ランヌの代わりにネイを死なせることにしよう
ダヴー、マッセナ、スールト、スーシェあたりをあと5人ぐらい量産して 元帥達のもとにベルティエとジョミニを一人づつ配置すれば余裕
ジョミニってネイの参謀としても実績あったのですか? 著作の方はともかく、参謀としての技量を疑問視する意見も あるようなのですが。
ネイ元帥については、晩年の軍事行動で評価を下げた感がありますが、少なくともロシア戦役までは、 結構堅実で良識有る実績を残しています。 アイラウの戦いでは、彼の到着が勝敗を決したと称しても良いくらいです。 まぁ結果完勝にはほど遠い戦いでは有りましたが… 彼の参謀格であったジェミニが愛想を尽かして出て行ったのはモスクワ以降の事です。 彼がいるいない後のネイの行動を考えるに、少なからず良い方向への実績は残せていたのでは無いでしょうか? その後のジェミニはシュワルツエンベルクの本に走り、最低の将軍だったとの捨てせりふを残しまたまた出奔 するわけで、人間的に問題児ではあったようですが。
ありがとうございます。 彼(ネイ)が戦術的に最もさえていたとされる二つの撤退戦(ポーランド、 ポルトガル)にはジョミニはついていなかったと記憶しています。 またバウツェンでの助言に関しても異見があるようです。 これらのことから、ジョミニがどの程度、元帥の作戦行動に関与していたのか いささか疑問に感じていました。 ジョミニと同時期に幕僚を務めた将軍の回想録によると、 ジョミニは作戦決定にはほとんど関与していなかったとあります。 (ジョミニは人望がなかったので、悪口を書かれているだけかもしれませんが) ジョミニの作戦貢献に関しては、本人(ジョミニ)による回想録に依る部分が 大きいそうなので、そちらを先ず確認しないといけないのですが、 なんせフランス語なもので。。。 また、ナポレオンがジョミニに注目していたというのは、ナポレオン側の証言として 何か残っているのでしょうか。ひょっとしてこれもジョミニ本人の主張が もとになっている??
日記とは死後に公開される事を見越して 他人の悪口を書き連ねておくもの
そして親戚が権力者の怒りのとばっちりを受けると
ナポレオンほどの天才が、少しばかり戦法を研究されたからと言って 負けるものだろうか?よくナポレオンの敗因の原因のひとつとして挙げられる が、納得いかない。現にワーテルローではネーの大暴挙がありながら ブリュッヒャーが来るまでは九分九厘勝っていた。しかもブリュッヒャーが 来れないように軍も派遣していた。敗因は、人手不足、そして天運が尽きた こと・・・これに限るのではないかと思う。
>>909 兵力差も忘れるな。
ライプツィヒでは1:1.8、ワーテルローでは1:1.7。
ちなみにダヴーはアウエルシュタットで2倍のプロイセン軍に勝利してるが、
これはプロイセン軍の組織と指揮系統に問題があったため。
組織改革を行われ、戦術を研究され、しかも本人が衰えたのでは上記の兵力差は覆せなかった。
それだけの話だ。
ワーテルローに関してはナポレオンの肩を持ちすぎるのは どうかと思われ。 贔屓したい気持ちもわかるが。 そもそも戦闘がどのように推移したかも よくわかっていない部分があるし。
アウステルリッツ・アイラウ・ワグラム・バウッツエン・ドレスデン・ライプツィヒetcと個々の戦場だけ で考えてはいけません。 アウステルリッツの勝利に至った経過、なぜライプツィヒで戦いが起こったのか? ふらんす国内戦役で連勝していたナポレオンがなぜ退位に至ったのか? アウステルリッツ〜ふらんす国内戦役まで何が変わったのか?を考えないとです。 戦場においてなナポレオンの指揮能力はやはりずば抜けて素晴らしいものがあります。 それは衰えたと云われているワーテルローでもそれは例外ではありません。 たとえばベルリアランスでナポレオンが勝利したとして、その後どうなるか?を考えてみても良いのでは ないでしょうか?
>>912 諸国民戦争以降の戦略的劣勢はもう覆せない。
国民国家同士、しかも軍制改革が終わった軍隊同士の場合物を言うのは数、
そして最終的には国力。
ヨーロッパを敵に回しては勝ち続けてももう政治的には詰んでる。
>>913 に同意。
フランスの人心もすでにナポレオンを離れていた。
この話題は以前にも出たっけ?
ベルギーで勝ったとしても、
百日天下が二百日天下になった程度か。
つか、個々の戦場の勝利だけで考えてるのは
>>912 だよな。
戦場の勝利ではもうどうにもならないというのがわかってない。
軍板のスレが落ちてからあちこちに沸くようになった
917 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 13:38:10 0
ナポレオンって壮大な映画のような人生を送ったんだね こんな人生あこがれるね
918 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 14:22:19 0
たぶんナポレオンは細かい記録や絵画が残っているから その意味で人間味のある英雄と映るんだろう。でも現代の ようにリアルすぎる記録がない時代なので、実際にあった であろう大虐殺や暴虐も部分はあまり伝わってこない部分 もあると思う。 でも実際細かいところから探ってみるとは兵站は現地調達がメインで 革命が発端でヨーロッパ大陸全土を巻き込んだ大規模でありかつ国民 全体が参加した戦争だったはずだから、かなり戦争は陰惨を極めたの ではないだろうか? ゴヤの絵画に描かれている事なんてあちこちであったと思う。
919 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 14:32:57 0
ナポのダークな過去 ○エジプト遠征の際に捕虜を銃剣で虐殺。末期のペスト患者にアヘンを与えて安楽死。 ○同じくエジプト遠征の際、大半の将兵を見捨てて自分だけ本国に帰還。 ○アンギアン公銃殺 ○スペインでも対非正規兵(ゲリラ)を虐殺。
ロシア遠征もスペインでのゲリラ戦も、フランス軍にとってもその地域の住人にとっても地獄のような経験だったろうな。
>>914 エルバ島に流される前のことなら分かるけど、復活したときにも人心は
離れてたの?ルイ18世が酷かったから、ナポレオンが復活して民衆は喜んだ
ように想像できるが。
それはナポレオンの人気というよりは現状への不満というべきでは?
>>921 なけなしの人気もまた戦争になった時点で急降下、
戦争に負けた時点でさらに急角度で落下さ。
>>921 たまっていた不満が爆発する形で大歓迎とはなったが、
基本的にはナポレオン体制を支持していたわけではないようだ。
軍隊でもナポレオン支持は一部の熱狂的なボナパルティストをのぞくと、
下士官クラスまでだったそうだよ。
国民は本当に疲れきっていたのではないかな。
ワーテルローでダヴー、スーシェ、マッセナ、ベルティエ、ミュラ連れて行けばさすがのウェリントンもボコボコでしょ。 甘い??
その手の話は海外のBBSでもしょっちゅう出てくるけど、 発展性がないんだよなぁ。 ボコボコにする仮想戦記を書いてくれるというのなら それはそれで面白そうだが。 Napolenic Optionsだったかで誰かがその手のifワーテルローを 書いてなかったっけ。
なんでワーテルローの時マッセナ何もしなかったの? 引っ張ってでも連れて行くべきでしょ。 ダヴー、スーシェの代わりになるのはマッセナぐらいじゃないの? ウェリントンとは相性悪いけど・・・
半島戦争でのマッセナの戦いぶりを見れば ワーテルローで何かができたとは思えん。
マッセナは諸国民戦役の時点でただのアル中おやじ化していて往年の冴えは すでに見られません。 まぁそれ以前に彼が15年のナポレオンのために働くとは思えない気も・・・ それよりナポレオンはとっとと、ベルティエに「今後も俺のために働いて!友よ!!」 とお願いすべきだったと思うのですが。 グランダルメ総参謀ベルティエ。 北方軍司令官:ネイ・スルト・グルーシーだと結構良い構成ではないでしょうか? ダヴーの陸軍大臣&パリ防衛司令官ってのは、ワーテルロー後に後備軍を編成し ブリュッヒャーを撃退した実績からしても、適任だと思うのですが。
マッセナってアル中親父だったんですか!? すみません、ソースを教えていただけませんか? 面白そうなので。
>>929 グルーシーならオージューローの方が良くない?
あと騎兵突撃ならミュラの方が適任では?
>>930 マッセナはスペインでの失敗を批判されて方面軍司令官を解任されマルセイユ守備隊司令官
に左遷されちゃいます。
もともと女・金・酒大好きマっセナでしたが、このころからアルコール依存度は激しくなったようです。
王政復古後もそのままマルセイユ司令官。百日天下時もマルセイユ司令官。
ナポレオン失脚後は王政支持をしなかったとして解任されちゃってます。
その後2年とたたずしてパリで死亡。
自分が以前読んだミリタリーモデリング誌にはアル中だとかアルツハイマーを煩ってたとか書かれていました。
>>931 オージューロはネイ以上の猪じゃないか?と思うのですが。諸国民でも軍隊もったままなにもしてないし・・・
ミュラは14年に対仏同盟に参加してナポレオンを裏切っちゃってます。
もっともウィーン会議でナポリ王を剥奪。百日天下のナポレオンを頼って勝手にオーストリアに宣戦布告した
あげく敗退・・・ナポレオンにも見放された後、少数の兵をかき集めてナポリ奪回を目指すもやっぱ敗北、
銃殺されちゃいます。
それはそれでスゲーやつだ!と思うのですが・・・
>>932 なるほど、ミリタリーモデリング誌ですか。
日ごろから夫婦で蓄財に励んでいたという話は読んだことありますが、
アル中だったとは知りませんでした。
直接の死因は肺病だったようですから、1817年に死去ということは
1815年ころには発病していた可能性もありますね。
>>933 マッセナの死因は肺病でしたか。
自分のあやふやな記憶では肺炎だと思っていたので、ボケ老人が風邪をこじらせたか?
くらいに思っていたのですが、肺病を患っていたのなら、スペイン戦線で、彼のメンタル低下
もその辺が起因なのかもですね。
ベルティエの死因はナポレオンに振られて絶望、ベランダから身投げ説と単なる事故死説
があるみたいなのですが、どちらが本当なのでしょう?
>>934 半島戦争でのマッセナについてはいろいろと回想録資料が残っているのですが、
すでに肺病の症状があったことを思わせるような明確な記述を読んだことはありません。
もっとも半島戦争の記録はうんざりするほどあるので、
到底全部を読むことなどできませんが。
「ひどく老けて見えた」ということは何人かが書いていたと思いますが、
マッセナは半島でも女性関係は元気そのものだったようですから、
病気の症状が出たのはもう少し後かもしれませんね。
1815年11月のネイ裁判(軍事裁判の方)に召集されたときは
半島でのいさかいと、自分の病気を理由に辞退の書状を出しています。
これについては仮病だという見方をする人もいるようですが。
ベルティエの死因は遺書でも発見されない限り、
今となってはどちらとも判定しがたいでしょうね。
判定者の心理的立場によって左右されるように思いますが。
この人そんなすごいの? やったことと言えばオーストリアをかもにしただけのように思うんだが。 けっこう負けてるし。
海外フォーラムのポストとか見てると、 ダヴーがベスト!という見方は 最近の二十年ほどで急激に優勢になった感じ。 これはゲームの影響もあるのかな。 それまではマッセナがベスト!ということだったらしい。 特に革命期の実績が評価されてる。
アンドッシュ・ジュノーの最終階級は何ですか? 教えてください。お願いします。
将軍です。元帥にはなってません。
>>936 どれだけ凄いのかはともかく、この場合の比較対象は対仏同盟軍の将軍達なわけで、
カール大公・ブリュッヒャー・シュワルツエンベルク・バルクライetc・・・
マレンゴでのジェノヴァ籠城戦やアスステルリッツ戦役時イタリア方面でカール大公を
誘因し続けた実績を見るに最盛期のマッセナは、かなりいけてるんじゃないかと思うのですが。
ダヴーはマッセナと同じくらい大規模な軍団を率いたことはあるのでしょうか? ダヴーは無骨なところが好きですが、マッセナの粘り強さも好き。
>>939 レスありがとうございます。将軍なのは知っているのですが、将軍と呼ばれる中でどの階級なのか知りたいのです。
1793年以降のフランス軍には将軍の中に階級は無い。
>>941 ないです。
ダヴーが評価される原因はアウエルシュタットにつきているようです。
ロシア遠征の場合は大規模軍団を指揮していましたが、
その経過と結果は輝かしいものとはいえないでしょう。
ただし往路の補給に関してはいつもどおりすぐれていたそうです。
ジュノーの最終階級、フランス語で知りたいのですか?
ウェブで探せばすぐに出てきますが、何なら調べてみましょうか?
今から仕事なのでお返事は晩にでも。
カール大公は25才で陸軍元帥かよ。 皇族だということを考えてもすごい。
小ピットも、すごいわな。24歳で首相かよ
947 :
938 :2006/11/08(水) 20:49:20 0
デルロン、レイユ、ジェラール、ヴァンダンム、ロボー、セバスティアニ など、後半期の軍団長の多くは非元帥の将軍ですね・・・
950 :
938 :2006/11/10(金) 17:13:10 0
>>948 ご親切にどうもありがとうございました。
「ナポレオン=孫子を少し齧っただけで戦術レベルの低い欧州で抜きん出ただけの偶像化された凡夫」説。 生兵法は怪我の元。
952 :
世界@名無史さん :2006/11/11(土) 09:00:30 0
ナポレオン・オナペット
軍団長なんて中将・大将(当時そういう階級があったかは知らん。)で十分だよ。 元帥は能力・功績・人望共に抜きんでた者で、方面軍司令官クラスでなければ与えるべきではない。 ナポレオンは明らかに元帥号を乱発・安売りしすぎた。 結果、軍団長の殆どが元帥で横並びとなり縦の命令系統が確率できなかった。 半島戦争の失敗もマッセナやスルトの管理・統率不足もあるが、 他の軍団長が同じ同列の元帥であった為、命令になかなか従ってくれなかった事も大きい。 方面軍の司令官のみが元帥で他の軍団長が将軍止まりならこういう事もなかったハズだ。 また、みな元帥であった為、結局最後までナンバー2、3と言える者が出てこなかった。 (もしかしたら裏切りを恐れて意図的にナンバー2、3を作らず横並びにした可能性もある。) と言ってもナポレオン麾下で本当に元帥に相応しい者は少ない。いや、いないのかもしれない。 ある者はナポレオン指揮下でしか能力を発揮できず、ある者は統率・管理・統治能力に欠け、 ある者は俗物過ぎたり潔癖過ぎたりして人望がなかったのだから。
確かにナポレオン軍は元帥が多いと思う。けど、単純に能力だけ見ると、 元帥であるブリュッヒャーよりも有能な(つまり資格を有している)人は 少なくないかもしれん。 横並びの命令系統は、ナポレオンが直々に指揮するときは有効だったけど、 だれかに方面軍を任せるとうまくいかなかったということか。
ウェリントン以外の敵国の将軍がダメすぎる。 だから結果的にフランスの元帥が良く映るのでは?
ブリュッヒャーより有能なフランスの元帥か・・・ ダブー、ランヌ、スーシェ、マッセナ、スルトぐらいじゃないか? ただ、このメンツも軍団長としてはブリュッヒャーより有能かもしれないだけであって、 複数の軍団を指揮する司令官としてはブリュッヒャーよりも劣ると思う。 まあ、もしかしたらスーシェだけは違うかもしれないが。 統率・管理の能力が足りないか、他者を包み込む器がないか、人望がないか・・・ いずれかで麾下の軍団長同士で仲違いし、バラバラになると思うな。 歴史でたらればを言ってもしょうがないが、もしドゥゼーが生きていたならば、 ナポレオンもナンバー2や方面軍司令官の人材に苦労する事はなかったろう。 あと、フランス軍の活躍はカルノーの組織改革による所も大きいと思う。 それをナポレオンが誰よりも早く、且つ有効に活用したので当初は連戦連勝敵無しだった。 だが、それらを他の国が模倣し始め、制度・組織のレベルが接近しだしたした時、大陸軍の斜陽が始まった。 もしより早くフランス以外の国が組織改革に成功していたら、 有能な将軍達がもっと多く輩出されていたかもしれない。 まあ、これも所詮たらればだけどね。
419 名前:水先案名無い人 :2005/12/22(木) 17:52:05 ID:Vb8gGwDq0 「史上最強の漢を見たいかーーーーッ!!」 「オーーーーッ」 「ワシもじゃ!ワシもじゃ、市民諸君!」 全「ナポレオン―獅子の時代―」登場人物入場!!
荒野の獅子は生きていた!! 更なる研鑚を積み大砲大尉が甦った!!! 皇帝!! ナポリオーネ・ブォナパルテだァ――――!!! ツーロン攻略はすでに俺が完成してなかった!! 元画家ジャン=フランソワ・カルトー将軍だァ――――!!! 発射されしだい吹っ飛びまくってやる!! 貴族代表 オーギュスト=フレデリク=ルイ・ヴィエス・ド・マルモンだァッ!!! 国民議会成立なら俺の顔がものを言う!! 実は裏で国王と取引 疱瘡の虎 オノレー=ガブリエル=リケティー・ミラボー !!! 真の首切りを知らしめたい!! 死の天使長 ルイ=アントワーヌ=レオン・ド・サン=ジュスト・ド・リシュブールだァ!!! 医師としては3階級制覇だが将軍としてならカルトー以上の無能だ!! 背後から射殺 フランソワ・アメデ・ドッペ将軍だ!!! 彼女対策は完璧だ!! ビクトリー号艦長 ホレーショ・ネルソン提督!!!! 全革命軍のベスト・腕力は俺の中にある!! 勝利の籠児が来たッ アンドレ・マッセナ!!! バーリ・トゥード(なんでもあり)ならこいつが怖い!! ジロンド派のピュア・暗殺者 シャルロット・コルデーだ!!! 英国軍から絵画に描かれた男が上陸だ!! ツーロン総督 オハラ将軍!!!
ルールの無い処刑がしたいから人道的な首切り人(ギロチンの部品扱い)になったのだ!! プロのギロチンを見せてやる!!シャルル=アンリ・サンソン!!! めい土の土産にゴシップとはよく言ったもの!! 若き日のシャツ窃盗のツケが今 ギロチンでバクハツする!! デュシェーヌ親父 ジャック・ルネ・エベール先生だ―――!!! 革命裁判所検察官こそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ フーキエ・タンヴィル!!! 抹消したいからリヨンまできたッ その他一切不明!!!! 国民公会のピット(ケンカ)派遣議員 ジョゼフ・フーシェだ!!! オレたちはニース最強ではないフランスで最強なのだ!! 御存知チンピラ マッセナ団!!! 恐怖政治の本場は今や国民公会にある!! オレを驚かせる奴はいないのか!! ジョルジュ=オーギュスト・クートンだ!!! 革命軍は地上最強ォォォォォオッ!! 南北戦争従軍!!! 今に偉くなる!!! ジャック=フランソワ・デュゴミエ将軍だ!!! 処刑は実戦で使えてナンボのモン!!! 超実戦水死!! 国民公会からポール・バラス議員の登場だ!!! コルシカはコルシカ人のもの 邪魔するやつは思いきり殺し思いきり釣るすだけ!! コルシカ島統一親父(バッポ) パスカル・パオリ 自分を試しにアウステルリッツへきたッ!! 対皇帝全フランスチャンプ ビクトル!!! サーベルに更なる磨きをかけ ”怖がりデブ”ヴィクトール・ペラン大佐が帰ってきたァ!!!
今のリヨン兵に退路はないッッ!! 牛の覆面ルイ・ガブリエル・スーシェ!!! エベールの後釜の煽動が今ベールを脱ぐ!! ジャコバン派から ジョルジュ=ジャック・ダントン だ!!! 王権神授説の前でならオレはいつでも皇帝だ!! 王であることが罪 ルイ16世 ギロチンで処刑だ!!! 医者の仕事はどーしたッ 革命の炎 未だ消えずッ!! 殺すも殺されるも思いのまま!! ジャン=ポール・マラーだ!!! 特に理由はないッ 金持ちが強いのは当たりまえ!! 面倒臭いのはないしょだ!!! 伊達騎兵! シャルル・ヴィクトール・エマニュエル・ルクレールがきてくれた―――!!! シチリアで磨いた実戦結婚!! ヴォナパルテ家のデンジャラス・逆玉の輿 ジョセフ・ヴォナパルテだ!!! 実戦だったらこの人を外せない!! 超A級戦略家 ニコラ=ジャン・ド・デュ・スルト元帥だ!!! 超一流元帥の超一流の戦闘だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 「不死身のダヴー」!! ルイ=ニコラ・ダヴー元帥!!! ツーロンへのトンネルはこの男が完成させた!! 革命軍の切り札!! ジャン=アンドッシュ・ジュノーだ!!! フランス最強の男がやってきたッ どこへ行っていたンだッ 童貞野郎ッッ 俺達は君を待っていたッッッマクシミリアン・ロベスピエールの登場だ――――――――ッ
961 :
世界@名無史さん :2006/11/22(水) 02:51:39 0
加えてギロチンに備え超豪華なリザーバーを大量に御用意致しました! 画家 ジャック・ルイ・ダヴィド!! 士官学校時代からの親友 ルイ・アントワーヌ・フォーヴレ・ド・ブーリエンヌ!! 世界最強!大陸軍(グランダルメ)御一行様! ……ッッ どーやらもう一人は牢に閉じ込められている様ですが、釈放され次第ッ彼の小説をご紹介致しますッッ
マルモンは何故あんな恩を仇で返すようなマネをしたと思いますか? 元帥になるのが遅れた仕返しでしょうか? ナポレオンの底辺の頃からの部下ですし昔の日本人でこんなことするヤツいないですよね。
>>962 >ナポレオンの底辺の頃からの部下ですし昔の日本人でこんなことするヤツいないですよね。
すごくたくさんいるよ。
恩を仇でかえしてなんかいないよ。 正しい判断をしただけ。
>>964 客観的には正しい判断でしょう。
でもマルモンは他の元帥とは違うわけで。
ミュラのようなバカじゃないんわけだし。
ナポレオンには忠臣がほとんどいないのはなんだかかわいそう。
身から出た錆でしょう。 ダヴーさえ最後にはナポレオンを見捨ててる。
>>966 それは間違いないですね。
でもまだヒトラーの方が忠臣がいたような。
人間的な魅力だったらナポレオンの方がよっぽどあると思うんですけどねえ。
ヒトラーは恐怖で統制してたんだろ あとは狂信
ダブーの場合は見捨てたと言うよりも、フランスとナポレオンの将来の為に あえて憎まれ役を買ってでたという感じがするんだが・・・ ナポレオンがいつまでもパリに留まっていたらフランスの立場が悪くなるし、 ナポレオン個人にも身の危険が迫っていた。 プロイセン軍は既に「生死を問わず」ナポレオンを捕らえる事を目的とした 騎兵軍を進撃させていたのだがら。
過去の人物の心の中まではわからないよ。 フランスの平和を第一に考えたとは思うけど。
スルト「フランスと軍隊に忠誠を尽くせばよい。上が変わろうと関係ない。」
ダヴーはブルッヒャーの軍をパリ郊外で一度は撃退してるし、仲の悪かったネイの 除名嘆願をしたのもカレ一人だし、忠誠心とか以前に公私混同しない人なのかも。
マルモンの場合、裏切りというか、仕方のなかった点が多分にある。 ミュラの場合は頭が弱いから責められない。 タレイランは常にフランスを第一に考えていた。 それらに比べるとベルナドットが一番汚いと思う。私利私欲で堂々と裏切り。 でも、ナポレオンの忠臣はいくらでもいる気がするけど・・・元帥クラスで多くない だけ?ドゼー、ランヌ、ポニャトフスキなど真の忠臣になったかもしれない将軍は 最後の方は皆死んでるしね・・・
ランヌが死んだのはあまりに痛いよね。 若い頃から戦死させてくださいと言わんばかりの行動ばかりしてたから仕方ないかもだけど。
975 :
世界@名無史さん :2006/11/28(火) 01:39:56 0
>>973 裏切り者と言えばフーシェも忘れちゃいけないね。
こいつは家族以外の人間は誰でも裏切るんだろうけどさ。
ランヌが1815年まで生きていたらどうかなぁ。 そもそも個人に忠節を尽くすという発想は 西欧にはあまりないよ。 ベルナドットが私利私欲で裏切ったかどうかは 後世の人間にはそんなに簡単には判断できないと思う。 ポニャトフスキもポーランドのために ナポレオンに賭けただけのような。 ダヴーはネイの助命嘆願してないよ。 彼が法廷に出向いて証言したのは、法的な意味で フランスの国家としての尊厳を守るためだったのでは? その意味では公私混同しない人だったんだろうね。
>>972 日本語のウェブ情報はガセか、
思い入れによる拡大解釈だらけだから要注意です。
モンセーは国王あて正式文書で裁判を批判し、
実刑くらって逮捕されてます。
(執行は緩やかだったようだが)。
マクドナルドも国王に意見具申した。
ジョミニはパンフレット作って助命運動した。
裁判では帝政期の軍人以外に、
旧貴族の中にも無罪もしくは追放に投票した人が複数いました。
この情報の出所は○○新聞社の週刊○○あたりですね。
専門のセンセイ方も論文以外のお手軽仕事では、
結構手を抜くみたいですよ。
>>977 ジョミニも助命嘆願したんだ。
となると、フランス軍から出奔したのは、ネイと関係が悪化したからではないのか
>>978 ブリタニカにはそのように書いてありますね。
(日本語版ウィキの記事はブリタニカに拠っているようです)
孫引きになりますが、自分が読んだジョミニ本人の回想録には
そのような記載はなく、
ネイとの会話の内容も記されていますが、
関係の悪化を示唆しているようには読めません。
両人の性格からして、言い争いは何度もあったようですが。
>>978 フランス軍から出奔したのは、
ベルティエとの不仲のせいだろ?
モルティエも直前で裏切ったらしい。 国王を見送った後にその足でナポレオンの元に向かい、 近衛隊司令官に任じられたけど、ワーテルローに参加しなかった理由の 持病の悪化とやらは仮病だったという見方がある。
>>981 ヴィゴ=ルシヨン大佐も、回想録でそう断言してるね
>>981 坐骨神経痛で歩けなかったのでしたっけ?
モルティエ仮病説は一部では支持されているようですね。
スルトとは別の意味で世渡りがうまかったのかも。
最後は爆死でしたが。
984 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 14:27:28 0
ナポレオン3世とタレーランの孫って異父兄弟なんですよね。 2人は仲良かったんでしょうか?
985
986
いいちこか!
ところで次スレ立てるの?
んじゃ、埋めるか
そこ過疎りまくってるから 再利用すればいいか
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