一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語るスレの亡命政権です。
基本はsage進行。バルバロイは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
ニカイア帝国がログを復活させたらそのうちひっそりと滅亡します。
2 :
世界@名無史さん:2010/09/12(日) 22:45:01 O
スレタイ変えてほしいわ
どうせならモレアススレの方が
>ニカイア帝国がログを復活させたらそのうちひっそりと滅亡します。
実際にはコンスタンティノープルのパレオロゴス朝より長生きしてますが
これって有名なん?
一次・二次史料で見かけた不気味な話
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284099881/l50 9 :世界@名無史さん:2010/09/10(金) 22:02:32 0
プロコピウス『戦史』にある話
ユスティニアヌス帝の治世に、コンスタンティノープル周辺の海域に
「ポルフィリオス」と呼ばれる海の怪物が50年近くもの間出没し、
航海する船に近づいては沈没させたり安全な航路から外れたところまで
押しやったりしていた。
皇帝は威信をかけてこの怪物を討伐せんとしたが、どんな手段を尽くしても
ポルフィリオスを捕らえることはできなかった。
そんなある日、一頭の巨大なクジラが浜に乗り上げた。
人々はこれぞ例のポルフィリオスだろうといって、ロープでクジラをさらに
陸へと引き上げ、肉を切り刻んで分配してしまった。
しかし、ある人々はこういっているとプロコピウスは記す。
「あれは本当にポルフィリオスだったのか?」と。
なんですかそのホラー風の〆方は・・・
>ポルフィリオス
πορφύρα=紫か
「海の帝王」みたいなニュアンスかも
・・・誰もいない・・・
そういや、今にして思うと「古本屋」って
「マンジケルトの戦場に武装ヘリで乗り込んでトルコ人を殺戮したい」
とかいう基地外と同一人物だったのかな・・・
8 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 20:13:58 O
そろそろ塩野先生によるフルボッコタイム始まるけどその準備はおk?
オスプレイ社から最近出てたThe Varangian Guard 988-1453は久々に面白いよ。
イラストに第4回十字軍の時のムルツプロスと親衛隊やマヌエル2世など
珍しいのがある。
偶然に偶然が重なって何かの間違いで現代まで存続してたらなあ
近年の民主主義で元首制に戻ったりしたり
コンスタンティノープル市国みたいな感じ?
アルバニアかモンテネグロあたりの山奥に亡命して
正教徒の剽悍な首狩り土人に守られながらひっそりと存続ってのはどうか
あの辺はトルコでも完全に征服できなかった
14 :
世界@名無史さん:2010/09/16(木) 11:35:00 0
>>13 カトリックの土人に攻められてひっそりと滅亡
16 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 02:57:44 0
じゃグルジアの山奥は
カンタクゼノス帝なんかはトルコ兵雇ってアルバニアの反乱鎮圧してたけどね。
というか「正教徒の剽悍な首狩り土人」って何ぞや?
>>18 アルバニアやモンテネグロの山岳民の間では20世紀初頭まで
首狩りの風習があった。よく狙われたのがトルコ人。
アルバニアやモンテネグロの首狩り土人が
「俺等はローマの末裔(キリッ」とかドヤ顔で言い出したら…
イタリアやギリシャに討伐されそうww
ルーマニアがアップを始めました
>>20 逆に今のギリシャ人も、モレアスの専制公たちの時代にアルバニア人を
大勢入植させてるから「土人」の末裔が結構多いかもしれない。
23 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 16:41:22 0
トルコのトラブゾンに行った事があるが
港町として風情があって好きなところだ。
ひなびた神戸や横浜という感じ。
24 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 23:35:49 0
>>22 逆にギリシャ人が「マザーテレサはアルバニア化したギリシャ人の末裔」とか言い出したりして
>>23 本でしか読んだことないけど、背後がすぐ山で
段々畑があるような所なんだっけ?
むりだ、どの道ギリシア人にはアレが限界だった。
通貨危機でよく分かる。
27 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 10:43:50 0
>>25 町の中の高低差がかなりあって、町の中から道路を降りて途中で
海が見下ろせる。魚料理の良い匂いが漂ってきて港町情緒満点。
海沿いの露天ではイワシが売ってた。
雑貨屋でいかつい店主に〇〇ないか?って聞くと
『ニエットッッ!!』怖い。すなわち
ロシア語で『ないよ!』すぐ東側の旧ソ連のグルジアがロシア語
通じるし、ロシア人だったんかな。
町外れの古ぼけた教会に行くとおそらくビザンツ帝国時代の
イコンとかわいい猫がお出迎え。
でもマクドナルドに行くとクウォーターパウンダーとマックトルコとかいう
トルコピザ(?)みたいなバーガーがお出迎えw
日本からイスタン経由で1日ちょいで行けるんだからさ。いつか
行ってみるといいよ。
>雑貨屋でいかつい店主に〇〇ないか?って聞くと
>『ニエットッッ!!』怖い。すなわち
>ロシア語で『ないよ!』すぐ東側の旧ソ連のグルジアがロシア語
>通じるし、ロシア人だったんかな。
トレビゾンド帝国の時代からクリミアあたりとの交易が
盛んだったらしいから・・・
まあスラヴ人が進出してくるのはクリム汗国滅亡後
だろうけど。
30 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 13:06:56 0
トラブゾンというのはトレビゾンドのフランス語読みかと最初思ったw
何でこの国ってコンスタンチノープルを取り戻したニカイア帝国と合流せずにずっと別の国でやってたん?
同じ東ローマ帝国でしょ?
33 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 16:42:24 0
偉大なるコムネノス家がパレオログスごときに膝を屈せよと言うのか!?
>>32 むしろバルカン側でニカイアの国力の限界までレコンキスタを進めたので
小アジア側にまで手が回らなくなった感がある。
オスマン家の興隆の地なんて目と鼻の先のビティニアだぜ?
生き残ってたらヴォルテールに「東だがローマではなく帝国でもない」なんて言われたんだろうな
ルーマニアも以下略
>>33 しかし、今日まで家名が残ったのはパレオロゴスの方だ。
あまり関係ないが皇帝の遺骨で全身残ってるのはトレビゾンドの
アレクシオス4世だけらしいです。
ヴェネツィアかアラゴンの保護を受けてイオニアあたりに逃れていれば・・・
39 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 05:50:31 O
サンマルコ広場国として存続
40 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 14:57:49 O
>>36 あれは驚いたわ。
デヴィ夫人のハッタリかと思ってたら、アンリ・コンスタンタン・パレオロゴって本物なのな。
41 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 15:14:51 0
ラスカリスの子孫もマルタ騎士団の団長してたぞ。
ヴェネチアがバルカン半島から雇ったストラディオト軽騎兵隊にも
コムネノス等の名家の名前が見られたという
43 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 00:16:29 O
44 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 00:48:43 0
>>43 マルタ騎士団の団長になるには何十世代もさかのぼって
貴族の家系であることを証明できる超名門(意外と多いけど…)
でないとなれないからまず間違いなくラスカリスの子孫なのだ。
通称『ダベンポートカタログ』って呼ばれてる大型銀貨のカタログの
マルタ騎士団の項目で見つけたのだ。
45 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 13:10:02 0
>>43 >>44 出典まちがったのね。ごめんなのだ。
通称『電話帳(*うそじゃないのだ!)』またのなを『KMカタログ』って呼ばれてる
貨幣カタログ17世紀版のマルタの項目で見つけたのだ。
46 :
世界@名無史さん:2010/09/27(月) 13:47:50 0
>>45 Malta. Giovanni Paolo Lascaris Castellar (1636-1657)
追加情報なの。
47 :
世界@名無史さん:2010/09/28(火) 01:59:29 O
>>44-46 有り難う。
考えてみればビザンツ滅亡って、日本で言えば応仁の乱の頃なんだよね。日本だって足利氏が将軍家・古河公方家の両方とも現代まで続いてるし、管領の家も残ってるんだから、ラスカリスやパレオロゴスの末裔がいてもおかしくはないね。
ワラキアかどっかで一時期カンタクゼノス家の者が支配者になってなかった?
51 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 20:31:27 O
確かウィッテルスバッハ家もコムネノス家と血が繋がってなかったかい? オソン1世がギリシア王に選ばれたのも、それが理由だったはず。
52 :
エビちゃん親衛隊:2010/10/03(日) 14:53:34 0
>>47 東ローマ帝国という国には南朝や室町幕府と同じものを感じさせるものがある。
53 :
世界@名無史さん:2010/10/07(木) 00:46:13 O
結局ログは復活しないのか?
54 :
世界@名無史さん:2010/10/07(木) 12:23:35 O
>>47 何となく分かる。
自分に言わせると、日本史でイメージが近いのは関東公方家かな。室町幕府の崩壊後も明治まで生き延びた長命振りも似てる。
55 :
世界@名無史さん:2010/10/25(月) 17:13:26 O
結局栄光のビザンツ帝国スレは十字軍に略奪されっぱなしなのか
諸君、私はローマ帝国が好きだ
諸君、私はローマ帝国が好きだ
諸君、私はローマ帝国が大好きだ
帝位争いが好きだ 教義論争が好きだ 軍人反乱が好きだ
市民暴動が好きだ 蛮族侵入が好きだ
バルカンで 小アジアで 地中海で シリアで 南イタリアで
この地上に存在するありとあらゆるローマ帝国が大好きだ
前皇帝を引きずり落とし、帝位に登るのが好きだ
泣き叫ぶ前皇帝の鼻をそぎ落とす時など心がおどる
世界の富が集まる都が好きだ
訪れた異民族たちが驚き、羨望する様など胸がすくような気持ちだった
ハギア・ソフィアでの聖体拝領が好きだ
美しいイコンに後光が差している時など感動すらおぼえる
攻めてきた蛮族への姦計が成功した時などもうたまらない
約束の貢納金を払わず、怒って攻めてきた連中を背後から敵に襲わせるのは最高だ
哀れなブルガリア兵たちが健気に立ち向かってきたのを
捕虜にして目玉を刳り貫いた時など絶頂すら覚える
サラセン人どもに領土を奪われるのが好きだ
トルコ人どもに平伏し、属国に成り下がるのはとてもとても悲しいものだ
フランク人どもに都を蹂躙されるのが好きだ
バルバロイにギリシャ呼ばわりされるのは屈辱の極みだ
諸君 私はローマ帝国を 人類世界全てを支配する様なローマ帝国を望んでいる
諸君 私に付き従うローマ帝国好きの諸君 君たちは一体何を望んでいる?
更なるローマ帝国を望むか
糞の様なローマ帝国を望むか?
地中海を内海とした、かつての父祖の時代のようなローマ帝国を望むか?
ローマ帝国!! ローマ帝国!! ローマ帝国!!
よろしい ならばローマ帝国だ
だが、テオドシウス城壁の内側でトルコ兵の猛攻に耐え続けて来た我々には
ただのローマ帝国ではもはや足りない!!
大ローマ帝国を!! 一心不乱の大ローマ帝国を!!
我々はわずかに小数
15万のトルコ兵に比べれば物の数ではない
だが諸君は一騎当千の偉大なローマ人だと私は信じている
ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の軍集団となる
我らを忘却の彼方へと追いやり、砲口を向けてくるを叩きのめそう
髪の毛をつかんで引きずり下ろし 眼(まなこ)をあけて思い出させよう
連中にギリシア火の熱さを思い出させてやる
連中に三重城壁の堅さを思い出させてやる
ローマ帝国には奴らの哲学では思いもよらない頑強な抵抗がある事を思い出させてやる
1000人の偉大なローマ人の集団で 世界を我らの十字旗で埋め尽くしてやる
目標 トルコ陣営、指揮官メフメト
帝都防衛作戦 状況を開始せよ
征くぞ 諸君
http://wids.net/lab/HELLSING/
つまんねー書き込みすんなや
けっこう好きだけどな。
sage進行だからいいんでないの。
つまんねえネタが好きなのは仕方ないが、糞漫画の使い古しのネタはうんざりだ
狭量の広くない人だ。
63 :
エビちゃん親衛隊:2010/11/01(月) 16:28:19 0
>>58 いっそ小説か映画かRPGにすればいい。
「ローマ帝国の最後」という映画が昔あったので
「東ローマ帝国の最後」というのがあってもいいですね。
現在のトルコでビザンツの双頭の鷲の旗出すと市民からブーイングだそうなので
イスタンブールでの撮影は無理だな。
キングダム・オブ・ヘブンみたいに赤字覚悟で城壁丸ごと作るしかない。
ジュディス・ヘリン著、井上浩一監訳、足立広明、中谷功治、根津由喜夫、高田良太訳『ビザンツ−驚くべき中世帝国−』白水社、2010年、500頁
読んだ人いる?
ただの大阪的やりとりだろう
70 :
世界@名無史さん:2010/11/05(金) 22:32:20 0
結局だれもコンスタンティノープルを取り戻さないのか?
トレビゾンドも住んでみると良い所だし
ニケアの奴らが邪魔だし
72 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 12:07:31 O
塩野七生の「コンスタンチノープルの陥落」は面白い。あれほど古代ローマ好きで東ローマ嫌いの著者が書いているのに、西ローマの滅亡(ロムルス・アウグストゥルスだけでなくユスティニアヌスのほうも)よりずっと面白いのは、やはり素材そのものの違いかな?
73 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 12:44:29 O
塩野七生の「コンスタンチノープルの陥落」はとても面白い。
あれほど古代ローマ好きで東ローマ嫌いの著者が書いているのに、西ローマの滅亡(ロムルス・アウグストゥルス退位だけでなくユスティニアヌスのローマ再征服のほうも)よりずっと面白い。
やはり素材そのものの違いかな?
歴史ゲームだと必ず東ローマを選んでプレイしてしまう
ゲームごとにフランク人が東ローマに抱いてる幻想具合が透けて見える
75 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 14:10:27 0
>>74 ビザンツの扱いが良いオススメの歴史ゲームってどんなのがあるの?
フランクは基本的にビザンツを悪く設定しそうなものだが。
青色狼と白色鹿
77 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 20:45:26 0
>>75 PCゲーム板のCKスレ(今は17世)にいって聞いてみたら?
オイラは十字軍国家設立プレーとか十字軍国家プレーが好き。
CK で検索したら出てくる。
あとEU3スレも EU3 で検索。
78 :
世界@名無史さん:2010/11/06(土) 20:49:19 0
光栄、一時期めっちゃやってた。
79 :
75:2010/11/06(土) 21:42:18 0
まずはソースネクストからでてる1980円の
ブルーウルフ4からでいいんじゃないかな
81 :
75:2010/11/07(日) 17:00:30 0
>>80 ありがとう。今度機会があったら買ってみるよ。
ちなみに、それでビザンツを選択するとどんな感じ?
想像力は必要かと。他の国と扱い変わらないから。
でも多分俺たちなら13世紀頃の夢想にひたれるよ。
83 :
75:2010/11/08(月) 20:35:16 0
>>82 そうか。ありがとう。
僕はビザンツオタだから、当時のビザンツの繁栄を妄想しながらプレイすることにしよう。
>>83 俺もいつもビザンツだお。高校時代から全ての暗証番号は1453だったぐらいだし。
ミュリオッス♂フェランの戦い
弟分のトルコ人領主たちのケツを付けねらう、生意気なスルたん兄貴をシメる為に皇帝マヌ挿れ1世はエローマの全褌を結集し、
イグッニオンにあるスルたんのダーク♂ゲイパレスを目指して進軍した。
しかしその途上、ミュリオッス♂フェランで高地からの強制騎乗位プレイをトルコ褌に強要され、マヌ挿れ1世も危険な領域に突入した。
このハッテンでエローマ褌は前後からトルコ褌の業物に貫かれ悶絶。
その淫乱な有様はマヌ挿れ1世をして、「マラ♂ズギルトのハッテンに匹敵する乱交」と言わしめている。
これによりイチモツがだらしねぇことになったエローマ褌はコンスタンディヌッポリに引き返したが、トルコ褌も抜かずの百本抜きにより疲弊。
お互い玉空っぽになるまで抜きあったのが真相のようだ。
チン4の序盤でマムルーク朝の波状攻撃に曝されたのはいい思い出
87 :
世界@名無史さん:2010/11/11(木) 07:20:59 0
チン4PK版のシナリオ4はビザンツファンにはお奨め中のお奨め
ヨハネス5世とマヌエル2世とカンタクゼノスでオスマンを倒せる。
まー武器工房大量生産して火砲兵徴兵可にすれば簡単に倒せるけどね。
我こそはローマ皇帝なるぞ!!
愚民ども跪くがよい!!!!
マウリキウス帝無念すぎるだろ…
90 :
世界@名無史さん:2010/11/13(土) 18:39:43 0
その手のゲームではクルセイダーキングス(CKDV)が一番。
正教とカトリック諸侯から選んで、帝国再建や崩壊、王位簒奪、
十字軍への参加(カトリック諸侯のみ)、王国建国やら結構楽しい。
ゲームでビザンツったらヨーロッパユニバーサリス2や3で復興プレイでしょ。
まあヨハネス8世やコンスタンティノス11世はあれをリアルにやろうとして
あんなことになってしまったが。
トータルウォー拡張版で汚物は消毒だー!
93 :
世界@名無史さん:2010/11/17(水) 17:04:15 0
ヴァリャーギ親衛隊ってキリスト教に改宗していない
まだトールやオーディンを信仰してるような人でも入れたの?
>>92 あのゲーム、蛮族どもより西ローマとばっかり戦争することになったんですけど。
>>93 そんな奴がわざわざビザンツまで来るかね?
>>95 ルーシとか、キリスト教に改宗する前からコンスタンティノープルに来て
交易や戦争をしてますが?
ビザンツは英雄を必要としない国家なのだよ
早く1000までいってビザンツ帝国スレを奪還したい…
99 :
世界@名無史さん:2010/12/12(日) 11:19:25 0
60年くらい掛かりそう
それにライバルに先を越されるかもw
そういえばオスマンスレはまだ立ってないな。
オスマンより先に!
たぶんヴェネツィアスレなんかがたったらあっという間にビザンツ占領されちゃうよ
十字軍スレとかでもフランク人どもがなだれ込んでくるだろうな
そういやスラヴ人総合スレなんてのもあったなw
へたすりゃモンゴル人もやってくるかもしれない
エピルスとフランク人どもはブルガリアにボコボコにされろ。
ニケアはトルコ人どもにメチャメチャにされろ。
ブルガールとトルコ人どもはモンゴルにメタメタにされろ。
エピロスとブルガリアって戦争してたっけ?
テッサロニカ滅ぼしてからブルガリアと戦って大敗してるよ
108 :
世界@名無史さん:2010/12/19(日) 03:11:43 0
トレビゾンドにそこまでの栄光なんてあったの?
109 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/19(日) 21:06:52 0
>>108 初期はコンスタンティノープル奪還最有力候補国だったけど、
ニカイア帝国に敗北して、以後は黒海南岸の小国になってしまったね。
あの場所から帝都奪還は無理なような気が・・・
111 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/19(日) 22:31:54 0
>>110 確かに地理的にはやや遠いけど、全く不可能っていうほどの距離でもないでしょ。
ニカイア帝国さえなければ、案外簡単にコンスタンティノープル奪還できてた気がする。
途中のトルコ人はどうするん
113 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/19(日) 22:42:17 0
>>112 そういえば、ルーム・セルジューク朝とも戦って負けてたね。
しかも、この頃のルーム・セルジューク朝はバリバリの全盛期だから、
少し分が悪かったね。やろうと思えば全く不可能っていう訳でもないんだろうけど、
やっぱり、あそこからコンスタンティノープル奪還するのは難易度高いのかなぁ。
>>108 この前の板ログ消滅にかこつけてタイトル変えただけだから深い意味はない
ニカイアの政権が固まる前に貴族を味方につけられてたらどうだろう
116 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/20(月) 12:55:18 0
>>115 それだったら成功したかも知れない。個人的に、トレビゾンド帝国は、
ニカイア帝国を敵視しすぎたのが敗因だと思う。いずれ、対立するとは言え、
初めのうちはニカイア帝国と共闘するなり、貴族層の支持を得るなりして、
ラテン帝国と戦ってたら、もっと早くにコンスタンティノープルは奪回されてたかもね。
117 :
世界@名無史さん:2010/12/22(水) 12:07:46 0
ビザンツ帝国末期のアナトリアに住んでいた住民ってさ、やっぱりもうトルコ系ばかりになってたのかな。
118 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/22(水) 12:20:39 0
>>117 ルーム・セルジューク朝治下のアナトリアでは、
住民の大半がギリシャ人だったけど徐々にトルコ化し、
モンゴル帝国の侵入により群雄割拠する頃には殆どがトルコ人になってたね。
119 :
世界@名無史さん:2010/12/22(水) 12:25:58 0
じゃあ、みんな既にムスリムに改宗済みだったの?
120 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/22(水) 12:28:06 0
>>119 多分、そうだと思うけど、地域によってキリスト教徒のままだった所もあったみたい。
カッパドキアなんかはオスマン帝国時代になってもキリスト教徒が結構いたし。
面白いのはそういった人々も、母語はトルコ語だったりするところなんだけどね。
住民交換の時トルコ語話すキリスト教徒は大変だったろうな
122 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/22(水) 12:51:12 0
>>121 同じように、ギリシャ語を母語とするイスラム教徒も存在したしね。
宗教の区別だけで無理に住民交換をするとこういった不便が生じてしまうね。
ヘシカストの高僧グレゴリオス・パラマスがオスマン・トルコ人の
捕虜になった時は、町で回教の導師らとおのおのの教義について
話をしたらムスリムとクリスチャンの住民が両方野次馬に集まってきて
一触即発の事態になりかけたそうだ。
124 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/22(水) 23:00:41 0
>>123 その頃のアナトリアはもうかなりの割合でトルコ化が進んでただろうね。
それでも、まだ結構な人数のギリシャ人もいたからそういう事態が生じる訳か。
ギリシャトルコの住民交換までアナトリア半島には結構キリスト教主にギリシャ人のコミュニティがあったぞ。
そういうコミュニティがなくなったのは実に20世紀になってからのはなしだ。
ポントスとかイズミルなんかは有名かな
127 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 19:12:49 0
>>125-126 アナトリア半島って結構、地域差が激しいからね。場所によっては、
長い間、キリスト教徒が大半を占めたところもそれなりに存在した。
アナトリアだけでなくキレナイカからイラクまで主にオスマン帝国の支配下にはギリシャ人のコミュニティが
広く存在した。ユダヤ人アルメニア人などもそうだね。まあ民族の十字路であるアナトリア半島で純血政策
なんか当時の情勢から行ってもできるはずもないのだけど。
129 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 21:55:13 0
>>128 ギリシャ人・ユダヤ人・アルメニア人は商人として、
あちこちの都市でコミュニティを築く傾向があったしね。
バシレイオス2世が晩年に後継者としてゾエやテオドラの結婚相手を決めるとしたら誰にしただろう
やっぱり軍人?
131 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/24(金) 22:38:10 0
>>130 う〜ん、どうだろう?確か、彼って貴族層の台頭を嫌ってたよね。
文官との結婚という線もなくはないのかな。良く分からないや。
中Aまで「トレドゾンビ」と読んでました
>>130 卒論でバシレイオス扱ったけど農民に優しかったって言うのを呼んで
ロマノス一世みたいな農民出身の軍人とかなら性に会ったのかなと思ってる
ところで疑問に思ったことがあってプセルロスの年代記(英訳)とオストロゴルスキーなんかの
概説書とかで結構違ってたりしたんだけどどっちが本当なのかね?
(翻訳じゃ叔父になってる部分が概説じゃ大叔父になってたり、逝去した日が15日と25日と違ってたり)
EURのローマ文明博物館行ったら、サン・ヴィターレのユスティニアヌス帝モザイクのレプリカがあった。
本物と違って目の前にあって触ることもできる。トイレや風呂場の小さいタイルみたいな感じ。
古代ローマの大理石の彫刻は色合いは地味だから、金ぴかのモザイクは中々目立つよ。
ニケーア勢はギリシャとアナトリアの敵対勢力を一掃してから旧首都の奪還を目指すべきだった
と後世の日本に生きる自分が好き勝手な事を言ってみる。
まあ当時の当事者たちがそんな回りくどい事する可能性は低いよなあ。
ヴェネツィアはどんどん内部留保を増やしまくり
例のアレも明殲滅の足場固めをするべく食指を…(こっちは兵糧の無償提供とかでうまく対応出来そうだが)
>ニケーア勢はギリシャとアナトリアの敵対勢力を一掃してから旧首都の奪還を目指すべきだった
あれだけアナトリア側の防備が手薄になって
バルカン側も傭兵団なんぞに荒らされまくったところをみると
少なくともヴァタヅェスやミカエル8世の頃のニカイアの
国力・軍事力では無理そう。
そもそもあの帝都奪還自体が偶然に近いものだけど、
その後の内紛さえなければなあ
いつかはトルコも東西の攻撃(中国?)で領地がトレビゾンドやカッパドキアだけになる日も来るのだろうか?
139 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 06:51:16 0
>>137 部下の一部がたまたまコンスタンティノープルが手薄に、
なってるのを知って、勝手に帝都奪還しちゃったんだっけ?
確かに、偶然に近いのは否めないなぁ。
140 :
世界@名無史さん:2011/01/02(日) 23:49:21 O
>>139 そんなあっさり奪還できるのでは、オスマントルコにもあっさり陥とされるわけだ。
テッサロニキなんかの方があっさり降伏したらしいよ。
カンタクゼノスにはあれだけ抵抗した癖に。
オスマン帝国スレも復興して破竹の勢いで伸びてる。
そろそろヤバいぞ!東西合同をエサにフランク人の援軍を。。。
教皇の四重冠を見るくらいならスルタンのターバンのほうが(ry
なぜだか知らないが
ビザンツ関連は興味あるのに
実際関わろうとするといつも眠くなる
なんでだ?
バルバロイだから
昇れ、いとも輝かしきローマ人の専制者よ。
昇れ、汝の僕達の上に。輝け、汝の臣民の上に。
そして、汝のみなぎる光で、この劇場を照らしたまえ。
緋紫に輝く者、無敵の者、笏を持てる者、勝利する者よ。
沈むことなきローマの太陽(イリオス)、世界を照らす光を担う者よ。
天空の下にある者達のために灯火を掲げる者、月の下にある者達のための光よ。
緋紫の光を放つ太陽、新しきローマの星よ。
光り輝くコムニノス・ドゥカス両家の子、デスポティス、単独統治者(モノクラトール)よ。
汝の下にある者達を暖め、敵対する者達を焼き尽くす者。
天空高く昇り、光りたまえ、輝きたまえ、煌めきたまえ。
変わることなき汝のまばゆい光線を、汝の民らに注ぎたまえ。
ただし、その光はほどよく、目で見るのを妨げぬほどに。
見よ、勝利せるデスポティスよ、競技場は人で満ち、
人民、ローマの全ての子らは、ひとつとなり、陶然として、
世界を照らす汝の光を、汝、皇帝の慈愛に満ちた眼差しが投じられるのを、待ち受けている。
今や急げ。昇れ。我らの許から闇を払いたまえ。そして、汝の僕らには、晴朗な日を与えたまえ。
汝は昇りゆく、不敗のローマ人の皇帝。
太陽(イリオス)の下、戦勝の証の品々によって輝き、
汝は全てを清澄にし、光の力で浄化させる。
汝は万物を、陽の光で、神秘的な篝火で、
容赦のない光で、そして、いとも王者に相応しい光線で満たす。
沈むことなかれ、ローマの太陽(イリオス)よ。沈むことなかれ、永遠に。
こんな詩を考え付くなんて、テオドロス=プロドロモスは天才だろ。
これ初めて読んだ時、感動して涙が出た。
日本語訳されたそれを読む限りどこで感動したのかわけわからん
そういや小アジアあたりにキリストは太陽だとする異端宗派があったらしいですね。
東西ローマ帝国という概念が形成されたのはいつのことですか?
また、世界史の教科書などではカール大帝が西ローマ皇帝として戴冠したと説明されたりしますが、
もしその時点で東西帝国という概念がなかったのであれば、
彼の戴冠は東のエイレーネーを皇帝と認めずに全ローマ帝国の支配者になるということなのか、
それともエイレーネーと相互に承認しあって帝国西部の統治者となるという意味だったのか、
どちらが正しいのでしょうか。
150 :
世界@名無史さん:2011/01/25(火) 23:00:53 0
HONDASUGEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE
あ、ごめん…
ホンダがすごいのは分かった。
153 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/26(水) 18:22:22 0
>>149 カール大帝の戴冠は明らかにそういう意志があったと思う。ビザンツ帝国への対抗意識が、
西ローマ皇帝としての戴冠に繋がった。ビザンツ側は基本的にローマ帝国は自分たちだけだと、
思ってたからそういう意味では「東」ローマ帝国という概念は持ってなかったのかな。西欧側も、
ビザンツ帝国をローマ帝国とは認めてなかったし、そういう意味ではどちらも認識は同じで、
ローマ帝国は世界でただ1つだと思ってたんじゃないの?そもそもテオドシウス1世の時の、
東西分割だってテトラルキアの延長線上っていうイメージだったと思うし。
フリードリッヒ1世バルバロッサが十字軍を率いてビザンツ領内を通過しようとしたとき
皇帝の称号の使用をめぐってもめたらしい。
155 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/26(水) 21:19:28 0
>>154 ビザンツ帝国は基本的に他国のローマ皇帝位を認めてないからねぇ。
神聖ローマ帝国に対してもそれは同じだし。十字軍の時代でも変わらないか。
ビザンツはカール大帝のことはフランク人の皇帝って呼んだけど、
神聖ローマ皇帝のことは何と呼んでたんだろう。
ゲルマン人の皇帝?
157 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/26(水) 21:31:08 0
>>156 ビザンツ側が神聖ローマの事を何と呼んでたかは分からないなぁ。
神聖ローマはビザンツ皇帝のことを「ギリシャ人の皇帝」と呼んでたみたいだけど
カール1世に引き続いて「フランク人の皇帝」だろうな
ムスリム側もルームのさらに北西にいた連中を総称して「フランク(フィランジュ)」と呼んどる
159 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/27(木) 05:56:33 0
>>158 やはり当時のビザンツ人やムスリムは西欧のことをまとめてフランクと呼んでたのかな?
古代ギリシャ人がアナトリア半島より向こうにすんでいる連中をアジア人と総称したように、異文化に対する理解なんてそんなモノでしょう。
多元文化論というのも存外朝井歴史で80年代以降の米国から一般の人々に浸透してきたぐらい。
60年代のアメリカでさえ、黒人は差別されていたしね。話戻すと、当時の異教徒、異文化に対する理解なんてそんなものだよ。
>>160 大雑把で変なあてはめだな。
同時代の西ヨーロッパがビザンツから主に古代末期の聖人伝の写本を輸入していたのに対し、
アッバース朝や後ウマイヤ朝は古代ギリシアの著作の写本を多く輸入しており、外交や贈
答物にそれらが用いられたのが習慣になっていたんですが。
私貿易なんか関係ない。 家康ですら、南蛮人と紅毛人程度の区別しかつかなったが、朱印船貿易を積極的に進めている。
相手が何者だろうが、そんなことは瑣末なことがらだ。バルバロイだろうが、フランクだろうが、
ケ小平風にいえば良い猫なんだよ。
おまえだってフィリピンの中には諸民族が腐るほどいるが、単にフィリピン人ととしか認識してないだろうが。
そんなものだよ。
そもそも161の言動をみるとイスラム厨なんだろう。
西洋よりイスラムが優れているというような伝道者になっているだけ。
別に会いてのことなんか知りたくない奴なんかいつの時代にもいる。
いきがってんなよチンピラ。
東ローマでは、ルーシもクマンもみな「スキタイ」と呼んでいたが
これは中の人が変わったことを知らなかったのではなく、古典にならってそう記したまで
アッバース朝やセルジューク朝をもわざわざ「ペルシア」と呼んでおり、
現代でさえギリシャ人はフランス共和国のことを「ガリア」と呼ぶぐらいだ
ガリア云々は知っているわ。 つーかそんなのいいだしたらロシアだって未だに契丹が訛ってキタイと中国の事をよんでいるじゃねえか。
でも訂正の必要ないぐらい無関心な時代に定着したからな。
大体、おまえたちもインドネシアやツバルやトンガで何民族が暮らしていてどういう生活しているか 興味ないだろ。
当時も似たようなものだろ。
中の連中がどういう連中かなんてほとんどの人は興味ねえよ。 お前は敵か?味方か? とりあえずわけわからん言葉しゃべっているし適当にネーミングしておけ
ってそういうことだろ。
ビザンツと韓国の違いってなに?
167 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/27(木) 20:15:46 0
>>164 ビザンツ帝国のこういう古典や伝統に無理にでも、
こだわる姿勢は面白いよね。文学や美術において、
個性より伝統が重視されてたから現代の芸術家に、
とっては生きにくい世界なのかも知れないけど。
変な人みたいだから触らないほうがいいよ
>>147 ダメかい?
>沈むことなきローマの太陽(イリオス)、世界を照らす光を担う者よ。
>緋紫の光を放つ太陽、新しきローマの星よ。
>天空高く昇り、光りたまえ、輝きたまえ、煌めきたまえ。
このセンテンスが特にかっこいいと思って感動したのよね。
コムニノス朝の絶頂期に作られた詩と思うとなおさら感慨深いよ。
あの時期のビザンツはまさに昇り行く太陽のように勢いがあり、光り輝いていたからね。
>>171 筮仕無中秩 筮仕するも中秩無く
帰耕有外臣 帰耕して外臣有り
人歌小歳酒 人は歌う 小歳の酒
花舞大唐春 花は舞う 大唐の春
草色迷三径 草色 三径を迷わせ
風光動四隣 風光 四隣を動かす
願得長如此 願くば 長えに此の如く
年年物候新 年年 物候の新たなるを得ん
こっちのが好き。
人は歌う 小歳の酒 花は舞う 大唐の春
ってフレーズが特に。
イサウリア人とか、トラキア人とか、皇帝まで出してたのにどうなっちゃったの?
174 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 23:12:07 0
>>173 トラキア人はブルガリア人辺りに、イサウリア人はトルコ人辺りに同化したんじゃないの?
それと、イサウリア朝は厳密にはイサウリアの出身じゃないらしいね。
ちなみにゼノン帝の死後、イサウリア戦争によりイサウリア人は政権中央における勢力としては排除された
マケドニア朝の皇帝はアルメニア人
渡辺金一先生が亡くなられましたね。
178 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 22:54:15 0
>>177 今初めて知った。ショックだなぁ。「コンスタンティノープル千年」とかなかなか面白かったのに。
>>172 役人としては冴えなかったけれど、人生を楽しんでいる、っていう穏やかな詩だね。
そこのフレーズは人々が花見をしているのほほんとした風景が目に浮かぶようだよ。
これはこれで異郷、異国へのロマンを誘われるなぁw
カタクラフトとかクリバノフォロスとかの重騎兵って役に立ったの?
ヴァリャーギ親衛隊は北欧の歴史でも名高いけど、
その割に北欧には正教は伝播しなかったよね。
>>180 誰だっけな、カタフラクトと神の加護以外いらないと言ってた皇帝がいたよ。
重装備で槍も弓矢も通らず、騎乗しているから歩兵より早く動け、見晴らしも良いというメリットがあったからね。
西欧の騎士みたいに馬の上で戦うことに拘っていなかったから、馬を使いにくい地形では歩兵として戦うという、柔軟性もあったし。
まあ、今で言う機甲部隊だったんでしょ。マンツィケルトで全滅したのが惜しまれる。
北欧は接しているフランク王国が布教頑張ったからでしょ。
コンスタンティノープルはノウァローマと呼ばれたけど、
ビザンティオン時代はセウェルス帝に破壊されたり
パルミラに与したり、どちらかというと反体制的だったよね。
183 :
世界@名無史さん:2011/03/10(木) 14:07:41.73 0
トラブソン
トラペズンダ
アンゲロスブラザーズってwikiでは生年がいっしょだけど双子なの?
それとも別腹でたまたま同じ年に生まれただけだとかなのか
187 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/16(水) 08:19:27.46 0
>>185 井上先生もうやめちゃうのか。ビザンツ好きとしては残念だなぁ。
最終講義がアンナ・コムネナか・・・なんか判るような気がする
司馬遷はタマ切られて残った(はけ口なくした)精力を史記につぎ込み
アンナは権力への野望絶たれて修道院でアレクシヤード書いた
トロツキーは追放されて裏切られた革命やレーニン伝書いた
後世から見れば、本人には不幸、不平不満でも、その方が良かったのかも
歴史を作るか、歴史を書くか(中には書いて作っちゃうのもいるが)
あとカンタクゼノスとか
190 :
世界@名無史さん:2011/03/28(月) 12:29:02.70 0
大学でビザンツ史するのにイタリア語選択ってありですか?
ラテン語とギリシア語は当然選択するのですが、
それに加えてもう一つ言語を選択しなければだめで。
もう選んでしまったのですが、
ロシア語にすればよかったかなと後悔してしまうのですが…。
でもラテン語とギリシア語と同時にロシア語をするほど語学力に自信はありませんし…。
イタリア語でのビザンツ史研究って、例えばフランス語や
ドイツ語のものより充実してるの?
ベネチア関係のならイタリア語であるかもわからんね
193 :
世界@名無史さん:2011/04/15(金) 08:57:30.15 0
パライオロゴス朝の記録になるとイタリア語
(ジェノヴァ・ヴェネチィア関連)の記録が多いからね。
ギリシア語と一口に言うが現代ギリシア語と中世ギリシア語は異なるから
その辺、注意してね。
ラテン語でも記録してくれたら良かった
ギリシャ語1から覚えるのキツすぎ
196 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 14:33:46.16 0
>>195 つまり、ヘラクレイオスのせいってことかwまぁ、彼が、
公用語をギリシャ語に変えたのは時代の流れ的には、
当然のことなんだけど。もはや殆どギリシャ人だったし。
誰も公用語変えろとは言ってない
ラテン語でも書いていてくれれば、(後世の人間にとって)楽だという愚痴だw
198 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 19:28:21.38 0
>>197 なるほど。色々と変わってしまったとは言え、一応はローマ帝国なんだからね。
ラテン語での記録がもっと多かったら楽だっただろうね。
199 :
世界@名無史さん:2011/04/17(日) 05:08:23.34 O
というより、ヘラクレイオス以降のビザンツ研究にラテン語って役立つの?
ラテン語は中世ギリシャ語に影響与えてはいるんでないの
西欧人に書かれたラテン語史料もあるし
ラテン帝国がアップをはじめたようだが
ローマ教会「典礼と言えばラテン語だよね♪」
>>202 アップしてブルガリアに略奪に行ったはいいが、ニケアの連中にケツ掘られるんですねわかります。
>>205 14世紀イランのモンゴル騎兵のイラストがアラブ騎兵として紹介されてるな・・・
後ろにいるのがアラブ兵だが
207 :
過疎るなよww:2011/05/09(月) 00:39:39.55 0
帝国と慈善の大月が出てたな、BS。
内容は浅浅だけどなw
次回に期待かな。
>>67 接続詞が少なく、同じ章でも段落ごとに話題が違ったり文章ごとにぶつ切りになってたりして少し分かりにくい印象があるが
情報豊富で面白いよ
209 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/09(月) 23:51:15.18 0
>>67 この前やっと入手することに成功した。まだ半分くらいしか読んでないけど、
着眼点が変わっててその上かなり詳しいので基本的には良書だと思うよ。
ただ、
>>208の言うように文章がいささか分かりにくいのが難点かな。多分、
翻訳の問題だと思うんだけど。
なんかところどころで話が飛んだり、違う話をし始めるんだよなだよな。ジュディス・ヘリン著のは
ビザンツ勉強のバイブルと言っていいほどの内容だけど
井上先生が引退したら誰が第一人者になるんだ
定年退官しただけで引退はひどいぞ
官僚じゃあるまいし
でも第一人者になるには語学だけでも大変だろうな
これからは総合的にいろんな時代、分野に通じた大家、つまり皇帝の
時代ではなく、
守備範囲は狭いが、その中ではとてもなく深い、マニアックな領主たちの
割拠状態になるんじゃないか パレオロゴス朝だ
214 :
世界@名無史さん:2011/05/14(土) 09:07:28.58 0
昨今の歴史メシブームに合わせてビザンツの食とか本出す人はいないもんか
とはいえ実際どんなもん食べてたんだろうね?歴史があるから一概には言えないだろうけど
ヴェネツィアに輿入れした皇女がフォーク使ってたんで
当時のヴェネツィア人は恥じ入ったり馬鹿にしたりと様々だった、なんてのは読んだけど
本気で研究したいなら英語と古いギリシア語か
>>213 井上先生はハードアカデミズムよりもむしろ一般向けだったり啓蒙的な内容の著作や研究活動に
力を入れている(とおっしゃっていた)けど、それにはかなりの下地が要ると思う。
史料解釈や史料そのものに広く精通していなければならないし、ローマ〜ビザンツを含めさらに
広い視野で歴史と向き合えなきゃならないし
>>215 英語は言わずもがな、ドイツ語も必要かと。法典をはじめ史料の集成や注釈に関しては特に。
BSTBSの番組良かったな
晩年のユスティニアヌスのモザイクが、テオドリックのモザイクに冠を加えただけなのは知らなかった
>>217 なにそのちょっとワクワクする情報
詳しく
そんな番組あったのか
もっと早く教えてくれよ
あのローマ皇帝としての未来を見据えたかのような目付きが好きだったのに(´・ω・`)
223 :
保守:2011/06/08(水) 13:40:19.62 0
蛮族 ヒソヒソ・・・ 「千年後に帝国の息の根を止めに来る」
マンツィケルトの戦い ゼノン
シチリア王国 「ギリシャ人の王」 ヤムルークの戦い
ヴェルシキニアの戦い
コソコソ・・・ 「枢機卿の四角帽を見るくらいならスルタンのターバンの方がマシ」
権謀術数渦巻く宮廷 ミリオケファロンの戦い
「今の帝国に必要なのは皇帝ではなく、管理人なのだ」
サーサーン朝ペルシャ帝国 アンゲロスブラザーズ 第4回十字軍
「シリアよさらば」 / ̄ ̄ ̄\
ヴェネツィア 神聖ローマ帝国 ./ ─ ─ \ コンスタンディノス8世
/ <○> <○> \
イスラーム帝国 | (__人__) | セルジューク朝
ザワザワ・・・・ ガヤガヤ・・・ \ ` ⌒´ / 「誰か余の首を刎ねるキリスト教徒はいないのか」
ジェノヴァ / \ オスマントルコ
なんでこんな状況で千年も生き残れたんだろう。
>>223 世界史の地図に小さくてもビザンツがないと淋しいから。
コンスタンティノープルの驚異的な防御力とか?
>>225 WWIでもイギリス・ギリシャはコンスタンティノープルに辿り着く前に撃破されていたね。
1.わが国は最後の審判まで続く、地上の神の国、永遠のローマ帝国という強力なイデオロギー
2.古代ギリシャ・ローマから受け継いだ多くの遺産
3.歴史の要所要所で柔軟に体制を変革した(それを行える優秀な人材もいた)
4.東西交易の要所という恵まれた立地(但し東西南北から敵が攻めてくる)
5.世界屈指の難攻不落要塞であるコンスタンティノープル
>1.わが国は最後の審判まで続く、地上の神の国、永遠のローマ帝国という強力なイデオロギー
小アジアをトルコ人に取られた後はなんかもう
「栄えた国もやがていつか衰退し滅びる。ローマも例外ではない」
とかほとんど異教的なことまで書くビザンツ人もいたそうだ。
>>228 異教的どころか「我々はロマイオイではなくヘレネスである」「古代ギリシャの神々を復活すべきである」
とか言っちゃうプレトンもいたし
神々を復活すべきとまで言ってたっけ?
神の代わりにいちいち「ゼウス」と書いてたらしいがw
プレトンって、あの時代にしちゃ変わった人だよね。
ザラスシュトラ(ゾロアスター)をあんま知らんくせにやたら持ち上げて、
彼こそプラトンに先行してプラトン主義哲学を説いた先覚者である、とかね。
祖国が滅亡に至る状況下、あらゆるものを相対化したい気分だったんかのぅ。
ローマを称しながら末期の末期にはオスマンに隷属していた有様を見ては、ちょっと古代史と古代哲学にに知識ある人なら
ああいう批判もしたくなったかもしれない
233 :
世界@名無史さん:2011/06/17(金) 20:41:20.58 0
ローマを語っていたら、相手からビザンツはギリシア人の帝国なんて一番言ってはいけないことを言われてしまった
この怒りどうすればいいんだよ
234 :
世界@名無史さん:2011/06/18(土) 01:45:23.69 O
プレトンにかぶれて本当にギリシアの神々を崇拝しちゃった人はいるのか?
ヘラクレスとかトロイ戦争の面子たちが蘇ってトルコ軍を追い払ってくれる
くらいの夢想をした奴はいるかもしれん。
ところで…
ギリシャの火の製法は、帝国滅亡まで保持されたの?
みんな大好き!プレトン先生!
238 :
世界@名無史さん:2011/06/18(土) 18:10:34.23 O
>>235 本当にヘラクレスやらアガメムノンやらが現れてトルコ撃滅したら、全ギリシア人即刻棄教しただろ。
キリスト教にあてはめて解釈し、益々キリスト教を信仰するかもしれん
240 :
世界@名無史さん:2011/06/18(土) 21:09:41.82 O
デルフト大爆発みたいな暴発事故は起こさなかったんだろうか
242 :
世界@名無史さん:2011/06/19(日) 21:45:18.40 0
タクティカ読みたいなあ
>>227 それにしてもテオドシウス城壁チート杉だろ。
正直建てようと思えば建てれるレベルの壁だと思うんだけどなんであんなに特別視されるんかね?
金が無い
資源が無い
技術が無い
なぜブラケルナエ地区の城壁だけ他の区域みたいに三重壁にしなかったんだろう
>>245 元々あそこも三重だったけどブラケルナエ宮殿作ったときに改築したってのが定説
何だかんだでテオドシウスの城壁は古代ローマの余力が成し得た技だよ。
マヌイル1世「三重城壁もボロくなったから、全部黄金で造り直そうぜ」
オスマン帝国征服後コンスタンチノープルでの戦闘ってあったっけ?
WWIでも空襲とかなかった覚えがあるのだが。
ない、強いて言えばトルコ革命で諸国に制圧されたのをケマルが追っ払ったくらい。
ビザンツが滅亡して宗教圏の境界ラインが大幅に西側に移動しちゃったからな。争いが起きようが無い。
ラテン帝国が長らく続いた方がキリスト教都市としてのコンスタンティノープルは残ったかもしれんな。
もし何らかの理由でケマルがWWI終結までに死亡していたらギリシャ軍に攻撃されたのかね?
「タキトゥス以降のローマの歴史よりももっと馬鹿げた歴史がある.それはビザンチン史で,
美辞麗句と奇跡ばかりを寄せ集めたくだらぬものだ.」
ヴォルテール
ヴォルテールというと神聖ローマ帝国に対するあの言葉ばかりが有名だが、ビザンツも嫌いだったんだなw
まああの時代の西欧人としては一般的な評価だけど
バブルを懐かしむ現代の老若男女と似てる
>>252 偉そうなヴォルテールだが、上から説教しても社会は変わらんし救えないな。
失敗もあったがマヌエル8世やエンヴィルの方が余程ましだ。
アダム=スミスも『国富論』でビザンツ叩いてたな。
ラテン人の知識階層はどうしてどいつもこいつも…;
>>255 パレオロゴス以降の事大主義と機会主義に満ちたマキャベリズムそのものの外交と資料不足でそういう認識になっていたんだろうな。
パレオロゴス以降は史料があるんだけど世界的にまだ未研究な部分が非常に多いだけだよ
日本では、せいぜい通史レベルの政治史概論だけで、少し掘り下げた部分は全く研究されていない
>>257 >日本では、せいぜい通史レベルの政治史概論だけで、少し掘り下げた部分は全く研究されていない
根拠は?
あれ?君は、ビザンツ研究史についても細かくまとめられた西欧中世史研究入門2005年増訂版くらい読んでないの?
なんで怒った調子なのか知らないけど、国際的にもも80年代にようやく13世紀以降自体の本格的な研究が始まって
日本じゃむしろ政治史レベルですらあやしいところなのは常識だと思ってたけど
ニケタス・コニアテスによると、アレクシオス3世は皇帝にしては気弱で優しい男で、
兄を盲目にして帝位簒奪したことも悔やんでいたと言う
また、第四回十字軍のとき自軍がラテン軍より兵も多く士気高く、そのまま戦えば勝てたはずだが、初めから逃げるつもりだったので
ロクに兵を城壁から出撃させなかったとある(当然ラテン人は神の加護があるだとか、ギリシャ人は臆病風にふかれてると考えた)
…ますますダメ皇帝だなこいつ
優しい奴が兄貴の目をくり抜くかよ…。
それとも、ニキタスさん流の皮肉なんだろうか。
「一次・二次史料で見かけた不気味な話」スレより
440 :世界@名無史さん:2011/01/08(土) 02:20:56 0
ビザンツ帝国の史家ニケタス・コニアテスによると、12世紀末の
コンスタンティノープルにバシラキオスという狂人がいた。
その男は未来を占えるという評判があり、人々は長蛇の列をなして
彼のところへやってきたという。
コニアテスに言わせれば「その男の予言は当ったためしがなく、その
言葉遣いは間違いだらけで、支離滅裂で、秘密めかしていた」。
そしてそんな馬鹿げた行いに引きつけられるのは田舎者や無知な者
だけだったと記している。
だがその評判は皇帝の耳にも届いたらしく、バシラキオスは宮殿に
召し出され、当時のイサキオス2世によって未来を占うよういわれた。
バシラキオスはまったく場所をわきまえない様子で、奇声をあげて
そこら中を走り回り、壁にかかっていた皇帝の肖像画の両目に穴を開け
イサキオス2世の頭から被り物をひったくった。
その後クーデターが起き、イサキオス2世は帝冠を奪われ、両目を潰された。
面白いな
イサキオスはもともと占いの類が好きだったようだ
とくに盲目にされながらも、息子に助けられた後は、ラテン人によって不穏な空気を漂わせる都や息子の台頭などで
心がすっかり弱ってしまい、宮殿に引きこもって怪しい占い師たちを招いていたという
イサキオスはその怪しげな話を信じて、目をこすれば盲目にされた目が見えるようになると目をこすりまくったり、
自分の通風が治ったのは、自分は神に選ばれた男なのだと公言したりと、衰弱・混乱ぶりがめてとれる
そして最後には息子が反乱で殺されてしまうと、心労がたたって病となり死んでしまう
>>261 どう見ても、心優しいっていう額面通りに取るんじゃなくて
皇帝にはふさわしくない人物という意味だろそこは。
とか思ったけど側近粛清しまくりの某スターリンが子供好きな気さくなおじさんっての思い出した。
最近ウィキペディアに追加されてるアレクシオス3世のメダル風の絵は何なんだ?
当時の帝国にあのクオリティのメダルを作る技術は無いはずだが。
16世紀の本の挿絵だろ
そもそも名前がラテン語になってるし当時のコインのわけないだろ
あれでも西欧じゃコインになる程の人物なわけか・・・。
268 :
世界@名無史さん:2011/07/27(水) 07:00:16.41 0
>>267 十字軍は論外として少しぐらい改修したっていいから、
ハギア・ソフィアとブラケルナエと皇帝宮殿は最小限の
改修程度で残して欲しかったな。
ガズ二朝もデリー略奪なんて止めて欲しかった。
モンゴルもマーワラン・ナハルやホラーサ−ン、バグダットや
ウラジーミルやキエフの破壊は控えて欲しかった。
英仏の円明園破壊も酷い。
269 :
世界@名無史さん:2011/07/28(木) 00:59:16.72 O
アレクシオス3世って帝都落とされた後にモレアで十字軍国家に抵抗したり
その後はルームセルジュークで甥のテオドロス帝の邪魔したり
やってることがもはやアニメかゲームの域だな
ビザンツ時代って王政〜共和政ローマの話ってどれだけ伝わってたの?
教会合同でローマに行った使節が手紙でユリウス・カエサルに言及してたけど
キンキナトゥスやグラックス兄弟やマリウス、スッラの話って
ビザンツ時代人がどこまで知ってたのかな
認識はしてるけど語るに及ばない恥ずべき時代
皇帝の歴史教科書は、アレクサンドロス→ロムルス→カエサル、アウグストゥス の順
見れば見るほど、アンゲロスブラザーズって民主党のまんまだな。
こりゃ、近いうちに十字軍に相当するものに日本が占領されるぜ。
つまり、ポッポが首相に返り咲いたら危ないのか。
私達にとってのニケアやトラペズンタはどこだろう。
274 :
世界@名無史さん:2011/08/03(水) 13:27:48.88 0
首都は、コンスタん家のポリス
>>272 ドゥーカス朝=民主党だな。イサキオス1世の後にそのままコムネノス朝となって
いたのならば、アナトリアをトルコに奪われる失態はありえなかっただろうな。
何度も言うが、時代も状況も文化も違う国に、現代日本を無理やり当て嵌めるなよバカバカしい
首都が外国に奪われるくらいになってから言え
と、生保で暮らす在日様がおっしゃっておられます。
あちゃー、とうとう国士様まで来ちゃったか
ビザンツスレなら「パンとサーカスで暮らすローマ市民様」くらいにひねれよw
>>278 ローマ市民とか褒め言葉だろw
今や国士達は、スレ市民に対して、奴隷に接するように接し、しかもそれは、一般大衆に対してだけでなく、
セヴァストスの爵位を帯び、ローマ人の顕職において高い地位に達していた者に対しても、そうした態度を取ったのである。
このスレで、セヴァストスの爵位を帯び、ローマ人の顕職において高い地位に達していた者って誰よ?w
マスコットはこいつらだけど↓
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
>>280 アンゲロス家はコムニノス家の縁戚だから、セヴァストス以上の爵位持っていたんじゃないかな?
まあ、深く考えずキンナモスさんの文章を引用したんですがw
エジンバラ公の祖母のギリシャ王妃オリガ大公女(ロシア)が
東ローマ皇帝アレクシオス3世アンゲロス(在位:1195年 - 1203年)と
皇后エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラの子孫にあたる
という事はチャールズ皇太子やウィリアム王子も東ローマ帝国の皇帝の
末裔って事なので興味が湧き、ビザンチィンに関する主に井上浩一著の
本を読みました。
アレクシオス3世はアンゲロス家、コムニノス家、ドゥーカス家の
血を引いてるんですね。
孫のマリア・ラスカリナからヨーロッパの王侯貴族に血が引き継がれた
ようですね。
19世紀になってもギリシャ国民は、王室を戴くのなら
約500年も前に滅んだ東ローマ帝国の皇帝の子孫を
国王あるいは王妃に望んだのでしょうね。
それからスペインのソフィア王妃もオリガ王妃の子孫ですね。
マリア・ラスカリナというとニカイア帝国の王女ですな
>>282 オリガはエウフロシュネの母系直系子孫。
マリア・ラスカリナが多産だったことと、嫁ぎ先のハンガリー・アルパート朝が
東欧の名門だったのが拡散し続けた理由かね
オリガの旦那もどんどんたどると、結局アレクシオス3世・エウフロシュネにたどり着く。
あと、シュタウフェン家のフィリップ・フォン・シュヴァーベンに嫁いだ
エイレーネ(イサキオス2世の娘)も、現在の欧州諸王室のご先祖様なはず。
フィリップとの間の娘達がボヘミア王・ブラバント公・カスティーリャ王に嫁いで、
またバンバン子供をこさえたためそこら中に広まってる。
ブラバント公家が地味に英仏王室や独伊の名門諸侯と通婚していたから、
子孫の広がりがとんでもないものになってしまった。
もっとも、結婚相手からしたらアンゲロスよりシュタウフェンの血統の方が意味があったんだろうが
ヴァシリオス二世もそれくらい多産だったらなぁ…。
黄金のマケドニア朝が永遠に続いただろうに。
ビザンツ帝国の場合、あまり兄弟親類が多くなると
目潰し大会がヒートアップするだけのような気がする
>>286 跡を継いだら兄弟親類をバッサリというのはオスマンにも引き継がれたな。
盲目で修道院で余生を送る元皇帝たち・・・
中世 修道院で監禁されたローマ皇族がひっそりと暮らす
近代 上記修道院を改装したモスクで監禁されたオスマン皇族がひっそりと暮らす
現代 上記モスクに来た観光客ががやがやとローマ皇族やオスマン皇族の監禁部屋を見学
入場料やお布施を考えるといい遺産なのかもねw
アンナ殿下がひっそり暮らしたとは思えない…あんなもん書いているし。
過疎ってきたなあ、このままだといつまでたっても首都奪還ができない
モタモタしているとニケアの連中に先越されるぞ
スパイがいるな
帝国にとって最も危険な敵はオスマンで確定として、2番手はどこだろうね
ルーム・セルジューク、ヴェネツィア、ノルマン、ブルガリア、セルビア、ハンガリー付近が
有力候補と見るが
>>293 ラテン帝国を間接的に作ったヴェネツィアが最有力
領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
マンジケルトのルーム・セルジュークは3番手か4番手
その次は、アヴァール・ササン朝・正統カリフ・ウマイヤ朝などの
コンスタンティノープルに殴りこみをかけたグループがノミネートされ、
大穴でパライオロゴス朝・アンゲロス朝
295 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/27(木) 23:39:36.41 0
>>294 >領土を蚕食しまくって皇帝を宣言していたセルビアが次点
これはセルビアじゃなくてブルガリアじゃないの。セルビアも後期になると、
ビザンツ帝国にとってわりと危険な存在だったけど、それ以外の時期なら、
圧倒的にブルガリアでしょ。皇帝を名乗ってた期間もブルガリアのほうが、
圧倒的に長かったと思うし。まぁ、どっちも最盛期が微妙にずれてるから、
どっちがビザンツ帝国にとって危険かどうかは時期によって違うんだけど。
>>295 シメオン1世のコンスタンティノープルにおける戴冠を失念していた
その意味で第一ブルガリア帝国を挙げなかったのは俺の誤り
入れるとしたら、ヴェネツィアとセルビアの間かな
最終的にシメオン1世はビザンツに打ち破られてしまうが
でも第二ブルガリア帝国は帝国にとって危険かと言われると
「ラテン帝国にとって」という但し書きがついたり、対象が微妙にずれる
297 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/28(金) 00:13:03.11 0
>>296 確かに第2次ブルガリア帝国の最盛期はラテン帝国の時代だから、
ビザンツ帝国にとって危険だったかと訊かれると微妙かも知れない。
第1次ブルガリア帝国の最盛期ならビザンツ帝国を脅かしてたけど。
危険度はともかく、迷惑度ならばローマ教皇や十字軍も負けちゃいない
元々、その教皇に協力を仰いだのは何処の誰だって話だよ。
教会合同したらお前らどうすんの?
>>296 いやブルガリアは危険でしょ
ラテン帝国初期にあの辺りのギリシャ人が比較的すんなり支配下に入ったのはブルガリアの脅威があったからだし
エピロスもブルガリアにボコされて帝都奪還レースから脱落するし
ミカエル時代もコンスタンティン・ティフがキプチャクのベルケと結んで1264年にトラキアに侵入してくるし、
その後もシャルルのシチリア王国と同盟するし(ミカエルが姪を送ったあとは関係が改善するが)
>>299 躾の悪いボランティアが略奪したり、放火したり、領土分捕ったりしてきたら、
協力仰いだうんぬん関係なしに迷惑以外の何物でもないだろw
第4回十字軍は、半分は帝国の自爆なんだろうけど。頼った相手が悪過ぎた
経済危機に倦んだ元イスタンブル在住のギリシャ人に帰郷の流れ
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20111031_055416.html > 経済危機により、トルコでより良い未来を探しているのはギリシャ人だけではない。ギリシャへ大きな希望を抱いて
> 移住した元イスタンブル在住のギリシャ人(ルーム)らも、移住から何年も経てトルコへ帰郷し始めた。
> 元イスタンブル在住のギリシャ人らは、イスタンブルのギリシャ正教会総主教座やギリシャ系各協会を頼り、
> 出生地に戻った場合仕事や家を見つけることが出来るか否か調べている。さらには、イスタンブルの
> ギリシャ系新聞社に手紙を送り、情報を集めている者もいる。
>>303 トルコ人からすればクルド人以上に面倒な連中だろうな。
正直、正教に対するトルコ政府の扱いは国際的に非難を浴びるべきものだと思うね。
ルームって呼び方が面白いな
今でもよくも悪くも東ローマの末裔扱いなんだね
307 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/03(木) 14:02:23.38 0
>>306 ビザンツ帝国が存在した当時、西欧諸国はその国をギリシャ人の国だとして、
ローマの末裔と認めなかったけど、中東諸国は最後までルームと呼んでた。
トルコで彼らをルームと呼ぶのはその名残なんだろうけど、今も昔も中東は、
ビザンツ帝国をローマ帝国の後継として認めてるということなんだろうね。
ギリシャが国家破産したら、劣ったヨーロッパ人として生きるよりも、
栄光あるルームとして中東世界の一員として生きたほうが幸せなんじゃね?
>>308 まるで中東の仲間になればギリシアでも優等生になれるかのようなものいいですねw
ギリシア自体が中東への楔として列強に作られた国なのに。
>>310 そもそも古代ギリシャの都市国家自体中東の文明に影響されて文明化したものなのにw
中東の王政がギリシアの古代民主政治に影響与えたとか初耳
そもそもギリシアの古代民主主義って日本で言えば中世の国人一揆とかと変わらねえんだけど
ビザンツ時代はギリシャ本土は既に辺境だった。
マウリキオス帝からコムネノス朝いたる帝国は、
カッパドキア人やフリギア人とかの帝国だった。
ギリシャ本土は属州エジプトとかと同じく、
支配されているだけの地域だった。
>>313 お前ちょっとは十部族制とか勉強して来いよ
317 :
世界@名無史さん:2011/11/05(土) 02:54:14.25 O
>>309 なれないなれない。
中東の産油国のほうが遥かに金持ち。
318 :
世界@名無史さん:2011/11/05(土) 08:19:28.59 O
黒歴史になってるけどビザンツ時代にはイスラム教に改宗した皇帝もいたし、とりあえず中東の一員でいいんじゃない?
で、その後に互いにも同胞を多く抱える隣国どうしでトルコ=ギリシア(キプロス含む)連合共和国として、
EUに再加盟すれば西欧列強国にも一目置かれて馬鹿にされずに済むだろうし。…
ヘラクレイオスか。>ムスリム皇帝
それはともかく、ビザンツ時代のギリシアが辺境の田舎ってのは間違ってないだろ。
アカデメイアが閉鎖して以降、オワコンになりアテネなんて完全に荒廃しきってたんだから。
テッサロニキはコンスタンティノープルに次ぐ帝国第二の都市だったとされるので、
ビチニアのニコメディアやカッパドキアのカエサレアよりも大都市だったらしい。
>>319 オワコンは言いすぎだと思うよ。
コンスタンス帝の遠征のときみたいに、イスラーム勢力の伸長後は
コリントスやアテナイは艦隊基地としての重要性が増したんじゃ
>>320 テッサロニキは皇帝の滞在地で宮殿も建設されたし、シルミウムの荒廃・失陥後は
イリュリクム道管区とマケドニア管区の首府でかつ大司教は東イリュリクム全体を管轄下に置いてたしね。
それと後期ローマ〜ビザンツ期で、地域としてのギリシアっていったら属州アカイアやテマ・ヘラスが
置かれた地域を指すかと
>>319 井上先生の本を100回読みなおしてこい
ネットde真実はいらんのや
風呂と水道と集会広場がなくなればオワコンかよwwwwww
324 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/05(土) 19:06:23.64 0
>>319 ヘラクレイオスがイスラームに改宗したなんて初耳なんだけど。
イスラーム勢力に負けただけで改宗してはなかったと思うけど、
何かソースでもあるのかな?それとギリシャと言っても地域の、
違いはあると思うよ。アテネは田舎だったけど、テッサロニキは、
それなりに発展してたし、ギリシャ全部が辺境とは言えないなぁ。
帝国後期ともなると、モレアの中心地ミストラが
コンスタンティノープルをも凌ぐ繁栄を見せてるな。
帝国滅亡後もミストラの繁栄は続いたが、
皮肉にもギリシア独立戦争がミストラを滅ぼしてしまった。
そして、それからはアテネの時代が始まるわけだ。
>>320 サロニカが第二の都市と呼ばれるがあれも半分嘘らしいな。
第二の都市となったのも別に爆発的な発展を遂げたわけじゃなく
アナトリアの諸都市がトルコ人の侵入で失われていったからだそうで。
コンスタンティノープルの繁栄とやらもまた悪い仕方の反映で
何か取れたわけでもなく
特別な製品や技術があって金儲けできたわけでもなく
産業技術が発展し続けたわけでもなく
地方から物資や金や穀物を搾取しまくって繁栄していただけだからな
そりゃ落ちぶれてトルコ人に征服されるわけだよ。
マルクス史観乙
よく行く書店の一つに、
ビザンツ時代のイコンが展示販売されててびっくりした。
60万円くらいで買えるんだな。
どこだよそこ、買いに行くわ
ローマのテルミニ駅正面のコイン屋にはいくつかビザンツのフォリス銅貨があったな
コンスタンティノス8世の銅貨が6000円くらいだったと記憶している
>コンスタンティノス8世の銅貨
うわ、微妙。いっそイサキオス2世とかアレクシオス3世並に突き抜けていれば・・・。
よりにもよってコンスタンティノス8世か……
何もしなかった、という一点において突き抜けてるといえば突き抜けてるけどさ
まぁ、何もしようが無いんだけどな。
若いころは独裁者の兄貴が好き勝手にやってたし。
むしろ政治に意欲があったらアンゲロス兄弟よろしく内戦になってただろ、単独皇帝だったのなんてほんの数年だし
コンスタンティノスはあれでいいと思うぞ、バシレイオス含め後継者がいなかったのがダメなだけで
ニコニコ大百科のビザンツ帝国の記事が異様に充実してて感動した。
というか、あの記事を書いたの絶対このスレの人間だろw
東海大学出版のビザンツ帝国史が高いんだけどおおおおおおおおおおお
2万近くするがな
なにをいまさら?
339 :
世界@名無史さん:2011/11/24(木) 23:27:29.91 0
ビザンツ研究は欧米では盛んだし、ネットでも英語で多くの記事やサイトや論文がある
プロコピウスの戦史や秘史だってネットで読めるし、wikipedia英語版見るだけでもいろいろ情報漁れる
340 :
世界@名無史さん:2011/11/25(金) 14:26:19.14 0
>>324 ギリシャ系ユダヤ人の出身地が一番多いのもテサロニキですよね。やっぱり一番都会だったのですね。
>>293 ビザンツのライバルは、何の史観を中心にするかで着目する相手が違うでしょうね。
正教史観ならトルコだが、ユダヤ陰謀史観なら元々ビザンツ領だったベネチアがなんでビザンツと対立する事になったのかが一番気になる。
いや、陰謀史観なしの世界史でもそこは一番重要な方でしょうね。
キリスト教東西分裂以来のバチカンとビザンツとベネチアの関係の変化が現在までの西洋史の基調を成すと思います。
逆に遊牧民や民族移動中心史観だと全てのビザンツ周辺民族が対象となるだろう。トルコ系(セルジューク、オスマン、ハザール、ブルガール)、
スラブ系(セルビア、ウクライナ、ロシア)、ゲルマン系(ランゴバルド、バンダル、フランク、ノルマン)、アラブ人、クルド人、アルメニア人、ロマ等々。
結局、ローマ帝国滅亡後に地中海の全沿岸を再統一した国家はアラブ、トルコ、ナチス・ドイツ、米ソ含めて現在までない。
もう全部ライバル
地理的にしかたないね
>>340 トルコなんか終わりのほうのチョイ役じゃん
最盛期のマケドニア朝含め、数世紀にわたって殴りあったブルガリアが一番だと思うぞ
オスマン帝国にとってはライバルはどうみてもハプスブルグ帝国とペルシャ帝国だし、東ローマにとっては一応は神聖ローマ帝国がライバルだったんじゃないかな?
ほとんど直接衝突ないじゃん
フリードリヒ1世の十字軍遠征のときはビザンツも冷や汗かいたろうがそれくらい
西方で勝手にローマ帝国名乗ってる蛮族にすぎない
マヌエル1世がヴェネツィアとグルになって、ロンバルディア都市同盟に資金援助してなかったっけ
で、報復でバルバロッサがルーム・セルジュークをこっそり支援
結果は同じ1176年にレニャーノとミュリオケファロンで両帝とも敗北。
347 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 06:13:41.76 0
>>346 確かに、マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はイタリア政策などを巡ってフリードリヒ1世の、
神聖ローマ帝国と敵対してたね。でもその時期を除けばあまり大きな対立はなかったかな。
まぁ、オットー1世が最初に神聖ローマ皇帝になった時はいくらかの抗議をしただろうけどね。
オットー1世とは南イタリアで戦争状態じゃなかったっけ?
349 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/11/26(土) 19:48:56.80 0
>>348 あれ、そうだったっけ?ローマ皇帝戴冠云々を巡って争ったことがあったのは、
知ってるけどそれとは別に南イタリアでも対立してたのかな。まぁ、でも確かに、
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国が対立するとしたら、イタリア政策関連のことも、
当然あるだろうからね。後にフリードリヒ1世と対立した時もイタリア関連だったし。
♪ジュリーがライバル
「スレが全部消えた?ログ復旧するだろうし洒落で立てちゃえ♪」
と思ってスレタイ変えたらそのまま残ってて申し訳ない
352 :
世界@名無史さん:2011/12/21(水) 23:33:27.50 0
デモ最下層
ティムール「オスマントルコ?フルボッコにしてやったよ。ついでに捕まえたスルタン、何故か死んだ。オスマントルコ滅亡だな」
ビザンツ帝国「…え???え?…ひょっとしてチャンス?」
状態だったの?
確かティムールに「サンキュー、これからも誼結ぼうぜ!」的な手紙送ってた
355 :
世界@名無史さん:2012/01/22(日) 18:58:00.11 0
356 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/01/22(日) 20:39:38.03 0
>>353 実際、それでビザンツ帝国の寿命が50年のびた訳だしね。
もしティムールが来なかったら多分コンスタンティノープルはその時に陥落してた。
ティムールがその気になったら当時のコンスタンティノープルは
指先一つで陥落だった気もする。
元々ティムールはオスマントルコと和平したがってたし
ティムールの時だけでなくモンゴルのおかげで
ビザンツ帝国の寿命はかなり伸びたみたいだね。
モンゴルがホラズム帝国を滅ぼさなかったのならば、
ホラズムはアッバース朝やルーム・セルジューク朝、
トレビゾンド帝国やニカイア帝国を征服したはず。
ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪うのは、
おそらくブルガリアだったはず。
パレオロゴス王朝がまるごとなかったかもしれない
わけだよね。
359 :
世界@名無史さん:2012/01/26(木) 18:51:03.75 0
>>354 ゲームの蒼き狼と白き牝鹿でも
(シナリオ4、明帝国初期、ティムール帝国創成期の時代)
開始1年目でオスマン帝国(ゲーム中ではオスマン=トルコ表記)が
コンスタンティノープル陥落させるのは可能なんだよね
そしてCPUでほおっておくとビザンツがトルコ滅ぼすことも度々あるし
ティムールの本命はあくまでも明だもん。
同じムスリムのオスマン帝国とガチで戦いたがるワケないじゃん。
俺もバシレイオス2世みたいに禁欲的な人になりたいです
362 :
世界@名無史さん:2012/02/01(水) 19:57:41.02 0
>>358 ホラズムがそこまで西方に領土を拡大できる理由がよく分からない。
そういう計画あったの?
またモンゴルが強いといってもああもあっさり滅亡させられる国力と
当初友好的だったモンゴルの使節をあっさり殺害する外交センスでは
大帝国を作れるとは思えないけど。
ホラズム・シャーは、モンゴルとの戦争以前にアッバース朝と敵対していて、
1217年バグダード遠征を試みていた。この遠征はクルド人の奇襲で失敗した。
アッバース朝のカリフがモンゴルに使節を送ったので、モンゴルの偵察を
警戒したホラズム・シャーは使節を殺害した。
ホラズム・シャーは、唯一チンギス・ハンが自分と互角と考えた勢力であり、
戦えば負けるかもしれない相手なので、友好関係を築こうとした。
ホラズム・シャーはアッバース朝とクルド人、ルーム・セルジューク朝など
西方のイスラム諸国と敵対しており、さらに西のビザンツ諸国と十字軍諸国
にも戦禍が及ぶ事も充分ありえたのではないだろうか?
言うてあの辺ってシュメールとかのメソポタミア文明の時点からどうしようもない不毛地帯になってたよね
この使者殺害ってのがキモなんだよな
当時のモンゴルの使者ってスパイもいいところ、日本に来た使者も夜な夜な宿所抜け出していろいろ調べていたらしいし
で、切ったらそれを口実にして攻め込む
日本場合は日本の事をよく知らない支那人が使節だったけど、ホラズムの場合は
自国出身の商人らが使節だったから、彼らがおのおの故郷に戻る事を口実に隅から
隅まで調べ回られてしまうよね。
この裏切り者達は自国に何故侵略者を招こうとしたのだろうかね?おそらく、
殺されるのトルコ人だけで自分達の同胞までが虐殺されるとは思いもよらなかった
のだろうね。
チンギス・ハンは金帝国征服が最優先なので、短期間でホラズム遠征を終了する為に
大量虐殺を遂行したのじゃないのかな?
ホラズム遠征以前、西夏やカラ・キタイの征服ではモンゴルは大量虐殺はしていない。
金帝国はチンギス・ハン個人と関係なくモンゴルの仇敵であり、よくある復讐だよね。
金帝国滅亡後にオトラル事件が起きたのならば、商人達が望んだようにモンゴルの
支配下でもサマルカンドやメルブが繁栄し続けたのかもしれないね。
チンギス・ハンに使えていたムスリム商人らは、ホラズム・シャーも金帝国を
狙っていると吹聴して、チンギス・ハンの警戒心を煽っていたが、おそらく、
ホラズム側は対アッバース朝が最優先だったと思われる。
チンギス・ハンは、ホラズムと西夏のせいで、自ら金帝国に止めをさせなく
なった事を怒り、ホラズムと西夏で大量虐殺をしたのだろう。
いまでもトルコ人には永遠の地獄がもたらされればいいと思ってるわ
ビザンツオタにとって、トルコ人とエンリコ・ダンドロは親の仇以上に憎い相手なんだろうなw
第四回十字軍がなければビザンツが残り続けたかな?
もしもただトルコに滅ぼさせるだけだったらビザンツの遺産はさらに減っていただろうし
かといってヴェネツィアがビザンツの崩壊を早めたのは間違いない事実だし…
ぶっちゃけ帝国はエンリコ爺ちゃんがカチコミかける前から既に
空中分解フェイズに突入してるし、時間の問題だったと思う
十字軍が来なかったら、ブルガリアのカロヤンあたりに血祭りにあげられたのでは
>>370 フォカスとアンドロニコス・ドゥーカスの方が、ビザンツオタに憎まれているだろう。
オスマン帝国もビザンツ帝国も好きな俺は異端何だろうか
パレオロゴス家の末裔ってイギリスとかイタリアに居るらしいね
凄いな
376 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/08(水) 22:58:36.58 0
>>374 僕も両方好きだよ。ビザンツ帝国もオスマン帝国もどっちも歴史の面白い国だと思う。
377 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 01:53:47.68 0
当時ビザンツを滅ぼしうる勢力、ラテン人やブルガリアやセルビアやオスマン帝国の中ならオスマンに滅ぼされて良かった
ビザンツに並びうる偉大な帝国だったし、裏切り者のラテン人よりは明確に敵であった異教徒のほうが良い
「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、トルコ人のターバンのほうがマシである」
マヌイル大帝がミリオケファロンを難無く抜けて、イコニオンに突入していれば……
380 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/09(木) 20:58:17.34 0
>>379 根津由喜夫氏はミュリオケファロンの戦いもそこまで酷い負けじゃなかったと言ってるけどね。
ただ、あの敗北の後からビザンツ帝国が再び衰退していったのも事実なんだよね。
ルーム・セルジューク朝の力を切り崩せなかったのは痛手だったかも知れない。
首尾よくミリオケファロンを切り抜けられても、調子に乗って東に進軍したら
隙を狙って西からノルマンやヴェネツィアが乗り込んできそうな気がする
382 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 21:05:10.73 0
塩野七生
「ビザンツなんて何の魅力があるのよ?
精々、ユスティニアヌス1世を妻のテオドラが後押しした時期にちょっと盛り返しただけで
後は約1000年間大した役割も果たさなかった弱小国家じゃない!」
383 :
世界@名無史さん:2012/02/09(木) 21:18:06.62 0
>>382 それは余りにも酷い勘違いだ。
東ローマ帝国は偉大だ。
384 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/09(木) 21:22:10.06 0
>>381 そもそもマヌエル1世はずっと西側にばっか目を向けてたからね。
ルーム・セルジューク朝も攻めたけど神聖ローマ帝国やヴェネツィアなどのほうが、
マヌエル1世にとってはより大きな敵対勢力だっただろうし。
あまり東にばかり目を向けるとそれらの勢力に付け入れられるかも知れないね。
敵作りすぎだよなマヌエル1世はwお友達はベーラ3世ぐらいじゃないかな。
皇帝の没後、手のひら返しされちゃったけど
先帝ヨハネス2世はそこのところ上手くやってたのは流石だ
>>382 これ、本当に塩野さんが言ったの?いくらなんでもちょっと信じられないんだが。
まあお塩は口ではっきり言わなくっても、
ローマ人の物語最終巻で地図見せてそういうことにしたいこと言っちゃったしな
387修正
言っちゃったしな→示しちゃったしな
389 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/09(木) 23:35:01.75 0
>>385 ルーム・セルジューク朝、神聖ローマ帝国、ヴェネツィア共和国、シチリア王国など、
かなり色んな国と敵対してるからね、マヌエル1世は。外交戦略が好きな皇帝だったから、
それでも彼の時代はなんとかやっていけたんだろうけど彼の死後は一気に衰退してしまうし。
長期的に見れば彼の外交政策はあまり良い結果を残さなかったと思う。
帝国本土だったアナトリアのかなりの部分を奪われたままだったのだから、
マヌエル1世は対ルーム・セルジューク朝に専念すべきだったよね。
ユスティニアヌス1世ではなく、やはりバシレイオス2世を手本とすべき状況
だったはず。
周辺世界がいろんな意味で「ローマ帝国」の時代とは変わってたもんね
戦争しながらよしなにやってたセルジューク相手に本格的な武力制圧なんてできるはずないだろ
どれだけつながり深かったと思ってんだよ
広大な領土であった「ローマ帝国」の時代とは違い、「コムネノス朝」の時代
には属州がなくアナトリアとバルカンはともに本土だった。
「ローマ帝国」の時代ようにダキアやブリタニアように捨ててもいい属州が
コムネノス朝にはもはやなかった。
394 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/11(土) 06:27:18.83 0
>>390 彼はどちらかというと西欧のほうに目を向けてたからね。
まぁ、シリアやキリキアのほうにも遠征して一定の成功は収めてるから、
全く東側に興味がなかった訳でもないんだけど。
内政に関しては結構西欧かぶれにみえるところがある。
>>391 だからこそ、彼はローマ帝国の威厳を保とうとして積極的な外交政策に乗り出したね。
国際政治の場でリーダーシップをとることが彼の基本方針だったらしいし。
>>392 確かに途中までビザンツ帝国はセルジューク朝となあなあな関係を築いてたからね。
むしろ、マヌエル1世がそれを壊してしまったと言えなくもない。
>>393 なるほど、だからどの領土も守るために多方面に外交政策を展開して、
そのせいで敵を作りすぎたと言えなくもないか。
かつてのローマ帝国の頃とはもはや事情が違いすぎるからね。
>>380 根津先生がそれ書いてたのは『ビザンツ 幻影の世界帝国』だっけ。
兵力や国力の損害自体は痛手じゃないけれど、"不敗神話"が崩れたのは政治的にマズ過ぎるでしょ。
せめてもう一度どこかでルノー土下座に匹敵する大勝利を挙げることができたら、
しばらくは帝国に直接手を出そうとする動きは無かっただろうけれど……。
396 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/11(土) 19:39:42.30 0
>>395 そう、その本。最初、タイトルだけ見てビザンツ帝国の通史かと思って読んでみたら、
マヌエル1世しか書いてなくて驚いた覚えがある。まぁ、わりと面白かったけど。
不敗神話が崩れたのもマズいけどそもそもルーム・セルジューク朝を敵に回したこと自体、
政治的には失敗のような気がしなくもない。それまではそれなりに平和的関係だったからね。
まぁ、マヌエル1世はイタリア遠征なんかにも失敗してるから不敗とは言いにくいんだけど、
軍事的な失敗以前に外交に力入れすぎて逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
397 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/11(土) 19:40:27.56 0
×逆に敵作りすぎたほうが悪影響大きかったと思う。
○逆に敵作りすぎたことのほうが悪影響大きかったと思う。
それっぽいことそれっぽく言うだけの糞コテ死ねよマジで
一つの敵と決着をつける前に、前の味方を敵に回して、次の味方作っちゃうからなぁ
対バルバロッサを見据えた外交戦略の一環で、イングランド王ヘンリー2世や
フランス王ルイ7世、ハインリヒ獅子公とも手を結ぼうとしてたな。
雄大すぎるだろw地中海大戦でもおッ始めるつもりだったのかw>マヌエル1世
まあガチ大戦ではなく、外交成果で大国っぷりをアピールしたかったようではあるようだが
本人の外交戦略や対処能力が不足していた
中途半端に国力が伴っていたのもマヌエルを勘違いさせた一因だな
401 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/12(日) 17:30:43.85 0
>>400 実際、彼の時代はビザンツ帝国もそれなりに国力あったから周辺諸国に対して、
自国の大国ぶりを見せ付けたところで不自然ではなかったしね。
それをやりすぎて国際政治に首を突っ込みすぎたから衰退を招いてしまった。
まぁ、それ以前のコムネノス朝もそれなりに狡賢い外交戦略は練ってたけどね。
何なんだこのコテ
粘着してるけど
人が書いたこと言い方変えて反復してるだけだし、正直邪魔
〜だね
>>399 足利義昭とはそこが違うな。
あくまでも義昭は敵を信長1人に絞っていた。
406 :
世界@名無史さん:2012/02/15(水) 16:03:33.99 0
歴代トラペズース帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。
407 :
世界@名無史さん:2012/02/15(水) 20:56:03.72 0
根津先生がアレクしオス1世の改革についての本を出すようだが
値段が高いのなんの。
408 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 00:46:30.01 0
歴代トレビゾンド帝国の皇帝とその系図とを
誰ぞ教えてたもらぬか。
それとも誰一人知らぬとお言いやるか?
ウィキ見りゃいいだけの話じゃない。いくら糞ウィキといえどもその手の情報「だけ」は正確なんだし。
それっぽいキーワードでググったら一発で出てきたぞ
トレビゾンド帝国皇帝一覧&系図
トレビゾンド帝国といえば、クリミア・ゴートとの関係があるようだね
初期はグルジア、後期はジェノバとの関係の方が強いようだけど
ゴート族が影響を及ぼしていることが少し意外だった
George T. Dennisのマヌエル2世のテッサロニキ統治時代の本読んでんだけど
これに出てくるDemetrius Cydonesって人の名前って
日本語文献で一般的な表記は何?
洋書でビザンツ本読むの初めてで難儀してるんだ、このスレの皆の力を借りたい
ほ
コテがいないと伸びない落日のビザンツスレ
コテに依存しなければスレが伸びないのは名無し住民のレベルが低いと言うこと。
無論、必ずしも「コテなしでも伸びるスレは住民のレベルが高い」ということではないが。
アホ丸出しのクソコテがまーだ根に持って名無しで書き込んでるのか
涙拭けや
ほ
420 :
世界@名無史さん:2012/03/16(金) 12:33:08.69 0
ageてみよう
tddss
422 :
世界@名無史さん:2012/03/21(水) 11:46:58.86 0
┗0=============0┛
\===========[_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_]===========/
/三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三\
0 │ |∞∞∞ |::|∞∞田田田田田田∞∞|::|∞∞∞ | ::| 0
...[二] | ::| |::|┏━━━━━━━━┓|::| | ::l [二]
........|□|.│ |┌┬┐ |::|┃ ┃|::| ┌┬┐| ::|. |□|
)三(...| ::|├┼┤ |::|┃ ┃|::| ├┼┤| ::|`)三(´
| ::| | ::|└┴┘ |::|┃ /┃|::| └┴┘| ::| | ::|
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∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( )( )(, )(,, ) ,,)( )( )(, )(`゚`:.;"゚`)
423 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 21:52:23.86 0
パレオロゴス朝の時代のように衰退していくビザンツスレ
424 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 23:09:49.59 0
結局ユスティニアヌス時代かバシレイオス2世かどっちが最盛期なの
アナスタシウス1世の治世が東ローマの最盛期
426 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 08:57:06.28 0
>>424 普通はバシレイオス2世になるでしょ。ユスティニアヌス1世は領土を広げこそしたものの、
逆に国力を疲弊させてしまったと言う人もいるし、彼の時代はまだローマ帝国最後の輝きという感じで、
ビザンツ帝国ではないと言う人もいる。ビザンツ帝国の最盛期と言えばバシレイオス2世の時代でしょ。
>>425 アナスタシウス1世は初期の東ローマ帝国の中ではかなり名君のほうだね。
ユスティニアヌス1世が広大な征服事業を行なえたのも彼のおかげと言われてるし。
パレオロゴス朝でもマヌエル2世とかは時代が違えばうまくやってた気がする
428 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 23:46:28.74 0
>>427 ティムールとの戦いで疲弊したオスマン帝国を混乱させるために、
オスマン帝国内のスルタン位争いに介入したりするなど、外交手腕もそれなりにあるしね。
文化的にも名高いから、生まれる時代が違ったら名君だったと良く言われてるね。
429 :
世界@名無史さん:2012/03/23(金) 23:49:10.62 0
なんやこの糞コテ
まだ粘着してんのか
430 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 02:51:10.93 0
「ビザンツ帝国は西ヨーロッパと違って古代のギリシア・ローマ文化を
水準を落とさずに維持していた」という
「ビザンツ先進国神話」が根強く残ってるな。
本当はそうじゃないんだろう?
なぜそう思ったか書けよ
432 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 08:24:11.80 0
>>430 とりあえず、アンナ・コムネナはコンスタンティノープルにやってきた十字軍の連中を、
野蛮な連中みたいな感じで書いてるね。当時のビザンツ帝国には西欧よりも自分たちのほうが、
進んでるという優越感があったんだろうね。教科書などでは古代ギリシャやローマの学問は、
イスラーム圏に伝わり保存され、それが西欧に伝わりルネサンスになったと良く言われるけど、
ビザンツ帝国もその保存に役立った。特に文学面の保存はビザンツ帝国の功績が大きい。
これらの点を考えるとビザンツ帝国のほうが西欧より先進的というのもそんなに間違いではないでしょ。
国民の半分以上が字を読み書きできて、ナイフとフォークで食事をし、お風呂にも入っている時点で、
同時期の西欧より洗練されていると思うけれど。
そういえば古代ローマ式の大浴場は姿を消してしまったけれど、市民達はどこで入浴したんだろう?
より小規模な銭湯が流行ったのか、自分の家に浴室があったのか。
434 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 09:23:33.66 0
>>433 神学論争もビザンツ帝国のほうがかなり広くで行なわれてたと言うしね。
基本的に先進的な社会だったことに異論はないね。
浴場については、自分の家で小さな風呂に入ってた程度なんじゃないかな。
ビザンツ帝国で小規模な銭湯があったという話はあまり聞かないし。
もしかしたら今のハマムみたいのが存在してた可能性も否めないけど。
ビザンツじゃなくローマと言え
436 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 09:36:10.03 0
>>435 まぁ、自称はあくまでローマだけど研究者ですら「ビザンツ」という呼称を使ってるからなぁ。
ビザンツ帝国の魅力はローマ帝国と大きく変わりながらもローマ帝国の体裁を守ろうとした点だしね。
個人的には、ユスティニアヌス1世の頃ぐらいまではぎりぎりローマ帝国と言えるけど、
ヘラクレイオス以降はビザンツ帝国と言わないと違和感がある感じ。
437 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:15:48.88 O
この板の書き込みでは「繁栄してたのは首都だけで、他のギリシャは停滞した
」みたいなのがよくあるが。
438 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:30:46.28 0
「ローマ帝国史」という本が出るとしたら西暦何年から何年まであつかうつもりだ?
紀元前から1453年までか?うん?
439 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 10:41:02.14 0
>>437 まぁビザンツ帝国は首都一極集中型だったからそういう意見は一理あるけど、
コンスタンティノープル以外にもそれなりに大きな都市はあったよ。
有名どころだとテッサロニキやアドリアノープルとかかな。
440 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 10:42:54.59 0
>>438 本にもよるんじゃないかな。普通は西ローマ帝国の滅亡辺りで筆を終わらせるだろうけど、
場合によってはコンスタンティノープル陥落まで一気に書く本もあるかも知れない。
441 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 10:52:29.92 0
国名は現代人が歴史をあつかうときに便利であるかどうかという一点で決められるべきで、
当時の人間がどう名のったかはその国名を決める際に考慮すべき一要素にすぎない。
ビザンツ帝国も含めてすべてローマ帝国という名前で呼ぶことに、何かメリットはあるのか?
あつかう時期が長すぎて何もメリットがないだろう。
それに比べれば、ビザンツ帝国という名前でそれ以前のローマ帝国と切り離して
あつかうほうが何かとやりやすい。
442 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 11:15:57.42 0
>>441 確かにローマ帝国でまとめると長すぎて研究するのも本を書くのも大変だ。
まぁ、ビザンツ帝国で分けても1000年近くあるから、扱う時期はどっちみち膨大な長さだけど。
それでも、古代と中世で分けることでそれなりに分かりやすくなることは確かだ。
普通に東ローマ帝国と呼べばいいでしょうに
444 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 14:23:14.97 0
>>443 東ローマ帝国ではなくビザンツ帝国という呼称を多くの人が使いたがるのは、
この国が純粋にローマ帝国の延長にないということを強調したいからだと思う。
すなわちギリシャ化したローマ帝国なんだということを言いたいんだろうね。
東ローマ帝国という呼称だとどこで区切るべきかはっきりするけど(アルカディウス以降)、
ビザンツ帝国という呼称だとどこで区切るべきか学者の間でも意見が分かれるのが問題だね。
まぁ、僕個人は井上浩一氏と同じでヘラクレイオスの治世で区切るのが好きなんだけど。
>>444 本来はローマ建国以来変化ない時期などないんだけどね。
極論すれば今のアメリカもローマの後継者と思っているフシがある以上ローマは続いていると言えるのかも。
446 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 14:35:11.72 0
>>445 確かにローマ建国以来常に変化してはいるんだけど、後世の西欧人が、
ネガティブな意味も込めてビザンツ帝国と古代ローマ帝国を分けてしまった。
そして、後に研究家たちがそこにポジティブな意味も付け加えたけど、
それでもビザンツ帝国の特異性を表すため、呼称自体は変えずに置いといた。
まぁ、僕自身はビザンツ帝国という呼称もそんなに悪くないと思うけどね。
コンスタンティノープルが陥落した後もオスマン帝国やロシア帝国が、
ビザンツ帝国の後継を名乗ったこともあるからね。そういう意味では確かに、
ローマ帝国は今でも滅んでないと言えなくもないのかも知れない。
447 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 14:36:46.92 0
ビザンツ帝国時代に「東の」ローマ帝国とするのはどうなの。
単にローマ帝国と呼ぶのが普通だったじゃないの?
当時の人間の呼称に従うなら東をつけるのもダメだと思う。
448 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 14:38:37.70 0
>>447 ビザンツ帝国のイデオロギーとしては西ローマ帝国が滅んだ時点で、
東西ローマ皇帝の称号をビザンツ皇帝が持ってることになるからね。
そういう意味では「東」すら付けてはいけないことになるのかな。
あくまで当時の人々の呼称に従うのならという前提だけど。
>>447 現代人が南宋と呼ぶからといって、正式な国号が南宋だったわけでない。それと同じだろう。
NHKで見ただけだが、バルカン半島のどこかの正教会の教会が堂々とビザンチンの国旗を飾ってビザンチンはまだ滅んでないって言ってたわ。精神面的な意味だったと思うが理由は忘れた。
451 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 17:00:16.10 0
>>449 東ローマ帝国もビザンツ帝国も当時の人の呼称じゃないじゃん。
ならどっちで呼ぼうが同じようなものだろ。
ビザンツ帝国でなく東ローマ帝国と呼ぶべきという根拠はどこにもとめられるのだ?
ローマってついてれば満足というわけでもあるまい。
いつからビザンツなのか定義が適当だからウザいんだよな。
東西分裂前、ビュザンティオンに遷都した時からビザンツ帝国とか、
定義がはっきりしてれば良いのに、何時の間にか
東ローマ帝国からビザンツ帝国に変わってるのが腹立つ。
453 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 17:47:07.47 0
ヘラクレイオスとか、スラブ人進入時とか。
そういえば、スラブ人追い出してから、
ギリシアの都市は「ポリス」でなく「カストロン」というものになって、
文化程度はひどく落ちたらしい。
454 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 17:48:49.74 0
>>450 へ〜。どこの国だろう?
まぁ、正教会はビザンツ帝国によって発展したと言っても過言ではないから、
彼らがビザンツ帝国に帰属意識を感じ、ビザンツ帝国は滅んでないと言うのも分からなくはないけど。
>>452 そうなんだよね。僕はビザンツ帝国という呼称のほうが好きなんだけど、
どこで区切るのかという定義が一定しないのがこの呼称の問題点だ。
東ローマ帝国という呼称ならば東西分裂時から始まるというふうに定義できるけど、
ビザンツ帝国という呼称だとそれがはっきりしない。あなたの言うように、
それより前のコンスタンティノープルに遷都した時からビザンツ帝国だという人もいれば、
それより後のヘラクレイオスの時代からビザンツ帝国だという人もいるからね。
まぁ、個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが気に入ってるんだけど、そこは人それぞれだ。
ビザンツ帝国史の概説書を見ても本によっていつの時代から記述が始まるかでバラつきがある。
455 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 17:51:47.15 0
文化的な影響があるから、と言う程度で後継国家になれるのなら
西欧も東欧もみんなエジプトの後継国家になるな。
456 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 17:53:46.68 0
>>453 井上浩一氏はスラヴ人の侵入でギリシャの都市が変化したことが、
その後のビザンツ帝国の性格を特徴づけたみたいなことを言ってるね。
今までのポリスを単位とした古代の個人主義的な都市社会から、
首都コンスタンティノープルの皇帝を中心とした一元的な社会に変わった。
457 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 17:57:54.19 0
ギリシアも帝国の「辺境」に位置づけられたわけだな。
458 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 18:15:16.30 0
>>457 そんなところだろうね。ビザンツ帝国は基本的に皇帝中心の国だった訳で、
ギリシャもあくまで皇帝の下に治められる一地方に過ぎなくなった。
都市ごとの自治が消えていって中央集権化が強まったと言えるね。
459 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 19:03:49.79 O
現在のギリシャの惨状のタネはこの時に播かれたわけか。
450だがちょっと気になって自分で調べてみたがアトス自治修道士共和国だったぽい。ここの国章はビザンチンのままで今でも自治が認められてるらしい。
アトス山?
462 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/24(土) 22:24:49.19 0
>>460 なるほど、アトス自治修道士共和国か。アトス山はビザンツ帝国中期から、
ギリシャ正教の修道士にとって欠かせない場所になってたからね。
今でも双頭の鷲を国章にしてるとは知らなかったなぁ。
ビザンツ帝国だとニケフォロス2世なんかが特にアトス山を支援してたね。
>>459 ペリクレスやらレオニダスやらの頃にすでに播かれていた気がする。
>>462 ビザンツじゃなくローマか東ローマといえ
個人的にはヘラクレイオスの前後で東ローマかビザンツを使い分けてる
ヘラクレイオスからは領土も減ったしギリシャ化したし
466 :
世界@名無史さん:2012/03/24(土) 23:34:35.50 O
>>466 労働意欲や責任転嫁などは古代のポリスからの伝統だろう。
ギリシャ市民ってのは特権階級で貴族階級で戦士階級だぞ。
現代の一般の国民とは全く異なる存在だ。援用できない。
469 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 01:44:32.24 0
古代ギリシアの高い文明は奴隷制によって支えられていたから、
奴隷制が崩壊したら、自然と高い文明も失われたのだろうか。
470 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/25(日) 09:03:22.06 0
>>464 そこら辺は個人の自由だと思うよ。専門の学者ですらビザンツ帝国という呼称を使ってるし。
個人的にはギリシャ化したローマ帝国というところが好きなのでビザンツ帝国と呼びたい。
>>465 僕も個人的にはヘラクレイオスの時代で区切るのが好き。彼の時代にイスラーム帝国が、
侵入し領土が大幅に減少したからね。この頃に公用語がギリシャ語に変わったそうだし。
また呼称問題か、何回繰り返すんだ
古代ローマですら王政時代とか共和政期とか元首政期とかいろいろ分別しているんだから
ただのローマじゃ長すぎてどの時代の話したいのかわからんだろ、2000年以上あるんだぞ
例)ローマ軍は徴兵された市民からなる歩兵の小集団主体だよな
1.いや密集陣形ファランクスだろ(ケルト襲来以前の王政・共和政ローマ)
2.徴兵じゃなくて志願兵だろ(マリウス以降)
3.そもそも歩兵主体じゃねーだろ(帝政後期以降)
4.ほとんど傭兵しかいねーよ(ビザンツ後期)
5.ローマ軍?そんなんいるなら余の首刎ねろよ(コンスタンティノス11世)
みたいになるだろ
472 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 11:51:03.56 O
ビザンツは当然のようにギリシアとローマを自身のルーツとして扱っているが、
正史ではギリシアはアレクサンドロス、ローマは帝政期しか扱わなかったらしい。
こういう考え方により、ギリシアは衰退したんだろう。
473 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 12:09:06.77 0
テマがあるのに中央集権で首都だけに一極集中、
というのがよくわからん。
474 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/25(日) 13:04:40.21 0
>>471 確かにローマ帝国はいつだって変化してる訳だからね。
ビザンツ帝国への変化もその1つと捉えられなくもないか。
ただ、西欧が西ローマ帝国の滅亡でローマ帝国の歴史を終わらせ、
それ以降のビザンツ帝国の歴史をネガティブな意味で捉えてたことが、
ビザンツ帝国を独自なものとして扱うようになった原因なんだろうね。
今ではもうビザンツ帝国へのマイナスイメージ払拭が盛んになってるけど、
それでもビザンツ帝国という呼称そのものはまだなくなってない。
>>472 ビザンツ帝国の想定するローマ帝国は皇帝による専制支配がされてる国であり、
共和制期はそういうビザンツ帝国のイデオロギーには適さなかったんだろうね。
だから、ビザンツ帝国では帝政期以前のローマ帝国は良く扱われなかったんだろう。
>>473 時代にもよるからね。7世紀頃だとビザンツ帝国はかなり危機に陥ってた時期で、
中央政府の力も衰えてた。だから、テマ制というものが成立したんだしね。
9世紀頃からビザンツ帝国の国力が回復するようになると、中央の官僚機構も整備され、
皇帝の専制支配が強まった。もっと後になるとテマ制を支えてた自立農民の力が弱まり、
貴族が登場するようになるから、皇帝の専制支配の形もまた変わることになるんだけどね。
専門の学者だからビザンツって呼ぶんだよ。「ビザンツ」は歴史用語。
>>471の言うとおり。
中華史だってそう。
「東晋は東晋なんて自称してないから晋と呼べ!」とか「蜀漢じゃねーよ、漢って呼べ」って
専門家がほざいてたら論文の一本も書けんだろ。
476 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/25(日) 13:29:01.49 0
>>475 確かに、専門家が歴史を書く上でビザンツ帝国という呼称を便宜的に使ってる訳だからね。
わざわざ当時の自称で呼ぶ必要性は全くないんだし。
477 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 17:32:36.69 O
分裂前か神聖ローマかよくわからんし
分裂前とは全然違うしビザンツの方がいい
さすがにローマと言われて神聖ローマを第一に思い浮かべる奴はそうそうおらんやろ
479 :
世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:10:57.52 0
もし西ヨーロッパも西ローマ帝国が存続するとかで、
首都ラヴェンナだけに全ての富が運ばれる中央集権国家になれば
ビザンツ程度の繁栄は出来たんじゃないの?
他のところは停滞する一方だろうが。
なんでコムネノス家は同じ東ローマのくせにラスカリスやパレオロゴスと仲良くしなかったんだ
>>473 テマができ、その中で大土地所有者が台頭して貴族になる。
↓
11世紀の危機からコムニノス朝成立に至る流れの中で大貴族達が帝都へ移住。
↓
自分達の領地を単なる属州、収奪の対象としかみなさなくなる一方で、その富を帝都で散財するから帝都はますます大きくなる。
ざっとこんな感じで根津先生が新刊の中で説明してた。
482 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/27(火) 12:42:42.91 0
>>481 その新刊、興味あるなぁ。コムネノス朝は貴族との連帯関係を保持することで、
ビザンツ帝国の国力維持を図ってたからね。それが首都への集中にも繋がったのか。
>>481 テマが成立してそれが細分化されていくまでの時期に帝国はテマの連合国家
みたいな様相だったのにもかかわらず、コンスタンティノープルが帝国の
中心としての求心力を保ったことに俺含め
>>473は疑問を持っているんじゃない?
テマを地盤にして反乱を起こした者達は外部勢力の支援を得つつも、
帝国から独立しようとせずに、あくまで皇帝を名乗り、帝国という枠組みから分離しようとしなかったし
484 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/27(火) 15:30:03.64 0
>>483 テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので、
初期は貴族が強い力を持ってなかった。だからこそ、皇帝に権力が集まり、
高度な官僚機構ができあがったんじゃないかな。10世紀頃には逆にテマから、
大土地所有者が現れ始め、貴族制ができてきたけど、今度は逆にこのことが、
貴族連合制による皇帝中心の新たなビザンツ帝国の体制を作ったんだと思う。
こういうふうに、ビザンツ帝国は形を変えながらも中央集権制を保ってきた。
それがコンスタンティノープルが求心力を保ち続けた理由だろうね。
皇帝の権力が強いからこそ、地方の反乱者も自分たちが皇帝になることを望んでた。
後は、イデオロギーの問題もあるかな。ビザンツ皇帝は地上における神の代理人とされてた。
ローマ帝国の頃の帝政イデオロギーにキリスト教的なイデオロギーが加わることで、
皇帝の専制政治をより強めることになったんだと思う。
>>484 >テマはもともと自立農民の成立を背景にできたものなので
ナニイッテンダ?
初期のテマの成立(or設置)の主因は対外的な危機と管轄地域の防衛のためでしょ
(小アジア西部のテマの名前がトラケシオイ、東部のがアルメニアコイなのは、軍団が移動して配置転換されたから)
それに、後期ローマの行政組織と違ってテマのストラテーゴスが軍民両権限を握っていた上に、軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
>皇帝に権力が集まり、
っていえないと思うけど
486 :
485:2012/03/27(火) 16:27:57.71 O
>>484 ナニイッテンダ?などと言ってごめんなさい確かにテマ制が機能するには自立農民の成立が背景にあったと考えられます
487 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/27(火) 16:32:16.57 0
>>485 ごめん、確かにちょっと言葉足らずだったね。テマの具体的な成立背景は諸説あるけど、
確かに基本はあなたの言うように、ビザンツ帝国が危機に陥ったからだ。
ただ、その時にテマ(より正確に言えば、テマの持ってた軍事力)を支えてたのは、
自立農民だったのでそのことを指して、テマは自立農民の成立を背景にできたと言ってしまった。
テマの成立が自立農民によるものと言ってるのではなく、テマを支えたのが自立農民という意味。
>軍事力を担っていたのは地元の自営農民層なのに
これから述べることは僕個人の推測もだいぶ入ってるので断言はできないけど、
自営農民が力を握ってたからこそ、貴族に権力が集まらなかったんだと思う。
そして、自立農民は個々人はそこまで大きな規模でもないので、
彼らだけでは帝国から独立するほどの力もなかったように思われる。
時代が下るにつれテマは細分化されていくので、その傾向はより強まった。
ビザンツ帝国では9世紀頃から徐々に国力を回復してく訳で、
貴族の力がこのような背景で弱まってたビザンツ帝国において国力を高めるには、
テマの支持を背景とした中央集権的な皇帝権力と官僚機構が重要だったんじゃないかな。
テマの台頭が貴族の力を弱くし、個々のテマを細分化することで中央に権力を集めやすくなった。
まぁ、後期にはビザンツ帝国でも貴族が台頭するから、事情もまた変わるんだけど。
他には、さっきも言ったけどビザンツ帝国の持つキリスト教的イデオロギーも一因かな。
488 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/27(火) 16:33:54.71 0
>>486 うん。まぁ、そういうこと。正直、テマの成立についてはビザンツ帝国の人ですら、
謎だと言ってるぐらいで、詳しいことは何も分かってないんだよね。
それだけ7世紀のビザンツ帝国は危機に陥ってたということなんだろうけど。
ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない
490 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/27(火) 23:51:57.62 0
>>489 マヌエル2世の有名な発言だね。前に現教皇のベネディクト16世がこれを引用し発言したことで、
ちょっとした問題になってた。まぁ、マヌエル2世の時代はオスマン帝国にかなり圧迫されてたから、
こういう発言したくなる気持ちは分かるね。バヤズィト1世は結構好戦的なスルタンだったし。
>>490 マヌエル2世というとポルトガル最後の王様を思い出す。
492 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 08:07:58.14 O
各テマを本拠地にしつつ、首都で交易や技術学術の交換を行えば良かったが、
ただの浪費や権力闘争の場としか見てなかったわけか。
493 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/28(水) 09:16:09.39 0
>>492 それだけビザンツ帝国の皇帝のイデオロギーが大きかったのかも知れない。
各地のテマを本拠地にするよりも、あくまでテマは帝国で出世するための足がかりに過ぎず、
中央でのし上がることのほうが多くの人にとっては魅力的に見えたのかな。
ビザンツ帝国では皇帝になるために反乱やクーデター起こしてる例がかなり多いし。
494 :
世界@名無史さん:2012/03/28(水) 10:11:56.00 O
ドイツの「イタリア政策」と近いのか?
中央志向なところは
この国は版図の変遷が激しいんだよなぁ
でかくなったと思ったら縮小したり最後はあんなに小さくなるし
トレビゾンド帝国の血はサファヴィー家につながっているから、サファヴィー家の末裔はトレビゾンド帝国皇帝の継承権も持っていることになるね。
497 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/28(水) 21:42:52.83 0
>>495 個人的には、その変化の激しさがビザンツ帝国の魅力なんだけどね。
何度か大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら1000年も生き延びてきた。
>>496 確かにそうだね。面白い観点だなぁ。サファヴィー朝の末裔って今も生き残ってるんだっけ?
まぁ、もし生き残ってたとしたらローマ皇帝の血統が今まで残ってることになるんだけど。
パレオロゴス家が残ってるのは有名だが
コムネノス家が残ってるのは興味深いね
499 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/28(水) 23:28:25.06 0
>>498 パレオロゴス家はコンスタンティノープル陥落前後にヨーロッパ各地に亡命したからね。
モレアス専制公のトマス・パレオロゴスなどが有名かな。コムネノス家もこんな感じで残ってるかもね。
>>497 ローマ皇帝の末裔って西のハプスブルク、ヴィッテルスバッハ、ナッソー(オラニエ)に東の継承者(ロマノフ、オスマン)もご健在ですよw
501 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/29(木) 00:06:54.39 0
>>500 う〜ん、そういうのじゃなくて、なんて言うかな・・・・・「正当な」と言うと語弊があるけど、
コムネノス家やパレオロゴス家みたいな、ビザンツ帝国時代の皇帝の血を引く存在という意味。
まぁ、誤解を招く言い方だったのなら、「コムネノス家の末裔」というふうに言い換えるよ。
502 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 01:00:27.84 0
「誰でも肯定になれる」制度だったから、皇位継承の争いがひどくなった、
とは聞く。
独特な継承方法だよな。
広い親族のなかから勝ちあがったものが継承する、みたいな。
503 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/29(木) 07:46:53.82 0
>>502 ビザンツ皇帝は建前だけでも市民と元老院と軍によって選ばれた皇帝というのを守ってたからね。
実際は皇帝による完全な専制政治でも、ローマ帝国としての建前だけは残しといた。
だから血は関係なく、市民たちの支持さえあれば誰でも皇帝になれるということだったんだろうね。
バシレイオス1世みたいに農民から皇帝にまで成り上がったような人までいるのがこの国の面白い点だ。
こういうシステムが、皇帝になるためのクーデターや反乱を多くしてる要因かな。
歴代ビザンツ皇帝には畳で死ねてない皇帝がかなり多くいる。
504 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 08:19:54.07 O
フランスやイングランドは王権が安定してたから発展できた。
wikipediaのコピペしかレスしない糞コテはいい加減消えてくれ
>>503 そりゃビザンツ帝国に畳はないだろw
>>504 イギリスの王など近代初頭までどう見ても安定しとらんが・・・
本当に安定したのはジョージ1世以降だろ。
507 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 11:04:58.02 O
イングランドは島国だから、大陸の戦争と距離を置けた。
508 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 11:18:47.34 0
バイキングに荒らされたあとはフランス領になってるし、
百年戦争のあとはバラ戦争、
名誉革命のあとは独立直後のオランダとやりあってる。
>>507はそこからあとの話だ
ビザンツはみんなが読み書きできたから発展できた。
ラテン人の蛮族共にはそれが文弱に映ったようだけれど。
510 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/29(木) 13:20:13.24 0
>>506 「畳の上で死ねてない」だね、正確には。まあ、分かってて言ってるんだと思うけど。
ビザンツ帝国ではクーデターや反乱で殺されてる皇帝が結構多いからね。
>>509 市民のレベルが高かったことは言えるだろうね。ビザンツ帝国では古代の文学が、
多く保存されたらしいけど、それを多くの人が読めるだけの下地があった。
511 :
世界@名無史さん:2012/03/29(木) 20:08:54.15 O
国民は一流でも、貴族は五流くらいか。
西欧は国民も貴族も二流くらいだったんだろう。
512 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/29(木) 20:16:16.78 0
>>511 ビザンツ帝国も後期にはだいぶ貴族が台頭してたけどね。コムネノス朝なんかは、
まさにそういう貴族との連帯関係によって成立した王朝だと言えるし。
513 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 00:58:03.65 O
西欧の貴族は中央志向が無く、
地元の開発に熱心だったのか?
そりゃまあ、封建制最盛期の中世貴族(諸侯・城主)は、自分の領土が
自己の権力に直結するから、独立・分権志向になるのは仕方ないわな
515 :
世界@名無史さん:2012/03/30(金) 19:51:06.76 0
ああああカール大帝の載冠を妨害して失敗させたい
バルバロイの分際でローマ帝国を名乗るのが許せない
ああああ何が西ローマ帝国の復興(核爆)だよ
歴史上で一番嫌いな出来事は第4回十字軍とこれだわ
516 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 21:23:00.64 0
>>515 まぁ、カール大帝が戴冠した頃のビザンツ帝国は、とてもじゃないけど戴冠を防げるだけの、
国力はなかったからね。文句言うのだけで精一杯だった。当時のビザンツ皇帝が女性だったことも、
彼の戴冠を正当化させる根拠になってしまった。エイレーネーはそれ以外にもあちこちで失政が目立ち、
人気のない皇帝だったしね。カール大帝の戴冠は西欧におけるビザンツ帝国の影響を弱めることになった。
まあビザンツも国力落ちてたしある程度は
仕方ないよね
末期のビザンツはとても悲しいんだよなぁ
マヌエル2世とかはフランスやイングランドまで長旅をしたけどかつてのような征服とは全く理由も違うし悲しい
昔のビザンツの人にもさ、
昔はもっと版図広かったのにどうして今はこうなったみたいなこと思ってる人はけっこういたの?
520 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 22:36:42.99 0
>>518 マヌエル2世がフランスやイングランドまでわざわざ行ったのは滅亡しないために、
援助を求めようとした結果だからね。ビザンツ帝国の凋落がうかがえる。
しかもイングランドもフランスもわざわざ遠くのオスマン帝国を敵に回す理由はないので、
結局マヌエル2世のこの旅は徒労に終わってしまった訳だし。
521 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/30(金) 22:42:53.86 0
>>519 そりゃ、いただろうね。マヌエル2世なんかはそんなこと思ってそうだ。
末期のビザンツ帝国では自分たちはローマ人であるという建前も薄くなり、
ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンなんかは、我々はギリシャ人だと主張してる。
522 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 00:10:34.76 0
クローヴィスはどうして皇帝を名乗らなかったんだろうな?
配下のローマ人達に選出させればよかったのに。
西ローマを守ろうとせずむしろ足を引っ張り、ローマ教皇と対立する一因を作った東ローマが言えたものではないな。西方を守る実力もないから教皇がカール大帝に頼る方が当然。
524 :
世界@名無史さん:2012/03/31(土) 12:19:58.67 O
自分と敵対するうえ役に立たないビザンツよりはフランクを選ぶだろうね
でもなんでフランク帝国にしなかったわけ
>>524 ローマ教皇も東ローマ帝国にドヤ顔決めたかったんだろう
もう俺達で勝手にやるって具合に
それに当時の「ローマ皇帝」が「キリスト教世界の守護者」を指していたから、教皇は自分らを護ってくれるフランクをローマ皇帝とすることができた
コンスタンティヌスの寄進状って知ってる?
何を言いたいのかは察するが、
その偽書もローマ教会が西方世界で独立しようとする一環だろ
一環てかある種の切り札か
でもローマ教会が東ローマから決別しようとして、あるいは権威付けでそれを作ったのは事実でしょ
Pってなんぞ
>>524 当時の世界(西欧から地中海沿岸一帯)の常識として、帝国とはすなわちローマ帝国のことだから
皇帝として戴冠した以上、当然統べる帝国はローマに他ならない、という理屈
シュタウフェン朝の皇帝たちが、懲りもせずイタリアで教皇党とガチンコしていた理由の一つもそれ
アンゲロス王朝はすごい
無能な皇帝ばかり輩出して
あれだけ短期間でビザンツをダメにするとは
>>531 マケドニア朝とコムニノス朝で名君のストックを使い尽くしたから、充電期間だったんだよ。
>>532 充電した割には、コンスタンティノープル奪回した辺りで力尽きたような
ラスカリスの二代で終わりじゃないか
この伸びはコムネノス朝二代の時のようなものか
>>533 あの頃になると今度は国力がなぁ……。
イラクリオスやアレクシオスの頃でさえ、それなりにお金と軍事力があったわけだし。
名君を戴くだけでなく、国民がスタハノフ、商人がロックフェラー、学者がアインシュタイン、兵士がシモヘイヘ、将軍がハンニバル、
エンターティナーがプレスリーくらいじゃないとなにもない状況で再び大国にのし上がるのは不可能。
>>533 充電期間ってイメージは無いな。
アンゲロス王朝になる前に敵を多く作りすぎた上に財政も厳しかったのは確かだが
国力が落ちた時に谷底に突き落としたダメ王朝としか思えない。
マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
538 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/08(日) 20:19:09.63 0
>>537 >マヌエル1世が堅実だったらとつくづく思う
マヌエル1世の時代のビザンツ帝国はちょうど国力が上り坂だったからね。
彼もある意味調子に乗ってたのかも知れない。コムネノス朝の前2代が、
ビザンツ帝国を再興したしね。まぁマヌエル1世も決して無能ではないんだけど。
どこぞの遊ぶだけの皇帝よりはマシなんだけどね
でもあれだけ敵作ったのは失敗
540 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/08(日) 21:53:58.72 0
>>539 確かにそうだね。それなりに軍事的成功もあるし、多方面に渡る外交政策を展開するなど、
色々と努力してる面は見られるんだけど、どうもそれが空回りになってる感じがしなくもない。
セルジューク朝、ヴェネツィア共和国、神聖ローマ帝国など、敵対国が少し多すぎる。
541 :
世界@名無史さん:2012/04/09(月) 02:00:41.03 0
落ち目の亡命政権なんかよりそれを食い物にするセルビア帝国や
カタルーニャ軍団・ナバラ軍団みたいなの冒険野郎どもの方がよっぽど面白い
コリントス地峡なんか借金の片か何かでイタリアの銀行家に取られてたしな
今のトレブゾンは国際都市になってるな。ぶっちゃけビザンツ時代より繁栄してるんじゃない?
観光だけじゃなくて、なんか産業あるんだっけ?
地の利によって港湾都市なのは昔と変わらんようやね
546 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/12(木) 23:35:18.57 0
>>543-545 トラブゾンは今も昔も黒海における交易地であり、港湾都市として発展してたね。
僕もこの都市にちょっとだけ寄ったことあるけど、それなりの規模の都市だった。
地理的にはカフカスのほうとも近いので、カフカスとの交流も結構盛んだったね。
トレビゾンド帝国はグルジアなんかとかなり深い関係にあったらしいし。
おつがいみせいねんなのにそういうところにいっているのはすごいな
436 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [] 投稿日:2011/01/31(月) 23:56:38 0
>>431 僕はタバコならチェリーを吸っているよ。戦時中は敵国語ということで「桜」に改名されている。
>>433 飲酒はトルコなどでは飲酒文化などがある。僕はトルコワインを輸入して飲んでいる。
ケマル・アタチュルクは国営の醸造所を作っているし彼自身はラクという蒸留酒の愛飲者。
オツガイ is god
コテとはいえ匿名だし、とくにリスクはないだろ
そもそも未成年のタバコや酒は違法でも、刑罰の上限は親の罰金(せいぜい1万)だけだし
ただ禁煙は早めに済ませるのを推奨する・・・・例えばヤニ嫌いな女を好きになったタイミングとかがいい
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに帝位争いしてやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
僕たち純真無垢なアンゲロスブラザーズ!
人目につかないように亡国してあげるよ!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ ?γγελο?
(・∀・ ) ( ・∀・) ?γγελο?
/ \ / \ ?γγελο?
⊂( ヽノ つ ⊂ヽ/ ) つ ?γγελο?
し(_) (_)J
551 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/14(土) 22:24:55.78 0
>>547 まぁ、トルコ旅行した時に少し寄っただけだけどね。そんなにじっくりいた訳ではない。
>>548-549 ていうか、それ僕のレスじゃなくて捏造だよ。僕は2ちゃんでそんなレスした覚えないし。
前にもそのコピペ貼り付けたやつにリンク先示してよと迫ったら、その後沈黙したから完全に捏造。
なんだ、粋なガキだなと見直したのに
1000なら俺以外ケソサソとSEX
きも
555 :
世界@名無史さん:2012/04/19(木) 16:48:15.90 O
マヌエル1世が2世だったら良かったのに
コムネノス朝の3代目がマヌエル2世だったらなあってこと?
はい
マヌエル2世も12世紀に生まれていたらどうなってたか分からないぞw
アンゲロスブラザーズも12世紀に生まれていたらどうなったかわからない
ミリオケファロン後でマヌエル1世が持ち直せなかったのは何故なのか
すぐ死んじゃった後に、典型的な内乱に突入したからなのか
561 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/22(日) 04:19:38.82 0
>>560 最近は、ミュリオケファロンの戦い自体はそこまで大きな影響のあるような敗北でなかったと。
言われてるよ。マヌエル1世の場合、その敗北よりもさまざまな勢力を敵に回しすぎたことが、
結果的には後の衰退の一因になったんだと思う。内政はそれなりだけど外交が微妙という感じ。
トレビゾンド帝国/東ローマ帝国にとって最終的な領土目標ってなんだったんだろう?
1)小アジア・バルカン(中世盛期領土)
2)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア(東西分裂当時の領土)
3)小アジア・バルカン・シリア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ全盛期の領土)
4)小アジア・バルカン・シリア・メソポタミア・エジプト・リビア・マグレブ・イタリア・ガリア・イベリア・ブリタニア(ローマ最大領土)
5)全世界
名目上は地上の全世界の支配者ってことにはなってるけど・・・。
>>560 ・マヌエル1世の気力の減退
→イタリア政策の破綻とミュリオケファロンの敗北は、マヌエル1世の気力を削ぎ、
以後に打った手も空回りしてばかりになってしまった
・アレクシオス1世の代から始まっていた地方貴族勢力の台頭
→中央政権の統制力弱体化が進み、アレクシオス3世の治世下で帝国は空中分解寸前
・マヌエル1世による度重なる外征と大規模工事の連発で財政の急速な悪化
→まだ破綻にまでは至っていないが、帝国の余力は確実に無くなっている
・周辺諸勢力の強化と国際環境の悪化
→バシレイオス2世の頃とは比較にならないくらい、周辺国家や民族の勢力が増大している
東西南北で帝国との軋轢が増す中、外交政策の舵取りが困難を極めることになる
1177年にバルバロッサ・教皇・ヴェネツィア・シチリアが手打ちをしたのが痛かった
・後継皇帝の質的劣化と度重なるクーデター騒動
→幼いアレクシオス2世には何もできず、アンゲロス・ブラザーズは言うに及ばず
アンドロニコスは、改革を急ぎ過ぎて国内外に敵を作り帝国をさらに窮地に…
代替わりする度にクーデター騒動が起こり、止まらない出血のような人材の摩耗と、
先代皇帝の政策成果がクーデターの度にリセットされてご破算
565 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 19:05:21.84 O
マヌエルが国力全部使ってしまった
パレオロゴス朝もできる人それなりに居るが内乱でおわり
>>565 あなたの言う国力が純粋なGDPや財政状況、あるいは軍事力を指すのならば、それはリーリエ氏が否定している。
ただ、歴代皇帝の軍事的成功で築いた威信でもっていたコムニノス朝としては、
マヌイル帝の敗戦はまさに痛手だね。勝ってりゃ、マケドニア朝の再現もあったと思う。
イコニオンを奪回すれば、セルジューク朝の勢力は大幅に後退せざるをえないし。
そもそもセルジューク朝と戦わず仲良くしてたらどうなっただろう
>>567 そもそもセルジューク朝にビザンツと仲良くする必要性がない
むしろイタリアに侵攻せずにセルジューク朝との戦いに力を入れていれば
西欧との関係もこじれなかった。
マヌエルには足元の小アジアを固めて欲しかった。
そもそもユスティニアヌスがイタリアに侵攻せずにササン朝との(ry
そもそもトライアヌスがダキアに侵攻せずにアルサケス朝との(ry
>>568 サンギー朝やダニシュメント朝、十字軍国家をビザンツが動かしていたから、そうとも言い切れない。
一度はコンスタンディヌポリスまでスルタンが自ら外交に行ったこともあるわけだし。
このあたりがマヌイル帝の絶頂期だったんだろうな。
そもそもアッバース朝のコンスタンティノープル遠征あたりを機会にビザンツがムスリムに改宗してれば
セルジューク朝と仲良くできてお互い東西に延びて幸せになれた
あ、アッバースじゃなくてウマイヤ朝時代だった。失敬
アッバース革命ならぬビザンツ革命が起きる予感♪
ウマイヤ朝はアラブ人だけ免税だし改宗したくならない
正統カリフなら
577 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/24(火) 00:07:13.86 0
>>566 ミュリオケファロンの戦い自体はそんなに大きな負けではなかったと最近は言われてるからね。
ただ、あなたの言うように外交的にはマヌエル1世の威信を大きく傷つけることになってしまったね。
彼はローマ帝国の皇帝としての権威を国際政治の舞台で利用することで、ビザンツ帝国の再興に、
努めてたから、ルーム・セルジューク朝への敗北はそういう意味では大きい。まぁ、それでも彼は、
外交的影響力を維持することを諦めなかったようだけど。そもそも、彼のこのような外交政策自体、
結果としてあまりにも多くの敵を作りすぎるものになってしまってるのであまり良いものではないね。
>>567 実際、マヌエル1世も初期はルーム・セルジューク朝と普通に友好関係を保ってたよ。
彼は基本的に西欧のほうに関心を大きく持ってたからね。それでも、やはり隣国なので、
次第に対立を深めることになっていき、とうとうミュリオケファロンの戦いで敗れてしまった。
パレオロゴス朝もアンドロニコス2世とか抜いたらそれなりにできる人はいるけど争いが多すぎてその度にセルビア、オスマンに付け込まれてしまったんだよね
最後の三人は時代が違えば活躍出来ていただろうに
もうあれじゃどうしようもない
>>578 フニャディが頑張ってくれれば、まだ目はあったのになあ
あ
581 :
世界@名無史さん:2012/04/29(日) 17:44:38.86 O
十字軍は帝国の寿命を縮めたと言われるが、十字軍が無かったらもっと早く滅亡していただろう。
十字軍がなかったら、
少なくともブルガリア・セルビアの台頭
エピルスの分離とそれに続くアルバニア人の独立
ボスニア・クロアチアをハンガリーに奪われる
などがもっと緩慢に進んだから、早くに滅亡というほどでもないような
if話は厳禁だけどなあ
厳禁ではあるけど、ラテン帝国が無かったら・・・とは思う
まあどちらにしろ生き残るためとはいえプロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で
東ローマの強みは消滅してたし遅かれ早かれ滅亡はしただろうけどね
むしろその場合はもっと情けない終わりかたしてたかもしれんからこれでよかったのかもとは思う
584 :
世界@名無史さん:2012/04/29(日) 23:43:35.07 O
初期の十字軍がルーム朝を叩いてパレスチナに領国を建てて防波堤になった所迄は帝国に有益だった。
585 :
世界@名無史さん:2012/04/30(月) 03:36:00.95 0
586 :
世界@名無史さん:2012/04/30(月) 10:26:34.47 O
何故西欧はギリシアより発展したのか。
587 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/30(月) 20:58:20.49 0
>>583 >プロノイア制に移行して地方分権が進んで皇帝権力が弱まった時点で
プロノイア制でもコムネノス朝みたいに上手く貴族との連合を保っておけば、
それなりの国力を維持することは可能だと思うけどね。同様に十字軍だって、
アレクシオス1世みたいに上手く利用すれば、必ずしもビザンツ帝国にとって、
悪いものにはならない。まぁ、ラテン帝国が滅亡を早めた面は否めないけど。
>>584 アレクシオス1世にとって十字軍は予想外の出来事であり快く思わなかっただろうけど、
結果的にはそれを上手く利用してビザンツ帝国に有益な存在にすることに成功したね。
まぁ、第4回十字軍の頃にもなると流石に有害な存在としか思えなかっただろうけどね。
第四回とかイェルサレムに行く気ないだろ
589 :
3代100年:2012/04/30(月) 22:14:11.31 O
>>587 有能な皇帝を輩出した
小胸乃巣の一族だからこそイスラム、現地十字軍、
西欧十字軍との駆引きを
有利に進められたと思う。
ラスカリス、パレオロゴスとはいったい
ifになっちゃうが、奇跡的に十字軍・ブルガリア・セルビア・セルジュークを
ねじ伏せることに成功しても、東からモンゴルさんがやって来る以上
そんなに明るい未来にならなさそうな気がするw
>>591 更にモンゴルをしのいでもティムールが襲ってくるw
593 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/02(水) 17:14:09.38 0
>>589 コムネノス朝は基本的に有能な皇帝が多かったからね。
特にアレクシオス1世やヨハネス2世は優秀だったから、
十字軍などとの駆け引きも上手くいったんだろうね。
>>590 パレオロゴス朝もそれなりに有能な皇帝はいたけどね。
マヌエル2世なんて生まれる時代が良かったら名君と言われてるし。
>>591-592 史実では、ビザンツ帝国にとってモンゴル帝国やティムール帝国よりも、
ブルガリア帝国やセルジューク朝なんかのほうが厄介だったろうけどね。
モンゴル帝国はミカエル8世のおかげでそれなりに上手く扱うことができてたし。
ティムール帝国なんて史実ではむしろビザンツ帝国にとって天佑みたいになってる。
オスマン帝国がアンカラの戦いで敗れたおかげでビザンツ帝国はわずかながら延命した。
50年だけ
パレオロゴス朝は有能無能以前に内乱多すぎ
596 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/02(水) 17:57:55.57 0
>>594 まぁ、確かにたった50年程度の延命だけどね。
アンカラの戦いでオスマン帝国は大ダメージを被り、しばらく混乱したけど
結局しばらくしたら国力を回復し、コンスタンティノープルを陥落させるにいたった。
マヌエル2世はアンカラの戦いで混乱に陥ったオスマン帝国のスルタン争いに介入し、
ビザンツ帝国を延命させることに成功したけど、これも結局はあまり長く続かなかった。
息子のヨハネス8世も同じことをやろうとしたけど逆にオスマン帝国の圧迫を強めてしまったし。
597 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/02(水) 18:05:35.20 0
>>595 内乱自体は他の王朝でも多かったけどね。確かにパレオロゴス朝はとりわけ多い。
祖父と孫の2人のアンドロニコスが争ったり、カンタクゼノス家のヨハネス6世が現れたりと、
とにかく内乱が多い。それがビザンツ帝国の国力を衰退させることになったと言えそうだ。
もっとも、パレオロゴス朝に限らずビザンツ帝国では皇帝を巡る争いはかなり多いんだけど。
皇帝気に食わなきゃぶっ殺して俺がなってやるー
ってのは古代ローマ帝国からの伝統だから仕方ないのかね
まあそれが滅んだ要因でもあるなら有る意味本望だろうw
599 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/02(水) 23:27:15.53 0
>>598 ある意味、実力さえあれば誰でもクーデターを起こして皇帝になれたという点では、
実力主義という見方もできなくはないのかも知れないね。しばしばビザンツ帝国では、
皇帝権力がかなり強かったと言われるけど、だからこそ皇帝の地位は不安定でもあった。
下手したらクーデターによって廃位される危険性を常にはらんでた訳だからね。
600 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 11:51:38.11 O
600ゲトー
規制
アンドロニコス
603 :
世界@名無史さん:2012/05/12(土) 19:02:18.26 O
バシレイオス二世が貯めた富をまともな目的に使ってほしかった
>>603 弟君が政府支出として市民に還元したじゃないか。
ケインズ政策だよ。
605 :
世界@名無史さん:2012/05/21(月) 19:09:36.54 O
ビザンツ帝国スレは滅亡しました
オスマンさんありがとう
ビザンツは永遠に不滅です!
ってことで、コンスタンティノープルを奪還した国が
正式なローマの継承国な。
オスマンから主権を奪ったケマルのトルコがローマ継承国…?
イスラム教徒はノーカウント。
カトリックも侵略者。
東方正教会のみ可。
じゃあ、スラヴ人かギリシア人か。
オスマンをぼこぼこにしたロシア帝国
ローマ帝国の後継者はギリシャだけ
今のギリシャは亡命帝国みたいなもの。コンスタンティノポリス奪回!
小アジアも奪還だ
613 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 22:53:13.58 0
日本は室町、江戸と地方分権が進んで発展したのに
なぜビザンツは衰退したの?
実はプロノイア時代は地方が進歩した時代だったとか?
614 :
世界@名無史さん:2012/05/22(火) 23:03:41.94 0
条件が違うからじゃないかな
周囲を海に囲まれて外部勢力との接触が少なく発展に時間をかけられた日本と、
文明と民族の十字路に居を構えて周辺勢力との軋轢に力を割かなければいけないビザンツ帝国では。
異民族の流入の有無が大きいな。
弥生時代以来、ほとんど流入のない日本や
中世初期には異民族の流入が止まった西欧は
例え弱体化する時代があってもいずれ立ち直る。
ところが、ビザンツのように疫病・戦乱で弱ってる時に
異民族に大量流入されると土地をそのまま乗っ取られてしまうんだ。
617 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 08:35:02.90 O
四方敵だらけだからな
トルコ人、セルビア人、ブルガリア人
619 :
世界@名無史さん:2012/05/23(水) 21:01:17.55 O
暗殺と陰謀に向けるエネルギーを別の所に使うべき。
620 :
世界@名無史さん:2012/05/24(木) 18:55:28.20 O
アンゲロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
621 :
世界@名無史さん:2012/05/25(金) 14:39:29.02 0
改めて地図を見ると、バルカン半島キツいな。
ルーマニア平原が黒海沿岸低地やカスピ海沿岸低地を通じて
中央ユーラシアの草原地帯と完全に繋がっとる。
遊牧民がコンニチハしてくるわ。
622 :
世界@名無史さん:2012/05/25(金) 15:38:04.71 O
アナスタシウス一世は追っ払たのに
623 :
世界@名無史さん:2012/05/25(金) 19:44:54.30 O
>>621 もともとギリシア人も中央アジアの蛮族だったが、
例外的・奇跡的に更正した。
>>622 むしろ毎年のように侵入されて首都の西に長城築くことになったりヴィタリアヌスに反乱起こされたりしたけどね
626 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 22:12:42.74 O
もうこのスレも駄目だな
誰もがそう思ったその時、カルタゴから英雄の名を持つ男が・・・
すっごぉ〜いッ!
何回も失策しながらも皇帝をやめないッ、イサキオスーッ!
なんという低脳 なんという浅知恵 まるで猿ですッ!
飛び出したのは…アレクシオス!
ぬけたァーッ、単独走ですッ!
華麗だ、相変わらず華麗な裏切りっぷりッ!
滅亡!
やったァー、コンスタンティノポリスを滅亡させましたァーッ!!
アレクシオス「やったなイサキオス、またまた僕らのコンビで勝負を決めたな!」
イサキオス「うん! アレクシオス、見事だったよ、君の謀反は!!」
アレクシオス「ありがとう! だがイサキオス、君の愚策あっての滅亡さ!!」
イサキオスはアレクシオス5世によって殺される予定!
かたやアレクシオスは依然として生き続け娘婿の足をひっぱり続けます!
この東ローマ帝国崩壊ももこの二人あっての快挙!
まさに我が国の汚点!! カリギュラより最悪です!!
>>628 それを見ていつも思うんだ。
どちらも1世の方はまともなのに、ってね。
こいつらは無能なくせにやる気あるから困る
しかし、このアンゲロス・ブラザーズは現代の欧州王室の大半にとってご先祖様なんだぜ
子孫からすれば、アンゲロス・ブラザーズよりアレクシオス1世やテオドロス1世の
末裔と呼ばれた方が気分はいいだろうがw
>>613 12世紀以降のビザンツは地方分権による経済損失をまかなう為に銀行制度の発達と
遠距離貿易を主眼に置くようになっていた。実際にビザンツの使節は東南アジアにまで
達しており、スマトラ島でもビザンツのコインが発見されている。
ただしこれらの政策は「王室がユダヤ教に改宗した」との噂の元ともなり、長期的には
貴族層の離反を招くことになった。
633 :
世界@名無史さん:2012/06/15(金) 21:38:19.30 0
バシレイオス2世は、ヨハネス1世ツィミスケスの路線を継いでファーティマ朝打倒を何故行わなかったのだろう?
ヨハネス1世の代でメソポタミア北部を占領。さらに翌年にはシリア・パレスチナへ遠征し、
ダマスカスなどのシリア諸都市やナザレなどのパレスチナ地方を占領、エルサレム郊外にまで兵を進めている。
ヨハネス1世は、アルメニア王アショット3世に対し
「全フェニキア、パレスチナ、シリアはサラセン人の軛から解放され、ローマ人の支配を認めた」と書き送っているぐらいだ。
この頃が東ローマの最盛期なので、エルサレムはもちろん、シナイ半島まで突き進んで一気にエジプト侵攻も出来たと思う。
約100年後の十字軍はそれをやっているわけだし、この時期にパレティナやエジプトまで占領しておけば、東ローマの最盛期
はもっと続いていたかもしれない。
634 :
世界@名無史さん:2012/06/15(金) 23:56:42.61 O
下手に政権を潰せば
イスラム原理主義のテロ
に苦しめられるからな。
帝都のすぐそばにブルガリアが健在であり、中東遠征どころではなかった。
636 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 08:08:32.55 0
>>634 それは今の話だろ?この時代にはハマス・ヒズボラ・アルカイダの様な
原理主義団体は無いぞ。暗殺者集団は居たかもしれないが…
>>635 バシレイオス2世が、つぶしてるだろブルガリア。
それに東ローマのメソポタミア北部・シリア・パレスチナへの遠征では
十字軍と違い住民の大量虐殺の話しが、あんまり無いな。
それに東ローマがこの時点でパレスチナ・シナイ半島・エジプトを押えておけば、
食料・香料・胡椒の供給地として活用出来るし、同じキリスト教国が占領してるので、
ローマ教皇や西欧諸国は、大義名分的に十字軍はやり難い、と思う。
ファーティマ朝自体が、アッバース朝とかに比べて神秘主義的狂信的であり、
現代の原理主義政権のルーツみたいな存在。
バシレイオス2世は長期戦の末1018年にようやくブルガリアを征服した。
それから間もなく1025年にバシレイオス2世は崩御した。
バシレイオス2世がバルカンを放棄、カッパドキアのカエサリアに遷都した
のならば、シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、
東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。
ユスティニアヌスのときみたいに領土はでかいけど国力ないよってなりたくなかったんだろ
639 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 15:57:28.79 0
なんかシリアってアッバース朝の頃からアンティオキアやアレッポなどの
重要な商業都市があって、東ローマと取ったり取られたりって感じがする。
シリアのアラウィー派もイスラム教というよりはキリスト教とイスラム教の
シンクレティズム(混合宗教)と言った感じで、シリアの住民は東ローマと
イスラム帝国双方に気配りした感じ。
バシレイオス2世の父親のロマノス2世が、バシレイオス1世のような勇敢さを
持ってもう少し長生きしていれば、彼の代でブルガリアを征服出来ていただろう。
そうなれば、バシレイオス2世も中東方面にもっと注力出来ていたに違いない。
東ローマが、エジプトを占領出来たらメチャクチャおいしいよ。大穀倉地帯だし、
この時期には珍しい蜂蜜が大量にあるし、塩も取れる。
>>636が言う香料・胡椒
だけじゃない。
エジプト産の小麦大麦や蜂蜜や香料は、西欧諸国に高く売れるから、ユスティニ
アヌスのイタリア半島再占領時みたいに無人地帯や荒地を占領するのとは全然
意味が違ってマジで金になる。
この時点で東ローマはイタリア半島南部を保持しているのでギリシャ人海運商が
直接ベネチィアやジェノバ、ラベンナにエジプト産品を売り込めるから東ローマ
の領土の拡大と言うよりも、もろにギリシャ人海運商の経済的利益になる。
弱体化したアッバース朝は、エジプトやパレスティナの奪回には動かないだろうし
イラン人政権のブワイフ朝も距離が有りすぎるので、直接の軍事衝突にはなり難い。
エジプト産品を陸運で中東に輸出しても金になる。シナイ半島からアラビア半島や
エチオピアや東部アフリカなどへ海運で輸出も出来ただろう。
東ローマが11世紀にエジプトやパレスティナを再占領出来たら、ローマ時代の様に
地中海貿易を席巻出来るかもしれないし、ヘラクレイオス帝以前の様に政府による
食糧配給も復活出来て「パンとサーカス」も提供出来る様になったかもw
640 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 16:19:25.80 0
>バシレイオス2世がバルカンを放棄
そうなるとバルカン半島は誰が制圧するの?セルビア人?ブルガール人?
>シリア・エジプトのみならず、アルメニア・イラクをも征服して、
>東ローマの本土であるアナトリアの守りはより強固となったかもしれない。
ズィアール朝やブワイフ朝、セルジューク朝あたりとパレスティナ、ヨルダン、イラクの取り合いになるな。
たしかにそうなるとセルジューク朝はアナトリアまで侵入するのが大変そうだ。
641 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 17:06:47.58 O
エジプト文明はギリシア文明の母体だから、
エジプトはヨーロッパの元祖と言えるな。
642 :
世界@名無史さん:2012/06/16(土) 21:18:55.66 0
>>639 蜂蜜は、古代ローマの頃から欧州でも量は少ないが生産している。
もっとも西欧域内だけでは生産が追い付かないので中東から蜂蜜を輸入は当然している。
エジプトは、紀元前3000年ごろから蜂蜜の産地で、中世でも作っており有力産地だが、独占的な生産者とまでは言えない。
むしろ当時のエジプトは、砂糖の独占的生産地であって西欧と中東双方に輸出販売して莫大な利益を上げていた。
インドと東南アジアが、古代からサトウキビから砂糖を作っていたが、これは希少品かつ
貴重品と言う事もあり、形状もシロップ状の糖蜜で、貴重品過ぎて医薬品扱いだった。
病人に滋養強壮薬として、使用されていたらしい。
そんなこんなで、とてもじゃないがインドや東南アジア産の砂糖や糖蜜は、
中東や西欧までには商品として流通して来ない。
当時の西欧ではサトウキビの栽培も不可能だし、技術水準でも、砂糖の製造が全然無理。
事実上、中世では砂糖をエジプトは独占して生産していたし、
その他にも当時としては貴重品である綿花の大生産地でもあった。
643 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 00:46:55.40 O
エジプトには異端が
多かったから揉める
のが嫌だったとか?
>>639 ロマノス2世が長生きしようがしまいが、軍を指揮するのはニケフォロス・フォカスと
ヨハネス・ツィミスケスらなのだから、対ブルガリア戦は史実通り長期戦となり、
彼の代ではブルガリアを完全に征服する事が出来なかったであろう。
>>640 あの当時バルカン半島を制圧するのは当然ブルガール人では?
後世のポーランドとリトワニア、カスチラとアラゴンのように、
東ローマとブルガリアが統合されるのが理想的であろう。
>>639 セルジューク朝がシリア・エジプトの奪回に動くと思われる。
アルプ・アルスラーンは当初、1071年に異端ファーティマ朝を
倒してエジプトを征服しようとしていたされる。
ロマノス4世のおかげでファーティマ朝はさらに100年生き延びた。
646 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 11:13:52.59 0
>>643 コプト教とギリシャ正教は、確かに仲が非常に悪い。
ヘラクレイオス帝のエジプト陥落時にはコプト教徒は、
侵攻前からイスラム側に通じていてエジプト侵攻を手助けしてる。
そういう意味では、東ローマによるエジプト奪回後は、イスラム教徒よりもコプト教
とギリシャ正教のトラブルがエジプトの治安維持の障害になりかねない。
だがギリシャ正教は、皇帝教皇主義なので皇帝の方針次第でコプト教徒とのトラブル回避の可能性も大きい。
>>644 自分の意志で前線にロマノス2世に出て来れば違うだろ。ロマノス2世がヤル気が無いから
ニケフォロス・フォカスとヨハネス・ツィミスケスが軍の指揮を取らざるを得ない面もある。
>>645 マラズギルト(マラーズギルド)の戦いだっけ?東ローマ軍の方が数が多かったのに…
この戦いに東ローマが負ける事で十字軍のもとになったし、東ローマ弱体化の第一歩にもなった。
しかも東ローマは、身内の裏切りで負けた。既に帝権が弱体化していたのかね?
史実ではセルジューク朝は、エジプトは占領していない(出来なかった?)が、シリアやパレスティナには侵攻してきた。
セルジューク朝が、バシレイオス2世の死後なので、東ローマとセルジューク朝の力関係がパラレルになっている感じ。
東ローマとしては、海軍の強化やギリシャの火やロケット砲などの重火器や西欧の傭兵をかき集めてシリア-パレスティナ間の
防衛線を固めるしかないだろう。
マラズギルト(マラーズギルド)の戦いの様にならない為に傭兵や士気の低い軍団や裏切りそうな奴は事前に野戦軍から外すべき。
ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、
マラズギルトの会戦前にアルプ・アルスラーンと講和しなかったらしい。
アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、新たな牧草地を
欲したトルコ遊牧民らと、イランからトルコ遊牧民を追い払いたかった
ニザーム・アル・ムルクらはアナトリア征服を望んだ。
くぁw背drfgtひゅjきおlp;:@」「
649 :
世界@名無史さん:2012/06/17(日) 14:54:49.05 0
>ロマノス4世ディオゲネスは、第二のアレクサンドロス大王とならんと、
>セルジューク朝の本拠地ホラサーンを目指しての遠征だったので、
一寸ピントがずれた目的意識だな。
ホラサーンなんて、ギリシャやアナトリアから場所は慣れすぎだし、第一補給が続かないだろ。
それよりもアルメニアやシリア、パレスチィナの防衛とエジプトの制圧の方が大事だと思う。
その方が金になるしね。晩年のバシレイオス2世の様にシチリア島征服を行うべきだろ。
それが成功すれば、イタリア半島への発言力も格段に強まるし、チェニジアの再征服も準備できる。
>アルプ・アルスラーン自身はエジプト征服を望んだが、
エジプトの方が、金になりそうだもん。
色んな珍しい物の大生産地だし、西欧やアフリカとも貿易出来るし。
>>646 マラズギルトの戦いでは東ローマ軍の方が数が多かったが、
東方の都市を攻略する為の城攻め部隊など、野戦では足手
まといとなってしまう者が多かったとされる。
セルジューク朝軍は、当初は遊牧民軍だけで東ローマ領へ侵攻、
一方アルプ・アルスラーンはマムルーク軍でエジプトへ向かったが、
遊牧民軍が東ローマ軍に敗退したので、アルプ・アルスラーンは
エジプト遠征を中止、マムルーク軍を主力とする精鋭で東ローマ軍
と対戦したされる。
エジプトって他地域の勢力圏(ヒクソス・ギリシャ・ローマ・アラブ・トルコ・フランス・イギリス)に入ってもある程度自律性を保っている。
それだけ経済力があるし、完全屈服させきれない地域なんだよ。
完全支配下に置くにはスーダンあたりでナイル川を紅海に流して全土を砂漠化させないとだめだろうな。
そうなると紅海西岸までサハラ砂漠となり、地中海沿岸以外は支配する価値がない地域になってしまう。
>>653 だから支配する価値のない地域にしないと完全征服できないのさ。
655 :
世界@名無史さん:2012/06/19(火) 17:19:46.27 0
>>634 イスラム圏は軍事とそれに伴う数学などだけ異様に発展していた。
キリスト教は平和を説いているので軍事力・技術では絶対にイスラムに勝てない。
ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの
でなくアラブやトルコの影響。
じゃあ十字軍の何処が平和か説明してもらおう
イスラムに散々酷いことしてあげくのはてには同じキリスト教徒まで
チンピラゴロツキ集団以外の何ものでもないね
>>655 >ビザンツの鼻削ぎ落としや目潰しなどの後継者つぶしもヨーロッパ固有のもの
>でなくアラブやトルコの影響。
それアラブやトルコよりむしろペルシア文化
>>657 ローマ教皇お墨付きのチンピラゴロツキ集団だな
異端と異教徒が全滅すれば真の信仰とキリストの御名のもと平和になるよ
すぐに神学論争やお家騒動で分裂、外部勢力を呼び込んでまた危機に陥るよ
ビザンチン外交を繰り返して全世界の宗教がオーソドックスで統一されても正教化したトルコやベネチアが襲ってくるだけな気がする。
まあトルコが正教だったらセルジューク朝支配下のバグダードのカリフ程度には
コンスタンティノープルの皇帝も残してくれるかもね
トルコが正教なら単純にセルジューク朝東ローマ帝国が爆誕するだけじゃないの?
頭すげかわって。
アナトリアはトルコ・イスラム化せず、トルコ人らもゴート族やフン族、
ペチェネッグ人、ワリヤーグらと同じくギリシャ・ビザンツ化しただろうね。
>>664 >>665 トルコ人の気質から行ってレバント制圧した時点でコプト派が旧教に救援求めて正教対旧教の十字軍が発生する気がする。
正教徒の血で埋まるエルサレムとか報復で旧教徒の血で染まるローマとかありそう。
オスマンスレ荒してんの気様らだろ?いい加減にしろよ。
学部生や院生揃いのくせしてオツガイがいないとifネタ程度しか
できないバカどもが。
ついこの前までこっちも似たようなキリスト教厨の被害にあってますが、何か?
タコ殴りされたら消えたけど。
>>667 まぁ、落ち着け。
俺もそっちをROMってるだけだが、被害者であることには変わらん。
しばらく放置してみたらどうだ。あの手のキチガイはただのレス厨だから一番恐れているのは反論されるこ
とじゃなく徹底的に無視されることだ。
670 :
667:2012/07/06(金) 09:29:49.17 0
そうか・・・。本当に申し訳ない。
考えてみたらまともな世界史板住民は全員被害者なんだよな。
いがみ合うより助け合わなくちゃあな。
それじゃあしばらく消えることにするよ・・・。
折角のこのスレタイだし、
第四回十字軍以降のニケーア、トレビゾンド、エピロスの時代を
扱った日本語もしくは英語で読める分かりやすい書籍って無いかな
スレタイといえば、「ルーマニアと東ローマ」みたいな厨臭い題名のスレが2スレ目になってんのが
結構むかつくんだけどw
ここをビザンツ本スレにすればいい。
大体トレビゾンドなんて三国志の位置的に例えれば三国の一角なんだろうけど、日本での知名度だと
五斗米道みたいなもんだし。単独ネタだと過疎は必然。
五斗米道は酷いww 栄光のビザンツ血脈が貧民どもの集団に例えられるとは!
まぁ知名度って点ではそんなもんかもしれんけどさ・・・てかむしろ劣るよな絶対w
相変わらず自虐ネタで盛り上がってるなw
で、その五斗米道だが、陳舜臣の秘本三国志は五斗米道視点だ。
それに対しトレビゾンドは塩婆の本でも名前だけ(だったと思う)。
光栄のゲームでも三国志シリーズでは張魯は初期バージョンから選択可能な君主。
蒼き狼ではWになって初めてビザンツ、ラテン、二ケーアが揃って登場するがトレビゾンドはスルー。
どう見ても
五斗米道>>>>>(越えられない壁)>>>>>トレビゾンドじゃねーかwwww
歴史地図帳を見て「この小さな小さな帝国は何なんだろう、どういう存在なんだ」
それがトレビゾンド帝国との出会いでした
ビザンツ末期にはコンスタンティノープルからトラブゾンやミストラへ人材流出してたようだな
ビザンツ帝国と愉快な仲間たち
アンゲロス兄弟の末裔が現代にまで続いてるってマジなの?
マジ。時々話題に上る母系直系のギリシャ王妃オリガの場合は、以下の系統をたどる。
前がアレクシオス3世とエウフロシュネーの母系子孫(娘・孫娘・ひ孫娘…)で、後ろがその結婚相手
エウフロシュネー・ドゥーカイナ・カマテラ(ビザンツ皇后)×アレクシオス3世(ビザンツ皇帝):初代
↓
アンナ・アンゲリナ(ニカイア帝国皇后)×テオドロス1世(ニカイア皇帝):二代目
↓
マリア・ラスカリナ(ハンガリー王妃)×ベーラ4世(ハンガリー王):三代目
↓
ヨレンタ(ヴィエルコポルスカ公妃)×ボレスワフ・ポボジュヌィ(ヴィエルコポルスカ公):四代目
↓
エルジュビェタ・ボレスワヴヴナ(レグニツァ・ヴロツワフ公妃)×ヘンリク5世(レグニツァ・ヴロツワフ公):五代目
↓
エウフェミア(ケルンテン公妃)×オットー3世(ケルンテン公):六代目
↓
エリーザベト(シチリア王妃)×ピエトロ2世(シチリア王):七代目
↓
ベアトリーチェ(ライン宮中伯(ファルツ選帝侯)妃)×ループレヒト2世(ライン宮中伯(ファルツ選帝侯)):八代目
↓ →ドイツ王ループレヒトの両親
アンナ(ベルク公妃)×ヴィルヘルム2世(初代ベルク公):九代目
↓次レスに続く
↓前レス続き
マルガレーテ(ブラウンシュヴァイク・ゲッティンゲン公妃)×オットー1世(ブラウンシュヴァイク・ゲッティンゲン公):十代目
↓
エリーザベト(ブラウンシュヴァイク・グルベンハーゲン公妃)×エーリヒ(ブラウンシュヴァイク・グルベンハーゲン公):11代目
↓
アンナ(バイエルン・ミュンヘン公妃)×アルブレヒト3世(バイエルン・ミュンヘン公):12代目
↓
エリーザベト(ザクセン公妃)×エルンスト(ザクセン公):13代目
↓
クリスティーナ(デンマーク王妃)×ハンス(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー王):14代目
↓ →息子に「ストックホルムの血浴」事件で有名なデンマーク王クリスチャン2世
エリーザベト(ブランデンブルク選帝侯妃)×ヨアヒム1世ネストル(ブランデンブルク選帝侯):15代目
↓ →プロイセン王・ドイツ皇帝へと続くホーエンツォレルン朝へ
マルガレーテ(アンハルト=ツェルプスト侯妃)×ヨハン4世(アンハルト=ツェルプスト侯):16代目
↓ →ロシア女帝エカテリーナ2世の先祖
マリー(バルビー・ミューリンゲン伯妃)×アルブレヒト10世(バルビー・ミューリンゲン伯):17代目
↓
マリー(エアバッハ伯妃)×ゲオルグ3世(エアバッハ伯):18代目
↓
ルイーゼ・ユリアーネ(ザイン・ヴィトゲンシュタイン伯妃)×エルンスト(ザイン・ヴィトゲンシュタイン伯):19代目
↓次レスに続く
↓前レス続き
ヨハネッタ(ザクセン・アイゼナハ公妃)×ヨハン・ゲオルグ1世(ザクセン・アイゼナハ公):20代目
↓
エレオノーレ(ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯妃)×ヨハン・フリードリヒ(ブランデンブルク・アンスバッハ辺境伯):21代目
↓
カロリーネ(イギリス王妃 英名:キャロライン)×ジョージ2世(イギリス王):22代目
↓
アン(オラニエ公妃)×ウィレム4世(オラニエ公):23代目→現代のオランダ王室へと続く
↓
ウィルヘルミナ・カロリーネ(ナッサウ・ヴァイルブルク侯妃)×カール・クリスティアン(ナッサウ・ヴァイルブルク侯):24代目
↓
ヘンリエッテ(ヴュルテンベルク公妃)×ルートヴィヒ(ヴュルテンベルク公):25代目
↓
アマーリエ(ザクセン・アルテンブルク公妃)×ヨーゼフ(ザクセン・アルテンブルク公):26代目
↓
アレクサンドラ・フリーデリケ・ヘンリエッテ(ロシア大公妃 露名:アレクサンドラ・イオシフォヴナ)
×コンスタンチン・ニコラエヴィチ(ロシア大公):27代目→コンスタンチンはロシア皇帝ニコライ1世の次男
↓
オリガ・コンスタンチノヴナ(ギリシャ王妃 希名:オルガ)×ゲオルギオス1世(ギリシャ王):28代目
と、まあこんな感じで続く。
オリガの子孫には、孫にエディンバラ公フィリップ(英女王エリザベス2世の王配)や、ラスプーチン殺害の実行犯ドミトリー大公ら
ひ孫にスペイン王妃ソフィアらがいる。
つまり、英皇太子チャールズとその二人の王子は、アンゲロス弟の子孫(エリザベス2世やダイアナが托卵でもしない限り)ということになる。
皇后エウフロシュネーが托卵してたら元も子もないがなw
兄貴のイサキオス2世の子孫は娘エイレーネと、ドイツ王フィリップの娘たちから欧州各地に拡散。
一例をあげれば、二人の三女マリアがブラバント公(ルーヴァン家)に嫁ぎ、公家の息女は方々に嫁いでいる。
神聖ローマ皇帝カール4世(ルクセンブルク家)も実は子孫だったりする。
ルーヴァン家男系は絶えたが女系でブルゴーニュ公家につながり、
ブルゴーニュ公家の最後の女性相続人マリーが「中世最後の騎士」マクシミリアン1世と結婚。
これでハプスブルク家につながっちゃう。後はもう、わかるな?
オーストリア公レオポルト6世(獅子心王リチャードを逮捕した同名5世の次男)に嫁いだ
テオドラ・アンゲリナの子孫も方々にいるけど、彼女の場合出自に諸説あって今一よくわからん。
資料によってイサキオス2世の娘だったり、姪(父=アレクシオス3世ではない)だったり、孫(アレクシオス3世の孫説もある)だったり。
すげぇな、長々と大変書くのもだっただろう
横からだがありがとう、面白かった
ビザンツ皇帝の末裔と言えば聞こえは良いが、アレクシオス3世の末裔です!なんて自慢にもならんなw
歴史地図帳を見て「この小さな小さな帝国は何なんだろう、どういう存在なんだ」
それが大韓帝国との出会いでした
そっちかよw
>>685 アレクシオス1世やテオドロス、ベーラ3世の末裔だと考えれば自慢になる
アレクシオス3世、アンドラーシュ2世、「強盗騎士」ルノー・ド・シャティヨンの末裔というと目も当てられないがなw
なんか天国板に3つもビザンツスレがあるんですけど…
どうして皆大ローマ帝国は好きなくせに分裂してその後どうなったか気にならないんだ
1453年に滅亡したって分かるだけでいいのかよ
>>690 1453年は僭主が倒され、聖なる都がペルシア人に蹂躙されたに過ぎない。
正統な皇帝家門である大コムニノス家が一時的に宮廷を遷しているトラペズスがペルシア人の手に渡された1462年こそがローマ帝国の終焉である。
ああ、だから1204年で滅亡扱いにする人も居るのか。
アンゲロスゥ…
693 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 23:13:41.63 0
コムネノス信者きもい
アンゲロス朝があれだったせいかコムネノス朝が相対的によく映るってのはあるな
たしかに名君親子がいたんだけども
695 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/29(日) 11:46:06.09 0
>>694 コムネノス朝の皇帝だと、アレクシオス1世とヨハネス2世はまぁ基本的に名君であり、
マヌエル2世は評価が分かれ、アレクシオス2世は幼君で実権なかったので論外、
アンドロニコス1世は改革意欲はあったものの失敗してしまった暗君といったところかな。
まぁ少なくとも、ビザンツ帝国を再興させた王朝というのが一般的な評価だろうね。
696 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/29(日) 11:47:05.00 0
間違えた。
×マヌエル2世
○マヌエル1世
マヌエル1世は東のルーム・セルジューク朝に集中すべきだった
小アジア領取られたままだし
698 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/29(日) 14:14:06.85 0
>>697 まぁ、上でも何度か言われてるけどマヌエル1世は西欧志向が強かったからね。
そのせいで西方に敵を作りすぎてしまったし、そのうえルーム・セルジューク朝にも敗れてしまった。
よくもまあ誰もレス返さないのにコテまでつけてレスし続けられるわ
どれだけ自分がしょうもないと思われているのか気づかないんだろうか
なにお前、初顔か?
この栄光のビザンツスレでお前のことを惨めな奴と思っていない住人は一人もいないんだけど。
よっぽどコテ嫌いなんだな(´・ω・`)
みんなあえて触らないようにしてるんだから
ニキフォロス二世にはサマルカンド、テーベ、キエフ、ローマ辺りまで突っ走って欲しかった。
そこまで欲張ると元祖マヌエル1世みたいな感じにならないのかな
エジプト取って欲しかった
蜂蜜
706 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/31(火) 21:51:48.92 0
>>703 良く、バシレイオス2世はその気になればローマくらいまで征服するだけの余裕があったと言われるけど、
ニケフォロス2世にもはたしてそれくらいの余裕はあったんだろうか。
国内で反感を買ってたとは言え、軍事面では優秀だったからね。
まぁでも、
>>704も言うようにあまり欲張って、マヌエル1世みたいに敵を作りすぎるのも考えものではあるけどね。
実際、ニケフォロス2世も神聖ローマ帝国との関係を悪化させちゃってるし。
ブルガリアに対抗するためにキエフ・ルーシの協力を仰いだことも微妙にマイナスポイントではあるかな。
今のトラブゾンが普通の街になっている件。
. 、___________
、> .|
>________ .|
 ̄ .|./_ _\ | | ____________
| / ヽ/ ヽ | | /
. | | ・ | ・ | V⌒i | コムネノス家のくせに
_ |.\ 人__ノ 6 | <
\ ̄ ○ / | なまいきだぞ
. \ 厂 \
/ _____/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄, -/へ/\/`- 、
/./ ./o i. \
709 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/31(火) 22:27:29.72 0
>>707 トラブゾンは前にほんのちょっと寄ったけど、それなりの規模の街だったよ。
まぁ、大都会というほどでもないけど、ちょっとした地方都市という感じだった。
今でもトルコ共和国の黒海沿岸の中心都市としてそれなりに栄えてはいるみたい。
710 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 01:06:25.89 0
同じく70歳以上まで長生きした皇帝として、
ミカエル8世の次がアンドロニコス2世でなくマヌエル2世だったらと
思わざるを得ない
カンタクゼノスをヨハネス5世の摂政にしてなおかつアンドロニコス2世じゃなくて3世とかマヌエル2世とかなら
712 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/01(水) 08:03:46.17 0
>>710-711 この頃のパレオロゴス朝は結構混乱してたからね。
マヌエル2世に至るまでのほぼ全ての皇帝が、帝位を巡る内乱やクーデターなどを経験してる。
マヌエル2世は違う時代に生まれていれば名君だったと良く言われるしね。
713 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 21:35:47.70 0
パレオロゴス朝が始まった時点で大幅なリニューアルをするべきだった、ということか。
手始めに、国名を「ヘラス帝国」にし、首都をギリシア本土に移す、とか?
トルコ共和国もいつかは崩壊してトラブゾン共和国とかがしばらく残存する事になるのだろうか?
715 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 22:24:58.41 0
>>713 意味のない「ローマ」にこだわり続けたのは良くなかったね
716 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/01(水) 22:27:06.20 0
>>713 実際、パレオロゴス朝も後半になるとプレトンのようにギリシャ人としてのアイデンティティを抱く人も現れたからね。
もしそういうのがもうちょっと早く起こってたら、史実もだいぶ変わったかも知れない。
まぁ、だからといってそれがビザンツ帝国の延命に繋がるかと言われたら微妙だと思うけど。所詮はIF話だしね。
ローマなんて8世紀中期以降永遠に失ってるしたいして帝国にとっては重要じゃなかったらしいし
718 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 00:49:29.74 O
「国民国家」への再編か
719 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 15:07:41.02 O
ニカイア帝国って首都にも近いし、保守的で
ビザンツ帝国の全面リニューアルなんて無理だったのかもしれんな
チャンスを生かせず結果的にオスマンに滅ぼされた
オスマンに征服されたことで、バルカンはもちろん
中東も長い目で見れば退化したかもしれない
>>719 オスマン、サファヴィー、ムガル、清は図体をでかくすることは長けていたが、社会を進歩させるには向いていなかった。
古代帝国を軍事力を使って中世末期〜近代初頭に復興させただけとも言える。
ある程度の人口と食料生産力があれば国土の面積より工業力がモノを言うことに気づけなかったのは不幸だった。
721 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 21:15:49.70 O
現代のギリシャの姿がビザンツとオスマンの後進性の証明
722 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/02(木) 21:42:02.59 0
>>719 なるほど、ニカイア帝国は少し保守的だった可能性もあるのかな。
でも、ミカエル8世なんかは東西教会の合同を持ちかけたりして今までと変えようとしてた部分もあったと思う。
723 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 00:32:27.48 O
>>720 清は満州だけ、オスマンはアナトリアだけ、
サファビーはイランだけでいいわな
724 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 01:03:33.68 O
そういや神聖ローマ側でも16世紀になってもまだキリスト教世界帝国がどうのこうの言ってたな
>>723 清は当時寒冷期だったから、満州人は中国本土へ移住せざるえなかった。
金は北宋の挑発に乗らずに満州だけならば、兵力も集中出来たはずだから
モンゴルも防げて発展したかもしれない。
>>722 ニカイア帝国はコンスタンティノープルを奪回せず、
アナトリアを死守すべきだったのでは?
コンスタンティノープルとテッサロニキは、
ブルガリア領となった方が安定したと思う。
727 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 07:51:03.02 O
>>724 ナポレオン帝国も時代錯誤
だから滅びた
728 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/03(金) 07:54:25.63 0
>>726 ニカイア帝国でなくブルガリア辺りがコンスタンティノープルを奪回してればよかったっていうことか。
まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとしてのプライドが許さないような気もしなくないけど。
西方ではなくアナトリアのほうの防衛に力を入れてれば、後のオスマン帝国の台頭も防げただろうか。
729 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/03(金) 07:55:24.46 0
訂正。
×まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとしてのプライドが許さないような気もしなくないけど。
○まぁ、それはビザンツ帝国の人々のとプライドが許さないような気もしなくないけど。
>>727 革命フランスは、ベルギーとラインラントを併合してライン河国境をせっかく達成したのに、
余計な領土拡大の末にまた革命以前の領土に戻ってしまい、勿体無かったよね。
731 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 10:07:52.97 O
>>720 国民国家の民族主義というのは
(ビザンツではパライオロゴス期のギリシャ主義)、
外ではなく内側にエネルギーを発散させるということで
工業化とかと相性良かったんかな?
コンパクトで均一な方が近代化がしやすいのは確かと思う
日本や朝鮮みたいなもともと国民国家みたいだった国では
なかなかその新しさがわかりにくいとも思うが。
732 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 12:38:13.15 O
第四回十字軍の時点では既に多くの分野で
西ヨーロッパ>>ビザンツ
なのかもな
733 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 12:45:11.64 O
>>725 ヌルハチの時代は、統一されたら南下は必然だったか
モレアスの話を聞くと、どうしてもそういう夢を託したくなってしまうな
首都はモネンバシアかミストラスか
735 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 23:32:19.65 0
トルコ人とギリシャ人って見分けつくの?
すごいよく似てるんだけど
>>735 モンゴル顔の人はトルコ人の可能性が高い。
他は顔では区別付かんな。
>>723 >>731 ローマの分割統治の際、イタリア半島やアナトリア半島、イベリア半島、シチリアなどより国民国家向けのサイズで分割統治しておけばローマ帝国の名前は残ったと思われる。
今のトルコが事実上アナトリア国になっているのもそれが一番まとまりがつくからだろう
(ギリシャ、アルメニア、クルドの諸民族には迷惑だったが)。
アウグストゥスとカエサルのバーゲンセールだな
14世紀にはヨハネス5世、ヨハネス6世、マタイオス・カンタクゼノス、
セルビアのステファン・ドゥシャン、ブルガリア皇帝を合わせて
バルカン半島に皇帝を称する者が同時に5人もいたことがあったw
740 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/08/04(土) 19:45:58.12 0
>>735 希土戦争後の住民交換の時は信じてる宗教でギリシャ人かトルコ人かを判断したというぐらいだから、
多分本人たちのあいだでもそこらへんの区別はつきにくいんじゃないかな。
>>736 トルコに行ったけど、モンゴル顔のトルコ人なんて全然見なかったよ。
まぁ探せばいなくはないだろうけど、はっきり言ってほとんどはギリシャ人と似たような顔してる。
>>739 その上、アナトリア半島のほうに行けば、スレタイにもなってるトレビゾンド帝国の皇帝もいたから、
ビザンツ帝国末期の東地中海世界には6人も皇帝が乱立してことになる訳だ。
あと260頑張ってビザンツスレをとりかえそう
なんか、ビザンツ関連の新しい本とか無いの?
話題が無いとDAT落ちまであるで。
個人的にはマケドニア朝あたりを詳しく読みたいわ。
素人考えかもしれんが、マケドニア朝が強かったのは
農民出身&アルメニア人で少なからずリニューアルが行われたからかもしれん
>>743 素人考えかもしれないが、大正帝の息子たちが強かったのは
嫁が農民出身で少なからずリニューアルが行われたかもしれん
745 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 13:36:42.22 O
>>726 アナトリアの国家とギリシアの国家に別れれば良かったかもよ
いずれにしてもコンスタンティノポリスは首都にしてはいかん
難攻不落という点で世界史上コンスタンティノポリスで勝てる都市はあるのか?
747 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 17:38:22.98 0
>>743 イサウリア朝のレオV、コンスタンティノスX父子あたりから
皇帝がボンクラな時期を除けば強大化し続けてる
>>746 1000年にわたって内乱以外で陥落したのが3回だけか
宿敵ヴァネツィアもほとんど陥落したことないよなあ
というより、そもそも1000年以上破壊されずに済んだ都市を探すほうが大変な気がするが
>>746 オスマン帝国時代は一切陥落していないね。
第一次世界大戦直後にイギリス軍が占領しているが。
>>745 モネンヴァシアは兵糧攻めや交渉以外では絶対落とせない都市だったそうだ。
トルコ軍も正攻法での征服はあきらめている。
751 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 18:16:20.54 O
単純に軍事的不落の地であればいいという話ではないのでは
黒海を掌握する経済的要路かつ軍事的に難攻不落の地
という絶妙な条件が重なったのがコンスタンティノープルの希少なところだと思うんだけど
承知の上で話を進めているのであれば申し訳ない
753 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 14:07:23.87 O
ユスティニアヌスって本当にバカだな
ヨーロッパ全域を数百年後退させた
余のおかげで東ローマの強固なるアイデンティティが確立されたのだゾ!
西ローマのことは知らんけんね、ちょっと懐古にひたっただけじゃけ。
近くで起こってるスラヴ人のバルカン侵入を無視しといて、遥か遠方のヒスパニアを攻撃させてるんだもんな
この人大帝の器じゃねえ、ヘラクレイオスの方が好感もてる
756 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 15:04:54.78 O
バカなんだが、「有能」でやる気はメチャクチャあるんだろうな
余計にタチが悪い
部下にむちゃくちゃ出来る奴がたくさんいたからね
758 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 18:36:33.66 0
現代ギリシャ人と南イタリア人だったら、ギリシャ人のが色白碧眼顔立ちも面長狭鼻と典型的な白人顔。
なんで?
ギリシャ人「そら、南イタリアなんてイスラム土人の血が入ってますしw」
南イタリア人「そら、ギリシャなんてスラブ土人の血が入ってますしw」
760 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 21:53:39.18 O
>>755 ユスティニアヌスが軍を遠くにやっているスキをついて
スラブ人が来たんだと最近まで思ってましたよ
アナトリアやトラキアが取られたのにコンスタンティノポリスに意味があるのかな?
>>754 古代の焼き直しで、アイデンティティのクソもない
ヘラクレイオス以降なら「東」ローマとしてのアイデンティティはあるかもしれんが
764 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 16:55:22.28 0
>>763 井上先生的には、一度現実にローマを奪還したからこそ
東「ローマ」としてのアイデンティティを持てた、ということになるが。
もちろん国力的に過大な負担で、長続きするはずがなかったことは
当然の前提としてだが。
「しかし、無形の大きな財産を残した」と仰ってるね。
765 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:44:11.10 O
766 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 22:36:58.81 0
>>742 塩野七生
「私のローマ人の手紙最終巻読みなさいよ
ユスティニアヌス1世の事業書いてるわ
え?それ以降なんて凡庸な皇帝たちがどんどん領土を狭めていっただけの弱小国でしょ?」
ユスティニアノス2世とかいう海に沈められたやつ
768 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 04:12:15.41 0
厨房の頃、ス力卜□趣味と噂の同級生に「コプロニュモス」
ブサメンNo1な同級生に「カロ」と渾名をつけてた。
15年ほど忘れてたが
昨日同窓会で、あの渾名はどういう意味だったのか訊かれて
そんな渾名をつけていたことを思い出したが非常に返答に困った。
>>765 マヌエル1世がユスティニアヌス1世に憧れなければ、
東ローマはアナトリア全土を奪回出来ただろうね。
770 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 14:38:48.07 0
>>764 「わが国はローマ帝国だったのだから復活を目指さなければならない」
というとんでもない負の遺産を残してしまった。
その時々の事態に応じて戦うのではなく。
あと、東ローマってローマの国境一歩も越えてないよね?
>>770 マケドニア朝の最盛期に東方では記録更新しているじゃない。
トラヤヌスよりも東へ行ったニキフォロス。
772 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 20:18:05.81 O
>>770 ナポレオンやらヒトラーやら戦前の日本のように、
実利より「威信」やら「伝説」が先行してる
>>771 ニケフォロス2世はバグダッドを攻略したのか?
774 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 22:35:25.47 0
テオドシウスの城壁の更に向うにあったアナスタシアの城壁っていつまであったの?
五月六日
>>770 ユスティニアヌス1世があの時点で東ゴートを滅ぼさなかったら、
おそらく、東ゴートがローマ帝国を再興する事になっただろうね。
すなわち、東ローマは東ゴートに滅ぼされてしまっただろう。
マヌエル1世は、ユスティニアヌス1世に見習うのであるならば、
ルーム・セルジューク朝を滅ぼすべきであった。
777 :
世界@名無史さん:2012/08/16(木) 21:35:20.22 0
フランク、ランゴバルドはどうなのよ
フランクは東西ゴートに挟撃されて、ロワール川以南を奪い返されしまうかも。
ランゴバルトは単独では東ゴートに敵わないから、やはりアヴァールと同盟して
東ゴートやゲピドに対抗しただろう。
779 :
世界@名無史さん:2012/08/17(金) 03:43:29.54 0
780 :
世界@名無史さん:2012/08/17(金) 20:11:43.22 O
東西ゴートが滅びたことは、イタリアスペインにとってプラスだったかマイナスだったか
俺がむしろ気になるのは当時どれだけの「ゴート人」がいたかだな
東はともかく西ゴート族なんかはアラリック時代から戦火の中を歩んできたわけだし
ユスティニアヌス1世の頃の東ゴート族はまだラテン化していなかったようだが、
アラブ軍侵攻時の西ゴート族はかなりラテン化してほぼスペイン人だったようだ。
東ゴートってもしかして遊牧してる連中なんかもいた?
>>782 どういう史料からそう推論できるの?
それに「スペイン人」て?
>>783 東ゴート王国はイタリアだけでなくパンノニアとイリュリアも領有していたから、
黒海北岸での生活形態を維持し続ける事も可能だろうね。
一週間ほど前から、ユスティニアヌスを叩くスレになっとる・・・・テオドラにボアされんで
名将にスラブ人でなく、イベリアやイタリア、果ては市民を攻撃させる
まあなんとかなるだろう、と言う感じじゃったんじゃないのか
スラブ人が帝都の安全まで脅かし始めるのはユスティニアヌスの晩年だし
逆に帝都以外は荒れようが人口減りまくろうがあんまり気にしてないみたいだし
対ヴァンダル遠征前にはドナウ川を越えた軍事作戦を(三年間)行わせて成功していたのに…
ユスティニアヌス1世はモエシアの防備を強化して北東からのスラブ人に備えたが、
東ゴートが東ローマと戦う為に兵力をイタリアに集結せざるえなくなったので、
無防備となったパンノニアからスラブ人が南下、イリュリアを経由して北西から
スラブ人は東ローマ領に雪崩れ込んでいった。
少人数のスラヴ人があちこちから同時に侵入してくるので防ぎようがないというのもある
794 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 19:26:24.62 O
>>793 ならなおさら名将使って妄想の実現とか
市民の虐殺やらせるなよ
ユスティニアヌスの情状酌量をおこなう意見はあるが、
肯定する意見は出ない
ほ
も
798 :
世界@名無史さん:2012/09/03(月) 21:35:19.20 0
せ
っ
↑キリスト教ローマ帝国では許されない
メフメト2世「カタいこと言うなよ」
ヘリオガバルス「『ローマ』を名乗るんだったら当然だろ?」
803 :
世界@名無史さん:2012/09/13(木) 21:16:12.20 0
ハドリアヌス
「もまいら『キリスト教ローマ帝国』ではないだろ?」
廃校
アカデメイアは廃校にされたけれど、初等教育はかなり後まで各都市に置かれていたんだよな。
あ
な
る
こんな書き込みしかないのか
ビザンツ末期もこんな状態だったんだろうか
ナルセスのファックの方がまだ気合が入っているんだろうな。
811 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 20:46:03.86 0
西暦1000年には東ローマ>>西ヨーロッパだったのに、
西暦1100年には東ローマ≦西ヨーロッパだったんだな。
不思議。
誰かこのスレに書き込むキリスト教徒はいないのか!
>>812 キリスト教徒(プロテスタント)ですが。
>>811 西ヨーロッパの場合、十字軍の存在が大きいな
815 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 19:58:02.96 O
マヌエル一世の時点でかなり西欧が押し始めてたのかな
コムネノス朝の時点で西欧に救援頼んでるし…
>>815 気合入れてもイタリアを獲れなかったからなあ
818 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 13:34:37.03 O
まず軍事力、次に実学、最後芸術
819 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 15:21:37.27 0
しっかしこのスレ、よくもまぁ続いているねぇ
栄光のローマ同様、少々の逆境では挫けないのだ!!
ミカエル8世の後に続く皇帝が三代ほどバシレイオス2世クラスの皇帝だったら
今頃ギリシアとアナトリアを領土とする帝国として生き残っていたかもしれんのになぁ・・・
アンドロニコス2世がいらない
あと内乱さえなければ
幻のWWI直後の大アルメニア計画にはトラブゾンも入っていたが、アルメニア人のアルメニア正教とギリシャ人の東方正教とで宗派が違っているからまたトラブったんだろうな。
国難の時期に決まってアレクシウス1世とかミカエル8世みたいな
S級寝業師を排出するところなんかは日本は見習ったほうがいい
国境紛争なんてやりたい連中に任せときゃいいのに
>>821 そんなことになってたら、第2次五賢帝の時代とか呼ばれているわw
>>821 >>825 今のトルコってビザンツで言うとマケドニア朝時代だな。
今後何らかの理由でイスタンブール占領されたり、奪回したりしながら最後はイスタンブール陥落というオチになるのだろうか?
ミカエル8世の後3代っていったら
ミカエル8世 在位1258-1282
バシレイオス2世 在位1282-1328
バシレイオス2世 在位1328-1341
バシレイオス2世 在位1341-1391
マヌエル2世 在位1391-1425
ヨハネス8世 在位1425-1448
コンスタンティノス11世 在位1448-
五賢帝どころの騒ぎじゃないな
黄金の2世紀じゃないか
まあ、この後無理な征服活動と内乱起こして
すみやかに帳尻合わせるのが想像出来てしまうのが悲しい
>>827 カエサル2世とかアウグストゥス2世とか出てきたほうがいい気がする。
うんこ
ちんこ
まんこ
やべぇ、トラペズスがバビロン、あるいはソドム、ゴモラと化している。
>>832 バビロンって同性愛者がうろつく街だからな。
ちょっと自動車事故を起こしたりサウナに入るだけで襲われる。
>>821 というかむしろニケーア帝国の国力で無理やり領土広げたのが滅亡の原因の一つでは?
>>834 あのタイミングでコンスタンティノープルを奪取したのはよかったと思うけどね。
ぼやぼやしてるとブルガリアやらセルビアやらの馬の骨に奪われかねん。
首都がずっとニカイアならオスマン朝の誕生は防げたかもしれないけどそんなの全知全能の神とローマ市民が許さないだろ。
コンスタンティノープルとテッサロニキはブルガリア領で良さそう。
パラエオロゴス朝は内紛さえなければ、かなり良い感じだった
ステファン・ドゥシャンの登場とか、アルバニア人の台頭をどこまで防げたかは疑問符だけど
ラスカリス>パレオロゴス>アンゲロスだと思う
ラスカリス朝は何気に粒ぞろいだよね
あ
な
る
842 :
世界@名無史さん:2012/12/04(火) 20:27:33.73 O
エピルスやトレビゾントはここでいいのか?
843 :
世界@名無史さん:2012/12/05(水) 21:32:22.31 0
ニカイアを首都とするニカイア帝国とミストラスを首都とするギリシア帝国に
別れるのはどうか?
ロベール・ギスカールといい、シャルル・ダンジューといい、シチリア・南伊を征服すると
コンスタンティノープルも欲しくなるものなのかね
845 :
世界@名無史さん:2012/12/05(水) 23:57:05.50 O
都市の女王だからな
846 :
世界@名無史さん:2012/12/06(木) 23:05:09.21 O
>>843 コンスタンティノポリスの扱いで揉めそうだ。
847 :
世界@名無史さん:2012/12/07(金) 12:07:08.65 O
848 :
世界@名無史さん:2012/12/08(土) 13:04:13.98 O
次スレは東ローマスレに戻るのか?
849 :
世界@名無史さん:2012/12/08(土) 22:01:03.38 O
ポントススレにしよう
いや東ローマに戻そうぜ
「東ローマ」は他にある
だからビザンツがいい
852 :
世界@名無史さん:2012/12/09(日) 00:29:30.92 O
ローマ帝国だろ
ほ
も
あ
な
る
帝国領内で一番最後にギリシアローマ的多神教が確認できるのはいつの時代なんだろう?
イスラムができる前にもう置き換わっていたのかな?
ビザンツ時代でもどこかの山に多神教徒の町があったとか何かで読んだが思い出せない。
>>859 859だけど、俺も全く同じことを去年か一昨年に2chで読んで以来、それが気になってるんだよね
何から調べればいいんだろう?
訂正
859→858
862 :
世界@名無史さん:2013/01/16(水) 23:27:00.23 O
コンスタンティヌス12世age
漫画ネタで申し訳ないけれど、ケイオニウスで難色示したルシウスがアンゲロスブラザーズ見たらどうなるんだろ。
アンゲロス兄弟以前に、本質的にキリスト教・ギリシャ帝国であるビザンツを
ローマ帝国として認定するのか、甚だ疑問。バルバロッサの所はそれ以前の問題だろうけど
やっぱ五賢帝の時代のローマ人にとっちゃ「永遠の都・ローマ」なのかしらね。
自分の時代からアンゲロス朝までの歴史を知ったら発狂するかな。
867 :
世界@名無史さん:2013/01/31(木) 22:22:33.55 O
バシレフス
868 :
世界@名無史さん:2013/02/01(金) 00:42:39.36 0
それの1170あたりのところほんとすき
717年であれだけ削られたのに、1025年で領土盛り返していて笑った
1095年から1170年でも領土盛り返しすぎる
ニコポリス十字軍が奇跡的に成功していたら、
ミストラスからの北伐でバルカンの奪回も有り得たのかな
と思ってしまうなあ
871 :
世界@名無史さん:2013/03/10(日) 09:49:07.76 0
あげ
>>870 ミストラスからの北伐でバルカンの奪回?
14〜15世紀のペロポネソスの諸勢力の軍事行動はたいてい数百人規模なのに対し
トルコはいきなり数千人とか送り込んでくる訳ですが。
>>872 ちょっと眉唾な話だけれど、『ビザンツ帝国の最期』のP95によれば1417年の段階でミストラスには1万の騎兵と5000の弓兵が居たそうな。
もし、その数字が真実に近いものであり、ムーサーとメフメト、その兄弟達によるオスマン=トルコの内乱が長引いていれば、独力でのバルカン統一も無い話では無いかもしれない。
もともとローマ人はギリシャ文化に憧れていたんだからギリシャ文化の
受け入れは自然なこと。多神教にしても区別が付かないくらい混合している。
そもそも残存する古代ギリシャの彫刻や石像の殆どは古代ローマ人によるリメイクが多い。
875 :
世界@名無史さん:2013/03/20(水) 08:50:37.74 O
ギリシア・ローマの正統後継者を自認する国家のはずが、
何故かルネサンスに乗り遅れてる
>>875 あのな、ルネサンスってよく知られたイタリアでのものの前にマケドニア朝とパレオロゴス朝で2回、フランスのカロリング朝で1回やってるからな。
そもそもルネサンスと銘打つまでも無く、ギリシア・ローマの教養は貴族や知識人達の常識だったし、イタリアにおけるルネサンスもビザンツの知識人達が噛んでいるから。
というわけで、ジュディス・ヘリンの『ビザンツ 驚くべき中世帝国』って本を個人的にあなたへオススメしておきたい。
あれは旧来の「ビザンツ帝国」につきまとう暗いイメージを払拭する良い本だと思うよ。
プレトン万歳
あ
へ
880 :
世界@名無史さん:2013/05/08(水) 20:35:43.13 0
>>1 スレッドでも帝都を失って3年目か、、、(´・ω・`)
57年後にとりかえすよ
せめて1000まで行って次ぎスレに移行する時に帝都を取り戻したい。
トレビゾンド帝国は帝都を奪回できないまま終わっただろ。
そもそも奪回する気があったのか
あったから(震え声)
よく第4回十字軍で滅んだビザンツ帝国の亡命政権の一つに数え上げられるけど、
タイミングが偶然重なってただけで実際はアンゲロス兄弟に反旗を翻したのが始まり>トレビゾンド帝国
歴史ゲームでは皆大好きビザンツ帝国
大体旧領を奪還しようとして広すぎて挫折する>ゲーム
しかしまさかヴィクトリア時代でも復活させられるゲームがあるとは思わなかった
889 :
世界@名無史さん:2013/06/08(土) 10:14:24.74 0
>>888 トラヤヌス帝治世下の古代ローマ帝国再興を掲げて始め、
途中でダレてきてビザンツ帝国でいいやと妥協することが度々
唐王朝の本読んでたら、玄宗が避暑に使っていた装置(庵の上部から簾のように水が流れてくる)が東ローマの産物と書いてあった
そんなもんあったのか
金正日
トラブゾン。
好き。
895 :
世界@名無史さん:2013/10/15(火) 16:15:26.00 0
アンゲロスブラザーズを許すな
896 :
世界@名無史さん:2013/10/16(水) 22:38:37.87 0
このさい実質破綻状態のPIGSはEU脱退してローマ帝国(ローマ+東ローマ+属州イスパニア+属州ルジタニア)を
復活するのはどうだろう(通貨はもちろんユーロやめてデナリウス銀貨)
ガリアとゲルマニアの蛮族どもを成敗して植民地にすれば借金もチャラw
5世紀以降どちらが成敗されたのかお忘れか?
898 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 09:29:56.46 0
まったくだな、分裂した時の東ローマ帝国領だけでよかったんや!
余計な征服欲を起こしたばっかりに、
どうせ恒久的に維持なんてできないカルタゴ・イベリアなんて攻め込むとか国力の無駄だったんや
あの折にカルタゴを再復しておいたからこそヘラクレイオスが出て
東ローマは滅亡の縁から逃れたとも言えるし
国力を蕩尽したからこそ滅亡の縁に至ったとも言える
まぁ分からないものよ
900 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 12:48:19.55 0
最盛期古代ローマの版図回復という大志を抱いていた間は何度ズタボロになっても持ち直してたけど
今のままでもいいやと思った瞬間に後は堕ちていくだけになったとも考えられる。
人間向上心がないと現状維持さえ難しい
901 :
世界@名無史さん:2013/10/17(木) 12:51:10.52 0
そんな大層なこと考えてなくて、目の前の課題を解決してったらああなった感じがしないでもない
目の前の課題を解決しなかったからこそああなったのだろうな。
当時の東ローマとって最大の脅威はバルカンに南下するスラブ人だった。
ユスティニアヌス帝もベリサリウスも彼ら兵士の多くもバルカン出身、
スラブ人らによって故郷に残した兵士らの家族が虐殺されてしまうと、
次世代の兵士が枯渇してしまった。
軍人皇帝時代以来バルカン出身の将兵らがローマを支えてきたが、
ヘラクレイオス帝らアナトリア出身の将兵は前者の代わりとなる
には力不足だった。
それこそ結果論な気が……
スラブ人の南下が本格化したのはユスティニアヌス晩年だし
それも西部戦線と東部戦線の両面作戦で将兵が引きぬかれた結果だし
バルカンがスラブ人に取って代わられたのは確かだけど、
遡ってスラブ人を最大の脅威とするのは後付けでの批判じゃん
農耕民のスラブ人は数は多いが、ゲルマン人やフン族に比べて
一人一人の戦闘力が劣るので、東ローマは油断してしまった。
見るからに強そうで東ローマにとって最大の脅威とみなされて
いたのは、やはり東方の大国ササン朝ペルシャだった。
ササン朝もローマと戦わなければアラブ人なんかには負けんかったのに。
パレオロゴス朝時代は逆に、小アジアで蓄積した兵力をバルカン半島に投入したら
元のニケア帝国領が手薄になってオスマン・ベイリクなんて国が出来てしまった。
ササン朝はマウリキウス帝が助けなければパルティア以来の
名門ミフラーン家のバフラムによって滅んでいたはずだった。
ササン朝は滅びミフラーン超パルティアが創建していたはず。
バフラムはヘラートを拠点に突厥と戦っていた武将なので
引き続き東方での勢力拡大を継続しただろうから、東ローマ
はかなり安全になったはずなのに残念だ。そうなっていたら
東ローマはバルカンだけでなくランゴバルトを滅ぼして
イタリア全土も奪い返していたはず。
ミフラーン朝パルティアだな
ヘラクレイオスもアルメニアのアルサケス朝の末裔とされ、
ホスロー2世のライバルはともにパルティアの末裔で同じ
イラン系だった事になる。ヘラクレイオスとマウリキウスは
親類どうしでカッパドキア出身だった。
>>906 13世紀はブルガリアがラテン帝国を滅ぼしてアクシオス川以東のバルカンを統一して、
パレオロゴス朝はニケア帝国のままの方が良かっただろうね。
910 :
世界@名無史さん:2013/10/24(木) 20:21:22.72 O
>>906 しかし、ユスティニアヌスは個人的な趣味に戦力を使い果たしたわけで、
一緒にはできないね
オスマンの力を借りなくては、セルビアに勝てなかった
世の中はうまくいかんのう
セルビアに併合された方がましだっただろうな。
もっともセルビアもドウシャンの死後に分裂
してしまうから、結局は史実と同じように
オスマンに征服されただろうけど。
>>910 個人的な趣味じゃないだろ
第一皇帝死ぬまでは問題なかった
後継者がキチガイになったりして政治的混乱も多いしフォカスのクーデターから
ヘラクレイオスの即位まで完全に混乱期
ヘラクレイオスはイスラム爆誕に巻き込まれるというオチが付いてる
東ローマの凋落ってユスティニアヌスだけのせいじゃないよ、これ
914 :
世界@名無史さん:2013/10/27(日) 13:41:28.07 0
ビザンツとモンゴルってどんな関係だったんだろう
1. ノガイ・ハーン(ジョチ・ウルス) −攻撃→ ミカエル8世パレオロゴス
2. ミカエル8世 −娘を嫁→ ノガイ・ハーン
3. ノガイ・ハーン −支援→ ミカエル8世
4. ノガイ死去 −支援減→ ミカエル8世の伸張停止
5世紀頃だと新羅の陵墓からもローマングラスとか出てくるし、東西交通はそれなりにあったようだ
918 :
世界@名無史さん:2013/11/04(月) 23:17:18.75 0
へえ
日本からもローマのガラス球出土してるしなー
920 :
世界@名無史さん:2013/11/05(火) 10:44:25.75 0
逆にスカンディナヴィア半島から仏像が出土したりもしている
前10世紀の絹がエジプトで発見されてるし
歴史的にはあまり書かれてないけど東西交易って昔からやってんだよなー
ラピスラズリの流通(アフガニスタン→シュメール,エジプト)が元々あったわけだしな
その交易ルートのちょい先のタクラマカンまで繋がれば、シナの物産もルートに乗る
>>914 パレオロゴス朝時代に「定期的に贈っていた貢物を贈らなかった」というので
キプチャク汗国に攻め込まれたりしているから、タタールから見ればロシアと同じ
従属国だったのだろう。
かなり久しぶりに来たらもう900超えてるのか、帝都奪還は間近だね
>>916 キラキラだな、金は変化しないとは知ってるけどすごいな
925 :
世界@名無史さん:2013/12/23(月) 20:34:46.02 0
ギリシアを征服したローマが、ギリシアの地で1000年もの歳月を重ねるとは・・・
>>916 当時ローマの金貨を見た人たちは驚いただろうな・・・きれいだ。
927 :
イタクァを作らないか?:2013/12/25(水) 20:04:05.33 0
このスレの感想を歌に込めてどうぞ
そういや、ノタラス大公の子息は美少年だったんだろうか
930 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 23:19:19.79 0
うん
ビザンツの元老院って大抵ローマから移転したって記述の後全く出てこなくなるんだが、いつごろまで存続してたの?
>>931 1204年まではあったんじゃないかな。
記録で言えば、ドゥーカス朝で元老院の爵位乱発はよく知られているし、コムニノス朝やアンゲロス朝で突然廃止したということも無いので、第4回十字軍まではあったでしょう。
ラテン帝国の時代やパレオロゴス朝となるとどうなんだろうね。ニケアやトレビゾンドの亡命政権が元老院を構成したかも気になる。
滅亡まであったよ
ただかつての元老院と違って、高官や有力貴族なんかが帯びる名誉称号みたいなもんだけど
元老院って訳かっちょいいな
上院と書くよりは遥かにかっこいいよな
ビザンチン
コンスタンチノープル
>>937 何もフランス語読みしなくても……
コンスタンディヌポリスでいいじゃん。
コンスタンティノポリ
940 :
世界@名無史さん:2014/04/24(木) 23:11:31.61 0
帝都奪還は近いぞ!
トレビゾンド帝国が滅んだら次はどうなるのだろうか……?
オスマン帝国?
普通に東ローマ帝国でいいと思う
944 :
世界@名無史さん:2014/05/21(水) 12:10:40.76 0
神スレあげ
メフメト2世をローマ皇帝にしてしまえば滅びることはなかったな(暴論)
946 :
世界@名無史さん:2014/05/23(金) 10:27:11.56 0
ビザンツは滅ぼされたのがオスマン帝国で、ある意味良かったと思う。
オスマンはその後大帝国になり近隣西洋諸国を圧迫し近代まで続く長期国家となったし
首都も継承しイスラム寺院に改築されたけどハギアソフィア他旧寺院が現在まで保存されている。
やはりローマの後継国は強大な世界帝国だあってほしかったしね。
もしスラブ系の適当な国に滅ぼされてたら強国にもならず寿命も短く旧領土は分裂したまま
コンスタンティノポリスは廃墟になってたのではと思う。
ブルガリアかセルビアならばバルカンを統一したところで満足しただろうな。
オスマン朝がなければアナトリアは分裂したままだっただろうな。
もともとアナトリアはイオニアやカリア、リキア、ビチニア、パフラゴニア
リカオニア、キリキア、イサウリア、コマゲネなど多民族小国分立地域だった。
そうなるとアナトリアのトルコ諸侯国は、やがてサファヴィー朝とかに征服
されてイラン領になってしまったと思う。
一方バルカンのスラブ諸国は大ポーランド国家に併合されたかもしれない。
ポーランドはベラルーシとウクライナら正教徒を既に支配していたから、
ドイツとロシアの間にバルト海からエーゲ海にいたる大国が出現したかも。
949 :
世界@名無史さん:2014/05/26(月) 00:27:33.17 0
スラブ帝国か・・・最終的にロシアが全部頂そうな気がするな
モンフェラート伯のパライオロゴス家ってどうなったんだ?
断絶?
ビザンツ時代のギリシャ人を古代読みで呼ぶのか中世読みで呼ぶのかって曖昧だよね
>>949 史実でもクリミア戦争で英仏が妨害しなければロシアが全部頂くはずだった
スラブ帝国?にはリトアニアとルーマニアや
マジャールなど非スラブもかなり含まれる。
ギリシャはヴェネチアやジェノバとか
スペインの海外拠点になっていそうだな。
954 :
世界@名無史さん:2014/05/27(火) 13:34:14.38 0
スラヴ化したビザンツ帝国って面白いな
ゲルマン化した西ローマ帝国みたいな響きだな
後世のポーランドとリトアニアのようにビザンツとブルガリアが
同君連合になっていたのならば、長期に渡る消耗戦が避けられて
さらにアラブからも領土奪回がより捗っただろうな。
そうなったらバシレイオス2世の出番が無くなるじゃないか。
史実でもニケフォロス2世やヨハネス1世が長期在位したのならば、
バシレイオス2世の出番は無かっただろうな。
ニケフォロスとヨハネスは、ブルガリア・ビザンツ皇帝の下でも
将軍として活躍して、機を見て皇帝となったかもしれない。
つってもどっちも歴戦のジジイだから寿命来てどのみちポックリ行くけどね
959 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 21:56:44.46 0
>>950 サヴォイア家に血を残せそうだったのに途絶えてしまって残念だ
960 :
世界@名無史さん:2014/05/29(木) 22:03:40.53 0
どこもかしこもスラブ人だらけでつまらなさすぎる
同時代に後ウマイヤ朝ではアル・マンスールが実権を掌握していた。
ビザンツではヨハネス1世の死後バシレイオス2世の治世となったが、
後ウマイヤ朝はアル・マンスールの死後一足先に没落していった。
ギリシャ人「気が付いたら、スラブ人とトルコ人に取って代わられたでござる」
963 :
イタクァを作らないか?:2014/05/30(金) 05:11:23.00 0
感想/歌
アルバニア人「気が付いたら、スラブ人に取って代わられたでござる」
ギリシャ人「気が付いたら、トルコ人に取って代わられたでござる」
アルメニア人「おまんら・・・ほとんどは単にギリシア語話者なだけじゃろーが」
スラブ人やアルメニア人は支配者に同化しなかった
アルメニア人はイラン人にもムスリムにもならなかった
スペイン人もゲルマン化もアラブ化もしなかった
アナトリア人はギリシャ化してトルコ化した
スペイン人はラテン化したがゲルマン化もアラブ化もしなかった
アナトリア人はギリシャ化してラテン化しなかったがトルコ化した
βασιλευC ρωμαιων
969 :
世界@名無史さん:2014/06/05(木) 15:59:57.77 0
そろそろ次スレ立てる?
タイトルをビザンツに戻して。
世界史板のまったりした流れからすると
もうすこし埋まってからでも遅くないだろう
こんなスレあったとは歓喜www
埋まる前に記念カキコwww