1 :
世界@名無史さん:
秀吉の朝鮮出兵のとき明軍は日本軍の火繩銃の精度の高さにびっくらこいたそうですが
そもそもなんで明の銃は日本のより劣ってたの?
3 :
パオさん:2009/01/14(水) 18:44:49 0
>>2 当時の明の銃は「銅銃」という、いわゆる指火式のハンドカノンの類で
火縄銃のように両手で構えて狙いを付けたりできない代物。
加えて、飛距離も火縄銃より短く、音と煙で脅すタイプの花火みたいな構造。
もちろん信長が編み出した「三段撃ち戦法」もなく、日本軍に圧倒されてしまった。
4 :
パオさん:2009/01/14(水) 18:55:06 0
当時の明は鎖国状態でヨーロッパの優れた知識が入り難い状態だったが
日本は海外の知識を積極的に吸収していた時代なので、ヨーロッパ最新の火縄銃を
ポルトガル人商人から入手できた。
しかも日本には伝わった種子島にが偶然にも天才的な鍛冶職人「八板金兵衛」がおり、容易に模倣できたのも要因。
そしてそれらを戦争に有効活用するすべを編み出した織田信長という偉人の存在も大きい。
この二人の活躍が戦国乱世に終止符を打ち、秀吉の海外遠征の下地を作った。
それって海禁政策のせいで
渡来以来発展してないの?
これはスレ違い。
>>4 > 日本は海外の知識を積極的に吸収していた時代なので、ヨーロッパ最新の火縄銃を
> ポルトガル人商人から入手できた。
日本に伝わったのは東南アジア製
> しかも日本には伝わった種子島にが偶然にも天才的な鍛冶職人「八板金兵衛」がおり、
日本には種子島以前から鉄砲は伝わっている。種子島は鉄砲伝来の一ルートにしか過ぎない。
そして鉄砲の製造は各所で同時多発的に起こり、それが発展できたのは「室町幕府」の
保護育成政策があったため。
> そしてそれらを戦争に有効活用するすべを編み出した織田信長という偉人の存在も大きい。
鉄砲の戦術は畿内で発展し、最初にその大規模活用戦術を行ったのは本願寺。
信長の戦術は徹頭徹尾その模倣。彼は天才でもなんでもない。
8 :
パオさん:2009/01/14(水) 19:07:42 0
むしろ、朝鮮征伐の折に日本から朝鮮経由で明にもたらされた。
そもそも、北方騎馬民族相手の戦闘なら火縄銃よりも音と光の威力が強い爆薬などの方が
ずっと効果的(馬が怯える)で、機動性の劣る重い銃などは中国大陸の戦闘には不向きだった。
まして、数万〜数十万の騎馬が一斉に向かってくる大陸の戦場では火縄銃の三段撃ちなども現実的ではない。
信長は三段撃ちなんかやってないのにね。
鉄砲生産量でも戦術でも当然ヨーロッパ諸国のほうが上だし。
10 :
パオさん:2009/01/14(水) 19:16:05 0
>>7 >日本に伝わったのは東南アジア製
むしろ、日本から朱印貿易で東南アジアに伝わったのが東南アジア銃の起源。
何故なら、16世紀に作られた東南アジア製の銃など存在しないから。
>日本には種子島以前から鉄砲は伝わっている。
それを実証できる史料が存在しない。
>最初にその大規模活用戦術を行ったのは本願寺。
火縄銃は使われていたが、三段撃ちを編み出し主力平気にしたのは信長。
それが証拠に本願寺はあっさり信長に敗れたじゃん。
まだ三段撃ちを信じてる奴がいたよ
12 :
パオさん:2009/01/14(水) 19:21:19 0
>>7 >それが発展できたのは「室町幕府」の保護育成政策があったため。
16世紀中期に室町幕府など既に機能してないだろうがよ。
>>12 > 16世紀中期に室町幕府など既に機能してないだろうがよ。
ちょっとは日本史勉強してくれよ。戦国期の室町幕府の実態とか、
足利義輝と国友村の由来とか。
>>3 秀吉の朝鮮の役の頃には明軍も火縄銃を使ってたよ。「鳥銃」と呼ばれるのがそれ。
詳しくは久芳崇「16世紀末,日本式鉄砲の明朝への伝播」を参照。
李氏朝鮮では本当にタッチホール式の銃しかなかったらしい。
>>8 >まして、数万〜数十万の騎馬が一斉に向かってくる大陸の戦場では火縄銃の三段撃ちなども現実的ではない。
唐代の杜佑「通典」では弩は装填に時間がかかり、敵が迫ってくるまでに一回か二回しか発射できないので
弩兵を数列に分けて交代しながら装填と発射を繰り返すべし、と書かれてるよ。
火縄銃じゃないが基本的には同じ発想かと。
>>2 「16世紀末、日本式鉄砲の明朝への伝播」の受け売りですが
当時の明軍の火縄銃は銃身を青銅で鋳造したもので
何発も撃って加熱すると暴発の危険が高かったという。
たしか威力や射程距離も劣っていたはず。
17 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 21:46:51 0
>>10 >何故なら、16世紀に作られた東南アジア製の銃など存在しないから。
きみがしらんだけだよ
18 :
パオさん:2009/01/14(水) 21:57:42 0
>>17 そもそも16世紀の東南アジアで
世界最新テクノロジーである火縄銃を作る技術が有ったか甚だ疑問。
むしろ、17世紀初頭に朱印貿易で日本人が持ち込んで普及したと考えるのが自然。
朝鮮にしろ支那にしろ、日本人が製造技術そのものを持ち込むまでは模倣すらできなかった。
日本は1000年に及ぶ刀鍛冶の技があったからこそ容易にコピーができたんだよ。
大体さ、ポルトガル人が東南アジア製のボロ銃なんぞ携行してるワケねーだろ。
日本の火縄銃は通称マラッカ式といって、着火方式が西欧で主流のものとは違うので、東南アジアで製造されていたものが原型とされている。
マラッカ式(瞬発式)→引き金を引くと掛け金が外れてバネの力で火縄が火皿に落ちる。
西欧のもの(緩発式)→ばねの力で押し上げられている火縄を引き金を引く力で火皿に押し付ける。
一説によると東南アジアの森林地帯では樹木が邪魔になって弾幕戦の効果が低く、
狙撃に適した瞬発式が好まれ受容されたとも言われている。日本にはこの東南アジアのマラッカ式火縄銃が伝来し、
日本人の古来の弓術の射撃戦方法論にも無理なく適合できるこの形式の銃が普及したと考えられている。
一般に日本に火縄銃を伝えたのはポルトガル人とされており、欧州の銃がそのまま持ち込まれたと思われがちであるが、
当時日本で南蛮人と呼ばれたポルトガル人達の多くは、実はポルトガル本国から直接渡来した者は少なく、
インドや東南アジアに確保した拠点都市などに定着し、現地人と婚姻して世代を重ねた者たちが大半を占めた。
そのため、彼らが日本に伝えた銃がマラッカ式であることは特に不思議ではない。
ちなみにマレー半島の交通の要衝・マラッカがポルトガル領だったのは1511年〜1641年。
東南アジアにおけるポルトガル海上帝国の拠点として繁栄し、フランシスコ・ザビエルもここから日本へ向かった。
22 :
パオさん:2009/01/14(水) 23:37:36 0
だいぶ、宇田川の信者が増えたな。
>>22 じゃあ誰の書いたものでもいいから、ここ2,3年の鉄砲史に関する専門書を読んでくれ。
読んでから書き込め。
明後期に銅銃しか無いと思っている時点で駄目だと思う。
朝鮮出兵以前の戚継光の部隊が火縄銃を装備していた
ことすら知らないのは、つまり火器に対する興味がないのであろう。
26 :
パオさん:2009/01/15(木) 00:26:27 0
>>24 >ここ2,3年の鉄砲史に関する専門書
で、宇田川先生って事ですかw
おっと、澤田先生も忘れないでねw
>>25 >戚継光の部隊が火縄銃を装備していた
どのくらいの数を持っていたというんだよw
で、それはどこから得たんだw
日本のように自国で量産して大量に装備していたのかなーw
>どのくらいの数を持っていたというんだよw
参考までに数年前に他板で書いたのを貼ります。
336 名前: 名無し議論スレにて投票方法審議中 [sage] 投稿日: 2007/01/17(水) 14:59:51 ID:QbkxCYPM
>>333 精鋭かどうか不明ですが火器が大量配備される軍団はあったようです。
「練兵実記」という本に薊州を防衛していた軍の編成が載っていますが
歩兵の最小単位は12名の「隊」で、火縄銃を用いる「火器手隊」と
槍などの近接兵器で戦う「殺手隊」の二種類があった。
火器手隊・・・隊長1名、鳥銃手10名、火兵(炊事兵)1名
殺手隊・・・隊長1名、藤牌手(刀と大盾)、狼筅手、長槍手、?手、大棒手各2名、火兵1名
3隊が37名の「旗」、3旗が112名の「局」、4局が449名の「司」を構成する。
2司(火器手と殺手)が899名の「部」、3部が2699名の「営」となる。
こうして構成された歩兵旅団には1080挺の鳥銃と216張の弓が配される。
その他に騎兵旅団の「騎営」と、フス派の戦車に似た「偏箱車」で陣地をつくる「車営」があり
3109名の車営には145台の偏箱車、8門の大将軍砲、256門の佛狼機砲、512挺の鳥銃を配備
>日本のように自国で量産して大量に装備していたのかなーw
火縄銃の銃身を青銅で鋳造とか無茶な話は明以外にあまり聞かないですね。
あ、でもハリル・イナルチクの本でちらっと書いてあったけど
なぜか中央アジアに派遣されたイェニチェリの一団が
現地の土候に、もってきたルーミ銃を無理やり銅の銃と
交換させられて難儀したとか。
鋳造したものだったのかはよく分からないですが。
ちなみにBronzeじゃなくてCopperと書いてあったと思う。
>>9 ヨーロッパの一国が保有する鉄砲の数は、日本ではちょっとした大名クラスだったろう
32 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 09:56:38 0
ヨーロッパじゃそれだけの鉄があったら鉄砲より大砲に回すからな
16世紀ぐらいならまだ青銅砲作ってた>ヨーロッパ
西南戦争や日清戦争でも青銅砲を使用してたよ。
鉄製大砲は16世紀の時点ではイギリスの特産品という感じ。
錆びやすい、脆い、脆いのを補うため重い(分厚い)という三重苦だが
とにかく安い、青銅砲の3分の1の値段
鉄の剣>>>>>青銅の剣というイメージから単純に、
鉄製の大砲>>>>>青銅の大砲にはならないんだよね。
精錬や鋳造技術のレベルによっては、
鉄製の大砲レベル1と青銅の大砲レベル10が同じ時代にあったら
どっちをとるかという選択が登場する。
火縄銃にまで数を揃えにくい青銅使ってたのは冶金技術止まってたからじゃねえの?
>数を揃えにくい
鋳造の方が速く大量に造れそうな気がするけど
品質はそりゃトルコや日本みたいに鉄を鍛造したほうが強靭だろうけど
41 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 22:58:47 0
パオさんって小学生かね?
無知すぎw
おもしろいwww
日本への鉄砲伝来は、通説では天文十二年(1543)の種子島への伝来が最初とされるが、
北条五代記にある永正七年(1510)初伝来と言う記述が、最近は注目されている。
北条五代記は江戸期の軍記ものだが、明応大地震の描写など、史実に近い記述があることを
確認されるようになった書物。
初期の小銃は命中率も低く、射程距離も短い。
18世紀の末になっても「敵の白眼が見分けられるまで撃つな」といわれ、
熟練した射手でも18m前後(10間、20ヤード)の距離から撃たねばならなかった。
弾幕張って数撃ちゃ当るとの諺もあるが、17世紀のボヘミア戦争では、敵1人を小銃で殺すのに平均33発の弾丸を要したといい、
18世紀半ばのマドラスでの戦争での小銃命中率はたった2%。1人が50発撃たないと当らない計算だ。
普仏戦争では350発に1発、日露戦争では457発に1発(ロシア軍側では1180発に1発!)が敵を殺したという。
18世紀のプロイセンでマスケット兵が50ヤード先の標的を狙って命中率が6割だっけ
>>44 手元に資料か文献あるなら紹介してください
日本人は命中精度にこだわる性質だから、火縄式を長々と使い続けたんだよね。
フリントロックは衝撃で銃身がぶれるからと言って。
実際は個々の命中率の微々たる向上なんかより、射撃間隔を縮めて数撃った方がいいんだが
一人を撃ち殺すのにたくさん弾が必要だと命中率低いってんなら、
現代なんか一人倒すのに何千発も撃ってるが現代の銃の命中率低いのか?
西欧のマスケット銃は時代が下ると命中率を犠牲にして威力と速射性を重視していってるのに
元和偃武の後270年間天下泰平の中、実用品としては狩猟にしか使ってこなかった日本の銃と、
同じ期間を三十年戦争だの七年戦争だのアメリカ独立戦争だのフランス革命・ナポレオン戦争だの
クリミア戦争だのに明け暮れてきた欧米の銃を同じ基準で図られても困る。
エングレーブ入りの最高級水平二連散弾銃をAKMと比べて軍用銃の役に立たんといわれてもなあ。
そりゃそうだが、水平二連の市場しかなかったんだぞこっちは。AKMの出番はなかった。
(AKM=シャスポー、M1ガーランド=エンフィールド・スナイダー、38式=エンフィールド・ミニエー、
エンフィールド・スナイダー=ゲベール、エンフィールド・ミニエー=ゲベール、水平二連=和銃 くらいで想定)
ペリー来航〜明治維新ぐらいの時期だと、ライフル銃なんて欧米ですら最新兵器だぜ?
>50
バリバリ合戦してた割には黒色火薬時代が延々と続いているのが不思議
無煙火薬が登場するのがようやっと19世紀末だしな
それまでは撃つたびに煙が立ち込めて視界が悪くなりそうだ
>>47 火薬がとんでもなく高いんだからしょうがない。
人間の糞尿を草木とともに醗酵させて硝石を得る技術が加賀藩で開発されるまで、
硝石はほぼ輸入に頼っていた。
いいれす
56 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 02:40:14 0
当事は日本の銃にも刀にも勝てないよ世界程度じゃ
>>47 精神論以前に、日本じゃ良質な火打ち石が大量生産できなかったから、
フリントロックの大量生産なんて到底無理な話。
日本の火縄銃ってみんな猟銃型?の形だけど、ライフル型はなんで流行らなかったんだろう?
只の慣れか?
>>54 土硝法ですね
記録読んでみると嫌がらせかと思うぐらい臭そうですな
59 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 19:24:08 0
イェニチェリも、訓練を受けた自負があったんだろうが、個々人の射撃の正確さに頼っていて
西欧の銃兵のような斉射戦術の導入を拒み続けたらしい。パイクや銃剣も嫌っていたと。
「セグバン」や「レヴェンド」のような雑兵はどうだったんだろう?
>57
英国も1720年制式化の小銃を100年以上使っていたから、武器の更新に
まつわる共通の問題があるのかも。
インドで銃もしくは砲が最初に登場するのはいつ頃なんでしょ?
>>60 主に金の問題。
それから一気に切り替えないと使用する弾薬の種類が増えて補給が煩雑になるとかそのへん。
>>51 50じゃ日本の軍用銃の基準として38式=エンフィールド・ミニエーを基準にしたつもり。
タマさえミニエーなら銃の方はスムーズボアにライフリング彫った奴でなんとかなるし、プロイセンは実際そうしたと「戦争の世界史」にあった。
銃の発展がやたらに早いこの頃、戊辰の1870年ならミニエーが標準ゆーて問題なかろう。
「それで何が言いたいの ですか?」
これはこういうときに使う言葉なんだな。
65 :
世界@名無史さん:2009/01/29(木) 13:49:07 0
>>42 同じく巨砲のモンス・メグとかウルバン砲は実戦で使われてるけど
66 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 01:58:26 0
リュックベッソン監督の映画「ジャンヌダルク」の劇中で、城壁の穴から
直径50センチぐらいの石球が勢い良く飛び出して、城壁を上る敵兵を弾き飛ばすシーンがありますが
あれは何なんでしょうか?
少なくとも劇中で言ってる「カルヴァリン」ではない。
68 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 21:43:54 0
>>47 >実際は個々の命中率の微々たる向上なんかより、射撃間隔を縮めて数撃った方がいいんだが
シリンダー状の多銃身の火縄銃が有ったらしい。
一発撃つと回転させてもう一発撃つ仕組み。
或いは銃身は一本だが、薬室が三つ有って、前の方から撃つごとに、火挟みを後退させて
順番に発射させる仕組みの銃もあったらしい。
また、十数本で上下二段もの銃身を扇状に束ねて、根元のたった一つの火皿に点火すると、
一斉に20数発もの弾が発射する奇抜な銃も有ったらしい。
(維新後、靖国神社に奉納されていたが、戦後GHQ関係者に接収されて行方知れずとか)
詳しくは所壮吉著「図解古銃事典」を参照して下さい。
>>68 多銃身火縄は今でも数点靖国神社で展示されてるぞ。
70 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 22:24:29 0
>>68 三連装銃はあるが、二十連装は無い。(遊就館で直接確認済み)
その時、その理由までは聞き出せ無かったが、十年以上前、
まだ改装前の時に、古銃器を展示してある一角にあった説明文に
「戦後の混乱時に不逞の輩に持ちだされ云々…」と書かれていた。
その当時の状況を知る人によると、GHQ関係者によって相当数の古武具が接収の名目で
持ち出され、未だに返還されていないという。
多分、今頃スミソニアン辺りの倉庫に眠ってるんじゃなかろうかと。
欧米
みんなで一斉射撃
発車後、白煙
白煙中に再装填。
無煙火薬誕生。
装填中がばればれ
もっと早く撃つには、
シリンダ発明
回転させて撃つ
機関銃誕生
日本
個人技術・訓練
発展しない
>>68 銃身そのものを6本束ねた短筒もあったらしいけど、
独立したシリンダーじゃないので銃身が無駄に多くなる分、
重くて取り回しが悪かったから普及しなかったらしいね
明代にも三銃身の手銃があって、三発撃ち終えると振り回して打器として使ったらしい。
「4発目は兜を叩き割る」とさえ言われたそうな。(張士髓『神器譜』より)
三眼銃ね。
指火式のハンドガンだから長い柄がついていて振り回すのには丁度良かった。
>>11 >まだ三段撃ちを信じてる奴がいたよ
亀レスだが、三段撃ちは合理的な戦法であり、小火器黎明期の西欧などでも盛んに用いられた戦法。
だがそもそも、無謀にも信長の陣へ突進していった武田騎馬隊は火縄銃という物に無知だったので仕方ない。
そういう意味で長篠の合戦は見たことも聞いたこともない武器を大量に使った信長の心理戦でもある。
>突進していった武田騎馬隊
まさか騎乗突撃したと信じて無いよな
>小火器黎明期の西欧などでも盛んに用いられた戦法
どの辺でやってたん?イタリア辺り?
78 :
世界@名無史さん:2009/02/07(土) 09:50:16 0
三段撃ちは弓矢でもやってるよ。それが決定的戦力になるわけないじゃんってだけで
それを存在しないとか言い始めると、例の〜はなかったぁだけで食ってる人の飯の種になるだけだぞw
鉄砲なんか武田軍も持っとるわい
>まさか騎乗突撃したと信じて無いよな
無謀に突撃したから全滅したワケだがな。
ただ、当時の武田軍には「鉄砲=兵器」という認識が欠如していたからしようがない。
情報に長けた一部の軍師以外にはただの棒切れにしか見えなかったのではないだろうか。
>どの辺でやってたん?イタリア辺り?
三段撃ちといっても、以前言われていた「銃士が三列に並んで撃つ」ではなく、
数丁の鉄砲を「銃士⇔弾込助手⇔清掃助手」というチームで3人が組んで、
1人の銃士(鉄砲上手)が助手から渡された鉄砲をよーく狙いを定めて撃つというやり方。
>鉄砲なんか武田軍も持っとるわい
武田軍の特徴的な戦法は騎馬集団による圧倒的な攻めで敵最前列を突破し、その大混乱を突いて
騎兵の後を固める槍部隊が逃げ惑う敵兵を叩き潰すというやり方。
重い鉄砲は野戦では無用の長物であり、伝令や合図などで空砲として打ち鳴らしていたぐらいであり、
兵器としての認識は殆どなかった。
そもそも3000丁とも言われる信長の鉄砲は泉州堺や近江国友などの大生産地を自らの直轄地としていた
からこそ成し得た戦法であり、その全てを外部の商人からとんでもない高額で買うしか術がなかった
武田氏にとって、所詮は実現不能な戦法だったと言えよう。
>>まさか騎乗突撃したと信じて無いよな
>無謀に突撃したから全滅したワケだがな。
なんか「騎乗突撃」他もろもろ、総じて通じ得無い御様子。
>なんか「騎乗突撃」他もろもろ、総じて通じ得無い御様子。
騎乗突撃が無ければ武田軍などただの烏合の衆だ。
織田軍のように職業軍人制を採っていなかった当時の戦国諸侯は
いざ戦となれば、譜代の家臣団にその領地から農民を掻き集めさせて足軽雑兵にしていたに過ぎない。
だからこそ武田軍はその弱点を騎乗による一斉突撃戦法で纏め上げ、その絶大な攻撃力と機動性の源としたんだよ。
ちなみに「武田の赤備え」も烏合の衆を纏め上げる一種の心理的操作と言える。
その狂気にも通ずる集団催眠術に罹った軍勢は本願寺門徒や一向一揆並みに強かったのは言うまでもない。
>三段撃ちといっても、以前言われていた「銃士が三列に並んで撃つ」ではなく、
>数丁の鉄砲を「銃士⇔弾込助手⇔清掃助手」というチームで3人が組んで、
>1人の銃士(鉄砲上手)が助手から渡された鉄砲をよーく狙いを定めて撃つというやり方。
そういや末期明軍も射手と装填手分けてる例があったような
>>80 マジレスもなんだが武田家は鉄砲伝来の10年後には早くも300丁を前線に配備してます
長篠城も武田の鉄砲衆に穴だらけにされてる
>>84 それは信長の戦略鉄砲隊とはかけ離れたもの。
今で言うところの攻城特殊部隊。
鉄砲があっても、作戦で運用できなくちゃ持ってないのと同じ事。
信長軍のように全ての部隊がそれぞれ連動して運用されてこそ鉄砲は活用できた。
敵の首を確実に獲れない鉄砲の一斉射撃など、各個人が功名心で動いた武田軍には到底運用できなかった。
信長軍は常備軍なので俸禄で雇われた足軽だから敵の首など、どうでもよかった。
農民兵からなる武田軍は獲得した敵の首で恩賞を与えていた。
>>85 > 信長軍のように全ての部隊がそれぞれ連動して運用
マジレスするのもなんですか、鉄砲隊の運用は信長も武田も大差ないぞ。
つーか、パオさん ◆mEq.Fp/iL.ってどこでそんな歪んだ信長知識拾ってきたんだ?
そういう本とかあるの?
信長はゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバを参考にしたと思われる野戦築城をしてたらしいから、運用自体には差があるだろ。
戦国時代の馬の使い方について勉強してから来いって
>>82
>>86 >マジレスするのもなんですか、鉄砲隊の運用は信長も武田も大差ないぞ。
鉄砲隊も槍隊も弓隊も歴然とした運用の差があったからこそ、信長は戦国覇王になったんだよ。
出自ではなく一個人の功績が全てであり、末端まで命令指揮下における信長の常備軍と、
常に先祖の序列や名誉を重んじる国人領主とそれに仕える譜代衆・親族衆からなる
旧態依然の武田家臣団とでは戦の仕方自体違って当然だった。
鉄砲という新しい兵器の導入やその運用方法の考案も、まま成らなかった事も頷ける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦国覇王…
信長の常備軍…
げ、ゲーム脳?
わざとやってんのかマジモンなのかわからんが、とりあえずNGName指定
信長とか日本史とかからはもう半永久的に離れてくれや
火砲といえば、16〜17世紀にかけて他国を圧倒していたオスマン朝の大砲技術は、
18世紀にはどうして停滞し、西欧に遅れを取ってしまったのだろう?
日本のように戦争が停止され、武器の発展の必要がなくなったわけではないのに、
不思議だ。
>>95 17世紀後半のウィーン攻囲の頃にはもうすでに大砲が旧式になってたらしく
もっぱら坑道爆破で突破口を開けてる。
正確には第2次ウィーン攻囲
火砲の歴史といえば、「大友宗麟の国崩し」と
戦国乱世に終止符を打った「家康の芝辻砲」を抜きには語れない。
大友宗麟の国崩しは子母式と言われる所謂「薬室カートリッジタイプ」の青銅砲。
ポルトガルの植民地であったインドのゴアで鋳造された代物。
99 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 02:28:12 0
信長が際立ってたのは鉄砲の数の多さと、長篠の時のように鉄砲隊だけ他の軍団から集め配置した火力の集中砲火かね
終止符wwww
カルバリン砲程度の威力で、たった一門しかないあの試作砲がですかwwwww
>>99 マジレスしちゃと、地道な諜報活動&巧みな計略が最大の武器。
>>100 一門どころじゃないだろ。
あの砲は当時としては画期的な構造を有していたからこそ
幕末まで砲の形式が残ったんだよ。(もちろん世界的には時代遅れだが)
連続発射と安全性、そして飛距離という点で、当時一般的だった青銅子母式砲を凌駕したんだよ。
鍛造で造るという発想は鉄砲由来のアイディアだ。(芝辻の本職は鉄砲鍛冶だもの)
江戸時代に作られた和製大砲は全部青銅の鋳造品だぞ。
鍛造砲は抱え大筒などの小口径の「大型の鉄砲」のみ。
鉄砲の大型化路線をとことん突き詰めたらヨーロッパ並の大砲にならないだろうかと実験してみたところ
やっぱり時間と労力がかかりすぎて駄目だったという砲が芝辻砲。
>>102 すまない、誤解が生じたようだ。
オレが言いたかったのは子母砲のような薬室カートリッジ砲(子母式)が
芝辻砲のような前装砲にとって変わったということを述べたかったんだ。
確かに素材と製法は鍛造砲が廃れて鋳造砲が主流になったのは事実。
ブリーチローディングは当時の技術レベルでは明らかに早すぎる機構だったわな。
たぶん国崩しは元々は艦載砲として作られたものだろうと思う。船だと前からの弾込めがしづらいから。
>船だと前からの弾込めがしづらいから。
んなこたない、16世紀初頭まで艦載砲は甲板の上から撃つものだったし
それ以降の、砲門に置かれる大砲はちゃんとした砲架がついてて
撃った反動で自然と砲身が下がって弾込めしやすくなる。
後込め式は固定式である小型の旋回砲でよく使われた。
明は後込め式である仏郎機を好んで生産したようだが、これはただ単純に
土着のものより性能(照門・照星の有無など)が優れていたというだけのようで、
より優れた紅夷炮が伝来するとさっさとそれに乗り換えてしまった。
ああそうなのか。
しかしガス抜けのデメリットがあるのがわかっててあえて後込め式にしてあるのは連射性能上げるためだろうし、
艦載を意識してるとは思うぞ。
先込め式だと砲丸の直径を砲腔のそれより大分小さくしなきゃ弾込めができないが、
後込め式はギリギリまで砲丸を大きく出来るので、砲口からのガス抜けは少なくなり
より長砲身にしたり砲口を狭くして命中率・威力を上げられるという強みもあるよ。
無論、砲とカートリッジの口径を正確に合わせられないと大量にガス抜けしたり
ドカンしたりするけどね。
>艦載を意識してるとは思うぞ。
なぜ速射性能を上げると艦載になるの?速射性が重要なのは陸上の野戦砲でも同じでしょ。
16世紀じゃまだ大砲は野戦に使ってないし。
30年戦争のブライテンフェルトの戦いあたりからだったと記憶してるが
ブルゴーニュ戦争、ラヴェンナ、モハーチとかでガンガン使われてるじゃん。
>>108 オスマンもオーストリアもガンガン使ってるぞ>野戦で大砲
つーか朝鮮役でも日本は明軍の野戦砲に結構やられてる。
112 :
世界@名無史さん:2009/03/12(木) 22:27:17 0
age
113 :
世界@名無史さん:2009/03/12(木) 22:42:06 0
モハチは大砲をガンガン使ったって言うけど
だだっ広い平野でどんな風にぶっ放したの?
>>113 モハチは知らないけど
砲弾に爆薬入れて炸裂弾として使う前は
大抵地面から水平に撃って、砲丸を高速で転がせる感じじゃなかったかな
115 :
世界@名無史さん:2009/03/13(金) 00:55:11 0
>>113 大砲に石や釘などを詰めた即席の散弾を撃った。
>>116 戦国時代の日本でも即席散弾やってるぞ。
118 :
世界@名無史さん:2009/03/13(金) 14:10:45 O
16世紀の砲弾は鉄球も稀で、大抵は丸く加工した岩
これは単純にコストの問題で、直径数十センチの鉄塊となれば
現代でも結構な値段のするものを、数千発から数万発も発射するのでは
とてもじゃないがやってられない
どこの国だったかの調達記録に、鉄製砲丸600発を
850ドゥカートで購入したとあったが、
40万ドゥカートあれば全ヨーロッパと戦争ができる時代だから、
これは当時で言うパトリオットミサイルのようなものといえる
ちなみに砲丸は転がすのではなく、普通に飛ばしてぶつける
質量と速度で城壁くらいは崩せる
石弾は砲口に合う形に整形するのも手間だし、発射後に再利用できなさそうなのもアレだな。
鉄玉は砲身内部を痛めそう。
整形の容易さと砲身への優しさから考えれば鉛玉が一番なんだろうが、コスト面からそうもいかんかったのかね……。
ところで当時の火砲の発射速度なら、600発なんて使い切るのはどんな戦闘だったのかな?
攻城戦は大きくて動かない城壁を的にして
何門も並べて朝から晩まで何ヶ月もぶっ放し続ける
コンスタンティノープルの三重城壁に撃ち込まれた砲弾は
5ヶ月間で15000発以上とか
121 :
パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/03/18(水) 03:05:56 0
>>120 その頃だと、まだ主要な攻城兵器はトレビュシェットじゃね。
トレビュシェットに代わって大砲を使った先駆けがオスマンだよ
123 :
パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/03/18(水) 21:37:25 0
>>122 いや、もちろん火砲も併用しただろうが、15000発打ち込んだ弾の内、
大半がトレビュシェットによるものだったんではなかろうか?
そもそも、そんなに火薬を使ったらどんだけ戦費が増すか…
第四回十字軍のころには大砲もトレビュシェットもまだ無い、
というか攻城梯による乗り込みが主だったし
メフメット2世の時代にはもう大砲が主流だな。
しかしメフメット2世のコンスタンティノポリス攻略は
2ヶ月弱で終結したはずだが…
バヤジット1世とムラト2世の代にも包囲してるからその時かな
126 :
オニパン:2009/03/22(日) 19:42:45 0
127 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 15:51:03 0
質問です。日本などに「引き金つきの携帯式銃がポルトガル人によって
伝来された」とあるのですが、どう考えてもあの引き金によって弾を放つという
構造は古代支那の「弩」の原理を模倣したとしか考えられないのですが、どうして
ポルトガルがこれを発明できたのでしょうか?
>>127 >「引き金つきの携帯式銃がポルトガル人によって伝来された」
この文のどこから”引き金によって弾を放つという構造”を
”ポルトガル人が発明した”という意味を読み取ったのさ?
129 :
世界@名無史さん:2009/04/25(土) 20:58:20 0
銃って白人が発明したんじゃないの?
>>129 ジョセフ・ニーダム「中国の科学と文明」
ケネス・W・チェイス "Firearms"
等々欧米人の本でも中国が先ってのが定説になってるよ。
ただ前スレで少し触れられてたが、マグリブのイスラム教徒が
大砲を発明したとかいう説もあるらしい。
タッチホール式ないしそれ以前の大砲はともかく、サーペンタイルやマッチロックのような引き金を使った激発機構まで中国なのか?
とりあえず15世紀のヨーロッパあたりが初出らしいとしか知らんのだが。
133 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 00:57:44 0
>>129 >銃って白人が発明したんじゃないの?
火薬、銃、砲、ロケット兵器、手投げ弾、花火は
中国人の発明だよ。
白人は、中国人のテクノロジーを学んで、
アフリカやインド、新大陸に侵攻していったんだ。
134 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 02:04:41 0
違うよ、人類は白人の直系で唯一の祖先の「古代ギリシャ人」に影響を受けてる。
だから白人は産業革命を起こし、宇宙までいけた。
1、火薬はチャンコロ起源じゃなくて「ギリシャの火」が起源
2、印刷機はオランダのグーテンベルクの発明
3、方位磁石は古代ギリシャの琥珀が起源
4、第一宋代まで中国は白人種の国だった
↑前スレの日本人ならカタカナを使うな君の再登場か
>>134 何この電波
ギリシャ火はガソリン等を噴射する火炎放射器か火炎瓶のようなものだったようだが
印刷・方位磁石も中国で、4番目に至っては完全に妄想
いちいちマジレスしなくていいよ
そんなもん知らないアホが世界史板にいること自体間違ってる
>>136 その人、「日本人は洗脳されててあらゆるものが白人起源だと信じてる」とかあちこちに書き込んでて
具体的に誰がそんなこと言ってるの?と聞かれると自分で「あらゆるものは白人起源」とか書き込む気違い
ネイティブアメリカンは元は白人だったとか言ってるモルモン教レベル
ヴィンランドが長続きしてたら今頃あのあたりに白い原住民がいたんだろうか
141 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 19:24:37 0
弩の機械機構に少量の火薬と弾薬で発射できるような携帯式銃ってすごい
カッキ的な出来事だったと思うのに、なんで誰が発明したか不明なんだろ?
いきなり出来上がったわけじゃないからだろ
大砲から始まった小型化、点火方式の変遷
引き金の機構はサーペンタインロック式の段階ですでにあったはずだが
143 :
世界@名無史さん:2009/04/28(火) 21:21:15 0
白人が無から作ったんだよ、古代ギリシャの文献を参考にしてさ。
144 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 00:58:46 0
違うよ宋代の文献と(笑)孔子(笑)が発明したんだよ
145 :
世界@名無史さん:2009/04/29(水) 05:31:52 0
パンパンの子祖先がこれを大量生産したんだっけ?
>大砲から始まった小型化
そうなん?
突火槍のような火炎噴射筒がおまけに石とか発射するようになったのが最初かと思っていた
>弩の機械機構に少量の火薬と弾薬で発射できるような携帯式銃ってすごい
>カッキ的な出来事だったと思うのに、
そもそも弩なら火薬なしで発射できるからねw 威力も凄いのがあるし
>>146 違う
支那は広く黒色火薬を利用した反面、純度が低くて
破壊を目的とする弾体を射出するのに充分な爆発力は得られていない
精製の技術はあっさり西欧が凌駕した結果、爆薬としての火薬利用が始まる
149 :
世界@名無史さん:2009/04/30(木) 07:04:38 0
はいはい「俺白人」
話についていけない池沼は無理にレスしなくていいから
火竜槍を銃と呼ぶかどうかの問題だが
間違いなくハンドキャノンではあるんだが
あれと火縄銃はネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係を思い出す
おそらく祖先は同じものが、別の場所で別の進化を遂げ、一方がもう一方を駆逐した
動く火竜槍が見られるのはもののけ姫だけ
しかもサーペンタインロックの火竜槍なんてキメラウェポンまで出てきて
ハヤオの兵器オタっぷりは本物だとつくづく思ったもんだ
あの口径で反動をどうやって逃がすのか謎だけど、やはり
パウダーの純度の問題で初速は大したことはないんだろうな
あの大きさの薬室で威力があの程度なのも、考えてみればおかしな話だし
あれなら火縄に駆逐されるのも納得
153 :
世界@名無史さん:2009/04/30(木) 13:46:12 O
もののけは「石火矢」ていってるから
「ヒヤー」ていう沖縄のハンドガンがモデルだと思ってました。
ところで沖縄の人は博物館の職員でもヒヤーの正体わからんから第二次大戦の遺物に分類してた人もいたそうな。
ヒヤーも同じものだよ
明から輸入した火槍を琉球ではヒヤーと呼んだだけ
もののけの中でも「明国のものは重くて使いづらい」
云々のセリフがある
155 :
世界@名無史さん:2009/04/30(木) 18:01:59 O
>>154 そんなセリフありましたか!
さすがに軍オタさんらしいあなたの目の付け所は違うw
「宮崎はやおの妄想ノート」とかもってたりしそうですね。
持ってないなら多分あなたが好きそうな本です。
明でもマッチロック式の「鳥銃」が出回った当初は
北方の戦場では「風が強くて火薬が吹き飛ばされる」とかいう理由で
タッチホール式の「三眼銃」のほうが好まれたとか。
秀吉と戦ってからはそんなことも言ってられなくなったようだが。
とても照準がつけられる代物じゃないしな
完全にぶっ放すだけの兵器だ
一個連隊で大砲が256門ってなんの冗談だ
歩兵の大半を砲兵として運用しなきゃならんぞ
どう見てもこれは砲兵科と歩兵科、銃兵科に分けて運用していたとしか思えない
160 :
世界@名無史さん:2009/05/01(金) 05:51:15 0
だから白人が「高度に精製された白色火薬」を作らなければ銃なんてできなかったの。
モンゴロイドのウリナラ幻想はやめてくれる?
白色火薬ってなんだよ
話についていけないくせに無理して喋るなっつったろキチガイ
162 :
世界@名無史さん:2009/05/01(金) 09:52:20 O
白色火薬は多分綿火薬だろう。
つまりこいつの中では銃とは十九世紀頃完成した物、とするとようやく意味が通じる
白い粉状の火薬を勝手に白色火薬と呼んだり
演出なんかで使う白煙を上げるための火薬を白色火薬と呼んだり
素人がいろんなモンに命名するけど、具体的にそう呼ばれるものはないよ
「黒色火薬」って名前のインパクトから、ほかの色もあると思っちゃうんだろうね
黄火薬ってのはあるけど
164 :
世界@名無史さん:2009/05/01(金) 17:08:38 0
te
165 :
世界@名無史さん:2009/05/01(金) 19:01:22 0
桃色火薬 なんてあったらいいな。w
しかしざっとスレを見たけど、黒色火薬の「純度」などと言うが、混合比について触れていないのはなぜ?
火薬の、硝石・硫黄・木炭の混合比は、原料の精製度や気候などによってかなり差があったはず。
このへんについて、語ってくれる人はいないかな。
とりあえず、「真説 鉄砲伝来」(宇田川武久)が面白かったけれど、具体的な事はあまり書いていなかったからよくわからない。
>>158 >彼らは右手に銃、左手に大きな籐牌(籐で作った円形盾)をもって突撃した。
どうやって撃つんだろう
盾は腕にくくりつければいいんじゃねーか?
純度は硝酸カリや硫黄の精製精度が影響するな
化学分野が発達する以前に高純度の化学物質を得るのは錬金の域だ
黒色火薬の調合レシピは秘匿されることが多くてよくわからないんだよな
英国でも専売をやってたけど、配合比は謎
フライドチキンやコーラの製法みたいなもん
>>159 でも「練兵実記」なんかに載ってる編成では騎兵10人の小隊にも
小型の虎蹲砲1門とか配備されてるんだよね。
158で紹介されてる編成とはまた違うが。
>>160 白色火薬なんてねえよ
白人幻想はやめてくれる?
172 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 11:49:23 O
白色火薬については馬鹿。
で解決してるからキチガイを召還せんといて。
173 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 11:57:56 0
銃もホワイトが作った、でOK?モンゴロイドのはせいぜい花火だった、と。
174 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 12:19:36 0
>>173 どこがOKなんだよ?www
ホワイトって具体的にどこ?www
NGワード: 白人 ホワイト
全部自演ですので触ってはいけません
176 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 13:12:29 0
>>175 THX
∧,,∧. ジャー|
(´・ω・) ┏|
ノ つつ)),,ii,,|
し―J' 匚 ̄ 汚ねェもん触わっちゃったなぁ...
177 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 19:06:43 0
つまり「WHITE」が有色人種の迷信を打ち破り、科学的思想によって
チャンコロの「花火にすぎない兵器」を「携帯可能な近代的な銃」に
改良できたってことですね。
これを理解できた日本人は白人だということを世界で主張したらいかが?
178 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 22:12:21 0
チャンコロは今も他国の技術をコピーするしかない独創性のないパクリ民族だからな
何だよ先月のモーターショーで晒したあの劣等コピーのロールスロイスはw
それに火薬や紙発明したのは古代中国人のペルシャ系の人達だし
モンゴル人にレイプされて劣化しちまったわけだよ
銃砲の話ができないならとっとと消えてくれないかな
180 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 00:03:08 0
自演すんな殺すぞ
183 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 14:36:28 0
俺の祖先はパンパンなんだから白人に文句言うのはダメなんだよ
184 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 17:44:47 0
男性器=銃のメタファーっていつごろから現れたんだろ?
銃出現以前は何に例えられてたんだろ?
185 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 18:50:36 0
アジア人がそんなこと考えるなよ。
おまえらは白人の下で犬のようにほえてたら?
>>184 西洋ではなぜか大砲には女の名前をつけたりするな。
Gunっていう言葉もグンヒルダって女性名が元になったらしいし。
187 :
パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/05/03(日) 22:52:07 0
>>186 大砲を女性器に見立ててるからさ。
火薬と弾を装填する作業は男性器が女性器に出入りする性行為そのものであり、
砲弾が爆音と共に飛び出す様は赤ん坊の出産そのものだ。
自演すんな殺すぞ
せめて撃つぞとか、蜂の巣にするぞとか
よく戦国時代に日本の火縄銃の配備数が世界最多だった。
当時の日本は最強国だった。
とか言うのきくけど、その割りに大砲がまるで発展してないよね。
日本と当時のヨーロッパ諸国じゃ兵力がかなり違うのと
あと戦争の方法が野戦もあるけどどっちかというと城塞攻める事が多い
ヨーロッパと日本では条件が違うから、その差が火縄銃の多さに
繋がっただけなんじゃないかと思うんだけど。
ヨーロッパとあと明もか、火縄銃を日本のように大量生産する技術も資本もなかったの?
あとこの差について何か詳しい資料とかあるでしょうか?
>>191 単純に戦争が激しかった時期がずれてるからじゃね。
戦国時代直後のオランダ独立戦争やその後の三十年戦争で使用された銃砲の合計なんか日本の比じゃないだろう
>>192 オランダ独立戦争は激しくても兵力的に少なすぎる気もするけど、
30年戦争の頃は火縄銃どころか、野戦で大砲ばんばん使ってるし、
日本じゃ最後までそんな事できなかったからね〜。
大阪の陣でちょっと威かすのに使ったくらいで。
まぁ日本で大砲持ち出さないといけないような城って
大阪城や小田原城くらいなもんだったろうし、
地形的に大砲を移動させるのもとんでもなく苦労するから
あんまり発達する余地もなかっただろうけど。
ま、結局その時世界で一番使う必要があったのが日本だった、て感じですかね。
あと、導入できる金があったのも重要。
結果、膨大な銀が海外へ流出したともいえるわけだけど…
金と銀でまぎらわしいな・・・
一行目の「金」は貨幣という意味なのか、金属のgoldの意味なのか。。。
196 :
世界@名無史さん:2009/05/09(土) 13:24:33 0
・砲
・弾
・火薬
の輸入量と国内生産量の比率は?
197 :
世界@名無史さん:2009/05/09(土) 13:44:11 O
輸入してたのは硝石だろ。
石見の銀と硝石の貿易記録あったな
当時の鉄砲は狙撃目的じゃなくて馬をびっくりさせるためにあったんだお
それと人間にも「もしかして当たるかも?」というびびりを発生させひるませるのに
すごく役に立ったんだお
それを改良して有色人種を駆逐したのがこの板の住人の尊敬する白人科学者なんだお
明は1550年代には既に年間1万丁の鳥銃を生産していたはずだが。
200 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 00:41:18 0
>>199 その頃の銃っていわゆる銃筒とか銅銃とか言うハンドカノンの類でしょ。
後に対日戦争や倭寇とかによって種子島銃が伝播して、倭銃を鳥銃と呼ぶようになったらしい。
砲だって元々は投石機とかカタパルトの類を指した名称だったとか。
ああ、だから石を包むで砲なのか
「炮」という漢字は元来「火であぶる」の意味
殷の紂王と妲己は処刑法として「炮烙」を造ったという
203 :
200:2009/05/10(日) 02:41:36 0
>>200 補足:
対日戦争とは中国で「万歴の変」または「万暦朝鮮争乱」と呼ばれる豊臣秀吉の朝鮮出兵の事。
>>198 トルコのイェニチェリや日本の武士や西洋人の一部は前装式滑空銃の時代から狙って撃っている。
また当時から東西問わず対歩兵にも用いられて効果を発揮している。
銃の真価が威嚇にあるのは本当だよ
いかに敵軍をびびらせるかで勝敗決まるし
その点で銃は明らかに弓に勝ってた
206 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 13:16:08 O
殺傷能力ない威嚇なんて…
明らかに威嚇は副次的なのになんで必死
威嚇が主目的なら中国式が世界を席巻しとるわw
ナポレオン戦争の頃でさえ一個連隊が開けた場所で
平均30ヤードの距離から敵連隊に発砲して一分に1人か2人しか殺せてない
銃自体に殺傷能力が無いわけじゃないけど扱う兵士のせいで
結局は威嚇効果の方が殺傷性能より大きく発揮される
30ヤード
>>200 火縄銃は明の嘉靖27年(1548)に倭寇から獲得したのが伝来の契機といわれる。
手銃に比べて射撃性能が格段に高いことから、嘉靖37年には早くも1万丁が国内生産され、
その後急速に普及し、清代には兵士の6割強が所持するまでに至った。
「歴史群像 戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編」より
>>210 しかし、その頃の倭寇は王直とかの中国人だろう。
種子島の銃取引を仲介したのは倭寇だし、もっと前に大陸には伝わって
いると考えるのが普通じゃないか。体制側が使用し始めた契機ということか。
威嚇か
砲火と爆音のみに恐れおののくのは未開人がごとき不様であり、
火薬に馴れ親しんだ近現代の兵士はそんなことにならないと、
それは火線に曝されたことのない人間の考えであって、
現実には、射程や角度から絶対に当たらないと解っていて
なお初年兵であれば失禁しかねないほど恐怖を感ずるもので、
ましてめくら撃ちであろうと当たる可能性の少しでもある弾幕となれば
もう撃ちすくめられて身動きがとれなくなる
人間を本能から脅かすのは、その実際の殺傷性能に関わらず
火薬爆薬を用いる兵器が発生当初からもつ本来的性質だろう
213 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 20:05:12 0
というか宋代の人類初の火薬兵器だって要するに騎馬でやってくる騎馬民族の
馬をダメにするためにあったんだよ。その内北方騎馬民族も軍馬に爆音をびびらせないように
調練し、中原を制することができるようになった。これを逆にやられたのが
フビライの兵が来た日本。爆発音で馬がすべてダメになり、壊滅的な被害を
受けた。「銃が最初から狙撃用」なんて思ってるやつは頭がおかしいんじゃないか?
当時の狙撃なら弩や弓のほうがはるかに勝ってるわ。それにさらに威力を増した
破壊力を期待するならこれも人類初のショットガンである宋代の重火器があるんだし。
214 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 20:07:47 0
さっきNHKで「フィリピンの山の中で小銃を作ってる人たち」がいて驚いたな。
携帯式銃もやっぱり明に逆らってた支那人(インドシナ半島にいる人たち)が独自に
弩の機械機構を利用して製作したのかもしれない。日本の教科書には白人が作って
渡来させたことになってるんだっけ?
図面が出来上がってる製品を部品加工するのと
兵器を研究開発することの違いもわからんのか
この白痴
216 :
世界@名無史さん:2009/05/11(月) 02:51:22 0
>>214 東南アジアの火縄銃は御朱印貿易で17世紀初頭に日本人が現地に伝えたのが起源ではないだろうか?
発射機構が西洋銃ではなく日本の火縄銃にそっくりだし。
217 :
世界@名無史さん:2009/05/12(火) 02:52:42 0
そんなわけねー
白人が作ったに決まってるだろ池沼w
>>217 お前みたいなのを「馬鹿」と呼ぶんだぞ。
爆発音に馬が驚かないように訓練って話はよく聞くけど
具体的にどう訓練するの?
ひたすら爆発音聞かせるだけ?
>>216 あれ?東南アジア式が日本に伝わったのが種子島式だと聞いたが
223 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 00:37:32 0
>>222 一部の学説ではそうらしい。
だが、16世紀の実物史料が東南アジアに無いという事実はどう説明できるだろうか?
つまり、17世紀以降に日本人移民がタイやマレーシアに日本人街を築き、
その時に傭兵として戦闘に加わったりして火縄銃を普及させた可能性が高い。
最初に日本へ火縄銃を伝えたのが西洋人であり、東南アジア人ではないという史実もまた
この東南アジア起源説に疑問符を投げかけている。
>>223 16世紀のマラッカが「世界で最も栄えた港」と呼ばれ
鉄砲、大砲その他各種兵器の一大生産拠点だった事をたぶん君は知らない
>>223 つまり火縄銃の伝播ルートはこうだと主張したいのか?
×西欧→東南アジア―(改良)→日本
○西欧→日本―(改良)→東南アジア
>だが、16世紀の実物史料が東南アジアに無いという事実はどう説明できるだろうか?
「存在していたのなら当時の現物が残っているはず」というその理屈で言うなら、
西欧から日本に直接伝わったという、いわゆるマラッカ式に改良される以前の火縄銃も
残っていなければおかしいことになるが…
>最初に日本へ火縄銃を伝えたのが西洋人であり、東南アジア人ではないという史実もまた
どうもこうも、当時の東南アジア人自身は交易の担い手じゃなかっただけだろ。
当時の南シナ海交易の担い手は華僑やイスラム商人や倭寇、そしてポルトガル人スペイン人。
226 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 20:26:15 0
>>224 >16世紀のマラッカが「世界で最も栄えた港」と呼ばれ
確かに、海のシルクロードの一大拠点だった時代から名を馳せていたが
そんなに栄えた港湾都市国家がなんで新参者のポルトガル人にあっさり敗北したか考えてみてくれ。
火器をもっていなかったからだよ。
>>225 >つまり火縄銃の伝播ルートはこうだと主張したいのか?
>○西欧→日本―(改良)→東南アジア
その通りだよ。
>西欧から日本に直接伝わったという、いわゆるマラッカ式に改良される以前の火縄銃
そもそもマラッカ式などというものが後付な言い方であって、
日本に最初に伝えられた西洋の火縄銃そのものが既に内カラクリ構造をしていたんだよ。
ちなみに初伝の故郷銃は江戸時代中期の模造だが、忠実に再現されているいう。
その後、製造が容易でメンテナンスもし易い外カラクリが考案されて、東南アジアに輸出された。
内カラクリ⇒外カラクリという進化こそが日本で火縄銃が改良され、
東南アジアに普及した証拠ではないだろうか?
日本にはカラクリの構造が多岐にわたって何種類も存在するが、
東南アジアには外カラクリ以外はあまり存在しないのも証拠と言えるだろう。
>当時の南シナ海交易の担い手は華僑やイスラム商人や倭寇、そしてポルトガル人スペイン人。
それこそ、正に日本に伝えられた火縄銃が西洋式である可能性を高めているのではないだろうか?
普及こそしなかったが、フリントロック式もまた西洋人によって直接日本に伝えられた銃だ。
>>226 >そんなに栄えた港湾都市国家がなんで新参者のポルトガル人にあっさり敗北したか考えてみてくれ。
>火器をもっていなかったからだよ。
1、マラッカがポルトガル人に征服されたのは1511年(16世紀初頭)
2、当時のマラッカ王は8000門の火砲を所有していた(ジョアン・デ・バロスによる)
3、そもそも当時のポルトガルは、マムルーク朝の艦隊を壊滅させ
ホルムズやゴアなどを征服するほどの強大な海軍力を有していた
>東南アジアには外カラクリ以外はあまり存在しないのも証拠と言えるだろう。
(16世紀のものは)全く無いのか少しはあるのかハッキリしてくれ。
228 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 22:46:00 0
なんで当時未開の後進国だった欧州がいきなり火縄銃を発明できるんざんしょ
欧州も13世紀には既に未開とは言えない、16世紀に至っても後進国だなんて失笑
またパオが来てるな
せめて「ポルトガル海上帝国」「アルブケルケ」でぐぐってから書き込め
AD16当時のマラッカの火砲って言えば
いわゆる銃筒とか銅銃とか言うタッチホールのハンドカノンの類でしょ。
とてもじゃないがPTガル人とかと対戦できる代物じゃねーつのw
ジョアン・デ・バロス「アジア史」より抜粋
第6部第5章
> そのジュンコに、アヴィスの住人であるフィダルゴ、ガルシア・
> デ・アブレウの子アントニオ・デ・アブレウを乗り込ませ、
[中略]
> たちまちイスラム教徒の火砲がそのジュンコを射撃し始めた。
> 火砲のなかにはエスペラ砲の弾丸ほどの大きさの鉛の砲弾を
(エスペラ砲…ペリエ砲の亜種?)
> 撃ってよこすものもあった。その砲弾はジュンコの一方の舷側
> からもう一方の舷側へと貫通し人びとも大怪我をした。
第6部第6章
> これはイスラム教徒がその他の品物をすべて森のなかに運びこんで
> しまっていたからである。
(中略)
> 火砲も、ルイ・デ・アウラジョの話によると市内には八〇〇〇ある
> とのことであったが、三〇〇〇ほどしかなかった。
(ちなみに同書の別の版によると、うち2000門が青銅製で1000門が鉄製らしい)
[中略]
> 残っていた火砲のなかには、ほんのすこし前にカレクトの王から
> 贈られた数門の非常に大型の火砲と一門の立派な火砲があった。
少なくともポルトガル人から見ても間違いなく大砲であるものを
マラッカのイスラム教徒は使用していたわけだ。
他には「ラッパ銃」の存在が散見されるが、おそらくこれが
神鎗や突火槍などの雑多な火器を指しているのだろう。
そもそも永楽帝の安南遠征において、ベトナム側が明のものより
遥かに優れた銃を使用していたというエピソードなどから伺えるように、
当時の東南アジアでは火器は馴染み深い兵器だったというのが実情だ。
なんか東南アジアを未開の蛮地か何かと勘違いしちゃおらんかね。
マラッカってのはインド・東アジア・香料諸島をY字形に結び、
人と物が大いに行きかう一大交易拠点だぞ?
新幹線が止まるからって都会とは限らないだろ
大砲を所持するだけなら誰でも出来るけど
運用・機動させるともなれば難しいのでは?
船に載っければ違うんでしょうけど
なんかパオはマラッカ銃のことを「マレーの原住民が独自に作ったボロ銃」と思い込んでるみたいだけど
西洋銃でしょ、マラッカ銃って。
鉄砲伝来の頃はもろにポルトガルの領土だぞ、マラッカ。
ポルトガルの植民地は周辺のイスラム国家と常に戦って香料貿易の拠点を維持せねばならなかったから、
いずれも大規模なヨーロッパ式の城郭と工廠が設置されていた。
マラッカ銃はここで現地の風土に合うようにアルケブスを現地改良した、言うなればコロニアル様式の銃だ。
もちろん現地に元々優れた職工が大勢いた以上、改良にはイスラム文化の影響も多大にあっただろうが。
マニラ・ガレオンなどと同じく、白人の監督のもと実製作をしていたのは彼らだろうから
237 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 00:00:17 0
そのイスラム教徒の銃って「マドファ」っつう木の棒の先に火薬仕込んだもんだろ。
シナの銅銃の系譜を同じくする原始的な火器の一種。
倭寇経由で日本に伝わって村上水軍の「焙烙火矢」の原型になったとか。
ちなみにPTガル人の兵器工廠は印度のゴア植民都市に造営されて
製造された大砲は豊後の大友氏に献上され、天下無双の国崩として名を馳せたとか。
その後、島津の侵攻の際に鹵獲され、現在は靖国神社の遊就館に展示してあるとか。
>>235 >>237 >>232の前半を10回ぐらい読み返してね(^^)
>>236 >なんかパオはマラッカ銃のことを「マレーの原住民が独自に作ったボロ銃」と思い込んでるみたいだけど
上のあいつの主張って要するにウリナラ起源だろ?
239 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 01:15:58 0
近年の研究者の中には「倭寇がマラッカ式を日本に持ち込んだ起源説」に
懐疑的な見方が出始めてる事を知らない人が多いみたいですね。
マッチロック銃が日本よりも最初にマラッカ伝えられたのは事実だろうが
そこでそれが普及して改良される背景が有ったかどうかが重要であって
戦国時代の日本のようにそれを大いに活かす動機が有ったかどうか?
日本の場合は火縄銃の有無が各諸侯の命運を分けたので、競って製造されたり
運用の方法が考案されたり、必要な改良が速やかに施されたけど、果たして16世紀のマラッカに
日本のように性急なまでに火縄銃を必要とする理由が存在したのだろうか否か?
240 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 01:21:18 0
似た例として、第二次大戦中の航空機の発達過程がある。
単純なレシプロ戦闘機が、僅か10年足らずの戦時中に実戦可能なジェット機にまで
進化してしまったのは、列強各国はそれが戦争に有利な兵器だと認識していたからだ。
戦争が無ければ航空機なんてジェット機は愚か、超重爆撃機さえも開発されていなかっただろう。
戦車も装甲車も原子爆弾も空母も戦争によって開発が進められた兵器だ。
誰か詭弁の特徴のガイドライン持って来…いややっぱいいや
>>239>>240 香料諸島はポルトガルとイスラム土侯、後にはスペインとイギリスとオランダが争奪戦を繰り広げた
大航海時代の激戦区なのだが…
とりあえず中公新書「大航海時代とモルッカ諸島」でも嫁
補給が途絶えて野豚などを狩らねばならない事も多かったらしく、
植民地での狩猟銃の需要はかなりあったみたいだね。
日本史以外に興味ないなら出て行ってくれないかな
244 :
世界@名無史さん:2009/05/26(火) 22:39:40 0
>>242 土人相手の戦に精巧なヨーロピアン銃が必要だったんすかねw
つーか、ネジ構造とか二重巻張鍛造とか日本刀の技術がベースにあったからこそ容易に模倣できたテクだし。
李氏朝鮮なんかも文禄の役で日本人投降者から技術パクッて必死にコピーしたらしいじゃん。
東南アジアも御朱印貿易であっちに渡った刀鍛冶がアユタヤ王朝とかに雇われて
火縄銃の鍛造を広めたんじゃないの?
それまでは日本からPTガル人経由で火縄銃を輸入したり、ヨーロピアンの銃をチューンして使ってたんでしょうよ。
見苦しい奴だなぁ
>土人相手の戦に精巧なヨーロピアン銃が必要だったんすかねw
>それまでは日本からPTガル人経由で火縄銃を輸入したり、ヨーロピアンの銃をチューンして使ってたんでしょうよ。
例えばこの2行を並べて見て、何かおかしいとは思わないのかね?
>土人相手の戦に精巧なヨーロピアン銃が必要だったんすかねw
コンキスタドーレとか鉄器も馬もないアステカ人やインカ人相手に火縄銃使ってたような。
>土人相手の戦
ジャワ島のマタラム王国によるバタヴィア商館包囲戦は
マタラム兵20万 VS オランダ兵500だったらしいぜ(ちなみにオランダが勝った)
248 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 00:22:43 0
>>245 土人VS土人という意味で。
その場合、威嚇程度に銃も使うことがあったろうが、
自ら発射機構の構造改良を新規に考案するほど銃に熟達していたとは思えない。
銃床の表面に夜光貝の破片でも象嵌するぐらいの外観改良はありでしょうがねw
>>246-247 あくまでも少数のヨーロピアンが多数の土人に対して使うのはありでしょ。
但し、天然痘などの病原菌の方が効果的に土人を駆逐したらしいけどw
…ああそうか、コイツ都合の悪いレスは全て忘れられるんだ。ほれ、抜粋してやろう
>>227 >2、当時のマラッカ王は8000門の火砲を所有していた(ジョアン・デ・バロスによる)
>>232 >> たちまちイスラム教徒の火砲がそのジュンコを射撃し始めた。
>> 火砲のなかにはエスペラ砲の弾丸ほどの大きさの鉛の砲弾を
>>233 >そもそも永楽帝の安南遠征において、ベトナム側が明のものより
>遥かに優れた銃を使用していたというエピソードなどから伺えるように、
>>236 >鉄砲伝来の頃はもろにポルトガルの領土だぞ、マラッカ。
>ポルトガルの植民地は周辺のイスラム国家と常に戦って香料貿易の拠点を維持せねばならなかったから、
>いずれも大規模なヨーロッパ式の城郭と工廠が設置されていた。
>>242 >香料諸島はポルトガルとイスラム土侯、後にはスペインとイギリスとオランダが争奪戦を繰り広げた
そこで安南を出すのは反則のような気が
251 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 23:25:37 0
>>249 >当時のマラッカ王は8000門の火砲を所有していた
だからそれはハンドカノンの類だと何度言えば…
>火砲のなかにはエスペラ砲の弾丸ほどの大きさの鉛の砲弾
それが事実だとして、その砲が使用された正確な年代っていつ何だろ?
即ち、それが現地で製造されたという確証があるのだろうか?
>そもそも永楽帝の安南遠征において、ベトナム側が明のものより
>遥かに優れた銃を使用していたというエピソードなどから伺えるように
だからそれはハンドカノンの類だと何度言えば…
サーペンタインですらない、いわゆる銃筒とか手火筒の類。
>香料諸島はポルトガルとイスラム土侯、後にはスペインとイギリスとオランダが争奪戦を繰り広げた
東南アジアの現地人が精巧な銃を自ら改良して運用していたのなら、
何でヨーロピアンごときに負けたのだろうか?
日本は火縄銃があったからこそヨーロピアンに蹂躙されずに済んだんだけどな。
その辺の矛盾てどうよ?
もう流しちゃっていい?
誰か流れを産業でよろ
255 :
世界@名無史さん:2009/05/28(木) 00:46:48 0
・「重火器と小火器」
・「タッチホールとマッチロック」
歴史板とは云え、これらの違いが分らず、混同してる輩が多過ぎるので驚く。
銃といえば即座に火縄銃と思い込んでる。
又、ルーミ銃と倭銃の違いすら混同しているようだ。
鉄砲という言葉すら元々何を指す物だったか理解していないのだろう。
安直過ぎるとしか言いようが無いが、日本において火器の文献が少なすぎるので已む終えないのだろう。
草間の影から洞先生や所先生が見たら嘆くよ。
>>254 バオさん惨状
土人は火器を使えない
マラッカ銃はウリナラ起源
発狂してるやつ、ばかばかしいからコテハン使え
NGで消せるから
流れ把握、thx
図書館に行ったら岩堂憲人「世界銃砲史」上・下巻があったので借りてきた。
返すまでに読みきれるかなあ・・・
wikiの火縄銃の項目でも電波飛ばしてやがる
パオさん、日本史板の鈴木史観スレとか馬の歴史スレとかでも暴れている雰囲気。
●鋼鉄製大砲 19世紀
鋼鉄製大砲がドイツ鉄血政策影の主役
ヨーロッパ再編は国際秩序を目指しながら、武力で決着
ナポレオン没落後ヨーロッパでは、1814年、列強が集まってウィーン会議が開
かれ、国際秩序の下、現状維持をめざすウィーン体制が築かれた。
ナポレオンが残したナショナリズムと自由主義に向かう機運を食い止める役割
をもったウィーン体制は、わずか30年あまりでフランスの二月革命を機に終わ
りを告げ、自由主義、ナショナリズムへの流れに伴うヨーロッパ再編が進展。
1861年にはイタリア、71年にはドイツが統一された。
分裂していたイタリアは、サルディーニャ王国のヴィットーリオ=エマヌエーレ
2世が組織した義勇軍ガリバルディの活躍などを得て、イタリア王国として成立。
ドイツはプロイセン王ヴィルヘルム1世が皇位につき、ドイツ帝国が成立。統一
に向けてプロイセンのビスマルクがとった鉄血政策は、鉄=武器、血=兵士に
よる軍備拡張であったように、イタリアもドイツも、結局は武力によってナショ
ナリズムを達成した。武力によるヨーロッパ再編が可能になった背景には、武器、
特に、鋼鉄の大砲を作る技術の進歩があったのである。
つづく
>>264のつづき
鋼鉄製の大砲がヨーロッパの再編を支えた
この時代以前にも大砲は存在したが、それらのほとんどが青銅製だった。従来
の高炉で作られた鉄は、圧縮力には強いが引っ張る力には弱いため大砲には
不向きであったからだ。大砲に適した炭素を含んだ強い鋼鉄を生産する技術は
存在しなかった。
その問題を解決したのがイギリスの冶金学者ベッセマーである。1856年、溶解
した鉄に一気に酸素を送り込んで炭素を燃焼させることによって鋼鉄を大量に
作れるベッセマー転炉を考案した。このベッセマー転炉をいち早く取り入れたの
が、ドイツ人の技術者であり、後に「大砲王」と呼ばれることになる武器商人
アルフレート・クルップである。自社の技術を示すため、1867年パリ万国博覧会
で巨大な大砲を出品している。
ビスマルクは1862年にプロイセンの首相に就くと、ドイツ統一問題は「鉄と血
によって解決する」と、300門の鋼鉄製の大砲をクルップ社から購入し、ドイツ
統一を短期間でなし得る軍事力を手に入れた。ヨーロッパ再編成の背景には、
こうした軍事力があったのである。
KEY WORD
大砲 ークルップの大砲ー
産業革命とナショナリズムが進んだ19世紀の欧米社会では、万国博覧会が各国
で開かれた。
クルップは、1851年にロンドンで開かれた第1回の万国博で、100基の炉を使
い、重量2トンの鋼鉄と鋼鉄製大砲を出品し金賞を獲得した。
『歴史の黒い主役たち 兵器・病原体・環境破壊』 2009年3月 学習研究社 より
スマン、パオさんて誰なんだ?
>パオ(砲)さん
世界史板には珍しく正論を言う人達の総称。
欧米人に封印された真実の歴史や正史から葬り去られた黒歴史を暴くのが好きな人の俗称。
つまりこの前から白人白人言ってる奴と同一人物?
>>269 そのスレの主はそことここと、あと質問スレに主に出没してる
「日本人は洗脳されててあらゆるものを白人が発明したと思ってる」等といいながら
「あらゆるものは白人が発明した」とか自分で書き込むのが特徴
>>269 うわー3まで行ってるのかよ・・・・
sageてないの全部同一人物?
>sageてないの全部同一人物?
まさか
wikiの火縄銃の項目に
「欧米の研究家の間ではマラッカ銃ウリナラ起源説が主流」って書いてあったけど
具体的な研究家名と著書の提示を求む
275 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 20:22:42 0
>>274 伝来した時点で既に頬当て式の台尻だったんだから和弓は関係あるまい
>頬に当てて撃つ構え方は和弓の構え方の応用だ。
顔横に弦を引く弓は和弓だけだとでも思ってるのかね?
>>275 霞流や関流など比較的古い系譜の火縄銃の形状的特徴として
台尻が西洋の銃のように内側に削り込まれていることが挙げられるが
これは伝来当初の特徴である「肩当て」の特徴が残された可能性と考えられ
日本人の好みに合わせて改良されていった過程が窺い知れる。
>>276 例外的にイングリッシュロングヴォウがあるが
基本的に西洋の弓は短弓なので頬に当てて構えることは無い。
ましてやマラッカなど東南アジアでも頬に構える弓は存在しない。
長大な和弓は縄文以来の日本の伝統的武器。
漢字の「夷」は「大きな弓(を使う民)」という象形文字から生まれた漢字。
279 :
世界@名無史さん:2009/06/05(金) 01:48:17 0
281 :
世界@名無史さん:2009/06/05(金) 02:28:40 0
282 :
280:2009/06/05(金) 02:32:42 0
>>281 スマン、最後の「が」を「か」と読み間違えた
>>278 オイオイ、必死に探したであろうその絵が短弓とはどうゆうこと?
標準的な和弓の長さは2mを優に越えるぞ。
つまり当時の人間の背丈よりも高い弓だ。
>>279-281 今後、貴方が恥をかかないために教えてあげよう。
その種子島の資料館にある初伝銃と言われる物は後代の作だ。
種子島家譜によるとオリジナルの初伝銃は永らく当主の種子島家に所蔵されていたのだが、
明治10年の西南戦争の折に戦火に巻き込まれ失われてしまった。
その後、種子島の西村家(ポルトガル人と最初に対応した西村織部丞の末裔)が
所蔵していた古銃を種子島家に寄贈した。それが今日伝わる初伝銃の正体だ。
この銃の銃身は南蛮渡りの特徴を示しているが、銃床とカラクリは典型的な薩摩筒の様式だ。
おそらく銃床とカラクリは江戸時代に日本風に補修されたのだろう。
>>283 > おそらく銃床とカラクリは江戸時代に日本風に補修されたのだろう。
都合よすぎ。それを証明しなされや。
呼吸をするように嘘をつくシッタカって、例によってパオさん?
こいつ、食スレにも湧いているようなんだけど…
287 :
世界@名無史さん:2009/06/05(金) 23:04:58 0
290 :
世界@名無史さん:2009/06/06(土) 01:50:01 0
>>288 この初伝銃と伝わる銃が、君が言うように後代に薩摩筒に改造されたものだったとしても、
それが即ち「本来は西洋式の銃であり、肩当式の銃床とカラクリがついていた」事にはならないよね。その説の根拠を求めている。
取り外された台尻の遺物とか、
「肩当式は使いづらかったから頬当て式に改良したなり」と書かれた書物でも発見されてるの?
銃の歴史については何もコメントできんが
とりあえずLongbowをロングヴォウと表記するのは絶対変だ
素直に長弓と言えば済む話
と言うか日本史板でやれよ
【まとめ】
@ポルトガル人が日本にエスピンガルダを伝える
↓
A頬当式の弓矢に慣れていた日本人はエスピンガルダの銃床の形状と
照門照星の位置、機関部の構造を日本人向けに改良する
↓
B戦国時代に隆盛した火縄銃の銃手と銃工は徳川泰平の世に職を失う
↓
C御朱印貿易の奨励により、東南アジアに渡航
↓
D日本人の銃製作テクと射撃技術を東南アジア人が習得
↓
E後にマラッカタイプと称される日本の火縄銃に良く似た銃が広まる
↓
Fマラッカタイプはヨーロッパに逆輸入され、フリントロック銃の瞬発式機構の原型となる
↓
G更にフリントロックはオランダから徳川幕府に献上されるが、泰平の世に銃は不要と存在そのものを隠匿される
↓
H新たな兵器テクノロジーの流入を避けるため、出島のみで貿易が行われるようになる
↓
I幕末まで火縄銃を使い続ける。
東南アジアも新たな日本人技術者が来なくなり、20世紀初頭まで火縄銃オンリー。
Fがさっぱり理解できない
296 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 01:22:50 0
妄想乙
>>295 火縄銃研究の大家、所氏の説く17世紀初に南欧で発明されたという
ミュクレット式の原型になったとする説。
298 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 15:04:52 0
所荘吉氏の種子島再来説によれば、1542年に種子島に漂着したポルトガル人が
東南アジアかインドの植民地にいったん帰国して、
その翌年にもう一回「商品」としての火縄銃を携えて正式に来航したという話だが。
東南アジア-日本間の貿易ルートを開拓しに来たんだから、普通に考えて東南アジア製の銃を持ってくるだろう。
なんではるばる遠いヨーロッパの銃を仕入れて持ってこなきゃならんのだ。
299 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 17:35:04 0
銃は白人が発明したんだからぎゃーぎゃーわめくなよ
300 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 19:09:33 O
火薬や火薬での発射体は支那人がつくったんだからギャアギャア言うなよ。
A-1、
>>226 >ちなみに初伝の故郷銃は江戸時代中期の模造だが、忠実に再現されているいう。
>>283 >この銃の銃身は南蛮渡りの特徴を示しているが、銃床とカラクリは典型的な薩摩筒の様式だ。
>おそらく銃床とカラクリは江戸時代に日本風に補修されたのだろう。
この二つは同一のものを指しているのですか?
A-2
>>222 >だが、16世紀の実物史料が東南アジアに無いという事実はどう説明できるだろうか?
この実物資料とは具体的にどのようなものを指しているのでしょうか?
もし「いわゆるマラッカ式に改良される以前の火縄銃」のことを指しているのならば、
日本にそれは現存されているのですか?
A-3、
>>293 結局、ポルトガルから直接伝来して、いわゆるマラッカ式に改修されていない火縄銃は存在しているのでしょうか?
名残とかそういう話はどうでもいいので、実際に残っているのかいないのかをハッキリとお答えください。
B-1
>>237 >そのイスラム教徒の銃って「マドファ」っつう木の棒の先に火薬仕込んだもんだろ。
>>251 >だからそれはハンドカノンの類だと何度言えば…
>>232において「火砲のなかにはエスペラ砲の弾丸ほどの大きさの鉛の砲弾を撃って
よこすものもあった」「火砲も、ルイ・デ・アウラジョの話によると市内には八〇〇〇
あるとのことであったが、三〇〇〇ほどしかなかった」というポルトガル人による記述が
抜粋されていますが、これもマドファなどハンドカノンの類を指しているとみなしますか?
B-2
>>248 >自ら発射機構の構造改良を新規に考案するほど銃に熟達していたとは思えない。
ではポルトガル来寇以前の日本には、安南の銃筒やマラッカの大砲・ラッパ銃などに勝る
銃火器に対する熟達ぶりがあったのですか?
B-3
>>226 >そんなに栄えた港湾都市国家がなんで新参者のポルトガル人にあっさり敗北したか考えてみてくれ。
>火器をもっていなかったからだよ。
この見解についてはお変わりありませんか?
C-1
>>244 >土人相手の戦に精巧なヨーロピアン銃が必要だったんすかねw
>>248 >あくまでも少数のヨーロピアンが多数の土人に対して使うのはありでしょ。
この土人”とは、マラッカ王国などの国々を指しているのですか?
また、ヨーロッパ人同士の争いに関してはどうお考えですか?
C-2
>>244 >それまでは日本からPTガル人経由で火縄銃を輸入したり、ヨーロピアンの銃をチューンして使ってたんでしょうよ。
このチューン”に、マラッカ式への改良は含まれませんか?
もしそうならば、推測でよろしいので具体的なチューン”の内容をお教えいただけませんか?
また、銃床を平に切詰めるなどはそのチューン”のうちに入りますか?
C-3
>>248 >土人VS土人という意味で。
>その場合、威嚇程度に銃も使うことがあったろうが、
上にあるマラッカの火砲やラッパ銃、安南の銃筒などもやはり威嚇程度でしか
使われなかった、とお考えですか?
C-4
>>244 >東南アジアも御朱印貿易であっちに渡った刀鍛冶がアユタヤ王朝とかに雇われて
>火縄銃の鍛造を広めたんじゃないの?
>>251 >日本は火縄銃があったからこそヨーロピアンに蹂躙されずに済んだんだけどな。
これらの発言に根拠はありますか?
C-5
東南アジアの歴史について何かご存知ですか?
>>304 >この頬に当てて構えることは無い”とは、西洋の弓だからですか?
そう、西洋の弓だからでしょう。
アーチェリーとか洋弓は頬ではなく喉付近に矢を番えるよね。
参考写真(和弓と洋弓)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org105056.jpg >これらを、頬に構えていないと見なしますか?
>もしそうならば、どこに構えていると見なすべきでしょうか。
一見、首付近に構えているようにも見える。
そもそも、壁画とかタペストリーとか、誇張やデフォルメされてる可能性もあるのでは?
神や精霊は人智を超える力を持っているので、それを表現するために大胆な構図になったとか。
>また頬に当てて撃つ構え方”は和弓独自のものなのでしょうか?
こちらの調査では和弓独自ではない。
馬上で射弓する中央アジアの遊牧騎馬民族は頬当式が多い。
だが、日本への火縄銃伝来経路(海上ルート)に
中央アジアの影響は殆ど無いので考察する上で除外しても差し支えないだろう。
>>298 >普通に考えて東南アジア製の銃を持ってくるだろう。
>なんではるばる遠いヨーロッパの銃を仕入れて持ってこなきゃならんのだ。
当時の東南アジアに最高級の貿易品として通用するような銃があればの話では?
種子島公に売却した銃は、たった二挺なのだから、精巧で完成度が高い
欧州の最新式銃だったと見る方が寧ろ当然だろう。
というのも、後に鹿児島や豊後に来航した宣教師は眼鏡や時計など欧州最新の献上品を携えてきたが、
この時の結果次第で今後日本を相手に交易できるか正否が問われる重要な商談だったのだろう。
>というのも、後に鹿児島や豊後に来航した宣教師は眼鏡や時計など欧州最新の献上品を携えてきたが、
16世紀のヨーロッパで鼻眼鏡やゼンマイ式時計や地球儀や砂糖菓子が最新の発明だったとはとても言いがたいですが
東南アジア人は劣等な野蛮ミンジョクだから銃なんて作れないニダ!とバカがファビョってるだけだろ
ゴメン、なんか2重カキコになっちゃった
まとめ
日本に伝来したのがヨーロッパ式かマラッカ式かという議論は確かに存在する。
しかし
当時の東南アジアで火縄銃が生産されていたこと「そのもの」を疑う議論は存在しない。
所先生も洞先生もそんな事は一言も言ってない。
>>310 それ、絵画だね、しかも写実性が極端に乏しい中世の奴でしょ。
あと短弓ではなくロングボウじゃなくじゃないの、それ?
アーチェリーとかごく一般的な洋弓は頬ではなく喉付近に矢を番えるんだよ。
>>313 じゃあ、マラッカ式が西暦何年ぐらいに現地に登場したか教えて下さい。
日本に伝来する前からマラッカでは頬当で銃を構えていたという史料あるんですかね?
日本側の銃の様子を記した記録だとルイス・フロイスの記録とかあるけどね。
しったかパオさん、相変わらず発狂中。
316 :
世界@名無史さん:2009/06/10(水) 18:02:47 0
318 :
世界@名無史さん:2009/06/10(水) 22:56:53 0
>>317 >現代のアーチェリーがどうだとかいう話はどうでもよろしい
>問題は、日本以外で当時の人間が頬に弦を引くことがあったか無かったかだろ?
その証拠史料が単なる絵画かよw
文献とか無いワケ?
そもそも弓の構え方は少なくとも現代と比較してそれほど変化してないんだけどな。
都合の悪いモノ(現代の洋弓の構え方)は無視ですか?
ていうか、東南アジアの弓の確実な史料(壁画以外)は見付かったかい?
>>あと短弓ではなくロングボウじゃなくじゃないの、それ?
>だから?
それ短弓の史料じゃないだろって言う意味。
同じ出すなら短弓の絵画を出しなさい。都合悪くて出せないのかい?
>>317 自分の足で調べずに安易にウキとか頼ってるから
いつまで経ってもダメなんだよオマエは。
ソースの出典がウキとかマジ笑わせるな。
>そもそも弓の構え方は少なくとも現代と比較してそれほど変化してないんだけどな。
根拠は?
>同じ出すなら短弓の絵画を出しなさい。
どうして?
なんだこの実りのないやりとりはw
>>320 >>そもそも弓の構え方は少なくとも現代と比較してそれほど変化してないんだけどな。
>根拠は?
和弓でもそうだが、他の武術や武器でも基本の構えは昔から継承されるのが当たり前。
弓の構えが時代によって一々変化するとか聞いたことも無いな。
>>同じ出すなら短弓の絵画を出しなさい。
>どうして?
日本以外では一般的な短弓の話をしてるからだよ。
「短弓の大半が頬当てじゃない=肩当て式鉄砲の起源に繋がる」からだよ。
それをロングボウとか稚拙な絵画とか出されても説得力無いって話。
もう一度言う「ウキとか頼らずに調べなさい」
散々ググったり、ウキとか探しまくって絵とか見つけてきたようだがw
弓の構え方が鉄砲の構造に影響を与えてるわけないだろう
弩なら話はわかるが
>>323 鉄砲の構え方は西洋と日本では違う。
西洋は肩当式、日本は頬当式。
問題はなぜ日本に伝来した鉄砲が頬当式に変化したかだが
和弓の構え方が諸外国の方式と違って頬当式だったから、
既存の技術を応用したんだよ。
一方、西洋の弓は喉付近で構え、腕は水平に引く。
これは肩当式の鉄砲に通じる構え方だ。(日本で作られた初期の鉄砲にも肩当式の名残がある)
そこから見えてくるのはマラッカ式と称される東南アジアの鉄砲が
日本の鉄砲を基本としているという事実。
結論から言って、マラッカ式は日本から伝わった火縄銃が現地でコピーされたものだろう。
>>306 >欧州の最新式銃だったと見る方が寧ろ当然だろう
この当時、ポルトガルから日本まで来るのに片道2年はかかるって事わかってますか?
体格や運用思想の違いってのは関係なくて
全く別物の弓の運用方法に理由があるというのは不自然な気が・・・・・
330 :
世界@名無史さん:2009/06/11(木) 21:17:07 0
また情報源がウキかよw
知識レベルが薄っぺらな証拠だな。
百済ないマンガばかり読んでるから宗なるんだよ。
>何で短弓に限定するわけ?長弓なんて珍しくもなんともない世界中でありふれた武器だよ。
ここで言ってる長弓ってのは和弓のような2m超な弓の事だ。
日本以外にそんな長大な弓を使ってる民族って世界中にありふれてるんですかいw
欧州の長弓といわれるロングボウでさえ高々2m弱というのに。
まして鉄砲が発明された国では短弓が標準であって、長弓は異型。
たまにはウキ以外の史料探してごらん。
331 :
世界@名無史さん:2009/06/11(木) 21:29:30 0
>>326 たった2丁なのに、なんでそうなるかな?
現代のように日本に来たのと同じ人間がヨーロッパと日本を往復するという考え方なら分るが
実際にはゴアやマラッカの基地伝いに物や人が動いていたし、予め貿易用に蓄積された物品もあっただろう。
ていうか、鉄砲一つ置いてない植民地なんて無いだろ常考。
それとも鉄砲は注文が来ないと作らないような特別な代物なのか?違うよな?
そもそも日頃からPTガル人が携行していた自分の銃を売った可能性があるし。
>>330 >ここで言ってる長弓ってのは和弓のような2m超な弓の事だ。
>日本以外にそんな長大な弓を使ってる民族って世界中にありふれてるんですかいw
>欧州の長弓といわれるロングボウでさえ高々2m弱というのに。
>まして鉄砲が発明された国では短弓が標準であって、長弓は異型。
これは流石に日本語でおk
エスパーしてみるが
「日本のような2m超の弓以外は短弓、西欧のいわゆるロングボウも短弓に分類する」
とか言う意味?
だったら西欧のロングボウの絵画について、何でこんな文句つけるのさ?
>あと短弓ではなくロングボウじゃなくじゃないの、それ?
>それ短弓の史料じゃないだろって言う意味。
>同じ出すなら短弓の絵画を出しなさい。都合悪くて出せないのかい?
エスパーしてみた意味が間違っていたら謝るが、お願いだからもう少し
自分の論理を頭の中で整理して、人にわかるように書いてくれないか?
あとこれは邪推であり読み飛ばしてくれてもかまわないんだが
もしかして、自分の理論や断言した事実(のはずのこと)が間違いだと気付いたけど
認めるのが嫌だからそれを何とか誤魔化そうとして無茶苦茶言ってない?
こういうのとか、書き込む前にちゃんと考えて、間違いない事だと思って言ってた?
まさかその場しのぎで自分の理屈に合う適当なことでっち上げて言ってるだけ、ってわけじゃないよね。
>そんなに栄えた港湾都市国家がなんで新参者のポルトガル人にあっさり敗北したか考えてみてくれ。
>火器をもっていなかったからだよ。
>ちなみに初伝の故郷銃は江戸時代中期の模造だが、忠実に再現されているいう。
>土人相手の戦に精巧なヨーロピアン銃が必要だったんすかねw
>土人VS土人という意味で。
>その場合、威嚇程度に銃も使うことがあったろうが、
>自ら発射機構の構造改良を新規に考案するほど銃に熟達していたとは思えない。
>日本は火縄銃があったからこそヨーロピアンに蹂躙されずに済んだんだけどな。
>基本的に西洋の弓は短弓なので頬に当てて構えることは無い。
>ましてやマラッカなど東南アジアでも頬に構える弓は存在しない。
>当時の東南アジアに最高級の貿易品として通用するような銃があればの話では?
>というのも、後に鹿児島や豊後に来航した宣教師は眼鏡や時計など欧州最新の献上品を携えてきたが、
>この時の結果次第で今後日本を相手に交易できるか正否が問われる重要な商談だったのだろう。
>>332 ハア?
誰がいつロングボウを短弓と言ったって?
こっちは終始ロングボウは長弓だと認めているんだけどなあ…
エスパーというか、それこそ都合のいい解釈だな?
笑わせるなよw 釣りなのか?
>>328 >長弓なんて珍しくもなんともない世界中でありふれた武器だよ
ありふれているという世界中の長弓を挙げてくれ。さあ早く。
どこの国、どこの時代、どこの民族?
またウキで必死こいて探すのかw
>>333 補足すると
>(西洋人に対抗し得る)火器をもっていなかったからだよ。
指火式銃筒など取るに足らない原始的火器はあったことは上記で認めている。
>ちなみに初伝の故郷銃は江戸時代中期の模造だが、忠実に再現されているいう。
江戸中期の種子島の鉄砲鍛冶「平瀬新七定堅」が忠実に再現したという銃の話。
ジョアン・デ・バロス『アジア史』第9部第4章
「この島には全体にわたって偶像を崇拝している人びとが住んでおり、
この地の名前を取ってジャワ人と呼ばれている。
[中略]
しかしマラカのイスラム教徒は、この島へ航海して来るようになると、
徐々に商人から征服者へと変わり、あちこちの海港をもつ都市を奪取した。」
「この艦隊には、噂では、約一万二〇〇〇人の人が乗っており、ジャワで
作られたたくさんの火砲とインディアから入手した火砲を積んでいたという。
なお、火砲をジャワで作ったのは、ジャワ人が火砲の鋳造やあらゆる鉄の細工に
巧みな人びとであったからである。」
>>334 ではその前に、貴方の中での「長弓」の定義をお聞かせ願えますか?
>ここで言ってる長弓ってのは和弓のような2m超な弓の事だ。
>欧州の長弓といわれるロングボウでさえ高々2m弱というのに。
>こっちは終始ロングボウは長弓だと認めているんだけどなあ…
これら全部の条件を満たした弓かぁーどんなのだろー
>>337 どこにもエスピンガルダとかマスケットとかアルケビースとか
記されていないんだけどね。
ルイス・フロイスなんかは、ちゃーんとこれらの名称を使ってるよ。
自分が見たことある物なら正式名称書くよね、常考。
>ジャワ人が火砲の鋳造や
鋳造ってことは単なる銅製の指火銃筒だろうね。マドファみたいな。
>あらゆる鉄の細工に巧みな人びと
鉄で銃身を作ると書いてないんだね。残念w
>>338 >ではその前に、貴方の中での「長弓」の定義をお聞かせ願えますか?
西洋の弓で言えばロングボウ
東洋の弓で言えば和弓
何度言わせれば気が済むんだ?
ロングボウが短弓だなんて誰が言ったよ?
「欧州の長弓といわれるロングボウ」ってわざわざ言ってるだろ。
マジあんたアホなのw
アホなら可愛いから許すけどさw
まさか本物のトートロジーに出会えるとは夢にも思わなんだ…
もしかして長弓の定義でこれだけの争いをしてるのか・・・・・
>鋳造ってことは単なる銅製の指火銃筒だろうね。マドファみたいな。
明軍では鋳銅銃身の火縄銃を使ってましたよ。
そのせいで文禄・慶長の役で日本軍に苦戦して戦後に正鉄銃を導入するわけです。
>>341 まさか本物のニンチ症罹患者に出会えるとは夢にも思わなんだ…
345 :
世界@名無史さん:2009/06/12(金) 01:06:05 0
>>331 >>309にせっかく「ゴアの鉄砲鍛冶」貼ってやったのに無視すんなよ。
「ヨーロッパのよりずっと優れている」そうだぞ。
商人個人の私物や、植民地成立時から蓄積されてたようなヨーロッパ式の銃を売ったのだったら、
だいぶ年季の入った中古品ということになるな。
可能性がないとは言わないが、その物証も文献史料も無い以上は東南アジア産と見るのが今のところ妥当。
ものの本によれば伝来以前のマラッカ式の現物はマレーシアやジャカルタの博物館に山ほど現存してるそうだよ。
専門家が異口同音に言ってる事に根拠が無いとでも思ったの?
ポルトガルは植民地で生産した武器を海外に売りまくる「死の商人」をやってたんだよ。
日本への鉄砲伝来もその一環に過ぎない。ゴアから国崩しが来た事もあったな。
http://www.日本の武器兵器.jp/hinawajyu/denrai/index.htm 武器の現地生産が出来なきゃ植民地なんか寸時も維持できないよ。
ポルトガル人としてはこの二挺をきっかけとして何百・何千挺と日本人に買わせる計画だったようだが、
まさか日本人が自力で模倣・生産し始めるとは予想外だったわけ。
>>343 >明軍では鋳銅銃身の火縄銃を使ってましたよ。
ふーん、百歩譲ってそれと同系の物が東南アジアにあったんでしょうか?
有ったなら何でエスピンガルダの名称を使わないんだろジョアン・デ・バロスさんは?
同時代の日本に来た宣教師は火縄銃と大砲をきちんと区別して記録してるのにね。
>>339 >どこにもエスピンガルダとかマスケットとかアルケビースとか
>記されていないんだけどね。
一応指摘しておくけど、ポルトガル来寇以前の東南アジアに火縄銃があったなんて事は
誰一人言ってないからね。
あくまで「東南アジアの火器は貧弱なものしか無い」という見方に対する反証でしかないから。
>>345 >せっかく「ゴアの鉄砲鍛冶」貼ってやったのに無視すんなよ。
>「ヨーロッパのよりずっと優れている」そうだぞ。
史料がマンガかよw
そんなもの現代人の想像で幾らでも創作可能な代物だろうに…
>植民地成立時から蓄積されてたようなヨーロッパ式の銃…
>だいぶ年季の入った中古品ということになるな。
何でわざわざ植民地成立時まで遡った古い在庫を出さなきゃならないんだ?
その間に何度もアジアと欧州を行き来してるだろうにw
>ものの本によれば伝来以前のマラッカ式の現物は
>マレーシアやジャカルタの博物館に山ほど現存してるそうだよ。
その本の書名は何?
マレーシアやジャカルタのどこの博物館なの?さあ言って下さい。
そしたら私も納得するかもね。
>そしたら私も納得するかもね。
訳「どんなに明白な証拠でも難癖つけて認めません」
>>347 >あくまで「東南アジアの火器は貧弱なものしか無い」という見方に対する反証でしかないから。
そうか、マラッカ式とやらの話ではないのか。
所詮、銃筒とかそれらの類なら火縄銃の性能に遠く及ばないから、
後世の我々から見れば、貧弱とされてもある意味しかたないだろ。
>>349 下らない御託を並べてないで
まず出してから言え。
話はそれからだ。
⇒その本の書名は何?
⇒マレーシアやジャカルタのどこの博物館なの?
あーうぜー
洞富雄の「鉄砲―伝来とその影響」な。
真面目に探せば他にもソースあるだろうよ
ややこしいからパオさん的な人はコテつけてくれんか
>>346 「百歩譲って」って疑うなら久芳崇さんの論文でも参照してくださいな
>>352 嘘を言ってはいけない。その本には
「伝来以前のマラッカ式の現物はマレーシアやジャカルタの博物館に山ほど現存してる」
などとはどこにも書いていない。
22ページに出てるのは他の書籍から転載したマレーの古銃3丁の写真が出てるだけだ。
そして、外国の研究者の間ではマラッカ式の原型こそが日本式だったのではという説まで書かれている。
356 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 03:14:17 0
>外国の研究者
誰?
>>357 この人の説を引き継いだのが宇田川氏で、昨今の潮流を形作ってるようだね。
だが本当にそれが正しいのだろうか?
写真のマラッカ銃の機関部は日本の火縄銃の外カラクリの2枚バネそっくりだが
日本に伝えられた初期の火縄銃は1枚バネであり、それが後に2枚に改良された
という経緯があるのだ。
>>358 NYのニッケル氏とロンドンのブレーヤー氏。
詳しくは
>>352で挙げられてる本を読め、大変有名な著作だ。
「NYのニッケル」てのはメトロポリタン美術館(たぶん)のヘルムート・ニッケル氏かい
Companion to Medieval Arms and Armourって本のエッセイが面白かったが
361 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 23:47:19 0
銃を正確に射撃するには相当な腕力がいる。
ましてやライフルとなると、体質的に強く脱臼やねんざと無縁な人種でないと、無理だ。
黄色人種で銃の性能を戦争に生かしたのは日本人だけ。
(それも本当の腕力派だけ。)
朝鮮人や中国人はライフル狙撃がろくに出来ず、ムチウチ症や脱臼が多かった。
先天的な体質というのはかなり重要だ。
362 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 01:00:57 0
363 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 14:24:01 0
自家製銃の暴発で死んだ中国人はものすごく多い
>>361 構え方の問題に過ぎない。銃の構え方が悪いと脱臼や骨折することがあるのは人種関係なく同じ
しっかり肩に当てずに浮かして撃つと反動で飛んでくる銃床がぶつかった衝撃で骨折したり、
肩じゃなく肩に近い腕にあてて撃つと脱臼することがある。訓練されてないとそうなりやすい
お前ら本当に強いな。俺は負けたよ
366 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 00:15:49 0
>>364 中国のシューティングツアーでAKMをフルオートで撃たせて貰ったことあるが、照準はともかく、
講習を受けて何度かセミオートで撃って感覚掴めば、腰溜めフルオートできるようになるよ。
367 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 00:27:19 0
だから、ちゃんとした訓練もしないで、ハォア!などと狙撃しようとして大けがしたり暴発したり馬鹿かと
パオはコテハンをつけろ。
お前ら強いな
俺は負けたよ
>>366 AKMの弾薬はそれ以前の小銃弾薬に比べて弾丸も軽いし装薬量も少なく反動は小さいからね
突撃銃登場以前の弾薬を使う小銃は現代のものよりずっと反動が大きい
AK突撃銃があれだけ普及したのは少年兵でも撃てるからってのもある
372 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 02:04:06 0
374 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 09:03:41 O
おれもよくわからないが、少年兵がシンジて事かな
レッドクリフで出てきた自爆軍船や投擲機の弾は敵軍船を爆破させたり
地面に10m近いクレーターができるぐらい威力があったが
漢代中国では既に火薬を兵器として使用していたのだろうか?
史実では金が最初に兵器として使い、元が中東由来の投擲機「砲」の砲弾に
使ったのが最初ではないのだろうか?日本では元寇に使われた「てつはう」ってヤツ。
映画だからって史実を1000年も捻じ曲げて許されるんですかねw
文句は羅貫中へどうぞ
>映画だからって史実を1000年も捻じ曲げて許されるんですかねw
三国志って今のような形に出来上がったのは元末明初(すでに火薬兵器が普及)あたりらしいから。
赤壁の戦いの描写も実際は明の太祖朱元璋と陳友諒の水戦がモデルになったそうで。
日本でも太平記の時代(南北朝時代)が舞台の筈の仮名手本忠臣蔵の五段目に火縄銃が出てくるしな
>太平記の時代(南北朝時代)が舞台の筈の仮名手本忠臣蔵
ハイ?
史実では江戸時代では?
>>380 仮名手本忠臣蔵の舞台は南北朝時代。
忠臣蔵の舞台は江戸時代。
383 :
381:2009/06/21(日) 10:53:14 0
>>382 もし、俺宛の書き込みだったならば、『仮名手本忠臣蔵』の
「4.あらすじ」の項をよく読むように。
こっちだな
仮名手本忠臣蔵 大序
将軍足利尊氏の命により、討取った新田義貞の兜を探しだし、これを供養するために将軍の弟足利直義が鶴岡八幡宮に遣わされる。
直義の饗応役に塩冶判官と桃井若狭介が任ぜられ、その指導を高家高師直が受持つ関係上、三人も直義に従って八幡に詣で、御前に控えている。
そこへ、数多く集めた兜のうちより義貞のものを見分けるために、かつて宮中に奉仕し、天皇より義貞に兜が下賜されるのを目にしたことのある、
顔世御前(判官の奥方)が召され、見事に兜を見分ける。直義および饗応役の二人が兜を神前にささげるためにその場を離れると、顔世の美貌に
一目ぼれした師直が横恋慕のあまり言寄る。そこへ折りよく来合わせた若狭介が顔世を救い、その場を去らせると、怒り心頭に発した師直は若狭介に
悪口を言いかけ、短気な若狭介は刃傷に及ぼうとするが、通りがかった判官の仲裁によって事なきを得る。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E5%90%8D%E6%89%8B%E6%9C%AC%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5
パオさんはWikiすらまともに引けんのか
386 :
世界@名無史さん:2009/06/21(日) 20:55:56 0
単なる釣りだしw
現代中国だと銃器の呼び方って
拳銃→手槍
ライフル→槍
なんだよな。
いや、確かに突き刺してはいるけど槍って…
でも明代後期あたりではたいてい「○○銃」って付いてるけど
391 :
世界@名無史さん:2009/06/23(火) 09:21:23 0
>>388その記述はウソだよ。火薬は古代ギリシャ人が発明したギリシャの火を
ルネサンス期の白人が独自に改良して精製したものだし、銃の構造にいたっては
シナとはぜんぜん違う。第一白色火薬を使わないと銃火器としての体をなさないよ。
シナが使ってたのはせいぜい打ち上げ花火程度のシロモノ。
392 :
世界@名無史さん:2009/06/23(火) 09:22:42 0
そして明代になって西洋の進んだ文明を取り入れるときにキリスト教の
宣教師が大砲や地球儀を持ってきた。だから銃という漢字の区別もつけてるんだよ。
↑こいつって「日本人は馬鹿だからあらゆるものは白人が作ったと思ってるんだよ」と
「違うよ。あるゆるものは白人が発明したんだよ」とどっちが本音なんだろう
>>391 西洋でも19世紀まで黒色火薬だったはずだが。
2ちゃんねるでは、馬鹿は袋叩きにしていいが基地外にはお触りしちゃいけません
>>391 白色火薬なんてないが。無煙火薬のことか?
もろ近代の産物じゃないか。それ以前は銃は存在ないとするなら西洋もそうなるが
ギリシャ火は火炎放射あるいはタールやリンや硫黄を用いた火炎弾のようなもので炸裂する火薬とは違う
397 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 14:43:51 0
日本人をもっとも殺した掃討銃はなんていう様式なの?フロントホックだっけ?
>>397 いつの時代?
日本人を最も殺した銃なら、M1カービンか?
399 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 20:50:21 O
また白色火薬馬鹿が来たのか。
日露戦争でロシアが黒色だったのにな。
歴史だけでなくで化学の知識もないから白色火薬て何よって話w
>>396 ガトリング砲だ。
幕末、日本にあったガトリング砲はたったの三門のみ。
薩摩藩に一門、長岡藩に二門あった。
長岡藩では戊辰戦争の折に大八車に銃手ごと乗せて、
引き回しながら撃ちまくったそうだ。
こんにちわ
アメリカ人をもっとも殺した銃は何かってほうが興味深いな
南北戦争のライフルか、週末銃か。
その数の20倍はGMかフォードが殺している気がするがな。
>>400 ガトリング以前は銃は存在しなかったっての? なわけない
とりあえず、火縄銃に一票。
>>403 南北戦争の死傷者の数は、建国から現代までのアメリカ史上最高ですぜ?
>>406 それよりサタデーナイト殺人の方が多いってことでしょ
交通事故の事を指してると思った
日本には週末包丁なんてないしなぁ...
>>361 そもそも「ライフル」とは、施条をしてある銃であって滑空銃との対比から来ており、ライフル狙撃
するためには、まず銃身にライフリングを施す技術ができた1600年代後半あたりからでないと
対比ができない。
ライフリングを施した先込銃は、加工が難しいため値段が非常に高い。日本には存在しなかった。
近世以前に朝鮮や中国にその技術が合ったとは思えない。
>>410 わかってる奴の方が多いだろうからムキになるなよ
ウィンチェスター・ミステリーハウスの由来である
馬に乗って、ホゥホゥと奇声をあげながら、略奪と闘争ばかりの遊牧民。
これじゃ正義なんて観念があるはずがない。
そこへ山や海で心身を鍛え上げた「文明の英雄」たちが現れた。
そして、遊牧民をマシンガンとライフルだけ根絶して、世界の道義と知性を高めてくれた。
ここにこそ、歴史の美学がある。
匈奴だのモンゴルだの契丹だの、そんなやつら…
俺だってトーチカと重機関銃さえあれば1000匹くらいは殺す自信がある。
トーチカを投石砲で叩き壊されて潰死
ジェット機も必要だな
白色火薬君は迷走してるな
417 :
世界@名無史さん:2009/06/27(土) 08:01:53 0
>>413 散々侵略を受け続けた中国やロシアが発達した火薬兵器や銃器で逆に騎馬民族をフルボッコにし始めた時代を読むと正直ざまぁーと思うね
418 :
世界@名無史さん:2009/06/27(土) 22:46:48 0
騎馬隊はどんな民族にもあったが、遊牧民はダメだね。
マシンガンもライフルすらも、ついに開発出来なかった。
つまり知的に怠惰なんだよ。
だから文明から根絶されたんだ。
420 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 01:54:43 0
モンゴルとかいう戦闘力0.5以下のゴミ国家を早く中国様ロシア様が潰してくれないかな(^‐^)
421 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 05:09:06 0
なんだ。急にモンゴル叩き始めたなw
中国はモンゴルに国を返せよな
>騎馬隊はどんな民族にもあったが
この時点で無知丸出し
424 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 07:38:34 0
武田騎馬隊とか
武田の騎馬突撃は世界有数の破壊力
織田軍も苦しめられた
史実では鉄砲隊も大きな被害が出ている
信長の野望革新をやっていればわかる
426 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 10:16:56 O
釣りですか
騎馬隊はどんな民族にもあっただろ。
ポリネシアにだって騎馬軍くらいあったから。
そんなの馬を乗りこなしていけば、どんなショボイばかでも「騎馬民族」w
ただ、騎馬隊だけじゃダメなんだよな。
銃器開発が出来ない民族というのは、なんつーか、遺伝的な弱者とでもいうのかな……
モンゴル軍なんか、内乱がある度に雲散霧消してどこかへ居なくなるだろ。
ところが日本の武士は、逃げる場所などないから、数千倍の覚悟をもって突撃し、モンゴル軍の背中にビシビシ矢を突き立てる。
日本人がヨーロピアンに精神構造が似ている所以。
429 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 03:11:08 0
>>427 >ポリネシアにだって騎馬軍くらいあったから
無いです。
あんた、ポリネシアで最強の家畜はブタさんですよ。
故地の中国南部からブタさんをカヌーに乗せて何千キロも広大な太平洋に拡散した
ポリネシアンGJです。
430 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 11:30:02 O
多分釣りだろw
>>427 >銃器開発が出来ない民族というのは、なんつーか、遺伝的な弱者とでもいうのかな……
そーですか。パルティアもヌミディアも遺伝的な弱者ですかそうですか。
日本は1543年に種子島にマスケット銃が到着するや、あっという間に全国に広がり
欧州を上回る品質や生産をしたが、大砲の方は全く駄目だったな。
1453年にはオスマントルコの火砲がコンスタンチノープルの城壁を破壊しているんだから
欧州ではむしろマスケット銃より火砲の方が普及が早かったんだが、
日本で実用的な火砲が生産されるようになったのは1840年代になってからだ。
これだけ小銃を愛好し、大砲を無視する国民というのも珍しいんじゃないか。
433 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 18:26:23 O
必要性や運用面の問題ではないのか
ヨーロッパでも野戦での火砲使用は三十年戦争あたりから本格化、ってレベルだしな
>>434 >三十年戦争あたりから本格化
いくらなんでも遅すぎ、どんなに遅く見積もってもマウリッツの時代(16世紀後半)からだろ。
早く見積もればシャルル8世やブルゴーニュ戦争(15世紀末)まで遡れる
野戦で大砲を使って何らかの戦果が記録された最初の例はいつ頃だろう
>>429 本題に関係なくて申し訳ないけど、
ポリネシア系の故地って台湾といわれてるんじゃなかったっけ。
>>436 1615年の大阪冬の陣で、
家康が天満から大阪城本丸に大砲ぶち込んで、淀君がビビってしまって、
東軍は撤退寸前だったのを、和平に持ち込む事に成功して、
和平交渉で豊臣方をだまくらかして堀を埋めた時だろうな。
ただ、この時の大砲はオランダ製。
それ野戦じゃなくて攻城戦じゃね?
頭の中が醤油漬けなんだから仕方ない
>>438 アホか。あの時期豊臣軍は既に弾薬不足に陥ってて大砲が撃たれようが打たれまいが
講和は時間の問題だった。
勉強してからあきこめよ。
あと大阪城の内掘までの、幕府方による埋め立てはだまし討ちでもなんでも無い。
最初から講和条件に入っている。
今時アレを騙まし討ちとか言ったら大笑いされるぞ。
カスみたいな蘊蓄はもう飽きたから、
本題に戻ってよ。
444 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 13:21:17 0
>>432そりゃ簡単なことだよ。日本の城と欧州などの大陸国家の城を見比べてくればいい。
前者は「防壁」がないんだな、これが。堀と入り組んだ地形でこれを防衛してる。だから
日本の戦闘形態はどうしても歩兵に頼らざるを得ず、ゆえに城壁をくずしたり、敵の大盾を
破壊するための大砲は発展しなかった。後者は石積みの高い壁に守られてるからこれを
突き崩す必要があり、ために大砲が必要となった。
445 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 13:23:04 0
それといまだ技術が未成熟で大量の火薬を合理的に運営できなかった。
当時高価な火薬をばんばん使ってればただでさえバカみたいにカネのかかる
戦争、これで敵をやっつける前に自分たちが財政難で自滅してしまう。
それと基本的に当時の銃は馬をダメにするためのものだったので、野戦以外に
使う必然もなかったわけだ。
447 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 14:29:55 O
>>444 近世に大砲の砲撃で陥落した城は日欧回にない。
当時の大砲は精度や威力や強度に問題があり、城を陥落できない。
ヨーロッパの城は外周100メートルもない櫓に過ぎない。
じゃあ何のために大砲で城攻めするの?
449 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 17:36:58 O
450 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 17:40:18 O
>>447 コンスタンチノーブル攻防戦では大砲で壁が崩れたことと
金角湾が奪われた事が直接的な敗北原因とされてはいるよ。
451 :
世界@名無史さん:2009/07/01(水) 18:04:23 0
>>448 城の中を攻撃するため?
投石機と同じ?
>>447 そらまぁ大砲による攻撃を想定していない前世紀の城へ下手に立てこもったりしたら、
1494〜5年のモンテ・フォルティノやモンテ・サン・ジョヴァーニなど北イタリアの城塞のように
粉みじんになるから、城から打って出るなり砲撃を受ける前に降伏するなりするから、
結果的に砲撃で陥落することはまずないかもね
もっとも近世以前でも、大都や南京など城壁の厚さが10m20mもあるバケモノ級となると話は別で、
19世紀欧米の艦砲射撃でもなんともなかったそうだ。
453 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 01:00:43 0
>>437 ポリネシアンの遠祖は台湾に渡る前は華南に居た。
漢民族が生活圏を華南にまで広げてきたので、敵対する少数民族は長江を遡って
四川・雲南方面に移ったグループと、台湾海峡を渡り台湾に渡ったグループがいた。
やがて台湾も飽和状態になり、太平洋に拡散した。
その過程で、華南から台湾に連れてきた家畜がブタ。
>大都や南京など城壁の厚さが10m20mもあるバケモノ級となると話は別で、
>19世紀欧米の艦砲射撃でもなんともなかったそうだ
それ。海上の大型艦じゃなくて河川砲艦のしょぼい砲じゃねぃ?
455 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 10:13:01 O
>>450 コンスタンティノープル陥落の原因は鍵の締め忘れですよ?
456 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 10:27:00 O
>>448 音による精神的な威圧が目的。
近世の砲弾は大きくてもボーリング玉ぐらいで、砲弾自体が炸裂するわけではなく、破壊力はない。
ウルバンの大砲のように大型なものは弾の装填や砲身の冷却に時間がかかりすぎた。
しかも精度、耐久力、運搬の困難さ、実用性に難もあり、大型鋳造大砲はかなり早期に消えた。
>近世に大砲の砲撃で陥落した城は日欧回にない。
この「近世」って何C頃から?
459 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 21:55:19 0
>>456 大砲は投石機の代替物じゃないの?
だとしたら投石機の目的も音による威嚇だったの?
ブーーーーーンって
城壁を崩したって攻めにくいことに相違は無いだろ
最強の戦術を思いついた
銃歩兵が皆ムーンウォークして高速で後退しながら射撃すればいいんじゃないだろうか・・・騎兵涙目
うん、装填が出来ないね。ダメだね
462 :
世界@名無史さん:2009/07/03(金) 05:34:12 0
確かに城壁の破壊だったら「衝車」とか「投石器」の方がはるかに有効だ。
なぜオスマン帝国はわざわざ滅多に当たらない大砲でビザンツを攻めたのだろう?
>なぜオスマン帝国はわざわざ滅多に当たらない大砲でビザンツを攻めたのだろう?
城壁にはよっぽどのことがない限り中ると思うが
>>462 衝車は、古代中国の土塀や乾燥煉瓦壁の破壊ならそれなりに有効だが、
世界最強のコンスタンチノープルの城壁破壊には全く役に立たない。
投石機の射程はせいぜい300m。ウルバンの大砲の射程は1.6km。
初速が全く違うから、破壊力や射程に格段の差が出る。
>>460 じゃあ城壁の機能は何だとお考えで?
まさか目隠しとか言わないよね、グレートジンバブエじゃあるまいし。
大砲の発明とその普及によって15世紀後半ごろにフランスで生まれ、イタリア経由で
西欧中に広まったのが、低く奥行きのある塁壁を使った稜堡式の要塞だ。
塁壁は分厚いので砲撃を受けても崩れにくく、そして低いので崩れても修復しやすい上
大砲では狙いにくく、逆に防御側が大砲を据えて反撃するのには適している。
しかしそれだけは不十分として、稜堡を星のような形にして火線の死角を無くしたり、
多数のパーツに分けて一部が崩壊しても迎撃や奪還を簡単にしたり、斜堤を設けて
敵の砲がこちらの砲から狙いやすい位置と角度になるよう誘導したりするなど、
反撃のため”の様々な工夫が凝らされている。
このような複雑な発展を遂げたのは、結局のところどのような構造物も本格的な砲火に
さらされれば破壊される、という認識があったからだろう。
だから砲撃させない、砲撃されてもそれを即座に叩き潰すシステムを造り上げた。
大砲の性能向上や低価格化が進むにつれ、19世紀には屋根つきの建物の中に砲を置き
(カスメート化)、構造物は砲と砲手を守ることに専念させて、敵の攻撃と進入を阻むのは
もっぱら砲火に頼るという、シンプルな多角形の要塞に発展するわけだがこれは余談
466 :
世界@名無史さん:2009/07/03(金) 22:00:40 0
大砲の殺傷力は凄い。
城壁を壊すのは二義的なもので、
城内への攻撃が砲撃の主たる役割だろう。
壁を壊せるものが人を殺せるのは当たり前ですよねー
15世紀前半には既に、城壁や障害物を飛び越えその向こうを直接狙うことができる大砲、すなわち臼砲が登場している。
たしかダ・ヴィンチの手稿にも臼砲と炸裂弾のデッサンがあったな
ちょうどその頃か
>>455 >コンスタンティノープル陥落の原因は鍵の締め忘れですよ?
それはオスマントルコじゃなくて第4回十字軍が攻めてきた時では?
>>466 大砲に炸裂弾が使われるようになったのは、1850年代に大砲にライフルが
刻まれて、椎の実弾が実用化されるようになってから。
炸裂弾を使用するには着発信管が必要。ライフリングを施した椎の実弾なら
必ず弾頭から着弾するから、着発信管を取り付ける事が可能になった。
19850年代までの大砲は、着弾しても爆発しないから、城壁を壊すぐらいしか
能がなかった。対人用の散弾も使われたが、大砲版のショットガンみたいな物だから
19850年代以降の榴弾とは比較にならないほど殺傷能力は低い。
>>471 × 19850年代までの 19850年代以降の榴弾
○ 1850年代までの 1850年代以降の榴弾
473 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 03:49:11 0
475 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 11:19:07 0
大阪城の天守閣まで届くのは大砲だけだったよ。
それで女官が死んで、淀君が講和を決断したんだよ。
初期の大砲は石から成形した弾を使用していた。石弾は着弾時に砕け飛び散り、広範囲の敵を
殺傷せしめることができたのだが、16世紀には陸・海両方で鋳鉄弾に置き換えられた。
その理由として製造の容易さや榴弾の発明も無論あったが、鉄弾は陸上では敵部隊を貫通し
遠方の敵兵にまで被害を及ぼすことが出来た。隊列によって結果もまた違ってくるはずだが、
イタリア戦争初期では一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せたという。
攻城戦において城壁その他障害物を破壊する威力も、無論鉄弾のほうが高い。
一方海戦においても、鉄弾はマストを打ち倒し船体を貫き敵の砲自体を破壊する威力があった。
甲板上の敵兵殺傷を主目的とした散弾もあったが、これの効果は実際には低く、マストに穴を
空けたりする程度の効果しかなかったようだ。
効果的な散弾は18世紀後半、榴弾の中に多数の小粒弾を詰め込んだ榴散弾の発明を待たなければならない。
>>474 >榴弾自体は大昔からある
あるけど、砲丸と榴散弾の中間としての存在で、余り実用的ではなかった。
城壁破壊なら砲丸の方が有効だし、対歩兵・騎兵なら榴散弾の方が有効だ。
榴弾が一般になったのは破裂弾が使用されるようになってから。
>>476 >石弾は着弾時に砕け飛び散り、広範囲の敵を 殺傷せしめることができたのだが
当時から鉄の方が破壊力がある事は分かっていたが、鉄が貴重品だった。
>一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せた
それは榴散弾だろう。
>効果的な散弾は18世紀後半、榴弾の中に多数の小粒弾を詰め込んだ榴散弾の発明を
陸軍では16世紀から臼砲に榴散弾を使用している。
臼砲の性格から言って、野戦における前面の敵の制圧が目的だから
榴散弾が最も適していた。
>>一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せた
>
>それは榴散弾だろう。
これだけじゃ説明足りないか・・・
榴弾てのは文字通りザクロの実ぐらいの大きさがあって、一つの砲弾に
せいぜい10-15個ぐらいしか入らない。それが破裂弾でもないのに
「一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せた」と言うのはありえないだろ。
榴散弾はビー玉ぐらいの大きさで、1つの砲弾に100-200個入るし、
歩騎兵に対して使われるから「一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せた」
というのは納得のいく話。
>>477-478 なんか榴弾と散弾と榴散弾の区別がついてないっぽいね。
基本的には
榴弾……中空の砲丸に火薬を詰めて、爆発の衝撃と砲丸の破片で攻撃する
散弾……多数の小さな弾丸を袋や缶に詰めるなどして一纏めにしたもの
砲弾自体に爆発力はなく扱いやすいが、発射直後に弾が飛散するため射程は短く無駄になる弾丸も多い
榴散弾…中空の砲丸に火薬と小さな多数の弾丸を一緒に(後には仕切って)詰めたもの。
榴弾と同じ射程を持ち、目標の目の前で爆発するためより広範囲を薙ぎ払えるが高価で暴発の危険も高い
>「一発の鉄弾で30人/騎余りの敵を薙ぎ倒せた」と言うのはありえないだろ。
これはこちらの説明不足もあったか。
ここは砲丸での話、まさしくボウリングの玉のように敵兵を薙ぎ倒しながら飛んでいったわけ。
>臼砲の性格から言って、野戦における前面の敵の制圧が目的だから
こやつめワハハ
映画のパトリオットでそういう場面あったな
481 :
世界@名無史さん:2009/07/04(土) 18:47:06 0
着発信管登場以前の榴弾は
打ち上げ花火を横に向けて撃つようなもの。
>>477 >当時から鉄の方が破壊力がある事は分かっていたが、鉄が貴重品だった。
14〜15世紀のヨーロッパでは高炉の発明と普及など製鉄技術が飛躍的に進歩していて、
鉄そのものは安価に生産できるようになっていた。鉄製農具の普及の時期などを考えると、
製鉄技術はもっと前から漸進的に進歩していたとも考えられる。
鋼鉄は高価だったが、当然ながら砲丸に鋼鉄の強靭さは必要ない。
初期の大砲が石弾を主に使っていたのは、当時の鍛造砲は厚みにムラができやすくて脆く、
重い鋳鉄砲丸を多量の火薬で撃ち出すと、衝撃に耐えられず破裂する危険が高かったため。
あの特徴的な沢山の補強用タガがその証拠。
砲身の厚みを自在に整えられる青銅もしくは真鍮製の鋳造砲の普及によって、鉄の砲弾が
一般的になった。もちろん鉄の鋳造技術が進歩すると、鋳鉄製の大砲も登場する。
483 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 04:07:54 0
アヘン戦争で英国の大砲で清の城壁が破壊できなかったというのは本当ですか?
484 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 04:12:25 0
>>482また「無から発明する白人」ですか。
>現在知られている最も古い溶鉱炉は、
>中国の前漢時代(紀元前1世紀頃)のものとみられる。
>しかし、紀元前5世紀頃と見られる鋳鉄が中国で発見されており、
>それよりも古い溶鉱炉があった可能性がある。
>初期の溶鉱炉は、内壁が粘土で作られており、
>リンを含む鉱石を使用していたと見られる。
>西洋における最初の溶鉱炉は、
>スウェーデンで1150年から1350年の間に作られたらしい。
>この溶鉱炉が、独自の技術で作られたのか、
>モンゴルからもたらされた技術によって作られたのかははっきりしていない。
485 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 04:13:40 0
wikipediaより「高炉」を参照。
モンゴル帝国がもたらせたかどうかは知らないが、
どうせ印刷機みたいに「無からグーテンベルグが
発明した」みたいに言い出すんだろ、そのうち。
486 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 10:31:01 0
>>485 事実だから仕方ないじゃん
否定する根拠も文献もお前にはないから反論もできんかw
モンゴルがもたらしたものならまずロシアあたりに先に普及するのでは。
ちなみに近世にシベリアからロシア人が送った報告には面白いものがあって
「ヤクート人の鉄製品の品質はドイツのものに匹敵する」とあるそうだ。
>>488 ソ連時代のロシアは、飛行機を発明したのはロシア人、自動車を発明したのはロシア人と
今のチョンみたいな宣伝を積極的にしていて、実際にその「ロシア人が作った世界初の飛行機」が
立派な博物館に飾られていたから、まあその類いだろ。
日本語が危ない
>>488 ブリヤート南部にある、紀元前後のものとみられるゴロディシチェ(遺跡)には、
中国風の家屋や土器などと一緒に製鉄場の跡が発見されている例など見ると、
シベリアにはかなり早くから中国の進んだ製鉄技術が入っていたっぽいね。
ヨーロッパの製鉄技術は割と遅れていたから、その報告には真実味がある。
記憶が定かではないが、匈奴だかモンゴルは北方から鉄あるいは鉄器を
輸入していたらしい。
>>489 ヤクート人の話が何でロシア人の功績になるんだ。
ロシアの製鉄技術が両者より劣ってなかったらそんな特筆しないだろう。
>>490 メルキトとか森林の民ね。
492 :
世界@名無史さん:2009/07/06(月) 02:52:57 0
はいはい「溶鉱炉も白人が起源」
これでいいでしょ。
494 :
世界@名無史さん:2009/07/06(月) 03:23:35 0
モンゴルは何も残さなかった。白人が世界を民主化するまで
アジア人は足し算も知らなかったし、幾何学も知らなかった。
すばらしい理論だ。いいからコテつけろ
496 :
世界@名無史さん:2009/07/06(月) 07:52:12 0
アジアは民主化するまで数学や科学という概念さえ知らず、すべてはサルと
同じ勘で生活を行っていた。そんなサルに文明をもたらせたのはイギリスであり、
彼らが中国や日本を民主化しなかったらいまごろ彼らは三千年も前と同じ
生活をしてたであろう。
>>493 ↓よく見ろ。お前はヤクート人とは一言も書いていない。
>ソ連時代のロシアは、飛行機を発明したのはロシア人、自動車を発明したのはロシア人と
>今のチョンみたいな宣伝を積極的にしていて
498 :
世界@名無史さん:2009/07/07(火) 13:02:37 0
だから銃も火薬も白人が生み出した、っていってるじゃないの。
うん。お前だけがな。
頼むからコテつけてくれないかな
502 :
世界@名無史さん:2009/07/08(水) 14:47:46 0
銃も火薬も「近代化した白人」が無能なアジア人にもたらせたのは有名じゃない。
銃も火薬も洋の東西を問わず「近代」どころか中世末期から使われてますが
お触り禁止
まぁ2chだから一般常識を常識外れとして
珍説自説を常識として語りたいそれが通とか玄人みたいに勘違いしてる
そういうひねくれた奴はわんさか居るからね。
歴史のテストで2ch通りの回答したら間違いなく不正解だからw
英国が植民地戦争やってる頃のアフガンの鉄砲って
単に古いだけでなくて何か変わったところでもあったのですか?
>>507 ジェザイル? 火縄銃だけどやたら銃身が長くて射程距離も長かったとか。
たしかワトソン君がそれで撃たれたw
>>508 ありがとう。
名前が思い出せなかったんですけど、それです。
長射程だったんですか。なるほど。
>>483 日中戦争の時に日本軍が南京か北京を砲撃したが、ろくにダメージが与えられなかったってきくから、ありえない話ではないと思うが
511 :
世界@名無史さん:2009/08/01(土) 02:21:37 0
512 :
世界@名無史さん:2009/08/01(土) 16:29:35 0
黒色火薬はアレキサンダー大王が中国にもたらせ、それをポルトガル人が利用して
鉄砲の原型を作ったらしい
↑また白色火薬なんつう意味不明なファンタジーを持ち出すアホがあらわれた
514 :
世界@名無史さん:2009/08/02(日) 08:37:39 O
戦国自衛隊の遺物だな、うん。
517 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:05:47 0
白人の技術者がいたから朝鮮に勝ったんだよ、んもう常識でしょ?
>>516 正しいわけないだろ。
つーか朝鮮人自慢のリー提督は日本軍の大砲にミンチにされたのに。
>>518 加藤清正とか朝鮮の水軍と明の騎兵隊にフルボッコにされて
命からがら博多に帰還したんですけど。
で、石田三成がティーパーティに誘ったら激怒したとか有名な逸話ですけど。
ともかく、海上での火縄銃の使用は波飛沫の影響で火縄が湿り
ぶっちゃけ碌に使い物にならなかったとか。
弾薬の装填も揺れる甲板上では上手くできず、バラバラに散発状態で
寧ろコンパクトな朝鮮の短弓による火矢や火箭の方がよっぽど役に立ったらしい。
そんな海上でのフルボッコ状態の影響で、兵站が総崩れになり
陸上の拠点からは食料と弾薬が枯渇した上に伝染病まで蔓延し
次々に到着する明の陸上部隊に包囲されて、飢餓と疲労で敗北したんだよ。
秀吉死んで停戦して帰ってきただけじゃん
しかも停戦後に引き上げる日本をだまし討ちして逆にフルボッコにされたのが李舜臣じゃん
どこで有名な逸話なんだろうなー
韓国でかな
>>520 何で秀吉が死んで停戦したか知ってるか?
もはや一坪の土地も、一握りの土さえも朝鮮で得られる見込みが無くなったからだよ。
飢えと疲弊に苦しみながら、ゲリラ化した民衆に怯え、戦争そのものが不毛なものになったからだよ。
それよりも勘合貿易を復活させた方が次期徳川政権にとっても合理的だったんだよ。
ともかく、陸上でも海上でも大砲を運用できなかった日本軍が負けたのは事実。
馬車や砲艦という概念が乏しかった日本には無理もない話だが。
この教訓を生かして大砲を運用する新たなルーチンを作ったのが徳川家康。
またパオさんか、懲りない奴だなぁ
>>523 朝鮮はただの通り道なんだから土なんか手に入れてどうすんだよ
明との貿易で稼いでだ武将が多くて最初っからやる気なかったからだろ
戦闘で落ちた城が一個もなかったってのにな
527 :
ムーピー:2009/08/05(水) 21:51:54 0
>>526 >朝鮮はただの通り道なんだから土なんか手に入れてどうすんだよ
戦闘に功のあった武将には朝鮮の領地を与える計画だったんだyo
講和条約の要求条項にも朝鮮南部の割譲とか含まれてるし♪
>明との貿易で稼いでだ武将が多くて最初っからやる気なかったからだろ
当時の明は海禁政策により、勘合貿易で一部の大名としか貿易なんてしてなかったzo。
むしろ、島津に至っては陶工を拉致して来たぐらいだw
ていうか、民間人の鼻を大量に削いで秀吉に送った話は有名だyo
戦争やる気バリバリだろ♪
>戦闘で落ちた城が一個もなかったってのにな
釜山城とか城主が逃走して、戦闘初日に半日も経ずして陥落したんだが♪
>>525 フィクションだろsore
当時既に日本も陸海で大砲を運用している
朝鮮出兵が成功しなかったのは秀吉に勝つ気がなかったから
朝鮮出兵は刀狩りと同じ軍縮政策の一貫だよ
それまで膨張し続けてきた国内の軍事力は、
天下統一後は単なる穀潰しにしかならない
証拠に事前の調略がほとんど行われていない上に
占領地の経営がほとんど顧みられてない
そもそも大陸に在地の有力な友好勢力が存在しないのに、
後方連絡線を海上輸送のみに頼って渡洋侵攻が成功すると
思っているほうがどうかしている
朝鮮で勝とうが負けようが、得をするのは豊臣家だけ
だから秀吉が死んだらみんな引き上げたんだよ
529 :
ムーピー:2009/08/06(木) 01:15:54 0
>>528 >当時既に日本も陸海で大砲を運用している
大砲は機動性において、重要視されていなかったyo
陸上で馬車や牛車などの移動手段を殆ど用いず、人力だけに頼っていた日本では土台無理。
また、海上でも大砲を載せた本格的な砲艦というものを作ったのは信長ぐらいだyo
秀吉は朝鮮水軍に対抗すべくバテレンに依頼してスペインの砲艦を借りようとまでした♪
>朝鮮出兵が成功しなかったのは秀吉に勝つ気がなかったから
>朝鮮出兵は刀狩りと同じ軍縮政策の一貫だよ
子飼の武将を最前線に送るなど、相当なリスクを強いてまで行う軍縮政策ってなんだyo?
>それまで膨張し続けてきた国内の軍事力は、天下統一後は単なる穀潰しにしかならない
当時の兵力の大半は戦時に召集された農民兵。戦争がなければ農村で田を耕す農夫だyo♪
それを殺す政策って何だ?農民を殺したら農地が荒廃するだけだzo
>証拠に事前の調略がほとんど行われていない上に占領地の経営がほとんど顧みられてない
>そもそも大陸に在地の有力な友好勢力が存在しないのに
侵略戦争なんだからそういうもんsa
蒙古が攻めて来たときに日本に友好勢力が居たか?米英が攻めて来たときに日本に友好勢力が居たか?
>朝鮮で勝とうが負けようが、得をするのは豊臣家だけ
でも財産使い果たした結果、自宅を守れなくなり、大阪冬の陣・夏の陣で徳川に潰されただろga
もし圧倒的に負けようものなら、明が渡海して日本まで追撃してきた可能性もあるだろ♪
そんなに計画性も無いアホじゃねーよ、太閤様はyo
>>527 本来の目的が民の征服なんだから
律儀に勘合貿易しかしてなかったっていうのが甘い
戦果確認の鼻送ったからなんだってのよ
城主が逃走?聞いたことねーな
大阪の陣て、どう考えても豊臣方の指揮のまずさだろあれ
民じゃなくて明な
当時既に西国大名が牽引式の野砲や艦載砲を大量に保有していたのは宣教師の手記からも明らかにされてるんだけどね
無知なのか都合の悪い事実から目を覆っているのかどっち?
>>532 別に噛みつこうとかでなく、素朴な疑問なんだが、
車軸は発射に耐えられるブツを作ることが出来たのか?
艦載砲みたいな台座がごつくて車輪小さいやつなんだろうか。
日本で車輪モノって少ないイメージあるから
その辺りの技術の蓄積がどーなのかと思ったんだが。
>>519 ともかく、〜とか、〜らしい
史料に基づいて語るか、朝鮮征伐スレでやってくれな。
535 :
ムーピー:2009/08/06(木) 22:53:19 0
>>530 >本来の目的が民の征服なんだから
>律儀に勘合貿易しかしてなかったっていうのが甘い
戦争で征服するよりも、律儀に貿易した方がよっぽど儲かるzo
かつて室町幕府が勘合貿易で巨万の富を築いたように
徳川幕府は豊臣政権の方針を180度転換して貿易に傾注し、250年の太平を得た♪
>戦果確認の鼻送ったからなんだってのよ
戦意が無いと言うなら、何で民間人まで殺しまくってんだyo
戦果報告=恩賞という構図があったからだ。
つまり、戦争やる気満々で朝鮮に乗り込んでいったんだよ♪
>城主が逃走?聞いたことねーな
釜山は半日を経ずして陥落した。尚州も忠州も城主が兵を捨て置いて敗走した。
ついには漢城の朝鮮国王まで首都を捨てて逃走したんだyo
536 :
ムーピー:2009/08/06(木) 22:59:26 0
>>532 >当時既に西国大名が牽引式の野砲や艦載砲を大量に保有していたのは宣教師の手記からも明らかにされてるんだけどね
>無知なのか都合の悪い事実から目を覆っているのかどっち?
戦国時代の日本で「牽引式の野砲や艦載砲を大量に保有」って、
一体どこの大名が使っていたんだ?
大友宗麟の国崩しは臼杵城に据付られた二門だし、艦載砲を大量に積んだ砲艦も当時の日本には無かった筈だが…
とりあえずソースの提示を求める。
自分も史料提示しような。
538 :
ムーピー:2009/08/06(木) 23:32:05 0
>>537 下らない御託を並べてないで
まずムーピーに史料を出してから言え。
話はそれからだ。
⇒どこの大名?名前は?
⇒大量って、一体どのくらい持っていた?
⇒戦国時代に牽引式の野砲?
⇒戦国時代に艦載砲?
あとな、ムーピーの言ってることは中学校教科書でさえ
ちゃーんと書いてることだ♪
それさえ知らないなんて、重症だzo うきゃきゃ(≧▼≦;)
539 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 23:46:40 O
木津川合戦は艦載砲あったなぁ
>>538 いや自分は
>>532じゃないんでね。
それは彼に言ってくれ。
取り敢えず
>秀吉は朝鮮水軍に対抗すべくバテレンに依頼してスペインの砲艦を借りようとまでした♪
>当時の兵力の大半は戦時に召集された農民兵。戦争がなければ農村で田を耕す農夫だyo♪
これの史料頼むな。
教科書にも載ってるんだから、一次史料くらいすぐ出せるだろ?
織豊期に至っても兵農分離が完全じゃなかったのは理解できるが
だからといって貴方の言そのままだとしたら、朝鮮という異国で何年も滞陣できるはずも無し。
>また、海上でも大砲を載せた本格的な砲艦というものを作ったのは信長ぐらいだyo
今時その話をまともに受け取る人間が居たとは。
カブラルは、行軍する龍造寺軍の延々と続く銃兵と大砲の列を見て
ヨーロッパの諸侯より強力な軍勢だと記しているな
誇張しているとしても、当時の西国大名が強力な野戦砲兵を
擁していたことは間違いないと思うが
そもそも、技術的には大砲のほうが銃よりも製造が容易で、西欧でも中国でも銃よりも大砲のほうが先に普及している
大量に銃が普及していた戦国期日本でも、それなりに大砲は保有していたんじゃね?
543 :
ムーピー:2009/08/07(金) 02:43:34 0
>>593 >木津川合戦は艦載砲あったなぁ
で、何門載せてたの? "ε(・ω・)3゛
あれは主力が狭間鉄砲なんだけどね。
いつから大量の大砲になったんだい? うきゃきゃ
>>540 >バテレンに依頼してスペインの砲艦を借りようとまでした
⇒イエズス会日本巡管区長ガスパル・コエリヨ
>貴方の言そのままだとしたら、朝鮮という異国で何年も滞陣できるはずも無し
⇒農家の三男や四男など余剰人員なら可能。後世のブラジル移民などもこのパターyo。
言い換えれば、出稼ぎ感覚♪
>今時その話をまともに受け取る人間が居たとは。
砲は積んでいたが主力は鉄砲。これ常識です♪
>>541 >カブラルは、行軍する龍造寺軍の延々と続く銃兵と大砲の列を見て…
>誇張しているとしても、当時の西国大名が強力な野戦砲兵を
>擁していたことは間違いないと思うが
出典が不明だが、その大砲とは今で言う「大鉄砲」や「抱えの大筒」の類ではあるまいか?
車輪が付いて牽引するタイプの野戦砲が戦国時代の日本で運用されなかったのは
日本の地形が急峻すぎるためであり、この点は朝鮮の内陸部と共通する。
ゆえに朝鮮は内陸の戦闘において、鉄砲を有する日本に連戦連敗を喫したんだyo シクシク(┰_┰)
544 :
ムーピー:2009/08/07(金) 02:50:40 0
>>542 >そもそも、技術的には大砲のほうが銃よりも製造が容易で、
>西欧でも中国でも銃よりも大砲のほうが先に普及している
運用面で日本と違いすぎるだろ Σ( ̄□ ̄;)
日本は砲で破壊するような高く厚い城壁などなく、
また急峻な地形が車輪等の普及を遅らせていたyo
だからこそ、携行できる火縄銃が世界に類を見ないほど急速に普及したno
抱えの大筒や狭間筒など世界に類の無い巨大or長大な火縄銃も出現した♪
>>535 お前が、当時の明は海禁政策により、勘合貿易で一部の大名としか貿易なんてしてなかったzo。
なんつうから、普通に密貿易してた事実を知らんなって意味で言ったんだぞ
やる以上戦果が上がったほうがまだマシなんだから鼻ぐらい送るだろ
なーんだ逃走したってのは朝鮮のことか
ここまで読み飛ばした
>>542 容易とは言っても、炸薬量も機構も鉄砲とは異なるからね。
火薬の調合と大砲に使う合金を間違えたら暴発するし、運用も一人で持ち運びできる鉄砲と違って複数人で分担して命中させるから、ある意味鉄砲より扱いにくいし作りにくい
大砲は炸薬入れないよ、筒造るのも青銅で鋳造するだけ
鉄砲より造り易い
1スレ目はレベル高かったな
>大砲は炸薬入れないよ
ハイ?
>筒造るのも青銅で鋳造するだけ鉄砲より造り易い
ハイ?
どんだけ無知なんだよパオさん…
550の思い描く大砲像が気になるw
>>550 もしかして大砲の球の中に火薬が入ってると思ってる?
もしかして大砲の砲台と砲身が鉄製だと思ってる?
554 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 09:54:38 0
ところで江戸時代(惰眠を貪るバカ時代)の「てつはう」はどんなものだったんだろ?
携帯式のハンドガンみたいなのがもうあったのかな?
555 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 10:36:37 0
↑
こいつは戦争ばっかりやってる時代がいい時代とでも思ってるのか?
>>554 江戸時代のあいだも青銅製の大砲が細々と作られてはいた。
が、幕末にいざ実用の機会が訪れると、時代遅れで全く役に立たないことが判明。
>携帯式のハンドガン
>553の大筒よりもう少し小ぶりな砲を手で持って撃つ抱え大筒があったが、これもほとんど曲芸のようなもので
実戦からはかけ離れたものだった。
557 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 12:34:38 0
M4A1を使えば良かったのに…
>>555 兵器の発達史からいえば平和な時代は不毛と断言してもよい。
IFだが、日本の戦国時代があと300年続いていたら(1800年代末まで)
銃火器や軍船や城塞など戦略に関わる全てが相当な進化をたどっていただろうな。
小火器:火縄銃→前薬莢式まで進化(ガトリング砲も発明)
大火器:前装砲→アームストロング砲まで進化
戦列艦:安宅船→鉄鋼板蒸気推進式
要塞 :平山城→稜堡式要塞
陣地 :馬防柵→塹壕・堡塁
兵装 :甲冑→軍服・ヘルメット
ミリ飯:干飯→乾パン
医師 :医僧→軍医・衛生兵
むしろそれまでの軍事上の進歩を猛烈な勢いで吸収しきった明治日本が凄まじいぜ
前薬莢式って何の意味もないと思う
それに前薬莢式だとガトリング砲は無理です
>IFだが、日本の戦国時代があと300年続いていたら(1800年代末まで)
>銃火器や軍船や城塞など戦略に関わる全てが相当な進化をたどっていただろうな。
むしろ、資源の浪費と国力の疲弊でグダグダになって、西欧列強の植民地になっていると思う
文字通り神のみぞ知るだなw
現実に短期間で産業化を達成できたのは
平和が続いた事で余力を蓄積したお陰だろ
技術や知識の遣り取りが少なかったくらいでしょマイナスは
徳川幕府が鎖国して西欧の介入を拒絶したのは英断だと思うけどな
西欧の介入を許したインドがどうなったか・・・
インドは内乱で自滅したし元々統一王朝が成立しにくい地勢だから
戦国時代の日本だって同じようなもんだ
江戸時代の日本では戦国時代に海外から習得した
ネジ構造や天体航行術も廃れ技術体系そのものも中世帰りしている。
その一方で、精密地図の製作や歯輪式銃なども独自発明されていたが
結局普及せずに明治時代を迎えているね。
戦国時代がもっと続いていたら、東南アジアおよびユーラシアの東半分は
日本が支配していたかもしれない。
戦国時代が続いたらずっと日本国内で戦争して海外に出る余裕はないんじゃね?
戦国時代が続いたらというか、徳川政権が海禁政策を取らなければだな。
浪人対策を兼ねて鄭成功を日本がバックアップする、なんて展開になってれば面白かったんだが。
鄭成功を支援して何か得があるの?
対シナ・南海貿易を引き続き行えるのは大きいんじゃないか
秀吉の対外征服計画も朝鮮経由で明を狙うものと、
琉球経由でフィリピンを狙うものと二つあったんだってな。
秀吉の側近に朝鮮との貿易やってた奴がいて、そいつからの情報が
豊富だったから朝鮮経由明征服に乗り出したとか。
フィリピンのがまだ成功率高かったような希ガス。
鄭成功を支援しても明朝の復活は難しいんじゃないか?
素直に清と貿易したほうが手っ取り早いと思う
徳川政権が海禁政策を取らない事はメリットあるけど
鄭成功や腐れ明朝を支援しても何の意味もないよな
575 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 15:59:42 0
>>572 甘いな、比島にはスペイン総督がいたし、ガレオン船に返り討ちにされた可能性が高い。
大体、中米⇔明との中継基地に過ぎなかった比島を分捕っても何にもならない。
ましてやカトリック宗門の多い土地なので、キリシタン大名や兵卒にとっては天罰モノだろ。
>>575 無知だな、スペイン総督の手持ち兵力は侍大将程度しかない
ガレオンもシナのジャンク船より出来が悪い、しかも先住民統治は劣悪
フィリピン遠征の場合、ひとまずルソン島を完全制圧する可能性は限りなく100%
インドや中東方面との交易も担う中継地であり土地も肥沃、見返りも少なくない。
西欧諸国の兵以外にも現地政府の兵力だっているんだが、
そう簡単に制圧できるんだろうか?
攻め込んでも消耗戦になるだけのような希ガス
ルソン島民側にもともと統一権力は無くて
フィリピン府に土地を占拠されたり強制労働強いられる程度の力しかないじゃん
恐らく不可能だろうな
当時の技術レベルでは渡洋侵攻で戦争資源を集中させることはまず無理
西欧列強は産業革命を経て、蒸気機関、鉄道、電信、機関銃を用いて
インド、アフリカ、清、東南アジア諸国を屈服させることができたが、
それでも20世紀初頭までかかった
それまでも軍事技術で優位に立ってはいたが、それも決定的なものではなく、
とても植民地には程遠い状態だった
戦国時代の日本がいくら活力に溢れていたとはいえ、うまくいくとは思えない
仮にルソンを軍事的に占領できたとして、現地住民の統治やインフラの整備、
西欧列強や清の軍事的外交的な干渉の排除等のコストを考えると、
見返りがあるのか物凄く疑問
大人しく長崎や堺で貿易してたほうが儲かりそうだがどうだろう
ところで、中国や台湾、東南アジアに攻め込むと言ってる人に質問なんだが、
軍事的にどれだけの兵力が必要だと考えてるんだろうか?
582 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 19:25:07 0
>>576 >インドや中東方面との交易も担う中継地であり土地も肥沃、見返りも少なくない。
当時の日本がそれほど広範囲な貿易圏を作れたか甚だ疑問だね。
幾ら土地が肥沃つったって、そこで収穫した農産物(米とか)をどこで売り捌くのさ?
短期間に世界規模な商圏を獲得できるだけの外交力が統一されたばかりの豊臣政権にあったんかね?
そういう意味では長崎のみに門戸を限った徳川幕府は賢い政権だった。
583 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 19:34:01 0
>>576 >ガレオンもシナのジャンク船より出来が悪い
何を以ってジャンクより劣っているのか疑問なのだが
艦載砲の数も威力もガレオンの方が明らかに上だ。
件の朝鮮水軍にさえ苦労した日本の安宅船ごときがまともに勝てる相手ではない。
朝鮮南部ですら放棄したのに、それより遠くて地理気候が全く違うフィリピンにどこまで執着できるかだな
半島経由の侵攻ルートを決定したのも、
当時の日本には大軍を遠洋輸送できるだけの船団も航海技術もないっていう問題があったからね
もしそれらがあるなら、半島スルーして直接明へ乗り込んだ方がいいし、フィリピン侵攻だって夢物語じゃなくなるからね
>>583 当時はまだ航海能力も積載量もシナジャンクのが上
安宅船は内海用なので勝てるはずはないが
単純な火力ではガレオンより圧倒的に上
これはあの信用ならないフロイスが断言している確実な情報。
>>582 華僑がルソンを中継したインドやペルシャとの南海貿易や
インドシナへの物資供給で莫大な利益を上げている
外交力?意味が分からない。
ただ、現実問題日本勢にそれが可能な造船技術があったかどうかはまた別
莫大な利益を上げてる華僑と取引すればいいじゃない
鉄砲ですらあれだけ短期間で国産化して普及したんだから、
外洋船だって必要ならば自力で作れるようになるんじゃね?
もっとも、必要だとはとても思えないがな
>>586 スレチだから詳しくは突っ込まないが
ジャンクが洋式帆船より優秀と言えたのはせいぜいナオ船くらいまで
水密隔壁や操作性のよい筵帆などアジアの海用にローカライズされた利点はいくつかあるが
総合性能では戦闘能力・航海能力ともにガレオンが大きく勝る
591 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 21:17:20 0
ほら、白人が作ればなんでも最高なんだよ
>>586 安宅船の火力がガレオンより上?
どこまで無知なんだろ、この人?
>>588 それなら遠征する意味ないじゃんよ。
遠征して拠点つくって華僑と取引すんのか?
>>589 アホか
こいつマジキチなのだろうか…
コテ名入れろよ、パオさん。
>それなら遠征する意味ないじゃんよ。
だから遠征する必要なんてないって言ってるだろうが、このマジキチ
594 :
ムーピー:2009/08/09(日) 21:37:12 0
渡海遠征そのものが技術的にも構想的にも無謀だro
戦やって勝ち目さえ無いだろo((*^▽^*))o
遠いフィリピンに攻め込んで簡単に勝てるとか、どんな妄想なんda
やっぱ長崎でガッツリと貿易してるのが一番なんだyo♪
鉄砲ですらあれだけ短期間で国産化して普及したんだから、
外洋船だって必要ならば自力で作れるようになるんじゃね?
鉄砲ですらあれだけ短期間で国産化して普及したんだから、
外洋船だって必要ならば自力で作れるようになるんじゃね?
鉄砲ですらあれだけ短期間で国産化して普及したんだから、
外洋船だって必要ならば自力で作れるようになるんじゃね?
・・・ポカーン
論理的に反論できなくなったからってファビョるなよマジキチ
問題なんて山ほどあるけどなw そもそも外洋航海のノウハウも
海を越えて外国に攻め入るノウハウもその為の兵站戦略のノウハウも無いし、
大体今から海外にまで行ける船を図面引いて材料集めて大量生産して
ついでに兵士にも訓練ほどこしてその為の教官も育てましょうとか
そんだけで何年かかるんだって話。
>>592 つ[朱印船]
当時既に外洋帆船はありましたよ、パオさん
しかし航海士に(かなりの率で)外人を雇っていたと言う
>>592 ジャンクは主に交易用で戦闘には適さないが
航海能力や輸送力はガレオンより上だし
フィリピン近海なら尚更ジャンクの方が利便性に勝る
ヨーロッパの国々でも技術職に外人を雇用してるのは珍しくないけどね
まあ純血主義にこだわるのもいいけど
>>579 鉄砲ですらあれだけ短期間で国産化して普及したんだから、
必要なら外洋航海のノウハウも海を越えて外国に攻め入るノウハウも
その為の兵站戦略のノウハウも今から海外にまで行ける船を図面引いて
材料集めて大量生産してついでに兵士にも訓練ほどこして
その為の教官も育てましょうとか簡単だよ。日本人舐めるなよ。
と、パオさんなら言いそうですw
604 :
603:2009/08/09(日) 22:48:23 0
さっきからアンカーミスしてばっかりだな
落ち着けよパオさん
606 :
ムーピー:2009/08/09(日) 23:00:27 0
ジャンクでどうやってガレオンの砲弾幕かわすのか知りたいyo(≧∇≦)
誰もそんなこと言ってないだろーがマジキチ
>>606 おそらく、鄭和の宝船(ほうせん)とかと混同してんだろ。
あれ自体が架空だけどさ。
>>606 避けるだけならジャンクの方が全然速いし操作性も良いからワケないじゃん
>>575 フィリピンにいた戦力なんて大したもんじゃない
米なんかも年に二度取れるし人気出そうだな
てかさ、日本で造っていないジャンク船を持ち出してきて何をしたいわけ?
華僑に「アンタの所の取引先と戦争するから、船を貸して」って借りるのか。
ガレオンって砲弾幕って言うほど砲を積んでない。
だからって日本軍が勝てるどうこうとは言わんけど。
T字砲火って新しい用語だな。
仮想戦記あたりからの受け売りだろうな
当時の大砲はよほど近くないと当たらんから接近戦狙いもありだが、外洋でガレオンとらえられるか?
>>610 ジャンクは追い風の時はいいが、向かい風への切り上がりが苦手
それと船体構造上、あまり高いマストを立てられないため帆の面積を広くする事ができず推進力で劣る
(>609の宝船のマストの数がやたらと多いのは帆の低さを数でカバーしようとしたため)
>>610 そうか、ジャンクの速力の方が砲弾の発射速度より速いんだな!
ガレオン測敵手「9時方向にジャンク発見!」
ガレオン艦長「左舷より一斉掃射!」
ガレオン砲兵「射角25!発射!ドスン!ドスン!ドスン!」
ジャンク測敵手「艦長!ガレオンから飛翔体らしき熱源反応!」
ジャンク測敵手「3時方向に飛翔体確認、到達予想時刻ヒトフタ丸丸」
ジャンク艦長「速力最大!面舵いっぱい!」
ガレオン砲兵「だめだ!ジャンクの船足が速すぎる!弾速が追いつかない!」
ジャンク測敵手「飛翔体が海面に着弾!逃げ切りました!」
まあ、こんな感じか。
すごく面白くないです、パオさん
>>618 当時の海戦は湾や入り江、多島海など内海がメイン。
敵艦隊が充分に目視できる距離で発砲した。
もちろん射程圏内で。
射程距離まで近づくのが一苦労だけどな
とくに相手が逃げを打ってる場合は
ジャンクさえあれば、日本は楽勝だったのに
ジャンクでガレオンに勝つのは無理だが、ガレオンを過剰に評価している痛い連中が多すぎるな。
T字砲火?
なにそれ?
>>615>>619 湾内限定とか随分都合のいい仮定だなw
ジャンクと比べて遥かに足の遅いガレオンの砲撃機会なんざ限られてるし
一般的なジャンクは喫水がガレオンより浅いし荷揚用の設備も揃ってるから
わざわざ待ってる所にノコノコ顔出す必要も無い
そもそも
>>615に貼られてるような重装ガレオンが東アジアに何隻あったんだ?
メキシコ・マニラ航路には相当な重ガレオンが就航してなかったか?
朝鮮出兵の頃は少数の交易用ガレオンと調達したジャンクしかないでしょ
話ついでなんだが、ジャンクに大砲積む場合はどういう配置になるんだ?
さらについでに知ってたらダウの場合も頼む。
ジャンクは舷側に砲積めないな
甲板ぐらいか
>戦艦仕様のガレオン船つうと、舷側に10列3段ぐらいで砲門があるのだが。
嘘はいけない
1603年にオランダが東アジアに送り込んだ艦隊の旗艦ドレドレヒトは排水量900トン、
24ポンド砲6門、8〜9ポンド砲18門の計24門
こいつはもともとヨーロッパの海での戦闘を想定して建造された艦で、交易を目的とせず
ポルトガルの勢力を駆逐するためだけに送り込まれ、当時、第一級の戦闘力を
備えた戦闘艦のうちの1隻だが、それでも30門も積んでいない
当時、東アジアにいたヨーロッパの艦は大半は、大型でも400トン前後、備砲12〜18門で、
しかも低威力の3ポンド砲しか積んでいない艦も少なくなかった
この時期のオランダがアジアに保有する船舶は最終的に総数246隻になるが、
多くが自衛用に最低限の艦載砲を搭載していたが、本格的な海戦に堪える戦闘艦は
30隻を超えない
この戦力で、中東からインド、東南アジア、果ては日本までの海域をカバーしていた
東アジアに投入できる数はかなり制限される
これは、当時、東アジアに進出していた他のヨーロッパ諸国でも同様
確かに当時の西欧列強は強力なガレオン艦を保有していたが、投入できる数はそう多くはない
>>631 商船の場合は2門〜4門積むのが主流で警備艇?の場合は6門〜が多い
どんな搭載の仕方してたかは知らない
中国の海上戦闘は、早い時期から、弩砲や投石機、火矢等を用いた射撃戦を基本的な戦術としており、
15世紀初頭、明は、大型ジャンクの火砲の搭載基準を50門と定めている
艦砲の大半が小口径砲だったことは間違いないが、それでも1522年のトイマン沖海戦で、
ポルトガルの艦隊を撃破している
ただし、この時期の明の主敵はヨーロッパ人ではなく、当時中国沿岸一帯を荒らし回っていた倭寇で、
このような相手には艦砲はほとんど威力を発揮できなかったため、
艦への砲の搭載には積極的でなかったのも事実
>>633 ソースはそんだけ氏の過去ログと見受けた
誰それ?
638 :
ムーピー:2009/08/11(火) 00:13:32 0
ジャンク最強すぎるんだけど(ノ*゜▽゜*)
>>633 >10列3段
というのを嘘と言ってるのなら間違いだぞ。
そのくらいの砲門を持つ船はガレオン以前のキャラックの時代からある。
1498年建造のリージェント号で180門(最大225門)
1489年建造のソブリン号で100門(積み過ぎと判断され後に69門に減らされる)
1514年建造のヘンリー・グラサデュー号で青銅製カノン砲21門、鋳鉄製カルバリン砲130門
フランスで1535年に建造されたグランデ・フランソワーズ号で青銅製カノン砲120門
無敵艦隊旗艦のサン・マルチン号でカノン砲48門
まあ、こういうハリネズミみたいな船はアジアまでの長旅なんてしないがね
640 :
ムーピー():2009/08/11(火) 00:26:10 0
>>609のサイズぐらいだと物凄〜く遅い希ガス q(≧∇≦*)p
てか洋上要塞だne
サン・マルティン………排水量980トン、カノン砲48門
サン・ファン・デ・ポルトガル…1029トン、50門
トライアンフ…………1100トン、42門?
アーク・ロイヤル………800トン、50門
セント・マイケル………不明(おそらくトライアンフ以下)、98門
全てアルマダ海戦に参加したガレオン
ちなみに大量に砲を積んでいるキャラックはその大半を船首楼・船尾楼に砲門を
備えていたが重心が高く転覆の原因になるので、ガレオンでは船首楼・船尾楼を
低くして、砲も舷側に備えるようになった
で、そのアルマダ海戦に参加してた大型ガレオンって東アジアに来てたの?
>>635 >15世紀初頭、明は、大型ジャンクの火砲の搭載基準を50門と定めている
それって大砲じゃなくて、鳥銃とか手銃とか小火器の類だろーが。
ジャンクの船体側面から砲門がニョキニョキ出てる画とか見たことねーし。
>>642 何、まだパオさんがのたまう日本がどうだとかくっっだらない話が続いてたわけ?
>>643 念のために聞くがスウェーデンのヴァーサ号とかイギリスのソブリン・オブ・ザ・シーズは知ってる?
ヴァーサは1628年、ソブリン・オブ・ザ・シーズは1637年に建造だから、
少し時期が後じゃね?
ちょうど両艦とも安宅丸と同時期なのな
>>646 そうか、そうか50門も大砲載せてるジャンクか、すごいな。
おじさん驚きだよ。
でも仮想戦記の読みすぎだな。
ところで、キミ中学生?
なんと、写真を最初に発明したのは中国人だったのである。
>>615 何で外国に米売ることばっか考えてんだ?
浪人みたいな連中に与える領地があればそれでいいべ
その浪人が得た膨大な米(しかも2期作)はどこに売るの?
貨幣経済なんだから、換金できなきゃ生活物資を手に入れられないよ。
日本国内なら米問屋が買い取って、各城下の町人や酒造業者に売却したけど
フィリピンからそれらをどこの誰に供給すればいいの?
需要があればどこにだっていいべ
フィリピンにそういったの農業以外の産業もできるだろうしな
日本人町とかもあったじゃん
657 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 06:41:49 0
なるほど、納得した。
658 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 09:23:02 0
ヘンリー・グラサデューw
颯爽と駆け抜けるジャンクの足元にも及ばない
まさに絵に描いたようなデコ船w
勝敗は火を見るより明らかだべ
661 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 19:54:09 0
ボケはいいからw
いつまで待てば当時のアジア諸国と欧州の火砲を比べたレスがつきますか?
暫しパオ大兄の登場を待つ他あるまい
>>658 ものすごい縄の数だな。アスレチックのテーマになりそうだ
666 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 04:03:49 0
>>665 別にケチつけるわけではないのですが
その大砲を明代ジャンクに平均何門載せていたのですか?
上記の50門とか載せていたのはその砲ですか?
難癖つけまくりw
50門の件に出てきた火砲ってのは大砲
そもそも船の武装規定で持ち込む鉄砲の数定めるとか意味不明だろw
>大発煩一座、大仏狼機 が六座
上の人みたいに難癖つけるわけではないけど
上記「大砲50門搭載ジャンク」には程遠い規模に思えるのは私だけ?
いや、私だけです。そのとおり。ごめんなさい。
また難癖付けに来たなw
砲6門〜10弱は治安維持目的の警備船
福船は両舷に24の砲門があるようだが
最大級でもそのくらいが妥当なとこだろ
残りは小火器と思われ
亀甲船も「備砲74門」という触れ込みだが
大砲と呼ぶ事のできる天字・地字銃筒はそのうち12門にすぎず、
残りは勝字銃筒などの小火器だったはず
>福船は両舷に24の砲門があるようだが
>最大級でもそのくらいが妥当なとこだろ
>残りは小火器と思われ
なるほど、その両舷の24の砲門に据えられていたのが「大発煩」と「大仏狼機」だったんですね。
でも不思議なことに幾ら探してもそういう多砲門のジャンクの史料が見つからないのは
私の探し方が下手なのですね。こんなダメダメな私で本当にごめんなさい。
>亀甲船
>大砲と呼ぶ事のできる天字・地字銃筒はそのうち12門にすぎず
対する日本の安宅船は大砲を何門搭載していたのでしょうかね。
きっと中国から借りた福船の両舷に24の砲門を据えていたのでしょう。
でも不思議なことに幾ら探してもそういう多砲門のジャンクの史料が見つからないのは
私の探し方が下手なのですね。こんなダメダメな私で本当にごめんなさい。
また図書館にママチャリで調べに行って来ます。
マジメに史料探してて見つけられないとしたら相当な無能ww
つか、元々ガゼネタだし。
鄭成功の艦隊がゼーランディア攻めの時に艦砲でガレオン三隻撃沈してるのだが
個々の性能では洋式船に勝るとは言いがたいジャンクだが
数が集まればガレオンでも危ない
西欧の航海、造船技術も火砲、火器製造技術も
全て中国、中央アジア、ペルシャ、アラビアから伝わったものだしな
ガレオンがジャンクに色々な点で劣っていたとしても不思議はない
>>632>>634 遅くなったがありがとう。。
切り込みとかやるんなら旋回砲ってのも有りだと思うんだけど。
>>675 機動捨てて浮き砲台になればってとこかね。
んでもジャンクから浅海域での機動力を奪うってのはえらい度胸が要ることのような。
そういえば、なんでガレーとか漕ぐ方の大きい船に行かなかったんだろ。
つか、元々ガゼネタだし。
中国で水軍が必要なのって、長江流域か南部沿海のデルタ地帯くらいで
あとはモンスーンを利用した交易船が存在した程度だからじゃない?
680 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 02:04:32 0
シルクロードがメインなのは唐代半ばまでだぜ
それ以降は海路交易がメイン
682 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 06:08:56 0
マルコが来た当時は南宋征服前で、帰路ではインド洋航路を使っているよ
684 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 12:55:00 0
欧州人は人類史上初の「竜骨(キール)」を発明した大文明である古代エジプトの
近くにありながら、なんでこれを利用しなかったんだろ?
>>683 モンゴル皇帝に謁見したローマ教皇庁の修道士は往路も帰路も陸上移動。
ちなみにバチカン図書館収蔵の修道士カルピニが持ち帰ったグユク・ハン勅書は欧州最古の紙。
687 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 23:40:33 0
>>686 ケチ付けるわけではなおのですが。
小型ボートの大きさと比較して、もの凄いミニサイズですね。
それでも大砲と呼べる代物ですかね。
ランタカ砲っていう小型砲の一種と考えるべきです。
そもそも「50門搭載のジャンク」自体が架空ですけどね。
>>685 そりゃ移動は駅伝のが早いし使節は陸路だろ
交易、特に日用品の交易は海路
難癖つけまくりだな
小型でも大砲に分類されるだろ
西欧だって鶏卵程度の弾を発射する大砲があるぞ
690 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 00:06:50 0
この程度ならば50門以上積むことも可能だから架空とはいえないな
692 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 00:21:42 0
>>688 マルコポーロは往路、貿易商人としてキャラバンで東方を目指しました。
帰路はイルハン国への使節として船旅、手ぶらで。
ちなみに旅行家イブンバテゥ−タは往路も帰路も船旅、もちろん手ぶら。
歴史の捏造は古来からの白人の伝統芸
名誉白人様も技術を受け継いだんだろうな
>>692 旅行家が往復とも海路、使節の往きは陸路、帰りが海路
まさにそういうことでしょ
>>694 ちっさい砲ばかりだな、玩具みたい
ジャンクの砲はこんなもんだったのか
>>697 で、貿易商人は陸路、軍隊も陸路
まさにそういうことでしょ
こんなんでも300隻とか集まったら怖いぞ
>>698 北宋代の州外輸入品の商税収入額は、浙江下流の杭州が抜けて1番多いよ
次に黄河下流の滄・斉・濱・シ州、次に長江下流の揚・真州、次に淮河下流の楚州
次いでシルクロードの終発着点の秦州、沿岸地域と比べて1/5以下
>で、貿易商人は陸路、軍隊も陸路
マジキチだな
ヨーロッパからインドや東アジアへの移動は貿易も軍隊も海路だぞ
>>700 >次いでシルクロードの終発着点の秦州、沿岸地域と比べて1/5以下
そりゃそうだろ、北宋時代の西域から北方は西夏やら遼などの異民族国家が
北宋より強い立場で割拠していたから、通過する隊商に重税をかけていたからな。
モンゴル時代はどうだったんだろうね?
>>701 で、モンゴル帝国の時代は?
モンゴル軍の中東、インド、ヨーロッパ遠征軍は船でしたか?馬でしたか?
ハイ、馬ですね。その通り。大正解。
>>702 よくぞ聞いてくれた、モンゴル時代は1/10以下だ。
>>700 >浙江下流の杭州が抜けて1番多いよ
>次に黄河下流の滄・斉・濱・シ州、次に長江下流の揚・真州、次に淮河下流の楚州
杭州とか、華北と江南を結ぶ大運河に面してる都市だな。
州外と言っても要するに国内の産物が南北を行き来していただろ。
>>703 そりゃそうだろ、国内を行き交う隊商に重税などかけないし。
むしろ商税が増えていたらマルコポーロの父親も2回目のモンゴル行きは見送っただろう。
商税が減ってユーラシアの通行が簡便になり、人や物の安全な行き来が保障された時代だ。
モンゴルの頃も中東やインドと中国は海上交易してたぞ
シルクロードが交易のメインだったのは船舶技術が未熟な唐代頃までだろ
陸路は街道の整備と維持のコストが半端じゃないからな
マルコポーロみたいに経路沿いで商売しながら移動する連中もいただろうが、
遠隔地への交易は海路がメイン
モンゴルの軍隊の移動は侵略目的だから、シルクロードとは関係ない
>>704 杭州と真州以外は運河通ってないし。
しかも運河沿いの州の税収は他の地方と特段変わらないんだなこれが
あと、人口から来る消費の影響を除くとこの傾向は更に顕著だってさ
それと、シルクロード交易に従事した商人の多くは遠距離交易じゃなく
幾つか中継地を経由しての交易だから、商税が上がらないのはおかしいよね
船と火砲
この二つを組み合わせたのは、もしかしてモンゴル人ないしはモンゴル治下の漢人なんじゃねーの?
709 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 20:30:53 0
まず「銃を造ったのは白人」ということを認識するべきだ。
アジアの火薬はそれと関係なかった(当時は花火くらいの火力しかなく、
湿ってすぐにダメになった)。たしかスウェーデンかどこかの白人が
生成した白い白色火薬を銃に応用して現代のフリントロックの銃が
できた。それ以前の大砲は単なる打ち上げ花火か馬を脅かすために幼稚な
道具だった。
ネタなのかギャグなのか、どっちにしても滑ってるぞ
フリントロック銃の登場と大砲の進歩には何の因果関係もないな
マジキチか?
火砲から遠ざかってたし、むしろよかったんじゃないか?
現代になってもフリントロックを現役で使ってるのってどこよ。
それに西洋でも19世紀までは黒色火薬だと何度書けば(ry
艦載砲って石?火縄?
石だと不発とかあるけど火気取扱注意の船で縄も拙いような。
マッチか100円ライターだろ
716 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 00:19:40 0
しかし、このスレは勉強になるな。
支那ジャンクに巨砲が50門も載っていたとか
船速も武装も積載量も欧州ガレオンを遥かに凌駕するとか。
白人国家がカスみたいに見えてくぜ。
でも倭寇に苦しめられてたとか不思議ミステリー。
>>714 18世紀中葉を境に、それ以前は火縄、以後は燧石になる。陸上に比べ100年ぐらいタイムラグがあったようだ
718 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 00:58:08 0
719 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 01:05:57 0
>>708 船と火器を組み合わせたのってギリシア人じゃね?
>>720 また蒸し返すのかよw 黄河下流で運河沿いなのは滄州だけだろ
運河沿いの徐州、リュウ城の商税額は挙げた州の半分以下
人口当たりの州外商税歳入額上位の州で沿岸地域じゃないのは開封と秦州の2つのみ
>>709 だから白色火薬なんてないって何度言ったんだよ馬鹿
記憶力のないキチガイめ
>>721 待て待て、揚州と濱州も楚州も運河沿いだぞ、オイw
あと、わざわざ挙げてくれた開封もw
>>716 50門全部が巨砲って言ってるの一人だけだと思うけど
あとどっちもコテつけろや
「白人」をNGに
インド人を右に
>>723 揚州と楚州が黄河下流にあるとは知らなかったw
あと、首都開封以外は全て沿岸な
運河沿いの内陸州で商税額が上回る州をあげてみ、無いけどw
はい、これで南海交易の進展とシルクロード交易の衰退は明らかですね。
兵卒を盾に
>>727 >揚州と楚州が黄河下流にあるとは知らなかったw
なんというアホポンタン!
揚州と楚州は大運河沿いだ。地理の勉強やり直せ。中1の1学期から!
>あと、首都開封以外は全て沿岸な
まったく息を吐くように嘘をつくな!タコ助!
揚州、濱州、楚州、徐州、ぜーんぶ内陸の大運河と大河川沿いだ。
要は華北⇔江南の物資が行き来して栄えた内陸都市。
http://img.epochtimes.com/i6/704012352531947.jpg あえて沿岸沿いというなら泉州、広州、福州、劉家港あたりを出せよ。
それこそ海のシルクロードの表舞台だろ。
>>724 要は数門のみ大砲であとはランタカ砲など据付小火器の類。
ガレオンに遠く及ばないのは明白。
>>729 史料の不備で泉州、広州、福州は判別不能だってさ、残念だね。
揚州、濱州、楚州は北宋の行政区域では沿海州
徐州は内陸の大運河沿い、そして商税収入は上の沿海部の州と比べ半分以下なw
>揚州、濱州、楚州は北宋の行政区域では沿海州
おやおや、今度は屁理屈かい?
あのな、行政区域がどうのこうのでなくて
実際に物資のやり取りがなされたのは東シナ海の沿岸部ではないだろ。
海から何百キロも内陸部の運河沿いの州都なんだよ。
つまりジャンク船で海外から集積された物資ではない、
それらの海外からの物資の集積地こそ泉州だの福州だの沿岸部の港湾都市だ。
宋代、いやもっと以前から、江南こそが世界的にもっとも富める地域だった。
海外貿易に頼らずとも、国内生産がそれを凌駕していたんだよ。
>>731 >海から何百キロも内陸部の運河沿いの州都なんだよ。
おいおい、何度も内陸州で商税収入の多い州を挙げてみろと言っても
一度も挙げられないのに、妄想で話進めちゃったよ
実際に物資のやり取りがなされたのは東シナ海の沿岸部で
つまりジャンク船で海外から集積された物資
とりあえず何か書きたいなら、海から何百キロも内陸部の運河沿いの州で
商税収入の多い州が無いことについて、妄想逞しい仮説を披露してからにしてね
海外からの物資が荷揚げされたのは、泉州だの福州だの(判別不能)や
斉・濱・シ・密・楚・揚・真州を含めた市舶務の置かれた州だよ。
>海外貿易に頼らずとも、国内生産がそれを凌駕していたんだよ。
参考までに、品目毎に課税非課税が決まってて日用品の運送は非課税な
パオさんのシッタカ -> 一撃論破 -> 発狂っぷりはいつ見ても笑えるなぁ。
なんで30秒調べればわかるような大嘘を主張し続けるんだろう。気が狂っているから?
本人は本気でシルクロード交易がメインだと思ってるんじゃね
で、思い込みで目が曇るから調べても納得しないっていう
陸上交易なら、大航海以前のサハラのが面白そうだと思うんだけどなぁ。
火砲装備の騎馬隊という夢の展開が!
あるといいよね
スーダンやマリの金がナイル川沿いにイスラム世界と取引されてたな
船を使った海上交易も西欧の航海進出時代以前からあったし
火砲関係ないけどw
ここはサード朝モロッコによるソンガイ帝国の征服をだな
一気に読んだが、武田の騎乗突撃やら、覇王信長やら、白人起源説やら、なかなか激しい電波を発している場所ですね
スレと関係ない、お願いですいませんが、皆様の情報をお願いします。
サーペンタイン式銃を片手に携えている、僧侶(僧兵)の掛け軸の画像を探しております。
判る方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。
いわゆる火縄銃以前の銃ってこと? 明から指火式が伝わってたってのは以前読んだ気がするが・・・
質問、有難うございます。
国内にてサーペンタイン式銃を使用していた可能性(江戸期以前)を調べています。
一度、僧侶がサーペンタイン式銃を携帯している掛け軸を数年前に見ております。詳細を覚えておりますが、何の資料で閲覧したかが判りません。
ご協力を思い致します。
ああ、下手に軒を貸すと母屋を乗っ取るタイプか
>>742 意味が理解出来ません。 切に願います。情報にご協力下さい。
>>744 真面目な内容で、有識者の方々に情報をお願いをしております。
誹謗中傷の貴方、みたいなゴミは、相手にしている暇がありません。スルーして下さい。
別件でお相手しますから、連絡下さい。
[email protected] 日本語が下手ですいません。
746 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 09:27:49 0
>>741 S字にカーブした火縄の見間違いじゃないの?
749 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 19:43:08 0
750 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 19:56:01 0
お薦め良本を教えて下さい。
「世界銃砲史」 上下巻 岩堂憲人
古書やオクでも入手困難だがなぜか近くの図書館にあった。
752 :
世界@名無史さん:2009/12/19(土) 17:11:04 0
マッチロックの短筒やフリントロックのピストルを携帯する時は銃口を上に向けてたの?
狙撃用でなく普通の兵隊が持ってる銃が「数撃ちゃ当たる」から「当たる」
になったのはどの辺からなんだろう?
そりゃやっぱライフルになったあたりじゃね。
先込ライフル銃じたいは結構古くからあるが弾込めに手間がかかるから狩猟専用。
(弾がライフルに食い込むように銃口から木槌で打ち込まないとならない)
一般兵が先込ライフル銃を装備するようになったのはミニエー弾の発明以降。
ライフルの原理が早くから知られてたとしても、
ライフルは弾の威力が削がれるから
威力が削がれてもなお充分な殺傷力を持てるくらいに
火薬の爆発力が進歩しないと実用にならなかっただろうね。
いや、ライフリングの抵抗より、弾と銃身が密着してガスが漏れなくなることでの威力増大のほうが大きいだろ
759 :
世界@名無史さん:2009/12/20(日) 19:49:03 0
精密な弾丸を大量生産出来るならね
中世レベルの技術力で無理矢理ライフルなんか作っても砲身が耐えられない。
すぐに破裂して使い物にならんだろう。
ライフル(施条)の起源は銃身内に直線状に彫った溝。
当時の火薬の原料・硝石は不純物が多かったので燃えかすが多く、射撃ごとに銃身を
清掃しないと使えないくらいだった。それを少しでも軽減するための工夫として考案された。
たまたま溝を螺旋状にして弾丸に回転を与えたら、命中率が向上することを発見したが
当時の燧発銃では銃身だけ精度が良くなっても撃発時の衝撃で銃がぶれるから命中精度を上げるには
よほど熟練した名人でないと無理。雷管とミニエー弾の発明によりライフル銃は実用化されたといってよい。
さらに弾丸の鉛が施条にこびりついて銃身寿命を縮ませるという問題もあって
最終的な解決は銅合金により弾頭の被甲化をまたなければならなかった。
元込めライフル銃も一応アメリカ独立戦争の頃からある(Ferguson Rifle)が、肝心の開発者が戦死しちまって…
軍用に耐える圧力でライフル弾を撃てるようになるのはミニエー以降だね。
>>761 はて。Youtubeのマスケ早打ち動画を見ても、発射ごとの銃身清掃なんかやってないように見えるんだが。
独立戦争の大陸軍は、ライフル弾に油紙を巻いて、装填しやすくしたんじゃなかったっけ?
>>762 ファーガソンライフルの詳細が知りたいんですが、いい資料ってないですかね?
なんか超兵器みたいですが、当時の技術でも量産・実用可能な兵器だったんでしょうか?
>はて。Youtubeのマスケ早打ち動画を見ても、発射ごとの銃身清掃なんかやってないように見えるんだが。
掃除せずに連射する場合は使う弾をだんだん小さくしていくんだよ
この方法は事前の手間がかかるんだよな。弾は自作しないといけないし
>>765 そういう話は聞いたことがあったが、そんなに銃身汚れるのか
いくつも弾丸製造機? 用意しておくのかね。
カラコール戦術についてだけにしても、とてもバレルの清掃なんかしてるとは思えんけど
銃身が汚れるのなんて数十発も連続で撃ったあとの話じゃないのか?
最初の数発でいきなり清掃が必要になるとは思えん。
それでもむしろ銃身の過熱のほうが問題になる気はするが。
なんか初代スレ辺りに同じような事書いた記憶があるんだが。
>>752 そんな事はない。「ラムロッド(=突き棒=さく杖)」という棒でコンコン!と
突き入れないと装填できないぐらいに鉛弾と銃腔内径が合わされており、
または軍用の場合、連続発射で少々銃腔内が汚れていようと装填の容易さと命中精度を両立するため
「パッチ」という紙や布の小片に包んだ弾丸を突き入れる事できっちり弾丸が嵌る様になっており、
先込め小銃の銃床にはしばしばこの「パッチ」の収納部(パッチボックス)が設けてある。
パーカッションリボルバーの銃身の下にはラムロッドの代わりに梃子仕掛けの
「ローディングレバー(またはラマー)」が設けられており、これで強く押し込む。
騎兵がパーカッションリボルバーを逆さにして持ち歩いたりはしないし、
当然、敵に遭遇してから6発の装填作業を始めたんでは役に立たない。
一度装填してしまえば逆さにして振ろうが馬で疾走しようが弾丸は落ちない。
逆を言えば発射せずに弾丸を抜き取りたい場合、単発なら尾栓を外して、(この為にネジが切ってあり、
火縄銃国産の難関となったのは有名)リボルバーなら「ニップル(雷管受け)」を外して、
強制的に突き出さなければならないぐらいにしっかり嵌り込んでる。
これも初代スレ辺りで同じ事を書いた気がするんだが。
「黒色火薬先込め銃は1発ごとに掃除しないと撃てない」とかの珍説って誰が言い出したんだろうな?
>>765 今日でも当時でも1発ごとに弾丸径を変えるなんて事はしない。
1発毎に違う鋳型を用意するなんて話は聞いた事がないし、
「弾丸入れ(ブレットポーチ)」にジャラジャラ入れて持ち歩いたらもう区別が付く訳がない。
現在でも鉛球弾や自家鋳造鋳型「ブレットモールド」は売られているが、
「何発目用」なんて区別はなく、口径別になっているだけだ。
歴史上「1発毎に弾頭径が違う火器」と言うのが存在した事は1度だけある。
第一次大戦で使われた「パリ砲(カイザー・ヴィルヘルム砲)」がそれで、
弾頭重量約94kgを28m長の砲身から1600m/sで130km飛ばすと言う凄まじい代物。
コリオリ力を照準計算の考慮に入れなければならない程の超長射程と、
超高初速のために無視できない砲身磨耗に備え、65発の弾頭は通し番号で管理し、
後で撃つ物程微妙に径が大きくなっていた。65発の発射後砲身は交換された。
こんなのは発射自体が一大事業であった特殊兵器だからできた事。拳銃や小銃でやってられない。
「旋条に鉛がこびりついて云々」というが、現在も鉛弾頭は普通に使われているが?
オリンピック射撃種目に使われるのは全て鉛弾丸。ものすごい勢いで連発しなければならない
「ラピッドファイヤ種目」用も含めて。適時掃除すればいいだけの事。
772 :
752:2010/01/03(日) 23:47:10 0
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。
ミュケレットロック式とスナップハンスロック式の違いがよく解らん
というかフリントロックともこいつら違うの?
>>774 全てを広義のフリントロックと捉える見方もあるし、
細かな違いで更に細分化する見方もあるが、
その3つを区分するなら以下を基準にするのが一般的。
スナップハンス=火蓋が当金と別個に設けられて連動し、撃鉄と当金ばねは独立し、内装される。
ミュケレット=火蓋と当金は一体で、撃鉄と当金ばねは独立し、外装される。
フリントロック=火蓋と当金は一体で、撃鉄と当金ばねは一体で、内装される。
質問した人じゃないが、勉強になった。
済まねえ、
>>775は説明が不適切だった。内・外装の区分は撃鉄ばねに限る。
撃鉄ばねは内装されても当金ばねは外装される場合が多い。
フリントロックの当金ばねはしばしば独立して外装される。
内部構造の微妙な違いも区分基準とする説もあるが、
火蓋と撃鉄ばねで見分けておけば我々素人には十分。
叉杖ってのは何で廃れちゃったんだろうか。
ガサと重さ削減>命中率・口径、か?
>>778 戦闘形態が次第に動きの速いものに推移していったこと、
製造技術向上で銃の軽量化が進んだこと、
軽砲の進歩で叉杖を必要とする長射程大口径銃が廃れたこと、
肩当て銃床が発明されて射撃姿勢が変わったこと、
戦術の変化で膝撃ちや伏撃ちが多用されるようになっていったこと、
弾道が低伸するようになり大仰角を取らなくても長射程射撃が出来る様になったこと、
辺りの要素が複合したもんだろうね。
今でも狩猟用として現代版叉杖と言える立撃ち単脚は市販されている。
カメラ用単脚と似た軽量で伸縮自在な物に進歩したけど。
動きが少なく長射程で、身を隠す必要がなければ便利なアイテム。
戦場では折り畳み二脚や重機用三脚が叉杖の後継者とも言える。
狙撃手によっては銃に造り付けの二脚を嫌い、
二股の木の枝や塹壕シャベルを改造した物を持ち歩き、
適時地面に突き刺して依託射撃する人もいる。
これも現代流叉杖の一形態と言えるかも知れない。
>>779 詳しくありがとう。
速度と仰角は全く思いつかなかったよ。
仰角取って撃ってる絵は見たことあったんだけど、
純粋に上に向かって撃ってる物だとばかり思ってた。
曲射してたのか。
781 :
世界@名無史さん:2010/05/10(月) 01:18:00 P
>>775 亀だがd
結局フリントロックが主流に成ったと言うことでいいんだよな
>>781 そうだね。主流と言うより他の形式は完全に滅亡したと言っていいぐらい。
まあスナップハンスとミュケレットのいいとこ取りで完成したのが
フリントロックだと考えれば当然なんだけど。
>>783 こういう本がでる海外の出版事情が羨ましい
出版事情というより一般国民の趣向の問題だろw
中国や朝鮮の歩兵がタッチホール式の銃をどうやって撃ってたかは興味ある。