1 :
世界@名無史さん :
2006/01/29(日) 23:50:36 0
フランスとイギリスって仲悪いよな。
カーナティック戦争やフレンチインディアン戦争など ちょっとした世界大戦
結局、財政力・海軍力・植民地占有力の優越が原因で、 (というかこれらが因となり果となって) 英国のヘゲモニー確立に至った。
5 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 01:10:34 0
オランダ出身のウィリアム3世は、スペイン領ネーデルラントがルイ14世の 手に落ちればイギリスが危険にさらされると考え、 スウェーデン・スペイン・サヴォイア・オーストリア・ザクセン・オランダと 大同盟を結成。 これ以後、イギリスはヨーロッパにおけるバランサーの役割を果たすようになる。
フランスが援助しなければ合衆国は潰されてた?
どうだろ? ただフランス海軍の役割ってわりと決定的でしょ。 当時は鉄道以前の段階だから、13植民地の南北を繋ぐのは海上運送が中心。 そこをロイヤルネイビーに握られっぱなしになれば植民地側としてはかなり痛い。 結局、北部・中部・南部が別個に戦わざるをえない形勢になる。 ただ英国は英国で、大西洋という巨大な兵坦上の障害があるしな。
9 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 09:52:52 0
フランスの財政にとっては、王室の贅沢よりも、アメリカ独立戦争のほうが 負担だった。 (これがフランス革命勃発の一因になる) そもそもイギリスが植民地に砂糖法・印紙法によって課税しようとしたのが、 フレンチ・インディアン戦争によって生じた財政危機だったことを考えれば、 この時代の世界は英仏の抗争があらゆるところに影響を与えてるんだな。
テュルゴーなんかはアメリカ援助に反対してたらしいけど、失脚
11 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 12:11:48 0
>>6 イギリスの敗北には、外交上の失敗も絡んでいたように思う。
フランスだけでなくスペインやオランダも戦線を布告し、
ロシアのエカテリーナ2世はイギリスの対米海上封鎖(中立国船舶捕獲
宣言)に対抗して、スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガルと
武装中立同盟(中立国船舶の航行の自由と禁制品以外の物資輸送の自由を
宣言したもの)を結ぶ始末。
この時期のイギリスは国際的に完全に孤立していた。
12 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 23:40:10 0
七年戦争で、もしロシアのエリザヴェータ女帝が逝去しなかったら、 プロイセンはもちろん敗北していただろうけど、イギリスの立場は どうなっていただろうか? 北米にもインドにも、フランスが巨大な植民地を持ち続けることに なっていただろうか。
ルイジアナ共和国 首都ヌーベルオルレアン
14 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 00:51:00 0
この時代の戦争の記録を読んでいると、陸でも海でも略奪が当然の こととして行われている。 たとえば七年戦争で、ロシア軍が東プロイセンに侵入したとき 大勢の商人が軍につきしたがって捕獲物を購入したとか、 ロイヤル・ネイヴィーがフランス海軍よりもフランス海賊に 悩まされたとか。
>>12 漏れの妄想。
英国としては、プロイセンは容赦なく使い捨てるだろうけど、
ハノーファーに危機が迫った段階で手打ちだろうな。
フランスもたぶんこれに応じる。
(厭戦気分+露墺(特にロシア)の急激な台頭に対する警戒から。)
ただしこの場合、イギリスにとっては史実のようなおいしい結果にはならない。
たぶんカナダとか獲得できない。
よってこの結果、
1.英仏覇権抗争はさらに長引く。
2.イギリスは、オーストリア当たりを対象に、大陸での同盟を再構築。
3.仏露墺の同盟関係は野合だからすぐに崩壊。
4.欧州東部でのロシアの存在感がぐっと高まる。
5.13植民地の独立も先延ばし。つーか不発?
6.プロイセンは滅亡しないまでも、一からやり直し。ただの中規模国に。
7.後のドイツ統一が全く別の形になる。
こりゃ大変だ・・・・
16 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 01:19:28 0
>>15 そうすると、ポーランド分割が起こらなかったかな。
あれはロシア・オーストリア・プロイセンの勢力均衡の
ためだったから。
>>14 18世紀は暴力が国家に独占されつつあるギリギリの段階やね。
というか、国家がまだまだ未熟だったから、
国家機能の一部を民間に委ねることがよくあった。
教育→教会
徴税→徴税請負人、とか。
海軍力→私掠船、もその文脈で考えられる。
18 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 01:35:38 0
ナポレオン戦争当時、 フランスの人口は2900万人で、対するイギリスは866万人。 イギリスが大陸へ軍事介入したがらなかった気持ちがよくわかるな。
20 :
フランス人 :2006/01/31(火) 22:31:31 0
「不実なアルビオン」
21 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 14:45:44 0
「最後のモヒカン族」とかもこの時代だな。
23 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 22:48:09 0
18世紀の船員の食事は、蛆がわいた堅パン、気が抜けて酸っぱく なったビール、固くなったチーズ、腐ったバター、鉄のように固いビスケット など。
24 :
世界@名無史さん :2006/02/06(月) 12:48:55 0
フランス海軍は革命で士官が大勢亡命してしまったので、質が低下したそうな。 陸軍が革命で無能な幹部を一掃し、かえって戦力を強めたのとは対照的。 海軍は基本的に技術者の集まりなので、短期間に育成することが難しい。
財政軍事国家になれたかどうかの差でしょう
26 :
世界@名無史さん :2006/02/21(火) 22:35:33 0
ロイヤル・ネイヴィーが欧州最強の海軍になったのはいつ? コルベールの時代にはフランスも海軍の育成を熱心にやっていたけど。
27 :
世界@名無史さん :2006/02/22(水) 00:20:32 0
面白いスレだね。 今日は疲れたから寝るけど明日議論に参加する予定だから それまでもっと盛り上げといてね!
ナポレオン戦争のころじゃないか
フランス海軍の弱点。 1.陸軍と予算の奪い合い。 2.よってコルベールやショワズールのような先見の明のある担当者がついた時のみ拡充される。 3.大西洋と地中海に戦力が分散されるという宿命。 4.人口は英国の数倍だが、潜在的な船員人口はほぼ同数。 5.相対的に英海軍の方が技量に優れるため、海戦ごとに拿捕・捕獲される船舶・船員はフランス側に多く、戦争が長引けば長引くほどじり貧になっていく。 6.英仏海峡のフランス側には(ダンケルクからサンマロまでで)ロクな軍港が見当たらない。 7.各戦争中の序盤で海軍力が破壊されると(7年戦争中のキベロン・ベイ海戦、ナポレオン戦争中のナイル海戦が典型例)、通商破壊戦という消極的かつ弱者の戦略に頼るというお約束パターンに。
30 :
世界@名無史さん :2006/02/23(木) 00:53:31 0
30ゲット
海軍力増強のノウハウや姿勢にも問題があった。陸軍は17世紀から19世紀初頭はナポレオンの登場や平気や戦略にも重点的に 力を注いで、強力でありイギリスにも脅威だったといえる。しかし、造船技術と戦略的海軍力増強に消極的であり、大陸国としての 特徴が全面に出て、海洋への関心がイギリスに比べ、天と地の差が付き過ぎていた事にある。 海軍力、会場航路開拓が貿易の新たに市場開拓する一歩として、気付かなかったのにも要因といえるだろう。
陸にリソース振らないとならないからな。 最強の陸軍国は、最強の海軍国にはなれない。
フランスの場合、たとえばラ・ロシェルは、西アフリカと西インド諸島との 三角貿易に都合のよい位置にあったにもかかわらず、 国王のきまぐれな収奪のおかげで、リヴァプールやグラスゴーのような 繁栄を築くことができなかった。
>>32 第二次百年戦争の間、ブリテンはおおむね、
陸戦は同盟国の資金援助でまかなって、
海戦は自前の艦隊で戦った。
フランスなどとの圧倒的な差があるとすれば、それは財政能力
というのが今のところ学説として有力だね。
某アニメによれば「戦略・戦術や質の差は、まず物量で補えてしまいます」
らしい。
物量で補えるほど英国の財政能力が圧倒的だったわけじゃないでしょ。 人口比で言うとそれこそ圧倒的だったフランスと、互角以上に戦えるという点では、 確かに英国は財政軍事国家化に相対的に成功したけど。 フランスはフランスでそれなりに良好な財政的パフォーマンスを見せていた。 (同時期、ほぼ同面積・同人口のオーストリア・ハプスブルクと比べると、税収は数倍上)
もちろんハプスブルグ国家よりはマシな状態だったみたいだね。 人口では英仏で4倍以上の開きがあったとか。手元に資料ないからわからんけど、 国家の規模ではフランスは当時一流だったみたい。 ところが、たとえば封建領主の力が強くて税収があがってこない地方が 多かったり、売官制ていう仕事のない役職 (これを売って一時的に金ができるが、半永久的に給与を払わないといけない) がイングランド以上に広がってたり、 徴税を行うための行政機構が未発達だったり、 そういう点で、いわゆる国力が財政能力に結びつかなかったと。 ルイ14世に代表される絶対君主で集権化が進んでいたように捉えられがちだけど、 その絶対的な権力を行使する機構が伴わなかった。 当時の絶対王政国家はたびたび破産してるが、それをやると国債の信用が落ちて、 資金集めが難しくなるし。 いっぽうで、イングランドでは議会の決定が(異常なほど)正統性を持っていて、 議会を通った税制度にはおおむね文句は出なかったし、 それを集めるためのExchequer(財務省)の発達が著しかった。
つまりジョン王のおかげですね!
すごくおもしろい指摘だが、ソレあるかもしれない…。
1720年代までは英仏両国の財政的方向性はそれほど大きくはかわらないと思う。
ただフランスでは、ミシシッピ・バブルでジョン・ロー・システムが破綻した後は、
公的信用制度の確立路線(同じ時期英国で南海泡沫→ウォルポール改革後に見られたような)は放棄され、
完全な徴税請負業者(俗に「40家族」と言われる)依存に陥ってしまう。
以後、両国の資金調達コストの差がじわじわと響いてくる、と。
なんでこういうことになったのか?
というと一つには
>>36 が言うように、英国では曲がりなりにも議会主権が成立していたという経路依存性の問題。
王様の信用よりも議会という機関の信用の方が上だという理屈ですね。
(17世紀で言うと、スペイン王とオランダ連邦議会の対抗関係にも同じ理屈が当てはまる。)
もう一つはオランダ資金という歴史的要因。 オランダの金融資本(やナント勅令廃棄後に追い出されたユグノーの国際金融資本)は、 英仏どちらを投資先に選ぶかと言えば、それは英国の方を選ぶ。 このオランダ資金が英国の戦債を買い支えるという構図は、少なくとも7年戦争までは極めて決定的だった。 結局名誉革命による英蘭提携がここでもやはり重要だった、と。 そういえばイングランド銀行創設にもオランダ金融資本の人脈やノウハウがかなり生かされているんだよね。 英国人としては忘れたい過去だろうけど。
>>40 なるほどなるほど。勉強になります。
オランダ・マネーのことは、ブリュア(「財政軍事国家」の提唱者)もあまり触れてなかったように記憶しとります。
ところでみなさん、「バリー・リンドン」見ました?
当時の戦闘が忠実に再現されてるらしいけど、
お ま え ら あ ほ か
と言いたくなるような戦闘で…。
ただ長い映画なんでしんどいけど。
>>41 「パトリオット」もそうだけどこの時代の戦争ってすごくマヌケに見える…
ところでイギリス陸軍には「ロイヤル」がつかないんだよね。
43 :
世界@名無史さん :2006/02/25(土) 12:23:42 0
イギリス陸軍のヨーマンリー(ヨーマン兵)は、ナポレオン戦争の時代に できたもの。
おまいら、最近は「名誉革命」て言わないらしいぞ。 「1688年革命」が今のトレンドだ。
覚えにくいので3桁にしてください。
エドマンド・バークは「幸運にして名誉ある革命」と呼んでいた。
元祖ホイッグヒストリアンのバークきたこれ。
48 :
世界@名無史さん :2006/02/27(月) 21:40:56 0
ナポレオン没落の原因はやっぱり大陸封鎖令?
「1688年革命」でぐぐったら、中国語のサイトが ビシバシヒットしたけど、「1688年革命」って言ってる 日本語のサイトは見当たらないよ。 本当にトレンドなの?
the 1688 revolutionでググったら1000件ちょっとHIT しかしin Siamとか書いてあるのが一番上だった
トレンドっていうか、本や論文のタイトルとして、 the Revolution of 1688 とか the Revolution of 1688-89 とか 言ったりする傾向は増えてきている。 (the Glorius Revolution が使われなくなったということではないけれど) たぶん Glorius の露骨にホイッグ史観的な、イングランド中心的な含意を避けようと言う意図だと思うけど。
すまん、Glorius→Glorious でした。
「イングランド人が気違いじみた党派間の反目の中で浪費してしまった自由の 回復をはかるために、いかに友好的な、歓迎されたものであれ、外国の艦隊と 軍隊を必要としたという事実には、不名誉を認めざるをえないであろう」
>不名誉を認めざるをえないであろう これは「名誉革命」の呼称を前提にした上でのレトリックでしょう。 >自由の回復をはかるために、 >いかに友好的な、歓迎されたものであれ、 ここらへんが典型的にホイッグ史観。
よし、では1868年のアレも名誉維新と呼ぶことにしよう。
56 :
世界@名無史さん :2006/03/03(金) 17:06:00 0
ダンビーが1677年にメアリーをウィレムと結婚させて、オランダと同盟を むすんだことが後に幸運を招いた。 このとき、いずれフランスがライバルになることを予感していたんだろうか?
57 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :2006/03/18(土) 16:00:25 0
ageついでに。 アメリカ独立戦争で、イギリスは何でああまで孤立したんだろうか。 それまでの植民地を巡る戦争でずっと勝ってきたから、仕返しを食らったのか、 少し前のヨーロッパの戦争(オーストリア継承戦争&七年戦争)で 同盟国を軽く扱ったから、誰も味方してくれなかったのか。 二つばかり理由を考えたんだけど、他にあるかな?
58 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 19:26:14 0
>>57 1760〜70年代には中東欧諸国は西欧とは切り離されていて、
彼らはポーランド問題やバイエルン王国の王位継承、オスマン帝国との
関係に忙殺されていた。
しかし七年戦争のあとフランスが弱体化してそれほどの脅威ではなくなり、
中東欧の問題に介入する余裕がなかったから、1779年以降、フランスの動きを
警戒する必要があるのはイギリスだけになった。
さらにフランスはハノーファーを攻撃するのをあきらめて、オランダに圧力を
かけるのも断念し、イギリスとは海外でのみ戦い、それによって大陸政策と
切り離し、イギリスの海軍戦略がヨーロッパに向けられるのを防ごうとした。
イギリスの勢力均衡外交って、ヨーロッパ大陸に強大な勢力が存在して、 それが派遣を求めているときはうまくいくけど、 ヨーロッパ諸国の間に対立がなくなると機能しなくなるのかな。 第二次世界大戦後、欧州統合が進行したときも同じような外交の 行き詰まりにぶちあたったし。 ウィルソン政権がEEC加盟申請を行ったときには、ドゴールの 拒否にあって挫折し、ヒース政権になってやっとEC加盟が実現。 もっとも、最近EU内部では東欧諸国や仏独の横暴に腹を立てた 小国が米英側につくようになって、またイギリスに有利な状況に なってきているけどねw)
>>57 フランスの対外戦略の転換もあるんじゃないかな。
狙いをイギリス一国に絞って、ほかの紛争に手を出さず、敵も
なるべく作らないようにした(たとえば、バイエルン危機, 1788)。
フランスは前回の敗北から、いわゆる多数派工作に戦術を転換して
当たったけど、イギリスはその変化に気づいていなかったと。
ていう感じでどうでしょう。
V
62 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 20:16:08 0
イギリスがアメリカ独立戦争で受けた痛手が一般にはぜんぜん知られていない のはなぜだ? アメリカが独立したとき、イギリスは2億4290万ポンドの戦時債務を抱えていて、 パリ講和会議ではスペインやフランスにいくつかの領土を与えなくてはならず、 小ピットは「イギリスの光栄の太陽はいまや西に没した」といったほどなんだが。
ネオ=ホイッグ史家たちにとって触れたくない話題だから。
>>62 フランス革命でヨーロッパ全体(特にフランス)が勝手に疲弊してくれたおかげじゃない?
全ヨーロッパをボロボロの戦場にしてくれたナポレオンには足を向けて眠れない
そもそも、フランスの財政赤字の原因のひとつに、アメリカ独立戦争に フランスが参加したことによる莫大な軍事費があった。
66 :
世界@名無史さん :2006/04/16(日) 23:20:18 0
1688 ファルツ継承戦争 1697 1701 スペイン継承戦争 1713 1740 オーストリー継承戦争 1748 1756 7年戦争 1763 1775 アメリカ独立戦争 1783 1796 ナポレオン戦争 1815
67 :
世界@名無史さん :2006/04/17(月) 20:36:48 0
もしイギリスがヨーロッパに同盟国を持っていたら、アメリカ独立戦争で 勝利することができただろうか? それとも3000マイルも離れた、自給自足ができる植民地が相手では、どのみち 制圧できなかった?
どっちにしろ あのメンバーじゃ無理だ
どこが同盟したかによるけど、 それでも難しいと思う。 Brewerが指摘したように、最大の負担はン万人分の兵糧を腐らせずに大西洋を横断 させ(続け)ることで、借金まみれのUKには重荷だったと思う。 それにテキは地元で食糧・物資を調達できたし。 あと、イングランド人にも「島国根性」みたいなのがあって、 「なんでこんな遠くで命張らなきゃならないのか」ていう士気の低下もあった らしい。
70 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 11:43:42 0
フランスは、第二次英仏百年戦争に敗れた後、フランス的なやり方(コルベール 主義など)を改めて、イギリス的なやり方(市場経済など)を導入しようとは 考えなかったんでしょうか?
自由貿易は一番競争力が強かった言い出しぺの英国が有利な話 で仏がしたら英国の工業製品に自国の産業乗っ取られる ってばっちゃが言ってた
ナポレオンの大陸封鎖令は、欧州大陸諸国にとってプラスとマイナス どっちが大きかったんだろうか。確かにイギリスに輸出できなくなって 困ったが、その一方、イギリス製品から保護された状態にあった。 (フランスのリヨンやストラスブールは大陸内貿易の中継点として 栄えたし、ドイツのライン川流域やベルギーでは繊維産業が発展し、 シュレジエンでは製鉄業も広がった) ナポレオン戦争後、障壁がなくなったらイギリス製品がどっと流れ込んで、 これに対抗することができなかった。 それとも大陸封鎖令が無ければ、大陸諸国はもっと早く産業革命に 突入していた?
>>70 商業を守るための海軍力をもつことは、1.フランスは大陸の国で、海軍にばかり気を
遣っていられなかった/2.税収がいっこうにあがらなかった/3.無用な官職で国庫が
圧迫された(人口比でイギリスの10倍?)とかの理由で無理があったらしい。財政改
革に乗り出しても、既得権層の反対で頓挫してしまった。それでにっちもさっちも行
かなくなって、革命になってしまった。と思っている。
>>72 フランス以外の諸国にとって、ということなら、政治的な意味でのプラスはあったの
ではないかと。大陸封鎖令でフランス帝国が弱まって解体の一因になっただろうか
ら。経済的にも(予測は難しいけど)封鎖令で保護されなかったら、より徹底的にイ
ギリスの独壇場になったと俺は予想する…けど、このあたりはあんまり知らないんで
何とも。
>>73 >フランスは大陸の国で、海軍にばかり気を遣っていられなかった
現在の中国は、明代の「鄭和の南海遠征」を持ち出して、「わが国は海洋
国家だ」と主張し、海軍の増強に乗り出しているが、フランスの二の舞に
ならなければいいけどな。
ナポレオン帝国が崩壊したのは、結局それが他国の犠牲の上に成り立って
いたからかな。軍事費は敗戦国や征服地から取り立てた資産や賠償金や
税収でまかなわれ、一方、フランス人納税者の戦費の負担は軽くなった。
パックス・ブリタニカの時代のイギリスは自由貿易を主張し、それは確かに
強者にとって有利な政策ではあったけれど、自国の市場は完全に開放したので、
他国もある程度の利益をあげることができた。
75 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 07:59:30 0
ナポレオンがヨーロッパ大陸での覇権を長続きさせるにはどうしたら よかったんだろうか。 スペインとかロシアとか、よけいなところに手を出さなければ良かった?
それを人々はこういう。 結果論だと。
77 :
世界@名無史さん :2006/05/20(土) 09:55:56 0
>>75 ナポレオンが死んだらやっぱりフランスの覇権は崩壊しただろうな。
大陸封鎖令で英国は結構打撃を受けたらしいけどね・・・BoBといい、しぶといよなあの国。
>>78 ナポレオンがロシア遠征で自滅してくれたからな。
ヒトラーのときもまったく同じパターン。
うまみがないから誰も食べようとしなかった 渋柿みたいなもんじゃないの
81 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 00:05:20 0
age
82 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 11:57:20 0
ttp://cruel.org/econthought/profiles/colbert.html コルベールは、商業の拡大(そして貿易黒字の維持)が国の富の鍵だという重商主義
ドクトリンを信じていた。かれの政策――後に「コルベール主義」として知られる
ようになったもの――はすべてこの方向に向けられていた。コルベールは特許企業を
甘やかし、商工会議所を作り、資本を輸出や輸入代替産業に振り向け、関税の
保護障壁を作り、フランス領での外国人の交易を邪魔し、等々。
総じてコルベールは、国内商業にはあまり興味がなかった。国内商業は、かれの
見方だと、国の富には何も影響しない。フランスの農民や小製造業者たちは、
中世的な町の商人・職人ギルドの息苦しいくびきにとらわれたままだった。
地域間の財や移動に関する制限や国内関税も、そのままだった。とんでもなく
逆累進的な税金(金持ちのほうが税率が下がる!)はさらに強化された。
特権地主の富裕層や教会は課税を逃れ、大輸出入業者は報奨金で甘やかされ、
税負担はかわいそうなフランスの農民や町の小規模職人たちに一層重くのしかかった。
一部の輸出産業奨励、特にワインの奨励は土地利用パターンを変え、おかげで
フランスの一部は食糧不足に危険なほど近づいた。
83 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 12:11:26 0
84 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 18:33:50 0
月例遠征に上がりました。
85 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 11:13:17 0
大国フランスが没落し、パクス・ブリタニカ、ドイツ統一と成ったのは、 結局の所、フランスの内戦が原因なんだろうね
原因は複合的だと思うがどうでしょう
>>86 そう
人類が二足歩行を始めたことや、火の利用方法を発見したことが原因の一つだ
原因から考えるのが原因だよ
89 :
世界@名無史さん :2006/09/11(月) 21:13:05 0
大陸封鎖時のモロッコ、トルコ、ペルシアの動きはどうだったのでしょうか?
ペルシアはカージャール朝がロシアとイギリスに圧迫されていた。 トルコはエジプトの事実上の分離と国内の政変に追われていた。 モロッコは知らん。
91 :
世界@名無史さん :2006/09/12(火) 00:08:38 0
18世紀のフランスの輸出に占める割合は、自国産の繊維製品やワイン、ブランデーよりも、 西インド諸島のプランテーションで生産された砂糖やコーヒーのほうが上回っていた。 この時期のフランスの輸出額を調べてみると、ジョージ王戦争、七年戦争、 アメリカ独立戦争の時期にがくんと落ちている。 つまり、フランスの貿易は植民地の物産に依存していたので、国際政治の動きに 左右されやすかった。
92 :
世界@名無史さん :2006/09/12(火) 05:47:55 0
ペルシャを南からイギリスが圧迫し出すのはもっと後では。 第一次アフガン戦争の過程で1839年からバルチスタン地方が英国の影響下に置かれる。 パキスタン南東部のシンド地方が英国の保護領になったのがその5年前。
94 :
世界@名無史さん :2006/10/01(日) 14:05:12 0
,...... ピ {.⊂"´ ピ ク `´ ク ,. '´`: , :'´i. , 'i ;'´ '、,', _`' '´ `´__ ^ヽ`ィ ,,_ ............. _, '´′ '- ' , ィ´;'''"`ヾ、¨三"´:¨ `ヽ : : : : : . : . :.. .. ....;:;:,,_ 「r _/}-‐'´~ ヽ-‐'''7 ,イ・ y'"∵ノ.ノー-----――-、 - ー:: :: r‐'´,.ィ....)-ー ¨__ヽ-/ ,/ `>-/ -一く`¨"¨´ ̄ ̄ ̄~¨´ ` ̄マノ¨ ̄⌒\丶`r-ミ厂:::(`ー/ , く ::..,,__""´´ ´" __"´c: \ ヽ r',二/ ィ"-‐' ´" "´´" " {,':.-' -‐=ヽ\::`"....`"::::......: : : :: : . . . ..... ー= - ‐… `!,ミ { r:^)
96 :
世界@名無史さん :2006/10/29(日) 12:53:45 0
>>93 ナポレオンに協力しない様に圧力掛けてたと思うけど
フランス瀕死スレ
98 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 22:23:37 0
>>6 潰されてた。
合衆国史では神聖化されてるけど
実態は飢え掛けで錬度の低い反乱民兵の寄せ集め
それに然るべき物資と調練を施したのは欧州の反英諸国
まさか欧州を逆隷属化するほどの怪物国家の助産をしてるとは夢にも思わず
100 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 18:42:35 0
100ゲット
101 :
世界@名無史さん :2006/12/11(月) 05:04:30 0
インド戦線について詳しい奴いないか
102 :
世界@名無史さん :2007/01/15(月) 00:03:48 0
age
103 :
世界@名無史さん :2007/02/25(日) 23:15:24 0
保守
ばら戦争ってすてき
ヨーロッパってどの国も戦争してんだね
106 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 08:51:22 0
もうあれだよ フランスと一緒だとかいや別だとか 仲がいいのか悪いのか、いや基本はずっと悪いのか
107 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 18:50:39 0
お隣さんとケンカするのは、世界中どこでもあることですな
108 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 19:39:44 0
スウェーデンとデンマークとかね。
遠くの国とは仲が悪くなってもなかなかケンカに至らないが、 お隣とならすぐにケンカできるしな。
お隣なら混血とかいるだろうに
いい疑問だ 戦争したり対立したりすると、まずしわ寄せが行くのが 移民とか混血ですな 特にフランス革命以降。