【Deutsch】バルト・ドイツ人の歴史【Balten】

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1世界@名無史さん
きわめてマイナーなテーマかと思いますが、バルト・ドイツ人の
歴史について語り合いましょう。

白軍の司令官ピョートル・ヴラーンゲリとか、ウンゲルン=シュテルンベルグ
男爵とか、ロシア帝国の軍人として活躍した人が多いですね。
2世界@名無史さん:2008/08/17(日) 00:39:41 O
3世界@名無史さん:2008/08/17(日) 03:40:12 0
ずばりプロイセン復活を夢見るスレ
4世界@名無史さん:2008/08/17(日) 06:26:22 0
帝政ロシアの貴族・軍人について調べていたら、ドイツ系の名前が
多いこと多いこと…

ニコライ1世が創設した皇帝官房第三部の長官だったベンケンドルフ
伯爵も、バルト・ドイツ人。
5世界@名無史さん:2008/08/19(火) 13:22:21 0
>ウンゲルン=シュテルンベルグ男爵

部下に日本兵もいたという仏教徒のマッド・バロンか

ドイツ騎士団とフン族の血を引いていると自称してたとか
6世界@名無史さん:2008/08/19(火) 13:41:27 0
>>5
赤軍に追われてモンゴルのクーロン(現・ウランバートル)まで行ったんだよな。
モンゴル人は当初、長く続いた中国人支配からの解放者として、男爵を
大歓迎した。
しかし男爵の統治は残虐極まりないもので、程なく完全に人心を失う
ことになり、やがて侵攻してきた赤軍との戦いに度重ねて敗れ、1921年、
護送先のノヴォシビルスクで銃殺。
7世界@名無史さん:2008/08/19(火) 18:05:27 0
「今、世界各国はみな親しく交わっているように見えるが、それは全く表面的なことで、

本当のところは弱肉強食であり、大国が小国を侮るというのが実情である。

例えば国際法というものがあっても、それは大国の都合で存在するものであり、

自国の都合のいいときには国際法をふりまわし、

自国に都合が悪くなるときには軍事を用いる。小国は実に哀れである。

国際法の条文を一生懸命に勉強し、他国に害を与えること無く自国の権利を守ろうとしても、

大国というものは国際法を破る時には容赦なく破る」





ドイツ〔プロイセン〕首相・ビスマルクが大久保利通らに語った言葉  参考文献・『米欧回覧実記』
8世界@名無史さん:2008/08/19(火) 19:56:45 0
ロシアのアンナ女帝の寵臣エルンスト・ビロンもバルト・ドイツ人。
9世界@名無史さん:2008/08/19(火) 22:50:34 0
バルトドイツ人の先祖はほとんどスラブ人(ポーランド人)か
バルト人(リトアニア人、ラトビア人)かウラル人(エストニア人)

それがドイツ系の苗字を持っただけのこと
10世界@名無史さん:2008/08/19(火) 22:51:41 0
まあゲルマン人の血は薄いな。
11世界@名無史さん:2008/08/20(水) 01:26:30 0
バルト・ドイツ人・・・最盛期のバルト地方にも10万人以上は居なかったと思われ
12世界@名無史さん:2008/08/20(水) 01:28:53 0
最後的に民族浄化されたのは、赤軍侵攻ではなく、ヒトラーとスターリンの協定による立ち退きだとか(財産持ち出しは許可)?
13世界@名無史さん:2008/08/20(水) 06:58:57 0
>>9
ナチの公認イデオローグ、アルフレート・ローゼンベルクもバルト海沿岸地域の
出で、純血ゲルマン人ではない。
彼の祖父の一人はスラヴ系のラトヴィア人である。
生地はレヴァルだが、彼は1918年、撤退するドイツ軍部隊とともに故国を
捨て、ドイツに移住した。
14世界@名無史さん:2008/08/20(水) 12:44:04 0
「ゲルマン」というのは古代の民族か、現代の言語上の区分けに過ぎないので、
ゲルマン≠ドイツ

ドイツ民族は中世以降にゲルマン人、スラヴ人、バルト人などが混じって拡大した民族
ヒトラーが変な風に妄想してただけのこと
ヒトラー自身もスラヴ系(先祖はウクライナ・ポーランド人)
15世界@名無史さん:2008/08/29(金) 04:44:21 0
クルーゼンシュテルン
16世界@名無史さん:2008/08/29(金) 21:37:42 0
クロンシュタットもドイツ人街だったのか?
17世界@名無史さん:2008/08/30(土) 09:47:26 0
クロンシュタットはロシアの要塞
ドイツ語の名前だからといってドイツ人が住んでいたわけではない街はけっこうあるようだ

先月行ってきたワルシャワの王宮の南東側の、ヴィスワ側に向かっている低地の街も
マリエンシュタットというドイツ語の名前で、ポーランドの大貴族に輿入れをした女性の家族が
持っていた不動産で、女性の持参金(金銭でなく不動産として)となった
たぶんその地区の都市開発をしたのがザクセン朝のときなので名前がドイツ語風なのだと思うが、
住んでいたのはポーランドの商人たちで、ヴィスワ川からの荷揚げに便利だから
そこに商館や屋敷たくさん立てた
18世界@名無史さん:2008/08/30(土) 16:23:09 0
サンクトベテルブルグもドイツ風の名前。
19世界@名無史さん:2008/08/30(土) 20:47:02 0
ドイツ人は東欧だけでなく、ロンドン、パリなど第一次世界大戦まで全欧州の町に居てのさばっていた。
20世界@名無史さん:2008/08/30(土) 20:48:05 0
>>19
全欧州の町は言いすぎ
21世界@名無史さん:2008/08/30(土) 21:10:39 0
ドイツ人・・・ギリシャあたりはさすがに居なかったかも

セルビアやルーマニアあたりまでは来てたよね
22世界@名無史さん:2008/08/30(土) 21:40:48 0
↓この人、苗字のつづりからして、もしかしてバルト・ドイツ人の子孫かなと思ったのですが…
ttp://www2.asahi.com/olympic2008/news/KYD200808220002.html
23世界@名無史さん:2008/08/30(土) 22:34:04 0
>>21
というか全欧州の、というところが間違い
24世界@名無史さん:2008/08/30(土) 22:52:29 0
>>22
明らかにスウェーデン系の苗字
それがラトビア化している
25世界@名無史さん:2008/08/31(日) 01:44:10 0
ランズベルギスもゲルマンぽい
26世界@名無史さん:2008/08/31(日) 09:39:59 0
ランズベルギスはバルト語族の姓で全くゲルマンではない
27世界@名無史さん:2008/08/31(日) 09:58:03 0
でも、末尾のsを取ると、
ドイツ風のランツベルクLandsbergになりますぞい
28世界@名無史さん:2008/08/31(日) 10:33:40 0
バルト・ドイツ人にはゲルマンの血は薄いんだろ?なんでゲルマンになるんだ?
ゲルマンの血統じゃないんだろ?
29世界@名無史さん:2008/08/31(日) 12:49:15 0
>>28
文化的にゲルマン化したから。
30世界@名無史さん:2008/08/31(日) 17:29:19 0
とりあえず関連スレも
バルト三国とドイツ・リヴォニア騎士団を語るスレ
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1210502593/
31世界@名無史さん:2008/08/31(日) 19:24:44 0
>>30
キチガイに荒らされてるな
32世界@名無史さん:2008/08/31(日) 19:50:45 0
ドイツ系のスレはすぐ荒らされるからな。
33世界@名無史さん:2008/08/31(日) 22:16:43 0
荒らされるのはポーランド系のスレか、
ドイツ系のスレでもポーランドとの関係史が出てきたとき。
34世界@名無史さん:2008/08/31(日) 22:51:33 0
>>33
荒らし本人乙
35世界@名無史さん:2008/09/01(月) 10:30:32 0
ポーランドといえば、
バルト・ドイツ人はその700年の歴史のうちつい最近(1848革命時代)まで
プロイセンを嫌いポーランド側についていた事実
36世界@名無史さん:2008/09/01(月) 10:55:04 0
プロイセンという国名自体、先住民のプルセン人から来ている。
37世界@名無史さん:2008/09/01(月) 12:46:08 0
>>35
ナポレオン戦争でベルリンが陥落してケーニヒスベルクに
疎開してきた(バルト・ドイツ人ではない)ドイツ本土人が優勢になってから反ポーランド感情が支配的になった
それまでの時代は一貫して親ポーランドなのがこの地域の特徴
38世界@名無史さん:2008/09/01(月) 13:02:03 0
スラブ語の「ルーシ(Rus)に向かう(Po)(地方)」(例:ポーランド語で「Po Ruszu=ポ・ルーシュ」、英語のFor Rusに相当)から
それが訛って地方&住民名の「プルシ」(スラブ語)、それがドイツ語で訛って「プロイセン」
39世界@名無史さん:2008/09/04(木) 11:00:49 0
プロイセン見てると
スラブが野蛮と言われても仕方ないな。
40世界@名無史さん:2008/09/04(木) 23:51:42 0
>>21
ギリシャ初代国王はバイエルン王子。

ドイツ人がのさばっていたのでギリシャにもビールがある。
41世界@名無史さん:2008/09/05(金) 02:40:30 0
古代からエジプトと交流があったのになぜドイツ人が来るまでビールが伝わらなかったのか不思議だ
42世界@名無史さん:2008/09/05(金) 06:53:51 0
>>39
野蛮なのはスラブというより、その中のルーシだろ
特にモスクワ
43世界@名無史さん:2008/09/05(金) 13:23:47 0
ドミニク・リーベン『帝国の興亡(上)』(日本経済新聞社)に、こんな記述があった。

リーベン家はもともとバルトのドイツ系地主貴族の出であったが、アナトーリは
その大多数の者よりも強くロシアに共鳴し、ペテルブルクの文化をより愛した。
もっとも、1750年からさかのぼること数世紀、リーベン家は、デンマーク
からエストニアまでのバルト海沿岸地帯のほとんどを支配したドイツ系の戦士=
地主階級の典型的なメンバーだった。
しかし、自分たちは究極的にドイツ人ではなく、ドイツ騎士団の侵入に協力し、
12世紀末にキリスト教に改宗した族長リフの子孫であるというのが一族の
変わらぬ信条だった。アナトーリ・リーベンの父は、ロマン的にもリフの先祖
伝来の土地を買い戻し、小説にでも出てきそうな渓谷、川、森の素晴らしい
景色を見渡せるパラディオ式の立派な屋敷を建てた。
44世界@名無史さん:2008/09/05(金) 18:29:32 0
>>42
ドイツの他地域は開明的な文化的なところも多いが、
基地外じみたものは大半プロイセン起源。
西欧の極右やレイシストの理想とする状態は
現スラブ系の国に多い。

「スラブは野蛮」って馬鹿にされるのも仕方ないな。
45世界@名無史さん:2008/09/05(金) 19:45:53 0
>>44
ファシズムの起源はイタリア。最近ではファシズムの起源をフランスに求める
説もあるが。
46世界@名無史さん:2008/09/06(土) 02:11:13 0
44は狭義のファシズムの話はしていないのでは?
47世界@名無史さん:2008/09/06(土) 10:27:57 0
プロイセンは開明的だったぞ
悪いのはオーストリーの伍長とバイエルンの連中だ
48世界@名無史さん:2008/09/06(土) 10:35:33 0
>>44
「スラブは野蛮」なんて言うのは教養が足りない証拠

教養があるやつはスラブとロシアの区別ぐらいはするが、世界史を知らないとその違いがわからない
49世界@名無史さん:2008/09/06(土) 10:37:25 0
>>43
リフ(Lech)の率いた部族というのがリフ(レフ)族=ポラン族=ポーランド人
50世界@名無史さん:2008/09/06(土) 18:11:14 0
>>43
>>49
リーヴェン家が祖先と主張していたのは、リヴォニアのヘンリの年代記に見える
ガウヤ川あたりのリーヴ人(Livs)の族長カウポなる者。
12世紀末にキリスト教に改宗しリガのアルベルト司教の同盟者となったという。

>>43のは多分Liv Chieftainとでも書いてたのを「族長リフ」と誤訳したのでは?
そうでないと「何の」族長か判然とせず前後の文脈から考えて不自然に思える。
とりあえずレフ族とは関係ないだろう。
51世界@名無史さん:2008/09/07(日) 01:14:13 0
欧米の痛い宗教右翼の理想像も現代スラブ系の国家と親和性があるな。

>47
伍長はスラブのあふれるオーストリアのスラブ系という説が有力。
ナチのオカルトじみた人種イデオロギーの
理論的指導者ローゼンベルクもスラブの影響濃厚。
52世界@名無史さん:2008/09/07(日) 08:57:59 0
>>51
ナチのイデオロギーは18-19世紀「ロマン主義(Romanticism)」の描く
「古代ゲルマン民族」という妄想への憧れからで、スラブ関係ないよ

現代の欧米の国で似てるといえばせいぜいロシアのプーチン一派だが、
これは「スラヴォフィル(Slavophile)」というスラブ民族主義思想の流れで、
スラヴォフィル自体が19世紀にドイツで流行したロマン主義の猿真似

スラヴォフィルがロシアの帝国主義の正当化の手段であることを見抜いて、
これに猛烈に対抗して「キリスト教民主主義(Christian Democracy)」を追求したのが、
他ならぬポーランドで、ピウスツキ等ポーランド第二共和国の思想の保守本流はキリスト教民主主義
現在の西欧系の民主主義国家の保守思想はほとんどがキリスト教民主主義で、
ポーランドのほかにアメリカ、ドイツ、イギリス、スペイン、ポルトガル、イタリア、アイルランド、ベルギー、
スロバキア、スロベニア、スイス、オーストリア、ハンガリー、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどがそうだ
欧州白人文化の中心的思想だな

一方フランス、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、チェコなどは
近代合理主義(Rationalism)が主流

この辺の基礎知識は掴んでおこうな
53世界@名無史さん:2008/09/07(日) 09:02:34 0
親和性の点では歴史的にバルト・ドイツ人はドイツ民族主義よりもポーランドとの親和性が高く、
やはり「キリスト教民主主義」を追求していた

商人たちで構成されたバルト・ドイツ人の諸都市はチュートン騎士団等のドイツ貴族に対抗してポーランド王国と同盟し、
後にはポーランド・リトアニア同君連合に正式加盟している

キリスト教民主主義そのものが、超国家&超民族の社会思想であり、
ヨーロッパ連合(EU)の理念がまさにこれだ

54世界@名無史さん:2008/09/07(日) 22:33:54 0
商人で思い出したけど、あまりこのスレでは
ハンザ同盟やバルト海貿易について触れられてないね

つうか世界史板に貿易にかんするスレッドが奴隷貿易だけしかないのは
いかがなものか…
55世界@名無史さん:2008/09/08(月) 00:13:42 0
ハンザ商人の貿易は主に、
ポーランドからの麦を持っていって西欧で売る
船を空荷にせず西欧から北海やバルト海のニシンを持ってきてポーランドで売る
その船にまたポーランドからの麦を西欧に持っていって売る
・・・

この繰り返しだろ?
その際にぜいたく品も扱ったり、お金を融通しあったりと
56世界@名無史さん:2008/09/08(月) 01:07:11 0
蜜蝋や木材もあったよね。
あとルーシの毛皮も取引されたんじゃないか?

57世界@名無史さん:2008/09/08(月) 16:40:42 0
琥珀も取引されていた。
58世界@名無史さん:2008/09/09(火) 09:47:17 0
セルゲイ・ヴィッテの先祖はオランダ人だったが、16世紀最後の四半期になって、
バルト海穀物交易におけるオランダ人の地位が大きく高まり、他方ハンザ商人の
地位が低下し、それに並行して16世紀末、オランダ人のコミュニティがダンツィッヒの
外国交易を支配するようになる。
59世界@名無史さん:2008/09/09(火) 12:22:11 0
ネッセルローデ
60世界@名無史さん:2008/09/09(火) 13:32:11 0
>>58
当時のポーランドは貴族の2-3割程度がカルヴァン派プロテスタント
61世界@名無史さん:2008/09/09(火) 13:41:29 0
ttp://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/publish/no13/shima.pdf
地域空間としての「バルト」の醸成と受容
62世界@名無史さん:2008/09/09(火) 13:46:41 0
フィンランドのマンネルヘイム元帥の先祖もオランダ系。
63世界@名無史さん:2008/09/09(火) 15:06:34 0
>>61
一次資料に一切触れることなく論文を書く日本に乾杯!w
64世界@名無史さん:2008/09/10(水) 07:16:02 0
ワロタ
結局日本の西洋史学のレベルってそんなもんなんだよな。
65世界@名無史さん:2008/09/10(水) 09:52:27 0
>>63>>64
欧米の日本研究も同じですか、何か?
66世界@名無史さん:2008/09/13(土) 05:28:39 0
火薬王ノーベルはロシアに帰化した一族。ロシア革命で全員殺害される。
67世界@名無史さん:2008/09/13(土) 06:48:36 O
勘違いしている人が多い。

大半のバルト・ドイツ人の先祖はリューベック系。東プロイセンはまた別。
>>67は俺。
69世界@名無史さん:2008/09/13(土) 09:34:48 0
>>65
そういう「他がやってるから」というのは最低の態度。

そもそも二次以降の資料の引用は、資料元の人間の主張をただ紹介したに過ぎない。
研究としては何の価値もない。
読むだけ毒。
70世界@名無史さん:2008/09/13(土) 10:09:49 0
>>67
厳密に言うと「バルト・ドイツ人」の範囲は、リボニア、クールラント、エストニア定住(起源)でしょう?
7167 ◆zhhxhE85gc :2008/09/13(土) 14:17:39 O
>>70

はい。定住地も先祖の出身地も東プロイセンとは何の関係もありません。
72世界@名無史さん:2008/09/13(土) 14:38:54 0
リボニア、クールラント、エストニア3県からペテルブルクなどに移ってロシアの軍人・官吏になったドイツ系も「バルト・ドイツ人」に含めるべきか。
73世界@名無史さん:2008/09/13(土) 14:41:28 0
バルト・ドイツ人の生まれじゃないが、
ヴァーグナーは一時、リガで指揮者であった。
74世界@名無史さん:2008/09/13(土) 14:42:44 0
ドイツ騎士団領が、東プロイセンとそれ以外の地域=リボニア、クールラント、エストニア3県に分裂したのはいつ?
75世界@名無史さん:2008/09/13(土) 14:42:47 0
【ドイツ】ルフトハンザ航空、スカンジナビア航空買収を検討=関係筋[9/13]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1221282986/
>>72

普通は含めるみたいです。ペテルブルクに移住して五代目とかはどうか知りませんが。
77世界@名無史さん:2008/09/13(土) 15:32:49 0
>>74
それはポーランド史の範疇
78世界@名無史さん:2008/09/13(土) 18:07:21 0
第一次大戦(独・露戦争)のとき、ドイツ系ロシア人はどういうめにあったの?
79世界@名無史さん:2008/09/13(土) 18:59:15 0
ロシア人としてドイツに対して果敢に戦いを挑んだ
80世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:02:49 0
スチュルメル首相はドイツ系の姓を改名しようかと考えたことが
あるらしい。
81世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:10:13 0
ミレル元首相は改名しなかった
82世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:10:38 0
ハレンベルク将軍はドイツ軍に果敢に戦いを挑んだ
83世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:33:23 0
ナチスになったローゼンベルクはドイツ軍についたから、ドイツに逃げたの?
84世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:35:01 0
リガ生まれのスコットランド系貴族バルクライ(本来はバークレー?)将軍もバルト・ドイツ人に含めるべきか。
85世界@名無史さん:2008/09/13(土) 19:45:54 0
>>83
ボリシェビキが嫌いだったから。
86世界@名無史さん:2008/09/13(土) 20:21:02 0
ん?エストニアはWWT〜WWU間は独立していたぞ。
87世界@名無史さん:2008/09/14(日) 07:14:27 0
"History of the Temple Society"
http://home.vicnet.net.au/~tempsoc/webdoc3.htm

パレスチナにはドイツ人が移住していたが追放。
88世界@名無史さん:2008/09/14(日) 11:00:01 0
ステッセル
89世界@名無史さん:2008/09/14(日) 15:59:00 0
やっぱりテーマがマイナーすぎたな。
90世界@名無史さん:2008/09/15(月) 04:05:36 0
バルチック艦隊はバルト・ドイツ人男爵ばかりが日露戦争で水死?
91世界@名無史さん:2008/09/16(火) 15:41:37 0
故郷を懐かしむトランシルバニア・ザクセン同郷人の日

Siebenbürgen-Lied - Dinkelsbühl 2007 - Siebenbürger Sachsen
http://jp.youtube.com/watch?v=l1HJTY9o5bw
92世界@名無史さん:2008/09/16(火) 15:50:55 0
>>89

ドイツWWU敗戦前に立ち退いたごく少数の集団なので、エストニアとラトビアに10万もいなかった
現在は跡形もなくLandsmannschaftもつくらず離散して消えたからか?
93世界@名無史さん:2008/09/17(水) 10:40:14 0
北方領土旧住民もそうだが、墓参は望んでも数十年もたってから故郷に再び帰ることを本気で考えている人間は少数しかいないだろう。
EU圏内だったら金さえあれば今は住むこと自体は可能のはず。でも、仕事の少ない異言語の田舎にわざわざ住むものは少ない。
94世界@名無史さん:2008/09/17(水) 10:42:29 0
95世界@名無史さん:2008/09/17(水) 11:07:31 0
Collegium Carolinum
http://www.collegium-carolinum.de/index.html


戦後、解体されたドイツ系プラハ大学の残党がミュンヘンに移ってつくった教育機関。
96世界@名無史さん:2008/09/17(水) 11:08:06 0
>>93
ドイツ帝国時代にも政府が音頭を取って東方移住キャンペーンを張ったが、
逆に東方から西ドイツへ移住してしまう人の方がはるかに多かった(「オストフルフト」)、

皮肉にも、東方ではポーランド人がロシア帝国のポーランド立憲王国から
ドイツ領のポーランド(ポーゼン地方など)へ移住してきて、
人口が大幅に増加し目覚しい経済発展をした(ポーランド人で)
97世界@名無史さん:2008/09/17(水) 16:26:57 0
追放バルト・ドイツ貴族連盟は1991年エストニアLennart Meri首相に公式書簡をおくり
自分たちがエストニアに持っていた不動産の権利を放棄しドイツ・エストニアの懸け橋たらんと表明した。
98世界@名無史さん:2008/09/17(水) 16:50:33 0
>>97
その後不動産を買い捲ってバブルを起こしてエストニア経済を破壊したのはてめーらだろ
おかげでエストニアはユーロへ入れる見込みが無くなってしまったじゃねーか
99世界@名無史さん:2008/09/17(水) 22:43:28 0
エストニアに持っていた不動産の権利というのは、戦間期の農地改革で取り上げられたバルト・ドイツ人大地主の農場のことをいっているのでは?
ナチスドイツ敗戦後のドイツ人追放のときとは違い、
ヒトラーとスターリンの協定によるソ連勢力圏とされた東欧地域のドイツ系の場合は、立ち退くに際し財産を売却したカネを持ち出すことは認められた。
100世界@名無史さん:2008/09/17(水) 22:51:57 0
独ソ不可侵条約に伴う協定により、ソ連勢力圏とされた東欧地域≒バルト3国、旧ポーランド共和国東部、ベッサラビア、ブゴビナのドイツ系は「本国」に立ち退かされる。占領地のポーランドに植民させられたものもいた。
財産の持ち出しは認められたが。

イタリアの南チロルのドイツ系も、ヒトラー・ムソリーニの協定で立ち退かされることにきまったが、半数が移住した段階で終戦となる。
101世界@名無史さん:2008/09/17(水) 23:00:34 0
立ち退かされたときエストニアのドイツ系は1万人程度だったらしい。
現在はドイツ系というものがおよそ1000人らしい。
102世界@名無史さん:2008/09/17(水) 23:08:31 0
ハンザ同盟復活に目障りなのはロシア飛び地のカリーニングラード地区?
103世界@名無史さん:2008/09/17(水) 23:09:53 0
現在、英国ではポーランド人が激増中
104世界@名無史さん:2008/09/18(木) 00:50:21 0
ポーランド人は、ルーマニア人に比べて重宝されてる
使えるし、安上がりなんだ
105世界@名無史さん:2008/09/18(木) 08:54:10 0
現在、英国ではロシア人が激増中
106世界@名無史さん:2008/09/18(木) 09:20:25 0
>>103
情報が遅い
今激減中
こんな世界情勢なのにポーランドの景気はどこよりもマシだからみんな帰った
107世界@名無史さん:2008/09/18(木) 12:45:41 0
現在、英国ではラトビア人が激増中
1944年、赤軍再侵攻の際、エストニア人女性の他に残留エストニア・ドイツ人女性も薄汚いイワンや蒙古に犯されたんだろうな。
109世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:19:27 0
チョンガーのハンザ商館員や傭兵(ハンザの掟により単身赴任で結婚許可されず)に性欲処理されたフィン・エストニア系、バルト系末裔
110世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:21:39 0
ロシア帝国軍がケー二ヒスベルクに攻めてきたときには早々と降伏して自らお股を開いた
111世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:23:34 0
シベリアに行ったら、ドイツ人でないのにドイツ人の末裔だと自慢するロシア人がいた。
112世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:25:56 0
苗字にvonがつくドイツ人でもその多くは騙り貴族の輩。
バルチック・バロンも粗製乱造されたロシア帝国時代の「男爵」
113世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:27:38 0
>>111
その筆頭がロマノフ家
114世界@名無史さん:2008/09/19(金) 10:36:16 0
>>112
そういえば功績のあったユダヤ人にも男爵の地位が与えられたんだよな。
115世界@名無史さん:2008/09/19(金) 11:13:19 0
ロマノフ家はドイツ人そのもの
116世界@名無史さん:2008/09/19(金) 12:29:17 0
>>115
それは「天皇家は韓国人そのもの」と言うのと同じ
117世界@名無史さん:2008/09/19(金) 12:39:06 0
>>115
ロマノフ家の先祖は14世紀頃にモスクワ公家の使用人だったという以外はっきりしていないはず
プロイセンあたりのドイツ人に結びつけた家系図は後世の捏造
118世界@名無史さん:2008/09/19(金) 13:02:19 0
カザリン女帝以降でなく、鼻祖のことか・・・
ローマンなるドイツ人騎士だったという。
119世界@名無史さん:2008/09/19(金) 13:20:45 0
実際はロシア人騎士だろ。
120世界@名無史さん:2008/09/19(金) 13:34:55 0
>>119
14世紀当時のロシアに騎士(ルィツァーリ)はいません。
ドブリャニン(廷臣)といったほうが正しい。
121世界@名無史さん:2008/09/19(金) 15:45:31 0
スウェーデン支配の時代、バルト・ドイツ人はどうしていたんだろう。
122【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/19(金) 17:23:55 O
ロマノフ家なる「家」はともかく、その血統はドイツ系。ピョートル三世以来 男系もドイツ系だし。
123 ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/19(金) 17:25:53 O
「家」→「家系」
124 ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/19(金) 17:31:25 O
ただし、ロマノフ家の遠祖が現在のラトビア辺りにいたローマンという名前(苗字か個人名かは知らん)のドイツ人下級貧乏騎士だったことは事実らしいよ←その次三男だったのかもしれん。

どういうわけか知らんけど、モスクワに行ってリューリク朝の家来になった。
125世界@名無史さん:2008/09/19(金) 17:47:19 0
スレ違いの話題ですまんが、ハンガリーのバートリ家の先祖は、ドイツの
シュヴァーベン出身のグスとケレドという名の二兄弟だったらしいな。
この家系からはポーランド国王も出ている。
>>110

七年戦争の時のケーニヒスベルク開城とロシア帝国軍の統治はうまくいったらしくて市民も歓迎したらしいよ←もちろんドイツ語・ドイツ法・ルター派信仰を公認。

その直後に即位したピョートル三世も和平条件として東プロイセンの割譲をプロイセン(というよりブランデンブルク)に要求していりゃ、

四面楚歌だったフリードリッヒはすぐ飲んだよ。

ピョートル三世は低能か?
127世界@名無史さん:2008/09/19(金) 18:47:17 0
>>121
居座っていましたが、スウェーデン国王が連中の農奴支配権を少々歯止めかけたのに対し逆恨みしていました。
128世界@名無史さん:2008/09/19(金) 20:57:05 0
バルト・ドイツ人が14世紀から18世紀にかけてポーランド王国による支配を選んだ事実は?
ポーランド・リトアニア連合でなく、なぜかその中のポーランド王国
129世界@名無史さん:2008/09/19(金) 21:39:46 0
クールラントのアンナは、帝位につくとすぐに、ドルゴルコフ一族とゴリツィン
一族を追放し、まわりをクールラントの下級貴族ビロン、オステルマン、ミュンニヒ、
レイシー、ビスマルク、コルフ、カイザーリンクなどのドイツ人で固めた。

彼女の治世はビロノフシチナ(ビロン体制)と呼ばれる。
130世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:26:26 0
ポーランド王国は地主貴族とハンザ商人とユダヤ商人に大幅な自治と特権を認めるマッタリ国家だったからね。
131世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:26:49 0
>>129
そんなのはドイツ民族主義の典型的な夜郎自大歴史観
このドイツ系の連中は互いに追い落とそうと対立していたから固まったわけじゃないんだよ
132世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:29:04 0
バルト・ドイツ人貴族を通した支配から直接統治に切り替えたために、エストニア人、ラトビア人の民族主義が高まった。
133世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:29:27 0
ポーランド王国が寛容な国家だったのはあまり日本では知られていない
なぜならあの辺の地域史を日本人に教えた、というより今でも教えているのは
ドイツの民族主義的歴史学者たちだから
彼らの考える「ドイツ民族」に都合の悪い歴史は歪曲してしまう
134世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:31:29 0
ピョートル三世はプロイセン崇拝者だったから、戦勝をわざわざ放棄した。
で、憎まれてクーデターを起こされた。
135世界@名無史さん:2008/09/19(金) 22:36:20 0
バルト・ドイツ人はバルト人を経済的に搾取はしていたが、
ルター派なのでラトビア語、エストニア語に聖書を翻訳することもしたはず。
136世界@名無史さん:2008/09/20(土) 09:17:08 0
クールラント公国は、1737年まではポーランドの管理下にあったが、ビロンが
その公位についた日から、ロシアの勢力圏内に入る。
1762年には、アンナ・レオポルドヴナがビロンを追放し、君主が不在となる。
ピョートル3世は、この公位をホルシュタイン公ゲオルクのものだと主張し、
アウグスト3世は自分の息子にと要求していた。
エカテリーナ2世はビロンを公位に戻し、クールラントは再度、ロシアへの
依存関係に入る。
137世界@名無史さん:2008/09/20(土) 12:09:18 0
北方十字軍はヨーロッパ人による先住民族ゼノサイド、ナチスドイツによるホロコーストの原型であった。彼らを呼び込んだポーランド王国の一部知識人からも非難が起こるくらい残忍であった。
>>137

それを言えばデンマークやスウェーデンも同じことだから切りがない

第二帝国と第三帝国との連続性、特に第一次世界大戦直前〜戦中の第二帝国の対中欧東部・東欧政策に認められるけど。
139世界@名無史さん:2008/09/20(土) 14:09:01 0
>>136
× 管理下
○ 宗主下

>>137
当初は一部だったけど、情報が伝わるにつれて「あいつらやりすぎだろ・・・」の声が全国的に広がったそうだが。
ポメラニア平定のときヴワディスワフ1世に相場の100倍以上もの傭兵代金を吹っかけたことで「こいつらおかしいぞ?」となり、
ピアスト家の本家の男系が断絶しつつあったことと、
チュートン騎士団の残虐行為でリトアニアがポーランドに助けを求めてきたこと、
騎士団の横暴に辟易したプロシアのバルト・ドイツ人たちがポーランド王の庇護を求めてきたことなどが理由で、
ポー&リト同君連合結成へと動いていくわけだろ。

>>138
第一次世界大戦のときはそうでもないだろ。
それどころかドイツは将来的にポーランド人の完全な独立を認める方向で、
ポーゼンを中心としてポーランド王国を復活させただろ。立憲君主制の。
当初は王位が空位だから、戦後に世襲の王を決めるまでの限定措置でドイツからは総督を呼んできて据えて、
実際は3人のポーランド人摂政とポーランド人首相が政権運営をする形で。
ドイツが敗北してポーランド共和国が成立したのでポーランド王国は2年で共和国に吸収消滅してしまったけど。
140世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:16:20 0
高貴なゲルマン騎士は戦場においては勇敢でも婦女子を殺戮したことはありません。
141世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:18:40 0
第一次世界大戦後は
東欧、バルト諸国、フィンランドにドイツ王族を据えて属国化する野望。
142世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:21:15 0
>>140
普段はドイツの河川、街道で盗賊をするような連中がゴロゴロ。そいつらが吐き出されたエルベ以東は北斗の拳のような土地にされてしまった。
143世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:29:11 0
分散してノンビリした生活をしていたスラブ人は自ら武装して自衛するすべがなく侵略民族に奴隷化されっぱなし。
144世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:41:31 0
スラブ vs 侵略民族、じゃないだろ

スラブの弱い部族 vs スラブの強い部族(ポーランド、ボヘミアなど)&侵略民族(ヴァリャーグ、チュートンなど)
だろ
ポーランド人やボヘミア人は周辺の弱い部族を襲って奴隷としてあちこち売り払っていたわけで
しかも「スラブ民族」という概念ができたのは19世紀
145世界@名無史さん:2008/09/20(土) 15:55:38 0
>>142
スレと直接関係ないけど、近世でもドイツ傭兵は悪名高かったよう棚。
146世界@名無史さん:2008/09/20(土) 21:08:04 0
結局ポーランドが非寛容だったのと、
ポーランド王がアホで無能だったのが原因だよな。>北方十字軍

「異教徒にだって彼らの信仰がある。また現地に定住して彼らなりの文化と
生活を送っているのだから支配や宗教を強制すべきでない。彼らがキリスト教を選ぶなら自然とそうするのを待てばよい」
と寛容さを示すでもなく、武力でもって何度も侵略しては、強制しようとするが無能力で敗北の連続。
かといって外交や平和的手段でも「教化」する力がない。

あまつさえ騎士修道会という宗教的にファナティックな連中を呼び寄せ、
彼らの地盤と勢力を根付かせる結果となってしまい、以後何世紀にも渡る禍根を残す。
結果としてプロイセンはドイツ抜きには語れなくなってしまった。

当時のあの辺一体の歴史やポーランド史はキリスト教的、ヨーロッパ的偏狭さ、醜悪さの縮図だよな。
147世界@名無史さん:2008/09/20(土) 21:10:34 0
またアンチポーランドキチガイナチヲタのフラボーが湧いたな
148世界@名無史さん:2008/09/20(土) 21:11:51 0
どっちみちドイツ人を全部永久に追い出すことに成功したからいいんじゃね?
149世界@名無史さん:2008/09/21(日) 00:29:14 0
(ドイツ語地名)オッペルンでは
なんちゃって「ドイツ人」が大勢出現。>>148
150世界@名無史さん:2008/09/21(日) 00:42:16 0
151世界@名無史さん:2008/09/21(日) 01:10:01 0
あのインディアンの侵略が荒れ狂った時でさえ、
ペンシルバニアのクエーカー教徒なんかは土地獲得にそれなりの代価払ったり
平和裏に協定や交渉のシステム作り上げてそれなりに共存できた事があった。

異教徒への強制改宗や武力制圧伴わずやれてんだから、
こういうのは真に相互尊重や寛容の精神と呼んでいいだろう。
152世界@名無史さん:2008/09/21(日) 01:11:37 0
プロイセン問題は結局ポーランド人と
ポーランド王の領土欲と宗教的偏狭さが原因だな。

彼らを強制的にキリスト教に改宗させたい、彼らの土地が欲しい、支配したいと目論むが、
原プロイセン人は強靭で、何度侵攻しても敗北してしまう。
んで根拠地失ってウロウロしてたドイツ騎士団呼んできて代わりに
征服してもらおうって発想だな。

騎士団は戦争は強いがあまりに狂信的で「やりすぎだ」とか
「ややこしいのが居ついてしまった、どうしよう」って
要は相手が異教徒というだけで、相互尊重の立場に立たず
平気で征服を肯定した偏狭さと寛容さの欠如、
自分らの軍事的才幹の無さと、後先考えなかったアホさ加減じゃんw
153世界@名無史さん:2008/09/21(日) 02:16:58 0
【威風堂々】ポーランド=リトアニア同君連合王国!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1209095991/
上のスレでAA貼っているアンチポーランドじゃない?
154世界@名無史さん:2008/09/21(日) 02:26:35 0
なるすれ
155世界@名無史さん:2008/09/21(日) 03:00:10 0
聖地で人の血の味、人殺しの悦楽を覚えたベトナム帰還兵、アフガン義勇兵のようなドイツ騎士団。

ハンガリー王は連中を追い出したが。
156世界@名無史さん:2008/09/21(日) 08:11:08 0
>>152
当時のポーランド王は空位分裂時代だよカス
>>149

その自称ドイツ人の中には戦後カーゾン線以東から移されてきた完全無欠の似非ドイツ人もいるみたいだけどw、

オッペルン(オポーレ)一帯はオーバーシュレージェンの中では【オーバーシュレージェン土人】=600年以上も昔から代々住み続け半ドイツ化したポーランド人・ソルブ人と半ポーランド化したドイツ人の雑種−を含めて、戦後も残留したドイツ人が多かったからおかしくはないよ
158世界@名無史さん:2008/09/21(日) 08:16:36 0
>>149
民主化して「ドイツ系」を自称している総計50万人程度を大量とするかどうするかだな。
最近、ポーランドにおけるドイツ民族政党は選挙で敗北して消滅したようだが。
民族でなく政策で政党を選ぶ。
EU加盟を経て発展するポーランドへの自主的な同化が進んでいるのでは。
159世界@名無史さん:2008/09/21(日) 08:18:32 0
>>155
戦闘で追い出したのではなく、ローマ教会とかけあって追い出した。
騎士団が土地に関する書類を偽造して所有権を主張し始めたから。
160世界@名無史さん:2008/09/21(日) 08:24:03 0
>>146
>「異教徒にだって彼らの信仰がある。また現地に定住して彼らなりの文化と
>生活を送っているのだから支配や宗教を強制すべきでない。彼らがキリスト教を選ぶなら自然とそうするのを待てばよい」

それはポーランド・ドイツ騎士団戦争で騎士団が壊滅的に敗北したあと行われたコンスタンツ公会議における戦後処理で、
「ポーランドは異教のリトアニアを支援し、教皇によって認められているキリスト教のドイツ騎士団を
攻撃した、よってポーランド人はこの世から絶滅されるべきである」
とのドイツ騎士団の主張に対し、
クラクフ大学総長でポーランド全権代表のパヴェルが反論として提出した、
「世界初の基本的人権の提唱」として有名な主張だよカス
161世界@名無史さん:2008/09/21(日) 08:25:58 0
>>146
当時のポーランドは空位分裂時代だよカス
162世界@名無史さん:2008/09/21(日) 10:44:34 0
プロイセン人ほかいくつかのバルト諸小民族へのホロコーストは半ば娯楽産業と化していたという。
ーリトアニアに避難して同化したものもいたろうが。
163世界@名無史さん:2008/09/21(日) 10:54:13 0
現在もドイツ騎士団は存続。
164世界@名無史さん:2008/09/21(日) 11:05:50 0
>>163
政治的実体でなく、単なるカトリック修道会として
165世界@名無史さん:2008/09/21(日) 11:07:23 0
>>162
観光客を読んで人間狩りショーを見せていた
クラクフ大学の古文書にこのことについて実に怪しからんことだと書いてあるそうだ
166世界@名無史さん:2008/09/21(日) 19:00:28 0
ドイツ騎士団は生涯貞潔を誓約した高潔の士で、あくまでもせ、洗礼を受けたプロイセン人が異教徒に迫害・殺害されるのに対し保護する目的で出動しただけであります。
私的に略奪したことなどありません。悪事は後からついてきた一旗組みの連中であります。
167世界@名無史さん:2008/09/21(日) 19:07:31 0
なんだか知らんがなんでバイエルン叩きがこのスレにあるんだよw
確かにミュンヘン一揆とかナチス育てた場所ではあるが…
168世界@名無史さん:2008/09/21(日) 19:32:11 O

800:バルチック艦隊は2度死ぬ! 09/15(月) 18:16 ??? [アーカイブス]
【★バルチック艦隊のタリン回航】

1941年8月27日、スターリンの命令によってエストニアの首都タリンからレニングラードに向かった
ソ連海軍の艦艇127隻、輸送船等74隻は、ドイツ軍が敷設した機雷とLWの爆撃によって、
駆逐艦5隻、潜水艦2隻、警備艦2隻、掃海艇3隻、砲艦1隻、哨戒艇1隻、魚雷艇1隻、輸送船51隻を失い、
軍人約2万人と民間人5千人以上が死亡したと言われている。

【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ<ドイツ軍の大戦果だ余!
   \<!>+\

多分これをもし日本海軍が攻撃していたら、
重巡洋艦キーロフ攻撃に熱中して輸送船は半分も沈めなかっただろうな。
169世界@名無史さん:2008/09/21(日) 20:55:06 0
 ポラック(笑)♪   ポラック(笑)♪   ポラック(笑)♪
  ;;"~'゙;; .∩_∩ ;;"~'゙;; ;;"~'゙;;. ∩_∩ ;;"~'゙;;;;"'~'゙;;. ∩_∩ ;;"~'゙;;
  ミ,,,_,,,ミ( ・(ェ)・)ミ,,,_,,,ミミ,,,_,,,ミ( ・(ェ)・ )ミ,,,_,,,ミミ,,,_,,,ミ( ・(ェ)・ )ミ,,,_,,,ミ
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        ∪           ∪              ∪

170世界@名無史さん:2008/09/21(日) 20:56:09 0
              ∧_∧
             ( ・∀・)
           __,,ゝ┼─┼====┐.        ''"´"'''::;:,,,                Ω ;: ;  Ω
           | □|   .| |:|ヾ二二二二二(O″     ,,;;;;´."'''          Ω ・,' ;*;∵; ζ。;:,.
      _____|__,|_;||___,| |:|ノ-┬─┘     ´''::;;;;::'''"´             ∵~'ハ∴∵;:;
     |ミ///   /   ~~|ミ|丘百~((==___    バゴーン             (#ξρ。;,;。∵ ←ポラック
    .└┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤                 '.:; *,,,,: ;・∵:;゚
     ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三);                  ( つ つ "〆
     ..ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ;*;∵                し(_)



171世界@名無史さん:2008/09/21(日) 21:21:07 0
ペテルブルクにはドイツ人の小役人がいっぱいいたらしい。
罪と罰
172世界@名無史さん:2008/09/21(日) 21:45:42 0
最近、昇り龍のポーランドに比べて、ドイツは全然パッとしねーなぁ
173世界@名無史さん:2008/09/21(日) 22:11:18 0
このスレもポーランドヲタに荒らされるのか。
174世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:09:16 0
ポラックは都合が悪くなるとポラック叩きAAを張って被害者面してごまかそうとするからな。
175世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:11:07 0
ポラックAAは即削除依頼を申請するのでそのつもりで。
176世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:12:38 0
エストニアにスウェーデン系が4000人ほど居たが、ソ連侵攻で立ち退き。
現在は100人未満だろう。
177世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:17:25 0
どうせなら規制議論に持ち込んだらどうだい。
178世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:19:05 0
ボルガ・ドイツ人自治共和国の復活案は、跡地に住み着いた(サラトフ近くのあたり)ロシア人の反対で潰れたのが痛恨。
サラトフのドイツ領事館も閉鎖された。サラトフ州にはドイツ系数百人くらいらしい。
179世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:21:39 0
カリーニングラード州には旧ソ連各地に追放・離散したドイツ系がわずかながら移住している。千人くらいか。
180世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:22:56 0
181世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:24:22 0
チェコには3万人くらいのズデーテン・ドイツ人がいるが、ポーランドと違い官民がドイツ人主張に厳しく目を光らせているのでいまも息を潜めて暮らしている。
182世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:24:49 0
>>180
お前が貼ったこのスレのAA以外は知るか
183世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:28:23 0
ズデーテン・ドイツ人とエリート旧家プラハ・ドイツ人は別。
19世紀末にはプラハで極少数派になっていた。ズデーテン・ドイツ人はプラハには求心力なく、流入しなかったらしい。
184世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:30:07 0
プラハ・ドイツ人ーおそらくドイツ敗戦時2万人未満ーは多く殺害されたらしいが、生き残りの行方は不明。
185世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:36:15 0
>182
向こうに貼ってるのはお前さんか?
186世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:44:43 0
>>185
このスレに貼ったことを暗に認めてやがるな。

どうせ他のスレもお前がやったんだろうが。
187世界@名無史さん:2008/09/22(月) 00:47:26 0
バルト・ドイツ人、プラハ・ドイツ人ーーエリート
ズデーテン・ドイツ人、ボルガ・ドイツ人ーー負け組
188世界@名無史さん:2008/09/22(月) 06:05:14 0
ルール地方には炭鉱労働者として19世紀より移住したポーランド系が数十万いるというが、戦後・近年流入者以外はほぼあとかたもなくドイツ化。
戦後一時期行っていた韓国人炭鉱労働者若干。
日本人も炭鉱労働者として戦後一時期行っていたが、現地女性と結婚した数人以外は全員帰国。
189世界@名無史さん:2008/09/22(月) 06:06:38 0
デュッセルドルフの6000人の日本人社会は不愉快そのものだ。
190世界@名無史さん:2008/09/22(月) 06:10:03 0
ズデーテン・ドイツ人は戦前チェコスロバキアで、スロバキア人よりも多かったのに、くだらない大ドイツ主義にかぶれてスッテッテン。
プラハ・ドイツ人はズデーテン・ドイツ人を粗野な田舎者として嫌っていた。
191世界@名無史さん:2008/09/22(月) 10:41:47 0
>>181
ポーランドはドイツ系住民に対する民族的権利を法律で保障しているが、
それでかえってドイツ系住民のポーランド社会への統合が進んでいて、
急速にポーランド化している

チェコでは逆に、ベネシュ布告という、ドイツ人の権利を剥奪する法律があって、EUから非難されている
それだけにチェコに住んでるドイツ系もかえって意固地になっている

18-19世紀ではドイツ西部のルール・ポーランド人がドイツ社会に統合して完全に消滅したのも、
ルール地方では当初を除いてポーランド人を全く迫害しなくなったのが最大の理由
当地のドイツ人もポーゼンにおける「ドゥジマワのバン」事件で、
ベルリン政府のポーランド人迫害政策を激しく非難した

ドイツ帝国時代のポーゼン地方でポーランド人の民族運動が強まって対立に向かったのは
文化闘争でポーランド人を露骨に迫害したため
192世界@名無史さん:2008/09/22(月) 10:43:01 0
>>189
移民街の様相を呈しているからな
日本人の流れ者が行き着いてラーメン屋などのチープな和食店をやる
193世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:22:19 0
モルダウはドイツ語読み
マサリクの母親はドイツ語常用
194世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:38:28 0
大体スメタナなんてドイツ語のほうが話せるのに無理にチェック語を使ってたんじゃなかった?
195世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:44:03 0
チェコ民族はフス戦争とナチスによって二度も民族自体が消されかけたのだから、ドイツ人を追放するくらいは当然の権利。
196世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:47:13 0
ズデーテン・ドイツ人はーチェコスロバキア国家を承認が前提であるがー権利を認められていたのに、
チェコスロバキア自体を滅亡に追いやったのだから追放されて当然。
197世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:48:59 0
ズデーテンから80万のチェコ人を先に追放したのはドイツだということを忘れるな。
198世界@名無史さん:2008/09/23(火) 01:53:21 0
>>195>>196>>197=ポラック
199世界@名無史さん:2008/09/23(火) 02:05:07 0
プラハはドイツ人買春客いっぱい
200世界@名無史さん:2008/09/23(火) 02:22:56 0
スラブ民族の性格なんてそう簡単には変わらんさ。
ポーランドは第二次大戦前、貪欲に(今で言えばやる気満々?)で周囲の国家を
侵略してまわった(リトワニア、旧ソ連、チェコ、ドイツと。。)。
ところが、安全保障条約を結ぼうとするヒトラードイツに対して露骨に侵略の意思を
(ベルリン占領など)示して、当初、寛大だったヒトラーを激怒させ、いざ開戦となると
わずか2週間で壊滅してしまった。
そして、戦後は、一転して、ドイツに対して行った追放、領土強奪の罪業を隠すため、ドイツによる一方的な被害者という神話をつくりだし、最近にいたっている。
201世界@名無史さん:2008/09/23(火) 02:24:35 0
国際連盟管理下のダンチヒ(住民の96%はドイツ人、第一次大戦前はドイツ領)をヒトラーがその
管理権をドイツに戻そうとするかわりに、第一次大戦後の国境を承認する和平提案をしたが、もともと
ポーランドは、リトワニアが同じ国際連盟管理下にあったドイツ領メーメルを強引に武力で併合したのと
同様、ダンチヒの強行併合を狙っていた。
だから、ヒトラーの和平提案にも、耳をかすどころか、ポーランドはヒトラーの提案を戦争のチャンスとみて
ただちに、軍に動員令を発したり、ポーランド軍内ではおおぴらにベルリン進撃をさけび、ポーランド国内でも
その国内に住むドイツ系住民100万に嫌がらせ、弾圧、迫害を加えてヒトラーを挑発した。
そういったことができたのも、当時ポーランドは軍事大国であり、周辺の国々をその軍の力をもって恫喝しまくっていた。
それだけ、自身があったのだろう。(なにせ、トハチェフスキーの赤軍を、スターリンの戦術的誤りがあったにせよ大敗させたの
だから。)
まして、ポーランドは再軍備を開始して、わずか4年で満足な予備役兵ももっていないドイツに対したかをくくっていたきらいがある。
度重なるポーランドの嫌がらせに対し、特に、ポーランド国内のドイツ系住民の弾圧で、現地からのベルリンへの悲痛な
救援依頼に対し、とうとうヒトラーは開戦を決意した。
202世界@名無史さん:2008/09/23(火) 07:24:22 0
ポーゼン「大公国」ってなに?
203世界@名無史さん:2008/09/23(火) 07:41:44 0
そんなポーランドでもショパンやキュリー夫人なんて
史上最大級の天才生んでるからなあ
204世界@名無史さん:2008/09/23(火) 08:42:02 0
>>194
だけどスメタナってスラブ語でサワークリームの意味
205世界@名無史さん:2008/09/23(火) 08:44:06 0
コペルニクスも血筋はドイツ人とはいえ父親の代かられっきとしたポーランド国民
中世のコスモポリタンなポーランド社会ってなんかすごくいいよ
まさに八紘一宇だゴルァ
206世界@名無史さん:2008/09/23(火) 08:50:10 0
>>202
正式な用語でなく、後からGrosherzogtum Posen呼ぶようになったポーランド人自治区
もともとラジヴィウ大公の領地の首都がポズナニ(ポーゼン)だったから
キリスト教を受容したポーランド王国の最初の首都でもあるポーランド人の故地
207世界@名無史さん:2008/09/23(火) 10:58:42 0
コペルニクスはドイツ語のコプフェルシュムット銅細工職人?
208世界@名無史さん:2008/09/23(火) 11:00:03 0
ポーゼン「大公」の称号をプロイセン公がもっていたってことですか?
209世界@名無史さん:2008/09/23(火) 11:18:53 0
ポーランドの、戦前ドイツの領土でなかった土地に中世に東方植民したドイツ人の多くは早くにポーランド化していた。
210世界@名無史さん:2008/09/23(火) 11:24:26 0
>>207
残ってる記録は古くは父親の二クラウスまでで、
この父親は銅の卸売りややっており、ポーランド王国のクラクフ公国に帰化した時の帳簿では、
姓をコッペルニッグからよりポーランド風のコッペルニックに改名(?)していて、
コペルニクス本人もコッペルニックと記している(当時のポーランド語の綴り法はラテン語的で
今日のポーランド語のものとは異なる)
クラクフ大学時代のコペルニクスの指導教官のアルベルト・ブゼフスキ教授が書いたか、
あるいはコペルニクスが教授に提出したものかわからんが、
そういう古文書の画像を見たことがあるがCpperniciとなっていた
211世界@名無史さん:2008/09/23(火) 11:32:11 0
>>208
「ポーゼン大公国」が非公式の俗称なので、ポーゼン公の称号とかそういう話は関係ないです
212世界@名無史さん:2008/09/23(火) 15:51:15 0
東方植民といって騙され悪質分子によって奴隷に売られていったのはハーメルンの笛吹き
213世界@名無史さん:2008/09/23(火) 17:35:39 0
コッペル:ドイツ語で「銅」
214世界@名無史さん:2008/09/23(火) 20:51:52 0
>>213
いやドイツ語はクプフェル
ラテン語のクプルムから
215世界@名無史さん:2008/09/23(火) 23:45:13 0
1919年2月に、ベラルーシ・リトアニア共和国が成立しましたが、この国は
ソ連の傀儡ですか?
1920年にポーランドに侵入したりしている。
216世界@名無史さん:2008/09/24(水) 01:19:26 0
ドイツ帝国末期にポーランドの発展を阻害する目的で、
それ以前のナポレオン戦争後から旧プロイセン公国だった領域と
その周辺で増えてきたドイツ国家主義者により
極端な民族主義を吹き込まれたまま一次大戦後に成立したもの。

ポーランド独立の際にはポーランド・リトアニア・ベラルーシ、西ウクライナからなる
シラフタ共和国の復活が将来の目標として念頭に置かれていたため、
リトアニア民族主義の鼓舞はドイツ側がシラフタ共和国の未然措置として行った謀略。

現在でもリトアニアの歴史観ではポーランドを暴力的支配者とし、
リトアニアを支配された階級とみなす傾向がある。
だが本当はシラフタ共和国の主な貴族のうち多数がリトアニア人やベラルーシ人。
217世界@名無史さん:2008/09/24(水) 13:32:09 0
リトアニア大公国はベラルーシ人国家だった。
戴冠した地はベラルーシ語地域だったので、リトアニア大公はベラルーシ語話者であった可能性が強い。
218ポラック:2008/09/24(水) 17:28:43 O
おら酒とセックル大好きだけど、仕事はドイツ人やイギリス人の4倍時間かかるだべ
219世界@名無史さん:2008/09/24(水) 18:55:33 0
>>217
大公位はリトアニアの家系なのにか?
ベラルーシはリトアニアの単なる植民地では?

220世界@名無史さん:2008/09/24(水) 23:12:26 0
古ベラルーシ語はリトアニア大光国の公用語であった。
221世界@名無史さん:2008/09/25(木) 02:24:35 0
でも東方正教にはならず、異教⇒カトリックに。
222世界@名無史さん:2008/09/25(木) 06:56:17 0
>>220
公用語とは公の場で使用が定められている言語のことであるが、
ベラルーシ語だなんてそんな定めはどこにも無い
キリスト教受容後の公用語は当然のことながら教会語のラテン語
さらにベラルーシはリトアニアより領域は広いが、湿地ばっかりで人があまりいなかった
223世界@名無史さん:2008/09/25(木) 07:02:47 0
ただしベラルーシのハリチ・ルーシは滅亡したキエフ・ルーシの本流
モスクワのルーシは傍流

ハリチ・ルーシはリトアニアに吸収され、そのリトアニアはーランド王国に吸収された
そのため本来はポーランド王国がキエフ・ルーシの本流

ヨガイラ(ヤギェウォ)の血を引くジグムント3世が17世紀にモスクワ占領をしたのは、
ルーシの本流としてルーシを奪還するため
これにはバルト・ドイツ人の商工民が全力で援助した

224世界@名無史さん:2008/09/26(金) 00:08:24 0
>>222
ルーシは正教会だから教会スラヴ語かの。
ルーシの人口密度が低いといってもリトアニアもそんなに開けてる
わけじゃなし、キエフを遥かに超えてハリコフやヴャジマ付近まで
大膨張したリトアニア大公国はルーシ多数派だったかと。

一方でリトアニアも少数派だからといって多数派に同化されるとも
限らんようで宗教は異教⇒カトリックと別路線だし。
225世界@名無史さん:2008/09/26(金) 06:22:42 0
土地が広いからと言ってそっちが多数派とは限らないんじゃ?先入観は取り払って見ないとな。
226世界@名無史さん:2008/09/26(金) 22:59:22 0
リトアニアは印欧語族発祥の地
227世界@名無史さん:2008/09/27(土) 00:45:03 0
>>225
ちなみに「リトアニア 小国はいかに生き抜いたか(畑中幸子 NHKブックス)」P27
のヴィタウタス大公時代の記述によると
「人口は200万にすぎなかった。その八分の一が民族的にいうリトアニア人であった。」
だそうです。
ルーシは9世紀から、リトアニアは13世紀から国があったので
ルーシが先進地域ではあったようです。
228世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:23:58 0
>>227
>ルーシは9世紀から、

そのルーシはキエフ・ルーシで、ウクライナ・ルーシ
ルーシはルーシでもベラルーシのハリチ・ルーシとは違う
229世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:25:37 0
ポーランドの現在の国防大臣は苗字がドイツ系、名前がポーランド系
ボグダン・クリッヒ(Bogdan Klich)
230世界@名無史さん:2008/09/27(土) 18:37:26 0
>>228
よく考えたらハーリチってベラルーシでもリトアニアでも無い。
ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の1349年の滅亡分割の際に
ハーリチ(ガーリチ、ガリツィア)はポーランドに引き渡された
(リトアニアはヴォルィーニをとった)。ポーランド分割では
オーストリア領となり、今はウクライナ。

リトアニアと縁が深いのはポロツク。10世紀からあって
ポロツク公国を形成したが、13世紀にリトアニアの勢力が及び、
14世紀に併合された。
http://en.wikipedia.org/wiki/Principality_of_Polatsk
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/hosetu31.html
231230:2008/09/27(土) 18:43:44 0
ポロツクの最初の記録は9世紀にノヴゴロド領内の町としてだそうです。
232世界@名無史さん:2008/09/28(日) 06:35:45 0
ルーシ諸国というのは世襲君主がいたのか?
233世界@名無史さん:2008/09/28(日) 09:54:13 0
「公」=傭兵隊長?
234世界@名無史さん:2008/09/28(日) 11:32:27 0
>>232
キリスト教受容以前のスラブ人は基本的に選挙で族長を決める
族長候補は血筋が重視されるが、最終的に決めるのは選挙
235世界@名無史さん:2008/09/28(日) 16:51:28 0
リトアニア貴族はあっさりポーランド貴族に同化されてしまったが、同君連合を
つくったころはポーランドのほうがリトアニアより文化レベルが高かったのか?
236世界@名無史さん:2008/09/28(日) 16:58:27 0
そんな話はポーランド・リトアニアのスレでやれよ。
237世界@名無史さん:2008/09/28(日) 18:27:23 0
クラクフがずっとあのあたりの政治的・文化的中心地だったからな
クラクフ大学があるし
もちろんバルト・ドイツ人たちにとっても
グダニスクの旧市街中心には歴代ポーランド王の本陣の都市宮殿がある
238世界@名無史さん:2008/09/28(日) 21:56:42 0
スウェーデン支配時代も、ロシア帝国時代も、バルト・ドイツ人貴族は
リッターシャフトという特権身分を与えられていた。
239世界@名無史さん:2008/09/28(日) 23:07:36 0
バルト・ドイツ人貴族のもともとの素性は?騎士団から還俗したものが初代?
240世界@名無史さん:2008/09/28(日) 23:16:04 0
ポーランドの発展はカジミェシュ3世から?
241世界@名無史さん:2008/09/28(日) 23:19:48 0
>>239
Yes.
242世界@名無史さん:2008/09/28(日) 23:27:33 0
騎士団は貴族の次男坊以下の集団だから還俗すれば血筋が認められて貴族。
バルト・ドイツ人との関わりにおいてはポーランドの発展はヴワディスワフ1世から。
ヨガイラは尊敬するヴワディスワフ1世にあやかってポーランド王としてはヴワディスワフ2世を名乗った。

バルト・ドイツ人社会は商工民中心で、彼らがポーランド王国が滅亡して後ろ盾としてのポーランドを失ってから、
貴族社会が幅をきかせるようになり、商工民を抑圧。
ナポレオン戦争でポーランドが復活すると共にグダニスク=ダンチヒ等バルト・ドイツ人の諸都市が自治権を回復するが、
それもナポレオンが敗北すると諸都市はプロイセン王国に主権を再び奪われ、それっきり御仕舞い。
243世界@名無史さん:2008/09/29(月) 00:39:18 0
ハンザ商人が地主貴族にはなっていないの?
244世界@名無史さん:2008/09/29(月) 04:20:58 0
ポーランド王国やプロイセン公領の貴族と姻戚関係になってその子孫が、というならあるかもしれないね
貴族のソサエティーと血がつながってないと、貴族にはなれないだろうね
ただしポーランドは貴族=士族がものすごく多かったからね、王領プロシアなら
ハンザ商人の子供とポーランド士族の子供との結婚はよくあったかもね
245世界@名無史さん:2008/09/30(火) 04:51:45 0
ハンザ=海賊
246 ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/30(火) 06:08:48 O
ポーランド・リトアニアの下級シュラフタは人口に占める比率の高さも、

びんぼったれぶりも貴族てーより士族だよな、ありゃ。

てーこたぁ、父方、母方ともに旧士族のおいらはポーランドじゃ旧貴族?w
247世界@名無史さん:2008/09/30(火) 08:18:19 0
>シュラフタ

偽者も多かった。
248世界@名無史さん:2008/09/30(火) 08:32:15 0
ポーランド王国においてはシュラフタは議員でもあり国王の選挙権を持っていたから
偽者対策で厳格な登録制になっていたよ
249世界@名無史さん:2008/09/30(火) 09:26:27 0
ttp://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/john/plauena.htm
ドイツ騎士団長プラウエンの物語 AA版
250世界@名無史さん:2008/09/30(火) 12:32:11 0
ドイツ騎士団は住民に嫌われてたからさ。
251世界@名無史さん:2008/09/30(火) 23:14:29 0
娘を6年間監禁、子供2人を産ませた父親を拘束 ポーランド

ワルシャワ(AP) ポーランドの警察は9日、実の娘を6年間にわたって監禁し、
子供2人を産ませていた同国東部シェドルツェの男(45)を拘束したと発表した。
男は今月5日に拘束された。娘は現在21歳
窓がなく、ドアにとってのない部屋に閉じこめて繰り返し強姦していた。
娘は2人の男児を出産した。





ケダモノ!
252世界@名無史さん:2008/10/01(水) 05:16:37 0
>>242
宗教改革を利用して教会財産を山分けにしたわけですね。
253世界@名無史さん:2008/10/01(水) 09:03:19 0
シュラフタの閉鎖的身分の特権を守るためにポーランド議会はあったんだお
市民は貴族になれないように
国王の貴族取立ても出来ないように
254世界@名無史さん:2008/10/01(水) 11:02:53 0
とはいえシュラフタって国民の10%以上いたからさ、制限選挙としては、かなりの高率
だってアメリカの独立時(18世紀終わり)の有権者って全体の5%未満だし、
日本(19世紀終わり)に至っては1%だからさ
それ考えると16世紀後半から選挙やってるポーランド王国って異常に民主的
唯一最大の欠陥は拒否権(veto)が付与されていたことだろ
根回しで最終的に全会一致でモノを決めるというのは古代からやってるスラブ人の伝統だけど
「和をもって尊しとなす」も、やりすぎはよくない
255世界@名無史さん:2008/10/01(水) 12:22:51 0
>>253
10年ぐらい前に読んだ東大の先生の本に選挙王政のポーランドでは
平民約400家族(正確な数字が書いてあったがそこまでは覚えていない)が
新規に貴族になっていると書いてあったよ
256世界@名無史さん:2008/10/01(水) 12:33:59 0
ザクセン王についてきた輩もいたはずだが、
ポーランド貴族になれたのだろうか?
257世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:06:03 0
ザクセン王のアウグスト2世と3世はドレスデンに住んでて、
国会の開かれるときだけワルシャワに来ていたの
ワルシャワにあったザクセン王宮(現在再建中)は
ポーランド貴族たちがアウグスト2世のカトリック改宗&グニェズノ大司教の下に入った象徴として建てたもの
基本的にポーランドの内政は全部現地のポーランド貴族の自治
ポーランド貴族は日本の武士の株みたいな登録世襲制だから、
もともと先祖がポーランド貴族ならばザクセン人でもポーランド貴族
具体例は知らないけど
258世界@名無史さん:2008/10/01(水) 13:28:02 0
「神の恩寵と人民の意志によるポーランド王にしてリトアニア大公、
および、ルテニア、プロイセン、マゾヴィア、 サモギティア、キエフ、
ヴォリニア、ポドリア、ポドラキア、リヴォニア、スモレンスク、 セヴェリア、
チェルニヒフ公爵である」スタニスワフ・アウグスト
259世界@名無史さん:2008/10/01(水) 23:32:30 0
>>257
ワルシャワのサスキ公園というのがザクセン王宮があったところか?
260世界@名無史さん:2008/10/02(木) 01:53:40 0
>>259
そう
庭園が現在の公園になっている
261世界@名無史さん:2008/10/02(木) 09:33:36 0
ユンカーの名前に、《―ow》や《―itz》で終わるものがあるが、これは先祖が
スラヴ系だったらしい。
262世界@名無史さん:2008/10/02(木) 11:15:36 0
<<-el>><<-ich>>もだよ
<<-el>>はわからないが、<<-ich>>はスラヴ系の<<-ik>><<-yk>><<-uk>>

<<-ow>>はスラヴ系の<<-ow>><<-ov>><<-owski>>、
<<-itz>>は<<-icz>><<-ycz>><<-vich>><<-ic>><<-icki>><<-icky>>、
など
263世界@名無史さん:2008/10/02(木) 11:35:22 0
>>258
「人民の意思」というのが入ってるんだな
264世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:22:46 0
ドイツ騎士修道会国家では、国内のシュテンデ(等族、諸身分)が繁栄してくるに
つれて、彼らは自分たちの国が外国人によって統治されているという気持ちを
深めていった。修道会の補充はまったく意図的に帝国からなされており、国内の
貴族や都市住民からなされることはなかったからである。
そして15世紀に、修道会国家がポーランド=リトアニア連合王国との戦争に
入ったとき、国内のシュテンデの半分が敵方につくという事態になった。
265世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:26:02 0
>>264
修道会の連中と、街を作って商売をやっていたドイツ人商人やポーランド人商人や貴族は違うだろ
それに僧侶もチュートン騎士修道会に入ってない人たちはこの修道会は大嫌いで、
こういった商人や僧侶の人たちがチュートン騎士団に対抗して作った街同士の互助会が「プロイセン連合」
266世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:32:10 0
なんで嫌いだったの?
267世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:44:57 0
>>266
チュートン騎士団は独裁だから相談なしになんでも勝手に決めるし、
税金上げるし、土地をいきなり取り上げるし
都市の大事な商売相手のプロイセン人のところへ行って人間狩り遊びやるし
上に文句言っても聞く耳持たないし
腐敗してるから賄賂が横行するし
268世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:45:00 0
>>266
修道会も、末期になるとかなり腐敗・堕落していたからでは?
269世界@名無史さん:2008/10/02(木) 12:49:23 0
1306年ごろ騎士団はグダニスクでバルト・ドイツ人大虐殺をやったらしい
それで二度と信用されなくなったのでは?
270世界@名無史さん:2008/10/02(木) 15:28:20 0
ブランデンブルグへのもっとも主要な宣教師だったシトー会修道士は、沼沢地
干拓の専門家だった。
それにひきかえ、ドイツ騎士団がもたらしたものは、剣を携えたキリスト教だった。

271世界@名無史さん:2008/10/02(木) 16:39:24 0
強姦、私的略奪はしていなかったの?>ドイツ騎士団ーー結婚、私有財産禁止
272世界@名無史さん:2008/10/02(木) 16:44:24 0
ドイツ騎士団の話はドイツ騎士団スレでやれば。

まぁ、あそこでデタラメ書くとすぐ反論されるからここのほうがやりやすいんだろうけど。
273世界@名無史さん:2008/10/02(木) 16:51:25 0
バルト地域がすべてキリスト教化すると、ドイツ騎士修道会も存在理由が
なくなって、さまざまな内部矛盾が噴出してきたといった感じ。
当初から司教・テュートン騎士団・都市部で構成される連合体だったから
相互の間で内紛が絶えなかったし。

タンネンベルクでポーランド=リトアニア連合軍に敗北しただけでなく、
1558年にはイヴァン4世がリヴォニア戦争を仕掛けてくるし、あげくに
1559年にサーレマー司教は自分の司教領をデンマークのフレデリック
2世に売却する。
さらにフレデリックは弟のマグナス大公にサーレマー島を引きわたし、
マグナス大公率いるデンマーク軍の介入まで招くことになった。
こうなるとリヴォニア騎士団領の解体を目指して、周辺列強はリヴォニア
侵攻へ急激な動きを見せるようになる。
274世界@名無史さん:2008/10/02(木) 17:22:51 0
バルト・ドイツ人は都市民、領主ばかりだったみたい。
ラトビア人、エストニア人、リヴォニア人(現在消滅寸前)が農奴階級で。
275世界@名無史さん:2008/10/02(木) 17:30:01 0
バルト・ドイツ人の700年の歴史の過程を見るとき、彼らがドイツ人だけを先祖にもつのではなく、先住民のプルセン人、ラトヴィア人、エストニア人、リヴォニア人のほか、
隣接する地方から殖民してきたポーランド人とリトアニア人、そのほかデンマーク人、スウェーデン人、スコットランド人、オランダ人といった、多種多様な人々
と混血していることを認識しなくてはならない。

この地域では当初ドイツ騎士団が実効支配し、都市ではドイツ騎士団
(および後にドイツ騎士団や各公国に対する宗主権を獲得したポーラ
ンド王国やリトアニア大公国)の裁可によって主にドイツ式の都市法が
適用されたため、ドイツ語やドイツの習慣が支配的であった。このような状況で住民の通婚が進んだ結果、ドイツ人でない人々もドイツ人の
文化に同化していった(「ドイツ化」現象)。彼らはドイツ人の言葉と習慣を身につけ、しばしば姓名をもドイツ風に変えた。

バルト・ドイツ人とはこうして中世や近代に混血した人々である。
276世界@名無史さん:2008/10/02(木) 17:32:53 0
リヴォニア語(Līvõ kēļ)は、ラトビアのクルゼメ半島の北部(リヴォニア)で話される言語。フィン・ウゴル語派のバルト・フィン諸語に属する。2003年現在、約35人によって話されており、流暢に話すのはその内の10名ほどである。
フィンランド湾を挟んで対岸のフィンランド語やエストニア語と関係が深い。

277世界@名無史さん:2008/10/02(木) 17:35:03 0
1560年に騎士修道会がハルクマエでロシア軍に大敗すると、翌年には
タリンと北部エストニアの貴族はスウェーデンのエーリック14世に
保護を求め、
リーガ大司教とリヴォニア貴族はポーランドのジグムント2世に保護を求めた。
さらにリヴォニア騎士団領最後の総帥ケットラーは、クールラント公国を
建国してポーランドに臣従。
こうしてリヴォニア騎士団領は崩壊。
278世界@名無史さん:2008/10/02(木) 17:58:15 0
騎士団支配時代にも世俗領主もいたということですか?
279世界@名無史さん:2008/10/02(木) 18:14:06 0
>>278
バルト系民族の部族長で、ドイツ騎士団に服従してキリスト教に改宗した
連中とかかなあ?
280世界@名無史さん:2008/10/02(木) 19:12:20 0
>>273
15世紀の大戦争はタンネンベルク(グルンヴァルト)だけじゃない
これは第1次ポーランド・チュートン騎士団戦争で、ここで第1次トルニ講和

1453年からの13年戦争(第2次ポーランド・チュートン騎士団戦争)でマリエンブルク城は
ポーランドに明け渡され、1466年に第2次トルニ講和
281世界@名無史さん:2008/10/02(木) 20:19:11 0
>1466年に第2次トルニ講和

その後、騎士修道会国家はポーランドに対する独立性を失い、西プロイセンは
完全にポーランド領となった。そしてその後、ポーランドからの移住者が
西プロイセンに入ってきて、そこに定着する。
東プロイセンは騎士修道会国家に留まったが、ポーランドの封土としてであった。
282世界@名無史さん:2008/10/02(木) 21:06:15 0
ダンツィヒのショーペンハウエル一族はプロイセン支配を嫌ってフランクフルト・アム・マイン居住。
283世界@名無史さん:2008/10/03(金) 04:13:41 0
東プロイセン地方(地元民絶滅し戦前までは多数派、低地ドイツ語の低地プロイセン方言)と、
ロシア領のバルト・ドイツ人(地元多数民族の上に支配層、近代は標準ドイツ語、ロシア語化)とは、別種になったはず?
284世界@名無史さん:2008/10/03(金) 07:43:11 0
全く違うわけでなく、グラデーション
地元民は部族や言語や文化が消滅しただけ
ポメラニアからクールラントにかけては比較的裕福
そこから北は貧乏
貴族による支配が定着したのはプロイセン王国後
285世界@名無史さん:2008/10/03(金) 07:45:24 0
>>281
いやあドイツからの移住者が特に減ったわけでもないし、
その前からポーランドからの移住者も多かったし
変わったことといえばリトアニア・プロイセンからの移住者が増えたことでは?
286世界@名無史さん:2008/10/03(金) 07:57:28 0
カシューブ人、マズール人はルター派に改宗してドイツ化が進む。
カトリックのドイツ人も多かったらしい?シュレジエンは別にして、
ドイツ人、ポーランド人(リトアニア語話者も含む)の、民族的差異の意識は、
プロテスタント、カトリックという宗教的差異によって固定化した面もある。
287世界@名無史さん:2008/10/03(金) 08:39:04 0
>>285
ポーランド王カジミェシュ4世のおかげで身の安全が確保されたからね
288世界@名無史さん:2008/10/03(金) 08:40:49 0
カシュープ人
『ブリキの太鼓』の著者ギュンター・グラスもそうだし、現ポーランド首相のドナルド・トゥスクもそう。
だがトゥスク首相は敬虔なカトリック。

14世紀から17世紀まで、ポーランド貴族もプロテスタント(ドイツ系のルター派ではなく、
オランダ系やスコットランド系のカルヴァン派)がかなりの数いた(全貴族の2-3割程度)
カルヴァン派の力が強かったのはオランダやスコットランドからの移住者が非常に多かったのも一つの理由。
またポーランドには教義的にカルヴァン派に近いフス派が多かったのも一つの理由。
289世界@名無史さん:2008/10/03(金) 08:49:06 0
『レビンの水車』を見ると、
苗字もポーランド人がゲルマン風、ドイツ人がスラブ風の苗字を持っていた例もあったらしい。
290世界@名無史さん:2008/10/03(金) 08:51:45 0
ヒトラーより前の時代は、帰属民族は自己申告だったから。
291世界@名無史さん:2008/10/03(金) 12:19:45 0
スウェーデンが北部エストニアとリヴォニア北西部を支配していた時代、
バルト・ドイツ貴族たちをてなずけるため、彼らの特権と自治を認める
宥和策をとった。
またリヴォニアでの度重なる戦争によって、従来勢力を争っていたドイツ
騎士団・司教・都市部指導者が没落したため、この間にバルト・ドイツ
貴族は圧倒的権力を持つ結果となった。
実際、タリンにおけるスウェーデン行政官の任務は、軍事面と税の徴収
のみに限られていたし、17世紀中ごろにはバルト・ドイツ貴族は地方分権
により権力をさらに強化した。
スウェーデンはこれに対抗してスウェーデン法のリヴォニアへの導入や、
農奴制の廃止も検討したが、バルト・ドイツ貴族の反対が強く、思うような
成果を上げることができなかった。
292世界@名無史さん:2008/10/03(金) 14:58:27 0
スウェーデン支配のほうが人道的だったらしい。
293世界@名無史さん:2008/10/03(金) 19:28:27 0
>>292
スウェーデン支配時代には、聖書のエストニア語やラトヴィア語訳が一部行われたり、
ドルパット(タルトゥ)大学が創設されたりしたしね。
294世界@名無史さん:2008/10/04(土) 03:17:21 0
ドイツ武士団が侵略する本当の動機であったバルト海のコハクはどうなったの?
295世界@名無史さん:2008/10/04(土) 03:21:32 O
ドイツ女性もハイレグやTバックが大好きだよね。

北欧、チェコ、ハンガリー、ロシアの女性も好きだけど。

ポーランド女性もハイレグやTバック好きなのかな?←ポルノに全然出てこない

ポーランド人はセックルは好きでも露出は嫌いなのかな?
296世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:23:37 O
把瑠都ドイツ語ペラペラだよ
297世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:23:56 0
謎の民族

クルシュー人(Kursenieki)
http://en.wikipedia.org/wiki/Kursenieki
298世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:37:09 0
>>297
ポーランドにおけるカシュープ人と同じで、
中世から近代にかけてラトビア人が出来上がっていったときに、
半ば取り残された部族
299世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:40:45 0
>>292-293
スウェーデンによるドイツ人ロシア人撹乱戦略
反ドイツ・反ロシア感情を焚きつけるため
300世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:50:50 0
>>299
スウェーデンのカール11世はは1694年にバルト・ドイツ貴族の
自治権を取り上げることもしているよな。
大北方戦争の結果、バルト地域がロシア帝国の支配下に入ると、バルト・
ドイツ貴族からなる議会を設け、彼らに広範な権限が認められることになった。
このとき、スウェーデンが廃止したバルト・ドイツ貴族の特権も復活し、
ルター派の地位も保証された。
このため、バルト・ドイツ貴族と農奴としてのエストニア・ラトヴィア
農民との生活格差はいっそう広がった。
301世界@名無史さん:2008/10/04(土) 09:06:12 0
参考文献によりますと、商品作物の生産や蒸留酒製造と多角的農場経営をとりいれるバルト・ドイツ人地主貴族があらわれたそうです。
これは18世紀以来のようです。スミマセン、ゴメンナサイ、訴えないで。スミマセン、ゴメンナサイ、情報交換したいだけです。

参考文献:『物語 バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』志摩園子著 中公新書
302世界@名無史さん:2008/10/04(土) 11:45:56 0
バルト・ドイツ人のことを「オストゼイ」というが、これはバルト海を
指すドイツ語Ostseeに由来し、バルト海沿岸地方のエストニア人および
ラトヴィア人居住地域において支配層を構成していた特権的ドイツ人
貴族やルター派聖職者を指す。
303世界@名無史さん:2008/10/04(土) 15:25:14 0
「バルト・ドイツ人Deutsch-Balten」と、自分らで自称していたの?
304世界@名無史さん:2008/10/04(土) 17:12:47 0
>>301
西欧の農業におくれをとらないためにも、またエカテリーナ2世時代の農奴制
緩和策もあって、19世紀に入ると農民の経済状態もわずかながら改善されて
いったらしい。
305世界@名無史さん:2008/10/04(土) 17:16:35 0
バルトの農奴解放はいつ?
306世界@名無史さん:2008/10/04(土) 17:23:11 0
>>305
エストランドは1816年、クールランドは1817年、リヴランドは
1819年。
307世界@名無史さん:2008/10/04(土) 17:25:33 0
信仰は名目だけで教会財産横領が目的でルター派に「宗教改革」。
308世界@名無史さん:2008/10/04(土) 17:52:29 0
ドイツ騎士団最後の総長であるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=
アンスバッハはルター派に改宗したために国外追放に処せられた。
ちなみに彼はケーニヒスベルク大学の創立者でもある。
309世界@名無史さん:2008/10/04(土) 20:01:42 0
>>308
????
ドイツ騎士団最後の総長がルター派に改宗して騎士団丸ごと世俗公国にしたのでないの?
「追放」ってどこから追放されたの?


310世界@名無史さん:2008/10/04(土) 20:35:33 0
>>309
アンスバッハからじゃないの?
311世界@名無史さん:2008/10/04(土) 20:59:20 0
>>302
オストゼー=東海(トンへ)=韓国領海
312世界@名無史さん:2008/10/04(土) 21:00:44 0
ドイツ史観てかなり無理やりポーランド―リトアニア連合を無視してないか?
313世界@名無史さん:2008/10/04(土) 21:08:51 0
してるよ
学問じゃなくてイデオロギーだもの
314世界@名無史さん:2008/10/04(土) 21:27:01 0
>>312
ロシア史観はどうなの?
315世界@名無史さん:2008/10/04(土) 21:29:42 0
>>314
モスクワが世界の中心
316世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:12:29 0
>>308
ドイツ騎士団総長って今でもいるじゃない。
ブルーノ・プラッター
317世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:36:19 0
>>316
とっくの昔に変質して今は普通の修道会しかやってない
318世界@名無史さん:2008/10/04(土) 22:48:54 0
>>308
ドイツ騎士団最後の総長であるアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハは
ポーランド王ジグムント1世ヤギェウォの妹ソフィアの息子、つまりジグムント1世の甥っ子だから、
追放なんかされるわけがない。
実際、死ぬまでプロイセン公だった。

そもそもプロイセン公国(プロイセン公領)はポーランド王国が与えた1封土にすぎず、
ポーランド王国の正式な裁可を得た上での世俗化だから、それ自体は何の問題もないです。

そもそもアルブレヒトがドイツ騎士団総長に選出されたのと、世俗化で宗主国のポーランドと揉めなかったのは、
アルブレヒトがジグムント1世の甥っ子ということで血が高貴だから。
319世界@名無史さん:2008/10/05(日) 04:01:40 0
そのときドイツ騎士団内部の、
世俗化反対派はどうしたの?
320世界@名無史さん:2008/10/05(日) 09:47:22 0
プロイセン公国と、ポーランド王領プロイセンとは別物なんだよな。
この地域の歴史は本当にややこしい。
321世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:02:16 0
プロイセン公国⇒プロイセン王国東プロイセン州
ポーランド王領プロイセン⇒プロイセン王国西プロイセン州
322世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:07:15 0
>>319
反対するもなにも直前にポーランドと戦争してフルボッコされて完敗
講和条約を結んだ後、総長アルブレヒトがルターに会って感化されて、
総長を辞めて改宗
プロイセン公位はポーランド王ジグムント1世がこの甥アルブレヒトに与えたもの
ジグムント1世への相談なしに勝手に改宗はできない

騎士団の領土というものはポーランド王が代々騎士団に貸与していたポーランド王国の一部
(それまでこれを騎士団が懲りずに何度も無視してポーランドと戦争して、
そのたびにボコボコにされるというのが2世紀ぐらい続いていた)

ジグムント1世がこれを騎士団から全部取り上げて、そこに甥を公として封じた

これによってチュートン騎士団は領土をすべて喪失したが、
クロンベルクのヴァルターが総長を引き継いで団体そのものはそのまま存続
その後も領地をいくらかでも取り戻そうと政治的にいろいろ画策したらしいが、ことごとく失敗
二度と取り戻すことはなかった
323世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:16:04 0
ブランデンブルクの統治者であるホーエンツォレルン家のヨアヒム1世は、
宗教改革への強硬な反対者であり、彼の弟はマグデブルクとマインツの大司教
を兼ね、また悪名高い贖宥状販売人のパトロンでもあった。
修道会総長である従兄がプロイセンで行ったことは、ヨアヒム1世の非とする
ところであった。
324世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:16:59 0
プロイセン外の西南ドイツ地方には、すこしくらいは寄進された領地が教会領としてナポレオン侵攻まで残っていなかったのだろうか?
325世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:18:41 0
ドイツ騎士団って最初からポーランド王の臣下となる約束だったの?
326世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:22:19 0
>>320
封建制度というのを考えれば別にややこしくない
・前者はポーランド王が臣下のプロイセン公を封じた土地(いわば藩)
・後者はポーランド王の直轄領(いわゆる天領)
327世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:22:55 0
バルト・ドイツ人は、現地住民であるラトヴィア人とエストニア人、
そして18世紀以降に流入してきたロシア人農民に対しても過酷な
搾取を続ける一方、ドイツとの文化的つながりを維持し、公用語は
ドイツ語、宗教はルター派新教という文化基盤、ドイツ的な議会、
行政機構、裁判所、学校等の社会制度を備え、強力な独立と自治を
享受していた。それはのちにしばしば「国家内国家」と呼ばれた。
バルト・ドイツ人は、ポーランド人、フィンランド人、ユダヤ人と並び、
特定の地域における特権的な支配階層を形成していた非ロシア系民族集団の
ひとつであった。これらの特権の論拠とされたのは、ロシアとスウェーデン
とのあいだに締結されたニスタット講和条約(1721)とオーボの和約(1743)
であった。これらの条約にはバルト海沿岸地方を含む、スウェーデンから
ロシアに移譲された地域の住民や団体の権利にかんする条項があった。
ニスタット講和条約の第九条には、スウェーデン時代に特権、慣習、
権利、正義を享受していた階層や団体は、ロシアにおいても恒久的に
保護される旨が記されていた。また第十条には良心の自由の保障に関する
規定があった。オーボの和約でも第九条において、ニスタット条約第九条と
ほぼ同じ内容がくりかえされた。特権的地位の制限を求める動きがなかった
わけではない。エカテリーナ二世は1783年、リヴラントとエストラントに
おけるギルド解体や議会改革に着手し、帝国政府主導の新行政機構を
発足させ、1795年にはクールラントを併合し、新行政機構の管轄下に
組み入れた。しかし、これらの改革は女帝の死とともに振り出しにもどる。
328世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:24:25 0
ドイツ騎士団領土の東プロイセンとクールラントが別々に世俗化したのはなぜ?
329世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:25:11 0
>>325
ドイツ騎士団はローマ法王に属していて、ポーランド王の臣下ではないんだが?

プロイセン公がポーランド王の臣下であることと混同している?
330世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:32:18 0
>>325
ドイツ騎士団は当初、マゾフシェ公コンラートから、バルト海南岸の
異教徒からクルムラントの防衛を担うよう要請されてこの地にやってきた。

そして、彼らは異教徒との戦いにとどまらず、ポーランドからクヤーヴィ、
ポモージェ、ドブジュンの諸地方を横領するまでになる。
331世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:32:43 0
ドイツ騎士団ってポーランド王の臣下となる約束でプロイセンを与えられたのだったの?


332世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:34:18 0
>>327
フィンランド人も「特権的な支配階層」?
フィンランド人はスウェーデンに支配されていた従属民だったはず?
333世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:34:35 0
>>328
チュートン騎士団じゃなくて、リヴォニア騎士団だからじゃね?
総長が違うから
リヴォニア騎士団は1561年のヴィリニュス条約で解散、世俗化して、
翌年だったかにやっとポーランド王ジグムント2世の庇護下に入ることを決定
334世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:37:23 0
>>331
騎士団はカトリック修道会だから、ポーランド王の臣下じゃないよ
ヨーロッパ社会の基本的な理解に欠けていると混乱するのかな
アルブレヒトが世俗化してポーランド王ジグムント1世の臣下プロイセン公となったのが1525年
335世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:39:06 0
いずれにしても教会財産の強奪という涜神行為であります。
336世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:41:30 0
>>332
特権的と書くと語弊がある罠。
ロシア本国がツ専制君主制だったのに対して、フィンランド大公国は
立憲君主制であり、独自の議会と政府を有することが認められていた。
337世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:43:46 0
>>327
その見方は変

・まず、フィンランド人は支配階層ではなく、貧しい農民階層
・バルト・ドイツ人というくくりは後世のものであって、その当時に本人たちがそんな民族的な集団意識をもったことはない
・バルト・ドイツ人が民族的な集団意識をもつようになるのは19世紀のナポレオン戦争から
・特権階層は「ポーランド・リトアニア同君連合」臣民(ポーランド系、リトアニア系、ルーシ系、オランダ系、ドイツ系、スコットランド系など多民族)、
スウェーデン、デンマーク、といった、この地域の関係国の貴族、僧侶、商工業者
338世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:44:49 0
1525年プロイセン地域のドイツ騎士団領が単独で世俗化し、リヴォニア地域の騎士団領は孤立した。
イヴァン4世のモスクワ大公国の脅威に対抗するため、リヴォニアの騎士団は1561年、ポーランド王ジグムント2世に臣従して世俗化し、プロテスタント領邦国家クールラント公国となった。
時の団長ゴットハルト・ケトラー(初代、在位1561年〜1587年)の子孫が公位を継承し、首都はミタウ(現在のイェルガヴァ)におかれた。国政は公爵と貴族との合議によって進められた。
339世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:45:15 0
>>336
>>327は18世紀の話をしているが、その当時フィンランド大公国など存在しない
340世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:48:14 0
>>335
そういうことにはならないから安心して
341世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:48:14 0
>>338
リヴォニア地域の騎士団領は、東プロイセン地方が私物化されたとき、
ひょっとしてリガ司教が接収した形になっていたのであろうか?
342世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:50:32 0
還俗したなら無一文で出て行って消えうせろ>ホーエンツォレルン一族はローマ教皇に謝罪しろ!
343世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:51:53 0
>>341
リヴォニアは独自に総長を持っていた
マスターなので、グランドマスターの下の称号になる
ドイツ騎士団ではあるが、グランドマスターからは独立して運営されていた

また東プロイセンはプロイセン公国としてポーランド王国の封土となったのであって私物化ではない
344世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:53:24 0
ロシア帝国では、アレクサンドル3世の治世になると、バルト・ドイツ人貴族に
対する特権も認められなくなる。
バルト・ドイツ人に対してだけでなく、エストニア人・ラトヴィア人・リトアニア人の
民族運動も弾圧された。
345世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:53:25 0
>>342
ドイツ領域諸邦、ポーランド、リトアニア、あそこら辺の君主はみんな親戚だからね
346世界@名無史さん:2008/10/05(日) 10:56:23 0
>>337
当時のポーランド「圏」、特にプロイセン地方では、
貴族の称号を持たない平民の豪農もちらほらいたみたいですよ。
347世界@名無史さん:2008/10/05(日) 11:39:45 0
豪農=グーツヘルシャフト
348世界@名無史さん:2008/10/05(日) 11:41:01 0
>>347
時代が違う
349世界@名無史さん:2008/10/05(日) 11:52:34 0
ゲルツェン
350世界@名無史さん:2008/10/05(日) 12:23:47 0
ドイツ人意識もドイツ国家もなかった時代にドイツ騎士団とはこれいかに?
351世界@名無史さん:2008/10/05(日) 12:34:20 0
>>350
「バルト海沿いのドイツ人騎士団」の意味ではないので。
十字軍のときのテウトニ人(ドイツ人)によるエルサレムの病院修道会。
この時代のドイツとはラテン語じゃなくて当時のゲルマン系の雑多な言葉を話していた大衆のこと。
352世界@名無史さん:2008/10/05(日) 14:39:40 0
病院修道会が殺人行為ですか・・・?
そもそも修道士も聖職者なのに、自ら殺人行為を行なっていいのか・・・?
353世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:11:26 0
>>352
それなら日本の僧兵についてどう説明する?
354世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:11:30 0
当時はキリスト教徒じゃない相手ならいくら残虐に殺そうがかまわないのがしきたり
355世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:12:58 0
非キリスト教徒の人権を擁護する声はなかったのか?
356世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:24:54 0
日本の僧兵は聖職者ではなく、お経も読めぬ寺奴隷でしょ。
357世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:25:20 0
>>352
中世は、ヨーロッパでも日本でも、聖俗が分離していなかったからな。
358世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:26:17 0
ルーシ側から宣教されて正教徒になっていた者も異教徒と間違われて殺戮されたような希ガス
359世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:27:20 0
それは知っていますが、キリスト教の聖職者が#自ら#武器を持ってはいけなかったはず。
360世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:29:50 0
ユダヤ人虐殺も行っていたの?>ドイツ武士団
361世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:30:57 0
モンゴルとドイツ武士団、どちらが、より鬼畜的?
362世界@名無史さん:2008/10/05(日) 15:32:26 0
>>360-361
スレ違い。
363世界@名無史さん:2008/10/05(日) 16:13:11 0
>>355
コンスタンツ公会議でフスの異端問題と共にこのことで大論争になったがな
でも非キリスト教徒の人権をどうするかは明確にされなかった
364世界@名無史さん:2008/10/05(日) 17:02:23 0
スラブの救世主アレクサンドル・ネフスキー大王は世界史上の英雄
365世界@名無史さん:2008/10/05(日) 17:05:41 0
てすと
366世界@名無史さん:2008/10/05(日) 18:43:13 0
>>364
ルーシの、だろ
367世界@名無史さん:2008/10/05(日) 18:45:58 0
(注:彼を英雄と称え、ネフスキーと呼んだのは後世のロシア人)。
368世界@名無史さん:2008/10/05(日) 18:49:14 0
>1260年にはリトアニア大公のミンダウカスと同盟して宿敵ドイツ騎士団を再び破ったのである。これにより大公の権力と権威は大いに高まった

滅茶苦茶怪しい。
ドイツ騎士団とルーシの戦争自体が捏造臭い。

むしろリトアニアの、ドイツ騎士団との戦いで、ミンダウガスに雇われただけっぽい。
369世界@名無史さん:2008/10/05(日) 18:57:55 0
ポーランドに大量のあまりにも不自然に世界最大のユダヤ人がいたのは、
ドイツ騎士団の殺戮、ポーランド貴族の苛斂誅求から逃れるためにユダヤ人のフリをして治外法権を求めたものが多くいたからだと思う。
370世界@名無史さん:2008/10/05(日) 19:01:41 0
ドイツ騎士団はドイツ内地で持て余した「貴族」の2男3男、盗賊、浮浪者、不良少年を吐き出して社会矛盾を緩和させた。だから、ドイツの改革、近代化が遅れてしまう。
371世界@名無史さん:2008/10/05(日) 19:04:02 0
プロイセンなどで建設的なことをしたのは騎士団そのものではなく干拓技術を持ってきたオランダ人。
372世界@名無史さん:2008/10/05(日) 19:38:08 0
>>369
当時のポーランドに大量のユダヤ人がいたのはポーランド王カジミェシュ3世が、
ペスト禍でユダヤ大虐殺をやっていたドイツからのユダヤ難民を快く受け入れたからだろ。

カジミェシュ3世は、「ユダヤ人が井戸に毒を入れたからペストが起きたのだ」というのはただのデマだと
喝破していた。
373世界@名無史さん:2008/10/05(日) 19:47:26 0
この王様に嫡男がいたらこの地域の歴史が全然違ってたんじゃない?
374世界@名無史さん:2008/10/05(日) 20:21:24 0
>>370
貴族だけでなく農民も、ドイツ本国における領主制の圧迫から逃れて、
「乳と蜜の流れる国」に行こうとした。
その運動の結果、ドイツ本国における領主と農民の社会的対立は緩和され、
ドイツは社会的対立の結果を引き延ばすことになった。
375世界@名無史さん:2008/10/05(日) 20:26:17 0
376世界@名無史さん:2008/10/06(月) 07:12:09 0
>>361
宗教を押し付けないだけモンゴル・タタールの方がはるかにましであった。
377世界@名無史さん:2008/10/06(月) 07:18:53 0
経済学者のリスト(音楽家のではない)は、
西南ドイツの小農民の土地を区画整理・大規模経営にまとめ、
過剰となった農村人口をハンガリー王国領に移住させるよう主張した。
ハンガリー人に対しては敬意を持ってハンガリー語を覚えろという一方で、
スラブ人を抑圧するのに貢献しろといっていた。
19世紀の人のはずだが、そのころも東方植民の続きがあったのか。
378世界@名無史さん:2008/10/06(月) 07:21:39 0
戦後連邦共和国本国ドイツ系は人口減少傾向なので、二度と東方植民を復活させないであろうから東欧諸国、ロシアも枕を高くして眠れそう。
379世界@名無史さん:2008/10/06(月) 07:23:28 0
心配なのは南米に潜むナチ残党。
チリに往ったらSSだという手合いが公然といた。
380世界@名無史さん:2008/10/06(月) 08:39:19 0
>>377
そういえばマルクスとエンゲルスは、ヘーゲルの「歴史なき民族」という
理論を受け継いで、
「ポーランド人、ロシア人並びにトルコ領内のスラブ人を除けば、
スラブ人は将来性がない」
「ハプスブルグ帝国内のスラブ人は独立および生存能力にたいする
初歩の歴史的、地理的、政治的、産業的条件すら欠いている」
「スラブ人が国民的市民層にまでなることは困難だ。活動的な市民層は
ドイツ人かマジャール人である。資本も産業上の実権も保有している」
と主張していた。
381世界@名無史さん:2008/10/06(月) 09:31:34 0
「ポーランド人、ロシア人並びにトルコ領内のスラブ人を除いた、
ハプスブルグ帝国内のスラブ人」って何民族?

クロアチア人、スロバキア人はマジャールに属国化されて久しかったけど、
チェコ人は経済発展していたじゃん。
382世界@名無史さん:2008/10/06(月) 10:31:28 0
>>377
リストは大ドイツ民族統一を提唱した国士だからな
経済史学はその道具であったのであーる!!!大ドイツ万歳!!!
383世界@名無史さん:2008/10/06(月) 10:35:46 0
>>381
チェコ人、クロアチア人、スロバキア人な
こいつらには将来が無い

チェコの経済発展は全てドイツ人(プラハ・ドイツ人と呼ばれる)によるもの

クロアチアは今もバルカン最悪の国家であるが観光資源に恵まれているため日本人にはイメージが良いことから
日本人には本質が見えない

スロバキア人には民族としての歴史が無い
ハンガリーの辺境に住んでいた汚いスラブ
ポーランドとは山で隔てられ、ポーランド人のような栄光の歴史を持っていない

スラブ圏で偉大なる歴史を持つ民族はロシアとポーランドのみ
他はクズ
384世界@名無史さん:2008/10/06(月) 10:50:39 0
ロシア革命が起きたとき、バルト・ドイツ人には白軍側についた者が多かったの?
385世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:05:48 0
>>384
みんなドイツへ逃げたよ。
逃げる前にリトアニアにしっかりとリトアニア民族主義を植えつけて、
リトアニアがポーランドと対立するように仕向けた。
目的はかつてのポーランド・リトアニア同君連合の復活阻止。

バルト・ドイツ人の諸都市はポーランド・リトアニア同君連合の庇護にあれだけ世話になっておきながら、
と思いがちだが、
19世紀初頭のナポレオン戦争を契機としてバルト・ドイツ人の間ではドイツ国粋主義が定着したから。

後にダンチヒ自由市でナチ支持者が増えたのはそのせいでもある。
386世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:11:52 0
リトアニアはドイツ武士団に征服されていないので、そこに居た(のか?)ドイツ系は「バルト・ドイツ人」とちがうだろ。
387世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:14:03 0
リトアニアの地主階級はみなポーランド語だったから、リトアニア語を話す農民から恨まれた。
388世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:14:27 0
>>386
おまえはドイツ騎士団に征服された地域だけがバルト・ドイツ人地域だと思ってるのか?
しかもあの地域の主要港クライペダ(ドイツ名メーメル)は旧ドイツ騎士団領のリトアニアじゃないのか?
389世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:17:21 0
元からいた地主だから他所者じゃないし、
最後っ屁としてリトアニア農民に国粋主義の歴史観を吹き込んだのがバルト・ドイツ人だからなあ。
いまだにこの階級・民族対立史観がリトアニア国家指定の正史だからな。
390世界@名無史さん:2008/10/06(月) 12:47:45 0
メーメルはプロイセン公国北端だろう。
391世界@名無史さん:2008/10/06(月) 12:55:11 0
メーメルはポーランド議会王国時代にリトアニア大公国の部分(今のベラルーシのかなりも含んでいた)じゃなかった。
392世界@名無史さん:2008/10/06(月) 13:40:10 0
メーメル(クライペーダ)は、第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって
リトアニアへ移譲され、当面フランスを代表とする連合国暫定統治下に
おかれることが決定された。
リトアニアは念願のバルト海への出口と良港を手にするために、メーメルの
早期返還を連合国側に求めていたが、ネムナス川の国際河川としての
地位を要求していた連合国側は、返還時期の決定を先延ばしにしていた。
さらに1923年1月に返還が実現しないまま、フランスがメーメルで独自に
経済活動を始めるとの情報を得たリトアニアは、ポーランドと特別な
関係にあるフランスの影響力増大を恐れた。
フランス軍がルールへ兵を進めた同日の1923年1月10日、リトアニアは
義勇兵を装ったリトアニア軍をメーメルに侵攻させ、5日間であえなく
占領した。
393世界@名無史さん:2008/10/06(月) 13:49:21 0
ヴィリニュス(ヴィルノ)もクライペダと同じく、帰属問題でもめたよな。
もともとは14世紀にゲディミナスが建設した古都だったが、長い間に
リトアニア人の割合が20%以下に落ち込み、残りをポーランド人と
ユダヤ人が閉めるポーランド化された街になっていた。
394世界@名無史さん:2008/10/06(月) 15:29:47 0
>>393
ヴィリニュス最盛期にはリトアニア人は住民の1%未満
ポーランドから人が移住してそうなったというより、リトアニア人がポーランド語を覚えてポーランド人になった

395世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:11:55 0
プラハに流入したチェコ人もいつのころからかチェコ語を捨てなくなった。
396世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:13:25 0
>>389
ロシア帝国も、歴史的ポーランドの分断を図ってリトアニア民族主義を間接的につくったのでは?
397世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:26:11 0
ロシア帝国はどうだったかな?レーニンとスターリンのソ連はそうだな
398世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:26:20 0
ポーランドを代表する民族詩人ミツケヴィッチはリトアニア人だが、
ポーランド語で詩を書いた。
399世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:27:37 0
>>395
チェコ語が成立したのは遅くて、19世紀半ばだろ
400世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:29:29 0
>>396
ロシア帝国は強引なロシア化政策をとっている。
ポーランドと同様、シュラフタの財産を没収・流刑の上、ロシア農民の
リトアニアへの移住を奨励した。
さらにカトリックからロシア正教への強制改宗、リトアニア語の使用の
制限、ヴィリニュス大学の閉鎖、ラテン文字の使用の禁止とキリル文字の
使用の強要など。
401世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:30:16 0
昔のポーランドはいまのアメリカに似ているかも
多民族国家で、特に明確に強制はしていないが1言語が事実上の公用語になっている
アメリカは英語、ポーランドは古くはラテン語、その後ポーランド語
402世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:30:32 0
だから、歴史文化遺産たるポーランド語を敬意をもって必修科目にせいよ>リトアニア人ども
403世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:31:53 0
だから、歴史文化遺産たるポーランド語を敬意をもって必修科目にせいよ>ベラルーシ人ウクライナ人ども
404世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:33:16 0
個人的には分からんがベラルーシ語やウクライナ語は語彙がポーランド語によく似ているらしいよ
歴史的経緯で
405世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:35:34 0
公用語がラテン語からポーランド語にシフトしたのはいつ?
406世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:35:45 0
リトアニア語は現存する印欧語族では最古形の由緒正しい言語であるぞ!
407世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:36:32 0
>>405
ピャスト朝初期から。
408世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:38:07 0
>>405
コンスタンツ公会議から対抗改革の時代にかけて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%8A%97%E6%94%B9%E9%9D%A9
409世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:39:00 0
>>406
ポーランド語もそうだよ
どっちも印欧語族の中ではかなり古風
410世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:41:40 0
リトアニアには追放される前には30万ほどのドイツ系がいたらしいが。
411世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:42:56 0
>>407
ピャスト朝の初期は国家統一はして、西はプラハやドレスデンまで、東はキエフやスモレンスクまで、
南は今のハンガリー国境まで広大な版図は持っていたが、国語改革はしてないから
ポラン族を除けば、みんなかなり訛ってたし、その当時はまだリトアニアには大きく進出していない
412世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:47:22 0
>>411
リトアニア人はバルト系でプルシ(古プロイセン人)と同じ系統だから、そのころはプルシ扱い?
413世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:48:33 0
>>408
なるほど
414世界@名無史さん:2008/10/06(月) 18:05:12 0
バルト・ドイツ人のことはドイツからばっかり見ないでロシアから
見たり、(広義の)ポーランドから見たりすれば理解が深まるわけで。
ドイツの歴史観は他より特にイデオロギー色が強いから、ドイツ史観で個別の
歴史的事件の関係を掘り下げると因果関係がぼやけてわけわかんなくなるんだよ。
ドイツは伝統的に民族史観が強すぎる。ロシアもそうだが。
ポーランドも社会主義時代に行われた歴史学は特にそうだな。
チェコは19世紀からその傾向が強い。
415世界@名無史さん:2008/10/06(月) 18:07:25 0
>>414
>ドイツの歴史観は他より特にイデオロギー色が強いから

韓国の歴史観みたいなものかな?
416世界@名無史さん:2008/10/06(月) 19:05:12 0
バルト・ドイツ人は少数支配層で無為徒食をしていて衰退。
417世界@名無史さん:2008/10/06(月) 21:41:53 0
>>415
DQN韓国よりはマシ?それとも学問の皮を被って巧妙だけに悪質?
どっちだかわからん
韓国との大きな違いは、ドイツはロマン主義の洗礼を受けていること?
でもロマン主義自体がナポレオンの勢いに危機感を持って対抗したものだから、
ムキになって日本や中国に対抗している韓国と同じ?
ということは今の韓国はロマン主義なのか?
418世界@名無史さん:2008/10/06(月) 21:43:26 0
>>416
基本的に商売人だからみんなよく働いただろ?
なに?貴族だと思ってるの?
419世界@名無史さん:2008/10/06(月) 22:09:37 0
>>412
当然プルシだろうね
ってプルシって何?
420世界@名無史さん:2008/10/06(月) 22:37:41 0
古プロイセン人を本当はプルシ(ラトビア語)とかプルサイ(リトアニア語)とか
プルソヴィエ(ポーランド語)って言うんだよ
421世界@名無史さん:2008/10/06(月) 23:54:33 0
なぜか先住民族の名を国名にしたプロイセン。
422世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:05:03 0
ピャスト朝って部族連合で「版図」はあっても領土は明確に支配できていなかったはず。
423世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:16:17 0
できてるよ。バウツェンの講和でちゃんと取り決めしている。
424世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:30:02 0
なんでこういう基本的なことを高校世界史Bあたりで教えないんだろう
てーか何でいちいち韓国ネタが出てくるんだ?
お馬鹿さんですか?>韓国フェチ&嫌韓厨
他のスレも韓国ネタで荒らされている
嫌韓はかまわんが、馬鹿も大概にせい
朝鮮を持ちだすことに限らず安易な比較は歴史を見る目、解釈を
余計複雑にさせることがわからんのか?
427世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:53:34 0
バルト・ドイツ人の定義ははっきりせず。
プロイセン公国臣民で、低地プロイセン方言を話していた東西プロイセンは、別だろう。

ロシア帝国支配に入ったエストニア、リーブランド、クールラント3県定着・由来の小数者を「バルト・ドイツ人」として定義するべきでは。
428世界@名無史さん:2008/10/07(火) 00:57:32 0
いちおう「バルト海沿岸部、ドイツ文化背景のものでロシア帝国支配に入った者」というくくりで。

ただし、ロシア帝国・プロイセン公国間の親戚関係が続く者もいたようだが。
429世界@名無史さん:2008/10/07(火) 01:00:28 0
>>416
ロシア帝国の官吏・軍人に採用されてペテルブルクに流出していたみたい。
>>427
俺も今までプロイセン人(ケーニヒスベルクなど東プロイセンと
ダンツィヒなど西プロイセンの住民)は
バルト・ドイツ人とは別と聞いてきた。

バルト・ドイツ人はプロイセンより主にリューベックとの
関係が深かったと。
431世界@名無史さん:2008/10/07(火) 01:19:24 0
>>427
定義なんかないよ
正確な用語じゃないんだから

勝手に決めるなよ
432世界@名無史さん:2008/10/07(火) 01:20:54 0
>>430
プロイセン地方の諸都市も東西共にはじめから大半がリューベック法だよ
海運関係で必要だから
433世界@名無史さん:2008/10/07(火) 02:49:54 0
ドイツ語ウィキ(≒ドイツの一般?)」でも、
Kurland, Livland, Estlandの(ロシア帝国の)諸県および(現・エストニア共和国の)Saaremaa島、リトアニアには殆どいない。
とされている。
やはり、ロシア帝国支配に組み込まれて以降の枠組みであろう。

Deutsch-Balten
http://de.wikipedia.org/wiki/Deutsch-Balten

>Die Deutschbalten stellten den Adel und den Großteil des Bürgertums in den ursprünglichen baltischen Provinzen Kurland,
Livland, Estland und Ösel (heute Saaremaa), kaum hingegen in Litauen.

434世界@名無史さん:2008/10/07(火) 02:55:38 0

>Sprache [Bearbeiten]Deutsch-Balten sprechen Hochdeutsch
(mit baltischem Akzent) oder (weniger häufig) Plattdeutsch.

話す言葉も(東プロイセン農民が低地ドイツ語の低地プロイセン方言、一部は中部ドイツ語の高地プロイセン方言を話していたのに対し)
近代には標準ドイツ語化していたらしい。

435世界@名無史さん:2008/10/07(火) 02:59:38 0
修正

>Sprache

Deutsch-Balten sprechen Hochdeutsch
(mit baltischem Akzent) oder (weniger häufig) Plattdeutsch.

話す言葉も(東プロイセン農民がドイツ人追放時まで、低地ドイツ語の低地プロイセン方言、一部、中部ドイツ語の高地プロイセン方言を話していたのに対し)
バルト・ドイツ人の場合、近代には(低地ドイツ語から)バルト風アクセントを帯びた標準ドイツ語に移行していたらしい。

436世界@名無史さん:2008/10/07(火) 03:05:23 0
>Heutige Situation
Bis heute gibt es noch kleinere Minderheiten von Deutschsprachigen in den baltischen Ländern.
In Estland gibt es nach der letzten Zählung (2000) noch 1870 Deutschsprachige. In Lettland sind es 3311 (Volkszählung 2004),
und in Litauen gibt es ebenfalls noch wenige tausend Muttersprachler. Zu beachten ist hierbei, dass Deutschsprachige oft keine
Deutschbalten sind, sondern viel mehr Russlanddeutsche aus Sibirien und Kasachstan.„“




437世界@名無史さん:2008/10/07(火) 03:41:56 0
ドイツ語でなんと書いてあるのでしょうか?
少なくとも東プロイセン人とエストニア・ラトビアのバルト・ドイツ人は血縁関係も文化交流も少なかったらしい。

ウィキは東プロイセンから北進したドイツ人がバルト・ドイツ人になったみたいな書き方していたけど、

今まで俺が本で読んだり、人(日本人とドイツ人)に聞いた話とは大分違う。
439世界@名無史さん:2008/10/07(火) 06:11:23 0
バルト海交易の関係で密接な血縁関係・文化交流はあったでしょう。ないはずがない。
分岐はやはり、ロシア帝国支配に組み込まれてからかと思う。
440世界@名無史さん:2008/10/07(火) 06:28:33 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Baltic_Germans#1989_to_present
>Incorrectly, ethnic Germans from East Prussia are sometimes considered Baltic German for reasons of cultural, linguistic, and historical affinities.
However, the Germans of East Prussia held Prussian, and after 1871, German citizenship because the territory they lived in was part of Prussia. From 1871 onwards,
East Prussia became part of the newly formed unified German state, also known as the German Reich.

441世界@名無史さん:2008/10/07(火) 08:22:52 0
東プロイセン人はバルト・ドイツ人とみなされることもあるが正確ではないとのこと。≫440
やはり(人間・文化のの交流は続いていたが)ドイツ帝国、ロシア帝国という国籍の違いからも分岐したのか。
442世界@名無史さん:2008/10/07(火) 09:07:02 0
一番上に
This article or section is written like a personal reflection or essay and may require cleanup.
って書いてある
http://en.wikipedia.org/wiki/Baltic_Germans

何らかの個人的意図による歴史の捏造・歪曲の可能性アリ
鵜呑みにしてはだめだろう
443世界@名無史さん:2008/10/07(火) 14:48:39 0
ロシア帝国においては、バルト海沿岸の出身のドイツ系貴族や実業家には、
「男爵(baron)」の爵位が授けられた。
444世界@名無史さん:2008/10/07(火) 15:47:58 0
かつてのドイツのナショナリスティックな歴史観では、東方植民は「ドイツ民族の
偉業」とされ、植民が始まる前のポーランドや沿バルト地域は遅れた段階にあり、
ドイツ人が進んだ農業技術をもたらし、初めてこの地域に都市をつくった、
といった調子で描かれていた。

一方、ポーランドでは東方植民が古代スラヴの民主的な制度を破壊したとか、
チュートン人とスラヴ人の戦争の一局面であるなどと主張された。
445世界@名無史さん:2008/10/08(水) 00:54:14 0
>一方、ポーランドでは東方植民が古代スラヴの民主的な制度を破壊したとか、
>チュートン人とスラヴ人の戦争の一局面であるなどと主張された。

これは社会主義ポーランドの時代の官製歴史、それも1970年代までのもの

それに対してそこの上のドイツのは18世紀終わりごろから最近まで一貫してそれだから始末におえない
446世界@名無史さん:2008/10/08(水) 01:23:38 0
ワルシャワの町も18世紀まではドイツ人?
447世界@名無史さん:2008/10/08(水) 09:32:48 0
448世界@名無史さん:2008/10/08(水) 11:35:24 0
う〜ん。ドイツ騎士団の鬼畜ぶりの描写がまだいまいちのような希ガス
449世界@名無史さん:2008/10/08(水) 11:57:43 0
>>446
ワルシャワはポーランド人大中小貴族とユダヤ人商人の街
450世界@名無史さん:2008/10/08(水) 12:44:29 0
>>444
>一方、ポーランドでは東方植民が古代スラヴの民主的な制度を破壊したとか、
>チュートン人とスラヴ人の戦争の一局面であるなどと主張された。

ポーランドは多民族国家が本当のポーランド=シュラフタ共和国の基本で、伝統的に汎スラヴ主義には
無関心だったから、スラヴ云々というところで明らかにソ連支配の共産主義時代の歴史観。
451世界@名無史さん:2008/10/08(水) 16:34:42 0
でもシュラフタはカトリックでないと失格でしょ?
カトリックへの改宗を拒む正教徒のコサックは、差別されて反乱。
452世界@名無史さん:2008/10/08(水) 17:37:15 0
ポーランド国王はカトリックでないとなれないけど、シュラフタはカトリックじゃなくてもいいんだよ
プロテスタントも正教徒もいるし、イスラム教徒さえもいる

17世紀のコサックの反乱は頭領のボグダンの私怨の要素が強い
453世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:31:14 0
15-16世紀ごろのポーランド貴族になってみたいな。
454世界@名無史さん:2008/10/09(木) 06:16:08 0
ユダヤ教徒は貴族身分には絶対差別でアウトだろ。
ただし、ユダヤ教異端派のサバタイ派にはポーランド貴族と姻戚関係を結んだ者がいたらしい。
最近までトルコには、イスラムに改宗したが隠れサバタイ派末裔がいたときく。

正教徒=ツァーリの臣下だからアウトだろ。
プロテスタントおよび少数異端派キリスト教、無神論に近いものも反宗教改革以後、アウト。
455世界@名無史さん:2008/10/09(木) 06:19:14 0
イスラム教徒シュラフタというのは、ドイツ騎士団との戦争に援軍・傭兵としてやってきたジュチ・ウルス系のタタールがポーランドに住み着いたものだろう。

リトアニア・タタールもシュラフタだったとは初耳。
456世界@名無史さん:2008/10/09(木) 06:20:53 0
ドイツ騎士団との戦争に援軍・傭兵として多くのタタールが参加していたことを、
スラブ民族史観は隠し、
ドイツ民族史観は喧伝する。
457世界@名無史さん:2008/10/09(木) 11:38:03 0
スラブ民族史観はロシア民族史観だから隠すかもしれんな

ポーランド自身はちっとも隠さない
ドイツ騎士団との戦争を扱ったポーランドの絵画、歴史小説、映画にもタタール人は堂々と出てくる
そもそもポーランドというのは世界的にもちょっと特殊で、シュラフタ主義保守本流では
多民族・多宗教の共存を誇る国なのさ
458世界@名無史さん:2008/10/09(木) 12:03:05 0
ニーチェがポーランド新教貴族亡命者ニエツキー末裔
459世界@名無史さん:2008/10/09(木) 14:06:37 0
ポーランドのシュラフタはサルマタイ人の子孫なんていう神話が
過去にあったな。
460世界@名無史さん:2008/10/09(木) 14:37:17 0
それはただ単に17世紀当時の流行
461世界@名無史さん:2008/10/09(木) 16:31:36 0
ポーランドのシュラフタはゲルマン人の子孫
462世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:09:36 0
言語で定義した今の意味のゲルマン人じゃなくて、古代ゲルマニアの諸部族を纏めてそう呼ぶならそうともいえる。
レック族=ポラン族は古代から今のポーランドにいたと言われているから。
463世界@名無史さん:2008/10/09(木) 22:58:43 0
ヴァンダル人の故地残留者なのかも。
464世界@名無史さん:2008/10/09(木) 23:00:51 0
スラブ人のほうが実はライン川まで西進していたんだぞ。


465世界@名無史さん:2008/10/09(木) 23:04:47 0
ヴァンダル人とヴェンド人は同じ言葉。
466世界@名無史さん:2008/10/09(木) 23:05:56 0
訂正
ヴァンダル人とヴェンド人とヴェネト人は同じ語源。
467世界@名無史さん:2008/10/10(金) 02:07:11 0
ヴァンダル説ってのも昔実際あったらしい
今では考古学が発展してルーク説が有力
468世界@名無史さん:2008/10/10(金) 06:24:55 0
ポーランド語は、ゲルマン語、ドイツ語からの借用語がほとんどない。
469世界@名無史さん:2008/10/10(金) 09:49:22 0
あるよ
シュラフタも昔のドイツ語にあったゲシュレヒトからとったものなのは有名
ポーランド社会どんどん大きくなったから、貴族を表す言葉がなかったらしい
ラテン語からの借用語が一番多いらしいが
大貴族をあらわすマグナートはラテン語から
470世界@名無史さん:2008/10/10(金) 10:17:33 0
>ポーランド社会どんどん大きくなったから、貴族を表す言葉がなかった


ということは、ポーランドも最初の支配層は外来のゲルマン系ということ。

モラビアもサモというゲルマン人が最初の王。
471世界@名無史さん:2008/10/10(金) 10:44:17 0
ポーランドの最初の支配層はスラブのポラン人とゴブラン人
いまのヴィエルコポルスカ地方ポズナン市とその周辺
472世界@名無史さん:2008/10/10(金) 10:49:12 0
ポランとゴブランて名前かわいいな。ポランがポーランドの語源か?
473世界@名無史さん:2008/10/10(金) 11:25:50 0
WoWあたりで出てきそうな部族名だな
474世界@名無史さん:2008/10/10(金) 13:07:31 0
東方植民前、エルベ川を境にゲルマン語、スラブ語と分かれていたと思うのは誤りでは?
実際にはマインツあたりまでスラブ人が一時は進出していたらしいし、ゴート語などの東ゲルマン人で故地のポーランド、ロシアなどに残留していたのも居たはず。
475世界@名無史さん:2008/10/10(金) 13:30:14 0
今だってドイツにソルブ人がいるよ
最強だったオボトリト人はドイツ化して消滅したが
476世界@名無史さん:2008/10/10(金) 13:31:26 0
エルベ川のあたりまではスラブ人の城砦村落の遺跡があちこちにある。
477世界@名無史さん:2008/10/10(金) 13:37:06 0
ポランと、ゴプランな。
ゴ「ブ」ランじゃなくて。

実際いまでもポズナンの近くにゴプラン湖というのがある。
その湖畔をテリトリーとしていたのがゴプラン人。
ポラン人のテリトリーはその隣、ポズナンとグニェズノを中心とする一帯。
ポランの族長家がポピエリドとその子孫、家系が絶えたので族長選挙をやって、
新族長に選ばれたのが「車屋のピャスト」で、この一族がピャスト朝になる。
ピャストは馬車や大八車なんかを作るマニュファクチュアみたいなもののオーナー親方だな。
ピャストから5代あとの当主がミェシコ1世、その長男がボレスワフ1世。
478世界@名無史さん:2008/10/10(金) 15:50:16 0
コシチューシコはベラルーシ系だったが、1794年の蜂起の際、リトヴァの
分離主義を封じ込めている。
479世界@名無史さん:2008/10/10(金) 17:48:51 0
1794にリトヴァの 分離主義(主体はどのような層?リトヴァ話者の農民?)があったの?
480世界@名無史さん:2008/10/10(金) 22:48:13 0
>>478
だって民族関係なく全ての人々が融合するのがシュラフタ主義であるうえ、
ヨーロッパ初の民主主義憲法である1791年ポーランド憲法の精神でもある
民族自決論は民族主義や国粋主義を煽るだけだという考え

その1794年の「ポワニエツ宣言」では農奴制廃止と農民も入れた民主主義を提唱

ポーランド人はロマンチストなんだよねぇ・・・
良い点であり、悪い点であり
481480:2008/10/10(金) 22:50:41 0
誤解を避けるために書き直す

だって民族関係なく全ての人々が融合するのがシュラフタ主義であるうえ、
ヨーロッパ初の民主主義憲法である1791年ポーランド憲法の精神でもある

民族自決論は民族主義や国粋主義を煽るだけだという考え

その1794年の「ポワニエツ宣言」では農奴制廃止と農民も入れた民主主義を提唱
482世界@名無史さん:2008/10/11(土) 09:01:24 0
ポーランドスレでやるべき内容をなぜこのスレで?
ポラスレ過疎ってるんだから向こうでやってよね
483世界@名無史さん:2008/10/11(土) 09:06:27 0
バルト・ドイツ人にバルクライ(バークレー)将軍のようなスコットランド系が混ざっていたのは、
18世紀イングランドに併合されて亡命したスコットランド人が多かったためか。
484世界@名無史さん:2008/10/11(土) 10:59:27 0
ポーランド王国がスコットランド人を大量に受け入れたから
その下位の封土にもスコットランド人が住みついた
スコットランドからポーランド王国本土へは5万人以上移民してきた
当時のポーランドはプロテスタント、特にスコットランドと同じカルヴァン派系が多かったから
485世界@名無史さん:2008/10/11(土) 12:28:15 0
イングランドに対する反乱が弾圧されたことによる亡命者?
486世界@名無史さん:2008/10/12(日) 01:21:21 0
ここでは1600年代までに3万人ということになっているが、
いずれにせよ多くのスコットランド人移民がポーランドにやってきたことは確かだね
現在のポーランドにもスコットランドに起源のある苗字があるんだってさ
スカイ島からやってきた人の子孫もいる
http://www.scotland.org/about/history-tradition-and-roots/features/culture/1576.html
487世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:13:22 0
第一次ロシア革命が起こると、沿バルト地域でも、都市部でストライキが広がり、
農村では100以上のバルト・ドイツ人地主の荘園が焼き討ちにあった。
タルトゥ大学では集会が開かれ、帝政の廃止、バルト・ドイツ人支配からの
解放や民主制の導入を求める運動が繰り広げられた。
488世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:40:29 0
レールモントフもスコットランド末裔
489世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:01:45 0
ドイツ騎士団じたい、別にドイツ人限定で加入資格でなかったのでは?
490世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:19:33 0
ドイツ騎士団の加入資格じたい、
騎士身分であればドイツ人限定というわけではなかったのでは?


491世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:28:56 0
>>490
Yes.
ヨーロッパ全域から、バルトに騎士たちが集まってきた。
492世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:40:20 0
ドイツ騎士団て、バルト・ドイツ人じゃないだろ
バルト・ドイツ人て、そこの商工業者だろ
493世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:39:00 0
ドイツ騎士団は独身貞潔ゆえ、バルト・ドイツ人がドイツ騎士団子孫ということはありえない。
最後にプロテスタント化したときは別。

494世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:41:00 0
略奪、虐殺という悪事を為したのはドイツ騎士団の後についてきた商人の一旗組みでる。
495世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:42:05 0
ドイツ騎士団は洗礼を受けたプロイセン人と宣教師が異教徒から虐殺されるのを保護する目的以外で聖戦の剣を振るったことは無い!!!
496世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:43:21 0
軍旅は?
497世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:45:08 0
ドイツ騎士団を誹謗するな!
ドイツ騎士団自身は子孫を残さなかったが、キリスト教世界でもっとも清廉な行政に恵まれたプロイセン国民、リガ市民をつくったのである。
498世界@名無史さん:2008/10/13(月) 14:47:00 0
無用の虐殺行為は悪徳奴隷商人と結託した一部の騎士が行った者であり、騎士団総長には内密でしていたことなのだ!!
499世界@名無史さん:2008/10/13(月) 19:38:55 0
バルト・ドイツ人は、ドイツ騎士団>>493が強かんして出来た子孫
500世界@名無史さん:2008/10/13(月) 22:19:17 0
バルト海はドイツ人の縄張り
501世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:03:23 0
スラブの影響が濃い所ばっかだな。
さすがハーフスラブの蛮族呼ばわりされるだけはある。
502世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:15:40 O
今のドイツ人は名字が、〜er 〜tz 〜ck〜ch などで終わる人が多いですが、確か名字でルーツがわかるんですよね。金髪青目の長身や黒髪の長身もいますね… 〜erが完全にドイツ系でしたっけ
503世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:16:53 0
蛮族というのは常にその生命力で新しい文明を生み出すのだよ
ヨーロッパではギリシャ→ローマ→ゲルマン→スラブと文明が移動していくのだ
504世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:19:51 0
>>502
必ずしもそうとはいえない
スラブ人がドイツに同化したとき自分の苗字を翻訳したこともある
Nowak,Novak→Neumann
Kowalski→Schmitt
などという風に
逆もまたアリ
505世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:22:31 0
>>502
すまん>>504で-erの例を挙げるのを忘れた
Krawczyk→Schneider
506世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:24:03 0
-tz -ck -chはスラブ系だな
ほとんどが-ski -k -ykなどの転訛だ
507世界@名無史さん:2008/10/14(火) 11:08:50 0
北朝鮮に大型ウサギを贈った農家のおっちゃんはスモリンスキー。

スモレンスクから来た?

http://www.chosunonline.com/article/20070112000010
508世界@名無史さん:2008/10/14(火) 12:44:25 0
かもしれないしスモレニ(Smolen')さんの子孫かもしれない
もともとスモレンスクにもスモレンさんという領主がいたんだろう
スモレンという名前の土地も有名なスモレンスクの他にポーランドからロシアまで複数ある
シレジアにはスモレン城という城もある
509世界@名無史さん:2008/10/15(水) 23:13:07 0
リューベックとハンブルク、どちらがバルト三国あたりの商権を握っていたの?
510世界@名無史さん:2008/10/16(木) 07:38:07 0
商権でなく商圏。バルト三国ならリューベック。
ポーランドからクールラント、リヴォニアまでバルト海沿いの各都市は都市法としてリューベック法を適用。

ハンブルクは北海方面。デンマークを迂回しないとバルト海に入れない。
511世界@名無史さん:2008/10/16(木) 20:09:50 0
リューベックはドイツ帝国のなかの自由ハンザ都市だったのに、
ハンブルク、ブレーメンと違ってなか、いつのまにラントで亡くなった。
512世界@名無史さん:2008/10/16(木) 21:18:05 0
それはドイツ帝国の王侯貴族に楯突いたから
そういう旧ハンザ都市は多かった
王侯貴族と商工民(ブルジョワ)の階級闘争だな

現在のドイツ国旗は商工民が自分たちのシンボルとして使った旗
513世界@名無史さん:2008/10/17(金) 00:32:48 0
リューベックが州として取り潰されたのはナチの頃だったと思う。
514世界@名無史さん:2008/10/17(金) 00:54:12 0
ヒトラーは「自由」が嫌いだったからリューベックが嫌いだった

反吐が出るほど抱きすべき存在、それが「自由」
言論の自由を潰せ
515世界@名無史さん:2008/10/17(金) 02:12:33 0
1937年に、ハンブルク州を拡大するためにプロイセン州シュレスビヒ・ホルシュタイン管区から割譲された代償として、
リューベック州はシュレスビヒ・ホルシュタイン管区に併合された。
516世界@名無史さん:2008/10/17(金) 02:14:22 0
1937年に、ハンブルク州を拡大するため、その周辺地域がプロイセン州シュレスビヒ・ホルシュタイン管区からハンブルク州に合併された代償として、
リューベック州はシュレスビヒ・ホルシュタイン管区に併合された。


517世界@名無史さん:2008/10/17(金) 02:16:18 0
リューベックはドイツ帝国参議院を構成する州の1つであったのに。
518世界@名無史さん:2008/10/17(金) 02:26:51 0
自由都市であったフランクフルト・アム・マインは普墺戦争でオーストリー方についたので、
ハノーファー王国などと一緒にあぼーんされた。
519世界@名無史さん:2008/10/17(金) 22:13:23 0
自由都市ってナニガどのくらい自由だったの?
520世界@名無史さん:2008/10/17(金) 22:40:45 0
自治権。
521世界@名無史さん:2008/10/18(土) 11:08:29 0
19世紀に、プロイセン政府はドイツ統一を押し進めるために大規模な宣伝工作を
行ったが、その手段として中世史研究は大きな役割を果たした。
ドイツ騎士修道会の研究も、愛国的歴史家の手によって行われ、国家の側からも
積極的に推進された。
1806年にマリエンブルク城の再建計画が始まったのも同様な意図のもとに
おいてであった。
ヴィルヘルム2世は1902年のクリスマスに修復記念祭に出席し、ワイクゼル
以東の地におけるドイツ人の指名について語り、ポーランド人からドイツ人の
国民的財産を守れ、と呼びかけている。
ここでも騎士修道会はプロイセン国家の先駆として位置づけられ、トライチュケの
議論が蒸し返されていた。
522世界@名無史さん:2008/10/18(土) 11:47:11 0
マリエンブルク城を再建したのは戦後のポーランドじゃないか
ドイツではあれはドイツが再建したことになってるのか
もしかしてマリエンブルク城が300年間以上もポーランド王のあの地方行幸用の
本陣で、改築改築で建物の形が変わっていることを教えてないとか?

これはすごいドイツw
523世界@名無史さん:2008/10/18(土) 13:05:57 0
レンガで城が出来ているのは貧乏なプロイセン気風のため?
524世界@名無史さん:2008/10/18(土) 14:10:10 0
マルボルク(マリエンブルク)城に限らず、ヨーロッパ各地の中世の遺跡と
称するものは、中世そのままの姿をとどめているものは少なく、後の時代に
改築されたり修復されたりしたものが多い。

現在のケルン大聖堂も、1880年に完成したものだしな。
525世界@名無史さん:2008/10/18(土) 18:15:08 0
>>523
砂岩などの自然の岩はあの地方ではコストが高いからじゃないの?
526世界@名無史さん:2008/10/18(土) 18:39:48 0
>>525
ヴィスワ川の上流部はポーランドがしっかり握ってたしな
527世界@名無史さん:2008/10/18(土) 19:59:07 0
採石場から遠いということ?
528世界@名無史さん:2008/10/18(土) 20:47:31 0
>>527
オランダと同じで、河の下流は石材が不足していたのでは?
529世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:30:20 0
なるほど、色つき地図では分かりにくいが、
あの辺は河川を見ると東西方向よりも南北方向のつながりが深いのか。
確かに当時の運送の主体は船だからな。
530世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:48:15 O
色白で黒髪黒眉の長身ドイツ人は何系の血が強いのでしょう? 黒髪といえどラテン系には見えないし… うーん
531世界@名無史さん:2008/10/18(土) 23:58:40 0
早くからダンツィヒもトルンもヴィスワ河によってポーランド内陸部と
密接な商取引関係を結んでおり、1300年以後ドイツ騎士修道会の
貨幣はポーランド北部における取引で法的支払い手段として認められて
いたほどだった。
トルンも同様にクラクフ、ガリツィアなどとの商取引関係が深かった。
こうした商取引はすべてヴィスワ河を大動脈として営まれていた。
当時のプロイセンにはポーランド人にはヴィスワ河における荷物運送は
許されておらず、それには特権的な資格が要求されていた。
クラクフはこれに対して商品集積地をつくって対抗しようとしていた。

532世界@名無史さん:2008/10/19(日) 00:37:42 0
悪く言われただけで、ナチオタとかドイツオタだとか、発想が痛いよな。
歴史板でマンセーレスだけもらえると思ってんのかな。

>「世界初の基本的人権の提唱」として有名な主張だよカス

過去の経緯をすっとばして、政治的な切り貼りを本気でそう思ってる
頭のおめでたいお前のほうがカスなんだよ。

自分から招聘し北方への十字軍を奨励したのはポーランドなんだよ。
自分らの支配欲から血みどろの紛争を招いて数百年の禍根を残し、あげくに対抗上半異教徒みたいな連中とも手を結ばなくならなった。
そしてその状態を非難された時に、下手な選択で大火傷したした過去への悔恨、新規同盟者への配慮の中での言葉。

言うならば第二次大戦後まもなく、ボロボロになって疲弊したドイツ人が「異民族も同じ人間」、「力によって紛争の解決でなく恒久平和を」とか主張したり、
明らかになったナチの犯罪にドン引きして、
「ユダヤにも等しく人権を」とか主張するようなもの。あと東ドイツの連中がソ連や共産主義を配慮尊重した発言をしたりな。
そんなドイツ連中を「すばらしい人権派」とかまともに称えるか?
自分らの偏狭性や領土欲に端を招いた歴史をすっとばし、
都合のよい部分だけ取り出してあたかも人類の崇高な人権理念の
確立かのようにうそぶくのはただの夜郎自大かDQNだろうな。
533世界@名無史さん:2008/10/19(日) 00:42:08 0
>聖地で人の血の味、人殺しの悦楽を覚えたベトナム帰還兵、アフガン義勇兵のような
>普段は強盗

そんな札付きの鬼畜集団をわざわざ呼び寄せるとは・・・
よっぽどその後を考えないアホだったか、それぐらい異教徒を嫌悪してたのか、
領土欲に目がくらんで周りが見えなくなってたんだろうね。
534世界@名無史さん:2008/10/19(日) 01:14:40 0
>>532
呼んだのはポーランド分裂時代のマゾフシェ公だよカス
それは聖ヴォイチェフ(聖アダルベルト)のように布教者が殺されないために、
布教する際の身辺警護と反乱時の治安回復のためには最低限兵力を使わなけばならないから

領土拡張はカトリックを広めるためなのは当然のことでまったく正しいこと
ポーランドが領土拡張欲を持つのが悪であるかのように思い込んでいるようだな
領土を拡張してポーランド王の威光による八紘一宇を成し遂げる、これが聖なるポーランド騎士の使命なのさ

その過程で崇高な人間理念が世界で最初にポーランドから提唱された
このことを知らないといけない
人類の思想史における画期である
535世界@名無史さん:2008/10/19(日) 01:16:11 0
>>533
その連中が暴走したから、2度にわたって完膚なきまでに叩き潰して、
二度と偉大なるポーランドに歯向かえないようにした
536世界@名無史さん:2008/10/19(日) 01:23:45 0
ドイツ騎士団領からは木材、琥珀、ポーランド王国からは穀物、
ロシア方面からは黒貂、熊、リスなどの毛皮が輸出された。


ドイツから東欧には何を輸出?
537世界@名無史さん:2008/10/19(日) 04:40:56 0
>>536
騎士、商人、聖職者、大農業植民者といった「支配する側の人間」
538世界@名無史さん:2008/10/19(日) 08:36:08 0
>領土を拡張してポーランド王の威光による八紘一宇を成し遂げる
すげーな、マジでこんな事書くやつが人権宣言とか寛容だったとか言ってんだよw

相手が異教徒なら、土地を奪ったり、キリスト教を強制したり、
殺戮してもいいとか、そんなものを「寛容」とは呼ばないんだよカス。
戦争が弱くて原プロイセン人に勝てない。かといって外交的に平和的に教化服属もできない。

んで騎士団を呼んできて、汚れ部分を担当してもらって
おいしい所だけ独占しようしてたら、むこうがより貪欲かつしたたかで、逆に土地を奪われて対抗勢力になられてしまった。しかもやり口が狂信的すぎてついていけないと。
ただの自分の政略が下手さが原因のアホなんだよ。

どのみちプロイセン側から見れば
騎士修道会だろうがポーランドだろうが同類だな。

20世紀ファシズムのイタリアやスペインが、ドイツほど狂信的でない、過激ではないとしても同じ穴の狢。
〜左派〜右派、過激派穏健派の違いがあろうが同じ党である事に変わりない。
戦争に強いか弱いか、より狂信的かそうでないかの違いがあっても、
方向性が同じなのには変わりがない。
539世界@名無史さん:2008/10/19(日) 11:09:58 0
>>538は頭の中そうとう逝ってるなw
540世界@名無史さん:2008/10/19(日) 14:28:34 0
このまえ同じ学部のドイツ人と風呂へはいったんだけど、チンポ臭すぎ
541世界@名無史さん:2008/10/19(日) 16:38:00 O
>>540
kwsk

ドイツのオッサンとエロ話した時に、ドイツのホウケイ率は50パー位だと思う、と言ってたな ホウケイが汚いという意識はないらしい
ジーンズはいた時も擦れずに暖かくて良いとか言ってた
542世界@名無史さん:2008/10/19(日) 16:38:49 O
>>538
パーランドに見えた
543世界@名無史さん:2008/10/19(日) 18:02:08 0
>>538
おまえ自分が狂信者だろ。
544世界@名無史さん:2008/10/20(月) 04:37:42 0
>>536
銀、鉄、塩漬けニシン、ビール

だろう。
545世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:57:52 0
>>536
当時のポーランド王国の最も重要な輸出品は岩塩。
世界最古の岩塩坑ボフニア、操業しているうちでは世界最古の岩塩坑ヴィエリチカ(世界遺産)といった、
岩塩坑がポーランド南部マウォポルスカ地方に点在。
同様にマウォポルスカ地方からシロンスク地方(ドイツ語シュレジェン)にかけての穀物と石材も重要。
これらは主にヴィスワ側の上流地域であり、そのため水上運送が発展した。

王国がポズナン(ドイツ語ポーゼン)からヴィスワ川の上流にあるクラクフに遷都したのはそのため。
ポーランド王国は岩塩の採掘によって栄華を極めることとなった。21世紀の現在でも採掘は行われている。

ピアスト家は東ニーサ川(ドイツ語東ナイセ川)の上流一帯に分家を置いて勢力を広め、
この一帯の穀物や石材の利権を支配し、ニーサ川とその下流であるオドラ川(オーデル川)の水運も支配した。
ピアスト朝のクラクフの本家とシロンスクの分家が分裂した遠因でもある。
546世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:45:22 0
あ、なるほど、ポーランドの分裂時代ってそれでか
経済史の知識がないとドイツ騎士団もなかなか理解できないな
547世界@名無史さん:2008/10/21(火) 04:16:45 0
>>546
だな。
ポーランドがあそこまでプロイセン侵略にやっきになったのも
交易や領土といった小さな点だけでなく、それらを欧州全体で包括していた
「キリスト教ビジネス」の側面から見るのも大切。
548世界@名無史さん:2008/10/21(火) 04:35:53 0
ロザリオのコハクを独り占めにして大儲けするのが目的だった。
549世界@名無史さん:2008/10/21(火) 08:38:40 0
>>547
それはポーランドでなく、ポーランド王国の中のマゾフシェ公国だろう
550世界@名無史さん:2008/10/21(火) 14:01:47 0
>カジミェシュ大王

なぜかユダヤ人受け入ればかり強調されるが、
この人って性懲りもなくまた十字軍唱えてなかったっけ?
「キリスト教徒と異教徒」「宗教と宗教」みたいな発想に囚われてるから、
深刻な争いになるって全然学んでないよな。

ユダヤ税が期待できない相手には冷たいねw
551世界@名無史さん:2008/10/21(火) 15:02:30 0
ポーランド王国から(中東への)十字軍に参加したことあったの?

東方正教圏のコサック、ルーシからはないだろうけど。
552世界@名無史さん:2008/10/21(火) 15:38:01 0
>>550
彼は1364年に、クラクフに神聖ローマ皇帝カール4世をはじめとする
欧州各地の王侯を集め、対トルコ十字軍に関する国際会議を開催している。
553世界@名無史さん:2008/10/21(火) 15:42:44 0
ポーランドとボヘミアの関係はあまり語られないな。
554世界@名無史さん:2008/10/21(火) 16:41:17 0
>>551
カジミェシュの代じゃなくても
実際に後年ドイツ騎士団と一緒になって
攻撃している。

すでにドイツ騎士団の残虐、裏切り、貪欲ぶりが明らかになってたにも
かかわらず対異教徒戦にはそんな鬼畜集団とも平気で手を組めた。
やっぱ「仲間意識」があったんだろうなw
555世界@名無史さん:2008/10/21(火) 17:03:19 0
直接脅かされていた対トルコは当然だろう。
エルサレム方面まで十字軍に参加したことあったの?

東方正教圏のコサック、ルーシからはないだろうけど。
556世界@名無史さん:2008/10/21(火) 17:23:28 0
>当然だろう

例えばフリードリヒ2世。
モノホンの十字軍の狂気の時代に宗派の違いを越えて
対話やと寛容を説いた。教皇に破門されようが、悪魔呼ばわりされようが、
相手が異教徒だろうが宗教的ドグマにとらわれず、キリスト教自体を客観的に見て、アラビア語までをも解し、
イスラムと対話と共存を成立させた。

しかも血を流さずに対話だけでエルサレムを手中にするという老獪な外交力も所持していた。
こういうのを寛容と才気あふれる名君主と言う。

これに比べたらカジミェシュなど田舎の地方領主レベルにすぎない。
557世界@名無史さん:2008/10/21(火) 20:34:32 0
フリードリヒ2世は神聖ローマ帝国を分裂させたアホ君主
558世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:15:36 0
>>550
カジミェシュ大王は国際的な軍事行動をせず、ハンガリー王、ボヘミア王と「ヴィシェグラード条約」を結んで領土問題を解決、
国内経済の発展に尽力したので有名。知る限りどこへの十字軍も一度も唱えていないはず。

唱えた、という情報はどこから引っ張ってきたのか?

現在のポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー4カ国の国家連合である「ヴィシェグラード機構」は、
カジミェシュ大王のときのヴィシェグラード条約(トレンチン条約とも呼ばれる)にちなんでいる。
559世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:25:33 0
>>551
いわゆるパレスチナへの十字軍では貴族の一部が個人的に参加したことがあったということは
聞いたことがあるが、はっきりは知らない。
少なくとも君主あるいは国家としては8回とも関わっていない。

後の時代の話でトリビアになるが、
スウェーデン王国がポーランドを助けようとロシア帝国に対する十字軍を呼びかけたことは、
スウェーデン史やポーランド史に疎い日本ではほとんど知られていない。
560世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:30:33 0
>>559
スウェーデンとポーランドって継承戦争した後はずっと仲がいいね
今でも
561世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:35:34 0
>>560
ポーランド継承戦争はポーランドとスウェーデンの戦争じゃないよ。
ポーランド貴族の大多数とスウェーデン王国は同じ人をポーランド王として擁立した。

仲が悪かったのはその前の「大洪水時代」のポーランド・スウェーデン戦争まで。
その後関係が修復され、以来現在までずっと友邦のような状態でいる。
562世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:36:06 0
>>550 >>554
ドイツ史ではカジミェシュ3世がが十字軍を唱え、
異教徒と対立する発想に囚われた全然学んでない愚かな君主で、
カジミェシュ3世の後の時代のポーランドがドイツ騎士団と一緒になって
どこかへ攻め込んだと教えているのか、なるほど

さすが、それでこそドイツの真骨頂だw
563世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:40:57 0
>>561
すまん
564世界@名無史さん:2008/10/21(火) 22:09:39 0
>>562
>ドイツ史
どこからドイツ史が出てきたんだ?
見えないドイツ人と戦うのも大変だなw
565世界@名無史さん:2008/10/21(火) 22:14:56 0
ドイツ騎士団は全てポーランド史
ドイツ史じゃないよ
566世界@名無史さん:2008/10/21(火) 22:15:49 0
567世界@名無史さん:2008/10/21(火) 22:24:31 0
あーあかわいそうに、発狂してしまったw
見えないドイツ人に囲まれてる気がしてるのか。
568世界@名無史さん:2008/10/22(水) 15:09:33 0
ルフトハンザはハンザ同盟の残党?
569世界@名無史さん:2008/10/22(水) 16:25:04 0
ハンザ同盟はどこの王国軍にあぼーんされたの?
570世界@名無史さん:2008/10/23(木) 01:41:44 0
中世自由都市、都市共和国の伝統はナポレオン1世がとどめを刺したといえる。
オランダ、スイスのような国は共和国連合から中央集権国家に移行して生き残ったが。


571世界@名無史さん:2008/10/23(木) 09:50:16 0
>>570
おまえは何を、言ってるのか
ハンザ都市を潰したのはプロイセン王国→ドイツ帝国だよ

プロイセン連合加盟都市にとってナポレオンは解放者で、プロイセン王国に奪われていた自治権を回復した
ナポレオンが負けたので、これらの都市はプロイセン王国に再度自治権を奪われ、歴史が終わったんだ

572世界@名無史さん:2008/10/23(木) 09:55:52 0
>>562
真面目な話、ドイツでは義務教育でそう教えている。DQN度では韓国に引けをとらないよ。
573世界@名無史さん:2008/10/23(木) 15:49:52 0
皆川博子『総統の子ら』(集英社)に、ドイツ軍占領下のポーランドで秘密学校を
開いていたポーランド人が教えていた中世史の内容を知って、ドイツ人が、

子供たちに歴史を教えるなら、正確に伝えてください。ご存じないはずはないと
思いますが、13世紀の初めにドイツ騎士団がバルト方面に進出したのは、
ポーランド国王に、服従しない土着の非キリスト教徒を討伐してくれと招かれた
からです。つまり、当時のポーランド王は、原住民の征服に、怠惰にも、自ら
血を流して戦うことをしなかったのです。土地は、血とともにあります。
このたびも、あなたがたの政府高官は、国民を見捨ててさっさと亡命してしまった。

という場面がある。ドイツ人の中世史に対する認識はこういうものなのかな。
574世界@名無史さん:2008/10/23(木) 19:13:37 0
ナチ独オタうぜえ
575-:2008/10/23(木) 20:07:51 O
>>573
これはドイツ史観が間違ってるの?
576世界@名無史さん:2008/10/23(木) 20:34:55 0
朝鮮がロシアの南下になんら努力せず、血も流さなかったから
代わりに日本が日露戦争で血を流してロシアの侵略から守った。

こういう見方と同じだろ。
577世界@名無史さん:2008/10/23(木) 20:51:19 0
>>575
そう
ひどいもんだな
要するに韓国朝鮮が日本より強かったらこんな風になるぞってこと
ヨーロッパと東アジアは地理的条件が違ってて日本は幸運
578世界@名無史さん:2008/10/23(木) 20:52:25 0
>>576
ポーランドが日本で朝鮮がドイツだよ
地理的な条件があべこべになっているから結果があべこべになっているだけ
579世界@名無史さん:2008/10/23(木) 23:39:22 O
>>577
そうなのか
あの文面に何ら違和感を感じなかったよ

ドイツ史はドイツの目線で見たら駄目って事か
580世界@名無史さん:2008/10/24(金) 02:05:01 0
プーチン・ロシアの時代だが、ドイツ系ロシア人は主だった者がドイツに逃げて、エリート、有名人ではいなくなったみたい。
581世界@名無史さん:2008/10/24(金) 09:47:36 0
>>579
というより>>577の言いたいのはドイツ以外のソースも読んでみることが大事だということじゃ?
2chと同じで「嘘を嘘と見抜けないと・・・」だろ。
自然科学と違って、歴史は声のデカい側による捏造・誇張・歪曲が多いからな。
日本史だって外国によって散々曲げられているだろ。

ちなみにロシアではこのところ小中学校で、
「モンゴルがロシアを支配したのは嘘。タタールのくびきは無かった。
ロシアがモンゴルを毛皮などの商品で釣ってうまく操っていた。」と教えている。
582世界@名無史さん:2008/10/24(金) 13:29:08 0
ここで一番声のでかいやつはポーランド目線だよな。
おまいの主張通りなら疑った方がいいよな。
583世界@名無史さん:2008/10/24(金) 15:55:37 0
疑って他を調べるなら意味があるな。
疑うだけで何もしないなら迷信を信じて他を全て拒む農奴みたいなものだ。
584世界@名無史さん:2008/10/24(金) 23:45:26 0
モスクワがモンゴルの威を利用して、聖なるルーシに専制を持ち込んだ
585世界@名無史さん:2008/10/25(土) 00:40:06 0
>>575
間違ってるも何も民族主義的、感情的な表現部分以外は事実。
ドイツ騎士団が居つくに至った経緯を調べればよい。
アメリカ人学者が書こうが、日本人歴史家が書こうが似たような内容になる。

外国で真珠湾攻撃が書かれるとして、親日反日どうとか問わず、
「日本軍は事前の宣戦布告無しに奇襲を行った」みたいな記述されるのは
ある程度止むを得ないだろう。それが「歴史」だから。
キリスト教史や環バルト海地域の歴史として学んでも同じような事は学ぶ。

それを何か「ドイツ史で教わって洗脳されてる」「ドイツの中傷だ」
みたいな感じで何か力んで興奮して拳振り回してる奴がいるわけ。
586世界@名無史さん:2008/10/25(土) 02:09:47 0
領土拡張はカトリックを広めるためなのは当然のことでまったく正しいこと
ポーランドが領土拡張欲を持つのが悪であるかのように思い込んでいるようだな
領土を拡張してポーランド王の威光による八紘一宇を成し遂げる、これが聖なるポーランド騎士の使命なのさ

その過程で崇高な人間理念が世界で最初にポーランドから提唱された
このことを知らないといけない
人類の思想史における画期である
587世界@名無史さん:2008/10/25(土) 02:17:30 0
侵略の正当化かよ。
物はいいようだね。
これぞポーランドマンセー史観の歪曲ってやつだね。
588世界@名無史さん:2008/10/25(土) 02:29:43 0
自作自演まで出てきたか
589世界@名無史さん:2008/10/25(土) 02:42:01 0
1 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/12/28(木) 23:45:37 ID:AqhGoZez
日本は戦後、一貫して米国よりの道を歩んできた。
現在ではアジアでは中国、ヨーロッパではポーランドが
超大国になってきている。
超大国ポーランドとの関係強化の重要性を語りましょう。


9 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/12/29(金) 01:01:24 ID:0gMHnsmz
現在
超大国 アメリカ ポーランド
大国 イギリス フランス ドイツ 日本 カナダ 


超大国 アメリカ ソ連
大国 日本 イギリスフランス ドイツ カナダ


20 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2006/12/29(金) 13:33:51 ID:0gMHnsmz
その昔、ソ連がアメリカに次ぐ超大国でした。
誰もが認めることです。
現在では急速な経済発展・軍事強化によりポーランドがアメリカに次ぐ超大国になってきています。
また日本企業の進出が予想以上に激増しており日本との関係も以前にもまして友好的になりつつある。
今後の日本の対米従属からの離脱、新ポーランド勢力との協力関係が期待されます。
590世界@名無史さん:2008/10/25(土) 02:45:53 0
ィピーーーーーーーーーィィイイ
荒れてきます

バルト・ドイツ人に戻りなさい!
591世界@名無史さん:2008/10/25(土) 03:35:00 O
チンボ臭い件kwsk
592世界@名無史さん:2008/10/25(土) 09:48:46 0
バルト・ドイツ人の歴史を見ていくのにポーランド史を避けて通れないが、
ドイツ民族史観の再検証を避けるならすでにその時点で学問としてアウト
それはドイツの民族イデオロギーの受け売りであってなんの価値も無い
593世界@名無史さん:2008/10/25(土) 09:49:07 0
>>585
明らかにそれが事実じゃないから学問上の大問題なんだよ
594世界@名無史さん:2008/10/25(土) 16:02:33 0
好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの
記述を韓国が認めないのと同じように
何百年もドイツ騎士団やプロイセン公国がポーランドに支配された事実をドイツ人は
いろいろ屁理屈を並べて絶対に認めないのだから同じだな。
595世界@名無史さん:2008/10/25(土) 21:09:47 0
ドイツの「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルク家は第2次大戦で断絶。最後の当主はソビエト軍が所領に迫りくるなかで自殺。
596世界@名無史さん:2008/10/25(土) 22:16:30 0
ビスマルクは全くスレ違い
ドイツ帝国スレでやれよ
597世界@名無史さん:2008/10/25(土) 22:27:54 0
ポーランドやリトアニア、ウクライナはかつてのハザール汗国の領土を
国土にしているだけあってユダヤ系住民が伝統的に非常に多かった。

ユダヤ系住民が多いからこそ、反ユダヤ感情も強まる。

アウシュビッツの捏造が今後明るみに出たとき、その捏造を推進した
ポーランドの名誉は地に墜ちるだろう。

そして、ポーランドが何か主張する度にアウシュビッツの捏造が蒸し返されて
ポーランドの主張は正当性が疑われることになるだろう。
598世界@名無史さん:2008/10/25(土) 22:38:50 0
ドイツ固有の領土シュレージェンやポンメルンを奪ってそこに住んでいたドイツ住民を根こそぎに
追放、虐殺しておきながらここは俺たちの領土だったことにしろ、そこに住んでいた住民の財産権は
認めない・・・ポーランドは戦前から領土欲の権化みたいな始末に終えないヤクザ国家だった。
内戦で疲弊したソ連への侵略、リトワニアとのビリュニス騒動、チェコとのチェシン紛争、ドイツとの上シュレージェン紛争
いずれもポーランドの飽くことを知らない領土欲の結果だったよな。
599世界@名無史さん:2008/10/25(土) 23:02:50 0
ドイツ固有?
600世界@名無史さん:2008/10/26(日) 04:25:26 0
世界不思議発見でドイツ騎士団していた。
ドイツ騎士団本部マリエンブルク城に総長の銅像を建てているのね。
601世界@名無史さん:2008/10/26(日) 10:15:52 0
602世界@名無史さん:2008/10/26(日) 10:50:37 0
>>600
城は第二次大戦の末期に完全に破壊された。
英語のwikiでは「50%以上破壊・・・」と書いてあるが、どうみてもそれは解釈論で、
じっさいはほぼ100%破壊ですありがとうございました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/3/3d/Malbork_Castle_Ruins.jpg
あの城もその銅像もぜんぶ、戦後にポーランドの市民がボランティアで再建・修復したんだよ。
1959年に不審火で本館の屋根の一部が焼失したのだが、またそれも再建した。
ただし城内の大聖堂だけ未修復で、いま発掘調査などしながら修復作業をやっている。

603世界@名無史さん:2008/10/26(日) 12:50:10 0
>>595
ビスマルクの子孫にはドイツで議員やってる人(ただし欠勤が多く問題になった)やら、
最近ロンドンで変死した人やら、いろいろいるから断絶はしてない。
ちなみに上記の2人は、いずれもビスマルク姓の男性。
604世界@名無史さん:2008/10/26(日) 12:53:36 0
ビスマルクの兄弟従兄弟の子孫はビスマルクの子孫と呼べるのか?
605世界@名無史さん:2008/10/26(日) 14:00:02 0
ブラジルのサッカー選手
606世界@名無史さん:2008/10/27(月) 09:43:28 0
    .______        ______
   /  __ ___ \     /  __ ___ \
  /  /_/    |  \   ./  /_/    |  \
  |   _/   \/    |   |   _/   \/    |
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  |   _____.     |   |    _____.    |
  \   / | \    /  \   / | \    /
   \______/     \______/
     \||||||||||||||||/        \||||||||||||||||/
       ̄ | |  ̄自作自演ワッショイ ! !  ̄
 \\    │ |  自作自演ワッショイ!| |     //
   \\  │ |  自作自演ワッショイ!| |   //
.      +  | ∧__∧  ∧__∧ ∧_∧ |  +
         |( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`) O
   + ((  O (    ノ(つ  丿(つ   | |  ))  +
        | ヽ ( ノ ( ヽノ  ) ) )│
        |__|(_)し' し(_) (_)_)_.|


自作自演

607世界@名無史さん:2008/10/28(火) 23:39:17 0
バルト海のコハクは人類の至宝

608世界@名無史さん:2008/10/29(水) 20:13:02 0
「コハクの間」は行方不明。
609世界@名無史さん:2008/10/29(水) 22:15:58 0
経済ニュースBBNによると、エストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国が国家破綻の
危機に直面しているとスウェーデンの日刊紙Dagens Nyheterが伝えたという。
同紙では、バルト3国にとってこの7年間はローンに湧いた華やかな成長期だったが、
その二日酔いが今正に各国経済を襲っており、いつまでその二日酔い状態が続くのかさえも
想像できないとして、最後はスウェーデン人の税金で賄わされる可能性に苦痛を覚えると
紹介している。
バルト3国の銀行市場は正にスウェーデンの大手銀行Swedbank、SEB、そしてNordeaが市場を
ほぼ独占している。
各国の中央銀行が市場にあまり介入してこなかったということもあり、
本国(本社)の意向に沿って各行は巨額のお金を投下しローンバブルを起こしてしまった。
スウェーデン系の銀行が抱えるバルト3国での融資総額は3800億SEK(約4兆5220億円)に
昇っている。
そしてその大半がユーロ建てで貸し出されており、今、各国通貨の見直しの機運の高まりで、
万が一、通貨のデノミが行われたら大きくその焦げ付きが拡大する危惧が持たれている。
現在の各国通貨は少なくとも15%程度の過剰な価値を有しており、デノミされれば、1割から
2割は資産価値が減価してしまう。
国際通貨基金も最近、バルト3国は過剰な経常赤字状態にあり、外国からの借入が多く、
また不動産バブルの崩壊で国家の体力そのものにも疑問がもたれていることから最悪、
破綻の危惧が擡げている。

ttp://www.cpgbaltics.com/modules/news/article.php?storyid=3624
610世界@名無史さん:2008/10/30(木) 01:31:08 0
>>1
結論。

バルト・ドイツ人の痕跡は現在なにも残っていない。
611世界@名無史さん:2008/10/30(木) 10:30:48 0
建物はある程度は残っているだろ
クライペダ、リガ、タリンなど

カリーニングラードのケーニヒスベルクはほぼ完全に消滅
数年前にケーニヒスベルク大聖堂がロシア正教会のカリーニングラード大聖堂として再建

トルンは無事残って、グダニスク、エルブロンク、フロムボルクは再建
612世界@名無史さん:2008/10/30(木) 14:53:36 0
トルンを奪還せよ!!!

613世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:28:00 0
トルンは1000年以上前からドイツ帝国固有の領土
ポラックを即刻追い出せ
あいつらにはトルンに住む権利はない
614世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:52:17 0
>1000年以上前からドイツ帝国固有の領土


ナチおた厨はプロイセン王のドイツ語知ってる?
615世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:55:15 0
なにそれ?プロイセンはポーランドなんかと全然関係ないでしょ汚らわしい!このスレから出て行ってよポラック!
616世界@名無史さん:2008/10/31(金) 01:56:56 0
そもそもポーランドの領土の5分の1ぐらいが元ドイツ領土のはず。
もともと日本が近代になって切り取った台湾やら満州やら
南洋諸島とは違って、かなり古くからの領土をきりとってる。

んで、そこに居たドイツ人を過酷に追い出してるし、かなり図々しい連中。
それがフィーチャーされそうになると、戦後賠償、アウシュビッツと
吼えまくる。まんま韓国。
617世界@名無史さん:2008/10/31(金) 01:58:36 0
ドイツはずっと、国家として成立していたが
ポーランドは何度も地図から消える。
少数民族と同じ。
大戦中ドイツに属してた時は、ドイツ人になろうとしてたし。
ワルシャワ蜂起の鎮圧司令官だった
エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキSS大将
の血筋はポーランド貴族。 この2重姓も名門ユンカー同士の
姻戚関係から来るものではなく、 スラブっぽさを薄めるために
自分で付け加えた名前。
スペル綴りもzelewskiからzelewskyに変え、ポーランドっぽさ
を消すようにしていた。
618世界@名無史さん:2008/10/31(金) 03:06:34 0
>>616
ポーランドが削ったわけじゃなくて露助だろう
619世界@名無史さん:2008/10/31(金) 05:59:22 0
>>616
ポーランド固有の領土に対してドイツ「国家」が侵食していたのを第二次大戦で一気に追い返しただけでは?
地図を見るともともとのポーランド領と今のポーランド領がほとんど同じに見えるが?
昔もオーデル・ナイセ線が国境になってるよ。
民族的に寛容な風土で中世から多民族ドイツ人を大いに受け入れたが、
ドイツ人を受け入れたのは後でそれが仇となって領土を削り取られていたのがポーランドと解釈するのが自然だろ。

>>617
ツェレウスキはかなり前の先祖がポーランド貴族(民族から言えばポメラニアのカシュープ族)だが、
本人の代ではすでに没落貧乏プロイセン貴族の自作農でしょう。
遠い先祖が華やかなポーランド貴族だったのは、先祖の地がポーランド領だったから。
それがプロイセン王国に盗られてプロイセン化して、その後放蕩した先祖がいたのか没落。
エーリッヒは子供のころ周囲から「ポーランド人」と虐められたらしく、
自分にポーランド人の血が流れていることを嫌悪していて、それがポーランド人への憎悪につながった。
民族的にはスラブのカシュープ人なのだが、本人は「ポーランド人」の概念が理解できなかったのでは?
620世界@名無史さん:2008/10/31(金) 08:55:40 0
ドイツなんか統一国家として出来たのは1871年
621世界@名無史さん:2008/10/31(金) 09:48:36 0
この地域から引き上げさせられたドイツ人の子孫に会った事がある
昔から住んでいたのに、と不満そうだった
622世界@名無史さん:2008/10/31(金) 10:16:07 0
いまだったらカリーニングラードを除いてはどこに住んでもいいのに
政府からたんまり補償金せしめたんだしカネ持ってるだろ
623世界@名無史さん:2008/10/31(金) 10:18:22 0
>>619
>民族的に寛容な風土で中世から多民族ドイツ人を大いに受け入れたが、
>ドイツ人を受け入れたのは後でそれが仇となって領土を削り取られていたのがポーランドと解釈するのが自然だろ。

言いたいことは理解できるが、ポチッと投稿する前に推敲ぐらいしろw
624世界@名無史さん:2008/10/31(金) 21:03:37 0
175 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2008/08/22(金) 07:39:33 0
ポーランド、何と偉大な国!
625世界@名無史さん:2008/10/31(金) 22:58:41 0
ソ連軍が進駐したポーランド、ユーゴスラビア、そして、オーストリア、ハンガリアでは不法行為の数はすでに
東部ドイツの状況を彷彿させるものであった。 スイス公使館の報告によると、ハンガリ女性の半数以上が強姦された
という。 ヨーロッパ全体では、400万人以上の、ドイツ人、ドイツ系住民、その他の婦女子が、ソ連軍とその同盟国、ポーランド民兵、
チトー・パルチザンの性犯罪の犠牲になったといわれる。(まさにソ連、ポーランド、セルビアのスラブ3大強姦民族!)
このような大量犯罪が行われたのは、軍部の指導とモスクワの強力な反独プロパガンダを通して、この種の行為が公に許されていたからである。

ポーランド人は、オーデル・ナイセ以東に残ったドイツ人にも数々の暴行を加えた。
彼らは、20万ものドイツ人男女を1255箇所の収容所と227箇所の監獄に収容ないしは抑留した。 このうち、大規模なものは、ポトゥリチェ、
グルノヴォ、ウッジ、その近郊のシカワで行われた。 「被追放民記録」には以下のように記されている。

「暴力行為は主として、鞭、ゴム棒あるいは、銃床を用いて残忍かつ一部はサディスト的な虐待であり、一部は死にいたった。 さらに恣意的な射殺、
殴打、婦女暴行も行われた。 報告された資料によると、虐待を免れた収容者あるいは抑留者はほとんど一人もいなかった。       
                                                                 (世界戦争犯罪辞典(文藝春秋)より)
626世界@名無史さん:2008/10/31(金) 23:03:07 0
ポーランド人追放と虐待、さらには知識階級抹殺はナチドイツが先にやったこと。
627世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:10:30 0
>>622
補償金ってそんなに多かったのか?
628世界@名無史さん:2008/11/01(土) 08:07:14 0
>>626
だな
しかも>>625のケースは戦争犯罪にならない
純粋に法的な見地で冷静に見れば、これは合法

>>627
90年代初頭までに1400億マルク以上
さらに今でも様々な名目で政府から給付金が出ていて、額は膨らんでいる
629世界@名無史さん:2008/11/01(土) 10:07:56 0
ヨーロッパ人権裁判所、第二次世界大戦で追放されたドイツ人によるポーランドへの財産返還・賠償請求訴訟を却下(10/9)

1 名前: ゲンダイ系φ ★ [sage] 投稿日: 2008/10/10(金) 22:28:35 ID:???
(10月9日AP)ヨーロッパ人権裁判所は9日、第二次世界大戦の終戦前後に現在のポーランド領から追放
されたドイツ人によるポーランドへの財産の返還と賠償の請求を却下した。この判決はドイツ、ポーラン
ド両国の首脳に歓迎された。

少数の被追放ドイツ人で構成される「プロイセン信託公社(Prussian Claims Society)」は2006年、
喪失した財産の返還・賠償を求めてヨーロッパ人権裁判所に訴えを起こしていた。

プロイセン信託公社は、ドイツ・ポーランド国境線は1945年に引かれたものであるとし、それ以前にド
イツ領だった土地から追放されたドイツ人の財産権が侵害されているとしてポーランドを非難していた。

フランスのストラスブールに置かれているヨーロッパ人権裁判所は、ポーランドとドイツがヨーロッパ
権協約を批准したのは第二次世界大戦の後であり、当裁判所は今回の請求を審査する立場にないとの判
決を下した。

これはポーランドが、「今回の原告が没収された財産の回復や返還や、喪失した財産に対する損害賠償
を法的に行う」義務がないことを意味する。

ドイツ連邦政府はこれまでドイツ人がポーランドへこういった請求を行うことを拒絶してきたが、同様
の話が持ち上がるたびに隣国ポーランドで国民の怒りを引き起こし、このことがドイツ・ポーランド関
係発展の上での障害となっていた。

ナチス・ドイツは第二次世界大戦のはじめの1939年にポーランドを侵略し、残酷な占領を行った。その
結果、300万人のユダヤ人を含む600万人のポーランド人が命を落とした。
630世界@名無史さん:2008/11/01(土) 10:08:24 0
プロイセン信託公社は、ナチス・ドイツがポーランドに対して多大な苦痛を与えた事実は認めるものの、
ヒトラーの犯罪によってドイツ人個人を処罰するのは不当であると主張していた。

ポーランド、チェコ、スロヴァキアなどからは強制移住させられたドイツ人は数百万人にのぼる。
(訳者注:より正確には1400万人程度と言われる)

8日の判決は、同日ベルリンで行われたドイツ首相アンゲラ・メルケルとポーランド首相ドナルド・トゥ
スクによるドイツ・ポーランド首脳会談の開始数時間前に下された。

ポーランドのトゥスク首相はこの判決を歓迎し、記者団に対して、「ポーランドとドイツ双方にとって有
益な結果です。この問題は最終的に解決したのです。」とコメントした。

ドイツのメルケル首相は、「プロイセン信託公社の訴えには何の正当性もないとしていたドイツ政府の立
場がついに正しいと認められました。」と述べた。

◆原文ソース(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン):
Court rejects Germans' property restitution claims
http://www.iht.com/articles/ap/2008/10/09/europe/EU-Germany-Poland.php

631世界@名無史さん:2008/11/01(土) 10:19:32 0
プロイセン信託公社ってなに?難民の財産管理会社?
632世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:22:34 0
またコピペか。
633世界@名無史さん:2008/11/01(土) 17:54:29 0
おれもポーランド人によるドイツ人の土地財産は返すべきだと思うね。
両大戦でドイツは周辺各国から領土をうばわれている。
フランスからはアルザス、ロレーン、ベルギーはオイペン、モレネー、
デンマークからはシュレスビッヒホルシュタイン北部なんか奪われているけど、
そこに住んでいたドイツ人住民は追放はもちろん、土地財産も奪われることはなかった。
単に税金を納める相手が変わっただけ。
ポーランドと旧ソ連、それとチェコ人、スラブ国家だけだよ、そのようなことするのは。
634世界@名無史さん:2008/11/01(土) 17:56:04 0
しかし、ポーランドはやはりロシア人、セルビア人と同じスラブの出自だね。
民主主義も、個人の財産権の概念、またそれらを奪っているという認識など微塵もない。
ポーランドのようなスラブ人にそのような西欧の常識を理解しろと言っても無理な話だ。
635世界@名無史さん:2008/11/01(土) 17:57:25 0
人のものはおれのもの、おれのものはおれのもの、それがスラブ人たるポーランド人の
不埒な考え方。
まあ、まともな日本人や西欧人はついていけんわ。

ポーランドが本当に西欧の仲間入りしたいと言うのであれば、個人の財産権を尊重し
ドイツ人から不法に奪った土地、財産を無条件でかえしてこそ本当の民主国家として
認められるだろう。 
636世界@名無史さん:2008/11/01(土) 18:53:59 0
プロイセンはドイツの京都と呼ばれるぐらい
ドイツの歴史的領土。
ソ連の進攻をドイツ軍が頑張って防いで、
民間人を西側に逃がしたから
犠牲者がすくなくて済んだ。

最も、その後でプロイセンでドイツ人絶滅政策が
施行されて、一人残らずドイツ人は殺されるか
移住させられた。
そして、ポーランドはその領土返還も補償もやってない。
637世界@名無史さん:2008/11/01(土) 22:25:28 0
ゴミナチおた公は消えていいよ。
638世界@名無史さん:2008/11/01(土) 23:00:50 0
スラブSURABU
汚いSURABU
639世界@名無史さん:2008/11/01(土) 23:05:55 0
スバルか
640世界@名無史さん:2008/11/02(日) 00:31:20 0
ポーランド人やセルビア人のようなスラブ人はもともと切れやすい民族だ。
セルビア人の凶弾が第一次大戦のきっかけとなったように、ポーランド人のドイツに対する挑発的な
行為、ドイツ系住民の弾圧、早くからのドイツに対する軍事動員など軽はずみな行為が第二次大戦を招いた
ようにだ。

同じ切れやすい、靖国問題をからませるとすべてを放棄して、ケンカを売ってくる東洋の半島国家
そのもの。
人の領土、竹島やシレジアを占有して、オレのものだといってはしゃいでいる点は
共通している。

ここに粘着しているポラックヲタ スラブ猿はそういった過去のポーランドの歴史的事実を
明るみに出されるのがこわいのさ。
だから、そのような恐れのあるスレにはいつも粘着している。 よほど暇人なんだな。

641世界@名無史さん:2008/11/02(日) 01:33:52 0
スラブ死ねよスラブ
642世界@名無史さん:2008/11/02(日) 01:48:48 0
ポーランドやリトアニア、ウクライナはかつてのハザール汗国の領土を
国土にしているだけあってユダヤ系住民が伝統的に非常に多かった。

ユダヤ系住民が多いからこそ、反ユダヤ感情も強まる。

アウシュビッツの捏造が今後明るみに出たとき、その捏造を推進した
ポーランドの名誉は地に墜ちるだろう。

そして、ポーランドが何か主張する度にアウシュビッツの捏造が蒸し返されて
ポーランドの主張は正当性が疑われることになるだろう。
643世界@名無史さん:2008/11/02(日) 02:11:00 0
ポラックのクラウトへの憎悪は凄い。
終戦後に、満州で死亡した引揚者は17万人。
東部ドイツにいたクラウトは200万人以上死亡。
最強ソ連軍が悪辣非道であったといえ邦人犠牲17万だったのに
弱小ポラックが200万人以上殺すとは。

結論。強者に弱く、弱い者にだけ強いポラック。
644世界@名無史さん:2008/11/02(日) 06:56:40 0
ゴミナチおた公は消えていいよ。

645世界@名無史さん:2008/11/02(日) 10:40:43 0
ナチ公は無抵抗のポーランド人600万人を殺しました
646世界@名無史さん:2008/11/02(日) 15:04:31 0
ボッシュヒトモドキ死亡 ボッシュヒトモドキ死亡
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647世界@名無史さん:2008/11/02(日) 15:32:36 0
千年もまえのピアスト朝時代の話をもって、現在の今の国境を正当化すること自体ナンセンスです。
なんの説得力もありません。
それを、いったら、いまのハンガリアのマジャール人に対してもウクライナ方面に帰れということですか。
1000年かけて流れてきた時代の変遷を、瞬時に切り取り、しかも過去何百年にわたってそこに住み着いていた
ドイツ人を瞬時に根こそぎにした、それが国家的犯罪でなくてなんというのでしょうか。
勝者の理屈といいながら、米英とソ連、ポーランドでもこの国境の最終的な合意は最後までされませんでした。
それを、いいことに、ポーランドは暫定的に自国の管理とされた地域から、自発的にドイツ人を強制収容所jに送り
土地、財産を奪った上、追放したのです。 EUの世界になった今、国境の価値は薄れました。
そのなかでの、国家間の条約などさして意味を持ちませんし、国家間にいかなる条約がむすばれようとも
個人の財産権は消えません。 それはドイツ基本法にも明記されていることです。

648世界@名無史さん:2008/11/02(日) 15:33:21 0
ポーランド人は残留したドイツ人に数々の暴行を働いた。
ポーランドは20万のドイツ人男女を1255ヶ所の監獄に収容ないし抑留した。
このうち大規模なものは、ポトゥリチェ、グルノヴォ、ウッジ近郊のシカウなどである。
「被追放民記録」には次のように記されている。
「暴力行為は主として、鞭、ゴム棒あるいは銃床を用いての残忍かつ一部はサディスト的な虐待であり、
一部は死にいたった。 さらに恣意的な射殺、殴打、さらに婦女暴行もおこなわれた。 報告された資料に
よると、虐待を免れた収容者あるいは抑留者はほとんど一人もいなかった・・・・」

   世界戦争犯罪辞典(文藝春秋 2002年)
649世界@名無史さん:2008/11/02(日) 15:55:08 0
そもそも、第二次世界大戦の始まった理由は
ポーランドがドイツのダンツィヒを占有しようとしたから
つまり、ポーランドが悪い

それから、ワルシャワが廃墟になったのは
ポーランド人が武装蜂起したからだろ。
制服も着ないで、これは国際法に照らせば
便衣兵にあたる。

それと、ポーランドはドイツのプロイセンをいまだに占有している。
これは由々しき問題。戦後のドイツ人大量虐殺にも触れてない


650世界@名無史さん:2008/11/02(日) 17:19:13 0
>>647
ヨーロッパ人権裁判所、第二次世界大戦で追放されたドイツ人によるポーランドへの財産返還・賠償請求訴訟を却下(10/9)

1 名前: ゲンダイ系φ ★ [sage] 投稿日: 2008/10/10(金) 22:28:35 ID:???
(10月9日AP)ヨーロッパ人権裁判所は9日、第二次世界大戦の終戦前後に現在のポーランド領から追放
されたドイツ人によるポーランドへの財産の返還と賠償の請求を却下した。この判決はドイツ、ポーラン
ド両国の首脳に歓迎された。

少数の被追放ドイツ人で構成される「プロイセン信託公社(Prussian Claims Society)」は2006年、
喪失した財産の返還・賠償を求めてヨーロッパ人権裁判所に訴えを起こしていた。

プロイセン信託公社は、ドイツ・ポーランド国境線は1945年に引かれたものであるとし、それ以前にド
イツ領だった土地から追放されたドイツ人の財産権が侵害されているとしてポーランドを非難していた。

フランスのストラスブールに置かれているヨーロッパ人権裁判所は、ポーランドとドイツがヨーロッパ
権協約を批准したのは第二次世界大戦の後であり、当裁判所は今回の請求を審査する立場にないとの判
決を下した。

これはポーランドが、「今回の原告が没収された財産の回復や返還や、喪失した財産に対する損害賠償
を法的に行う」義務がないことを意味する。

ドイツ連邦政府はこれまでドイツ人がポーランドへこういった請求を行うことを拒絶してきたが、同様
の話が持ち上がるたびに隣国ポーランドで国民の怒りを引き起こし、このことがドイツ・ポーランド関
係発展の上での障害となっていた。

ナチス・ドイツは第二次世界大戦のはじめの1939年にポーランドを侵略し、残酷な占領を行った。その
結果、300万人のユダヤ人を含む600万人のポーランド人が命を落とした。
651世界@名無史さん:2008/11/02(日) 17:19:35 0
プロイセン信託公社は、ナチス・ドイツがポーランドに対して多大な苦痛を与えた事実は認めるものの、
ヒトラーの犯罪によってドイツ人個人を処罰するのは不当であると主張していた。

ポーランド、チェコ、スロヴァキアなどからは強制移住させられたドイツ人は数百万人にのぼる。
(訳者注:より正確には1400万人程度と言われる)

8日の判決は、同日ベルリンで行われたドイツ首相アンゲラ・メルケルとポーランド首相ドナルド・トゥ
スクによるドイツ・ポーランド首脳会談の開始数時間前に下された。

ポーランドのトゥスク首相はこの判決を歓迎し、記者団に対して、「ポーランドとドイツ双方にとって有
益な結果です。この問題は最終的に解決したのです。」とコメントした。

ドイツのメルケル首相は、「プロイセン信託公社の訴えには何の正当性もないとしていたドイツ政府の立
場がついに正しいと認められました。」と述べた。

◆原文ソース(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン):
Court rejects Germans' property restitution claims
http://www.iht.com/articles/ap/2008/10/09/europe/EU-Germany-Poland.php

652世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:31:20 0
ドイツは本土爆撃で60万
占領地からの追放、虐殺で200万?
占領期のキャンプで餓死が100万だっけ

653世界@名無史さん:2008/11/02(日) 23:46:40 0
ポーランドなんて何度も地図から
消えてるだろ。
本当はドイツの少数民族に過ぎんよ。
ドイツは、神聖ローマ帝国の時代から
単一民族、単一国家の概念はあった。
ヒトラーが第三帝国って名乗ったのは
神聖ローマ帝国の後継だとしてたから。
654世界@名無史さん:2008/11/03(月) 00:51:49 0

ナチおたのヴァカ廚
655世界@名無史さん:2008/11/03(月) 01:13:40 0
別にドイツもポーランドもどうでも良くて、ただ単に頭がおかしいだけだろ。
656世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:12:59 0
ドイツの戦争は第一次世界大戦の処置のまずさから
これは、全ての歴史学者が一致してる。だから日本もドイツも
敗戦したけど、国家経済が破綻する程の賠償は課せられなかった。

そもそも、ドイツの戦争は奪われたドイツ領土の失地回復だし

ザール地方    元ドイツ領 1935年 国際連盟管理下からドイツへ返還
ラインラント地方 最初からドイツ領 1935年 非武装地帯だったが、現地住民の要請を受けてドイツ軍の駐留が行なわれる
オーストリア   同じゲルマン民族(神聖ローマ帝国時代は同じ国家) 1938年4月10日 オーストリア国民投票でドイツとの併合が決定
ズデーテン地方 元ドイツ領 1938年 ドイツに併合
チェコスロヴァキア 元オーストリア領 1938年 ドイツ・オーストリアに併合
メーメル地方   元ドイツ領 1939年 リトアニアからドイツに返還
ダンツィヒ地方  元ドイツ領 1939年 ポーランドがドイツへの返還を拒否 国境紛争始まる

こうやって見ると、一番悪いのはポーランド。 ドイツ領を返還しなかったからな。 対イギリス、フランス戦はイギリス、フランスが先に宣戦布告したためだしな。
657世界@名無史さん:2008/11/03(月) 23:22:14 0




            ドイツのプロイセン(笑)





658世界@名無史さん:2008/11/04(火) 01:49:03 0
プロイセンは神聖ローマ帝国の領域外。

江戸幕府日本よりも支配権ゆるゆるの「神聖ローマ帝国」の国境線?(ドイツ国外の国王の領地になっているところもあった!)って、なんできまっていた?

659世界@名無史さん:2008/11/04(火) 07:36:59 0
神聖ローマ帝国の東隣はポーランドとハンガリー、北隣はデンマーク
ハンガリー、デンマークと合わせて、スウェーデンも、ポーランドの友邦で、王室は互いに親戚


660世界@名無史さん:2008/11/04(火) 15:21:15 0
ハノーバー=イングランド国王
ホルシュタイン=デンマーク国王

薩摩藩主も琉球国王自身じゃなかった。
松前藩主も蝦夷国王(初期には蝦夷大王ともよばれてはいた)じゃなかった。

ドイツ語圏自体が政治的にはキメラなものであった。
661世界@名無史さん:2008/11/07(金) 07:33:55 0
ドイツ人“南方植民”の生き残り。絶滅危惧。

Cimbrian language
http://en.wikipedia.org/wiki/Cimbrian_language

Mócheno language
http://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%B3cheno_language
662世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:19:23 0
リトアニアはアイスランドと同様の運命か?!(リトアニア)

バルティックタイムズによると、09年度の財政は60億リタス(約2220億円)の赤字となり、
債務縮小に失敗し、最悪アイスランドが辿った運命と同じ轍を踏むかもしれないという。
Kubilius次期首相候補は、もし今年の債務の半分が来年にまで持越しされたなら、
来年の財政赤字は13億リタス(約481億円)も増えてしまうことになると懸念を示している。
来年の財政赤字は47億リタス(約1739億円)と試算されており、これに13億リタスが
上乗せされるとほぼ60億リタス(約2220億円)に達してしまうことになる。
この水準では、実にGDPの6%に上る。

バルトジャーナル
ttp://www.cpgbaltics.com/modules/news/article.php?storyid=3656
663世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:39:53 0
664世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:06:59 0
>>661
両方とも喋ってるのを聴いたことがあるが、
音の響きはドイツ語とは似ても似つかないよ

現代ドイツ語がいかに無理して普及させたのものなのかがなんとなくわかった
665世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:25:39 0
12世紀頃トリエント県などに鉱山労働者として入植した者の末裔。居住地は人口流出で過疎化している。
ゲーテが『イタリア紀行』を書いた頃にはトリエントよりもさらに南、ロヴェレットまでドイツ語が話されていた。

666世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:27:22 0
>>661
だったらノルトライン・ヴェストファーレン州にたくさんいるポーランド系ドイツ人は
ポーランド人の西方殖民の生き残りだな
667世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:29:29 0
現代ドイツ語ってルターがザクセン王国の官房語を採用し基礎にして、聖書のドイツ語訳をしたのが元でしょ?
カトリックのバイエルン、オーストリアはいつ採用したの?
668世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:34:43 0
>>664
>既に音の響きはドイツ語とは似ても似つかない

ロマンス語系ヴェネト語に同化している者と思われる。
669世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:41:32 0
>>667
ルターの時代には普及していない
ルターが聖書に使ったのはザクセンのほうの東方方言

標準ドイツ語が北まで広まったのは19世紀から
確立したのは1901年
670世界@名無史さん:2008/11/07(金) 20:02:27 0
「ハーメルンの笛吹き」の伝説の後日談はどこのドイツ人の飛び地の話?
東方?南方?

マルコ・ポーロが記録したバトゥに連れてこられたドイツ人の子孫って、
ボルガ・ドイツ人の最初の一波とみていいの?
671世界@名無史さん:2008/11/07(金) 21:26:31 0
「ハーメルンの笛吹き」は「子ども十字軍」(奴隷商人に騙されてエジプトに売り飛ばされた)が元の話だろう。
植民だったら、コロニーと故郷との連絡はそれなりにあった。
672世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:32:10 0
ゲルマン民族もけっこうたくさん奴隷になってるよ
673世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:39:48 0
青島にいたドイツ人が第一次世界大戦で連行されてきて、日本で製菓のユーハイムをつくる。
674世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:53:50 0
モロゾフ製菓
ゴンチャロフ製菓
675世界@名無史さん:2008/11/11(火) 09:33:52 0
いずれも、もう経営は創始者たるドイツ人、白系露人の手から離れる。
676世界@名無史さん:2008/11/11(火) 10:06:05 0
何言ってるの?経営は日本人だよ
ゴンチャロフはモロゾフの創業家である白系ロシア人がやっていて銀座に店持ってたが、数年前に解散した
677世界@名無史さん:2008/11/11(火) 18:43:41 0
>>675>>676と矛盾する発言なのか?
678世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:21:47 0
せっかちさんが読み間違えただけじゃね?
679世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:39:35 0
676ではないが、
もう だったら 離れてる と結ぶのが普通じゃないか?
680世界@名無史さん:2008/11/12(水) 14:19:36 0
いずれも、もう経営は創始者たるドイツ人であり、白系露人の手から離れる。
681世界@名無史さん:2008/11/12(水) 14:35:58 0
>>671
植民説もあるみたいだよ
後日談はあとから創作されたのかもしれないが
682世界@名無史さん:2008/11/12(水) 14:41:52 0
第二次大戦中にナチが金髪のポーランド人幼児を誘拐しまくったのと同じ
683世界@名無史さん:2008/11/13(木) 00:32:29 0
いずれも、もう経営は創始者たるドイツ人もしくは白系露人の手から離れている。というか、日本にまだ居るのか?

684世界@名無史さん:2008/11/13(木) 01:23:10 0
ゴンチャロフ家はすでに日本人ですよ
685世界@名無史さん:2008/11/13(木) 02:21:46 0
686世界@名無史さん:2008/11/13(木) 03:55:43 0
687世界@名無史さん:2008/11/13(木) 04:08:24 0
688世界@名無史さん:2008/11/13(木) 04:27:02 0
689世界@名無史さん:2008/11/13(木) 16:42:16 0
690世界@名無史さん:2008/11/13(木) 20:37:05 0
モロゾフは廃業
691世界@名無史さん:2008/11/13(木) 22:24:33 0
廃業したのはゴンチャロフ
692世界@名無史さん:2008/11/13(木) 22:56:33 0
693世界@名無史さん:2008/11/13(木) 23:00:31 0
ゴンチャロフじゃなくてコスモポリタンだったwww
すまんwww

694世界@名無史さん:2008/11/14(金) 00:18:51 0
戦前から居る白系ロシア人ってまだいるの?
695世界@名無史さん:2008/11/14(金) 15:48:43 0
ソ連のスパイと疑われ追放。

ユーハイムなど戦前の在日ドイツ人社会も全員強制送還された。
696世界@名無史さん:2008/11/14(金) 22:22:56 0
スタルヒンは戦後もいたし、娘が今でもいるだろ。
697世界@名無史さん:2008/11/15(土) 01:02:52 0
698世界@名無史さん:2008/11/15(土) 01:48:34 0
日本の危機です。マジでヤバイので世界史板の皆さん力を貸してください。http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1226675118/
699世界@名無史さん:2008/11/15(土) 02:47:21 0
700世界@名無史さん:2008/11/15(土) 03:18:37 0
701世界@名無史さん:2008/11/15(土) 03:35:06 0
702世界@名無史さん:2008/11/15(土) 14:15:13 0
703世界@名無史さん:2008/11/15(土) 17:50:17 0
ドイツ語、ロシア語は東欧で廃れ習うのは英語になったです。
リガでもタリンでも若い衆はドイツ語にポカーン。
704世界@名無史さん:2008/11/17(月) 10:34:36 0
バルト・ドイツ人の多くは新生バルト諸国に対し敵対的でなかったようで
705世界@名無史さん:2008/11/17(月) 12:30:13 0
ドイツ本国の力を借りて支配するつもりだったから
706世界@名無史さん:2008/11/18(火) 14:01:01 0
バルト・ドイツ人たちは、涙を流しつつラトビア国家を歌いながら1千年の長きに渡って先祖が領有してきた土地の土を入れた箱を持って、リガから「引き揚げ」船に乗ったとのこと。
707世界@名無史さん:2008/11/18(火) 19:05:35 0
1千年?これはまた大きく出たもんだな
708世界@名無史さん:2008/11/18(火) 19:41:34 0
バイキングの血脈も入れてるんだろう。
709世界@名無史さん:2008/11/19(水) 07:41:43 0
韓国人みたいだな
710世界@名無史さん:2008/11/19(水) 20:29:31 0
古ゲルマン語はフィンランド語にも借用されている。
711世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:14:36 0
>>710
バルト・ドイツ人とは全く関係ないので
あんたキチガイすぎ
712世界@名無史さん:2008/11/20(木) 16:32:00 0
ドイツ騎士団来週以前にも、三々五々、ドイツ北部、オランダ、フリースラントから交易商人、宣教師、傭兵はバルト海沿岸に移住してた。
713世界@名無史さん:2008/11/20(木) 16:37:08 0
それでも12世紀から
よって1000年ということはない
ここはドイツ人の土地ではなく、ドイツ人はあくまで余所者
出て行け!

エルベ川の西へ去れ!ドイツ人!
714世界@名無史さん:2008/11/20(木) 17:19:46 0
すすめ一億火の玉だ、とか
一億総懺悔、とか言っていた頃、
日本の人口は6000万程度だったかな。
800年と1000年のほうがよっぽど字面的にちかいじゃん。
硬い事言うな。
715世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:32:58 0
大移動する勇気がなく屁垂れで故郷に残っていたランゴバルド語、バンダル語やゴート語やブルグントを話す少数の連中が、大挙してやってきた西スラブ人を吸収したの?
716世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:33:34 0
訂正 大移動する勇気がなく屁垂れで故郷に残っていたランゴバルド語、バンダル語やゴート語やブルグントを話す少数の連中が、大挙してやってきた西スラブ人を吸収されたの?


717世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:35:23 0
マルコマンニというゲルマン部族がチェコに住んでいたはず。
718世界@名無史さん:2008/11/20(木) 23:34:17 0
6-7世紀にポーランドからやってきたカタラン人というスラヴ民族がオーストリア人の大多数のはずだけど、
それについてドイツ人は一切語らん。

719世界@名無史さん:2008/11/20(木) 23:36:14 0
残っていたゲルマン民族やケルト民族は全て、一人残らず西スラヴ民族が吸収同化させた。
720世界@名無史さん:2008/11/21(金) 01:31:40 0
カタラン人?

カランタニア(ケルンテン)のこと?
721世界@名無史さん:2008/11/21(金) 07:21:44 0
カランタン人だな
722世界@名無史さん:2008/11/21(金) 07:22:52 0
ババリアの勢力圏だった最東部を除いて、オーストリアはカランタニアというスラブ人の国
723世界@名無史さん:2008/11/21(金) 09:22:51 0
最西部。
724世界@名無史さん:2008/11/21(金) 19:46:19 0
ババリア人はボヘミアから移動してきたのでは?
725世界@名無史さん:2008/11/22(土) 10:32:22 0
>>724
スラヴ民族がボヘミアを征服してババリア人を追放した
スラヴ栄光の時代
726世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:42:09 0
ゲルマンは「戦士」というイメージが時代とともにつくられていったけれど、
ほとんどの場合平和的な農民だよ。
727世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:43:32 0
バイエルンの語源は?
バイエルン人のもともと住んでいた場所は?
バイエルン人=ケルト系ボイイ人が先祖?
728世界@名無史さん:2008/11/22(土) 19:18:47 0
>>727
> バイエルンの語源は?
現バイエルン人の母体の一つボイイ人。
『ボヘミア』『ベーメン』と語源が同じ。

> バイエルン人のもともと住んでいた場所は?
ノリクム王国。今のオーストリアより、ちょっと南東。

> バイエルン人=ケルト系ボイイ人が先祖?
不確定。
表現は悪いがラテン人・ケルト人・ゲルマン人のごった煮。
系統不明の民族なんて珍しいもんじゃない。

因みに、ゲルマン人・ケルト人・ラテン人も
「ゲルマニアにいた諸民族(非印欧語族・系統不明含む)」
「ガリアに居たり、ケルト文化の影響を受けた諸民族(同上)」
「ローマ帝国のお膝元でローマ文化を色濃く受けた諸民族(同上)」
という程度の括りでしかない。
729世界@名無史さん:2008/11/22(土) 22:49:23 0
>>728
>表現は悪いがラテン人・ケルト人・ゲルマン人のごった煮。

表現は悪いがラテン人・ケルト人・スラヴ人・ゲルマン人のごった煮。
あきらかにPrzevorsk文化の継承集団の一つ。これは古代スラヴ系の影響。


730世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:22:41 0
スラブ人はゲルマン人を追い出しモラビア王国建国?
731世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:24:41 0
いまのバイエルン、オーストリアはローマ帝国領だったよね?
バイエルンはヌードル喰いイタリアっぽい。
732世界@名無史さん:2008/11/23(日) 00:39:19 0
>>730
当時はスラヴとゲルマンの対立はなかった
というよりも、スラヴもゲルマンだった
これの意味わかるかな?
733世界@名無史さん:2008/11/23(日) 01:37:39 0
スラヴもゲルマンも異教徒の蛮族で文化に大差なかったから。
ケルトは農業、樽作り、宗教といった文化がけっこうあったが。
734世界@名無史さん:2008/11/23(日) 01:55:54 0
ゲルマン、ケルトゆうのは自称やのうて、ローマはんがかってにそうゆうた他称なんやねん。
ローマはんがゲルマニアゆうとったとく居った有象無象にわいらはケルトやゲルマンやスラブやゆうて仲間おもとったんちゃうで〜
スラブゆうのだけは由緒有る金看板の部族名で自称しとったけどな、これかて全部が全部やなかったで。
735世界@名無史さん:2008/11/23(日) 02:01:33 0
モラビア王国建国はフランク人サモ
736世界@名無史さん:2008/11/23(日) 03:28:13 0
>>735
いやまて、サモ王国は7世紀のおそらく一代限りの国で
モラヴィア王国は9世紀前半にモイミールによって建国されたのでは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
http://en.wikipedia.org/wiki/Samo
737世界@名無史さん:2008/11/23(日) 09:35:48 0
サモが建国したんじゃなくて、スラヴ人が建国してサモを首領に選出したんだろ
君主が外国人なのはヨーロッパではよくあること
738世界@名無史さん:2008/11/23(日) 09:38:19 0
・大貴族が互いに牽制しあっていて、貴族層から君主が選出できない
・実際は貴族政治(貴族共和制)
こんな条件が多い
739世界@名無史さん:2008/11/23(日) 18:26:48 0
ドイツ人にとっては最大の侮辱的発言だな。
奴隷民族の語源となったスラブ ポーランド人と一緒にされて
いい顔するドイツ人など、ポーランド系でもない限り一人も居ないだろう

少なくとも近世の歴史を見る限りそんなことはありえない。

確かに、ドイツ人の東方植民はスラブ人を開花し、その後のポーランドの
国家としての発展を促したことは確かだ。
中世のポーランド南部のクラコフ市の人口の半分がドイツ人だったこともあった。

もっとも、それは当のドイツ人にとってはその後大きな災いをもたらすことになる。
740世界@名無史さん:2008/11/23(日) 18:27:54 0
スラブ族の原住地はもともとルーマニア北方のカルパチア地方、
それが、スラブの膨張により東へ向かった一族が東スラブ ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、
西へ向かったのが西スラブ ポーランド人、チェコ人、スロヴァキア人、
南へ向かったのがセルビア人、スロベニア人、クロアチア人、モンテネグロ人になった。

いずれも6世紀以降のことだ。

ラウジッツ文化は紀元前13世紀から紀元前4世紀にかけてことで、当時の土着の
ゲルマン人が残したものとされ、さらにはトラキア人、イリュリア人が残したものと言う説も
流された。

第二次大戦後、ドイツ人を追放してこの地域をわがものにしたポーランド人はのその政治的な
思惑からこの文化地域をスラブ人が残したものと言張ったが、スラブ人がこの地域にきたのは
前述の紀元後の6世紀以降だ。

もともと、今のポーランド地域さえ、スラブ人の領土ではなかった。
ポーランド人が言っていることは本来ポーランドの領土でないこれらの地域を、歴史的にも
我が物にしようとするあまりにも幼稚な考え方に基づいている。

まして、ポーランド人の血が同じスラブのロシア人とは同類であっても、ドイツのゲルマンに近い
などとはそれ以上に荒唐無稽な話だ。

ドイツ人にこれ以上に失礼な話はない。
741世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:16:44 0
バイエルン、オーストリアはローマ領だった、
ウィーンの街はローマ皇帝から寄進されたという偽古文書を作ってハプスブルクが居座ってしまった。
742世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:24:15 0
もし可能なら北方領土とケーニヒスベルグ交換してくれんかな。
743世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:36:40 0
>>739-740
おまえこの板に住んでるだろ?
あちこちで見かけるな
気持ち悪いぞ
744世界@名無史さん:2008/11/23(日) 20:46:54 0
スキタイ直系の子孫がスラヴ。
科学の発達でつい最近明らかになった。

745世界@名無史さん:2008/11/23(日) 21:11:56 0
ドイツ騎士団は戦争しか出来ない体育会系頭脳だった?
746世界@名無史さん:2008/11/24(月) 00:59:18 O
>>740
汚染されてしまった可哀想な人ですね…

ドイツ人は発言力が大きいから好き放題言ってるところがある
都合の悪い事は消そうとするしな
747世界@名無史さん:2008/11/24(月) 10:12:39 0
ドイツの歴史学だけは絶対に信用しちゃなんねぇ。
748世界@名無史さん:2008/11/24(月) 11:14:08 0
歴史学ってのはその性質故に政治や思想が絡みやすいからね。

政治学・社会学者が歴史を語っていると、そこはかとなく苛立つ。
「まーた、こいつ等は・・・」って感じで。
749世界@名無史さん:2008/11/25(火) 04:25:24 0
750世界@名無史さん:2008/11/25(火) 04:38:50 0
751世界@名無史さん:2008/11/25(火) 04:50:25 0
752世界@名無史さん:2008/11/26(水) 16:10:12 0
現ロシア正教会総主教アレクシイ2世は、
エストニア生まれであり、
18世紀に正教に改宗したバルト・ドイツ人貴族(von Rüdiger家)の末裔である。
753世界@名無史さん:2008/11/26(水) 16:13:56 0
現ロシア正教会総主教アレクシイ2世の生まれた時の俗名は、
Алексей Михайлович Ридигер(Aleksej Michajlovič Ridiger)である。
754世界@名無史さん:2008/11/27(木) 05:21:30 0
755世界@名無史さん:2008/11/27(木) 05:25:11 0
Mein Privates Deutschland
私的思い入れのドイツ
http://www.din.or.jp/~a_ohno/
756世界@名無史さん:2008/11/27(木) 09:27:37 0
祭りになってますwww

【ドイツ】“バラマキ”日本とは大違い 独の“骨太”経済対策の中身 [11/26]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1227704551/l50

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

【経済政策】バラマキ1.8兆円、ドイツでも「消費券」検討[08/11/27]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1227744439/l50

757世界@名無史さん:2008/11/28(金) 01:14:22 0
758世界@名無史さん:2008/11/28(金) 04:01:22 0
759世界@名無史さん:2008/11/28(金) 04:09:48 0
760世界@名無史さん:2008/11/28(金) 04:30:37 0
761世界@名無史さん:2008/11/30(日) 13:04:21 0
ドイツ系、ユダヤ系がのさばらくなったのはプーチン時代から
762世界@名無史さん:2008/11/30(日) 15:00:03 0
ドイツ系はすでにスラブのロシア民族だろ
完全に同化していてドイツ人としてのアイデンティティーはもはやないんだから
先祖がドイツから来ただけの、スラブ人
763世界@名無史さん:2008/11/30(日) 18:02:23 0
764世界@名無史さん:2008/11/30(日) 18:10:21 0
765世界@名無史さん:2008/12/01(月) 02:51:49 0
ロシアとドイツが手を組めば世界最強
766世界@名無史さん:2008/12/02(火) 23:56:06 0
英仏と対峙するのにドイツにはよくても、地理的条件からロシアには益が少ないんだよな>露独同盟
767世界@名無史さん:2008/12/03(水) 08:51:53 0
ロシアは、ドイツを篭絡すればヨーロッパを操れる
768世界@名無史さん:2008/12/03(水) 09:49:11 0
そうか?
769世界@名無史さん:2008/12/04(木) 01:01:35 0
ロシアはドイツを傀儡にすることで、ヨーロッパを動かせる
シュレーダーやシュタインブリュックはプーチンのケツの穴でも喜んでなめる犬
770世界@名無史さん:2008/12/05(金) 03:55:45 0
771世界@名無史さん:2008/12/06(土) 04:05:21 0
アレクシー2世が死去 ロシア正教会総主教

 【モスクワ5日共同】ロシア正教会総主教のアレクシー2世が5日、モスクワ郊外の自宅で死去した。同教会が発表した。79歳。
詳しい死因は明らかにされていないが、心臓を患い手術を受けたといわれていた。正教会は6カ月以内に新しい総主教を選出する。
 インド訪問中のメドベージェフ大統領は6日からのイタリア訪問を延期し帰国を決めた。大統領時代から親交が深かったプーチン首相は「国家に大きく貢献した人物だった」と悼んだ。
 在位中は旧ソ連崩壊後のロシアの歴代指導者と協調関係を築き、ソ連時代に抑圧された正教会の影響力回復に努めた。対外的にはロシア革命後に亡命した聖職者でつくる在外教会との和解を実現したほか、
11世紀に分裂したカトリック教会との対話の道も模索した。
 1929年2月、エストニアのタリン生まれ。レニングラード神学大卒。86年レニングラード・ノブゴロド府主教。90年6月にロシア正教会の最高位である第15代の総主教となった。

2008/12/05 22:23 【共同通信】
772世界@名無史さん:2008/12/06(土) 06:37:49 0
偉大なるロシア人
773世界@名無史さん:2008/12/06(土) 08:12:33 0
みんなの国歌「ロシア国歌」
http://jp.youtube.com/watch?v=IMjEvKGW57s
774世界@名無史さん:2008/12/06(土) 08:13:19 0
【名曲】ソビエト国歌(日本語訳)
http://jp.youtube.com/watch?v=kERsiFGUugI&feature=related
775世界@名無史さん:2008/12/07(日) 19:56:01 0
http://stephanemantoux.unblog.fr/2008/04/19/christopher-gravett-graham-turner-german-medieval-armies-1100-1300-men-at-arms-310-londres-osprey-1997/
中世ドイツの騎士の軍装
http://stephanemantoux.unblog.fr/
下のほうにある動画は、アレクサンドル・ネフスキーの氷上の戦い
776世界@名無史さん:2008/12/07(日) 21:08:42 0
悪逆非道のドイツ人と、それをやっつけるポーランド&リトアニア!
http://jp.youtube.com/watch?v=NIq2Bt04DV0

全編(cz.1−19)
予備知識があれば字幕なしでも楽しめるだろう
777世界@名無史さん:2008/12/08(月) 08:48:53 0
チュード湖の氷というのは、重装備の騎士が馬に乗って戦えるほど分厚かったのかね。
778世界@名無史さん:2008/12/08(月) 09:11:11 0
氷上の戦いはほぼ全てフィクションで、ソ連時代の創作
本当はごく少数の小競り合いだった
779世界@名無史さん:2008/12/08(月) 11:56:54 0
http://www.aviapress.com/viewonekit.htm?VMA-007
ロシアVSテュートン騎士団
780世界@名無史さん:2008/12/08(月) 16:59:35 0
781世界@名無史さん:2008/12/11(木) 08:22:17 0
ファベルジェもバルト・ドイツ人に入れてよさそう。
782世界@名無史さん:2008/12/11(木) 16:40:34 0
783世界@名無史さん:2008/12/12(金) 03:38:59 0
ドイツ騎士団との戦争にモンゴル・タタールからの援軍はあったの?
784世界@名無史さん:2008/12/12(金) 03:46:29 0
アルト・バイエルン(古バイエルン)のように、
アルト・プロイセンという地域名もありますか?
785世界@名無史さん:2008/12/12(金) 07:35:41 0
>>783
モンゴルからはないがタタールからはあった
タタール軽装騎兵部隊はリトアニア軍の先鋒で、グルンヴァルトでは陽動作戦を成功させている
786世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:42:45 0
アレクサンドル・ネフスキーの氷上の戦い にはモンゴル軍も参加していたの?
787世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:43:29 0
異教徒とつるむようなら成敗されて当然だな
788世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:51:16 0
西方からの文明を拒否してきたからロシアはダメになったんだ

ナポレオンに歯向かったアホなロシア農民とトルストイ
789世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:52:13 0
ドイツ騎士団とともにモンゴルを成敗するのが正解だった
790世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:53:15 0
ポーランドに攻めて来られてレジスタンス成功の結果がツァーリズム。バッカじゃねーの。
791世界@名無史さん:2008/12/12(金) 09:59:55 0
>>786
あの話はほとんど資料がなくて後の創作ばっかりだからわからない
映画で見るような大きな戦いじゃなかったのが実情じゃないか?

>>787
パヴェウ・ヴウォトコヴィツ
792世界@名無史さん:2008/12/12(金) 10:04:14 0
793世界@名無史さん:2008/12/12(金) 11:39:09 0
パウルス・ウラディーミリと同一人物だよな?
こっちがラテン語で、ポーランド語の本名がパヴェル・ヴウォツコヴィツのほうだろ?

いちおう確認のため質問。
794世界@名無史さん:2008/12/17(水) 19:50:32 0
ウラディーミリというラテン語人名はない
別人
795世界@名無史さん:2008/12/17(水) 23:00:05 0
>>793
同一人物
中世ポーランドの姓ヴウォツコヴィツ(正しくは父称)は、ラテン語のウラディーミリに相当

世界で始めて「基本的人権」を提唱した偉大なる人物が
パウルス・ウラディーミリ=パヴェル・ヴウォツコヴィツ

ポーランド王国はそういう偉大なる風土であり、バルト・ドイツ人たちが
ドイツ騎士団でなくポーランド王国を支持した理由はまさにここにある
当然といえば当然

また、バルト・ドイツ人の使っていた言語は、ドイツ騎士団の使っていた言語と異なり、
互いに「全く」通じなかった
通訳を介するか、ラテン語、時にはポーランド語で意思疎通をはかっていた

後に現在のドイツに相当する地域で言語統一運動が起きるが、
そこで北ドイツの人々とともにバルト・ドイツ人は、統一ドイツ語を
「外国語」として習得しなければならなかった

796世界@名無史さん:2008/12/18(木) 00:33:08 0
バルト・ドイツ人の使っていた言語=低地ドイツ語の一種?
797世界@名無史さん:2008/12/18(木) 00:35:01 0
「バルト・ドイツ人の使っていた言語と異なっていた」ドイツ騎士団の使っていた言語とは何語?
高地ドイツ語?ラテン語?十字軍のロマンス語系リングア・フランカ?
798世界@名無史さん:2008/12/18(木) 08:50:45 0
そうだね。
低地のリューベックなどの訛りの庶民語が、東方住民との混交でさらに訛った特殊な方言。
20世紀でもドイツ本土とはそのままでは通じなかった。
当時のドイツ騎士団の団員はドイツでも南西の方のシュワーベンなどからやってきた
貴族の次男坊以下が大半で、これはこれで強い訛りがある。大まかな分類では高知ドイツ語になる?
互いに通じないだろうね。
799世界@名無史さん:2008/12/18(木) 10:48:18 0
訂正w
× 高知ドイツ語
○ 高地ドイツ語
800世界@名無史さん:2008/12/18(木) 10:58:21 0
20世紀には、リガなどの都市ドイツ人は標準ドイツ語だったはず。
801世界@名無史さん:2008/12/18(木) 11:00:52 0
20世紀には、上中層市民が方言丸出しってことはないだろう。
802世界@名無史さん:2008/12/18(木) 16:57:18 0
上層は貴族、中層は商工業者いわゆるブルジョワで、文化が違うから
言葉も違ってたんじゃない?
803世界@名無史さん:2008/12/24(水) 08:14:25 0
プロイセンの上層ユンカーはおフランス語。
804世界@名無史さん:2008/12/25(木) 09:10:28 0
ユンカーって上層じゃないだろ
ただの在地の下層貴族だろ
805世界@名無史さん:2008/12/25(木) 16:21:21 0
ハプスブルク帝国の貴族だったカラヤン家でも
家庭内での日常会話はフランス語だった
806世界@名無史さん:2008/12/25(木) 17:00:36 0
ユンカーは下層貴族だな。
もともとは貴族でもなかった。貴族の子って意味。
爵位もない。地主みたいなもんだろ。
807世界@名無史さん:2008/12/25(木) 18:58:54 0
しかしトーマス・マンの『ブッデンブロークの一族』では
リューベックの有力商人の娘であるヒロインがユンカーの娘のさえない同級生よりも
自分の方がよっぽどフォンの称号が似合うのにとフォン・ブッデンブロークと口ずさんでみたりするシーンがあるから
フォンには金では手に入らない類のそれなりの価値はあったみたいだけどね
808世界@名無史さん:2008/12/25(木) 19:05:58 0
日本でいえば地侍や庄屋みたいなもんだな。
809世界@名無史さん:2008/12/26(金) 09:02:47 0
>>807
フォンは「〜(土地名)の」というのが本来の意味で地主であることを表す
オランダのヴァン、イギリスのオブ、ポーランドの〜スキも同様
財産の多寡でなく、先祖が地主だったということ

ポーランド王国+プロイセン連合と、ドイツ騎士団との戦いに見るように、
ドイツは中世から商工民と王侯貴族との対立が激しく、これはナポレオン戦争と
1848年革命を経て商人の政治権力が強まり、
ビスマルクとヴィルヘルム2世による王侯貴族の反動体制が第一次大戦の敗北でついに崩壊すると、
商工民による「ドイツ革命」が起きて王侯貴族の時代が終わった

・商工民=黒赤黄の三色旗(1848年革命の革命旗)=共和国旗=ドイツ共和国の国旗
・王侯貴族=黒白赤の三色旗=帝国旗=ドイツ帝国の国旗
810世界@名無史さん:2008/12/26(金) 09:16:03 0
農村労働者の職業は、労働者にも不人気で、
「独身だと農村送りだぞ」というナチスの脅しが効いたくらい
地主階級の終焉はもう間近だったわけか

東ドイツはともかく、西ドイツでの専業農家育成は、どのように図られたのでしょうか?
811世界@名無史さん:2008/12/26(金) 09:50:17 0
>>810
>「独身だと農村送りだぞ」というナチスの脅しが効いたくらい

それは農業そのものが人気ないというより、ナチスの失業対策が
若年層の徴用による農村の無償奉仕労働だったからだろうが。
それで統計上の失業率を大幅に減らしたんだよ。

西ドイツの農家は地域によっても違うが、基本的に個人農で、
西部や南部では商品作物中心の中小規模農業、北部では穀類やジャガイモ中心の大規模農業。
国や州の政府から補助金を出すことで育成。その補助金の使い方も、各農家に
直接現金を配布し収入調整してほぼ一定にする方法。いまではイギリスやフランスもこれをやっている。
日本も民主党がこれ(現金配布)をずっと前から提案している。
イギリス労働党政府は「農家は国土の庭師で準公務員である」とまで言っている。
英仏独のあの美しい田園風景はこのような思想的背景(農業は一種の公共事業)と
具体的政策(現金配布)によって作られたもの。
812世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:14:43 0
戦間期はドイツでナチュラリスト運動が盛んで農業そのものは人気があった。
あちこちで若者がフォークソングを歌いながら農村に移住した、日本の70年代みたいな。

でもナチスの強制徴用で無理やり働かされるのはさすがにみんな嫌だった。
労働環境が劣悪だったから。
813世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:21:26 0
>オランダのヴァン、イギリスのオブ、ポーランドの〜スキも同様
>財産の多寡でなく、先祖が地主だったということ

オランダとポーランドは違うんじゃね?
814世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:38:12 0
オランダ語の前置詞ヴァンはドイツ語のフォンと同じ。
ヴァン・ビューレンならば、先祖がビューレンの地主。
ポーランドの〜スキの場合、ポーランド語は前置詞を使わずとも
名詞の格変化で「〜(地名)の」を表せるのでそうしている。
ルトコフスキならば、先祖がルトコフの地主。

815世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:44:45 0
オランダ人なんてvanがやたらいる
(それこそドイツのvonなんて問題にならないほど)けど
本当に土地所有者としての地主なの?
〜出身のっていう意味じゃなくて??
816世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:44:50 0
スウェーデンの地主は前置詞も格変化も使わず、地名をそのまま姓にしているように見える。
スウェーデンだと格変化で〜スカが使えるはずだが、簡略化しているようだ。
817世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:48:17 0
>>815
そこはわからない。もとは地主を表すんだけど。
教会に姓を登録するようになって地主でなくとも住んでた村などの名前を使ってるのかも。
ドイツやポーランドはそういうのは厳格なほう。
〜スキ(ー)はロシアでもチェコでも使うが、これは使い方がかなりでたらめで
先祖が地主とは限らない。オランダもそうなってしまってるかも。
818世界@名無史さん:2008/12/26(金) 10:56:16 0
じゃあオランダ人vanは地主じゃないってことでいいじゃん
あと本当にポーランド人の〜skiって地主なのかい?
出典教えてよ
819世界@名無史さん:2008/12/26(金) 11:41:17 0
>>818
vanは出身地を表すが、地主だったかどうかは限らないみたいだな
http://en.wikipedia.org/wiki/Van_(Dutch)

skiについては、これは出典といえるかどうか知らんが常識の話だからネットでも検索すればいくらでも
http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~jkmacmul/namemeanings-coatofarms/polishsurnames.html
820世界@名無史さん:2008/12/26(金) 11:45:24 0
>>819
ポーランド文化っておもしろいよな
今までドイツやロシアの影になっていて
冷戦が終わってからようやく日本でも少しずつ知られるようになってきたが
中世後期は強大国だったから文化が深いのは当然といえば当然なんだが
821世界@名無史さん:2008/12/26(金) 12:50:23 0
vanについて嘘をあんなに得意げに吹聴してた人に
「常識の話だから」って言われても今いち
822世界@名無史さん:2008/12/26(金) 12:56:02 0
>>821
なにおまえ、俺と張り合って論争・喧嘩してるつもりだったの?
俺は普通に応えていたのにな。気づかなかったよ。

頭のおかしいやつに絡まれていたのか。じつに不快だ。
823世界@名無史さん:2008/12/26(金) 13:06:49 0
>>822
821は818じゃないです
出典の紹介ありがとうございました
824世界@名無史さん:2008/12/26(金) 20:31:11 0
イギリスのオブ?

現在はいないぞ
825世界@名無史さん:2008/12/27(土) 14:08:09 0
>>809
>フォンは「〜(土地名)の」というのが本来の意味で地主であることを表す
オランダのヴァン、イギリスのオブ、ポーランドの〜スキも同様
財産の多寡でなく、先祖が地主だったということ


英語圏の苗字でof-というのが、現在でもつかわれていますか?知りません。
あっても苗字とは別についている、貴族タイトルでしょう。
826世界@名無史さん:2008/12/27(土) 21:23:17 0
バルト・ドイツ人の歴史
http://www.deutschbalten.de/daten1.htm
827世界@名無史さん:2009/01/06(火) 18:26:10 0
オランダのヴァン、イギリスのオブ、ポーランドの〜スキも同様
財産の多寡でなく、先祖が地主だったということ

ポーランドとオランダは違うだろ
反証のネタとしては適当だけど欧州のサッカーリーグの登録選手名には
vonとかdeが付くドイツ、フランス人は一人もいないけど
vanとか〜skiとかいうオランダ人、ポーランド人は山ほどいるんだが
828世界@名無史さん:2009/01/06(火) 19:57:37 0
横レスするが、ポーランド史を知らない人は初めて聞く話だと思うが、ポーランド人は貴族が多いんだよ。
独立後の1919年に貴族制度が廃止されるまで登録制度が確立していたため
韓国の両斑ようなインチキ貴族の余地はないが、
18世紀のポーランド王国滅亡寸前でも国民の10%を超える人口が貴族だった。
中にはヨーロッパの中規模の国家と同じぐらいのラティフンディウムを持っていた大地主もいたが
全部が有産者だったわけでなく、貴族のタイトルは持ちながら労働者や小作人だった家庭もあった。

ポーランド貴族は日本の士族のようなものと考えればいい。

オランダ?オランダには興味ない。オランダ史はつまらないから。

829世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:07:59 0
いやポーランド人の貴族階級が多かったと言う話を疑ってるんじゃなくて
〜skiという姓が土地所有者を表すというのは本当かな?と言ってるだけ。
だってポーランド人をランダムに10名抽出すると〜skiは>>828のいう
10%、つまり1人じゃすまないでしょう
830世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:14:57 0
>>829
>10%、つまり1人じゃすまないでしょう

そりゃそうだろ、家系の出自は姓に残っているだけだから。
先祖は地主で、子孫になると色々な運命を辿る。
先祖の土地を失っても姓が剥奪されることはない。

貴族登録の帳簿を管理していたのはグニェズノのポーランド大司教座が管理するカトリック教会で、
ユダヤ人はこの外だったため、ユダヤ人が-ski姓を名乗っている場合があり、
ポーランド人ならば姓を聞いただけでその語幹から
キリスト教徒の家系かユダヤ教徒の家系かが簡単にわかる。
外国人だとポーランドの歴史的な地理の知識に乏しいのでこれがなかなかわかりにくい。
831世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:22:52 0
>先祖の土地を失っても姓が剥奪されることはない
ん?意味がわからない
姓が剥奪されることはないからこそ〜skiが
土地所有者階級を表すにしては
多すぎるんではと言ってるんだが・・
あとユダヤ人の〜skiは関係ないでしょ
いまポーランドにはナチスの虐殺と戦後の移民で
ユダヤ人はほとんどいないんだから
832世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:35:39 0
>>831
おいあんたいったい何の議論をふっかけてんの?
・ポーランド人の姓skiは先祖が地主の貴族であったことを表す
・姓は教会を通じてそのまま子孫に残るため同姓の子孫は増え、貴族であっても無産者となるケースもある
・ポーランドでは1919年に法的な貴族制度が廃止されている(ので現在は貴族ではない)
これだけのこと。

それで?何に反論したいの?論点を整理してくれよ。
833世界@名無史さん:2009/01/06(火) 20:39:33 0
>>832
結論から言うと
・ポーランド人の姓skiは先祖が地主の貴族であったことを表す
が本当だか知りたいだけです。
レスの内容からするに>>832さんはポーランド語も読めそうな雰囲気ですが
私は無学なので
「ポーランド人の姓skiは先祖が地主の貴族であったことを表す」
と記載している日本語の書籍を紹介してくれないでしょうか?
834世界@名無史さん:2009/01/06(火) 21:00:54 0
>>833
日本語の書籍?
日本の錚々たるポーランド研究者陣が共著した一般向けのポーランド文化入門書で
『ポーランドを知るための60章』というのがあるが、そんなことが書いてあるかどうか。
とりあえず読んでみな。
835世界@名無史さん:2009/01/06(火) 22:05:30 0
とにかく一代であれ、地主でないと苗字など名乗る意味なかった。ポーランド人の地主はみな貴族。町人やユダヤ人は地主になること厳禁がポーランドの法だったのよ。
836世界@名無史さん:2009/01/06(火) 22:52:44 0
町人、ユダヤ人、貴族でない個人農も土地持ってただろ
ただし固定資産税と相続税が割高だったそうだが
837世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:13:49 0
ポーランド人の苗字
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

これ見ると-スキがポーランド貴族を表すってのは100%ウソっぽいな
838世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:16:40 0
>>837
もう粘着すんなよ。気に入らないならもっときちんとしたソースを挙げろ。
おまえの論の持って行き方は単なるイデオロギー。単なる喧嘩だ。
事実とは何の関係もない。勉強しろ。
839世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:18:35 0
ドイツヲタって一番痛いな
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204911035/l50
840世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:28:05 0
>>838
別に事実を知りたいだけなんだからいいじゃん
でこのwikiの記事がでたらめっていう証拠は出せるの?
もちろんwikiにはウソが多いってことは知ってるけど
wikiの記事を見る限り所有してる地所ではなく
単なる普通名詞にskiをつけたように見える
841世界@名無史さん:2009/01/06(火) 23:49:40 0
>>840
事実を知りたいだけならなんで「100%ウソっぽいな」などという失礼な言い方をする?
俺はもうおまえを構わないから、あとは自分で事実を調べればよい。
最後に、ポーランドでは中世後期以降開拓されて人が住むようになった町や村などの地名は
普通名詞やキリスト教の人名から派生していることが多いことは言っておく。
(古代からの地名−カリシュやグダニスクなど−は地名のいわれが不明)
842世界@名無史さん:2009/01/10(土) 02:32:49 0
843世界@名無史さん:2009/01/10(土) 16:30:42 0
ダンチヒには金箔入りの酒があったという
844世界@名無史さん:2009/01/14(水) 11:40:03 0
ニーチェの祖先は新教徒が禁止されたので亡命したポーランド貴族。
ザクセン王家つながりの縁だった?
845世界@名無史さん:2009/01/14(水) 12:03:20 0
846世界@名無史さん:2009/01/14(水) 13:00:52 0
>>844
ポーランドは新教を禁止してないよ
ニツキ家の者がザクセンに移住したことは確かだが
また、ニツキ家はシラフタであったがザクセンの王家と血縁があるという話は
聞いたことがないのでソースよろ
847世界@名無史さん:2009/01/14(水) 21:08:56 0
ザクセン王家がポーランド国王になったのだから、
ポーランドからドイツに移って仕えるものもいたのかな?
ニーチェの祖先がポーランド貴族というのは史料が無く、本人がいっただけのことらしい。
848世界@名無史さん:2009/01/14(水) 22:57:55 0
ニーチェ家が法定相続財産として代々受け継いだ印の中にポーランドのニツキ家の紋章が入っている
ことが確認されている
どこの馬の骨ともわからない家ならともかくも、貴族の法定相続財産のことであるから
間違いないと見てよい、ということで今はニーチェの先祖がポーランドから移住して来たことが常識となった
849世界@名無史さん:2009/01/14(水) 23:04:25 0
たしか教会の帳簿などの家系の記録は
ニーチェの妹がドイツ民族主義者で、
彼女が破棄した可能性があると言われてるよな。
850世界@名無史さん:2009/01/15(木) 01:23:33 0
紋章なんかパクれるじゃん。
851世界@名無史さん:2009/01/15(木) 07:21:18 0
じゃニーチェ家がポーランド貴族の紋章をパクった。
852世界@名無史さん:2009/01/15(木) 12:01:08 0
先祖が由緒あるポーランド貴族だったか、あるいは先祖がポーランド人から紋章をパクった悪党か、どっちか
853世界@名無史さん:2009/01/15(木) 12:03:05 0
ニーチェ自身はドイツ・ナショナリズムに距離を置いていた。
854世界@名無史さん:2009/01/15(木) 12:08:59 0
カフェで一人でボーっとしているとポーランド人と間違われるってんだから本物だろ
けっこうコテコテのポーランド人ぽい顔してるんだろ
以前、典型的なポーランド人の中年男の顔はピーター・バラカンだと聞いたことがある
855世界@名無史さん:2009/01/17(土) 00:19:02 0
★虐殺ドイツ人か 人骨1800柱 ポーランド ソ連進攻犠牲者の可能性

【ベルリン=三浦耕喜】
ポーランド北部マルボルク市は十四日、市内の工事現場から約千八百柱の人骨を
発見したと発表した。第二次世界大戦末期に虐殺されたドイツ人の住民だった
可能性が高いとして、当時の目撃情報を求めている。

現地の報道によると、最初に人骨を発見したのは昨年十月のこと。ホテルの建設
現場で基礎工事をしていた際に掘り起こした。一日に百柱を発掘することもあり、
これまでに約千八百柱を確認したという。約百柱の頭骨には銃で撃たれた穴が
あった。人骨は女性や老人、子どものものまでさまざまなことから、一般人と
みられる。

同市は第二次大戦終了まではドイツ領の「マリエンブルク」だったが、一九四五
年三月にソ連軍が同市に進攻。多くのドイツ人住民は避難したものの、一部は
市内にとどまり行方不明となった。独DPA通信によると、当時の行方不明者は
千八百四十人とされており、今回発見された人骨が行方不明者のものである
可能性は高い。

近く検視が行われるが、着衣や所持品などは見つからなかったことから、個人の
特定は困難の見通し。地元司法当局者は「手がかりを得るべく、目撃者や事情を
知る人を捜している」と話している。

2009年1月16日  東京新聞 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009011602000107.html


856世界@名無史さん:2009/01/18(日) 22:25:02 0
ドイツ人とポーランド人の間には言語の借用関係もない。
857世界@名無史さん:2009/01/18(日) 22:28:12 0
ポーランドの方がドイツよりも美人
858世界@名無史さん:2009/01/18(日) 22:43:42 0
>>856
多くはないがあることはある
859世界@名無史さん:2009/01/19(月) 01:51:45 0
ドイツ人とポーランド人の間にはEU統合まで正式の婚姻関係もない。
860世界@名無史さん:2009/01/25(日) 19:16:51 0
ドイツとポーランド,(シレジアは肥沃だったが)ポーランドの方が土地肥沃。
861世界@名無史さん:2009/01/28(水) 19:36:19 0
Since I could not take away your virginity,
I think I will settle with this.

It hurts!

862世界@名無史さん:2009/01/29(木) 13:38:21 0
なんといってるの?
863世界@名無史さん:2009/02/02(月) 07:49:35 0
プロイセン王国はポーランド語を弾圧?
864世界@名無史さん:2009/02/02(月) 08:45:51 0
ドイツ語でいうヴェンド人Wendischってソルブ人?ポーランド人?
865世界@名無史さん:2009/02/02(月) 09:54:16 0
>>863
ドイツ帝国の1870年代の文化闘争以後ね
ドゥジマワ事件が報道されてからはドイツ人もポーランド人弾圧に反対した
ドイツ帝国議会やプロイセン王国議会にもポーランド人議員がいて
コルファンティを党首とするポーランド人会派があり、ポーランド文化運動を行った
1918年ドイツ帝国議会本会議でコルファンティは大演説を行い、
ドイツが保有するポーランド旧領土の新生ポーランドへの割譲を求めた

>>864
ソルブ人
866世界@名無史さん:2009/02/05(木) 21:45:07 0
初音ミクで覚える世界の国歌(修正・追加版) / VOCALOID2 sings national anthems
http://www.youtube.com/watch?v=muPQ7hwEYvk
867世界@名無史さん:2009/02/28(土) 03:52:58 0
なるほど
868世界@名無史さん:2009/04/10(金) 10:36:27 0
>>831

技術者とか来ないの?
869世界@名無史さん:2009/05/06(水) 09:44:12 0
>>859
遅レスだけど
レヴィンスキーとマンシュタインはどうなんでつかね?
870世界@名無史さん:2009/05/13(水) 12:33:27 0
ラトヴィア史学におけるバルト・ドイツ人の評価は、民族主義時代(ラトヴィア・
ソヴェト史学は民族主義史学の後継者である)と親欧州時代(戦間期と共産主義崩壊後)
とで 180度変わっている。民族主義時代には、バルト・ドイツ人は残酷な搾取者だったと
言われるし、親欧州時代には、バルト・ドイツ人は文明伝播的な役割も果たしたと
言われる。ラトヴィア人がみずからのヨーロッパ性を主張するためには、その伝播者
であるバルト・ドイツ人を悪し様に言うわけにはいかないのである(もちろん、
こんにちのラトヴィアの学術活動のかなりの部分がドイツから流入する資金に
よって賄われているという直接的な事情もある)。
871世界@名無史さん:2009/05/13(水) 13:05:46 0
>>869
>>859はガセだって
872世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:46:37 0
873世界@名無史さん:2009/05/18(月) 19:51:55 0
ラトヴィアは親ロシアなやつもいた。
ボルシェビイのラトビア人部隊とか、旧ソ連クーデターのときのプーゴとか。
874世界@名無史さん:2009/05/19(火) 02:36:01 0
いまスカイプでラトビア人の友達いるけど、あそこはロシア系住人も多いそうな。
ついでに親米派は基本的に嫌われます。

ただしEUに加盟しているので、自分たちの呼称は「Europe」なんですよ
875豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/05/19(火) 03:12:42 O
>>873
プーゴは双親がロシア革命・母国独立後の反共政策でソ連に亡命し、ソ連で育った特殊な人だけど、
名前は忘れたがソ連末期・エリツィン時代の保守派軍人の代表格にもラトビア人がいたね。
その何とか大佐は生粋のラトビア人だし、
更に古く遡ればチェカーにはジェルジンスキーの下にラトビア人がかなりいた。
ユダヤ系やドイツ系じゃなくて、バルト系のラトビア人たち。
ヒトラーはテーブルトークの中でラトビア人を
「ロシア人すら嫌がった残酷な処刑を平気で引き受けた下等な連中」と言い、
エストニア人よりずっと下、さらにリトアニア人よりも下に位置付けいたけれど、
ヒトラーにとってはどういう事情・都合でだったのだろう?
876世界@名無史さん:2009/05/19(火) 05:56:01 0
ソ連を最期まで護持しようとしたアルクスニス大佐でごわす。
877世界@名無史さん:2009/05/19(火) 06:58:51 0
ラトヴィアはバルト三国の中でソ連化がもっとも成功した国だったそうな。
878世界@名無史さん:2009/05/19(火) 09:46:52 0
http://neto.blog10.fc2.com/blog-entry-4244.html
エストニアに限らず、これまでのバルト三国ものは独立という民族の
悲願に焦点を当てんが為、歴史は併合以前から一気に独立回復まで
飛んで、「ソ連」という時代が空白になりがちであった。そして今は
EUの一員として、あたかも「新しいヨーロッパ」が一夜にして出現した
様な印象操作がなされるのだが、そこにはまだ「ソ連」の歴史を生きる
人たちがいる。それが文字通りの「少数民族」であれば、「国民国家」に
収斂されるものであろうが、首都で半数、第二の都市で35%以上、
第三の都市では実に95%以上もの人口を擁する「少数民族」とあっては、
「国民国家」における建国神話の歴史認識と齟齬が生じよう。言うまでもなく、
その「少数民族」とは「ロシア系」なのだが、厳密に言えば、その「ロシア系」
にはウクライナ、ベラルーシ、ユダヤなどのサブ・カテゴリーが存在する。
現在のエストニアの正史から言えば、これら住民は「侵略者の子孫」であるが故、
国の歴史認識とあいならない「国民」を多数抱え込んでいるということになる。
EU加盟にあたっては、国民国家の原理原則が侵害されるとしたエストニア人より、
「少数民族」の支持の方が高かったという。
879世界@名無史さん:2009/05/20(水) 20:09:57 0
タルトゥ(ドイツ名ドルパット)はエストニアの精神的首都と呼ばれている。
しかし400年近い歴史を持つタルトゥ大学はスウェーデン王が創設したものだし、
ドイツ騎士団に占領された後は独立司教領となり、ハンザ同盟にも加盟していた。

エストニア人独自のものといえば、歌の祭典、エストニア人協会の設立ぐらいなものか?
880豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/05/21(木) 00:06:00 O
>>876
サンクス!
あの大佐、こわもてだったよね。
881豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/05/21(木) 00:41:33 O
プーゴとアフロメーエフ元帥(←ロシア人)の自殺報道にはショックを受けたよ。
アフロメーエフはもう高齢だったし、社会主義体制・ソ連以外のロシアなど考えられなかった、
と推測出来るがクーデター7人組の一員ではなかったし、
黒幕だったには違いないとしても、それを立証できたかどうか怪しかったし、
ヤナーエフら(自殺したプーゴを除く)6人も無事出獄したような記憶がある。
プーゴは、ラトビア人の彼には帰るところがなくなってしまったから、とよく言われているが、
まだ当時50代だったし、(クーデターに参加してはいないが)同じラトビア人のアルクスニス大佐は
その後もロシアで活動し続けているし、何故あの2人は自殺したのか?さらには本当に自殺だったのか?
と今思うと疑問。「絶対に」自殺しない人などいないだろうし、
窮地に追い詰められれば大いにあり得るし、不可解でも何でもないのかもしれんが。
882豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/05/21(木) 01:50:59 O
>>881のレス違いもいいところでした、スマソ
883豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/05/21(木) 01:52:39 O
スレ違いの間違い、錯乱していてスマソ、寝ます、orz
884世界@名無史さん:2009/06/20(土) 03:45:34 0
>>877
そもそもボリシェビキメンバーでも
バルト3国人の中ではラトビア人が飛びぬけて多いからね
885世界@名無史さん:2009/07/26(日) 10:22:02 0
riga1944
886The KONR:2009/07/26(日) 11:45:22 O
Periodicals and leaflets
The Liberation movement newspaper"Volontier"May 7, 1944.
The Russian troops' newspaper"The ROA warrior"
Maps
The Volkhov front on summer 1942.
The KONR troops marches in March-May 1945
Portrets
GeneralVlasovA.A.
GeneralMeandrovM.A.
GeneralTrikhinF.I.
GeneralMaltsevV.I.
GeneralMalyshkinV.F.
ProfessorBogatyrchukF.P.
ScheglovA.V., KONR candidate deputy
887世界@名無史さん:2009/08/14(金) 21:26:53 O
ユルスナールの「とどめの一撃」はバルトでの貴族たちと赤軍との戦いの物語だね
日本語でクールラントを舞台にした小説ってかなりレアだよな
888世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:55:08 O
日本語で読める、だろ
889世界@名無史さん:2009/09/14(月) 09:49:50 0
◆「風向き変わった」
ペーネミュンデまではベルリンから列車を乗り継いで4時間ほど。町の一部は、冷戦時代の土壌汚染に
よって今も一部が立ち入り禁止になっている。駅周辺では旧東ドイツ軍の兵舎が朽ちるにまかせ、
90年代にデベロッパーが買い上げた3000戸の家が放置されたままだ。
人口は約300人に縮小しているが、住民は意外に元気だ。唯一営業していたレストランでは、旧東ドイツ
軍人の再会パーティーが開かれ、ロケット燃料に使えそうな高度数のアルコールで盛り上がっていた。
この町が最後に話題に上ったのはコール政権の92年。当時のリードル国務長官が最初の宇宙ロケット
打ち上げ成功50周年を祝してこの町で記念式典を計画した。
ドイツの週刊誌デア・シュピーゲルによれば、このとき英仏両国は激しく反発。ハノーバーの地元紙は
「次はヒトラーの誕生日を祝うつもりか」と揶揄(やゆ)し、これを受けた形で式典は縮小された。
歴史技術情報センターは宇宙開発の基礎を築いたロケット技術の功績と、それがもたらした破壊的な結末を
ともに展示している。ミュールドルファーフォグト館長は「これまで政府はペーネミュンデを援助すべきか
否かといったデリケートな議論を避けてきたが、少し風向きが変わってきたようだ」と語った。
ソース FujiSankeiBusiness i. 2009/4/11
http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200904110023a.nwc
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1239428528/1-100
890世界@名無史さん:2009/09/18(金) 21:36:54 0
;;;;;;;;;;;/゙::::::::::::: \::::\    ミ川川川川川川彡 
;;;;;;;/::::::::::::::::::::::: ヽ:::゙|ヽ  ミ          彡
;;;/::::::::::::::::::::::::::::::::: \l,ll,  三      な   三
/::::::::::::::::::::::: : : : :::::' ヽ || 三      ぜ   三
:::::::::::::::::::::: :     : : ::||| 三   な       三
::::::::::::::::::::        : :|||     っ   こ   三
::::::::::::::::          : :|| i    て   ん   三
:::::::::::::: : ,,,,,,,,,,,,,,,,,_    : :|| l,_    し   な   三
;;::::::::::: |     ゙゚\,  ゙|| ll゙\  ま   こ   三
:::;:::::::: : \,:::::::::::::::::::::: li  ||:::::::::l  っ  と    三
;::::::::::   .\,:::::::::::::::::::/  ,r::::_/  た  に   三
::::::::::::     ヽ一一''°  l゙ll″   ん      三
::::::::::::               l|ll    だ      三
::::::::::::            ,lll′          三
,、:::::::::            ,ll゜           三
;ヽ:::::::::::     _____ll′三         三
;;;;;ヽ:::::::::    ||___|  彡        ミ  
;;;;;;;ヽ,::::::::   |  l___|ヽ   彡川川川川ミ
;;;;;;;;;;\,,,____\_/__/  \
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ :::::::: ::::――ヽ
891世界@名無史さん:2009/09/22(火) 12:29:16 0
そもそも、第二次世界大戦の始まった理由は
ポーランドがドイツのダンツィヒを占有しようとしたから
つまり、ポーランドが悪い

それから、ワルシャワが廃墟になったのは
ポーランド人が武装蜂起したからだろ。
制服も着ないで、これは国際法に照らせば
便衣兵にあたる。

それと、ポーランドはドイツのプロイセンをいまだに占有している。
これは由々しき問題。戦後のドイツ人大量虐殺にも触れてない
892世界@名無史さん:2009/09/24(木) 15:12:05 0
うわ馬鹿丸出し・・・

あんたは全ての戦争の因果関係を知りつくした世界史の神様だ。
偉い偉い。はいはい。
893世界@名無史さん:2009/09/24(木) 22:18:12 0
>>892
   、ミ川川川彡                 ,ィr彡'";;;;;;;;;;;;;;;
  ミ       彡              ,.ィi彡',.=从i、;;;;;;;;;;;;
 三  ギ  そ  三            ,ィ/イ,r'" .i!li,il i、ミ',:;;;;
 三.  ャ  れ  三    ,. -‐==- 、, /!li/'/   l'' l', ',ヾ,ヽ;
 三  グ  は  三  ,,__-=ニ三三ニヾヽl!/,_ ,_i 、,,.ィ'=-、_ヾヾ
 三  で       三,. ‐ニ三=,==‐ ''' `‐゛j,ェツ''''ー=5r‐ォ、, ヽ
 三.   言  ひ  三  .,,__/      . ,' ン′    ̄
 三   っ  ょ  三   /           i l,
 三.  て   っ  三  ノ ..::.:... ,_  i    !  `´'      J
 三   る  と  三  iェァメ`'7rェ、,ー'    i }エ=、
  三   の   し  三 ノ "'    ̄     ! '';;;;;;;
  三   か  て  三. iヽ,_ン     J   l
  三  !?    三  !し=、 ヽ         i         ,.
   彡      ミ   ! "'' `'′      ヽ、,,__,,..,_ィ,..r,',",
    彡川川川ミ.   l        _, ,   | ` ー、≡=,ン _,,,
              ヽ、 _,,,,,ィニ三"'"  ,,.'ヘ rー‐ ''''''"
                `, i'''ニ'" ,. -‐'"   `/
               ヽ !  i´       /
               ノレ'ー'!      / O
894世界@名無史さん:2009/09/26(土) 23:07:56 0
Deutschland,Deutshland über alles
über alles in der Welt,
wenn es stets zu Schutz und Trutze
brüderlich zusammenhält!
Von der Mass bis an die Memel,
von der Etsch bis an den Belt:
Deutschland,Deutshland über alles
über alles in der Welt
895世界@名無史さん:2009/09/30(水) 20:35:49 0
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   ハイッ 終了!
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \()
      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     | ()
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /    ()
896世界@名無史さん:2009/10/02(金) 21:59:54 0
   i                 ( ,、-'|;;;;;;;;;/   ―=-、i,,,(/''|;;;;ii;// ::: / ''"::::~'t;ヽヽ
 、―'   だ  血  て      L(::::(|;;;;;;;/     i从,,二;;;;;、';;、/'"ii||| :: :::::::::::::::::;;;;);;;/'i
  )'    ┃             /~''、|;;;;;/  ::::::::: '、""''''ー、,ヽヽ~'、ミ  ::: ::::::::::;;;;''"/;;ノノノ;;
 ノ     ┃  は.  め     (~''''::::::t;;/   ::::::::::::: `'-、 (:・:)~'' 、;;,,,,  :::: ,,r'''~::ノr"ノノ /
 )     ┃            ヽミ、,_ y'   :::::::::::::::::::::::: ~'''ー--jヽ;;;;≧z'"" ノ"彡彡" リ
 7'     ┃  ド  え.      /;t''/    :::::::::::::::''''"''::::::::::i、;;;;ミミ三'''_∠彡、;;;;マニ;ノ
 ヾ    ┃            /;;;;;リ:/         :::::::::::::::''" ~'-、ヽ /~''ー'z;;",,,,>"
 /'     ┃  イ  ら     (;;;;;;ノir'         ::::::::'''" r'~~ヽ,  y /::::::~'''ー'",/
       つ            ヽヽ t        "   :::::t~ヽ、 :::::::/、:::::::::''" ノ
 、__    //  ツ.  の     ,〉i | :ヽ       ,'"i' 、;::::   :::::ヽ:ヽ  ノ'"::::: /
   |   ・・            ( } |:::::ヽ     /  ~ー、'-、;; :::::)::ー'":::::::::: , '
  / ,,,,,,,,              rゝ| |i::::::ヽ    :}、"~~~ヽ;;~''ー"'ニ=ーァ"::''"/
  "   ヽ         ,,、-、i":: i. |i:::::: ヽ    :::t、  :::::"''~~ );;;/'", '"
      ヽ/t,,、-ー―ー ' :::::  ::: t t:::  ヽ  :::ヽ::`'、'''-、 __、ノ;/ /
       リ|  |;;;;/⌒ヽ  :::::... ::  t t"  ::ヽ  ::`' 、、,,~''' ー--''  /
                 i::::: :ヽ t t  :::::ヽ  ~ ''ー-"、:::::''" ,、'
897世界@名無史さん:2009/10/04(日) 15:01:02 0
>>896
Ja!!!
898世界@名無史さん:2009/10/05(月) 15:17:59 0
なぜリトアニア人は戦闘力が高いのか
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1254660004/
899世界@名無史さん:2009/10/05(月) 15:32:10 0
  .. :..      __  ..
  .    +   |: |
          |: |
   .(二二(:.::゚:З;゚,::)二二O
          |: |    ..:+ ..   
     ∧∧ |: |            
     /⌒ヽ),_|; |,_,,
_,_,,_,〜(,,  );;;;:;:;;;;:::ヽ,、
    とりあえず
900世界@名無史さん:2009/10/05(月) 20:37:17 O
★中川昭一氏が遺言を2ちゃんねるに書き込みか?
・インターネット上に書き込みができる掲示板「2ちゃんねる」に、中川昭一元財務・金融相が遺言を
 書き込みをしたのではないかと噂になっている。10月4日の午前中に自宅のベッド上で亡くなって
 いるのが発見され、ニュース速報としてテレビでも大々的に報道された。
 「2ちゃんねる」で中川氏の書き込みと噂されている文は、10月3日の午前10時に書き込みされた
 もので、「明日、決行します。多分関係部局が報道官制しない限り、マスコミに大きく取り上げる
 ことでしょう。有難う。さようなら皆さん最後までご迷惑かけました。合掌」と書かれている。
 この書き込みは「本物の自殺志願者が語るスレ2」という名の掲示板に書かれており、一般人の
 遺書には書かないであろう「関係部局」や「報道官制」などの単語が入っていることから、中川氏の
 書き込みではと噂されたわけだ。

 遺族側は死因について「急性心筋梗塞」と説明しているらしく、自殺でない可能性が高いとされている。
901世界@名無史さん:2009/10/07(水) 23:06:37 0
ドイツの女、ドイツの誠、
ドイツの酒にドイツの歌よ。
その古への調べを
宇内に保持し、
この身命ある限り、
我らを弥貴き業へと赴かせよ。
ドイツの女、ドイツの誠、
ドイツの酒にドイツの歌よ。

Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang
Sollen in der Welt behalten
Ihren alten schönen Klang,
Uns zu edler Tat begeistern
Unser ganzes Leben lang.
Deutsche Frauen, deutsche Treue,
Deutscher Wein und deutscher Sang.
902世界@名無史さん:2009/10/10(土) 21:48:09 0
ドイツ国歌
903世界@名無史さん:2009/10/12(月) 12:42:10 0
ファラースレーベンの原稿を見てください(ドイツ史の詳しい本だと大体載ってると思います)。
表題はDas Lied der Deutschen(ドイツ人の歌)となってます。しかし、1841年に作られた後も、ただの替え歌扱いされてました。
なぜなら、曲はご存知のとおりハイドンのオーストリア帝国国歌?、「神よ、皇帝フランツを守りたまえ」だったからです。
もちろんドイツ帝国国歌?は「皇帝陛下万歳」だったのでドイツ自体にも広まることはなかったそうです(これはうちの教授の説)。
で、表舞台に立ったのは、80年後の22年、エーベルト大統領の演説です。これはドイツ政治教育センターbpbのHPに詳しいです。
そこでは「Lied der Deutschen(ドイツの歌)は困難な道を歩むドイツ民族の座右の銘」として紹介してます。
ここで、「紹介」であって、歌うべき国歌として制定されたわけではないとして、ワイマールの国歌ではないとする学者も多いです。
うちの教授は25年版のレコードをもってますが、Lied der Deutschen(ドイツの歌)の題名です。
これが一気に広まったのが、ナチス時代です。この歌を知らなかった奴らも多かったと思いますが、一番の歌詞のみを切り取って、
ホルストヴェッセルの歌とともに「Deutschland über alles」として演奏しました、この時代、二番以降の演奏は禁止されています。
このころのレコード(うちの教授は39年版)は「Deutschland über alles」になってます。
当然ですが、この歌が国民どころか世界中に知られるようになったのは、ナチスがことあるごとに演奏したこの時代ですので、日本でもDeutschland über allesとして認識されてしまったと思われます。
904世界@名無史さん:2009/10/14(水) 22:54:30 0
  -─フ  -─┐   -─フ  -─┐  ヽ  / _  ───┐.  |
__∠_   /  __∠_   /    / ̄| /      /  |
  /    /⌒ヽ   /    /⌒ヽ     /l      /    |
  (         |   (         | /  / l    /\     |    /
  \__     _ノ    \__     _ノ   /  \ /   \  |_/

  __|__    __    l     __|__     l    ヽヽ
  |     |   ̄ ̄  /  -┼─       |        |  _  l
   |   |       /       | ─-    ├─┐    ̄| ̄ ヽ |
    |   |       |     |        /    |    |   │
 ─┴ー┴─     ヽ_    |  ヽ__   /  ヽ/     |   ヽl

  l         l          |     ┌─┬─┐  ─--
  |    ヽ    |    ヽ     |  _.  ├─┼─┤    __
 |      l   |      l    / ̄   └─┴─┘   ̄  ヽ
 |     |   |     |  (         , l  ヽ        |
  し       し       ヽ__  /  ヽ___,ヽ     _ノ

905世界@名無史さん:2009/10/17(土) 12:23:41 0
>>904
あといくつあると思ってるんだ。
906世界@名無史さん:2009/10/20(火) 22:03:22 0
95です。
907世界@名無史さん:2009/10/24(土) 17:22:26 0
93なんですけど・・・。
908世界@名無史さん:2009/10/27(火) 19:15:57 0
ポーランド・リトアニア連合なんかは民主主義とか平和主義とか世界市民主義とかを追い求めすぎて、
理念があまりに高邁すぎて現実が追いついてこなかったから近代に周囲の絶対主義国家群に攻め込まれて滅亡した。
具体的には議会(セイム)の自由拒否権(リベルム・ヴェト)を5月3日憲法施行まで廃止しなかった事につきる。
909世界@名無史さん:2009/11/07(土) 18:34:56 0
         ナ ゝ   ナ ゝ /    十_"    ー;=‐         |! |!   
          cト    cト /^、_ノ  | 、.__ つ  (.__    ̄ ̄ ̄ ̄   ・ ・ 

     / ミ:::,..::- 、::;;;ミミミ彡)              ,,..--―-、
    !'"  ミ:::/   u`ヽ--、'k.、  ,..-一、,.‐--、,,_   /, -----、.ヽ,     .__,,,,...::-一=、
    i. ミ::/ ゙゙゙''ヽ、  u   iミ;!,.'";: .: .: .: .:. :: ド;'.  |  i_,,,,_  __゙l |    /.: .: :   :. :.ミ
  /',、ヾ ! u ,'"´r。`ヽ、_ :. _,,iミi ''  彡_イィiレヾi゙`   ,!、i'゙-‐-: '-、|/    i .: ,.=-、ソiヾ、.,ヾ
  ゙i 'ヘ i:┘  ゙ー---.,,  ゙i''f..i ,.i.-./r'"r。ヾ、ィ;、゙!   /'') ..., '‐-‐、.j    r、:i‐i' ( ;) i-i;"゙i'
   .! ゙ヾ  u    "   .:ヤ''〈ヘォi u ̄,._ ト‐-!   / ,‐!::...`'''''''`ノ    .ゞ_ u゙ー=、'.冫ィ
  _,__7‐'i     ,.:-‐-、.´/ .i,゙F'i   /__.゙ラ' ,..j  ,,l ;! ::|ヽ、二 イ   _,,../i' .、(ー-7 ノ
;'";;;゙i.  i.    /`==‐-/  .ノ: i. \ ゙、__././ ゙゛ i::..  | .ヽ/;ヽj!`‐-、_ ;  ゙、 ::゙ーr-'_´
;;;;;;;;;;゙i.  ,;\  ゙、-- 、.:/ /;,: : :゙i :. ;,,`ーr'´、.__   ノ::. .:|、 .ヽ,:ヽ|  <゛~ヽ;,  ゙、;::::i  ';,ー、
;;;;;;;;;;;;゙i. , ; ;;\  ゙二ニ'./: : : ;,: : :゙ト、 ;;::i: : :;,: :.ヽ,:゙|;;:‐''゙|.ヽ、 ヽ;::|  /  .|゙l ;,  ゙、ノ  ;'  :i
910世界@名無史さん:2009/11/10(火) 21:43:49 0
第二次大戦後、ドイツ人を追放してこの地域をわがものにしたポーランド人はのその政治的な
思惑からこの文化地域をスラブ人が残したものと言張ったが、スラブ人がこの地域にきたのは
前述の紀元後の6世紀以降だ。

もともと、今のポーランド地域さえ、スラブ人の領土ではなかった。
ポーランド人が言っていることは本来ポーランドの領土でないこれらの地域を、歴史的にも
我が物にしようとするあまりにも幼稚な考え方に基づいている。
911世界@名無史さん:2009/11/10(火) 21:49:25 0
スラブ人が残したもの?ポーランドがそんなこと言ったことないね
ポーランドの共産主義者が主張していたのはあそこが中世ポーランド王国の成立時の領土だということだ

むしろマロリーなど西欧の考古学者がルギィ人=スラブ(正確にはスラブを含む多民族混合)説を唱えている
ドイツがそれを必死で否定しようとして国家ぐるみでプロパガンダ工作しているそうだが
912世界@名無史さん:2009/11/10(火) 21:52:27 0
ポーランド王国の成立時の領土だと言うことは
スラブ人がそれ以前からいたということだから
スラブ人の領土でいいんじゃないか?

少なくともドイツ人は古代や中世前期なら
ポーランドやその領土とは何の関係もない
913世界@名無史さん:2009/11/12(木) 23:13:17 0
          __、--..、、
       _<⌒ヽミヽ ヾ !'⌒≧_
        ,Z´r;=-‐- 、ヾ 〃′≦
      7,"/   __‐ 、`ー-'⌒ヾ.7
       ! l ー‐- 、ヽ._`ー'´, u !     r'⌒
       .l !!L、u __\  ̄ 〆"T   (  制
      l.r‐、ヽ 、‐。‐-、V/∠==、|    ) 裁
     ,' |.l´! | u`ミ≡7@ )゚=彡 !   (  っ
     /,' l.l_|⊥%ニニソ(@ *; )ー-*|    ) :
    ,/〃',ゝ|/>rーrーrゞr<二二フ  ∠、 !
  ∠ -:/ ト ヒ'土土土十┼┼ヲ;!     `ー-‐'´
 ̄:::l:::::::|、  !lヽ~U ~  __ ̄ ̄.ノl
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914世界@名無史さん:2009/11/15(日) 15:27:11 0
そもそも、第二次世界大戦の始まった理由は
ポーランドがドイツのダンツィヒを占有しようとしたから
つまり、ポーランドが悪い

それから、ワルシャワが廃墟になったのは
ポーランド人が武装蜂起したからだろ。
制服も着ないで、これは国際法に照らせば
便衣兵にあたる。

それと、ポーランドはドイツのプロイセンをいまだに占有している。
これは由々しき問題。戦後のドイツ人大量虐殺にも触れてない

生意気なポーランドがどうなろうと関係ないから
ロシアとドイツはポーランドを経由しない
パイプラインを敷設中。
がんばってね、ポーちゃん。
915世界@名無史さん:2009/11/16(月) 23:07:47 0
シレジアやポメラニアは第二次大戦まえからもともとドイツ領だったし
住民もドイツ人がほとんどだった。
戦後、ドイツ全土は米英仏ソとポーランドによって暫定的に分割管理されることになったが、
ポーランドは自国のドイツ領管理部分を自国の領土のように扱い、
そこに住む1000万近いドイツ人を着の身着のままで追い出し、飢え、疲労、暴行、虐殺で
200〜300万に及ぶドイツ人を死に追いやったことだ。
その血塗られたやり方で、もともとのドイツ人の土地だったものを現在のように自国の領土として
既成事実化してきた。
当時のドイツ領の4分の一の領土を奪うだけでもいかに戦争直後とはいえ暴挙であるが
この民族浄化、ジェノサイドともいえるこのポーランドの国家的犯罪は、ソ連軍の東プロイセン、ドイツ東部の
各地域や満州での一般住民に対する集団暴行虐殺同様に永久に許されざるべきことではない。

916世界@名無史さん:2009/11/17(火) 00:07:52 0
世界戦争犯罪事典(笑)
917世界@名無史さん:2009/11/17(火) 23:09:55 0
ドイツは日本を日中戦争の泥沼に引き込み、
中国の反日プロパガンダである南京大虐殺を捏造し、
この捏造話を信じたアメリカ人を「ジャップ死ねぇええええええええええ!!!」と激昂させた

ドイツを一切信用してはならない
918世界@名無史さん:2009/11/17(火) 23:25:08 0
日中戦争の泥沼に引き込んだのは支那。
いわゆる「南京大虐殺」という、でっち上げをしてるのも支那。
919世界@名無史さん:2009/11/17(火) 23:31:24 0
>>918
いやちがう。>>917の言うとおりドイツ。
国民党とナチスが同盟。対日戦争を遂行した。
その後ナチスは対ソ攻撃のため日本を利用するほうに切り替えた。
その当時のアメリカでは反共でナチス同調派が多く、対日謀略はアメリカに引き継がれた。
つまり日本にとっての最大の害悪はドイツ。
920世界@名無史さん:2009/11/17(火) 23:53:20 0
もともと第二次世界大戦の勃発はポーランドの
領土的野心から始まった事を無視してはならない。

ポーランドが占領していた回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から
切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。
第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって
国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、
また住民の96%はドイツ人であった。

それに対しヒトラードイツの要求は、ポーランド側がダンツィヒを返還し
東プロイセンとドイツ本国とを結ぶ鉄道と自動車道路を
ポーランド回廊に建設することを認めてくれれば、ドイツ側は
ポーランド回廊とポーランドの西部国境を保障するという、
非常に寛容なものであった。
これは、ドイツにとって屈辱的だったヴェルサイユ条約による
ポーランド領をほぼ承認するという、ポーランド側には極めて
有利な条件であった。

もともと選挙の結果、ダンチヒ市は1937年1月の「ダンチヒ市ーポーランド協約」によって実質的なドイツ支配が確立していたにもかかわらず
ポーランドが、その特権を離そうとしなかった。

これだけ見ても、ポーランド側に戦争責任がある事は明白。
921世界@名無史さん:2009/11/18(水) 00:16:57 0
ポーランドでソ連型共産主義でもないのに国際主義の基盤が他国よりも
伝統的にしっかりしているのは、
中世からの多民族同君連合で涵養され5月3日憲法で明確化した世界主義精神こそ
ポーランドの真の姿とされるのはどう見ても明らか

それは、過去に国際主義・多民族主義で何世紀もうまくいった、
そしてその時代こそポーランドの黄金時代だったという、
ポーランド人独特の成功体験が染み付いているからであることも明らか

ヒトラーと真っ向から対立したピウスツキでさえ、独裁者でありながら
国際/多民族主義者だった
というよりも、そういう思想だったからこそヒトラーのドイツとは徹底的に対立した
あの対立はポーランドの指導層から見れば、ドイツ民族vsポーランド民族の民族間抗争というよりも、
ドイツの民族主義vsポーランドの国際主義の「思想の戦い」だったというのがより正確
ところがドイツの指導層はこれを民族抗争としか捉えていなかったし、今でもそれは変わらない
そこがドイツ人とポーランド人の精神構造の決定的な違いだ

922世界@名無史さん:2009/11/20(金) 22:23:02 0
          | (     `ー─' |ー─'|    
          ヽ,,  ヽ   . ,、__)   ノ!  
             |      ノ   ヽ  | >>920
             ∧     ー‐=‐- ./    お前ら、よく言った!
           /\ヽ         /
          ,r―''''''ヽ, \ ヽ____,ノヽ
      ,r‐' ,、;-‐''''""''ヾ、、,     l
     / ./     r''"ヽ, \,     l`ヽ、        
     j l ,. /    '    l   ヽ、 ト,   ヽ
    ,.Lj∠、'´   , i,    /     `ヾ、`'ヽゝ
    l,      / 二'''"    ,;、,     `''ー゙--、
     /゙ヽ-ッ-‐'´ ./`ト-:rイ「´ ゙l;:`''ト-、,_ ノ'i,
   /  / ,;∠∠,ノ´  イ  l l, ├''|  |、,/ l  |   
../ノ ./ /、,    ,、' ./  / .l |:::::l,. | ゙ヽ、!_,,、L,       
ヽ---ツ  ∧   ̄ ̄  /    | |:::::::| |  r'"/  l,         
   /  ./ .ト、,_    /      | |:::::::|. ! l'´! /   |   
923世界@名無史さん:2009/11/21(土) 00:01:33 0
戦前のポーランド第二共和国があくらつな暴力団国家だということは周知のごとく。
戦前から、彼らはヒトラーの和平提案、国境の現状維持の安全保障条約を結ぼうと言う提案、
それと本国と分断された東プロイセンを結ぶ高速道路の敷設権を提案しただけなのに、ここぞのばかり
軍事動員を発し、その後、国内のドイツ系住民を弾圧して挑発を続けた。
大戦が始まる前の1939・8・21までにたまりかねた7万人の避難民がシレジア、ドレスデン市内になだれ込んだ。 
残ったドイツ系住民もベルリンに支援を求めていた。
挑発の理由はドイツとの開戦だった。 当時ポーランド国内ではオーデル川の西側も含め、中世のスラブ人がいた
地域の併合を考えていた。 特に当時のポーランドの「西部支援協会」はラジカルだった。

当時のポーランドは過去に共産ソ連を破った自信にあふれ、まだ、再軍備をしてから4年そこそこの満足な予備役兵も
もたないドイツの軍事力を侮っていた。 そして、そのポーランドを利用してドイツの力を削ごうとしたイギリスの
チェンバレンからポーランドの安全保障を与えられ、さらにフランスも加わった結果、
この切れやすい北の将軍様の国内の脱北者に対する扱い顔負けにドイツ系住民を弾圧してヒトラーを挑発した。
国内では、「ベルリンを2週間で占領してやる」といきまく連中もでるありさまだった。
ヒトラーも当初、一緒にスターリンにあたってポーランドを仲間に引き入れることはあきらめ、英仏の参戦を考慮しながらも
本来の敵のスターリンと結ばざるを得なかった。 1939・8・25 開戦の一週間前と言うあわただしさだ。
ポーランドは自業自得、そればかりか、戦後、まだ、最終的な国境線が決まらないうち、大量のドイツ人を強制収容所へぶち込み、
土地財産を奪った上追放した。 かれらは戦争犯罪国家、加害国家であっても被害国家ではありえない。


924世界@名無史さん:2009/11/21(土) 00:06:14 0
ドイツ固有の領土シュレージェンやポンメルンを奪ってそこに住んでいたドイツ住民を根こそぎに
追放、虐殺しておきながらここは俺たちの領土だったことにしろ、そこに住んでいた住民の財産権は
認めない・・・ポーランドは戦前から領土欲の権化みたいな始末に終えないヤクザ国家だった。
内戦で疲弊したソ連への侵略、リトワニアとのビリュニス騒動、チェコとのチェシン紛争、ドイツとの上シュレージェン紛争
いずれもポーランドの飽くことを知らない領土欲の結果だったよな。




925世界@名無史さん:2009/11/21(土) 06:12:03 0
国民党とナチスが同盟。対日戦争を遂行した。
その後ナチスは対ソ攻撃のため日本を利用するほうに切り替えた。
その当時のアメリカでは反共でナチス同調派が多く、対日謀略はアメリカに引き継がれた。
つまり日本にとっての最大の害悪はドイツ。

中国とドイツは共に戦った戦友であり、現在の中独の蜜月関係のもとはそこにある。
中国とドイツは永遠の友達。愛されない子日本は、寂しさを、利用されただけ。

926世界@名無史さん:2009/11/21(土) 06:36:19 0
1920年にソ連の赤軍がポーランドへ侵入した際、
ポーランドは軍事物資をダンチヒ港から陸揚げしようとしたが、
ダンチヒ港の港湾労働者がストライキを起こしたため輸送できないという事件が起きている。
当時、ダンチヒの港湾労働者は社会主義思想に染まっていて、
ソ連に肩入れしていた。
そのため、ポーランド・ソビエト戦争では、ダンチヒの港湾労働者はポーランドに対して
非協力の姿勢を取ったわけだ。
当時ポーランドの使える港はダンチヒしかなかった。
安全保障面で不安を感じたポーランドは、ダンチヒの西にあるポーランド領内に、
当時世界最新式の港湾施設を有するグディニァ港を作った。
(グディニァは現在でもバルト海沿岸では最も大きな港である。)
つまり、ダンチヒに儲けの薄い品物が行くようになったのは、
当のダンチヒの港湾労働者が社会主義化してポーランドの戦争を妨害したからで、
それに対して当然の措置を取ったポーランドが悪いわけではない。
927世界@名無史さん:2009/11/21(土) 06:36:52 0
>プロイセン、ダンチヒ、メーメル、ポンメルン、
>シュレージエン、エルザス

こういった地域でドイツ人の住んでいたのは点のような都市部だけで、
広大な農村地帯一帯はドイツ人以外の民族所有だったとだけ書いておこう
928世界@名無史さん:2009/11/21(土) 09:26:28 O
>>927
嘘ばっかり

ポーランド人が多くいたのはヴァルテガウ、西プロイセン両州の旧ポーゼン公国領である
東プロイセン、シュレージェン、ポンメルン各州では第一次世界大戦後も
ドイツから分離しようとした動きは全く見られない


嘘をバラまくな
普段は何してんの?
平日の昼間も巡回書き込みできてお気楽だねニートは
929世界@名無史さん:2009/11/21(土) 20:21:33 0
なんか、ロシアの国営テレビが、第二次大戦の開戦責任はポーランドに
ありという印象のニュースを流したみたいだね。
ポーランドのメディアはさかんに抗議しているみたいだが、それこそが
身に覚えがあるという裏返しじゃないのかな。


930世界@名無史さん:2009/11/21(土) 22:06:37 0
ソ連はヴィスワ川でポーランドにボコられてごっそり領土取られたし
不可侵条約破ってポーランド分割した負い目もあるしな
ポーランドを悪者にしたくてたまらんだろ
931世界@名無史さん:2009/11/22(日) 01:15:09 0
戦後、ドイツの削られた領土はポーランドに、そしてポーランドの削られた領土は
ソ連にいったのだった。
今それを持っているのは主にベラルーシ。
932世界@名無史さん:2009/11/22(日) 07:28:02 0
>>928
ポーランド人は広大な土地に亘って住んでいた
ドイツ人は都市部に塊り、点々と住んでいた

全体の面積から言えば圧倒的にポーランド人
全体の人口から言えばドイツ人
それだけのことだろ
933世界@名無史さん:2009/11/22(日) 07:28:49 0
>>930
天才ピウスツキの活躍だな
934世界@名無史さん:2009/11/22(日) 07:29:52 0
>>931
ソ連は不可侵条約破ってポーランド分割した負い目もあるしな
935世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:16:04 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作をしてるのかwwwwwww

ロシアなんか世界中の嫌われ者なんだよwwww
936世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:17:23 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作をしてるのかwwwwwww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよwwww
937世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:18:44 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作をしてるのかwwwwwww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよw

現にポーランド・フィンランド・バルト3国の最大敵国はロシアだろww
938世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:22:19 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作をしてるのかwwwwwww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよw

現にポーランド人一番大嫌いな国はロシアだろww

ロシア厨ざまあ!!wwwwwwwwwww
939世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:25:03 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作してるのか?ww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよwwww

現にポーランド人が一番大嫌いな国はロシアだろうがwww

糞ロシア厨ざまあ!wwwwwwwwww
940世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:25:55 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作してるのか?ww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよwwww

現にポーランド人が一番大嫌いな国はロシアだろうがwww

糞ロシア厨ざまあ!wwwwwwwwww
941世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:28:18 0

また馬鹿ロシア厨が必死に反独工作してるのか?ww

ロシアなんか欧州のみならず世界中の嫌われ者なんだよwwww

現にポーランド人が一番大嫌いな国はロシアだろうがwww

糞ロシア厨ざまあ!wwwwwwwwww
942世界@名無史さん:2009/11/22(日) 11:30:17 0

ポーランド人のロシアへの憎しみは異常w
943世界@名無史さん:2009/11/22(日) 12:00:02 0
フィンランドもバルト3国もトルコも露助なんか大大大嫌いだからな
944世界@名無史さん:2009/11/22(日) 12:01:19 0
そりゃロスケなんか嫌われて当然
945世界@名無史さん:2009/11/23(月) 21:42:55 0
       ,,,..........,,
    ,,r'':.:.:.:.:,;.;.;ミミ>ェ.、
  ,r';r'- '' ゙"    ヾ:.:ヽ,     よく分からない話だね
. ,i!'゙        |  !:.:.:.:i     イギリス、フランス、ドイツなどの国は
 i!         | !:.:.:.:i    わがロシアの良きパートナーであり
 {l         /  ミ:.:.:rヽ 弾道ミサイルで攻撃するなんてありえない話だ
. !! ______    ________ヽ ゙!斤ヽ}
  ゙!` =・=`i .i" =・=   /ヒノ/ バルト三国やポーランド、チェコに対しても 
  i.  ̄  | |   ̄   ,r' トー'   弾道ミサイルで攻撃するなんて
  ト.、ノ r  つー、__,ィ  |     (もったいなくて)ありえない話だ
   '、 、`''''" ___,.  / / |
   ヽ  ̄ ̄_,,  / /  /ヽ、
    `.、________// /  |`ヽ、
    /|丶、ヽ   /   |::::::ヽ----
  /::::::|  ><     /::::::::::::`、::::::
946世界@名無史さん:2009/11/24(火) 23:23:35 0
第一次世界大戦前ではドイツ領であったダンツィヒ地方は、ドイツの敗戦によって
国際連盟管理下に置かれていたものの歴史的に見ても明らかにドイツの領土であり、
また住民の96%はドイツ人。
ポーランド人その他は3%以下だった。

ポーランドが占領していたポーランド回廊は東プロイセン地方をドイツ本国から
切り離し、そのせいで極めて不安定な状態にあった。
さらに、ポーランドに在住するドイツ系住民は少数民族として、
迫害を受けていた。
947世界@名無史さん:2009/11/24(火) 23:26:20 0
ちなみの当時のポーランドは連合国の設定した国境超えたり(ソ波戦争)、隣国の首都予定地を占領したりとやりたい放題
948世界@名無史さん:2009/11/25(水) 09:58:52 0
赤化を防ぎ多民族民主主義の合衆国建設のためにやむをえない
国粋主義国家は多民族融和近代資本主義共和国ポーランドの前に手を引くべきだった
ユゼフ・ピウスツキ大元帥はリトアニア系の家系であり、
政治・経済・文化のエリートの先祖にはポーランド人、ルテニア人、リトアニア人、
ラトビア人、ロシア人、ウクライナ人、ドイツ人、オランダ人、チェコ人、ハンガリー人、
スウェーデン人、タタール人、ユダヤ人などがいた
ポーランドはアメリカ合衆国と同様、自国民族の血統の純粋さには拘らない特殊国家である
949世界@名無史さん:2009/11/25(水) 10:02:38 0
ポーランドの敵はドイツ人やロシア人やリトアニア人ではなく、
ドイツやロシアやリトアニアの民族主義勢力や共産主義勢力だったのである
950世界@名無史さん:2009/11/25(水) 19:50:39 0
シュレージェン、ポンメルン、東プロイセンいずれも第一次大戦後の
ドイツにとってあまりにも不平等な住民投票、ドイツへの帰属を望んだ
結果であったにもかかわらずポーランドにとって必要ということで
ポーランドに併合された地域もあったが、それでもドイツ領であることを
そこの住民は望んだ結果だ。 しかもその地域は長い年月のドイツ人の変遷
開拓でドイツ語が話され700年以上もドイツ領であり続けた地域だ。
これこそが固有の領土ということだ。
951世界@名無史さん:2009/11/27(金) 11:31:29 0
ドイツ人によるオーデル・ナイセ線の根拠
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4d/HRR_10Jh.jpg

ポーランド固有の領土境界画定
952世界@名無史さん:2009/11/27(金) 11:34:28 0
>>948-949
要するにポーランドの敵は邪悪な全体主義者や全体主義国家だということだな
全体主義国家にいる民主勢力はポーランドにとって敵ではなく同士だ
953世界@名無史さん:2009/11/27(金) 23:58:23 0
中華人民共和国波蘭自治区

省都 華沙
住民 8000万人(漢族51% 波蘭族49%)
公用語 中国語(第二公用語波蘭語)
歴史 201X年当時のポーランド政府はロシアとドイツに
挟み撃ちにあう状況を嫌い、アメリカに支援を求めたが、
ミサイル防衛を反故にされ、こともあろうに中国に支援を求めた。
当初は100万人の移民と外国人参政権の約束であったが、
瞬く間に4000万人の移民が流入し、翌年の総選挙で
漢族の投票率99.99%の中、中国共産党が全国の小選挙区で圧勝した。
これにより、波蘭臨時自治政府が樹立され、中華人民共和国への併合が
決議された。その後、波蘭自治区として現在に至っている。
954世界@名無史さん:2009/11/28(土) 01:02:27 0
>>952
実際ポーランドはいつもそういう役割を取っているな
ワレサ、ヨハネ・パウロU世、ブレジンスキー、マスキー、カチンスキ、トゥスク、ミフニク、クーロン・・・
戦後史だけでも枚挙に暇がない
955世界@名無史さん:2009/11/30(月) 21:29:52 0
   | ┃彡     , -.―――--.、
    | ┃彡    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ  
    | ┃    .i;}'       "ミ;;;;:} 
    | ┃    |} ,,..、_、  , _,,,..  |;;;:| 
    | ┃彡   |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    | ┃    |  ー' | ` -     ト'{
    | ┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}  _________
    | ┃彡  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-'  / >>952,954安心したまえ、刷新会議エダノビッチ議長!
バンッ!! | ┃     |    ='"     |  <国家統一を乱す波蘭省の反乱分子は無駄な事業として廃止したまえ!!
    | ┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {  \
    | ┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ  \
    | ┃ 彡'" ̄ヽ  \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    | ┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |   
956世界@名無史さん:2009/12/13(日) 16:32:58 0
無駄な事業として廃止してまいります。

    エダノビッチ議長
957世界@名無史さん:2009/12/16(水) 22:04:20 0
   | ┃彡     , -.―――--.、
    | ┃彡    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ  
    | ┃    .i;}'       "ミ;;;;:} 
    | ┃    |} ,,..、_、  , _,,,..  |;;;:| 
    | ┃彡   |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    | ┃    |  ー' | ` -     ト'{
    | ┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}  _________
    | ┃彡  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-'  / 刷新会議エダノビッチ議長!
バンッ!! | ┃     |    ='"     |  <来週から、また大活躍するようだな!!
    | ┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {  \  バカンスキー副首相とは喧嘩しないようにな!!
    | ┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ  \
    | ┃ 彡'" ̄ヽ  \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    | ┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |   
958世界@名無史さん:2009/12/19(土) 16:31:43 0
シュレジエンやポンメルンは第二次大戦まえからもともとドイツ領だったし
住民もドイツ人がほとんどだった。
戦後、ドイツ全土は米英仏ソとポーランドによって暫定的に分割管理されることになったが、
ポーランドは自国のドイツ領管理部分を自国の領土のように扱い、
そこに住む1000万近いドイツ人を着の身着のままで追い出し、飢え、疲労、暴行、虐殺で
200〜300万に及ぶドイツ人を死に追いやったことだ。
その血塗られたやり方で、もともとのドイツ人の土地だったものを現在のように自国の領土として
既成事実化してきた。
当時のドイツ領の4分の一の領土を奪うだけでもいかに戦争直後とはいえ暴挙であるが
この民族浄化、ジェノサイドともいえるこのポーランドの国家的犯罪は、ソ連軍の東プロイセン、ドイツ東部の
各地域や満州での一般住民に対する集団暴行虐殺同様に永久に許されざるべきことではない。


959世界@名無史さん:2009/12/22(火) 22:50:04 0
 l::::::::::::::::::|_!::lヽ:::::::::ハ::::::::::::::::::::::::::::::::i、::! 
  !:::::::::::::::::l-‐ェ!;ト ヽ:::::l ´!:::::::::::::::::::::::::::::l ` 
  l:::::::::::::::::「(;;;)ヽ、__、::レ'´l:::::::::/l、:::::::::::::l  
  !:::::::::/l:::l__,,,rタ"゙、;!)、__!::::/ノ 〉、::::::::l  
   l::::/ lヽ!    _ _   l;/´  ! >、::l        スレ荒らしはいいかげんにしたら
  ノノlヽ、_!    r――‐┐   /_ノ:::|  
    l::::::>、   レ,二二ェ!  /i:::::::::::l          どうなんだ!
    l:::/ /::ヽ、 `ー-―-' ,ィ'::::!\:::::l    (ヽ、     
    レ' ム-''´lヽ、  _,,./! ゙ヾ!__ヽ!    ヽ´ヽ、ヽ    
            !   ̄     レ;'´  |  (,ゝ、 \ ヽ l、
        /| _,,.-/´  ;; .,,,-!  ヽ、 ヽ、 | | ! l
960世界@名無史さん:2009/12/25(金) 20:10:46 0
昨日地下鉄に乗ってたら
カチンの森
の映画か何かのプログラムを
読んでたご婦人がいたぞ。
961世界@名無史さん:2009/12/25(金) 20:43:36 0
【ポーランド発】カティンの森【旧ソ連の大罪】
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1257402397/
962世界@名無史さん:2009/12/26(土) 15:29:04 0
>>958
ポーランド民族主義の発想がなく18世紀よりポーランド国民主義が定着しているポーランドをそういう解釈するかw

民族主義はドイツやバルト三国やハンガリーやロシアやウクライナ
それに対抗した多民族国民主義のポーランド

これをまず理解しないとな
963世界@名無史さん:2009/12/27(日) 15:31:33 0
  -─フ  -─┐   -─フ  -─┐  ヽ  / _  ───┐.  |
__∠_   /  __∠_   /    / ̄| /      /  |
  /    /⌒ヽ   /    /⌒ヽ     /l      /    |
  (         |   (         | /  / l    /\     |    /
  \__     _ノ    \__     _ノ   /  \ /   \  |_/

  __|__    __    l     __|__     l    ヽヽ
  |     |   ̄ ̄  /  -┼─       |        |  _  l
   |   |       /       | ─-    ├─┐    ̄| ̄ ヽ |
    |   |       |     |        /    |    |   │
 ─┴ー┴─     ヽ_    |  ヽ__   /  ヽ/     |   ヽl

  l         l          |     ┌─┬─┐  ─--
  |    ヽ    |    ヽ     |  _.  ├─┼─┤    __
 |      l   |      l    / ̄   └─┴─┘   ̄  ヽ
 |     |   |     |  (         , l  ヽ        |
  し       し       ヽ__  /  ヽ___,ヽ     _ノ

964世界@名無史さん:2009/12/27(日) 23:46:06 0
ポーランド人女教師が身ごもった母犬を放置し半年以上も旅行へ!母犬、子犬5匹死す・・・

http://rocketnews24.com/?p=20058
965世界@名無史さん:2009/12/30(水) 14:16:06 0
なんか、ロシアの国営テレビが、第二次大戦の開戦責任はポーランドに
ありという印象のニュースを流したみたいだね。
ポーランドのメディアはさかんに抗議しているみたいだが、それこそが
身に覚えがあるという裏返しじゃないのかな。
966世界@名無史さん:2010/01/01(金) 19:41:18 0
ロシアのマスコミにしては
真実を報道してるな。
967世界@名無史さん:2010/01/06(水) 21:22:50 0
       /              /
       ,イ               /
      //                    |
      /         ,ィ介i      |   う  ぶ  き
      {. |l     ,イ  ///||     |   ち   っ え
     ,-.、Vl      / | /// | |    」  に  と  ろ
      lこ!l ! ト   ト.l | !i  | ヽト、<   な  ば
      |  l Vヽ  トjヽ\!l   ,>‐_ニヽ     さ
     |  |   \ ! く__・、jiLノ・_´フ .||   れ
     | | __   ヽ} -‐   -─‐  レヘ.   ん
   _r‐j   >イ fヽ  l   ノ  __    ,イ-ハ
  / ′、   i   {ノ-、 ヽ  `t_/  /| /´ヽ
 〈 ヽ    l   |  }   \    -' j  |   \
  ヽ          /     |  ̄     L
  ヽ       / -─ フ′          `ヽ─- 、
   ヽ     ヽ  /`ー-、   ,. -─ '/    ー- 、
    f‐--── '
968世界@名無史さん:2010/01/08(金) 21:21:49 0
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   ハイッ 終了!
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
   /    ノ    il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \()
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     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /    ()
969世界@名無史さん:2010/01/10(日) 20:45:49 0
>>965
事実を言って何が悪い!!!
970世界@名無史さん:2010/01/11(月) 21:39:30 0
ポーランドは、ヒトラーがチェコ併合している間、
テッセン地方をドサクサにまぎれて併合した。
チェコ領は、本来はオーストリア領だったから、ヒトラーのやったことは合理的だけど
ポーランドはただの火事場泥棒。

また、第2次世界大戦の発動にも深く関わっているし
戦後の、プロイセンやシュレージェン領を占拠したままだ。
971世界@名無史さん:2010/01/11(月) 22:07:36 0
.───┐    ∠_      \L
 ̄ ̄ ̄| |     llヽ _|      ヽ  
      | |     |l ̄| |       l ポーランドってドラえもんのいた未来ではどうなってんの?
      | |    /  ´\     /        
      | |     ヽ、_   `^イ          
二二二 」 _ __ lニ二二l、           ____
─┴┐ ⊆フ_)__./   ┌ヽ ヽ┐   /´       `\
二二二二二二l  /    |  |   | |.  /             ヽ
_l_____| /`ー─‐|_|   |_| /             ヽ
  |       /`ヽ__, ─ 、ノ |─l  l               l   
  |───/  /lニ/  /二ニluul.  |                 !    え?ポーランドって何? 
  |    ___| ̄ |  |  |_|.      l                /
 └─(    )(ニ|  ̄|./二ニ)     ヽ              /
      ̄ ̄  /   )            >━━━━━━ く
            `ー ´            /               ヽ
972世界@名無史さん:2010/01/16(土) 15:16:47 0
リトアニアにとって、もっとも長く強大だった侵略者はポーランドだった。
ルブリン合同によって、リトアニアは長くポーランドに隷従を強いられる羽目になりましたし。
ポーランド=リトアニア連合の復活を呼びかける運動の中心が、ポーランド側なのが何とも言えません。
973世界@名無史さん:2010/01/17(日) 21:12:14 0
ナチスドイツは、ポーランドが第一次大戦に敗れた
ドイツから不当に奪ったドイツ領を奪い返そうとし、
第二次大戦に突入した。
原状回復を望んだささやかなものだった。
ヒットラーの野望と言うほど大げさなものではなかった。
974世界@名無史さん:2010/01/22(金) 22:17:48 0
>>973
そのとおり!
975世界@名無史さん:2010/01/22(金) 22:41:53 0
その前にいろいろやりすぎてんじゃん
976世界@名無史さん:2010/01/24(日) 21:56:23 0
              ,'::::/. : . :/:,. : . ::.::/   .::| ',. : . : . : . : . : . : . : . : . : .:',
              !::,'. : . ::,'イ. : :::/\  | :|  ∨. : . : . : . : . : . : . : . : . :}
              /´. : . : l'.:l. :∠__、.  \ ',::!   ∨、. : . : .: |:. : . : . : . :丿|
               ! ,'. : . : . ::レ:|!'´テ。≧、ヽ\{   ∨::`::ー.=.|===== 彡. :
                | l. :::',. : . : i:|'、{l:::う:::jl} ’      __、::::::. : .:!:',. ::|. : . : . ::ハ
               V. : ::',. : . :l!| ´ー '        ─\::. ::|:::. ::!. : : ,' :∧:',
             |. : :∧. : : ',:!              ,イう:卞、: !:::V. : : /.:∧. : ',
             |. : :┐',. : .弋.        ,    {::∪:j! 》j:::/. :/.:/∧∨.:',
             . : :|ヾ - 、. :ト、.      {:     ` ー´ヘ斗..≦/.:///∧∨:', だれにむかって
               |. :::| .ト   ヽ! \  ` ノ'        /l///イ////∧∨',  言ってるの
               |. : l |::',     --..、          ∠ノ///////////∧\、
              ',. ::! l:::       ` ’        ////////////////∧.::\
                . ::l  !  \              ,.イ//////////////////∧ヽ :ヽ
              ',.:|     ::::>、     - ≦ ///////////──ヘ/////∧. : . :\
              ',l  !       ̄:::::::::::人r- フ≧´///::::::::::::::::::::ヽ///∨. : . :ト、:ヽ
               ヽ ノ}     :::::::::::/  /´r'´:::∠/::::::::::::::::::::::::::::::\/∨. : . ::', \:'.,
            ,  ≦  !    :::::::::,イ   //::/:´::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\/. : . : .!  ヽ:ヽ
  ,、__ ..ィ ─彡´∠::_ 、   、 .. ::,r'´ /  /´:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ. : . :::!  ',.::ヽ
977世界@名無史さん:2010/01/29(金) 21:58:56 0
  -─フ  -─┐   -─フ  -─┐  ヽ  / _  ───┐.  |
__∠_   /  __∠_   /    / ̄| /      /  |
  /    /⌒ヽ   /    /⌒ヽ     /l      /    |
  (         |   (         | /  / l    /\     |    /
  \__     _ノ    \__     _ノ   /  \ /   \  |_/

  __|__    __    l     __|__     l    ヽヽ
  |     |   ̄ ̄  /  -┼─       |        |  _  l
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 ─┴ー┴─     ヽ_    |  ヽ__   /  ヽ/     |   ヽl

  l         l          |     ┌─┬─┐  ─--
  |    ヽ    |    ヽ     |  _.  ├─┼─┤    __
 |      l   |      l    / ̄   └─┴─┘   ̄  ヽ
 |     |   |     |  (         , l  ヽ        |
  し       し       ヽ__  /  ヽ___,ヽ     _ノ
978世界@名無史さん:2010/02/01(月) 11:38:08 0
   | ┃彡     , -.―――--.、
    | ┃彡    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;ヽ  
    | ┃    .i;}'       "ミ;;;;:} 
    | ┃    |} ,,..、_、  , _,,,..  |;;;:| 
    | ┃彡   |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    | ┃    |  ー' | ` -     ト'{
    | ┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}  _________
    | ┃彡  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>.!-'  / 刷新会議エダノビッチ議長!
バンッ!! | ┃     |    ='"     |  <最近、独裁者にたてついてるそうだな。
    | ┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {  \ 身辺の安全には十分気をつけたまえ!!!
    | ┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ  \
    | ┃ 彡'" ̄ヽ  \、_;;,..-" _,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    | ┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |   
979世界@名無史さん:2010/02/06(土) 18:50:39 0
そもそも、第二次世界大戦の始まった理由は
ポーランドがドイツのダンツィヒを占有しようとしたから
つまり、ポーランドが悪い

それから、ワルシャワが廃墟になったのは
ポーランド人が武装蜂起したからだろ。
制服も着ないで、これは国際法に照らせば
便衣兵にあたる。

それと、ポーランドはドイツのプロイセンをいまだに占有している。
これは由々しき問題。戦後のドイツ人大量虐殺にも触れてない
980世界@名無史さん:2010/02/10(水) 21:16:30 0
      ,..-‐‐―‐‐-..、
    ,-'´        `‐、
   ,i'               `i、
   ,l                  l、
  ,|._                _.|、
  〈_``ー=== ╋ ===‐'´_〉
  l ``ー-.、____ ,...-‐'´.l    ┌―――――――――――――
  ヽ、_| `ー'  / `ー' |_,ノ   | 永らくの御利用ありがとうございました
  / `‐、_   `ニ'   ノ  \  <   サーバー工事の為当スレを閉鎖します申し訳ございません。
 i'´  、  |``r===r'´|  ,___ヽ_ .|    NSDAP電気気工事システム
.|   i、   ̄\/ ̄  | ╋ | └―――――――――――――
 |、  |、     □ .[工]├‐‐‐ュ┘
  |、  ヽ、.   □     ./   /
  ヽ、 ヽ―‐┌┐―‐'i   /
    `<´.ゝ―└┘―く´``y
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    ,-‐'´   |    `ー-、
    (.       !      )
    `ー--'´`ー^ー'´`‐--‐
981世界@名無史さん
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