2 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 22:21:40 O
2もらうね、1543種子島
3 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 02:08:26 0
ウダガー先生曰く
「火縄銃のネジなんて野鍛冶でも難なく作れんだよ!」
「日本の火縄銃は元々東南アジア製のコピーに過ぎない!」
「砲煙を消すには女のシャレコウベの粉末を火薬に混ぜろ!」
「現存している大友国崩砲や津和野神社の砲は全て日本製!」
「砲術なんて曲芸と同じで槍弓刀の武芸と並び称されるものではない!」
板名をご覧ください。
三十年戦争の時の大砲ってどんなの?
6 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 18:35:18 0
スエーデン軍がそれまでの重砲でなく
より機動性の高い2ポンドだか4ポンドだかの
野砲を使って大戦果を上げたのが、
いわゆる30年戦争じゃなかったでしょうか?
野砲と言うものがこれ以後定着したという
話だったとと思いますが。
軽攻城砲を野戦に転用することは百年戦争の頃から行われ、
既に野戦用の軽砲も登場している
スウェーデンのグスタフ・アドフルは大砲の軽量化に熱心だったが、
それはスウェーデンに限った話ではなく、ドイツやフランス、イタリアでも
盛んに模索されていた
スウェーデン軍が野戦砲兵の整備に熱心だったのは、歩兵により攻撃的な戦術的役割を
求めた代償に、低下した歩兵火力を補完しなければならないという事情があった
このため、柵車や皮革砲のような珍兵器が整備されたが、これらの珍兵器は結局は失敗に終わった
スウェーデンの努力は完全に成功したとは言い難い
砲兵戦力の増強は貧弱な大陸派遣軍の兵站を破壊して先端戦力と攻撃衝力を消耗させ、
王の晩年には歩兵は不十分な火力掩護の下で突撃を余儀なくされ、
歩兵の鈍重な攻撃速度を掩護するために騎兵は無謀に近い攻撃運動を要求されることになる
これが結局は文字通り王の命取りになった
8 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 19:29:46 0
17世紀や18世紀の大砲の発火はどうして行ったの?
ヨーロッパでは重砲はイタリア戦争末期にはほとんど姿を消している
峻厳なイタリアの山間道を機動するためには軽量な砲の整備が必須だった
三十年戦争の頃には重砲は新造されなくなっている
10 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 19:33:55 0
>発火はどうして行ったの?
火縄を持って火口まで歩いていって着火
11 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 20:30:36 0
当時の歩兵はどういう銃器で武装していたんでしょう。
まだフリントロックにはなっていないと思うんです。
そうすると火縄銃になるんでしょうね。
まだまだ槍兵や弓兵等が幅を利かせていたのでしょうか?
>>5 どうもこうもうない、ナポレオン戦争時とあまり変わりない二輪砲架。
ただ、規格化が不十分・美しいレリーフが施されている・重砲は車輪が砲に比べ小さいといった違いはある。
>>6 スウェーデンの軽砲は3ポンド砲。
ちなみに西欧で大砲はクレッシーの戦いで初めて投入された。初め、大砲は野戦用だったわけだ。
>>7 グスタフ・アドルフは軽砲とともに重砲も併用しているね。
>>11 弓兵は、中世末期にはもうイギリスぐらいしか運用してないよ。その長弓兵も、ばら戦争で多くを失われて
銃兵と砲兵に取って代わられている。
槍兵は、17世紀後半のフランスで着剣したまま弾の装填ができるソケット式銃剣が発明されるまでは現役。
テルシオもグスタフ・アドルフの軍もパイク兵と銃兵の組み合わせ。
13 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 00:11:36 0
記録に残る大砲のデビュー戦は1331年のチヴィダーレ攻城戦
1346年のクレーシー戦ではイングランド軍が牽引砲3門を投入しているが
目立った働きは残っていない
三十年戦争のスウェーデン軍は大砲の調達に手段を問わなかった
主力は新造の軽砲だったが、中には旧式の大口径重砲も含まれていた
こうした旧式重砲は主に攻城戦で使われたが、状況に応じて野戦にも
投入されている
イングランドの長弓兵の衰退は、羊毛業の勃興に因るところが最も大きい
百年戦争当時、イングランドは軍事的産業的後進国で、
農民の次男以下は嫡男の使用人になるか、大陸派遣軍に従軍する以外に
選択権はほとんどなかった
百年戦争後の羊毛業の進展がこうした余剰労働力を吸収したため、
長く過酷な訓練を要する長弓兵の供給源を断つことになった
清教徒革命あたりか? 完全に消えたのは
編制兵科としての弓兵はシャルル7世の兵制改革が最後
17 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 14:48:42 0
槍兵自体は、WWT時まで列強国では
まだ制式採用されて実戦投入されていたんだよな。
18 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 20:26:21 0
このころ(18世紀くらいまでか)の砲弾は、爆発しないものが主流だったんですよね。
ひとりの兵士にあたって、やっとひとり殺すということしかできなかったのでは?
ですので、そういう大砲を野戦に使うというのはピンとこないんです。
城や船を破壊するために発射するならわかります。
でも、兵の集団相手に撃っても、爆発しないのならば、あまり効果的な兵器ではなかったのではないでしょうか。
19 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 20:39:25 0
弓もイギリスでは、清教徒革命の時まで使われていたようだが。
20 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 20:46:45 0
>18さん
私もずっとそう思っていたんですよ。
同じような内容で質問したことがあったんですが
要するに当時のヨーロッパの歩兵戦術が
密集歩兵の方陣みたいなものだったんで
そういった方陣にほころびを作るには有効だったみたいです。
方陣を維持しつつ動く歩兵は速度も遅いから命中しやすいし、
方陣同士がぶつかりあったり、騎兵が方陣に襲い掛かったりしたとき
ほころびの部分から崩れていくのでしょうね。
日本には大砲の代わりに敵の陣形をほころびさせる
一番槍というのがありましたよね。
あれ、そうすると日本軍の肉弾重視と言うのは
戦国時代からのものなのかな?
18世紀には方陣は騎兵に対する防御隊形で通常は横隊ではないか。
フランス革命軍・ナポレオン軍は縦隊を多用したが。
>>20 いちょう戦国期それ以前でも突入前に弓で射撃戦してるつかそれが主力
日本軍は肉弾重視なんかしてない、軍刀持ってるからそういいうイメージが
あるのでは、あとは後半補給切れで弾が少なかったっーのもある
ここで長文垂れ流してないで本を読め
でも司馬遼太郎は却下ね。
>>22 主力はあくまで長柄だよ。
弓じゃ戦闘の決を取れない。
12〜16世紀の戦闘を見るに、@まずは楯や藁をつんだものを挟んで矢を
放ちあい(地方領主の小競り合いだとここで収まる)、Aその後、敵陣の崩
れたところへ馬に乗った者+従者が駆け込み、乱戦となるもの。
一番鑓というのは、乱戦後の話。「敵の陣形をほころびさせる」ものではあ
りません。前者は騎乗者の持鑓、後者は足軽の数鑓の役割でしょう。
>弓じゃ戦闘の決を取れない。
戦闘の決というのは、Aの状態に入った場合問題になるものですね。
なお、鑓(やり)自体の出現は、鎌倉時代末期のことです。
槍(ほこ)は長柄の武器全体を指したもので、江戸時代以前には、特に鑓が
長柄の武器だということを強調する場合でなければ、ヤリを示すのに槍とい
う字は使用されていません。
もっとも、戦国期を経験した大名たちが、家中にまずは矢と鉄放で攻撃し、
しかる後に鑓の衆、長刀の衆、刀の衆などで攻撃せよと言っているあたり、
守らずに個人の手柄目当てでさっさと切り込もうとする者も多かった模様。
矢に印をつけることは、ほとんどやっていなかったようです。
近世に戦闘のイメージが刀槍で捉えられたのも、手柄と結びついていたから
ではないかという説があります。
27 :
世界@名無史さん:2006/12/27(水) 02:05:53 0
エスピンガルーダ
28 :
世界@名無史さん:2006/12/27(水) 02:07:38 0
アーキバス
29 :
世界@名無史さん:2006/12/27(水) 16:18:12 0
日本の話になってしまったけど、
1631年にブライテンフェルトの戦いで
グスタフ=アドルフが神聖ローマの
スペイン方陣を破るまでの100年以上の間
スペイン方陣(テルシオ)は一世を風靡したように
聞いています。横隊が主流になるのは17世紀からじゃ
ありませんか?
槍の宝蔵院も実は鑓ってこと?
>>21 横隊相手でもいいんだ。密集横隊のぶつかりあいってのは一箇所が崩れればそこからボロボロと戦列が崩壊するから。
だからローマ軍団・日本の長槍隊・スイスのパイク兵・ドイツのランツクネヒト、みんな厳しい規律を持っていた。
つまり敵の隊列に確実に向こうまで穴を空けられる鉄球弾には、殺傷できる人数以上に大きな効果があった。
32 :
世界@名無史さん:2006/12/28(木) 08:37:05 0
>>10 火打石で発火しないの?銃はそうなのに。
歯輪式でもないの?
33 :
世界@名無史さん:2006/12/28(木) 09:36:11 0
正確に狙って撃つわけでもないからタッチロックで十分。
>>18 炸裂弾が普及する以前の鉄球弾でも威力は相当なもん
大雑把に言うと、ボウリングの玉が時速百キロですっ飛んでくるようなもの
人間の体なんて簡単に突き抜けるし、速度が落ちても足ぐらいならもぎ取れる
鉄球は地面に落ちてもバウンドしたり転がったりするんで、そう簡単には止まらないし
で、殺せなくても負傷させればその兵は戦力とならないので、十分威力があった
あとは
>>20の言うとおり、密集隊形が崩せればそれでよし
「パトリオット」って映画見ると視覚的にわかりやすいかと
アメリカ独立戦争の話だから、18世紀だけどね
36 :
世界@名無史さん:2006/12/29(金) 09:18:23 0
16〜17世紀ごろのヨーロッパが舞台で、パイク兵やマッチロック銃兵が出てきて
戦う場面のある映画ってないですかね?
37 :
世界@名無史さん:2006/12/29(金) 09:20:01 0
あの映画、戦場で死体が転がってるだけだもんなあ
41 :
世界@名無史さん:2006/12/30(土) 02:02:10 0
映画「もののけ姫」で出てきた
薬室カートリッジタイプの後装銃は炸裂タイプの弾丸使ってましたね。
ああいうものって史実では明代の中国にあったのでしょうか?
ある解説だと、明代の武器百科である「神器譜」に“震天雷”なる
時限発火装置が出ており、それが原型になったとか。
>>41 上・・・無い
下・・・詳しくはしらんが、当時の技術や火薬の質では発火弾の小型化が
出来ない、撃ち出しに耐えれる強度が出せない、発火タイミングのコントロールが
不安定、等でアイディア兵器としてはあったかもしんない程度のもんじゃねぇかな
>薬室カートリッジタイプの後装銃
子母銃か?
震天雷は宋や金の時代から使われている。銃というより爆弾。
元寇に出てくる「てつはう」もその手のもの。
45 :
世界@名無史さん:2006/12/31(日) 01:46:23 0
>>44 大河ドラマ「北条時宗」では博多湾に襲来した元の軍船から
カタパルト式の発射装置で一気に数百発ぐらい飛ばしてましたね。
で、見たことも無いない超兵器に恐怖する日本軍。
あと棒の先に付けた筒状の銃器らしき物を持った蒙古兵が合図と伴に三列に順番に
撃ってました、あれこそ、もののけ姫に出てきた銃器と同類だと思われます。
当たった弾は雑兵の胴丸鎧を貫通して家屋の壁を破壊する程の威力でした。
>>36 「ファイアー&ソード」17世紀ポーランドが舞台。
ちょっと古いけど「クロムウェル」も良かった。
>>45 >棒の先に付けた筒状の銃器
指火式の銅銃だろうか。
朝鮮では秀吉と戦ったときもまだ使ってた(鹵獲品が靖国かどっかにあったはず)。
たしか現存する最も古いものが14世紀後半なので、元寇に使われてたかどうかは・・・
>>46 ポーランドってパイク兵使ってたんですか?
つーか大河ドラマって時点でな。
始まりはそんなもん
だが、ここでその話を持ち出されても困る。
恥の書き捨てが効くここでええがな、下手にリアル馬鹿晒して虐められたらどうするよ
知らんがな。
53 :
18:2007/01/02(火) 22:26:37 0
54 :
世界@名無史さん:2007/01/03(水) 13:04:16 0
ポーランドには馬上からマスケット銃を撃つ部隊がいたらしいが
>54
時代にもよるがそれって竜騎兵では?
ポーランドのはよく知らないけど
竜騎兵は下馬して戦うのでは?
その通りだが、別に騎乗中には長銃を撃つことは不可能という技術的限界が
あったわけじゃあるまいし、地域や状況次第でそういう運用もされたろう。
手元の資料では、騎乗中に撃つ長銃であるカービン銃の存在が17世紀に
確認できる(たぶんもっと古く遡れる)
初期と末期は下馬銃撃を前提にしていたが
中期は騎乗射撃→抜刀攻撃 だったんじゃないかな
そらピストル騎兵じゃないかい?
騎乗歩兵みたいなことは中世からやってたんじゃないですか。
百年戦争の時のロングボウ兵も戦場まで馬で移動する例があったとか。
61 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 13:46:21 0
騎乗歩兵は古代からあるよ
イングランドの長弓兵は武装自弁だから経済的に余裕のある兵は
騎乗したり荷物運搬用の馬や荷車まで持ってたし
ポワティエのときの黒太子の軍はほとんどが騎馬だった
(重騎兵&弓兵)って話だし、そんな感じで機動力が高かったから
騎行戦術もうまくできたってことなのか
イングランド長弓兵のほとんどは貧乏な小作農階層の出身だから、
ほとんどの兵は徒歩だったんじゃない?
中には馬を持ってた裕福な弓兵もいたけど少数派でしょう
>>65 独立自営農民、ヨーマンだよ。
どこから小作農って聞いたの?
ヨーマンはイングランドの封建制解体の過程で出現
ちょっと時期がズレてるね、残念
どこからヨーマンって聞いたの?
14世紀後半からの成立だから別に間違いじゃないと思うけど。
クレシーの長弓兵はウェールズの自由農民でしょ。
小作農説を開陳してくれ。
イングランドの弓兵は対スコットランド戦役の頃からいるぞ。
ちょっと時期が合ってないな。
弓兵じゃなくてヨーマンの話ね>14世紀後半頃登場
71 :
世界@名無史さん:2007/01/16(火) 11:20:04 0
>>56 16世紀17世紀にドラグーンと呼ばれていたのは銃で武装した乗馬歩兵
16世紀後半の騎兵は主に胸甲騎兵と火縄銃騎兵とに2通りに区別されてた
胸甲騎兵ってのは19世紀のとは異なり全身鎧を着てピストルで武装した重騎兵の事
火縄銃騎兵は胸甲騎兵より軽装で小銃を持った騎兵で上の攻撃騎兵の火力支援をした
有名なグスタフ・アドルフの騎兵は軽装の騎兵にピストルを持たせた攻撃騎兵で
胸甲騎兵より軽装だけど火縄銃騎兵とも運用が違うのでレイター(ライダー)とか呼ばれた
この後フランス・ルイ15世の時に近代的な軍編成がなされて
そこで重騎兵が消滅し騎兵は全て軽騎兵になる(当時の認識は重騎兵=全身鎧)
ここらからみんなが良く知るユサールや胸甲騎兵やカラビニエが登場してきて
同時にドラグーンももっぱら騎兵として扱われるようになる(国によって運用法はバラバラだけど)
ちなみに、実は騎兵の運用は昔から殆んど変わってなくって
ピストルや格闘で敵に攻め入る攻撃騎兵と火力支援や追撃を行う騎兵の運用が基本だった
(槍騎兵やユサールとかはもっと特別だったけど)
72 :
世界@名無史さん:2007/01/16(火) 15:42:35 0
薔薇戦争で貴族が没落してヨーマンが台頭。
権利保障の引き換えに軍役を負った。
ロンドンの近衛兵もヨーマン。
英国王が弓を振興して長弓兵が育成された。
馬を弓で足止めしたり戦意を挫き、徒歩のメンアットアームズが
落馬したり混乱した騎士に殺到して止めをさした。
フランス騎士はメンアットアームズに対抗して馬を下りて戦った。
百年戦争でフランスが巻き返したのは無知な小娘がルールを破ったから。
(この点でジャンヌダルクは源義経とかぶる。)
73 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 10:04:06 0
リッターとレイターってどっちも英語のRiderと同系統の言葉だったと思うが
どうして2つに分かれたのか
下馬騎士は武器何持って戦ったの?
じゃ唯の歩兵だね。
77 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 13:07:05 0
>>73 リッターって良く知らないんだが
英Reider独Reiter蘭Ryuter
だったと思う
どれもその後に定義が曖昧になってhorsemanと同程度の意味になってしまうんだが
その過程で国や地域によって色んな意味が登場して消えてったんだと思う
日本語のキャノンは英語ではGunに相当するモノだったりとか、そういう言葉の意味の変化じゃない?
たしか騎士がRitterで
ピストル騎兵がReiter
79 :
世界@名無史さん:2007/02/27(火) 22:14:41 0
月例装弾に上がりました。
ちなみに明治維新の前の日本にも一時期、竜騎兵に相当する兵種が伊達家等にありましたが大阪の陣で役に立たなかったので解体されました。
81 :
世界@名無史さん:2007/03/02(金) 09:23:06 0
中世にインド洋からアラブ商人が香辛料などの買い付けにきてたらしい。
82 :
81:2007/03/02(金) 09:23:51 0
すいません誤爆です
83 :
世界@名無史さん:2007/03/02(金) 10:02:17 0
>>80 伊達家の鉄砲騎馬隊かな?
長槍に負けたんだっけ
>>80 強そうなイメージがあるけど何故、勝てなかったのかね?
85 :
世界@名無史さん:2007/03/02(金) 11:23:58 0
用兵が下手だった じゃろ
馬に乗ってるときは図体がでかいから不利
降りて戦っても騎兵銃じゃ不利
そんな感じでは
馬上で装填とかかなり無理があるし
一発目やり過ごされたら尻尾巻いて逃げるしかねえんじゃないの
逆に言うと一撃離脱に徹するドクトリンが確立されてたらいいけど
それなしに騎兵銃隊つくってもコストの無駄だったってことよね。
接近戦なら数の多い歩兵のが優位なんだし。
後のカラコールである
ただし歩兵でも銃兵には抜刀突撃すべし
92 :
世界@名無史さん:2007/03/06(火) 14:14:18 0
パーニーパットの戦いではアフガンの騎馬鉄砲隊とラクダ砲隊が大活躍
第何次のパーニーパットだ?
>17
まじかよ
95 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 20:42:05 0
チハの主砲が駄目駄目な件について
96 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 20:59:55 0
チハたんなめんなよ
97 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 21:23:46 0
日本で抱え大筒はいつごろから使用されてるんですか?
WW1の時点では当時の列強ってそんな具合だったのかと驚くけど、
WW2のポーランドの騎兵になると完全に笑い話と化すな…
1918年なのに槍持ってるよ。
でも徒歩の槍兵じゃないから安心した。
ドイツもだいぶ馬に頼ってたわけだが
ソビエトにもプジョンヌイとかおったな
自動車化、機械化歩兵持てたのはアメリカだけだし
日露戦争のコサック騎兵も槍持ってたな
日本にはB−29も撃墜できる竹槍という・・・
108 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 09:56:36 0
プレートアーマーを至近距離からマスケット等で撃ったらどういう風なダメージになるんでしょうか
空き缶を撃った時のように割れるんだろうか
「至近距離」ってのがどれくらいの距離かにもよるが、弾を込めてる間に返り討ちにあうと思われ。
弾痕の形を聞いてるんだろ。
貫通時に割れた弾丸と鎧の破片が食い込んでえらいことになると思われ
112 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 02:05:49 0
欧州に鉄砲が伝来したのはいつですか?
伝来も何も、発祥の地のひとつだよ
114 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 06:07:49 0
え?鉄砲ってオスマン帝国が最初じゃないの?
オスマン・ベイが活動を始める以前から「火薬で発射体を飛ばす筒型の兵器」は
中国、ヨーロッパ、イスラム圏の一部に既にあったようだ。
116 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 13:11:29 0
支那と欧州とどっちが早かったですか?
>>115 知っている限りでは、中国では12世紀の史料にそれらしき記述が散見される程度。
ヨーロッパでは13世紀のロジャー・ベーコンの著書に火薬の製法らしきものは書いてあるようだが
火砲があったかどうかは怪しい。
>>114 13世紀にマグリブ(北アフリカ西部)で大砲が発明されて、
それがマグリブやイベリア・ドイツ・イタリア等で発展したのが
タッチホール式のハンドガンと聞き及んでいる。
マグリブではその東のようにギリシア火の原料が採れなかった
からこの手の兵器が発達したのだろう、とも。
>>116 13世紀のほぼ同時期に、マグリブで大砲が、元で金属製の
手持ち銃が発明されている。
119 :
世界@名無史さん:2007/04/02(月) 23:27:31 0
モンゴル帝国はもしかして鉄砲で世界制覇したんじゃ・・?
120 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 00:06:58 0
東洋にも鉄砲はあったが、金属加工精度が高くないと、爆発が漏れて効率的に
弾に伝えられないから、威力が低かったようだ。
種子島だって、底の部分の密閉方法を知るために娘をポルトガル人にやったという
伝説さえあるだろ?
そこがキモだったわけだ。
>>119 東欧や中東でモンゴル軍がそんなものを使ったという記録はないが
123 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 10:34:24 0
記録がない=事実もない
典型的な歴史クイズ王ですな
記録がないのに事実はあったという電波よりはまだましとはいえる
125 :
世界@名無史さん:2007/04/03(火) 15:15:52 0
ディスカバリーチャンネルで以前、武器の歴史というような興味深いシリーズを
放送していて、ジョンキーガンが解説をしていた。
邦訳があるのか分からないけど、キーガンのA History of Warfareという
本を基にしているようだった。
邦訳では以下のような本が出ているようだけど、武器と戦争の歴史を解説した本
で一番良いものってどれかな?
戦争の科学―古代投石器からハイテク・軍事革命にいたる兵器と戦争の歴史 アーネスト・ヴォルクマン
戦争の世界史―技術と軍隊と社会 ウィリアム・H. マクニール
>>120 その逸話はネジの原理が解らないからだったような
>>125 上はハズレだった。下は18〜19世紀あたりに特に力が入ってる。
マクニールの本は読んで損はないだろう
中世末〜近世の欧州だったら『火器の誕生とヨーロッパの戦争』とか
『大砲と帆船』とか『長篠合戦の世界史』かなぁ。
『長篠〜』は日本の合戦についてかなり無茶なことが書いてある(長篠の三段撃ちとか
映画『影武者』が真実に近いとか)のが玉に瑕
>>125 ジョン・キーガン『戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで』
邦訳はこれかな
131 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 09:26:39 0
アフガン人の火縄銃はイギリスのライフルより射程が長かったらしい。
中の人の性能の差もあるんじゃね
アフガン人どもはやたら射撃が上手いらしいし
>>131 ジェザイルな。ワトソン君が撃たれたんで有名。
昔Jezailで検索したらホームズ関係のページしか出てこなくて参った。
134 :
世界@名無史さん:2007/05/09(水) 12:35:01 0
ほしゅ
135 :
世界@名無史さん:2007/05/17(木) 21:33:51 0
ピストル騎兵のカラコール戦術が実際に使われた戦いってどんなのがありますか
オスマン朝軍がハプスブルク側のレイターと最初に戦ったのが十六世紀末頃だったような
カラコールが廃れた原因て何よ?
>>137 ピストルだと歩兵の銃にアウトレンジされる
なるほど、それは廃れますな
140 :
世界@名無史さん:2007/05/28(月) 13:54:30 0
>>119 >>121 中東では逆にマムルーク朝軍に使われた。
馬を驚かせる程度の効果しかなかったようだが。
141 :
世界@名無史さん:2007/05/29(火) 22:35:29 0
当時のモンゴル帝国は世界最高の技術力を持った帝国じゃなかったの?
その当時で既に欧州とメソポタミアに大砲を発明されていたとは・・
モンケ汗あたりまでのモンゴル帝国だと攻城戦でも割と伝統的な
集団でロープを引いて発射する投石器を使ってたらしい。
金王朝では「震天雷」とかすでに使っていたけど、性能の高い
カウンターウェイト式の投石器なんかはフビライ汗がイスラム圏から
中国に持ち込んでいる。
143 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 15:49:33 0
銃に引き金があるのは弩の影響がありますか?
>>143 銃のトリガーって元々サーペンティンというS字形の金具に火縄をとりつけてたものだけど
中世ヨーロッパのクロスボウのトリガーは似ても似つかない形だったと思います。
掴むようにして引く。
145 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 22:11:31 0
ということは結局銃は白人国家が無から作り上げた兵器なのか。白人の頭脳すげー!!
147 :
世界@名無史さん:2007/05/31(木) 22:36:28 0
なぜ当時最高の軍事技術を持っていたイスラム帝国はモンゴル帝国にあっさり負けたのだろうか?
ジャラールとか踏ん張ってたじゃん
あっさり、なのか?
>>147 「軍事技術」がどういった分野を指して言ってるのかよく分からないが
マムルーク朝はモンゴルの侵攻をほとんどすべて撃退したし
ホラズムもジャラールアッディーンがアフガンで軍勢を立て直してから
テムジン直属の精鋭に敗れるまでモンゴル軍を苦戦させているが。
モンゴル騎兵は攻城が不得意なのに、なんであんなに楽に落とせたんだろ?
正確に言うとどうしてあんなに簡単に最高の軍事技術者を獲得できたんだろ?
地元の帝国と対立している国家を味方につけたのかな?
金朝とかだとモンゴルに寝返った連中がかなり多い。
軍馬を管理してた契丹人軍団が牧場ごとチンギスの配下になったり。
そんなことを聞いているんじゃないよ、なぜ寝返ったか、ということさ。
というかモンゴル帝国が銃を使っていたらおもしろかろうなあ。。
そうだな、
オマイもオレもキミもボクも、存在していないだろうがな
>なぜ寝返ったか
モンゴル帝国の方が将来性がありそうだったから。
もしくは、気がついたらもう捕虜になっていた。
モンゴル騎兵が弩を使わなかった理由を考えれば
なぜ銃を使わなかったかは自ずと分かるだろう。
だが
コサック騎兵も日本騎兵も銃を使ってるぞ
最初期の銃はトリガーすらなく装填にも発射にも手間がかかり、命中率も低かった。
それに対しステップ遊牧民の扱いなれた弓矢は軽快で命中率も高く、近距離なら装甲を貫く
威力もあり、また銃や弩よりも速いペースで連続して発射することができた。
銃火器が発達したのは西欧や中国などの歩兵用の武器としてであり、明王朝では
騎兵が三眼銃などを用いていたが、それによってモンゴルや満州人に対し優位に立てた
わけではなかった。
オスマン朝やモスクワ大公国など「火薬帝国」と呼ばれる国々でも火器はエリート歩兵が
使用し、騎兵は弓矢や刀槍などで戦った。
モンゴルが銃火器を主要武器にするなら歩兵中心の軍制に切り替えなければならなかった
だろうが、そうすればあれほどの広大な領土を征服するのは不可能だっただろう。
寝返る理由なんて古今東西「そのほうが利益になる」からだろ。
もちろん利益には生存も含まれる。
遊牧民やコサックの間で小銃がメインウェポンになったのは
後装式ライフルあたりまで進化してからかな?
キルギスの「マナス」叙事詩なんかを見ると
蒙古弓と火縄銃を併用してる感じだったけど
>キルギスの「マナス」叙事詩
KWSK
>>159 東洋文庫で少年篇、青年篇、壮年篇が邦訳されてる。
まともな図書館へ行けば見つかると思う。
遊牧民戦士の生活や戦闘のディティールが結構面白い。
161 :
世界@名無史さん:2007/06/04(月) 22:10:51 0
17〜18世紀のジューンガル部は銃・大砲、弓矢、槍といった順番で攻撃してたらしいが
火縄銃を扱うのはブハラ人などの傭兵だったようだ。
ちなみにラクダを寝かせて濡れたフェルトをかぶせたのを遮蔽物にしていたという。
銃火器が威力故に戦場の主役になったと思ってる奴が多いな。
銃が弓に対して純粋に威力や精度で優位にたち始めるのはマスケット銃の登場以後あたりからで、完全に優位になるのはライフル銃が登場してから。
なのに何故、銃が戦場の主役になれたかと言えば誰でも扱えて、弩に比べれば構造も単純だし、
大量に揃えやすいから。
威力でいえば16世紀から17世紀に入っても最強は面制圧のできる長弓だけど、長弓兵を
育成するのは何十年も掛るから、損耗に弱いし、軍の規模を拡大できない。
例えばイングランドで銃が普及したのは百年戦争や薔薇戦争で虎の子の長弓兵を大量に失い補充できなくなったからで
威力故じゃないし、戦国末期、世界で一番銃を保有してたはずの日本でも弓兵は火縄銃兵と併用されてる。
ついでに槍について言えば槍兵が廃ったのは専門兵科として設けなくても、銃剣の発明により
銃兵がその役割を果たせるようになったからだよ。
事実、第ニ次大戦でも結局最後は着剣して槍にしたライフルを持っての突撃だし。
白兵戦において槍や斧の類が主役じゃなくなるのは突撃銃の普及以後でないかい?
さて、どこから突っ込もうか。
>事実、第ニ次大戦でも結局最後は着剣して槍にしたライフルを持っての突撃だし。
アメリカ軍が着剣して槍にしたライフルを持っての突撃したのは、どこの戦いでつか
165 :
世界@名無史さん:2007/06/06(水) 14:04:02 0
イングランドだとヘンリー8世の頃はまだ銃の導入は部分的だったのでは。
>戦国末期、世界で一番銃を保有してたはずの日本でも
↓こんな話もありますね。
310 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2007/04/11(水) 09:44:51 0
秀吉が刀狩令によって兵農分離を進めていた頃
トルコでは内乱の影響で民間に兵器が流出し
その辺の盗賊や農民まで火縄銃で武装していた。
よって秀吉>>>>>>>>トルコのスルタン
日本だって刀狩以降江戸時代になってもそこらの猟師が普通に鉄砲持ってたわけだが。
>>164 陣地を掃討するには白兵戦しかないから
沖縄でもフィリピンでも普通にやってた
兵農分離ならオスマン帝国の方がよっぽど早いような気がするが・・・
169 :
世界@名無史さん:2007/06/07(木) 17:33:31 0
大砲の原型を世界で最初に作った支那帝国は
結局石火矢以降はまったく発展しなかったのかな?
石火矢は西洋伝来の日本の大砲だろう、常識的に考えて…
スペインやポルトガルがやって来る前にどこまで発達したか、という事でいうと
銃器は指火式銅銃、大砲は前装式青銅砲。
銃は銃身を複数付けて連発できるものもあった。
>166
猟師の場合何かしらの許可制がありそうな気がする。
詳しい人はいませんかね?
173 :
世界@名無史さん:2007/06/08(金) 10:05:36 0
ちょっと逸れるんだが むかしハイランダーチャージと言って
ハイランダーの両手剣戦士が遠くから鉄砲を狙撃気味に撃ちかけて
↓
慌てたイギリス兵の応射を伏せてかわして
↓
装填に手間取るイギリス兵に走りよってクレイモアで攻撃
↓
イギリス兵はレイピアで応戦するもクレイモアでなます斬りにされる
・・・と言うゲリラ戦術があったらしいんだが これが銃剣の登場でできなくなったそうだ
そこで疑問なのが 銃剣ってそんなに強いの?レイピアみたいに折れないから?クレイモアってそんなに長くも無いように思うんですが
それ、持ち替えるタイムロスが無くなるからと思ってたけど
でも考えてみたら高地人も持ち替えてるんだな
突撃して敵が銃持ったままなら大成功、敵が銃から剣に持ち替えてくれても大成功
ゲリラ戦術ってそういうもんじゃねーの?
>>173 俺もうろ覚えなんだが……
まず、銃剣がない時代の歩兵は銃兵と槍兵の混成だった。
んでハイランダーチャージしてくる奴らをパイク兵とかが迎え撃つわけだが、クレイモアがこのパイクの穂先を切り落とした。小盾にわざと突き刺させて封じたりしてな。
そうして槍兵が無力化されると、銃兵の白兵戦力など知れているわけだ。→ハイランダーツヨスー
……という流れだったのが、銃剣だと基本的に穂先を切り落として無力化、ということができない。
射撃からそのまま格闘戦に移行できるというリアクションタイムの向上もある。
それに全軍を銃兵だけで編成できるようになったことで、全体での火力向上も大きい……
といった当たりじゃないかと思っているが、どうだったのかね。
あとカンバーランド公は、ハイランダーが剣を振り上げた間に銃剣で脇腹を刺せ、という訓練を施して、スコットランド軍を破ったとか。
ドイツのランツクネヒトなんかだと剣術の免許をもった人が2倍の給料で雇われて
最前列でツヴァイハンダーを振り回して敵のパイクを切り払ってたらしいが
何か影響関係でもあったんですかね。
いやーなるほどパイクマンとマスケッティアに兵科が分かれてたと考えると納得行きますねぇ
レイピアは刀より重いしクレイモアもそんなに超重量って訳じゃないし疑問に思ってたんですよ
・・・16Cのスコットランドに手投げ弾でもあればまた違ったんだろうなぁ
>177
武器を持参してきたら2倍の給金という話は聴いたことがあるな。
ディスカバリーだと銃剣でも盾で封じられたとあった。
でも>176最後の二行のやつで対抗できた。
十字軍時代にはナフトゥーンとかいう火薬で発火する火炎瓶を
投擲する部隊がいたらしいが、その後あまり聞かないような
この前ディスカバリーで大航海時代の大砲で死傷するのは船の破片で死傷する方が砲弾で死傷するより多いか?
をやってたけど・・・10センチの鉄球弾は船ふち抜いてさらに人間4,5人ぶち抜く威力だけどそのときの破片はほとんど人体に刺さらないとかやってた
>>179 銃剣と槍との間に、脇腹を突く戦法を実施する上でどのような違いがあったのか気になる。
擲弾兵の歴史が知りたい。
いや、黒色薬の安定性(携帯性)とか保存性(コスト)に威力とかいろんな問題とかあったんだろうけど、
それでもマスケット銃兵の基本が密集横隊なら、うまく隊列へ投げ込めればかなりの戦果が期待できたのではないか。
もし雷管やマッチが登場し、しかもミニエー銃や後装ライフル銃が登場する前の端境期なら、
発火もお手軽な新型擲弾が、銃兵の横隊を野戦で蹴散らす場面を見ることもできたのだろうか?
183 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 13:35:58 0
>>182 間合いじゃない?>槍と銃剣
クレイモアを大きく振りかぶって回す距離だと、
槍衾を形成するための長い槍だと振り回せる距離じゃないが
銃剣だったら可能だったとか
>>177 いわゆる倍給兵だが、実際の給料は文字通り二倍ではなく、1.5倍程度。
185 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 20:42:49 0
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007062100178 2007/06/21-09:44 米大陸最古の「銃の犠牲者」=インカ住民遺骨に弾丸貫通の跡
【ワシントン20日時事】米ナショナル・ジオグラフィック協会によると、
ペルーの首都リマ郊外にある16世紀前半の集団墓地から、頭部に貫通銃創のある遺骨が見つかった。
ピサロ隊長率いるスペイン征服軍に滅ぼされたインカ帝国の住民とみられ、
発掘調査に当たっているペルーの考古学者らは「銃撃による米大陸最古の犠牲者」としている。
この遺骨は、約470年前に作られたとみられる集団墓地で見つかった。
詳細な解剖学的鑑定の結果、頭蓋(ずがい)骨にできた穴の周辺から微量の鉄分が検出された。
スペイン征服軍が携行していた当時最新鋭のマスケット銃は鉄製の弾丸を使っており、
調査チームは「銃で頭部を撃ち抜かれた」と結論付けた。弾丸は後頭部から前頭部を貫通していた。
186 :
世界@名無史さん:2007/06/21(木) 21:30:46 0
逃げる奴を後ろから撃ったな(´・ω・`)
撃った奴も500年後にバレて誹られるとは思って無かっただろう
新大陸で貴重な銃弾をそんな相手に使ってよかったのか?
敗走する敵を攻撃して戦果拡大するのはいつの時代も基本中の基本だろ
190 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 07:10:54 0
ろくな装備もない原住民が背を向けてるのをわざわざ大筒で撃たなくても・・・と思った
アステカだったか忘れたがコルテスのレイピアと鉄砲に立ち向かったのは木の棍棒ととがってない槍で戦争したんだよな
まあ、彼らの戦争とはスポーツみたいなものでめったに殺さないのがルールだったらしいが
もちろんコルちゃんはガンガン撃ってる
平和主義とかじゃなくて、協同体の生産性が闘争の方法を決めるのね。
アステカの場合、戦争はああだったとはいえ、他部族からとんでもない数のいけにえを
ささげていたわけだしね。いえにえを得るために戦争していたようなもの。
>>191 黒曜石の刃を埋め込んだ棒は馬の首をはねるくらいの切れ味はあったらしいが
195 :
世界@名無史さん:2007/06/22(金) 22:49:47 0
196 :
世界@名無史さん:2007/06/23(土) 00:19:23 0
>>191 一番の違いは騎馬の使用だよ。化け物だと思われたという。
しかし最大の脅威は不潔なヨーロッパ人がもちこんだ天然痘・コレラ・赤痢かな。
>>196 インフルエンザモナー。
天然痘・コレラ・赤痢よりも影響が大きいんじゃないかという説もある。
>>195 冷静に考えればそうなんだが、当時の軍人のサガだよ。
追える敵は追えって訓練されてるから。
>>194 石器の切れ味は、驚くほど高い。金属器と遜色が無い事が研究の結果判っている。
じゃあ問題は何?となるわけだが、そのものズバリ砕けやすい、即ち衝撃に弱いって事。
割れる、折れるなどが粘りのある金属器に比べて格段に陥りやすい。
つまりそういうこと。
200 :
世界@名無史さん:2007/06/23(土) 18:30:25 0
なあにセラミックス包丁と同じと言えばそれですむ
>>199 藤子Fの漫画(TPぼん)にも出てきたな、
黒曜石の槍の貫通力はヘタな鉄器のそれ以上って
アステカ征服のときは大砲が足りなくて投石機まで作ったらしい。
黒曜石の鏃の凄まじい破壊力は宮崎駿監督の映画「もののけ姫」で実証済みです。
数百メルテの遠方の騎乗から射て、騎兵の首を刎ねる威力があります。
また巨大な猪神をも一矢で倒すほどの恐るべき破壊力があります。
>>198 マスケット銃兵も追撃ってするんですか?
グスタフ・アドルフのマスケット銃兵は一斉射撃した後
白兵戦に移ったらしいけど。
銃の台尻で殴ったり剣で切りかかったりした。
208 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 16:02:36 0
↑それって普通の戦法では?
210 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 16:38:03 0
アメリカ独立戦争やナポレオンを扱った映画やドラマを見てると、
密集体形の歩兵が敵陣ギリギリまで黙々と前進する場面が出てくるが、
あれって最前列の兵士は完全に敵の標的だな。
敵陣からの発砲で先頭がバタバタ倒れても、なお黙々と前進する兵士は
ヤクでも打たれてたのか?w
装着したまま発砲できるソケット式の銃剣を考案したのは
ヴォーバンとも言われてるから、その時代だろう
17世紀後半
>210
南北戦争の弾除け歩兵はいわゆる黒人奴隷 武器も槍しか持ってない
ナポレオン時代は自由市民と傭兵の戦いだから良く分からんが
当時は連射も3発くらいしかできないし吶喊突撃の間合いでも計ってるんじゃ
>>209 「マスケットの頃は、、、」
を
「マッチロックの頃は、、、」
に変えたら正しい。
17世紀後半から終わりまでに急にピッチで普及し槍手を駆逐した。その頃はマッチロックからフリントロックへの移行時期でもある。
>>210 その頃はまだ良かったが、機関銃が出現した第一次大戦になっても
突撃を繰り返した馬鹿な(イギリス?の)指揮官がいたため、膨大な犠牲者が出た。
>>210 プロイセンとかだと敵よりも士官の鞭が怖くて隊列を崩さなかったとか。
ナポレオン戦争なら、多分教科書で言うナショナリズムの高揚ってやつなんじゃね?
まぁ実際当時の銃は距離が遠かったり数が少ないと余り効果が無かったらしいから、
撃たれてもビクビクするよりも堂々と距離を詰めて一斉射撃した方が生き残る確率は
高かったのかも知れない。
だがグレイプショットだけは勘弁な。
>>212 >南北戦争の弾除け歩兵はいわゆる黒人奴隷 武器も槍しか持ってない
あやまれ! 54連隊とショー大佐あやまれ!(AA略
マスケット銃じゃ200人の中隊同士が100mで打ち合って
弾で死ぬのはお互いに1人か2人とかってどっかで聞いたような。
そんなんだから、マスケット銃兵同士の戦闘っては度胸試しなんだね。
びびってくずれたら負け。だから兵士同志でびびる奴はバカにされるし排斥される。
そいつが崩れたせいで隊が敗走すれば自分の身が危ないから。
当然、士官もそれはわかってるからびびって前に進めないような奴は
敵前逃亡として即時銃殺もありだったろう。
南北戦争ではライフル銃になっても同じ戦術をとったので、死にまくり…
映画パトリオットもそんな感じだったよな。
>>214 イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ロシア、オスマン、その他の指揮官たちだ。
>>215 隊列から外れたら士官に射殺される
その時代の野戦で一番危険なのは、隊列の歩調を整えるための軍楽隊
んで、軍楽隊がなくなった後だと、突撃ラッパを吹くヤシが
ものすごく危険だったはず。
なので、日清戦争の「死んでもラッパを離しませんでした」
っていうのが美談として語られる。
まあ徴募兵とはいっても無理やり集められてきた農民とか
略奪・強姦だけが楽しみの無頼漢などの寄せ集め集団に戦争を
やらせるわけだからあの方法しかなかったんだろうな。
もっとも、一斉射撃とはいっても、実際に発砲していたのは二割くらいで
あとは撃ってるふりをしていたという調査結果もある。
最大23回も装填されっぱなしで発砲されてない銃も見つかっている
ナポレオン時代のある武官が敵の死体から計算した数字によると
実戦で100VS100で撃ちあって一回の斉射あたり致死率は3%程度
弾道学知ってる猟兵とかにライフルで狙撃させて100メートル先の騎兵大の的に命中するのが50%程度
しかも現場の歩兵は暴発が怖くて火薬を少なく装填したりしていたので・・・
つまり元々かなり精度悪い銃に半端に火薬積めて敵の方向に適当に筒向けて遠くから撃つから まあ、全然あたらないと・・・
家康も若い頃銃で撃たれたみたいだけど、伝統的な鎧で弾を食い止められたらしいな。
226 :
世界@名無史さん:2007/06/27(水) 22:04:29 0
ナポレオン時代って18世紀ですよね?その当時ですら銃の性能はそんなものだったのですか・・
ミニエの原理が発明されて以降の進化が異常すぎるんだよ。
>>226 点火方式はマッチロック(火縄)からフリントロック(火打ち石)にかわっただけ。
利点は火縄を携帯しなくて良くなったくらいで、フリントロックによる点火は火縄より信頼性が低いから不発率は上がっている。
平滑の先ごめ銃身と鉛の円弾はおなじだから射程や命中率も進歩なし、むしろフリントロックは強いスプリングで
火打ち石を鉄に激突させて火花を生じ着火するので、その際の衝撃が精密射撃には不利。
反面発射速度はペーパーカートリッジ(一射撃分の弾丸、火薬を紙で包んだもの)の考案により向上している。
となると長篠の戦いは一体・・・種子島500丁だっけ?
>>226 19世紀にめちゃくちゃ進んで、20世紀初頭以降は全然進んでいないともいえる。
なんせ、軍の制式拳銃はWW1の頃からほとんど変わっていなかったりするわけだし。
性能的には変わってない。製造コストや素材は向上してるけど。
232 :
世界@名無史さん:2007/06/28(木) 08:36:44 0
フリントロック銃は東アジアでは普及しなかったんでしょうか
>>230 いや軍が使うのは基本的に小銃だろ。拳銃はあくまでサブウェポン。
こっちもボルトアクション式以降は機構的な進化はフルオートぐらいだが。
むしろアサルトライフルなんか威力よりは取り回しのよさのほうが重視されてるな。
他に20世紀以降にできたカテゴリとしては短機関銃とかPDWとかあるな。
あとまあ弾丸なんかもいろいろと改良されて体内で横転して威力を上げるようなのもあるし。
>>233 機関銃だって重機関銃はブローニングM2から70年進化してないし。
>>233 230じゃないけれど、
サブウェポンで用途が限定的だから進化が止まったんじゃ無いか?
小銃はWWUでブローバックを取り入れたり、
それ以降も口径の思考錯誤があったり結構変化してる。
それもAK74あたりが最終進化形のように思うけどな。
そのうちに火薬以外のモノを使う銃が出てきて、
ブレイクスルーするんだろうな。
そういやイギリスかどこかが液体火薬使う銃を使ってたはずだが普及したと言う話を聞かないのはなぜでしょう?故障が多いから?カートリッジが携帯に向かないから?
237 :
世界@名無史さん:2007/06/28(木) 16:48:41 0
支那の金の使う大砲はどんな感じだったんですか?史上初の火薬を使った兵器ですよね
>>235 自動小銃にしても確かにAK74あたりで最終進化形だけど、
AK47やその元ネタのStG44の時点でほぼ完成しているとみても間違いないかと。
口径の変移はあるけど、本質的なことではないし。
まあ、1940年代は20世紀初頭とはとてもいえないけどね。
ドイツH&K社がケースレス弾(薬莢のない弾丸)を使うH&K G11 を1989年に
開発したけどコストが高い、火薬が剥き出しなので湿気に弱い、薬室が
過熱状態だと装填直後に発火するといったような欠点を最後まで克服できず
結局ポシャってる。
>>237 聞いたこと無いな。"砲"(いわゆる投石機)か震天雷の間違いじゃない?
元末にはあったようだがそれ以前は知らない
宋のころにロケット兵器があったろ
あと竹の銃身に石と火薬詰めて発射するやつとか
アヘン戦争のイギリス人が 清のロケット弾は2発に一発がは自分達の方に戻って行っていた
とか何とか書いてるけど 8割くらい誇張としても大して怖く無かったみたいだね
17世紀そのままの兵器対最新式の高性能榴弾砲(砲弾が炸裂、人馬を殺傷する)では
ハナから勝負にならんわな
246 :
世界@名無史さん:2007/06/29(金) 18:43:55 0
>>245 >最新式の高性能榴弾砲(砲弾が炸裂、人馬を殺傷する)
アヘン戦争では未だ使われてなかったはず。
247 :
たくあん:2007/06/29(金) 19:03:54 0
スナイパーライフル(狙撃銃)はレオナルド・ダ・ヴィンチが始めに発明したらしいです
彼は教皇軍の軍事総監督に就任していた頃、精度を高めた歩兵銃に小型の望遠鏡を取り付け、それを用いて城壁から敵兵を狙撃していたそうですね。
248 :
245:2007/06/29(金) 19:32:14 0
250 :
245:2007/06/29(金) 19:57:20 0
(榴弾砲が)アヘン戦争では未だ使われてなかったはず。>
風雲児たちの描写では・・・
秋帆は遠山金四郎と一献を傾ける。「問題は榴弾砲です。これは大砲そのものより、弾丸が問題です。弾丸がこれまでの鉄玉と違い、
爆裂弾となっているのです」「なに。爆裂弾なんかにしたら、大砲がまず爆発するだろうに」「それを改良したから、新兵器バいうたい」
「大砲とは城壁を打ち砕いたり、家事を起こすのが目的で、人間を殺す兵器じゃなかったんだが」「これまで直撃弾をくらって死ぬのは
よっぽど運の悪いやつでした。榴弾砲の出現で戦争そのものが変わりました。ですからアヘン戦争で、イギリスが劇的に大勝利するのは当然なのです」
253 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 01:25:41 0
「世界銃砲史」に、文禄の役だか慶長の役だかで日本軍が立て篭もった城に
爆裂砲弾が撃ち込まれて、「変な弾が落ちてきた」と集まってきたところで
ドカーンといって大勢が死んだとかいう話が載ってたような。
>>250 小説や漫画を話のタネにするんならともかく、典拠にするようじゃ鼻で笑われても仕方ないぞ。
>>253 ということは、わざわざ怪しむような形状だったってことだよな。
焙烙火矢ってのもあるから、榴弾というものを想像できなかったので引っかかったとも考えがたい。
万人敵(木枠に入った焼夷弾)か何かか?
「風雲児たち」に限ってはソースにする価値は十分あるかと
256 :
世界@名無史さん:2007/06/30(土) 17:29:53 0
やっぱモンゴル帝国は騎兵で世界最大の帝国を築いたんじゃないんだよ。
火薬によって、あの広大な版図を得たんだよ。
258 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 22:07:45 0
騎兵と強力な複合弓程度で世界最大の帝国を築けるわけがない。
何らかの戦術の大転換があったに違いない。
それは馬を複数操るとか、情報戦と得意としたといような過去にあった戦術の強化や延長程度じゃ済まされない
ものすごい大変化があったと思うから。
現在は欧州中心史観によってモンゴル帝国は過小評価されているから、
そういった研究が軽んじられ、見つからないだけなのかもしれない。
要するに史実的な根拠はない。
そうか?今のモンゴル帝国の評価は妥当だと思うけど
軍事力や、経済の繁栄は5だとしても
文化面の評価が赤点だから
今の評価で妥当だよ
軍隊を駐留してる地域も勢力圏として版図に加えれば
人口、領土、軍事力、技術、学問、文化面も含めて
総合的に見るとアメリカ帝國が史上最強
反論は認めないそうですよ。
>要するに史実的な根拠はない。
261 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 01:43:01 0
さあこれから教科書丸暗記のクイズ王が薀蓄たれますよ
とりあえずモンゴルスレいっぱいあるからそっちで頼む
昨年、佐倉の歴博でやった鉄砲展で、
長さ10mぐらいある、朝鮮出兵時に使われたという大火縄銃見た人いますか?
>騎兵と強力な複合弓程度で世界最大の帝国を築けるわけがない
思い込み
モンゴルというか騎馬民族の「軍事国家」ぶりは凄いよ
征服をするために生まれてきたんじゃないかと思うほどだ。
騎馬民族=戦闘民族
まともにやったら普通の国家が勝てるわけがない。
しかし騎馬民族はまとまりがなく抗争を繰り返していた
265 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 06:47:16 0
そんなに軍事力がすごいならモンゴル以前に世界はすべて騎馬民族になってるな。
「あぶみ」の普及によって騎兵の戦闘力が質量ともに向上したところに
大規模な歩兵を動員できる帝国の衰退期が重なった結果
少人数でも多くの地域を制圧できる「騎兵の時代」がやってきた。
その後、欧州は長柄兵器と飛び道具の組み合わせによる
歩兵の対騎兵戦術が再確立することで騎兵の猛威は一段落するが
イングランドの長弓兵みたいな特殊訓練が必要でない
「銃」の普及こそがそれを確定させたんだと思うが
コストパフォーマンスの悪さで騎士みたいな重装騎兵は近世にはすたれたが、
騎兵自体は塹壕と機関砲に止めを刺された日露戦争〜第一次世界大戦までは
重要な戦力だったがな。
むしろ機動と打撃に必要とされた馬の能力が、機械力で代替できるようになった事の方が大きいのでは?
>>269 騎兵といっても重騎兵と軽騎兵じゃ役割も戦術も違うからねえ
機甲戦術はまた別でしょ
>>266 >「あぶみ」の普及によって騎兵の戦闘力が質量ともに向上したところに
>大規模な歩兵を動員できる帝国の衰退期が重なった結果
後漢も西ローマも鐙の普及前に滅んでますが。
「帝国が滅んだ後、鐙が普及した結果…」とでもすべきだろう。
>>268 >コストパフォーマンスの悪さで騎士みたいな重装騎兵は近世にはすたれたが、
それよりより、鎧が銃の前に無力になったからという方が大きいだろう。
コストが高いのは昔も同じだったのだから。
コスト面での変遷なら魏晋南北朝の重騎兵から唐の軽騎兵の方がいいモデルになる。
>>270 WWIの頃にはもう重騎兵も軽騎兵もないだろ。
>>258 >現在は欧州中心史観によってモンゴル帝国は過小評価されているから、
>そういった研究が軽んじられ、見つからないだけなのかもしれない。
モンゴル帝国マンセーの杉山正明でさえ戦術の大転換があったなんて書いてないが
>>265 >そんなに軍事力がすごいならモンゴル以前に世界はすべて騎馬民族になってるな。
内陸アジアのステップ地帯でないとあんな大量の馬を用意するのは無理だ。
というか君は銃火器のどの辺が弓矢より優れていたと思ってるわけ?
ヨーロッパの重騎兵衰退の直接原因はピストル騎兵だよね?
騎兵と複合弓なめんな。というかその程度で蹴散らされる世界状況だったんだよ。
中国ば南北分裂してる上に手ごわい方の金も文弱化してたころだし
ヨーロッパはまだ騎乗槍試合の延長みたいな戦争してたころだしな。
どっちかいうと、あの時代に指揮系統の確立できてたのが
モンゴル軍ぐらいだったという気がしてならんが。
たられば言い出すと、全盛期の宋とかイスラム帝国と
ぶつかってたら、あそこまで勢力伸びてなかっただろうけど。
275 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 06:49:03 0
モンゴル帝国なんてたいしたことないよ。なんにも生み出していないし世界には
なんの影響も与えていない。それにくらべたら大航海時代以降の欧州のが100倍すごい。
白人はなにをやっても成功する最高の人種。
>>なんにも生み出していないし世界にはなんの影響も与えていない。
ダウト
イスラーム圏の一部を攻略。いつものようにそこに住む人たちを利用して、交易路を開拓…
イスラーム圏からしてみると、モンゴルの力を利用して極東までの交易ルートの再構築をして
後々のアジア圏へのイスラームの浸透と交易による莫大な利益を生み出す遠因になっている。
モンゴル崩壊後も交易ルートは生き続ける結果となっている。
大航海時代は、イスラームが独占していた交易ルートを何とかしようとして起こったことなので
まぁ、大航海時代と同程度の影響はあったと見るべき。
古代から文明の中心地は中東だしね。ヨーロッパ圏に移ったのはほんの最近だよ。
277 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 11:54:35 0
ビザンチンを欧州とみればそんなに最近でもない
中東はモンゴル侵入以後むしろ衰退にむかっていくんだけどな
確かにヨーロッパから極東まで世界が広がったのは大きいことだが
中東はモンゴル侵入による不利益も大きいよ
絶え間ない遊牧民の侵入でメソポタミア地域はぼろぼろだし
モンゴルによって利益を得たのはむしろヨーロッパかもしれん
ちょうど12世紀を境にイスラム文化は停滞しはじめ
ヨーロッパは逆に発展していくからね
279 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 13:32:26 0
オスマン帝国・・
俺は中東と書いてるからオスマンは入らない
オスマンの中心部はギリシャとアナトリアで
ビザンツの後継国家だ
学問や技術方面に関してはずっとヨーロッパに頼ってたし
現にオスマン時代に偉大な学者は一人もいない
文化面で後世への影響はチューリップとトルコ風呂だけだ
イスラム文化の最盛期は9世紀から11世紀だよ
この時代の文化は独自性があるし後世への影響力が大きいからな
>>278 従来はそのように言われていたけどな。
アッバース朝衰退の11世紀から近代西欧の影響が決定的になる18世紀までは
イスラーム圏の拡大と成熟期と言われている。
十字軍遠征や大航海時代そのものがイスラーム世界の富と文化に対する反応に他ならないと言われている。
>>276が書いてあるようにモンゴルの侵入がイスラームのアジア圏への拡大の原因となっている。
実際この時期はイベリア半島を除いてはイスラーム圏の拡大は続いている。
15世紀にはヨーロッパキリスト教圏と東アジア儒教地域、インド中部以南を除いて
ユーラシア全土がイスラーム圏と言ってよい状況下にあった。
そして16世紀には、イスラーム圏は第2のピークを迎えることになる。
インドのムガル帝国、イランのサファヴィー朝、そしてオスマン帝国。
ムガル帝国とサファヴィー朝はモンゴル系ハーン諸国から起こったものだし、
オスマン帝国のきっかけはモンゴルの侵入が元になっている。
従来まではモンゴルの侵入で大ダメージを受けたという説が多かったけど、
現在ではむしろ発展に寄与していると考えられている。
そもそも中東域は遊牧民達が多いし、民族の移動も頻繁だし、
イスラームは人や物、文化の流入に寛容だからして、あまりダメージは受けとらんのよ。
>オスマンの中心部はギリシャとアナトリアでビザンツの後継国家だ
それをいったらビザンティンは古代ローマ帝国の片割れで、
ローマ帝国が支配するまではギリシャのアレキサンドロスの支配下で
その前はペルシャ帝国だ。
そしてイスラーム圏の文明はペルシャ帝国をはじめとする中東の交易・都市国家文明の直系だよ。
ローマ帝国時代も経済と文化の中心地は中東域だし、3世紀以降は政治的中心もここに移った。
ビザンティンが長続きしたのは中東文明のおかげ。
//
極端な見方をするとローマ帝国も中東の帝国、と見ることが出来る。
と、アラブ・イスラーム史専攻のある大学の教授が言うとった。
はいはい君がどう言おうと
12世紀以後イスラム文化が衰退したのは確定的事実
有名なイスラム学者はだいたい9世紀から11世紀に集中していて
14世紀を最後にイスラム圏の偉大な学者は一人もいなくなる
逆に12世紀に西洋では12世紀ルネサンスや商業革命が起こり
14世紀に技術革新がはじまる
ローマは地中海の帝國だよ
それにアナトリアやギリシャは中東とはいわない
だからモンゴルの侵入でメソポタミアやシリアはダメージ受けて
その後この地域は政治的中心じゃない
現に中心は一時的にエジプト
その後アナトリアに移っただろう
遊牧民や十字軍のの侵入で中央部がダメージ受けたのは確かだろう
それとビザンツとオスマンは非常に良く似ている
まぁ当たり前だけど
どっちも軍事的、政治的に強国だったが
文化は単なる過去の継承でオリジナリティのあるものを全然生み出さない
スレ違いなのここまでにしておく
>>281 バーナードルイスも本で同じようなこと書いていた。
ただしバグダッドだけは破壊されて元の繁栄を取り戻すことはなかった。
イラン南部も降伏したので破壊は免れた。
>>インドのムガル帝国、イランのサファヴィー朝、そしてオスマン帝国。
ムガル帝国とサファヴィー朝
どれも後世に文化の影響がほとんどない国ばっかだな
富はあったかもしれないが学問がないからな
288 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 18:54:19 O
絶対王政はヨーロッパのオスマン化だろ
いいから、スレタイから完全に逸脱した話続けたいなら適切なスレに移動してやれ。
>>なんにも生み出していないし世界にはなんの影響も与えていない。
信用通貨制度
現在の世界において商業行為はいまだに金と銀で決済されているんですかァ?
291 :
世界@名無史さん:2007/07/04(水) 22:41:13 0
イギリスの主力銃
エンフィールドP1853(1853年)
スナイドル・エンフィールド(1866年)
マルティニ・ヘンリー(1871年)
リー・メトフォード(1889年)
マガジン・リー・エンフィールド(1895年)
ショートマガジン・リー・エンフィールド(1903年)
リー・エンフィールドNo.1(1907年)
リー・エンフィールドNo.4(1941年)
L1A1(1950年前後)=ベルギー製FN-FAL
L85(1985年)
292 :
世界@名無史さん:2007/07/05(木) 02:04:45 0
>>290ウィキだと現在の信用制度はイギリスが起源となってたよ
芝辻砲って鍛鉄て書いてあるには
ハンマーでぶったたいて作ったんだろうけど
こんなデカい筒状のものどうやって作ったの?
294 :
世界@名無史さん:2007/07/05(木) 20:33:08 0
ドイツの主力銃
ドライゼM41(1848年)
ドライゼM1862(1862年)
モーゼルM71(1871年)
モーゼルGew88(1888年)
モーゼルGew98(1898年)
モーゼルkar98(1935年)
↓西独の主力銃
G1(1950年代)=ベルギー製FN-FAL
H&K G3(1964年)
H&K G36(1995年)
フランスの主力銃
シャスポーM1866(1866年)
グラーM1874(1874年)
ルベルM1886(1886年)
ベルティエM1907/15M16(1916年)
MAS36(1936年、ただし主力銃となったのは第二次大戦後)
MAS49/54(1950年代)
FA-MAS(1977年)
295 :
世界@名無史さん:2007/07/05(木) 22:27:57 0
>>293 ほうとう麺のように平べったく細長い鉄板を、芯棒に何回も巻きつけて作ったとか。
鉄のバームクーヘンだな。
296 :
世界@名無史さん:2007/07/06(金) 01:53:22 0
297 :
世界@名無史さん:2007/07/06(金) 03:01:03 0
支那すげえええええええええ!!!!!!
>>295 ありがとう。なんとなくイメージできますた。
>>254 『懲録』に記されている「震天雷」のことでしょう。
日本兵が集まって見ていたところ、突然爆発したということも、この本に出ています。
古くは『金史』にその威力が記されていますが、蒙古襲来の際に使用された「てつはう」
というのもこれであったらしい。
『八幡愚童訓』や『太平記』に、鉄の玉が鞠のように転がってきたかと思うと、突然爆
発して周囲に火を撒き散らしたという記事があります。
『蒙古襲来絵詞』に描かれている爆発している鉄の玉は、江戸時代に書き加えられたも
のですが。
なお、『信長公記』には、毛利水軍がほうろくを使用したと書かれていますが、毛利側
の記録には登場しておらず、件の「鉄船」も、ほうろく対策だったのか疑われています。
301 :
世界@名無史さん:2007/07/07(土) 01:28:00 0
>>300 そりゃ焙烙弾を使ったのは毛利水軍じゃなくて村上水軍だからね。
302 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 23:29:23 0
倭寇が明から火器を略奪したり輸入したりしたことはなかったんだろうか。
海賊ならば欲しいだろうに。
303 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 03:03:45 0
とりあえず倭寇は無敵だったから火器とか不要だったんじゃね?
明の正規軍と戦争するわけじゃないしね。
恐らく偵察なり内通者の手引きで守備の薄い都市を襲ってたんだろうし。
平和的に取引できる場合は商人として経済活動してたらしいからね。
明が鎖国なんてしなければ倭寇も発生しなかったわけだ。
>明が鎖国なんてしなければ
元末からすでに華北へ食糧を輸送する船を襲ってたらしい。
882:2007/06/27(水) 04:23:00 ID:hRoquAxv0
高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め
膨大な非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
この無用の残虐行為は主将の「金方慶」の性格、残虐無慈悲な朝鮮人の
民族性によるとの事である。
元軍は島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴を
あけて綱を通し船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。家屋は焼き
尽くされ、家畜の被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。」
「ムクリ・コクリ」が来る、と言うと泣く子も黙ると言われたほど、
その残虐な行為は壱岐・対馬・北九州の人達に恐怖感を植えつけています。
ムクリー蒙古―元、コクリー高麗のことです。「蒙古トハ異国ムクリノ事
也」(『沙汰未練書』)というようにムクリが通用していました。
高麗軍と闘った将士がことごとく
戦死すると、敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、捕ら
えては、ことごとく殺しました。中には、命惜しさに愛する我が子を刺
し殺して、逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されまし
た。意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ、縄を通してから、引きずり
回され、後、舷外に吊るされました。(新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)
>>304 それは方国珍などの海上勢力では?あと高麗人とか
307 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 13:35:34 0
>>300 >『信長公記』には、毛利水軍がほうろくを使用したと書かれていますが
『信長公記』には、毛利水軍がほうろく火矢を使用したと書かれている。
なぜ“火矢”を消すんだ。
308 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 15:22:01 O
仏郎機を持ち込んだのは倭冦です
北条氏康が幼いころびびった銃は倭寇とかそっちのほう経由で入ってきたヤツじゃないのか?
>>301 所謂、織田水軍と毛利水軍というくくりの中の毛利です。
来島以外は、因島・能島ともに毛利に仕えていますし。児玉以下も。
>>307 参照した本の校訂者が桑田忠親先生だったのですが、「ほうろく、火矢」と
表記してあったので、気づくのが遅れてしまいました。
「投げ入れ」たということですし、一体になったものでしょう。
近世の記録では、ほうろく火矢とは、木筒ないしは鋳筒で撃つものとされて
いますが、ここでは、『能島家伝』にある、「常のほうろくにかきを付て用」
いるというもののようです。
能島家伝の内容が、どこまで遡れるのか分からないのですが。
>>309 鉄炮伝来について記した『鉄炮記』は、種子島でポルトガル人たちとの間に
立った明人は、「五峯」だったとしていますね。
「五峯」は、倭寇の元締めだった王直の別号ですが、同一人物かという点に
ついては、議論があります。
>北条氏康が幼いころ
浄心の記述のことでしょうか。それは信がおけるか分からないようですが、
『李朝実録』によれば、中宗の時代(16世紀初期)には、「倭船銃筒およ
び長箭を所有す」とあり、『明実録』によれば、洋式の銃が伝わったばかり
の1547年には、福建人が火砲を伝えていたそうです。
あまり記録がありませんが、東洋製の原始的な火砲でしょう。
ただ、倭寇や日本国内の水軍が、いち早く導入していたという決定的な記述
には、乏しいようです。
失礼、浄心が、中国製の「鉄炮」が小田原に伝来したと書いているのは、
氏康が生まれる5年前の永正7年(1510)の話でした。
312 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 21:59:10 0
能島宗家も因島も毛利家に「仕えて」はいないよ。
独立した勢力だよ。
毛利水軍ってのは別に存在します。
ただ織田側から見れば毛利水軍という括りになるのかもね。
313 :
世界@名無史さん:2007/07/13(金) 23:25:43 0
支那が発明した大砲が巡り巡ってイギリスの最新式大砲となって支那を滅ぼすきっかけと
なるわけか。歴史ってのは皮肉だねえ。
>>312 いえ、江戸時代以降の現存する史料の所蔵先のことです。>300からそのつもりで。
地元を始めとした広島・愛媛県内にも相当あるようですが、村上や児玉の文書も『閥
閲録』に入っているのではないかと。170巻全て点検した訳ではなく、>300も
そういう結果が出たと読んだだけですが。
316 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 23:53:43 0
いえ、私の言い方が悪かったですよ。
来島は『閥閲録』に含まれていそうにないのですから、史料の所蔵先として
も「毛利」という言い方は不適切でした(他は入りますが)。
「広義の毛利水軍の内、来島を除く大半の史料が現存する毛利家関係史料の
中には〜と読んだ」と、最初に申し上げるべきでした。申し訳ない。
失礼。
>>300の震天雷ですが、金のそれと李朝のそれとは別物であったよう
で、金のものは手投げ式であったのに対し、李朝のものは李長孫という者が
発明した発射式であったようです。
射出用と爆発用の二種類の点火を行って炸裂弾を射出するということは欧州
でも行われていましたが、その場合、射出用が不発であった時に砲の中で弾
が炸裂してしまう危険性がありました。
朝鮮のものは、射出用の点火を二箇所に分けて安全性を増しています。
ほうらく火矢みたいなものだろうか
320 :
世界@名無史さん:2007/07/27(金) 22:39:11 0
元寇で使われた「てつはう」は回回砲で発射したんだろうな。
カウンターウェイト式でなくても
従来型のロープで引いて飛ばす投石器で充分間に合ったのでは?
323 :
世界@名無史さん:2007/07/28(土) 02:03:51 0
>>321 この辺をみると回回砲が使われてたと思われる。
『元史』世祖本紀
十七年秋七月
使征日本。命範文虎等招集避罪
附宋蒙古、回回等軍
十八年春正月
文虎又請馬二千給禿失忽思軍及回回砲匠
>>322 船に設置してたんじゃないの。
>>323 >附宋蒙古、回回等軍
この「回回」ってウイグル人かムスリムのことだろ。
宋人やモンゴル人、西方などからも軍を集めたって意味だと思うが。
>文虎又請馬二千給禿失忽思軍及回回砲匠
回回砲"匠"だぜ。攻城戦になったとき現地で回回砲を作るつもりだったんだろ。
ところで回回砲が火砲じゃなく投石器ってのはみなさんご存知ですよね・・・?
ほうろくを投射すれば一応は火砲って事になるんじゃね
火薬で飛んでいくのが火砲じゃないかい
室伏が焙烙飛ばしたら人間火砲でもういいけど
>>322 マンジケルトの戦いは野戦だけど、東ローマ(ビザンチン)帝国は
移動に1200名もの人力が必要な巨大サイズの投石機(マンジャニーク)を使ったらしい。
>>328 それって野戦じゃなくて要塞攻略用に曳いていったやつだろ。
事実東ローマ軍は戦いの前にマンジケルトの要塞を落としている。
331 :
世界@名無史さん:2007/07/28(土) 18:08:48 0
>>327 弾薬が炸裂したら手榴弾でも砲かということになるからねぇ。
ちゃんと砲の定義というものがあるらしくて、
たとえばバズーカーは砲ではない。
底が塞がってないから、あれはただの筒になるらしい。
333 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:32:18 0
初めて機関銃を発明したのってフランスの技師だっけ?
それで残酷すぎるとかなんとかで王に怒られたとか。
現在の定義だと 砲は口径4センチ以上とか聞いたような・・・
>333 まあ信長様が鉄砲買い集めた時に近衛兵に銃持たせて銃士隊と呼んで満足してた国ですから
まあ、当時世界中で鉄砲を一番持っていた王様は信長様あたりだけどね
機関銃は1862年(文久2年)に、アメリカのリチャード・ジョーダン・ガトリングが、ガトリング砲発明
>近衛兵に銃持たせて銃士隊と呼んで満足してた
それってどこのオスマントルk
日本に世界一鉄砲があったかもしれない(国別で考えれば)けど、
信長は、長篠の戦いでも1000丁強しかないけど。
フランスの銃士隊が信長と同時代ってのも突っ込んだ方が・・・
ごめ、銃士隊っていつごろだっけ?三銃士の話はルイ13世時代だったよな
設立されたのが江戸時代初期で革命のちょっと前に解散されたはず
341 :
世界@名無史さん:2007/07/29(日) 23:14:57 0
1890年代のホッチキスか?
原型ならもっと前か
もしくは、1884年のイギリスのマキシム
ガトリングじゃないの?
ガトリングガンはマシンガンの原型ではあるが装填・発射・排莢の一連の動作を人力に
頼ってるのでいわゆる自動火器にはあたらない。
金属薬莢の開発改良、発射薬の無煙火薬化によって、反動利用式、ガス圧利用式の
自動火器が出現することになる。
>>319 >>320 少なくとも、日本側の史料には、投石器の描写はありませんね。
それによれば、てつはうというのは、宋代の火器同様、火薬を使っていても、
硫黄・木炭・硝石以外の不純物を混ぜることによって「延焼」させることを
目的としていたもので、後代の黒色火薬のように、「爆発」させていたので
はないようです。
飛んで来た玉が割れて、煙と炎が辺りを包み込んだらしい。
当然、この段階では、筒から爆発で撃ち出すという発想は浮かびません。
現存する最古の銃は、1298年製のものですから、すぐ後の時代ですが。
>>325 宋代の『武経総要』を見てみると、○○砲というのが山ほどでてきています
が、そろいもそろって似たような投石器ですね。
二人一組で放り投げる手砲もありました。
石に包むで砲。本来は筒状ではない武器、投石器のこと。
>>333 ルイ16世が1775年、デュー・ペロンが発明した一度に24発の弾を撃
ち出せる銃を見て、重臣たちと共に「悪党」呼ばわりした話のことですか。
>>347 >少なくとも、日本側の史料には、投石器の描写はありませんね。
てつはうを手投げしたという記録も無い。
>「爆発」させていたのではないようです。
轟音で人馬が驚くんだから爆発してるだろ。
爆燃という概念を推奨したいw
>轟音で人馬が驚くんだから
どの箇所のことですか。「暗く成し、成音闇高れば」でしょうか。
しかし、「太鼓を叩銅鑼を打ち、紙砲鉄砲ヲ放シ時を作る、其の声唱立さに、
日本の馬共驚て進退ならず」というように、馬を驚かせたのは、太鼓や銅鑼
の音、砲が飛んで割れる音、ときの声の総合だったのでしょう。
てつはうの実際の被害は、炎と煙であったようですし。
鉄砲・紙砲は、室町時代の辞書には、鉄製を鉄炮、紙製を紙砲と呼んだとあ
りますから、鉄や紙に包んで点火後、投げたものと思われます。
「あたりてわるる時」と言いますから、地面に落ちて割れた後、周囲に炎を
待ち散らしたのでしょう。
この時「鳴る」音もしたようですが、燃え上がる際の音ではないかと。
私も、「燃える火薬」の再現を見た訳ではないのですが、「焼き殺」された
そうですからね、『武経総要』が記すような油類が内蔵されていたのでは。
>てつはうを手投げしたという記録も無い。
「○○という証拠もない」は便利な言葉ですが、加筆もあるとはいえ『蒙古
襲来絵詞』の船には投石器らしきものがなく、それほど特徴的な武器の記述
がないのは解せないことです。手投げと考えたほうがよいでしょう。
「轟音で人馬が驚くんだから爆発してるだろ」というのは、どの史料のどの
箇所によるものなのですか。
ただ、ロシアあたりでもモンゴルが火器を使用したそうですが、その時の描写
がどんなものであったのか、知りません。
西方の一次史料ではどうなっているのか、ご存知の方がいらっしゃれば、ご教
授願いたいものです。
よく考えたら、紙はともかく、鉄製が、落ちて割れるのもおかしいですね。
鉄砲・紙砲というのが喩えであったのか。そもそも、紙製はともかく、鉄製
であれば、点火はどうなっていたのか(宋代は導火線ではなく、熱した鉄錐
で外皮を切り裂き、落下した時に丁度炎上する仕組)のか。
(それ以前に、日本側は「鉄砲・紙砲」という単語をどこから得たのか)
失礼、元代について、もう少し調べてみる必要がありました。
353 :
世界@名無史さん:2007/08/05(日) 17:11:00 0
>>350 >どの箇所のことですか。
『八幡愚童記』
鉄砲トテ鉄丸ニ火ヲ包ンデ烈シクトバス。
アタリテワルル時、四方ニ火炎ホトバシリテ煙ヲ以テクラマシヌ。
其ノ音甚高ケレバ心ヲ迷ハシ云々。
音で「心ヲ迷ハシ」てるな。
あと、元軍は“てつはう”を「烈シクトバス」とある。
手で投げるなら「投げる」と表現するはずだ。
例えば、信長公記で焙烙を「投げ入れ投げ入れ」と表現している。
「飛ばす」と表現しているのは手で「投げた」のではなく、機械的に「飛ばした」と考えるべきだろう。
354 :
世界@名無史さん:2007/08/05(日) 17:19:59 0
複数の史書には
「我が兵が始めに石つぶてを打ちかけ、次に敵もまたつぶてを飛ばした」
「怪力の小曽根某が敵を引き据えてつぶてとして飛ばした。これには敵味方ともに仰天した」
と石つぶてを「飛ばす」とする表現が数多くあるので、
飛ばすは、手で投げる動作に対しても頻繁に使われてる。
355 :
世界@名無史さん:2007/08/05(日) 18:19:26 0
既に鷹島町沖の水中調査で直径十四センチの「てつはう」が発見されてる。
直径十四センチもあっては手で投げるには大きすぎる。
『武経総要』には「火毬」という「てつはう」と同類の兵器があるが、
これは「砲を以って放つ。」とある。砲とは当然投石機のこと。
弓矢スレで以前話題になっていた
河野六郎通有が左肩を打たれたという「石弓」はどうなんでしょう
>>351 以前モンゴル帝国スレにしたカキコだけど
139 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/08/08(火) 23:57:39 0
ロシアのウラジーミルで矢羽まで総鉄製の巨大な矢が出土していて、
今はクレムリンの武器庫にあるけどモンゴルの攻城兵器から発射された
ものでないかといわれているらしい。
箱根に行くことあったら関所跡に行くといい。江戸時代の武器も展示してる。
カールグスタフみたいな大きい銃もある。
>>853 どうもありがとうございます。「愚童記」というといくつかありますが、こ
こでは、橘守部書写本ですか。
同文は私も参照しましたが、被害が爆発というよりは延焼によるものと思わ
れるのと、少なくとも宋代の火薬には爆発力は期待されておらず、爆発とい
う現象が必要とされた場合には、竹筒に詰めて代えていたことから、音とい
うのも現代人が連想する「爆音」にどこまで近いのか、疑問だと考えました。
蒺藜火毬は、鉄刃を撒き散らすことを期待されていたようですし、その撒き
散らすというのが、落ちた衝撃によるものか、それとも多少なりとも爆発効
果を期待していたのか、気になるところですが。
元代は筒状の銃器が登場する時代で、その少し前ですから、調べてみる必要
はあります。
研究らしい研究が、大正時代には「てつはう」説の分類が出ているのに、昭
和までしかないようなので、答えがはっきりしないで申し訳ありません。
昭和35年の荒川秀俊論文は、爆弾説(⇔焼夷弾説)を否定して、砲身の利
用は技術的に考えがたく、カタパルトの使用も彼我の文書からは検出されな
いことから、残るは人力による投擲(焼夷弾)となるが、「槍を安定桿とし
たロケットとして推進された焼夷弾まがいのもの」としていますね。
(当時の火薬に推進力があったのか、疑問ですが。宋代には竹竿にひっかけ
て、しならせた竹の反動で飛ばしています)
これに対する反論も調べたいのですが、まだ出てきていません。
最近『戦争の日本史』も出ていますが、あまり参考にならないようです。
>>355 沈没船から見つかった球状の物体で、陶製でしたね。
直接手で放り投げるのではなく、ほうろく火矢のように、紐を利用して放り
投げるのであれば、出来ない大きさでもないと思いますが。
逆に、片手で放り投げられる程度だと、威力が危ぶまれる。
>火毬
手砲も同書に記述がありますし、重量もものによっては5斤+aで、人力で
は不可能というほどでもないのでは。
360 :
世界@名無史さん:2007/08/05(日) 23:16:44 0
てっきり、投石器(スリング)を使っていたんだと思っていた。
原始的な手榴弾の投擲は、近世までゴリアテを倒したダビデが使っていたのと
同じタイプの投石器で発射というか、勢いを付けて投げるのが一般的。
つか、手投げじゃ30mとかそんなもんでしょ。着発信管じゃないんだし、近代の
塹壕戦以外じゃほとんど役に立たない。
1930年代のスペイン内戦での市街戦のフィルムにも投石器と手榴弾の組み合
わせの攻撃が残っている。
「日本の合戦武具事典」で石弓について書いてたと思ったので読み返してみたが
立ち木をしならせて反発力で石を飛ばすものとか、城壁から吊り下げた岩を落とす
仕掛けを指すとかいっててよく分からなかった。
近世には宝禄火矢を石弓で飛ばしたとか興味深い記述があったがソースは不明。
362 :
世界@名無史さん:2007/08/06(月) 09:38:17 0
以前ロシア人の著者による中世ロシアの城砦建築についての本を読んだら
モンゴル軍が回回砲以前の人力による投石器で、火と煙を噴いて飛ぶ弾体を
発射しているイラストがあったけど、本文中にソースや解説の記載がなかった。
ただモンゴル以前に南ロシアを支配していたポロヴェツ人は「彼等の中に活ける火を
發射する回教徒あり。その弓は自動的に發射する仕組みにして、男子五十人力
にして辛うじて引き張ることを得るなり」というような兵器を使用していたので
ポロヴェツ人を取り込んだモンゴル軍にも使用された可能性はあるのかも。
>>359 石弓=小型の投石具
てつはうの飛ばし方=手投げ(縄つき)
別々の武器について述べたもので、矛盾はしていないと思いますが。
あれから、突火槍や霹靂砲などについて調べてみたのですが、『金史』の震
天雷の説明をよく見てみると、「其声如雷、聞百里外」とあり、「人与牛皮
皆砕迸無迹」とありますから、爆発力があったようです。
前掲の荒川論文にも引用されていたのに、見落としていたという馬鹿な次第。
初見は1232年、金の滅亡する2年前ですが、火器に延焼力を期待する傾
向はこの世紀中は続くようですが、この頃になると火薬もベトベトしていた
ものの中から、粉状のものが出現し、筒型兵器に繋がるようです。
364 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 01:44:26 0
宋(九七九〜一二〇六)代には火薬の武器への転用が進み、一〇四五年に書か
れた『武経総要』には、「火毬類」として八種類もの火器が紹介されている。
初期の火器は、鉄球に火薬を詰めて導火線で発火させて投石器で発射するとい
う、爆弾のようなものであった。一二七四年に元(モンゴル)軍が日本に襲来
した際、投石器で鉄の火毬を撃ち込んだという記述がある。これが「てっはう」
と書かれたもので、日本史に登場した最初の火器である。
http://ghibli-fc.net/rabo/monoke_yo/yomitoku23.html
365 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 07:14:04 0
火薬の起源は古代ギリシャニダ
インドだよ。
アレクサンダー大王の軍隊が火器で撃退されている。
ギリシャ火薬は原油に石灰・燐化カルシウムを混合した焼夷剤で後のGUN POWDERとは違う。
ビザンチン帝国は手押しポンプを使って火炎放射器を開発。
コンスタンチノープル攻防戦、とくに海上戦闘で大いに威力を発揮しサラセン人の艦隊を焼き払った。
十字軍時代にはムスリム側が投石器で飛ばす焼夷兵器もギリシャ火とか呼ばれててややこしい。
なんでもかんでも「古代ギリシア起源」ってか。
・・あれどこかの国に似てる
>>369 中世だよ。
当のギリシャ人は「ギリシャ火」と呼んでないし。
俺昔から思うんだけど スリングって超お手軽で強力な武器だよな
犯罪や喧嘩で使われないのが不思議だぜ
少数対少数の戦いで有効に敵に当てようとするとそれなりに訓練しないとダメだからじゃね?
暴動と呼べる規模なんかだと手ぬぐい使った投石とか結構頻繁に使われてた気がするが。
374 :
世界@名無史さん:2007/08/10(金) 21:08:46 0
>>363 元軍に投石機があったのに「てつはう」の投射には使わなかったってか?
>>374 そもそも野戦で投石機なんてそうそう使うもんじゃない。
グラディエーターではローマ軍がゲルマン軍との野戦で投石機使ってたな。
377 :
世界@名無史さん:2007/08/11(土) 01:44:30 0
アルキメデスが凹面鏡を使ってローマ軍船を焼いたという伝説を
以前ディスカバリーchで実際に検証していたが、いくらやっても焼ける気配すらなかった。
荒海を越える船の上に大型兵器を据え付けたというのか?
アレキサンダーは双胴船に投石器のっけたけどね。
近海だけど。
>>379 地中海も外洋に比べれば十分穏やかだとは思う
382 :
世界@名無史さん:2007/08/25(土) 10:18:37 0
古代ローマ軍もバリスタや投石器を載せた軍船を
ユーフラテス河での作戦で使ってたような
>>374 持ち込まれた気配がなく、仮に持ち込んだとしても、船に搭載すると数に限
りがあり、そこまでして持ち込まれたのか、疑問でしたので。
>364のリンク先も、「石火矢」の説明など、怪しいところがあります。
種子島への鉄炮伝来前後の火器使用としては、
1445年 『李朝実録』、この頃日本人は「火砲」を中国人から学んで習
得していたものの、硝石を自力で生産出来ず、「火気」も盛ん
ではなかったとする。
1466年 琉球よりの使節、「鉄放一両声」を放つ。
1468年 細川軍、「火槍」を装備。
1509年 『李朝実録』、「倭船」の「銃筒」装備を伝える。
1547年 『李朝実録』、「倭奴」が福建人から「火砲」を習得したとする。
同年 『明実録』、↑とほぼ同じ内容を伝える。
1551年 梅霖守龍、周防へ下向する際、海賊相手の「鉄炮」使用を見る。
あたりがざっと浮かびますが、「鉄砲伝来」以前の兵器を「石火矢」とした例
が見当たらず、「もののけ姫」の内容を辿った根拠が不明です。
『李朝実録』なども後世の編纂物ですが、それにしても後世の編纂物、それも
俗書からの引用例が多いのも気になりますね。
永禄年間のものと推定される足利義輝から大友宗麟宛ての礼状に「石火矢并種
子嶋筒」を受け取ったとありますが、その頃「石火矢」がどう思われていたの
か、よく知られていたのかといったことまでは、分かりません。
慶長年間以降になると、「石火矢」の登場例も増しており、少なくともその時
代には、通常の「鉄炮」よりも大型の銃器を指していたようですが。
種子島に伝来した「鉄砲」以前の銃器の総称とした根拠が分かりません。
(通常、鉄砲は「鉄炮」と書かれ、「種子島」とは書かれなかったようです。
偽文書とは思えませんが、伝来直後に「種子島の筒」としたものでしょうか。
すると、筒型の銃器という概念自体には慣れていたものか)
元末明初あたりの銅銃が日本に伝わっても果たして役に立ったかどうか。
下手すると鎖帷子でも防げるような威力だったらしいし。
俺の友達に戦国オタがいて
「刀は銃よりも構造が難しいんだぞ」とかほざいてるのだが
>>385 鉄の構造だけでみると、硬鉄を軟鉄を挟んでとかややこしいことしてるから
一概に間違いとはいえない。ただ、そういうときは一言いってやるんだ。
「だからどうした」
>>385 俺は同意する
刀は銃よりはるかに複雑怪奇でフェティッシュなもの
388 :
世界@名無史さん:2007/08/26(日) 17:02:34 0
389 :
世界@名無史さん:2007/08/26(日) 17:04:29 0
低学歴は日本刀を何が何でも神聖にしたがるから
そうだね日本刀凄いよねとか言って持ち上げとけ
そもそも複雑な構造より簡単な構造の方が
生産性・メンテナンス性・耐久性で優秀な武器だろう。。
でも威力や習熟難易度や価格、運用面やランニングコストまで考慮しないとさ
「ルーミ銃の銃身を日本刀で両断できるか」
・・・はいスルーして次の話題
お前がな
>>389 「給禿失忽思軍」の下りがよく分からなかったのですが、フビライが「戦船
安用此」と疑問を発したにも拘らず、「皆不従」となったとありますね。
「皆不従」で収まったというのが、少々意外ですが。どうもどの文章も短過
ぎて、何を考えていたのか分かり難い。
時期的にも地理的にも、回回砲が文永の役に用いられたとは考えられず、出
て来るとすれば弘安の役、それも江南軍の装備ですが、鷹島の南沖から、江
南軍の将のものと思われる印や陶器などと並んで、回回砲のものかと推測さ
れる球形の石が引き揚げられていました。
実際に陸上や船上で使用されることはなかったので、持ち込まれた形跡がな
いとしてしまいましたが、どうやら(おそらくは一旦解体した状態で)積荷
として石弾と共に持ち込んだものの、活かす機会がないままに北九州沖に停
泊を続け、鷹島沖に沈んだもののようです。失礼致しました。
フビライの危惧通り(この後も持ち込もうとはしていたようですし、沈んだ
後で付け加えられた記述では、と言うのはうがち過ぎか)、船の荷を増した
だけであったということでしょうか。
第三次の計画の際にも、回回砲の砲手が配備されたようですね。征東行省に
まで回回砲の職人が派遣されている。
>回回砲のものかと推測される球形の石
よく知らないけど石弾から投石器の種類まで分かるものなんだろうか。
397 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 13:49:24 0
以前読んだオスプレイ・メンアットアームズのイラストで、
中世のロシア兵が指火式の銃を城壁の石落としから
真下に向けて撃とうとしている絵があったんですけど
装填した弾がポロっと落ちたりしないんでしょうか。
398 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 15:29:58 0
ホイホイ砲て直訳すると「イスラムの大砲」って意味?
いいのか、ホイホイついてk(ry
>>397 おくりを詰めてたんじゃないの?
マスケ銃ならそうするだろ。
大して難しい工夫とも思えんし、やってたのでは。
401 :
世界@名無史さん:2007/08/29(水) 01:50:49 0
>>400 すいません、「おくり」って何ですか? 検索してもよく分からなかった・・・
マスケットではなかったです。もっと古いマッチロック機構もないような銃。
前装銃の弾はさく仗で押し込んであるのでそう簡単には落ちないだろ
さく仗→さく杖
>>401 おくり……詰め物だね。
マスケ銃なんかだと、薬包を巻いていた油紙なんかをそのまま巻きつけて、遊隙をなくしたり。
上で書いたのは、こんな簡単な原理がマスケ銃で使われていたのだから、
それ以前のハンドガンなんかでも普通にそうやってたんじゃね? ということ。
簡単な原理でも中々実用に至らないものってあるじゃん
銃剣とか
>>404 詰め物ですか。ありがとうございます。
発射の際には燃えて無くなったりするのですか?
>油紙
燃えると思うが。
>>407 携行時の防水処置が主目的じゃないのか?>油
セポイの乱のときも、その油の出所が紛争の火種の一つになったような。
というか銃口へ突っ込むんだから、むしろ燃えなきゃ困るというか。
実包の包装紙について、誰か詳しい人いたら補足ヨロ
>>397 >400が答えてくれてる『おくり(ワッズ)』ってのは本来弾丸と装薬の間に入れるもの。
あんまりその問題には関係しないね。むしろそれを言うなら『パッチ』。
これが弾丸をくるむ紙や布の事。殆ど燃えてしまうものもあれば、全く燃えないものもある。
しかし燃え残ったところで発射時には銃口から飛び出してしまうので問題ない。
さて、装填した前装銃を逆さに向けても弾丸が転げ落ちない理由。
弾丸の外径と銃腔の内径のバランスが、転げ落ちず、なおかつ装填に無理がない程度に作られているから。
押し込む時、若干きついぐらいになっているわけ。柔らかな鉛玉だから、ちょっと大きめでも入っちゃう。
これを『さく杖(ラムロッド)』という棒で、「キューッ!コンコンコン!」と、弾丸を突き込んで装填する。
こうしていっぺん装填してしまえば、逆さ吊りにして馬を疾走させようが、弾丸が転げ落ちたりしない。
当然想像が付く通り、弾丸と銃腔の径はピッタリな程いい。
火薬ガス漏れによるエネルギーロスが少ないから威力も上がる。
弾丸が安定して銃身内を通り抜ければ命中精度も上がる。
さて、ここで一つ問題が。射的競技に使うならともかく、軍用銃は次々に発射と装填をくり返さなければならず、
この速さが場合によっては兵士の命や戦の勝敗をも左右する。
いくら精度や威力が上がるからと言って、あんまり装填がきついと速射ができない。
加えて黒色火薬は盛大に銃腔を汚してしまうので、発射数が増える毎にどんどん装填がきつくなる。
戦闘中に銃腔を掃除している余裕なんかない。…で。
本来、銃腔と銃身の径をピッタリ合わせるだけなら、なにも紙や布でくるむ必要はなかった。
これは前述の「精度や威力は欲しいけど、装填も楽に出来なきゃいけない」という矛盾を回避する工夫。
弾丸と銃腔の関係を若干ゆるめに作っておいて、紙や布で隙間を埋めるようにすれば、
両要素をそこそこ満足させられる。当然、弾丸が転げ落ちてしまう事も防げる。
ただし、これらはあくまで兵士が正しい装填を行っての場合。
うっかり者や慌て者はミスも犯し、『さく丈』できちんと突き込まないで発射してしまう事も。
すると音だけは盛大だが、全く威力のない弾が「ぽとん」と出る結果に。
これが『兵六玉』という言葉になった。
さあ、これを防ぐ(フールプルーフ)にはどうするか?ここで『紙薬包(ペーパーカートリッジ)』
が発明される。これは速射性の向上にも役立った。更にこの利点を最大に生かすべく後装銃が普及し…
とまあ今日に至る話は続くけど、あんまり長くなるんでこの辺で。
そうかのう、
連射すると、銃腔は温度が上昇して膨張するので、ユルユルになる。
早盒は打つ順番にあわせて、玉の直径を大きくしたりもしたそうな。
それにの、
一発打つごとに、銃腔内を清掃せんと、火が残っておったら大変じゃ。
>>412 なるほど熱膨張すれば銃腔径は一時的に僅かな拡大をするんだけど、
自動銃でも機関銃でもない時代の話、冷えた後の方がむしろ問題。
その程度の拡張はパッチや鉛弾の柔らかさで吸収できるレベル。
当時の理詰めが必ずしも実効を伴っていたかと言えば、
『銃腔内に銃身軸線と平行な溝を刻んだ』銃が存在した例もある通り。
で、余裕があれば清掃を行うのは当然として、
ニトロソルベントも無い時代、果たして戦場でどれだけの掃除ができるかと言うと、
無煙火薬にせよ黒色火薬にせよ、銃を撃って掃除した経験があれば解る通り、
パッチやブラシでゴシゴシやったぐらいじゃ、カーボンやファウリング(削れた弾丸のこびりつき)は全く取れない。
わずかな未燃焼火薬の滓を掻き出せればめっけもの程度。
だから一発撃つごとに掃除する、なんて習慣が、いつどこで行われてたのか疑問。
とにかく戦闘中は撃ち、一段落して安全になってから整備にかかるのが一般的でないかと。
戦闘中に清掃なんかしていなかった証拠に、ゲティスバーグの戦場では不発に気付かぬまま
23発続けて装填された小銃が発見されてる。
黒色火薬と言えど燃焼は数ミリセコンドの世界。
発射後に銃腔内で火がチロチロ燃えている事はまずありえない。
火薬というのは自身に含まれた酸化剤によって燃焼する物。酸化するか(一瞬に燃えるか)しないか(不発か)
しかありえないんだな。
ペーパーカートリッジは、火薬と弾を紙でソーセージ状に包んだ物であるが、
使用するときは早合と同じように、カートリッジの弾の入ってない側を歯で噛み破って、
中身の火薬を銃口から入れ、そののち弾と残りの紙を?杖で押し込んだ。
そうな
どのへんが、ふーるぷるーふ なんじゃろw
>>414 その単なる「便利な一発分パック」が、「そのまんま装填しちゃったらどうだろね?」に発展したわけ。
前装銃にこれを使おうという試みもなされたものの、やはりこれには後装銃の普及が物を言った。
ちなみに後装銃という発想自体は、『薬筒』の発明以前に実用化されていた。
>これが『兵六玉』という言葉になった。
>さあ、これを防ぐ(フールプルーフ)にはどうするか?ここで『紙薬包(ペーパーカートリッジ)』
へえ、
ヒョウロクダマ を防止するために ペーパーカートリッジ が開発されたんじゃないのか、え?
>>416 しつこいなあ。『ミ−ニエ薬筒』や『エンフィールド薬筒』の原理でもググってみて。
前装薬筒の方だよ。
>>415 確か16〜17Cに仏蘭機って大砲も原始的なカートリッジを使用してたよね。
でも当時は密閉技術の精密さが足りなかったからエネルギーのロスが大きかったとか。
日本語で頼む。
>>418 あ、話のわかる人がw
仏蘭機以前にも15C頃、すでに前装砲と後装砲が平行して発達していたのはちょっと意外。
ファルコネット砲とかエスピンガルダ砲とか。速射性の反面、犠牲にした部分も多かったようで。
>>410 出鱈目言っちゃいかんよ。 なんでミニエの原理が発明されるまでライフルが一般的にならなかったと思ってるんだ。
>>413 >パッチやブラシでゴシゴシやったぐらいじゃ、カーボンやファウリング(削れた弾丸のこびりつき)は全く取れない。
これは毎回やらないからか、マスケット銃の掃除をピッカピッカにするもんだと勘違いしてるかどっちかだね。
当時の黒色火薬が大量に出したススや燃えカスを大雑把に落とすのが、ここでいう掃除なんだよ。
>だから一発撃つごとに掃除する、なんて習慣が、いつどこで行われてたのか疑問。
マウリッツ以前からナポレオン時代までずーっとだよ。
>戦闘中に清掃なんかしていなかった証拠に、ゲティスバーグの戦場では不発に気付かぬまま
>23発続けて装填された小銃が発見されてる。
ゴメン、おじさんどの辺が証拠なんだか全然わかんないや。
>発射後に銃腔内で火がチロチロ燃えている事はまずありえない。
火って、
>>412の言うのは火薬の火種になりかねない高温のススや燃えカスのことだと思うんだけど…w
前装銃は暴発しないってどこの世界からいらっしゃったのですか
一発撃つごとに掃除しなけりゃならないんじゃ、黒色火薬前装リボルバーの存在価値無しだね。
暴発に関しては
構造よりも黒色火薬の問題によるところかでかくね
ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンってどうなん
まあ、一発撃ったら掃除しなきゃいけないとか、火薬カスが熱いから暴発するとかは、
後世の大げさな誤伝が広まったんだろうな。
未燃焼火薬が次弾装填までの何十秒もそんなに高熱を保っていられるわけがないし、
(耳かき一杯の熱湯は何秒で室温になる?)現在でもスポーツとして行われている前装銃射撃を見れば、
装填しにくくならない程度に5〜6発に一度掃除すれば充分なのは一目瞭然。
ライフリングはミニエー式弾丸登場以前からとっくに普及していたし、
装填の容易さと精度や威力の両立のためにパッチで弾丸をくるむ方法が使われていたのは既出。
>>421 一発ごとに銃身内の清掃をしていたとは本当ですか?
>これは毎回やらないからか、マスケット銃の掃除をピッカピッカにするもんだと勘違いしてるかどっちかだね。
>当時の黒色火薬が大量に出したススや燃えカスを大雑把に落とすのが、ここでいう掃除なんだよ。
>マウリッツ以前からナポレオン時代までずーっとだよ。
初耳です。大砲ならともかく。小銃において一発ごとの清掃が行われていたという話は初めて聞きました。
今まで見てきた資料や再現実験の映像などでは、一発撃ったらそのまま次の装薬を再装填していたものばかりで、そうした場面は見たことがありませんでした。
たいへん興味がありますので、出典を教えていただければ幸いです。
>>428 428
>未燃焼火薬が次弾装填までの何十秒もそんなに高熱を保っていられるわけがないし、
(耳かき一杯の熱湯は何秒で室温になる?)
しかし、銃身の過熱は無視できないのでは?
今日の自動火器でも連続発射に伴う銃身の過熱は、未だ完全に解決できていない問題であることですし。
当時はベッセマ法などの製鋼技術前夜ということもあり、鉄ではすぐに熱を持ってしまい、
わずか十数発の発射で銃身が過熱してしまう、という話を聞いたことがあるのですが、これの真偽はいかほどでしょう。
>>430 George Markhamの採取データによると、速射性に優れたミーニエ弾の雷発P53ライフルで毎分3.5発
鉛丸弾丸にパッチ併用の燧発バーカー銃で毎分1.5発が最大実用発射速度とされていますから、
この速度で何百発も射撃を続ける事が可能ならば問題も生じるでしょう。
黒色火薬の発火温度は約300℃、果たして最大発射速度何発でこの温度に達するか?
球弾では銃身過熱によるタンブリングの影響も小さいですし(全く影響がないとは言わない)
コックオフが起こらない範囲であれば銃身過熱が直ちに重大問題には直結しないでしょう。
実際はその前に燧石の交換だの、ベントホールの清掃だの、それこそ本格的な銃身清掃だので
長時間の射撃中断を余儀無くされてしまうと思われるので、さほどの問題とはならなかったでしょう。
むしろ持続射撃で問題になったのは銃身の汚れの方で、連続発射よりもむしろ射撃間隔を開けた場合に
(カーボンが冷えて固まってしまうため)15〜20発の発射で装填しにくくなり、
一旦後方に下がって本格的な手入れをしていた様です。連続発射の場合はこれよりも無理が利くとか。
実用に支障を来す程の銃身過熱は薬莢式小銃の登場(かげろうで照準しにくい、熱い銃身を触って火傷した、
程度に始まり、最悪のトラブルは銃腔膨張による横転弾)でようやく表面化し、
機関銃の登場でコックオフ現象という人命に関わる危険となって始めて重大問題として認識された、
と考えていいんじゃないかと思います。前装軍用銃の殆ど全てにハンドガードが付いていない事が
それを物語っているんでは?
>>430 銃身の過熱ってのは掃除してどうにかなるようなもんなのか?
問題は火薬の品質だろう。
不純物を大量に含み、湿気に弱い
当然、その日その日で爆速も違う
燃え滓が出ることもあっただろう。
434 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 11:23:22 0
海外の生物ってなんであんなに凶暴なんだろう。
野菜なども馬鹿でかいし。特に虫がでかくて凶暴なのが不快。
研究用に飼っていた南米の研究所から逃げ出したアフリカの殺人バチ(キラービー)が、
瞬く間にアメリカ南部にまで進出して問題になっているようだが、
生物の凶暴性もアフリカが一番ではないか。
アフリカの草原にいる動物からひとつも家畜に適するものが出なかったのは、
なんらかの理由があるのではないか?
誤爆・・・・・
アフリカ独自文明スレじゃないかと。
銃身が加熱して使い物にならなくなるよーな
長時間の連続した銃撃戦とかはあったのかな。
戦列歩兵どうしの戦いならある程度距離をつめた段階で銃剣突撃に移行する
から10発とか20発とか連続で撃ったりすることはないだろう。
散兵どうしの撃ち合いや攻城戦とかだとかなり長時間の射撃戦が起こりそう
そもそも黒色火薬の銃は一発撃つ度にけっこうな白煙が発生するから
連発し過ぎると狙いがつけにくくなってまずいんじゃまいか。
16世紀以降の軍装がやたら派手になるのは黒色火薬銃の煙の中で見えなくならないようにする為だが?
>>245あたりで榴弾の話が出ていたので、ちょっと書いておく。
榴散弾は、17世紀初頭には既にヨーロッパに登場しており、その威力に着目した
スウェーデンのアドルフ・グスタフ二世が大砲連隊を創設した。
そしてそれに刺激された諸外国も、順次それに習うようになった。
と言う訳で、19世紀の戦いであるアヘン戦争では、イギリスは当然榴弾を
投入しただろうと思われる。
>>440 空中で砲弾が炸裂して弾体がばらけ、霰弾になってその慣性のまま敵へ降り注ぐ榴「散」弾が開発されたのは、18世紀末のイギリスだと思うが……。シュラプネルだっけ。
榴弾だけなら、かなり古くからあったとは思うけどね。発射時の爆風で導火線に点火、とか。要は信頼性、操作性の問題だったんじゃない?
といっても着発信管式の榴弾は使われてないだろ。アヘン戦争では。
10年ぐらい前の映画での印象だが、爆発よりもアウトレンジの方が本質的な問題に描写されていたような憶えがある。
それに、軍隊の組織やら民度やらが比較にならん。
炸裂弾の類は中国が先鞭を付け5〜600年ぐらいの歴史はあったはずだが、届かなければ一方的にボコられるだけだよ。
age
今、フランスのサドの小説を読んでます。
この小説にはピストルが出てくる場面があります。
この小説の舞台になっている、1790年代末〜1800年初頭のピストルというのは
そんな感じのものでしょうか?
イメージはわきません。良い参考サイトがあるならば、教えてください。
フランスと他の欧州とのピストルはやはり当時でも違いはありますか?
当時のピストルの先進国はどこですか?
そんな疑問があります。
参考になるようなサイトがあれば、教えてください。
宜しくお願いします。
>445 flintlock pistol でイメージ検索。
ナポレオニックの銃は正直世界のどこに行っても大して変わらんよ。英国じゃブラウン・ベス小銃を150年変わらずに使ってた位だ。
あと2・30年するととんでもない事になるんだけどね。
447 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 23:20:20 0
>>446 どうもありがとうございます。今、検索して見ました。
あれから自分なりに調べて見ました。
まだ雷管式、カートリッジ、連発、コルトが出てこない時期ですね。
撃ち損じた場合には、少なくても2丁は携帯しないとならないようですね。
448 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 23:30:00 0
あ、ふとに疑問に思いました。時代や国とよって違うと思いますが、
小銃やピストルの値段というのはどのくらいでしょう。
やはりその銃によって差異があると思いますが、
そのようなサイトをご存知ないでしょうか?
性能や機構についてのサイトはありますが、価格については無いように思えます。
この辺は調べるとキリがないような感じがします。
例えば、日本の幕末期にはピストルはいくらで買えたのか?
どこで買えたのか?流通はどうなのか?誰が購入するのか?
誰でも金を出せば購入できるのか?やはり最新式は難しいのか?
カートリッジの弾はどうするのか?買えるのか?この辺は興味深いです。
大藪春彦の異色時代劇「赤い手裏剣」には当時のピストルについて書かれていますが、
他に参考になるようなサイトはご存知ないでしょうか?
ながながと書いてしまい、申し訳ありません。
449 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 23:35:10 0
大藪春彦の時代劇に出てきたのはコルト・ピースメーカーだったかな?
実際に日本で密輸品でも手に入ったのかどうか
コルト・ピースメーカーは明治の御世にならないと出来ないよ(1873年。維新が1869年)
…考えてみると、M1911ガバメントも明治の御世の製品なんだよね…バリ現役だが。
確認してみたが
「天保六年というから、清水の次郎長がまだ十六歳の少年であった頃に、米国で発明された
コルト・パタスン五連発の輪胴式。まだ用心鉄も考案されてなく、撃鉄を起こすと、隠れて
いる引金が前にとびだすという物騒な短銃だ。金属薬莢を使用する後世の銃とちがって、
こいつの弾倉の薬室は尻がふさがっていて、撃鉄が弾倉の上に五つ開いた火門を叩く
ことになっている」
だそうだ。
>>443 実の所ヨーロッパで炸裂弾を最初に作ったのは15世紀のドイツの様だね。
只ご指摘の射程距離の問題があった。
17世紀に鋼鉄鋳造による砲身の製作が可能になり、その結果装薬量を増やし、より遠距離の敵を攻撃出来るようになる。
この鋼鉄製砲身の登場によって、大砲は従来の攻城兵器から野戦の主力兵器になる。
>>455 >17世紀に鋼鉄鋳造による砲身の製作が可能になり
初耳だが、19世紀の間違いではないか?
17世紀の技術では、鋳鉄・青銅の滑腔砲に黒色火薬と球形弾ではないかと思うぞ。
大砲が野戦の主力になったのは確かに17世紀頃だと思うが、青銅砲身だったようだ。
>>456 確かに、三十年戦争の時の砲なんかは青銅砲身だね。
スウェーデンで、グスタフ・アドルフ軍の野戦砲を見た時にも、説明に砲身は青銅製と書いてあった。
456
すまない、間違えた(w
確かに鋼鉄製砲身は19世紀だね。
17世紀に登場したのは「鋳鉄製」のものだ。
この時代、順次砲身は青銅製から鋳鉄製に取って変わられ、その射程距離を大幅に伸ばす事になる。
やはり間違いか。
だが、野戦砲が主力兵器になったのは17世紀で良い。
そして、その砲は鋳鉄砲ではなく青銅砲なんだよ。
故に今度は、
>この時代、順次砲身は青銅製から鋳鉄製に取って変わられ、その射程距離を大幅に伸ばす事になる。
この部分が間違っているようだぞ?
性能的には、
青銅砲>鋳鉄砲なんだよ。
460 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 10:51:14 0
十七世紀にはたしか鋳鉄砲の生産量が青銅砲のそれを上回ったはず
当時は性能よりコスト面が大きいんじゃないか
461 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 17:23:21 0
戦争の世界史―技術と軍隊と社会 ウィリアム・H. マクニール
定価8000円近くするものがブックオフで5500円だったけど、それでも高いよ。
買うべきか否か。
462 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 17:27:33 0
買っとけ買っとけ
おれは定価で買った
463 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 17:44:05 0
>>460 いつでも性能よりコストだが、使用目的が違う。
467 :
461:2007/11/04(日) 16:52:40 0
買ってきたどー。
前から欲しかった他の本まで見つけた。
宮崎市定のアジア史概説も買った。
468 :
世界@名無史さん:2007/11/04(日) 20:23:52 0
469 :
世界@名無史さん:2007/11/04(日) 20:36:42 0
ヨーロッパ厨死ねや。
中国最強。
中国厨死ねや。
ベトナム最強。
471 :
世界@名無史さん:2007/11/04(日) 20:59:45 0
中国最強!
472 :
世界@名無史さん:2007/11/28(水) 11:19:29 0
戦争の世界史―技術と軍隊と社会 ウィリアム・H. マクニール
この本面白いなぁ。高い金出した価値ある。
ポールケネディの大国の興亡なんかより、なぜスペインが全ヨーロッパを
征服できずにオランダが台頭したのかなどがよく分かる。
中国に偏りすぎじゃないかとか、アラブには触れていないとか、
大砲ばかりで銃が出てこないとか疑問点もあるが。
世界史 ウィリアム・H. マクニールも買うか。
すっげえ面白そうだが、確かに高いなorz。図書館か……
>>472 スレ違いだが、来月中公文庫で出る「疫病と世界史」もよろしく。
475 :
472:2007/11/28(水) 22:29:27 0
>>474 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!!!
疫病と世界史上下で各1200円か・・・。値段が単行本と変わらんな・・・。
中古が6000円近く行っている現状よりはマシだと思う……
479 :
472:2007/12/01(土) 14:46:38 0
ふぅやっと読み終わった。いやーすごい本だなこれは。
しかし第一次第二次大戦の主因の一つが人口動態にあるというのはどうなのか。
人口増加で食えない層が都会に出てきたことなどが、民主主義や産業革命を
引き起こしたとみているようだが、逆ではないのか。
都市住民の増加具合は、産業発展の度合いと相関関係にあるわけで、
大国の興亡でも都市住民の増加具合を経済発展の指標のひとつにしていた。
人口増加は衛生医療が整うことなどにより死亡率が下がった影響が大きいだろうが、
それは科学技術や経済の発展、教育の普及があったからで。
中世からナポレオンあたりまでが一番読み応えがあったな。
衛生医療もそうだが農業革命のほうがより影響が大きいだろうな。
根本的に食うものが増えないと産児制限したり、しない場合でも育たなかったりする。
ダイアモンドの銃・病原菌・鉄や文明崩壊でも述べられていた。
481 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 11:16:48 0
>人を効率的に殺すためだけの目的につくられ
日本人にして見れば「武器なんだから何を今更」と思ちゃうけど、
欧米とかでは美術品扱いかなんかなのかねぇ?
まあ年代モノの武器なんて、今では観賞用か展示用だわな普通。
イギリスでは、日本における青龍刀とかシャムシールみたいに
日本刀(あるいはそれを模した刀剣)が犯罪に使われてるんだろう。
一応日本にも銃刀法というものがあってな。
当然日本刀も規制されている。
今まで美術品扱いでこれといった規制が無かった方がおかしい。
それに、サンは煽りを入れて過剰な表現をしているが、
実際には美術品としての日本刀の輸入・販売は禁止されない。
じゃないと向こうの美術館が困ることになる。
日本の銃刀法も相当歪んでるけどな。
日本刀は美術品だから、刀本体に登録が下りればヤクザでも基地外でも所持可。
洋刀は武器だから、国宝級の名刀だろうと刀身を15cm以下に切断しないと輸入・所持不能。
どこの野蛮国だ、と言わざるを得ない。
歴史的価値や美術的価値を認められれば輸入可能
そんな事よりも、先込め銃(火縄銃)の生産と所持を認めてもらわんと
和式の射撃術とか消えてしまうがな。
最近起きた例の事件で、もっと規制が厳しくなるかもよ?
あれの本質は自殺。
道具に責任が有る訳ではない。
社会全体で、いかに自殺を防ぐか、が大切。
空虚な理論だな
492 :
世界@名無史さん:2007/12/23(日) 08:46:31 0
>>488 靖国神社で火縄銃の奉納射撃行っている映像見たぞ。
>>492 文化財と認められる古式銃の所持は銃刀法適用外で認められている。
射撃は祭礼や学術研究、文化行事に限り、届出認可を受けられる。
発射薬は認可を受けた届出者がその用途に必要な分に限って購入できる。
形式機構が古式銃と同一であっても新規製造は認められない。
(法改正以前は外国製古式銃レプリカも古式銃として輸入所持が認められた時代があった)
「古いものが使用に耐えなくなったら実射の技が受け継がれなくなる」
>>488はそういう事を言ってるんだろう。
火縄銃射撃競技あるよ
495 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 23:27:31 0
age
Dicke Bethaの三面図がほしい。
西山やネットで漁っても写真すら20枚充たないご様子。
フランスの軍事博物館には、縮尺モデルがあるようなんで、外国行くしかないのか。
497 :
世界@名無史さん:2008/03/08(土) 04:05:48 0
ほしゅ
498 :
世界@名無史さん:2008/03/12(水) 15:51:18 0
16世紀ごろから使われた騎兵用ピストルって近距離なら甲冑も撃ちぬけた?
具体的にどこを狙って撃てとかそういう指示は残ってないのか
499 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:13:45 0
「関が原合戦には当時の地球上の銃の半数が使用された」
って聞いたんですが、それってホント?
いくら火縄銃を作ったって当時のイギリスやトルコには及ばないような気がするんですが…
500 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:16:36 0
ほんとーでつ
マジで?
当時の日本や欧州各国の銃保有数についてわかる本があったらおしえてplz
502 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:23:05 0
当時のイギリスって日本の足元にも及ばんでしょ
欧州で大国ならスペインとオランダあたりじゃね?
>>499 当時の地球上の銃の数は知らんが
キリスト教圏で一番持ってたのはイギリスではなく
おそらくスペインかドイツでしょ
504 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:27:14 0
日本の重火器は当時のヨーロッパの半分だとどっかで見た
火縄銃も国産化され精度はかなり上だった
>>501に答えられる人ならついでに
「当時のトルコでは内乱の武器流出のせいでその辺の農民や盗賊まで
火縄銃で武装していた」って話の真偽も教えてくれ
506 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:34:13 0
>>505 秀吉が兵農分離を徹底するまでは、日本も農民が武装してたから
普通に居るんじゃないの
507 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 02:38:51 0
イギリス国内の鉄砲が2000丁ぐらいじゃなかったか
>>507 それ某トンデモ本がソースのガセらしいけど
509 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:51:24 0
何だ某トンデモ本て?
510 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:52:37 0
イギリスって当時数百万人程度しかいなかったんじゃねーっけ?
>>507 エリザベス女王が軍制改革する前のデータじゃまいか
親父のヘンリー8世の頃はまだビルフックとロングボウが歩兵の主兵器だったが
ちなみに以前その改革前のイングランド軍の内情について本で読んだが
地区ごとに徴兵数が割り当てられてるんだけど浮浪者や犯罪者ばかり厄介払いに送られたり
指揮官が兵士の給料をピンハネして飢え死にさせたりひどいものだった。
そもそも傭兵が主力のヨーロッパでどうやって銃の総数とか数えたんだ
>>513 ランツクネヒトやテルシオス兵は武器はレンタルでなかったっけ?
もし自弁だったらドイツあたりはほとんど数えるのが不可能そうな・・・
「軍事革命」のジョフリー・パーカーあたりが何か書いてないの?
>>509 「鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮」
日本びいきのアメリカ人が書いたサムライマンセー本
バイアスかかりまくりの怪しげなデータが満載
>>515 データは別に怪しくないのでは
突っ込みどころは当時の西欧でどちらかといえば軍事後進国だった
イングランドやスコットランドを比較対象にもってくるなよというあたりだと思った
1600年頃のトルコの兵力ってどんななんだろうな?
>>517 1609年のデータ(Rhoads Murphey "Ottoman Warfare 1500-1700"による)
スルタン直属の常備軍は
イェニチェリ 47,033
六連隊衆騎兵 20,869
砲兵隊 7,966
計 75,868
ティマールル・スィパーヒーはだいたい10万人ほど
この他に属国軍や、セクバンやレヴェンドといった不正規兵が加わる。
後者は鉄砲足軽みたいなものだったらしいが、イェニチェリよりは少なかったようだ。
ちなみに
>>505のソースは多分ハリル・イナルジュクの論文か何か。
>>513 数えられる分だけを合計した。残りは未知数なのでカットしたんだろうな。
近世あたりから射撃大会とか頻繁に開かれていたりするけど、どこから
手に入れたんだかと思うわな
520 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 04:11:18 0
>>516 今ちょっと本が手元に無いが、自分が見つけたところでは
種子島に初めて伝来した鉄砲の値段がかなり誇張して書いてあったな。
「一丁1000両」となってたが、実際は銀100両程度。
(超たくさんという例えでの「千両」を、著者が実際の金額と勘違いしたんじゃないかと思うが)
あと、幕末に二人の武士がどこかの外交官を襲撃した際、
護衛の騎兵12人を、一発の銃弾も浴びることなく、すごい剣さばきで9人まで戦闘不能にした…
なんて逸話も書いてあったが。それなんて事件だ?w
>>521 当時の銃は装填に時間がかかるし狙ってもあたらないから不可能な事じゃない
523 :
世界@名無史さん:2008/03/21(金) 22:59:39 0
幕末になるとレバーアクションのライフルとかリボルバーとかもあるから
火縄銃とはわけが違うのでは?
でもソースは失念したが義和団事変のときに西洋人の軍隊に
斬り込んで殺しまくった中国人の拳法家がいなかったっけ?
同士討ちをおそれて撃てなかったというオチでは
つまり一気に間合いを詰めれば武士がイギリス兵9人を斬るのは不可能ではないということだな
刀一本で九人はどうかなあ。
刀弐本で九人はどうかなあ。
>529 二人。
>>527 平均的なポン刀だと3人からせいぜい5人くらいまでだが、
胴田貫や非カミソリ刃の剛刀なら10人〜15人はイケるぞ
使い手が達人でなおかつ胴田貫みたいなゴツい刀持ってれば冗談抜きで9人は殺れる
というか521が言いたいのは9人を斬るのが可能かじゃなくて
そんなに殺したら生麦事件なんかよりよっぽど有名になってるだろって事じゃないのか?w
戦闘不能と殺害は違うと思うが。
「そんなに斬ったら」に訂正
まああれだ、護衛の日本人何人切っても、
肝腎の外交官に手が掛からなければ、
テロだか攘夷だかも失敗カト
護衛の騎兵は日本人だったの?
ヨーロッパ式の騎兵装備って17世紀末ぐらいまでしか知らないんですが・・・
幕末の頃の騎兵ってどんな感じでしょうね。サドルピストルや胸甲なんてまだあったんだろうか。
幕府騎兵組の絵を見るとランスで突撃とかしてたような。
国にもよるが、まずはソルジャー・ブルーあたりの西部劇見れ。あれこそ幕末当時の騎兵隊の典型だw
インディアンと戦ってた騎兵隊って典型なんですかね?
メキシコあたりの対インディアン騎兵部隊はムーア人風の盾まで装備したりしてるのもいたようですが。
>>521 その事件、確か司馬遼太郎が小説化してたな。
短編で、「最後の攘夷志士」だったはず。
>>536 小説では、イギリスの騎兵だったと記憶している。
ホントかどーかは知らん。
パークス襲撃事件だったのか。
1868年3月23日(慶応4年2月30日) - イギリス公使ハリー・パークス暗殺未遂事件。
犯人は攘夷思想を持つ朝廷御親兵・三枝蓊及び朱雀操。騎兵9名重軽傷。
後藤象二郎により朱雀は斬死、三枝は捕縛
wiki「暗殺」より
死んだのは犯人だけか。
三枝は晒し首の写真見た記憶があるな
544 :
世界@名無史さん:2008/04/21(月) 20:31:58 0
WWUのセバストポリ攻略戦は、色んな意味で史上最大最後の要塞攻略戦か。
使用された各重砲のサイズは史上最大だったし、その後の戦史でもう要塞戦が行われる
事は無かったから…
火砲最大までは同意するとして、硫黄島・沖縄・ディエンビエンフー・ケサンはどうなのよ。
546 :
世界@名無史さん:2008/04/24(木) 09:57:21 0
そっか戦艦の艦砲って… 並級の戦艦のそれでも陸戦砲と比較すりゃドケタ外れだもんな。
戦艦vs海岸砲ってのも絵になるね。これも立派な要塞攻略戦か。
ここのテーマとはちょっと違うと思うけど
ガリア戦記によく出てくる延転機ってどういうものだったのかな?投石器?
廻転機だった。
>>546 それはやっぱりカテゴリ別じゃね?
軍艦の砲と陸上の可動砲くらべたら、なんか気の毒
>>541 >朱雀操
まるでエロゲヒロインのような名前だ。
551 :
世界@名無史さん:2008/05/24(土) 17:28:02 0
フリントロックピストルが美しすぎて辛い
頭大丈夫?
お前よりはね
554 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 01:09:38 0
>フリントロックピストルが美しすぎて辛い
こんなキチガイ発言する
>>551が
>>552より大丈夫とは思えないな。
自分の銃には女の名前を付けるもんだろ
556 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 22:21:01 0
>>554 365日24時間2chに張り付いてるニートがまともな精神状態でいるとは思えんけどねw
557 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 23:18:35 O
>>556 君も言えた立場ではないことは分かっているよな?
559 :
世界@名無史さん:2008/05/27(火) 01:18:03 0
>>556 自分が365日2ちゃんに張り付いてるニートだからって、
他の2ちゃんねらもみんなそうだと思わないほうがいいよw
良く分からないが、煽り合いしてる時点でどっちもどっちだと思う
キチガイ発言してる時点でキチガイだと思う
>>559 みんなではなくお前のことだけ指摘してんだけどなw
図星突かれて悔しくなっちゃったか
野砲の間接射撃について詳しい本をご存じありませんか。
WWI時に、地図に格子を切っての着弾観測ってあったのでしょうか。
564 :
世界@名無史さん:2008/05/29(木) 01:14:47 0
>>562 その「指摘」が的外れだって言ってるんだけどな。
人は誰かを煽ったり馬鹿にするときは「自分が言われて嫌なことを言う」らしいからね。
いきなりニート認定してやり返した気になってるってことは、
>>556自身がそれである可能性が高いね。
何日かけて喧嘩してんだよ
山岡「この火種は出来そこないだ(ry
三連発銃を発明したのは誰?
長槍やテルシオについて書かれた本ありませんか?
文献資料がなかなかなくて・・・
>>568 戦争の世界史
火器の誕生とヨーロッパの戦争
>>568 オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ。
「戦場のスイス兵1300-1500」「グスタヴ・アドルフの歩兵」「アレクサンドロス大王の軍隊 東征軍の実像」あたりならガチだろう。
学研の「戦略戦術兵器事典 3 ヨーロッパ近代編」が手に入るといいんだが、中古価格がとんでもない事に…古本屋行く時頭に入れとけ。
ドイツ傭兵の社会史みたいな本なかったっけ?
テルシオスじゃないけどランツクネヒトについての本。
戦術について書いてあったかどうかは分からんけど。
>>571 菊池良生「傭兵の二千年史」(講談社現代新書)あたりのことかね?
ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌 (単行本)
アマゾンでレビュー見た限りでは陣形とかの参考にはならないっぽい
574 :
名無しさん:2008/06/12(木) 20:41:33 0
第一次大戦の西部戦線では何も戦いがなくても一日に三千人が死んでいった
これが【西部戦線異常なし】の背景だ。ではなぜ何も戦いがないのに多数の
戦死者が出るのか? それは第一次世界大戦で登場した新兵器による。この
新兵器とは飛行機でも戦車でもない。飛行機や戦車の運用が戦争を左右する
ようになるのは第二次大戦でのドイツの電撃戦からだ。第一次大戦で膨大な
戦死者を出した新兵器とは駐退機である。駐退機とは大砲の発射による砲身
の後退を吸収するバネのことだ。この簡単な発明品はむかしからあるにはあ
ったから新発明とは言えないかもしれないが第一次世界大戦で本格的に野砲
に取り付けられた。野砲とは分解せずに人力または馬力で動かせる大砲の事
だが、これにより戦争の性格は一変した。駐退機付き野砲は一分間に15発
から30発発射できた。これは駐退機が付く以前の20倍近い、これは大砲
の数が一気に20倍に増えたのと同じだ。ゆえに戦死者の数が激増し西部戦
線では一方が攻撃に出なくても毎日三千人近くの戦死者がでることになった
これが【西部戦線異常なし】つまり司令部に報告するような異常がなくても
バタバタ兵士が死んでいくということだ。
間違いだらけのコピペ乙
>>574 どんな反論があるか興味あるので、マジレスしてみよう。
第一次世界大戦の西部戦線における異常な死者は、塹壕間の連絡員が各個殺害されたことにある、
という説がある。(キーワード:別宮)
この意見に私は賛成だ。
むしろ大砲によって直接間接に死者が増大したのは、WWUの独ソ戦ではないかな?
独式電撃戦とスターリンのオルガンの組み合わせが、短期的に双方の大損害を生む契機になったと私は思っているんだが。
さて、君の意見は?
578 :
世界@名無史さん:2008/06/15(日) 21:30:01 0
>>577 >第一次世界大戦の西部戦線における異常な死者は、塹壕間の連絡員が各個殺害されたことにある
塹壕間の連絡員って異常な死者を出すほど多かったのか?
そもそも塹壕間ってつながってるんだから塹壕の中を走っても撃たれないだろう。
塹壕の中を走っていて殺されるようなら塹壕の意味がないし
塹壕間が開いていてそこで撃ち殺されるなら歩兵の前進や後退のときも撃ち殺される。
(キーワード:別宮)だけでは分からん。分かるように説明して。
キーワードで検索してみたのか?
580 :
世界@名無史さん:2008/06/15(日) 22:29:31 0
>>574 ヨーク軍曹みたいな奴が何人かいたのかもな。
別宮暖朗の第一次世界大戦のページか?
ざっと通読してみたが、該当箇所がわからん。
読み物としてはいいが辞書的に
調べようとすると至極使いにくいサイトだった
それはさておき連絡員だけで大量死につながるとも思えんし
一次の大砲による砲撃戦の死者と、
二次の戦車砲を含む砲撃死の死者を比較するのは
なんか土俵が合ってない気がするが。
個人的見解だが、一次の砲撃死が多発した前提は戦線の膠着だろう。
信頼できる重機関銃の登場と現代小銃の完成で
守勢が圧倒的に有利な状況になった。
このため戦線が膠着し、機動力のない大砲の撃ちあいによる
延々とつづく消耗戦という図式が成立した。
これが二次のように再び機動戦の時代になると
砲撃戦が長期化しないので、砲撃死が増える要素にはならないと思うんだが。
あと、カチューシャは攻勢準備砲撃としては有用だが
一度打つと再装填に時間がかかるので
時間当たりの敵戦死者でみると、それほどではないという気がする。
>>577じゃないが
戦車砲による砲撃死なんて割合としては微々たるモンだ。
一次でも二次でも一番多いのは砲弾の破片による死傷。
二次大戦では砲撃戦の期間そのものは短くても野戦重砲の射程と威力が増大しているので
死傷率は減っていない。
特にソ連軍は攻勢時に全火砲を使用して、前線から後方までの全縦深同時制圧を
行ったので食らう側はキツかった(砲兵の集中が徹底していたせいもある)。
まぁ確かに
>>577の「独式電撃戦とスターリンのオルガン」によって
大損害を生んだ、というのはよく分からないけど。
独ソ戦においてドイツの電撃戦が成功したのは1941年の晩秋までだし
「電撃戦」で増えたのは死者よりもむしろ捕虜だしね。
もちろん損害には含まれるけど。
カチューシャが投射できる持続的な鉄量は通常火砲に劣る、というのは仰るとおり。
>戦車砲による砲撃死なんて割合としては微々たるモンだ。
>一次でも二次でも一番多いのは砲弾の破片による死傷。
この文が良くわからん、まさか砲撃死ってのを砲弾の直撃とか思ってないよな?
あと戦車も榴弾撃つぞ
砲弾の直撃とは思っていないし、榴弾撃つのも知ってるよ。
ただ、土俵が合っていない、というほど量的な影響を与えてはいないってこと。
電撃戦を砲撃死の増加に繋げるとすれば戦車砲を含むとしか思えなかった
そうでないとすれば電撃戦は砲撃死の減少要素にしかなりえないと思ったから
577である。前の書き込みより帰還。
とりあえず、自分が掲載した部分の説明。
塹壕間の連絡員に死者が多い理由だが、塹壕の間をつなぐ塹壕通路が完成するのは戦線が膠着して、かなり時間が経ってからになる。
ドイツ軍は基本的に攻勢をとって、イニシアティブを保ち、相手が予定戦場において十分な人員を確保できない内に、
最大限動員できる兵力を叩きつけることを戦略の原則としているため、攻勢時に構築できる塹壕なんて、タコつぼに毛が生えたものがせいぜいとなる。
一方、戦線を保ち不用意に突出しないため、通信機と連絡員がいるんだが、当時の通信機は優先式で後方の司令部とつなぐためにあり、
横の部隊とは直接連絡が取れなかった。(もちろん稀な例外はあるあろうが)
結局、人が直接連絡を取り合う連絡員が役に立つ。が、前線で敵に側面を見せる移動をするわけで、補足されるとよく排除されるのだ。
つづき。
電撃戦とスターリンのオルガンの組み合わせが損害を生んだ、とする表現だが、これについては表現の仕方が悪かったと全面的に謝罪する。
この部分は577でも書いたとおり私の意見(もっといえば推論)なので、別宮氏の意見と取り違えないようにして欲しい。
スターリンのオルガンことカチューシャは命中率があったわけじゃないが、火力集中地帯を交戦が著しく困難な状況にする特徴がある。
ドイツ軍は基本的に攻勢主義なんだが、WWUにおいて特徴的なのが、時速30km以上で縦隊構造を取りながら突破する戦術にある。
この縦隊、従来の縦深防御の利点をずいぶんと奪い去ったが(時間当たりの被弾数が変わらないなら、移動速度を早くすることで最終的な総被弾数が減る)、
重要な問題点もあった。
なんらかの理由で先頭が詰まると、しっぺ返しのごとく大ダメージを受けやすいのだ。
で、手ひどく地形を変形された戦場では、鈍化した独軍がさして武装度の高くないソ連兵にイニシアティブをとり返されてしまい、
結構いい勝負になってしまった。これが戦死者が増大した理由。
要約すると、WWTでは大砲による戦死者数への影響が(直接的にも間接的にも)小さく、
一方、戦車などのようにある程度安定した地形を要求する兵種が増えたWWUでは、
大砲の価値が相対的に向上したのではないか、と考えている。
また、敵を火力集中地点で立ち往生させることができて、結果的に対人被害も増大しただろう、という推測をしている。
>>581>>582に対しては勘違いさせてしまったことを謝罪する。
一応、言い訳として577に「直接間接」という言葉を入れていることに注目してもらえるとありがたい。
別宮氏のサイトではなく、筑摩書房の軍事学入門が出典。
588 :
世界@名無史さん:2008/06/20(金) 09:30:03 0
>>579 >キーワードで検索してみたのか?
(キーワード:別宮)で検索してみた。どのへんだかわかんねーよー
まさか別宮の内容を全て調べてみろってんじゃないだろ
分かるように内容を書き込むか、それがめんどくさいんなら
著作名とその何ページから何ページに書いてあるか教えてくれ
休日に紀伊国屋に行って立ち読みするから
すぐ上のレスを見てみろ。
590 :
世界@名無史さん:2008/06/20(金) 20:19:32 0
>すぐ上のレスを見てみろ。
>>586 だな、塹壕間の連絡員に死者が多い理由は分かった。
だがそれが西部戦線での大量死の理由としては違和感があるんだが
いくら戦死率が高いと言っても一日に三千人の戦死者を出すほど
連絡員を出すとは思えない、なんせ一分間に2人の戦死だから
まあ証拠を出せと言われると無いとしか答えられないが
まあ連絡員の戦死が多いのは多いが戦死のほとんどは塹壕に
こもっている兵士が砲弾で戦死
じゃないかと思う。証拠を出せと言われると、すいません、ありません
としか言えないけど
支那が欧州列強に敗れたとき「理系(武器)だけ受け入れて文系(統治方法・思想)
はそのままに」という発想があったのですが「どうせ支那はその思想から欧州のような
武器は持てないし作れないだろう」という評価が圧倒的で、結局ダメになりました。
しかし支那は嘗て弩や火薬を使った武器なども作っており、欧州のような武器を作れる
素地がなかったとは思えないのですが、このスレの皆さんはどう考えますか?
銃火器の大量生産ともなると、純粋な技術だけじゃなく、
産業基盤の隆盛とかインフラ整備とかも必要で、
結果、理系だけでなく文系まで含めた社会・産業構造改革が必要だったのに、それをしなかったから。かな?
しかしそれならやはりイスラムから科学技術や建築技術を
取り入れることに成功した欧州はなぜキリスト教のままで
成功したのかが説明できない。欧州から何かを取り入れるごとに
国内の思想を革命してたんでは、何も根付かなくなるだろう。
欧州が火薬による重火器を装備するのに支那の騎馬民族に
ならねばならなかったわけでもないだろうし。
政教分離を高レベルでなしえたからかと。
クソ真面目に教義を守りつつ近代国家になれた国はないだろうな。
「それはそれ、これはこれ」的な考え方のできるプロテスタント国家と、
そこまで融通を利かせるのが難しいカトリック国家やイスラム諸国との間の差は小さくはないし、
日本の場合、江戸時代に政教分離が完成していたのも、急速な近代化成功の一因になってると思う。
595 :
世界@名無史さん:2008/06/26(木) 22:03:59 0
現在のアメリカは完全に政教同一だよ。一般教書演説のときに
聖書に手をかざすし、進化論を認めていない人が多いし、
事実進化論に対しては教育に介入してる。さらに言えば
「科学」だってそもそも神学者たちが生み出したもので、
16世紀辺りの科学者たちはみな経験なキリスト教信者だった。
それ以前のイスラム世界もそうだろう。「神なんていないさ」
の精神で武器弾薬を作っていたわけではない。
イスラムが持ってたのだって、ローマ帝国・ビザンティン帝国の持ってた
技術の発展継承であって、ある程度の安定統治がなされてる国なら
模倣できるレベルだったんじゃないの。文明そのものアイデンティティに関わるほどではない。
その後にかんしていえば、やっぱり中世→近代ってのは飛躍的発展だったんだろう。
中世的体制を残しつつ技術だけ近代化しても長くは続かなかった。
597 :
世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:10:15 0
火薬も大砲も生み出したのに
改良できなかったのはなぜだろう?
主語不明
>>597 東洋の事情について言ってるのであれば、儒教圏では文系が理系の上、インテリが技術者の上っていう、
悪い言い方をすれば差別意識があるから、実は技術者を生み出す土壌としては向いてない
火薬や銃を生み出せたのに近代兵器を生み出せないのはおかしい、という考え方そのものが間違いじゃないのか。
火薬を生み出せたからといって蒸気機関を生み出せるとは限らない、という考え方のほうが適切だろう。
何かが生み出されるには、その時々の時代状況があるわけだし、
ニーズが無いところに発明だけポンと現れてもそのまま埋もれてしまう可能性だって高い。
特定の文化的特質だけ抜き出して技術の発展/非発展を必然論ぽく語るのは、どうもドイツ的な文明論(ゲルマン人の社会が最も優れているのだという風な)の影響のようなものを感じる。
発明があっても、それを生かすも殺すも指導者次第
アメリカ大統領は物理の素人だが原子爆弾の軍事的有効性は直感的に理解してみせた
一方、日本人指導者はレーダー技術の有用性も理解できず敵に利用されて終わった
>>601 例えば、蒸気機関の発想及び、その原始的な利用法は古代ギリシャ・ローマ時代にはあったけど、
単純な力作業だけなら奴隷がいるし、産業革命などの市場開拓や大量生産とかの必然性もほとんどなかったから、
結局は一過性のアイディアで終わってしまってるんだよな。
また「産業革命」かよ。
「欧州白人じゃなければ蒸気機関を実用化できなかった」
というのなら「ユダヤ人じゃなければ原子力を発明・実用化できなかった」
のか?世界史板って白人の歴史板に改名したらどう?
605 :
世界@名無史さん:2008/06/27(金) 21:20:08 0
現在白人が古代フェニキア人が使用していたアルファベットを使ったり、
アラビア数字で数を表記したり、
アルカリ、アルコールだのといったイスラム科学を取り入れたり、
古代メソポタミアの幾何学を基礎にして建築物を作っているのは
なぜスルーして「古代ギリシャから産業革命を経て欧州白人だけが
文明を作れたのデス」となるのか?
素朴な質問だが、支那世界が生み出した火薬を「その思想・統治方法が
同じじゃないと生かせない」というなら、なぜ欧州や北アフリカ、オスマン帝国が
改良して使えるようになったんだ?この時点で本来ならキリスト教徒は
儒子に、農耕民族は金みたいに騎馬民族にならないといけないわけだろ?
なんで欧州人は改宗もせずに火薬を使った武器を持つことができたの?
>>597 それについて面白い文章が手元にあるので
少々長くなるが引用します。
(二)一七〇〇年ころまでの初期の火器は扱いにくく、正確さにも欠けた。
初期の火器は歩兵のみが扱える武器であり、騎兵が火器を馬上で
扱うことはほとんど不可能であった。このように、初期の火器は
歩兵の武器として発展するのである。
(三)火器がなお未熟であったため、初期の火器が有効であったのは
城包囲戦と密集した歩兵に対してのみであった。それ故、初期の火器は、
城も歩兵も持たぬ遊牧民に対しては有効性に乏しかった。
(四)火器が発達した時期に、もともと戦争に歩兵が多用されていた地域は、
西欧と日本である。西欧と日本では、歩兵が弓を火器に持ち代えさえすればよく、
このため西欧と日本で火器の利用が急速に発達した。
(五)遊牧民の騎兵に対抗するには騎兵で立ち向かう必要があった。しかし
火器は騎兵になじまない。そのため遊牧民と常に戦った地域では火器が
あまり発達しなかった。
(六)中国で一一〇〇年代前半に火器が発明された。その理由は、
当時、中国国内でも戦争が絶えず、城を攻めるため有効な武器を
開発する必要性があったからである。火器は元明交代期の南中国
での戦争(河川を利用した戦、そして攻城戦)に活用された。しかし、
明の成立以後、主な戦場が南中国から北中国やステップに移る
につれ、戦争の性格が変わった。明の軍隊が火器の有効でない
モンゴル騎兵に主に対処したため、中国における火器の発達が
遅れ、中国は十五世紀の末までに火器の面で西欧やオスマン朝
に遅れをとるに至った。
(七)十六世紀の初めまでに、西欧(特にポルトガル)やオスマン朝から
改良された火器が中国に到着した。中国人はその優秀性に気づき、
ただちにその摂取を開始した。ただし、中国人は単にヨーロッパの火器を
コピーしただけでなく、新たに得られた知識を活用して従来の中国の
火器を改良した。しかし、遊牧民との戦いに必要な、馬上での素早い
再装填の問題はついに解決されなかった。
(八)西欧で火器が発達したのは、その地理が、火器を用いる攻城戦と
火器を扱う歩兵の利用に適していたからである。
(九)海戦が、火器、特に大砲の発達に大きな意味を持った。西欧や
オスマン朝における、海上での大砲の需要が大砲の革新を促した。
海戦の少ない日本では大砲は発達しなかった。
(一〇)西欧では、十七世紀、小銃の発達に伴って、軍隊の主力は
銃手とそれを守る槍手によって構成された。銃手と槍手は農民から
補充できたので、軍隊の規模が急激に増大した。また西欧では、
未熟な農民を軍事的に訓練する方法や制度が発達した。この軍隊の
拡大と軍事訓練の普及が、十八世紀以降の西欧の戦争のスタイルを
一変させ、十八、十九世紀における西欧の優越に大きく貢献した。
(一一)十七世紀後半、西欧に銃剣が登場し、槍手を不要なものにした。また
火縄銃に代わって火打ち石銃が発明され、小銃の扱いが容易となった。これらの
火器を巡る技術的な革新はすべて西欧で起こった。
(一二)東欧(ロシアを含む)は、西欧をステップの脅威から守る緩衝地帯となった
が、東方ではステップの騎兵、西方では西欧の歩兵という両面からの攻撃に
曝された。このように一方では騎兵に対処せねばならぬこともあって、東欧は
火器を西欧ほどには発達させなかった。
(一三)新大陸アメリカにおけるアズテカ、インカ両帝国の急速な滅亡に大きな役割を
果たしたのは、火器ではなく、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘、はしかなどの
疫病である。
(一八)インドには、十五世紀半ばのアフガン時代に火器が到来し、16世紀以降の
ムガル朝時代に多用されて、これらの火器がインドにおける戦争のスタイルを
一変させた。ムガル朝は初期から火器を導入・活用し、その面で批判されるべき
点はない。しかし彼らには、オスマン朝のごとく、火力を活用する西欧の陸軍と
戦った経験もなく、また大砲を発達させる海軍もなかった。そのため、彼らが
オスマン朝ほどに火器を発達させ得なかったのはやむを得ない。
(一九)東南アジアは、十三世紀から十五世紀の間に、中国船が搭載する火器に
常に接していたので、西欧の火器の到来する以前から、すでに火器の知識を
持っていた。そのため西欧の火器がポルトガル人によって東南アジアにもたらされ
ると、火器が急速に広まり、この地域の戦争でマスケット銃や旋回砲が多用された。
(二〇)朝鮮は一四世紀半ばに中国から火器を導入した。しかし、朝鮮は二世紀に
わたって火器を日本人からは隠し通した。
(二一)十六世紀半ばまでの朝鮮では海戦が多く、そのため船に積まれる大砲・
旋回砲などの活用については経験が積まれたが、マスケット銃などについての
知識が乏しかった。これが秀吉の侵略の際に、朝鮮の陸軍が日本のマスケット
銃に簡単に敗北し、これとは対照的に海軍が活躍した理由である。また、日本軍
によるマスケット銃の有効な活用は、日本における火器の発達を示す明白な
証拠である。
(二二)十五世紀半ばの応仁の乱は日本に巨大な歩兵の部隊を登場させた。
歩兵の主要な武器は槍と弓であった。つまり日本には、火器の導入に先立って、
すでに訓練された歩兵が存在した。そのため十六世紀半ばにひとたび日本に
西欧の火器が導入されると、これらの歩兵は簡単に弓を銃に持ち代えることが
できた。かくして、日本で火器が急速に発達したのである。
(二三)戦国時代の日本でマスケット銃の使用が急速に発達したのは、日本の
地理や戦争のスタイルが西欧の戦争とよく似ていたためである。戦争は、日本でも
西欧でも共に人口稠密地帯で、主に歩兵によって戦われた。
(二四)徳川時代の日本には、島原の乱、大塩平八郎の乱という二つの反乱を
除いて戦争はなかった。徳川時代を通じて火器は所有され製造され続けたが、
戦争という危急の要が無かったので、日本における火器の発達は止まった。
徳川時代、火器の利用は、軍事的な利用から狩りにおける利用へと移った。
(二五)マスケット銃手や砲手を敵から守る手段として、西欧と日本では槍手が、
東欧、イスラーム世界、インド、北中国では車輛が使われた。車輛が使われたのは、
遊牧民と関係を持った地域である。これらの地域で車輛が使われたのは、
ステップなどで、兵站に難しさがあったためである。
(二六)火器が普及した時代の戦争には、主に三つのスタイルがあった。第一は、
西欧や日本のように、歩兵に重点を置き、火器と槍手を使う戦争である。第二は、
東欧、イスラーム世界、インド、北中国のように、騎兵に比重がかかり、火器と
車輛が使われた戦争である。第三はステップや砂漠の軽騎兵による戦争である。
結局、その中で、西欧の歩兵と火器の組み合わせが世界を制したのである。
なお、日本でも歩兵と火器の組み合わせが発達したが、徳川幕府による統一以降、
ほとんど戦争が無く、そのため火器の発達が止まったのである。
(二七)一七〇〇年代、一八〇〇年代に西欧で火器の技術的改良が進むと、
火器は扱いやすいおそるべき武器となり、遊牧民との戦いにも使用されて
遊牧民を圧倒した。産業革命が連発式ライフル、機関銃などの新兵器を生み、
西欧の優勢は決定的となる。ただしこれらの問題は本書の直接の対象では
ない。
(二八)西欧の優越は、西欧が単に火器を製造するための優れた技術を発達させ、
優れた火器を所有した結果ではない。その優越は西欧で火器を有効に活用する
ための訓練・組織が発達し、その上、火器を実際に使用する戦争の経験が長年に
わたって蓄積されていたという、西欧における広い意味での戦争技術の発達の
結果である。
(このあとに上に記した論点への疑問点が述べられているが、ひとまず省略)
619 :
世界@名無史さん:2008/06/27(金) 23:19:25 0
明代に支那が嘗て自分たちが使用していた重火器の
改良を見て、それを配備したのは知っている。
だがなぜ清代はさらに発展した重火器を取り入れることが
できなかったのか?日本人は「彼らが白人の
仲間にならなかったからさ」というが、先も言った様に
そもそも重火器は支那で発明されたものであり、
明代ではポルトガルから輸入までしている。
なぜ明・清でこれほどまでに遅れてしまったのか?
620 :
世界@名無史さん:2008/06/27(金) 23:21:51 0
あ、
>>607氏へ。参考になる文章ありがとうございます。
ただしこの「産業革命」が一体「どのように」兵器の
改良に作用したかすこし不明ですね。なんだか
欧米史観のような気がするんです。
621 :
世界@名無史さん:2008/06/27(金) 23:29:05 0
そして「西欧式の歩兵と教練の仕方が世界を制した」というより
私としては「火薬の兵器への転用が世界を制した」と思ってます。
欧州白人はそういった初期の重火器を自国の風土。都合に合わせて改良しただけですね。
白人はよく「日本人は白人のモノマネと改良しかできない」と自らの様々な「革命」を
誇って言いますが、白人こそ自己のモノマネの歴史を隠しており、日本人はそのことを
指摘しないことに苛立ちを覚えます。そればかりかまるで自分たちが欧州人に
なったかのように白人とその歴史観を共有し同一視していることも見ていて
腹が立ちます。どうして私たちは欧米人の歴史観でしか世界を見れないのだろう?
ムガール帝国、モスクワ大公国、オスマン帝国の三つの〈火薬帝国〉の版図の広さは
それぞれの帝国軍隊の大砲がどこまで運搬できるかによってきまった。
中略
だが、西ヨーロッパから目と鼻の先のオスマン帝国やモスクワ大公国をふくめて
これらの国家のいずれにおいても、重砲の使用と独占によってひとたび中央政府に
決定的な軍事的優位が帰すると、もはやそれ以上火薬兵器には自発的な改良は起こらなかった。
それぞれの帝国の支配者たちは、重砲という、場所によっては運んでいくのが
むずかしいという短所はあっても、万人の見るところ明らかに究極兵器であるものを
手に入れたのであるから、新しいからくり仕掛けを実験する理由などかなかった。
それどころか何であれ既存の大砲を時代遅れにするかもしれないような工夫は
なんの役にも立たないばかりか潜在的に危険なものと権力者には思われたに違いない
反対に西ヨーロッパにおいては、武器の設計の改良に対してはその後も旺盛な需要が絶えることがなかった。
何らかの新しい工夫に現実に効果があるとわかると、それは宮廷から宮廷へ、工房から工房へ
兵営から兵営へ、ほとんど異様なほどの速度で広がっていった。
このために当然のなりゆきで、装備と訓練において、ヨーロッパの軍隊は
文明世界の他の諸部分の軍隊を追いぬき、水をあけはじめた。
ウィリアム・H・マクニール 「戦争の世界史」より引用
623 :
世界@名無史さん:2008/06/27(金) 23:58:26 0
その人典型的な欧州史観の持ち主じゃん
624 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:00:13 0
欧州の歴史家は絶対15世紀以降の「ルネサンスと大航海」、
そして「古代ギリシャ・ローマ」しか書かないんだよな。
で他の文化や文明は「欧州に凌駕されたダメな文明」と
やんわり評価して終わる。
>>619 >>610-611あたりの主張に沿えば、要するに定住民と戦争しなかったから
ということになるんでしょうね。
>>620 自分もそのあたりには詳しくないんですが、工業化に伴って
新兵器の特許で大富豪になれる可能性が開けたこととか
関係あるんでしょうかね。
>>621 しかし火薬兵器はどこでも使っている。
「火薬の兵器への転用が世界を制した」というのは
それこそ「中国人は火薬を発明しただけで、花火ぐらいにしか使わなかった」式の
ヨーロッパ中心史観に聞こえるのですが。
>>624 ちょっと待ってください、欧米では中世史も普通に研究されてますよ?
「史観」等の恣意的でイデオロギーやナショナリズムの入り込む概念で歴史を考えないほうが良い。
628 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:19:05 0
>>625支那は大砲の原型の石火矢を発明したんじゃないの?
629 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:21:21 0
さらに「大量生産」も古代支那にある。
金属製品を大量生産できる「鋳型」という奴だ。
これは他の文明には見当たらないらしい。
しかしこれをもって産業革命と称されたことは
未だこれをきかじ。
630 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:23:23 0
>>622この人的に評すれば「誰でもどこでもいつでも手軽に使える
小銃が欧州に広まったおかげで欧州は勢力均衡に陥り、後の大国
アメリカ・ソ連に派遣の座を奪われた」ともなりそうだ。
一体、どこをどう読んだらそうなるんだ。
632 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:28:32 0
>>626その中世とはイスラムの影響を一切書かず、単にルネサンスを
待つまでの悲惨な状況、ってだけだろ?
>>602 レーダーと原爆じゃ全然違うと思うぞ
原爆は要は「すんごい爆弾」であって、普通の爆弾を知ってる奴ならその有効性ぐらい直感的にわかる
634 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:37:42 0
白人に逆らうなよw
635 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:39:31 0
>>619 >日本人は「彼らが白人の仲間にならなかったからさ」というが、
>>621 >そればかりかまるで自分たちが欧州人になったかのように白人と
>その歴史観を共有し同一視していることも見ていて腹が立ちます。
なんか違和感ありすぎ。君、中国人?
>>628 石火矢は大砲の原型ではなく、大砲です。
中国で火器の原型というなら宋代の「突火槍」などのほうが古いから
そっちを挙げたほうがいい。
というかあなたはアジアで火器の軍事利用が行われていたことを
ちゃんと知っているのに、なぜヨーロッパ人以外は火器を使わなかった
というようなことを主張するのですか?
>>632 最近では十字軍などの影響により先進的なイスラム世界の文化が
西欧に流入し、それによって「12世紀ルネサンス」が興ったとされている。
638 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 01:19:12 0
欧州はインチキくさい「ギリシャの火」だろ。
あいつらなんですべてを古代ギリシャから持ってくるんだろ。
欧州の独自性を主張するためでつ
欧州ってか押収でつ
640 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 02:28:33 0
弩について質問です。
あれは今で言う狙撃銃のような役割を担っていたのではないでしょうか?
矢を充填するのに時間がかかるが、軌道が安定し、しかも遠くまで飛ばせるという・・。
そんなわけない。ライフル加工した狙撃銃と、原子的な構造の弩の、
どこに共通点があるのか?世界史をやり直して来い。
642 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 06:07:13 0
チャンコロにかまうバカがいるw
ようするに必要は発明の母ってことでしょ。
ヨーロッパが1つの国に統一されていたら戦争技術を発達させることはなかった。
近代的な火器を発達させるには、
高度な冶金技術がなけりゃ砲身を製造も改良も出来ないし、化学が発達してなけりゃ火薬を改良出来ない。
もちろん設計するには物理や数学が必要。
空気抵抗や、材料の特性や、高速で発射された物体の挙動や、モノに当たったときの破壊の様子が分からなければ、最適な砲弾の材質と形状を求められずタダの丸い弾をつくり続けることになる。
それに士官が三角関数を使えなきゃ野砲の間接照準は出来ない。
兵器が発達すればするほど、製造にも運用にもハイレベルの科学知識が求められる。
近代戦の兵士は皆熟練した技術者。
「恣意的」の言葉の意味知ってますか?
645 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 16:51:27 0
つまり白人はIQが高いから「近代兵器」を操れ、
それ以外の人種は野蛮だから黒色火薬程度で終わった、
ということですね、わかります。
>>629 鋳型は金属製品の生産工程においての一部に過ぎない。つまり他の過程が
ボトルネックになればそう劇的には生産効率は上がらないよ。
噛み砕いて言えば、鋳型に流し込むための大量の金属はどこから用意する?
鉱石の採掘・運搬・精錬・鋳造後の鍛造等々を一度に解決できなければ
「革命」とまでは言えんだろう。
>>640 突き放すような言い方だが、共通項だけを挙げれば同じとみなせるし
差異だけをあげつらえば全くの別物ということになるだろうよ。
弩がまさしく狙撃銃として扱われた例もあればまるで異なる運用をされたこともある。
どっちとみなすかは自由だが、自説に都合よく片方を無視したり使い分けたり
すれば多分怒られるだろう。
>>641 生憎だが、弩にもライフル銃と同じようにジャイロ効果を利用したものもあるよ。
>>619 >だがなぜ清代はさらに発展した重火器を取り入れることが
>できなかったのか?
火薬を用いた発火装置・銃床を備えた一人で扱える銃・車輪式砲架を備えた青銅鋳造砲…
これらの西欧で発展した火器の技術はなべて明の時代に取り入れ終わっている。
そして次の画期的な技術、雷管・ミニエの原理によるライフルの一般化・実用的な後装銃・金属薬莢…
全て19世紀の発明だ。そして19世紀は清でもアヘン戦争・アロー号戦争を経て「洋務運動」による
兵器の西洋化が行われた時代だ。
つまりそもそも前提が間違ってるんだな。
648 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 20:09:35 0
>>647 あんたの言う通り清でも「洋務運動」により兵器の西洋化が行なわれた。
ではなぜ清国の衰退は止まらなかったのか?
以下に日清戦争を観察したイギリス人作家の著作を読んでみる。
仮に兵士がライフル銃や近代武器を持っていたとしても、その武器は銘柄が
ばらばらである。したがって薬包も種類とサイズが20種類ほどにも異なっ
ているのに、その分類ははなから放棄されている。地面の一角にあらゆる
種類の薬包をごちゃごちゃに積み上げ、兵士たちがそのなかから自分の
武器に合ったものを選ぶのであるが、なかには九つも十も試してようやく
自分のを探し当てると、不要の薬包を投げ捨てて山に戻す兵士もいる。
・・・・(中略)・・・・兵站部はまったく無能であるばかりかとんでもない
不正を働き、物資が集められても請負人がそれを売って自分の儲けに
してしまう。したがってあらかじめ用意された食料や飼料はほとんどなく
ほんのしばらくで兵士たちは勝手にものを盗みだし、馬や輸送用のラバを
食べはじめる。
ネタ元 朝鮮紀行 イザベラ・バード P270
>>646普通はあふれるほど金属が手に入り、流通し、需要があるからこそ、
供給面を改善したいがために、いちいち手作業で
金属の鼎なんかを作るのが面倒だから鋳型を発明する流れに
なると思うのですが。鋳型だけぽんと原始人の中になって、
そこだけ異常に発達してた、なんてそれこそありえないだろ。
白人って本当に有色人種が嫌いなんだねえ。
>>647そもそも欧州が「持ってきた」改良された武器文明を取り入れる
運動を、現場のダメさ加減を知っていた清の官僚は散々訴えていた。
だがご存知西太后だの、尊大なだけのあの中国意識?によって悉く
無駄になった。日本のごとく国体を保持したまま武器文明だけ「更新」
する智慧は清朝にはなかった。
ところで欧州の「洋務運動」はなかったのかな?
イスラム科学・建築を取り入れるとき、やっぱり
「あいつらは異教徒だから排斥しろ!」ってことには
ならなかったのかな?欧州人は何かというと
「古代ギリシャからヒントを得て自力で・・」と
いうけど、イスラムからは何にも影響を受けていないの
だろうか?
>>650 中体西用で「武器文明」だけ「更新」しようとしたが結局は失敗している。
兵器だけは最新になったが。
洋務運動を主導した李鴻章、張之洞、曽国藩、左宗棠は当時の中国の指導層に位置していたし
李鴻章は実質上のトップだった。
また、西太后は洋務運動に関しては何ら反対も邪魔もしていない。
(政体の改正や宮廷改革は指向されていなかったので)
武器や兵器などの表面だけ真似ようとしても追い付かない。
日本の成功にしても政体の変更や各種の社会改革あってのこと。
>日本のごとく国体を保持したまま武器文明だけ「更新」
戦前まで使用されていた「国体」といえば「天皇制」のことでしょうが、む
しろこれの存在以外は天皇をとりまく文化も含めて変えまくりましたよ。
欧米化と水戸学の論理による変化(神仏分離や皇国史観の定着)が急速に進んだ。
ただ「国体」という言葉自体は『春秋穀梁伝』以下の漢籍にも登場するものの、
近代日本での用例は19世紀前半に水戸で生み出された新しいもので、実際に
は「古代から続いてきたのが国体」というよりは、「古代から続いてきたとす
る理念」が当時の国体であり、明治日本の理念といってもいいもので、保持以
前に当時の日本を「国体」抜きに考えることは無理ですね。
抜きで存在していたら、少なくとも我々が史書で知る日本ではなくなる。
「国体」自体はあくまでも理念であり、概念であって歴史上確かに存在したか
といえば、眉に唾をつけて望まねばなりませんが。
歴史板である以上、イデオロギーには左右を問わず慎重に望まねばならず、世
界史板である以上、元々漢籍に見えていた「国体」の語が歴史上においてどう
「変えられていったのか」ということに注意を払う必要はあると思います。
あたかも実体の存在するものであるかのように「国体」という言葉を無批判に
使用すべきではない。左翼用語の「天皇制」も同様。
>なぜ明・清でこれほどまでに遅れてしまったのか?
ハイテク機器を発明しても小さな島国に改良、小型化、量産化されて
直ぐに追い抜かれるのと同じさ。
655 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:05:31 0
>>651 >イスラムからは何にも影響を受けていないのだろうか?
今【12世紀ルネッサンス】という本読んでます。ムチャクチャ影響受けてます。
そもそも古代ギリシャの学者や書物のほとんどはイスラム帝国に移動しました。
なぜならまず西ヨーロッパはゲルマン民族の大移動と西ローマ帝国の滅亡に
よりムチャクチャな混乱状態となり、それが収まったと思ったらバイキング
が暴れまわってまたメチャメチャ、それに教会の異教徒迫害が加わって
古代ギリシャ・ローマ以来の文化・科学は軒並み否定された。
東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はまだましだったがここでも異教徒
迫害があった。結果地中海の学問は学者と書物ごと軒並みイスラム圏に
移住さらに迫害されたユダヤ人の移住もあった。彼らにより古典文化は
イスラム社会に伝えられ、それにペルシャ文化、インド文化も加わって
イスラム・ルネッサンスが開花した現在世界中で使われている1234
567890と言うアラビア数字と+−×÷=≧≦√などの公式記号は
イスラムで独自に開発された。これらのイスラムの書物を翻訳して
ヨーロッパに紹介したのが12世紀の大翻訳時代でありギリシャの古典古代
文化もほとんどこの時代にアラビア語からラテン語に翻訳された。もちろん
イスラム独自の文化も翻訳された。15世紀ルネッサンスがイタリアで発生
したのは偶然ではない。12世紀の大翻訳の舞台はイタリアの踵シチリアと
スペインだった。そのうちスペインはキリスト教徒の再征服運動と異端審問
の中心地になってルネッサンスどころではなかったからシチリアのみが残り
それを受け継いだイタリアにルネッサンスが興った。
なるほど。なぜ欧州は社会体制も思想もすべて変えなくても
洋務運動(イスラム科学の吸収)ができたのでしょうか?
>>652さん曰く「科学を取り入れるのは思想も統治方法も
信じる神様も根こそぎ壊して相手のマネをしないと無理」
だそうですが。
西太后は当初「欧米化」には反対の立場をとっていた。
だが最晩年にすこし変わったらしい。
658 :
652:2008/06/28(土) 22:13:39 0
>>656 >>652さん曰く「科学を取り入れるのは思想も統治方法も
>信じる神様も根こそぎ壊して相手のマネをしないと無理」
>だそうですが。
そんな事は一言も言っていないんだがなぁ。
相手が言ってもいない事で絡んで反論するのは不毛だよ。
>>656 Aの発言を元に、Bに質問してるのだろうか?
>>653支那にも「周は殷の制度を新しくしたが根こそぎ滅ぼしはしなかった」と
あるように、わが国で天皇を残し、その取り巻く環境や立場を変えることは
なにも「古代から連綿と続く天皇制を維持したというウソ八百のご都合主義」には
ならないだろう。
>>658すぐ上で
>日本の成功にしても政体の変更や各種の社会改革あってのこと。
と言ってるじゃないwなぜ欧州はイスラムからアラビア数字だの、
酸性・アルカリ性だのといった科学的技術を取り入れる際は
まったく政体も社会改革もせずに成功したんだい?白人だからか?
662 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:20:25 0
>>651 >イスラム科学・建築を取り入れるとき、やっぱり
「あいつらは異教徒だから排斥しろ!」ってことには
ならなかったのかな?
ありました。
イスラムから学んだ科学を教える大学は批判の的になり教授は『魔法使いだ』
と言われました。
今、ハリー・ポッターの映画で魔法使いのおばあさんが、でっかいナベの中で
怪しげなスープを作り、木の杖でぐつぐつ煮える中身をかき回している場面が
ありますよね。むかしの童話でもよくあるヤツ
あれはイスラムの薬剤師の製薬現場そのものなんです。違いは薬を作っている
のが魔法使いのおばあさんじゃなく、ひげ面にターバン巻いたおっさんだと
いうこと、出来たのが魔法の薬じゃなく、真っ当な薬だということです。
この薬が当時のヨーロッパの薬に比べて格段によく効くことから
『ありゃ魔法の薬だ』ということになったんです。
663 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 22:21:05 0
>>655それでも結局そういった「科学の起源」は
「古代ギリシャ起源」になるのですね。
バルカン半島はどうしてそこよりはるかに豊かな
ペルシャやインドを凌駕するような知識の集積地と
なったのだろうか?ムー大陸からIQ十万くらいの
白人の祖先が移り住んだからだろうか?
それとも
「すべてギリシャ起源」と偽っているだけなのだろうか?
664 :
世界@名無史さん:2008/06/28(土) 22:23:08 0
>>662でも欧米白人は「ムスリムたちが到達したのは
精精錬金術で、科学(物事の連続性・要素の抽象)は
俺たち白人が科学革命で発見した」と主張してますが。
>>661 それを「根こそぎ壊して」と読み取るのがおかしいと言ってるんだよ…。
欧州だってイスラムの文化・科学を吸収する過程やルネサンス、市民革命等で
社会体制や思想は変わっていってるよ。
何もかも根こそぎ壊して一瞬で変わったわけじゃないって。
白人だからとかアジア人だからとかそういう人種論は関係無いの。
666 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:29:30 0
>>661 >科学的技術を取り入れる際は
まったく政体も社会改革もせずに成功したんだい?白人だからか?
日本や中国と違って時間をかけることが許されたから、ゆっくりした
変革で大丈夫だったんじゃないかな、すごく大雑把に言うと
イスラムから科学を導入するのに100年、消化吸収に200年
独自のルネッサンスの開花に100年さらに18世紀の政治革命
と産業革命で700年かけてる。
それを数十年でやらなきゃいけなかった日本と中国ではどうしても
大変革になってしまう。
ルネサンスで統治方法が変わったっけ?
なんで支那などの有色人種国家は「欧米の
科学を取り入れるにはその社会・思想・
統治形態も変えなければならない」と
評するのに、欧州だけは何にも変わらずに
イスラム文明を取得できたの?
それもやっぱり「古代ギリシャ文明」が
両者の文明の祖だからですか?
>>666欧州はなんどもイスラム帝国の侵略を受けてますよ。
>>664 マジで言ってる?アンカーミスじゃないの?
そうでなければ君は歪曲の天才だな。
>>662からそこまでねじ曲げて導出できるとは!
670 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:33:26 0
>>667 イスラム文明の取得だけなら大変革までは必要なかったよ。
その後の政治革命と産業革命を取り入れないとヨーロッパには勝てない
なあ原子爆弾はユダヤ教徒がマンハッタン計画で開発したものじゃん?
でもなんでキリスト教徒がそれを使用してんの?ユダヤ教に改宗しないと
原子爆弾の構造なんて理解できないだろ?
>>670きたよ「産業革命」wまさに白人史観だなw
多分
>>656以降を理解するのには思想から変える必要があるんじゃないかな?
674 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:41:58 0
>>668 >欧州はなんどもイスラム帝国の侵略を受けてますよ。
当時のイスラム帝国には近代兵器も電信も蒸気機関もなかった。
実際戦闘でも勝ったり負けたりでイスラムがスペインを取ると
キリスト教徒はパレスチナを取るという感じで差はなかったと
思うよ。
科学技術の差が戦力の差になって現れるのは、やはり産業革命後だね
675 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:47:55 0
>>672 >きたよ「産業革命」wまさに白人史観だなw
他になんて表現するんだよ。日本や中国が改革を急いだのは
蒸気機関や反射炉を使った近代兵器、そして近代兵器と軍事費を稼ぎ出す
機械工業これを無視した改革はありえない
改めて聞く他になんて表現するんだ!
676 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:54:08 0
>>669 >マジで言ってる?アンカーミスじゃないの?
そうでなければ君は歪曲の天才だな。
いや彼が言いたいのは『白人はこんなに捻じ曲げた考えをしていますよ』
と言う事だろう。【彼の考え】ではないと思うよ。
677 :
世界@名無しさん:2008/06/28(土) 22:57:34 0
>>671 >なあ原子爆弾はユダヤ教徒がマンハッタン計画で開発したものじゃん?
でもなんでキリスト教徒がそれを使用してんの?ユダヤ教に改宗しないと
原子爆弾の構造なんて理解できないだろ?
いや宗教は関係ないと思うが・・・・・
ざっと読んだが、
>>656の住んでる世界では日本はキリスト教国になってるのか?
「野蛮なムスリムは精精様々な金属や泥なんかを
こねて溶かして適当な合金を金ができたといっては
バカなスルタンに渡していた。だが我々欧州人は
17世紀の『科学革命』を経て、何があると金になるか、
ならないか、という酔うその抽出、つまり
物理法則を発見した。その後『産業革命』が
起こると欧州は飛躍的に発展し、もはやイスラムの
錬金術など取るに足らないところまで到達した。
これらはすべて古代ギリシャ文明の文献から
我々が独自に考え再考し生み出したものだ」
これが白人の主張ですよ。日本の世界史とおなじですけどね。
>>638 「ギリシャ火」は焼夷兵器であって火砲ではありません。
>>648 「洋務運動」で西洋の兵器を取り入れたという事実と、
それでも衰退が止まらなかった現実が矛盾無く説明されているね。
何の反証にもなってないどころか逆に裏付けているよ。
>>650 >>652 それ以前に清末期の事象を見るに、「中国だからダメ」というより、
清という国は既に「中国としてもダメ」と思わないかい?
つまり西洋の技術や文明思想を受け入れられたとか出来なかったとか
以前に、国として腐敗し外圧を受け衰弱して自然と滅亡したと。
最初の大きな外圧であるアヘン戦争から滅亡まで70年、むしろしぶとく
持ちこたえたように見えるよ。宋や明はその半分で滅亡に至っている。
(それぞれ端平入洛とサルフの戦い)
「洋務運動」はうまく成果を挙げず結局清は滅亡したという見方、
逆に一定の成果を挙げて一時的に息を永らえさせたという見方、
うまくいったがそんなことは関係なしに滅亡したという見方、
いずれも成立するのではないか?
>>681 >清という国は既に「中国としてもダメ」と思わないかい?
それに関してはその通り
明より遥かにマシだったけど
>>663 ギリシャも古代文明の中では新しいもんだし、
それ以前の文明の影響下にあるだろ
685 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 00:51:19 0
銃というハードがあってもソフトがダメだと効率的に運用できない
115 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 16:02:36 0
日清戦争の時に、清の敗因として
清軍は密集陣形しかできない。
なぜなら分散陣形をすると兵が逃亡するから。というのがあって。
中国では昔から大軍団の兵制しかできないんじゃないかと思う。
↑これってどうなんだろう?
南北戦争じゃあるまいしあの時代で密集陣形はほとんど自殺行為だと思うんだが
>>684古代ギリシャ文明ってやけに唐突に現れた感じがするよね
688 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 03:02:57 0
清そのものは支那の王朝より遥かに技術革新や外に目を向けた文明だよ。
擁正時代とかすごいよ
末期はむしろおきまりの宦官腐敗&国力の限界と見るべき。
>>687 ギリシャ以前の文明ってかなり長期にわたって少しずつ発展していってるけど、
ギリシャはなんか、最初っからある程度の技術等を持った人がやってきてそこに作ったって感じ。
690 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 05:20:14 0
>>688そんなことないだろ。ポルトガルの宣教師が地球儀だの
望遠鏡だのを持ってきたときは文明を更新するいい機会だったのに
「子供のおもちゃ」なんて言い捨てるんだぜ?
近代における戦争は技術よりもまず国民国家と中央集権体制をいかにつくりあげるかにかかっていると思うがなぁ。
清は腐敗しててダメだね。敵前逃亡するならどれだけ高性能な兵器つかってようが関係ない
>>690 それは明の時代。
>>692 曽国藩とか李鴻章の編成した軍隊は正規軍の八旗・緑営よりはだいぶマシでしょ。
宦官などと言っている時点で、
>>688は清を知らない。
おそらく明との区別も付いていない。
「おきまり」とやらで分かった気になっているだけだ。
695 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 14:53:13 0
>>689 >ギリシャはなんか、最初っからある程度の技術等を持った人がやってきてそこに作ったって感じ。
ギリシャ文字の元はフェニキア文字であることは分かっている。
そしてフェニキア人が高度な文明を作っていたことも
もしかするとギリシャ文明のかなりの部分がフェニキアのパクリじゃないだろうか?
フェニキア国家カルタゴがローマ帝国に滅ぼされ旧カルタゴ領が軒並み
ローマ文明に同化していったので分からなくなったのかもしれない
696 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 15:07:17 0
>>693 >曽国藩とか李鴻章の編成した軍隊は正規軍の八旗・緑営よりはだいぶマシでしょ。
うん、遊牧民との戦いでは強さを発揮して圧勝した。そしてここから
モンゴル人より漢人を優遇する政策に切り替わった。
でも日本や西洋との戦いではあいかわらず負け続きだった。
考えてみると中国軍が強さを発揮した近代戦って朝鮮戦争ぐらいか?
他にあったっけ?
697 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 15:22:41 0
今になってみると同じ漢民族筋でも台湾とは違うようだな。昔は大陸の漢民族も良いところがあったんだなあ。懐かしむは台湾か。
>>696 淮軍や湘軍が戦ったのは太平天国など漢人の叛徒では?
699 :
世界@名無史さん:2008/06/30(月) 03:35:23 0
>>693明のなんて皇帝の発言だっけ?それと年代はいつだっけ?
俺、最近脳細胞が酒のせいで死滅してるんだよね。もう
三分の一くらい昔のことは忘れてしまったw
700 :
世界@名無史さん:2008/06/30(月) 06:43:28 0
>>670その「社会革命」とか「産業革命」は
彼ら曰く「アテナイの民主制と古代ギリシャの
文明から参照にした」と言ってますが。
つまりイスラムなんてなくても独自に改革
できたわけです。有色人種の戯言はつまらないよ。
もっとマシなギャグをいいな。
>>700 あんた、ちょっと前に自分で12世紀ルネサンスについて書いてなかったっけ?
703 :
世界@名無史さん:2008/06/30(月) 11:01:09 0
>>700 >イスラムなんかなくても独自に改革できたわけです。
無理だと思います。
ヨーロッパがイスラムから取り入れた最大のもの、それは
【1234567890】と【+ー×÷=≦≧√】などです。
これなしで建築や機械、工業などが今の水準までいけるとは思えません。
特にインドからイスラムに伝わった【ゼロの概念】は重要
704 :
世界@名無史さん:2008/06/30(月) 11:03:45 0
>>702 >あんた、ちょっと前に自分で12世紀ルネサンスについて書いてなかったっけ?
違います。それはわたしです。
705 :
世界@名無史さん:2008/06/30(月) 13:13:01 0
そんなことないさ。
古代ギリシャからすべてを取り入れたんだよ。
いい加減この基地外うざ過ぎるな。中世スレとかもガシガシ荒らしていたし。
世界史板のスルースキルも落ちたな…
708 :
世界史@名無しさん:2008/06/30(月) 21:56:29 0
>>706 おめーだよ、おめーが一番うざいんだよ。
709 :
世界史@名無しさん:2008/06/30(月) 21:58:02 0
710 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 00:24:57 0
まず民主主義はアテナイから。
数学はピタゴラスから。
ネジや歯車はギリシャの海底から。
蒸気機関は古代ギリシャの文献から。
科学的思考はプラトンから、
ルネッセンスで欧州の科学者たちが
古人と語り、独自に現代(中近世)に
生み出した。イスラム帝国は当時
科学を発見できずに錬金術を
行ってはいい加減な金属を売っていた
だけ。「何があるとこうなって、何が
あるとこうなるか」という
「それを形成する形而上的な要素を抽出し、
再現を試みる(証明)」という科学を発見したのは
近代の科学革命をなした欧州人ということ。
その源流は古代ギリシャ文明。
711 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 00:31:05 0
【中国】スズ鉱山 火縄銃を持った住民に襲撃される 金属高騰が背景に? 雲南省
1 : ◆KIHA55jUA2 @キハ55φ ★:2008/06/30(月) 18:24:26 ID:???0
雲南省個旧市のスズ鉱山に2008年2月ごろから武装した付近の住民が頻繁に押し入るようになり、
社会問題化している。
住民は鉱山の事務所から金目のものを盗むほか、勝手にスズを採掘して持ち去るなど狼藉を働いているという。
6月29日付で彩龍中国が伝えた。
住民は08年2月ごろから約1カ月間に渡って侵入を繰り返したため、地元当局が仲裁に乗り出した。
そして鉱山側が住民の生活を支援すると約束したことから、一時はトラブルが収まるかにみえた。
しかし侵入事件は収束せず、その後も断続的に続いた。
最近では6月23日に火縄銃などを持った住民約100人が同鉱山に押し入った。
こうしたことから同鉱山は半年間に渡って休業状態を余儀なくされているという。
現地当局の幹部は「高品質のスズ1トンが10万元で取り引きされている」と金属価格の高騰が背景に
あると指摘。更に「鉱山の一部を住民に譲ることも検討している」と述べた。(編集担当:麻田雄二)
サーチナ 2008/06/30(月) 17:27
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0630&f=national_0630_017.shtml
713 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 01:52:58 0
じゃあなんでオメーらは「欧州白人の文明を
取り入れるには白人の政治体制・思想に変えなければ
ならない」なんて主張したんだ?おかしいだろ。
白人はイスラムから科学を取り入れたときは
まったく社会変革なんて起こらず成功したのに、
なぜ我々有色人種だけが白人色に染まらなければ
ならないんだい?
715 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 02:28:32 0
「産業革命」なんて用語を使ってる時点で信用できんわ。
相手の反論を「信用」するかどうかは個人の自由としかいいようがないが
そういうだけで反論を返さなければ逃げているような印象をつくることになる。
>>638 ギリシアの火はキリスト教化したギリシア人のローマ帝国こと
ビザンツ帝国が使用していたことによる他称だよ
ギリシアがココまで評価されているのは記録を書物としてのこしているから
じゃないかなギリシアVSアケメネス朝、中国VS遊牧民をみると記録することの重要さ
を切に感じる
>>713 それは当時のイスラム教圏とヨーロッパ圏の差が社会変革を起こさない程度
の差だったのに対して
近代ヨーロッパとその他の社会の差は社会変革をしないといけないほど隔絶
していたというこではないのかな
それほどの差があったからこそ近代ヨーロッパは世界を席巻したわけだし
719 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 05:22:21 0
つまり
白人>ムスリム>>その他の文明
ということですね、わかります
>>719 どうやら問題は、近代ヨーロッパの覇権という現象を見てそれを説明するのに
人種的優越しか思いつかないキミの見識の狭さのようだ。
ログを読み返してみればわかると思うが、キミ以外の人たちは
近代ヨーロッパの覇権が起こった「理由」については留保している。
ムスリムが野蛮だとか非白人が劣等だとか叫んでるのはキミだけ。
722 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 11:17:37 0
つまり白人は何をやっても成功する神に選ばれた人種であり、
その要素は「古代ギリシャ文明を模倣したから」であり、
イスラムはその偉大なギリシャ文明を中途半端にしか理解せず、
錬金術程度で終わった、と。しかし知能の高い白人はそこから
科学を発見し「産業革命」を起こして他の有色人種の文明を
圧倒し、覇権を成立させ、アレクサンドロス三世のように
東方に文明を伝達した、と。で、支那はもちろん、日本のごとき
ダメ文化はプラトンを信奉した古代の白人のように古代ギリシャ
起源の統治方法から思想・宗教まで模倣しなければ白人に
なれない、とこういうわけですね。
723 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 11:21:58 0
さらにアテナイの民主政を学ばなければ数学や科学に深い造詣をもった
賢者を見出し育てることが出来ず、
一神教を信じなければ科学を発展させることが出来ず、
「産業革命」を模倣しなければときの人々の需要に見合った供給を
満たすことが出来ないので重工業が発展しないこととなり、
欧州白人のような覇権をつかむことは出来ないという
ことですね。
724 :
世界@名無史さん:2008/07/01(火) 11:24:03 0
で日本はチャンやチョソと違って明治時代に
イギリス人男性なんかにパンパンパン・・と
日本人女性を突いてもらって「文明開化の音がする」と
ばかりに「欧州化」したので支那朝鮮より
優位に立つことが出来た、その根源は先も言ったような
欧州の「古代ギリシャ文明」を模倣したからなんですよね。
いいところを突いてるw
各スレで荒らしまくっておるなぁ、このキチガイ。
なぜ相手してやるのか疑問。
>>722-724 721に「なんで欧州が勝ち誇った原因が人種の優劣しか思いつかないわけ?バカじゃね?」
といわれても気づかずに人種の優劣の話ばかりする嫌白厨ww
クルセーダーと結論が逆なだけで頭の中身は変わらないとみえる
同一人物だろ、どう見ても。
わざと馬鹿げたことを書いて反発する反応を誘うという初歩的な煽り荒らしのテクニック。
辺境に革新的な新文明が発生する理論だな。
あまり対比にならないが、アメリカなんか何の前提も無いところに
ある程度の技術等を持った人がやってきて文明を急激に作った。
相手にする馬鹿はいつ消えますか?
まぁ奴は自演もするけどね
733 :
世界@名無史さん:2008/07/02(水) 08:37:54 0
しかし欧米白人が自称するような「古代ギリシャ文明」の
プラトンのような考え方は支那にもあったし、
大体欧州白人とモンゴロイドといったって、
人類と類人猿ほどの違いはなく、どうして白人だけは
古来から古代ギリシャ文明でゆるぎなく発展し、
支那などのその他の「アジア」はそれら古代ギリシャ文明を
基礎にした統治方法や思想に染まらねばならないのか?
さらにそんなに古代ギリシャ思想なるものが
万能で最強で「欧州が世界を席巻した要因」となるなら、
なぜ今までバルカン半島の人間は世界を制覇できなかったのか?
なぜ火薬を武器に転用できなかった?
なぜ方位磁石を発明し、航海において安定した方位を確かめる
ことができなかった?
なぜ?
>なぜ火薬を武器に転用できなかった?
そもそもビザンツ帝国等バルカン諸国に持ち込まれたとき(おそらく14世紀か)には
すでに西欧人やムスリムが兵器として使っていた。
736 :
世界@名無史さん:2008/07/02(水) 09:34:10 0
以下はホームヤード『錬金術の歴史』って本のうろ覚えなのだが
中国で錬金術師たちが不老不死の秘薬を作ろうとして火薬を発見した頃(唐あたり)
ビザンツ帝国ではもう錬金術を大真面目にやる人はいなくなって
詩や言葉遊びの題材にしかなっていなかったらしい。
イスラム圏の事情については途中までしか読まなかったのでよく分からないが
「純粋兄弟団」など神秘主義者のサークルが言及されていた辺りから見て
似たような状況だったのかも。
ちなみに「火薬で弾体を発射する筒状の兵器」を最初に作ったのは
中国人ではなくマグリブ人だったという説があるらしい。詳しくは知らないが。
739 :
世界@名無史さん:2008/07/02(水) 10:11:34 0
ウィキペディアより「火槍」から(ソースがウィキペディアかよwと
言うものは何が間違ってるか具体的に指摘してからにしろよ)。
>初期の火薬は不純物が多く混じった黒色火薬であり、
>爆発力が貧弱だったために火薬のみによる攻撃は望めず、
>主として威嚇のために用いられ、攻撃用とするには
>この火薬の中に“金属片を混ぜることによって”殺傷能力を高めて
>使用した。
宋代の重火器は現在でいう散弾銃みたいなものだったらしい。
中国で現存している最古の銃は戦前に日本の学者が発見したもので
元代中期のものだったかな? 「世界銃砲史」にもっと詳しく載ってたと思うけど。
>>735 日清戦争や北清事変でも現役だったからな。
742 :
世界史@名無しさん:2008/07/02(水) 21:39:35 0
>>733 欧米白人がもっとも聞きたくない事実は『イエス・キリストは白人ではない』
と言う事だろう。イエス・キリストはパレスチナ生まれのセム族つまり
今のパレスチナ人と同種族だ。ときどきテレビに出てくるパレスチナ人は
どっから見ても白人に見えない。
イエス・キリストは生まれも育ちも人種も民族も西アジア人だ。
白人は『パレスチナ人はイエス・キリストと同種族だ』と言う事は
話題にしない。
この点では右翼もサヨクもいやかつてのソ連共産党も同じだ。
まさしく散弾銃である明初期の「神鎗」をちょっとググってみたら某漫画ばっか引っかかる…
神鎗も弾を猛毒にひたしていたらしいが、これは火薬の質の悪さのためか、
それとも散弾銃というものの殺傷力の低さゆえかどっちなんだろう。
クレオパトラも映画では白人女がやるし…アホかと
>>731 どう見ても嫌白厨の書き込みだろ。
反論されると「じゃ古代ギリシャ人はIQが1万ぐらいあったってことなんですね!」
とか誰も言ってないようなことをさも自分に反論する奴はレイシストみたいに書いて
その後似たような人種差別的レスを3つぐらい連投したりするいつものパターン
だから逆クルセーダーとか言われるんだっての
考えすぎちゃうの?
ホワイト・ギリシャってやつか。
アレクサンドロスは必ず白人が演じて、
アケメネスはアラブ人w
>神鎗も弾を猛毒にひたしていたらしいが
具体的には砒素ですね(((;゚Д゚)))
というか元々ヴェトナムから取り入れた武器だったような。
セム系はコーカソイドだろ
「白人=ヨーロッパ人」なら、イエスは確かに白人ではない。
アラブ人は、自分たちはヨーロッパ人と同じ白人カテゴリだと思ってるから、ヨーロッパ人から有色扱いされて憤慨する。
ネオナチに言わせれば、イタリア人もギリシャ人もアラブと同じで白人ではないそうだが
実際、スラブが混じる前のギリシャ人、ゲルマンが混じる前のイタリア人、どっちもアラブのほうが近いだろうな。
ようするに地中海人種なのだが
750 :
世界@名無史さん:2008/07/04(金) 08:11:48 0
近代的な銃を作るには古代ギリシャの思想に染まらなければならないって
どこの阿呆の歴史観だよw名誉白人ばっかり。
この基地外、いつまで粘着するんだろう?
>>750 >近代的な銃を作るには古代ギリシャの思想に染まらなければならない
?
そもそも清国が兵器だけ近代化しても日本や欧米列強に勝てなかったって話だったはずだが
日本でいうと戦国時代頃の明軍
336 名前: 名無し議論スレにて投票方法審議中 [sage] 投稿日: 2007/01/17(水) 14:59:51 ID:QbkxCYPM
>>333 精鋭かどうか不明ですが火器が大量配備される軍団はあったようです。
「練兵実記」という本に薊州を防衛していた軍の編成が載っていますが
歩兵の最小単位は12名の「隊」で、火縄銃を用いる「火器手隊」と
槍などの近接兵器で戦う「殺手隊」の二種類があった。
火器手隊・・・隊長1名、鳥銃手10名、火兵(炊事兵)1名
殺手隊・・・隊長1名、藤牌手(刀と大盾)、狼筅手、長槍手、?手、大棒手各2名、火兵1名
3隊が37名の「旗」、3旗が112名の「局」、4局が449名の「司」を構成する。
2司(火器手と殺手)が899名の「部」、3部が2699名の「営」となる。
こうして構成された歩兵旅団には1080挺の鳥銃と216張の弓が配される。
その他に騎兵旅団の「騎営」と、フス派の戦車に似た「偏箱車」で陣地をつくる「車営」があり
3109名の車営には145台の偏箱車、8門の大将軍砲、256門の佛狼機砲、512挺の鳥銃を配備。
その数百年後
180 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/10/13(木) 20:15:46 0
清朝創立いらいの陸軍(八旗・緑営)はほとんど軍事的価値はなく、太平天国の乱の鎮圧に際して新設された勇軍・練軍の
二種の軍隊が一応の戦力をもっていたが、それも多くは定員にかけていた。日清戦争開戦時の兵力三十五万、開戦後の募集兵を
加えて約九十八万の兵力と称されたが、そのなかには未熟な新募兵が多く、かつ広大な領土に散在していて、運輸上の不便も
あって、実際戦場にでることができたものは、そのうちごくわずかであった。しかも、前にものべたように、これら勇・練二軍を
主力とする清国軍は北洋大臣李鴻章の指揮下にあり、いわば李鴻章の北洋(直隷=河北・山東・奉天の三省)支配の根源をなす
軍事力であって、中国全体の防衛にあたるというより、李鴻章の支配を維持するための私的な性格をまぬがれない軍隊であった。
だから、その士気においてもおとり、戦闘にあたっての指揮官のあいだの不統一もあいついでさらけだされ、近代的な統一国家の
軍隊としての性格をいちじるしく欠いていた。かつまた、装備の点でも、日本軍が日本人の体格に適した軽快な村田銃(一八八四年
村田砲兵中佐によって改良されたもの)で統一されていたのに対して、清国軍の兵器は種類きわめて雑然とし、いちじるしい場合には
一営(部隊の単位)中でも、数種を混用する有様であった。清国軍の小銃の大部分をしめたのはモーゼル銃であったが、その他にも
レミントン・グラー・スナイドルなどの小銃がまじり、さらに刀・槍・旗・幟などをもつだけのものもあって、戦闘員五〇〇名の
一営で、実際に銃をもつものは、役三〇〇にすぎないという状況であった。
中塚明「日清戦争の研究」より
清のために戦う軍閥が折らず、各々自分が皇帝になるために
清を潰そうとしていた、というのが正しいのかもな。
李鴻章あたりはそこまでする気はなかったんでは?
すべての勢力を裏切って皇帝を自称した軍閥いたよね。だれだっけ?
袁世凱?
すべての勢力を裏切ったと言えなくもないか・・・
759 :
世界@名無史さん:2008/07/04(金) 15:50:59 0
そうそう、袁世凱。李鴻章なんかもみんなそうでしょ、基本的に。
このような自分勝手な軍閥が雨後の竹の子のように沸いてくる
状況を揶揄して「現代三国志」と、時の支那人は評してましたね。
誰も清のために戦おうとしないし、かといって侵略に苦しめられてる
支那の人々を救おうともしない。支那人にとってはまさに
生き地獄の世の中でした。だからこそ人民を救うという
精神のみを売り物にした共産党が最終的に勝つことができたわけですね。
んー、実際のところ日本が鎖国してた間の銃器の進歩って銃剣ぐらいなんだが。
マッチロック、ホイールロック、フリントロックって着火方式の変遷自体は一長一短あるから。
それがライフリング+後装+金属薬莢+パーカッションロック+無煙火薬っていう近代的ライフルに変わるのがちょうど明治維新前後の数十年。
>んー、実際のところ日本が鎖国してた間の銃器の進歩って銃剣ぐらいなんだが。
無知乙
762 :
世界史@名無しさん:2008/07/04(金) 22:39:58 0
>>749 >セム系はコーカソイドだろ
>「白人=ヨーロッパ人」なら、イエスは確かに白人ではない。
>アラブ人は、自分たちはヨーロッパ人と同じ白人カテゴリだと思ってるから、
>ヨーロッパ人から有色扱いされて憤慨する。
ようするに何をもって「白人」とするか、はっきりした基準がない。
よく言われることだが、『ヨーロッパを北から南に行くとだんだん色(肌の色)
が濃くなる。北欧→ドイツ→フランス→イタリア→アラブ
イタリア南部とアラブではほとんど差がない
さらにイラン人も自分が白人だと思っている者は多いしインド人にもいる。
よおするに黄色人種と黒人を除けば全て白人ということになる。
これが最も広く取った白人
狭く取ればもちろんヨーロッパ人種のみが白人
763 :
世界史@名無しさん:2008/07/04(金) 22:48:22 0
【追加】なお、かつて人種差別の激しかった第二次大戦前
アジア、アフリカの植民地で日本人は「白人」として処遇された。
世界5大国の一員であり当時の国際連合の常任理事国5カ国の一つである
日本を人種差別することは出来なかったからだろう。
当時、日本国籍を所有していた朝鮮人はこのことをことのほか喜んだ。
それに対して「イエス・キリストと同じ人種」であるアラブ人は
「有色人種」として差別された。もちろん「白人専用の」ホテルやゴルフ場には
入れない。
765 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 00:33:17 0
結局「白人」なんてモノに大した実体はないんだな。
>>760 三十年戦争以降はよく分からないんだが
17世紀と18世紀では銃兵の運用とかもあまり変わってない訳?
イスラム圏ではずっと昔からヨーロッパ人もアラブ人もモンゴル人も黒人以外はすべて白人
その逆で、運用面は大きく進歩して火器自体もそれに合わせてチューニングされたが
テクノロジー面に注目すれば大きな進歩は無かったってことだろ。
口径の規格化は間違いなく運用面の進歩かそれに合わせたチューニングだろう。
だが火薬の配合率の変化のようなものは上に倣うのかそれとも立派なテクノロジーの進歩
としてみるべきかどっちが適正なのかは判断しかねるが。
そういえば中国人が最近南アフリカで「名誉黒人」に認定されたそうですねw
黒人と同じ優遇措置を受けられるとのこと。
770 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 09:57:50 0
軍事板もそうだけど、軍関係者って妙に白人意識が高いよね。
そういやマッチロック銃は15〜16世紀にかけて世界中に普及したけど
その後のフリントロック銃や銃剣ってヨーロッパ外で広まるのが妙に遅かったような。
オスマントルコでさえイェニチェリが銃剣の導入に抵抗してたんでしょ?
彼らの戦闘スタイルには合ってるような気がするが・・・
ああ、でも銃自体はミュケレットロックとか作ってたっけ
明でも17世紀前半にフリントロック式が独自に開発された
しかし普及に至らなかったのはフリントロック式の命中精度であることはどちかというと間違いない
盾役として連射速度を擁護するクラスが西欧ではパイク兵だったのが他の地域では
一般アーチャーだったことから確定的に明らか
つまりマッスケト銃が敵に近づいて頼れる接近武器だったのに対し、火縄銃や鳥銃たちはアワレな
敵大群を遠距離からバラバラにする役目だったのはたぶん実証されてる思うの
おもしろそうな内容だが、できれば日本語で頼む。
>盾役として連射速度を擁護するクラスが西欧ではパイク兵だったのが他の地域では
>一般アーチャー
明と後金の戦いを描いた17世紀の絵画では
明軍の鉄砲隊の前に刀と盾を持った兵士がずらりと並んでたような・・・
777 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 10:23:27 0
>>773なあ横文字ばっかで何言ってるかわからねーよ。
自国語で表記もできない腑抜けが軍事なんて語ってんんじゃねーぞ。
オカマがオモチャの機関銃もっていきがってるみてえだ。
一言で言うと「キモい」。
死ねや名誉白人。
778 :
世界史@名無しさん:2008/07/06(日) 10:29:35 0
>>777 いいたいことは解かるし、オレもフリントロック式だのアーチャーだの
何の事かさっぱり解からんが、もちっと冷静になろうよ。
ケンカになってしまうと低レベルな屁理屈の応酬になってしまって不毛だ。
779 :
世界史@名無しさん:2008/07/06(日) 10:33:19 0
>>773 で改めて聞くけど
(1)フリントロック式ってナニ?
(2)パイク兵ってナニ?
(3)一般アーチャーってナニ?
(4)マッスケト銃ってナニ?
以上が解からないということを前提条件として書き直して欲しい。
だいたいこんなところじゃないんですかね。
フリントロック 燧発式発射機構
パイク兵 日本でいうと「鑓組」
一般アーチャー 「一般」ってのが意味不明だがおそらくただの弓兵
マッスケト 「マスケット」の誤りか。
基本的に前装式滑空銃だが、「アーケバス」より大型の武器
781 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 11:33:04 0
>>778軍事板に行くとわかるが、素人をすごく馬鹿にして
「俺ってアメリカ人なんだよね」って態度に出るやつが多い。
で、そんなやつは必ずほとんどのレスをカタカナで横文字で
表記すんだ。それがカッコイイといわんばかりに。
他国を奴隷にするにはまず言語を奪い、神を殺し、
軍備をなくし、自国軍で囲っておくという基本的な植民地政策も
しらねーんだ。だから日本人がインターネットをいつまでも
自国語で翻訳することができないことに疑問を抱かないし、
軍備すらもてないことに何にも感じない。単に兵器の
性能一覧なんかを見てああだ、こうだ、なんて言ってんだ。
自国はそれを使えもしねえのに。本当に名誉白人って
嫌だよな。
782 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 11:42:20 0
まだこのキチガイは粘着しているのか
嫌白厨が一番いらねえ
785 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 19:47:48 0
つまり
>>773 を解かりやすくすると
明では17世紀前半にフリントロック(燧発式発射機構)の付いた銃が
独自に開発された。
しかし普及に至らなかったのは銃の命中精度が悪かったからだろう。
また、当時の銃は一発撃ってから次を撃つまでに時間がかかる。
西洋では、その間敵の攻撃を防ぐのに槍部隊を使った。
他の国では弓を使ったようだ。
それとマッスケト銃が敵に近づいて頼れる接近武器だったのに対し、
火縄銃や鳥銃たちはアワレな敵大群を遠距離からバラバラにする役目だった
ってところかな・・・・・書きなおいてみて解かるのは
>>773 は
横文字が多すぎるという事以上に文章がわかりづらい
【命中精度であることはどちかというと間違いない】とか
【一般アーチャーだったことから確定的に明らか】とか
【バラバラにする役目だったのはたぶん実証されてる思うの】とか
これは、
【命中精度が悪かったからだろう】とか
【弓を使ったようだ】とか
【バラバラにする役目だった】とかでいいと思う。
786 :
774:2008/07/06(日) 20:09:02 0
おもしろそうな話が日本語でないと残念で自分の言語能力を嘆きたくなる。
>785 翻訳GJ!
787 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 20:30:45 0
40年ほど前、ジェームス・コバーン(スピーク・ラークのCMのオッサン)主演の
「電撃フリントアタック作戦」「電撃フリントGOGO作戦」という映画があってな・・・
横文字だから分からん説明しろ!云々以前に燧発式がどんな物か分かっているとは思えないな。
789 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 20:45:36 0
日本史に出てくるゲベール銃みたいなものか?>不倫とロック
790 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 21:05:52 0
弩はその横文字構造だとなんと呼べるの?答えてくれ、白人。
791 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 22:35:54 0
横文字構造って何?
>>789 ゲベールは雷管式。火打石式は確か吉宗の時代に御前で実射してるが、雨でも撃てるのはいいが、まったく当たらNeeeeee!!てんで不採用。
(ゲベールも火打石も硬いハンマーががちゃんと火皿を叩くんで銃が揺れるんだ。火縄だと柔らかい縄がクッションになるから揺れない。
欧州の軍用銃は横一列の横隊同士で撃ち合うから命中精度悪くても問題ないが、江戸時代の日本の銃は狩猟メインだから命中精度重視)
フリントロックとかパイクがわからない奴がこのスレに来るなよ
パイクを槍なんて訳したらパイクかスピアかランスか分からんじゃないか。(一応上の例なら文脈で理解出来るだろうが)
ミニエー銃もカルバリン砲も訳せとか言わないだろうなw
戦前に在野のバカが始めた敵性語排斥運動に、日本海軍がブチキレた理由がよく分かる。
無知は恥だ。知らなかったらググれ。
翻訳といえば
↓の「ピケーロ」も本当にパイクを使ってたのだろうか
296 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/10/03(火) 09:06:44 0
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻
ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。
795 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 11:33:19 0
>>794 >本当にパイクを使ってたのだろうか
使ってたと思うよ。よく統制された歩兵の大集団(数千〜数万)を効果的に
使うにはパイクが一番、
パイクの利点
(1)騎馬や弓、銃、剣に比べて短期間の訓練で実戦投入可能
よって農民兵や徴集兵でも可
(2)長槍は値段が安い→馬と銃は高い、弓は矢を消耗する
(3)以上により安く短期間に大軍を編成できる
欠点
(1)正面攻撃では強いが側面や背面からは弱い→騎馬隊や弓隊の援護が必等
(2)パイク兵が逃げないことが強さの絶対条件
弓や鉄砲で仲間がやられても直ちに方陣を組直差さくてはならない
騎馬隊の突撃は正面から見ると非常におっかないが一部でもビビって
足並みが乱れ、そこを敵に突かれると全面崩壊する危険がある。
以上はあくまで「比較的」です。騎兵隊や弓隊、銃隊に比べて
796 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 12:26:01 0
世界史を全般的に見ると兵器と戦術の変化が社会の変化を呼ぶようだ。
(1)青銅器の時代→青銅器を持った一部の戦士が戦争の主力→貴族文化の時代
(2)鉄器の時代―→鉄器は青銅器に比べて安い――――――→ギリシャ民主化
(3)騎兵の時代―→馬と重装備を整えられるのは一部の騎士→貴族文化の時代
(4)パイク兵――→騎士に対抗できる歩兵出現――――――→ルネッサンス
(5)銃兵の時代―→歩兵の大軍中心、騎兵は補助―――――→フランス革命
ひじょーに大ざっぱですが
>騎兵の時代―→馬と重装備を整えられるのは一部の騎士
しかし重装騎兵はそもそも封建領主ではなく
ペルシアやローマなどの帝国が大規模に投入したもの
>>796 時系列がむちゃくちゃすぎね?
長槍歩兵密集陣の復活は初期ルネッサンスが一段落した後の話だし、銃はルネッサンス末期からイタリア戦争にはすでに普及してるし、
銃が歩兵の当然の装備になった三十年戦争からフランス革命まで一世紀半あいてるが。
>>795 (1)と(2)は相矛盾することが多いのが悩ましいところ。
800 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 20:04:55 0
だから、おーざっぱって言ったじゃんかよ〜
5,6行で分かりやすく書くにはこれが精一杯なんだよ〜
だったら見本みしてよ見本
>>776 北方警備にも当たった明後期の大名将戚継光は火箭や銃を装備しつる兵と槍兵や盾持ち兵を
混合して運用その死後後金と直接戦った孫承宗はそれを発展させて歩兵と騎兵や車兵をミックス
ふつう弓兵と白兵戦を行う部隊は分けるでしょう?明後期ではそうでもないことは確定的に明らか
その文の意味する所はつまり西欧では銃兵はいわゆる重装歩兵タイプ他の地域では弓兵タイプ
として扱われていたということの証拠でも明後期ではレアかもしれないケースで重装歩兵タイプと弓兵タイプ
ミックス運用すつるそれだけ
>>792 ナメタ揚げ足取りをすると火打ち式でハンマーが叩くのは鋼鉄の塊の当り金
そこから火花が下に置けらる火皿に落ちて点火英語で言うとファイアリング
雷管式には火皿が無いことは確定的に明らか
>>795 そうでもなくてつまり狼筅やコルセスカに似るトウ[金党]のようなパイクと呼べない槍タイプ武器を
持つる兵士をパイク兵と便宜的に呼んである可能性が高いと理解
戚継光チームでは長槍手トウ手狼筅がミックスついでに狼筅は槍よりはるかに重いのに長さはパイクと
近いこのことから長槍手の持つる槍をパイクと同等と判断することにはどちらかというと大賛成
>>800 大雑把にまとめたのはあなたそれでその言い分はあもりにもひきょうすぎるでしょう?
最初の一行に同意を求めることに専念するのが脇に外れない秘訣
>>785 黄金の鉄の塊の言葉を理解するお前はブロンティストの素質がある
>>801 戚継光の鴛鴦陣は、前列の刀牌手が敵の刀による攻撃を防いでる間に
後列が長柄で刺突を繰り出すフォーメーションだが
西欧のパイクは騎兵突撃を防止するためのものという違いがあると思う。
あ、でも「練兵実記」ではモンゴル軍と戦うときも鴛鴦陣使ってたっけ?
しかしモンゴル騎兵は遊牧民式の軽騎兵だ罠。
803 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 12:57:44 0
>>793馬鹿か。自国言語で訳せないなら、さっさとアメリカでも
イギリスにでも服従し、植民地にでもなればいいじゃねえか。
日本という国を守り、強くしたいからこそ、外国の文明を
「自国に」取り入れるんだろ。すべて受け入れるなら日本という
国を持つ必要などない。
おい、女。白人に乗っかられて混血児でも生んだらどうだ?
>>803 キミの考えている「自国言語」には例えば漢語や漢語を通過したサンスクリット語が
ふんだんに取り込まれているわけで、西洋語だけ特別扱いして排斥する理由もあるまい。
たぶんキミ自身の中に、日本を欧米より一段下に見るような意識があるので
そのせいで西洋語を取り入れることをことさら屈辱と感じるのだろう。
805 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 13:53:57 0
支那表意文字にはきちんと倭読みがあるし、
西洋語はつまりところアルファベットのことだろう。
支那で生まれた表意文字は形を変え、読みを変え、
いたる地域に伝播している(現在支那共産党が
その末裔としているが噴飯ものだ。現代支那も
その後継者の一人に過ぎない)。アルファベットも
そうだ。だが俺が言っているのは文字じゃない。
言葉だ。自国の言葉に言いなおせるのに、なぜ
訳そうとしない?なぜ言葉ごと言い換える必要がある?
明治の維新の時みたいに白人に女をあてがい「パンパン
パン・・と外国大使館から文明開化の音がする」という
根性が抜けきってねーんだろ。
806 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 14:01:58 0
17世紀いっぱいイギリスとフランスは植民地獲得競走で争い
北アメリカとインドで何度も衝突した。
今考えると二大国同士で争そうより不可侵条約を結んで他の弱小国を
襲った方が良かないか?
オランダはインドネシアを植民地にしてるしポルトガルはブラジルを植民地
にしている。
『イギリスとフランスは仲良くする。
フランスはポルトガルに言いがかりを付けて戦争する。
イギリスはオランダに言いがかりを付けて戦争する。
フランスはブラジルを取る。イギリスはインドネシアを取る』
やっぱり強い者同士でケンカするより金もってる弱いヤツに因縁つけて
ぶん殴って金を出させた方が良い。
>>806 繊維産業の原料供給地である北米とインドを勝ち取った結果
イギリスでは産業革命が促進された
当時のフランス、イギリスは似たような社会状況で
もしフランスが勝ってたら、
イギリスでなくフランスで産業革命が起こった可能性があるんだよ
結果論からして正しかったんじゃないの
>>805 >支那表意文字にはきちんと倭読みがあるし、
>西洋語はつまりところアルファベットのことだろう。
804では文字じゃなくて語彙の話をしてるんだが?
>だが俺が言っているのは文字じゃない。
>言葉だ。自国の言葉に言いなおせるのに、なぜ
>訳そうとしない?なぜ言葉ごと言い換える必要がある?
キミもしかして、例えば「ストライク」は英語で
「いい球」「当り」といえば日本語だとか勘違いしてない?
英語だって語彙の7割は外来語なんだから
そんなに神経質になることもないだろ
キチウヨの活動家だろ
相手にするだけ時間の無駄
811 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 15:49:06 0
>>807また「イギリスは産業革命起こして世界を変えた」かよ。
実際は北米をフランスに独立させられて、カナダを取ったあたりから
イギリスの没落が始まったんだよ。そして「産業革命」は
何を以て「革命」なのか説明しろよ。白人専用のオマンコガールズなら
それくらいできるだろ?
812 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 15:50:29 0
>>810おい、先祖がパンパンがモノしゃべってんじゃねーぞ。
女、さっさと沖縄か横須賀いって米兵に股開いてこい。
>>145あたりから湧いてきて、
>>604あたりから粘着を続けているキチガイさん、
いい加減死なないかなぁ
かまうから生き生きしてくる
ほっとけば、すぐ死ぬよ
ヤクザがシマの縄張りを分けるとする。
話つけた直後はそれでいいかもしれないが、
だんだん、シマの経営で差がつくだろう。
思ったように金と子分を集められるとこ、られないとこ。
で、力つけた組が最初につけた話を反故にして
よそのシマをぶんどるかもしれない。
欲が深い奴なら自分が率先してやるだろうし
その気がなくても相手がやるかもしれないと考えれば
今あるシマだけで満足するわけにもいかなくなる。
ってのと同じじゃないの?
不可侵条約なんていつまでアテになるかわからんのが
戦争しまくってた欧州人の常識。
日本人はそれを知らんかったから
欧州の情勢は不可解で内閣は退陣するし
ソ連にあっさり掌ひっくり返されるし
誰か一人でも「日本は白人の侵略から日本周辺を守るために
立ち上がったんだ!」って言ってくれよ。
>>811 wikiにのってるから自分で調べろよ
>>産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)とは、
>>18世紀から19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業の変革と、
>>それに伴う社会構造の変革のことである
>>近年では産業革命に代わり「工業化」という見方をする事が多い。
>>ただしイギリスの事例については、従来の社会的変化に加え、
>>最初の工業化であることと世界史的意義を踏まえ、現在でも産業革命という用語が用いられている
工業化をもって「革命」ということだ
ただ西ヨーロッパ全域が既に産業革命以前にプロト工業化をおこなっていたこと
イギリスで劇的に工業化が先んじたのは植民地の存在が大きいということだ
>>イギリスについて目を向ければ、労働者階級の成立、中流階級の成長、
>>および地主貴族階級の成熟による三階級構造の確立や消費社会の定着など、
>>1760年代から1830年代という「産業革命期」を挟んで大きな社会的変化を見出すことができる
>>801 >すつる
>置けらる
>持つる
方言?
>確定的に明らか
>可能性が高いと理解
>どちらかというと大賛成
>黄金の鉄
変な日本語を使うな。ギャグでやっているのか。
>扱われていたということの証拠でも明後期では
読点を入れろ。
>>817 馬鹿の相手すんな
変なのが涌いてるせいで俺の寿命がストレスでマッハなんだが
いい加減にしないと俺の怒りが有頂天に達する
822 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 15:51:59 0
>>817ぜんぜん「革命」じゃないじゃん。なんでイギリスの自称なんかを
歴史の名称にしてんだ?
823 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 15:55:10 0
かつて支那で大量に紙を生産でき、印刷術も発展し、
紙幣さえ作った時代を「産業革命」なんて称さなかったし、
日本人は絶対モンゴロイドの発明や繁栄を認めないから
「え?宋代は単なる有色人種の勘による生産力の
ちょっとした向上にすぎないだろ?科学を発見した
イギリスの産業革命の足元にも及ばんよ。まあ、
もう少し肌の色が白かったら産業革命を成立させる
ことができたかもな。HAHAHAHA!」なんて
レスばっかり。
824 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 16:03:34 0
>工場制機械工業の導入
こんな抽象的な言い方で「産業革命」なんて名称を得られるのか。
それなら数千年も前に蚕を同じ場所で大量に飼育し、その繭を煮、
機械仕掛けの紡績機で糸にし、それを加工し売った時点でもう
支那には「産業革命」が起こってるぜ。
イギリスの産業革命と、その他の地域の産業の飛躍的な発展の
違いはなに?
肌の色?
825 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 16:04:59 0
>最初の工業化であることと世界史的意義を踏まえ、
>現在でも産業革命という用語が用いられている
>ただ西ヨーロッパ全域が既に産業革命以前に
>プロト工業化をおこなっていたこと
いきなり矛盾してるやんけw
イギリスの戦艦「産業革命」撃沈ww
ワロタw
日本で始めて大砲の集中運用をしたのは徳川家康
単純に、今の機械文明に直結してるかどうかだろう。産業革命云々は。
828 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 20:15:59 0
現在の機械文明はだなあ「古代ギリシャ」の人間が発明した
ネジの原理とバルカン半島の海底から発掘された歯車をだなあ、
欧州の白人が改良して世界で始めて機械を作ってだなあ、
これを「産業革命」で改良してだなあ、日本にもたらせたんだよ。
その際日本人はだなあ、娘を大量に娶らせてだなあ、現在も
あっとするほど白い女が生まれるだろ?それこのときの種馬の
遺伝と戦後米兵に強姦されて生まれた混血児でだなあ、
だから日本人は自分たちを白人だと思いたいんだよ。
829 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 20:20:31 0
でだなあ例の「古代ギリシャ」以前に優れた文明を有してた
地域があったろ?古代エジプトやメソポタミアだよ、だけどそれはな、
古代ギリシャが起こる前に滅びた。それでだなあ、バルカン半島に
いきなり現れた「北方の三種の民族」がだなあ、急に
古代ギリシャに優れた文明を起こしてだなあ、それがずーっと
地中に埋もれてたんだって。ミノタウロス宮殿って有名だろ?
で、その文明を古代ローマ帝国が引き継いでだなあ、ビザンツが
伝承してだなあ、イスラムはまったく関係なくだなあ、
欧州白人が独自に地中から古代ギリシャ文明の文献を発見し、
それを基に科学を発見したのが「機械文明」の起源なんだよ。
何でキチガイが書き込めるのこの掲示板
831 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:26:17 0
あまりにもあからさまな間違いなのでどう言っていいんだか
832 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:28:01 0
833 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 21:36:53 0
でだなあ、古代ギリシャ文明を古代ギリシャ人の
アレクサンドロス三世が野蛮な東方にもたらせて
「ヘレニズム」をおこしてだなあ、インドを作り、
支那の伏儀氏や神農氏となってだなあ、世界を
アテナイにならって民主化したんだよ。それを
受け継いだ欧州が科学を古代ギリシャのプラトンの
思考方法からヒントを得て発見し、産業革命を
起こして世界は近代化したんだよ。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/09(水) 22:34:43 0
『社会問題の90%は人口の10%の人間が原因』ってどっかの本で読んだけど
2ちゃんでもそうだな、こんなのがいなくなれば2ちゃんの問題の90%は
解決する。
ギリシア・ローマ関係は、現代語で気軽に読める形でその時代の文献が読めるかどうかだろ。
産業革命もだが、他の地域での同様な事象についても、
直接的な現代の文明との関連や、気軽に読める文献を持ってきたら覆せるんじゃね?
836 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:12:49 0
だから言ってるだろ。
古代ギリシャの蒸気機関をヒントにして
産業革命が成立し、
白人がそれを東方に伝えたと。
何が間違ってるんだい?
モンゴロイド君。
838 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:15:21 0
ワイロおいしいです(^q^)
839 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:18:08 0
なぜアングロ・サクソンは産業革命をなしえたか?
それは古代ギリシャの思想・哲学に触れ、それを
基礎に科学を発見したからである。プラトンの
思考方法がなければ人類は科学を発見できなかった。
遠く東方にモンゴロイドの国があったが、
彼らは墨子・楊氏の論法といった似たような
思考法があったがいかんせん有色人種だけあって
あと一歩及ばなかった。有色人種が近代化をしたければ
プラトンを知り、ソクラテスを読み、
アリストテレスを尊敬し、ディオゲネスを認識して
おかねばならないのだ。
かしこ
>>839 お前後両親が、「生まなきゃ良かった」って嘆いてたぞ。あんまり心配させるなよ。
841 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:21:31 0
有色人種がマシンガンを持つにはどうしたらいいか?
ソクラテスを知りなさい。
有色人種がグレネードを扱うにはどうしたらいいか?
プラトンがよきヒントをくれるだろう。
有色人種たちよ、その言語を捨てよ。その神を殺せ。
その思想を変えよ。脳を取り替えよ。
さすればその色黒の手に近代化が訪れ、
その黒きはだえは白き乙女のように退色し
いつか白人となれる日が来るであろう。
>>841 ネットの前だけで大きな事を言ってどうするんだ?もうちょっと足元を見つめろよ。
ご両親だってもう歳なんだぞ。どうするんだ?
843 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:25:18 0
なぜ白人は黒色火薬を持つにその思想を変えずにすんだのか?
なぜ白人はイスラム科学を「錬金術」とバカにできるのか?
それは彼らの信じる神と思想が間違っていたからだ。
なぜアレクサンドロスは一代で史上最大の領土を持つことができたのか?
師がアリストテレスだったからである。
なぜ古代ギリシャ人は科学を知っていたか?
プラトンがそれを知っていたからである。
なぜ古代アテナイに民主化が訪れたのか?
アレクサンドロスがディオゲネスを許したからである。
おお、神に愛されし古代ギリシャ。
汝はなぜかくのごとく完全なのか!?
>>843 ちゃんと現実を見つめろよ。親戚からも笑われているんだぞ。
お父さんお母さんにこれ以上肩身の狭い重いさせてどうするんだ?
845 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:28:29 0
なぜイデアを基礎にした西洋はこれこのように発展し、
殆ど同じようなことを言っている老子の東洋は発展しなかったのか?
>>845 だからお前もちゃんとしろ。まだやぎりぎりやり直せるだろ?
お前一人のせいでみんなが困るんだぞ?わかっているのか?
847 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:31:09 0
ところで古代ギリシャの思想を書き記したものって散逸してるのな。
支那だったら竹簡で2000年前のが残ってるのに。
848 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:34:13 0
本当にソクラテスやプラトンを知らなければ、
マシンガンやグレネードの扱い方も分からないとしたら
どれほどマシな世界になっていただろう。
インド・パキスタン・北朝鮮なども核なんか到底作れなかっただろうし
内戦で揺れるアフリカとかもさぞかし平和になってただろうなw
849 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:34:37 0
やっぱ古代ギリシャってあやしいな。なんで資料が残ってないんだろ?
せいぜいアリストテレスが残した文章だろ?
850 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:35:38 0
ソクラテスとかキリストとか日本にはまったく関係ねー人物だから
851 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:38:11 0
あの戦乱激しい支那ですら石文・金文・竹書簡等が
2000年も前の墓から発掘されんのに、なんで
古代ギリシャの書物は散逸してんの?海底に沈んで
いるのかな?
>>802 1〜2段目と4段目のどちらに異議申し立てをしてくれますか?
前者は白兵戦ジョブと銃兵の混在する意味の弁明後者は武器についての考察が意味
どちらも槍の使われ方は関係奈kと思いますがねえ・・?その違いがアルト俺の何が
間違いになりますか?
853 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 00:02:12 0
もちろん戦乱で失われた書籍や思想などもあるだろうが、それ以上に
古代ギリシャ文化圏がキリスト教やイスラムの支配領域に入ったのが痛かった。
そのせいで「異教的」とされた文献の大半が破棄された。
ビザンツ帝国で異端・異教とされてもイスラム帝国で注目されてアラビア語訳されたり、
たまたま散逸を免れて、
古代ギリシャ文化のリバイバルが起こったビザンツ帝国の中〜末期に
写本が作られたものだけが今日まで伝わっている。
数千年前に「機械仕掛け」の紡績機が有ったら驚きだな。
「器械」ならまだ分かるけど。
>>828 >だから日本人は自分たちを白人だと思いたいんだよ。
またチョンの妄想が始まったよ
いいかげんなんとかならんのかね?
858 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 01:32:52 0
>>841 何故こうも白人盲信できるのか・・・・w
>>858 745でも書いたが
どう見ても嫌白厨の書き込みだろ。
反論されると「じゃ古代ギリシャ人はIQが1万ぐらいあったってことなんですね!」
とか誰も言ってないようなことをさも自分に反論する奴はレイシストみたいに書いて
その後似たような人種差別的レスを3つぐらい連投したりするいつものパターン
だから逆クルセーダーとか言われるんだっての
科学と宗教は西洋でも対立しまくってたのに
嫌白厨の本音はどっちなんだろうね
862 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 14:54:21 0
>>854きたよ「白人の産業は高度で有色人種のは手工業」
なにがあると「自動」でなにがないと「手工業」なんだよ?
紡績機だってある程度自動でやるから糸を巻くのに便利なんだぜ。
863 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 14:55:25 0
>>853本当に古代ギリシャ文明ってあったんですかね?
864 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 15:18:26 0
大昔にコインを入れると自動で聖水が手に入る「機械」が
あったんだが・・これも「産業革命」だよね?
さすがキチガイだけあって、何度も同じことを繰り返すなぁ。
逆に聞くが、なぜイギリスの産業だけが「産業革命」と
称されるんだい?日本人は白人になりたいからか?
それとも白人は他人種と違って偉大だと洗脳したいからか?
キチガイのくせにsageを覚えられる程度の知能はあった模様
868 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 17:41:56 0
さて漢字の「機械」の「械」とは仕掛けのことである。
井戸に水を汲む際に車輪と縄を使って楽に桶の水を
取り出す類である。では「自動」とはなんだろうか?
「産業革命」はまた「機械の自動化である」という
人間にはぜひこの「自動」というものに答えていただきたい。
自動とは何ですか?
869 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 17:51:14 0
ウィキの紡績機の歴史でもなぜイギリスの紡績機だけ「産業革命に
重要な・・」って類に特筆大書されてるw
別にどこの地域であっても構わないけど、
化学反応の熱エネルギーを動力に変換して工業をやるっていうやり方が
今は当たり前だよな?これに直結している過去の工業化の動きを、
直結していない工業化の動きと区別するために産業革命という言葉を
使って射るんじゃないだろうか?
872 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 20:55:03 0
つ陶磁器生産
「産業革命」の定義について語るスレはここですか?
>>871 んじゃ聞くが、産業革命以前に水力紡績機や動力織機のように生産手段自体を動力化した例があったのか?
875 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 22:02:35 0
つ水車
>>872 >化学反応の熱エネルギーを動力に変換して工業をやるっていうやり方
877 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 22:16:47 0
木の枝に火をつけるだけで科学反応
おい、やめろ馬鹿
理屈と膏薬はどこにでも付くという名セリフを知らないのかよ
結論ありきのサルにスレ違いの議論を試みる浅はかさは愚かしい
879 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 22:20:15 0
>>876なんでイギリスだけにそんな限定的な点をうがつような
「発見」を評価しなきゃいけねーんだよ。
現代は原子力発電が盛んだが、イギリスみてえに「キュリー婦人が
産業革命を起こしたのデス」なんていわねーぞ、コリアみたいで
恥ずかしいから。
880 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 22:21:06 0
U.Kは「ユナイテッド・コリア」の略なんですね、わかります
お前はイギリスのやることなすこと気に入らないだけだろ
>>868 水車も自動機械だな
世界中で使われてたが
下らない流れでスレを荒らすのはやめれ。
荒らしにレスすんな。
885 :
世界@名無史さん:2008/07/11(金) 17:07:35 0
じゃあまともなレスするよ。
弩の仕掛けを横文字でいうとなんていうの?
フリントホック?マッチ式?
886 :
871:2008/07/12(土) 00:49:00 0
>874
何を聞かれてるのかさっぱりだが、人力や動物の力、
風や水の力は当たり前に使ってただろ。
>879
原子力だけで生活してみろ。
>弩の仕掛け
弩のトリガー・メカニズムについて訊きたいの?
それとも獲物が紐に引っかかると発射されるような仕掛け弓のことをいってる?
888 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 03:07:10 0
違います。有色人種が「手工業と非科学的な勘で」どこまで
仕掛けを作れたか訊きたいのです。産業革命以前、猿・・違った、
有色人種はどこまで人間に近づいていたか、興味があって。
基本的に最初の発明は勘で作られる
ピンク人種はそのような先天的才能をもたないがゆえに
科学を発展させたのです
何を言っても負け惜しみ
何がだろうw
>>890もまた近代を歴史の帰結と見る単純馬鹿だな
いちいち人種厨キメエ・・・
だからスレ荒らすなって
幾つスレ潰せば気が済むんだよ
894 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 19:37:21 0
アングロ・サクソンの偉大さを認めない右翼がいるからだろ。
日本人はみんなイギリス人男性にマンコを差し出して、
ベッキーみたいな混血児になるといいよ。クルちゃんもね。
895 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 21:30:00 0
>>806 >17世紀いっぱいイギリスとフランスは植民地獲得競走で争い北アメリカとインドで何度も衝突した。
今考えると二大国同士で争そうより不可侵条約を結んで他の弱小国を襲った方が良かないか?
オランダはインドネシアを植民地にしてるしポルトガルはブラジルを植民地にしている。
『イギリスとフランスは仲良くする。
フランスはポルトガルに言いがかりを付けて戦争する。
イギリスはオランダに言いがかりを付けて戦争する。
フランスはブラジルを取る。イギリスはインドネシアを取る』
やっぱり強い者同士でケンカするより金もってる弱いヤツに因縁つけて
ぶん殴って金を出させた方が良い。
>>815 >ヤクザがシマの縄張りを分けるとする。
話つけた直後はそれでいいかもしれないが、だんだん、シマの経営で差がつくだろう。
思ったように金と子分を集められるとこで、力つけた組が最初につけた話を反故にして
よそのシマをぶんどるかもしれない。
欲が深い奴なら自分が率先してやるだろうしその気がなくても相手がやるかもしれないと考えれば
今あるシマだけで満足するわけにもいかなくなる。
ってのと同じじゃないの?
不可侵条約なんていつまでアテになるかわからんのが
戦争しまくってた欧州人の常識。
日本人はそれを知らんかったから
欧州の情勢は不可解で内閣は退陣するし
ソ連にあっさり掌ひっくり返されるし
イギリスもフランスも条約を守る事に関しては定評がある。
ロシアや中国のような条約破りの常習者と一緒にしないほうがいいと思う
そしてそれ以上にこの不可侵条約は双方にとって利益がある。
少なくてもオランダとポルトガルの植民地を奪い取るまで機能してくれればいい
ヒットラーのドイツとスターリンのソ連も不可侵条約を結んだ。
そしてその条約は東ヨーロッパの分捕りが完了するまでは守られた。
イギリス,フランス不可侵条約も弱小国の植民地分捕りが完了するまでは守られるだろう。それで十分だ。
インドと北アメリカの分捕り合戦はそのあとでいい
>>895 植民地ならどこでもいいっつーわけじゃなかったんだろ。
フランスにせよイギリスにせよ、そこを獲得したいというには
それなりの理由があったはずで。
条約うんぬん以前に、損害の出る戦争は無目的には
やらないくらいの分別は英仏ならある。
やったのなら、当時それなりの理由があったんだろう
898 :
世界@名無史さん:2008/07/13(日) 01:03:32 0
なぜ欧州はイスラムからアラビア数字、数学の記号を輸入したことを
ひた隠しにしてるんですか?で、なぜ日本はそれを教えないんですか?
>>898 >なぜ欧州はイスラムからアラビア数字、数学の記号を輸入したことを
>ひた隠しにしてるんですか?
ダニエル・ジャカール『アラビア科学の歴史』
ハワード・R.・ターナー『科学で読むイスラム文化』
といった欧米人の書いた本で、数学についての章を読むと
そういうことがちゃんと書いてあるけど?
>で、なぜ日本はそれを教えないんですか?
たんに君が不勉強なだけなんじゃない?
ねぇ、なんで相手するの?
それとも自演?
数学と砲は結構密接だからな。剣や矛は感覚でどうにでもなるが。
ところで、日本では、一二三は漢数字、123はアラビア数字って習うだろう。
>899 に同意。知らないとは言わせない。
オルガン砲って、中世後期から18世紀半ばまで使用されていたという
ことは需要はあったと言うこと?
オルガン砲の発想が、機関銃につながったということか
>>905 しかしオルガン砲は連射じゃなく一斉発射じゃなかったっけ?
>>905 「面制圧」の発想って意味では機関銃に繋がるとも言えるんだろうね。
集束火縄銃から始まってミトライユーズやノルデンフェルト銃に至る斉発銃の流れ。
最終形態の「連続斉発銃」とも言えるノルデンフェルト銃では、
再装填の問題は解決したが、撃ちながら弾道修整が出来ない事には変わりない。
ドイツ帝国初の機関銃(今日言われる意味での機関銃ではない)では、
ガトリング銃とノルデンフェルト銃がマキシム機関銃と並んでテストされた。
これら手動連発銃が新発明の機関銃のライバルでありえた最期の瞬間だった。
自らこれらを試射し、マキシム機関銃に「これに優る物無し」と太鼓判を捺したのはヴィルヘルム皇帝。
因にモーゼルの新発明「ボルトアクション小銃」を、渋る造兵委員会の尻を叩いて採用に踏み切らせたのも、
世界初の火炎放射器に開発の指示を与えたのもやはり皇帝陛下だった。機械を見抜く目は凄い。
機関銃より榴弾砲に近いんじゃないか
>>908 炸裂点の全方位に弾片と爆風を撒き散らす榴弾とは違うし(近距離や彼我錯綜した状況では使えない)
炸裂点のおおよそ前方に子弾を飛ばす榴散弾とも違うが(効果範囲は予測不能で任意の目標選定が出来ない)
榴弾砲の至近距離自衛用の散弾となら性格が近い。ただしこれは自衛用にやむなく使う物であって、
散弾を撃つために重くて大きく、射撃準備にも撤収にも時間が掛かり、多くの人員を必要とする榴弾砲を
わざわざそんな目的のために使うわけには行かない。輸送手段も設置条件も限られる。
斉発銃なら榴弾砲の散弾より射程も長く弾道は安定して確実に狙った範囲を射撃出来る。
そういう意味での有用性はあったからこそ一般化はしなかったが長く使われたんだろうと思う。
ただ、同弾薬ならはるかに軽量小型で、単位時間発射弾数も多く、固定目標への点射も、
移動目標への追随も、弾幕制圧も精密射撃も出来て、射撃を継続しながら自由に目標を変えられる
機関銃が出現してしまっては、扱いが不便で無駄弾の多いだけの火器になってしまうのは仕方ない。
>>907 >機械を見抜くカイザー
艦隊でニューヨークを急襲して制圧とかマジで考えてた人か・・・
>>910 目線が「メカマニア」だったんだよ。機構や機能は良く理解してるけど、戦略までは知らない。
だから架空戦記かガンダムみたいな空想に走っちゃう。
斉発銃って軽砲みたいな感覚で野戦でも運用されてたの?
手持ちの資料にはほとんど出てこないから、存在感がよく分からなかった。
要目のサンプルが分かる方っていますか?
一般的な資料にはほとんど出てこないの存在感だったんじゃないか
>ミトレイユーズ
あれは砲兵の管轄にしちゃって後にまわしちゃったのが
ダメだったとか読んだなぁ。
>>914 資料サンクス
これから読んでみる!
しかし、あの弱装で名高いドライゼ銃よりしょぼい弾薬だったのか……
だめぽ
917 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 10:01:36 0
>>903さすがにアラビア数字は知ってる。
だが現代にも使われている数学の様々な記号が
イスラムから取り入れたということは
習わなかったぞ。
918 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 10:10:32 0
>>871サルが石を持ち上げてクルミを割る行為だってある程度「自動」だぜ。
木の実に打ち付けるための石を高く上げ、そこから手を離せば後は自動的に
クルミに向かって石は落ちる。それはあの「産業革命(w」である動力を
使ってベルトコンベアーにより機械に単純作業をさせることも「何か準備を
してその動力で結果を得る」ということなのだから、サルが石を持ち上げて
クルミを割る行為とさして違わない。もし仮に「その生産機械が自分の意思で
勝手に物を作る」というなら「自動」といえよう。だがヒトがサルのクルミ割りの
ように様々に準備をして、工程を経て何か結果を得る、といった古来から
延々と続く作業を、なんで特にイギリスに限って「革命」だなどと
評するんだい?イギリス人はあのセシル・ローズがいうように「英国に
支配されてる植民地人はサルで、イギリス人はヒトなのだ」ということなのか?
919 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 10:16:42 0
ちなみにサルのクルミ割りはものすごく高度な技らしい。
「石」「台」「クルミ」の三つが別々であることを認識し、
「クルミを定位置に固定」という段階、そして
「石を高く持ち上げる」という行為、さらに
「石をぶつけることによってクルミが割れるという事実」を
認識しないと難しいらしい。つまりサルは本能でクルミを
「なんか知らないけど道具を準備して割っている」のではなく、
「自分で選択的に道具を使って先代サルに学んで結果を得ている」
のだという。白人たちは「古代ギリシャ文明に基礎を
持たない有色人種たちはサルの勘のようなもので紙や火薬を
発明した。しかし白人はヒトだったから作業と準備と結果の
関係性を把握しているので産業革命や科学革命を起こせた」と認識して
いるが、大きな間違いなのである。
紡織が発明なら製鉄が革命だろ?
サルにでもできる? それはキミが「サルにでもできること」を知らないだけじゃあないか
921 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 11:13:35 0
イギリスに起こってないだろ?じゃ産業革命にならないよ。
世界史の教科書見てみろ。欧州に起こった事象にしか「革命」の
文字は記されてないから。
文化大革命は?
923 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 12:08:26 0
文革でいいなら辛亥革命もあるぞw
なんにしろ「欧州化」が「革命的」ということなんだな。
文革が欧州化ってあんた・・・
>>924 キチガイ相手にするなよ。
「革命」って言葉は本来中国における王朝交代を指すもんだとか言っても通じないから。
926 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 13:43:50 0
>>924共産主義は欧州人(ユダヤ人)が作った思想だからねえ。
927 :
世界@名無史さん:2008/08/08(金) 13:45:14 0
なぜ白人はピストルを発明できたんですか?
プラトンがヒントを出したんですか?
>>926 カール・マルクスが「農村が都市を包囲する」なんていったの?w
>>918 そりゃ自動じゃないと思うんだが。
サルが自ら動力源になってんだから。
水力や風力を使って自分は何もせずに仕事をするのが自動だろ?
因果関係を理解して選択的に行う、って所は同意。
931 :
世界@名無史さん:2008/08/09(土) 09:34:57 0
>>929ベルトコンベアーには燃料を補給したり、
部品を整備する人間はいないのか?
石が落下するのと、ベルトコンベアーと、
何が違うんだ?肌の色か?w
まだ頑張るんだ。
z80とc2dを「同じ中央演算装置だろwwww」って言ってるようなもんだな。
・・・このスレの住人優しすぎるだろ。
なんで1ヶ月以上もキチガイの相手をしてやってるんだ?
>>931 違いすぎるよ
人間が直接整形してるんでも無いし、
人間が常にその場にいる必要はないんだから
936 :
世界@名無史さん:2008/08/10(日) 19:53:29 0
生産設備には整備する人間がいることも知らんのか、ここの名誉白人は。
>>932 そりゃ例えとしちゃ不適切だろ・・・
数十年しか違わんCPUと、明らかに質が違うものとでは弱すぎる。
寧ろその件に比べれば同じCPUと言っても全然おかしくないぞ。
サルに生産設備が整備できるの?作れるの?
>>937 そろばんとPCの違いくらいと思えばいいんかな。
PCだと繰り返し作業は自動化できるしね。
でも、どちらも結局は入力とかで人間が関わるんだから
根本的な違いは存在しない(棒
940 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 22:34:44 0
キミたちの本当の目的は、基地外の相手をする振りをして、気に入らないスレを潰す事か。
本当に、汚いやり口が好きだねぇ。
↑精神病か?
意図はともかく結果としてはそうなってるな
ウィキペディアの「鉄砲伝来」の記述で、
「室町時代以降も日本の武器製造技術は高度となり、
16世紀後半には鉄鋼生産量でも鉄砲生産量でも鉄砲の性能でも世界一 [要出典]と言えるほどだった。
そして、その主要輸出先はオスマントルコであった(後に徳川家康による覇権の成立後、日本は武器輸出を禁止した)。」
って記述があるけど、
日本製火縄銃がオスマントルコに輸出されてたってのは出典あるのかな?
えっ…トルコの火縄銃って寧ろ輸出品じゃなかったの?
うぃきぺであやしい記述だと思ったら[要出典]を書き加える。まめちしきな。
良スレ
だった。
948 :
世界@名無史さん:2008/08/23(土) 13:41:14 0
そろばんとPCも違いはない。
そろばんで玉を手動で動かし計算の答えを得るのと、
人間が手動で数字を入力して解を得るのは、
同じ肯定の複雑化にすぎないからだ。
やはり日本人は白人にだまされてるわ。
『戦争と資本主義』っての読んでるんだが、
誰か(雄・雌)タカ砲、歌姫砲、蛇砲とかサヨナキドリ砲とかって
何だか分かる人居たら教えてくれorz
上がってる種類から推して蛇はカルヴァリンっぽいんだが。
バシリスク砲ってのがあったな
タカ砲はファルコネット砲だろう。車輪つきで小型の野戦砲。雄雌ははじめて聞いた。
-etが指小辞だからfalcon/falconetで雌雄というのはありうるんじゃね
954 :
世界@名無史さん:2008/08/29(金) 18:36:29 0
ひでえ訳だな
歌姫砲は詩歌砲、エスメリールか?
蛇砲はサーペンティーン砲かも
958 :
950:2008/09/02(火) 23:01:30 0
みんなどーもありがとう。
訳しすぎってのも困るorz
参考にさせて貰う。
どんな差が付けられるんだか分からないけど
あの頃の大砲って結構色々あるんだねぇ。
カルヴァリンとカノンくらいしか知らんかった。
カルヴァリン砲が蛇砲になってるのは元は(Feld)Schlangeって書いてあったからか。
960 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 08:43:38 0
英語ですべての言語を訳せば白人になれる。
日本語も文法を英語のそれと対比して、初めて
日本語が成立すると思っている人間がいるように。
彼らにとってわれわれ猿に文明をもたらせたものが
白人だと思っているのだ。
またこのキチガイが湧いて出てきた…
>>960 日本の政治家は愛国者じゃないと務まらないからね
ちゃんと中国・韓国の為を思って行動できる人じゃないと駄目
安倍や守屋のような親日の政治家・役人はマスコミを使って叩き潰される
そう。守屋といえば安倍政権で防衛庁を省に昇格させた張本人
省昇格のその先には何があるか。そう。だから二人とも潰されたんだよ
いつものキチガイ、早く死なないかな…
>>959 カルヴァリンってラテン語で蛇って意味じゃなかったっけ?
黙ってGL5該当で削除依頼出してくればいいと思うが、
世界史板住人はそう言ったことはやらないのか?
968 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 22:47:42 0
age
969 :
世界@名無史さん:2008/11/10(月) 14:55:57 0
なんで有色人種はプラトンを知らなかったのに火薬を調合できたの?
970 :
世界@名無史さん:2008/11/10(月) 14:59:03 0
イングリッシュのフロント・ホック・タイプのガベアーはカラードに対して
モストのパワーを誇った。ビコーズ、アメリカ大陸のカラードはこのネオ・ガベアーに
征服された。なぜ?カラード・アジアーンはプラトーン、ソフォクラテースを
アイ・ドント・ノゥだったから。ジャパニーズはホワイトにニアーバイだったから
ヒナワゲベアーをレンドすることがアイキャンハウだったわーけよ。
972 :
世界@名無史さん:2008/11/11(火) 10:31:00 0
ミーは英語を話せたから白人とある程度勝負できたと思うザンス
人種の話なんてどうでもいいから
銃・火砲の話してくれ
____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ 銃・火砲はワシが育てた
.しi r、_) |
| `ニニ' /
ノ `ー―i
無煙火薬が主流になったターニングポイントの戦争って何だろう。
976 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 01:21:32 0
特にないんじゃね
当初は黒色火薬よりずっと高価だったから、大量の火薬を
消費する軍隊等より民間の方からまず普及していったって聞いたけど
>>975 おいおい大事なのを忘れてる。
つ[日露戦争][日本海海戦]
下瀬火薬のことか?
それ炸薬じゃね?
wikipedia
>旧日本海軍は1893年にこの火薬を採用し、下瀬火薬と名付け(後に下瀬爆薬と改称)、
>炸薬として砲弾、魚雷、機雷、爆雷に用いた。これは日清戦争(1894-1895)には
>間に合わなかったが、日露戦争(1904 - 1905)で大いに活躍した。
>下瀬火薬は砲弾の炸薬として用いられ、発射には用いられていない。
>砲弾の発射に用いられたのはコルダイト(硝酸エステル系無煙火薬・当時英国より輸入)である。
>コルダイト (cordite) は、フレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーによって1889年に発明された無煙火薬の一種。
無煙火薬
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%85%99%E7%81%AB%E8%96%AC いずれにせよ、最新の輸入技術を使った戦争であったことに間違いはないな。
しかし、今だに無煙火薬の研究が最新のトピックなんだね・・・。
新戦車の装薬は実は世界初の試みだそうだけど、ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンあたりなのだろうか?
980 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 01:41:09 0
age
アルミ粉末じゃねーかな。日本製鋼所がしつこくやってる
アルミ粉末って、特殊なエンジン向けだとおもってたw
長期間の保管・輸送にどやって耐えるんだろう?
983 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 02:20:01 0
うめ
984 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 05:16:03 0
うめ
985 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 03:24:33 0
うめ
986 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 04:33:33 0
うめ
980越えたら、書き込みせずに1日放っておけば落ちるんだが
次スレは?
ume
ume
ume
ume
ume
ume
ume
ume
ume
998 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 17:53:06 0
999 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 21:12:21 0
999
1000 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 21:12:54 0
1000
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。