400 :
世界@名無史さん :2007/09/30(日) 08:01:59 0
概説 コルシカの伝統音楽「ウォーヂェ」
コルシカ島は伝統的に声を掛け合う習慣があり、これが現代音楽「ポリフォニー」の起源となっています。
伝統的なコルシカ音楽は特にこれを総称する名前はありません。
このHPでは「ウォーヂェ(Voce,声)」あるいは「ウォーヂェ・ゴルサ(Voce Corsa、コルシカの声)」としておきます。
ローマがコルシカを支配し、島内の反乱勢力であった「コルシ(Corsi=元からコルシカに居住していた山岳民)」を
平定したのは、紀元前200年頃で、キリスト教の普及はさらにそれから2世紀ほどたってからになりますが、
ローマのコルシカ支配は欧州大陸に比べて短く、ローマの東西分割直後からイスラム勢力による破壊、略奪行為を被ります。
キリスト教精神の浸透は中途半端で、その後、島にキリスト教が再び広められるのは島がピサ共和国領になった西暦1300年代
以降のことです。
このため、キリスト教化が不十分な島民にキリスト教の精神を十分に浸透させるために、いわゆる聖歌以外にさまざまな歌が
教会勢力によって創られ日常生活に広められたという説もあります。一部の伝統的な「ウォーヂェ」はトスカーナ語で表現され
ているからです。キリスト教の精神が身についていないコルシカの人に、教会を建てても自動的に集うわけではありませんし、
説教しても理解されません。このため、島に派遣された聖職者が、島民の日常生活に「ウォーヂェ」があるのを目に付け、
教会の慣習や説教内容を口頭伝承化させたという訳です。
http://www1.odn.ne.jp/cah02840/VOCE/HISTOIRE/
401 :
世界@名無史さん :2007/09/30(日) 08:06:53 0
402 :
世界@名無史さん :2007/09/30(日) 08:36:17 0
コルシカ大学は今年140名の中国人を迎えた。
本土では悪名が高く人気がないどころか、生徒が定員数を大幅に割る現象がずっと続いている。
生徒がいないということは資金難をともなうので、大学側はいよいよ対策をたてた。
北京の大学から生徒をどどっと登録。
登録料が大学の財政を潤す、というわけである。
彼らはフランス語ができないし、コルシカ大学には外人向けのフランス語講座はない。
それでもコルテを目指す理由は、
この大学が与える単位は中国のそれと同等の価値があるからである。
(※ちなみに日本の大学の単位システムはフランスと別モノです)
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/sho-ko/mon%20journal.htm
403 :
世界@名無史さん :2007/09/30(日) 08:56:24 0
404 :
世界@名無史さん :2007/10/06(土) 07:35:59 0
ジェノヴァは、芸術家と観光名所の少なさが災いしてるよな
405 :
世界@名無史さん :2007/10/10(水) 21:17:25 0
今日では、旅客は飛行機利用するからな 船舶の役割が小さいのがマイナスか
406 :
世界@名無史さん :2007/10/12(金) 19:57:56 0
コルシカはトスカーナの方が縁が深い サルディーニャよりも、トスカーナ方言=標準イタリア語に近い でも、EUの辺境と呼ばれるのはなぜ?
ジェノヴァはギベリン派とゲルフ派の争いにおいて明確な立場を表明せず 表明していた時期でも相手方と交渉するなど二枚舌的政策をとる現実主義的なと ころが個人的に好きだが
というか共和国内部でゲルフとギベリンが争ってたんでは・・・
409 :
世界@名無史さん :2007/10/18(木) 23:06:23 0
フィレンツェみたいなものか
410 :
世界@名無史さん :2007/10/18(木) 23:08:55 0
411 :
世界@名無史さん :2007/10/24(水) 18:36:58 0
きょそーね
ジェノヴァの黄金期は1298年(クルツォーラの海戦でヴェネツィア海軍に完勝) 〜1380年(キオッジアの海戦でヴェネツィア海軍に全滅させられる)まで? クルツォーラの海戦では完敗したヴェネツィアの総督アンドレア・ダンドロは自 決するのに頭をマストに打ち付けて死んだと言うが 相当な精神力と力がないとこの自決法では死ねんだろうな ジェノヴァも衰退期に入った時、ちょうど北のミラノ公国がヴィスコンティ家の 最も有能といわれるジャンガレアッツォ公が即位した時期 ほんと運がないね
パクス・モンゴリカのあおりの好景気で栄えて黒死病で衰えたって感じ?
414 :
世界@名無史さん :2007/10/31(水) 21:12:24 0
金融資産では、フィレンツェより持ちこたえた方だろ
フィレンツェにはかなわんでしょ フィレンツェが唯一弱くなった時期は1260年にマンフレディ王支配下のシチリア 王国軍とギベリン派の雄シエナの連合軍にモンタペルディの戦いで惨敗した時ぐ らいでしょ マンフレディがシャルル・ダンジューに滅ぼされた6年後には既に復活したけど
416 :
世界@名無史さん :2007/11/02(金) 16:00:02 0
>>415 メディチ家末期の衰退振りが信じられないですな
412と414の「国家の繁栄」の定義が違うんだろうな 412は軍事的な側面を、414は経済・金融面を加味して評価してる
418 :
世界@名無史さん :2007/11/04(日) 20:43:36 0
サルジニア王国の領土になって、トリノの海の玄関と化した
419 :
世界@名無史さん :2007/11/10(土) 22:58:25 0
イタリアは、国として振るわなくても、個人の人材には事欠かない
420 :
世界@名無史さん :2007/11/14(水) 23:02:21 O
あくまで私論ですが ジェノヴァに最大の経済的繁栄をもたらしたのは明礬交易の独占ではないでしょ うか 毛織物の染色に不可欠な明礬は15Cに教皇領で産出されるまでは西欧では産出さ れず、ほとんどビザンツからの輸入に頼っており、マヌエル1世によるヴェネツ ィア人追放と皇帝大空位時代により支持支柱を失ったピサの衰退によりジェノヴ ァが明礬交易を独占 ヴェネツィアが支援したラテン帝国成立も明礬を産出する小アジアはニカイア帝 国が押さえていたため、ジェノヴァの明礬交易独占の覇権に影響なかった 西欧産業の必需品の独占交易だったため、殆んど暴利を得ていたのでは?
421 :
世界@名無史さん :2007/11/17(土) 09:56:12 0
>>391 ttp://en.wikipedia.org/wiki/Bank_of_San_Giorgio 英語版wikiを機械翻訳したから読んでみろ
君が英語を読めるなら必要ないかもしれんのだが
Bank of Saint George (Italian: Ufficio di San Giorgio in Genoa
or Casa di San Giorgio)
ジェノバ共和国の金融機関。 1407年に設立されていて、それは
ヨーロッパの、または、世界一古い貸し切りの銀行の1つです。 銀行の
本部が13世紀にGuiglielmoボッカネグラ(シモンボッカネグラのおじで、
ジェノバの最初のDoge)の注文で建てられたパラッツォ・サン・ジョルジョ
にありました、
グリマルディの家を含む多くの著名なジェノバ市民の家族が、Bankの
設立と支配にかかわりました。
Bankは通常、共和国の支配的な寡頭制支配者がBank政治で著名で あり、Bankの影響がどこで終わったかを決定するのがしばしば難しく、 共和国のものが始まったので、経済を管理して、投資1を指示した 4人の領事によって治められました。 ジェノバの海外領の多くが直接か間接的にBankによって決定され ました。 共和国が15世紀の過程の上で徐々に多くを取り戻しましたが、 共和国がコルシカ島、Gazaria、およびBank職員への他の多くの 所有物の支配の上で手渡した1453年に、Bankからの領土は制御 されます。 Taman半島はde Ghisolfi家のコントロールに残っていましたが、その 一族の公は今や、Bankに報告しました。
Bankは15世紀、何16世紀もヨーロッパ中でお金のかなりの合計を 多くの支配者に与えました、広範囲の影響を獲得して。 フェルディナンドと イザベラはクリストファー・コロンブスのようにそこでアカウントを維持 しました。 チャールズVは彼の治世の多くの間、ずっしりとBankに 恩義がありました。 Niccoloマキアベリは、ジェノバの上のBankの 統治権で「ベニス生まれの人よりメモリにふさわしい共和国」の創造が 可能になったと主張しました。 17世紀に、Bankは大いに海運にかかわるようになって、時間オランダの 東インド会社とイギリスの東インド会社のような関心と競争しました。
425 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 15:18:42 0
>>424 オランダは、イタリア都市国家の何倍の面積・人口だっけ
>>425 イタリアも有力都市国家は広域な領土を支配してたから、面積人口に関してはオランダと大差ないと思うぞ。
427 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 21:41:58 0
ナポレオンは自分の故郷をフランスに売り飛ばしたからジェノヴァを滅ぼしたんだろうな。
>>427 ヴェネツィアも滅ぼしてるから、その論理は通らない。
429 :
世界@名無史さん :2007/11/26(月) 21:13:23 0
イタリア
430 :
世界@名無史さん :2007/12/03(月) 23:36:40 0
>>427 ナポレオンって、トスカーナ系貴族の
ナポレオーネ・ボナパリーテ
でも、コルシカ語は、発音面で、トスカーナ方言とも、けっこう違うそうだ
孤島のせいだろうか
「ボナパリーテ」とはまた初耳じゃのう
432 :
世界@名無史さん :2007/12/07(金) 21:21:25 O
>>427 ジェノヴァってナポレオン以前に1353年にミラノ大公ジョヴァンニを僭主に選出
したからミラノ大公国に併合されたと見れるのでは?
433 :
世界@名無史さん :2007/12/08(土) 10:15:29 0
434 :
世界@名無史さん :2007/12/14(金) 14:20:52 0
ぺスパの都
435 :
世界@名無史さん :2007/12/28(金) 21:16:48 0
今日でも、経済活動は盛んだし、自治体内部での市民の活動も盛んらしい
436 :
世界@名無史さん :2008/01/10(木) 07:59:56 0
近隣の住民にとっては悪くないのでは 遠くからの観光客には見るべきものないにせよ
ジェノヴァの研究が少ないのは、史料が少ないから?
亀長洋子さんとかSteven A. Epstein氏の本にあげられてる文献を見ると イタリア語のなら結構あるようですが
コロンブス以外で活躍した人がいない気がする(教科書レベルでは皆無)。
440 :
世界@名無史さん :2008/01/23(水) 07:32:42 O
>>439 イタリアで最も優秀な海軍提督アンドレア・ドリアはジェノヴァ人じゃなかった
け?
441 :
世界@名無史さん :2008/01/23(水) 20:58:03 0
種
で、教科書に出てたっけか
1571年レパントの海戦でキリスト教徒の反トルコ連合艦隊とオスマン・トルコ艦 隊が戦い、キリスト教徒側が圧勝した キリスト教徒側艦隊で主力だったスペイン・ジェノヴァ連合艦隊の指揮官がジョ ンヴァンニ・アンドレア・ドリア提督(キリスト教徒連合艦隊の総指揮官はドン ・ファン・デ・アウストリア)
あれ? そのドーリアは1468年ジェノヴァ生まれのプレヴェザの海戦で有名なアンドレア・ドーリアとは別人だよな?
それはジョンヴァンニの伯父だ
446 :
世界@名無史さん :2008/01/27(日) 21:07:30 0
ジェノヴァとスペイン同盟していたのか
447 :
世界@名無史さん :2008/02/19(火) 19:54:39 0
スペインの造船技術って、ジェノヴァに習ったの?
448 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 23:26:55 0
外交手腕は今でも健在かな
449 :
世界@名無史さん :2008/03/14(金) 21:44:01 0
イタリアの情報機関って案外優秀かも
450 :
世界@名無史さん :2008/03/15(土) 00:55:56 0
伯父の方は90歳でも黒鷹のように精悍、甥のジャンアンドレアの方は若禿デブ小男、という塩婆の描写は本当なんかな。
451 :
世界@名無史さん :2008/03/23(日) 21:47:51 0
昔は栄養豊かでも、病気治す薬や治療法がね・・
452 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 08:27:30 0
後のルイ14世の宮廷医も酷くて、血抜きや歯を抜く治療しかせずに、 一人の曾孫以外の王室の男子を全員死なせている
しかし王宮でない一般の医療・福祉状況はどうだったかというと想像したくないな。
454 :
世界@名無史さん :2008/04/25(金) 23:21:18 0
七五三の名の通り、7歳まで生き延びられずに死んだ人間が多かったんだよ
その点、江戸時代の将軍家の子どもは全然死ななかったよな
いやぁそんなことないぞ。 今に比べりゃ結構死んでる。
>将軍家 武家では乳母が白粉(最高級、鉛たっぷり)を体中にはたいたまま 御子に乳を飲ませたりするので体を壊して早世、なんて例が絶えなかったらしい
なんでバジルの葉まぶしたパスタをジェノベーゼと言うのですか?
ジェノヴァの郷土料理だったからよ。
460 :
世界@名無史さん :2008/05/21(水) 19:18:15 0
江戸時代の場合も、大奥で虚弱になるように養われた おまけに死亡率が高い
461 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 21:21:24 0
hosyu
462 :
世界@名無史さん :2008/06/08(日) 21:25:02 0
バジルって、生育地はイギリスから北イタリアまで?
「生育地」ならもっと広いでしょう。 日本でも栽培されているくらいだし、タイ料理にも用いられるほど。 自生地はちょっとよく分からない。 原産は西アフリカという記述もあり、本来は多年草。 ジェノヴァ郊外には、広大なバジリコ畑が広がる一画がある。
464 :
世界@名無史さん :2008/06/16(月) 17:45:28 0
うわぁ、唐辛子並みに、栽培地の気候に、適応力あるんですね
あら、まだいたのね。 シソ科の植物って、バジリコに限らず一般に耐寒・耐暑力が優れているのよ。 次の質問をどうぞ。
466 :
世界@名無史さん :2008/06/29(日) 20:26:28 0
それでは、ジェノヴァ料理の名物は、何でしょうか?
467 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 19:20:14 0
上記にあり
468 :
世界@名無史さん :2008/08/22(金) 19:58:46 0
マルセイユと同じような気候? 雪は降りますか?
469 :
世界@名無史さん :2008/09/02(火) 16:56:26 0
470 :
世界@名無史さん :2008/09/25(木) 15:57:11 0
保守
471 :
世界@名無史さん :2008/10/20(月) 17:41:11 0
472 :
世界@名無史さん :2008/11/04(火) 21:00:16 0
きよそーね といい、イタリアの近代を具現化した街
うそぉん。バジリコは寒さに弱くて、日本なら6月に入ってから出ないとまっとう育たないよ。 同じく熱帯原産の朝顔は八十八夜の頃に蒔いてすぐに育ち始めるけれども、バジリコは芽は出でも ちっとも大きくならない。芒種の頃に蒔いても生育が追いつく。
474 :
世界@名無史さん :2008/12/07(日) 16:40:20 0
ほしゅ
475 :
世界@名無史さん :2008/12/30(火) 18:38:29 0
ナポレオンのことはどう思ったんだろ
/ / / ヽ/~ ̄ \\ \ \ / / / / / ∧/ヽ  ̄ヽ \ \ ┌──────────┐ / / / / / / ,'"´`"ヘ ', l , ヽ | | // / l l ∧ ハ | | l | | ', | 正 月 限 定 ..| ,'/ / / | |从 | l l | | | l | lト、 l | | |ハ l ,′ | |十弋 トミ| | | | l| l| ', | | お み く じ | | }|ハ. ! ! ヾ〉 ヾ 廾ト|、 //| l| l. | | ※名前欄に | l |/ | | |z==ミ __ 〃|/|∨/ ,' l| | ,' | !omikuji .| |从 | ヽ | ==ミ、!// / / リ |/ | と し だ ま ..| ヾ川ヽ \ ハ/ .ハ/ } | ※名前欄に | ハ〉\ ヽ r ′、 厶ヘ / } / アウグーリオ・ボナーノ!! | !dama ....| ヾ \ ', ヽ__ノ /| /| / ,'/ | 両 方 な ら ..| \_ト、 , ィ ´l/!/ !/ | ※名前欄に | __ /ノ  ̄ ト〈 | !omikuji !dama ..| /  ̄ / / | >-ー──- 、 | . . . ∧\\ !. / / /__. | | ', | 今 年 こ そ fヽ\ヽ \ 〈\ / / `ヽ , -| | ,' l | ま り あ と ', \\\ Y ヽ / / | | / l |呼ばれませんように { ', / / | | ヽ / l └────────ーヽ } | | | | Y l
477 :
世界@名無史さん :2009/02/03(火) 20:55:11 0
478 :
世界@名無史さん :2009/02/09(月) 21:56:22 0
ベネチア貴族が郊外に農園付別荘もっていたから、ジェノヴァ貴族もそれに類したものくらい保有していたろうな
ミラノの港はジェノヴァ? ミラノはジェノヴァ支配に動いていたの?
>>479 14世紀末にジャンガレアッツォによって制圧されたでしょ
481 :
世界@名無史さん :2009/02/19(木) 23:01:59 0
でも、独立
482 :
世界@名無史さん :2009/03/13(金) 07:37:13 0
金融は現在ではイタリアにとって後れた分野
483 :
世界@名無史さん :2009/04/11(土) 16:15:11 0
484 :
世界@名無史さん :2009/04/21(火) 02:13:46 0
ジェノヴァ共和国は、 13世紀当時、黒海沿岸を支配してたキプチャクハン国の許可を得て、 黒海沿岸に進出しましたが、 その際、ジェノヴァ人は、未知の異教徒であるタタール人と、 どのように交渉したか、参考文献をご存知の方いらっしゃいますか?
485 :
世界@名無史さん :2009/08/04(火) 22:24:52 0
コロンブスの卵
484じゃないけど、既読だがタタール人とイタリア商人の交渉は出てなかったような
488 :
世界@名無史さん :2009/09/07(月) 11:36:41 0
遺跡や人骨の発掘の成果のほうはいかに?
489 :
世界@名無史さん :2009/09/29(火) 09:44:37 0
490 :
世界@名無史さん :2009/10/22(木) 21:16:13 0
hosyu
491 :
世界@名無史さん :2009/11/09(月) 08:44:34 0
test
492 :
世界@名無史さん :2009/11/18(水) 00:59:42 O
1257年に共和国としては異例なシニョーレ的な民衆頭として選出されたグリエルモ・ボッカネーグラの 失脚した年代と失脚理由わかりますか?
493 :
世界@名無史さん :2009/11/29(日) 17:54:58 0
うわ 風キツッ ┌┐ /~'7;; |/~''7 〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜〜 ( ( ̄| ( 、___`t-'ーイゝ-i ┌┐ ヽ] ̄二二二7 /~'7;; |/~''7 やべーよ 〜〜〜〜 〜〜 ""〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 ( ( ̄| ( ┌┐ 、___`t-'ーイゝ-i /~'7;; |/~''7 〜〜〜 ヽ] ̄二二二7 ( ( ̄| ( ""〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 、___`t-'ーイゝ-i 〜〜 ┌┐ ヽ] ̄二二二7 /~'7;; |/~''7 〜〜〜 ""〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜 ( ( ̄| ( こわっ 〜〜〜〜〜 〜 、___`t-'ーイゝ-i 〜〜 〜〜 〜〜 ヽ] ̄二二二7
>>492 Genoa and the Genoeseって本が図書館にあったんで調べてみたけど
当時の年代記記事なんかにも「グリエルモはあらゆる人間に憎まれていて
(著者のコメントは「少なくとも貴族層はそうだっただろう」)それで蜂起が起きて
失脚した」ぐらいしか書いてないらしい。
ただそのちょっと前に鞭打ち行者の群れがジェノヴァに来たことがあって
それに影響されたのかグリエルモが追放していた政敵を全員呼び戻したそうで
そのことも蜂起を誘発する原因になったのではないかと著者は推測していた。
495 :
492 :2009/12/11(金) 21:33:28 O
496 :
世界@名無史さん :2009/12/13(日) 19:58:34 0
>>484 亀長洋子さんが「中世ジェノヴァ人の黒海」っていう黒海植民地研究史の概括みたいの書いてたけど
2次資料もイタリア語のばっかりだったような。日本語や英語だと調べるのもきついんだろうね。
中世ジェノヴァの有力貴族の一覧なんて資料ありますか。
498 :
世界@名無史さん :2010/05/15(土) 12:07:57 0
hosyu
499 :
世界@名無史さん :
2010/07/21(水) 14:25:16 0 ジェノベーゼって、パスタとマフィアのボスの名前かと思ってた