フィレンツェの歴史

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1世界@名無史さん
ジェノヴァをはじめとする海洋都市国家のスレがあるんだから、
フィレンツェスレがあってもいいよね。
シエナなど、フィレンツェと関係が深い都市の話もOK.

関連スレ
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1090006025/l100#tag418
ジェノヴァ共和国
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1182694444/l100#tag81
【Venezia】イタリア海洋都市の歴史【Pisa】
2世界@名無史さん:2007/11/06(火) 13:42:25 0
2get
3世界@名無史さん:2007/11/06(火) 13:48:17 0
1978年11月6日、3のクセに『2げt』と書いたら『30年ROMってろ』と書かれて以来の書き込みです。
お久しぶりです。
涙がでそうです。

2げt
4世界@名無史さん:2007/11/06(火) 13:49:41 0
ローマ時代の呼び名はフロレンティア。
イギリスじゃ今でもフローレンスと読んでいるそうな。
5世界@名無史さん:2007/11/06(火) 14:57:18 0
古代にはエトルリア人が住んでいたらしい。
6世界@名無史さん:2007/11/06(火) 17:23:16 0
>>1はこのスレ忘れちゃいかんだろ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027401844/

7世界@名無史さん:2007/11/06(火) 21:32:09 0
>>3
8世界@名無史さん:2007/11/07(水) 16:11:05 0
13世紀から14世紀にかけて行われたフィレンツェのトスカーナ征服は、グエルフ
(教皇派)主義のもとでの都市の自由の拡大、ギベリン(皇帝派)主義の打倒として
正当化された。
しかし、14世紀前半、その論理は無効になる。教皇庁が乗り出した、たがの緩んだ
教会国家再編への不信が教皇庁との対立へと発展し、八聖人戦争の名で呼ばれる
戦争が勃発したのである。
グエルフの立場でありながら教皇庁に矛先を向けたフィレンツェは、イタリア
内外の勢力の支援を得るためにも、また自らの覇権を正当化するためにも、新たな
論理を必要としていた。それがイタリアの自由の擁護者というプロパガンダであった。

9世界@名無史さん:2007/11/07(水) 16:18:44 0
フィレンツェとブルゴーニュ公国もしくは金羊毛騎士団は
なにか関係あったのでしょうか。どなたか教えてください。
10世界@名無史さん:2007/11/07(水) 16:54:21 0
>>9
フランドルは、音楽や絵画の油彩技法などでフィレンツェに影響を与えて
いるけどね。
11世界@名無史さん:2007/11/07(水) 20:25:37 0
>>10
ボッシュもブリューゲルもフランドル
12世界@名無史さん:2007/11/08(木) 15:25:34 0
>>10
オランダ人の描写力は影響を与えているけど、音楽に関しては影響与えてないでしょ
13世界@名無史さん:2007/11/08(木) 17:12:21 0
ボッカッチョがフィレンツェにやってきたとき、平和と気品に満ちていたナポリの
宮廷に比べて、この街は抗争に明け暮れていて騒々しく無粋だし、人々も吝嗇で
嫉妬深いと感じたらしいね。
14世界@名無史さん:2007/11/08(木) 17:44:04 0
ナポリは王国の首都だからなあ。そりゃ人情が違うでしょ。
つーか、マケドニアだか古代エジプトだかの人間が共和政時代のローマに行ったとき、似たような感想を
残していたような。
15世界@名無史さん:2007/11/08(木) 18:41:01 O
調べたり、人の意見を聴いたりしてると
実はイタリア、ローマはそんなに凄くないんじゃないかと感じる
16世界@名無史さん:2007/11/08(木) 18:49:06 0
>>15
ローマは歴史的にはともかく、都市としてはそんなにすごいわけじゃ無いわな。
ローマ帝国全盛期ですら、最大の都市はアレクサンドリアで、ローマは4、5番手だし
17世界@名無史さん:2007/11/08(木) 19:32:31 0
ローマが南イタリアのギリシア都市(ターラント、シラクーザ)、さらにはギリシア本土や
小アジア、シリアまでを征服するにつれて、ギリシアからの戦利品が大量に
もたらされたが、きらびやかで美しいギリシアの美術品は、質素で堅実な生活しか
知らなかったローマ人にとって脅威の的だったらしい。

アテナイ、ペルガモン、アンティオキオア、アレクサンドリアなど壮麗な都市を
目にしたローマ人は、自分たちの都が著しく貧相なことを実感し、その整備事業に
前2世紀末から着手した。
18世界@名無史さん:2007/11/08(木) 19:35:00 0
×脅威→○驚異
19世界@名無史さん:2007/11/08(木) 20:09:43 O
スレ違い申し訳ないけど
古代ギリシャ文化は、古代ローマ、そして現代に繋がる文化に影響を与えているのに
近代ではまったく奮わないのは何故?

イタリアみたいに特定の分野で影響力を持ってもおかしくないのに
20世界@名無史さん:2007/11/08(木) 20:12:57 0
>>19
古代ギリシァ文明作ったヘレネス民族は、ほとんどがアフリカや小アジア地域に移住した。
今のギリシアに住んでいる人々の多くは、ビザンツの時代にギリシア化したスラブ人。
21世界@名無史さん:2007/11/08(木) 20:15:21 0
>>19
オスマン帝国に征服されてしまったからでは?
22世界@名無史さん:2007/11/08(木) 21:06:17 0
>>19
ttp://www.mlahanas.de/Greeks/Medieval/Arch/AnastasisChora.jpg
ビザンツ末期にはこのような、ルネサンス絵画とみまがうばかりの
作品も生み出しています。
23世界@名無史さん:2007/11/09(金) 00:46:20 0
>>12
>音楽に関しては影響与えてないでしょ

>>10が言ってんのは、
デュファイやラッススのようなブルゴーニュ〜フランドル楽派のことじゃないの?
ルネサンス音楽の中心地はフランドルで、イタリアの各宮廷でもフランドル出身の楽士が多かった。

ちなみに、
バロック:イタリア
古典派〜ロマン派:独墺圏
と西洋音楽の中心地は移動していく。
24世界@名無史さん:2007/11/09(金) 23:52:14 0
百年戦争の勃発は、イタリアの都市国家に致命的な打撃を与えている。
フィレンツェの銀行家ペルッツィ家とバルディ家はイングランド国王エドワード
3世に貸し付けていた資金の回収ができなくなり破産。
おまけにフランスではフィレンツェ商人が扱う商品のフランス全土における
差し押さえという処置までとられた。
25世界@名無史さん:2007/11/10(土) 01:08:00 0
あまり高校までの歴史では扱われないが、
フィレンツェはWWIIで戦場になったうえに戦後洪水が起こったり、
テロがあったりして相当な損害を食らっているんだな。
26世界@名無史さん:2007/11/10(土) 02:00:06 0
>>25
洪水でチマブーエの絵が損傷したんだっけ?
27世界@名無史さん:2007/11/10(土) 02:14:12 0
>>25
ドイツ軍がポンテ・ヴェッキオを除くすべての橋を破壊したな。
28世界@名無史さん:2007/11/11(日) 14:15:22 0
>>14
アルカイック時代、貴族と平民の抗争が激しかった時期のアテネも、一種混沌
とした活気にあふれていたらすぃ。
29世界@名無史さん:2007/11/11(日) 14:42:53 0
>>28
そういえば日本でも、元の城下町とそうでない都市では人情が違うな。
30世界@名無史さん:2007/11/11(日) 15:07:58 0
ヴィンチェンツォ・ボルギーニは、「鋭い目付きと意地悪な舌」がフィレンツェ人の
人相書きだ、と述べている。
31世界@名無史さん:2007/11/12(月) 11:29:32 0
、「鋭い目付きと意地悪な舌」・・・
偏屈なおっさんが多そうな感じですな…
32世界@名無史さん:2007/11/12(月) 16:41:04 0
フィレンツェは先進商業都市だったから、市民の気質も冷静・合理的・打算的だった。
33世界@名無史さん:2007/11/16(金) 01:42:32 O
フィレンツェの通貨フローリンは国際通貨として通用したというけど
当時のフローリンと現地通貨のレートって誰が決めてたの?
フィレンツェの銀行家?現地君主?商人?
34世界@名無史さん:2007/11/16(金) 14:22:47 0
フローリン金貨は純金56グレインを含むものだったけど、両替商だろうか?
35世界@名無史さん:2007/11/19(月) 19:51:35 O
その純度が長期にわたり維持できたらすごいけど
36世界@名無史さん:2007/11/19(月) 20:09:13 0
フローリン金貨は、1252年から1523年まで、そのデザインや金属の標準含有量に
ほとんど変化がなかった。
37世界@名無史さん:2007/11/21(水) 16:58:35 0
フィレンツェのヴェネツィア以外のイタリア諸都市では、早い時期にシニョリーア
(僭主)制が台頭したよな。
ミラノは13世紀に僭主制に移行している。
38世界@名無史さん:2007/11/24(土) 13:57:39 0
城壁の歴史についてどなたかご教授願います。
39世界@名無史さん:2007/11/24(土) 16:38:09 0
港がなかったり地理的にはいまいち
40世界@名無史さん:2007/12/02(日) 22:15:20 0
フィレンツェとシエナは、同じトスカーナにあっても性格がぜんぜん違っているな。
41世界@名無史さん:2007/12/10(月) 23:20:43 0
トスカーナは多様
42世界@名無史さん:2007/12/17(月) 23:00:58 0
モンタペルティの戦いに敗北したことで、かえってフィレンツェの
発展につながったという説は一般的なのか?
43世界@名無史さん:2008/01/16(水) 18:07:54 O
>>42
シャルル・ダンジューが勝利してギベリン派を駆逐するという条件が必要だが
44世界@名無史さん:2008/01/16(水) 20:19:28 0
【文化】 「モナリザのモデルは商人の妻」 大学図書館が証拠発見…独
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1200361181/l50
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080115-00000035-jij-int


45世界@名無史さん:2008/01/23(水) 01:45:44 0
円形闘技場とか水道橋とかあったというが、いつごろなくなったんだ?
ルネサンス期には存在しないイメージなのだが
46世界@名無史さん:2008/03/09(日) 19:10:33 0
age
47世界@名無史さん:2008/03/12(水) 08:33:03 0
西ローマ帝国滅亡のときじゃ
48世界@名無史さん:2008/03/12(水) 22:22:41 0
ヨーロッパの都市は、その都市が繁栄した時代の面影が、そのまま
残っていることが多い気がする。
49世界@名無史さん:2008/04/08(火) 01:20:21 0
フィレンツェなどの都市貴族も、諸外国から見れば、只の平民。
カトリーヌ・ド・メディチは商人の娘と陰口をたたかれる。
というのは、わかったが、逆にイタリアでは都市貴族でない
貴族は少なかったのか?
50世界@名無史さん:2008/04/10(木) 21:31:14 0
帰れカエレへ
51世界@名無史さん:2008/04/11(金) 05:47:55 0
> 逆にイタリアでは都市貴族でない
> 貴族は少なかったのか?

ゲルフとギベリンの対立は何だと思ってるのだ。
52世界@名無史さん:2008/05/11(日) 22:24:49 0
ヴェネチアの貴族は、皆貿易業を営んでいた
53世界@名無史さん:2008/05/17(土) 16:49:17 0
最近、「パッツィ家の陰謀」について知ったが、
反撃が素早いところから推測すると、ロレンツォは事前に陰謀をつかんでいて、準備していたようだね。

弟は殺されてしまったが、「肉を斬らせて骨を断つ」というところだろうか。
身内を一人くらい殺されても、政敵一族の息の根を止めることの方がはるかに重要と考えたか、
あるいはついでに弟を殺すことに利益があったのか。
二頭政治というのは不安定なものだからな。
54世界@名無史さん:2008/05/19(月) 23:54:22 0
>>16
サラリと根拠の無いデタラメ言うでないよ・・・ローマ帝国全盛期はローマ市は文句無しに帝国最大の都市であり世界最大の都市
前近代では規格外の120万もの人口を誇ってたよ

アレクサンドリアはローマに次ぐ2番手でこそあれ人口は多く見積もってローマの3分の2の80万ほどだった
55世界@名無史さん:2008/05/20(火) 20:51:31 0
>>53
弟が死んで、兄が負傷しているのに?
そもそも宴会で暗殺する計画が延期になって、教会でということになったの
では?
この時代、教会内で暗殺したら、あまり受けも良くないだろうに
56世界@名無史さん:2008/05/21(水) 00:23:37 0
手回しが良すぎるんだよね。

パッツィ家の連中も、暗殺しただけで事は終わりとは考えていたはずがない。
その後の全権掌握も計画のうちに入っていた。手勢を配置していただろう。
当たり前だよな。クーデターをやろうというわけだから。

ところがどういうわけか、暗殺者たちを出迎えたのは味方ではなく、敵だった。
こんなことはメディチ側が準備していなければあり得ないだろうね。
57世界@名無史さん:2008/05/21(水) 02:04:25 0
>>56
>ところがどういうわけか、暗殺者たちを出迎えたのは味方ではなく、敵だった。
>こんなことはメディチ側が準備していなければあり得ないだろうね。

ロレンツォを殺しそこねたから、誰もついてこなかったのでは?
58世界@名無史さん:2008/05/21(水) 02:08:51 0
>>56
それにわざわざ暗殺事件を起こさせなくても、陰謀の動きを察知できれば
それをもってメディチ派が牛耳っている政府でもって、パッツィ家を追放
してしまえばいいわけで。

コジモやピエロも反対派を追放しているので、ロレンツォがわざわざ凶刃に
身をさらす危険を冒す必要性は無いと思います。
59世界@名無史さん:2008/06/09(月) 20:56:40 0
パッツィ家を挑発し、暴発させ一網打尽にする。
将来の禍根になるかも知れない弟もついでに片づけてしまう。
これがロレンツォの筋書きだったんだろうな。

ロレンツォはたぶん、パッツィ家の中に自分の情報網を持っていたのだろう。
行動が怪しい傭兵隊長は名誉な死に方を許されたものの、刑死している。
しかし他に協力者が居たはずだ。
陰謀グループはほとんどが無惨に殺されたが協力者はもちろん生き残った。
何らかの仕掛があったか、あるいは記録の改竄があったということだろう。
60世界@名無史さん:2008/06/09(月) 20:57:57 0
この事件の意義は、家康にとっての関ヶ原に例えられるものだろう。
家康に恩を売ったはずの豊臣家の武将連中は家康を「上様」と言わなければならなくなったわけだが
同様に、これまではロレンツォを同輩と思っていたフィレンツェの有力者たちも頭が上がらなくなった。
ロレンツォは誰にも遠慮が要らなくなったわけだ。

さて、残った記録の「改竄」を念頭に置くべきことはいうまでもない。
ロレンツォの「かすり傷」については当然疑ってしかるべきだろう。
ロレンツォのように、事前に情報を持っていた場合ももちろんだが、
そうでなくても、自分でしっかりかすり傷をつけておく才覚ぐらいはないと乱世の時代を生き抜くことは難しいはずだ。

外見の効果の割に命には別状が無いというと、さるウクライナ大統領の件も連想するが。
61世界@名無史さん:2008/06/24(火) 23:56:45 0
落書きはいけない!
62世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:03:35 0
岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き
 岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に
海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀に
かけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きし
たと発表した。

 同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を
学長厳重注意処分にした。

 発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30
センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性マ
ジックで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚
した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。

 同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責
任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。

 大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観
や環境の保全が義務付けられている。

(2008年6月24日21時05分 読売新聞)
63世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:10:30 0

>将来の禍根になるかも知れない弟もついでに片づけてしまう。
>これがロレンツォの筋書きだったんだろうな。

 だとしたらボッティチェリに書かせた絵画の一番
 左の人物を見て、泣き崩れなかったはずだが
64世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:26:39 0
 ↑
 芝居
65世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:39:32 0
>>62
このニュース、塩野七生女史が聞いたら呆れるだろうね
66世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:46:30 0
「猫に小判」「バカに世界遺産」としか思わんだろ
67世界@名無史さん:2008/06/25(水) 01:14:28 0
研修旅行に毎年来てくれるなら良いお得意さんだからな。
マジックの落書き程度で費用負担しろなんて野暮なことはいわんだろ。
68世界@名無史さん:2008/06/25(水) 03:49:40 0
騒いでるおっさんはアフォやろ?
アンコールワットに落書きした侍がいたんだぜ?しかもいまや貴重な資料や
そもそも落書きがアートという地位を得て久しいのに
先進国の中で日本だけが落書きに怒るよね
アメリカやローロパでは家にアートを施すのが誇りだから路上アーティストに頼むのにさ
昭和の哀れな時代遅れ脳がいる限りルネッサンスは日本じゃ起こらないね
常識は時代とともに変わるのよ
現代でちょんまげがいないのとおなじで落書きはもはや悪じゃないのにね
69世界@名無史さん:2008/06/25(水) 23:09:31 0
>>68
あれはアートじゃ無いだろ?

自分の家に、あー言う物書かれても、何とも思わないの?
貴方の理論は、ちょっと極論だと思う。
70世界@名無史さん:2008/06/25(水) 23:27:00 0
>>68
>落書きはもはや悪じゃないのにね
眼からウロコが落ちる思いです。
まさにそのとおりですね。
どうか頑張ってアートしてきてください。
日本のルネッサンスのために。

とりあえず警視庁本部庁舎あたりはどーですかw
71世界@名無史さん:2008/06/25(水) 23:37:26 0
72世界@名無史さん:2008/06/25(水) 23:40:49 0
( >>68は、朝鮮人ですから相手にしないように d(^-^)ネ! )
73世界@名無史さん:2008/06/26(木) 01:52:08 0
ぶあーっと、あちこちに落書きが刻んである「遺産」に行けば、思わず自分も記念カキコしたくなるよ。
何もないとこには、さすがに書きにくい、というかそういう気すら起こらん。
74世界@名無史さん:2008/06/26(木) 15:39:37 0
ローマのコロッセオに残された観客の落書きや、
戦国時代の日本人がアンコールワットに残した落書きみたいに、
この俺の落書きも
数百年とか千年たったら立派な歴史的資料に……とか思うわけか
75世界@名無史さん:2008/06/26(木) 17:26:03 0
法隆寺にアンニョンハシムニカって書かれたら怒るだろ?
それとおなじ
法隆寺には当時の大工の給料上げろとかマンコ大好きとかの落書きがたくさんもうあるといえ・・・
76世界@名無史さん:2008/06/26(木) 17:52:41 0
age
77世界@名無史さん:2008/06/26(木) 18:25:24 0
まあ、嘆きの壁ならず、落書きの壁のようなものを作ればいいと思うけどねw
ここだけは、どんどん落書きしていいと。
78世界@名無史さん:2008/06/26(木) 20:13:47 0
世界遺産に相次ぎ落書き…今度は強豪高校野球部監督も - 夕刊フジ

ttp://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_heritage2__20080626_9/

ここに例の大聖堂の柱の写真がちょこっと出てる
こりゃ、どんどん落書きしていいと勘違いするバカが続出するのも無理ないなあ

今頃「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂って、前あそこで落書きしちゃったよ!」
とか言いながら、今度アゲられるのは自分かとブルってる奴がいっぱいいそうな悪寒
79記念パピコ:2008/06/26(木) 21:39:15 0








2008年2月18日                         木?
まな♡ ちい♡
♡ ゆい
あやな ♡ りか                          亮
 みき ♡
*      ◇
  山支女短                            介
◇      *
 


岐阜市立女子短期大学デザイン学科
80世界@名無史さん:2008/06/30(月) 22:51:32 0
>>77
古代ローマでそんなようなやつがあったような
81世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:12:37 O
>>80
ポンペイに2chみたいに煽り煽られ書いてある壁があったってどっかのスレで見たなw
82世界@名無史さん:2008/07/31(木) 18:59:17 0
落書きは中世日本での批判的言論
83世界@名無史さん:2008/09/15(月) 07:30:46 O
二条川原の落書だっけ?
この頃都で流行っているもの、と言うような書き出しで羅列してあるやつ
84世界@名無史さん:2008/09/29(月) 22:01:31 0
んだ
85世界@名無史さん:2008/10/11(土) 18:57:45 0
地方都市ピサに独立されかかった国
メディチ家を三回追放しても奪還された国
カルトに乗っ取られて教皇に破門された国
アイスクリームを5000円で観光客に売りつけている国
86世界@名無史さん:2008/11/22(土) 21:46:51 0
ttp://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112201000198.html
ラファエロの傑作公開 顕微鏡でミリ単位の修復

【フィレンツェ22日共同】イタリア中部フィレンツェのウフィツィ美術館は21日、
ルネサンス期を代表するイタリア人画家ラファエロ(1483−1520年)の
傑作「ひわの聖母」(縦107センチ、横77センチ)について
約10年間の修復作業を終え、内外の報道陣に公開した。
修復責任者は「顕微鏡を使ったミリ単位の作業だった」と苦労を語った。

ひわの聖母は、ラファエロが1505−06年、友人のために描いた作品だが、
47年ごろ友人宅ががけ崩れで崩壊し、ばらばらになった。
その後、幾度か修復が行われたが、継ぎはぎの個所が残った上、
全体的に描き直されてオリジナルの色彩は失われた。

修復作業はまず、赤外線やエックス線を使って絵の下書きの状態を確認。
次いでオリジナルの上に塗り重ねられた絵の具を、顕微鏡を使いながら削り落とした。
その結果、全体的に暗かった絵画の下から青や赤の鮮やかな色調がよみがえった。

また、継ぎはぎ部分は削られ、化粧しっくいで表面を平らにした上で周りの色に合わせ新たに描き加えられた。
修復の過程で、ラファエロが絵の具の乾きを早くするため、
下塗りの材料としてガラスの細かな粉を使っていたことも明らかになった。

2008/11/22 09:48 【共同通信】

ttp://www.47news.jp/PN/200811/PN2008112201000295.-.-.CI0003.jpg
修復前の画家ラファエロの「ひわの聖母」。右は修復を終え報道陣に公開された絵(フィレンツェ県提供・共同)
87世界@名無史さん:2008/12/13(土) 21:05:48 0
世界遺産age
88世界@名無史さん:2008/12/13(土) 21:25:02 0
>>20
それは言いすぎだろ
たしかにスラブと混血はしてるだろうが
89世界@名無史さん:2008/12/14(日) 07:13:42 0
フィレンツェ市民で男色を愛好しなかった変人って誰か居ますか?
サヴォナローラはフィレンツェ市民ぢゃネエぞ。
90世界@名無史さん:2008/12/30(火) 18:40:08 0
age
91世界@名無史さん:2008/12/31(水) 00:44:11 0
>>89 あいつは元祖ポルポトだろ
92世界@名無史さん:2009/01/01(木) 00:06:19 0
イタリアの聖堂なんかぼろっちいから日本人が落書きしてあげた方が箔がつく。
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94世界@名無史さん
ボナパルテ(よい側面)家も、トスカーナ起源