平家物語に出てくる四人について語ろう

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1世界@名無史さん
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊(正しくは、朱异)、唐の禄山、是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諫をもおもひいれず、
天下のみだれむ事をさとらずして、民間の愁ふるところをしらざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。

平家物語に出てくる四人、趙高、王莽、朱异、禄山について語ろう。
2世界@名無史さん:2006/03/22(水) 18:46:55 0
関連スレ

秦の始皇帝を語ろうか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122350547/l50
このスレッドで始皇帝に絡めて、趙高のことが結構語られています。
3世界@名無史さん:2006/03/22(水) 18:48:43 0
私以外にも朱异に興味を持った人が、以前下記のスレで質問していました。

世界史なんでも質問スレッド28
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1138716293/182,193,195

182 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/02/02(木) 03:03:09 0
昔から疑問だったんですけど、
「平家物語」の冒頭に出てくる
「梁の朱い」ってどんな悪いことをしたんですか?
「梁書」を読もうと思ったけど、途中で分からなくなりました。
193 名前: 184 [sage] 投稿日: 2006/02/02(木) 03:20:30 0
>>182
大体その一文読めば意味は取れるだろうに・・・。
中国史の逆臣大集合だよ。朱异は寒門から武帝に抜擢されたけど
政界をしっちゃかめっちゃかにした挙句に侯景を見くびって梁の滅亡を招いた張本人。
他に挙げられてる連中と比べると正直な所格落ちという印象も強いという評判がある。

>>185
知らないのなら書かない方が良いんじゃね?ここは質問スレなわけだし。
195 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/02/02(木) 03:30:47 0
>>194
>185さんも負け惜しみなんぞ言わなくても。
つか朱イは小物過ぎて、中国の歴史みたいな概説書には載ってないかもね。
読んで確認したわけじゃないから知らんけど。
4山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/22(水) 20:36:44 0
>>1
>梁の周伊(正しくは、朱异)、
長門本か城方本を利用されましたね?流布の度合いからすると後者か。
一番マイナーながら、一応『梁書』に伝がある。
5:2006/03/22(水) 23:18:13 0
引用した書物には、(高野本あるいは覚一別本と称するを底本とする)書いてありました。
やはり『梁書』に当たるのが一番ですね。
6:2006/03/29(水) 23:59:39 0
>>2のスレに出てくるテレビ番組を見て、初めて趙高の趙は趙国の趙だと知った。
まさか何百年後かに異国の代表的な物語や、二千年後のテレビに出るとは思っても見なかっただろう。

王莽は井波律子の本で読んだが、周到に計画を練り、実行した。単なる書生ではなく、実行家だ。
彼は、権力を持って、古代の理想国家を再建しようとしたのか。単に権力が欲しかったのか。
こう書くと、毛沢東やホーチミンを連想する。彼ら実行家は、何を目指したのか。人民の幸せと己の幸せは不可分だと分かっていたに違いない。

朱异については、 『梁書』卷三十八 列傳第三十二 に出ていることをつかんだ。しかし、私の今の語学力では白文読めぬ。
田中芳樹の小説『奔流』にも出てくるらしい。どなたか、『梁書』や『奔流』を読まれた方はいますか。

禄山は長安を占領したものの、息子に殺されてしまう。その息子も史思明に、史思明も自分の息子に殺されてしまう。
なぜ、こんな悲劇を演じるはめになったのだろう。
7世界@名無史さん:2006/04/16(日) 16:22:16 0
太平記は義満が帝位簒奪きぼんするところで終わってるよね。
これでやっと平和な時代が訪れる!て感じで。

平家物語から2,300年経って、日本人の価値観が変わってきたということなのだろうか?
8世界@名無史さん:2006/04/19(水) 10:53:26 0
なんで侯景の降を容れるよう進言しただけで、悪し様に言われなくちゃいけないんだろう?
9世界@名無史さん:2006/05/04(木) 15:39:07 0
nonbirisitasuredanaa
10世界@名無史さん:2006/05/04(木) 16:16:31 0
でも、趙高、王莽、禄山は、中学の世界史でも出てきますが、
朱异は中学で習った覚えがない。まあ、漏れが忘れている可能性もありますが。

でも、朱异は最初の三人に比べたら、現代の日本ではやっぱりマイナー
だと思いますが、なんで、「平家物語」では、
朱异がその三人と並んで評価されているんでしょう。
「平家物語」の成立時の日本・・・鎌倉時代・・・では、有名人だったのでしょうか?
11世界@名無史さん:2006/05/12(金) 05:00:40 0
中学の世界史!?
しかも趙高が出てくる?そりゃすげえ。
どういう学校だよ、おい。
おじさんに教えてくれ。
12世界@名無史さん:2006/05/23(火) 13:44:29 0
桓温や景侯、王偉、爾朱衛あたりじゃあかんかったのか
13世界@名無史さん:2006/07/14(金) 07:23:07 0
王偉って侯景の子分じゃないの?
それから、爾朱衛ってだれ?
爾朱栄なら知ってるんだけど。
14世界@名無史さん:2006/07/14(金) 10:13:38 0
>>11
安禄山は確実に出てきた記憶がある。
マンガ「世界の歴史」にも出てきた記憶がある。
15世界@名無史さん:2006/07/22(土) 22:09:03 0
本来は「梁の侯景」と入れるつもりだったが、
語呂が合わないので急遽朱异に変更したのが真相と思われ。(俺の勘)

当時の日本人にとって梁や武帝は超メジャーだったはずだから、
侯景なら他の三人と比べても遜色ないと見なされたはず。
16山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/07/22(土) 23:23:39 0
梁の武帝は『十訓抄』や『夢中問答集』などに登場するメジャーな人物。
『平家物語』に登場する中華皇帝は、異本にもよるものの始皇帝と武則天が目
立つ。この時代なら、後は廃佛系と宋の徽宗(道教偏重)が悪名高い。
語呂が悪かったせいかどうかは分かりません。>朱异の採用
侯景は元々外国人であり、獅子身中の虫とは言い難かったのでは。
清盛とその一門になぞらえるのが目的だったのですから。
『平家物語』が最初から琵琶法師に語らせるものだったのかもよく分からない。
語りは想定していたでしょうが、最初は書いて読む対象だったかと。
『平家物語』の成立は1220年代と推定されていますが、最初に書かれた三
巻本は現存しておらず、今読まれているのは語り本系の覚一本を中心に、語り
本系と読み本系の異本数種類です(本筋は同じでも、本文は微妙に異なる)。
17世界@名無史さん:2006/07/25(火) 10:30:47 0
王莽ー理想家肌で現実感の無い簒奪者
清盛にもその傾向があり、リアリストの頼朝とは対照的。
夢破れて、壇ノ浦に消えた平家。
頼朝死後、股肱の臣下を次々に亡ぼされ、北条家に簒奪され消えた源氏。
滅び方も対照的です。
18世界@名無史さん:2006/08/22(火) 17:49:33 0
age
19世界@名無史さん:2006/09/09(土) 23:49:22 0
禄山って糖尿病か何かで失明してなかった?
20世界@名無史さん:2006/11/12(日) 00:45:40 0
      
21世界@名無史さん:2007/02/08(木) 23:05:49 0
ho
22世界@名無史さん:2007/02/24(土) 11:39:44 0
復帰
23世界@名無史さん:2007/02/24(土) 20:22:53 0
かんのわうまう
241:2007/03/01(木) 21:41:27 0
古本屋で手に入れた平家物語をほとんど読み進めないまま、このスレを立てることを思いつきました。
冒頭の語りで異朝の話をして、それからは本朝(日本)の人物についての話だけになると思っていたのですが、実際は異朝の人が出るわ出るわ。玄奘三蔵、伊尹、鄭伍倫、虞世南、太公望、角里先生、李勣・・・、etc.
参りました。作者より私の方が知らない異朝の人物は朱异ぐらいのものだと思っていたのですが、鄭伍倫(正しくは第伍倫、後漢の武帝以来三代に仕えた。)についてはこの物語ではじめて名を知りました。
他にもたくさん出てきそうですし、私の知っている人も、名を知っているといった方がよいくらいのもので、色々な例えで出せる作者の方が詳しいです。

>>7
作者の性格も大いに関係していると思います。
現在残っている平家物語は、多数の人の手がかかっているのだと思いますが、彼らが太平記を記していたら、もっと様相の違うものになっていたと感じます。

>>8
国政の中枢で専権を貪ったとも言われていますが、どのくらいのものであったのか。
降を容れた後、侯景軍と梁の援軍は、東魏軍と戦って大敗する。そして東魏との講和。この講和にどれだけ朱异が絡んでいたかは知りませんが、侯景は立場がなくなり梁に反旗を翻す。侯景は乱の名分に朱异の討伐を挙げていたそうです。

>>15
このスレの書き込みで一番ハッとしました。語呂とは考え付きませんでした。爾朱栄が外れた原因はそれかも。

>>16
冒頭には他に、夏の寒浞などが入った本もあるそうですね。早めに知っていればスレタイに「四人」っていれなかった。
最初に書かれた三巻本には乱の主人公、侯景が載っているかもしれませんね。でも、だとしたら外れる理由は・・・。

>>19
このサイトにそのようなことが書いてありました。糖尿病だったのかもしれない。

世界史講義録 <安史の乱と唐の変質>
ttp://www.geocities.jp/timeway/kougi-35.html

>>17
戦国大名が平氏や源氏を名乗るのは一体なんなのだろう。織田信長は平氏を名乗った。
平家物語では「これにて平家の子孫は絶えにけり……」

平家物語登場人物総覧 (まだ全て完成していない)
ttp://toride.com/~yuga/jinmei/jinmei.html
25山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/03/01(木) 23:00:44 0
>戦国大名が平氏や源氏を名乗るのは一体なんなのだろう。
源平を公に仕えた武家の両輪とする説が読み本系の『平家物語』(特に成立
の遅い『源平盛衰記』や『源平闘諍録』。実際に両輪だったかは別として、
鎌倉時代の概念を示す)に見えています。
信長が勃興して義昭が追放された頃には、平→源→平→源ときて、また平氏
が来たと言われており、両者のいずれかが統べるのが普通とされていた。
(二番目の平は北条氏。なお、信長は斎部氏だったようです)
もっとも、家康も当初は藤原氏を称していましたし、秀吉の藤吉郎というの
も藤原氏を連想させる表現で、源平のみに拘ってはいません。
彼らは後にそれぞれの立場から平や源や天皇の落胤を称していますが、要す
るに、何を目指すにしても、上層に位置するからには、ただの氏族の出身で
はなく、貴種であることという宣言が不可欠だったのです。
ハプスブルク家の系図だって、よく分からない所を通り越して、遥か以前の
貴種まで繋がったものが、いつの間にか出来ていたようですが。
ペーペーの単なる成り上がり「でも」いいという訳ではない。
成り上がり「では」いけなかったのが前近代です。
そうなると、武家ならまず源平を称するのは自然な流れでしょう。
藤原氏でも、秀郷系や利仁系は武家として知られていましたが、武家といえ
ばやはり源平という風潮が形成されていた。
(家康は三河守任官のために藤原姓を、秀吉は関白就任後落胤説を求めた)
前田の菅原姓というのは珍しいですが、何によったものか。
26世界@名無史さん:2007/04/08(日) 14:41:15 0
平清盛は世界史で例えると誰ですか
27世界@名無史さん
スレタイに名前を入れないと