世界の戦争で死んだ数の合計って
だいたいでいいけど100億人ぐらいいるの?
20世紀だけで5億人ぐらいいるんだっけ?
米年報「World militaryand social expenditures」によると、16世紀以後の推計戦死者数は
16世紀:160万人
17世紀:610万人
18世紀:700万人
19世紀:1940万人
20世紀:1億780万人
だそうな。
そもそも世界人口が10億人越えたのが1800年頃で、4割ぐらいは清国が占めている。
16世紀だと日本だと戦国時代だろ?
大して死者はいなかったのか?
日本の推計総人口は、応仁の乱から関ヶ原の戦いまでに倍増しとる。それでも最大2000万でしかない。
関ヶ原の戦いですら東西両軍併せて15万で、実際に戦うのは人口の一部でしかない武士や足軽。
一般人は普通に病気で死ぬのが多いわな。
明や清は、湖南省や貴州省のミャオ族反乱で100回ぐらい出撃しとるがな
そんな今のウイグル族なんか、武力においてミャオ族の足元にもおよばないわ
>>105 スラヴ人達がわざわざ自分達で家来になりますってヴァリャーグを招聘したってのがどうにも胡散臭いけど、
わざわざこういう形で伝説残してる以上、やっぱり実際のところも征服されたっつうよりは比較的穏当に統治されたってことなんでしょうかね
所謂奴隷狩りで売り飛ばされたような、白人に売られた白人達はどういう扱いだったの?
奴隷扱い
次
ヨーロッパ圏の国王の王様としての名前の命名基準について教えてください
例えば、ナポレオンの元帥のベルナドット(名前にカールもヨハンも無い)はカール14世ヨハンだし
イギリスのエドワード8世はデビット、ジョージ6世はアルバートと家族から呼ばれてますよね。
自分の名前が王としての名前になるんじゃないの?
>>121 三つ考え方があるぞ。
一つは、歴史や神話・伝承というようなものは、後の支配者が自分たちの都合の良いように支配を正当化
しやすいように、しばしば過去を改竄する。
今残ってるヴァリャーグの伝承も、リューリクの系譜の支配者が過去を改竄したものが残っているだけで、
本当は激しい争いがあったことを隠蔽しているかもしれない。
二つ目は、本当に戦闘や統治能力に長けた外来の支配者を歓迎して招き入れた史実を反映していると
いうもの。
別にスラブ人の王様がスラブ人でなきゃあならん理屈なんて、それこそ、9世紀にようなっとこ出てくるような
もので、古来、適切な資質のある者なら統治者の出自はあまり問題にならない。
ローマ建国伝説でもサビニ人の賢者ヌマを王として招聘したり、エトルリアから移住者のタルクイニウスを
王に選出したり、というのがあったりするだろ。
ルーシの建国当初は、西から東から北から異民族の侵攻、スラブ人の間でも小集団に分かれて小競り合い、
或いは、スラブ人か異民族か判然としない集団もあったりする状況だ。
史実ではない映画だが黒澤明の『七人の侍』での、村を防衛するために外部の武装集団を招きいれて厚遇
するというような似た感覚で、防衛と統治を任せたということ、違和感の或る話ではない。
三つ目は、先進的だったり軍事に優れた他集団との同祖同族を主張して、宥和や同盟を求め戦闘を避け、
交易上にも優遇されようという発想。
10〜11世紀頃のキエフ政権の勢力拡大期にはノルマン人がヨーロッパ各地を侵略しまくっていた時代で、
そういう時分に、ノルマン人のルス部族のリューリクの建てた国だと主張することで、ノルマン人の侵攻を
避けたり、ノルマン人の海運力を利用して有利に交易をしたり、西からの侵攻に対して攻略しづらいイメージを
植えつけたりする。
どれが本当のところかは、証拠となるものは既に失われてもうわからん。
>>125 そんだけ知ってりゃ質問するまでも無い気もするけど。
英国の場合、近現代で新規の君主名を起すと、ヤル気満々みたいで立憲君主制では何かと面倒なんじゃないのかと。
ベルナドットについては、ジャン→ヨハンという解釈で説明つくんじゃないの?
質問だけど、最近、図書館で杉山正明氏の
『耶律楚材とその時代』読んで楚材の実像が分らなくなった。
実際、彼は当時のモンゴルでどんな位置付けなの?
遼の契丹人だから今のダフール族のように
モンゴル語と同じ語族の人だったかもしれない。
その点では突厥や女直とは違う優位性があった。
でも、それだと同族同士の近親憎悪があるはずで
言葉は通じても習慣や宗教が違って微妙な立場。
雲南のイ族とぺー族の間のように微妙な緊張があったはず。
華北のモンゴル帝国直轄地の財務総監的な立場。
間違っても中書令という名目上の官職名に騙されてはいけない。
>>127 即位するときに王様としての名前を選んでもいいわけですね。
カール14世ヨハンは、そうですね
中国や日本には欧米列強諸国が接近してきたのに
なんで朝鮮には欧米列強は接近しなかったのですか?
例えば開国とか不平等条約とか諸々。
中国や日本と違って地理的に旨味が無かった(米・英など)
結局、日本・清・ロシアの権益争いに巻き込まれ結果がご存知の通り。
>>131 折れは憶測で答えただけで本当のところは知らんですよ。
ただ、嫡子の場合、継承順位こそあれど位を継ぐ事が前提になるし、
実際、ジョージ6世は「なななんで、ボボボボクが」と嫌々即位するハメになったみたいだし。
だから、王となった場合に使われる名前は予め用意されてるんじゃないかと。
ジョージ6世の本名:アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ・ウィンザー
アルバート、フレデリック、アーサーも、君主名の前例が無いのでジョージがソレなのかな?
詳しい人、あとお願いします。
135 :
世界@名無史さん:2010/11/02(火) 18:34:40 0
なぜ英国の王族や貴族は、独仏伊西などのように、
フォンとかドとかデにあたる言葉(オブとか)を姓名の間に入れないの?
136 :
世界@名無史さん:2010/11/02(火) 18:48:33 0
爵位の場合は入れる場合もチラホラね。
爵位か姓かわかりづらいけど。
フランス王国はカペー朝の王が頑張って、中央集権やイギリスの大陸領回収を推し進めて、
王家の力が強くなったのに、なんで百年戦争の頃には王家の力が弱くなって、
王家の手に負えない大諸侯が乱立してたの?
138 :
世界@名無史さん:2010/11/02(火) 20:14:08 0
「講談社現代新書 カぺー朝−フランス王朝史1」を読んでくれ
カペー朝:300年かけて勢力を大いに拡げたが、領地を奪われた諸侯や重税をかけられた民衆の恨みを買う
ヴァロワ朝:相次ぐ敗戦や疫病や民衆反乱で疲弊し、幼い国王の後見人が権力を振るったり、反発する諸侯との間で内乱が起きたり
フランドル:もともとイングランドとは商売上の付き合いが深く、フランス王の支配を嫌った
アキテーヌ・ブルターニュ・南仏:言語も文化もパリ周辺とは異なり、フランス王に服属したのも古くない
ブルゴーニュ:王室の分家だが、フランドルを得たり宮廷での勢力争いがあったりで、15世紀からイングランドと同盟
>>128 旧支配勢力から引き継いだ人材で、文官。
契丹は遊牧圏の人種だが、漢人の農耕圏の両方を統治したので、遊牧圏の統治はともかく、農耕圏の統治の
やりかたや、漢人との折衝やらに使いでのある事務官。
モンゴルは農耕圏の産品が欲しい、そこで、農耕圏からうまく徴税をするようなノウハウを持つ人材で且つ遊牧権の
肌感覚の理解できる人材なので、重用される。
>>132 李朝にもペリーがやってきたけれど、毒ガス攻撃で撃退した。
小船に硫黄を積んで燃やしながら風上から流したら、あっけなく退散した。
>>140 チンハイがその上で遊牧圏と農耕圏の統治を統括するトップって事でいいのかな?
143 :
世界@名無史さん:2010/11/02(火) 21:01:06 0
メキシコはアステカ文明、ペルーはインカ文明と、中南米では文明が発達してたのに、
なんで現在の米国のある北米地域では、イギリス人が移住するまでアワワワワの状態で、
ウホウホ言ってる部族社会レベルだったの?
>>143 焼畑農耕民が基本で狩猟採集がプロスアルファ
あまり定住性がなくて国家が必要なかったのです。
いってみれば、東アジアのミャオ族と同じです。
>>143 それなりの文明を持った国家とかもあったんだが。
147 :
世界@名無史さん:2010/11/02(火) 23:31:49 0
>>141 なんか「硫化水素ガス自殺」みたいでチープだな。
当時の朝鮮の人にとっては「魔法」みたいな技だったのかな?
元警官の黒木が練炭で「自殺」したそうですね。
リトビネンコはポロニウム。
お国柄が出ているようです(あくまで「感想」)
>>132 普通に列強が開国圧力かけてきて、ずっと抵抗し続けてきたけど、
耐え切れなくなって条約結ばされてるぞ?
>>122 ヴィンランドサーガとかヒストリエを買って読めば良い
>>132 18世紀末から、朝鮮は清国経由で入ってくるカトリック教徒を弾圧・殺害してきた。
1866年、相次ぐカトリック信徒の殺害に抗議したフランス艦隊の攻撃を受ける。
同年、アメリカの商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めて朝鮮に来たが、焼き討ちに遭い沈没。
1871年、アメリカは軍船5隻を率いて開国交渉に来たが、強硬な拒絶に遭い帰国。
1873年、攘夷政策を強化してきた大院君が宮中クーデターで追放され、開国派の閔妃一派が政権を掌握。
1875年、日本が開国を求めて江華島に侵入。翌年日朝修好条規が締結される。
1882年、アメリカも朝鮮と修好通商条約を結ぶが、これは朝鮮の宗主国である清国とアメリカの交渉によるもの。
引き続いてフランス、ロシアとも通商条約が結ばれるも、みな不平等条約であった。
153 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 02:03:57 0
教えて下さい。
スレの復活を待つべきですか?
それとも、新スレを建てた方がいいですか?
新サーバは、即死判定の閾値が100レスぐらいになっているので
新スレの維持が大変じゃよ。
2〜3人で回していたスレは、ネタ振りを積極的にしないと即死しちゃうぞ(笑)
155 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 07:34:46 0
オランダの植民地についての説明文の( )を埋めよ。
オランダの中南米植民地としては、
カリブ海に浮かぶ(A)島、(B)島が
石油精製で重要な位置を占める。
また、南米大陸では(C)共和国が
オランダを旧宗主国としている。
156 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 08:48:47 0
日本の脱亜論のように古くから付き合ってきた地域から離れて欧米列強
の仲間入りをしようとした国は他にありますか?
157 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 08:54:30 0
>>155いまだこんなクイズ王量産みたいな歴史を習わせてるんだ。
現在の若者は科挙地獄の支那みたいに不憫だのぅ
158 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 08:56:28 0
おそらくアメリカあたりの一流大学ならこういうのは資料持込可になってて、
「なぜときのオランダはカリブ海に浮かぶ島々で石油精製をしたのか?」というような
問いになるはずだ。
ほんとうに科挙ってのは人間の知性を昏くさせた大罪制度だよね。
なんだか欧米も科挙化してるとも聞くけどさ。
159 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 08:58:57 0
>>156その問いは最初からおかしな問題を含んでる。
1、欧米は無から前後の関係なくして出現した最高の存在である
2、それ以外はバカな遅れたクズ地域である
3、ゆえに正しく優れた欧米にいち早く近づいた地域は利口である
4、それが日本でそれに近い国もまた利口である
アホか。
160 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 09:20:00 0
でもなんで欧米って最初に条約を結んでから侵略するんだろ?
はじめっから武力で占領すればいいじゃん。
中国人って何か偉大な発明したことあるの?
あれだけ人口あるくせに日本人より知能が劣ってるだろ
162 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 10:11:06 0
浜島書店
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890円で受験世界史を網羅
使ってた方いますか
163 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 12:07:00 0
北極が海で、極点に陸地が無いことを確認したのは何時誰によるのでしょうか?
165 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 13:12:42 0
>>161 昔から無能だった訳じゃないよ。
じゃあ、なんで日本人はわざわざ危険な航海をしてまで遣唐使を派遣したと思っているんだ?
167 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 13:46:41 0
鄭和こそが史上もっとも優れた航海士
鄭和>>>>>>>>>>>その他のかす
カヌーで太平洋行き来してた名前の残ってない航海者たちはすごいなと思う
>>163 1895年、海流が運ぶ流氷に乗って北緯86度まで船と徒歩で近づいたナンセンの研究により、
北極点付近には陸地は存在せず、ただ氷で覆われた海が広がっているということが明らかになった。
最初に北極点に到達したのは、1909年のピアリーとされるが疑問もある。
1926年、バードが飛行機で北極点上空を飛行。
1958年8月3日、アメリカ海軍の世界初の原子力潜水艦「ノーチラス」が、潜航状態で北極点を最初に通過することに成功。
170 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 17:44:12 0
ノーチラス号の船長は当然、ネモ
スエズ運河が通って無い頃から、喜望峰通ってインドや中国や日本やマレーシアやインドネシアやフィリピンまで
はるばる進出して、商売したり宣教したり軍隊送りこんで植民地にしたりした
ヨーロッパの連中の根性は凄いと思うんだけど、そんなめんどくさい事をなんでやったのかね?
商売したり宣教したり軍隊送りこんで植民地にしたりしたかったんだろ
当時はそれで儲かったから
174 :
世界@名無史さん:2010/11/03(水) 20:06:08 0
↑つーか、「儲かる」と思い込んでたから。
オスマン帝国やマムルーク朝がでーんと中近東に居座ってて、欧州各国が頑張ってもまだ勝てそうにない。
じゃあ大西洋を横断して東洋へとか、アフリカ南端を回って東洋へとか、
裏道を探ってるうちに、アメリカ大陸というどえりゃーもんを発見。
ユーラシアの片隅でせこせこやるより、リスクはでかくてもどかーんと儲けりゃ王侯貴族になれそうだべ、
というわけで、世はまさに大航海時代に。
そんな危険を犯してまで、近世の航海技術で年単位の航海して
アジアや新大陸と貿易して、攻め込んで植民地を作っても儲かったのに、
なんでもっと技術が進んで、危険が少なくなった近代の植民地との貿易や搾取は儲からなくなったんだ?
儲かるからインドに固執したしその独立と共に衰退したんじゃないか。
ソ連は植民地とは違うがやっぱり独立で大打撃を被った。
生産性が上がって大量生産されれば単価は下がる
単価が下がれば運んでも利益は無い
植民地経営によって「儲かる」のは貿易やってる民間人で、
統治する方は治安維持やら軍備やら官僚整備やらで大変なの。
それでも様々な資源供給地&輸出市場として、
また本国で不満を抱いてる連中を送り込んで夢と希望を与える新天地として、
いろいろ批判はあるけど、宗主国にとって必要っちゃー必要だったのです。
>>177 イギリスはインド独立前から衰退してただろ。
ソ連の各共和国の連邦からの独立は、ブレジネフ時代末期からの衰退が進みきって、
崩壊に至った最終段階での話だろ。
>>179 貿易するだけなら、ポルトガル式やオランダ式の植民地政策で良くない?
直接統治は大量の一次産品が必要だった18cから19cの間だけだったんじゃないのかな。
後は、実は時代が下るごとに同じ仕事をするのにも労力がかかっていたっていう記述がドラッカーの著書で見られたような。
官僚機構の劣化と現地人の能力が上がって現地政府作ったほうが安上がりになったのが、原因でしょ。
>>154 ご助言ありがとうございます。
もう少し様子を見てみる事にします。
183 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 00:01:10 0
>>177 警察やインフラ作らないといけない。
軍隊も置かないといけない。
今の自衛隊、一個師団、一年間維持するのに2000億かかるんだと。
「独立運動家」とか「原理主義者」が暴れたらorz
結構廉いね。
それぐらいの税収は見込めるから。
185 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 00:23:46 0
>>171急にやってきたわけじゃないよ。支那を例にとればキリスト教徒などは
ポルトガル以前から大量にやってきている。
>>171 新教の台頭に対抗するために布教活動に力を入れたんだったかなあ
「一個師団で」だろ。自衛隊全体の年間予算総額は5兆円近いぞ。
本国守るのでもそれだけかかるのに、例えばアフリカあたりに日本の植民地があったら大変だ。
>>171 「世界中にたくさん領土を持ってるのが大国の証し」みたいな風潮があった。
「日の沈まぬ国」なんて自慢したり。
民度が低い植民地ほどコスト掛りそうだな
兵士らにとっちゃアフリカやらイスラム圏の勤務は過酷だろうなww
逆にインドシナとかは快適そうだ
190 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 05:16:20 0
>>176 近世もポルトガルは儲かっていたかも知れんが、スペインなんかは銀の取りすぎが仇になってインフレ起こしてなかったっけ?
>>190 とにかく銀だけで儲けようとして本国にとくに大きな産業もないから持ち込んだ銀も
イギリス・オランダ等に貿易で全部吐き出させられてた。
そんで、それに対応して先考えずに銀を運び込んでたからユーラシア中に銀が流出し
て、中国まで巻き込む銀の大インフレ引き起こした。
193 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 10:59:18 0
キリスト教がローマ帝国の迫害にも関わらずに領内の異民族間に広まっていった
のはなぜでしょうか?
また、エルサレムのユダヤ人のイエスという男がどうしてここまで神として
持ちあげられるようになったのでしょうか?
宗教的ではなく世界史的な答えが知りたいです。
194 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 11:33:54 0
何度もその質問と答えが書かれてるでしょ
キリスト教が大勢力となるのは、コンスタンティヌスによる公認以後。
もとはユダヤ教分派のカルト宗教で、ローマ社会が不安定になってくるにつれ東方で教勢を伸ばした。
弾圧だの迫害だの殉教だのとはいうが、実際にはそれほど大規模なものではないし、
社会不安を掻き立てるカルト宗教を弾圧するのは治安維持の点からは当然。
カリスマ的な人間が神として崇められるなんてのは、太古の昔からあったことで珍しくもないが、
ユダヤ教の唯一絶対神と同一視されたので、それと同等の権威を得ることになったまで。
イベリア半島におけるレコン・キスタ運動についての入門書になる本はありませんか?
比較的安くて入手しやすいのをあげてくれると嬉しいです
レ・コンキスタじゃね?
あー勘違いしていたようです
199 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 18:23:29 0
ナスル朝が追い詰められていく。
かわいそうだ。
ロシアのヴォルガ・ドイツ人について調べました。
その始まりは18世紀にエカテリーナ2世が熱心に移民を要請して
以後のこととよく言われているようです。
しかしマルコ・ポーロの記述か何かでバトゥの遠征でモンゴル軍に
捕まって連れてこられた鍛冶屋の子孫について書かれてあったと思いますし、
(たしか場所は「サラトフの河畔」だったかと)
その後にももっと早い移民があったのではないでしょうか。
いわゆる東方移民は東はポーランドあたりまでとされているようですが。
モルダヴィア・ワラキア・トランシルヴァニアの三つの地域が統合して建国されたルーマニアには、
他の東欧の国のような分離独立運動などは起きてないんでしょうか?
202 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:29:10 0
>他の東欧の国のような分離独立運動
え?
203 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:31:39 0
>スペイン植民地。
仮に植民地ゲットしたとしても、入植した本国人が本国に反乱を起こすかもしれない。
教科書レベルで言えば、アメリカ13州。
ナショナリズムが高まった19世紀以降はもう少し難しいだろうが。
204 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:32:33 0
>>202 メジャーなところだとウクライナやベラルーシ、バルト三国のこととかじゃないかな?
205 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:36:34 0
>>201 ハンガリー系住民との確執はどうなったんだろうね?
206 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:41:18 0
>>201 歴史的にモルダヴィアの一部であるベッサラビアは1812年の露土戦争の結果ロシア領となる。
その後、一時的にルーマニア領となるも第2次世界大戦の時に再びソ連領となり、ソ連崩壊と同時に1991年に独立。
以後、ルーマニアと合併しようという運動が現在も続いているが、ロシアやウクライナ系の人々が沿ドニエストル独立運動を繰り広げてるため、なかなか合併できずにいる。
207 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 19:56:56 0
鄭和って何やった人だっけ?上に出てたけど思い出せん
208 :
勅使河原:2010/11/04(木) 19:58:44 0
南海遠征、朝貢を求めて回った、最後はマリンディまで行ったっけ
ちなみに永楽帝に仕えた宦官でもある
209 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 20:02:36 0
210 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 20:26:07 0
>>208-209 わざわざすまない
世界史板って毒気がなくていいな 思ったことを気ままにかける
小姓(ペイジ)についておしえてください。
趣味で漫画かいてます。
15世紀のヨーロッパ
小姓はどういう生活をしていましたか?
城に勤めて、城で寝泊りしてたんですか?
212 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 20:51:23 0
>>211 ヨーロッパの中世におけるペイジは、騎士の城や屋敷に仕える、
7,8歳から十代半ばくらいまでの少年のことをさす。
大部分は貴族や荘園主の子弟で、王の宮廷をはじめ、
生家より家柄が上の貴族に奉公して、使い走りを務めたり、
家庭内の仕事をまかされたりしながら、将来の騎士にふさわしく、
馬及び武器の扱い方やテーブルマナー、また、チェスの遊び方などを教えられた。
14歳くらいになると、今度は従騎士となって銀の拍車を付け、
主人の身の回りの世話を担当するようになり、戦場でも補佐役を務めた。
213 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 21:17:58 0
伝統的な西洋人の名前は
・グレコローマン起源のもの
・オリエント起源ユダヤ教・キリスト教経由のもの
・ケルト・ゲルマン起源のもの
が多いけれど、中世〜絶対王政期で。これに当てはまらない名前で、
それなりに有名な人はどういうのがありますか?
215 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 21:29:35 O
「アラン」とかは?
7歳で丁稚、14歳で成人扱いというのが基本だよな
白雪姫も7歳で嫉妬され城を追い出され、14歳で王子と出会い結婚する
作家が創作した名前
Cordelia、Miranda、Pamela、Thelma
あとはバスク系の名前とか
>>215 ケルト起源。
>>217 そこに挙げたのは、どれもローマ起源だし。
それ以前に実在しない人は歴史の範疇ではないしなあ。
で。バス系の名前でそれなりに有名な人の具体例は?
小姓の返答、ありがとうございます!
こんなに親切におしえてもらって感激しています。
またなんかあったら質問させていただきますね
ありがとうございました^^
マクシミリアンは創作といえるかな?
221 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 22:31:52 0
>>220 2つの名前を合成した訳だから確かに創作と言えるけど、
元になった名前が2つともローマ起源だから
>>241には当てはまらないんじゃない?
222 :
221:2010/11/04(木) 22:33:41 0
ローマ起源と言ってもローマに同化した他民族の言語に由来するものと
ラテン人古来のものがあるでしょ。
前者の例でCaesarというのはカルタゴの名前、
フェニキア語で「象」ではなかったかな。
フェニキア語はアラム語やヘブライ語と同系の北西セム語だが、
この場合はキリスト教・ユダヤ教経由ではないね。
これが中世〜絶対王政期に人名に使われたかどうかは知らないが、
ほかにもローマに同化した異民族の名前なら残っていそうだ。
224 :
世界@名無史さん:2010/11/04(木) 23:00:35 0
俺は日本が好きだ
だから世界から見た日本はどういうものかについて興味を持った
近代以前で日本が世界史に登場するのって”ジパング”としてのみか?
俺、高卒の結構なワルやったけど最近勉強好きになってきたんや
ガキのころ勉強してた奴をよく馬鹿にしとった
そいつらの代わりにお前らに謝らせてくれ ごめん
ジパングの前にワクワクがあります
西洋=西欧とはかぎらんからバルト、スラヴ、ブルガール、マジャルならどうよ
ゲディミナスとかボリスとかクルムとかアールパードとか
リトアニアの人名は独特で中二病RPGっぽくて好きだな
アルギルダスだのダウマンタスだの
229 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 00:04:37 0
いちいち「シナ人」なんて死語を使う感性が理解できん。
普通に中国人って書けばいいのに、何にこだわってんだ?
230 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 00:04:39 0
質問です。当方、受験生で試験科目の世界史に大論述が課されるため
グローバル・ヒストリー関連の話題は興味があるのですが、聞く所によると
「1968年」は1848年に次ぐくらいの革命の年だそうで、当然教科書には
このテーマは載っていないので自分で考えてみたのですがやはり自信がありません。
どなたか歴史に造詣の深い方、世界史における1968年の衝撃(?)について教えていただけませんでしょうか?
自分で考えた所では
@ベトナム戦争敗北により
経済面では深刻な財政難
社会面では公民権運動と反戦運動が結びつき全世界へ波及
文化面では若年層による対抗文化の形成による既存のアメリカ的価値観動揺
AECやASEANの形成により主権国家の枠組みを超えた新たな国民統合の動き
Bフランスの五月危機や中国の文化大革命や東欧プラハの春など反体制運動の高揚
C第3次中東戦争の結果アラブナショナリズム衰退
DSALTTやニクソン訪中などによる共産主義対資本主義の対立の緩和(デタント?)
となりましたが、いかんせんまとまりませんでしたorz
1848年革命との比較問題にしたらおもしろそうですね。
232 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 05:16:20 0
>>229 中国と支那とでは微妙に概念が違うんだけれどね
234 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 08:12:30 0
日本の財閥のパンパンがビートルズを解散させようとして股を
開いてた年でもある=1968年。
なんにしてもアジアって女しか有名人がいないよね。
欧米白人の妻かメスって感じ。
>>233 しかし漢字で書く習慣はない。
新疆は直轄地か域外か時期によって極端に異なり
土司制や盟旗制などグレーなことはやっていない。
中国といえば新疆のウルムチやカシュガルも含む。
シナといえばウルムチやカシュガルは含まない。
236 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 09:23:21 0
中国:中華民国、中華人民共和国の略称
支那:大清帝国の領域から満洲、蒙古、新疆、チベットを除いた、いわゆる本部
237 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 09:25:22 0
それなら漢域でええじゃん
清朝期だけでは歴史の話はしずらい。
燕国は燕国であって遼、満洲、遼寧とは言わない。
本を読まないから支那を聞きなれないと思うんだろう
>>239 論文ではカタカナでシナ書いてあるからカタカナを使っているよ。
作家石原慎太郎以外の習慣
243 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 09:56:48 0
ぐーしても明治期の文章とネトウヨの文章しか
出てこないから一線を画したいため「支那」とは書かないで「シナ」と書く
次
通じてんならどっちでもいいだろ。
シナでも支那でも。
246 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 10:08:10 0
「支那」ではなく「China」の翻訳語のつもりでの「シナ」か?
巴里でもパリでも同じ事って言うくらいには
支那でもシナでも良いが、どの概念で使っているか解ってて使うなら良いんじゃないか
英語だとSinologyなどと言うように、sino、chinoを接頭語として使う
新浪網公司がアメリカを中心に展開しているSina.comに対しても在日中国人から別称だという苦情が寄せられ
それに対して、「China」と「Sino」を合体したもので中国の蔑称ではなく尊称であると回答するという事があった
やたら気にしてるのはどっちの側にしろ変な人だろう
248 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 10:12:12 0
在日中国人は江南人が多いから
秦や清を連想する名称を嫌うらしいな
蛮族に限って外からの呼称に拘るよなあ。
250 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 10:22:03 0
漢と韓がアクセント違い一緒のHanでこれまた在日中国人の気に触るw
だから「高麗」と韓国のことを呼ぶ
なぜか「南朝鮮」ではなく現代のことでも「高麗」
案外語源知らないで使ってる事多いけど、
チノパンのチノなんかもそこから来てるんだよな
サツマが日本の異称だと思ってた留学生に、なんと説明したものか…
サツマイモは日本芋ってことか
アクイタニアがフランスの異称と思うのと同じだって言ってやると良い
分り難ければ西南夷が中国の異称と思うでも良い
薩摩人には内緒な
邪馬台国薩摩説
みかんも英語で「SATSUMA」だっけ
※オレンジとは別。いわゆるおこたのお供の温州みかん
アメリカではテーブルオレンジって言ってたぞ
カエサルはフェニキア人の名前なんかじゃないよ
カエサルの語源の説の1つとしてフェニキア語で象が挙げられてるだけ
Table Orange は商品名みたいだね。
ステープラーがホッチキスみたいなものか。
中世の大国でオスマンと五分で戦ったり、ウィーンを落としてたりしてたハンガリーが、
近世に入ってから現在に至るまでパッとしなくなったのはなんで?
オーストリア=ハンガリーになって国内紛争で忙しかったから
262 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 19:30:49 0
>>260 モハーチの戦いでオスマンにやられてからは第一次世界大戦後になって独立するまでは、
ずっとハプスブルクの支配下だった(100年ほどオスマン領だった時期もあるが、どのみち他国の支配下であることに変わりはない)
東西ローマに関してですが
属地の東ローマに対して、本地の西ローマが余りに短命に終わってしまったのは何故ですか?
日本で言えば
大日本帝國の解体後も、満洲國の方が21世紀まで発展しているような物ですし
>>263 現代で言えばイギリスよりも分家のアメリカの方が繁栄してるだろう。
独立を失って没落した国が、独立した後再起して、大国となった例はあるんだろうか?
ポーランドとかリトアニアとかハンガリーとかポルトガルとか、
独立しても昔の栄光は取り戻せなかったし。
当時は経済も文化も人口も都市数もインフラ整備もキリスト教の普及度も東の方が断然上だ。
モンゴルのくびきから独立したロシアという国があってだな
あとティムールに敗れて没落したが復活したオスマン帝国
中華王朝も北方騎馬民族に占領されては復活したとも見れるな
王朝に繋がりはなくとも漢民族王朝として見れば
270 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 22:15:47 0
>>266 デンマークから独立した後、バルト帝国を築いたスウェーデン。
271 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 22:23:03 0
>>268 オスマンは別に独立を失ってた訳じゃなくね?
ヒクソス後の歴代エジプト王朝
ハンガリーってそもそもアールパード朝の頃から貴族が内乱に精出してgdgdなイメージなんだけど
274 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 23:00:52 0
>>273 ハンガリーに限らず東欧は基本的に西欧に比べ貴族の権力が強いから
中央集権化がしにくい傾向にある。
ハンガリーはむしろアールパード朝が断絶して選挙王政になってからのほうが繁栄している。
ラヨシュ1世やマーチャーシュ1世など。
275 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 23:04:25 0
>>269 北方騎馬民族の掟が注入されるから活性化して
堕落して土人化せずに済んだともいえよう。
ペストで農民の地位が上がったから、ペスト禍の少ない地域ほど貴族が強い。
貴族が強く平民の地位が低い地域は近代化が遅れる。
>>266 押さえつけていたミタンニをボコって強国になったアッシリアは?
黒死病は東洋から来たのに…
279 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 02:08:47 0
>>266 日本、韓国、台湾。
北朝鮮は絶賛下降中。
280 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 02:16:33 0
「エジプトのナセル、ベトナムのホーチミン、キューバのカストロらは
社会主義的政策をとり、アメリカの政策にも批判的だったが必ずしも
反米ではなかった。それなのにアメリカが反米親ソと決めつけ、敵視したため
本当に反米になった。彼らを反米にしたのはアメリカの外交政策の失敗が原因だ。」
というのは事実なのでしょうか?
100%yes-noのどっちかに割り切るのは難しいが
おおむねyes寄りと思っていてよろしい
282 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 02:26:27 0
>>280反米か親米かの基準はひとつしかない。「自国通貨や貿易を
ドル建てにしてるかしてないか」だ。ドルを使わない国は反米国家にされるんだよ。
283 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 08:34:42 0
すみません。教えてください。
ビザンチン帝国やその文化などがざっくり分かるような本はありませか?
夜間高校生にも分かるものが欲しいのですが・・・
初心者にもわかりやすい、というのであれば、井上浩一先生の著作がお薦め
とりあえず入門的なのは、講談社現代新書の『生き残った帝国ビザンティン』だな
あと、中央公論社の『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』とか
もし入手できるか、図書館に置いてあれば、筑摩書房『ビザンツ皇妃列伝』も面白いぞ
285 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:31:31 O
イスラーム教徒がササン朝ペルシアを滅亡させた戦いであるニハーウ゛ァンドの戦いも ジハード のうちのひとつでしょうか?
286 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:48:31 0
>>282 そうするとユーロ建てのEU諸国、ポンド建ての英国も反米か
287 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:51:36 0
初期イスラムの戦いは全部ジハードだよ
社会が平和になるとジハードのいろんな意味をつけはじめたけどさ
288 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:52:57 0
>>283 井上浩一先生の本
黄金のビザンチン帝国
289 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:54:34 0
東ローマの文化だったら
ウィキペディアのアヤソフィアのページとか読めばいいよ
290 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 09:56:54 0
東ローマでウィキペディアで面白そうなページは
・アヤソフィア
・ミュリオケファロンの戦い
・コンスタンティノープルの陥落
・マラズギルトの戦い
東ローマ関係の本なんて専門書しかないから
ウィキペディアみたほうが面白いかもね
291 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 10:48:32 0
東欧諸民族がカトリックまたはギリシア正教
のどちらを選択(改宗)していくかも
おもしろいね。
>>279 1950年代までは北朝鮮>韓国だったんだよな
日本の現地資産とインフラが北に偏ってたお陰で。
韓国の洪水の際は北朝鮮側が経済支援してる。
北朝鮮が大変なことになったのはソ連崩壊からだからな。
何のかんので親は周りを十分支援するだけの力があった。
294 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 13:42:17 0
>>290 ウィキペディアのビザンツ関係の記事は全体的にクオリティの高いのが多いね。
>東ローマ関係の本なんて専門書しかないから
井上先生なんかは結構一般向けの本を書いてると思うけどなぁ・・・
>>278 すみません、ペストがどこから来たかを問題にしている書き込みはどこですか?
レスを辿ったのですが、その発言がどことつながりがあるのか解らなくて…
>>276じゃね?
モンゴル帝国やマムルーク朝など東洋でも黒死病が大流行したのに、
農民の地位が上がったわけでも「近代化」が進んだわけでもない
297 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 14:47:26 0
まぁ、西欧の近代化の要因を黒死病に結びつけるのは少し無理があるなぁ。
個人的に東欧の貴族の権力が強いのは西欧に比べてキリスト教の受容が遅れたせいだと思う。
つまり王権神授的な考えが根付かず国王の権力が強くなりにくかったから、
相対的に貴族の権力が上がったんだと思う。
「じゃあ、ハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠は何なの?」と言われたら返答に困るが・・・・
十字軍に散財し過ぎた西欧の貴族諸侯と違って
東欧貴族は勢力を温存したからじゃ?
王権神授説なんてコンスタンティヌスの時代からあるぞ
ルーシやポーランドがキリスト教を受容したのは10世紀で、北欧諸国と大差ない
「じゃあ、神聖ローマ帝国は何なの?」とも言えるし
300 :
297:2010/11/06(土) 15:17:09 0
>>298 なるほどそっちの方が影響強いかもね。
東欧で十字軍は行われたのはハンガリー王ジギスムントによるニコポリス十字軍くらいで、
西欧に比べてほとんど十字軍に関わらなかったからね。
西欧諸国は十字軍によって先進的なイスラーム文明を導入して
ルネサンスによる発展が出来たけど東欧にはそれが無かったのが
後の西欧と東欧の差になってくるのかも知れない。
301 :
297:2010/11/06(土) 15:19:17 0
>>299 北欧諸国も貴族の権力が強いイメージなんだが。(バルト帝国時代のスウェーデンは例外)
イタリアやフランスや英国では貴族の力が強くなかったの?
>>300 いやでもそれこそハンガリーとか、
オスマンの影響受けまくった国もあるわけで。
というか東欧とか、わざわざ遠距離遠征しなくても、
しょっちゅうイスラム圏と戦ってたりするわけで。
先進イスラム文明圏アンダルスへの十字軍も忘れられがち
○○家っていうのがイメージつかみにくいんですが…
例えばハプスブルク家みたいな
現代で例えるならどんな感じですか?
内閣や天皇みたいな感じでしょうか?
現代日本じゃ
世界の王室やら少し前の日本の血統主義は想像できんのじゃないかね
今でも藤原摂関家の流れなどは続いてるだろうけどそんなこと意識してないでしょ
日本海の彼方にキム家の北朝鮮国があるだろ。
ああいう感じだ。
あれはせいぜい2代3代じゃね?
今だって政界財界に顔が利く家くらいあるんじゃね?
俺は下っ端すぎてさっぱりわからんけど。
310 :
297:2010/11/06(土) 16:32:23 0
>>302 19世紀後半まで統一国家がなかったイタリアは例外だが、
イギリスもフランスも近世になって国王が絶対王政を敷くようになる。
その時、王権の正当化に使ったのが王権神授説という論法。
311 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 16:41:41 0
あのな。
文化の発展の源は 風呂 だ。
ギリシャ文化、風呂があった。アルキメデスが風呂場で「比重」の概念を発見したのをしってっか?
ローマ。風呂大好きや。風呂場で討論し交流した。
フランス、イギリス。風呂大好きや。
そして我が日本。風呂大好きや!大好きや〜!!
風呂場で血流を良くしながら物を考える。これこそが文化、学問の発展を促してきたんや。
文句あっか?
312 :
さぬき/びぜん:2010/11/06(土) 16:44:15 0
最近は節水のために風呂に入らなくなった。
シャワーで我慢して饂飩のための水を確保しよう!
あんさんが風呂好きなのはわかったが、
文化の発展に結びつけるのは強引すぎる
314 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 16:45:42 0
うどん粉じゃ頭は良くならん。
風呂や。
風呂に入れ。
315 :
さぬき/びぜん:2010/11/06(土) 16:46:03 0
うどんは文化だ!
そばとかスパゲティの立場を考えて欲しい。
317 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 16:54:41 0
風呂が嫌いな民族はおしなべて文明が停滞してる。
間違いなくいえるぞ。
風呂が好きな中学生は偏差値が高いというデータもあるっ!
うどん粉なんかありがたってないで風呂をわかすべき。
おーい!かぁさん!
風呂や風呂や!
ビールも飯もあとや!
318 :
さぬき/びぜん:2010/11/06(土) 16:54:43 0
讃岐人の領袖佐伯一族の空海さまが長安から持ち帰ったのだ。
さあ饂飩をくうかい?
ネパール住民の立場を考えてほしい。
321 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 16:58:22 0
そんなにうどんがくいたけりゃあ風呂の残り湯でゆでるがいいさ。
322 :
297:2010/11/06(土) 17:01:10 0
古今東西、入浴文化っていうのはいたるところで見られる。
イスラム圏のハマムやインドの沐浴、古代ギリシャ・ローマの公衆浴場などは有名だし、
近代になってシャワーが発明されるとシャワーによる入浴が世界基準になった。
ただ、それを文化の発展に関連付けるのはいささか無理があるが・・・・
323 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 17:02:48 0
>>322 入浴文化が無い民族は歴史さえのこせなかったんや。
324 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 17:03:46 0
シャワーじゃあかんで。
肩までつからな。
>>323 >入浴文化が無い民族は歴史さえのこせなかったんや。
たとえば?
歴史が残らなかったんだから例もない、などと言わないでね。w
酔っ払いかお前さんは
次
ネパールには歴史がある
328 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 17:04:46 0
たとえば?とかそういう無粋なこというなよ
無粋ねぇ。
つまり単なる愉快犯のアラシね。
はい、次。
330 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 17:07:11 0
歴史の本質に迫る説がいま、無視された。。
2ちゃんのおばかにはわからんか。。
よし、学会誌に投稿しよう!
誰も引用しないと思われ
(・ω・)ノシ <先生!! サウナはお風呂に含まれますか?
(・ω・)ノシ <シャワーは? たらいの行水は?
>>305 汝は結婚せよだからちょっと違うかな。
現代だと結婚がほとんど意味を持たないので類型がない。
ハプスは確かにちょっと特殊かもな。
336 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 18:27:41 0
東欧は選挙王政が多いから、貴族が力持ってんじゃないの?
337 :
297:2010/11/06(土) 18:29:23 0
>>336 因果関係が逆かと・・・・
貴族権力が強いから、ポーランドやハンガリーみたいに選挙王政が多くなるのでは?
338 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 19:07:39 0
本来はポーランドやハンガリー、ベーメン(ボヘミア)も血統によって王位を
継承してたけど、断絶して、選挙王政に、国外の王侯が国王になるが、
たいがい不在領主に、結果、在地貴族の天国に、って流れだと思ってたけど。
選挙で統治者を選ぶという点においては同じなのに、
どうして選挙王政では中央の権力が弱く、
共和制では中央の権力が強くなるんだ?
340 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 19:11:58 0
あと、デンマークも長きにわたって選挙王政。
市民、農民の支持を受け貴族を抑え世襲王政に移行するのは、
絶対王政確立期になってから。
341 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 19:14:45 0
選挙権が各国の等族(貴族層)に握られてたから、
封建貴族的な分権主義が温存されることに。
342 :
297:2010/11/06(土) 19:31:30 0
>>338 西欧だとある王朝が断絶しても別の貴族がまた新しい世襲王朝となるけど、
東欧ではそうならなかったのは貴族権力が強いからだと思う。
>>339 ポーランドは共和制だが中央権力があまり強くないよ。
>>297 黒死病の影響が、マムルーク朝と西欧で正反対に働いたりはしているけど
やっぱ影響はでかかった気がするなぁ。
中央集権化って、統治の効率を良くするためのものだけれど
もともとわりと豊かな資源に恵まれていたが故に
効率の悪い封建社会をしても問題なかった西欧は
人手不足のために効率化を行ったために、封建制を脱したのに対し
すでに効率化されている状態の軍事政権だったモンゴルやマムルークは
人手不足になっても、改良の余地がなく、沈没、みたいなイメージがあるが。
344 :
297:2010/11/06(土) 20:06:03 0
>>343 なるほど。
モンゴルはちょっと詳しくないんで良く分からないが、
確かにエジプトでは黒死病の結果マムルーク朝が衰退してるね。
西欧の近代化の要因とまでは行かなくても、
東欧に比べて西欧で絶対主義が流行った要素の1つぐらいにはなるか。
この事は西欧に限らずエジプトでも、
マムルーク朝の後に続いたオスマン帝国での皇帝権力が
西欧と同様にかなり強い事からもうかがえる。
東欧諸国でロシアだけ例外的に皇帝の力が強いのも、
タタールのくびきの下で黒死病が流行ったせいかも知れない。
345 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 20:11:44 O
高句麗や渤海の王族は漢語の姓名を名乗ってたんですか?
名乗っていない。
チベットビルマ系の部族名みたいなのを名乗っている。
347 :
346:2010/11/06(土) 20:20:57 0
チェーとかダーという一音節の部族名は
チベット族の部族名。
郎格薩爾王の「郎」が姓で、格薩爾が名前。
モンゴルではペストの知識が豊富だったのか
(近隣のシベリア樹林地帯の野生動物がペスト菌キャリアで、
そこの森林の民から早い時代に情報が伝わっていた可能性あり)
ヨーロッパほどには大打撃にならなかったと
モンゴルは生で肉を食べず、釜で煮てから食うのが徹底している。
マクニールの「疫病と世界史」に載ってた話で、
満州には弱ったネズミに接触してはいけないというような内容の民話だか宗教話だかがあって、
清朝の満州族が漢族に満州への立ち入りを禁止していた時期はペストが流行る事がなかったのに、
清朝が衰退して漢族が満州に入り込み、満州の民話を無視してネズミに接触するようになって
満州のペスト流行が起きたという話があった。
遊牧民は民話的な話でペストから守られていたという事はありうるね。
しかし大帝国を作って定住したりする内にその防衛が効かなくなり世界中に拡大、と。
黒死病と言えば、キプチャク・ハン国がカッファかどこかクリミア半島のジェノヴァ植民都市を攻撃したときに
ペストで死んだ人間の死体をトレバシェットで都市にぶち込み、
そこに交易に来ていたジェノヴァ商人が感染してシチリアとマルセイユに持ち込んだために
広まってしまったという話を聞いたのですが、この話は事実なんでしょうか?
原始的な生物兵器のような発想で面白いですが
>>350 似た話を読んだことがある
最後のペストの世界的流行は19世紀末(明治中期だった日本にも上陸)だったけど、
そのきっかけは毛皮を求めてシベリア方面へ出稼ぎ・交易に来たロシア人猟師や商人だった
地元の先住民族には「病気で弱った獣に触ってはいけない」という禁忌があり、厳重に守られていた
だけど流入ロシア人は禁忌を無視し、弱ったミンクなどを絶好の獲物とみて捕らえていた
結果、ペストを広めることになった、という話
353 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 22:13:54 0
モンゴルのネズミは地ネズミでタルバカンといってでかい。ウサギみたいなでかさがある。
こいつのリンパ腺にしばしばペスト菌がいる。
いや、ペスト菌だけじゃないらしい。
現地の人はタルバカンを捕まえて石焼にして良く食う。
かのジンギスカンも、羊の群れを飼うだけの牧草地をモテなかった子供時代はこのタルバカンばっか食ってた。
でも、日本人とかが行って食うとてきめん下痢するんだそうだ。
おそるべし、タルバカン。
>石焼にして良く食う。
それはカザフの影響だろう。古い時代はデカいネズミを釜で煮ていたらしい。
三島海雲記念財団に聞いてみると、料理法の変遷とかわかるかもw
あそこはモンゴルの食品について異様に詳しい。
355 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 22:34:22 0
石焼ってあれだよ?
頚をきりおとして内臓をとりだしてすてちまう。
そのなかに真っ赤に焼いた石を詰め込んで内側からむしやきにするんだよ。
のこってるのは皮、骨、肉だね。
内臓にはリンパ組織とか胸腺とか。ウイルスや細菌を封じ込めてる部分があるだろうから捨てるのは智慧だよな。
チェンバレンって何故、ドイツに宣戦布告しておいて
自身はその後、すぐに退陣したんですか?
宣戦布告したのは彼の内閣なんだから
彼が戦時内閣を率いていくべきだと思うのですが。
ドイツに譲歩して友愛の精神でいけばドイツと戦争なんか起きませんよ
そう言い続けたのがチェンバレンだから。
ポーランドに攻め込んだりしたら戦争だという条約を結びつつも、
それで抑制力になって実際は戦争にならないと言い続け、
その条約が発動して戦争になっちゃっただけだから、
戦争する気の内閣じゃなかった。
条約が破られたから宣戦布告はするけど
チェンバレンは率いたくないからチャーチルに後を任せたという感じですが。
ありがとうです!
ググったらタルバガンで出た
なかなかデカイ
目の毒だよ。保養にはならんw
毛皮だけ貰いたいタルバガン
>>356 元々チェンバレンとしてはさっさと仏・独との国交樹立してたソ連と友好結んで
ソ連協力の元そのまんま平和に持って行きたかったんだが、チャーチル含む国内が反対してな。
その後アメリカからも協力しようって来たがソ連との協調を断り独自方針を打ち出した以上、
これでアメリカと協力するのは三国との関係が悪化するだけってことで拒否するしかなかった。
で、国内の反対派のゆー通りにした結果戦争になった上、全面動員してやる気になってんのに
戦争の準備できてないよポーランド見捨てるしかないよねーというのが圧倒的意見だから
これはキレるしかない。じゃあなんで最初に反対したんだよと。
それを差し引いても、仏の防衛ではもしシュリーフェンなら
海軍がキモになることは分かってたし、チャーチルに任せるのは妥当な判断。
戦時だからこそ権力は軍に預ける方がいい。じゃないとどこぞのボヘミア伍長みたいになる。
でもチャーチルは第一次世界大戦で大失態やらかしてるんだけどね。
364 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 11:24:01 0
イタリア植民地
アルバニア・エリトリア・リビア・ソマリア
過酷な搾取にあった。戦後の歴史も混沌
独裁、鎖国・・
現在有望なのは石油を武器に対米外交展開する
リビアか
365 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 11:44:29 0
チャーチルもヒトラーもメンタル面ではおなじようなもんだよ。
どっちも平和なときには必要とされ無い人間。
戦争とか常人では対処がこまるときによばれてでてきて神がかった妄想と頑固さで指揮をするんだ。
チャーチルはヒトラーがいたから、ヒトラーに勝てたから、偉大なる英国首相として名を残せたんだ。
戦争がおわるとチャーチルはすぐ英国民から捨てられた。
正しい判断だったろう。
チャーチルは引退後は鬱病とアル中にさいなまれる余生を過ごした。
366 :
297:2010/11/07(日) 12:21:25 0
>>364 イタリアは英仏独に比べて持っている海外植民地がかなり少ないし
これらの国に比べて植民地統治が上手かったとはとても言えないね。
まぁ、エチオピアの植民地化にも失敗してるし、ヘタリアって言われるのも仕方ないかなぁ・・・・
367 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 12:29:28 0
しかし、敗戦国でありながら、植民地の一部を第二次大戦後も統治していた。
日本やドイツのような完全な敵扱いでないのが、イタリアの素敵なところ。
368 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 12:34:53 0
日独みたいに、大バクチの結果、ドカ貧になって、一挙にスッカラカンになるより、
イタリアみたいに常時ジリ貧状態でも、最悪のケースだけは避けるのが上手な生き方かもな。
日独みたいに目立ちすぎる、極端でキチガイじみた生き方はよくない。
369 :
297:2010/11/07(日) 12:35:34 0
>>367 第二次世界大戦の途中で裏切ったからね。
愛すべきヘタリアさんってわけですか
良く知らんけど
世界史板ってヨーロッパと東アジア関係のスレしかが建ってないけど。どうして?
372 :
297:2010/11/07(日) 13:52:51 0
>>371 一応インド史のスレもある。
そう思うんだったらイスラム史などのスレ立てたら?
僕もちょっとヨーロッパや中国の話題ばかりで飽きてきたし。
>>371 他の地域に関しては外国語ができないから
374 :
297:2010/11/07(日) 13:56:40 0
>>373 学者じゃあるまいし世界史板にいる人が
みんな外国語に堪能だとは思えないのだが。
(そりゃいくらかはいるだろうけど)
少なくとも僕は話せない。
375 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 14:15:20 0
>>371 いわゆる東洋史系統もある。
きちんと探してみな。
三国志などの人気系統は別に板がある。
鯖が壊れる前はアフリカやメソ・アメリカや中央アジアなんかもあった
単にまだ新スレ作ろうって人が居ないだけ
「ローマ教皇」ってどこを統治してる人でしょうか?
よくわからないんですが…
「ローマ」だからって多分イタリアだけじゃないんですよね?
378 :
297:2010/11/07(日) 14:36:22 0
>>377 直接統治しているのはイタリアの一部だけだよ。
でも、カトリック圏の多くの君主に対する影響がかなり強いから、
間接的には西欧全部を支配していたと言っても過言ではない。
まぁ、時代にもよるが・・・
その辺はゲルフ派とギベリン派の抗争なんかを調べれば・・
380 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 15:06:16 O
>>378なんでローマ教皇だけ影響力強いんですかね??
State churchを設置して影響力から距離をおいているところも多い。
>>252 日本人だって同じようなものだろ。
一部分を以って全体を現すというよなものは、国では、オランダとかイギリスとか。
>>266 金 ⇒ 蒙古・明の属領 ⇒ 後金 ⇒ 清
イングランド ⇒ デンマークの属領 ⇒ 独立回復 ⇒ ノルマン公の一所領 ⇒ イングランド(フランス過半を勢力下に置く) ⇒ 連合王国
ポルトガル アヴィシュ王朝 ⇒ ハプスブルグ王朝スペインの支配下 ⇒ ブラガンサ王朝
383 :
297:2010/11/07(日) 15:29:04 0
>>380 「だけ」っていうのが何と比べて言ってるのかちと分かりかねるが、
宗教的権威っていうのはなかなか馬鹿にできないものなんだよ。
297はそろそろコテ外してもいいんじゃないかと
385 :
297:2010/11/07(日) 16:04:27 0
>>377 まあ大体の勢力圏はイタリアと同じなんだが、イタリアとバチカンの関係はちょっと複雑でな。
時にはイタリアの代弁者にもなるが時にはすれ違って結果的に緩衝役にもなる。
今の所、南欧地域に強い影響力を持っているのがイタリアで、
これがイギリスとの対立を深め、スペイン問題も生んでいるんだが、教皇側は緩衝中。
ローマ教皇は、ローマ・カトリック教会の最高指導者であり、
「地上における神の代理人」として、ローマ・カトリック世界を統率する。
カトリック教会は単一の宗教組織で、教皇―大司教―司教―司祭というような階級を持ち、
すべてのカトリック教会は教皇につながる。また信者は収入の10分の1を教会に納める義務があり、
各教会ではそのあがりの一部を教皇に送るから、結果的に教皇は大富豪になる。
教皇の「武器」として、聖務停止や破門宣言、異端宣告などがある。
聖務停止とは、その地域のすべての聖職者に命じて職務を停止させること。
すべてのミサは禁止され、生まれた子供は洗礼が受けられず、死人は葬式が上げられないので地獄に落ちる。
破門や異端宣告はいわずもがなで、改悛して解除されないかぎりカトリック世界から村八分。
そこでプロテシタントに改宗だ。
389 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 16:48:34 0
>>388 だから宗教改革が進むと共に教皇権力も衰退していって、
西欧は近世の絶対王政時代へと突入していくんだよね。
今の教皇ってどう見ても悪の大魔王にしか見えない(容貌が)
391 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 16:56:40 0
>>390 なんてったってヒトラーを逃がした男だからw
でもなぁ。中世では告解を受けられないままに死んだ庶民は多い。王侯でさえ皆無ではない。
カトリックの「聖務停止や破門宣言、異端宣告」ってのも、絶対ではないし、究極でもない。
それを絶対であると喧伝したプロパガンダの威力に振り回された人たちは多いけどね。
393 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:09:50 0
旧教フランスのガリカニスムとかね。
王政、宮廷に寄生するフランスの高位聖職者は基本これを支持してる。
ナントの勅令を廃止したルイ14世も叙任権問題で教皇と激しく対立してて、
いつフランス軍がローマに進軍してくるか本気で心配してたぐらい険悪な関係になっていた。
394 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:27:50 0
キリスト教や仏教圏だと死ぬ事=怖い事って認識だけど
イスラム教における死って
相手がキリスト教側に殺されたり、自爆攻撃したりとか
イスラム教人として他教への抵抗の中での死って別にこわい事とは思っていないの?
自爆テロが減らなかったり
フセインの見事な死に様なんかを見ても
そう感じたが
395 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:30:59 0
>>394 真に仏教の輪廻転生の教えを理解していれば死を恐れることはないのだが。
後、イスラム教ではクルアーンで自殺を禁じている。殉教を恐れないのはキリスト教だって同じだ。
396 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:31:36 0
キリスト教もイスラム教も最後の審判ってのがあるだろうが
最後の審判が重要なのだよ
テロ組織というのは争いを長引かせるためではなく、
短くするために存在する。「こんだけやれば和解してくれるさ!」というような
楽観主義が妥協と協調を志してきたイスラム教徒にあるのは否定できない。
しかし実際には抵抗すればするほど「徹底した殲滅」が求められるのが
現代の社会なんだよな。
398 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:37:56 0
殉教を恐れないキリスト教徒だって
今からお前を死刑にするって言ったら
やっぱりガクガクブルブルでビビるんじゃないの?
なんとか死刑されないために最後の最後まで悪あがきすると思うが
今のキリスト教の人間って仮に宗教対立が原因で死に直面しても
殉教って意識は薄い気がする
怖くないわけはない。ムスリムでも死ぬのは怖い。
死ねば天国へいける、イスラムの敵や家族を殺した仇を巻き添えにして死ねる、
このくそったれな人生を(神に祝福されるかどうかはともかく)おしまいにできる。
自爆テロやってるのはそういう奴らで、決して「ムスリム一般」ではない。
日本人が全員ハラキリで自殺すると思うぐらい誤解だ。
何教を信じようが信じまいが、人間として生まれればいつか必ず死ぬ。
400 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 17:40:55 0
>>398 大半のテロと関係のない普通のムスリムだって
死刑にするって言われたら泣いて嫌がるだろう。
>>400 そういう意味では
たしかにフセインの死に様は立派な気がする。
個人的には今から死刑になる人間は
もっと泣いて叫んで醜態をさらすものであると思っていたが
カメラに撮られている事を意識していたとしても
日本人は年間3万人も自殺してますが、日本人は死が怖くないのですか?
403 :
297=395=400:2010/11/07(日) 17:51:19 0
>>401 確かにフセインの死に様はいかにも殉教者っていう感じでちょっと格好良かった。
まぁ、フセインはイスラム原理主義者じゃないから殉教者っていうのは少し違うが。
※やっぱりコテハンの方がレスしやすいので
>>384には悪いが付け直すことにする。
>>355 焼けたいしを詰めて焼くんだろ。石焼と表現してもおかしくないじゃん。
内側から加熱しようと、焼けた石で加熱するんだし。
405 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:02:51 0
>>394 それについては何千年も論争が繰り返されている。
キリスト教でもクウェーカー教徒とか、武装した選民思想カルトもいる。
十戒の「汝殺すなかれ」が有名だが、
これにはいろいろ解釈があって、
「人殺しは絶対だめ!」っていう9条原理主義的考え方から、
「正確には『汝謀殺するなかれ』だ。神のためなら、OK!」
とかいろいろ考え方がある。
心理学的(動物的)に言えば、「殺す」、「殺される」はどっちも嫌。
『戦争における「人殺し」の心理学』
『「戦争」の心理学』
がこの点ではおもしろいです。
>>394 自爆テロする連中が一般的なイスラム教徒だと思ってる?
あれはごく一部の、過激派だよ
かつて日本赤軍って連中も自爆テロをしたものだが、それを見て
日本人は死を怖いと思わないの?と言うようなものだ
「汝殺すなかれ」の律法は、共同体内部での殺人を禁じてるだけだろ。
モーセもヨシュアもユダヤ人もヤハウェ自身もバリバリ殺人してるぞ。
408 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:09:45 0
>>402 アメリカ合衆国は、殺人で年間150万人以上も殺されてますが、
アメリカ人は人の命が軽いのですか?
409 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:12:27 0
>>407 今のアメリカや近代キリスト教国家を見ると、その解釈が主流で間違いない。
ダヴィデは敵を殺しまくったが、他人の妻を取ろうとして殺人したので、ダメなんだって。
でも、9条教みたいな連中もいるよ、って話。
411 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:17:46 0
>ヤハウェ自身も
え?
412 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:17:59 0
>>410 フセインと麻原は格が違うが、敵の捕虜になりたくないという気持ちは一緒。
革命や戦争、クーデターで亡命した元首や君主は世界中にたくさんいる。
逃亡=敗北ではない。
レーニンやド・ゴールみたいなやり方もある。
413 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:20:32 0
ニコライさん、ムッソリーニさん、チャウシェスクさんに比べればヒトラーさんの死に際は立派wwwwwwwwww
414 :
297=395=400:2010/11/07(日) 18:27:15 0
>>413 独裁者の死っていうのは基本的に格好いい気がする。
イングランドのチャールズ1世なんかも死に様の格好良い独裁者の例かも知れない。
ニコライもムッソリーニもチャウシェスクも
正式な裁判で処刑されたわけではない
反対派に問答無用で殺されたわけで
で、全責任を押しつけられた。
ルムンバとかゴ・ディン・ジェムなんかと同じ
416 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:29:23 0
フセインは裁判で堂々と主張したけど
麻原はボケたフリしてるだけだろ
>>411 大洪水でノアの家族以外の全人類を殺したり
契約の箱に近づいた奴を祟り殺したり
モーセに逆らった奴らを疫病や地震で殺したり
罪もないヨブの子供たちをサタンに殺させたり
アッシリア軍十八万余を天使に殺させたり
その他枚挙に暇がない
418 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:44:00 0
>>417 >天使
Killer Angels 強スギwwww
419 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:45:20 0
聖別。ってことばもあるくらいだし。
>>417 「旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ」
421 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:50:13 0
>>413 茶化してるんだろうけど、冗談抜きにヒトラーの最期は立派だったんじゃないの?
敵に捕らえられて裁判に引っ張り出されたり、処刑されるという、最大の恥辱を免れ、
自分で自分の人生に決着をつけたわけだし。
まあ、第三帝国滅亡に付き合わされたドイツ国民や兵士には大迷惑だったけど。
422 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:52:56 0
誤解のないように言っておくと、ヒトラーという人物が立派だったというのではなく、
失敗した独裁者の最期としては醜態を晒さず、名誉を保ったまま自決できたという意味ね。
423 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 18:58:06 0
ヒトラーの評価は1000年後ぐらいしたらまた違った物になるんじゃないかな。。
ナポレオン程度の評価をされているかもしれない。
虐殺はどうしても正当化できないけども
>>421-422 しかし逆に、自分の名誉だけ守るために責任を負うべき国民を見捨てて先に自殺してしまったとも言える。
昭和天皇は敗戦の責任を取り、敵将に身ひとつで自分だけを処罰することで事を収めてくれと懇願した。
名誉より自分の子どもたち(国民)を大事に思ったという点で、ヒトラーが潔いとは言いづらいね。
あ、昭和天皇の懇願はあったが、それとGHQの施政は別ものだからね。
歴史は個人の思惑だけでは動かない。
425 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:02:51 0
>>424 昭和天皇の話は事実だと思えないがね
マッカーサーは最初から天皇を活かして政治利用するつもりだったから
昭和天皇が退位しなかった理由が知りたい
427 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:05:16 0
天皇が退位しなかったのはマッカーサーの意向だよ
マッカーサーいなかったら確実に処刑されてたと思う
428 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:06:01 0
天皇が処刑された場合は内戦に突入する可能性もあったから
結果的にはマッカーサーの判断は正しかったわけだけどなあ
429 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:06:57 0
>>428 もう占領されてた状況で大きな内戦などなかったでしょう。
430 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:08:02 0
>>424 国民への愛という点ではペタン元帥も同じですね。
でも、愛国心を持つなら誰でもできる。
国民へ「死ね!死ね!」と言って、自分も死んだヒトラーは論理的には一貫性はある。
まっ、常識的に考えて、国民にとっては大迷惑だったんだろうけど。
431 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:09:13 0
>>429 内乱にまでは至らなくても、殉死くんや、反米テロが起こったかも。
432 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:10:45 0
古今東西の失敗者「良かれと思って、やりました。結果的に失敗してごめんなさい。」
433 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:12:36 0
連合軍側にしたら天皇はヒトラーと同じような存在だっただろうけど
サラディンのアイユーブ朝は、何回か中興期があったのに、
なんで短命王朝に終わったんだ?
435 :
297=395=400:2010/11/07(日) 19:17:18 0
>>434 今まで脅威だった十字軍に加えて新たにモンゴルという脅威が現れた事が大きいと思う。
モンゴルに対処するためにスルタン・サーリフはマムルークを大量に雇い
結果的に彼らに王朝を奪われた。
436 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:21:14 0
テルマエロマエが売れましたが、他にいい歴史漫画ないですか?
三国志もの、戦国時代もの、子供が読むマンガで読む歴史みたいなやつ以外で
437 :
297=395=400:2010/11/07(日) 19:25:46 0
>>436 岩明均先生の「ヒストリエ」がオススメ。
アレクサンドロス3世の時代を扱った漫画でなかなか面白い。
438 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:25:51 0
>>436 ローマものが大丈夫なら、岩明均さんの『ヒストリエ』がいけると思います。
未完ですが、途中まで読んでも面白いと思います。
439 :
297=395=400:2010/11/07(日) 19:27:53 0
>>438 わずかな時間差で同じものが紹介されてて吹いたw
やっぱ、あのマンガ面白いよね。
440 :
297=395=400:2010/11/07(日) 19:34:18 0
>>436 完結したマンガだと篠原千絵先生による「天は赤い河のほとり」という
古代ヒッタイトを舞台にしたマンガもあった。
ただ、少女マンガなので結構濡れ場が多いよ。
441 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:40:06 0
>>439 wwwwww
まあ、多くの人から評価もらえるのはいいことだと思いますね。
他にはナポレオンを描いた『ナポレオン〜獅子の時代〜』
絵柄や暴力模写、史実無視で嫌になる人は嫌になるかも。
これも、未完の作品。
史実からずれた点もあるが、作者も自覚して書いている。
歴史に興味を持つため、あるいは娯楽として消費するなら全然問題ない。
442 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:44:24 0
>>437 >>438 ヒストリエ探してみます。
>>440 天は〜は、名前だけ聞いたことはあったけどヒッタイトが舞台なんですかwww
なんか興味湧きました。ナポレオンとともにブクオフで見てみます。
誰か中央アジア〜メソポタミアとかイランのあたりのマンガ描いてくれないかな
443 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:46:01 0
>>436 安彦良和の『ジャンヌ』、『我が名はネロ』、『イエス』。
とくに『ジャンヌ』がお勧め。
ジャンヌ・ダルクが死んで十数年後のフランスが舞台よ。
フランス大好き。
444 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:56:46 0
安彦良和のは、古代日本ものもだしてる。
『ムナジ』『神武』『蚤の王』。
『ムナジ』は出雲の大国主の成り上がりヒストリー。
『神武』はムナジの続編でイワレヒコ(神武)に仕える大国主の息子が主人公。
『蚤の王』は相撲の祖ノミノスクネが主人公。
445 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:58:37 O
ヒストリエ今月も休みか。
富樫についで働いて欲しい人やな
446 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 20:00:46 0
名前間違えた。『ナムジ』が正しいから。
447 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 20:05:12 0
池田理代子の『皇帝ナポレオン』むちゃくちゃ面白い。
448 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 20:11:41 0
安彦良和は『ヴィナス戦記』という歴史漫画もかいてるぞ
450 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 20:13:07 0
『ヴィナス戦記』は、SFものだろ…。
謀略家フーシェをモデルにした「静粛に!天才只今勉強中」って漫画が面白いとは聞いたことがある
絶版で入手困難だけど
452 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 20:26:17 0
アラビアのロレンスをネタにした少女漫画もあったぞ
453 :
297=395=400:2010/11/07(日) 20:44:22 0
歴史漫画といったらヘタリアも外せないな。
>>433 アメリカもイギリスも立憲君主を理解してたはずだから
昭和天皇とヒトラーが一緒という発想はない
当時でも権力のある皇帝とは思われていない
イギリス人ならなおさら
東周英雄伝は最高。春秋戦国時代の英雄を扱った一話完結ものの漫画。
創作の話になると途端に元気になるよね君ら
チェーザレが出てないなんて
チェーザレ・ボルジアといえば、バビロンまで何マイルって漫画もあったな。
一般的に
イギリスがアングロサクソン系
ドイツがゲルマン系
東欧がスラブ系
南欧がラテン系
だとしたら
イタリア・フランス・スペイン・ベネルクス・北欧の主流は何民族なんでしょうか?
460 :
297=395=400:2010/11/07(日) 21:47:49 0
>>459 アングロ・サクソンはゲルマンの一種だよ。
一般的に北欧・ベネルクスはゲルマン系、イタリア・スペイン・フランスはラテン系と言われている。
ただ、これらはあくまで言語に沿った区分。
ベネルクスでもベルギーなんかではラテン系のフランス語が話されることもあるし、
フランスなんかはゲルマン系のフランク王国があった事から
かなりゲルマン人と混血している可能性がある。
また、これ以外ではアイルランドやスコットランドなんかはケルト系だし、
ハンガリーやフィンランドはウラル系だ。
>>459 イタリア=ラテン系
フランス=ラテン系
スペイン=ラテン系
オランダ=ゲルマン系
ベルギーゲルマン系とラテン系
ルクセンブルク=ゲルマン系
スウェーデン=ゲルマン系
デンマーク=ゲルマン系
ノルウェー=ゲルマン系
フィンランド=ウラル系
イタリア:南欧なのでラテン系の本場。都市国家ローマはラテン人が発祥。
フランス:先祖はガリア人だがローマ化が長いのでラテン系ないしロマンス系。北や東はゲルマン系が強い。
スペイン:南欧なのでラテン系。彼らが征服した中南米はラテンアメリカという。
オランダ:ゲルマン系バタウィ族やフリーセン族の末裔。英語での俗称がダッチで、ドイツと同語。
ベルギー:北部はオランダ系だが、南部はフランス系ワロン語圏(ドイツ語も使う)。
ルクセンブルク:住民の多くはドイツ系だが、フランス語も使われる。
北欧:フィン・ウゴル語族のフィンランドを除いてゲルマン系。
463 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 22:11:17 0
本来のフランスのガリア人は大陸に広く分布してたケルト人(大陸ケルト)の一派。
ローマ化したガリア人は北はフランク人(ゲルマン)の侵入の過程で彼らと混ざり、
南はローマ人(ラテン)やギリシャ人(ローマ以前の南仏沿岸部の支配者)、ゴート人(ゲルマン)と混ざった。
464 :
297=395=400:2010/11/07(日) 22:21:09 0
>>463 そもそも、「○○国は○○民族の国」なんていう近代国民国家的な考え方はもう時代遅れになんだけどね。
>>459はその辺をある程度認識した上で訊いてるのだろうか?
たとえばキャプテン翼で
スペイン語とポルトガル語は東京弁と大阪弁の違いぐらいしかないって話だけど
では、スペインとポルトガルの違いって何なの?
近いと言われてる日本と韓国みたいに
相手の言葉が全くなに喋ってるかが分からず
古代はともかく歴史的にも近代に入ってそれぞれががっつりと影響を受けるわけでもなく独自に進んできたとかならともかく
466 :
463:2010/11/07(日) 22:31:42 0
>>464 同意。いろんな民族混ざってるっていう例としてフランスを上げた。
けっしてフランク人主体の国ではないという意味で、基層にはケルトだと。
いまのフランスなんて移民系が半数超えてるしね。
言語集団と民族をごちゃ混ぜにしてると見られるから、認識していない
と思う。便宜上、民族という言い方使うけど、古代から吸収・同化してい
った祖先集団まで挙げてけば何が〜系やら分からんのが実情だからな。
468 :
297=395=400:2010/11/07(日) 22:35:27 0
>>465 レコンキスタ時に他の国と違ってカスティーリャ王国に吸収されないで、
独自にアフリカや東南アジアなどに船を派遣してたのが
ポルトガルが独自性を保てた理由かな。
フェリペ2世によって一時期スペインに併合されたけど
しばらくしてブラガンサ朝が王政復古してるし。
ヒトラーのゲルマン民族優位ってのは
別にドイツ国家の優位をうたった話ではないのか?
470 :
463:2010/11/07(日) 22:51:55 0
471 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 22:55:30 0
カスティーリャはもとはレオン王国の伯領だったけ。
472 :
297=395=400:2010/11/07(日) 22:58:25 0
>>471 そうだよ。最終的にもともと自分の支配下だったそのカスティーリャ王国に併合されてしまったが。
473 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:07:40 0
>>465 スペイン国内にもバスク地方や、カタルーニャ地方の問題があります。
イギリスとアメリカは同じ英語を喋りますが、違う国です。
ウクライナ、ベラルーシ、ロシアも近いですが、別々の国です。
アメリカ国内でも州(ステート)の自治思想が強いです。
日本人の発想では測れないから世界史はおもしろいですね。
ググったり、本を読んでみたりしてください。
474 :
297=395=400:2010/11/07(日) 23:09:50 0
>>473 ベラルーシなんかはかなり「意図的に作られた民族」っていう感じがする。
まぁ、大抵の民族っていうのはみんな「意図的に作られた民族」なんだろうけど。
475 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:10:00 0
西ゴートの伝統がアストゥリアス王国を通じてレオン、カスティーリャ、ポルトガルへ受け継がれた、
みたいな本読んだけど、ゴート的なものって法体系以外なにが残ったんだろ?
476 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:14:55 0
>>474 「民族」なんて捏造されたもんです!って言い切れればいいんだけどね。
でも、俺は日本民族から離脱する利益が今のところ見つからない(笑)
477 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:16:44 0
法体系っていっても話題になるのは、かなり時代が経ってからの
中世のレオン、カスティーリャでの継承法主体だけど。
478 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:20:23 0
>>476 日本がデフォルトしたら日本人やめて、
まだ民族には脱皮してないが、
EU人かオーストラリア人になるつもり。
479 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:24:38 0
>>478 オーストラリアがいいね、英語しかできんし。
480 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:34:55 O
横光利一の『上海』(5.30事件を扱っている作品)を今読んでいます。
5.30事件翌日の暴動の場面で、「殺戮される外人の家の柱に白墨のマークがついた」という描写があるのですが、
どの国の者が、どの国の者を殺戮しようとしているのか、何故殺戮されなければならないのかといった関係性が、
歴史的な背景を調べてみましたがよく分かりません。ご存知の方いらっしゃいましたらお願いします。
481 :
世界@名無史さん:2010/11/07(日) 23:45:43 O
経済外的強制の初夜権って何のためにあるんスかね?
>>478 そんなこと言ったって、相手国が国籍を許可してくれるのかどうか。
年収いくら以上、居住何年以上とかの条件があるのでは。
日本だと戦国時代など敵将などの首をとって論功行賞していたのは有名ですが
中世ヨーロッパなどではどうやって手柄など確認したのでしょうか?
仲間同士で報告しあったりしたら内輪で嘘の報告もできますし
乱戦のなかでの手柄となるとやったやらないなどの騒ぎにもなりかねませんが
西洋の兵隊や騎士も首を狩ったりしたのでしょうか?
それとももっと効率的な手柄確認方があったのですか?
西洋は捕虜にして身代金を取ってた。
身代金が払えないと、いつまでも監禁されるハメに。
>>484 捕虜の扱いはそうなのかもしれませんがそれだといくら敵を多く殺したり高貴な身分のものを
殺しても手柄にならず平等に給料として分配されたってことですか?
なんか今ひとつ納得できないのですが。
西洋は文明が発達していないから
鋭利な刃物がなくて首狩族は成立しないのw
>>486 嘘だ!
それだったら牛肉の解体とかできねぇじゃん
首狩るぐれーの刃物はあったはずだよ!
そういえばオスマントルコやらモンゴルやらに攻められた後恩賞とかもらえたんだろうか
>>483 手柄というより、戦争参加することが予め主君との「契約」における義務という
だけの話。戦争参加して給料をもらうのは中世も終わりの傭兵の話だ。
契約期間が終了すれば戦争中にさっさと帰っても主君は文句も言えないし、複数
の主君を持っていてその主君同士が戦った場合、最初は一方の主君に味方して
契約期間終了後はもう一方の主君に味方するのも可能。
これじゃ殺し合いだの手柄だのの話にはならんだろ? 敵の主君を生け捕りにす
れば、その騎士が恩賞に預かれることもあったろうが、それが目的の戦争参加
じゃないのは、きちんと理解してないと中世ヨーロッパの戦争というかフェーデ
は理解できないぞ。
フェーデは実力で決着をつけることだけど、勝てばいいのであって、敵を殺しまく
るのが目的じゃない。傭兵時代でもルネサンスのイタリアじゃ傭兵隊長は、なるべく
殺しあいになるのを避けてる。それで自分の兵士が死ぬことは経済的損失だからな。
そらまあ、中世でも国王の直属領主のシモン・ド・モンフォールみたいにラングドック
で勝ちまくって征服先であるトゥールーズ伯に収まっちゃう例もあるけどな。
490 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 05:41:00 0
明治時代に西洋の地名やモノに漢字を当てていたそうですが
そういうの分かる本なりサイトなりありますか?
「ゲルマン人」とか「ゴート語」「ケルト人」とか漢字でどう書くのか知りたいです
491 :
489:2010/11/08(月) 05:52:21 0
追加。十字軍の場合は純粋な信仰熱で参加するのもあったが、向こうで一旗
挙げて恩賞に預かろうという動機も確かにあった。
信仰熱で参加してる奴は金銭の恩賞じゃなくて、異教徒を殺しまくることが
神の御心に叶うと魂の救いを教会に保障してもらえたこと、それが恩賞にな
るし、それに略奪品が金銭的な収入になったからわざわざ君主から恩賞をも
らう必要なし。
領主の参加者は聖地で領地を得るのが目的だから、一旦十字軍諸国として
成立したら、異教徒との融和的政策に転じないと、自分たちが危険。だから
後続の皆殺し目的の考えなし十字軍たちはある意味迷惑でもあった。
マジレスすると紋章官とかいてな
>>489 ありがとうございます。
とても勉強になります。
ただ給料を貰ってしまってそれで頑張って戦っても
頑張らなくても結局同じ結果なら後述にある傭兵の
ように殺し合いを避けて結局はグダグダになってしまう
のではないかと想像します。
それを打破するためにはどうしても評価基準と言いますか
競い合わせるようなものが必要かと思うのですが
日本の合戦で言えば一番槍や大将首
のような給料以外にボーナス的な意味での戦闘評価も
なくては戦闘行為になりきれないと想像するのですが
その辺について詳しい意見が聞きたいです。
また、そのような手柄をどうやって確認したのか
例えば近代戦でもスナイパーのような兵士には戦果確認
のための兵士が着きます。
そのようなものがあったのでしょうか?
494 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 09:09:10 0
英語で悪魔を意味する概念にデビルとサタンとデーモンとあるようですが、どう違うんでしょうか。
495 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 10:24:32 O
インフレを鎮めたシュトレーゼマンが所属した人民党は、なぜ議席数を大幅に減らしたの?
1930年代
496 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 11:00:58 O
ウマイヤ朝の重税の不公平さによってマワーリーが爆発して中心人物アッバースがウマイヤ朝を打倒してアッバース朝を建国でおk?
巴拉克·奥巴馬 ← アメリカ大統領
>>493 >一番槍や大将首のような給料以外にボーナス的な意味での戦闘評価
それが敵を生け捕ったりすることなんだよ。騎士は勿論武勇も美徳だから、勇戦すれば
評価は高いし、所領増加もあっただろう。
敵を殺しまくることが戦闘評価じゃない。それで多分、勘違いしてるところは、
>そのような手柄をどうやって確認したのか
多分、ここだ。当時は会戦方式だし、
>>492の挙げたように紋章官の原型の軍使や伝令
が戦場を走り回ってる。しかも大規模会戦なんかほとんどないし、基本戦闘単位が一人
の騎士とその従者(ランス)っていうこじんまりしたのだよ。主役は騎士で、従者・弓
兵は所詮その補助。
狙う相手は騎士だけだから、戦闘相手は限定されるし、それこそ人質にするか首を挙げ
ても(まず滅多にいないが)、手柄をこっそり奪ったり誰が誰やら混乱するほど大人数じゃ
ないんだよ。
価値観が白兵戦至上の時代で、火器や飛び道具、それに「軍隊」の時代じゃないんだからな。
スナイパーの監視役なんか出して疑問を持ってもしょうがない。
>>494 世界史板の話題か?
サタン:ヘブライ語で「敵」「告発者」「中傷者」「妨害者」。アラビア語ではシャイターン。
『ヨブ記』などでは神のスパイとして活動する天使で、「人類を」告発・中傷して神罰を引き起こさせる。
神と敵対するこの世の王などとされたのは、ゾロアスター教の悪神の影響。
デビル:サタンをギリシャ語で意訳した「ディアボロス」の英語訛り。アラビア語ではイブリース、ドイツ語でトイフェル。
デーモン:ギリシャ語のダイモーンに由来し、本来は人間と神々の中間にある霊的存在(半神・精霊)、守護霊などを指す。
ユダヤ教のシェディム(悪霊)と同一視され、キリスト教では神に従わない悪霊や魔神・鬼神とされた。
502 :
297=395=400:2010/11/08(月) 16:31:16 0
>>496 それで合ってるよ。
ただ、当初からアッバース家が革命の中心ではなかった事に注意。
もともとアッバース革命の母体となる地下組織には、
アッバース家以外にもアリー家を中心にしたシーア派集団もいたんだ。
最初は革命を成功させるためにあえて2つの家のどちらが中心かについて
革命本部は触れなかったけど、革命がある程度成功するとアッバース家の側が
アリー家とシーア派集団を裏切り、彼らを政権から追放した。
結果的にスンナ派のアッバース家が政権を握ってアッバース朝が成立したんだ。
>>494 民神板(民俗・神話学板)の管轄ですな
あっちで質問する方がいい
>>495 党首のシュトレーゼマンが1929年に脳卒中で急死し、その三週間後に世界大恐慌が勃発。
ドイツ人民党はリベラル保守から右派に回帰したが、金看板を失って党勢を保つのが難しく、
ミュラー内閣の総辞職以後は、議会制民主主義そのものが機能不全に陥る。
社民党はなんとか勢力を保つも、共産党とナチ党という急進政党が躍進し、穏健政党は軒並み没落。
1932年にナチ党が議会第一党となると、翌年には他の党に対する大弾圧を行い、一党独裁体制を確立した。
505 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:25:30 0
アジア人は白人に比べ女性ホルモンが多いから戦争に弱く、すべてにナヨナヨとした
オカマみたいな対応しかできないって言われたのですが本当ですか?
506 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:42:37 0
すくなくとも日本人は幼体のまま成熟する。幼体成熟。
西洋人みたいな毛むくじゃらになったりしないのはそのため。
西洋人は女でもヒゲはえる。ちゃんと終点まで成長したらそうなるんだよな。
日本人はそうならない。
栄養が足りなかったということもあろう。。
最近の女はヒゲだって生えるしハゲにもなるけども。
(ほんとだぜ。男が抱いてる幻想なんてこんなもんだぜ。)
507 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:48:42 0
508 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:51:02 0
ゴート人は雄山羊人ではないのか??
びっくり!
アジア人って男系遺伝子がほとんどないらしい。
全部ガイジンの男系遺伝子とか。
510 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:54:20 0
でも黄色人種がいちばん進化してるらしい。
ひくいはな。
短い手あし。
切れ長の細い目。
日照りでも北の土地でもどっちでもおっけーな肌の色。
マルチプル対応機種なのだ。
511 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 17:56:41 0
>>494 :世界@名無史さん:2010/11/08(月) 09:09:10 0
英語で悪魔を意味する概念にデビルとサタンとデーモンとあるようですが、どう違うんでしょうか。
語源も由来もちがうわい。
日本で言う、鬼と天狗とヤマンバくらいの違いがあるんじゃい。
正直アジア人として生まれるって拷問だよな・・
>>500 たびたびのレスありがとうございます。
なんにでも日本史に例えるのは良くないかもしれませんが
イメージ的に言えば戦国時代の足軽などよりは鎌倉時代の武士
(御家人とその従者)のような関係で戦闘行ってたと言うことですね。
ヨーロッパの中世の戦争はそれほど先進的なものでもなかった
ということなのですね。
ありがとうございました。
514 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:08:21 0
satan はヘブライ語起源で「魔王」
demon(ディーモン) は古ギリシア語起源で「超人」
devil も古ギリシア語起源で「魔神」
515 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:08:26 0
516 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:10:15 0
サタンはもともとはギリシャとかバルカン半島あたりの農業神だろ。。
だから木星なんだし。
英語のサターンはローマの農業神サトゥルヌス(ギリシャのクロノス)で、しかも土星だ。
ヘブライ語のサタンとは全然まったく関係ない。
ついでにギリシャの神クロノス(ゼウスの親父)も時間(ギリシャ語でクロノス)とはつづりが違い、本来は関係ない。
518 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:17:42 0
ベルゼブブだってパレスチナの神様だった。
ハエの王だなんていうけどありゃ、供物の焼き肉にハエがよってくるのをみて神様の機嫌をうらなってただけだしぃ
520 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:27:26 0
ヤーベもベルゼブブも。
古代パレスチナ、小アジアあたりの神さんてのはハエみたいな存在なんだよな。
燔祭っていうて 犠牲の子牛を丸焼きにする。子羊を丸焼きにする。ニワトリを丸焼きにする。
その煙を喫って満腹になる。
肉は供えた人間達があとで食うわな。
洪水で人類を皆殺しにしたときなんか、神様だって餓えたんだからな。
ノアがアララト山のてっぺんで燔祭してくれて、神様も涙流してよろこんだらしい。 うめぇうめぇ〜!このにおいや!っていうて。
おいしいにおいの煙が立つところにはヤーベもとんでくりゃ、ベルゼブブもぶーんってとんでくる。
そういうことよ
521 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:32:06 0
日本の天狗もヤマンバも鬼もみーんな 英語にしたら モンスターや。
522 :
500:2010/11/08(月) 18:37:13 0
>>515 人の説明を自分の手柄にするなよなw
別にどうでもいいが、やっぱ突っ込みたくなるからなw
523 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 18:41:29 0
よ! 待ってたぞwalking dictionary~!
「エルフ」も本来は妖怪全般を指した語で、
トールキン製エルフみたいなのを指す言葉じゃなかったんだが…
板違いなので次
525 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 19:06:59 0
赤ずきんももともとは残酷エルフをさす言葉で オオカミにたべられちゃうかわいい女の子のことじゃぁないんだ!
ティムールはなぜ「キュレゲン(娘婿)」や「アミール(将軍)」を名乗るのみで、
終生傀儡のハンを立てて、自分では「ハン」を名乗ろうとしなかったのでしょうか?
527 :
297=395=400:2010/11/08(月) 19:15:31 0
>>526 チンギス統原理と言って当時中央ユーラシアのいたるところで見られた考え方なんだが、
簡単に言うと「ハンになることが出来るのはチンギスの血を引く者だけ」という考え方だ。
ティムールはチンギスの血を引いてなかったためハンになると、
支配の正統性を演出できず、それを口実に反乱される恐れもある。
だから、チンギスの血を引く者を探して出して、彼を傀儡のハンに仕立て上げた。
528 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 19:45:23 0
ティムールもチンギスハンの末裔じゃないのか?!
婿殿の家系じゃなかったかな?
530 :
297=395=400:2010/11/08(月) 19:51:13 0
>>528>>529 ティムールはチンギスの血を引く娘と結婚することで、
「チンギスの婿殿(キュレゲン)を名乗った。
ティムール自身はチンギスの血を引いてないよ。
「土木の変」で明の皇帝を捕虜にした、非チンギス裔であるオイラト部のエセンも、
その後「チンギス統原理」に反して自らハーンを称したとたん、モンゴル諸部族の反乱を招いて没落・敗死した。
まあアナトリアやイランやインドでは、部族長や将軍程度でもハーンを名乗れたし、
17世紀頃にはチンギス統原理も薄らぎ、オイラト系でもダライ・ラマから位を授かる形式でハーンになれたりした。
532 :
297=395=400:2010/11/08(月) 20:08:19 0
>>531 そういえば「興亡の世界史」で杉山先生が、
「チンギス統原理は中央ユーラシアだけでなく、
モンゴルの支配下だったロシアや中国などでも見られた」
っていうような事を主張していたなぁ。
スパルタクスは、故郷であるトラキアが陥落したことで南下を始めましたが
なぜ故郷を奪還するという行為にでなかったのでしょうか?
スパルタクスはトラキア人だが、別に故郷奪回なんぞという理念はないし、仲間にはガリア人も大勢いる。
始めはガリアに帰ろうと北に行き、アルプスの麓まで来たが、シチリアへ行こうとの声が大きかったので南に進路を変じた。
アルプス越えはきつそうだし、シチリアでは奴隷の反乱もあったし、北より豊かで温暖だからだろうが、
メッシーナ海峡を渡ろうにも船がなかったので、地中海を荒らしまわっていたキリキアの海賊とも手を結ぼうとした。
焦ったクラッススは大兵力で反乱軍を包囲し、平野での会戦に持ち込んで撃滅した。
>>531 ロシアのは、多分イヴァン雷帝が一度退位して、チンギス裔のシメオンとか
いう人物を君主にして、また復位したことだろうな。
チンギス統原理によるものかどうかは、意見が分かれると思うが。
中国のはよく分からん。清朝がチャハル部から大ハーンの正統性を受け継いだ
ことかな?
536 :
297=395=400:2010/11/08(月) 20:31:36 0
>>535 確かその事だったと思う。
まぁ、どっちも単純にチンギス統原理が原因とは言いがたいが、
要素の一因ぐらいには挙げられると思う。
杉山先生はその事から「後世におけるモンゴルの絶大なる影響」を主張してたが。
チンギス統原理って、なんでこんなに強かったんだろうね?
草原なら血の高貴さなんて、あまり重視されないもんだと思うんだが。
538 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 20:50:29 0
>>516 それはSaturn。 satanとは全く別。
>>537 ダヤン・ハーンの死後に跡目あらそいがあって複数並立の時代があったから
540 :
297=395=400:2010/11/08(月) 20:54:50 0
>>537 そんな事はない。
匈奴といい突厥といいウイグルといい、
歴史上の遊牧帝国は常に血統が重視されてきた。
>>540 ジョチはテムジンの子じゃないけど4分割した帝国を相続したよ。
始皇帝は荘襄王の子じゃないけと秦国を相続したよ。
542 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:14:17 0
543 :
538:2010/11/08(月) 21:15:27 0
あ、>517でコメントあったのね。
kamome恢復したか。
544 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:16:02 0
>>540 血統そのものではなく、どこの家の育ちかなんじゃね?
545 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:18:55 0
だからこそジョチも始皇帝も心がつぶれるほど悩んだじゃないか。。
546 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:23:27 0
源氏物語の冷泉帝は別に悩んでないぞw
血統コンプレックスってなんか英雄にはありがちだよな。
ナポレオンも自分はパオリの子だと思ってた時期があったらしいし
義経とかは自分が高貴な家柄であることを妄信しすぎて
人生狂わせたし
後世の我々にしてみればそいつらの業績に比べれば血統なんて
ささいな話なんだけど本人にとっては人生を狂わせるぐらい
重要なことらしいな。
日本人でもたまに自分は皇族の血統だとか言う人もいるよね。
そもそも文字も書けない遊牧民の家系図なんてアテにならん
価値なし
549 :
297=395=400:2010/11/08(月) 21:31:50 0
>>541 ジョチが本当にテムジンの子だという証拠もないけど、
テムジンの子じゃないという証拠もないじゃん。
当時、正式に認知されてたんだから問題はないでしょ。
と言っても当時からジョチの血統を巡っては
モンゴル内でも意見が分かれたらしいが。
550 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:32:08 0
遊牧民ってのは家畜を育てる。
サラブレッドではないがいい馬の子供はやっぱいい馬になる。
乳の良く出る羊は乳のよくでる羊を生む。
血統という物がいかに大切な物か、身にしみていただろう。
だから血統を重視するんだろう。
モンゴル相撲がそうらしい。
白鵬は日本に来たときに売れ残り組でモンゴルにかえされそうになったひょろっぴいだった。
でも朝青龍は入門したてのころから彼のことをライバル視していた。
なぜなら祖父も父もモンゴル相撲の名横綱だったから。
だが遊牧民の血統主義は。
決して日本みたいな農耕民族のとにかくあほぼんでも寝小便公方でも血さえつないでればいい、という血統重視ではない。
あくまでも才能を受け継ぐこと前提なのである。
だからチンギスハンもジョチも自分の血統をその能力で証明しようと必死になった。
これだけのことが出来る!出来た!
すごいね〜
農耕民族も作物の品種改良とかするけど。
で、日本の皇室はどっちだろ?
551 :
297=395=400:2010/11/08(月) 21:32:32 0
>>548 突厥以降は遊牧民も文字を持っていたんだが・・・
552 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:34:24 0
語り部を見くびるな!
>>552 語り部はすごいよ。青海チベッタンのケサル王伝は何百冊分だ。
554 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:37:43 0
そうだ。
文字を持つことで失ったものが人類には多くあるんだぞ。
555 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 21:41:46 0
よくいるだろ?
授業中、ノートをびっしり書くけど成績が悪いやつ。
逆にノートは要点だけとかほとんどあとで借りるだけだけど 教師の話を一生懸命聞いてるやつ。
成績がいい。
知識や情報を文字につかまえるってことはすばらしい発明だったけど、自分の頭の中に捕まえて保存するって能力を退化させたのはたしかなんだ。
>>554 ジェクンド商人のせいで、青海の遊牧民は
借金のカタに家畜をずいぶん失ったよ。
>>541 始皇帝の出生については、母親と呂不韋以外に真相は分からないし、下手すれば
母親しか真相は分からない。どっちにしても墓の中まで秘密を保たなきゃいかん話だ。
死後の胡亥の継承にしても、李斯と趙高以外に知りえないはずの話が載ってるし、
司馬遷は偉大な歴史家ではあるが、始皇帝の出生と死後に関しては、俗説を取り
入れた可能性があって、正直余り信用できない。
雲南シャングリラからお茶を売りにきて
ツケのカタに馬を引っ張って帰ったのが「茶馬古道」
文字がないというのは怖いよ〜
559 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 22:03:19 0
>>557 そりゃそうだw
史記って数百年前のことを記録してる。
日本でいうならいつだろ?
幕末とかもっと前か??
関ヶ原くらいもあるよな。
いま、なぜ本能寺の変がおきたのかわからない。
秀頼が不倫の子供かどうかもわからない。
みんな憶測の歴史だよな。
そういうレベルの伝承を、司馬遷の節度ある?篩にかけて吟味して集大成した物が史記なんだよな
文字が読み書きできなければ
読み書きできる奴を奴隷にして使えばいいじゃない
561 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 22:09:47 0
そうか〜
でもな。
耶律楚材みたいなのを見つけられたらいいけどな。
私腹を肥やすんだよな、文字読める奴隷ってのが。。
562 :
297=395=400:2010/11/08(月) 22:09:49 0
だからモンゴルは文字を持っていたと何度言えば・・・・
>>559 おれたちは歴史学んでると思いながら実は歴史に翻弄されてるだけのなのかもしれんな。
自分達で好き勝手にあれが正しいこれが間違ってるなどタイムマシンでもない限り知りようが無い
のに自分達で納得のいくものをさがしもとめてる。
そんな答えは存在しないのに
俺達が歴史を知ろうとする探究心は過去の歴史家と呼ばれる人たちにもてあそばれてるのかもな。
たぶん今後考古学が発展すればするほどもっと深い謎そして記述と口述そして科学的事実と言う
複雑なパズルのピースが増えていきその答えはもっと難解になるだろう。
それでも俺達はそのパズルを完成させようとするのだ。
歴史家とはたぶんもっとも愚かな学者であるのだろう。
【どや顔】
モンゴルも商人以外への普及率は低かった
566 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 22:15:40 0
ま。
むかしの明智光秀とか淀君とか始皇帝とか。
みんな、年をとったら 「今だからはなせる。あの事件の真相を激白!」みたいな回顧録を出版してその印税で大もうけしてたんだけどね
567 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 22:58:36 0
おちんちん
わぁい
次
569 :
世界@名無史さん:2010/11/08(月) 23:03:03 O
>>504すごい
そうだったのか。シュトレーゼマンが死ななかったらナチスはどうなったんだろ…
>>569 シュトレーゼマンが大恐慌を収拾できない限り、ナチスと共産党の台頭は止められなかっただろうね。
シャハトがナチ党に接近しちゃったからなぁ
シュトレーゼマンの死は過労が原因だから、大恐慌に対応できても結局死にそう
すけべえな音楽家が過労死?
574 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 12:21:08 O
十字軍ってビザンツ帝国vsイスラーム教徒ですか?
575 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 12:26:15 0
なんで?
セルジューク朝にアナトリアへ攻め込まれて大ピンチになったビザンツ皇帝が、
教皇に「異教徒と戦うために傭兵を送ってくれよ、お前らもキリスト教徒だろ」と要請したところ、
教皇とフランク人が過剰反応して「異教徒から聖地を奪回せよ!」と興奮しまくり、パレスチナに大挙侵攻。
一応はビザンツに対するイスラムの危機は薄らぎ、改革政策により100年間ほど衰退を食い止めることができたが、
十字軍の主体はあくまでフランク人で、ビザンツ領をも通過して荒らしまくった。
第四次十字軍に至ってはムスリムと戦うことすらなくビザンツを滅亡させる始末。
ビザンツは滅亡してない!
十字軍が首都を奪っただけだ!
と亡命政権が主張しています
>>442 昔、中央アジアのマンガ描いて編集部に持ち込んだけど相手にされなかった。
それで同人誌出したけど売れなかった。
面白そう。乙嫁語りみたいの?
>>578 とりあえず、
チンギスカーン、ティムール、メフメト2世、バーブルなどの
有名人から始めてはどうでしょう
シュトヘルはモンゴルだったね
漫画の題材になりそうな面白いネタならナスレッディン・ホジャ
583 :
297=395=400:2010/11/09(火) 16:47:52 0
>>574 十字軍にビザンツが関わっていたのは第一回と第四回だけだよ。
確かに十字軍はきっかけこそビザンツだが、ビザンツは西欧諸国とは違って
イスラーム勢力を絶対的に敵視する事はなかった。
実際、十字軍を呼ぶきっかけになったビザンツ帝国のアレクシオス1世は、
アンティオキア公のボエモン1世に対抗するために、
ルーム・セルジューク朝のクルチ・アルスラーン1世と組んだこともある。
神聖ローマ帝国について質問があります。
世界史の地図に興味を持ち始めて、最近購入して読み込んでるんですが、神聖ローマ帝国の境界ってどうなってるんですか?
オーストリアやハンガリーに食い込んでたりして、わけがわかりません。
フランス王国とかスペイン王国はすっきりしてるんですけど。
585 :
297=395=400:2010/11/09(火) 18:30:13 0
>>584 まずあらかじめ断っておくとオーストリアは神聖ローマ帝国の領土だよ。
ハンガリー王国は厳密には神聖ローマ帝国領ではないが、
モハーチの戦い以降は当時神聖ローマ帝国の帝位を独占してたハプスブルク家が
ハンガリー王位を世襲するようになるので、神聖ローマの一部と言えなくもないかな。
そもそも、神聖ローマ帝国は成立当初から諸侯の力が
かなり強くてとても1つの国とは言えない状態だったんだ。
それでも30年戦争まではある程度の統一性は維持されてたけど、
30年戦争後は諸侯が完全に独立国と同じ権利を持つようになり、
神聖ローマ皇帝の位は名目上のものだけになっていた。
神聖ローマが正式に滅びるのは、ナポレオン戦争の時だけど、
その時もオーストリア大公で神聖ローマ皇帝だったフランツ2世が、
神聖ローマ皇帝の位をなくしただけで実質的にはそれよりはるか前に
国としての実態はなくなっていた。
586 :
297=395=400:2010/11/09(火) 18:52:39 0
>>585の続き
それで大抵の歴史地図はそういった理由から
神聖ローマ帝国内のいくつかの諸侯国家についても書いてあるんだ。
でも、そういった諸侯の中には神聖ローマ帝国の外にある土地を
領土に持っているのもいたからそういった諸侯たちを地図上で表すと、
すごい複雑な地図になってしまって結果的に、
ぱっと見ただけじゃ神聖ローマがどうなっているのか
分かりにくくなっているんだと思う。
19世紀にイギリス・フランス・イタリア・プロイセン・ロシアなどのヨーロッパ諸国は、
凄まじい勢いで国力を伸ばしたのに、どうしてオーストリアは停滞したのかな?
588 :
297=395=400:2010/11/09(火) 19:10:18 0
>>587 国民国家の形成に失敗したからじゃないかな?
ナポレオン以降ヨーロッパを覆った民族主義という考え方が、
結果的に多民族国家だったオーストリアの停滞を招くことになったんだと思う。
オーストリアってのは、ハプスブルク家そのものだし、ハプスブルク家は神聖ローマ帝国を構成している
諸侯のひとつだからね。
いつの間にか、強引に「大公」って称号をでっち上げたのがなんともはや、なんだけどさ。w
591 :
297=395=400:2010/11/09(火) 21:00:39 0
>>589 でも、実はオーストリアは最初からハプスブルク家の領土ではなくて、
13世紀前半まではバーベンベルク家の領土だったんだよね。
ハプスブルクはもともとスイスの諸侯だったんだけど、
バーベンベルク家が断絶すると、
神聖ローマ内の諸侯がオーストリアを巡って争い合い、
結果、ルドルフ1世の活躍によってハプスブルクが
オーストリアを所有できるようになった。
その後しばらくして、ハプスブルク家はスイスを追い出されるから、
ハプスブルクとオーストリアがイコールの意味になるのはそれ以降のことで、
それより以前のオーストリアとハプスブルクを、
イコールにするのは厳密には正しくないね。
中世ヨーロッパでは、砂糖は貴重だったそうですが、
糖分はどのように摂取していたのでしょうか?
593 :
297=395=400:2010/11/09(火) 21:04:53 0
>>590 そうだね。
だからロシア帝国も第一次世界大戦時、オーストリアとほぼ同時期に滅んだ。
オーストリア帝国、ロシア帝国、オスマン帝国のヨーロッパの3つの多民族帝国は、
第一次世界大戦をきっかけにどれも同時期に滅んでいるね。
(ドイツ帝国も同じ時期に滅んでるが、これは多民族国家じゃないので除外)
594 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:08:14 0
>>590 ドイツもポーランド系とかアルザス系とかいる。
要は国民意識を持った香具師がマジョリティー握ってればおkってことかな。
595 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:09:11 0
質問
中国はどうして昔からあんなに暴政や戦争や飢饉などが周辺諸国などと比べてひどい有様にも関わらず他国と比べて人口が増えやすかったのですか?
596 :
297=395=400:2010/11/09(火) 21:12:58 0
>>594 確かに、オーストリア帝国における支配民族であるドイツ人の占める割合は半分もなかったらしいね。だからこそ、二重帝国にしたんだろうけど。
597 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:13:15 0
>>593 オーストリア=ハンガリーは見事に瓦解したけど。
ソ連とトルコは他民族国家のままでは?
要は自称マジョリティーが主流を握れればいい、と思います。
598 :
297=395=400:2010/11/09(火) 21:16:52 0
>>597 確かに、この3国の中で完全に支配民族だけになったのはオーストリアだけだね。
まぁ、トルコもトルコ人以外ではクルド人ぐらいしかいないけど。
(アルメニア人も多少いるかな?)
599 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:19:58 0
>>595 中緯度地域だからほっといても人が増えるからです。
日本も中緯度地域なので基本的に人口は多いです。
同時代のフィリピンとかと比べてみてください。
今でも観光旅行で北回帰線より南(例えば、タイ)に行くと、冬なのに真夏なみの暑さで、
「とても住めたもんじゃないな」という感想を持ちます。
逆方向の北海道に真冬に行くと同じような感想を持つかもしれません。
ここでクラーク博士の農業etcが出てくるわけですが、ググってみてください。
自然災害で大飢饉が起こったり、すると一気に人口が減ったりしています。
そこらへんの詳しい事情は中国史の歴史書を読んでみてください。
600 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:25:52 0
>>598 オーストリアにはハンガリー系地域が少しありますね。
まあ、今は移民系の方がウェイトが大きいと思いますが。
トルコは『トルコのもう一つの顔』 (中公新書)にあるように事実上他民族国家ですね。
ちなみに、この本、続編がつい最近出ました。
まだ、読んでませんが・・・
601 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:28:02 0
>>595 加えて、三国志時代の人口は、科学技術の進歩は別として
魏>倭>呉>蜀でした。
朝鮮半島の国家については知りません。
>>600 ふふふ 2009年ついにトルコ政府はクルド語の使用を渋々認めたようだ
>>595 人口を養うだけの食料生産力があったから
>>600 あの本によると統一クルド語というのは夢のまた夢のような印象を受けるのだが、
さるジャーナリストが自著でその点であの本にかみついていた。方言差など実は無いのではないのかと。
執筆の同時期に2ちゃんねるで匿名のカキコで全く同内容の噛み付き方をしている人がいたっけw
実際には方言差は存在するものの、優位の方言に収斂していく方向にあるようだね。
607 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 22:02:36 0
>>599 >>601 お答えいただきありがとうございます。中緯度地域は暑すぎず寒すぎずと環境(あくまで自然の)がいいんですね。
質問2
旧日本軍の代表的な愚将とされる牟田口廉也ですが、WW2当事の独伊の枢軸国や米英ソ仏中の連合国において彼と肩を並べるほどのダメな愚将はどんな人がいるのでしょうか?
外国の名将はドイツのロンメル将軍やソ連のジューコフ将軍などがよく話題に上がりますけど、愚将の話題は日本ばかりがあがる始末で(もちろん日本の名将もよく話題にあがりますが)
日本のみならず外国でも愚将は出してしまっているはずなのに日本だけでないはずです。(スレ違いかもしれませんが、答えてもらえなかったので、すみません)
608 :
297=395=400:2010/11/09(火) 22:13:47 0
>>603 今のトルコの与党である公正発展党は
ヨーロッパからイスラム原理主義政権だと批判されてるけど、
対クルド人についてはかなり寛容な政策を実行してるんだよね。
>>586 お答えありがとうございます。
要するに神聖ローマ帝国が形骸化してて、必ずしもある諸侯の領土が全て神聖ローマ帝国内に含まれるわけではないということでしょうか。
中国のチベット自治区とか、ウイグル自治区みたいに、独立国家レベルのものがすっぽりとより大きな国に飲み込まれているなら話はわかるんです。
イギリスもそうですよね。内部にスコットランドとかイングランドとか構成国家がある。
ところが、神聖ローマ帝国の場合は、ハプスブルク家の領土でも、オーストリア部分は神聖ローマ帝国内に存在してて、ハンガリー部分は神聖ローマ帝国の領土外なんです。
私の持ってる地図の17世紀のものの話ですけど。
これが、しっくりこないんですよね。
>>603 まぁクルド人つってもトルコクルド人以外には寛容だからな。
問題はトルコクルドがオスマン帝国スキーってことで、これが弾圧を生む。
611 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 22:28:25 0
>>609 構成国家ってマトリョーシカ人形みたいで
その中にも人形が入っている
違うマトリョーシカの中に同じ人形が入っている場合もあるし
マトリョーシカのオーナーは同一君主であってもいっこうに構わない
612 :
297=395=400:2010/11/09(火) 22:33:34 0
>>609 その理解で合ってるよ。
ヨーロッパではしばしば同君連合とかがあって、それと同じような感じで
神聖ローマ内の諸侯が神聖ローマ外の領土を持つことは良くあったんだ。
オーストリアのハプスブルク家がハンガリー王位を持ったり、
ブランデンブルクのホーエンツォレルン家がプロイセン公位を持ったりしてた。
>>609 ややこしくなるのは分かるが、オーストリアは神聖ローマ帝国内の諸侯で、
ハンガリーは神聖ローマの域外の別の国家だ。
オーストリア大公のハプスブルク家がハンガリー王を兼ねているということ
で、名目上、ハンガリーとオーストリアは別国家だ。
ハプスブルクに限らず、一つの家系が二つ以上の国家の主権者になるのは
珍しいことじゃない。
イギリスも神聖ローマ内のハノーファー選帝侯が英国王兼ねてただろ?
614 :
297=395=400:2010/11/09(火) 22:37:46 0
>>610 トルコのクルド人ってオスマン好きなの?!
知らなかった・・・
ていうかオスマン帝国がクルド好きなのか。
オスマン時代の民族契約の破棄が一連の同化政策とそれへの抗議に
繋がっている。
>>609 例えばイギリスがフランスのノルマンディー公に征服されたからといってフランスの領土には含まれないのと一緒。
617 :
297=395=400:2010/11/09(火) 22:42:45 0
>>615 なるほど。
確かにオスマンは民族にこだわらない国だったけど、
それをクルド人好きって言うのはちょっと違くない?
もうええやん!
クルド語も公用語認定の整備中。
テレビ局で24時間放送をやって、クルド標準語を構築中だ。
619 :
297=395=400:2010/11/09(火) 22:47:37 0
>>618 いや、僕はトルコのクルド人政策を非難する気は毛頭ないよ。
っていうか、トルコのクルド人政策に対するヨーロッパ諸国の非難は、
多分、単にトルコをEUに入れたくないがための口実作りだろうと思ってる。
イスタンブルなんかには結構普通に暮らしてるクルド人が大量にいるよ。
イラン・クルド「……ていうか俺らが話題にのぼらなすぎだろJK」
実際イラン・イラクの方はどうなんだろ?
イラクはクルド民族の自治権拡大をしているよ
622 :
世界@名無史さん:2010/11/09(火) 22:54:41 0
テルマエロマエ読後の質問
・ハドリアヌスは建築に詳しいと書いてあったけれど他は一体どんな皇帝だったのでしょうか
・風呂でお菓子とか売ってましたが、当時の浴場はテーマパーク的なところだったのでしょうか
あと脱毛する習慣があったのですか
>>622 名君。軍事面では東部国境の安定化と、防衛体制の整備。
内政面では官僚制度の確立と、行政整備と法政改革に大きな業績を残した。
624 :
297=395=400:2010/11/09(火) 23:00:00 0
>>620 イランのクルド人に関する情報はかなり少ないね。
弾圧されてるのかどうかすら分からない。
>>624 イランのクルド民族はスンニ派が多いので自治は与えられていない。
イラクやトルコから見ればクルドは完全な異民族だが
イランから見れば同じ系統である。
近親憎悪というのはあるようだ。
627 :
297=395=400:2010/11/09(火) 23:09:05 0
>>626 情報ありがとう。
確かにクルド語とイラン語はどっちも同じ語族だもんね。
クルド人はトルコ・イラン・イラク以外に
シリアにもいくらかいるんだけどこっちはどうなんだろう?
いまなんとなく思ったけど
ナウシカの土鬼(ドルク)の語源ってクルド人かな
629 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 01:01:43 O
フィリップ4世とボニファティウス8世はどっちが悪者ですか?
>>595 順序が逆かな。
人が多ければ、それだけ人同士が衝突しやすいから、戦争とかも多くなる。
日本みたいに山で各地が分断されまくり、しかも外部から人が来づらい島国となると
あれほど争わなくて済むけど、代わりに部族社会より先になかなか発展しづらい。
>>622 ハドリアヌスの建築は有名どころじゃ、あのパンテオンだ。他にもマンガに
でてたティヴォリの別荘とか、ウェヌスとローマ神殿なんかもある。
アポロドロスがハドリアヌスを隠れて呼び捨てにしてるのも、二人が
ウマが合わなかったのを踏まえてるから。
皇帝になる前のハドリアヌスが建築に口を出してアポロドロスに「素人は
あっち行ってろ」って言われたのをハドリアヌスが根に持ったのが原因だ
とも言われてる。
ローマの大浴場は体育施設や読書ルームなんかも併設されていて、今より
大規模なスパ施設が近いかな。
脱毛は、男は知らないが、女は全身脱毛してた。
ナポレオン・ボナパルトについてお聞きしたいです。
ナポレオンは戦術家としてどの程度ですか。
世界史でも五指(またはその有力候補)に入るような天才戦術家でしょうか。教えてください。
633 :
632:2010/11/10(水) 07:02:46 0
もし入らない場合、5人刻みでどの程度までなら入れても良いか教えてください。
634 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 08:28:55 0
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。
635 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 08:39:56 0
>>632 アウステルリッツ会戦では、見事な戦術家ぶりを発揮してるけどね
ワーテルローでは別人のように愚将になりさがった
637 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 11:53:59 0
そういうランキングに何の意味がある?
638 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 12:05:10 0
ナポ公は革命期の時流に乗っかっただけて言われてるけどね。
639 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 12:38:13 O
>>612 帝国の内と外では何が違うの?
帝国領土=ドイツ人領域のことというわけでも無さそう。
640 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 13:41:26 0
中世から近世くらいの時期は西欧文明を技術的・軍事的に圧倒していた中東のイスラム世界ですが、今じゃ途上国や貧国に落ちぶれてしまったのはなぜでしょうか?
理由としては産業革命もあるでしょうけど、それだけでここまで一方的な差が開くとは思えないですが、なんで近代化して対抗しようとしないのでしょう。
やはり、キリスト教やユダヤ教異常に厳格な宗教のせいでしょうか?
641 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 14:18:08 0
ナチスの「純粋アーリア人創出計画」について教えてください。
>なんで近代化して対抗しようとしないのでしょう。
>>640 近代化とは何か?近代化に付随するものとは何か?などを非西洋諸国の人間の視点で考えてみれば答えが出てくるよ。
>>640 近代化=西欧化としか捉えられないあなたとは違うからです
>>587 停滞したか?
第一次世界大戦で大負けしたから、戦争の仕方が下手糞で一発で沢山失った
というだけだろ。19世紀でなくて20世紀の頭に。
>>641 「レーベンスボルン(生命の泉)計画」。
WW1後や大恐慌後、生活苦などからドイツの出生率が著しく落ち込み、堕胎・中絶が流行したため、
政権をとったナチスは人口増加のため支援制度を作ったが、その一つが1935年にSS長官ヒムラーが創設した「生命の泉協会」だった。
本来はSS兵士の妻子を保護養育する施設程度だったが、WW2が勃発するとドイツ国外に趣旨の変わった施設が作られた。
ヒトラーは金髪・碧眼・長身の「北方人種」こそが「純粋なアーリア人」であると考え(彼自身は正反対だったのだが)、
「ドイツ人のアーリア化」を目的として占領下のノルウェーに「レーベンスボルン」施設を作り、
ドイツ人のナチス党員と「北方人種」であるノルウェー人女性との性交渉を奨励した。これによって1万2000人もの混血児が生まれたという。
戦後、彼ら母子はノルウェー政府の迫害を受け、国籍を奪われたり強制収容されたりした。
一方、ポーランド・チェコ・フランス・オランダなどの占領地でも「北方人種的」な外見をした子供は「純粋なアーリア人」と見なされ、
ポーランドだけでも5万〜20万人の子供が誘拐されてドイツ人家族のもとに送られたという。
646 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 16:25:31 0
ヘンリー8世は、なぜ後年のデブ(&モッコリ)絵しか残ってないのでしょうか?
物語性に富む、ジェーン・シーモアとのあたりまでは、スラッとした美男子だったらしいのに。
(よく知られてる絵は、かっぷく良く威厳があり、決して醜男とは思わないけど。)
また、教皇を蔑ろにするほどのこの権力者が、后となるべく女性(アン・オブ・クレーヴズ)
本人の実際の顔を見る前に結婚を決めてしまうなんて有り得ないと思うのですが。
ただ、トマス・クロムウェルを処分したかっただけと思うのが自然でしょうか?
ついでにジェーン・グレイについて、イギリス王室は正式な君主の一人に数えてるみたいなのに、
ほとんどの書籍、系図では、ジェーン女王と歴代君主として書かれないのも解るようで解らない
話です。
以上、シケた質問ですがお答えいただけたらありがたいです。
>>599 フィリピンは世界的にも人口密度の高い地域だし、赤道を挟んでるインドネシアも、未開の高地の多い
ボルネオやニューギニア島を抱えてるから人口密度は120人/平方キロくらいになっているけれど、
赤道直下のスンダ列島は人口の稠密なところ。
その希釈して120人/平方キロという数字でも、中緯度農業国のポーランド、デンマーク、フランスと
同水準だ。
>>624 クルド人に自治権あたえたら、それよりももっと数の多いトルコ人が黙ってないよな。
アナトリアオグズ系のアゼリー人とか、中央アジアと殆ど同じセルジュク人とかトルクメン人とか
あわせると結構な割合(30%)のトルコ人が居るし。
649 :
297=395=400:2010/11/10(水) 16:34:30 0
>>639 何が違うのって言われても・・・・
国境なんていうのは法律上のものだから、
それによる違いとしか言いようがないんだが。
>>640 イスラム圏(≒オスマン)が西欧に比べて相対的に遅れを取るようになったのは、
一般的にはカルロヴィッツ条約以降と言われているね。
これはイスラム圏が落ちぶれてしまったと言うよりは
西欧諸国が急速に発展したと言うほうが実態に合ってる。
19世紀以降はオスマンやイランなどでも差が開いた西欧諸国に対抗するために、
近代化しようという動きはあったよ。日本における明治維新のようなものは
19世紀のオスマン帝国でも見られたんだ。
このオスマン帝国の近代化は最終的にケマルによるトルコ革命によって、
一応のゴールを迎え現在のトルコは中東では例外的に発展している先進国となった。
>>640 回教に縛られて合理的な思考や国家建設ができないから。
要はまだ社会の成熟度が中世だから、中世並の後進国しか保持できない。
西欧は17世紀頭に事実上宗教を国家・政治体制から切り離しすことに成功したから。
651 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 16:39:47 0
尊王攘夷というのは日本に固有のものだったのですか?
あるいは攘夷自体は他のアジアアフリカオセアニア諸国にもあったのですか?
652 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 16:42:42 0
尊皇攘夷ってのは朱子学起源
653 :
297=395=400:2010/11/10(水) 16:44:28 0
>>649の続き
一方、このオスマン帝国による近代化はイスタンブルを中心にして行われたため、
その他のアラブ地域では行われず(近代トルコはこの地域を植民地のように扱った)、
後のアラブ地域の停滞とヨーロッパ諸国による被植民地化をもたらした。
ただ、エジプトだけは例外的にムハンマド・アリーによって近代化を進めてたんだけど、
結局イギリスの植民地になってしまったため、トルコほど上手くいかなかった。
また、イランはパーレビ国王の時代までかなり積極的に近代化政策を
実行してきたけど、これがイラン革命によってポシャったのは有名だから説明不要だよね。
655 :
297=395=400:2010/11/10(水) 16:55:37 0
>>640 後、戒律に関してはイスラム教よりもユダヤ教のほうが全然厳しいよ。
297=395=400
おまえの長文一人語りはもううんざり。うるさい。黙れ。
>>651 近い時期の支那の扶清滅洋なんてそうじゃないの?
その前の明の滅亡のときの国姓爺の反清復明とかも同じだろ。
>>646 王子時代の肖像画テレビで見たことあるよ
夭逝したアーサー王子の肖像画を競り落とした人のエピソードを紹介した番組だったけど
全体的に細身のアーサーに比べて骨格がしっかりしていて
目付きもするどくて快活で女好きそうな人相だった
>>646 アン・オヴ・クレーヴスはドイツの公爵家の姫君だ
国外旅行がそうそう気軽にできなかった時代に、外国の王家や大貴族の家との結婚を決める時に
事前に、本人の顔の確認なんかできるわけがない
(そのためにわざわざヘンリーがドイツまで出向くのか?)
実際にアン本人がイングランドに入国した時には、もう結婚することは決定されていた
その段階で取りやめたりしたら、国際問題
>>655 人間は建前を唱えて本音で動くものだよ。
経文に明文化されている戒律は、建前の側のもの。
戒律にしても法律にしても契約にしても、およそ掟というものは、それに従うことで得られるものが多くあるか、
叛くことで強い痛手を負うかというものが無ければ、無視される。
幾ら経文に書いてある戒律の内容が厳しいものであろうと、本音の部分、戒律に反することでもたらされると
謳われている神罰なんかわ信じていなければ平気で叛く、従うことで約束された幸福を実家名で着なければ
やっぱり叛く。
回教国の宗教警察とか、中世の異端審問のような、強制力が伴えばまた別なんだろうけれど、そうでない場合、
実際の戒律は書かれた内容が厳しかろうが緩かろうが無いのと同じだ。
662 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 17:44:00 0
まあ、定説では
ヘンリーに渡されていた肖像画が異常に美化されていたと言うがね。
663 :
297=395=400:2010/11/10(水) 17:53:42 0
>>661 確かにそうだね。
ユダヤ人たちは長い間、自分たちの国を持ってなかったから、
戒律を強制するような国家権力はなかった。
でも、ユダヤ人は長い歴史において迫害されてきたからこそ、
自分たちのアイデンティティーを守ろうと戒律を厳密に守ってきた面もあると思う。
後、異端審問はともかくムタワはそれほど強制力はないと思う。
どっちかというと民間の宗教ボランティア活動みたいなもので
国家機関とあまり関係ないから。
>>660 どの辺が説得力ゼロなんだ?
その時代の王族の国際結婚なんて、相手の顔は結婚直前まで見る機会がないのが普通だ
また、政略結婚だから、持参金がどれだけとか、細かく取り決めて、いろいろ準備して公女を
送り出したのに、顔を見たら結婚取りやめとなると、その準備がすべて無駄になるわけで
大問題になる
戦争とまではいかなくても、関係悪化は避けられない
665 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 18:12:54 0
>>650 297=395=400さん
お答えいただきありがとうございます。よくわかりました。
トルコのような政教分離と近代化が他のアラブ諸国にもできればいいのですがね。
やはり、政治の仕方まで経典に入れてしまったのが、間違いの始まりだったのでしょうか。
666 :
297=395=400:2010/11/10(水) 18:15:48 0
>>665 中世はそのことが要因で発展した訳だから安易に間違いとはいえない思う。
>>やはり、政治の仕方まで経典に入れてしまったのが、間違いの始まりだったのでしょうか
ただ、現在において政教一致が時代遅れになってるのは事実だろうね。
と言っても明確に政教一致の体制をとっているイスラム国は
イランとサウジアラビアぐらいだけど・・・・
>>664 抜け作とは君の事だ。
聞いたような世界史の‘常識っぽい事’より、句読点の使い方から勉強すべきだ。
668 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 18:25:09 O
>>649 なら、ハプスブルク領でも帝国の内外で法律が違うってこと?
669 :
297=395=400:2010/11/10(水) 18:38:36 0
>>668 そうだよ。
フランツ2世がオーストリア帝国を作るまでは
名目上はハンガリーとオーストリアは別の国だったので、
他の神聖ローマ内のハプスブルク領の地域(オーストリアやボヘミア)とは
違う法律が適用されある程度の独自性がハンガリーでは保たれていた。
これが、後にオーストリア・ハンガリー二重帝国が出来る要因の1つとなる。
といってもハプスブルク帝国という呼称が示すように、
実質的には1つの国のようなものだったが・・・・
アラブはトルコを恨み、イランを嫌い、欧米を憎んでいる。
つまりオスマン帝国、シーア派、キリスト教だ。(もちろんアラブ人にもシーア派やキリスト教徒はいるが)
王制打倒革命後のアラブ諸国は、汎アラブ主義を唱え世俗化(「近代化」)を目指した。
だが反欧米路線から東側諸国のシステムを取り入れてしまい、社会主義独裁で政治をするしかなくなった。
エジプト、シリア、イラク、リビア、イエメン、みなそうだ。(トルコはなにしろソ連と近いし、自然と欧米に近づけた)
世俗化に失敗し、貧困と圧制がはびこるところ、救済を求めて宗教が輝いて見える。
イスラームは世界宗教で、過去の「アラブ民族」が生み出した偉大な文明システムだから、これを捨てるなんてとんでもない。
サウジや湾岸諸国はオイルマネーで絶対王制を維持しており、これがうまくいく限り「民主化」を望んでもしょうがない。
まあサウジは国の成り立ちが、ワッハーブ派という過激宗教団体の庇護者として始まってるので、
それを否定すると宗教指導者の反抗で余計に国が立ち行かなくなるが。
671 :
297=395=400:2010/11/10(水) 18:52:59 0
>>670 今のイスラム国の政治体制は「@西欧化近代化を推し進めている国」、
「Aアラブ民族主義による世俗主義を標榜してる国」、「Bイスラム原理主義国家」の
3つぐらいに分けられると思う。
トルコやレバノンなんかは@で、シリアやエジプトとかはA、
サウジアラビアやイランなんかはBに当てはまるかな?
アラブ民族主義の失敗によるイスラム原理主義の台頭は、
多くの現代イスラム史関係の本でみかける主張だね。
モンゴルはなんでアナトリアまで進んだのに、その先のバルカン半島まで侵攻しなかったの?
673 :
297=395=400:2010/11/10(水) 19:11:17 0
>>672 ビザンツ帝国がその間にあったからだよ。
当時のビザンツ帝国の皇帝は狡猾な外交で有名なミカエル8世で、
イル・ハン国と同盟を結ぶことで攻められないようにして、
さらにイル・ハン国と敵対してるジョチ・ウルスやマムルークとも
同盟を組むことで牽制を行い自国領土の保全を確かなものにしたんだ。
>>667 読点をつけてなかったことが気に入らないのかい?
じゃあ、言い直そう。
アン・オヴ・クレーヴスはドイツの公爵家の姫君だ。
国外旅行がそうそう気軽にできなかった時代に、外国の王家や大貴族の家との結婚を決める時に
事前に、本人の顔の確認なんかできるわけがない。
(そのためにわざわざヘンリーがドイツまで出向くのか?)
実際にアン本人がイングランドに入国した時には、もう結婚することは決定されていた。
その段階で取りやめたりしたら、国際問題。
その時代の王族の国際結婚なんて、相手の顔は結婚直前まで見る機会がないのが普通だ。
また、政略結婚だから、持参金がどれだけとか、細かく取り決めて、いろいろ準備して公女を
送り出したのに、顔を見たら結婚取りやめとなると、その準備がすべて無駄になるわけで
大問題になる。
戦争とまではいかなくても、関係悪化は避けられない。
これで問題は、まったくないはずだね?
675 :
632:2010/11/10(水) 20:06:05 0
>>673 その頃はラテン帝国がコンスタンティノープルを支配してて、
ビザンツは亡命政権がバルカンやアナトリアに割拠してる状態じゃないか?
ミカエル8世がビザンツ帝国を再興するのは、ルム・セルジューク朝がモンゴルの支配下に入ってから、
だいぶ後の事だろ。
>>665 回教が政局に関わったからこそ
イスラム修道派の台頭と商業の発達を招いて支配権を手に入れたんだがな。
問題だったのは多民族主義でそれぞれの民族を取り入れていったから
王権の欠乏や民族主権の不足、それに伴う紛争が果てしなく続いた上に
帝国主義の発達が遅れたことだろう。
何を為すにしてもそれぞれの意見が足を引っ張った。
678 :
297=395=400:2010/11/10(水) 22:00:31 0
>>676 >>676 ルーム・セルジューク朝が滅んだ直後のモンゴルは内乱期だから、
それ以上西へ攻め込む余裕はなかったんだと思う。
ある程度、内乱が収まった後には既にミカエル8世がコンスタンティノープルを奪回してて
その後は
>>673で言ったとおりだと思う。
そもそもセルジューク朝は別に滅んだわけではないからね
イルハン朝に服属はしていたけれどあくまで名目上だからね
それまでの支配層が変わらず普通に統治していた
680 :
297=395=400:2010/11/10(水) 22:10:31 0
やっべ同じところに2回アンカーしてしまった。
>>677 個人的にはそれよりもアラブ諸国が近世以降、
イスラーム世界の辺境と化してしまった事が衰退の原因だと思う。
イスラーム世界のうち例外的に発展してるのがトルコだけという現状から考えるに、
近世以降イスラーム世界の中心がイスタンブルになった結果、
他のアラブ諸国が相対的に田舎化して、
それが現在のアラブ諸国の衰退に繋がってるんじゃないかな?
だから、イスラーム世界の衰退と言うよりは、
アラブ世界の衰退と言ったほうが良いのかも知れない。
(イランはペルシャ語圏なのでまたちょっと例外)
それと、オスマン帝国はバリバリの帝国主義の発達した国家だと思うんだけど。
681 :
297=395=400:2010/11/10(水) 22:14:24 0
>>679 そうだね。
>>678では「滅んだ」という表現を使ったけど、
正確には「モンゴルの属国になった」っていう表現のほうが適してるね。
モンゴルはアナトリアをあくまで間接支配してただけで、
直接支配してたのはイラン地域だからね。
682 :
632:2010/11/10(水) 22:35:05 0
もう一つくだらない質問です。ナポレオンが戦術的な天才ではないようだというのはなんとなくわかりました。
あと他に戦術的な天才と呼ばれている人ってハンニバル(現在も軍事教材で陣形などが取り上げられるとか)やカエサルや
アレキサンダー大王などがおります。こういった戦術的な天才と呼ばれている人達は言われてるような本当の戦術的な天才
(かなり劣勢な状況で戦術指揮を任せても安定的に勝利出来る)なのでしょうか。
私としては英雄譚のような戦術的な天才などこの世に存在せず、そう言われる人たちというのは本人の戦術論以外の要因
例えば敵国or敵陣営の社会不安、自国の改革、そもそも自軍が優勢(日本史だと義経?)、などによる部分が大きかった。
そこに戦術的センスがそれなりに有る人が乗っかった結果、戦術的な天才に見えるだけではないかと思うのですが皆様のご意見をお聞かせください。
>>682 戦史に関しては、軍事板で聞いた方が、よろしいかと思われます。
この板は歴史の知識がある人は多くても、軍事の知識がある人は少ないので。
俺は、戦術の天才はいると思うよ
もちろん、一般に戦術の天才と思われている人でも、その時の時流に乗って勝っていただけ、という人は多い
でも、たとえばハンニバルなどは、補給もままならない敵地にほぼ孤立した状態で、何年も、戦術的には勝ち
続けているじゃないか
戦術能力だけでは最終的には勝てない(現にハンニバルも結局は撤退し、ザマで負けた)けどね
>>682 実のところ戦術はあまり意味がない。
「素人は戦術を語り玄人は戦略を語り専門家は兵站を語る」と言われるように、
軍事での勝利はドクトリンの勝利だから。
ドクトリンに沿う以上は戦術面での「天才」は発生しないと云える。
しかしWW2のルーデルのように怪物というのは紛れもなく存在する。これこそ
まさに戦術の天才といっていいだろう。
686 :
632:2010/11/10(水) 23:09:21 0
>>683 私も軍事は知りませんし、準軍事で細かく掘り下げようとは思ってないです。
ただ歴史って政治と軍事の歴史だと思っていますので、そういった(歴史という)マクロ的視点からどうかなぁと。
687 :
632:2010/11/10(水) 23:10:40 0
>>684 レスありがとうございます。確かにカエサルの場合は軍を掌握してた上で自国が社会不安だったとかありますけど
ハンニバルは仰るような状況で勝ち続けた訳ですからね。私も(日本史からの転向組で世界史はほとんど知りませんが)
自分の意見に置いてハンニバルはネックかなと思います。
ただカルタゴって一応古豪なんでしたっけ?新興のローマに追い込まれてたけど。
688 :
世界@名無史さん:2010/11/10(水) 23:16:22 0
1900〜1920年代のアメリカ合衆国は猟官制が制度疲労し、アル・カポネのようなマフィアが台頭して行政組織が汚職と腐敗の宝庫となってしまいましたが、どうやって腐敗を一掃し、マフィアの力を弱めることに成功したのですか?
また、アル・カポネたちマフィアはどれくらいの時期までのさばっていたんですか?
689 :
632:2010/11/10(水) 23:20:09 0
>>685 >実のところ戦術はあまり意味がない。
「素人は戦術を語り玄人は戦略を語り専門家は兵站を語る」と言われるように、
私も銀河英雄伝説(オイw)を観て以来同じように思っております。
690 :
632:2010/11/10(水) 23:24:44 0
なるほど、ナポレオンが違っただけで、ハンニバルなど戦術の天才は存在する。
というのが多くの皆様の見解のようですね。
ちゃんと訓練された参謀本部なら、会戦現場に立ってから
「さてどうやって勝とう?」とは言わないだろうなw
具体的な戦術的天才って誰を挙げる?
>>692 西方はバルカス家、東方はフレグ家かな。
どっちも三代目まではDQNレベル。
695 :
632:2010/11/10(水) 23:47:09 0
>>691 トロツキーは言いそうだなぁ。あいつは現場で役に立つ。
>>685 なるほど、天才戦術家の韓信、天才戦略家の張良よりも兵站を維持し続けた蕭何の功績を最上とした
劉邦の判断はまさしく専門家ならではだった訳だ。
>>697 兵站は最も信頼できる片腕がやる仕事だしね。
699 :
632:2010/11/11(木) 00:13:50 0
>>640 理由は簡単
東をオスマンに抑えられていたヨーロッパは西に進出、
メキシコ、ペルー(アステカ、マヤ、インカ)を征服して莫大な金銀が流入したから。
さらに多数の国が並立していたので、変化を抑制されることが少なかった。
これが中国みたいに大国ひとつだったら、利益は全部王や貴族に独占され、
社会変化に結びつきにくくなる。
>>700 その辺はジャレド・ダイヤモンドの「銃・鉄・病原菌」に詳しくあるね。
>>646 デブの方が貫録あってカコイイ
モッコリは当時のかっこよさのシンボルだからな
スペインとかでもハプスブルク家のカルロス(カール5)・フェリペ2親子あたりはコッドピースつけてもっこり強調してるでしょ
>>550 >自分の血統をその能力で証明しようと必死になった。
まるっきり逆だw
実力あっても正当性を認められず、アホの傀儡でも王になれるから血統主義であり、
能力で証明しなくちゃいけないのは実力主義なんだよアホ。
ハンニバルはマケドニアと同盟結んだりカプアやシラクサを離反させたりと戦術レベル以上の仕事もしてはいる
ただハンニバルも認める戦術の天才ピュロス王も割と散々なことを思えばその辺が限界なんだろうね
705 :
297=395=400:2010/11/11(木) 05:34:49 0
>>700 確かにヨーロッパが多数の国が群雄割拠して発展したのに対し、
イスラーム世界はオスマン帝国1つにまとまってしまったせいというのはあるね。
チベットは現在進行形で虐殺が続いているのでしょうか
それとも日本が沖縄に金を落としているように懐柔、融和策をとっているんでしょうか
707 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 06:23:58 0
両方進行中です。民間では漢族のひどいチベット族差別が横行しています。
長距離バスでチベット人と乗り合わせると漢人は足で蹴って席を空けさせます。
イスラーム国家はサファヴィー朝やムガル朝もあるけど…
内実は全然一枚岩じゃない
数百年〜千年くらいしたら今のエミシや琉球人みたいに仲良い統一国家になるんじゃね?
琉球の宗教や神官は弾圧されて当然だよね?
チベットの住民が99.9%以上漢族になるだけです。
残った少数民族は保留地に隔離され、伝統的な暮らしを満喫することができます。
もちろん琉球も中国領なので、日本から独立後は平和的に中国に併合もとい解放され、
チベットやウイグルと同じように平和的に漢族居住地になります。
やがては日本が、そして世界がそうなるでしょう。朝鮮半島は漢族も嫌がるので残します。
>>711 健康害してしまうから漢族は殆ど西蔵に住んでいないよ。
こぎれいな住民はカム方言のほうが通じてラサ方言は通じない。
操れる漢語は四川話や雲南話。ラサはだいたい住民のお里がわかるよ。
古代中国史だけど、いいかな?
戦国初期(春秋末期?)の楚・呉・越の鉄の鋳造技術は非常に高度な物だったらしいけど、
これって殷(商)代後期の青銅器の鋳造技術の高さと繋がりがあるの?
すみません。
漠然とした質問なのですが、
10代で王に成り上がり、その後も連戦連勝。
しかし、自分より遥かに上手の英雄(モンゴルだったかなんだったか)に敗れて、
落ちぶれた中東だか騎馬民族だかの英雄がいると聞いたのですが、どなたかご存じないでしょうか?
ブハラのサイイド・アジャッル
鄭和の父はサイイド・アジャッルの子孫だと名乗っていた
>>715 返事はやっ!
あんまり、落ちぶれてないけど、この人なのかな。
ありがとうございました。
>>713 無い。殷は中原にあったし、それら南方の国々は当時はほぼ異民族と思っていい。中華世界に
参加するのは西周の頃と思う。それに殷の青銅器は祭器であって装飾的な細工が見事。
南方の鉄器は武器として優れている。技術的には別物と思う。
「聖なる裔」=サイイドと認められていた人物は他にもあるので
落ちぶれた人達についてはよくわかんね
719 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 11:53:37 0
仏語の『de Jérusalemm』の読みは『ド・ジェルサレム』でいいの?
それとも『ド・エルサレム』とすべき?
720 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 12:00:29 0
>>714 サファヴィー朝のイスマーイール一世のことかな?
彼も14歳で王位に就き連戦連勝したけど
チャルディラ−ンの戦いでオスマン朝のセリム1世に負けて落ちぶれた。
721 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 12:00:46 0
ド・イェルサレーム
>>713 ないでもない。殷は異民族との交易(商売)で栄えた都市国家の連合体で、銅や錫は南からも輸入していた。
殷が滅亡したあと、その文化が楚など南方諸国へ伝わったようでもある。
ただ、殷と同時代にはすでに長江流域にも独自の青銅器文化があったらしい。
両者の混交で文化が発達していったようで、呉・越・楚の青銅製武器は非常に優れていた。
あるいは東南アジアの青銅器文化とも関係があるかもしれない。
中国の鉄器は、初期には鍛造も行われたが、春秋末期からフイゴによる鋳鉄技術が起こり、
農具や武器や玩具まで鋳鉄になるほど、異常に大量の鉄が作られた。
西洋で鋳鉄が行われ始めるのが紀元後の14世紀というから異様に早い。
鉄鉱山の多い斉では大いに製鉄が行われたが、殷代には山東は東夷で、長江下流域との関係もありそう。
神話上では黄帝と戦った蚩尤が銅鉄から武器を作ったなどというが、蚩尤は東夷とも苗族とも羌族ともいう。
蚩尤の子孫を自称する民族は今ではみんなミャオヤオなので
違う民族が支配していたとしても今では区別がつかないよ
HLA-MHCで見るとミャオヤオ語族の話者中に西北系由来の者が多少いるけど
>>720 そ・れ・だ!!
ありがとうございます。やっとみつかった!
敗戦から10年後に38歳の若さで病死はしたが、
カリスマ性と政治への興味を失っただけで、王座から落ちぶれてはないな。
戦死したわけでも王統が断絶したわけでもない。
>>724 すみませんw
どういうわけか、私の中でこの人がモンゴルに負けたことになっていました。
>>726 そして、なぜだかわかりませんが、戦に負けたあと、落ちぶれて死んだことになっていた…。
しかし、14歳で王位につき、悪魔のように美しいといわれたって、ほとんどラノベの登場人物だな。
そりゃイスマーイールにはペルシャ・トルコ・ギリシャと混血しまくっていたからね。
悪魔のような美貌も肯ける。
チェーザレ・ボルジアとか、どこのラノベの主人公やねんだしなぁ
でも髭があると美貌という感じが薄れるのは現代日本人的感覚かしら
上地雄輔は、髭生やしていても人気あるぜ
朱元璋よりハンサムなのって見た事ない。
733 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 14:27:51 0
なぜイングランドのメアリー1世は、即位した後の37才になるまで未婚だったのでしょうか?
義母キャサリン・パーの下、またエドワード6世の治世時は問題無い気がしますが。
おとといおいで厨房くん
>>733 女王はうかつなヤツと結婚すると、国を乗っ取られかねないから、相手選びには(たとえ仮に
本人が乗り気でも、婚姻の約束を取り結び話をまとめる家臣たちは)慎重にならざるをえない
だから時間がかかる
異母妹のエリザベス1世なんて、生涯結婚しなかったろ?
う〜〜〜ん……
即位する前に結婚しててもおかしくなかったと言いたいのですが。
キャサリン・パーの加護の下で王位継承権が復活した訳で、そのまえは立場が不安定でこそあれ
国の命運とは関係の無いところにいたし。
エドワード6世があんなに早く死ぬとは誰も思わないでしょ。
737 :
297=395=400:2010/11/11(木) 17:42:13 0
>>708 ムガル帝国はイスラム世界でもあるがインド文明圏と言ったほうが良くない?
当時の中東は実質オスマン帝国とサファヴィー朝の2大巨頭が並び立ってて、
確かに一枚岩ではないけどヨーロッパほど群雄割拠してた訳でもないよね。
だからこそ、19世紀以降の近代化政策はこの2国でしか行われなくて、
他のイスラム地域が没落したんじゃないかな?
(例外としてエジプトも近代化政策を行ってたけど)
インド文明圏に建てられたイスラム国家じゃん
何か問題でも?
近代以前のインド北西部辺りはイスラム圏と言っても過言ではないね
そもそも現在の様な形でインド半島が一つにまとめ上げられている方が非常に不自然
740 :
297=395=400:2010/11/11(木) 18:51:25 0
741 :
297=395=400:2010/11/11(木) 18:53:37 0
>>739 歴史上、インドを統一できたのはマウリヤ朝とムガル朝くらいだからね。
(グプタ朝も場合によってはインドの統一王朝に含めるかな?)
>>741 マウリヤ朝もムガル朝も南インドを支配出来てない。
グプタ朝は北インドだけ。史上初めてインドを統一したのはイギリス。
743 :
297=395=400:2010/11/11(木) 19:09:04 0
>>742 イギリスだってゴアを領有できてないから完全にはインド統一してないじゃん。
統一帝国が文明の発展を遅らせるなら、
なんで、近世までの中国やオスマンやムガルがヨーロッパ以上の先進国だったのかな?
古代のローマや漢のような大帝国が同時に文明大国でもあったのかな?
競争があったから、近世ヨーロッパが発展したと言うのは違うんじゃ?
それなら、同格の相手と競合しなくていい冷戦前までのアメリカ合衆国が大発展した理由が分からないのだが。
競争があるなら発展するとすれば、アメリカ合衆国より、各国が入り乱れて争っていた南米の方が発展するよね?
745 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 19:14:04 0
インド・イスラム世界であるムガル帝国までは含めてませんよ。中東のイスラム世界だけです。
>>640の質問者より
746 :
297=395=400:2010/11/11(木) 19:14:51 0
>>744 う〜ん、そう言われれば確かにそうか。
近代西欧の発展は競争社会によるものっていうのは良く聞く論法だが、
>>744の話を聞く限り、あまり正しいとは言えないのかも知れない。
747 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 19:27:28 0
中国やオスマン・トルコ、ムガルといったそれぞれの統一帝国が基本的に社会構造が同じ中央集権制をとりつづけ、ヨーロッパ諸国のような封建制を経過していなため、地縁、血縁をこえた中間団体が育たず、社会が多様性を持たなかったというのが、一因では?
つまり、明治維新以前の日本を例にとってみれば、徳川幕府は絶対的な権力を持っていたわけではなく、それぞれの大名の領内の統治権は領主が持ち、また、村内は農民の自治が原則となっており、農地は武士ではなく農民が所有していました。
また、さまざまな商工業者の仲間組合や宗教的講組織などが重層的に存在し、権力と個人が直接に向き合うような社会構造ではなかったという違いです。
このような中間団体の経験が、血縁だけに頼らない法人組織、会社組織の発達を促し、資本主義と大規模商工業の発展を実現に導いたのでしょう。
それに中国は儒教もとい中華思想に(おまけにシステム上、官僚機構が肥大化しやすく、毎回の王朝崩壊の一因に)イスラム圏はイスラム教に縛られた権力者たちに近代化を目指す改革派が足を引っ張られたのもあるでしょう。
748 :
297=395=400:2010/11/11(木) 19:33:10 0
>>747 君の説明だと地方有力者や中間階層が育たなかったことが衰退の原因みたいだけど、
18世紀後半以降のオスマン帝国にはアーヤーンっていう地方有力者がいて、
むしろそれがオスマン帝国衰退の要因の1つと言われてるんだけど。
750 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 20:41:21 O
IBMはデカすぎて没落しサムスンはデカいので発展したらしい。
統一状態と乱立状態どちらがいいかは時代に寄るんだろう。
>>747 中国もオスマンもムガルも、実質的には土着の豪族や貴族が土地を支配してたんだがな。
中央から派遣された知事は、単にその上前はねてただけで。
実質的には封建制と変わらん。
あと、商業経済や組合制度、金融制度などは中国やイスラム世界やインドの方が高度だった。
第二次大戦でドイツ軍と連合軍がイタリアで戦ってるうちにイタリアが降伏しましたが、
ドイツ軍は北中部のイタリアで連合国と戦っていました。
この時、北中部イタリアはドイツ軍占領下って扱いだったのですか?
753 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 21:09:25 0
文明のレベルを決定するのは国の位置だよ。正確にはその位置のその時代の気候。
ヨーロッパが停滞した時期と、寒冷期は連動している。
そして大きく見て、ヨーロッパが寒冷期を迎えていた時は中東が温暖湿潤になる。
寒冷期のヨーロッパは経済と食料供給が不安定になって
人口移動が激しくなり、小国に分かれて体力を削りあってしまう。
一方の中東は気温がやや下がって湿潤になると病害虫が減って農耕が安定し、活発な貿易や平和的な移住が起る。
そこに異文化の融合や問題解決のための工夫から発明や文化が生まれる。
経済が安定しているが故に、文化と教育も発展する。学者は何時の時代も食えないから、豊かな国でないと育たない。
そして彼らが残したものが長い時間を経て人々に恩恵をもたらす。
ヨーロッパが巻き返しを始めれたのは、
南米から寒冷に強いジャガイモやトウモロコシがもたらされ、食料供給が安定し人口が増加したから。
大航海の恩恵もあって経済規模も大きくなり、農地が安定したために地主の経済力も安定し
民族の侵入(略奪)もおおまか止まった。
変動はあったが大きく見ればこの時期にヨーロッパは温暖化を始めている。
中東は気温が上がり、砂漠化が進行して逆に文明の停滞が始まる。
中国の発展が紀元後、急速に停滞した理由もその時期にはじまった乾燥化に求められる。
そして、あの国の王朝が滅ぶ理由の根本は農民の反乱。つまり気候変動による飢饉が原因。
>>752 それ違う国のイタリア。当時イタリアは2つになった。
>>752 yes
そして降伏後もドイツと一緒になって連合軍と戦った一部の部隊は裏切り者です。
降伏する事を前もって伝達もしなかったけどね。
756 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 21:47:19 0
オーストリアやフランス、ドイツと欧州の強国が次々に「皇帝」を名乗り始めたのに
「インド皇帝」の称号は後に名乗りましたが、何故最強国イギリス王室は外交上最上格の「皇帝」にならなかったんでしょうか?
キリスト教圏の皇帝位>キリスト教圏の王位>>>>>>>>>>>>>>>>>土人どもの皇帝位だから。
名乗ってないことはない、ちゃんとグレートブリテンおよびアイルランド連合国王の「次に」インド皇帝って名乗ってるよ
1943年、連合軍に無条件降伏したのは「イタリア王国」。
7月にバドリオがムッソリーニを拘束・幽閉し、国王から首相に任命されて秘密裏に連合軍と休戦交渉した。
ところが9月に連合軍のアイゼンハワーがイタリアの無条件降伏を発表してしまい、これを機にヒトラーがローマに進撃。
ムッソリーニを救出すると、彼を元首とする「イタリア社会共和国」(RSI、サロ共和国)を樹立する。
実質的にはナチスの傀儡国家で、占領されたも同然の扱い。
ローマを脱出した「正統な政府」のバドリオ政権はRSIに宣戦布告し、イタリアは内戦状態に陥った。
>>747 オスマントルコは、パシャ号やアーミール号、つまりは、爵位を持ってる土豪や貴族が
地方支配をしていたでよ。
中にはクリム・ハーンのようなジンギス・カーン裔のカーン号を持つ土豪とか、
ワラキア公のようなキリスト教徒でヨーロッパにもつうようするプリンス号の在来支配者を
そのまま据えた例とかあるよ。
>>753 トウモロコシは寒冷に弱いから。
北海道で栽培しているのは完熟を待たずに収穫する野菜用のトウモロコシで
栽培期間が短いから可能なだけで、全然、寒さに強くないから。
>>760 ペルーやメヒコの映像って見たことないのかな?
巻き返しっつうか、古代のヨーロッパで文明国だったのはギリシャとイタリアだろ。
イベリアや南ガリアはともかく、北ガリアやブリテン、ゲルマニアは蛮族もいいとこだ。
「中世の温暖化」は8世紀から13世紀頃までで、その間に大開墾時代や十字軍があった。
14世紀には寒冷化が始まり、大飢饉と黒死病と百年戦争と初期ルネサンスが並行して進む。
寒冷期のピークは16〜18世紀で、19世紀半ばにようやく温暖化が始まる。
トウモロコシはコロンブスが食べてうまいと言ったためか、ジャガイモより早く南欧やアジア・アフリカへ広まったが、
貧民はこればっかり食べ過ぎてペラグラという病気にかかったとか。まぁ、飼料用だべ。
764 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 23:28:03 O
ウイルソンの14ヶ条の民族自決と植民地問題の公正な解決ってなんで区別するんですか?
765 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 23:33:38 0
>>753 いや、弱くないから。
アンデスの高地が原産だと言われてるんだぞ?
766 :
765:2010/11/11(木) 23:34:45 0
767 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 23:57:40 0
>>763 中東の学門のベースは地中海。
でもその後の停滞で忘れ去られて、十字軍やイベリア奪還でヨーロッパに戻ってきた。
ジャガイモは長い間一属一種で、そのためドイツでは病気で全滅した事がある。
その時に膨大な人間が餓死したんだが、
裏を返せばそれだけジャガイモによって人が増えていたという事。
食料は人間の行動のほとんどを支配しているよ。
フランス革命は浅間山噴火の硫酸エアロゾルによっておきた大寒波によって引き起こされたという説があるほどだし。
トウモロコシは基本的に粉引きしてパンやスープにした。飼料用じゃないよ。
アイルランドのジャガイモ飢饉が無ければあそこまでアメリカに移民しなかっただろうな
>>761 メキシコは回帰線を跨っていて、高地は涼しいけれど、寒くはないよ。
ペルーは海抜0の海岸、東部にはアマゾンの熱帯雨林まであるよ。
そういえば真偽は定かじゃないけどナチスのユダヤ人迫害を支援したのは実はユダヤ人富豪の
ロスチャイルドとかいう話はあるな。
ヨーロッパに居るユダヤ人のほとんどがわざわざイスラエルになんか移民する理由が無いので
ナチスに迫害させてほぼ強制的にイスラエルに移民させたとか。
>>765 トウモロコシの原産地は中米、おそらくはユカタン半島かその近辺だと言われているはずだが。
>>770 シオニスト運動とナチスは微妙に時期がずれてないか?
それに迫害から逃れるため、っていうのだとイスラエルである必然性が薄いんじゃないか。
アンデスでもトウモロコシは栽培されていたが、
チチャという酒の原料としてであり、主食はジャガイモなどの塊茎類だ。
今の朝鮮人と言われる民族は百済や新羅の民族とはまったく異なるとどこかの板で見たのですが
なら今の朝鮮人は後に進入してきた高麗人の血が強いのですか?
>>765 >>771の言うとおり、トウモロコシはメソアメリカで作られたもの。南米はジャガイモ
だ。メソアメリカ考古学者の人は、メソアメリカ文明とアンデス文明を一緒くたにさ
れるて困るって言ってたな。
ジャガイモやトウモロコシがヨーロッパで普及したのは、小麦と違って非課税だ
ったこともある。アイルランドのジャガイモ飢饉だって、小麦はダメージ受けてない
けど飢餓輸出されてただろ。
776 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 06:03:18 0
辛亥革命が複雑過ぎてゴチャゴチャになります。
中国同盟会の革命運動
↓
革命に乗じて各省が独立宣言
↓
帰国した孫文が中華民国総統に
↓
軍に臨時政府打倒を命令するが、孫文は軍の大臣の袁世凱と手を組み革命成功
・
・
・
???
これに「袁世凱に政権を奪われて革命失敗」だの、「日本に亡命して巻き返しを図る」
など、調べれば調べるほど混乱して訳が分からなくなってしまいました。
どなたか整理して教えて頂けませんか。
>>772 当時からアラブとユダヤでパレスチナ問題が起きていたし
イギリスは強引に建国を推し進めようとしていたからナチスのユダヤ人迫害が
自立願望と移民を増加させ結果的にイスラエルの建国にプラスに働いたのは事実。
まぁ「イギリス人のご機嫌を取ろうとした」とか「チャーチルとの秘密取引」なら分かるが
(チャーチルの回顧録でも「ナチスにユダヤ人弾圧を指摘したために会談が上手くいかず
平和が維持できませんでした」みたいな奇妙な自己擁護があるし)、
ロスチャイルドはないわ。
778 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 08:03:46 0
>どなたか整理して教えて頂けませんか。
無理です。
>>774 侵入してきたのではありません。元からいました。
4世紀頃の百済や新羅は奴隷制国家らしき形態なので
支配民族の扶余系が侵入してきて、朝鮮族(高麗族)は奴隷だったのです。
新羅は途中で政権交代、百済は滅亡。
支配層は高句麗などにきれいさっぱり逃げたと考えられとります。
高句麗も扶余系と近縁だったらしく、滅亡したあと渤海へ逃れています。
エリトリアのことか?
ソマリアが「併合」されたのはイタリア統治下のことだからアレだが
782 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 13:40:18 0
783 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:03:57 0
辛亥革命なんてうそっぱち。
実態は袁世凱の王朝簒奪にしかすぎない
汪兆銘って一体何がしたかったのか良く分からない。
この人はどういう主義主張で動いてたの?
785 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:17:57 0
>>778 そんなに複雑なのか…
東洋史は調べれば調べるほど泥沼に陥る気がする。
東洋史の理解は諦めよう…
786 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:23:17 0
汪兆銘も哲学があったんだよ
次
>>785 東洋史に限ったことではなく、
細かいところを抑えようと頑張り始めると、
キリがなくなるの
>>785 中国史の中でも辛亥革命から国共内戦のあたりまでは、
有数のカオスだから。本気で理解しようとしたら、一スレは必要。
790 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 20:46:22 0
>>786 どんな哲学があったか理解に苦しむんですが。
カリーニンにだって哲学はあったはずだしな。
まだ、カリーニンの方が分かりやすい。寄らば大樹で一貫してるだろ?
汪兆銘はすぐ仕事放り出すし、いろんな主義主張の違う奴と手組むから、
何がしたいのか本当に分からない。
反共産主義・和平建国という哲学。
汪兆銘は中国と日本が停戦和平して、荒廃した国を立て直すために活動したのであり、
唯々諾々と日本の傀儡になることを目指した売国奴ではない。
残念ながら多くの人間には理解されなかったが。
>>776 こんなところで簡単に説明するのは本当に無理なので、
腹をくくって孫文や中華民国や辛亥革命についての
いろいろな本をたくさん読むこと。
本当は日本の力も借りたいくせに共産党に乗せられて国民感情のためにと
排日に走り、いらぬ戦争を起こした蒋介石みたいなやり方は中国のためにならない。
さりとて合作と称しつつ二枚舌で国民党への潜入・農村の赤化・地主のリンチを続ける共産党とも迎合したくない。
軍閥に頼らず三民主義に忠実な真の国民党の路線を歩みたい。
戦乱で低下した国力を回復しあるべき発展を優先しよう。
そのためには一時的に日本の力を借りるのもやむなし。
そんな所だろうか>汪兆銘
傀儡政権とはいえまがりなりに南京政権が運営されたのは汪兆銘のおかげとも言える。
国父孫文は「共産主義は三民主義の友である」なんて大らかなことを言っていたのだが、
時代が違う。現実の共産党のやり口を見た汪兆銘は、反共の点では蒋介石と同じ考えだったろう。
796 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 22:14:38 0
アウンサン将軍は日本に恩を仇で返した糞野郎だね?
>>773 赤道直下なら標高1500メートルくらいではまだ寒くならないよ。
カオスといえば
玩具箱をひっくり返したような
14世紀中盤欧州にワロタ
モンゴル帝国、ヨハネ騎士団領、オスマン帝国、教皇領、イベリア回教圏、選帝侯領・公国etc.
799 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 22:24:46 0
大日本帝国!!!!!!1
孫文のすごさってのは後の対日戦など備えて共産党であれ国民党であれ
どこが政権をとっても中華民族が自立できるように500年先を見越した。
国家戦略を考えていたことだ、毛沢東であれ蒋介石であれ
彼らは孫文の戦略にのっかったにすぎない。
日本が無計画に対中戦を引き起こしたときにはすでに共産党も国民党も
焦土戦で戦うと判断してた。
孫文のすごさってのは一口には理解できないかもしれないけどほぼ
現在に至るまでの国家戦略は孫文のものといっても過言ではない。
よくも悪くも清帝国の継承じゃないからな。
実質新しい国を一から造り上げたのは凄いこと。
大日本帝国の、あらゆる帝国が内から滅んでいく中で
「帝国とか近代的!」とばかりに革命の気配もなくノリノリで保持してたのも
ある意味凄いが。
世界中の戦略家がクラゼヴィッツに次いで目を通す
孫子・六韜の母国なのに
近現代に傑出した将軍が現れなかったのはどういう事だか
戦時中も、
共産軍が挟撃使って一回勝ったきりだっけ?>対日戦
>>802 そもそも、共産党は日本とほとんどまともに戦ってない。
あいつらは戦ってるふりだけして、裏で戦後に備えて勢力拡大に努めてた。
近現代の傑出した将軍って言えば、頭数以外何もない烏合の衆で世界最強のアメリカ軍とガチでやって、
朝鮮戦争を五分にまで持ち込んだ彭徳懐かな?
>>802 対日戦における日本軍は内地に侵攻すればするほど兵站の確保がむずかしくなった。
そのため日本軍は勝ち続けてはいたものの略奪しつつ侵攻してた。
それは岡村寧次大将の記録にも残されてる。
私は華中、華北の戦場で、日本兵が昔日の神兵ではなく、掠奪、強姦、放火等の非行が少くないことを知り痛嘆した。
第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
中国兵は、掠奪するが強姦はしない。日本兵は、掠奪しないが強姦をする。
日本軍の戦略は第一次世界大戦当時のままである決戦主義の攻撃であるのに対して
中国軍の戦略は近代にベトナム戦争やイラク戦争などでも見られるような。
国民感情全体として日本軍に敵意をむけさせ、ゲリラ戦を優位にすすめるという
名将など必要としない近代的戦略でもって戦っていた。
また、中国軍は援蒋ルートなど通じて支援を受けており、徐々に装備も近代化し日本軍に
大勝はしないもものかなりの犠牲を与えていたと思われる。
結果的に日本を焦土作戦で苦しめたうえ、連合国に加わって「戦勝国」になれたけどな
個々の戦闘に勝利することだけが兵法ではない
806 :
世界@名無史さん:2010/11/12(金) 23:53:31 0
日中戦争が本格化した時も蒋の国民党軍の最精鋭部隊は対日本軍の前線に配備されずに
後方の八路軍攻撃に投入して衝突を何度も起こしてる
その都度国共合作崩壊の危機なのによく日本軍が降伏するまで持ちこたえたよ
戦争ならともかく、最初は事件以上ではなかったからな。
問題は色々あるが、やっぱ満州を手に入れたことで清皇帝の影響圏を
全部手に入れたと思ったのが最大の過失。
政権主体の国家という近代的な発想そのものが備わっていなかった。
優秀な軍備を却下しまくって本土決戦でないとまともに戦えなくなってた日本軍と
大テロルで将校を粛清したソ連軍って、わりとどっこいどっこいなんだよね。
むしろ工業力からすれば前者の方が救いがない。
>>804 じゃあ、共産政権下で変質したんだな。
略奪も強姦もするように。
中印戦争、越南“懲罰”侵攻、カンボジア内戦介入……どれも中国人民兵の
強姦のひどい戦争だった。
コーカソイドをモンゴロイドに変えるため核実験もしちゃうし・・・
ソ連が満州・ドイツ東欧で行った事といい
人類の「進歩した段階」である筈の共産主義国家がなんで強盗・レイプ・戦争大好きなのか矛盾を感じるが
これまで宗教・伝統に沿って人類が磨き上げててきた人倫まで、
破壊革命しちゃってるんだろうかね
812 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 06:35:15 0
ハル・ノートは最後通牒ではなかったと言われますが、それならば何故日本側は
ハル・ノートを最後通牒と解釈したのでしょうか?
>>812 アメリカ側が最後通告と思われなくても、
日本側が最後通告と解釈してしまうような内容であったこと、
あと、既に石油などの禁輸措置が取られていた以上、アメリカ側は交渉を意図的に引き延ばすことで日本を屈服させようとする意図が見え見えだったから。
>>804支那の権力者としては日本軍は支那を「取る」ことはできても
「得る」ことができないと察知してたんだろう。戦争とは兵隊の勝利じゃないからね。
>>813孫子に「かなりの国力差がついてしまえばどうしても大国はナンクセを
つけて小国に攻めてくるからその時点で負け」と言っている。つまり
単なる策略にすぎないんだな。受験勉強バカが政権の一番上にいるとこういった
ことさえわからない。あの時代もいまも、日本は不幸だ。本当の知恵者がいないから。
>>804 近現代の戦争で活用され始め数々の成果残しているよね焦土作戦
これは軍人同士でやる戦争の時代が終わり民衆全てが参加する国家間の戦争に時代が変わったことを意味する
817 :
297=395=400:2010/11/13(土) 07:41:57 0
>>816 焦土作戦って前近代でもピョートルやサラディンやヴラド・ツェペシュがやってるよ。
>>811 ソ連の場合は内戦と大戦を通じて対ゲリラ戦能力が高く余裕があったから。
沖縄のように長くもかからず虐殺も必要ないため、たくさん捕虜を取れたし、
労働力に使えない女性を強姦することもできた。
簡単に云うと、殲滅の必要性がなかった結果だ。
>>811 そもそも大規模な軍隊に移動するに際して強姦や略奪が発生しないほうがおかしい
それはアメリカ軍ですら発生していたので共産国家だけの問題ではない。
それは規律などの問題ではなく、どんな厳しい規律を訓練された軍隊であっても
補給と上層部の監督が無くては発生するもの。
ソ連軍のような大規模な軍隊を維持するには略奪は必須だったし増して対戦国も
略奪などしながら侵攻してるのでしない方がおかしい。
米軍のように補給が行き届いてる軍隊のが歴史的に見ると異常なのだ。
沖縄戦の際、日本軍が中国戦線で行ってきた略奪や強姦の話は住民にも噂など
で伝わっていた、その為、政府が宣伝する鬼畜米英が略奪や強姦などしないわけ
がないと考え多くの住民が自殺する悲劇が起こった。
軍隊も哀れみなどから自殺用に手榴弾など配布したため悲劇が加速した。
アメリカ軍は粘り強く説得したにもかかわらず自決者が続出してる。
沖縄の在日米軍は、現代でもたまにレイプ事件起こすしな
焦土作戦はスキタイ対ペルシアの昔からあったような気がするが
823 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 10:41:02 0
俺の質問に答えろやごみカス度も
824 :
297=395=400:2010/11/13(土) 10:41:50 0
>>822 だよね。何も焦土作戦は近代戦争だけの特権でもなかろうに。
>>816はカール12世や第3回十字軍やダレイオス1世が、
焦土作戦で苦しんだことを知らないんだろうか?
むしろ、前近代のほうが兵士の補給が大変な分、
焦土作戦の効果はより大きかったと思う。
焦土戦術といえば、ナポレオンのロシア遠征時のロシア軍の次ぐらいに
ローマ帝国のファビウスが有名だと思うんだが、そうでもないのか?
ファビウスは焦土にしてたっけ?
籠城戦術じゃなかったか?
>>823 782のこと? 有意義か否かで云えば有意義とは思うが、
一人でやらんとgdgdになるのはわかりきってる。
なんで学問の歴史が主として体系的で、時系列に沿っていないかというと
時系列で判断するのは不可能だから。
829 :
713:2010/11/13(土) 12:03:47 P
古代中国史です。
>>717 >>722 とてつもない遅レスで申し訳ないけど、御返答、本当にどうもありがとうございます。
大変な失礼ながら、一言で言えば、歴史が整っている(整い過ぎている?)中国史でさえも、
二千五百年以上前は、遥か遠い歴史の霧の向こうということなのですね。
いえ、おそらく学界でさえも諸説紛々なのは想像に難くなく、
むしろ肯定否定の両面からレスを頂けたことに、感謝極まりありません。
今更ですが、質問のきっかけは、
9月まで上野の国立博物館にて、楚の文化圏に属する地域の青銅器を目の当たりにしたことです。
ようやく中華文明圏に同化されつつあった戦国初期(春秋末期?)の南方の国で、
中華文明の中心 〜黄河流域の中原〜 である西周でさえ実現できなかった
あれほどの精密な青銅器をり上げたことに、驚きを隠しきれなかったからです。
迷惑行為とは知りながらも、展示された殷(商)末期の青銅器のブースと何度も行き来しました。(その場にいた方々には大変申し訳ない。)
文様は殷(商)とは全く異なれども、その技術は当時の北方の中華王朝・周の文化を超える物でした。
この長江流域圏の鋳造技術に、かなり近所であり、当時世界最高峰でもあった殷(商)後期の影響を受けたと言う考えは、さほど突飛でもないと思います。
むしろ、完全独自文化、あるいは西方からの影響と言うほうが、突飛であると思うのですが、
いかがでしょうか?
>>820 だよなあ。
811は釣りにしても低級すぎる。
>>829 r―-- 、..,,_
,Λ xー─--ヽ,
l⌒h ]::;リ\:/l|:/l. . ゲ ナ
| /ニ!::/_ ' |:|. ソ .ン
. rハ__ヽ/:::l  ̄ ={: ? デ
ゞ::厶l:::::|、__ |`7_人::::|__
/ ∠゙l:::::ヽヽ! T゙.iヽ!└┐:|__
論_ノ|:::::i::リ , }、|!〉 \/
楚人は北方から来たでゲソw
黄帝に追われて南下した蚩尤でゲソ
蜀の三星堆にも突飛なデザインの青銅器があるな
ファビウスはローマ帝国というか共和政ローマの人
ハンニバルに対しては持久戦に徹し、じりじり追尾しつつ正面からの戦闘を避け、
予想進路上の土地を焦土化して補給を絶ち弱体化させた
>>829 農作物や家畜(牛・豚)の在来品種の遺伝構成なんかをみると、揚子江以南のものは、地図ではすぐ近くの
黄河流域のものよりも、インド〜東南アジア一帯のものと共通。
元寇は揚子江を遡って雲南・四川からビルマにも侵入しているし、今の華南の少数民族の苗族はモン人の一派、
壮族はタイ人・シャン人の一支族でこれまてインド近辺から広く分布しているものと共通。
インダス・メソポタミア・エジプトは文明の勃興がほぼ同時期で、相互に強い影響を及ぼしあっていたことが判って
いるし、そこから1200年ばかし遅れて黄河流域での文明化が始まるけれど、その頃には、インド亜大陸一帯が
一つの政治圏(統一政権ではないが相互らに影響の深い地域)になっている。
状況証拠的なものばかりだけれど、インド方面の影響の方が強いというのも突飛な話ではないんだよな。
>>834 苗族は、Hmong-Mienであり
モン・クメール人ではありません。
全く違います。落ち着いて書いてください。
イングランドでは(ウェールズでも?)
鼠捕りに猫を行使する文化があまり育たず、
犬を使って鼠を駆除する方向に展開したのは何故でしょうか
>>836 鼠を捕まえた猫なんて見たことあるか? 実際には猫なんて何の役にも立たんよ、
アナグマ狩の犬なら、少し鍛えれば、鼠くらい捕まえるだろ。
魔女狩りで猫が減ってペスト云々はオカルトとしても
ゴキブリやネズミは普通に取るだろ。群れを作らなくても生きていけるし、
少なくとも犬と同程度には優秀なはず。
>>837 鼠取りとしての猫は世界中に普及してるのに?
>>829 だったら初めからそう書けば良いのに。中国史は歴史が整っていると言ってもご質問の年代はそれ以前
の考古の時代。一頃は西周でさえ実在を疑われたくらいなんだから霧の向こうで当然です。
>むしろ、完全独自文化、あるいは西方からの影響と言うほうが、突飛であると思うのですが
だとしたら、殷が独自に技術を開発発展させたのも突飛という事になりますよ。
既に名前の挙がっている三星堆遺跡では全く独自のデザインでありながら、材料が殷由来の
物であるかなんかで交流が有った事が判っています。(ちょっとググったけど詳しい事が出てこな
かった。)そういうレベルでは黄河流域の文化と長江流域の文化の間でも交流が有ってしかるべ
きでとは思うけれど、殷の影響無しに楚の青銅器が無いというのは極論だと思います。
自分は飼った事無いけど
猫によっては、主人に自慢しようと思って
獲ったゴキブリやネズミの死体を誇らしげに持ってくる手のやつがいると聞くが
基本、食事を保証されてる飼猫じゃダメだって。
なかには捕獲するのもいるけど、生活のかかってない趣味やスポーツの域だからフィニッシュせず半殺し。
と、膝でセミを捕まえるのが得意なウチの猫が眠りこけながら書込みしてます。
842 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 16:20:31 0
WW1とWW2において数々のヘタレっぷりを晒したことで有名なイタリア軍ですが、かの軍に匹敵するヘタレぶりを晒した軍隊って近代・現代においているのでしょうか?
ルーマニア軍とか
844 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 16:27:37 0
誰も連れてきた記憶が無くいつの間にか家に居着いてるような猫なら鼠よく捕るでー
たとえネズミを捕まえられないダメな猫でも、猫がそこにいる、猫の匂いがするというだけで、
ネズミはその家に寄りつかなくなるって聞いたことがあるが、どうなんだろ?
>>839 修正。黄河流域の二里岡文化が長江流域まで延びて盤龍城遺跡を遺している。二里岡文化は殷の初期
段階とみられるがその後、盤龍城遺跡は衰退し長江流域の文化の中心は呉城文化に移る。
という事で殷の技術が長江流域に届いていたとは言えるが、殷で高度に発展した技術が流入したかどうかは
何とも言えないという所か。
>>845 それは言えるとおもう。
以前、実家のヘタレ猫が死んでからネズミが住み着くようになった。
ヘタレとはいえ猫は猫だから尿の匂いとかでネズミは避けるんだろうね。
害獣除で狼の尿が売ってるくらいだし。
ライオンの糞を撒くと草食動物が寄ってこないという
実際線路沿いに撒くとシカと電車の接触事故がなくなったとか
だいぶ前テレビで土佐犬にライオンの尿の匂い嗅がせたら猛ダッシュで逃げてたぞw
850 :
297=395=400:2010/11/13(土) 17:04:38 0
>>842 イタリアほどではないけど、WW2ではフランスも結構ヘタレっぷりを見せ付けてるよ。
後、ヘタレって訳ではないが良くWW2の時のブルガリア軍の行動はネタにされてる。
851 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 17:14:43 O
絹の道=オアシスの道=シルクロード
ですか?
名前が3通りあるんですか?
852 :
297=395=400:2010/11/13(土) 17:21:45 0
>>851 絹の道=シルクロード≒オアシスの道、かな?
前2つはただ英語で言うか日本語で言うかの違い。
シルクロードっていうと基本的には中央アジアのオアシス国家を通る道を言うから、
オアシスの道とほぼ同義語けど、シルクロードには北方の遊牧地帯の道も含むし、
広義のシルクロードでは海路も含まれることもあるから完全なイコールではないね。
西側のイランはシルクが云々と呼ばない
東側のモンゴルや中国がそう呼んでるだけ
854 :
297=395=400:2010/11/13(土) 17:47:01 0
>>853 っていうか、シルクロードっていう呼称自体が後世のものでしょ。
シルクロード史観を巡っては学者たちの間でも色々意見が分かれてるみたいだね。
「絹の道」はシルクロードを日本語訳しただけ
「オアシスの道」は河西回廊―タリム盆地―ソグディアナ―イラン高原方面のルートであろうが、
海路やチベットや草原の道などを含んでいないし、南北交通の視点も充分でない
また「シルクロード」「絹の道」という用語は、19世紀末〜20世紀初めに西欧人が言い出したもので
中央ユーラシアを巡る隊商路網はシルクだけを運んだわけではない
海路は「海のシルクロード」として区別されるような気もするな。
>>855 雲南が出発地点の「茶馬古道」という名前のもある
>>849 普通、土佐犬はライオンを知らないと思うけど、本能か何かに
刻み込まれているのかね?
東西交易路という用語があって、そのルートは色々
(しかし「どこの東西のこと?」と突っ込みがありそうなものだが)
その東西交易路を、近代になってシルクロードと呼んだ学者がいた
東西交易路のうち、どれをシルクロードと呼んだのか定かではないけど、
特に「オアシスの路」を重要視していた可能性がある
「オアシスの路」の北には「草原の路(ステップルート)」もあるし
南には「海の路」があった
現状、とても大雑把に分けた三ルートをひっくるめて
「シルクロード」として扱われる場合が多いと思われるが、
その中の「オアシスの路」だけを「シルクロード」と見なしている場合もあるかもしれない
その辺はケースバイケース
・オアシスの路…オアシス都市定住民が主に中継(ソグド系言語話者)
・草原の路…遊牧民が主に中継(トルコ系言語話者)
・海の路…インド、ペルシア、アラブ系などの海洋民族が主に中継
塹壕の両側は岸が突き立っており、上には鋭い杭がとり附けてある
馬とても、戦車を牽きながらでは容易に入りは叶わない
よって徒立ちの者でないと入れない
これどういう状況かイメージできないんだけど・・・
この前後読むと、馬車でこの場所まで来たが、入れないので徒歩に変わったみたいなんだけど
861 :
297=395=400:2010/11/13(土) 19:14:48 0
>>859 シルクロードは東西交易だけじゃなくて
南北(北方の草原遊牧世界と南方のオアシス定住世界)の交易路の事も含めるよ。
岸じゃなくて「崖」では?
たぶん断崖に挟まれた谷間の隘路に塹壕掘って敵を防いでるんだと思うが
なんという書物のどこの話やねん
つか、大陸中のアチコチに巡らされた交易路の一部を採り上げて、
こうやって絹が運ばれたのか!と注目した見解がナンセンスだったんだよ
>>861 そうそう、だから「東西交易路」つー用語であっても、まだ不完全なんよ
草原の道と海の道は中華王朝の支配がほとんど及ばなかったが、
オアシスの道は漢や唐が一応支配下に置いてたし、朝貢国や軍事衝突もあったので注目された
しかし沙漠に点々と連なるオアシス都市を繋ぐより、海や草原を通った方が早いことは早い
草原の道の具体的なルートはどうなってんの?
モンゴル高原とかキプチャク平原とかを一気に馬車で駆け抜けてたの?
で、どのルートが一番栄えてたの?
>>842 イタリア軍のヘタレっぷりって補給線が危ないと考えて停止したとか
要塞以外で戦うのは難しいからエジプトまで行く必要性はないと考えていたとか、そこそこの
哲学はあるぞ。ドクトリンの進化がない以上、取れる戦略には限度がある。
単純にヘタレっぷりなら世論からしてバラバラなフランスや、
軍備は整っていたのに特攻しかできず、戦果を上げても人的被害の方が大きかった
ポーランドの方がヘタレ。大体、デンマークは次の大戦を恐れて譲歩したのに
連中は自分の欲望に忠実過ぎて結局自分で破滅を招いた。
869 :
297=395=400:2010/11/13(土) 19:58:05 0
>>865 唐は一時的だけど草原世界の突厥も羈縻支配下においたよ。
まぁ、すぐに独立されたからあまり意味はないけど。
>>866 多分それでいいんじゃない?
良く知らないけど、草原のルートは遊牧民の機動力のおかげで
商品のやりとりにかかる日数がかなり少なかったんじゃないかな?
870 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:02:00 O
もし西洋列強が植民地支配しなければ今のアフリカや東南アジアはもっと豊かになってましたか?
>>866 アルタイの山地のところがそうはいかない
どうだろ。豊かさは犠牲の上に成り立つしね。植民地支配がなけれ欧州はここまで
豊かになってないのは確かだとおもうよ。
873 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:04:42 0
>>870 アフリカは良く知らないが東南アジアはそうかも知れない。
でも、ここ最近の東南アジア諸国は全体的に結構発展してきてるよ。
外交的に言えば降伏をギリギリまで引き伸ばして犠牲者を増やした日本の戦死者は
230万人(非戦闘員まで含めると約300万)対してムッソリーニ政権を早期に見限って
降伏なおかつ連合国入りまで果たしたイタリアの戦死者数は28万人(非戦闘員を含めても36万人)
日本はイタリアを馬鹿にしてるけど実際イタリアのが外交的にはドイツや日本より
成果をあげている。
むしろ明らかな劣勢にあるにも関わらず抵抗を続けた結果貴重な人命を無駄に損なった
日本軍の戦略はイタリア軍にも劣っていたと考えるべきじゃないだろうか。
876 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:10:48 0
>>870 アフリカはどうかわからんけど東南アジアは今以上の発展は無理でしょう。
現代の価値観で見ても東南アジアは特段貧しいわけではないし、シンガポールは明らかに欧米流の知識に基づいた開発独裁で発展してる。
まあ質問の意図は「西洋列強の植民地支配は被植民地の自力発展を阻害したのか」ということだろうからずれた回答かもだけど
19世紀帝国主義の時代背景のまま植民地化されずに欧米と関係を持つアフリカというのが想像しづらいですね
>>872 その通りですね。
もし日本が植民地になってたらここまで発展できなかったと思いますね
>>873 東南アジアとアフリカの植民地政策に何か違いがあったんですか?
>>875 そりゃ、陸軍は一度もアメリカと大規模な戦争をしていなかったから、海軍だけがヘボだと考えていた。
>>870 アフリカはその前段階の奴隷貿易による人口流出も影響していると思う。
879 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:14:02 0
>>877 いや、僕がアフリカについて良く知らないだけ・・・・。
ただ、アフリカに比べて東南アジアのほうが植民地化以前も現在も発展してると思う。
880 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:15:24 0
>>878 あぁ、そうか。
アフリカは東南アジアと違い奴隷貿易の被害もあったね。
>>877 植民地の初期段階は冒険であり、財宝を探しに旅立ったのが主な理由でした。
ところがイギリスのインド植民地の産業が発達し大英帝国の富の源泉となった時
多くの西洋諸国はこれに憧れて様々な国をインド式植民地化していきました。
植民地を発展させて搾取しまくろうという腹です。
ところがどっこい、未開の地にインフラの整備やらを行っても
ちっとも黒字になりません、むしろ本国の財産を食い潰してしまう赤字の不良債権になりました。
これはインドが特別であり、ほかの国では富は生まれなかった。
19世紀の経済学者アダムスミスは名著「国富論」で植民地は宗主国の自尊心のための
アクセサリーだからとっとと捨ててしまえと書いています。
が、しかし意地なのか見栄なのか、この言葉に耳を傾けませんでした。
日本国も明治維新後は列強に習い、植民地を経営いたしましたが、
いずれも赤字。昭和の財界人かつ総理大臣の石橋は満州等は赤字だから手放せと書いていました。
戦後植民地がなくなった日本が経済成長したのも、戦前の不良債権に
金を捨てず国内に回したからだとも言われています。植民地は残酷で非道なイメージがありますが、
支配されたことにより人口は増え、寿命が延び、経済は上向きでした。
という話もあるよ。
もちろん植民地から搾取した特定の物資などは国の工業化する国の発展に付与したのは事実だろうけどね。
「草原の道(ステップロード)」は、中国的に言えば天山北路を含むが、より広い。
西からドナウ―黒海―ドン・ヴォルガ水系―カスピ海―カザフスタン
―シル川―バルハシ湖―天山北麓―アルタイ―モンゴル高原。
内陸ユーラシア北部には意外に水路も走り、豊かな草原地帯が広がっている。
スキタイ、フン、テュルク、モンゴルなどが通った道で、ヘロドトスの時代には開けていた。
天山北麓にはイリ川やバルハシ湖、肥沃なジュンガル盆地があるし、
アルタイ西部にはパジリク古墳群という有名な遺跡がある。
>>876>>879 いろいろと禍根を残してるんですよね。発展途上の国の援助を西洋諸国の人達がもう少ししても良いんじゃないかと思います。
なるほど、ありがとうございました。
884 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:24:51 0
>>881 近代に帝国主義と言われた国はイギリス・フランス・ドイツ・イタリア・オーストリア・ロシア・アメリカ・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギー・トルコ・日本・中国あたりだけど、この中ではっきり帝国主義で成功したと言えるのはイギリスとアメリカぐらいだね。
>>862 書物はイーリアス 囲壁の戦い
上に附いてる杭はどうやってつけてるのかよくわからん
886 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:32:37 0
>>883 ウィキペディアによるとOECD加盟国で国連のODA目標値に達してるのは、
デンマーク・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・スウェーデンだけみたいだね。
>>858 危険かどうか経験的にしか判断出来ないようでは野生では生きて行けない。もちろん土佐犬は野生じゃない
が、その部分が野生に由来する勘である事は間違いない。
>>866 駆け抜けるなんて程の速度は出ないでしょ。荷物(商品)が有るんだから。
>>875 当時の日本は人命なんて紙屑同然と考えていたからなぁ。
>>885 それだけじゃ判らん。もっと長く引用してみろ。
889 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:47:15 0
で結局、ステップルートと海上ルートのどっちが効率よかったのよ?
>>885 イーリアスのどの辺だ?岩波文庫の中巻と下巻なら手元に有る。上巻は家の何処かに埋もれてるが。
891 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 20:50:48 0
>>883 アフリカは植民地化されかったら、前近代的な支配体制のまま経済発展できたかどうか疑問。
そもそも、植民地化以前から他部族との戦争のために、民衆をヨーロッパやアラブの奴隷商人に売り飛ばして、
人口減や生産力減を招いた王侯が支配してたからね。
東南アジアも植民地化されなかったら、近代技術によるインフラ投資や教育が行われなくて、
独立後の経済発展の基礎を築けたかどうか怪しい。
892 :
297=395=400:2010/11/13(土) 20:56:12 0
>>889 どうだろう?
どっちもそれなりに栄えてたからねぇ。
個人的には陸路のほうが良さ気に思うけど海路もかなり発展してたよ。
まぁ海路側に住んでる人には海路しか選択肢はないし
陸路側に住んでる人には陸路しか選択肢は無いからねぇ
どっちが効率がいいというよりは環境の問題でしょうね。
>>890 呉茂一訳の『イーリアス(中)』の第13書、囲いの戦い(p203から)
>>860はp205の段落に出てくる
>>839 猫はもともと小食だから、増えた鼠を悉く捕らえて食べつくすなんてことはできないんだよ。
たまに取ってきて少し齧ってオシマイ。
たまに捕まえたのを見て鼠退治にもってこい、とか思うと大間違い。
餌やらないと放浪して逃げてしまうし、餌やると鼠つかまえないし。
こういう間違いは、世界各所にヘビ退治の目的で導入されたマングースとか、イナゴ退治の
オオヒキガエルとかで、何回も繰り返されている。
鼠退治に向くのは、犬か、フェレット。
犬は調教が容易で大喰らいだし、イタチ類は食べきれなくても目の前に獲物があればあるだけ
狩ってしまう性質があるから。
>>845 ときどき仔猫や仔犬か鼠に齧られて死んだりするけれど。
鼠は脂っ気が好きなので、動物の血を啜ったりするよ。
>>848 その割には、王子動物園の回りはイノシシだらけなんだけれど。
898 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 21:19:59 0
>>891そういうのを「啓蒙思想」というんだよイエローさん
899 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 21:21:31 0
神戸では、イノシシは住宅地でもよく出没する、
というかずっと見かけてる気が…。
900 :
297=395=400:2010/11/13(土) 21:24:09 0
>>898 確かに日本みたいに植民地化されなくても発展した国もあるしなぁ。
東南アジアだって植民地化を免れたタイは確実に準先進国というレベルには達してる。
植民地化しないと発展できないという論法には無理があるよね。
ただ、アフリカで唯一植民地化されなかったエチオピアが
現在、アフリカ屈指の最貧国なのには少し歴史の皮肉を感じる。
>>865 草原の道というか北方というか、北緯50度ら辺になると、35度ら辺に比べて、随分と経度1度分の距離が短いんだよ。
>>900 ヨーロッパから遠いし乾いてるし山ばっかしだし、どうでもいい的に放置された結果が……
>>894 引用。『全体の壕をめぐって かぶさるように、両側の岸がつきたっており、上には鋭い杭がいっぱい とり附けてある。』
オーバーハングする様に岸が切り立っていて、渡ってくるのを邪魔する為に(向こう岸には)杭が植えてある、って事だろ
う。おそらく。
杭は普通に打ち込んでると思う。戦車は平地でないと使えないので壕が有るだけで役立たずになる。それで徒歩の者
たちが出番が来たと逸り立っている。
904 :
297=395=400:2010/11/13(土) 21:29:34 0
>>902 エチオピアってアフリカでもかなり歴史の古い国なのにね。
>>904 エチオピアとかスーダンとかいう古典地名は結構漠然としていて、本当に今のエチオピアやスーダンの国に
相当する場所を指しているかどうかは判然としない。
今のエチオピアの場所は、アビシニアとも呼ばれている。こっちは回教圏から見ての言葉からきているので
結構正確。
>>903 理解できた気がする、サンクス
上に杭って書いてあるのは、壕から見て上って意味ね
上から下に向いてなの?って変な風に想像してたw
907 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 21:53:19 0
>>868 軍隊食のデザートにソフトクリームが切れて暴動を起こしたアメリカ軍も
イタリア軍とどっこいじゃない?
「軍人単体の忍耐力」に光を当てると、結構世界でも弱い軍だよな>米軍
>>907 ルーマニア軍は弱すぎて、東部戦線でドイツ軍の足をさんざん引っ張ったあげく、あっさりソ連に降伏。
ブルガリア軍は枢軸国なのに、ほとんどまともに連合国と戦ってない。
910 :
297=395=400:2010/11/13(土) 22:08:58 0
>>907 ブルガリアはヘタレと言うよりは、WW2の行動がネタになってるんだ。
簡単に言うと、枢軸国のくせに国民が親露派だったため、
ソ連やその他連合軍と全く戦わず、むしろ同じ枢軸側であるイタリアに対して、
対ギリシャ戦争におけるブルガリアの領土確保のために戦った。
結局、枢軸国なのに味方のイタリア以外とはどことも戦わずに、
自国内でソ連の影響下、クーデターが起こり連合側に寝返ったから、
枢軸の足手まといとしてネタにされてるね。
>>866 >>869 遅レスで悪いが、多分どうしても主要幹線はオアシスルートのほうだろうな。
東西交易を担ってたのは、資本力のあるオアシス都市住民だ。オアシスルートなら
人工オアシスもあって、中継地点のインフラが整ってるけど、草原のステップルート、
しかも季節移動して資本力のない遊牧民じゃ片手間商売することはあっても、組織的
な大規模な隊商は組めない。
それと、馬車とかで北方草原を一気に駆け抜けるのはさすがに無理。オアシスルート
でも耐久性の高いラクダを使ってた状態なんだから。
多分東方でステップルートを本格的に使おうとしはじめたのは、ソグド商人と関係
が深いウイグル時代じゃないかな。バイ・バリクとかオルドゥ・バリクなんかの都
市を築いた頃。その場合でもビシュ・バリクからモンゴル高原に入るルートだから
天山北路経由になる。ただ、天山北路をステップルートに含める考えもあるみたい
だけどな。
あと、西トルキスタンを経由するのはどうしても避けられないかもしれない。
一応北方草原はモンゴル高原からキプチャク草原まで、遊牧民には繋がって
るんだが、突厥とかモンゴルなんかの巨大遊牧国家時代を除くと、商業ルート
としては、補給面でも安全面でもリスクが高すぎると思う。
>東南アジアも植民地化されなかったら、近代技術によるインフラ投資や教育が行われなくて
日本以外で一般原住民に教育を与えた国は無いと思うけど
現地の豪族やラージャみたいな一部だけは例外だが、それが近代化の役に立ったかは疑問
インフラも全土に馬鹿みたいな金を掛けた日本はともかく、後は都市単位で集中してた香港やシンガポール以外は
白人地域だけのインフラなんて結局白人の作った収奪農業以外にやりようが無い。
だから新興工業経済地域NIESとして早期に発展できたのは
韓国、台湾、香港、シンガポールで、インドネシアやフィリピンなんかはそれより遅れて発達した。
913 :
297=395=400:2010/11/13(土) 22:23:42 0
>>911 確かに、遊牧民には商品の長期運搬は難しいね。
ウイグルは歴代遊牧国家の中でもかなり定住文化よりだから、
オアシス世界の影響下でシルクロード経済にかなり乗り出したみたいだね。
>>912 >日本以外で一般原住民に教育を与えた国は無いと思うけど
そんな事はない。
だったらガンディーやネルーはどこで教育受けたと思ってるんだ?
原住民にだって本国に渡らせるなりしてそれなりに教育の機会を与えてる。
914 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 22:26:42 0
>>913 あたまのおかしい人にはどんどんチャチャ入れてくださいね
>>913 ガンジー:ポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンディーと、その夫人プタリーバーイーの子として生まれた。
ネルー:イラーハーバードの富裕なバラモン階級の家柄に生まれる。
ボース:ベンガル政府の官僚の子として生まれ自分もイギリス植民地政府の官吏になる。
少しは物を知ってから話そうね。
イギリスが教育を与えたのは協力者や有力者の師弟だけ。
Hồ Chí Minh(ホー・チミン)はどうよ
日本の植民地教育って実際どのようなものだったの?
918 :
297=395=400:2010/11/13(土) 22:43:56 0
>>915 じゃあ、不可触民出身のアンベードカルの例はどう?
彼はムンバイの大学を卒業してるけど。
>>915 ジンナーは商人の息子だけど、ボンベイ大学を出てるよ?
>>912 ぶっちゃけた話、時代だろうなぁ。
あの頃はデフレで投資先が欲しかった日本人が、投資スタイルとして植民地の工業化(教育必須)を選んだ。
それ以前の植民地投資では鉄道にバンバンが流行ってたけど、あれもあの頃には打ち止め感があったし。
あれより前の時代に植民地作っていた人らは、投資先は他にもあったから
あんまり教育方面はやらなかっただけで、もう少し植民地時代続いてたら
教育投資≒工業投資 がブームになっていたかも知れない。
そうしたら、植民地化されたことがある国=工業化が早い国 になっていたかもな。
まぁ、投資するだけなら、赤字植民地として抱える必要ないことに、
みんな気づいてしまったから、その道は歴史が進まなかったんだけど。
921 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 22:58:13 0
ガンジーはすっげぇエリートだもんな。留学もしてるし。
ニコニコミイラみたいなガンジーなんてありゃ人生の後半だよ。
若いころはコミンテルンの一員だったんだから。
それと自分の息子には英語教育を許さなかった。
>>915 スカルノの親父は小学校の先生。
ハッタの親父は商人。
923 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:02:31 0
>>921 非暴力運動とか見る限り、ガンディーはどう考えてもエリート的だね。
カーストも容認していたし。
エリート弁護士のガンジー青年が列車から放り出されたりしなければ
戦後も独立せず、米信託統治のプエルトリコみたいな国になってたのかな
925 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:08:37 0
>>924 そしたら、ネルーとか他の人物が指導者になって独立したんじゃないの?
当時の時代背景からしてインド独立は避けられなかったと思う。
>>884 ちょっとお尋ねするが、帝国主義で成功とはどのような状態?
「植民地経営は赤字であったので失敗」とはよく聞く意見であるがそういうことだろうか?
素人の意見であるので聞き流してもらってかまわないが、
国家的には赤字であっても企業が黒字であれば(さらに政策を決める人間と企業とが繋がっていれば)
植民地経営は失敗といえるかどうか。このへんのところがよくわからない。
927 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:19:31 0
英国のやり方は卑劣極まりないので現地のゴミと自然と癒着関係が生じる。
たとえば支那の買弁野郎とかね。あの時代のアジア人はすごい不幸だった。
928 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:22:54 0
>>926 僕はあなたの言ったような意味で言ったつもりだよ。
植民地というのは基本的に国家がやるものだから
(東インド会社とかは近代じゃないため例外)、
民間が儲かってても国益にならなければ意味がないんじゃない?
後は、ベルギーなんかは国際世論的な意味も含めて失敗と言った。
929 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:25:33 0
>>926それは「他国にたいし下劣な植民地支配をする目的はそもそもなんなのか?」で
判断が分かれるだろう。たとえば植民地帝国の雄、オゲレツ帝国はいったい
何のためにあんな非道な支配をしたのか?それは結局欧州内での戦争での戦費が
かさみ、植民地からの搾取でそれを賄おうとしたからだろう。要するにユダヤ人に
対する借金で首が回らなくなって近所中で武力に任せて強盗と金品の要求をしてる
状態・・これが「帝国主義」というやつだ。だがオゲレツさんは結局膨大な
借金が返せず破産、ダメリカという新・帝国に席を譲ることになる。その点で
旧来の植民地化の目的で言えば「植民地経営が赤字」ってのは失敗である、と
いえる。
930 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:26:00 0
>>926 あ、それと言い忘れたけど、いかに早く上手に植民地を切り離せるかも、
成功・失敗の判断基準にした。
イギリスなんかはかなり上手く植民地を独立させてるけど、
オランダなんかはその辺で失敗して泥沼な独立戦争を繰り広げるはめになった。
あの二国(というか実質アングロサクソンの人ら)が上手いのは
現地の人に政権握らせておいて、
自分たちはああしろこうしろとその政府に注文出すだけ
ってスタイルを多く採用していたところだよな。
同じ目的さえ果たせるなら、現地に合ったやり方を知っているやつらに任せた方が楽。
勿論彼らが独立してしまわないように、色々と画策する必要はあったけど、
余計なごたごたが起こる前に、さっと切り離せるのも、あのスタイルのおかげ。
932 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:38:35 0
ちがう。
イギリス人には愛があるからだ。
>>931 戦後の日本もそんな感じだわな。
ほとんどアメリカの意向どおりに政策を決定してるのは今もかわらん
たまにアメリカの意向を聞かないでやろうとする内閣はスキャンダル
やらマスゴミの攻撃ですぐに辞めちゃうしな。
934 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:40:41 0
>>931 なるほど。個人的にイギリスのインド経営は
植民地経営のお手本と言っても良いぐらいに上手なのに、
なんで他の国はそういったやり方ができなかったんだろう?
935 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:41:55 0
>>934 悪い。上のレスの「個人的に」という言葉は要らないね。
間違えて書いてしまった。
>>934 詳しくは無いけどイギリスはインドに最低限の投資をして時間をかけて産業を
育ててたってことじゃないか?つまり細く長く吸っていこうというスタイル
日本も長い目でみてそうしたかったんだろうけどいろいろ無理があったわな。
他の国は最低限の投資もしないで奪ってたのでは?
937 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:46:05 0
>>936 ただ搾取するだけじゃ長続きしないという事に気づかなかったのかな?
日本も含め長期的に視野が足りないのか・・・。
938 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:46:49 0
>>937 誤字訂正
誤)長期的に視野
正)長期的な視野
939 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:48:30 0
>>908 >>909 >>910 うわぁ……かなりのヘタレぶり、あんまりイタリアのこと笑えないなこの国々は……
そういえば、イギリスもティータイムを戦場で優先して勝てた戦いをフイにしたと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
>>937 あと、間接的に政治をコントロールするというノウハウが足りてなかったってのもあるかもな。
独立されちゃったら困るから、直接俺たちがコントロールしちゃえ!! ってすぐなっちゃう。
実際、色々と細かい調節はしていたみたいだしな。
イギリスがよくやったのは、現地のマイノリティに、
自分たちがバックアップして政権を握らせる方法なんだっけ?
独立しても現地のマジョリティに政権取られてしまうから長続きするとか。
941 :
297=395=400:2010/11/13(土) 23:57:48 0
>>940 ベルギーはその方法をルワンダで行った結果、
今のルワンダは悲惨な状態になってしまった・・・・。
何かコンゴといいルワンダといい、ベルギーは植民地経営が下手糞な気がする。
>>941 ベルギーに限らず、スペインの子供達は大体下手な気がする。
イタリアしかり、ベルギーしかり、オランダしかり。
945 :
297=395=400:2010/11/14(日) 00:07:26 0
>>943 スペインは近世まではかなり上手く植民地を経営できてたのに、
近代になってからは一気にダメになったね。
あと、ルワンダは紛争時はやばかったけど、
今はむしろかなりうまく近代化してるな
>>942 それだけ死んでも大丈夫なぐらい人口が多かったのと、
日本やドイツを初めとする枢軸国の捕虜を労働力としてこき使ったのと、
占領した国々から工業設備や工業製品を略奪して、産業復興に使ったから。
まず「シルクロード」という言葉は19世紀にドイツ人のリヒトホーフェンが作った言葉なので、
現地でそういう名前の道があったわけではない。
中国からローマまで、オアシスをたどる交易路は古くからあったが、
端から端までつながっていたわけではなく、近場で交易しているうちに
交易品が遠くまで運ばれるようになって、結果的に中国の絹がローマまでたどり着くようになった。
交易路としてはオアシスをたどる道がポピュラーだったと言える。
しかし「シルクロード」というと東西交易のイメージが強いが、
遊牧民とオアシス民の南北の交易ルートも重要だった。
だから「道」と考えると「線」のイメージになるが、
オアシスルートもステップルートも交錯していて、
「面」の広がりで交易が行われていたのだ。
「シルクロード」という言葉はロマンチックだけど
古代の東西交易の一面しか捉えていない、誤解を招きやすい言葉だと思う。
海のルートが盛んになったのは12〜13世紀頃から。
949 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:22:55 0
950 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:24:20 0
モンゴル帝国
「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの。よって
おまえの悩みも俺のもの」
オゲレツ帝国
「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの。しかし
おまえの悩みはおまえのもの」
ひたすら下劣。
>オゲレツ帝国
バカやめろw 語呂がよすぎてリアルで言いそうだww
モンゴル帝国
「おまえをいじめる奴がいたら俺に言えよな、のび太」
オゲレツ帝国
「おまえをいじめる奴がいたらのび太のくせに生意気だぞ」
>>942 実際の所よく分からんのだよな。飢饉は起きて唯一の取り柄の出産率も低下、
捕虜もあちこち移動させられてgdgdだし、雇用政策は取っているけれど、まずは食糧運搬の
インフラ設備等の回復のため工業に送らなきゃいけないわけで農業は停滞。
食糧の値段は下がり、軍部も集団農場も安定しておらずまともな国営ができたとは思えない。
これに比べれば当時のイギリスはどれほど恵まれていたのかって感じ。
なのに気がつくと東側を統率できる程度に発展してた。
ソ連内部の事情については、現在でも
亡命者の多いイギリスで断片から推測され作られた想像図以上の資料はない。
まあ例によって外交でやりくりしたんじゃないかね。モンゴルは平和だったし。
>>940 >イギリスがよくやったのは、現地のマイノリティに、
>自分たちがバックアップして政権を握らせる方法なんだっけ?
「分割統治」。共和制時代のローマの同盟都市網もそう言われてるけど、形態は
ちょっと違うな。
イギリスの場合、インドを単なる搾取の対象じゃなくて市場として必要としてた
からな。けど、南アフリカの場合はダイヤと金が目当てだったから、白人と黒人
の分割で、結局地元の黒人層からの鉱山資源の収奪になっちゃってるからなあ。
あと、イギリスの植民地統治も当時はうまくやってたと言っても、南アのアパル
トヘイト以降の問題、印パの対立にパレスチナ問題、列強の直線で引いただけの
イスラム世界分割独立と、面倒ごとを後世のこっちに先送りしてただけのような
気もするが。
955 :
297=395=400:2010/11/14(日) 06:36:41 0
>>954 だから、そういった面倒ごとが起きる前にすぐに植民地から手を引き、
本国にそういった問題を持ち込まないで利益だけもたらしたのは評価できると思う。
つくづく泥を被らないのは凄いよね。
ロシアは頼まれて介入しモンゴル支援に成功した結果、中国との対立を招き非難されたが
イギリスはわざわざ介入してチベット支援に失敗した結果、虐殺を招き中国だけが非難されるみたいな。
国際的信用がここまで似合わない国もない。
アメリカが悪い。
チベットの東のシャングリラで、CIAで非中共のコミュニストを支援した。
CIA支援のゲリラが、シャングリラから追われてチベットまで押し寄せて
ラサの貴族層が狙撃テロ続出。
アメリカが下手。
958 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 13:13:49 0
ベトナムもアメリカが下手こいたの?
959 :
297=395=400:2010/11/14(日) 13:16:58 0
>>958 ベトナム戦争はアメリカの数少ない外交失策の内の1つだろうね。
あそこまで泥沼になる前に軍を早く引き上げるべきだったと思う。
っていうか、ジョンソンって内政は良いのに外交は下手なんだよねぇ。
アフガンも失敗こいてないか〜
アイゼンハワーが始めた介入をジョンソンが泥沼化・・・ベトナム
ブッシュJr.が始めた介入をオバマが泥沼化・・・アフガニスタン
民主党が下手なんだろうか?
962 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 14:06:30 O
イギリスとアメリカがチベットをけしかけて中国を刺激し、
中国によるチベット人の虐殺を招いた訳か。
糸を引いてる主犯はインドだろ
964 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 14:17:32 0
シャングリラとはモンゴルに服属した大理国のことだな
よってチンギスのモンゴルも悪い! Q.E.D.
965 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 14:20:06 0
>>961 そう民主党と名がつく政党はどこでも外交オンチ
自由民主党と社会民主党もか
967 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 15:11:34 0
1995年からハンブルクで始まった「国防軍の犯罪展」ついて教えてください。
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050830VerbrechenderWehrmacht.htm 第二次世界大戦中、ナチスの組織ではない「ドイツ国防軍」が、
戦争犯罪に関わったことを示すとして、1994年からドイツで行われた移動写真展。
戦後のドイツでは「国防軍はあくまで国家元首の命令に従ったに過ぎない」という一種の神話があり、
国防軍の将校が戦後復権する一方、ホロコーストなどの戦争犯罪は全てナチスに押し付けていた。
このため写真展は賛否両論の大きな反響を呼び、退役兵士やネオナチなど右派勢力から激しい非難・攻撃があった。
また歴史研究者から「写真のいくつかが説明と違う」との指摘もあった。
ソ連の秘密警察がやっていたことを、ドイツ国防軍の仕業であると説明したというのだ。
主催者側は国際的な鑑定委員会を立ち上げ、検証の結果一部写真の誤用を認め、写真展は中止された。
ただ、実際には国防軍も民間人を虐殺するなど、戦争犯罪に深く関与していたようだ。
969 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 16:51:09 0
民主という言葉は嫌いだ。
自由党とか進歩党とか保守党とかでいいと思う。
民に媚びる必要などない。
970 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 16:53:02 0
国防軍将校は誇り高い騎士の伝統を受け継ぐ、プロイセン貴族の集団だ。
残虐行為などするわけがない。
971 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 17:18:45 O
大航海時代のスペインとポルトガルはアジアと貿易しましたが、往復にどれくらいの月日がかかったのでしょうか?
船旅だからけっこう時間かかりますよね?
イギリスの二大政党はもともと保守党と自由党だったのに、
いつの間に保守党と労働党になっちゃったの?
自由党はどこ行ったの?
973 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 19:07:03 0
974 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 19:44:28 0
金持ちだけど、人工衛星すらろくに打ち上げれない韓国
貧乏だけど、人工衛星くらいなら楽に打ち上げられる北朝鮮
わかりやすいソ連とアメリカの対比。
(おおざっぱな点はスルーしてくれ)
ウイグルが滅んだあと、モンゴルが台頭するまでのモンゴル高原ってどうなってたの?
モンゴルやタタルやケレイトやメルキトやナイマンは、いつの間にどこから来てあそこに住み着いたの?
>>973アメリカの場合ドルを大量に刷っただけで生産性があがってるわけではないよ
977 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:36:27 0
978 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:51:22 0
>>972 ざっくり
●19世紀まで
地主階級 → 保守党
ブルジョア階級 → 自由党
●20世紀
地主・ブルジョア → 保守党
労働者・大部分 → 労働党
労働者・少数派 → 自由党(自由民主党)
今年5月の選挙で保守・自由民主のキャメロン連立内閣が成立。
しかし両党は主義主張に隔たりがあって前途多難。
979 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:58:45 0
誇り高きプロイセン貴族の多い国防軍は、
ナチ野郎のような戦争犯罪や大量虐殺なんかやるわけがない。
国防軍とナチの間には高貴な騎士とヤクザほどの差がある。
980 :
297=395=400:2010/11/14(日) 21:07:51 0
>>975 ウイグル崩壊後のモンゴル高原は政治的空白地帯で、
チンギスが登場するまでの歴史は良く分かってないんだ。
とりあえずウイグルがなくなり多くの遊牧国家(ケレイトやナイマンなど)が、
群雄割拠するようになったということぐらいしか分からない。
チンギスの登場後はそれらの国の様子も集史などである程度分かるようになったね。
>>978 ブルジョアが自由党から保守党に鞍替えした理由は?
982 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 21:39:05 0
もともと自由党は社会的弱者の利益も代弁していた。
しかし、第一次大戦後、労働党に支持層を食われてジリ貧状態に。
1920年代には、保守・自由・労働の3党鼎立の様相を示した。
この状況の中、本来の支持者であるブルジョアや中産階級は、
富裕層の利益を代表する保守党を支持するようになった。
983 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 21:51:15 0
で、自由党は第二次大戦後は完全に小政党に転落して消滅寸前だったが、
労働党から分裂した社会民主党と合同することで、なんとか生き残った。
それがいまの自由民主党。
ポグロムとホロコーストの違い簡潔にお願いします
985 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 22:16:01 0
ポグロムはコンタクトレンズで、ホロコーストはハワイの景勝地じゃなかったっけ?
ソ連とアメリカの場合、アメリカの核戦力の肥大化を止めるためには
ソ連の方が無理でも何でも軍備拡張して並ばないといけない
(同等でなければ軍縮協定を結びようがない)っていう無茶な状況だったしな。
そして何のかんので一時的にでも追いつき結んだのがソ連の恐ろしい所。
987 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 23:06:15 0
戦後の世界の動きがよくわかる本教えてください。
>支那の買弁野郎
確かにイギリスの手先となってたのは確かだが、
東南アジアなどえでは日本の駒となってたのも多い。
第一次大戦後はイギリス製品の没落も激しく、安価な日本商品が
世界で急増し始めていた。東南アジア経済に華僑は入り込んでたから
日本勢力に協力して日本製品の普及の尖兵となって働く連中も増えた。
そうなってくると東南アジア市場も旨みが出始めて、日本がイギリスに代わって
利益を吸い上げる大元になっていった。
それが崩れて対立し始めたのは満州事変以降で、日貨排斥、反日運動が起こって
よく知られてるように日本進出以後の軍部から弾圧に。
990 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:10:43 O
なんでカール5世はドイツから離れているのにスペインも支配できたんですか?
991 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:52:42 0
>>990 母親の家系がスペイン王の相続権を持っていて、
父系が神聖ローマ皇帝の相続権を持っていたから。
本人はネーデルランドの領主の息子なのでその相続権も持っていた。
992 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:55:41 O
なるほどありがとうございます
>>987 確かに大体、共和が失業者作ってるイメージあるな。
と同時に、共和党は外交よりも内政重視、民主党は内政よりも外交重視ってイメージもある。
手を抜いてる方面でうまくいき、気合い入れてる方面で駄目になってるっぽいような……
日露戦争はロシア革命(の前哨戦)により露が戦争継続困難になり終結した。
そう勘違いしていましたが間違いで、日露戦争に敗北したからこそロシア革命が起きた。で良いですね?
995 :
297=395=400:2010/11/15(月) 06:13:17 0
>>994 多分、質問者の言うロシア革命っていうのは二月革命や十月革命じゃなくて、
血の日曜日事件のほうを言ってるんだよね。
あれは日露戦争の最中に起きた事件だから、まだ完全にロシアの敗北は確定してないよ。
と言っても、もうすでにロシアは日露戦争で労働環境が厳しくなってたから、
日露戦争が原因の1つであることには間違いないけど。
997 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 10:09:20 0
次スレは誰が立てるんですか?
必要とする人が>997
999 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 18:11:12 O
■尖閣事件−今、重要なのは自分達の国を自分達で守るにはどうするかである
このところ尖閣事件のビデオを流出させた主任航海士への聞き取りの経緯とこ
の航海士の勇気ある行動への支援の盛り上がりだけがマスメディアを賑わしてい
る。これはこれで重要であるが、小生にはどうしても大切なことが見失われてい
るのではないかと思うのだ。
それはしつこいようだが自らの領土領海を守ろうとしてこなかったが故の尖閣
の危機の実態である。今、この時点でも尖閣海域では中国漁船が違法操業を続け
ることにより、石垣、与那国、宮古島の漁民の皆さんの操業は脅かされているの
である。危機的な状況は何も変わっていないのである。
そして海保は日常的に遭難した人々を命がけで救助しつつ、漁船をも守り続け
ているのである。この視点が、マスコミの視点からすっぽりと脱落している。
これに対して政治は何をしているのか。民主党は問題外、自民党はビデオ流出
が国家公務員法違反としてその監督責任とともに、航海士が名乗り出たことを首
相官邸サイドに伝えることを遅れたとして、馬渕国交相の不信任決議案を提出し
ようとしている。しかし、これは自民党が政局にしているように思う。
本来であれば自民党は馬渕国交相に対しては海上保安庁の警備体制の強化を要
望、菅首相と北沢防衛相に対しては自衛隊の配備について強く働きかけをしなけ
ればならないところだ。自民党も領土領海を守る視点から与党を批判しているわ
けではないのではないか。
今、政治がやるべき最重要なことは、自分達の国を自分達で守るためにどうす
るのかという、ただこの一点のはずである。
1000 :
世界@名無史さん:2010/11/15(月) 18:12:25 0
9X9 究極の数値
1001 :
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