1 :
世界@名無史さん:
2 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 08:48:35 0
2get
海賊が正式にロイヤル・ネイヴィーになったのはいつなの?
歴史上の海洋国家
フェニキア・カルタゴ・アテナイ・ヴェネツィア・ポルトガル・オマーン・
オランダ・デンマーク・大英帝国・日本・アメリカ合衆国
この中でヘゲモニー国家になれたのは大英帝国とアメリカ合衆国だけ?
ヴェネツィアやオランダはオスマン帝国やイギリスに敗れたからヘゲモニー
国家とするには微妙。
ローマだって地中海国家だろ
そして、スペインを知らないわけでもないだろうに?
もう少し考えてから書けよ
>>8 そのスレは起源からして糞スレじゃないか?
エジプトという豊かな後背地がローマを支えていたのに大陸国家とでも?
そもそもパクス・ロマーナの始まりは、カルタゴとの海戦に勝ち、地中海の制海権を掴んだからだぞ
10 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 22:40:41 0
1623年、イギリス東インド会社は、アンボイナでの抗争でオランダ東インド会社に
敗れ、香料の生産地であるインドネシアから追い出され、インドに拠点を置く
ことになった。
ところが、ヨーロッパで香料の人気が低下し、綿布が人気商品になると、この
ことはイギリスにとってかえって有利に働いた。
ヘゲモニー国家になるには、やはり「幸運」という要素も必要なのかね。
11 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 00:57:23 0
幸運は他の国にもあっただろう
だが幸運を活かせた国は少なかった
12 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 22:13:29 0
中国史研究者の伊原弘氏が、宋代の中国では火薬・羅針盤・印刷術が、高麗
では銅の活字が発明されたが、彼らは結局それを実用に供することができなかった
と書いていたな。
朝鮮半島では銅の活字が発明されても、油性のインクと輪転機の発明に結びつかず、
意味のない発明だった。発明は対応する工夫とニーズ、すなわち人々への還元が
あって生きると。
この点、イギリスの産業革命は対照的。
火薬と羅針盤は実用化されてたと思ったが。
火薬は銃器に成らず、羅針盤はアメリカ大陸発見に繋がらずってことだろ。
おまえ頭鈍いな…
一応銃器にはなってるだろ
石や矢じりを飛ばすようなものだったが
16 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 01:10:02 0
かなり広義には含まれるだろうが、弩等より兵器として劣る範疇では意味ないだろ。
手元にあった"Medieval Chinese Armies"って本を読んでみたけど
いちおう元滅亡までに前装式大砲と指火式の銃は実用化されてたようだね。
>>15 >石や矢じり
中世末期のヨーロッパも火器から飛ばす発射体はそんな感じ。
15世紀には様々な技術革新で決定的に追い抜いたけど。
19 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 22:53:42 0
ロイ・ポーター『啓蒙主義』(岩波新書)
オランダの思想家は、他の国の人びとが啓蒙主義の諸問題を体験する以前に、
それを解決してしまった…専制支配からの自由、宗教上の多元主義と寛容、
経済的繁栄、(相対的に)平和的な外交政策がそれだ。亡命知識人にとっては
天国であり、科学が発展し、優良な出版社もあった。こうして、オランダ共和国は、
進歩の羨ましい処方箋のようにみえたのである。
とはいえ、眩いばかりの17世紀オランダの生き方を賞賛する声はかすかにしか
聞こえず、しかも妬ましげなものであった。フランスやプロイセンやロシアは、
オランダの政治モデルを模倣できる、あるいは模倣すべきだ、と真剣に考えた
フィロゾーフなどひとりもいまかった。貴族出身のフィロゾーフは、一般に
ユダヤ人をそうみたようにオランダ人も金に汚い、けちな商人と蔑視した。
(中略)
20 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 22:56:51 0
ヨーロッパ大陸の知識人は、オランダの奇跡に対しては複雑な感情を
抱いたとしても、ことイギリスについてはほとんど疑いをさしはさまなかった。
「イギリス熱」が大陸を席巻する。火をつけたのは、ヴォルテールの
『哲学書簡』(1733年)である。イギリスの政治的な自由、宗教上の寛容、
経済の成功、文化の近代性、科学の栄光、なかでもニュートンについて
熱く燃えた書である。
↑欧州の知識人の、オランダとイギリスに対する態度の違いはどこから
きていたんですかね?
21 :
sage:2006/09/09(土) 14:05:22 0
age
オランダは欧州の朝鮮
人間の中身はともかく、植民地を持っていた国と植民地にしかなれなかった国
を同列に扱ってはいけないよw