1 :
世界@名無史さん:
どちらも初代皇帝は戦下手だけど人望がある
アウグストゥスって戦下手だっけ
3 :
世界@名無史さん:2010/09/10(金) 10:09:41 0
アグリッパが指揮をとってたんじゃなかったっけ?
劉邦だったらトイトブルグに自分で兵を率いて行って捕虜になるな
ウィキペの英語版で「カタフラクト騎兵が使われていた地域」
に中国もあった。
劉邦は意外に親征好きなんだよな。
でも実は項羽と冒頓単于相手以外だとほとんど負けてなかったりする。
あと、章邯ですら一発で捕虜になった項羽相手にしっかり退却を成功させ、
結果幾度にも渡って直接対決して全体の戦略が成功する時間的余裕を作ってる。
奴は名将じゃないけど良将レベルだと思うなぁ。
秦を滅ぼしたのは劉邦なんだけどな
8 :
世界@名無史さん:2010/09/10(金) 22:59:40 0
アウグストゥスの政治力はすげーよ
ローマが1000年以上も続くわけだ
ローマは王政時代と共和制時代と帝政時代と分裂以後とはそれぞれ別物だろ。
分裂以前は世界史上唯一無二の王朝といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。
>分裂以前は世界史上唯一無二の王朝といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。
分裂以前は世界史上唯一無二の国家といえたのが、分裂以後は凡百の王朝と変わらなくなってしまうし。
に訂正。
イケメン度では圧倒的にアウグストゥスの勝ち
劉邦も実は文献上ではイケメン。
彫が深く鼻が高い系統の。
13 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 00:29:33 O
>>10 ユスティニアヌス1世、コンスタンティノス5世、バシレイオス2世、コンスタンティノス7世らを輩出し
千年の栄華を誇った東ローマ帝国を“凡百の王朝”と申すか
漢の経済力は当時では世界最強
軍隊は・・・帝政初期のローマじゃね?
17 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 00:49:19 0
18 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 00:54:31 O
ビザンツスレ無いとローマが付くスレにビザオタとトルコ野郎が湧いてくるからな
>>15 あんたの言う経済力って具体的にどういう事を指すんだ?
データとして当時の経済力を知れる資料ってどんなのがあるの?
比較はどうやってしたの?
色々聞いてみたい(*´∇`*)
20 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 05:58:03 0
ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
必須なるぞ。
たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
分かったナッ!!!!!
>>20 なぜその本が必須か納得できる理由を10挙げよ。
またその理由を挙げた理由を各10ずつ挙げよ。
22 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 14:21:51 0
劉邦は部下を殺しまくったからな。
アウグストゥスのほうがいいよ。
王朝分裂→蛮族侵入→戦乱時代の流れは非常に似てるんだよな
後継王朝として東ローマと東晋がすごく被るんだよなww
ただここから完全に中国と欧州の歴史は異なっていくんだけどね
そう言えば垓下とザマは同年なんだよね
>>23が典型だが、
日本人が「アルヨ史観」に騙されているのが不思議でならない。
中国人は、漢とローマを比較するのが何故か知らんが大好きだけどな。
おそらく日本の場合、アルヨ史観に直接騙されたというより、
高校の世界史で、ギリシアのポリスについては延々書かれているのに、
ローマ国政についての記述が薄すぎて勘違いしているのだと思う。
(おそらく19世紀ドイツ歴史学の残骸がまだ残っている。ローマ嫌いのギリシア好きだからな>ドイツ)
ローマは、帝政になっても建前上はどこまでも都市国家の連合体で、
漢のようなアジア風の領域帝国ではないんだよ。
ビザンツまでくるとさすがにアジア風帝国の実を備えはじめるが、
これを人は「東ローマのオリエント化(非ヨーロッパ化)」という。
漢(前漢)と比較するにふさわしい西方の帝国は、おそらくアケメネス朝ペルシア帝国だろうな。
夏=シュメール王国、殷=アッカド王国、周=古バビロニア、秦=アッシリア、
西楚=カルデア(新バビロニア)、前漢=アケメネス朝ペルシア
とすると、比較的きれいに揃う。シナは、メソポタミアの数百年遅れといったところ。
無理矢理当てはめると、アレキサンダーというのはただの蛮族で、
五胡十六国=ヘレニズム4王国ということになるかね。
歴史認識にはおおむね賛同するが、いちいち中国蔑視を臭わせるのは気持ちが悪くて仕方ないのだが。
>>23 大間違いだよ
そんな完全な領域国家なんて近代以降の話だ
それ以前の漢も秦も都市国家の連合体と捕えることもできローマもまた領域国家と捕えることもできる
そもそもあんたの言うアケメネス朝なんて都市国家の代表格そのものじゃねーか
余計なことで加熱する前に言っておく。
韓非も言っているが、主張をするのに、主張とは価値観の違う人間を想定して受け入れやすいようにしないのはバカのやることだ。
そんな主張をしても、自分が正しいという自己満足を得ることか、初めから主張に近い結論を持っていた人間以外には伝わらない。
双方、気を付けるようにね。
28 :
>>26:2010/09/11(土) 15:54:08 0
29 :
>>26:2010/09/11(土) 15:55:14 0
そもそもアジア風というのが分けわから俗語だ
西洋の中央集権制を参考にし近代国家化したのはアジアの方だろ
まぁ、少なくとも日本の研究では、後漢末期の豪族が邑制国家的性質を継承してできたもので、
それが南北朝貴族につながっていくものであるという話だな。
そして、そのミニ邑制国家の首長間の声望で中央政府の官僚が登用されるのが漢帝国。
確かに都市国家連合的性質を有しているのは事実だろう。
ちゅうか、オリエントと中国を一緒くたにして扱うのはあまりにも乱暴。
>>30 西洋の近代官僚制はフランスのナポレオン三世が科挙を参考に作ったものだけどな。
なんでも簡単に二色に分けてしまうのは考え物だ。
そもそも何故
>>24が
>>23に絡んできたか謎だ
ただ王朝滅亡から蛮族侵入の流れについて語っただけであり
何が悪いのか不思議だ
火病的な反論としては、ほぼ想定通りなんだが。
でも、そのような認識では、日本国民として問題なんだよ。
中国人ならいいかもしれないが。
ローマが如何に「変な国家体制」を構築していたのか、その異常さを理解しておかないと、
日本人の基礎素養としては、本当はまずい。
というのは、日本の法律は、間接的にだがローマ法を受容しているからだ。
例えば、民法上の取引で普通に使われる
「善意無過失」、「合意」、「物権と債権」、「不当利得」、「破産制度」や「民事執行制度」、
果ては「弁護士による訴訟代理」という制度なども含めて
ローマの特殊な市民権の性質、
あるいはローマ市民と同盟市民との間の特殊な関係をもとにした取引で発展したもの。
あるいは、「主権」という概念、さらには「近代国家」という考え方自体が、
ローマ法に根深い「ポリス性」が、中世を経て顕現している状況をどう克服するかという問題に関わるもので、
ローマ国政の特異さを理解しておかないと、
近世のフランス王国が、主権なんてことをことさら言い出すのはどうしてなのか、イミフになる。
だから統治機構なんてローマも漢も時代毎に変容してんだろうに
成立から滅亡まで一貫した体制だと勘違いしちゃってるんだろうね
とりあえず、
>>34がローマ以外は詳しく知らないことについては納得した。
様々な地域の特異なものが混淆して近代があるわけだけどな。
善意無過失については普通に漢にも同じ判例があった気がするが今から論文探すのめんどい。
あと論文とかで「これこれは世界史上特異!」みたいにあっても他の地域の史学の専門論文見ると
普通に存在したりする事があるから「これはこの学者の感想だな」程度に思って気を付けた方が良いよ。
37 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 17:03:04 0
漢の最後の姿は南朝陳王朝
楊堅とカール大帝
乱世の時代に終止符を打ち
ともに蛮族がルーツ
自らが正統な支配者として振る舞う
39 :
世界@名無史さん:2010/09/11(土) 18:21:26 0
唯一の違いが、もとになった乱世前の国家が存続してたかだよな
ビザンツを併合するカール大帝
>>41 ビザンツが陳朝のように軟弱であってくれればなww
確かに後主期の陳朝の軟弱さは異常。
諸民族を取り込み、現在まで続く種々の制度や法を残し
一般市民のレベルも高度だった世界帝国こそローマ帝国
一般の平民達は知識も待遇も農奴並で、蛮族に土下座しながら
漢民族が汲々として暮らす支那王朝の一つに過ぎないのが漢王朝
各地方に初等教育機関から高等教育機関まで備え、その教科書に用いられた数学書の
知識の中には西洋では18世紀まで発見できなかった理論を含み、世界で初めて高等文官試験を行い、
識字率が異様に高かったとされる漢帝国の平民が農奴並みとは。
農奴ってすごいんだな。
待遇についてだが、日本史のような四公六民とかの東洋的帝国のイメージで漢を捉えるのは大きな誤謬とだけ。
ああいった重税方式を作ったのは曹操で、それが国民全体に適用されたのは西晋からだから。
ちゅうか、漢帝国とその後裔が滅び、南に押し込められたのって、逆に蛮族を普段から圧倒してしまい、
蛮族を連行して内地に監視をつけて分散して居住させるってのをやりすぎたから、
人口減少と八王の乱と侮蔑的待遇によって抑えきれなくなったということが理由だけどね。
>>46 ビザンツ帝国でもよくやってたね。
小アジアのパウロ派をバルカン側に強制移住させてかえって変な異端が流行したり。
48 :
世界@名無史さん:2010/09/12(日) 00:27:32 0
漢は酷吏の時代だな
中国の法は人民を縛り付けるものだったが、ローマの法は権力者の暴走を食い止めるためのものだった
漢代なら、国は皇帝のもので、皇帝が民のために政治をしてやるという考えが基本だからな
ローマはどの時代を取り出してくるかで一概には言えんわな
>>45 >その教科書に用いられた数学書の
>知識の中には西洋では18世紀まで発見できなかった理論を含み、
これってなんていう理論?
>>20 >ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
>必須なるぞ。
>たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
>決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
>分かったナッ!!!!
調べてみたが
>大型本: 1675ページ
>商品の寸法: 31.8 x 24.4 x 7.4 cm
鈍器すぎるだろう、常識的に考えて……
お値段も29800円とキングサイズだし。
あ、ごめん。
29400円が正解。
>>49 >漢代なら、国は皇帝のもので、皇帝が民のために政治をしてやるという考えが基本だからな
漢代にその考えはないな。
前漢だと漢家は中国でもっとも大きな国家という側面しかない。
制度的にどこまで行っても連邦的なのよ。前漢は。
少府の役割が明らかにそういう側面をもってる。
だから内朝が普通の国家の様相を呈しており、帝室収入が別に存在して国家予算に匹敵する。
後漢以降になると、逆に皇帝は国家の所有物となる。
帝室の私有物としての内朝は解体され、帝室収入はすべて国家のものとなり、
天子は人民のための政治をしなければならない。
しなければいずれ滅び別の国家が立つだけ。
というのが後漢の国家としての公式見解。
中国の他の王朝と違い、東観という国家の学術機関・国史編纂機関が、
漢自体を相対化してしまい、国家の絶対性を否定したことは、後漢滅亡の理由の一つに挙げられることもある。
そもそもどこもそんな「皇帝の所有物」なんて慢心できるほどの集権制を達成できる時代というのはごく稀。
>>50 ガウスの消去法。
『九章算術』の中にある。
ちなみに注釈者で、前漢の梁敬王劉定国の分かれの劉徽は、カヴァリエリの定理(17世紀)も発見している。
>>51 いやぁ、分量考えれば面白い本としてはむしろリーズナブルな値段じゃね?w
一部の学術書の無駄な高価さと言ったら……
>>48 酷吏に縛られてるのは主に権力者予備軍とか豪彊みたいな地方権力者だけどね。
漢の長安は人口約50万でローマ市の人口は最盛期で120万と言われるが、
長安の方が広いのに人口はローマが上なのは、ローマはインスラという5〜7階建てアパート
が主流だったが中国では平屋、つまり1〜2階建てが主流だったためらしい。
なんで中国ではこういう構想アパート様のものが出なかったんでしょうか?(宗教的施設では
相当な高層建築がいくらでもあるのに)
そもそも長安は100万人以上の人口を抱えられる都市ではありません。
防御が固い代わりに輸送も難しく、唐では食糧問題が頻繁に起こっており
大運河の運用が出来なくなると、大量の餓死者を出しました。
大運河のない漢の時代では言わずもがなです。
後漢が洛陽に遷都した理由の一つに、水運コストの肥大化の問題があります。
前漢末になると20億銭もかかっていた水運費用が、洛陽に移転するだけで3億銭まで削減できるようになりました。
ちなみに漢の外交・軍事コストが年間20億銭であることをかんがみれば、
とんでもない巨額であることに納得いただけるかと思います。
もちろん、新末動乱での長安の荒廃があまりにも激しかったことも理由としては大きいのですが。
おそらく50万というのが、当時としては最適、最高なレベルだったのではないでしょうか。
平屋以上の家屋は必要とされなかったのでしょう。
57 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/12(日) 12:28:14 0
>>55 >中国ではこういう構想アパート様のものが出なかったんでしょうか?(宗教的施設では
相当な高層建築がいくらでもあるのに)
日本もそうだけど、地面から離れて暮らすのは神様仏様っていうのが東洋思想。
だから2階建て3階建ての建物自体が存在しなかった。
楼門や宮殿の屋根は二重だけど、二階に部屋が設えてあるワケではない。
つまり豪華に見せるための飾り屋根。(奈良平城宮跡の復元建物参照のこと)
仏塔も1階建ての建物の上部に同じような飾り屋根を付けた建築物で
そもそも人間が夜寝泊りする場所ではない。
ちなみに日本で最初に高層階に居室寝室を構えたのが、安土城の天主に住んでいた織田信長。
彼の場合は自分自身を神だと思っていたのでそうしたんだろうけどね。
だから、秀吉も家康も他の大名も一階建ての本丸御殿に暮らした。
天守閣は見晴台兼武器倉庫だった。
この時代にラーメンやパスタってあったの?
>>58 パスタに関してはあったようだけど、今みたいにゆでるんじゃないく焼くか揚げるかしてたそうだから、
今の人間がイメージするパスタは無かったかな。
中国では現代日本語の意味での麺類を一般に食するようになったのは宋代からだったような。
日式ラーメンに関しては横浜か神戸か函館かどこかに聞くべし。
みんな元祖はうちだというだろうけどw
実は漢代の食事は今の日本に近い。
梅粥とかつくったり、鶏肉あぶったり、一種の寿司みたいなものを作ったり。
粥に鶏卵和えたりしてたっぽい?
鶏卵は長沙王墓とかから発見されてたから、光武帝あたりは鶏と卵入れた親子丼みたいな粥くってたかもね。
漢の人が現代へきたら皮肉なことに日本の方を祖国と思うかも知れん。
漢服はチャイナドレスより和服の方が遥かに近いし。
多分漢字音もより近いし。
>>60 中華料理が現代で連想されるような中華鍋で豪快に炒め香辛料ぶっ掛けるようになったのは
殆ど宋代に素地ができたようだよね、コークスを燃料として高熱でしかも持久する火力で炒める技術が発達して
陶磁器生産や銅精練にも活用され宋代の発展を大きく支えた
確かに宋代以前の中国の食事って薄味で生魚もあり何だか京都の懐石料理連想させられるよな
後漢書・梁冀伝の「遂令左右進鴆加煮餅,帝即日崩」のところを指して
「質帝は毒入りラーメンで殺された」てな話になってるのをどこかのサイトで見た覚えが
餅ってのは粉もののことで必ずしも麺じゃない。
煮餅と書かれててもすいとんみたいな食べ物だったかもわからんので一概には言いかねる。
今の中国で餅と言ったらナンと餃子の皮の中間みたいな食べ物だが。
64 :
世界@名無史さん:2010/09/12(日) 23:43:14 O
始皇帝は漢の0代目皇帝。
カエサルも0代目皇帝。
65 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/12(日) 23:52:49 0
66 :
世界@名無史さん:2010/09/13(月) 00:06:03 O
韓国の衣食住もそんな感じだな。最近まで肉はほとんど食わなかったようだし。
まさか靴を脱ぐ習慣も漢以前の中国と共通?
熊の手
ローマ帝国時代の文化や知識が欧州では途絶えオリエントで残っていたのと同じだ
>>65 現代から比定してるんだから当時どうだったかなど関係あるまいて。
というか漢の方はおそらくインドの伝播だと思われるが、既にあったんじゃなかったっけか。
70 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/13(月) 01:30:15 0
>>69 あのな、ゼロ概念てのは哲学が下地に無いと通用しないの。
インドでゼロ概念が生まれたのもインド哲学というベースが有っての事。
そういう基礎的な概念がないと幾ら文明地域であってもゼロ使用は近代を待たねばならない。
だって近代以前にゼロ概念があっても対して役にも立たない。
漢数字と算盤だけで計算は何でもやってたのでゼロなど不要だったのさ。
ヨーロッパ人がインド人のゼロ概念を吸収できたのはギリシア・ローマの哲学が浸透してたから。
食事に戻るけど、ローマでは実は生魚を使った料理があって、パンに生魚の切り身を乗せたのを食ったりしてたらしい
ローマの主要な調味料はガルムやリクァーメンという魚醤(日本でいうしょっつる、タイでいうナムプラー)だったり、
肉料理よりもむしろ魚介類を用いた料理が多かったり、タコやウニも食ってたり(ナマコはさすがに食わなかったらしい)
してたようだ。
なんてこった。
東西の二大国両方が日本似だなんて……
ローマ人は風呂好きだったことでも知られていてそんなところも日本似問い割れるが、漢ではどうだったんでしょうか?
……
orz
×日本似問い割れるが、漢ではどうだったんでしょうか?
○日本に似ていると言われるが、漢ではどうだったんでしょうか?
漢は入浴はどうやってたんでしょうか?
ところでゼロについてはWIKIでは
>後漢に完成した九章算術には「(引き算の時)同符号は引き、異符号は加える。正を無入から引いて負とし、
>負を無入から引いて正とする」とある[3][4]。この「無入」とは 0 のことであるが、専用の字はなく、表記には空白を用いていた。
>718年、太史監(天文台長)の瞿曇悉達が九執暦を漢訳し、0 を点で記すインドの数字を導入した。
>しかし算木を用いていた中国の天文学者や数学者は受け入れなかった[5]。旧唐書(945年)は 3040
> および 0 を「三千四十」、「空」と記し[6]、また新唐書(1060年)は 3201 および 0 を「三千二百一」、
>「空」と記している[7]。この「空」は仏教の空と同じく、サンスクリット語の ????? (シューニャ)の訳語である。
>現在も、朝鮮語とベトナム語は「空」を 0 の意味に用いる(?/kong と khong)。また江戸時代の和算家も 0 を「空(くう)」と呼んでいた。
>南宋の時代、蔡元定(1135年 - 1198年)は律呂新書の中で、118098 および 104976 を「十一萬八千□□九十八」、
>「十□萬四千九百七十六」と書いている[8]。この「□」は、以前から欠字を示すのに使われてきた記号、
>虚欠号である(中国語版: 虚缺号)。秦九韶の数学九章(1247年)では、算木数字で空位および 0 に「〇」を用いている。
>この「〇」は「□」が変化したものであり、アラビア数字の「0」ならびに則天文字の「〇」を借用したのではない[5]。
>もっとも、インドの数字のゼロに触発された可能性もある。[3]
箇条書きマジックだろ
どんな文化でも大抵似てるところと似てないところの両方がある
それに古代においてはコストの高い獣肉を常食するなんて生産力の方が許さないだろう
似てしまうのは当然ではないかな
>>70 そりゃ哲学史から見たインド哲学におけるゼロ概念の話だろ。
単なる現代からの比定についての話で得意げにそんなことを持ち出すのは衒学趣味か?
コミュ力がなきゃたとえ知識が正しくとも受け入れられないことを知るといい。
そもそも通俗的なゼロ概念の使用については普通にある。
君の言ってることは斧の使用がどの地域においても祭祀と不可分だと言い出すようなものだ。
大してなんの役にも立たなかろうが、数学の発達上必要になることもあろうて。
まぁ、ゼロ概念の「発生」そのものと深い意味での利用にはインド哲学の存在か、それを理解できる素地が必要だろうがねー。
たとえば色んな家の資金の供出で堤防を作ろうとして、お金を出せない人がいた場合、
要領のいい奴はその家を計算に入れないだけで済ませるだろうが、
几帳面な奴はそれを含めて式として表現する方法を欲するわな。
そこにインドとの交流があれば、普通に伝播しうるだろう。
ちゅうか、既に仏教伝播してるんだがとか、無が理解できなきゃ仏教理解できなくねとか、
そもそもお前ら利便性の面でのゼロの使用について子供の頃そんなに哲学について学んできてたか?とか。
確かにヨーロッパでのゼロの受容にギリシャ・ローマ哲学が橋渡しとなった側面があることは
他の地域でもそれが必要であるということを意味しないよね
>>71 >>73の言う通り箇条書きマジックではあるんだけれど、
確かに見方によっては、
「日本は、現在の世界で稀に見る『古代的要素』を持っている国だ」とも言える。
アッカド語(メソポタミア)の楔形文字と同じ方式の表記法(漢字仮名交じり文)を用いて、
上古の中華と同じような屋内での行動様式(履物を脱いで坐って暮らす)をし、開放的な服を着て、
ローマ人のように、穀物粒食に主食として執着し、魚介を好んで食し、
醤油的なアミノ酸の味にこだわり、風呂を好み身体を清潔にすることに執着し、
アブラハム一神教以前のオリエント・ヨーロッパと同じような多神教を
なんでもありで信仰し、神の像の崇拝を厭わず、
母音の時間的長短(モーラ)を知り、高低アクセントを保ち、
わらべ歌は豊富な母音が長短高低を組み合わせて朗々と、
古代ギリシア語や古典ラテン語の韻文のようで…
要するに、この千年紀でユーラシアを席巻した要素に、あまり毒されていないということでもある。
アブラハム一神教(キリスト・イスラム)の席巻を免れていること、
アラム文字型の表音文字単一体系の受容を拒んだこと、
新大陸作物(トマト・とうがらし・とうもろこし)の受容が選択的で、
在来の調味法が忘却されることがなかったこと。
おかげで、いろんな連中が日本文化に変なノスタルジアを感じて、珍説を生みだすことになる。
>>77 珍しいか、と言えばそれ程でもという気はするが
現代の先進国の中では珍しい、と言えるかもな
>>73 ガリア人やゲルマン人がローマ人よりも平均身長が10cmも高かったのは
彼らが肉を主食としてたからだって聞いたことがあるが……
これは贅沢だったからとかではなく、森の中で暮らしてる関係上
穀類が手に入れづらく、逆に肉類は比較的手に入れやすかった
かららしいが、
80 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/13(月) 23:43:38 0
>>74 >そりゃ哲学史から見たインド哲学におけるゼロ概念の話だろ。
あくまで哲学から派生したインド数学からみたゼロの概念。
>>75 >ちゅうか、既に仏教伝播してるんだがとか、無が理解できなきゃ仏教理解できなくねとか
仏教の無の概念「空即是色・色即是空」の空(無)ではなく、数字としての概念。
0.001+0.0005とか、数学ではゼロは無ではなくあくまで数字として扱う。
これを人類が必要とするのは、分かりやすく噛み砕いたアラビア数学が普及するまで待たなければならなかった。
>そもそもお前ら利便性の面でのゼロの使用について子供の頃そんなに哲学について学んできてたか?とか。
その哲学こそ、数学なんだよ。
古代ではまだ哲学の一分野でしかなかったが、中世以降は独立した学問になった。
中国やその他の地域で数字としてのゼロ概念が普及しなかった要因は
@代数学が発達しなかったから。
A幾何学が発達しなかったから。
B哲学としての抽象概念が発達しなかったから。
古代中国人にとって三角形の定理や代数学など不要な存在に過ぎなかった。
目に前にある積み木を積み上げるだけで、目に見えない部分など無いに等しい存在だったからだ。
いや、ピタゴラスの定理理解してるんだが、漢の人……
ていうか、代数学は結構発達しとりますて。
幾何学はてんでダメでしたけど。
なんでわからないことを語ろうとするかなぁ。
素地は優秀そうなのに。
コテハンでぐぐったら……
この人は相手にするとバカをみるかもだ。
哲学史を中心に噛んできた人なのだろうなぁ。
無自覚にアーリア圏における学問の発展が全ての地域のそれに適用できると思ってるみたいだけど。
中国も哲学からの派生で数学が発展していればそうなんだろうけどね。
儒家や法家の基本的考えは確かに無形のものを徹底的に否定するところから入るし、
法家に至っては公孫龍に対し嘲笑に近いことまでしてるのは事実。
確かに哲学からの発展の側面もあるんだけどね。
暦法の発達がもっとも進んでいたから。
けれども実用性からの発展も大きかった。
ちゅうか、そもそもマヤ文明もゼロの概念持っていたりするわけで。
ところで漢はローマを大秦国と呼んでたそうですが、ローマは漢をなんと呼んでたんでしょう?
シーナ? セリカ?
85 :
パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. :2010/09/14(火) 01:23:52 0
マジレスするとキャセイ
86 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 01:28:43 0
こいつ馬鹿すぎ
そういえば漢の上下水道ってどうなん?
ローマに関しては山ほど資料があるけど、漢というか古代〜中世中華の上下水道事情が良く分からない。
陶器製の埋設水道管はあったようなんだけど、具体的な規模とか水量とかがさっぱり。
風呂事情も良く分からない。
誰か教えて欲しい。
88 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 05:28:23 0
ローマ帝国に関しては『西洋古典学事典』を読むこと
必須なるぞ。
たとえ貧しくとも『西洋古典学事典』は購入するべし。
決して後悔することなど、あり得ぬゆえにのう。
分かったナッ!!!!!
貧民風情には、とうてい無理な話だがナ。
キャセイは契丹なんでもっとあとだね。
×キャセイは契丹なんで
○キャセイは契丹由来なんで
91 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 16:48:09 O
ローマは実は漢より古い国
秦とほぼ同時期に建国してるんだな
>>87 入浴に関してなら、最低五日に一度は沐浴することは義務付けられてたみたいだけど。
上下水道関係の建築物の規模とか水量まではわからんな。
でも、頻度等を考えると「ローマという例外を除いた世界の中では」そこそこ整備されてたんじゃないかという気はする。
実は豪族の屋敷の方が整備されてるとかはあったりするかもw
93 :
世界@名無史さん:2010/09/14(火) 21:54:44 0
>>83 ゼロを受け入れるとき中国人はイデオロギー的に悩まなかったのかな
テレビでサッカー中継を見ると殺すとか、ブラジャーはずせとか
といっている今のイスラム教徒からは想像できないが、
あの時代のイスラム教徒はゼロをすんなり受け入れているだろう。
これがヨーロッパ人だと、マイナスの数字を受けいるときは
「いかさま」とわめき、虚数を作り出したときは「詭弁」だと
自嘲し、天動説のときは裁判にかけたり、火あぶりにしたり
アインシュタインの相対性理論のときは、ナチスは
「ユダヤの邪教」だいって、アインシュタインの首に懸賞金を
かけたのに、
>>88 買ってきた。
でも、出張で読めるのは週末になってから。
そういえばサッカーの最古の例は漢らしいな。
ボールをける遊び自体はいろいろあったが大雑把なルールがサッカーなのは蹴鞠なんだってな。
そうか?
何か一つのものを奪い合い、敵陣の一番奥の特定の領域にまで運ぶ、
解釈によっては自陣の一番奥まで持ち帰る、という形式のゲームは、
世界中で普遍的なもので、各地で自然発生している。
奪い合う対象が球状のもので、運ぶ方法が足で蹴ることに限定されて
いるからって、それがサッカーかどうかは。
サッカーは韓国起源だっつってるだろ。
この時代はローマと漢を取り上げること多いけど
中東とインドはどうなん?
クシャーナ朝なんかは漢と西域で衝突していたような。
印度や中東なんかはポロがすごく流行っていて(つうか英連邦のスポーツだよな)
すっごくメジャーだったりする。
日本では8cぐらいに私たち日王の祖国である朝鮮半島から伝来した打毬が有名だね。
>>96 なおかつ古代で「門に入れる」という発想があったのは中国だけっぽいよ。
そして古代の球蹴り競技でも、確証のもてる証拠が出た年代はより古い。
とはいっても100年くらいなんで、同時発生的でも間違いではないんだけど。
そして当時の競技人数は一チーム12人。
軍事訓練として開始される。
日本にも伝来している『戦国策』が出典。
伝来当時には現代サッカーに類似していることになんの価値もないから中国単独では絶対にねつ造できない。
一応、FIFAが認定するもっとも古い形態のサッカーが中国の蹴鞠やね。
ただ戦国時代の斉なんでこのスレの取り扱う範囲ではない気がしないでもない。
102 :
世界@名無史さん:2010/09/15(水) 15:34:25 0
纏咳狙振弾(てんがいそしんだん)とは、
棍法術最強の流派として名高いチャク家流に伝わる最大奥義である。
この技の創始者、宗家二代呉竜府(ごりゅうふ)は、
正確無比の打球で敵をことごとく倒したという。
その打撃法は現代でいうゴルフスイングに酷似しており、
運動力学的観点からいっても、球の飛距離・威力・正確さを得る為に
最も効果的であることが証明されている。
ゴルフは英国発祥というのが定説であったが、
最近では、前出の創始者呉竜府の名前でもわかるとおり、
中国がその起源であるという説が支配的である。
民明書房刊『スポーツ起源異聞』より
いちいち男塾の単行本から転載したのか?
暇人乙
これぐらいならぐぐればあるんじゃねえかなと思わないでもない。
漫画とかの名台詞集みたいのは見かけるし。
土曜日の世界ふしぎ発見で吉宗が復活させたという打毬をなぜか青森あたりで今でも伝えられているのを
放映していたな。
アレ本当にポロそっくり。
>>103 民明書房大全って本が昔出てたから、ほとんど時間なんてかからない罠
>>99 衝突なのか?
張騫が匈奴を挟撃する相談に行ってけんもほろろに断られた、くらいしか。
>>100 門に入れる発想なら、アケメネス王朝ペルシア、ポロの原型の競技で既にあるだろ。
馬に乗って羊を戈にひっかけて奪い合い、自陣の門に投げ込むという競技。
サッカーとはおそろしく形態が違うが、対象物を奪い合って、競技場の端の一定領域に持ち込むという、
普遍的なルールものだ。ペルセポリスの遺跡のポロの競技場には羊を投げ込む門の石柱があるぞ。
アケメネス王朝の滅亡は、紀元前330年。支那でいうと戦国時代。
し設えたゴールに球状の対象を足で蹴って入れるというものならメソアメリカ文明に早い時期からある。
人の背丈よりもずっと高いところに作られた環状の石だから、みための印象はバスケットボールのようだが、
マヤやオルメカのレリーフの意匠から足で蹴込むものだったらしいことが判っている。
オルメカの滅亡がおおよそ前漢の滅亡と同じくらいの時期、マヤの勃興が秦と同じ時期だぞ。
今現在連載されている古代ローマを扱った漫画
アグリッパ(ジャンプSQ19)
BC54-カエサルの時代。ガリア戦記におけるヴェルチンが主人公。
セスタス(ヤングアニマル)
AD50ごろ-ネロの時代。奴隷拳闘士セスタスが主人公
テルマエ・ロマエ(コミックビーム)
AD130ごろ-ハドリアヌスの時代。浴場建築技師のルシウスが主人公。
SIN旧題ヴィルトゥス(ビッグコミックス)
AD185ごろコンモドゥスの時代。古代ローマにタイムスリップした現代日本人の服役囚タケルとシンが主人公。
秘身譚(マガジンイーノ)
AD215ごろ。カラカラ暗殺直後。アンティオキアの剣闘士エラが主人公。
中華はやっぱり三国時代にかたよってるねー。
恋姫無双とかを三国志物といっていいかは疑問だがw
>>109 >馬に乗って羊を戈にひっかけて奪い合い、自陣の門に投げ込むという競技。
羊、かわいそす
>>109 前半はポロの原型としか取りようがないし、後半は中国の例より遅いから、FIFAは認定してないんだと思うが。
中国の例として挙げられている斉の国は紀元前221年に滅んでいるし、
実際にその蹴鞠が始まった時代は紀元前300年以前とみられている。
不満ならFIFAにでも電凸したらどうだろう。
自らが実証せずFIFAの認定で自己正当化を図るとはなんともクズ野郎だな。
そもそも、FIFAの「認定」と史実がどうであったかという検証はまったくの「別」なんだが。
FIFAを持ち出してきてだからどうしたの? それで君は正しいねとでもいって欲しいの?
中南米の例が邪魔だから抹殺したいという本音が透けて見えてるんだが。
中興の祖と称えられる光武帝とセウェルスだが
どちらも国家衰退の元凶とも言われる
光武帝は外戚と宦官の台頭を助長しセウェルスは不必要な軍事費支出で財政を悪化させた
本当の意味でのローマ崩壊の原因はカラカラ帝っつう気もするが。
>>112 サッカーは、馬上から棒状のもので対象物を奪い合ってゴールに入れるポロのようなものから、
走って棒状のもので対象物を奪い合ってゴールに入れるホッケーのようなものを経て、手足で
直接に対象物を扱う競技になったものだろう。
サッカーの起源とポロの起源は分けられないでよ。
>>116 一人の人間に全ての原因を帰する事はおかしいと思うが……
それにカラカラ以後も200年続いてるんだから。
セヴェルスはまだ功罪両方って感じだけどカラカラはやる事なす事ほとんどマイナスって印象
>>115 外戚は光武帝関係ない。
むしろ外戚を排除するために内官を宦官に限ったわけだから、むしろ対策した側。
前漢だと中常侍などの内官もバリバリ外戚が入り込んでた。
宦官の件は助長したといっても問題ないだろうが、幼帝が続かなきゃ大丈夫だった問題でもある。
学術論文とかだと漢王朝の滅亡理由は対外的には気候変動、
対内的には漢王朝VS名士≒豪族の対立構造が理由とされてることは2chでも無視されがちだな。
最後の四つの皇帝のうち儒学を重視した人間はいない。
桓帝は仏教を重視し、霊帝は兵家と経済を重視し、少帝、献帝は傀儡だった。
霊帝は太学出身の儒家を廃して新しい学校を作り更に下層や別のノウハウを持った人間の登用を促進した。
豪族が貨幣を寡占していることを憂い、売官によって貨幣を吐き出させ、改鋳して流通量を増やした。
結果従来の儒学を重んじ、貨幣寡占で小農民を支配する豪族にものすごい反発を受けた。
だが、実際には秩序を取り戻し、彼の治世の前半にあれほど見られた反乱が後半には存在しない。
改革を完遂しないまま死んだが、その改革は曹操らに受け継がれた。
>>122 中国以外の記述は偏っている気がするが、思い入れ入りまくってるっぽい漢武以外の中国記事は概ねあってるんじゃないかな。
流し読みした感想としては。
ちゅうか、アンチローマ(あと軽く読んだ感じではアンチコロンブス)っぽいことと、
所詮は出典引用もないネット記事ってことを気をつけておけばいい感じ。
欧州でも人によっては公正、人によっては贔屓かなってのもある。
でも中国にも言えることだけど、漢の武帝以外は上っ面撫でてるだけな気がする。
世界の国力比較などについては出典がわからんから何とも言えん。
出典書かない時点で関わり合いにならない方が良いかも知れんが、真偽を確かめたいなら聞くべきなんだろうな。
連絡先がないし面倒くさいので俺はやらんが。
>>122 出所不明な情報が凄く多い。
例えば漢の長安はローマ以上に水道が発達してたってな事を書いてるけど、
肝心の長安の水道名が検索してもそのHPしかヒットしない。
HPでは清まで扱っているのに国土面積ランキングでは13世紀くらいまでしか扱ってない。
ひょっとしてそれ以降の歴史になるとロシア・ツァーリ国とかの登場で上位を中華で独占
できなくなるからなんだろうか?
その面積自体どこから出てきた数字か分からない。
一番不可解だったのが都市人口。
武帝時代(紀元前141年 - 紀元前87年)の世界主要都市の人口で
アレクサンドリア 6万人
ローマ 5万人
アンティオキア 2万人
になってること。
ホント、どこからこんな数字をひねり出したんだろう。
>>124 そこの記述はそもそも中国内の人口も間違ってたり。
もっとも人口多いのは長安。
それ以前に臨シの人口の出典もさっぱりわからん。
『漢書』地理志には載ってないし、臨シの所属する斉郡自体が十二万戸、五十五万口とある。
いくらなんでも郡人口との割合的におかしすぎる。
歴史人口学のGeorge Modelski の人口比較だと大体紀元前100年ごろは
・アレクサンドリア 100万
・ローマ 40万
・長安 40万
・アンティオキア 12万
くらいだな。
126 :
世界@名無史さん:2010/09/17(金) 23:09:25 0
ばかにすんなよ
クズ共が
127 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 00:03:11 0
光武帝を元凶とよんでいるところに
頭の悪さを感じる
死んでくれ
前漢の滅亡の原因は劉邦
ローマ滅亡の原因はカエサル
光武帝スレを埋め荒らしした、上っ面だけ光武帝信者ぶる光武帝アンチが戻って来たか。
あれだけのことをやった挙句、今更漢関連スレほとんどに出現されても流石にバレバレだが。
130 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 00:47:05 0
黙れ
キチガイ
131 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 07:17:54 0
李世民厨は帰れ
132 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 07:30:01 O
ローマは前漢滅亡後も軽く1000年以上続くんだが
中の政権はずいぶんと様変わりしているがな・・・・。
中の連中はトルコのどこにもいないし、滅亡後一度も政権を奪還できず。
偉大な漢民族とは雲泥の差 ネトウヨは日本もいずれ併合されるとまだ理解出来ないの?w
134 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:01:20 O
中国は凄いが漢はすごくないってことだ
>>115 外戚の台頭は3代目の章帝からだろう
光武帝の頃は后2人の一族はどっちも粛清されたり自重したりしてる
>>120 若死にが多すぎるんだよなあ
幼くして即位した皇帝ばかりなのに光武帝より在位が長いのがラストの献帝しかいないという
>>135 実際東大学派で名大教授だった五井直弘氏などの本でも、
親族重視の「親親主義」に移行したのは章帝からだといわれているね。
光武・明帝の時期までは、どれだけ功を上げても外戚の官位は九卿までだった。
後見役である太傅も、明帝が遺言して章帝につけたのは、昆陽の戦いにも従軍した功臣の一人で、
昆陽では満身創痍の重傷で帰還した、たたき上げの軍事・外交・辺境事務の専門家であった趙憙。
白虎観会議で儒学の経典を定めた章帝の子の和帝からは、太傅・録尚書事が外戚に占められるようになる。
宦官問題も、実は順帝が一番大きい罪を犯している。
宦官に財産の世襲と家督を養子に継がせることの許可を出したことにより、
本来宦官が私腹を増やしても個人の範囲を超えようがなかったのが、
宦官の周りに親族集団を形成させてしまった。
さて、五井先生の経歴を別の人と間違えるという失礼なことをしてしまったっぽい俺は回線切って吊ってくるとしよう。
光武帝とセウェルスじゃ人格・功績ともに違い過ぎるだろ
混乱期を経た国家の再構築っていう意味ではカエサルやオクタヴィアヌスに近いよな
140 :
世界@名無史さん:2010/09/18(土) 19:53:38 O
光武帝ならディオクレティアヌスが同格だな
やったことが派手だから後世には酷評だが近代に再評価された
漢王朝があともう少し西域諸国へ進出していれば・・・
ローマがあともう少し黒海北岸へ進出していれば・・・
そういえばやる夫で光武帝があるが、あれってどの程度正しいんだろうか
新末後漢初ヲタが答えよう。
☆長所
メインラインは概ね正しい。
光武帝にとって都合の悪い逸話には韓キンの件を除けばほとんど触れてると言える。
視点は昆陽検証を除き概ね公正だと思う。
下ネタ。
☆短所
重要な文官には触れられてない。(張純・馮勤・侯覇・趙憙は触れられてもよかった。)
軍制の面白いところには触れられてない。(特に黎陽営など。)
古い研究のうち、今の考え方の基礎となってる部分については扱いが低い(新しい論文を基礎としたことの弊害か)。
豪族連合政権説に拠ってるぽかったから
この説を嫌いな人には合わなかったかも知れない。おれは違う
サンクス
146 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:42:59 0
>>141 ローマは一応1000年後までクリミア半島を支配したはず
147 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 17:41:39 0
俺にはあわなかった
ちょいとふざけすぎているのがな
あれで光武帝達をそういう目でしか見られなくなった人も多いだろう
すぐに直るだろうが
>>119 カラカラという出来損ない生んだ時点でセウェルスの罪は重いww
カラカラはローマ市民権の何たるか、権利と義務の何たるかを理解してなかったよなあ
権力者が国民をコントロールする肝をわかってなかった
>>147 歴史的、研究的な真偽ならまだしもそこか……
結局のところ、「やる夫」だからなあ
いろんな時代の史書に対する「演義」や小説、戯曲のようなもんだろう
(学問的にわかってる人が)いちいち「そういう目」だの「直る」だの善悪入った言い方するようなものでもなかろうに
>>149 その子はなんか文体的に低年齢層っぽいから暖かく迎えてやってください。
151 :
世界@名無史さん:2010/09/19(日) 23:08:53 0
いちいち煽るようなコメントすんなよ
そういうのが嫌いな人だっているんだよ
先にやらかした方が全面的に悪いってわけでもないが
誰がいらんこと言ったせいできつめにもの言われるはめになったかは考えような
>>147は前半だけで十分、後半2行こそ余計な煽りじゃろ
やる夫と言えば「第一人者になるようです(アウグストゥス)」や「ローマに喧嘩をうるようです(ハンニバル)」が好きだったなあ
歴史的な整合性についてあれこれいえるほど詳しくないのでそっちの方は保留しとくけど。
154 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 00:43:51 0
やる夫は壺に帰れ
ゲスが
>>151 >>147は自分の好き嫌いだけ語ればいいのにそれとものとしての善し悪しを混ぜた物言いだったのがいけなかったんじゃないかなあ
ID出なくても口調の上から目線、俺様正義具合で誰だかわかっちゃうもんだね
光武帝って遅くまで街に出てて宮殿から締め出されたり
美人画にみとれて部下に叱られたりするような人だったから
ネタにされててもあんまり違和感なかったな
158 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 01:35:42 0
おもしろい奴らだね
ククク,,,
159 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 01:36:40 0
333
160 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 02:00:36 0
;
161 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 02:26:04 0
フリーザ[サイヤ人のサルが!!]
>>122 ローマの水道の記述もおかしいね。ローマ人がサイフォンの原理を知っていたのは本当だが、
水道橋を使ったのは、高低差がある程度あると、サイフォンの原理が通じないのを知ってい
たからで、技術がなかったわけじゃないし、水道管理は知らないどころか、専門の役職があ
った。
それにローマの水道管の耐久力にケチをつけているわりに、肝心の漢の水道管(?)の素材
が何かを述べてない。
それと、ローマの公共便所に税を課されたというのは、「小便税」を勘違いしている。
あれは、小便が染色に使われるから公衆便所の小便を利用する染色業者に課されたものだ。
小便にも使い道があったから、単純に汚水扱いできないところがある。
印象としては、漢に関することでそれほど間違ったことはないのだろうが、多文化を低く
見ることで漢マンセーにしちゃってる感がある。杉山正明の逆バージョンって感じだな。
光武帝「嫁を娶らば陰麗華」
後年、年老いてから言ってるならともかく20そこらのときに言ってるんだよね
で、年齢差を考えると当時の陰麗華は……
いくら古代といってもその宣言は……
熟女萌えの人だったんだろ
いやまぁ、皇后に昇格したとき確かに陰麗華三十代だが……w
肝心の陰麗華が9歳の時に「嫁を娶らば陰麗華」と宣言してるんだよね。>光武帝
当時、光武帝は20歳。
20歳の若者が9歳の幼女を指して「嫁を娶らば!」と宣言しちゃう。
そこにしびれるあこがれる。
>>162 水道に関しては自分も気になってた。
そもそも昆明池から長安に水路が各戸に引かれたとか書いてるけど……
それ、排水溝。上水道じゃない。むしろ下水道。
つうか、市内にむき出しで走ってる水路を上水道に使うとか……
下水道についても殷(商)のものが世界最古だとか言ってるけど、
もっと古いものがいくらでもあるし。
あのHPは国土面積ランキングも意味が分からない。
前漢後漢ともに中華人民共和国より面積が広い事になってる。
唐に至っては中華人民共和国の3倍もの面積になってる。
どんな計算をしたけっかあんな面積になったのか。
ローマをけちょんけちょにこき下ろす事で、漢こそが当時唯一無二の帝国だ! ってな主張したいんでしょ。
ていうか、下水道の項目はなんなの?
商(紀元前1500〜1000年頃)のものが世界最古だといっていながらその少し下に
モヘンジョダロ(紀元前2500〜1800年頃)の下水が載ってる。
ひょっとしてモヘンジョダロが商より古いって知らないのだろうか?
個人のサイトの批判はネットヲチ板でやれよ
まぁ、正しくない情報がほとんどという確認が取れただけでいいんじゃね?
下水道の「他国の場合」って項目は「環境白書」のHPからのコピペ祭り。
http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=214&serial=12771&bflg=1 しかも丸コピするんじゃなくて都合の悪い部分は無かった事にしたり、改ざんしたりしている。
紀元前2200年ごろの下水道について記したオリエント文明の項目は丸々無かった事にしている。
同じく高度な下水処理システムを持っていたクレタ文明についても丸ごとカット。
エジプト文明も中王国時代の都市カフンについてはかなりのレベルの下水システムがあったことが
書かれているのに、その部分はカットして、庶民の間の雑な衛生についてのみコピペ。
ローマについても改ざんが見られる。
<原文>
>2階以上にある便所は下水道網とつながっておらず、多くの場合、汚物や汚水は運び降ろされて階段の入り口の穴の中に溜め置かれ、
>そこから定期的に運び出されなければならなかったようです。
<改ざん分>
>多くの便所は下水道とつながっておらず、多くの場合、汚物や汚水は運ばれて穴の中に溜め置かれ、そこから定期的に運び出されなければならなかった。
原文では「2階以上にある便所」と限定しているのにそれを改変。続く文章でも「運び降ろされて」「階段の入り口の穴の中」といった文を書き換えることで
元は2階以上に設置された便所限定だってことが分からないようにしている。
あ、ごめん。
商じゃなくてその前身の竜山文化の下水が最古だって主張だった。
竜山文化は紀元前2500〜2000年だからオリエント文明やインダス文明より
古いとはいえないけどね。
>肝心の陰麗華が9歳の時に「嫁を娶らば陰麗華」と宣言してるんだよね。>光武帝
>
>当時、光武帝は20歳。
>
>20歳の若者が9歳の幼女を指して「嫁を娶らば!」と宣言しちゃう。
>そこにしびれるあこがれる。
今やったら確実に逮捕だなw
男らしすぎるだろう。
そしてずっと後とはいえ本当に嫁にしてしまうとは……
剛毅、あまりにも剛毅。
陰麗華で画像をぐぐると幼女萌え画像多すぎ この頃の糞オタはマジ気持ち悪いのう
175 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 21:53:03 0
フリーザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ナッパ様
クンッ
いくいくーーー
私の戦闘力は53万です
こっぱみじんにしてやる
あの地球人のようにな
キモヨタのことかーーー
うーん、いいねえ
次どうする?
176 :
世界@名無史さん:2010/09/20(月) 21:56:07 0
正しくないのはお前らだーーー
非リアより
世界史板ではしばしば、ハンニバルと劉備軍が戦ったら関羽は象に踏まれて死ぬだろうという憶測でしかない発言が見られるが、
中国では春秋の呉楚の戦い(伍子胥の頃)に楚軍の象兵は直進しかできず、その進路を開けて通せば真直ぐ行ってしまい再び戻ってはこないことが見抜かれていた。
春秋を諳じることが出来るほどの教養人だった関羽がその古事を知らないはずがなく、
象兵が来ても冷静に対処できるでしょ。
で、両翼だけになったハンニバル軍を包囲して殲滅すれは劉備軍の勝ち、あら!?孔明なしでも余裕で勝てんジャン!
>>177 意味解らんが、ハンニバルの勝ち戦に象はほとんど絡んでないぞ。それに、呉楚の戦いの
あれは、苦し紛れにペットの象を放して突進させただけで、人が操る象兵じゃない。
ってか、ハンニバル対劉備なんて面白くもない対決、世界史板の住人が本当に想像したのか?
他に名将がいくらでもいるのに。
>>180 どのスレ? 一体何主張したかったのか気になるw
182 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 08:25:40 O
ハンニバル対韓信ならおもしろいがな
まぁ気にしてやるな。
鯖落ち前にも、そんな感じの題のネタスレにもならんの立ててハンニバル好きやらを煽っていた奴だろうし。
>>181 鯖落ちした「ハンニバル対劉備軍」のスレ
ハンニバルは項羽に似ているんだよな。
何度も何度も勝っているのにその勝利が勢力拡大には全く結びつかず、
虚しい勝利を重ねるだけで最後に手痛い大敗北を喫してアボーンするところが。
李氏朝鮮はローマ帝国ににているんだよな.
何度も何度も秀吉軍を撃退したのにその勝利をネトウヨが認めず、
近代になって蛮国日本が李氏朝鮮を滅ぼしてアボーンするところが。
>>186 君さぁ自分の顔鏡で見てみ
朝鮮人と同じノッペリ顔のモンゴロイド
同族嫌悪
ネトウヨ乙
189 :
世界@名無史さん:2010/09/21(火) 12:01:16 0
ジャンプSQでローマ物やってんだ
初めて知った
カラカラ帝対劉備軍ならおもしろいんじゃね?
古代朝鮮帝国VSローマなら名勝負期待。
>>187 >>186はローマ帝国が李氏朝鮮のように暗黒だといっているのではなく、
李氏朝鮮がローマのように輝かしいと主張してむしろ日本のネトウヨを釣りたいんだと思うよ。
ローマ好きが釣れたのは多分予想外。
とりあえず「朝鮮」をNGしとけばいいのかな?
>>189 SQじゃなくてSQ増刊の季刊誌ジャンプSQ19だからな。
>>185 「戦術の天才、戦略の天才にあらず」というやつだな
196 :
世界@名無史さん:2010/09/23(木) 11:37:31 O
ハンニバルは戦略も大したものだったよ
相手が悪かっただけ
元老院の1/4が戦死しても戦意喪失せずに戦い抜くからな、当時のローマは
違う意味で全盛期だ
相手が悪いというより、本国が駄目すぎな感じが
本国は確かにハンニバルに非協力的だった
ただ、アルプス越え・北方からのイタリア半島侵攻はヒスパニアのハンニバルの独断だったし
本国としては農業で国庫は潤ってるんだからローマなんかと戦いたくないという考えがあった
これは駄目すぎと言えるものではないと思う
本国の悪い点は戦争を続けるにしろ、和平を結ぶにしろっ徹底的にそれを
行わなかった事。
本国の貴族はマジで足引っ張っただけだったな。
そしてローマも基地外じみてた。普通の国家ならとっくに降伏してる。
ピュロスしかりハンニバルしかり、戦闘に勝っても戦争に勝てない。
ある意味カルタゴ人の方がまともだったと思うよ。あれだけ指導者階級
失ってなおかつ、それ以上の大軍編成してくるローマが以上。
>>200 中途半端なのはハンニバルも同じ
ハンニバルはローマを包囲するか、すぐにカルタゴに帰るべきだった
当時の都市は要塞でもあるからこれを攻略するには籠城戦で何カ月も時に
よっては何年も包囲しなければいけない。カルタゴも陥落には3年かかった
し、ローマが反逆したカプア・シラクサ攻略にも2年かかってる。また当時
の首都ローマの人口は50万前後、奇襲でもして速効で落とさない限り包囲する
どころか逆に包囲されかねない。しかも背後は敵だらけ。また本国に帰っても
益は少ない。ローマに回復の機会を与えるだけ、ハンニバル的には戦争が終結
しない限りは相手の領地に留まって相手の兵力を損耗させて、相手の生産物で
軍団養っていくしか方法なかっただろう。
205 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 19:21:09 O
まあ、戦略としては地道にシチリアを占領した方がよかったな
アルキメデスという最強軍師もはいるし、補給もしやすい
シチリアでローマを打ち破り続ければ、いつかローマもおれただろ
ハンニバルがイベリア半島の兵を使ってイタリアを攻めたからスピキオに簡単にイベリア半島を落とされた
ハンニバルはローマを攻めないんだったらイタリアの地方都市を落として略奪でもして兵を慰撫してからイベリア半島に帰ってからヨーロッパの植民地でも増やしたほうが良かったと思う
イタリアに残るんだったら、イベリア半島への退路のイタリア北部は押さえとくべきだった
なんで漢王朝とローマ帝国スレでハンニバルの架空戦記になってるんだ?
歴史にifは禁物だし、どうしてもしたいなら他にスレ立ててくれ
この程度の雑談は良いんじゃね。別に決まった議題も無いんだし。
ハンニバルに負けても負けても最後に勝ったローマと項羽に負けても負けても
漢を作った劉邦。ローマが集団体制で勝ったのに対して個人で一から国を作った
劉邦。興味深いね。
そう考えると共通点と対照的な部分が浮かび上がるね。
210 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 22:15:33 0
小さな地方都市から始まる事
互いに強力なライバルがいた事、
最後は歴史的に長く対立してきた民族同士の戦いになる事、
後何があるっけ共通点
色んな国の文化や制度を吸収して大国へと上り詰めたこと。
奴隷階級からの脱出が建前上容易だったこと。
後に宗教の受容によって変質すること。
212 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 23:20:12 0
そして理想社会が今の中国に誕生した階級闘争に勝利し日本の侵略を退け
素晴らしい国になった日本はもう終わりだろうな今の時代中国だ。
213 :
世界@名無史さん:2010/09/24(金) 23:41:32 0
>>212 ああ、
今日は負けたと思ったよ。
お前らの勝ちだよ。今日の所はな。
せいぜい今を楽しめ。
貴様らの明日は今日の日本よりもっと悲惨だろうからよ。
目標不明の自演か自演でないのかもわかりにくいレスはしないでほしい。
挑発にしては言葉が柔らかすぎるしマンセーにしては心籠ってないし。
>>210 この当時はまだ中華料理もイタリア料理も現代とはだいぶイメージが違う事
216 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 07:33:16 0
ローマは漢の冊封国であったので
中国がローマ領土を領有する歴史的根拠となる
そもそも印璽を授けられていないものを冊封とは言わぬ。
218 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 11:01:14 O
その中国はローマの一属州に半植民地にされましたが何か
大敗二連敗な上、首都もあっさり占領されましたが
しかし中国は負けなかった
負けていない以上中国はローマ領土全域を支配する
歴史的正当性が有るのだ
バカが総出で言い争いされるとどっちから突っ込めばいいのかわからん。
ハンニバルはあの時代の西欧ではまあまあの司令官だったと思うが
(それでもスキピオに大敗しているが)、大局的な戦略眼がなかったのが致命的だった。
諸葛亮は根無し草だった劉備に天下三分の計という国家戦略を伝え、
最終的には劉備を皇帝にまで登りつめさせた。
国家の趨勢とか時代を冷静に見つめる目は、ハンニバルよりも諸葛亮のほうが遥かに上。
ハンニバルと劉備軍が総力戦を行ったら、最終的に勝つのは劉備軍。
222 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 13:04:50 0
ローマの方が自由で明るい現代につながる文化があるな
漢代は酷吏やら、呪術社会やら、迷信の方が大きい感じがする
だから、んなドヤ顔で互いに明後日の方向向いたレスされても突っ込みが追い付かないから。
短命国家に終わった蜀
諸葛亮はやっぱ大したことない
そもそも劉璋を騙しただけだしな
天下三分の計とは言うものの魏と蜀の国力差考えれば全く釣り合わねーよ
ハンニバルの外交センスと戦略下手は民主党に匹敵する
226 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 14:56:03 0
欧米に対向するには中国のもとでアジア人が1つになるしかないね。
国境がなければ素晴らしいじゃないか
アジアの人々と自由に国際交流ができる
君はもちろネトウヨじゃないから反対しないよね。
釣り針だらけすぎて流石に突っ込む奴いねえだろめんどくさいもん。
もうちょい考えてやれよ。
軍事の天才かつ外交の天才って人は少ないよね。どうしても人は自分の得意分野で
問題を解決したいと思うのは人情だな。そんな中でも両方の才能があったのはカエサルと
スキピオかな。漢の方ではだれかいる?
>>228 蜀漢の名宰相にして同時代最高の軍事的奇才諸葛亮を忘れないように。
中央アジアの平原で、
冒頓単于率いる匈奴軍とハンニバル軍が対決したらどうなるだろう?
双方兵力は5万とする。
231 :
世界@名無史さん:2010/09/25(土) 19:57:50 O
カルタゴにとっては、ハンニバルは余計な遠征をして亡国の原因を作った不肖の将軍なんだろうな。
ハンニバル=キョウイ
だな。
「軍事の天才」がどういうニュアンスかにもよるかな。
戦場の天才という意味なら、後漢だとせいぜい班超あたりだろうか。
班超は宦官含む数十人の使節団で夜襲をかけて匈奴の一部族を追い払い、
外交で現地兵を得て西域を安定させるという離れ業を行った。
虎穴にいらずんば虎児を得ずの故事で有名な人だ。
他の後漢の人物だと、
二十八将には軍事と外交双方に才能がある人間は何人かいるが、外交で天才というようなレベルには達してるやつは居ない。
祭ユウは班超とややキャラかぶりの上に業績が地味すぎる。
馬援は戦略家としてや、地図や馬具開発の軍需方面では才が高いが外交ではアピールポイントが弱い。
そもそも劉秀を説得に来て魅了された件は外交官としてダメダメだろう。
劉秀の対異民族外交は穏健で日本人には評判がいいが、現代中国人には弱腰で禍根を残したようにみえるようだ。
実際北匈奴が飢饉で苦しんでいると、それを好機と見た部下の征伐要求を振り切って支援するのはアホの子の領域だろう。
「宋襄の仁」のいい見本という奴だ。後半生が中国で老害扱いされるのも仕方ない。
>>229 諸葛亮は名将というには実績が足りないな
張コウより少し上くらいの将軍だな
でも陳寿によれば魏の5将軍も名将らしいから、諸葛亮も名将のうちに入るかもな
234 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 01:32:57 O
>>224 魏と蜀の国力の差は五倍以上あるのにもかかわらすず、
互角どころか常に北伐の軍を起こして対魏で優位を保っていた諸褐亮の政治手腕を称えるべき。
>>234 とりあえず宮崎市定の「大唐帝国」ぐらいは読んどこう。な?
名将にも功績のよる上下が存在するんだよ
もちろん諸葛亮や魏の五将軍や蜀の五虎将は下の名将だな
後漢末から三国時代の上の名将は曹操、トウ艾、孫堅、皇甫嵩くらい
赤壁の戦いは黄蓋の計略が大きいから周瑜が上の名将と言えるかは微妙なところ
>>208 劉邦軍も層が厚いからな
劉邦なんて元祖人徳だけの男だし
個人的には「秦王朝とローマ共和国」スレの方が良かった
>>236 そこは孫堅じゃなく孫策じゃねと思わんでもない。
241 :
世界@名無史さん:2010/09/26(日) 12:02:33 0
統率力でランキングしてみる
100 ハンニバル、韓信
99 スキピオ、白起
98 カエサル、冒頓
97 コンスタンティヌス、劉秀
96 ベリサリウス、班超
95 スラ、アウレリアヌス、曹操
94 シャープール1世、オダナエツ
93 ヘラクレイオス、項羽
92 トラヤヌス、劉邦
91 マリウス、司馬中達
90 バシレイオス2世、アグリッパ、孫策、トウ艾、諸葛亮
武帝とセウェルスがいないぞ
この二人なら統率力120くらいある
セウェルスは確かに上位確定だろうが、アウグストゥスがいない時点で武帝はランク外じゃないかのう。
>>241の統率の定義とは違う気がするでよ。
>>240 孫策は5年かけて辺境の1州を征服しただけだから実績不足じゃないかな
敵も劉ヨウが最強だしな
少なくとも孫策か孫権のどっちかは陳登に大敗してるんだよな
>>238 劉邦は大して人徳ないだろ・・・
個人的に嫌う人間は多かったし、諸侯も形勢不利になると普通に離れていった。
劉邦のもとに人材や群雄が集ってきたのは、項羽が上司として働き甲斐がなさすぎたから。
人徳というか、人望はかなりあったと思うぜ。
なけりゃあの各元王国の独立性の強い時代に諸王に推戴されて帝位にはつけなかったろうし。
帝位についた同年に韓信の与党とも言える代王の粛清をやって反乱されずにはいられなかったろう。
あと敗北で諸侯が離れるのは当然だろう。
元から群雄として劉邦とは別に独立して功績上げてきた連中が、戦国時代の各々独立性強い土地柄に拠って立ってるんだから。
戦国の覇者が大敗で覇者の権利を失うのと同じ原理。
おまけに秦の統一に反感を持っていた人間も多いんだから、儒教普及後の一体感のある中国とは話が違う。
韓信に離反を勧めたカイ徹の逸話や、後の粛清の多さから逆算してしまうから、
嫌ってるやつが多いとかそう思われがちかも知れんが。
漢王朝がもし太平洋に海洋進出していれば・・・・
ローマがもし大西洋に海洋進出していれば・・・・
史実では大百済が日本を征服したんだから仕方ないよ。
>>247 漢水軍は太平洋で魚の餌となり
ローマ軍団はインディアンに全滅されるわけか
不器用な項羽と、ツンデレなスキピオの萌えの話をして下さい
そこに、「スキピオは俺の嫁っ!」、と言いながらハンニバルが登場して、
項羽VSハンニバルのザマ決戦。
崖の上から、「はんにばるぅう・・・・」、と見つめてる張良
そんな展開を希望してます
戦場での司令官としては、張良よりもハンニバルのほうが上っぽいね。
当たり前田のクラッカーというか、劉邦に助けられなければ死んでいた人じゃからのう。
254 :
世界@名無史さん:2010/09/29(水) 19:50:49 O
ローマには軍師って人物がいないんだよな
なんで?
>>254 非常に平たく言えば、
軍師=全軍司令官=コンスル本人だから。
じゃあ皇帝に相当するのは誰かといえば、元老院ということになる。
要するに、例えばスキピオというのは「元老院の軍師」という面が明確にある。
SPQRつまり共和政体というのは、本来そういうものであって、
軍師なるものは、君主制特有の概念。
そう考えると、中途半端な貴族政だったカルタゴにおいて、
ハンニバルという人物が、実に微妙な位置で戦争を遂行していたことが分かる。
ローマの実質を、(非民主的・非共和的な)寡頭貴族制と腐す人は多く、
(こういう非難のしかたは、アテネ以来の伝統でもある)
ある意味で本質をついているが、
単に王政が寡頭制になった典型例であるカルタゴの貴族制とは、
少なくとも建前の上でかなり質が異なることに注意が必要。
むしろ君主制特有っていうより日中特有の文化だろう>軍師
他の国じゃほとんど見ない。
賓客文化+東亜的君臣文化の融合+官僚制の先進的発展という要素が複雑に絡み合って生まれた気がする。
日本だって軍師なんて殆ど馴染みないだろ
大抵はフィクションか他と変わりのない家臣団の一人だったとかだろ
講談気取りの軍人といえば我が国では戦後のドラマや小説でのステロタイプですが何か?
そういやローマ軍には軍師はいないな。
劉備に対する孔明みたいな存在が
ハンニバルやカエサル、スキピオやトラヤヌスら、
武力・知力・統率力に秀でた彼らに、更に軍師的存在がいれば最強だったのに
そもそも、軍隊における軍師的ポジションがなかったのかな
諸葛亮は軍師ではなく、蜀漢軍を直接率いる総大将、将軍、総司令官に当たる。
多分、正面からの会戦なら神出鬼没の諸葛亮に勝てる人は、ユーラシア全土において、諸葛亮以前の人物には無理と思われる。
諸葛亮以後となると、流石に宋の火薬やヨーロッパの鉄砲には苦戦するだろうが。
諸葛亮はスティリコやアエチウスみたいなもんか
いい加減、三戦厨うぜえ
蜀漢は自称漢の後継だし、時代的にも繋がってるからこのスレの範疇ではあるけど
孔明なんて結局、司馬仲達に勝てなかったし
馬ショクの件や死後しばらくの蜀のありさまを見ても統率力には疑問が残るが
そもそも正面切っての会戦なのに神出鬼没って?
戦術が変幻自在っていうならわかるけど
>>259 ローマは帝政後期を除くと文官と軍人と政治家の区分がなかったしな。
政治も外交も文治も軍事もできるのが基本だから、軍師という一種の専
門職が出ようがない。戦術・戦略を進言する人間がいても、それは幕僚
になるからな。
>>260 諸葛亮の政治家としての手腕や戦略家としての見識はともかく、戦術家
として無謬だったって単なる三戦厨どころか、単なる演義厨だな。そん
なに言うなら孔明が正面会戦をどれだけやって、それはどんな兵力同士
でどういう布陣でどういう用兵をやったか説明してくれ。
ああ、スレチになるからどっかの隔離スレで頼むな。
共和制以降は、統率力や判断や経済観念や調整能力のある人材が国のトップとして選出されるシステムだからね
この能力自体が軍事にも必要なこと
軍師に相当するものなら確かルビゴン渡河前に袂を分かったカエサルに対するラビエヌス
それとオクタビアヌスに対するアグリッパが有名だね
その他も歴史上に出ないだけで、コンシリオリ(助言者)習慣のあるローマじゃどの時代にもいたかと
>>260 孔明の場合は史実が明らかにしてる通り、有意な実績は内政の農業政策だよ
高級官僚のトップとしては有能でも戦術家としての才は客観的に見て資質に欠けるし
組織の責任者は現場上がりでないとどうしても受け容れられない
それにシビリアンとミリタリーとの対立は根深い
シビリアンからすりゃ殺し合いしかできない脳味噌筋肉が!となり
ミリタリーからすりゃ過酷な現場知らずが何勝手なこと決め腐る!となる
孔明がミリタリーからの反発が強かったかどうかは知らないが
ミリタリーにとっては少なくとも将軍未満の人望であったことは容易に推測できる
まあ時代や世の東西を問わず、大抵は官僚(議会)と軍人の調整役がトップの役目であり
現代でもメーカーなら技能と事務職、事務職でも営業とそれ以外は対立するのが普通
それをまとめるのが企業トップの実権を持つ社長に権威を持つ会長だよ
これが近現代型企業システムであって、組織学の基本
「賓客」を重視して歴史に多く記述した中国人と、
指導的役割にあった当人を重視したローマの歴史叙述方針の違いというのはあるかもね。
>>264 ラビエヌスやアグリッパが軍師的位置づけは無理があるだろう。ラビエヌスは別
働隊の指揮官が多いし、アグリッパはほとんど軍事総司令官に近い。
そりゃ、軍師のイメージにもよるが、中国的な総司令官の傍らにあって実戦指揮
官と別に政略、戦略の助言を行う文人的な軍師というのはローマ軍にはないだろ。
軍組織の中の配下の軍人という立場で進言・相談相手になる者はいただろうが、
それはあくまでも参謀になってしまう。この辺は中国史でも軍師扱いにはなって
ないぞ。
あと、近現代型企業システムがどうとか現代の感覚で言ってても仕方がない。
孔明厨の肩を持つわけじゃないが、一枚岩でもなかった蜀で将兵の人望が孔明よ
り将軍のほうが上だったら統制がとれなくて蜀が空中分解している。孔明死後の
蜀軍の分裂と混乱見てても分かるだろう。
蜀軍における孔明の功績は、信賞必罰を公正に実施することで将兵の人望を揺る
がせなかったことだ。
別働隊の指揮官等が軍師でないなら、馬援あたりは軍師の定義からがっつり外れるな。
268 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 15:15:02 O
燭漢の宰相がハンニバルなら街呈で張コウを包囲殲滅して、司馬中達をだまして無傷で函谷関を通り抜け
河北あたりで巍の本隊を包囲殲滅してるレベルのことやってるんだよな
孔明はやはりしょぼい
269 :
世界@名無史さん:2010/09/30(木) 19:51:19 O
始皇帝と劉邦のせいで、つまらんくなった。
>>268 世界史上屈指の天才戦術家と比べたら可愛そうだよ
孔明にも八陣という伝説の陣形があるじゃないか
八陣は三国志や晋書にも書かれてる史実だよね
アグリッパは軍師じゃないだろ。優秀な軍人だけど
でも、ローマ帝国で、
皇帝自身の能力は低いけど、知力が高い軍人・兼宰相みたいな軍師的な人物がいて、
その時代を乗り切った時があったような気が
えーと。
誰だっけな。
パっと思い出せないが、たしか居たと思う。
張良や孔明ほどじゃないが、それなりの人物
ネロの家庭教師セネカのことか?
ユリアヌス帝にも、ガリア人の軍師がいなかったっけ
まあ、ゼネラリストたるべしがローマの方針
今で言う役場のヨロズ相談所から始まって、法務や財務徴税責任の担当もこなし
幅広いキャリアを重ねて執政官
執政官が終われば支配地域の全権代行で、その中の一部が国庫責任者
つまり国のトップは政経軍事内外交総務全てを経験して選出される
だから一つのことを掘り下げるなんてことはそうそうできない
実体験の積み重ねを通じなければ、専門分野で客観的に観ても独自且つ的確な判断なんて無理
その意味で共和制時のマリウス、スラ、ポンペイウスは軍略の実地と専門教育を受けたミリタリー出身
カエサルは後年十分な経験を得たが、専門外の非ミリタリー系
叔父がマリウスで、その威光を引き継ぐ形で平民の狂信軍団がいた結果で
ガリアブリタニア制圧=カエサルが偉大な戦術家かといえるかどうかは疑問
自身で戦術を練ったのではなく、配下の意見を採用したと見るほうが妥当かな?
もし全てが自身の発案であれば、例外中の例外でしょ
カエサルに限らず戦術については軍事の生え抜きにやらせて
ローマトップはその案を採用するかしないかの判断位でしょ
広く浅くがローマの方針だから、いくら有能でも軍略に精通してる人はそうそういない
また前述のスラやマリウスでもアドバイザー=コンシリオリとしての
軍師に相当する軍事顧問は当然居たと見るべき
カエサルは全ヨーロッパ(面積や人口は中国と同じくらいだよね)レベルの名将だと思ってたんだけど、部下の人選が良かっただけなのかもね
そう考えるとカエサルは劉秀より劉邦に近い気もしてきた
276 :
世界@名無史さん:2010/10/01(金) 13:26:06 O
カエサルが率いた軍は勝ち、カエサルがいない軍は負けたのは劉邦とは違うがな
277 :
世界@名無史さん:2010/10/01(金) 15:20:57 0
お前らはキモオタか?
漢とローマなんてどーでもいいぜ
それよりお前らの人生を今後どうするか議論しろ
278 :
世界@名無史さん:2010/10/01(金) 16:34:41 0
漢とローマを朝鮮人がたてたシナリオを考えて欲しい。
>>274 ルビコン以南の半島ならともかく、北イタリアや南フランス(どっちも広義のガリア)
の属州に、そんなにマリウスに影響された平民がいたか?という気もするが。
まだ北イタリアの属州民全員が市民権もらう前だし。
ローマの政治的紛争は、その地方がどっちかに支持を明確にしてなければ
基本的に影響は及ばなかったというのが私の見方なんだけど。
ローマにいれば取りあえずパンはもらえるわけで、出世を狙う騎士や元老院階級でもなくて
わざわざ属州まで戦争に行くようなのがそんなに沢山いたとは思えんのだがね。
ましてカエサルが来てから新兵募集されたようなの(第11軍団以降)は、
大部分が地元の人間だろうし。
Ryuju氏に同意。当時の兵はもう極端な見方をすれば、本国出でもいわゆる食いつ
め者だし、給料と戦争終了後の土地と戦利品の分配が目的になってるからな。
たまたま赴任したのがカエサルだった、というだけだと思う。
第8、第9軍団なんて徴募してるのがスラ門下のポンペイウスだし。
おまけにマリウス配下の兵士なんてとっくに退役・老齢化してるしな。
>>275 そりゃ能力的に互角でも己の野心を抑えるラビエヌスがいたからさ
平民出身だから限界があるし、カエサル四面楚歌状態で自分の感情よりも
建前の義理を優先させるなんてそうそうできない
理性と計算した寛容の権化で仕方ないと割り切ってても、唯一カエサルが感情を残した一件
それとカエサルと兵卒の間との細かな不満が噴出しないための調整役で
兵卒クラスでも親近感のあるアントニウスもいたから
ユリウスは確信があっても、下が首を傾げるような奇策命令が出ても粛々と実行してくれたんじゃない?
>>279 マリウスの功績は少なくとも平民を職業軍人として生活を保障して安定させたこと
騎士階級でなく一介の現場叩き上げでも、護民官上がりでなくても元老院より偉くなれる
権力さえ掴めば国のトップとして上り詰められる、そんな道筋をつけたこと
これで下層平民でも希望を持てるようになったと同時に元老院=貴族も派閥単位で取り込んだ
それだけ偉大な人物の威光を継承できた幸運なアイデアマンの没落名門がカエサルだよ
ま、叔父がユリウス法を作った人物だから、スラのようなスブッラ生まれの没落貴族と言えるかどうかは微妙だけどね
カエサル本人の能力も無論秀でている訳だが、ルキウス・ユリウス→マリウスと続く
その支持母体がなければ崇高な理念は理念のままで終わった可能性が高い
それにローマ一の金持ちクラッススから桁違いの借金しまくってなんて無理w
三頭まで上り詰めたのはクラッススが居てこそで、当然そこまで上りつめるための賄賂が借金の大半だろね
ま少し逸れたが、いわば角さんみたいなもんだよ、マリウスは
たとえ政治家タイプじゃなくても、ね
282 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 14:48:15 O
ローマは細く長く、漢は太く短く
>>281 下層平民から軍人になって〜という、その路線で出世した実例がないと、
「マリウスの軍制改革の効果でカエサルが属州民の支持を得た」説に関しては
説得力に欠けると思うが。
特に、マリウスの軍制改革からカエサルのガリア遠征までは数十年経ってるんだから、
「理論上そうなる可能性がある」だけじゃ人は動かないだろう。
現実には、下層平民からだと上位百人隊長がせいぜいなレベルで、
そうした兵士たちのうち、退役後にスッラが入植させた連中は
二十年後には没落して、カティリーナ事件の遠因になってる。
そもそもローマの正規兵は原則として市民権保持者だから、
属州で市民権持ってる時点で有産市民出身である可能性が高くて
中央政界に関心のない属州の有産市民がマリウス支持者である蓋然性は
かなり低いと思うが。
284 :
世界@名無史さん:2010/10/02(土) 16:57:30 O
カエサルが執政官になってから最初に行ったのは農地改革、ローマに居た元老院
階級が他人名義で借りまくった土地の没収と自作農の設定。これで一番得したのは
下層平民だけど、元老院階級の経済力が弱って相対的に発言力が強まった地方の有
産市民の支持も相当あったんじゃないかな。ガリア戦記なんかでのカエサルへの北
イタリア市民の諸手を挙げての歓迎ぶりや、ルビコン渡河以降のローマへの進撃、
及びその後のイタリア統治で地方の反乱がなかったのは、カエサルの寛容や常勝将軍、
平民階級の支持だけでは説明がつかない。地方の有力者が支持とまではいかなくても
傍観してたのはカエサルにそれなりの恩義を感じてたからだろう。
カエサルの寛容、、
ある事を思いついたが、黙っておこう
>>285 農地改革は先ず支持母体と軍団の要求の実現でしょ
それと桁違いの借金してまで権力得るために金バラ撒いた結果かも?
直接的間接的に色々な所に行き渡っているだろうし、それでメセナじゃないが
地方都市も潤う結果になってりゃ尚更
加えて長年の不安や恐怖を取り去る奇跡を見せた恩人をないがしろにはできないだろうね
今とは国の概念も違うだろうし
加えて世代は変わってもやっぱりオジキ達が平民を優遇したってことで
その系譜に属するカエサルに期待するでしょ
時代の流れも緩やかだし、50年で民衆が丸ごと入れ替わっても生活様式には変化はない
よって直接的な事実は残っても、民衆の期待感は残るかと個人的には思うよ
また同じ英雄でも名門中の名門でマリウスと対立したスラ門下のポンペイウスとは違って
貴族と平民の対立は王政時代からだし、直接的には小麦法から対立は綱渡りの連続
民衆の代弁者としての幻想があり
今や英雄的存在となって有力師団=権力を持つに至ったカエサル
ポンペイウスは保守だから、結局民衆よりも元老院を優先すると思われるんじゃないかな
元老院として正統じゃないからこそ判官贔屓になる
仮の話で、ガリア・ブリタニアを制したカエサルは東郷平八郎や山本五十六のようなものでもある
そんな彼らが議会から煙たがられて厄介払いされた挙句に国賊呼ばわりされれば?
更に更に、地方都市が議会の意見にそのまま従ったら、せっかく北方の恐怖が消えたのに
そのすぐ後で下手すりゃ蛮族つきのカエサル軍に街ごと粉砕されかねない
ただでさえローマ本国人から見りゃケルトやゲルマンなんて
未開で格下でも、自分たちより一回り以上デカくて凶暴なイメージ
猛獣をも飼い慣らしたカエサルが南下して来る情報が入って
元老院が軍隊派遣して守ってくれなきゃ、もし嫌でも歓迎せざるを得ないだろうね
とりとめのない長文乙だなこりゃw
>>286 寛容=計算ってことなの?
>>286じゃないけど、純粋に人がいいだけの寛容さなんて生まれながらの帝王でもなきゃ持てない気がする
いや、純粋培養の王族でも持てるかどうか
悪意はないにしても「寛容」の効果を計算しない政治的行動なんてありえないと思う
純粋に人がいいだけの寛容さを持っていると言えば、漢では恵帝くらいかのう。
呂后の息子で、高祖劉邦の逃走時にに放り投げられたことでも有名。
焚書坑儒をやめさせ、母に殺されそうになった異母兄弟を身を挺して庇い、義母の戚氏の変わり果てた姿を見て狂死した。
境遇を鑑みれば、父や父の寵姫、その血を分けた兄弟達を恨む権利を、
他の誰よりも持っていたにも関わらず、恨もうとしないどころか命を賭して救おうとした。
クーデター成功によって呂一族が反逆者となったあとも、後漢が呂后の皇后位を剥奪した時も、
彼の帝位だけは剥奪されず、彼の謚もそのままだった。
そろそろ漢スレでも立てようや
そういやローマスレはやたら建ってるのに、漢スレは鯖落ち前のスレが何一つ再建されてないな。
やっぱ尖閣の件で中国系スレはやや及び腰なのか。
西はローマ人、東は朝鮮人が東西の大帝国を築き上げた。
もっと朝鮮民族をリスペクトしよう!
いやです
中国史系スレは復活してほしいな。探検スレでのパオを見て、専用スレ必要だな〜
って心から思った。
当時は中東のほうが先進地域だったんですか?
297 :
世界@名無史さん:2010/10/09(土) 08:02:29 O
ローマ時代はアレクサンドリアが世界最先端。中東はダメだ
開発した技術もローマと中国は互角。パルチアはダメだ
>>296 宮崎市定は、前漢時代には先進国たる漢に黄金が流入し、後漢時代には西アジアと
いう更なる先進地域が出来たことでそちらに黄金が流出することによって、後漢が
不景気になって荘園経営による自給自足生活が中心になった、という考え持ってたな。
ただ、宮崎氏が西アジアというのをどこをイメージしてたか分からない。普通に考え
れば時期的には帝政ローマのシリア属州辺りじゃないかと思うが。
299 :
世界@名無史さん:2010/10/09(土) 08:07:37 0
実は高校のときまで、瓦町に住んでいました。
あの頃に比べて町の様子はだいぶ変わったけど、所々変わらない店もあり、
なんだか懐かしい・・・って、
空 き 店 舗 多 く な い か?
商店街を散策したんだけど、所々に下りたシャッターと
「テナント募集」の張り紙。
その前に行った松山の大街道が店も多くて、
イベントもやったりして頑張っていたので、
さらに寂れてるのを感じたのかもしれません・・・。
ローマのほうがイメージいいよな
>>298 西アジアは昔から先進地域だし、遠方だから不景気になるほど黄金が流出したとは思えないけどな
インドならまだ分かるけどな
不景気は宦官や外戚による悪政が主な原因だろ
漢代は製紙方や潮汐の発見や名刺の普及とか科学や文化が発展した時期だから西に比べて劣るってはいないだろう
ただ西ユーラシアは建築や建築美術は中国より優れてたと思うけどね
宮崎市定が生きた時代は西洋至上主義の時代だから西ユーラシアよりになったのかもしれないな
>>298 漢の不景気は因果関係が逆で、豪族の伸長による富の偏在と貨幣不足が原因だと思うがな。
後漢豪族の特徴として貨幣を抱え込んで放出しない傾向があった。
ついでに言うと、後漢は西域が統制下から離れがちなのでシルクロード経由の貿易は途絶えがちだった。
それで南方経由の貿易が発展するんだけど。
個人的には実を言うと不景気じゃないような気もするんだが。
近代で言えば好景気による財閥の伸長みたいな形に突入していってだんだん中央政府の統制から離れたんじゃないかと。
漢の画像石関連の美術は後漢になってから爛熟していくし。
303 :
298:2010/10/09(土) 18:23:53 0
黄金の流出による通貨不足、それによる豪族による通貨の抱え込み、だったと思う。
景気変動は世紀単位のマクロなレベルでのこととしての話だった。
詳しくは絶版だが、中公文庫「大唐帝国」にある。
ただ、宮崎氏も漠然としたイメージ的な感覚で書いていたと思う。
俺もちょっと今は首肯しかねる考えだとは思うけど、この本自体が中国の時代区分に関して
中世を定義することで、中国史の世界史的な統合を狙った、かなり野心的な内容だからな。
中央アジアが抜けてしまうのは、やっぱ時代の限界だとは思うけど。
ローマ帝国の末期は政府支出の大幅な増加と蛮族に対しての同盟・友好国
維持という建前の朝貢で通貨の価値が大暴落していったのは史書でも考古学的
発見でも証明されてるけど、漢朝の場合は豪族の伸張による貧富の格差の方が
大きくないか?あまり外部への通貨流出というイメージはないな。本来ならそういった
問題を是正すべき政府が幼帝・外戚・豪族関与・汚職官吏・宦官等で無能かつ重税を
課すって事で自己崩壊→三国時代突入ってイメージだけどどうかな。
>>304 というより、
A「皇帝・外戚・宦官」
vs
B「豪族・地方官吏」
という対立軸と、
a「皇帝・宦官」
vs
b「外戚・豪族」
という対立軸があるのよ。
ラージの方の対立軸が皇帝が大人になったあと、外戚排除後の構図。
スモールの方の対立軸が党錮の禁や外戚排除前の構図。
外戚排除後なのに新しい外戚が入ってきたりするのよね。
んで政争の多さで政策が疎かになっての崩壊。
あと「重税を課す」は間違ってる。
地方武力の欠如によって税を課せなくなるのが後漢の崩壊理由。
当時の実相を詳細に書いた名士の崔一族の著書によれば、
「朝廷は収穫の三十分の一税を課すといっているが、実際は用百分の一にも満たない税になっている」
「これでは豪族が伸長するばかりで、平準化など出来ようはずもない。」と言っている。
ぶっちゃけた話、現代みたいなセーフティネットの存在しない&武力が無い事でその予算の確保が難しい状況で、
新自由主義の欠陥が噴出したという事態にに近いイメージを持っていただければ正しいんじゃないかと。
日本史で言えば平安時代に近い?
近いといえば近いかも。
それで結局地方軍閥の力に頼らざるを得なくなる。
ただ他の国と違うのは、その軍閥のスポンサーに多く豪族がつき、
にも関わらず儒学の建前上から官吏の世襲を否定して、
その矛盾から試験制による門閥貴族とというヘンテコな形態に移行すること。
それと説明し忘れたんで、
なんで地方武力の欠如による徴税不能が直接崩壊に繋がるかという事を説明すれば、
・豪族の伸長によって豪族に隷属する小農民の割合が増えることによる不満の噴出。
・徴税できないのと同時に豪族の不法行為への対応ができなくなる。
・様々な乱の鎮圧が遅れる。
・税が少ないので公共事業が出来ない。
・官吏の給与が満額払い難くなることで、地方官吏の腐敗を招く。
・豪族の伸長によって賄賂の捻出が容易な層が増え、収入の面で地方官吏と豪族の間の格差が広まる。
これらが複合的に噴出してくる。
308 :
298:2010/10/11(月) 08:59:32 0
あとは豪族の伸張による、農民共同体の崩壊もあるな。漢の制度は農民共同体を
基礎にして個人一人一人を把握するシステムだから、この基礎が揺らいだら漢自
体も揺らぐことになる。
309 :
298:2010/10/11(月) 09:11:49 0
あと、皆の意見に同意するが、宮崎市定氏がもう古い人間になっちゃってるのは
哀しいな。世話になった教授は宮崎先生の直接の教え子ばかりだったし、俺たち
には中国史の神様みたいな人だった。
「師の師は師も同然」ってキグナス氷河も言ってたし。
水晶先生ェ
後漢の光武帝VS軍人皇帝時代のローマだとかだったら、いい感じで勢力争いで奇想
正確には生まれも育ちもイスパニアのフェニキア人な
9歳まではカルタゴで暮らしてるけどな
315 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 10:26:52 O
北伐によって弱小国蜀に対する大国魏の侵略を防いだのが諸葛亮、
しなくても良い戦いをローマに対して挑んで大敗して、カルタゴの国力を大いに落としたのがハンニバル。
316 :
世界@名無史さん:2010/10/21(木) 10:32:02 0
まあ孔明の軍事が無能だったら司馬懿に大敗してるんじゃないの?
>>315 ただでさえ弱小国の蜀を北伐によりさらに疲弊させ結果的に王朝の寿命を数十年分縮めてしまった諸葛亮
凄まじい勢いで拡大し続けるローマを散々に荒らし回り多くのレギオンを壊滅させカルタゴの寿命を何十年分も伸ばしたハンニバル
>>316 司馬懿すら討ち取れない程度の軍事だろ(笑)
司馬懿が軍事的にどうだったのかというのは王朝の開祖扱いを受けている故微妙な問題ではあるな。
だがまぁ、遼東戦の手際を見る限りでは軍事常識は豊富とみえるが。
まぁ、ろくに領土を広げることが出来てないと言われれば、否定出来る要素はないわな。
漢とローマスレで三国志厨房が喧嘩すんな。三戦板行け
孔明はシバイ相手にして負けたことはないよ。
大体にして、春秋の時代から軍略が研究されてきた中国相手にして、
硬直した戦略しか取れないローマやカルタゴが勝てる要素がない。
作戦を見破られて終わり。
ハンニバル=バショク
わかったわかった古代中国は凄いねー(棒読み)
2万弱の兵を率いて大山脈を越え、蛮族を味方につけて敵地深くに攻め込み、
何倍もの敵を戦術で屠り、10年以上も敵地に居座って荒らしまわり、
首都にまで迫ることができたらハンニバル級。
カルタゴ人の立場に立ってみよう
一次カルタゴ戦役で格下のローマにシチリア島西部を奪われ、しかも本土侵攻も受けた屈辱的事態
弱小で実質属州扱いの周辺国家に陰で嗤われ、反対勢力はローマの威を借りて不穏な動きを見せる
カルタゴ議員は半ば承知の上で、目先の利権確保と事なかれ主義の消極的姿勢
西地中海を中心とした全域での商業的覇権が一次ポエニで失墜しつつある状況
その階級に属する純粋で相応の権力基盤を継承したハンニバル
属州を含めると倍近くの人口差もあり、ガリアゲルマンとローマとの「敵の敵」の関係で
彼らの敵対関係はアルプスを越えたローマ側になる
ハンニバルが議会での数少ない憂国派を説得しての行動が読み取れる
ただ残念と言うべきか、事なかれなのか、理性的なのか、主流派は現実主義
ハンニバルの不幸と言うより、リスクを天秤にかけた議員たちの理性的で当然の結果
長老たちは似通ったシステムで半島を統一したローマの地力を熟知している
同時に各個人としては有力な取引先でもあるからね
長期的リスクや万一のことを考えれば、ハンニバルは「独断専行」でたまの援護も「しょうがないから」
これで双方の面目が立って和平交渉で穏便に済ませられる可能性が高くなる
共和制において、議会が義や情や愛国心よりも実利優先の判断を下すのは歴史の必然
王制なら王や側近が有利になる=不利にならない判断が理性的なんだよ
秦王朝と中原諸国―ローマとヘレニズム諸国
楚漢戦争―ポエニ戦争
光武帝―アウグストゥス
三国時代―軍人皇帝時代
ハンニバルは古代の西洋の中ではまあまあの司令官だったとは思う。
中国に生まれていたらカンシンやコウウどころか、ショウカンにも敵わなかったかもしれないけど。
中国厨なら漢字で書けやってところと、
章邯の評価が低い時点でお里が知れる。
>>325 ってことはアラブ小アシアがインドで北夷蒙古月氏がゲルマンケルトで
南蛮越がカルタゴになるのかな?
同時代で一般的な比較での時代としての共通性をはあげているようだが
一口に3世紀の軍人皇帝時代と言っても、ポストネロから既に実質軍人皇帝化しているよ
権威者が権力を持つ時代はローマじゃ少ない
ヴェスパシア初代2代に五賢帝時代の半分にセヴェルス・・
軍人皇帝時代と言われる遥か前から危機はミリタリーで乗り切ってて
ミリタリー以外のシビリアンや非ミリタリーの血統が継承したら暗殺続き
例外は養子としての五賢帝4.5番目のみ
そしてポストネロは日本の感覚では幕末と現代ほどの年代差がある
そもそも「穢れた血も500年で、千年で・・」の中国思想と
市民と貴族から権力や権威を無期限で受託した存在のローマ皇帝=元首は根本から異なる
>>301 先進地域だからこそ、黄金が流出するんだろ。
使いたいものが沢山ある、だから、宝飾品以外に使用価値の無い黄金で、
色々な産品を買う。
でもやっぱりユーラシア大陸の両端にほぼ同時期に君臨したから
比較したがるのも無理はない
>>331 細かいところは忘れたが、学生時代に法制史の教授が、家父長権の強い所とか
ローマの家族制度はヨーロッパより中国のほうが共通点が多いって言ってたな。
確かに、契約だの洗礼親だの、生活が倫理的宗教で規制されてるキリスト教世界
よりもローマのほうが感覚的にしっくり来るところはある。
ローマでは、家父長が家族を奴隷として売っても殺してもそれは権利として認められる、
仮に元首となった息子をその父なら殺すことも無罪だ、というふうに言うけれど、
それを実際にやる人は居ないことが判っていて、そう言っている、情の篤い人種だ。
支那は違うもんなあ。賓客をもてなすために妻を丸焼にした料理を振舞う、わが子を煮て
主君の食卓に供することで忠を美談とする、飢えたときには隣人と子を交換して肉を喰む、
という。
>>333 つっこみ入れるとだ、
最初のは三国志演義の劉安だろうが、作り話な上に作品上の劉備にすらその行動を悲しまれてる。
二番目のは因果応報譚で、子を殺した料理人は横死してる。管仲もそんな忠はまやかしだと言ってる。
三番目のは、むしろ飢饉の緊急避難においても自分の子供を食べることは出来ないという民族性を表すもの。
例えば文献における統計だと日本が丁度対照的で「他人に自分の子供を渡すのはもってのほか、自宅の家庭内で食べる」となる。
というか、飢饉の時の緊急避難の話をあたかも一般的な話のように語って、自分の品性を最低にまで落とすのがそんなに楽しいか君は。
戦前に教育を受けた学者や一般人ならともかく、現在で中国をシナという
輩の言う話などまともにとりあう必要は無し。
336 :
世界@名無史さん:2010/11/14(日) 10:12:47 0
東アジアと比べて中央アジア以西では子供をすごくかわいがるんだけど
やっぱりコーカソイドの子供は小さいころ可愛いからかな
>>333 スターリン政権下での「ウクライナ封鎖」を知ったほうがいい
前世紀の出来事で事実としての情報が揃っている
文化大革命は情報統制で曖昧化されている
前者は民族虐待、後者は中間管理員の名誉心と社会システムが招いた大規模なカニバリズムだよ
漢もローマも関係ない事を突然言い出す人に言うのもなんだが
大量の餓死者を出したのは大躍進政策(の失敗)じゃないの?
飢饉下で「生存のためやむなく」人肉を食するのは、普通はカニバリズムの範疇には含めないと思うが?
>>338 支那人の書いた支那の史書に、
城中飢う人相ひ食む
とかいう表現が頻繁に出てくる。
或いは、ニ脚のものは親以外食うとか、羌は二本脚の羊だ(だから捕らえれば煮て食う)とか、
子路が食われたことを嘆いて家中に醢を置くことを禁じた孔子の話とか、数知れず出てくる。
>>339 トンデモ解釈にも程があるぞ。
>城中飢う人相ひ食む
飢饉の慣用句。
というか余程偏向した色眼鏡で見なければ、あるいはまともな頭があれば「飢う」という言葉で解るだろそれは。
>或いは、ニ脚のものは親以外食うとか、
そんな言葉は聞いたことがないな。
>羌は二本脚の羊だ(だから捕らえれば煮て食う)とか、
無茶苦茶な字の解釈してるな。
遊牧民で羊育ててる人だからだっての。
>子路が食われたことを嘆いて家中に醢を置くことを禁じた孔子の話とか、
子路関連の話のどこに子路が食われたなんて言葉が出てきた?
長期間さらし物にするために塩漬けにはなったが、食べられたなんて言葉は原典当たれば出て来ないだろう。
まさか日本人なら余程のバカでない限り読める、漢文の原典すら当たる気もなく学問板に居るわけじゃないよな?
>或いは、ニ脚のものは親以外食うとか、
どうせ、「四脚のものはテーブル以外、空を飛ぶものは飛行機以外何でも食べる」
を誰かが捻じ曲げたのをそのまま信じてるんだろ
たとえば
イスラム以降のアラブは酒と豚
ヒンズー以降のインドは牛
宗教で聖なるものは食用にできない
中国にはその戒律、宗教上の制約がないってことで物のたとえ
万能や絶対性を持つ万物神は存在しない八百万の世界
中国では万物の法則は神ではなく
相対的な仁義礼智忠信孝悌で絶対的な神の存在で縛る類の世界じゃない
ちょいと話は逸れるが、最近知ったキリスト以前のローマ人の宗教に対する考え方
彼らのローマ神も信じるものじゃなくて、現世での具体的な見返りを要求するもの
見返りのない神は神じゃなく、神自体を敬う概念もない
祀ったり供えたり催したりは世俗の欲がらみ
そこに上下意識はなく、対等な関係と考えたほうが適切とのことらしいね
また擬人化以外の抽象としての神の概念、これは支配階級は持ってたようだね
>>341 もともとは、空を飛ぶものはシャトル(羽子板の羽)以外……だったらしい。
20世紀後半に、広東語ではなくて、北京語での韻で、机、機、で韻を踏ませるために
中身を入れ替えたらしい。
唐時陳藏器著本草拾遺、謂人肉治羸疾、自是民間以父母疾、多刲股肉而進。
新校本新唐書 卷一百九十五 列傳第一百二十 孝友 より。
345 :
338:2010/11/18(木) 23:43:19 0
333=339=344だろうけど
で、何が言いたいの?
漢と唐って時代が違うんだけど
>>338では俺にアンカーつけてるし、対話って行為ができない人?
そもそもなんでそんなに「食人」に拘るかしらないけど、例示が不適当なんだな
コピペしてる部分理解できてるように見えないから訳書いてみ?
346 :
338:2010/11/18(木) 23:45:02 0
もう訂正は要らないか?
348 :
世界@名無史さん:2010/11/30(火) 13:51:42 0
コーカソイド自体は遊牧民として広くユーラシア全土を闊歩してるんで
むしろコーカソイドの遺伝子あって当然だろ
なんだそのクソニュース
いやー、本人たちは至ってマジらしいよ。
内陸部のどこぞの町じゃ観光用に(?)ローマ帝国風の衣装軍装でお祭りまでやってるしw
そのコーカソイド遺伝子が南方系か北方系かでも違うだろうな。
352 :
世界@名無史さん:2010/11/30(火) 18:52:22 0
>>348 甘粛省なんだから、河西回廊を侵攻してきた匈奴とか突厥とかの通り道だし、隋や唐の頃には胡人がいっぱい
入ってきていて入ってきて安禄山みたいに高位の官位官職を貰っていた人まであるし、蒙古王朝期にはアラブ人や
ペルシャ人の文官を重用していてやっぱりこのあたりを通ったり治めたりしていたし、トルコイスラム諸王朝は
黒海沿岸からこのあたりにまで広がって興亡を繰り返していたし、ロシア革命で逃れてきたロシア人やユダヤ人や
タタール人がシルクロード各所に住み着いているし、ローマ関係なくコーカソイドの地が入ってきてるわな。
劉秀は漢400年で最高の名君?
個人的には劉秀だが、二祖四宗なら誰が最高と言っても問題ない気もする。
ちなみに二祖(高祖(劉邦)・世祖(劉秀))四宗(太宗(文帝)世宗(武帝)中宗(宣帝)顕宗(明帝))ね。
OK、「最後の二つはちょっと格落ちじゃね」とか思った奴は屋上な。
そういえばコーカソイドで思い出したんだが、明帝って顎ががっしりしててうなじの毛が赤毛だったんだよな。
356 :
世界@名無史さん:2010/11/30(火) 23:06:15 0
個人的な評価(二祖四宗)
劉秀≧劉邦>文帝=宣帝≧明帝≧武帝
文帝・宣帝・明帝ってやった事は地味だけど(というか、劉邦・劉秀・武帝が派手)、名君クラス。
ただ、こういう皇帝って、いつも二番手・三番手なんだよなぁ。一番にはなれない。
357 :
世界@名無史さん:2010/12/01(水) 00:49:08 0
個人的な評価
アウグストゥス>コンスタンティヌス=ディオクレティアヌス>トラヤヌス≧アウレリアヌス>ウェスパシアヌス
両アントニヌスや、ハドリアヌス、ティベリウス、クラウディウス2世あたりも名君かな
セウェルスは卓越した軍人・政治家だが、名君としては評価は難しいな
景帝は名君のうちに入らんの?
景帝は名君だけど文帝、武帝の陰に隠れがち。
あと漢帝国公式でも二祖四宗に比べると微妙扱い。
なんというか、後漢で言うと章帝枠。
清で言うと雍正帝枠。
やってることは十分凄いのに周りの派手さに隠れてしまったり、
人格やら、ごく一部の欠点やらからあまり好かれていなかったり。
景帝はゲームの勝敗ごときでリアルファイトに発展する糞餓鬼なところがちょっと……
でも遠征続きで文帝景帝の蓄えを食いつぶし、晩年老害化した武帝よりは
景帝のほうが名君と呼ぶにふさわしいと思う
文帝=康熙帝
景帝=雍正帝
武帝=乾隆帝
文帝は康熙帝と似て、この3人の中では一番の名君。
景帝は雍正帝と似て、この3人の中では影が薄いけど、名君。
武帝は乾隆帝と似て、治世の前半は名君で、治世の後半は老害だった。
武帝が悪いというよりは
遠征せざるを得ない状況を作った前政権が悪い
いやいや、なんでもかんでもやり過ぎは良くないという事だ。
幼帝即位させるとかバカだろ。
70歳のジイさんがだぜ?
いくらでも成人した息子がおるだろうに。
なんで子供を皇太子にしたんだよ。
>>365 妻連中の格式から行けば、次は賈夫人だろう。
となると後継者は、残忍で頭が残念な劉彭祖か、子作り大好き劉勝さんになるけどよろしいか。
劉彭祖は経済の天才な気がしてきた。
こいつ商業税の発想持ってやがる。
ローマは遊牧民の脅威に脅かされなかったし
匈奴と対峙した漢は寧ろイラン系遊牧民と対峙したペルシャ帝国に近いのではないか。
>>368 意味が分からんわ
サルマタイ人やスキタイすら知らんの?
あとローマと何度も戦争繰り広げたパルティアも遊牧民
>>323 それ劉邦がやってる
ちなみに劉邦は首都の彭城も落とした
すぐに奪い返されたけどなw
属州へ丸投げ : 郡県制による直接統治
年賦金でどんぶり徴税 : 戸籍を整備して田畑や店舗資産に課税
裁判権すらない下級民と自力救済の上級民 : 普遍的に与えられた裁判権と警察組織
鎖帷子と剣と盾と弓と投槍で武装した歩兵 : 金属鎧と刀と盾と機械弩と槍を装備
鎖帷子と槍と盾で武装した騎兵 : 金属鎧と騎兵用長刀と戟を装備
広大な農業適地と低い農業生産性 : 整備された灌漑設備と高度な乾地農法
>>372 普通の弓も秦にあったんじゃないの
呉子の時代にだってあったし
パルティア自身は北方のアランに苦戦しており
遊牧勢力としてはアランが本流とすればパルティアは傍流なのでは。
アケメネス朝も遊牧民起源とされるが、マッサゲタイ、スキタイには歯が立たなかった。
>>373 もちろんあったけど、機械式弩や刀はローマに無いので対比のため
>>370 つうか、
>>368がなぜ「ローマ信者」に見えるのか、そっちの理由のほうが面白い。
漢帝国の価値観から見れば、
どこをどうみても、
アケメネス朝ペルシア帝国>>>>>ローマ帝国
だろうに。
ローマなんて、中華の価値観から見れば、
「王様すら建てられず、宰相らしき奴が、徳も天命も糞もなく統治する変な『邑』が、
きちんと封ずることすらできない約束で、他の邑を従えている(同盟市)だけの変な連合体」だぞ。
現代システムは西欧の、特に近代以降の価値観だからね
東洋の価値観からすれば、貴族2名が領土民や貴族議会の承認の元で毎年王になる
絶対者の王は天命じゃなくて、自分がなりたいからと言って民衆に媚びる存在
威光もへったくれもありゃしない
とてもヘンテコリンまたは非文明の部族社会として映るんじゃない?
やっと帝政=権威と権力の一致が始まった(東洋的価値観として理解できる)と思ったら
政体の連続があっても血の継承はなかなか根付かずに
実質の権力は貴族元老院どころか平民上がりの軍隊が握っている
文明(王)のシステムを取り入れたはいいが、
依然として徳のない王をコロコロ入れ替える蛮族と見ていたでしょ
無論中華も徳のない王・無能の王もいたし、王の継承争いや派閥争いも民衆のネタ
でも権力者の権威は絶対的で、一度決まればどんな王でも不可侵で謀反なんて恐れ多いこと
まぁ統治システムの違いだけの話で、どっちが正しいとかの問題じゃないがね
>>377 少なくとも、中国も南北朝時代あたりは実力者の成り上がり軍人が簒奪しまくったけどな。
中華は権力乱用が一定レベルを超えれば権威に頼るシステムでしょ
「どんな穢れた血も500年で純粋、千年で神聖と化す」だっけ?の発想
映画でもあったでしょ?「皇帝を見たら神々し過ぎて目が潰れる」だから見ない
超越したものへの畏怖心と偶像化と内乱時の期待が強い
民衆にとっちゃ皇帝とその一族は人間じゃないので
権威としての血統をないがしろにすると民衆の反乱を招く
だからどんなに国が乱れた下克上で成り上がり軍人時代も
必ず血を担いで自らを正当性を主張する
>>376 中国の史書には、大秦は理想的な国家として描かれているぞ
血統によらず、徳のある人物を王に据えたとか
そもそも大秦なんて、Greatな秦ってことで、高格式
ペルシアなんかよりはるに文明国と思われてた証拠だよ
>>380 鮮卑の説明にも血統によらず徳のある人物を大人に据えたとあるけどなw
ペルシャは疾うに滅んでるんだから出てくるわけがない
>>374 本流だの傍流だのお前の決めつけじゃん
てかアラン族なんてボスポロスに駐留してたローマ軍にすら勝てないレベル
>>379 血統主義なんて暗黒の中世欧州と同じレベルじゃん
むしろ下剋上バリバリのローマのほうが合理的
>アラン族なんてボスポロスに駐留してたローマ軍にすら勝てないレベル
ダキアではローマ軍はサルマート相手に苦戦しているレベルだし
ローマはダキアを併合したものの今度は
サルマートがドナウ河を越えてダキアに頻繁に略奪、
結局支えかねてローマはダキアを放棄した。
387 :
世界@名無史さん:2011/01/15(土) 23:40:05 0
ダキアが現在ローマニアになってるのが面白い
388 :
世界@名無史さん:2011/01/15(土) 23:53:40 0
>>371 高祖ってなんだかんだで軍事の天才なんだな。
あの関中も落としてるわけだし。
戦国時代の英雄たちがなんだかんだで落とせなかったあの関中を。
韓信がここで一言
項王来!項王来!
>>388 函谷関じゃなくて武関だったけどな
軍事の天才は言いすぎだろう
凡将ではないのは確かだが良将ぐらいの評価でよくね?
>>323 >何倍もの敵を戦術でほふり
劉邦はそれできなかったけどな
項羽は19倍の敵を粉砕(彭城の戦い)
韓信は10倍の敵を粉砕(井ケイの戦い)
ま、誇大報告の匂いがプンプンするけどな!
>>386 全然違うよ
ダキア放棄はゴート族の襲撃による結果
サルマトはローマ東西分裂まで草原地帯に押し込められてた連中
"押し込められていた"という割には
ローマがダキアを平定後も"ローマがサルマートの襲撃を撃退"
という記述が絶えず、頻繁に荒らされていたらしい。
ローマ軍はサルマート騎兵を追撃は出来ず、
ハドリアヌス帝はサルマートに財貨を与えて恭順させようとしている。
でもローマのダキア支配は150年以上続いたよ
ダキアは今だラテン語圏だし
ゲルマン人と比べてサルマトは支配を覆せなかったな
>>388 劉邦は過小評価されてるよな。
劉邦は天下人を2回も倒し、項羽、章カン、韓臣、冒頓単于と世界史級の名将と戦って生き延びている。
これで「無能」の評価は短絡すぎないか、と
ダキア支配は実効的なものではなかったのか、
サルマートはローマが支配しているはずのダキアを抜いてパンノニアまで荒らしている。
ダキアをローマが支配した一方でサルマートの略奪などの活動も続いた。
起源100年ぐらいになるとローマ側は撃退するより財を与え傭兵化し取り込もうとしている。
中国も戦国時代前期だと領国の間をすり抜けて
奥深くの都市を攻めたり落としたりがあるんだよな
まだ都市国家が数十個集ったような段階なので可能だったらしいが
>>379 ゲルマン人はイタリアまで荒らしてるけど、イタリアは実効支配してなかったのかな?
ローマは全盛期は軍縮をしたから、結構蛮族が侵略することはあるよ
支配されたから現地住人がローマ化されて、今だラテン語圏なのがダキアだ
西のハンガリーやセルビアはローマ化されなかったのか
意味が解らんな
だからダキアは不思議
周りがみなスラブなのに、あの地域だけラテン系
>>397 とりあえずサルマトなんかよりパルティアの方が脅威であり高度化された遊牧民国家だったのは明確な事実
ペルシャの後釜なんだからそりゃそうだろw
パルティアが遊牧民国家だというなら隋や唐も遊牧民国家になってしまう。
>>404 パルティアンショットの意味くらい知ってるよな?
貧しい北方の土地に押し込められてた負け組サルマトとは違うんですよ
パルティアンショット自体には慣用句以上の意味は無いけどな
で?それが遊牧国家じゃないと否定する根拠にならないね
元々は遊牧国家だけどねっていう
元々はというか滅亡時まで遊牧国家だけどねっていう
>>400 >>401 ローマ化されたのではなくて、スラブ化されなかった。
地味も交通も良いドナウ北岸の平地、プルト川流域、黒海沿岸で、ラテン人の人口が多くガッツリ城市を守っていて、ブルガル人みたいなのは
通過するしかなかったんだろう。
セルビア周辺、ダルマチア、マケドニア、ブルガリアのあたりは山地が多く、人口は少ない。雪崩れ込んできた勢力に道を塞がれたら従うしかない。
パンノニア平原も、中世までは森林と沼沢地で、必ずしも地味の良い場所ではなかったので、人口が乏しく、後から侵入したマジャール人の
定着が容易だった。
>>411 いや違う。激しくスラブ化した。なんせ、典礼をスラブ語で行っていたぐらい。
けど、19世紀にナショナリズムの高まりで今まで話していたロマンス語系の文法と
スラブ語系の語彙の言語から、スラブ系の語彙を排除し、ロマンス語系の語彙と
文法を持つルーマニア語というのを新たに作った。
>>412 お寺の呪文経文なんて庶民の日常言語と乖離しているのは当たり前。
西ヨーロッパではゲルマン圏でもラテン語の典礼、もともとラテン圏でも言葉が変わって経文もオラショも何言ってるかだかサッパリ。
ペルシャでもトルキスタンでもベンガルでも回教徒はアラビア語のん典礼、アラビア語圏でも挟む母音が違うから経典アラビア語と喋るアラビア語は全く違う。
日本だって仏教導入から1300年くらい経ってるのに、三蔵法師の漢訳と梵文の併用だし。
典礼がスラブ語だったことだけを理由にするのは弱いと思うが、
>>411>>413は、いろんな意味で矛盾が多いと思う。
まず、スラブ語というのは、ぶっちゃけそんなに「偉い言語」ではない。
偉いというのは、「知識人階層の意思疎通ツールたる古典語たりえる」ということで、
世界中で、これを満たしきった言語は、そんなにない。
正教圏の場合、新訳の原典そのものである「ギリシア語」という、完璧な「偉い言語」が存在するわけで、
翻訳主義的な正教会の伝統を加味しても、
ロマンス語話者に、高級言語として教会スラブ語を上から押し付けることは、無理だろう。
それに、パンノニア平原は「最西の草原」で、遊牧民にとってはよだれが出るほど欲しい土地。
だからここをめがけて、東から名だたる遊牧民が次々と突撃をかけ、
最終的に死守したのがハンガリー人ということになる。
だが、ルーマニアにも19世紀の方法で抽出可能なくらいのラテン語語彙は残っていたんだろう。
中東欧では、意外と「語派を跨いで」言語が揺れる。ベルギーのイメージでは想像もつかない柔軟性がある。
ドイツ問題が悲劇の果てに最終解決した1945年より前には、
スラブ系の村の村民が、気がつくとドイツ語を話していたなどという例が本当にあったらしい。
いや、抽出ではなく、語彙の大半を占めるスラブ語・トルコ語系の語彙を排除し、
そのかわりラテン語・イタリア語・フランス語などのロマンス語系言語から
単語を持ってきた。ちなみに、当時の文字もキリル文字からローマ字に変更。
19世紀時点ではスラブ語・トルコ語系の語彙をロマンス語系の文法で扱う言語と
言い切ってしまってもいいと思う。
ナショナリズムが絡むと、意外とこの手の人造語と言い切ってしまってもいいような
言語も普及したりする。ギリシャ語やヘブライ語なんかもそうだし。識字率が低く
だからこそ新言語の普及をさせやすかった19世紀ならまだしも、ヘブライ語なんて
20世紀に復活だものなぁ。
>>415 その程度だったのか??>ルーマニア語の形成
俺はもっと根源的な問題だと理解していたが。
ジャパニーズからチャイニーズのボキャブラリーをデリートし、イングリッシュをメインとするワードを
アマウントにインポートしたら、それはジャパニーズがインド・ユアラップランゲージファミリーに
テイクパートしたことになるのかねえ?
これは、ジャーマニックランゲージファミリーにビロングするランゲージなんだろうか?
根源的な問題だと理解している割には
解説が何も無いなw
>>414 第二のローマに近いところにはブルガリアがあって、そっからボンさんが来るし、北にある第三のローマもこれまたスラブ圏だし。
>>415 そうか?
ルーマニア語って、イタリア語でquとかguとかのところが悉くpとかbとかに入れ替わってるんだけれど、
これ、わざわざ導入するときに、ルーマニア語風に置き換えたの?
k(c)やgがルーマニア語に無いわけでなくて、たとえば、quatro が patru となるけれど、casa は casaだ。
>>417 俺は、ルーマニア語の名詞の格変化が、実は再構築されたものなんじゃないかと思っていたんだよ。
そもそも格語尾が残っているというだけで、現存するロマンス語の中ではかなり特異な上に、
「冠詞語尾」の更に後ろにつくという、異様な形態を取る。そのくせ、ラテン語と大変よく対応する。
>>420 普通、体言を繋げた複合語は一番最後のところだけ格とか数で変化するじゃん。
冠詞というけれど、複合語の要素とみれば、それはそれで自然じゃあないかい?
>>418 別に、教会スラブ語がルーマニア正教会で使われていたことは否定しないよ。
だが、教会スラブ語「ごとき」が、ルーマニア正教会で広く使われたということは、
ダキア口語に、それだけの言語系統論的素地があったんじゃないの?ということ。
いくら本家ビザンツ帝国(実質「正教ギリシア帝国」)が15世紀に滅亡したとはいえ、
スラブ語圏でもないのに、典礼に原典言語たるギリシア語を使わないということは、
それをささえる理由があるはずなんじゃないかね?
西方教会と単純な比較は出来ないが、
ドイツのカトリックの典礼がフランス語やイタリア語で行われたことはない。
フランス語訳をした段階で、じゃあドイツではドイツ語訳しよう(ルター)となるから。
別の例えを言えば、日本の仏教寺院の読経が、朝鮮語(の祖先)で行われたようなものなんだ。
これは、少なくとも奈良時代には既に行われていない。
中国語の直読(読経)か、返り点を打って日本語訳してしまうか、二者択一。
これは、「ありがたい言葉」は原典とされた言語(つまり漢文)であって、新羅語や百済語ではないから。
>>422 日本でパーリ語のお経持っている寺なんて殆ど無くて、漢文ばっかだろ。
それと同じこと。
日本とインドの間に支那があったように、ルーマニアとコンスタンチノープルの間にブルガリアがあっただけのことだ。
そいえばルーマニア語とアルーマニア語ってそれなりに通じたんだっけ?
どのぐらい語彙とか共通してんのかな?
>>423 それ例えになってないな
日本とインドの間に支那があったように、ルーマニアとローマの間にビザンティウムがあった、なら解るけど
ルーマニア語が文法レベルからロマンス語系の言語を創り上げたのか、単に単語の移入レベル
だったのかはともかく、ルーマニア語が強烈な人造言語なのは確かだし、ダキアがスラブ化
されていたことは間違いないところかと。
言語が混ざってくれば意識も同化していくかというとそーとも限らんのは
ドイツ語っぽい言語を使ってたユダヤ人の例を見ても明らか
ユダヤ人の場合は全員カルト教団員だから特殊例だな
ダキアの場合は周辺のスラブ諸族と同じく正教会で、しかも典礼がスラブ語。
>>427 宗門が民族意識を形成するなんて例はいくらでもありますよ。
強烈な人造言語なのは確かだ キリッ
日本語だって、近代化にあたって、
年寄 → 長官
寄合 → 議会
代官 → 知事
奉行 → 検察
岡引 → 巡査
飛脚 → 郵便
目付 → 監査
仲間 → 組合
……ってふうに、中世然とした語彙を入れ替えてる。
ルーマニアの場合には、その中世臭い語彙が教会スラブ語やらトルコ語やらモンゴル語やらから来ていて、
近代化は当時の大国のフランスやらそこが古典として用いていたラテン語なんかに倣ったからラテン系語彙が
入れ替えに増えたということではなのかい?
>>427 米南部は今後ヒスパニック系言語や音韻とも混ざってくるだろうが
そのうちヒスパニックナショナリズムが台頭してくるかと
「本来は我々の土地」ってね
特段特別なことじゃなく、宗教文化習慣思考に嗜好の違いが軋轢を生むってところでしょ
無論彼らはユダヤ同様に様々な人種の集合体で、血統じゃない
逆に血統が様々だからこそあらゆる意味での大義名分が立とやすい
>>433 ヒスパニックだってアステカから戦争でぶんどって住み着いてスペイン語だのカトリックだの先住者にも押し付けたんだから、
戦争でぶっんどったアングロ人が入ってきたりアングロ人の作法を押し付けたりしても文句言えないだろ。
>>423 距離が足りなさすぎるだろ。日本からインドまで行くのは、死ぬほど大変なことだった。
河口慧海まで、実際に行けた人物なんていなかった。
サンスクリットを理解できた日本人は、江戸時代まで、空海と一番弟子数人だけだったのも仕方のないこと。
あとの大多数にとっては、ただの呪文になった。
残り99.9999%の僧侶にとっては、漢文こそが仏典の原典言語だった。
しかしだ。ブカレスト-コンスタンティノープル間は、東京-大阪間よりも短いんだぞ。
ルーマニアの聖職者が、コンスタンティノープルに行くのは、江戸の坊さんが、延暦寺に行くより容易なこと。
それで、口語が完全ラテン系、典礼言語が完全にスラブ語だったというのはかなり異様。
俺は、国民語形成の段階で、ラテン系の語彙だけをかき集めて、
古典語を参照して文法を整備し、文法面を含むスラブ的要素を追放した結果だと思う。
そもそも、ロマンス語の癖に、19世紀にもなって明確な格語尾があること事態、露骨にスラブ的だ。
人造語という説には組しないが、前段階の言語がかなり怪しいものだったことは確実だろう。
>>432 言いたいことは分かるが、対応が何か変ww
>>433 ヒスパニックは、「英語話者と言語的に混じらない」ことで有名。
相互非干渉のまま、スペイン語生活圏がじわじわと広がっているため、白人がガクブルになっている。
まあ、非混交こそは、アングロアメリカのお家芸で、これで先住民文化を根こそぎにしてしまったわけだから、
「混交化した先住民」の、アングロサクソンへの一種の逆襲なんだろうな。
>>435 元寇は日本にも来たけれど、インド北縁、ビルマにもネパールにもペルシアにも来たよ。
日本の手前とインドの向こう側まで一つの勢力に制圧されたんだから、死ぬほど遠いわけではなかろう。
>>435 江戸時代、伊勢詣・熊野詣というと簡単に手形が取れて、庶民でも盛んに往来したようだが。
東京〜大阪よりももう少し長い江戸〜赤穂は無茶すれば四日で踏破するし、函館から下関を廻って大坂へ至る
定期航路もあった。富山の薬売は販路は全国、原材料の仕入に肥前長崎・基山まで出向いている。
そもそも、大抵の大領主は、参勤交代の江戸屋敷と、産品を売却し必需品を仕入れる大坂の蔵屋敷の二つの
出先をもっていたわけだから、江戸から上方の往来が困難なんてことはあるまい。
まあ異邦人といった語源であるヴラフの名で呼ばれていた集団、
周囲といささか心的距離が。
それ以前にスラヴ自体、言葉が近いらしい割にはスラヴ同士で
血で血を洗うバトルやらかしたりなんかするけど。
今でも仲悪そう
>>431 シッタカ -> 一撃論破 -> 発狂乙。大変だね、知能も知識もないから反論できずに
荒らすしかないって。
ブルガリアとルーマニアであるが、ブルガリア帝国は
ワラキア・モルダビアの支配者であったことも忘れてはなるまいて
>>434 だからヒスパニック系米人の多くはメキシカンで
メキシカンの多くは前統治国のスペインと米先住民の混血
血統としては二重の意味で大義名分
しかもユダヤのユダヤ教ほどでないにしろ制約の多いカソリック
あとは非メキシカン系で非スペイン語系の移住者をどう取り込むかじゃない?
一方米はユタ州のように閉じ込めて利用するやり方もある
アリゾナとテキサス中部の自治を認めて、新規移住希望者と
NYやLA等大都市で問題化しているヒスパニック系の移住を促進する
予め半独立させて閉じ込めておけば、厄介払いもできる上に
資本帝国主義アメリカとすりゃ国内で安い労働力が賄える
分離が基本のWASP米の思惑からすりゃそのほうが都合が良い
アメちゃんは南部の土地返さないといけないよね^^
445 :
世界@名無史さん:2011/05/03(火) 19:15:50.79 O
戦闘能力の低さでは定評のあるイタリア人に負けたハンニバルって大した事なくね?
幾多の戦を切り抜けて、孔明という天才軍師がいる劉備軍と合戦して
勝てるかどうかはかなり怪しいぞ。
当時のローマ人が戦闘能力の低さで定評あるって^^;
アフリカヌス以降の共和政ローマは強かったけどスパルタクスやスレナスみたいな名将には大敗してる
スパルタクスは逃げのびたんだろうか
>>446 >>445はハンニバル対劉備軍の人だから触るな。
確か、こういう東西比較系のスレが流行り始めたごく初期の頃に何度か立て逃げして荒らしてたアホだから。
449 :
世界@名無史さん:2011/05/17(火) 13:21:07.19 O
漢(中国)>匈奴(フン族)≧ローマ>カルタゴ
武帝が討伐するまで漢は匈奴にビビりまくりだったじゃないの
劉邦は単于に完敗したし
冒頓単于が強すぎただけ
李牧>>>匈奴>>>>秦、漢なんじゃね?
匈奴の事前情報無しならハンニバルもやばいだろ
まあハンニバルがそんなミス犯すことはないだろうけどw
453 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 02:17:18.63 0
匈奴は秦にオルドス地方から追いやられてるよ
>>452 李牧時代の匈奴は大して強くなかっただろw
冒頓単于の時に東胡を滅ぼしてモンゴル高原の覇者になったけどな
まぁ、匈奴が北辺全体を糾合出来た時って、
前漢初〜後期と新〜後漢初期ぐらいだからな。
古代だと、それと檀石塊の登場の時以外の北辺異民族は大したことない。
古代の鮮卑は結局匈奴未満で、檀石塊のあとなんて、
息子が戦争中に漢の農民に射殺される程壮絶なアホだったせいで
あっという間に勢力が四分五裂するし。
>454
そんなこといったら李牧だって趙一国でその全軍を率いていたわけじゃないぞ
>>455 武帝以降の前漢後期は西域は支配出来てなかったな
>>457 まぁ、西域維持は無理でも、後期でも一応西域内で激突出来てるからな。
末期になるとなんというか、他民族や西域との外交や亡命受け入れを禁止されたりと隷属に近い状態になるけど。
更に後漢以降になると耿秉、班超の登場やら他民族の勢力拡大やらでドンドン削られてくけど。
459 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 18:18:07.08 0
その匈奴の残りカスが長駆逃亡した挙句に出来たフン族は無双したんだよな
460 :
世界@名無史さん:2011/05/18(水) 19:06:50.46 O
そのフン族に散々苦戦したローマが
まだ半島統一したばかりの弱小国だった頃に
ローマに大敗して亡国の原因を作ったのがハンニバルだけどな
>>450 劉邦の相手は項羽、韓信、英布、冒頓と世界史レベルの強敵だらけ
劉邦バカにすんなよ
462 :
世界@名無史さん:2011/05/21(土) 11:30:21.33 0
人口
社会水準
分度
でローマ帝国のほうがはるかに分度上
人口も当時農地も相当すくなく1000万いるかいないかくらいしかいない
で、貨幣経済、金本位経済なくて
住居形態が原始人レベルだぞ。
居住区なんか日本のほうが藁みたいな家に住んでて水準高いんだが
幾何学、建築、学問水準もおよばないってか、
インフラ水準は日本より低い
ていうかローマと比べるとか歴史知らずにもほどがある
ローマ市民権保持者と漢の平民を比べることの方が歴史知らずじゃね?
漢の支配者層とローマの属州民を比べれば漢の圧勝だろ
>>462 始皇帝の置き土産の道路網があったから、交通インフラが当時の日本より
低いってことは、まず有り得ないだろうね。
中国の法学については、近年漢代の木簡・竹簡資料が出土してきているけど
結構体系化されてるみたいだし、今までのアバウトな統治形態っていう
イメージは払拭しなければならないかもしれないね。
>>463 人口、行政制度、支配体制、建築、冶金、窯業、インフラ、幾何学、代数学、農業、利水、軍事、生活水準、経済
どれをとっても、ローマが勝る部分は1つも無い、というか同水準にある部門も無い
466 :
世界@名無史さん:2011/05/31(火) 13:15:27.49 0
そのローマの一辺境属州に、ボコボコにやられたのは無視でつか。
当時直接対決したら、かすっただけでくたけ散るぐらいの大敗をしただろうな。
新事実を発見した偉大な研究者様が降臨しておられるな
まさか、無知な妄想狂なわけはない。
凄いな。
もしかして陳湯対匈奴戦に紛れていたローマの敗残兵っぽい何かと交戦したというお話からの妄想だろうか?
・そもそもあれがローマ軍だったという確証はない。
・そもそも陳湯にあっという間に踏みつぶされてる。
・そもそも敗残兵で主力と言うにはあまりに乏しい戦力。
故に、流石に誰しも話の俎上に載せるのを躊躇っただけな訳だが。
陳湯対匈奴戦に紛れていたローマの敗残兵っぽい何かと交戦したというお話
それ自体が妄想だしな。そんな記述は陳湯伝に無い
>陳湯対匈奴戦に紛れていたローマの敗残兵っぽい何かと交戦したというお話
ここまでは全く妄想ではないぞ?
陳湯伝にある「歩兵百余人夾門魚鱗陳」の件。
魚鱗陣、砦の様式などからその可能性があるとする学者もいる。
ローマ人だと断定したら妄想になるけど。
20世紀中頃までの学者が妄想電波飛ばすのは、よくあったこと
そもそも、3人で漢兵1人に当たると陳湯に評された
西域諸国の兵から構成された陳湯軍に一撃粉砕されてる
472 :
世界@名無史さん:2011/06/01(水) 11:43:34.34 0
>>459 既に全盛が過ぎ去った滅亡寸前の西ローマに蹴散らされたフン族が無双?
というかその残りカスの前趙に滅亡させられたのが漢帝国の王族達だけどな(笑)
>>472 史書とは言わないし通史とも言わないから、せめてゐきぺぢあくらい見よう、無知過ぎて話になんない
西ローマ=西ゴート軍 約三万 対 フン族連合軍 約三万
前趙 五万七千以上 対 漢皇族 数十人
カタラウヌムの戦いのソースは英語版ウィキに依った。
前趙の数値は、後の歴史を顧みれば当然のことながら北朝側の記録による。
漢皇族の数値は、当時の漢嫡流宗族男子の数の少なさを考慮し、家内奴隷も含む。
系図を見る限り宗族男子に限れば、十人未満と言うこともあり得る。
また、長年出仕停止を受けて、部曲(賓客)をもつことを警戒されていたことから鑑みるに、
当然のことながら、全員が非戦闘員である。
さすがにこれを比較してローマが凄いとホルホルする意味がわからん。
というより、何で前趙と漢の対抗関係ができてるんだよ
劉淵の漢としても前趙と敵対関係って、いくらなんでも酷すぎるだろ
漢って末期の西晋のこと言ってるんじゃね。
洛陽や長安を前趙に陥落させられた時期の。
>>476 だったら無知すぎるw
西晋の司馬氏は内乱の影響で国を半分失ったわけだな
>>462 2000年前の推定世界総人口はmin1.7億max2.5億前後
うち1/4が現中国領土、1/4が当時のローマ帝国領土、1/6が現インド
その他の主要な人口分布はチグリスユーフラテス沿いや黒海付近
あとマレーからインドネシアにチョボチョボで、アフリカは点在、南北アメリカは散在
当時推定10万以上の都市人口10前後とローマとほぼ同数でそれぞれの規模もほぼ同レベル
10万以上ってことはだ、その周辺に10倍もの都市を支える一次産業人口があるってことで
これだけでも1千万は軽く超える
無論それ未満の県首都規模の中核都市なんてケタ違いにある
よくそんなムチャクチャが言えるもんだと感心するよ全くw
>>464 ご承知の通り、無論それだけの規模の都市を維持統治するための
政治と管理体制とインフラと流通システムがなければ都市自体が成り立たない
市なんだからまず特権階級に商人、それから原材料を加工する人に流通させる人
それから土木建築の人とその人たちを管理する人で構成されて
当然文化(余興)や各技術も当時の都市規模相応に発展するのが常
ギリシャの医学はローマでは発展せず停滞していたように見える。
一方で中国では後漢末に傷寒論が書かれたり、麻酔手術らしき処方が行われていた。
ローマの場合は上下水道と入浴の習慣で衛生面じゃ優れてたからね
むしろあれだけの密集都市で1000年もの間致命的な流行病がなかったことだけで評価できる
まぁ慢性的な鉛毒は・・・だが
でも最近はローマでもメスや鉗子に類するものも見つかっているから
中国からの伝播だとしても独自の知識や応用での進歩はあったと見るべきだね
麻酔なら娯楽用としてケシの実や大麻もあって吸引してた訳だし
上下水道と入浴の恩恵受けたのは特権階級だけだし
そもそも上下水道設備や入浴の習慣は漢やその他にもあったからなあ
手術器具もエジプトから受け継いだギリシャそれの劣化版だし
482 :
世界@名無史さん:2011/06/04(土) 07:18:10.89 0
また先入観と願望の独り言か
そう思えば1500年後の欧州最大の都市が下水道もロクになくて
階上から公道に糞撒き散らしてる状態だからハイヒールと香水が発明されたのも無理ないってかw
ンなわけない
まあ、上下水道に関しちゃ、貧民層は水道設備が届かない、
上の階に住んでたわけではあるけど。
それにしても特権階級onlyは言いすぎやね。
自家水道が一般的なんて近代以降ですよ。30mごとに水道口があるって
事だけでも古代では驚異でしょう。それにしても鉛中毒説信じてる奴がまだ
居るのな。w
>>483 現実に上水道管は各地の都城から出てるし、エジプトでも確認されてるよ
というより軍事国家かつ後進国のローマにあるものが
最先進地域の中国に無いわけないじゃん
まあ、古代乾燥地農業(メソポタミア・黄河)は灌漑施設抜きでは語れないからな。
水利事業が発達していて当たり前というか、井戸水なんてアルカリ性が強くて
飲食には到底向かない代物だった。
甜水と呼ばれる湧き水が出た地域では、農地の奪い合いがあったくらいだし。
四川省や安徽省以南では状況はまた少し違うんだけどね。
ローマでの入浴場って言っても現在の物価に換算したらせいぜい500円程度なもんだろ?
しかも陸上競技場やレスリング場も各種娯楽も込みで、飲食店も全て兼ね備えた一大社交場
お昼に私塾や仕事終わって日没前までの数時間を過ごせるなんて豊かだねぇ
むしろ現代のほうが粗末になったと見るべきか
江戸の銭湯は階上での囲碁将棋にせいぜい簡易な賭博だけだし
>>489 でも、その恩恵に預かれるのはローマ市民だけ。ローマは奴隷によって
支えられていたことを忘れちゃいけない。なんせ、ローマの人口の
半分以上が奴隷。
>>491 奴隷でも外国人でも入れますよ。いかな奴隷とは言え不潔な状態では病気に
なって早く死んでしまうかもしれないし。多数の人間が不潔な状態で密集生活
していたら疫病が蔓延して都市そのものが壊滅しかねない。公衆衛生を重視する
ローマ人としては当然の事だったんじゃない。
>>491 奴隷やローマ市民権非保持者の入浴は禁止、デマを飛ばさない
もしそうであっても建前と本音だろうね
奴隷といっても主から生殺与奪されたり相続や所有に制限がある位で時間的な自由は市民と一緒
近年の酷使されるイメージとは程遠い訳だし、農奴はまぁ色々あるだろうが
街の奴隷は金稼ぎして、裕福な奴隷もいる訳でね
高額で知的職種の教師奴隷なんてどっちが奴隷かわからんw
それに奴隷の多い騎士や元老院本家なんかは家自体はデカくなくても大抵自宅に風呂付きな訳だし
そうじゃなきゃ無理ならメセナ思想で建てられた私立の貧民救済所みたいな所へ行きゃ済む
中には風呂付きの所もあったかもだし、そもそも
>>493は公立の銭湯のことだろ?
法治主義の体裁を取ってても法に厳格さがあれば汲々するだけなので
必ず抜け道が存在するのは今も昔もどの時代であっても一緒
じゃないと、その人口の半分以上を占める奴隷の不満が鬱積する
儲けた金の一定部分は主のものだが、そうしないと残りの小遣い銭でも金の使い道に困る
実際に比較が存在すると鬱積するよ、特に裕福な奴隷が貧しい市民と自分を比較すれば余計にね
そんで不穏な空気になって変なことを企まれたら主も為政者も困る訳でね
いや長くなったのでここまでで
>>494 ローマの奴隷に時間的余裕なんてものは存在しない
インドやシナの奴隷じゃないんだから、そんな生易しい待遇はして貰えない
婆的ローマ厨の願望と史実の間には深い断絶があると知るべき
ローマでは何度も奴隷や属州の反乱が起きてる
一口にローマの奴隷、漢の奴隷と言っても色々じゃし
出世する奴もおれば扱き使われる奴も。
マスターも皇帝もおれば貧乏人もおる
>>495 ねぇ奴隷身分は全てアメリカ南部の農奴ってイメージ?
明確な資料があってほぼ強制労働のような当時でも、大まかに農奴と家奴隷で待遇は全く違う訳
家奴隷は身なりを整えて、農園主と基本一緒の食材の食事で、邸宅内か邸宅周辺の清潔な家で暮らして
当然家奴隷は農奴を見下すから、農奴は農園主以上に家奴隷に憎悪するんだよ
悪賢い農園主ならより露骨に差をつけて、アンクル・トムを盾用にして身の危険をかわす
欧州列強が行ったアフリカや東南アジア植民政策も一緒で
傀儡一族とそのお付き一派と地元ブルジョアがそのアンクル・トムに相当する
>>494 とりあえず、妄想を書き連ねる前に、奴隷が公衆浴場に
行っていたというソースを出せよ。
>>498 それは論点のすり替えで、詭弁と呼ばれる類のもの
行ってないと断言するならそのソース
奴隷の行動と公的建造物への制限を取り決める法があるなら、そのソース
間違いを訴えるならばまず訴える側から
でないと妄想は
>>498と言うことになるが、よろしいかな?
一応主観のあるものだが例えばこんなの
wikiからの抜粋【古代ローマの公衆浴場】
>ローマ人にとって公衆浴場は社会生活の重要な一部だった。公けの施設として建設され、貧富の差や自由民か奴隷かを問わず、誰でも利用できた。
この文言の引用文献については19世紀後半の2つのローマ辞典と20世紀末の『ローマテルマエの公衆浴場』が元だろう
こんなのもある
>運動後、奴隷が主人の身体にオイルを塗り、(木製または骨製の)肌かき器で汚れと共にオイルを落とした。
少なくとも奴隷主が奴隷を連れて公衆浴場内に入場しないと不可能
第一、裸の奴隷が奴隷であるための刻印でもあるのかな?てな疑惑
禁止されていても後は主の裁量次第だろう
本当に禁止なら入場できないから奴隷主・公衆浴場主共に利益がなくなる
どんなに裕福でも高貴でも身体を洗ってくれる者を浴場内で探す理屈になる
それと奴隷といっても人と人の関係が発生する
>>497 ローマの奴隷は全てアメリカ南部の農奴と同等かそれ以下
>>499 ローマ人の価値観では奴隷は人ではないし
公衆浴場はローマ市民権を持った人間にしか認められていない、属州民や奴隷は当然入れない
奴隷はふつうに刻印や刺青をさせられてる
こいつらはローマのいつの時代の話をしてるつもりなの?
建国から滅亡まで「奴隷」の地位が一貫していたとでも思ってるの?
インドや中国じゃ紀元前の時点で、一般民にも割と普通に常設の浴槽と入浴習慣があったのに
初期ローマでも最初は個人浴槽が中心だったんだろうけど、ローマ市内だけで
人口100万になってしまえばそんなレベルじゃ対応できない。ローマには有力者
が諸々の理由で大衆に資産を還元する指向が強かった。そういった流れの中で公衆
浴場が増設されていくのは自然の流れじゃなかったのかな。
公衆浴場に入場出来たのは、大衆ではなく特権階級のローマ市民権者だけね
>>506 wikiにも自由民も奴隷も関係無く入れたと書いてあるよ。否定したいなら
資料を添付してwiki訂正したら?
>>507 観劇場に闘技場に競馬場・・・公的娯楽施設全てに奴隷用の指定席がある
市場や企業間商取引場所や書士なんかが勤める公的場所は常に市民と奴隷民が混在する場所
カネさえ支払えば身分なりの制限はつくが、娯楽については同様の権利を獲得できるシステム
八百万の神の方針に従った寛容な法治主義で、当然のように奴隷民が信仰する神もある
古代で圧倒的少数が多数を搾取し操るにはスパルタのようなイビツなシステムにならざるを得ない
これが答え
wikipediaをwikiっていうバカってまだいるんだ。
>>507 そうか、なら訂正しておくよ
公衆浴場に入場出来たのは、ローマ市民権者のみ。とね
>>509 うん、キミみたいなのをなんて言うか知ってる?
「バカ」って言うのさ
通常業務で表計算とは言わずにエクセルで通じるのと似たようなもんで
送り手受け手共に認知していれば、不謹慎や反意的なものじゃなきゃ何の問題もない
往生際が悪い
514 :
世界@名無史さん:2011/06/28(火) 00:01:06.08 O
少なくとも、一次ソースのない情報を玩んでも、結論なんぞ出ない
古代ローマにおいて、奴隷が浴場の使用を出来たかどうか、はソースがないので
『出来た』『出来ない』は不明
wikiを訂正したようだが、そこにもあいもかわらず、『ソース』がない
つまり、wikiは『ソース』足りえない
ちなみに、これをテーマにした漫画の『テルマエ・ロマエ』のコラムにおいては、
奴隷の使用も可能と書いてある
奴隷の持ち主が奴隷を一緒に持って入った場合に
持ち主が自由時間を認めてくれれば可能かもね
516 :
世界@名無史さん:2011/06/29(水) 21:25:47.99 0
木星の衛星も、万有引力の法則も全部ローマの後継国家が発見した。
直接対決をしたら完敗
それが漢
これ、もしかして両方煽ってる人物同一人物っぽいな。
つか、流石に寂しくないか?w
本当に過疎って来てるから、最近中々かからんだろ?w
神聖でもローマでもない神聖ローマ帝国ですね
忘れ物ですよ
つ「ましてや帝国でもない」
>>516 方位磁石も火薬も漢の後継国家が発見した
漢王朝に追い出された匈奴がヨーロッパになだれ込んでローマを荒らしまわったうえ
匈奴が追い出したゲルマン人が西ローマを滅ぼした
キミの論理だとこうなるがいいのか?
521 :
世界@名無史さん:2011/10/13(木) 23:13:53.90 0
>>520 そうやって慰めても、ローマの辺境属州に2度も惨敗した傷口はぬぐえないぜ
結局科学技術は近代西欧で、同時代中国は漢から発展してないからな
中国が漢から発展してないとか……。
専門外の時代なんだろうけど、口を挟むなら、せめてまともな通史一冊は読んでからにしようぜ。
唐代、宋代、さらにそれ以降の王朝の文化史、経済史等に触れれば、
そんなことは言えんはずだ。
中国通史は講談社学術文庫で出てるシリーズを一度通して読んだきりの俺でも、
そのくらいは分かる。
>>521 東西ローマも自分の元辺境属州に滅ぼされたのだから
人のこと言えないと思うが
524 :
世界@名無史さん:2011/11/05(土) 01:44:49.47 0
モンゴル史の本読んでたら、
華北地方の人口は後漢末の内乱や飢饉で10分の1くらいに減少して、
それ以降は北アジアから入ってきた遊牧民族が中国人の主流になったって書いてあるけど、本当?
そんなら江戸だって幕末維新の混乱で3割まで人口が減って
その後西日本人が流入して山口人の言葉が標準語になっただろ。
五胡十六国時代の前後で
華北地方の文化や言語は全く別物といっていいくらいに変わったと聞いたことがある
後趙の時代には、政府中枢に漢人知識人が幅を利かせていたけどなあ
ただ史書じゃあ、うまく追いきれないからどれだけ変わったのか分からん
少なくとも北周は漢人の胡化政策を行なってるから、その頃が一つの目安になるんだろう
>>526 北魏時代の農業書「斉民要術」は新規の固有名詞のオンパレードだったな
かなり読み辛かった
乳製品関係の記述が多くて「シナ人は乳製品が苦手」というイメージがちょっと
変わったわ(その後の時代で、また嫌いに戻ったらしいけど)
やっぱ北魏の長期統一がひとつの転換点だったんじゃないかな?
ま、数千万の人口が本当に数百万に減少したとしてもなお五胡よりは
多いんじゃなかろうか
ローマは大秦と呼ばれ、後漢書西域伝に、「その人民は皆長大平正にして中国に類するあり、ゆえにこれを大秦と謂う(背丈が大きく落ち着きがあり、
自ら『中国人と同じルーツだ』と言っており、それで『大秦』と呼ぶのだ)」という説明がある
古代中国人の支配層が白人の証明が文書として残ってるんだよねこれが
>>530 誤りです。「中国人と同じルーツだ」の原文は、
「有類中国」と書いてあり、
・「類」は、中国と同じレベルの「文明を持つ人々」。中国人と似ている、
あるいは、中国に類するくらいの文明を有する、と解釈する
・中国人に起源がある、との解釈
というような解釈で、中国が白人のルーツ、などという解釈は無い。
失礼
×中国が白人のルーツ、などという解釈は無い。
○中国の支配層が白人、などという解釈は無い。
>>531 直前で背が高いって人種の事言ってるのに、直後にその対比で中国文明に成ってんの?
横からスマンが
其人民皆長大平正,有類中國,故謂之大秦。
「有類」の解釈以前に
”自ら『中国人と同じルーツだ』と言っており”って云う訳が出てくる根拠が分からんのだが、注?
~~~ ~~~~~~~~~~~~
>>534 それ書いたの中国人だからだろ
書いたんで有って言ってないってんなら知らんが
中国人が書いた→自ら
言っており→書いており
>>535 訳文中に唐突にその書物の著者の背景混ぜ込むとかありえんだろ。
その文脈なら「自ら〜と言っており」なんて謎部分差し込むより、
そのあとに「これを証言したのは中国の使者だ」ないしは「この本を記したのは当時の中国人だ」と補う方が解り易いし。
>>536 何いってんだか理解出来んが
「この本を記したのは当時の中国人だ」と言う前提が有るから「自ら〜と言っており」って事に成ってんだろ?
もしかして「朝飯前」を「Before break fast」とか英訳しないと気が済まないタイプか?
気に入らないなら「当時の中国人は、この人達は中国人と同じ人種だと言っており」と脳内で勝手に変換すればいいじゃないか
え?もしかして日本語が不自由な人?支那人相手にしちゃった?
あーきたねーもん触っちまったわ
漢文なんてアバウトに大体理解してればいいじゃん、とか思ってたが
>>537のようなの見て考え変わった
厳密に訳す面倒くささ<勘違いで起こる面倒くささ、を痛感したわ
>>535 えっとよくわかんないけど(
>>530=
>>535なのかも含めて)
”自ら『中国人と同じルーツだ』と言っており”の主語はローマ人じゃないの?
訳文中に主語他を補ったなら、わかるようにしないと
ちょっと調べたら
『三国史』 魏書卷三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十
其俗人長大平正,似中國人而胡服。自云本中國一別也,常欲通使於中國,而安息圖其利,不能得過。
(文は台湾の中央研究院から)
その風俗は人は背が高くきちんとしており、中国人に似ているが戎衣を着ている。
(大秦の人)自らは(我々は)本は中国人の一支流で、(中略)と言っている。
ローマ人はもともと中国から移住したっていってるけど、この辺はどう解釈するの
ローマ側に対応する伝承がない事とか
おまけ
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0929&f=column_0929_003.shtml 訳が句読点他含めてそのまんまなんだけど偶然の一致?
文の解釈にかかわることなので、他人の訳文を使うならちゃんと明記しなきゃ
記事中の濱田英作氏は論文じゃないのをいいことに、巧みに該当箇所の出典を示さないで話を進めてるな
唐突に出てくる訳文の”自ら〜言っている”は、濱田氏が三国志から自説に都合よく切り抜いたと思うんだよね
もっとも、濱田氏にしても印欧語族ケントゥム系が中国人とローマ人他の共通の祖先だと言ってるだけで
「古代中国の支配者層が白人」なんて事は一言も言ってないようだが
~~~~~~~~~~~~
長い
3行で
まとめろ
543 :
世界@名無史さん:2012/01/08(日) 23:11:50.21 0
面白い展開だったのでageとく
544 :
世界@名無史さん:2012/01/12(木) 19:30:01.68 0
元王朝もか
トラヤヌス
ユスティニアヌス
バシレイオス2世
546 :
世界@名無史さん:2012/02/24(金) 02:03:44.33 0
>>534-540 横からスマンが
漢籍正史にありがちな事なんだけど
地の文でわざわざ「現地人(外国人/異民族)がこう言ってる」
って説明がある場合は
実は現地人ではなく中国人側の憶測(多くの場合的外れ)を述べている。
本当に現地で取材された客観情報は単に「しかじかである」と述べるだけで
わざわざ「現地人によれば〜」なんて書かない。
こういう例は正史には多い。
どうしてそういう書き方が多いのだろう?
信憑性を持たせるために付け足すのかな?
ヘロドトスにしてから「ペルシア人の言い分によれば…」と自分の言い分を書き出している
他者が自分と同意見だと説得力を証明されたような気分になるんじゃない?
ネットでも他者の同意は始終求められているように思われる
>>530 当時の漢文で「○○類」は現代語でいうなら「○○と同じくらい」の意味だぞ
お前の説を採用したら「無比類」は「先祖なし」にされかねないな
ロムルスからコンスタンティヌス11世まで、ローマ帝国が
文明の十字路に位置しながら2000年も存続したのは人類史の奇跡だ
>>552 コンスタンティノープルが中心の東ローマで見れば文明の十字路の一つでは
あるだろうが、分裂前のローマ帝国ならユーラシアの西の端だぞ?
>>553 お前が、なぜ帝国の中心がコンスタンティノープルに移ったのか、
その理由を理解できない程度の知能ってことは理解できた。
556 :
世界@名無史さん:2012/12/01(土) 15:14:59.37 0
漢王朝とローマで有名な
甘英もでてるしな
557 :
世界@名無史さん:2012/12/18(火) 15:53:52.38 0
アウグストゥスってどういう意味ですか?
奧古斯都烏斯(“尊崇”的意思)
>>546 漢文を読めない馬鹿が漢文史料云々言っても説得力無し
560 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 17:36:57.23 0
561 :
世界@名無史さん:2013/04/25(木) 21:01:55.81 0
高度な文明を築いた漢やローマも
五胡やゲルマンなどの蛮族にやられてしまったね
562 :
世界@名無史さん:2013/04/26(金) 21:05:33.77 0
カエサル=信長+秀吉
オクタヴィアヌス=家康
ティベリウス=秀忠
ネロ=綱吉
563 :
世界@名無史さん:2013/04/28(日) 13:20:52.01 0
アウグストゥスに匹敵する名君は漢にはいない
宣帝
名君勝負をしたいとは、
小説ではない歴史を扱うとしては少し物寂しいものを感じるな……
566 :
世界@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN 0
ローマ帝国 漢帝国
人口 5400万人 7100万人
面積 5001km^2 面積 4841km^2(利用可能地のみ)
軍隊 30万人 100万人
現在日本に換算した場合
税収 2746億円 15兆円
GDP 3兆8400億円 75兆円
ちなGDP10分の1というのは
アメリカとスペイン、日本とインドネシア、イギリスとエジプトぐらい差がある
前漢の王蒙簒奪時で6000万、後漢の黄巾の乱直前で4700万
569 :
世界@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN I
ヨーロッパの土地は貧相すぎるし産業革命迎えるまで中国、インドはダントツだよ
ローマはインド貿易で金吸い取られまくりだしねー
皇帝も元老院も嘆く始末
光は東方から
>>569 水田耕作には及ばないが、エジプトの生産性の高さもなかなかに無視できない
で結局奴隷や自由民は公衆浴場利用できたの?
ソース付きで答えてくれ
>>566 ソースおせえて
ちなみにそっから計算すると、ローマの一人当たりGDPは現代ジンバブエくらい
いっぽうで漢は現代トルコくらいで、中華人民共和国の1.8倍ほどになる
574 :
世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN i
税収が少ないとはいえ漢帝国の三分の一以下の軍隊で国を維持できたのは評価したいぞ
隣に仮想敵国で大国のパルティア王国、北にゲルマン他蛮族、南に砂漠の諸部族がいる状態で
カエサルとアウグストゥスの功績だな
よく軍縮に踏み切ったもんだ
577 :
世界@名無史さん:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN 0
建築物の遺跡の量からみて、どう見てもローマ>漢
軍縮は匈奴級の脅威がフンが来るまでローマには無かったからでは
外敵の脅威を払拭できたのも偉業といや偉業だな
パクス・ロマーナと呼ばれただけある
漢の高祖にしろ光武帝にしろ匈奴をなんとかできてればなぁ
漢帝国も軍縮できた可能性もあっただろうけど
周囲に敵対勢力がいるという点では一緒だったのに漢とローマ
>>578 どっちも5世紀以降の遺産が大量に含まれとるだろうが!なおかつローマはイベリア〜シリアまでが対象
>>575 このグラフだと、伊+仏で中国GDPの33%・・・地中海沿岸を全部あわせると2〜3倍になって66%〜99%。
だいたい人口比くらいに収まりそうな感じだな、流通が盛んになる宋代にならんとGDPは人口比ってのが自然か
その前のグラフはどうにも極端感があるな、計算方法がわからんから何とも言えんけど
ただ、人口に関しては漢がローマの2.8倍ってのがまずおかしい、だもんで信頼しがたいな
ローマ帝国が匈奴級の大勢力と対峙したら軍事的な敗北より
経済的な破綻を起こしそう。実際武帝は経済破綻を起こした。
宣帝を殺さないでおかったから漢は持ち直せた。
>>582 水田耕作が主流になる唐以降の中華帝国の圧倒的人口と農産力は納得できるんだが、
漢代で地中海全域をぶっちぎる理由がちょっとわからんよね
>>584 人口の矛盾はおいといて、ぶっちぎらせるために考えうる計算としては
絹生産量(推定)×ローマでの推定末端価格=絹生産額 → 漢のGDPに参入
こんなやり方でもしないと無理じゃないか。
これだと、大航海時代直前のモルッカ諸島がGDP上位にランクインしてしまいそうだが
ローマも漢も大したことないだろ、ローマはギリシャ哲学から
演繹されて生まれた国家だし、漢は五経から演繹された国家
ローマよりギリシャのほうが凄いし、孔子は中国史上最大の英雄
>>574は武帝晩年、90BCとあるから共和政ローマのマリウスやスッラの時代だな
ここからローマのピーク時でどこまでいったかですな
589 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
>>578 ドイツイギリススペイン北アフリカまで入れると、差がすごいことになるんだが。
590 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
>>588 内戦中の70BC位のローマ市民が70万人で、アウグストゥス時代が500万人だったはず。
これは成年男子だから、ローマ市民は全体で2000万人前後
アウグストゥス時代の全人口は6000万人ぐらいだろう。
ピーク時は2世紀中ごろだから、そこまでどれだけ伸びたか。
>>582 >>589 >なおかつローマはイベリア〜シリアまでが対象
それなら中国も日本朝鮮ベトナム台湾タイも入れていいよね+文革破壊補正も
だから5世紀以後の世界遺産は関係ないんで意味なしと言うとろうが
朝鮮ベトナムに5世紀以前の世界遺産ってあんのか?
台湾はチベット・東北三省・内モンゴルと同じくこの時期は版図ですらない
日本とタイは何の関係があるんだ?
絹が欲しくてたまらなくて貿易赤字で経済破綻したくせに
>>591 日本がいつ中華帝国の支配下に入ったんだよ
朝鮮だって漢と元くらいだ
割とベトナム北部は帝国内だったことは多い
ローマの世界史への文化的な影響なんて何もない
ただキリスト教が生まれるための入れ物でしか無かった
シナなんかもっと何も無い、シナの思想はユダヤ教のパクリ
ユダヤ教はセム系のイクナートンの朴李だろ
支那に影響を与えたのはイラン系のゾロアスター教
ユダヤ人のフロイトの立てた妄想だろ、イクナートン
聖書読んでみろって、聖書の神の概念がいかに儒教の天や老荘の道と似ているか
イクナートンの唯一絶対神とかゾロアスターの終末論とかを
パクッて出来上がったのがユダヤ教
中国思想の根底にある陰陽2元論は
ゾロアスターの光と闇の2元論から来ている。
ユダ公は何でもウリジナルにすんな
中国思想の根本は道や天だよ、道や天というのはこの世界を構成する根本的原理だ
これはユダヤの神の概念と非常に近しい
神話だって伏羲と女かという夫婦から始まるというのはアダムとイブを連想させるじゃないか
光と闇の2つの要素の上に
世界は成り立っているというのがゾロアスター教
漢方医学では陰陽のバランスの上で人は生きていると考え
天と地がつり合って世界が成り立っている
天と地のつり合いが失われると天が落ちてくる
という杞憂が生まれた
ユダヤ教に2元要素のつり合いという概念は無い
絶対唯一の神があるだけ
天や道などの一神教的要素もある、それに老子も言うだろ一より二が生ずると
中華思想だってユダヤの選民主義のパクリだしな
ゾロアスターを「無かったこと」にしたいユダヤ。
まあ無駄なことだ。
ユダヤ教がゾロアスターをパクッたのはばれてるしな
ユダヤとゾロアスター双方の影響を受けたってことで
神聖ローマ帝国がちゃんとまとまってて、東ローマ帝国ももっと長続きしていて
東西のローマ帝国がずっと繁栄している、そんな世界が私は良かった
EUって実質ローマと置き換えられないか?
ああ、モロッコ・アルジェリア・チュニジア・リビア・エジプト・シリア・パレスチナ・イスラエル・ヨルダン・トルコ・アルメニア
このあたりもEUに加盟すれば、ローマのアッパーバージョンと言ってもいいかもな
ドイツの東半分・北欧・ドナウ以北の東欧諸国を除外できれば完璧にローマと置き換えてもいい
610 :
世界@名無史さん:2014/01/16(木) 00:31:02.21 0
漢 vs 匈奴
ローマ vs ゲルマン
文明と野蛮の戦い
カエサルと光武帝劉秀が東西で匈奴を挟み撃ちする架空戦記とか読みたい
現実にやるとして可能だったのかも気になる
>>608 どう見てもゲルマン蛮族ですww
ローマの中心は現代のイスラム世界とユービスラビアの方
結局、フン族=匈奴なの?
そろそろ本題に入ろうか
地政学的に日本や世界の情勢を予測してみた
http://matome.naver.jp/odai/2137837840480462301 【実は案外知られていない】アメリカ合衆国の5つの国家戦略
http://matome.naver.jp/odai/2138037841827632101 欧米の軍隊が通過した地域は例外なく、全ての地域に当たる
欧米の植民地帝国の版図は紛れもなく世界を網羅したろうが
大した効果は得られず、北米がその巨大を維持しながらも
他国に対し植民地を放棄するよう要求する
北米に鎮座する大西洋、太平洋に面する大陸横断国家、海洋国家アメリカは
世界の全ての海上交通路を支配し、その膨大な管理費は他国では決して補うことは出来ない
ゆえに、全ての国はアメリカに依存した
そんなアメリカが非常に警戒するのはユーラシアに噴出する大国の存在
アメリカは国家安全保障の一環として必ずユーラシアに関わる新興大国を破壊する必要に駆られる
では、ユーラシア横断国家が存在したらどうだろうか
漢、ローマは貿易によって互いを隆盛させる
モンゴル帝国、イスラム帝国、マケドニア帝国では東西を交流させる要衝となる
しかし、それでもなお大した効果は得られない 上記の通り、世界を網羅したのは欧米の軍隊だった
文明を上昇させてのはいうまでもなく戦争技術である これから起きる世界大戦でも
アメリカは技術革新を発し、産業に転用させ世界を変容させるだろう
>
>>613 東から来た侵入者はフン族、オスマントルコ、イスラム帝国、モンゴル帝国
すかさず、フランスの南東部にまで進攻
フン族は今のドイツのほぼ全てを覆う
オスマントルコはウィーンにまでその軍隊の進攻させる
ソヴィエトだと東ドイツからバルカン半島までか
ドイツだとフランス
ローマだとブリテンに留まる
ロシア、中国が再び崩壊するという予測を見る限り
地政学的に乗っ取った国家安全保障に基づかければ
あらゆる広大に見える国家や侵攻されないと思われる国家はたちまち滅びると思われる
じゃあ日本は一体どうするのか
ドイツ、日本は第2次世界大戦末期になると特殊な兵器を用いて状況の看破を試みる
これに関して絶大な技術革新をもってしても、この2カ国が不利な状況を突破することはない
つまり、地理的な要因が完全に国家を支配することになる
でも、敗戦してもこうしてまともに国家は存続してるからな 何も危惧することはない
では、国家に求められるのは全く別の方向性と考えられる
半年前くらいは確かに
>>566の通りの記載だったよ(約20倍)
そこのサイト主がローマGDP算出のとこのケタ間違いに気づいて修正したんだろう
素人ブログみたいなもんを鵜呑みにすると恥かく一例だな
もっとも、そのへんの後ろめたさもあったのか
>>595のとおり隠そうとしてたけど
621 :
世界@名無史さん:2014/07/30(水) 08:51:57.79 0
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>>620 半分以下だと漢が日本なら、ローマは東欧のチェクスロベンスクとかバルト諸国当たりか
差があるな
「20分の1 → 2分の1 でした(テヘッ 」 のサイトを元に議論することに何の意味が?
>>623 ローマの経済力は漢の1/5くらいだよ半分も無い
625 :
世界@名無史さん:2014/07/30(水) 19:48:24.46 0
>>595 ローマ 紀元138年 約5001km2
イラン 通常富強時3568km2
中国 紀元138年 約5001km2
ビザンツ 1025年 1255Km2
いくらなんでも狭すぎだろ
ビザンツなんて東京都より狭いぞ
>>625 ローマやビザンツの土地が政府の掌握する土地なのか
軍閥の支配地も含むのか解らんがそんなもんだろ
当時は山野なんて把握してない
今の欧米白人どもがご先祖さまと崇拝して止まないローマ人ですら勝てなかった古代中国って凄いんだね。
今は低脳なイナゴになっちゃったけど、有能な大和民族があの土地をテにしたらどれだけ凄まじい国になるんだろ
628 :
世界@名無史さん:2014/07/30(水) 20:38:06.48 0
>>626 いくら山野が対象外でも東京都より狭いわけあるかアホ
中国 紀元前140年頃 1553km2
・・・武帝即位時点で前漢の面積は東京23区の2.5倍wwwクッソわろた
>>629 ああ成程、田地や国有地の総計だとその位だよ
郡県の支配地がそんな狭いわけ無いけどね
> 典拠:
> 2)面積 現代の地図に古代の線を引いて現代の各国、各州の面積を積算したもの。
> なのでかなりアバウトではあるけど、概ね近い数値 だと思います。
足し算もできない素人サイトを無理に擁護する必要ってあんの・・・?
擁護してるのは本人だろ
634 :
世界@名無史さん:2014/08/01(金) 23:45:38.06 0
>>625 そのサイトの作者です。
表記にkが一つ抜けておりました。例えば、
>ローマ 紀元138年 約5001km2
5001km2 は、5001k km2 の誤りです。つまり、5001,000km2 となります。
その他全部同じです。
お騒がせしました。
自分の趣味でやっとるサイトなんだから、釈明なんてせんで好きに訂正しとけばいいんよ
むしろ、このスレに書き込んだことで上のレスのどれかがアンタのもんだと確実に思われるから、
たぶんあんまりいい事にはならんで
>このスレに書き込んだことで上のレスのどれかがアンタのもんだと確実に思われるから
そうでしょうか? 数字に変更はありませんので、上の釈明レスのようなものを私がする理由はないと思うのですが???
あ、わかりました。「お騒がせしました」などと書いたから、その前にもレスをつけていた
ように受け取られてしまう、ということですね。失礼しました。
私が面積のやりとりに気づいたのは1時間程前のことで、このスレに書き込むのは
これが初めてです。いづれにしても失礼いたしました。
過疎スレなんだからあんまり書き込むんじゃないよ
639 :
世界@名無史さん:2014/10/24(金) 22:41:35.03 0
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劉邦とアウグストゥスってどっちが名君?
劉邦
漢王朝創始者
ライバル:項羽
蛮族:匈奴に敗れる
アウグストゥス
ローマ帝国初代皇帝
ライバル:アントニウス
蛮族:ゲルマン人に敗れる
ローマ帝国 漢帝国
人口 5400万人 7100万人
面積 5001km^2 面積 4841km^2(利用可能地のみ)
軍隊 30万人 100万人
現在日本に換算した場合
税収 2746億円 15兆円
GDP 3兆8400億円 75兆円
秦恵文王
巴蜀
秦昭襄王
鄭、西周
始皇帝
東周(東周公)、韓、趙、魏、楚、燕、斉、百越、匈奴
漢武帝
匈奴、大宛、衛氏朝鮮、ビン越、百越、テン、キョウト、夜郎、昆明族、且蘭、筰、徙、ゼンボウ
後漢明帝
哀牢、鹿タ
滅ぼした、又は服属させた国或は部族
始皇帝と漢武帝が抜きんでている。これが後の漢族の真の領域になるわけだ。
何度か分裂・独立したりもしたが、明の時代に漢族の版図はこれで確定した。
※ただしモンゴル、ウイグル、チベットは含んでいません
蒙古の南半分は、明以降、名実共に版図化してるから、確定じゃないな。日本の北海道や沖縄みたいなもんで成長してる。
ウイグルは20世紀も半ばになってからの概念なんで何を指すのか微妙だが、新疆省の二大民族の一つが漢族なのでここも確定してない。
西蔵は帝国直轄領に変わったけど、まあ明代で確定したと言ってよいか。
始皇帝と漢武帝の二人は異常なほどに対外戦争に熱心だったな
まあこの二人のおかげで統一中国と言う巨大国家の概念が生まれたようなもの
二人が対外戦争しなかったら、今も欧州みたいに分裂した国家群だったかもしれない
漢武帝が戦争しまくったのは間違いなく始皇帝の影響だろう
【恵文王】
司馬錯「蛮族から片付けちゃいましょう」→巴蜀死亡
【昭襄王】
魏冉&宣太后「諸国に君臨する帝号名乗りましょう」 白起「イエッサー!」
→義渠死亡、徹底的に痛めつけられる六国、巴蜀の領土化完了
こわーい先輩の影響だよ
秦王国から前漢まで文弱そうな王や皇帝ほとんどいない
恵帝
昭帝
元帝
成帝
哀帝
平帝
昭成哀平は文弱とは違うだろ
孝昭帝ってたしか相当高身長だったよな。早世しなかったらどんな君主になってたのやら