ちゃんと方陣を組んでないと
騎兵相手には苦労するからな
125 :
世界@名無史さん:2006/09/15(金) 16:19:38 0
1500年 シャイバーニー朝、サマルカンドを攻略。サマルカンド政権の滅亡
1501年 イランにサファヴィー朝成立
1504年 バーブル、カーブルを占領
1507年 シャーバーニー朝、ヘラート攻略。ティムール朝滅亡。
1510年 サファヴィー朝、メルヴの戦いでシャイバーニー朝を破る。
1526年 バーブル、ムガル王朝を樹立
1530年 バーブル死亡、フマーユーン即位
1539年 シェール・ハーン、チャウサの戦いでフマーユーンを破りスール朝を樹立
1545年 フマーユーン、サファヴィー朝の助力でカンダハールを奪回
1556年 フマーユーン死亡、アクバル即位
1707年 アウラングゼーブ死去、バハードゥル・シャー即位
1720年 バージー・ラーオ1世、マラーター同盟の宰相になる
1722年 アフガン族のマフムード、イスファハン攻撃。サファヴィー朝、事実上滅亡。
1736年 ナーディル・シャー、アフシャール朝を興す
1739年 ナーディル・シャー、インドに遠征しデリーを一時占領
1744〜48年 第一次カーナティック戦争
1747年 ナーディル・シャー、暗殺される
1750〜54年 第二次カーナティック戦争
1752年 マラーター同盟、デリーに入城し、ムガル皇帝を保護下に置く
1757年 プラッシーの戦い
1758〜61年 第三次カーナティック戦争
1761年 マラーター同盟軍、パーニーパットの戦いでドゥラーニー朝に敗北
ムガル帝国とサファヴィー朝の勃興期はほぼ重なっているんだよね。
インド史は中央アジアやイランやヨーロッパの勢力とと絡み合いながら
進んでいくけど、そのゴチャゴチャ具合がまた面白い。
129 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 12:36:13 0
東郷隆『蛇の王 ナーガ・ラージ』(集英社)の冒頭に、
ダニエル・クーロックというアイルランド人の作家が、インドに行く船旅の
途中、イングランド人の軍人につかまって、
「若先生は憧れのインドに行って、熱帯の美しい草花とか素朴な人々とかを、
華麗な筆先とやらでお書きあそばされる。俺たちが厳しい軍務の末に月々稼ぐ、
給料を、羽毛のペン先でスラスラと三日程でお稼ぎなされるのさ。インドみてえな
牛糞臭えことろに、素朴な人々なんぞ見つかるもんか。皆、懐に剃刀を隠し持って、
隙有らばと俺たち白人の首筋を狙っているんだ」
といわれる場面がある。今でも先進国の人間が発展途上国に行ったら似たような
感じになりそうだな。
130 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 12:40:35 0
世界史の教科書に書いてある程度の情報なら、読んでて苦にならないけど、
当該地域の通史やら専門書でいろんな人名や地名がウジャウジャ出てきたら、
もうワケワカメで、多分、ついていけない。
>129
サグ団の話だっけ。まだ読んでないが。
133 :
世界@名無史さん:2006/09/21(木) 19:45:15 0
>>130 前から疑問だったのだが、インドとかイランとかアラブとかそういう地域の歴史に
興味を持つ人とかは、人名とか地名とかこんがらがらないのだろうか。
自分の場合、長ったらしくて似たようなインド風やイスラム風の人名が出てくると、
具体的なイメージを持つことができないし、地名とかもピンとこない。
そういう本をスラスラ読んで、なおかついろいろ語れる人が正直うらやましい。
アラブ史や中央アジア史を読むとアラー・ウッディーン・ムハンマドとか
イブン・○○○○とかの人名で初心者は戸惑う。
>133
単に慣れだよ。好きなものなら、色々細かい違いまですぐに
区別がつくようになる。それだけ。
136 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 21:39:28 0
バーブルはアフガニスタンでの行軍中、大雪にあわや遭難の危険に見舞われた
とき、洞窟で一人休息をとるように部下から慫慂されても拒否している。
「すべての人々が雪と強風の中にいるときに、私が眠りをむさぼって休息する
ことは、人間的なものからはほど遠く、また友誼からもかけ離れたことである。
どんな不安や困難があろうとも、私はそれに立ち向かおう。何であれ人々が
耐えることは、私もまたそれに耐えよう。一つのペルシア語の諺がある。
『友とともにする死は婚礼である』」。
>>136 バーブル・ナーマの引用か?
どうせなら全文をこのスレに貼ってくれ。
ttp://ethnos.exblog.jp/608172/ バーブルは見事な散文の作者であると同時に、また優れた詩人でもあった。
彼の詩を集めた『 バーブル詩集』の冒頭は、ふつう次の対句で始まる。
わが心よりほかに頼るべき友なし
わが魂よりほかに信ずべき朋なし
なんと繊細な、孤独感にあふれた詩であろうか。これがいくたびも修羅の巷を
くぐりぬけた勇壮な武人の手になるとは、信じがたいほどである。しかし、
これがバーブルであった。…
139 :
世界@名無史さん:2006/10/01(日) 17:04:40 0
バーブルってモンゴル顔だったのか?
>>139 ウィキに掲載されている肖像画を見る限りでは違う。
141 :
世界@名無史さん:2006/10/13(金) 20:20:07 0
しっかし、17世紀のムガル人口推定一億にはビビッタ。
同時期のオスマンの5倍、サファヴィー朝の20倍だそうだ。
んで、イスラム国最大最強なんだってさ。
イメージではオスマン最強っぽかったが、意外とムガル強い?
まあ、人口だけで最大最強ゆーたわけじゃなさそうなんで、
軍事的にも何かしら優れてるっぽいが。単純に兵量だけじゃないと信じたいw
ムスリムの人口が一番多い国って、インドだと聞いた気がするが。
暑すぎるのか、制度的な弊害があるのか、歴史的結果だけ見ると軍隊は弱い方に入るよな。
将軍なんかもキラリと光るいいのもいたりするんだけどね。
とりあえず、外国行ったら身を清めるまでアンタッチャブルじゃ遠征もままならんような。
144 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 20:21:54 0
オスマン朝2000万しかいないの?
日本はどれぐらいだっけ?
江戸時代始めに約1200万人、18世紀半ばに約3000万人まで急増した後は
幕末の時点で約3200万人と微増ないし横ばい状態が続く。
オスマンスレで見た情報によると、
スレイマン大帝の全盛期で推定三千万だそうです。
なので二千万でもいいかも。
147 :
142:2006/10/21(土) 21:29:08 0
そう言えば、著者によると人口・富・軍事力で17世紀のムガルは
同時期のオスマン・サファヴィーの両者をはるかに凌駕していたそうです。
まあ、確かに後の18世紀のインドから英国にもたらされた富はハンパじゃないけど。
しかしムガル朝軍がオスマン朝軍とまともにぶつかって
勝てそうな感じがしないのは何故だ。偏見か。
150 :
世界@名無史さん:2006/10/23(月) 02:22:22 0
>148
ヒント:フマ
ムガルとオスマンがぶつかるわけないから。
ぶつかるとしたら、間にあるサファヴィー朝を
どっちが取っているかで大きく違うから
まじめに考える意味はない。
152 :
世界@名無史さん:2006/10/23(月) 16:47:22 0
153 :
インパール作戦の意義:2006/10/23(月) 17:29:33 O
インドが日本の御蔭をこうむっていることは言語に尽くせない大きなものがあります。
偉大な貴国はインドを解放するに当たって、可能な限り軍事援助を提供しました。
何十万にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。
インド国民は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。
インドの独立は日本帝国陸軍によってもたらされました。
ここに、日印両国の絆がいっそう強められることを、祈念します。
S・S・ヤダフ インド国民全国委員会事務局長、インド国民軍大尉
>>143 一番多いのがインドネシアで、次がインド、3番目がパキスタンだな。
4番目はバングラか?
ブリテンにとっての価値・・・
インド>その他全ての植民地合計
恐るべしインディア。
インドより中国を支配してくれてたらいいのに
157 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 18:05:58 0
>>154 21世紀中にはイラン・エジプト・ナイジェリアが上位に迫る勢いだそうな。
158 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 22:43:21 0
159 :
世界@名無史さん:2006/11/30(木) 08:19:45 0
160 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 18:16:24 0
161 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 19:44:43 0
ゴムの方が余った事の無い俺は勝ち組?
163 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 19:21:47 0
【米国・インド】米国、インドを核保有国と“認知” 「米印平和的原子力協力法」を発効[12/19]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1166606427/ 3 :すぱぱにゃのまどりがる :2006/12/20(水) 18:24:36 ID:i9Hx5EXy
>核拡散防止条約(NPT)の枠外で核開発を進めたインドを、核保有国として
>事実上、認知することで
4 :七つの海の名無しさん :2006/12/20(水) 18:35:46 ID:Jf1Hm1r6
NPT体制、崩壊!
核大拡散の時代へ突入
5 :七つの海の名無しさん :2006/12/20(水) 18:36:25 ID:p8UnTxeB
日本がアメ公に押さえつけられて自虐してるぼーっとしてる間に
どんどんまわりは変化していくな
164 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 06:48:35 0
165 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 06:52:38 0
ちょっとインドの宇宙開発史を調べていてココに辿り付いたのだが、興味が
沸くかも知れん内容なので、紹介しよう。
まず、インドの宇宙開発の祖Vikram Sarabhai、こいつはインドの糸川英夫だ。
元々宇宙線の研究をしていた地球物理学者で、IGYで宇宙開発に目覚める訳だが、
当然インドにはそんな余裕は無い。しかしこいつは射点を整備して、アメリカや
ソ連やフランスやイギリスに開放して打ち上げさせた。
これが国民や政治家へのアピールとなり、そのうちタダでおまけペイロード
として載せてもらえるようになる。更には独自ロケットを開発して、これを
呼び水に独自の宇宙開発機関をもぎ取ってしまう。
この独自ロケットというのが全長1.5メートル、到達高度10キロ、カンサットの
打ち上げ高度、要するにモデルロケット規模なのだが、色々とアピールしたらしい。
1967年から1969年にかけて、米ソ宇宙開発競争華やかりし頃の話だ。
この宇宙開発機関ISROは一貫して平和目的による宇宙開発を指向している。
軍事目的はDRDOの管轄という住み分けなのだが、ISROがずっと固体でやっていた
のに対して、DRDOの弾道ミサイル開発は最初から液体ロケットというのがまた
面白い。
ISROは1979年、ようやく4段固体ロケットSLV-3で宇宙に到達する。ペイロード
は40キログラムの小型衛星。ISROは更に同じシリーズの衛星を2つ打ち上げて、
衛星を使える地球観測衛星に仕立て上げた。
Vikram Sarabhaiは音楽や絵画、建築にも才能を発揮し、晩年は管理工学に
興味を持ったらしい。ただ彼はスキャンダルで失脚することなく、科学顧問
として政治的影響を持っていたそうな。
166 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 06:55:08 0
167 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 06:56:27 0
旧ポルトガル領のゴアとダマン・ディウ、旧フランス領のポンディシェリーはいずれも1つの州
ポンディシェリーが4箇所の旧フランス領を全部まとめてるのに対し、
ゴアとダマン・ディウが別々な理由は分からない
168 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 06:58:02 0
【中国】【今日のブログ】なぜ「インド脅威論」はないのか?
胡錦涛・主席がインドを訪問したことを受けて、なぜ「中国脅威論」が存在し、
「インド脅威論」が存在しないのかを考察する中国現地のあるブログより。
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近代史においてインドは、パキスタンを分割し、シッキムを併合、隣国との衝突を繰り返した。
軍事面では、すでに核を保有し、軍事費は急速に増加している。経済面において、IT産業は一人勝ち、
成長速度は中国と優劣つけ難く、エネルギー資源の輸入も増大し続けている。
そして公用語は英語であり、国際舞台で強力な発言力を持つ。
しかしなぜ世界には「中国脅威論」だけがあり、「インド脅威論」はほとんど聞かれないのか。
最近の中国誌「了望東方周刊」によれば、
これは「西側の中国に対する意識形態と政治制度に対する偏見」によるものだという。
この観点は間違いではないが、しかし単純化し過ぎであり、
この説明では世界が中国を理解する助けにはならず、
更に中国が「中国脅威論」の脅威から脱却する助けにもならない。
60−70年代、中国は「世界革命の根拠地」として、共産主義(マルクス・レーニン主義)全盛、反修正主義、
反覇権主義、反植民地主義、反帝国主義を掲げた。
あの頃の中国の意識形態と政治制度は西側とは真っ向から対立していたが、
しかしなぜその時「中国脅威論」が叫ばれなかったのか。欧米や日本との関係回復と蜜月はすべて、
中国の意識形態が極左に位置する年代のことである。
169 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 07:05:37 0
21世紀に突入し、今日の中国は経済の上ですでに世界と融合し始めた。中国が認めるか否かに関わらず、
中国経済はすでに資本主義という帰路のない道を歩み始めている。
「ニューヨークタイムズ」の記者は、中国は世界で最も「資本主義」化している国と指摘している。
「中国脅威論」の根本的問題は、意識形態にではなく、国際間の力関係の変化と経済利益の再分配にある。
西側諸国はまだ裕福な資本主義の中国には慣れていない。「インド脅威論」が叫ばれないのは、
インドの人口抑制のない成長とインド特有の資本主義制度により、
西側諸国の人々は内心さほどインドの躍進を信じていないことにあるのではないか。
170 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 07:07:38 0
日本にとって中国の方が脅威だな
もしものときは中国に作った生産拠点はベトナムに移せばいいが、
インドが市場になるとは考えにくいのが頭の痛い問題でもあるな
ベトナムにせよインドにせよ信頼しすぎると痛い目にあう
日本企業のベトナムシフトは中国進出騒ぎと同じパターンに思えてならない
つくづく踊らされるのが好きな連中だ。
日本の大企業経営者は、なぜああも無計画で近視眼的なのだろうか。
171 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 07:12:42 0
初めて買った投信がインドだなんてかなりリスキーだって
個人的には思うけどそんな人多いみたいだね
今までのリターンで選ぶ人が多い
まあ、一度痛い目にあってからが本当のスタートだと思う
新聞でインド投信好調と知る→何も考えずに買う
→投資自体に興味持って勉強→分散投資のことを知る
→アセットアロケーション組み直し
ビギナーズラックで調子乗って、大金扱うようになってから失敗するか。
初めての小額のときに失敗するか。
結局身をもって知らないとわからないし。
172 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 12:37:02 0
173 :
世界@名無史さん: