1 :
世界@名無史さん:
学校の教師は賛美してたが、よく調べると最悪じゃねえか
日教組は腹を切って死ね!
必ずしも日教組のせいではない
日本もそろそろ革命して権力者どもをギロチンにおくりこんでほしいような
4 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 12:21:30 0
>>3 その後、俺たちもギロチンにおくられない保証はないぞ。
5 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 12:35:36 O
御フランス革命のなにが最悪なんだ?
フランス革命が最悪だと思える価値観を手に入れる過程にフランス革命が必要だったのです
資本家と革命家のつながりを詳しく解説した本ってある?
今なら消費を愉しむ権力者は民衆だからな
消費しすぎて借金背負った件
10 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 15:01:14 0
>>6 その当時から最悪だと思ってた人は結構いるよ。
バークとかマルゼルブとか。
11 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 16:20:15 O
キルスティン・ダンスト可愛かった。
12 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 19:23:46 0
だがギロチンは犠牲者の容姿を選ばなかった。
13 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 20:45:48 O
14 :
世界@名無史さん:2008/09/03(水) 20:56:48 0
その後、ナポレオンに行ちゃって何だかよく分からないね
エドマンド・バークはフランス革命の行き着く先が軍人独裁だと予言し、
実際にナポレオンの登場で現実になった。
『フランス革命についての省察』を読むべき
>>15 クロムウェルの前例もあるし、
ローマ史の知識は当時の知識人の常識だったので、
それほど冴えた見解というわけでもない。
結局のところイギリスがあれほどの覇権を握れた最大の原因だしな
これが無かったら「ヨーロッパの天秤」が発動していた筈
バークとは立場が正反対だし、時期が少し遅れるがロベスピエールも軍事独裁を予測していた。
ブリッソたちが対外戦を始めようとした時、それを批判して「信用できる将軍も将校もいなし、兵器も足りない。もし仮に勝利したとしても、野心家の一将軍によって自由は打倒される」と。
それまでの歴史をみても、動乱後の軍事独裁を予測するのは大したことじゃない。
よく、バークを持ち上げる人がいるが、彼は直情径行で、国政を任せることなどとてもできない人だ。
ピットも勃発当初から革命を憎んだが、さすがは首相になるだけの実践政治家だった彼は推移を冷静に見守り、
フランス軍がアントワープをおとしてイギリスの国益を損ね、ルイ16世を処刑しイギリス国民の怒りが爆発するまで、わめきたてなかった。
バークは啓蒙思想の影響力を課題評価し、思想とその信者を非難するだけで←彼もまた観念にとらわれていたのだろう、
動乱が起きても不思議ではなかった革命勃発直前のフランスの諸状況(特に財政破綻)を理解していなかった。
訂正
過大
課題 ×
20 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 01:27:50 0
>ロベスピエールも軍事独裁を予測していた。
予測つうか、弁護士ロベスピエール君は自分が軍事に疎いもんで、
ライバルが戦場で英雄になって権力を取りに来るのが怖かったんじゃ?
21 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 03:04:46 0
クソコテさん、自己顕示は自分のブログで。
フランスは王室を廃止してしまったがために三流文化国家に転落してしまったが
イギリスは王室を残したおかげで文化不毛国家のイメージを脱却して一流文化国家の
仲間入りを図ることができた。
23 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 11:58:25 0
>>22 フランスが三流文化国家? それはさておき革命勃発は仕方なかったんじゃね?
国王・貴族の側の自浄能力が全然無いというか、弱すぎたんだもの。
24 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 12:08:40 0
昭和天皇は箕作元八『フランス大革命史』を
愛読していたそうな。
>>20 当時、対外戦を危惧していたのはロベスピエールだけじゃないよ。
だから、バークのそれもロベスピエールのそれも「予言」ってほどじゃないわけ。
カルノー、クートン、ランデ、マラーも反対していたし、
ブリッソたちとは違う目的で開戦を訴えたラ・ファイエットもプロイセン・オーストリア相手に勝算は極めて低い(orない)と考えていた。
27 :
世界@名無史さん:2008/09/06(土) 22:55:38 0
「勝利の組織者」大カルノーが対外戦争に反対したって?それはいつ?
>>27 立法議会でブリッソらが対外戦に乗り出そうとした時(カルノーも立法議会議員だった)。
29 :
世界@名無史さん:2008/09/07(日) 11:07:15 0
まあそれはごく一時的な話。カルノー自身が対外戦の体制を整えて問題は解決。
30 :
世界@名無史さん:2008/09/07(日) 11:29:29 0
フランス革命より十字軍の方が最低だろ。
あれはただの虐行為だ。
十字軍もひどいがあれは他国民、異教徒殺しだ。
フランス革命は自国民を殺しまくった。
一番ヤバイのはユグノー弾圧だと思う。
あれで流動性がかなり低下したはず
>>29 カルノーが反対したのは当時のフランスはあまりに混乱していたし、財政破綻していたし、
信用できる将軍も将校も少ないは、兵器不足だはのままで体外戦に乗り出せば革命さらにはフランスが吹っ飛んでしまうとの理由だった。
立法議会でクートン、ランデらと民主派を構成していたけど、
この当時の彼らはブリッソ派と険悪な関係じゃなかったみたいだし、
カルノーは軍人ゆえによくわかるから、ロベスピエールよりも純軍事的理由で反対したのかもしれない。
アルゼンチンで五月革命起こしたクリオージョ達は、
初期はフランス革命に憧れてたけど、実際にフランス、イギリスに派遣されたベルグラーノが
現地の余りの迷走ぶりを見たら完全に立憲君主主義者(インカ皇帝復活論者)になって帰ってきたんだとか。
よりにもよって政治の分野で南米人に馬鹿にされちゃいかんだろ。
35 :
世界@名無史さん:2008/09/10(水) 21:14:21 0
ヨーロッパの誰かが『自分が正しいと信じて疑わない者ほど喜び勇んで
悪をおこなう者はない』って言ってたけど歴史を見るとその通りだと思う。
最悪なのは十字軍、アラブでの虐殺、アメリカでの虐殺
そして日本、15世紀ポルトガルとスペインは日本を巡って口論をしていた。
日本をどっちの植民地にするかで、
っで、もし日本が植民地になっていたらどうなったかは織田信長の比叡山
焼き討ちを記録したフランシスコ・ザビエルのローマ法王への手紙で
予想がつく『異教徒の虐殺は喜ばしい・・・・』
36 :
世界@名無史さん:2008/09/10(水) 21:21:41 0
叡山焼討の時、ザビエルはもうこの世の人じゃないだろ。
37 :
世界@名無史さん:2008/09/10(水) 21:33:46 0
あれ? そうだっけ、
でもたしか織田信長がどっかの寺院を焼き討ちをしたのを南蛮の宣教師が
『異教徒の虐殺は喜ばしい』って書いたはずなんだが
どの寺院でなんていう宣教師だったけ?
でもこれも同時代のラス・カサスみたいに、
自分がヤハウェ(神)に対して正しい態度をとっていると信じて疑わなかったからこそ
ヤハウェに対する信仰の道ではないとみなしたスペインのインディオ虐殺を批判出来た人もいたわけで、
そういう考え方を全否定するのもまた、ある意味でまた安易な考え方だとも思ってみたり。
39 :
世界@名無史さん:2008/09/10(水) 21:47:32 0
確かにそういう人もいた。よおするに比較の問題だろう。
アヘン戦争の時もそれに反対したイギリス人はいたし
黒人奴隷のプランテーションでも奴隷の幸福を考えた農園主はいた
そういうもろもろを考えたとき十字軍は最悪だと思う。
ちなみに比叡山の焼き討ちを『異教徒の虐殺は喜ばしい』って書いたのは
ルイス・フロイスのポルトガルへの手紙だった。
おフランスに比べると中国の辛亥革命は大人しい方だな
大抵、十字軍は西アジアへ赴く前に大抵、ユダヤ人を大虐殺した。
特にラインラントのユダヤ人コミュニティーは大打撃を被り、
当時はユダヤ人を歓迎していたハンガリー、ポーランド、リトアニアに大量移住。
ちなみにハンガリー国王は外国からユダヤ退治に侵入した民衆十字軍(非正規部隊)を粉砕。
教皇の中止命令も平気で無視するならず者軍団。
さらに十字軍はビザンティンでも大暴れし乗っ取り。イスラム教徒、ユダヤ人、ビザンティン正教徒、共通の苦痛の記憶>十字軍
それと比べりゃフランス革命にはロマンがある。あんな孤立無縁の絶望的状況下よく国を守ったよな。
ユグノー戦争の方がよっぽど残酷+不毛。
大抵を二回も・・・
眠れない→朝から正午まで眠い→何故か昼から覚醒してしまう。参ったね、こりゃ。
>>39 十字軍が最悪ってのは同意です。
ただ、僕が浄土真宗ながらカトリックに対して思い入れが強いこともあるのですが、
自分のことが正しいと思ってる人や宗教を全否定するのは、
下手をすると、東アジア反日武装戦線に代表される戦後日本左翼の思想基盤になった
「日本人は存在自体が絶対悪」みたいな、
明らかにおかしいカルト的な考え方にも繋がりかねないってことを言いたくてつい。
僕の問題意識は岩波新書の『ポストコロニアリズム』(2005年)って本や、ウォーラーステイン辺りから来てるので
左翼の本ですが、読んでみると面白いかもしれません。
44 :
世界@名無史さん:2008/09/10(水) 23:50:13 0
十字軍は挙句の果てに正教の都市にも攻撃したしな。
これが一番ひどいのは当然だろ。偽善にもほどがある。
平成元年に「フランス革命200年」って番組がNHK教育テレビでやっていたが←本も買った、
その中でロベスピエール主催の「最高存在(神)の祭典」の音楽が流れていた。
さすがゴセック作曲だけあって、荘厳な宗教歌(←おいらフレンチわからんから歌詞の内容は??だったけどw)、
あれには胸を打たれた。フランス国内さらにはドイツ諸国で絶賛されたというのもわかる。
ドイツはイギリス、フランスと共に知識人の間で理神論が盛んだったし、
ボルテールのそれみたいな無神論と変わらない理神論よりルソー流orレッシング流の有神を前提とした理神論が主流だったそうだから、受けたんだろうね。
>>44 しかもローマ帝国滅亡の危機には十字軍の出動はなし。
当時はイスラム軍が強すぎたのかね。
最高存在の祭典の系譜が今でも北で実施されています
今のフランス人はフランス革命をどう教育されてんのかねえ
>>47 失礼ながら、もっとお勉強なさってから反フランス革命の皮肉お願いいたしますw
テルミドール後、政府の後押しなしでベルナルダン・ド・サン−ピエールが中心になって行った愛神教も多くの国民を惹きつけ、
ただでさえテルミドリアン政府にもまだ抑圧されていたカトリック教会は不安に陥ったようです。
>>46 鍵のかけ忘れさえ無ければジェノバ&ヴェネツィアの連合艦隊が
間に合ったかも知れないが…
51 :
世界@名無史さん:2008/09/12(金) 19:05:20 0
ベネチア商人なんてオスマン帝国に協力してたからなw
52 :
世界@名無史さん:2008/09/12(金) 19:27:54 0
>>49 でもまあ、田舎の素朴で保守的な農民にはそんな新宗教は浸透せず、
カトリック王党派の反乱(ヴァンデの乱など)という大流血の内戦に
至るわけだけど。
既存の宗教を弾圧せずにうまく利用する方向に持っていってたら、
フランス革命の死者はずいぶん減ったはず。
>52
財政再建に教会領の没収は不可避、と革命政府は考えてた
教会領没収と教会との友好関係は当然両立不可能
よってそれは成り立つ訳もなし
54 :
世界@名無史さん:2008/09/12(金) 21:26:20 0
>>53 聖職者階級の解体も20年ぐらいかけてゆっくりやれば良いだけのことを、
過激派に阿って政府に対する宣誓だの財産没収だの処刑だのいっぺんに
やるから、革命軍vs信仰心篤い農民なんて悲劇が起きる。
55 :
世界@名無史さん:2008/09/12(金) 23:02:24 0
>>48 フランス革命以来、フランスは公的な場から教会を排除するという姿勢で一貫してますよ。
>>52 ヴァンデの反乱は愛神教以前、最高存在の礼拝以前、(それらと違い無神論ないしそれに近い理神論の)理性の祭典の以前からのこと。
ヴァンデの反乱の一番の原因は徴兵制への反発。その不満を僧侶・貴族ら王党派が理由したわけ。
フランスでは僧侶は第一身分の特権階級だったし、カトリック教会が多くの不動産を持っていたから、
革命勃発からブリュメールまで政治からの教会排除は避けられなかったし、
カトリックを再国教化したボナパルト帝政や復古王政でも教会は革命前の特権・勢力を挽回できず、実質は政治から排除された。
ロベスピエールら公安委員会・国民公会が理性の祭典を非難したのは、エベール派の勢力拡大への危惧だけじゃなくて、
無神論の祭典を政府が批判もしないと、ただでさえ四面楚歌なのに、政府に刃向かっていないクリスチャンまでもが反政府側につくことを恐れたから。
ただ、ロベスピエールの場合は、個人的にも無神論やそれに近い理神論を心底嫌っていたらしいが。
フランスで政教分離、公教育からの宗教一掃が確立したのは第三共和政からだけどね。
58 :
世界@名無史さん:2008/09/13(土) 08:01:13 0
王制を打倒したかった
ロスチャイルドの陰謀でしょ
59 :
世界@名無史さん:2008/09/13(土) 09:46:55 0
フランスだって立憲君主制にしたほうが幸せだったと思うけどね
王制復古派は戦前から右翼内でも傍流だったし、現在は共産党から国民戦前まで「共和派」だから全然関係ないけどw、
昔のフランスの共和派・民主派の愛国心には敬服するよ。彼らの熱烈な愛国はフランス革命以来の伝統だったからね。
ラ・マルセイエーズかっこいい!
62 :
世界@名無史さん:2008/09/15(月) 13:25:03 0
>>56 反乱の原因として大きいのは革命政府の失政による極度のインフレ。
アシニア紙幣やばいよって言える奴は誰か居なかったのかな。
経済的に農民を追いつめ国王処刑やカトリック弾圧で価値観の基盤を
破壊し、仕上げに30万徴兵とか高札を掲げる。まるで反乱を起こせ
と言わんばかりだ。
フランスはいつか王政復古する。そしてそれを機に世界中の主要国が
王政復古する。
>>62 確かに乱発気味だったが、アッシニア紙幣を発行する以外に他に手があったか?
そもそも革命前に財政破綻をきたしていたし、インフレも酷かった。三部会で僧侶や貴族にも課税しようとしたかわかってんだろ?
あと、ロベスピエールら公安委員会は「兵士は充分いる。足りないのは武器弾薬と愛国心(革命精神)のある将軍だ」と言って徴兵制導入に反対していた。
結局はパリ市議会(コミューン)、山岳党左派、エベール派、アンラージェの徴兵制導入要求を飲んだが。
第一、ヴァンデの乱に象徴される農民の不満を言う人たちは大恐怖についても語らねば。何故かだんまりだがw
>64
ネッケルは革命後も「国庫は節約すれば立て直せた」と言ってるが
>>67 そのネッケルを罷免したのはどなたでしたたっけ?
罷免を強く求めたのはどういった方々でしたっけ?
69 :
世界@名無史さん:2008/09/16(火) 21:57:17 0
>確かに乱発気味だったが、アッシニア紙幣を発行する以外に他に手があったか?
濫発せずに、収用可能な財源の範囲で発行すればよろしい。インフレを悪化させては元も子もないからな。
だが人気取りと主導権争いの中で、景気よく札をばら撒いてしまうのが革命の悲しいさだめ。
70 :
世界@名無史さん:2008/09/19(金) 07:37:22 0
革命で政権を得るのは今まで実際に政治に関わったことのない奴らだからな。
経験も無いし前任者の話も聞かないし、経済破綻するのも当然のことだ。
しかし、ここまで景気良く外からの革命が成功ってのも珍しい話だよなあ。
たいていはパリで急進派が反乱しようが政府+地方の保守派から鎮圧喰らってるのに
フランス革命時だけ成功してる
ルイ16世の人が良すぎたのが原因なんだろうか…
72 :
世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:48:12 0
だって中央が地方の保守派を敵に回していたんだぜ、
貴族連合の代表を、絶対権力者にしようとして。
しかもの王様の地位をさらに確立するためじゃなく、
財政破綻の打開策としての中央集権化。
さらにいえば政府や軍関係者なんて地方貴族出身だぞ。
おれはむしろ急進派vs既存政府というより、
中央官僚vs地方貴族の側面を大きく見ているんだが。
ラ・マルセイエーズかっこわるっ!
74 :
世界@名無史さん:2008/09/26(金) 13:41:06 0
その後の孤立を打破して
何年も戦争継続できたフランスの国力は異常。
いくら天才将軍がいたとはいえ、
全欧州を敵にしてよく戦闘力が持ったよな。
傭兵対市民兵
再び
>>37 大袈裟な記述と異教徒嫌いと自画自賛の男フロイスじゃありませんか。
彼の著作を読んでいると、仏教徒側が当初は「貴方たちの教えと我らの教え
は同じものだ」と述べたのに対し、宣教師側はあくまで拒否したという記述
がありますね。
この手の混同は、ザビエルが来日(1549年。延暦寺焼き討ちは1571
年)した当初にも見られましたが、「同一の教え」扱いしたのは、他に宗教
大系を知らなかったためか、それとも当時の仏教の中に止揚的な考え方が存
在したせいなのか。
宣教に対して同一視発言を行うことは中国やインドにも見られたようですが
(勿論、嫌悪する意見もありましたし伝来後の年月と共に変化もしています
が)、宣教を志向する後天的な普遍主義と、すでに同一の教えがあるとする
先天的な普遍主義の出会いとその後の消化というのは面白い話です。
ジョーカーさんは人がいいからフィリポータイプか
ランデタイプだね
79 :
世界@名無史さん:2008/09/26(金) 16:37:11 0
フランスはルペン王朝が誕生します(ジャン1世)
サルコジさんはハンガリー国王ミクローシュ1世に
オルレアン家もボナパルト家もいらん
ルペンが良い
殿様なんていらないよね
本朝皇室以外に王室はなし。異國【王室】フェチ氏ね。
ロベスピエールかっこいい!
カルノーかっこいい!
85 :
世界@名無史さん:2008/09/26(金) 20:45:12 O
サン−ジュストかっわい〜い!
86 :
世界@名無史さん:2008/09/26(金) 21:40:39 0
ミラボーすご〜い!
王様へぼ過ぎだわw
ルイちゃんのこといじめないで!
88 :
世界@名無史さん:2008/09/27(土) 01:31:13 0
ロベスピエールは童貞なところがかっこいい
カルノーは風見鶏なところがかっこいい
サン=ジュストはよくサン=ジェストと間違われるところが、
ミラボーは金庫から骸骨になって登場するところがかっこいい
大好きだフランス革命
タレーランすご〜い!フェルセンなんて比じゃないわ!
90 :
世界@名無史さん:2008/09/27(土) 11:26:29 0
タレーランこそ君主の器だ。ナポレオンのような無駄な侵略はしない。
ジュール・ブリュネ 1838年フランス生まれ 元フランス陸軍参謀総長 エコール・ポリテクニーク卒業
1862(文久2)年からメキシコ戦役に従軍し、プエブラ攻城戦での功で24歳という若さで
第5等レジョン・ド・ヌール勲章を授与される。画技において抜群な才能をもち、戦地において描かれた、
そのデッサンはフランス国内中に公表された。
幕府からの要請によって創設されたフランス軍事顧問団の一員として、慶応3年(1867年)来日を果たす。
しかし、軍事伝習開始後一年たらずで鳥羽伏見の戦いが勃発。ブリュネらはフランス本国の命令により中立の立場を
とることとなる。新政府から使節団の国外退去の旨を伝える書簡を受けとったフランス公使ウトレイは帰国を決定する。
しかしブリュネはそれに賛同できず、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーフ伍長とともに出席し、
舞踏会を抜け出して東北へと向う。その後「開陽丸」に乗り込み榎本武揚の旧幕府脱走軍とともに箱館に入り、軍事顧問として従軍する。
この時、ブリュネは上司であるシャノワンヌ大尉の机の上に、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残してきた。
ウトレイ公使やシャノワンヌ大尉、延いてはフランス本国に迷惑のかからないように辞表を出していた。
箱館で旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚の行動を支援し、軍事的防衛の援助も行う。
五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍を新政府軍が攻撃し、五稜郭は陥落、榎本武揚らは投降した。
ブリュネらは陥落前に箱館港に停泊中のフランス軍艦「コエトローゴン」で箱館港から脱出し、
フランスへ連れ戻されるが本国においてはブリュネの心情を理解するフランス国民の後押しにより軍事裁判に
かけられることはなかった。
1869年、普仏戦争が勃発して軍に復帰することを許され、セダンの戦いでプロイセン軍に包囲された仏軍は
ナポレオン3世以下全軍降伏し、ブリュネも捕虜になる。
1871年パリ・コミューンでの鎮圧に参加する。
1898年フランス陸軍参謀総長に就任する。
1911年パリ近郊、フォントネー=スー=ボウの自宅でその生涯を終える。享年74歳だった。
「ラスト・サムライ」のモデル
92 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 06:28:17 O
>>22 ルイ16世と王妃マリーアントワネットとかを処刑しただけで、王室や貴族を廃止したわけじゃないから関係なくない?何年か後にはルイ16世の弟が王位に就いてるしね。
93 :
世界@名無史さん:2008/09/29(月) 14:23:56 0
カルノーだけは好きだな
94 :
世界@名無史さん:2008/09/29(月) 15:15:42 0
>>92 結果的に失敗したとはいえ革命では君主制も貴族制度も
ともに根絶するつもりだったんだが。
革命期フランスでは王政も貴族制も完全に廃止されている。
ポルポト派の先祖
>95
ノリは真面目にポルポトだよな…
握ったのが大国なので周りにまで延焼しただけ迷惑度は増したが
97 :
世界@名無史さん:2008/09/29(月) 20:47:39 0
当時の本の『パリの夜』(岩波文庫)とか読むと
あの当時のフランス人たちは本気で革命を全世界にいずれは波及させて
我が国の「ダイリ」(内裏)まで全世界の君主という君主を
皆殺しにして世界共和国を作る気でいたようだね。
日本人としては「余計なお世話もいい所だ」と言いたいけど。
世界革命を考えていたトロツキーと似た考えだね。
99 :
世界@名無史さん:2008/09/29(月) 22:44:27 0
いや、江戸時代の水呑百姓に生まれれば、日本にフランス革命が波及する事を切に祈ったかもしれん
102 :
世界@名無史さん:2008/09/30(火) 20:25:13 0
>>99 フランス革命は理神論→一般意思の思想が根底にあるから、日本人には理解できないだろう。
103 :
世界@名無史さん:2008/09/30(火) 20:48:10 0
>>97 ナポレオン(1927)でも
深夜の議会場でダントン、マラー、ロペスピエールの亡霊の問いに対し
「世界共和国の建設」と宣言するシーンがありましたね
一般意思(全国民の共通の利害)を見極めることができる人間が治めるなら、
国民の意見を一切聞かない独裁者でも良い国になる。
今のフランス国民はフランス革命に対してどういう風に教育受けてるんだろ
あれは素晴らしい革命でしたとか賛美してるのか?
106 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 02:35:38 0
>>105 ベルサイユのバラを見るまでフランス革命を知らなかった奴とかもいるらしい。
>102、まさにポルポト派じゃないかw
108 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 12:40:49 0
>>105 革命200周年の時には
心情的に王党派の人と共和派の人とが
街角で真剣に革命の功罪について論じ合ったしていたらしいぞ。
109 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 14:39:31 0
フランス革命ってほぼ無血だよね 国王軍は何していたんだ?
110 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 16:01:50 O
バラスかっちょいい!
フランス帯剣貴族の大半とくに中部フランス以西の名門貴族は
高貴なゲルマン末裔でノルディック人種。
それをガロ・ロマン末裔で地中海人種&アルプス人種の
下郎どもが虐殺した大惨事がフランス革命。
ナポレオンもロンバルディア系コルシカ人だから後者に属するのかな
人種問題にこじつけるのはあれだと思うけど
113 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 18:01:51 0
そうじゃなくて ルイがあっけなく捕まったから 始皇帝の子供だってかなり抵抗したジャン
114 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 20:32:37 0
16世がもうちょっと賢かったら、一緒に逃げた王弟プロヴァンス伯のように、
無事国外脱出できたのにな。
目立つ大型馬車にたくさん荷物積み込んで、ちょこちょこ休憩しながら逃げるなんて、
捕まえて下さいといってるようなもんだ。
危機管理能力は後のルイ18世の方がはるかに上だったな。
>>112 ナポレオンは残されている肖像画が全くのインチキで
ない限りノルディックな顔立ち。顔立ちといい天才ぶりといい
多分にランゴバルド族の末裔だろう
アンリオなんつったら残されている肖像画を見る限り
ニガーみたいだもんな
117 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 22:45:48 0
ルイ16世が革命を武力弾圧しようと思えば何時でもできた。
政府の暴力装置たる軍隊の動きを封じた者こそフランス革命第一の功労者と言える。
それが誰かと言えば他でもないルイ16世だ。
もう少しで国境だったのに!
>>117 ルイ14世やナポレオンなら躊躇なく武力鎮圧←成功したか
否かは別だが。
もし本当に鎮火可能でありながら
火の手が燃え上がるにまかせたのなら
ルイ16世の罪は大きい。
第一、フランス革命のいつごろのこと?
1792年じゃ手遅れだよ?
>>111の訂正
中部フランス以北 ○
中部フランス以西 ×
121 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 23:13:07 0
別に罪とかどうとかいうレベルの問題じゃないな
歴史上の人物で論ずるに足りるのはいかに面白い人生を生きたかということだ
もしくはいかに一個人が世界史を左右したかということかな
>>121 国王をはじめ為政者はそれでは済みません。
ただし、私は武力鎮圧は1889年時点ではパリで一時的に
成功したかに見えても、実際に起きた農民の【大恐怖】の
ようなことが起こり、それがパリなど都市部の革命勢力・民衆にも
波及し、火に油を注ぐ結果になったと思っているから、
ルイ16世の判断は必ずしも誤りではないでしょう。
ただ、逃亡の仕方もオーストリアやプロイセンとの秘密交渉の
仕方も下手なんだよね、ルイ16世。
人が良かったんだろう←また言うが、為政者しかも王室家父長は
それでは済まない。
1789年の誤り
124 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 00:06:05 0
125 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 00:06:25 0
>>124 同感。特にアルトワ伯(後のルイ18世)は狡猾だった
からね。
127 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 12:27:13 0
味方の足を引っ張るという意味ならね
サン・ドニ大聖堂の革命で暴かれた歴代国王の棺のことについて詳しく書かれた本はありませんか?
129 :
世界@名無史さん:2008/10/28(火) 18:14:33 0
『フランス革命秘史』に、詳しく書いてある。特に、アンリ4世とルイ14世と
15世の遺体の状態について詳しい。
130 :
世界@名無史さん:2008/10/28(火) 20:10:49 0
アルトワ伯とプロヴァンス伯なら、後者の方が政治家として上だと思う。
実際に即位してからの実績を見てると、アルトワ伯は狡猾というより単純でDQN。
結局、7月革命をひきおこして亡命している。
ルイ18世となったプロヴァンス伯の方が現実的で穏健な政策をとっている。
131 :
世界@名無史さん:2008/10/28(火) 20:59:10 0
暴かれたアンリ4世の遺体は死後183年たっていたにも拘らず、状態は
良好でまるで眠っているかのようだったそうだ。
ここではヴァンデ戦争の話はタブーなのか?
2ch発祥だと思うがあの戦争のフラッシュみて震え上がった。
大学で西洋史専攻していたのだがこの事件については抜けていたなあ。
>>132 藤本ひとみの『聖戦ヴァンデ』でこの反乱のことをはじめて知った。
134 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 00:43:54 0
ユゴーの「九十三年」もなかなかすさまじい。
主人公たちは架空、かつロマン主義で彩色されてはいるが。
ヴァンデって、明治維新の会津藩みたいなもんか?
136 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 13:02:25 0
フランスでもヴァンデはタブーと聞いたが
どの程度なんだろうな、学校でも教えないのかな?
137 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 14:22:43 0
>「九十三年」
国王万歳!
ラントナック侯爵万歳!
138 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 18:12:00 0
>>136 ヴァンデの反乱もそれに対する鎮圧もタブーでも何でもありません。
既出でしょうが、この反乱は1794年にいったんは静まったかに思われました。しかし、テルミドール後に再発し総裁政府も鎮圧に苦慮。
いかんせ、ふくろう党にはイギリスから多額の資金が流れていたため、その武力も動員力も馬鹿にできませんでした。
よく「これだけ反乱に参加した者が多いのは農民の信仰心の証」と言われますが、
それだけが要因ではなく、徴兵制への不満と上記した反乱指導部(貴族・反政府派僧侶)の資金力も無視できない要因です。
テルミドール後白色テロルが吹き荒れるの中で革命派や国有財産購入者を
片っ端から虐殺したイエス隊や太陽隊といった田舎の王党派行動隊にも資金が流れていたのでしょう。
王党派を称して荒らしまわった盗賊・ヤクザはまた別ですが(←貴族や農民がいるかいないかで区分け?)。
王党派とはいえないまでも、パリの金ぴか青年隊とてタリアンやフレロンのカネで動いていたようなもので、
また彼ら自身も困難な「仕事」はヤクザ、浮浪者・日雇労務者らゴロツキにカネをやってやらせました。
やっぱケータイだと改行を気にすることもあって、
うまくカキコできねぇな
「吹き荒れる中で」も「吹き荒れるの中で」になってるし
>>135 ネタでしょうが、時代も国も異なる事柄を
安易に比較して見てしまうと余計に解り難くなります。
と
>>135さんに偉そうなことぬかした後でおいらはシャーマンを登場
させちまうぜw
シャーマンみてぇな将軍とその作戦に必要なだけのカネ、
兵器・武器弾薬、人手がありゃ、
ヴァンデの乱はもっと早くに鎮定できたんでぇ。
たぁ言っても、当時のフランスは欧州諸国との戦争真っ最中で
将兵も兵器・武器弾薬も不足←兵卒の数はそんな足りないって
ほどじゃなかったらしくて、パリ市評議会、アンラジェ、
エベール派らの徴兵制導入要求にはロベスピエール、カルノーら
公安委員会も消極的だったそうだが(「兵士の数は足りている。
足りないのは愛国的な将軍だ」)、結局は彼らの要求を呑んだ。
おまけにアッシニア紙幣乱発もあって金欠(当時の人々は紙幣に
慣れていなかった上、アッシニア紙幣は質が悪かったため、
偽造者が後を絶たなかったことも一因。しかも、いくら金欠だから
って政府は量産を止めなかったため、ますます混乱)。
そいつができたら、おれっちに言われんでもやった罠。
私の独り言劇場は続きます。
アンラジェ、エベール派を出したついでに、
マラーですが、彼はジャック・ルーらアンラジェと下層民衆が
強く求める最高価格法に猛反対していました。
マラーは国民公会山岳派でも左派でしたが、
独自色が強く、付和雷同しない頑固者でした。
また、エベール派と違い、下層民衆の要求を単にお上に突きつける
だけではなく(在野時代から)、己の政策をしっかり持ち、
それが大多数の民衆の要求・意見と違ってでも曲げませんでした。
自説を曲げない点はジャック・ルーも同様です。
それに対して、エベールは自らの政策を掲げて民衆を
ひっぱるというより、民衆の要求をほとんど無条件に掲げて、
その運動の先頭に立つこと、そして権力を奪取することを最優先。
マラー、ジャック・ルー、エベール、いっしょくたにに
扱われることが多いですが、それぞれ全く異なります。
145 :
世界@名無史さん:2008/10/29(水) 21:54:20 0
>>138 けど、ウィキペディアにもフランスで語ることはタブー視されているとあるね「ヴァンデの反乱」。
誰かフランス人に知り合いがいたら聞いてくんろ。
146 :
世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:32:13 O
領地と爵位について御伺いします。
革命以前の封建領主は革命で領地を失いますが、帝政、王政、共和政、帝政、共和政と変化する中で貴族の領地はどうなっていくんでしょうか?年貢徴収権や行政権、土地の所有権です。あと、爵位ですが、王政、帝政での爵位は、その後共和政になっても継げるのでしょうか?
詳しい方、どうか教えて下さい。
147 :
世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:46:12 0
王政時代の爵位を持ってる貴族がナポレオン帝政下で新たな爵位をもらうこともある。
この場合、その人物は複数の爵位を持つことになる。
もっとも、ヨーロッパでは貴族が複数の爵位を持つことは珍しくもないが。
共和政の下では貴族の身分も爵位も廃止されるが、旧貴族が勝手に名乗るのは自由。
姓名の一部か私的な称号という扱いになる。
第一次大戦後のオーストリアやチェコのように、私的な使用すら禁止された例もあるが、
フランスでは第二次大戦後ですら、大統領主催の晩餐会の招待状の宛名に爵位が使われた。
(現在でもパリ伯とボナパルト家の当主にのみ、爵位が使用される)
148 :
世界@名無史さん:2008/11/01(土) 23:06:47 O
1790年代から1830年代は政治的に目まぐるしく変化した時期ですが、ファション的にも総花的な観があります。
魅力的なファッションが多いですな。
>>1 当の仏蘭西人達にとっちゃ革命って大層ロマンティックなものなんだよ。
150 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 09:17:03 0
ベルばらでしか革命を知らない日本人ほどではないにしてもな。
151 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 00:32:18 0
>>139>>146 封建的特権の廃止は、実は有償。つまりまとまったお金で買い取りなさい!
と言うのが、革命初期の政府の方針。後にジャコバン派は無償廃止にするけど。
貴族の封建的特権は、一応私有財産と見なされた為、納税者や地方自治体で
買取が多い。税金5年〜10年分とかをまとめて支払うのが一般的。
貴族は、特権とは別に直営地を保有している。これはノータッチ。
革命が進んでも、基本は貴族直営地の保有は続く。
問題なのは、封建的特権を有償でつまりまとまったお金で手放した貴族は、
多額の現金を所持したことになり、このお金は再投資に回された。
この再投資のほとんどは、ほぼ同時期に行われた教会と修道院の国有化に
ともなう、保有資産(ほとんどが土地・農地)売却の買取にまわされた。
このため革命後に貴族は先祖代々保有していた直営地以外にも近くの教会
や修道院の保有地も買い取る例が増え、かえって貴族の直営地は増加した。
このように封建的特権有償廃止により裕福化した貴族の教会や修道院保有
農地買取例が増え、それがフイヤン派の資金源にもなった。
このため封建的特権が早期に廃止された地方ではかえって貴族の裕福化が
加速され、貧富の差や土地保有の集中が進んだ。
もちろん教会や修道院保有は農地、都市部の新興ブルジョアジー買取の例も多い。
彼らと資産買取等で競合する存在が、封建的特権有償廃止で地主化した貴族である。
152 :
世界@名無史さん:2008/11/12(水) 03:35:19 0
フランス革命は国民の経済格差是正にはほとんど役に立たず、かえって格差を助長した。
フランス革命期の貴族の土地保有の増大もその一例で、実はブルジョアジーだけでなく貴族もフランス革命期の国有資産購入者だった。
フランスブルジョアジーと貴族の対立は、後も続きますが、プロレタリアートや社会主義の出現で後に両者は結託します。
近代西欧人が理性と呼んだものは、要するにキリスト教の唯一絶対の神の
後釜であった。このことは神と理性の多くの共通点からも明らかである。
神と理性との唯一の違いは、神は個人の外にあり、理性は個人の内にある
という違いで、それ以外の違いがあるとしても、この唯一の違いから派生した
違いに過ぎない。理性とは、いわば外なる神を殺して内在化したものであった。
神と理性の共通点を挙げれば、まず第一に全知全能性である。もちろん、
個人の内にある理性が全知全能であるということは、あまりにも事実に反して
いるので、あからさまには主張されないが、この誇大妄想は、あれこれの条件
付きであれこれの口実のもとにスキがあれば噴き出してくる。
理性はときには誤るかもしれないが、究極的には無謬であって、いつかは
真理に到達できるという信仰もこの誇大妄想の一形態である。そして、全知
全能の神が世界を創造したのだから、全知全能の理性だって同じことが
できないはずはないと考えられ、この誇大妄想にもとづいて世界の創造が
試みられた。その第一回目の試みがフランス革命である。
フランス革命は『創世記』に記述されている世界創造のやり直しであった。
まず、時間と空間がつくり直される。一週間が七日という神の秩序が廃止され、
一週間は十日となる。メートル法が採用されて空間が合理的に組織される。
ルイ十六世をはじめとする王侯貴族、そのほかとにかく旧秩序に属すると
見なされた人たちが大量にギロチンで処刑されて世界の住人が新しくなり、
パリの街路のほとんどは改名されて世界は新しい名で呼ばれる。神の秩序の
代りに法の秩序が制定される。「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(『創世記』
第十一章)原初にならい、少なくともフランスの国家権力が及ぶかぎりフランス語
で統一しようとして、アルザス語やブルトン語などの方言が弾圧される。
154 :
世界@名無史さん:2008/11/12(水) 22:02:23 0
これらのことからもわかるように、フランス革命は抑圧された民衆が腐敗した
支配階級を打倒して権力を握ろうとした運動ではなく、必ずしも抑圧された民衆
ではないある種の人々が全知全能の理性にもとづいて新しい世界を創造しよう
とした誇大妄想的企てであった。
ロシア革命はフランス革命のコピーであるが、コピーはオリジナルより過激
になるという一般法則の例に漏れず、理性の誇大妄想性をさらに強める。
たとえば、共産主義の計画経済は、国家と人民にとっての最善の需要と供給
のあり方を理性によって計算し、実行できるという前提に立っていたが、この
前提は誇大妄想の最たるものであろう。
神と理性の第二の共通点は、その普遍性、絶対性である。このことは必然
的に、普遍的、絶対的である神または理性に従わない人々に対する軽蔑、
差別、残忍さを招き、かつそれを正当化する根拠となる。理性信仰は絶対神
信仰に優るとも劣らぬ大量殺人をもたらした。この殺人の恐ろしいところは、
単に大量に行われるだけでなく、正義の名のもとに平然と行われることである。
最高存在信仰大勝利
はい論破
156 :
世界@名無史さん:2008/11/14(金) 20:28:08 0
神だの理性だのそんなに重要か?
157 :
世界@名無史さん:2008/11/14(金) 20:29:03 0
>>156 少なくとも西欧社会を語る際には避けて通れないだろう。
158 :
世界@名無史さん:2008/11/14(金) 23:03:15 0
僧侶が第一身分ってのが日本では考えられないな。
しかしそもそも誰が第○身分とか言い出したんだろ。
「フランス第一の身分であり、云々」って百科全書に書かれてた気がする
160 :
世界@名無史さん:2008/11/15(土) 00:36:46 O
1リーブルって現在だといくらに当たるのですか?
162 :
世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:58:06 0
>>158 少なくとも最初に三部会が開かれた当時には遡るだろうね
163 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 01:21:19 0
天皇は、日本の最高存在
164 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 21:18:21 0
>>158 日本でそう言う事が考えられなくなったのは
信長−秀吉−家康が宗教勢力を政治の世界から追い出したから
その前は白河法皇が天下の三不如意の一つに山法師を上げたぐらい政治力も武力も持ってた。
166 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 12:10:57 0
フランス革命が最悪なら
レコンキスタもある意味、最悪な気がするのだがw
ルイ16世が逃亡しなかったら歴史はどうなってたかな
168 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 07:08:13 0 BE:1164268984-2BP(0)
そのまま立憲君主制へ、といいたい所だが、ひょっとしたらそれでも共和制かもな。
フランスって、第四共和制をみたら分かるけど、象徴大統領と内閣制の組み合わせでは
政治が混乱して全く安定しない。フランスには異なる政治思想が混沌といえるほど存在する。
現在のフランス大統領が、大統領君主と言われているのはその権限の大きさからだ。
フランスの政治には強大な権力を持った人物が必要なのだ。ただ、そんな権力者
が世襲では民主国家とはとてもじゃないが言えない。だから、国王はどのみち
フランスでは存在する余地がないかもしれない。ドイツやイタリアの象徴大統領
なら世襲の君主に置き換えてもいいかもしれんが。
>>168 日本でも天皇制を廃止して共和制にすべき、なんて意見があるが、
正直言って、フランスとはあまりにも歴史が違いすぎるからうまく
いかないと思われ。
170 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 19:18:05 0
カクエイやムネオみたいなのが大統領になったら嫌だから天皇制でいい。
171 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 20:03:52 0 BE:582134944-2BP(0)
>>169 日本は海洋国家だから、歴史的に大陸国家的な時期の多いフランスより
も政治思想が氾濫する事が少なく、外国からの干渉や侵略を受けにくい。
だから、日本には議院内閣制が最も適している。
フランスならこうはいかない。第四共和制でフランスの政治が混乱した
のは、その議員達の政治的信条の違いによる所も多い。
172 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 20:14:32 0
フランス人は性質が自分勝手だから、政党政治ではまとまらない
ヨーロッパ諸国の中で、フランスだけが極端に中央集権的。
フランスって中国とそっくりだね
大陸の中央的存在で、元首の権限の強い国になりがちなところが似てる
イギリスやスペインは同君連合で二つの国がくっついたし、ドイツと
イタリアは19世紀まで分裂したままだった。
176 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 22:27:25 0 BE:545751353-2BP(0)
>>174 フランスは海に囲まれている部分が多く、大陸中央部からみたら端に位置して
いるから、大陸外縁部とみなして海洋国家として生きていく道も充分存在する。
何よりドイツがガチガチの大陸国家から大陸外縁部として生きていく道を選んだ
のが大きい。フランスは確かに大陸国家としての歴史を歩んできたが、海洋国家
としてやっていく事も充分可能だ。ただ、中国はもうダメポ。救い様がないぜ。
韓国は北朝鮮があるから海洋国家としてやっていけてるが、統一したら再び中国
の属国となるだろうな。地政学的には、南北分断を「民族の悲劇」と見てはい
けない。ただの、政治的地理設計における最も自然な状態が分断だと思わなくて
はいけない。
維新後、日本はフランス流の中央集権を選択した。
旧幕府時代から(小栗らが)フランスの影響を強く受けていたことも一因だろうが、
当時諸藩はただでさえ財政難だった上に戊辰の役で火の車。
かといって、民意が低かったから、近代的な地方分権なんて出来なかったし、
知事(県令)民選制なにしたら新たな殿様が生まれるだけだった。
“フランス文明の普遍性”というのは幻想にすぎないのか?
179 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 07:06:12 0
オルレアン朝はどうしてつぶれたの?
180 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 10:20:28 O
海洋国家や大陸国家なんてものを信奉してんのは日本ぐらいだよ
181 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 18:16:52 0 BE:509367672-2BP(0)
>>179 知ってると思うが選挙権を制限したから。ナポレオン三世みたいにパリ改造して、
そんで三年以上一定の都市に住んでいた人のみに選挙権を与えればよかったのにな。
(結構当時としては道理的にも納得のいく選挙権の付与方法。また、当時は出
稼ぎ労働者の数が多い。そういう人は貧しく、革命思想に取り付かれやすいの
で、そいつらを除外できる。さらに、都市の整備のおかげで、都市の住民は親
皇帝派になるから、選挙が上手くいく。ナポ三世は血筋は下賎だが、内政手腕
はさすがナポレオンの親戚だけある。結構能力って遺伝で受け継ぐもんだよな。
例えば、グスタフ・アドルフの娘とか。
182 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 18:21:28 0
ナポ三世は異常に評価が低いよな・・・・
君主の能力は戦争だけではないのに
183 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 18:33:00 0 BE:654901092-2BP(0)
>>182 まあそれはそうかもしれんが、正統派の俺としては、ナポレオン三世
は逝ってよし。
184 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 18:34:55 0 BE:1637253959-2BP(0)
ルイ・フィリップの目指す政治が成功した感じが、戦後日本だろうな。
臣民から国民へ、朕から私へ、天皇主権から国民主権へ。フィヨン派
の楽園だな。
186 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 22:18:25 0
>>183 三世は一世ほどフランスに迷惑をかけなかったという点で
個人的には評価する。
187 :
世界@名無史さん:2008/12/03(水) 23:59:21 0 BE:654902036-2BP(0)
>>186 でも下賎な血を引く癖しやがってフランスの君主になったという時点
で調子に乗りすぎ、逝ってよし。カペーの血を引いていない時点でフ
ランスの君主になる資格なし。
と、部落民が申しております
189 :
世界@名無史さん:2008/12/04(木) 17:02:53 0 BE:545751353-2BP(0)
>>188 おなじ陛下の臣民たる部落民を侮辱する、日本人として失格の愚か者は死ね。
陛下の手前では全ての身分の物は取るに足らないものだ。
190 :
世界@名無史さん:2008/12/04(木) 22:17:43 0
一君万民思想ですな。
俺は好きだけど、西園寺公望はファシズムに繋がると
その危険性も指摘していた。
191 :
世界@名無史さん:2008/12/04(木) 22:38:09 0
19世紀末に「アンリ5世」に嫡子がいなかったことから
彼を一代限りの王とした上でその跡をオルレアン家が継ぐという
正統王朝派とオルレアン派との融合が成ったけど
彼ら王党派とボナパルト派との提携ってなかったのかな。
192 :
世界@名無史さん:2008/12/04(木) 22:38:43 0 BE:1018736047-2BP(0)
>>190 確かにな。実際その予言どおりになったし。やはり、中庸のためにも
貴族制度は残しておいたほうがいいな。といっても、ルイ・フィリップ
は廃止したけど。
193 :
世界@名無史さん:2008/12/04(木) 22:44:34 0 BE:1018736047-2BP(0)
>>191 おなじ君主制とはいってもボナパルトと相容れるわけないでしょ。
ブルボン家もオルレアン家も親戚みたいなモンで、カペーの血を引くの
がその正当性の証で、ボナパルト家はその王位を簒奪した様なもんなの
に、どうやって手を結べと?
なんだこいつ
>191、ボナパル党と王党派はガチでやりあってたしな
196 :
世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:06:51 0 BE:982352939-2BP(0)
197 :
世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:51:42 0
きめえよ島国黄猿が王党派名乗ってんじゃねえよテメーらの天コロでも崇めてろや
前の方で話題になってる革命中にサン・ドニの王墓を暴いた話がでてる本の
題名ですが、その名前で探しても見つからないのですが合ってますか?
199 :
世界@名無史さん:2008/12/07(日) 11:28:53 0
なぜ国王夫婦は処刑された?
崇徳上皇みたいに、島流しでよいと思うけど。
島流しにしたら王党派の手を借りて脱出とかできるし危ないと思う
実際後のナポレオンはエルバ島から脱出して復位したし
後醍醐天皇もそうだな
そんな深い考えはないだろ。
ただ殺っといたほうが気分がいいからだと思う。
202 :
世界@名無史さん:2008/12/07(日) 13:59:25 0
なぜそこまで共和制にこだわる?
国王交代でもよったと思う。
しかし死んだ過去の王たちの墓まで暴くとは。。。
だってアカだもんw、フリーダムw
206 :
世界@名無史さん:2008/12/07(日) 19:16:02 0
共和主義者の結婚
とかあったなw
でもいまだ唯物論が確立してなくて信仰が続いてる時代にここまでやれたのはやっぱすごいわ
208 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 08:59:07 0
国王夫妻はなぜ王宮から脱出した?
当初は抹殺論はなかったのに。
それとなぜアントワネットまで首チョンパされる?
>>208 起こした側も起こされた側も、ほぼ無関係な人も、
かなりの数が首チョンパされてるからねぇ
理由を考えるだけ無駄かも
マリー・アントワネットはオーストリア出身で神聖ローマ皇帝の妹だから
母国に亡命して神聖ローマ帝国の力を借りて革命を潰して返り咲くつもりだった
マリーはフランス国民から嫌悪されてることを自覚してたし、近親相姦一族ハプスブルクの出身だから立憲王政で満足するような柔軟な思考は出来ないわけ
肝心のルイ16世は意志薄弱だから逆らえず、マリーとその愛人フェルセンの立てた計画に乗って逃亡
王政のシンボルとして斬られたルイよりもむしろマリーのほうが完全な反革命だから斬られて当然
211 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 12:16:07 0 BE:909585555-2BP(0)
ところで遥か昔ギロチンでルイ十六世を殺った絵を見たことがあるんだけど、
あの人物ってあの後どうなったの?ひょっとして復古王政期まで生きていたりしてww
死刑執行人のことなら代々処刑人の家系で孫の代ぐらいまで処刑人やってたが。
当人はナポレオンの時代に死んでるが多分単なる寿命。
213 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 20:45:21 0
実は死刑執行人のアンリ・サンソンは国王を尊敬しており
終生処刑を行った事を悔やみ続け、処刑の「記念日」が来るたびに
ひそかに司祭に追悼ミサを依頼していた。
サンソン一族は日本の部落民みたいな特権階級なので
215 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 21:46:28 0
国王が助命される可能性はなかったの?
暴君とも思えないが。
216 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 21:53:23 O
むしろ革命の指導者が暴君だったからね
投票でで処刑反対が上回れば助命されたんじゃね
218 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 22:24:45 0
「ルイが生きていること自体が罪である」
まともな人間的感覚を持っているなら
こんな台詞は吐けないだろ。
何でこれが「歴史に残る名言」で
サン・ジュストが英雄扱いされているのかさっぱり分からん。
歴史に残る迷言、じゃね
アニメの悪役とかが言いそうな台詞
220 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 23:40:47 0 BE:1455336285-2BP(0)
まあ死刑執行人も処刑拒否したら自分も同じ道をたどると考えたら、
処刑せざるを得ないんだろうなあ。
221 :
世界@名無史さん:2008/12/08(月) 23:48:00 0
イラク、エジプト、リビアで革命が起きた時
国王は国外追放で済んでる。一人も殺されてない。
実像はアラブが穏健で、欧州が野蛮。
白人ほど残酷な民族はいない。東京大空襲は人体実験。
でも、そこらへんの国は宗教信者がちょっとアグレッシブだよね・・・
223 :
世界@名無史さん:2008/12/09(火) 00:58:36 0 BE:1164269748-2BP(0)
1800年代に及ばざる時の事を以って1900年代後半の事を比ぶるは
即ち何如?
224 :
世界@名無史さん:2008/12/09(火) 01:44:32 O
>>221 イラクは王族皆殺しだろ。イランと間違えてるんじゃないか?
周りの国は全て王族の味方、革命を潰しあわよくば領土を掠め取らんとしている
そんな諸外国の支援のもと、未だに王党派と亡命貴族は強大な力を持ち、虎視眈々と革命転覆を狙っている
未だ健在の国王は、国民の潜在的な人気も高く、王党派が団結して担ぎ上げればいつ革命を潰されるか予断を許さない
そんな状況なんだから、革命を守るために出来る一番確実なことは国王の処刑しかないだろ?
王族処刑しといて、皇帝作ったアホの国
その皇帝は革命の成果をしっかり受け継いだんだからアホでも何でもない
その後の反動復古王政が誰からも支持されなかったことを見ても明らかだろうに
228 :
世界@名無史さん:2008/12/09(火) 22:43:30 0
でも全欧州を敵に廻した挙句、
フランス国民をも70万人死なせたよ。
229 :
世界@名無史さん:2008/12/09(火) 22:51:44 O
フランスが領土失わなかったのはタレーランのお陰だしな
徴兵制でどれだけ兵が死んでも大丈夫な陸軍がその革命の成果w
自由からの逃避は人の性
232 :
世界@名無史さん:2008/12/10(水) 19:00:44 0 BE:654901463-2BP(0)
>>218 そうだよな。ジャン=バティスト・カリエとかの人間として生きる価値の無い
人物があの時期には多すぎるよな。ルイ十六世でなく、自分自身の生命の価値
の無さを意識すべきだと思う。
233 :
世界@名無史さん:2008/12/12(金) 14:40:09 0
本当はロハスピエールに皇帝になってほしかた
234 :
世界@名無史さん:2008/12/12(金) 18:36:58 0
対外戦争に勝てそうにないな。皇帝ロハスピエトロは。
235 :
世界@名無史さん:2008/12/12(金) 19:31:28 0
昔、ルイ17世が生きてタンプル獄を脱出
それを知ったプロヴァンス伯こと叔父のルイ18世と、
替え玉を使って処刑を免れたロベスピエール(!)が手を組んで
ルイ17世抹殺を謀るが、少年王子は彼らの魔手を逃れ
ハッピーエンド、という少年向け小説があったな。
ちなみにルイ17世の逃亡を助けるのはマルキ・ド・サドという
中々ぶっとんだお話だった。
ラ・セーヌの星もそんな類の話だな。
でも最終回は泣けたよ。
国王の存在が罪、というのは
国王は人民から主権を簒奪した極悪人という思想からだが
238 :
世界@名無史さん:2008/12/14(日) 16:05:56 0
>>237 歴史の実態を無視した共和主義者の後付主張に過ぎない。
ポルポトの先祖
パリ留学中にオルグされて共産主義にかぶれちゃったからな
確かに、おフランス仕込みだw
241 :
世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:26:14 0
でも、シアヌーク殿下は生き延びた
242 :
世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:37:09 0
>>218 たしかに、「死ねばいい」とか2ちゃんねらー的な言い草で、破壊衝動に駆られていただけかも
>>237 ファウストにも、そういう発想が含まれていたような
243 :
世界@名無史さん:2008/12/15(月) 22:06:34 0
>>232 植民地じゃ大量虐殺やりたい放題
それ以前の宗教戦争だの十字軍、魔女裁判だってそう
きめつけて突っ走る。間違っていようが行動する分には、そっちの方が有利
245 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 23:30:56 0
>>238 その辺は、王権神授説だって同じ
政治体制の自己正当化は、神話を必要とするんでしょ
246 :
世界@名無史さん:2008/12/23(火) 00:33:16 0
フランス社会党が創立時から現在まで、いわゆるグラントリアン(大東社)
つまり、フランスフリーメーソンの傘下にあることは自明である。
フランス・フリーメーソンには、幾つかの分派が存在し、グラントリアンは、
その中の一つである。しかも、グラントリアンがフランスフリーメーソンの
主導的勢力であると、見ることが出来る。
どーでもいいけど、きちんとdをtの発音でリエゾンして
カナに直してあるとちょっと感動する。
248 :
世界@名無史さん:2008/12/24(水) 17:15:48 0
フランス人はフランス革命を誇りに思ってるの?
249 :
世界@名無史さん:2008/12/24(水) 18:59:56 0
現代に生きる人間でフランス革命を誇りに思わない奴は理性を持たず啓蒙の光を受け付けない土人だけだよ
250 :
世界@名無史さん:2008/12/24(水) 19:34:36 0
>>249 文句言う奴を片っ端からギロチンにかける大量虐殺が誇りねw
自国の正統な王家を潰してコルシカの田舎貴族を皇帝にするのが誇りねw
気が狂ってる。
そもそも「理性」の意味すら理解してなさそうだしな、
>>250とか
当てつけのつもりだろうけど恥さらしもいいとこだよ
アホにはフランス革命の歴史的意義とか語っても理解できないだろうし
せいぜいギロチンギロチンほざいてなさい
フランス革命の「理性」はわりとマジで理解できない。
最高存在の祭典
メインイベントは二百人の大量首チョンパw
255 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 19:16:52 0
>>252 そこのキミ、言ってることが矛盾しているぞ。
「理性」の意味を理解していなければ、
当てつけでその動画にリンクを貼らないだろう。
「理性」の意味を理解しているから、
非理性的な場面を挙げて当てこすりができる。
まあ、これくらいの動画でうろたえるようじゃ、
まだまだフランス革命の事を分かっちゃいないな。
馬鹿ほど「そこのキミ」とか上から目線だよなw
257 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 19:45:12 0
上から目線でも下から目線でも、
フランス革命の地獄絵図という現実は変わらんよ。
何を今さら
259 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 20:06:18 0
フランス革命が人類史上最大の集団ヒステリーなのは常識
260 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 21:00:54 0
そもそもなぜ革命を起きた?
民衆はなぜ王室を憎悪したの。
261 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 21:58:55 0
>>260 王妃が別の人ってだけでも、少しは情勢変わったかもな
262 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 22:20:04 0
263 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 23:10:28 0
>>202 第一共和制では、生き残った共和派で、最期まで共和制に固執した人の方が、少数派
共和制が進展するにしたがって、共和主義者がバタバタ死んでいったから、当然の帰結
264 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 23:15:04 0
>>260 ルイ14世以降の財政破綻の漬け
アメリカ独立戦争の支援
財政改革が、保守派貴族の反対で挫折
王妃の度重なるスキャンダルとスパイ行為
抽象論・観念論だけじゃ、流血の革命は起きんよ
王妃のスキャンダルたってな
当時の貴族はそんなもんだろw
266 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 08:35:30 0
>>264 政府財政の悪化なんて古今東西普遍的な現象。
しかしフランス革命のような大流血の内紛に至ることは滅多にない。
下手に理想を掲げたばかりに、歯止めがかからなくなった。
西洋人の世界観は、人格を有する全知全能、唯一絶対の神、万物を造った
創造神の存在と、人格を有する悪魔=サタン、造物主の造った全て、とりわけ
造物主が自分の姿に似せて造ったと称する人間の破壊を使命とする悪魔の
存在と、この二つの前提の上に成立している。
当然の事ながら悪魔=サタンは、全知全能の唯一絶対神=造物主に匹敵
する、全知全能の唯一絶対破壊人格神の如きものでなければならない。
つまり、西洋人の世界観では、創造神が作った宇宙を、サタン=ルシファー
が破壊して、もう一つの宇宙または反宇宙を作ること、それが彼らにとって
の宇宙史なのである。
建設されるべき反宇宙を、彼らは 『ニューワールドオーダー』 と名付ける。
東洋人には、この種の世界観は奇怪すぎて、とても耳に入らない。
字を読んでも記憶には残らない。しかし、ここに西洋の隠された本質が
存在するのであるから、その秘密を見破らない限り、西洋の侵襲に対して
なす術がないであろう。
日本人の殆どは、「悪魔学(デモノロジー)」など、名前も聞いたことがない。
指導者も、一般国民も。 悪魔学を植え付けられいる、との自覚は全くない。
西洋に「悪魔学」と言う学問が存在する、との認識も皆無である。
従って、それを研究する学者も居ない。
確かに、キリスト教の教義には、悪魔が出て来るであろう。 しかし、我々
日本民族は、キリスト教は必要としない。キリスト教抜き、科学技術だけ、
輸入したい。 これが、明治国家の国策である。 西洋の科学(哲学も含む)
には、悪魔を研究する悪魔学など存在しない。 従って、日本の大学に、
「悪魔学」の講座も、教授の席も作られない。 だが、それで良かったのか。
「人間至上主義(ヒューマニズム)は、歴史の悪魔学の論理的帰結である」
(ユースタス・マリンズ著「カナンの呪い」二頁)
悪魔主義とは、人間の理性を神の上に置くことである、即ち、ヒューマニズム
(人本主義、人間主義、人間至上主義)こそ、悪魔主義である、 との定義が
成り立つとすれば、話は違って来る。 明治政府は、国家の教育の土台を、
悪魔学に置いた、と見なければならない。
アリストテレスの「自由人」とは何者か。 実は、「自由人」とは、 悪魔主義者
であり、悪魔の化身であった。 このように見極めれば、日本民族には、
全西洋が、非常に良く見えて来る。
アリストテレスの「目録」では、人類は、三つの部分からなる。
「文明」の外側に住む野蛮人は、野生動物(ビースト)と同次元に「位置付け」
られる。 従って、野蛮人は、野生動物と同じく、狩猟と捕獲の対象に過ぎない。
私は、勝手な法螺を吹いているわけではない。 現に、オーストラリアに追放
された英国人の子孫は、 タスマニア島の「蛮人」を、狩猟動物を狩り立て、
見事、仕留めるような具合に、一人残らず、なぶり殺しにしたではないか。
彼らは、悪いことをしたとは、露ほども思っていない。
「自由人」とは「文明自由人」である。 そしてこの「文明化された自由人」は、
「野蛮人」に対して、 @、奴隷となるか、 A、「害獣」として皆殺しにされるか、
どちらかを選べと宣告する。 こんなことは、 「悪魔」にしか出来ない。
つまり、人間本位主義と言われる場合の「人間」とは、
@自由人 A奴隷(家畜人) B野蛮人、
の構造の中で、@のみを含み、AとBは排除される如く、理解しなければ
ならない。 ただし、A項の、「奴隷」と「家畜人」の差は、文明の進歩発展
と共に、著しく大きくなる。
もしも、「文明」と言うものが、人間による自然の征服であるとすれば、
即ち、自然が、人間の欲望を満足させるための材料、ないし、道具、に
転化してゆく過程(自然に対する人間の闘争、そしてこの戦いに於ける
人間の勝利の過程)を文明の進歩と定義するとしたら、 この論理が、
人間社会の中に、侵入して来ることは避けられない。
石堂淑朗氏の自宅の近くに、キリスト教の牧師が住んで居た。
この牧師は、日本でキリスト教の布教が進まないことに腹を立て、
ここは悪魔の国だ。 こんな国には、原爆が、十発も二十発も
落ちれば良いと、放言したのだそうだ。
キリスト教の神父や牧師は、ザビエル以来四百五十年間、日本に悪魔、
悪霊が満ちていると言い続けて来た。 この場合の「悪魔」とは、なにを
意味するのであろう。 これは、日本人には全く分からない。 分からない
けれども、幕末以来、西洋かぶれの高級インテリは、 それを真に受けて、
日本を嫌い、日本を憎み、日本的なるもののすべてを根こそぎ抹殺しな
ければならない、と、心の底から思い込んで来た。
「西洋哲学」の専門家は、疑いもなく、ここに含まれる。 つまり、日本を
敵とし、日本を壊滅させるべき思想戦争に於ては、キリスト教と、西洋
哲学者とは、問題なく、共闘する。 キリスト教の側から見れば、日本人は
イエス・キリストの福音を受け入れない、 それは日本が悪魔の国だから
だと解釈する。 しかし、西洋哲学の専門家はどう見るのであろう。
日本人の精神に、アリストテレス的な階級構造(その中心角は、人間
至上主義、人間理性原理主義、と言ったものであるが)が確立されない、
或いは、それを頑として受け入れない、 そのことに、「彼ら」は、苛立って
来たのではないか。
つまり、「理性的」人間、「理性」を有し、十二分に「理性的」に開発され
た人間(これを「文明化された自由人」と呼称する)が、 その他のすべて
(ここに、野蛮人、奴隷、家畜人、も含まれる)を、「対象」として、また
「材料」、「資源」として観察し、認識し、加工し、利用する、 そのような、
「高級な文明人の必須の学問としての哲学」を、 日本人は理解出来ない、
否、むしろ、日本人の言語そのものが、そうした「高級」な「文明」的思考
の能力に欠けている、と見下すのである。
つまるところ、日本人は単なる野蛮人(または、とっくの昔に死に絶えて
然るべき野蛮人の化石)の一種に過ぎない、と結論付けられる。
271 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 18:36:11 0
まあそう心配するな。
昨日は国をあげてイエスキリスト生誕を盛大に祝っておいたから大丈夫。
272 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 21:15:35 0
有神論のロベスピエールと無神論のエベールの対立について述べた良書はないかな。
「最高存在」の式典は醜悪の極みだが
単に見物するだけならその狂態が面白い。
ちなみに俺は熱烈な王党派シンパではあるが
あの頃良心を殺してでも革命派を装って生き延びようとするなら
人格高潔なロベスピエールの方がまだしも付き合いやすい
ってわけでもないよな・・・。
品性下劣の極みのエベールの方が調子さえ合わせていれば
ギロチン送りにならずに済むかもしれん。
273 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 21:43:26 0
この革命の特徴は、民衆・知識人の王室への極度の憎しみである。
中国的族滅の兆候すらあった。
なぜ民衆は、王室の大量の血を要求したのか。
274 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 21:46:57 0
なぜラファイエットら軍部は、王室を守護しなかった?
王党派の将軍も多かったはずだが、国王夫妻を救出せずに
惨殺まで見てみふりかよ。
275 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 22:00:59 0
ラ・ファイエットは必死に擁護してるよ。
8月10日の革命直後にクーデター起こそうとして惨めに失敗して亡命、オーストリアでも信用されずに投獄w
クーデターに失敗した理由は、マリー・アントワネットがラ・ファイエットを嫌ってて、何をトチ狂ったか敵の革命派に情報を漏らしたせいというw
蛆虫王党派ブザマすぎワロタ
276 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 22:04:47 0
あ、クーデターは6月27日だったわ
で哀れなラ・ファイエットは涙目で1ヶ月過ごしてるうちに8月10日の革命が起こって、諦めて19日にオーストリアに亡命、というか投降wだな
277 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 22:23:12 0
>>275 王妃が違うだけでも、少しはマシだったろ
ルイ十六世の二人の弟とも仲悪かったというし宮廷内でも王室・貴族階級内でも潜在的な敵だらけ
対人関係でも身の処し方でも、マリー・アントワネットがお粗末過ぎたということでしょ。
逃亡計画でも、目立ちすぎて失敗しているね。
処刑される国王・皇帝というのは、何かしら本人か身内にまずい要因抱えているもんだ?
そのうえで、情勢の把握を完全に誤って、亡命すらできずにジ・エンド
革命とかいっても、大抵は亡命や国外追放でケリがつくもんだ。
>>274 国王の実弟二人にしてからがさっさと国外逃亡してるくらいだから、
王党派といってもルイ十六世一家を命がけで救おうという人間はごく一部だったってことじゃ
やっぱり国王一家は孤立していたんだよ
278 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 22:33:34 0
>>229 「政治とは女だ」
変節とペテンの天才がフランスの国運を救ってきたのは、確かだ
これは、第二次大戦中のフランスにもいえることだな
逆に、ジャコバン派とかユルトラとか、思想信条に凝り固まった連中が暴走すると・・
279 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 22:36:16 0
>>273 王族で殺されたのは、国王夫婦とオルレアン公、コンデ大公以外いたっけ?
281 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 23:00:32 0
>>280 当然だろ?
「国王が絶対悪だ」も「絶対善だ」も、他の問題に目をつぶったある意味ご都合主義の観念論だ
「イスラム原理主義」とかいうのと変わらん
大革命の後、産業経済に目を向けようという趣旨のサン・シモン主義のような主張が出てくるのは、政治理念偏重への反省といえる
そもそも国王もまた諸侯だか国民だか軍隊・官僚に担ぎ上げられた神輿に過ぎない。
人間社会でのポジションでしかないから、神聖不可侵なんてことはありえない。
282 :
世界@名無史さん:2008/12/26(金) 23:15:49 0
東方でフリードリヒ大王やマリア・テレジアが覇を競ってる間に国力を養っておくべきだったね。
七年戦争の後からでもさ
284 :
世界@名無史さん:2008/12/27(土) 09:38:10 0
海軍については強化されている。
フランス海軍がイギリス海軍に「勝てたこともある」のは、
ルイ16世の時代ぐらいかな。
その海軍も革命騒ぎでボロボロに。
285 :
世界@名無史さん:2008/12/27(土) 14:41:43 0
「神の摂理を論破し、神は正義でもなく善でもないと主張して、われわれの
敬神性や神への信頼は高まるのだろうか。 このような宗教破壊に用い
られた装置は、同じく政府を成功裡に転覆する道具となるだろう」
エドマンド・バーク
「社会は財産の不平等なくして可能ではあり得ず、財産の不平等は
道徳規範なくしては耐えがたく、そして道徳規範は宗教なくしては
人民の受け入れるところとはなりえない。・・・宗教のうちに、私は
キリスト降誕の奇跡は認めないが、社会秩序という奇跡を認める」
ナポレオン・ボナパルト
286 :
世界@名無史さん:2008/12/27(土) 15:54:06 0
>>285 今では欧州でも教会の廃屋化が進んでいますが、あちらは犯罪者ばかりですかな?
>社会は財産の不平等なくして可能ではあり得ず
これもわからんな
そんなにも大きな給与格差が必要か?
格差大きすぎるほうが社会不安に結びつくぞ
287 :
世界@名無史さん:2008/12/27(土) 15:59:55 0
ナポレオンは支那の経典を読んでるな。
墨子「神は認めるがそれは統治に便利な場合のみね」
孟子「人は分業をするから社会がうまくいくのです。全員同じ
農業をするとしたら、だれが我々の靴や冠を作るのですか?」
288 :
世界@名無史さん:2009/01/02(金) 07:21:47 0
>>276 晩年七月革命に参加した後は、オルレアン公を国王にすることに賛成してるな
フランス大革命で相当懲りたんだろ
それでも、三色旗の信念貫いてるところが偉い
289 :
世界@名無史さん:2009/01/02(金) 22:36:24 O
革命派のチキンはシェイエスだろう?
立憲王政を唱えながらジャコパンの政権になるとトンズラ、ナポレオンには取り入るも相手にされず。
290 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 16:38:06 0
それでも、歴史の節目節目で一定の役割はたしているんだよな
291 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 18:49:36 0
292 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 23:16:07 O
ロベスピエールとナポレオンって思想の上でお互い理解共鳴していたのか?
それとも各々の権力と軍事力を利用し合っていただけか?
熱月派の革命がなければいずれ、どちらかが争い消える運命だったかな?
そもそも利用しあってたのか?
ナポレオンが勝手に超大物のロベスピエールに取り入ろうとしてただけだろ
それもあんまり相手にされてなかったように思えるが
ロベスピエールがナポレオンを利用した事って何よ?
ロベスピエールが存命中のナポレオンって少尉とか大尉とかの下っ端じゃないの?
>>289 子供時代に「集英社漫画世界の歴史」で夢を膨らませた者としては
実際のシエイエスへ評価、いやその空気ぶりは少し悲しかった
読んだことある人いるかな
ナポレオンがロベスピエールの弟と仲良しだったので、
ロベスピエールを支持してたt書いてあったな。
その後ロベスピエールが処刑されるとナポレオンも逮捕されと
書いてあった。
297 :
世界@名無史さん:2009/01/04(日) 23:43:15 O
まあ、ナポレオンが軍功を更に重ね、ロベスピエールが失脚せずに地位を保っていれば自分の子飼いにしようとしたかもな。
いずれ両雄並び立たずでお互い失脚を狙ってギロチン送りの運命かも知れんが
298 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 17:15:11 0
元総裁バラスは「王殺し」の国民公会議員なのに、帰国して死ねた。
どうして?
299 :
世界@名無史さん:2009/01/07(水) 05:38:34 O
さて今からジャコパン(食パンちりめんじゃこ乗せ)でも食うかな。
悪魔の化身みたいな扱いのロベスピエールを排除した人だし
そもそもナポレオン期に赦免されて隠遁生活に入ってたから
復古王政期に入ってもわざわざ追放するまでもなかったんじゃ?
帰国って言うけど国外追放されたっけ?
301 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 02:16:39 0
ロベスピエールは悪魔の化身じゃないよ
ヒトラーと同じで、ちょっと潔癖症だっただけさ
302 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 08:49:00 0
ナポレオンはロベスピエールに対して一定の評価と尊敬の念を持っていた。断固とした決断力や清廉な人柄など
ロベスピエールの方ではナポレオンの事を認知していたか怪しい
ロベスピエールが4,5年永らえていれば2人の絡みが見れたろうな
意外とヒトラーは妥協する。
彼だったらギロチン祭りなんてなかったんじゃないかな。
304 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 12:39:19 O
ヒトラーってボナパルトの事かな?
まあ、ナポレオンがクーデター起こしたのは熱月派の金持為政者が堕落していたからだしな。
総裁政府は最早、革命政府じゃないし。
山岳派全盛期に仕えていればロベスピエールの忠実な軍官僚に終始したかも。
ポール・バラスの伝記って無い?
俺も彼のような生き方をしたい
しかし歴代国王の墓まで暴くのはやりすぎだろ。
307 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 19:22:39 0
>>305 うまいことやった人生だよな
後世ぼろくそ言われようが、日本の政財界人なんて大体あんなもんだよ
監獄が足りないし、看守も足りない。
監獄に入れられるのはほとんど金持ちぐらいだろ。
食費は自払い、経費自払い。看守の給料も囚人から。
よって、効率よい処刑法(ギロチン)が求められたという時代背景がある
のだろう。
ヒトラーなら監獄(強制収容所)を作って、自然消滅を望むんじゃないの。
経費は財産没収で。
309 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 21:17:55 0
フランス領ギニア流刑が、革命政府後期以降第二次大戦前まで、用いられた手法
3年以内に大半の囚人が死んだという
310 :
世界@名無史さん:2009/01/18(日) 21:25:17 0
イギリス軍が、南アフリカに作った収容所と、どっちがアウシュビッツに近いだろ?
311 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 10:51:06 0
>>298>>304>>305 バラスは、構造汚職の権化で貴族出身でもあり、総裁政府末期には
アルトワ伯と連絡を開始して王政復古の相談をしている。
総裁政府は右左のクーデターばっかりになり、後半は事実上の軍部依存の先軍政治。
バラスとしても、左のネオジャコバンやバブーフみたいな共産主義とは妥協できないから、
もう王党派でもいいやって感じ。
そうこうしているうちにナポレオンがエジプトから帰ってきて軍事クーデター起こすけど。
312 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 12:00:27 0
総裁政府つくった連中だって、ギロチンの責任は共有していたわけだが。
フーシェを利己的にして小物にしたイメージ>バラス
314 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 01:51:40 0
>>140 >テルミドール後白色テロルが吹き荒れるの中で革命派や国有財産購入者を
>片っ端から虐殺したイエス隊や太陽隊といった田舎の王党派行動隊・・・・
>>152 >フランス革命期の貴族の土地保有の増大もその一例で
>実はブルジョアジーだけでなく貴族もフランス革命期の国有資産購入者だった。
国有資産購入者ってジャコバン派に近いブルジョワジーって感じだけど、
実はフイヤン派も多いんだな、地方の隠れ王党派も実は購入しているだろ。
ヴァンデの反乱やふくろう党があれほど拡大したのは、イギリスと王党派
の資金援助があったからだし。
フイヤン派とジャコバン派の対立は、イデオロギーや政治路線の対立だけ
ではなく、支持基盤やスポンサーの対立もあったと言う事になる。
ジャコバン派にしてみれば貴族の土地所有が増加するのは嫌だろう、
政敵の資金源が肥えるの事は、政治家は嫌がるはず。
8月10日事件ではチェイルリー宮殿に聖ルイ騎士団に所属する貴族300名が
集結したらしいが、殺される可能性があるのに集まったのはサンキュロッ
トの経済的理由に反発した貴族の国有財産購入者も居たかも。
フランス革命には階級間の銭ゲバの色彩もあった。
ブルジョアジーと貴族はフランス革命期の国有資産購入を巡り対立していた
のかも知れない。案外両者の売却物件の取り合いが激しかった可能性も。
都市部の物件ならブルジョアジーだけど、地方の農村部は貴族という色分け
が出来ていたら良いのだろうけど、価格次第でアッチコッチの物件を購入し
ていたブルジョアジーは地方の農耕地の物件では地元貴族とかち合うだろう。
315 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 02:55:06 0
サンキュロットの経済的要求に変更
316 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 17:01:42 0
社会革命の陰で貴族とブルジョワジーが不動産物件をめぐり対立なんて・・・・
地方では膨大な教会・修道院保有地を地元貴族が捨て値で買い取ったって
話もあるし。
317 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 23:56:29 0
人間社会、実益絡まない紛争で、派手に血を流すほうがよほど馬鹿げている
318 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 00:03:16 0
七月革命の後、政党王朝派の地主貴族は公職追われて地所に帰ったんだっけ?
319 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 04:52:55 0
>>317 自由 平等 博愛
旨い 安い 早い
>>318 正統王朝派にはエミグレも居るけど、革命期にドサクサにまぎれて土地保有
を拡大した貴族も多かったみたいだな。
エミグレも亡命してるのに土地資産はそれほど減少していたなかった。
シャルル10世が逆コース始めちゃうからな〜ユルトラも居るし。
320 :
世界@名無史さん:2009/02/01(日) 05:52:12 0
ヴァントーズ法とは?
1794年2月26日(革命暦ヴァントーズ<風月>8日)、サン・ジュストによって
国民公会に提出され、満場一致で可決された法案。
内容は、反革命容疑者(革命に協力的でない貴族、上級ブルジョワジー、
金融業者、大地主など)の財産を没収して、無料で貧しい愛国者に分配する、
というもの。それにより、土地のない人々を小土地所有者にし、ルソーが望
んだ「金持ちも貧乏もない」平等社会を実現しようとした。
亡命貴族は、この法律が制定されるまでに既にフランス国内の資産は没収さ
れていたのでは?
それにジャコバン派なかでもロベスピエールは・・・・
>>152 >フランス革命期の貴族の土地保有の増大もその一例で
>実はブルジョアジーだけでなく貴族もフランス革命期の国有資産購入者だった。
>>314 >ジャコバン派にしてみれば貴族の土地所有が増加するのは嫌だろう、
>政敵の資金源が肥えるの事は、政治家は嫌がるはず。
これらの件もヴァントーズ法で一気に片付けるはずだったのでは?
>>318 ルイ フィリップの7月王政は、ブルジョワ政権だからね、
地主貴族(大地方貴族)は払い箱、元々アンシャンレジーム主流の連中だし。
大地方貴族は、フランス革命期の国有資産購入者が多く、ドサクサまぎれに
土地所有を増やした為、パリのサンキュロット(労働者階級)からは嫌われていた。
2月革命では大地方貴族とブルジョアジーは結託しプロレタリアート弾圧に乗り出す。
第3共和制ではこの同盟が意外と長く続く、王政復古もあと少しだったのに・・・
321 :
市民:2009/02/03(火) 17:29:10 0
322 :
世界@名無史さん:2009/02/04(水) 21:10:36 O
タレイラン以外で革命時から帝政期、王政復古以後までフランス政界で生き残った政治家や貴族はいますか?
323 :
世界@名無史さん:2009/02/04(水) 23:57:58 0
ラファイエット侯爵とか
無名の人ならいっぱいいると思う
ナポレオン時代に帰国した亡命貴族も多い
グレゴワール司教
憲法制定国民議会の議長になって、聖職者民事基本法に宣誓して立憲派教会をまとめた人
復古王政後にも議員に選出されてる
325 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 00:32:20 O
バラス
シエイエス
バラスもシエイエスも復古王政では政治に参加してないだろ
革命に貢献した=国王処刑に賛成した政治家はほとんど追放されてるからなあ
327 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 18:10:52 O
では、ナポレオン1世以前からナポレオン3世の帝政まで活動した政治家はいますか?
それは流石に寿命的に無理があるだろw50年近く空いてる
革命期に20代で官僚とか立憲教会の聖職者やってたような小物ならそれなりにいそうだけど知らないわ
329 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 19:25:11 0
政治家と言えるか微妙だが、ナポレオン1世の末弟ウェストファーレン王ジェロームは
甥のナポレオン3世の代まで生きてるな。
高慢な貴族から妥協案を得るには
ああするしかなかったんよ
ナポレオンって軍隊で働きながら実家の弟や妹のために仕送りしてたんだろ?
えらいにーちゃんだな
話ずれるけど
その頃ってどうやって金、送ってたの?
誰かに頼んだりしたら途中でとられちゃいそう。
もうフランス銀行ができてたから
為替送金できたんじゃないか
334 :
世界@名無史さん:2009/02/08(日) 23:41:38 0
フランス銀行はナポレオンの政権獲得以降じゃ
335 :
世界@名無史さん:2009/02/08(日) 23:52:50 0
フランス革命好きな奴って変な女が多くてうんざりする
337 :
世界@名無史さん:2009/02/09(月) 10:26:08 0
おフランスな先入観からか
ベルバラ風の
338 :
世界@名無史さん:2009/02/09(月) 10:48:10 0
議場で短剣を胸に当ててて大げさに失笑ものの演技をしたのがいたよね。何て名前だっけ?
そいつが結構長く政界で活躍していたことが驚きだな。
339 :
世界@名無史さん:2009/02/09(月) 11:04:42 0
議場で短剣ならタリアン?
340 :
世界@名無史さん:2009/02/09(月) 11:07:05 0
このスレだからこそです
右翼左翼の起源でよく言われる国民議会の席順の見取り図みたいなのないですか?
345 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 18:01:37 O
貴族がキュロットパンツにハイソックスというスタイルは19世紀のいつ頃まで続いたのでしょうか?
346 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 19:57:52 0
宮廷の式典でなら、第二帝政でも
347 :
世界@名無史さん:2009/02/11(水) 22:01:26 0
19世紀になっても宮廷の従僕(ボーイなどの召使)とかは巻き毛の鬘に半ズボンという、
18世紀そのままの格好をしていた。
そして少年=半ズボンのイメージになって現在のショタコン文化につながるのだな。
わかるぜ。
349 :
世界@名無史さん:2009/02/13(金) 04:03:43 0
8月10日事件にはまっています。
6月29日のマリー・アントワネットの内通工作を妨害してラファイエットのクーデターを成功させればそのフラグは回避できる。
あるいは国民衛兵を援護して、7月30日にマルセイユ連盟兵をボコボコにして南仏に送り返すこと。ただしこちらは失敗すれば事件が早まる危険がある。
351 :
世界@名無史さん:2009/02/14(土) 09:17:51 0
立憲王政が、この時点での終着点だったわけだしね
フランス一国についていえば、無駄に犠牲と経済失墜の多い回り道
352 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 04:47:00 0
8月10日事件でルイ16世は、徹底抗戦を宮殿防衛側に命令しなかった。
むしろ戦いの途中で戦闘停止命令を出す始末。
一体どうするつもりだったんだろう?
それとチェイルリー宮殿防衛の為の兵力に資料によって差がある。
昔の本だとスイス人衛兵隊600人+貴族200人+パリ国民衛兵隊2000人とある。
最近だとスイス人衛兵隊900人+貴族300人+パリ国民衛兵隊2000人となり、
他には、スイス人衛兵隊1000人+貴族300人+パリ国民衛兵隊2000人+近衛隊1000人
と言う記録がある。つまり宮殿防衛サイドの数が増えている。
宮殿防衛側の完全武装の正規部隊の数は、資料により600人〜2000人の間がある。
パリ国民衛兵隊は、当てにならないので無視!
おまけに聖ルイ騎士団加盟の貴族からは2000名の応募があったけど、
その中から300名を選抜したとある。
一体どれが本当の王室サイドの動員数なのか?
353 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 06:13:30 0
>>350 >6月29日のマリー・アントワネットの内通工作を妨害してラファイエットの
>クーデターを成功させればそのフラグは回避できる。
そうですね。アントワネットの内通工作(オーストラリア委員会)を完全に妨害出来れば可能性がありますね。
ラファイエットとマリー・アントワネットは犬猿の仲ですね。
ラファイエットはルイ16世と離婚させてルイ17世ごとオーストラリアに
帰ってもらうつもりだったようです。
その為にラファイエットは、「ルイ17世は、フェルゼンとの不義の子」という噂を流しています。
しかし、ラファイエットのクーデターって何処の部隊使うんですかね?
パリ国民衛兵隊は、絶対に無理だと思います。
国民衛兵隊第一連隊を閲兵式に乗じてラファイエットが指揮権を確保し、
ジャコバン倶楽部と議会を攻撃する計画を練ったけど、急遽閲兵式は中止に
なり、シャン ド マルスでラファイエットが独自に国民衛兵隊を動員した
けど数十人しか集まらず、失敗。前線に帰ってしまった。
1792年のラファイエットは、確か中部方面軍司令官だったはず、
この中部方面軍をパリまで進撃させるしかないけど、貴族が多い士官は
ともかく下士官以下兵隊は、パリ進撃に動くのかね?
パリの国民衛兵を閲兵してそのままクーデターに使う予定だったようだが、計画がパリ市長に漏れて中止。
実現したときに国民衛兵がラファイエットに従うかどうかはわからんけど、ラファイエットには自信があったらしい
355 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 10:24:20 0
フランス革命の惨状を見てみればイギリスがたった80年余りで完全な立憲王政を手に入れたのはまさに神の御業!
ここで嫌英クンが登場して寸劇「白人vs他人」をやってくれるぜ↓
357 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 16:24:55 0
>>354 >計画がパリ市長に漏れて中止
ラファイエットを嫌うアントワネットが、当時のパリ市長のペティオンに
クーテター計画を洩らしたというのが、実態のようです。
対サンキュロット対ジャコバン用の部隊が無い事には、どうしようもないですね。
そうなると近衛隊かスイス人衛兵隊かしかないと思います。
1919年にドイツ革命が起きた時は、フライコアを急募してスパルタクス団などと
対決しました。時代が違いすぎますかね?
358 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 00:00:28 0
8月10日事件では、国王側の正規軍は、スイス人衛兵隊900〜1000人
だけかと思いきや、近衛隊1000人も居たんですね。
正規軍2000人近く居たのなら、チェイルリー宮殿に攻めて来た連盟兵と
サンキュロット2万人位なら撃退出来たようにも思えます。
サンキュロットがほとんどで、彼らはおそらく完全武装はしておらず、所持
している武器は、自宅や勤め先から持って来たナタや刃物だけかと思います。
連盟兵の数は、数千人しか居ないでしょう。
>>352 しかしチェイルリー宮殿防衛に正規軍がスイス人衛兵隊1000人だけでなく
近衛隊が1000人も配備されていたと言う情報は本当ですかね?
大体のフランス革命の本には、正規軍としてはスイス人衛兵隊のみが宮殿防衛にあたったとありますが・・・・・
革命開始後でも近衛隊は、存在したんですかね?とっくに亡命してそうでけどね。
貴族の竜騎兵の制服がスイス衛兵と似てるから間違われて殺されたって話もあるから、スイス衛兵以外も居たんだろう
死者は国王側が600人でコミューン側が400人とか
>>358 これを第三者として目撃していたボナパルトは民衆の下郎さと、
国王の勇気の無さを軽蔑したといわれ、
後にナポレオンやルイ14世だったから暴徒どもを撃退したと言われていますが、
それをしちゃったらますます騒ぎが大きくなって結局は首を槍に突き刺されていましたよ。
第一、襲撃側はサン−キュロットばかりじゃなく国民衛兵や義勇兵もいましたから。
私ならば1789年の段階で徹底的に武力鎮圧したか、それとも革命後、もっと簡素に国外脱出したかと思いますが、
前者のやり方でもパリでは一時的に抑えられても後に現実となる農村での大暴動(大恐怖)が発生し、
それがパリにも波及したでしょうし、
後者は私が王族じゃないから言えるのであって、
昔の王族は簡素な馬車に少ない荷物とお供で、なんて無理でしょう。
361 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 03:15:18 0
>>360 >これを第三者として目撃していたボナパルトは民衆の下郎さと、
>国王の勇気の無さを軽蔑したといわれ、
この話しは有名で、ナポレオン以外の大抵のパリの普通の市民もそう思ったらしい。
>ナポレオンやルイ14世だったら暴徒どもを撃退したと言われていますが、
>それをちゃったらますます騒ぎが大きくなって結局は首を槍に突き刺されていましたよ。
>第一、襲撃側はサン−キュロットばかりじゃなく国民衛兵や義勇兵もいましたから。
チェイルリー宮殿防衛にスイス人衛兵隊1000人だけでなく近衛隊1000人も
配備されていたら、組織的な一斉射撃の繰り返しででサン−キュロットは大打撃を
受けていたでしょう。宮殿には大砲12門も装備していた訳ですし。
ジャコバン側は、正規軍と同じ装備をしている戦闘部隊は、サンテール率いる
国民衛兵隊の脱走兵部隊1500名とコルドリエクラブの指導者のアレクサン
ドル率いるブレストとマルセイユの連盟兵部隊1100名だけで、他はサン-
タントワーヌ街やサン-マルセル街の住民サン−キュロットで実質2万人の暴
徒であった。
だからチェイルリー宮殿防衛側がまともに相手にしなければいけないのは、
サンテールとアレクサンドルの部隊2600人だけで、これならば宮殿防衛
側の2000人の部隊で撃退可能。重火器(大砲12門)も駆使して防衛すれ
ば2万人のサン−キュロットなどは簡単に撃退できた。
結局、ルイ16世が議会に逃げ込んで宮殿防衛側の士気が低下したのが
8月10日事件で国王側が敗北した大きな理由でしょう。
そういえば、なんでボナパルトみたいにブドウ弾とか使わなかったんだろうね
やっぱやる気無かったのか、建物を傷つけるのがいやだったのか
>>361 なるほど、それなら撃退可能でしたね。
第一、徹底的に叩けば民衆は怯えて当分動きませんし。
1795年に暴徒たちが国民公会に流れ込んで議員2人を殺害しましたが、テルミドール政府は
民衆暴動にけりをつける覚悟を決め、暴動中心地の貧民街に軍を送って脅したら、
7月革命まで民衆は動きませんでした。
ただし、1792年にはマラー、ロベスピエール、ダントン、エベール、ジャック・ルーら指導者がいて、
1795年の時には彼らは皆死に絶え、ろくな指導者がいなかったことも見逃せませんが。
あとは、戦局がまるっきし違って、対外危機感と高揚が1792年と1795年とでは違ったことも。
それにしても、総大将が隠れてしまうのは将兵の戦意を喪失させますよ>ルイ16世
>>362 ヴェルサイユから強制移住させられるまで廃墟同然だったテュイルリー宮殿には
ルイ16世はあまり執着はなかったかと思えます。
やはり、危機拡大を危惧したように私には思えます。
365 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 21:06:46 0
8月10日事件での国王側の最大の敗因は、戦闘中の国王発砲停止命令
でしょう。これでスイス人衛兵隊の一斉射撃が止まり、暴徒が宮殿内部に
乱入しサン−キュロットによる大量殺戮となったわけで、このルイ16世の
発砲停止命令が無ければもしかしたら、スイス人衛兵隊が発砲が続きサン
−キュロットに死者が続出し撤退したかもしれない。
逆にスイス人衛兵隊が押し出して貧民街まで追撃できたかもしれない。
それともう一つ変動因子なのがスイス人衛兵隊1000人だけでなく近衛隊
1000人がテュイルリー宮殿に配置されていたかと言う事です。
もし近衛隊1000人が居れば、国王側の戦力が倍増となるわけで、かなり
戦闘結果に相違が出ます。サン−キュロットを宮殿周辺から追い払った後に
追激戦に移れるかどうかの差が出ます。
ジャコバン側にはブレストとマルセイユの連盟兵部隊1100名が居た訳で
すが、この連盟兵は、とても正規軍とは言えない部隊で、パリに来る途中で
盗賊・強盗・殺人犯のような連中が加わり犯罪者集団とも言えるような連中
です。旧王朝時代から職業軍人をしている人材は国境地帯で戦闘中な訳で、
正規軍がパリに居ないから、ジャコバン派とサン−キュロットは国王打倒に
動き出したともいえます。
ブラウンシュヴァイク公爵の宣言が、パリ市民を刺激したという面もあるで
しょうが、ジャコバン派などは、その割にはあまり外敵への防衛処置に賛成
していない感もあります。
ルイ16世が、ベルギー国境で敗戦の報を聞くとイギリスに8万丁の銃を注文
したり、北東部の自治体から武器を徴収し軍隊に補給しようとしますがジャ
コバン派はそれに反発したりします。
366 :
世界@名無史さん:2009/02/17(火) 03:16:59 0
フランス革命中に近衛隊なんてあるのか?
近衛隊があったとしても規模は革命前より大縮小していたのでは?
国王がスイス人衛兵隊に発砲を停止させたのは大失敗ですが、
貧民街まで反抗する力はなかったはず。
まして、外人部隊にそれをさせてはジロンド派や一般市民の怒りも買います。
ちなみに対外戦を推進しておいて、勝利する努力を怠ったのはジロンド派とフイヤン派。
368 :
世界@名無史さん:2009/02/17(火) 17:15:26 0
旧体制下の近衛隊の兵力は不明ですが、ベルサイユ行進の後に国王が近衛隊
を一度解散・解雇しています。その後憲法が施行される時に王室費から近衛
隊費用が認められ、近衛歩兵1200人と近衛騎兵600騎が認められます。
その他にテュイルリー宮殿の儀仗兵を交代でパリ国民衛兵隊が務める事にな
ります。また、近衛隊は、議会の近くに駐留してはいけ無い事になっており、
通常はパリから離れた処にで居るはずです。
別の資料だと近衛歩兵が200人という数字もありますが、これでは数が少
なすぎるので、1200人の間違いかと思います。
>>367 >近衛隊があったとしても規模は革命前より大縮小していたのでは?
フランス革命の最中でも確かに近衛隊は縮小して存続しています。しかし、
議会を攻撃しかねないとして、テュイルリー宮殿には常に配置されている
訳では無い様です。
その為1792年6月には王室立憲衛兵隊という部隊を国王が設置します。
別の資料では、単純に国王親衛隊とあるが、近衛隊とは別にテュイルリー
宮殿防衛用の部隊を結成します。
この“国王親衛隊”は将校はもちろん下士官も主に地方貴族で固め、兵は
全国の国民衛兵隊から選抜します。約6000人の部隊で宮殿防衛だけで
なくスイス人衛兵隊と合流して対ジャコバンクラブ・対議会のクーデター
も視野に入れていたようです。
369 :
世界@名無史さん:2009/02/17(火) 17:47:24 0
1792年6月には王室立憲衛兵隊(国王親衛隊)という部隊を国王が設置する
背景には、単純に国王の軍事力を高めようとしただけではないようです。
深刻な経済的理由もあるようです。
革命開始時には、宮廷貴族と違い、領主権の有償廃止で多額の現金が手元に
入る可能性がある地方貴族は革命を歓迎しました。その資金で更に国有地を
買収し地方貴族は直営地を増やして地主貴族化しようとします。
しかし革命が進むと過激なジャコバン派やサン−キュロットが出現し、経済
的な平等を求め始めます。特に領主権の無償廃止をジャコバン派は掲げ始め
たため当初革命に賛成した地方貴族も反革命に転じます。
また、上級ブルジョアもジャコバン派の反革命派や亡命貴族に対する財産没
収や累進課税政策に危機感を強めます。ここに反革命に転じた地方貴族と反
ジャコバンに転じた上級ブルジョアによる同盟が形成され王室立憲衛兵隊
(国王親衛隊)の設置の運びとなった経緯があるようです。
既にこの時期にも上級ブルジョアは、国王や地方貴族と手を組み、プチブル
や事実上のプロレタリアートであるサン−キュロットを押さえ込もうと言う
政治姿勢が垣間見えます。
>>368 それならば撃退さらには反攻・討伐も不可能ではなかったですね。
俺ならやるぜw>ルイ16世
>>369 なるほど。ただし、工業ブルジョワジーは山岳派とくに山岳派の
右派との結びつきが強かったようですね。
371 :
世界@名無史さん:2009/02/17(火) 20:52:46 0
>工業ブルジョワジーは山岳派とくに山岳派の右派との結びつきが強かったようですね。
平原派じゃないですか?武器商人なんかが結託してたのは。
>>371 平原派もですが山岳派(特に右派)は工業ブルジョワジーとの
繋がりが深かったのですよ
私が受ける【感じ】に過ぎませんが、
どうも山岳派=ロベスピエール派だと思っていらっしゃる方が
多いような・・・
374 :
世界@名無史さん:2009/02/18(水) 00:27:59 O
立憲王政派とジロンド派は関係は良好だったか?
イコールでは無かった?
375 :
世界@名無史さん:2009/02/18(水) 21:44:07 0
ジロンド派は名目上共和制を主張。
実際は王政を黙認、ただしイギリスのように国王から首相へ権限委譲を目論む。
>>369 >1792年6月には王室立憲衛兵隊(国王親衛隊)という部隊を国王が設置する
1792年3月ですね王室衛兵隊(国王親衛隊)を設置するのは、
5月27日には解散させられますが。
376 :
世界@名無史さん:2009/02/18(水) 21:54:26 0
>>373 >どうも山岳派=ロベスピエール派だと思っていらっしゃる方が多いような・・・
知ったかぶりをひとつ・・・
国民公会では、山岳派は約150名、ロベスピエール派は、山岳派中で10名程度。
フイヤン派=王党派でもないしね。
>>376 うまく説明してくれて、ありがとうごうざいます!
私だとどーも駄目でね(苦笑)
378 :
世界@名無史さん:2009/02/19(木) 20:15:58 0
>>372 フランス革命期のブルジョワジーの会派支持の分布を見ると・・・・
絶対王政期からの大商人は、革命後は、ほとんどがフイヤン派(三頭派)か
ジロンド派を支持している。業種も金融と卸売り業が多く、
規模も大きい大ブルジョワジーばかりで、元は農民でも爵位を買取り貴族化している。
革命の急進化と経済の混乱で亡命したり破綻しているけど、
ナポレオン時代や王政復古で復活しているケースが多い。
山岳派支持のブルジョワジーは、こう言っては何だけど、闇市商人みたいなのが多く、
いわゆる大ブルジョワジーではない、せいぜい中規模で、物資の横流しが多く、
多額の賄賂を支払い、軍隊に納品している。
国民公会の議員さん達賄賂取りまくりで、ロベスピエールをカンカンに怒らせた。
武器商人だけでなく、衣料品業者・靴業者(皮業者)・食品業者が納品業者として
革命戦争で大もうけして、旧教会保有地や亡命貴族保有地の国有地を財テク目当
てで買収いる。
工業ブルジョワジーって言うけど、大武器工場の大株主は、実は亡命した
宮廷貴族が多く、これを革命政府が国有化しているケースも多い。
武器商人がこれらの武器工場を安く払い下げてもらったのか?
かんぽの宿みたいに?
379 :
世界@名無史さん:2009/02/19(木) 21:56:03 0
デュポン一族の先祖は、平民の出なのに、ルイ十六世時代に貴族ですね
380 :
世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:09:13 0
ラフィットのような銀行家は、どの位置だったんですか?
381 :
世界@名無史さん:2009/02/20(金) 12:52:43 0
:【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 さん頑張ってください。
私は面白いと思います。
382 :
世界@名無史さん:2009/02/25(水) 17:27:41 0
フランスに行ったときフランスの郵便局に口座を開き、キャッシュカードも作った。
帰国するときフランス郵便局(La Poste)の係員が「このキャッシュカードがあれば日本のどこでもあなたの口座のお金が下ろせますよ」
と言ったので、お金を預けたまま帰国した。
帰国してみると、ども都市銀行のATMでも郵便局のATMでも一切下ろせなかった。
フランス大使館に電話しても門前払い。
お金が下ろせず困ってるんだ、というと「それなら訴訟でも起こせば?」と笑って電話を切られた。
奴らが根っからの泥棒だとやっとわかった。最初から知ってれば決して信用しなかったのになあ。
フランス人などを信頼してかかったこちらが甘かったのだろう。
高い勉強料だった。
フランス革命は最高。読み物としてねw
ナチス並びに第二次世界大戦と共に世界史で最高に面白い。
女や「大人」には解らんロマンに満ちてる。
日本史なら戦国乱世と幕末乱世・御一新、
世界史ならフランス革命とナチス。
384 :
世界@名無史さん:2009/02/25(水) 21:24:08 0
フランス革命が、取り返しのつかないぐらい急進化しましたから
フランス経済の実害は多き
いですね。
私個人の見解ですが、やはり“ヴァレンヌ逃亡事件”は良くなかった、
ロベスピエールが共和制を唱え始めるのは、この事件以降ですし、
民衆レベルでも「国王がいなくても太陽が上がるのか!」と驚いたとか。
この逃亡事件で国内の国王の信頼は崩れたと思います。
また完全に逃亡が実現出来ていれば話は違うのでしょう。
ただ“ヴァレンヌ逃亡事件”を急進派・コルドリエクラブが国王の国外逃亡
事件として喧伝したのは濡れ衣であり、フイヤン派への攻撃でしょう。
メッスを要塞化しブイエ将軍を司令官に篭城するのが、本来の目的のようです。
また、始めに国王に逃亡を進めたのは、ミラボー伯で、かれは国王がコンピーニュの
森に逃げ込み、近衛隊やスイス人衛兵、王党派の国民衛兵隊を終結してサンキ
ュロット対決する計画のようでしたし、他にもミラボーは、ルーアンに逃亡を
薦めた事もあるようです。
>>384 ヴァレンヌ逃亡事件の前に既に共和制を訴えていたのは
マラー、エベール、ジャック・ルー、ショーメットぐらいだったようですね。
4人ともコルドリエ・クラブ。
同会員でもダントンやデムーランはどう主張していたのかは知りませんが。
ロベスピエールやブリッソはまだ立憲王制の枠内での民主化を
主張してましたね。しかし、この事件を機に・・・
事件後、シャンド・マルスで共和制移行誓願署名をしていた人たちに対して何でラ・ファイエットは発砲させたのか?
ロベスピエール、ブリッソ、クートン、ベルニオら主要な?にわか共和派は
まだそこまで急進化していなかったから不参加だったし、
シャンド・マルスに集まった人数もべらぼうなもんではなく、暴徒化もしていなかったのに。
国王の逃亡失敗も痛いですが、ラ・ファイエットによる虐殺も
立憲王制並びに立憲王制派への人々の反感を強めたと思います。
>>384 >ただ“ヴァレンヌ逃亡事件”を急進派・コルドリエクラブが国王の国外逃亡
>事件として喧伝したのは濡れ衣であり、フイヤン派への攻撃でしょう。
>メッスを要塞化しブイエ将軍を司令官に篭城するのが、本来の目的のようです。
そうなんですか?知らなかった。そう書いてる本は読んだこと無いんですが勉強不足でしょうか
ベルギーに行く途中だとばかり思ってました
よければ詳しく聞かせてください
387 :
世界@名無史さん:2009/02/25(水) 23:07:37 0
19世紀の七月革命があっさり収まったのはなぜでしょうか?
シャルル10世があっさり国外亡命して、革命側も見送ったから?
388 :
世界@名無史さん:2009/02/27(金) 01:18:11 0
>>385 >事件後、シャンド・マルスで共和制移行誓願署名をしていた人たちに対して何でラ・ファイエットは発砲させたのか?
やはり、フランス革命は、上級ブルジョワジーによる政治権力の掌握であり、
サンキュロット=プチブル・事実上のプロレタリアートはお呼びではないと言う事なのでしょうね。
絶対王政下の大商人は、政治権力を握る宮廷貴族(アルトワ伯・プロヴァンス伯・ポリニャック夫人等々)
を追い出して、代わりに上級ブルジョワジーが国王を支えつつ国王も彼らの保護育成を図るブルジョワ王政
を求めていたのだと思います。ルイ16世自身もこれを目標にしていました。
経済活性化による財政再建のためであり、イギリスの産業革命に対抗する為の産業政策でもあったと思います。
そういう意味ではルイ16世と上級ブルジョアジーの間には暗黙の了解があり、その時々の政局を乗り越える為に
両者が取引する事はいわば当たり前だったのかもしれません。
ミラボー伯がその典型で、王室からかなりの機密費をもらって、ロビイストみたいな事をしていました。
そうなるとフランス革命で邪魔なのは、サンキュロット(事実上の社会主義)とエミグレ(絶対王政復活派)なので、
革命戦争でエミグレとそれを支援する欧州君主国(ハプスブルグ家)を追っ払い、サンキュロットは、治安部隊
(国民衛兵隊)で押さえ込むと言う事なんでしょう。
しかし実際の政局では、パリ市内の貧困市民層がサンキュロットとして大衆武装デモ隊として政治力を握ってしまい、
上級ブルジョアジーを圧倒したと言う事でしょう。特に対サンキュロット用の治安部隊として地方貴族や上級ブルジョア
から期待されていたパリ国民衛兵隊がサンキュロットに同調する傾向があったのが致命的です。
こうなると、対サンキュロット用の治安部隊として期待できるのは、なんと国王の近衛隊と外人傭兵のスイス人衛兵隊と
なり、王党派vsサンキュロットといういわば抜き差しならぬ対決の構図が出来上がります。
8月10日事件の背景の一部にもこの構図が当てはまります。
389 :
世界@名無史さん:2009/02/27(金) 01:18:34 0
>国王の逃亡失敗も痛いですが、ラ・ファイエットによる虐殺も
>立憲王制並びに立憲王制派への人々の反感を強めたと思います。
91年7月にラファイエットはこの件で、ジロンド派とジャコバン派から
攻撃され中央政界では事実上の失脚、パリ国民衛兵隊司令官を解任されます。
翌年の革命戦争開始までラファイエットは逼塞していますから、
相当の批判を浴びたのでしょう。しかし革命戦争では結局中央方面軍司令官
として復活しますから、国王や軍人やブルジョアからは完全には見放された訳でもないのでしょう。
王妃アントワネットとの不仲は有る政治的にはプラスで、そのあたりでもラファイエットは、
ブルジョアジーから常に一定の支持があるのだと思います。
逆に貧困層やエミグレからは恨まれる事になるのかも知れませんが。
390 :
世界@名無史さん:2009/02/27(金) 12:43:10 0
ラファイエット将軍は、7月革命で再浮上しましたね。
391 :
世界@名無史さん:2009/02/27(金) 12:44:38 0
ロベスピエール最高!
392 :
世界@名無史さん:2009/02/28(土) 09:37:41 0
アメリカ独立の場合は、イギリスを除くヨーロッパ中が独立側に立って応援
してくれたし、エカチェリーナが武装中立同盟を結んで好意的中立を守って
くれたわけだけれど、フランス革命の場合は、逆にヴァレンヌ事件とピルニ
ッツ宣言、対仏大同盟でヨーロッパ中を敵にまわしてしまったからね。収ま
るべきところですんなりおさまらなかった。ジャコバン派の独裁へ帰着して
しまった。別に賛美すべきことでもなければ弾劾すべきことでもないでしょ。
393 :
市民:2009/02/28(土) 14:46:01 0
394 :
世界@名無史さん:2009/02/28(土) 17:37:45 0
スウェーデンのフェルゼンがからんでいるんじゃなかったか>ヴァレンヌ事件。
ヴァレンヌつもりがヴァレヴァレだった。
395 :
世界@名無史さん:2009/02/28(土) 23:16:44 O
フランス革命を誇りにしているフランス人どもも最悪
396 :
日本鬼子:2009/03/01(日) 00:52:28 0
鬼畜ジャップが偉そうに語るな
397 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 02:20:32 0
フェルゼンとアントワネットのラインで始まった。
あんまりルイ16世は乗り気じゃないみたい。
しかし・・・・・
別口で王党派貴族(聖ルイ騎士団)のラインで、フランス西部や南部(リヨン)
北部(ルーアンやフランドル地方)逃げる話もあり、ミラボー伯の話もこちら
のラインと通じている。
いくつものグループが国王に逃亡を提案しているから、横のつながりは無い。
バラバラ、これの逃亡失敗の原因のヒトツ。
逃げた後の国王の行動をどうするかでもグループごとに考えは違う。
>>388、
>>389 フランス革命の目標がブルジョワ革命だったことに異議はありません。
それが一時脱線してから一応は元に戻ったことも。
ただ、フイヤン派はジロンド派内部や山岳派内部と比べても内部で協調が
足りなかったような・・・
また、シャン・ド・マルス事件はラ・ファイエットの暴走ですよ。
それ以前にサン・キュロットを好きか嫌いかは別にして、彼らはパリに
おいては無視し得ない勢力になっていて、同時に政府に彼らを抑えるだけの
軍事力・警察力がなかったのですから、平原派や山岳派右派が非常措置
としてサン・キュロットの要求をある程度呑んだのは賢明だったと
思います。
その時期(1792年末〜1793年)はフイヤン派が大きな力を
持っていた時よりも戦局が悪く、
さらに内乱まで起きていましたら当然ですが(戦局が好転し内乱もほとんど
鎮定された1794年春から恐怖政治が無用となりロベスピエールを倒し、
サン・キュロットとも絶縁したのも当然)。
また、揚げ足を取るつもりじゃありませんが、サン・キュロットを
事実上の社会主義と言うのはちょいと・・・
彼らは一つの階級を成していたわけではありませんが、
多くは下層プチブルで、彼らの代表者格はより裕福なプチブルでした。
本当の極貧層や少数ながらいたプロレタリアとは一線を画し、
資本主義の進展を恐れる一方で、ジャック・ルーらアンラージェが
極貧層・プロレタリアの権利をも代弁するようになるとアンラージェを嫌い
ました。エベール派が兵器工場の労働者たちのストを支持すると、
サン・キュロットはエベール派からもひきました。
それらは、資本主義の発展と同様にサン・キュロットの財産を
脅かしかねないと危惧したからのようです。
399 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 14:45:16 0
ジャコパンクラブはルソーの影響も大きい
革命勃発から山岳派が崩壊するまでの期間
ブルジョワかサンキュロットかの区別などナンセンス
共和制か立憲君主か、国王の権限をいかにするか
いまだ国王のやんごとなき血統に対する尊厳が維持された世界で
思想重視かブルジョワ重視か、王政重視か
それは模索と思想と利権の対立の混沌であった
>>399 うむ、それもわかるような気がする。
ルソー崇拝は共和派だけじゃなかったしね。
話しは変わるが、俺は何とか数年ディドロに長生きして欲しかった。
充分長生きだったけど、革命直後まで生きながらえていたら、
遺体を坊主に棄てられず、パンテオンに・・・
ルソーの場合、テルミドール反動後にパンテオンというのが
党派を超えてって象徴だけどね(ロベスピエールの時代はルソーの
遺骨をパリまで輸送するなんて余裕がなかったのだろうが)。
401 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 20:11:29 0
王妃がマリーアントワネットじゃなかったら、立憲王政になった程度で革命が止んでいたかも
絶対王政時代でも、高等法院などの抵抗はあったし、
マザラン枢機卿時代まで、貴族の反乱もあれば、地方三部会の抵抗もあった。
たいした変革でもなかったでしょ。
402 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 20:14:00 0
>>396 鬼畜になりきるには日本人はへたれすぎる
荒らしに反応するな
404 :
世界@名無史さん:2009/03/02(月) 01:39:09 0
>>398 >サンキュロットはパリにおいては無視し得ない勢力になっていて、
>同時に政府に彼らを抑えるだけの軍事力・警察力がなかったのですから
そういう意味では、8月10日事件では、国王の断固とした抗戦姿勢が
必要でしたね。スイス人衛兵1000人と王党派貴族300人だけなのか
近衛隊1000人もプラスされるのかで戦闘結果がだいぶ違いますが・・・・
もし仮にスイス人衛兵隊と近衛隊が両方居ればテュイルリー宮殿防衛側は、
2000人以上の戦力になりサンキュロット2万人と連盟兵1100人
脱走国民衛兵隊1500人を撃退できたでしょうし、連中がここまで逆上せ
上がる事は無かったでしょう。
8月10日事件では、戦闘開始直後にスイス人衛兵隊の一斉射撃でサンキュ
ロット側が数百人の死者を出して一度撤退しています。既にこの時に脱走し
た国民衛兵隊はサンキュロットに合流していました。
しかし連盟兵が到着したので再度サンキュロットがテュイルリー宮殿を攻撃
し、サンキュロット側が庭園を突っ切って宮殿内に突入しようとします。
宮殿裏側の厩舎やルーブル宮殿のある方にもサンキュロットが殺到します。
しかし、スイス人衛兵や近衛兵の一斉射撃と12門の宮殿側の砲撃で宮殿庭
園側も裏側もなかなかサンキュロットは突入できません。
405 :
世界@名無史さん:2009/03/02(月) 01:39:34 0
スイス人衛兵隊はその頃死者続出で半減していたと言う説と、ほとんど死者が
居ないと言う説の両方がありよく分りませんが、弾薬が不足し始めていたのは
本当の様です。
またそれに合わせたのか砲撃の方が盛んになり、サンキュロット側も大砲を持
ち出して宮殿を砲撃します。
丁度その時にルイ16世は、スイス人衛兵隊と近衛隊に戦闘中止命令を出し、
その後に宮殿内部でサンキュロットが虐殺行為を働きます。
もう少し戦闘を続けていれば、サンキュロットは被害の多さを懸念して撤退
したかもしれませんし、スイス人衛兵隊と近衛隊が押し出せたかもしれません。
つくづく残念です。
王権が停止されると言うだけではなく、国王側が8月10日事件に勝っていれ
ばサンキュロットはこれほどの勢力にはならなかったでしょう。
この時点のパリ国民衛兵隊司令官はマンダ候で王党派でした。
当初、テュイルリー宮殿防衛全体の司令官でありルイ16世も頼りにしていた
のですが、蜂起コミューンに占拠されたパリ市庁舎に呼び出されて殺されます。
これで宮殿防衛はかなり士気が落ち込んだようですね、ルイ16世も無視させ
れば良かったのに。
国民衛兵隊が寝返ったのもマンダ候が前線に居ない事が大きかったのかも知れません。
406 :
世界@名無史さん:2009/03/02(月) 02:15:10 0
8月9日から10日にかけて丸一日サンキュロットはテュイルリー宮殿周辺に
展開し戦闘中です。ヴァンデの反乱の3代目司令官のアンリ・ド・ラ・ロシュ
ジャクランは、テュイルリー宮殿防衛側として参加しており、サンキュロット
に虐殺されずにヴァンデ地方に脱出している。下ヴァンデ軍の創始者のフラン
ソワ・ド・シャレットもテュイルリー宮殿防衛側として参加しているが、アン
ジェに逃げている。フランス革命時の最大規模の大商人で商業と金融の大ブル
ジョアであるポスカリ家の当主の子弟もパリ国民衛兵隊の大隊長として宮殿防
衛に参加し、国民衛兵隊が脱走した後に国王に一緒にルーアンに脱出するよう
に説得している。しかしその後国王は議会に避難しこのポスカリ家の子弟は宮
殿をめぐる戦闘に参加、虐殺されずに脱出している。
このように考えると、国王は宮殿に立てこもり徹底抗戦をして時間を稼ぎ、王
太子や王妃王女は、王党派貴族と一緒にヴァンデ地方やリヨンや国外に逃げる
のが最も良い判断だと思います。
ヴァレンヌ逃亡事件より成功率が高いかもしれません。
たとえルイ16世が戦闘で死亡してもルイ17世が逃げおうせれば良いし、
ルイ17世がヴァンデの反乱の名目上のリーダーになっても良いかも知れません。
「すでに述べたように、近代フリーメーソンはイギリスにおいて、もちろん
それまでの伝統をふまえた上で、18世紀初頭に初めて設立されました。
さまざまな事実を相互に関連付けてみると、パリにおける最初の大東社
ロッジは、フランス人ではなくイギリス人の手によって創設され、そこに
フランス人を加入させたのだということが解ります。それは1725年のこと
でした。1729年には、この大東社の承認の下に、最初のロッジの一つが
同じくパリに創られました。
次いで同じくイギリス人の手で1726年ストックホルムに、1728年マドリッドに、
1729年ジブラルタルに、1731年モスクワに、1735年フィレンツェとジュネーブに、
1736年リスボンに、1737年ハンブルクに、1739年ローザンヌに創られました。
こう述べていくと切りがなくなります。私が言いたいのは、たとえイギリス
王国の場合とは違った性格を持っているとしても、イギリス人による同じ
ネットワークの一環としてこれらのロッジが創られ、特定のオカルト的
=政治的な衝動のための外的な道具にされている、ということです。
もしもこの政治的衝動の深い根拠を問おうとするのなら、近世史をもう少し
広く展望する必要があります。この衝動はすでに16世紀から準備されて、
民主化運動となって普及していきました。ある国ではより速く、別の国では
ゆっくりと、権力が大衆の手に委ねられるようになりました。この民主化の
衝動は近世史を通じて、加速度的にテンポを速めて普及していきました。
けれどもその際、もう一つの流れも、それと一緒に形成されたのです。
複数の流れが現れているときに、その中の一つだけを取り上げて考察
すると、判断を誤ってしまいます。ひとつの流れが世界中に拡がっていく時、
常にもう一方の流れがあって、はじめの流れを補完しているのです。
408 :
世界@名無史さん:2009/03/02(月) 14:25:27 0
人々は通常、その一方だけを見るように暗示をかけられているのです。
特に大学の歴史研究者は、一方の側だけに寄り沿って歩いて、歴史の
歩み全体を洞察する余裕を失っているのです。
民主化の流れの背後に、さまざまな結社の、特にフリーメーソン結社の
オカルト的な力を利用しようとする流れが見え隠れしているのです。
オカルト的な力を利用しようとする動機は決して精神的であるとは言えない
のに、一見精神的なフリをしている貴族主義が、フランス革命で大きな
役割を演じたあの民主主義と、手に手をとって発展してきたのです。
ロッジの貴族主義がひそかに出現したのです。
私たちが現代人に相応しく、社会に参加し、社会の仕組みに通じたいと
思うのなら、民主主義の進歩についての決まり文句に目を眩まされては
なりません。ロッジの儀礼とその暗示的な力によって、支配力を少数者だけ
のものにしておこうとする働きに、眼をしっかりと向けなければなりません。
西洋近代の世界は、ロッジの支配力から解放されたことが一度もなかった
のです。常にロッジの影響が強力に作用していました。人々の考え方を一定
の方向へ向けるにはどうしたらいいのか、ロッジの人々はよく心得ています。
今日はそのようなロッジのネットワークの一つひとつの結び目のことを
述べたに過ぎませんでしたが、このようなネットワークはすでに出来
上がっています。ですから、自分の好む方向へ社会をもっていこうと
思ったら、ただテーブルのボタンを押しさえすればいいような体制が
出来上がっているのです。」
(1917年1月8日 ルドルフ・シュタイナー)
409 :
世界@名無史さん:2009/03/02(月) 22:16:26 0
>>398 >シャン・ド・マルス事件はラ・ファイエットの暴走ですよ。
本来では、ベルサイユ行進の時にパリ国民衛兵隊司令官なのですから、
その時に発砲しても良かったのではないですか?
この事件はどう考えてもルイフィリップが画策した事だし。
そのみち8月10日事件でサンキュロットと王室(スイス人衛兵隊・近衛隊)
は対決しなければいけない運命ですから、王室が有利に戦えるベルサイユ宮殿
でドンパチやるのも悪くないでしょう。
ベルサイユ行進の頃なら宮殿に絶対王政時代の近衛隊とスイス人衛兵隊と
フランドル連隊が居ます。そのほうが有利な戦いが出来ますね。
410 :
世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:34:43 0
すいません、中2です。
明日テストなので試験範囲のフランス革命について質問させてください。
なぜ、ロベスピエールは独裁政治に陥ってしまったのでしょうか。
教科書や資料集を見て分からない問題を学校が出すのかな?
412 :
世界@名無史さん:2009/03/03(火) 19:06:38 0
はい、自分で考える問題、だそうです。
たぶん私立だからだと思います。
ならどうしてここで質問してるんだって言われちゃいそうですが…w
中高生用質問スレがあるだろ
414 :
世界@名無史さん:2009/03/03(火) 22:05:00 O
>>1は奴隷を所有してオモチャにしてみたいのか?
己が奴隷になっているかもしれないのに。
>>410 凄い問題だな。その件について何千何万もの論文・書籍が出ていて、
さまざまの視点からそれを説明しようとしていて、さらに、普通に博士論文になりそうな
テーマだと言うのに、中学2年生にそれを問うとは。
まあ中学高校の場合は教師が期待してる答えってのがあらかじめあるものだし・・・
>>410 その問題がこのスレのテーマと言っても過言ではない。
ロベスピエールのおかげで、「イデオロギーのためにはすべての権力を集中した独裁をしてもかまわん」
っていう、それまでにはない不思議な前例が生まれたな。
>410、女も知らない坊やだからさw
420 :
世界@名無史さん:2009/03/04(水) 19:39:22 0
かくいう私も童貞でしてね
421 :
世界@名無史さん:2009/03/04(水) 20:06:06 0
>>410 国家存亡の非常時だから。
意思決定が遅くて負ければ理想もクソもない。
勝つが故に或いは負けざるは故に正しい。
だからナポレオンみたいな勝利による正義の実現者が指導者に推された。
>>410 私も
>>421さんと同意見です。
正しいか悪いかよりも国家存亡の危機の際には勝つか負けるかが
最優先されます。
「国破れて山河あり」は通じませんからね。
また、戦時には国民の愛国心(この時期のフランスでは
愛国心=革命精神)を鼓舞するためにプロパガンダ(宣伝)が
不可欠ですから、様々な祭典も行われました。
そのうちの一つで最大規模の「最高存在(カトリック用語で神)の
祭典」はロベスピエール個人の宗教観(神の存在と霊魂の不滅を
前提としたルソー流の有神論的理神論で、ボルテールらの理性万能の
理神論―「神が存在しないのなら創ればよい」―とは全く違う)が
色濃く出ていますが、これまたロベスピエールの自己顕示欲だけ
ではなく、諸外国にフランス共和国が無神論やボルテール流理神論の
国ではないことを示し、知識層の支持・安堵を取り付けること―
事実、ドイツ諸国の知識人たちに大変な感銘を与えたようです―、
フランス国民に宗教心で連帯意識も持たせる狙いがありました。
訂正
○>善いか悪いか
×>正しいか悪いか
それより意味の無い長文で、
>>410さんをややっこしく
させてしまったかなぁ。
424 :
世界@名無史さん:2009/03/05(木) 20:57:40 0
ビクトル・ユゴーも、霊魂の存在を信じていましたが、
ルソーに近かったのでしょうか?
いや、それ以前にナポレオンか
というか霊魂の存在を信じない連中の方が異様なだけ。
霊魂不滅はキリスト教世界の基本的な考え方
エベール派主導の理性崇拝や派遣議員の非キリスト教化運動ではこれを極端に否定したけど
(例えば当時派遣議員だったフーシェが出した「墓地令」で、墓場の入り口に「死は永遠の眠りなり」とかいう看板を出させたり)、
ロベスピエールの最高存在崇拝では再び霊魂の存在を認めてる。
エベール派に対する当てこすりもあるんだろうけど、わざわざ演説の中で「国民公会は最高存在と霊魂の不滅を公認する」なんて言うぐらい。
その後のテルミドール派では再びキリスト教が宗教的主導権を獲得するから霊魂不滅はずっと主流のまま。
426 :
世界@名無史さん:2009/03/06(金) 02:17:41 0
>>379 >デュポン一族の先祖は、平民の出なのに、ルイ十六世時代に貴族ですね
平民とは言ってもかなりの大地主ですな。
ケネーの弟子となり重農主義の著作に従事し、穀物取引の自由化の意義を
明確にしている。チュルゴーとも仲がよく協力者でありギルド解散にも賛同している。
ラヴォアジェの弟子でもあり経済学者と化学者の2足のわらじを履いていた知識人。
フランス革命開始時には一応貴族ですが、三部会の第三身分の議員として選出され、人権宣言や
教会資産の国有化の発案者の1人である。しかしアッシニア紙幣の発行に反対し、
革命の過激化を阻止を目指し始めジャコバン派と対立、マラーから攻撃され引退。
94年に逮捕される。テルミドールの反動で釈放され、王党派として政治活動を
再開したものの、総裁政府が王党派拡大を警戒しフルュクチドール十八日クーデター
で王党派を逮捕し再度投獄される。
その後釈放と同時にアメリカに出国しアメリカで火薬工場を設立。
その後ナポレオン時代に帰国や出国を繰り返しアメリカで亡くなる。
フランス革命は啓蒙主義の総括
啓蒙主義はルネサンスの産物
ルネサンスは神を否定したわけではない
理性を協調してるうちに無神論に辿り着いた人もいるけど
別に革命精神とキリスト教が混在していてもいいんじゃないの?
>>410 それは、「あらゆる権力は集中を目指す」からだ。
この言い方は中学生には難しすぎるかも知れんが、例えば、
「なぜ信長は独裁政治に陥ってしまったのか」なんて誰も言わないだろう?
しかし、フランス革命で「独裁に陥った」と言われるのは、「自由」、「平等」という看板を掲げていたからだ。
この看板がまやかしなんだな。
フランス革命が行き着いたのはナポレオン独裁だったわけだが、設問者がこれを意識しなかったなら
「なぜロベスピエールは独裁政治に陥ったか」が愚問だったというしかないな。
そして、革命の名の下に行われた粛清、殺戮、大戦争を見れば、三つ目の看板「友愛」もまやかしだったことが分かる。
まあ、いつの時代にも大義名分というものは必要だからな。あるいはプロパガンダ。
200年も前の事件なのに、いまだにこのプロパガンダを真に受けているからこんな愚問を提示するんだろう。
430 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 18:11:01 0
絶対王政も中央集権を目指したけど、力不足でダメだった。
肝心の宮廷貴族と地方貴族が妨害した。
共和国とナポレオンがサクット中央集権を実現した。
革命何だから既存の秩序や制度をぶっ潰す
皆で仲良くじっくり話し合っていたら革命なんて出来ない
当然のことながら反対する奴も多いし武力も持ってる
周りの国も干渉してくる
時間かけてたら反対する奴が結集して負けちゃう
サクッとぬっ殺してケリつけるしかない。
平和友愛協調は革命の敵
>>431 そういう「革命は何をやってもいい」って、不思議なテンプレートを作ったのも
フランス革命なんだよねえ。
「反革命罪」の発明とか。
これがどれだけの人間を無駄に殺した事やら。
フランス革命は、社会の底辺層には決して優しくなかったよね。
現代的価値観でフランス革命を批判していい子ぶるなよ
革命当時からそう批判されておるがな。
当時の価値観なら文句言う奴を片っ端からギロチンにかけてもOKでしたって事か?w
437 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2009/03/13(金) 03:36:48 O
>>432 まるでサッチャーや呉みたいですなぁ
フランス革命200周年の時のサッチャーの小生意気な言動は今もよく憶えてまさぁ
そのくせ式典にゃ笑顔で参加しやがってよっw>ダメ息子にだきゃあめぇ婆よっw
レーニンらボリシェヴィキの鬼畜外道どもが
てめぇらを山岳派と同一視したことにも問題だぜ
あの世でロベスピエールらは嘆いてたろうよっ
440 :
世界@名無史さん:2009/03/14(土) 14:47:57 0
国民公会の各会派の議員数は
ジロンド派、160名
山岳派 140名(ロベスピエール派約10名)
平原派 400名
441 :
世界@名無史さん:2009/03/15(日) 01:10:00 0
>>440 自己の弁舌と高潔な精神のみで独裁を確立したロベスピエールの偉大さがうかがい知れる
結局正直者は損をする理屈でフーシェにしてやられたけど
もう少し保身に気を配ってれば違った展開になったかもしれない・・・
442 :
世界@名無史さん:2009/03/15(日) 15:08:51 O
ナポレオンがもう少し早く表舞台に出ればロベスピエールとの絡みが見れたな…
もっともロベスピエールはナポレオンの野心を見抜き排除に動く可能性大か…
443 :
世界@名無史さん:2009/03/16(月) 18:28:52 0
>>433 革命後に貴族の土地保有面積が増えている時点で経済的平等は実現して
いないのが当たり前に判る。
ロベスピエールが経済的平等を図ろうとした時点でテルミドールの反動が
発生する。
例のヴァントゥーズ法施行で平原派と対立。
腐敗した派遣議員の摘発準備で山岳派からも浮いてしまいアボーン!
444 :
世界@名無史さん:2009/03/16(月) 22:47:58 O
【卍】 ≦予 ̄>
G\(^■^ ラ 栄光なき《ヴェルサイユ体制=ワイマール共和国》!
\ <!>+\
∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ホフブロイハウスプッチの方が歴史的に遥かに有意義だね♪
ここはフランス革命のスレじゃ
ドイツ野郎は出て行け
446 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 17:41:12 0
地方で王党派の反乱を起こした連中でさえ国有地買取人である現実。
447 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 18:15:49 0
フランス革命の意義さえ見出せない保守主義者は現代に生きる価値なし
>>447 価値は認めるが、負の側面が重すぎるという話だろ。イギリスのようにゆるやかに
立憲君主制に移行するのが成功してるし。王様殺しは必要なかった。
449 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 20:13:00 0
殺されたのはルイ16世の自業自得だろ。ヴァレンヌ逃亡とかいうみじめな喜劇が無ければ殺されずに済んだはずだ
国王とは別に、貴族や王党派は社会の発展のためには排除しなければならない存在だった。
バラ戦争以来貴族が大した利権を持ってなかったために穏健に済ませられたイギリスのケースとは違う。
まあ、ヴァレンヌ事件は誰も得しなかったよな。あれがなければ王族は追放ぐらいで済んだかもしれない。
これのおかげで処刑せざるを得なくなって、結果諸外国の反発を招き、革命を守るために恐怖政治が必要となった。
あるいは逃亡を成功させてれば、王族は悠々自適の亡命暮らしをしながら憎まれ役を引き受けてフランスを団結させられただろう
アホみたいな巨大ベルリン馬車とかワイン樽だの無駄な荷物を積んでたりしたのも失敗の一因だし。
つまりはルイ・カペーが魯鈍じゃなければよかったという話
450 :
世界@名無史さん:2009/03/17(火) 21:33:56 0
マリー・アントワネット処刑はさすがに行き過ぎだろ
アントワネットは言われているほど極悪人じゃなかった
飢餓のときは食料を貧乏人に分け与えているし
アントワネットの悪事は外国に対するスパイぐらい、まあこれは重罪かもしれんが
451 :
世界@名無史さん:2009/03/18(水) 02:16:51 O
スパイ罪は今でも死刑だがな
452 :
世界@名無史さん:2009/03/18(水) 17:51:43 0
>>448 禿同!
最近のフランス人もそう言うな。
特に右の人達は。
フランスでの革命馬鹿騒ぎに平行して、イギリスは産業革命だからな。
文化大革命をやっている最中に隣で高度成長しているようなもんだw
>>449 ルイ16世の性格的なグズは認めるが、死刑になるほどのモノかね?
確かにこの時代アタマはパーでもガッツだけはある小泉型の政治家のほうが良いかも。
そもそもイギリスの産業革命に対抗する為に王政改革を始めたのは彼だしね。
絶対王政からブルジョア王政(開発独裁)に体制変換しようとしたのは政策判断としては正しい。
その足を引っ張ったのは宮廷貴族。
ルイ15世は何にもしてないよ。
その分の苦労が一気にルイ16世に来ている感じ。
453 :
世界@名無史さん:2009/03/18(水) 20:52:38 O
マリー・アントワネットに同情する人は、アントワネットがちょっと贅沢しすぎたせいで殺されたみたいな言い方するけど、
アントワネットの罪は、今で言う外患誘致罪。決して、贅沢したくらいの事で死刑になったわけではない。
外患誘致は日本の刑法でも死刑だよね
455 :
世界@名無史さん:2009/03/18(水) 22:46:25 0
ラファイエットもアントワネットをルイ17世ごと実家に追い返そうとしているから、
よほど邪魔だったんだろう。
本当に悪かったのは戦争に負け続けてインドやカナダを失った上に、
碌な統治をしなかったルイ15世。その後のフランスのためにあのとき暗殺されてりゃ良かったのにな
457 :
世界@名無史さん:2009/03/20(金) 17:48:04 0
7年戦争は、フランスのボロ負けねー!
458 :
世界@名無史さん:2009/03/21(土) 10:39:14 O
アントワネットをハプスブルグ家に対する人質として生かしておく選択肢は無かったのかな?
459 :
世界@名無史さん:2009/03/22(日) 01:24:05 0
王族なら死刑、王族でなければ死刑
そういう状況では厳しいな
いっそ殺さず実家に送り返せばハプスブルクも財政圧迫して
フランスに貢献しただろうに
ヴァレンヌ事件は王政にとっては確かに致命的だったよな。
最近の研究では国外逃亡ではなく、ブイエ将軍率いる軍と統合して体制を
立て直す、というのが有力だそうだね。
ただいずれにせよ、国王が反革命に走った事実は否定できないね。
461 :
世界@名無史さん:2009/03/23(月) 15:37:19 0
>>460 >ヴァレンヌ事件は王政にとっては確かに致命的だったよな。
そうですね。逃げ切れれば話はまた別ですが。
>最近の研究では国外逃亡ではなく、ブイエ将軍率いる軍と統合して体制を
>立て直す、というのが有力だそうだね。
>>384を書き込んだのは私ですが、ルイ16世はドイツ国境近くのメッスに籠城する予定だったようです。
しかしアントワネットは、マジで国外に脱出するつもりだったようです。
ドイツ国境には1万2千の亡命貴族軍が集結していたため、彼らをメッスに
引き入れようという考えもあったようです。
いずれにせよ、ヴァレンヌ近郊には、ブイエ将軍の子息が指揮するロワイヤル
ドイツ騎馬連隊500騎が居ましたので、彼らがベルリン馬車と合流できれば
付近の農民連中が集結しても発砲・突撃で蹴散らせるはずでした。
ブイエ将軍はラファイエットの叔父でありラメット兄弟と共に革命初期の軍部
の代表者でした。革命後1790年にナンシー軍部反乱事件が発生すると苛烈
な弾圧で反乱を起こした下士官と兵士を鎮圧・処分しフイヤン派や国王側から
高い評価を得ます。
ベルサイユのバラでもブイエ将軍は出てきます。
革命に反対する強硬派軍人の役でヴァレンヌ事件のシーンでも出ますね。
今日はエベールの命日です。
463 :
世界@名無史さん:2009/03/24(火) 22:48:22 0
革命が一度も起こった事がないから日本人はいつまでたっても権力者に舐められてるんだよ。
もっとも今の時代で革命レベルの事なんて起こせないけどな。
>>449 それは、貴族の問題というより、
長い歴史をもつ君主制に付きものの、いわば「大奥問題」だよ。
王朝というのは、種付けが仕事という面がどうしてもあるので、
そのための「女の園」が必ずできる。
この「大奥」、要するに後宮の類(但し中華やトルコのようなものである必要は無い)は、
巨大な金食い虫になって財政を圧迫し、政治の改革を阻害し、
いざと言う時に君主の足手纏いになる。
江戸幕府が幕末になって、大奥の居座る江戸城を半ば見捨てて、
政治の中枢機能が京都や大坂に半ば移転してしまったのも、
あんなものがあっては、幕末の大改革が出来ないという面が多分にある。
1868年に入り、いよいよ完全に幕府崩壊という段になっても、
ここは篤姫も和宮も「手を携えて」大奥改革大反対の先陣を切っていたりする。
マリーアントワネットが特に馬鹿というわけでもない。
ヴァレンヌ事件は、人類共通の性の、どうしようもない帰結。
女っつうのはいつの時代でも保守的なんだよな。
自分の生活さえ守れれば時の権力とか関係ないし。
パンさえあれば、王政でも共和制でもどちらでも構わなかっただろうな。
466 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 13:04:15 0
女=保守、ってのは真理だな
自民支持してる人間も女が多いし、世界中で見られる現象
しかし保守勢力が女に積極的に参政権を与えたとは思えん
参政権は徴兵の義務をもつものに与えていたという意見もあるな
468 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 16:54:51 0
フランス革命陰でささえたのも婦人会や
女は権力闘争の裏に常にいる
女だから保守か革新かなんてナンセンス
女=保守なんて限らん。
ただ、フランス革命は古いブルジョワ革命だったから、
革命派でも婦人参政権を主張したのはアンラージェ、エベール派、一部の山岳党左派ぐらい。
重要人物のロラン夫人も表舞台には立とうとせず、婦人参政権を考えもしなかったようだし、
ジロンド党と決裂するまで同婦人のサロンに出入りしていたロベスピエールも婦人参政権反対派。
コルドリエ・クラブは女性も入会できたが、ジャコバン・クラブは最後まで不可。
フイヤン・クラブももちろん不可。
前提としてる保守の意味合いが違う気がするが、初期の反革命暴動は女の参加者が多かった
ただしそれはあくまで敬虔な(啓蒙思想家から見れば理性の光を浴びてない蒙昧な狂信的)キリスト教徒として、カトリックの保護者たる王のためのものだったようだが
あの時代は啓蒙思想が一般民衆にも広まり始めてたから、男よりもむしろ教育水準が低い女の方が信心深かったし
さらに男は教会が無くても酒場なりカフェなり市場めぐりなりすればよかったが、女は休日は教会に行く以外にやることがなかったからとか。
エベール派の非キリスト教化運動で教会が閉鎖されると、地方ではそういう暇な女が主導する小規模な反革命暴動が多発してる。
そういう鬱憤の矛先を女権の主張ではなくてむしろ逆に反革命に向けるあたりは近代の夜明けとはいえ時代の古さを感じさせる。
まあスタール夫人は現代の糞フェミまんまで好きになれないけどな
アンシャンレジーム時代に女性の政治に及ぼす影響が大きくなりすぎたので、
革命ではそれに対する反動で、女性の影響力が低下したって読んだことがある。
それはポンパドゥール夫人を代表とする国王の公の妾(公称は忘れた)が
アンシャン・レジーム期には大きな力を持っていたから。
ルイ16世には愛人はいなかったけどね。
そういった一握りの女以外はアンシャン・レジーム期も力なんて持っちゃいなかった。
ただ、フランス革命は明治維新とチと似たところがあって、
進歩と復古(フランス革命なら共和制ローマ、明治維新なら神武創業)の考えも同居していたから、
極左以外は革命家たちも女権を否定し、賢妻良母が理想とした。
古今東西、女の方が信仰心が篤いからね。
現代日本でも宗教だの占いだのにはハマるのも男よりも女が多いし。
誤字だらけスマソ
一部補足すると、古今東西、女の方が信仰心が篤いから、と言ったのは、
当時、確かに非キリスト教化運動に反発したのも女の方が多かったってこと。
ロベスピエール個人が女性人気があったからか、その宗旨が「神の存在と霊魂の不滅」だったからか、
最高存在(神)の祭典は男よりも女により感銘を与えたらしい。
あれはNHK教育テレビのフランス革命200年って番組で観たけど、
ゴセック作曲の音楽からしてグレゴリオ聖歌そっくりで荘厳だった。
ゴセックのって最高存在賛歌ってやつ?ネットで聞けないかなあ探してるけど見つからん
CD輸入するしかないのか
中島実穂 著「マリー・アントワネットの娘―栄光の記憶」という本に、
ユルトラが好んで読んだ小説として、ウォルター・スコットの「アイヴァンホー」をあげているのですが、
他にもよく読まれた小説や詩等があったのでしょうか?
また、ユルトラについて詳しく書かれている本があったら是非教えて下さい。
476 :
世界@名無史さん:2009/04/03(金) 03:35:35 0
477 :
今年が生誕120周年:2009/04/03(金) 22:52:43 O
>>474 それ。
ラウンロード出来るかどうかはわからんけど。
コロー、ビヨー、保安委員会のアマールからは嘲笑されたらしい>最高存在の祭典
479 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 15:55:44 0
フランスの貴族は相当落ちぶれてる。
王党派なんて、今のフランスでは変人扱い。
貴族は、自分たちの旧宅をホテルや老人ホームに改装したり、
所有する農地でワインやチーズを製造販売し糊口をしのいでいる。
480 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 17:05:08 0
まったく、俺たち日本のニートの方がずっと上だな。
伝統と血統。己が何者であるかについての揺るぎない自信。
ホテルや老人ホームに改装してあまりある広壮な邸宅。
ワインやチーズも産み出す豊かで美しい領地。
まったく、俺たち日本のニートの方がずっと上だな。
481 :
世界@名無史さん:2009/04/10(金) 21:14:06 0
旧王室だと、金融関係に就職している人多いね
どうして?
>>481 資産運用で暮らしている人間が多いからでしょ
483 :
世界@名無史さん:2009/04/11(土) 02:22:28 0
>>479 確かに現在でもフランスの貴族は、農地をかなり所有している。
フランス革命期に貴族は逆に所有地を増やしたし、
今では貴族は農村での地主的存在となっている。
ドゴール空港の敷地買収もたった3人の貴族地主との話で片付いたし。
貴族はフランスでの相続税や固定資産税の税率の高さから、
所有資産を財団法人や株式会社に移し、代々の貴族の当主が
代表に就く形で資産の継承をしている。
ちなみにブルボン家は、社団法人ブルボン家に財産を移し、
歴代の理事長にブルボン家の当主が就任している。
484 :
世界@名無史さん:2009/04/16(木) 21:58:22 0
>>483 >ドゴール空港の敷地買収もたった3人の貴族地主との話で片付いたし。
いまや
北フランスの穀倉地帯じゃ、平民の農業する人でも、広い農地でコンバインで大規模機械化農業
485 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 19:38:09 0
EU統合が進めば、フランス人としてのアイデンティティが危機に陥る日が
必ず来る。その時ふたたび国民統合のシンボルとして、王家の存在が脚光を
浴びるだろう。フランスが王制に回帰する日に備え、王党派は力を蓄えてい
るのに違いない。
486 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 21:39:26 0
>>485 スペインやイタリアと違って、分裂の心配が、アルザスやコルシカ、ブルターニュくらいしかない国で?
487 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 21:41:03 0
心配なのは分裂することじゃなくて
ヨーロッパというスープにフランスが溶け込んで消えてしまうことだよ
ドゴールのような変人が出てくるだけだろ、王族は無理
489 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 23:38:37 0
王党派の池沼って21世紀になってもこういう妄想にとらわれて生き続けてるんだろうなあ
490 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 00:30:44 0
金持ちでルックスもよければあとは夢をみることが人生だw
ルペンら極右だって王制なんざ考えてもいない
憲法で共和制否定を許されていないとかの問題以前にね
492 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 08:19:12 0
>>485 EU統合といっても言語統一は不可能だから各民族のアイデンティティは存続するだろう。
これが米国united states との違いだな。
493 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 10:47:10 0
で、標準フランス語のフランス国内支配の程度は、ドイツやイタリアどころじゃない
イギリスでは、実質英語話者ばかりなのに、
いまだに別の国と強弁する経済的に辺境の地域(スコットランド、ウェールズ)があるけど、
「パリとフランス砂漠」の人材、人口でイル・ド・フランス地方突出のフランスじゃ、
独立を気取れる地域自体まずない
コルシカにしても、人口約28万人で、しかも半分は本土からの人間
494 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 18:21:16 0
立憲君主を戴くことは、過激な排外主義をむしろ押さえる効果があるのではなかろうか。
ドイツではネオナチのような歪んだ国家アイデンティティの持ち主が通りを行進したりしているが、
天皇という伝統が受け継がれている日本では、そんな排外主義の輩は日の当たる所には出てこれない。
革命の成果に立憲君主の効用を上乗せすることは、国民の幸福につながるだろう。
つ戦前
つ 朝日
497 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 18:35:54 0
立憲王政の復興は長期的には良案だと思うけどなあ。
ブルボン正統王朝の直系は断絶しているから
オルレアン家がいいだろう。
>>497 ブルボン直系断絶だオルレアン家云々だの常識言ってんじゃねぇよw
てーか今時 王様だの殿様だのなんざいらねんだよっ
フランスの王党派が未だに連盟祭の日に弔旗掲げたりしてるのは有名だよな
奴らの粘着質は江戸時代に思い入れなんて皆無な日本人には想像できない
そしてそういう性質はフランスの大多数を占める共和派においても同じだろう
そんなフランス人が今更王を掲げるなんてあり得ない
王政復古ならオーストリアなんかはどうなんだろうね?
501 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 21:31:05 0
>>499 連盟祭の日に弔旗掲げたりしてるのは有名だよな
日本で天皇が革命派につかまってギロチンにかけられたりしてれば、
それどころじゃすまんかったろうよ。粘着とかそう言う問題じゃない。
惨めな写真撮られて新聞に載せられたり馬鹿にされまくってたのに平気でマッカーサー閣下ありがとうとか言ってた国民がよく言うわw
503 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:17:10 0
マッカーサーが日本国民の多数に支持されたのは
昭和天皇を結果的には庇ったのも大きいと思うけどな。
実際GHQには「陛下を裁かないでください」との嘆願書が山ほど寄せられていた。
昭和天皇を東條らのように死刑台に送り込んでいたら
日本占領は失敗していたよ。
505 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:24:32 0
>>501 そういうけど、ミカドの存在なんぞ、フランス革命期と同時代の日本の大多数の民衆には、ほとんど意識されていなかったようだぞ。
武士にしても、観念論としての「尊王」を一部の藩や個々の武士が掲げていただけ
それも、長州藩や薩摩藩の場合、たぶんに、関が原以来の遺恨から、倒幕の口実っぽい。
506 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:25:59 0
507 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:28:39 0
>>505 水戸藩をすっとばすなよ。本来は関ヶ原云々とかいう問題じゃない。
山本七平の本を読むといいよ。
>>505 ちょっとだけでいいから日本史お勉強して。
509 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:39:01 0
>>507 山本七平って、
『ユダヤ人と日本人』で、引用がおかしいと叩かれていた人?
最後の将軍慶喜も知っていた水戸藩の家訓や、光圀公の大日本史編纂は知ってるけど、
その水戸藩の幕末は、尊皇派と佐幕派の流血の粛清合戦のせいで、維新後の人材は警視庁の警官くらいしか残っていなかった。
おまけに、一般の領民は、(光圀公以降の)荒廃した領地で窮乏にあえいで、政論どころではなかったろうに。
510 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 22:49:04 0
>>508 天皇が統治権の総覧者で臣民が忠誠をちかう皇国教育なんて、明治以降の話。
それも、小学校出るのがやっとだった多くの庶民にしてみれば、
公式の場での態度と本音はまるっきり別だったようだね
火垂るの墓の野坂 昭如の周囲にせよ、俺の父方の郷里にせよ、
玉音放送聴いて泣いていた人間なんていなかったという。敗戦はとうに予想どおりだったって。
511 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 23:05:22 0
>>503 占領された後、抵抗する余力が当時の日本人にあったかは、疑問だけどね
軍艦どころか貨物船も残り少ないわ、黒岩重吾が大陸で従軍していたとき砲弾もなかったわ
軍需物資は、兵卒どころか士官たちがいの一番に持ち去って逃げ出すわ
そんな状況下で
天皇を救出するために、武装して身長も倍近くある米兵にゲリラを仕掛けられる日本人なんて何人いたかね
ま、たしかに
岸信介を処刑する気が最初からなかったくらいだから、
昭和天皇は退位させられて幽閉か隠居か国外追放が関の山だったろう
近代以降、革命や占領の後、君主が処刑された例は数件しかないはず
512 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 23:21:31 0
>>494 移民問題の深刻さの程度が違うと思うんだが
ま、それを引いても、ドイツ人の方が、日本人よりも血の気が多くて、
地下組織作って、デモや暴動起こして騒いだり、水面下で抵抗運動するのが
大好きではあるんだろうけど
「日本人と違って反省している」とか聴かされても、全然信じる気になれんわ
な。外圧対策での表向きだけという気がする。
513 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 23:55:03 0
>>505 >>509 >>510 江戸時代の一般民衆からすれば、天皇は神社の総元締めという位置を占めてるし、
政治思想としての勤王も日本の富農・富商階級にかなり浸透していたんだよ。
そして後者は倒幕のエネルギーになり、後に来る時代の方向性を決めた。
さらに明治の富国強兵や、戦後の経済成長の時代に日本が纏ったのは天皇の
存在が大きいわけで、現在もそれは続いている。
今のフランスに立憲君主制が適するかどうかは判らないが、いろんな政体を
渡り歩いてきたフランスのことだから、将来そうならないとも言い切れない。
515 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 12:14:27 0
>>513 >江戸時代の一般民衆からすれば、天皇は神社の総元締めという位置を占めてるし、
それミカドというより伊勢神宮でしょ
それも、幕府の寺社奉行の管理下
>政治思想としての勤王も日本の富農・富商階級にかなり浸透していたんだよ。
一部の国学・儒学かぶれね
516 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 12:21:52 0
>>494 >立憲君主を戴くことは、過激な排外主義をむしろ押さえる効果があるのではなかろうか
「帝国」のあり方いかんだな
オスマントルコとかオーストリア・ハンガリーとか
でも、どちらも旧版図が、諸国家に分解した状態が定着してしまったから、復活は無理
大英帝国のイギリス女王でさえ、白人アングロサクソン文化圏以外では、元首の地位は厳しいというのに
日本の天皇を、移住してきたコリアンやチャイニーズが自分たちの象徴として認めると思う?
517 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 14:51:00 0
>>515 >それミカドというより伊勢神宮でしょ
伊勢神宮すなわち天皇の直轄だよ。遠国奉行の出先である伊勢山田奉行所は
その警備なんかを担当していたわけだ。当時の天皇とフランス国王を比べて、
どっちが民衆への宗教的影響力が大きかったかは一概に言えないけどね。
>一部の国学・儒学かぶれね
革命を導くのは常にアクティブな「一部」の層だよ。
日本の場合は平田国学が中産階級層に思想的な方向性を与え、
維新志士を後援する流れを作り出したってこと。
↓のページを見ると勉強になるよ。
ttp://www.rekihaku.ac.jp/relieved/l0005.html まあ日本の場合、幕府が倒されるべき旧制度の役を引き受けてくれたから、
同じ革命期の君主でも明治天皇とルイ16世じゃ、全く立ち位置が違うけどね。
革命ってのはすごいよな。
あんなに王を慕って敬ってた民衆が大多数の国で、王墓をすべて暴くなんて
蛮行が実際に行われたんだもんな。
平時では考えられないことが行われるのが革命なんだな。
そりゃ政府を転覆させればモヒカンが跋扈するフリーダム!なカオスになるだろうからなw
>>518 確かに。しかし、特ア地域のように、進歩した文化まで捨て去るようなことはしていない。
そこが特ア人とフランス人の違いだな。
521 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 14:27:21 0
今までずっと慕って敬ってたのにいざってときに外国に逃亡して自分たちの敵になろうとするんだもん
そりゃ殺すわ
522 :
革命の大天使:2009/04/20(月) 19:08:52 0
↑そんなつまらん理由ではない。国王は国王であるが故に罪人なのだ。
523 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 19:26:57 0
サン・ジュストは死んでくれ。
実際彼は狂人だろ?
平成日本ならオウムに入ってサリンを撒くタイプだな。
524 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 19:45:36 0
>>1 まあ、国王がフランスを崩壊させるか民衆が破壊するか、どっちが良かったかという結果論だな。
525 :
世界@名無史さん:2009/04/20(月) 23:16:37 0
サン・ジュストがホントは女だったりするなら 許すw
526 :
世界@名無史さん:2009/04/21(火) 15:01:23 0
>>1 まあシナの文化大革命よりはマシだったんではないか? いやギロチン地獄という点では同じようなものか。
528 :
世界@名無史さん:2009/04/21(火) 15:05:47 0
ルイ16世より15世の方がクソだな
とばっちりもいいとこだ
>>526 ギロチンは処刑人の技量により左右される首切りに較べて苦痛が少ない
処刑方法として確立したんだぜ
民間レベルのリンチ殺害が横行した文革とくらべるべくもない
まぁ、フランス革命にしろ文革にしろ愚民に処刑の判断を委ねたら
歯止めがきかない恐ろしい自体になるということなのかな
530 :
世界@名無史さん:2009/04/21(火) 19:10:05 0
恐怖政治期の処刑者は全国の革命裁判所で2万に満たない
革命の中心であるパリの革命裁判所での処刑者は2627人。
革命を守るために戦争に赴いて死んだ数十万と比較せよ
またパリの9月虐殺や地方における派遣議員の行き過ぎたテロルなど、無意味な虐殺は追求されている。
革命裁判所は反革命主義者をも法の下に置いてこういう暴虐を未然に防ぐために設置された機関だ。
テルミドールのクーデターはむしろ散々暴れてきた虐殺キチガイが責任逃れに起こしたもの
クーデター後のわずか数日の間に処刑されたロベスピエール派は、パリにおける恐怖政治期(一年半ほど)処刑者の25%に匹敵する108人という驚きの数字。
もっとも革命が安定期にさしかかりつつあった時期にわざわざプレリアル法なんていう恐怖政治を推進する無駄な法を作って、
さらに前文で公会議員の身分保障を剥いだりと反動家に言質を与えてしまったのは大きな失策だったと言えるがな
ななもん比較するな
>>530 ああ5%のつもりが25%になってるわ
テンキーで打ったとき下の2押したか
まあ自分で読めばわかるからどうでもいいけど恥ずかしいな
>>530 全く禿同!
俺が説明しきれないことをうまく説明してくれている。
2万人に満たない、と平気で書くヒトにしか
通用しない論ですね。
>>530 戦争で死んだ人数と、裁判を経て死刑になった人数と比較しろって言われてもなあ・・・
>またパリの9月虐殺や地方における派遣議員の行き過ぎたテロルなど、無意味な虐殺は追求されている。
のうのうと生き残った人間も結構いるしな
それにしてもよくある手口だよな、意味のない比較をするって
537 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 23:16:16 0
8月10日事件でスイス人衛兵隊と近衛隊がサンキュロットを撃退してればあんなに革命が過激化しないと思います。
538 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 00:09:38 0
テュイルリー宮の前から撃退しただけじゃ解決にならないな。
はじめから徹底的に革命派を軍隊で制圧してれば流れは変わったかもしれないが、
ルイ16世は国民の血を見ることを好まないし、すでにその時点では必要な兵力も集まらなかったろう。
全人民の父たる王が国民を見捨ててスタコラサッサしようとして失敗とかドジしてなければあんなに革命が過激化しないと思います。
540 :
世界@名無史さん:2009/04/24(金) 00:45:48 0
喧嘩上等な君主だったら革命派を片端からギロチンにかけて終了だった。
>>538 俺はもし反革命の立場ならばバスティーユ陥落前に大弾圧すべきだったと思う。
ただし、実際に後に農村で吹き荒れた大恐怖みたいのが全仏で発生して、
農村から革命が広まり、結局はパリも、だったかもしれないけど。
そう考えると元首個人の性格・能力だけで語るのは難しいね。
ヴァレンヌ事件の真相は、国王の目的は国外逃亡ではなかった(王妃はそうだった)。
しかし反対派にそういう口実を与えてしまったのは致命的だったね。
国王のとんずらを誰も止めなかったのかね?
544 :
市民:2009/04/30(木) 08:38:03 0
>>543「逃げてくれると嬉しいなー」的な邪な考えを抱いてた。
ロペスピエールは国王が逃げた事を知った途端に革命成功を確信しちゃってたし
546 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 01:55:32 0
最近フランス革命に興味を持ったんですが、みなさんはどんな本を読んで勉強
なさってるんですか?自分はその時代では何となくですがタレーランに憧れます。
彼のことについても詳しく知りたいなぁとなんて思ってます。
547 :
世界@名無史さん:2009/06/30(火) 23:40:43 O
死刑執行人サンソン読んだおもろいね
同時代のアメリカの建国の父の一人がフランス国民軍司令官ラファイエットに
宛てた、1789年10月6日付の手紙
「(中略)が、その一方で、この試みが最終的に成功を見るのか、
これに携わるであろう者の運命がどうなるのか、大変懸念しております。」
「私が恐れているのは、哲学的な政治家が思い描く妄想です。彼らは
時に大きな影響を与えますが、ただの思索家にすぎない彼らは、
人間性や国民性に合わせることよりも、社会を洗練させようとすることに
重きを置きかねないからです。」
549 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 17:22:10 0
ロベスピエールは童貞
550 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 17:29:59 0
>>546 トクヴィル 「旧体制と大革命」
バーク 「フランス革命の省察」
>>500 バークは結構難しかったよ。
タレーランなら、ダフ・クーパーをまず読んでみたら?
バークみたいなウンコ野郎の本は読まなくて宜しい
553 :
世界@名無史さん:2009/07/07(火) 19:06:21 0
レス有難うございます!さっそくクーパーのタレーラン評伝を今日、注文しました(笑)
あと遅塚忠躬で岩波のフランス革命を最近読み終えました。この勢いでいろいろこの時代について
勉強していこうと思ってます。ちなみに今のところ、この時代で憧れるのはタレーランで
一番興味を惹かれるのはロベスピエールです!
2ちゃんねるに相応しい関連本は獅子の時代だよ
サン・ドニの王墓を暴いた目的って一体何だったのですか?
ブルボン家のみならずすべての棺を暴くってやりすぎだと思うのですが。
棺桶から遺体を出して外に捨てることに何の意味があったのでしょうか?
556 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 20:02:43 0
>>555 革命家というものは、同時にオカルティストでもありますから。
フランス革命に関する興味深い本で誰も挙げていないので紹介したいのですが、
ルネ・セディヨ著「フランス革命の代償」(草思社)は一読する価値があると思います。
フランス革命を多くのデータを元に、さまざまな側面からドライに精算するといった本です。
門外漢の私でも楽しく読み進められ、勉強になりました。
ご存知の方はいらっしゃいますか?
あと、これも挙がっていないので挙げておくべきだと思うのは、初学の方には
ミシュレ著「フランス革命史」(中公文庫)をお勧めします。ほとんど小説のノリなので、
すらすらと読み進められます。著者のフランス革命に対する熱いパッションに溢れた
名著だと思います。ただ、フランス革命を良くご存じの方には、その革命礼賛主義が
どうしても無理という方がいらっしゃるかもしれませんが、初学者がフランス革命の世界に
浸かるのには丁度いいと思います。
559 :
世界@名無史さん:2009/07/14(火) 22:59:29 0
あ、さいら・さいら・さいら♪
革命記念日万歳!共和国万歳!
560 :
世界@名無史さん:2009/07/14(火) 23:20:41 0
>>557>>558 有難うございます!フランス革命はいろんな解釈の仕方があって
初心者にはどれから入っていけばいいか悩みます。
ということで、とりあえず今日は革命記念日!!!!!
561 :
世界@名無史さん:2009/07/15(水) 20:45:09 0
王制復古の方向で。
共和制の国は数有れど、上手く行っている所は殆ど無い。
残念w
5大国のうち4国は共和制だし、G8のうち5国が共和制
イギリスや日本がアメリカやフランスなどと比べてうまく行っているとでも?
だいたい実際にフランスは王政復古したがすぐだめになったわけで。
今のフランスは完全に共和制が根付いているし、今さら王政復古したってなあ・・・
563 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 00:02:18 0
G8などの特殊な例以外では、共和制の国の殆どが破綻国家か、
準破綻国家であることが判る。失敗数が圧倒的に多いのだ。
さー!虐殺祭りが始まるよ♪
566 :
世界@名無史さん:2009/07/17(金) 18:27:22 0
日本で共和国といったら北朝鮮の事。
特アは共和国ばっかりw
>>563 それは共和制がダメなのではなく、アジアやアフリカ、中南米がダメってことだろ
あれらの国々は西洋列強に植民地化されて伝統ある王室を奪われたし、
形式的な独立を保ったアラブ諸国でも王室はイギリス・フランスの傀儡になったから結局革命で追い出された
あれらの国々が君主制でうまくいったかは疑問
>>566 ×日本では
○在日朝鮮人社会では
日本人で北朝鮮のことを共和国と呼んでる奴なんて見たこと無い
568 :
世界@名無史さん:2009/07/17(金) 18:55:37 0
北の国のおかげで、「共和国」という言葉のイメージが悪くなったな。
(2chの中だけかもしれんがw)
いわゆる「主要国」とか「先進国」で民主主義国家の過半は共和制国家だろ。
アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア・・・
カナダは実質共和の中途半端な総督制だし、日本は君主制に疑義のある象徴天皇制だし。
569 :
世界@名無史さん:2009/07/17(金) 22:17:29 0
象徴天皇制なんて、もはや君主制の範疇に入らない。
名目的な元首ですら、ないんだからな。
共和制国家の中に、文化的存在として残してもらってる部族王とたいして変わらん。
570 :
世界@名無史さん:2009/07/21(火) 23:54:15 O
フランス革命が本当にダメなのは、無茶な中央集権化とか、民衆の動きをセーブ出来なかったとことか、「反革命」のレッテルを貼る急進イデオロギー政治の始まりになったことかなあ
571 :
世界@名無史さん:2009/07/23(木) 03:59:40 0
フランス革命は、王政、貴族制度を廃止したのに、
革命が進むにつれ何故か貴族の土地所有地が増加するのは変。
>571、貴族性は廃止されてないぞ。立憲君主制に移行しようとしたがテロリストどもがアヒャって虐殺祭りになっちまっただ
教会領は大幅減したし、狩猟権だの領主特権は全廃された。
フランス革命で昔から気になることがあって質問があるのですが、
もしスレ違いなら無視してください。
何故フランスにだけ革命がおきたんですか?
フランスの財政がヤバくて第三身分の人間に重税しかれてた。
記録的な寒波だった。
とかあると思うんですが、
気象は別にフランスだけの問題ではないはずですし
税負担もイギリスも結構厳しかったはずでは?
財政にしても、イギリスもフランスと戦争していたんですから
フランスだけが厳しくなるはずもないですし
プロイセン、オーストリアも7年戦争で国土が戦場になってるので
結構なダメージあったかと思うんですけど。
革命前夜の各国の財政状況や市民の暮らしぶりなど解説して頂けないでしょうか?
各国の財政状況や市民の暮らしぶりについては不明で申し訳ないのですが、
フランスで革命が起きた理由の一つにブルジョワ層が経済発展のための土地を手に入れることが出来ず、
政治への参加も容易ではなかったことがあげられると思います。
イギリスではジェントリ
ドイツのユンカー
ともに土地を資本に経済力をつけていきますが、特にイギリスは植民地争いで勝利をし、
重農主義思想による土地資本の活用を植民地にも適用して産業革命をむかえます。
しかし、フランスでは土地を持つのが貴族と聖職者であり、重農主義者であるテュルゴーの
失脚により土地を資本にしたブルジョワは国内では育ちませんでした。
植民地も戦争の敗北により失ったことで唯一機会のある可能性のあった港湾都市の商人は、
その機会を失います。
そして、カロンヌが結んだイーデン条約によって産業革命を迎えつつあった高性能な
イギリス製品はフランス国内産業を脅かし、輸出品であるフランス製ワインは伸び悩んだため、
フランス経済は打撃を受ける結果となります。
百科全書によって芽生えつつあった自由主義思想は、新興ブルジョワ層に政治参加の重要性を
認識させ、民衆の不満を利用して改革を扇動しました。
バルナーヴら立憲派が革命を終わらせようとしても、港湾商人と結んだジロンド派が
革命を推進させようとしようとしたのも、土地資本の獲得と経済の自由化をいっそう推し進めようと
したことが要因です。
長くはなりましたが、このような回答でもよろしいでしょうか?
>>575 フランス革命後、経済も無茶苦茶になったはずなのに
結局蓋を開けたらブルジョワ層が増えて
この階層だけが得をしてた。
ってのはそもそも革命自体が裏で糸引いてたのが
ブルジョワ、とまではいかないかもしれなくても
商人層だったということですか。
確かにイギリス、ドイツは土地持ちが力をつけてたし、
フランスと違って革命を煽動する階層がいなかったって事ですね。
ありがとうございました。
577 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 03:19:22 0
>>573 >領主特権は全廃
領主特権とは事実上、貴族の領地内での第3身分への課税権の事。
領主特権は、国民議会に貴族の私有財産と認められたため
有償廃止となり、特権廃止のおりには貴族には多額の現金が支給された。
ただし例のアッシニア紙幣で支払われた為、革命下のフランスでは
恒常的にインフレが進んだ為に紙幣は日々目減りする一方。
だからキャッシュマウンテンになった貴族階級は、
インフレ対策として国有財産の買取落札に奔走し始める。
国有財産とは、教会と修道院の領地、亡命貴族の没収地などである。
全国土の15%前後といわれる。
国有財産を買いまくったのは、都市部のジャコバン派のブルジョアジーだけではない。
貴族階級も革命勃発により棚ボタ式に多額の現金を保有したので、
革命後も国内に残った貴族は国有財産を買いまくっている。
国有財産の買取に関しては、特に地方貴族と都市部ブルジョアジーが競合関係となり
欲しい物件がかち合ってトラブルなったりやオークションで競い合いにもなっている。
マリーアントワネットも手紙で国有財産の購入ブームであることを告げ、
フェルゼンにも進めている。
578 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 03:57:11 0
王様を殺す国なんか嫌い。
579 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 05:00:34 O
王様とかお妃さまの話しか出来ないヲタ臭い低脳女が嫌い
580 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 14:14:43 0
領主特権は、ほとんど市町村でまとめて買取の例が多かった。
また大貴族は、宮廷貴族として旧体制の下で活躍していた事も多いので国有資産買取の例はあまり無い。
どうしても革命勃発時に亡命しているケースが多い。
むしろ旧体制まで宮廷や政治と無関係だった中小の田舎貴族が、ここぞとばかり国有財産を買いあさる例が多い。
中途半端な所有地しかない貴族の方が土地所有拡大の欲求が激しかったといわれる。
581 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 15:40:29 0
>>574 大航海時代、イギリスの様な王権の弱い国では、王室が航海費用を
出すことができないため、民間の金融業が発達しました。近代的な
保険業が成立したのも、この時期の事です。
反対に、フランスの様な王権の強い国では、王様が出資者になって
くれたので、民間に頼る必要は有りませんでした。これは裏を返せば、
商人にとって、強い王権とは商売敵ということです。
そこでイギリス人はフランス王制の打倒を目指しました。その為には
まず、フランス人協力者を募る拠点を築く必要がありました。そういう
目的の為に、1725年、大東社がパリにイギリス人の手によって創設
され、そこにフランス人を加入させたのでした。
こうして反王制のフランス人を勧誘・支援し、遂に革命を成功させるに
至ったという訳です。
何でイギリスの商人が、フランスに同じ商人のライバルを作らないといけないんだよ?
583 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 16:51:15 0
フリーメイソン陰謀説にこじつけたい年頃なだけだからほっといてやれ
きっとピットの手先なんだよ
585 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 20:29:31 0
フランス革命で貴族は、土地所有地を半減させているよ。
特に大きいのは王領地と大貴族である宮廷貴族の領地の没収、
これを革命政府は国有財産として売却した。
ほとんどがブルジョワにより購入されている。
革命により救済の対象であった貧民貧農小作人はまったく国有財産を購入していない。
フランス革命は帰って貧富の差を拡大した。
586 :
世界@名無史さん:2009/07/25(土) 00:46:50 0
>>585 嘘コケ、フランス革命後に貴族の所有地は増えている。
もちろんブルジョワの所有地も増えているが、貴族の所有地は減っていないどころか増えている。
>>580の書き込みも間違いで、亡命した宮廷貴族も親戚やかつての家臣や執事に名義を借りて
フランス国内の国有地を買い捲っているのが現実。
特にヴァンデ地方やノルマンディー地方、ブルゴーニュ地方は
革命前には教会・修道院領が大きかったのだが、革命後ほとんどゼロになり
教会・修道院領は、そっくりブルジョワジーと貴族で分け合っている。
587 :
世界@名無史さん:2009/07/30(木) 18:37:20 0
つ 銀行
歴史家は法律学べ。
すると、ユダヤの悪行がわかってきて
歴史に新しい目が開ける。
はいはいユダヤユダヤインボーインボー
ユダヤ陰謀論を語る人は、ナポレオン戦争で儲けた
ロスチャイルド家のネイサンを上げるが、
これは個人の資質だろ?
なんで、ユダヤ全体につながるんだ?
フリーメイソンだって、お仲間のクートンも救ってくれないしな。
話の流れからズレてしまうが、
ルイ16世でなくてもテュイルリー宮襲撃勢を撃退するのは
まず不可能だったと思う。これを第三者として目撃したナポレオンは後に
あんな暴徒ども自分だったら撃退できた、と語っているが、
それは己の有能さを顕示するためか、もしくはこの襲撃が
民衆の怒りが爆発しただけの無計画な暴動ではなくて、
コミューン、各セクション、ジャコバン・クラブ、コルドリエ・クラブが
集団謀議して計画を練り上げ、密接に連絡を取り合って
行われた計画的な武装蜂起だったことを知らなかったのだろう。
もちろんナポレオンは軍事の天才だし、ルイ16世より勇気も
あっただろうが、ジロンド派主体(まだジャコバン・クラブの会員たちだった)の
立法議会・政府も蜂起計画を知っていながら放置していた
のだし、綿密な計画を練って義勇兵や国民衛兵も大勢参加して
いた襲撃をどう撃退したのか?蜂起側も大砲も持っていて使える。
なかなかおとせなかった場合のことも蜂起首謀者たちは
考えていたはずだし、例え国王は彼らを撃退できたとしても、
また彼らは来るし、国王がもう我慢出来ん!と
スイス人傭兵らを貧民窟に出撃させたら、
国王は全国民を敵にまわした。
>>590 いや、ナポレオンは知った上での発言だったろう。
そんなことも知らずに、「集団謀議して計画を練り上げ、密接に連絡を取り合って
行われた計画的な武装蜂起」した連中を抑えて皇帝にのしあがるなど不可能だ。
パリの真ん中でも市民巻き添えも構わず平気で大砲ぶっ放すナポレオンなら撃退できるだろw
「私は、パンの不足が引き起こす蜂起を恐れる。あれは20万の兵隊より恐ろしい」
ナポレオンの民衆感。
政治クラブによって統率された民衆蜂起を鎮圧させるのは容易じゃない。
知己のあったブオナロッティを冷遇したのも、指導者となられるのを恐れたからじゃないか。
594 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 15:19:14 0
>>586 フランスの上流の人たちって、とことん財布のことには現実主義者だな
>>591 民衆蜂起は1795年の蜂起失敗と銃砲狩りを最後に、
大規模なものは7月革命まで起きていないよ。
>>592 あれは大砲を使用したからかなり誇張されている。
王党派蜂起鎮圧は実際にはやんわりとしたものだったらしい。
>>593 なるほど。それじゃ、テュイルリー宮襲撃に関するナポレオンの
見解はややこしいなぁ。撃退した後、
ナポレオンがルイ16世と同じ立場ならばどうしたわけなのか?
と疑問が残る。
訂正
○>銃刀狩り
×>銃砲狩り
>>588次にギロチンに送られるのは君だ・・・。BYダントン
>>595 誇張だろうが何だろうが榴散弾ぶち込まれて目の前でミンチの山が出来れば
ビビるだろw
例えそれがほんの数人分のミンチだろうが見せしめには十分だ
やんわりとしたものたってギロチンでの大量殺戮や
反乱鎮圧で女子供まで皆殺しに比べればやんわりとしたものだって話だろw
>>596 容易じゃないのを俺なら撃退できるって事だろw
>>599 そんな鎮圧チンケじゃない?
王党派蜂起参加者全員を殺したわけじゃないし。
山岳派の恐怖政治も1794年春まではみみっちいもんだし。
バラス、フーシェ、カリエら地方派遣議員のそれはなかなかだが。
俺(ナポレオン)なら撃退できるって意味なんて
こたぁおめぇさんに言われんでもわかってらぁ。
撃退した後、どーすんだ?ボナパルトさんなら?ってことよ。
それについてナポレオンが触れなかったとすれば、
後のことはどうしたら良いかわからんかったんだろう。
何せ敵は蜂起勢やコミューンだけじゃない。
立法議会並びにその政府も半ば敵なんだ。
フイヤン派ら立憲王制派は失墜。議会・政府はジロンド派と
後に山岳派を形成するカルノー、ランデ、クートンら民主派。
ブリッソ、ロラン、ペティオン、ヴェルニオも
まだジャコバン・クラブ会員だったから蜂起を知っていながら、
放置したってことは黙認、実質容認ってわけ。
国王が外国人傭兵を使って民衆、国民衛兵、義勇兵を殺した
となれば、過激な連中を嫌悪していた市民にも国王は憎まれる。
新聞は盛んに書き立てるし、議会・政府も国王を弾劾するから、
全仏に誇張された悪い噂が流れる。
撃退しても、「市民への暴挙」を理由に
国王側は政府とコミューンによって武装解除されるよ。
何とかタンプル塔送りは免れても、9月虐殺で殺されたかも。
9月虐殺前倒しもありうるしなぁ。
602 :
世界@名無史さん:2009/08/04(火) 06:25:15 0
8月10日事件でコミューンを撃退したら9月虐殺は起きないのでは?
国王が勝ったら、ヴァンデ地方かブルゴーニュ地方に逃げてふくろう党と合う流すればいい。
92年上旬には、ふくろう党の反乱が始まっている。
史実では負ける訳だが、戦闘中にルイ17世やその姉だけでもこれらの地方に逃がせば良いのに。
聖戦ヴァンデの3代目司令官や下ヴァンデ司令官は8月10日事件でのチェイルリー宮殿脱出組。
>>602 なるほど。
知らないことが多いですから、助かります。
もちろん私のもif話ですし、否定するつもりなど毛頭ございません。
ただし、9月虐殺はコミューンが計画したものとは私には
思えません。暴徒たちがあまりに無秩序に虐殺するもので
途中からコミューンが入り、簡易で無法な即決裁判ですが、
「管理された虐殺」、第一次恐怖政治のように変わったような。
マラーの匂わす扇動、ダントンの司法大臣とは思えぬ放置など
問題点、疑問点はありますが、さすがにあれは
パリ陥落の危機を抱いた民衆の自然発生的な暴挙だったと
私は思っています。少なくとも発端、当初は。
あと、一貴族はテュイルリー宮から脱出出来ても、
ヴァンレンヌ事件で見られるように王族は逃亡困難かと。
いくら変装したところで、そこいらの貴族と違い目立ちますし、
コミューンのみならず政府も王族とくに国王夫妻をパリから
逃さないよう厳しい非常線を張ったのでは?と。
ただ、ルイ17世やそのお姉さんは子供ですし、
脱出組に紛れ守られ脱出することは出来たかもしれませんね。
そこからヴァンデに渡って、更に何とかイギリスに逃れるとか。
それこそ困難かな?
604 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 02:22:47 0
>一貴族はテュイルリー宮から脱出出来ても、
>ヴァンレンヌ事件で見られるように王族は逃亡困難かと。
テュイルリー宮から貴族やスイス人兵士、近衛隊や国民衛兵隊兵士等
数百人単位で逃げ出している。
変装すれば、ルイ17世やその姉なら逃げ出せる。
テュイルリー宮の国民衛兵隊の士官には、当時のフランス最大の大商人の
子弟がいて、そいつも逃げ出している。戦闘中にはその士官はルイ16世
に脱出を提案しているが、断られている。
605 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 07:05:03 0
>そこからヴァンデに渡って、更に何とかイギリスに逃れるとか。
>それこそ困難かな?
あるうるんじゃね?
ヴァンデのカトリック王党軍は、行政機構である最高評議会を設置するんだけど
この最高評議会議長には、ルイ17世が就任すれば良い。
革命政府が地獄軍団を送り込んでいたら、イギリスに逃げるか
山中でゲリラを指揮するか・・・・・
姉のマリー・テレーズはリヨンの反乱に合流するのも良い。
606 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 08:27:44 0
そこまでいくと妄想というか歴史改変小説だな。
607 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 13:46:40 0
そもそもルイ16世が、変な時に戦闘中止命令出すから、8月10日事件は国王側の負けとなる
テュイルリー宮殿には大砲12門あるのだから、武装デモ隊に向かってガンガン打ちまくれば良いのに。
ナポレオンの言うとおり、8月10日事件は国王側が勝てる戦い。
家族は立法議会に非難させても、ルイ16世は宮殿に留まって徹底抗戦すべき、
だいたいパリ国民衛兵隊司令官のマンダ侯爵をパリ市庁舎に出頭させている時点でおかしい。
既にパリ市庁舎は“反乱のコミューン”に占拠されているので、マンダ候の出頭要請には応じる必要は無い。
この出頭要請を蹴っ飛ばすか、逆にこの違法な出頭命令を宮殿防衛の大義名分にしても良い。
マンダ侯爵が居れば、パリ国民衛兵隊2000人はコミューン側に寝返らなかった可能性がある。
宮殿に来ていたパリ国民衛兵隊は、ブルジョワ居住地区の部隊であり、
政治的には王党派とされジロンド派もこの部隊の宮殿防衛出動には反対しなかった。
他にもスイス人衛兵隊900人と近衛隊1000人、聖ルイ騎士団所属の貴族300名が
テュイルリー宮殿防衛の為に宮殿中庭と一階広間に集結していた。
ちなみにヴァンデミエールの王党派反乱は、この聖ルイ騎士団がパリ市内でふくろう党
または秩序党の名義で反乱を呼びかけ2万5千人を動員している。
608 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 14:36:16 0
これって江戸に置き換えたら、打ちこわしの町人連中が江戸城に押し込んで、
旗本連中を血祭りにあげて幕府を転覆するようなものだな。
江戸期の打ち壊しと言うより、室町末期の山城一揆や法華一揆がそのまま政権を樹立
させたようなものだな。
610 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 18:38:22 0
一向宗の百姓の国
>姉のマリー・テレーズはリヨンの反乱に合流するのも良い。
そこでヴィシーフランスですよ
612 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 06:11:15 0
>既にパリ市庁舎は“反乱のコミューン”に占拠されているので、
確かこの時のパリ市長も、“反乱のコミューン”に逮捕されて監禁状態だったはず、
完全にパリ市政はコミューンに乗っ取られていた。
>聖ルイ騎士団所属の貴族300名がテュイルリー宮殿防衛の為に宮殿中庭と一階広間に集結していた。
マジスレだが、ルイ16世の処刑の時に、“聖ルイ騎士団”が2万人の
パリ市民(貴族が金銭で募集)を動員し、処刑場に現れたルイ16世を
無理やり奪回する計画があった。
それを警戒し、ジャコバン派はパリ国民衛兵隊を数万人動員し処刑場の周囲
を包囲し、蟻一匹立ち入らせない体制でルイ16世を処刑した。
アントワネット処刑時には、救出計画は無かったらしい。
革命戦争時のスパイ行為やヴァレンヌ逃亡事件を事実上主導した事で
王党派からも総スカンを食らっていたらしい。
613 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 06:32:19 0
旧体制末期に宮廷貴族連合の代表者つまり国王を、絶対権力者にしようとして
中央政府(ブルボン家と宮廷貴族)が地方の保守派(地方貴族)を全部敵に回してしまった。
王様の地位や権限をさらに近代化し明確化するためじゃなく、
単なる財政破綻の打開策としての中央集権化を宮廷貴族は目論んだ。
つまり、アルゼンチンと同じようにデフォルト宣言による国債の償還停止を
行う事で宮廷貴族は、ブルジョワジーからの資産強奪を狙った。
旧体制下の政府や軍関係者は地方貴族出身で構成されていることから見て
「三部会のゴタゴタ→自由主義貴族の台頭→国民議会の成立→パリでの大暴動(バスティーユ陥落)」の経緯は、
むしろ急進的な革命派vs既存国王政府というより、
中央官僚(宮廷貴族)vs地方貴族+大商人(商業・金融ブルジョワジー)という構図になる。
614 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 07:41:24 0
フランス革命の勃発は、“貴族の反乱”である。
これは財政再建の為に貴族への課税を求めた中央官僚への反対運動であり
正確に言えば“地方貴族の反乱”ともいえる。
宮廷貴族も当然貴族への課税には反対したが、彼らは王権に寄生している
存在であり、彼ら自身が中央政府の構成員であるため国王の政治的決断次第
では押し切れる存在であった。
三部会では宮廷貴族よりも地方貴族の方が政治的に保守的でラファイエット
ですら第二身分議員選出選挙に苦戦している
むしろ貴族への課税については地方貴族の方が、宮廷貴族よりも反対していた。
地方貴族は財政的にも厳しく、納税資金に悩むといった背景があった。
宮廷貴族は、広大な領地や所有地があるだけでなく、各種工場を所有し
産業革命のスポンサー的役割も演じていた。
また、サロン等で数々の政治的に思想に触れる機会も多く、社会制度の改革に
必ずしも真っ向から反対していた訳ではなかった。
今、アメリカのウィキペディア読んでいるんだけど、8月10日の夜、ペティヨンがテュイルリーに
いるってなっているんだけど、これはマジ?
で、ペティヨンにパリの状況を確認したけど、詳しく聞かされなかったせいで、
マンダがのこのこと市庁舎に赴いて殺されたとなっている。
事実を告げていなかったとしたら、8月10日である意味決定的な仕事をしたのはペティヨンだな。
>>614 痴呆貴族が反乱を起こして成功したなら、その後の政治はそいつらが牛耳ってるはずだがそうなってるのか?
違うだろ。
受け売りなんだろうが、その説に説得力があるかどうかは、まず自分で判断しないとな。
立憲君主制を目指す・・・これが貴族の反乱だろ?実際はテロリストにのっとられて虐殺パーティーになってもうたが
618 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 14:05:52 0
戦前の日本では、大雑把に言って農民の30パーセントが自作、40パーセント
が自小作、30パーセントが純小作で、耕地の45パーセントが小作地だった。
革命後のフランスではどうだったの? 少し具体的な数字を教えてください。
619 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 17:40:48 0
>>616 地方貴族は、単に非課税特権を維持したいだけ、
この非課税特権を国王政府(官僚・宮廷貴族)に剥奪されたら余計に中央集権に
なるので反対しているだけ。
あと地方貴族は、宮廷貴族に比べて領地も所有地もかなり少ないので
税率が高いと納税資金に困るという切実な問題もあった。
当初は、地方貴族は非課税特権の維持に成功した、
宮廷貴族もこの非課税特権を維持しようとし、地方貴族の反対に合流したから。
しかし革命勃発により、国民議会の成立で、封建的特権は剥奪された為
地方貴族の目論みは大失敗、中世以来の貴族中心の社会体制そのものを破壊してしまった。
ただし、領主特権の中の課税権のみは有償廃止になり、20年分の税金を
自治体等で一括で払う事になったので、この件のみはウマー!だって事、
この領主課税権廃止の支払金を受け取る事で国有資産を地方貴族は買いあさり
革命以前よりも革命後の方が、貴族の所有地が増加しているぐらいだから。
>>618 資料によっても数字がテンデバラバラ、困るね。
>>615 ペティヨンが詳しいことを教えなかったのは当たり前。
彼はジロンド派だし、まだ当時はジャコバンクラブ会員。
ペティヨンから聞き出そうとする方が現状認識が欠けている。
621 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 23:04:25 0
>>618 >>619 資料によっても数字がテンデバラバラ、それはある意味で最も重大な
事がわからないということだ。フランス革命史の研究者たちはこれまで何を
やってきたのかと言いたくなる。
622 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 23:11:45 0
いずれにせよ、革命でフランスが独立自営農民の国に生まれ変わったというのは
神話だな。
「革命は終わった」とナポレオンは言った。
この言葉を発したのは、彼が最初ではなかった。彼はこの言葉を発した最後の人間であった。
「革命はおわった。革命よ、とまれ!」というさけびは、1789年以来、さまざまの党派や階層によってくりかえされた。
しかし、革命は止まらなかった。
個人的に印象的な部分だったので抜粋してみた、古い本だがフランス革命関連の本より
自分が権力握ったら革命終了だわなw
だがそれに納得しない俺にも分け前ヨコセっていう連中がいっぱいいるんで
ナポレオンは国内では最後の勝者だから打ち止めなだけで。
625 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 16:27:26 0
ミラボー伯もラファイエットも革命の急進化を止め様と躍起になっているが、
ミラボー伯は急死、ラファイエットもシャン・ド・マルスの虐殺でパリ国民
衛兵隊司令官を事実上解任され全てオジャン。
ベルサイユ行進事件で革命は一応の収束が見られたが、ヴァレンヌ逃亡事件
で再び立憲王政派と共和派の対立が激化する。
92年4月からの革命戦争は、ジロンド派が主導したが、フイヤン派も戦争に
なれば軍部の発言権が強まり革命急進化阻止につながると判断し開戦に同意。
ジャコバン派は戦争に反対した。ラファイエット、ラメット兄弟ら軍幹部
(地方貴族中心)の発言権強化につながるり、フイヤン派を利すると判断した模様。
626 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 17:53:28 0
>>622 戦前のオクラホマ州でも、大恐慌以前には、小作農業していたくらい。
戦後しばらくのフランスの農村は、大正期の日本と大差なかったというし
ドイツにしても、西ドイツの方は、戦後しばらく小作人がいたのでは?
627 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 18:09:16 0
19世紀前半の段階でパリ近郊の農村には大土地借地農なんてのがいて、
ブルジョワ風の身なりで馬車に乗って、地主である貴族の館に小切手で小作料を払いにきたとか、
バルザックの本に書いてた。
バルザックって写実主義で、当時のフランス社会のリアルな描写にこだわってた人だから、
そういう農民もいたんだろうな。
歴史は勝者が書くわけだから、革命の歴史はミスリードする記述に満ちているだろう。
それを象牙の塔にいる世間知らずの学者たちが疑うこともなく受け入れたようなことが多いだろうね。
特に革命というのは、大衆を踊らせるところから始まるわけだからなおさらだ。
大量の資金を使ってデモ動員し、裏で武器を渡したのが
「大衆が武装蜂起した」という記述になるわけだから、よく考えて読まないとね。
そういうことは大まかな研究史の流れぐらい把握してから言ってください
ユダヤ大勝の仏蘭西革命
フランス革命について否定的に捕らえるフランス人も多いが、
今の中国でも、知識人は、辛亥革命について否定的な考えの人間が多いそうだ。
無用な混乱と悲劇を巻き起こしすぎた、って。
清朝の体制のまま穏健な改革路線を進めば、その後の日本からの侵略や内戦は
防げたと考えているそうな。
632 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 18:50:23 0
>>628 バスティーユ襲撃の時に民衆の側に立って活躍したスイス人のフランス衛兵隊
のピエール=オーギュスタン・ユラン伍長(ベルバラのオスカルのモデル)には
旧体制末期のフランス最大の特権商人であるポスカリ家から多額の金貨が送ら
れていたそうですよ。
パリで暴動が勃発した時に軍隊がなかなか治安出動しない理由の一端が伺えます。
>>631 辛亥革命の場合、その後の歴史が悲惨の連続だからなぁ。
日本の干渉も革命政府の無茶無法ぶりで誘発されたもんだし、IFを考えちゃうのはしかたないかもね
ロシア革命も似たようなもんでしょ。
帝政末期のそこそこ自由で豊かな社会のがよかったと思う。
>>634 10月革命はともかく2月革命は当時のロシアの内外情勢も
考慮しないと。ドイツ軍に負け続けていたし。
また、2月革命はボルシェビキ、メンシェビキ、エスエル
といった革命勢力に組織されて起きたものではないし。
もう帝政は限界だったのだろう。借金だらけだったし。
第一、あの革命or戦争は必要なかった、そこでとどめておけば、
と言った類は後になって言えることだよ。
だから歴史=過去なのだけどね。
636 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 17:45:32 0
>>631 辛亥革命が起きようと起きまいと日本の大陸進出は続くでしょうね。
>>634 帝政ロシア末期のGDP伸び率は、今の中狂のそれと匹敵するほどのだったと言います。
しかし、中狂の改革解放と同じで帝政ロシアの産業革命は、内需は置き去りの単なるGDP拡大至上主義だったようです。
おまけに完全にフランス金融資本しかもロスチャイルド家の融資に頼りきりで日本の様に国内資本を貯蓄する余裕も無かったようです。
結局今のロシア新興財閥の様な連中が出てきて貧富の格差が返って拡大
余計に社会不安が増大しただけのようです。
産業革命(高度成長政策)には健全な中産階級の存在が不可欠なのは三橋貴明氏が言うとおりです。
中産階級が居ないと内需が育ちませんし、政情不安の元つまり革命の発火点になります。
637 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 19:53:29 0
>>635 なぜ1917年2月という時点で革命が起こったかについては謎とする
人も多い。ロシア軍は緒戦では連敗したがこの頃には立ち直って、戦局は安定
していた。ペトログラードの食料事情も輸送当局の必死の努力で革命勃発直前
には若干改善されていた。革命派は徹底的に弾圧されて無力化していたし、
学生も保守化していた。首都駐屯部隊の兵士の大半は保守的な農民だったし、
それを指揮する将校も保守的な下士官出身者が多かった。ロマノフ王朝が永続
しえたかどうかは別問題として、こような状況下でなぜ革命が起きたのか不思議
がる人もいる。
>>632 情報乙。
本によると、バスチーユ襲撃では人数だけをたのみに群衆が小銃を強奪したと書かれているが、
そんなことができるくらいなら、王制はとっくの昔につぶれてるはずだ。
武器の保管が厳重でなかったことはあり得ないが、それはさておいても、
そもそも、群衆の中に小銃を使える人がどれくらいいたのか。
貧乏な庶民なら銃など手に取ることもまれだったろうが、どうやってプロの衛兵を相手に戦ったのか。
事前の訓練なしにまともな戦いなどできなかったはずだが、
もしそうなら、訓練用の武器を用意し、大衆動員を組織できるほどの資力のある仕掛け人がいたはず。
そういう肝心な部分が、革命史では空白になっているね。
ヴェルサイユ行進では女たちが槍や剣で武装し、大砲を引っ張っていったと書かれてるんだが、
素人が大砲を扱ったって暴発させるのが関の山だ。
不自然な話が多すぎる。
639 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 21:27:14 0
>>631 >>633 袁世凱は辛亥革命の数ヶ月前、イギリス(アメリカだったかな)の新聞記者との会見で
中国で共和制を実行しようという主張は非現実的であり、無理して共和制を樹立しても
以後数十年間中国に平和はこないだろうと語っていた。
結果は彼のいうとおり。
>>636 満州事変はかならずしも歴史の必然とはいえない。石原莞爾等の陰謀が半ば偶然で成功
したという印象がつよい。もし清朝が健在だったら、満州は張学良のような半独立の
軍閥ではなく、清朝のより強力な統制下におかれていたかも知れないし、そうなれば
石原莞爾の陰謀が成功したかどうか疑問だ。
>>638 その二つというか、8月10日事件までほとんどの件に暗躍しているのがオルレアン公だな。
何故、バスティーユ襲撃がパレ・ロワイヤルから始まったのか?
ヴェルサイユ行進の前日、扇動する女性はどこからやってきたのか?
そして、行進の中に何故、女装した男たちが紛れていたのか?
陰謀面ではオルレアン公無双だが、しょっぱい死に方したよなぁ……
>>640 そのようだが、事件の最終利得者は誰か、という結果から逆算する考え方によれば
オルレアン公も看板にすぎなかったような気がするな。
マリー・アントワネットの首飾り事件を煽動したと言われてるが、
この事件もイギリスとの関係が濃厚にありそうだ。
>>641 下手に策をめぐらすだけで、結果までは見ていなかった御仁だからなぁ……。
自由主義者の看板だけど、蜂起のたびに人気が下がっていくのは、
やっぱり嫌われていたんですな……
首飾り事件の首謀者はイギリスに亡命したしね。
イギリスはナポレオンの時も暗殺はダメとか何とか言っときながら黙認するし、
腹黒い……
>>641 > 事件の最終利得者は誰か、という結果から逆算する考え方
その考え方はたいてい間違える。
後に哺乳類が栄えたから、恐竜絶滅の首謀者は哺乳類だと言うようなもの。
アサッテすぎて面白いたとえだなあ。
645 :
世界@名無史さん:2009/08/12(水) 13:31:01 0
フランス革命って第2次百年戦争の真っ最中なんだよな
結局イギリスが勝ったわけだが
その訳は・・・・・
なぜイギリスが勝利したか [編集]
@議会の承認により税収のほとんどを軍事費に投入できたため(フランスは国王の浪費も財政に影響した)
A議会が保証するイギリス国債の信用が高く、臨時の資金調達能力もすぐれていたため
(フランスでは王室債務のデフォルトが繰り返された結果、王室に対する金融信用が低下し、貸し手に対するリスクヘッジとして高利率の利息を支払わなければならなくなった)
Bアンシャン・レジーム下のフランスでは徴税権をもつ貴族が多く、国庫収入が少なかったため
とウィキペディアにある。
たしかジョージ3世の治世だよな・・・議会制がちゃんと機能してるってなんとすばらしいことかw
倅が敵に投降してフィリップ・エガリテへの非難の声が
高まっていた時期(1793年春〜夏)にマラーは自分の新聞
「フランス共和国ジャーナル(人民の友)」紙で
フィリップ・エガリテを擁護する論陣を張っていたが、
あれはフィリップからカネを貰っていたのかな?
同じ山岳派からもフィリップ・エガリテは弾劾されていたのに。
ただし、マラーは周囲から孤立しても持説を頑なに曲げない
人だったから収賄されて、とは限らんのかな?
革命初期には穏健派からマラー以外の急進派まで徒弟制度
廃止で一致していたのにマラーは徒弟制度を擁護。
1793年夏になるとアンラージェ、下層民衆、さらにはそれに
乗ったエベール派が最高価格法の導入を強く求めたが、
マラーは最高価格法を批判し導入に断固反対、
と言った感じにね。
>>637 ボルシェビキもメンシェビキもエスエルも革命が起きるとは
予想もしていなかったからビックリしたとは聞いていた
けれども、戦局もペトログラードへの食糧供給も比較的
安定・改善されていた時期だったんだ。
だから国外にいたレーニン、トロツキー、マルトフらも、
国内にいたスターリン、カーメネフ、シリャプニコフらも
予想出来なかったわけか。それにしても将校は当然として、
ペトログラードに駐屯していた下士官や兵士まで保守的な
者たちが大多数だったのならば何故、騒乱鎮圧を
拒絶する者たちが出たんだ?騒乱から革命になり、
民衆に合流している映像が残っているのか。
兵士かどうか忘れたが、ニコライ二世の胸像?の石像や
双頭の鷲の紋章を叩き落としているし。
ホントわからん。
649 :
世界@名無史さん:2009/08/13(木) 03:47:56 0
>>637>>648 “ロックハートの陰謀”というモノがあってな・・・・・・
英国vs帝政ロシアのグレートゲームの一環かな
フランス王政よりひどかったのが革命政府。
ロシア帝政よりひどかったのがソ連政府。
したがって皇室を無き物にしようとするサヨクの動きは絶対的に警戒しなければならない。
真正面に革命をやるのはあきらめても姑息な手段を使ってくるのが彼らである。
元共産党員(おそらくは現在も共産主義工作員)である元東大総長らが、女系天皇を導入しようとしたのもその一環である。
ナベツネもそうだが一度共産主義にかぶれた奴は転向したようでいても正常な判断力が破壊されている。
野中とか藤岡とかもな。
>>649 俺は生真面目だから釣られるけど、陰謀ならばカネがばらまかれたはず。
「実は」といった証言は残っているのかな?
>>650 少なくともナベツネの政策はその時その時の利己的な打算。
一昔前まで若いころ一時的に左翼思想に感化されたものなど
洋の東西を問わず腐るほどいる。
藤岡はナベツネと違って長い間 主義者だったからどうか
知らんが、藤岡のああいう性格は生まれつきジャマイカ?
西尾は藤岡の性格を長年の党生活でねじ曲がったものと
言ってはいるが、あんなに揉める人はそれこそ共産党なら
吊し上げられて追い出される。
それより何よりジャコバンとボルシェビキを
同じように考えちゃ、おたく自身がお馬鹿さんになっちゃうよ?
652 :
世界@名無史さん:2009/08/13(木) 18:57:35 0
>>651 イギリス人公使か何かがレーニンに従うラトビア人2個連隊を買収しようとしたとか
アレはボルシェビキのプロパガンダなのか?ソースは知らんがロシア革命史には出てくる話。
>>648 イギリスがドイツとロシアの単独講和を嫌がり、変な事したら
あっという間に火がついたのが2月革命なのかな〜?と
想像してみたりする。
根拠、ソースは無いが、WW1直前に帝政ロシアの親英派がニコライ2世を追放してでも
無理やりにでもドイツとの開戦を行おうとしていた。という書き込みを見た事がある。
現実にはニコライ2世が参戦したからこの件は無しになったようだが、
このロシアの親英派というのが2月革命に絡んでいないのかな〜?とも勝手に想像。
>ジャコバンとボルシェビキを同じように考えちゃ
同じではないけど、似た物同士
モグワイ(ギズモ)とグレムリンの関係
653 :
世界@名無史さん:2009/08/13(木) 19:59:31 0
>>648 ペトログラードでストライキが始まってから、スト委員会はストに参加
している労働者に手当てを出していて、その資金はドイツの特務機関から出て
いたという噂がある。真相は不明だが、ちょっとした騒ぎを誰かが炊きつけた
ら予想外の事態になったのかもしれん。
>>648 >それより何よりジャコバンとボルシェビキを
>同じように考えちゃ、おたく自身がお馬鹿さんになっちゃうよ?
>>652の言うように似たもの同士でしょ。
レーニンは言うまでも無くマルクス信者だが、ロベスピエールはルソー信者だった。
ここでルソーからマルクスの線で思想的にも繋がる。
もちろん保守が何より嫌う線。
ルソー信者やマルクス信者は、理想主義で進歩派で善をなしていると本人が信じているからなおさら手に負えない。
この点でも似たもの同士。
弁護士時代のロベスピエールは死刑反対論者だったという皮肉w
革命熱のお馬鹿さんたち。
655 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 09:43:46 0
>>653 あ〜ドイツね!
有りうるね!レーニンらボルシェビキやメンシェビキ、エスエル党を
弾丸列車で送り込んだのもドイツ参謀本部。
レーニンにズーとドイツスパイ説が付きまとっていた。
休戦協定もやたらドイツに有利だし。
今ケータイからだからレス番を全部憶えられんが、
ドイツ参謀本部がボルシェビキにカネを出しているという
噂は当時から根強くあって、今でもそうだったのでは?と
言われているのは知っている。2月革命後に封印列車で
レーニン一味やマルトフらをスイスからロシアへ輸送した
のもドイツ陸軍だし。ただ、2月革命の際に騒動を煽った連中や
(いたとして)その黒幕のような有力者にカネがばらまかれた
形跡があるとは聞いたことがないし、
さすがに2月革命はドイツ陸軍も想定外だったんジャマイカ?
>>655 休戦協定直前にドイツ軍がそれまで自重を捨てて大侵攻してきたから、あの条件で結ぶのは仕方がない。
もしも白軍へ支持を鞍替えしたら当時の革命政府じゃとうてい支え切れなかった。
>>656 ゴリツィン首相はデモ直後に辞任を要請したけど、そのころにはただごとじゃなかったんじゃないかな
658 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 16:40:59 0
1917年の2月5日、労働者の9割がストに参加していた。
これは明らかに自然発生的なストであるという例外なく全員の証言があるが、
その一方で、ロシアを大戦から脱落させようとのドイツ外務省の謀略が働いていたという説がある。
他にもロシアのブルジョジーは、戦争に勝つためには自分たちの代表による責任内閣制の確立を考えており
親英派の貴族の一部は、ブルジョワジーと結託し国民に人気のないニコライ2世を退位させる事により
また戦争に批判的なドイツ出身のアレクサンドラ皇后を失脚させ、人気の高い皇弟ミハイル大公を摂政にすえるという「宮廷革命」を考えていた。
しかしこの動きは、あくまで「対ドイツ戦争に勝つ」ためのものであり、ドイツの利益とは相反する。
この時期のロシア政局には例の封印列車の時のようなドイツ参謀本部の関与は見られない。
警察の方でも「政党の参加はまったくみられない」との見解を示していた。
そもそも、ボリシェヴィキやエス・エルといった主要な革命派の指導者の多くは
この頃までに帝政の弾圧にあって国外に亡命していた。
659 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 18:05:46 0
>>658 パルヴスという人物が「自分がロシアで革命を起こしてみせる」と言ってドイツ外務省
に接近し、多額の資金を提供されていた。実際に2月革命以前にロシア国内で起こった
ストライキのいくつかはパヴルスが仕組んだといわれている。ここまではまぎれもない
事実。2月革命をパヴルスが仕組んだかどうかはわからないが、一旦騒乱が始まった
場合、パヴルスが何もしなかったとはかんがえられない。小説じみた話だが、真面目な
研究者でパヴルスの役割に注目する人は意外に多い。
660 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 18:38:40 0
>>659への追記。
パヴルスという人物の経歴はwikipediaを「アレクサンドル・パヴルス」で
検索すればすぐ分る。
661 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 19:42:11 0
662 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 06:48:04 0
>>659 ドイツでも1917年には、金属労組がストライキとそれに伴う反戦運動を行い警察に弾圧されている。
流石に戦時中のストライキは、問題視されたが、それだけ生活物資が不足し
た事の表れであり、ドイツの場合には労働組合の反戦運動が1918年のドイツ
革命の下地を作ったことになるだろう。
ドイツ革命は海軍から始まってるけど、どの程度影響があったんだろうな。
ドイツ本国艦隊はユトランド以降は出撃してないからか?
664 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 18:08:16 0
そろそろフランス革命に戻りませんか?
話題がぶれまくり。
>>646 王室費を節約して、浮いた金で議員を買収したんだよなw
まったく有用な金の使い道だ。
666 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 02:45:48 0
ヨーロッパは王族の祖国への入国を禁止したりしている国がある
昔はそれが最善だったのかも知れないけど今の外交で王室があ
るかないかは品位に関わる
妄想狂は病院行け
668 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 09:46:53 0
品位も何も、現在力のある大国は、共和国ばかりだよ
お前もお前で病院に行け
フランス革命のスレなのにスマソ
>>659 パヴルスはホラ吹きだからあてにならんよ。
一応はエスエルだが帝政からもドイツからもカネを貰っていた
ペテン師だし、確か2月革命の頃はベルリンで株の仲買人
だったか相場師だったかをしていた(どちらだったかは失念)。
10月革命で文無しになって数年後ベルリンで死去。
素寒貧になった理由は現金の大部分をルーブルで持っていたから。
こういったカネ目的のゴロの影響力も無視は
出来ないけれどもいかんせ大言壮語してはカネをせびる
山師だからホント、あてにならないよ。
エスエルのテロ組織を指揮しながら仲間たちを秘密警察に
チクって壊滅させるぐらいの力はあったけれども、
そこまでじゃないのかなぁ?
訂正
○>パルヴス
×>パヴルス
また、2月革命が起きる前からエスエルに無視されていたし。
>665、だってG3はアヒャヒャな椰子だしw(英国万歳見れw)
673 :
世界@名無史さん:2009/08/17(月) 23:18:58 0
戦前の日本の地主は封建貴族の子孫ではなく、商人や上層農民が地主化した例が
多かった。たとえば戦前日本一の大地主といわれた長野県の本間家はもともと
商人だった。フランス革命時に土地を買ったのも、都市のブルジョアや上層農民
が多かったと聞く。すると戦前の日本の地主と、革命後のフランスの地主は基本的
には同じ性格のものとかんがえていいんですかね?
フランス革命で土地買いあさったのはブルジョアと「貴族」
貧乏貴族に土地を買う金なんかあるわけない罠。
土地を買った貴族はいるが、それは金で爵位を買った成金貴族。つまり元はブルジョアだ。
>>675 封建特権の放棄の変わりに国から金を支給されたことも知らんのか。
土地は命を賭して武力で奪うものであって、金で買うものではない。
国家間の領土は大抵血を流した結果によって国境が画定されている。
日本においても武士による武力に基づいた土地の占有によって
中央の貴族の所有権は有名無実となっていた。
>>673 揚げ足だが、日本一の地主の本間家は長野県じゃないぞ。
山形県の酒田の商人だ。
当てはめればブルジョワ商人なんだが、
新潟とかの豪商に比べたら豪勢さがほとんどない家しか残されていない。
農地解放でも前向きに農地を手放しているし、公益精神の割には
欲があんまりない一族かもしれないな。
サンテールみたいな人?
フランス革命期のブルジョワジーは工業ブルジョワジーは
どうか知らんが、商業・金融中心のそれに関しては革命前から古い
ブルジョワジーはテルミドール時代の凄まじいインフレによって、
破産した者が多く、革命後に勃興してテルミドリアン政権・総裁政府と結託した
連中に入れ替わったと聞いたことがあるけれど本当かなぁ?
もちろん、その中には国有財産購入者が大勢いるし、革命前や
直後も貧乏人だったわけじゃないけれど成金には変わりない。
そういった人々が革命前からの大借地農やブルジョワジーと共に
農地を買い漁ったとも聞いたことがあるけれど記憶が曖昧で判らん。
革命前からの貴族で農地を買った者の場合、
少なくとも8月10日事件や国王処刑まではフランスに残留して
いた人ジャマイカ?エミグレは王政復古後にルイ18世が
土地の代わりに現金を出すまでフランスでの農地購入は困難
だったはず。総裁政府時代やボナパルト時代に帰国したエミグレの
中で金持ちだった人や時の政府とうまくやった人はどうか知らんけど。
680 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 19:15:37 0
>>674 そう誤解している人が多い。
確かに中世以来の貴族中心の社会構造を変革しようとしたのが
フランス革命だが、そんな事は何処の国でもある話で
ドラステックにやるか、徐々にやるかの話し。
フランスの場合、政局的にはドラスティクだけど経済的には意外と
貴族の経済基盤が破壊されていないのも現実
ただし宮廷貴族のそれはかなり破壊されているので旧体制のような
経済的政治的な力は無い。むしろと地方貴族が国有財産購入により地主化し革命期はフイヤン派の支持基盤となっていた。
修道士や教会の牧師は、国有財産購入者に対して破門したりや修道院、教会
所有地の小作農と結託し一揆や暴動や農作業の放棄などで対抗した
しかし、地元の貴族が購入した場合は、新地主の貴族が修道士や教会牧師の
宗教活動や宗教施設の使用を黙認した事によりこれらの事が発生しにい状態
であったと言われる。むしろ神父や牧師、修道士達は、修道院、教会所有地
つまり国有財産は、出来れば地元の貴族に買わせて、宗教施設や宗教活動だ
けは維持したいと考えていたようだ。
また、領主権の有償廃止に伴うアッシニア紙幣による貴族への金銭支払いは、
政治問題化していた。ジャコバン派が貴族への現金支払いは革命に反するとの
理由で無償の廃止を唱えフイヤン派や王権に対抗した。
領主権の有償廃止に伴う貴族への現金支払いは、ジャコバン派の敵対勢力への
利敵行為であり、反革命の経済基盤を強化するだけであると判断した模様。
ジャコバン派の支持基盤である新興ブルジョワは地方貴族に対抗する形で
国有資産買取に狂騒しており、彼らの国有資産買取を支援する為に貴族への現金
支払いを止める事も背景にあった。
事実、ふくろう党やヴァンデの反乱、リヨンの反乱は、領主権の有償廃止
で現金を授受し国有資産買取でより経済的に強化された地方貴族がその
担い手の一つになっている。
681 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:27:03 0
>>680 もしそうなら戦前の日本の地主のほうが、革命後のフランスの地主より
ブルジョア的性格が強いという事になるか?
682 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:59:28 0
なんで?
683 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 22:46:55 0
明治時代の日本では、たとえば大名や士族が金禄公債で土地を買って地主化
したという例はほとんどない。むしろ大部分の士族は公債だけでは生活できず
に没落した。むしろ新興の商人や上層農民出身の地主階級が封建領主が除去され
たおかげでますます強大化した。フランスの貴族も封建特権を奪われてブルジョア
化したともいえるが、もし
>>680が正しいとすれば、農民に対する支配者の交代や
旧支配層の経済基盤の破壊という点では、明治の日本のほうがある意味では徹底
していたことになる。それにフランスでは王政復古後、政府から支給された補償金
を元手に所有地を再建した貴族も相当いたと聞くが日本ではそのような事態も生じ
ていない。
684 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 23:32:18 0
大名は地主やブルジョワに転化している。
だから島津本家や尾張、水戸の徳川家など、旧大大名だった家は、
いまでも資産管理会社を経営している。
士族の場合、その大半はいまでいう公務員、俸給生活者だから、
貴族とは比較できん。
685 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 01:06:02 0
>>684 巨大地主が極めて少なく、中小地主がやたらに多かったのが日本の近代地主制
の特徴だ。明治20年ごろの日本の地主上位5千人の土地全部を合わせても、
日本全体の民有地総地価の6パーセントに過ぎなかったといわれ、これは日本
の地主が封建領主の子孫ではないからだといわれている。仮に小作に出すために
一部の旧大名が土地を買ったとしても、全体から見ればごく一部に過ぎず、
小作地の圧倒的大部分は新興地主層が所有していたと考えるべきだろう。
旧大名がブルジョア化したというが、彼らにしてみれば政府から支給された金
を遊ばせておく法はないのだから、何等かの事業に手を出すのは当然ともいえる。
それで儲けた旧大名もいたが、失敗する者もあり、明治末期には貧乏華族の問題
が深刻化して宮内省が一時金を出さなければならないような事態が生じていた。
心配するなよ、ギロチン待ちの整理券ならオマイも持ってるだろw
688 :
世界@名無史さん:2009/08/24(月) 22:16:36 0
>>685 数日ぶりでこのスレを見てみたが、いわゆる貧乏華族は公卿華族が多かったではないか
という反論が出るかもしれないので、付け加えておく。確かに維新後もかなりの財産を
保有し続けた旧大名もいたが、反面戦後GHQによって解体を命じられた15大財閥で旧
大名を創業者とするものは、大河内正敏が始めた理研コンツェルンだけだ。しかも理研
コンツェルンはきわめて特殊な条件下で生まれたもので、大河内正敏自身の経済力で
作られたとは言えない。つまり戦前の日本の大財閥で旧大名がその経済力で作りあげた
ものは一つもないということだ。旧大名が土地や企業に投資してかなりの財産を維持し
たとしても、到底日本の財界をうごかすような勢力にはなりえず、社会の主導権はほぼ
完全に新興の地主と財閥に移ったというべきだろう。その地主にしてもブルジョア的
性格が強かった。明治維新はやはりかなり徹底した社会変革だったということだ。
689 :
世界@名無史さん:2009/08/27(木) 23:03:32 0
サンドニの歴代国王の墓が暴かれた話は上にも出てるけど、中国や朝鮮みたいな
遺骸冒涜も行われたの?ズタズタにしたとか。
690 :
世界@名無史さん:2009/08/29(土) 23:13:12 0
>つまり戦前の日本の大財閥で旧大名がその経済力で作りあげた
>ものは一つもないということだ。
イヤある!中部電力だ。
中部電力の前身である名古屋電燈は、士族がお金を出し合い設立された会社。
その後、経営不振となり合併を繰り返し松永安左エ門が経営する東邦電力に
買収された。士族は株主として残っている。
また東京電力の全身である東京電燈は6人の発起人で設立された会社だが
そのうちの一人は、徳島藩主の蜂須賀茂韶だった。
>>689 それっていわゆる「陵辱(凌辱ではない)」だろ
理性崇拝が確立して霊魂の不滅が否定されたあとに無価値な「抜け殻」を陵墓から引きずり出しただけのフランス革命のケースと
儒教が根付いてて先祖の冒涜に大きな意味がある中国朝鮮を比較しても仕方ない気が・・・
何の意味も無いのがわかっていながら、に無価値な「抜け殻」をせっせと陵墓から引きずり出してたって?
>>692 西洋の人は「死者の復活」を信じてるから、死体=無価値とは
思ってないよ。火葬しないのは、死体が無くなると復活
出来なくなるからだから。
695 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:09:47 0
>>690 俺は旧大名が土地や企業に投資して相当の財産を維持したことまでは
否定していない。
696 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:37:07 0
>>693-694 ジャコバン独裁初期にはエベール派主導の非キリスト教化運動が起こり、理性崇拝が確立する。
そこでキリスト教の大原則たる霊魂不滅は明確に否定されている。
その典型は、墓地に掲げられた文言である「死は永遠の眠りなり」。
死ねば霊魂は消滅するのだから死体が目を覚ますことはない。ただの無価値な抜け殻。
であれば、死体を安置する場所は美術品のごとくその人間にふさわしい場所を選ぶ。
ヴォルテールやルソーの遺骸がパンテオンに運び込まれ、
一方ミラボーがゴミ捨て場に投げ捨てられたのもそういうこと。
キリスト教社会においては大きな意味を持つが、革命が最も先鋭化した時期においてはそういうことだった。
逆に敢えてキリスト教及び霊魂不滅を否定する意味で過激に走ったという面はあるかもしれない。
まあ、これはあまりに行き過ぎなので
ロベスピエール派が独裁を確立してからは最高存在崇拝として
「最高存在」と霊魂不滅を認める反動が起こるのだが。
>>697 陵墓から遺体を引きずり出す口実を真に受けてるって、単純な頭だw
だいたい「無価値な抜け殻」にふさわしい場所なんか関係ないだろ?
ヴォルテールやルソーの遺骸もゴミ捨て場に捨てりゃよかったし、
一般の墓地もすべてつぶして有効利用してれば一貫性があったことになるが。
>>698 宗教的価値はなくとも死体を拝みたい人間は沢山いる。美術品的な価値はあるということだよ。
理性崇拝はその心理を否定するまではいかなかったというだけ。
そもそも理性崇拝自体がまだ生まれたばかりで(すぐ消えるけど)理論も確立してないわけで、
一貫性がないことは何もおかしい事じゃない。
100年後の共産革命下の宗教否定のようにはいかないよ
ところで一行目の意味がわからないけど、陵墓を暴く口実って何?
まさか理性崇拝や非キリスト教化運動、霊魂不滅の否定を
「陵墓から遺体を引きずり出す口実」のためだけのものだとか思ってないよねぇ
>>699 > 死体を拝みたい人間は沢山いる。
俺にはそんな趣味はないな。
自分のことかw
701 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:47:13 0
死体を拝みたい人間、レーニン廟、毛主席記念廟
宗教はアヘンだと言った連中が何故か死体大好きでつw
703 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:26:31 0
>>699 拝みたいとは思わんが身長とか気になるから好奇心で見てみたい気はする。
704 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 20:09:35 0
ルイ14世とか、有名な王の遺体も暴かれちゃったの?ルイ14世は革命の80年近く前に
亡くなっているから骨になってただろうけど。
理性崇拝が始まったからといってちょっと前まで全員キリスト教徒。長年持っていた宗教感覚はなかなか一般民衆の根本からは無くならないんじゃなかろうか。
憎たらしい奴の墓暴いて遺体引きずり出してやれ!コノヤローという感情は普通にあったのでは。
憎たらしいかどうかはともかく、前王朝の墓を暴くというのは、東西の王朝が古くからやってることだ。
その目的は、権力の交代を見せつけて、今後の統治を円滑にするということだよ。
革命政府も同じ目的で同じことをやっただけの話なんだが、そうは言いたくないというだけのことだ。
崇高な革命の精神を汚してしまうことになるからね。
それから、王の権威を叩きつぶすために、キリスト教の権威を叩きつぶしたいということもあった。
王族や大貴族が教会の幹部になっていたことは、王権と教会が一体化していたということだが、
だから長年の宗教感覚も何とか無くしたい。そのためには代用品を用意するのが手っ取り早かった。
理性崇拝なんて、革命家が本気で信じてるわけ無いわなw
方便でやってるだけだよ。
707 :
世界@名無史さん:2009/08/30(日) 23:23:35 0
サンドニの一件を取り上げている邦語のフランス革命関係の文献って少ないね。
最近出た中公新書のでも本文はおろか、巻末の年表でも触れてない。
>>694 既存宗教を否定し、唯物主義という宗教にもとづいて死体という「物」に価値あると、宗教を完全に転倒させているのがマルクス主義。
だから共産主義国はレーニンなり毛沢東なりホーチミンなりの死体を永久保存する。
こういう偽宗教は地球上から駆逐すべきである。
>>704 もっと古い時代の国王も遺体を暴かれているらしいしなあ。
国王でなくても例えばアンリ2世の愛妾ディアヌの墓(地方にあった)も暴かれている。
>>706 なかなかわかりやすい。
革命指導者に理念があったかなかったかはともかく、
民衆にキリスト教の否定を知らしめるために最もわかりやすい王族の墓を暴いたという面は確かにあるだろうな
711 :
世界@名無史さん:2009/09/04(金) 07:21:50 0
近代ヨーロッパの革命思想は、ひょっとしたらキリスト教の終末思想にその
原型があるんだろうか?
腐敗・堕落していた旧体制が倒れ、世界はそのくびきから解放され、新しい時代の
夜明けが始まるというのは、千年王国みたい。
712 :
世界@名無史さん:2009/09/04(金) 15:49:52 0
革命は労働者人民の味方
反革命は王侯ブルジョア僧侶の味方
>>712 言葉通りならそうだが、実際は違うな。
革命で割を食うのはいつだって労働者階級で、一番の被害者は農民だ。
革命でも反革命でも、最終的にいい目を見るのはブルジョワ階級。
ここで庶民の味方オルレアン公からひとこと
↓
715 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 00:28:05 0
フランス革命に場合は特に貧農が酷い目にあった
国有地買取にも参加できなかったし
宮廷貴族は政治権力と所有地をだいぶ失ったが、地方貴族は所有地を増やす事に
成功しているので経済的にはまずまずの結果なんです。
ブルジョワジーが一番美味しい思いをしているんですけど、
実は貴族もちゃっかり美味しいところ持って行きましたってのがフランス革命の実情。
フランスのカトリック教会は、政治的にも経済的にも大打撃、
カトリック教会の所有地はブルジョワジーと地方貴族が山分けした感あり。
716 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 04:05:34 0
>>713 嘘をつくな!
非ブルジョア平民(労働者階級、人口の8割以上)の救世主がジャコバン派だろが!
革命の一番の被害者が農民???
小作農が土地を分配されたんやで! 大勝利だろが
革命万歳
717 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 04:25:46 0
フリーメーソンの実態を把握することが絶対に不可欠である。 「世界を思うがままに操る
影の世界政府」、「ヤダヤの国際的秘密結社」として知られるフリーメーソンは、完全なる秘密主義を
伝統としており、その末端部部分や公にされている部分はともかく、最奥部については
いまだに明らかにされていない。
また秘密結社組織というのは、当然フリーメーソンだけではなく、ほかにも数多く存在する。
一部にはフリーメーソンなどよりも、イルミナティーだとか、ビルダーバーグ・サソエティなどのほうが
重要だという研究家もいるようだが、『 日月神示 』の観点からすれば、そうしたことはどうでも
よいのである。 ただ、歴史を操る「国際的秘密組織」は事実存在するし・・・・・・その秘密組織の
代名詞として使われるのが、最大級の組織力を誇るフリーメーソンなのだ。・・・・・フリーメーソンとは
正確にはその結社社員のことを指し、組織そのもののことは「フリーメーソンリー」と呼ぶが、
一般にはフリーメーソンで通っているようだ。
この後、フリーメーソンの起源を「古代西洋において、石工(メーソン)同士が集まって組合(ギルド)を
創設したのが始まりとされています」と説明をします。 「石工というのは、言わば大工や建築家の
ようなもので、日本でいう石切り職人のたぐいとは少し違う」と述べています。
その説明が続いた後に、「ユダヤ人の苦難に満ちた歴史を振り返る」らしいです。
被支配者として押さえつけられてきた立場を逆転させるために、ユダヤ人は「自由」と「平等」の
思想を世界に流布(るふ)し、それによって数々の国家を内部崩壊させてきたと書いています。
それがアメリカの独立戦争であり、フランス革命であり、ロシア革命でもあった。・・・・・と
>>716 じゃあ、何でヴァントーズ法という素晴らしい法律を作り上げた
ジャコバン派が処刑されたんだ?
で、農民の土地は本当に増えたのか?
自由主義経済導入で、土地を持っていなかった貧農の生活は楽になったのか?
革命の行き着く先となったナポレオン帝政で、非ブルジョア平民(労働者階級、人口の8割以上)
とやらはどれだけ戦場に行ったんだ?
このスレを最初から最後まで読め!
719 :
世界@名無史さん:2009/09/08(火) 14:03:51 O
人権宣言が採択されたことにフランス革命の意義があると思うけど。
フランス革命も人権宣言もアメリカの独立戦争もキ−マンなのがラファイアット。
映画ではまぬけに描かれることが多いけどきっと特別な星の生まれだと思う。
ラファイアットも立憲君主制の支持者だし。
フランス革命自体より人権宣言の方が革命的なんじゃない?
江戸城開城とかと犠牲者の数が比較にならないから、スレ主と同じで他の点は何も評価できないと思う。
> きっと特別な星の生まれだと思う。
いや、スポンサーが共通だってことだろw
721 :
世界@名無史さん:2009/09/08(火) 15:20:35 0
ラファイエット達【開明的貴族】は欺瞞に満ちている
従来の不平等と人民搾取を非難しておきながら、それによって得た財産を放棄しないとは。
財産権の保証は勤労人民にのみ与えられるべきであり、寄生階級は撲滅しなければならない
開明的貴族が一番上手く国を導けるよ。
723 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 18:38:18 0
>>722 と言い張って図々しく居座ったんですね、分かります・・・
人民搾取してウハウハだったくせに全部国王のせいにしちゃう面の皮の厚さも世襲か?
先ず搾取とは何かと言う定義を述べよ
ついでに「人民」とは誰から誰までなのかと言う範囲も述べよ。
726 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 19:07:18 0
>>711 ルネサンス期のユートピア的な革命思想は
例えばトマソ・カンパネッラのそれみたいに千年王国的な理想があるのは確実だけど、
近代の革命は啓蒙思想の理性尊重と偏見打破がその基盤となってるから
キリスト教的な要素は薄いんじゃないかなぁ。
ユートピア思想と啓蒙思想の関連がどうなのかまではよくわからないけど。
フランス革命から19世紀の自由主義革命までの革命思想は
ユートピア思想革命家のように理想国家を「作り上げる」というよりも、
悪弊を打倒して理性の元に正しい道へ「修正」するという面が強いと思う。
727 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 20:43:06 0
>>724 武力や権威による財産の独占、税の不平等な収奪、過酷な労働条件
>>725 貴族、役人、知的エリート、僧、ブルジョア 以外の人
>>727 役人や知的エリートや僧やブルジョアと人民との違いは何?
729 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 20:53:07 0
ジャコバンは知的エリートばっかだろw落ち着けよ
>>725 国民=王族・貴族・僧侶・ブルジョワ・市民・農民
人民=小ブルジョワ(労働者階級)・市民・農民
難しく考えないのならこんな区分け。
「議会の名称に国民を使用することは越権だ。
「国民」とは国王と特権身分を含むべきであり、
それらを除外した議会は「人民」の代表と呼ぶのが妥当だ」
ミラボーの「国民議会」名称反対意見より。
731 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 21:43:21 0
人民万歳!
何だか、変なのが湧いているな。
自分の意見というか、思い込みだけを書くのはみっともない
「人民」と「国民」の違いを教えてくれ
734 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 21:52:21 0
労働者、農民、兵士 万歳!
735 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 21:54:42 0
貴族・聖職者の搾取に抗して立ち上がろう!
バカは失せろ
737 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 23:00:28 0
人民解放万歳!
貴族殺せ!
貴族も理想国家で生きられるよ。
739 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 01:05:08 0
人民とは、「そこにある民衆の集まり」的な即物的な概念で、
国民とは、「国家を構成するヒトビトの集合体」という観念的な概念
741 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 15:42:49 0
人民解放万歳!
貴族殺せ!
出稼ぎ外国人は人民だが国民ではない
人様が働いている15時や16時に2chやってる
自宅警備員も非国民だから国民ではないw
744 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 19:32:41 0
上流中流階級に人民の裁きを下せ!
745 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 02:02:21 0
以前こういう話を聞いたことがある。
キムジョンイルが一人いるのが北朝鮮。4800万人いるのが南朝鮮。
日本は12000万総天皇時代になってしまった。
この思想の源流はプロテスタントの宗教改革に遡る。
プロテスタントが登場する前の西欧は、神の地上代理者にして聖ペテロの正統なる
後継者と称するローマ法王を頂点として、司教、司祭(神父)、平信徒という序列が
形成されていた。建前では国王でさえ農民と同じ一介の平信徒なのである。
国王の王権は教会によって保証されたものである。というのは、世俗の統治権は
神からカトリック教会を通して戴冠式を行う国王に与えられたものだからである。(王権神授)
しかし、ルターが出て、彼が教会改革の一線を踏み越えて万人司祭説を唱えて
プロテスタント主義を打ち出したとき、この序列は完全に破壊された。なぜなら、
プロテスタント主義では全ての信者は教会の位階制度によらずに、直接神に
繋がることができるというからだ。つまり神の代理人であるローマ法王など必要
ないというわけである。フランス革命はその総仕上げであったといってよい。
なぜなら、全ての人間が神と直接繋がった存在であるということが社会常識になったら、
神からカトリック教会を通して戴冠を受ける国王などというものは必要ない。
すなわち、民主主義の登場と共和制政体とは宗教改革が必然的に行き着く先なのである。
であるからして、日本も国民主権の現行憲法を維持する限り、必然的に天皇制は
廃止の方向に動かざるを得ない。天皇制とはなんであろうか?欧州における宗教的
権威たるローマ法王と世俗君主の立場を合わせたものである。
では天皇が天皇である理由とはなんであろうか?
天照太御神によって天皇家のご先祖が「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の
王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に
天壌と窮り無けむ。」と命ぜられたとされているからである。
そう考えれば太陽パクパク食べるおばさんの出現は歴史の必然なのである。
なぜなら、太陽神の代理人が天皇陛下とするなら、平民が直接太陽を食って太陽の
エネルギーを得ることができるなら、天皇制などいらないからだ。
ああ、そう・・・
天皇制や欧州の王政は革命オタに先手打って民主化したので安泰です。
748 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 22:38:00 0
イギリスなんて有名俳優が王制反対や王族個人批判しても受け入れられる国
いいね
>>736不適切な発言!次にギロチンに送られるのは君だ! byルイ16世
750 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 12:59:05 0
貴族・聖職者の搾取に抗して立ち上がろう!
751 :
世界@名無史さん:2009/09/12(土) 21:35:36 0
私が思うに、小学校でニワトリを締めるのを実習させるべきだと思うな。
お肉はスーパーでパックに入れられて入っているものが当たり前だと思っているから、
先進国の国民は真の残酷さを体験できない。米国みたいに定期的に戦争をしている
国でさえ、最近は兵器のロボット化を推し進めていて、戦争がそうした教育的役割を
果たすことができなくなっている。
バカが友愛なんてスローガンに騙されるのも、そうしたものの背後で例えばフランス革命とかで
どれだけの血が流されたか知らない・・・いや知っていても実感として湧かないからだろう。
私は電車の先頭で飛び込み自殺を見た。そのとき人間がすいかのように潰れたのを見た。
またホームで人間が飛び込むのも見た。こちらもばらばらになった。ああいう体験はするべきだと思う。
特に日本人は死をケガレとして忌避する余りに、民族の集団意識のバランスがとれていない。
鶏を締めるのがヘッチャラになって、
ヒトを締めるような逸脱した子が出てきたら大変なので
鶏締め実習案は却下。
753 :
世界@名無史さん:2009/09/13(日) 12:13:25 0
>>751 知ってて支持しているのだろう
スパルタクスの反乱で、一揆側が帝国側を虐殺したからと言ってスパルタクスを批判する馬鹿が居ないのと同じ
>>751 死を知ってるのと、それを防ごうと考えるのは全く別物だよ。
むしろ死亡率の高い社会(後進地域)の方が、必要な犠牲としてドライになるんじゃない?
子供の頃見知らぬオッサンに唐突に
「俺が子供の頃はみんな刃物を持ち歩いてたから命の大切さを知ってた。それに比べて今の子供は・・・」
とか話しかけられたことがあったな。
今なら声かけ事案で通報だろう
【人民】(じんみん)名詞
ある種の国家や国家を自称する集団においては、
この言葉は「支配者」や「独裁者」の言い換えとして遣われている。
「人民のために」「人民の敵」など。
757 :
世界@名無史さん:2009/09/13(日) 19:26:19 0
革
命
万
歳
農家で普通に鶏を絞めてた頃の農家のガキが特に
命の貴さを知ってたなんて事は無いな
ごく普通に蛇を生きたまま皮はいだり
カエルを爆竹でふっ飛ばして遊んでたなw
革命という言葉も、革命政権にとっては、自己防衛のための武器でしかないな。
「反革命」という意味の解らない罪で、どれだけの無実の人々が殺された事か。
760 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 11:34:59 0
>>759 無実じゃないし。
『貴族』という特権で人民を搾取した罪
762 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 17:12:43 0
貴族皆殺し賛成!
764 :
8月革命かよ?:2009/09/15(火) 18:24:23 O
今読んでいるのが、竹本忠雄先生の「災厄としてのフランス革命ー博愛は幻想―ルイ16世の遺書を読み解く」です。
ここの書かれていることは所謂民主主義の出自についてでは在りますが、中の一節に「隠蔽された大虐殺」という項目が在るのを思い出して下さい。
長谷川三千子先生も以前から民主主義の病理について指摘されていることでは在りますが、
所謂民主主義を語るリベラリスト達にとっての思考方法は皆様よくご存知の通り自らのイデオロギーにとって都合の悪いことには全く触れないか、
イデオロギー的に擁護するか、或いは本質を全く逆に宣伝するための改竄です。
さて、民主党政権になってもこの傾向は変わりなく進んでいくと思われます。
マスコミや言論界では我々保守への社会的排除は
「保守=右翼的言動をする=暴力団的である=反社会的存在だ=反民主主義的人物達である」として既に60年安保の時から始まっています。
さらに警戒または恐怖を感じるのは今までのような言葉の上での攻撃ではなくなっていくのではないかと、
つまりそう遠くない時期に我々保守が大虐殺を受ける立場になるような気がします。
フランスも中共もソ連も・・・数へ挙げればキリが在りません。
リベラリスト達によって人権擁護法案が成立し、外国人参政権付与法案が成立でもすれば、すぐにでも保守陣営への投獄・大虐殺が始まるかも知れません。
竹本忠雄先生のこの短い論文の中に上手く書かれていると思います。我が国の歴史的英知の発露が待たれます。
765 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 20:01:38 0
>>764 「貴族」や「特権」、「封建的支配」は人権思想を真っ向から否定して成り立っている。
故に人民は貴族や専制者の人権を認める必要はなく、虐殺しても罪ではない。
レイプ犯や強盗を被害者が自衛のために殺すことが許されるのと同じく、強権的専制君主や特権貴族役人を人民が処刑する権利を持つことは
極めて明白である
>>765 と、いうレッテルを貼って気に入らない連中を皆殺しにしたいのですねわかりますw
767 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 20:15:00 0
>つまりそう遠くない時期に我々保守が大虐殺を受ける立場になるような気がします
いったい誰と闘ってんだよお前はw
768 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 20:51:26 0
>>766 それこそブタ貴族どもが革命派に貼ったレッテルだろ
労働者農民は殺さない。貴族ブルジョア役人と反革命と狂信者を殺すだけ
つまり無罪
>>768 > 貴族ブルジョア役人と反革命と狂信者を殺すだけ
つまりお前も殺されるのか
770 :
世界@名無史さん:2009/09/15(火) 23:36:25 0
革命万歳! 人民万歳!
フランス革命を起こして政権を奪った連中のどこに平等意識があったものやら。w
当時の時代に、階級意識のない人など存在しないのだが。w
せめてロベスピエールについて書いた本の1冊ぐらいは読んでから書き込んでくれよ頼むから。
フランス革命って言っても、大多数のフランス国民である農民が王党派だった件
774 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 12:07:37 0
前から疑問だったこと
1792.9.20 ヴァルミー戦
1792.9.21 男子普通選挙で国民公会成立
わずか一日違いだけど、偶然?
775 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 13:11:09 0
だからそういうのは分からないってば。
>>773 ロベスピエールって現代のサヨク人権ゴロまんまの思想&人格だよなあ。
>776、だから左翼はテロリストになるんですよ
778 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 15:12:56 0
ロベスピエールの何が悪いのか分からない
貴族や特権階級とは人権思想を否定する存在。
そういう連中は人権を認めず虐殺しても無問題。
革命は民衆の復讐である
779 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 15:15:58 0
平等と自由を否定するブタ貴族とクズ国王とクソ役人は一切の権利を認められず人民裁判で処刑されるのが当然。
ジャコバン派=民衆の人権を防衛する正義の集団。
王党派=人民搾取の大罪人
ちなみに、無知な百姓が王党派の場合は『啓蒙』して再教育しますから
780 :
世界@名無史さん:2009/09/16(水) 15:22:47 0
ロベスピエールの功績はナポレオン以上だね
法的・社会的な分野では、当時キチガイ王制によって行われていた刑罰の連座制を廃止したり、
罪人の親族を血縁で差別迫害することを止めさせてる。
これは全人類にとって人権・理性の上での多大な進歩であり、野蛮と残虐からの脱皮と言えよう
また、人民全体に自由平等の思想を教え、搾取と圧政を否定し、階級による差別扱いを非難し、
貴族・僧・ブルジョアの民衆収奪を禁止し、労働者・農民のための『働く者の国家』という概念の礎を築いた。
搾取者を糾弾し、差別者を弾圧し、専制者を処刑した。これも多大な貢献であろう。
革命万歳! 人民万歳!
>>763 どこが捏造だよ
バケツ一杯に捕まえたオタマジャクシを炎天下の道路にぶちまけたり
ごく普通に殺しまくってたよw
782 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 18:18:17 0
【1】 (甲)三百人委員会
↓
(乙)世界革命運動(WRM)担当高級幹部団
| 完全に闇の中にいて、表面には全く出て来ない。
↓
(丙)世界革命運動(WRM)高級工作員
| マルクス、レーニンなど。ラスキー、ウェルズなどはここに入る。
↓
【2】 (丁)走狗として使い捨てにされる主義者の有象無象の大群
つまり、共産主義、社会主義などの世界革命運動は、世界権力の走狗
として捏っち上げられ、使役されているのである。
日本に、このイルミナティ三百人委員会の走狗としての世界革命運動が
持ち込まれたのは、日露戦争後である。つまり、約百年の歴史がある。
この百年の間に、日本の「左翼」、日本の共産主義、社会主義
運動の中に、前出の【1】の部分に入る人間が存在したのであろうか。
【1】の部分の(甲)(乙)これは全く、日本には存在しなかった。
辛うじて、(丙)の中に、以下の如き数人が含まれた可能性はある。
片山セン、野坂参三、都留重人、賀川豊彦。
いずれも、イルミナティから見て、大して有能ではなかったであろう。
つまりこの百年、日本の「左翼」の「イスト」は、ことごとくイルミナティの
使い捨ての走狗。有象無象の大群、と評価すべきタマに過ぎない。
共産主義、社会主義、世界革命運動を育成するイルミナティにとっての
主たる源泉は、初代ロスチャイルドの有力エージェント、ヴァイスハウプト
によって、フランス革命の仕掛けのために設立された、フランス・フリー
メーソン(グラントリアン=大東社)である。しかし日本人は、まずこの
グラントリアン(大東社)について、完璧になんにも知らない。
この件についての日本人の無知ぶりは、実に徹底している。
783 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 18:26:34 0
ユースタス・マリンズ著「カナンの呪い」
この大著の一頁一頁に、著者マリンズ氏膨大な学識が凝縮して居るが、
とりわけ熟読すべきところは、第五章 血に塗れたフランス革命であろう。
このフランス革命についてのマリンズの記述は、明治初年以降、日本の
西洋かぶれ極悪売国奴学問奴隷ども、極悪売国奴マスコミ人、文化人、
いわゆるインテリ、極悪売国奴官僚などによって、三十年間日本民族に
注入され続けて居る、フランス革命についての猛毒イデオロギーと、
一行一行、一語一語、衝突する。
マリンズによるフランス革命史の要点を、以下に記して置く。
(1)フランス革命の血の狂宴(オルギア)のための重要な布石の一つは、
ユグノー(キリスト教新教徒)の大量殺戮である。
(2)このユグノーに対する大量殺戮の、主たる仕掛人は、フィレンツェの
メディチ家から来た、シャルル九世の摂政カトリーヌ・デ・メディチである。
メディチ家の正体については、人間至上主義を暴露した本書の第三章に詳しい。
(3)フランス革命の実行計画は、一七八一年、ウィルヘルムバートで開かれた、
フリーメーソンの国際会議で練り上げられた。一七八九年、フランス全土に
二千のフリーメーソンの支部組織があり、そのメンバーは十万人。
(4)フランス革命議会六百五十五名の議員のうち、四百五名はフリーメーソン。
ジャコバン党は全員フリーメーソン。
(5)英国のシェルバーン卿はフリーメーソンを通じて、ロンドンからフランス革命
の全過程を、逐一指揮した。
(6)ナポレオンが追放されたあとの一八一五年のウィーン会議までに、
ロスチャイルド家が、全ヨーロッパの事実上の支配者として登場した。
っていうか改革は革命前から始まってるんだけどな。それに最初の憲法は立憲君主制を規定してる。テロリストは自分の決めたことも守らんがw
785 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 23:44:44 0
近代人権思想を真っ向から否定することで存在する、王侯貴族(と当時の役人)に対しては
人権を認めず虐殺しても構わない
革命とは被支配者の復讐である
786 :
世界@名無史さん:2009/09/17(木) 23:56:23 i
ジャコバンは白色テロばかりが強調されるけど、
奴隷制を廃止したことは素直に偉いと思うけどなあ
>>786 それがテロリズムの罪を相殺するものではなかろう。
「ナチスは労働者のための福利厚生政策を充実させたよ」みたいなもんだ。
奴隷解放なんて当時のリベラリズムの常識なんだから、別にジャコバンじゃなくても
そのうち行われた。
>>787 思想上はそうでも、実際には植民地のプランターやそれと
結託した大貿易商の利益を代弁する者がいたし、
困難だったんだよ。代表的存在は立憲王政派のラフィット兄弟。
フーシェも国民公会議員になった頃はジロンド派かそれ寄りの
平原派で、地元ナントの大貿易商の利益を代弁していたから
(海外領土における)奴隷貿易禁止、奴隷制度廃止には反対だった。
当初から解放に熱心だったのはロベスピエール、「黒人友の会」にいたブリッソー、
マラー、ダントン、ペティオン、クートン、コンドルセぐらい。
つまり後に共和派(山岳党、平原党、ジロンド党)になる者ばかり。
ラフィットはそれこそ後の銀行家だよなぁ?
似たよう苗字で何兄弟だったっけ?フイヤン派か三頭派の政治家。
山岳派独裁にしても国が滅びるか否かの非常時に行われた非常措置。
あなたも貴族じゃない限りw、当時のフランス人だったら
少なくとも最初のうちは仕方ないとは思ったはずだよ。
ジロンド派にしても革命裁判所設置には反対しなかったし、
外国軍が攻め込んでいるは、各地で内乱は起きているは、
インフレは激化しているは、そんな状況を普通の体制で
切り抜けられるはずもない。
ましてや、戦争を起こしたのは国王(しかも敵国と内通)、フイヤン派、
ジロンド派だ。最初から革命潰しが目的の国王は当たり前として、
戦局悪化に伴いラファイエットらフイヤン派は裏切り始めるは、
ジロンド派は裏切りはしなかったが、自ら始めておいて、
敵撃退に必要な政策を次々と拒否した。彼らと彼らが擁護する
人たちが損をすると考えたエゴイズムに陥ってね。
平原派がジロンド派から離れた最大の理由。
790 :
世界@名無史さん:2009/09/18(金) 14:01:51 0
山岳党のテロを、イスラエルがやってるような難民虐殺を一緒にされてもなぁ
当時の特権階級が民衆を搾り取ってたのだから、殺されたとしても文句は言えないと思うが。
そもそも権力の源泉が武力による勝利である以上、自分たちだけは被害者だという貴族側の連中は自己中だわな
国民の平等を受け入れた場合、収奪者は同害報復されることになる
>殺されたとしても文句は言えないと思うが。
勢い余って農民もぶち殺しまくったが
文句言うなってかw
792 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 09:29:04 0
ひゃくせうは教会を妄信して反革命動乱を起しまくってるからな
793 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 09:43:01 O
鳩山ボーフラ政権のお人好しぶりに付け込んで、こういう動きが始まりました。
『小沢氏が永住外国人に選挙権付与へ前向き』
予想通り、千葉景子法務大臣は、偽装人権擁護法から通すつもりです。
そのあとは、言論の自由が弾圧されて、他の「日本解体法案」は国民が知らないうちに国会を通過します。
プギャ━━━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃━━━ !!!!!悪辣反日革命進行中ね!
でアメリカに戦争売るわけだな。世界の敵ですね
795 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 14:47:06 O
男爵:語源は男
子爵:語源は副伯
伯爵:語源は仲間・友人または書記または長
侯爵:語源は国境の伯または王の守護
公爵:語源は指導者または隊長または君主
女王:語源は女
796 :
世界@名無史さん:2009/09/19(土) 14:49:13 O
人とは支え合う仲間
民とは目を針で刺された奴隷
国とは城壁の中
平等だの人権だのというのはただの言葉にすぎない。
それを正しいと盲信していては宗教にハマってる連中を笑う■はない。
798 :
世界@名無史さん:2009/09/23(水) 23:51:09 0
あっそ
>>797 確かに普遍なものなんかじゃないよね。
社会契約論、天賦人権説は間違い。権利は体制が選別して与えるものだから。
革命政府は反革命分子からあらゆる権利を剥奪し、
革命とそれを支える人民の権利を守るため抹殺せねばならない。
反革命分子に諸自由権も生存権もない。
であんたらの理性とやらは誰が保障するのかね?
801 :
豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/10/01(木) 00:50:04 O
>>800 唯物論者の私には理性信仰はわかりません。
ジャック・ルー、バルレ、ルクレールら過激派は理性の祭典の前に
お縄になっちまったんだよな。エベール、ショーメット、クローツ、ロンシャンら
エベール派は理性の祭典と称したが彼らは理神論者ではなく無神論者だった。
無神論を掲げるとマズいから理神論と理性崇拝を看板にし非キリスト教化運動を推進。
非キリスト教化はフーシェや地方の都市中産階級が始めたもので、
パリ下層民衆は最初のうちはあまり関心がなかったようだ。
農民は論外。有神論者な上に農民反乱を危惧したロベスピエールが
非キリスト教化運動を弾劾し、エベール派は一時方向を見失ったが
兵器工場の労働者によるストライキが多発するようになると
これを支持し、再びロベスピエール攻撃を始め、
ついには蜂起を呼びかけたが、笛吹けど踊らず。お縄になってしまった。
マルクス、エンゲルス、メーリング、カウツキー、レーニン、
トロツキーらマルクス主義の大御所たちもフランス革命研究の
【大先生】方も過激派やエベール派を評価しなかったからか
彼らのパリ下層民衆への影響力が過小評価されているきらいがある。
俺は注目に値すると思うがね。
あと、後のジロンド派ではあるがペティヨンが、
パリ民衆の人気者でペティヨンらジロンド派も
8月10日事件に深く関わっていたことがあまり知られていない。
共和制、国民公会になって山岳派と対立を深める前のジロンド派の
大半が王制攻撃に関しては山岳派と変わらなかった事実が
軽視されていて、残念だ。
彼らは山岳派と対立を深めるまではジャコバン・クラブの有力な一派だったし、
中でもペティヨン、ブリッソ、ヴェルニオは急進派だった。
更に1794年に山岳派とのこれ以上の対立が益にならないことを
感じていた者たち(その大半はルイ16世処刑に賛成していた)は、
国会追放を免れて、テルミドールのクーデターまで生き延びた。
公教育論ではコンドルセ(ジロンド派にも平原派にも
分類される)のそれが当時としては最も優れている。
サン−ジュストの公教育論はどこまで本気だったのか
知らんが、まるで古代スパルタのそれで冗談か狂気かの
いずれかとしか思えない。
805 :
アヴェ・ベルニエ:2009/10/02(金) 13:23:03 O
オッシュと話し合って農民たちを王党派貴族から引き離したお。
貴族どもは信仰よりも反政府を最優先にして、農民の犠牲を考えてないお。
ヴァンデに平和を取り戻した俺の判断は妥当だったおね。
ナポレオンって奴は凄いお。俺、ナポレオンの使者としてヴァチカンに行って
フランスとヴァチカンを和解させたし、オルレアンの司教に任命されたんだお。
勝手にしやがれってんだ。俺みたいな実務をやる奴がいるから童貞どもは遊んでられるんだ
革命のカメレオンって陰口叩かれるけど俺は中立よ。
俺がいなかったら、公安委員会はもっと早く崩壊していたよ。
808 :
バラス:2009/10/04(日) 01:23:41 O
俺は派遣議員時代も持ち前の高潔さと寛容さで
トゥーロン市民から慕われたお。俺が虐殺だの略奪だのを
やらかしたなんてロベスピエールとかいう童貞の誹謗中傷だお。
カルノーとかいう似非学者を追い出したのも香具師が悪徳の士だからだお。
809 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 16:10:08 0
ロベスピエールって墓穴を掘る天才だよね。
ジャック・ルーら過激派とエベール派を葬り、
いくら寛大派になっていたからといって信頼できる親友のダントンと
デムーランのことも殺し、
更にフーシェ、バラス、コロー、ビヨーといった左派も敵にまわし、
民衆指導者マイヤール(本人は裁判所職員で貧民ではない)が
既に病没していたのに、
同じく民衆指導者のサンテール(本人は裕福なビール酒造業者だが)を
オルレアニストとして投獄。
残るは酔っぱらいのアンリオだけになり、そのアンリオは泥酔。
810 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 16:20:35 0
フーシェとタレーランは論議としても、バラス、タリアン、フレロン、
シエイエス、ボワシー・ダングラス、イスナール、
カザレス、モーリーらの長いが変節な汚い生涯と、
アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン、ルイ・サン−ジュストのように
短いが変節せず保身をはからなかった生涯とどちらが美しいか、
誰の目にも明らか。
×>論議
○>論外
812 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 16:29:07 O
>>810 だから
>>1のスレタイ通りなんだよ。
いくら政治家には要領の良さ、器用さも不可欠とは言っても
流石にこいつは・・・って奴が多過ぎる。
813 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 16:51:01 0
それは誰のことだ?スレタイのようなレッテル貼りって恐怖政治期を指して言ってるんだと思った。
ロベスピエールに政治家としての要領の良さと器用さがあればフランスはもっと素晴らしい国になっていたよ。
確かにテルミドール派のクズどもは最悪だ。腹を切って死ぬべきだ。
フランスに切腹の風習はねーよ
>>809 そういう見方もあるけれど、処刑前夜に限っては
ロベスピエールが国民公会攻撃を半ば拒絶したから
民衆指導者不在やアンリオの駄目さが原因とはいえない。
それよりも、貧困地区の住民の多くも恐怖政治に飽きていた。
最大の失敗は対外戦好転・内乱沈静化にも
関わらずプレリアル法で逆に恐怖政治をそれまでの非では
ないほど強化してしまい(ロベスピエールと
不仲だった保安委員会のアマールの責任も大きいが)、
最高存在の祭典の成功もあって和やかになった国民を幻滅させた
こと。
もう一つは、クーデターの前夜に打倒する対象を言わなかったこと。
フーシェ、バラス、タリアン、フレロン、カリエらに
限定して公表しておけば、まだ躊躇していた多数派は
クーデターに参加しなかったかもしれん。
カルノー、コロー・デルボア、ビヨー・ヴァレンヌ、アマールらは
敵とはいえど仕方ない。
それまでの比ではない、の間違い
マイヤールだのサンテールだのマイナーだなぁ
>>809 >>801でも書かれてあるが、エベール派は民衆との関わりで重要な勢力だったが、
あまりにも国内の秩序を破壊しすぎたために粛清せざるをえなかった。
ダントンたちは斬りたくはなかったが、エベールと懇意のコロー&ビヨーが
エベール派粛清を見送った見返りに粛清を求めたのに耐え切れなかった。
恐怖政治という圧政て感じられるけど、民衆が嫌っていたのはギロチンじゃなくて統制経済。
何でもかんでも物資を政府の管理にされていたから反感が積もり積もっていた。
>>815で書かれてある、粛清の対象となる議員を公表しておけば、多数派は何とか引き止められた可能性もある。
あと足を引っ張ったなは、妥協的な演説をしようとしたサン=ジュストが、その原稿をカルノーたちに見せなかったこと。
サン=ジュストがロベスピエールから離れようとしていたのは、他者から見ても明らかだったのに、これで一気に不信感を与えてしまった。
アンリオの肖像画観た時、黒人やムラートかと思った。
トゥサン・ルーヴェルチュールの肖像画に似てたし。
>>819 同感。
非キリスト教化運動を推進するは、
食料暴動や兵器工場労働者のストを支持するはの
エベール派を放任しておいたらパリ貧困層以外の
市民の怒りが公安委員会にまで向けられた。
支持基盤だったパリ貧困層からも見放されていたようで、
蜂起を呼びかけても誰からも相手にされなかった。
一方、ロベスピエールはダントン処刑には消極的だったしね。
>>819 カルノーやランデならサン−ジュストの原稿を
読んで妥協したかもね。
ロベスピエールはサンージュストの説得に応じず、
右派とも左派(ビヨー、コロー、アマール)とも
妥協を拒んだらしいけど。
>>820 普通のフランス人というか白人だったのでは?
確かにアゴなし、鼻ぺちゃの不細工だけど。
823 :
世界@名無史さん:2009/10/04(日) 18:13:49 0
プレリアール法を推進したり公安委員会の内部対立をいたずらに招いたり保安委員会を攻撃してみたり、
ロベスピエールに時局を読む政治的な能力が足りなかったことは明らか。
成し遂げたものが大きいだけに残念なところ。
まあ山岳派独裁は彼一人の独裁ではないから、全てを彼の功績に帰すことは出来ないが。
ロベスピエールを見限りつつあったサン=ジュストはテルミドール9日の演説を成功させて、
公安委員会内部や保安委員会との対立を彼の力で収めて
ロベスピエールから指導的な位置を奪おうとしていたという見方もあるが。
彼は彼でやっぱり、
>>819も指摘してるがテルミドール8日の晩に
演説草稿のことでカルノーやビヨー、コローと喧嘩したりして翌日敵に回すフラグ立ててるから
時局を読めてない点では同じだろう。
825 :
822:2009/10/04(日) 18:27:38 0
>>823 サン−ジュスト、おしいね。
見せていたとしても、もはや手遅れだったかもしれないけれど。
>>824 俺が見たのはそれによく似ている。
けど、もっと粗雑な絵で不細工に見えた。
多分、
>>820が見たのもそれか俺と同じものかも。
827 :
822:2009/10/04(日) 18:55:48 0
>>824 ホントだ、wikiのでは文句なしに白人で、おまけに美男w
>>826 それです!
wikiのそれとじゃまるで別人。
ド・ラ・ロシュジャクラン>>サン−ジュスト>>>>>バラス、アンリオ
生き方や最期の美醜と容貌の美醜が偶然合っている。
>>828 容姿の話はいい加減に、なんて言おうと思ったけど(苦笑)、
アンリオは肖像画があまりに違い過ぎて、どちらが実像に
近かったのかにもよるね。バラスもやけにカッコ良く描かれた
肖像画があるから、写真がない時代の肖像画はあてにならんな。
大抵はあまりぱっとしない方の肖像画が実物に近いだろうが。
ダントンのは豚顔の肖像画より革命広場に護送されてゆく姿を
ダビッドがスケッチしたそれの方がゴリラ顔でかっこいい。
フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業であった。
つづいて、ヨーロッパの主な君主制を打倒することが至上任務となるのである。
何故そうなるのかということは、マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。
マルクス主義というものは別章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである。
マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、転覆すべきものであるということを根本原理としているものである。
国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。
自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを転覆することが唯一の方法であったのだ。
つまり、それによりユダヤ人が権力と財産──後にこれは生産手段という社会科学的用語にかえられたが──を
奪取することによってのみ解放されるということである。
これがマルクス主義の根本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。
そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。
(中略)
君民共治は、日本の天皇と国民の間にのみ存する理想的政治形態である。
(中略)
これがある限り、日本の共産主義化は困難と判断したユダヤ勢力は、「天皇制」を絶対悪として宣伝し始めたのである。
戦前はコミンテルンを通じて大々的に「天皇制」打倒のキャンペーンをした。
コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。
今日に至るも日本共産党が「天皇制」打倒、「天皇制」絶対悪論を振り回しているのは、そのためなのである。
ttp://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe801.html
朝鮮民族は自らを「小中華」と称し、甚だしくは中華文明の正当継承者であると自認している。
しかし、その実態は、大陸の袋小路である朝鮮半島に封じ込められた「生贄」の民族である。
彼らの特性は、如何なる外敵の支配にも抵抗しないが、併呑・同化はされないという点にある。
宿主たる征服者の体内に潜み、その内部を食い荒らし、滅びを加速させる。
そして、次の宿主たる支配者・征服者に取り入り、再び食い荒らすのだ。
支配者に同化されない為、彼らが独特の民族心理として培ってきたものが「恨」である。
支配者に対する潜在的敵意である「恨」という民族意識によって、
彼らは確固たる独自文化、独自宗教を持たずして民族としての生存を図ってきたのだった。
ttp://www.090ver.jp/%7eusoriro/osusume/osusume5/211-4.html
自らをエスタブリッシュメントである「中華文明の担い手」とする民族的錯誤、
更に「生贄」であることに気付かずに反日感情を煽られて自殺的行為に走る朝鮮人呪術師は多い。
しかし、根本的理由は朝鮮民族の潜在的な生存本能に負うところが大きいらしい。
強力な民族や国家に囲まれた弱小の朝鮮民族が、民族として生き残ってこれたのは、
「恨」の精神によって頑なに異民族との同化を拒んできたからだった。
しかし、最も関係の深い隣国である日本は、外来の技術・技芸、文化・宗教、そして人間までもその内部に取り込み、
強力に同化してしまう恐るべき特性を持っていた。
日本に渡った同胞は短期間で日本と言うブラックホールに飲み込まれ、日本人と化してしまった。
古来、日本に渡った者は「エリート」が多かった。
だが、そういった者ほど日本への同化、日本人化は早かった。
故郷を離れ、異国で世代を重ねながらも「朝鮮民族」である事にこだわりを見せるのは、むしろ低い身分の出身者が多いようだ。
日本人の目からは誇張に見える事も少なくないが、日韓併合は朝鮮民族にとって民族存亡の危機だったのだ。
朝鮮民族には他民族に併呑され同化されることへの本能的な恐怖がある。
そして、同化力の強い日本と言う国家・社会において朝鮮民族としてのアイデンティティの拠り所となるものは「国籍」位しかないのだと・・・
この特異な性質を持った日本と言う国を滅ぼす事、
日本と言う国家の起源とも言える皇室を打倒することは、朝鮮民族の民族的命題とも言えるのだ。
ttp://www.090ver.jp/%7eusoriro/osusume/osusume5/211-5.html
>>830-833 以上、コピペを長々と貼って済まなかった。
日ユ同祖論もあるなか、
ユダヤ人と朝鮮人のあいだに相似性を見出すという嫌なことをしてしまった。
いまはユダヤ人もこの策を捨てていると願いたいが、
この策を朝鮮人が引き継いでいる、のは確かだと思う。
以上の前置きがあれば、日教組の歴史教育が
なぜ「フランス革命」を異様に高く取り上げるのか、さも人類最大の業績のように謳うのか、
そのように感じる理由が分かるような気がするのである。
古代中世近代現代の歴史区分は便利とはいえ、そこには到達点という終末思想が感じられないか、
その到達点とは、「人類平等=皇室断絶」を目指しているのではないのか。
もしも、フランス革命を賛美するものがいると想像すると、
それがたとえ無自覚にせよ、激しい嫌悪感を感じずにはいられないのである。
835 :
世界@名無史さん:2009/10/05(月) 09:07:54 0
ああ、そう・・・
バブーフの陰謀にフーシェが関与している、
とタリアンがフーシェを告発したと昔読んだ記憶があるけど、
バラスも王党派対策にパンテオン・クラブを黙認し、続いて、
それがカルノーの強硬意見で閉鎖されてからもバラスは資金援助
をしていたとか。それらいずれも私自身が調べたわけではないし、
真偽はわからないけれども、総裁の多数が王党派対策に
パンテオン・クラブを放置しておいたのも(唯一カルノーが反対)、
その後もバラス(一説では+フーシェ)が支援していたのも
何もバブーフのクーデターを助けるためじゃなかったのだから、
事実であってもおかしくも何でもない罠。
ただ、詳しい方いらしたら、ご教授下さい。
837 :
世界@名無史さん:2009/10/06(火) 21:20:03 0
>>634 レナ金鉱事件とか黒百人組の跳梁とか、
普通に酷かったと思うけど。
うむ、帝政ロシアが良ければ第一ロシア革命も起きなかった。
後のボルシェビキ政権・ソ連と比較すれば遥かにマシだった
という主張ならば解るが、帝政ロシアが良かったという
主張は理解し難い。貴族、ブルジョワジー、コサックらには
良い体制だったのだろうが、他の者たち特に労働者や貧農にとって
良い体制であったら1905年も1917年2月も革命なんて起きなかっただろうし、
黒百人組に加わったり扇動されて、ポグロムで憂さ晴らし
するようなことも少なかったはずだし。
そもそもポグロムを煽るような体制のどこが良いのか。
バークは、絶対王政のフランスが良かったという主張はしていない。
フランス革命の結果は大きな犠牲を払うことになるとその年のうちに予言し、
実際フランス革命は恐怖政治と戦禍を招いた。
保守主義とは反動でもなければ停滞でもない。
ただ革命によらず、漸進主義によって社会を改革することを主張する。
むしろ革命こそその反作用としての反動を生むことになる。
保守主義とは、守旧ではなく、むしろ改革派なのであり、ただ
改革派を過激派に走らせず社会の漸進的な改革に取り込んでいく思想だといえる。
何故フランスで革命が起きることになったのか?
バークはそのことについて十分に自説を展開していますか?
私が知る限り「啓蒙思想」と「弁護士どもら革命屋」を非難ばかり。
第一、バーク自身 理想の強い人。信念を曲げないのは立派だが、
柔軟性に乏しいというか正直者というかピットと違って指導者の
器でも柄でもない。(国会議員だったが)あくまで思想家です。
彼は政治家にはあまり向かないし、国家指導者には逆立ち
してもなれないタイプだった。彼が非難した「思想で動く連中」と
同じく、いやそれ以上もぶきっちょだったかもしれません。
同じ反フランス革命でもピットは国家指導者として軽率な
言動が許されなかったし、反フランス革命を外に向かって
明確にした時期もシティの業者たちが大きな利権を持っていた
アントウェルペンがフランス軍に占領され、オランダに迫り、
さらに国王処刑という絶好のタイミング。
バークならばもっと前に思想で動いてしまったことでしょう。
正直な政治家がいるわけないでしょう(苦笑)
これは今の日本でもそうだし、古今東西どこに行ってそれは変わらない。
843 :
842:2009/10/07(水) 13:21:29 0
そもそも、思想がフランス革命を生んだわけではないんですよ。
フランス革命を起こすために啓蒙思想を利用したということです。
政治が主人であり、思想はその道具です。
思想は宗教やナショナリズムも含みます。
戦争ビジネスのためにナショナリズムを煽るということは今でも露骨にやっていますね。
>>842>>843 私はそのことを言いたかったのです。
バークは彼自身が哲学者だからかどうか、
フランス革命の際にもピットら自国政府が国益を最優先に考え、
フランスによる領土拡大を最も危惧していることに対して、
それよりもフランス革命の思想の危険性をより強く認識して、
早く対仏宣戦し、革命で出来た体制が完全に壊滅するまで、
対仏戦争を続けなければならない、と政府に迫っています。
思想家としてはそれでも何の問題もありませんが、
政治家としては国益よりも思想をとは?ですし、
(そうでなかったのだから良いのかもしれませんが)為政者には
向かない人だと思います。政治家としても彼が本領を発揮した
のは(ホモへの)残虐な刑罰の廃止、アイルランド政策の転換、
アメリカ独立支持などの主張といった野党の一国会議員としてです。
彼は哲学だの思想だのといったものだけで社会が動くと
でも本気で思っていたのか、疑問があります。
> 彼は哲学だの思想だのといったものだけで社会が動くと
> でも本気で思っていたのか、疑問があります。
そうですねえ。
もし本気で思っていたとしたら、彼自身が利用されていたということになりますが、
たぶんそんなことはないでしょう。
思っていたように装ったということだと思います。
ところで、私自身も「哲学だの思想だのといったものだけで社会が動く」とは思っていません。
「フランス革命を起こすために啓蒙思想を利用した」と上で書きましたが、
革命はの最大の原動力はばらまかれた膨大なカネでしょう。
イギリス自身がそれに関わっていたはずです。
しかしそれは絶対に表沙汰にしたくない。疑われることすらも避けたい。
だから、「哲学だの思想だのといったものだけで社会が動かした」と見せたかったのではないでしょうか。
>>845 なるほど。
あと、フランス革命が起きることになった一因として、
ピット政権下で産業革命が進展し、イギリス商品がフランスに
どっと流れ込んで、フランスの商工業が打撃を被って、
工業ブルジョワジーや比較的規模の大きい手工業者、さらには
貧困民衆もそれを放置している政府に不満を募らせていた、
また、ブルジョワジーは自分たちにとって不利益な制度(富裕でも貴族には非課税
なままで自分らに重税を課している税制など)を
改めることを強く求めていたと(故に国王の貴族への課税案を支持した)。
結局は貴族・僧族が課税に猛反対し、三部会が開かれ、
大紛糾し・・・となりましたが。
>>846 そんな説明もされていますね。
> ピット政権下で産業革命が進展し、イギリス商品がフランスに
> どっと流れ込んで、フランスの商工業が打撃を被って、
海外市場がイギリスに奪われたというのならまだしも、
国内市場を優位性のあるイギリス商品に開放したなんて馬鹿げていますね。
貴族は優遇されていたから、商工業者が主な税収源だったのに、
それを見殺しにするなんて、フランス政府はどれだけ無能だったのかということになります。
その説明を文字通りに受け取れば、の話ですが。
>>847 私も真偽のほどや程度はわかりません。
ある程度事実だとしても、政府が野放しにしたというより、
保護貿易を行えない重大なわけがあったのかもしれませんし。
それにしても、事実であればヤバい話です。
カロンヌのイーデン条約がきっかけだね。英仏の通商条約。
確かに何のために結んだんだかわからんね。
重農主義の立場から、これまでのイギリスとの商業戦争を終わらせて自由貿易を進めたかったみたいだけど、
工業化が全く進んでいないこの時期のフランスにとっては、
まさに19世紀の資本主義世界における先進国と後進国の帝国主義的通商条約に他ならない。
ごくごく一部の商業ブルジョワジーのみが儲けて、成長途上の産業ブルジョワジーや大多数の人民の生活には大打撃。
政治的に見ても、カロンヌは財政改革のためにただでさえ反動貴族や高等法院と闘争中だったのに、
その上この条約のせいでブルジョワまで敵に回すことになった。
1789年三部会の工業都市からの陳情には、この条約による損害を訴え、撤廃を求める声が沢山あった。
その後の革命政府は保護貿易主義に転じることとなった。
>>849 ありがとうございます!
それでは一部の商業ブルジョワジー以外は打撃を受けて不満(というより
悲鳴)が蔓延したのも無理もありません。
歴史にifはありませんが、この条約を結ばなければ、
少なくともあれほどには荒れはしなかったかもしれませんね。
出典を明らかに出来ないで申し訳ございません(フランス革命史の
多くの本に書かれていたと思いますが、私の記憶力と理解力が・・・)。
フランスの産業構造の歪さが最終的にはナポレオンの破滅につながるからね。
イーデン条約を結んでも、国内でイギリスに輸出できる原材料商品があれば良かったのが、
国内の主要な輸出品はワインと毛織物くらいで、どちらも思ったよりも輸出が伸びなかった。
輸出
4億5,000万フラン
輸入
5億2,000万フラン
収支
-7,000万フラン
これが革命勃発直前の状況。
ルイ14世以来の植民地争奪戦を繰り広げられるほど体力のなくなっていたフランスにとって、
この経済条約がイギリスとの融和につながると考えていたが、イギリス製品の国内への流入は
かえって国内の反英感情を増大させてフランス革命の一因になったんですよね。
革命期以降は、ブルジョワの保護・育成が命題となるけど、輸出額はこれ以降も伸び悩み、
ナポレオンの大陸封鎖令下でも原材料の不足から輸出額は鈍化し、
これがブルジョワの過剰な要求を生むことになってナポレオンの没落を招いてしまった。
結局、革命を始めたのもブルジョワなら、革命を終わらせたのもブルジョワの要求が大きな要因
なのかもしれませんね。
852 :
世界@名無史さん:2009/10/10(土) 15:58:36 0
民主党政権がジャコバン派だとしたら、
これから日本にナポレオンが現れるわけだが・・・。
そのジャコバン派とは
ジロンド派?
それともモンターニュ派?
はたまた、ダントン派かロベスピエール派?
それによって状況が変わる。
童貞野郎のところだろw
>>854 それだと、ロベスピエールに失礼だwww
民主党はどうみても似非ダントン派だ。
自民党はどうみてもジロンド派だったが。
と言うことは、歴史どおりに進んでいないのでナポレオンは現れない。
>>851 ナント勅令の廃止は痛かったね。
ルイ14世は祖父のアンリ四世を尊敬していたらしいけど、
なんで王国に安定をもたらした祖父の勅令を廃止したかね。
改宗したとは言っても祖父もユグノーだったのに。
フランス病があたまにまわったからじゃね?
858 :
1/3:2009/10/15(木) 08:52:25 0
山川出版 詳説世界史研究P354〜356より
良文なので全て載せる。
●フランス革命への問い
フランス革命から200年以上が経過した。その間、フランス革命は常に問い続けられてきた。
問われることで、フランス革命は政治や社会、思想や人々の意識に影響を与えてきた。
歴史にどのような問いを発するかは、時代や問う人のおかれている状況に左右される。
また、問いそのものが一つの思想的立場の表現であるといえる。
革命は何よりもそれを生きた人々にとって大きな事件であった。
理想や欲望が渦まいて、権力抗争や武力闘争がくりかえされた。日常的秩序が変化にさらされた。
生活の不安があり、未来への希望があった。
恐怖があり、情熱があった。
フランス革命では何が起こったのか。それがまず発せられる問いである。
無数の事件無数のエピソードのなかから、革命を特徴づける物を拾いだしたり、
革命の進展にもっとも大きな影響を持った事件を特定したり、ドラマとして興味・関心をひくものがくわしく説明されてきた。
出来事を組み合わせてフランス革命に関する多くの言説がつくりだされてきた。
フランス革命はアメリカ革命や19世紀の他の革命と比較しても、より広範で徹底した社会運動であった。
恐怖政治時代の権力の集中、政府と社会の徹底的再編成、階級間の闘争の激しさ、富や所得の再分配、富裕階級の無産市民に対する恐怖、
他の国に与えたセンセーショナルな反響、反革命や戦争の危機、反革命に対する際限のない疑惑、激烈で緊急な手段──、
フランス革命はそれまでにない激しい社会の変動を要求した。
しかし、出来事を多く語ることで革命がよりいっそうよく理解できるとは限らない。
出来事の複雑な森の中にまよいこみ、その全体像や本質的意味を失うこともある。
859 :
2/3:2009/10/15(木) 08:54:04 0
フランス革命はなぜおこったか。これも大きな問いである。
さまざまな要因が歴史家により拾い上げられる。
アンシャン=レジームの身分制度をはじめとするさまざまな不合理や矛盾。社会的・経済的な階級の対立。
ブルジョワジーの社会・政治の主導権への要求。特権にあぐらをかく無能な貴族・聖職者階級。
秩序や体制に不満を持つ階級や階層。凶作や不況で生活の不安にされされた農民・労働者。
財政の危機的状態・決断力に欠け、温厚ではあったが同時に無能でもあった国王。
それらが革命の原因として拾い出され、偶然の事件とそれらが組み合わされ説明される。
革命はおこるべくしておこったのか。それにかかわった人々の意図はどう働いたのか。解釈は多様である。
フランス革命は何をもたらしたか。この問いも多様な答えを引き出す。
さまざまな諸事件の連続の結果、旧制度はくつがえされ、資本主義の発達が促進され、ブルジョワジーが権力の座についた。
フランス革命は、「ブルジョワ革命」(市民革命)であるというのも答えのひとつである。
革命は旧制度を打ちこわし、王制を廃止し、政治の近代化をもたらし、自由・平等の理念を広めた。
革命は「権利の宣言」の理念に向かって時代を進めた。
ブルジョワジーはさまざまな規制から解放され経済上の自由を獲得した。しかし貧富の差は拡大した。
富の平等を目指した革命は挫折し、未完の革命はなお継続する。平等を目指す人々は「社会主義」に関心を向けることになる。
一方では革命は戦争をひきおこし、恐怖政治で多くの人々を虐殺した。
それは革命の理想を実現するための犠牲であったのか。
革命から導き出されたナポレオンの独裁は、フランスに栄光と悲惨のどちらをもたらしたか。
860 :
3/3:2009/10/15(木) 08:54:47 0
革命の総決算では、革命と帝政における戦争での領土の収支はほぼ差し引きゼロである。
ナポレオンが拡大したフランスの国境は、ウィーン会議で革命前の国境にもどされた。
革命期における人命の損失は、第一次世界大戦がフランスにもたらしたものをうわまわる。
1789年から99念の間の虐殺と戦争による死者は少なくみても60万、ナポレオン時代の死者は90万。
この間の人的損失はフランスの人口の5%である。ちなみに、1914〜18年の第一次世界大戦の場合の人的損失はフランスの人口の3.5%であった。
革命期からナポレオン時代に続く戦争はフランスの海上・植民地貿易を破綻させ、イギリスが7つの海を支配し海上輸送路を拡大するのを可能にした。
経済的総決算はマイナスかプラスか。革命はフランスの経済発展にどのような結果をもたらしたのか。
歴史への問いは次々に浮かび上がる。
さらに、革命はいつ終わったのか、革命の成果をいつの時点で評価するのか、
王政復古からパリ=コミューンにいたる政治変動は革命の遺産なのか、などの問いがある。
また実際に革命によってフランス人は幸福になったのか、あるいは豊かになったのか、政治や社会秩序の安定がもたらされたのか、
という素朴で根本的な問いもあろう。
1794年のテルミドール9日のクーデタは革命を終わらせたのか。恐怖政治という逸脱を是正して革命を本筋にもどしたのか。
それとも1799年のブリューメル18日のクーデタでナポレオンが宣言したように、革命は当初の目的を達成し終わったのか。
ナポレオン体制が革命の帰結であるとすると、ナポレオンの没落、すなわち1814年の彼の退位または1815年のワーテルローは革命の破産であったのか。
王政復古は立憲君主制を確立しえず革命を否定し、1830年、48年まで革命は継続されたのであろうか。
歴史への問いの答えはひとつではないであろう。きわめて説得的な説明ですら、観点を変えれば整合性を失う。
時代の変化はというの意味を変える。
しかし、問い続けることで歴史の内容は豊かになり、歴史はさまざまな側面を見せるのである。
861 :
世界@名無史さん:2009/10/16(金) 15:17:29 0
ナポレオンがモスクワまで進軍して逆に進退きわまったとき、思い切って
占領地の農奴解放令を出していたらどうだったかな?ポーランドの貴族との
関係等を考えて出せなかったなんていうけど、苦し紛れにそのような布告を
出していたら、最終的にはナポレオンが敗退しただろうけど、ロシア側も対抗
上同じような布告を出さざるを得なくなり、同時代にプロシアで行われたのと
同じような改革が行われて、ロシアの近代化はもっと早く進んだかも。
>>861 社会の実態が追いついていないんだから、いくら上から近代化しようとしても無理に決まってるだろ。
863 :
世界@名無史さん:2009/10/16(金) 18:12:25 0
歴史には上からの改革が社会に一定の刺激を与えるという事もある
少なくとも即効性はありえない
865 :
世界@名無史さん:2009/10/16(金) 19:54:23 0
即効性はなくても早めることはありうる。もし農奴解放が1812年ごろ、つまり
現実より50年早くおこなわれていれば、歴史の進歩を20年早めたかもしれない。
1913年のロシアはともかくも米独英仏に次ぐ工業国で議会が存在し、徴兵検査
を受ける青年の三分の二は読み書きができるようになっていた。
そのような段階に19世紀末には到達していたかもしれない。
そしてその後さらに20年経済成長がつずき、学校教育の拡大や議会政治の経験が
蓄積されていたら、1917年の革命は2月革命までで、10月革命はおこらなか
ったかもしれない。
少なくともナポレオンには何の得も無いな
867 :
世界@名無史さん:2009/10/16(金) 21:41:09 0
苦し紛れにそういう布告をしたことはありうる。
>>859 >革命は旧制度を打ちこわし、王制を廃止し、
皇室の否定に繋がりそうなので、全力で否定。左翼の喜ぶ台詞でしかない。
少なくとも皇室は国民との間に搾取被搾取の関係にあるのではない。
>政治の近代化をもたらし
無知な民衆に政治参加させて衆愚政治にまっしぐらですな。
>自由・平等の理念を広めた。
無制限に、「自由・平等の理念」を広めたことは、社会不安をより増やしただけだ。
難民受け入れを認めたがゆえの今のEUの惨状から目をそむけるべきではない。
君主は民衆を苦しめるものであり、打倒すべきものである。
という革命の大前提こそが唾棄すべきものだ。。
臣下国民が守りぬいてこその君主だろうが。
>臣下国民が守りぬいてこその君主だろうが。
それが機能していなかったから革命になったんだろ
871 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 11:50:55 0
>>869 馬鹿すぎ。守る価値もないから打倒されたんだよ
革命初期にはロベスピエールでさえ立憲君主政に賛成していた。
ルイが処刑されてフランスが共和政になったのは、全ては彼が国民を裏切って通牒したり亡命しようとしたから。
身分にあぐらをかいて自分の勤めも果たさず片務的義務を押しつける存在こそ打倒されるべき悪徳だ。
872 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 12:37:17 0
テルミドールって、実際には保守派や穏健派のクーデターってわけじゃないんだな。
ジャコバン派で地方で恐怖政治の尖兵やってたやつが、出先で暴走したのを処罰されるのを恐れて、
先手をうってロベスピエール一党を始末したんだっけ?
873 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 14:29:13 0
しかし、1789年まで王様や貴族が治めてた国が、たった3、4年の間にロベスピエールみたいな連中が
公安委員会なんて称して恐怖政治を行う国になるなんて、当時の人間も思いも寄らない事態だったろうな。
>>860 >革命期における人命の損失は、第一次世界大戦がフランスにもたらしたものをうわまわる。
これは驚き。
フランス人の死亡数は
フランス革命(ナポレオン時代含む)>WW1>WW2 なのね
もしかしてフランス史上最も多くフランス人が死んだ事件?
「虐殺と戦争の犠牲」とか言うけど、数だけ見たら明らかに戦争による被害者が大半を占めてるんだけどね。
WW1は4年だが革命戦争は20年。
876 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 19:13:30 0
アビニョンの橋で 踊るよ 踊るよ
アビニョンの橋で 輪になって 組んで
橋の上で 踊るよ 踊るよ 橋の上で 輪になって踊る
男も通る 女も通る
橋の上で 踊るよ 踊るよ 橋の上で 輪になって踊る
坊さんも通る 兵隊も通る
877 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 21:57:34 0
いくらなんでも、王族の墓を暴くのはやりすぎ。中国や朝鮮みたいで。
自分が受け付けないだけなら結構だけど
儒教圏で父祖の墓に大きな宗教的意味がある中韓と比べるのは間違ってる。
>>873 バークは1789年のうちに予想していたけどな。
まあ革命騒ぎを引き起こしたルイ王朝が不徳だったということだ。
ヤマト王権では起こるべくもない。
君が代万歳!
>>871 >国民を裏切って
そんな事言ってもなぁ
国民より他国の王家の方が血縁としては近いし
ルイ16世にとっちゃ、オーストリアは嫁さんの実家
何かありゃそっち頼るだろw
大体ルイでもバチカンでも衛兵はスイス人傭兵
国民や自国の軍隊より金で雇った傭兵の方が信用できる時代なんだからw
「お国のために命を捨てる」のがカッコ良いと思ってもらえば都合が良いから
ナショナリズムを植え付けた。
そういう側面も革命にあるよな。
当時の王様に「国民を裏切って」なんて意識は少しもないし、
だいたい国民の側にも裏切られたという思いがあったかどうか。
「国民」という意識がそもそもなかったんじゃないだろうか。
「中国社会主義革命の代償がどのようなものであったにせよ、それが成功したのは明らかだ。
革命によって、より能率的で献身的な政府が生まれたばかりか、気高い精神と目的指向型の
地域社会とが育まれた。(中略) 毛沢東主席の指導下で展開された中国の社会実験は、
歴史的に見てもきわめて重要で、しかも大成功を収めた一例である。」
デービッド・ロックフェラー、一九七三年
ナポレオン時代の90万人ならその1/3がロシア遠征で死んでることになるな
おそロシア
886 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 15:09:34 0
公安委員会での実務はカルノー、サン・タンデレ、ランデ、
ビヨー・ヴァレンヌ、カンボンらが行っていたから、
ロベスピエールは暇だったのかな?
887 :
886:2009/10/20(火) 15:13:54 0
○>サン=タンドレ
×>サン=タンデレ
カンボンじゃなくヴァレールか。
最高存在の礼拝→敬神博愛教
ナチの先祖w
890 :
世界@名無史さん:2009/10/20(火) 23:00:24 0
エドガー・スノーは1941年に「日本で革命が勃発するのは確実」と言い、
次のように「予言」した。「人類の歴史に比類のない、野蛮で血なまぐさい
残虐な内乱が見られるであろう」。
エドガー・スノー「アジアの戦争」より
>エドガー・スノー
この世で最低最悪の存在は共産主義工作員でしょうね。
本人が真剣で工作活動によって「善」を為していると信じている救いがたい俗物だね。
>>888 敬神博愛教(愛神教)はパリでは一時流行って、
王党派・カトリック勢力を牽制したい総裁政府の
後押しも受けたことからカトリックは危機感を抱いたらしいね。
ただ、無神論的理神論の理性崇拝からルソー流有神論の
最高存在(神)の礼拝へ、キリスト教色を強くした敬神博愛教へと
次第次第にキリスト教回帰へと向かっていたのがわかる。
そうしてナポレオン時代にカトリックが復活。
敬神博愛教の主催者の1人は総裁の1人じゃなかった?
民間人のベルナルダン・ド・サン−ピエールやドヌーがいたけど。
俺も当時のフランス都市民で尚且つある程度の知識があったら
そういった市民宗教に惹かれたと思う。
カトリックじゃ革命と合わないし、かといって理性の崇拝じゃ
無味乾燥(当時の者なら神さんがいないのは不安だろう)。
19世紀の英米やドイツのインテリだったらユニテリアン・
ユニヴァーサリズムや自由主義神学に惹かれたと思う。
もっとも、今インテリでない俺がそんな昔にインテリだった
可能性はゼロだけどね(苦笑)←多分に文盲・半文盲。
サンテール、マイヤールらと共に9月虐殺を現場指揮した
民衆指導者の一人で肉屋のルジャンドルと国民公会議員で
ダントン派のルジャンドルとは別人?
後者はダントン派だけど逮捕は免れたはず。
一週間ぐらい見られなかったからレスを読んでみたけれど、
民主党はジロンド派。自民党がフイヤン派、って感じかな。
社民党がまともな大政党だったらばあれが山岳派かな?
時代も国も全く違うから当てはめることは無理だけども。
あと、ナポレオンに相当する人物が日本に現れないのは、
時代背景の違い以外に、我われ日本人が英雄だの独裁者だのを
昔から今に至るまで好まない国民性なのも一因だと思う。
一人に強大な権力を持たせることは危険だから良いことなのかも
しれないし、それとも我われが出る杭を打つ【ムラ社会】的な
考え方であまり良くないことなのか、長短あるのかなぁ?
「週刊誌の作り方を知ってるかい?
強きをけなし弱きをわらう。
勝者のアラさがしで庶民の嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついて大衆にささやかな優越感を与える。
これが日本人の快感原則にいちばん合うんだな」
「卑しい国民だ。」
「だから革命家も独裁者も出現しないんだよ。いい国じゃないかまったく。」
(「機動警察パトレイバー」より)
王政を徹底的に毛嫌いした共和制ローマも行き詰まったら
一世紀くらいかけて帝政を確立しちゃったけどね
898 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 12:49:32 0
>>890 家永三郎はスノーの「アジアの戦争」から余程感銘をうけたらしく、
この本を絶賛した文章を書きまくっていたな。
戦後〜60年代のインテリは親共・容共、反共を問わず
共産主義が世界を席巻すると思っていたから仕方ない部分はある。
共産主義に理想を膨らませるか、あるいは逆に必要以上に
共産主義の拡大を過大して危険視するか。
フルシチョフによるスターリン批判でスターリン時代のソ連の
内実がある程度は暴露され、更にそのフルシチョフも
ハンガリーに武力介入し(ハンガリー動乱)、
左翼知識人はそれらに衝撃は受けても「スターリンの政策や
ハンガリーへの武力介入は過ちだが、資本主義や米帝よりかは
マシだ。ましてや、まだ共産主義ではなく社会主義の段階。
そのソ連の社会主義もスプートニクを見ればわかるように
飛躍的な発展を遂げているではないか」のように思うか、
あるいはトロツキー、ローザ・ルクセンブルク、労働者反対派の
思想に傾倒したり(特に社青同解放派・革労協)、
人によってはティトーに、人によっては毛沢東に、
あるいはゲバラに惹かれた。
全国社会主義研究会・社会主義労働者党(マルクス主義同志会)の
林紘義(日本人)はスターリン批判、ハンガリー動乱後−というか
林自身は60年安保闘争の挫折後にだが−に
ソ連や中国を「あれはスターリン主義なる国家資本主義であって
社会主義ではない」と言い張り、
人やセクトによって見解は違ってもマルクス主義にこだわった。
また、反共主義者もソ連・中国の脅威の他に国内の左翼運動が
赤色革命になると本気で危惧していた人が大勢いたし。
>>898 何でその手の人物って、ロベスピエールや毛沢東の様な
大量虐殺魔に惹かれるのだろうか?
901 :
世界@名無史さん:2009/10/21(水) 23:33:10 0
1975年にインドシナは共産化したけど、その後は中越戦争やポル・ポト
による大虐殺で大変だったよな。そこで文部省は教科書に「その後のインドシナ
では深刻な問題が生じている」と書くべきではないかと家永三郎に提案したところ、
家永は「共産主義への不信感を煽ろうとするものであり。憲法違反」と言って拒否
して、結局「微妙な問題」という表現で妥協したそうだ。
家永三郎は太平洋戦争の犠牲者について語るときは、わざとらしく嗚咽してみせる
そうだが、ポル・ポトに殺された数百万人についてはどう思っていたのかな。
>>900 気に入らない奴や文句言う奴を皆殺しにして
俺様中心の理想国家を実現するなんて
そりゃ市井にくすぶってるインテリにはたまらないだろw
なんで歴史の真理を知ってる俺を周りは崇めないんだって思ってるんだからなWwww
家永三郎大先生に向かってこともあろうに「市井にくすぶるインテリ」って・・・
史学も修めてない人間がなんでこの板にいるんだ?
ほんとネットウヨって物知らずなくせに厚顔無恥なレスするよな
>>903 大先生たって結局それだけ、日本で革命は起きなかった
ソ連も崩壊して思想的にも終了
戦前は教育勅語マンセー、戦後は反権力マンセー
必死に時流に乗って、権力や運動に阿ったが
結局便利な御用学者で終了。
ルイセンコみたいに俺様を批判する奴はシベリア送りだ
なんて夢のような学者生活は送れなかった訳だw
もう十年早く死んでれば向坂逸郎みたいに死に逃げ出来たのにw
本人はソ連崩壊前に死んでオルグで引きずりこまれた
弟子や同僚がソ連崩壊で晒し者にw
必死に向坂のケツ拭いてまわる羽目にWwww
ロベスピエールとレーニン、スターリン、毛沢東、はたまた
ヒトラーを同類に扱う人がいるがそれは意図かそうでないかを
問わず誤りだ。仮にロベスピエールが彼らのような独裁者に
なりたかったとしてもなれなかったし、そうではなかった。
だからテルミドールのクーデターで簡単に断頭台送りになったわけ。
右翼はあまりにロベスピエールを否定し過ぎ。
ヒトラーみたいにロベスピエール、マラー、ダントンを
高評価していた人もいたけれども(「我が闘争」を参照)、
それはそれで人格論での歴史人物評価に偏っている。
907 :
世界@名無史さん:2009/10/22(木) 10:48:42 0
終戦直後伊藤律は旧制高校の昔の仲間に「もうすぐ革命政府が成立する。
そうなればお前たちがまだ課長の時、俺はもう大臣になっている」と言った
そうだ。井上清も同じころ「俺にさからえばいずれはギロチン台だ」と放言
したといわれる。秦郁彦が家永の思想転向を批判した時、家永三郎は「私に
は教科書裁判の支援者が2万人いる。彼らが何をするかわかりませんよ」と
言ったそうだ。これが「革命家」「進歩的文化人」のもう一つの顔。
>>906 同意。
そもそもロベスピエールが目指したのは中央集権という権力の独裁であって、
個人の独裁ではなかったというのが何故か理解されていない。
公安委員会に権力が集中していったのは、小市民の支持を受けたエベール派の
要求による極左政策を実行するための必要措置であって、それはロベスピエールが望んだわけじゃない。
ナポレオン〜獅子の時代〜でカルノーに言わせていた「法律を守れ!」はロベスピエールのセリフだよ。
法律を守ろうとしていたから虐殺という無法を行う民衆蜂起を嫌い、事前にそれを押さえるために政府による
法に基づいた恐怖政治を継続させた。そのやり方が正しいか正しくないかは別だが、ジロンド派が傾けた国内の
統率には必要なことだった。しかも、軍隊の力に頼らないやり方で。
個人に権力も暴力も集中させていないから、最後には簡単に首を落とされてしまった。
恐怖政治の中で一番生き生きしていたのはテロリスト議員とサン=ジュストだろう。
サン=ジュストは、最後に思い違いをしなければ、ロベスピエールを見捨てて、それこそ独裁者になっていたと思う。
補足。
反論を言い、気に入らないから片っ端から皆殺しにしたということはない。
ロベスピエールが明確に法を無視したのはルイ16世の処刑。
時間をさかのぼって法は追訴出来ないという原理を弁護士の彼は無視をした。
910 :
世界@名無史さん:2009/10/22(木) 22:38:17 0
レーニンも弁護士出身だが皇帝一家を裁判にもかけずに殺害した。
ロベスピエールとヒトラーは同類なんじゃないか?
ヒトラーは自分が権力を握るのが目的というより、自分の理想を実現させるために力が必要だったんだろ?
912 :
世界@名無史さん:2009/10/23(金) 11:40:06 0
家永三郎や井上清だって自分が権力を握っていたら何をやったかわからない。
ヒトラーの同類候補はもちろんナポレオンだが、
他にはチャーチルや毛沢東も、破壊王という点で近いだろう。
特にチャーチルとは思想的にも近い(謳っていただけかも知れないが)。
914 :
世界@名無史さん:2009/10/23(金) 18:03:08 0
地獄への道は正義と善意によって敷き詰められている
915 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 00:57:34 0
1881年にロシアでアレクサンドル2世が暗殺されたけど、全く愚劣な行為
だったね。アレクサンドル2世はともかく改革への意思をもっていて、うまくいけば
ロシアにおける立憲政治の出発点になりえたかもしれない勅令に署名した日に暗殺されたんだぞ。
ロリス・メリコフの改革案というやつだ。暗殺の結果は反動的なアレクサンドル3世を即位させただけ。
もちろん改革の勅令なんか撤回さ。アレクサンドル2世を暗殺した連中は結果論的には歴史に悪影響を
もたらしたのかもね。
916 :
世界@名無史さん:2009/10/24(土) 01:06:06 O
自民党の立案可決した法案を凍結という名のギロチンに尽くかけるミンス政権はジャコパン並みの恐怖政治執行者だな!www
>>873 官僚統治国家がわずか一ヶ月で独裁政権になってしまった国が21世紀にもあったそうだ
918 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 01:23:15 0
貧しい人達の怒りの声が暴動に繋がりフランス革命が勃発した。
結果、政局は混乱し有効な経済政策は打ち出せず、国民の暮らしは更に貧しくなった。
現代においてもどこかの国でありそうな話だな。
革命は剣ではなくペンで行われたが。
919 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 15:40:56 0
1961年に出た中央公論社の旧版「世界の歴史」の第12巻「ブルジョア
の世紀」のパリ・コミューンに関する章はマルキストの歴史家が書いたものだが
コミューンが鎮圧された後、いかに過酷な処罰が行われたを強調して「流刑にな
ったものは、ニューカレドニアに送られ、そこで苦難の日々を送らねばならなか
った。」と書いている。ニューカレドニアに送られた連中はその後どうしたか
知ってるか? ニューカレドニアで先住民の反乱が起こったとき、それを鎮圧する
のに奮闘してそのおかげで大赦されてるんだぞ。当時のマルクス歴史家はそんな事
には無関心だったらしい。
そういやパリ・コミューンのスレって無いね
>>908 同意!
私がうまく言えなかったことを見事に!
サンテールが恐怖政治時代に何故かオルレアン派として
逮捕され、テルミドールのクーデター後に釈放されてからは、
政治運動から身を引いて稼業(ビール醸造業・酒卸売業)に
専念したとは聞いているけれど、
マイヤールは恐怖政治時代orテルミドール後にどうなったのかな?
エベール派、ダントン派を相次いで粛清した後に公安委員会は
ジャコバン・クラブ以外のパリの政治結社・討論クラブを閉鎖し、
活動家たちを逮捕したと聞いたけれど、マイヤールも逮捕されたのかな?
20年ほど前に読んだ本(題名失念)では1794年5月没と
記されていた記憶があるけれど、ネットをグッグっても
なかなか出てこないからなぁ。
922 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 00:58:35 O
インド洋給油=ギロチン
ヤンバダム=ギロチン
アニメの殿堂=ギロチン
子育て支援=ギロチン
母子加算打切=ギロチン
新東京国際空港=ギロチン郵政民営化=ギロチン
来年度補正予算=ギロチン
オー!恐い!恐い!wwwジャコパン顔負けだな!w
>>922 ミッテラン政権、スウェーデンの社民労働党政権、
かつてのイギリス労働党政権やドイツ社民党政権と比べりゃ
日本の民主党政権がどれだけ金持ち寄りで、お前らウヨクソにも
楽チンチンな政権だってーことがわかんねぇーのけぇ?
そんなに民主党政権が嫌なら日共政権がいんじゃねぇけぇ?w
924 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 22:15:30 0
フランス革命時のフランス人はマジで怖いなぁ
925 :
908:2009/10/27(火) 22:37:50 0
>>921 マイヤールは病没というのがこのスレにも出ていましたね。
市民革命家は、テルミドール直前には、ほとんど処刑・失脚しているので、
生きていたとしても、さほど影響はなかったでしょうね。
ちなみに自分は民主党は好きではありませんが、今のところやっていることについては
実に巧みだな……というのが感想です。政権を維持すると言う目的として。
自民党が支持を失ったのは、やはり首相を政党内の問題でコロコロ変えたのがいけなかった。
民主党に指示がまわっているのも、政権交代という題目よりも、どうせ悪い方向に行くとしても、
自分たちで選んだ政党にかけてみたいという気持ちが国民の中にあるからでしょう。
モンターニュ派が支持を得られたのも、同様な思いがあったからにほかならない。
そして、国防と外交、憲法と司法……これらは革命期には重要な要素だったけど、今の日本では
国民の中で対した問題になりえない。だから、普天間基地がどうやらというのは指示に影響しない。
沖縄県に詰め腹切っても日本の大部分の人間は困らないのですから。
厚生労働大臣がインフルエンザ予防接種に無頓着でも、病気にかかって人間が悪いと考えるのが
まず最初だから、気にならないんです。
経済さえしていれば問題ないんです。25%削減も、誤ってすむと思っているのです!
>>925 沖縄や対馬はアルデンヌにはなりそうにないものなぁw 地理的にも心情的にも。
住んでる人には申し訳ないが、人口的にも有権者の数でも本土とは比較にならないわけだし、
割譲したところで「日本国民」にとっては何の感情も起こらないでしょうしね。
>>925 サンクスです!
やはりマイヤールはテルミドール前に病没していたのかも
しれませんね。そうでないとしてもサンテール同様に投獄され、
テルミドールで釈放された後は政治運動から身をひいたとか。
アンラージェのヴァルレ(こちらは1793年9月逮捕)同様に
釈放後の消息は不明かもしれませんし。
ただし、ヴァルレが1832年没との記録もあるようにマイヤールも
1794年4月没と記されたものもあって、いずれにしても
政治運動から身をひき、名無しの権兵衛になったわけですし、
まして昔のこと、その後どうなったかなどはっきりとは
わからない方が普通のことなのかもしれません。
民衆活動家・アンラージェ・エベール派から王党派まで、
恐怖政治を獄中で何とか生き抜いたものの
テルミドールで釈放された後は多くの人が政治運動から身をひいていますね。
何せ昔の監獄はとてつもなく不衛生だった上、
大量投獄でパンク状態だったようですから、
懲り懲りしたのでしょう。ただでさえ、燃え尽きた?のでしょうし。
巻き添え規制を喰らってPCからカキコできず、
ケータイからの長文済みません。
>>908を含め
>>925さんのレス、明日PCでじっくり読ませて
いただきます。
>>925 ケータイから読ませていただきましたたら、
>>925さんは
>>908で私にレスしてくれて、
私も読んでレスしていたのですね、orz
サン−ジュストについても同感です。
彼は1794年春頃から革命に失望し次第に厭世気味になっていた
とも言われていますが、少なくともそれ以前は
山岳派の中でコロー、ビヨーら極左と同じように
恐怖政治に生き生きしていたように感じられます。
多分、革命並びに恐怖政治に失望し始めたのは、
自分が信じていた「美徳と恐怖」のうち恐怖(恐怖政治)だけ
実現し、議員から民衆まで美徳(徳性)が理解されなかった
からでしょうが、仮にそういう理由だとすれば、
やや自分勝手な気がします。
彼はロベスピエールよりも恐怖政治を推進した人ですし、
また、それで美徳(徳性)も多くの人に備わるなど彼や
ロベスピエールの考え方に過ぎませんから。
また、ロベスピエールも古代共和制ローマなど
古代民主政治やルソーの思想を理想とはしていましたが、
サン−ジュストのように古代スパルタを模倣とした社会制度・
教育など考えもしなかったと思いますし、
ヴァントーズ法の農地分配案もサン−ジュストの着想です。
マルクス曰わく「巨大な錯覚」。
>>925 しつこく済みません。
私は先の選挙で小選挙区も比例も民主党に投票しました。
それは民主党支持者だからではなく、自民党があまりに
わけのわからない、ビジョンの見えないことを続けているので、
一度下野した方が良いと思いまして。
しょっちゅう総裁=内閣総理大臣が変わるのも理由の一つでした。
ただし、民主党は民主党で寄せ集め所帯ですし、
内紛が起きるのでは?、政策がまとまるのか?と不安でしたし、
ありゃ?自民党に先駆けて新自由主義を唱えていたのは
民主党(旧社会党右派系はともかく)じゃなかったっけ?
と、かつての主張とマニフェストとの違いにアリャマァとも
思いましたが、自民党への不信感がそれを上回りました。
今も民主党並びに鳩山政権を熱烈に支持しているわけでは
ありませんし、正直大して期待はしていませんが、
まだ出来たばかりなのだから今から非難する
人は筋金入りの自民党支持者や利権絡みの人か、
あるいは、直ぐに結果を欲する人かとしか思えないのです。
それにしても、民主党も昔から一貫して主張しているのは
脱官僚依存政治、脱族議員政治ぐらいで、
他は善し悪しはともかく主張が大分変わりました。
>皆さん
ケータイから連チャン長文カキコ済みません。
私はここをブログと勘違いしていますね<(_ _)>
書き忘れたことがありまして。
エベール派は文句なしに極左ですが、
マラーやアンラージェが自分たちのプログラムを民衆に提示し、
必ずしも民衆の支持を得られないことでも主張し続けた
(マラーなら最高価格法反対、アンラージェなら女性参政権)
のに対して、エベール派は明確なプログラムは示さず、
民衆が要求することをそのまま強く主張する戦法をとって
いたとも聞きます。あるいは、ゆきずまると、
外国人労働者排撃や「人民を搾取する」ユダヤ人攻撃を
主張して支持を回復したり、人気取り最優先の
ポピュリストたちだったとも。うまいと言えばうまいですね。
ただ、兵器工場労働者のストライキを支持したり、
(これは公安委員会の捏造かもしれませんが)ついには
国民公会並びに公安委員会への蜂起を訴えて、
自滅してしまいましたが。
つい半年前にアンラージュ弾圧にエベール派が手を貸したように
ビヨー、コロー、アマールら山岳党極左派がエベール派弾圧に
手を貸したこともエベール派には致命的なことになりました。
931 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 03:19:17 O
過去の歴史の流れからだと
自民党に失望した有権者がミンス政権を誕生させる。=ジャコパン恐怖政治
ミンスに失望した有権者が反動化し自民党政権が復活=テルミドールの政変、
即ち、総裁政府の誕生
しかし、復活自民党も腐敗脆弱で不人気、ミンス&赤に左右される不安定政権。
カリスマ性を帯びた英雄、Mr.Xが国民の前に登場し、完全独裁政権が誕生する。=コルシカ島の英雄登場。
って感じかな?w
932 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 17:52:59 0
江戸時代の予言書にも、偉大な指導者が現ると書かれている。
をのこ草子
「今より五代二百五十年を経て、世の様変わり果てなむ。
切支丹の法いよいよ盛んになって、空を飛ぶ人も現れなむ。
地を潜る人も出て来べし。風雨を駈り、雷電を役する者もあらん。
死したるを起こす術も成りなん」
さるままに、人の心、ようやく悪くなり行きて、恐ろしき世の相を見つべし。
妻は夫に従はず、男は髪長く、色青白く、痩せ細りて、戦の場などに出て
立つこと難きに至らん。女は髪短く、色赤黒く、袂なき衣も着、淫りに狂ひて、
父母をも夫をも、其の子をも顧みぬ者、多からん。
よろづ南蛮の風をまねびて、忠孝節義はもとより仁も義も軽んぜられぬべし。
かくて、いよいよ衰え行きぬる、その果てに、地、水、火、風の大いなる
災い起こりて、世の人、十が五は亡び、異国の軍さへ攻め来たりなむ。
この時、神の如き大君、世に出で給ひ、人民悔い改めて、これに従い、
世の中、再び正しきに帰らなん。その間、世の人狂ひ苦しむこと百年に
及ぶべし云々」
う〜む、日本でそういう指導者が出るのかなぁ?
戦後民主主義云々以前に昔から日本ではそういった特定個人は
現れなかったし、素質は十分でもカリスマ性で個人独裁をすると
皆からソッポ向かれるのがわかっていたから、控えたり、
あるいは抹殺されてしまってきたし。
善し悪しの問題じゃなくてね。
934 :
908:2009/10/28(水) 20:54:16 0
スレ違なんでこれくらいで最後。
日本に個人独裁は不可能。
っていうか、政治に潔癖主義を求め、儒教思想が根強く残っている日本で
個人独裁をするには軍事力しかないのですが、軍はしっかり文民統制です。
質問なんですが、サン=ドニの大聖堂が暴くのを命じたのはパリの蜂起コミューンではなく、
国民公会が行ったのでよろしいですよね?
誰の発案かもちょっとわからないので、詳しい方がおられましたら、ご教授いただけると幸いです。
>>934=
>>908 同感です。
かといって日本は中国みたいな神仙皇帝思想のようなものが
ある(あった)わけではありませんし←天皇の存在も一因かな?
確かにスレ違い過ぎるので私ももう止めます。
私もサン−ドニ墓暴き事件に興味があります。
ところが肝心なこと、つまりコミューンの指示だったのか
それとも国民公会の指示だったのかを忘れてしまいました。
誰かご存知の方おられましたら、お教え下さい。
天然痘で崩御したルイ15世の亡骸が恐ろしく腐敗していた
そうですが、ルイ14世、アンリ4世(3世だったかな?)の
亡骸は逆に信じられないぐらい保存状態が良く、
墓暴きに加わった将兵の一人はアンリ4世(3世?)の口髭を
付けて出征したとか(←その真偽はともかく)、
そういった、どうでも良い話は記憶にあるのですが(苦笑)
ただ、サン−ドニが当時はパリ市外だったことからすると、
コミューン(パリ市評議会)の権限は及ばなかったような・・・
エベール派が蜂起宣言したのであれば彼らを
告発、処刑したのは無理もないが、罪状が蜂起じゃなくて、
外国人陰謀家(とされた人たち)との共謀にデッチ上げたり、
シャツの窃盗にしたり、さすがはロベスピエールたちも
政治家だけあって姑息でやり方が汚いな。
それはフーキエが、と言う人もいるだろうが、
そのフーキエを使っていたのはロベスピエールら公安委員会だし。
あと、蜂起計画には加わっていなかったはずのショーメットや
クローツのことまで処刑したことは、
蜂起宣言をしなかろうがいずれはエベール派を抹殺しようと
していたからだろう。前年9月にアンラージェを一斉逮捕して
投獄したのも、エベール派退治に続き民衆運動家を一網打尽に
したのも「法と秩序」を守るためだろうが、
あまりに厳し過ぎるし、ロベスピエールたち自身が1792年8月
といい法を守っていないし、9月虐殺はダントン、マラー、ペティヲンが
責任者とはいえ、ビヨー、コロー、タリアンらもこれを絶賛し、
ロベスピエールも批判はしなかった。
かつて無法行為をしてきた人たち−タリアンやコローは
当時も現在形−が法だ秩序だと言っても説得力ゼロだが、
政治家らしい罠。
ほとんどの人たちが騒ぐことなく断頭台にかかったらしいが、
デュバリー夫人やデュシェーヌ親父みたいに皆も大騒ぎ
していれば、少なくともプレリアル法は可決されなかった
かもしれない。ロベスピエール、サン−ジュスト、
コロー、ビヨーらはフーシェやバラスみたいな日和見で殺人狂の
腐敗分子と違って、強固な信念を持っていたようだが、
日本語の信念からして【信ずるに念ずる】の意味だし、
独善、冷酷、暴虐に陥り易い。
ロベスピエールは個人独裁を行ったわけでもないし、全てが
彼の責任ではないが、公安委員会ならばカルノーやランデが、
他の議員ならば平原派、ジロンド派残党、山岳派右派が
もっと早くにロベスピエール派や山岳党左派のやり方に
抗議していれば、フーシェ、バラス、タリアン、コロー
といった大量殺人者たちにリードされたクーデターなしに
恐怖政治を少なくとも大幅に緩和することが出来たはず。
そういった議員たちも議員である以上、怖かったからじゃ
済まされない責任がある。
恐怖政治の行き過ぎに内心は反対でも口にせず、
恐怖政治を助長させたのだから。
シエイエスやボワシー・ダングラスはその典型。
保身第一のおぞましい政治屋。
プレリアル法を成立させる口実となったのは、
1794年5月にロベスピエールとビヨーを狙った王党派貴族による
暗殺未遂事件だか暗殺計画発覚だか。
あくまでも口実だろうが、事件そのものは事実。
ロベスピエールもビヨーも暗殺されれば良かったのに。
939 :
豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/11/05(木) 15:23:45 O
ハンナ・アーレントはアメリカ独立は欧州にほとんど影響を
与えず、また破壊的ではなかった、と言ったが、
それは正しいし、昔から言われていることだし、
フランス革命とロシア革命が破壊的でヨーロッパの歴史に、
更にロシア革命は世界の歴史に破壊的な影響を与えたと
言うのも頷けるが、フランス革命とボリシェヴィキ革命とを
同列に扱うのには無理があるし、フランス革命とその推移での
ルソーの思想の影響力を過大視している。
また、ロベスピエールを個人独裁者と誤った見方をしている。
彼女は哲学者だからか否か、その時期の経済や対外情勢を
歴史を語る上で重視せず、思想の影響力を過大視し過ぎていて、
歴史学になっていない。そもそも歴史学者でもなければ
経済学者、政治学者でもないが。
これは俺の勘違い、思い込みかもしれんが、
彼女のように思想の影響力を過大視する歴史観は
フロイト、ユングの心理学とかいう似非科学と
同じように学問に良くない影響を与えた。
例えばハンナ・アーレントは山岳派の恐怖政治を説明するのに
当時の壊滅的な経済状態、対外戦争、内乱を意図してか否か
語らずに、ひたすらルソーの思想とロベスピエール個人を問題視。
940 :
908:2009/11/06(金) 19:50:49 0
>>934 で墓暴きを質問したのは、法と秩序がモットーのロベスピエールや
寛容をモットーとしてたダントン(ちなみにこの時の議長)にしては、
明らかに思想信条に反しているように見えるんです。
ジロンド派が存在していないにしても、ヴァンダリズムを行う整合性が、
この時の公会議員の主流にあったのか不思議なんで、
『フランス革命秘話』で万雷の拍手というのがひっかかりました。
>>936 マラーの暗殺はジロンド派への弾圧を招いただけではなく、
アンラージュとエベール派双方の暴発を招いたと思います。
それゆえにマラーが生きていれば、ある程度理性を持って蜂起を動かしていたものが、
一気に扇動される形になったのが、ロベスピエールの許容の範囲を越えてしまったのでしょう。
エベールとショーメット、クローツが一緒に粛清されたのは、やはり理性の祭典という国内動乱を
引き起こす宗教弾圧を行ったことが最大の要因かと思います。
また、クローツとパリ司教のゴベルは亡命外国人で、1793年10月中旬に起きた
『外国人陰謀事件』に連座させることで、民衆弾圧を回避する狙いもあったと考えられます。
しかし、エベールやジャク・ルーは選挙人の段階で弾かれるような人物なのに、
マラーは国民公会になれたことが不思議。
いや、経歴を見れば、高い学識を持っているので、議員にふさわしいとも言えますが……
941 :
908:2009/11/06(金) 19:59:35 0
規制解除されましたね。
ついでにもう一つ。
エベール派に同乗の余地ってあります?
いいところを探そうとしても、わかりやすい良い部分がないので。
ジロンド派→革命の急進化を抑えようとして、最後は勇気を持って散っていった。
ダントン派→恐怖政治を終わらせようと戦い、最後まで誇りを持って死んでいった(一部を除く)。
ロベスピエール派→ジロンド派やエベール派が傾けた国内体制を整えるために国の舵取りをし、
最後は理想のもとで死んでいった。
エベール派→民衆の無秩序な要求を声高に叫び、非キリスト教化で国内にいらぬ動揺を巻き起こした挙句、
エベールの最後は断頭台の上で無様に逃げようとした。(人間らしいかもしれないが……)
942 :
世界@名無史さん:2009/11/06(金) 23:03:34 O
絵辺流を消したのは民衆の支持を失う結果になったな
照味童留の政変でも民衆は呂部須費絵琉を助けようとしなかったしな…
ジロンド派を叩くときには役に立ってたよ。なんだかんだいって貧民を糾合する力は強かった。
食料問題で過激化する下層民が寄り縋る先として、アンラージェではなく
あくまでジャコバン一派としてエベール派があったことも功績じゃないかな。
>>940 サン=ドニ墓暴きの時の国民公会議長はダントンでしたか。
ロベスピエールや少なくとも1793年以降のダントンが墓暴きを
積極的に支持するとは思えませんが、国民公会議長はさほどの
権限を持っていなかったようですし、ダントンやロベスピエールも
議員多数が賛成することに公然と反対はしなかったのでは?
確かに野蛮ですが、無差別殺戮の類ではありませんし。
あるいは、1793年の軍は基本的には軍務省に、軍務省は
基本的にはエベール派に支配されていましたから、
サン=ドニ墓暴きに将兵が加わっていたことを考えると、
エベール派・軍務省・パリ市評議会がやらかしたことを
国民公会が事後承認したのかもしれません。
山岳派極左派以外もあえて彼らと衝突しようとする議員は
少数だったと思いますし。あるいは当時はパリ市も含まれていた
セーヌ県全体でエベール派が多少なりとも影響力を持っていて、
セーヌ県が決めて行ったことを国民公会が事後を含め承認したか。
いずれも私の憶測に過ぎません。
規制が解除されて良かったですね。私のは別のことでの
巻き添え規制で、どうやら薬物絡みのことらしく長丁場に
なるようです、orz
>>940>>941 マラーは最高価格法導入に反対し、アンラージェやエベール派と
意見を異にするようになっていたと読んだ記憶があります。
故にコルデーは当初、アンラージェでは?と誤解されたとも。
それはともかく、
>>940さんが言うようにマラーの死後、
両派はより過激になりましたね。
彼らがある程度配慮する対象であり、また彼らをある程度は
制御出来た存在のマラーが死に、彼らは解放?された上に、
ジャック・ルーもエベールもマラーの後継者を宣言して、
それを大義名分?のように行動をエスカレートさせました。
食糧事情がますます悪化したことも大きな要因ですが。
ロベスピエールもコルドリエ・クラブ初期時代からのマラーの
盟友だったダントンも、アンラージェのことはもちろん、
エベール派に対する憤りを抑えられなくなった
のかもしれません。
エベール、ジャック・ルー、ヴァルレらは選挙人大会の段階で
はじかれたのに、1792年8月・9月時点では彼らと変わらぬ
過激な男マラーが当選したのは彼の社会的地位の他に、
ジャック・ルーやエベールなど問題にならないぐらいマラーが
民衆に人気があったことを選挙人たちも無視出来なかった
ではないでしょうか。
まとまりが悪く長くなって済みません。
将軍たちはエベール派が支配する軍務省による粛清の餌食に
なったため恐れ、佐官クラスで将官になることを
薦められても辞退者が続出する事態になり、
軍事テクノクラートたちもやりにくく、彼らも将官・佐官も
軍務省のライバルでありカルノーが加わった公安委員会に
服属することを求め、公安委員会も軍掌握に懸命だったため、
ついに1793年末か翌年1月に公安委員会は軍掌握に成功したそうな。
多分にエベール派が兵器工場のストライキを支持するように
なったのには非キリスト教化運動頓挫で目標を失ったことの
他に軍の主導権を奪われた怒りもあったのだと思います。
しかし、これがかえってエベール派を孤立させました。
ただでさえスト禁止なのに戦時中に兵器工場労働者のストを
支持したことはそれまでエベール派を支持してきた貧しい
サンキュロットにも彼らへの疑念を抱かせ、
少し前にアンラージェが当時少数ながらいた工場労働者や
ルンプロの利益まで代弁するに至り、同じ貧民でも彼らとは
一線を画していた手工業者・職人ら貧困サンキュロットが
今までアンラージェを強く支持してきたセクション住民を含め
離反したように。
エベール派は兵器工場労働者のストを支持したりして、
それまでのような人気は失っていたとはいえ、
全く失っていたわけではありませんし、更にサンテールら
民衆運動家のことまで逮捕・投獄し、各セクションの民衆クラブを
閉鎖に追い込んだことは民衆の革命への情熱、
ロベスピエールへの期待を冷ましました。
アンラージェ、エベール派、民衆運動といった、
平原派や山岳派右派が嫌う勢力を弾圧したことで
彼らの要求を満たし、また、ロベスピエールが重視する
法と秩序の回復に役立ったでしょうが、
院内、公安・保安両委員会にはビヨー、コロー、アマールら
山岳派極左派がいましたし、彼らと同じ極左派で残虐な
派遣議員のバラス、フーシェ、カリエ、タリアンらを糾弾
しながらも結局は粛清せずに何故か2ヶ月ほど
ロベスピエールは議会にも委員会にも姿を現さず、
結局はその左右両派に連合され、民衆は動かず、お釈迦に。
3月の段階で、エベール派・山岳派極左派か、
ダントン派を含む山岳派右派や平原派か、
どちらかと妥協する腹を決めるべきだったかと。
両者と対立してしまってはおしまいです。
当たり前の話ばかり長ったらしく済みません。
エベール派は混乱を助長させましたが、
ジロンド派退治に役に立ちましたし、
何よりパリ下層民衆に根強い人気をほこり、
それはアンラージェのようにごく一部の貧困セクションではなく、
広範に渡る貧困セクションでの人気でした。
彼らがビヨー、コローら山岳派極左派とも非常に親しかった
こともご承知の通りです。
エベール派が明確なプログラムを民衆に提示することは
稀で特に末期には権力掌握に執着したとはいえ、
エベールはマラーと共に革命当初から貧困サンキュロットの
権利を強く主張してきました。エベール個人の最期は無様
でしたが、当時 政府から無視されていた貧困層の権利・利益を
代弁したことはどのような打算があったとしても
蔑ろには出来ないと思います。
まして、立憲王政派が敗北するまで、後にジロンド派を
構成するブリッソ、ペティヲン、ビュゾーらを含めて、
民主派全体がラ・ファイエットらの弾圧を受けて大変でしたし、
中でも最左派だったマラーやエベールは
常に命の危険に曝され続けましたし、彼もマラー同様に早くから
共和制を唱え、シャン・ド・マルス事件では危険な目にも
遭っています。打算ないし憎悪だけでは出来ないかと。
949 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 00:33:10 O
西フランク王国→フランス王国→フランス共和国→フランス帝国→
フランス王国→フランス共和国→フランス帝国→フランス共和国。
よくもまぁ第三共和政は第二次世界大戦敗北まで続いたもんだ。
ヴィシー政府も第四共和政も第五共和政も君主制じゃないし、
第三共和政が誕生したばかりの人たちはまさか王政なり帝政なりが
二度と蘇らないとは予想しなかったに違いない。
950 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 01:21:03 O
ミンス政権の事業仕分けはまさに公開処刑=ギロチンそのもの!怖い!怖い!w
951 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 03:01:11 O
ミンスは現代日本のジャコバン!
それが内部分裂して鳩山ら右派(ジロンド派)は失脚、
旧社会党系・社民連系の左派(山岳派)が社民党や共産党と
結託して今の比じゃない恐怖政治を開始!
助けて〜!
アホな政治厨にレスするのもあれだけど、「事業仕分け」は革命初期の派遣議員を思い出した。
>>949 ヴィシー政府にはアクション・フランセーズら王党派が
大勢近づいていたのに、政府が君主制を採らなかったのは、
ヒトラーの君主制否定の意向もあるだろうけど、
それ以上にアクション・フランセーズの王制復古論が他の右翼から
現実離れと馬鹿にされていたことからしても、
ペタン、ラヴァルら政府の主要な人たちも彼らを
本気で相手にしていなかったのかもしれない。
ナチスの傀儡になろうとするオルレアン家、
ブルボン家、ボナパルト家の者もいなかっただろうが。
リスクが高いし、名誉に関わるし、面倒だろうしw
ド・ラ・ロックらクロア・ド・フーは基本的に反独・非協力派で、
同時に王制復古にも反対。
元共産党員が戦前に結成した国民行動党?は親独・積極協力派だったが、
彼らはナチスそのものだったから王制復古に反対。
アクション・フランセーズはその文化評論は卓越していても、
政治団体としては思想・政策が現実離れしていて、
右翼大学生の支持を集めるのが関の山だった。
ただ、この時期はともかく、第三共和制初期には王党派が
圧倒的に有力だったし、ボナパルト派もいたのに、
やっぱしブーランジェ事件とドレフュス事件が致命傷かな?
スレチ、スマソ
955 :
世界@名無史さん:2009/11/16(月) 23:46:26 0
不吉な場所−フランスBlagnacのピラミッド
http://vigilantcitizen.com/?p=2690 トゥールーズの郊外にある「パレス・ドゥ・ラ・レボルーション」は、今有る中でも
イルミナティの設計図の展示の最もあからさまなものであろう。
世界地図の上に、巨大なピラミッドが浮いている。この構造物の象徴的意味に
よって、かなり恐ろしいエリート主義者のイデオロギーが明らかになろう。
「パレス・ドゥ・ラ・レボルーション」はフランス革命の200周年を記念して1989年
に建てられた。1989年にはフランス革命でのフリーメーソンの役割を記念する
ためにフランス全土でメーソン的なモニュメントが多く建てられた。
このピラミッドは全部の13の層からなっており、上部の2層は金属の分離版
で分けられている。ピラミッドの低層は低位のメーソンを象徴しており、上層部
の2層は「隠された位階」であるイルミナティを表す。
米ドルの全てを見通す目のピラミッドも13層になっている。
ピラミッドの上部から水が流れ、下層へ流れるようになっているが、この水は
「秘教知識」を象徴している。水が流れるように、「秘教知識」はすべての階層に
染み透ってゆく。
956 :
世界@名無史さん:2009/11/17(火) 09:31:32 O
エベール派を「ジャコバン派の最左派」というのはおかしい。
ジャコバン派という呼称の適用自体、革命の時期や研究者に
よって違ってまちまちだし、後にカテゴライズされたものだが、
「ジロンド派」有力議員たちがジャコバン・クラブから脱退し、
更には国民公会から追放されてから後の「山岳派」をジャコバン派と
カテゴライズする場合でも、エベール派はエベール自身を含め
国民公会に議席を有していない者が大多数の院外グループだし、
エベール個人はジャコバン・クラブの会員でもあったが、
基本的にはコルドリエ・クラブが本拠地。
それを言えばダントンやデムーランも最後まで
コルドリエ・クラブ会員だったのだが・・・
エベール派がアンラージュとは違い国民公会や省庁にも
影響力を有していたことは承知しているが、
あくまで山岳派とは別物だ。
エベール派やアンラージュなど有害以外の何物でもない存在。
それを擁護する人の気がしれない。
957 :
世界@名無史さん:2009/11/17(火) 17:42:42 0
フランス人は1870年になって王制から最終的に決別したというけれど
実は普仏戦争に敗北した直後の選挙による国民議会では王党派のほうが
多かったんだよね。その王党派がブルボン派とオルレアン派に分裂したおかげ
で共和派が漁夫の利を得て共和国憲法を制定したというのが現実。
もしこの時ブルボン派とオルレアン派の妥協が成立していたらフランスは
今でも立憲君主国だったかな。
958 :
世界@名無史さん:2009/11/17(火) 18:42:33 0
当時、なにがなんでも共和政にしなければならない理由はあったのだろうか。
当時の周辺諸国は立憲君主国ばかりだったというのに。
マクマオンが大統領になったときに、シャンボール伯が国旗のデザインで妥協しておけば、
すんなり王政復古が実現してたのに、惜しいことをしたものだ。
>>957、
>>958 大統領自身が立憲王制派だったし惜しいね。
オルレアン派もシャンボール伯を支持したけれど、
彼が三色旗も認めないことにオルレアン派や
マクマオン大統領を含む立憲王制派は幻滅。
それはフランス革命直後にルイ16世が嫌々でもなく受け入れ以来、
復古王政時代を除けばフランスの旗で、
しかも真ん中の白はブルボン家の象徴。
少なくとも七月王政以降すっかりフランス国旗として定着していた。
それをも受け入れないとなれば国民の支持を得られないことは
皆承知していたから、オルレアン派とブルボン派の対立が再燃。
その後、フランス・ブルボン家は直系男子が絶え、
王党派は基本的にはオルレアン派になったけど、
王党派と親密だったブーランジェ将軍の失態(彼自身は王党派
とはいえないポピュリストだったが)、更にドレフュス事件で
王党派ら右翼が激烈な反ドレフュス・反ユダヤ運動に走り、
共和派は保守派や急進社会党(ジャコバン的?な中道政党)から
左翼までドレフュス擁護・反ユダヤ主義でほぼ一致して、
フランスの国論は真っ二つ。
結果、ドレフュスが白だったから、王党派ら右翼は大打撃。
ドレフュスは何も悪くないのだけど。
>>957 第二次世界大戦があったから、1940年の独仏戦争まで立憲王制が
続いたとしても、その時に王家がイギリスら外国に逃れる
機会を逸してナチスの占領下で傀儡になって、はたまた、
傀儡どころか収容所に送られて、おしまいだったかも。
イギリスなど国外に無事逃れることが出来ても、
戦後どうなったかは?
私がもしも?話をしておいて変だけれども、
よく歴史にifはないと言うように、流石にこれは?かと。
またまたifになるけれど、王族が無事イギリスなどに脱出できて、
後に連合軍・自由フランス軍と共に凱旋しても、
多分に凱旋英雄はド・ゴールに該当する将軍で、
その人が王党派だとしても、国内で社共の力が史実同様に
強まっていれば国民の過半数は王制ノン!になり、
ド・ゴール(に該当する人)もそれを受け入れるか、さもなくば
辞職する他なくなっていただろうし。
はたまた、立憲王制が第三共和制同様に定着していれば、
人々の考え方も違って、圧倒的かギリギリかはともかく、
王制支持が過半数になっていたかもしれないし。
わからないけれど、鍵は第二次世界大戦かな。
>>956 エベール派が狭義の【ジャコバン派】ではない、
少なくとも山岳派とは別ということに同感です。
エベール派やアンラージェを擁護というのはこのスレでは
私もその1人だと思いますが、当時のパリ下層民の食糧事情の劣悪さを考えれば、
エベール派やアンラージェが熱心に下層民をリードして政府に
圧力をかけなければ、山岳派主流の政府もろくに対策をとらず、
テルミドール後に餓死者が続出したのに近い状況になっていた
だろうと思うからです。いや、あんな連中がいなくても
民衆がパリ市評議会を代表に自発的に動き、パリ市評議会にも
支持者が多くいたロベスピエール派や山岳派左派が!とも
考えられはしますが、実際、政府はアンラージェ、エベール派に
リードされた民衆の強い抗議を受けるまでは、
平原派や院内ジロンド派残党との妥協のためもあってか、
なかなか動かず、あのマラーでさえ最高価格法など過度な
経済統制・市場介入には反対していました。
エベール派やアンラージェの魂胆?はともかく、
政治は結果ですから、彼らがパリ下層民衆の命を救うねに
果たした役割は無視は出来ないかと思います。
あと、彼らが敵国の犬だったなどはでっち上げでしょう。
やっと25日に巻き添え規制解除だゼッ!
それはともかく(笑)、アンラージェやエベール派は現代日本がより困窮して
いたらば、最低賃金を倍増しろ!
ベーシックインカムをそれと同額に支給しろ!
失業手当・生活保護・障害年金の「壁」を取っ払えって支給額を倍増しろ!
基礎年金を税負担にして支給額も倍増しろ!
もちろん納めてきたもんにはそれだけ出せ!
といった要求を政府に突きつけそうですね。
日本人は善しも悪しも(陰口は別として)お上に従順ですが、
革命にでもなったらば、西欧流の公共意識・市民意識が乏しい分、
政府に手前勝手な無理難題を押し付けそうです。
かくいう私もそういう勢力を支持しちゃいそうですが(苦笑)
俺をそうさせないためにBIGかジャンボで2億円以上よこせ!(笑)
実際、生存権が明記された1793年憲法から200年以上経ても
生存権は空文に過ぎませんし(日本国憲法違反)。
世の中なんざ何も変わりゃしませんよ、orz
訂正
○>最低賃金を倍増しろ!ベーシックインカムをそれと同額にしろ!
964 :
世界@名無史さん:2009/11/22(日) 09:58:33 O
事業仕分けでスパコン予算を削除凍結するミンス政権
ラブォワジエをギロチンにかけた、ジャコパン以上の基地外政権だな!wwww
資金や設備等のハード面は再生可能だが、
知識や技術等のソフト面は再生不可能なのにね!ww
科学者の頭を切るのは一瞬だが、科学者が育つには、百年以上かかるだったねw
965 :
世界@名無史さん:2009/11/22(日) 10:38:11 0
あいつら「仕分け人」は、天下取ったということ自体に酔ってて、
何の見境もなく予算カットすることで権力の美酒に酔いしれてるだけ。
レンホーとか見てたら、よくわかる。
悪魔は神の猿真似をして、緑の牧草と水のほとりを約束するが、
彼が与えることはない。
967 :
908:2009/11/23(月) 19:53:47 0
>>エベール派
色々としていただきありがとうございます。
その当時の状況を鑑みますと、エベール派や
過激派が要求していたことの必然性は確かにありますね。
革命発生後の生計に占めるパン代の割合が9割近い現状は、
『人はパンのみで生きるにあらず。だが、パンなければ生きていけない』
の惨状ですからね……
エベール派はジャコバン左派ではないは同意です。
ジャコバン・クラブと独立した派閥であり、ジャコバン主義と提議されているものも、
今では歪められて反革命に対する強権主義に受け止められるのが原因かと。
>>967(
>>908)
いいえ、私の私見(←偉そうに言えば)に過ぎませんし。
一時的にですが台頭?するべくして、したような気がします。
主張は暴論に近いものが非常に多いですが。
私事ですが・・・
ついに規制解除されました。
やった!
○>掲げた政策(方法論)
×>主張
970 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 09:45:34 O
エベール派や過激派に存在意義などあったはずがない。
あったのならば、テルミドール後に民衆がより困窮した時に
彼らのような勢力が再び勃興したはずだが、
バブーフたちがパンテオン・クラブを結成するまで動きなし。
1795年の民衆暴動も指導者がいなかったから簡単に鎮圧された。
ロベスピエールやマラーの代わりはそうはいなくとも、
エベールやジャック・ルーぐらいの代わりになる者は他にも
いたはずなのにだ。【伊達男たち】と連中が雇い入れた
ゴロツキどもの力がさほど大きかったとも思えないし。
実際、あいつらも1795年の民衆蜂起の際やその後の王党派の
大暴れには何も出来なかった駄目連中だった。
連中もその背後にいたタリアンやフレロンもチンカス。
そんな連中が怖くて何も出来なかったなどまず考えられんのに、
現れなかったのは1793年のエベール派や過激派はただ単に
革命の進行が激しくなり、その勢いに乗っていたからに過ぎない。
ジャック・ルーは獄中自殺したからともかく、
ヴァルレら過激派の仲間たちは釈放されると表舞台から、
いや世間から姿を消してしまったほど。
エベール派の生き残りたちも民衆指導者たちも同じだし。
そんな程度だよ。
>>966 ソレ誰の言葉?
ぐぐったらカルトっぽいページが出てきたんだけど
>>970 おめぇさんは伊達男(どら息子)の棍棒で頭叩き割られ、
その手下のヤクザにナイフでぶっ刺されなw
てーか、前後の情勢を何も考えねぇで与太ぬかしやがって、
しょんべん小僧がよっw
973 :
908:2009/11/25(水) 23:00:08 0
>>970 ジェルミナール12日とプレリアール1日には蜂起していますがな。
ジェルミナールには戦争で鍛え上げられたピシュグリュにやられただけでなく、
ビヨー・ヴァレンヌ、コロー・デルボワだけでなく、モンターニュ派議員もギアナへ流刑された。
プレリアールでは公会まで何とか乗り込んだが、やっぱり歴戦の軍隊に敗れた。
その上、今度は多くの活動家が逮捕されたんで、左派だけで民衆活動を大々的に起こせる力がなくなった。
ヴァンデミエールは王党派も混じった最後の蜂起だったが、烏合の衆はナポレオンにやられちまったんだよ。
ただ
>>その勢いに乗っていたからに過ぎない。
に関しては同意できる部分もある。熱狂が民衆を押し、エベールたちに権力を与えたことに付いては否定できない。
>>971 先日は酔い過ぎて馬鹿なレスをしてしまい、スマソ
サンキュロットたちはエベール、ルー、ヴァルレらに代弁してもらい、
大規模なデモで政府に圧力をかけて、物価統制や買占め人処罰を
実現させたわけ。
ただ、アンラージェは完全な無産者や工場労働者の利益まで代弁し始めた
ことで、エベール派は兵器工場労働者にスト(労働者の団結・ストは革命
初期もこの時期も以後も禁止)を支持したことで、
多くは完全な無産者や工場労働者ではなかった
サンキュロットの支持を失う主因だったのかは?←以前、私自身がこのスレ
にそう書いたが、ソブールだったかもっと新しい人のかは忘れたけど、
そう本に書いてあったものだから。
また、逮捕される頃には本当にサンキュロットの支持を失っていたのかも?
政府もサンキュロットの支持を失ったアンラージェなど脅威でも
何でもなかったはずだし、自覚するほど支持を失っていたらばエベール派は
蜂起宣言などしなかったのでは、と。
サンキュロットはアンラージェ指導者たちが逮捕されても沈黙し、
エベール派幹部処刑の際はお祭り騒ぎ。
それは事実だから、多分に自分たちの要求さえ満たされればそれで
良かったのではないかな?
ロベスピエール派が処刑された際も喜んでいたサンキュロットが
多かったようだし、あまり深くは考えていなかったと思う。
テルミドール派政府がどんどん反動政治と不正を行い、
物価が尋常じゃなく上がり飢餓に苦しむようになって
初めてロベスピエール派打倒を静観したことを後悔したような
人たちだから。
わけのわからんレスになったけれど(苦笑)、エベール派やアンラージェは
その「存在意義」の有無というよりもサンキュロットの要求を政府に
突きつけたのだから、その支持を受け台頭したのは当然。
だから、あなたが言うように「勢いに乗って」と言うのは
間違いじゃないと思う。
>>971へのレスだった、ごめん>
>>971 >>971 テルミドール後にジャコバン派や民衆蜂起については
>>973さんが
うまく説明してくれていると思う。
あと、バブーフの陰謀が挫折した後もバブーフのような方法論や共産主義?
ではないがジャコバン派はブリュメールのクーデターが起きる頃には再び
王党派と共に台頭していた。
しかも、ロベスピエールやサン=ジュストのことよりも
マラー、エベール、ジャック・ルー、ヴァレルを高く評価する
人が多かったらしく、かなり過激化していたらしい。
>>970さんへのレスだというのに、また
>>971さんへ・・・
金ぴか青年隊に頭かっぱたいてもらおうかな、orz
その金ぴか青年隊のことがイマイチわからん。
プチブルも含めたブルジョワの不良子弟たる「伊達男」たちの
一部?がフレロン、タリアンにカネを貰い組織・訓練され、
サンキュロットやジャコバン派残党を襲い、ジャコバン派支持者が多い劇場や
カフェを荒らしまわり、ジャコバン・クラブを閉鎖に追い込み、
国民公会からマラーやルペルティエの胸像を、パンテオンからマラーの亡骸を
撤去するなどパリで猛威を振るっていたらしいけれど、
ジャコバン退治以外の目的がわからない。
タリアンやフレロン−当時も地方に赴き王党派を虐殺−と同様に
王党派のことも危険視していたのか?。それとも彼らは
タリアンやフレロンとは違って国王処刑などと無関係だから、
王党派に共感していたのか?←国民公会万歳!の標語を
そのまま受け取ればまずないし、連中の親には国有財産購入で
儲けた者も少なからずいただろうし、う〜む。
977 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 19:01:43 0
>>823 >ロベスピエールを見限りつつあったサン=ジュストはテルミドール9日の演説を成功させて、
>公安委員会内部や保安委員会との対立を彼の力で収めて
>ロベスピエールから指導的な位置を奪おうとしていたという見方もあるが。
サン=ジュストを過大評価し過ぎ。
978 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 19:04:17 0
>>974 サン=ジュスト研究会
この酔っぱらいw
979 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 19:17:35 0
972 名前:豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 メェル:sage 投稿日:2009/11/25(水) 22:22:26 0
>>970 おめぇさんは伊達男(どら息子)の棍棒で頭叩き割られ、
その手下のヤクザにナイフでぶっ刺されなw
てーか、前後の情勢を何も考えねぇで与太ぬかしやがって、
しょんべん小僧がよっw
↑ ↑ ↑
要注意!ここまで豚松を怒らせると、後で妄想で暴走し、他人を誹謗中傷し始めます。
970さん、逃げて!もどってきてはダメ!
980 :
豚松自作自演:2009/12/07(月) 19:24:27 0
>>908=967=968
968 名前:豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 メェル:sage 投稿日:2009/11/25(水) 01:25:09 0
>>967(
>>908)
いいえ、私の私見(←偉そうに言えば)に過ぎませんし。
一時的にですが台頭?するべくして、したような気がします。
主張は暴論に近いものが非常に多いですが。
私事ですが・・・
ついに規制解除されました。
やった!
______
そして反論されて、かならず最後は大暴れ始めるよねww
981 :
世界@名無史さん:2009/12/07(月) 19:43:21 0
>>978 豚松さんはシャルル・フーリエ研究会の座長さんらしいね。
フーリエは欲望を肯定していたのに彼は酒も飲まない
禁欲家らしいよ。
>>979-
>>980 >>908さんは別人だよ。
>>981 マラーも汚職(贈賄)をしていたのか。
20年前つまりフランス革命200年の時に
フランス製作のテレビドラマだったと思うが
マラーを「人民の友にして腐敗した政治家」、「医者にして詐欺師」とか
宣伝していたけれど(NHKだったはず)、
よく知らなかった。
つーか、そのスレにジーモンや酔鯨として書き込んだ時も上の方のレスを
よく読んでいなかった、orz
息子ルイ・フィリップがデュムーリエに巻き込まれて(?)
オーストリア軍に投降してからフィリップ・エガリテはジロンド派からは
もちろんのこと仲間の山岳派からも激しい非難を受けるようになっていたが
マラーは「フランス共和国ジャーナル(人民の友)」で
フィリップ・エガリテを擁護し続けた。
その理由はマラーはフィリップ・エガリテから
カネを貰っていたからだろう、と本(題名失念)で読んだことはあったが。
ダントンがカネにだらしなかったのは知られているけれど、
そこまで腐敗していたとは・・・
984 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 02:09:08 O
ダントンの不正はデカい。
東インド会社事件の黒幕だは、国家機密情報まで敵国に
売っていたは、清濁併せ呑むなんて言葉じゃ済まないもの。
寛大派ぶったって九月虐殺の責任者だし、全然寛大じゃない。
ダントンとマラーがジロンド派逮捕を見逃したのも賄賂の見返りに過ぎないし。
エベールにしてもイギリスから金を貰って無理難題を政府に突き付けていた。
こういった連中がテルミドールまで生き延びていてもバラスたちと
何ら変わらぬ腐敗政治屋としてのさばっただけだろう。
ジロンド派、デムーラン、内親王には同情出来てもマリー・アントワネット、
ダントン、エベールには同情出来ない。
それだけの罪を犯したのだから。
かくれんぼ
986 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:40:55 0
>>982 あんたの自作自演は見慣れたよ。自己申告も意味なし
かくれんぼさんww
987 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:43:55 0
相変わらずダントンの悪口を1人で垂れ流しか。書いている内容で誰だかすぐにわかる
988 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:44:48 0
何がシャルル・フーリエ研究会だww
サン・ジュスト研究会だろw
989 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:46:28 0
>>970さんみたいに反論する人間を片っ端から叩いていたサン・ジュスト研究会は
最後2ちゃんの発言で訴えられ名誉毀損となった
990 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:47:34 0
IDが出ない板であれば自作自演も簡単
991 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:48:24 0
992 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:49:02 0
反論する人間がいるとすぐ噛みつくw
972 名前:豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 メェル:sage 投稿日:2009/11/25(水) 22:22:26 0
>>970 おめぇさんは伊達男(どら息子)の棍棒で頭叩き割られ、
その手下のヤクザにナイフでぶっ刺されなw
てーか、前後の情勢を何も考えねぇで与太ぬかしやがって、
しょんべん小僧がよっw
993 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:49:24 0
これでスレの常連も逃げるww↑
994 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:50:07 0
こいつは逃げない常連にはさらに噛みつき続け、他スレ他板にまで追ってくる
995 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:50:35 0
最後は裁判所で名誉毀損認定ww
996 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:51:09 0
それでもまたここに戻ってきて、1人で書き続けるサン・ジュスト研究会に敬礼!
997 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:51:49 0
サン・ジュスト研究会(豚松)は反論を許しませんww
972 名前:豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 メェル:sage 投稿日:2009/11/25(水) 22:22:26 0
>>970 おめぇさんは伊達男(どら息子)の棍棒で頭叩き割られ、
その手下のヤクザにナイフでぶっ刺されなw
てーか、前後の情勢を何も考えねぇで与太ぬかしやがって、
しょんべん小僧がよっw
998 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:52:26 0
それでお年は還暦ですか。呆れました
999 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:53:20 0
あんたは「2ちゃんは辞めます!」と言っていたよね〜
サン・ジュスト研究会さん
1000 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 06:54:22 0
結局2ちゃんの発言で訴えられてもまだ2ちゃん。
2ちゃん発言で名誉毀損になってもまだ2チャン。
病気としか思えませんねw
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。