1 :
世界@名無史さん:
荒しと古代ギリシャ以外の話題はスルー。
マターリと語りましょう。
まだ時期尚早かなと思うけど・・・荒らしが来ますよ
アレクサンドロス死後
ポロス王はどうなったんでしょう?
3 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 14:07:06 0
インドに駐留していたエウダイモスがディアドコイ戦争に参加するために撤退するついでに殺したらしい。で、そのエウダイモスは大量の象兵をエウメネスのところに持ってきたそうだ。酷い話である。
他にも大王に負けた後で部族経済が崩壊して、そのすったもんだで追放されたらしいが、こっちは疑わしいそうだ。
4 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 14:42:06 0
これは言葉遊びが大好きな奴らが多いスレの新板ではないですか
5 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 14:48:27 0
ああ、大王よなぜインドに攻め込んだ?
インド遠征なんて適当に切り上げて
五年でいいから内政きっちりやってれば、どうなったかな。
7 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 15:16:48 0
そういう事ができないからあっさり潰れた いってみれば信長、秀吉の天下みたいなものさ
そもそもインド遠征などやらなければよかった
ペルシャ滅ぼした時点で鎮撫、内政をやっていればよかった
やろうと思えばできたはずだ
だが現実には、腰をおろそうとせずにアラビア遠征をやろうとしていた
(その前に病気になって死んだ)
内政やろうが、外征しようが一緒だろう
いかんせ早く死にすぎた。
死ななきゃよかったのに
11 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 16:36:06 0
暗殺説は何か根拠があっていわれてるの?
12 :
寺野道子:2007/01/23(火) 17:09:29 0
アレクサンドロス大王は、なぜインドを攻めたんだろう?
インドを攻めるのを辞めれば、長生きできたのに!
>>12 今まで誰も実現したことのないような事業をやりたかったからじゃないの?
簡単にいえば名誉欲。ホメロスの英雄たちのように、不滅の栄誉を手に入れたかった。
インド征服をやめるより、酒と乱痴気騒ぎを控えた方が長生きしたと思われ。
>>14 アキレウスに憧れていたところをみると、アレクサンドロス大王自身は、
特に長生きしたいとは思っていなかったのでは。
17 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 22:46:11 0
西洋人の名前でアレキサンダーと名のつく人が多いですが、
やっぱり名づける親は古代の征服王にあこがれて?つけるのですか
18 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 23:05:16 0
アレクサンドロスなんて大王に因まなくてもいくらでもいるし
トロイアのパリスだって別名アレクサンドロスだし
19 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 23:11:38 0
ていうかフィリッポス(フィリップ)同様
過去の英雄に因むまでもなく当たり前の名前になってんじゃねーの
20 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 23:14:39 0
アレクサンドロス
日本語で言えば守夫くんwwww
フィリッポスは馬子って感じかwwww
オクタヴィアヌスも小八郎だったかなww
22 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 10:09:02 0
アレクサンドロスは朱元璋と同属。
アレクサンドロスはアケメネス弱しを見るや兵を挙げ、アケメネス帝国を乗っ取り、
さらにそこから版図を広げた。
朱元璋も、元弱しと見るや挙兵し、元を打ち破り元を乗っ取りそこの皇帝になった。朱は
もともとモンゴル部族出身であったという。
主を裏切り謀反を起こし、自らの帝国を築いたのだ。
まぁ簒奪者だわな
>朱はもともとモンゴル部族出身であったという
NO
(反論があるなら明代史スレで)
25 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 10:49:45 0
朱元璋はアレクサンドロスにも毛沢東にも似ているな
26 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 10:52:33 0
マケドニアはいつからきっぱりと「俺はアケメネスの配下じゃねえ!!」と言い出したんだろ?
森谷公俊氏の新刊『アレクサンドロスの征服と神話』(講談社)を読んだけど、
アレクサンドロスの中央アジアにおける凄惨な殲滅戦と、現代のアメリカに
よるアフガニスタン戦争による民衆の被害を比較したりしていて、チョト
政治色が強すぎだと思った。
あと、アレクサンドロスの帝国と、20世紀に出現した全体主義社会を
同一視するのもどうかと思う。古代ギリシアの価値観を現代にそのまま
持ってくることはできないが、現代の価値観でアレクサンドロス大王を
批判するのは無理があるでそ。
じゃあ古代的価値観で批判してくれ
現代人の感覚で言えばありえない虐殺だが、
世界史上に虐殺なんて数多あるわけで。
チンギス=ハンは中央アジアで何をしたか?
カエサルはガリアで
スペインのコンキスタドールたちが南米で
良くも悪くも征服と人殺しの手によって
歴史が作られてきた面は否定できないな。
だからって再来はゴメンだがね
中国の歴代皇帝
預言者ムハンマドとその後継者達の征服事業
ムガール帝国の建設者バーブル
オスマン帝国のスルタンたち
みんな血塗られている。
つまりウンコを崇拝するものはスカトロの名を免れえないということだね
チンギスハンのはモンゴルが社会主義国家になってから積極的に悪く言いふらしものも含んでいるんだろうね。
それにくらべてやっぱり白人の祖先であるアレクサンドロスは実体不明だけどなんだか素晴らしいヘレニズムを
巻き起こしただけすごいよな。
34 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 17:31:18 0
>>ムガール帝国の建設者バーブル
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: |
|:::::::::: (●) (●) |
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
僕の父さんの悪口を言うことは許さないよ
36 :
世界@名無史さん:2007/01/24(水) 22:47:19 0
アレクサンドロスのインド遠征はヘラクレスがインドにまで
行ったという伝説に倣っての事じゃなかった?
38 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 10:08:36 0
アレクダンドロスってイギリスのアーサー王、日本の日本武尊と同じだろ。伝説を
あたかも事実のようにしている。
40 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 12:55:51 0
>>39 揚げ足をとるなよカス。 議論の本質を見ろ
>>揚げ足をとるなよカス
何様のつもりだお前は
いきなり人のことをカス呼ばわりとは
幼稚園から入りなおせ
幼稚園児の迷惑だからそれはやめてくれ
43 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 14:07:50 0
議論の本質を見ろといっているだろ。
>>38でのレスと相対するように
お前さんの本質が見えたから議論する気も失せたってとこかな
45 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 14:14:13 0
アーサー王は伝説だけどアレクサンドロスは実在の人物です。だって古代ギリシャは
欧州のすべての文明の起源なんだぜ?
ttp://www.de-club.net/kbv/ 週刊『古代文明ビジュアルファイル』創刊!
目の前に広がる古代のロマン。 1万年前から19世紀にまでおよぶ悠久の歴史の
中で、世界各地で人類が記した「最初の一歩」である古代文明。本シリーズでは
遺跡や伝説から真の「古代」の姿をひもとき、そのありさまをビジュアル豊かに
解説します。
47 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 14:28:59 0
>>45 実在している人物だが、アーサー王同様に半ば神格化された存在ではあるがな。
>>17に対して
>>18みたいな返事している奴もいるが、すくなくともロシアのツアーリの場合は
あきらかに大王を意識しているな 膨張政策をとっていたし。
庶民つけるのと貴族やツアーリがつけるんじゃあぜんぜんちがうね
48 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 14:57:34 0
孔子や老子みたいなもんか
いつもの人が登場か…
>>ロシアのツアーリの場合はあきらかに大王を意識しているな
ロシアのツアーリは東ローマの皇帝から来ているんだが
膨張政策がアレクサンダーを意識していたなんて初耳なんですが
ペルガモンやポントスは小国ながら面白い歴史を持った国だと思う。
ガラティア(ケルト)人やローマとの関係とか、ベルリンにある「ゼウス大祭壇」
とか、ミトリダテスとローマの抗争とか。
アラブの方でもムハンマドやイブラヒムという名前は多いそうだが
偉人の名前をつけたがるものなんだろう
54 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:07:51 0
>>50 ローマ帝国なんてアレクサンダー意識しまくりだろw
55 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:12:29 0
56 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 16:59:00 0
>>55 お前から言い出してきたんだろ
東ローマの由来
それと事実膨張政策をロシアは指向していたし
どういう思い出わが子にアレクサンドルとつけたか意図はあきらか
はぁ・・・
結局こうなるか。また荒れてきたなあ。
>>56 横から口を挟むようで悪いがエカテリーナ2世が孫にアレクサンドルと命名したのは
かのアレクサンドル・ネフスキーにちなんでの事なんだけどね。
まあ次孫にコンスタンチンと多少ビザンチンを意識した名前をつけているが
これは当時、黒海の制海権でオスマン朝と争っていたので
「将来はコンスタンチノーブルを取りたい」という願望も入っているかも。
59 :
50:2007/01/25(木) 17:23:00 0
つまりアレクサンドロスってよくある名前だということなんでしょ
日本で言うところの太郎とか次郎とかのようなもんで
61 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 18:06:52 0
>>58 ロマノフ朝にアレクサンドルが1人しかいないとでもおもっているのw
今度は「アレクサンドロスという名前に込められた意味とは!」って隔離スレでも作るか
インドのアレクサンダーを自称したハルジーを忘れないで下さい。
だからアレクサンダーにあやかろう云々というより
普通によくある名前なんだろうアレクサンダーと言う名前は
66 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 19:05:06 0
>>65 お前が失せろ
お前の主張には説得力がない
>アレクダンドロスってイギリスのアーサー王、日本の日本武尊と同じだろ。伝説を
>あたかも事実のようにしている。
こんな何の根拠も提示されてないクズ論に本質なんてありません。
69 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 19:40:13 0
荒らしウゼー
ファイトクラブの梅宮や權代見たいな奴だな
71 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 20:24:42 0
嵐ではありません アレクサンドロスの話題を振っているではありませんか
文系板のレベルの低さは異常www
73 :
17:2007/01/25(木) 21:19:33 0
74 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 21:57:28 0
まあ、フィリポスもフィリップやフェリペに受け継がれたからなあ。
何とも言い難いが、実際大王は人気あったんだろ。
75 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:24:47 0
大王にちなんだ名前では無いと抗弁していた連中は今頃画面の向こうで顔が真っ赤だろうなwwwwwwwwwwww
デラワロスwwwwwwwwwwwwwwww
>>47 ロシアがアレクサンドロスを意識しているというソースはまだか
>>ローマ帝国なんてアレクサンダー意識しまくりだろw
ソースは?
アレクサンドロス3世ということは
前の王に同じ名前の人が何人かいるということだよな
>>75 アレクサンデル・ネフスキーって知ってる?
知らないだろうな、お前馬鹿だから。
80 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:45:43 0
82 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:47:24 0
>>すくなくともロシアのツアーリの場合は
>>あきらかに大王を意識しているな 膨張政策をとっていたし。
領土増やそうとするのどこでも一緒
85 :
53:2007/01/25(木) 22:50:09 0
やっぱりムハンマドのように有名人の
名前をまねしてみんながつけたってだけなんだな
86 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:58:06 0
>アレクダンドロスってイギリスのアーサー王、日本の日本武尊と同じだろ。伝説を
>あたかも事実のようにしている。
これの根拠は?
アレクサンドロスやそれにちなんだ名前は珍しくない
民間人も多数つけているんだがみんなアレクサンドロス3世を
意識してつけているのか?
88 :
50:2007/01/25(木) 23:34:05 0
>>56 ごめんロシアの「ツアーリ」という単語のこと言っていると思ってた
「カエサル」というローマ皇帝の称号が元なんだけどね
>>すくなくともロシアのツアーリの場合は
>>あきらかに大王を意識しているな 膨張政策をとっていたし。
>>庶民つけるのと貴族やツアーリがつけるんじゃあぜんぜんちがうね
何が違うというの?ロシアは東方に領土を大きく広げたけど
それは敵がいなかったからうまくいったわけで
どこの国も領土広げようとしているのは変わりないんだが
庶民も貴族もよくある「アレクサンドル」という名前をつけただけだろ
54 :世界@名無史さん :2007/01/25(木) 16:07:51 0
>>50 ローマ帝国なんてアレクサンダー意識しまくりだろw
ソース希望
>>58 それほど意識してつけた名前じゃないと思うよ
「コンスタンティン」もよくある名前だし
っつーか日本に比べて
欧州もイスラム圏も名前の選択肢が少ない
過去の偉人の名前にあやかって命名というのももちろんあるが、
大抵の名前は偉人とかぶるのも事実。
いかんのう君ら
いきなり釣られているぞ
これでは前のスレと同じだ
変な質問だと思っても
熱くなってはいけない
92 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 23:58:07 0
>>91 次スレいらないと思ったんだがなあ・・・
親切心で立ててくれた人には悪いが、
「余計な事をしてくれてどうも」、という気分だよ
93 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:09:56 0
大した軍功もなかったのにあんだけの領土を手中にした
セレウコスが一番の勝ち組?
94 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:12:46 0
あの最後じゃ寂しいからなあ・・・
自分がなり代わるならプトレマイオスの方がいいな
チャンドラグプタの舎弟
96 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:24:24 0
孫が母国マケドニアの王になれたから
アンティゴノスも悪くはない・・・
NHK出版のマンガ版アレクサンドロスを読んでから
リュシマコス萌えになってしまった。
ビザンツ好きの自分としては、トラキアを治めてたあたりもポイント高い。
何でスパルタはコリント同盟に入らなかったんだろう
>>64 イラン・中央アジアのペルシア語文化圏では、フェルドウスィーの『シャーフ・ナーマ』や
ニザーミーの『イスカンダル・ナーマ』が広く愛読されていたので、たまに君主や貴族の
名前なんかに「イスカンダル」という人物が居たりする。
ただ、これらの地域のムスリムたちは、一族の正嫡とか長男の個人名というか誕生名は
「ムハンマド」と名付ける習わしみたいなものがあったようで、件のハルジー朝の始祖も
「アラーウッディーン・ムハンマド・ハルジー」というようにやはり個人名自体は
「ムハンマド」だった。(ムガル朝の始祖バーブルも「バーブル」の他にムスリム名として
もう一つ「ムハンマド」がある)
中央アジア・イラン地域に進出したテュルク系政権でも、ペルシア語文学が非常に愛唱されて
いたため、セルジューク朝系の王族たちには「ロスタム」とか「カイ=ホスロー」みたいな
個人名を持つ人物が多い。そもそも、フェルドウスィーが『シャーフ・ーナーマ』を献呈した
のはテュルク系グラームの家系出身であったガズナ朝のスルタン・マフムードであったし、
『イスカンダル・ナーマ』の著者ニザーミー・ギャンジャヴィーも彼の住んでいた地域は、
アゼルバイジャン高原一帯を領有していたセルジューク朝のアタベク政権エルデニズ朝の
統治下にあり、彼の作品もエルデニズ家の宮廷から各地へ急速に広まった。
イルハン朝時代末期からジャライル朝時代には挿絵付きの豪華な『シャーフ・ーナーマ』の
写本が大量に作成されていて、アレクサンドロスのインダス渡河などはかなり好まれた主題の
ひとつだったようだ。後年オスマン朝でも「リュステム・パシャ」とか「イスケンデル・パシャ」
といった人物が多いが、これもオスマン朝ではセルジューク朝時代前後からイルハン朝時代、
オスマン朝に至までアナトリア周辺で『シャーフ・ナーマ』などが愛読され続けていた証拠とも
言えるかもしれない。某NHKの特集でメフメト2世が「アレクサンドロス」云々が出ていたが、
これも結局『シャーフ・ナーマ』あたりの「イスカンダル・ズルカルナイン」として受容されて
いた「アレクサンドロス」像そのものだった。
99 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:54:52 0
101 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 01:33:37 0
>>76-77 話しそらしてばかりいるようだが、
>>73の書き込みを素直に認めろよ
えらそうに厨房よばわりするくせに自尊心だけはたかいのねボクチャンタチはwwww
103 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 01:47:48 0
>>99 可能性ゼロとは言わないにしても、話が出来すぎ。
あと活躍した地域も違うんじゃないか
104 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 01:55:26 0
話が出来すぎ程度で否定する材料になるとでもおもってるの?
おまえのチラシの裏などどうでもよいわwwwww
105 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 01:58:41 0
106 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 02:02:49 0
>>104は口のききかたを知らない池沼なので無視するように
>>73 教授に教えてやれ、普通の民間人にも
ローマ教皇を初めとする
聖職者にも「アレクサンドロス」は多いと
>>107 構われないと機嫌を悪くする方がいらっしゃるようだね・・・
アラビアを攻めようとした理由は何でしょ
>>107 居丈高になるのは決定してから。
過程においては徹頭徹尾頭を垂れ、服従を装った方が利口。
でないと目をつけられ酷い目にあうかも。
こんな事は世渡りの基本も基本、大原則だっ……………!
違うかね、107君?
112 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 06:21:22 0
アレクスレの住人の釣られ易さはすごいな。
もっと大人の対応を身に着けよう。
113 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 08:47:49 0
釣堀にダイブしてる人ですか?www
>>112 みんな釣られにきてるんだから無問題
ヘレニズム世界の話をちゃんとしようなんてやつは、この板にはもはやいないことに気づけw
118 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 14:26:03 0
屁でリズム世界を騙ろう!
そんな荒れているスレに朗報
塩野七生がアレクサンドロスについて書くってよ
朗報・・なのか?
まあカエサル萌えの塩野センセが、今度は誰に萌えるのか、っていうのは少し興味あるな
121 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 17:56:30 0
ギリシャが欧州の起源っていうけど、
ギリシャの起源はエジプトなんじゃないんですか?
となると、起源はエジプトってことになるんじゃなんじゃないんですか?
122 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 17:58:46 0
何でお前はいつも丁寧語で釣ろうとするの?
123 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 18:09:16 0
お前みたいなのが釣れるからじゃねーの?
〜〜〜〜〜〜ここまで自演〜〜〜〜〜〜
塩野だったらアレクサンドロスより
その死後国を建てたディアドコイたち
のほうを重視する気がする
127 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 07:49:41 0
同意
128 :
世界@名無史さん:2007/01/28(日) 09:58:58 0
塩野とおなじくバタ臭い連中が「アレクサンドロスはギリシャの英雄」なんて言ってるのか。底が知れるね。
韓流にはまってる中年ババアと同じじゃねーか
129 :
世界@名無史さん:2007/01/28(日) 10:18:50 O
毎日よく飽きないな
しかも日中から…友達いないのか
アレクサンドロスについて記録を残したカリステネスって
アリストテレスの甥で大王に殺された人?
それとも別人?
人大杉のおかげで沈静化したな
>>100にある古代ギリシャスレッドと統合した方がよかった気が
スパルタ・マケドニアは独裁的
これらはペルシャに近い
スパルタは軍国主義国家だが独裁じゃない
137 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 21:17:16 0
ヘレニズムの影響で日本に入ってきたのって仏像ぐらい?
138 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 21:46:43 0
アレクサンドロスが「ギリシャ人」なら
チンギスハンは「中国人」だよな。
> アレクサンドロスが「ギリシャ人」なら
> チンギスハンは「中国人」だよな。
いや、その区分けで言ったら、
「チンギスハンは『トルコ人』」になる。
141 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 23:02:48 0
>>139その理論はおかしい。アレクサンドロスは韓国人だ。
相手にするな
>>136 スパルタ選挙してない
王はアギス家かもう一つの家(名前忘れた)からだけ
144 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 00:24:06 0
選挙の起源はギリシャ。
民主主義の起源はギリシャ。
もうなんでもかんでもギリシャ起源。
捏造の起源もね。
145 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 01:06:52 0
メソポタミアやエジプト人が努力をして作り上げた様々な英知をすべて横取りし、
ギリシャ起源にしているギリシャ人。朝鮮人とまったく同じ民族気質。死ねばいい
テーベやアテネはペルシャよりスパルタの方が憎かったようだ
アゲシラオスの東征の邪魔をした
現代ギリシャの歴史と朝鮮半島の歴史って似てるよね
148 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 04:02:44 0
隔離スレから出てくるなっての。
149 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 11:04:20 0
もういいじゃないか、このスレはさっさと埋めようぜ。
次スレはしばらく立てずに放置。
150 :
世界@名無史さん:2007/02/07(水) 11:25:02 0
アテネ人「女が偉そうにしているスパルタはカス」
「メソポタミアやエジプト人が努力をして作り上げた様々な英知」ってのはエジプトの算術や
バビロニアの天文学のことをいってるんだと思うが、タレスやミレトス学派などの自然哲学者が
「科学の父」と呼ばれる理由はそうしたものを作ったからじゃないんだよね。
彼らの独創性はアルケーについて考察したことにあり、それ以前にあったのは測量術などの
実践的な知識の蓄積や、太古から伝承された神話的なコスモゴニーだった。
152 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 10:38:06 0
スパルタ、マケドニアは非ギリシャ
153 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 10:45:00 0
>>152 スパルタは確かに侵略民族による国家だったけど、古代ギリシャ
に於いて、アテネと並ぶ最重要の都市国家だと言う事は踏まえて
おかないと判らん。非漢民族による王朝を無視しては中国史は判らんよね
ドーリア人って異民族なの?
ゲルマン人の中にゴートやアレマンニ、フランクが居た程度の差でしょう。
同じ根から出た個性の違う一派ということ。
例の人が久しぶりに帰ってきたわけですか。
旅行したアフリカの話でもしてろよ。
156 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 11:50:42 0
スパルタやマケドニアがギリシャ人なら
鮮卑や女真は漢人かよw
157 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 12:14:54 0
>>156 女真族は元代なら漢人だが明代ならダウト
スレ違い失礼
李淵や李世民は漢人。
トラヤヌスもコンスタンティヌスもローマ人。
ルーツが何者であれ。
160 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 14:43:41 0
>>159 完璧鮮卑だろ
隋、唐は漢の上に鮮卑が立つ異民族王朝(漢から見れば)
161 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 16:29:00 0
何で速攻で反応してんの?
人大杉で頭冷えてないのかね?
162 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 17:13:41 0
163 :
世界@名無史さん:2007/02/24(土) 20:45:34 0
ペルシャに味方してスパルタを攻撃したギリシャ人がいたそうだが
>>161 ついでにいえば北アフリカに行くといってた人も別人だと思うが。
>>163 ギリシャの重装歩兵はオリエントでも傭兵として活躍。
「アナバシス」なんかはそういう連中の話なんだけど面白い。
165 :
世界@名無史さん:2007/02/25(日) 02:27:19 0
ペルシャに味方したギリシャ人がいた
だからスパルタはギリシャとは見なされていなかった
と思ってた
>>165 ペロポネソス戦争ではスパルタとペルシアが同盟したが
コリントス戦争ではアテナイ等がペルシアの援助でスパルタと戦っている。
167 :
世界@名無史さん:2007/02/25(日) 16:27:34 0
ギリシャ文明といわれるものは
ほとんどアテネのもの
どこかのウリジナルとそっくりだなw
169 :
世界@名無史さん:2007/02/26(月) 00:34:10 0
スパルタやマケドニアのような野蛮な軍事独裁国家は
ギリシャにふさわしくない
171 :
世界@名無史さん:2007/02/27(火) 16:24:12 0
アレクサンドロスは男好きだからこそ真の英雄たり得たのだ!!!
172 :
世界@名無史さん:2007/02/27(火) 21:59:04 0
別宮の影響で反ドイツが多くなっている?
173 :
172:2007/02/27(火) 21:59:44 0
ごめん、誤爆した。
174 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 17:18:57 0
コリントス同盟にスパルタだけ入っていないね。やはり異質だと思われていたんだね。
175 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 18:46:27 O
教科書しか読まないのか?
176 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 02:04:26 0
>>158 いや元のころも
金の女真と宋の漢は区別されている
(金国内でも女真より漢が多かったようだが)
スレ違い失礼
インドではなくイタリアの方に攻め込んでいたらよかったのに
>>177 何でそんな貧乏たらしい土地に攻めこまにゃならんのだ。
モンゴルだってヨーロッパは結局無視しただろ。その程度の土地なんだよ。
特に西ヨーロッパは。
後継者をちゃんと決めていたら
やっぱり後継者争いがおこるかな
久々に伸びてると思ったらまた同じようなネタか
>>174 スパルタ自身が入りたがらなかったのでは?
アレクサンドロスの帝国はモンゴル帝国と同じで、たとえ後継者を決めて
いたとしてもいずれ分裂したと思う。
あまりにも広大すぎるし、計画性もないし。
183 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 11:32:39 0
ティムールやバーブルみたいな
>>178 んなこたぁーない
イタリアはエトルリアとかあるじゃないか
シチリアのシュラクサイはギリシャでの戦争にも介入してる
185 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 13:23:39 0
>>182 ただ、統一した軍事行動が可能でなくとも、通商の安全と自由が
確保できたのとそうでないのとでは相当違う
>>179 一応アレクサンドロス4世がいたわけだが。
セレウコス朝からは、ペルガモンとバクトリアとパルティアが独立したが、
やっぱり支配のやり方がマズかったんだろうか?
セレウコス1世の妻アパマはペルシア人貴族の娘だったが。
188 :
世界@名無史さん:2007/03/02(金) 09:43:46 0
しかし、インドに負けるって痛いよな。
中国の歴史書にもインド兵は弱いって書いてあるのに。
負けてないから
ぼく、塩野七生の小説を読んだよ。暗記するくらい。だからそろそろ白人になれるよね?
マイケルジャクソンに聞け
ワロタw
193 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 02:24:23 0
>>189 事実上撤退を余儀なくされる痛手を蒙ったんだろ?
そんな被害など受けていない
サトラップたちがいましたが
196 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 03:01:51 0
大王自身も重傷負ったんじゃなかったっけ?
していない
198 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 20:17:11 0
ガンダーラ美術はヘレニズムなのか?
199 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 21:31:42 0
すべての美術はヘレニズムの影響を受けている
200 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 21:52:20 0
200ゲット
ギリシャの黄金時代は
古代ギリシャではなく
東ローマ帝国時代
203 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:52:26 0
ロシア支配下のギリシャだろw
ロシアに支配されたことはないが
205 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 22:36:12 0
マケドニア共和国や王国に「国名を変更するように」って傲慢すぎだろ。
なんだか天皇を日王と勝手に呼んでいるどこかの民族とそっくりだね。
古代マケドニアとは
それほど関係ないところだし
ギリシャ領内のマケドニア地方も
我が領土だと言われればねぇ
>>205 FYROMの地域は古代マケドニアとは何の関係も無い所にある。
マケドニアでない場所がマケドニアを名乗ってる訳だ。
もう相手にするのやめたらどうだね
209 :
207:2007/03/08(木) 23:17:51 0
古代ギリシャとは無関係ですが
211 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 00:06:37 0
いや、日本は朝鮮王が統治した朝鮮民族の土地だから、本来なら東朝鮮と名乗るべきだ
↑おチンチンびろーん
∩___∩
| ノ ヽ/⌒)
/⌒) (゚) (゚) | .|
/ / ( _●_) ミ/
.( ヽ |∪| /
\ ヽノ /
/ /
| _つ /
| /UJ\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
213 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 16:01:26 0
アレクサンドロスの事績を記したテオポンポスって誰?
マケドニアを蛮人と呼んでいたのは
もっぱらアテネ人
×もっぱらアテネ人
○もっぱらデモステネス
さらに北のボスポロス王国はどう思われていた
ギリシャの殖民都市国家は
北はクリミア、南は北アフリカ、西はイタリア、東はアフガニスタンまで
黒海沿岸のギリシャの殖民都市はスキタイ王に貢納し、その宗主権下にあった。
219 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 01:10:54 0
スパルタ=早い段階からきた鮮卑
マケドニア=遅れてやってきた鮮卑
拡大を続けた王国は紀元前310年にパイリサデス1世が死去すると王位継承の争いやスキタイ人などとの争いが生じて国内が混乱した。
パイリサデス1世の死後サテュロス2世、プリタニス、エウメロスらによって王位が争われ、最終的にはエウメロスが地位を得たが、
この争いにはスキタイ人やサルマタイ人などが大きな役割を果たした。この頃になると王の称号も「ボスポロス王」というシンプルな物となり、
またギリシア人植民市がポリスとして持っていた自治権は次第に縮小した。またギリシア本国ではマケドニア王国が勢力を拡大しており
アレクサンドロス大王の下でアケメネス朝ペルシアが打倒された。この結果、ギリシアとオリエントの間の交易は著しく拡大し、
このことはボスポロス王国の輸出に打撃を与え、その弱体化を齎した。紀元前2世紀頃にはスキタイ人など遊牧民への貢納が義務付けられている。
なぜ日本やヨーロッパでは
古代ギリシャがあがめられて
中世ギリシャが軽んじられるのか
マヌエル1世、ユスティニアヌス1世、アレクサンドロス3世
共通点は拡張政策を行ってかえって自国を疲弊させた
>>218 そりゃ紀元前2世紀の話だ
さらにそのころにはポントス王国にも従っている
スキタイが衰えマッサゲタイが台頭し、マッサゲタイはスキタイほど商業に興味が無く
保護しなかったためにギリシャの殖民都市も衰える。
後にフン族が来る段になると壊滅的な略奪にさらされることになる。
いやスキタイもマッサゲタイの勢力も交易はする
ボスポロス王国が衰えたのは後継者争いと
交易相手のペルシャが崩壊したから
アリストテレスもマケドニアの生まれなんだよねぇ
227 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 23:46:53 0
カルタゴあたりなんておいしそうだけどね
228 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 08:52:05 0
バクトリア王国の末裔たるギリシア人たちは、どこに行ったんだろう。
インド人に同化したのかな?
229 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 13:45:08 0
主にアフガンにいる様子。
まあ、根っからのイスラム教徒になってるんだろうが。
現代のギリシャ人をはじめとするヨーロッパ人は
古代ギリシャより中世の東ローマ時代を重視しろ
アウラングゼーブ、ヴィルヘルム二世、劉徹、アレクサンドロス三世
共通点は指導力、統率力があるがかえって国家を疲弊させた
ギリシャ語のバルバロイ
ロシア語のネーメツ
どっちも言葉がわからない者という意味だが
バルバロイはバーバリアン(野蛮人)の語源となった
ネーメツはドイツ人をさすようになった
話題の種はつきたな
>>213 その人は、むしろ、フィリッポス2世の事を書いた人では。
「フィリッピカ(フィリッポス史)」という今では断片しか
残ってない歴史書を残しています。
このスレと「古代ギリシャ文明は捏造」のスレを立てた人
本当に余計なことをしてくれたよ
なぜ?
237 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 18:09:43 0
>>237 一般兵は白人や中東人。将校は全員黒人か中東人。
ペルシア軍に巨人がいる。
不死隊が日本刀を使う。
ペルシャ人はアケメネス朝のころから
自分たちのことをイラン人と呼んでいたんだろうか
イラン人までもが
映画ごときで騒ぐとは
これほど幼稚とは思わなかった
嫌希厨がいるのか?
欧州中心史観への反発か?
>>238 古代のペルシャは支配層がアーリア人じゃなかったっけ?
西地中海のメンバーは遠征行に参加しなかったのかな
傭兵とかさ
アテネは別にマケドニアを
バルバロイ扱いしていないよ
少なくとも「マケドニアはバルバロイ」
と言っている文献はない
バルバロイ扱いしてたのはデモステネスだけだって。
246 :
世界@名無史さん:2007/03/30(金) 23:59:51 0
アレクサンドロスって碑とか立てたんだっけ?
247 :
世界@名無史さん:2007/03/31(土) 01:04:02 0
エジプトに図書館アレクサンドロス図書館たてたんじゃないの
>>246 それまでのギリシアポリス乱立時代に比べると
マケドニア時代は碑文自体が驚くほど作られていない
まだ大王伝原典群が残ってるからいいようなものの
史料状況としてはほとんど暗黒時代
249 :
世界@名無史さん:2007/03/31(土) 16:32:49 0
毒殺された王の中の王。
猪王
251 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 02:34:12 0
アレクサンドロス大王に興味があると人にいうのは
自分はロマンチストですと言っているようなものだから、正直恥ずかしいです。
おわり。
252 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 03:44:15 0
アッララララーイ アッララララーイ
/ ///////////////
/ ///////////////
/ ///////////////
/ ///////////////
( ・∀( ・∀( ・∀( ・∀( ・∀・)・∀・)・∀・)・∀・)
| ̄ || | ̄ || | ̄ || | ̄ || | ̄ || ⊃─────── ─ ─ ─ ─ ─
\/ \/ \/ \/ \/-J -J -J -J
シュリーマンもかなりのロマンチストだったし、別に恥ずかしくはないな
>>254 自分の気に食わない人間を
ひいきにしている人間もまたきらい
というやつだろ
ヘルキャットはよく回るだろうが
嫌希厨って何で存在するの?
トルコと敵対関係と見なされていたので、
もともとギリシャの評判は悪かった。
そういえばサッカーのユーロカップ優勝時もかなり嫌われた。
守備的な戦い方が受け入れられなくて。
さらに優勝後、親善試合だったかで何だかの試合で日本に
負けた時はかなりコケにされたな。
日本がギリシャに勝ったのはコンフェデレーションズカップですな
はっきり言ってもう話す話題もないよね
261 :
世界@名無史さん:2007/04/10(火) 17:16:09 0
「偉人」スレから。
284 :世界@名無史さん :2007/04/09(月) 16:09:10 0
『100人の偉人 英雄編』で、
チンギスハンが征服した民に
宗教を押し付けなかったのがエライという文脈で、
それまでの侵略者は押し付けていたといって、
アレクサンドロスやローマ帝国を引き合いに出していたが
ーーこれはマチガイと断言していいか?
これ、アレクサンドロスに関しては?
むしろ東方に染まってヒンシュクかったことが印象に残ってるんだが。
宗教の押し付けなんかしたか?
ローマ帝国が押し付けた?
ユダヤ人位な物だろ。
キリストやイスラムなんかがのさばるより昔に
地中海で生きてきた人達から見れば別に褒めるほどか?と思いそうな
264 :
世界@名無史さん:2007/04/11(水) 23:40:36 0
「古代ギリシャ文明は捏造」「アレクサンドロス大王とヘレニズム世界3」
このスレ立てた人いる?
あんたらほんと、余計なことしてくれたよ
いまさらどうでもいだろ
>>264 「捏造」を立てたのは俺だけどこっちは知らんよ。
余計なことって?
ようは隔離スレだろ?
2003年に左翼政党が「ゲーム禁止」の法律を作ったときも
かなり馬鹿にされた。(確か裁判所で否決されたそうだが)
この政党、トルコとの関係を改善させた政党でもあるんだが
日本人はトルコとギリシャが仲悪いことにしたがるから
近現代はスレ違いだよ
271 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 01:44:47 0
ここにいるくらいの奴らなら古代マケドニアを求めてギリシャに旅行にいったのも何%かはいると思う。
そいつらに聞きたい。
正直古代のマケドニアを見たくて旅行に行ったって人にいうの恥ずかしくない?
俺は映画のアレキサンダーを見たくらいの高卒だけど、人にはあくまでも古代ギリシャを見たくて・・・・と言ってる。
悟られないように注意している。
やっぱ君らレベルでもそうなんかなーと思うと内心ニヤニヤしてきますw
272 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 01:55:42 0
意味不明
なぜ古代ギリシャが恥ずかしくなくて古代マケドニアが恥ずかしいのか?
そもそも恥ずかしいからなんだってんだ。
274 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 03:01:05 0
>>273 だってさ、人から「あいつアレクサンドロス大王が好きなロマンチストなんだなw」
とか思われんだよ?
恥ずかしいよ!
マケドニアに興味が湧いたのもきっかけは大王に憧れて・・・てな感じだと思われるのはちょっと・・・。
>>274 ロマンチストだと思われたくないのはなぜ?
バカにどう思われようと関係ない。
276 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 03:23:04 0
>>275 ロマンチストと思われるのは我慢できるかなぁ〜〜。
でも大王に憧れてる、憧れたことがある、と思われるのは嫌だな。
ペラの博物館でクラテロスがアレクサンドロスを
ライオンから助けてる絵があるけど、
まあ正直感動しましたよ。高卒レベルの俺でもね。
こんな話は海外旅行板ではできないからここで話させてもらった。じゃあね。
277 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 05:52:24 0
欧米人が東洋といえば朝鮮半島と思って東洋の神秘を感じているようなものか
>>276 つかマケドニアに行く目的なんてほかに思いつかなくない?
「住民がスラヴ系なのかギリシャ系なのか見に来た」とか言ったら現地人に殴られそうだ。
>>278 今のギリシャ人はスラブ人とギリシャ人の混血だろ。ほかにも混血しているだろうが
>>「住民がスラヴ系なのかギリシャ系なのか見に来た」
安心しろ、相手にされないだろうから。
281 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 18:09:13 0
ディオゲネスとアリストテレスって接点あった?
>>279 そうじゃなくて現代のナショナリストの間の問題。
ギリシャ人はスラヴ人の一派としての「マケドニア人」の存在をそもそも認めていないし
マケドニアの公式見解では6世紀から住んでますってことになる。
>今のギリシャ人はスラブ人とギリシャ人の混血
「ビザンツ帝国とブルガリア」って本によると、スラヴ人侵入後のペロポネソス半島では
気候風土の違いなどから「スクラヴォニア」という居留地が点在してた程度だったらしいけど?
後に同化されただろうけどたいした数ではないのでは。
ブルガリア人は。マケドニア人は自分たちと人種的に同類であり、
マケドニアはブルガリアの一部だと思っている。
近現代はスレ違い
アレクサンドロスに憧れることのどこが恥ずかしいのかさっぱり分からん
ヒトラーとかいうとヤバい奴だと思われるがな
まぁ、中学生が親と一緒に出かけるのを嫌がるようなものかとも思うのだが
「アレクサンドロスの石像が観たい!」ってだけで行くわけじゃないしさ
足跡を追うというか 石像を観るにしても、それを通して現地での彼の評価を観るというか
別に格好悪くないと思うよ?って吊られてみる
アレクサンドロスに憧れてカンダハルまで行っちゃう奴なら尊敬する。
>>285-287 ねえ、食いついた餌はうまい?
こんどはスルーするということを覚えようね
>>285 だからさ、自分の気に食わないのを
気に入っている人間も気に食わないものなんだよ。
反中では「何で三国志に夢中になるのかわからない」
なんていうのもいる
前から思っていたんだが
こ こ は 釣 堀 か
そう思うんなら誰か新しいネタを出せっつーんだハゼどもがwww
と餌の誘惑に負けてみる
ヘレニズムのエピソードとして好きなのは、パルティア軍に負けたクラッススの首が
王宮で上演されたエウリピデスの「バッコスの信女」の小道具に使われたという話。
ギリシャの殖民都市ってイリュリア(アルバニア)やトラキア(ブルガリア)にもあったの?
シチリアやプロヴァンスやキュレナイカの辺りにごろごろ
「以外」って文字を勝手に幻視してしまったスマソorz
>>295 イリュニア: エピダムノス
トラキア: フィリッポポリス (元はトラキア人の集落だけど)
保守しておくか
嫌希厨が歴史学者や本物のギリシャ人に
会ったときの態度をぜひ見てみたいものだ
しかし征服した土地の多くはアケメネス朝ペルシアの領土が殆どだな。
マケドニアがオリンピックに出場するのは
ペルシャ戦争が終わってから?
地中海にコメや柑橘類が伝来するのも東征の時に持ち帰ったものなのでしょうか?
307 :
世界@名無史さん:2007/05/26(土) 00:09:45 0
「誰がアレクサンドロスを殺したのか?」(難波 紘二、岩波書店)
誰か読んだ人はいますか?
米はサーサーン朝後期頃にインド方面からメソポタミアに移入されたらしく、
アッバース朝時代にイラク南部の開発が進行すると本格的に作付けが始まったようで、
その後イラン高原や特にカスピ海南岸、12世紀頃にはエジプトからアンダルス方面まで
急速に伝播していったとか聞いた覚えが。
柑橘類、特にレモンとライムはパフラヴィー語(中期ペルシア語)&近世ペルシア語の
「リームーン」が語源だが、これもサーサーン朝〜アッバース朝時代にかけイラン高原
以西に伝播したとか。(確か前嶋信次先生が何かの論文でそのことを触れられていたと思う)
トラキア人はギリシャ語派だったの?
「言葉がわからない」という意味のバルバロイと呼ばれていた
311 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 10:12:55 0
マウリヤ朝のビンドゥサーラ王がセレウコス朝のアンティオコス1世に
「イチジクと葡萄酒とギリシャ哲学者を送ってくれ」と頼んだが
イチジクと葡萄酒はいいが「哲学者は輸出品ではない」と断られた
という話があるが、イランでワインって作ってたんだろうか。
312 :
世界@名無史さん:2007/06/01(金) 00:45:54 0
セレウコス朝はシリア・メソポタミアまで支配していた訳だが・・・
当時のバビロニアの粘土板文書にもアンティオコス(an-ti-,-ku-us)やら
セレウコス(si-lu-uk-ku)などの王名が出てくるよ。
314 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 02:33:30 0
楔形文字?
例えば、アンティオコス1世が、前274年に
バビロニアのエジダ神殿を再建した時の記念碑文は、
楔形文字のバビロニア語で書いてあるよ。
内容は、神殿の再建工事の事とバビロニアの神への祈りの文章・・。
セレウコス朝による原住民の宗教に対する配慮のあらわれってやつだね。
ただし例外的に、アンティオコス4世などはユダヤ人の宗教を迫害し、
ギリシアの宗教を押し付けたため、マッカベア戦争の引き金になったって事があるが。
ビザンツ亡命政権のイデオロギー(4)
ヘレニズム回帰
ユダヤ人との比較と並んで、亡命ビザンツ人の自意識を形成する上で重要な役割をもった
考えとしては、ビザンツ人は古代ギリシア人のように、蛮族の海に飲み込まれる危機に瀕しているというものであった。
ニケタス・コニアテスは、アンティオキアの戦い(1211年)で殺されたセルジューク朝スルタンを
クセルクセスに、テオドロス1世をアレクサンドロス大王になぞらえている。
また、総主教ゲルマノス2世は、ラテン人に対するヨハネス3世のポイマネノンでの勝利(1224年)を、
マラトンやサラミスのそれにたとえている。
http://homepage3.nifty.com/ryuota/nicaea4.html
319 :
世界@名無史さん:2007/07/01(日) 03:09:47 0
今のギリシャ南部、エーゲ海にも、非ギリシャ語話者がぺラスゴイとして残存していたはず。
320 :
世界@名無史さん:2007/07/10(火) 01:21:55 0
イランでの伝説上のアレクサンドロス(というかイスカンダル)には
Chama-Purという宿敵がいるそうですが実在のモデル等はあるのでしょうか?
>>320 思いつきだけど、シャープールとは違うのか?
323 :
世界@名無史さん:2007/07/10(火) 01:43:52 0
>>321 史実でアレクサンドロスと戦ったのは
ダレイオス(ダーラヤワウ、ダーラヤワウシュ)3世だが
これは全然似てないな。
ダレイオス3世の即位前の名前はアルタシャタといったそうだがこれも関係なさそうだ。
東洋文庫の「王書」あたりを読めば参考になるかな?
>>320 Chama-Pur という人物については良く知らないけど、近世ペルシア語(イスラーム時代以降)の
歴史書に出て来るイスカンダル(・ズ・ル=カルナイン)の伝承のおおまかな筋としては、おおよそ、
イスカンダルはイランのキャヤーニー王朝の君主ダーラーブ(Darab)王の息子とされていて、
ダーラーブ王がルームの皇帝(qaysal:カイサル)フィールフース(Filfus:フィリッポス2世?)の
娘と結婚して儲けたのが、このイスカンダルだった。と、いうことらしい。
ところが、ダーラーブはそのフィールフースの娘があまり気に入らなかったらしくて、フィールフースの
許へ送り返してしまった。その頃にはすでにその王女はダーラーブの子種からイスカンダルを妊っていて、
フィールフースのところで出産した。フィールフースは自分の娘の子供を「自分の裔だ」と言って自分の
ところで後継者として育てることにしたんだとか。
一方、ダーラーブはダーラー(Dara)と名付けた別の子供を後継者として、イラン世界の帝王位を
継がせたんだそうな。
イスカンダルは成長したあと、このダーラー王を打倒して世界征服者イスカンダル・ズルカルナインに
なるわけで、要はこの伝承によるとアレクサンドロス3世とダレイオス3世は異母兄弟、ということ
になっているようだ。(これはイルハン朝時代後期に書かれた内容で、タバリーやフェルドウスィー、
ニザーミー・ガンジャヴィーの『イスカンダル・ナーマ』でのバージョンはまだちゃんと見てない)
エヴリヤ・チェレビーの著作でメフテル軍楽隊について
「Chama-Purの軍勢が行進してるよう」という表現があるらしいです。
手がかりにも何にもなってませんが・・・
327 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 12:21:07 0
>>319 いつごろの時代まで残存していたんでしょうか。
最後はギリシア語話者として吸収されてしまったのかな。
328 :
世界@名無史さん:2007/08/18(土) 16:27:15 0
329 :
世界@名無史さん:2007/08/18(土) 17:45:55 0
ギリシャの殖民都市ってマケドニア王国領内にもあったの?
エピロスやビュザンティウム
シラクサやポントスの王国も元は植民地だよな
332 :
世界@名無史さん:2007/08/19(日) 20:01:44 0
>ギリシャの殖民都市ってマケドニア王国領内にもあったの?
領内にギリシャ人町があったということは、やはり負奴人はギリシャ人とは別民族つーこと
>>333 マケドニア人とは別にギリシャ人の都市があるなら
それは2つの民族が分かれていたということになる、といいたいのでは?
答えじゃなくて便乗した書き込みでは?
マケドニアとスパルタて非ギリシャ系の王国でしょ
人種等の系統についてはよく知らないけど
当時のギリシャ文化を共有してればギリシャ人とみなされたらしいので
ギリシャ人で問題ないのでは?
それともビザンツの「ミクソバルバロイ」みたいな別の
カテゴリーがあった訳?
スパルタもマケドニアもギリシャ文字を使っていたことが確認されているが
>>340のギリシャ人の定義ってなんじゃろ。もしかしてイオニア人のみを
ギリシャ人としているのか?
ドーリア人はギリシャ人ではないと考えてるとか?
だからヘロドトスもデモステネスも読んだことがないクズなんだって
345 :
世界@名無史さん:2007/10/07(日) 02:04:18 0
現在、始皇帝の墓とされる西安の兵馬俑は、調査したいから写真を取りたい
と申し出ても禁止になっている。理由は明らかではないが、中共政府が自分
たちの歴史の真実が暴露されることを恐れたのであろう。
実際、06年に始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨は、ペルシャ系のDNAが
見つかっている。このことから、秦の時代の軍隊は諸民族の混成隊だったと
思われているようだが、そうではないだろう。兵馬俑の兵士像の顔を見た
だけでも明らかなように、あれはギリシャ人だったと素直に考えるべきでは
なかろうか。
ペルシャの史書には、古代中国大陸はトルコ人が占拠しており、アレク
サンダー大王がバクトリアから洛陽に侵入して市民たちを殲滅したと書いて
ある。むろん中国史にはどこにもそんな記述はない。それは一つには隠した
からであり、全部を借史にしたからであろう。
秦陵墓や兵馬俑とは、実は漢民族の先祖の遺跡ではなく、バクトリアから
侵入したギリシア侵略軍(アレキサンダー軍)の遺跡だったのである。
これが世界にバレれば、当然支那の歴史は全部がデタラメになる。
348 :
世界@名無史さん:2007/10/10(水) 23:00:38 0
>>345 マジかよ・・・
そういえば四大文明の起源はメソポタミアとも言われているしなぁ
>>345 > 実際、06年に始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨は、ペルシャ系のDNAが
> 見つかっている
”ペルシァ系のDNA”ってどんなDNAだよw
民族ごとにDNAが違っていれば文化人類学も楽だわなwww
>>345 で、そのことがギリシャ人の歴史書はおろか考古学的記録も全く残ってないのはどう言う事だ?
>>350 電波に何聞いても無駄だよw、おそらく「証拠は全て中共が隠滅させた」って言うくらいでしょ。
やはりペルシャ帝国を吸収したギリシャ文明に帝国というものを征服という形で教わったんだろうな
>>350 存在は知られていたインドと違って当時のヘラスには存在自体が未知だったシナまで侵入したんならどう考えても記録が残ってるよなw
「バクトリア王国の興亡」
どこの書店、古本屋にもない
前に引っ越した時、図書館に寄付するんじゃなかった
もう遠いから行けんし
>>353 しかし、「北の海」の岸にはヒュペルボレオイ人が住んでる、とか言って、
ヘロドトスがバイカル湖に言及してるところからするに、
ギリシャ人はシナの存在をうすうす知ってたんじゃないかな
(黄金を守護していたグリプスってのがそうなのかも?)
356 :
世界@名無史さん:2007/10/25(木) 21:09:41 0
>>352 だな
始皇帝の政策なんてアケメネス朝ペルシャのまんまパクリだもんな
誰かがオリエントの帝国モデルを中国(秦)にもたらしたとしか考えられんよ
日本の封建制度はヨーロッパの物と似てる部分があるからヨーロッパのパクリ。
>>356 べつに当時の状況の中で機能的で効率的な広域帝国の運営をしようとすれば、自然似て来るだろ。
ウミガラスとペンギンは似ていても、お互いをぱくったわけじゃ無い。
359 :
世界@名無史さん:2007/11/25(日) 11:45:19 0
中国人がギリシャ人と直接交流するようになるのは、
武帝が西域一帯を征服してから(前130年)以降じゃないか?
一番古い交流の記録は多分、前漢書西域伝第六十六のケイ賓国の条の記事だと思う。
「容屈の王子・陰末赴がサカ人に国を奪われたんで、漢の援助で国を取り戻した」って書いてある。
「ケイ賓国」っていうのはガンダーラ地方の辺りで、
「容屈」っていうのはギリシア人(yonaka)のこと、
「陰末赴」っていうのは、インドグリーク朝最後のギリシア系王者ヘルマイオス。
アレクサンドロスは空前の大征服者ってことになっているが、
その領土はペルシア帝国にギリシアを足しただけでしょ。
インド遠征もペルシアの辺境のインド国境付近をちょぼちょぼと制圧しただけ。
真に偉大なのはペルシア帝国。
キュロスやカンビュセスら数代で成し遂げた版図を
一人で征服したからじゃないか?
アケメネス朝時代にはサトラップ同士が戦争を始めることなんてなかったから
その点オリエント住民には迷惑な征服者だったろうが。
>>360 エジプトの事、たまにでいいから思い出してあげてください
>>362 アケメネス朝のサトラピー→アレクサンドロスのサトラピー→プトレマイオス自立
じゃなかったか?
>>360 ギリシア&マケドニア、中近世ヨーロッパ側から見て空前絶後ということで一つ(笑
>>361 キュロス大王一代で、リディアと新バビロニアを潰し、
小アジアからメソポタミア、ペルシア高原にまたがる大帝国を建設しましたが何か?
>>362 当時のエジプトはペルシア帝国の領土じゃよ?
バクトリアやインダス流域も旧ペルシア帝国の版図内。
大王が長生きして、アラビアやカルタゴを併呑していたらまた違っただろうけど。
>>363 正解
何で「諸王の王」を名乗らなかったんだろうね。
ソースある?
368 :
世界@名無史さん:2007/12/11(火) 01:53:10 O
確かにキュロスこそが神だよな。大征服した上、その王朝は200年も持ったんだから。
>>キュロス大王一代で、リディアと新バビロニアを潰し、
>>小アジアからメソポタミア、ペルシア高原にまたがる大帝国を建設しましたが何か?
アレクサンドロスの版図より小さいね。
期間も長くかかってるし。
まあキュロスだって「大王」って呼ばれているし西洋圏でも普通に偉人って扱いだろ。
アレクサンドロス自身も尊敬していたし。
>>370 アレクサンドロスより長くかかったのは、
各地に小勢力が割拠している地域を一つ一つ平定した所為かと。
アレクサンドロスが、バクトリアやテュロス、インダス河畔で苦戦したのと同じ理由。
逆に言えば、アレクサンドロスはキュロス2世が既に平定していた領地を、
イッソスとガウガメラの両会戦で勝利した後は、苦労なく統治できるという強みがあったわけだ。
羽柴がこねた天下餅を座ったままで食べる徳川みたいに。
372 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 04:02:21 0
今、ようやく岩波文庫の
アレクサンドロス大王東征記の上巻を読み終えたところだ
つよい、めちゃくちゃ強い
カエサルのガリア戦記なんて屁みたいなものだ
火薬の発明以前では、だれも対抗できんのではないか
まあモンゴルについては一考せにゃならんが
これが紀元前四世紀だというのだから信じがたい驚きだ。
しかも、常に最前線で闘いながら、統治の実も上げている。
それも辺地においてもだ。化けもんとしかいいようがない。
ギリシャ=インド軸というべき国際構造がいつ頃から成立機能したかは
わからんし、アケメネス朝ペルシャについて理解する必要があるが、
それにしても迷いのない在り方は、とてもその場で考えたものではない
世界戦略、戦術、統治、植民など事前の周到な研究、分析が背景にあるのは
間違いない。
また、明らかにヨーロッパや北アフリカも視野にあり、
もう少し長生きしていれば、ペルシャなど及びも付かない大帝国となった
と思う。
373 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 17:04:51 0
ニコでアレキサンダー特集みたけど
武装しないでライオン狩ってたってどこの勇次郎だよw
374 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 17:22:51 0
リアル勇次郎w
376 :
世界@名無史さん:2008/01/04(金) 23:46:25 0
ライオン素手かよw
377 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 00:54:53 0
>>372 下巻には、遠征をしぶる兵士へ向けての、鳥肌ものの大演説がまってます
『アレクサンドロスの征服と神話』 も併読すると、
彼の精神構造の中核にあったものがなんであったか、おぼろげながら理解できます
378 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 01:07:59 0
ライオン素手って人間なんて紙同然だなw
379 :
名無しの権瓶:2008/01/05(土) 03:27:35 0
アレキサンダーって兵士には迷惑だよね
自分の死語、子供は部下に殺されてるし
苦労してついて行ったのに、異民族の女と結婚して祖国から遠く離れた
異国の地に定住しろっていわれたら泣くよな。
>>372 ローマにてこずって帝国拡大止まったと思う
382 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 13:54:36 0
>>379 圧倒的強さで恐怖支配してたんだろうな
反逆する者が現れなかったのが不思議だ
>>381 ローマってその頃そんなに凄かったっけ?
>>383 イタリア中部のしょぼい都市国家でしかありませんよ。
385 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 14:46:34 0
すいません。初心者なんですが、アレクサンダーを知るにはどの本がお勧めなんでしょうか?
>>383-384 すでにイタリア中部では覇権を握りつつあったから手ごわいと思うよ
少し後にはピュロス・ハンニバルを退けてるし
387 :
世界@名無史さん :2008/01/05(土) 15:31:50 0
アレクサンドロスの遠征って、ハリカルナッソスとか、
一部を除いては、攻城戦を強攻で落してますよね。
ペルシャ帝国内部は、平和が続いてたから、
都市・城の防衛体制が脆弱だったの??
388 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 15:37:54 0
>>386 でも有能な将軍もいないし無理だろう
アレクサンドロスはそのハンニバルに並べなかった
と言わしめたくらいの化け物だし
389 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 16:52:18 0
ローマを個人の才幹で攻略するのは不可能だと思う。
あの時期のローマは、市民全員を根絶やしにされない限り絶対に負けを認めずに徹底抗戦する。
1度や2度の戦闘で負けた程度では絶対に諦めない。
だから逆にアレクが無理だと思う
そんなのアレクなら皆殺しにして終わりだろw
391 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 18:56:41 0
有能な将軍も兵士もいない時代だから小さい国の市民根絶やしなんて容易いだろうな
じっさいアレクサンドロスはテーバイを完全破壊したことがあるからな
393 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 21:02:04 0
素手アレクサンドロスに紙同然に引きちぎられて終わりじゃねw
黎明期だからと舐めてかかる御仁がいるようだが、アレクサンドロス時代にすでに人口15万を越える大都市だったよ
決して小さい国じゃない
アレクサンドロスでも無理だろうな
勢力圏じゃなく都市ローマだけで15万以上ね
これクラスの人口を誇る同時代の都市は世界でも少ない
396 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 21:41:57 0
いくら多くたって殆ど雑魚しかいないんだから時間かければいけるでしょ
ガウガメラで約20〜30万のダレイオスの兵士倒してるんだから
15万程度の市民なんて余裕だろw
バカだな
軟弱なペルシアの兵と一緒にするなよ
兵士がいくらなんでも市民より弱いわけないだろ
ローマ市民も戦闘に参加していたとしてもだ
ローマ市民がライオンより強いってのかよ
共和制時代のローマは市民=兵士、市民皆兵というのが基本中の基本だが
だからポエニ戦争では金太郎飴のような段違いの兵員動員力を発揮できたんだよ(総動員力実に75万)
負けても負けても無限の物量で兵力を繰り出してくるよ
どんどん殺していけばOK
15万程度で無限の物量ってw
>>403 15万は盟主都市ローマの人口に過ぎないよ
言わば首都人口に過ぎない
すでに中部イタリアを従えてるんだぞ
首都制圧してあとは周り適当に惨殺していけばいいんじゃない
当時のイタリア半島の人口を500〜700万と見て、単純に3等分しても中部イタリア=ローマの勢力圏が200万レベルの国家と見ても
ローマの社会体制だと相当の動員力はあるだろ
その上当時のローマ軍は市民兵で一人一人のモチベーションが高い
ペルシアの混成軍団とは質の点でもかなりの差があるだろう
アレクサンドロスの3万程度の遠征軍では根絶やしに出来るとは思えん
戦術組める将軍がいなければ数がいくらあっても絶対勝てないと思うぞ?
現にアレクサンダーの少数部隊に戦術が何もない大軍が負けてるんだし
409 :
名無しの権瓶:2008/01/05(土) 23:20:01 0
でもその頃のローマに戦争を仕掛けるほど魅力はないだろうに。
ローマ落としても、それほどの価値はないだろう。それより東は未開の
土地だし。
ペルシアは豪華な世界帝国とは比べられない
戦争したとしたらアレクが勝つと思う。まだ、その頃のローマでは戦術
とか確立していないと思うし。
大スピキオ、カエサルレベルの奴がいなければ
ただ数だけの雑魚にすぎない
有能な将軍がいないから統率もとれてなさそうだし
>>406 古代の会戦においては数の差だけでは天才的戦略家は破れない、
というのはハンニバルが証明してしまっているからねえ
アレクサンドロスでも、カンナエと同じ状況を作り出すくらいはできそうなもんではある
412 :
世界@名無史さん:2008/01/06(日) 00:18:26 0
>>406-407 んー、ハンニバルの場合は補給線がアレだったので最終的に敗北したが、
アレクサンドロスの場合はマケドニアやエジプトからガンガン物資補給できるわけで。
攻城兵器も運び放題で、ハンニバルの苦手だった都市攻略もけっこう余裕?
となると、野戦で連勝した後、同盟諸都市を次々攻略されたらローマおわっちゃう
413 :
名無しの権瓶:2008/01/06(日) 00:26:29 0
逆にカエサルなどの名将と、共和国時代末期以降の軍隊であれば、
兵の差でアレクに勝てると思う。
戦術も確立してるし、土木技術の差で圧倒できる。
そりゃあ時代が違うからな
>>413 だがそのローマもナポレオンの軍隊に惨敗するだろう
そんなことを言い出せばブッシュが最強という結論にしかならないわけでな。
だから別時代同士を比べたって無意味だって
418 :
世界@名無史さん:2008/01/06(日) 01:55:12 0
>>413 いやマテ、カエサルって名将か?
カエサルの凄みは軍事的な才能よりも、配下を束ねる人間的魅力と、
自身の戦果を積極的に宣伝して状況を有利にする政治的な才能、
そして配下のローマ軍団の、教練、装備、部隊編成、指揮系統の重視など
高度な軍事システムを背景にしたものだと思うんだが…。
名将と言うよりも政治家タイプ
アレクサンドロスの場合は、マケドニア・ファランクスと騎兵部隊を組み合わせて
凄まじい攻撃力を持つ軍隊の創造に成功したわけだから、確かに名将だろうけれども。
戦略はともかく、戦術眼はハンパないし。
419 :
世界@名無史さん :2008/01/06(日) 02:56:12 0
アレクが強いというより、
ギリシャ・マケドニアに組織戦術に比べて、
ペルシャが弱すぎたんじゃない??
ペルシャ軍て、戦時にかきあつめただけの、数を頼みにした烏合の衆でしょ。
クセノポンも、アゲシラオスも、対ペルシャ戦では、
余裕の勝利を収めてるから、
アレクが天才だとかいうのは、疑問。
少数によるわずか11年の遠征で帝国&その他諸国ぶっつぶしたんだから強いだろ。
しかも常勝無敗
首都人口で15万なら、兵士として提供できるのはせいぜい5万だな。
アレクサンドロスがイタリア半島進入したらローマご自慢の同盟都市は一斉に寝返るだろうから
決戦でも挑もうものなら簡単に瞬殺されて終わりだなあ。
422 :
世界@名無史さん :2008/01/06(日) 07:07:41 0
アレクの時代のちょい後に、ピュロスがローマと戦ったけど、
結局、野戦で勝利を重ねても、損害増やすだけで、
撤退しましたよ。
同盟都市は、ピュロスのときも、ハンニバルのときも、寝返らなかった。
なんで、アレクが侵攻したら寝返るの??
世界史板のこの手の論争はどうも信者同士の罵り合いみたいになるな
空気が読めないってこうゆうのを言うんだろうな
425 :
世界@名無史さん:2008/01/06(日) 09:29:09 0
>>424 空気は読むものではなく作り出すものだ。
KY? 中二病? 大いに結構!
周りに合わせる無数のバカこそが、太平洋戦争や小泉劇場を産みだすのさ
アレクサンドロスがローマ攻めてもハンニバルと変わらんだろ。
ギリシャポリスはアレクサンドロスに対しては一貫して造反する気満々だったんだし、後背の援護を受けにくいという条件はハンニバルと大差ないのでは?
むしろアレクサンドロスの場合、状況次第ではギリシャが敵にもなりかねない。
>>421 ハンニバルの時に、ローマ同盟の結束の強固さは証明されてるわけだけども。
さらに同盟諸都市の供出兵を合わせれば5万では留まらないでしょ。
「瞬殺できれば」ひょっとするかもしれんが、多分無理でしょ。長期戦に持ち込まれて撤退というのが本命では。
さらに言うならローマは敵を叩き潰すまでは絶対に戦争をやめない。
なので矛を収めれ逆にマケドニア本国まで攻め込まれて帝国瓦解というシナリオにもなりえるかもね。
アレクって略し方が痛い
アレクサンドロスVS当時のローマって
ナポレオンVS当時のアメリカって思考ゲームしてるようなもんかな
>>426 いやハンニバルは補給が断たれたから負けたわけだから
地理的に見てアレクサンドロスが補給を断たれることはないでしょう
だから攻略できると思います
一度に20万〜30万の兵士相手にしてるのだから
5万より上とか言ってるレベルではとても止められない
5万より上って、20万30万でもありえるわけだけど
そんなにムラが数値持ってくんなよ
大体5万とか適当な数値持ってきたのはアレクサンドロス勝利派なんで
イタリア半島統一時のローマが75万の動員力持ってたんだから版図が中部イタリアのみでも単純計算で20万以上はいくわけで
まあ統率とれてない奴等がいくらいても無駄だろうね
ハンニバルだって補給潰されなければあのまま続けてただろうし
ローマは天才より堅実な良将を選び生み出す社会だから。
一人で世界をひっくり返すような力を持った天才はめったに出なくとも、いつの時代もコンスタントに良質な人材はそろってたと思うよ。
だが所詮名前の残っていない無名の雑魚
そう大きな事件の無い時代だったから残ってないだけで、アレクサンドロスが攻めてきてたらアレクサンドロス戦争でのスキピオが出てきただろうね
しかしそんな人はいません。妄想人物まで作って必死すぎw
人材がいないというのもまた妄想の域を出ないがね
440 :
世界@名無史さん:2008/01/06(日) 14:16:53 0
お前ら仲良いなw
じゃあマケドニアにも凄い人材がいっぱい出てきて勝ちって言えるね!
じゃあローマも人材はいるってことで、この点については問題ないね
人材いるのはいいけど補給拠点潰さないと意味無いだろ
んじゃあ妄想超人が現れない限りマケドニアの勝ちってことだねw
ハンニバルとアレクサンドロスの違いが分からないね
アレクサンドロスがイタリア来てても、そのうち海路マケドニア本国を突かれてまずいことになるでしょ
>>446 当時の海軍力は誰が考えてもギリシア諸都市を制しているマケドニアの方が上だがw
ギリシャはむしろ喉元の刃では。長引けばローマに付きそう。
妄想超人がいなければ何もできないね
マケドニアに無理やり働かされてる士気の低いギリシアの海軍なんて大したこと無いでしょ?
ローマに無理矢理働かされる士気の低いローマ同盟市の軍隊なんて以下略
452 :
世界@名無史さん :2008/01/06(日) 19:26:34 0
>>432 75万てのは、理論上の、推定予備兵力値なわけで。
実際に、そんなに動員してるわけじゃない。
アレクの方も、兵員補充できないから、キツイと思うよ。
アレクがイタリアで兵力損耗の報せが入ったら、
背後のギリシャが総決起して、反アレクに立ち上がるだろ。
アレクの東征の最中も、ギリシャは決起してる。
アレクが対ローマ戦の最中にギリシャが決起したら、致命的だな。
どこから兵員補充するの??
ローマ同盟市の士気は高いぞ。
基本だと思うが。
アレキサンダーって男がすきだったんでしょう
不潔だわ
>>452 ギリシャを先に潰しとけばいいんじゃない?
456 :
世界@名無史さん:2008/01/07(月) 01:27:27 0
横レスですが大王が生きていた頃のローマ軍って
重装歩兵がピラを投げてから大盾と剣をもって突撃、
という戦術は確立されてたんですか?
たしかポントス王国あたりでも最初はギリシャ人歩兵に
ファランクスを組ませて戦わせてたけど、ローマ軍と
戦ってからはローマ式の歩兵戦術の方が有効だとして
そちらを採用したそうですが。
訂正。「ローマ軍と戦ってからは」じゃなくて第三次ミトリダテス戦争の頃らしいですね。
アレクサンドロスの軍事力の特性は
驚異的な機動力と突破力にある。
彼は様々な兵種を編成駆使し、状況に応じて機動的に運用する
彼自身は騎兵であり、後退も突進も自由である。
彼はヘラクレスの末裔を自称し、
神を越えることを目的としている。落とせない場所があること自体が許せない。
彼は兵士の隅々までその能力を知悉しており、褒め称え、目標を与える
そして、多くの兵士達が彼を神と崇め、
かつ戦友として絶大な信頼を置いている。
従って、危機に陥ったり、突撃に移ったりすると
彼の下に兵士が集まり、異様な攻撃力を発揮する。
ヒリッポスの作ったファランクスを除いて
彼は必ず後方や側方を先に固める。
架空戦記に過ぎないが、
ローマと戦う場合かならずケルトとゲルマンから叩く、
ケルトは前390年ローマを陥しており、多くの傭兵をローマに送っている
トラキア騎兵隊が彼の最強の戦力となったように
ローマの弱点を知悉しているケルトは彼に多くの力を与えただろう。
ついでローマの側方を叩く
1日に70kmも進むアレクサンドロスの戦隊に
ノロノロと進むローマのファランクスはまるでついて行けないだろうし
ローマの騎兵隊のいかなる馬も全アジアとヨーロッパから集められた
アレクサンドロスの最強の馬に勝てるはずがない。
(架空戦記 つづき)
彼は抵抗する者には全く容赦ない殺人機械であり
また、恭順するものには蜜のように甘いナイスバディである。
必ず周辺諸国はローマに背き、背かないものは撃滅される
元老院の一部は彼に通じ、彼はローマ人よりローマ軍のことを知るだろう。
ローマは彼にとっておいしいエサのようなものである
ローマのファランクスは、機動性にも優れたアレクサンドロスの射出器から
打ち出される投石によって、城壁のように壊されてしまうだろう。
彼はこの点では全く無慈悲で、平気で殺す。
戦線が乱れると、突撃が待っている。予想外の所から始まるから
常に奇襲となる。
ローマは破壊され、多くは奴隷となる。
しかし、ローマ人の一人が太守となりローマは再建される。
アレクサンドロスの重要な戦力となり、
彼ら自身よりも早く地中海世界を統一し、彼の死後それを受け継ぐだろう。
中近東とヨーロッパは一つの世界となりやすくなり、
歴史は大きく加速されただろう
ここはお前の妄想を開陳する場所じゃねえんだ
架空戦記は他所でやれ
ローマの妄想超人の方がまだマシだったぞw
462 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 21:15:12 0
アリストテレスが先生だったのに、無鉄砲だった
マケドニアの(^^?))アレ((?^^)アレ・・・クサンドロス。
463 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 22:40:10 0
ライオン殺しのアレクサンダー
アレクサンダース軍曹
465 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 22:56:26 0
アレクサンダースの犬
466 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 00:51:18 0
アレクサンドロス対ローマと言えば、アレクサンドロスがダリウス3世の和平提案を
受託後に西へ向かう場合と、史実通りのペルシャ征服後に西へ向かう場合が、想定され
ますが、ペルシャやサカの騎兵は、ローマ軍団兵にとって、脅威となったのであろうか?
カルラエの戦いではクラッススがパルティア人の騎射戦術に敗れたけど・・・
その後の対パルティア戦争はローマ優位に推移したらしいけど詳細は不明
468 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 02:30:22 0
エメリア・エンコ・アレキサンダー
469 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 03:09:43 0
>>467 アレクサンドロスが、マケドニア正規兵のみならず、ペルシャ領の騎兵を投入
したのであるならば、当時のローマ軍はかなり苦戦しそうですな。
まいったぞ
やつは西を目指すのに
黒海を船で渡り、スキタイから始めるプランだったんじゃないか
こいつはおれのくだらない妄想のはるか上を行く
やっぱ化け物だ
結局誰もついて行けないからポシャったのか
(架空戦記は、やつが各戦闘でどう戦ったかを当てはめたので
妄想だけではない)
471 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 15:30:31 0
>>470 ポントスのミトリダテス大王は最後に、サルマート諸族らと同盟して、黒海北岸からハンニバルの様に
北からローマに攻め込むつもりだったが、息子らの反乱で断念せざるえなくなり、自害したそうだ。
472 :
世界@名無史さん:2008/01/10(木) 21:19:04 0
アレクサンドロスはひたすら東へ、ユスティニアヌスはひたすら西へ、ともに、
富める者にとっても貧しい者にとっても、やっかいな主君でありましたな。
当時の臣民らの多くに、フィリッポス2世が暗殺されねばとか、ニカの乱の時に
退位してしまえばとか、我が国の信長とかと同様に不人気だった様ですな。
473 :
世界@名無史さん :2008/01/11(金) 03:26:58 0
後のローマ皇帝、ユリアヌスの東征って、アレクのマネなのかね?
ユリアヌスはギリシャかぶれだったみたいだけど。
古代〜近世で、ヨーロッパサイドからアジアに攻め込んで、
あそこまで大征服に成功したのは、アレクだけか。
ローマはせいぜい、メソポタミア・アルメニアまでが限界。
なんでアレクだけが成功したのかね。
>>473 > なんでアレクだけが成功したのかね。
ぶっちゃけ、あとさき考えなかったから。
475 :
世界@名無史さん :2008/01/11(金) 04:05:26 0
ユリアヌスも後先考えなかったっぽいけどね。
アジアでの、大征服の征服例では、
アケメネス朝の祖キュロス、モンゴル、ティムールその他、
アレククラスは、いくらでもいるけどね。
476 :
世界@名無史さん:2008/01/11(金) 06:43:38 0
リシマコスの息子アガトクレスの様に殺されてしまったコンスタンチヌスの
息子クリスプスは、ユリアヌスらよりも帝位適任者であったようですな。
クリスプス、あるいは、ユリアヌスが西の正帝であり続けたか否かは、
アレクサンドロスらの急死と同様に興味深い事ですな。
477 :
世界@名無史さん:2008/01/11(金) 18:06:32 0
>>474 アレクサンドロスは、バビロンで夭逝せねば、マケドニア本国の国防の為に、
ケルトを征服したりしたのであろうか?
アレクは、あのまま生き続けたのならば、テーベを破壊した様に、アテネを
破壊したりして、ギリシャに災厄をもたらしたのではないだろうか?
アレクの妻は、バルシネ、ロクサナ、そして、スタテイラと、ことごとくが
ペルシャの王族であり、アレクは、ダリウス1世のようにアケメネス家の婿、
ペルシャ帝国中興の祖となろうとしていたかのようだ。
アレクは、夭逝する事により、かろうじてギリシャの英雄となったようだ。
とりあえず、アラビアの砂漠でマケドニアの精鋭をすり減らしたことは確実。
アレクと砂漠は相性が悪い。
ローマもオスマンも砂漠には苦労してますね
480 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 04:58:54 0
あの砂漠ってワザとだったのか?
481 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 07:42:27 0
アレクがインドに攻め込んだときは、12万の大軍に膨れ上がってたというが。
アレク軍が「精鋭」だったのは、ペルシャ打倒ぐらいまでか?
あとは、数任せの大軍て感じか。
はるばるつれてった、マケドニア・ギリシャ軍兵士も、損耗するし、年取るし。
482 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 08:34:39 0
精鋭つっても親父の頃からいた奴もいるだろうしな。
そりゃ歳もとるわ
>>478 当時の中東って今より降水量多かったのでは?
後継者戦争ではインドでもらった戦象をあちこち連れまわしたりしてるし、
ハンニバル時代には北アフリカに象が居たし。
ローマなど、当時はあまたある都市国家のひとつに過ぎない
瞬殺されるに決まっている。
生きていれば、彼が目指すのはヘラクレスの門
これはどうしても行かなければならない
とにかく、彼の戦争は
例えば、天皇ヒロヒトが零式に乗り、
機上で開戦詔書を読み、自らアリゾナに初弾を打ち込むといったようなもの
社保庁の役人のように
資料が見あたらないからなかったことにしよう。筆先勝負
というようなのが多い
現代の歴史家の想像を絶している。
バクトリアやソグディアナ、それにガンダーラは大軍で削り取ったのではない
それにしてもアケメネス朝は通商同盟のような緩い結合でなかったのか
ダレイオスが死んだ後でもなんでこんなに戦わなくちゃならんのだ
呂府が王様になった様なもんだからなw
>>485 三国志厨は巣から出てくるべきではないと思うんだ。
487 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 11:31:10 0
ここは勇次郎が王様になったと言うべき
超人類
489 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 12:50:30 0
>>483 カルタゴの象って、インドのやつが、アレクの東征以来広まってきたものじゃないっけ?
象の繁殖飼育って、結構簡単なのかね。
アフリカ象って、戦争に使えるのか??
なんか、インド象よりデカすぎなイメージあるけど。
>>489 アフリカ象でもインド象でもなく
今は絶滅したマルミミ象という北アフリカ原産の象だったという説がある
491 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:00:07 0
マルミミ象とか萌える名前しやがって・・・
492 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:47:29 0
単なる過大評価大王でしょ、雑魚と戦って勝っただけで。
↑脳みそ腐ってる馬鹿
494 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 18:31:15 0
>>481 イッソスとガウガメラの会戦時、アレクの兵力は、3万5千から5万人ぐらいであった
とされる。ロクサナとの結婚は、ソグドやサカの騎兵戦力が目的だったようですな。
アレクは、ロクサナの親族の兵力により、マケドニア譜代に対抗する目論見があった
のかもしれんですな。
495 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 23:56:49 0
まあ、現実問題として、連れてきたマケドニア・ギリシャ人のみでは、
広大なアケメネス朝の領土経営は不可能でしょう。
実際、すぐに帝国崩壊してるし。
結局ペルシャ人が様々な民族・宗教の上に立つ帝国を運営出来て、
マケドニア人にはそれが出来なかった理由は何なんだい?
>>496 徐々に広がって言ってそのつどちゃんと時間をかけて統治機構統治環境を整備していった
ペルシア帝国と、他民族統治の経験も能力も機構もなくただ戦争していただけのマケドニア人との違い。
498 :
信長:2008/01/13(日) 00:29:51 0
雑魚ばかり倒して英雄気取りかw
大王とは笑止
499 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 01:15:02 0
>>496 マケドニア人のみならずアラブ人もトルコ人も、ペルシャ人に比べて、
自己主張が強くて反乱や裏切りが頻発し、自滅傾向だったようですな。
アケメネス朝のみならずササン朝も、最後の決戦にいたるまで帝国で
あり続けたが、セレウコス朝やアッバース朝は、まさに見る影も無い
小国に落ちぶれた末に滅亡した。
>>499 一面で切り取りすぎだろう…
じゃあ同じペルシアのアルサケス朝はなんだって話になるし、
決戦まで帝国だったウマイヤ朝やオスマン朝はどうなんだって話になる。
502 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 03:51:32 0
>>501 アルサケス朝は、不安定ながらもあれだけ長期存続した事が脅威的であり、
ササン家以前にスーレン家とかに、王座奪われなかった事は不思議ですな。
ササン朝は、6世紀末にミフラーン家に、王座を奪われた事があったそうで、
ビザンツが介入しなければ、ミフラーン朝によりパルチア帝国が復活する
はずだったそうですな。
一方ウマイヤ朝は、反乱で百年足らずで帝国を奪われてしまい、アラブによる
大征服がストップしてしまったですな。
しかしながら、アッバース朝がアブー・ムスリムらを粛清せねば、安禄山の乱に
に乗じて、更なる領土拡大もありえたそうですな。
オスマン朝は、ビザンツやセルージュク、ホラズムにおける裏切りの頻発に
対する反動の産物であると言えましょうな。
元来ギリシャ人とトルコ人は、忠誠心が足りないとされるそうですな。
ビザンツがワリヤーグ親衛隊を、オスマン朝がイエニチェリを重用したのは、
同胞の裏切りを恐れていたが故だそうですな。
>>502 君の言うような法則で歴史は動いてないよ。
つーか内部要因の見方も歪んでいるし、外部要因、国際環境をまるで軽視している。
504 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 04:08:48 0
>>503 法則とは・・・いかなる法則で歴史は動いているでしょうか?
内部要因、外部要因、国際環境等を詳しくよろしくお願いします。
アレクサンドロスなんてベリサリウスの将才を持ったユスティニアヌスに過ぎんだろ
信長がきたぞー
507 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 18:18:46 0
アレキサンダー凄すぎw
上で書いてる人いるけど、イメージ的には
昭和天皇がミッドウェーでゼロ戦でグラマントムキャットと空中戦したりするようなものだからww
あるいはヒトラーがスターリングラードでパンツァーファウストぶっぱなしながら前線指揮とかww
ブッシュがみずからイラクに赴きマシンガンでイスラム原理派ぶっ殺しまくるとかww
なんつーか英雄そのもの みずから前線で戦うんだから
移動手段が徒歩か馬の時代にギリシャからヒンドゥークシュまで30の若さで制覇
かっこよすぎて笑えるよ
次代の大英雄カエサルのあこがれでもあるし史上最強クラスの軍事司令官
人間としてはサイコ入った人格者のようだ ヒトラーみたいな感じなのだろうか
まあ神話性としては人類史上最高なのは間違いない
508 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 18:36:15 0
だがヘレニズムは大王の死後300年続いた、と
509 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 20:38:40 0
ヘレニズムの終焉とは、ギリシャ諸国がローマに敗れ去り、ギリシャなではの
重装歩兵ファランクス戦術が、過去の遺物となった事なのであろうか?
ヘレニズムがギリシャ学芸の愛好であるならば、キリスト教の国教化、あるいは
さらにイスラムの台頭が、ヘレニズムの終焉であるとすべきのようなのだが・・・
510 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 21:56:23 0
>>507 前戦で闘う奴なんて大勢いるよ項羽とか、加藤清正とかね
511 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 22:17:04 0
キロス2世も最前線で指揮していて、マッサゲタイとの会戦で戦死したそうだ。
512 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 22:48:09 0
>>497 アケメネス朝は、初代キュロス一代で、大帝国建設じゃなかったっけ。
初代キュロスも、アレク同様、遠方に無茶攻めして、戦死。
でも、帝国は無事だったね。
ペルシャ人の間で、王家への忠誠心が強かったのが、大きいのかね。
アケメネス朝は、現代のエジプト・トルコ・イラク・イラン・アフガン
を含む広大な領土を安定支配した点で、評価されていいだろ。
後のペルシャ諸王朝より、確実に強力だった。
帝国は…無事では無かった筈だが
一説にはダレイオスは血ー繋がって無いとか言うし
サトラップ制しいたのも各地の反乱が止まなかったからだし
514 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 01:34:56 0
ライオンを武装無しで殺せる大王はアレクくらいだろw
515 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 01:38:08 0
虎をマジ殺したのは加藤清正だっけ?
>>514 つーか、力自慢の兵卒ならともかく、大王がやる事じゃねえわな。>武装無しでライオン
こう言うところが魅力なんだろうけど、とても将に将たる器ではないw
517 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 01:46:30 0
アケメネス朝創建期に反乱を起こしていたのは、ペルシャ人の総督らか被征服民ら
か、いずれであったのだろうか。
アレクの死後場合は、マケドニア人同士の潰し合いであったそうだが・・・
518 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 02:49:22 0
>>516 信長だったらあざ笑ったろうな、匹夫のやることよってたいした奴ではないと
鳥なき島のこうもりだっけか
519 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 03:40:05 0
アレクって格闘家になった方良かったんじゃないかw
520 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 04:39:43 0
>>518 信長の場合喜んで自分も参加するだろw
大蛇がいると言われた沼に飛び込むやつだぞw
521 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 04:42:20 0
>>513 ダレイオスはクーデター起こしたというのが有力らしいね
522 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:01:36 O
同志たち、せめてアレックスって呼ぼうぜ!
523 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:03:55 0
マザコンだったって本当なのかね
確かに説得力はあるが
524 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:11:30 0
>>520 信長は長宗我部に降伏を傲岸に命令した時、長宗我部が激怒して「たとえ滅んでも降伏せん」といった
その時「将の言葉ではないとあざ笑い、あれは鳥無き島のコウモリよと評した」
525 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:14:06 0
>>524 で?それとはまったく状況が違うわけだが
抵抗しても勝てないのに降伏しないヤツとアレクサンドロスの狩りと何の関係があるの?
526 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:30:45 0
アレクに限らず、英雄とか独裁者には、父親よりも母親がかなり長生きして、
母親の影響が強い人が多そうだな。
始皇帝、テムジン、バシレイオス2世、ナポレオン、スターリンとかだな。
一方、匈奴の冒頓単于は、即位当時母が死亡していたようだが、父を殺して
即位した。様々な事情で父親と縁の薄い人が多そうだな。
527 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:33:53 0
>>521 ペルシャの総督らが反抗するのは当然でありますな
528 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 05:47:12 0
つか当時の道なき道を通ってしかもそこは
砂漠とか密林、雪山といった現代の最新装備を揃えた軍隊でも苦労する場所
それでいて象兵という見たこともないような敵と兵を戦わせて勝利してるんだから
信長なんか比べ物にならんわw
529 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 09:35:54 0
信長のように経済観念が発達した天才的な戦略家と、その場その場の神頼みで突っ切った未開王を一緒にされてもwww
530 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 09:58:37 0
キュロス大王が信奉していた神って誰なの?
532 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 10:28:16 0
信長=母親からは殺されかかる、世間からは馬鹿扱い、育ての親の爺は信長をアホと思い切腹
西洋の英雄=マザコン、神頼み
ぬるい世のぬるい英雄でしかないわな
533 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:19:16 0
確かにあんな古代じゃ道なんて全然無かっただろうなw
534 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:35:25 0
>>529 神頼みだけで突っ切れると思ってるのか、すごいな信長の野望でもやってろよ^^
535 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:37:49 0
経済観念つっても道三の政策のパクリだし信長独自のものなんてあるのか?
天才的な戦略家のくせに包囲網組まれるという致命的な外交ミスもしてるしなw
信玄が死んで何とか助かったものの
537 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:40:43 0
539 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:58:48 0
>>534 坊や、戦争って何のためにするか知ってるかね?
匹夫は戦争をするために戦争し、戦場の投機性で戦争するけど
信長の思考法や戦争に対する思想は、近代人でも適わない位超合理的だよ
540 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:07:35 0
なんで信長なんて全然関係ない小島国の猿の話なんかしてんだ?
541 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:12:58 0
>>526 スヴァトスラフやイヴァン雷帝もそうですな
542 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:15:16 0
巣に帰れよw
>>518 信長もけっこうアレク系統なヤツだぞ。前線大好き、大暴れ大好き。本能寺のエピソードとか、有名なのもあるだろ。
ただ他人(蒲生氏郷)の似たような無謀は窘めてるがなw
相撲の行事見物してたらいつのまにか自分も参加してたとか、若手と一緒に馬を走らせることがあって、若手がギブアップしても一人元気に走り続けてたとか色々あるぞ。
545 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 20:36:33 0
>>541 北条政子やホラズムのテルケン・ハトンは、我が子らを滅ぼしてしまった・・・
546 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 20:39:45 0
信長は将としてはかなり危険を避けるタイプ
逃げ足の速さは世界一だからな
単騎でさっさと逃げたり
>>489-491 マルミミゾウは今でもアフリカの熱帯林に現存する小型のゾウで、
最近になってDNA的にアフリカゾウとは別種とされるようになった。
現世種は以下の三種。
1.アジアゾウ Elephas maximus 小型で耳が小さい。
インドゾウ、セイロンゾウ、スマトラゾウ、ボルネオゾウの現世4亜種、
中国ゾウ(殷代に絶滅)とシリアゾウの絶滅2亜種を含む。
2.マルミミゾウ Loxodonta cyclotis アジアゾウよりも小型で耳はアジアゾウよりも大きい。
3.サバンナゾウ (アフリカゾウ) Loxodonta africana 大型で耳が大きい
アジアゾウは飼い馴らし易いが、マルミミゾウやアフリカゾウは困難。
メソポタミアやトルコには「シリアゾウ」と呼ばれるアジアゾウの亜種が生息していたが、紀元前1世紀ごろに絶滅した。
その一方でカルタゴの貨幣には、マルミミゾウのようなものをあしらった貨幣が存在する。
そこで以下の説が登場する。
1.アフリカのゾウを飼い馴らすのは無理。だからトルコ〜シリアに生息していたアジアゾウ(シリアゾウ)を輸入した!
何だかんだで最有力説。
2.北アフリカには、マルミミゾウに近いが人に飼い馴らされ易い、第四のゾウ種である
「カルタゴゾウ」Loxodonta pharaoensisが生息していた! 但し証拠はコインやゾウの大きさの記述だけで、
骨は残っていない。少なくともハンニバルが一番好きだったゾウの愛称がシリアを意味する「サウルス」であり、
アジアゾウ(シリアゾウ)がゾウ軍団の中核にいたと推測され、カルタゴゾウとアジアゾウの混成部隊が仮定される。
3.北アフリカに生息していたのは新種ではなくてマルミミゾウ。
アジアゾウ(シリアゾウ)とマルミミゾウの混成部隊で統制することにより、
本来飼い馴らしが困難なマルミミゾウを活用した!
549 :
世界@名無史さん:2008/01/16(水) 07:20:55 0
>>548 レバノン杉に象徴されます様に、かの地は中東でも自然が豊富であったとされますので、
元来フェニキア人らは、シリア象に慣れ親しんでいた可能性がありますな。
550 :
世界@名無史さん:2008/01/16(水) 07:51:04 0
>>547 紀元前400年頃と言えば、ローマが北伊のケルト人らに占領された頃ですな。
一方、この当時、アケメネス朝のソグディアナにおける拠点は、キロポリス
なのだそうだが、サマルカンドとの関係は、パリに対するベルサイユのよう
なものであったのだろうか。
>>489-491 ゾウの繁殖は現代でも困難。
知能が高くてカップルの相性が大切な動物なので、飼育下で繁殖しづらいのだとか。
アジアゾウが完全には家畜化されていないのはその所為。
>>548 アジアゾウとアフリカゾウ(サバンナゾウ&マルミミゾウ)のちがいはけっこう大きい。
特に大きいのは、脳の容量がアジアゾウはアフリカゾウの2倍だということ。
これは単純には、チンパンジーと犬ぐらいの差になるらしい。
ゾウと一括りにしても、その内実はニホンザルと人間ぐらいかけ離れているんだそうな。
ただしマルミミゾウやサバンナゾウも、飼い慣らす事は可能
スレ違いなので一応sage
素朴な疑問、ゾウって一時的な戦闘でなくて
イランとかアナトリアとか寒冷な山岳地帯で(定住的に)生きられるのか
>>547 アテナイの全盛期から間もない400年ったら、30万人近くはいそうだが。
>>552 象はけっこう寒さに強いぞ。
結局餌が確保できるかどうかだよ。
556 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 00:00:08 0
>>547 アケメネス朝の帝都スーサは、エクバタナやサマルカンドよりも、
人口が少なかったのだろうか?
歴代アケメネス朝の宮廷は、都市に定住していなかったとされるので、
分かりにくい事ですな。
558 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 06:54:00 0
>>557 バビロンのみならず、後世のセレウキアとクテシフォンもそれぞれ人口60万人と
一般向けの書籍によく記述されていたので、あの地域の人口扶養力はそれぐらい
なのだろうと納得していたが、最近の研究でその数値は、過大であると言う事に
なっているのだろうか?
さらに後世のバグダッドが、全盛期に200万人、モンゴルに破壊される直前に80万人
と謳われていたが、これらも過大であるとされいるのであろうか?
かのシラクサも最盛期45万人と謳われていたはずだが・・・・
559 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 14:10:31 0
>>558 古代に関しては、人口推計にバラつきが出るの仕方ないんじゃない?
厳密な統計残ってるわけじゃないし。
シチリアとかだと、農耕開発やりまくりで土壌流出だとかで、
生産性低下したとか。昔の方が豊かだったらしい。
カルタゴ周辺のアフリカは、ローマの穀倉だった時期もあるわけで、
相対的に、豊かだったんだろうね。
>>557>>547 スレ違いだけど、戦国中国の都市人口で、
燕が一番てのが気になるね。デカイ遺跡でもみつかってるのかな??
燕て、一番弱小なイメージなんだが。
軍事に力を入れておらず、税を搾り取られなかったとか。
法人税が安いと企業が集まるように。
561 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 22:25:29 0
>>560 燕の場合、趙と秦と同じく騎馬民族に直面しているのだから、軍事に力を入れない
わけにはいかないでしょうな。
斉は、東が海に守られおり耕作地も広大で、人口扶養力が戦国の七雄の中では
最もありそうみたいですな。
562 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 00:12:44 0
臨淄の人口は、約五,六十万人をかぞえていたわけで、これは、古代においては驚くべき
巨大都市である。この臨淄の市民には富裕なものが多く、町は市場を中心にして娯楽、演
芸が盛んで、音楽・闘鶏・ドッグレース・博打・蹴球・曲芸その他あらゆる種類の娯楽が盛
行していた。大道には車がぎっしり詰まって停滞しており、街路は遊行の人々が互いに肩
と肩とが触れ合うばかりであった。そして、このような臨淄のにぎわいに匹敵するような
都市が何ヶ所かあったというから、戦国時代の中国における都市の繁栄は驚くべきものである。
(古代中国 講談社学術文庫より
>>562 たまらなくウソくせえ。
一体何でこの都市住民養ったんだか。
基本的に都市人口は周辺の食料生産力に依存する。
交易だけで不毛の地に都市を維持することはできない。
全般的によほど気候に恵まれていたということになる。
砂漠化した今の中国と違って、古代中国は肥沃だからなぁ。
>>558 基本的にこの手の推定人口は倍程度は誤差範囲。
例えばModelskiの推定値なら、まあ納得の行く値にはなっていると思う。
バビロン: 20万人 (紀元前600〜400年)
燕下都: 32万人 (紀元前400〜300年) 戦国時代最大の遺跡らしい
臨し: 35万人 (紀元前300年)
シラクサ: 20万人 (紀元前300年)
カルタゴ: 50万人 (紀元前300年)
パータリプトラ: 40万人 (紀元前300年)
ペルガモン: 20万人 (紀元前200年)
アレクサンドリア: 100万人 (紀元前100年)
セレウキア: 40万人 (1〜100年)
エフェソス: 20万人 (1〜200年)
アンティオキア: 40万人 (200年)
ローマ: 120万人 (200年)
クテシフォン: 50万人 (600年)
コンスタンティノポリス: 60万人 (600年)
長安: 100万人 (700年)
バグダード:120万人 (1000年〜1100年)
バグダード:100万人 (1200年)
ちなみにちょっと古いが、McEvedyの推定によると:
前200年 紀元1 200年 400年 600年 800年 1000年
スペイン 400万 450万 500万 450万 350万 375万 400万
フランス 400万 500万 650万 500万 450万 500万 650万
ドイツ .200万 300万 350万 350万 300万 325万 350万
イタリア 500万 700万 700万 500万 350万 400万 500万
ギリシア 250万 200万 200万 150万 ..80万 ..90万 100万
トルコ .500万 600万 700万 600万 500万 600万 700万 (小アジアのみ)
シリア .200万 225万 225万 175万 150万 175万 150万 (含レバノン)
ヨルダン ..60万 ..80万 ...50万 ..40万 ...40万 ...60万 ..50万 (含パレスチナ、イスラエル)
アラビア 175万 200万 275万 375万 525万 500万 450万 (含イエメン、湾岸諸国)
イラク .125万 100万 100万 125万 100万 250万 200万
イラン .400万 400万 375万 450万 500万 400万 450万
アフガン 175万 200万 225万 250万 250万 250万 225万
トルキス 150万 150万 175万 175万 200万 225万 250万
カフカス 30万 ..30万 ..30万 ..30万 ...40万 ...40万 ...50万
エジプト 400万 400万 450万 400万 300万 350万 500万
リビア ....40万 ..40万 ..50万 ...40万 ..40万 ...40万 ..50万
チュニジア 50万 ..80万 100万 ...80万 ..80万 100万 100万
アルジェ 150万 200万 200万 150万 125万 150万 200万
モロッコ ....80万 100万 100万 100万 ..80万 125万 200万
568 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 02:05:43 0
>>566 バビロンやスーサの人口が意外に少ないのは、アッシリアにより繰り返された
虐殺の影響なのでしょうな。
ついでにアレクサンドロス大王の支配人口は2000万人と推測されている。
内訳はギリシアが300万人、エジプトが350万人、近東が1200万人、中央アジアが150万人
また最盛期のローマ帝国が4600万人。
紀元前後のイラクは案外人口が少なく、むしろ小アジアの人口が多い。
ローマ帝国時代にエジプトが穀倉地帯だったのは有名だが、
スペインやガリアも人口が多い。
571 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 02:33:32 0
>>567 アラビアとイラクの表記が逆なのではないでしょうか?
19世紀にアイルランドから人口が大量流失したように、7世紀以降のアラビアは
人口がかなり流失したのではないでしょうか。
573 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 02:50:37 0
>>570 ソロモン王のエルサレムとヘロデ王のエルサレム、ハンニバルのカルタゴと
帝政ローマのカルタゴと同様に、ハンムラビのバビロンとネブカドネザル2世
のバビロンは、別の都市なのだそうです。
>>571 「アラビア半島」は、その半分以上がイエメンの人口。
実際7世紀以降人口が減少している。
イラクに関しては、アッシリア時代の200万人以降、イスラームの時代まで
人口は停滞していたというのがMcEvedyの推測値。
イラクは川の周辺こそ肥沃だが、住める面積は結構限られている。
現在のイラクの人口は2500万人であり、トルコ、エジプト、イランに比べてかなり少ない。
あと
>>567のMcEvedyの本では元々グラフで人口の変化が表されており、
ヨーロッパやトルコに関しては200年毎の数字が記入されているが、
他の地域は紀元元年、600年、1000年の数字しか記入されていないので、
200年、400年、800年の数字はグラフから読み取ったもの。
>>573 ハンムラビ王時代のバビロンは、文献で王都を守る軍隊1万人からの推定6万人で世界最大の都市。
ネブカドネザル王時代のバビロンは、都市遺跡の面積(8.5 km2)や設備から求まる推定20万人で世界最大の都市。
576 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 03:27:06 0
>>574 総人口200万のイラクに人口100万以上の巨大都市バグダッドが、存在しえたのだろうか?
前近代において、それほどまでに都市に人口が集中する事が、ありえたのだろうか?
>>576 McEvedy & Jonesの推定値自体は30年前のもので、人口をかなり少なめに見積もる傾向がある。
もっともここまで細かく地域別に人口を推測したものは他にない。
例えば紀元元年の人口は、国連などは3億人と見積もっているが、McEvedyは1億7000万人としている。
紀元1000年の人口は、国連などは3億1千万人に対してMcEvedyは2億6500万人で、こちらはそれほど差は大きくない。
バグダードの人口に関しては、当時のイラクの人口に対して100万人は多すぎるという意見が現実にあり、
最盛期の都市面積73.4 km2に対して、せいぜい55万人と推測する人もいる。
例えば下の論文ではバグダードの人口として55万人を計算に使っているが、
それでもイラクの都市人口率が25%と、他のほとんどの地域が10%を切る中、異常な値になっている。
ttp://www2.let.uu.nl/solis/ogc/esgseminars/papers_fall_2007/Boskeretal_2007.pdf イラクの異常な人口集中に関しては、下の本にも考察が書いてあるらしい。
Ashtor, E. (1976) A social and economic history of the Near East in the Middle Ages.
London: Collins.
唐代の長安の100万人についてはかなり詳細な資料や遺跡があるし、
中国全土の人口の多さもあるから理解できるけど、確かにバグダッドは
異様だよなぁ。
ただ、これがもし真実だとすると、アケメネス朝時代も都市部への人口偏在が
あったのかもとか想像が広がりんぐ。
579 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 11:28:54 0
肝心の、マケドニア本国の人口って、どんなもんだろうね。
アレク即位時で、10万〜30万くらい??
人口でいうと、全盛期のアテーナイとかと、変わらないか??
チンギス・ハンのときのモンゴル族も100万くらいだというから、
国民皆兵なら、なんとかなるのかね。
580 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 11:31:56 0
>>574 イラク(メソポタミア、バビロニア)の人口が100〜200万というのは、
なんとも…
ヘロドトスの書いてることだから、信憑性に問題あるにせよ、
イラク(バビロニア)がアケメネス帝国で一番収入あると書いてあるのだが。
581 :
世界@名無史さん:2008/01/18(金) 12:15:12 0
帝政ローマや十字軍時代には、エジプトやイラクが、それぞれ1000万近い人口を
抱えて、繁栄を極めていたとする説もありますな。
582 :
世界@名無史さん:2008/01/19(土) 03:56:04 0
>>577 アッカド → ドゥル・クリガルズ → オピス → セレウキア → クテシフォン → バグダード
セレウキアとクテシフォンの推定値からすれば、55万人と言う推定値が最もリアリティーが
あると言えるだろうな。
しかしながら、当時のイラクには、バクダード以外にも、バスラ、クーファ、サマラ等の
都市が存在した事は確かであり、当時のイラク総人口200万人は、やはり少な過ぎるのでは
ないだろうか。エジプトと同じくらいの500万人以上あったのではないだろうか。
19世紀後半のイラクは政治の中心ではなかったが戦争状態でもなかった。
それなのに1900年の時点でトルコには1200万人、エジプトには1000万人の人口がいたが、
イラクには200万人しかいなかったという事実が、過去の人口推定に反映されていると思われる。
>>580 ダレイオス時代の銀の徴税額を総和すると現在のトルコの領域の方が多いし、
エジプトはメンフィス駐留軍のための穀物による徴税義務を別に負っていた。
584 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 02:51:41 0
>>583 イラクでは、紀元前612年のニネベ陥落や1258年のバクダード陥落の際に、
人口崩壊があったとされますが、その影響はないのでしょうか。
エジプトとアナトリアでも、6世紀や14世紀のペストにより、人口崩壊が
あり、ビザンツ等を再起不能へと導いたそうであります。
自然条件や地勢により、イラクは、エジプトやアナトリアに比べて、
人口が回復しにくいのではないでしょうか。
585 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 03:16:00 0
>>579 元来都市国家というほど小規模ではなかったから、50万人ぐらいだったのでは
586 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 03:52:26 0
>>494 アレクサンドロス大王が東方遠征でトランスオクシアナのソグド人の反抗に
大苦戦したのは有名で、 彼の妻ロクサネー(ロクシャナク)はソグディアナ
太守アクシュアルテス(オクシュアルト)の娘 だというのも史上名高い。
アレクサンドロス軍の分遣隊の1つを全滅させたスピタメネスは結局敗死するが、
娘のアパマは合同結婚式でセレウコス1世と結ばれた。アレクサンドロスの死後
合同結婚はほぼ全て解消されるがこの2人は離縁せず後継者アンティオコス1世を
生んだ。
セレウコスにとりソグドの大貴族スピタマ家の娘との縁が東方安定に有効という
判断も有ったろうが実際に仲睦まじかったと言う。2人の間の娘はアパメという。
アパメイアという都市も幾つか在り、国母の様な扱いを受けていた様子が伺える。
ローマとの間にアパメイアの和約というのもある。
セレウコス朝を通じてスピタメネスの「血」は代々伝えられていった。
またエジプトのプトレマイオス朝とも盛んに通婚したので此方にも伝わった。
587 :
世界@名無史さん:2008/01/24(木) 20:34:37 0
インドグリークに詳しい人いないかね。
588 :
ミトラ教徒 ◆yj2w8JkAoQ :2008/01/24(木) 23:56:02 O
フランツ・キュモンによれば、帝政ローマで広範に流布された
美貌の若者として表現されるミトラス神像のモデルは
アレクサンドロス大王とのことですが、この考えは
現在の学説としては否定されていますでしょうか?
スレの趣旨からずれてしまって恐縮ですが。
589 :
世界@名無史さん:2008/01/25(金) 23:07:03 0
バクトリアのバルフは、キレナイカのバルカに由来するらしい。バクトリアの
ギリシャ人は、カンビュセス2世のエジプト遠征時に、キレナイカのバルカから
連行されてきた人々が起源なのだそうだ。その後、ギリシャ人らとの戦いが繰り
返される過程で、この「バビロンの捕囚」のペルシャ版も繰り返された様である。
590 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 02:10:45 0
>>589 バルカって、フェニキア語じゃないのか?
591 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 22:53:04 0
>>589 ヘロドトスをみる限り、
ペルシャもしょっちゅう民族大虐殺・強制移住やってるみたいね。
島を「引き網式に掃蕩」って、史実なのだろうか。
リアル手つなぎ鬼だな。おそろしい。
>>591 ヘロドトスは、ヘレネス民族主義とアンチペルシア主義で歴史観を形成しているからなあ。
593 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 23:10:08 0
サモス島を引き網式掃蕩で無人にしたっていうの、
物理的に可能なのかなあ。
一万人が、1メートル幅で手つなぎしたとして、10キロ??
これならエーゲ島の小さな島なら可能か。
でも、古代って、小さな島でも、かなりの森林とかありそうだが。
まさかイラン軍の「子供老人が横一列お手手つないで行進し地雷原掃討」ってそれが起源・・・
595 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 13:17:31 0
アッシリアが最初じゃない。ユダヤ人とかいろんな民族を強制移住させてるし。
十分可能でしょ。
596 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 13:25:41 0
西方の朝鮮人の歴史がなんだって?>1
597 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 13:28:06 0
アレクサンダーだのヘレニズムってのはな、
朝鮮人が「韓民族が世界支配した物語ニダ!」ってのを、
東洋文化を知らない白人なんかが「ほ〜」って感じで
信じているのと同じなんだよ。で、名誉白人の
日本人なんかがまるで自らの功績であるかのごとく、
西方の白人のうそ臭い「先祖様の自伝」を語ってるんだよ。
ああヘドがでらあ。まるで白人男と日本人女が
出てるAVを見てるようだわ。
598 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 13:30:03 0
それか外専の日本人女が白人のダンナのチンコの大きさを
自慢して、その醜い混血児をテレビ局に売ろうとしてる
姿を見るように不愉快だ。
おまえらいつから欧州人になったんだ?
ああ情けねえ、くだらねえ。
女しかいねえいのか?この国は。
599 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 17:45:42 0
>>595 アッシリアの場合は、セム族、フルリ族、印欧語族らをごちゃ混ぜにして、均質な
アッシリア帝国民を創造することが、目的だったらしい。
一方、アケメネス朝の場合は、当時イラン人の多くが遊牧民だったそうなので、
都市を建設する為に、西方から都市民を入植させたそうだ。
当初サマルカンドやバルフなどでは、城壁内にアラム人やギリシャ人が多く住み、
城壁外で現地出身のイラン系住民らが放牧していたらしい。
紀元前4世紀の沈没船を引き上げへ キプロス沖
ニコシア(AP) 地中海東部のキプロス沖で、紀元前4世紀に沈没したと見られる船を引き上げる
計画が進んでいる。昨年11月には、保存状態がきわめて良好な船の様子が確認されている。
キプロス大学の海洋考古学者は24日、今年6月にも引き上げ作業を始めると明らかにした。
この船は、海底約44メートルに沈んでおり、海底の砂に埋もれていたことから、保存状態がきわめて
良好だという。
船の周囲に、古代のワイン容器「アンフォラ」が散らばっていることから、エーゲ海にあるギリシャの
キオス島からワインを運搬している途中で沈没したと考えられている。
また、アンフォラにはワイン以外の品を保管していた場合もあることから、沈没船を引き上げて遺品を
調べることで、当時の地中海交易の様子について、より詳しくわかると期待されている。
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200801260018.html
601 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 19:17:43 0
グレコバクトリアの本で、バクトリア王国の興亡以外の詳しい本
知ってる人いたらおしえて。
>>599 のちのパルティアやテュルク・モンゴル系と同じパターンか
603 :
世界@名無史さん:2008/01/28(月) 18:29:33 0
>>596 アケメネス朝ペルシャ = 隋唐帝国 エジプトかマケドニア = 高句麗
アテネとスパルタ = 百済と新羅 シチリア = 日本
シチリアはオチですか?
605 :
世界@名無史さん:2008/01/28(月) 18:54:06 0
>>604 スキタイ = ウイグル サカロウライ = 吐蕃
カルタゴ = X ローマ = X ケルト = X
606 :
世界@名無史さん:2008/01/29(火) 20:04:31 0
ああ嫌だ嫌だ、バタ臭い。
アメリカに戦争で負けた際にアメリカ男性にお持ち帰りされた
戦争花嫁こと日本人外専肉便器が立てたスレかよ。
アレクサンドロスみてえなインチキ臭い英雄の実績を信じるなら、
「釈迦が生まれてすぐ七歩歩いて天と地を指差し唯我独尊と(ry」という
話さえ信じられるぜ。
だれだよこいつを病室から出した奴は。
608 :
世界@名無史さん:2008/01/29(火) 20:33:14 0
白人になりたいけどなれない私。
将来は白人男性に中出しされて、混血児を産みたいわ。
だってだっておんなでスモモ〜♪
609 :
世界@名無史さん:2008/01/29(火) 21:54:04 0
ねえ、アレクサンダー大王はポントス王国は攻めなかったの?
610 :
世界@名無史さん:2008/01/29(火) 22:59:59 0
>>609 ポントスだけでなく、コルキス、アルメニア、ホラズム等オリエント北部地域へ
生前アレクが兵を進める事はなかった様ですな。
スキタイ、サウロマタイ等北方への備えは、あまり重視していなかった様ですな。
611 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 00:49:13 0
アレックスぅ私をレイプしてえ!
612 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 00:55:14 0
>>601 久光重平著 『西洋貨幣史(上)』 国書刊行会
ギリシャからローマにいたる貨幣の沿革が豊富な写真とともに載っています。
その中に、バクトリアの貨幣について解説した章もあり、
そこでバクトリア王国の歴史がかなり詳しく述べられています。
大きめの図書館に行けば置いてあると思いますよ。
613 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 00:58:44 0
>>610 その辺りを攻めずにインドへ遠征したのは、やはりインドが豊かだったからかな。
614 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 00:59:52 0
ああああん!!私の白人専用のマンコがアレクサンドロスの遠征をすると
濡れるの!!早く!ホワイトソーセージを入れてええええんんんん!!!!
615 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 02:01:27 0
>>613 当時のホラズム・シャーの側から、アレク側にスキタイ遠征の道案内を申し出た
そうですが、アレクの方が断ったそうですな。
ダリウス1世とは逆に、後世のチムールの様に東南から攻め込むわけですが、
サウロマタイやスキタイを突破して、マケドニア本国に凱旋出来る可能性は
あったのだろうか?
古代は詳しくないんだが「ホラズムシャー」ってその頃からあったの?
618 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 20:15:49 0
>>615 アレクサンダーの軍勢から逸れたギリシャ人部隊がコーカサスから黒海北岸を
経てギリシャまで帰還したという話を聞いたことがあるよ。
619 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 21:30:27 0
アレクサンダーがインドを作った。
620 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 21:56:18 0
>>618 メムノンらが率いていたペルシャ側のギリシャ人傭兵隊の事であろうか?
パルメニオンらは許そうとしたが、アレクは投降を認めなかったらしいね。
621 :
世界@名無史さん:2008/01/30(水) 23:13:27 0
>>620 詳しいことはわからないが、そのギリシャ人たちについて書かれた日本語の書籍があったはず。
622 :
世界@名無史さん:2008/01/31(木) 00:39:34 O
アナバシスみたいな話やな
623 :
世界@名無史さん:2008/01/31(木) 06:08:00 0
僕白人。
624 :
加納英孝:2008/01/31(木) 16:51:57 O
おいしいラーメン
ぼくイケメン
625 :
世界@名無史さん:2008/01/31(木) 19:48:37 0
612、617の方。
わざわざありがとうございます。早速調べます。
626 :
世界@名無史さん:2008/01/31(木) 21:12:21 0
そんなの調べても白人にはなれないよ?
別にアレクサンドロスが属するギリシア文明は、ヨーロッパの範疇じゃないんだけどなぁ…
現代ヨーロッパ人の祖先の大部分は、そのころ未開地で掘っ建て小屋建ててイノシシ追っかけてたし。
ギリシア・ローマと現代ヨーロッパ文明は全くの別物と考えた方が良い
白人に女を寝取られたのはここの住人のせいじゃないよw
オレ白人になりたいんだけどどうしたらいい?古代ギリシャ文明調べるといいかな?
青い目は全て1万年前の共通の祖先の子孫、デンマーク人研究者
デンマーク人研究者によるDNA調査によって青い目は今から6000〜1万年前に突然現れた
青い目を持った共通の祖先の子孫であるということが1月31日までに明らかとなった。
この研究を行ったのはデンマークのコペンハーゲン大学のハンス・アイベルク(Hans Eiberg)教授を
中心とする研究グループ。
研究グループではメラニン色素の生成に関与するOCA2遺伝子に着目。その上でこの遺伝子の
部分的に機能しなくなったことにより青い目のを持つヒトが誕生したこと、更に、OCA2遺伝子の
追跡調査により、青い目を持つヒトは6000〜10000年前に居た共通した祖先から枝分かれした
子孫であるということ突き止めた。
現在、ヨーロッパの全人口の20〜40%は青い目を持つ。6000〜1万年前に生まれたほんの
一握りの青い目を持った祖先からここまで青い目の人口が拡大したことに関して、研究グループでは、
この祖先が持っていた遺伝子は青い目を形成するOCA2遺伝子以外に、別の面で子孫を繁栄させる
面で何かしら有利となる特徴を持っていたのではないかと、述べている。
研究グループでは恐らく6000〜1万年より以前には青い目をした人は居なかったとも述べている。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200802011912
631 :
梵阿弥:2008/02/02(土) 18:04:01 0
>>586 勝手に他の方のとくっつけないで下さいね。私がやったと思われかねないので
632 :
世界@名無史さん:2008/02/07(木) 11:44:03 0
スレage
633 :
世界@名無史さん:2008/02/07(木) 21:17:05 0
>>633 これ、ポンペイの民家に残ってた壁画なんだよなあ。
地方都市の普通の家に飾ってあった、特段なんでもない絵がこれほど世界的に有名になるとは。
635 :
世界@名無史さん:2008/02/08(金) 13:49:27 0
胸の顔が気になるw
ゴルゴンだねぇ
637 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 15:08:20 0
塩野ばあさんのマンカス臭に集まってくるハエがぺちゃくちゃと
白人について語るスレはここですか?
638 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 15:16:09 0
2chで白人がどうとか一点のはクソセーダと言う混血児と相場が決まってます
639 :
(人∂_ゝ チョビンだお!:2008/02/10(日) 19:22:46 0
大王が引き返さず、50歳ぐらいまで生きて極東に至っても日本は無視したろうな・・・
滋賀県のアパートで暮らす女性(26)が体調がすぐれない事から、
精密検査を受けたところ、妊娠3ヶ月であることが判明した。
女性は1人暮らしで、1年以内に性行為を持った記憶は全くないという。
さらにDNA鑑定と、該当する男性の捜索を実施したところ、
隣人の男性(32)のDNAと一致することがわかった。
男性も隣人女性との性行為を 持った記憶は無く、
「自分で処理する以外は経験がない」と語る。
専門家によると、「男性の射精した”精子”が何らかの理由で窓から外に飛び、
偶然女性の部屋へ侵入し、女性に受精してしまったのではないか」と語る。
”空中妊娠”の報告は日本では初めて。
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/dame/1202965414/l50
なんかもう色々必死だなw
アレクサンドロス三世が偉業を達成したとき、
ネパールには生まれた途端に七歩歩く人が生まれた時代。
え?赤ん坊がいきなり歩くのはありえないって?
でもなんでアレクサンドロスの怪しげな「ヘレニズム」は
信じるんだい?
白人は信用できるが有色人種のネパール人のたわごとなど
信じられぬ。
>>644 ガウタマ・シッダールタのほうが昔の御人ですな。
まー生まれた途端に7歩歩く人は確かな記録としては見当たりませんが、
大軍動かして大帝国建てて文化がごちゃ混ぜになるのははっきり言って
何時もの事なので並べて考えるのは奇妙。
曹操が百万人を率いて赤壁で大敗したのがアレクサンドロスの数百年後だよね。
>>647マケドニアがアケメネス帝国に服従したり、戦争に協力したり
したときは文化の交流はなかったのかね?
650 :
世界@名無史さん:2008/02/21(木) 13:16:40 O
アレクサンドロスがオリエント制圧したときと違って実行支配はしてなかったからな
住民の移住もなければサトラップすら送ってない
>>649 あーこれ重要だよな。
実はマケドニアって宮廷文化などにペルシアの影響が多いという。
猛獣狩りとかもその一例
653 :
世界@名無史さん:2008/02/22(金) 03:19:24 0
素手でライオン狩りは吹いたw
>猛獣狩り
例えばライオン狩りだと
ペルシャ人・・・優雅に馬に乗って弓矢や剣で狩る
ギリシャ人・・・棍棒で凹にする そのあと毛皮を被って狂人のようにふるまう
こんな感じか?
アレクのは文化っていうより修行だな
656 :
世界@名無史さん:2008/02/23(土) 21:58:16 0
ディアドコイ戦争の歴史を扱った本を
知っている方がいたら教えてください。
>>650総督府をおかなければ支配したことにならないのかね?
なんとも名誉白人の頭の中は理解不能だのう。どうしても「西方の
欧州の文化の起源たる古代ギリシャ人が東方の遅れたペルシャに
文明開化をもたらせた」って史観が抜けないらしい。
朝貢と支配を同義に捉える単純な頭もどうかと思うよ
どっちもマンセー史観で馬鹿馬鹿しい
659 :
世界@名無史さん:2008/02/24(日) 22:07:24 0
エジプト、バビロニア、フェニキア、ユダヤ等は、ギリシャよりも早期に文明化
していたが、ペルシャやソグドは、ギリシャよりも遅れて、文明化していった。
アケメネス朝時代の文明は、エラム人やバビロニア人等非イラン人らによって、
もっぱら担われいたそうだ。
先行者のメディア人は?
661 :
世界@名無史さん:2008/02/24(日) 23:10:05 0
メディア人は、エクバタナという大都市があったにもかかわらず、アケメネス朝時代
以前は文字記録が発見されておらず、文盲であったらしい。
アーリア人が文明をもたらせた、まで読んだ
ペルシャはアーリア人ですが何か?
バビロニア、フェニキア、ユダヤはセム系ですね。
エジプトはハム系でしたっけ?
まあいずれにせよアーリア人が出てくるのはメディア王国ぐらいから。
665 :
世界@名無史さん:2008/02/25(月) 03:14:07 0
ミケナイとクレタ、ローマとエトルリア、ペルシャとエラム等、元来は遊牧民
であった印欧語族らは、非印欧語族らに農耕や都市文明を学んだようである。
インドもそんな感じだね
アーリア学説自体がドイツ人の妄想みたいなモンだからなぁ
っていうかあの国妄想多すぎ。
古代ギリシャ文明を成立させたのはバルカン半島の北方から来たドイツ人だっけ?
まず、古代に「ドイツ人」はいない。
ゲルマン人についていえば、ドーリア人等が南下してきた頃は
ゲルマン人の祖先はスカンジナヴィアの南部にへばりつくように
未開状態で暮らしていた時代。
それじゃあ今のハングリーあたりの民族が「IQ3万、戦闘力50万」もあった
スーパー民族の生みの親なんですね!
671 :
世界@名無史さん:2008/02/29(金) 21:49:22 0
青銅器時代の気候は現代よりもかなり温暖で、ゲルマン人らもローマ時代よりも
農耕定住化していたそうだ。
>まあいずれにせよアーリア人が出てくるのはメディア王国ぐらいから。
ヒッタイト王国を忘れているぞ。
アーリア人とインド・ヨーロッパ語族を同じ意味で使う人もいるが、
本来アーリアを称していたのはインド・イラン系言語を話していたグループだけだぞ。
>それじゃあ今のハングリーあたりの民族が「IQ3万、戦闘力50万」もあった
>スーパー民族の生みの親なんですね!
は?
何かと間違ってない?
676 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 03:24:12 0
>>670 >>675 ドーリア人やフリギア人らは、鉄製武器と騎馬戦術により、青銅製武器と戦車戦術の
ミケナイ、ヒッタイトらを滅ぼす事ができたようだ。
おそらく、地中海沿岸よりも早くドナウ河周辺に、鉄器の大量生産技術と乗馬が、普及
していたようだ。
騎馬文化はカザフステップや黒海北岸で発展。ヒッタイトの鉄器文化は騎馬民族の脅威に対抗する為に発展した要素もある。
678 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 18:34:46 0
ヒッタイトの鉄器文化は、非印欧語系の先住農耕民に由来するとされ、印欧語族渡来以前に
スタートしていたようである。
所謂ヒッタイトは、後世のモンゴルが中国の火薬を使用した様に、先住民の鉄器を使用した
ようである。
一方、ドーリア人やペリシテ人らは、自ら鉄器を製造していたようである。
680 :
世界@名無史さん:2008/03/02(日) 19:53:39 0
あー、俺もヒッタイトの本で読んだ。
大村幸弘 「鉄を生み出した帝国」ヒッタイト発掘 NHKブックス
870円+税とお得です
同じ著者ので「アナトリア発掘記」ってのがある。
こっちのほうが情報が新しいみたい。
どうもセム系のアッシリア商人やら非印欧語族の先住民が編み出した製鉄法を、
ヒッタイトが武力でかすめ取ったらしい。
先住民を製鉄職能集団として囲い込んで、機密情報を漏らさないように統制したんじゃないかという仮説。
ヒッタイト文化に独自性が少ないこととかと相まって、なんかナチスドイツばりの暗黒さ。
683 :
世界@名無史さん:2008/03/05(水) 07:01:56 0
ヒッタイトは、後世のパルチアやホラズム・シャーなどと同様に、先住民に
由来する呼称らしいですな。
当時のヒッタイト、ミタンニ、カッシートらは、後世のバンダル、西ゴート、
東ゴートみたいな国々だったのでしょうな。
カッシートはともかくとして、ヒッタイト語とフルリ語の文献はかなり
残っているんだから、暗黒呼ばわりはどうかと思う。
685 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 22:05:49 0
ヒッタイト時代に、トロイにアレクサンドロスと言う名の王が、いたそうだね。
ミケナイの敵とされるトロイだが、同じギリシャ系だったみたいだね。
>>683 聖書に出てくる「ヘテ人」は、アーリア系と先住民のどっちなのかな?
>>685 パリス王子の別名はアレクサンドロスといったらしいね
プリアモスやアガメムノンが「大王」って呼ばれてるけど
アレクサンドロスの「大王」と関係あるのか
688 :
世界@名無史さん:2008/03/08(土) 05:08:10 0
アガメムノンとアレクサンドロスは、対トロイヤ、対ペルシャの同盟軍の盟主として、
ギリシャ諸国に君臨していていたからではないか。
689 :
世界@名無史さん:2008/03/08(土) 19:32:35 0
ヘテ人はヒッタイトの末裔と言われてるから
アーリア人だね。
スパルタのクサンティッポスがフェニキアに雇用される以前の経歴って残ってるんだろうか
>>687 ホメロスは諸邦の王に対して一般に「王」と訳される「バシレウス」、
ミュケーナイ王やトロイア王に対して「大王」と訳される「アナクス」という単語を用いた。
「アナクス」はゼウスを形容する単語でもある。
クノッソスとピュロスから出土した線文字Bの解読から、
ミュケーナイ、クレタ文明時代の「バシレウス」(の元になる単語)は「族長」「司令官」程度の地位で、
クノッソスとピュロスの支配者である王が「アナクス」(の元になる単語)を称していたことが判った。
つまり元来「族長」「司令官」程度の意味だった「バシレウス」が、下克上の混乱期を終えた後、
いつのまにか「王」という意味に昇格した。
一方アレクサンドロス大王の場合は「メガス・バシレウス」で、
ペルシア王をギリシア語に翻訳する際にしばしば使われていた語句。
というわけで、語源的には別物。
「メガス・バシレウス」ってインドのマハラージャに相当するよな?
てことは無理矢理「皇帝」と訳せるかも…。
ムガールの統治者は「王(シャー)の中の盟主」を意味する「パディシャー」を称していた。
マハラージャは地方の領主レベルだぞ。
英語の本だとアナクスはHigh Kingって書いてるのが多いような
ペルシャのシャーはGreat King メガス・バシレウスの直訳だな
アナクスの原義が知りたい所。
単なる意訳なら「上級王」でいいんだけど。
「アナクス」は、線文字B時代のギリシャ語で「王」を意味する「ワナカ」までしかさかのぼれない。
それ以前になると、印欧祖語構築という壮大だがかなりいい加減な話になり、
古ノルド語の「ヴァニル」(ヴァン神族)、
サンスクリット語でインドラ神の形容に使われ、「商人」を意味する「ヴァニジ」などとの音韻対応を指摘されている。
現代ギリシャ語じゃアナクス=アウトクラトールだったりして…
トロイア戦争の話とか読んだ限りでは専制君主という感じでもないような
ミケーネ時代の実情も、イーリアス、オデュッセイアの世界と大分違ったらしい。
ピュロスに残っている粘土板は、ピュロスが外敵によって燃やされたことにより、
最期の年の記録が固まって残っているらしいが、戦争勝利の祈願のため、
神々に生贄の男女を捧げていたとか。
>>695 > ペルシャのシャーはGreat King メガス・バシレウスの直訳だな
いや、多分ちょっと違うと思う。
キュロス大王は「大王」と呼ばれているけど、実際にバビロニア語碑文で「大王」(LUGAL GAL)と
名乗っていて、パサルガダエの古代ペルシア語碑文でも「大王」(フシャーヤティヤー・ワズルカ)と
名乗っている。古代ペルシア語の「ワズルカ」もバビロニア語碑文に使われているシュメール語の「GAL」
も「大きい、偉大な(great)」って意味だから、「メガス・バシレウス」と同じ構文の称号は
ペルシア帝国ですでに使われている。
「シャー(šâh)」は古代ペルシア語「フシャーヤティヤ(xšâyathiya)」の近代ペルシア語形だから
「シャー」単独ではただの「王」の意味にしかならない。
ダレイオス1世は「諸王の王」(xšâyathiya xšâyathiyânâm, ギリシア語でいえば「バシレオス・バシレオーン」)
を初めて名乗った君主として有名だが、実は「大王」(xšâyathiya vazraka)も併せて名乗っている。
この「フシャーヤティヤ・フシャーヤティヤーナーム」の近世ペルシア語形(アラビア語経由)が
「シャーハ(ー)ンシャー」で、パルティア、サーサーン朝にも受継がれたけど、アラブ征服時代以降は
アラブ・イスラム帝国がサーサーン朝を打倒した手前、君主の称号としては実質、使用が禁止されていた。
10世紀にブワイフ朝が勃興するとイラン伝統の称号としてブワイフ朝は「シャーハンシャー」の
使用許可をアッバース朝に求めたがこれは果たせず、イランを支配下に治めた君主で実際にこの称号・
尊称を使用しはじめるのは実質セルジューク朝のトゥグリル・ベクからのよう。
アレクサンドロスが「メガス・バシレウス」を名乗ったのは、実際にバビロニアやペルシア帝国の
君主が名乗った称号をそのままギリシア語に読み直して使ったものだったんじゃ無いかと思える
んだが、古代史研究では実際のところどう考えられているんだろうか。
>>693-694 「パードシャー」は君主一般を指す普通名詞の他に「帝王」に意味があって、特にモンゴル時代以降に
「帝王」「皇帝」としての意味が強化されるようになった。実際、元朝から明朝時代にかけて、
ペルシア語の「パードシャー」や「シャーハンシャー」を「皇帝」と訓じている漢文資料もある。
ムガル朝のバーブルはマワーワラーアンナフルを失陥した後、インド遠征敢行する中で、名乗りを
ティムール朝の王族たちが通常使った「バーブル・ミールザー」から「パーブル・パードシャー」
(バーブル・パーディシャー)に変更しているけれど、「パードシャー(パーディシャー)」が
「皇帝」的な称号・名乗りとして使用された背景には、モンゴル時代に君主号など訳語概念の
同一化が行われたことが影響しているらしい。勿論、「パーディシャー」も「シャーハンシャー」
もいずれもムガル朝、サファヴィー朝、オスマン朝の君主の称号として使われていた。
実はセルジューク朝やモンゴル時代はイラン・イスラム文化の興隆時代で、『シャー・ナーマ』や
『イスカンダル・ナーマ』といったペルシア語文学が宮廷で流行し、これらペルシア語で書かれた
「アレクサンドロス伝」が広く愛読された時期でもあったりする。(所謂イスカンダル・ズルカルナイン)
test
705 :
世界@名無史さん:2008/04/13(日) 19:35:11 0
映画『アレキサンダー』について。
同性愛をほのめかしたシーンがタブーに触れたと問題のように言われてたけど、
そんな事より、王宮ペルセポリスに火を放ったエピソードを扱えば、もっと複雑な
心理描写ができて、作品に深みを与えて評価をもう少し上げる事ができたと思うが
どう?
706 :
世界@名無史さん:2008/04/13(日) 20:03:19 0
>>705 うーん確かにそうかもしれないけど、アレはアレで好きだなぁ
「他だの影に過ぎぬ…。さあ行こうブーケファラス、最後の戦いだ」
「マケドニア人よ!勇敢に生きることのなんと素晴らしいことか!」
と連発で名言吐いたあと、象兵に特攻かけて見事に惨敗とかw
アメリカでは不評だったらしいけど、欧州ではけっこう評判良かったような気も…
「偉大な失敗者」 という概念がアメリカ大衆には理解できないのかしらん?
スパルタとマケドニアは非ギリシャ人
マケドニアはともかく何故スパルタが?
マケドニアとスパルタはドーリア人だから
710 :
世界@名無史さん:2008/04/14(月) 22:16:40 0
スパルタやマケドニアは明らかに
言語が通じる異民族扱いされているだろ
万人にそんな扱いされてたらペルシア戦争で
「我らヘレネスは共に戦って〜」なんて演説は起きません
712 :
世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:06:47 0
>>706 アメリカ人は成功主義だからね
文化レベルが低いんだよアメリカは
パイレーツオブカリビアンとかスパイダーマンもいいけど、別の意味ですばらしい映画だったと
思うけどなあ
>>「我らヘレネスは共に戦って〜」
スパルタは入っていない
言語が通じるため
スパルタとマケドニアはギリシャ人だと自称していたが
他のギリシャ都市国家からは異民族、もしくは部落扱いされていた
どうやらいつもの人間が帰ってきたらしい
>>667 ドイツは救いがあるのは妄説は
すぐに他の同国の学者に否定されるところだ
朝鮮ではこうはいかない
あの映画はつまらない
ギリシャ観光局のホームページを見ても
スパルタ、マケドニアは異民族扱い
____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | アレクサンドロスはわしが育てた
| `ニニ' /
ノ `ー―i´
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′ 日陰になるからそこをどいてくれ
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
726 :
世界@名無史さん:2008/04/17(木) 20:19:56 0
映画はアレクサンダーの配役が微妙だった
>>726 逆に主役以外は最高だったがな。 致命的か(笑)
728 :
世界@名無史さん:2008/04/18(金) 19:48:27 0
主役がブサイクでカリスマのかけらもないし。
729 :
世界@名無史さん:2008/04/19(土) 12:54:25 0
なんか顔が猿っぽくて髪型しか似てなかったw
730 :
世界@名無史さん:2008/04/22(火) 23:32:28 0
ロクサナが、かなり南国風というか、エジプトかインドの王女みたいだったな。
ソグドは、ヒンズークシー山脈の北側で、けっこう北国だそうだから、おそらく、
マケドニアと同じ様な人種だったのではないだろうか。
というかアフリカ系だったな。 オカンもそうだったけど
アラブ美人を期待した俺涙目w
混血極まった所には、たまにこの世のものと思えないくらいの美女がうまれるからな。
733 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 21:54:31 0
マケドニアのカウシア帽ってアレクサンドロスも
被ってたのかね。
734 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 23:32:21 0
変なモノ好きだし。被りそうだなぁ
アレクサンドロスはペルシア趣味のハイカラ好きだから、マケドニアの田舎臭い土俗は嫌ってただろうな。
無敵の英雄だったという神話とは裏腹に
中央アジアのステップではイラン系遊牧民相手に結構負けていたらしく、
この事実を口外した兵士を処刑しろなどという命令を発して、
敗戦を隠すのに相当躍起になっていた裏の顔もある。
737 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:39:05 0
バクトリア侵攻あたりだな
738 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 15:43:49 0
あ、でもあれマケドニア軍の別働隊が壊滅したんであって、
大王直卒の軍勢はやっぱり負け知らずだったような…(損耗は激しかったが)
逆に砂漠を無理矢理横断とか、戦闘以外の場所で大量の死人を出してる。
>>736 ナポレオンも似たような事やってたな。
まあ現実の人間が物語の主人公みたいに無謬に振舞うのは無理な話なんで
不敗の英雄たる条件の一つはスマートに失敗を取り繕える(隠せる)事なんだろうね。
負けを負けと思わせない絶妙な収集力って所?
秀吉なんか戦闘で敗北しても戦争には実質勝利…とかやってたな。
普通に考えれば局地戦での負けが伝わると、敵味方の志気に関わるから、伏せたがるってのはあるかも。
要は本陣を叩けばいいわけだし。
>要は本陣を叩けばいいわけだし。
遊牧民相手にはそこが一番の問題だな。ダレイオスのスキタイ遠征なんかを見ると分かるが。
焼き味噌・家康はやっぱ偉大ということか。
アレクサンドロスが東方に遠征している間手薄になったトラキアにスキタイは度々襲撃を加え
少なからぬ打撃を被ったという。また本国に近いトラキアが脅かされているという情報は
アレクサンドロスが率いているマケドニア兵に動揺をもたらした。
745 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 13:53:28 0
>>744 スキタイだけでなく、ケルトの襲撃も始まっていたのではないだろうか?
746 :
ゲルマン民族皆動く!:2008/06/22(日) 16:16:47 O
…而してそれにもかかわらず、
没落においてもギリシャの人間はアジアの前進を阻み、
その輝かしい贈物をあらゆる世界に撒き散らした。
そしてそれらの贈物は流石にもすでに北方的のローマ人のところで一つの新しい文化を生み出すことを援助し、
そしてその後においてはゲルマン的の西洋にとって最も生き生きとした童話となるに至ったのである。
アポロはかくしてギリシャ人を生け贄に供したにも拘らず、
北方的ヨーロッパの最初の偉大なる勝利と呼ばれるのである。
【卍】 ≦予 ̄>
G\(^■^ ラ ローゼンベルク著《二十世紀の神話》より
\<!>+\
∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク ♪しょーんぶるーんでぃーへっけんろーぜん
\‖゙W"‖\‖"W゙‖\‖゙W"‖\
747 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 16:33:30 0
ロストフツェフのヘレニズム経済史のほうは訳されないようだな
748 :
世界@名無史さん:2008/06/24(火) 23:26:45 0
ペラって今は何も無いなw
749 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 17:26:36 0
ペラにカッサンドロスの宮殿の遺跡あるでしょ。
750 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 18:05:06 0
将来パキスタンが解体してアフガニスタンが復興すれば
ヘレニズム文化圏が再来する
そういやカンダハルは18世紀にナーディル・シャーに破壊されて
今あるのはその廃墟の付近に新しく建てた都市らしいな。
752 :
751:2008/07/05(土) 22:01:54 0
ウィキペディアで確認してみたら新カンダハルはアフガン人が建てたとのこと。
ナーディル・シャーが建てた「ナーデラバード」という町が基になっていたように記憶していたが・・・
久々にこのスレにやってきたんだけど、白人白人連呼するあのキチガイはまだいたんだ。
もうとっくに病院に入ってるかと思ったのに。
まあコンプレックスだったのでせう。あの人は難儀ぃ人ですた。
755 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 09:13:11 0
世界史にあまり詳しくない俺のちょっとした思い出について聞いて欲しい
俺が中学だか高校の頃に使っていた教科書には世界市民主義の表れとして
国際結婚(ギリシア男×東方女)の奨励がものっそく肯定的に記述されていたんだ
しかし、これって今の中国の漢民族化政策と一緒じゃん
チベット娘やウイグル娘を中国都心部に労働者として住まわせ漢民族出身の男と
結婚させてるやつ、いわば征服の醍醐味は男を殺し女を孕ませ
の「男は殺し」を省いて「女は孕ませ」を穏便にやってるだけで
そう思ったとき、俺は思った。誰だこの教科書を書いたヤツは?と
>>755 まずその集団結婚がギリシャ化政策だったということ自体が
大王の事績を理想化する歴史観から抜け出せていないな。
あと、どうやってマケドニア人がペルシャに入ってきたか忘れてない?
757 :
世界@名無史さん:2008/08/12(火) 12:02:12 0
758 :
世界@名無史さん:2008/08/12(火) 16:19:27 0
俺も戦場になった村で「女だ! ヒャッハー!!」とかしてみたい。
まずは自衛隊に入れ。そこで実戦のエリートになれ。
頃合見て辞めてどこかの傭兵隊に入れ。どこかの国の外人部隊でもよい。
語学の勉強は忘れるな。そして紛争地域に行け。あとは好きにしろ。
生き残ってたら帰ってきてからの書き込みを忘れるな。
760 :
世界@名無史さん:2008/08/17(日) 23:10:15 0
>>758 女を犯すという気持ちよさで兵士たちは大王に着いていったんだろうか。
おそろしや。
761 :
世界@名無史さん:2008/08/17(日) 23:15:27 0
>>756 ただ気になるのは、そういうレイプは果たして気持ちいいものなのかどうか・・・。
>>755 オリエント的な支配者になろうとし、ペルシャ人の風習を取り入れたアレクサンドロスとどこが一緒だ?
アレクサンドロスはシナの様にゾロアスター教を弾圧したりペルシャ語を抹殺しようとしたか?
彼はペルシャ人をギリシャ化しようとしたんじゃなくむしろギリシャ人をペルシャ化しようとしたと言った方が正しい。
だからこそ配下の人間から反感を買った訳だ。
比べるならむしろローマ帝国のローマ化政策がずっと近い。
そもそも「世界史にあまり詳しくない」と自覚しているのに半端とすら言えない知識で語ろうとするな。
せめてアリアノス位は読んでから出直して来い。
>>756 >>あと、どうやってマケドニア人がペルシャに入ってきたか忘れてない?
忘れてるも糞も単純に知らないんだろ。教科書がどうのって言ってる程度だから。
>シナの様にゾロアスター教を弾圧したりペルシャ語を抹殺しようと
それは唐のごく一時期じゃないか。
764 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 22:19:42 0
アレクサンドロスはなぜ西方を攻めなかったんですか?
ペルシアから戻る前に寿命が・・・
766 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 14:23:12 0
>>761 気持ちがいい悪いではなく、戦勝側兵士独特の高揚感からくる、一種の異常行動だろ。
俺はプッロのようにクレオパトラと駅弁・・・
767 :
世界@名無史さん:2008/09/26(金) 23:51:01 0
アレクサンドロスって今で言うところのギリシャ人なんでしょ?
キチガイ乙
769 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 06:13:51 0
「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・ 破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされた。僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、
尼僧に対し警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や
「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。
生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。
「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、
個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、
生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、
首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、
首を切られたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。
犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いられた。」とある。
人類の敵・中国共産党の非道
チベット人の人権、チベット人に対する拷問の実例
ttp://tibet.turigane.com/tibetanrights.html マンガで知る実録・チベット問題
ttp://www.geocities.jp/my_souko/
770 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 06:16:40 0
公明党といえば・・・カルト創価学会の私兵軍団
カルト創価学会といえば・・・池田犬作
池田犬作といえば・・・成太作(ソン・テチャク)
カルト創価学会教祖の池田犬作は朝鮮人の血を引く売国奴。
カルト創価学会による日本破滅的自慰行為・・・
池田犬作、チベット人大量虐殺犯(胡錦濤)を賛美する (カルト学会員必見)ロングバージョンは削除済
http://jp.youtube.com/watch?v=ZXlFQSs2gJU -=-::.
/ \:\ 日本をチベット化し「中国共産党」の支配下に置く為に、学会員の力で
.| 犬 ミ:::| 以下の重要法案をすべて通そう! そして、先生を日本の王にしよう!
ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/
||..● .| ̄|. ● |─/ヽ 人権擁護法 大賛成!!
|ヽ二/ \二/ ∂> 児童ポルノ規制法 大賛成!!
/. ハ - −ハ |_/ ユニバーサル社会基本法 大賛成!!
| ヽ/ヽ/\_ノ / | 青少年有害情報規制法 大賛成!!
. \、 ヽ二二/ヽ / / 外国人参政権 大賛成!!
. \i ___ /_/ ネット規制 大賛成!!
“虐殺魔王”胡錦濤、血の履歴書…89年ラサ大虐殺指令
89年のラサ大虐殺で、胡錦濤は何を行なったのか…血塗られた履歴を暴く。
そして「人民戦争」を宣言した現チベット総督は、胡錦濤の親友であり東トルキスタン弾圧組織のリーダーだった。
ttp://dogma.at.webry.info/200803/article_7.html 1950年にチベットを侵略した中共は、以来弾圧と虐殺を繰り返し、これまでに虐殺されたチベット人の数は120万人とも言われています。
1989年、チベットの独立を求める民族運動が盛り上がり、これに対して中共は大規模な軍隊を派遣し、
徹底的に鎮圧、またもチベットの民衆を大量虐殺しました。
この「チベット動乱」ときのチベット自治区の共産党書記が、“虐殺魔王”こと胡錦濤その人です。
彼はそれまであまり目立たない存在だったのが、このときの「手腕」がケ小平に評価されたおかげで、現在の地位があります。
そして歴史は繰り返す。今また、チベットで独立運動が弾圧されています。
奇しくも国家主席は“虐殺魔王”胡錦濤です。
771 :
755:2008/09/29(月) 22:06:11 0
>>762 アリアノスって岩波文庫のほうでアッリアノスって表記されている人と同じ人?
その人の東征記なら中学生のときに読んだですよ、なので出直しようがなかとです。
772 :
世界@名無史さん:2008/10/01(水) 10:28:58 0
アレクサンドロスって今で言うところのギリシャ人なんでしょ?
マケドニア人はいちおうギリシャ人ではある。ギリシャ人からは結構蔑視されていたものの、
バルバロイ扱いはされていない。
あ、今で言うところのギリシャ人はギリシャ正教徒なので、
それを考えるとギリシャ人ではない。
宗教を新たに信じたり変えたり捨てたりすると別民族に
生まれ変わるのかどうかも微妙だが。
今まで弾圧してた宗教を国教にしてなお不滅のローマを
称した例もあるし、チンギス・ハーンを自民族の英雄と
みなすチベット仏教徒のモンゴル人も居ろうし。
>>775 WW1後のトルコとの住民交換の際、ギリシャ人がそう定義されちゃっているんだから
「今で言うところの」を議論する際には宗教で規定されちゃうのはしょうがない。
777 :
世界@名無史さん:2008/10/02(木) 21:06:02 0
古代のマケドニア人ってどんな生活だったんだろうな。
言葉が違うってことは、ギリシャ人とは違う性格だったんだろうか。
あと、墓。
墓って自分たちにとって一番安心できる形にすると俺は思うんだよ。
だから、やっぱりアテネとかとはちがったんだろうなぁ。
778 :
世界@名無史さん:2008/10/03(金) 17:37:52 0
同時代的にみれば違うがマケドニアの伝統的な王墓や貴族墓は
アルカイック時代まではバルカン全域でもよく使われてたような竪坑墓だよ
アテナイあたりの墓石や甕棺は集住で土地が少なくなったから庶民に多用されただけ
779 :
世界@名無史さん:2008/10/05(日) 19:41:54 0
アレクサンドロスやローマ帝国が神と崇拝してた宗教は
日本の神道に近いんですか?
780 :
世界@名無史さん:2008/10/07(火) 04:37:58 0
>>779 割りと似てたと思うよ。
ホメロスなんかの叙事詩と日本の軍記物語の相似とか、ギリシアの演劇と日本の能・狂言とを較べるとそういう多神教・自然崇拝的要素が近現代まで生き残ったのが日本文化だとも言えそうだし。
ニーチェが日本の芸術に触れてたら狂喜したかもね。
782 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 13:46:41 0
トラキアのセウトポリスってセウテス何世が作ったんだ。
アレクサンドロス大王は中国の事を知らなかったんでしょうかね?ローマ時代の紀元前2世紀には中国はセリカ
中国人はセレネと呼ばれていてそれなりに知られていたとギリシャの文献にも存在するが。
アレクサンドロス大王が後30年生きたら、インドを完全に制圧したのちに戦国の七雄と対決が待っていたでしょうね。
分裂しているから各個撃破が可能だと。
洛陽→セラ・メトロポリス
ギリシャ人のセリカ国の首都の呼び名
洛陽じゃなくて長安だった・・・・
まずアレクサンドロスは楚と対決する事になるが他の七雄が一致団結してこれに当たるとは思えんけど。
その前に中央アジアをどうやって突破するの
補給はどうすんの?
作戦巧者だからと言っても補給が続かないと勝ちようがない。
ピュロスもハンニバルもやらかした失策。
788 :
世界@名無史さん:2009/01/01(木) 05:12:59 0
アレクはやる気満々でも
兵隊が帰りたいって言うよ
中国遠征なんか無理
インドすら征服できないし
セラ・メトロポリス=長安
シナイ・メトロポリス=洛陽
ギリシャ人がセリカ国の首都をそう呼びローマ人も同じくそう呼んだ。
兵士がやる気満々だったらインドまでは制圧できたと思うけど。それが出来ないから帰ったわけで・・・・
中央アジアから攻めるにしてもフェルガナ盆地を制圧できるかな?ここからなら秦と直接対決の道が開けるけど。
あのまま死なないで10年間は内政(アレクサンドロスの内政力は不明だが)に努めて再度インド侵攻を企てれば
中国は無理でもインドぐらいは・・・・
当時のインドの軍隊はかなり強かった
アレクサンドロスじゃ占領できないでしょ
結局東方の版図は史実のが限界だったと思う。
バビュロンに戻ってからは西方遠征の構想があったらしいけど。
>>792 アラビア半島征服計画はあったらしい
モンゴル軍のような騎馬隊じゃないと機動力に困るだろうね
船で行くつもりだったような…
忘れた
戦争で権力を手にした人間はさらに戦争を進める
やがては敗北してしまう
歴史が彼を必要としなくなった
あそこで死ぬ運命だったんだろうね
運命?
デスティニー
800 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 01:37:26 0
セレウコスが王を名乗った時、何王を名乗ったの?
首都がバビロン・セレウキアだし、国号がシリアってのは変だ
と思うんだ。
>>800 わりとすぐにアンティオキアに首都移したらしいよ。その後も
セレウキアは帝国最大の都市だったようだが。
同時代は分からんが、息子のアンティオコス1世はセレウコスが死んだ時に「バビュロンの王にして且つマケドニアの王」と呼んだらしい。
803 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 03:16:00 0
アンティオキアに移ったのは確実にアンティオコス1世の時代かと。
海外のページでも一応シリア王になってるみたいだけど、セレウコスが
シリア王を称したとは考えにくい。
やはりバビロニア王かな?国号を敢えてつけるとしたらセレウキア
にするのが一番いい気がする。
804 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 03:20:47 0
セレウコス朝バビロニアだと思うが。
805 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 03:39:48 0
マケドニアだったりして。
セレウコス朝メディア
本人の生きてるうちは「バシレウスたるセレウコス」とだけ名乗ってたんじゃないのかね。
味も素っ気もないが、それが一番ありそうな気がする。
アンティゴノス関係で「彼は如何なる国の王であったのか」的な記述を読んだことがある。
セレウコスも似たようなもんでしょ。
死ぬその日まで領土拡張の野心に突き動かされてんだから「どこそこの王」って称号は逆に邪魔だったんじゃないかね。
808 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 05:27:02 0
だろうな
nextアレクサンドロス
809 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 07:26:31 0
中国の史書の条支国はセレウキアの当て字という説があるらしいが、
当時の国名はシリアというよりセレウキアじゃなかったのかな?
英語だとSeleucid Empireだよね?
今でもサウジアラビアとかヨルダンハシミテとか王朝名国号
ってあるけど別に王朝名のみの国号でも不便は無いか。
>>801 シリア、キリキア、パレスチナ、メソポタミア
あらゆる所にセレウキア、アンティオキア、アパメイア(セレウコスの妻アパメー)だらけだね
セレウキアは
ピエリアの、エウライオスの、ティグリスの、ゼウグマの、アビラの、モブスエスティアの、シデラのetc
アンティオキアは
エデッサの、ヒッポスの、ゲラサの、マルスの、タルソスの、アダナの、カラクスの、キュッレスティケのetc
812 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 18:36:15 0
そもそもアレクサンドロスの大帝国は何て呼べばいいの?
西北インドまで含めてマケドニア?
813 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 18:39:00 0
アレクサンドロスの大帝国と呼ぶ。
マケドニアはあくまでマケドニア。帝国の一部。
814 :
世界@名無史さん:2009/02/15(日) 23:28:14 0
征服というか、各地の権力者を潰して回ったって感じじゃね?
815 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 00:24:46 0
アンティオキアはセレウコスが父アンティオコスを記念して
建設した都市らしいね。
王がアンティオキア、副王がセレウキアにいたようだ。
アレクサンドロスの帝国は単純に彼の支配下に入った地域のことだからね。
後世まで残ってたら「アレクサンドリア帝国」とか「大マケドニア帝国」とか呼ばれてたかも知れないけど。
征服だけして支配を固める前に王が死んじゃったから最大版図がアレクサンドロスがインドからバビュロンに戻るまでの期間しかなかった。
反乱軍を虐殺して汚名を残すより早世して伝説になったのは幸福だったかもね。
817 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 05:12:35 0
大王の弟のアンフィマコスって何で王位継承できなかったの?
池沼のアリダイオスより王に相応しいと思うんだけど。
個人的には長期政権を打ち立てていたら、マケドニア朝ペルシャと呼ばれていた予感が・・・
819 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 21:39:40 0
アレクサンドロス朝ペルシアじゃなくて?
820 :
世界@名無史さん:2009/02/16(月) 22:41:36 0
ふつうにアルガイオス朝マケドニアだと思うんだが
首都の位置で決まりそう。
上下エジプト統治者の称号であるファラオだが
大王が積極的に自称したりはしなかったのかなヤパーリ。
822 :
世界@名無史さん:2009/02/17(火) 02:18:55 0
マケドニアの制度がよく分からない。
キリアルコスとかストラテゴスとか何ですか?
キリアルコスは日本語では「千人隊長」と訳される軍事的有力者。
ストラテゴスは普通に「戦争指導者」て意味で、アテナイのペリクレスも長年務めた役職。
大体急激に膨張した国家では制度が人事に追い付かないのはよくあること。
両方軍人の称号だと思ってればまず正解。
824 :
世界@名無史さん:2009/02/18(水) 23:20:52 0
側近護衛官と近衛隊と親衛隊の違いは何ですか?
ギリシア語表記をしてくれないと分かりかねるよ。
日本語の語感では全部同じようなもんだから。
826 :
世界@名無史さん:2009/02/21(土) 00:05:22 0
映画のアレキサンダーってもう地上波放送したっけ?
今見ると、イッソスとガウガメラがいっしょくたになってるな。
フィリッポスが殺される場面が変なトコに挿入されてるし。
カッサンドロスって大王に従軍してたか?
あと大王役の眉毛が太すぎる・・・
大王が猿にしかみえない・・・
>>824 ヒュパスピスタイ(近衛歩兵)→ほとんど職業軍人といえる長期の兵役期間の将兵で構成
武技に優れる
アゲーマ(親衛歩兵)→ヒュパスピスタイ3隊の内の最精鋭の1隊
親衛騎兵はアゲーマ・ヒッパルキアと呼ばれる
ソマトピュラクス(側近護衛兵)→アゲーマから選抜された王の身辺警護に従事
アルギュラスピデス(銀盾隊)→大王がインド遠征時に新編した新たな親衛隊
ベテラン兵から成る(一部には老兵とあるが、それは間違い)
ディアドコイのアンティゴノス(後に解隊)、セレウコス(再編)に受け継がれる
829 :
世界@名無史さん:2009/02/21(土) 20:44:53 0
おお、深夜に詳細な情報ありがとうございます。
830 :
世界@名無史さん:2009/02/23(月) 02:05:17 0
セレウコス朝の王・副王の二重統治構造ってその前からあったの?
>>826 カッサンドロスは普段は親父のアンティパトロスを補佐してマケドニアやヘラスで仕事してた。
たまたまバビュロンだかに出向いた時に神格化されたアレクサンドロスを嘲って、本人に〆られ殺されかけた。
で、大王の死後もその彫像の前を通るとPTSDで気分が悪くなったとさ。
832 :
世界@名無史さん:2009/04/26(日) 22:51:05 0
アレクサンドロスはギリシア神殿を燃やされた恨みを理由に民意を統一して
ペルシアに攻め込んだってのが真実じゃないかな
神殿って何処の?
ヘレネス全体が一致して戦意を燃やすような神殿なんてデルポイしか思い当たらんが、そこは別に焼かれてないだろ。
834 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 20:02:27 0
銅盾隊と銀盾隊は別物?
835 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:23:53 0
ヘレニズム諸王の貨幣にヒゲがない人物が多いのは大王の影響っすか?
836 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 08:54:36 0
マケドニア朝ペルシアが出来ていたら、
今の中東の歴史がどう変わったか興味深い。
>>836 セレウコス朝がそれに近いとは思うが、中心はシリアにあったようじゃねー。
グレコ・バクトリアはバクトリアに、インド・グリークはインド西北部に中心が
あったから間はパルティアに。
某フェイトではヒゲの巨漢に描いてたからその影響でヒゲイメージを抱く人が増えそうな予感。
当時から中東の人の風貌は今と同じだったんですか?
アレクサンドロス他ギリシア人から見ると彼らの風貌はどう見えたんだろう
純ペルシア人はアーリア系だから「肌が浅黒いな」てな感じ?
むしろ風貌よりも文化の違いが偏見を助長したりしたと思う。
近代の欧州人みたいに「君主を神と崇めるとか低劣だけど一応ここは話を合わせておくか」みたいに。
アーリア系は肌が白いでしょ
アラブ系との混血前ならなおさら
>>841 当時は混血が少なかった?
日本も東北との混血はゆっくりだったが
843 :
世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:29:18 0
スキタイをこてんぱんにした大王はキュロス以上だな。
844 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 01:39:46 0
大王は何故ローマを放置したんでしょ?
興味がなかったから?
手強そうだったから?
845 :
世界@名無史さん:2009/05/10(日) 01:50:18 0
イタリア半島=朝鮮半島
マケドニア=日本列島
アジア=アメリカ大陸
みたいな感じだったから
一応アレクサンドロスもセレウコスもヨーロッパ遠征を考えてたらしいけど
死んじまっては実行できない。
>>844 目下の敵はペルシアであり、ペルシアに勝ったら
引き返してヨーロッパを目指すより
そのまま東進したほうが早いわけで
アレクサンドロスも側近たちもヘレネス系以外のイタリア都市なんか知りもしないし興味もなかったんじゃね?
大王より一世代後のピュロスがローマ軍と会いまみえて「蛮族にしては優れた戦い方をする」みたいな感想持ったくらいだから。
そもそも南イタリア・シケリア・カルタゴ以外には西方で征服に値する地域なんて思い当たらなかったと思う。
カエサルが燃やしたと言われるアレクサンドリアの図書館が現存していたら
大王に関する情報がどれくらい多く明らかにされてたんだろう
何か、アレクサンドリアの図書館が最終的に消滅したのは11〜12世紀の十字軍騒ぎのどさくさのせいだって説もあるよ。
カエサルのエジプト攻撃の際にも火付けはあったかも知らんけど、全部消失したわけではなかったらしい。
それから類推すると、現在伝わってるアレクサンドロスの逸話はかなり古いものも残ってると見ていいんじゃないか。
むしろアッリアノスの「東征記」がほぼ完全な形で残ってるのが凄い。
851 :
世界@名無史さん:2009/05/12(火) 15:29:16 O
鬼澤アレクサンドロス礼門
852 :
世界@名無史さん:2009/05/12(火) 17:41:55 0
>>844 当時は、海の向こうのイタリア諸国よりも、真北のケルト人らの方が、マケドニア本国の脅威であったとされる。
>真北のケルト人
大王も結構苦戦してたな。
中央集権国家のペルシアと違って、叩き潰すべき頭が多すぎるもんな
>>847 マケドニア本国を北方蛮族から防衛する事よりも、ペルシア全土征服を優先したので、
大王は、マケドニア人らにとって、後世のユスティニアヌス帝のような暴君だったと
言えよう。
パルメニオンらは、イッソスの会戦後、ペルシア側の和平案に賛成だったとされる。
おそらく、マケドニア本国の事を案じていたのであろう。
イッソスのあとの和平案ってペルシアを半分やるよってやつ?
ダリウス3世の娘をアレクの嫁にして、ユーフラテス河以西のペルシア領を
マケドニアに割譲すると言う提案だったとされる。
アケメネス朝の領土が、後世のササン朝ぐらいになると言う事だったらしい。
アレクサンドロスの死後にマケドニア人の迫害は凄かったんですか?
>>857 それは何処での話をしてるの?
まあ一般的にマケドニア本国では普通の国民だし、征服した地域では支配層だから迫害されたとかなさそうだけど。
ケルト人の脅威が顕在化したのは後にガラティア人と呼ばれる連中が侵入した時だよな。
ローマもケルト人に惨敗して、それを糊塗するための伝説を懸命に作ってるが。
>>858 アリストテレスがアレクサンドロスの死後に迫害を受けて
故郷に帰った逸話を聞いて
>>859 それって「マケドニア人による迫害」だね。
表現が曖昧。
反マケドニアの勢力はヘラスでは結局消滅しなかったから。
アリストテレスはカルキスに退去したけど、甥のカッリステネスは東征に従軍中粛清されちゃってるし、アテナイの対マケドニア宥和派ポキオンも市民によって処刑されてる。
アレクサンドロスの派遣した討伐軍が接近した途端に腰砕けになった。
デモステネスらの反マケドニア派が市民を煽動した結果だよ。
後年には「ラミア戦争」なんてのも起きてる。
あとスパルタでもアギス3世が挙兵してアンティパトロスに敗れてるね。
861 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 15:22:32 0
大王は帝国統治の基礎を築かずに死んだのが痛いな。
ちゃんとした帝国統治機構を築いていれば帝国は何世紀も続いた
だろうに。
頭の中の95%くらいが戦争・征服だったんだろうな。
863 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 15:55:01 0
ん〜、大帝国を統治する官僚制度がなかったのが分裂の一番の
原因なんじゃないかな?
マケドニアのアバウトな国制じゃ、とても統治は無理だろう。
プトレマイオス朝・セレウコス朝の官僚制度の形成とかも
調べると面白そうだね。
ギリシアでプトレマイオス朝的な国制で統治できるのか? たとえ大王がいくら
長生きしても、その死後、即反乱が起きそうだぞ。
アレクが老年まで生き延びたら、アテネもテーベの二の舞になったのかもしれんな。
さらに後世の歴史家が、アレクとスタテイラの子孫らを、ダレイオス1世とアトッサの
子孫らのように、アケメネス朝扱いするようになっていたのかもしれんな。
866 :
世界@名無史さん:2009/05/19(火) 23:57:02 0
中国資料の大王無視がひどい件について。
わざわざインダス川まで進軍する必要なかっただろうに。
俺ならアケメネス朝を打倒した後はアナトリアや南カフカスぐらいまでの領有、統治で十分。
つーか手一杯というか。
早くギリシア・マケドニアに帰って、不穏分子どもの大粛清にあたりたいし。
俺ならバビロンだかで病死なんて冗談じゃないよw
だって大王は「世界を征服」したかったんだもん。
本人はインダス川どころか可能な限り進軍するつもりだったんだから。
もはや部下は大王にとって邪魔な存在だったのだろうか?
大王はインダス川とナイル川が繋がっていると思っていたDQN
>>869 部下にも自分と同等の情熱があると思ってたんだろ。
だから反対されてガッカリした。
>>870 それは当時の地理的常識と比較しないとアンフェアだろ。
「コロンブスは大西洋の向こうにインド亜大陸があると思ってたDQN」って書いたら変だと思わないか。
インダス川がナイル川と繋がっていると思っていたとかは
当時の地理概念からして別にDQNとは言えんな。
ただ、アケメネス朝打倒、東地中海・黒海並びにその沿岸領有で十分かと。
それでも広大なのに、それ以上では統治する役人も将兵も数が不足する。
アケメネス朝を打倒し、ペルシアを当分再起不能にし、
アナトリア、南カフカス、フェニキア・シリア、イスラエル、
エジプトを領有し、あとは本国の不平分子を大粛清して、ポリスを有名無実化。
ギリシア・マケドニア・アナトリアは自分と息子が直接支配。
シリア方面とエジプトはそれぞれ後継者以外の息子か有力将軍に委ねる。
あんまし利益にはならんだろうが、トラキアとダキア・イリュリア南部とシチリアも制圧するか。
シチリアと現在のチュニジア北部を制圧すれば地中海は完全に我らのもの。
この時代の「世界」は狭いが、それでもインドやアフガンは遠い。
世界征服なんて考えただけでも面倒だし、
母国に凱旋して粛清、ポリス有名無実化、専制君主制確立に取りかかった方が良いと思うのだが。
この人にしてもジンギス・カンにしてもスケールが大きいというか、
欲張り過ぎというか・・・
凡人+現代人の私には理解不可能。
>>872 フィリッポス2世ならば、やはりマケドニア国王として、堅実な選択をしただろうな。
ピリッポス2世曰く「ここにはお前の治めるべき土地はない」。
桁外れの大器だったんで客観的条件が追い着かなかったんだろね。
チンギスハンの征服行は、遊牧民の機動力と中央アジアの交易路を考えると、意外と妥当だと思うんですが、
アレクサンドロスのそれは、「若気の至り」としかいいようがない反面、それこそが最大の魅力。
アレクのみならずチンギス・ハンも、イラン本土に攻め込まなかった方が国の為になったろうな。
イラン人とかではなく、宿敵である女真族を徹底的に殲滅していたのならば、女真族ではなく
モンゴルに帝国再興のチャンスが訪れたであろうな。
アレクがイッソスの会戦後にペルシャと講和したのならば、当時ローマはイタリアさえも統一
していなかったとされるので、マケドニアが地中海を統一するチャンスが訪れたであろうな。
マケドニアとモンゴルは、イラン征服に成功したが、その代償に未来を失ったようだ。
一方アラブ・ムスリムは、イラン征服に成功した上にさらに発展繁栄したようだ。
877 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 13:45:14 0
インドを征服してたら次は東南アジア・中国と進んだのかな?
878 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 18:02:59 0
インドに侵入していたら、
インド王で終るか、敗れてインドの土となっているか、
どちらかだっただろう。
わかげのいたりだけで十年であそこまで暴れられるのは凄いね
人類史上最強最大の若気の至りだな
881 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 20:28:28 0
>>872 >凡人+現代人の私には理解不可能。
この一語に尽きる。
あれこれ言葉を尽くしてアレクサンドロスの粗探しをするのは容易だが、
(基本的にはキチガイだし)
結局は自分がただの小市民であることを思い知らされるだけ。
教養も筋肉も自信もあるDQNが王族に生まれ
若くして王様になっちゃった!
せかいせーふくはじめるよ〜♪
という厨二ストーリー
つか兵士もインダス川までよくついてったよなww
俺だったらペルシャあたりでアウトだわwww
インダス川でまだまだいくよ〜状態なのが凄いバイタリティ
いやーでもさ、モンゴルが中国に侵攻して、雲南まで到達してこのままベトナム攻めるぞー!
感じでしょ。
インダス川まで到達したと言っても、そこまでは旧ペルシア帝国領を進んだだけなんだし。
>>885 中央アジアでキュロス2世が戦死してるから、それ以上の戦果を欲したんじゃね?
そもそも「世界を征服」ってことは「未知の土地を踏破する」ってことなんだし。
887 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 20:04:04 0
ポロスとの戦いでズタボロになってなければ
兵士も文句言わず、インド征服できてたんじゃね?
拡大することしか頭にない人物は最後に破滅すると思うな
いい時に死んだと思うよ
親友と同性愛関係にあったっていうのは史実か、想像に過ぎないのか。
確定的な証拠はあるのかね。
まあ少年愛は普通だった時代だけれども、同い年だろ。
大王に頑張ってついて行ったのに、恩賞が故郷から遙か離れた
ペルシアの地で帰農って何の罰ゲームですか?
891 :
世界@名無史さん:2009/05/24(日) 23:10:08 0
ん?恩賞もらえる兵士はマケドニア帰還を許されただろ?
定住させられたのは奴隷とか反逆者じゃね?
>>889 ヘパイスティオンとの関係を疑う声は絶えない。
特に大王自身が彼との関係をアキレウスとパトロクロスに例えてるだけに。
信憑性は半々か6:4で関係ありってとこかな。
893 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 05:04:55 0
ナポレオンがエジプト遠征に学者連れていったのって
大王のマネですか?
894 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 07:42:06 0
アレクサンドロスとヘープァイスティオーンとが男色関係にあったのは常識だゼッ!
バカぢや無え限り誰でも知ってるコトなのサッ!!!!!!!!
わかったナッ!!!!!!!!!!!!!!!
>>888 ディアドコイ国家は300年くらい持ったぜ
全く破綻してません
少年愛に寛容な時代とはいえ、将校という身分がある者が
国王と関係を持って問題はなかったのか?という疑問はある。
>>895 ディアドコイ戦争は、誠に無益な内ゲバだったと思う。
あれだけの戦力が浪費された事は、実に勿体無い事だな。
アレクサンドロスは酒と女を溺愛した男。
マケドニアのバッカスってところだろ?
少年愛なら古代ギリシア(ペルシアでも)なら普通のことだったろうが、
ある程度の齢いった高級将校とのモーホー肉体関係なんざありえっこねぇよ。
古代ギリシアの男色はあくまで壮年・中年と青少年とのそれだからな。
>>898 それがあったんじゃないかと推測されるから問題になるんだろ。
ヘパイスティオンが死んだ後の大王の取り乱し方は尋常じゃなかった。
大規模な墳墓も造営させたらしいし。
ただの側近ならプトレマイオスやエウメネス、ペルディッカスなんかがいたのに反応が異常過ぎる。
それに例えるならそれこそ(当時)「現代のアキレウス」だったんじゃん。
だからこそさして有能でもないヘパイスティオンをパトロクロスになぞらえて寵愛したのが疑惑を招いてる。
因みに大王はトロイアの城砦跡に立ち寄った時に「アレクサンドロス(トロイアの王子でヘレネの略奪で戦争を引き起こした張本人パリスのギリシア名)」の墓所に参りますかと訊かれて、「いや、アキレウスゆかりの場所を」って答えたくらいアキレウスに傾倒してるからね。
母親オリュンピアスの家系がアキレウスの息子ネオプトレモスを祖としてることも関係あるだろうけど。
父系はアルゴスのヘラクレスの末裔ってことになってるけど。
900 :
世界@名無史さん:2009/05/29(金) 16:39:03 0
アレクサンドロスがヘテロだ等と中傷するヤツは豚流感に罹って頓死し腐れーイッ!!!!
欧米で過大評価されまくってるけど事績だけみれば周の文・武王と同等
中傷だと感じるのはキリスト教の価値観に汚染されているからです
903 :
世界@名無史さん:2009/05/30(土) 20:20:58 0
ド白痴めがーッ!!!!
今一度とくと読み直してみよ!!!!!
アレクサンドロスがヘテロだ等と中傷するヤツは豚流感に罹って頓死し腐れーイッ!!!!
ヨーロッパから見て、近代以前に東方を制圧した唯一の例だから過大評価
されているんだろ?
と思ったが、ローマ帝国もメソポタミアまで行ったからなあ。
ペルシアを滅ぼしたところに意義があるんだろうか。
ローマ、ビザンツ、オスマンとマケドニアと同じ方向から進撃して
インダス河に到達した例が他にないからだろうな。
セレオコス朝の場合は王族男子はセレオコス、アンチィオコス、アレクサンドロスと三通りあるが
プトレマイオス朝の場合。男子はプトレマイオス、女子はクレオパトラだらけ
もしプトレマイオス朝で父が子を呼ぶときは
「プトレマイオス長男」
と呼んで
兄が弟を呼ぶ時は
「プトレマイオス弟その1」
と呼ぶのか?
907 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 03:22:26 0
あれだけ強かったマケドニア軍がローマにあっさり敗れ去ったのは
何故ですか?戦法の違い?単なる兵力の差?
>>907 最盛期を過ぎたパランクスが隆盛期のレギオンに敵わなかっただけじゃ?
全盛期のマケドニアなら勝敗の行方は分からないと思う。
>>899 ヘパイスティオンが帝国維持に不可欠な有能な
右腕だったから大王はその死に強く動揺したんジャマイカ?
ホモ関係じゃなかったなんて証拠はないし、
ホモ関係だったとしてもノープロブレムだけど、
同性でもその死を悲しむのはホモだからなんて限らない。
ホモ感情も利害関係もなくても、男泣きすることもあるし。
会津攻略戦で同志・戦友の小笠原唯八が討死し、
板垣退助は男泣きに哭いたと言われているし。
板垣も小笠原もノンケ。
910 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 06:20:28 0
白人の神話に無駄に詳しい名誉白人
黒人の神話に無駄に詳しい名誉黒人はレアだよな
ギリシャ神話ってエジプト神話丸パクリだしエジプト人は黒人だけどな
>>907 アレクの遠征の結果、騎兵の供給源であった貴族がマケドニア国外に流失したので、
マケドニア本国はアレク時代並の騎兵を維持出来なくなったとされる。
フィリッポス二世やアレクサンドロスのようなカリスマ統率者もいなかったんじゃね
当時すでにエジプトの盛期が過ぎていたようにマケドニアの時代は終わったんだよ
単にアレクサンドロスの生きた時代は周辺地域が衰退期や胎動期以前で
かつローマが存在せず、戦国七雄が近隣になかっただけ
ピルムを主兵装とするローマン・レギオンに、ギリシャ式重装歩兵は完敗したとされる。
騎兵が不足していたので、歩兵のみ頼らざるえなかったからだとされる。
しかしながら全般的に、ギリシャ式の戦術はローマ式よりも、スキタイやケルトなどの
騎兵に対しては、かなり有効であったとされる。
ローマが密集歩兵隊を自軍に加えたのならば、おそらくローマはパルチアやゲルマンも
征服出来たのではないだろうか?
結局、いかなる戦術も万能ではなく、ケースバイケースと言う事なのであろう。
917 :
世界@名無史さん:2009/06/02(火) 17:15:57 0
パルティア弓騎兵相手に密集歩兵隊って、どうぞ虐殺してくださいって言ってるようなもんでは?
フィリッポス2世がスキタイ王アテアスを撃破したり、アケメネス朝にはサカ族騎兵隊
が常にいたとされるので、密集歩兵隊は弓騎兵らの攻撃に持ちこたえられたらしい。
>>917 やはり密集歩兵隊だけならば、壊滅されるだろうね。
騎兵や弓兵など他の兵科と組み合わせが重要だね。
俺の軍(陸軍だけで総勢45万人)は村田銃、アームストロング砲、
S&W回転式短銃、手榴弾、マクシム機関銃で武装してるよ。
ペルシャ兵?スパルタ兵?マケドニア兵?ローマ兵?
勇気だけの古臭い雑魚ばかりだなぁ。
クルップ砲も四斤砲もあるよ
連射弩も手榴弾発射用の弩もあるよ
俺(皇帝)に刃向かうとカルタゴや「海への進軍」の被害に遭うよ
スパルタみたいにいくら少年期から鍛えても無駄だよ
>>912 ギリシア神話はミュケナイ文明からあと、北方のドーリア人、東方の小アジア、オリエント、南方のエジプトから多彩な影響を受けてるからそんな簡単にバッサリ言えるもんじゃないよ。
>>912 エジプト人が黒人?何を言ってるんだお前は。
924 :
世界@名無史さん:2009/06/03(水) 08:08:30 0
>>923 古代からずっとエジプト人は肌が黒い民族だよ、また1つ賢くなったね低脳
>>922 いや、簡単だな。ミケーネ部族の神話自体が文明国エジプトからの丸パクリ
名将の采配でガウガメラやらないかな
肌の色が浅黒ければ黒人かお?
アレクサンドロスと俺とどちらの方が名将かお?
戦争と野球とは違うから安易な比較は禁物?
そらまあ、黒いから黒人なんだしw
俺たちゃコーカソイドだお
俺も黒いから黒人かお?
>>924 お前が前からずっと粘着している馬鹿なのは理解してあげたから、
せめて人種概念ぐらいお勉強して出直すこと。
>>924は最近「黒いアテネ」を読んで感動したばかりなんだよ
>>919 歩兵が有名だけど、トラキアの騎兵をむしろ活用してたらしい
934 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 00:56:53 0
大王を戦死寸前に追い込んだマッロイ人最強。
アレクは、トラキアやコリントス同盟などバルカン出身の兵らだけで、ダレイオス3世の大軍を破ったとされるが、
リディア、フリギア、エジプトなどユーフラテス河以西の旧ペルシャ領で徴兵したという事はなかったのだろうか?
人口が多いユーフラテス河以西で徴兵していたのならば、かなりの大軍となったはずなので、ガウガメラでの勝利も
当然であった事であろう。
実際、アレクはインドへの遠征では、ソグドやバクトリアの兵らを加えて兵力を増強後に進撃したとされる。
アレクは、トラキア同様騎兵の宝庫とされるアナトリアで、兵力を増強しなかったのであろうか?
エジプト神話はシュメール神話の影響受けてるだろ
>>932 なにそれ?美味いの?w
>>931 肌が黒い→黒人
肌が白い→白人
世界の常識くらい弁えような
938 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 10:45:59 0
>>850 ローマ帝国ヘラクレイオス朝の642年に、アレクサンドリアがイスラム勢力に組み込まれたので、
この当たりで消失している可能性はないかな?
939 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 11:07:02 0
>>936 影響つーか、最初期のエジプト文明はメソポタミアの言葉をそのまま使っているから、
エジプト文明はメソポタミア文明の分家だ。関西と関東みたいなもん。
俺ならアケメネス朝を倒した後、現在のイランやイラクに地域から
は撤退する。
いくら司令官と現地人代官を置いたって、後のメディア朝や
ササン朝みたいな王朝が勃興するのだから、当分ペルシャを
おとなしくさせておけば充分。
東方領土はアナトリア、南カフカス、シリア、フェニキア、
イスラエル(ユーデア・サマリア)までで良い。
エジプト征服は利益になるから是非やらねばならん。
トラキアは制圧したから、ダキアとイリュリア南部を制圧し、
さらに現在のチュニジア北部・中部、シチリア、イタリア南部・
中部を制圧する戦を始める。
それよりギリシア本土諸ポリスを完全に有名無実化せねばならん。
同盟に加わっていないスパルタは滅ぼそう。
プトレマイオスみたいな奸物どもを見抜いて
大粛清しないと、俺とその一族の血統はアレクサンダー同様に
絶やされる。
>>938 無いだろうな、図書館焼き払っちゃうような蛮行は十中八九十字軍の仕業だろう。
>>938 いや、アラブ遠征の時、アレクサンドリアはローマ兵の抵抗が激しくて武力で制圧されているけど、
降伏条件は和平による協定と同じくするって措置が取られたから、アレクサンドリアは下エジプトの
他の諸都市と同様に戦闘による掠奪はあまり受けなかったらしい。(当時のイスラム側の慣習として
武力で征服された場合は現地で戦闘を行った部族軍の所領になったけど、和平によって征服された
場合はイスラム政権中央の管轄になっていた。アレクサンドリアが「和平による征服」と同等と
いう措置はイスラム政権側の国有地確保を狙ったカリフ・ウマルの裁定によるものらしい)
アラブによる征服から数十年後に書かれたコプト側の年代記でも、アラブ軍のことは痛罵しているけど、
アレクサンドリアに古代の図書館やムセイオンがその当時あったような記述は実は全然ないそうだ。
391年にローマ皇帝テオドシウスがアレキサンドリア総司教テオフィロスの要請に応じて、エジプト
でのキリスト教以外の宗教施設や神殿の破壊を許可する勅令を出していて、このためにセラピス神殿や
ユダヤ教徒のシナゴーグ、アレクサンドリアでは図書館やムセイオンが掠奪と破壊を受けたそうだ。
その後もエジプトやシリアなどでは皇帝からの異端抑圧の勅令が出されるごとに非キリスト教関係の
文書や異端とされた勢力への攻撃が続いたようだし、グノーシス思想関係で有名なナグ・ハマディ文書
も、元々は20世紀に文書が発見された場所の近くに東ローマ時代にはあったらしい大修道院所蔵の
文書だったようだが、発見された文書中のもっとも新しい時代に作成された写本から推定して、
アラブ軍が来る前のこのテオドシウスによる迫害が活発化した時期に、ナグ・ハマディ村近隣の
洞窟に秘匿されたんじゃないかと言われている。
>>942 ことアレクサンドリアに関して言えば、7世紀のアラブ軍も11〜12世紀の十字軍も古代からの
ギリシア語文献の消失には多分あまり関係していないと思う。
944 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 18:11:54 0
>>943 tnxs
ローマカトリック機構が、国家権力を使って焚書したわけね。
>>938 アレキサンドリアの興亡によると
アレキサンドリアをビザンツからイスラム勢力が奪った時から凋落が始まったと書いてあったな
それとは別にあと十字軍はアレキサンドリアまでは行ってないはず
(第6回十字軍が上陸したダミエッタはアレキサンドリアからかなり離れている)
946 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 22:57:51 0
>>945 そう書かれていたなら著者はキチガイで確定だな
イスラム勢力侵攻以前に、ユスティアヌスの疫病=ペスト?で、エジプトは衰退していたとされる。
アレクサンドリア衰退の理由は単純。
北にはコンスタンティノポリスあり。
南にはカイロができた。
半端になったんだよ、アレクサンドリアは。
カイロの発展は9世紀後半のトゥールーン朝時代から(ていうかそれまでカイロという名すらない)
アレキサンドリアの凋落、特に経済的地位の没落は7世紀のイスラム支配下編入から
単純にアラブとビザンツの抗争で、地中海交易が縮小したからかな?
951 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 05:43:45 0
交易の中心がペルシャ湾方面へ移行しちゃったからだわな
>>949 アレクサンドリア衰退はイスラム支配後、
かつカイロが出来る前でしたか。
>>950-
>>951 そういった理由かもしれませんね。コンスタンティノープルは
都な上に十字路ですから、東西貿易に欠かせず、
十字軍に蹂躙されたり、オスマン帝国の包囲下で
孤立するまでは東西の商人が来て繁栄していたようですが。
また、オスマン帝国に攻略され、その都になると、
再び繁栄しましたし、トルコ共和国になって
都でなくなった現在も大々都市です。
凋落といっても学者によるアレクサンドリアの推定人口は以下の通り
Chandler (1987)
紀元前200年:30万人(世界3位)
100年:25万人 (世界4位)
361年:12万5000人 (世界7位)
500年:10万人 (世界9位)
622年: 9万4000人 (世界7位)
800年: 9万5000人 (世界11位)
900年:17万5000人 (世界6位)
925年:20万人 (世界4位)
Modelski (2003)
紀元前300年:30万人 (世界5位)
紀元前200年:60万人 (世界1位)
紀元前100年:100万人 (世界1位)
紀元1年:40万人 (世界3位)
100年:50万人 (世界2位)
200年:60万人 (世界2位)
300年:50万人 (世界2位)
400年:20万人 (世界7位)
500年:20万人 (世界6位)
600年:10万人 (世界10位)
700年:10万人 (世界9位)
800年:10万人 (世界10位)
900年:10万人 (世界9位)
しかしながら、コンスタンチヌス大帝が遷都する以前、ビザンチウムは一度も
シラクサやエフェソスのような大都市に成長する事がなかったとされる。
アレクは、何故ビザンチウムにアレクサンドリアを建設しなかったのだろうか?
ローマの全盛期にビザンチウムは、何故パルミラのように発展しなかったのだろうか?
マッロイ人との戦いで梯子が壊れて孤軍奮闘状態になったとき
どんな気持ちだったんだろう…
956 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 21:36:51 0
人生オワタと思ったに違いない。
957 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 21:41:31 0
熱血台詞で勝手に燃え上がりそうな体育会系インテリDQN
958 :
世界@名無史さん:2009/06/08(月) 01:25:50 0
ヒストリエって今どの辺まで進んでるの?
ところで岩明均ってどう読むの?
959 :
世界@名無史さん:2009/06/08(月) 01:27:54 0
ガンミンチン!
アレクサンドロスはイスラム地域で評価されてるんですか?
961 :
世界@名無史さん:2009/06/09(火) 03:33:34 0
西の蛮族が超絶過大評価してるだけだよ
イスカンダルって名前で伝説の英雄になってる。
流石に無視は出来ないだろ。
>>960 イスラム世界でも英雄です。
アルバニア・トルコからマレーシア・インドネシアでまで人気者。
クルアーンの好意的な記述の影響かと思われます。
私は
>>961のような西洋嫌いとは全く異なり、
現代人故にインダス川を超える必要性が理解出来ないだけです。
アケメネス朝打倒と東地中海制覇は合理的だと思いますが。
965 :
世界@名無史さん:2009/06/09(火) 11:52:15 0
豚松って・・・もっとマシなHNにしろよ・・・
>>965 あんさん、野暮なことおっしゃりますな
あたしゃ三保の豚松からとってんですよ
三度笠に長ドス、義理と人情
あっしゃ豚松あにぃの男気に惚れちまいやした!
八王子の勝蔵「あっしは多摩の山育ちで海ってやつを
知りやせん。いつかはこの品川に根城を築きてぇ、そう思って
きやした」
品川の豚松「そうでござんすねぇ。この品川にゃ湊もありゃ宿場も
ある、桜の名所御殿山もある、そりゃいいところでさぁ。
あっしの親父は船持ち船頭で、あっしにゃ江戸湾、外海に繰り出す
海の男の血が流れておりやす。
あっしもこの地を離れるつもりゃごぜぇやせん」
八王子の勝蔵「命にかえてもけぇ?」
品川の豚松「八王子の、あたしゃ穏やかな日を夢見てるんでさぁ」
江戸、品川への進出を目論む八王子の勝蔵との対決は避けられなく
なった。
つい昨年まで新選組と結びついていた勝蔵が
王政復古を期に立場を変え、京坂で討幕派と結びつき、
何と騎乗の士分として官軍に参加。
豚松のシマたる品川をつっきろうとした。
それに激昂した豚松の子分たち、用心棒たちは勝蔵を
斬ると息巻いた。
豚松は「待て待て。通してやりゃいいじゃねぇか。渡世人の身で
やれ佐幕だ、やれ勤皇だとしゃしゃり出て、
官ぴらになっちゃおしめぇだ。あんな野郎うっちゃっとけ」と
それを止めた。
豚松は岐阜の弥三郎らの最期を聞いていたが、子分や用心棒は
知らないため、この時点では豚松の言葉の真意をはかりかねていた。
豚松の予言は二年後に的中。箱館の戦も終わり、「草莽の士」や
無頼の輩から成る部隊が邪魔となった新政府により勝蔵は
博徒時代の罪を問われ、士分剥奪の上、
きしくも鈴ヶ森にて打首獄門に処された。
970 :
世界@名無史さん:2009/06/10(水) 02:13:50 0
変なのにかまってしまいすまんかった・・・
971 :
世界@名無史さん:2009/06/11(木) 23:05:40 0
アレクサンドロス4世って何か逸話とかないの?
間違ってヒストリエスレに書き込んでしまった。
全く読んだことないよねえ。
記録をカッサンドロス家に抹殺されたのか。
豊臣秀頼やナポレオン2世みたいに成り上がった英雄の息子の運命なのかな。
973 :
世界@名無史さん:2009/06/12(金) 08:01:24 0
バルシネーだかが産んだヘーラクレースは実はアレクサンドロスの胤ぢや無えんだゼッ!
分かったナッ!!!!!!!!!
えええw
しかしヘラクレスは赤子でもなかったろうし、
少しくらい触れられるエピソードはありそうなのに。
大王はあまり接触していなかったのかな。
確かに大王の時に爆発的に領土は拡大したが、一応歴史ある王家なのに
ディアドコイ達酷すぎる。
ヘラクレスって存在したこととカッサンドロスに乗せられたポリュスペルコンに殺されたこと以外は殆ど何も知られてないんだよな。
政局の一部に関係してるんだからそれなりの逸話はあったはずだけど、カッサンドロス家御得意の情報隠滅に遭ったかな。
977 :
世界@名無史さん:2009/06/14(日) 23:56:18 0
そろそろ次スレを立てて頂きとう存じます。
ネアルコスだけが大王死後、後継者にヘラクレスを推してるんだね。
ロクサネの腹に懸けるよりよっぽどまともな考えだと思うのに
他のディアドコイ達が賛同しなかったのは、
愛人の子というのは国柄的に絶対に認められなかったからなのか、
虎視眈々と自分が王位につこうと狙っていたからなのか…
それともまさか上で出たように大王の実子じゃないとかw
東征はアケメネス朝討伐で十分。
次はイタリア半島とカルタゴに目を向けねば。
そうすれば地中海はアレクサンドロスの海。
それより何よりポリスの有名無実化と裏切り者に
なりうる側近どもの大粛清が先決だが。
スパルタはテーバイのようにしてまえ。
>>979 正妻のロクサネが懐妊してることが分かったからとにかく男子が産まれるかどうか見届けようってことだったんじゃないの。
ピリッポス・アッリダイオスなんてあからさまに傀儡として使われるの見えてるし。