1 :
世界@名無史さん:
初めて欧州人を震撼させたフン族を讃えよう。
ふ、ふんっ!別にあんたに会いたくて攻め入ったわけじゃないんだからねっ!!
3 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 18:38:14 0
フン族って騎馬戦が得意なだけの好戦的な族だろ。
4 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 18:41:09 0
アッティラだっけ
6 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 19:03:04 0
みんなのアイドル・アッチラ大王
そこでブレダですよ
8 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:06:29 0
やっぱバラミールでしょう。
9 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:33:11 0
糞族w
フン族=ドイツ人=偉大
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 22:54:42 0
別に個々が強かった訳でもね〜し、それなら元祖遊牧騎馬民族のスキタイ人の方が強い。
海の民については近年そのショボさが明るみに出ていますが、
フン族についても似たような動きはあるのでしょうか。
13 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 05:54:37 0
匈奴とフン族の同一論拠
@ 族名の類委
A 民族性の一致
B 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致
C 共にアルタイ語を使用したらしいこと
D フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと
E 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと
F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること
「アッチラとフン族」4Pより
しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖
周辺から移動してきた民族との見解。
14 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 05:45:58 0
おれはフン族ファンだよ。
15 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 23:37:31 0
えらい長距離移動してきたんだね。
じゃ基幹となる社会や文化、文明がしっかりしていたはず。
なんで移動したの?
バイカル湖周辺で暮らしてると、ときどき移動したくなるんだ。
17 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 02:56:23 0
移動する文化だからでしょ。
糞族(゚听)イラネ
カタラウヌムで惨敗、アッティラの死で瓦解(^Д^)プギャー
鼻血ブー
20 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 11:55:40 0
>>15 短期間に長距離移動してきたわけではないそうだ。
およそ300年くらいの年月をかけて移動。出発時と欧州出現時ではべつもの
になっていただろうね。
21 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 12:06:08 0
22 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 15:58:03 0
フンはなぜ「フン族」と呼ぶ場合が多いのだろか?
アヴァールは「アヴァール人」と呼ぶ場合が多い。
なぜだ?
「フン」=「人」という意味があるから
「人人」じゃゴロが悪いからだったりして。
ゴビ砂漠
25 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 15:28:26 0
族というと如何にも野蛮人という感じが出るね。
やっぱフン人よりフン族の方が呼び名としてはピッタリ。
ゴート族?ゴート人?
ヴァンダル族?ヴァンダル人?
フランク族?フランク人?
フン人だと語呂が悪いから。
28 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 13:24:57 0
蛮人というより蛮族といった方がよいからね。
だからフン族。
29 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 20:16:05 0
>>23 なら「アイヌ」も「人」という意味だからアイヌ人は「人人」になる。
スキタイのタイは複数形で、スクは「人」の意味だったかと。
スキタイはスク族という意味で、中央アジアのサカ族と同じ。
サカ族とスキタイという言葉を何の疑問ももたずに平行して使っているが、
もう慣例なので、しかたがないでしょう。
「チムール帝国」という言葉が純粋に歴史学用語なのと同じ。
漢帝国とかローマ帝国だと、一応それに相当する、大漢とか、インペリウム・ロマーヌム
という言葉があるが、チムール帝国ってなに?すまん、話がずれた。
つか、日本でそう言っているだけだから
大きな問題は無いだろ。
32 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 06:17:52 0
ところでフン族はモンゴル系?
毎度の話だが、形質的特徴で「モンゴロイド」のことを
言っているのか、言語・民族系統で「モンゴル系」のことを
言っているのか、はっきりしなはれ。
>>29 >
>>23 > なら「アイヌ」も「人」という意味だからアイヌ人は「人人」になる。
では伝統に則って、エミシということで。
>>29 北海道では「アイヌ人」という言い方を避け、「アイヌの人」という傾向がある。
不思議に思って聞いてみたら、
(1)アイヌは人という意味だから人人になるのでおかしい
(2)エスニシティを表示するときは「〜人」を使わない
というとても納得できない答えが返ってきた。
真相は謎。案外、単に「アイヌ人」が差別に使われた呼称だから避けられてるのかも知れない。
>>34 アイヌ側はウタリと呼んで欲しいみたいだが。
36 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 09:47:18 0
もっとフン族を讃えろよ。
>>30 「あのキュレゲンの王朝」みたいな言い方はないの?
キュレゲンの王朝、ってなんとなくいいかんじ。
39 :
世界@名無史さん:2006/02/10(金) 21:41:59 0
まあ、欧州を古代から中世への扉を開いたというフン族功績は偉大だな。
40 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 00:22:35 0
モンゴルでさえ到達できなかった西欧まで攻め込んだんだもんなあ。
41 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 00:24:04 0
フン族ってコーカソイドだろ?
匈奴もコーカソイドだった説がある。
42 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 05:53:11 0
>>41 フン族の墓からは背の低いモンゴロイドの骨が出土するそうだ。
アッティラが肖像で冠被ってるのって西欧人が自分達の尺度で書いたからだよね?
匈奴があんな冠被るとは思えん
44 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:27:25 0
戦勝記念に、征服した国の王から奪った王冠かも知れないぞw
45 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 13:21:57 0
46 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 23:18:29 0
>>43 結構長い年月をかけて移動しているから習俗なんて変化して当たり前。
例えフン族が匈奴であったとしても、東アジアにいた頃とはかなり違った文化に
変容していただろう。
47 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 23:52:05 0
>>43 遺物の調査によると、匈奴=フンは、4世紀後半に、中央アジアから
一気に南ロシアへと拡大している。だから風俗は、少なくとも
4世紀前半に中央アジアにいた頃とあまり変わっていないはず。
とはいえ、アッチラが冠かぶってる絵をみたことないのでなんともいえないが。
(昔みた「アッチラ」という映画では、完全に辮髪、モンゴル人が着ているようなベストで、
どうみても、モンゴルっぽかった)。
48 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 05:45:58 0
>>45 現在の基準じゃないだろ
5世紀水準のモンゴロイドという意味だと思う。
49 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 08:58:14 0
>>47 2週間ほどアメリカ行ってきただけの奴が、すっかりアメリカンになって帰ってきたり、
3年前にアメリカ永住権を取った韓国人夫婦が、
生まれた子供に「チャールズ」と名づけたりするのはよくあることで。
人外の夫婦を例に出されてもねぇ。
51 :
世界@名無史さん:2006/02/17(金) 06:01:34 0
黒いフン族、赤いフン族とは何?
53 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 06:00:20 0
スミ子姐さんがキレて叫ぶと、二階からゾロゾロ出てきたよね <<赤フン族
55 :
世界@名無史さん:2006/02/21(火) 10:39:40 0
バラミールってどんな人?
56 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 07:03:34 0
フン族で最初に名が知れた首長?
58 :
世界@名無史さん:2006/02/27(月) 21:33:53 0
フン族とエフタルと関係はあるの?
糞族、カタラウヌムでアボーン、テラワロス
エフタルは他称で「白フン」「フーナ(エフタルと別という説もある)」
と呼ばれていて、「フンと名前が似ている」という共通点があるだけで
他にはフンや匈奴と結びつく点はない。
その辺の連中ではキオン(Chion/Xyon)という勢力が、粟特国を占領した
という匈奴と同じ勢力ではないか?と言われている。
61 :
世界@名無史さん:2006/03/01(水) 06:31:07 0
62 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 07:30:27 0
>>59 実際にフン族が力を失ったのはイタリア遠征の失敗とアッチラの死去。
その翌年のゲルマン連合軍との戦いでの敗戦。
63 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 07:36:44 O
マジで?
アッティラの死後フン族に反旗を翻しアッティラの部族を潰滅させたゲピート族だが、
即行でモンゴル系と思われるアヴァール族に皆殺しの報復を受け潰滅した。
65 :
世界@名無史さん:2006/03/03(金) 00:47:17 0
おまいらエンパイアしすぎw
66 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 21:31:46 0
フン族はバイカル湖周辺から移動してきたって本当?
そんな話が書いてある史料はない
68 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 21:35:56 0
>>67 「アッチラとフン族」という本には書いてありますだ。
>>68 だからそれはアンビスさんが唱える仮説でしょ。
本人も言ってるけど、根拠は全くない希望的推測。
アンビス本人は「匈奴→フン」ではないと考えてるよう。
70 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 23:11:34 0
71 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 23:56:59 0
>>30 スラヴは昔スクラヴァと呼ばれていたらしいが、この語幹はスク。
サカと似ているが、スキタイと関係あるの?
大まかにアッティラの帝国の版図の西側はアヴァール、東側はハザールに占められた。
>>71 スラヴの祖先の一つがスキタイであることはほぼ間違いない。
スラヴは基幹となる祖先集団(プロトゲルマンと同じ集団?)にスキタイなどのステップ系集団が混血したもの。
スラヴ=スキタイではないと思う。
74 :
世界@名無史さん:2006/03/08(水) 05:14:45 0
フン族の移動経緯
バイカル湖周辺→中央アジアに到達→アラン族襲撃→東ゴート族襲撃→パンノニア到達
メルカトル図で見ると蒙古高原からバルト海ってすげー遠く見えるが
世界は球体で高緯度地帯は急に細くってなっているから、実際の距離は
すげー短い。しかも、中緯度地帯のような高山もない、だだっぴろい
野っぱらが続いているから、寒い時期を除けば馬や徒歩で行きやすい。
76 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 19:52:36 0
>>75 モンゴルがロシアを容易に攻略できたのは、冬場は川が凍結して騎馬が簡単に
川を渡れたからだそうだ。モンゴルの連中は寒いモンゴル高原で野宿している
連中なのでロシアの冬は苦にならない。むしろ暑い方が苦手みたいだ。アッチラ
のイタリア遠征の失敗も夏場のイタリアの暑さによるところも大きい。
77 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 19:15:44 0
フン族って不思議だね。
78 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 09:50:14 0
フン族滅亡は何時なの?
79 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 21:19:12 0
ゆうべの11時半ごろだったよ。
80 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 22:35:32 0
ニュース速報流れてなかったね。
81 :
世界@名無史さん:2006/03/20(月) 10:56:43 0
アッチラ死後は分裂状態、部族単位で東ローマに侵入したりしたが、あまり成果が
無かった。アヴァールにより討伐・同化して消滅。こんな感じかな?
どっちかというと、ブルガール、ハザールに吸収されたのが
多いんじゃないかな。ブルガール王家はアッティラ王家の後裔
という系譜を持ってるし。
83 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 22:04:20 0
フン族の墓からは背の低いモンゴロイドの人骨が出土しているそうだ。
やっぱ起源はバイカル湖周辺?
↑こういう馬鹿のフリして、同じ主張を繰り返す
プロパガンダくさい書き込みはウザイ。
85 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 13:00:35 0
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ ||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
フン族は中華起源アル、よってヨーロッパは中華の属国アル
86 :
世界@名無史さん:2006/03/23(木) 21:03:12 0
匈奴とフン族の同一論拠
@ 族名の類委
A 民族性の一致
B 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致
C 共にアルタイ語を使用したらしいこと
D フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと
E 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと
F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること
「アッチラとフン族」4Pより
しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖
周辺から移動してきた民族との見解。
またこれかよ。『アッチラとフン族』p.4の丸写しだろ。
一見たくさん証拠があるように見えるが、1・2・4・5あたりは
通常一項目でまとめられるようなことを4つに分けてるだけだし、
3と7も同内容を2項目に分けている。
『魏書』西域伝粟特国条は、今では「フン=匈奴」説の論拠としては
使えないんだってば。
88 :
世界@名無史さん:2006/03/24(金) 05:59:21 0
89 :
世界@名無史さん:2006/03/24(金) 18:20:27 0
ヒマ人って部族が居るらしい
90 :
世界@名無史さん:2006/03/24(金) 21:16:14 0
>>88 ヒルトや内田吟風が「フン=匈奴」説の論拠に使っている
『魏書』西域伝粟特国条は、有名なわりに読んでいる人は
少ないと思うから、まず全文を貼っておく。
粟特國在葱嶺之西、古之奄蔡、一名温那沙、居大澤、
在康居北西、去代一萬六千里、先是匈奴殺其王、而有其國、
至王忽倪巳三世矣、其國商人先多詣涼土販貨、及克姑藏、
悉見虜、高宗初粟特王遣使請贖之、詔聴焉、自後無使朝献
これをヒルトや内田が読むと「クリミア半島スグダク(粟特)にいた
アラン(奄蔡)をフン(匈奴)が征服した」話になるらしい。
粟特国は437〜479年に7回北魏へ使節を派遣している
(『魏書』本紀より。上記の「自後無使朝献」という記述は
明らかに誤り)。
『魏書』西域伝粟特国条は、437年に西方に派遣された董[王宛]・
高明の情報に加え、粟特国使節が伝えた情報を元にしていると
思われる。
これはアッティラ時代〜その死(453)直後にあたる。
もしも粟特国がクリミア半島のスグダクで、これを征服した匈奴が
フンであるならば、その使節がアッティラの名前やその華々しい
戦績について全く伝えない、なんて考えられない。
なのに、伝えているのはそれより百年も前(4世紀半ば)の「奄蔡
(アラン)を討った」というフン勃興期の事件だけ。この事件に関しても、
直接そう語っているわけではなく、「(匈奴に征服された)粟特国の
旧名は奄蔡」(これは誤りという説が有力)と言っているだけ。
本文には、涼州に来ていた粟特商人に関する記事もあるが、
これは当然ソグド商人のこと。クリミア半島から盛んに商人や使節が
来ていたにしては、西方の情報があまり伝わっていない。
それに商人がその後プッツリ来なくなって、後世にその形跡すら残っていない、
というのも変。その後も継続的に活動していたソグド商人とみるのが妥当。
4世紀半ば(と推測される時期)に粟特国(ソグディアナ)を征服した
匈奴が何者か?という話は決着しているわけではないが、榎一雄が
提案しているキオン(Chion/Xyon、同時期4世紀半ばにササーン朝と
戦ったり連合したりしていた勢力)と同一視する説は、かなり有力と
思われる。
ではこのキオンが西遷した匈奴とどういう関係か?というのはわかって
いない。西遷した致支単于の一党とか北匈奴の後裔という可能性は
あるだろうけど、集団の民族構成はかなり変化(ペルシア化?)していたと
思われる。
細かい話は他にも色々あるけど、少なくとも「フン=匈奴」論者は
白鳥庫吉や榎一雄の反論にきちんと答えていない。反論の存在にさえ
触れないことが多いし、それじゃ負けを認めたようなものだよ。
とはいえ、これで「フン=匈奴」の可能性が積極的に否定されるわけ
じゃなく、単に、『魏書』西域伝粟特国条は「フン=匈奴」説の論拠として
使えない→これを論拠とした「フン=匈奴」説は根拠薄弱、という
だけのこと。
「フン=匈奴」論者は他にいろいろある資料を使って主張すれば
いいだけの話。十分目はあると思うよ。ただしここ数十年は、これと
いって目立った新発見がないから、のんびり待つしかなさそうだけど。
96 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 10:21:55 0
『アッチラとフン族』35Pより(要約)
彼らはおそらくバイカル湖周辺から来たと思われる人間集団であり、匈奴の首領
たちから逃れるため、アンガラ川流域の森林ステップ地帯を深く入り込み、ある
いはテゥーヴァ地方に向かったのだろうということである。そこから西に行進し
て、ついにウラルステップ地帯に達したのであろう。このような動きは前2世紀
から後175年くらいまでの350年を要して行われた。
97 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 21:07:04 0
>>96 これ、ルイ・アンビスが根拠もなく勝手に思ってるだけだろ。
この本以外では聞いたことない。
・バイカル湖周辺から来た
・匈奴の首領たちから逃れ
・アンガラ川流域の森林ステップ地帯を深く入り込み
・テゥーヴァ地方に向かった
・ウラルステップ地帯に達した
・前2世紀から後175年くらいまでの350年
このうち、どれか一つでも文献に記述があるものがあるかな?
全部推測(妄想)でしょ。そりゃ可能性はないことはないだろうけど、
本に書くような話じゃないと思うな。
98 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 21:24:45 0
まあ、フン族欧州侵入以前の話しは全部推測でしかないのも事実。
99 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 22:04:36 0
フン族はあっちこっち動き回る 今なら学習問題児だね
100 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 05:44:13 0
>>99 でもフン族は新しい時代への扉を開いたからな。
問題児は歴史を作る。
101 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 06:10:49 O
素人です!!
フン族=モンゴル人なの?(>_<)
102 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 21:22:22 0
いちばん謎なのはフン族がアラン族を襲撃するまでは、これといった記録がないこと
なんだよね。フン族とアラン族はもともと接していたのか、フン族が移動途中で衝突
したのか不明。フン族が中央アジアに長く滞在していたのら、周辺の諸部族や国との
交戦があってもよいのにその記録が無い。移動途中でアランと交戦したのなら北アジ
アから移動してきたという可能性は高い。まあ、バイカル湖周辺からという可能性も
ないわけではない。匈奴の傘下だった部族が西遷したという可能性もある。ただあま
りに記録がないところを見ると、北モンゴルからシベリアいた連中が移動して中央ア
ジアに登場したというのはあながち見当外れとは言えないかもしれない。人通りが多
いところ移動したならなんらかの記録ある可能性が高い。
103 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 21:18:55 0
>>92 よく見たら太武帝時代の太延元年(435)の遣使を見逃していた。
よって都合8回になる。他にも「…等諸國並遣使朝献」という記述が
たくさんある。その中に粟特国が入っている可能性もあるので、
8回以上、と言っておくのが安全か。
105 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 20:54:36 0
匈奴とフン族の類委点と相違点を整理できる人いる?
106 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 05:53:43 0
フン族
107 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 18:39:57 0
ゲルマン人に野蛮人といわれるフン族って
108 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 17:59:40 0
109 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 19:03:22 O
糞族?
110 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 06:27:34 0
フン族は接近戦になると投げ縄を使ったらしいな。
111 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 09:04:23 0
>>97 フン族≠匈奴という立場ならあながち間違いとは言えない。まあ、バイカル湖
周辺かは別にしても、東シベリア方面からやって来たという公算は非常に高い。
モンゴル高原や中央アジアから移動を開始した連中なら周辺諸国になんらかの
記録がありそうである。フン族は城塞を攻撃する術を知らなかったということ
なので、匈奴とはちょっと違うような気もする。フン族は匈奴と軍事組織が似
ているとのことなので、なんらかの関係や影響を受けやすい地区が発祥という
公算は高い。そうすると発祥地は東シベリアかモンゴル高原の北方あたりか。
アッティラがカタラウヌムで大敗したというのはローマ側の粉飾の疑いがある。
発祥というのはある程度の似通った遺伝形質の規模を持った集団ていうこと?
それとも、文化的にユニークな集団てこと?
114 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 06:21:05 0
>>113 コアのフン族が移動を開始した地点じゃない?
115 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 05:08:32 0
>>112 フン族は文字がないからフン側の記録はないからな。
116 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 20:13:39 0
アッチラバンザイ
117 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 20:18:40 0
ブレダが弟?兄貴?
118 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 06:28:25 0
119 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:34:30 0
( ^ω^)フン族すごいお
ウガンダだかソマリアの虐殺された方のスレだとおもた。
121 :
がいやまん:2006/05/04(木) 11:35:31 0
漢を制圧した冒頓単于は月支も制圧している。漏れは松尾大社を冒頓大社、
秋田の唐松神社は冒頓神社と詠むべきではないかと見ている。ケレクスル、
メンヒルを見れば匈奴文化が読み取れるし、松尾大社は鏑矢、例の、冒頓が
父を射殺する故事にちなんだものだろう。
123 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 15:14:10 O
アッチラのフン軍の実質的参謀
東ゴート人のヴァラミール、ティウディミール、ヴィディミールのアマレル家の3兄弟
ゲピート人のアルダリック
彼らはアッチラ死後、離反し独立
フン族の残党はウクライナ南部のステップに駆逐された
125 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:43:53 0
76 :世界@名無史さん :2005/08/30(火) 11:13:51 0
>>74 畏らく、ウズベキ人が匈奴の末裔かも知れない。
コーカソイドの要素が濃いし、アーリア化したタタールともいわれている。
また商業的な遊牧民だから、タタール化したイラン系タジク人とは紙一重かも。
自分の思考では、カザフが元来のモンゴロイドとなると、多分13世紀頃に
南ロシアのヴォルガ河に定住したキプチャック族の末裔かも知れないなと。
たまたま、同じトルコ語派のウズベキ族の部族集団に合流して、そのグループと
して属したのかも。多分、16〜17世紀頃に遊牧至上・商業至上のことで揉み合い
になり、憤激したカザフがウズベキ族の集落から離脱したのかも知れない・・・・
テュルク系民族を語る
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1121937215/71-76
127 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:49:23 0
>>82 >ブルガール王家はアッティラ王家の後裔という系譜を持ってる・・・
アッティラの息子たちの誰の後裔と?ブルガールの活動が
史上に出だしたのは、アッティラの死からかなり後代で
なかったか?
129 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:20:56 0
>>125 フン族はバイカル湖周辺出身かもしれないからな。
>>129 バイカル湖周辺出身を持ち出すと、新モンゴロイドの後裔は、皆そこ
出身になってしまい、無意味。
131 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 06:02:30 0
>>130 モンゴロイド皆兄弟。
フン族も日本人も?
うん
133 :
世界@名無史さん:2006/05/11(木) 03:06:10 0
134 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 06:16:39 0
ところで、匈奴とフン族が同一とする根拠は何だろう?
135 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 06:43:22 0
馬鹿のフリして、同じお題目の繰り返しを誘発
(もしくは自演)するのはやめな。資源の無駄だよ。
俺の学生時代は「玉突き移動説」ってのがあったがw
匈奴が西に向かったせいで次々と各遊牧民族が西に向かい、最終的にフン族が欧州に攻め込んだ、と。
モンゴル語とトルコ語では全く違う言葉だし、モンゴルの影響がスラブ語に見られないことからこんな説が生まれたんだろう。
俺は真相には興味ないけどw
137 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 18:50:44 0
>>135 歴史なんて過去のことなんだからそうそう新しいネタなんてないだろ。
硬いこと言いなさるな。
138 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 10:34:27 0
>>136 1対1じゃなくて多くの民族間の相互作用があるから、ある程度それはある。
140 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 19:28:33 0
名前なんか他言語の影響ありそうだよね。
バラミールなんてモンゴルやトルコ系の名前じゃなさそうだし。
141 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 19:47:52 O
ヴァラミールはゴート語の名前だよ
湖に隠されていた遺跡のアレか。
143 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 19:58:52 0
バラミールと言う名前は本当に欧州初侵入時の時の王が名乗っていた名前なのかな?
ゴート人が勝手に名付けたという可能性はないのだろうか?
144 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 09:04:09 0
フン族はモンゴロイド、コーカソイドどちらも説があるようですがどちらの可能性が高いのでしょうか?
アッティラはモンゴロイド、コーカソイドどちらでしょうか?
ブルガール王家と関連も教えてください。
長文ですがお願いします。
いや、あんたw 4行で長文とか言ってたら、あなたの問いに答えられないw
146 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 19:25:27 0
>>144 中欧のフン族の墓からは、主にモンゴロイドの人骨が出土するそうです。
>146
これもよくこの板で見かけるフレーズなんだけど、
いつ、どこで、誰が発掘して、どこで報告しているのか
わからない(実際は知らないだけだけど)。
いや、ウソだとは思わないけど、何度も見かけるわりに、
いつも出典を明らかにする人がいないんで・・・。
教えてちょ。
149 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 12:46:53 0
>>147 出典は確か『アッチラとフン族』という本に出ていたと思った。
誰が発掘したという話しは出ていなかったと思う。ローマ側の記録を鵜呑み
する訳にはいかないでど、どうもコーカソイドとは違うのではと思う。全然
毛色が違うので、余計恐怖心を起こさせた感じだ。習慣なんかもローマ人が
全く知らないものだったみたいだし。ペルシャやゲルマン系の人間集団では
なかった可能性が高いと思う。
>『アッチラとフン族』という本
またこれかよ。他に読んでないの?
151 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 20:42:41 0
今晩は。フン族はモンゴロイドですか。てことはアッチラは肖像がの顔とは全然ちがうんでしょうか?
152 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 06:34:33 0
>>151 ヨーロッパ人が想像で描くと、欧州風になるんじゃないの?
本人の顔を見た人少ないだろうし。
>>152 いや、そう言う描写も有るけど
前に欧米の人の漫画だったかに有ったフン族の絵は
辮髪半裸の蛮刀を振り回す一昔前の
中国人みたいな感じの絵だったな。
154 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 18:30:00 0
確かムーランでもフン族出てこなかった?
155 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 08:01:10 0
ヨルダネスの書物によると、フン族とゴート族はお互いの存在を知らずに
長いこと生活してらしい。たまたまフン族の人が飼っていた牛が逃げ出し、
それ追っていったところ、ゴート族を発見した。そのことを知ったフン族
の仲間達は大挙してゴート族の領土に侵入したそうだ。
「フン族 謎の古代帝国の興亡史」より
156 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 14:49:21 O
ほぼ同時期の五胡十六国時代の南朝の漢人たちは北族(匈奴・鮮卑・羌・テイ・ケツ)は半裸ではないが、辮髪は結っていたとしているな
ただケツ族は長鼻・深目・多髭の印欧語族系だから辮髪結っていたら異様だな
157 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 03:42:27 0
>>156 >ケツ)は半裸ではないが、
で吹いたwww
ケツ族って羯だっけ?
159 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 13:49:56 0
>155
牛じゃなくて雌鹿な。フン族の地とスキュティア(黒海北岸)の間には広大な沼沢地があって
渡るのは不可能と思われていたが、ある日雌鹿に導かれて道を発見した、という話。
160 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 16:21:27 0
375年
161 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:16:06 0
>>155 >>159 いずれにしろ、作り話だろうな。
隣り合っていて相手の存在に気がつかないということはないだろう。
フン族が何時・何処から移動してきたは不明だけど、ゴート族の動向
を掴んで侵入を開始したのだろう。おそらく配下のアラン族あたり
から情報を得ていたのだろう。フン族の活動を見ると、休止時代がある。
フン族に優秀な指導者が出て、他国の政治情勢が侵入しやすい状態に
なると大規模な侵攻を開始するのだろう。バラミールの東ゴート領侵入、
アッチラのローマとの戦いはフン族側に優秀な指導者、敵国の政治の乱れ
という二つの条件が揃ったから行われた。
162 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 10:16:16 O
中国史など見ていくと騎馬民族は友好関係にあった相手国の皇帝ないしは王が死去したとき突如として襲撃している
もしかすと高齢の東ゴート王エルマナリックは戦う以前に死、あるいはそれに近い危篤状態にあったのかもしれない
163 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 10:31:56 O
アジア系騎馬民族が洋の東西を問わず使用した戦術は軽装の騎乗弓兵によるアウトレンジからの集中射
ただ問題になるのはフン族がアブミを使用したかどうか
使用しなければ馬上でのコントロールが難しく騎乗射撃は難しいはず
一般にアブミを欧州に持ち込んだのはアヴァールといわれるが
フン族はローマの騎乗弓兵の傭兵としても雇われ、ムンドのようにローマの将軍に出世する者もいたのを見るとフン族もアブミを使用していたのでないかという気がする
164 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:34:59 0
165 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 21:52:16 0
>>162 一説によると、東ゴート王エルマナリックは100歳を越える高齢で、フン族との
戦争の行く末に悲観して自殺しとの話しもある。西ゴートとはそれ以前にもめ事に末
分離。政治的に乱れていたところをフン族に侵入されたようだ。
166 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 09:11:15 O
今の100歳でもまたもに人を指導できないだろうが、当時の100歳だと生きているので精一杯だと思う
フン族にとっては攻めどきだろうね
167 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 22:59:24 0
モンゴルもそうなんだが、フン族も単に移動途中に偶然アランや東ゴートと
交戦したのではなく、チャンスが到来したので侵入したというのが正しいと
思う。そうすると、フン族=北匈奴という説もまんざら嘘ではないかもしれ
ない。イリあたりにいた匈奴ならアラン族やゴート族の情報を得るのはそん
なに難しい話しではないだろう。
168 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 15:40:44 0
>>166 100歳というのはオーバーかもね。
かなりの高齢だったという解釈が妥当かな。
350年くらいにフン族(中国の記述では匈奴)がアラン族を制圧しているので、
フン族が東ゴートに攻撃する20年前くらいには隣接していた。お互いに接触
や関係があったと思う。東ゴートもフンの強さは知っているし、フンも東ゴート
の戦力や国情をしってたと思われる。
169 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 13:53:02 0
フン族は何時滅んだの?
170 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 15:21:36 O
アッチラ死後、東ゴートは独立戦争を起こす
東ゴートのアマレル王家のヴァラミール、ティウディミール、ヴィディミールはゲピート族のアルダリックと同盟
かれら4人はアッチラ存命時代からフン・ゲルマン連合軍の実質的指揮官であったため、アッチラの子らを破るのは赤子の手を捻るより容易だった
455年長子エラック率いるフン族はネダオの戦いで東ゴート・ゲピート連合軍に大敗、エラック以下フン族3万人が戦死 次子デンギジク、末子エルナックに率いられたフン族の残存勢力は執拗に東ゴートを攻めるが、その都度、敗北
エルナックは諦め、ドブルジャに定住
デンギジクは456、462年に東ゴートに攻撃をしかけるが、敗北
最後は469年ローマに攻撃をしかけるが、ゴート人将軍アナガスト、アスパルに敗北、斬首される
その後、フン族は黒海北岸へ撤収、クトリグール族、ウトリグール族に分化、ササン朝を攻撃
482年皇帝ゼノンの誘いでウトリグール族はブルガール族とともに東ゴートのテオドリック大王に攻撃をしかけるが、大敗
結局、クトリグール族、ウトリグール族とともにアヴァール族に吸収されたといいます
171 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 17:32:00 0
>>170 束ねる人物がいないと各部族で点でバラバラになったんだな。
良くありがちなことではあるが。
172 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 19:09:09 0
フンガリー→ハンガリー
ゴート・ゲピードはアッティラの遺族達を滅ぼしたが、
新手のアヴァールの攻撃は支えきれずに潰滅した。
アヴァールはかつてのアッティラの根拠地であったパンノニアを抑え、
かなりの勢力を築き、東ローマ帝国などを脅かしている。
174 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 21:41:51 O
フン族に束ねる有能な人間が出なかったというより東ゴート側に有能な人間が出てきたというべきでしょう
最初の対フン族戦を除く他の戦いでは東ゴート側はヴァラミールひとりで他の兄弟の増援が来る前にフン族に勝利しています
一説によると東ゴート軍はフン族の戦術、つまりアウトレンジからの集中弓射を見切り、森へ誘い込み、遠距離弓射や投げ縄というフン族の得意戦法を無効として、ゴート軍得意の長剣で馬の腱を切り引きずり降ろし、白兵戦に持ち込み孅滅したといわれます
あとアヴァールが登場したときは既に東ゴート王国はビサンティンに滅ぼされています
またゲピートを滅ぼしたのはアヴァールの支援は若干受けたものの主力はランゴハルト族です
アヴァール、マジャールとパンノニアを制圧した騎馬民族はフン族の後裔を自称した。
アヴァールのタヤンハンはアッティラの帝国を再建しようと盛んに軍事行動を起こしたが
フランクに敗れアヴァール帝国は瓦解した。
176 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 00:00:16 0
マヴァール年代記
フン族って東洋人的には蔑称ぽい響きと字が当てられるけど、西洋人的にはどうなんでしょ。
178 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 04:36:57 0
>>177 中国はあくまでも音には特に蔑称はない。あくまでも文字で差別を表していたと思った。
突厥は読み方はあくまでも(テュルク?)だったと思う。音に差別的漢字を当てはめると
いったやり方。Hunということばが悪い意味になったのは後の世のこと。あくまでも音
を表しているだけど思われる。
180 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 18:56:52 0
178
アルスラーン戦記
181 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 22:23:07 0
フン族は野蛮だというけど、ローマがカルタゴにした行為などは野蛮そのもの。
特別フン族が野蛮で凶暴だったわけではないだろう。見方を変えればアッチラなど
は英雄と言える。
ローマの侵略は善い侵略。アッティラの侵略は悪い侵略。
ハンガリーではアッティラは偉大な王として尊崇されている。
184 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 06:00:02 0
みんなのアイドル・アッチラ大王
185 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 09:04:08 O
ハンガリーで偉大な王と讃えられているのはイシュトバーン聖王だと思ったが
186 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 12:49:54 O
昨日漢検受けてきたんだけど。
準一級ね。
糞
の漢字が問題に出たよ。
187 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 09:40:27 0
>>182 野蛮さならローマの方が上か。
ただ、後世に残した文化はフン族はほとんど無い。
188 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 11:00:36 O
ローマもそれなりにやったがフンのように村ごと徹底した破壊と根絶やしにはしなかったな
189 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 11:18:54 0
そうだね、確かにカルタゴとかコリントスとかでローマは徹底した
破壊と根絶やしを行ってるよね、歯向かうヤツには容赦しないのがローマ
フン族の将軍がフン族の略奪暴行に文句を言うローマ人に向かってお前達が散々やってきたことを
お前達がされているだけの事だと突っぱねたとか。
191 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 05:38:45 0
そういやアッティラとレオ1世て会見の時、何話したんだろうね
アッティラ「あんたレオ?」
レオ1世「うん。あんたアッティラ?」
アッティラ「うん。あんたレオか。ふーんそっか」
レオ1世「へー」
こんな感じ。
194 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 12:14:01 0
「俺アッチラ、よろしくな」
「俺はレオ、こちらこそよろしく」
なんて和やかな会見のはずはないな。
195 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 23:58:08 0
フン族やモンゴル族のヨーロッパ侵略は、
モンゴロイドでも力を得れば横暴で獰猛になるという好例だな。
196 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 10:26:01 O
モンゴロイドがコーカソイドに対して横暴な行為をしたので最もシュールな出来事は
五胡十六国時代の漢族による印欧語系といわれるけつ族の絶滅?じゃないですか?
その際、漢族はけつ族の特徴である深目、高鼻、多髭の人を片っ端から皆殺しにしたらしい
中にはその特徴を有する漢族も間違えられてころされたらしいが
その後、けつ族は歴史上の記録に登場しない
197 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 23:01:38 0
ふん族といえモンゴルといえ中世以前はモンゴロイドがコーカソイド
に攻撃を仕掛けている。それで近代以降、白人から黄禍論が出てきた。
198 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 09:53:14 O
ヴィルヘルム2世が黄禍論の発端を作ったといわれるが
それはロシアの目をバルカンから極東に向けさせるためのポーズだと思うが
ヴィルヘルム2世は意に反してオスマン・トルコやモロッコのスルタンには友好的だったし
199 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 15:54:06 0
>>198 ようは都合良く話しをでっち上げていたわけね。
200 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 01:05:44 0
200ゲット
201 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 09:44:57 O
フン族ってほんとに匈奴?
中国にも匈奴残っていたのに
それにしてはフン族数多すぎないか
ローマの傭兵にもなっているグループもいるし
202 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 23:41:02 0
>>201 匈奴説は、所詮仮説の域を出ないんじゃないですか?
フン族の数は、推定で総人口20万、戦闘員5万(大雑把な数字です)
数百〜数千単位で傭兵になるなら問題ないでしょ。
フン族といっても、フン族に併合・吸収された民族部族も含んでるだろうし。
203 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 23:48:28 0
そういや、ローマの名将アエティウスは、
対ブルグント戦にはフン族傭兵を動員、
対アッティラ戦にはゲルマン人を動員、
頭いいね、この人。
ちなみに、フン族傭兵は6世紀、ユスティニアヌス帝の
軍隊にも登場するけど、最後に史料に出てくるのっていつなんだろ。
アヴァール人の使ってたサーベルをグラディウス・フンニクスと呼んでたらしいですね。
カタラウヌムでのアッティラ軍の主力は東ゴート人だし、
アッティラが最も信任していたのはゲピード族。
206 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 21:35:14 0
フン族は背が低くて、ズングリ体型で鼻が低いとローマ側の記録にあったような。
あんまり印欧語族系という感じではなさそうだが。どうも東アジアに起源を持つ連中
が中核なような感じだ。
207 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 22:41:55 0
>>206 wikiに載ってるアッティラの肖像、西洋風だね。
あれは想像画?
208 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 12:35:17 0
wiki見てきた、アッティラすげーハンサムw
「やあ、アッティラ」
211 :
世界@名無史さん:2006/07/03(月) 19:43:51 0
誰も写真は撮ってないからな。
「そんな事言うなよ、レオw」
213 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 02:11:01 0
照れるな
214 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:15:49 0
>>207 英語版では19世紀ごろの絵だとか書いてたね。
215 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 14:45:38 0
フン族はモンゴロイド?
216 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 05:16:01 0
どうかな?
217 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 10:12:02 0
あのモンゴル帝国も、後のオスマン帝国もできなかった
西欧中枢への進出を為したわけですから、フン族は讃えられ
てしかるべきでしょう。この事実は、世界史上の偉業だと
思う。
マジャール人の軍隊は一度大西洋まで出ちゃったらしいけど
219 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 13:23:55 0
>>218 へえ、そうなんだ。いつごろ?
でもマジャール人ってアジアの遊牧民って感じでは
ないよね?西欧を脅かしたというよりは自分もすっかり
西欧人になってしまっているわけだし・・・。
フン族がアジアの遊牧民かどうかはさておき、インパクト
からいえば、やっぱり凄いのかなと思う。
220 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 05:09:14 0
ある意味、フン族のインパクトは現在でも語り継がれているからな。
221 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 07:12:48 0
つうか今でこそゲルマン国家が栄えてるけど、当時は正しく地図にも載っていない辺境だったわけで・・
そんな収益も上がらない地域まで進出したからって「讃えられる」なんて大げさだよう。
222 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 10:05:06 0
>>221 そうか、たしかにそうとも言えるな。
いっそのこと教皇レオ1世の説得なんかに応じずに、
アッチラがローマに進撃していたら、もっと劇的だった
かもしれないな。
223 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 14:03:13 0
ハンガリー語は文法性もないよね
224 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 20:48:54 0
>>222 もっともフン族側も疫病が流行って進撃不可能だったと言われているけどね。
モンティパイソンのコントでアッチラ知った。
琴欧州の黒髪はアッティラ功績ってことか
琴欧州の地元じゃ
朝青龍をフン族とか言ってたぞ
228 :
世界@名無史さん:2006/07/24(月) 13:29:42 0
>>227 マジ?それ、けっこう面白い話じゃない?
229 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 09:11:30 0
モンゴルは東欧に僅かな期間しか存在しなかったけど、フン族は370年の東ゴート族襲撃
から453年のアッチラの死去まで実に83年猛威を振るっていた。欧州でのフン族の印象は
強烈なんだろうな。もっともその話しは本当かどうかは不明だが。
230 :
世界@名無史さん:2006/08/05(土) 02:26:29 0
アッチラは大西洋も見たのだろうか?
231 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 05:47:23 0
たぶん見てないな。
あ!チラっと見た
233 :
世界@名無史さん:2006/08/14(月) 15:17:00 0
地中海は見たのかな?
234 :
世界@名無史さん:2006/08/14(月) 18:04:40 0
千代大海なら見たって言ってたよ
235 :
世界@名無史さん:2006/08/17(木) 13:29:38 0
フン族はやはりバイカル湖周辺から来たのだろうか?
カタラウヌムでアッティラが敗れたというのはローマ側の誇大宣伝で、
アエティウスは闇夜に隠れて逃げ出し、アッティラは取り逃がしたというのが実情らしい。
実際翌年アッティラは大規模な遠征軍を北イタリアに進軍させアエティウスにはそれを食いとめる力が無かった。
237 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 06:39:16 0
フン族強し。
238 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 14:38:49 O
236の話は違うんじゃないか
まず戦場を見渡せる制高地を西ゴート王子トリスムント率いる西ゴート軍とフン族が争い、トリスムントはフン族を撃退し、制高地を制圧
それから両軍本隊同士が衝突し、フン族側の東ゴート軍が西ゴート軍を押し始め、西ゴート国王テオドリックが戦死
東ゴートのヴァラミールは西ゴート軍側面にフン族騎兵を投入
制高地にいたトリスムントはそれを見て、直ちに行動に移り、フン族騎兵の側面を攻撃撃破し戦果を拡大
アエティウスは戦いに消極的だった
アエティウスにとってフン族が西帝国に大々的に侵入されるのは困るが、フン族に完勝することにより西ゴートが強大化することも恐れていた
従って双方とも潰しあうのがアエティウスにとって一番の戦略だった
夜間に入りフン族軍は円形車陣の内側に篭り、そこから迫りくる西ゴート軍を狙撃せざるを得なくなり、アッチラも覚悟を決め、戦死した場合の火葬のための薪を積ませた
円形車陣の防御法はゴート軍のもので、これを破るには投石器やバリスタなど重投擲器が必要なため、再三再四トリスムントはアエティウスに支援を求めたが、逆に謀反されぬように帰国をさせ、アッチラを逃がし、彼は九死に一生を得た
アッティラが敗北して大打撃を受けたのなら翌年に北イタリアに侵攻してきただけの余力を残していた事実が矛盾する。
実際勝ったというアエティウスは侵攻してきたアッティラに抵抗らしい抵抗をしていない(するだけの力はもう無かったのかもしれない)
記録するのはローマ側だから戦勝は粉飾で実際のところは逃げたアエティウスを追って北イタリアに攻め込んできたと見る説もある。
240 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 19:28:40 O
ケルトもゲルマンもローマに敗れてもすぐに回復する
現にローマもカンナエやトイブルクやアドリアノープルで歴史的大敗してもすぐに再生した
確かに記録というものは現代に至っても著作した側に誇張があるのは確だが、それをもって著述の全ての内容が虚構と言うなら全ての歴史的文献全てが虚構であるということになる
フン族の実力を過大評価するのもどうかな
実際、アッチラ死後、すぐに独立したゲピードや東ゴートに対しフン族はまるっきり勝てなくなってしまった
それも燦々たる惨敗だ
ローマ側の記録ではアッティラはカタラウヌムで九死に一生を得るほどの惨憺たる敗北をしたと誇らしく記しているが、
そんな大打撃が「すぐに」など回復できるわけが無く翌年に北イタリアへ侵攻するほどの力を回復できるわけが無い。
しかもアエティウスはやられ放題で食いとめる力はもう無かった。
例えカタラウヌムでローマが勝ったのが事実だとしても、
深刻な打撃を受けていたのはローマ側であり、アッティラ側はそれほどの打撃は受けていなかった可能性が高い。
フン族の力はアッティラその人の統率力だっというべきでフン族自体が他の部族に比べて強いというわけではなかったし、
まして内輪もめ状態で統制を失った状態で百戦錬磨のアルダリックを敵にして勝ち目があるわけは無い。
アルダリックは自らの主導権を確立する為に敵対したフン族とは戦ったが
一方でアッティラから託されたフン族は保護し護って形式的には推戴している。
ゲピード族がフン族に止めを刺すのはアルダリックの死後になってから。
243 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 12:50:40 O
カタラウニアの戦いでフン族が大損害を受けたのは正しい
ローマの文献が・・・
というより誇張があるのはゴート人の歴史家ヨルダネスによるものだ
それは論外としてピティエ山の発掘で試掘段階で200体の遺骨が発掘された
しかもほとんどアジア系
またアッチラが自らの火葬を行う火刑場を予定していた地周囲には臨時に作られた土の防壁の跡が発見されている
フン族の推定戦死者は3万人といわれる
負傷者を含めればかなりの数である
244 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 13:00:40 O
イタリア侵入はアエティウスにとっては予想外だっただろう
アエティウスはアッチラがカタラウニアで助けてくれたことを恩義に感じているだろうと誤解していたためだ
侵入されてもあの一件で西ゴートの信頼を失っていたのはアエティウスには誤算だったろうが
245 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 13:14:51 O
確かにアッチラ死後、息子たちによる後継者争いはあったが、独立した東ゴートとの一連の戦いや支配下ゲルマン人の独立の戦いであるネダオの戦いではエラーク、テンギジク、エルナック、エムネドザール、ウゼンドゥールのアッチラの息子たちは共同して戦って、そして敗れた
いまは、Mauriacumというべきではなかろうか。
そろそろカタラウヌムは過去帳にはいっていただいてはいかがと思うのですが。
247 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 13:00:11 0
遊牧民は有能な指導者がいるときはやたら強いけど、無能な指導者だとさっぱり。
フン族もこの法則に当てはまる。
248 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 14:14:28 0
ゲルマン民族の大移動の時代はもう本当に
それぞれ名前を持った人の群れが移動しているだけって感じに見えるな
最初にウラル南麓で巻き込まれたアラン人がフンやゴートと一緒に
ジブラルタルまで地中海を回りこんでカルタゴまで来てローマと戦闘とか
もう訳わからん
249 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 14:56:40 0
>>243 フン族は確か支配層がモンゴロイドであってますよね?
250 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 19:52:41 O
戦場の近くシャロン付近の村々では現代でも蒙古斑のある赤ん坊が少なからず産まれるそうだ
251 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 20:00:51 0
>>250 本当ですか?マジなら凄いですね。モンゴロイドと混血した時は
男蒙×女欧と男欧×女蒙どちらの組み合わせが多かったのでしょうか?
シャロン付近ではフンが負けたから後者の組み合わせが多いのかな?
252 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 20:06:21 O
自分も最近、ゴート族に関する本、アメリカから4冊ほど輸入して気がついたのですが
ゲルマン、サルマチア、アラン、フン各民族にいえることはメインの王権ないしはそれに近い指導者が存在してもそれに従わぬ族長またはそれに類する者が存在することです
フン族でいえばムンドと呼ばれるフン人はローマ帝国に臣従し、将軍まで昇進しているし
ゴート人と東ローマの戦いであるアドリアノープルの戦いでは500人のフン族がゴート側に加わっています
253 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 20:15:12 O
シャロン付近の赤ん坊の祖先はおそらくフン族が撤退するときに見捨てられた負傷者の生き残りや落伍者でないでしょうか
コーカソイドの容姿に関する特徴は
色彩的なものを除けば優勢が多いからな
純粋な血統の中に多少のモンゴロイドが入ったところで
相当運の良い交配が行われない限り外見には出ずらいハズ。
現在のイランやパキスタンのあたり、モンゴロイド起源の遺伝子量20%とか
見た目にはまるで分からないしな(ソース不明)
一応蒙古斑はモンゴロイドじゃなくても低確率で出現することは既出?
藤原稜三『格闘技の歴史』p137
フランスの史伝家・アルパンによれば、レピーヌ教会とブェルス川沿いのサン・ジュリアンとの間に
クールティゾール(クルティス)と呼ばれる村落があり、この草原幕舎型(パオ)の家屋が並んだ
八キロに及ぶ部落には、モンゴルとトルコの混交語を話すアジア系騎馬民族の子孫が居住して
おり、その出自を示す「蒙古紫斑」の持主が多いのだという。これらの住民は、アッチラ王(四〇六〜
四五三)の死後、戦傷や病気などのため、この地に定住することを余儀なくされたフン族の子孫達
なのである。
アッチラ王が、西ローマのレオ一世の熱心な説得と買収に応じて、西ローマの領域内を撤退したのは、
四五二年のことだが、このときシャンパーニュ地方に留ったフン族の騎士数は八千人を超えていたと
推定されている。しかし、その後フランス女性との混血が進んだ結果、一八〇〇年代の終り頃には、
僅か二千余人を数えるほどになり、第二次大戦後は、言葉や生活習慣までが、ほとんどフランス化
してしまったので、今日では、個々人の「蒙古紫斑」を調べなければ、その出自を明らかにすることは
できなくなっているのだという。ウィーン生まれのフン族研究家へルマン・シュライバー博士も、
「モンゴルとトルコの混交語、つまり、クールティゾールの奇妙な方言は、前世紀の終り頃までは
確認できたけれども、現在では、ほとんど消滅している・・・」と記しているから、ここで、「リユット」の
フン族起源説を立証することはできぬけれども、それを否定し得る材料もまた存在しないのである。
しかし、ブロア郊外で紹介された古式闘法と称するものを見た限りでは、基本的な技法にせよ、力で
強引に押しまくる闘法にせよ、シュウイゲン、サンボ、ボフなどのそれと異なったところは見当らない。
256 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 21:44:01 O
あれ
昔聞いたのはモンゴロイド系、目や髪の色は濃色が優性遺伝でし、金髪、碧眼は劣性遺伝と聞いていたが
257 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 21:59:17 0
コーカソイドの形質の方が優性では?
昔NHK特集でアマゾン川河口地区の特集やっていたけど、白人種の血が入ってるらしく
原住民の子供は皆髪が黒ではなく、目の色もなにやら付いていた。色は…焼けるからなあ。
259 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 15:38:12 0
ハーフってモンゴロイドの方が強く出ないですか?
260 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 18:56:12 0
アッチラの墓が見つかれば大発見だよね?
ドナウ川の底?
261 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 22:47:57 O
ゴート人歴史家ヨルダネスによるとアッチラは土葬されたと述べていますね
アッチラの塚がつくられ
哀悼の詩歌が終ると
酒宴が開かれ、埋葬式を行った
夜になり、遺体は天幕から塚に移し、金・銀・鉄の三重の棺に納め埋葬された
金・銀は東西両帝国の貢納金を受け取ったことを表し
鉄は部族を征服したことを表した
宝石・財宝だけでなく、敵から捕獲した武器が副葬され
王を埋葬した人々は全員殺され遺体の側に置かれた
と書かれているそうです
スラヴ人、得に東スラヴ人は人骨ではコーカソイドかモンゴロイドの特定が難しく
ユーラシアにちなんで「ユーロペオイド」とかいう呼称で呼ばれている。
263 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 23:31:04 O
おいおいフン族が活躍している時代はスラブなんかいずれの文献にも記されていないから書かない方がいいぞ
またスラブ・ポーランド基地外に荒らされるよ
264 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 00:08:19 0
川をせき止めてから川底に埋めて、それから元に戻したから絶対に見つからないんじゃないの?>アッチラ墓
265 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 01:17:04 O
264のような埋葬法で河底に埋葬されたされたのは西ゴートのアラリックだよ
266 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 02:05:32 0
267 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 22:33:07 0
ホノリアと一緒になって西ローマを合法的に乗っ取ればよかったのに。
でも年寄りのカミさんは嫌いだったのかな。
268 :
世界@名無史さん:2006/09/15(金) 09:32:23 0
モンゴルの王侯の墓もどこにあるかわからないからな。
東アジアから移動してきたフン族の王も同じなのかな。
269 :
世界@名無史さん:2006/09/15(金) 23:23:23 0
見つからないというよりタブーでしょ。
江上波夫がやろうとしたけど大バッシング受けて撤退したし。
271 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 19:49:38 0
アッチラの墓を見つけることに反対する人はあんまりいないと思う。
272 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 04:17:16 0
フン族ウロウロ
273 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 09:29:23 0
ウンコウロウロ
274 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 13:12:51 0
トルコ人やタタール人の間ではアッティラについて何か伝承のようなものは残っていたんでしょうか。
それとも西洋の書物が入ってくるまで忘れ去られていた?
275 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 13:41:02 0
現在のトルコ人やタタール人なんてフン族と全く関係ないだろ?
トルコ人がアナトリアに進出したのなんかセルジュークの頃だし、
タタール人はモンゴル人とキプチュク人の混血かなんかだからやっぱ
フン族とは関係なし。フン族が活躍したのは4・5世紀の話しだから
な。伝承はやっぱハンガリーを中心として中欧だろうな。
276 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 13:50:02 0
ハンガリー人はアッティラ王はドイツ女に暗殺されたとかいう言い伝えを信じているとか。
278 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 21:48:44 O
うそこけ
フン族いた時はドイツなんか存在してないだろ
ガセか
279 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 14:02:00 0
現在のドイツあたりにいたゲルマン人部族とも解釈はできるが。
ただ話しはかなり嘘くさい。
280 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 17:40:19 0
>>276 へえ、そうなんだ。
だとすると、匈奴=フンというのはあながち間違い
とは言えないんだ。
どっかの国の政府が言ってるのなら信用する
なんていう阿呆な態度だと,中国・朝鮮の思う壺だぞ
282 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 21:38:18 O
おいおい嫌中・嫌韓の誤爆かよ
>>280 匈奴=フンって言うのは今のところ正しいとも間違いとも完全に実証されてないので不明
トルコやテュルク系の人達の主張するその歴史観は
あくまでも今議論されているそう言う部分から切り離して
彼等の国々や民族ではそう言う風に教えてるんだなって割り切る方が良いかも
エフタルなんか今ではイラン系って言うのがかなり有力なんだけど
トルコやテュルク系の国々や民族はこれも我がテュルクの民族の歴史
と言う事にして古き偉大なHUN(匈奴)の系図として教えてるし
そう言えば結構前にディズニーの映画でムーランってのが有って
そのムーランが匈奴討伐に行くシーンだったかでトルコの人達が抗議したって言う話しが有って
当時は匈奴の討伐に何でトルコが…?って不思議でならなかったが
こうしてネットで見るようになってトルコやテュルク系の人達が
匈奴やフンを自国の誇りとして大英雄視してるって分かってなるほどとは思った
ヒルディコ(くだんのゲルマン女性)は
クリームヒルドのモデルなんでしょうか?
ブリュンヒルドのモデルなんでしょうか?
花木蘭の時代は突厥(古代トルコ帝国)
286 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 23:35:39 0
>>283 なるほど。
分かり易い解説ですね。助かります。
>>286 因みにトンデモ掛かったごく一部のトルコの国粋的な学者なんかは
スキタイが中央アジアに流れたサカ族や
中国の古代の時代に存在して西周を滅ぼした犬戎
までもテュルク系の民族と位置付けてるらしく
「世界最古の騎馬民族はキンメリアでもスキタイでも無く
我がテュルクこそ真の最古であり現在にも続く真の民族」
と誇っているとか
もちろんそこまで主張している人は流石に少数では有るけど
スキタイ人はコーカソイドだが現在のヨーロッパ人の先祖であるケルトやゲルマンとは敵対関係だった。
スキタイ人は騎兵の戦闘力にものを言わせクリミアに居住していたケルト人を襲い、
中央ヨーロッパのラウジッツ文化を潰滅させている。
289 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 13:52:34 O
うそこけ
スキタイが活躍していた時代はゲルマン人はまだ原ゲルマン人段階でスカンジナビア、ユトランド半島とその周囲に居住していただけでスキタイと接触する可能性は極めて低い
ケルト人はラ・テーヌ文化期のBC3C前半にドニエプル下流に進出した形跡はあるが、クリミア半島に居住した形跡はない
前四世紀頃に中央ヨーロッパに栄えていたラウジッツ文化の担い手がゲルマンでは無く西スラヴであるという説はある。
またクリミアの最初の住人は、確かな痕跡によると、
ケルト族のシメニア人であったが、紀元前7世紀の間に、
スキタイ人によって追い払われた。彼らは、山岳部に避難し、のちにタウリ人として知られるようになった。
291 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 21:03:51 0
そういやゴート族もフンと戦ったんでしたっけ。
292 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 21:51:56 O
あっそ
偉そうに
ごくろうなこった
293 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 01:22:24 O
フン族のスレでケルトのことをどうこう語るのは気が引けるが
BC7Cのケルト族はハルシュタット文化C期の時代でその所在は従来の学説を基にすると現在の南独、オーストリア、スイス、チェコ、あたりであり、クリミアどころかカルパチア山脈より東に行ったことはこの時代では考えられない
むしろケルト人は現在のフランス、スペイン、イギリス、アイルランド、北イタリアなど主に西方へ移動している
しかしギリシア人の記録ではバルカンやアナトリアへも侵入しているが…
295 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 17:44:54 0
アッチラの最後は限りなく暗殺くさい。
頑張りすぎて鼻血ブーしただけだろ
297 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 13:34:15 0
何を頑張ったのですか?
298 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 17:10:09 0
オルド
299 :
世界@名無史さん:2006/10/25(水) 20:51:03 0
フン族がアラン族を襲撃する前は何処にいたの?
中国の文献では匈奴と記録されているみたいだけど。
フン族=ドイツ人=偉大
301 :
世界@名無史さん:2006/10/25(水) 22:48:15 O
もうフン族のスレでケルトを語るのは申し訳ないが
ケルト族(ダルタニ族)がバルカン(サヴァ川流域)に初めて侵入したのはBC4C前半
ギリシャ、アナトリアに侵入したのに関しては
BC298年キンバウレスに率いられマケドニア侵入
BC281年ボルギオスに率いられマケドニア侵入
BC281年ケレトレオスに率いられトラキア侵入
BC279年ブレンノスとアキコリオスに率いられギリシャ本土に侵入
BC279年レオノリオスとルタリオス(レオタリオス)に率いられアナトリアに侵入
ドイツ人の源流はゲルマンだけでなく西スラヴも含まれているという。
303 :
世界@名無史さん:2006/10/28(土) 22:58:24 0
フン族が欧州の文献に出てくるのはいつ頃から?
304 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 18:26:34 0
フン族の墓からDNA採取しろよ〜。
ってか墓は無いの?
305 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 05:10:02 0
>>304 中欧にはあるそうだ。
主に背の低いモンゴロイドの人骨が出土するらしい。
306 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 10:17:09 0
おお、じゃあモンゴロイドなのは決まりだね。
307 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 10:52:12 0
>>305 その人骨とノイン裏から出土の人骨とDNAの比較ってしてないの?
308 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 19:26:18 0
匈奴=フン族ではない可能性も大いにあるからな。
匈奴がモンゴロイドとは限らないし。匈奴傘下の部族にはモンゴロイドもコーカソイド
も両方いた可能性もある。フン族は匈奴傘下の東アジア系の部族だったのかもしれない。
309 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 19:32:18 0
モンゴロイドの分布を考えるとフン族はやっぱりモンゴルから来たと
考えるべきだろうな。
匈奴のおそるべき征服力はまさにフン族そのものだろう。
310 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 22:52:54 0
『アッチラとフン族』という本に、匈奴=フンの疑問点としてフン族が北匈奴
なら周辺諸国・民族に大きな被害を与えるはずであり、そうした記録はないのは
不自然だと。考えられるのは東シベリアから中央アジアに登場した匈奴とは別の
民族でないかとの説を唱えている。でもバイカル湖周辺が起源という説だった。
311 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 23:08:34 0
アランを征服してサルマートなんかを手下にしたんでしょ?
まあ、遊牧民同士だからそんなにひどい扱いはしなかったんじゃない?
それにシツ支単于みたいな暴れ者ばかりが単于になるとは限らないし。
> 『アッチラとフン族』という本に、
フン族スレで出てくんのこればっかりなんだよねえ
313 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 05:10:36 0
>>312 これといったフン族に関する文献があんまりないからだろ。
『フン族・謎の古代帝国興亡史』はアッチラ時代の話しがほとんどだから、
東ゴート攻撃以前の考察はほとんどない。
315 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 12:57:01 0
ノインウラで発見された人骨はモンゴロイドではなかったという話しがあるぞ。
316 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 06:26:17 0
匈奴とフン族の同一論拠
@ 族名の類委
A 民族性の一致
B 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致
C 共にアルタイ語を使用したらしいこと
D フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと
E 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと
F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること
「アッチラとフン族」4Pより
しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖
周辺から移動してきた民族との見解。
これだけ論拠があって否定的な見解になるやつらは
それ以上の論拠があって否定してるのか?
318 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 22:32:07 0
>>317 一番の疑問は匈奴とフンが同一だとすると、西遷からアラン攻撃までの期間が
結構長い休止期間があること。好戦的な連中が周辺国に被害を与えたという記録が
ないことが大いなる疑問。
319 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:30:28 0
匈奴って名前からして強そうなんだけどほんとに強いの?
320 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:37:29 0
匈奴とフン族とゴート族って一緒なん?
ゲルマン民族の黄色版みたいな感じだな
>>318 疑問が否定に直結するのは安易だし、それだけの疑問で上記の論拠を
否定することはできないよな。
民族の活動は常時膨張的なわけじゃないわけだし、勢力圏で力を蓄える時期と
対外膨張する時期がある。
それと、力を蓄える時期というのは、内部にまとまりがなく内部での抗争に
時間が取られていたということもよくある話。
好戦的な民族なのに記録が無いことは否定の根拠としては弱すぎる。
322 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 01:25:37 0
匈奴だって冒頓以前は記録ほとんどないしな。
実際問題匈奴は冒頓の前の頭曼以前からずっとずっと有ったもんな
ただ歴史で単于の名前までハッキリ出てくる様になったのが頭曼からで有って
歴史書に記されていない=無い って訳じゃないし
324 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 05:59:29 0
フン族自体もアッチラ以降は生彩がないまま終わったからな。
栄枯盛衰というの遊牧民に限ったことではないのは確か。
生活風習なんかも長い移動で変化が起こっても不思議はない。
アッティラの死因は腹上死でつか?
326 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 08:11:26 0
327 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 17:43:24 0
中国は遊牧民を全て匈奴と呼んだわけではない。
アラン族を襲撃したフン族を何故匈奴と記載したのかだな。
ある程度西遷した匈奴の情報を掴んでいたのなら匈奴=フン族は確定となる。
ただ単に音が似ているから匈奴と記載したのなら別の民族の可能性もある。
328 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 05:52:43 0
ところで北匈奴の消息が解らなくなってからフン族の登場までどれだけタイムラグがある?
北匈奴は中国の文典からだと大体150年代辺りで消息不明っぽくなる
一方トルコやテュルク系の国々の主張するBATI HUN(直訳すると西匈奴、つまり中国の言う北匈奴。)
のハーン(単于をこう主張してる)は216年まで一応記録されている
んでフン族の有る程度の記録記事が大体350年前後なので
150〜200年くらいのラグが有るって考えれる…気はする
まぁその記録自身も何処までが如何だかハッキリ分からないんだが
330 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 11:54:36 0
一方トルコやテュルク系の国々の主張するBATI HUN(直訳すると西匈奴、つまり中国の言う北匈奴。)
のハーン(単于をこう主張してる)は216年まで一応記録されている
↑
この辺のソース希望
331 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 17:51:06 0
200年近く大人しくしていたのは意外な感じはするな。
332 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 21:02:35 0
まあ、北匈奴の末裔と新たにどこからか移動してきた民族が合体してフン族に
なったとも考えられるな。合体・大集団化で膨張を開始したのかもしれない。どちらか
というと弱体化していた北匈奴がいきなり膨張というのも不可解。しかも消息不明になった
くらい脅威ではなくなっていた。周辺国にも北匈奴に優秀な王が出現したとの記録もない。
333 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 21:07:28 0
クシャナ朝やパルティア・ササン朝と抗争していた可能性もあるだろう。
334 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 21:34:28 0
可能性あるね
特にクシャナ朝は西域にもちょっかい出していたからなんらかのかたちで
接触しているだろ
335 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 21:34:34 0
>>333 パルティア・ササン朝側には記録はないようだが。
抗争があったとしても脅威に成る程ではなかったのかも。だから記録も残っていない。
カフカスからシリア方面にフン族が侵攻したのは東ゴート攻撃後の390年くらいの話。
この時のフン族のシリア方面への侵攻は記録が残っている。その後はまた欧州方面に矛先
を向けている。
336 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 20:19:48 0
337 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 21:53:02 0
フン族はヨーロッパではフィンと言われていてヨーロッパ
に侵入したあとハンガリーともう一つ、フィンの国、つまりフィンランドに
なった。だからこの2つの国の言語はヨーロッパのなかでは異質で
ハンガリー、フィンランドの言語はお互いにたような言語体系を持つ、
と聞いたことがあるなあ。
338 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 22:10:30 0
日本の匈奴研究の基礎を築いた白鳥庫吉は
ハンガリー語を覚えて講演までしたらしい。
>>335 アルメニアの歴史家(確かセベオス)に、359年のキオンとササン朝の戦いが
記されているはず。キオン=フンとの説を取れば、ササン朝と交戦していたことになる。
パルティア時代は、クシャン朝が真中にあったので、クシャン朝と抗争していた
可能性はある。
>>330 グーグルでトルコ語で検索すればいっぱい出てくるが…
例えばBüyük Hun(匈奴と同一と主張してる)で検索すると出てくる
因みにこれはほんの一つだが
ttp://www.anavatan.de/turktarihi/turktarihi1.htm ここに歴代単于のトルコ語の名前が有ったりする
冒頓単于はここではMeteと表記されてる
因みに匈奴の南北分裂(トルコの歴史では東西みたいだが)後は中国とは違い
中国で言う北匈奴、トルコやテュルク系の国々での西匈奴を正当の国と見なしてるのも
民族なんかの違いが如実に出ているものなんだなって思ったり
341 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 10:43:37 0
フン族は軽騎兵が主力で、アラン族は重騎兵が中心だったそうだ。
同じ遊牧民系の連中でもだいぶ軍隊編成は違う。
342 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 12:40:32 O
匈奴の残党は五胡十六国時代でも健在だが
343 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 12:42:41 0
っていうか国つくっているよな 晋ぶっつぶしたし
344 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 22:07:09 0
ただフン族の方が派手だったよな。
ゲルマン民族を玉突き移動させて、ローマ帝国崩壊のきっかけを作ったのだから。
フン族=北匈奴なら北匈奴の連中の方が南匈奴より歴史的に大きな活躍したことに
なる。
345 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 22:09:50 0
つーか、このスレフン族に関する重複スレじゃね?
346 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 22:12:07 0
いまさら何を言う?
>>345 これでも結構、重複スレが落ちてだいぶ数が減ったほうなのよw
348 :
世界@名無史さん:2006/11/22(水) 02:33:19 0
>>344 まあローマ帝國の崩壊〜ゲルマン諸国家の建設というとEC加盟国の相当数をカバーするから
そうおもいがちだが、中国の古代の枠組みほとんどつぶしているぞアレ。
晋の皇族つまり司馬氏の大半があぼーんしただけでなく、漢の嫡流(つまり献帝の子孫や曹操の子孫
つまり陳留王や劉備の直系もほどんど死んだり消息不明になってる)
隋の統一まで何百年もかかっているし、漢族自体が言語のアルタイ化がおこってしまって
華北の出の漢族って大半が北方民族の習俗にそまっちゃってる。
隋、唐も匈奴ではないとはいえ、鮮卑系の王朝だし古代世界からいた士大夫階級も南北朝までに
王朝交代の度に連座してあぼんしたり庶民になったりで没落するわで華北も江南もかわらんし・・・・
今の中国が一国で広大な地域を支配しているから南匈奴がショボイと考えがちだけど
侵入前と侵入後では中華世界そのものが何もかも変わったといってよいほど変化してる。
江南にのがれた連中もいってみれば北方民族の圧迫うけて民族大移動状態だしなー
349 :
世界@名無史さん:2006/11/22(水) 21:43:06 0
ようはインパクトの問題でしょ。
フン族はいまだに欧州人に強烈な印象を残している。
まあ、好印象ではないけどね。
でもフン族だけが野蛮じゃないよ、欧州人もそこらじゅうで野蛮な行為はしたからな。
まぁ、実際問題、中国は一度滅亡したといってもいいな。
文化も含めてガラッと変わっているからな。
351 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 01:40:27 0
遼や金の侵入の時にまた大きく変わっているんだよな。
キタイや満州族といった東北系の連中が華北を席巻して
また華北の中の人もどんどんかわっていっているんだよなー
中華地域って分裂と統一の繰り返しだからわかりにくいけど
中の人かわりすぎだろ 民族移動何回やってるのかワカンネ
数世紀ごとにゲルマン民族の大移動レベルで人がうごくだろあそこ。
>>350 見ようによっちゃ一度はおろか四度・五度ほどw
353 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 03:11:47 0
漢族自身は認めたがらないが、数千年前の黄河流域に住んでいた人々の子孫ではあるが、
北方諸民族の末裔であるのもじじつなんだよな。
今の中国人の多くは、昔、蛮族とされていた周辺から来た末裔だろ。
355 :
世界@名無史さん:2006/11/24(金) 01:30:13 0
漢族の流出は多いが、
最近や現在、中国に流入する遊牧民は居ないの?
356 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 01:58:44 0
フン族は欧州へ流失
357 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 02:28:49 O
秦も昔は遊牧民で蛮族扱いだったしな
358 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 13:36:37 O
そうなのか
>>227 琴欧州の実家の近所のオッサンが朝青龍の顔写真パネルを指して
「この、この顔見ろよ。こんなのに勝てるわけないよ。恐ろしい」と言ってたのはテレビで見た。
フンの後裔のブルガール族に支配されたスラヴ人の末裔のくせに
361 :
世界@名無史さん:2006/12/05(火) 05:58:53 0
同じフン族同士なかよくしようや。
362 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 21:36:56 0
北匈奴の消息が消えたのと、フン族の登場の時期が同じというけど、
具体的に何年頃の話しなんだろ?
アッー!ティラ
364 :
世界@名無史さん:2006/12/12(火) 11:47:50 0
フン
365 :
世界@名無史さん:2006/12/15(金) 15:38:58 0
フン族≠匈奴という根拠は証拠がないから?
366 :
世界@名無史さん:2006/12/21(木) 05:49:19 0
証拠がないことはわからないとしか言いようがない。
367 :
世界@名無史さん:2006/12/22(金) 02:34:02 0
アッティラ死後あっというまに瓦解した三流民族を称えるスレはここですか?
368 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 06:19:23 0
でも活躍期間は結構長いぞ。
アラン・東ゴート攻撃が370年位、アッチラが死んだのが453年。
80年位は猛威を振るったことになる。もしフン族=匈奴ならもっと長い期間だ。
369 :
世界@名無史さん:2006/12/28(木) 21:29:05 0
The huns
370 :
世界@名無史さん:2007/01/01(月) 11:23:06 0
なんか最近書き込みがないな。
世界史板で1ヶ月に10レス以上というのは中位レベルだと思う。
んじゃ、俺がネタ投下
LAND NOMADで分明にフンを引いた時は泣くね。伐採所建てたらもう木がゼロさ
城主入りするまでは味方に頼るしかないさ。でも、その味方がヘタレだと、
帝王入りする前にあぼ〜んよ。だが、問題無く城主入りしたら、コレほぼ強い文明は無いな。
騎士生産しつつ、内政強化。たまに敵のところに荒しに行ったりして。
帝王ボタン押したら、騎士、弓騎兵、ラム、矛槍、散兵のアップグレードの準備と生産を開始する。
もちろん、味方と連絡しあって市場の位置を決めて交易の準備も忘れるな。金の供給絶たれたら悲惨だからな。
基本は近衛騎士、弓騎兵、矛槍兵、ラム、投石でオッケー。
相手の守りが高めだったら、ラム多め、タルカンの生産もした方がよさげ
ま、家の建築をしなくていい事だけでも、かなり余裕があるってこった
んじゃ、俺がネタ投下
LAND NOMADで分明にフンを引いた時は泣くね。伐採所建てたらもう木がゼロさ
城主入りするまでは味方に頼るしかないさ。でも、その味方がヘタレだと、
帝王入りする前にあぼ〜んよ。だが、問題無く城主入りしたら、コレほぼ強い文明は無いな。
騎士生産しつつ、内政強化。たまに敵のところに荒しに行ったりして。
帝王ボタン押したら、騎士、弓騎兵、ラム、矛槍、散兵のアップグレードの準備と生産を開始する。
もちろん、味方と連絡しあって市場の位置を決めて交易の準備も忘れるな。金の供給絶たれたら悲惨だからな。
基本は近衛騎士、弓騎兵、矛槍兵、ラム、投石でオッケー。
相手の守りが高めだったら、ラム多め、タルカンの生産もした方がよさげ
ま、家の建築をしなくていい事だけでも、かなり余裕があるってこった
374 :
世界@名無史さん:2007/01/04(木) 19:39:49 0
ところで匈奴とフン族の共通点はどんなところ?
匈(フン)
376 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 07:44:33 0
ソグド人は匈奴をフンと読んでいたらしいが・・・・・・・・・・・
377 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 11:14:38 0
378 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 12:27:42 0
>>377 フン族の末裔か残存一部族というところじゃない?
白フンことエフタルの一派か?
インドに行きそびれた組とかw
380 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 21:16:00 0
いやいや、フン族東ゴート襲撃後の395年頃にコーカサスを通り抜け、シリア
あたりを襲撃している。そん時の残存部族じゃないだろうか。
381 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 20:12:50 0
382 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 18:09:06 0
アッティラがローマの目前で、ローマの劫掠を止めたのはなぜでしょうか?
教えてください。
383 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 18:44:20 0
教皇レオ3世の説得に心を動かされて、それ以上被害を広げるのを避けて撤退していった!
>>383 レオ一世じゃないですか?
三世はべつのことをしたと思います
385 :
世界@名無史さん:2007/01/23(火) 18:48:15 O
歴史は真実を語らない
より正確に言うと、
真実の全てを、歴史は語る訳でない
>>382 「世界の中心で愛を叫んだ獣」を読めばわかります。
不吉な占筮と高地占領に失敗とを鑑み
カタラウヌム会戦前にアッチラが陣頭で行ったとされる演説
「汝等は今汝等の事業の如何に重大なるかを知れるか。汝等は既に多くの民を征服して
今やまさに全世界の征服者たらんとす。その興敗の定まるは只此の一戦にあり。
神は汝等をして赤手を以ってシシヤの広野を開かしめ、多くの剽悍なる民族をして汝等の前に
跪かしめ、到る所戦勝の悦びに飽かしめたり。戦争を外にして満悦すべき事業は焉くにかある。
仇敵を倒すことを外にして弱者の心を飽かしむべき快事は何処にかある。
見よ眼前の敵只烏合の衆に過ぎぬ。彼等の同盟は相互の恐怖より生じたる一時の苟合にして、争うて
かの高地に拠らんとするが如きは身を隠さんとする恐怖心の表れに過ぎぬ。
ローマ人の脆弱なるは汝等既に善く之を知れり。彼等は如何に隊伍を整え、盾を列ねて
軍容を張るとも、馬蹄一蹴せば忽ち潰走せん。只少し強きは一人西ゴート人あるのみ。
故に先づ彼等を挫かば、余は力を用いずして解体せん。我等フン人の奮起すべきは今なるぞ。
傷つける者は更に進んで一人の敵を倒さんことを思い、傷つかざる者は猛進して殺戮に饜んことを思え。
生死は命なり。天の助けある勇士は矢石の中にあるも尚お其の身を全うするものぞ。
天命なきものは何処に隠るるとも其の死を免るること能はず。
天は我等に今日の勝利を約束しつつあり。予は今此の敵に対し第一の投槍を投ずるであろう。
若し汝等の中、予に倣はざる者あらば、そは魂なき卑怯者なり。」
伊藤政之助 世界戦争史3 102、3Pより
388 :
世界@名無史さん:2007/02/12(月) 22:36:54 0
アッテラが、レオとの会談の後、ローマの女と結婚し初夜に鼻血たらして死んだって、
本当ですか?
389 :
世界@名無史さん:2007/02/12(月) 23:58:02 0
アッティラがフン族ならレオはニョー族?
カタラウヌムの戦いの前に、アッティラは占いをさせたが、
それによると戦いは負けだが、敵の王がこの戦いで死ぬと出たため、
アッティラは敢えて敵の王<アッティラはアエティウスと思った)
が死ぬという戦果を挙げられるなら敗北という対価を支払っても良いと
出陣を決意したという。
391 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 20:45:40 0
で、結局負けたんでしょ?
>>388 皇女ホノリアとゴート族のヒルディコを混同してないか?
AD452 マントヴァの会見
↓
AD453 ヒルディコと同衾してあぼーん
393 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 14:01:53 0
394 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 15:35:57 0
>>393 なにこれ、アフリカ人w
こんなのアッティラじゃないよー。
395 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 19:35:40 O
と、とかげ男だっ〜
396 :
世界@名無史さん:2007/03/05(月) 16:00:45 0
フンはローマ人みたいに胸像とか作らせなかったのかな
397 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 23:36:38 0
匈奴→フン?
柔然→アヴァール?
398 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 16:59:07 0
フンてモンゴロイド?
399 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 17:59:24 0
うん
400 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 18:24:06 0
本当?モンゴロイドの遺骨でも発掘されてんの?
401 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 20:06:16 0
アッティラの後フン族どうなっちゃんだ?
402 :
世界@名無史さん:2007/03/16(金) 01:12:45 0
一応孫の代までは小暴れして消滅
アッティラの息子は東ローマでさらし首
フンは東洋系なの?
405 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 20:38:47 0
コーカソイドだよ。
フーン
407 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 16:11:21 0
確かトルコ系かモンゴル系が有力だよな。
匈奴の一派って説もある。
アッティラが倒れた後にアッティラの版図はフンガリアにアヴァールが勢力を持ち黒海北岸にはハザールが勢力を築いた
モンゴル系とされるアヴァールとトルコ系と見られるハザールは仲が悪かったらしい。
こやつの首をはねいっ!
という感じの狩り部ですよ。
410 :
世界@名無史さん:2007/05/19(土) 17:46:19 0
中欧のフン族の墓からはモンゴロイドの骨が出土するらしいよ。
411 :
世界@名無史さん:2007/05/19(土) 20:03:27 0
↑王族はコーカソイドというのを他スレで見かけたよ。
412 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 06:47:56 0
『アッチラとフン族』という本にはモンゴロイドの骨が出土すると書いてあるな。
現代でロシア人の墓をあばいたとして
コーカソイドの人の墓もあるだろうし、モンゴロイドの人の墓もある
そんだけ
鼻血が詰まって死亡
415 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 07:47:14 0
>>413 どういう事だYO?というか王族と平民で人種が違うってありえるの?
キルギスなんかは実際にそういう社会構成(王族はユーロポイド)だったらしいけど
フンは逆じゃないの。イラン系遊牧民やゲルマン人が下っ端だから。
417 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 10:01:31 O
そうか?
アッチラ治世時の有力な幕僚は東ゴート族のヴァラミールらアマラー王家の3兄
弟とゲピート族長のアルダリックだぞ
アッチラ死後、アッチラの遺児たちは彼等に挑むが、ヴァラミール達はそれを赤
子の手を捻るように容易に撃滅した
ようするにアジア人の侵入に見せかけたゲルマン民族大移動だったのか?
419 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 14:43:17 O
この時代はあまり民族とか意識してないよ
フン族に敗れた東ゴート族とアラン族の中にはフン族に従属するのを嫌いグルー
プを作って共に行動した集団がある
東ゴート族のアラテウスとアラン族のサフラクスは各々の民族グループを統合し
フン族に滅ぼされた東ゴート王国のエルマナリック大王の親族であった幼いヴィ
デリックを擁立して共に行動した
アラテウス・サフラクスグループは西ゴートのフリティゲルンに協力し、アドリ
アノープルの戦勝に貢献し、フリティゲルン死後は西ゴートと袂を別ち、ノリク
ムへ進出した
敗残から生まれたとは言え、言わば東ゴート・アラン連合集団だよ
420 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 16:13:44 0
フン族のベースは東アジアの騎馬民族系なのは間違いないのでは?
戦争のやり方なんてそのまんまだし。もちろん戦争後に従属した諸部族も
従えているだろうから別系統の連中もいたとは思う。
421 :
世界@名無史さん:2007/05/21(月) 20:15:31 0
それ月氏の遺物とかいう可能性はないの?
423 :
世界@名無史さん:2007/05/23(水) 11:42:48 0
↑これは遺物ではなく匈奴を描いたものらしいよ。
424 :
世界@名無史さん:2007/05/24(木) 19:30:59 0
フンと匈奴、キルギスとの関連性は?
425 :
世界@名無史さん:2007/05/25(金) 01:54:20 O
フンとキルギスだと時代離れすぎだろ
426 :
世界@名無史さん:2007/05/25(金) 12:44:55 0
>>423 何でそういい切れるん?
紀元前後の新疆だと人種的に多様だと思うが
427 :
世界@名無史さん:2007/05/25(金) 19:18:30 0
↑多様だろうけどコーカソイドが大多数だったんでしょ。
トルコやアゼルバイジャンといったテュルク系の国々じゃ
フン族もテュルク系民族と認定しているんだって
429 :
世界@名無史さん:2007/05/26(土) 13:19:07 0
教科書でも習うみたいだね。
伝聞ばっかだな。
431 :
世界@名無史さん:2007/05/28(月) 13:12:12 0
↑調べればすぐ出てくるお
フン族がめっちゃ怖がられてたのは容貌の面もあって
頭蓋骨を変形する風習があったらしいけど
具体的にはどういう感じなんですかね?
フン族固有の風習じゃなくてサルマタイ人から影響を受けたという話ですが
wikiで頭蓋変形(とうがいへんけい)という項目はあるんですが
イメージとして良く分からなくて
あと「彼らは、自分たちの子供の頬を縦横に傷つけ、ひげが生えないようにする。」
と当時の歴史家(アミアヌス=マルケリヌス)が書き残してるようですが
ここら辺もイメージがわかない
頬っていうけど口の周りが傷だらけってことですかね
こういう風習ってのはフン族の他にもあったんでしょうか
433 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 11:14:25 0
↑髭が生えないように口を焼いたらしい。
あとフンの中核部族がコーカソイドと聞いたのだが本当でしょうか?
兵隊はトルコ系やらゲルマン系やら色々いたらしいが。
434 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 13:29:37 O
フンッ ヽ(`Д´)ノ フンッ
そろそろウリの出番ニカ? \<`Д´>;
436 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 09:51:18 0
フン族はバイカル湖周辺が起源でしょ?
>>433 ゲルマン系?ありうるとすればスラブ系だろ?
438 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 19:10:32 0
支配下の東ゴートやゲビダエはゲルマン系だわな
当時の東欧にはスエビとかヴァンダルとかいろいろ残ってたしありえない話でもない
スラブ系も当然いただろうけどね
439 :
世界@名無史さん :2007/06/18(月) 21:19:14 0
440 :
世界@名無史さん:2007/06/23(土) 14:33:07 0
>>428 ようだね。アッチラの切手とか、冒頓単于の切手とかがトルコでは売られている
(いた?)ようだ(写真で見たことがある。)
う〜む
そんな昔からトルコ系はいたのか
442 :
世界@名無史さん:2007/06/23(土) 22:29:25 0
>>441 トルコ系といえば、丁零(匈奴と同時代のバイカル湖付近にいた遊牧民)が
起こりと言われている。だから古いことは古いが、匈奴やフンとの関係は
証明されていない。
なお、匈奴、フン(いずれもウラル系?)や鮮卑(モンゴル系?)も、彼らは
自分の先祖だと思い込んでいる。
443 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 02:26:37 0
トルコの歴史教科書は祖先認定の幅を広げすぎ・・・
欧州から引き揚げてインドへ向かった匈奴がエフタルと書いてあるというorz
444 :
世界@名無史さん:2007/08/16(木) 12:05:58 0
騎馬民族皆兄弟というわけか。
445 :
世界@名無史さん:2007/08/17(金) 11:39:28 0
まあそうだなね
446 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 21:50:45 0
フン族は何時滅びたの?
アッティラ大王の死から数年後くらいには空中分解を起こし、
少数の遊牧集団に分裂して歴史から姿を消してしまった。
448 :
世界@名無史さん:2007/10/03(水) 19:24:01 0
遊牧民ではよくありがちだね。
アヴァ―ルはフンの残党を吸収しフンの継承者を自称し一時は大勢力を築いたが、
フランクのカール大帝に敗れその勢力は崩壊した
450 :
世界@名無史さん:2007/10/20(土) 11:29:08 0
アヴァ―ルは柔然の末裔だったけ?
フン族は匈奴の末裔とも言われている。
抗争に敗れると西に移動がトレンドだったのか?
古エッダの「フン戦争の歌」に、ゴートとフンの間に起こった戦争が謳われてて、ゴート族が勝利をおさめた事になってる。
研究者の間では、登場する人物名や地名等から、民族移動期に起こった事実を元に創作されているとする説が有力だそうだけど、これってどうなんだろう?
452 :
世界@名無史さん:2007/10/21(日) 16:05:15 0
歴史の捏造はよくあることということか。
453 :
世界@名無史さん:2007/10/21(日) 16:10:41 0
フン族がルーア(在433〜434)が即位するまでは
まとまった勢力じゃなかった
フン族の一派がゴート族に大敗していても不思議は無い
>>453 なるほど、そう考えるとありそうな話だね。
作中にアトリ(アッチラ)の名前なんかも出てくるけど、その辺は詩人が知ってる名前を適当に充てただけって話だろうし。
いや納得いったよ、ありがd
アッティラの子は東ゴートやゲピードに敗れるし、フンも常に無敵とはいかぬ。
456 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 10:04:23 0
偉大なる糞族を称えようwww
>>455 アッティラが死んだ時点で、フンは既に滅亡寸前です
どうもアッティラが無理な遠征をし過ぎたせいもあったらしい
純粋なフン族の戦士は相当数を減らしてしまっていたとか
458 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 16:18:01 0
匈奴の単于なんかはコーカソイド系だったらしいがフンもそうなんだろうか?
459 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 19:55:37 0
中欧のフン族の墳墓から背の低いモンゴロイドの骨が出土するそうです。
460 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:53:55 0
>>457 アッシュール・バニパルのアッシリア、始皇帝の秦、そして、アッティラのフン、
死後大反乱の末滅亡ですな。
>>458 匈奴=南匈奴 漠南のコーカソイド
フン=北匈奴 漠北のモンゴロイド
461 :
世界@名無史さん:2007/10/25(木) 20:35:22 0
>>459 王族系の墓からコーカソイドがそれ以外からはモンゴロイドが見つかると聞いたが本当なんだろうか?
>>460 なるほど匈奴でも北と南で違うのか。回りは違くても中核部族は北南同一じゃなかったの?
462 :
世界@名無史さん:2007/10/25(木) 21:42:14 0
>>453 東ゴートを襲撃した時のバラミールは単なる一部族の王だったのかな?
東西に分裂していたとはいえ、勇猛で知られたゴート人が逃げ出すくらいだったし。
フン族の一部族程度の襲撃でゴート人が逃げ出すのかな?
463 :
世界@名無史さん:2007/10/26(金) 00:15:15 0
>>462 おそらく、王位継承問題でバラミールの死後分裂したのでは?
アッティラの死後の混乱も王位継承問題が発端だったような
464 :
世界@名無史さん:2007/10/27(土) 01:12:21 0
>>461 始皇帝時代の東胡、匈奴、月氏の漠南騎馬民族のうち、従来は東胡と匈奴が、
ともにアルタイ系で近縁であるとされてきたが、最近の研究では匈奴と月氏が、
ともにコーカソイドで近縁であるとされつつあるようだ。
匈奴と月氏=マケドニアとテーベ
465 :
世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:51:38 0
>>464 て事は匈奴=フン族だとするとアッティラとかはイラン人みたいな顔だったんですかね?
家来にはモンゴロイド系の民族やゴート族など多種多様ですが。
あとスレチだが柔然はアルタイ系かな?顔や言語などから考察するに
466 :
世界@名無史さん:2007/10/27(土) 21:24:45 0
>>465 アッティラは、おそらく混血であろうから、モンゴロイドに近いか、
ゴート族みたいかは、本当のところ不明でありますな。
東胡、鮮卑、柔然、契丹 = サルマタイ、パルチア、アラン
極めて近縁同族先祖であるとされていますな。
契丹とかとイラン系民族が近縁なんてふざけた話
どこでも聞いたことないぞw
ところでアッティラの死因って何?
なんか先生によると、「自分の嫁みて鼻血出して死亡」とか。
まさか↑な訳ないでしょ。落馬?暗殺?
469 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 00:23:03 0
>>467 匈奴と月氏の関係 = マケドニアとテーベ の関係
東胡、鮮卑、柔然、契丹の関係 = サルマタイ、パルチア、アランの関係
映画『侵略者』(1954)のアッティラ・フン役には当初三船敏郎が想定されていたという。
ジェダイ・マスター役といい、つくづく美味しい役にそっぽを向く人だw
そんな所が魅力でもあるんだが。でも三船のアッティラ、観てみたかったなあ。
>>468 証言によると、発見されたとき死体は血まみれだったが、
体を改めても傷口はなかった、とのこと
どうも、脳溢血の場合にそういう状態になることがあるらしいね
イルディコによる暗殺って説はどうなん?
中世ヨーロッパじゃ広く信じられてて、シグルズ伝承じゃグズルーンにその役が振られてたけど。
>>472 「アッティラ死す」の報とその状況が東ローマに伝わったとき、
事情をよく知らないローマ人たちは
「なんだかよく知らんがその女が殺してくれたに違いない。
ヒルディコばんざい!」と賛嘆したそうだ。
その名残で、いまだにヨーロッパでは暗殺説を根強く信じてる人がいる。
474 :
472:2007/10/28(日) 18:39:33 O
>>473 なるほど、風聞に基づくデマな訳ね。
その話がヨーロッパ中に広まって、ニヴルング伝説と結び付いたんだな。
おかげで納得いったよ、ありがとう。
475 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 19:43:18 0
アランを襲撃した時の記録が中国の歴史書にあったよな。
フン族を匈奴と記載してるな。少なくとも中国ではフン=匈奴という
ことかな?
>>475 中国もそうかもしれないけど一番強く支持しているのはトルコ
っつうかトルコはウィキペディアでもそうなんだけど自国のサイトなんかで
ハッキリと匈奴からの分派をフンとエフタルと主張してるし
477 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 22:34:02 0
康居 + 西匈奴 = エフタル
実証的な根拠には乏しくて
ほとんど伝説レベルらしいけどね>フン=匈奴
479 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 20:02:36 0
>>466 単于はコーカソイドみたいだからアッティラはコーカソイドの形質が目立つ混血だったんだろな。
岡田真澄みたいな顔だったりして。
480 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 20:18:16 0
>>479 ローマ側の記録等によれば、アッティラはモンゴロイドの形質が目立つ混血だったようだが
481 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 06:10:52 0
バラミールはその後はどうなった?
フンランド
フンガリー
483 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 16:37:44 0
>>480 アッティラじゃなくて家来の容貌がそうじゃなかったっけ?
>>483 何で家来と君主で形質違うと考えるのやらw
万里の長城の建設によって押し出されたフン族が
ゲルマン人の大移動の原因になったっていう説もあるよね。
487 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 19:57:41 0
>>484 フン族は色んな人種を取り込んだ民族。
そしてフン=匈奴なら単于はコーカソイドらしいので王族はコーカソイド風味
家来はモンゴロイド、ゲルマン系コーカソイドなど多様かと。
488 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 22:13:39 0
>>485 始皇帝に追い払われる直前の匈奴は、オルドスに定住しつつあったのではないだろうか。
始皇帝による圧迫がなければ、匈奴と月氏が、後世の西夏のごとく、かの地で定住文明
化した可能性が、ないとは言えないだろう。
その結果、月氏と匈奴が、遊牧民として西方へ大移動する事は、なかったはずであろう。
高校時代に世界史の時間、西ローマ帝国を滅ぼしたフン族という民族がいて
その王様が「アッティラ」という名前なのですが、先生が「そのときのローマの
教皇が目が針のように切れ長で小さくて、とか神の災いなどとぼろ糞に言っているです」
と当時のローマ人が恐れおののいてくそミソに言っていたいう話をしていました。
しかしその世界史の時間が終わってから、一重の私のことを男子達が
「アッティラ」と言ってからかうんです。やめてというと「神の災い!」とか言って
白目が見えない!目玉が無いとか。。。
もう大嫌いです。アッティラ大王・・・
私は女です一応・・・・・
490 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 19:28:38 0
フン族はバイカル湖周辺出身だろ?
491 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 00:17:44 0
フン族 = 北匈奴 おそらく、南匈奴よりも、丁零に近縁
南匈奴 ← 頭曼単于の匈奴 おそらく、月氏、烏孫、康居らに近縁
ローマ帝国が、ラテン系とギリシャ系で、東西分裂したように、匈奴帝国も、
元来の人種民族の違いで、南北分裂したのかもしれない。
492 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 00:53:59 0
アッチラの画像って西洋人っぽくなかった?
>>492 キリストの画像が西洋人の顔になっているのと一緒。
494 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 02:10:47 0
日本で仏像が日本人の顔になってるのと一緒。
495 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 02:39:00 0
496 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 17:02:03 0
497 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 18:23:48 0
フン族は、匈奴に征服された、トルコ系が主体となったようである。
ボルガ・フン族 → カマ・ブルガリア、ドナウ・ブルガリア
エフタル → グジャラート、ハザール
498 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 18:56:08 0
>>496 モンゴロイド、モンゴロイドとコーカソイドの混血、どちらが多いかは不明
アッティラの帝国は、大部分がゲルマン人やサルマート人であったであろう。
499 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 19:37:10 0
南匈奴と北匈奴は思いきり同じ部族から分かれてるんだが・・・
500 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 21:31:17 0
>>499 王族どうしは同一であっても、元帝国とフラグ・ウルスのような事がありえたとは
言えないだろうか。
ローマの場合も、東のアルカディウスと西のホノリウスは実の兄弟であったらしい。
中国の史書が、南匈奴を西域的であるとし、一方ローマ側がフン族を異形であると
している事からの憶測なのだそうだが。
501 :
世界@名無史さん:2007/11/09(金) 18:24:01 0
↑ローマ側はアッティラの容姿の記述で中国側は単于の容姿の記述なの?
オマエラ本読んでる?塩野七生の『ローマ人の物語』読めよ。糞族やアッティラの容貌が克明に記されてる文献載っとるぞ!あいつらは俺らと同じ醜いモンゴリアンなんだよ!
アッティラ自身は質素で清潔な暮らしをしていたというところに好感を感じるけど
本当なのか?
遊牧民ってのはあんまり贅沢なものは好まんよな。財産をせっせと溜め込みたがるのはオヒャクショーだろ。でも清潔ではなかったと思う。絶対。
まー贅沢も人によるけど。突厥の可汗なんかは金銀錦に飾られたゴージャステント
に住んでたそうだし、スキタイも金細工で有名だ。
カザフのカースィム・ハーンはウチにゃ珍奇な物は何も無い、最も貴重なものは馬だ、
と言ったらしいが。
ローマ人と関わるようになってから、
フン族の人々は金銀とか宝石を衣装に飾ることを覚えたらしい
そんな中、アッティラだけは一人素朴な民族衣装を守っていたそうだ
507 :
世界@名無史さん:2007/11/10(土) 16:39:44 0
・・・・このようにして全員の乾杯が済むと接待係は下がり、アッティラの前に卓が運ばれる。
客用の卓は、3、4人ごとに一つ与えられた。アッティラの従者が肉料理の大皿を運んでくると、
それに続いて接待係がパンやそのほかの料理を各テーブルに配る。
銀製の盆には料理が豊富に盛られていたが、アッテイラは木皿に肉を何切れか取っただけだった。
これは、彼の自制心を表す一例だった。ほかにも例をあげると、客には金もしくは銀の杯が用意されていたが、
アッティラ自身の杯は木製だった。着ている服も質素なもので、しかも洗いざらしだった。
腰に下げた剣にも、東洋ふうな履物の留め金や馬具にも、金や宝石、スキタイ人が好んで用いるような
高価な飾りはいっさいついていなかった。
アッティラ大王の饗宴 450年/プリスクス
*東ローマ帝国の代表として、アッティラ大王のもとに使節として派遣されたときの様子
508 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 05:38:52 0
>>283 亀レスだがディズニーの「ムーラン」は息子がディズニー好きの江沢民が訪米の時に
できた企画で、中国の花木蘭Hua1Mu4lan2の話をアニメ化したものだと言われている。
(これは都市伝説かもしれない)
花木蘭の敵は主として突厥なのだが、ディズニー版は子供にわかりやすくHunsとし、
日本語版でもフン族となった。
ムーランでフン族の王の「名前」とされているShanyuシャンユーは単于の北京語読みだが、
単于は匈奴の王号であり、突厥なら可汗KehanまたはせめてKhanとでもすべき所。
じっさい中国の古典演劇の花木蘭の世界でも多くは「北朝」の「可汗」と呼んでいるようだ。
(wikipediaの日本語版と中国語版、それに手元の中国語辞書がソース)
トルコ人の抗議が本当にあったかどうかはわからないし、検索してもその抗議が
トルコ人が個人で行ったものかトルコ政府が行ったものなのか、またその抗議の内容が
「祖先を野蛮に描いた」から「悪役に突厥の名があった」までまちまち。
しかしトルコ人の抗議を待つまでもなく、中国国内でも、「愛国教育」が考え無しに
漢民族中心主義を露骨に出すせいで、悪役にされる蒙古族や満洲族らが
学校で不愉快な思いにさせられる事は多々ある。ムーランだってそうだろう。
509 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 09:01:56 0
>>508 匈奴の単于(Shanyu)と、月氏のシャーヒ(Shahi)は、同一起源なのだろうか。
>508
中国の2chみたいなとこの歴史板では
蛮族を皆殺しにした五胡十六国時代の
冉閔(漢人)が大人気らしいな。
自分たちは、その当時の蛮族の子孫なのにね。
>>509 Shahiってイランのシャーみたいな響きもするけど、どうなんだろうね。
>>510 「やられっぱなしの時代に思いっきりやり返してくれた」っていう所が
近代史や対米関係と重なって見えてバカ憤青どもにはツボなんだろうなw
自分が漢族でさえあるという肩書きだけ信じ込んでみじんも疑わないし、
混血の可能性があってもあんまり気にしないんだろう。
大半はタバコ臭い薄暗いネットカフェで一日中ネトゲとかやってる
しょーもない連中のよう(まあ俺らと同類だという突っ込みは受け入れようw)だが、
ぜんぜん違う時代の歴史をすぐ自分らに当てはめて感情移入するセンスはさすが中国人w
文革の頃も反周恩来派が周恩来と孔子を重ねて孔子批判やったり、
言論弾圧を正当化するために毛沢東と重ねた秦の始皇帝の焚書坑儒を褒め上げたりした。
512 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 11:59:58 0
>>511 イランのシャーは、印欧語族起源なのか、エラムやアッシリアに由来する呼称なのだろうか。
513 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 12:35:37 0
515 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 08:44:15 0
>>504 贅沢な物を好まないのではなく、
贅沢できなかったというが正解でしょう。
フン族はモンゴル又は中央アジアの草原地帯から出発して東ゴート族を
襲撃するまで文明世界と接触があまりなかった模様。中国、ペルシア
といったところの文献にも襲撃されたという記録がない。文明世界
を襲撃したのは東ゴート襲撃後の395年頃にコーカサスから侵入して
シリア地方を襲撃した記録があるのみ。
516 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 18:11:45 0
517 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 23:06:46 O
まさに糞族だな。
518 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 18:28:55 0
結局アッティラの容貌は不明で正解?
家来は多民族だけど肝心のアッティラはどんな顔なんだ?
>>518 何が肝心なんだ?騎馬民族は人種的にはハイブリットなんだから、アッティラの容貌がどうあろうと
現代の人種論的な意味合いは全く持たない。
520 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 20:22:55 0
>>518 フン族の王族らは、ゴート族やゲピード族らと姻戚関係があったので、かなり
ゲルマン化していたのではないか。
アッティラの頃には、すでにフン族は言語的にもゲルマン化していたのではない
だろうか。
>>520 なんで支配下民族の、しかも文化的に進んでいる訳でもないゲルマンなんぞに同化せなならんのだ。
ブルガールなんかの例を考えるとあり得ない話ではないような
523 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 19:54:18 0
で、匈奴の「キョウド」ってのは当時の音として当たってないの?
524 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 20:02:57 0
フン族はどうもモンゴロイドが中核らしいぞ。
中央のフン族の墓からは背の低いモンゴロイドの人骨が出土するらしい。
525 :
世界@名無史さん:2007/11/15(木) 20:07:02 0
古代韓帝国はヨーロッパから征服した酋長国家倭族に至るまで支配する大帝国だったが、好太王の侵略によって
貴重な古代朝鮮語と文献が全て消滅したそうです。
今日、われわれは朝鮮の民は広くヨーロッパ、シベリア、倭人に至るまで王の中の王民族として君臨していたと確信した。
> 貴重な古代朝鮮語と文献が全て消滅したそうです。
いやあ「朝鮮の偉大な歴史」は高句麗やら日帝やらのせいで
必ずひとっつも残ってないんだねえw。中国の資料まで
全部消してしまう魔術師のような国だったんだねえ、日本も
高句麗もw。
527 :
世界@名無史さん:2007/11/16(金) 03:45:51 0
>>524 ハンガリーだっけ?>発掘調査。別スレでは王族と思われる墓からはコーカソイドの骨が出てきたそうだが
中核を担う部族がモンゴロイドであったのは間違いなさそう>ローマ側の記録などからも
528 :
世界@名無史さん:2007/11/17(土) 14:56:01 0
あげ
529 :
世界@名無史さん:2007/11/20(火) 10:04:07 0
あげ
530 :
陳邵嚴:2007/11/20(火) 13:11:00 O
韓国人は局部の大きなセックス大好き民族です。
531 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 16:27:31 0
あげ
533 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 20:38:57 0
ソグド人は匈奴をフンと呼んでいたそうだが・・・・・・・
『魏書』西域伝でフン族がアラン族を攻撃したことを、フンを匈奴と
記載していてなかった?
おそらくソグド人の情報による記述なんだろうな。
「奴」の字はナに近い音だったんだろうな。上古音だし。
535 :
世界@名無史さん:2007/11/21(水) 20:50:43 0
フーナ=エフタル
キオンって言う記載もなかったっけ?
つまり
奴国=フン族ってことですね!
アッチラってニーベルンゲンの歌ではとってもいい人なんだよね
おもっくそ虐げた相手のゲルマン民族の話なのに
彼のネガティブイメージってかなりキリスト教史観が入ってるんじゃないの?ネロみたいに
虐げたといっても、強力な尖兵であり、戦友でもあった
中にはアッティラに好意を持ってるゲルマン人もいたことだろう
しかし、フン族全体についていえば、
「沼地で暮らす奇怪な魔女が悪霊と交わって生んだ子の子孫がフン族」
というものごっつい悪意に満ちた伝説を残したのもゲルマン人
その沼地ってのがはるか遠く離れたバイカル湖の事を示唆してたら面白いな
この話だろうか
38 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/07/31(日) 22:25:32 0
Taltosはマジャール人のシャーマニズムのなごりとか言われてるけど
バルカンやイタリアにも共通した異能者の信仰があるそうで。
(ネタ元:カルロ・ギンズブルグ「闇の歴史」)
魔女といえば、ゴート族のフィリマール王が砂漠に追放した「アリオルムナス」
という魔女の一群が魔神と交わってフン、アヴァール、マジャールが生まれたと
いう伝説があるそうですが、掘り下げてみると面白いかも知れませんね。
まあハンガリー人がすでに書いてそうだけど・・・
542 :
世界@名無史さん:2007/11/29(木) 19:41:09 0
アラン族襲撃以前のフン族はどこにいたのか?
北匈奴=フンなのか、それともフン族はバイカル湖周辺から移動を開始
してシベリアの森林地帯を通過してきた集団なのか?
バイカル湖周辺も匈奴の支配を受けていた時もあったので広義の意味では
匈奴=フンなのかもしれない。
アッチラの墓を探そうぜ
544 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 14:01:25 0
チンギスの墓もどこだか不明だな。
ああいう遊牧民は墓を豪勢にする発想はないみたいだな。
やっぱフン族はモンゴルあたりにいた遊牧民が移動してのだろう。
家臣50人と馬50頭をいけにえとして王の墓に一緒に埋める、
なんてことをスキタイの王がやっていたそうだが
ロシアの考古学者が発掘して証明してる
547 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 17:41:42 0
フン族の墓からは何が出ているか?
それが問題だ。
548 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 18:33:50 0
やっぱり金だろうな
549 :
世界@名無史さん:2007/12/02(日) 18:32:13 0
フン族の墓はどんな墓なんだ?
550 :
世界@名無史さん:2007/12/02(日) 18:33:12 0
王族フンはコーカソイド系で他はモンゴロイド、コーカソイドごちゃ混ぜがフン族ってのは本当でしょうか?
551 :
世界@名無史さん:2007/12/03(月) 19:49:25 0
↑あげ
552 :
世界@名無史さん:2007/12/04(火) 21:28:56 0
age
554 :
世界@名無史さん:2007/12/05(水) 09:00:10 0
>>553 ソース。
自分は王族はコーカソイドと聞いたが。
どうせ例のアッチラの絵から判断したんだろ
アッティラと対面した東ローマの外交官はいて
回想録を残しているのに
外見についての情報は書いてくれなかったんだよなぁ
558 :
世界@名無史さん:2007/12/05(水) 18:46:47 0
>>555 匈奴スレのカキコから。
フンの母体が匈奴なら王族がコーカソイドでも不思議じゃないと思う。
単于はコーカソイドって言われてるし。
>>558 >単于はコーカソイドって言われてるし。
だから誰がそんな事言ってるんだよ。アホか君は。
>>558 君がそう思うならそう思ってればいいよ
間違ってると言う証拠はない
それより人質アエティウスとアッチラに交流があったのか知りたい。
家康と信長みたいな。
あったらしいよ?
アッティラはアエティウスの人物像を個人的によく知っていたようだから
で、カタラウヌム戦の時に「敵将は死ぬけど戦は負ける」という卦が出たのに
「アエティウスの奴を殺せるなら、負けても釣りが来る」と言って開戦した
564 :
世界@名無史さん:2007/12/06(木) 16:50:44 0
>どう見てもコーカソイドだろ。
民主党の岡田に見えた俺はどうしたらいいんだ・・・
566 :
世界@名無史さん:2007/12/06(木) 19:39:55 0
>>564 輪郭はモンゴロイド、鼻はコーカソイドからカドが取れた感じ、
眼の色は青いけどあんまりくぼんでいない。
…なんだか今のウイグル人みたいだw
ただウイグル人はモンゴロイド風とコーカソイド風とその中間ぽいのが
混在してて、家系によって違うかと思ったら正反対のが隔世遺伝してたり、
そんなイメージだ。
トルコ共和国にも少数ながらモンゴロイドっぽいトルコ人が名家の血筋にいるそうだから、
比率が東西で違うだけで、チュルク系ってみんなそんな感じなんじゃないかなという予感。
あと、顔料が年を経た変化や剥落で色が変わっちゃうのは良くある事のようだから、
眼の色は当てにならないね。
>>564 で、これのどこが「単于」や「王族」なの?
568 :
世界@名無史さん:2007/12/07(金) 04:17:44 0
>>567 匈奴の中核部族なんですが。。。。。
君頭悪い?中核部族がコーカソイドなら王族もコーカソイド又はかなりの混血だよ。
>>568 で、どこに「中核部族」って書いてあるの?
570 :
世界@名無史さん:2007/12/07(金) 05:50:47 0
>>570 最初「コーカソイド!」と言い切ってたのに混血とは、えらくお説が後退したものですなw
572 :
世界@名無史さん:2007/12/07(金) 06:17:19 0
>>571 コーカソイドの血の影響のが濃いからそう言ってたまでだが。
で君は納得できた?匈奴はモンゴロイドとか言わないでねコーカソイドないし混血だよ。
>>572 普通にモンゴロイドだろ。「コーカソイドの血も混じったモンドロイド」
言葉の使いかたって面白いねw
スキタイ文化はすでにシベリア起源なことはほぼ証明されている訳で。
匈奴にスキタイみたいなのがうろちょろしてても何の不思議もないな。
575 :
世界@名無史さん:2007/12/07(金) 06:33:33 0
>>573 君本当に馬鹿だな。呆れたよ。。。
とりあえず
>>564をよく見てね。匈奴はコーカソイド中核とした部族でモンゴロイドの血が入ったコーカソイド。
>>564をよく見てモンゴロイド主体で混血したとか言ってるならもう。。。。ダメポ。
誰が見てもコーカソイド主体なのに。窪んだ大きな目,高い鼻どう見てもコーカソイドです本当にあr
576 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 10:45:04 0
何をいう、フン族の墓からはモンゴロイドの人骨だよ。
577 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 13:44:31 0
↑ソース
578 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 13:54:01 0
紀元前においては、ウラル山脈ではなく、エニセイ河以西からはヨーロッパであったらしい。
さらにゴビ砂漠の南から華北一帯には、コーカソイドがかなり分布していたらしい。
>>578 紀元前における「ヨーロッパ」の定義とは?
580 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 14:13:01 0
>>580 インド・アーリアやイラン・アーリアはどうするんだよ
582 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 14:17:16 0
フン族トルコ人説
583 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 16:57:40 0
>>577 たぶん『アッチラとフン族』だと思う。
バイカル湖周辺から移動してきたという話しもその本だね。
アッチラとフン族って1972年発行だけどいいのかw
585 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 17:56:48 0
まあでも、フン族に関して新たに発見された話しもないからな。
586 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 19:00:11 0
>>583 古過ぎないか。。。。というか結局の所フン族の人種なんて分かんないだろうな。
匈奴は分かるけど。
587 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 19:15:47 0
>匈奴は分かるけど
mazide?色々混じってたんではないの?
588 :
世界@名無史さん:2007/12/09(日) 00:22:20 0
匈奴は日本朝鮮民族の祖先ではないか
アルタイ語系民族って
ジンギスカンの陵墓の調査プロジェクトはあるのに
アッチラ王墓の調査はないの?
590 :
世界@名無史さん:2007/12/11(火) 00:04:21 0
>>581 遊牧か農耕定住か生活形態ではなく、語族と言う事であるならば、タリム盆地から
ハンガリー盆地にいたる地は、古代にはイランであったとも言えますな。
591 :
世界@名無史さん:2007/12/11(火) 05:19:41 0
>>587 人種的には記述や残されてるものなどからコーカソイドないしそれの混血と言われてるよ>匈奴
592 :
世界@名無史さん:2007/12/11(火) 13:10:39 0
匈奴系 トカラ系
匈奴、月氏、烏孫、康居 トハロイ
イラン系
サカロウライ、マッサゲタイ、アラン、サウロマタイ、スキタイ、キンメリオス
593 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 06:12:55 0
フン族はモンゴル系? トルコ系?
594 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 19:24:55 0
フンは不明じゃないか?
595 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 22:00:55 0
糞族というくらいだからチョソン系では
596 :
世界@名無史さん:2007/12/15(土) 20:41:58 0
それは強引すぎwww
597 :
世界@名無史さん:2007/12/16(日) 18:24:39 0
匈奴系 アルタイ系言語?を話すのコーカソイド?の遊牧民
匈奴、月氏(アシオイ)、康居(パシアノイ?)、烏孫、堅昆(半農半牧民)
トカラ系 非イラン系印欧語族のコーカソイドの遊牧民
トハロイ
スキタイ系 イラン系のコーカソイドの遊牧民
サカロウライ、マッサゲタイ、ダアイ、アラン、サウロマタイ、スキタイ
チェルケス系 カフカス語族のコーカソイドの半農半牧民
マイオタイ?
598 :
世界@名無史さん:2007/12/16(日) 19:11:22 0
>>593 フン族=北匈奴ならば、冒頓単于に征服された丁零の一部らしいので、トルコ系でありましょう。
アッティラの死後フン帝国の分裂後、独立したとされるブルガール、ハザール等はトルコ系
でありました。
カタラウヌムはキリスト教文明の危機だったとか言ってるけど
もし勝ったとしてもすぐに同化してその後の歴史はたいして変わらなかったような気がすんだけど。
600 :
世界@名無史さん:2007/12/18(火) 14:04:46 0
アッチラとかバラミールは何語の名前なの?
601 :
世界@名無史さん:2007/12/18(火) 20:15:33 0
>>599 レオが追い払わずに婚礼が成立してたら西ローマがあと1000年続いてたぐらいの名君になったとな?
アッチラはゴート語で「父」の意味のアタに由来するとか
テュルク語のヴォルガ川の古名アティルに由来するとかって説があるみたいね
トルコ語にもアタで「父」の意味があるけど、これもゴート由来って事なんだろうか?
603 :
世界@名無史さん:2007/12/19(水) 15:20:41 0
ゴート語もゲルマン語の一つだからfatherに相当する単語はあった。
アタは幼児語として別にあったのが拡大したのかも知れない。
また父母の呼び方などは幼児語に由来する事が多いためか、
言語の系統や時代を超えて共通する形が往々にしてある。
漢語の「父」「母」も上古音に遡れば「パ」「マ」に近くなるが、
これは現代中国語と、漢字は違っても、同じような音。
漢語の親族名称は口語で畳語となりやすく、パパ・ママとなる。
どこでもそうだが、こいつが出てくると決まってバカスレになるな・・・
fatherの語頭のFをはずすと
アタっぽくなる
vater、ドイツ語だともろにそうなる
関連あるかもね
ゴート語で父の意味を持つのはfaderです
ゴート語のattaは父の意味もありますが、曾祖父(great-grandfather)の意味もあ
ります
ゴート語の親族表記には現存するゲルマン諸語と似ていない表記もわりと見受けられ
ます
母(mother)→aithei/いとこ(cousin)→gadiliggs/妻(wife)→quns
祖父、祖母に関してはゴート語では共通の単語でavoと表記されます
Attilaという名はゴート語の父または曾祖父を意味するattaと同じくゴート語の“ち
っちゃい”という意味のある愛称(diminutive)である-ilaの合成した名前と言わ
れています
例えば(*)Wulfilaという名はゴート語でちっちゃい狼の意味があります
(*)ウルフィラ:4世紀のゴート人聖職者、ルーン文字とギリシャ文字を合成したゴート文字を創
り聖書をゴート語訳し、ゴート人をアリウス派キリスト教に改宗させた
現在の学界ではこのAttilaゴート語起源説には異論があるようです
607 :
世界@名無史さん:2007/12/20(木) 22:47:50 O
現在学界ではAttilaの語源には3つの説が主張されています
@
>>606のゴート語起源説
Aゴート語以外の古ゲルマン語起源説
Attilaの兄弟Bledaは名声、幸運を意味する古ゲルマン語が起源といわれている
Bフン族とゲルマン族は接触以来固有名詞を相互に借用語として採用しており、それ
だけでなくフン族が生まれた子供にゲルマン族の名前を名付けたり、ゲルマン族が子供
にフン族の名前を名付けたことが多々あった
このことは6世紀のゴート人歴史家ヨルダネスの著作でも確認されています
現在の学界ではBが一番有力な説になっています
【参考文献】
『THE VISIGOTHS FROM THE MIGRATION PERIOD TO THE SEVENTH CENTURY』
Peter Heather
608 :
世界@名無史さん:2007/12/23(日) 06:50:40 0
フン族はアランを襲撃する前はどこにいたの?
609 :
世界@名無史さん:2007/12/23(日) 23:37:59 0
>>608 アラル海北東周辺ではないだろうか。アラン族は、東ゴート族とフン族に東西から圧迫されていたのだろう。
610 :
世界@名無史さん:2007/12/24(月) 11:04:37 0
確か中国の歴史書にはアランへのフン族の襲撃は匈奴がやったと書いてあるんだよな。
まんざら北匈奴=フンという話しも嘘ではないのかな?
>>610 困った事にその記事、アランとソグドがごっちゃになってるように見えるのじゃよねー。
学者さんもどう解釈したものやら悩んでいる。
612 :
世界@名無史さん:2007/12/24(月) 13:08:14 0
何がごっちゃになってるの?
613 :
世界@名無史さん:2007/12/24(月) 16:29:08 0
フン族の人種は不明ってのが何とも。。
614 :
世界@名無史さん:2007/12/25(火) 01:04:02 0
フン語訳聖書とか祈祷書とか、残ってないのか。
文字無いし
文字持ってる国や民族の伝聞に頼るしかない
617 :
世界@名無史さん:2007/12/27(木) 11:28:58 0
>>611 匈奴がソグド人を襲撃したと解釈できるの?
618 :
世界@名無史さん:2007/12/30(日) 20:06:20 0
ハンガリー人に蒙古班が出来るって本当?
619 :
世界@名無史さん:2008/01/01(火) 06:24:12 0
age
>>618 本当。それから、欧米人の名前は大概下の名前→姓の順だが、ハンガリーは日本人や中国人のように姓→下の名前。
匈奴→フン→アヴァール→マジャール→ハンガリー という流れ
久しぶりにプレイしてるんだが、やっぱ家建てる必要ないフンは楽でいいね。
622 :
世界@名無史さん:2008/01/09(水) 11:44:19 0
匈奴とフン族の同一論拠
@ 族名の類委
A 民族性の一致
B 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致
C 共にアルタイ語を使用したらしいこと
D フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと
E 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと
F 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること
「アッチラとフン族」4Pより
しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖
周辺から移動してきた民族との見解。
623 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 07:28:19 0
むしろあのゲームのフンの民族の象徴って元ネタ何なんだろう…
625 :
世界@名無史さん:2008/01/24(木) 11:32:06 0
あのゲームとは?
>625
この箇条書きもう何十回も見てるけど、いつまでたっても
アンビスのクセジュ文庫から進歩がないこの人に苦笑。
627 :
世界@名無史さん:2008/01/24(木) 19:59:07 0
日本語はアルタイ語族とは言い切れないし、ハンガリー人は金髪のフィン系民族の兄弟でしょ。
628 :
世界@名無史さん:2008/01/24(木) 20:18:32 0
フン族とかアッティラって、朝青龍のようなモンゴル顔だったの?
それとも、現在のトルコ共和国のトルコ人みたいなイケメンだったの?
629 :
世界@名無史さん:2008/01/25(金) 18:10:16 0
白人顔だろ、常識
630 :
世界@名無史さん:2008/01/25(金) 18:59:15 0
つまらんな。
モンゴル顔があんな遠くまで進出したと思うから面白いのに。
631 :
世界@名無史さん:2008/01/25(金) 19:29:54 0
モンゴル顔があんなところまで進出してたまるか
へえ、カルムイク人はあの辺に進出して400年たっても
べたべたのモンゴロイド顔だけどな。
633 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 10:58:29 0
634 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 11:06:56 0
>>632 だが、レーニンは白人とカルムイク人の混血だぞ。
635 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 17:06:35 0
レーニンは婆ちゃんがカルムイク人じゃなかったっけ。
636 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 19:19:11 0
カルムイク人が、どうやってロシア人とかの白人と通婚する機会があったのか疑問に感じる。
>>636 ロシアには結構東洋民族の血が入っているんだよ。入っていない地区が白人のロシアだから「白ロシア」ね。
ナポレオンを最終的に破ったミハイル・クトゥーゾフだって、先祖を辿ると直接チンギスハーンにたどり着くしな。
シベリア抑留された日本兵捕虜が、ソ連人女性に何人も求婚されたり、良い関係になったりしている。
確かに大戦直後で男がすくないというコトもあるが、向こうさんは民族の違いにはそれほど拘らないみたいだ。
そもそもロマノフ家にさえタタールの血は入っているからな
ロシア人はアジア人の血が入ることよりユダヤ人の血が入っていることを問題にする傾向がある。
レーニンはカルムイク人が祖父であることはあまり問題にされなかったが、祖母がユダヤ人だったことは
ソビエト時代はタブーだった。
>>640 母方の祖母がユダヤ教からロシア正教に改宗しているんだよな。
それは秘密にするのは当然。ロシアで偽造された世界最悪の偽書である「シオン賢者のプロトコル」の「予言」によると
ユダヤ人が世界征服の野望に燃え、影でなにやらやっているって話だから、ユダヤの血が入っていればまさに、この
予言が成就してしまうから、その非難を避けたかったんだろ。
「プロトコル」を偽造したのは、革命間近のロシア秘密警察。大衆の不満を皇帝からユダヤ人になすりつけようとした
わけだ。白軍将兵には一兵残らずこの「プロトコル」が配布されていたから、白軍が赤軍に対抗する精神的支柱の一
つにあたるから、秘密にするのも当然。
大体、ロシア革命時に無茶活躍したトロツキーがいきなり左遷されたのも、もろにユダヤ人な彼が後継者になると、
プロトコルの「予言」が成就してしまうため。
642 :
世界@名無史さん:2008/02/21(木) 19:10:10 0
フン族の話しをしようぜ。
643 :
世界@名無史さん:2008/02/22(金) 21:06:55 0
フン族がワゴンで作った城塞ってどんな感じなの?
英軍がズールー族との戦いに使ったワゴン・ラーガーと大差ないはず
フス派のターボル戦術も同系ね
ぺチェネグ族とかもビザンツ軍との戦いで使ってたような。
647 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 18:11:18 0
翻訳機にぶち込んだだけか
フーン
650 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 11:19:59 0
フン族は結局はモンゴル系?
651 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 12:45:36 0
フーン
>>650 匈奴(フンヌ)はトルコ系じゃないのか?
Romw total war BIマジオススメ
655 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 02:33:30 O
トルコ系とモンゴル系に民族が分岐するのはいつごろのことなの?
アッチラには係わり合いのねぇことでござんす
657 :
世界@名無史さん:2008/04/16(水) 20:22:56 0
アッチラ大王ってのは何単于なのよ?
阿痴羅単于?
658 :
世界@名無史さん:2008/04/16(水) 20:29:52 0
ニーベルゲンの歌では エッツェル大王 だな
それでパリに来てエッツェル塔を建てたのか
660 :
世界@名無史さん:2008/05/05(月) 16:03:55 0
アバールの王の称号はハガーン(汗)だったらしいな。
フン族はアッチラが出現するまでは統一の王はいなかったでは?
せいぜい部族長程度でしょ。
アッチラの子供とか子孫はどれだけ非フン化が進んでたのかな。
どうせゴートの嫁でしょ。
アエティウスと戦ってた頃だと主戦力もゲルマン人だったらしいしやむをえないだろうな
663 :
世界@名無史さん:2008/05/13(火) 21:41:44 0
アッティラの子供って、息子3人と・・他は?
女の子とか・・いたんでしょうか??
664 :
世界@名無史さん:2008/05/14(水) 20:09:42 0
フン族の末裔のハンガリー人が13世紀には
同じ系統かもしれないモンゴル人に襲撃されるのは歴史の皮肉だよな。
>>638 じゃあ、モスクワやノヴゴロドのロシアは中世には「黒ロシア」だったから、昔のロシア人は
黒人だったのか?
リヴォフやキエフのウクライナは、赤ロシアだったり小ロシアだったりしたけれど、どんな人
が住んでたんだろう? 小人かい?
冗談はさておき。白ロシアは、白人のロシアではなくて、西ロシア。
北や南は韃靼人に支配されていたけれども、西は違う一貫してキリスト教徒の国だぞという
ふうな自画自賛によるものだ。こういう名前の付け方は、越南なんかそうだな。支那に取られた越に対して独立を保っていた南の越。
なんで西が白なのかというと、韃靼人が東方から持ってきた道教の五行思想とか二十八宿
からなんだけれどね。
白人の定義が「ローマの文明の継承者のキリスト教徒が中世までに支配した地域の住民の子孫」だから、こじつけられないこともない。
666 :
世界@名無史さん:2008/07/24(木) 19:14:05 0
骨盤マニア?ミイラ掘り出してアッティラの娘の骨盤でオナヌーするき?
668 :
世界@名無史さん:2008/08/26(火) 16:09:05 0
アッティラに息子はいたけど、娘がいたって話きかないから、
気になっただけです。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 20:46:25 0
スカパーで「アッティラ・ザ・フン〜アッテイラ王と騎馬軍団」という
テレビドラマをやってた。
670 :
世界@名無史さん:2008/09/27(土) 19:20:23 0
内容は?
671 :
世界@名無史さん:2008/10/17(金) 22:03:01 0
age
672 :
世界@名無史さん:2008/10/17(金) 22:05:20 0
アッティラって朝青龍みたいなモンゴル顔の弁髪オヤジだったのかな?
673 :
ソコム:2008/10/20(月) 18:55:38 0
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
とりあえず馬に乗る文化がある民族が居たらそれは全てトルコ人だ
すなわちユーラシアのほとんど全てはトルコ民族の居住地だ
これを統合して真のトルコ民族国家「トゥラーン」を建設する事こそ全トルコ民族の繁栄への道だ
いやまてそいつはイラン人かもしれねえぜ
676 :
世界@名無史さん:2008/11/01(土) 12:26:27 0
677 :
世界@名無史さん:2008/11/02(日) 21:39:00 0
>>676 フン族は多民族だから、たまたまつきそっていたのがモンゴロイド系だった
という考えが可能。また、(私はそうだと思わないが)仮にフン族がモンゴロイド
だったとしても、周辺民族と同化していったと考えれば別に不自然ではない。
678 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 16:08:56 0
>>676 やっぱりバイカル湖周辺から移動してきたという話しは本当なんだな!
679 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 06:34:33 0
>>677 中欧のフン族の墓から出てくる人骨も主にモンゴロイドの骨らしいよ。
風習で頭蓋骨を変形させてるってやつか
681 :
世界@名無史さん:2008/11/04(火) 19:47:32 0
>>677 先祖がフン族ではないかと悩んでいるバイエルン人が多々います。
サイトでその思いをぶちまけています。ドイツ語で
蒙古班や蒙古の目ヒダがあるそうです。
昔 蒙古の目ヒダのあるルーマニア女性に知り合いました。その他は
まったくヨーロッパ人です。彼女は蒙古の目ヒダのある男と
結婚したいといっていました。
>>680 頭蓋骨の変形はゲルマン人にも一時期はやって、
ゲルマン人の変形頭蓋骨も確認されているそうです。
682 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 07:05:48 0
>>677 コアのモンゴル系(バイカル湖周辺から移動?)に他の系統の
種族が編入されてきたと解釈するほうが自然では?
アラン族とか東ゴートなんてそうでしょ?
683 :
世界@名無史さん:2008/11/20(木) 06:53:40 0
フン族の主張「お金くれないと、暴れちゃうぞ!」
ビザンツ皇帝「リナ=インバース乙」
685 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 07:51:25 0
フン族ってさ、
暴れ出す期間と大人しくしている期間があるよな。
アラン族襲撃と東ゴート襲撃の間には何十年か間があるし、
それ以前は何してたかわからんしさ。
687 :
世界@名無史さん:2008/11/25(火) 05:35:58 0
頭蓋骨の変形は何のためにするの?
688 :
世界@名無史さん:2008/12/05(金) 19:41:19 0
フン族がアラン族を襲撃したという記録は欧州にはあるの?
375年にフン族が一斉に西進してきたとギボンの「ローマ帝国衰亡記」に記されていたような。
690 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 06:13:03 0
>>676 その画像見た。
やっぱ東アジア系の顔つきだよな。
フン族のバイカル湖周辺が起源説もまんざら嘘とも
言えないな。スラブ系とかペルシャ系とは明らかに違う。
691 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 09:14:21 0
目の赤いところが見えないで襞が付いてるようなの
外人は殆ど見える
694 :
世界@名無史さん:2008/12/27(土) 20:39:14 0
鼻の付け根の部分が隆起しなくなったので、蒙古ひだが出来たと考えられています。
欧米人から見ると、随分気になるそうです。
例のルーマニア女性はそれでいじめられたそうです。
私の目からは彼女の目ひだは、まったく気になるほどではなく、
まったくの美人さんでした。残念です。
695 :
世界@名無史さん:2008/12/28(日) 19:32:44 0
フン族の子孫であることに誇りを持つべきだよ。
一般ヨーロッパ人はフン族に血が自分に流れているのではないかと不安に思う一方で
中欧東欧の貴族は逆にフン王家の血を引いていると称して自らの権威付けをしている例もある。
697 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 16:20:51 O
アッチラやバラミールは時代を越えた英雄ですな。
698 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 22:10:30 O
アッチラという名前はテュルク語なの?
バラミールはなんかもそうなの?
アッチラは「親父」
バラミール=バランベルは進軍する際の太鼓の音を擬したという。
700 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 22:45:07 0
アッチラ Attila は
ゴート語(東ゲルマン語)起源です。
Ata 父 la 小さい
「お父ちゃん」という意味です。
しかし彼が別の名前をもっていた可能性はあります。
701 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 07:40:31 O
テュルク語だという話しは誤り?
ウプタルとかブレダとかはどうなの?
702 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 17:37:21 0
ブレダ Bleda もゴート語起源で Bödel
「愚か者」という意味です
アッチラは最初ブレダ2と父親に名付けられました。
あとで自分でアッチラと名乗ったようです。
703 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 17:39:42 0
誤 Bödel
正 Blödel
704 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 17:56:50 0
>> テュルク語だという話しは誤り?
アッチラという名前はハンガリーとトルコで多いですが、
この風習は19世紀の民族意識の高揚と供に始まります。
両者ともフン族の子孫と自負したのです。
ちなみにトルコ人の説ではアッチラは「国の父」です。
705 :
世界@名無史さん:2008/12/30(火) 18:48:39 0
アッチラの父はMundschuk です。
テュルク語起源らしく、「真珠」という説があります。
706 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 19:10:21 0
ゲルマン由来の名前テュルク由来の名前が混在してるのか。
もっとも、東ゴートとの戦端を開く以前にも互いに接触があった可能性
あるから不思議ではないか。
「父」がアタなのはテュルク語だったと思ったけどゴート語にもあるの?
708 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 17:57:09 0
>>ゲルマン由来の名前テュルク由来の名前が混在してるのか。
Mundschukの兄弟の
Oktar 十月生まれ
Ruga しわ
はラテン語起源です。 母親がラテン人だったのでは?
709 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 20:17:39 0
>>704 イギリスの戦艦名にアガメムノンとかシーザーとかがあるのと同じか
イギリス軍艦の艦名基準はいい加減すぎる・・・・
711 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 21:54:06 O
バラミール時代もゲルマン由来の名前が多いのかな?
712 :
世界@名無史さん:2009/01/04(日) 18:21:44 0
『ローマ帝国衰亡史』にアッチラがアヴァールを打ち破り、カスピ海付近を
勢力下に入れたという記述があるって本当?
713 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 09:57:38 0
>>707 ゴート語の聖書に
Atta unsar 私達の父 とあります。
tが二つあるので アッタがより正確な読みでしょう。
Attila が Etzelと変化します。これは音韻変化の法則に合致します。
Atta がテュルク語起源である可能性はあります。
そのばあい「パパちゃん」としたほうがいいかも。
いずれにせよAttaが「父」という意味でゴート語で一般化していたことは事実でしょう。
714 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 12:14:21 0
>>頭蓋骨の変形は何のためにするの?
支配階級であることを示すためと考えられています。
希少性を自ら演出した。
あと、フン族の戦士は頭髪を刈り上げます。王族だけが髪を伸ばします。
この風習はフランク族が受け継ぎます。
715 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 12:31:25 0
>バラミール時代もゲルマン由来の名前が多いのかな?
東ゴートを征服するのが375で、それ以前ゴートとの接触の形跡はない。
バラミール Balamir はゴート語 Valamerに似すぎ。
Jordanesが捏造したと考えられる。
716 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 15:13:25 0
正確にフン族の王もわかっていたかは不明だよな。
フン族の王を仮称でバラミールとゴート族やローマの人達が言っただけ
かもしれない。
717 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 19:55:13 0
>> フン族がアラン族を襲撃したという記録は欧州にはあるの?
374にフン族がアラン族を征服したそうです。
しかしそれ以前アラン族の多くはローマ軍の騎兵として
フランスやイギリスに入植していました。
718 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 21:16:10 O
アランは東ゴートのことは知っていたんだろう。
フン族を手引したのはアランか?
アラン族は、東ゴート族とフン族に、東西から挟撃されていたのかも?
720 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 22:06:48 0
>>フン族を手引したのはアランか?
それはないでしょう。
フン族の特異性は、突然黒海北岸に現れることです。
だれもフン族の情報をもっていませんでした。
このことから、フン族は遠距離を短時間で移動したと考えられます。
その技術は鐙の導入です。
721 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 22:12:06 0
>>東ゴート族とフン族に、東西から挟撃されていたのかも?
文化的にはアラン族の方が洗練されていたらしく、
ゴート文化に影響を及ぼしています。
アラン族は貴重な騎兵戦力として、西ヨーロッパやビザンツで歓迎されました。
>>720 ハドリアヌス帝の頃に、ボルガ河流域にフン族が定着し始めたとされる。
723 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 00:30:45 0
2世紀、Ptolemaeusの地図にChunniがあるが、ヨーロッパになだれこんだ
フン族という確証はない。
ローマ人はイラン系の騎馬民族Chioniten、Hephthalitenもフン族と呼んだ。
724 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 00:45:59 0
フン族に特徴的な 頭蓋骨の変形や中国起源の円形鏡などの痕跡を
ボルガ河流域に残していない。
725 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 06:30:18 0
>>720 『アッチラとフン族』という書物でもそのことを指摘してたな。
カスピ海周辺とかにいたとしたら、何らかの痕跡や周辺諸国に記録があって
しかるべきと。
フン族がアラン族を襲撃するまでは、周辺諸国を荒らし回ったという記録が
ない。突然凶暴化したのだろうか?
カスピ海周辺にいたのなら、隣接していたアランや比較的近くにいた東ゴートも
何らかの情報を持っていてた可能性が高い。やはり、急速に西進してきたアジア
系騎馬民族なのだろうか?
726 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 07:37:28 0
キルギスに変形頭蓋骨があります。
イシク・クル湖とウランバートルの間の地域から、直接
黒海北岸に侵攻した可能性が高い。
中国の史書では蒙古高原を追われた北匈奴が徐々に西へ西へと移住していき
「阿蘭」という部族を征服したというところで北匈奴の記述が終わっているという。
ヨーロッパ側ではゴートを急襲したような印象を持たせているフン族の記述とは異なっている。
匈奴=フン族というのはかなり強引だと思う。
728 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 08:44:37 0
ヨーロッパ側でも
374 アラン襲撃
375 ゴート襲撃 が定説。
匈奴=フン族を否定している学者も多い。
しかし匈奴=フン族を否定する学者はフン族の
アジア的、テュルク的要素を最小にしたいだけ。
ドイツのMichael Schmauderが典型。
729 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 10:37:24 O
アジア的要素に何か不都合があるのですか?
フン族はアジア的要素全開に思います。
アジア的
分るようで、よく分らない概念だよなぁ
ま、歴史学では珍しいことではないが
731 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 11:31:44 0
Michael Schmauderの主張は
フン族の言語はテュルク語ではない。
フン族はカフカズ地方でアラン族とゴート族と融合することで成立した。
これはデタラメ、アラン族とゴート族がカフカズ地方に進出したことが証明できない。
フン族の言語は純粋テュルク語ではないかもしれないが、その特徴はあきらか。
この人は、フン人の頭蓋骨が復元され、アジア人の風貌が明らかになった時、
「これは単なる偶然」と言い切った。
ドイツでもEurasisches Magasin やSteppenkriegerのサイトで彼は非難されています。
732 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 13:17:25 O
偶然でアジア顔が出るわけないよな。
フン族の言語の資料なんて考証ができるほど残っちゃいないんだろ
>>727 フン族=北匈奴ならば、ゴビ砂漠の北側の丁零=トルコの原住地が領地とされます
ので、トルコ系である可能性が強いと思われます。
一般に西ローマがラテン系で東ローマがギリシャ系とされますが、これと同様に
南匈奴と北匈奴では民族や人種が異なる可能性があります。
735 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 14:30:08 0
>>フン族の言語の資料なんて考証ができるほど残っちゃいないんだろ
名前しか残っていませんが、そのほとんどがハンガリー語やトルコ語で解釈できます。
フン族=北匈奴ならば、フン族=丁零の一部
トルコ系のブルガールとハザールはフンの部族であったとされる。
エフタル=西匈奴+康居
匈奴、羯、月氏、烏孫、康居らはとりあえずはコーカソイドらしい
トハロイ=イラン系ではない印欧語族の遊牧民
イラン系遊牧民=スキタイ、サウロマタイ、アラン、マッサゲタイ、サカロウライ
キンメリア人=アルメニア人の祖先
737 :
世界@名無史さん:2009/01/06(火) 18:10:41 0
>>イラン系遊牧民=スキタイ、サウロマタイ、アラン、マッサゲタイ、サカロウライ
DNA分析によると、スキタイの男系(y染色体)はr1aで、
女系はコーカソイド、アジアといろいろ。
フン族のy染色体をしりたいですね!
738 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 19:19:01 0
>>731 アランと東ゴートが融合してフン族になるのはあり得ないでしょう。
融合しても、本家のアランや東ゴートが恐怖するほど強くなるとは思えない。
ローマをしばしば破った勇猛果敢なゴート族でさえ恐怖した程のものは、
前代未聞の戦法と凶暴さをもった連中だったからだ。東ゴートとアランが融合
したという連中は、フン族に征服された後、フン族の隷属して、カフカス地方から
シリアあたりフン族が侵攻したさいの先鋒隊の中の連中だろう。
『アッチラとフン族』で主張していた、元々はバイカル湖周辺から移動して
きた人間集団で、途中であった集団と融合合体しながらフン族となっていった
という説は正しいかもしれない。合流していった集団に北匈奴の末裔達が含ま
れていた可能性も否定できない。
739 :
世界@名無史さん:2009/01/08(木) 19:55:50 O
和歌山大学柏木春介逮捕!
▲風化させてはいけない▲
わいせつ行為をしようと女子高校生を車に連れ込もうとしたとして、奈良県警高田署は21日、わいせつ略取未遂などの疑いで、同県香芝市真美ケ丘、【和歌山大経済学部2年柏木春介容疑者(20)】を逮捕した。「ムラムラした」と供述しているという。女子高生にけがはなかった。
調べによると、柏木容疑者は19日午後3時半ごろ、香芝市の雑貨店で女子高生(17)の尻や胸を触るなどのわいせつ行為をした上、さらにわいせつ行為をしようと駐車場に止めた軽自動車に連れ込もうとした疑い。現在は携帯掲示板C.BOX【濃霧】で滞在している
http://wbs-news.net/.. ▲証拠記事
http://bbs3.ryne.jp/arasi/r.php/142689/58-63 ▲不細工柏木容疑者写メ
740 :
世界@名無史さん:2009/01/09(金) 06:29:16 0
>>731 中欧で出土したフン族の墓からも背が低いモンゴロイドの人骨が出土している
と聞いた。
741 :
世界@名無史さん:2009/01/09(金) 08:03:13 0
そんなことはありえないね。
742 :
世界@名無史さん:2009/01/09(金) 08:10:38 0
743 :
世界@名無史さん:2009/01/09(金) 16:35:20 0
>>742 Y遺伝子 Y haplogroupは父親から息子に受け継がれる遺伝子です。
これで男系の先祖が分かります。
これには タイプがあって、おおまかには、
コーカソイド R
トルコ Q
モンゴル C
漢 O
アイヌ D
日本人は C,D,O、Nが混在しているようです。
>>741 ビザンツ人がイタリア人ではないように、冒頓単于の匈奴=フン族ではないと思われます。
南匈奴は匈奴の直系の可能性が高いようでありますが、フン族らは冒頓単于に征服された
異民族の末裔の可能性が高いようであります。
匈奴帝国に隷属していた渾邪という部族でしょ。
渾の字の音はフン。
中央アジアまでは北匈奴についてきたけど
北匈奴はそこで止まって悦般国を建てた。
渾邪王はそこで北匈奴の属国でいるより
さらに西に新天地を求めた。
746 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 14:44:16 0
フン族は匈奴と似た軍事組織だったらしいぞ。
匈奴と丁零=東ゴートとスラブ=アヴァールとスラブ
748 :
世界@名無史さん:2009/01/10(土) 22:03:57 0
ゴート族の伝説じゃあフン族はバケモノから生まれたって
いってるけど朝青龍みたいのが集団で襲ってきたら
そりゃあ恐ろしいわな。
749 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 04:38:14 0
朝青龍はモンゴル y遺伝子はたぶんC
フン族は たぶんテュルク系でQ
モンゴルとテュルクは言語的には近いが、
遺伝子は50000年、離れている。
750 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 06:13:18 0
>>748 だから西ゴートは逃亡した。
ゴート族はしばしばローマ軍に手痛い敗北を与えている。
勇猛果敢なゴート族が怖がったからいだから、恐怖はハンパじゃなかった
のだろう。面構えもコーカソイドの連中とは明らかに異なったのだろう。
752 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 08:35:26 0
>>745 北匈奴の悦般国のその後の消息は?
北匈奴に従属していた部族が西進してフン族になったのなら、
あながち匈奴=フンの説は間違いではないということか。
悦般国=エフタルだっけ?エフタル=白フンでボルガ・フン=黒フンだとされ、
たしかにボルガ・フンの方が格下と見做されていたみたい。
754 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 19:38:52 0
ヒポクラテスは、大抵スキタイ人はインポ(性的不能)になると言っていますが、
同じ遊牧民の匈奴やフン族は問題なかったでしょうか?
755 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 14:58:00 0
スキタイなどの遊牧民は、鐙が無かったので、下半身の血行障害になり、
インポになったであろう。ヘロドトスが紹介しています。
英語では scythians disease, ドイツ語では Skythenkrankheitと呼ばれています。
鐙の徹底的な導入が、匈奴やフン族の強さだったと私は思います。
これは真面目な議論です。
アラン族って
人名のアランに影響してるの?
その時代の遊牧民は占領地の女を強姦しなかっただけのことではないのか?
地中海世界では、モーセからボスニア内紛まで強姦するのが当然だからね。
758 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 15:57:53 0
スキタイには、
エナレス、インポになった男が女装して暮らす。
クーヴァード、出産する女性の真似をする。
という風習があったそうです。
これは生理的問題では?
759 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 23:52:13 0
>>753 アッティラのフン族のことをいってるのなら
黒フンじゃなくて赤フンでしょ
760 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 20:25:47 0
赤いフンは ヒョーン Chionites、Chioniten
黒いフンが アッティラのフン族
762 :
世界@名無史さん:2009/01/15(木) 21:00:42 0
たぶん、
赤いフンの指導層はイラン系
黒フンはトュルク系。
ところでさ、
フン族が活発に活動した頃は、
モンゴル系とチュルク系と大きな差は人種的に大きな差はあったの?
例の頭蓋骨の女性の復元顔みると、現在のモンゴルあたりにいそうな
顔に思える。
764 :
世界@名無史さん:2009/01/16(金) 00:16:06 0
y遺伝子から見ると
チュルク系は Qで、Rのコーカソイドに近い。
モンゴル系はCなので、Qとはかけ離れている。
チンギスハーンはC3、モンゴル帝国以前Cは東アジアの小集団。
765 :
世界@名無史さん:2009/01/16(金) 13:54:16 0
MT遺伝子(母系)から見ると、
モンゴル系とチュルク系に大きな違いはないようです。
比率には多少違いはありますが、
A,B,C,D,Z、X(微量)等が混じって出るそうです。
ちなみに、南アジアではE,G,Qです。
面白いのはB,Fです。この遺伝子は日本や中国でも出ますが、
クロマニオン人と親戚関係にあるそうです。猛女の遺伝子?
766 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 06:21:25 0
ゴート族やローマン人にとってはチュルク系の連中なんて見たことなかった
んだろうな。戦争のやり方も全然違っただろうし。
アランやゴートにいくらかの期間隣接してたら、何らかの情報はもっていた
だろう。多少の接触くらいはあっただろうし。ゴート人の慌てぶりから推測
すると、フン族はかなり遠方から長駆してきたのだろうか?
>>766 フン族が黒海北岸に現れる前のイラン系とテュルク系のフロンティアってどの辺だったんでしょ?
768 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 14:52:24 0
>>イラン系とテュルク系のフロンティア
スキタイが長い間中央アジアのステップの覇者ですから、仮説として、
イラン系が王族で支配層、テュルク系が隷属していた。
そういう意味では、フロンティアはなかったのでは?
アランはイラン系ですが、黒海にいたので、中央アジアの技術革新を知らなかった。
769 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 18:19:42 0
ローマやゴートは歩兵中心でしょ。中央アジアの遊牧騎馬民族は騎射戦中心。
最初から噛み合わん戦いだ。どっちが勝つにしてもね。
騎馬民族のホースバック・アーチェリー戦術を歩兵だけで相手するのはきついだろうな。
歩兵が突進してくれば騎兵は逃げながら一定の距離を保ちつつ一方的に射撃するだけ。
だいたいは格闘戦の誘いには乗ってこない。しかも浴びせられるものは未知の複合弓から
射出されるトリカブト製の毒矢。たとい、たまたま何とか乱戦に持ち込めても逃げ足の
早い相手に決定的な打撃を与えることもできんだろうし。じわじわと消耗させられるのみ。
もしフン族がすでに鐙を携えていたとしたら、さらに厄介なことになる。当時の欧州に
鐙は無い。鐙があることで、当時は無理だったはずの騎兵の重装化ができるし、騎馬突撃も
可能になる。
>鐙があることで、当時は無理だったはずの騎兵の重装化ができるし、騎馬突撃も
>可能になる。
当時はサルマタイ人やペルシア人がすでに重装騎兵で突撃戦術をおこなってた
というかそれ以前からアレクサンドロス大王の騎兵とか普通にランス持って突撃してなかったっけ
アラン族も重装騎兵だったらしいね。
こいつはペルシアの影響かな?
フン族は騎射中心の軽装騎兵。
結構強力な軍事力を持っていたアランもフン族の攻撃には
ひとたまりもなかったみたい。
重装備は接近戦では威力を持つがフンやモンゴルのような機動戦になると不利になる。
重装備のサルマートが軽装備のスキタイを破ったというのは、
サルマートが重装備で軽装備のスキタイを破ったというより、定住化が進み弱体化したスキタイを
遊牧民の純朴性を保っていたサルマートが破ったという方が事実にちかいのでは。
774 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 23:25:06 0
鐙登場後と登場前とでは、重装騎兵と言ってもその発揮する機能は違ってくると思う。
両足ぶらぶらの状態でおもりを背負えば、バランスの維持だけでかなりの労力消耗
でしょう。特に旋回や加速時に影響が出ると思う。落馬もしやすそうだし。
また、(大分古いが)ギリシャ人クセノフォンの戦記「アナバシス」によれば、当時の
騎兵相手の場合、近接戦闘では歩兵の方が強いとされている。
歩兵の方が足場がしっかりしてるから、という理由で。当時の騎兵の強みは追っても捕まらない
機動性と、自在に射撃できること(歩兵は止まらないと射撃できない)
重装・軽装のどっちが有利かは状況にもよるよ。
それと戦闘指揮官の采配にもよるだろうし。アッチラ死後のフン族は
そんなに強くないしね。
776 :
世界@名無史さん:2009/01/19(月) 21:49:59 0
>>そんなに強くないしね。
決戦型の会戦では、軽騎兵は不利。
ガウガメラの戦いでは、ペルシャの左翼にいたスキタイ騎兵がギリシャの
軽装歩兵を突破できなかった。
ギリシャの重装ヘタイロイ騎兵はランスチャージで突破に成功するが、損害大。
ペルシャ遠征でヘタイロイ騎兵は急速に弱体化します。
接近戦と突撃を行ったペルシャ軍に属していたスキタイ騎兵と
中央アジアで騎射・離脱を繰り返してマケドニア軍を翻弄させた
スキタイ騎兵は明らかに戦い方が違う。
これらの騎兵を「スキタイ」と一括りで捉えるのは間違いかもしれない。
778 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 17:54:52 0
アッチラの息子Ellacは、Nedaoの戦いで30000人のフン人と供に戦死。
ハンノニア攻防戦で、決戦に引き込まれ大敗したのでしょう。
779 :
世界@名無史さん:2009/01/20(火) 19:12:40 0
>また、(大分古いが)ギリシャ人クセノフォンの戦記「アナバシス」によれば、当時の
>騎兵相手の場合、近接戦闘では歩兵の方が強いとされている。
「騎兵は鞍から落ちないのが精一杯だが、我々は地に足をつけている。負けるはずがない」
とかいうやつでしょ。
でも戦闘前にそういう演説をして兵士を鼓舞しなきゃならなかったこと自体が
騎兵が充分脅威として見られていた証左だとか以前読んだ古代の騎兵についての本で書いてあった。
>>769 むしろローマやゴート族が騎兵化していたので、騎馬遊牧民側が戦い易くなったのでは?
歩兵に偽装退却をしても、歩兵側は追撃しにくく、騎兵側も歩兵の密集陣を崩しにくく、
互いに決め手がなく、元来農耕民と遊牧民は均衡していたようである。
農耕民側が騎兵化した事により偽装退却などの戦術が有効となり、戦い易くなった騎馬
民族の天下となったようである。
>>773 スキタイの軽騎兵が、わざと退却するサルマートの軽騎兵を追撃すると、サルマートの
重騎兵らが待ち伏せしていたのでは?
当初ゴート族は歩兵が主体だったそうなので、サルマートは戦いにくく迎撃に失敗した
ようである。
>>779 アナバシスでは騎兵がランスチャージする場面がそもそも無かったと記憶している。
パルチアン・ショットだけでしか戦っていないのでは?
ということは、当時の騎兵としては、やっぱり重装歩兵相手に近接戦闘になるのは不利との
認識があったのでは?
で、ギリシャ側としては、ヒット&アウェイを繰り返す騎兵に対してはクレタ兵(古来弓兵として有名)
が役に立っていたという記述があったような。
782 :
世界@名無史さん:2009/01/21(水) 18:32:24 0
私は鞍と鐙付で乗馬したことがありますが、
もし鞍と鐙なしで、前傾姿勢でランスチャージしたら、
睾丸が潰れると絶対に思いました。
ヘタイロイ騎兵もそうとう睾丸を潰したと思いますよ。
さすがに男の神聖な部分を潰して突撃とはいかんだろうから
鞍や鐙が無いなりにシンボル様に圧力かからないように工夫はしてたんだろうとは思うが
784 :
世界@名無史さん:2009/01/21(水) 19:15:46 0
アルタイ山脈で見つかったスキタイ人の衣装が復元され、
それには燕尾服のような延長部分があった。
これを背中から腹に巻き上げて、寒さと睾丸の圧迫から身を守ったと思う。
たぶんふんどしの原型。
785 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 07:01:06 0
ハンバーグもフン族起源だったけ?
786 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 07:15:23 0
Philip Sidnell が Warhorseで、ヘタイロイ騎兵は鐙なしで
ランスチャージできたことを言っていますが、
ヘタイロイ騎兵の損失を見ると、相当危険な行為だったはず。
それはペルシャ人も知っていて、
自分の睾丸を潰しながら、突撃を敢行する狂信的自爆テロ集団に見えたのでは?
787 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 16:40:56 0
>>ハンバーグ
フン族の興隆と没落が急速だっため、食生活の実態は分かりません。
ひき肉の由来は、遊牧民が固い馬肉を鞍の下に敷いて柔らかくしたという仮説があります。
ドイツの場合、19世紀食肉生産が需要に追いつかず、家畜のどの部分でも
製品化して出荷しようとして、ひき肉が出来たそうです。
馬を飼い始めた、
騎馬を戦争に用い始めた
のはいつごろなんでしょう。
最古の文明、チグリス、ユーフラテスではまだだった?
牛はチグリスでも飼われていたようですが。
通説ではウクライナのデレイフカ遺跡で、
はみらしきものが発掘され紀元前4000年ぐらいに騎馬が既に行われていたということになっている。
デレイフカでは馬が飼われていたことは確かだが、大半は食用だったこともあり、
騎馬が大々的に行われていたという決め手としてはやや弱い。
>>787 確かフン族も生肉を食するという記述なかったけ?
フン族は生肉を鞍の間に挟んで、
馬の汗の塩分で味付けした、一種の生ハムを作ったんではなかった?
>>791 馬さん、かわいそう、
汗乾かないし、べちょべちょ気持ち悪いし。
793 :
しがない単于:2009/01/22(木) 22:40:04 0
ウズベキスタンの歌手
ANoRAよろしくね★
(月の光がいい曲よ〜♪)
もしかしたらフン族かも...
794 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 14:41:46 0
鞍の下に肉を敷く話は Marcellius が出典。
フン族を野蛮に描写しすぎている。
Priskosの報告だと、アッチラの宮廷では調理された肉が出された。
銅製のやかんが出土しているので、肉を煮ただろう。
干し肉や焼き肉も食べたであろう。
味付けは?
発酵させた醤油みたいなのはなかったのかな
>>786 しかし実際にアレクサンドロスの遠征を見れば分かるとおり
何度も大会戦を戦い抜ける程度の損耗率で実際に勝ち続けたんだから
鐙がない時代でも充分な突撃騎兵があったとみてよいのでは?
797 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 19:54:40 0
Priskosが文句を言っていないので、不味くはなかったはず。
ローマ式の魚醤Garumを使っていたかは確証はない。
798 :
世界@名無史さん:2009/01/23(金) 20:28:49 0
>>充分な突撃騎兵があったとみてよいのでは?
私もヘタイロイは実際威力十分のランスチャージをしたと思いますよ。
ダレイオスはすぐに逃亡します。
会戦では移動距離が短いので、どうにか睾丸がもった。
ソグディアナの戦いでは、移動距離が長く、睾丸を潰す騎兵続出。
スキタイは見てて、「敵ながらあっぱれ」思ったのか、インド遠征には、
騎兵を提供します。
鐙があるっていっても、遊牧民とかイスラム王朝の騎兵は短い鐙で膝を曲げて座り
腰を浮かせ気味にして矢を放ったり武器を振り回したりするらしいからいいけど
西欧の騎士みたいに長い鐙で脚をまっすぐにして深く腰掛けた体勢で
ランスチャージすると余計金玉ヤバイような気がするけどどうなんでしょ
800 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 07:11:10 0
ヘタイロイ騎兵の損耗が激しかったというのは、金玉潰れてというより、
純粋に落馬したのが多かったのではないの。
また、金玉が潰れた時点で痛みで踏ん張り効かないだろうし、結局落ちるでしょ。
後世の騎士みたいに余裕で突撃という訳にはいかないだろうね。
801 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 12:33:21 0
>>金玉潰れてというより、 純粋に落馬したのが多かったのではないの。
金玉潰れた場合、瞬時でショック死です。体が死の激痛に耐えれれず、生きることを止めるそうです。
>>損耗率
アレクはスサ入城の前に、大規模な騎兵の増援を受けていますから、
何度も大会戦を戦い抜いたとは考えられません。
ランスチャージをする本人は決死の覚悟でしょう。
鐙なしのランスチャージが容易な技術ならば、スキタイ騎兵やペルシャ騎兵が
とっくの昔に導入したはず。
802 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 13:08:25 0
>>西欧の騎士みたいに長い鐙で脚をまっすぐにして深く腰掛けた体勢で
西欧の騎士は少々体を後傾させ、お尻の後ろ部分で座り、背中を丸めて、
槍を平行に保ちます。やはり彼らも睾丸が潰れないように配慮したのでしょう。
>鐙なしのランスチャージが容易な技術ならば、スキタイ騎兵やペルシャ騎兵が
>とっくの昔に導入したはず。
サルマタイ人やササン朝ペルシアのカタフラクトがやってたのでは?
のちにローマも導入
804 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 14:20:04 0
>>803 私が言いたいことは、鐙なしのランスチャージが容易な技術ならば
ヘタイロイBC300年以前に、騎馬民族で実用化されていたはずだ。
その事実が確認できないので、ヘタイロイが狂信的勇気、もしくは秘伝で
ランスチャージを可能とした。
サルマタイ人はランスチャージの秘伝をヘタイロイから教わったかも。
ササン朝は時代が下がるので議論は止めましょう。
ローマの場合、高性能の鞍が開発され、突撃が可能になった。
鐙なしのランスチャージは、加速度をつけて敵前で槍を手放したのではないだろうか?
後世の西欧騎士らは、互いに板金胸甲を貫通する為に、槍を強固に構えていたとされる。
806 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 20:24:18 0
>>槍を手放したのではないだろうか?
ラスト・サムライ式ですね!
フン族は接近戦になると、
投げ縄を使ったという話しを聞いたが。
>>800 思ったんだけど、それがあるから
体格の小さなアジア系の方が、大きい欧系より有利かもね。
スキタイとか匈奴らの鞍は、柔らかいクッションみたいなものだったとされる。
漢人は鐙と固い木製の鞍を使用し、彼らの使い慣れた戟や矛を馬上でも使用
出来るようにしたとされる。
元来鐙のない騎兵らは、破壊力が必要な時には騎射ではなく、重い槍を敵陣に
投げつけていたとされる。
810 :
世界@名無史さん:2009/01/25(日) 08:40:03 0
Mundolsheim でその固い木製の鞍が出土しています。
フン族は漢人そのものという意見もあります。
811 :
世界@名無史さん:2009/01/25(日) 08:40:33 0
>>805 色んな戦記読むと、突撃を行った時点でどっちかが崩れることが多いようだから、チャンチャン
バラバラの白兵戦には意外とならないみたい。槍をどうこうは関係ないかもね。
古代のランスチャージから近世の銃剣突撃まで、突撃というのはほとんどファーストコンタクト
ですべてが決まるみたい。
ローマは鞍に手で掴まれる部分を設けて騎兵の安定性を増したと言われているけど、
それでもランスチャージするなら足場がないままの片手乗りを強いられるわけで、
後世に比べればはるかに困難だったでしょうね。ましてやそれ以前は足場はなし、
掴まる所もなかったんだから、それで突撃するなんてもの凄い技量だと思う。
→ヘタイロイ
812 :
世界@名無史さん:2009/01/26(月) 10:38:06 0
>>チャンチャン バラバラの白兵戦
私が言おうとしたのは、レッド・アーマーと真田(ウジョー)が見せる
馬上から槍を投げつける技のことです。
しかし実際のサムライは、馬から下りて、槍を振り回したそうな。
桶狭間では信長も下馬したもうよう。サムライも睾丸をいたわった?
南船北馬ならぬ西船東馬。
槍も使えば、刀も使う。
無論、弓矢も鉄砲も使う。
一番槍もあれば、一番刀もありました。
814 :
世界@名無史さん:2009/02/03(火) 08:17:45 0
フン族は弓矢・投げ縄の他は
槍とか剣は戦闘に使用したのかな?
815 :
世界@名無史さん:2009/03/04(水) 09:56:09 0
フン族は城攻めとかは出来なかったの?
>>815 城などない草原だから。
重要な街の防衛用につくるのが城。
817 :
世界@名無史さん:2009/03/28(土) 21:24:39 O
勇猛なゲルマンすら逃げ出した最強部族
>>馬から下りて、槍を振り回したそうな
それは状況による、騎射をやったり馬上槍をふるったり
することもあった
日本やらと同じく、まずは遠距離(石つぶて、弓矢)で戦闘に入ってから近接って感じじゃないかな
どこも
弓斉射→騎馬突撃→下馬白兵
って感じだろ
フンの場合は騎馬の時点で敵が散る場合が多かったから、騎馬のみの戦闘部族の印象がついたのでは?
さっきヒストリーチャンネルで
フン族は匈奴の末裔でバイカル湖周辺から移動を始めたって言ってたよ。
欧米の本などでその辺を何の留保もなく断言しちゃうのが多いね。
って既出だっけ。
823 :
世界@名無史さん:2009/05/11(月) 03:20:27 0
中国の文献に出てくる「康居」の北にある「厳国」がフン族だという説があるのですが、分かりませんかね
824 :
世界@名無史さん:2009/05/11(月) 21:28:25 0
匈奴自体がひとつの純化された民族ではなかっただろうから。
いろいろな騎馬民族の集合体でしょう。
その一部がフンというのはかなりあり得る話。
だから冒頓単于の直接の子孫と言うわけではないと思う。
柔然⇒アヴァールも同様。
825 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:11:40 0
アッチラこそ偉大なアジア人のひとり。
826 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 12:26:32 O
欧米の大学の歴史の教科書を読むと、酷い書かれかたをしてる、曰く子供の頃から馬上で生活しているので酷いがに股とか、体つきがおかしいとか、容姿が酷いetc…アジア人にボコられたのが悔しいのがよくわかる。
でも頭蓋骨を変形してたのはホントでしょ
828 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 21:45:43 0
子供の寝かせ方と関係があるのかな。
829 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 23:48:41 O
ハーバード大学で実際に使われているヨーロッパ史の教科書があるんだけど、フン族は、ノースイーストアジアンノマドだと明記しているね。この程度の認識なんだな。
830 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 22:43:01 0
鞍
鐙
手綱
蹄鉄
発明された時期順に並べてみてください。
832 :
世界@名無史さん:2009/05/25(月) 22:20:41 0
まあ、モンゴロイドと無縁ではなかっただろうね。
http://www.afpbb.com/article/823801 【ベルリン/ドイツ 25日 AFP】雪を頂いたモンゴルのアルタイ山脈(Altay Mounntains)で、
2500年前のものと思われるスキタイ人兵士の冷凍ミイラを発見された。
世界各国から集まった28人の考古学者からなるグループの功績で、
ブロンドヘア、入れ墨、フェルト帽を確認できる非常に状態のよいミイラだという。
834 :
世界@名無史さん:2009/05/30(土) 18:47:12 O
歴史的に見て、東洋人の方が西洋人より強いな
手綱
鞍
鐙
蹄鉄
837 :
世界@名無史さん:2009/05/30(土) 21:56:20 O
>>834 棍棒振り回して頭かちわって財産略奪して女レイプして
男は奴隷として売り飛ばしていた時代は確かにそうだったけど、
知能勝負の時代になると白人に駆逐されたけどな。
838 :
世界@名無史さん:2009/05/31(日) 00:09:18 O
>>837 あと500年後位にまた逆転して東洋人が西洋人を支配するんジャマイカ
中世までヨーロッパの学問水準はどうみてもイスラムや中国より劣っているが
840 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 16:30:50 0
スキタイ人って黒髪黒目ばかりじゃないのか??
841 :
世界@名無史さん:2009/06/07(日) 18:40:02 0
>このミイラの最も驚くべき点は、明るいブロンドヘアだったことだが、パージンガー会長は死後黄色く変色したものだろうと見ている。
というのが真相。
842 :
世界@名無史さん:2009/06/08(月) 12:28:13 0
スキタイ人って、朝青龍顔のモンゴロイド弁髪オヤジじゃないの?
843 :
世界@名無史さん:2009/06/10(水) 07:20:33 0
朝青龍みたいのが集団で襲ってきたら
そりゃあ恐ろしいわな。
ちっこい体で朝青竜を乗せて疾走した蒙古馬は凄いな
昨日、朝青龍が故郷について、
「何もジャマするもの遮るものが無い・・・・」
て行ったのが印象に残ってる。
地元が日本でも結構大きい平野だけど田舎だから、気持ち分かるわ。
山の中とか入ったら、もう息が詰まってストレスが溜まる。
視野の近くに目立つ山が有るだけでなんか鬱陶しいもんなあ。
>>845 ごめw俺
田舎から関東に出てきたとき
周りに山が見えなくてすごく心細かったw
848 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:12:26 0
今日の映画でフン族出てたな
あんな露骨なモンゴロイド顔なのか疑問だが
折れは、映画でソフィアローレンが出てたやつや、ジェラルド・バトラーが演じた研ぎ澄まされたアッチラ像より、
モンティパイソンのアッチラがイメージに合うな。
三つ編みの長いおさげして、インディアンようで、髭生やして。
850 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 10:08:11 0
851 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 15:39:43 0
フン族の強さは脅威的。
だからいまだに欧州の歴史に刻まれている。
フン!べ、別にあんた達に称えられる為に戦ったんじゃないんだからね!
853 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 06:18:18 0
>>850 アヴァールは6世紀に欧州に登場したのとは別民族だろ?
パンノニアに出現したのは、自称アヴァールと聞いたことがある。
フン族が戦ったのは真アヴァールなのかな?
854 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 10:38:43 0
頑強な戦士フン族>>>>>>[決して越えられない壁]>>>>>>>ひ弱なもやしっ子オタク族
855 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 12:43:26 0
フンは匈奴の系列、アヴァールは柔然の系列と言われている。
アヴァールはモンゴロイドのようだが、フンは不明。
856 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 11:04:22 0
フン族もバイカル湖周辺から移動してきた民族だろ?
やっぱトルコとかモンゴル系では?
よし
江上波夫のようにアッチラの墓をレーダー探索だ
858 :
世界@名無史さん:2009/08/16(日) 13:44:30 0
>フン族もバイカル湖周辺から移動してきた民族だろ?
たぶんそうだろうとみられてはいるが確証はない。
ただし、学会でもフン=匈奴説が有力ではあるがね。
859 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 17:33:01 0
バイカル湖周辺からどれくらいの年月かけて東ゴートと接触したんだろ?
それまではアラン以外には、どことの連中とも交戦しなかったのかなあ?
860 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 19:56:07 0
今のカザフスタン北部から375年までは200年ぐらいじゃないの。
861 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 20:39:54 0
結構ゆっくりしたペースだね。
862 :
世界@名無史さん:2009/08/18(火) 21:37:06 0
だから匈奴=フン族とは限らない
そもそも遊牧民族なんて殆ど起源が分からず突然ポッと出てポッと消えるから
だねぇ。モンゴルからもわかるように、いったん拡大を始めると
その拡散速度がものすごく速いこともあって、200年も間が空いていると、
どこが起源かなんてまったくわからん。
864 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 01:41:05 0
全盛期の匈奴に服属していてた可能性はある程度かな。
バイカル湖周辺が起源なら、匈奴の勢力圏だったと思う。
865 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 02:16:13 0
むしろ北欧からシベリア、バイカル〜北米と寒冷地に適応したモンゴロイドの
居住区で、農耕を発明したコーカソイドに生存競争に負けてモンゴル平原まで
押し出されたんじゃないの?=フンとか
ところで北欧にはサーメという原住民のモンゴロイドがいる。
866 :
世界@名無史さん:2009/08/19(水) 03:23:58 0
フン族に限らず突厥やセルジュークやペチェネグだって何処から来たのかとか
何処で誕生したのか全く分からんがこれは殆どの遊牧民族に共通する
しかしモンゴル帝国以降の遊牧民族は割と起源を掴むことができるがモンゴル帝国以前は見当がつかない
モンゴル以降はチンギス裔が重要視されたのと、自身で文字記録を残すようになったのとが
あいまって、急にはっきりするようになったからなぁ。
>むしろ北欧からシベリア、バイカル〜北米と寒冷地に適応したモンゴロイドの
>居住区で、農耕を発明したコーカソイドに生存競争に負けてモンゴル平原まで
>押し出されたんじゃないの?=フンとか
>ところで北欧にはサーメという原住民のモンゴロイドがいる。
スキタイはマッサゲタイに敗れて東方から黒海北岸に移ってきたというし、
そのスキタイに追われて逃亡したのがキンメリア。
トルコも元々はモンゴル平原にいたがモンゴルに追われて西へ逃げた。
文献から確認できる限りでは遊牧民の力関係は東→西が顕著。
869 :
世界@名無史さん:2009/08/22(土) 12:45:37 0
中国という大農耕地帯が近く有る方が、遊牧民にとっても都合がよい。
略奪して、不足している物資を補給するには、中国近隣で遊牧していた方
が有利。だから勢力が衰えると西に追われる。農耕地帯が近くないステップ
地域に追いやられると、農耕地帯に近い放牧地を求めて西に移動するパターン
でしょう。強い部族は中国に近い土地に居座る。
フンやアヴァールも移動していくうちに欧州までたどり着いたと思われる。
遊牧だけで生活必需品を賄うのは難しい。
870 :
世界@名無史さん:2009/08/22(土) 18:27:35 0
西にも一応ペルシアがあるが
871 :
870:2009/08/22(土) 18:30:26 0
ってごめん、よく読んでなかった
エフタルやティムールはステップのオアシス都市に対し安全保障との引き換えに
貢納させることで大勢力を成したが。
スキタイをステップから追い払ったマッサゲタイもペルシャに対する略奪はスキタイほどはやっていない。
オアシス都市の支配を安定させればステップを根拠地としてもある程度の勢力は築ける。
ソグド人の活躍はこれら遊牧勢力による力の秩序の下で行われたと思う。
873 :
世界@名無史さん:2009/08/23(日) 01:00:07 0
スキタイは西アジア系遊牧騎馬民族、イラン系、
我々のような東アジア系のモンゴロイドとは顔が違うだろう。
874 :
世界@名無史さん:2009/08/23(日) 02:14:54 0
インドもわりと歴史見ると遊牧民族に結構侵略されてるんだよな
ただ最南部までは支配できなかった
875 :
世界@名無史さん:2009/08/23(日) 18:08:11 0
元々のインド・ヨーロッパ語族自体が多分遊牧民だからなぁ。
アーリア人は完璧そうでしょ。最南部まで支配が貫徹したんじゃない。スリランカが
インド・ヨーロッパ語族系統だし。
後には、どこでも農耕民族と化しちゃったけど。
>>868>>869 牧畜民が遊牧に特化する以前から、どうも東→西の一方通行だからなあ。
単に、北アジアの草原地帯は、「東に行くほど冬の寒さが厳しい」ため、
草原としての優秀さとは別問題として、
人間の生理現象で、より気候の穏やかな西へ行きたがるんじゃなかろうかね。
モンゴルはロシアやペルシャ、中国に遠征したが、本拠地のモンゴルは捨てなかったし、
征服したロシアやペルシャ、中国が自立すると、モンゴル平原に戻っている。
>>877 戻っているわけじゃない。もともと征服民として少数だったこともあり、
あっという間に現地人と同化してしまっただけ。
あ、中国の場合は確かに北元としてモンゴル人支配層が北に戻っているか。
ロシア連邦カルムイク共和国のカルムイクの意味は「残ったもの」の意味を持ち、
この地域がロシア帝国の征服される際に逃げ遅れたモンゴル系遊牧民の子孫だという。
>>879 オイラトをカルムイクと呼ぶ例は14世紀の史料にもすでに見えるそうだ
881 :
世界@名無史さん:2009/09/06(日) 10:39:28 0
882 :
世界@名無史さん:2009/09/06(日) 11:39:27 0
>>18>>40 AD451西ローマ軍とのカタラウヌム会戦の地は、現在地名でいうとパリ南方オルレアンの
近郊でしたっけ?
大泊瀬幼武が日本列島を山川跋渉していた同時代に、アジア人がパリ近くまで西征したんですね。
犬のフンは持ち帰ってください
規制されそうで恐いんだけど、自分の身に起きたことで霊的なことがありまして、
その中で
「アッテラーアッテラー」と風の音草の音草の匂い人のザワメキと共に聞こえた。
すきとおった若い女性の声。
2度起き、2度目は後方から前方に声が駆け抜けていきました。
藁ぶき屋根の小屋に人がおりその前にいた女性は黒髪黒い眼竹ぼうきを持ち黒い地面マデアルワンピースのような
ものをきていました。
馬が、草がはえている崖から海に落ち、自分はそれを馬上でみており、引きずりおろされ足を上にひきづられました。
目で地面草uma 景色見え体で感じました。
他人とおり、目をあけ喋っている最中、聞こえ見えました。
慶応卒の(知識豊富だと融点で、自慢じゃない)知人に話したところ
アッテラ王にかかわりがあったのかな?前世で。
と言われ今調べています。
ご感想を、よかったら聞かせて頂けませんか?
詳しい内容です
http://www.myspace.com/1004493314 返事はこちらでさせてもらいます
http://www.myspace.com/1004529847 スペースお借りしてすみません。皆さんのお話はとても参考になりました。ありがとうございます。
887 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 19:58:28 0
1です。
いやー、皆さん書き込みしてありがとうございます。
3年前に立てたスレッドが生き残っているとは驚きです。
古代末期にはるばる東(中央?)アジアから欧州まで到達した
フン族に強い関心を持ちました。これからも末永く熱い議論を交わしてください。
888 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 20:57:31 0
というか元々あそこら辺一体はモンゴロイドの支配地区だったんじゃねーの?
北欧にだってモンゴロイドがいるんだし、北の乾燥した平原は洋の東西両方
モンゴロイド居住区だった可能性がある。それが農耕文明に始まるメソポタミア
一帯の定住化文明により駆逐され、東の枝だけ生き残った・・そして土地を
奪還するためにアッティラなどは西に何度も攻撃を加えていたのではないだろうか。
チンギスハンも西は欧州の地理まで知っていたというし、元々相当たくさん往来が
あったはずだよ、あそこらは。
889 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 20:58:48 0
そしてフン族はハン族(ハーン、汗)の総称だったんじゃないのかな。
890 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 19:14:59 0
前にフン族の女性の頭蓋骨を元に顔の復元を試みた写真みたけど、
まさにアジア顔だったね。モンゴルまたはトルコ系という感じだったな。
891 :
世界@名無史さん:2009/10/12(月) 20:50:56 0
モンゴロイドということは疑いない。
892 :
世界@名無史さん:2009/10/12(月) 22:54:18 0
でもなあ、アッティラが朝青龍顔の辮髪オヤジだったとは、
いまいち信じられないなあ。
草刈正雄や岡田真澄みたいな半分以上白人風の顔なんじゃないの?
アッティラ一族は東欧の人間とも婚姻があったと思うから
もろにアジア人じゃないでしょ。
数百年かけて、アジアから欧州に来たわけだし
外見はまるっきり、アジアンと違うと思う
そう考えたら、チンギスは凄いな。
彼の代の2代目ぐらいで欧州に侵攻した訳だし。
これほど急激な侵攻は世界史上無いよな。
895 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 23:49:25 O
>893
カタラウヌムの戦いで勝っていたら平然とヨーロッパ人として共存してたかもな。もしコーカソイドで言語がスラブ語ならなおさら。「アッティラヌス」とかいって。
896 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 07:41:22 0
>>893 アレクサンダーの征服した地域ってほとんどがアケメネス朝ペルシャの勢力圏
と重なる。
ペルシャが道路建設等やっていてくれたおかげであの大征服がなった。半分以上は
ペルシャの功績。
しかも白人によって神格化されすぎだしな
しかもマケドニアはアケメネス朝の最大版図に含まれてた国だし、
アレクサンドロスの画像は彼の400年後のタイル壁画。
どうせなら「北斗神拳の使い手だった」とかもアレクサンドロスの
経歴に加えてほしいね。
899 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 10:57:01 0
>>895 そしてキリスト教に改宗して、ネオローマ帝国と称するようになる。
>>896 とはいえ、たったの10年でエジプト、オリエント、ソグディアナ、インドを
征服したのは空前絶後。
アケメネス帝国領だったのも事実。
902 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 11:30:21 0
インドでは撃退されたんだろ。ところでナチスもたった数年でフランスや
東欧を「征服」したぞw
903 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 11:33:04 0
ソグディアナもマケドニアもアケメネス帝国の領土だったんだがw
アレクサンドロスはアケメネス帝国の新たな王といった方が正しいんじゃねーの?
>>903 いつからマケドニアがアケメネス朝の領土になったんだよ
905 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 11:54:35 0
アケメネスの最大版図の西の果てに思いっきり「マケドニア」って書かれてますが
906 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 12:00:45 0
アケメネスの紀元前500年頃の最大版図はまさにアレクサンドロスが
通った道。エジプトのリビアあり、「Maceden(マケドニア)」があり、
ソグディアナあり、インダス川の手前まである。バルカン半島は黄色く
塗られていて、当時のなんらかの同盟国家のことを示すのだろう。
この地図を製作したのはアメリカの歴史家であるWilliam R. Shepherdだそうな。
この人がウソを
ついているとか?
907 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 12:04:07 0
>ヘロドトスの伝えるところによると、ペルシア人の指導者たちは帝国の統治形態について
>話し合った。寡頭政治は国を分裂させる危険を、民主政は大衆の人気に乗じた僭主の台頭を
>招きかねないことから、しかるべき手順で選ばれた君主による君主政を選択した。
>最初に選ばれた君主となった総督ヒスタスペス(ウィシュタースパ)の息子ダレイオス1世(ダーラヤワウ)は
>>版図を北西インドからマケドニア・トラキアに拡大し、領土を20州に分けて各州に総督(サトラップ)を置いた。
思いっきりマケドニアは版図の中ですよ。それとも「ホワイト神のマケドニアだけは
野蛮なペルシャの支配はなかった」と言いたいのですか?
908 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 12:05:54 0
欧州白人は絶対にペルシャ以東の影響は認めない。だからたとえば
ロンディウムはローマの影響を受けた(植民地だったから)と誇るが
マケドニアはペルシャの影響は受けずに古代ギリシャ人の純粋ホワイト
文明だった、と考える。そしてなぜか日本人もそう思っている。
変なの。
清朝の最大版図を復活させた中共党の若い党員がいたら、アレクサンドロスみたいな
かんじ?
誰がアレクサンドロス神話を書いてるか分かる気がするわw
912 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 12:23:09 0
本気で訊くけどこの地図って本当なの?アレクサンダーってギリシャ人じゃなかったっけ?
以前、銃・火砲スレなどを荒らしに荒らしていた白人云々叫ぶキチガイ荒らしが湧いているのか。
914 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 14:15:20 0
遊牧民の略奪とかよくきくけどさ、農耕民から何かとっても役に立たないのでは?
せいぜい絹織物とかそんなのだろ。
>>914 遊牧で得られる肉だけじゃカロリーすら保てないだろ。
だからこそ、遊牧民は農耕民との交易が必須と言われている。
916 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 15:30:25 0
アレクサンドロスもだんだん胡散臭くみえてきた・・このスレぱねえス
917 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 16:03:10 0
トンスル人マンセー
スレタイを読めないor理解できない人が多いね
>>900 アレクサンダーの征服って言うけどさ。
敵軍を打ち破って、領土を通過しただけだろ。
モンゴル帝国みたいに、数百年も広大な領土を
支配して、行政して、民族と混血して、多大な影響を与えた訳ではない。
920 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 12:10:45 0
個人的にはフン族って過大評価されていると思っている。
フン族がローマ人にその存在を知られたの当時、ローマ
を長年苦しめていたゴート王国を滅ぼしたのでその強さ
が喧伝されたけど、当時のゴート人はだいぶ文明化されていて
蛮族の勇猛さをなくしていたからフン族に負けたんだろう。
その証拠に逃げてきたゴート族を受け入れたローマがゴート
族と協力してフン族と戦ってはいず、むしろローマとゴート
が帝国内で戦争している。
アッティラ大王の時代にフン族がローマに襲来しているが、その
頃のフン族は旧来のフン族ではなくゴート族をはじめとした蛮族
連合の体裁をとっている。
これらからしてフン族自体はゴート族と強さにおいては対して
差はなかったんだろう!
921 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 13:44:58 0
まあ、でも当時のローマ人には脅威だったのだろう。
絶対比較はあまり意味ないんじゃね?
922 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 13:51:08 0
923 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 20:03:55 0
>>908 ペルシアも白人だろーが。しかもインド=ヨーロッパ語族だ。ペルシアの彫像は皆
彫りの深い白人顔だ。これは欧州でもどこでも常識。
アレクサンドロスの軍事的天才を否定はしない。融和政策を取り、ヘレニズム文化創造のきっかけを作った
ことも高く評価できる。ただ、軍事はすべて兵站を無視して語れないので、ギリシャ・マケドニア連合軍が
はるばるインドまで糧食とともに旅できたのは、ペルシアがせっせと「王の道」を各地に整備していてくれた
からだ、ということを言いたかった。ろくな道がなければどんな精強な軍隊も大征服なんて不可能だから。
唯一、兵站を無視して語れるのが遊牧民族。だから、彼らは怖い。
農耕民のローマ・ゲルマン人にとってフン族は脅威だったと思うよ。遊牧民族の利点は神出鬼没に動ける
ことだから。スピードがはるかに違う。
関係ないけど「騎馬大王アッティラ」のアッティラ役ジェラルド・バトラーはえらくかっこよい。
アメリカでのフン族のイメージってあんななんだね。もっと蛮族蛮族したイメージかと思っていた。
924 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 21:08:09 0
少なくともゲルマン民族からは英雄視されている面もある。
925 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 21:22:07 0
>>920 アッチラの時代前には、結構フン族の連中はローマの傭兵なっていた連中が
いたようだ。当時は騎兵は強力な戦力。フン族の傭兵はローマでは貴重な戦力
だったようだ。
926 :
世界@名無史さん:2009/10/22(木) 23:28:36 0
なにもフン族が弱いとは言ってない。
ただ、フン族が東ゴート族を征服し、
西ゴート族がローマ国内に避難したのは
フン族が強いこともあるが、それ以上に
ゴート族が平和ボケにより弱くなってしまった
からだろう!
その証拠に、ローマ国内に逃げたゴート族は
ローマ軍と協力して、フン族の侵入に対抗する
どころか、逆にローマ軍と戦争状態になり、
ついには西ゴート王国を建国するに至る。
その間もフン族のローマ侵攻は行われていない!
よく言われているアッティラ大王についてもフン族
のみの指導者というより反ローマ蛮族連合の指導者
のようなものだ!
だからアッティラ大王死後四散霧消している。
>>893 現実:上述のフンがモンゴル型であることは、
L・バルトゥチ、E・クレチマリク、V・レープツェルター等の
フン・アヴァール墳墓発掘調査の解剖学的調査によって明らかとなる。
調査の結果、墳墓からはアヴァール人と思われる
ブリヤート系モンゴロイド人骨の他に、
フンの支配層と思われるツングース系の人骨が発見された。
これによりフン族の平均身長は男子が164センチ、女子が153センチで、
毛髪は黒色で直毛であることがわかった。
フン王アッティラと会見した東ローマ帝国のプリスクスの所伝を
引用したヨルダーネスは「アッティラは背が低く、胸は広く、
巨大な顔を持ち、眼は小さくて落ちくぼみ、髯は薄く、鼻は低く、
顔色は黒ずんでいた」と記しており、
フン族が複数の民族、人種の複合集団である可能性は否定しないが、
中枢にいるのはモンゴロイド。
>>926 同時代を生きたアンミアヌス曰く、フン族の侵入を受けて破壊された東ゴート王国の
最初の最後の王、エルマナリクは「最も好戦的な王の一人」
ついでに言えば東ゴート族の前にはドン河の彼方に居住していた
アラン族が征服されている。
お前の脳内ではアラン族も文明化して平和ボケしてることになっているのかな?
ハドリアノポリスの戦いではフン族にフルボッコにされたばかりの
西ゴート族が、皇帝直率の東ローマ帝国軍を破ってもいるしな。
どこが平和ボケしてるんだか。
>>926 同時代を生きたアンミアヌス曰く、フン族の侵入を受けて破壊された東ゴート王国の
最初の最後の王、エルマナリクは「最も好戦的な王の一人」
ついでに言えば東ゴート族の前にはドン河の彼方に居住していた
アラン族が征服されている。
お前の脳内ではアラン族も文明化して平和ボケしてることになっているのかな?
ハドリアノポリスの戦いではフン族にフルボッコにされたばかりの
西ゴート族が、皇帝直率の東ローマ帝国軍に圧勝してもいるしな。
どこが平和ボケしてるんだか。
930 :
世界@名無史さん:2009/11/05(木) 19:10:45 O
>>927 まんま朝青龍だな
小さな朝青龍の大群が押し寄せてくる絵は確かに恐ろしい
遊びほうけて自滅するところもドルジそのままだな
そういやモンゴル人はフン族のことどう思ってるの?
933 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 21:31:23 0
自分たちの祖先だと思っている。
934 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 21:40:35 0
アッティラが朝青龍顔の辮髪オヤジだったなんて幻滅するなあw
白人顔か、せめて白人ハーフの岡田真澄や草刈正雄みたいな渋いイケメンだったらいいのに。
>>934 たぶん、アジア系の顔だから
良くても中央アジア系だろ
936 :
【^▽^】豚松@官軍大参謀 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/12/16(水) 02:41:28 O
ガリアに押し寄せたのが自滅。司令官はフン族を百も承知だは、
同じく【蛮族】が集結していたは、司令官の罠にはまり
カタラウヌムで事を構えることになっちまうは。
フン族並びにその同盟諸族の連合軍はカタラウヌムで致命傷は負わなかったが、
その後にな。やっぱ最初から北イタリア・中部イタリアに
攻め込んで、それだけの金銀をゲットすりゃ良かったんだよ。
求婚云々なんざねぇってこたぁアッティラ自身が百も承知だっただろうし。
アッティラは「策士、策にはまる」の一つかもしれねぇやな。
どのみち、こんな不安定な移動民はヴァンダル同様に滅びたろうが。
俺が司令官ならアッティラの首は貰ってたがな。
937 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 12:44:09 O
日本語でおk
938 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 19:54:20 0
近代以前の人類は現代人と比べて類人猿と古代人の差ぐらいの差がある。
ではその近代を開いたのは誰か、猿を人へと進化させたのは誰か。
言うまでも無くヨーロッパ白人だ。
>>919>>922 自演か?その後もセレウコス朝やプトレマイオス朝などのヘレニズム国家が存続し
支配して、行政して、民族と混血して、多大な影響を与えたを与えただろうが
ガリア戦記によるとカエサルと戦ったゲルマン人の王は
既婚女性にくじを引かせて戦略戦術を決めていたらしいね
アッティラも部族民の迷信を利用するのがうまかったとあるし
フン族も元になったと思われる匈奴はシャーマンの占いによって
いろいろ決めていたそうだし
アッティラもそういった占いをもとに行動を決めていたのかな?
941 :
世界@名無史さん:2009/12/19(土) 11:29:44 0
まあ、イメージからすると、フン族配下の軍勢の大半は欧州系だが、
支配階層はモンゴロイドの痕跡があったとみるのが妥当か。
942 :
世界@名無史さん:2009/12/23(水) 06:23:06 0
たぶんね。
943 :
世界@名無史さん:2009/12/23(水) 10:22:49 0
ヨーロッパの有名なフン族の古戦場(名前忘れた)の遺骨を
発掘して調査したら、ほとんどモンゴロイドだったそうだけど。
同時代のローマの資料でも、フン族のことを顔が平べったくて短躯と表記してる。
個人的にはアッティラはジェラルド・バトラー顔であってほしいが
>>939 モンゴル帝国の影響に比べたら
小さい小さい。
微々たる影響しか与えてないよ。
チンギスは20世紀まで、彼の子孫が
かつての支配地で影響を与え続けた。
ロシア、東欧ですら、タタールの楔として
教科書にも載せてるほど、強力な影響だった。
後にティムール帝国とかムガール帝国とかも
モンゴル帝国の残党勢力で起こったもんだし
ロシア帝国だって、モンゴル帝国の庇護の元で
発展した。
945 :
世界@名無史さん:2010/01/01(金) 21:48:49 0
アッティラ大王は宮殿に住んでいたらしいけど
それは彼だけが例外なの?
彼以前のフン族の王は彼と同様宮殿に住んでいたのか、それとも遊牧民らしくゲルに住んでいたのか
アッティラ以前のフンについての史料なんてほとんど残ってないぞ
でも、少なくともアッティラの宮殿はアッティラが自分で建てたもので
父親から譲り受けたものではない
>>945 基本的に定住して恒常的な統一王権を志向したのは
アッティラのつい先代のルーアからに過ぎない。
おそらくエルマナリクの王国を滅ぼしたときのフン族にも
何らかの大型政権はあっただろう。
ゴート族側の抵抗は組織化されているが、
フン族側の攻撃はこれを充分打破しうる威力を持っている。
しかしそれは有力部族間の合意に基づいた
大攻勢の間だけの臨時大権に過ぎず、
ゴート族を滅ぼした時点で解体されたものと思われる。
それ以後は自活しやすい小型グループに分かれて、
傭兵や半強盗みたい押し売り商人として好き勝手やってたんだろう。
948 :
945:2010/01/07(木) 19:37:00 0
ブラム・ストーカーの元祖『吸血鬼ドラキュラ』を読んだら
ドラキュラ伯爵が「われらセクリー人はフン族の末裔」と主張していて
「自分の祖先」であるところのアッティラ大王の業績を讃えまくっていてワロタ
ハンガリーとかルーマニアはフン族が
居住してたのは事実だし
まるっきり、矛盾してないけど
951 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 08:09:29 0
まあ、フン族の血が混じっているかもしれないという程度だろう。
人口比から考えれば。
本物のワラキア公爵はルーマニア系だったらしいから
自称するならローマ人の末裔だったんじゃないかって気もする
ローマ人だとカッコいいから
欧州人にとって恐怖心の強い
フンにしたんだろう。
そっちの方が、怖い役に良いじゃん。
滅んだヴィザンチンの皇帝の末裔がドラキュラだったら
仕えようとする奴が増えるだけだろ
血吸ってくださいとか。
チンギス・フン
匈奴だとしたら今のモンゴルと地域もまったく同じ。集団も同じなんじゃないの
それは昔から言われているだろ。
ほぼ、匈奴=モンゴル、ステップ騎兵で間違いない。
欧州をも震え上がらせた。最強の騎馬軍団だし
ギボンの記述ではアッティラの宮殿は粗末な木造だったとかで、
使節などの謁見の場で居住するようなものではなかったようだが。
wikiのカザフ人の顔が朝昇龍とそっくりでワロタw
テュルク系?っどっこがテュルク系や!
>>958 テュルク系をイスタンブール住人のような顔と思い込むのは早計。
ヤクートとかもテュルク系。
そういえばそうだな。小アジアはケルト系とかいろんなのが混じってるし、元々印欧語族だった
グループがテュルク化されたと言ったほうがいいのか。
関係ないけど、フン族に蹴散らされたゴート族の故国ゴトランド島の元貴族の墓からは
モンゴロイドの人骨がいくつも出てきた、て話を聞いたけどあれはどういう経緯なんだろう?
ゴート族ってやたらモンゴロイドと縁があるね。
961 :
世界@名無史さん:2010/02/27(土) 21:13:31 0
>>947 そうだね。
ローマの傭兵になった連中もいたようだ。
アッチラもそういうローマの傭兵になったフン人の引き渡しを
要求してりしている。バラミールの東ゴート攻撃以降は、アッチラ
登場までは組織的軍事行動がない。
アッチラは、モンゴルにとってのチンギスハンみたな存在なのかもしれないな・・・
最も、遊牧勢力なんて、有力な指導者が現れれば纏まるんだが(そうなったら大きな拡大に走る)
963 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 07:11:51 0
チンギスの方が後継者と家臣には恵まれていたけどね。
964 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 19:17:57 0
フン族を滅ぼしたゲピテ族についてもっと知りたい
ゲピートってゴート語で「足の遅い奴ら」って意味だっけ?
ゴート族の後にスカンジナビアからやってきた元はゴート族と同一の民族?
フン族を殲滅してカルパチアの西に王国を築くも、残党がまた戻ってきて逆に皆殺しになるんだっけ?
966 :
世界@名無史さん:2010/03/02(火) 21:27:24 0
バラミールは架空の人物という説があるそうだね。
>>965 ゲピド王国を滅ぼしたのはアヴァール(テュルク系ともモンゴル系とも言われる)と
ランゴバルド(ゲルマン系)。
故地にはアヴァールが帝国を作り、ランゴバルドはイタリアに建国した。
アヴァールってやっぱりフン族を構成していた民族の一つじゃないの?
969 :
世界@名無史さん:2010/03/03(水) 05:51:23 0
アヴァールで一番有名な王パヤン。
王位はハガーンだったらしい。パヤンはモンゴル語で「富める人」と
いう意味だそうだ。ハガーンは汗。
フン族と直接的関係がある部族ではないように思う。
まあ、東アジア系の遊牧民ということでは、ご先祖様は同じかもしれんが。
アヴァールは明らかにモンゴル系の影響が色濃い。フン族はモンゴロイドで
はあっても、移動開始がかなり前。
970 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 21:22:27 0
フン族の前身かもしれない匈奴はテュルク系との説あり(エドゥアール・シャヴァンヌなどが提唱)。
部族組織を東西別に組織する点など(右賢王と左賢王など)が、後のトルコ系
遊牧国家と共通してるとか。
多分、フン族はテュルク系だろうね。
971 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 10:14:59 0
匈奴がアラン族を襲撃したという中国の資料は
信憑性が低いの?
972 :
シルクロードの覇者 ティムール大王:2010/04/10(土) 09:27:36 0
ヴォルガとドナウの支配者アッティラ大王 バンザーイ!
甦ってロシアを懲らしめてくれ
974 :
世界@名無史さん:2010/04/18(日) 21:49:30 0
シベリアに住んでいるアジア系の人間がフン族の祖先なの?
糞虫=クソムシ
976 :
世界@名無史さん:2010/05/25(火) 22:29:42 0
977 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 12:09:32 0
日経CNBCの番組で、フン族をやっていた。
なかなかおもしろかった。
番組の中では、アッチラはアキラと呼ばれていた。
ローマ教会との関連が勉強になった。
978 :
世界@名無史さん:
大和朝廷の頃、東北で蝦夷を率いた王にアテルイというのがいる。阿弖流爲と書く。
明らかに当て字であろう。ATTERUI
人はいずれ故郷に帰るという。やはりこれは、東に戻ったはずみでうっかり極東まで行って
しまったアッティラではないだろうか。