1 :
世界@名無史さん :
2007/04/30(月) 21:11:35 0 英国なんかではいまだに国民にロングボウの訓練を命じる法律が残ってるらしい。
3 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 09:32:24 0
中世ヨーロッパの鎧は弓矢に射ち抜かれてたらしいけど 当時ってクロスボウ以外は原始的な丸木弓だけですよね? 日本の鎧は丸木弓に竹を貼り付けて強化した和弓の矢を防いでたので 防御力はヨーロッパの鎧<<<<<日本の鎧 ということになるのでは?
4 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 10:59:41 O
合成弓、弩、クロスボウ、バリスタの攻撃受けたことのない日本のあらゆる防具 では比較対称外 馬鹿馬鹿しい日本優越論
>>4 元寇の時、日本の鎧は元軍の合成弓やクロスボウに、かなりの防御力を発揮したが
6 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 12:11:02 O
元冦の時 クロスボウなんか持ってないし 合成弓というのは騎乗で扱う弓 そもそも元冦時の元軍はほとんど徒歩の高麗兵 騎兵は皆無、第一、日本は陸上戦で勝ってないだろうが 史実を歪曲し、でっち上げるのもいい加減しろよ
7 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 13:28:34 0
>>3 やっぱりこんな恣意的な比較論をおっぱじめるバカが出るか。
>>6 >元冦の時
>クロスボウなんか持ってないし
八幡ノ蒙古記
『我も石弓に左の肩を、つよくうたれ、弓引へきにも、ちから及はねは、かた手に太刀ひつさげ、
帆柱を切て、賊船にわたしかけ、乗うつりて、さんさんに、切めくり、多くの敵の首をとり、
又其中に、大将と、おほしくて、王冠きたる大男を、生捕て、前にしめつけてそ帰りける』
>合成弓というのは騎乗で扱う弓
合成弓というのは複数の素材で作られた弓で、徒歩で使うか騎乗で使うかは無関係。
>そもそも元冦時の元軍はほとんど徒歩の高麗兵
高麗史によれば、文永の役の元軍は蒙漢軍2万5000に対し高麗軍8000で、圧倒的に元からの本隊が主力。
>騎兵は皆無、
八幡ノ蒙古記
『其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、
十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる』
第一、日本は陸上戦で勝ってないだろうが
鎌倉年代記裏書
『十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北』
高麗史表
『十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人』
史実を歪曲し、でっち上げるのもいい加減しろよ
>>3 中世ヨーロッパっていつ頃の話だ?
下手すると西ローマ帝国滅亡以降1000年ぐらい幅があるし、日本の戦国時代ぐらいの頃はもうルネサンス〜近世に分類されてたりするんだが。
>>3 鎧って言っても色々種類があるけど、プレートアーマーが弓矢を通すとは考えられない
>>6 なんだこの朝鮮人www
陸上戦で勝ってなかったら、とっくに元軍内陸に攻め込まれて、
大宰府くらいは陥落させられてるだろうが。
文禄・慶長の役の朝鮮みたいにな。
陸上に橋頭堡すら作らせずに何ヶ月も元軍を船の中に押し込めていた時点で
日本の戦術的な勝利は揺るぎ無い。バーカw
12 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 15:39:38 O
>>8 武功を幕府に認めさせる為、誇張した日本側だけでの史料じゃ当てにならんな
第一、クロスボウそのものが捕獲されているわけでなく、画にも描かれているわ
けでもない、日本で製造、輸入されていない石弓なるものがクロスボウや弩を指
すかどうか判らんじゃないか
合成弓が徒歩でも使える、当たり前だろうが、歩兵ならもっと大型弓を使用する
合成弓は騎乗から強力な矢を射ることが可能な遊牧民が作った半弓
そもそも文永の役当時は元が南宋に侵攻している最中、しかも高麗では三別抄の
反乱を鎮圧している時でもある
たかが日本を牽制するためだけのたった27000の兵力による襲撃にモンゴル本隊
をわざわざ派遣するとは思えない
弘安の役当時も元の主力はカイドゥ、メリク・テルム、ヨブクルのアリク・ブケ
の遺児たちとの大規模戦乱に巻き込まれていたし、広南の鎮圧も継続していた
とても精鋭のモンゴル本隊を派遣する余裕なぞない、ましては江南軍は旧南宋の
老兵でたいした武装をしていない植民目的で、戦闘力を持っていたのは前回とほ
とんど兵力が同じでほとんど高麗兵であり、騎兵のいない高麗軍のみであるのが
実態、元が日本占領で考えていたのは旧南宋の老兵処理ぐらいだ
>>12 思い込みと願望だけだな。
>>合成弓が徒歩でも使える、当たり前だろうが、歩兵ならもっと大型弓を使用する
合成弓は騎乗から強力な矢を射ることが可能な遊牧民が作った半弓
この一文に至っては意味不明。反論にすらなってない。
弓矢は武器として、何世紀ごろまで第一線で活躍できたのかな?十八世紀ごろまで位か。
15 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 20:01:39 0
地域による
イギリスのロングボウは少なくとも17世紀までは使われていたはずだ。戦争用に。
17 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 04:16:30 0
18 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 08:36:52 0
19世紀のインド大反乱、ラクナウでの戦闘の記録 「シャー・ナジャフを守備していた軍勢には、通常の部隊の他に、多数の弓兵が城壁にいて 弓矢をおそるべき威力と正確さで発射した。第93連隊のサージェントが壁から頭を上げると、 一本の矢が羽飾りをまっすぐ貫いた。一瞬だけ頭を壁の上に出したある者は矢に脳を貫通され、 箆が後頭部から1フィート以上も突き出していた。これに対して兵士たちは一斉射撃で応じた。 一人の不運な者は身を隠すのがわずかに遅れ、遮蔽物に伏せる前に矢が心臓を撃ち抜き、 そのまま体を貫通して数ヤード後方の地面に落ちた。彼は6フィートも宙を飛び、倒れ伏して 石のように動かなくなった」
>>13 中央ユーラシア型のコンポジット・ボウは木製の芯材・動物の腱・骨角という素材の複合により
威力を生み出すもので、弓自体の大きさは関係ありません。
例えばビザンツ帝国の歩兵も「スキタイ弓」と呼ばれる同種のものを使用していた。
弓身の長さが問題になってくるのはイングランドのロングボウのような単一材の弓で、
素材が同じであれば単純に弓身を長くすることによって張力を増すことができます。
それが行き着くとアフリカ人が大型動物の狩猟に用いるような巨大な弓になります。
和弓が長大なのはもともと丸木弓をベースにしているからです。
20 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 16:38:40 0
弓って石器時代からあるんでしょ。 寿命が長い武器だよね。
22 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 21:27:39 O
>>18 >彼は6フィートも宙を飛び、
印度の反乱軍にはラオウでもいたのか?
23 :
13 :2007/05/02(水) 22:43:52 0
>>19 誤爆?
なんか俺が発言してない事に対して反論されてるみたいだけど、
どう返して良いのかわからん。
24 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 01:14:41 0
>>10 実際にフランスの騎士団がイギリスの弓兵にバタバタと射ち倒されている
弓にやられたのは、装甲に乏しい一般の兵士じゃないの? フルアーマーの騎士が弓矢でやられたなんて信じられないなあ。 もし鎧が弓矢を防ぐ事が出来ないのだったら、銃が登場するずっと以前に廃れると思うが。
26 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 09:24:32 0
>>25 恐らくフランス騎士団がやられたのは馬がやられたんじゃない?
イングランドの長弓兵って1分間に5発ぐらい射つんでしょ。
弾幕張られたら馬がやられると思う。
そもそも百年戦争前期にプレートアーマーが普及してたのか
28 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 11:09:10 0
ヒストリーチャンネルで実験してた事があったな>弓VS鎧 どこの戦場だったかは忘れたけど、中世ヨーロッパだったのは確か。 当時の弓矢で、当時の騎士鎧の平均的な厚さの鉄板を射ていたけど、矢じりが フニャフニャに曲がってしまって、鉄板は全然傷ついて無かった。 その戦いでは、弓矢隊に騎士がやられてしまって全滅したという説が有力だったんだけど、 その実験で、今までの説が覆された。
29 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 11:14:08 0
>>27 何をもって普及とするかは分からんが、
一国の軍隊の殆どの兵士に行き渡るという意味だったら、
ヨーロッパ史上、皆無。
30 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 11:15:27 0
31 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 11:54:45 0
>>30 その戦闘では、大勢雇われた弓兵部隊が、敵である重装備の騎士部隊を
弓矢の攻撃で圧倒して勝利したと言われてたんだってさ。
だけど、ヒストリーチャンネルの詳細検証で、弓矢による戦果は今までの説より
ずっと少なく(なぜなら弓矢では当時の騎士の鎧を貫けなかったから)、
実際は豪雨による泥濘に足をとられた騎士達が、密集陣形による混乱も相まって
動きが取れなくなり、そこを軽装備で身軽な敵に次々と討ち取られたり捕虜にされた
というのが実際ではないかと結論付けてた。
32 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 12:01:14 0
>>31 なるほど。それって多分クレーシーの戦いだね。
まあ長篠の合戦とかみたいに従来の定説ってあっさり覆ったりするしね。
>>23 よく見ると「歩兵ならもっと大型弓を使用する」などの箇所は引用だったんですね。
失礼しました。
クレシーの戦いだと泥濘の他にも、上り坂、落とし穴、乱杭、最後に待ち構える装甲歩兵など
騎馬突撃しちゃいかんだろって感じですね。
いくら重装騎兵が矢に耐えられたところで、従者なんかの随伴歩兵や弓兵が射殺されてしまったら、 騎兵だけ生き残ってもどうしようもないと思うんだが。
日本では矢を弓の右側に置いて矢を放つけど 西洋では弓をやや傾けて左側に矢を置いて放つよな。 弓矢の使い方の違いによる威力の違いはあるのかな?
武器としての弓矢の話題だけならば武具総合スレで間に合うところだが、 弓矢といえば狩猟具としての歴史も長い。 両方アリならば独立スレでも桶かな?
それじゃ、弓矢の起源からね。 俺は知らないから↓が語ってちょ。
>西洋では弓をやや傾けて左側に矢を置いて放つ 「地中海式」のつがえ方ですか
>>34 クレシーではそういう感じでは?
ニコポリス十字軍ではオスマントルコの歩兵が柵の背後から矢を放ってたけど
ブルゴーニュとフランスの騎士が無理やり突破してたな。
40 :
世界@名無史さん :2007/05/05(土) 01:36:34 0
41 :
銃砲の歴史スレより :2007/05/05(土) 03:14:49 0
259 :世界@名無史さん :sage :2005/10/12(水) 03:06:44 0 600 Krt sage 04/04/25 17:45 さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ 当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。 (1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。 @刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。 (mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる) 200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。 @弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、これは例外的な力 を持った射手の強弓でないと不可能。ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。 ところで、恥ずかしい質問なんですけど弓と矢の製造工程ってどんな感じなんでしょうか? 複合弓はどうやって合成するのか?木材からどうやって矢のシャフトを作るんでしょうか?
>>41 元々昔あった弓矢スレの書き込みだな。懐かしい。
アジアは竹という便利な素材があって本当に助かったな。
竹はそんなに弓をつくるのに向いている素材だったの? インドあたりでも湿度の関係で使われたと聞くけれども
47 :
世界@名無史さん :2007/05/07(月) 21:20:58 0
>>6 朝鮮半島ではクロスボウは少なくとも新羅の時代にはあったらしい。
「東国通鑑」に仇珎山という職人が唐の皇帝のもとへ遣わされて弩を作ったという条がある。
性能は期待はずれだったようだが。
また「弩幢」というクロスボウ部隊も存在してたらしい。
元では侍衛親軍の各衛に「弩軍千戸所」があったそうだが、皇帝直属の中央軍なので
元寇には出てきてないと思う。
旧南宋軍には「神臂弓」という強力な弩があり兵書には鉄砲三段撃ちのような
交代射撃のメソッドも載っているそうだが、旧金軍の弩使用はよく分からないので
詳しい人がいたら解説求む。
仇珎山でぐぐっても一件もヒットしないのが凄いな
どう見ても捏造です。本当に(ry
50 :
世界@名無史さん :2007/05/10(木) 01:58:42 0
東国通鑑 文武王九年冬の条 冬唐遣使徴弩師、王遣弩師仇珎山偕使赴、朝帝命造木弩、 射不過三十歩、帝問珎山曰、聞在爾國造弩射千歩、今纔三十歩何耶、 對曰材不良、若取材本國則可矣、帝遣使求材帝命珎山改造射至六十歩、 帝詰之、對曰臣亦不知其所以、然殆木過海爲湿気所侵歟、帝疑珎山、 故不盡技劫以罪而終不効其能
クレーシー時の馬の防御力って どんなもんなの
馬用の鎧が出来たのはルネサンス頃じゃなかったか
>>52 ヨーロッパではね。
東洋では小札の馬甲などがすでにあった。
54 :
世界@名無史さん :2007/05/11(金) 10:09:45 0
「馬を射る」という当然の戦術をやらなかったのは源平合戦の頃の武士くらいだ 後にはやるようになったらしいが
>>50 新羅の弩は射程が千歩というふれこみだったけど、実際には30歩しか飛ばなかったってこと?
それは信憑性が高いなw
1000歩は論外としても、30歩が60歩となっただけでも(有効射程距離とすれば)
まだ期待は持てたような。もう少し試させてもよかったかもしれません。
似たような話で、11世紀初期に宋に日本人が来たので弓を射させてみたところ、全く
飛ばず、国では戦闘が習われていないと弁解したというのが『宋史』にあります。
弓は丸木弓だったらしく、もう少し後で出て来た伏竹弓ならまだましだった筈。
弓は平安貴族のたしなみでしたし、一般の百姓でも扱っていましたから、多分この人が
あまり使えなかったというのが真相でしょう。
まあ、中国の史書が外国人を手放しで褒めた話というのも、一寸思い出せませんが。
帰化と言うか、中国で一生を終えて功績を挙げていたのならともかく。
>>54 >「馬を射る」という当然の戦術をやらなかったのは源平合戦の頃の武士くらいだ
この頃にはすでにやっていますよ。延慶本『平家物語』と『源平盛衰記』は、細部は異
なりますが、「昔」は馬を射ることはしなかったのに、「中比」になった腹を射て落馬
させるようになり、今では最初から組み合って共に落馬し、歩立になって勝負をつ
けるようになったという老武者の言葉を記しています。
「昔」というのがよく分かりませんが、12世紀初期頃でしょうか。
その人はなんでわざわざ弓矢を宋まで持っていったんだろう
アメリカ人に銃というぐらいの携行率だったのではないかと。 海賊のいる時代、武器を持たずに海に出たとも思えませんし。 普通の百姓(猟師は勿論、農民や漁師まで)が弓矢を使えましたからね。
彼らが弓を使えた理由ですが、古代・中世の僅かな史料と、近世以降の史料 から察するに、海辺の村(中世にはあまり使われなかった行政単位ですが、 便宜上集落を指して)も含めて、害獣駆除と副次的な食料確保、神事での奉 仕を目的としていたようです。その為に、普段から修練が行われていた。 近世の村で弓や鉄炮、鑓の使用が公的に認められていたのはそうした場合。 「公的に」というのが曲者で、暗黙の了解下のものが相当数ありましたが。
60 :
世界@名無史さん :2007/05/12(土) 10:21:20 0
日本史に詳しい方が来ているようなので質問したいのですが 四方打弓って左右にも竹を貼ってなんか意味があるんでしょうか? 曲がりづらくなって弾力性が落ちそうな気がしますけど。
四方竹弓ですか。 (マジカル頭脳パワーのように)思い浮かべて下さい。 まず、角がとれた四角形に近い木材の断面図を用意します。 次に、その上下(実際は前面)に、薄い竹を張り付けます。 上下の竹の両側は、竹の厚み程度木材より長く、突き出ています。 その突き出て出来た両側の空間に、別に竹を張り付けて下さい。 これで、木材の四方が竹で囲まれた筈です。 断面図では分かりませんが、この時、弓の本体はすでに湾曲しています。 それを反対側に曲げて弓を作って下さい。 前後は勿論、それに挟まれた両側の竹も曲がり、しなりが生じます。
>>61 レスありがとうございます。
前後の竹は ←|→ このように曲がるのに対し
↑
両側に挟めた竹は | こういう方向なので曲がりにくそうに思えたのですが
↓
実際には反発力を強化するのに役立ってるということなんでしょうね。
63 :
世界@名無史さん :2007/05/14(月) 20:26:05 0
インドの弓って竹ですか
>>36 弦楽器の遠い祖先であることも忘れてはならないな。
>>64 あまり想像がつかないんだけど
大昔は弓と弓をすり合わせて音を出したりしてたんかね?
ヴァイオリンだって「弓(bow)」で弾くものだしね。そうか。 最初期の楽器としての弓って、弦をビヨンビヨン鳴らして邪気を祓うという 呪術的な使用法ではなかたけ
67 :
世界@名無史さん :2007/05/15(火) 21:01:50 0
縄文人がどうやって弓を考えたか気になるところ
考えたというか持ってきたんじゃ でもマンモスハンターとかの時代だと投槍かな?
弓は鹿とかもうチョイ早い獲物を取るようになってからじゃないか?
「ブレイブハート」で丸木弓をもったメル・ギブスンが足音を殺して鹿に忍び寄るシーンは ヨーロッパ人の原像を見たような気分になる。
71 :
世界@名無史さん :2007/05/19(土) 13:47:55 0
おいおいまさか過程をすっとばして撥弦楽器が誕生したとでも
>>72 すると世界的に見られた風習だったんですか?
どうも寡聞にして知らないもので
弓といえば発火具、ドリル、切削用ろくろなどの動力源 としての歴史も見逃せないな。
>>74 ビザンチンの兵書に弓で回す巨大なドリルの絵があった。
それで敵の城壁をえぐるらしいw
76 :
世界@名無史さん :2007/05/27(日) 22:38:46 0
>>8 >>12 たしか平家物語なんかでも「石弓」が出てきてたと思うが
日本でも結構普及してたんじゃないの?
>>8 で言及されてる「石弓」もひょっとしたら投石器を指していたのかもと思う。
「いしゆみ」という言葉がいつ弩を指すようになったのかよく知らないのだが・・・
投石器の弾が人間に当たって無事で済むのかという気もするが、
シナには「旋風砲」という一人でロープを引いて飛ばす小型の投石器があったので
その弾なら距離と当たり方によっては軽い怪我で済んだかも。
元々は投石器を指していたのが、後に弩と混同されたものです。>いしゆみ ただ、中世には紐を切ると石が落ちてくる仕掛けを指していました。 多用されるようになるのは、鎌倉時代末以降だと思うので、元寇後まもなく というのは微妙な時期ですが、射られではなく「うたれ」とあるあたり、小 型の投石具を指しているのかもしれません。
時代は違うけどギリシャ軍スリング部隊がペルシャ弓隊に勝った歴史もある 矢と違ってバウンドしたり衝撃が鎧抜けて骨折ったりするから 投石による殺傷能力はそうバカにした物でもないと思うし兵器として当然あったと思う 後の戦国時代でも飛石による死傷率は高かったらしい
81 :
世界@名無史さん :2007/05/30(水) 09:45:34 0
近藤好和さんの本によると国衙軍制時代には機械装置による「抛石」があったそうで。 その頃の日本の「弩」は床子弩いわゆるバリスタを指し、クロスボウは「手弩」といったらしいけど シナでは「弩」がデフォで手持ちのものだったと。 大型弩が先に輸入されたんだろうか。
第一次大戦中にイギリス軍がフランスで敗走していたとき アザンクールの戦いで死んだ長弓兵部隊の亡霊が現れて 危機を救ったという伝説があるそうな
アジャンクールのイギリス側の被害はどれだけのものだったのか
ウィキペの英語版によると100〜250だってさ。 「但し実際にはもっと多かった可能性もある」と。
その戦いがいつのか知らないけど 亡霊が大昔の人だとイングランド人は助けてもスコットランド人は置いていかれそうだな
86 :
世界@名無史さん :2007/06/03(日) 13:28:51 0
>>82 それはアーサー・マッケンの小説「弓兵」が元になった有名なデマ。
「アーサー・マッケン作品集成3」の解説に詳しいと思う。
87 :
世界@名無史さん :2007/06/13(水) 22:33:22 0
朝鮮ではモンゴル式の合わせ弓を使っていたらしいが 漠北の草原地帯と気候が違うためか、保管に注意しないと ニベが湿気を吸って破損しやすかったそうだ。 日本の気候だともっとそういう危険が高そうなものだが 漆塗りなどで防水していたのが効果的だったのか。
89 :
世界@名無史さん :2007/06/14(木) 19:27:54 0
湿気の多い日本でも弓にニカワは使っているし、 地中海世界でもニカワは使っていますよ。
>ニベが湿気を吸って破損しやすかったそうだ。 モンゴルにニカワの防湿技術がなかっただけと思われ。
>>87 wikipediaがソースはどうかと。信頼性もさることながら、「伝統的」とは
言っても、何時頃からどんな史料で確認できるのかが分かりません。
時代や地域を問わない和弓の例としてならこれでもいいでしょうが、そもそ
も本当なのか(あからさまにあやしい話でもなさそうですが)。
>>90 オスプレイ・メンアットアームズの「インドのムガル帝国軍」によると
「中央アジア由来の強力な合成弓はインドでも千年来知られてきたものだが、
現地の気候ではよく痛んだ。結果、カムサ(kamtha)つまり単純な弓――中世
イングランドのロングボウ(長弓)に似たつくりのもの――が、性能はずいぶん
劣るのだが使われ続けた。ムスリム治下のインドでは、インドの気候に合った
「防水型」の合成弓も発達した」
実際ステップ地帯ではそういう技術は発達しなかったんだろう。
93 :
世界@名無史さん :2007/06/15(金) 10:26:28 0
半島はモンゴルに征服されるまでは丸木弓を使ってたの?
既レスかも知れんが「吹き矢」はアフリカの黒人が最初だと思ふ
ちなみにクロスボウに弓を乗せるなら バイクや自動車のバネスプリングなど既存の物を使う方が実用化しやすいぞ。 但し、DQNや珍走などバイクや自動車の整備、改造等で材料の知識があり 使用した経験のある人間の方が良い物をつくれる。 また彼らなら工業高校出身、在学者も多いので工具も一通り使えるだろう。 DQNや珍走が作成したスプリングガンが大活躍。 キモイオタクがベニヤ版で必死に作ったクロスボウ は飛距離も禄にでずみんなからバカにされる。 DQNはみんなのヒーローに そしてキモイゾンビヲタクは何やらせても役立たずとして苛められる。 ホームセンターでも食料も分けてもらえずウンコの中からニンジンを 洗い出しそれで飢えをしのぐんだ。
>>96 スマンが当てずっぽなのよwww
オスマン・サンコンあたりからそうだったそうな的なことをテレビで言っていたような希ガス。
>95 スリングでも作った方が簡単で危なくて合法なのができそうだが
99 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 20:17:51 0
>>93 刀伊など満州の狩猟民族が合成弓を使っていたようだし
高句麗の壁画にも騎馬民族式の彎弓が描かれてるから
あの辺に合成弓を持ってきたのがモンゴルということはないと思うが。
ちなみに現代の朝鮮弓術では周礼・考工記にある製法に則って
作った弓を用いる、と何かで読んだような。
日本書紀で高句麗が角弓を献上したとあるな。
刀伊は日本側の弩に敗北
新弩に敗北したのは9世紀末の新羅海賊です。 11世紀初頭の対刀伊戦では、おそらく丸木弓に対して大陸式の合成弓を使用 されたのでしょう、威力は刀伊側の方が大きかった。 しかし、新興の私営田領主の兵(つわもの。11世紀末に在地領主としての武 士が誕生する)たちが参集して撃退しています。 日本側の鏑矢の音に刀伊たちは動揺し、戦況は有利に進んだと。
そしてキモイゾンビヲタクはウンコの中からニンジンを 洗い出しそれで飢えをしのぐんだ
モンゴルあたりでも鏑矢は使ってたらしいけど(動物を驚かせてその隙に射たとか) 満州には伝わってなかったのかな? ドイツ騎士団のクロスボウ部隊も鏑矢を混ぜて曲射してたとか・・・ 威嚇効果はあったらしいけど
↑よく考えると「動物を驚かせてその隙に射た」は日本の話とごっちゃになってたかも・・・
ドイツ軍のスツーカが急降下爆撃するときに羽に付けたサイレン鳴らしながらものすごい音で急降下したのと似たような効果かな?やられた方はすさまじい轟音と恐怖でろくに動けなかったそうだ
108 :
107 :2007/06/18(月) 13:51:30 0
45度の角度で発射するとほぼ垂直に敵の頭上に降り注いだそうです。
ところで「矢の雨を降らせる」なんて表現があるけど 弓矢ってどのくらいの制圧力なんでしょうね? 兵員の一割も装備して無い気が・・・
>兵員の一割も装備して無い気が それは中世ヨーロッパの話で?
ごめんなさい 中国のつもりで書きました。
中国だと、明の洪武帝の勅令で定められた歩兵百人のユニットの内訳は 槍手 40名 弓手 30名 刀牌手 20名 銃手 10名 銃と合わせて飛び道具が4割くらい
113 :
世界@名無史さん :2007/06/21(木) 10:15:14 0
遊牧騎馬民族なんかだと弓装備率100%とかあってもおかしくない。
114 :
よろずこ :2007/06/21(木) 23:17:03 0
矢には曳光弾みたいなのはないですか?
火矢とか?
116 :
世界@名無史さん :2007/07/01(日) 17:17:15 0
>>113 漢字「夷」の字源は「大+弓」。
弓を常時背負った大(人間の姿) = 遊牧民・狩猟民の意味
合成弓はいろいろな材料組み合わせて作った弓のことで騎乗で射る弓のことじゃないぞ 日本の弓はロングボウ主体で足軽弓と呼ばれるもの。 南北朝時代に発展して戦国期鉄砲が主力になるまで使われたその後補助兵器。 この足軽弓は元寇時代の弓よりはるかに飛ぶ。 騎射を過去のものにして槍騎兵の突撃にもある程度対応出来るようになった。
>槍騎兵 近藤好和さんのいう「打物騎兵」のことかね?
>>116 「夷」はもともと東方の異民族で
遊牧民などは北狄では?
>槍(ホコ)騎兵の突撃 なんてありましたか。近藤先生が紹介された馬上での長柄の使用も、騎馬武者 同士の一騎打ちに使われていたものですが。 『結城合戦絵巻』に見えている、木戸への突入のことですか。 「足軽弓」というのも聞きなれませんが、三枚打弓のことでしょうか。 それなら、使用者は雑兵に限定されませんでしたが(重藤の弓は南北朝時代が 終わる頃には式正の弓になっている)。 >騎射を過去のものにして 南北朝時代に歩兵(騎馬の従卒ではない独立した兵たち)に対抗するために下 馬戦闘が登場したのは事実ですが、騎射自体はこの後も続いています。 威力の高い弓が出て来たから騎射が過去のものになったというのも納得できな い話で、通常は弓の威力ではなく、ゲリラ戦を得意とする歩兵に対処するため に下馬して戦うようになったというものであった筈。 合成弓の登場は、12世紀の前半頃のようです。当初は伏竹弓。 その後、12世紀末から14世紀までの間に三枚打弓が登場し、四方竹弓、弓 胎弓へと受け継がれましたが、丸木弓も引き続き使用されました。 しかし、それと騎射や「槍騎兵の突撃」を絡めた研究は初耳です。
121 :
世界@名無史さん :2007/07/05(木) 20:25:03 0
スレ違いもいいとこだが日本で西洋的な意味でのランサーが現れたのは幕末じゃなかろうか。 「幕府騎兵組の図」なんか見ると密集隊形の騎槍突撃やサーベルの抜刀突撃などを訓練している。
あげてしまった、失礼
123 :
世界@名無史さん :2007/07/12(木) 02:44:19 0
日本ではろくろなど工具の動力に弓の弾力を利用した例は少ないみたいですね。 ヨーロッパでは旋盤やドリルにも用いられていましたし。 しかも足踏み式で弓を絞るので、一人で作業するにも便利だったそうな。 最近子供の学習教材でおなじみの、木製の弓錐式発火具は神社の神事くらいでしか 使用されなかったと聞いて意外に感じた昨今。
バルカン半島のロマンス語系住民の「ディオスキュロイの祭り」だか何だかでも それを使った火起こしの儀礼があったはず。割と古い歴史があるのかねえ。
125 :
世界@名無史さん :2007/07/14(土) 13:48:54 0
アイヌ人も似たようなことやってたような
127 :
世界@名無史さん :2007/07/28(土) 21:33:37 0
百年戦争についての本なんかでよく、イングランドの長弓は引くのに必要な力が何lbで 発射率は毎分何発、なんて記述があるけど、ああいうのは眉唾ものじゃないんですか? 個人差を考えれば腕力の強いヤシはより強い弓を使うだろうし何発も多く矢を飛ばすと 思うんですが。普通に考えて。 木製の弓の現物が大量にあって統計的データを取れるとも思えないし。
個々人の能力によってどれだけの差が出るのかはわからないけど たしかにどうやって数値を求めているかは気になるね
単一材だから長さと素材となる木の種類が分かれば張力も割り出せるんじゃないかと思う。
百年戦争の場合、ロングボウの大きさ平均170cmくらいで見積もってるんじゃなかったっけ?
組織戦闘の場合は補充も考えて弓も規格化してたりとか??
132 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 20:15:20 0
オスマントルコなんかでもそんなことが言われがち
イスラムの弓は合成弓だからヨーロッパの丸木弓より強力だとか・・・
>>130 Wikipediaによると1.2〜2.11mというところらしいですね
張力なら義経が命がけで敵前回収した弓がどれくらいしょぼかったのか知りたいw
どっかの軍艦に配備されてたエリート弓兵は平均2mの弓だとか何かで見たような
>>132 合成弓が丸木弓より強力じゃないならどうして日本人は丸木弓に竹を張って強化したのかと
136 :
世界@名無史さん :2007/08/21(火) 09:33:41 0
合成弓がすべて丸木弓のもっとも強力なものより性能が高いとは限らない。
>>19 氏あたりも書いているとおり丸木弓も長くすれば威力が高まる。
理論上はそうだけども そんな合成弓はわざわざ作る意味が無いからなあ 結局使われた合成弓は丸木弓よりも総じて性能がいいんじゃないの?
結局のところ弓の威力は 射手の身体能力で決まる。
中国の弓術書でも、自分の腕力では引けない弓を無理して使うな、などと書いてある。
140 :
世界@名無史さん :2007/09/29(土) 00:17:31 0
直射は接近した相手に対して行うもので 曲射は、長距離の目標に対して集団で数を稼いで初めて当たる射ち方 という認識でいいの?
141 :
世界@名無史さん :2007/09/30(日) 20:38:44 0
直射と曲射ってどっちが貫通力上なんだろう
142 :
世界@名無史さん :2007/10/02(火) 17:43:34 0
日本の梓弓は強力だったのだろうか? 正倉院に梓弓が収められていたはずのような。
あずさ弓って儀式用かと思ってたけど・・・
梓弓は山本梓とどのように違うんだろうか?
145 :
世界@名無史さん :2007/10/04(木) 18:22:10 0
弓の威力を上げるには、弓の剛性を強める方法と、弓を長くする方法の二つがある。 モンゴルや朝鮮の合成弓は前者。ブリテンのロングボウや和弓は後者。
いや日本の弓は複合弓でかつ長弓だが。
複合弓といっても材質がなあ
そもそも充分な威力があるならあんな邪魔臭い大きさにまでしないし あんな弓で騎射とかしてたってんだから恐れ入る
>>28 の実験は本当?
俺が本で読んだ実験では、和弓だが1、6oの鉄板を貫通していたよ。
また、イギリスの長弓は180m先の76o厚の樫板を貫通する威力があったそうだ。
鎧で防ぐには5o厚ぐらいじゃないと厳しくないかな。
過去スレに詳しい実験データがあったけど
スレタイ分かる?
153 :
世界@名無史さん :2007/10/30(火) 03:29:58 0
>>150 俺も良く分からん。
ヒストリーチャンネルの実験では貫かなかったし、
ディスカバリーチャンネルのロングボウのデモンストレーションでは
鉄板を貫いてた。
こっちは、鉄板の厚さは失念したが。
まあ、でも弓矢がバカスカ鎧を貫通するんだったら、誰もあんな重くて動きが鈍くなる
ものをわざわざ着用しないし、基本的には矢をはじいたと思うよ。
154 :
世界@名無史さん :2007/10/30(火) 03:38:51 0
アラブが見た十字軍って本を読むと、重装備の十字軍騎士に、 トルコ軽騎兵の弓がことごとくはじかれてしまって歯が立たなかったという記述がある。 興味のある人は読んでみ。
十字軍側はトルコ軽騎兵のパルティアンショットに悩まされたってなんかで読んだぞ。
156 :
世界@名無史さん :2007/10/30(火) 10:38:59 0
>>154 十字軍時代は、まだ板金甲冑ではなかったはずなのでは?
顔面の防御はすでに重装甲になっていたようですが・・・
157 :
154 :2007/10/30(火) 19:51:56 0
俺に突っ込まれてもこまる。本に文句言ってくれ
別に鎖帷子だと矢を防げないって事は無いってだけだろ。
構造上チェインメイルは刺すような攻撃(含:矢)や鈍器に弱いのは事実だけど、 アラブの軽騎兵からみればそれでも重装備だしな。 自分の武装から経験的に判断した この距離で命中すれば刺さるだろ、っていう読みが裏切られた って程度の意味で読むべきかと
十字軍とはじめに戦ったであろうセルジュークの騎兵は アラブよりもトルコの様式が強かっただろうから、 鎖帷子よりもずっと矢に強いラメラー鎧が主要だったと思うのだが。 それほど騎馬弓の技術がすたれていたのかね。
>>153 過去スレのスレタイが知りたいなあ。
俺の言う本で見た実験は歴史群像のムックだ。
フライパンを和弓で射抜いていた。
戦国と今とではどうやら比較にならん程トップレヴェルが違うらしい。
物凄い射手が居たようだ。
鉄板と言っても、軟鉄からハイテンまで強度がピンキリなのも違いの原因だろうな。
>>162 あぁ?いい気になってんじゃねぇぞ!?
りっぱな人気取りってか?なら、言ってやるがよ。
がっかりだw
とんまだねww
うんこだなwwww
>>154 それはドリュラエウムの戦いの記述だと思うが
その戦いでGerard of Quiersyという騎士がトルコ兵を追撃していたとき
トルコ兵の放った矢が盾とメイル・ホウバークを貫通して
肺と肝臓の間に突き刺さって死亡。
トルコ兵は彼の馬を奪って逃げおおせた、という記録がある。
(John France "Victory in the East: A Military History of the First Crusade" pp. 148)
盾も貫通してたのか
相対速度の分だけ威力が強くなったせいかもな。
168 :
世界@名無史さん :2007/11/01(木) 09:55:46 0
殺された騎士は盾を体に引き寄せて構えていたらしい。 トゥルクメンの戦術はカルラエの戦いのパルティア騎兵のように 割と遠距離から射撃を続けて敵の動きを封じつつ 消耗させることを狙いとしていたらしい。 英語の本なんかでは「ハラスメント」と表現してたりする。
例の実験データ、長文で10レスぐらいあるけどコピペする?
是非友
171 :
世界@名無史さん :2007/11/10(土) 21:26:34 O
核兵器作ったヤツよりも 弓矢や車輪発明したヤツの方が天才だと思う。 誰?
172 :
世界@名無史さん :2007/11/10(土) 21:59:20 0
>>171 弓矢は獣、それも素早い奴を狩ろうとしたとき考えたのだろ。
マンモスみたいな鈍い奴なら落とし穴で対処できるし。
逆では? 素早い奴を罠で、でかいのを弓矢の方が自然だ。 動かない的に現代の弓矢で当てるのにも技術が要ると言うのに。
投げ槍が元になってるんだろうけど、それを弓で飛ばそうとした発想が秀逸だよな。 弓なんてどうやって思いついたんだろ。 太古の珍武器発明家でもいたのかな。
打ち根や投げ矢が現れたのは弓矢より後?
>>174 棒状の先端に石をセットした簡単な投石具
棒を長く、しなりも活用するようになる
棒の中ほどに石をセットしたしなりを活用する投石具
使いやすいように、しなりを弦にして弓型に石も矢状に
こんなかんじかな?
177 :
世界@名無史さん :2007/11/29(木) 10:07:13 O
>>174 それでもどんなに武器の技術が未熟な、それこそ石斧で戦ってた地域でも弓はわるんだよな。
178 :
世界@名無史さん :2007/11/29(木) 17:58:58 0
共和制ローマに弓兵がいなかったのは何故。練習する暇がなかったから?
アボリジニはブーメランや投槍は使っていたものの、弓矢は知らなかった筈。 弓矢が生じたのは大型獣が減少した後の時代で、すばやい鳥や小型獣でも獲物 にする必要性から生じた、という説明がありますね。
180 :
ななしさん :2008/01/16(水) 02:06:20 0
>169のコピペまだ?
それより問題は火矢だ、なんであれあんなに燃えるの?
182 :
ななしさん :2008/01/16(水) 23:20:50 0
>181 演出もあるんじゃね? 茅葺屋根とかならともかく、ただ油しみこませた布が付いた矢位ならそんなに萌えないだろ。
183 :
世界@名無史さん :2008/01/18(金) 03:31:20 0
火矢は威嚇と照明効果を狙ったものであって、攻撃対象を燃やすなんてのはハナから期待してないんじゃないの?
すぐには燃え上がらない。 乾性油に少量の水分とともに空気に触れる面積を広くとると、数時間で発火する。 木綿の布の生乾きのものに、エゴマ油を染込ませて固く絞っておくと、そのうち 発火して、炎上する。 温度が少し高いと炎上までの時間がかなり短縮できるので、火打石の火口にも 利用される。綿のようなものに霧を吹いて、乾性油を染込ませ、絞ったものが 洋の東西を問わず使われてきた。 火矢にしたときも、着弾まで炎を保つ必要は無い。 ちなみに、ナタネ油は不乾性油なので、なかなか燃え上がりにくい。
>>180 完全に忘れてた。すいません。
前半は162のリンク先で読めたけど後半がどこだったか・・・
186 :
ななしさん :2008/01/22(火) 19:46:04 0
>185 おお!どうもありがとうございます。
竹と木の弓ってどっちが威力高いんですか?
>>187 木って言っても色々種類があるがな。
あと、弓の製法にもよるしな。
日本では矢竹っていう笹っぽい奴を矢の軸にしてたみたいだけど 他の所はいちいち木材から加工してたんかな? モンゴル人とか矢調達すんの大変だったんじゃね?
日本では矢竹っていう笹っぽい奴を矢の軸にしてたみたいだけど 他の所はいちいち木材から加工してたんかな? モンゴル人とか矢調達すんの大変だったんじゃね?
モンゴルはけっこうタイガとか山麓の湖に葦の仲間が生えてるみたいなとこもあるぜ
192 :
世界@名無史さん :2008/02/03(日) 23:40:11 0
>>191 葦を矢柄に使うってのはモンゴル軍関係とかでよく聞く。
矢が発射されるときに矢柄が一瞬弓身の側に「反った」状態になるけど
葦は木よりフレキシブルなのでその状態からの回復が早いとか・・・
でも葦って矢に出来るほど太かったっけ?
193 :
世界@名無史さん :2008/02/05(火) 09:31:36 0
なぜか「愛の矢を放つキューピッド」の弓ってモンゴル弓の形をしてることが多いよな。 たまにロングボウを引いてる絵もあるが。
両端が湾曲したB字型の弓は古典ギリシアのスタイルだ…
>>194 スキタイ弓ですね。
黒海沿岸のギリシャ植民市オルビアで見つかった石版では
アナクサゴラスという者がおそらくそうした合成弓を使って
矢を521.6m先まで飛ばしたという記録があるそうです。
521.6mってのは凄い数字なんだろうが 世界の弓のおおまかな飛距離ってどうなってんの 那須与一は100m以下だったと思うが
197 :
世界@名無史さん :2008/02/14(木) 08:52:38 0
>>196 扇的は飛距離より風、船の上など条件の悪さで伝説になったのでは?
遠矢ってのはまた別にやってたんでしょ? 日本のはよく知らんけど
中央ユーラシアだと、モンゴルならイェスンゲ紀功碑
トルコではイギリス大使の目撃したスルタンの遠矢あたりが最大記録では
理屈上は和弓は相当飛ぶはずなんだが 大陸の半弓の方が飛んだみたいな記述よく見るね
なんだかんだと言っても、最終的には引く人間の力の差が一番効き そうだけど。 和弓でも洋弓でも、普通の人では引けない剛弓はあるわけだし。
矢の重さを無視して遠矢を語るのもナンセンスだし。 それより、クリッカーに相当するものはいつごろ発生したんだろう? 極端な話、サイトがぐらつかないでクリッカーが正常に機能するなら 理屈の上では弓の訓練てほとんど筋トレだけでよくなるはずなんだよな。
京都の通し矢が120mくらいだったと思うから 和製の弓はそんなに飛ばないんじゃない? 構造上でおおよその優劣はつきそうなものだが
>201 人間が引いて使うものである以上、「人力で引ける限界の強弓」が作れれば 良いわけでしょう?で、それは和弓でも洋弓でも可能ですよね。 人間がどうやっても引けないような、200kgfだ300kgfだというレベルで、こっち の構造なら倍の強さの弓が…という議論をすることには、意味がないと思いま すが。 後、通し矢の場合、直射で射通すはずなんで、単純にどこまで飛ぶかと言う 距離とは別でしょう。
>>202 それは論点が変では?
同じ人間が扱う際にどちらが優れているかを問うているのでは
例えばアーチェリー用の弓と弓道の弓なら前者の方が命中精度もよかろうし飛距離も出るだろう
海外は一般に小型化して、日本はそのままか大型化したけど、仮に性能が同等なら
小さい方が利便性で勝るだろうし、優劣になるだろう
弓というものは、引くたびに素材に大きな負荷がかかり、 次第に傷んでいく。 小さい弓で強い張力を得ようとした場合、大きな弓に比べて より素材に無理がかかり耐久性・信頼性の低下が大きくなる。
206 :
世界@名無史さん :2008/02/15(金) 20:16:29 0
>>205 13世紀のイェスンゲ紀功碑に記されている飛距離は335アルダ。
白石典之「チンギス・カン」によると1アルダは日本の「尋」にあたるもので約1・8メートル。
よって約603メートル。
オスマントルコの記録は1798年にスルタン・セリム3世が出したもので、972ヤード。
約889メートル。
英国大使のサー・ロバート・エインズリーが目撃している。
207 :
世界@名無史さん :2008/02/16(土) 07:42:28 O
>>203 それは論点が変では?
(素人レベルの)同じ人間が扱う際にどちらが優れているかを問うているのではなく、最も優れた人間が扱った場合どの弓が優れているかが問題では
例えばアーチェリー用の弓と弓道の弓なら
競技のルールの関係で標準機は付いているし規定に定められた張力も強い前者の方が素人が使っても命中精度もよかろうし飛距離も出るだろうけど
インドネシアのガキが日常狩りに使う弓に負けているし
同じ張力ならば、大きな弓の方が矢に効率よく力伝えられるので、威力が勝るから
海外でもロングボウのように大型化したし日本でも大型化した
仮に性能が同等なら 小さい方が利便性で勝るだろうし、優秀になるだろうけど、それは妄想にすぎないし
同じ張力が得られないから大型化したんだがな 大きな弓の方が効率よく力伝えるとかじゃなくて大きくないとすぐ壊れるから
209 :
世界@名無史さん :2008/02/16(土) 12:10:18 O
そういう見方も出来ます。 基本的に弓は、引き絞った時の形から元にもどろうとするバネの力で飛ばすものですが、小さな弓だと変形が大きく、引き始めと引き絞った時の張力の差が大きくなります。 従って、弓から矢が離れるまで強い力が掛かり続ける方が、引き絞った時の力が同じ張力でも強いエネルギーを持つことになります。 又、大きな変形する弓の方が壊れやすく、材料によっては、変形そのものに耐えられないということになります。
高温多湿だと接着剤(膠?)がすぐに駄目になるって聞いたけど
211 :
世界@名無史さん :2008/02/20(水) 05:47:08 O
接着剤のことは聞きませんでしたが、保管場所は高温多湿の場所は避けるようにと… 漆が塗ってあるので、一時的な雨なら気にする必要はない、木で出来ているのでいずれは腐る… と言っていたと記憶しています。 日本の弓の話ですが…
弓道関係の話?
同じ力で引いて遠くへ飛ぶ方が優秀なんじゃないの、基本的に
>>211 かつては雨が降れば弦を外しておいたもので(弦楽器でも弦を緩めた)、
戦陣では長雨などに触れて膠がゆるむので、合成弓ではない丸木弓も用意さ
れたものだとか。室町〜江戸期の話ですが、合成弓ができたころから行われ
ていたことだろうと思います。
215 :
世界@名無史さん :2008/02/21(木) 00:05:39 0
騎馬民族ってどうしてあれほど強いのか、と中学生の頃に不思議に思っていたが、馬の機動力に 加えて、弓による騎乗射撃にあるのだと、大人になってから気がついた。 ちょうど、ゲームのギャラクシャンやギャラガの敵キャラのように攻撃してきて、攻撃される方は その動きに幻惑されてる間にやられたりもしたんだろうなぁ、と想像しています。
216 :
世界@名無史さん :2008/02/21(木) 08:20:51 0
琉球はどんな弓使ってたんだろう?
217 :
世界@名無史さん :2008/02/26(火) 04:54:43 O
>>215 そういえば、騎馬民族以外で騎射をするのは、日本ぐらいだね。
218 :
世界@名無史さん :2008/02/26(火) 08:57:59 0
弓の発明の前に、ヤリをテコの原理で投げる「槍トウテキキ(?)」 その発明があったからこそ弓矢が発明できたんだとどこかで読んだ。
219 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 11:58:37 0
>>28 ディスカバリーでもそれやってて馬を弓で仕留めて軽装歩兵にやられたみたいよ騎士達
220 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 12:00:27 0
>>217 湖服騎射とか中国でもやってるし
ビザンチン帝国の騎兵もゲルマンの騎兵との戦いでやってる
軍事史暗いんだな世界史板
221 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 12:07:19 0
>>220 そりゃあ、軍ヲタ板にながれちまうもん。
>>220 細かいようですが、胡服騎射ですね。武霊王。
振り向きざまに射て一撃離脱というパルティアンショットは、ペルシャやモンゴル
系の絵画によく出てくるもので、我が国でも狩野派などが蒙古人狩猟図として絵画
化していますが、読み本系『平家物語』の源義仲、『三国志演義』の黄忠なども同じ
手を使って逃れています。
コーエーが三国志11の一騎打ちシステムに「偽装退却→振り向いて騎射」を組み
込んだのもそのせいか。
223 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 08:05:54 O
ピザンチン帝国ローマ帝国時代から内部に騎馬民族を持っていたような気がする。 胡服騎射って戦車から騎馬に変わるきっかけになったから重要だけど、騎射の方は漢民族として、定着しなかったんじゃなかった? まぁ、個人レベルでは残ったけど民族レベルでは例外的じゃないかな。 間違えていたらすいません。教えて下さい。 _(._.)_→<(_ _)>
224 :
世界@名無史さん :2008/02/28(木) 09:46:23 0
長平の闘いの時はどうだったんだろう。
>>223 明など漢民族王朝でも騎兵のスキルとしてはデフォでは?
南宋は違ったかも
歴史的考察じゃないが流鏑馬ごっこをしたことがある経験上から 得物は駄馬にアーチェリーなんで正式なものじゃないが参考までに。 アーチェリーは高校二年半インターハイ出たり出なかったりぐらい、の引退二年後程度。 乗馬はほぼ我流で2ヶ月毎日3時間ぐらい(ただしほとんど並足以下で。しばらく南米の牧場で遊んでた) いわゆるパルティアンショットはそんなに難しい技術じゃない。 むしろ慣れれば普通に10時9時の方向に射るより7時の方向ぐらいに射た方が 距離はともかく相対的な方向の変化が少なくなる分命中率は高いかもしれないぐらい。 相手が追いすがってくれてるなら距離の問題は少なくできるし、 こっちが速度を緩めれば的がむこうから寄ってくるようなもんだから 姿勢の保持さえ気をつければ設置の的に当てるより楽なぐらい。 感覚的には軽速足ぐらいまでなら20メートル先の人間の胴体ぐらいなら8割ぐらいは命中させられる。 駆足になると格段に不安定になるんでできれば距離15メートルぐらいで射たい Wikiによると笠懸の的と射手との距離が10〜15間ぐらいらしいから、まあ妥当な数字だと思う。 鐙なしだとまた変わるかもしれないけど。 参考までに、現代のアーチェリーで普通に立って射るなら 毎日2時間三ヶ月もやれば30メートル先のリンゴぐらいは一発で射抜けるようになる。 あと慣れるまでは発射時の弦の音で馬がけっこう神経質にびびる。 2時間もしてると馬も諦めたのか反応しなくなって 翌日はもう最初から目立っては気にしなくなったけど、 戦場とかだと人も馬も雰囲気にのまれたりするだろうし、 わざと大声出したり出されたりもあるだろうから、 日頃から馴致しとかないといけなそう。 やっぱり常備軍のほとんどない時代に騎兵をある程度そろえるのは 遊牧民以外はけっこうなコストがかかると思う
あと、日本の源平の騎馬武者なんかは実際は止まって射てたんじゃないかって気がしないでもない。 和弓もひいたことあるけど、弓の大きさと当時の国産馬の体格をかんがえると 走らせながら射るにはやはり弓大きすぎ、矢長すぎ。 馬を疾走させながらすれ違いざまに射る、みたいな戦い方してたなら さすがに威力を犠牲にしてももうちょい小さく短く改良したと思う 視点と射点が数十センチ高くなるだけでも実際の感覚としてはけっこうなアドバンテージがあるし、 一回射たら安全な場所まで戻ってつがえて、みたいなのんびり一撃離脱でも いざとなったら馬で逃げられる分心理的な余裕が生まれるのは大きいから 弓持って騎乗する意味はこれだけでも充分あると思う ちなみに董卓とか曹丕が得意だったらしい両手で左右に射る ってのはなにげにかなり難しかった。 一見どうでもよさそうな技だけど、 おそらく騎乗して弓を射る同士で一騎打ちすることになると、 基本はお互い反時計回りに回りながら 相手の4時5時の方向らへんをとろうとする感じになると思うのね。 で、両利きで逆に射れる奴は仮に後ろ取られても ほんの少し右に馬首を向けるだけで的がむこうから寄ってくる状況を作れる、はず。 これは死角がなくなるって以上に相手もほとんど想定外で字面以上に脅威だと思う。
228 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 02:12:16 0
>>227 董卓が右後方に射るときは,、通常とは逆に右手で弓を握って
左手で引いていたとか何かで読んだような気がするが
ソースが思い出せないしよくわからん。
>>229 だからその武士や騎士という階級を保持するために必要な社会的コストが大変だって話だろうが。
>>230 現実に武士や騎士という階級が存在したんだから社会的コストは問題ないってことだろ
>>230 と
>>231 は「騎兵をある程度そろえる」の基準を明確にしないと議論にも何にもならないかと思います。
233 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 13:55:20 0
>>227 >あと、日本の源平の騎馬武者なんかは実際は止まって射てたんじゃないかって気がしないでもない。
静止騎射が主流だったのではないかとは、『保元物語』や『吾妻鏡』の記述
から近藤好和先生が主張されていることですね。
>馬を疾走させながらすれ違いざまに射る
これは『今昔物語集』に出て来ます。が、戦闘中のものではなく、戦闘を行
う代わりに両陣営の大将が代表で出て勝負した際のものですね。
結局、双方相手の初撃をかわし、二撃目に入らずして講和したという。
>>230 >源平合戦の基本史料である「平家物語」には、騎乗して弓を射る同士で
>一騎打ちする場面は一例もない。
一応、延慶本と『源平盛衰記』に心得は出て来ますが、場面自体はなかった
気がしますね。そもそも心得を語ったという老武者が「最近は相手の馬を射
て歩立で勝負をつけている」と述べている。
>中世の武士の戦闘は組織戦。
>お互い楯越しに弓を射合い、相手陣が崩れたところを騎射で追撃する。
>だから馬を馳せながらの騎射は、逃げる敵を追いながら前方に射るのが基本。
追物射というやつで。『前九年合戦絵巻』などに見られます。
現行の流鏑馬は近世に復元されたものですが、『鳥獣戯画』を見るとかつては
前方に射ていたように見える。
ただ、どこまで現場に忠実であったのかわかりませんが、騎乗した者同士で前
方に射ることは、室町期になっても見られたようです。
戦国期になると騎射はまず見られませんが。朝倉宗滴が若い頃静止騎射を行っ
た際のことを回想しているのが、比較的時代の下る例か。
235 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 17:19:42 0
山野野衾は日本史板に逝け
236 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 18:27:05 O
吾妻鏡は中学の頃に読んだが、騎馬武者同士の戦いで、一方が相手の右側後ろに回り込もうとしているのを見つけて、大発見したみたいな気分になったのを覚えています。 近藤さんの主張は、あくまで主流としてはの話ではないでしょうか?
237 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 20:41:27 0
騎射に関する万国共通のお話。 馬を知らない地域を除いて殆どが騎射を行う。 西洋のような騎射を行わない地域はむしろ少数派。 馬上で弓は右側が死角になる以外、前も後ろも何処でも撃てる。 疾走で撃つこともあれば、静止で撃つこともある。 騎射だけでなく下馬して撃つこともある。
238 :
世界@名無史さん :2008/03/01(土) 20:42:21 0
×西洋 ○西欧
>西洋のような騎射を行わない地域はむしろ少数派 イスラム圏でもアラブ人だと弓矢は歩兵の武器で、騎兵は剣や槍で戦ってたらしいけど。 重騎兵は敵の隊列が乱れたところへ突撃をかけていた。ヨーロッパの騎士と同様。 中近東ではトルコ人の進出と共に騎射兵がメジャーになったようだけど、北アフリカ(エジプト除く)や イベリアのような、ペルシャ人やトルコ人の影響の薄い場所ではその後も騎射は 普及しなかった模様。 インドでもガズナ朝とかが侵略した頃は土着のヒンドゥー教徒の騎兵は剣とかで戦ってたはず。 アフリカや東南アジアはよく知らないけど。
>>236 >吾妻鏡は中学の頃に読んだが
読み下し文の方でしょうか。それにしてもご立派。
>近藤さんの主張は、あくまで主流としてはの話ではないでしょうか?
川合康先生が「静止騎射では戦闘を終わらせる決定打になりえない」と反論
され、これに対して近藤先生が「騎射のみが戦場で有効であった訳ではない」
と反論されていたように記憶しています。
他に意見が出ていたかは忘却。
当時は騎射は減りつつあり、その変化に対応しつつあったようですから、実
際に静止騎射が主流であったとは断言できませんが(しかし227氏のご意
見は静止騎射主流説と一致しており興味深いものでした)、戦闘の舵を終始
騎射がとっていた訳ではないだろうという点では、近藤先生の反論に肯けま
すね。
一から十まで同意できる人という訳でもないのですが、その点は騎射から離
れてしまいますので、省きます。
241 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 15:50:39 0
どうみても山野野衾は存在自体が板違い
242 :
世界@名無史さん :2008/03/03(月) 18:13:32 0
それは何年も前からさんざん指摘されてるが、 本人が鉄面皮で、俗に言うカエルの顔にションベン状態。 結局、皇太子の暇つぶしくらい大目に見てやろうってことに。
今までさんざん日本史ネタ出てるのに、 山野が出てきた時だけ粘着してるお前らのほうがよっぽどおかしい。 書き込みの中身はまともなんだし、内容についてどうこう言えよ。
馬静止射といえば、モンゴル騎兵が敵戦列に向かって馬を馳せながら射撃したのに対し マムルーク朝のエリート騎兵は馬静止状態ですさまじい連続射撃を行って対抗した という説がある。
245 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 04:38:11 0
複合弓やクロスボウの構造について解説してるサイトってない?
246 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 05:57:02 0
日本では何故クロスボウが普及しなかったのか
248 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 20:53:44 0
>>246 クロスボウは騎射に向かないからじゃない?よく知らないけど
和弓と弓術が非常に優れていたから 誰でも使えて威力があるっていう クロスボウのメリットがさほどでもなかったからじゃね? 何だかんだで初期の鉄砲よりコストかかるわけだし 馬上で再装填が困難ってのも大きいと思う
251 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 21:50:39 0
クロスボウのメリットは練習しなくても使えるという点。 世界中に普及したのは、常備軍を持つのがいかに大変なことかを物語っている。 兵農一致で錬度の低い軍に頼らざるを得ない国家にとっては弓より断然クロスボウだろう。 日本にはクロスボウが普及する必然性がない。 遊牧民族に全然クロスボウが普及しなかったのと同じこと
クロスボウは構造が複雑な分故障が多い。
>>251 クロスボウの使い手の多くが専業兵士という現実
クロスボウや弩は連射ができないから、主に狙撃用だな。 日本人のように白兵戦が好きで、狙撃を恥とした民族には好かれない武器だ。
>>253 高価な最新兵器を農民兵に持たせる道理が無いしね。
ジェノヴァ傭兵なんかも熟達した弩兵だし。
>>254 唐の節度使をしていた杜佑の「通典」には、前列の弩兵が発射すると後列にさがって
後列の兵が発射してる間に装填し、それを繰り返すという戦術が載ってるけど。
横列ごとに斉射してたんでないの?
ジェノヴァ弩兵も最前列が遮蔽用の大盾をもった兵士で、その後に弩兵が複数列いる
フォーメーションだったらしいけど、これも交代射撃していたという話がある。
マジレスもまた乙なものです
中世の武士も常備軍て表現するのは問題あると思うけどな。 農業から完全に開放されてたのってそれこそ御家人でも上部層なんじゃないか? クロスボウに関してはメンテもそうだけど錬度の均一性とかも関係ないかな? べつに自治都市と遠戦指向の相性の話をふりたいわけじゃないけど。 あと、城郭都市が未発達で 大きな野戦でもほとんど奇襲ばっかでカタがついてる当時の日本の状況だと 弩の重要性にいまいちピンとこなかったってのは大きいと思う。
ごめん、一行目は勘違い
260 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 07:26:29 O
弓の射る方法を理由に上げている人もいます。 西洋の射る方法は、構えた時弓の左手に矢が来るのですが、これはあらかじめ弓の上に矢を乗せておき第1射目を素早く行うことができます。そのかわりに連射のスピードが落ちるのですが、狩猟の場合こちらの方法が有利だそうです。 クロスボウも手でひける威力は変わらないが弓より小型のものが狩猟に使われてました。 それがさらに連射にむかないにもかかわらず小型のものなら大差がないので平和の間も造られ続けたので、廃れずにすみ、発展することができた。 という意見でした。
クロスボウが大規模に普及するチャンスが無かったってだけじゃね (基本的に)射程が和弓より短く(例外もあるが)連射も出来ず故障しやすく、 しかも、万が一故障したら現地の技術力での修理はほぼ不可能で、 高価で、メリットは命中のさせやすさと威力だけってんじゃ、 弓術を学んでるのがステータスだった権力者にとって、 わざわざ採用するメリットは殆ど感じられなかったろう 鎧自体の装甲もそれほど発達してなかったから クロスボウじゃないと抜けないってこともなかったろうし
>鎧自体の装甲もそれほど発達してなかったから ダウト
>>248 >>250 「弓馬」が記紀以来、出土遺物からすれば古墳時代から上流階級に親しまれた
戦闘・狩猟法であり、それにはクロスボウが向かなかったというのは、事実で
あったと思われます。
弥生時代の儀礼用と思われる弩の出土と、律令制下において対異敵用に東北と
北九州に設置され、10世紀中には消滅した弩ぐらいしか例がない。」
民間人でも害獣対策や積極的な狩猟、護身用に弓矢は扱えたようですが、山野
でわざわざ用意しないといけないものでもありませんしね。手間もかかる。
>>254 >日本人のように白兵戦が好きで、狙撃を恥とした民族には好かれない武器だ。
武士の行うことを「弓箭の道」とか「弓馬の道」とか呼んでいたことですし、
白兵戦を志向していたとは思えないのですが。
狙撃恥云々も、何をもって何と比較されたのか分かりません。
>>258 >大きな野戦でもほとんど奇襲ばっかで
軍記やその影響を受けた史書はさておき、実際は奇襲であったのか怪しいも
のも、ずいぶんありますけどね。富士川とか一ノ谷とか。
>>261 >鎧自体の装甲もそれほど発達してなかったから
12世紀末以降、甲冑の防御力が飛躍的に高まったという主張があります。
具体的な根拠は今ひとつですが、それによって至近距離でも顔から首にかけ
てと鎧の隙間以外は射抜けなくなり、騎射戦が減少したというもの。
特定の部位を狙わないと騎乗できるような身分の人物を傷つけられなくなっ
たのは事実で、四方八方から矢を射掛けられたので、体をゆすり、甲の隙間
を動かしながら戦ったという記述も、しばしば見られますね。
クロスボウなら従来の弓で射抜けないものを射抜けるから採用されなかった のはおかしいという意見もおありでしょうが。 結局、弓矢は合成弓としての改良で、甲冑も鉄板の多用で、それぞれ発展し ていったようで、南蛮具足(対鉄炮用?)以外だと、外来の技術を軍事用に 転用したという話は、あまり見当たりませんね。 採用するのが当然というのが、現代的な発想なのかもしれません。 現存する甲冑の地域差は驚くほど少なく、京都で作られたものが標準として 地方に伝播する形で新型が広まっていたようです。 九州あたりに弩が伝来した場合でも、式正の弓(儀礼用の弓。後世まで重藤 弓が使われた)とも実戦の弓とも異なっているものを採用したところで、異 常な田舎者として気がふれた扱いをされただけだったでしょう。 由緒正しき(成り上がりとは異なる)在地領主兼職能保持者としての武士の 存在意義を、自ら否定するに等しい。 騎射をする主以上の武器を歩卒が持つことも許されなかったでしょうし。 火薬を使った武器自体は15世紀末には伝来していたようですが、躍進する のはやはり種子島への「鉄炮伝来」以降です。 外国から伝来した武器が地方で採用され、ほどなく京都の将軍に献上されて 一気に広まりを見せるという珍しい現象が起きます。 時代が戦国時代で地方も発展しており、勝利することが求められており、既 成の権威のみが重視されなくなっていたことなどが重なったからでしょうが 逆に言えば弩ぐらいの威力では採用することもなかったのでしょう。 鉄炮が異常な例でした。鉄炮は当初は歩卒用の武器とされており、騎乗身分 にも使われるようになるのは、朝鮮出兵以降のことです。 (江戸初期になって『信長公記』に増補されたらしい首巻にある、信長が早 くから鉄炮の師についたという話は疑わしい)
前にも山野が弩についてレスしたことがあったような気がするけど 前九年・後三年の役の話だったっけ?
ああ、あれは石弾(いしはじき)でした。「おほゆみ」とも言われたので混 同してしまったのですが、飛鳥〜奈良時代に朝鮮半島から何度か献上されて いた投石器で、弩とは別物です。すみません。 共に東北・北九州に設置されたといいますが、北九州に改良された強弩があ ったということ以外は、史料を直接確認しておりません。 前九年で使用したのではないかというのは、『陸奥話記』に柵から矢石を受 けた攻撃側が石を降らせたというが、投石器の類を使用してのことではなか ったかという説があることを書いたものです。 なお、「いしゆみ」は綱を切って堰き止めていた石を落とす仕掛けのこと。 弩や投石器とは別物ですが、文だけだと紛らしい代物です。
「古代の弓を復元し発射実験」と題する3月16日の中国新聞の記事があったので紹介しておこう。 出雲市の「島根県埋蔵文化財調査センターは、出雲市姫原町の姫原西遺跡で出 土した弥生時代末期(二世紀末〜三世紀)の木製品から、古代中国式の弓「弩 (ど)」を復元し十五日、松江市打出町の同センター近くのグラウンドで発射 実験をした。その結果、矢は的に見立てた五メートル先の段ボール箱に突き刺 さり、飛距離の測定では放物線を描いて約三十メートル飛んだ。同センターで は「祭祀(さいし)用と考えられたが、実戦用としても十分威力がある」とし ている。一九九六(平成八)年に出土した木製品は弩の銃身部分と見られ、中 国の出土例の全長五十〜六十センチと比べて同九一・四センチと長く、しかも 細身であることなどから、「強度に問題があり、実用品とは考えにくい」との 見方が強かった。同センターでは復元に九カ月をかけ、銃身には出土品と同じ クワ属の材料が入手しにくいためケヤキを用いた。国内では、日本書紀に六一 八年に高句麗からの献上品として渡ってきたと記されているのが最古。実験を 担当した同センターの宍道正年所長は「出雲の弥生人が直接大陸に渡って技術 を持ちかえったとも考えられる。倭国(わこく)大乱の時代に使われていたと すれば、当時の戦争観を見直す必要がある」と話している。
クロスボウで農民に騎士がぶっ殺されたんで キリスト教徒に対するクロスボウ使用が禁じられたってどっかで読んだんだけど どうして農民ごときがクロスボウなんて持ってんだ? 当時の騎兵の維持費を現代に当てはめると ちょうど主力戦車と同じくらいの感覚らしいから クロスボウは対戦車ミサイルってとこだろ? 現代からすると農民が対戦車ミサイル持ってるなんてありえないわけで
まずその話の真偽から疑わしい。騎士は転ぶと自力で起き上がれない云々と同レベルの可能性がある。 そして「農民」といっても色々な内実が考えられる。 ・富裕な自由農民 ・半農の兵士 ・農民出身の傭兵やサージェント もっと確かな話が出てこないと何とも言えないだろう。
269氏の仰る通りですし、武力の保持及び権利維持のための行使が特定の 機関に独占されていなかった時代のことを思えば、「現代からすると」と今の 常識を当て嵌めない方がいいでしょう。 対戦車ミサイルではありませんが、先年イラクで農民が武装ヘリを落とした という記事を読みました。
勿論、このことを以ってイラクが文化的に遅れているとか、「いまだに中世 レベル」だとかいった感想を漏らすことは、適正な評価とは言えません。 文化や文明の状態に上下はなく、ただその時その場の現状があるだけです。 中世→近代という流れはあっても、中世<近代ではない。 まあ、これも「今のところは文化とは上下のないものと考えられているから そう言える」と言うべきかもしれませんが。
クロスボウって再装填してる間ってアホみたいに隙だらけだけどどうしてたの? どんなに速くても大型のものになると2、30秒ぐらいはかかるだろうし、 前衛に大盾構える専用の人をおいて、その影に隠れるとかしてたんだろうか? そんなもん聞いたこともないがw 一部例外はあるとはいえ基本的に長弓より射程が短いし、 直射がメインだから据え置き型の盾は使いにくかったんじゃないかと思うけど・・・ それか背中に大盾背負っておいて、再装填の間は背を向けとくとかwww 誰か詳しい人お願いします
有名なジェノバのクロスボウ兵は身が隠れるくらいの大きな盾を使ってたみたいだけど
基本的にクロスボウのほうが長弓より射程は長いんじゃないの。 イングランドの長弓とか和弓が例外的な存在であって。
クロスボウって映画や漫画、ゲームだと滅茶苦茶連射出来るか敵の武器かの二択 軍事史研究家には両極端に使えるだの使えないだのといわれ不遇な気がする
276 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 06:11:11 0
矢のつがわれたクロスボウは弓矢以上の脅威だが? 矢を放たれた後のクロスボウはうんこ以下。 弓は射られた後も連射がきくので脅威。
頻繁に使われて改良されて現在にも残るって事は有用だったんでしょう
素人でも操作が楽というのはい大きなメリットじゃないかな
David Nicolle著"Italian Militiaman 1260-1392"って本にその辺の話について書いてあった。 p11 弩にたいする主要な批判のひとつは発射率が遅すぎるというものだったが、このことは大袈裟にいわれてきた。 もちろん、弩は手弓ほど速く射つことはできなかったとはいえ、初期の弩は一部の人々がいうほど遅かった わけではない。実際、弩の発射率が急低下したのは14世紀後半から15世紀に複雑な機械式張弦装置を 用いるようになってからである。しかしながら、そうした新しい張弦装置は発射率とひきかえに、手弓や初期の 手銃すらかなわない威力を弩に与えた。とはいえ弩のそうした限界は、大型の遮蔽用の盾をもって装填中の 弩兵を保護する新しい部隊「パヴェサリ」の創設をみちびくことになった。 この続きも面白いのでそのうち翻訳します。
↑急いでやったんで読み返したら変な部分がある。張弦装置ってなんだよw Spanning Deviceだから「弦を引く装置」ですね。フックと巻き上げ機とか。
パヴェサリってどんな装備だったんだろう 大盾持ってたぐらいしか想像出来ん ローマ軍団の前衛みたいなイメージだが
283 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 11:45:05 0
「弦を引く装置」の詳細はジャングルの王者ターちゃんという漫画で説明されてたから なんとなく分かるが、その装置の発生以前はどうやって弦を引いてたのでしょうか。
284 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 13:07:04 O
足かけて全身使うとか、腹のせて体重かけたんじゃじゃない?
>>284 足かけて引くのは戦国時代の韓がやってたから知ってるけど
腹のせて体重かけるってのが想像付かないのでkwsk
286 :
世界@名無史さん :2008/03/17(月) 19:29:37 0
和弓って言ってるけど鎌倉後期から登場した足軽弓は鉄砲が主力になるまで 第一線の文字道理メインウエポン 歩兵用の弓で長弓の一種 弩が使われないのには理由があるよ 錯綜した地形では扱いにくいしな
山野板違いネタ乙
足軽弓が「メインウェポン」とか言うのは大雑把すぎるぞ。 そもそも何をもって主力とするのかも不明確だ。 弩が扱いにくいような錯雑地形では弓も同様。 欧州ではまず船上(障害物やロープ等が多い)で使用されている。
289 :
世界@名無史さん :2008/03/17(月) 22:20:36 0
>>288 いろいろ本読んだけど鉄砲と日本人って本でなぜ鉄砲が普及したか詳しく書かれてる
槍や刀はあんまり使われない近接戦闘はあまりなかった日本では首を取る時に刀が使われるくらい
足軽弓は鉄砲以前は主力兵器だよ
鉄砲以前は弓とか投石なんかが有効な攻撃手段だった
先手が崩れるとその戦は負けになることが多く戦国大名にとって鉄砲の数は何より重要視される。
薩摩は鉄砲を持つことが江戸時代になっても義務だったし武士にとって
鈴木先生の著書は、『鉄砲を捨てた日本人』並みに悪い意味で適当な抜き出し や解釈が多いですからね。 日本刀中心ではなかったと言いたいにせよ、首取り専用など解釈が極端過ぎる ところがあります。長柄の打物は古代の矛にせよ、中世前期の長刀にせよ、後 期の鑓にせよ、盛んに用いられていますし。 14世紀以降は、種々雑多な打物が戦場に姿を現している。 刀「も」使われたというぐらいでいいでしょう。 刀が武士の魂と言われ始めたのは元禄頃からで、実際に戦闘が行われていた 頃の扱いを見ると、重代の刀のような存在もさることながら、弓矢が武家の 武器として(文化的に)重要視されていたのは事実ですから、その意味で中 世武士の「メインウェポン」が弓矢であったと言ってもいいでしょうが。 最も死傷者を多く出した武器ということであれば、これは戦闘自体の規模や 戦場などに左右されたでしょうから、一概には言えない筈です。 研究者で鈴木先生の著書を引用されたのは高橋昌明先生ぐらいでしょうが、 それでも鈴木先生ほど単純に当時の戦場を御覧になってはいません。 大体、首取り専用なら苦労して長寸化し、技術を向上させる理由やそれを求 める理由もありません。刀を使った例を「軍記の誇張」と断言されることが 多いですが、誇張か否かは鈴木先生の判断次第で、根拠はありません。 断定される理由が、明確ではないことが多過ぎます。 最近、近藤好和先生がフランスで行われた武士と騎士の比較研究をテーマに した学会で「武士のメインウェポンは弓矢」と発言され、現地の研究者から 驚かれたようですが(サムライ=カタナの印象が強い)、近藤先生は故実の 研究家ですし、文化的・象徴的な意味から「メインウェポン」と言われたの だろうと思います。
>最近、近藤好和先生がフランスで行われた武士と騎士の比較研究をテーマに >した学会で kwsk
293 :
世界@名無史さん :2008/03/19(水) 02:35:49 0
弓は航空戦における中距離ミサイル 槍は短距離ミサイルで刀は機関砲ってとこだろ
294 :
世界@名無史さん :2008/03/19(水) 11:03:33 O
主力の武器は、その時代によってだけでなく、その戦場に何が一番ふさわしいかでも変わりますし、同じ戦場でも戦い方でも変わる場合もあります。 例えば 水軍だと、壇ノ浦の戦いの後は漕ぎ手まで盾の中に居るので、弓矢の効果が少なく、相手の船に乗り込んでの戦いに決着をつけました。 したがって接近戦がメインとなり、槍なども短めの物で、主力の武器は刀になります。 つまり海の武士のメインウェポンは刀です。 そのおかげで、海を渡って明の軍に採用されて、中国武術に名前を残した日本の剣術の流派もあるくらいです。 しかし、決着をつける必要性がなければ、弓矢だけで不利になった方が逃げておしまいです。 これは陸上でも同じことです。
>>292 失礼、フランスと合同で行われた研究会でしたが、場所は佐倉の歴史民俗博物館でした。
それと、メインウェポンではなく「弓箭が武士の象徴」でした。申し訳ない。
発表内容は書籍で発表されていましたが、購入致しておりません。
1万円前後であったと思いますが。
>>294 >その時代によってだけでなく、その戦場に何が一番ふさわしいかでも変わ
>りますし、同じ戦場でも戦い方でも変わる場合もあります。
この点についてはまったく同感ですが(最下段の弓矢だけ云々も)、
>壇ノ浦の戦いの後は漕ぎ手まで盾の中に居るので、弓矢の効果が少なく、
この点については同意致しかねます。
古墳時代の壁画に描かれた海戦の時点で船端にずらりと楯が並べられており、
義経の独創とされる水夫・梶取への攻撃は以前から見られたという説があり
ますが、『万葉集』にも船端に楯をついた様子を詠んだ歌がありますし、出
典が『平家物語』のみであることからも、可能性は高いと思います。
それ以降は完全に「相手の船に乗り込んでの戦い」になったのでしょうか。
壇ノ浦の段を欠く『源平闘諍録』は鎌倉時代後期に関東で成立した書ですが
水軍に近い人物の下で成立したと考えられています。
(史料は書かれた内容の時代よりは書いた時代を反映します)
そこには水島の合戦の記述がありますが、遠くにいれば射殺し、近くにいれ
ば切り殺し、あるいは熊手でかき寄せたり、押し込んだりして海に落として
います。水夫を泳がせて舟端に手をかけさせ、舟を転覆させてもいる。
そもそも、敵が遠くにいるから射る、近くにいるから打物で倒すというのは 当然のことで、地上でも楯があればあったで双方射たでしょう。 それでも、最終的には打ち込みの戦で勝負をつけた(決着をつける必要性が なければ弓矢だけで終わったのは同じ)のは海戦と同じです。 仮に水夫や梶取を射殺すことが「壇ノ浦」で始まっていたとしても、それ以 前から弓矢だけで勝負はつけなかったでしょうから、壇ノ浦以降は「接近戦 がメイン」になったとは思えません。両方存在したでしょう。 遠ければ弓矢。近ければ打物。鈴木先生は後者を否定しておいでですが、こ れはほぼ変化がなかったと思われます。 また、槍(やりではなく、ほこと読む)というか、長柄の武器、たとえば長 刀などが短くなったということも確認できません。 寧ろ、突き落とすことも含めて、長刀や熊手が使われたのでは。 落とさなくても、戦う分にはやはり刀よりは長柄ですよ。 それと、「槍」は「鑓」もしくは「鎗」のことであったのかもしれませんが、 鎗の初見は南北朝時代の史料ですから、壇ノ浦以降の変化に出すのには慎重 にならざるを得ません。
297 :
世界@名無史さん :2008/03/19(水) 20:23:21 0
日本の弓術は、古来から一発必中の狙撃主義だな。欧州やオリエントや中国のように 密集した弓兵が一斉に矢を放つよりも、個々の弓武者が敵を狙って射倒す感じだよね。 それと、和弓と同時期のイングランドのロングボウよりも長くてしかも合成弓だから、射程 は長かったはず。那須与一の扇の的にしても再現すると200mはゆうに越える距離から 射っている。元寇のときも少弐 経資は劉福亭に重症を負わせたが、これも、元側が矢 の射程外と思っていたから、その位置に上級指揮官が居たんだろうけどけど、どっこい 射程内だったということだろう。
足軽の弓は一発必中主義とは言い難いし、那須与一と英仏百年戦争が同時代ってのも 無理があるんじゃないの。
相手が盾を持ってたら和弓でダメージ与えられないと思うんだけどどのように戦ってたんだろう そりゃ手持ちはあんまきかないけど、据え置きタイプ矢盾あんじゃん
301 :
世界@名無史さん :2008/03/19(水) 23:37:34 0
きっしょい国粋主義者が湧いててワロタwww 日本みたいな狭苦しい国土で、山に囲まれた奇襲マンセーのバトルで ヨーロッパの広大な地平での大合戦を計るなよボケwwww 日本の武者は雑魚だろw
>>301 なんかよくわからないけど
「きしょい国粋主義者」がお目当てならもっと他のスレがあると思うんだぜ
山野氏を知らないとはw
きっしょいウリナラ主義者が涌いてるな
305 :
世界@名無史さん :2008/03/20(木) 00:53:47 O
>>296 壇ノ浦の例は水夫が盾の外で彼らを射ることで勝敗が決まったと言う面があるので書きました。
もっとも平家物語はけっこう疑わしいと思っているのですが。
盾の為効果が少ないとは書きましたが、弓矢だけで不利な方が逃げるという様に効果が無いとは書いて無いつもりです。
(与一みたいに、200メートル?離れて舟の上の的を射れるなら盾の間から顔を出したら顔面射抜かれ終わりです。)
刀長さに特に触れなかったのですが?
短くなったのは平和な時代になって腰にさすようになってから今の長さのものがメインになり、それ以前はもっと長いものが使われた様です。
(あくまでメインで短いのもあったから)
槍などと書いたのは、槍以外の武器のことも含めた話という意味です。
(壇ノ浦の時代なら弁慶の薙刀なんかが有名では?)
試しに薙刀で検索したら陸上のは馬の足を切るので長いだけで、水上の短いのがあるとなっています。
もう、寝ます。おやすみなさい
(_ _).oO
>>297 劉復亨はわざわざ手勢を率いて小弐景資を追ってきたところを
パルティアンショットで射られたんじゃなかったか?
しかも手勢が数十人いたのに自分が先頭を駆けていて。
黄仁宇が後期明軍について指揮官クラスでも武勇で手柄を挙げたがる
とか批判していたのを思い出す。
和弓の威力の前じゃ盾なんて平気で砕けるだろ
和弓て いや、それ以前に「盾」を「砕く」とか言ってる時点で、かなり頭ヤバそうだな・・・ ここは冷静にスルーしておこう
309 :
世界@名無史さん :2008/03/20(木) 18:46:53 0
>>308 日本の鏃には盾を破壊するための鏃があるよ。
>>306 シナの文化からして指揮官が先頭に立って戦ったりするとは考えられない
シナの文化言っても、古くから継続的に周辺遊牧民族が流れ込み続けているので、
結構色々変わってますぜ。
特に明なんかモンゴルから多大な影響を受けていたことが最近の研究で分かって
きています。後、エリートと庶民の文化、および本音と建て前、理想と現実、が
相当乖離しているのもシナ。読書人と軍人とでは、おのおのが違う世界に住んでいる。
>>308 日本には盾を射砕くための専用のやじりがあったことは事実です。重い金属の鉄球を
矢の先端に取り付けたもので、貫通力を減らし、その分衝撃力を高めたものです。
盾砕きは戦術の一種でした。以外と世界でも珍しいのでは。
でも、和弓は威力はあっても重い矢を使ってるんで、飛距離では完敗なんだよな。
ていうか那須与一の扇のエピソードが200メートルってのはどっからでてきた数字なの? かなりナンセンスな数値だと思うんだけど。。。 手元の文庫本だと 矢ごろ少し遠かりければ、海へ一段ばかりうち入れたれども、 なほ扇のあはひ七段ばかりはあるらんとこそ見えたりけれ とか書いてあるんで42間、いいとこ80メートルぐらい、 しかも話の文脈的にはこれでも挑発の対象になる程度には難しい距離で 実際遠くてちょっと自信ないから上記の文章のように ちょっとずるしてってわけでもないだろうが馬に乗って海に少し入って寄ってる。 少し高さと距離を稼いでるとはいえ、 不可能じゃないけどけっこうしんどい、 って条件設定としては妥当な記述かな、 とか少しでも弓触ったことのある人間なら感覚的に分ると思うんだが。 ついでに当時の和弓は構造的にもわりと単純な三枚打だったはずだし、 後に出てきた弓胎弓とか現代の規格やクオリティがある程度保障されてる製品と比べるとしょぼいし、 条件は道具に限ってももっと悪い。 無知じゃないならやっぱ国粋フィルターかかってんの?とかいいたくなっちゃうぜ。。。
指揮官が先頭にうんぬんは、お国柄というより
単純に個人の資質によるところだろうな
ただ、国土が圧倒的に広大で常に周辺異民族の進行にさらされるため
日本のようにホイホイ指揮官が先陣を切るのは高リスクであることは確か
その点、日本や山に囲まれているので楽だったろうね
>>313 100%ありえないでしょう
馬鹿でかいロングボウを全力で振り絞っても限界が180メートルらしいですし、
むしろ、その距離が正しいのなら本当に矢が当たったかの真偽から疑うべきでしょうね
>>311 以下
とりあえず劉復亨の話については八幡愚童訓読んできてや。
316 :
世界@名無史さん :2008/03/22(土) 11:56:03 0
刀で戦わない武士なんて嫌だい嫌だい! 弓矢なんてかっこ悪い! 刀だからカッコいいんじゃないか!! 鈴木なんて死ね! バカヤロ
鈴木信者が発狂なされました
日本刀って対槍の盾みたいなもんだろ
よく、槍は剣の2段くらい上の技量がないと対抗できない、 という一時期流行った(?)フレーズのせいで槍>剣と思い込んでる奴が多いが、 1VS1で達人同士が剣と槍で対峙すると、圧倒的に剣の方が有利らしいね ゲームとかでも無意味に3すくみとかにして槍は剣に強いとかやってるのがあるがかなり笑えるw
剣術も槍術も学んだ事がない素人の考えで恐縮だが、 リーチがある方が有利って発想はそれほどおかしくないと思う。 槍衾を構成する長槍を切り開く為の両手大剣みたいな例外を除けば、 (死者数が使用者の数とある程度比例してると考えても)基本的に槍>剣な気がする。 しかも、接近後に備えて、槍側は携行性に優れた剣を別に保有できる訳で、 万が一、槍側が不利な状況に陥っても槍を放棄し、抜刀すれば良い。
ふぅ
剣道三倍段?
武具スレにカエレ
>>320 槍衾を両手剣でどうやって打開するの?
槍と比べて両手剣はかなり兵の間隔あけないといかんと思うけど
ニ・三本、槍の柄をすっ飛ばしたくらいじゃどうにもならんだろ
>>324 多分、イメージしてる槍が短すぎるんだと思う
多分320がイメージしてるのはドイツのランツクネヒト軍団で最前列で ツヴァイハンダーとか振り回すドッペルゼルドナー(倍給傭兵。剣術の 免許皆伝が条件)のことだと思うが、ハインリヒ・プレティヒャ「中世の旅 農民戦争と傭兵」によると p48 「それでドイツのランツクネヒトの指揮官は、倍給傭兵、つまり特にいい 武器を持った連中を第一列におき、彼らが矛槍あるいは太刀をかまえて 突撃した。もっと正確に言えば、それは全然突撃などではなく、敵の槍を はね飛ばすために体を回転させながら腰をひねって武器をあちらこちらに 振り回すだけであった。ほかの兵は、敵に突撃するのに突破口を利用 した。しばしば第一列と第二列に、留鉤銃で射撃して隊列に突破口を 開くために、銃兵がおかれた」 兵士の大半は長槍をもって密集隊形をとっていた。
>>324 ヨーロッパの長槍(パイク)は騎兵のランスに対抗するために出来た物で、
柄の長さが5mはあって、密集方陣を組むことが前提になってる。
個々の兵が槍を動かせる範囲はかなり狭いから、
突っ込む側としてはうまく槍衾の中に入り込むことが重要になる。
スコットランド高地人の「ハイランド・チャージ」には
相手のパイクを盾で受けとめて剣で破壊するという技があったとか。
328 :
世界@名無史さん :2008/03/29(土) 05:52:45 O
>>327 「中世の旅」の受け売りだけど
スペインでは槍の下をくぐっていって刀で足に切りつける兵科があったらしいね。
>>319 真の達人は投剣・投槍の1撃で決闘相手を仕留めたりするから困る
槍と剣を比べるのってアサルトライフルとハンドガン比べるようなものじゃね 状況によって違うに決まってるのに
>>315 八幡愚童訓は後世に改編された文献だぞ。
小弐景資は弓が達者な部下に命じて劉復亨を狙撃させたんだよ。
>>333 「八幡愚童訓」ってのは長い歳月の間改編を重ねてきた文献で、多くの異本が
現存してるのね。
通常「八幡愚童訓」として使われてるのは、その中の「菊大路本」っていう
バージョンなんだけど、これは花園天皇治世中(1308-1318)に成立した文献で、
正応二年(1289)成立の「八幡ノ蒙古記」という文献をもとに作成されたわけ。
で、「八幡ノ蒙古記」→「菊大路本」の過程でいろいろと改編された箇所が
あるんだけど、劉復亨が射られる場面もそのひとつ。
「八幡ノ蒙古記」
爰に大将小弐景資、蒙古の大将とおほしくて、長七尺はかりの大男、ひけは臍辺まて、
おひさかりたるか、あか鎧に、あし毛なる馬にのり、十四五騎うちつれ、徒人七八十人
あひ具して、おひかくる、その時、景資か旗のせみくちを、鳩かけりしかは、八幡大菩薩
の御影向と、たのもしく思ひ、究竟の馬廻に、弓の上手ありしかは、それに下知して、
逸物の上馬にのせ、一鞭うちて、はせ出さたり、かの奴原を見かへりて、よつひき、
はなつ矢、一はんにかけたる大男の、直中を射つらぬき、逆にこそ、おちたりけれ、
「菊大路本」
景資ヲ、蒙古ノ大将軍ト覚敷者長七尺計ノ大男、鬚ハ臍ノ辺ニ生下、鎧ニ葦毛ナル馬ニ乗リ、
十四五騎打連、陸走七八十人ガ程具テ呼テ懸タリ。其時、景資ガ旗ノ上ニ、鳩翔リ舞シカバ、
八幡大菩薩ノ御影向トゾ憑敷覚ケリ。究竟ノ馬乗、弓ノ上手也シカバ、逸物ノ馬ニハ乗タリ、
一鞭打テ、馳延ビ見帰テ放ツ矢ニ、一番ニ懸ケル大男ガ真中射テ、馬ヨリ逆様ニ落シケリ。
「究竟の馬廻に、弓の上手ありしかは」 ↓ 「究竟ノ馬乗、弓ノ上手也シカバ」 すごい転写エラーだな。まるで聞き書きで写したようなw 「よつひき」ってのがよく分からないけど、「一はんにかけたる」と 「一番ニ懸ケル」も転写エラーなんでしょうか? 景資でなく従者が、やはり先頭に立って追ってきた劉復亨を 後方射で射倒したように読めるけど。
ちなみに、元寇で武士が蒙古に一騎打ちを挑もうとしてフルボッコにされたという 有名な逸話も八幡愚童訓が唯一の根拠なんだけど、これも転写エラーだから。 八幡ノ蒙古記 「高名せすんは、一命かきり勝負とおもふ処に」 ↓ 菊大路本 「高名不覚ハ一人宛ノ勝負ト思フ処」 どの元寇関連本も八幡愚童訓を根本史料としてる癖に、その根本史料に関する まともな説明が一切無いのはこういう事情。 今までの定説が全部ひっくり返っちまうからなw
まじめな話なのかもしれないが 日付が日付だけに対応に困る
338 :
335 :2008/04/03(木) 02:24:21 0
とりあえず自分は率直な感想しか書いてないが? 劉復亨の位置とパルティアンショットについては問題ないだろう。
339 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 02:42:10 0
弓矢っていつ頃どこで発明されたんだろうね
340 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 11:33:42 0
>>10 板金鎧、って言うと重くて固くて矢を跳ね返すイメージがあるが、
実際は綿の入った厚いシャツの上に鎖帷子や鎧用胴着を着込んで
総計30キログラム程度しか無い鉄板を要所に括り付けただけ。
走ったり跳んだり出来るのは普通だし、バク転出来る騎士もいた程で、
板金鎧が普及した14世紀頃には騎士は徒歩で戦うのが普通だった。
だからクロスボウなら普通に貫通する。
まあ本来威力に劣る長弓ではプレイツを射抜けなかったんだけど、
鎧の隙間を狙い撃ちできる熟練者なら普通に騎士を殺せたし、
鋭い鋼鉄の鏃(ボドキン)を使えば角度によっては射抜けた。
だから熟練者を養成しやすいイングランドが長弓大国になったわけだ
>>329 国ごとに戦術が全く違うからな。
レコンキスタでムーア人相手の戦争に馴れきったスペインの戦法は
基本的に攻城戦や篭城戦に適したものになり、軽装歩兵が基本だった。
そのためフランスの重装騎士相手にボコされまくって戦術を考える際にも
テルシオのような「人で城砦を作る」戦術になっていったわけだ
>>339 石器時代の人間があっちこっちで発見したんだろ
結局人間なんて元は同じなんだから
341 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 15:23:59 0
基本的なことで申し訳ないが弩はなんて読んでいる?いしゆみ?ど?
どっちの読みでも変換できないんだが・・・・。
>>296 >槍(やりではなく、ほこと読む)
ってどういうこと?
>>340 だからこそ弓は非人道的な武器(殺す相手を選ばない)って事で
ローマ教皇が使用禁止してたりしたんだよな、あんまり効力無かっただろうが
クレシーの戦いについて書いてる所で見た覚えがあるんだが、
「フランスとイギリスがサバゲーをする事になった。
フランス側200人、イギリス側は10人しか仲間が集まらなかった。
フランス側は勝利を確信した。しかし、イギリス側は本物の鉄砲を持ち込んでいたのだ。
ゲームが始まると、本物の鉄砲を乱射するイギリス側の一方的な大虐殺が巻き起った」
ってのがある。喩えが極端すぎるが、長弓連射はそのくらい非人道的だった。
343 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 15:37:21 0
えーと ヤリをテコの原理で飛ばすアレってなんだっけ?
344 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 15:37:53 0
>鎧は重い たしか現代の歩兵の装備より軽いんだよな。 荷物(槍・盾も含む)は全て従騎士任せだったから、 暑ささえ無ければ(鎧は蒸れる)今の歩兵より楽って事か・・・・
>>342 ローマ教皇が禁止したのは、弓全般じゃなくて、ボウガン
ヴァイキングなどが好んで使う残忍な武器と見なされていた
>>345 あげあしをとるようだが禁止されたのはボウガンじゃなくてクロスボウ
347 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 18:37:01 0
>>340 >>鎧の隙間を狙い撃ちできる熟練者なら普通に騎士を殺せたし、
ビックリ人間じゃないんだからさw
348 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 18:47:36 0
>>347 それは冗談抜きで普通にある
森で狩りしながら鍛えた腕前なんだから、長弓兵なめたらあかんよ
板金鎧はああ見えて隙(急所)だらけだ、矢は鎖帷子を兵器で貫通する
>>345 ヴァイキングは普通の丸木弓では?
ノルマン人の軍隊なんかではクロスボウ使ってただろうが
>>348 クレシーやアザンクールの長弓兵は個々に狙って撃ったわけじゃないよ。
あれは野戦陣地と巧みな誘導によるもの。
大半が圧死であったとの説もあるようだ。
スポーツである弓道やアーチェリーの選手ですらトップクラスならちっこい的にライフルみたいな精度で当てられる 戦場で命を削りながら相手を殺していた射手の技能がそれに比べて極端に劣るとは思わない 百発百中ではないかもしれないけど状況次第では弱点を狙撃するぐらい可能なんじゃないのかな
戦場では標的は常に動くものだし、周囲の状況も変化しやすく 騒音等の集中に対する妨害要素も多い。 技量は劣らなかったかもしれないし、状況次第では可能かもしれないが 実際の野戦では手間と時間の割りに有効性が薄いものとなる。 それよりは弓兵部隊としての運用をしたほうが効果的。 アーチェリーの弓は現代技術でかなり進化してる面もある。
長弓隊の本当の恐ろしさは、命中精度とかじゃなくて弾幕(連射速度)だろ
354 :
世界@名無史さん :2008/04/08(火) 22:04:16 0
>>350 ・フランス側のクロスボウ兵が騎士に脅されて装備(盾etc)も整わずに突撃
・しかも突然大雨が降って突然快晴、クロスボウの弦がダメになる
・沼状になった地面に足を取られた騎士を軽装歩兵が各個フルボッコ
・長弓兵がシューティングゲームの感覚で騎士の急所を射まくりんぐ
・柵があるから射手を攻撃できず、騎士に肉薄すれば横合いから長弓
どう考えてもイングランド側の大虐殺です、本当に(ry
>>353 まあ自分の所だけで一分間に100本とか飛んで来れば
剣で薙ぎ払ったり鎧で防いだりするのにも限界があるわな
進めば長弓、退けば味方の槍、留まれば軽装歩兵にリンチだからな、クレシーは でも逆に言えば長弓の弾幕を掻い潜って黒太子に肉薄したフランス騎士達って 日本で言えば弁慶並みの豪傑って事だよな。そして体中に矢を突き刺して立ち往生。 なんか伝説的な人物(盲目のボヘミア王)もいるし、長篠の戦みたいに「作られた話」なのかもしれん
弾幕薄いぞ!何やってんの!
この戦争(クレシー及び以後の百年戦争含む)を境に歩兵戦術が欧州に 復活するわけだから、「作られた」といっても、長篠ほどじゃないのでは?
とりあえず、日本史絡めると変な奴がくるから、 世界史板なんだから、欧州限定でちょっと語ってみようぜ
>>354 ん?別にイングランド側の勝利であることは否定しないが?
ただ
>>・長弓兵がシューティングゲームの感覚で騎士の急所を射まくりんぐ
この部分には異論が存在していると言っているだけ。
面で撃った結果そうなったのか、あるいは狙ったのかはたまた圧死なのか、と。
弓矢の歴史に事実上の終止符を打ったチェリニョーラの戦いは もっと有名であってしかるべきだと思うんだが 日本だとぜんぜん資料がないんだよな
361 :
世界@名無史さん :2008/04/09(水) 10:11:11 0
362 :
世界@名無史さん :2008/04/09(水) 12:34:49 0
ブレイブハートだとロングボウは弾道高めで雨あられと撃ってたな とても狙ってるようには見えない 映画の話ですまんけど
「300」のペルシア軍一斉射撃シーンも凄かったな 空が暗くなるほどに密集した矢玉の嵐と それを盾で全部受け止めるスパルタ兵
>>362 構え方一種類だけじゃないよ
指輪物語でもみてみ
あの弓は明らかにアレだけどwww
365 :
世界@名無史さん :2008/04/09(水) 18:29:24 0
>>363 数は少ないかも知れんが、イングランドの斉射も同じような感じだったんだろう
やっとの思いで避けたり切り払ったりして突撃を続けても一分に数本ペースで次の矢が来るし
>>359 長弓で馬を混乱させられたり騎士の衝撃力を奪われたりして
圧死したり軽装兵に喉掻っ切られる奴が多かったんじゃね?
まあ弓での死者も多いんだろうが、大雨の後で沼地状態だったらしいし。
366 :
世界@名無史さん :2008/04/09(水) 19:48:20 0
戦場で動いてる人間を狙って射るのは難しいだろ。 まして鎧の隙間を狙うなんて、机上の空論としか思えん。
367 :
世界@名無史さん :2008/04/09(水) 23:19:13 0
>>366 それは例えば銃について
「戦場で動いてる人間を狙って撃つのは難しいだろ。
まして鎧の隙間を狙うなんて、机上の空論としか思えん。」
って言ってるのと同じだぞ。弓矢なめんな
えええ・・・・
狙撃手が頭狙うことがあるでしょ それと同じだと思う そもそも時代にもよるけど基本鎧なんて隙間だらけなわけだし 弓で抜けないのなんて胴体のクソ厚いところぐらいじゃ
「弾幕を張る」のと「敵を狙い撃つ」のは どちらも遠距離射程武器の戦術の一形態に過ぎないだろ
371 :
世界@名無史さん :2008/04/13(日) 04:00:50 O
古代の弓は弾幕張るしか出来ないだろうな ただイングランドの長弓熟練兵は森育ちの狩人が多いから 「特定の的(向かってくる騎士)を狙う」事は可能だろ。 で、騎士には一人あたり数本の矢が10秒感覚で飛んでくる。 ここで活躍するのが板金鎧なんだが…… なんか鎧の防御力を過信してる奴がいるみたいだが、 板金鎧が発達した頃には騎士は徒歩で戦う事も多く、 動きやすさにも重点が置かれてて、意外と隙間は多い。 まあ「要所は鎧で守り、他は剣と槍で守れ」って事だな。 下に着てる厚い下着や鎖帷子では矢を防げる筈も無く、 哀れ勇敢なる騎士は体中をボドキンで貫かれて死ぬわけだ。 弓矢が正面から当たっても平気な部位は 胸甲や肩当て(利き手じゃない方の肩)みたいな 負傷すると致命的な部分の装甲だけじゃねーの?
長弓はどれくらいの厚さの板金を貫けるの?
373 :
世界@名無史さん :2008/04/13(日) 18:12:03 0
>>372 弓道の選手が、和弓でフライパンや中華なべを20mくらいの距離から打ち抜いていたから、
長弓も似たようなものでは?
>>371 >ただイングランドの長弓熟練兵は森育ちの狩人が多いから
それはイングランド長弓兵の起源となったエドワード1世によるウェールズ制圧のころのウェールズの弓兵だ。
百年戦争期の長弓兵は矢場で厳しく訓練された農民。
>下に着てる厚い下着や鎖帷子では矢を防げる筈も無く、
何のために専用の鎧通しがあると思ってるんだ。
>哀れ勇敢なる騎士は体中をボドキンで貫かれて死ぬわけだ。
>負傷すると致命的な部分の装甲だけじゃねーの?
結局体中串刺しなのか要所要所は平気なのか
>>372 張りの強さと距離次第。無論20mなんてのは現実的な距離じゃないだろう。
20mなら余裕で抜けるって、かなり現実的な距離だろ 勿論、命中まで時間があるからタイマンだったら避けられる 戦場だったらどこから矢が飛んでくるか分からないのと そもそも飛んでくる数が制圧目的で桁違いだから・・・
376 :
世界@名無史さん :2008/04/13(日) 22:34:05 0
素朴な質問ですみませんが、矢って矢柄を整えたり羽をつけたり鏃を付けたりと 作るのに結構な手間が掛かるように思えるのですが、 戦場で一度に大量に消費して後々足りなくなったとか無いのですか? こちら側に飛んできたのを再利用とかしたのでしょうか?
そんなに接近されてると近接兵科に蹂躙されるってことじゃないの。 集団で制圧目的で撃つときは大よそ45度の角度を付けてるから 頭の上を跳び越してしまう危険性も出てくる。 もちろん、その辺は対応するんだろうけど、余り近いとね。
378 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/04/13(日) 22:57:41 0
>こちら側に飛んできたのを再利用とかしたのでしょうか? 日本や中国では利用したようですよ。 明確な出典を忘れてしまいましたが(『三国志演義』にも概念は出て来たか)。 「未開」社会には、相手が射て来た矢を射返すと相手に命中するという概念 が広く見られます。 ニムロッドの矢や、『日本書紀』などで天照大神で手で投げ返した矢も矢の 主に当っている。
379 :
376 :2008/04/13(日) 23:29:39 0
>>378 さま
有難うございます。
そのような概念が有ったのですか…
勉強になります。
呪術的な効力はさて置くとしても、
こちら側まで真っ直ぐ飛んで来るだけの精度のある矢であれば、
相手方に対しても同様の精度が期待できると言うことでしょうか。
李氏朝鮮で用いられていた「片箭」も短い矢を発射するので 女真族に打ち返されないというのが利点のひとつだったようだね。 ビザンツ帝国やトルコ人に用いられていた同種のものが そういう点を考慮して使われていたかどうかは寡聞にして知らないが。
命中したら外れて食い込むので殺傷能力を高めるとともに 殺傷能力を失い牛返されないって屋もある
382 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 18:43:37 0
イングランドの長弓兵と言えば、ホームズを書いた事で有名な
コナン・ドイルの歴史小説に「The White Company」ってあったな。
和訳版のタイトルは「白衣の騎士団」だったっけ?
>>371 とりあえず熱意は伝わった
錯乱しすぎだろ
>>374 鎧の隙間はまず射抜かれる。100本単位で飛んで来れば数本は刺さるだろ。
肘と膝は仰々しい板金で覆ってるから無理っぽい。胸甲とスカート部分も多分無理。
肩も利き腕じゃない方(あんまり動かない方)は分厚い板金で覆ってるから無理かもだが
利き腕の方なら射抜けると思う。上述の部位でも至近距離なら普通に刺さるだろうし。
射手部隊に肉薄した騎士なんかは全身串刺しじゃね?
あと板金鎧は脇腹がガラ空きだし、そこも刺さるか。
もうすぐ接近戦という距離に至った騎士が剣を振り上げて突撃してくるところを
側面や斜めから脇腹を狙ってグサリ、みたいなのはあったかも。まあそこまで接近してたら
どこに撃っても刺さったかも知れないが、クレシーみたいに側面に射手がいた場合は可能っぽい。
鎧用の胴衣には脇腹部分に鎖帷子が付いてたみたいだが、鎖帷子だと大量に飛来する弓矢を防ぎ切れないし。
乗馬しててもギャロップは出来ないから遅い、徒歩で走っても鎧のせいで大して速くない。
そんな騎士を狙い撃ちにするなんて、熟練者なら児戯に等しい。特定の部位だって狙える。
まあ接近戦になってしまえば弓矢なんて何の役にも立たないから射手も剣で戦ったんだが
戦場に沼があったり、あるいは人工建造物(柵とかか)で騎士の突撃を阻むことさえ可能なら
長弓の天下だわな。逆に接近戦だと弓兵に勝ち目は無いし、単純に強さを比較する事は出来ないが
クレシーやポワティエの惨状を見れば騎士の単純さ加減は自明の理と言うか、学習能力低いよなあいつら
弓矢ってのは素人が思っている以上に恐ろしい武器だと思うよ
>>377 接近するまではそうだが、
接近戦間近になれば殆ど水平にして撃つもんだぞ
逆に相手が城壁の中だったら殆ど垂直に撃って壁越えさせるし
モンゴルだったかどこか忘れたけど 弓にレール付いてるのあるじゃん そんで矢がクロスボウみたいにすっげー短くて太い あれって何?三輪車の補助輪みたいなもんには見えんけど 子供用の弓か?
385 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 21:05:54 0
>>384 確か毒矢じゃなかったか?ちょっと当たっだけでも死ぬっていう
386 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 23:15:47 0
韓国が起源を主張する片箭の事じゃないのか
>韓国が起源を主張する片箭 ソース 知ってる限りではギリシャのソレナリオンやトルコのナーワクの方が早いが
>>382 > コナン・ドイルの歴史小説に「The White Company」ってあったな。
> 和訳版のタイトルは「白衣の騎士団」だったっけ?
White Companyって、イタリアで名をはせたイングランド人傭兵隊長のジョン・ホークウッドが
いた傭兵部隊じゃないか?
>>385 『八幡愚童訓』の甲本だったか乙本だったか忘れたけど、
「蒙古兵が毒矢を使った」って話は確かに出てくるんだが、
プラノ・カルピニとか『ガリーチ・ヴォルイニ年代記』とか『蒙韃備録』とか
『ジャラールッディーン伝』みたいな記録を見ても「モンゴル兵が毒矢を使用した」
って話は見た記憶が無い。
単に自分が見落としているのか、あるいは他のマシュー・パリスの『イングランド史』
とか『大年代記』にあるのかは知らないけど、通常、『集史』とか『世界征服者史』、
『元史』みたいなモンゴル側の記録で知られる限りでは、その種の毒とかが使われたって
話は聞かれない。「投石機(マンジュニーク)を使った」って話は頻繁に出てくるけど。
390 :
世界@名無史さん :2008/04/15(火) 01:40:21 0
>>389 遊牧狩猟民族は、弓矢で仕留めた動物を食うから、毒矢を積極的に使う風習がない
と聞いたことがある。毒矢を使ったのは、漢人や高麗人の弩を装備してない徒歩の
弓兵が使ったんじゃないかと思う。
>>390 女真族など森林狩猟民族の兵士が使ってた可能性は?
弓もモンゴルとは異質なツングース式の弓を使ってたらしいが
モンゴルにもヤドクガエルがいればよかったのに
>>388 「俺達の仲間で、イタリアに行った奴等は好き放題略奪したのに
お前等は何故名誉の為だけになぜ黒太子の元に馳せ参ずるんだよバカじゃねーの?」
みたいなセリフがあった気がするから、その辺は微妙に関係あるのかも知れない
話の内容はナヘラの戦い(の前哨戦)に至るまでの冒険譚で、従騎士(主人公)と射手達を引き連れた
イングランドでも屈指の強さを誇る騎士ナイジェル卿(時代遅れ気味で、騎士道精神に生きる老人)が
コッグ商船でガレー兵船に乗り込んで海賊退治したり、フランスの城で農民一揆に遭遇してキープに孤立して
「貴婦人を守るため」敵であるド・ゲクランと共闘しつつ火薬を火の海に落として百姓を血祭りに上げたり、
略奪に明け暮れてた最強の傭兵部隊であるWhite Companyの隊長となって黒太子の遠征軍の先鋒を命じられたりしながら
名誉の戦いに身を投ずる、って話。主人公とナイジェル卿の娘とのロマンスもある。
本来注目される事が少ない射手の活躍を中心に話が進む。ちなみにハッピーエンド。
>>393 「ナイジェル卿の冒険」も読んだが、個人的にはそっちのほうが面白かったな。
たしか邦訳されてないやつでナイジェル卿がドイツ騎士団の城に幽閉される話もあるんだっけ?
>>389 八幡愚童訓は基本的に信用できない文献だから。
蒙古兵は殺した敵兵の腹を割いて肝を飲んだとか書いてある。
>>390 アイヌの毒矢(トリカブトが有名ですが、小動物用に別の植物も使用したそうで)
の場合、当った箇所をえぐりとって残りの熱を加熱すれば食べられたそうです。
まあ、わざわざ使わなくても狩猟は出来たでしょうが。
しかし後世の補筆もあると指摘されている『蒙古襲来絵詞』ですが、「蒙古兵」は
徒歩の兵士が鈍重そうな装備で全身を覆って楯と槍で守りを固めていたりと、い
わゆるモンゴル式の戦闘とは異なる姿を見せていたようですからね。
>>389 氏の言われる時代に西方で活躍したモンゴル軍とは違う。
>>396 蒙古襲来絵詞に描かれてる騎兵の装備が集史の挿絵に描かれたモンゴル騎兵に
酷似していることは海外の研究者も指摘していること。
あと、集史の挿絵にも鈍重そうな装備で全身を覆って楯と槍で守りを固めた
徒歩の兵士が描かれてるし。
山野野衾氏は『蒙古襲来絵詞』に後世の補筆があると指摘されている点が気になっているようだが、 補筆されたり一部が失われたりすることは、長い歳月を経た史料には普通にあることだから。 例えば『八幡愚童訓』についても岩波書店の『寺社縁起』の解説で、 「その成立時期は、文中に「九十四代ノ朝廷」とあるので、花園天皇治世中(延慶元年(1308)- 文保二年(1318))と考えられるのであるが、蒙古襲来直後、神徳発揚への恩賞期待という緊急の 要求があるため、年代はそれよりいくらか遡るものとせねばならず、右の「九十四代」云々は 後日増補された部分に含まれていたものとするのが妥当であろう。」 なんて具合に、後世の補筆もあると指摘されているのね。。。
>>396 西方でも本草書や医学書にトリカブト(ビーシュ)は出てくるんですが、年代記を見る限り
兵器として弓矢に毒を塗って用いたという話は聞いた記憶がありません。アイユーブ朝や
マムルーク朝で編纂された軍事書も見ないと何ともですが・・
テュルク・モンゴル系の騎馬兵は戦況に応じて装備の軽重の部隊を使い分け、遊撃や突撃を行って
いたそうなので、『蒙古襲来絵詞』を見た限りの装備の軽重だけでは西方のモンゴル系の兵士と
同じなのか否かはなんとも言えない感じだと思います。モンゴル帝国に服した勢力の歩兵が
どういった風に運用されていたのかはあまり記録がされていないので、それと『蒙古襲来絵詞』が
どう比較出来るかは未知数。『絵詞』の歩兵も騎兵も厚手の布か皮かで作った甲冑を着込んでいる
兵士が多く描かれているようですね。イルハン朝に参加したアルメニア、グルジア王国軍とか
イラン現地のタジク兵などの断片的な記述を見る限り、甲冑がどうだったかあまり分からない
ものの、歩兵は槍や弓矢、場合によっては弩を携帯していたらしいことは伺えるようですが。
>>397 確かに『集史』というかイルハン朝からジャライル朝、ティムール朝時代に描かれた
テュルク・モンゴル系の騎馬兵の甲冑姿に確かにそこそこ良く似ているけれど、
『蒙古襲来絵詞』の蒙古兵は、矢筒の位置が、歩兵も騎兵もみんなひもか綱で肩から担いで
胸のあたりに筒を持ってくるようなスタイルで、通常テュルク・モンゴル系の騎馬兵とは
明らかに違ってます。(テュルク・モンゴル系の騎馬兵は刀も弓袋も矢筒も全部腰から下げるスタイル)
>徒歩の兵士
『集史』パリ本やロンドン本とかの挿絵を見ても、兵士の姿は歩兵なのか単に
下馬しただけの騎兵なのか区別が良く分からない風になっているので何とも。
同じ時期に西方で活躍していたようなモンゴル兵がどれだけいたのか、杉山正明先生他の
意見同様、個人的にもやはり怪しい感じが。
>>399 >矢筒の位置が、歩兵も騎兵もみんなひもか綱で肩から担いで 胸のあたりに筒を持ってくるようなスタイルで
それ、単に振り向いたり体をひねったりして、そう見えるというだけだろ。
蒙古襲来絵詞の蒙古兵も皆腰に矢筒をつけてて、肩からさげてる奴なんかいないぞ。
だいたい、元寇の元軍がその他のモンゴル軍と違う考える理由が無い。
高麗史の中で元寇の司令官は「モンゴル人は戦いに慣れてるけど、これ以上はやれない」
とモンゴル人が中心となって戦ってたことを示唆してるぞ。
401 :
世界@名無史さん :2008/04/17(木) 07:31:18 0
矢がフライパンを射抜いたから、鎧も射抜くだろうって そんなんでいいのか? 矢に射抜かれるようなら、そんな役立たずの鎧を着る意味は? バカみたい。
13世紀あたりのアルメニア兵やグルジア兵の装備なら オスプレイの「サラディンとサラセン軍」に再現イラストが載ってる。 グルジア兵はラメラーの胴鎧にセルジュークトルコ人みたいな帽子。 サーベルとトルコ風の弓矢。 アルメニア兵は十字軍の影響を受けてメイル・ホウバークにカイトシールド。 片刃の直剣。 アルメニア兵のもっと伝統的な?鎧だとヴァン湖の修道院のレリーフに 描かれたゴリアテはラメラーかスケールの鎧を着てる。 当時の福音書の挿絵に描かれた歩兵は、鎧を着てないやつだと チュニックを着てレギングをつけた平服っぽいのとか。 蒙古襲来絵詞の肩から吊る矢筒ってのは弓を放った直後のポーズに 描かれてる兵士のじゃないか。弓の「耳」の部分が変な風に (遊牧民の弓とは逆に)カーブしてるやつ。 "Arms and Armour of the Crusading Era, 1050-1350: Islam, Eastern Europe and Asia" って本を持ってる人は史料の820jだからチェックしてみて。
モンゴル等の装備についてはいろいろと思うところがあるのでまたカキコするけど ひとつだけ、ステップ遊牧民の騎兵ってシールドはほぼ例外なく丸盾だよな。 参考になるのか分からないが。
>>401 対戦車ミサイルの直撃を受ければ戦車なんてあっという間に壊れるけど
本当にその装甲は役立たずで意味がないのかどうか考えてみよう
>>403 モンゴルの中東遠征に参加してたのはステップ遊牧民だけじゃないし。
遊牧史が専門の岩村忍はキドブハ率いるモンゴル軍の中にモンゴル人は少数だけで、
大部分はタジーク族だったと書いてる。
タジーク族ってのはペルシア系の都市定住民。
ヒント:プレートメイルは刀剣の斬撃に対してはほぼ無敵の防御力を誇る
407 :
世界@名無史さん :2008/04/17(木) 19:39:31 0
>>404 >>対戦車ミサイルの直撃を受ければ戦車なんてあっという間に壊れる
例えが不適切だ。
対戦車ミサイルは戦場では数ある兵器の一つで
戦車に対抗するのに特化したものだ。
戦車の装甲は銃や砲弾など、戦場でメインに使用される兵器の多くを
防げるので、対戦車ミサイルを防げなかったとしても十分に役立つ。
しかし矢は中世以前の戦場では主要な武器である。
その主要な武器である矢であっという間に貫通される装甲など役立たずで無意味と言って良い。
ナックルボールだけを打てない打者はそれ以外の球を打てるので
バッターとしての価値はあるが、
ストレートやカーブを打てないような打者は無意味だ。
矢が主要な武器ってどういう発想? 単に死者数だけで捉えているなら、 現代戦の主要な武器は榴弾って事になるけど? そして戦車は榴弾で破壊されますが何か?
409 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2008/04/17(木) 21:22:01 0
>>398 『寺社縁起』でしたら、所持しております。
傍注が本文化するのもよくあること。
>>389 と同じ方であれば申し上げておきますが、甲本や乙本というのは荻原
先生が便宜上付けられた呼称ですから、『寺社縁起』を読んでいない人間に
は何のことやら分かりませんよ。
それと上の『三国志演技』で相手の射た矢を集めた話ですが、『新唐書』に
張巡の行動として載っておりました。
×演技 ○演義 失礼致しました。
そもそも、クレシーの戦いを基準に考えるのが間違い 長弓兵の大量投入なんてのはあの時点において全く画期的な戦術だったんであって
プレートメイルはボディーアーマーと一緒だろ 矢(ライフル弾)食らえば抜けるけど それ以外ならそれなりに耐えられるから使われてる
>>401 ,
>>407 お前らはもっと中世の欧州史を勉強してくれ
古代欧州やアジアとは勝手が違うんだ
>>405 なぜステップ遊牧民の騎兵装備について話すと
「モンゴルの中東遠征に参加してたのはステップ遊牧民だけ」と読まれるのか分からんのだが。
ちなみにキトブカの軍隊の内訳はよく知らんけど
タジクの勢力の軍事力はトルコ人など遊牧民の騎兵なんかも雇ってたりするから
ペルシャ系都市民とか言い切っちゃうと同じように突っ込まれるので要注意。
415 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 14:45:48 0
>>408 矢はどう考えても中世の主要な武器だろ。
じゃあお前は何が主要な武器だと思ってんの?
416 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 14:48:27 0
>>412 プレートメイルが矢をスパスパ通すなら、みーんな弓矢で戦うだろ。
馬鹿じゃね。
ただで作れて、練習しなくても使えるのならな。
418 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 16:18:59 0
戦場で使う弓矢に特別な錬度は必要無い。 プレートメイルをスパスパ貫通して 遠くから騎士を殺傷できるのなら、 弓作りにどれだけコストがかかったとしても十分その価値に見合う。
>>418 >戦場で使う弓矢に特別な錬度は必要無い。
味噌汁で顔を洗って出直せ
フライパンを射抜いた実験に使用した弓は張力20s程度だろ。 実際の中世の弓兵は子供の頃から厳しい訓練積んで、その何倍もの張力の弓を 使用してたわけで、威力はもっと高かったと考えた方がいい。
>>415 地域にもよるけど基本的には槍だろう
使ってた人数が段違いすぎる
弓矢が榴弾なら槍はアサルトライフルってとこ
厚さ2mmの鉄板(プレートメイルの胸装甲くらい)にまでなると張力四十キロクラスの長弓とか、 巻き上げ装置を搭載した高価なハードクロスボウでやっと貫通が望めるぐらいの防御力。 矛と盾の関係はいたちごっこだから、プレートメイルをスパスパ貫通して遠くから殺傷できる弓が世に出るより先に、 弓を含む攻撃を全く寄せ付けない最強防御兵器として、プレートメイルが戦場を跋扈した時期があるのだろう。
423 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 17:36:38 0
>>419 弓兵なんてそこらからかき集めてきた農民の集団ってのが大多数だぜ。
それが一斉に空に向けて矢を射って弾幕張る。
小さい頃から特別に訓練積むのなんざイングランドの長弓兵が例外くらいだね。
味噌汁で顔洗うのはお前の方だな。あ、出直して来なくていいよ(プゲラッチョw
424 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 17:51:41 0
>>423 武士と遊牧民も例外だな
探せば例外だらけな気もするが
騎馬弓兵は馬の重要度が高すぎて 同列に論じられないからなあ
426 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 18:02:58 0
>>422 おお、やっと常識的な思考回路を持った人間が登場した。
掃き溜めに鶴だね。
武器と防具の優劣は長年にわたるシーソーゲームの歴史を念頭に置かないとまともに語れない
428 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 18:25:07 0
429 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 18:50:42 0
弓ってのは火器や弩と違って、射手の腕力や技量がモロに威力に影響するからな 散々述べられてるみたいだが、イングランドの長弓兵は例外中の例外。 日々訓練を重ねて射手として非常に熟練した農民が、戦争が始まった時 近隣の騎士(あるいは領主)の元に傭兵として馳せ参じたわけだから 威力も精度も桁違い。それこそ鎧の隙間を狙って撃つ事さえ出来るレベル。 百年戦争の時代なんかは傭兵の需要が非常に高かったせいもあり、農民も それだけ自分を高く売り込むために訓練してる。だから結構接近戦も出来る。 当時、板金鎧を貫けたのはクロスボウの他にはイングランドの長弓だけだったわけだが 大陸の騎士もクロスボウ傭兵も長弓の威力を知らずに「農民の矢」だと思ってたから 「いいのか?ホイホイついてきちまって。俺は騎士でも構わずヤっちまう男なんだぜ」 「いいんです……僕、長弓みたいな卑怯な武器に鉄槌を下すのが夢でしたから」 「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。それじゃたっぷり斉射してやるからな」 ってなるわけだ
その戦いじゃ地形的に優位な坂の上側に陣取られ、 圧倒的な数の弓兵に一方的に攻撃され、 障害物で馬を用いた突撃を防がれ、 味方のクロスボウによる援護はなかったというのに、 騎士の半数は最後まで昇りきったといわれている (結局は殺されてるからその名誉を鑑みての捏造かもしれんが) まぁ、防御力の証明というよりは当たらなければどうということもないということなんだろうが
431 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 20:03:09 0
クレーシーでは実際にはイギリス側の矢はフランス騎士の鎧を貫通せず、 騎士の死者の多くがぬかるみに足をとられて将棋倒しになった所を 身軽な傭兵部隊に撲殺されたり 味方に踏みつけられたりした圧死だったっていう説もあるよね。 しかもそちらの方が結構有力になってきてる。 ロングボウの活躍も、信長の三段撃ちみたいに否定される日も近いかも。
432 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 20:22:07 0
>>430 フランス騎兵の練度をなめんなよ
生まれた時から武芸の訓練に励み、小姓として常に修練し
従騎士の激務を生き抜き、騎士叙任された後は戦に明け暮れる
騎士としては最強クラスの面々が大量に集まってた国だぞ?
むしろ(いくら鎧を貫通する威力があるからって)長弓なんかで
勝利した事の方が奇跡。
>>431 みたいな説が出る理由もそこから。
>>431 突撃する騎士に向かって長弓を撃って殺したというより、
柵に誘導されて英国騎士の密集陣形に突っ込んだフランス騎士に
柵の内側の長弓兵が側面から攻撃した、って感じじゃないのか?
>>430 >地形的に優位な坂の上側に陣取られ、
しかも大雨のせいで坂の下の地盤は緩んでた
>圧倒的な数の弓兵に一方的に攻撃され、
距離があるうちはプレートメイルで弾き返してたと思う
>障害物で馬を用いた突撃を防がれ、
フランスの騎士には障害物を飛び越えるくらいの技量はある。
飛び越え損ねると「身軽な傭兵部隊」にブチ殺されたが
>味方のクロスボウによる援護はなかったというのに、
あれはフランス騎士の「クロスボウ傭兵いじめ」にしか見えない
戦闘準備も整ってない奴を無理矢理戦場に押し出したんだから
>騎士の半数は最後まで昇りきったといわれている
半数は無いかもしれんが、むしろ「昇りきらせて誘導する」所までが戦術。
V字型の柵の影響で密集したイギリス騎士の隊列に突っ込んだ所を
半包囲する形で押し返した、みたいな説が結構知られてる
至近距離だからロングボウが刺さる刺さる、ヤバいくらいに刺さる
434 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 21:51:04 0
数十騎の騎士で奇襲しただけで卑怯とか革新的とか言われる(マルヒフェルトとか)世の中で 長弓撃ちまくったり倒れた騎士を歩兵に襲わせたりするのって相当卑劣な戦術だよな イングランドで黒太子が人気なのって、日本で源義経(卑怯な戦術大好き)が好かれるのと一緒じゃね?
francs archersって活躍したことある?
86 名前:17[sage] 投稿日:03/03/04 02:29
しかし、弓って思ったより速いもんだね。
初速が200キロか。
ちょっと試しにそのエネルギーについてJ計算してみるか。
ジュール=初速×初速×弾頭重量÷2000
参考;
ttp://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/burret/burret2.htm だれか、ロングボウや戦闘用和弓の矢尻の正確な重量知らない?
890 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/20 11:07:14 0
Discovery channelで放映された「伝説の戦い・アジャンクールの戦い」(以下略)
891 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/01/20 11:35:34 0
弓兵の給料が安かったからといって、弓を低く評価したとは言えないでしょうけどね。
王自身が立つ戦場で弓兵中心ですし。ただし、弓というよりは最初から軽装歩兵として頭数を揃えれば良いというつもりだったのかも。
ちなみに上記の放送では長弓の矢のエネルギーを38ジュールとしています。このスレで書かれてるものにくらべると低すぎますね。
矢の重さ63グラム、速度は秒速37.9メートル、時速136Km。いくらなんでも速度が遅いような。
実際にはもっと高速で、2ミリの鋼の鎧も貫けたのでは?
確か、ディスカバリーチャンネルで検証してたのを見た、というレスをどっかで見たような・・・・
この流れなら貼れる 590 Krt sage 04/04/24 14:22 以下に各時代別の武器の威力の概算的な値をまとめて挙げておく。(Williams, p.922) @時代 @武器 @イニシャル・エネルギー 全時代 剣、斧 60-130J 11-12C ロングボウの矢 80-100J クロスボウのbolt 100-200J 14C 初期のHandgun+serpentine powder 250J 15C フス戦争期のHandgun+serpentine powder 500-1000J 16C 火縄銃+serpentine powder 1300J 火縄銃+corned powder 1750J 16C後期 マスケット+serpentine powder 2300J マスケット+corned powder 3000J これを見ると15世紀以後の銃器の発達がどれほど戦争の内容を変えたか想像がつこう。 はたしてこれらの火力に対し同時代の鎧はどの程度対抗できたのだろうか?
591 Krt 04/04/24 14:23 Grancsayが強度実験のため自分の持ついくつかの鎧を、ホイールロック型マスケット銃、 draw-weight 30kgの弓、同じくdraw-weight330kgのクロスボウで5mの距離から試し打ち したところ、その距離でも目標に対する角度が大きい場合、矢やboltは弾かれることが わかったし(正面からなら貫通しても)、マスケットの弾丸の場合も2/3はhelmetや brestplateを貫通したものの、16世紀の上質の鎧を貫通させる事はできなかったという。 彼が用いた火薬は20gのserpentine powderという比較的弱いものでイニシャルエネルギーは マスケットなのに900J 程度だったと推測されるとはいえ、鎧は意外と効果的に見える。 また王侯貴族のような高級な鎧の注文者は15世紀においてはクロスボウに対する耐久力の 保証を、16世紀においては火器に対するそれをしばしば要求したことも記録されている(*)。 (*)そういう顧客の要望に応えるため当時の鎧制作者は注文の鎧をクロスボウやハンドガン による近接射撃テストで安全を確かめてからマーク付きで販売する事もあった。ただこの テストをクリアできたPistol-Proof鎧は高価で重い物ではあったが。(Williams, p.920) 次回はこういうプレートアーマーの強度を実際のmechanical testとシミュレーションから 算出しているWilliamsの論考を追ってみる事にする。(この項続く)
594 Krt@ sage 04/04/25 17:38 さて、博物館の鎧を破壊するわけにもいかないのでWilliamsの採った方法は以下である。 (1)まず現代の軟質鋼板(厚さ2mm、炭素0.15%、硬度235VPH)を用意し、これに各種の武器 (主に当時の模造品)によって攻撃を加えてデータを取り、様々な厚さのこの種の鋼板が 矢と弩のbolt、及び弾丸に対して発揮しうる抵抗力の基本数値を測定&シミュレートする。 (2)著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータと、(1)におけるデータに基づき (i)鎧の厚さ(ii)形状(これにより当たる角度が変化する)(iii)硬さ(iv)スラグの混入 といった諸要因が持つ強度への影響力を具体的に数値化する修正強度算定式を作る。 (3)対象の鎧に(1)の基本数値と(2)の数式を当てはめて、当時の鎧の強度を計算する。 ただ「鎧の破壊」の定義だが、実際問題としてこれが矢と弾丸では同一でない事は明白 である。例えば矢やboltはある程度先端が食い込めば「中の人」に致命傷をも与え得るが 銃弾は全体が完全に正面装甲を貫かなければ「中の人」を傷つけられないし(打撃力に よるショックは無視する)弾丸は変形でエネルギーをロスすることも考慮せねばならない。 それゆえWilliamsは矢系の場合それが鎧に40mm食い込めばdefeatedとみなしたが、弾丸は 装甲を完全に貫通した場合にのみそうみなしている。(以下「破壊」に替えdefeatを使用)
595 Krt@続き sage 04/04/25 17:40 矢(及びbolt)に対する現代軟質鋼板の抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー) 鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm 垂直正面 55J 175J 300J 475J 角度30° 66J 210J 360J 570J 角度45° 78J 250J 425J 670J 弾丸に対する(現代軟質鋼板の)抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー) 鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm 垂直正面 450J 750J 1700J 3400J 角度30° 540J 900J 2000J 4000J 角度45° 630J 1050J 2300J 4700J これを基に前述の鎧の強度を左右する要因である(i)鎧の厚さ、(ii)形状、(iii)硬さ、 (iv)スラグの混入、の影響度を具体的な数値で見てみる事にしよう。
596 Krt sage 04/04/25 17:41 (i)鎧の厚さ 上の表からでは読み取り難いが抵抗力は厚さの約1.6乗に比例することがわかっている。 (cf.:Atkins,A.G.& Blyth,P.H.:Stabbing of Metal Sheets by a Triangular Knife: International Journal of Impact Engineering:2001 の研究によるWilliams, p.928f.) 具体的には1mmの抵抗力を1とすると1.5mmなら1.9、2mmなら2.9、2.5mmで4.1、3mmで5.5 3.5mmで7.0、4mmで8.6、4.5mmで10.3、5mmで12.1、5.5mmで14.1、6mmでは16.1である。 (ii)鎧の形状 上記の表からも判るように平らな板の垂直正面に命中する場合と角度がある場合とでは defeatに要する力はまるで異なる。(a)鎧には丸みを帯びたものがあるし、中にはさらに (b)竜骨的形状をを付加したものもある。図を書いてみれば理解できるだろうが、一般に 角度Aで板に当たった場合のエネルギーはcosAを掛けたものになる。逆を言えば、平板 ならEのエネルギーでdefeatされる場合、角度Aで板にぶつかった場合defeatに必要な エネルギーE’=E/cosAであり、これを実際に(a)や(b)のような形状をした鎧を撃つ 場合に当てはめてみると、(a)には1/cos30=1.2、(b)には1/cos45=1.4を掛けたものが 実際のdefeatに必要な修正値となることが確かめられている。(Williams, p.930)
597 Krt sage 04/04/25 17:42 (iii)鎧の硬さ、と(iv)スラグ混入の影響とは「鋼の質」で一括して数値化しよう。 容易に想像されるように、鎧の材質にとって重要なのは単に硬いだけではなく強靱で あることであり、これは鋼の熱処理の過程が優れているだけではなくスラグの混入が 少ない事も重要な条件である。Williamsは調査対象となった鎧の成分検査と平行して 現代の鉄にスラグを混入したものを造って、それが強度に及ぼす影響を実験した。 この結果に基づいて彼は当時の材質をおおよそ四段階に分け、前記の現代における 軟質鋼板の強度を1とした場合に、それらの材質が示す強度修正係数を算出している。 従ってそれぞれの材質カテゴリーでできた鎧の板金をdefeatするためには同じ厚さの 現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーに以下の係数を掛ける必要がある。 @材質のカテゴリー @現代軟質鋼板を1としたときの修正係数(W) (*) (最低品質の)鉄製兵卒用甲冑 0.5 (**) (中品質の)低炭素鋼の鎧 0.75 (***) (ミラノ式の)中炭素鋼の鎧 1.1 (****)(インスブルックの)熱処理で硬化された中炭素鋼の鎧 1.5
598 Krt sage 04/04/25 17:43 現実にはさらに考慮すべき要因がある。 (1)鎧下などの緩衝材の効果: 十六折りのリネンが鎧の下にあると、刃物に対しては+80Jの、槍の切っ先に対しては +50Jの追加防御効果の存在が検証されている。 (2)肉体に深手を負わせる事自体に必要なエネルギー: 戦闘中に軽い傷を負っても相手は戦いをやめないだろう。だが「深手」をモノとしての 肉体に負わせるには、さらに50-60Jのエネルギーが必要だと考えられる。 それゆえ、単に鎧をdefeatするのに必要なエネルギーだけではなく(1)と(2)とを併せて (余裕を見て)150J程度の付加的エネルギーが現実の戦闘においては必要と考えられる。 従って、Eを同じ厚さの現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーとすると (中の人のdefeatに必要なエネルギーである)E'=(EW/cosA)+150J、となり、 T^1.6を厚さ(mm)の1.6乗を表すとすると矢の場合は、E'=(55WT^1.6/cosA)+150J 弾丸ではE'=(450WT^1.6/cosA)+150J、剣ではE'=(80WT^1.6/cosA)+150J となる。(Williams,p.935)(原文には弾丸の場合の数字が155になっているが訂正した)
599 Krt sage 04/04/25 17:44 次にmail及び非金属製の鎧の耐久力(defeatに必要なエネルギー)について触れる。 ただしmailはプレートの場合と異なり下にキルトのlinen jackを着けての評価である。 なおここでのbladeは、剣ではなくハルバード著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータに基づきを模したものによる実験結果である。 @材質 @対Blade @対Lance @対矢 @対弾丸 現代の材質でのmail >200J >200J 120J 400J 15世紀のmail 170J 140J 120J − buff leather 70J − 30J − hardened leather 50J 20J − − horn 120J − 50J − cuir-bouilli 80J 30J − − (padding) 80J 50J − − jack 200J − − hardened leatherとcuir-bouilli(革を蝋につけて硬化したもの)は5mm厚のもの。 paddingは16x21cmで60gのlinenの16折。jackは12.5x15cmで171gの物がテスト対象。
600 Krt sage 04/04/25 17:45 さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ 当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。 (1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。 @刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。 (mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる) 200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。 @弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、これは例外的な力 を持った射手の強弓でないと不可能。ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。 (2)増大するクロスボウの脅威に対抗してmailに加え別の鎧も着けた13世紀の騎士の場合。 @cuir-bouilliによる補強。これで対抗できる運動エネルギーは120+30=150Jにすぎず 近距離からのクロスボウの攻撃に対抗するには不十分。 @厚さ2mm、材質カテゴリー(*)のcoat of iron plateによる補強。不快なほど重いが 120+175x0.5=207.5J、でなんとか対抗できそうである。
601 Krt sage 04/04/25 17:46 (3)15世紀初めのミラノ式鎧に身を包んだ騎士。2mm厚で丸い形状(cos30°が適用可能) 鎧の材質カテゴリーは(***)以上だが、焼き入れ硬化はされていない場合。 @矢の場合は、210(=175/cos30)x1.1(材質***による修正)=231J+50J(padがあれば)=281J これは鋼鉄製のクロスボウでもdefeat困難な値である。 @フス戦争期の1000J級のハンドガンに対しても、900x1.1+50=1040Jでかろうじて安全。 だがこのマージンは時代とともに喪失するし、これ以下の材質の鎧では近距離では危険。 (4)16世紀半ばのニュルンベルク式の歩兵用鎧に身を包んだラントクネヒトやスイス人 パイクマンで2.5mm厚、材質(**)、竜骨的形状(cos45°が適用可能)の鎧着用の場合。 @矢に対しては、78x4.1(2.5mm厚の係数)x0.75(**修正)=240+50(pad)=290Jで安全。 @弾丸に対しては、630x4.1x0.75=1937+50(pad)=1987J、で火縄銃にも安全なことになる。 (原書には、矢の場合260J(+50=310J)、銃弾の場合の耐久力は1250Jで後者に関しては 当時の火縄銃(1300-1750J)でも危険だ、としているのだが計算根拠が判らない) (5)Zutphen(1584)の戦いにおいて鎧を着ないで銃弾を受けたSir Philip Sidneyを巡って 当時の軍事専門家達によるマスケット銃に対する鎧の有効性に関する論争が行われた。
602 Krt 04/04/25 17:48 彼が着用していたのが3mm厚、(***)材質、竜骨的形状のミラノ式の鎧なら弾への耐久力は 2300x1.1=2530J+50J(pad)となるがこれでは近距離からのマスケット銃を防げないだろう。 しかし他の条件が同一で材質が(****)であるグリニッジやインスブルックの良質鎧なら、 2300x1.5=3450+50(pad)=3500Jでマスケット銃の弾のエネルギー3000Jを上回る事になり、 安全マージンが存在する事になる、というのが我々の結論ということになる。 (後者の耐久力は原書では3000Jでぎりぎり安全、としてるがこれも計算根拠わからず) (6)十七世紀の胸甲騎兵の場合。彼らのブレストプレートは厚さ4mmほどだが、財質は(*) 形状は丸形であった。それゆえ耐久力は、4000x0.5=2000+50程度でマスケット銃には 近距離では全く敵し得なかったことがわかる。(故にもっと厚い胸甲を着けた者もいた) これらの情報を総合すると、クレシーなりアジャンクールなりにおいて、ロングボウは 当時の最高の鎧を着た騎士達をも圧倒した、といった類の主張に対してはいささか懐疑的 にならざるを得ない。恐らくロングボウの矢が倒し得た者は比較的貧弱な鎧を着た者か、 射手の超絶的技量によって鎧の隙間を射られた者達で、それ以上の戦果はむしろ他の要因 に帰しうるのではないか、というのが上記から得られる私の平凡な結論である。(終)
超絶的技量によって鎧の隙間〜なんて書いてあるけど、 現実には回避の余地がないほど圧倒的な弾幕が張られていたであろうことは、 ほぼ間違いがないわけで、矢がどの程度密集して着弾していたか定かではないが、 登頂するまでに何十、下手をすれば何百という矢が飛来する中、 最も分厚い正面の胸部装甲のみに矢が命中していたとは考えにくい。 幾ら上質な板金鎧であったとしても、細部に至ってまで厚みが2mm以上とは、 人間の身体能力から考えてもありえないし(重すぎて動けない)、 距離が5mより遥かに長かったであろう事を考慮しても、 (同時に上方より射られていた事を無視しても) 貫ける弱点は少なからずあったであろうし、 そうするとどの程度の確率かは分からないけれど、 致命傷、もしくは戦闘力を奪えるだけのダメージを与え得たんじゃないだろうか。
686 :Krt:04/05/16 21:23 多分肉体に深刻なダメージを与えるための+50Jっていうのは、直接戦っている間どうしとか、 近距離で敵味方が相対している場合とかに相手を手負い状態にすることなく KOするのに十分なダメージを与えるのに要する、という意味での「余分なエネルギー」なんだと思う。 でも、もし射手が相手の目の前にいないんだったら、そこまでのダメージを与えなくとも、 撃たれた側も死にもの狂いにはならずに普通に戦意喪失したり退却したりするだろうから、 その場合、この+50Jの部分はもっと少なくとも戦術的な効果があったんじゃないだろうか。 それにロングボウやクロスボウの投射しうるエネルギー量についても、論者によって 随分見積もりの違いがあるようだから(エークダール論文でのように)、この点からしても 矢と鎧の対抗関係については、まだ決定的なことはいえないかもしれないね。 あともう一つ、クレシーやアジャンクールの時点でのフランス側が、はたしてどういう鎧を どれぐらいの比率で着ていたか、という問題があるわけで、少なくともクレシーの場合は 時代的にいって、プレートアーマー以外の鎧を考えなくてはならないと思う。 その場合、下に良いキルトを着たmailなら意外と矢にも強かったようだけれど、プレートと 違って角度による威力減少が少なそうで、これにはまた別の計算が必要なんじゃないかな。 719 :Krt:04/05/30 01:26 >馬用の鉄の鎧が本格的に作られるのは14世紀末、広く普及するようになるのは >15から16世紀に入ってからみたいだニャ。 なるほど、やはりこれは馬鎧には人のより以上に大きな鉄塊を必要とする、ということも 関係しているのかも知れないね。十四世紀末に初めてそれが可能になったということに。 >この調子で行くと、200メートルだと脅しの効果で、50メートル以下だと鉄の鎧も射抜いて >なんて具合に、距離に応じた弓とかクロスボウの効果表(仮)みたいなものが作れるかもしれないニャ。 例のWilliamsの本で一番不満だったのはそのデータ(弓矢や銃の距離別の速度減衰率)が 殆どないことなんだな。矢や弾丸の速度の減衰については、実はこのスレに書いたのが あの本にある殆ど全てだったと思った。これが判るといろんなことがわかるんだろうけどね。
450 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 04:30:29 0
一気に良スレになった。 少なくとも、矢がプレートメイルをスパスパ貫通するなどと無条件に語られていた頃とは 石器時代と21世紀くらいの差がある。
451 :
sporarn :2008/04/19(土) 08:21:07 0
>>451 一番防御力が低いであろう胸ですらこれなんだから
手足だったら間違いなく無敵だろうな
453 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 11:49:21 0
>>452 >一番防御力が低いであろう胸ですらこれなんだから
……はい?
胸甲が一番鉄板厚いだろ、常識的に考えて
454 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 11:55:15 0
このスレで議論されてた所は これらの情報を総合すると、クレシーなりアジャンクールなりにおいて、ロングボウは 当時の最高の鎧を着た騎士達をも圧倒した、といった類の主張に対してはいささか懐疑的 にならざるを得ない。恐らくロングボウの矢が倒し得た者は比較的貧弱な鎧を着た者か、 射手の超絶的技量によって鎧の隙間を射られた者達で、それ以上の戦果はむしろ他の要因 に帰しうるのではないか、というのが上記から得られる私の平凡な結論である。 ここか。「他の要因」が地面の状態(沼)とか軽歩兵部隊とか。
>射手の超絶的技量によって鎧の隙間を射られた この超絶的技量を持った奴が結構(とはいえ数十人とかだろうが)いたから イングランドのロングボウ部隊が恐れられる事にもなったわけだが……
457 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 16:39:22 0
>>451 ぬふう?
最初の動画は完璧に貫いてるけど、二つ目の動画だと防いでるね。
英語ができないから何を言ってるのか分からないけど、やっぱり威力に依るって事?
>>449 命中した矢1本で深刻なダメージを与えてKOできる威力を求めずとも
命中した無数の矢のうち1〜2本が手負いにできる成果を挙げれば充分に効果的なのね
山なりに射って矢の落下速度はどのくらいなのか
>>453 防御力と鉄板の厚さはイコールじゃない
心臓に少しでも刺さろうものならまず死ぬだろうが
手を狙って絶命させようとすると(戦闘は不可能になるかもしれないが)
切断寸前ってくらいまで相当深々と刺さらないといけないだろう
461 :
世界@名無史さん :2008/04/19(土) 20:07:57 0
>>460 鎧の強度ではなくて人体の強度の事を言ってたのか。
俺は
>>453 じゃないけど解りにくいよw
>>458 板金鎧が普及してくるにつれて剣が衰退したのもそういう理由だしな。
優れた剣技でもって板金の隙間を狙って致命傷を与えるより、
メイスみたいな鈍器で板金を凹ませて人体に裂傷を与えた方が効果的という
でも15世紀ドイツの武術書(ジークムント・リンゲックの)を以前英訳で読んだけど 鎧武者を相手にしたらとにかく装甲の隙間を狙って刺せって内容が多かった。
464 :
世界@名無史さん :2008/04/20(日) 07:18:25 O
ロングボウと鉄板の話しかないのかよ
465 :
世界@名無史さん :2008/04/21(月) 04:09:57 0
>>463 だってリヒテナウアーが甲冑着た相手に剣で戦うならそうしろって言ってたもん
介者剣術みたいだな
467 :
世界@名無史さん :2008/04/21(月) 10:23:58 0
>>451 の動画の詳細をお願いします。
二つの実験の結果に差があったのは、弓矢の威力のせい?
それとも装甲のせい?
英語が分からないので良く結論がわかりません。
誰か優しい人教えて下いまし
そういや、ロングボウ全盛の時代、弓の値段とかいくらぐらいしたんだろうか
469 :
世界@名無史さん :2008/04/26(土) 10:27:05 0
クロスボウってどうやって張るの?
>>469 なんか滑車みたいなので弦を巻き上げるんじゃなかったか
前方後円墳良子に逃げられた
>>469 ・ストックの左右に突き出た弓身に足をかけて手で引く
・ストックの先に付けた鐙に足をかけて手で引く
・ストックの先に付けた鐙に足をかけてフックで引く
・フックと巻き上げ機で引く
他にもあったような
473 :
世界@名無史さん :2008/04/26(土) 15:54:06 0
ところでイングランドのロングボウは丸木弓だが、それよりも長い合成弓の和弓とではどっちが 強力なんだろう。
源為朝の弓なら勝てるだろうが、源義経の弓ならどうだか分からないw
弁慶が引いたら勝てるよ
476 :
世界@名無史さん :2008/04/26(土) 22:30:58 0
裏反り状態のクロスボウってどんな感じ? 画像とかない?
477 :
世界@名無史さん :2008/04/28(月) 10:01:12 O
普通に考えれば丸木弓より強力にするために合成弓を工夫したんだし 威力を上げるために握りを中央より下に寄せてまで弓を長くしたんだから 和弓がイングランドのロングボウより非力なはずはないんだろうけど・・・
>握りを中央より下に寄せて フン族の弓もそんな感じでしたね。
480 :
世界@名無史さん :2008/04/28(月) 18:21:28 0
高1、頭に矢刺さる=アーチェリー調整中に誤射−神戸 28日午後1時10分ごろ、神戸市須磨区宝田町の私立滝川高校(折戸善信校長)から 生徒の頭にアーチェリーの矢が刺さった」と119番があった。 生徒はアーチェリー部の同校一年の男子生徒(15)で、重傷とみられるが、 意識はあり命には別条はないという。 県警須磨署の調べによると、 生徒が昼休みに部室で他の部員とともにアーチェリーの調整中、他の部員が誤って矢を飛ばした。 矢は右まゆ毛の上に刺さり、頭蓋(ずがい)骨を貫通。傷の深さは10センチ近くある可能性があるという。 矢は長さ約65センチ、直径約5ミリ、先端はアルミニウム製でとがっていた。 ふつう、矢を番えたまま 弓の調整なんてするのでしょうか?
>フン族の弓もそんな感じでしたね。 え、そうだったの? おれ握りを下にずらしたタイプの長弓って和弓とアマゾンかどっかの原住民の弓しかないって どこかで読んで すっかり信じ込んでたよ
482 :
世界@名無史さん :2008/04/28(月) 19:42:43 0
リピーターボウの装填システムとレバー使ったクロスボウを混ぜて そのままレバーを内蔵させて取り外す手間を省略するなら ボルトアクションライフルとまではいかないけどかなり強力な弓になったと思うんだが どうして作られなかったんだろう?作れなかった?
重くなるからだろ
>>483 防衛に使う固定式なら重さは無視出来るな
そもそもどこまで重くなるのかも謎だが
>>485 諸葛弩て100mも飛ばないから毒を塗るのが前提の武器だっけ?
機構を複雑にしすぎると、メンテが大変なのと作動不良が多くなるから
488 :
世界@名無史さん :2008/04/29(火) 14:13:50 0
連弩って本によって作られた時期が結構違うよね マール社の「武器」では古代になってるけど
機構を単純にするとたくさんの矢を一本の弦で撃たなきゃいけなくなるなぁ。 投射方向も小回りが利かないだろうし。 映画ジャンヌダルクに出てきた英国側の砦に、そんな感じの機構があったなー。
連弩の威力を単純に高めるだけでも相当な脅威だったと思うけど (桑の木と竹なんかではなく板ばねとかで) どうしてそのようなものは作られなかったんだろう 連弩が使われてたわけだからメンテが〜とかはさほど問題にならないだろうし 素材をかえるだけなんで多少は重くなるがサイズとしても個人が携行できるレベルだろう
引けるのかそんなの
>>491 何で?
連弩ってレバー外して矢を乗っけて〜の動作を省略したものって思ってたんだけど
まさかマシンガンのごとく連射するものなのか?
手で弦を引くのか? 威力上げるって言うからてっきりあぶみとかクランク使うんだと思った でもそれじゃ発射間隔が長くなるからどうかな ごめんなに言いたいんだかわかんなくなってきた
レバーを使ったクロスボウなんて板バネであろうと大した威力じゃなさそうだし、 レバーを取り外して矢を乗っける手間なんて訓練すれば大したことない気がする。 そんな馬鹿馬鹿しいものを作る手間があれば、もう一人クロスボウ兵用意出来るだろ。 だいたい連弩という武器自体ゴミ同然でまともな人間には相手にされていなかったし、 (毒を塗るだとか面倒な方法でようやく使い道が見えたが、毒を塗るなら別の武器でも良いわけでwww) 仮に鎧を貫ける破壊力を持たせようとすると、梃子を利用しても引くのが苦痛で、 連射が不可能になるから、やっぱり意味がない。
弓の威力を過信しすぎてる奴がいるみたいだが、初期の火縄銃ですら500Jを超えてた(時代が下れば1600Jとか)のに 熟練した長弓兵やクロスボウ兵の射撃は130〜200J程度しかないんだぞ。ギリギリ鎧を貫けるかどうか、って程度だ クロスボウなんてのは機構を複雑にすればするほど威力が落ちるわけで、ぶっちゃけ意味なくなるだろ
ホイールロック式の火縄銃が流行らなかった理由って分かるか? 「非常に高価」で「機構が複雑(故障が多く信頼性が低い)」だったからだ。 クロスボウも同じ。威力を少し上げるために数倍のコストをかけて機構を複雑にするよりは メンテも簡単で威力の安定した普及型クロスボウ兵を数人追加した方が戦場では役に立つんだよ。 きっと中世の欧州や中東の職人の中にも発明家みたいな奴がいて、 「こんな機構にすればクロスボウの威力は格段に上がる!」みたいにして バカ高くてクソ重い上にメンテが面倒なスーパーウルトラクロスボウを作って ちょっと頭の弱い貴族に売りつけていたに違いない。もちろん戦場で故障。
200J程度のクロスボウで距離20mの厚さ2mmの板金鎧貫いてる動画無かったっけ
>スーパーウルトラクロスボウ
>>490 のことかー!
>>497 20mとか至近距離すぎるだろ……
まあ胸甲は曲面やら何やらの工夫で
弓矢に強くしてるから仕方無いんだろうが
自転車改造してクロスボウに改造したら凄そうだけど そういうのってなかったのは何でだろう 備え付けになっちゃうけど手使って巻き上げるより断然強いだろ
500 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 19:08:51 0
>>495 しょうがないよ。
ここの連中はマンガや映画の観すぎで
弓矢が鎧を簡単に貫通すると思い込んでるからね。
鎧が弓矢を防げないなら、銃の性能向上で鎧の時代が終わったように、
とっくの昔に弓矢によって鎧の存在が駆逐されててもおかしくないのに、
そういう点には全く頭が回らないらしいんだ。
しつこいな
502 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 19:14:49 0
>>501 弓矢が鎧をスパスパ貫通するという認識を改めない限り、俺は戦い続ける。
鎧の上から、剣で人を斬りつけて倒す描写と同じくらい許せないのだ。
アサルトライフルによってボディアーマーが駆逐されててもおかしくないのに
実験見た感じでは角度、距離、技量が揃って初めて貫通だろ。 それだけ理想的な条件を揃えて射れる者が何人いたかな。 一番厚い胸部ではなく四肢なら条件は緩くなるだろうけど、 少なくとも貫通か否かとは別の点で駆逐されなかった理由があるように思える。
505 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 20:19:02 0
>>503 突撃銃って今のごついボディアーマーをスパスパ貫通すんの?
それは知らなかった。
つか、兵隊が着込むようなアーマーは爆発の破片を防ぐのが主目的なんじゃないの? 小銃弾が貫通するかしないかはあんまり重要視されてないと思うし、 弓矢と鎧の関係を例えるには不適切では。 昔の鎧が銃の威力増大とともに使われなくなっていったことを考えると、 やっぱり、それまでの弓矢は鎧でけっこう防げたと考えるのが自然じゃないか。
508 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 20:38:24 0
509 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 20:40:13 0
>>507 爆発の破片を防ぐだけなら防弾性能はいらん
チタンやセラミックのプレートいれる部分にチョコレートでも入れられるしなw
勿論、防片性能は重要だけど、それも完全に防げるわけじゃない
結局のところ、鎧もないよりマシ、あれば生存率が上がるって程度の代物だったんだろ
>>502 状況によっては貫くし、どっちとも言えないだろ
スパスパ貫通するわけでもないし、バキバキ弾くわけでもない
はいこの話題終了
クロスボウを今のアーチェリーと同等の物のように考えてる奴がいるのが懸念だが
スパスパ貫くかどうかは知らんけど少なくとも鎧を着る価値があると思われてた程度には 戦場に鎧が有効に運用可能な環境下があったと考える方が自然じゃないだろうか
>>510 現在は防御よりも攻撃側の性能が相当勝ってる時期だからなあ。
今の状況をそのまま過去の鎧と弓矢の関係に当てはめて結論出すのは学問的とは思えない。
板金のフルアーマーなんて現在の防弾チョッキよりも余程重いし動きを阻害されるし、
それでもわざわざ着込んだと言う事は、とても「ないよりマシ」程度の防御性しかなかったとは言えないだろう。
514 :
世界@名無史さん :2008/05/02(金) 21:01:09 0
>>511-512 で・す・よ・ね〜。
そういう常識的な答えを聞きたかったんですよー。
マンガの読みすぎか知らないけど、なんかやけに鎧の性能を過小評価したがる奴が多くて。
>>513 防御よりも攻撃側の性能が相当勝ってる時期ってどうやって判断してるの?
MBTなら正面装甲に戦車砲食らっても一撃じゃ沈まないくらいだし
盾を破壊するための投げ斧なんてものが遥か昔には使われていたじゃないか
それに板金鎧であろうと、総重量は現代戦の装備を遥かに下回るわけだよ
(昔より動き回らないとはいっても馬には乗らないしね)
>>515 おいおい、身体に身に着ける防具の話をしてるんじゃなかったのか。
戦車だのを持ち出してくるなよ。
どんなアーマーを着込もうが、戦車砲食らったらバラバラだろ。
中世にはそこまでの攻撃力を持った武器なんて無かった。
その点で攻撃側の性能が勝ってると言ったんだよ。
>>516 話は反れるけど戦車は歩兵のアーマーとしての役目もある
装甲車両全般がそうだがw
他にも現代で防御>攻撃なのはいくらでもあるし
中世で攻撃>防御なのはいくらでもある
そこまでの攻撃力を持った武器といってるけどどこまでの攻撃力?
>>514 漫画だと鎧の性能過大評価されてるぐらいだろ
ベルセルクの狂戦士の鎧なんてやばい
そりゃ逆だ。 火器の発達する前の中世までは鎧の防御力は優れたものだった。 だからこそ剣や槍の何倍も値の張る鎧に価値があった。 (各人の体に合わせたオーダーメイドである、という点も金額に影響している)
攻撃力が高かったからこそ、それらを防げる防具に価値が出て、 それらを防げる防具に価値があるからこそ、それらを貫く武器が作られ、 それらを貫く武器があるからこそ、もっと丈夫な防具が出来て、 もっと丈夫な防具があるからこそ攻撃力一辺倒のハードクロスボウとかランスチャージができて・・・ 動物の皮と棍棒の時代からずっとこの繰り返しでしょ 火器によって鎧が廃れたってのは、攻撃力に防御力が付いていけなくなったってだけで、 パワードスーツやボディアーマーなんかは新技術によって防げるようになりそう (または限定的に防げる)だからってだけに過ぎん スパスパ抜ける鎧はあっただろうし、スパスパ抜けない鎧もあっただろう スパスパ抜ける弓矢もあっただろうし、スパスパ抜けない弓矢もあっただろう 特に装備が特に統一されず個人が持ち込むのが普通の時代なら顕著だったのでは
>>517 いくらなんでも苦しいよw
戦車や装甲車だったらむしろ破城槌とかが対応されるものであって、
それを歩兵の装甲として語ろうとしたら話が脱線しすぎる。
この話なら、あくまで身に着ける装甲で考えるべき。
んで、身に着ける装甲だったら
ライフルでスパスパとアーマーが貫通させられるという現在より、
過去は攻撃に対する装甲の信頼性が、比較的高かったと言ってるだけ。
ゴチャゴチャ難しく考えることは何も無い。
>>510 死因を当てはめて考えてみろ。榴弾片が矢みたいなもんだろ?
だから、ボディアーマーは板金鎧のようなものだ。ライフルなんて槍以下。
とはいってもボディアーマー着てようが榴弾片食らって死ぬことはある。
板金鎧着ても矢食らって死ぬことはあったろう。何の矛盾も無い。
今も昔もイタチゴッコで変わらんと思うがね・・・
弓がそんなに強いならわざわざ火器を使うかね
と思ったが手っ取り早く戦力にはなるか
本当に弓で鎧が貫通できるなら誰も槍なんて持たないだろ だって槍使う距離で弓使えばいいだけなんだから
528 :
世界@名無史さん :2008/05/03(土) 09:20:34 O
アホらしいな
まぁプレートメイルを撃ち抜けなくてもさほど問題はないでしょ。 弓はあくまでも、弓を弾く高価な鎧を買えない歩兵の数を減らしたり 騎兵の馬を倒して騎兵戦力を削ったりするもんだろ。 然る後残った騎士やらなんやらをこっちの歩兵や騎兵でボコれば良いわけで。 その戦術が最も効果を発揮したのがクレシーだな。
>弓を弾く高価な鎧を買えない歩兵 騎士ですらミラノ式甲冑の安いやつしか買えない場合もあったから 貧乏騎士や古臭い騎士を相手にするには長弓で十分だったんじゃね? 高価な鎧を纏ってても運が悪ければ隙間に弓が刺さることもあるし 落馬すれば沼地にハマって軽装歩兵に斧やらメイスやらでボコられるし 敵陣に辿り着く寸前になると至近距離だから弓がプレートメイル貫通するし ようやく辿り着いても一人のフランス騎士に対して数人のイングランド騎士が相手 騎士道精神に生きてきた騎士にとってはこういうのも「試練」だから退却も出来ないし なんかもう悲惨
533 :
世界@名無史さん :2008/05/03(土) 15:42:25 0
>>527 ここまで至近距離なら欧州のプレートアーマーでも貫通するよな
つーか、そもそも完全装備のプレートアーマー一式に馬甲までちゃんと揃えられるようなのがどんだけいたかって話が。 一万人の兵士からなる軍隊があったとして、その大半は裸じゃないだけマシって程度の装備だろ。
>529 手っ取り早くっていうのは威力のことじゃなくて弓ほど訓練が必要ないかと思ったからだ。 しかしクロスボウにも同じことが言える気もするなあ。 >530 仮に鎧に対して弓矢で威力十分となると、 火器には威力以外の別のなにかが求められると思うのだが。
>>529 >>お前も十分すぎる位に常識無いと思うよ
反論できずに誹謗ですかw
悔しいなら常識的に論破してみればいいのに。無理だろうけど。
>>500 板金鎧を「容易」に貫通可能なロングボウが大規模運用を開始されたのは、
一般には百年戦争(のクレシーの戦い)が初とされている。
この戦いからロングボウは徐々に広まり、緩やかに板金鎧は駆逐され始めてるから筋は通る。
15世紀になってゴシック式が出てくるのに駆逐され始めているといえるのかね
>>537 クレーシーの戦いでロングボウが騎士を圧倒したって説は
現在ではかなり疑問を持たれてるよ。
はっきり言えば信長の三段撃ち並に古い説。
>>538 そんなことをいいはじめたら現代式の鎧である防弾チョッキは?とかなるね
>>539 昔 勝因は単にロングボウが強かったからです!!
今 ロングボウ以外にも勝因があったよね、地形とか天候とか
それだけの話
クレーシーの場合はロングボウの鎧に対する威力自体に疑問をもたれてるんだけど、 それだけの話ですか
>>540 >>そんなことをいいはじめたら現代式の鎧である防弾チョッキは?とかなるね
この文の真意がよく分からない。
現在の防弾チョッキは高性能の物ならライフル弾も防ぐし、
通常、警察の治安行為で想定されてる拳銃での攻撃なら防弾の信頼性は高いよ。
以前の鉄板やガラス繊維からケプラー繊維や合成樹脂など素材も
どんどん改良されてるし、駆逐どころかますます進化していってる途上なんだが。
勿論、口径や威力によっては防げない弾もいくらでもあるけど、
それで駆逐されてるなんて現状ではとてもいえないぞ。
まあ、レーザーガンなんてのが実用化されたらいよいよ駆逐されるかもしれんが。
レーザーガンってゲーセンにあるアレか?
544 :
世界@名無史さん :2008/05/04(日) 11:27:57 0
>>537 「プレートアーマーを容易に貫通可能」というより
「騎士1人に100本の矢が跳んでくれば数本は鎧の隙間に刺さるだろ」って感じ。
長弓の弾幕で騎士の突撃を止められるって事は無いだろ
>>542 >レーザーガンなんてのが実用化されたら
SF吹いたwwwwwwwwwwwwww
馬に矢が刺さりずっこけて死亡ってパターンが一番ありえる気がする 従者とかは先に矢で死んじゃうだろうし下手すると後続に跳ねられるw んで徒歩で突撃したところで相手の騎士に囲まれて終了
546 :
世界@名無史さん :2008/05/04(日) 20:33:39 0
>>545 >徒歩で突撃したところ
確かクレシーはそれすら出来なかったんじゃね?雨のせいで地面が沼地になってて
落馬したらそのまま沼に嵌り込んで窒息死(or後続の騎士に踏まれる)、ってのが多かったらしいし
547 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 10:46:17 0
クレシー・ポワティエ・アジャンクールについては ひとえにフランス側の無策がイギリスを救ったんだと思うが
アジャンクールは完全な馬鹿 数十年前の大敗北を忘れたのかってくらいに馬鹿
落馬は恐い。落馬で死んでる歴史上の人物は多い。
550 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 12:00:11 0
>>544 前に出てたエネルギー計算だと
鎧に対して垂直に当たる矢があれば鎧に刺さって軽傷を負わすことはあるけど
一撃で致命傷を与えるには20m程度の近距離じゃないとエネルギーが全然足りないって話だったな
20mか。 仮に50mを10秒で人が走るとすれば、4秒で駆け抜ける距離だな。 斜度や地面の状態で大分変動するし、集団での走行だから実際はもうちょっと時間的な余裕はあるだろう。 連射に慣れている射手なら、20mに入ったところで一射、それから接敵までもう一射は可能かな。 騎士のことはさしあたり考慮外にした。
552 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 16:38:59 0
>>549 騎士の死因の殆どは「落馬」「熱射病」「窒息」だからな
>>550 最も厚い胸の話でしょ
手足だったらもっと簡単に抜かれるだろう
554 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 21:49:44 0
超分厚くて曲面に工夫を凝らしてある胸甲とか 板金2枚重ねで防護板(ベサジュー)まで付けてる肩当ては 相当運が悪くない限り(至近距離だったり直角だったり)刺さらんよな
馬の防御力ってどんな感じなんだろうなあ 1〜2本刺さったところで平気で突っ込んでくるのか
野生動物は強い と言いたいけど、頭が悪い分ビビリだからなあ。 専用の訓練しないと火薬の炸裂音だけで使い物にならなくなるし。
第7回十字軍の記録で「自分は5回傷を受け、馬は15回傷を負った」という話や、
フレイルで殴られてひるんで棒立ちになったという記録がある。
基本的に西洋の軍馬は鈍感と言い換えていいくらいおとなしく御しやすかったらしく、
西洋で馬鎧の発達が遅れたのも多分そのためだろう。
>>537 >この戦いからロングボウは徐々に広まり、
あからさまな出鱈目を書かないように。
ロングボウは世界中でありふれた武器であり、ブリテンのそれも機能的には変わらない。
しかしイングランドの用いたロングボウ戦術は基本ローカルなもので、他国の軍ではせいぜい
ホークウッドなどの傭兵が出張して猛威を振るった程度。
>>555 人間と一緒で当たり所と訓練次第だろ
兜をしてるとはいえ頭に矢が刺さろうと動けることもあることもあれば
何気ない矢傷によって転倒、致命的なダメージで戦闘不能になることもあるでしょ
559 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 21:59:51 0
>>556 火薬の音でビビった馬に振り落とされて落馬、ってのは基本だからな
>>557 単に貧乏騎士が多くて、馬鎧を買う金で従騎士を増やしたんじゃね?
11世紀頃の絵で馬が鎖帷子付けてる奴とか普通にあった気がする
ナポレオンの愛馬マレンゴは 銃弾の飛び交う中でも平然としている豪胆な馬だった、 なんていう話もあるな
561 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 23:48:42 O
馬に乗れなかったんじゃないのかナポレオン
563 :
世界@名無史さん :2008/05/08(木) 21:22:40 0
>>561 当時の軍属の人間で馬を扱えない奴っていたんだろうか
騎兵や騎乗歩兵や斥候は当然として、砲兵も砲の牽引に馬を使うし
歩兵だって馬の扱い方ぐらい知ってないと輸送一つ出来やしないと思うんだが
耳が不自由で鈍かっただけという落ちでなければ
馬に乗れるってレベルと騎乗戦闘ができるってレベルは全然違うけどな。 手綱なしで武器扱う片手間に馬を制御できないと話にならない。
乗馬技術が発達してなかったアッシリアなんかだと 騎馬弓兵も二騎一組で、一人が矢を放ってる間 もう一人が手綱をつかんでたりとか。無駄すぎwww
ポーランド人の電球交換を思い出したw
568 :
世界@名無史さん :2008/05/09(金) 17:12:22 0
>>565 騎士の話だが、ランスを構えて突撃するだけでも相当な熟練が必要だったとか。
穂先がブレたら威力が落ちるし、構え方が甘いと敵に衝突した時に槍の方が吹っ飛ぶ上
衝突した瞬間に来る衝撃も物凄かった(馬上槍試合とかだと落馬したりしてる)
サーベル振り回してるだけに見える驃騎兵(ユサール)も
敵の攻撃を掻い潜りながら超至近距離までギャロップで接近して
擦れ違いざまに相手の首を叩き切るような乗馬の手練だし、
基本的に馬上で手綱を離すってのは相当訓練しないと出来ないよな。
竜騎兵なんかも初期は射撃時に馬を下りた(乗馬歩兵)し
日本でも騎馬鉄砲を編成するには相当な訓練が必要だったわけで
騎乗しながら銃を撃つのにも一苦労なんだから、弓は言わずもがなだろうな
「島津兵は走りながら鉄砲を撃てた!」っていう程なんだから、
自分が動いてる状態で動いてる的を撃つってのは凄い芸当だぜ
WW2頃の戦車も走りながら砲を撃ったら当たらないからって
撃つときは一旦停止したりエンジンを切った位なんだから
>>566 普通に弓兵二人の方が強いよな(´・ω・`)
チャリオット戦車に比べればマシなのでは>二騎一組
>>570 酷いとかマシとかじゃなく、勝つか負けるかの問題だから(´・ω・`)
装備も兵もクソなソ連が装備も兵も先進的なドイツを破ったのと一緒で。
しかしチャリオットは小回りがきかないし平坦でない地形の場所に乗り入れるのも難しいから 騎兵より使い道が限られてくるよ? スピードを上げて障害物(死体とか)に乗り上げると横転する危険もあったらしいし。
573 :
世界@名無史さん :2008/05/09(金) 21:32:03 O
原始的な弓はどのくらいとぶの?
>>571 それは思い込みってやつだね。
開戦初期はそういう部分もあったが(それでも全部では無い)
戦争が進むにつれて装備も兵の質もソ連が凌駕してるよ。
逆にドイツはどんどん「クソ」になっていったけど。
俺のティーゲルをクソ呼ばわりするな
そこで超重戦車マウスですよ
>>573 どっかで縄文時代の弓の実験データがあったような気がするが思い出せん
スキタイ人スレを見てたらこんなカキコがあった 546 名前: 匿名さん 投稿日: 2008/05/10(土) 01:23:11 0 イギリス人には特徴的な戦闘方法があります。 多分それが祖先の名残でしょう。 それは軽装騎兵で、長弓を扱うということです。 これはスキタイのそれに一致します。 長弓を扱うための身体的特徴が、イギリス人にあります。 彼らは手が長いのです。それにより長弓の殺傷力を増します。 円卓の騎士の中でランスロット卿は重装騎兵と表現されています。 なおランスロットはフランス人です。 仏像に西域風という表現があります。 その仏像の特徴は腕が細くとても長いのです。 スキタイとサカは関係があると言われています。 サカと釈迦族は無関係という説もあります。 サカ=釈迦族という説もあるようです。 詳細をご存知の方は教えて下さい。
>>578 なんか竹内文書とか日ユ同祖論と同じ匂いがするな
信じる気は毛頭無いが、見るだけなら面白そうだ
そもそもロングボウは騎兵の武器じゃねえだろうって
中近東やヨーロッパに鐙が伝わったのは中世だが ローマやペルシアの騎兵、普通に弓矢や両手槍(コントス) 使ってました。
>それは軽装騎兵で、長弓を扱うということです。 こwwwwwwwれwwwwwwwwwwはwwwwwwwwwwwwwww
>>582 普通にっていうけどすごい苦労して訓練してるんだよ、そいつらは。
まあ中世以前の戦だと、飛び道具も含めて「兵の熟練度=強さ」だからな 近世以降は統率の取れた行動が取れるかどうか(軍の熟練度)で強さが決まるから 個人の強さの比重は少なめ(墺軍が普通にプロイセンの精鋭を跳ね返したりしてる)
一頭の獅子に率いられた羊の群れは 一頭の羊に率いられた獅子の群れに勝る、ってか
弓は個人の熟練度(飛距離、精度、威力)、特に攻撃力に重きが置かれるのに対して
銃は集団の熟練度(息の合った斉射、整然とした隊列)、特に機動力が重視されるのが
中世以前とそれ以後の違いなんじゃないかと思う。銃は基本的に威力や精度が一定だし。
>>585 七年戦争の時のオーストリア軍は結構精鋭だったんだぞ。
オーストリア継承戦争の時に自国の軍隊のクソっぷりを
嫌と言うほど思い知らされたマリア・テレジアが軍制改革したから。
まあその改革自体「迅速に命令が伝わるように(命令言語の統一etc)」とか
「連隊内での軋轢が生まれないように(上官による体罰の禁止etc)」とか
「無能な士官(当時は全員貴族)が蔓延らないように(士官学校の創設etc」とか
速やかな行動(縦隊から横隊への組み換えetc)を取るための訓練だから、
「個人の強さの比重は少なめ」ってのは全く間違っていないわけだが。
588 :
世界@名無史さん :2008/05/12(月) 14:39:10 0
中世には中欧の諸侯もクマン人騎兵を使ってるみたいだけど(マルヒフェルトとか) 当時の騎士と弓騎馬兵ってどっちが強かったんだろうか。やっぱ状況によりけり?
Age of empireで弓騎兵と騎兵を対決させてみたら分かる
弓騎兵って基本的に軽装だから、軽騎兵あたりじゃないと追いつけないと思う 中世だと重騎兵全盛だから、撃っちゃ逃げ撃っちゃ逃げで弓騎兵の方が勝ちそう
そもそも役割が違う
>>588 「マルヒフェルトとか」って知ってるんなら、マルヒフェルトの戦いを考えれば分かる。
ポーランドやボヘミアから集められた選り抜きの騎士(精鋭はオタカル本隊に居たが)が
ルドルフ配下のクマン人弓騎兵を相手に散々翻弄されて崩壊しただろうが
>>592 つレヒフェルト
つハッティーン
リデル・ハート曰く「中世(ヨーロッパ)には戦略も戦術もない」
中世の騎士ってのは長らくこういう色眼鏡で見られてきたから、
その分割り引いて考えたほうがいい。
ハッティーンじゃなかった、アルスフだw
まあランス・チャージしてる最中には戦術も糞もあったもんじゃない(個人の武勇の問題)からこそ マルヒフェルトでルドルフが僅か数十騎の別働隊を横合いからぶつけただけで乱戦を制したんだが 攻撃できる方向や地形、状況が非常に限られた騎士だからこそ戦術が重要になってくるんだよな。 将棋や囲碁的な戦術とは全く違う感じで、まさにチェスっぽいと言うか。 まあチェスは欧州のボードゲームだから当然っちゃ当然なんだが
そういやボードゲームには遠距離攻撃って無いよな どんなコマでも「取ったコマのマスに移動する」のが原則だし
>>547 >無策
クレシー
ロングボウより射程の長いジェノバのクロスボウ兵を用意
アウトレンジから攻撃させるはずが(ry
しかたがないので騎兵突撃をしたら馬を撃たれて(ry
ポワティエ
騎兵突撃は馬が倒れて失敗するから徒歩で行こう
重い鎧を着けて歩いて疲れたところを(ry
フランス側も最後は大砲でロングボウをアウトレンジして勝利したんだっけ
>>597 たしかに無策と言うより純粋に馬鹿なんだよな……
まだしも無策に突撃した方が強かったかもしれない
>>597 大砲は威力自体は大した事無い(当たれば即死だが弾は炸裂しない)が
馬が驚いて騎士を振り落としたりするから結構効くんだよな
>>599 まじか
>>597 >フランス側も最後は大砲でロングボウをアウトレンジして勝利したんだっけ
違うよ。百年戦争前期でも後期でも前半が終わると大規模な会戦から城や都市を
取り合う陣取りゲームの様相を呈するようになった。
攻城戦ではロングボウの優位は消えるのは勿論のこと、こういう持久戦になれば
資金力で劣るイングランドのが分が悪くなり、終いには分の悪い戦いを仕掛けざるを
得なくなって敗戦を重ねる…と。
そもそも大砲に関してはイングランド側のが進んでいた。
クレシーが特に有名だが、それ以前のスコットランド制圧でも使っていたぐらい。
大砲って実際どうだったの?攻城戦にしか役に立たないイメージなんだけど。 日本の戦でも「足軽達は緩やかに飛んでくる大砲の弾を軽々と避けていた」みたいなのがあった気がするんだが
いちおうフス派は活用してたのでは。小型砲だけど。
小銃にしろ大砲にしろ、当たれば完全装備の騎士ですら重傷か即死だから 効率的に弾幕を張れればそれなりの威力は発揮するんだろうけどなぁ 何だかんだ言って騎士のランス・チャージの衝撃力と破壊力は物凄いし 逆に銃兵や砲兵は単体の白兵戦能力で言うと最低ランクなわけで 基本的に当時の火砲は城や砦の中にあって初めて効果的に使えるもので、 それを「人間要塞」に「砲を据え付ける」事で克服したのがテルシオなんだと思う。 フス派も荷馬車とかの障害物を利用して「要塞」を築く事で効率的に運用したわけで 初期の火器を利用した戦術ってのは常に攻城戦や篭城戦の観を呈してるイメージがあるんだが。
大砲に散弾を込めたりとかはなかったのかい?
ぶどう弾ってのがあった気がするな
海軍が使ってた奴か
そういやガレー船徒刑囚の手記みたいなのに 散弾っぽいの(大砲に手頃な石を詰めただけ)があった気が
瓶とか砂とかも
殺傷目的の場合は弾より効果的なんだろうな 大砲そのものが元々「射石砲(石飛ばす)」だし
擲弾砲って何世紀ごろから使われ始めたんだ?
「弓矢の歴史」というより「飛び道具総合スレ」になってる気がする 弓矢について語ってた頃はレベル低かったし、まあ別に構わないんだが
炸薬の入った砲弾じゃないの?大砲は素人だから分からんが
>>611 が榴弾(りゅうだん)と擲弾(てきだん)、どちらの話をしてるのかによる
擲弾と榴弾って違うものなのか、勉強になるわ 擲弾騎兵って手榴弾を投げるイメージがあるんだけど
弓矢とはチト違うが、日本でカタパルトが採用されなかったのは 単に技術が伝わってこなかったのか、山城が多くて射撃に適した地形が なかなかなかったからなのか、それとも他の理由なのか、判る人います?
バネの仕組みが発明されなかっただけじゃね? 回回砲みたいなテコの原理式のやつですら無かったんだし 日本人は技術を極めるのは得意だが 新しい技術を発見するのは大の苦手だし
>>617 モノが存在しないことに理由が不明なのはよく在ることだ。
もっともらしいのは色んなスレで出てきたが。
インカ・アステカに車輪や鉄の使用が見られないのも理由は不明だし。
発明は偶発的に発生するのを待つしかないからな いつどこで発生するかは全く分からない
石弓で曲射ってできるの?
すごい仰角つければ何とかなる… かもな
>>618 バネなんか平安以前から使ってるぞ、ただ単に地形等の問題で使わなかっただけだろ
624 :
世界@名無史さん :2008/05/20(火) 01:15:05 0
>>618 後半はちょっと同意しかねるが
山岳が多く平地のほとんどが水田ないし湿地帯だった日本では
大きく重い攻城兵器は運用が難しいから
>>617 近藤好和「騎兵と歩兵の中世史」に国衙軍制時代のカタパルトについて書いてあったけど?
別のところでも聞いたんだけどもう一度 ガリア戦記に出てくる廻転機ってどういうものだったか知ってる人いますか?
まあ山がちだったり森だったり、平地は悉く水田(湿地)だったりする日本で トレビュシェットやら攻城塔やらを活用するのは至難の業だろうな、地域にもよるだろうが
武具総合は伸びないのに、本当に弓はよく伸びるな・・・
そもそもまともな城壁が無い、律令時代は別だが
山城が多いからな
うーん、中世の社会形態の違いも原因の一つでは? 木造建築社会だと、そこそこの大きさの岩石を用意するにも、様々なコストが割高だと思うな。 それに山間部での攻城兵器の使用が至難であることは、きっと大きな理由だろうね。 フランス、ラングドッグ地方のケリビュス城なんか、西洋の典型的な山城だけど、 何年間も籠城して戦費の負担をかけさせてくれる異教徒相手に、 13世紀の国王軍はカタパルトの類を使用してない。(現存遺跡を見ればよくわかる) たぶん、発射に適した地歩を見つけることも造成することもできなかったんだろう。
モンゴル軍だとアサシン派の難攻不落の山城とか無茶苦茶な場所に 投石器で砲撃しまくってるけど、そのカタリ派の城はもっと悪条件だったんだろうか
重い石を大量に積んだ城壁とか、数メートル単位の分厚い壁のキープとか
そういうのを破壊する為の投石器だし、日本の城には別に必要無いんだろ
>>632 わざわざ投石器持って来てむりやり岩をぶん投げるより
普通に攻城戦やった方が戦費が少しでも安いと思ったんじゃね?王が。
今でこそ色んな情報を元に客観的に「○○は△△だから」とか言えるが
当時の人間は限られた知識しか持ってなかったわけで、君主や指揮官の
個人的な好みや性格、兵器類に対する知識ってマチマチだっただろうからな
それか同じ山地でも投石器を置けるだけの広さの所が無かったとか
★モンゴル ハン「投石器を持って来い」 部下「ここは山の中です」 ハン「いいからさっさと持って来い殺すぞコラ」 部下「しかし……」 ハン「ガッシ!ボカ!」 部下「ギャ!グッワ!」 ★フランス 国王「投石器を持って来い」 部下「持って来たら特別手当どの位くれんの?」 国王「あー……すまん金ないわ、やっぱいらん」
まぁ、当時の指揮官の知識、嗜好は大きな意味を持つよなぁ。
アルビジョワ十字軍指揮官ルイ9世は十字軍経験者だから、カタパルトの使用経験がないとは
考えがたいんだが、一方で戦術的素養の低い人物として記録が残っているあたり、
カタパルトを使うという発想がありえたか、使う気になったか、は微妙なところだな。
歴史資料をさがしゃいいんだが、フラ語が読めねぇ...orz
>>632 一言で言えば、岩柵の上の石レンガを積んだ城だな。
鳥山明がドラゴンボールで描くような岩の上に、四角いバケツを伏せたような砦が
そびえていると思ってくれれば、イメージはそう遠くないと思う。
>>618 >回回砲みたいなテコの原理式のやつですら無かったんだし
回回砲のような錘式は投石機の中でももっとも高度な最後期のものなんだが
>>631 >>633 カタパルトでキチンと造られた城壁を破壊するなんてそう簡単なことじゃないぞ。
襄陽攻めでは出城の壁に穴を開けるのにも回回砲の集中砲火で一ヶ月を要した。
カタパルトで狙われるのは何より城門、そして木造の塔や城壁に張り出した軒、あるいは城壁の内部。
城壁を破壊しようとするなら破城槌や坑道攻めなどが現実的な手段となる。
>>634 それだとフレグがただの馬鹿みたいだが
実際に陥落させてるんだよな。
638 :
世界@名無史さん :2008/05/22(木) 02:01:45 0
現場の地形だけじゃなくて 運搬経路の地形も大きいだろ
640 :
世界@名無史さん :2008/05/22(木) 03:30:56 0
>>638 その後あまり用いられた形跡がないのは、
破壊力はあるけど命中精度が低すぎて
味方まで危険にさらしかねないからだったりして
モンゴルは軍隊の性質上攻城兵器バラして運んで組み立てる技能に習熟してたか そういう技術者囲い込んでたんじゃねえの
642 :
世界@名無史さん :2008/05/24(土) 10:12:56 0
投石器って元々バラして運んで組み立てるもんじゃないの?
現地で材料調達して組んだり。
644 :
世界@名無史さん :2008/05/26(月) 20:58:20 0
ほんとこのスレは弓矢以外の話題になると生き生きしてやがる
それか技術者連れてって作るか。地域によっては無理そうだがw
>>638 日本で発展しなかったのは、やはり山城が主だったからだろうか。
長期間城を包囲するという状況も少なかったような気がする。
646 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 00:49:16 0
日本の城郭は掘割がかなり発達してるから カタパルトで城壁だけ破壊しても意味ないんじゃね?
647 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 00:53:34 0
平城でも何重にも堀がめぐらされてて日本の城は縦深的にできてるし
日本の城の城壁は矢よけ弾丸よけ、天守閣なんざ飾り 地形と土塁と堀と、支城ネットーワークによるゲリラ戦で守る形だから 大型攻城兵器の出る幕はひどく限定されるだろね
工兵がいっぱいいたほうがいいよね
650 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 17:21:53 0
欧州でも火器の発達以後はヴォーバン式みたいな縦深式のが主流になったし 攻城兵器を防げる城壁を作れない日本の環境がそうさせたんだろうな
というか日本では攻城兵器が向けの平城が出現した時には もう火砲あったからな それも大坂城と原城くらいしか火砲使った城郭攻防戦の機会が無くて ヴォーバン式みたいな火砲対応型の城構えを研究する理由も 幕末まで存在しなかったってことだろう
ところが平城の熊本城は火砲にもかなり抵抗できた 天守閣が焼け落ちようが、塀が穴だらけになろうが、内部施設が半壊しようが、落ちなかった 対地震石垣は大砲にも強かったし、堀は相手が広げてくれた 薩軍の力不足もあるが、平城でも日本式なら攻城兵器にも対応できたかも でも空爆だけはかんべんな!
兵器や城砦に限らず、欧州はとにかく極端に発展させるのが好きだからな
異常な高髪が流行した時は髪をシャンデリアにぶつけて死亡したり、結い直す金を惜しんでシラミが大量発生したり
巨大クリノリンが流行した時には階段で足ひっかけて転倒して大怪我したり、暖炉の火が燃え移って死亡したり……
もちろん戦争とかでも例に漏れず、
ひたすた高くて分厚い城壁を作ろうと数メートルの厚さの石壁を作ったり(これは効果的だったが)
数=強さのテルシオが戦場の主役になったせいで各国の軍が急激に膨れ上がったりとか
互いに回り込もうと塹壕を掘ってたら万里の長城に匹敵する塹壕が出来上がったりとか……
>>651 そして幕末、せっかくヴォーバン式に倣って作ったのに
砲の進化のせいで殆ど役に立たなかった五稜郭が登場するんですね、分かります^^
654 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 21:35:25 0
日本と西洋では発想からして根本的に違うしな 銃剣なんかは日本では絶対発明されなかったと思うし >シャンデリアにぶつけて死亡 デンプンのりで固めた鬘だし、さぞかし良く燃えたんだろうな
>>652 そういや会津若松城もアームストロング砲の砲撃食らっても
一月くらいはもちこたえたんだったな
最後も城方の自発的開城で突入制圧された訳でも無いしな
656 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 01:18:04 0
>>654 >銃剣なんかは日本では絶対発明されなかったと思うし
こりゃまたなんで?
日本では弓兵用に弓に取り付ける銃剣ならぬ弓剣があったから発想自体は大して違わないんじゃ?
個人的にはオスマン帝国のイェニチェリが銃剣の導入に強く反対してたという方が謎だ。
戦国時代に火縄銃につける銃剣もあったと思ったが・・・
>>657 正解はしらないんで推測だが、イェニチェリは結構宮廷軍事文化の塊みたいな存在だから
そういう現場で生まれてきたちゃんぽん品には抵抗があったのでは?
ある程度高い階級を与えられた軍事組織って、勃興時は素晴らしい能力と成長を見せるけど、
その成功のせいで、硬直化していくイメージがあるんだ。
>>658 俺もどっかで見たような気がしたから記憶を探ったら、
自分の記憶にあったのは戦国無双だった/(^o^)\
はず槍が有ったんだから銃剣の発想は確実に有っただろうな、試作品くらいは作ったと思う
普及しなかったのは鉄砲組と槍組のセット運用で事足りてた時点で戦争なくなっちまったから
火縄銃が重くて槍を付けても使えなかったんじゃないの? 火縄銃10sぐらいで、銃剣を付けるマスケット銃とかは5sぐらい
664 :
世界@名無史さん :2008/05/29(木) 21:34:59 0
>>663 重いという以前に、マッチロックのマスケットに銃剣つけて白兵戦やったら、
敵兵に力任せに突き刺した途端に、火蓋とか火鋏が壊れると思うぞ。フリント
ロックみたいにハンマーが強力なスプリングで固定されるようになれば、発火部
も相応に頑丈になるが。
それに、歩兵は短剣を持っていたから、そっちを使う方が手っ取り早いだろう。
火縄銃の時代は速射性がないから騎兵の突撃を槍隊で食い止め 銃隊が撃つって方法しかないけど、銃の性能が向上すれば銃撃だけで 騎兵突撃を阻止できるようになるから槍の出番が減る、でももしものときの ために槍も欲しい・・・ってことで槍のかわりに使える銃剣が登場って感じじゃないの。
性能向上もあるだろうけど、銃兵の割合が増えたからかな 銃兵が増えた分だけ、防御用に槍兵増やすのは無理な話しだし
確か銃剣は、ピストル騎兵に重装騎兵が駆逐されたあと、胸甲騎兵などとして限定的に復活した 騎兵に対抗するために、槍の代役として台頭したのがそもそもの初めじゃなかったろうか。 火器の発達とヨーロッパの戦争だったかな?
>>667 中世末期以来伝統的になった「パイク兵でマスケット兵を援護する」っていうノリを
パイク兵が勿体無くね? → 火器を持った歩兵が近接戦闘出来れば不要じゃねーの?
っていう感じで改善したんじゃなかったか
あとピストル騎兵は重装騎兵を駆逐してないと思う
初期のピストル騎兵の役立たず具合は物凄い
>初期のピストル騎兵の役立たず具合は物凄い 三十年戦争の頃までにはピストルの性能も上がって 機動力を生かせば相当な戦力になってた筈だが もっと初期の事言ってるんだったらすまん
たしか、18世紀に弾丸の形状と火薬の改良があって、通常の歩兵が装備できる胸甲に意味がなくなったのが原因じゃなかったかな。 @銃の威力上昇 A相対的に胸甲の価値減少 B金かかるし胸甲やめてみようと試験部隊が発生。短剣で十分殺傷できる程度まで防御力低下 Cついでに時代の流れから陣地戦の重要性も高まってきた→工具を運びたい DBCの理由からハルバード、パイク不要論発生 E代わりに銃剣でもつけてみるか。→意外と悪くなかった。 こんな説明をどっかの銃スレで読んだ覚えがある。
そういや18世紀中盤のオーストリア軍の教練書には ハルバードの訓練法とかもバッチリ記されてたらしいな さすがオーストリアだわ(´・ω・`)
銃・火砲の歴史スレかと思った
>>667 逆だよ。パイクが戦場から消えたので一旦戦場から駆逐された重騎兵が胸甲騎兵として復活した。
銃剣程度ならサーベルやランスで接近戦に持ち込んで大打撃を与えることも可能というわけ。
そもそもパイク兵が消えたのは、17世紀後半パイク兵と着剣マスケット銃兵が並存していたころ、
パイク兵でも激戦になればマスケット銃を拾って使うという現実が明らかになったため。
>>673 言葉足らずですまん、前半2行は俺の主張と同じだ。
あと、確かに銃剣じゃ騎兵突撃を止められるか疑問だ。
>>668 ピストルを考慮しないなら、銃兵が単独で重装騎兵の突撃を跳ね返せる算段が立つまで
パイク兵は減らせないと思われ。
そして銃兵の火力で圧倒したという説は、のちの騎兵が証明しているように側背面や隊列を崩した後の騎兵突撃は
大いに有効だったことから、重装騎兵衰退の原因としては薄いと思う。
機動力の面で置き換えられたとするには、ブランクがあるようだし。
重ねて訂正。前半2行じゃなくて1行だな。 酔ってレスするもんじゃない。反省。
>銃剣じゃ騎兵突撃を止められるか 止められないからこそ三兵戦術が誕生したんじゃね?
銃剣で騎兵突撃に対抗する場合ってのは 騎兵の突撃を受けてる部分だけが頼り無い銃剣で身を守りつつ 他の銃兵は至近距離で騎兵に銃撃を行ったんじゃないの? 別に全員が銃剣で戦うわけじゃないと思うんだが だいたいパイク兵の密集陣形が真価を発揮するのは 「助走距離=威力」のランス・チャージが基本戦術である 騎士が相手の場合だろ。騎士は接近戦や乱戦には比較的弱いから スイスなんかでもハプスブルク家がフルボッコにされたわけで、 初撃の威力や精神的な威圧に耐え切れば騎士なんて大した事無くなる マスケットはプレートアーマー余裕で貫通するしな 逆にキュラシールやユサールみたいな軽快で接近戦に強い騎兵の場合、 一度接近してパイクの隙間に割り込まれてしまえばパイク兵は無力になるし それならマスケット兵に銃剣で最低限の白兵戦能力を持たせてしまって 「周囲の部隊が騎兵を撃退するまで銃剣で耐えろ」ってする方がいいい
>>677 >騎士は接近戦や乱戦には比較的弱いから
隊列を乱すことが即敗走につながる密集パイク兵より乱戦に弱いようでは騎士など全くの役立たずですね、わかります。
>一度接近してパイクの隙間に割り込まれてしまえば
長槍で体中を串刺しにされながら「自由の途はここにあり!」と絶叫するんですね、わかります。
>初撃の威力や精神的な威圧に耐え切れば騎士なんて大した事無くなる それが難しいんだけどな。社会的身分としての騎士の優位もあって 「俺達は騎士には勝てない」っていう固定観念が染み付いてるから ウラーとかURYYYYYYY!とか雄叫び上げて突撃する騎士が 物凄い存在感で味方を串刺しにしていくるのを見て、大抵の兵は戦意を喪失する テルシオに突っ込んでいった騎士は逆に自分が串刺しになるんだけどなwwwwwwwww >長槍で体中を串刺しにされながら「自由の途はここにあり!」と絶叫する ちょwそっちじゃないだろww逆wwww
680 :
世界@名無史さん :2008/05/31(土) 17:09:18 0
プレートアーマーってのは実際の防御力はともかく、見た目からして一般人を威圧するからなぁ しかも鎧の中身は戦闘のプロで、1人で歩兵数人を相手できるくらいの実力は持ってるわけだし 馬に乗ってランスを構えた見渡す限りの騎士が、砂煙を上げて自分達に向かってくるのを見れば 本能的な恐怖も引き起こるだろうさ。最前列の兵士なんかは確実な死が待ってるようなもんだし それが名の知れた勇猛な騎士の紋章なんか付けてたりしたら尚更だし 対抗する為には自分達も騎士道に則って戦うか、圧倒的多数で一斉に攻めるか、 スイスやモンゴルみたいに屈強な歩兵が恐れを知らないクレイジーな強襲を行うか テルシオみたいに馬の速度を遅めざるを得ない状況に追い込むしかない
弓や剣とかと違って、ランスチャージをまともに食らった場合 下手するとマスケットに匹敵するような威力があるわけだからな ていうかここは弓矢スレだろ。テルシオに弓兵がいるか?騎士が弓使うか?
このスレほど 弓矢以外の ヨーロッパの武器や戦術について楽しく語られてるスレは珍しい
うーん、まぁ確かに最近の流れだけ見てもスレ違いと言われれば反論はできないな。 でも、どの武器も時代背景と他の武器との関係で成り立っているものだから、 比較論をするためにも、多少話が混じってもいいのでは? 個人的には、最近の流れは以前に議論になっていた「鎧vs弓矢」というテーマにかえて、 「次世代射撃武器である銃で置き換えた場合」、 「弓矢とは別に対騎士として発達したパイク兵のメリット・デメリットを弓矢と比較」 という別の議論を生み出すための前哨と見ているよ。
じゃあ何を話そうか、パイク兵のデビュー戦となったアルベドの戦いでは ミラノ軍のクロスボウ兵が側面へ迂回した後に騎兵が正面から突撃して スイス兵をさんざんに痛めつけたわけだけど、こういう弓兵に大きな機動を 行わせる戦術ってどこ・誰が嚆矢になったんだろうね。 やっぱロングボウの父エドワード1世のスコットランド制圧だろうか? 古代の歩兵(弓兵)と騎兵の役割がまるで入れ替わった点も興味深い。
嚆矢、となると難しいな。 後のヨーロッパ戦術に手本とされたかどうか疑わしいけど、 四大指揮官の一人、ジンギス・カーンのインダス河の戦い(1220年)は、その例になるかな。 東に川、西に山地の狭隘地に展開されたホラズム軍に向かって北上するジンギスカンは、 一部の部隊を馬から降ろして山地に潜伏展開させる。 本隊を突撃させて、ホラズムの注意を前面に向かわせたところで、山地の部隊が敵の後方から弓と剣の波状攻撃を加えた。 狭隘地が災いして、ホラズム軍は包囲殲滅を被ることになった。 この戦いのポイントは、モンゴル側の方が倍近い兵力を擁していたためにホラズム軍が有利な地形から出てこないという 消極性が逆手に取られたこと、地形的障害をものともしない兵種が歩兵であったこと、かな。
686 :
685 :2008/06/01(日) 00:55:10 0
>>684 私見だが、歩兵と騎兵の役割の入れ替わり、というよりは、戦闘のスケールがより大きくなった、
ということではないかな?
優勢な騎兵戦力を持つ側は、それを最大限に生かせる地形をとろうとするけど、
ハンニバル戦術が一般的になる頃には、劣勢戦力側も何か対策をとるようになる。
戦術に対して同じ戦術レベルでの対抗策を編み出したカエサルはちょっと例外として、
通常の指揮官は、その騎兵戦力を殺ぐ地所に誘導できるよう努力するだろう。
上で上げたホラズムなんかがその例だ。
で、インダスでは山岳地形をモンゴル側に奪われたけど、後の近代戦の感覚からすると、
ここに対騎兵戦力となりうる部隊を配置しておくのが常道。
要は逆包囲作戦というわけだ。
その場合、地形適性が良い部隊がいいんだが、現代にいたるまで歩兵がその役割を担っているんだ。
アルべドもそうなのではないかな?
アルベドの戦いは迂回戦をするに当たって下馬した騎兵より、 歩兵のほうが機動力があるからそちらを当てただけで そしてたまたま歩兵の主力兵器がクロスボウだった。とかじゃないのかな? 最初の一手で騎馬突撃を放棄できたミラノの指揮官がすごいって話で
テルシオみたいに槍の間から銃撃はしてこないとはいえ、 針の山の如きパイクの密集陣形に突撃(特にランスチャージ)は自殺行為だからな それでも突っ込んでいくような馬鹿指揮官もいたって言えばいたんだろうが 仮にも北イタリアきっての精鋭なんだからそのくらいは分かる筈 ていうかイタリアの歩兵戦力って大抵弓矢じゃないか?サラセン系の軽装弓兵だったり クマン系の騎馬弓兵だったり、ジェノバとかのイタリア人クロスボウ兵だったり
クマン人傭兵ってイタリアでも戦ってたの?
クマン人は中欧や東欧だけだとばかり
>>688 馬鹿指揮官ばかりでごめんなさい><
後の指揮官たちがアルべドという先例が有りながら
なぜ騎馬突撃にこだわったのか
>>691 「勝てないかも知れないけど、それでも俺は騎士の戦い方を貫く。
この程度の試練も乗り越えられないで騎士を名乗る資格は無い!」
ってノリの昔かたぎの指揮官とか
「槍構えてたって所詮は百姓同然の奴等なんだから
俺達がランスチャージしたら脅えて逃げ出すだろ」
ってノリの慢心した指揮官とか
「え?槍の隙間を縫ってランスチャージすればいけるんじゃないの?」
ってノリの馬鹿指揮官が多かったんじゃね?
乗馬した騎士>>>>>歩兵 くらい有利なのが、下馬してしまうと 下馬した騎士>歩兵 くらいになるからなぁ 「パイク兵って言っても歩兵だろ?アルベドでも勝ったじゃん」 みたいな妙に歪んだ情報が蔓延してたんじゃないかと思う
>>691 下馬突撃の成功例あればもっと昔のゼンパハとかポワティエなどという失敗例があるわけで。
アルベド以降の戦い、ブルゴーニュ戦争では騎馬突撃に頼ったというより、ロングボウや野戦砲で
打撃を与えてもスイス軍はジリジリ前進を続けるので、崩しが不十分でもやむを得ず突撃させられ
敗走に至るというのが基本パターンになっている。
アルベドの戦いでは横からの射撃で十分に陣を崩せたからこその勝利なわけで、これはスイス軍の
粘り勝ちというべきだろう。
指揮官のブルゴーニュ公は「突進公」なんて二つ名をつけられるような人物だが、密集歩兵の大敵
ロングボウ兵・野戦砲を大量に用意している。油断や侮りはそう大きくないと見るべきだ。
シャルル・テメレールの場合、出陣するまではともかく いざ戦争に突入したら武器の豊富さとか兵の熟練度を信頼しすぎて慢心するタイプだと思うんだ でなけりゃナンシーで桶狭間並みの失態を犯して戦死するような真似はしないし
スイス兵「UUURRRYYY!!!!!!!!!」 シャルル「な、何をするだァー、ゆるさん!」
弓で爆弾飛ばしてたのっていつ頃の話?
その史実は初耳。 プレデターでシェイファー大佐がやってたのぐらいしか知らない。
ランボー3とかな
一次大戦の頃、トレビュシェットで手榴弾飛ばしてたのは聞いた事ある
そもそも弓で爆弾って飛ばせるのか?
グレネードくらいならなんとかなりそうな
飛距離がでなそうだな、普通にスリングでいいじゃん
オスプレイの「サラディンとサラセン軍」で セルジューク兵がバリスタのようなもので 爆弾を飛ばしてるイラストがあったな。 十字軍の頃。
つまり巨大パチンコか 少なくとも弓矢じゃないな
……お前ら、じつは弓矢に興味無いだろ?
スレも後半だし、既にネタ切れになってる感があるね 次スレは銃砲以外の飛び道具総合にした方が良いかもね 次スレあればの話だが
話題も無いようなので個人的な疑問を。 大雑把な話になってしまうかもしれんけど弓の威力てどんなもんだろ? クロスボウなんかだと矢が人体貫通してしまうとか何かで読んだ、 某アニメみたいに頭や腕がもげたりはしないだろうけど・・・
>>18 みたいな無茶苦茶な例もあるからなあ。
というか当時のインドでどういう弓を使っていたのか。
>>710 情報サンクス
古代インドだと、自分の知ってる例ではアレクサンドロス大王と戦った
ポロス王の弓兵は竹製のロングボウで重く長い矢を放ち、連射性能では劣るが
威力が高かったとのこと。
クイントゥス・クルティウス・ルフスのアレクサンドロス大王伝がソースらしい。
自分ではまだ確認してないけど。
>>711 ルフスのアレクサンドロスか…。
読み物としては面白いんだが、資料としての評価は高低激しいからなぁ。
オーソドックスなアッリアノスの東征記の5巻にはその記述はないんだな。
>>437 > @時代 @武器 @イニシャル・エネルギー
>
> 全時代 剣、斧 60-130J
> 11-12C ロングボウの矢 80-100J
> クロスボウのbolt 100-200J
> 14C 初期のHandgun+serpentine powder 250J
> 15C フス戦争期のHandgun+serpentine powder 500-1000J
> 16C 火縄銃+serpentine powder 1300J
> 火縄銃+corned powder 1750J
> 16C後期 マスケット+serpentine powder 2300J
> マスケット+corned powder 3000J
ちなみにM16なんかの5.56x45 mmが 1550J
クロスボウで200Jしかない?速度が全然低いんだろうか、
マスケットの3000Jがすげえな、頭吹き飛ぶだろうね。
やっぱ矢もboltも刺さって突き抜けるだけでそれ以上の破壊はおきそうにないな。
ちなみに矢が当たって人間がはね飛ばされる事は絶対にない、現代のライフルで撃たれても人間がはね飛ばされる事はない。
M82やM2で撃たれた場合、跳ね飛ばされる以前にバラバラになるって話だしね
まぁ跳ね飛ばす前に貫通するわな、 豆腐にパチンコ玉投げつけるようなもんだ
>>714 だからこそ高級な板金鎧(弓矢くらいなら弾く)着た騎士が
パイクの密集方陣の中から一斉射撃されたアルケブスにフルボッコにされたんだろ。
一番重要な胸甲だけは異常に分厚く(銃弾が貫通しないくらい)なって残ったが
矢に当たって跳ね飛ぶと言うより、突然視界に入ってきた弓矢を本能的に避けようと後ろに跳び退って
そのまま着地する前に矢や弾丸で頭を貫かれた場合、後ろに向かって跳ね飛んだようになるじゃね?
>>714 >現代のライフルで撃たれても人間がはね飛ばされる事はない。
戦中の多くの戦記や現代の戦例を見る限り
跳ね飛ばされることは無くても(跳ばされることも有る)立っていることはできないよ。
といってそのまま死ぬとは限らないが。
>>717-718 「銃弾で吹っ飛ぶ」とか「本能的に飛び退る」というより、
筋肉が硬直して跳ね飛ぶ形になったり、逆に筋肉が萎縮して立ってられなくなるんじゃないの?
そこらへんの話題になると、外傷医療関係のスレに確認に行った方が良さそうだな。
>>719 辺りが妥当なんじゃないか?まあ実際吹っ飛ぶ事もあるんだろうってくらいで。
すぐ話題がズレて弓矢関係なくなるのはこのスレの悪い癖だわ
イラク兵がアンチマテリアルライフルで狙撃される動画を見たが ブッと後ろに血が飛びちって、そのまま崩れ落ちる感じだったなぁ 物理的な力で跳ばされることなさそうな
弾頭の種類と速度によってはそうなることもある。
……次スレは弓矢じゃなくて銃器の歴史にするか?
そしたら弓矢のネタで溢れかえるわけだな
>>724 現代兵器オタが沸くからやめて欲しいわ
中近世の話をgdgdやってる方がまだマシ
>>714 先の尖った鏃と、初期の球形の弾丸だと貫通するのに必要な力も段違いだから
鋼の鏃なら200Jあれば貫けるものが、弾丸だと1000J以上必要だったりする
ここはオアシスだな。
>>714 あと球形の弾丸だと空気抵抗で減衰するのが早い。
そういや中国でもヨーロッパでも初期の大砲は 球形の砲弾でなく巨大な矢を発射することがあったらしいね。 李氏朝鮮なんかでは16世紀になっても使ってたようだが。
>>731 鉄の砲弾自体が革新的なアイデアだったからな、元は射石砲だし
>>731 たしか日本の海賊(瀬戸内のとか)が使ってたよな、棒火矢ってやつだっけ
単に船体に穴あけるだけの豆鉄砲より、海戦では火矢の方が効果的なんだろうな
木造船の一番の敵は火だからな。
>>733 ,
>>734 和船みたいな隔壁の無いタイプの舟は
大砲で大穴空けられても沈みやすいよ
小銃はあくまで乗員の殺傷を狙うものだけど
>>735 オスプレイは再現図が良いよな
基本的な雰囲気だけなぞるのには最適だし
どちらにせよ当時の海戦の主力は砲撃による撃沈ではないからなぁ。
>>737 火力が圧倒的に足りないからな
三島水軍の火責めとか、信長の鉄甲船が恐れられたのは
接舷して攻撃を仕掛ける前に船を撃沈させられたからだし
火器の誕生とヨーロッパの戦争 が図書館にありました。なんとかレポートがかけそうです。ありがとうございます
相変わらず弓矢の話してない奴等だなぁ
じゃあキラースティックの話でもする? あれってブーメランみたいに立てて投げるのか、横に寝かせて投げるのかどっちなんだろ? ググってもでてこないんだよな、弓より古い射程武器でバリエーションも多くて面白いと思うんだけど。
弓ですら水平に撃ったり曲射したり、状況に合わせて撃ち方変えるんだから 原始的な投擲武器は基本的に「正しい使い方」なんて存在しないと思うんだが
ブーメランは立てて投げるんだよ、
746 :
世界@名無史さん :2008/06/23(月) 20:34:04 0
以前話題になってたルフスのアレクサンドロス大王伝にある インドの弓の描写について読んでみたが(第8巻) 「王の一番の重労働は、狩猟の際、愛妾たちの祈りと歌の中、囲いに入れてある 動物を射るというものである。矢は二腕尺(約90センチ)の長さがあり、それを 放つには効果に見合わないほどの労力を要する。というのも、この種の武器の 威力はもっぱら軽量性に依存しているのに、過大な重みがかかっているからである」 (9章28) 「異民族は弓矢を役立てることもできなかった。なぜなら、矢が長くて重く、まず弓を 地面に立てなければしっかり正確につがえることができず、そのうえ滑りやすい地面が その試みの邪魔になり、狙いをつけようとしても敵の速さに追いつけなかったからである」 (14章19) 弓を長くすればその分矢も長く重くなるわけだが ローマ人はロングボウを否定的に見ていたのか?
>>746 >弓を長くすればその分矢も長く重くなるわけだが
>ローマ人はロングボウを否定的に見ていたのか?
自分で「14章9」の方に挙げてるように
巨大な弓について「メリット<<<デメリット」だと思ってたんだろ?
イングランドとかのロングボウと ただのデカい弓は別物だろ
同じだよ。違うのは使い手の能力と運用の仕方。
750 :
世界@名無史さん :2008/06/23(月) 22:52:22 0
RTS系のゲームだと 騎兵>飛び道具>近接歩兵>騎兵 っていう序列が良く見られるんだけど 実際の戦場でもこういうのはあったんだろうか?
時と場合によるとしか
馬上でロングボウ運用する日本のやり方ってのはかなり特殊なんだろうかね
ギボンのローマ帝国衰亡史にあるスキタイの弓についてのプロコピウスの主張。 「確かにこの軽蔑は、昔トロイアの戦場に徒歩で現れ墓石の蔭か友人の楯の後に 身を潜めて、弓の弦をやっと胸まで引いては気の抜けた弱い矢を放った裸の若者 には当てはまろうが(とわが歴史家は続ける)、わが国の射手隊は鞍にまたがって 見事に馬を乗りこなす。彼らの頭と肩は兜と円楯で保護され、足には鉄の脛当てを 履き胴体は鎖かたびらで覆われる。彼らの右の腰には矢筒、そして左には剣が下がり 彼らの手は接近戦に際して槍を投げるのに馴れている。彼らの弓の弦は強くて重い。 彼らは前へ後へ或いは両脇へと、どんな方角へも前進ないし後退しつつ弓を射る。 彼らは弓の弦を胸元まででなく右の耳まで引き絞るように教えられていて、彼らの 矢柄の激しい勢いを食いとめる鎧はよほど堅固なものに相違ない。」(第41章) 時代が変わればローマ人の考えも変わるのね。
>>750 ケースバイケースだな
例えば騎士(重騎兵)と歩兵(弓兵含む)の強弱関係を例に挙げても、
純粋に障害物の無い平原で戦えば騎士が圧倒的にジェノサイドできるが
自然の地形(cf.モルガルテン、ゼンパハ、ポワティエなど例だらけ)とか
天候による地盤の変化とか人為的に設置した障害物(cf.クレシー)によって
軽装歩兵やら槍兵やら弓兵やらが騎士を圧倒したりする事も多い。
特に”騎士の戦い”の場合、一旦戦闘開始したら戦術も糞も無いから
「いかに自軍の力を最大限発揮できる布陣に持ち込むか」が重要だから尚更
>>753 フン族の侵入後「スキタイ弓」がビザンツ軍の装備に採用されたんだっけ・・・
>>754 だからマルヒフェルトみたいに、たった数十騎の奇襲で
精鋭揃いの主力部隊が総崩れになったりするんだよな
>>752 地形や体格の問題で騎兵に突撃される事がなかったってのが大きいと思う
突撃騎兵と弓騎兵だったらだいたい弓騎兵に突撃をかわされるパターンが多いような。
騎兵の突撃が有効なのは密集した歩兵どもを側面から削るときであって そんな大群で戦闘するようになって武士=槍になるのは随分後 「やーやーわれこそはー」 って名乗って自分の先祖とかも讃えながら戦闘開始 馬に乗って和弓で矢が尽きるまで遠距離で打ち合って それでも決着が着かなかったらやっとこさ接近 下手するとこの時点で帰るってのが珍しくなかったそうだ 当然、弓騎兵相手に槍持って突撃しても射殺されるだけ
>>760 こんな作り話を本気で信じてる奴がいるとは・・・
>弓騎兵相手に槍持って突撃しても射殺されるだけ んなこたぁーない スキタイ人もアレクサンドロス大王の槍騎兵に突撃されて負けたりしてるよ。 ササン朝のサヴァランも白フンに突撃してたし。 あと共和制ポーランドでは時代遅れな槍騎兵をずっと使い続けてたらしいけど モンゴル人との戦いではほとんど負けたことが無いそうだ。
>>760 作り話じゃないのは確かだが、実際にそういう戦いは皆無だろうな。
同様のことがヨーロッパの「騎士の戦い」にも言える。
本来の騎士の戦いってのは
両軍が向かい合って隊列を整えた所へ、腕に覚えのある騎士が単騎で登場。
↓
敵側からも同様に勇者が登場し、槍と盾を構えて双方ランスチャージ。
↓
決着が付くまで槍を交わし、片方が捕虜になって決闘終了
↓
これを騎士達の騎士道精神が満足するまで繰り返す
↓
満足したら双方の了解を得て戦闘を開始
↓
もちろん騎士を殺してはいけない。捕虜にするだけ
っていう感じだが、実際のところこんな戦いは中世欧州でも数えるほど、
それもイタリアや南仏・南独みたいな騎士道精神の権化みたいな土地だけ。
余裕が無い時には騎士もブチ殺される事多かったし、捕虜になったらなったで
扱いが非常に劣悪だったりしたわけで。「武士の戦い」も同じだろ。
>弓騎兵相手に槍持って突撃しても射殺されるだけ
ランスチャージを甘く見すぎだろ……お前馬鹿か
>>762 ポーランドの誇る時代遅れの槍騎兵は、非常に巧妙な機動戦術を用いて
ドイツの誇る最新式の戦車師団を翻弄しまくったそうだ……結果的には押し潰されたけどな
>>763 騎士の場合、戦いの前の決闘では「片方捕虜になって決闘終了」じゃなくて
「片方が絶命して決闘終了」だろ?落馬しても剣を使って死ぬまで戦うし
いや、殺されないで終了することは珍しくない その場合、従者が出てきて身代金の交渉 捕虜になった場合、鎧だとか馬で身代金を払わなきゃならなかったりもする 払えないとその捕虜は殺される 騎士にしたって圧倒的に劣勢になって身代金を払える立場なら とりあえず正々堂々戦って負けたということにして捕虜になるだろう
そりゃ集団戦なら百本の矢が飛んできても百一人いれば突撃出来る!って考え方が出来るけど タイマンじゃ無理だろ
>>765 ていうか騎士を捕虜にするのは身代金が主目的じゃね?
下っ端の弓兵や歩兵が手柄を立てて高位の騎士を捕らえた場合、
故郷に帰って領主になれるような額の身代金が手に入るわけだし。
宮廷での位が公爵とか伯爵とかになってくると身代金も金貨数千枚だもんな
ドゥカートだかグルデンだかフローリンだか知らんけど、今で言えば数千万円だぜ
たまにおえらいさんが下っ端に「騎士を捕虜にして身代金欲しがるなよ!!(容赦なくぶっ殺せよ)」って仰る戦争もあるしね
>>767 みたいな理由もあって、
弓兵でも剣や斧で戦うのは普通だったみたいだな
>>768 クレシーなんかはその典型例か。いちいち捕虜にする余裕が無い時とかには結構多いと思う
捕虜だけじゃなく略奪も禁じた(略奪してる余裕があったら次の奴殺せ)時もあるしな
まあそれでも指輪とかの小さな装飾品はなくなってたりしたそうだが(クレシー戦後)
身代金取れそうにない相手は容赦なく殺すから恐ろしい 将棋だととった相手のコマを自分が使えるのに
>>770 逆に高位の騎士(君主や公爵クラス)だと、敵対国に捕まった場合
自国が貧乏で身代金を払えないのを良い事に拘束され続けたりする
リチャード獅子心王なんかはその被害者の典型例だし
日本の武士みたいな弓騎兵って揃えるのに時間掛かるけど最強
また「弓騎兵相手に槍持って突撃しても射殺されるだけ」って主張か・・・
>>772 練度の高い弓騎兵が歩兵や重騎兵にフルボッコにされた戦いなんて腐るほどあるんだが
ゲームじゃないんだから、圧倒的に有利な兵種なんて存在しないよ
兵数が多いから有利ってわけでもないし 弓が常に相手を串刺しに出来るわけでもないし 騎馬がいつも機動力をフルに生かせるわけでもないし 弓兵が馬に乗ってる事もメリットになったりデメリットになったりする 極端な話、封建的制度の下にある武士集団でモンゴル軍団を跳ね返す妙技や 槍騎兵連隊でドイツ戦車師団を撃破したりする離れ業も事実上可能なんだから
ぞ、象騎兵はっ!?象騎兵はどうなのっ!?
騎士や武士の最大の弱みは「個人主義」って事なんだよなぁ クレシーとか見てるとほんとそう思う。 国王が一旦停止を命じたのに、騎士が異常に多い(しかも全員勝利を確信)せいで 「あいつに先を越されるな」「前の奴を出し抜いてやる」「俺が先陣切る」って感じで 手柄欲しさに前進する騎士が多くて、それに押される形で殆どの騎士が停止出来ず、 そうやって強引に前進を続けたせいで隊列が乱れて行軍の疲れを癒す暇も無かった。 武士の戦いは詳しくないが、日本にもそういう時ってあるんじゃないの?
>>777 クレシーの戦いやニコポリス十字軍の騎士たちの猪突猛進振りは
個人主義がどうとかいうより「集団心理による暴走」といったほうが近いような
>>778 それは実は777の意見と同じではないかな?
集団心理ってのは、かならずしも集団内での意思疎通が働いている状況ではないから、個人主義とは二律背反しないよ。
その二つの事例では個々人の判断で「まずは俺が」っていう個人主義を「みんなが一様に」発揮してしまったことで、
暴走に歯止めが利かなくなったように思える。
「まずは俺が」か、或いは「みんな行ってるから行かなきゃ」なのかの違いは有ると思う。
>>780 クレシーの場合
■ステップ1:個人主義的騎士
騎士A「まずは俺が先陣切るから前進するぜ」
騎士B「いや私達が先陣任されてるから前進するなよ」
騎士C「お前等なんかより拙者の方が強いから先陣な」
騎士D「いやいや我輩だろ常識的に考えて」
■ステップ2:集団心理(前編)
騎士E「なあ、後続の奴等が止まらずに前進してるんだが」
騎士F「ちょw国王陛下が停止命令出しただろうがwww」
騎士G「ちょっと後ろのお前等、止ま……っとと、押すなって」
騎士H「おいおい、なんか俺達前に押し出されてねーか?w」
騎士I「あーもうこうなったらヤケだ、こっちも負けてたまるか!」
■ステップ3:集団心理(後編)
騎士J「なんか周りの奴等どんどん前進してね?」
騎士K「おいおい、こんな後ろにいたら手柄立てられないぜ」
騎士L「とりあえず前進しようや、置いてかれるのは騎士の恥だぜ」
騎士M「だな。なんか俺達だけ止まってるのも変だし」
■ステップ4:被害者(陽気なクロスボウ傭兵達)
ジェノヴァ人クロスボウ傭兵(以下クロス兵)A「疲れました><;」
クロス兵B「だな('A`)ちょっと休憩し……」
王の使者「おいお前等、突撃開始しろ、騎士が戦を求めてる!」
クロス兵C「ちょww俺まだ大盾すら持ってないwwwwww(;^ω^)」
クロス兵D「こっちは弓の弦の調整まだなんだけどwwwww(;^ω^)」
クロス兵E「俺なんか丸腰wwwwwちょっと待ってくれwwww( ;ω;)」
王の使者「うっせーお前等傭兵だろ、ならさっさと行けバカ!」
クロス兵F「ちょwww剣で脅すとかお前酷すぎ\(^o^)/死ねってかwww」
クロス兵G「しかも雨降ってきたwww弦が濡れちゃいます><;」
■ステップ5:作戦立てるイングランド陣営 黒太子「なあ、フランス王の軍ってあんなバカばっかなの?」 側近A「ええ、全員バカですね。間違いなく」 側近B「正確には騎士という名のバカの権化です」 黒太子「……これは勝算あるわ。軽装歩兵で撹乱しつつ弓兵で圧倒、 削りきれない騎士は柵で誘導してこっちの騎士とぶつける」 側近A「了解しました」 黒太子「あと騎士は全員殺せ。略奪してたら流石に負ける」 側近B「合点承知」 ■ステップ6:敗北 騎士N「なにこの障害物の嵐wwwwwwwww」 騎士O「避けろよ、転んだら歩兵の餌食だ」 騎士P「んな事言っても前からは長弓飛んでくるしwww」 騎士Q「UUUURRRRYYYYYYYY!!!!!!!!」 ■ステップ7:反省会 国王「さあ、何で負けたんでしょうね?(お前等が命令聞かないからだよバカ)」 貴族A「イングランドの長弓が強かったせいです!」 貴族B「その通りです!」 貴族C「その通りです!」 国王「へー、そうですか(UZEEEEE!!!)」 かくしてイングランドの長弓兵は伝説に
そういやクレシーの時のジェノヴァ弩兵ってジェノヴァ市から来た連中じゃなくて リグリアの西の端のほうの当時ジェノヴァに反旗を翻していた都市の連中だったそうですね。
>>782 どうせなら
イングランド長弓兵「左翼、弾幕薄いよ!何やってんの!」
とか
盲目王ヨハン「お前等と俺の身体を縄で繋いで戦場に誘導しろ!突撃すっぞ!」
ボヘミア騎士A「さすが国王陛下!俺達に出来ない事を平然とやってのける!」
ボヘミア騎士B「そこにシビれる憧れるゥ!」
とかやって欲しかった
黒太子「俺は騎士道に基づいた戦いをやめるぞフィリップゥゥウウッッ!」 尊厳王「な、何をするだァー!ゆるさんッ!」
だからさ、弓の話を……って言っても無駄なんだろうなこいつら
世界史板らしからぬネタに溢れてるんだよな、このスレ もっと痛々しくて古臭い雰囲気が漂っててこその世界史板なのに
メイドスレなんか半角の連中に占領されてるんだから、ここはまだマシな方だろ
クロスボウに梃子を使った弦を引く道具(リローダー?)ってあるけど あれってレバーアクションのショットガンじゃないが内臓出来なかったのかな 一々取り外すか外さないかで連射スピードって全然違うと思ったんだ 構造も単純だから故障することもないだろう (同じ発想で弦を引くと同時に矢も乗っけてくれるってものが中国にあったらしいけど 連射力に偏重しすぎて威力がカスだから毒塗って使ってたらしいが) それ以前に西欧のクロスボウに連射力は求められてなかったのか? どう頑張ってもロングボウには連射力で勝てないわけだしw あと元々あったクロスボウを更に強力に張れるよう改造してそれを引けるような代物が求められるという アップグレードパッケージ的な側面もあったのかな
よく分からんが発射するときにレバーまで引っ張られて威力が落ちたりしないんだろうか。
>>789 結論から言えば、西洋のクロスボウに連射力は殆ど要らない。
クロスボウ部隊の基本戦術は交代で前方に直射する事で、
しかも矢の装填中は大盾に身を隠してる。
もちろん接近戦になったら剣や斧で戦うから援護も不要(これは長弓兵も)
日本とかにはハズヤリってあるけどクロスボウにそういうのないよね
>>789 連射力については
>>791 の通りだが、加えて言えば威力も同様。
「上質のプレートアーマーを貫けるだけの威力」さえあれば、
それ以上の威力の追求はデメリットしか生まれない。
高価で重く、メンテが面倒だけど威力が物凄いクロスボウと
安価で軽く、メンテが楽で必要最低限の威力を確保してるクロスボウなら
一般的なクロスボウ傭兵は後者を選ぶんじゃないか?
794 :
世界@名無史さん :2008/07/03(木) 21:06:21 0
矢を弾くために曲面を工夫した程度の、数mmの厚さの鋼鉄板を 衣服に括り付けてるだけのプレートアーマーが最強の防具の地域で 「このクロスボウは5cmの鉄板を貫きます!」とか言われても そのスーパークロスボウが高価で重くて複雑で手入れが面倒なら 既存のクロスボウで十分だと思うわな
795 :
世界@名無史さん :2008/07/03(木) 21:50:31 0
>「このクロスボウは5cmの鉄板を貫きます!」とか言われても 中世の技術でそれだけの威力を出せるなら、もしかしたら 投石器より正確に的を狙える攻城兵器として使え……ないかねぇ?
投石器ならって安くて簡単に組み立てられないと・・・
>>793-794 ……極端な話、中世末期の火器(タッチホール式)って
そういう感じの兵器だったんじゃないか?
弓矢を遥かに凌ぐ威力があって、扱いにも大して熟練が必要ないが、
高価だし、重いし、連射が難しいし、故障しやすいっていうデメリットがある。
金持ちの騎士なんかはハンドガン(木製)使ってたりしたみたいだし、
>>795 で言うように攻城兵器(大砲)としては活躍してたし、
マッチロック式が発明される以前、歩兵用の携帯火器が普及しなかった理由が説明できるし。
象兵か、あれ一度暴走すると止められないんだよなwエサ代もバカにならんし・・・欧州みたいに痩せた土地だと維持もできんだろうし
誤爆なのか天然なのか高度な釣りなのか・・・判断に困る
>776,に対してのレス、メシ代と暴走さえなければ象さん弓兵は無敵かもしれん。まあ大砲のでかい的だがw
暴走しない象に乗ってるなら弓で戦う意味無いだろ……
うーん、ちとずれてはいるが、全くの的外れでもないのでは? 古代の象騎兵を描いたレリーフなんかには、象の背中の籠?から短弓で射ちおろしている アフリカ人(カルタゴ人?)なんかがあるよ。 性能だけじゃなくて運用のための立ち位置も重要だとすると、 資金距離で移動しながら高度を確保できる象、というのは弓のサポート品として 考察する一利点を持っているのでは?
ビルマのパガン朝がモンゴルを迎え撃ったときは 先鋒の象部隊が蒙古弓で大量の矢を打ち込まれて 象が暴走してパニックになったところを騎兵突撃くらって負けてたが インドでも中央アジアの騎馬民族の侵略では似たような感じだったんだろうか?
あのときの元軍はアワレな象兵に対し徹底的に対策をした結果が
下馬して馬が暴れ馬になる危険を防いで先に矢を射掛けた結果なので
それを一般的と思うはどちらかというととても大反対
それに象は馬と違って簡単に人の手で繁殖させるコツはとても難しい
だから時代が下ると自然と象軍団が消滅すつる
象兵がアワレなシャリオットのように自然の成り行きで淘汰されたと
確定的に実証するのは素晴らしく難しいかもしれない
象兵が飛び道具に敗れた例はどっちか選ぶなら沢山
でもパーニパットでバーブルの象が騎兵をバラバラにしたのはもしかしたら確実
>>804 >インドでも中央アジアの騎馬民族の侵略では似たような感じだったんだろうか?
どの国のことなのか申し開きすべきなの
例えばゴール朝は歩兵が多かったので期限がどうアレ騎馬民族とかのカテゴリーライズは
どちらかというと大反対
その後時代が飛んでムガール帝国になると上で言ったように侵入者の側も象で
勝つると決意してたので例としてどちらかというと確実に適切でない
インドやビルマでは象に大砲を駄載させたりしてたな。
外人の割にはかなり上手い日本語だと思うが
パーニーパットでバーブルは象使ってたか?
>象兵が飛び道具に敗れた例はどっちか選ぶなら沢山 >でもパーニパットでバーブルの象が騎兵をバラバラにしたのはもしかしたら確実 なんかこの辺りがラップっぽくて吹いた
象を使って弓兵や弩兵を満載した塔を運ぶということもあったとか
>>809 それは断言できないしかしバーブルの代で象部隊を組織したことは確定的に明らか
>>802-803 それ以前に象兵が弓や銃以外を使うのは困難(高さ的に)象兵であるだけで選択肢は少な
しかし狩猟図には長槍でライオンを刺すものもある珍しい
>>812 確かに初期の銃は銃口を斜め下に向けただけで弾丸がコロコロと滑り落ちたから、
象銃兵とかいても接近戦になったら銃は役に立たなかっただろうな、象で突撃するしかない
>>812 相変わらず滅茶苦茶な日本語だな
あえて故事成語や外来語を多用したり、
理解しにくい複雑な日本語で会話してみようぜw
>>814 併しさふいふ事をスるト
歴史をカタる事が出来なクなる
>>804 ゴール朝のw スルターン・シハーブッディーン・ムハンマドの軍が第一次タラーインの戦いで
インドのラージプート諸侯軍と戦った時は、ゴール朝軍は単なる掠奪遠征のつもりだったみたいで
けっこう軽装備の騎兵部隊だったらしい。そのため、プリトヴィラージャ3世が大軍を率いて
本格的な迎撃に出たため、ゴール朝軍として予期せずかなりの激戦になったようだ。
13世紀半ば、ゴール朝に仕え、その後インドの奴隷王朝の君主ナースィルッディーン・
マフムードシャー(在位1246-66)のカーディー(イスラームの法官)として仕えた
ジューズジャーニーって人の書いた『ナースィル史話』によると、この時、ゴール朝軍は
騎兵を駆ってラージプート諸軍の戦象部隊に対し、象の背中に乗っている象兵にとにかく
雨にように弓矢を射かけるだけ射かけ、戦象の口の中に投槍をしこたま叩き込んで撃破
して行ったそうだ。
シハーブッディーン(『ナースィル史話』ではムイッズッ=ドゥンヤーとか単にスルターン・
ガーズィーと呼ばれている)も自ら象の口中に槍を叩き込んで倒したそうだが、調子に乗り過ぎたのか
槍を投げた腕に深手を負ったそうで、戦にはかなり勝っていたようだが撤退しなければならなくなった。
戦場から退却が済んだ後、スルターンは出血が酷かったせいか昏倒して馬から落ち、近従のハラジュの
近衛兵に助け起こされなければならなかったそうだ。
>>816 の続き。
シハーブッディーンはこの撤退を酷く屈辱に感じ、13ヶ月後、怪我を完治させ今度は準備万端、
兵馬ともに甲冑を着せた完全武装の騎馬部隊四万を敵の象部隊を四方から1万騎づつの部隊で包囲殲滅した、
ってなことが書かれている。プリトヴィラージャは象から降り馬に乗り換えて辛くも逃げ延びたそうだ。
これが第二次タラーインの戦い。
アイユーブ朝のサラディンと十字軍諸勢力との戦争の記事でも有名なイブン・アル=アスィールの
長大な歴史書『完史』には、この時の勝利でシハーブッディーンはラージャを殺して戦象700頭を
捕獲し、兵士100万を捕虜にしたとかとんでもない数字を書いてくれているけどw
インド側の資料がどれだけ言及があるかは分からないけど、少なくとも中央アジアやアフガニスタンの
あたりの(これも少ない)記録をちょっと見た限りでは、これらの政権が持っていた騎馬部隊は
殆どの場合インド側の戦象部隊を終始圧倒していたような感じを受ける。
ガズナ朝のスルターン・マフムードとか奴隷王朝のイルトゥトミシュの北インド攻略についての
記録をそんなに丹念に見ていないのでアレだけれど。
落ち着いて対処すれば、象は馬より遅いわけだから 火力重視の軽戦車で超鈍重な重戦車を屠るよなもんだしな 乗ってる射手さえ殺せば足手まといにしかならない
暴れだしたら手を付けられないのも戦象の特徴だぞ?
アレクサンドロス大王の騎兵だと主武装が槍とか剣なので象相手は大変だったみたいね。
確かに投槍はともかく、普通の槍や剣で象は倒せないよなぁ 投擲して目や口内に当てればいけるかも知れんが
近接して足狙うぐらいしかないだろうね それでも随伴歩兵いただろうし・・・考えただけで地獄だ・・・
随伴歩兵なんて居ないよ、下手すると踏み潰されちゃうから
824 :
世界@名無史さん :2008/07/13(日) 23:14:37 0
>>822 むしろ足が怖くて近接できないんだが
>>823 の言う通り「味方すら近接出来ない」状態だし
ムガル朝の騎兵は馬を後ろ足で立たせてランスで象兵(象そのものではなく)を攻撃してたらしい
下手に象を攻撃して暴走させてしまうより 乗り手を殺して人畜無害にした方が良いって事か
よくクロスボウってロングボウより射程短いっていわれるけどなんでだ? ある程度強いクロスボウなら四十度くらいで打つと三百メートル軽く越えるんだが そういうクロスボウが出たのってロングボウよりずっとあとだからか?
>>827 百年戦争のクレシーの戦い等について斜め読みした人がいってるだけじゃないの?
ボウガンにコブラって引き方あるけどあれってどうなの?
>>827 そんな言われ方してるの聞いた事無いんだが
「ロングボウは連射が可能で、熟練射手の技量がとにかく異常すぎる」
「クロスボウは威力が高くて射程が長く、素人でも扱えるが熟練しても大して変わらない」
ってのが普通だとばかり
太くて短い矢を使うイメージがあるからじゃないの? >クロスボウ
バリスタとクロスボウってどこからが境なの?
>>832 やっぱり扱う人数じゃね?バリスタは常に多人数による作業が必要で、
1人で巻き上げが可能で1人で撃てる(この2つの作業を分担する事もあるが)のがクロスボウ
>>832 構造が全然違う。バリスタはそもそも弓じゃなくて、2組のねじり紐を利用している。
分類的には投石機になるんだっけか
ねじり紐を利用するクロスボウとか無かったのかな
クロスボウの強みは「誰でも簡単に」「同じ射程と威力」だから。 わざわざ複雑な構造にするよりも、簡単な構造で大量生産した方が良い。
>>834 2本のアームが別々になってるやつ?
前読んだ本ではエスプリンガルと書いてたような
騎士見習いが使う厚さ2ミリの重装歩兵用プレートアーマーが今の感覚で二千万円くらい 当然彼等はかなりの訓練を受けて教育に金が掛かってるし手当もでかい その防御力はロングボウの矢なんぞものともせず、接近戦になれば最強 それを感覚的には百万円にも満たなかったであろうクロスボウでぶっ殺せる しかも安くこきつかえる使い捨て農民でおk(しかも農民は相手を捕虜にしようとしないで殺す) 数の揃ったクロスボウがどんだけ最強だったか分かる
禁止令が出るのも頷ける 今で言えばABC兵器みたいなもんだな
>農民は相手を捕虜にしようとしないで殺す これが疑問なんだよな、普通は捕まえて身代金ふんだくった方が良いって気付くだろうし 当時の農民は相当馬鹿か、あるいは裕福な貴族や騎士を妬んでいたとしか思えないわ
大物捕まえても農民(傭兵)ごときじゃ交渉にならんかったんじゃね? どこぞの貴族様に手柄を横取りされるだろう
農民出身の傭兵であっても基本的に雇われるときは傭兵隊単位だし、傭兵隊長は騎士階級だったんじゃないか
>>842-843 なるほど……それなら騎士はさっさとブチ殺して
身に着けてる金目の物とかを分捕った方がマシって事か
乗馬クロスボウ歩兵って馬上でもクロスボウ撃ったのかな? リロードには困りそうだけどかなり強力な気がする
846 :
世界@名無史さん :2008/07/18(金) 19:42:01 0
馬上で再装填できる程度のクロスボウなら、威力的にたいしたことなさげ 「乗馬クロスボウ歩兵」とか実用化した国は無いんちゃう 攻城・守城には役に立つけどクロスボウ
馬で移動して下馬してクロスボウ撃つならそこそこ利用価値はある。
>>845 それは「(初期の)竜騎兵って馬上で銃撃したのかな?」
っていうようなもんじゃね?馬はあくまで移動用っていう。
まあ竜騎兵の場合は後世に銃の性能が上がって馬上で銃撃出来るようになったけど
馬射られたらどんなプレートアーマ着ててもダメだろ。
大丈夫、馬にもプレートアーマー着せてる
騎士の場合はそもそもクロスボウは禁止されてるだろ。 それに西欧では飛び道具は騎士がいる時代は下級兵士が使うものだったし。
馬のプレートアーマって局部間接と後ろ足の部分とか目周辺とか どうしてもカバーしきれないでしょ。
クロスボウ兵が移動に馬を使うようにして 乗馬前に事前に引いておけば乗馬クロスボウ歩兵の出来上がり 勿論、一発撃ったら終了だけど一方的に殺されるよりはマシ それと馬を射るっていったって時速五十キロで走ってくる相手なら 射程に入ってから突っ込まれるまでにチャンスは一回(運が良ければ二回)
クロスボウって強力すぎて、有名な騎士が何人も農民に射殺されて 法王庁が異教徒以外には使用を禁止したんだろ。そして騎士もクロスボウを 使うことを恥じたらしいし、馬上クロスボウってのは西欧ではありえないな。 中国の石弓は足で矢を充填するものだから同じくありえない。
>>853 1対1ならね。1000人で一斉に石弓放てば
馬の脚にあたる可能性は十分ある。木の柵の後ろに兵を配置して
杭なんかを削って地面に設置すれば、騎馬の進入を阻めるし、
千人のクロスボウ歩兵を相手にクロスボウ装備の乗馬歩兵が突っ込むシチュエーションなんてないだろ
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サモンナイトwwww
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(_)__).(_)_)/ . \,,|==========| \ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
馬鎧なんて一部のエリート層だけ
いいからはやく病院池
今おもったけど、騎兵に弓よりも鉄砲が効果あげたのは発砲音と閃光の効果も あるだろうな。馬は本来臆病な動物だから、遠くから弾丸や矢が届くか どうかよりも馬が混乱して敵陣にたどり着く可能性は減るんだろうな。 訓練したところで本能は完璧に御すことは出来ないだろうし
>乗馬クロスボウ歩兵って馬上でもクロスボウ撃ったのかな? >リロードには困りそうだけどかなり強力な気がする イベリアのイスラム教徒を描いた中世の絵画で弩をもった騎兵がいるのだが 矢筒が鞍に取り付けてあるので馬上で用いたのではないかとかデヴィッド・ニコルが書いてたな・・・ ちなみにマムルーク朝の弓術書なんかでは「馬上で弩を装填する方法」ってのが書いてある。
実際の戦いってのはゲームじゃないんだぜ 当時の指揮官は今の俺達みたいに「歴史の結果に基づいた」予測が出来ないから 兵種の有利不利や特性についてもあくまで主観的な判断しか出来てないんだし あと当時の価値観的に考えれても馬は数百万、鎧を着せた馬は数千万みたいな世界なんだから 乗馬クロスボウ兵を100人配置する金で普通のクロスボウ兵を1000人配置できたりしたんだぜ
ゆとり世代はMMOゲームとかやってるの?
ゆとり世代だからこそやってると思う >馬クロスボウ兵を100人配置する金で普通のクロスボウ兵を1000人配置 弓兵を数千人配備できる金で100人程度の火縄銃部隊を作った織田信長という大名があってだな(ry
孫子とか中国系の戦略書読めば自然と長距離武器ほど有用性が高いって 考えるけどな、だいたい騎士や武士も剣よりも槍を多用したわけだし、 現代においても最重要なのはミサイルとか遠隔射撃の武器だから、 相手の反撃を受けないロングレンジからの攻撃に金をかけるのは正しいと いうか、アマチュアでなくプロなら、信長レベルの人間でも知ってただろう。 ゆとりにはわからんのですよ。剣はたしかにデザインがかっくいいから。
漏れ氷河期世代だけど、MMO一杯やってたよ。
>>869 >アマチュアでなくプロなら、信長レベルの人間でも知ってただろう
それがなぁ……当時の武士は既に弓がそういう役割を担ってて、
じっさい守護大名(今川とか六角とか)の当主は大抵「弓の名手」だろ?
「鉄砲は強いが、安価で信頼性の高い弓の方が実戦では有効」っていうのが世間の見方だった。
だからこそ鉄砲隊を保有してるのは交易が盛んな大名(九州・畿内の諸大名や大内)や
財源を確保してる大名(武田とか)、あとは自領で生産が可能な所(雑賀・国友周辺)だけで、
それも殆どがあくまで示威的な意味を含めた「新兵器軍団」として数百人程度のものだろ?
織田家みたいな小さな大名が鉄砲隊を持ってたって事は特筆すべき事なんだよね、実際
織田家はそれほど小さな大名でもないよ。信長の父や祖父の代でかなりの 財をすでに築いていたし。
>>865 スペインのクロスボウ兵が徒歩だけでなく、馬上でも撃ったという話しもある
弓を扱うイスラム騎兵の影響を受けたのかもね
>>872 信長の頃になると、尾張一国の実権を握っている程度の大名は「小さな大名」だろ
逼迫とは言わないまでも、財政に相当な負担をかけてたのは確かだわな
>>873 スペインは騎士や歩兵ですらアラブ的な要素を採り入れてるからなぁ
馬上で撃つだけなら誰でも出来るだろ
でも火縄銃百より弓数千の方が有用そうだけどね
毎分十本とか撃てるくらいに弓に熟練するには二十年とか必要だし、それでも鎧は抜けない 火縄銃なら一週間あれば充分だし当時存在した全ての防具を貫通する
>>878 銃そのものより「一発の弾を打つために必要な費用」が物凄すぎる
なにしろ硝石は堺とかの商人を通じて高値で輸入してたんだから
大きな大名が鉄砲隊持ってたのも 「ここぞという時に投入して戦況を引っくり返すため」 だし、有効性は分かってても少数の配備が限界だっただけだろ 鉄砲隊数千人を一年間運用するだけの金があれば立派な城が幾つも建つぞ
火縄銃の凄さは金さえあればあっという間に農民集団を一線で通用する軍隊に仕立て上げられるとこだろう クロスボウは引くのに何だかんだで力使うし爆音によるボーナスもない
>>881 クロスボウは「比較的少量の金しか使わず」農民集団を”とりあえず戦える”軍隊にできて、
銃は「恐ろしく大量の金を使って」農民集団を”一線で通用する”軍隊に仕立て上げるんだよ
>>874 たわけが、10代後半で信長が自分で稼いだ金で鉄砲買ったとおもってるのか?
その鉄砲の代金の出所はお父上の財布だよ。織田家は小さいながらも、
重要な要衝(津島と熱田)を信秀やその父から押さえていた。
京の公家なんかもここらの地税から絞り上げた金で遊興させたり、呼び寄せたり
している。これはそこらの諸大名で出来るクラスはこの当時数が少ない。
信長になって急に伸びたのではなく、その祖父、父の代で織田家は10代の
信長に100丁の鉄砲を遊び道具に買わせてやれるだけの財を築いていたんだよ。
お家芸の兵法もそうだ。信長1代で昇華されたものではなく、祖父、父の元で
磨かれていったものを信長が受け継いだ側面が多きい。
斉藤道三の娘との縁組にしても父や家臣団の先見性が見える。
英雄は一人では英雄になれんのだよ。
>>883 家臣にしたら「ちょwwwなんで鉄砲隊なんかに家の金をwwww」って感じだっただろうな
各地域の人口的に、狩りだせる人数も関係したんじゃない? 金さえあれば無限に人を用意できるのならほぼ確実に弓の方がいいかもしれないけどね。 戦国期は必ずしも十分な収穫が期待できる状況ではなかったし、兵糧も安いわけじゃない。 初期投資は高いけど維持コストのブレ幅が小さい少数精鋭を考えたのも、ある程度合理的だと思うよ。 特に継続的に戦争を展開しようとする大名にしてみたら。
>>885 「少数精鋭にした方が結果的に効率的」な大名は鉄砲隊を持ち、
「少数精鋭にした方が維持費がかさむ」大名は鉄砲隊を持たなかったって事か
あと「欲しくても貿易都市を近隣の敵対大名に押さえられてて買えない」とかもあったんじゃね
日本だとクロスボウってそんなに普及してなかったみたいだし 武士「俺の甲冑は和弓のヘナチョコ矢なんかとおさねえからwww」 農兵「○○さんマジパネェッスwwww」 バキューン
>>887 いや、クロスボウの数十倍の威力だぞ火縄銃は。だから
騎士「俺のスーパーストロングプレートアーマーはクロスボウの矢にも耐え得るwww」
バキューン
当時の火縄銃の欠点は、射程が短かった上に装填に時間がかかるから 「射程に入ってから接近されるまで数発(敵が騎兵なら2発以下)しか撃てない」 っていう点なんだよな だからこそ西洋のテルシオ(パイクの密集方陣)や信長の馬防柵みたいなのが必要だったわけだし
>>889 「当時の」って言うか、18世紀まではその状態だっただろ
射程距離から一発撃つぐらいで間合いを詰められるのは アルケプスだけでなく、クロスボウでも弓でも同じだろう
たった数発の射撃で歩兵に間合いを詰められる点は、普墺戦争くらいに 解消された(銃剣突撃したオーストリア軍をプロイセンの銃兵がフルボッコ)が、 たった数発の射撃で騎兵に間合いを詰められる点に関しては 機関銃が実用化される頃まで解消出来なかったんだよな…… だからこそ20世紀になっても「騎兵」が存在したわけだし
既に南北戦争の時点で、ライフル歩兵に対して騎兵が立ち向かう事は自殺行為になってるが。
>>893 一時期は重騎兵どころかピストル騎兵ですら無能状態だった時もあったが、
ナポレオン戦争の時代に騎兵が復活した(有効活用出来るようになった)はず
>>894 ナポレオン戦争の騎兵は無駄な重装甲を捨てて身軽になった騎兵が
活躍した時代ではあるが、それでもガッチリと方陣を組んだ銃兵への
正面突撃は成功していない。
戦列が乱れたところに突っ込んだり、追撃・索敵・警戒線の敷設と除去に
活用はされたけど。
南北戦争の途中でライフルが主力になってからは、まともに会戦に投入するのは
無理ということが判明した(追撃・索敵・警戒線関係と連絡任務のみ)。
有効射程300mとかになってるし、塹壕掘ったり、散兵戦術を運用してる
歩兵には対抗出来なくなった。
しかしキュロスは胸周りだけで20キロあるんだろ?軽装備といえるのか? ナポレオン戦争の野戦では大砲で敵方陣を威嚇、混乱、散開させた後、サラブレッ ド種で一斉に集団突破してたんだとおもったんだけど実際どうなんだろう。 確かこの時代は大砲の進化によって陣形の密度を増すことに意義が薄れだした 部分もあるんだよな。南北戦争では陣形を組まずにゲリラ的な遊撃が効果を挙 げたし。 銃剣により騎馬の進入を防ぐために陣の密度をあげれば、弾道学や工学の進歩 した大砲での被害が大きくなり、逆に陣形を緩めれば騎馬の突破を許しやすくなる。 しかも散開戦術は民主主義により、兵士の士気の高い仏・米以外は布陣する と兵が逃げ出すという欠点があったはず。 散兵戦術についてはいろいろな側面があるんだよな。ドイツの雷撃戦もそうだ けど、分散させすぎれば、今度は一部に集中的な戦力をもってこられると脆い 胸甲騎兵は集団での一斉突撃に使用したみたいだから、塹壕がない場合は十分 な戦果を挙げる可能性はあったかもしれない。 上でも騎馬が走ってくるまでに討てるのは一発だとか、そういうの問題してる けど、結局戦争は戦略と戦術その他のあらゆる事象が影響するから、柵建てたり 士気とか天候、将兵の健康状態とかでも変わってくるんだよな。どういう ケースを平均として勝負するかってのが前提にない以上そのあたりは議論しても 水掛論な気がしてきた。
あの胸甲も弾丸を防ぐには不十分だからな。 >散兵戦術についてはいろいろな側面があるんだよな。ドイツの雷撃戦もそうだ >けど、分散させすぎれば、今度は一部に集中的な戦力をもってこられると脆い >胸甲騎兵は集団での一斉突撃に使用したみたいだから、塹壕がない場合は十分 >な戦果を挙げる可能性はあったかもしれない。 ドイツの「電撃戦」は戦略レベルで集中して、分散している相手に対抗したわけで。 南北戦争でも、どの戦争でもそうだが散兵線ってのは戦術レベルでの分散(一戦場)だ。 ミニエー弾の登場でライフルの欠点である装填速度が劇的に改善し また、著しく射程と命中率が上がったせいで、分散していてもむしろ火力密度は上昇している。 何にせよ騎兵が南北戦争以降に正面戦闘で使えなくなった(少なくともそう判断された)のは 歴史が証明しちゃってるわけよ。 そりゃーあらゆる要素が絡み合ってるのは事実だけど、個々の戦術・武器等の比較をする以上ね。 アーサー・フェリルみたいな事言ってもしょうがないっしょ?
まぁ。そうだわな。あれ境に騎馬での突撃なくなったわけだし、
ワーテルローでのネイの騎兵突撃は、最後には失敗したものの イギリス軍の方陣をいくつか崩壊させたそうだ
弓矢くらいなら柵や城壁なければ十分騎馬で突破可能だってことか
普通の戦闘時に騎兵が使えなくなってからも、 敵陣が崩壊してたり混乱しつつある中に騎兵を一斉投入した場合 他を圧倒的に凌駕する衝撃力や機動力で歩兵をジェノサイド出来たしな ナポレオンが騎兵を上手く使ったのってそういう事じゃないの? これは騎士がランスチャージしてた時代からそうだと思うけど、 騎兵の攻撃って「見た目に圧倒されて浮き足立ったら負け」な所があるんじゃね? 冷静に対処すれば歩兵でも騎士を倒せたし、歩兵が騎兵を蜂の巣にも出来たし、 半ば戦場の空気に陶酔して狂ったように突撃する騎兵の酔いを醒ませれば勝利は確定
使い方次第だよな。燃料高でリヤカーも運送会社に復帰するらしいし、 馬で戦車に勝つことも可能かと・・・。
>>902 >馬で戦車に勝つことも可能
ポーランド槍騎兵連隊がドイツ戦車師団を翻弄した史実のせいで
「ねーよwwwww」って否定できなくて悔しい俺(戦車オタ)がいる
騎兵が怖いのは戦車や砲兵より、機関銃や自動小銃を持った歩兵なんだけどね
騎兵の最大の欠点って、調達コスト、特に訓練期間の長さゆえに、数を揃えることが難しい、欠員が出ても補充するのに時間がかかるって点だよな。
>>901 騎兵、特に重装騎兵の突撃の心理的効果はよく言われるところ。
>心理的効果 突撃に限らず、騎兵の最大の能力はそれだと思う 入隊資格にも身長や容姿とかの「見た目」に重点を置いてるくらいだし、 閲兵式とかでの花形も基本的に槍騎兵で、現代まで残ってる騎兵隊は 殆ど全部(治安維持とか以外)「見せびらかすため」にあるようなもんだし
童貞といっしょなんだね・・・。
908 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 15:17:33 0
相手がガチガチのプロでもない限りは心理効果ってかなり重要な気がする 警察とかの制服もそういった観点からデザインされてなかったっけ
童貞も女子をみると逃げ腰になる心理法則が
910 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 15:24:10 0
イギリスのテレビでやってたが一番強烈な武器は弓矢だったな ロングボウとか最初の一発は早かったけど連射速度で弓矢にまるで勝てなかった
911 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 15:27:33 0
武器の優劣は鉄砲>弓矢で日本人がいかに合理的民族かよくわかる クロス棒とかは大して役に立たん
ついに弓矢スレにも夏厨が到来したかwwwww
>>910 ロングボウって「長い弓」って意味だぜ……?
>>911 とりあえず
>>1 から全レス見ろ
歴史系の板は厨二が来る時期が大変だよなぁ
>>911 みたいなのは典型的過ぎて笑えるわw
915 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 17:48:31 0
古い書籍だとロングボウを大弓って訳してるけど長弓と同じものだよな?
昔の海外RPGとかファンタジーの翻訳でもそういう訳があったような>大弓
弩弓と石弓みたいなもんだろうな
918 :
世界@名無史さん :2008/07/21(月) 18:18:18 0
石弓はただの誤字だろ
というか石弓と弩弓は全く別の武器。
無学ですまんが、石弓って何?弓の木の部分が石なの?
形は同じだが矢の代わりに石を飛ばす弓 パチンコと同じと思ってくれれば良い 矢を番えるところに石を当てる布等を付けてる 弾弓と言ったほうがポピュラーだろうか?
そうそうそれで石弓が一番上手い人には3000ウォンが支給されるんですよ
全身鎧でちょっと切りつけても弾かれてその間になで斬りされたら歩兵は逃げるだろ。 馬に蹴られるかもしれないし。 自分が二人いたとして、かたっぽに鎧着せて戦わせて見るのを想像して見たらいいよ。
まあ普通に歩兵は半数以上は農民だから、普通の農民なら戦争中は常に逃げる チャンスを窺ってるわな。騎馬の突撃以外にも飯が少ないとか、水がたりん 敵が多いってだけで逃げるのが弓矢があった時代の軍隊。生きて帰って農業し たり嫁とセックスしないといけないし
927 :
世界@名無史さん :2008/07/22(火) 08:44:06 0
天気悪かったり足場悪かったりすると鎧着てない方がかえって有利だったりする 農兵のコストが激烈に安いってこともあったんだろうけどそういう戦いって何度かある
>>924 ゼンパハやモルガルテンでスイス側が勝利したのは
「どうせ死ぬなら騎士をぶっ殺してやる!」って意気込んでて
全ての歩兵が騎士の突撃を物ともせずに戦い続けた事が大きいしな
>>926 はいはいすごいすごい
スイスの市民兵や農民兵にとって騎士ってのは「圧政の象徴」だったからなぁ いや実際は圧政じゃなかった部分も多いんだが、スイス人的には圧政だったし。 歩兵が協力して1人でも騎士を倒せれば、 「なんだ、俺達でも頑張れば騎士を殺せるじゃねーかwwwwww」 ってなって士気上がるし、そもそもスイスのハルバード兵の戦い方は 槍の部分で馬を刺して暴れさせる ↓ 鉤の部分で騎士を暴れている馬から引き摺り下ろす ↓ 斧の部分でプレートアーマーごと騎士をボコボコにする っていう容赦無い方法が基本だからオーストリア騎士の士気は下がっていくし
弓兵に限らず、地形や天候も含めた「状況」次第だよな
でもスイス人って逃げるのも早いよね、
ハルバードってそういう使い方だたのか
弓矢なんてイージスの盾装備して攻撃すれば大丈夫
弓矢装備するくらいなら、魔法覚えさせる方がいいだろ。回復もつかえるし
>>931 守るのが「名誉」でも「主君」でもなく「自分自身と家族」だから
傭兵として稼ぐ必要があったり、勝てなかったら死ぬ時には欧州最強の狂戦士になるし、
いざ逃げて生き延びる必要に迫られたら欧州最速の逃げ足を見せてくれるわけですね、わかります^^
逆に南欧(特に南仏とかイタリア)は「貴婦人の睫毛の為に戦う」ようなレベルだから
財産や命を投げ出すような事をしてでも「名誉」を掴んでヒーローになろうとするわけだ。
近代以降のイタリア軍がヘタリアなのは「勝ってもヒーローになれないから」だって説もある。
>>932 騎士の戦いでタブーになってる(実際には普通に使ってた?)のが
「馬を攻撃する」「落馬した騎士を攻撃する」「騎士を殺す」事だから
それらを全部兼ね備えた戦い方をされると騎士としては対抗手段が無い、って事じゃない?
ハルバード自体が短い上に重いから「熟練者用の武器」だったらしいけど
>>934 回復魔法と攻撃魔法と支援魔法は別物だろ、常識的に考えて……
覚えさせるなら回復魔法だな。前線に出てくる必要が無いから
魔法戦力を温存したまま通常の戦力を回復で補強できる
ゼンパハやモルガルテンの場合、地形や戦法の問題も大きい。
確かゼンパハの方では騎士達は徒歩(地形が悪いので)で突撃したが、
結局はポワティエみたいに「鎧で走ったから疲れて」負けたって感じだし
>>935 その論法で行くと、ロンメルが率いたヘタリア軍が普通に強かったのは
「ロンメルはヒーローだから、俺達はヒーロー直属の部下だぜ!これで女にモテモテだ!」
ってなって士気が上がったって事ですか、わかりません><
槍衾に混じってるようなやつは糞長いけどね
ばかだなぁ。支援魔法と回復魔法はビショップなら両方覚えれるだろ?
>>937 ハルバードとパイクは全くの別物、っていうか時代が違う。
ハルバードはいくら強いとはいえ騎士のランスの射程範囲よりリーチが短くて、
イタリアみたいな平地で戦った時には騎士のランスチャージで突き崩されてしまった。
で、これに対抗する為に作られたのがパイクによる方陣で、パイクってのは要するに
全長6〜8mくらいある異常に長い槍の事。これをビッシリと隙間無く槍衾にする事で
騎兵が突撃して来れないようにして(ある程度なら弓矢も弾いた)騎士に勝利した。
このパイクの密集方陣は、のちにスペイン軍によって更に強化される。
というのもスペインはレコンキスタの影響でアラブ系の戦法を幅広く取り入れ、
またレコンキスタが基本的に攻城戦や篭城戦だった事から軽歩兵が強かったんだが
軽歩兵は騎兵に弱く、フランスの騎士部隊に蹴散らされまくってた。で、これに対抗する為に
パイクの密集方陣の周りにアルケブス(火縄銃)兵や大砲を配備して人間要塞を作った。これがテルシオ。
テルシオはのちに欧州全域に広まり、三十年戦争くらいまでは普通に使われる事になる。
銃の改良や銃剣の発明で槍兵の援護が必要になるまでパイク兵も時代の主流を担う事になるわけだ
知識の羅列ですまんが、とりあえずその位は把握しといてくれ
誤字ったwすまんw
>銃の改良や銃剣の発明で槍兵の援護が”必要”になるまで
は「銃の改良や銃剣の発明で槍兵の援護が”不要”になるまで」
の間違いだ
>>935 ,
>>938 ぶっちゃけ汎用の赤魔道師が戦場では役に立つんじゃね?
ウィキペディアから引っ張ってきたのか知らんが弓スレで間違った知識を自信満々に長文とは・・・
942 :
世界@名無史さん :2008/07/22(火) 20:11:44 0
テルシオか。あれの一番効果的な点は 密集してるから逃走しにくく心理的な負担も小さい、って所だけどな。 傭兵主体の軍では逃走しない事は非常に重要だった。軍を動かしたくても 金が無ければ動かず、戦いでも消極的(死にたくないから)なのが傭兵だから しぜんテルシオのような消極的で防御偏重の陣形が強くなったって事だわな
>>941 ヒント1:ここは2chだよ!
ヒント2:このスレを
>>1 から見直してみよう!どれだけ間違った情報があるかな?
ここは2ちゃんだと必死に自分を擁護する。解説厨はこれだから
俺たちがアルケプス銃もテルシオも赤魔道師知らないとおもってるの か?馬鹿にしやがって。。。
槍衾=パイクだと思ってるのか、 そもそも何か勘違いしちゃった子なのか、 スレタイ的に誤爆なのか
なつだねぇ
ところでアルケプス銃ってなんだよ?
そうか、もう夏休みか
ここまで間違いだらけの知識を詰め込んでるのも珍しいな。正しい部分を見つける方が難しい。
ニートは一生夏休み
>>950 一通り読んでも余り違和感を感じない俺が悲しくなった
そうか、俺も間違った知識を詰め込んでたのか('A`)
よければ正しい知識を披露してくれ、ほんと頼む
>>952 では、浅学ながら
>>939 の修正・補足を。
1422年、アルベドの戦いに於いて。(ミラノvsスイス)
騎兵の突撃で突き崩されたのではなくパイクとクロスボウ(←またコイツ)でメタメタにされた。
スイスがパイクとハルベルトの混合部隊を編成。時にクロスボウ、後にハクィーバス銃(初期火縄銃、アルケプスはフランス語)をも使う。
他国がスイス傭兵から学んだ結果が、ランスクツネヒトとテルシオ。
なるほど、勉強になった。ありがとう やっぱり歩兵にも騎兵にも飛び道具は天敵なんだな…… そういやアルケ「プ」スなの?アルケ「ブ」スなの?
>>954 失礼、アルケ「ブ」スのほうが正しい。
英語でハクィー「バ」スだからね。語源は同じ。
>>939 > ハルバードとパイクは全くの別物、っていうか時代が違う。
ハルバードの活躍時期は14〜16世紀、パイクの登場は15世紀ごろから。
パイクのプロトタイプとして、確か1327年のトリーアで18フィートの槍が使われたとか、
1386年のゼンパハの戦いでオーストリア軍騎士がランスを下馬して使ったというものも
あり、それを考慮すれば完全に重なってるね。パイクの方が長生きしたが。
> ハルバードはいくら強いとはいえ騎士のランスの射程範囲よりリーチが短くて、
これもどうだろうね。実際のところは同程度か両手で持てる分ハルバードの方が長かったんじゃないだろうか。
> イタリアみたいな平地で戦った時には騎士のランスチャージで突き崩されてしまった。
どんな戦いを示してるのかよく分からないな。もしアルベドの戦いのことなら、
・ハルバードを装備したスイス軍を破ったのはクロスボウの射撃と下馬騎士の攻撃。
騎乗騎士の突撃は問題なく跳ね返されている。
・アルベドは平地の戦いではないはず。地図を見る限り、現在のArbedio村は狭隘にある
・そもそもアルベドはイタリアではなくスイス
しかし他に、“ハルバードを装備したスイス兵が”“イタリア騎士に破れ”“パイクが導入されるきっかけとなった”
戦いなんて思いつかないが…。
んで、このアルベドの壮絶な敗走の中で、パイクを用いていた少数の部隊はよく戦い生き延びたので、
次第にパイクがハルバードに取って代わるようになる。
> このパイクの密集方陣は、のちにスペイン軍によって更に強化される。
スイスのパイク戦術を取り入れ、ランツクネヒトを創りあげたのは神聖ローマ皇帝のマクシミリアン1世。
彼はスペイン王になったことはないはずだ。
ランツクネヒトがスペインに持ち込まれ発展したのは確かだが。
> パイクの密集方陣の周りにアルケブス(火縄銃)兵や大砲を配備して人間要塞を作った。これがテルシオ。
銃はともかく、大砲をテルシオに組み込んだなんて聞いたこと無いが。
確かにテルシオの前面に砲兵を展開させるのは常道だったようだが。
他にも怪しげな、正解と出鱈目の境界を行き来しているような部分が散見されるがまあいいや。
957 :
世界@名無史さん :2008/07/25(金) 23:40:07 0
指摘箇所多すぎて元の文章よりなげえwww
訂正厨乙。批判厨も乙
959 :
世界@名無史さん :2008/07/26(土) 00:16:35 0
各時代のクロスボウの作り方とか解説してるサイトない?
クロスボウつくって何する木よ?やめてよねー革命とか
英語圏のサイトで「嫁が出かけてる隙にコンポジットボウ自作してみた」みたいなページなら見たことある。 木材のコアに動物の腱や角を張り合わせた本格的なものだった。
わかります嫁さんを殺す気だったんですよね彼
963 :
世界@名無史さん :2008/07/26(土) 00:36:02 0
それで嫁の浮気相手を射殺すんですね。わかります。
>>956 >> このパイクの密集方陣は、のちにスペイン軍によって更に強化される。
>スイスのパイク戦術を取り入れ、ランツクネヒトを創りあげたのは神聖ローマ皇帝のマクシミリアン1世。
>彼はスペイン王になったことはないはずだ。
>ランツクネヒトがスペインに持ち込まれ発展したのは確かだが。
スペイン軍の強化はテルシオの事を言ってるんじゃないの?ランツクネヒトじゃなくて。
たしかテルシオはアラゴンだったかカスティーリャだったかで発明されたものだし
>>965 イタリア戦争期にカスティーリャ名門の将が現地で軍制改革をしたのが興り。
その後、イタリア防衛のため
それと同じ編成の師団を「3つ」配備したので「テルシオ(スペイン語で『3つ』が変化した)」と呼ばれた。
967 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 16:06:17 0
>>956 横で読んでた俺にも、勉強になった。
言語問わないんで、参考文献とか教えてもらえるとすごくうれしいです。
詳細をここで聞くわけにもいかんだろうし。
時に、次スレはどうする?
「弓矢の歴史2 〜他種武器兵器との比較を交えて〜」
とか、副題を入れるか?
500以降の展開が続くなら 「中世〜近世ヨーロッパの戦争」って感じだけど
971 :
世界@名無史さん :2008/07/31(木) 08:13:49 0
夏厨知ったかくん隔離所 で
>>971 この時期の世界史板のスレは大抵それだから
そのスレタイにすると区別がつかない、あとsageろ
馬って矢を食らったらすぐに戦闘能力がなくなると思うんだが 弓兵に対して騎兵が強いとされる理由は何でだろう?
>>973 弓の射程距離に入ってから2、3発撃つ頃には接近できて、
一度接近されると騎兵が一方的に弓兵を虐殺できるからじゃね?
大抵の弓兵は剣や斧も装備してるが、騎兵相手だと分が悪すぎる
弓兵の装備は軽装な場合が殆どだし、騎兵は接近戦のプロなんだし
実際に戦う機会が無いから分からんが、 徒歩で馬に乗った人間と殺し合いをするってのは相当不利だろうしな 攻撃も技量も素早さも全部こっちが劣ってるわけだから
戦争によっては地形が最悪で突撃に失敗 そのままぐっちゃぐっちゃになって 歩兵1:騎兵2ぐらいのキルレートになってなかったっけ?
>>973 実際の戦場で敵味方入り乱れての白熱の白兵戦てのはほとんどなかったんじゃない。
飛び道具で打ち合ってる間は陣を保っているけど、突撃を受けた段階で、眼前に完全武装
の馬の軍団が土煙を上げながら迫られたら、人間は潰走しちまうんじゃなかろうか?
アナバシスとか古代の戦記ものを読むと、小隊単位での戦場での会戦って拍子抜けするくらい簡単にケリ
がついてるんだわ。密集陣形で迫ったら、全く刃を交わすことなく相手が勝手に潰走した事例もちょくちょく
あって。ロンメルの歩兵時代の記録なんかでも、銃剣突撃して相手の塹壕に迫ったら、塹壕に着く前に相手が
逃走していて塹壕は空になってるなんて記述があったし。ああ、これが戦場の常態なんだな、と思った。
騎兵の強みというのは突撃できるということ、この一点だと思う。ランスの長さ云々はそれほど大きな
理由ではないんではないかな。
ランスが重要なのはランスチャージが騎士の基本戦法だからだろうな ランスチャージってのは「食らえば確実に死ぬ」恐ろしい攻撃だから 突撃してくる騎士が目の前に迫ってるって言う事は、歩兵の第一列にとって 「俺達最前列の兵は全員死ぬ」っていう確実な未来を突きつけられるようなもの。 銃弾や弓の弾幕と違って騎士は生きてるから自動追尾式ミサイルみたいなもんだし そりゃ士気も挫かれるし退却もするだろ、特に傭兵なんかは命が商売道具だし
騎兵の馬っていってもいろいろあるだろうけど、カタクラフト用の巨馬から アラビア馬から派生した駿馬のサラブレッドとか 巨大な馬に蹴られたら、あばら骨が砕け散るだろうし、馬自身に戦闘力 が備わった馬もあったかもしれない。サラブレッドなんかは頭良くて 早くて小回りきいて従順だし騎兵といってもさまざまなんじゃね?
馬は昔から改良が重ねられ続けてきたからなぁ 初期のヨーロッパの騎士(9世紀とかの)が乗ってた馬は 殆どポニーみたいな小さい馬だったらしいし、一方で当時の日本の馬は 体高は低いがパワフルで相手を噛み殺させたりしたって聞いた気がするし
というか9世紀に騎士っていたん? 騎兵はもういただろうけど
騎士の意味合いにもよるが……。 「従士制度の中で成長し、タイマンでの戦闘で勝つことに名誉を見出し、領土的への支配権を持つ男」 だったら、西ローマ帝国の滅亡期には、いるぞ。 ただ、社会的に「騎士様」という概念が一般化したのは、不明瞭だな。
和弓って長弓に比べてパワーないんだがそんなんで鎧抜けたのか?
日本じゃぁプレートアーマーは作られなかったんじゃネェの。
>>983 単一素材の長弓って日本で言う丸木弓だよ。
当然、合成弓の和弓の方が長弓よりパワーあるよ。
クロスボウと和弓ならどっちがパワーあるの?
>>983-986 威力は素材や弓身の長さ、使う人間の身体能力によって異なってくるから
和弓はどうとか長弓はどうとか一律に断言できない。
とくに「長弓」はもっと具体的に民族とか限定しないと
アフリカやインドの大型動物ハンターの使ってたような
象の皮膚を撃ち抜くくらいの大弓まで含まれちゃうけど。
弓道2段の俺からすれば和弓は世界屈指の弓だよ
純粋に威力や精度を追求した西欧や日本の弓と 効率や殺傷力を重視した大陸系の弓を比べちゃいかん
うめ
うめ
994 :
世界@名無史さん :2008/08/04(月) 04:06:47 0
何で埋めるんだ?
次スレ立ったからじゃね?
日本の弓は世界一と弓道界・アーチェリー界でいわれている。
なるほど で、ソースは?
ここは和風に紫蘇ドレッシングで
あんな的中率が低いものが世界一のわけはないだろう
和弓は世界一だってフラン人も認めている。おまえらが無知なだけ
1001 :
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