188 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 00:29:49 0
合唱とかオーケストラの指揮者やれば、人まとめんのがどんだけ難しいか分かるよ。
軍隊の指揮官とかマジ尊敬するわ。
傭兵の時代の指揮官なんてマジ大変だろうね、やる気ねぇ連中まとめないといけないんだから。
>>182 先進国の人間は、小学生のころから体育の時間に行進とか回れ右を習うからね。
今でも発展途上国の人間は、訓練を受けた軍人以外はこれがうまくできない。
日本でも、初代文部大臣の森有礼が、西洋的な体育教育や音楽教育を導入する
以前はそうだった。(西南戦争では、即席で集めた農民兵がまったく使いものに
ならなかった)
行進訓練により連帯意識が高まり戦闘力が格段に上がる。
近代軍隊で最初に行進の重要性に気が付いたのはオラニエ公マウリッツだったかな。
古代ギリシャ・ローマや孫子あたりも気が付いていたんだろけど。
現代でも陸戦をしない海軍、空軍でも行進訓練は必ず行われる。
近代軍隊の場合、“時間の概念”も重要なのでは。兵士たちが時間に
ルーズで、平気で30分とか1時間遅れて集合されたら困るだろうし。
古代の軍隊はそのへんはどうやっていたんだろうか。
「司馬法」で知られる司馬穰苴は処刑したとされているけどな。
まあ軍律をハッキリさせるためなんだろうけど。
>>189 実は、森有礼に体育と音楽の重要性を吹き込んだのは、日本の軍用銃の父・村田経芳でね、スイスの小学校の民兵教育に範を取った。
ルーツからしてそれなんで、体育教育も音楽教育も、軍での基礎訓練と軍楽隊が起源だったりする。
学校行事に遠足があるが、元をただせばあれは、ランドセル(軍用背嚢が起源)に食料を詰めて隊列を組んでの行軍訓練だ。
村田は薩摩藩士でものすごい銃の達人(リアルゴルゴ13級)なんで、西南戦争が始まるまでの間、
故郷の若者に頼まれて軍事訓練を稽古してやっていた。西南戦争でその有効性が実証されて「しまった」訳。
村田としては、小学校レベルから銃の取り扱いと射撃を学ばせて、スイスの軍制に倣った国民皆民兵制を打ち立てたかったんだが、
結局は海外進出の尖兵としての精兵を作り出す基礎教育になってしまった。思うところもあったらしい。
195 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 01:03:03 0
英国のストロー元外相が、イスラム教徒の女性が顔を隠すベールをかぶっていると、
相手の顔や表情が分からなくて、コミュニケーションがうまくいかないから
脱いで欲しいと発言して騒ぎになっているが、
戦場で、相手の姿がまったく見えない状態は兵士を極度に不安にさせる、という
話を連想してしまった。
広い平原に双方が布陣して正面からぶつかりあうのと、森林や市街でのゲリラ戦
とでは兵士の心理状態もかなり違ってくるだろうな。
219 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/02/25(土) 04:34:45 0
>>154 >で、オーケストラが発展した一つの理由は戦争だ。
伝達と士気高揚のためが大きい。
まんざら暴論でもないわな。ただしオーケストラではなくてマーチングバンド(軍楽隊)な。
それは士気高揚もあるが軍事技術的必要性。軍楽隊は行進の歩調をとらせ、移動時間を
一定に保つために絶対に必要だった。したがって17〜19世紀のヨーロッパの国王、貴族は
競って優秀な軍楽隊を育成し有名作曲家に行進曲を委嘱した。これが西洋音楽を発達させた
理由の一つといえる。行軍は軍隊の基本だから現代の海軍、空軍でも必ず軍楽隊があるのは
そのせい。
で、軍楽隊の悲惨なのは戦場に着いてからで、打楽器奏者は鼓手として戦列の先頭に立ち
歩調を整えてゆっくり前進する。先頭に立つから集中砲火を浴びて太鼓に脳味噌まき散らして
死ぬ。吹奏楽器奏者はラッパ手として指示を出すが狙撃手の人気の的なのでラッパから血を
噴水させて死ぬ。
マーチングバンド、鼓笛隊といえば現代ではコスプレハァハァパンチラハァハァの世界だが、
その元祖は殺伐とした漢の世界だった。
11世紀にイベリアに侵入したムラービトの軍勢が太鼓を使っていたようだが。
それまでイベリアの連中は太鼓をつかって軍を動かすことを知らなかったとか。
角笛での号令なんかは旧約聖書でも登場してこなかったっけ?
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/military.html 各部族の重装歩兵を直接指揮するのは、同じく各部族から挙手選出された
師団指揮官(taxiarchos)であり、師団指揮官は自分の部族の人々を率いる
とともに、lochos(本文では「旅団」と訳した)の指揮官(lochagos)の
任命権を有する。
同様に、騎兵を直接指揮するのは、各部族から挙手選出された部族騎兵
指揮官(phylarchos)であった。これの上官は騎兵指揮官(hipparchos)で、
こちらは民会で二人が挙手選出され、それぞれ5部族ずつの騎兵を分掌
したという。
アテナイ市民の両親から生まれた男子は、18歳になると、区の集会で
市民としての資格審査を受け、正式な市民として登録されると同時に、
ムニキアにある兵舎で共同生活を送りながら、1年間の軍事訓練を受ける。
これが終わると、アッティカ周辺の城砦に配属されて、さらに1年間の
守備隊勤務に就かねばならなかった。(この2年間の年齢の若者は準-壮丁
(hebe)すなわちephebosと呼ばれた)。
>>197-198 中世の日本でもほら貝は使っていたが、太鼓を使うことは知らなかったのでは。
中国の場合は銅鑼も使っていたな。
うこんこ
>>182 >規律がある正規兵と不規律な烏合の衆の差
プラッシーの戦いでは、クライブ率いる2400人のイギリス軍(そのうち1500人が
インド人だった)が、ベンガル太守スィラージュッダウラー率いる五万の軍勢を破った。
イギリス軍は前もって、太守の親類であるミール・ジャーファルと軍を動かさない
かわりに次代の太守の座を与えるという密約を交わしていたが、それにしても
あっけなさすぎ。
太守軍にはフランス人からなる砲兵隊およびミール・ジャーファルの軍勢も
加わっていたが、英仏の砲兵隊の間で砲撃が交わされ、それが収まるのを待って
イギリス軍の小部隊が突撃すると太守軍は壊走。
204 :
世界@名無史さん:2006/10/16(月) 20:29:47 0
78 :ロボ-7c7c ◆Robo.gBH9M :2006/10/16(月) 18:22:07 ID:???
同時3点ドキュメント・第7回 「人質交換」(仮)
NHK、2006年10月27日(金)午後10時〜10時49分
http://www.nhk.or.jp/special/onair/061027.html > 肝心の仲介役をつとめる赤十字が、大きな壁にぶち当たった。今回の戦闘は、
> 国とヒズボラという宗派組織との戦いであるため、戦争捕虜の扱いをさだめた
> ジュネーブ条約の埒外とされ、動きがとれないというのである。
> イラクで続く米英軍を巻き込んだ自爆テロと宗派紛争、アフガンの対タリバンの
> 戦闘など、9.11以降に起きた紛争のほとんどが、同様に、国と国との戦いでは
> ない。つまり、これまで機能してきた戦闘収束と和平へのシステムが無力化しているのが
> 実態である。
┏┫ ̄皿 ̄┣┓<海外のドキュメンタリでは散々ガイシュツだが、
日本の番組で、これ言い出すのは初めてじゃなかろか。
スキタイ、モンゴル、ロシアといえば焦土戦略
モンゴルがいつ焦土戦術をやったというのか
207 :
世界@名無史さん:2006/11/28(火) 00:57:15 0
そうか
ナポレオンとかアレキサンダーの陣形ってどんなんだっけ?
それと
△ ■ △
▲ ◎□◎ ◎□◎ ▲
■←重歩兵
□←軽歩兵
▲←重騎兵
△←軽騎兵
◎←弓兵
こんな感じの陣形を考えてみたんだが、どうよ?何か弱点とかある?
自軍がどの軍隊の歩兵と騎兵か、どの軍隊を相手にするのかが抜けているので何とも
ただ弓兵は前に出せ
自軍敵軍どちらも暗黒時代のフランス
理不尽かもしれんが、傭兵はナシの方向で
騎兵は騎士。軽騎は馬上弓と剣に、胸と脛に鉄板がある程度
重騎はフルプレートアーマー、馬も頭と胴にプレートアーマー、ランスと剣と盾
軽歩兵は農民を徴用。長槍と剣に投げ槍を装備。胸に鉄板はある。丸盾も持つ
重歩兵は騎士。フルプレート。長槍と剣を装備と大盾を装備。丸盾も持つ
弓兵は大弓。訓練された兵士
こんなとこか?
中世ヨーロッパの騎士は騎射を行ったのか?
暗黒時代にフルプレートアーマーが普及していたのか?
時代とか設定がめちゃくちゃじゃね?
>210
フルプレートが普及したのは中世末期からルネサンス期だ。
>211
ドイツあたりなら遊牧民の騎射兵を雇えたかも知れないが。
イベリアのイスラム王朝では騎馬弩兵というのもいたらしいな。
>自軍敵軍どちらも暗黒時代のフランス
板金鎧があるなら百年戦争だろうなあ
それ以前は、ほとんど鎖帷子と兜だけだから
だからイギリスVSフランスだな(両方ともフランスと言えばフランスだし)
>騎兵は騎士。軽騎は馬上弓と剣に、胸と脛に鉄板がある程度
あの時代のフランスに軽騎兵がいたかどうか分からないが、
いたとしても馬上弓はあまり使われなかっただろう
投げやりや弩弓ならあるかもしれない
>軽歩兵は農民を徴用。長槍と剣に投げ槍を装備。胸に鉄板はある。丸盾も持つ
投げ槍はないと思う。
鎧も鎖帷子と兜がせいぜいじゃないかと思うな
丸盾は長槍を持ったら持たない
>重歩兵は騎士。フルプレート。長槍と剣を装備と大盾を装備。丸盾も持つ
下馬騎兵となるとますます百年戦争末期だな
丸盾はないと思う
(板金の面積が増えると、盾も徐々に使われなくなっていくし)
>弓兵は大弓。訓練された兵士
これはイングランドの長弓兵か
クレーシーの戦いではフランス軍はジェノバから弩弓兵を雇っていた
この手の兵は主力部隊の前に展開して、相手の主力をひるませ、陣形を崩すことが任務だった
ナポレオンは方陣の四隅に連隊砲を置いたり
射撃のうまい兵を全面に散開させて射撃し、敵の弱点に縦隊を突撃させるのが特徴
アレキサンダーは斜行陣だな
>>214の「ヨーロッパの剣は…」は500付近からが面白い
クレーシーとかポアティエはこんな感じだっけ
柵柵 柵柵
柵◎◎柵 柵◎◎柵 (弓兵が杭を打ってフランス兵を射撃)
□■□□■□■□■□ (歩兵と下馬騎兵の混合部隊防御)
▲▲(重騎兵は予備)
モード・アングレだな
歩兵と下馬騎兵が敵を受け止めて左右から弾幕射撃
敵は身動きとれずに圧死とか窒息死したんだっけ
嫌な死に方だ
>>211-215 ほうほう
そうか、時代を間違えたか
いや、銃砲が登場する前の戦争で、各国のあらゆる兵種・兵器・戦術を複合した最強軍を考えてみたかったんだよ。軽歩兵はモンゴル風に散兵として使おうとか、そんな感じでな
騎馬弩兵なんてあるんだな。でも、弩だと連射は無理っぽいな。散兵には微妙かな?
つーか、軽騎兵だけで散兵が足りるかな?歩兵の散兵もやっぱり必要?
弩って射程が短いんだよな。連射もキツイし。素人でも射てて、威力が高いのは良いけどな。威力は毒矢にしたりで解決出来るから……
つーか、暗黒時代ってプレートアーマー無かったんだ……暗黒時代が中世だと聞いたからてっきり……
軽歩兵には投げ槍無いのか?何で?金が無いからか?それとも教会の規制?
長槍を持ったら丸盾は持たないのか?これも何で?兵士に不便な事が起こるのか?
こういう事は学校では習わないからなぁ。独学で調べても、まだまだ分からん事だらけだ
社会的状況とか戦略的状況とか地理とか歴史とかの諸条件を無視して
最強軍を考えるのに何か意味があるのか?
>>217 >弩って射程が短いんだよな
なんで?
巻き上げ機を使わないと弦を張れないような代物が、人間が手で引く弓より射程距離が短いわけ内じゃん
実際、ジェノバの弩弓はイングランドの長弓より射程が長い
>ーか、暗黒時代ってプレートアーマー無かったんだ……暗黒時代が中世だと聞いたからてっきり……
暗黒時代の定義によるような
>長槍を持ったら丸盾は持たないのか?これも何で?兵士に不便な事が起こるのか?
邪魔だから
>いや、銃砲が登場する前の戦争で、各国のあらゆる兵種・兵器・戦術を複合した最強軍
鉄砲以前なら、長槍持ったスイス傭兵とフランス重騎兵か、イングランドの長弓兵と下馬騎兵とかかなあ
>こういう事は学校では習わないからなぁ。独学で調べても、まだまだ分からん事だらけだ
>>214のそんだけ氏の講義を読んだら?
マケドニアの歩兵はバカ長いサリッサと盾を持ってたんだよな
ほかに長槍&盾の装備してたのはどっかある?
ファランクスはどこもそんなもんだろう
おかげで機動力が低く、マケドニアのファランクスもローマ軍にピュドナの戦いで惨敗する
スコットランドの鎧のない長槍兵は盾持ってたって
>>219 何でも斜め上に撃てないからだそうな。反動が強くて
撃てない事は無いが、斜めに撃つには長弓兵と同じくらい訓練しなきゃならなかったとか
放物線を描いて敵陣に届かせられないから、結果的には弓より射程は短くなる……んだって
>>218 意味っつーか、小説のネタにしようかと思ってな。それと男のロマン
>>219 邪魔なのか
どう邪魔になるんだ?片手じゃ長槍が持ち難いとか?腕に縛り付けるタイプの盾もあったと思うが……
軽歩兵の盾は乱戦になった時用のだから、長槍持ってる時には盾を構えなくて良いかと思ってたんだよな
>>220-222 ふむ、やはり長槍は機動力が落ちるのか……。そしたら、長槍兵と軽歩兵は分けて運用した方が良いのかな?
>>224 長槍を使う場合の戦闘隊形である密集隊形を考えるとわかりやすい。
兵士と兵士の感覚はせいぜい数十センチ。
敵の穂先を受けたり避けたりするために盾を振り回すスペースはほとんどない。
よって長槍歩兵の盾は持っていたとしてもただ前に向けるだけのものとなる。
ファランクスでも盾は半分で自分の身を守り、半分で味方を守っていたという事実がある。
ゆえにカバーできない隊列の端はもっとも勇気のあるものが選ばれた。
マケドニア軍のサリッサは長さ約六メートルで重量もあり、両手でないと保持できなかった。
であるからマケドニア軍は盾を胸に貼り付けたり、腕に縛りつけた。
これはもう盾というより、ほとんど鎧の増加装甲のようなものにしたわけだ。
日本の鎧の大袖なんかにも似た部分があるかもしれん。
でまあ、これなら盾があってもなくても同じじゃんということで長槍と盾の装備は廃れてく
マケドニア軍を破ったローマ軍の基本装備はピルム(投槍)と剣と盾だった。
ピルムは投げるだけじゃなく白兵にも使えたが、ローマ帝国末期になるにつれて廃れていった。
なぜかというと、投槍というのがある程度の数を揃えなければ意味がなく、さらに運用が難しい兵器だから。
投槍は弓や投石に比べて射程が短く、しかも一斉に投げなければあまり効果(物理的にも心理的にも)がない。
その役割も敵を殺すというより敵の盾を失わせ、その後の白兵戦を有利にするためのものだった。
要するに投槍を歩兵のメインアームとして有効に使うには、
1・敵の弾幕の中を動じずに敵前まで前進できる。
2・指揮官の命令どおりに攻撃できる。
3・その後の白兵戦で敵を圧倒できる。
といったような条件の兵士が必要で、ローマ軍以外にこのレベルの軍隊は存在しなかった。
じゃあ散兵(軽歩兵)に使わせればいいじゃんと思うかもしれんが、それなら投石や弓の方がよっぽど役に立つ。
こういうわけでローマが衰え、そのレベルの軍隊を維持できる国家がなくなった中世ごろには投槍はすっかり廃れてたわけだ。
当時の歩兵は盾と剣だけを持って雄叫びを上げなら一目散に突っ込むのがもっぱらだった。
もっとも、衝撃力は歩兵じゃなく騎兵が担当していたからそれでも良かったんだが。
さらに言うが、騎射というのはかなり特殊な技能で、それのみの部隊を編成するのはかなり難しい。
中世ヨーロッパを想定しているのならなおさらだ。
騎射を素でできるのは遊牧民だけで、それ以外はかなりの訓練をつまねばならない。
つまり訓練に費やす金と暇がある連中しか騎射は習得出来ないわけで、
だからこそ日本の武士のような特権階級と軍事技能者をかねた連中が生まれたわけだ。
それでもなお遊牧民の騎射技術は到底及ばないのは言うまでもない。
東ローマ帝国はカタフラクトと呼ばれる重装弓騎兵を編成したが、それでもペルシア弓騎兵との打ち合いになると不利だった。
馬上でのクロスボウの運用はさらに難しい。
ゆれる馬上で装填をするのは無理だし、命中などとても期待できない。
そもそも投射兵器ってのは弾幕を張ってなんぼのものなんで、量を揃えないと意味がない。
クロスボウの構造的欠陥から連射は不可能、騎兵の宿命である高価さから数は増やせない。
これだけでクロスボウ騎兵がいかに無意味なものかわかるとおもう。
どうしても運用するのなら、16-7世紀の竜騎兵のように移動だけ馬を用いて、射撃時は下馬するというのがまだ自然か。
とりあえず戦史の入門ならマイケル・ハワードの「ヨーロッパ史と戦争」あたりを読んでみてはどうか。
古めの本だが、単行本一冊でコンパクトにまとめられているのでわかりやすいと思う。
それからマクニールの「戦争の世界史」やホールの「火器の誕生とヨーロッパの戦争」なんかに進んで行くとなお良いかと。
まあ、なんだ、いろいろ突っ込んどいてなんだが、小説のネタにするんなら、あまり現実にとらわれなくてもいいと思うぞ。
経済や軍事、政治面で無理があっても、面白ければありだと思う。
「神は細部に宿る」というが、こだわりすぎて詰まらん小説も多い
>>225 >兵士と兵士の感覚はせいぜい数十センチ。
「感覚」じゃなくて「間隔」な
>>226 >それでもなお遊牧民の騎射技術は到底及ばないのは言うまでもない。
「騎射技術には」な
久々に長文書いたもんだから見直してなかったorz
あー、それと
>>224の「長槍兵と軽歩兵を分ける」の意味が分からなかったんだが、とりあえず諸兵科連合は基本なんで
凄くマヌケなこと聞くが、騎兵が下馬戦闘してるとき馬はどうなってるんだろ
>>225-227 投げ槍は、敵騎兵や歩兵が突撃してきた時に、弓兵では補いきれないであろう迎撃用射量を補完すると、自陣に到達される前に反撃する事で味方の兵が陣に止まり易くなるって心理効果を目的に考えたんだよな。防御・反撃手段であり、主力攻撃として考えてはいない
フルプレート相手には長弓では威力が足りないが、弩は曲射が出来ないから、じゃあプレートも貫けて曲射も出来る投げ槍が良いかなぁ、と思った訳さ
ただ、それなら射程とダメージで考えりゃ投石でも良いかなとは思う
弩兵の三列連射陣なんか、フルプレート相手には最強なんだが、いかんせんあの陣は防御戦用っつーか、相手が突撃してくるのを前提にして、戦闘開始前に組まなきゃ駄目だろ。開始後に組むのは無理だよなぁ
騎乗して長弓(和弓)を射ったのは武士だけだからな。弓騎兵は機動力と連射力があるから、散兵に適してるんだよな。後、敵弓兵陣への打撃力も、敵を上回る射程の弓兵が無い場合は、弓騎兵が一番だろうし
長槍兵は、敵歩兵・騎兵の突撃に対する迎撃力で優れてるから、最初はなるべく全軍前列に並べたかったんだが、機動力が削がれるなら、重歩兵のみに装備させるのが得策かな
長槍兵が盾を持てない理由は分かった。だがそれなら
〓|〓|〓|〓|〓
● ● ● ●
〓←大盾兵
|←長槍
●←長槍兵
みたいな陣形を取れば良くないか?そういう陣はあったの?
なるべく細かい部分を知らねば、省いて良い部分も分からないからな
省いて良い程度の事かと思って、大事な部分を抜いてしまっては、どれだけ盛り上げても知ってる人には興が冷める
≫219
複合軍というなら、ビザンツ軍がそれに近い
中央に重装歩兵、その横に弓兵、さらにその横と後ろに重装騎兵
遊牧民の傭兵を軽騎兵として使うこともあった
>>229 >開始後に組むのは無理だよなぁ
つかどんな陣形でも戦闘開始してから組み上げるのは無理じゃないか
長槍兵と盾持った兵の組み合わせといえば
戚家軍にそんなのがあったけど、あれは狭隘な地形に合わせて
十人くらいの小部隊で戦闘単位を作ったやつだから、
229みたいにまとまった陣形じゃないな
隊長一人、長牌一人、藤牌一人、長槍二人、狼筅二人、
火箭を使う短兵二人、炊事員一人という編成で一単位。
>>228 後方に控えさせておく。
ポワティエではフランス軍は本営に馬をとどめおいた。
ただし、竜騎兵のような戦闘中に下馬する連中は、すぐに乗って逃げ出せるようあまり離れた位置には置かなかっただろうが。
>>229 >フルプレート相手には長弓では威力が足りないが、
そんなことはない。
クレシーではフランスの下馬重装騎兵が長弓に敗北している。
要は長弓や弩が貫ける距離(ホールによれば数十メートル)まで敵を接近させ、
その上で弓兵を敵の攻撃から守れる障害物があればよいわけだ。
>>215を見れば分かるようにクレシーではそれが木柵と下馬重装騎兵だった。
>プレートも貫けて曲射も出来る投げ槍
そのとおりなんだが、投槍は射程が短すぎる。
鎧を貫けるほどの威力を発揮できる距離はせいぜい十メートル前後。
これでは敵の突撃を防げない。
繰り返しになるが、投槍の役割はかく乱、そして盾を失わせ白兵戦を有利にすること。
>弩兵の三列連射陣
実際にはこの手の連続射撃は効果が薄い。
なぜかというと、単位時間当たりの投射量が変わらないから。
連続して撃てるといっても、一回ごとの弾幕量が少ないのでは敵の前進を止められない。
つまり射兵の最大の武器である制圧力(敵の動きを止める能力)が失われてしまうわけで、意味がないわけだ。
これをやるくらいなら斉射してしまった方がよほどよいし、実際に戦史ではその手法が用いられている。
そもそも号令ごとに行動できるほど練度の高い兵士というのが中世ヨーロッパには存在しない。
近世になりオランダ式教練等の影響でカウンターマーチ(背面行進)のような連続射撃が出来るようになったが、
これも効果が低いとしてすぐに斉射に取って代わられている。
>弓騎兵は機動力と連射力があるから、散兵に適してるんだよな。
散兵の定義を「野戦時に分散して行動し、個々の判断で敵を牽制する兵」とするならば、軽装弓騎兵はけして散兵向きではない。
モンゴル軍のように、軽装弓騎兵も集団で行動させる方が普通。
繰り返しになるが、投射兵科の長所は弾幕による制圧力にあり、それは軽装弓騎兵でも同じこと。
もっとも、遊牧系軽装弓騎兵の最大の長所は、戦略的攻撃(焼き討ちや略奪で兵站破壊)が可能という点にあるんだが。
>長槍兵と大盾兵を組み合わせた隊形。
ローマ末期の軍団兵がそれに近い。
ただし大盾専門の兵がいたわけじゃなく、重装歩兵が二メートル前後の槍と軽量化された投槍、大盾を装備していた。
戦闘時には盾を連ねて壁を作り、敵が接近してきたらまず投槍を投擲し、それから盾壁の隙間から槍を突き出した。
もっとも、この種のやり方はローマ崩壊後に廃れた。
なぜかというと、上にあるように投槍を的確に運用できるレベルの軍隊が存在しなくなったのと、
この戦術では装甲槍騎兵に対抗できないため(回り込まれたらアウト)。
ちなみに一応、日本でも大盾と弓兵、歩兵を組み合わせた例は存在する。
治承・寿永の乱や南北朝期に、「掻盾」と呼ばれる大型の盾を並べて陣を形成し、
その陰から弓を射たり、あるいは出撃して敵と白兵戦を行ったという記録が見られる。
もっともどっちの例も戦闘隊形というより即席野戦陣地といったほうが正確な気がする。
その意味ではフス派の戦車陣に近いものがあるかもしれん。
そもそも何故そこまで盾を持たせたいのか?
戦列のバックボーンとなる長槍兵のような重装歩兵はある程度の損害を前提としているから、そこまで守る必要はないと思うのだが。
それに守りにしか使用できない大盾兵を使うくらいなら、その分長槍兵を増やしたほうがよいのでは?
「戦争は数だよ、兄貴!」というやつ。
>>233 小説のネタにしたいと
>>224で書いてるから、ビジュアル的な華かなにかだと思ってるんじゃねーの。
あまり現実を細かいところまで知っちゃうと、かえってヘンに弄れなくなって
フィクション書けないようにならないか心配ではあるw
現実の戦術とか装備ってそれぞれの生活環境や風土にまで影響されてるわけだしな。
>>232 >クレシーではフランスの下馬重装騎兵が長弓に敗北している
クレシーではフランスの騎兵は騎乗突撃したんじゃなかったっけ?
その教訓でポワティエでは馬下りて戦うようになった
236 :
232:2006/12/02(土) 18:15:28 0
>>234 なるほど、ビジュアル的な面ね。
でも、おれ的にはぼろぼろの格好したスコットランド人がシルトロンで重装騎兵を撃退の方がハァハァ・・・
ところで、シルトロンっていつごろ廃れたんだっけ?
イングランド撃退後はもう使われなかったのかな。
>>235 うおっ、そうだった。
下馬重装騎兵はクレシーじゃなくてポワティエだ。
偉そうに書くもんじゃないな。
指摘あり。
>>230-236 おお、これは参考になるな
ふむ、連射は大して効果が無いのか
銃のよう曲射出来ない武器は、横に平たい陣を取らなければ最大火力を発揮出来ず、そんな長大な陣を取れば
例えば右翼を攻撃されたら左翼の銃弾が敵に届かず……といった事が起き、各個撃破・片翼突破の餌食になってしまう
そういう状況を防ぐため、横に長大過ぎる陣を敷かない場合に制圧力を上げるためには、連射陣は有効だとは思うが……この場合はあまり当てはまらないな。斉射が一番か
そういや、一度に矢を3〜5本射てるような弩があったな。長弓でこういう真似は可能かね?工夫次第では何とかなりそうな………
装甲騎兵の側面攻撃は確かに恐いな。練度は「ある」って事にしてるから、陣の運用は問題無いが
側面攻撃に備えて、重歩兵の斜め後ろに弓兵と軽歩兵を置いたんだよ。鈍速な装甲騎兵が重歩兵の側面を襲おうとすれば、弓兵と軽歩兵が逆に装甲騎兵を側面から切り崩し、返り討ちって寸法だな
また、ウチの重歩兵陣は普通のファランクスと違ってかなり独特な陣形を考えてるからなぁ。端的に言えば、側面にも、場合によっては後方にも大盾と長槍を構えてる陣形だ
こういう、全方向に対して防御を兼ね備えた陣形にしたのは、ウチの陣が、敵陣を切り崩して壊走させるのではなく、包囲殲滅を目的にした陣だからなんだ
騎兵で先導しつつ、軽歩兵陣と弓兵陣を薄く引き伸ばしながら三日月形に敵を包囲し、殲滅するのだが、縦深が薄くなったのを利用されて包囲を突破されては困る
だから、敵陣深くに杭のように突き刺さり、敵陣の縦深を減らす役割の部隊が欲しい
それがウチの重歩兵陣って訳。だから単なるファランクスでは困る。敵に包囲されても耐久出来るほど、高い防御を持った陣がいる。だから大盾は必要なんだ
軽騎兵はやっぱり集団運用して、釣り野伏させる使い方が良いか。となると、牽制用の散兵はまた別に考えないとな
いや、参考になった。ちなみにファンタジー色なら大丈夫だ。トンデモ兵器がちゃんと出るからな
重歩兵が敵を拘束して騎兵で側背を打撃するのが基本だと思うが
「槌と金床」というやつ
>>237 あくまで重装歩兵が中心で騎兵が支援兵科って感じなのかな。
そうなると、軍装は中世末期からルネサンスだけど、兵制や軍事レベルはローマ軍団ということなんだろうか。
うーん、他人の構想を読み取るのは難しい。
俺なんか、既存のものに一つ二つ付け足すだけでも結構、違いがでると思ってしまうのだが。
たとえば、百年戦争のフランス側に長弓兵があったらどうだったか、とか。
とりあえず、軍板にこういうスレがあるから、こっちで色々と質問してみるのもいいかもよ。
■○創作関連質問&相談スレ 19
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1162982508/
>>238-239 そうだな。槌と金床のエッセンスも入れるか
せっかく三日月形の包囲陣で敵の後背は包囲してないのだから、その後背から騎兵には突撃させようか
重騎兵は、軽騎兵が誘引した敵兵を狙って突撃し、軽歩兵に先立って迎撃するのを目的にしてたんだよな。そういう陣は実際にあったよな。確かモンゴルだったか
暗黒時代みたく、歩兵で敵を止めて側面から突撃、では敵にもある程度の迎撃体勢を取らせてしまうし、その迎撃体勢から騎兵を守り、華やかな突撃を完成させるためだけに弓兵や歩兵を敵正面から側面に割くのももったいない
騎兵突撃だけで敵陣が完全に崩れる訳じゃないしね。敵陣に突っ込んだは良いが、歩兵に包囲されて壊滅する騎兵隊、なんて例が結構あるそうだから
騎兵は高価で養成にも時間がかかるのに、そのくせ騎兵の能力を引き出せた指揮官は歴史上、指で数える程度しかいないそうだからな
故に、槌と金床をそのまま使うのは気後れするって訳だ。なら歩兵を主力にした方がリアルだろう、と判断した
それと、前にも言ったように殲滅が目的だから、敵陣を崩して終わりって訳にはいかないって理由もある
まー、ぶっちゃけ歩兵が敵を拘束するまで何もしない騎兵にムカついたから、初めから騎兵に働いて貰える戦術にしてみたってのが一番の理由だが
だから、戦闘の初め〜中ほどまでは支援兵科で、包囲してトドメを刺す時に決戦兵科、さらにその後は、敗走する敵への追撃兵科として運用って、感じかな?騎兵は
いや良かった。質問せずに投げ槍を採用etc……のままだったら、突っ込みを受ける所だった
フス軍は歩兵中心で防御型の陣形
ただし盾ではなく板を張った荷車を連結したものを陣地とした
敵の装甲騎兵を陣地で防ぎ、ハンドカノンで撃退した
ただフス軍もクレーシーのロングボウ兵もフランドルの農民一揆なども
防御を中心とした軍隊は、相手が攻めてこなければ効果を発揮しない。
にらみ合いだけで戦闘にならなかったり、
防御側のフランドル一揆側は先に前進し、陣形が崩れたところを騎兵突撃を受けて崩れている
フス軍も、相手を撃退し追撃に移ったときに突撃され撃破された
>>237 銃器登場以前の最強軍ならまんまローマ軍じゃね?
高い士気と錬度、それに裏打ちされた近代の軍隊に近い指揮系統に戦術、さらに圧倒的な兵站と
これも近代まではどの国も凌駕できなかったであろう土木技術。
軽弓騎兵中心のパルティアや騎馬民族のヌミディアすら軽く敗れる連中を少なくとも、
中世ヨーロッパ人には敗れないと思う。
>>242 パルティア人は団結していればローマ軍とも互角に戦えた
ただし、特にパルティアの後半はローマ軍が侵攻してきた時は
彼らはたいてい内紛を起こしていた(というか内紛の時期を狙って侵攻したのか)
ローマ軍は近代以前では多分最強に近いが、重装歩兵主体のため
軽騎兵主体の軍隊とはやや相性が悪いように思う
中世ヨーロッパは・・・まず数が違いすぎるかな?
中世重騎兵の突撃をローマの方陣で防げるかな?
盾と短めの槍なら、騎槍の方がリーチで勝っていそうだけど
>>244 アドリアノープルの戦いがまさにそんな感じだったはず
ゴート軍の装甲槍騎兵に荷車と盾壁で作った野戦陣地を突き崩された
この戦いの頃にはローマ軍の質が低下してたってのもあるんだろうけど、
重装歩兵が装甲槍騎兵に対抗するには、やっぱ盾よりパイクが向いてるんじゃないのか
>>243 ゴメン。たしかにパルティアを軽く破ったは言い過ぎかも。
ローマとパルティアの戦争の初期はローマが結構負けてるし。
ただ後期はクテシフォンを落としたりもしてるし全般的に見てローマ優勢であったと思う。
それでなぜパルティアを引き合いに出したかというと、重装歩兵主体のローマ軍にとっては
軽騎兵主体のパルティアは相性が悪いはずなのに、たびたび打ち勝つことができたことこそ
ローマ軍の完成度の高さを証明するのに一番だと思ってさ。
>>244 たしかにやや疑問はあるけど、帝政期のローマ軍団は三列目の大隊を長槍にするって戦法を
とってたこともあると記憶してる。
それに、いつでもどこでも一夜城のような陣営地を作れるローマ軍に対して重騎兵主体の軍隊では
イニシアチブはローマ側に握れられてしまう事の方が多いのでは?
どっちかっていうとパルティアみたいな軽騎兵主体で戦略機動にも優れてる軍隊のがローマ的には
苦戦すると思う。
248 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 02:46:30 0
北平政府の軍事顧問をしていた日本人について教えて下さい。
北平政府の軍事顧問をしていた日本人について教えて下さい。
ロンメルにも比せられるハンニバル
253 :
世界@名無史さん:2007/04/13(金) 13:16:59 0
平野で戦列の2列目に弓兵ってありうるの?
事前に柵とか設置出来ればいいけど、柵とか無しで1列目に弓兵はあるのか
1列目に弓を並べた場合、敵が近づくまでに後列の歩兵と交代しなければならないが、陣列を乱さないのか
弓兵部隊は横1列なのか、縦2列以上の弓兵部隊だと、前の人がすごい怖いんじゃないのか
>>253 状況や時代が限定されないとなんだけど。
普通は一列目に弓でしょうね。
後ろに弓置いても前衛がじゃまで目標が見えないでしょ。
弓を射るのに邪魔にならない配置で、敵の騎兵なんかを封じるために槍兵が前を守るてのは状況しだいであるかもしれんが
その場合も弓の真正面には立たないで、斜め前とかに立つんじゃないの?
一列目の弓で敵の指揮官を狙ったり隊列を乱す、そこを槍兵や騎兵が前進して攻撃する。
弓兵はある程度間隔置いて配置するか(散兵戦術)、後衛が前進するときは脇に下がる。
255 :
世界@名無史さん:2007/05/10(木) 21:13:29 0
>>253 ヌルハチの時代の後金軍の陣立て(「満文老档」より)
戦う時は同所に戦わしめ、長き甲を着たる者は鎗大剣を執りて前に戦い、軽き短甲を
着たる者は弓箭を執りて後より射、選ばれたる強き兵士は馬に乗りて別に監視し居りて、
不利なる時助け戦いて、各軍の勝ち得るように行ないたり。
後列からの射撃って少なからず味方に当たりそうなんだが、それも許容の内なのか?
こうではなくて
□□□ □□□ □□□ ↑
■■■ ■■■ ■■■
こうなんじゃね?
□□□ □□□ □□□ ↑
■■■ ■■■
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
こうじゃないか?
__
/ \ ←矢の軌道
/ \
敵 味方 弓兵
前方の短兵器をもった連中が一列とは限らないしね
>>259 お前はその配置で前衛をやりたいか?
こうなっちゃうぜ
__
/ /\ ←矢の軌道
/ / \
敵 味方味方 弓兵
まぁでも、効率よく敵を殺せるならアリだと思うぞ
>>261 間違って当たるほど敵と味方が接近してる状況で、矢を射らせる奴は馬鹿だろう。
敵と離れてる状況でも撃ち損ねで10mくらい先の味方に当たることもあるだろう
そんなのが全く出ない状況まで訓練するなら凄いけど
味方の誤射で死ぬ人間なんて昔から腐るほどいるだろ
267 :
世界@名無史さん:2007/05/30(水) 09:59:17 0
>>253 「エル・シッドとレコンキスタ」より
アル・ムワッヒドの戦術は初期のアル・ムラービトとほぼ似ていたが、ある戦士の記述に
重要な相違点が示されている。彼はこう書いている。
「われわれは平らな土地に方陣を敷いた。4面すべてに長槍の列を配置した。その後ろには
槍とジャベリンの2列めが立ち、その後方には石の袋を持った兵(投石兵)がいた。さらに後方に
弓隊が立ち、方陣の中心には騎兵隊がいた。いつアル・ムラービト騎兵隊が攻撃してこようと、
長い穂先の槍、ジャベリン、石、矢しか目に入るまい。ある者は死に、ある者は逃げようと背を
向けると、すかさず歩兵があけた口からアル・ムワッヒドの騎兵が突撃をかけ、傷ついたり
倒れたりした敵にとどめを刺す。アル・ムラービトが重ねて攻めてくれば、彼ら(アル・ムワッヒド
騎兵隊)は穂先の森の奥へ後退する」
>>266 「四人にひとり」か。
戦死者の何割かは味方の撃った銃弾に殺された者だ。
兵士達の間で実しやかにささやかれる噂によればその割合は四人にひとり。
>>269 すごいサイトだね。あなたは素晴らしいね。
▼米国FBIの言論弾圧を弾劾せよ!
米国民主主義に対して第二次世界大戦の戦後審判とはまったく関係なく、新たな主張を行うことにより危険思想保持者と見なし、記事の削除とアクセス禁止による明らかな言論弾圧を行っている。
FBIは、沖縄米軍基地における軍事的弊害説、9.11フリーメイソン陰謀説に対する言論弾圧が認められた。
▽民主主義の国民が防衛理念を含む専門知識に基づいて投票することは有り得ない。
したがって軍事兵器の使用は極めて不明瞭な理由により過ちを繰り返しやすく、軍事的弊害を含んでいると言える。
イラクの軍事支配という中東の混乱により米軍の軍需産業は事実上沖縄にまでこの軍事的弊害を生じさせたのである。
一方、1996年8月28日、最高裁は米軍用地の強制使用手続きをめぐる代理署名訴訟で、米軍基地への土地提供を定めた米軍用地特別措置法は憲法に違反しないという判決を下した。
この米軍用地特別措置法は同盟上の米軍の軍需産業を容認するものであるが、前述した沖縄の軍事的弊害とは、似て異なるものであり、両者を民主主義において憲法上合法とすることは不当な判決であると言わざるを得ない。
▽米国同時多発テロ9.11は、事実上米軍のイラクでの軍事活動を正当化せしめたのであり、数十万の身体障害者を含む戦争犠牲者を齎した。
そして、ブッシュ政権はイラクの民主化に必要な要件を満たしていないばかりか、フリーメイソンの教義に含まれる虐殺思想の終端と軍事経済破綻を防ぐべく水面下での隠蔽工作をしたかの如き示唆を繰り返しているのである。
なぜならば、米国の権威は少数民族を虐殺したことにより維持されてきたからであり、この戦争利権を維持するために大規模なテロ事件を通じて米国民を洗脳する必要があったと言えるからである。
つまり、戦争の可否は国民洗脳により誘導された似非民主主義的な判断に基づくものである。
弓兵の配置つながりで思ったけどテルシオの外面に配置されてた銃兵隊は
白兵戦に入るときどこに避難してたんだろ
密集陣は外面から内部まで完全にパイク兵で詰まってる状態
それなりに人員が存在する銃兵部隊を収容できるとは思えないんだが・・・
敵の襲撃がない方面に移動してチマチマと射撃ってな感じだろか
>>275 昔似たような質問をして回答をいただいたけど
69 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/03/07(火) 18:23:40 0
テルシオってパイク兵の方陣の外周に火縄銃兵が配置されてますが
あれは実際どうやって戦ったんですか?
長槍部隊が中央にぎっしり密集してても意味がないような気がするんですが・・・
71 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/03/07(火) 22:47:04 0
>>69 火縄銃兵は射撃を行なった後は後方に退き、槍兵が敵のいる方向に槍を向けて
攻撃する。
長所としては複雑な訓練を必要とせずにどの方角の敵にも対処できること。
あと隊列を厚くすると戦闘に参加できる兵が少なくなって無駄が多くなるが、
最前線の兵士は後方からの圧力で戦闘中に逃亡するのが難しくなる。
つまり、なかなか崩壊しない粘り強い隊形になるわけ。
テルシオはある程度の無駄には目をつぶって、訓練状態が悪く士気も低い傭兵を
無理やり戦わせるために発展した隊形だから。
277 :
275:2007/07/02(月) 04:37:40 0
278 :
世界@名無史さん:2007/08/04(土) 17:16:15 0
>>278 ttp://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070805-237303.html 謎の潜水艇はただのパフォーマンスだった
ニューヨーク・ブルックリンで停泊中の英豪華客船クイーン・メリー2付近で、
世界初の軍事用潜水艇「タートル」を模した球状の物体が3日見つかった事件は、
アーティストによるビデオ撮影目的のパフォーマンスだったことが4日分かった。米メディアが伝えた。
潜水艇はアーティストらの手作り。豪華客船と潜水艇を撮影したビデオの上映会を予定していたという。
アーティストらは豪華客船に向かって航行中、テロ活動を警戒中の当局者に拘束された。
市警は今回の騒動について「悪ふざけ」だったとするコメントを発表した。
[2007年8月5日12時3分]
280 :
世界@名無史さん:2007/08/26(日) 10:00:32 0
>>256 宋あたりの歩兵は槍兵の背後に弩兵や弓兵を並べて
弩兵が射撃するときには槍兵がしゃがんだらしい。
中世イタリアで弩兵隊の正面を守る大盾兵も
オスプレイ社の本の再現図を見るとそんな感じだった。
281 :
世界@名無史さん:2007/09/15(土) 13:28:07 0
Clean Weapons of mass destructionてか
283 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 14:38:19 0
>>246 パルティアは弓騎兵遊牧民系統の国家だけど、
城も都市も支配する、半遊牧民国家でしょ。
拠点をめぐる戦いなら、弓騎兵はあまり有利でない。
陣地を固めて、射撃で応戦すればいいわけだ。
むしろ、匈奴みたいな、完全な草原遊牧民国家なら、ローマも苦戦しただろ。
正面決戦を避け、手薄な地点に侵入・蹂躙し、救援がくるまえに、撤退する。
これでは、手も足もでない。
結局、前漢武帝期には、大規模な騎射軍団を組織して匈奴に対抗したけど、
決定的な勝利は得られなかった。
284 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 14:40:25 0
あと、中国史だと、遊牧民が征服王朝をつくって、定住民を支配するように
なると、途端に弱くなる。
パルティア・ペルシャも弱い遊牧民系国家の部類なんじゃないかな。
285 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 16:07:45 O
♪アメリカにいる時にゃ〜鈍亀と呼ばれたの〜
♪イタリアにいる時にゃ〜豚と呼ばれたの〜
♪ドイツにいる時にゃ〜アザラシと呼ばれたの〜