中世ヨーロッパの暮らしを、日常生活中心でいろいろ話しましょう。
時期は、スタンダードには西ローマ帝国滅亡(476年)からコンスタンティノープル陥落(1453年)までを目安に。
話題に関係あれば、末期ローマ帝国とか、ルネッサンスとか、大航海時代とか、前後にはみ出してもOK。
地域も、西欧、南欧、東欧、北欧くらいは平気でOK。話題に関係あれば、シチリアとか、レコンキスタ前のイベリアと
ギリシア(ビザンツ)とかもOK。
庶民の暮らしでなくとも、王侯貴族の暮らしでも、聖職者の暮らしでも、商人の暮らしでもOK。農村の暮らし、都市の暮らし、なんて切り口もありますよね。
時代や地域が目安からはみ出した話題がメインになって、あまり続くようだとちょっと、くらいの感じでマターリと。
研究者によって、また、研究の主題によっていろいろな区分があるようですが、スタンダードと思えるところを参照用目安として。
中世西欧:西ローマ帝国の滅亡(476年)〜コンスタンティノープル陥落(1453年)
前史:ゲルマン系東ゴート族、東ローマ領に進出(376年)
ゲルマン系諸族、ライン川を渡川し西ローマ領へ侵入開始(406年〜)
東ゴートのイタリア併合(476年)
西ローマ最後の皇帝廃位(476年)
東ローマのイタリア半島再征服(533〜534年)
ロンバルド族イタリア半島制圧(568年)
初期中世:大まかに5〜10世紀
盛期中世(高期中世とも):大まかに10〜13世紀。
900〜1250年とされることが多いが、1150〜1309年とされることも、11〜12世紀頃に限定されることも。
末期中世:大まかに13世紀後半〜15世紀
【過去スレ】
中世(中代)ヨーロッパの暮らし(9)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1221206851/l50 中世(中代)ヨーロッパの暮らし (8)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1209916076/ 中世ヨーロッパの暮らし (7)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1201099192/
4 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 01:49:30 0
おつ
中世イベリアが当時最先端のイスラームに支配されてたのと
その後スペインやポルトガルがいち早く先進国になれたのは多少関係あるのかな
うん。そういう意味で、やっぱりあの辺りは中世ヨーロッパじゃないんだよな。
でも中世末期のナスル朝は全然余力なかったよね
ナポレオン「ピレネーを越えればそこはアフリカだ」
>ナポレオン「ピレネーを越えればそこはアフリカだ」
( ゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) …!?
イタリアはアフリカなのか……いやあるいはよもやピレネーよりフランス側は
すでにアフリカ化されたのか……おいでませ暗黒大陸……
まあ南イタリアもイベリアも実質イタリアの一部みたいな門だろ
ピレネーを越えてスペインに入ればそこは異文化の土地という意味らしい
イスラムの影響が強いからね
スペインなんて敵じゃねーって言いたいのかと思った
イギリス人<ドーバーの向こうはアフリカだ
アフリカでもサハラ以北は全然暗黒大陸じゃないだろ
マグリブとイベリア南部はほぼ一体みたいなもんだ
実際イスラーム諸国はいつ頃からヨーロッパ諸国に押されるようになったんだろうな
オスマンもイスラーム教国だがあれはちょっと違うよな
>>20 オスマンを除くとイスラム諸国VSカトリック諸国って十字軍国家時代とレコンキスタくらいか。
前者だと1291年のアッコン陥落までイスラム優位で推移、後者は13世紀初めのラス・ナバス・デ・トロサで
カトリック側優位に転換って感じか。
ヨーロッパ史、イスラーム史、中国史、日本史
とバランスよく比較していくと
やっぱりキリスト教文化って華やかなイメージがするんだけど、なぜ?
他と比してどう華やかなのか具体的に説明したまえ
まずはそこからだ
>>22 日本人による、公教育における執拗な宣伝のため
それと安物ファンタジーの氾濫
キリスト教が華やかて!
むしろ逆のイメージだなぁ……
昔話とかで、ちゃんと貧しい下町の様子とかも
描かれてるんだけどね。なんとなく印象が薄い。何故だろう。
舞踏会とか騎士道物語とかクリスマスとかのせいかな。
>>22キリスト教文化って異端審問だの火焙りだの血塗れじゃん。もっと勉強しなよ
>>28 異端審問や火焙りがキリスト教文化の代表みたいに言っちゃう貴様も勉強すべき
エルサレム攻略したときのキリスト教十字軍の残虐さは半端じゃなかった。
女子どもを八つ裂き強姦放火etc略奪の限りを尽くしたあと、
誇らしげに神に感謝してお祈り。
残虐さで言えばモンゴルやイスラムも負けていなかったはず
実際、他宗教の礼拝堂や教会を破壊するのはイスラムのほうだしな
キリストは後世にちゃんと残す
中世ヨーロッパは華やかでした、メルヘンでした、って言うと一杯釣れるみたいだ
十字軍の残虐性って同時代のイスラム指導者のサラディンが殊更寛大な人物だったせいで
より強調されてる面があると思う。モンゴルじゃエルサレム虐殺どころじゃない都市が消えるレベルでやってるし、
イスラムだってサラディンが特殊だっただけ。
イスラムはキリスト教徒が迫害したユダヤ教徒を何気に保護していたな
いつの間にか仏教とも啓典の民にしていたし
連中はよくわからね
5大総主教座の内4つがイスラム圏にあるわけだが。
寛容さでキリスト教なんて最悪の宗教だろう。
ギリシャ・ローマ神殿の破壊を行い、ドルイド教の遺物を焼き尽くし、
キリスト教内でさえ虐殺しあった血塗れの宗教が何を言ってるんだ。
インカの神殿をぶっ潰してキリスト教会を建てたり
そりゃ極端な例あげたらイスラムだって仏教寺院壊してるんじゃない?
こういうのは言ったモン勝ち
ハギアソフィア聖堂もいつの間にかイスラム化してましたね
まぁ明の円明園のような心ない結果になってるわけではないが
極端な例しかないのがキリスト教。
キリスト教が他宗教と出会って温厚に共存した例が
最近になるまでは皆無だったじゃないか。
他者は虐殺しか考えられないヨーロッパ文明に融和とか共存とかの例があるか?
キリスト教が戦争を止めた例があるか?
>>38 十字軍の残虐性を強調したりサラディンを持ち上げてるのは主に欧米人な罠
イスラム教徒から見ると民族の違い、地域の違い、宗派の違いで微妙な感情があるしな
>>40 土着宗教を取り込んだからこそヨーロッパ中に広まったわけだが。
ヨーロッパは常に正しいのです。
それ以外の意見は異端です。
仏教の半分は苦行でできています
キリスト教の半分はジャスティスで出来ています
キリスト文化が華やかっていうのはやっぱり
絢爛たる騎士道精神の副産物といったところか
まあどっちにしろ他地域は地味だと思う
騎士道が華やかになったのは中世末期以降…どころか初期近代以降だと思うがね
うちのお袋がそうだったのだが、一般人にはルネサンス=キリスト文化の全てというイメージが強いんじゃない。
あと古代ローマの迫害時代からルネサンスに至る期間で千年食い潰していますよ、と言われてもピンと来なさそうだし。
>>46 精神が絢爛なのかよ
せめて釣りでも日本語にしてくれ
映画「薔薇の名前」の清貧論争。
華美な装束の教皇派が戦争と蓄財で権勢を誇るキリスト教のイメージ。
質素な衣体のフランチェスコ派は中世修道院のイメージ。
「ブラザーサン・シスタームーン」で、
フランチェスコが訪れた諸卿諸侯が侍る
目も眩むような絢爛たる教皇庁が一般的キリスト教のイメージかな。
ヴァイキングやマジャル人が活動してたころが一番中世暗黒時代のイメージなんだが
というかフランク王国あたりは古代末期に含めてもいいと思う
あえて「暗黒時代」のイメージを探すなら、
アイルランドの修道院がヴァイキングに荒らされたあたりがイメージには合うな。
しかしフランクを古代に入れたら中世はどこで生まれたんだ?
はいはいキリスト教は残虐残虐
これで満足か?
定期的に沸いてきてウザイ
残虐どうのはどこの国でもあることだが
ヨーロッパの教会とムスリムのモスクのをぱっと見比べたとき
やっぱりキリスト教文化に惹かれるんだよな
そんなもん単なる個人の好みだろ
ゴスロリとかいうジャンル?もあるしね
ゴシック+ロリータってwゴシックw
とりあえず、あれだ。
ロマネスク・ロリータを提唱したい。
重々しいゴテゴテの意匠ではなく、軽やかな出で立ちのヤツ。
毎回荒らしてるのは憧れ厨じゃね?
好きとか嫌いとか感想言いたいだけなら学問板じゃなくていいだろうな。
その通り。
歴史学は善悪を論じる学問ではない。
人の行い全てを善として慈しみ、人の行い全てを悪として憎むくらいじゃないと、どっか一方に偏った歴史しか学べませんからね。
歴史や学問は善悪基準で成り立ってきていると言っても間違いではない
しかもそんな曖昧な基準で歴史から消された真実や学者がどれほどいることか
まあ実際はメルヘンチックなイメージと暗黒時代のイメージ
が混ざったような感じだったんじゃない?>中世ヨーロッパ
そういう意味では両者とも正解
メルヘンなイメージなんて、近世に突入するまではどうあがいても出てこないと思うが。
「メンヘル」に見えた
2ちゃんに入り浸っている証拠です
中世ヨーロッパ=メルヘンチックっていうのは本やゲームや映画の影響が強いには確かだが
逆にイスラームや中華の世界を題材に作ったゲーム等はそれほどメルヘンチックに感じないのは不思議
中途半端に知ってる物に幻想を抱きやすい。
ヨーロッパ人はザナドゥやアラビアンナイトに幻想を感じる。
あるいはヨーロッパ中世には興味が無く、むしろケルトの方に幻想を抱く。
日本人は中国には詳しすぎ、アラビアは知らなさ過ぎ、
ヨーロッパ辺りが中途半端に知っていて幻想を抱きやすいんだろう。
このスレだと知り過ぎて幻想どころじゃない人が一杯だが。
卓ゲー板でTRPGのソードワールドのセッションにてリアルな中世世界を取り入れて顰蹙買ったGMの話があった。
ただまあ、ゲームその他でリアルなのも一部の例外を除いてよろしくないけれどw
そりゃそんなオナニーこいたらひんしゅく買うでしょうよ
フォーセリアはフ中世ヨーロッパじゃないんだから
フォーセリアつかアレクラストは銃火器のないかわりに魔法があるし、文明的には近世ぐらいなイメージだな
リプレイによっては蒸気式の飛行船まで出てくる
日本のファンタジー言う「中世ヨーロッパ」は、近世のロマン主義的中世と、近代に復興したケルト文学が
ない交ぜになったものだという印象がある。
俺がメルヘンチックに思うのは
瀟洒なお城より岩屋のような砦だな
自分だけの話はブログか何かでどうぞ。
日本を舞台にした和製ファンタジーだって古代(卑弥呼〜平安)が舞台にはなっても
中世や近世が舞台にはなりにくいからな。
>>72 和製ファンタジーでまともなケルト知識がありそうな作家って居るかな?
ほとんどはケルトのケの字も知らなさそうだ。
ドルイド?自然崇拝の原始宗教でしょ。程度の勝手な妄想とか。
ケルト風ファンタジーはやっぱりヨーロッパの作家が多い。
ジャパンには鋭利なKATANAを振り回すSAMURAIやNINJAやGEISHAがいて、
FUJIYAMAの麓に巨大なブッダを祀るゴールデンテンプルがあるんだろ?
NARUTOやRANMAのHENTAIでYAOIなMANGAはどこにあるんだい?AKIBA?
「もののけ姫」は日本の中世ファンタジーなんだけどなあ。
一般受けはしなかったようだがあんなにおもしろい話はないぞ。
幕藩体制確立以前の悪党の時代というのはわりとファンタージーの舞台だったりする。
>>75 ケルトの知識を持ってる作家はいるだろうけど、
ケルトやケルト文化の線引き自体かなり曖昧だよね。
欧州のケルト風ファンタジーというのも相当キリスト教化した内容が多いし。
純粋に異教的な物よりは結局チャンポンにせざるを得ないのではないか。
>>69 昔、史学科の人間だけで「リチャード獅子心王と共にエルサレムに行こうぜ!」なTRPGをやったことがあるw
十字軍艶征記か
エクス・カリ・バー
>>78 激しく血なまぐさいプレイになりそうだなぁ
じゃあ赤髭王といっしょに聖地を目指そうか
漠然と中世ヨーロッパと言われると寒々として陰鬱なイメージが浮かぶ
地中海側になると陽気な感じもするが
>>82 陛下、前方に川が有るようです。
しかし大した川ではないようです。
このまま渡れそうです。
【死亡フラグ】
それより北方十字軍に参加してバルト海に覇を唱えませんか?
坊主も騎士も冒険商人も儲かるぜ
>78、仲間にアンデルセンが混じってても違和感ねえだろうなw
>>68 ヨーロッパ人って中世ヨーロッパ好きじゃない?
その時代のフィギュアとか沢山あるし、男の子が一度は通る道って聞いた事があるけど。
>>87 ヨーロッパ人が好きなのはむしろナポレオニックじゃないかな?
ヨーロッパ人が好きなのはジャパンのアニメーション
それは一部過ぎるw
旧(西)ローマ帝国支配域だったらローマなんかも好まれてそう。
それにしても中世ヨーロッパの都市や商業に関する本を集めようと思うと結構出費がかさむ。
絶版になりそうな本が少なくないから見つけたら買うようにしてたら結構金額が。
図書館使おうぜ。で、気に入ったを買う。
ヨーロッパ人の中世好きって日本の戦国好きみたいなものかねえ
そりゃ世界が一度あぼーんしてフリーダム!なところから秩序を回復してくるのを見るのは楽しいだろw
自分も中世ヨーロッパ=メルヘンチックっていうイメージから脱却できないんだが・・・
やっぱ小説やゲームのやり過ぎかな・・・
まあ、しゃあないわな。
なんせ、具体的な形として見ることが出来るのは、結局のところ映画やゲームといったフィクションなんだし。
日本人のイメージする中世ヨーロッパはロードオブザリングだろ
そこそこ綺麗だがすげー汚いとこもある
>>96 あー、あれね。なんだかんだいって「ヨーロッパ」的イメージで固められちゃってるよな。
98 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 00:42:08 0
>>96 >日本人のイメージする中世ヨーロッパはロードオブザリングだろ
シンデレラ城じゃないのか?
>>96 三部作ヒットしたし、中世ヨーロッパと感じても不思議じゃないな。(T)RPGの中にはこれを参照しているのは数多いだろうし。
だが…本当の一般人となると…ひょっとするとハリー・ポッターかもしれんw
ハリポタは現代が舞台なのか?
現代が舞台で、話の導入部には現在のロンドンとかでてくる。
ただ、メイン舞台の魔法学校は外観は古城って感じで、
内装は少々時代がかったパブリックスクールって感じ。
まあぶっちゃけるとドラゴンクエストなんですけどね。>日本人の中世ヨーロッパ観
まあ、混じれすすると一つに絞る必要は無いんだが
俺は「カンタベリー物語」だな
一般人には綺麗な服とは縁が無かったことは確かだろうな。
染料も高価だったというし。
特に北の方では、鮮やかな色の服着ていても映えないからね。
よっぽど生活に余裕がある場合を除いて、素材そのままの茶色っぽい服を着ていたんじゃないだろうか。
>>105 つーか身分で着ていい服の色が決まってたんじゃなかったか。
当然派手な色は庶民には切れない。
一種の刑罰として「〜着用禁止」とか。
>特に北の方では、鮮やかな色の服着ていても映えないからね。
なぜこういう理論になるのか?
何でもいいが、理論って言葉の使い方が間違っている。
>>108 事実そうだからとしか言えない。
多分、太陽光線に含まれている色の割合が違うんだろうけど。
太陽光線に含まれている色の割合(笑)
112 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 04:59:03 0
光の三原色は物理の基本法則ではない
人間の視覚細胞のレベルの話
他の動物には違う色が見えている
これ豆知識な
豆知識いらね
極端にすると、低緯度→真昼の太陽、高緯度→夕方の太陽って事だろ。
>>75,77
ゲームだけどそう言えば「ファイアーエムブレム 聖戦の系譜」が
割とケルト神話に乗っ取った話だったというのは聞いたことがある。
ちなみにラスボスの名前が「ユリウス」。
フランスの本屋とか行くと子供向けのコーナーに必ず「中世の騎士と城」みたいな絵本があるよね。
向こうの子供はアレを見てワクワクするのかな。
日本で武将好きの子供と言ったら随分渋いなーと思っちゃうけどw
日本の武士道はGHQに去勢されたから
118 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 01:10:25 0
北極圏のラップランド人とか、赤青白のド派手民族衣装だで?
本邦でも幕藩時代にアイヌから買うアツシが、華美禁止令でなんどもひっかかって
怒られてるよ。
>>115 FEはキャラ名や地名を神話や実在の地名から持ってきてるからな。
特に聖戦だと人名ならホリンとかオイフェ、地名だとアイルランド諸地域(マンスター・レンスター・アルスターとか)
初代の主人公はマルスだし、聖戦(前半)はシグルドだし…。
普通にうられてるが。日本の武士とか城とかの本
売られてないってどこに書いてある?
>>115,119
単純に名前を使ってるだけなら色々あるけど、
3重構造、繰り返し、霊魂の不滅とリインカーネイション
(輪廻転生と訳されるが字義的には再受肉と訳すべき)、
というような物語の基本構造にケルト思想を取り込んだ物は和製だと無いよね。
名前だけならインターネットで簡単にどんな神話でも調べられるし、
単語だけなら色々組み込むことはできても、物語の基本構造なんかはそうは行かない。
考え方の例としてTRPGのソードワールドのギアスは一方的に制約を課す魔法がある。
この魔法の元になったと思われるケルト神話のゲッシュの本来の物語の構造としては、
制約を科す事で力を得る、しかし制約を破る事で破滅する。
或いは何かを破れば破滅するがそれまでは守られるという呪い。
つまりマクベスの呪いのケルト版がクーフーリンのゲッシュであり、
最後は力を得る原因であった物によって滅びるという形にならなければいけない。
クーフーリンの場合は自分が自分に掛けた魔法と言う形になるが、
基本的に魔法と言うのは犠牲と利益が釣り合わなければいけないし、
成功と破滅の原因には因果関係が必要になるというのがケルトの発想。
しかしゲームで代償を払わない魔法を使い放題に使うという構造ができ、
和製ファンタジーはみなそれを不思議とも思わず代償無しで魔法を使う。
コストパフォーマンスの良過ぎる近代兵器の発想を当然と思う。
それが本来の姿を無視した薄っぺらな和製ファンタジーを生んでいると思う。
124 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 08:51:21 0
北欧や東欧といった緯度の高いところの民族衣装はどこもカラフルで派手だけどな
かえって南下すると黒っぽい色を多用して地味になるぞ
125 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 09:11:13 0
北欧やロシアは町並みもカラフル
キリスト教だと、色が重要な意味を持つからじゃね?
中世の食い物のレシピなんか見てても、味は二の次三の次で色合いとか寓意なんかが食い物でも重視されてたわけだし。
北欧とかロシアなんかだと、そもそも自然の色彩がどうしても少なくなってくるからさ。
服やら建物やらで、それを補ってやらなきゃなんないわけで。
>>126 おいおい、北欧やロシアは全て不毛の地じゃないぞ
まるで草一本生えてない岩地のような言い方だな
昔、旧共産圏(ソ連、東欧)の映像をテレビで見ると、服から何から全部灰色に見えるんで、
不思議でしょうがなかったんだが、実際にそういう色しか使ってなかったようだ。
ああいう体制だから仕方ないよ
中国とかみんな人民服だし
日本も戦時中は国民服だし
今トロントに住んでるんだが、こっちの服装は全般的に色使いが地味。
やはり、太陽の光の具合がかなり関係しているらしい。
ファッションに頓着しない人が多いせいかもしれんが。
関係ないよ。
染料になる植物の多様さからいって、温暖な地域のほうが色鮮やかなのは当たり前じゃないか?
>>134 いわゆる「民族衣装」ってのは祭り用に特別派手に作ってるから、普段着も色鮮やかかどうかは別問題だね。
巫女服が紅白で派手だからって、昔の日本女性がみんな紅白の服をきてたわけではないのと一緒
>>135 機織りもかつては人力だったからねえ。
幾度も繕われ古着として流通していたし、19世紀ごろまでは庶民は古着を着るのが当たり前で、
20世紀に入り衛生意識が広まったことで古着の利用が減ったそうだ。
>>136 繊維の元になる羊や麻の育成、刈り取りや繊維の抽出、紡績、機織、
染色、型紙つくり、裁断、縫製、刺繍・・・
服を作るというのはものすごく沢山の行程を経ることであり、
当然ながら服の値段というものはものすごく高くなるんだよね。
現代で全部人力でやるなら30万円〜とかは平気でする計算かな。
昔でも「最低でも製造にかかった延べ人件費+中間商人の利益+税」
は最低限かかるわけで、どう計算しても最低賃金の数十日分になってしまうから。
そうなると、やっぱり布の大量生産が定着しだして以降に古着の
使用が少なくなっていったというのは納得できます。
>>138 19世紀の労働の話を読むと悲劇的でねえ。
レースを編む少女は体をコルセットで締め付けながら一日部屋の中で前かがみになってレースを編む。
部屋は暗くじめじめと湿っており、そして食事も十分でない。
無理な体勢と栄養不足により肋骨、背骨は変形し、彼女らの体の免疫力を奪い、そしていずれ結核に冒され死ぬ。
外反母趾になってもハイヒールを履く現代も変わらんような・・・
パリの中世史博物館に今年行ったんだけど、
そこで見た「一角獣と貴婦人」のタペストリーの五連作
あれを中世に全部手作業で作ったんだなあと思ったら感動した。
あんなの相当な贅沢品だよねえ。
現代でも緞通とか刺繍とか数年掛けて一枚仕上げる物はあるよ
農奴の税支払いの中に粗い布を献上する(地域があった)とどっかで読んだ希ガス。
調布だな
田園調布
>>139 そういう労働に従事する子も、コルセットしてたのか。
上流階級のものかと思ってた。
コルセットと言ってもピンキリ
>>141-142 それくらいのものを日本で作るとなると一千万はするなあ。
日本でなくてアラビアのどっかで作られたものだけど
コーラン書いた掛け軸程度の紙切れが360万とかだし。
発展途上国な外国の場合最低賃金は安くなるけど間で儲ける人が沢山いたり
富裕層の持ってる金額がすさまじかったりで本当の高級品の値段は
日本で購入する場合とさほど変わらなかったりもするからな。
149 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 12:42:11 0
詰んだ細かい布なら、上総国望陀郡だけれど……
先日DMで案内の来た刺繍の両界曼荼羅が15,000,000円だった。
両界だから約1m四方の物が二面だな。
中国の熟練の職人が12人がかりで4年かかったと書いてあった。
現地で直に発注したら○分の一くらいだろうなあ。
古着だったら庶民の日当か週給かそこらで買えたのだろうか
羊毛や麻と一口に言っても、産地や品質で値段が桁違いだったりするしなあ
>>150 中国産だからその程度で済むのかもしれませんね。
中国の一人当たりGDPなどから考えると・・・
現地で直接買えばうんと安くなるのはそのとおりだと私も思います。
関税輸送費その他を考えると仕入れ値は半分以下、ものによっては
1〜2割が普通であったりしますので。
>>151 古着だったら庶民の日当か週給かそこらで買えたのだろうか
古着の程度と元の服のランクによるかと。
上質の絹の織物となると結構うまい女性でも1着分織るのに3ヶ月かかるという記述があります。
糸は当然もっと長期間かかるわけで布だけで最低賃金1年分〜数年分。
それを染めて刺繍して服にして・・・となると庶民の賃金10年分くらいは平気でします。
今でも上質の日本の着物だと数千万とかしますから。
昔はこういった高位の貴族の奥方が着るような服は色落ちするとまずいので
基本的に洗濯せず、洗濯が必要なほど汚れたら古着屋に売るか使用人
(庶民出のメイドなどに限らず、より下位の貴族の使用人を含みます)
に下げ渡して給料の一部にしていました。
赤ん坊の肌着、子供服、下着・・・全て捨てたり焼いたりすることはありません。
下級貴族が着たあとの古着は羽振りのよい商人の奥方等が、
さらに高位の庶民系使用人〜貴族家で働くメイドなどそれなりに
見栄えをよくする必要のある使用人に、さらに庶民の中でも羽振りのよい
富農の奥方に〜
繕われ、つぎはぎを当てられ、洗いざらされながらどんどんぼろっちく
なっていく服は各階層の人たちに受け継がれていく。
最後には紙屋に材料として売られるのだったかと。
この、どの段階の服を着ているかでその人の身分は一目でわかるのだそうで。
下から数えて一番目か二番目の服であり、庶民の中でも賃金のいい人なら、
1日の賃金でも何とか買えたのではないでしょうか。
中世ヨーロッパとなると麻袋みたいな服だとしても新品はまず無理ではないかと思うのですが。
154 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 13:23:05 0
絹は繊維が長く、湯につけるだけで繊維がほぐれるので、最も糸にするのが簡単な
素材なんだが。
股袋(コッドピース)が流行ったのってルネサンスからだっけ
それまではケツも陰部も丸出し状態? タイツはあったけど
>>154 あなたの発言だと絹のほうが麻や羊毛より安く出来上がると
おっしゃっているように見えてしまいますので。
あとsageろ。
157 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 11:48:32 0
のっけからおかしい。
>上質の絹の織物となると結構うまい女性でも1着分織るのに3ヶ月かかるという記述があります。
>糸は当然もっと長期間かかるわけで
というところな。
それに価格そのものも。
ヨーロッパではなく日本だけれど、律令時代の望陀布は麻だけれど、他地域の絹の三倍勘定で計上
してもらえていたし、18世紀〜19世紀、外貨の蓄積されるまでは、木綿の方が、絹布よりも高価だったし。
幕藩期・明治前半では、木綿が高く、毛織物が次ぎ、その次に絹、最も安いのが麻だった。
恐慌期・戦時中に再三それは繰り返されていて、絹の手ぬぐいは軽くてよく風に飛ぶから
使いにくかった、とかいう話が農家に残っている。輸入の木綿が止まり、国産の綿花は高価で、
手ぬぐいは絹で作っていたということだ。
時代により、地域により、ものの高価・安価というのは、容易に入れ替わるということだ。
158 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 12:38:41 0
古着が下位の階層の人々に次々と着回されるというのは18世紀頃でもみられたそうだが、
ひとつ疑問なのは、それだと庶民でも賃金のいい者は貴族の古着を着れるということで、
庶民が貴族と同じデザインの服を着てることになるわけだが。
昔は服装は身分・職業でちがってたんじゃないの?
西ヨーロッパでは、どういうわけか養蚕がちーっとも発展しなかったんだよな。
強いて言うなら十二世紀ぐらいにイタリアで少しは生産出来るようになったが、需要を満たすほどじゃなかった。
だから、新大陸ハケーンまではみんなオリエントからの輸入。
おまけに絹は虫食いにめっちゃ弱いから、管理も大変。
西ヨーロッパの防寒具が綿じゃなくて羽毛ばっかりというのが、西ヨーロッパの絹の普及率の低さを物語ってる。
質の悪い蚕繭でも、綿ぐらいはとれるからねえ。
ビザンツ帝国では重要物資として官営工場でのみ生産してたしな>絹
西欧からの使者はその絹ゲットが最高の喜びだったとか。帝国官僚の給料でもあったし。
動物の毛皮もあるが、やっぱり高価だったんだろう
>>159 繭から綿が出来るんだ。
今まで綿花からしかできないと思ってた。
163 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 15:08:31 O
支配者でも騎士は普段は畑耕さなければ生活出来なかったんだろ?
日本のサムライだって鎌倉の頃は戦以外の時は農耕してたし。
164 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 15:20:40 0
綿はもともと繭から作るものだった。
それが綿花伝来以後は、木綿に取って代わられた。
現在ではカイコ由来の綿を「真綿」といい、
綿花由来の綿を「木綿」という。
蚕から絹が取れる事かなり長い間、商人の間で秘密とされていたんだよね。
その分値をつり上げられていた。
製法がわかったとしても養蚕技術が追いつかなかったり。
>>157 『上質の』絹の織物となると
のっけから無視しないでください。
また、ここは『中世ヨーロッパ』のスレです。
『基本は』中世ヨーロッパの話です。
身近で納得しやすい例として断り書きつきで上げるのならばまだしも、
『中世ヨーロッパにおける事例への反論』として他の時代・場所を上げるのはナンセンスです。
>>158 『繕われて』
今年お世話になったスレに出前
,___ 蕎麦打つよ!!
|___| ,r―ヽ、ゴロ
(;`・ω・)ヾo// )ゴロ
/ \ゞo//_/
しー-J ┳━━┳
,___ 蕎麦切るよ!!
|___| __
(;`・ω・) / / トントン
/ \ゞo━ニコ トントン
しー-J @
┳━━┳
,___ 蕎麦茹でるよ!!
|___|
(;`・ω・)
/ \ つ
しー-J ξ
⊂二二.⊃
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.从从从
,___ 蕎麦 できたよ〜
|___|
(;`・ω・) 皿
/ ゞo凸皿皿o
しー-J
そういえばヨーロッパでは蕎麦はどういう食べ方されてるんだ?
蕎麦粉を使ったパスタは聞いたことはあるけど。
蕎麦粉のクレープもあるよね。
そば粉を使ったクレープがガレットだね。
カーシャ(東欧全般)
ブリヌイ(東欧全般)
ガレット(ブルターニュ)
ピッツォッケリ(イタリア北部)
どっちかというと東欧の方が蕎麦料理が充実しているかな。
172 :
171:2008/12/31(水) 22:23:57 0
あ、「東欧の方が充実」というのは、「ヨーロッパの中では」という意味ね。
ソバの原産地は東アジア、チベット・雲南ないし蒙古・満州あたり。
シナ本土で食用にされ始めたのは案外遅く、5〜6世紀の北魏のころ。8世紀には中央アジアからインドへ伝来。
ヨーロッパにはテュルク・モンゴルを通じて12〜14世紀ごろには伝えられたらしい。中世もだいぶ後期である。
三角形でブナ(Buohha)の実に似ているというので、西洋名は「ブナ小麦」(独:Buchweizen 英:Buckwheat 蘭:Boekweit)。
フランスでは十字軍が伝えたというので「サラセンの麦」(Ble Sarrasin)というそうな。
小麦栽培のできない地域で救荒作物として重宝され、イタリアではポレンタ(貧民の粥)という蕎麦掻の一種がある。
イギリスやチロル地方では、団子状にしたダンプリング。
またブルターニュあたりでは薄焼きのクレープ、厚焼きのパンケーキにして食べる。
ドイツだとソーセージのつなぎとかだな
開けましておめでとうございます!
今年もよろしく!
蕎麦湯と旨い酒があればいい
あけおめ
>>173 逆に日本ではブナの古名を「そばのき」、ブナの果実を「そばぐり」という。
果実に「ソバ(稜角、そば立ち)」があるから、であるそうな。おう、日欧の意外なつながり。
>>171 >>173 それぜんぶポーランドにあるな。
最近は日本から蕎麦の麺が伝わって急速に定着中。
>>174 それもポーランドにある。
>>176 そば湯はポーランドにはない。
が、そば粉をスープに溶かしてとろみをつけるやり方はある。
180 :
世界@名無史さん:2009/01/01(木) 19:57:42 0
彦麻呂:「ポーランドは食べ物の十字路やぁー!」
すいません、ちょっとお教え願いたいのですが。
これはというようなお勧め中世ヨーロッパ関係のホームページなど
ご存知でありましたらご紹介いただけませんでしょうか?
現実の中世ヨーロッパの庶民や騎士や下級貴族や上級貴族それぞれの生活
がどんなものだったのか、年収と物価の事だとか、色々と知りたいこともあるのですが、
今ひとつ知りたいこと全体が漠然としていまして、とりあえず詰め込めるだけ
詰め込んで見たいなと思ったりしています。
蕎麦湯って関東にしかないだろ
184 :
世界@名無史さん:2009/01/02(金) 21:41:23 0
>>152 >現地で直接買えばうんと安くなるのはそのとおりだと私も思います。
その手の超高級品は注文生産じゃないのかな?
現地に行って誰でも買えるようなものなのかな?
>>184 何らかのコネクションを得て直接発注するってことじゃない?
ヨーロッパの地形ってなんであんなに特徴的なんだろう
講談社学術文庫の「中世ヨーロッパの○○の生活」シリーズはとっても重宝してる。
まあ確かに世界地図ぱっと見ても
ヨーロッパに目が行くよな
やっぱりヨーロッパ最高
ヨーロッパは文化も地理も住んでる人間も全てが美しい
>>190 人間は左にあるものの方に目が行くんだよ
ディスプレイやグラフィックのレイアウトはそれを考えて物を配置する
アラブ人は右にあるものの方に目が行きそうだが
インド人を右に
ザンギュラのスーパーウリアッ上
ダーメスト乙
196 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 17:49:15 0
スーパーウリアッage
197 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 01:58:42 0
薪ストーブなんかが最近流行ってますが、中世欧州では薪炭を年間どのぐらい使ってたんでしょう。
風呂はたいして沸かさないし暖房は冬場オンリーとして、煮炊きには毎日要りますわな。
あと鍛冶屋とかパン焼きとか、火を使う職業ではどのぐらいかなーと。
地方によっては泥炭だな。
199 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 02:34:02 0
直径1尺2寸、長さ2尺の丸太を4つ割りにした薪を「三方六」という。
この三方六の薪を90本で「1敷」という。
三方六の薪を一敷分積んだ体積、つまり横1間、奥行き2尺、高さ5尺の高さに積んだ薪の量も
「1敷」という。
戦前の北海道東部では、薪を年間に三敷から四敷使っていた。
ヨーロッパのような石造建築ではなく、木造の内地式の高床式建築。
毎日イナキビ飯や麦飯を炊き、たまに風呂を沸かす生活。
中世西洋と戦前の北海道では比べ物にならないが、一応参考までに。
ちなみに、戦前の樺太では、日本人家庭が一冬に消費する薪の量は
ロシア人家庭の13倍だった。
ペチカが無い日本式建築は、それだけ寒冷地に不利で暖房にロスが大きかったのだ。
フロワサールの「年代記」でも泥炭が登場している
尺はピンとこない・・・
つまり1敷は1.7立方メートル弱くらいか
そりゃ樺太とかは満州とかシベリアとかわらんからな。夏場を前提にした日本家屋じゃ無理あるだろ。(北海道もそうかもしれんが)
粉14キログラムを使った、2週間分のライ麦パンを昔ながらの石窯で焼く場合は、
直径15cm、長さ80cmの薪が24本必要だそうです。
ちなみに、狭いパン焼き窯の中に薪を組み、火をつけるのは、体の小さな子供の仕事。
ここから、童話「ヘンゼルとグレーテル」で、魔女がグレーテルをパン焼き窯に押しこんで焼いて食おうとして、
逆に自身が焼かれてしまうイメージが生まれました。
ヨーロッパだけが劇的に発展した理由は?
んーと、
直径1尺2寸(36p)、長さ2尺2寸(66cm)の丸太の重量が乾燥させて5kgぐらいとすれば、
4つ割りにした「三方六(木口の三方が6寸)」の重量が1.25kg。1束8本で10kg、90本1敷で100kg余り?
案外少ないな。
>>204 朝鮮だけが最初に文明を生み出したのと同じ理由。
つまりそんな事実は無い。
世界の海を制し大陸間の貿易・物産・資源を手にして、
技術・農業革命につなげたからでしょ。
中国は、海を制せず、四囲は蛮族のみと思いこみ。そこで思考・行動停止。、
モンゴル帝国も陸のみで、東欧で失望し引き返す。
ν速あたりで憶測で中世ヨーロッパ叩いてオナニーしてる糞日本厨に反論するのに便利な教材を教えてください
つ世界史Bの教科書
211 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 00:12:15 0
ヨーロッパでは食料、工業品、富を効率よく生産するシステムが出来上がった。
中国では生産量こそ多いものの生産効率はそれほど良くない。豊富な資源を無駄に消費してただけ。
例えるならヨーロッパは筋肉ムキムキのアスリート。中国はキモオタニートのピザ男。
あれ、まだ冬休みなのか?
213 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 01:32:17 0
大学はどうか知らんが、北海道の小中高校では
夏休みは7月25日から8月20日
冬休みは12月25日から1月20日までだよ。
子供の頃は、月刊誌連載漫画の定番
「8月31日にながら宿題やっている子供」の場面見てうらやましくてたまらなかったな。
「内地は8月31日まで休みなんだ!」って。
214 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 01:47:47 0
×「8月31日にながら宿題やっている子供」
○「8月31日に泣きながら宿題やっている子供」
ニートは年中お休み。
石炭使い出したのっていつごろかな?
イギリスだと中世からリエージュ地方で採掘され使用されていた。
フランスはやや遅れて16世紀になってから。
薪1敷が1トンぐらいじゃないのか?
リエージュ??
リエージュてベルギーやろ
マルコポーロは東方見聞録で「大都の風呂屋は、燃える石で湯を沸かしている」と
興味深げに記録している。
つまり、12世紀頃のイタリアでは、石炭は使用されていなかったのだ。
その大都の燃える石って石炭なのか?
中国では宗の頃から、石炭の生活活用が本格化し始めている。
中華料理の強加熱の特徴も石炭の火力から生まれてきた。
西ヨーロッパではこの頃はまだまだ木材がメインで、石炭を使い始めるのは15世紀ぐらいになってから。
といっても、冶金などの分野では石炭を使っていたようだけど。
イギリスの森林にみられる、胸ぐらいの高さから一気に枝分かれする樹木は、薪を効率よく採取するための伐採方法のおかげ。
胸ぐらいの高さで、ばっさりと切るとその部分から四方八方に枝が再生していく。
これが胸よりも低い高さで伐採すると、鹿なんかに再生新芽を食われてしまって立ち枯れちゃう。
これより高いと、今度は薪用の枝の刈り取りが不便になる。
フロワサールの年代記に、貧しい小屋で、泥炭のすすのため黒くすすけていた
描写がある。
1kgあたりの熱量で比較すると、薪や泥炭は3300kcal(14MJ)ほどだが、石炭なら倍
木炭・コークスなら熱量は1.5倍ぐらい
ガソリンなら薪の3倍(1万kcal、42MJ)の熱量が出せる
1377年にイングランドから年間で7000トンぐらい低地諸国に輸出していたというから、
結構需要があったんだろうね。
ウェールズたんハァハァ
中世なら森林が豊富だから、薪で結構まかなえたはず。
なぜキリスト教はヨーロッパでしか広まらなかったか
エチオピア涙目
エジプト、アラビア半島涙目
天草四郎涙目
エジプトもアラブもおもいっきりイスラームなんだが・・・
ローカル宗教だからだよ
アメリカ大陸やオーストラリア大陸はキリスト教だし
フィリピンや韓国も一番多いのはキリスト教徒だな。
229はなんでこんなに無知なのか
こんなに無知なのに学問版で書き込みをするほどの恥知らずが何で平然と生き恥を晒しているのか。
その方が余程疑問だ。
一応中世の話なんだがw
一応景教とか東の果てまで広まってたけどな。
>>233 へ?
エジプトはキリスト教徒がいただろ
コプトとか知らないのかな
アラビア半島にもキリスト教は広まっていたんだけど…
広まったとは言い難いだろw
広まりはしてるだろ
別に一般的になることを広まるって言うわけじゃないんだからさ
シリアにはいたな。アンチオキアってあのへんだっけ?
もともとキリスト教なんてオリエント起源で、ローマやガリアにも伝わったけど本流は東方
アナトリアはカッパドキアとかあるし、シリアやエジプトにも総大主教がいるし、
北アフリカやインドにだってかなり初期に伝わっている
イスラームのベースもユダヤ・キリスト教にある
アフリカの角の先にあるソコトラ島にコプト派がずっと存在してるみたいだけど、いつどうやって伝来したんだろ
イスラーム開闢前にアラビア半島経由か、それともエチオピアから?
あそこは古代からインド洋貿易の要衝だし、紅海経由でエジプトあたりから来たのかも
アフリカに残るキリスト教こそが正統
実在したかよくわからんシバの女王の頃はキリスト教ないし
コプト教って意外に世界中に広まってるんだよね。
モンゴル高原にもネストリウス派いたな
でも華やかなキリスト教文化があるのはやっぱヨーロッパだけだよね
正教も割と華やかだと思うが。
>>243 >ソコトラ島にコプト派がずっと存在してるみたいだけど
何の本に書いてた?
ソコトラ島はネストリウス派だ。
ニッコロ・デ・コンティの旅行記で15世紀時点でも大半の島民が
ネストリウス派だと書かれている。
254 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 21:20:36 0
>>229,233
イスラム以前はアレクサンドリアがキリスト教神学の中心地だったろ。
小アジアやシリアも。
アラビア半島は知らん。
だからアフリカのキリスト教こそが正統だといってるんじゃないか
古ければ、正統。発展や進展が無く、旧態然としていたところが正統と
評価されるのは・・・
発展して悪くなってるところもあるからなあ
もう全然別の物になってたりもするし
原形をとどめるというのは貴重なことだよ
カトリックが正教会系にどこかコンプレックス抱いてるような感じはそういうとこからだろうな
土俗的で卑しいと蔑まされてるものが実は本来の姿とかね
実際仏教だってインド発祥だがその精神が受け継がれてるのは東アジアだろ
キリスト教だって常識的に考えればローマカトリックが主流
オリエントだのアフリカだの言ってるやつはただの偏屈野郎
だから主流の話じゃないってばさw
逆に言えば今の確立された教学から見れば
原初形態の方が異端になる場合もあるし
権威、流行、支持層で解釈も変わるし
スレタイ的な話題に戻すと、カタリ派とかワルド派とかフス派とかはどんなんだったの?
フス派はよく十字軍を打ち破れたなー
キエフのウラジミル公が原始宗教から教義の整った宗教に改宗するにあたり、
各宗教を学んだ。
ユダヤ教は亡国の民の宗教で、ご利益が疑わしい。(その実、現在では世界を支配したようなものだが)
イスラム教は一夫多妻でウハウハだが、酒が飲めないとはとんでもない。
とりあえず、キリスト教が良かろう。
正教とカトリックでは、正教のほうがミサが華やかで美しい。
と、いうわけで、以後のルーシーは正教の国になった。
そんな伝説もあるから、カトリックは正教にコンプレックスがあるのかな。
古楽のCDで中世の巡礼歌ってのを聞いたけど、
まるっきりサンバなリズムだったな。
アフリカの正教系の教会のミサをTVで見た事あるけど、
土地柄かも知れないけどそういうノリノリのミサだった。
>>263 ポーランドが援助したからな
アメリカからのレンドリースでソ連がナチスドイツに勝ったのと同じ構造
正教が華やか・・・?
きんきらきんモスクのイメージはある
両方じゃね
フス派はボヘミアよりポーランドに多かったし、タンネンベルクの戦いにはフス派の義勇兵が7000人も参加しとるからな
のちにタボール派の首領となるヤン・ジシュカもこの時参戦してた
1431年に行われた対フス派十字軍では、ポーランドから6000人のフス派義勇兵が援軍に来たとある
まぁ過激な異端であることには違いないし、掠奪を行ったりして恐れられてたので、
ポーランドの王様が代替わりすると弾圧され、内ゲバやらなんやらで衰退分裂した
>>267 >>264のエピソード当時のビザンツ帝国はまさに最盛期だから、帝都の大聖堂も恐ろしいほど華やかだったはず。
当時文化的・商業的中心地はキリスト教勢力中ではビザンツ(コンスタンチノープル)だし。
カトリック諸国はようやく封建体制を整えた時期だから遠く及ばないかと。
中世のカトリック圏の教会なんてみすぼらしいのばっかりだからな
ノートルダム大聖堂とかケルン大聖堂とかあるけど?
中世も終わりのほうになってからじゃん。
ルーシのキリスト教化から数百年後の。
一応4世紀からケルンに聖堂はあったけど今のじゃないし。
>>270 10年近く持ちこたえてた連中に6000人義勇兵送って
「アメリカからのレンドリースでソ連がナチスドイツに勝ったのと同じ構造」
というのはさすがに無理があると思うが
ゴシックは華やかだよね。ロマネスクも暗いけどきれい。
それ以前が掘建て小屋みたいな。
バシリカ建築のことか
10世紀までの西ヨーロッパの建築ってプリロマネスク建築って分類で良いのかね。
当時大規模なのは修道院くらいか。
独立した村のような構造ゆえの規模って感じで華美さは無いよね。
アーヘン宮廷礼拝堂だけが突出ってか、孤立してる気がする。
>>278 バシリカって
ローマ時代のトラヤヌスとかコンスタンティヌスのバシリカ?
こんなのあった
Castle Tintagel (キャッスル ティンタジェル) へようこそ!
ここはさまざまな時代の面白そうな文化や、習慣、スポーツを、楽しみながら学ぶところです。
中世ヨーロッパの剣術、クラフト、ダンス、語学、演劇、コスチューム・・・などな
ど、面白くてユニークな講座を開催しております。
http://castletintagel.com/
>>281 インチキくせーなあ
誰か受講してきてツッコミ入れてくれ
中世ヨーロッパの盾ってなんであんなにカラフルなの?
誰が誰だか分らなくなるから、名札替わり。存在感もアピールできて活躍したことを容易に主張できる。
紋章官紋章官
あまり目立つと敵の攻撃も集中したりしてな
西ヨーロッパの封建制は完璧な契約主義だから、今、誰がどういう時に味方になるかの把握は重要なお仕事だったらしい。
でもって、そういう識別は紋章でやってたから紋章官は責任重大だっただろうなあ。
裏切りとか寝返りとかはあんまり非難されなかったの?
裏切りと言ってもする方とされる方じゃ言い分が違うだろうけど。
>>288 複数の君主に忠誠を誓う騎士なんかだと色々考えていたらしいよ。
A君主がB君主に攻撃を仕掛けたら、Aには自分と僅かな兵が、Bには残りすべての兵が参戦、とか
B君主が自分のためにA君主を攻撃したら云々。B君主が友人のために云々などなど。
ただ、こうした忠誠の誓い方は徐々に好ましくない物と評されるようになったとか。
いろいろと契約条件組み合わせてカバーしてたらしいね。
例えば、AとBとCという領主と封建契約結んでいる騎士なんかだとA,B,Cが敵対した場合は中立とするという条件で契約したりとか。
あるいは部下だけ貸すとか、武器防具だけ貸すとか。
>武器防具だけ貸すとか
丸腰+素手で戦うということですか?
単に武具の提供だけ行って騎士・兵の提供は行わないってことでしょ。
レンタルスキー店みたいだなw
レンタルスキー店と年間会員契約結んでるようなもんかもなw
連絡したら道具一式を用意してくれる、みたいな。
兵器商会+傭兵会社といった感じだな。まさしく武器庫。
武具って買うと結構高いんだもん
297 :
世界@名無史さん:2009/01/29(木) 22:02:53 0
メンテも必要だしねえ
298 :
世界@名無史さん:2009/01/29(木) 22:19:01 O
サムライ=忠誠・上下関係
ナイト=誠実・対等関係
契約の西欧と御恩と奉公の日本の違いだな
>>276 中世の戦争は農閑期に敵味方で場所と日時を事前に示し合わせて作法にのっとって決戦するもの。
だから10年ぐらいの戦争はあたりまえ。
アメリカの対ソ連レンドリースはとてもよい例え。
モンゴル軍がヨーロッパを蹂躙できたのは、モンゴルはヨーロッパの作法を無視したから。
元寇はあっけなくおわったが、実は戦闘においては日本軍が大変苦戦したのと同じ。
>>270 >ポーランドの王様が代替わりすると弾圧され、
そうじゃなくて、ヴワディスワフ3世の治世下にフス派は共和派として尊王派(ポーランドの主流派)と
戦争をしてついにグロトニキの戦いで惨敗、和議が成立してポーランド国内のフス戦争は終結、
フス派は共和制運動とカトリック教徒への布教活動をしないことを条件に信仰の自由が認められて、
ポーランド南部のリサという村を中心とした一帯をにフス派兄弟団のための土地として提供されて定住した。
ボヘミアのフス派が崩壊すると多くはポーランドへ逃れ、リサ周辺に定住してポーランド王の庇護の下で平和に暮らした。
ボヘミアに残ったフス派はカトリックに再改宗した。
その後新大陸が発見され殖民が始まると、兄弟団の一部は大西洋を渡っていった。
ドヴォルザークの「新世界」は実はこれを象徴している。
モラヴィアのフス派も一部はポーランドへ移住し、残りはハンガリー領モラヴィアに残って後にカトリックへ改宗。
>>298「誠実」ってのは中世後期には有名無実化してたそうで
304 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 09:40:48 0
>中世の戦争は農閑期に敵味方で場所と日時を事前に示し合わせて作法にのっとって決戦するもの。
>だから10年ぐらいの戦争はあたりまえ。
>アメリカの対ソ連レンドリースはとてもよい例え。
中世への偏見満載だなあ・・・
もう中世末期の14,15世紀になったら百年戦争でもフス戦争でも独伊の小邦同士の戦争でも普通に農繁期に戦ってるよ。
その頃になると専業の傭兵団(多数の騎士含む)があちこちにいたし。
だいたい騎士が突撃してきたら荷車の背後から銃やクロスボウで迎撃して
百姓のフレイルで凹にするフス戦争に作法もクソもないw
日本でも刈り入れまでは田畑を荒らさないため休戦期とかルールがあったそうだが
306 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 11:44:53 0
中世ヨーロッパが臭かったのは事実
>>304 おまえのはさ、いつのまにか問題にしている戦争の攻守の立場が逆転してるぞw
>>270>>276>>299の流れはフス派に対抗しているカトリック貴族側の立場で、当時は常備軍はほとんどないから
領地における農業サイクルは非常に大事になる。
そのために彼らの対フス派軍事行動は何年にもわたって長引くのが当然。
ところがおまえは
>>304ではフス派の立場に摩り替わっている。
フス派は宗教のほうが大事な暇人の集団だから農期はそれほど重要ではない。勝てればいい。
腹減ったらその辺の村で略奪すればいい。
30年戦争にいたっては何をかいわんや、あれは常備軍ができた時代だ。
リテラシーがないから
>>304のように議論が的外れになるんだ。反省しる。
307番さんリテラシー入ります
309 :
308:2009/01/30(金) 13:47:02 0
おうやっと反応してくれたかw
スルーされたらどうしよう、と不安だった
310 :
307:2009/01/30(金) 13:47:24 0
すまん俺だw
スルーされたら、って17分しか経ってないじゃないかw
>>304 >もう中世末期の14,15世紀になったら
あまり反論になってないんじゃないかな?
>>304 逆だよ。中世の戦争は農繁期にしか出来ないし長期戦も出来なかった。
何故なら当時の農業技術では冬を満足に越せるだけの小麦を
安定的に収穫することが出来なかったから。
不作に見舞われると冬を越せないので、冬場は戦争どころではなかった。
何より冬季は新鮮な野菜を確保できないため慢性的なビタミン不足で
長期戦なんかすると兵士が満足に戦えない。
今でも夏季のチロルでは『1日5回飯を食う(ぐらい働かないと冬が越せない)』ほど忙しいので
農繁期であっても長期戦などもってのほか。
昼飯はシュテルツという小麦粉にバターを溶かしたミルクを混ぜただけの
(小麦粉は火を通さないと消化が悪いと思うんだが)ものを今でも食べている地域がある。
>>307 >
>>270>>276>>299の流れはフス派に対抗しているカトリック貴族側の立場で、当時は常備軍はほとんどないから
>領地における農業サイクルは非常に大事になる。
だからそれが偏見だっての。
まさか中世末期の軍隊が領主貴族とその郎党ばかりで、しかも出征中に農繁期ごといちいち領地を監督しに
戻ってたとか思ってる?
具体例を挙げよう。
例えば1346年のイングランドのフランス侵攻では、5月にイングランド軍がポーツマスに集結、
7月にやっとノルマンディーに上陸、8月にクレシーでフランス軍を破り、9月にカレーに進軍、
翌年8月に開城するまで包囲。
1390-1391年のミラノとフィレンツェの戦争では双方の傭兵軍が5月から年明けまで各地で戦い続け、
その後冬営し4月になってから軍事行動を再開している。
ジギスムントも参加してる1396年のニコポリス十字軍では、フランス、ブルゴーニュの部隊が4月に
ディジョンに集結、5月にレーゲンスブルクでドイツ人部隊が加わり、7月にブダペストでハンガリー軍
等と合流。その後ドナウ川を下り、9月にニコポリスでトルコ軍に撃破され、ジギスムント等生き残りが
各地へ帰り着いたのが12月。
1410年にポーランド・リトアニア連合がドイツ騎士団領に侵攻したときは、6月末にヴィスワ川沿いの
チェルヴィンスクでポーランド、マゾフシェ、リトアニアの軍勢が合流、7月中旬にグリュンバルトでドイツ騎士団の
野戦軍を破り、下旬にマリエンブルクに到達、9月下旬近くまで包囲する。
フス戦争での「十字軍」の活動は、第一回十字軍がだいたい6月〜11月、第二回が8月〜1月、第3回が
10月〜11月、第4回が7〜8月、第5回が8月と、2月〜5月以外は活動してるね。
>30年戦争にいたっては何をかいわんや、あれは常備軍ができた時代だ。
>>304のどこに「30年戦争」って書いてあるんだ?
1410年にはポーランド・リトアニア連合軍がドイツ騎士団のマルボルク城を攻囲したが、
秋の収穫期を迎えたので農民兵を解散せざるを得なくなったとか。
ヨーロッパと言っても、結構広いし、地形も色々
当然、地勢・経済規模・其の他モロモロ
異なると思わないかい?
まあ、イベリア諸国と東欧諸国じゃ全然違うしねえ。国家体制も結構違うし、一口じゃ語れんね
318 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 18:43:10 0
軍の主力が農民兵で構成されているかどうかがポイントですか?
傭兵または常備軍で戦う場合は農繁期はあんまり関係ない?
>>318 んなことはない。
中世はちょっとしたことで、収穫や収入が大打撃を受けた。
戦争なんかして畑を荒らすと、結局のところ困るのは領主ということになる。
これは攻められる領主はもちろん、攻める方も同じこと。せっかく分捕った領地が荒れてては意味が無い。
だから、妙な協定みたいなものが成立して戦争やっても税収にあまり影響の無い時期に戦争やろうよみたいなことになった。
また、冬場は補給が難しく戦争どころか簡単に凍死しかねないのでこれまた戦争はあまりやらなかった。
攻城戦が多いので、攻める方はどうしても野営になる。温暖期を過ぎた一三世紀ぐらい以降は小氷期に入っちゃったのでなおさらキツイ。
というわけで、夏麦の収穫が完了した七月八月が中世の戦争の季節。
攻めてこないと思ってる時期に電撃作戦でやっちゃえば勝てるんじゃない?
中世は知らんけど戦史にそういう例はあるんだし
ゲームみたいに金銭や食糧をしっかりと貯めこめれば可能かもしれないけどねえ・・・
>>320 中世のヨーロッパは大義名分がないと、いろいろ難しかったんよ。
宗教がかっちりしてたからね。
これに破門されると、えらい目に遭う。イングランドみたいな剛毅なのは例外でさ。
だから、電撃戦で不意打ちってのは難しい。
まずもって、戦力を整えられない。完全な手駒なんてのはほとんどいなくて、ほとんどが封建契約だから。
次に大義名分がないと、領内の教会が言う事を聞かない。
教会が言う事聞かないと、領民も言う事聞かない。
だから、継承権にいちゃもんつけて戦争おっぱじめるしかない。
謀略やら暗殺やら
とても宗教がかっちりしてたとは思えん罠
宗教がかっちりしてるから裏で残虐なのかもね
まあ教会からして推して知るべしだが
権威としての宗教に何夢見てんの?
カノッサの屈辱なんて、いい例だな。
教会の権威を大義名分にして、諸侯が裏切った。
大義名分が立てば、いくらでも無茶できる。
>>315 農民だけ帰らせて攻囲は続けたの?
それとも攻囲自体が続行不可能に?
>>322 中世盛期あたりのフランス王の直轄戦力は数百程度だったらしいね。
11〜13世紀頃はヨーロッパの気候が安定していたこともあって、どんどん森を開拓し農地を拡大して人口も増えた。
ただ、新たな農地は従来のそれと比べて土地が痩せており、充分な収穫が得られず農民個人レベルでは貧しくなった。
14世紀になると、寒冷化を始めヨーロッパは地獄絵図と化す。
主なものとして、
1315〜19年:ヨーロッパ大飢饉
1337年〜:百年戦争勃発(休戦の度に無職となった傭兵が狼藉を働く)
1338〜40年:ドイツを中心に大蝗害発生
1342年:ドナウ川・ライン川が大洪水
1348年:オーストリアを中心に大地震続発
こんなわけで栄養状態が悪くなったところに1347年からペスト大流行が追い討ちをかけた。
人口が大幅に減り、農耕好適地が余ったおかげで農民の生活水準は向上したが、
あまりに人口が減りすぎたため全ての農地を維持することが出来ず、
荒れた農地は手間のかかる小麦畑から収穫期しか人手のかからないブドウ畑に変更された。
ヨーロッパでのワイン醸造はこの頃から本格化した。
その後ハンガリーの貴腐ワイン、トカイ・アスーがトルコ軍迎撃のために収穫が大幅に遅れ
カビだらけの葡萄をもったいないからと無理矢理醸造して偶然出来たのは有名な話。
329 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 10:55:46 0
>>320 >攻めてこないと思ってる時期に電撃作戦でやっちゃえば勝てるんじゃない?
だからそれをやっていたのがパンノニアのマジャールであり、東欧のモンゴルであり、
フス派であり、ってわけだ。
また、「電撃」という言葉を多用しすぎ。これは「電撃戦法(ブリッツクリーグ)」に使うべき。
これはナチスドイツの対フランス戦であり、対ポーランド戦は電撃戦ではない。
330 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 10:57:25 0
>>322 イングランドだってヘンリー8世の時期はヨーロッパではすでにプロテスタント運動が広まっていて、
カトリック教会はイングランドに対する十字軍を集める力がなかったから。
ヘンリー8世はそういうのを見て、これなら大丈夫と確信したから棄教しただけ。
>>326 攻囲を解いて帰った。
その後コンスタンツ公会議でこの戦争が大問題になるが、クラクフ大学総長の主張が
ローマ法王に受け入れられて一件落着。
そのあとドイツ騎士団の残党が調子づいて周囲のドイツ人を重税で搾取したので、
ドイツ人たちが都市同盟「プロイセン連合」を作ってポーランド王の主権下に入り、
ドイツ騎士団との大戦争になった。
ポーランド軍のまえにドイツ騎士団は惨敗、1450年ごろマルボルク城も陥落、
1466年に「第二次トルン和約」ということになり、ドイツ騎士団は領地を解体されポーランド王の完全な支配下に入った。
以後1466年から18世紀までマルボルク城はポーランド王の所有となり、
ポーランド王の本陣として使われ、増改築されている。
というかんじ。
>>328 その時代(14世紀)はポーランドが西方国境地帯の問題を条約で保留し、逆に積極的に東方開拓をやって
西ウクライナの肥沃な黒土地帯に広大な領土を確保、戦争よりも内政に集中して急速な経済発展を遂げた。
カジミェシュ大王は、ペスト禍の犯人とされて西欧で迫害されていたユダヤ人商人たちを積極的に国内に移住させ、
さらに東方からはアルメニア人商人たちを呼んで定住させ、さらにヴィエリチカやボフニアなどの塩坑を
最新技術で開発して塩を輸出、税収を大幅に上げた。
つまり同時代の西欧とは全く対照的に、ポーランドは黄金時代を創出していた。
>>326 >農民だけ帰らせて攻囲は続けたの?
>それとも攻囲自体が続行不可能に?
「秋の収穫期を迎えたので農民兵を解散せざるを得なくなった」ってのが実情なら
可能性があるのは前者じゃないかなあ。
ポーランドでは小麦の刈り入れを終えて収穫祭をやるのが8月15日らしいが
マリエンブルク攻囲は9月19日まで続けてるので間に合わないと思う。
というか7月15日のグリュンバルトの戦いが終わった直後に帰らせたほうがいいような。
まあ当時の王侯も自領の経済活動が危うくなるほどの動員はしないんじゃない?
例えばオーストリアのアルブレヒト5世は1421年に支配下の土地に住む16歳から60歳までの
健康な男子に従軍の準備を命令しているが、徴兵されるのは10戸につき一人で、残りの9戸が
そいつの家族や仕事の面倒を見て装備も調達することになっていた。
>>333 ヴィトルド(ヴィタウタス)はとっととリトアニアに帰っちゃったな。
リトアニア本土はポーランドより北にあって寒冷で収穫期が早いからか?
そういえば小麦って春小麦と冬小麦とあったな。
>>325 カノッサの屈辱っつっても、あのあと教皇は勢力を盛り返した皇帝にローマを包囲されて廃位され、亡命先で死んだそうだが。
ヘンリー8世は教皇から信仰の擁護者とか褒められた事あるんだよなw
中世ってウンコとかベランダから投げ捨ててた時代?映画のperfumeの世界観が最高なんだが、結局あの究極の香水ってすっごい臭いんだよね。
>>338 国によって習慣は違う。
ドイツ、イギリス、フランスなどゲルマン族の文化の強いところは特に不潔だった。
窓から投げ捨ててたのって尿瓶みたいなのじゃないの?
「寝室用便器の中身を投げ捨てることが頻繁にあったため街路が汚かった」って読んだんだが
その本によると他の部屋の便器の中身は汲み取り業の人に運ばせたらしい
寝室の便器にウンコするとは思えんのだが・・・
>>341 harvestは本来は秋の実りの事。その後春などの収穫にも使うようになったが、
鎌で刈ろうが手で捥ごうが収穫全般に使う。
reapは鎌等を使って刈り入れる場合に使う。
きのこを集める場合や果物を捥ぐ場合には使わない。
>338,そりゃインドールとスカドールはうんこの臭いだからなw
つまりスカトロである。
>>342 糞尿を窓から捨てんな。罰金モンだぞ!っつー条例が市参事会から出されてたって言うから
室内のおまるにやってたんじゃね?いわゆるトイレなんてもの、一般市民の家に無かっただろうし。
処罰する法律があれば事件は起きないとな?
日本でタバコの吸殻が捨てられる事がないのと同じだな。
規制前後の違いは知らんけど、何かしら問題が大きくなって規制されるようになったってことかね。そういう訳でもない?
>>346の事件と投げ捨て禁止令について誰か詳しく。
>>348 >>347は室内のおまるでして、その糞尿を投げ捨てていたんじゃね?ということを書くつもりだったんだ。
言葉足らずで申し訳ない。
むしろ上記条例があったということはそういった事例が頻発していたんだと思う。
人を投げ捨てるのはどこの習慣なんだw
主にプラハ名物だな
ブレイブハートでもやってたな
>>332 そのころのポーランドは輝いていたんだね
でもその後は・・・
聞くも哀れやその昔…
17世紀ぐらいまではけっこう輝いてたよ?
コペルニクスとか出たし
今じゃアメリカンジョークのせいで電球も一人じゃ換えられない扱い。
中世ヨーロッパには電球が無かったからね…
大航海時代の到来と北方戦争で一気に沈んでしまった。
ポーランドとリトアニアが合同した当初は強力かつ広大な国だったのにね。
衰退期に入ってたとはいえチュートン騎士団に壊滅的打撃も与えてるし。
ヨーロッパはあんなに多様な文化があるの?
みんなわがままだから
リトアニアはリトアニアで、ウクライナまで支配したのはリトアニアであって
ポーランドではないって言うんだけどね。
ちょっと質問なんだがよく中世の農民が被っている耳が隠れるくらい布が垂れている
頭巾みたいな帽子は何て言う名称なんだい?
農民とは限らないのか。
>>367 サンクス
どちらかってと女性用のかぶり物なのね
男性農民のかぶり物のイメージが強かったんだけど
欧州はいまだに国盗り物語だな
過疎
374 :
世界@名無史さん:2009/02/21(土) 01:58:33 0
ペスト
>>373 上のポーランドやウンコみたいに興味深い話題がみつかるとダーっとレスが増えて、
一段落するとまた過疎になる
また興味深い話題がみつかるとレスが増えて、ある程度進むとまた過疎
この繰り返し
ところで人買いってこれもユダヤ人の職業なのかな?
職業といや職業だろうが、べつにユダヤ人の専売特許ってわけじゃないし。
古今東西、どこにでもある。
日本でも人身売買がはびこってるからな。
ヴェネチア人やジェノヴァ人も大いに奴隷貿易してますよ。
ギリシャ正教徒まで売り飛ばしてましたw
ローマも奴隷売買は正当な権利だったしね。
聖書にも奴隷おkって書いてあるし。
たしか旧約聖書に奴隷は6年で開放しなければならない、とか書いてあって、
それなのに開放しないでいたから街に神の怒りが降りかかり〜
開放したら危機は去ったけどのどもとすぎれば〜で
また奴隷身分に落としたら街が滅ぼされた、だっけ?
奴隷制度が廃止されたのって、なんだかんだ言って19世紀以降だよね。
長い歴史をみれば、つい最近の出来事と言えなくもない。
ナイジェリアのあたりは未だに奴隷売買されとる
香水用のバラの花とか
少年少女が鞭打たれながら摘んでるぞ
身の回りでも奴隷のおかげで口にしたり使ってる物が結構ある
よし、バラの香水買うか
ダイヤモンドなんかも時々槍玉に挙げられてるな。
アフリカの産品はまだまだ奴隷かそれと変わらない状況で産出・生産されてるものが幾らでもある。
バレンタインデーの新聞のコラムに
カカオは奴隷が云々と書いてあった
しかしチョコレートは美味いな
砂糖入りコーヒー美味しいです
よいコーヒーとは、悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い
悪魔くんも大変だよな
エロイムエッサイム われはもとめ うったえたり
おれはこのコーヒーのカフェインがねえと頭が働かねえんだ
ここにチョコレートの厚いのも持ってきてるんだけど
アフリカ人の惨状に思いをはせながら飲むコーヒーは格別に旨い
血の味がかすかにするね
アメリカ人が「日本人の惨状に思いをはせながら見るアニメは格別に面白い」って言ってた。
わけわかめ
アニメーターの年収50万だっけ?
そんな日本人の税金でアメリカ国債を買って、GMの社員の給与(時給7000円)に化ける。
>399、アニメータの主食は夢ですw
昔はサルマタケだったのに
そういや、アメリカのアニメーターの年収って、高卒でも5〜10万$って聞いたなあ。
あんなのしか作れんくせにw
って、なんの板のなんのスレだったっけココ?
アニメーターでも食ってけないレベルってのはよっぽど新人かドヘタぐらいらしいぞ。
まあ、専門学校とか出てても使えないから、現場で仕事を覚えることになって、一人前になるまで経済的に苦しいってのはある意味中世ヨーロッパの徒弟に近いのかもな。
親方になれなかった職人は大変だよなあ…業種によっては親方になっても下層民に近い暮らしって場合もあるし…。
大相撲協会と同じで、一都市での親方株は限られてたしな
途中で潰れる人ばかりで上層が人材不足に陥ってる「アニメーター徒弟制度」は実質的に崩壊している
おかげで監督やらせると悉く失敗する人や、請け負った仕事のドタキャン常習犯までも重宝される始末
すれ違いって言葉、読めるか?
君のことか?
過去と現在がすれ違う。
それが歴史を学ぶという事。
1000年前の欧州は中世だ。
現代日本は良く訓練された中世だ。
ホント中世は地獄だぜ!
じゃあ、今は天国なのか?
流れぶった切ってすまん
誰か知ってたら教えて欲しいんだが、
近代よりまえの欧州で、あちらで発生・発達したカイロ(懐炉)に相当する個人用の携行式暖房具って知りませんか?
火種の携行みたない事についてはいくらかわかっったんだが、
暖をとるのが主目的の、そのものズバリの道具や方法ってのが見あたらない
一応湯たんぽは確認できたが、どうもかなり近代に入ってからっぽくて、元々欧州にあったとも言い切れない感じで…
湯たんぽや温石みたいな簡単なものは、どこでも自然発生するんじゃないかと思って、随分調べたんだが、
もしかして存在してないとか??
>>413 面白いこと調べてるなぁ
だが資料にまったく心当たりがないぜ・・・
けど、ヨーロッパの暖房の概念が日本と違うと聞いたことがあるね
家全体が凍死しない程度の気温ならokとかなんとか
ペットを大切にするのは
犬なんかはベッドの中で暖を取るために抱いて寝てたからだそうだが
416 :
413:2009/03/13(金) 19:02:43 0
うーん
存在してないんですかねえ…
悪魔の証明するのは嫌だなあ
調べてるのは中世以前なんですが、大抵の現代ヨーロッパ人がカイロに相当する道具を知らないんですよね
カイロを知っている人がいても、ハクキンカイロか使い捨てカイロが「人生初カイロ」で、近代超えて現代ものばかり
希にひっかかる湯たんぽ情報も、古くても陶製の18世紀以降に作ったとしか思えないデザインのものしかでこないし
一応、火種を灰に埋め、木製または金属製の容器に入れて持ち歩くってのは沢山確認したんですが、
移動時は腰にぶら下げたり棒状のものの先に吊ったりで、服の中に入れて携行はしなかったようで、暖をとる目的じゃないっぽいんですよね
あと、調べた副産物として、火起し方法や火起し道具セットに詳しくなりましたとさorz
ちなみに本邦での概要は、江戸より前は石や塩を焼いて蓄熱させ、断熱材を巻いて懐にいれたり腰に巻く、いわゆる温石が広く知られていて、
16世紀後半あたりから、金属筒に炭化させた植物や紙を入れて燃やす「胴の火」が存在
ただし、胴の火は、主目的は火種保存で、ついでに暖もとれますという程度のもの
文献記録的には前後するが、元禄になると灰式懐炉が発明
灰式懐炉は、暖を取るのが主目的で、何種類かの乾燥植物やその焼き炭や灰、粉炭などを混ぜた物を燃料に、専用ケースに入れて持ち歩いた
この灰式は、当時のヒット商品で、より精練された形式でまだ現役
これ以降は、大正以降でハクキンカイロ、使い捨てカイロなどの化学式
いずれも、ほぼ本邦で自然発生または独自発達の傾向が強い物ばかりで、カイロとしての海外からの影響がほぼ認められない
更に蛇足で、湯たんぽは中国から14世紀初頭には本邦に入っていたようで、一貫して陶製
金属製湯たんぽの登場は、水密や強度に問題があってかなり最近
欧州で湯たんぽっていうと、99%樹脂製で、僅かに骨董品の陶製・金属製がみられるが、どうみてもここ最近の物ばかり…
あまり根拠は無しにイメージだけだけど
日本人って薄着だよね
当然地域的な気候の問題はあるけど
あちらの人ってけっこうごっつい外套とか着てるような気がする
ああいう厚手の毛とか皮のマントや頭巾系は日本には無いよね
肉や脂の摂取量とか関係ない?
かなり根拠が無いイメージだなぁ
それは単に宗教的な問題だろう
獣を殺して剥いだ皮を身にまとうなんて日本人にはできません
>>419 いや、417が言いたいのは、薄着故に携帯暖房器具が発達したんではないかという事だろ。
ん?カイロの用途は外出時を想定してるのかな?
就寝時ならヨーロッパだと家族で身を寄せ会わせたりしたんじゃなかったか、全裸で
北欧系東欧系は寒さには強いが、暑さに弱いってイメージがあるな。
東京でも真冬に薄着の外人とか何度も見てるしw
アウステルリッツ三帝会戦時のフランス軍使節が目撃したロシア軍兵士なんかは極端な例かも知れんけどw
(12月のオーストリア、雪が降りしきる中、焚き火の近くで半そでシャツ一枚ですやすやとお昼寝。)
北欧系だと、マルセイユ辺りで日光浴して火傷で病院に搬送される人も結構多いらしい。
(紫外線量は緯度的に北海道と同じ程度のはずなんだけどw)
緯度と気候は関係ねえよ
白人はメラニンの量が少ないから紫外線に弱い
緯度と紫外線量も関係ない。
1414〜1418年は中世後期になるのかな
中世でもこういう先進思想があったんだな
こういう自由な発想ができたのはゲルマン系ではないせいかも
-----
コンスタンツ公会議(1414〜1418年)では、(教会大分裂の解決・フス派問題などに加え)
別の問題も討議された。
ポーランド王国との戦争に敗北したチュートン騎士団は、ポーランド王国が異教徒を
擁護していると主張した。
ポーランドのクラクフ大学学長パヴェル・ヴウォツコヴィツは、
「全ての人民は、たとえ異教徒であろうとも、自らを統治し平和のうちに暮らし、その土地を
所有する権利がある」という主張を展開した。
これは国際法の提唱の最も初期のものとされ、内容は以下のとおりである。
それぞれの共同体はどの国家に属するべきか自ら決定する権利を有する
人々は自らの未来を決定し、国家を防衛する権利を有する
支配者は、個人の宗教的信念を尊重し、被支配者がその信条により自然権を否定されることが
ないようにする義務を負う
暴力や威圧を利用したキリスト教への改宗は無効であり、罪深くかつ恥ずべきことである
戦争の口実にキリスト教への改宗を用いてはならない
平和維持に関する論争は国際法廷が判断を下し、どの支配者も、たとえ皇帝や教皇であっても、
この手続きを踏まずして戦争を行う事は許されない
戦争の合法性に関する原則は、戦う相手がキリスト教徒であろうとなかろうと、全ての国家と
人民に適用され強制される
非キリスト教徒や非ローマ・カトリック教徒の国家は、それらが隣国と平和に共存している限り
主権と領土防衛の権利を有する
ポーランド王国はキリスト教の守護者として行動する際にのみ皇帝に束縛される
暴力の論理はあたかも癌のように国際関係を蝕むものである
ローマ・カトリックの国家が自衛権を行使する際、非キリスト教徒や非カトリック教徒を自らの
軍勢のうちに持つ権利がある
会議の席上において、ファルケンベルクのヨハンはポーランドを糾弾し、
「ポーランドはチュートン騎士団に対する戦争において異教徒を使うという
嫌悪すべき罪を犯した」と主張した。
さらにヨハンはその論文「リベル・デ・ドクトリナ(Liber de doctrina)」において、
「皇帝は未信者を、たとえ彼らが平和的な存在であろうとも、異教徒であるがゆえに
虐殺する権利を有する。
ポーランドは未信者と同盟してキリスト教徒の騎士に反抗したのであるから、
絶滅されるべきである。
未信者を守護したポーランドは死に値し、未信者よりもさらに優先して
絶滅されるべきである。
ポーランド人から主権を剥奪し、ポーランド人を奴隷にすべきである」と主張した。
教皇マルティヌス5世は1424年1月、
「ファルケンベルクのヨハンのこのような誤った非難を原因として、ポーランド王国に
起こりうる災厄を未然に防ぐことを欲し…このような誤った非難を宣伝、擁護、主張するなどの
行為を行うキリスト教徒は全て事実上の破門に処する」との大勅書を発した。
中世後期〜近世のポーランド王国は、カトリック国ではあるが非常に寛容な多民族の国家で、
1264年にはすでに国王が「カリシュの規約」というユダヤ人保護法令を出し、
たくさんのユダヤ人や植民を招いている。14世紀のカジミエシュ大王もしかり。
また14世紀末にポーランドと連合したリトアニア大公国は、
それまで「欧州最後の異教国家」として生き延び、長らくモスクワ公国やチュートン騎士団と戦ってたし、
ウクライナなど東方領土には正教徒もいれば、ムスリムもユダヤ人も、剽悍なタタールもいる。
まぁチュートン騎士団はもとが異教徒と戦うためのカトリックの十字軍で、
リトアニアが改宗しポーランドと連合しちゃうと、戦争を吹っかける大義名分がなくなってしまったわけだ。
ファルケンベルクのヨハンはかなり過激だが、敵が存在しないと存在理由がないという悲しい集団なのだ。
その後16世紀にはルター派に改宗してプロイセン公国となり、やがて欧州を再び荒らしまわることになる。
ファルケンベルクのヨハンはナチそのものだな。
ヨハン、いい名前なのにね…。
430 :
世界@名無史さん:2009/03/22(日) 11:22:51 P
____
/、_, ,丶_\
/ (● ) (● )' yyフ7、
/ (__人__) ////./i_i_iヽ
| ` ⌒´ / /_ィ´ ノ
\ / / i | こんな暮らしをしていた蛮族が人類の長になるなんて
/  ̄ ̄ ̄ ̄´ /- | | 考えもつかないお
| _____/ i____/
\ |
\ |
\ |
>>413 中世のヨーロッパの気候は調べてみたかい?
ヨーロッパ独特の中世という概念は寒冷化に始まり温暖化にて終わってるから
中世史全体を扱う書籍でもある程度は把握できるよ。
中世ヨーロッパは一時期を除いて現代よりも温暖だったとする意見がある。
もしこれが事実なら携帯型暖房器具が発展する素地そのものがなかったとも言える。
付け加えるならば、携帯型の暖房器具が必要になるほど
個人レベルで移動するだけの生活の余裕がある人がどれだけいたかも鍵だろうね。
『旅行』という概念が一般人にも浸透しはじめるのは
北イタリアとネーデルランドを結ぶ郵便システムが完成した14世紀始め以降
ようやく郵便物だけでなく人を運ぶことができるようになってからの話。
今でもウィーンあたりじゃ食事時を除けば飲み物を除く温かい食事が取れない
(わざわざ『いつでも温かい食事取れます』という張り紙をした飲食店が今でもある)こともあるし
ドイツでは夕食はスープ以外は火を使わない食事で済ますこともあるから、
火についての考え方が日本人とは根本的に異なるんじゃないだろうか?
>>431 ノヴゴロド公国やモスクワ公国が、いまはあんな寒いロシア平原北部にできたのは、
大人数への食料調達ができる気候だったから
>>433 加工済みの、例えばパンとチーズとニシンの酢漬けを出すだけの食事でも火は使わない。
ヨーロッパの暖房は、居間の中央に置かれた炉から始まる。
元々は日本の囲炉裏のように部屋の真ん中に穴を掘って火を焚いていた。
そして換気の為に天窓を作った。
中世中期に煙突が発明され、暖炉と煙突という組み合わせで、
部屋の端に暖房器具を移せるようになった。
ただ、暖炉と煙突を作るためには、かなりの手間が必要なわけで、高価だった。
レンガの発明で暖炉が一般にも広まるのは中世以降。
中世が以前考えられていたより温暖だったとしても、暖房という概念が不要なほどではない。
しかし木造住宅で密閉性が悪く、火からの直接の熱が重要だった日本に対し、
家の密閉性も高く、暖炉を構成する石からの輻射熱による暖房効果で部屋全体を暖める
ヨーロッパの暖房とでは概念が違っているというのはあるだろう。
日本は部屋を温める=暖かい空気を閉じ込めるという発想はできないので、
熱源を作って熱源の身近に居る、熱源を持ち運ぼうという発想になり、
ヨーロッパは部屋を温める=暖かい空気を閉じ込めるという発想が、
外出時に暖かい空気を保存する=厚着で外気を遮断するという方向に向かったのだと思う。
これには湿度が高く家も服も風通しの良い物を好んだ日本と、
風通しを考慮しない石造りの家と革や毛皮の服でも平気なヨーロッパと言う
気候の差が大元なのではないかと思う。
つまりヨーロッパは北海道というわけだな
明治以降の北海道が西洋を取り入れたんだから逆
日本海がなきゃ日本も満州並に寒い冬になる。幸い日本海があり暖流が突っ込んでるから激しく寒いってことはない(まあその分雪降るが)
しかし北海道は大陸の間の海分が足らない。だから満州ちっくに寒くしばれる大地になる。そんなところでは寒さに強い住宅が必要になる・・・
たぶんロシア風の建物が一番いいんじゃないかと思われる
なぜ白人は勝ち組にのし上がれた?
ローマという教科書があったから
アラブ人もイラン人もコーカサス人種(白人)なんだが
ローマ人も白人
残虐だから
443 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 08:50:03 P
/ ̄ ̄ ̄\
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | 中国人も黒人(未開な部族)も残虐だけど白人様には敵わないお
\ ` ⌒´ /
/ \
444 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 09:59:21 0
ローマは半島にあり三方が海で一方が山脈という自然の要衝に守られていた
>>432 ノヴゴロドあたりではさすがに自給は厳しかったようだ。
>>434 >>413が問うているのはあくまで『個人用の携行式暖房具』だから
家の中で据え置きになってる暖炉では話が脱線しすぎw
>>413が聞きたいのは狩りなどの際に用いる懐炉みたいなものの話でしょ?
ちなみに木造建築のほうが、石造りの建物よりも気密性を保ちやすいよ。
レンガやブロックでもそれを積んだだけでは気密性は保てないから
セメントなりコーキングなりが必要だが中世にはそういうものはなかったはず。
もっといえば、定型のものを製造する加工性では石より木のほうが勝ってる。
今でもチロルでは標高1800mあたりではアルムという木造小屋を夏の牧畜用に用いるが
木の加工の容易さと気密性の高さ(雨漏りや真夏でも雪が降る寒さを防ぐ)がその理由。
もちろん石組みの小屋もあるが、こちらは主に標高の低い谷あいに作ってあり
夏場に羊などの家畜の見張り小屋として使っていて、雨漏りするので石組み屋根の上に板を載せてある。
この見張り小屋が石組みなのは、冬から春にかけての雪崩で倒壊するのを防ぐためであって気密性は重視してない。
ペストがアジア以上に中世ヨーロッパで大発生したのは、住宅の石組み技術が稚拙で
ネズミやゴキブリなどの媒介動物が壁の隙間から侵入しやすかったからともいわれている。
中世の暖房って言うと、「部屋の真ん中に煉瓦のストーブ」ってのがよく版画に残ってるな
>>413 懐炉に話を戻すと、真冬に出歩く習慣が中世の人々になかったからでは?
ペストが流行する前の中世半ばでも餓死者が一番多いのは冬。
冬は秋の蓄えを食い潰して春の訪れを辛抱強く待つのが一般的で
食事は穀物と干し肉ぐらいで新鮮な野菜は手に入らないからビタミン不足は恒常的。
秋の不作や遅い春は餓死するリスクをアップする。そういう状況下では冬に動き回ることは自殺行為。
また、温暖化と人口増加による開墾が進んだことによって
獣が生息するような森が9世紀後半以降減少していて狩りで充分な食料を得ることが難しかったこともある。
モンゴルでは真冬でも狩りを行ってはいるが、あれは昔においては軍事訓練の一貫、
現在では地域コミュニティーの結束を図るイベントであって別に食べ物を得るためにやっているのではない。
449 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 00:04:47 0
朝鮮や北海道では冬の暖房用の薪を得るために森林が乱伐された歴史があるが、
西洋はそのようなことはなかったのか?
>ペストが流行する前の中世半ばでも餓死者が一番多いのは冬。
>冬は秋の蓄えを食い潰して春の訪れを辛抱強く待つのが一般的で
>食事は穀物と干し肉ぐらいで新鮮な野菜は手に入らないからビタミン不足は恒常的。
>秋の不作や遅い春は餓死するリスクをアップする。そういう状況下では冬に動き回ることは自殺行為。
こういうのさ、フランク人の生活文化が定着したところだけだろ
イベリアやポーランドといったフランク系統とは異質な生活文化を持つ国は事情が違う
>>446 湯たんぽや温石や行火は家の中で使う。
それを小型化したものが懐炉。
暖房と言うもの自体への意識の差が、携帯暖房器具で暖をとる方向へ向かったか、
機密性の高い服で暖を確保する方向へ進んだかの差になったのではないかという話。
当然中世にも目地はある。
地中海では古代からローマンセメントが使われているし、
北方の建築にも石灰が目地に使われている。
ローマの石灰はドロマイト系の質が良い物だが、
フランスやアイルランドなどでは石灰岩を焼成してから沸化するという方法で
生産されているので質が悪く脆いという問題がある。
それが壁だけを石で作り、屋根や床は木組みで作る建築などに繋がっている。
>>450 イベリアはゴート系だがフランク系の生活文化とどう違うの?
>>451 ドロマイトというのはもともとドロミテ山地で出てくるやつだからな
ドロミテの埃っぽいこと埃っぽいこと
栃木の葛生と同じ
>>452 2つ:
・イベリアにいたゴートやスエビやヴァンダルは言葉はゲルマン語だが東ゲルマン語の系統で、
西ゲルマン語のフランク人とは違う系統
・いずれにせよイベリアのゴート王国でこの手のゲルマン語文化の人間は少数派で、
大多数はケルト・ラテン系の文化を持つ混血のイスパニア人とその生活文化
いや、違いがあるかどうかじゃなくて具体的にどう違うのか聞きたかったんだが・・・
まあいいか
456 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 00:39:32 O
>>455 古代ローマ文化が色濃く残った上に、そのローマ文化を正確に保存して発展させたイスラム文化の影響を強く受けていた。
武具が医学のレベルが他のヨーロッパ地域より上。
457 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 11:54:18 0
白人が人類の長に立てたのは最も残酷で賢くて強靭な精神力を持っていたから。
その中でお互い争い合って東洋なんかとは比べものにならないくらい
血まみれの超弱肉強食の修羅場を勝ち残ってきた者が残ったから。
それに加えてペストなどの自然の強者選別が行われ更に強い者が生き残った世界。
それが白人。
458 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 13:22:28 P
____
/ \
/ \ ,_\
/ (●)゛ (●) \
| ∪ (__人__) | フランダースの犬を見て、負け犬の死≠ニ吐き捨てられるのが白人だお
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
罪の意識が希薄だからじゃない?
460 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 13:36:01 0
罪の意識が希薄なだけじゃ頂点に立てない
461 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 13:44:44 P
/ ̄ ̄ ̄\
/ ─ ─ \
/ (●) (●) \
| (__人__) | 白人が何故、人類の長になれたかなんて
\ ` ⌒´ / 一言で説明できるわけがないお
/ \ そもそも、その答えこそが世界史のテーマだお
答えがでたら世界史を勉強する必要はないお
罪の意識が希薄な上に
俺様一番だと思ってるから
まさにジャイアン
463 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 15:07:40 0
wikiをソースにするやつは敗北者
いちいちAA貼らんとレスできんのか
VIPへ帰れ
しかしネロを15歳で描いていたら、日本でも評価はもっと違っていたかもな。
ネロが生きていたのは、中世なのか?
古代ローマ帝国だな
469 :
641:2009/03/26(木) 19:11:52 0
>>468 良くぞ俺の意図を汲み取ってくれたというか、自分でぼけようと思ってたのに。
470 :
468:2009/03/26(木) 19:12:51 0
↑名前欄間違えた
471 :
468:2009/03/26(木) 19:14:14 0
↑また間違えた
472 :
世界@名無史さん:2009/03/26(木) 20:27:06 P
/ ̄ ̄ ̄\
/ ノ \ \
/ (●) (●) \.
| (__人__) |
>>463 白人は物語を考える能力が欠如してるお
\ ` ⌒´ /
/ \ なにもかもハッピーエンドにすればいいってもんじゃないだろうお
とりあえずアメリカ人を白人全体と同一視するのはやめたまえ
475 :
世界@名無史さん:2009/03/27(金) 13:51:21 P
| |
| /\ |
|___| + |_|
|______|
/ _ノ \
| ( ●)(●)
| (__人__)
| ` ⌒´ノ っていうか西欧人はすべて同じ種族だろ
| }
ヽ }
, - ヽ、.,____ノ
, ― ''"| | \ / | |゙ ー、_
/ | | \/ | | ゙i、
/ | | ◎ | | ゙i、
/ | | | | ゙i、
話がなんかつながってないなぁ。
アメリカには、西欧人だけじゃなくて、北欧人も、南欧人も、東欧人も、アラブ人もたくさんいるんだが。
477 :
世界@名無史さん:2009/03/27(金) 14:23:14 P
| |
| /\ |
|___| + |_|
|______|
/ _ノ \
| ( ●)(●)
| (__人__)
| ` ⌒´ノ っていうかアラブ人はコーカソイドじゃないのか?
| }
ヽ } 黄色人種でも黒人でもないぞ
, - ヽ、.,____ノ
, ― ''"| | \ / | |゙ ー、_
/ | | \/ | | ゙i、
/ | | ◎ | | ゙i、
/ | | | | ゙i、
現在の大統領は黒人だしな
>>477 >っていうかアラブ人はコーカソイドじゃないのか?
だから何?
>黄色人種でも黒人でもないぞ
お前以外全員知ってると思うけど。
482 :
世界@名無史さん:2009/03/27(金) 16:05:16 O
とにかく白人の定義から検証していくべきだな
人種的には白人・黄色・黒しかない
なのにアラブ人とかはエジプト人とかは白人と区別される
483 :
世界@名無史さん:2009/03/27(金) 16:06:42 O
アジアの中でも日本人とベトナム人は同じ黄色人種でも顔つきからして違う。
でもそれを言ったら沖縄人も日本人なのに顔が濃いし違うんだよな
そのあたりは地域差だね
インドのコーカソイドは黒いし
論点が見えてこない
486 :
413:2009/03/27(金) 19:30:33 0
>>431 えと、まず厳密に「中世」欧州とすると、確かにカイロというのは、生活水準的にも色々厳しいと思われますが、
日本でカイロとして製作された道具は16世紀末当りまでたどれますので、それより以前ということでこのスレで質問してみました
で、気候は念頭に入ってます
カイロが発生している時期の日本と欧州では、欧州の方が寒いです
現代と過去の欧州を比較しているわけではありませんので、当たり前と言えば当たり前ですが(というか、今より寒いです…)
一応、再確認で調べましたが、少なくともアルプス以北では、この2000年間の平均気温推移で、最も寒い時期の日本よりも最も暖かい時期のあちらの方がまだ寒いです
加えて、年中使用する類の物ではないですから、冬が存在するだけで気候的条件は十分かと思われます
更に、行動範囲、移動距離ですが、これもあまり関係ないかと思います
通常の街中の商人なら火に当たりながら商売できないですし、店も建物の前部を解放する半露店か露天が主だったはずですよね?
農夫は生活水準がネックになるにしても、市壁や門、関所の歩哨や徴税吏など、思いっきり寒風のなかの立ちんぼだと思うのですが…
こういった層や、羊飼いや行商人・軍人とかには、存在さえしていれば需要は高かったと思うのです
つまり、環境条件的には似たような物なのですが、温石相当すら無いのが不思議だなあと
あと、携行暖房具のカイロとの関係は薄いと思われる建築物ですが、
一度泊まって見れると分りますが、暖炉暖房は、暖炉の周辺2-3メートル以内だけが暖かくて、それ以外はむしろ石の熱伝導・熱容量の問題で、もの凄い寒いです
断熱材も無いですから、温めたそばから外に放熱する上に、石や漆喰の熱容量がデカイので、
体中から全ての遠赤外線を部屋にむしり取られている感じで、暖炉から離れるともの凄い底冷えがします
また、ご存じの通り、当時は窓ガラスは無いですから、気密性も大差ないです (暖炉普及以前の排煙での健康被害が、木造でも石造でも大差なかったです)
ただ、衣類・布類が入手しやすく、衣類のみで比較的暖が取りやすかったというのはわかります
日本は慢性的に繊維製品が不足な上に、和服は構造的に耐寒性低いですからね
嫌白厨がAAを覚えたってだけだろ
488 :
413:2009/03/27(金) 19:34:52 0
>>448 >>451 無いとすると、それが理由なんですかねえ…
冬寒すぎて外に出ない
だから暖房を携行しようとは思わない
加えて、貧乏人でも衣類の入手が比較的に簡単でカイロまでは至らなかった
まあ、だとしても、都市という生活空間が発達していた欧州の方が、「寒い中無理して外に立ってる人間」が多そうで
カイロっぽい物が、現代に至るまで生まれてないってのも腑に落ちないですが
あと、羊飼い連中は、かなり高確率で火種携行のようでした
火起し道具も持って歩くけど、火種そのものも持ち歩いている
専用ケースに突っ込んで懐に入れれば、それでカイロなはずなんですが……謎だ
羊飼い限定にすると条件的には、紀元前から整ってたりするんですが
蛇足で、知り合いの歴史音痴のスペイン人と会う機会があったので、カイロの事聞いたら
「カイロも湯たんぽも日本に来るまで見たことも聞いたことも無かった」
「使い捨てカイロは日本土産としてわりと有名。最近はスペインでも売ってる」
「押し倒して服脱がしたら、嫁が使い捨ての貼るカイロを腹に2個、背中に3個つけてて萎えたらケンカになった」だそうです
489 :
世界@名無史さん:2009/03/28(土) 11:45:36 0
農村部では性的におおらかで乱交ばっかりやってたそうですな
>>490 日本の場合、時代がちょっとあいまいだが。
八つ墓村のモデルになった事件のバックにも、この農村の乱交文化があったんだよね
何をもって乱交と言ってるのかちょっと疑問。
性倫理が相対的に見てゆるいところを、片っ端から乱交と呼んでしまうと、乱交があまりに多すぎてわけ分からなくなってくる。
ユダヤが解ると世界が見えてくる
娯楽の少ない時代だしな、にわかには信じられんが
民俗学ならいざしらず、どの地域のどの時代の話か、歴史板ならもうちっとちゃんとかいてくれ。
その手の話は民俗学の方がフィールドワークで詳細を研究してるよ
話がかみ合ってないな。
歴史板で話すなら、時間軸も考えろよ。
>>413 オレはヨーロッパアルプスについては多少の知識があるので
>>448を書いたんだが、真冬に外に出て立ちんぼの仕事なんて無理w
今でもヨーロッパアルプスじゃ冬なら氷点下15度以下にもなるし
ライブカメラ見ればわかるが、風が半端ないので見通しも悪く
いくらなんでも数時間も立ってられない。
ここまでひどいと個人レベルで携帯する暖房用品なんて
意味をなさないと考えたほうがいいのでは?
ま、あとは遺伝子レベルでの体質の問題だな。
今でも黒人が北欧に滞在しつづけるとビタミン合成が上手く行かず
薬の世話になるように、温度に対する抵抗もヨーロッパ人と
日本人では大きく違ってるはず。
>>413 カイロって酸化反応をコントロールできないと使い物にならないから、意外と高度な技術だよ。
カイロの組成は木炭の粉、塩、鉄粉だが、
木炭は炭焼レベルになると買わざるを得ないし、塩は沿海地域でない限りは貴重品だし、
鉄の精製技術はあっても粉状にするとすぐに錆びてしまって使えない。
しかもこれらを混ぜ合わせると反応が始まってしまうので
暖をとるまでは別々に保管しないといけない。
で混ぜ合わせたら入れ物が必要になるが断熱性の高いものや、中身(特に炭の粉)が漏れてもいけないとなると、これも面倒。
これだけの手間暇に見合うほどカイロは必要だとは到底思えない。
化学以前の錬金術でこの程度のことは出来ても、商業ベースで民間に普及できる要素も見当たらない。
それは企業努力が足りないからでは?
やはり日本の技術は素晴らしい
ロシアの人は分厚いコートに毛皮の帽子を被ってるが
やはり懐炉は使わないんだろうか?
ロシア人は懐にウォツカでしょ
なるほど
アル中DVが絶えないわけだ
506 :
世界@名無史さん:2009/04/04(土) 08:16:36 0
>>502 携帯用暖房器具で中世の人間でも製造可能なのは
この手の懐炉しかないだろ?
まさか、ハクキンカイロでも作れるとか言うのかw
日本人が外出時にカイロを使うのは、家の中の気温が低く外出前にすでに体温が下がっているから。
東欧や北欧では暖炉があり、現代では市の熱湯セントラルヒーティングがあり、
氷点下20-30度の極寒の冬でも家の中ではシャツ1枚で過ごせるほど暑く体温が上がっている。
そのため外出時にカイロなど持つ必要がない。
また家の中に入れば暑いから。
>>502 知ったかすんなよ
500は馬鹿馬鹿しすぎて誰も相手にしてないだけだ
書き込みたければせめて林勘兵衛くらいググれ
509 :
502:2009/04/04(土) 21:20:34 0
>>506 中世にカイロを作るのは難しいだろうけど、
日本では江戸時代初期に灰式カイロが発明されている。
>>508 「林勘兵衛」でググったところ、灰式カイロの発明者と出た。
灰式カイロには塩や鉄粉を入れないので、
>>500は
使い捨てカイロの事を書いていると思われる。
510 :
世界@名無史さん:2009/04/04(土) 22:39:55 0
とりあえず、
>>502は林某をぐぐる前に
中世がいつの時代を指し示すのかをぐぐれよw
あとは
>>500の主旨が『発明と実用との間には大きな壁がある』
ということにもいいかげん気づくべきだな。
>>502の指摘の主旨は、問題は
>>500が「カイロの組成は木炭の粉、塩、鉄粉だが、」と言い切って、
それ以外に存在しないかの様に書いた事だと気づくべきだな。
500で書かれている物は、鉄の酸化による発熱と炭による酸化鉄の還元という
化学反応を組み合わせた原理でできている。
18世紀に発見された原理が、中世に発見されている訳が無い。
よって500も510も充分知ったかだ。
ボルタのはるか以前、古代に電池こさえてメッキしてたってのはトンデモかね。
原理が発見される前から利用されてた技術もあると言いたいのかもしれんがそれとこれとは話が別じゃないか
西洋人がその時代に原理を発見したからと言って、
古代メソポタミアで原理が発見されていないという事にはならない。
514的な説明をしたいんだろうが、それなら
アルキメデス以前でもギリシャ人は船を作っていたとかの方がまし。
どっちにしろ500の話とは全く別の問題だな。
>>507 >シャツ1枚で過ごせるほど
誇張しすぎ。
そんな資源の無駄は普通の家庭ではやらない。
室温自体を比べれば、日本とおんなじだよ。
セントラルヒーティング云々で違ってくるのは、もっとトータルな部分。
>>506 質問したやつは、湯たんぽや温石を想定して聞いてるんだが。
518 :
502:2009/04/05(日) 12:03:49 0
最も早く実用化されたカイロは灰式カイロだし、
>>413はそれを
知っていたみたいなので、当然灰式カイロの話をしていると
思っていた。
ところが
>>500は
>カイロって酸化反応をコントロールできないと使い物にならないから、意外と高度な技術だよ。
と書いたので、
>それは使い捨てカイロの話では?
と指摘した。
何故それで叩かれるか、分からない。
説明してくれた方々、ありがとう。
>>513 考古学板のオーパーツスレ見ろ
トンデモネタ全部論破しちゃって今は過疎化してるが
ローマの水道橋とかの方がよっぽどオーパーツだよなw
水道橋は建設コスト度外視なら特にオーパーツってほどじゃないべ
金字塔の方がオーパーツだべ
>>516 市街地のセントラルヒーティングは資源の無駄遣いじゃないよ
もともと廃棄されてしまう発電所の廃熱が熱源だからね
暖炉もものすごい熱量があって家の中が暑くなる
室温は25-27度ぐらいになるから部屋ではTシャツに短パン
日本とは全然ちがう
東欧や北欧のやつらが「日本の冬は寒い」というのはこれが理由なのよ
中世の話しようぜ
>>523 じゃあ、一部の国に訂正。
俺はカナダ人と一緒にトロント住んでたけど、そんなに室温上げるともったいないって
すぐ言われたし、子どもの頃に住んでいたアメリカ北部(冬はマイナス30度)
でも、Tシャツに短パンなんてあほなことはやらなかった。
話としては聞くけどね。
日本の冬が寒いというのは、部屋ごとに暖めてるから、
切れ目の空間が寒かったりすることが主な理由で、部屋自体は
25度以上に設定しているやつも多い。
25度とは豪儀だな
527 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 16:19:53 0
俺の彼女の部屋なんかいつも設定温度見ると30度だよ
息苦しくてしょうがねぇ
>>525 検索したらこんなのあったよ↓
トロントの冬の訪れは早く、11月には雪がちらつく日もあります。位置的には北海道より北に位置していますが、
家の中は暖房が完備されているので暖かく、冬でも室内では半袖で過ごすトロントニアンも多いです。
>半袖で過ごすトロントニアンも多いです。
こういう文章を読んだらどう思う?
>スコットランドの冬は、東京と比べるとかなり寒いですが、ヨーロッパの人たちは
>日本人と比べると寒さをあまり感じないのか、半袖で外を歩いている人たち
>もよく見かけます。
朝鮮屁理屈
お前は言い負かされる度に、相手を朝鮮人呼ばわりするのか
>>507 そもそも、
>氷点下20-30度の極寒の冬でも家の中ではシャツ1枚で過ごせるほど暑く体温が上がっている。
>そのため外出時にカイロなど持つ必要がない。
この理屈がいまいち分からん。
そういう面もちょっとはあるだろうけど、外出するのって10分、20分じゃないだろ?
さあファビョってきましたw
>>528に対して
>>529が的外れな反論であることをまず認識できないと議論にならんな
だから文系脳と話すのは嫌なんだよ
朱子学的な屁理屈、つまり朝鮮屁理屈で白を黒と言い張るからね
文型朝鮮馬鹿の理屈にはとうていついていけんな
>>533 反論って、、、
529は「論」なのか、、、
単なる皮肉やろ
>>529は屁理屈だね
頭に血が上ってるようだから言いがかりのようになってる
そりゃ朝鮮人呼ばわりもされるだろう
しかも本人に自覚がないのがね…
537 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 19:14:47 0
スレ違いだからそろそろ中世ヨーロッパのことも思い出してください…
朝鮮人が屁理屈をさっさと認めないからだ
539 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 22:12:05 0
日本の建築は、高温多湿の夏を旨とした建て方だった。
冬は火鉢や囲炉裏、炬燵のような貧弱な暖房で我慢していた。
中部地方や東北でも、夏向きの建築。
ペチカやオンドルがあるわけでもない。
まさに冬は地獄だ。
一方、明治以降に欧米の知識を取り入れながら開拓された北海道では、
寒い冬を前提とした建築が主流となっている。
保温効果を高めるために窓が少なく、壁が多い。縁側なぞもってのほか。
冬は貧弱な暖房で我慢することなく、大型ストーブを盛大に焚く。
室温は、シャツ一枚で過ごせるほどにまでに上げる。
このような生活になれた北海道人が本州で冬を過ごせば、室内のあまりの寒さに
体調を崩すことがある。
一方、寒い室内になれた内地人が北海道で冬を体験すれば、厳寒の戸外と温暖な室内、
そのギャップに身体がついていけず、身体を壊すことがある。
もうシャツ一枚の話は止めにしないか?
541 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 23:05:07 0
ヨッシャ次は全裸だ!
どこかにある冬戦争スレあたりでロシア人とフィン人の耐寒能力について議論してくれ。
543 :
世界@名無史さん:2009/04/07(火) 23:24:25 0
江戸時代の北海道に和人が立てた建築は、板葺きの木造建築。
冬の寒さにはあまりにも無防備だった。
囲炉裏にいくら盛大に薪を焚いても、暖まった空気は煙出しから逃げてゆく。
幕末、カムチャッカ半島に抑留された高田屋嘉兵衛は、現地の家について
「ペーチという炉を焚くゆえ、家の中はあたかも春のよう。襦袢一枚で過ごせる」と語っている。
襦袢一枚!
>襦袢一枚
昔からシャツ一枚という表現は変わらないんだなw
しかしロシア人に関しては「あいつら氷点下でもTシャツ1枚で平気でいる」とか言われるな。
酔ってれば寒いとか関係ねえからなw
>>545 あいつらは氷点下でも裸で泳いでるよ。
シャツなんぞ不要。
毎度毎度お前は、北欧のことしか知らんのか?
「気温が・・・℃の時、フィンランド人はどんなふうにふるまうか、そのとき他国では何が起きているか」
+15℃。スペイン人は毛糸の帽子をかぶり、手袋とコートを着用。フィンランド人は日光浴をする。
+10℃。フランス人は集中暖房をつけようとむなしい努力をする。フィンランド人は花壇に花を植える。
+5℃。イタリアでは車のエンジンがかからなくなる。フィンランド人はオープンカーでドライブする。
0℃。蒸留水が凍る。フィンランドのヴァンターヨキ川の水は、ほんの少し凝固する。
−5℃。カリフォルニアでは住民が凍死寸前。フィンランド人は庭で、夏の最後のソーセージをグリルする。
−10℃。イギリスでは暖房を使い始める。フィンランド人はシャツを長袖にする。
−20℃。オーストラリア人はマヨルカ島から逃げ出す。フィンランド人は夏至祭りをおしまいにする。秋の到来である。
−30℃。ギリシャ人は寒さで死亡。フィンランド人は、洗濯物を屋内に干し始める。
−40℃。パリは凍えてガチガチ音を立てる。フィンランド人は屋台に行列する。
−50℃。シロクマが北極から退避しはじめる。フィンランド軍は、本格的な冬の到来までサバイバル技術の訓練を延期する。
−60℃。コルヴァトゥントゥリが凍結。フィンランド人はビデオを借りて家の中で過ごすことにする。
(コルヴァトゥントゥリはフィンランド北部・ラップランドにある山でサンタクロースが住むとされる)
−70℃。サンタクロースが南方へ引っ越す。フィンランド人は、
コスケンコルヴァを屋外に保管しておけなくなり、いらいらする。フィンランド軍がサバイバルの訓練を開始。
(コスケンコルヴァはフィンランドの蒸留酒でアルコール度数が非常に高い。通常、飲む前にビンごと冷凍庫に入れて冷やす)
−183℃。食品の微生物が死滅。フィンランドの牛は、乳しぼりに来る人間の手が冷たいと文句を言う。
−273℃。絶対零度。あらゆる原子の運動が停止。フィンランド人は「くそっ、今日はずいぶん寒いじゃないか」と言い始める。
−300℃。地獄が凍結。フィンランドがユーロヴィジョンで優勝する。
イタリア、さすがだな
バカはいい加減地理板に帰れ
フィンランドはスレ違い
あそこは朝鮮と同じで原始時代と現代しかない国
フィンランドに中世は無いんだから
お前は朝鮮が口癖なのか?
毎度毎度目障り
556 :
世界@名無史さん:2009/04/09(木) 23:44:35 0
朝鮮の伝統的暖房システム「オンドル」は誠に合理的。
台所の竈から出た排煙を床下に通して、下から温める床暖房。
日本に伝来しなかったのは誠に残念です。
すれ違いネタはもういいよ
フィンランドはスレ違い
あそこは韓国と同じで原始時代と現代しかない国
フィンランドに中世は無いんだから
>>517 湯たんぽや温石など中世どころか原始人でも出来るだろw
561 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 22:16:34 0
湯たんぽや温石は存在の証明というよりも
本当にその目的で使われたかをどうやって証明するかという
考古学的な問題をクリアすることのほうがはるかに難しくて、
実際にはその証明ができないだけだろ。
洞窟壁画で焼いた石を皮に包んで抱く絵が発見されたとかなら証拠になるけど、
焼けた石だけでは証拠にならないからね。
スレ違いだけど、中国だったら数千年前ぐらい前に
そういうことをやっていた記述の文字記録が確かあった。
564 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 14:57:18 0
西洋の場合は羊皮紙が和紙と比べて
長期保存に向かなかったために文献そのものが
あまり残ってないのもネックなんだろうな。
重要なことはみんな石に刻んだ。
石の勝利ってやつだね
湯タンポから始まってアホな奴らがTシャツの話題ばっかしてたお陰で
スレが垂れ流れたなw
湯湯婆君は悪くないけどCネタ出す輩がいるからおかしくなるんだよ
569 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 18:50:06 0
ウィキペディア情報では、羊皮紙は条件さえよければ1000年以上保存できるという話だが?
第一、紙と違って容易に破けたり燃えたりしない。
湿度が高いと紙より弱そうだな
紙は泥の中でも残ってるからなあ
>>569 羊皮紙っておそらく酸やアルカリに弱いんじゃないの?
wiki見ると羊皮紙は製造過程で脱脂しているようだが、
それでも残る脂分は経年変化で分解されると昔の洋紙(酸性紙)と同じく
おそらくは酸性物質を発生させて羊皮紙の自己崩壊を促進することが多い。
和紙は繊維が比較的長いので形状保持能力が高いこと、
和紙自体がpH7前後の中性であり分解されても酸やアルカリを発生しない
などの点で保存性が高いからね。
573 :
572:2009/04/11(土) 21:31:47 0
実は仕事で酸性紙の保存処理に携わったことがある。
保存処理にはガス処理と液体処理の2種類があり
前者は高圧アンモニアガスを本に浸透させた後に
高圧の酸化エチレンガスで紙をアルカリ固定にして延命維持する方法。
後者は本をばらした後、1ページずつに
弱アルカリ性水溶液(これは各社により様々)を塗布し
もう一度装丁しなおすというもの。
コストは圧倒的に前者が安いが紙の色が若干変色することが多い。
後者は筆などで紙をこするので文字情報が欠損する可能性が高い。
オレは前者のほうを試したが、ボールペンのインキ(青や緑)や写真は
色が抜けてしまったことがあったので、
おそらく紙の保存性にはインキのpHも影響してるんだろう。
和紙と墨が最強の記録媒体
それをなんで、活版印刷に利用できなかったのが考えてみろ
なんで喧嘩腰?
>>576 考えるまでもないと思うが、アルファベットだけで事足りる西洋と
複雑極まりない漢字を使う中国では活版で用意する文字数が違いすぎる。
後はサイン文化圏の西洋とハンコ文化圏の東洋の違いも考慮しないとね。
サインを意匠化した花押も用いた日本は、流石に「アジアに近い海洋文明」だな。
しかし「印章」はすでにメソポタミア文明で使用されていたのに、
なぜ木版印刷は中近東や地中海文明ではなく、5世紀頃の中国で生まれたのだろうか。
活版とは、いわば印鑑を集めて文章を作る技術。
なぜそれが生まれるのは、ルネサンスを待たなくてはいけなかったのだろうか。
「ギリシャローマ時代は、読み書きのできる奴隷が一枚一枚手書きで書き写し、
本を作っていた」という話を聞いて
「木版があったら・・・」と心から思ったな。
もっとも、羊皮紙やパピルスは版木と相性が悪いのかもしれないが
ヒント、無理に機械化するより奴隷にさせるほうが効率的。
帝国が崩壊し、奴隷制が廃れてからの本は超高級品。
>>580 ある程度以上の市場があって、出版による利益が見込まれなければ、
活版なんて不経済な方法としか思えないからだろう。
文盲も多かったからな
そもそも活版印刷なんて必要ないだろ。
銅板印刷で充分だ。
本を読むのは坊主が多かったし、聖書の翻訳や写本で。それも手書きでの書き写しだった。
仏教の写経もそうだけど、聖書を書き写す事自体が修行や奉仕活動に当たるからな。
その辺が実利的な新教になってからじゃないと活版印刷なんて無理だったんだろう。
587 :
世界@名無史さん:2009/04/14(火) 23:10:34 0
カトリックの学問僧には特殊な記憶法を使って読んだ書物の内容を丸ごと頭に収めている者がいたそうですが、
そういう僧侶は昔はざらにいたんでしょうか? それともごく一部?
それだけが人生の役目の奴とか結構いたんじゃないの?
中国へ布教にいったイエズス会士とかでもその術を身につけてる人がいたらしいので
他の事を犠牲にしないとできないというものでもないんじゃないかと。
イスラム圏は今でも、クルアーンの記憶や写経は尊い行為だとされているな。
エジプトあたりですら、犯罪者でもクルアーンを暗記すれば減刑されるのだとか。
クルアーンは今でも他国語に翻訳しちゃダメらしいけど、
中世ヨーロッパはラテン語以外の聖書は認められなかったんだよね
ルターがそれで火焙りにされたんだっけ?
ルターを勝手に殺すなw
あ、フスだった
>>590 > イスラム圏は今でも、クルアーンの記憶や写経は尊い行為だとされているな。
まあ、それも理由ではあるんだろうけど、アラビア文字の書道は、特にイランや
中央アジア、現在のパキスタンで流行した、ナスタアリーク書体なんかがそうだが、
文字の綴りに傾斜をつけて重ねたり、ある特定の文字の配列には文字同士の繋がり方が
複雑化したり、場合によっては文字を上に重ねたりするのが、美的に美しい文章と
されていた。
ラテン文字や漢字のように草書体になっても一字一字は分かれているというのとは
微妙に違っているため、活字を作るというような必然性が生じなかったと言えると思う。
イスラム世界における伝統的な書物の流布は、書家が大量に居たため彼らが書写したものが
出回ったが、マドラサでの講議や学問での師匠につくと書物を朗読してそれを丸暗記したり、
自分で音読して丸暗記したり、黙読して暗記したり、ともかく正規の宗教的な学問などは
主要な文献はとりあえず暗記するのがメインだった。
勿論、『クルアーン』や主要なハディース集なら幼少から続ければまあ丸暗記は可能だろうけど、
それにも限界というものが当然あるので、他の雑多な書物は忘れたら困る場合保険として
書物を保持するという感じだったようだ。こういった書物の読み聞かせなどをやって書写した本を
校合して、間違いが無いと確認したら「校合済み」と印をつけていた。
イスラム圏の場合、18世紀の終わりくらいに西洋から一応活字化する技術が移入されたが、
全然美しくないうえ読みにくい代物だったのでほとんど流行らなかった。
>>595の続き。
例えると、日本の御家流こと尊円流(青蓮院流)がそのまま活字化出来るか、というような
感じだが、日本の場合、版木にそのまま書いてそれを版刻して印刷したものが大量に出回ったが、
実はイスラム圏も似たようなものでその問題を一先ずクリアした。
西欧から活字に少し遅れて19世紀にリトグラフが移入されたが、これが爆発的に普及した。
石版や金属板などに書家が直接文章を書いて、それが印刷出来たので、20世紀の中ぐらいまで、
イランからインド方面では活用され、特にパキスタンでは90年代にPCなどのアラビア文字の
電子フォントが普及するまでリトグラフで新聞などが発行されていた。活字の方は19世紀半ば
から末くらいに一番活字化し易くかつすっきりとしたナスフ書体をもとに活字が改良され、
エジプトやトルコなどの国営の印刷所でクルアーンや主要な古典文献の刊行がされて、それが
現在に至っている。
>>591 いや、正確には「他の言語に訳したらそれは『クルアーン』とは呼べる代物ではなくなる」
ということ。クルアーンのアラビア語の原文を他の言語に翻訳するということ自体は古くから
行われている。
教義上の問題でアラビア語の原文以外は『クルアーン』とは呼ばれないけど、イスラム圏では
クルアーンの章句の単語一句一句の意味内容を解説したり解釈する学問、「クルアーン解釈学」
(タフスィール学)が古くから発達していて、このクルアーン本文のアラビア語の単語を一句一句
ペルシア語やトルコ語、漢語などの訳文をつける、ということを昔からやっていた。
こういったアラビア語の原文にペルシア語などで意味を書き加えていったものは、伝統的な
イスラムの学問では、タフスィール書のひとつに分類されていて、このためアラビア語が分からない
非アラビア語圏のムスリムでもクルアーンの内容を正確に知る事が出来た。
(無論、同時に現地の主流な学派の意見が反映される場合が多かったが)
↓代表的なタフスィール書である、9世紀の大学者タバリーの『大タフスィール』のペルシア語訳。
(写本は18世紀のもの)黒字がアラビア語によるクルアーンの原文で、下の赤字はペルシア語による訳文。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f1/Quran_page_in_naskh.jpg
>>587 特殊な記憶法というか、いわゆる記憶術だから、出来る人間は
割と多かったと思うけど。
ドルイドから来た暗唱法とギリシャから来た記憶術が結びついてキリスト教式の
記憶術になったんだけど、方法自体は普通にキリスト教教育に使われてた。
現代でも日曜学校で、子供達が普通に暗唱聖句を覚えさせられる。
優秀な僧は低い身分の出身でも出世できたから、
中国の科挙で四書五経を覚えるようなもので、結構居たんじゃないかと。
靴職人の息子のセルギウス4世やウルバヌス4世とか、
庭師の息子のシクストゥス5世とか低い身分から教皇にまでなった人も時々居る。
聖書から引用するのは聖職者の常識みたいなもので、覚え間違ってたりしたら
首相の漢字読めないどころじゃないスキャンダルになりそうだし。
599 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 11:26:32 0
ドルイドはケルトに限定した言い方。
稗田阿礼みたいな人は世界中どこにでもいた。
アーリア人(インド・ヨーロッパ語族)ではケルト、ゲルマン、スラブ、ラテン、ペルシャ、インド、アルメニア、など
どの言語圏でも最高階級である僧侶がそういう訓練をするのは普通。
ドルイドが基盤にあったから中世初期のキリスト教において、
僧の教育をアイルランドが独占したんだがな。
アイルランドが聖者と学者の島と称えられたのは基礎があったればこそ。
というか毎日なんまいだーなんまいだー詠んでればそのうち覚えるんじゃないか?(時計ないときに料理の時間計るときに便利なんよw)
602 :
世界@名無史さん:2009/04/15(水) 12:40:17 0
長い物語を口承によって伝えるってのは珍しいことでもないし
チベット仏教では今でも経典の暗誦は大事な訓練だな
>>598 でも「聖書の覚え間違いを指摘出来る人」って農村じゃほとんどいなかったような気も。
例えば近くの町まで歩いて一日以上かかる農村で、字が読めるのは教会の神父だけ。
旅人も滅多に来ない。来ても商人でラテン語の聖書なんか読めない。
そうなると日曜日のミサで説教なんかして、聖書の語句を間違えて引用しても
誰も知らないから指摘しようがない。
そもそも、ブリテンでは聖職者も文盲で、意味が分からない場合が多かったというしな。
辺境だから致し方ない、みたいなもんでわ。
まあラテン語なら音から字が想像できるからマシじゃね?どこぞのカエルの言葉とは違って
ボスニア教会の「異端」というのもどっちかというと教義の無知だったとか
>>605 確かに司祭の間違いを指摘できる農民は居ないだろうけど、
聖職者の集団である修道院や神学校では様々な訓練をし、
そうした修行時代に先輩からたしなめられたり、
うっかり教師役の僧が間違ったら「先生そこ間違ってます」となったのではないかと。
そして有名な神学者や高僧が神学校の公開討論なんかでやらかしてしまうと、
当時の知識階級である僧侶達の中で話が広まってしまう事になるわけで、
ローカルな信者の間で噂になるより困った事になると思う。
なるほど、そこで異端の烙印が押されるわけか…
いまでもカトリック教会では信徒が勝手に聖書を読むことを推奨していないけどね
解釈が分かれるために混乱を生むから
禁止はしていないから読んではいけないというわけでもないが、神父さんがそれを知ると怒る
聖書を読みたいなら神父さんと一緒に少しずつ読むこと、となっている
>612、一瞬神父さんが膝の上に男の子乗せて一緒に読んでいる微笑ましい絵が浮かんだぞ。
カトリックの権威を守るためには愚民には考える機会を与えたくはないだろうなあ
中世イングランドのPiers Plowmanという物語には
「主への祈りは覚えてないが、ロビン・フッドやチェスター伯ランドルフの歌なら諳んじてる」
というふざけた僧侶が出て来るそうだ。
現実にも下級聖職者にはそんなのがいたんだろうか。
まあ日頃重労働してる農民たちは、教会で神父が説教垂れてる間みんな居眠りしてたらしいけどな。
「居眠りするな」ってひつこいくらい当時の教会の文書に出てくるそうだ。
>>615 聖職者といっても学僧ばかりじゃないからね
中世の傭兵とかってどんな装備していたんだろか。
主に強奪、奪取したもので補っていたのかな?
剣や馬は大抵が自弁だろ。
小さな村の教会の僧侶なんかは
普通の農民の次男とかがなってた場合も多かったみたいで
説教全然しないで教会付属の農地を耕すのに精を出してる姿を見て偉い人が嘆く話がよくある
田畑を耕すことで勤勉を説いているんだよ
それを嘆く聖職者はどうかね
気に入らないのなら教皇庁から派遣すればいいのに
説教だけでパンは食えまい
>>618 出身によるのでは。
騎士なら具足一式身につけて馬上でランスや剣で戦うだろうし
もっと下の身分なら徒歩で弓矢や弩、長柄で戦うと。
棍棒じゃないのか
打撃武器が発展するのは、鎧がもっと発達してからじゃないの?
刺突武器や刃物より作りやすくて安くつくから、早いうちから発展してたんじゃないか
>>625 オスプレイ社の「ノルマン人」って本のイラストで
へースティングの戦いでオド司教がメイスもって戦ってるのを見たことがある。
あの頃は鎖帷子が主流だったけど。
バイエルンのラント・フリーデが1244年に発した布告。
「農民及び彼らの息子は,教会に行く場合に限って,鉄兜,鉄帽,革鎧,
両刃の短剣,鎖鎧その他の軍装を着用することを許可する
農耕に出る場合には,短いナイフと鋤だけしか携行してはならない
帯剣できるのは家長のみで,その他の者には許されない
ただし,犯罪人を捕縛し,外敵の侵入を防ぎ,国の危難に備えるために必要なものは,
欲すれば如何なるものであれ,家の中に貯蔵してもよい」
エッセン女子修道院長が1328年に発した布告。
「悪しき人々の攻撃」によって苦難に陥った修道院領の農民を守るため,
「領民にして,馬,甲冑その他の武器を所有する者があれば,
その馬や武器は所有者の死後もエッセンの防備のために子孫または相続人の手に
保有されるべきである
余も余の役人も,かかる馬や武器を遺産相続やその他の理由によって没収してはならない
また何人も,これらの馬や武器を負債の故をもって差し押さえてはならない」
農民でも富裕ならそれなりの装備はあり、それが没落したとき残った財産が武具だけという事もある。
そういう農民が行き着くところは盗賊騎士団。
更に中世後期には盗賊騎士団には専属の鍛冶屋がいる事も珍しくない。
ギルドの規制が厳しくなって、鋳掛け屋、遍歴職人などが行き場を失い、
これまた行き着くところは盗賊騎士団。
14世紀頃に北イタリアを荒らしてた傭兵団で、元司祭の隊長が率いてた軍団がいたらしいね
長子相続のとこだと、次男以降は「聖職」か「軍人」の選択肢なんだけど、
聖職についてみて肌にあわねーなって人が軍人に乗り換えたとか結構ありそう。
つーか、中世の司祭なんか肩書きが爵位か聖職かってだけで普通に単なる領主だしなあ。
それは司祭じゃなくて司教だろ・・・
広大なフランスでも100人分ぐらいしかないような有力貴族用のポストが司教。
十万人レベルのヒエラルキー最底辺の司祭(主任司祭)・助祭(助任司祭)は平民出身。
普段から教会で民衆と接してるのは最底辺の平民司祭さん。
司教まで昇れる平民はごくごくわずかだし、好きこのんで司祭になる貴族も居ない。
もちろん受けられる聖職教育も大きな格差があったから、聖書も読めないアホ司祭が居ても不思議ではない
こいつらを監督するのはやっぱり貴族出身の司教だから、元々やる気のない司教ならアホ司祭がいようと気にしなかっただろうな
633 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 23:05:56 0
保守であげてみる
>>630 あのナポレオンも次男坊として聖職に就かされるところだったけど
本人が『坊主なんてヤダ』と言って士官学校に通ったらしい。
長男のジョセフは哲学者か詩人になりたいとか言ってたような……。
635 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 21:49:17 0
ほしゅ
636 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 01:04:09 0
>>634 兄貴は度胸がないから黙って坊主になれ。
軍人なら俺がやってやるから。と言い切ったとか
誰が聞いてたんですか?
そりゃージョセフじゃないの?
639 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 20:52:45 0
福
640 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 20:18:45 0
hosyu
641 :
世界@名無史さん:2009/07/07(火) 13:11:01 0
ほしゅ
アンシャン・レジーム期に、次男=聖職者が定番だが、
大革命後も、聖職者なのか?
643 :
世界@名無史さん:2009/07/19(日) 17:11:28 0
ほしゅしてみる。
叩くネタがないと伸びないね
マクロ視点での大局的な世界の流れより
中世の民草が抱いていた宇宙観というか
そういったミクロな部分のほうに興味があるんだけど
阿部謹也先生の著作をあらかた拝読した後でのオススメがあれば教えてください
ちとスレ違いだけどヨーロッパ以外でもそういうのがあれば是非
アラブが見た十字軍も面白かった
あ、それと最近自分の中で
人はいつから宗教を宗教として認識し始めたのか
というのがテーマなんだけど、そのあたりに造詣のある本があればそれも頼んます
政教分離とかそういった規模じゃなく、文化と完全に結びついていた宗教が
学問の場でなく民間のレベルでいつから切り離されたのかって事です、これは近代史の領域かな?
>>644 「ロシアの神々と民間信仰」って面白かったよ。
疲れてるので内容をうまくまとめられないけど
一言で言うと「おそロシア」これに尽きる。
>>645 それは日本人だから思うだけでしょ。
世界の多くの場所で神はまだ生きている。
ヨーロッパではニーチェが神は死んだと言い出したあたりから神が死に始めたけど、
民衆レベルでは更に後、20世紀のどこかでしょう。
USAだって今でも進化論を教えるべきではないとか言ってるくらいに
神を語る事はおかしな事ではない。
日本では織田信長の時代離れした政治感覚によって早くに政教分離がなされたけど、
民衆は江戸時代、明治あたりまでは道端のお地蔵様やお稲荷様の前を通るときには
当たり前のように拝んで通った。
日本の家から神棚や仏壇が消え、お地蔵様やお稲荷様を拝まなくなったのは
やはり大正か昭和になってからだろうから、近現代の話になるでしょう。
本質的な教えはともかく、旧約聖書の矛盾だらけの二次創作であるキリスト教の世界観が
なんでこんなにも広範に支持されているんだろうか
ナザレのイエス個人の言動そのものは個人的に敬意を払っているし
本質的な教義に共感する部分もあるけど
その弟子がでっち上げた新約聖書は明らかにうさんくさい代物だと思うんだけどなぁ
古の時代の聖書研究者達は疑問に思わなかったんかな
宗教批判なり神学論争なら心と宗教板行ったほうがいいぞ。
チラ裏なら糞食って死んでくだちい。
別に批判はしてないよ、彼らの教義と信仰に対して苦言を呈しているわけじゃないからね
純粋に当時人々の心に何が起こっていたのか知りたいだけ、十分に世界史の範疇
それ中世じゃないからスレ違い
右も左もよくわからない、不勉強な状況でモゾ語っているなら学究失格だ。
十二分に勉強して裏付けとって、意見を固めた上で水掛け論を仕掛けているなら、人間失格だ。
>>648 白黒はっきり言うところが、せっかちにすぐ答えを求めるヨーロッパ人の琴線に触れたんだよ
それを言ったらイスラームの方が教典に矛盾が少なくてはっきりしてるぞ
>>647 > 日本では織田信長の時代離れした政治感覚によって早くに政教分離がなされたけど、
事実誤認
信長は無心論者でもなければ政教分離もやっていない。
むしろ濃厚に中世感覚を残した人物。
> 日本の家から神棚や仏壇が消え、お地蔵様やお稲荷様を拝まなくなったのは
> やはり大正か昭和になってからだろうから、近現代の話になるでしょう。
むしろ神棚や仏壇が普及したのはその大正昭和。
ロンドンでこの前「There's probably no God. Now stop worrying and enjoy your life.」って広告つけたバスが走って現地で物議をかもしていたな
>>655 ヨーロッパ人の大好きな酒が飲めないだろ
ぶーぶーさん食えないと死ぬって!
660 :
世界@名無史さん:2009/07/23(木) 22:35:29 0
>>658 イスラム教は元々禁酒じゃなかった
欧州からワイン等の酒類を輸入もしてた時期があった
そしたら欧州側は調子に乗って値段を吊り上げたので
「じゃ、教義で禁止してお前らからは二度と買わねーよ」としただけ
酒が飲めなかっただけだろ
スレ違いと言うのは認めるがクンプリアのブローハム城って何処の国にあるんだ?
検索しても有力な情報が出てこない…
イスラムじゃ豚食えないからだろマジで
養豚はヨーロッパのアーリア人文明の古代からの基本だ
>>662 カンブリア(Cambria)のブローハム城(Broham Castle)だろうがタコ
イギリスだよ
ちなみに〜ハムってつく地名は大概はイギリス起源だ
これぐらい知っとけ
>>663 > ヨーロッパのアーリア人文明の古代
今時アーリア文明とか信じているのか…
そんな威張ることでもないだろ
つーかBroughamじゃないの?
ありゃ?Broughamと知ってるのに、なんでおいらBrohamなんて書いたんだろ?w
威張れないなこりゃw
>>666 アーリア文明じゃなくて、アーリア人文明
黒海西岸周辺に紀元前4000年ごろに発生した印欧語族の最初の文明で、
養豚を中心とした牧畜によって食糧問題が解決した
ここから印欧語族(イリュリア、ケルト、ラテン、ゲルマン、スラブ、バルト)は波状的にヨーロッパへ広がった
>>669 「アーリア人」って物自体今は殆ど否定された概念だと思うが。
ナチスを想起させるから言わなくなっただけで、
本来の概念としては昔もいまも印欧語族のことを指してるよ<アーリア人
印欧語「族」って物自体が空想の産物だよ
>>664 サンクス、ドイツ〜チェコ 古城街道って本を買ったんだが
P.107に城の完成過程で「クンプリアのブローハム城を例に〜」って書いてあるんだ
ドイツに無いし、フィクションか?
と、思ってしましたw
本当にありがとう!
674 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 21:08:20 0
生物の進化と同じで証拠が残らないから空想の産物と言えばそうなのだが
印欧語族という概念自体はそうおかしなものではない
(※化石は血統関係を直接示すものではない)。
ただし気をつけなければならないのは「印欧語族」は言語の分類上の概念であって
人間集団を分類する概念ではないということだ。
>>671は
アーリア人=印欧語族
としているが、これは
アーリア人=印欧語族に属する言語を話す人々
とでも言うべきだろう。
しかし、
アーリア人=印欧語族に属する言語を話す人々
が正しいのか、私は知らない。
アーリア人というのは血縁関係で人間を分類する概念ではなかったかな?
交流に乏しい古代のことだから
血縁関係による分類と母語による分類が一致するのだろうと
ナイーブに想像してしまいがちだが、正しいのだろうか?
神話とかそういう分類での区分けって無いもんですかね?
別に無くてもいいけどさw
欧州方面に意外と多いのが、輪廻転生を信じている人達。
カトリックなんかは勿論、新教諸派も明確に否定しているのにも関わらず。
ちなみに、中世欧州で輪廻転生を前面に出していた(と言われている)のが、異端のカタリ派。
宗教でキリスト教圏とか正教会圏とか分類はあるけど、それとは別に神話といってるのかな?
その場合神話と宗教の区別を如何したいのかとか問題は沢山ある。
例えばミトラ教は、ユダヤ教は、アトン信仰は、アモン信仰は宗教と神話のどっちなのかとか、
ミトラ教の範囲はどこまでなのかとか。
ケルトのドルイド教、ギリシアのオルペウス教、ピュタゴラス教等にも輪廻とか転生の概念はあったから、
輪廻転生は西欧の基礎概念に含まれている。
転生はともかく、輪廻の部分は宗教によって微妙に変わってくるけど。
ケルトの輪廻はオリジナルだけど、カタリ派の輪廻は、
ギリシア>グノーシス派>ボゴミール派>カタリ派という系譜で受け継がれたもの。
神話や宗教も伝播したり影響し有ってるから民族以上に区分けしにくい。
アーリア人は、印欧語族というより、
インド・イラン語派を話す集団に限定して使うべきだろ?
678 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 09:32:17 0
バラモン教もアーリア人の宗教であり、輪廻転生が前提
仏教はアジア人ゴータマによる、バラモン教へのアンチテーゼ
「輪廻転生だなどという、証拠もないものを妄信するより、そういうのはあってもなくても意識しないのがいい」
ブッダとその取り巻きはクシャトリア、ヴァイシャ階級、
つまりアーリア人の本流に近い人たちだろが。
てか本来アーリア人と呼ばれた、自称した人たちは、思い切りアジア人。
釈迦族は現在のブータン人に近い人々でアーリア系じゃないよ
しかもあの国は原始民主制で議会政治を採っていた
本流どころか、思いっきり非アーリア
中世の農村というと、閉じた世界で、仕事もルーチンワークで
毎日手いっぱい、楽しいことなんかないし……というイメージですが、
とくに子供たちにとって、そこはどんなところだったんでしょうか。
農作業の手伝いで大変な日々とはおもうのですが、やっぱり子供ですから
たとえ世界が狭く閉じてたとしても、どきどきわくわくはあったと
おもうんです。
そういった面を調べるよい本があったら教えてください。
前提ありきで資料探すのん?
>>682 子供の頃を思い出すと、大人となったいまでは信じられないような
くだらないことを真剣に楽しんでたと思うし、きっとそれは昔の
どこの地域の子供たちもかわらないと思うんです。
もしそういうはなしをご存じなら、教えてほしいなと。
その村が生きる世界でも、その外への憧れは残るというかなんというか。
表現へたですみません。
本当に暗い、忙しいだけの毎日を子供たちが送っていたとは
思いたくないだけかも知れませんが。
何となくホイジンガの「中世の秋」が真っ先に浮かんだけど、ちょっと違うかもしれない
>>681 中世はそんなにひどくないよ。
物質的には貧しくても生活は現代より豊かだった。
大人も妖精や幽霊を信じ、遊びに興じていた。
中世は大人と子供の差が無かった。
7歳くらいでコミュニケーションが取れるようになった段階で
大人と同様に働くようになるけど、同時に大人と一緒に遊ぶ。
しかし近代になり科学的思考が生まれると大人の世界から妖精や幽霊が消え、
その大人の世界から消えたものの再発見として子供の発見が行われた。
ルソーがその最初とも言うが、現代ではアリエスの『<子供>の誕生』が
大きな転機になって議論が起き、ポロクの『忘れられた子どもたち』のような反論があり
そこらの話を直接本を読まないでもネットで調べた上で、
『ブリューゲルの『子供の遊戯』─遊びの図像学─』を読むのを勧める。
参考に以下も。
ttp://www.fuchu.or.jp/~okiomoya/tabinoehonn/kodomonoyuugi/kodomonoasobi.htm 他には中世の民話等も参考になるのでそっち方面も読むと良いと思う。
重要なのは現代の「大人と子供」の常識は飽くまでも現代のもので、
中世の常識とは違うと言う事。
中世は子供だけにどきどきわくわくが有ったのではなく、大人の生活もまた
妖精や悪魔や幽霊の中にあり、遊びとその時間に溢れていた。
>>684 ホイジンガなら『ホモ・ルーデンス』もありかも。
>>685 > 物質的には貧しくても生活は現代より豊かだった。
> 大人も妖精や幽霊を信じ、遊びに興じていた。
なんか知らんが寒気のする文章だな。
中世人の生活・精神文化なら、もっと一般的なのを多く読んで
・・・なんてのじゃ質問内容からしておよびでない感じだし、
685以上の回答は望めないっしょ。
>>685 著名人の間でも話題になるようなことだったんですね。
それらの本のことをメモっておきます。
ボロ携帯なんでリンク先もろくに読めませんが、退院後にしっかり読ませていただきます。
ホイジンガというかたの著作も。
ありがとうございました。
689 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 13:27:59 0
>>434 >日本の囲炉裏のように部屋の真ん中に穴を掘って火を焚いていた・・・
中世西欧農家は、まだまだ木枠に泥壁づくりの天井の低い竪穴式住居が、
主流ではなかったの?
ちょうど中東あたりに行けば中世欧州と同じレベルの家屋が見れるんじゃないの
天井は高いでしょ。煙を逃がさんといかんから
半地下だから屋根が低く見えることを言ってるのかも
ランブール兄弟はええのう
697 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 19:45:43 0
保守
698 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 18:48:28 0
中世の絵って心がなごむよね
カノッサの屈辱でさえ漫画的で笑える
699 :
世界@名無史さん:2009/09/24(木) 19:52:35 0
フランス革命前の貴族の特権には、狩のとき、
農民の腹に足を入れて暖をとる権利というのがあったらしい。
都市伝説
水がよどむとボウフラがわく
そんな感じだね
日本でも悪逆領主にはそんな話が付いてくるな
質問です。
中世初期〜末期〜近世における、農家一軒あたりの必要農地面積
等をまとめた資料が欲しいのですが、そんなサイトなどはありますでしょうか?
もし書籍であればある、とのことであれば書籍名とできればISBNをお教え願えませんでしょうか?
>>704 図書館とか大学とか行ってみた?
坐して情報だけを得ようというのもねえ
>>705 ええと、それは、図書館などでは普通にそういった資料が手に入る、ということでしょうか?
それと、大学に行くって、大学に今から入学するなど不可能なのですが。
大学生でなくとも大学の図書館で情報は得られるよ。
アマゾンで書籍を検索することもできるよ。
むしろ最近の大学の図書館は検索やらコピーやら利用者サービスがよくなってる
大学や図書館の間でのネットワークも利用できたりするし
入学しなくても母校の図書館も利用できるはず
でも書き込みを見ると
>>706氏はそういう学際には疎い御様子
研究でなければ何のための資料を差がしてるのだろう?
ファンタジーとかゲームレベルの話なんだろうからそういう方面のHP探せば十分出てくるよ。
真面目な歴史レベルの話としてなら質問自体が無意味。
どこをとっても同じ様な平均した数字が存在するという概念が現代の改良品種かつ化学肥料や薬品付けの農業前提。
古代や中世というのは単位そのものが生活レベルに密着している。
エーカーなら「雄牛2頭引きの犂を使って1人が1日に耕すことのできる面積」という事になる。
消費基準のハイドという単位もある。
農家1軒の必要農地が1ハイドという質問の答えにちょうど良い単位になるが、
エーカーに直すと40〜120エーカーくらいの差が平気である。
もちろんエーカー自体も差がある。イギリス内だけでも統一されたのがようやく13世紀。
ハイドを使っていたのは古代から中世初期のアングロ・サクソンあたりというかなり限定された範囲だがその位の差がある。
場所、時代などで生活に見合った土地の単位がある。
山がちなのか、平地なのか、作物は何中心なのか、飼っている家畜は豚中心の土地なのか、山羊なのか、羊なのか、鶏なのか、
そうした条件で何倍の差が出るのに全ヨーロッパの時代ごとの基準値なんて意味が無い。
では大麦中心で豚を飼ってる山がちな地域なら、とか知りたいならその条件の土地の風土記レベルの調査になる。
それでも山の北側と南側で大きな差がある。
そこが知りたいんだと言うなら現地まで行って古い教会の記録とか漁るしかない。
そういうのをまとめた資料が欲しいんでしょ
膨大な量になるだろうけど
現代の世界の農地の面積の一覧無いですかというのと同じだな。
有る訳が無いし、あっても使い様が無い。
>>707-708 なんと、大学の図書館というのは外部の者も利用できるのですか!?
ありがとうございます、日曜にでも行ってみようと思います。
検索が充実、ですか。どのような検索ワードを使えばいいのかあたりだけでもお願いできませんでしょうか?
>>709 どうやらそのハイドという単位が私の求めているものに一番近いようですね。
早速調べてみます…
……
………
…………
すいません、歌手かなんかしか引っかからないです。
あとはウィキのみで、こちらはおおむね709さんが教えてくださったこと程度、ですねorz
>>710-711 おおむね、そういうおおざっぱな感触を知りたいというのが探している理由です。
農家一軒で120エーカーとなると50ヘクタール弱くらい、
日本の戦前農家の20〜30倍くらいですかね。
ただ、出来れば原典を示せるきちんとした資料が欲しいので、
大学の図書館に一度行ってみようと思います。
古代日本の単位では、1人が1年間に食べる米の量を1石と言い、
1石を生産できる広さの田を1反(段)と言った。
班田収受では6歳以上の男一人に2反、女ならその2/3を支給。
土地によって収穫量の差があるので、1反の広さは土地によってまちまちだった。
しかしやがて面積の方を統一して、取れる米の量の差をその分田の評価(税率)を変える事で調整するようになった。
ハイドも同じ様に単位として落ち着く頃には実際の生産量とは一致しなくなるという前提の上でだが、
1ハイド=120エーカー≒400反(太閤検地以降なら480反)。
1ハイド=100の時代とかそもそもエーカーが統一されてないとか色々あるから目安としての話しだが。
日本との比較で言うならそちらの方が計算しやすい。
反での資料なら色んな時代の資料がいくらでも出てくる。
キーワードとしては
「七王国」「フュルド制」でまだ情報は検索できる。
英語が読めるなら
ttp://www.sizes.com/units/hide.htm
そもそも独立自営農が少ない時代だよな。
ローマも独立自営農が無くなり荘園化する事で歩兵軍団が崩れたし。
平等な農民=皆兵制が崩れて、貧富の差=装備の差=騎士の発生が中世の1要因だからな。
>>713 原典を示せる資料って・・・
一体、この人なにをやるつもりなんだろう。
気になる。
卒論だったりしてw
大学じゃないって言ってるし
研究関係なら最初からしない質問だし
それもそうか。
これは失礼いたした。
というと、ライトノベル辺りの作家志望か
空想じゃなくて歴史を舞台にとか思ったのかもね
しかも年代記物で
歴史もの、しかも外国を舞台にするなど、子供の頃からオタじゃなきゃ書こうとは思わんのでは?
ラノベにしては、ちゃんとした資料とか言ってるし。
塩野七生なんかも小さい頃から古書オタクでしょ。
中国史ファンタジーの酒見賢一は東洋哲学科を出てるし、これも学生時代からかなりのオタク。
テレビ番組でもつくるんなら専門家を訪ねるだろうし・・・なんだろうな。
あと女性かもしれんよ、その人。
エーカーの変遷と統一を研究した論文とかならあるだろう
間違いなく邦訳なんてないだろうけど
本当なら余程詳しくないと書こうと思えるものではないんだけど
最近はラノベも歴史っぽいのが結構流行ってるからありえる
そういえば歴女とかも流行ってるらしいね
でもぶっちゃけ704の質問内容みて、少しは歴史齧ってるとは思えないけどなあ
せめて質問内容が自分で理解できるようになってから聞いて欲しい
結局どういう資料が欲しいのか全然判らない
ハーンワールド(違
単位も調べれば面白い。
ドイツやオランダの土地の単位でmorgenと言うのが有るが、
これは朝のうちに耕せる広さと言うことで付いた単位。
この頃農民は朝早くから耕すけど、午前中で終わり。
午後は色々だけど農作業はしない。
本当に暮らし方なんかで変わるのがわかる。
フーフェ制と言うのが有って、この制度だと1フーフェ=農家1軒の家+菜園+農地+共同地という極端なもの。
農地分はドイツだと30〜60モルゲンにあたり、農民は基本的に1フーフェだが分割相続もできるし、
騎士は6フーフェくらい持ってたりする。
共同地は森だったり牧草地だったり色々。
11〜2世紀のイギリスだけど多神教で魔法も存在するのか。
しかも誰でも魔法を使える世界?
1人の騎士>10人の農民の戦力比が成り立たない世界で封建制維持するのは大変そうだ。
宗教は各神殿の関係次第でどうでもありえるけど、
共同して王権に拮抗できる力がないとやっぱり中世にはならないな。
中世の教会建築は宗教の解釈の差がそのまま形になってるんだけど、
多神教だと中世建築は生まれないな。
まあ真面目に突っ込んじゃいけないんだろうけど。
中世欧州はある意味多神教世界でしょ。
ゲームにありがちなのは、一神教が多数ある世界。
>>730 ゲームの話なら、ハーンワールドの魔術は超能力なんで、誰でも使えるわけじゃない。
というか、730はわけわかめ
>>685 長亀レス、スマソ
後半は共鳴できるところがあるけれど、
さすがに物質的に豊かでないと辛いと思う。
何も現代みたいに物が溢れていなくても、最低限 食えないと。
かといって中世=悪、古代=華やかにも疑問だけどね。
古代は中世よりも農業生産力が低かったためか餓死者が多かったし、
障害者は中世よりも迫害されていたしね。
あと、私はアリエスの子供論は極端に思えるから、
それに対する反対本も読んでみます。
それと、中世人は大人も妖精や悪魔や幽霊の話を子供と一緒に
信じて愉しんでいた、とあるけれど、信じていたのは事実だけど、
愉しんでいたというより怖れていたらしいよ。
それこそ科学的思考が発達していなかったし、おまけに中世人に
とっての神は愛の神というより罰を与える恐ろしい神だったらしい。
それを愉しんでいたと言えるのか私には疑問。
欧米ではもはや古臭いとされているアリエスの子供観が
未だに日本では「画期的」とか言われているし、
他のことでも、どうも日本は欧米で流行ったものが
大分後になって注目され、
欧米では衰退してから流行したり、変だよなぁ。
それはともかく、アリエスは己がいかに恵まれていたのかを認識せず(
俺が同世代ならせいぜい小学校どまりで丁稚奉公へ)、
半ズボンを恨み過ぎているw
日本は未だにマルクスとか言ってるのが多いからな。
>>734 物質的な貧しさって、絶対的な生存条件に満たないレベルの貧しさなら誰でもわかるけど、
とりあえず食べる事はできる場合には、他との比較で豊かとか貧しいとなる。
隣村より貧しい、10年前より貧しい。
そういう比較ができなければ貧しいと思わない。
移動をせず、記録も無い、そんな農村の人間の比較すべき豊かさは何か。
一つには中世の商業の発達によって、この村は貧しいとか豊かだとか言える商人と言う存在が生まれて来た。
もう一つ豊かさを農民に意識させるきっかけになったのが黒死病。
人手不足になった為に荘園同士で農民をより有利な条件で集めようとするようになり、
農民が仕える領主を選べるチャンスが生まれた。
その後安定してきたから昔に戻ろうとしてももう遅い。
一度豊かさや権利を知ってしまったらそれを奪われれば不満が生まれる。
中世末期の農民反乱の時代がやってくる。
だから自分が貧しい事を知らなかった農民は、不幸ではなかったし、貧しくも無かった。
貧しいという事を知って初めて貧しくなった。
たぶん、日本にとってアリエスは、子供の発見が画期的だったのではないと思う。
日本はヨーロッパと違って元々子供を意識していた。
今更近代になって発見するようなものではなかった。
所が何でも日本より進んでいると思っていたヨーロッパが、近代になるまで子供を知らなかった。
それが衝撃だったからアリエスが知られたんで有って、子供の発見に驚いたんじゃないと思う。
だから日本人から見れば今更中身はどうでも良いし、だから反論もどうでも良かったんじゃないかな。
>>731,732,733
板違いになっちゃうけど、封建制を支える為には、
騎士階級の武力が農民階級の武力を圧倒して無いと維持できない。
魔法というのはそのバランスを壊す可能性がある。
マーリンみたいに強力でも使えるのがごく僅かで、総体としての魔法の社会への影響が少ないなら問題ない。
魔法使いが支配階級に限定で遺伝されるならこれも問題ない。
階級とは無関係に生まれても赤ん坊の内に支配階級に組み込まれる仕組みがあればそれでも良い。
しかし被支配階級の魔法使いが生まれてしまうと戦力が均衡したり逆転してしまう。
だから魔法使いがどこに生まれるかは重要な問題。
教会は魂の砦。だからその中に入るだけで神の教えを理解できなければならない。
そういう発想の積み重ねが教会建築。
例えば「光は神」か、その論争が建築様式を変える。
光をそのままで取り入れるべきか、ステンドグラスを通して取り入れても良いのか。
柱の一本に至るまで、教会建築にはそうした宗教論争が付きまとっている。
多神教は違う神を認めてしまうが故にそうした論争は生まれないだろう。
日本の神社にその神社建築を見ただけでその神の主張が解る工夫が隅々まで凝らされているかという問題。
だから中世を代表する教会建築を生み出すには別の、かつ同じ結論を生み出す論争が必要になる。
一神教と多神教の平行進化で同じ建築が生まれる方法の検討みたいな話しになる。
そういう検討もしてファンタジーだけど中世と一緒な世界を構築してるなら大したものだね。
アーサーやニーベルンゲンやベーオウルフからずっとそうだけど
欧州叙事詩やファンタジーの舞台は中世欧州じゃないよ
英雄が世界を変える「伝説の時代」だ
ギリシャ神話の青銅の時代に近い
>>742 けど中世ヨーロッパ風、という説明されてることが多いんだよね。
…どこが中世ヨーロッパなの?
社会体制が王−貴族−騎士−兵−平民−農民 な社会体制のトンでも世界
じゃねえかよ!
と言いたい様な事が往々にしてあるけどね。
それが判りやすいから。別に目くじら立てるようなこともない
近世に完成したアーサー王物語などが、当時理想化された中世騎士の姿であることは間違いないし
アーサー王は5、6世紀の人物だけど、伝説として纏まるのは12世紀のモンマスの「ブリテン列王伝」から
15世紀のマロリーの「アーサー王の死」あたり。
ローランの歌は8世紀の事件だけど、叙事詩として纏まったのは11世紀。
12世紀ルネッサンスでの古典、ギリシャ・ローマ神話の再発見や、
イスラムとの邂逅によって異教への興味が生じ、その頃に民話としての伝承が
「ファンタジー」という文化へと纏められた。
だからファンタジーは大元は5世紀とか8世紀でも、物語としては12世紀が舞台の世界になる。
しかしその後もルネッサンス、近代とファンタジーは生まれ続け、あるいは改変される。
ニーベルンゲンの歌なんかはその良い例で、時代も舞台も違う別の伝説が混ざるわ、
色んな時代で修正されるわ、挙句の果てがエッダまで取り込む事に。
そういう経緯もあり、歴史的正確さ?それ美味しい?というファンタジーは、
むしろ成立年代の風俗なんかが紛れ込んでいるのを楽しむ事ができる歴史資料なのだ。
まあどう見ても現代の発想を平然と盛り込まれるのはうんざりだけどね。
現代のファンタジーの場合、単純な舞台の風俗じゃなくて、物語の発想がどの神話なのかという見方もできる。
例えば渦のように少しずつ姿を変えながら繰り返す物語、
海から来るものというキーワードはケルトのものだという具合。
どうせなら舞台がケルトなら単にケルトの化け物を出せば良いやではなく、
物語の要素もケルト風にするとか、歴史的正確さだけじゃなくてそういう物語構成の元宗教への正確さを
考えても良いんじゃないかと思う。
レスくれた方々ありがとうございます。
そう言われてみれば・・・と思うことで一杯です。
とは言っても、早々に酔いがまわってきてしまい、
おまけにケータイということもあってレス番すら
正しくカキコできそうもありません。
明日、PCからじっくり読ませていただきます<(_ _)>
>>736 変というか、理系の学問は常に世界の先端についていかないと話にならないが、
文系の学問は30年時代遅れでも国際的な評価を受けないだけで国内で論じる分には問題がないので。
経済学なんて、海外じゃとうの昔に「呪術的」なんて言われてるサプライサイド経済学を
竹中が小泉内閣に持ち込むとかさ。
物理法則は世界中同じだけど、社会情勢は違うからね。
理数系のいいところは、言葉や文字が通じなくても数式である種の会話が可能なところだなw
英語をしゃべるのが苦手な益川さんでもノーベル賞学者になれるからな
751 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 20:40:49 0
日本の学者もエドワードサイードとかレヴィ=ストロースに
かなり影響受けてるよな
日本人学者が彼らのように何かを生みだした話は聞いたことがないが
>>751 構造主義に影響受けた奴はいくらでもいるが、その中でレヴィストロースにわざわざ影響受けた奴はほとんどいない気がするけどな
>>741 とりあえず伝達手段の道があまり整備されていない=遠くまで支配の手を伸ばせない
ってのを追加してくれないかな。
駅の設置や舗装道路なんかが充実し、派遣統治者=王の代官 制度が充実すると
封建制のよって経つところがなくなっちゃう。
遠くまで直接支配が出来るようになっちゃうから。
1800年前にはこれがすでに実現していたんだよね、中国では。
>>753 それは言えないんじゃないかな。
13世紀なんかトロワを中心に交通は相当の発達を見せていた。
だからと言ってトロワが実権を持っている訳でもない。
更に交通・運輸が発達して都市が領主から独立し、
ハンザ同盟みたいに都市が国家を凌ぐ事さえ起きている。
領域維持の為に通信・交通が必要と言うのは解るが、
通信・交通が発達すれば領域支配が発生するわけじゃない。
魔法が通信機みたいな機能を持つ場合は、戦争は変わるだろうね。
分進合撃が簡単にできれば大軍の運用が簡単になる。
古代以来それができないで負けた戦争がどれ程有った事か。
>駅の設置や舗装道路なんかが充実し、派遣統治者=王の代官 制度が充実すると
>封建制のよって経つところがなくなっちゃう。
>遠くまで直接支配が出来るようになっちゃうから。
ペルシアもそうだったし、ローマもそうだったわけですよw
>>755 ?
ペルシアやローマは中世ヨーロッパじゃあないよ、モンゴル帝国も
中世ヨーロッパじゃないよ、という意味でしょうか?
>>756 いやあw、モンゴルの話しかなーと思ってたらオチが、
>1800年前にはこれがすでに実現していたんだよね、中国では。
だったんで、古代の大帝国は秦漢に限らず大抵備わってただろってだけの話しw
バトゥの東欧侵攻の記録を見れば、現在のルーマニア・ハンガリーの二ヶ国に相当する地域に五つの軍に分かれて侵攻しながらも、大敵との会戦ではそれらが一つに合流して事に当っているのが解る。
13世紀当時の大軍の驚異的な分進合撃の例。
古代は都市単位の点と線で支配してたからな
中世の農村・荘園中心の世界とは支配のしやすさが違うのは当然
というかローマ共和国>中世ヨーロッパなんだが。だから中世が暗黒時代って呼ばれてた
760 :
世界@名無史さん:2009/10/10(土) 23:08:19 0
そりゃ野蛮人がローマ文明を破壊したからな
西ヨーロッパで発展したのはイスラム勢力が支配したイベリア半島だし
誰もいない。
仕方ないのではるか昔の発言にレスしてみる。
>>757 帝国…中央集権支配、高速移動手段必須
中世ヨーロッパ「風」世界…封建制、高速移動手段があってはならない
それと、十三世紀は中世も終盤であり、中央集権=近世のための
地盤の萌芽がいくつも芽生えてきている時期でしょうから、
それをもってして加えられないというのは変ではないでしょうか。
「そういう所もあるね。中央集権の条件が整う過程の一つってだけだね」
で終わる話では…?
>>761 「高速移動手段があってはならない」
と言うより、「帝国」的な強力な中央集権体制が成立したからこそ、
高速移動手段を全国に敷くことができる、だね。駅伝や舗装のような。
諸侯・諸王の中で相対的有利者に過ぎなかった一人が、
軍事力や経済力において他者を圧倒し始めるなどして他者を従えはじめ、
かつての同位者達を宮廷貴族化や官僚化することで中央集権は一先ずの完成を見る。
同時に彼は一般に全国均質の政治経済制度を敷くことで一層の権力と財の集中を図り、
元首と国家の同一視が進行していく。
>>739 まあ、アリエス説に関してはそうだろうね。
アリエスが、逆説的にも
「ヨーロッパの伝統的子ども観の歴史を知る」ためのネタになっている。
こっちのほうが、日本人にとって興味深い上に、
いつまでたっても人口に膾炙することはないから、
ずっと、アリエスは古典たり続けるだろう。
日欧を逆にすれば、「菊と刀」や「縦社会の人間関係」みたいなものだ。
日本では、批判され尽くした「昭和の古い珍説」の世界に属するが、
欧米では、「日本を知る古典」として、今でも一流扱い。
>>762 いやいや「中央集権に出来るほど条件が整っている」のと、
「そもそも中央集権に出来ない」から中世ヨーロッパというのでは、まったく違いますよ。
前者は「卵が先か鶏が先か」の問題で、ぶっちゃけどっちでもいい。
でも後者は、中央集権の条件を満たしちゃまずいから存在してはならない。
そして、中央集権的な権力によらなければ維持できないからそもそも存在し得ない。
と、両方の理由で存在できません。
問題は魔法や特殊な現住生物…飛竜とか…によってそれがあっさり出来てしまう場合。
そこから中央集権のための手段が確保できるために、中世ヨーロッパ風の世界はごく短命になるはずです。
それなのにそんな社会体制が数千年も続いているとか言うトンでも設定が多かったりする。
少しは考えてくれ、興ざめになってしょうがない、と突っ込みたくなる。
>中央集権の条件を満たしちゃまずいから存在してはならない。
>そして、中央集権的な権力によらなければ維持できないからそもそも存在し得ない。
少し考えたけどごめん、わからなかった。「存在してはならない」歴史的状況ってなんだろう?
あー 安価遡りまくってわかったw
>>731-741あたりの魔法世界のこと話してるのか
それはお邪魔しました
>>764 情報伝達速度と権力の集中は関係が無いよ。
パリ伯が真にフランス王になる為には、地方までの連絡速度というような物理的な距離じゃなくて
王の言葉が民に直接伝わるという地位的な距離が縮まらなければいけない。
王が陪臣に命令する事はできなくて、直接の臣下にしか命令できない。
これが封建制。
封建家臣は常に王から切り離された自分の部下を持っていて、それは封建家臣の力であっても王の力ではない。
この構造が崩れない限り辺境まで魔法で一瞬で連絡ができようと中央集権は生まれない。
王の言葉と、地元の豪族や領主の言葉のどちらを民(農民だけでなく兵士や陪臣なども含む)が聞くか。
地元の領主の言う事しか聞かないなら、パリ伯の持つ力はパリ伯でしかない。
パリ伯の言葉が1日で届こうと、1ヶ月で届こうと、それは重要な問題にはならない。
中央集権は封建制より進化した政体という訳ではない。
より時代に適応した政体が選ばれるだけのこと。
ローマ帝国では混乱した西ヨーロッパの治安を維持できなかったから、より身近な所に守護者を必要とし、
ローマ帝政より適応した封建制になった。
ファンタジー世界でも同じ事で、むしろ大抵のファンタジー世界ではより深刻な危険が存在するだろうから、
王が領主より、危険からより確実に守れる事を民の一人一人に納得させる事ができなければ封建制は崩れない。
そしてちょっと有力な領主の一人に過ぎない王が、自分の領民を守りつつ、他の領民も守れる力を持っているのか。
その力の理由を示せない限り中央集権化するほうが不自然。
絶対悪の魔王軍が攻めて来ても、じゃあ今すぐ世界を統一して誰か一人を皇帝として全ての国はそれに従いましょう
なんて話しが直に成立する世界は不自然と思うなら、それと同じ事。
もっともそのファンタジー世界の条件で封建制が成立するのかというのを、どこまで考えているか
疑問なファンタジーだらけなのは同意。
中央集権って近世だろうがよ。
古代も中央集権
>>767 中世ヨーロッパでも、例えばドイツなんかでは王様が封建領主の城を巡回して、
裁判やら治安維持の手伝いやらをしていた。
というか、王様とその家臣団を一箇所では養えなかったから巡回するしかなかった。
だから、王様は自分の領地だけでなく他の領主の領地も守れた。(季節限定だけど)
これに魔法などによる高速移動手段、もしくは街道の充実が重なると、
広い国内全てを簡単にカバーできるようになり、また宮廷と軍隊を維持する物資を
遠くから集めることが容易に出来るためにやはり中央集権になる。
>>768 そうですね。
>>769 実質的な権力の伴わない中央集権てのは別物では?
それともローマは古代の中央集権だとかいう反論でしょうか?
では、それはこの場合の中世ヨーロッパではないので別の話題となります。
>>770 ドイツの場合は逆だよ。
自分を支持してくれた有力者への挨拶回りと、こんなに多くの賛同者が居るぞという権力の誇示が目的。
その象徴が祝祭日戴冠で、即位後直に各地で戴冠式の再演を行って見せる必要があった。
だから歴代の王がどこを回ったかがその王の支持基盤を示していた。
それ故に王は、言わば支持のお礼として様々な許可や特権を配って回る事になり、
諸侯の力が益々強くなり、巡回先を複雑化したレーン制の内には求める事さえできなくなり、
レーン制の外にある都市、特に司教座都市に求めるしかなくなる。
これがハインリヒ2世の頃の話。そしてそれまで文官として働いていた宮廷礼拝堂付き司祭を
各地の司教に任命して、王と共に移動する代わりに定住して文書処理をさせるようになり、
やがては王宮の定住制が進む原因ともなり、一方で司教の叙任権を巡る教会との対立の原因ともなる。
こういう形で支持を確保し、見せ付けなければ相手にされない位弱い基盤の王制をReisekoenigtumと呼ぶ。
念の為書いておくがoeはウムラウトo
しかしそんな詳しい事以前にドイツは王権が弱い事で有名だと思うんだが。
理由までは教えなくて、王権が弱い事だけを教える日本の歴史教育万歳。
フリードリヒ2世は中央集権家的なものを摸索していたって話もあったと思ったけど。
それはプロシア王のフリードリヒ2世では?
フリードリヒ2世は息子のハインリヒ7世の王位を認める代わりに
関税徴集権・貨幣鋳造権・築城権、領内裁判権などを大盤振る舞いしたくらい。
結局その息子にも、分権化し過ぎた為に反発されて裏切られる始末。
中央集権化どころか分権化した見本みたいな人物。
「最初の絶対君主」って異名もあるんよ。>皇帝フリードリヒU
それはシチリア王としての話。
シチリアは元々ノルマン人の征服王朝。
だから王が封建家臣におもねる必要が無い。
しかも王の下宗教や民族が混在して成立している。
そんな土地で育ったからそれがドイツでも通用すると思って行ったら全然駄目で
イタリア政策にのめり込んでドイツでは諸侯に譲歩しまくる。
シチリア育ちでしかも子供の頃から町に出ていたから正教徒やイスラム教徒とも話し合いで通じると考えるのは当然。
シチリアのように王の権威が強いものと考えるのも当然。
そういう土地で育ったからそう考えるようになった。
ところがそれが当然じゃないドイツやローマの石頭にはそれが驚きだったというだけ。
メルフィ法典だってシチリアだけの話しで、ドイツには通じようも無い話。
それまでのシチリアの慣習や法律を纏めなおしたのがメルフィ法典。
しかし先進的なシチリアの慣習なのだから、当時のヨーロッパのレベルより高くて当然。
例えば医薬分業をヨーロッパで最初に定めたのがこの法典だが、
この時期医学でイスラムが進んでいたのだから、その影響下のシチリアで一歩進んでいて当然。
一方ローマ以北はイスラムは敵だとがちがちで、良いものでもローマ印でなければ悪魔に属すると否定する時代。
シチリア王がヨーロッパの君主として突出するのは別に不思議じゃない。
ほんと中世ヨーロッパにとってキリスト教は害悪でしかないなw
もっと別の宗教なら、もう少しましになってただろうに……
ローマもシルヴェストロ2世のような科学者教皇が出たりもしたんだけど、一時的なもので長続きはしなかったんだよね。
・・・最後は「笑う骸骨」だもんなw
規制に巻き込まれてレスが出来なかった。
それゆえにおそレスになってしまい申し分けない。
>>771 いいウィキですね。
>>772 そのドイツの場合に+αして、街道が大いに整備されているorその他の手段で代替可能
魔法での移動や幻獣等での移動、空飛ぶ船など
が、あった場合の話です。
つまり、一応は国一番の戦力を持つ王様がその力を広範囲に及ぼせれば、
状況はまったく違うことになるという話です。
特権を配る等という必要も無いですし、巡回する必要も無い。
世界の様相がまったく違ってしまうから、存在してはならない、ということです。
いつまでファンタジーの話してるんだ
二回も流れ切れてるだろ
中世自体がファンタジー
そうだね。
中世に理解が無い、だからへんな中世感がまかり通る。
正さねばならない。
断じて正さねばならない。
783みたいなブタを街中で放し飼いにしていた、それが中世。
785 :
やすし:2009/11/08(日) 23:50:20 0
「中世を経ないと近代化できない」という話がしばしば聞かれます
また「日本には中世があったから近代化できた」とも言われます
しかしなぜ中世を経ないと近代化できないのか、という事がいくら調べても資料が発見できません
中世と近代の関係性が解りません
なぜ中世を経ないと近代化できないのでしょうか
教えて下さい
誰が「中世を経ないと近代化できない」と言っているのか判らないけど、それは正しくない。
「経ないと」という条件を付ける理由は無い。
古代と近代の間は「暗黒時代」で、その間には何の発展も進歩も無かったから、
古代が崩壊しなければすぐ近代が来たなどと言うルネッサンス以降の歴史観への反論として、
「中世の上に近代がある」という言い方をするならばそれは間違っていない。
その派生として「中世の発展を経ないと近代化はできなかった」というのも良いだろう。
しかし質問の場合、「だから中世の無いアフリカは近代化できない」という類の間違った理論の前提として
「中世を経ないと近代化できない」という理屈が付けられている場合のように思えるので、
そうだとすれば、そう言っている人がそもそも中世と近代の定義をどう付けているのかという点から明確にしなければならない。
このスレもヨーロッパ中世ではあっても、普遍的な中世を扱うわけでもないし、
現在の歴史学では古代・中世・近世・近代などという区分を普遍的なものとして扱ってなど居ない。
「中世を経ないと近代化できない」というのを中国に当てはめた場合、中世とは何時なのか、近代化はされているのか、
それをちゃんと説明できる人間が「中世を経ないと近代化できない」などと言うとは思えない。
まあまあ。
その理論自体、白人優越思想がまかり通ってたようなお馬鹿な時代のこじつけ理論だから、
それ自体には何の信憑性も無いよ。
問題は、どこをどうこじつけてそんな理論を作り上げたのかという事なんじゃないの。
俺なんかは、暗黒時代と言われた中世にコンプレックスを持っていた白人どもが、
何とかその時代に価値を見いだしたいとして無理矢理こじつけただけだと思ってただけなんで、
その意味なんかは考えた事なかったなあw
まあ、ルネッサンスとか大学の創設とか近代化にとって重要な要素を内包した時代ではあるが、
別に日本の中世にそれがあった訳じゃないし、その辺をこじつけるには無理がある。
むしろ、中世の代表的特色で日本の中世と類似性の高い封建制や戦士階級である騎士の出現は、
近代化にとって邪魔な要素だったはずだ。
かつての欧州人の態度は完全に逆。中世を暗黒時代と見なし、徹底的に否定していた
欧米を崇拝し、自分をそれと同一視したがる一部日本人特有の考えでないの
つか日本人スイーツの言う中世ヨーロッパって、18世紀のことだから
歴史学的に見ればその時代はすでに近世だが、
ロマン主義で徹底的に美化した中世イメージを具現化したものがこの時代
ノイシュヴァンシュタイン城などその典型だ
日本では旅行会社などがあれを「中世の古城」と大真面目に紹介し、
18世紀にはじまったローブデコルテを着たお姫様が、
しかもヨハン・シュトラウスのワルツの調べに乗って出てくるのである
これが日本人にとっての「中世ヨーロッパ」なり
まあ、ヨーロッパの近世は、ごく最近に言われ出した区分だし……
なんかマジで変な中世感がまかりとおっとるのお。
なんか気になったんで調べてみたら、元はマルクスの唯物史観なのね。
てかこの人、質問スレでも同じ事きいてて、無駄に荒れの原因作ってやがるw
マルクス史観も時代遅れ感ありありだからなあ。
今更発展段階とか言ってる人間がまだ居たのか。
ロシアや中国でももう居ないだろう。
近代(工業社会)化には近世が重要、というのは聞いたが、中世が必要、とは聞いたことが無かったな。
>>789 そのお姫様がまた現代と同じナイフとフォークとスプーンで食事するしな
マイセンのお皿に載ったプチトマトを指で摘んで食べて執事に叱られるのが、
日本人の考えるヨーロッパの中世w
傍らでは楽師がストラディバリウスでヴィヴァルディを奏でる
ああ、なんと優雅なヨーロッパの中世w
>>795 20世紀後半まで、中世と近世ってごっちゃになってなかったっけ?
過去に「中世」という枠組みに入れられていたものの中で、「近代」にかなり近いと思われたものが切り離されて「近世」が誕生したってな感じで。
・・・二千年後にはこういう区分も別なレベルで分けられているのかも知れんなあw
人類が地球にだけ居る時代は古代
という時代が来ると思っていた頃もありました。
>>796 それってディズニーのシンデレラとか白雪姫のイメージがベースになってるんでは?
>>801 貴公はそのヒットラーの尻尾だな
とりあえず、突っ込んでくれてありがとう……
>>801 人類が重力井戸の底にへばりついていたころの人物ですな。
そんな原始人がどうしたのです?
>>789>>797>>802 まあ、あれだ。
アウトプットの段階で間違っているんだから、受け取る側の一般日本人が間違ってるのは仕方ないだろう。
例えば日本人だって、大多数は当世具足と大鎧の見分けなんてつかんだろうし。
しかし「近世」という時代区分は日本の方が先に作ってたけど、
ヨーロッパの「近世」は日本の「近世」を意識したものなのかどうなのかが気になる。
調べた限りじゃ、日本の「近世」に触れてる箇所がひとつも無かったんだよな。
結構、共通項が多い時代だと思うんだけど……。
日本史を知ってる、ヨーロッパ近代史学者ってのが
日本人以外では居そうもないからなあ。
戦時中アメリカが作った日本を知るためのプロパガンダフィルムで
「日本人は昼間は近代的な生活をしているが
仕事が終わって家に帰ると着物に着替えて中世に戻る…」
ってなことを言ってた
向こうでもなんか漠然と古臭い時代って感覚かね
アメリカは食事になると古代に戻る。
ナイフもフォークも使わずピザやハンバーガーと言った食事を手掴みで食す。
まあ何でも言おうと思えばできるな。
寝そべって食べる様は正に古代ローマ・・・ってかw
ほしゅ
811 :
世界@名無史さん:2009/11/29(日) 10:35:54 0
中世の史料で「石を投げたぐらいの距離」って出てきた場合
できるだけ遠くを狙って全力で投げるのか、軽く投げるのかどっちなんでしょう
中くらいじゃないの、中世だし
813 :
世界@名無史さん:2009/11/29(日) 15:55:33 0
>>807 >仕事が終わって家に帰ると着物に着替えて中世に戻る
ていうか、それ磯野波平や藤子マンガのパパ(のび太のパパ、正ちゃんのパパ)だろ。
昭和40年代までのマンガじゃ定番のお父さんキャラだろ。
ヨーロッパでは家に帰って中世やルネッサンス期の服に着替える習慣はないのに
日本人は家に帰ってから中世の民族服に着替えると言ってるわけでしょ。
>>813 そうだなぁ。言われてみれば普通にあった風景だ。
>>814 近世(江戸時代)と中世の違いがイメージできてないってことだね。プロパガンダだからわざとかも知れんけど。
着物=中世じゃなくて、日本人家庭が封建的だと言いたかったんだろそれは
現物を見てないからアレだが
洋服=近代的なもの=良いもの
和服=封建的なもの=悪いもの
という意図の隠喩なんだろうかね。
ステテコで何が悪いんだか。
>>817 市民革命で貴族社会を打倒した記憶をくすぐっていたのかもね
>>815 つか、向こうの時代区分って中世と近世を分けるのが一般的だったか?
近代の前はいきなり中世でその前が古代ぐらいだった気がするが。
古めかしい区分では、
アンシャンレジーム(旧体制)≒近世
暗黒時代≒中世
文芸復興以降、暗黒時代から抜け出し古代の理想時代を復活させるということが
盛んに言われ、諸科学の発展が図られた。それが日本でいう近代だね。
×それが日本でいう近代だね。
○それが日本でいう近世だね。
話は変るんだが中世ヨーロッパの戦場を思い描かせるような曲ってないだろうか?
聞きながら絵を描いたりするとモチベーションとか上がると思うのだけれど…
ゲーム音楽でも聴くんだな。
定番なのはカルミナ・プラーナの「おお、運命の女神よ」とか
>823
中世ではないが、Heinrich Ignaz Franz von Biber: Battaliaとか。
日本にゃヨーロッパでいう中世はないからな・・・プロ市民は作りたいらしいがw・・・死ねばいいのに
平安時代はどうなる
>>829 初期は中央集権制。
それが墾田永年私財の法で、地方領主が台頭。
それらを都の貴族達が統制しきれなくなり武士達の台頭につながる。
以上、西洋とは区分が別です。
平安時代は古代、鎌倉〜室町時代は中世
安土桃山〜江戸時代は近世、明治は近代っていう認識だった。
あくまで日本での。
古代というと古墳時代じゃないの。
>>831 平安以前をローマ時代と対応させるわけか
今の主流の区分だと
平安摂関期くらいまでが古代
院政期から太閤検地くらいまでが中世
太閤検地あたりから明治維新までが近世
明治維新からが近代
ってな感じ
そうだね。
西欧と日本の横比較はナンセンス
ただ年代を付き合わせても意味がないけど
文化史的な比較は意味があるしなされてもいる
最近読んだ本で食物について書いてあったのがあったけど
トウモロコシが欧州に伝わる前後では飢饉の時の苦しさが雲泥の差だっていう手記が載ってた(確かイタリア
昔は飢饉で小麦が取れないと、ドングリや木の実を粉にしてパンにしたり
それも手にはいるのは運が良くて、木の皮を挽いてパンを作ってたらしい(ヘビのパン
トウモロコシが伝わった後は、栄養価が高くておいしいそれを食べればいいので飢饉なんて怖くない
数十年前に持って帰ってやりたいって内容
あとルネサンス前後に書かれた「蜜の発見」という本
これによって20〜30年前後で欧州の甘味は蜂蜜から砂糖にすげ変わったことが指摘されてた
初めて供給が需要を追いかけた事例だとかなんとか
838 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 04:31:26 0
ジャガイモは?
ジャガイモはドイツだな
そういえばジャガイモはドイツ以北〜東ってイメージあるな
イタリア人はトウモロコシをよく食べるんだろうか?
確かパスタにもトウモロコシ使ったものが結構あったと思うが
それにしてもひたすらパンに形変えて食べてたんだな
日本でも江戸時代、飢饉なんかが起こった際は藩が農民に非常食として玄米配って堪え忍んでくれってやってたみたいだけど
ほとんどの人が玄米が不味くてのどを通らないから、わざわざ脱穀して白米に戻して食べてたらしいね
当然栄養価はがた落ちで餓死する人が後を絶たなかった
841 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 11:24:24 0
>>834 いまは概ね、その区分でいいんだけど、
近代の始期は1850年代初頭の開国期にしてる教科書が多いね。
近世は太閤検地〜天保改革まで、近代はペリー来航前後からって感じ。
近世ったって、封建時代で、中世の延長みたいなものじゃん。
200年以上停滞してたこと認めたくなくて糊塗しているだけに過ぎない。
長州戦争くらいまでは、はっきりと中世だ。
そこから慌てて30年やそこらで近代に追いついたところは凄いけれど。
そういう意味ではいまだにコミュニティのあり方や祭礼、儀礼は中世のままだな
今はそれが一気に崩れている最中だけど
それでも中世の雰囲気たっぷりに年越しをしてる家庭や地域は多いだろうね
>>842 表面上は停滞していたようでも、現実はそうじゃなかった。
だから比較的短期間で追い縋る事ができた。
江戸時代の商業をほんの少し調べれば、これは理解できるよ。
日本にあっても支那や越南、朝鮮には無かったものがわかる。
まあ、スレ違いどころか板違いだから止めておくが。
>>842みたいなのは典型的な「封建」の言葉しか見ずそれぞれの内容を知らないタイプだな。
中世(といっても後期だが)最大の人口を養っていたポーランド・リトアニア共和国の領域では
いわゆる平民に相当するような中小貴族や都市の町民は個々にどういう暮らしをしていたの?
通貨ズウォティのレートはだいぶ低くて、イタリアなど外国への留学生は苦学したそうだが、
国内での暮らし向きはかなり良かったと聞いている
大きなペスト禍も起きなかったという
中世の都市で店を構えていた商人というのは
どういう風に生計を立てていたのだろう?
街の職人から大量に商品を買いとり、儲けを含めた価格で売ることで?
でも、中世の品って品質と価格が厳密に決められていたんじゃなかったっけ。
ほとんど儲けがでないような気がするのだけど。
一つ一つ値踏みしてたんじゃないかな?
で、迅速かつ正確に値踏みできる能力が商人としての能力。
今だって古本屋とかはその能力が必要だろ。
それで生活ができるかな?
品質が管理されてる品に値踏みもなにもないと思うんだが。
職人にギルドができるころには
個人経営の商人というのはいなかったのかもしれないな。
それは商人と言うか、小売だな。
また変な妄想が現れたな
妄想は否定しないが、では実態がどうだったのかを教えてほしい。
できればソースこみで。
思いつきならいくつかあるのだが、しょせん思いつきだからなあ。
ハンザみたいに商人で組んで、自前の工場まで持ってる連中は品質基準や価格設定はきっちりしてそうだが
あまり非常識な質問が現れたら、普通はスルーするわな。
中世って簡単に言うけど何時の何処での話してんの?
店ってどういうものが店なの?
そういう基本概念から説明しろって言われてもだる過ぎるだろう。
過去ログとかも全く見てないし。
シャンパーニュの大市
ハンザ同盟
フッガー家
メディチ家
このくらいは調べて質問自体が答え様が無い質問なのが理解できたら質問からやり直してくれ。
wikipwdiaだけ見たとかは駄目だ。
「ソースはWikipedia」って言うのは信頼性がないって意味だからなあ
典拠が不明というか虚実の確認が取れないというか
あんなのに大金振り込むなんてとてもできない
wikipediaは間違って無くても不十分だったり、それだけとかだと話しが通じないんだよな。
だからと言ってソースとか言い出す奴に実際論文IDとか示しても調べ方さえ知らないとか良くある事。
不定期市→定期市→固定店舗(→職業別ギルド)と変化した、みたいな中学・高校歴史レベルは最低限の前提知識だろう。
それが無いと、こいつどうせラノベかゲームしか知らないで言ってるなと思われても仕方が無い。
中世(中代)ヨーロッパの暮らし (8) の 164からハンザの話しがでてるな。
もうそういうのには適当に図書館と参考文献丸投げしてやればいいじゃない。
「イタリア商人の世界」は面白かったな。
この場合はむしろ、ウィキペディアすら調べないことが問題なんじゃないかな
>>846 McEvedy & Jones(1978年)の推定人口によると、ポーランド・リトアニアは、
1400年頃:700万人
15世紀末:850万人
1500年頃:700万人
1600年頃:950万人
1650年頃:1000万人→750万人に減少
1700年頃:900万人
1750年頃:1100万人
18世紀後半:1200万人
フランス王国は
1400年頃:825万人
1500年頃:1200万人
1600年頃:1600万人
1700年頃:2000万人
1750年頃:2200万人
神聖ローマ帝国(イタリアを除く)は
1400年頃:1250万人
1500年頃:1700万人
1550年頃:1900万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め700万人)
1600年頃:2000万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め800万人)
1650年頃:1700万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め700万人)
1700年頃:2000万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め1100万人)
1750年頃:2300万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め1500万人)
1800年頃:2900万人(ハプスブルク帝国はバルカンを含め2400万人)
オスマン帝国は
1500年頃:900万人
1600年頃:2800万人
1700年頃:2400万人
1800年頃:2400万人
モスクワ公国〜ロシア帝国は
1500年頃:700万人
1600年頃:1000万人
1650年頃:1100万人
1700年頃:1400万人
1750年頃:1800万人
1800年頃:3000万人
確かにポーランド・リトアニアは、面積上は広大だったけど、
モスクワ〜ロシア帝国を上回る人口を有したこともあるけど、
神聖ローマ帝国やフランス王国には人口で負けている。
今もポーランドとベラルーシとリトアニアと、ウクライナの半分あわせてもドイツより少ないからな
ちなみに日本の人口は最近の学説に従うと
1500年:800万〜1100万人
1600年:1200万(速水説)〜1700万人(斎藤説)
1700年:3000万人
以降150年間、ほぼ3000万人を維持して人口増えず。
ポーランドも14世紀も17世紀も普通にペストで人口減ってるよ。
割合的には地中海程じゃないってのと、
記録があまり存在してないってだけで。
日本の戦国時代というのも・・・特殊
戦乱期というと人口激減、文化・技術水準が低下するのが洋の東西で普通なのだが。
オーソン・ウェルズ曰く「スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」
30年戦争でもたらされたのは荒廃だけだがな
>>868 農業技術や治水技術、商工業の発達も人口の増加に関っている
日本の戦争ってお祭り感覚だったのかも
戦国時代の合戦は
近所の住民が弁当持って見物に来た。
のどかなものだ。
時代が下って大坂の陣前後では村人まで戦力に組み込まれたり
堺の町でレイプ強奪虐殺が起きたりして、けっこう殺伐としてたと聞いたことがある。
しかし何度も徳政令出さなければならないほど危機的な状況なんだけどね
飢餓の記録も多いし
>>872 それでも殺伐度はもっと昔の保元の乱とかのほうがたぶん上。
>>874 なんかあの頃は末世思想的なところがあるからなあ
>>871 アホか。そんなの例外的な現象でしか無い。
>>874 どう考えても戦国の方が上、規模が違う。
>>872 安土桃山以前でも民衆も逃げ込む形で篭城した場合は結構悲惨だった模様。
長島一向一揆のなで斬りが代表的。
朝鮮の役あたりからさらに殺伐度が上がった感じで、大坂の夏の陣はあまりにも
展開が早く民衆が逃げ遅れたので、巻き込まれる形で城下で虐殺と掠奪の嵐。
>>874 何を根拠に? 保元の乱なんて双方あわせてせいぜい1000人規模だぞ
>>877 だね。
>>876 山の上だからたぶん村の隠し城から見てたんだろ
当然家財道具食料一切持って
戦況如何によっては苅田狼藉どころか村が焼け野原になるだろうから
戦場稼ぎてのもあるんだよね。
信長だったか、そうした連中を嫌って、合戦に先立ち部下の武将や小姓に命じて追っ払った記録がある。
普墺戦争のころも兵士の死体から地域住民が金目のものを剥ぎ取っていた
現代だと危なくてやってられないもんな。
>>878 >安土桃山以前でも民衆も逃げ込む形で篭城した場合は結構悲惨だった模様。
>長島一向一揆のなで斬りが代表的
民衆の篭城の代表例としては間違ってるだろ。
あれは身分が農民ってだけで、信長の兄弟を攻め殺した一揆衆本体だぞ。
正しい代表例は秀吉の行った鳥取城包囲戦で、
兵糧攻めの効果を上げる為に城内に追い込まれ、また逃げ出す事も許されなかった。
女とか美化された中世ヨーロッパの生活にあこがれてるだけだよなぁ
臭そうだし。。風呂毎日入らないと気持ち悪いだろ・・・
毎日とは言わないが、数日に一度くらいは風呂に入ってたぞ。
ペストが流行する前はだが。
17〜18世紀ごろのフランスの方がよっぽど風呂はいらんだろ。
中世には入浴の習慣はまだ残ってた。
西欧人が入浴しなくなったのは近世。
別に日本人も毎日風呂入ってたわけじゃないから
中世とか近世の話をすると、大抵パリや江戸特有の現象が全国どこでもそうだったかのように語られるな
なら、どこもどの時代も大した変わらないで終わり。
議論にならないね。
そこまで極言しなくったっていいじゃない
いや、戦乱期は人口が増加するし、文化はともかく技術は向上する。
>>889 その昔、パリと東京が同じ異名で語られていた事を踏まえての発言か?w
「大きな村」
>>893 ああ、良くある根本的に間違ったレッテルね。それがなにか?
どうせならどこが間違ってるのかまで指摘してあげて
パリは知らんが
日本では大きな村と言えばまず名古屋を連想するだろう。
それ以前にどっちも最近の話で軽口レスだろ
パリはニューヨークに比べれば大きな村だとか言うアメリカ人の俺様発言と、
バブルの頃のどこだかの都市建築家だかなんだかが東京は大きな村とか言ってたやつ。
どうでも良い発言にどうでも良いレスしただけじゃないのか
東京は大きな女体だ。
でかいポールが勃っているが?
おとなのおもちゃだ。
東京都のシンボルマークを踏まえての発言だなw
住むんだったら地中海岸だ
>>895 「村」とは土地を持った「百姓衆」によってある種の司法権も含め広範に自治される共同体であり、
基本的に都市とは異質な世界だ、
904 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 20:08:44 0
ほしゅ
905 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 20:22:54 0
フランス革命以前の貴族は、狩りの際、農民の腹に足を入れて暖をとる権利があった。
有名だけど、だから何?
>>905 >>906にバカにされるかも知れないけど、自分は知らなかったから興味深いと思った。
どういう体勢で足を暖めてたのか気になる。
実際、湯を沸かせて足浸したほうがずっと楽だろう。
水も薪も貴重品だったヨーロッパで?
農民のなか暖かいなりー
革命以前のフランスでは、美少女や美少年を選りすぐって侍らせ、
好きに栽尾したり埒をあけたり嬲り殺し捨ててよかった。
ジュスティーヌに書いてあった。
つーか根拠のない都市伝説なわけだが
日本なら大魔神が出現するところだな
そいつ何度も同じ事書いてるから相手にしない方が良い
北朝鮮ならプルガサリが出現するところだな
チェコスロバキアならゴーレムが出現するところだな
918 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:00:31 0
そういう権利っていうのは、初夜権同様、実際にはほとんど行使されない、
名目だけの特権だったんじゃないのか?
領主である貴族の権威づけというか、権力の誇示というか。
革命後に「作られた特権」相手に行使とか何言ってんだ
だいたい血でガビガビになった足を洗うのにどれだけ湯が要る事やら
湯じゃ血は溶けずに固まるから、水で洗わないとねw
お湯の方が落ちるよ*^ー゚)ノ
923 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 18:53:08 0
しかし、風呂がない
トイレもねぇ
生まれてこのかた 見だごとぁねぇ
925 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 19:58:04 0
この奇妙な特権は、
岩波文庫のマチエの「フランス大革命」の最初の方に書いてあるが、
実際のところ、あまり詳細に書いておらず、サラッと流してあるので、
具体的にどういうものなのか、いまいちイメージできない。
「腹に足を入れて暖める」って、秀吉が信長の草履を懐で暖めたように、
衣装の懐に足を差し入れて暖めてもらうってことかもしれない。
だったら、足が血まみれになることもない。
本当に上げ厨って脳味噌無いね
>>919 要するに、ジャコバンあたりが貴族を攻撃するためにでっちあげたと?
928 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 21:39:11 0
嫁が来ると、まず村の男衆全員で味見するらしいね
んなわきゃねえだろ
日本では古老とか新郎の父親が最初に相手してたけどね
血は穢れなので将来のある若者に受けさせてはいけないそうな
>>927 マチエは共産党員で1922〜1923はフランス共産党の設立に走り回ってる時期。
その同じ時期に書いた中世は暗黒時代の話なんて誰が相手にするんだ。
そもそも中世初期の農奴の奴隷と近代の黒人奴隷では扱いが全然違うし、
黒死病の影響の少なかったロシアを除けば黒死病以降農民の地位は向上し、
農民がそんな扱いを受けるなんて事は他の多くの資料からしても不自然な事。
中世の農民の扱いが酷いほど革命を正当化できるという立場の共産党員の歴史家が、
十月革命が起きて共産党熱が広がっている時期に書いた中世の悪口を、
歴史的事実のように持って来られても、知ってる人間は誰も相手にしないし、
知らなくても中世を齧ってれば胡散臭いと思う物。
ついでに言えば訳者のねずまさしも人民戦線事件で捕まった左翼学者の一人。
ttp://japanese.cri.cn/151/2008/04/19/[email protected] この記事を読んでダライ・ラマの誕生日の歴史でも研究してくれ。
>>930 子供ができたらどうするんだろうねえ
器具で破瓜を行う民族もあるけど
受胎可能日の計算なんて古代でもできるだろうし、
生まれてもそれはそれで気にしないんじゃないかな。
養子とかも普通に自分の子供扱いしてた訳だし。
子供が生き延びる可能性の低い時代だから生まれても育つ保証もないし。
養子云々は話が違いませんか?
っつか、仮に妊娠して出産したとしても、それが自分の子供かどうかって確認する手段が無いからどうしようもないんでない
>>934 遺伝的な親子関係より、生活上の親子関係を重んじるから
仮に親が結婚相手じゃなくても気にしないだろうって意味。
937 :
世界@名無史さん:2010/04/10(土) 12:32:54 0
hosyu
938 :
世界@名無史さん:2010/05/04(火) 23:32:36 0
お城で働く人々ってどうやってそこで働く様になったんでしょう
そして城の中ではどのような仕事があるのでしょうか。
ググっても細かく書いてなくてどうやって調べりゃいいのか分からなくて
つ 『中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)』
940 :
匿名:2010/05/05(水) 23:40:35 0
一般庶民の生活でいえば中世のイメージは17世紀らしい
この時代庶民の生活が一番貧しかった
17世紀って小氷河期のさなかじゃねい?
長く暗い冬、凍りついた森や山々、遠くに狼の遠吠えが響く、こんなイメージ。
火山の噴煙で実際暗かったんだよ
寒冷化、凶作、飢饉、ペスト、増えすぎた人口に足りない物資
物価の停滞、貿易の停滞、長期的不況、溢れる失業者
三十年戦争、清教徒革命、北方戦争
傭兵の略奪と王侯の重税、農民の暴動や貴族の反乱
魔女狩りの横行、悪魔や魔術、錬金術
叫ばれる終末の予言、偽メシアの登場…
そうだね。ビザンチンは別として
ペスト発生前までは、飛躍的に農業生産が増えて余剰生産物で
市が栄えたり、都市で貨幣経済が盛んになったり、建築技術が発達したりして
そんなに暗いとは思えないな。
暗いのは、宗教改革以降、特に30年戦争のころのドイツとかかな。
第二次大戦中のドイツの方がよっぽど暗くて恐ろしそうだ
中世盛期には公衆浴場も盛んだったらしいね
がペストの流行で下火になり
17世紀になるとサウナすらなくなる
948 :
匿名:2010/05/07(金) 13:36:07 0
>944
今の世の中と大して変わらないな。
つまり現代人のもつ暗黒中世のイメージは17世紀ってことだな
おそろしい拷問器具で死に至らしめるダークな異端審問のイメージも直接的には中世じゃなく
ルネサンス期スペインの異端審問からきてるし
啓蒙主義で前時代のダークな部分を封建的と批判したら
それがいつまにか中世のイメージにすりかわったのかね
まあ「ベルセルク」なんかも16世紀欧州がモデルだしなあ
だよねベルセルクって中世のイメージっていわれるけど
あれは完全にルネサンス
服装、鎧、城壁にしても
中世はもっと大雑把だよな 人間も
>>942 ポーランドがリトアニアを併合してロシア征服に乗り出したのも
スウェーデンがポーランドに侵攻したのもそれが原因
近世欧州の中世趣味も日本人の中世ヨーロッパ観に影響与えてるよね。
ノイシュバンシュタイン城みたいなファンタジーじみた建築とか。
957 :
世界@名無史さん:2010/05/11(火) 05:44:50 0
でも貴族なんかはもっと優雅で騎士は気高く高潔みたいなイメージあるよな。
手づかみで食ってたとか十字軍や騎士修道会の非道っぷりを知った時は驚いた。
ルネサンスが陰湿だとすると中世は荒っぽいな
騎士=優雅なイメージは実際は中世末期からルネンサンスだと思う
豪華なブルゴーニュ宮廷がモデルになってんじゃないかな
実際あの頃の鎧は綺麗だし格好良い
騎士道も後になってからの理想化が激しいからな。
ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンとか。
サムライはみんなハラキリするみたいなものか
そもそも中世ヨーロッパに騎士団に騎士なんて居なかっただろ。
聖騎士団に聖騎士はいたかもしれんが。
失礼、戦闘組織としての騎士団に騎士は居なかった、と修正します。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E5%9B%A3 騎士修道会 [編集]
12世紀に十字軍が得た聖地エルサレムを守備するために、修道士を兼ねた
騎士の集団(宗教騎士団)としてテンプル騎士団が創設され、それに準じた
騎士修道会が次々作られた。しかし、エルサレムが失われ十字軍運動が
失敗すると、騎士修道会の存在意義も薄れていった。
聖ヨハネ騎士団 テンプル騎士団 ドイツ騎士団 リヴォニア帯剣騎士団 聖ラザロ騎士団 サンティアゴ騎士団
世俗騎士団 [編集]
14世紀にはいると軍事方式も変わり、長弓、弩弓を持つ歩兵の重要度が高まり、
騎士の重要性は薄れていった。しかし、騎士の軍事的実用性が失われると、
却って名誉としての騎士の意識が高まり(騎士道精神)、アーサー王伝説の
円卓の騎士や騎士修道会への憧れが強まった。そこで、力のある王や貴族が
名誉システムとして、あるいは友愛組織として騎士修道会を模した騎士団
(世俗騎士団)を設立するようになった。
ガーター騎士団 金羊毛(ゴールデン・フリース)騎士団 ドラゴン騎士団
実体の無い騎士団 [編集]
16世紀以降になると騎士は過去のものとなり、完全な名誉の勲章システム
として実体の無い騎士団が創設されるようになった。勲章参照。
バス騎士団(イギリス)
大英帝国騎士団 レジオンドヌール騎士団(フランス) ブール・ル・メリット騎士団(プロイセン)
現代でも、中世の騎士団の精神を模した民間の団体や秘密結社などが存在する。
964 :
世界@名無史さん:2010/05/12(水) 22:12:29 0
>>961 武士道も戦国時代の職業戦士としての武士というより
攻勢に官僚化した武士達のための道徳って感じだもんな。
965 :
世界@名無史さん:2010/05/13(木) 10:21:17 0
>>963 そういうのってやってることの方も騎士道の理想化されてイメージとはかけ離れてるしな。
騎士組合って感じだな
967 :
世界@名無史さん:2010/05/13(木) 12:20:02 0
もともと不労所得を得ている利権を守りたいだけだからな
守りたいわけではない。
増やしたいのだ。
民主党みたいなものだ
いくらなんでも騎士団に失礼だぞ。
971 :
世界@名無史さん:2010/05/20(木) 22:42:44 0
次期王の弟とかって普段何してんの?
トップには立てないけどなんか影響力持ってるの?
中世は人が死に易いからそれなりに大切にされた。
長兄が継ぐことが当たり前だから、当然のようにスペアは段々扱いが悪い。戦争に借り出されたり、
内務の実務をやったり、外交使節としてあちこち走らされたり。
宮廷官僚やら大貴族やら外国やら相手に、下手こくと殺されかねない状況下で丁々発止のやりとりを
経てきているものだから、殺されないよう護られてぬくぬくと育った長兄よりも、手腕に長け人望も
篤かったりして、ときどきお家騒動になったりもした。
長兄が早世したり、王様が居なくなったヨソの国の王様に請われたりすることも頻繁にあったので、
それはそれで無駄にはならないというか、むしろ、長男として生まれていない王様の代には国が発展
していることが多い。
兄の寝首を掻くこともあるからな
大司教候補の坊主になるってのもあるな。
フィリップ・オーギュストの父王のように。
ジョンなんて四男で王位に就いたんだから、上の理屈だともう少し(ry
ジョンゆえ致し方なし
>>973>>972 まあ王様(兄)の弟への情や猜疑心の強さにもよるな。
弟を信頼して情があるならそれなりに重用してくれることもあるし、
逆に疑り深かったら冷遇や最悪暗殺されるかもしれない。
もっともそういう場合は弟も弟でなんかやってる場合もあるけど。
過去に謀反に加担したとか。
ほしゅ?
しゅしゅしゅ
スレチかもしれませんが質問させて下さい。
夢で中世ヨーロッパの見て、とても気になりどの辺りなのか探しています。
水平線まで続く平原。そこに風車小屋、羊の群れ。
登場人物は金髪か茶髪。自分は酪農をしていて赤色のスカートの民族衣装。
馬に乗った身分の高い人物。金髪でボブカット。少年〜青年位の男。緑を特徴とした服。
その身分の高い人の住む所にはピアノかオルガンのような鍵盤楽器がありました。
こんな感じなのですが、これらのキーワードでここっぽい、という所がありましたら教えて下さい。
オランダ?
>水平線まで続く平原。そこに風車小屋、羊の群れ。
ヨーロッパに限定するならスペインかオランダですが、
オランダは大航海時代以前はまだ森が多く、現代の干拓された平野も存在しないので、
地平線まで平原が続くならスペインの可能性が高いでしょう。
しかしスペインの平原は乾燥した平原です。
緑の大平原ならフランスですが、風車はありません。
風車はイスラム>スペイン(元イスラム領)>オランダ(スペイン領)と伝播したものです。
>登場人物は金髪か茶髪。自分は酪農をしていて赤色のスカートの民族衣装。
金髪が多いのはバルト海沿岸で、離れるほど減ってゆきます。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%AB%AA 割合はどのくらいなのかでもある程度限定されます。
酪農というのは羊を飼っているという事でしょうか。
中世には現代で言う酪農は発達しておらず、
特に牛の乳を使って乳製品を作るようになったのは15、6世紀以降です。
>馬に乗った身分の高い人物。金髪でボブカット。少年〜青年位の男。緑を特徴とした服。
中世ヨーロッパで緑の服というのはとても微妙なもので、
基本的に5月の服であり、他の時期には着ません。
一方で緑は一種類の染料で染めるのではなく、黄色と青を交互に染める為、
むら無く染めるのは非常に高度な技術を要します。
その為染めの丁寧さで身分がわかります。
しかし近世に近付くと色の価値が変化し、特に上流階層では黒や地味な色が流行り始めます。
近世の人物像を見ると、男性は殆ど黒か灰色のような地味な色しか着ていないのが判ります。
>その身分の高い人の住む所にはピアノかオルガンのような鍵盤楽器がありました。
鍵盤楽器の歴史は浅く、パイプオルガンが15世紀、チェンバロが16世紀、ピアノが18世紀に生まれています。
初期のパイプオルガンは家に置けるような物では有りません。家に置けるような現代のオルガンは19世紀の物です。
従って中世というよりも近世に入っていると考えるべきでしょう。