1 :
世界@名無史さん:
元 → ティムール帝国→ オスマントルコ帝国 → スペイン→イギリス→ナポレオンフランス→ イギリス→ヒトラ−ドイツ→アメリカ 古代はよくしらないので書いてないが基本的にはこんな感じだろ。
2 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 03:12:30 0
ナチスドイツよりもアメリカのほうが強いよ。
ところで神聖ローマ帝国は一つの国として認めるの?
>スペイン→イギリス
こりゃ変だ。スペインの無敵艦隊を負かしたからといって
辺境の弱小国から急に強国にのし上がったわけではない。
4 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 03:31:29 0
スペイン<フランス<イギリス<ナポレオン<イギリス
でしょ。
元、ティムール帝国、ナポレオンフランス、ヒトラ−ドイツは海軍がダメなような。
6 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 05:21:25 0
時代別って書いてんなら、時代別に書いたほうがわかりやすい。
7 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 09:28:02 0
日本はいまだかつて一度も世界最強であったことはない
>>7 安土桃山時代。兵站さえ整えば最強だろ、陸軍力じゃな。
死に掛けの明にすら勝ち切れなかったジャン
10 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 10:26:36 0
負けもしなかったが
ぶっちゃけ帝国主義時代までは世界のどんな場所でも戦えるような勢力は
存在しなかったと思われる。
12 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 15:56:31 0
>>11 絶頂期オスマントルコ帝国は比較的どこでも強かった気が。
東アジアやアメリカ大陸でも強かったわけではない。
14 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 03:54:53 0
>>8 陸軍力と言った場合、兵站力をも含むんではないの?
15 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 08:31:59 0
モンゴル以前は
アッシリア→エジプト→ギリシア→マケドニア→ローマ→イスラム→モンゴル
だっけ?
ペルシアは?
マケドニアは大国としては短命だったでしょ?
ギリシアって統一された国があったわけじゃないでしょ?
イスラムだって、統一されてたのはウマイヤ朝まででしょ?
17 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 11:55:03 0
>>15 ギリシアよりペルシアのほうが圧倒的に強大。
ペルシア戦争はアレだ、レパント海戦や日露戦争みたいなもん。
>>16 アッバース朝前半まではイベリア半島以外の地域を網羅。
ま た 立 っ た の か !!!
19 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 12:35:14 0
>>14 日本の兵站力はかなり高かったと思うぞ。
あの時代に海を越えて万単位の軍勢を送り込み7年間も作戦を継続できる国が
日本以外にあったとは思えない。
だが、メリケンに惨敗した。結果こそすべて。
>>19 最後の一行はちゃんと根拠があって言ってんのか?
百年戦争はどうなるんだ
22 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 13:03:17 0
>>21 「あの時代」って書いてるじゃん。
当時ヨーロッパ最強のスペインがアルマダで用意できたのが兵2万と半年分の兵站。
オスマン帝国だってロードス島やマルタ島の戦いを見れば1年間が限界だろ。
23 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 14:14:50 0
あの時代国際競争力皆無の日本を出されてもピンとこないな
24 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 16:20:30 0
日本って海軍がクソ弱かったよな。
朝鮮の海軍に負け続けたw
オスマンの海軍力とは比べものにならない。
そもそも朝鮮遠征なんて、九州遠征と変わらんぞ。
その感覚で侵略したから負けたんだろうけど。
日本は強かったがとても世界最強とはいえないだろう。
25 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 16:24:17 0
16世紀の後半は世界最強の国家はオスマントルコだろうな。
クリミアハンの騎馬民族軍からアルジェの海賊まで全て支配下においていた。
26 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 16:39:40 0
歴史的事実
日本
・戦国時代で鍛えられた自慢の軍事力だが
朝鮮ごときの征服に失敗。しかも二度もw
オスマン帝国
・オスマンによる東ローマの首都コンスタンティノープル陥落
・全欧州を震撼させたイエニチェリ常備軍
・神聖ローマ帝国の首都ウィーンを何度も包囲
・陸軍国でありながら一時地中海を制圧させるほどの海軍力を持つ
・異民族、異教徒統治の上手さ
・ローマ帝国を彷彿とさせる広大な領土
27 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 17:01:53 0
>>26 「オーストリアごときの征服に失敗。しかも二度もw」とは書かないのね・・・
イスタンブル〜ウィーンも大坂〜平壌も距離的には大して変わらないべ。
それにオスマン海軍って朝鮮水軍と一緒で外洋では戦えない海軍だからな。
アラビア海ではポルトガル海軍に勝てなかった。
しかし、話をメソポタミアにまでさかのぼらせると、最強はグティのような蛮人ということになりそうだ、、、
朝鮮出兵の兵站は失敗だよ
兵糧の備蓄はできたんだろうが(かなり危なかったが)
日本は外敵少ないから一極集中できた面もある
>>27 オーストリアと朝鮮を一緒にされても
カール5世はヨーロッパ最強の君主だったからオスマンでも厳しいよ
バルカンの弱小諸国なら征服もできただろうが
西欧、中欧は人口も多く、軍事力もあったからね
また最強厨ですか
まぁ、あの時期の日本は、せめて明の首都を陥落させるぐらいじゃないと最強とかには挙げられない
おそらく15c〜16cを世界的に見たときに
没落する東洋と台頭する西洋の技術力の均衡点を見つけられると思うのね
その上で日本は人口も多いし、封建制の精密性などを考慮すると
安土桃山代なら相当な力を持っていたのではないかと思います
が、当時なら明らかにオスマントルコが一番強いでしょうねはい。
オスマンが強いってのは国力だろうな。
戦闘では何度も無残な敗北してるのに、すぐに立て直して攻めてくる。
戦国日本最強を主張する人は
ほぼ100%「兵力」と「軍事力」の違いがわかってない
強い兵士や兵器をいっぱい保有してるかどうか と
戦争を計画どおり完遂させる能力があるかどうかはまったく別物
35 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:48:23 0
>>27 神聖ローマ帝国と李氏朝鮮を同列に語るなっつうのw
しかも第一次ウィーン包囲の相手はハプスブルク絶頂期の君主カール5世だ。
第2次ウィーン包囲の相手は、神聖ローマ帝国とポーランドだよ。
平壌とウィーンじゃ防御力が違いすぎるだろ。
36 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:51:12 0
>>32 人口多いって言っても確か秀吉の時は1200万人じゃなかったっけ?
フランスやドイツのほうが人口多くない?
37 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:53:04 0
中国は人口が多いし軍隊も多いが、とにかく質が悪かった。
中国兵は弱すぎだろ。
>>35 明征伐の相手は人口1億とかの腐っても明ですよ。
39 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 20:02:35 0
>>38 人口1億の大国が人口数十万の女真族に征服されるわけだがw。
40 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 20:35:26 0
異民族に統治されても中国の王朝として扱われるのはなぜ?
42 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 21:26:55 O
おまいら、ベトナムを忘れてますよ。
43 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 21:32:00 0
>>34 で、あるならば
兵力で最強、軍事力で最強を示せば、それでいいんでない?
何で、最強とも書いてないんだし、適宜限定しても。
とりあえず判断基準は君が解説してくれるとして。
44 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 21:53:34 0
古代は新羅の天下。
中世は高麗の天下。
近世は李氏朝鮮の天下。
近代は朝鮮民主主義人民共和国の天下。
45 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 23:20:53 0
16世紀後半はオスマン>>>明>日本≧スペイン>サファヴィー朝
戦国日本を強くしたいのは気持ちとして分かるが、
せめてスペインと日本の位置は入れ替えといたほうが無難だと思う。
海がどうしてもなぁ。
戦国日本は防衛戦なら間違いなくトップクラスだろうけど外征能力が頼りない。
48 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 01:10:42 0
外征能力が足りないのは
島国のくせに海軍力が弱い
他国との戦争経験が大陸諸国に比べて圧倒的に少ない(朝鮮を九州遠征の延長線上に考えていた秀吉)
他国を支配した経験がない
オスマンもスペインも上記の点で日本を圧倒していた。
では外征の経験を積む機会はあったかというと、そうそうあるものではなく。
せいぜい非政府系の海賊どまり。馬賊のほうは時たま結構な成果を挙げてたが、
(彼らが勢いあまって日本にまで攻めてきたのは周知のとおり)
こちらの場合は海と陸とを有機的に連動させなくちゃいけないし、
そのための「実地訓練」なぞ下手にやればこっちが即座に殺られてたであろうという…
50 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 01:43:17 O
まともな対外戦争やったことないんじゃ比べる対象にもならんよ、日本は。
唯一やった朝鮮出兵も失敗。
51 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 02:46:38 0
比べる対象にはなると思うよ。
日本は戦国時代を通じて100年間も戦争を行ってきたわけだし。
朝鮮出兵が失敗したのも日本軍が弱いからではない。
他国の侵略の経験がなかったためだ。
52 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 02:48:18 0
そのくせ世界最大規模の明軍と、ナショナリズムは一流の朝鮮ゲリラと7年間戦い続けたのは凄いことだと思われる。
だからといって日本が世界最強とは思わないが。
54 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 02:54:27 0
どうせリストラにするんだったら台湾や東南アジアに出兵していれば良かった。
そうしたら、海軍主体の軍隊編成になっただろうし領地も拡大できたと思う。
55 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 03:00:56 0
朝鮮出兵って何百万人死んだんだっけ?
?
57 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 07:01:46 0
日本は最強になる可能性はあったかもしれないが、結局最強になることはなかった
で、いいじゃん
59 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 13:08:39 0
アナキン・スカイウォーカーみたいだな。
60 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 13:37:55 0
あれは出兵のうちに入るのか?w
62 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 23:18:28 0
入らない。
規模が小さすぎ。
63 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 23:29:15 0
東から西に動いて、最期はまた東に戻ってくるのか?
64 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 00:42:34 0
最後っていつ?
65 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 00:44:07 0
唐も途中までは世界最強だったんじゃないかな。
その後衰退して、中央アジアの覇権争いでイスラムに負けるけど。
66 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 00:45:07 0
ローマと漢はどちらが強かったのか?
別のスレがあるけどw
67 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 02:05:58 0
アッバース朝イスラム帝国やビスマルクプロイセンは強い
スペインは雑魚
68 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 09:31:53 0
>>65 アッバース朝に敗れたタラス河畔の戦いは唐最盛期に行なわれた合戦。
衰退したから負けた訳ではなく、あの辺りが唐の国力の限界だったんだよ。
アッバースはタラス河畔の前年に成立した若い国なのだよ。
建国直後で大遠征をする余裕が有るわけが無い。
一方唐もシルクロードの反対側が本拠地なわけで、タラス辺りをそこまで重視はしない。
タラス河畔の戦いは軍事的には地方軍同士の小競り合いに過ぎないのだよ。
唐<アッバースという決め手にはならない。
あれに重大な意味があるとすれば、戦闘中に唐側遊牧民がアッバースに寝返った事だ。
1.緩衝地帯の遊牧民が唐よりアッバースを重視した事の国際的影響力
2.唐軍が包囲され多数の兵が降伏した事により、新興国の勢いに技術力が加わった事。
ちなみに、製紙法がタラス河畔で伝わった事は最近では疑問視されている。
サマルカンド製紙工場はタラスカハンから1年足らずで作られるのだが
原材料の違い等の技術的問題や建築計画等の問題から、
タラス戦以前から準備されていたと考えた方が自然なのだそうだ。
70 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 13:04:01 0
>>61>>62 14隻の大船を仕立て、4千の兵を乗せて勇ましく出撃した
規模小さいか?
十分出兵の域だと思うが。
できればあなた方の言う出兵について聞かせてほしい
71 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 13:15:13 0
72 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 13:43:47 0
台湾の調査だろ。
73 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 17:21:35 0
ビスマルクプロイセンってそんなに強いか?小国デンマークをオーストリア
と一緒に叩き潰したのと、弱体化してるオーストリアに勝ったのと、エムス
電報事件の時準備不足のフランスしかも愚将ルイ=ナポレオンが率いた軍隊
を叩き潰したぐらいじゃなかったけ?確かに質のいい傭兵を雇っていて富国
強兵政策をやっていたから無論強国には違いないんだろうけど。
えっ、日本も近代以前に外国を統治してたじゃん。
百済や新羅の王族を人質として日本にいさせたぐらいだからな。
白村江で全てが水泡に帰したけど、と燃料を注入してみる。
>>74 ウリナラ歴史学会が認めていないので史実ではありません。
任那も捏造です。広開土王碑は日帝に改竄されているのです。
と電波はここまでとして、朝鮮半島の一部を領していたこと位大したことではないだろう。
>>73 なんかむちゃくちゃだぞ…
まず傭兵ってなんだ?当時はもう国民軍だぞ。
しかもオーストリアもフランスも弱いなら一体どこの国が強国なんだ?
77 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 18:40:59 0
すまん、傭兵ってなんだろうね。モルトケのことだから気にせずスルー
してくれ。
オーストリアに関して言えば確かにヨーロッパ屈指の強国だが世界
最強の国に並ぶほど強くなかったと言う意味。
イギリス>プロイセン・ロシア>>オーストリアぐらいの感覚でいた
んだが。これも違ったら適当にスルーしてくれ。
>>72 家康は、今度は長崎代官の村山等安に「台湾征服」を命じた。
そこで村山は1616年、14隻の大船を仕立て、4千の兵を乗せて勇ましく出撃したが、
途中暴風雨に遭って艦隊は散り散りになってしまった。
有馬晴信の方は台湾調査だね。
徳川の方は遠征。
スペイン>ハプスブルグ>フランス>イギリス
ハプスブルクはスペインの王家ではないですか。
スペイン(笑)
83 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 00:26:38 0
16世紀のスペインってあきらかに過大評価だよな。
やっていた事といえばアメリカ大陸やフィリピンみたいな軍事力の空白地帯を
空き巣みたいに征服した事だけじゃん。
目と鼻の先にあるアルジェすら攻略することが出来なかったのに・・・
スペインというよりカール5世のハプスブルク帝国と考えれば
かなり強力だと思うが。
>やっていた事といえばアメリカ大陸やフィリピンみたいな軍事力の空白地帯を
空き巣みたいに征服した事だけじゃん。
他の国は何をした?そもそも植民自体が空き巣の征服行為だと思うが。
オーストリアとスペインですね
当時オスマン朝とやり合ってたことを考えると
スペイン、ドイツ含む神聖ローマは充分強い
16Cでは、オスマン>ハプスブルク>明>サファビー>日本くらいかなぁ
87 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 01:23:21 0
防戦一方だったのを「やり合ってた」とは言わない。
欧州がオスマン帝国とやり合えるようになるのは18世紀になってから。
オスマンに勝ったのはヴェネツィアのおかげ
そのカール5世と互角(?)に戦ったフランソワ1世のフランスも結構強いかも。
秀吉の時の朝鮮海軍は無能って話を聞いたけどなぁ。
亀船とか李舜臣の実在も疑わしいとか聞いたし、偽講和で騙まし討ちとかしたらしいし。
それに焦土作戦とかとるまで朝鮮追い詰められてたみたいだし。
なんだかんだで各国を上から命令できた
ヴァチカンが一番強い
李舜臣は実在しただろ。まあ、制海権を取ったってのは大嘘だが。あと、朝鮮人の多くは秀吉を解放者と見て協力したんだよな。初期の快進撃にはその辺の事情があると思う。
フランソワってカールの捕虜になったよね
どっちにしてもカール5世は一時ドイツをほぼ征服したこともあるし
十分強力な君主だよ
ドイツ諸侯、フランス、オスマン相手に戦ってたわけだし
ドイツ諸侯がオスマン相手にもっとカール5世に協力的だったら
ハンガリーも奪われずにすんだかもな
94 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 14:16:08 0
カール5世が勝ったのって欧州内の相手だけじゃん。
単なる内弁慶でイスラム相手には勝負にならなかった。
帝国の首都ウィーンが包囲されたときは自分だけ安全なところに避難しちゃうし、
プレヴェザの海戦でも負けて同盟国のヴェネツィアから見捨てられてる。
バルバロッサの留守を狙ったのにもかかわらずアルジェから海賊を駆逐することも
出来なかった。
95 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 14:29:06 0
いつの時代でも韓国最強
96 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 16:26:41 0
そんな質の悪い燃料じゃエンジンも焼け付いちまうよ
>>94 欧州内の戦績だけで十分すごいだろ
なにもオスマンより強いとは言ってないんだから
カール5世が当時、ヨーロッパで一番の軍事力と影響力を持ってたことは否定できないだろ
ちなみに俺のいってる軍事力は戦績うんぬんより
動かせる傭兵の数だけどな
それにアルジェ遠征なんて歴史的にたいして重要なことじゃないし
ウィーンに攻め込まれて逃げるのってのもそれは単なる人格攻撃であって
歴史的にはたいした問題ではない
問題はオスマンが突破できなかったってことだな
オスマンは当時最強だったけど
ヨーロッパでも先進地域だった中欧、西欧を征服する力は持ってなかった
98 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 18:46:48 0
オスマン帝国もペルシアに連戦連勝していたがついに征服できなかった。
これはおそらく、ローマがパルティアやササン朝を征服できなかったのと
同じような問題が背景にあったんだろう。兵站とか。
99 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 00:35:53 0
なんでペルシアって弱いのにローマにもオスマンにも征服されなかったんだろう?
100 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 00:56:36 0
パルティアはローマに押されっぱなしの印象だけどササン朝は血気盛んなイメージあるね
ペルシャは弱くないと思うけどな
102 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 04:44:53 0
サファヴィー朝の最後なんてアフガンの牛に乗った遊牧民にやられたw
クソ弱いよ。
なんか強国の隣にある弱小国がどうやって生き残ったのかを論じるスレになって無いか
104 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 10:18:47 0
歴代ペルシア王朝は遊牧民を中心とした機動性の高い軍隊をもっていた。
ローマやオスマン帝国は重装備で強力な軍隊をもっていたけど
砂漠がバリアーになってペルシアの奥深くまで進撃するのは難しかった。
そんな感じじゃない?
105 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 13:52:26 0
>>97 スペインやナポリの地中海への経済的依存度を考えたらアルジェ遠征やプレヴェザの海戦が
カール5世にとって「たいして重要じゃない」なんてことはあり得ない。
実際カール5世にとって乾坤一擲の軍事作戦だったし、敗北による威信の低下も大きかった。
そもそも当時の欧州は軍事的には後進地域だからそこでの戦績なんて別にすごくないぞ。
カール5世がどんなに傭兵を動員したところで同時代の日本、中国、インド、中東の軍隊と
比較すれば規模が小さい。
それに傭兵主体の軍隊は士気が低い。
1527年には給与の未払いから傭兵隊がカール5世を無視して暴走し、ローマで勝手に大虐殺を
行なっている。
加えて食料の生産性が低いから兵站面での制約も大きい。
長期間の作戦は不可能だし行軍速度も遅い。
欧州の軍隊がやっとまともに動けるようになるのは、18世紀になってスペイン継承戦争の
マールバラ公やオイゲン公による機動戦からだ。
ヨーロッパの軍隊が世界どこでも勝てるようになったのは何世紀からですか?
19世紀の中盤以降じゃないの?
アヘン戦争とかのあたり。
108 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 15:58:02 0
109 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 16:01:24 0
>>104 エフタルや突厥やアラブ人には弱かった。
ササン朝なんか傀儡の王擁立さrたり計略に引っかかって
穴におちて死んだ王様もいると以前落ちたエフタルスレでみた。
(いまあるエフタルスレではない)
イタリアはエチオピアに撃退されたけどね
>>105 じゃなんでオスマンはウィーン落とせなかったんだ
そんなに弱かったらヨーロッパなんて簡単に征服できるだろ
中世後期からヨーロッパは軍事技術と築城術は他の諸分野に比べ
かなり発達してたんだけどな
軍事的後進地域とはいえないだろ
技術力があるからこそ海外植民地を作れたわけだし
オスマンの攻撃もしのいだんだよ
日本人が種子島見てびっくりな世界だったわけだ
あとカール5世にとってもっとも重要なのは宗教問題で
ドイツ諸侯を取りまとめることだろ?
それに地中海経済はもう衰退期に入ってるし
ネーデルラントの方がスペインにとってよっぽど重要
112 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:00:16 0
>>111 オスマン帝国がウィーンを攻略できなかったのは単純に距離が遠かったからだ。
5月にイスタンブルを発ってウィーンに到着したのは9月末。
だからカール5世は冬が来てオスマン軍が時間切れになるまで避難するだけで
やり過ごすことが出来た。
軍事技術云々は関係ないな。
あとヨーロッパが海外植民地に進出したのは軍事的後進地域だったからだよ。
まともな文明相手だと勝負にならないから、水が高いところから低いところへと
流れるように、より弱い地域へと進出したわけだ。
軍事力では勝てないイスラムに包囲された閉塞感が原動力になっていたんだよ。
113 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:28:57 0
「未開地を征服」って簡単そうに言ってくれるが、
占領できそうなところを見つけるまでが大変なんだぞ
114 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:30:21 0
うにゃ、動員兵力はともかく、少なくとも軍事技術(とくに海軍)については後進地域というのはどうかな。
ポルトガルは東インド航路を開拓したら、またたくまにイスラム艦船を駆逐してインド洋からマラッカまでに至る制海権を確保してしまったんだよね。
オスマンとまともにぶつかったら勝てるとは思わんけど、ルネサンス以降のヨーロッパの軍事技術のレベルは世界的にも相応に高くなってきてたと思うが。
115 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:32:07 0
そうそう、それからポルトガル艦隊はオスマン海軍も撃破してる。
116 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:36:57 0
その後ポルトガル艦隊はオマーン海軍に撃破されてるけどね。
117 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:03:09 0
ササン朝もローマも漢帝国も遊牧民には弱かった。
戦国時代の趙の王様なんかあまりにも遊牧民に苦しんだので
中華思想から毛嫌いしていた戎衣を兵に義務付け騎馬戦に対応できる
ように兵制改革したぐらい。
しかし効果はさほどあがらず趙は名将李牧の登場を待たねばならなかった
李牧は軍の才にあふれ遊牧民族や秦相手に大功を立て続けたが、
李牧の名声を恐れ斉の田氏のようにいずれは簒奪するのではないかと
いう趙王の疑心につけこんで秦の白起が離間の計を用いて趙王に
李牧を処刑させてしまったとさ。
118 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:06:49 0
スウェーデン王国が強国だと思っている僕がきましたよ。
119 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:16:22 0
攻撃力だけなら項羽率いる楚軍は相当強かったのではあるまいか
漢を何度敗北させたかわからんぐらい。
120 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:19:29 0
>>119 単純な短期戦なら強いが長期戦になると補給路の問題などで退却する
ことがしばしば。
121 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:22:33 0
それは光栄のゲームでも再現されていた。
鯨布やホウエツに補給戦を分断されてしまうんだよね。
項羽が厨房でなければ劉邦などあっさり殺されていたろうにな。
仮に項羽が楚漢争覇時代の勝者になっていたら匈奴の冒頓単于とも
いい勝負したのではないかな。
劉邦はあっさり負けて兄弟の契り結ばされたけどw
122 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:37:52 0
>>119 項羽(前232〜202)ってハンニバル(前247〜183)やスキピオ(前236〜184)と
おもいっきり同世代だからなぁ。
世界的に見たら絶対的に強いかどうかは微妙。
123 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:44:17 0
そういえば昔、トムとジェリーのコピペを改変した項羽と劉邦、
てのがあったような。
あのコピペ、けっこう泣けたな
改変なのに当てはまりすぎだしw
124 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:50:57 0
そのコピペはげしく見たい
125 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:53:47 0
ハンニバルと項羽って名将なのに悲劇的な最後が良く似ているね
ぜんぜん時代は変わるが永楽帝とチムール帝の激突は是非みたかった。
兵站が伸びきった状態のティムール軍は永楽帝の前に
敦煌あたりで壊滅されたでしょう。
127 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:59:43 0
>>125 項羽は将としては優秀だが君主としては欠落したものがありすぎたな。
128 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:03:41 0
攻めてくるのは西域ルートなのかえ?
永楽帝は雲南省に警戒するように周知させたとか
別のスレでみたような気がするんだけどそもそも
タマラカン砂漠を大軍で来るのかな?
チムールには何か秘策があったんじゃないのかな。
129 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:19:18 0
ティムールが明の征服に何であんなに自信満々だったのかが理解できない。
結構前から情報収集していたみたいだから明の現状も正確に把握していたはずなのに。
野戦をやればティムール軍が勝つだろうけど、中国の都市ってみんな高度に城塞化
されてるじゃん。
中国に攻め込んだ軍勢はみんなそれに苦労しているし、ティムールの年齢を考えれば
多少史実より長生きしたとしても一つ一つ攻略していく時間は残されていないよね。
130 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:34:28 0
吐蕃や北元と事前に示し合わせて同時進する手はずだったんでわ。
あるいは建文帝の残党がすでに通じていたとか・・・・・
まそんな子と言い出したら三文歴史小説になってしまうかw
131 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 22:04:23 0
>>124 元ネタ
http://piza.2ch.net/anime/kako/975/975194210.html 劉邦が皇帝になった頃、項羽はもうこの世にいませんでした。項羽は自分の
命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、こっそり劉邦の前から
姿を消しました。劉邦の前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかった
のです。
項羽は劉邦の心の中ではずっと喧嘩相手として生きつづけたかったのです。
項羽がいなくなったのに気づいたとき劉邦は悲しみはしませんでしたが、
退屈になるなと思いました。
項羽との喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。胸の奥が不思議に
チクチクはするのですが、それが何なのか、 劉邦にはよくはわかりません
でした。項羽の願い通り、劉邦の心の中で項羽はいつまでも仲の悪い喧嘩
相手でした。
そんなある日劉邦の前に一人の武将が現れました。項羽よりのろまで体も
小さい夷狄です。喧嘩相手の項羽がいなくなって寂しかった劉邦は、今度は
この武将を喧嘩相手にしようと考えました。そこで劉邦は、豊かな国土を利用して、その武将に罠をかけることに しました。いつも項羽にしていたように。
劉邦は物陰に隠れて、物品を求めて夷狄が国境の近くに来るのを
待っていました。そして思惑通り武将が国境に向かって近づいてきます。
劉邦はしめしめと思いました。いつものように、自分が罠にひっ
かかるふりをして、逆に夷狄をひっかけてやるんだ。
うふふ。待ち伏せされた単于の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です。
132 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 22:05:09 0
でも、その武将は項羽ではありません。単于は近くまで来たとき、劉邦が出てくるより早く美味しそうな匂いに気づき、目にもとまらぬ速
さで隠れていた劉邦に襲いかかってきました。劉邦はいつも項羽から
逃げていたように逃げましたが、項羽よりのろまなはずの武将にすぐに追いつか
れてしまい、ぐるりと包囲されてしまいました。劉邦も噛みつき返しましたが、
項羽より体が小さいはずの武将は平気です。
泥まみれの劉邦は薄れ行く意識の中で、本当は百姓上がりの飲んだくれが貴族出の豪傑と喧嘩して勝てる
わけがないことと、いつも項羽は劉邦に「してやられた」ふりをして、わざと
劉邦を捕まえないでいたことを、そのとき始めて知ったのです。項羽の
大きな優しさと友情に気づいたのです。
そして項羽がいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました。
かけがえのない友を無くした悲しみでした。
劉邦の魂が体を抜けた時、空の上には優しく微笑み劉邦を待っている
項羽がいました。
「また喧嘩ができるね」
「のぞむところさ、今度こそは煮殺してやるぞ」
煮殺されたのは韓信だと突っ込むのは野暮なのか
>>112 そもそも4ヶ月もかかってウィーンにつく
オスマン軍もヨーロッパの傭兵軍とそんなにレベルが変わらないな
しかも着いたとたん帰還するって
ハンガリーにでも後退して春が来るまで待てばいいのに
ようするにウィーンを攻略するだけの力がなかったから撤退したんだよ
当時のオスマンとヨーロッパの差なんて物量と人口だけ
それと植民地作るってそんなに簡単なことじゃないぞ
たまたま遠いところまで行くのならそんなに難しいことじゃないが
常時、遠洋航海ができて、海外植民地まで安定して往復できる
高い航海技術がないと不可能
まぁ、オスマンも清も日本も高い航海技術を持てば
積極的に海外進出しただろう
けど技術がないからそれができなかった
それが後に大きな差になるんだよ
海外植民地をなめたらアカン
ヨーロッパは簡単に植民地作ったわけではない。
インカ帝国やアステカがコンキスタドールにあっさり滅ぼされたのは
部族間構想や都市国家抗争に乗じたり、現地での白い人伝説に
原因もあるが、基本的に何世紀もかけて攻略していく。
インドなんぞイギリスが完全に掌握する目処がついたのは7年戦争後に
フランスが完全撤退してからだし、インドネシア域もオランダに完全に
制圧されるのは20世紀になってアチェが攻略されてからだしな。
ただ支配の方法は手が込んでる。最初に宣教師送り込んで
内情調べて空気読んで勢力間の抗争に乗じて借金の型に権益にぎったり
軍隊の駐留権えたり、鉄道しいたり千差万別。
ヨーロッパの恐ろしいところはとかく絡めてで徐々に分割してしまうところ。
清なんかアヘン戦争でやられたけど、いったんイギリスが先鞭つけると
他の国も同時につけこんでくるんだよね。
日本も日米和親条約結ばされると他国も一斉に不平等条約むすびに
きた。それまで日本と親交結んでいたオランダも手のひらかえしたしな。
136 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 22:30:45 0
そのくせ二次大戦でインドネシア掠め取られたこと未だにウダウダ言ってんのかオランダは
なんだかなあ。
137 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 22:30:59 0
>>132 オスマンは何故インド洋にしんしゅつしなかったのだろうか?
おいおいヨーロッパ勢が進出するまで基本的にインド洋は
イスラム勢力の版図だったぞ。
エンリケ皇太子が喜望峰ルートを開拓するとそれまでのように
香辛料市場をどくせんできなくなったりはしたけどな。
139 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 22:48:42 0
>>134 >そもそも4ヶ月もかかってウィーンにつく
>オスマン軍もヨーロッパの傭兵軍とそんなにレベルが変わらないな
ヨーロッパの傭兵軍の行軍速度を知ってて書いてるのか?
当時、80年戦争とか30年戦争とかヨーロッパの戦争がやたら長引いたのは、
機動力が無さ過ぎて戦場での勝利をそのまま戦略的勝利に結びつけることが
出来なかったからだぞ。
ほとんど歩兵のみで構成された戦国日本と比較しても遅い。
18世紀の機動戦の達人のマールバラ公やフリードリッヒ大王でやっと秀吉の
行軍速度に対抗できるぐらいだ。
それから16世紀末には日本人は万単位で海外に進出してる。
ヨーロッパがジャンクの支配する東アジアの海域で海軍力を行使できるように
なるのは19世紀半ばのアヘン戦争からだ。
イギリスが第2次世界大戦後にドイツ同様に日本も分割支配する案を
持っていたのは意外と認知されていないよな。
強硬派であったチャーチルが負けたし、戦後体制の構築がアメリカ
主導になってしまい力関係が逆転したのでイギリス案は蹴られたけど
実現していたら極東の軍事バランスや日本の状況も随分かわったろう。
>>139 しかしイスタンブールからウィーンまで約1200キロ
人の歩く速度は時速5kmとして
4ヶ月120日として
一日10km、2時間しか行軍してない
あと海外進出といっても朝鮮なんて目の鼻の先でなんの自慢にもならん
>>139 ヨーロッパと東アジアの距離と
日本と朝鮮の距離を良く考えろ
>>129 モンゴルも満州も50年以上かけて中国征服してるしね
日中戦争も50年ぐらいやったら
中国征服できたかもな
144 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 23:32:57 0
>>141 ここの人間は日本人の商人や傭兵が大量に東南アジアに進出していた事を知らないのか?
5月19日にベトブルクを発ったマールバラ公が400キロを行軍して7月2日にナイメーヘンに
進出しただけで18世紀のヨーロッパでは驚愕の機動だったわけだが・・・
援蒋ルートを絶つことが出来なかったから日本には攻略無理。
たとえ国民党を降ろしても当初数万に過ぎなかった共産軍は
終戦時にはなんと180万も擁するようになってるし・・・・・
モンゴルも金も南宋攻略がなかなか難しかったけど
フビライは南宋攻略にまず大越、大理、吐蕃を抑え
なこかつ漢人武将の引き抜きに意を用いてようやく
涯山で滅ぼしているぐらいだしな。
女真も李自成の大順軍がヘタレで呉三桂と清の連合軍に
大敗すると瞬く間に大順軍から脱走兵が相次いで
進軍が長城を迂回してくると大順は都落ち、明系の
地方政権がいくつもたって抵抗続けたけど平定したのは
雍正帝になってからだよな。
基本的に大陸国家の征服は非常にエネルギーが必要だ。
人員も兵站も莫大な経済力あっての事だ。
エジプト→アッカド王国→ウル第三王朝→古バビロニア→ヒッタイト→エジプト(第18王朝の頃)→アッシリア→メディア→アケメネス朝ペルシア→アレクサンドロス大王帝国→マガダ王国→マウリヤ朝→秦→漢→ローマ帝国→ビザンチン帝国とササン朝ペルシア
ここまで古代
→唐→イスラーム帝国(正統カリフ)→ウマイヤ朝→アッバース朝→フランク王国(カール大帝の頃)→アッバース朝→セルジューク・トルコ→モンゴル帝国→元→ティムール帝国→明→オスマン・トルコ→スペイン→イギリス→ナポレオンのフランス→イギリス→アメリカ
戦国時代の日本に関しては、秀吉がオスマントルコに勝てるとは思えない。
>>139 三十年戦争や八十年戦争では実際、野戦で戦っていた兵力は一部でしかなく
大半は要塞に配備されていた。
1632年には、グスタフは18万3000の兵力を持っていて、リュッツエンで戦ったのは
2万程度でしかない。
ナポレオン戦争までは基本的に攻城戦が中心。
野戦で決着をつけて鮮やかに勝利とはいかない。
148 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 00:41:41 0
日本の場合、戦国時代はともかくとして江戸期に入ると外国貿易は宣教師などによる統治の害はあっても技術的・経済的な
利益が低いとみなされたからな。
香辛料が欲しくて欲しくてどうしようもない野蛮なヨーロッパ人と違ってその当時の日本の文物で満足していた訳だし。
むろん海外進出も東南アジアで活躍した山田長政を見てのとおり、全く引きこもっていた訳ではない。
そして外洋船に関しては日明貿易の時代に入ると複数マストであり縦帆と横帆を駆使する本格的な船も登場するようになる。
これらの発展はポルトガル船等の南蛮人の影響もあると考えられている。
又江戸前期で鎖国前には幕府の命により西洋式帆船が南蛮人の指導により建造されていたりもする。
そしてその直後、伊達政宗の命によりこれまた南蛮人の指導の元建造された船で慶長訪欧使節団がメキシコと日本を太平洋を
はさんで2往復していたりすることはあまり知られていない。
もっとも、その直後幕府は鎖国令を全国に発し、本格的な外洋船の所持を全面禁止し、複数本マストの大型外洋船は
日本の造船史の中から消えていくこととなるのだが・・・
日本の場合、戦国時代はともかくとして江戸期に入ると外国貿易は宣教師などによる統治の害はあっても技術的・経済的な
利益が低いとみなされたからな。
>
家康は朱印船貿易を進め、シャムとの交易を幕臣にした三浦安針を
使節にたてた訳だが。
香辛料が欲しくて欲しくてどうしようもない野蛮なヨーロッパ人と違ってその当時の日本の文物で満足していた訳だし
>
朝鮮通信使が来日すると学者はごぞって外国の知識を求めに交友を求めた。
海外進出も東南アジアで活躍した山田長政を見てのとおり、全く引きこもっていた訳ではない。
>
家康死後、秀忠政権は家康の朱印船貿易を廃止し、三浦氏に家康が命じたシャムとの通称も反故にし、
交流が途絶えた日本人街は次第に寂れて現地政権に同化していく。
又江戸前期で鎖国前には幕府の命により西洋式帆船が南蛮人の指導により建造されていたりもする。
>
幕府は鎖国後、外洋可能な艦船の建造を禁止し、技術の革新や製造も禁止した。
以後日本の技術は近海に限定された運用になっていく。
香辛料が欲しくて欲しくてどうしようもない野蛮なヨーロッパ人と違ってその当時の日本の文物で満足していた訳だし
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%BE%9B%E6%96%99 香辛料と文物という異なるジャンルを対比されることで日本の優越を
誇る意図が意味不明だが、wikiによると
日本では、古事記にショウガやサンショウに関する記述が見られる他、
正倉院には754年に鑑真が持ってきた胡椒が残っているといわれる。
古くから香辛料の存在は知られていたが、気候風土の違いなどにより、
ヨーロッパのように香辛料を強く必要とすることはなかった。
江戸時代の料理に関する文献には、サンショウ、ユズ、シナモンなど
を使った例がいくつかみられるが、一般に広く用いられていたもので
はなかったようだ。当時は香辛料は海苔などと一緒に薬味として扱わ
れていた。文献では「かやく(加料/加役)」と呼ばれることが多かった。
サンショウ、唐辛子などの一部のものを除くと、日本で香辛料が多く
使われるようになったのは主に第二次世界大戦後である。
とある。気候風土からして欧州と日本とでは需要が異なる上、
日本で多く使われるようになったのはこの数十年でしかないようだが。
何を誇っているんだか・・・・
151 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 02:47:45 0
>>146 秀吉はオスマン帝国には勝てなくてもスペインには勝てるだろ。
152 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:09:02 0
海軍では100パーセント負ける
153 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:10:33 0
未来から戦国自衛隊が出現すれば余裕だろ
154 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:13:53 0
米軍も一緒に来るよ
155 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:16:19 0
戦国日本最強厨が必死だなw
156 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:21:01 0
陸軍では100パーセント勝てる
157 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:23:24 0
陸勢力を贈るにはまず海戦で勝たないと陸戦も糞もないのだが
158 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:38:15 0
というかその時のスペイン政府ってポルトガルと南イタリアとベルギーも保有してなかったっけ?
そうしたら陸軍でも100パーセント勝てるといえるかどうか。
159 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:44:04 0
陸軍力で負けている以上スペインだって日本に勝てないだろ。
そもそも当時のスペイン海軍が100パーセント日本海軍に勝てるかも微妙。
当時スペイン海軍は地中海での戦闘を想定していて外洋での戦力はたいしたこと
ない。
アルマダの時でさえ船に陸兵を満載させて横付けしてから切り込むつもりだった。
日本の艦隊も兵力では遥かにスペイン海軍を凌駕していたからな。
160 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:46:56 0
ポルドガルとの合邦でアモイもマカオも自動的にスペインの支配下
だからフィリピンと並んで極東の拠点だし
一大香辛料の産地だったマルク諸島の権益も握っていたマラッカ
王国は1641年にオランダに占領されるまでポルドガルの植民地。
1600年代前半のスペインの東南アジアから華南にかけて拠点構築は
非常に強い。よほどの事情がない限り手放す事もありえない。
フッガー家らへの返済に追われるスペインは南米ポトシ銀山から
産出した銀を明や清に持ち込むためにわざわざアンデス越えて
流通させてんのに秀吉が東南アジアを抑えようとしたら
絶対に阻止しようとするだろうな。
161 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 03:58:56 0
日本の艦隊とやらが兵力でスペインも上回るのに
なんで朝鮮を征服できなかったんだろうな。
162 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 04:00:27 0
>>160 当時の東南アジアのスペインの拠点なんて全部日本人町があって相当数の
日本人傭兵が住み着いていた所ばかりじゃん。
163 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 04:06:31 0
明末の動乱を避けて東南アジアに移り住んだ華僑らは
華僑の組織化しようとして2万人虐殺されている。
華僑より人口比率が少ない日本人町など同様の運命を
辿るだろう
164 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 04:19:49 0
>>161 明軍10万が来援した朝鮮の征服に失敗したからといって5000人の海賊が籠城していただけの
アルジェリア征服に失敗したスペインより弱いことにはならんだろ。
165 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 04:28:05 0
ちょっと待て。
実際戦う事を想定してるわけなじゃないだろ?
日本とスペインが東南アジアで戦うとかわけわからん。
スペインは本国から遠すぎるし。
保持している艦隊や武器、経済力や人口などをふまえた上でどちらが強いか考えよう。
166 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 04:49:44 0
インカ帝国やアステカ帝國を傘下に収め今のオランダやベルギーや
南イタリアに権益持っていたスペインが朝鮮すらろくに制圧できない
日本より弱いってことにはらなんだろ。
タコを悪魔の魚と恐れ、年がら年中
動物虐待まがいの剣や槍を牛に必死に
つきたたててるスペインに牛や熊に
素手で立ち向かう神の拳を擁する日本が
弱いわけない
169 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:32:46 0
牛殺しの大山倍達は在日コリアンなんだが、つまり日本人より朝鮮人の
方がスペインより優れているということだな。
170 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:34:06 0
171 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:47:19 0
172 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:57:00 0
>>166 仮にスペインが日本の位置にあったとして1588年のアルマダの海戦の時の戦力で
朝鮮半島を制圧できたと思う?
陸兵1万9000で明軍10万とどうやって戦うんだ?
軍事技術に関して石器時代のままだったインカやアステカとは訳が違うぞ。
173 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 05:58:05 0
174 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 06:01:51 0
ヌルハチはサフルの戦いで明軍10万を撃破したんだが、秀吉は
抜けなかったのはなんで?
175 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 06:12:08 0
>>174 兵站を朝鮮任せだった明軍に対して補給路を維持するために兵力を分散配備した
状態で当たらないといけなかったから。
ヌルハチは長距離遠征してきた明軍を自国内で迎え撃ったわけで補給路の心配は
無いし。
176 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 06:16:16 0
177 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 06:23:23 0
>>176 何でだよ?
ヌルハチが兵力を機動的に集中運用できたのは自国内で敵を迎え撃ったからじゃん。
178 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 06:28:32 0
つまり秀吉はスペインにしろ朝鮮にしろ兵站に問題がある訳だな。
っていうか
秀吉以外の日本の武将は海外に興味ないし・・・
180 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 09:57:59 0
181 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 10:34:18 0
>>146 スペインは入れなくていいと思うにゃ〜。
オスマンに勝ててた時代ないでしょ。
朝鮮出兵失敗の原因は半島が不毛すぎて遠征軍10万人の兵糧が確保できなかった事と
西国大名ばっかり動員したので、慣れない寒さですぐに病気になったから。
>167
日本にも南蛮式の胴当てとかあったと思うが・・・
機動性からして、カブトムシと変わらない全身アーマーにどのような優位点を見出すかによると思うが。
弓を防ぐならまだしも、接近戦での打突戦になると重い防具を付けた方が体力的にみてもかなりのハンデに
なると思うのだが・・・
184 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 16:48:29 0
>>182 はじめから10万人もの食料を現地調達しようなど本当に日本人は
無計画なんだなと実感。
インパールでもニューギニアでも中国戦線でも同じ事して
ひどい目にあっている。
やはり日本人は根本的に計画が大雑把なのでとてもじゃないが
世界に冠たる国として通用した時代は無いと思われ。
戦後になって貿易国家になってからようやく自国製品が通用するように
なってきたけどそれも占領軍のもちこんだ品質管理思想のおかげだし。
>>166 当時スペインの財政は慢性的な赤字を抱えてかなり悲惨な状態だった。
インカ帝国やアステカ帝国から入ってくる富はあっというまに先細りになるし、
今のオランダやベルギーは紛争の真っ只中。
南イタリアの地中海貿易も常にイスラム勢力によって脅かされていたし。
大体スペイン内ですらまとめ切れていない。
軍隊を派遣したり戦費を負担するのはカスティーリャ王国のみでその他の地域は
一切の協力を拒否。
だからフェリペ2世は何回も破産宣告に追い込まれているだろ。
186 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:16:28 0
で秀吉はスペインより強いの?秀吉が征服したのは日本国内だけで
結局異民族の国をどこも征服できなかったんだが。
187 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:18:08 0
ちなみに財政状態が悲惨な国というと大日本帝国なんかも
典型的な貧乏帝国だったよな。
188 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:22:20 0
>>181 レバントの海戦の結果、オスマントルコは西地中海の覇権を
失い2度と回復することはなかった。
189 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:23:06 0
>>186 戦国日本という括りでなら北海道や沖縄を征服しているよ。
190 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:30:32 0
琉球への侵攻は1609年だし
蠣崎氏は道東、それも半島周辺しか当時押さえていなかったのだが。
191 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:33:48 0
>>190 だからわざわざ戦国日本という括りでって書いてるのに。
あと、一部の地域しか押さえていないってのは当時のスペインの植民地にも
当てはまることだな。
192 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:34:27 0
ちなみにフェリペ2世の新大陸からの収入は莫大なもので
フェリペ2世の国家運用が誤っていただけの話だ。
国力自体は日本の比でなかろう。
俗に7つの海を支配した帝国ともいわれるが、秀吉が支配した日本が
そういう風に言われた事は寡聞にして知らない。
193 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:39:20 0
>>191 支配している領域の総和と収益がそもそも桁違いなのだが。
スペインはエンコミンダ制の上がりや銀貿易で儲けたが
(暴落してはいるが)
フィリピンの場合、スペインがどうしても抑えられなかったのは
ミンダナオやスール初頭を中心に暮らしているイスラムを信じるモロ族の
ぐらいかな。
194 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:42:45 0
>>191 ちなみにそろそろ日本で自慰発言するのはやめたほうがいいよ。
要はスペインより日本がすごい国だったと言いたいんだろうけど
そういう自己満足にはつきあいきれないから。
195 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:49:22 0
戦国日本は世界有数の金銀産出国だよ。
196 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:50:28 0
>>190 要するに「秀吉の時代」には沖縄は全然抑えられていないわけだね。
唐入りを計画するも、寸土も得ることもできず。
明の援軍10万人の為に朝鮮すら落とせないようでは
女真以下であることはまちがいないな。うん。
197 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 17:57:53 0
アルジェリアを落とせなかったスペインよりは上だろ。
198 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 18:02:48 0
いずれの異国も落とせていない秀吉好きがいったところでな(苦笑
ま、日本厨はがんばってなさい。俺は日本シリーズ見てくるから。
199 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 18:04:38 0
だいぶスレ違いで申し訳ありませんが、助けてください。
実は今都立高校に通う1年でありますが、うちの学校は2年次に文系・理系に分かれます。
んで僕は文系です。悩んでいるのが世界史か日本史どちらをとるかということです。
僕は基本「社会」という授業は苦手で嫌いなのですが、文系選択者は世界史か日本史のどちらかを選択しなければいけないのです。
ちなみに将来は音楽雑誌の編集者になりたいと思っているのですが、将来的には世界史と日本史どっちが必要ですか!?
また、音楽系の大学やマスコミ学の大学に進むにはどちらが必要か。
僕と同じようなことを目指している方などの意見お待ちしております。
どうか意見お願いしますです。。
>>184 現地調達ならナポレオン戦争でも主流ですぜ。
だからロスケの焦土作戦が有効だったわけで。
でもカエル野朗は当時世界最強。
そういや明軍も焦土作戦やってたな。
糞重い兵糧を何百キロも輸送するのは自動車も無い時代にはむりぽ。
202 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 18:23:00 0
>>201 ありがとうございます!!
2ch初心者なんでそんな板あるの知りませんでした。
聞いてみます!!
……いま世界史必修じゃなかったか?
地歴のうち世界史AかBから1つ、
日本史AB地理ABから1つ、
合計2つ履修だったように思うのだが。
204 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 21:20:46 0
>>200 ナポレオンの敗因にコルシカ島出身だったので
島育ちの悲しさか感覚的にロシアの広大さを理解できていなかった事も
指摘されている。
秀吉も日本軍もいざ侵攻してみると半島もオセアニアも東南アジアも
オセアニアの広さというものを根本的に理解できていないんだよね。
ポートモレスビー攻略なんてひどいよ。
まともにいったらやられちゃうからよーしパパ迂回して攻略しちゃうぞー
なんていう感覚でいくんだけど等高線記された地図でないから
もう全然とおくて話になんないの。
そもそもの計画が南方は天国だよ。フルーツわんさかなりまくりで
現地調達ウマーとおもいこんでいったら、そんなものないの。
餓死者続出でポートモレスビーなんかとてもいけたもんじゃなかったの。
構想だけは昔から雄大なんだけどね。唐入りするとか大東亜共栄圏とか
ぶちあげるけれども全然中身がともなわないのね。
>>204 2次大戦は16世紀の話にはあんまり関係無いと思うぞ、日露では補給は万全で
脚気になるほど美味しい白米を食べてたんだし、民族的に思考が幼稚、とまではいえない。
話は変わるけどさ、絶対オスマンもスペインも過大評価だよ。
16世紀最強は大明で決まりだよ、絶対。
ためしにさ地中海のところが、ドーンと大明だった想像してみなよ。
相手が万暦帝だったとしても、スペインもオスマンも朝貢国に違いないって。
206 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 00:50:56 0
スペインはともかくオスマンは明より強いだろうな
明はやれば出来る子。
農民から重税取ったり、天子様が贅沢したり、官吏が腐敗したり
しなければ誰にも負けないお!
バイエルン侯がいつだかに動員した14万の内、兵士は4万程度、
関ヶ原で井伊勢3600の内戦闘員は4割程度。
よく兵力○○万と言われるがその内戦闘員は何割くらいになるのだろう?
209 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 01:10:20 0
日露戦争では次第に戦争継続が難しくなってアメリカを仲介に
講和してしまうわけですがもちろん日本の国力が続かなくなったからですね。
そういえば乃木大将は高地取るのに人的損害を無用に重ね
果たして名将であるかどうか・・・・明治帝もその件で乃木を
好ましく思っておられなかった。
ちなみに軍板で「おいしいご飯とお味噌汁があれば日本は勝てた」なる
糞スレを立てた奴がいた事を思い出したよ。林太郎が自説に固執して
麦飯をけり多数の脚気患者や病死者を出したのは権威主義が
日本軍にはびこっていたからか。舞姫のエリス嬢を捨てて以来センセは
日本の批判はなさるがご自身の事は反省しないいやはや旧軍の伝統は
その後形を変え、対艦巨砲主義に固執したあの人やジンギスカン作戦で
餓死者出したむっちー君や餓死者続出の辻ーんに受け継がれていくので
あります。
ためしにさ地中海のところが、ドーンと大明だった想像してみなよ。
>
あらゆる条件を無視してどうだすごいだろうといってほしいのですか?
坊やすごいね。よく出来たね。かしこいねー。
満足いただけましたか(笑)
平地に軍隊を並べて激突したと仮想してみようよ。
そうすればどこが強いのか一目瞭然
211 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 01:33:30 0
平地じゃ海軍国の立場が無いわけだが
よし明刻で決定
明に限らず、時代別に最強を決めていくと中国の歴代統一王朝が並ぶだけ
になる悪寒。18世紀までの経済力って圧倒的じゃん。
>>214 晋、隋、宋は「最強」とはいえんだろう。
216 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 03:05:33 0
そんなことはない。
中国はモンゴルに侵略されたし、ティムールよりは弱いだろうし、女真やオスマンよりも弱いだろ。
ヌルハチを撃退できたのもポルトガルから学んだフランキ砲の威力があったから。
軍事技術では明の時代に西欧やオスマンに相当差をつけられていたと思われる。
217 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 03:06:44 0
また兵の弱さでも中国はダントツ。
何故こんなに弱かったかというと、軍事を軽んじる儒教の影響だと思われる。
中国は人口が多いし、したがって兵力も多い。
技術だって悪くない、スペックだけ見ると最強だが、
戦歴を見るとかなり悲惨。
弱兵という数字に出ない補正をどう評価するか。
中国と西洋の国とのガチンコ対決でもあればはっきりするのだが。
アヘン戦争まで無いしタラス河畔だって小競り合いだし。
なんか中国ボロクソだなw。後漢、唐、元、明、清の最盛期は最強に入れてもいいと思うが。
220 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 07:10:21 0
>>218 17世紀には台湾をめぐって鄭成功とオランダが戦ってるし、康熙帝もロシア軍とアルバジン城で
戦っている。
規模的にはあまり大きくない戦いだけど、一応どっちも相手を撤退には追い込んでいるよ。
221 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 11:55:01 0
>>220 どちらも中国本土に圧倒的に近く、相手側は本国から圧倒的に遠いので比較の対象にならない。
康熙帝〜乾隆帝前半までは清が最強でいいんじゃない
中国本土に圧倒的に近く寡兵で明を叩いた女真はすさまじく強いな。
>>221 いちいち例外認定して、結局評価できない罠って香具師だね。
現在に至るまであれだけの規模の国を維持しているだけで
相当強いんだろうな。
>>223 女真が明を征服できたのは、明の自爆の結果のような。
強いには違いないけど、すさまじく強いって印象は無いんだよな。
朝鮮の鉄砲隊が風向きを考えずに打ちまくったため硝煙で前が見えなくなったり、明には不利な条件が多かった。
>>221 オランダの東インド会社とロシアのコサックという陸と海で西洋の勢力拡大の
原動力になっていた先兵部隊を撃破したことは評価できるんじゃないの?
鄭成功なんて中国の一部を押さえていただけの武装勢力に過ぎなかったわけだし。
十数隻のオランダ艦隊を海戦で撃退したことも大きいと思うけど。
それから康熙帝にとっては直後に行なったジューンガル部との戦いがメインで、
対ロシア戦はあくまでもその前哨戦という位置づけだった。
どちらの戦いでもヨーロッパ人の要塞を砲撃で攻略したわけだけど、アルバジン城は
特に最初から清軍の火砲を意識して造られた稜堡式の要塞。
中国のことわざで「いい鉄は釘にならない」だっけ
それに続くのが「いい人間は兵隊にならない」だったような
つまり中国軍の兵士、特に下級の資質は問題があるため
いくら兵器が上でも士気や素質という点で見劣りするんでは
まあ女真が明を征服したのではなく
性格には明を征服したのは李自成の大順であり
この大順を都からおったのが清なんだよな
ただし40日ほどで都を追われたので大順は正史編纂事業など
やっていないし正史の流れでは明→清なんだ。
230 :
世界@名無史さん:2005/10/24(月) 03:45:38 0
中国は上り調子の時は無敵。
ただし、停滞と衰退期は無敵ではない。
ヌルハチは元々明征服の意思を持っていなかったと言われている。
女真統一と対明利権の確保と女真統一後に朝鮮に対する優越には
積極的だったし晩年は自衛型戦争から一転して遼東の確保に向けて
積極的になっているけど明制圧は考えていなかったろう。
明攻略を意識したのは後継者をさだめなかったヌルハチが急逝し(部族連合を考え、世襲は意識していなかったともいう)
後継者の争いに勝利したホンダイジ。
清が呉三桂を誘降すると明を滅ぼした李自成が大軍を駆って討伐しに着たが、呉三桂と清が連合し之を破り、
山海関が閉じられると迂回してモンゴルと婚姻関係を結び支配下にいれ、長城内に侵入し、都落ちした李自成に
変わって北京を掌握し、やはり急死したホンダイジに変わって実験を握ったドルゴンと遺児フリンが入場し
即位、大清の中華支配がはじまる。
当初ドルゴンは金華北は制しても明の残党や逃亡した李自成が軍を建て直し、長江を挟んで南北朝あるいは
金宋のような勢力関係になると思っていたが、李自成はあいついで脱走者が出て次第に軍の体を成さなくなり、
最後には農民に討たれて横死した。
江南を中心に各地にたった朱政権も連携がうまくいかず、次第に清に追い詰められて各個撃破されていき、
大順も残党が各地に割拠したが、康熙帝の御世に平定された。
事の経緯と次第をざっと見ていくと草創期のヌルハチの困難や後継者のホンダイジやドルゴン、順治の
功績はやさしくは無いが、圧倒的な強さで中国を征服したというよりはむしろ明と李自成の乱、呉三桂の誘降を活用して
勢力を拡大し実力をつけながら、全土を征服していたったという方が正しい。
無論サルフの戦いはきびしいものであったが、特に天下分け目の大合戦と言うほど明が底力を出して
それを叩き潰した上で征服した気がしないんだな。
崇禎帝は生前、李自成にすら「それほど悪い帝では無かった」と評しているが、いかせん猜疑心が強すぎた。
ホンダイジに離間の計を使われて袁崇煥処刑したのはまずかった。
荒れなかったら、山海関落ちなかったのでは。 李自成にやはり攻められて滅んだかもわからんけどw
232 :
世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:34:06 0
age
日本>スペイン
234 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 02:17:26 0
モンゴル帝国(13世紀初頭〜14世紀中頃)→ティムール帝国(14世紀末)→明(15世紀前半)→
オスマン帝国(15世紀後半〜17世紀中頃)→清(17世紀末〜18世紀前半)→イギリス(18世紀後半)→
フランス(19世紀初頭)→イギリス(19世紀中頃〜20世紀初頭)→アメリカ(20世紀中頃〜現在)
235 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 02:30:02 0
18世紀の前半だったらフランスのほうが清よりも強そうな気がする
これってトリビアの種出してかなりの歴史家に集まってやらせたらどんな結果になるんだろうなあ
まあ世間の世界史の認知的に視聴率取れないだろうからやらないだろうけどね・・・
やっぱその人が専門でやってる世界に偏った結果出すんだろうなあ
たいていの日本の歴史家様は下賎の行為たる軍事がお嫌いでございますから企画そのものが成立しませんことよ
238 :
無名さん:2005/10/25(火) 20:51:42 0
>>218
士気が低かったからじゃない?
当時の「世論」によって最強国または軍事的モデル国とみなされた国々(欧州・近代・陸軍限定)
15世紀後半〜16世紀初頭(ラ・ビコッカまで):スイス
16世紀中葉〜17世紀前半(ロクロワまで):スペイン
17世紀初頭(瞬間風速的に):オランダ
17世紀中葉(ごく短期に):スウェーデン
17世紀後半〜18世紀前半(ロスバッハまで):フランス
7年戦争〜18世紀後半(イエナ・アウエルシュタットまで):プロイセン
革命戦争・ナポレオン戦争〜19世紀前半(セダンまで):フランス
普仏戦争〜:ドイツ
>>233 日本厨は世界では相手にされない
ためしに英語掲示板で同じこと書いてみろよ
笑われるだけだぞ
まぁ中国人も中国最強とか掲示板に書いてるんだろうが
某国の人間も書いてそうだな
朝鮮民主主義人民共和国>越えられない壁>その他全て
なんて言い出す<ヽ`∀´>と同類ってことやな
>241
待て待て、単純にその書き方だと誤解を招く。
確かに我々凡俗では超えられない面があることは否定しがたい事実なのだから。
243 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 00:26:55 0
>確かに我々凡俗では超えられない面があることは否定しがたい事実なのだから。
なるほど、我々凡俗が考えうる最悪の状況に対して、
彼らはさらにその斜め上を行っているということか。
北朝鮮民主主義人民共和国>超えてはいけない一線>その他全て
>>239 以外にもポーランドって共和国時代もモデルにはなりえなかったんだ
246 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:51:59 0
ヨーロッパの陸軍限定だと15世紀初頭のボヘミアも瞬間的に滅茶苦茶強い時期があったな。
ただ戦法が特殊過ぎて軍事的モデルとはならなかったけど。
>>240 実際前近代でもいい線までいってたんだからさ。非欧米で近代化の波に乗れたのは下地があったからこそだろ。
世界に比べりゃ〜なんて言い回しを持ち出してきて是が非でも矮小化を試みるの、なんか屈折を感じるよ。
というよりヨソではやるなよってたしなめてるんだろ?
戦国日本厨の方が屈折してると思うが
無理して日本を列強に加える必要もないだろ
日露戦争まで待て
250 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 18:28:58 0
考察すると自然日本は列強に入ってくるからしかたない。
かの国のお人?
251 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 19:03:03 0
戦国〜安土桃山の日本は当時の欧州の国とガチで戦えるかもしれないが
そもそも当時の欧州諸国はほとんど海の上しか征服してないからなあ。
要するにヨーロッパ型の軍事モードとトルコ・ロシア・中国のような
大陸型の軍事モードがあって、前者の力が圧倒的になって名実ともに
世界列強と呼べるようになったのは19世紀頃からだから、16世紀に
日本がスペインあたりと対抗できる力をもってたとしても、それで
列強というのはつらいものがある。
252 :
251:2005/10/26(水) 19:13:15 0
ちなみに大陸型の軍事モードが優勢だったという話ではない。
二次大戦中に日本とフランスがタイマンだったら日本は勝てる?
日本が超国アメリカじゃなくてヨーロッパ勢と戦ってたらどれくらいの実力だったのか気になる。
イタリアよりは強いんじゃあないかとは思うんだけどw
254 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 20:30:03 0
第二次大戦時では
アメリカ>>>ソ連>ドイツ>>イギリス>>日本≧フランス>イタリア
ぐらいに見立ててる。
大戦数年前から日本はけっこうな勢いで成長、フランスとイタリアは沈滞傾向だったから
もうちょっと前の時期なら日本はイタリアと最下位争いだったと思う
255 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 20:32:07 0
大戦がもし無ければ、60年代を待たずにイギリスを抜いてたであろう勢いではあったよ日本の成長は。
>>255 それはどこの時点からの外挿かね。大恐慌前?
257 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 20:39:53 0
第二次大戦でイギリスとタイマン勝負できるなら日本は大喜びだったと思う。
258 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 20:46:17 0
>>256 恐慌前から経済成長はしてたけど、恐慌を経ても日本(とソ連)はほとんど後退せずさらに成長度を増した。2年ほどの回復期間は置いてたが。
新興国の強みだと思う。イタリアはというと、なぜかジリ貧なんだが・・・フランスは恐慌の被害が他国に比べて遅れて出てきて、長い間低迷してた。
259 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 20:51:21 0
元 → ティムール帝国→ オスマントルコ帝国 → スペイン→イギリス→ナポレオンフランス→ イギリス→ヒトラ−ドイツ→アメリカ→統一コリア
>>258 WWII突入以前の日本経済論はちゃんとした精査が必要だと思うジャンルだと思うけど。
恐慌前における日本の高度成長には同意。
1940年オリンピックを誘致できる国際政治力があることさえ驚きだ(東洋の有色人種国家がオリンピック!)。
ただ、それが恐慌以後も維持できていたかというと...??
東北などの国内弱者の切捨てによる成長率維持?
満州などの対外投資による見かけの成長率維持?
こういったスレでは散々既出だろうけど、
最初からドイツとソ連がタイマンだったらどうだったんだろう、ソ連は結構ハリボテでほんとに大国だったかは諸説あるらしいけど
フランス戦でずいぶん兵使ってたドイツにスターリングラードまでなかなかハッキリした勝ちとれなかったのはそんな圧倒的力あったのかなって思うけど
といか当時の軍事力はどうやって判断してる?やっぱ基本的に戦歴重視?
質問側じゃなくて答えられるくらいになりたいんだけど、本とかではどんなの参考にしてる??
262 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 23:22:17 0
>>261 独ソ戦だけなら学研の『独ソ戦全史』とかが安上がりだと思う。
その本の内容ではソ連の勝利はそれなりに妥当な感じ。
他にも何冊か持ってるけど第二次大戦関連の本は集めだしたらきりがないから・・・
>>250 入らない、入らない、
技術的にオスマンや西欧には勝てないし
かといって明ほど人口抱えてないし
まぁ日本は地域大国ってところで
そもそも世界史的に重要な役割果たしてないからその時点でアウト
>>262 即レスありがとう。
なるほど、国家しぼってもいくらでもありそうだもんねえ、参考になったよ
>>260 高橋是清が神だったからだよ。
アホ将校に5・15事件でぬっころされちゃったけど。
大体、16世紀の中国や日本はヨーロッパの使い捨ての武器を
高値でふっかけられ
中国皇帝は西欧の時計収集に熱中
天文学その他諸科学でも西欧に負けってそんな状態
最近かの国の悪影響で実力不相応に自国を持ち上げることがはやってるみたいだ
267 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 00:16:11 0
>>266 それを言ったら16世紀の西欧なんて中国や日本やインドの物産を買いあさりに何千キロも航海をしてきたわけで。
イギリスなんて19世紀でも中国に売る物がないからアヘンで貿易収支のバランスを取っていた。
物の生産では19世紀まではアジアのほうが豊かだったと思うよ。
268 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 00:19:14 0
ただ、科学的知識や軍事力では16世紀から西欧が優位に立ったと思うけど。
269 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 00:31:39 0
>>268 インカ・アステカ対スペインみたいに文明レベルに圧倒的な差がない限り
軍事力を決めるのはまず量だよ。
アフリカ大陸なんてただ単に鉄製の武器が普及していたというだけの理由で
19世紀になるまで征服することが出来なかったんだから。
270 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 01:08:59 0
>>263 そもそも世界史的に重要な役割なんて客観的に計れるものなのか?
例えばこの先ヨーロッパが没落して東アジアが台頭したら、朝鮮の役の方が
アルマダの海戦やレパントの海戦よりも世界史的に重要な出来事として位置付け
られるかもしれないじゃん。
そうしたらオスマン帝国やスペインは世界史的に重要な役割を果たしてないという
理由で李氏朝鮮よりも下になるのか?
遠い未来で今の時代を振りかえるときに現代の日本はどんな評価をされてるんだろう?
やっぱり17世紀後半のオランダぐらい?
272 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 09:57:59 0
>>263 都合に応じてオスマンの威を借ることもないと思うよ。
あなたは基本的に欧州派でしょ
>>267 あなたのおっしゃるアジア(ry
ってのはともかく、物の生産に関してアジアに日本を含めるのは無理がある
日中戦争時で50数個師団しかない日本軍が
100師団以上を有するフランス軍に勝てる図は
想像できないがな
275 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 14:05:38 0
フランスは瀕死の状態になってもイタリアの侵攻を拒む位強かったんだよ!
277 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 15:03:40 0
ヨーロッパの軍隊がアジアのランドパワーを撃破するようになったのは
プラッシーの戦いあたりからかな。
279 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 16:26:45 0
>>273 どういう資料に基づいて書いてるんだ?
物の生産に関して日本をアジアに含めない方が無理があるだろ。
>>274 日本には真珠湾をこうりゃくしつつレパルスやウェールズ攻略するために
反転して攻略する精神がある。
たかが100師団=100万人ぐらい機銃掃射でいちころだろ。
アメリカという土地がなかったらどこが最強になってたんだ?
大戦後はソ連対ヨーロッパになったんだろうか、
というかドイツとソ連の関係によってはとんでもない世界になってそうだな、歴史に「もし」はタブーだけど、ほんとに想像が広がって楽しいな
アメリカがなければ向かうところ敵なしの日本が世界を制覇していたのはまちがいないだろ。
アメリカ以外に負けたことがないのだし。
日本最強は無いとは思うけどたしかに、
アメリカがなければ日本がソ連を東から攻めて、インドとか東アジアを反英仏で枢軸側に上手く組み込めば
イギリスも実際ボロボロだったし、世界取ってたかもねえ
まあ世界全体が軍国の恐ろしい世界にはなってただろうな
アメリカが初めから無ければ作戦やらなにやらも全然違うから分かんないけどね・・・
284 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 22:33:07 0
ノモンハンでソ連に負けたような・・・
第二次大戦の日本はそんなに強くない。
国力だけ見ればイタリアといい勝負。
286 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 22:51:14 0
ふむ、当時の精神論は、今や敗因のひとつとして大いに馬鹿にされるところであるが
日本とイタリアを比べれば、精神論や近代批判がいかに正しかったがわかる
国力や老獪な状況判断などよりもな。
>アメリカがいなければ
狡猾な国しか居なくなって、下手をすると日露戦争の段階までたどり着けないのでは?
(南北戦争が起こらなくても似たようなものだったかも)
……別にアメを持ち上げたいわけじゃありませんが。
イタリアはWW2の戦勝国
日本は敗戦国。
政治手腕、外交手腕はイタリアの方が圧倒的。
289 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 01:28:58 0
>>286 精神論や近代批判が正しかったことがわかるんだろ。
圧倒的な国力の差の前に完膚無きまでに叩きのめされた事実をみなくちゃ。
290 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 03:03:29 0
周王朝ってどうだったんだろう。
291 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 04:58:25 0
>>290 比較対照となるのはアッシリアあたりだと思うのだが、アッシリア軍の武器は鉄製だったし
戦車に加えて騎兵まで存在する。
それに対して中国の軍隊に鉄製の武器や騎兵が普及するのって戦国時代になってからだよね。
牧野の戦いなんかが曖昧な記録しか残っていないのに対して同時期のオリエントの戦争って
時期や参加兵力をかなり詳細に特定できるものがいくつもあるんだよね。
さすがに周王朝の時代だとオリエントに対して文明のレベルでかなり見劣りするような・・・
人口はどうだったの?
いくら軍事技術が進んでても雲霞のごとく雑兵が出てくると結局勝てないよね。
世界的に中国なんかより発掘が進んでるせいもあるんじゃないかな。
昔の人口に関しては資料も曖昧そうだよね
永楽帝対ティムールはぜひ実現してほしかったな、イランと中国の距離が半分以下ならなあ
ティムールは病死だっけ??
294 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 17:01:12 0
>>292 人口については流石に昔過ぎてざっと調べただけでは詳しいことが分からないので
周王朝時代周辺の主だった合戦の参加兵力を書いとくよ。
「カデシュの戦い」紀元前1285年
エジプト:兵2万、戦車200台 対 ヒッタイト:兵1万7000、戦車3500
「牧野の戦い」紀元前11世紀
殷:兵70万 対 周:兵4万8000
「ミクマスの戦い」紀元前1018年
イスラエル:兵3000 対 ぺリシア人:戦車3万台、騎兵6000、歩兵多数
「カルカルの戦い」紀元前853年
アッシリア:兵4万? 対 ダマスクス・イスラエル・アンモン連合軍:歩兵6万2900、戦車3940台、騎兵1900、駱駝兵1000
「ステニュクレロスの戦い」紀元前684年
メッサニア:兵力不明 対 スパルタ:兵力不明
「城濮の戦い」紀元前632年
晋:兵力不明、戦車700乗 対 楚:兵力不明
一見すると中国の動員力って圧倒的なんだけどね。
詳細に記録されている合戦ほど参加兵力が少なくなるように感じるのは気のせいかな?
カデシュの戦いについては双方の記録が出土しているのでかなり詳しいことが分かっているらしい。
295 :
294:2005/10/28(金) 17:12:43 0
ミクマスの戦いでイスラエルと戦ったのはぺリシテ人の間違い。
296 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:27:15 0
鉄製の武器を持ってる軍隊が青銅器の軍隊に負けるわけがない。
インカやアステカが弱かったのはそこが根本的な原因。
アステカ対周はやっぱ周勝ち?
中国で本格的に軍隊に馬がはいってきたのはいつゴロ?
しかし殷軍70万てありえないですな。色んな意味で
300 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 14:02:29 0
夏はどうでしょうね?
301 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 17:41:55 0
時代を遡れば遡るほど中国はオリエントに対して不利になるよ。
夏王朝時代にはオリエントの戦争を席巻していた戦車がまだ中国に伝えられていない。
302 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 18:30:36 0
オランダやオスマン・トルコも入れて。
303 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 20:09:53 0
オランダが世界最強?なんか違うよな〜
304 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 23:59:26 0
海軍のみに絞れば世界最強だった時期もあったかも。
海だけでの時代別世界最強はどうだったかね
海だけ見たら
ペルシャ ギリシア フェニキア ローマ ヴェネチア オスマントルコ スペイン オランダ イギリス アメリカ
かなハンザもどこかに入ると思うが
307 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 07:11:47 0
>>306 世界最強の海軍国というわりには地中海のみでしか戦えない国が多すぎないか?
外洋で戦うことを考えればヴァイキングや永楽帝時代の明は絶対に含まれるべき。
前期倭寇の頃の日本だって外洋では強国だろう。
308 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 11:46:27 0
ヴァイキングや倭寇は船で移動して上陸して戦うものだと思ってたが。
鄭和の遠征も東南アジアでちょっと海賊と戦っただけで実力は未知数だし。
>306は左端からオスマンまでが地中海専用だな。
以下ほぼチラシの裏
●少なくともローマまでは「海といえば地中海」っていう時代だから、最強認定しても問題ない気がする。
●左から2番目のギリシアはアテナイと書き換えてもそんなに強力な反発は出ないんじゃなかろうか
●もしも明を入れたければ、「(一瞬)」っていう但し書きが必要では?
政府全体として長らく海洋進出を企図していたわけでもないだろうし。
●「上陸作戦能力ナンバー1」なんて微妙な部門があったら一時期の倭寇はノミネートされてもいいかも
●誰かアジアとインド洋について知識があったら語ってくれ。オマーンとか。
310 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:46:46 0
倭寇とヴェネツィア海軍はどちらが強かったのだろうか?
もちろんヴェネツィアだろう。
ガレー船で日本近海に来たら、荒波ですぐに沈没するよ。
312 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 16:29:21 0
>>309 ローマについてはブリタンニア遠征の過程で海戦も行なってるから地中海専門
という訳ではないと思う。
それから明について「一瞬」って但し書きが必要ならスペイン、オランダにも
必要じゃないのかな?
オランダ海軍なんて強かったのはトロンプが健在だった間のみだろ。
英蘭戦争でも大半の期間はイギリスに対して劣勢だったし。
あと、海岸線のどこにでも上陸作戦を行なえるというのは制海権を握って
いないと出来ないこと。
弘安の役の時だって元の艦隊に対して海戦では優勢だったし、敵船に切り込む
戦法が主流のあの時代は上陸作戦に強ければ海戦にだって強いだろ。
倭寇については国というか
海賊をさす通称なので戦い的にいえば
フランス・アメリカに勝ったベトナムが
最強といえなくもないからちょっと違う
かなと思う
ヴァイキングについてはノルマン朝として
最強に入れてもいいかな
314 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 20:27:14 0
倭寇とオスマン海軍はどちらが強かったのか?
オスマン海軍だろう
315 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 20:27:48 0
ようは明の海軍が弱すぎただけの話。
倭寇が強い訳じゃないだろ。
316 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 20:48:56 0
兵力を語るスレなのか国力を比較するスレなのか、いまいちわからん
318 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 23:06:14 0
倭寇の主力の一つは村上水軍だろ。
村上水軍がヴェネツィア海軍に太刀打ちできるとはどうしても思えない。
前提:局所戦で軍事な勝敗の有無は、「世界最強」とは関係ないと定義。これだと、
USを破った20世紀のベトナムが最強となってしまうが、20世紀の最強国家はUSでしょう。
2位が近接している場合は一応2位も記載。
紀元前5世紀 ペルシャ
前4世紀 ペルシャ
前3世紀 マウリア朝、シリア
前2世紀 ローマ、匈奴
前1世紀 前漢、ローマ
1世紀 ローマ
2世紀 ローマ
3世紀 ササン朝、ローマ
4世紀 ローマ
5世紀 北魏、エフタル
6世紀 ササン朝、突厥、
7世紀 唐
8世紀 イスラム帝国
9世紀 イスラム帝国
10世紀 ビザンツ
11世紀 セルジューク朝、遼
12世紀 アイユーブ朝、金
13世紀 モンゴル帝国
14世紀 モンゴル帝国(チムール含む)
15世紀 明、
16世紀 オスマン朝、スペイン
17世紀、ムガール朝、フランス、
18世紀 UK、ロシア
19世紀 UK、プロイセン(ドイツ帝国)
20世紀 US、USSR
21世紀 多分US、で、中国か?
訂正
前3世紀 秦、マウリア朝
17世紀 清、フランス
前4世紀 ペルシャ マケドニアでは?
323 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 17:47:18 0
17世紀のムガル朝はは微妙。オスマン朝のほうが圧倒的に強いだろ。
18世紀ならロシアよりもフランスのほうが確実に強い。
324 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 18:36:17 0
遊牧で考えると
スキタイ
ガリア
匈奴
フン
突厥
モンゴル
の順番か?
325 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 18:47:39 0
>>323 17世紀になると、オスマン帝国はハーレムの肥大化、
無能なスルタンの続出、イェニチェリの軍閥化などによって
衰退し始めます。その衰退化は、第2次ウィーン包囲の失敗
により、さらに加速されることになります。
326 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 18:48:55 0
唐は当時、アメリカ合衆国のようなスパーパワーと聞きました。
327 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 18:50:28 0
そこで、大国(スーパーパワー)になる条件みたいなことをここ世界史板の碩学たちで
抽象してみませんか?
たとえば
1、民族・人種を問わない国家
2、・・・・・・
見たいな感じで。
328 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 20:57:06 0
>>325 第二次ウィーン包囲はスレイマン以降停滞していたオスマンが改革を行い、かなり成果が出た結果起こした遠征。
その直前はオスマンは最大の領域を確保したほどだ。
決して衰退したわけではないよ。
ただし、西欧の軍事力の発展がオスマンを上回っていた。
ムガルと比べた場合はオスマンの優位は揺るがなかったと思う。
329 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 21:49:44 0
1万数千年前の太平洋に存在していた「ムー王国」
首都:ヒラニプラ
330 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 04:07:35 0
16世紀〜17世紀のイスラム帝国を強い順に並べれば、
オスマン帝国>サファヴィー朝>シャイバーン朝>ムガル帝国
331 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 09:31:51 0
ウズベク族よりインドを押さえてたムガル朝の方が
少なくとも国力はあったでしょう。
インド王朝というのはカイバル峠を越えて征服するのが
地理的に困難なんで実力ははかりがたいんだけど。
332 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 13:27:01 0
>>331 確かフランス人がアウラングゼーブ時代のムガル朝の軍隊を見て、数は非常に多いが質は最悪。
統制と軍備の優れたフランス軍と闘えば、すぐに蹴散らされてしまうだろう、とのべていたな。
333 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 14:00:59 0
ムガル、サファヴィー、シャイバーンの三国は直接対決を何度も繰り広げているから
その中でムガルが最弱だってのは確かだと思う。
そもそもインドって国民の大半がヒンドゥー教徒の国なのに外部から侵入してきた
イスラム勢力が次々に王朝を成立させていること自体異常なんだよね。
ムガルだって中央アジアでは負け組みだったバーブルが、仕方なく北インドを征服して
開いた王朝だし。
ユーラシア大陸の諸々の文明の中で真っ先にヨーロッパに征服されたのもインド。
古代は朝鮮が最強。満州や中国沿岸部、大和政権まで支配してたし。
>333
インドの場合、極めて厳格なカースト制度が運用されてて、神の下では平等であると謳うイスラム教などの一神教の
前には下層階級の不満を汲みやすかったのもあるのかもしれんな。
戦争などの場合、例え小国であっても、上流階級から下層階級まで一致団結して侵略者に立ち向かえば容易に
それらの外敵に対して屈することなく独立を維持し続けることが出来るのが歴史の教訓だ。
それがどんな強大国であっても民衆の支持を失い、国内が動揺すると簡単に異民族の手に落ちることが多々ある。
その点はどうなんだろうな?
336 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 20:01:18 0
ヒクソス最強。
337 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 00:06:54 0
かつて東南アジアを支配していた
シュリーヴィジャヤ王国なんかはどう?
一時期東南アジア最強でも、世界最強ではないな。
アステカ マヤ インカってかわいそうだな
ぜんぜん候補にあがらない
339 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 07:13:11 0
>>338 石器時代の軍隊だからな。
ユーラシア大陸で3千年ぐらい昔のヒッタイトとかよりも劣る武器しか持っていない。
戦う土地によっても勝者は変わってくるんじゃないか?
ベトナム戦争然り、元寇然り、十字軍然り
ただインカの反乱平定するまではかなりかかってるよね
時間がたつと相手も対応してくるからな
342 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 13:09:26 0
>>338 北アメリカのインディアンのほうが強そうだよ。
アステカとインカはスペイン人が神だと思ってみすみす罠にはまったからね
それでもアステカ征服はきわどかった
ただ征服されるのは時間の問題だけど
北アメリカのインディアンはフランスと同盟した際
武器がかなり流れたんじゃないの
ピサロとコルテスは英雄
345 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 10:50:26 0
コルテスはまだしもピサロは・・・・・
346 :
世界@名無史さん:2005/11/05(土) 14:23:43 0
age
347 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 11:51:19 0
世界の覇権の移り変わり(WWTまで)を表にしてみた。
《地中海》
アラム人→フェニキア人→アテネ→スパルタ→テーベ→アケメネス朝→マケドニア王国→カルタゴ→ローマ共和国→ローマ帝国→ビザンツ帝国→イスラム帝国
→ウマイヤ朝→ヴェネツィア共和国・ジェノヴァ共和国→ヴェネツィア共和国→スペイン王国→オスマン朝
《西欧》
ローマ共和国→ローマ帝国→フン族→フランク王国→教皇領→ポルトガル王国→スペイン王国→ネーデルラント共和国→イギリス・フランス→イギリス→フランス→イギリス
《北欧》
デンマーク王国→カルマル同盟→スウェーデン王国→ロシア帝国
《東欧》
キエフ公国→リトアニア王国→ポーランド=リトアニア王国→ロシア帝国
《西アジア》
シュメール人→アッカド人→バビロニア王国→ヒッタイト王国→アッシリア帝国→アケメネス朝ペルシア→マケドニア王国→アルサケス朝→サーサーン朝
→イスラム帝国→ウマイヤ朝→アッバース朝→ファーティマ朝→セルジューク朝→イル=ハン国→ティムール朝→オスマン朝
《南アジア》
マウリヤ朝→クシャーナ朝→アーンドラ朝→グプタ朝→ヴァルダナ朝→ラージプート族→ガズナ朝の侵入→ゴール朝→奴隷王朝→ハルジー朝→トゥグルク朝
→サイイド朝→ロディー朝→ムガル朝→イギリス
《東南アジア》
シュリーヴィジャヤ王国→シャイレンドラ朝→マジャパヒト王国→マタラム王国→イギリス・オランダ→オランダ→フランス
《東アジア》
殷→周→秦→漢→晋→北魏→隋→唐→宋→遼→金→元→明→清→日本・清→日本
《北アジア》
匈奴→突蕨→ウイグル→契丹→金→モンゴル→オイラト→タタール→ロシア帝国・清
間違っていたらスマン
348 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 12:21:02 0
エジプト→メソポタミア→インド・ペルシャ→ギリシャ→ローマ→ササン朝ペルシャ
→唐・イスラム→宋・セルジューク→モンゴル→元→スペイン・ポルトガル・オスマン
→オランダ→フランス・イギリス→アメリカ
349 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 16:17:12 0
オランダやスペインが世界最強だった時代なんかないよ。
350 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 17:09:27 0
スペインは一時期にしろあり得たんじゃないかな。
フィリッペ2世が統治していた時のスペインはポルトガルも南イタリアもベルギーも支配していた。
もうスペインの話は荒れるからいい
352 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 18:02:32 O
オランダは世界最初の覇権国家でしょ。フランスは所詮、ローカルパワーだが。
あげくの果て
スペインより日本のが強いってやつがでてくるし
そうなると当時最強は日本になっちゃうんだよな
荒れるからレスつけなくていいよ
どことなく「ねずみの嫁入り」を思い出した。
まあ、兵隊さんが多ければ強いんじゃない?
中国で十数億火の玉となればどんな強国でも時間はかかるだろうなぁ。
355 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 23:05:41 0
兵力は人間で例えるならガタイの良さのようなもので
基本的にはあればあるほど良いんだけど、それイコール強さというわけでもない。
鍛えてない大男より武術をやってる小男の方が強い場合もあるでしょ。
そろそろシナ厨がアヘン戦争前までは中国が最強のれす
数は多いのに騎馬民族に頭抑えられるあたり
まさに
>>355のいい例じゃねーか
中国は軍人を軽視してたからな
359 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 23:30:41 0
中国はずーと強国だった。
それは間違いない。
ただし、衰退期には遊牧民のほうが軍事力は上になる。
漢民族の国家は中原を統一した時点でほとんど攻勢限界に達してるのが問題だな
だって目的が漢民族統一だもん
16世紀、オスマン帝国は強国だったが技術的には完璧に西洋に抜かれてた
ヨーロッパの技術者をオスマン帝国は大量に雇用し
火器の技術はスペインから逃れてきたユダヤ人からもたらされ
17世紀には新教国から武器を輸入
また砲兵隊もヨーロッパ出身者がほとんどだったらしい
新教国の西欧の商人は治外法権も与えられて大儲け、ウハウハだったらしい
戦争って必ずしも技術力の高い方が強いとは言えない所が難しいところだな。
例えばベトナム戦争の時のミグ21対F-4とかAK47対M16とかを見てもアメリカ軍は
カタログ値では敵に圧倒的に勝る武器を持ちながら苦戦している。
結局、ある程度の技術力の差は、数だったりそれを有効的に活用できる組織力
だったりで完全に補えるからね。
オスマン帝国の国家形態が優れている事についてはマキャベリも認めているし、
ヨーロッパでそれに対抗できるだけの中央集権的な国家が誕生するのは17世紀末
ぐらいからだな。
>>362 まあ、オスマンはローマの技術・著作等を一部受け継いだけど発展させられるタイプの人種じゃなかったからね。
(人種と書けば弊害があるかも知れないけど他の表現見つからんかった・・・)
外科に関しちゃは19世紀初期までヨーロッパよりマシだったけど
>>364 ブローデルの「地中海」によると16世紀当時、
イスラム世界は西欧の技術者、医者、砲術の専門家、地図学者
職人、機織り工、船舶建造の専門家、船乗り、鋳造工等
つまりは腕のいい職人を必要とし、西欧の人間にとっては儲かるため
イスラム教に改宗するものが続出したそうだ
医学もこの時点で西欧はかなり発達してた
中世の時代から解剖が行われていて
ルネサンスの頃にはかなり精密な解剖図が描かれてる(ダ・ビンチも解剖に凝ってた)
16世紀ヴェサリウスの解剖学によって完全にローマ・アラビア医学から脱却して
近代医学への扉を開く
でその解剖学を同世紀にパレが外科学に応用
外科学はかなり発達してた、むしろ遅れていたのは内科学
当時のオスマンが文化的に西欧より優れてたところは
風呂に入ってるてことぐらいだろうな
あとチューリップ
古代ローマや現代のアメリカも同じだけど外国から技術者や科学者が移住して来るのって
その時代最強国の特徴の一つだよね。
オスマンと同時代のヨーロッパって宗教弾圧のせいでかなり閉塞感に満ちた社会だったし。
才能のある人間ならイスラムに改宗してでもオスマンに自分の未来を賭けてみたいと思うのは
当然かもね。
AOC初心者スレから飛んで来ますた(´・ω・`)
日本の戦国時代は、日本が最強だったというのは本当ですか?
なんでも鉄砲の保有量と兵数と戦術がダントツで一番だったとかなんとか。
370 :
368:2005/11/29(火) 01:21:14 0
>>369 スレ嫁。散々叩かれまくってるだろ。まあ向こうのID:yycJeH8Pは多分ここで徹底的に
叩かれたんだろーね。
なんでこっち来たんだろうね。迷惑な。
スレ読む限りでは戦国日本の方がスペインより強そうだ
戦国日本時代は悔しくもオスマン帝国最盛期と時代が被ってるのが戦国最強説否定
の論拠だって書いてあるだろ。300のレスぐらい嫁
タタール、ベドウィンなどの勇猛な騎馬民族を有効に軍に取り入れていたオスマン帝国、しかも
ウィーンを陥落寸前にまで陥れた軍事力。単独民族国家(ネイション・ステイト)の日本の井の
中の蛙武田軍や、国内では前衛的であったとはいえ未だ不徹底で封建軍的側面を残していた織田
軍じゃ、技術的にタメが張れても全然最強じゃないの。
向こうのID:A7knpWVDとか、どうみても精子並の意見だろーが。もうね、恥ずかしくて見てらんない。
せめて明を滅ぼすか、その寸前までやってれば候補にいれてもいいかもね
374 :
世界@名無史さん:2005/11/29(火) 16:30:29 0
西欧は技術だけは進んでいたが政治経済では遅れていた。
だから国家という枠組が強固でない地域で都市国家的な
植民地を作る方向に行った。
かなりの経済成長を遂げた後でようやく、
本当の意味で世界を支配できるようになった。
>>332 ベルニエでしょう。あの人はインドで○○になっているから、あの国は衰退
しているのであって、フランスはああいう政策はとってはならない、という
様に、自分の主張のダシに使っている面がありましたから、全面的には信
用し難いのではないかと。
当時の欧州に比べて、雑多な編成であったのは確かでしょうが。
もっとも、数は20万を上回ると書かれています。量も強さの内。
376 :
世界@名無史さん:2005/11/29(火) 16:49:12 0
てかなんでみんなスペイン、スペインって・・・。
ハプスブルク帝国全体で考えろよ。
しかもAOC初心者スレのID:yycJeH8Pって中世最強文明はモンゴル、日本、オスマントルコ
とか言ってるが、信長以降の戦国日本は中世とはいえないだろ。
378 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 16:45:43 0
>>377 ハプスブルク帝国全体で考えろよ>>
pu
>>374 世界を支配できたのは19世紀ヨーロッパだけなんだけどね
世界を支配できたヨーロッパを基準に考るなら
オスマンも明もはっきりいって雑魚だよ
文化、技術、政治、経済はお互い関係しながら発展するわけで
それにオスマンと同じ旧式の政治体制を取ってたら近代化はしなかっただろう
ヨーロッパは15世紀あたりから近代資本主義がはじまってんのに
イスラムの当時の商業は資本主義といえるのか?
16世紀にはヨーロッパは強力な地域勢力だし
まぁ、十字軍送り出すあたりから地域勢力としては十分強力でしょ
オスマンはウィーン落とせなかったけど
ヨーロッパ勢はエルサレム落としたからね
文化的には劣ってたけど
15世紀には文化的にイスラムとヨーロッパの立場が逆転する
それとトルコに技術者が集まったからアメリカと同等視するは間違いだね
アメリカは新技術の発祥地でありつづけるし
自前での技術開発能力も十分ある
それに比べオスマンは何も生み出してない、文化的にも
イスタンブールの壮麗なモスクもどうせヨーロッパ職人が作ったんだろうな
鉄砲技術はスペインからの亡命ユダヤ人に教えられ
後には技術がおっつかなくなり新教国から輸入、
この時には自前で作れなくなっている、アメリカと大違いだ
ヨーロッパ商人は大のお得意さまで来てくれないと困るから
17世紀には新教諸国に治外法権連発して与える
つまり経済的にもこの時すでにヨーロッパ>オスマン
この治外法権が後のヨーロッパ勢のオスマン侵略の口実に
さらに最大版図になった17世紀獲得した土地はポドリア(どこだ?答え 田舎)
調子に乗ってウィーン攻めて逆切れされボロ負け
いいことないね
381 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 20:40:22 0
>>379 オスマンや明が雑魚とはいいすぎだろう。
オスマンは鎌倉時代から続く帝国だし老朽化してても不思議はないけどな
一番致命的なのはイスラムと近代資本主義などの近代思想の概念は相容れない点が
多くあるってこと。
もしイスラムと近代資本主義に親和的な要素があればイスラムの方が世界を制してた
かもしれない。
イスラムはキリストより後続でしかも宗教としてのシステムが緻密で完璧すぎたのが
仇になってしまったな。
キリスト教の方が遅れていた分融通が利いたしな。
アメリカとオスマントルコを卑近に同一視する気もないが
古代地中海世界の集大成=古代ローマ帝国
中世アジア世界の清算?=モンゴル帝国
イスラーム世界の総決算=オスマントルコ帝国
と同様にアメリカも
西洋世界の集大成、ユダヤキリスト教白人文明の総決算を担う
“最後の大帝国”なのは間違いないところ。
アメリカをローマやモンゴルに見立てる向きやオスマンに共通項を探すのも
アメリカが近代西洋文明のアンカー、オスマンがイスラム文明のアンカー
たる世界帝国だからだろう。
382 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 20:49:44 0
だからここしばらくアメリカの栄光というか残光が続いてる間は
>>380のように嘲笑する向きもあるかも試練が、
いずれはアメリカが“眠れる牛”とか“太平洋の病人”と呼ばれ
乱開発と化学物質まみれにした廃墟と荒野を遊牧し、枯渇した化石資源
を失い、昔ながらのジャンク船で港湾や河川を行き来するような
“失われた帝国”となった時分には(いずれはそうなるだろう奢る平家は久しからず)
その頃の史家はアメリカをオスマンとかとの共通性を熱心に論じ合ってる
可能性もある。
オスマンは初期、ビザンツの政治制度をほとんどそのまま引き継いだし
宗教的にもキリスト教の影響が濃く、イスラム法にも関心がない
典型的なイスラム国家ではない
明やオスマンはしょせん地域大国でしかない
19世紀ヨーロッパは日本以外の世界をほぼ勢力下にしたんだから
それに比べ明やオスマンはしょぼいだろ
オスマンとアメリカじゃアメリカの方が勢力でかすぎて比べるまでもない
こと軍事技術に関して、米国は日本や欧州の20、30年先を行っている。
はっきりいって異常。
イスラムはオスマンが全盛期を迎えた頃から神学者が技術研究を拒絶しコーランに引きこもるようになったんじゃなかったか。
今でもそうだが。
大戦後も80年代までのソ連とアメリカをヨーロッパ勢力というより西洋勢力と考えれば
中国を除いて西洋勢力が世界をしきってんだよ
中国勢力もイスラム勢力もこれに及ぶ大勢力を作ったことは歴史的に存在しない
モンゴルは次点
19世紀のヨーロッパとオスマンや明、清を同列に考えるのは笑止
17世紀までならヨーロッパも地域勢力だから清やオスマンと対等に比べられる
386 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 13:44:39 0
なんで時代を超えた比較をしてるんだ?
大航海時代あたりまでのキリスト圏の文化は
イスラムのそれと比べてはるかに下だが
>>380 トルコは西洋文明総本山のコンスタンティノープルを占領して現在でも居座り続けているじゃん。
ヨーロッパの歴史における重要さで比べれば明らかに、コンスタンティノープル>ウィーンだろ。
それに力関係が互角ならそもそもウィーンを包囲されたりしないわけで、当時のヨーロッパの軍隊が
オスマンの首都イスタンブルに侵攻するなんて不可能だった事を考えれば、17世紀後半の時点でも
オスマン>ヨーロッパなんだよね。
389 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 18:00:15 0
>>382 いずれっていうかもうそうなってるけどな。
アメリカは完全な老大国。
390 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 18:04:04 0
>>388 つうか17世紀以降のヨーロッパはあらゆる面で世界最強というのは世界史の上で常識だよ。
間違って開いてみれば、また最強スレかw
>>390 19世紀ならともかく17世紀以降ってのは言い過ぎでは?
しかもあらゆる面って…
17世紀以降には清の全盛期や腐っても鯛のオスマンがまだ力を揮ってるし
394 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 20:48:41 0
>>379-380、383-384、390
同一人物だと思うが、そうとう偏った欧州最強に偏った意見をお持ちのようですね。
>>17世紀以降のヨーロッパはあらゆる面で世界最強というのは世界史の上で常識
このような常識は初耳なのですが?ある意味最強の面もあるってくらいは事実なのだが
全ての分野で最強間違いなしって根拠はどこから?
大概欧州の近代はイスラームや東洋からの借り物や模倣から出発してる面も多いわけで・・
そもそもイスラムがなければ欧州が世界に覇を唱えるなんて不可能だったという歴史的事実や
ヨーロッパ近代の文化メインで東洋がそれなりのインパクトを与え近代文明の形成期に影響を
及ぼしている事実程度は
世界史版にカキコするくらいだから常識でご存知のうえで、欧州最強とか言ってるん・・でしょう?
395 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 21:11:51 0
日本人は、16世紀の戦国時代にヨーロッパ人から地球儀を見せられて地球が丸いと教わりました。
日本人に地球が丸いと教えたのは中国人でも中東人でもありません。
396 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 23:14:26 0
>>395 それを聞いた信長は全く驚かなかったと言いますが。
そんなことでも不思議はない、というくらいで、どうでもよかった。
あるいは丸い、ということを知っていたのかもしれない。
おそらく知っていたろうね。
397 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 23:17:26 0
当時の人間にとって宇宙とは今の人間が実態をつかめないように、
自分たちの世界にとって都合のよい形をしていたものに他ならない。
したがって地球儀も瞠目すべきものではなかったし、
当時の西洋人自体、地球儀の外側(宇宙)については
ほとんど形式的な存在に過ぎなかった。
要は世界(地球)がどのような関係を持っているかが分かればよかった。
とりあえず古代から考えようと思ったが
仮にアッカド人くらいにまで遡ったとしても
他方にどんな勢力が割拠しているか分からず
また史料も乏しくとても無理であると理解した。
だから現代から考察しましょう。
1919年から現代まではアメリカで文句ないかな?
>>399 ナポレオン撃破からそれまではイギリスということでいいんじゃないかな?
1919年の時点でアメリカが覇権国かといえば微妙なところだが
覇権国が代わるときは大抵、微妙な状態だから。
ナポレオン期は微妙だな
大陸封鎖令だしたくらいはもうフランスか
402 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 01:10:08 0
403 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 01:12:08 0
>>394 大概欧州の近代はイスラームや東洋からの借り物や模倣から出発してる面も多いわけで・・>>
そもそもイスラムがなければ欧州が世界に覇を唱えるなんて不可能だったという歴史的事実や>>
ヨーロッパ近代の文化メインで東洋がそれなりのインパクトを与え近代文明の形成期に影響を>>
及ぼしている事実程度は >>
世界史版にカキコするくらいだから常識でご存知のうえで、欧州最強とか言ってるん・・でしょう?>>
それっていつ頃のことだかわかってるの?
なぜかソ連が出てこない罠。
アメリカと天下二分してたのに〜
>>402 それを言い出したら19世紀以前の国はモンゴルをのぞいて全部ただの地域大国だな
406 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 08:05:32 0
世界最強なんてハッキリ言えるのは元と今の米国くらい。
ローマ軍とてガンジスは超えられない。
あとは地域大国か否かという話。
>>405 そうに決まってるだろ
イスラムや中国が世界を勢力下に置いたことはない
>>394 大概イスラームはギリシャやインドからの借り物や模倣から出発してる面も多いわけで・・>>
そもそもギリシャがなければイスラムが中東で(ヨーロッパは世界だぜ、歴然たる差が)
覇を唱えるなんて不可能だったという歴史的事実や>>
世界史版にカキコするくらいだから常識でご存知のうえで、
イスラム最強(イスラムはしょせん地域勢力)とか言ってるん・・でしょう(?>>
11世紀の時点でエルサレム落とされてるなさけないイスラム
ビザンツぱくって発展したオスマン
409 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 11:27:02 0
古代地中海文明はヨーロッパともイスラムとも別の文明で、
どっちかっつうとイスラムやビザンツスラブの方が
地中海文明の後継者として相応しいと思うがね。ま、これはここまで。
このスレは『時代別に世界最強の国を見ていこう』ってスレだからな。
オスマンや清は相対的に見てその時代最強だったということで問題ないだろ。
>>410 激しく同意だし、それが当然と思うのだが
この流れは一体なんなのだろう。
412 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 12:36:03 0
高麗がはいてない
17世紀
清=オスマン<ハプスブルク=フランス
こんな感じ
清<オスマン<ハプスブルク<フランス=イギリス
清は軍事技術がしょぼすぎ
ハプスブルクはフランスとの覇権争いに負け
オスマンはその弱ったハプスブルクから領土をごっそり取られた
イギリスはフランスと互角に戦ってからこんな感じだろ
16〜17世紀辺りに東西の拮抗点を見れると思うので
17世紀という100年の枠で最強を決めるのは難しかろ
>>414 >清は軍事技術がしょぼすぎ
これの根拠は何?
清はロシア製の火器で武装しスウェーデンの戦術を取り入れていたジューンガル部を
ゴビ砂漠を越える大遠征の末に滅ぼしていますが。。。
17世紀末にロシアはオスマンに敗北し、清にも敗北してアジアでの勢力拡大を断念し、
ヨーロッパ方面に活路を求めて北欧の軍事大国スウェーデンに勝利した。
オスマン、清、ヨーロッパの軍と直接矛を交えたピョートル大帝がその中でヨーロッパを
最弱認定してる以上、その現実を受け入れるしかないだろ。
>ロシア製の火器で武装しスウェーデンの戦術を取り入れていたジューンガル部
人口の少ない地方部族レベルの軍隊との田舎戦争でしょう。
その程度の勝利で慢心しているからわずか百数十年後は海洋部から精鋭の西洋軍
日本軍に簡単に蹴散らされた
418 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 17:15:47 0
>>411 んなこたーない。
そりゃチミの勝手な思い込みだよ。
清が最強?西洋のお下がりの武器をバカ高い値段で買わされてたくせによく言うよ
ロシアからみて清は遠すぎるから、シベリア越えて大軍遅れるのは鉄道ができるまで無理だし
しかもロシアはずっと後進国だろ
オスマンは決定的に重要なところで30年戦争で弱り果てたハプスブルクにボロ負け
しかも大幅な領土削減
これほど重要な歴史的事実を前にして局地戦を語るのは無意味
416の意見を取り入れると
17世紀
スウェーデン>ロシア=清>オスマン>ハプスブルク>フランス=イギリス
妊婦と赤ん坊連れの欧州の軍隊が最強だったわけねーだろw
欧厨は欧州の歴史さえ知らないのかwwwww
17世紀に欧州の軍隊がトルコをぼこぼこにしたのが歴史的事実
しかもハプスブルクはフランス、トルコの同盟による挟撃にもかかわらず圧勝
18世紀になるとトルコは2回しか欧州勢に勝ってない
あとは全部ボロ負け
バルカンはロシアとオーストリアの緩衝地帯だから負け続けたのに
ヨーロッパ勢がお互い干渉しあったおかげで領土を維持できただけ
>>419 グスタフ=アドルフ+ウクセンシェルナ最強! とか言いたい気持ちはよ〜くわかるが・・・。
馬鹿娘が全部台無しにしたからなぁ・・・。
・・・カール10世で持ち直したが・・・。
423 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 21:26:27 0
>>396 おまえも、聖徳太子の地球儀とか騙されてトンデモとわかってショックを受けた口だろう。
424 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 23:46:52 0
ここら辺で17世紀までの西欧と清を比較しようか
〜思想家比較〜
西欧 ― トマス・モア ホッブズ ロック ルソー
学校で世界史や政経を勉強のしたことの無い高卒以外名前ぐらい聞いたことあるはず。
清 ― 特に目立った思想家はいない
〜科学者比較〜
西欧 ― コペルニクス ガリレオ ボイル パスカル ニュートン ケプラー トリチェリ
学校で化学や物理を勉強したこと無い高卒以外名前ぐらい聞いたことあると思う
清 ― 得に影響を与えた人物はいない
〜植民地〜
西欧 ― 世界中いたるところ
清 ― チベット・・ ウイグル・・
〜武器〜
西欧 ― 鉄砲 大砲 軍艦
清 ― 弓矢 槍 刀
とりあえず君が高卒だという事は理解できた。
清が発明したものはちゃんとあるだろ辮髪が
トルコが現代に大きな影響をおよぼしたもの
チューリップとトルコ風呂
涙がでるほど素晴らしい
やっぱり大帝国の貫禄は違うね
欧州勢も辮髪とチューリップが相手じゃとてもかなわないよ
427 :
419:2005/12/03(土) 00:13:12 0
>>422 ごめん419の不等号は全部反対
これが正しい 17世紀
スウェーデン<ロシア=清<オスマン<ハプスブルク<フランス=イギリス
俺何ぼけてたんだ?ちょっと恥ずかしい
まぁけど文脈読めば普通にこうなる
弱小オスマンがハプスブルクより強いわけないからな
スウェーデンは軍事的に強かったけどしょせん小国だから限界があるわな
17世紀のイギリスってそんなに強かったかな
海軍はともかく陸軍は大したことなかったんじゃ
イギリスの海軍は仏の海軍より絶対強いけど
陸軍は確実に負けるね
ただいろいろと17世紀の動向見ると
フランスがイギリスより強いって言い切れないんだよね
17世紀前半はスペインとフランスが二大強国でイギリスはまだ小国だった
17世紀後半にスペインが没落してイギリスが台頭し英仏二強時代になったって感じじゃないか
431 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 04:03:37 0
中国は唐から成長を止めている。
いやむしろ西欧の成長が異常だったということか。
432 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 13:59:41 0
たしかに・・・
近代以前であんな短期間で急激に成長したのは稀
今も昔も大朝鮮帝国がどんな意味においても最強だろ。
江戸・明治から大正にかけての日本も
驚異的だが促成だけに摩擦が大きすぎたな
>>431 宋代は急成長してるだろ。
明が全部ぶち壊しにしたと思われ。
>>435 宋→繁栄。特に文化面では「中国のルネサンス」と呼ばれるほど。
元→宋の遺産を食いつぶす。
明→アヒャ。
437 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 12:49:06 0
元に宋が洗練していた文化を潰されたから
明は名実ともにゼロからのスタートになった
438 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 13:16:35 0
地上の天堂といわれた蘇州の繁栄や庶民文化の隆盛は無視か?
439 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 16:44:01 0
>>438 世界史全体で見れば無視していいと思う。
440 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 17:45:55 0
馬鹿野郎!!!貴様等、日本人か!!!大和魂を忘れてんじゃねぇ!!!
と、戦国板からやってきますた
最近の肥の歴史歪曲はチョンに近いところまでいってる
>>424 >ここら辺で17世紀までの西欧と清を比較しようか
17世紀までの清てオマイ…
>>437 元に潰されたのは文化の一部くらいでそ。
明代だと紙幣が廃れたりしていて、退歩の時代という印象を拭えない。
444 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 14:09:16 0
まあ、誰も異論が無いのは、
13〜14世紀 モンゴル
19世紀 大英帝国
20世紀 アメリカ合衆国
・・・くらいか?
446 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 13:56:49 0
『地域』が一つの『世界』に結ばれたのは早くてもモンゴル帝国以後なのだから
それ以前に『世界帝国』を求めるにはかなり無理がある。
447 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 14:50:18 0
別に大英帝国やアメリカみたいな世界的帝国でなくても、その時代の地域大国のなかで相対的に最強な国は有り得るだろ?
あくまで当時最強国なんだからな。
どんぐりの背比べでも一番背の高いどんぐりを探すだけ
古代については、ローマがカルタゴにポエニ戦争で勝利するまでは、ギリシア・オリエントで
最強だった国がそのまま世界最強ということでいいかな?
前307年にやっと武霊王によって騎兵が採用された中国文明では対抗できたとは思えないしな。
450 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 21:04:25 0
>>445 ローマ 唐 ウマイヤ朝 エジプト メソポタミア
451 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 21:35:57 0
>>449 >武霊王によって騎兵が採用された
あくまで匈奴の軍装を取り入れただけだよ
それに当時の人口からすれば圧倒的に中国じゃないかな
加えて中国の鉄生産は秦〜前漢が全盛だったとも言われるし
当時の中国(ポエニ戦役終了時は前漢か)が勝るような。
452 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 22:17:31 0
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ださいたまださいたま!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ださいたまださいたま!
ださいたま〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
 ̄
453 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 22:36:29 0
俺は戦国期の日本を当時の最強国家と置くよ
特に信玄や謙信、氏康がいた時代は世界最強の国だったんじゃね?
>>453 根拠も書いてね。ってか
>信玄や謙信、氏康がいた時代
何ら支配体制も築かれてないのに「日本」とはこれいかに
455 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 01:47:43 0
>>453 やれやれ。
こういう馬鹿が出てくるとは思った。
>>449 それには賛成できないな。
例えば中国の戦国七雄は限界まで動員すればそれぞれ数十万の兵力使える訳で。
当然統一王朝たる秦・漢の動員兵力たるや想像を絶する。
インドも見逃せない。
マカダは20万の歩兵と2万の騎兵持ってたし、マウリヤに至っては兵力が60万に達してる。
無論劉邦を敗北させた匈奴を初めとする騎馬民族国家も存在する訳だ。
同数で戦えばそりゃオリエントの方が多分強いんだろうが、結局戦いは数だよ兄貴
>>451 武霊王は騎兵隊を創設するために匈奴の軍装を取り入れたんだろ?
俺の知る限りでは、趙が中山を滅ぼす以前に中国の戦いに騎兵が登場したことは
無かったと思うのだが・・・
>>456 まず基本的に、古代の戦史に数十万の大軍が登場した場合、それは怪しいということ。
例えば「史記」で、前205年の彭城の戦いで漢軍は56万を動員したことになっているが、
当時の輸送力などを考慮すれば本当にこれだけの兵力を集中させることができるのか、
かなり疑問。
さらに、その漢軍56万は項羽率いる3万に大敗したことになっているが、それならば
ローマ軍やカルタゴのハンニバル、セレウコス朝のアンティオコス3世にも同様に大敗
するのではないか?
インドや中国では鉄、戦車、騎兵が登場するのがメソポタミアなどより数百年遅い。
これだけ文明レベルに差があると兵力だけで補えるとは思えない。
459 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 15:34:36 0
4世紀までは文明国としてやはりローマ・・・というかギリシャのほうが中国より格が上だと思う。
460 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 15:41:48 0
56万が3万に大敗するのってかなり難しいぞwwwww
絶対ありえねえ。
461 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 16:39:07 0
近所から手配師つかって失業者カキ集めたんじゃねーの>56万
>>457 昔からあったよ、というか無いとおかしい
中国でもエジプトでも古代は戦車が主力だったのはいいよね?
つまり馬術に慣れない農耕民族らは騎兵を運用するのが困難だから
戦車を作った訳で、まず馬の即物利用である騎兵が根本になければ成立しない。
もちろん馬術に慣れたものは騎乗して伝令に使われたろうし戦いもしたろうよ
まぁあくまで漢民族の騎兵の集団利用という点に限れば武霊王創始説もありうるかもしんない
>>461の言っていることは一面で正しい。
食い物のある所に流民が勝手に集まってくる、というのが支那クオリティ。
兵糧や略奪のおこぼれ目当てだが、別に面倒をみる義務も責任も無い。
紀元前の中国の人口が圧倒的に多いことは確実だろう
だが最強国を決める上で春秋戦国時代は分裂状態だから
統一国家として土俵に立てるのは秦・前漢だけか
465 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:10:45 0
この板では戦国期の日本の位置づけってどれくらいなんすか
>>465 鉄砲の集団戦では世界一と言われてるが
当時既にオスマントルコが実践している。
後、海軍力も×
>>465 結構高いはずだよ、といっても戦国期では一国としてカウント
出来ないから豊臣期or江戸初期で考えて5本の指に入るのは異論ないかな
人口も多いし技術力も高いしね。
468 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:35:04 0
まあ、豊臣期といっても島津や伊達、徳川とか有能な将軍を多く擁していたのは日本くらいだな
469 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:30:31 O
このスレ高卒レベルだな。
「戦国期の日本がヨーロッパの近くにあったとしたならば、短期間にヨーロッパ全土を征服する事も可能だった。」とは木村尚三郎先生の言葉。
まあ、専門家がそういう結論を出しているので、今更2ちゃん如きの議論の必要は無かろう。
戦国期の日本なんて神聖ローマ帝国よりまとまりないぞ
そんなんがヨーロッパ行ったってどうしようもあるまい
・そもそも城砦の防御能力が低すぎて砲撃や攻城兵器ですぐアボンヌ
・ガレアスに虐殺される海軍
辺りはすぐに思い浮かぶな…
三戦板あたりからまた、ゲームしかやったことない奴が紛れ込んだんだろ
「戦国期」って言っても末期の秀吉か家康に統一された時代だろうな。
ヨーロッパに限らず、オスマンやムガールの軍隊も当時の日本には絶対に勝てない理由はあるんだが、ここで説明しても理解できそうなのはいないみたいだからな・・・。
是非教えていただきたい
悪いが当時の日本は鉄砲の数だけは多かったようだが、
組織的な騎兵隊が存在しない為野戦では圧倒的に不利。
そして城攻めや籠城戦では、大砲の技術力と運用法が決定的に遅れているのでやはり不利。
正直大陸での戦いの勝利はおぼつかない。
>>456 その数をそのまま信用する方がどうかしていると思うが。
カタログデータだけで物事を考えれば、確かに
>>477の言うことには一々納得させられる。
しかし、どうやったところで、妊婦と赤ん坊を連れた軍隊は、野郎ばかりの軍隊には絶対に勝てないんだよ。
逆に考えると「何故ヨーロッパ以外で日本が最初に『近代的な軍隊』が作られたのか?」という問いの答えでもあるんだが。
実際は簡単な話しなんだけどな。
明の軍隊にすら敗れている現実を直視しような。
481 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 01:15:44 0
鬼島津に1000くらいの兵あたえりゃ、明はなんとかなるんでは
482 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 01:20:30 0
兵力や火力も重要なファクターだが
兵士の錬度、幾多の戦を経験をしてきた戦国武将の存在も無視できないと思う。
この当時においては、指揮官の優秀さというのは兵力以上に重要な要素だと思うので
戦国日本の実力を測るときにはこれらの要素も考えていただけますか
>>477 騎兵なんて鉄砲隊の三段撃ち。塹壕戦術で簡単に蹴散らせますよ。
精強を誇った武田騎馬隊も鉄砲の前になすすべも無く破れていることをお忘れなく
当時の日本は世界の半数の鉄砲を所持していました。
483 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 01:29:21 0
どうもイギリスって世界最強のイメージがないんだよな。
プロイセンとかフランスにはあるんだけど。
ビスマルクやナポレオンのような英雄が生まれなかったからか?
>>482 日本の戦国武将が世界一実線経験が豊富という根拠が無い以上無意味。
騎兵がただ突っこむだけだと?騎兵の最大の利点は機動力を生かした攻撃。
その理屈で行くと世界中の騎兵を保有した国がみんなバカだったみたいだな。
近世において騎兵、歩兵、砲兵のコンバインドアームズが最も有効。
諸兵科連合を行うことが歴史上常に有効だった。
中世から脱却したヨーロッパや火器大規模にを導入したオスマンもこれを行っている。
>>482 ヒント
1・別に日本だけが戦乱状態って訳ではない
2・三段撃ちって正気でつか?
3・鉄砲保有数は水増しされてる事がほぼ確実。「号する」は日本もやってるのをお忘れなく
486 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 02:06:11 0
戦国期の日本は間違いなく世界で一番先頭経験が豊富だったよ
この当時全国規模で合戦やりまくっていた国がどこにあるのか
謙信以来の上杉家の家臣団は月に1度は出陣していたはず。
このような頻度で合戦経験がある国は他にまずないでしょ
でなきゃ、東南アジアで日本人傭兵が使われるはずがない
当時のスペインが日本の兵隊を借りていたことからも明らかなように
日本の戦闘レベルは世界でも一級品
>>483 ヨーロッパで陸戦を戦っていないのが原因では?
ヨーロッパを勢力均衡で保ち、ヨーロッパ以外で大暴れするのがイギリス流な訳で
また、三戦板から来た馬鹿か・・・
>>487 >ヨーロッパで陸戦を戦っていないのが原因では?
| `ヽ、 _ .. -―===‐- .._ 、ミ川川川彡
| \ , ≠-―――- .._ \ -ミ 彡
, -┴==――- .. _ 〉'´ 、 `ヽ ヽ三 ギ そ 三
. //´ 、 、 / 、 \ \ ヽ. 三. ャ れ 三
{ / , -‐ァ===‐- .._ ヽ ∨ / 、\ \ \ ヽ 三 グ は 三
\/ / /, { `ヽ ! / }ヽ. ヽ、 ヽ、__ ..二、 三. で 三
, ' , ' // ハ | ト、 |l { /二ヽ `¨¬x=-ミ_‐┐ 三 言 ひ 三
/ /_, / //∠=ヽ、 } lハlハ イィ::f_} \ ´ vイ} ´ /} 三 っ ょ 三
l / { ,ィf´ ノノ 7f_j`ゞV } |__ハ {` ゙ー' `  ̄ ノ,′ /三. て っ 三
j∧ 「{kツ ゙ー' / ,′厂´ \ ヽ、 ` u / イ 三 る と 三
ヽ{ ` u. ノ / / {{爪 -:‐ ー=彡イ / 三 の し 三
八 ´` ー=イ fl / { \ ..:::::::::〈 / 三 か て 三
ハ\ ...::::::| jハ{ { + \__..:::::::::::::::::∨ ┼ 三 !? 三
\{` ー‐、.:::::::::::| / { + } / ∧:::::,. -‐/ 〃彡 ミ
` 」::::::/j /\ /{ + } ≠x 〉´ / + 〃r 彡川川川ミ
/x=く ´ _f〜、 / /Y´‐} 〃}}、 /´ ̄ Y 〃 ノ ハ \ \
f^ア 〃ノハ ヽ ノメ〜ヽ / / { ニ} {{ 〃}} {二 | 〃f´ / } ヽ
>>462 そもそも馬がいれば即物利用である騎兵が存在するという前提がおかしい。
当時はまだ鐙もなければ鞍もない時代だぞ。
そんな時代に、きちんとしたノウハウが確立されてない状態で馬に乗ろうと
することは、ほとんど自殺行為じゃん。
実際には人類が戦車や農作業で馬を利用するようになってから、騎乗できる
ようになるまでには超えるのに千年ぐらい必要とする高い壁が存在した。
中国では武霊王以前には騎兵が存在しなかったと考えるのが当然。
武田騎馬隊って・・・・
全く無知というのは恐ろしいものだ。
>>480 当時のヨーロッパはアフリカのジンバブエで現地人にボロ負けするようなレベルだぞ。
494 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 09:35:33 0
>>493 ジンバブエが鼻輪して腰ミノつけてるレベルの文明だと思ってるんじゃないだろうな
495 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 10:06:55 0
>>491 >そもそも馬がいれば即物利用である騎兵が存在するという前提がおかしい。
>当時はまだ鐙もなければ鞍もない時代だぞ。
>そんな時代に、きちんとしたノウハウが確立されてない状態で馬に乗ろうと
>することは、ほとんど自殺行為じゃん。
そう考えてみれば最初に馬に乗ってみようと考えた香具師って凄いよな。
とんでもない天才なのか命知らずだったのか分からんが、
もしそいつがいなければフン族・突厥・モンゴルその他の勃興もなかったわけだし。
>>493 ジンバブエがどこにあるのかも確認しといた方がいいぞ。
隣国に攻め込んで負けるのとは分けが違う。
みんな釣られすぎ
>>489 大規模な戦いなんてリトルブリテン失ってから数えるほどしか無いので問題無いぞ。
イギリス陸軍は規模は国力考えれば常に小さいし、装備も決して良好とは言いがたい
また戦国最強厨か
500 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 17:18:53 0
>>463 56万を支える食料とはどれだけの莫大な量なんだろう・・・?
501 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 17:21:12 0
>>486 ぷぷぷぷwwwwwww
じゃあ今でも内乱やってるアフリカ諸国は世界最強だな。
>>496 当時のヨーロッパは2万4000人の兵力で隣国のアルジェリアに攻め込みながら、
5000人の現地人にボロ負けするようなレベルだぞ。
>>502 だから局地戦語っても意味ねぇーんだよ
何回同じこと言ってんだよ
それにそのときチュニジアは落としたと思うが
>>502 当時のアルジェリアには強力なイスラム王朝が栄えていましたが。
あなた、本気なのかそう思わせようとしているだけなのか知らないが、
アフリカというだけで後進地域と思っているような見識の浅いレスはしない方がいいよ。
>アフリカというだけで後進地域と思っているような見識の浅いレスはしない方がいいよ。
それと同じレベルでヨーロッパ=常に先進地域と思い込んでいる見識の浅い方も多いようですね。
>>505 そんなのは、少なくとも今ここにはいないでしょうが。
ヨーロッパが常に先進地域だなどとは言わないが、
少なくとも軍事的見地で見た場合、
戦国期の日本より同時代のヨーロッパの方が優れていたことは、
認めざるを得ない。ってだけのこと。
あるサイトで読んだが
アルジェの敗因は豪雨や暴風雨
設営作業が終わってない間に豪雨がきたせいで火器が湿って使えなくなり
暴雨風のおかげで補給物資が滞って艦隊が沈没
けどこういった海外遠征での失敗のにもめげず、
海外進出を積極的に推し進めたのが西欧勢の強さともいえるんじゃないかな
原住民の反乱で植民地でも欧州勢は痛い目にたくさんあってるけど
結果的にそれは欧州勢の経験値を高めることになって、むしろプラスに働いたと思うのだが
>>471の木村先生の意見と合わないようですが、
貴方は木村尚三郎先生以上の西洋史の学者さんですかwwww
はやく三戦版に帰れ
>>506 日本の朝鮮遠征と比較するために、ヨーロッパがジンバブエやアルジャリアに
攻め込んだ時の例を挙げただけじゃん。
別にアフリカを後進地域などとは書いてないぞ。
で、軍事的見地で見て戦国期の日本より同時代のヨーロッパの方が優れていた
というのは何を根拠に書いているのですか?
まず第一に戦国以前の段階では日本の軍事技術は、
先進地域に比べると大きく立ち遅れていたという事実を認めなければならない。
つまり、日本列島という島の中で互いに争っているだけで、
大きな軍事技術の発展を見ることはなかったと。
もちろん、限定的な地域のみで戦っているから必ずしも発展しないとは言い切れないが、
日本の現状を見る限り、組織的な騎馬部隊の運用がほとんどないこと、
他の地域で火砲の発展以前に主力投射武器の一つであった弩の発展がほとんどないこと、
大型攻城兵器等もほとんど存在しないことからなどからこのことは明らか。
つまり、確かに日本の軍事技術は戦国時代に大きく発展したが、
結局それは後れを取り戻す動きに過ぎなかったと言える。
そしてその結果歩兵の大量動員及びその運用、火縄銃の配備という面で、
著しい発展を遂げたことは事実だが、その一方で騎兵部隊の配備や、
野戦における野砲の活用等の面ではなはだ不十分な面が目立ち、
到底第一級戦の大国と戦えるだけのレベルに達していたとは言えない。
せいぜい数でどこまで押し切れるかどうか?といったような状況。
それだって明やオスマン朝の様な当時の大国には全く太刀打ちできないといわざるを得ない。
当時の日本は少なくとも軍事技術でヨーロッパ諸国に、兵力の動員で中国に、
その両方でイスラムに比べて劣っていた。
何の本も読まずに思い込みだけで書き込まない方が良いよ。
一応ここは学問板なんだからさ・・・。
そもそも、戦国時代の戦争技術の革新が、
海外の先進的技術、要するに火縄銃を受容することで起こったということを忘れてはならない。
確かにその技術を知って直ぐに自力生産を可能とし、数十年で生産力・配備量で、
ヨーロッパ諸国すら凌駕するほどになったというのはたいしたものだし、大いに誇るべきものだが、
しかし、より製造の難しかった大砲の技術はなかなかものに出来なかったし、
その本格的な運用も戦国時代最末期になるまで行われなかった。
そして騎馬部隊については地理的な条件の悪さもあったが、ついに実用化されなかった。
この状況ではヨーロッパを超えたとは到底いいがたい。
>>513 確かに、本も読んで、当然内容も吟味しないとね。
野戦における野砲の活用なんて当時のヨーロッパでも確立されてないじゃん。
重くて運搬が困難だった野砲が、野戦で効果的に使われるようになるのは、せいぜい30年戦争に
グスタフが登場してからだろ。
それも、隊列を組むのに丸一日かかるテルシオを相手に対して有効だったのに過ぎない。
ヨーロッパの軍隊よりも圧倒的に機動力で勝る戦国日本に野戦で大砲が効果的だとは思えない。
あと、騎馬部隊は火器を集中配備した歩兵隊に弱い。
フス戦争で騎馬部隊は農民主体のボヘミア軍に手も足もでなかった。
実際、日本軍も碧蹄館の戦いで騎兵主体の明軍に圧勝しているしな。
それなら、なんで騎馬隊は一次大戦まで現役で生き残っていたの?
それから、確立はされていなくとも運用は既にされていた。
どのみち立ち遅れは否めないよ。
518 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 20:58:40 0
鬼島津こと島津義弘は500の兵で明軍20万を破った
519 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:01:11 0
>日本の現状を見る限り、組織的な騎馬部隊の運用がほとんどないこと
ヒント:武田騎馬隊、伊達の鉄砲騎馬隊、やまがた伊井の赤備え
まさか、それが本当に「騎馬隊」だと思っているわけですか?
521 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:06:02 0
歴史の資料みりゃわかるよ
説明させるなよ
522 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:07:08 0
鉄砲もヨーロッパから伝わったものだし、
文明力の差から言ってもスペインより強かったとは到底思えん。
>それなら、なんで騎馬隊は一次大戦まで現役で生き残っていたの?
有効だったかどうかはまた別物だと思われるのだが。
524 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:09:25 0
日本はその鉄砲をさらに改良したんだよ
今浜や雑賀あたりが有名だな
・大砲が無い
・遠洋航海技術が無い
・騎馬隊がない
・馬車すらないのないないづくしですね
526 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:13:22 0
>>509 ここ最近の三戦板を甘く見ない方がいい
一部の無双厨が著しくレベルを下げているため、全体的にやや無知に見えるが
中には、それなりに頭も切れる人がいるし、史実に詳しい人もいる
特に戦国時代に関しては向こうはエキスパートだから
下手なここの連中よりよほど物知り
>>523 有効だよ。
まあ、一次大戦では直ぐに使われなくなってしまったけど、
少なくとも日露戦争のことまでは完全に現役、
そうでなければ、明治政府が騎馬隊の創設に力をあげたりしない。
実際ナポレオン時代では歩兵・砲兵・騎兵の有機的な運用が戦術の基本、
無論、騎兵がいれば勝てるってほど単純なものではないが、
歩兵だけよりも騎兵もいた方がよいに決まっている。
状況への応用力が段違い。
結局、騎馬隊が存在しないというのは大きな欠点と言わざるを得ない。
攻城戦での大砲の運用に限っても、
日本では関ヶ原の戦いの時の大津城攻めがほとんど始めてだが、
イスラムやヨーロッパでは少なくとも15世紀から盛んに運用されている。
まあ、本格的な大砲自体が日本に存在しなかった以上仕方が無いことだが、
100年以上の差がある。それが現実。
>>519 頼むから、マジで頼むから三戦板に帰ってね
例えばローマ軍とかはどうよ。
イタリアを統一したばかりのローマは、周辺のカルタゴ、マケドニア、ペルシア
などに対して、海軍力や攻城戦の技術であきらかに立ち遅れていた。
騎兵も話にならないくらい弱体だった。
それでも、歩兵の動員力と高い士気で、自分たちより高度な文明を圧倒して地中海
の覇者になったじゃん。
戦国日本だって歩兵の動員力と高い士気という点では傭兵主体のヨーロッパより
圧倒的に優ってるだろ。
>>530 ローマにはローマ市民としてのローマへの帰属意識という、
近代の国民国家にも匹敵するものがあったからね。
戦国日本の高い士気ってのは正直過大評価。
>>531 それでもヨーロッパの傭兵よりは遥かに士気が高いだろ。
戦国期に足軽が勝手に暴走したり反乱を起こしたりした事なんてほとんど無いぞ。
>>530 イタリア半島外で戦った時のローマ軍と、
朝鮮攻めのときの日本軍の差を見れば、両者の違いは明らかだと思うけど。
士気・兵站・指導者、どれをとっても違いすぎ。
というか、近代以前において、戦闘や略奪が生活の一部と化していた遊牧騎馬民族を除くと、
ローマ軍の士気の高さはまったく例外的。
特に防衛戦以外でもそれが発揮されるとなると正に例外中の例外。
そんなものと戦国日本の軍をの無条件に同一視するのはあまりにも乱暴すぎる。
>戦国期に足軽が勝手に暴走したり
してるだろ、普通に。戦争が起こるたびに右へ左へ動くし
朝鮮出兵でも朝鮮側についた奴も居るんだしさ
当時の日本人は価値観が違うというか、日本という国家への帰属意識なんて無いんじゃない
いずれにしろ、日本の戦国時代の軍事技術の発展というのは、
端的にいえば、ヨーロッパ産の火縄銃が重視されたことが象徴しているように、
ヨーロッパの後を追ったものだと言っても言い過ぎではない。
そして火縄銃については追いついたが、大砲については追いつけなかったし、
騎馬隊の運用については、ほとんどスタートも出来なかったということ。
伊達に長い間内戦ばっかりしてないからな。
戦国期の日本の鉄砲保有数が世界一っていってもその銃口が向かう先は同一民族w
ちょっと前のアフガンみたいなもので国民の国家への帰属意識はゼロ。
そんなんだから対外戦争でもろくに勝てたためしが無いんだよ
つーか大砲は一応作ってるよ日本も、性能もそんなに悪くないと思うが
まぁ地理的にも、また資金力が無ければ造れないものだから火縄銃のが普及したんだろうね
築城技術に関していえば当時のヨーロッパは中世に築いた城が大砲の普及で無用の長物と
なってしまい、一からやり直さなければならない状態だった。
そういう意味では戦国期に急速に築城技術を発展させた日本にハンデは少ない。
ヨーロッパが試行錯誤の末に対火器用に築いた要塞には、日本の近世城郭と共通する
部分がかなり多いからな。
加えて当時の日本はヨーロッパの要塞より大規模な城郭をより短期間に築く技術があった。
朝鮮から帰国した武将が、その後に日本のいたる所に築城しまくったのは、重火器に対して
日本式城郭が有効だったという自信の表れだろ。
実際、熊本城や会津若松城は300年後の進歩した大砲にも通用したしな。
おもうんだが、このスレを立てた>1は、
こういう話の展開に持ち込みたくて、
つまり「日本は一度も世界一になれなかった」
と例証(冷笑)したいのが目的だったんだろうな。
>>536 >対外戦争でもろくに勝てたためしが無いんだよ
というようなのを期待して。
戦国期の日本が戦った唯一の対外戦争?
君の国に対しては一方的にぼろ勝ちしたけどねww
飽きたから途中投げしたけど。
>>537 火縄銃「しか」作れなかったんだよ
伝統的なたたら製鉄で得られる鉄は不純物が多くて破裂しやすい。
その辺は幕末期にさんざん試作・実験して証明されてるので間違いない
>たたら製鉄で得られる鉄は不純物が多くて
逆だろ、何のためのたたら製鉄よ
まぁ脆いのは確かだろうが。
>それだって明やオスマン朝の様な当時の大国には全く太刀打ちできないといわざるを得ない。
オスマンについてはさておいても、
明はどうか。
現実に戦闘してタイマン以上の結果を残している。
日清戦争を先取りしたようなもんだよ。
兵科、兵制の進化を近代的軍事理論から逆算して想像するのも一つの仮説に過ぎない。
少数民族の満州人が火力に苦しめられながらも統率力によって最後には明を滅ぼした。
朝鮮の役を見ても、秀吉は本土にありながら極めて正確な戦況判断と
前線の武将への統率力を失わなかった。
支部隊が敵側になびくというのも近代以前の軍隊からすれば
ネグレクトできるレベルであるし、封建体制である一方、
武士団は家系血統、大八州の求心的意識を抱いていた。
今のある種の人間が忌み嫌おうともそれが日本独自の精神基盤を形成していた。
こういう国、集団が武力を盾にしている限りこれを制するのは不可能。
朝鮮の役から鎖国にいたる国家政策もそれが反映している。
仮想の話をすると、
列島を西洋大陸に移動できるわけはないのだから論外だが、
朝鮮の役にしても明は列島に攻め寄せるという恫喝をしただけで
できなかったのが証明している。可能だったら関が原の年くらいには出来たはず。
日清戦争で軍閥の清軍に勝利したという暗喩が通じるのはそのため。
543 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:26:34 0
>>529 もう世界一になりつつあるけどな。
なんせ一国で世界経済の崩壊を支えてるんだぞ。
崩壊寸前のアメリカ経済を国債買って支えて、アジアの発展も全部日本のODAと投資と技術供給のおかげだ。
これからテロと中国の消費で原油高はますます高まっていくから、どんどんハイブリッドカー売ればいい。
まあ確かに対外戦争にはろくに勝てたためしはないが、良く負けるものこそ良く勝つものだ。
勝ちつづけたアメリカみたいな国は負けるまで同じことを繰り返す。
544 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:27:33 0
島津軍500の兵が明兵20万を破った事実を踏まえれば
島津軍一万なら2000万の兵に匹敵するという簡単な計算もわからないのか?
545 :
540:2005/12/13(火) 23:28:48 0
>>541 ちょっと勘違いしてたすまん
不純物じゃなくて「珪素の含有量が少なかったから破裂しやすかった」に訂正
546 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:30:25 0
失礼 4000万か
547 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:38:16 0
>>542 あのですね、明とタイマンと言いましてもですね
明から見れば朝鮮という属国への援軍だったし
加えて明は当時かなりでかい内乱が勃発中だったので
その二点を考慮した上で考えていただきたい。
んで内乱を終えた軍が朝鮮へ向かうと戦局は膠着になった訳だしね。
それに当時の明なんて張居正の改革が失敗して以後没落の一途をたどってますんで
それと全盛期の日本をだけ比べて日本>明という結論に至るのは早計じゃないかな
明は海を天敵の倭寇に任せて
陸は小早川を総大将にしてさ
伊達や徳川、上杉、佐竹あたりも動かせていれば勝てたと思うんだよ
550 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:46:27 0
先陣は前田慶治
551 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:48:42 0
朝鮮出兵で古来からの中国中心の世界秩序が崩れ、中国と日本の国力が入れ替わった。
朝鮮出兵時では明らかに日本の方が強かった。
明は弓と槍の旧式だったのに対し、日本は鉄砲や大砲を導入していた。
ただ相手の国に攻めていって勝つには相手の三倍の力がいるといわれているから勝つことは出来なかったが。
552 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:51:58 0
>朝鮮出兵で古来からの中国中心の世界秩序が崩れ
そんな事実はない。
三戦板の連中は歴史も知らないんだな‥
釣りかもしれないが。
483 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/12/13(火) 01:29:21 0
どうもイギリスって世界最強のイメージがないんだよな。
プロイセンとかフランスにはあるんだけど。
ビスマルクやナポレオンのような英雄が生まれなかったからか?
487 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/12/13(火) 02:06:33 0
>>483 ヨーロッパで陸戦を戦っていないのが原因では?
ヨーロッパを勢力均衡で保ち、ヨーロッパ以外で大暴れするのがイギリス流な訳で
498 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/12/13(火) 13:28:13 0
>>489 大規模な戦いなんてリトルブリテン失ってから数えるほどしか無いので問題無いぞ。
イギリス陸軍は規模は国力考えれば常に小さいし、装備も決して良好とは言いがたい
これを見て「釣り」だと気づいたオレは勝ち組。
554 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:57:29 0
>>552 じゃあ変わりにどんな事実があるのか提示してもらわないと、
アンタの知能はチンパンジー以下だと思わざるを得ない。
反論するなら、もっと文明的な反論をしようよ。
でないと本当に君が人類なのかどうか、
ひょっとして脳みそピンポン玉以下の知恵遅れなのではないかと疑いたくなる。
555 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 00:02:19 0
>>554 釣りするなら、もっと文明的な釣りをしようよ。
でないと本当に君が人類なのかどうか、
ひょっとして脳みそ無双厨以下の知恵遅れなのではないかと疑いたくなる。
一般的には、清仏戦争だな>朝鮮出兵で古来からの中国中心の世界秩序が崩れ
教科書レベル
おつかれ
古来から中国が中心といっても、あまりに例外期が多すぎるよ
少なくとも史板では適切な表現とは言えない
せめて明中期くらいに限定してくれないかな、それならまず合ってる
557 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 00:19:49 0
組織的な騎兵うんぬんって言ってるやつとかいるけど、三十年戦争までの騎兵なんて、全然大したことないものだろ?
558 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 00:35:04 0
>>551 明は建国期から銃や大砲を実戦で使ってるよ。
この時代には西洋から導入したマスケットなどを使ってた。
それを見た朝鮮人が「明兵が倭銃をもっている」などと記録を残している。
武田騎馬隊なんていませんでした
本当にありがとうございました
560 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 01:31:44 0
>>558 いや、それはおかしい。
明の建国期といったら14世紀ごろで、その頃西洋とのかかわりは小さく
銃や大砲があったとしても軍隊の主流になるほど量産化されているとは思えない。
あったとしても部分的だと思う。
>>560 ちょっと待て。
何で西洋とのかかわりが問題になるんだ?
火器はもともと中国で発明されてそれから西に伝わったものだろうが・・・
562 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 01:47:47 0
>>558 は明らかにつりだろ
釣られんな。大体最後の結び。兵力三倍が必要だから勝てなかったって何だよ
孫子の兵法かよw
三戦に遊ばれるなよ
帆船時代に「世界最強」なんて意味のない企画だなw
「地域最強」がせいぜいだろw
564 :
558:2005/12/14(水) 02:09:15 0
>>557 そんなことはありませんよ。
>>542 満州族にはなかば騎馬民族だという大きなアドバンテージがあるから。
というか、正確な戦況判断と統率力を失わなかったのにあの有様とは・・・・
私個人としては朝鮮攻めでは、最終的勝利はともかく、
十分な統制さえ取れていればもう少しは頑張れたのではないかと評価しているところですけど、
ちょっと評価がきびしすぎでは?
>それだって明やオスマン朝の様な当時の大国には全く太刀打ちできないといわざるを得ない。
>満州族にはなかば騎馬民族だという大きなアドバンテージがあるから。
>あの有様とは・
結局、満州族>=明>日本
っつーことを言いたいのだろうか。
勘違いしていけないのは、当時の明の人口7000万〜9000万?
それに見合った精鋭を集中させる能力があったかということ。
秀吉軍に反抗を仕掛けてきた李如松は西方の蛮族の乱を鎮めたばかりの精鋭部隊
で、これを東方の蛮族(日本)に振り向けてきた。
平壌は奇襲で小西に勝てたものの判断を誤り
以後は日本に首を取られかけて「あの有様」。
4年後慶長の役になって朝鮮に送り込めた数もあれが精一杯。
そんな明を30年かかって内乱に呼応して征服できたのが清。
「騎馬民族」のアドバンテージじゃござんせん。
今の米国並みに世界へ展開できた相対的な最強国、大国といえるのは、
元くらいなものだろう。あとは地域大国。
日本の戦国期ってことは、1600年前後半世紀の話か
この頃の日本なら総合力でオスマン帝国に勝てるってこと?
>>566 騎馬民族の攻撃性は当時でも十分意味のあるものだったし、
その満州族ですら30年かかったということになるだけなのですが。
どの道豊臣軍が撤退せざるを得なかった事実に変わりはないよ。
まず無理ってはなし。
まず無理って話。
というのは、
>>567宛てです。
明を滅ぼしたのは満州族の清ではなく李自成の大順だよ。
明は内政がボロボロになり最前線の武将が次々に清に投降。
↓
軍が弱体化した明を反乱軍の大順が征服。
↓
清に投降していた明の武将が大順を滅ぼして中国を再征服。
↓
中国南部を支配する旧明将に「三藩の乱」で清が勝利。
つまり本当の意味で満州族が中国の主となったのは三藩の乱以後だ。
>>538 そうでもないよ、関ヶ原の戦いにおけるいくつかの城攻めで、
織豊期の城郭が大砲に対して脆弱であることがわかったので、
関ヶ原後あわててそれに対応したというのが実際のところ。
その対応後、江戸初期に築かれた城はずっと時代が進んだ後の砲にすら、
有効に機能したのは御指摘の通り。
どちらにしろ、同時代で戦国時代の日本が世界最強というのは到底無理。
これ以上はスレ違いでは?
すれ違いではない
検証した結果、やっぱだめじゃんってことかと
574 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 13:00:31 0
信玄公や謙信公顕在なら明なんぞ相手ではなかった
戦国日本はヨーロッパよりは強かったが、この時代にはオスマンがいるからな。
妄想ウヨ必死だなwwwwww
戦国日本が最強?
まあ、こういうバカげた発言をして自滅してくれた方が
私たちにとっては都合がいいから、どんどんやってもらいたいw
その最強日本は朝鮮出兵に敗退しました。どの国が最強でしょうか?
>>576 攻め込んで敗退したら弱いというのは思考が単純すぎないか?
隋や唐だって朝鮮出兵で敗退してるだろ。
ベトナムで敗退したアメリカは当時世界最強ではなかったの?
アルマダの海戦に負けたスペインはイギリスよりも弱かったのか?
鉄砲装備率を基準に考えるのなら最大の火力を持っていたことにはなるけどな
余談だが、これだけの軍備を江戸時代に縮小したのは世界屈指の軍縮、とか持ち上げられたことがあった。今はしらんけど
チョンが必死のスレか。
ご苦労なこった。
>>577 そりゃ単純馬鹿なんだからしょうがないよ。
単純な脳みそしかなければ単純な思考しか出来ないのは当然。
頼むからさ、ウヨとかチョンとかはやめようよ
ここは一応学問板なんだし。
日本が強いか弱いかはともかく色々な資料や考察がでることが良いのであって
罵ったり、妄想語ったりしても何の生産性も無い
>>578 どうかな。
量だけでなく質も考慮する必要がある。近代以前の日本の製鉄技術は低く
強度のない黒鉄しか生産できなかった。火薬、硝石もほとんど輸入で
かなりの粗悪品を回されていた。つまり破損率、不発率が高く
飛距離と威力は低かった。日本の弱い鎧だから効果が発揮できた訳で
欧州の胸甲には歯が立たなかった。勿論、欧州の鉄砲はその逆である。
さらに騎馬兵の優劣もある。
騎兵の運用パターンは3種類あり、低い練度で扱える順に並べると
乗馬歩兵(竜騎兵)、重騎兵(胸甲騎兵)、軽騎兵となる。
日本の騎馬武者のほとんどは乗馬歩兵型であり、戦闘で馬の突破力を
生かす事は出来ない。対する欧州の騎馬は突撃専門の重騎兵であり
戦いが進み双方の戦列に綻びが見え始めた局面では、突破力を持つ
欧州側の方が断然有利だ。
つまり、鉄砲をやや多く持つ戦国日本軍が、欧州軍と戦ったとしても、
欧州側の良質な火力で算を乱し、最後は重騎兵の突撃で粉砕されて
しまうのがオチだよ。
>>575 さっきから否定されまくっているわけだが・・・・
まず日本に騎馬隊は居ないし、そもそもヨーロッパ的な
部隊編成に当てはめる必要は無いだろう。
>>577 唐は負けてないでしょう。
確かに隋については、その国力の割には強くなかったのではないかと考える根拠にはなる。
もっとも、いずれにしても幾つもあった対外戦争の中の一つの敗戦にすぎない。
唯一の対外戦争が敗北だったという事実は、それよりも重いものだと思うよ。
もちろん、当時の戦争とベトナム戦争と同列に語るのは問題外。
>>584 騎馬隊がない以上、その持ち味である機動力や突破力を用いた戦術は取れない。
それだけ戦術の幅が狭まるということで、その不利はどうしても否定できないよ。
>>585 でも2回も失敗したじゃん>唐
それにベトナム戦争が同列に語れないのは何故?構図として似てると思うよ
まぁそれ以前に
>>577の言いたいことは違うと思うが
戦争はかならずしも国力を反映した結果にならないということだろう
>>587 現代の戦争とは全然違うよ、
まず、民主主義国だから一般庶民が戦争を拒否するようになれば、
その遂行は直接的に出来なくなるし、
それ以上の国際社会に配慮して戦争を遂行しなければならない。
複雑な国際政治とかを何も考えずに戦力を出し切ってよいなら、
ベトナム戦争なんて簡単に米国の勝利になった。
原爆をいくつか落とせばそれだけでことは済む。
しかし、現代社会ではそんな事は不可能だし、しても国にメリットはない、
そこら辺が近代以前とは全然違う。
唐はいくつかの敗北はあっても、多くの地域に進出し国土をおおいに拡大させた。
全ての戦争に勝てなくとも強大な国家だったことは十分に証明できる。
しかし、日本は二度敗北してそれっきりだからね・・・・
個人的には明に総力戦で勝つのは無理でも、
朝鮮半島程度なら領有できたのではないかと思うけど・・・
なにせ総司令官が事実上ボケ老人だったのがあまりにもあれだった。
>>585 朝鮮出兵は唯一の対外戦争ではないだろ。
琉球王朝は対しては圧勝だったじゃん。
>>590 確かにそりゃあそうだ、琉球よりは強い、それは間違いない。
592 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 19:30:15 0
朝鮮出兵は唯一の対外戦争ではないよ。
白村江の戦いに代表される7世紀の戦いもある。
ここでも日本軍は、明・新羅連合軍に敗退してる。
あと、好太王の石碑にある4世紀の戦役でも高句麗軍に敗退してる。
当時世界最強だった元には勝ったよ
あれは台風で退却しただけ。
実質的戦闘では、元・高麗連合軍に敗退してる。
こう見ると、日本は4回コリアに負けてるんだね。
高句麗、新羅、高麗、李氏朝鮮・・・・
いや、ここはとりあえず、戦国期の話に限定しておこうよ。
というか、誤解して貰いたくはないのだけど、
別に当時の日本が際立って弱かったというつもりはないよ。
しかし、世界最強だとかなんとかは到底言えないと。
地理的な要因で日本の勝敗が決まっただけだろ
中国に負けたことはあっても、
朝鮮に負けたことなぞないわ。
こういう煽りが現れたらもう末期。
とりあえず、もう戦国時代の日本が世界最強というのは無理って結論は出ているのだから、
これ以上はさすがにスレ違いだろう。
そこまでの過程の話はスレ違いではなかったとしても。
もともと最強の根拠が鉄砲の保有率ナンバー1だけだからね。
初めから破綻する話だった。
16世紀末に3万丁以上の鉄砲があったのは事実だろうけど
それだけを根拠にするとはどうかと・・・
>>594 文永の役で元の敗因が台風だったという説は今では否定されている。
日本は実質的な戦闘で勝利したんだよ。
それから弘安の役で元が台風に遭遇したのは日本軍に博多から撃退されて
対馬海峡を逃げ回ってる最中だった。
元軍でさえ日本に上陸拠点を築けなかった対馬海峡を、反対側から攻めた
日本は朝鮮の役できっちり敵国に上陸を果たし、7年間も戦い続けた訳だ。
>>575 16世紀のスペインとオスマンの軍事力はほぼ互角だよ
16世紀前半はオスマンが少し優位だが
>>602 総合的な国力イコール軍事力ではオスマンの方がスペインより断然上。
レパントの海戦で判断されちゃ困る。
スペイン最強と聞いてサッカー板から来ました。
ラテン系の国って強いですよね。
スペインとオスマンなんて雲泥の差があるぞ
16世紀ならオスマン>>その他は確実
ヨーロッパとの力関係が逆転したのはどのあたりからかね?
一般的には二次ウィーン包囲失敗あたりからかと思うが、
それ以前から実質的国力は低下していたから、
失敗したと見るべきだと思うが。
またアンチ欧州厨のオスマン過大評価か
軍事他あらゆる面で技術を西欧職人に頼っていたオスマン
ウィーンも抜けないオスマン
中世ヨーロッパはエルサレム落としてるけど
オスマンは大国なわりにスペインといい勝負してるからな
人口の多さだけで国力は決められない
オスマン・トルコとか明、清、ソ連とか末期がヘタレだった国は、このスレでは印象悪いのね。
トルコは第一次世界大戦後でもケマル・アタチュルクが大英帝国を含む欧米の侵略を
撃退したりしてて、現代でもアメリカが気をつかうほど陸軍強国なんだけどね。
>>607 プレヴェザやモハーチの段階ではその軍事力は、
明らかにヨーロッパを凌駕していただろう?
オスマン対欧州の戦いは常に欧州が戦場になっている時点で圧倒的にオスマンの優勢だろ。
>>606 逆転というか16世紀後半から17世紀前半は
オスマンとスペインの2強だよ
その後フランス
>>610 プレヴェザはレパントで返したし
モハーチは弱小ハンガリーだからスペインと一緒くたにされても
>>613 レパントって何十年も後の話じゃない。
その間は明らかに負けていたってことかと。
いずれにしても、具体的な時期を挙げて、
いつ頃はスペインの方が強くなっていたとか言わないと、
ちょっと誤解を招くだろう。
>>607 スペイン全土がイスラムに征服されたことは無視ですか?
おいおい、時代設定が無茶苦茶交錯しているぞ。
中世に欧州がエルサレムを征服したことを持ち出すならその時期にスペインが
イスラムの占領下にあったことも書かないと公平じゃないだろ。
だから、無茶苦茶に交錯していると。
>>614 16世紀後半から、フェリペ2世の時代あたりから
スペインとオスマンはほとんど互角でしょ
どちらが強いともいいきれないな
16世紀前半はやっぱりオスマンのが強いけど圧倒的ってほどもないと思うな
オスマンは中東地域やハンガリーを征服して勢いはあったけど
ペルシャや西欧の先進地域など、ある程度の強い地域勢力なると
それ以上進めないというか手こずる
620 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 20:52:38 0
オスマンなんて所詮大航海時代のきっかけを作っただけの時代のあだ花。
16世紀後半のフェリペ2世の時代ってスペインの没落が始まった時代だろ。
アルマダの敗戦とかネーデルランドの泥沼化とか、あきらかにカール5世の
時代の方が国家として健全だった。
ほとんど唯一の勝利であるレパントだって、他の同盟国との協調を欠いた
ために実質的な利は何の得られなかったし。
けど普通、スペインの覇権は30年戦争までといわれてるよ
オスマンだってスレイマン死後内紛でグチャグチャだったけど
だからといって国力が急激に落ちたわけじゃない
19世紀初頭までのヨーロッパの国際通貨はターリー。
これは皆さんがご存知のように、オ ス マ ン 朝 の 通 貨 。
球根バブルで有名なチューリップは、中央アジア原産。
これも オスマン朝の国花(みたいなもの)。
自前で国際通貨が用意できなかったような国は、このスレでは無視しても構わないでしょうね。
スペイン1国がオスマンに敵う訳ねーだろ
レパントだって連合軍じゃねーか
せめてフェリペ2世じゃなくカール5世で語れよ
カール5世はハプスブルクの最盛期だが
フェリペはスペインの最盛期だよ
フェリペは59年オスマンの同盟国フランス破って、
71年レパントで勝って西地中海を影響下に
80年にポルトガル併合、この時点が絶頂期
81年にネーデルラント独立宣言、88年アルマダここから怪しくなる
ただ30年戦争までヨーロッパの覇権はスペインがなんとか維持
一方オスマンはスレイマンの晩年から約80年内紛、内乱、政情不安になる
帝国のお膝元のアナトリアでも反乱が頻発という危機的状況に
1656年にベネチアと戦争して、ベネチアの海上封鎖で物資が届かなくなり
暴動寸前になったがそれを収拾した宰相キョプリュリュのもとで体制を整え
最大版図を達成するが、第2次ウィーン攻囲で失敗、東欧での覇権を失い
18世紀はロシアのサンドバック状態
そーゆーことでスレイマン以降はオスマン最強とは言い難いな
つまり、ヨーロッパ諸国もオスマンも除外で問題無いね。
>>623 オスマンはチューリップだけ
そのチューリップすらオランダにお株を奪われ
>>626 もちろん中国や日本は軍事技術的に問題外
スレイマン以降から30年戦争までは
オスマンとスペインが東西2強で
その後フランス、これが妥当だよ
おやおや、いつのまにか
他人のふんどしで相撲を取るチョンの自作自演か。
ミエミエなんだよ。
近世戦国日本が明かオスマンかで議論になっているのに、
その日本にズダボロにされるとは・・・。
>>625 はっきりとスペインが絶頂だったと言えるのは、71年のレパントの海戦から81年の
ネーデルランド独立宣言までのたった10年間だけじゃん。
しかも軍事的に見れば、その絶頂期だったはずの期間、オスマン艦隊がレパントの翌年には
再建されたのに対して連合艦隊はあっさりと解散。
結局、海戦の発端となったキプロス島は奪還されないまま。
73年にチェニスを占領したが補給が続かず撤退、翌年にはオスマンに支配権を奪われてる。
つまりスペインと目と鼻の先でオスマンが勢力を伸ばしてるんだよ。
大体、17世紀だって後半にはオスマンがなんとか体制を立て直したのに、スペインはひたすら
没落を続けていただけだろ。
チェニスってかチュニジアは別にスペインから「目と鼻の先」じゃないと思うが…
それ言ったら目と鼻の先どころか東地中海かなり深く入ったキプロス巡って云々してたオスマンの海軍力ってどうよ、って話になるぞ
無敵艦隊(自称)壊滅の理由知っててスペイン最強とか言ってんの痛すぎw
>>631 ヴェネチアはオスマンに莫大なキプロス使用料を収める事でキプロス島を維持してたんだよ。
>>628 配備に丸一日かかるようなテルシオは、ヨーロッパでは通用しても戦国日本には
通用しないだろうな。
実際に戦えば隊形組む前に攻撃仕掛けられてボロ負けするだろ。
それにヨーロッパの軍隊はトロいから野戦で一回敗退しても相手はまだ後方で
体制を立て直す余裕がある。
それに対して当時の日本では山崎の合戦や賤ヶ岳の合戦を見れば分かるように、
野戦での勝利がそのまま戦略的勝利に直結する。
朝鮮出兵でも20日間で500キロ進軍してたし。
>>629 散々説明されているのにまだわからないのかい。
636 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 16:25:56 0
>>594 台風で勝利したと言う話は、おそらく「日本は神に守られている国だ」という
大本営発表に都合よく作られたものだと思われる。
637 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 16:30:13 0
世界の海をまたにかけるスペインと、ちょびっと東欧を弱いものいじめしたぐらいのオスマンと、
比べられるわけがないだろう。
1621年、スペインの軍艦5隻はメナム川を遡上してアユタヤ襲撃を試みたが、
水上警護を任されていた日本人傭兵部隊との戦闘で全滅。
一方の日本人部隊の損害はほとんど無し。
1624年にもスペイン艦隊は日本人部隊に再び敗北している。
これが世界をまたにかけてたはずのスペイン軍の実態。
またにかけたというか当時はちょこちょこと隅っこをゲットしてった
感じだからな。
当時東南アジアまで来ていたこと自体大変なことだと思うけどね。
真珠湾攻撃直前の大日本帝國海軍は決戦兵力として瞬間最大風速的に世界最強じゃやないの?マジで
ついでに言うとアメリカ軍の絶頂は原爆投下直前から戦後の動員解除まで
>>638 「ラテン系の国が強いのはサッカーだけ」は、世界の常識。
まぁ信長が暗殺されずに秀吉を総大将にして唐入りしてれば最悪、朝鮮は切り取れたろ・・・いらんけどナ
644 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 19:30:01 0
アメリカ軍の絶頂は今現在でしょ。
645 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 19:33:09 0
>>641 当時の日本は基礎工学が大幅に遅れていたから、大艦隊を揃えていても
その実力は見かけほどじゃなかったみたいだよ。
>>644 現在は核武装してる国が複数あるから最強であっても絶頂ではない
かつてのアメリカは世界のGNPの半分を占めていたし、大戦と同じレベルの動員も出来ないかもしれん
>>636 文永の役の時には、船が一隻座礁していただけで、後は消え去っていたから、
何がなんだか分からなかった様ですね。>『八幡愚童訓』
初回は威力偵察だったとも言いますが、台風が原因では無いらしい。
弘安の役では、石築地の存在もあったとはいえ、東路軍相手に奮戦していま
す。ただ、江南軍合流後、間も無く「乾ノ風」に襲われた様ですから、これが
そのまま攻め寄せて来ていたら、北九州は不味かったでしょう。
『元史』にも、初回は引き上げたが、二回目は暴風を受けたとあります。
「神風」についてですが、仏神の冥助による勝利というものは、中世には奇異な
発想でもありませんが、元々は伊勢の枕詞だった筈で、スローガンの様なもの
にし易かったでしょうね。
神国は、六国史では記紀の神々に護られた国でしたが、中世に入ると、本地垂
迹説に基づいて守護された仏教国の意となっています。
秀吉のキリシタン禁教令は、後者の意味で出されていました。
648 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 20:24:42 0
>>644 経済では50年代、政治では90年代がアメリカの全盛期。
今は完全に没落期だろう。
ちょうどボーア戦争後のイギリスみたいな感じ。
649 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 20:34:39 0
>>646 >>648 でも現代の米軍はSFに登場しそうな超兵器を研究開発し、実戦配備へと進めているよ。
砲弾やミサイルを撃ち落す防衛用レーザー兵器とかな。
651 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 21:53:31 0
>>650 それはもう冷戦時にはあったね。
骨伝導システムだって冷戦〜の一種の兵器だったんだから・・
今はどんな兵器が国家機密で使われているんだか知りたいね;;
652 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 21:59:17 0
>>648 クリントンが女子大生の陰部に葉巻突っ込んで
「良い味だ」とか抜かしてた時代が全盛期かあ。
>>651 >それはもう冷戦時にはあったね。
ソースキボンヌ
ABL−1だって今研究段階だぞ
>>641 日本海軍自身の図上演習だと常に日本海軍の負けでしたが。
常に最後は土佐沖まで追い込まれて演習終了、その後考えないのは何時もの日本軍クヲリティ
655 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 22:44:20 0
>>655 もしかしてSDIの事言ってたのか…?
それ研究段階で終了してる。冷戦時代にレーザー光を直接使って物理的にモノを破壊する兵器は存在しない
657 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 22:58:03 0
>>656 レーザー・・・すごいね('▽';)
そんなのあったら世界地図変わりそう・・。
658 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 23:26:56 0
>>656 そっかSDIないんだ・・・
知識薄でスマンですorz
飛んでる150o砲弾くらいなら蒸発させられるけど、ICBMの迎撃とかはまだ無理らしい。
思うにスペインやオスマン・トルコのような一発屋より、現代に至るまで、
ずーと陸軍最強大国やっているロシアの方がスゴイ気がする。
>>660 イメージの馬鹿っぽさがいいな
でもソ連が核武装するまでのアメリカの核独占時代が最凶
レーザー兵器自体は小型化に成功し、実戦使用に耐えうるものが
戦闘機に搭載可能になるのも数年以内とニュースでやってたな。
>>662 ソ連が核武装するまでのアメリカの核独占時代の即時使用可能な完成原爆数。
45年 およそ2
46年 およそ6
47年 およそ7
48年 最高で50
49年 240以下
50年 292〜688
ソ連の核実験があきらかになった時、アメリカでは予防戦争論がさかんに論議
されていたらしい。
ただ、ソ連は拡大して国家中枢部も分散し、加えて正確な地図も公表されていない
などの理由から、当時の原爆では先制核攻撃を仕掛けても、それだけでは戦争に
勝てる自信は無かったみたいだ。
666 :
世界@名無史さん:2005/12/16(金) 18:38:30 0
このスレ最近伸びが激しいな
sageない人が多いからな
668 :
世界@名無史さん:2005/12/16(金) 21:33:19 0
>>40 意味分からん
中国が中国人以外に統治されたことが一度でもあるのか?
671 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 00:41:58 0
>>669 今はどうかしらんが19世紀中頃から20世紀の後半あたりまでは最強の陸軍国と自他共に認められた国だよ
日露戦争だって東洋の小国日本が英国とタメをはる世界一の陸軍国を破ったからこそ意義があるわけで
つーか、それよりも
>>661の場合
オスマン帝国を一発屋扱いしている方がむしろ疑問だな
672 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 00:54:39 0
>670
教科書読み直してからまた来い。
>671
ロシアってヨーロッパの一流国と戦争するとすぐモスクワあたりまで
攻め込まれてしまう印象があるけど。
ピョートル大帝のころはたしかに強かったらしいですね。
スウェーデンと互角に戦ってた。
674 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 01:02:28 0
>>673 ロシア軍の伝統的な戦闘教義として、敵を引き込んで殲滅するというのがあるから、
攻め込まれることがイコール弱いといえるかどうか。
>>672 漢民族とその周辺の現在の中華人民共和国内にする少数民族(狭義での中国人)
と彼らの祖先
ひよっとしてロシアて一度も首都陥落したことがないんじゃないのか?
>>673 逆だ…急激に強くなったのはピョートル大帝がスウェーデン撃破してからじゃなかったか?
エリザヴェータからエカチェリーナ2世辺りまでが黄金期?
この後は工業化について行けず、クリミア→日露→第一次世界大戦とゴタゴタ続きだし
だって母なる大地の力で
自国領土内での敵軍の消耗が100%アップですから
補給車潰しちゃえばほっといても自滅するべ
さらにコロシアム建てちゃえばまさに難攻不落
682 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 01:17:54 0
とはいってもWW2では当時最強の陸軍国といわれた国に勝ったんだから
WW2までは確実に最強だろうて
683 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 01:18:17 0
>>679 ナポレオンのロシア遠征の頃のロシアの首都はペテルブルグですた
>>682 「WWUまでは」ってWWTでドイツに負け、革命後ポーランドに負け、フィンランドには大損害喰らってますがな
WWUも英米による莫大な支援と、ドイツが戦力を分けなければならなかったって事も大きい
>>683 そうだったorz
となると雷帝死後に内乱に付け込んだポーランドがモスクワ落とした1回だけ?
>>684 それは結果論だな
そもそもドイツの優勢は最初の先制奇襲攻撃によるところが大きいし
英米のレンドリースが本格的始まったのはスターリングラード後。つまり無くても勝てた。
またドイツが100%の力でロシアに攻めたと仮定してもロシアを征服できたかは疑問。
まあ、攻め込んだ場合のロシア軍がイマイチなのは否定しない。
>>676 イワン雷帝の時代にクリミア・タタールがモスクワを壊滅させている。
ロシア帝国成立以前ならドミートリー・ドンスコイの時代にも陥落してる。
>>682 冷戦時代のほうがアメリカとタイマンはってアジア、アフリカ、アラブ、ラテンアメリカにも
政治的影響力及ぼしていたから、むしろWW2以降だろう。
第二次大戦で何を学んだか、という問いに答えて
「一つ、絶対に中国を侵略しないこと。二つ、絶対にロシアを侵略しないこと」
――バーナード・モンゴメリーイギリス陸軍元帥
‥守りに入られたら絶対勝てない国というイメージがあるからな
>>689 その代わり攻勢に出ても弱小国しか征服できない・・・
>>690 あやまれ!ロシアの首都を唯一陥落させたこともあるポーランドにあやまれ!
今はアレだがリトアニアも弱小国じゃないぞ。
ガザフスタンも結構な大国だよな
>>675 現在独立国のモンゴルはどういう位置づけなんだ?
てっゆうか中国の少数民族には朝鮮系、ベトナム系、ラオ系はもちろん他にも
タイ系、ビルマ系、カンホジア系、トルコ系、ウズベク系さらにロシア系までいるんだが。
つまりそれらの民族のいる国は全部中国……
16世紀のスウェーデンはどう?
>>696 君が言いたいのは、「17世紀の〜」では無いのか?
>>661 釣り?
最強の陸軍国はドイツだろ。
二度の世界大戦だって米英仏の協力がなかったら絶対負けてたし。
>>698 ドイツだって両大戦とも単独でロシアと戦ったわけではないだろ。
>>699 第一次大戦とかめっさ足引っ張られた気がしなくもない。
…まあ第一次大戦引き起こしたのは、即座に動員かけてフランス・ベルギー方面に侵攻したドイツの素晴らしきプラン至上主義だが
日露戦争は陸軍弱小国のロシアに日本が判定勝ちしただけで歴史的意義は皆無だね
>>701 そのとおり。近代化していないロシアが相手で日本は本当に運が良かった
相手がドイツだったら、陸も海も完敗で植民地化されていたと思う。
あの時代の限定戦争なんて全部判定勝ち狙いだろ。
>>703 日本まで大艦隊持ってくる余裕も陸軍持ってくる余裕も無いので無問題
>>701 第一次・第二次共にドイツ軍の損害が最も大きいのはロシア/ソ連
17世紀のスウェーデンだった、すまそ
で、17世紀ではどうっすか?
707 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 15:26:06 0
17世紀は清→フランスじゃないかな
スウェーデンは国家の体力が不足していると思う
ムガル帝国は?
このスレ、インド王朝の評価が低すぎる気ガス
いや弱いし
710 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 18:15:45 0
ムガルはインドの中では強かったが(ry
スウェーデンは、グスタフ=アドルフ時代にバルト帝国というべきヨーロッパの一大強国に躍り出たが、次のクリスティーナが全部ダメにした。
この文化人気取りの馬鹿女が退位した後のカール10世、次のカール11世でかなり持ち直したが、振り出しに戻る的なロスタイムは大きすぎた。
中央集権的な絶対君主制に向かう流れだった時代に地方領主強化しちゃったからね。
結局弱体化は免れなかったけれど、ポーランド化しなかっただけでもマシなのかもしれん。
17世紀ならロシアよりスウェーデンの方が強いよね?
17世紀初め頃はまだ「モスクワ帝国」だったしな。
>>711 グスタフ・アドルフがドイツで大暴れしてる間にスウェーデン国内がメタメタになったんだ、反動は仕方ないし必要ですらあった
軍板の伝説のスレから以下抜粋
233 名前: 獅子王の兵隊になるということ 投稿日: 01/09/25 18:14 ID:YQ8dBtuY
近世ヨーロッパにおいて存在した唯一の恒常的な兵役義務制度といえば、カール9世と
グスラフ・アドルフの治世にスウェーデンの首都周辺部とフィンランドに導入された
「インデルニンクスヴェルク」と呼ばれる地域割当制度である
最初に国民皆兵制計画が立案されたのは1600年代のことで、15歳以上の全ての男子が名簿に
登録された
そして、1620年以降、公定の割当率が定められた
1教区あたり男子の有資格者のうち1割の兵士を出し、教区がその兵士の扶養、装備、食費を負担する
というものだった
もっとも、社会集団の違いによって徴発されやすい人とそうでない人がいる状況には変わりなかった
兵士を選ぶ教区集会に欠席すると自動的に徴兵された
貴族や聖職者、鉱夫、武器職人、寡婦の一人息子は除外された
かくして、当然のごとくスウェーデン兵の大半が農民となった
政府は毎年必要な新兵の総数を割り出し、地方の教区に割当人数を振り分けた
1627年に1万3500、1628年に1万1000、1629年に8000、
1630年に9000で、それ程多くないと言えるかもしれないが、
恐るべきは当時のスウェーデンが推定総人口150万程度の小国であることだった
特に、僻地の小共同体に兵役義務制度が及ぼした長期的な影響は壊滅的だった
入隊は事実上死刑宣告に等しかった
不具になって帰還した少数の好運な者を除けば大抵はその年のうちに死亡し、
終戦まで生き延びた者は殆どいなかった
そんだけ
234 名前: 獅子王に兵隊をとられるということ 投稿日: 01/09/25 18:15 ID:YQ8dBtuY
スウェーデン北部のビュグデオという教区は1621年から1639年までの間に
ポーランドとドイツに出征するために230人の若者を送り出したが、
そのうち215人は出征地で死亡し、5人は不具となって帰還した
残った10名は1639年になっても兵役についたままで、恐らく9年後の終戦まで生き延びた者は
1人もいなかったに違いない
このような一方方向の人口移転が続けば、スウェーデンの人口に壊滅的な打撃を与えても不思議でも
何でもなかった
ビュグデオの成人男子人口は1621年から1639年までに40パーセント減少した
10代の若者が徴集されるようになると、徴集兵の平均年齢が低下していった
1639年のビュグデオの徴集兵のうち半数は15歳で、2人を除く全員が18歳未満だった
1640年までにビュグデオでは女性の世帯主が7倍に増加し、働き手の成人男子は既に徴集兵リスト
に名を連ねており、そうでなければ重度の障害のために兵役につけないかのどちらかだった
そして、忘れてはならないのが、ビュグデオの例は特別でも何でもないことだった
マンパワーの枯渇は無論1640年で収まったわけではなかった
1642年に7000名が、1646年に6600名、1648年に7100名の
スウェーデンの若者がドイツや他の地方に派兵された
スウェーデンのインデルニンクスヴェルク制度はカール11世の時代に見直され、
その後は国内防衛力としてかなりの能力を発揮したが、依然として国外遠征ではその限界を露呈した
デンマークも1627年に恒常的な徴兵制を導入したが、これは防衛兵力に目的を限定していた
そんだけ
以上「戦争論」
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.htmlより抜粋
716 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 23:34:08 0
戦争ってコストがかかるのね。
三十年戦争の影響は近年まであったとか。
718 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 01:45:35 0
>>701 まあ、ロシアが負けて極東進出を断念し、バルカン半島に全力を注いだことが
ドイツとの対立と英仏との協力を促し、それが第一次世界大戦にもつながったわけだが。
719 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 01:52:19 0
>>686 そりゃ結構だが、
ドイツはスターリングラードの前にイギリスに攻めることでいくらか消耗していることと、
スターリングラード後の米英の参戦によって2正面作戦となり、
ドイツ軍のその後の挽回の可能性が断たれたことはきちんと考慮してるのかな?
あと工業基盤がまったく格が違ったということ、
戦時中もアメリカから膨大な物資援助を受けていたことも考慮すべきだな。
単独でドイツと戦って勝てるなら、その後冷戦であれほどの無残な醜態を晒すこともあるまい。
>>719 冷戦は何年続いたと思ってるのかな。
ソ連末期は体制がパーだっただけでロシアの工業生産、技術力自体はスゴイよ。
特に1930年代〜1970年代にかけては。
どっちかというと現代史で醜態さらしているのはドイツやん。
第二次大戦で分割されて一つになったら慢性的不景気になり国際的にはEUに埋没して
存在感が薄れつつあるのね。
721 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 02:44:46 0
>>720 ロケットの技術・核の技術・戦闘機の技術・戦車の技術はどこからパクったの技術だっけ?
それとソ連からこの四つをとったら何も残らないよな。
722 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 02:45:45 0
>>720 冷戦は何年続いたと思ってるのかな。>>
たったの45年。
それがどうかしたか?
723 :
686:2005/12/18(日) 03:21:54 0
>>719 >ドイツはスターリングラードの前にイギリスに攻めることでいくらか消耗していることと、
消耗してねえよ。
大体、フランスは本来の実力を出し切る前に勝利を収めていたし
バトルオブブリトンでの消耗は空軍のみだろ。戦車はほぼ無傷。
まあ、100歩譲って、ドイツ軍が英仏戦での消耗が一切なかったと仮定してもいいけど。
同じ条件で、ソ連も、「ノモンハン」、「冬戦争」、「赤軍大粛清」、「序盤の条約無視の奇襲攻勢」による犠牲を考えないことにして
さらに日本の動きに捕らわれることなく極東方面軍を動かせるものと考えないといけなくなるね。
>スターリングラード後の米英の参戦によって2正面作戦となり
>ドイツ軍のその後の挽回の可能性が断たれたことはきちんと考慮してるのかな?
西部戦線と東部戦線の比率を3:7と仮定して、あれが70%の力だとしても残念ながら‥
>あと工業基盤がまったく格が違ったということ、
ソ連の工業基盤はたしかにドイツのそれとは比べ物にならなかっただろうね。
だが、工業基盤が強い=陸軍が強いでいいんじゃないかと思う
>戦時中もアメリカから膨大な物資援助を受けていたことも考慮すべきだな。
>単独でドイツと戦って勝てるなら、その後冷戦であれほどの無残な醜態を晒すこともあるまい。
冷戦とWW2は全く別物だと思うけど頭おかしいようだね??
論点のすりかえ? 日本人??
>>720 ソヴィエト聯邦の工業基盤は、
旧世紀50年代から更新されなかったのですよ。
>旧世紀50年代から更新されなかったのですよ。
あっそ‥
1945年の話をしているんだけど‥
本当に日本語わからないみたいだな‥
それとも俺が間違っているのかな??
冷戦のことは置いといて、1945年の独ソ戦のことのみを話しているんだけど‥
>ソ連末期は体制がパーだっただけでロシアの工業生産、技術力自体はスゴイよ。
> 特に1930年代〜1970年代にかけては。
これに対してのレスポンスですのでね。
ソヴィエト製戦車の世代交代が失敗続きだったのは、
工業基盤の老朽化に伴う技術の陳腐化に原因がありましたので。
727 :
725:2005/12/18(日) 03:33:55 0
あ、ごめん。
誤解 スマソ
東部戦線のドイツ軍の兵力は概ね300万、ソ連軍は最大時で1100万。
ソ連軍はキエフで60万の兵力を失っているにも関わらず41年の冬には3:1
ブラウ戦時のドイツ南方軍集団が150万、一方攻勢に出た時の南部のソ連軍は600万
ソ連軍は700万の戦死者を出したが、戦後復員した200万の捕虜をスターリンは
死ぬまで戦わなかった罪で粛清している。
これだけの兵力規模で数倍の差があると勝負にならない。
まあ、今のロシアはもう人が少なくなってきているので完全に弱い部類だろうが
>>721 >どこからパクったの技術だっけ?
日本人に言われたくない。
>>722 >たったの45年
そう。ワイマール時代の除いたドイツの全盛期と変わらない。
>>719 独ソ戦開始時の独ソ国力比
人口で3倍
戦車の生産量で5倍
野砲の生産量で3倍
戦闘機の生産量で2倍
初期戦車保有数で3倍
これだけ戦力差があるなら勝つには奇襲しかないだろうね‥
それこそ独ソがフルパワー同士でガチでやったら話にならないだろ
しかも、これ。粛清で弱体化した後の話なんだよな‥
米英のレンド・リースを軽視しているわけじゃない。あれはかなり役にたったことは認める。特にトラック‥
あと、ドイツは日本と違って技術力はあったから、それでソ連の戦車より質の高いものを生産しようと頑張ってはいたのも認める。
だけど所詮、これだけ国力差があると、どれも涙ぐましい程度の努力しかみえないのよ。資源も兵力も無いから小手先の技術でなんとかカバーしようとしたという印象
大体、ドイツって仮にスターリングラードで勝っていたとしても、兵站が破綻していてモスクワまでたどり着くことは出来なかったという話じゃないか。
開戦した時にすでにもうドイツの負けなんて決定してたんだよね。
ロシアは中国と違って住民がなかなか侵略者になびかないから強い
733 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 11:42:50 0
>>731 ドイツにことのほか「質」にこだわったということも考えないとな。
その中にはアメリカから原油などの援助物資・資金援助を貰っていることもな。
>>723 >どこからパクったの技術だっけ?>
日本人に言われたくない。>>
だから、どこからパクった技術だと思ってるの?
巧妙にごまかされてるけど。
正確に言うが、ソ連のロケット技術・戦車技術・戦闘機技術・核技術
はどこからパクったものかを調べ、その上でどちらが上であったか考えること。
スレタイに「ロシア人」とか書いてるの見て爆笑してしまった。
消耗してねえよ。>>
「消耗してない」と断言できる理由がわからない。
その後「空軍だけは消耗してる」と発言してるが、やはり日本語が成り立っていない。
さらに日本の動きに捕らわれることなく極東方面軍を動かせるものと考えないといけなくなるね>>
最終的には対日戦で消耗することがなかったという歴史的事実をきちんと直視すべき。
そう。ワイマール時代の除いたドイツの全盛期と変わらない>>
そう、たったの45年。論点そらしは止めなさい。
734 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 11:46:35 0
>>731 大体、ドイツって仮にスターリングラードで勝っていたとしても、兵站が破綻していてモスクワまでたどり着くことは出来なかったという話じゃないか。>>
開戦した時にすでにもうドイツの負けなんて決定してたんだよね。>>
それはイギリスとの戦いである程度消耗していた事実と考慮すべき。
しかも、ドイツ軍の最前線はクレムリンの鉄塔が肉眼で確認できるほどの距離まで迫っていたということもな。
>>733 ロケット技術は基礎理論ではロシアのツィオルコフスキーが世界的にもパイオニアと
言われている。ただしその弟子たちの大半はスターリンに粛清され、結局大戦後
ドイツから技術をパクるしかなかった。それでも小型ロケットに関しては「カチューシャ」
という名で開戦直後から大量運用に成功している。
戦車は革命時、外国干渉軍が送ったフランス製、イギリス製の第一次大戦型の
鹵獲品が最初だが、現在まで続くスタイルの原型はアメリカのクリスティー戦車。
これは走行性能に重点を置いた戦車で、本国では見向きもされなかったものを
ライセンスごと購入し、さらに攻撃・防御とも充実させたT-34へと発展させる。
開戦当初、これまた粛清の影響で有能で経験豊富な指揮官が皆無だったため、
ソ連軍はなすすべなくドイツ機甲師団に蹴散らされたが、T-34は当時間違いなく
世界最強の戦車で、ショックを受けたドイツは遅れていた6号ティーゲル戦車の
開発を急ぎ更に搭載砲も変更した。5号パンターはそのスタイルでパクリと
言われても仕方ないくらい影響を受けている。機動力・防御力・攻撃力の
バランスがとれた現在の「主力戦車」のルーツはT-34であると言って良い。
736 :
続き:2005/12/18(日) 14:05:21 0
戦闘機は日本と同じく、ヨーロッパ先進国の模倣から始まっているが、
粛清の影響で有能な技術者も失われ(ヘリメーカーで有名なシコルスキーは
粛清を逃れてアメリカに亡命した)パッとしないイメージがあるが、
世界初の単葉引き込み脚戦闘機はソ連製だし、その後の戦闘機も地味だが
地上支援に重点を置いた結果、低空性能ではドイツ機にも劣らなかった。
ただしジェット機の開発は遅れていて、戦後すぐのMIG−9はエンジンに至るまで
丸々ドイツ機のコピー。
核についてはソ連最初の核爆弾は、スパイ情報に基づいて得た長崎型原爆の
コピーであったという事くらいしか知らない。
革命直後のソ連は活気にあふれていて、30年代前半に多くの革新的兵器の開発に
成功している。また独ソ蜜月時代ラッパロ条約によりドイツの軍事技術、
特に戦術理論を多く吸収していた。しかしながら30年代後半にはじまるスターリンの
大粛清がその後の発展の多くを断ち切ってしまった。
以上知っていることだけ書いた(記述が戦車に偏ってるのは見逃してくれ)
>>735 カチューシャ程度の火薬ロケットで「ロケット技術」を言われても…
技術的には、第二次英米戦争時に米大統領官邸焼き払ったロケット弾からさして進化してないぞアレ
上、他は異論無い。
特に戦車はむしろパンター/タイガーUでソ連の影響を濃く受けており、純粋なドイツ系のデザインを持った戦車はタイガーで断絶してる。
739 :
735:2005/12/18(日) 14:46:07 0
ああそうだった。カチューシャは固体燃料の花火だったな。スマソ
実現はともかく
ロシアのロケット技術の理論と発想はずばぬけてるよ
逆に実現はしたといっても
亡命者が来なかったらアメリカがどこまでやれたか疑問
足の乗ってる地面に忠実ともいえる現実的な発想の集団には
夢想的な発想の飛躍は難しい
741 :
686:2005/12/18(日) 16:08:50 0
>>733 重箱のスミをつつくようなレスが多いな
めんどくさいからそれに対する反論は省略させてもらうよ
誤解しているようだが、漏れはあくまで独ソ戦以外はレスしていないからな
冷戦は明らかにソ連の人口・国力の衰退期なのはわかっているのでそれについて反論していたら
別の人の書き込みだ
>>そう。ワイマール時代の除いたドイツの全盛期と変わらない>>
>そう、たったの45年。論点そらしは止めなさい。
話題そらしも何も、これは俺の書き込みではなので、誤解しないようにな‥
独ソ戦の戦力比についてはすでに述べられているから割愛するが
・ドイツが3割の戦力を西部に割いていたこと
・英仏戦で消耗していたこと
・米ソを凌ぐ高い技術力を持っていたことを考慮しても
>>731における3〜4倍の国力差を埋めるにはいかんともしがたいつーこと。
米英のレンド・リースが、本格的に始まるのは1943年中頃‥
この時点ではすでにソ連にとって一番厳しい時期を通り過ぎているからな。
そこから反攻に出るのは米英のレンド・リース無しでは難しかったかもしれないが、どの道持久戦にもちこんだ時点でドイツは終わり。
それに、ソ連の常備戦力八割を奪い取った初期のドイツの快進撃だって、結局奇襲によるものなんだから
これ無しと考えれば、ドイツの勝つ目なんてどこにも無い。
ドイツがことの他「質」に拘ったといえども、所詮、資源の持たざる国の報われない努力
日本が物量で勝てんからといって「精神論」に走っていったのと同じ。
ベクトルが違うだけ米国に持ち上げた精神論みたいな
大体、ドイツの戦車って質が良くても生産性では疑問譜がふてるようなのばっか。
ゴート最強説。
使用禁止。
743 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 19:13:19 0
>>741 米英のレンド・リースが、本格的に始まるのは1943年中頃‥ >>
いや、イギリスに攻め込んだのはその4年前。
その時点でソ連に攻めていれば、バトルオブブリテンで消耗していない分確実にモスクワを占領できていた。
さっきもいったが、イギリスで消耗した後でさえ、ドイツ軍の最前線はクレムリンが肉眼で見えるほどの距離に達していたからな。
ドイツがことの他「質」に拘ったといえども、所詮、資源の持たざる国の報われない努力>>
ドイツは資源が欠乏する以前の開戦当初から質に良くこだわった。国民性もあるかな。
まあ後半は米英軍のドイツ本土爆撃でドイツの生産性は消耗したがな。
>>731における3〜4倍の国力差を埋めるにはいかんともしがたいつーこと>>
それには「質」が考慮されてない。
今でも技術がない中国みたいな国は「量」で勝負せざるを得ない。
ドイツとソ連とでは技術力に格段の差があった。
奇襲といっても、ソ連だってマヌケじゃない。もちろん事前に察知していたよ。
開戦当初ソ連がボロ負けしたのは兵器より兵士の質による。(士気は高いが錬度が最低)
イギリスに攻め込まなければ云々のifが許されるなら、大粛清がなければ、なんていう
ifも許されるわな。
確かにドイツの兵器全般質は高いが、その分コストも高い。生産に手間もかかる。
俺が一兵士として乗り込むならドイツ軍の兵器を選ぶが、国家元首として選ぶなら
ソ連の兵器を選ぶな。戦争が長期化しそうならなおさらだ。
>>743 ドイツの技術を過剰に評価しすぎ、ソ連の技術を過小に評価し過ぎ。
まずドイツの技術だが、あの国の技術がメチャ高く見えるのは
「普通の国なら量産向きでない、とパスするような技術を平気で採用する」
という悪癖にある。
資金が無尽蔵にある研究所なら向いていただろうが、少なくとも軍事には向いてない。
又「ドイツSUGEEE!!」の影響で過剰評価されてる向きもある。
余り知られていないが、ドイツ敗戦時ジェットエンジンの推力ではアメリカがドイツの倍まで行っていたりする
次にソ連の技術だが、実のトコドイツと大した差が無かったりする。
大砲の技術では実質的にソ連の方が上だし、T34のディーゼルエンジンはドイツがコピー失敗するような代物だったり。
少なくとも前線の兵器でドイツがソ連を圧倒していた兵器、ってのは思いつかない
T-34は今でも現役だからな・・・。
少なくともソ連軍を当時、土人にも等しかった支那軍と同じ例として扱うべきではないかと。
ソ連 攻撃力:75
HP:2500
MP:400
魔法:ベホイミ
独軍 攻撃力:100
HP:1000
MP:50
魔法:ホイミ
伊軍(独軍の仲間)
職業:遊び人
攻撃力:−10
HP:10
MP:50
魔法:メダパニーマ(味方にのみ効果あり)
ぶっちゃけラッパロ条約のおかげで独ソ戦前に両国の
軍事技術格差はあまりなかったりする。
しかし
>>741 >冷戦は明らかにソ連の人口・国力の衰退期
いくらなんでもスターリン時代から衰退してたわけでなくブレジネフ時代が絶頂期にして
衰退の始まりなんだが。
ベルリン封鎖やスプートニクショックやキューバ危機とか中東和平とか
フルシチョフが国連で靴をパンパンしたり、あのころのソ連は凄かったのよ。
化学、冶金、医学分野でも進んでいてノーベル賞学者を8人輩出したり、
現代日本の技術でも不可能な月、火星、金星へ無人探査機を着陸させたり…
なんか昭和は遠くになりにけりだなぁ。
>>745 ヨーロッパ戦線だけでなく、太平洋も含めて大した根拠もなく、
連合国=量、枢軸国=質なイメージが持たれてるな。
さすがに太平洋ではそんな妄想ないっすよ
>>751 アメリカの印象が大きすぎるんだと思われ。
実のトコ技術でもアメリカはトップクラスだけれども、生産力は異常なレベルですから。
1万トン級輸送船を100時間かからずに作ったり、護衛艦をドックで6隻同時に進水させたり、一年間に一つの造船所で護衛空母50隻作ってみたり…
16世紀は
オスマン>スペイン>明>日本 ですか?
755 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 02:45:54 0
スペインが強国ってw
無敵艦隊(自称)(笑)
6世紀はビザンチン帝国が最強ということでよろしいですか?
>>756 メキシコ銀がスペインを潤したのは本当に一時期だけ。
同時期に起こった価格革命によるインフレ、新大陸のインディオ壊滅による生産力低下、
なによりあっという間に新大陸経営が国家の手を実質的に離れ、大商人や貴族の収入源と化したこと、
大した産業もない、さらには政治的にも一枚岩とは言いがたい連合国家をヨーロッパ列強やイスラムに伍する国家にするための莫大な軍事費と
かてて加えてハプスブルグ婚姻政策や一向に言うことを聞かない重石と成り果てたイタリア含む神聖ローマの維持費、
カール五世が無茶苦茶にやった外征などで金は湯水の如く吹き飛んだ。
さらにもう一つのスペインの収入源であるネーデルラントは独立し
跳梁する各国の私掠船のおかげで新大陸の金銀は本国に届かなくなった。
むしろここまで無茶苦茶な状況で、よく大国だのとほざけたもんだと感心するよ。
>>751 日本とアメリカでは質も量もアメリカが上
>>1 ヒトラードイツを「世界最強の国」に入れるのもなぁ。
世界史レベルで言えば、ヨーロッパとアフリカのちょびっとで瞬間風速的に強かっただけだもんな。
むしろプロイセンドイツ帝国の方が世界中に植民地持っててイギリスと渡り合えるほどの海軍があり
陸軍も最後まで国境を守ったんだから、相対的にヒトラードイツより強いような気がする。
もちろんプロイセンドイツ帝国が「世界最強の国」の一つにはいるとは思えんが。
763 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 06:06:14 0
信長最強じゃねー?
カール5世とかより多分強いよ
秀吉や家康よりは確実に強いし
光秀よりは弱かったけどな
日本最強説を唱える奴の思考回路は、まるで旧軍の軍人みたい。
正面の火器数や兵力が軍事力のすべてみたいな考え方をしているが、
実際の戦闘では兵站・インテリジェンスなどの側面能力が同様に重要なことを捨象している。
この手の椰子に桃山時代の軍を指揮させても、インパール作戦並みのことしかできまい。
いちいち火病発症すんな
現在でも日本が最強国である。
アメリカにはもう一度カトリーナのような神風が吹くであらう。
全ての民族よ、跪づけ。
侍カッチョイイ くらいでいいんじゃねぇの日本は。
日本が国として最強の時代はとりあえず無いと思う。
>>765 お前、本当に戦国日本と当時の欧州の兵站・インテリジェンスなどの側面能力を
比較したことあるのかよ?
圧倒的に日本の方が上だろうが・・・
日本の兵站って・・・
どんな紛争や勢力であっても、ひとたび陛下が馬にまたがれば
一瞬にしてあらゆる民族は跪くであろう。
このスレで戦国日本よりもヨーロッパの方が強いと主張しているヤツは、
本当に当時のヨーロッパの戦争を知っているのか?
30年戦争辺りまでのヨーロッパの戦争は、食料の集中する都市を攻撃して
略奪し、食い尽くしたら次の都市を攻撃するの繰り返し。
戦略や作戦なんて二の次三の次といった感じだぞ。
戦国日本の方が兵站面での作戦の自由度ははるかに高いよ。
まあ正直どっちでもいいんじゃね?
地理的に離れすぎてて直接対決することも出来ないんだし。
比較すること自体が無意味だろ。
>>770 当時から中隊、大隊のような組織で兵士を指揮してたヨーロッパと
あくまで指揮官個人が率いて、たまに与力が自分の手勢で参集する日本だと
どっちが部隊としてタフネスがあるかといえば多分ヨーロッパ。
代わりに日本の場合、ヨーロッパより格段に規模の大きい部隊を展開させるために
荷駄隊の発達が著しかった。
結論として、同規模の部隊で殴り合わせると最終的にはヨーロッパが勝つかもしれないが
同じだけの金と余剰人口でどれだけの軍を維持するか」というと、米食のせいもあって圧倒的に日本だろう。
単なる事実の羅列ですまないが。
いいよ
とりあえず、戦国期の日本は少なくとも最強ではない
だいたいあの時期に明にぼこられた一試合しか参考にするものが無いのに
それで最強説をとなえるのは神経図太すぎ
その条件ならまさに日本の独壇場だろう。
豊富な木材と労働力、ノウハウで早々とインド各地に拠点を築き、稲作を開始。
幾度かの収穫が終わり力を蓄えた日本軍は一瞬で欧州軍を蹂躙するだろう。
その頃欧州軍は暑さにバテてる頃だろうし。
グーグルマップの衛星写真を駆使して戦術戦略を語ると結構萌えます。
ゴア側からでは山脈にさえぎられてデカン高原に入ることは難しい。
ヨーロッパ軍は海沿いに進軍もしくは植民するだろうな。
戦場がでかすぎて当時の欧州と日本では敵陣までたどり着けない気がするぞ。
その場合、自由にワープポイントを設定してもよい。
両本土で最高に準備を整え、いっせいにデカン高原中心にワープ!
ガチンコ開始!
ただし、ガチンコ開始するまでお互いはお互いの装備や編成を知らない。
783 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:31:00 0
当時のヨーロッパって最高でも3万くらいしか兵を揃えられなかったんでしょ?
勝ち目ないのでは。
784 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:33:36 0
785 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:41:06 0
>>783 「当時」っていつだ?
とりあえず年代を設定しないとわけわからなくなると思うので
>>785 フェリペ2世と秀吉の治世あたりでどうだ?
1590年代の前半ってとこか
まあ妥当な感じだな。
まさに日本軍の絶頂期。
>>784 いや、運搬部隊をのぞいても全日本軍なら5万はいくだろう。
推測だが。
秀吉軍の最大動員は九州制圧の時の兵25万と軍馬2万頭。
この時秀吉は1年間作戦可能な兵站を事前に用意していた。
同時期のヨーロッパではスペインの歩兵3万と騎兵5千がネーデルランドで作戦を展開中。
その他にスペイン本国で動員可能な兵力は2万位。
フランスとイギリスは絶対スペインの敵側につくから、あと期待できるのは宗教戦争で
台所事情の苦しいオーストリア。
合計五万五千か…。
軍馬などどうでも良い。
日本軍の方が大規模で、組織的に火縄銃を戦場に投入していた。
欧州軍の騎士団が突撃してきても粉砕出来る。
確かに日本軍の方が洗練されてる。
>>777 一試合って、おまえそれはくくりすぎ。
明軍は何度も日本軍に敗退してるぞ。
『グラディエーター』なんかみると「うわっ!絶対無理!勝てねぇ!」って思うだろうよ。
三国板の呂布スレや乗馬した人なんかのサイト見てみるとそもそも人は馬が怖い。
それがジャカジャカと何百sもあるような車引っ張ってきて、しかも上から弓矢射るし槍で突くし・・・
当時はそもそも愛国心なんか無い農民も多数だろうし、かなり効果的だったろう
>>794 何度も勝ち負けを繰り返し、膠着の後講和したと考えるべきだよな。
あの大国相手に良く戦ったと思うよ。
田舎欧州軍で日本軍の相手になるだろうか。
>>792 騎士団てお前
火器の組織的な投入はヨーロッパのほうが早い
しかし1590年代なら日本の方が火力は強いだろう。
この時代においての野戦は、鉄砲をどれだけ集中運用できるかにかかってるんじゃないの?
関が原みたいな一気にガチンコ勝負で比べるなら尚更。
朝鮮出兵は秀吉が死亡したから講和退却したって感じだしな。
明・李朝の将軍が討ち取られていく中で日本の有力な大名武将は戦死者
捕縛者なし。
その後は関が原・大阪夏陣冬陣と・・短期間であれだけの兵力を動因しても
まだまだ余裕な日本軍
>>790 フランスに備えてた軍とか忘れてないか?
30年戦争において、戦場での兵力は中世のレベルから殆ど変化していなかった
しかしながら、その背景となる常備兵力は劇的な変化を示していた
兵力増加の先鞭をつけたスペインは、1550年代に15万だったが、1630年代に
30万の大台に達した
立場上スペインに対抗せざるを得なかったオランダは1590年代は2万程度だったが、
1630年代に5万、17世紀後半には10〜11万に達した
1600年代には僅か1万5千のスウェーデン陸軍は、1630年代には18万に
膨れ上がり、戦争が終わった1650年代に5万に低下したが、その後再び急激に上昇を
続け、1700年頃には10万に及んだ
イングランドは17世紀初期には2〜3万だったが、17世紀末には7万〜8万5千に
達した
フランスは1610年代まで1万〜1万5千のレベルに留まっていたものの、ヨーロッパ
有数の豊富な人的資源に物を言わせ、30年戦争に積極的に関与した1640年代前後には
12万5千、オランダ戦争(1672〜1678年)には25万、アウクスブルク同盟戦争で34万に達し、平時においても14万を維持することになった
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html 案外居る。てか軍の規模が急激に拡大する時期に当たる
>>792 当事のマスケットの射程忘れてないか?
騎兵の突撃の前には一斉射が限界、それをどうにかする為の野戦築城であり多段化だぞ。
当事の日本の小領主私兵の集合体でしかない軍で何処まで野戦軍としての纏まりが出来たかかなり疑問
801 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 19:44:24 0
>>800 当時のマスケット銃だと、どんなにうまくいっても、狙い通りに弾が
標的に命中するのは70〜90メートルくらい。たいがいは外れる。
・兵力 武器の性能+兵の動員力
・統率力 整然とチームワークが取れてるか
・経済力 金持ちか貧乏か
・情報力 相手国についてどれだけ知ってるか
・補給力 飯の確保はできてるか
と分けてそれぞれにA〜Eの五段階評価してみたらどうか?
あのようにただっぴろいデカン高原で戦うならば、統率に優れた欧州軍が有利。
実際の戦争なんてまっ広いところで会戦ばかりじゃないんだから
そんな限定的に戦闘だけで最強をきめていいのかね
いつの欧州軍だ?
19世紀のかw
欧厨はホント西洋史もロクに知らねーんだなw
デカン高原で会戦??
アホくせえ。
軍事版いけよ
>>802のように細かい分別つけて最終的に総合力で判定つけたほうがいいな
付け加えるなら
・君主の能力
・兵士の忠誠、訓練度
・諸侯の能力
・諸侯の忠誠度
・造船製造技術
・航海能力
・文化の度合い
なんだよ総合力って。
アホくせえw
国家を数値化するスレとか昔なかったっけ
いいんだよ、妄想で戦わせて楽しめば。
2ちゃんなんだし。
最強決めようぜ!
811 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 20:52:13 0
>>803 頭弱いのはてめーだろクズ。
学歴板はお前のような一行レスしかできない害虫が来るところではない。
VIPに行けばお前と似たような知恵遅れが大勢いるから、とっとと消えろや。
そんで「おっぱいうp!」とかいって馬鹿丸出にはしゃいでるのがてめーにゃお似合いだよ。
築城(建設)能力も必要だな
813 :
はな垂れ小僧 ◆J7M7PQyXkE :2005/12/22(木) 20:55:00 0
おっぱいうp!
>>811 ほら、喧嘩せず語ろうぜ!
>>812 長期戦になった場合、あるいは長期にわたって戦争に耐えられる国土があるかどうか。
これも重要だと思う。
とりあえず日本は一年間はなんとか連続して戦えそうだ。稲刈りには半分が帰るけど。
816 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 20:58:16 0
・人口
最も重要な要素
>>811 ここは学問カテゴリーの世界史板である。
決して学歴板などではない。
さようなら
>>811
ポルトガルやオランダはどう?
>>820 だから時代設定をしろっつうの
上で上がってた1590年代前半であれば
ポルトガルは存在しない
オランダは国力が弱体
オランダは瞬間風速過ぎるからなぁ
躁的な経済バブルの産物としか思えない
1590年ぐらいで日本とオスマンとが間の有象無象をショートカットして国境が接したとして、
日本はどこまでオスマンをおとせるか、
オスマンはどこまで日本をおとせるか
ってことで
オランダはナチスドイツみたいなもんか
・それは海なのか陸なのか
・西欧を含む他国は存在しているのか否か
だからデカン高原なんだよ。
827 :
807:2005/12/22(木) 21:24:49 0
>>819 とりあえずね。適当にたたき台にしてくれ
スペイン 日本 オスマン
・兵力 1 2 3
・統率力 1 3 2
・経済力 1 2 3
・情報力 3 1 2
・補給力 2 1 3
・君主の能力 1 3 1
・兵士の訓練 1 3 1
・兵士の忠誠 2 2 2
・諸侯の能力 1 3 1
・諸侯の忠誠度 3 2 3
・造船製造技術 3 1 2
・航海能力 3 1 2
・文化の度合い 2 1 3
・人口 2 2 3
・支配領域 3 1 3
いずれも3段階評価
一位 オスマン 34点
二位 日本 29点
ニ位 スペイン 29点
ああ、やっぱスペインと日本が並んだが
まあ妥当なトコだろ。
828 :
◆J7M7PQyXkE :2005/12/22(木) 21:25:38 0
シメシメ、いい感じに暖まって来たな。
>>827 > スペイン 日本 オスマン
> ・君主の能力 1 3 1
> ・兵士の訓練 1 3 1
> ・諸侯の能力 1 3 1
この辺りアリエナス。特に訓練とか。
思いっきり誤解されている事なんだが、軍の錬度って戦争が長引くにつれ普通は急激に落ちていく
(初期の連度の高い兵が死傷し、新兵の度合いがぐんぐん増える為)
戦争ばかりしている=強いなら、年がら年中内戦してる国が強いことになるぞ?
・君主の能力 2 2 1
・兵士の訓練 2 2 3
・諸侯の能力 2 2 2
辺りじゃね?
秀吉の能力は世界レベルでみても最高評価でいいと思う
つーか。農民で一国の覇者なんだから、ボンボン国王とは全然違う評価をくれてやっていいでしょ
>>829 諸侯の能力は日本に3、他は1
事実、島津や伊達みたいな一地方とはいえ英雄ともいえる武将と欧米のボンボン諸侯じゃ
戦闘力に格段の差があると思うが?
伊達はぼんぼん諸侯じゃないのか?
ゲーム的にただ数値化するだけじゃなくてさ、日本軍に対して欧州軍はここが有利だ、とかさ、
この欧州軍の戦術を当時の日本軍は防ぐ手立てを持ってないとかさ、そういうの無いの?
例えばキリスト教。
日本軍の諸侯の中でも簡単に欧州軍に寝返りそうな奴がごろごろいるわけだが。
>>833 そういう細かい指摘はおいておけ
でも当時の豊臣政権はまさに戦国武将のオールスターだったわけで
実際、朝鮮では鬼島津みたいな武将が明らかに明の将軍の質を上回っていた。
一方でスペインでは小隊の隊長クラスでならともかく諸侯クラスで有名な香具師はしられていない
>>834 日本国をかけた戦いなら寝返りはほとんどないだろ
日本軍は何も知らぬ間に梅毒とペストと天然痘に苦しみ、死ぬ。
>>838 ではそれに基づいて持論を展開してほしいな
つか、厳密な指揮系統を持った欧州、特に大将軍の作ったスペイン軍なんかでは
部将の個人的な能力が発揮されにくい体制だったから、あまり名前が残っていないだけで。
一概に名前が知れているから日本のほうが将の質において優れているとも言いがたいだろう。
逆に言えば、将の個人的な資質に頼りがちな日本軍は指揮系統が弱いと言い換えることもできる。
ついでに、ここは日本だから日本の部将のほうがヨーロッパの部将より知名度が高く
よってえこひいきしがちなこともあるだろうな。
16世紀の日本は金と銀は大量にあるから経済力はある
陸軍は30万はあるし、他の国に劣るとは思えない
海軍は劣るが当時の技術力が結集すれば作れそう
かなり強いじゃん
>>839 16〜17世紀、と言うかナポレオン以前のヨーロッパの軍隊にこのような機動力は皆無。
軍隊の2/3は女子供、と言っても女兵士でも無けりゃ少年兵士でも無い。
中身は妊婦と赤ん坊。
こういった機動力に勝るナポレオン軍が短期間でヨーロッパのほぼ全域を征服したと言うのは歴史的な事実。
そして、他の国も同様の軍制になった途端にその優位性が失われたのも歴史的事実。
こういった実例をみれば勝敗は自ずから明らか。
単位面積当たりの食糧生産能力は稲作のほうが圧倒的だからな。
小麦よりも収穫効率はいいらしいから、穀物としては世界一効率がいいと
言える。無論稲作の適地であることが条件にはなるが。稲作の適地で
あった東アジアはそのために急激な人口の増加と集中が起こった。
数値化してる馬鹿はゲームしかやったことないんだろうな。
>>842 ナポレオン軍が強いのは一にも二にも国民軍による数だと思うが…
つか、それ30年戦争当事の話だろ。フリードリヒ大王の時代も
>軍隊の2/3は女子供、と言っても女兵士でも無けりゃ少年兵士でも無い。
>中身は妊婦と赤ん坊。
だったっけ…?
戦国日本をもう話題にするのやめたら?
どんなに頑張ったところで、世界最強なんてありえないし
馬鹿ウヨと三戦厨が必ず沸くし
プ
>>846 それじゃお前が話題に入らなければいいんだよ。
>>841 技術力云々の問題じゃない。
あの時代の日本がまともな海軍を作れなかったのは、技術力以前に作る必要がなかったから。
守るべき商船もシーレーンもないのに海軍を作って何に使うんだよ。
作ったところで維持費だけでどんな大名家でも破滅する。
>ナポレオン軍が強いのは一にも二にも国民軍による数だと思うが…
主戦場で数的優勢をもたらすのが一にも二にも機動力。
アウステルリッツ直前に72時間で150qも移動して本隊に合流した部隊がいたでしょ?
>・人口 2 2 3
スペインの人口は支配領土を含めたものか?
本国人口は数百万程度だろう。
当然支配領土だろう
>>849 戦国時代にも九鬼家や村上家のような水軍大名も数多くいましたが‥
どんな大名も破滅するって‥どんな船なんですか?
商船? 海戦の目的をご存知?
シーレーン? 日本は島国ですよ。どこの大名にとってもシーレーンは重要でそれ無視している大名なんて存在しませんよ?
北条家や里見家が東京湾挟んでしょっちゅう海戦していたことも、
織田vs本願寺・毛利では船の戦いがそのまま戦い決着をつけたこともあるし
武田vs北条・徳川では、信玄が北条・徳川連合の水軍の奇襲を恐れて、手に入れたばかりの駿府をあっさり放棄したことも
枚挙に暇がないほどあげられますが?
当時の水軍の船で外洋出れるわけねーだろ
>>849はただの無知ってことで‥
日本に強力な水軍がなかったのは必要性や技術よりも
・水軍・補給の軽視
旧日本軍にもいえるが「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」の揶揄に言われる補給軽視の考え方だろう。
実際朝鮮の役での日本海軍は九鬼や村上のような水軍大名に丸投げに近い
秀吉はわりと海戦の重要性を理解していたがと思うが、福島とかいった大名は、九鬼や村上のような小大名がいくら海戦に詳しいからといって
いちいち指図してくることが気に食わないとはっきり言っていたし。どうも末端までその考え方が浸透していたかどうか。
「武士は常に馬上で戦うもの」なんつー考え方ばかりの武士集団の集まりではどうも強い海軍を持つことは想像できない。
・外洋船を作れるだけの統一政権の欠如
でかい船を作るには、やはりそれだけの金と権力が必要。
当時ヨーロッパで、いち早く絶対王政を完成させたスペインが、大航海時代の先端を築いたのはある意味必然。
日本にも強い水軍を重視していた大名家も多かったけどね。織田家、今川家、北条家、里見家、毛利家、北畠家とか‥
でも海洋にでるならもっとでかい船を作る必要がある。しかしでかい船には統一政権による強力な統一海軍設立以外ありえない
結局、九鬼や村上のような水軍小大名と各大名の持ち込みじゃあ、外洋船の製造や維持は難しいというところ
まあ、日本は海洋国家のはずなのになぜか当時は陸軍国だったという矛盾。
根本的に精神の改造と、大名を取り潰しまくって統一・中央集権化してをおこなわない限りあの当時の日本が海戦に強くなることはありえないんじゃないかと思う。
そして豊臣政権ごときにそれらの真似ができたかどうかというのはやはり疑問だ罠。
そしてこれは技術とかそれ以前の問題にも思う。
855に同意だね。
豊臣政権ではスペインのような海軍を作るのは無理と思う。
>>853 あのな。世界の大洋を乗り越えるために作られた船と海軍に
伊勢湾だの瀬戸内海だのといったちんまりしたシーレーンと、内海専用に特化した水軍で
どうやって戦うの?ガレオン船に焙烙でも打ち込むの?w
陸戦では朝鮮軍を圧倒した日本軍だが、
(李舜臣率いる)朝鮮海軍には散々だった。
これでスペイン海軍と戦うなんて夢のまた夢。
勘違いしているようだが当時のスペイン海軍は穏やかな地中海専用で外洋での
作戦能力は高くないぞ。
一攫千金を狙うコンキスドーレスなら船出した者のうち半分しか目的地に到達
できなくても問題ないかも知れんが軍事作戦ではそうもいかんからな。
アルマダ艦隊なんて3回も企画しておきながら、航海技術の未熟さから一度も
イギリスに上陸できなかった。
当時の日本は2回とも無事に朝鮮に15万以上の兵を送り込むことに成功し、
その後の物資の補給も恙無く行なっているからな。
>>827 まず、工兵の能力が含まれていないのが不満。
それから欧州で最後まで絶対王政を確立できなかったスペインの「諸侯の忠誠度 3」
はおかしい。
あと、当時補給システムがまったく手付かずだったスペインと、戦国末期の日本では
「補給能力 スペイン1 日本3」位の差がある。
そろそろ両者がデカン高原(ただっぴろい野原)でガチンコ開始したと仮定してシミュしてみてくれ。
初夏、快晴、午前7時、1キロ挟んで両者にらみ合い。
戦闘開始
↓
>>855 上段は、進むごとに憶測が増えていきますね。
下段は、共和制を敷くヴェネツィアを無視した主張ですよね。
寡頭政治であって絶対王政ではなかったのです。
欧州軍は7時の戦闘開始と同時にまっすぐ日本軍に迫る。
だが足軽の槍衾にさえぎられ近づけない!
そうこうしているうちに槍でめちゃくちゃに叩かれ、落馬。
あっという間に何十人か首を切断される。
ビビる欧州軍。これでは天国に行けないではないか…。
やつらの戦闘の激しさは想像を絶するッ!
遠くからマスケットで応戦。
しかし一撃必中を好む日本の火縄部隊がじわじわと近づき逆に
敵をどんどん撃ち殺していく。南無八幡大菩薩ッ!
白豚キリシタンと違い、死を恐れぬ仏教徒の真田軍、突撃。欧州軍はなすすべもなく散り散り。
南蛮人、お覚悟!
いやぁあぁぁぁぁ!おたすけぇぇぇ!
さあ白人どもを追撃だっ!果てしない略奪が始まった。
我が本朝に伝わる柔術、剣術、捕獲術で白猿共をけちょんけちょんに甚振り、
打ち首にし、耳をそぎ、鼻を土産にし、首にかけたクルスを奪う。
やはりデウスは居ないのか…。
戦闘の終わりごろ、大友宗麟は悟った。
俺、キリシタン辞めるッ!
日本軍勝利の後、宗麟はクルスの上でワルツを踊り始めたのだった。
晴れ渡っていた空が突然曇り始め、瞬く間に大雨となった。
日本軍部隊は役に立たなくなった火縄銃を投げ捨て、
長弓で斉射するも、敵陣に矢は届かず。
その間に欧州銃騎兵隊が猛然と騎兵銃を乱射しながら
日本軍部隊に突撃を開始。
日本軍は長槍部隊で防ごうとするも、あっけなく突破を許す。
これにあわてた日本軍は騎兵を左右から投入、乱戦に突入。
陣地を崩され、更に欧州歩兵部隊に突入された日本軍は
混乱の極みにあり、指揮系統は崩壊。
午後十二時、日本軍の全面壊走によって欧州軍の勝利に終わる。
そこへ突如現る陸上自衛隊一個中隊・・・
騎兵も大砲もなく、
歩兵と火縄銃だけの日本軍に勝ち目はないってことで、
既に結論出ていたと思うがな。
>>864 ヴェネチアとスペインの艦隊を同じに扱えるのか?
スペイン 日本 オスマン
・兵力 1 2 3
・統率力 1 3 2
・経済力 1 2 3
・情報力 3 1 2
・補給力 1 3 3
・君主の能力 2 3 1
・兵士の訓練 1 3 1
・兵士の忠誠 2 2 2
・諸侯の能力 1 3 1
・諸侯の忠誠度 2 2 3
・造船製造技術 3 1 2
・航海能力 2 1 2
・文化の度合い 2 1 3
・人口 2 2 3
・支配領域 3 1 3
・工兵のスキル 1 3 1
いずれも3段階評価
一位 日本 36点
二位 オスマン 34点
ニ位 スペイン 29点
一応、みんなの意見取り入れて再計算
反論のある部分は変動させていません。
壊走する日本軍の全面に、奇怪な物体の群れが出現した。
世に名高い、帝国陸軍チハ戦車隊である。
チハ戦車隊4個大隊は横列に展開し、追撃してくる
欧州軍銃騎兵隊に向けて主砲を斉射。
突然の敵の援軍に混乱した欧州軍だが、すぐに態勢を立て直し、
野戦砲による反撃を開始。
チハ戦車隊は善戦するも、やがて欧州軍野戦砲の前に粉砕され、
搭乗員は歩兵部隊の捕虜となってしまい、日本軍の敗北は確定した。
文化の度合い 日本1ってどうかな
安土桃山時代は結構きらびやかな文化だし
狩野派の絵の技術は世界レベルでしたよ
兵力 統率 経済 情報 補給 君主 兵練 兵忠 侯力 侯忠 造船 航海 文化 人口 領域 工兵
1 1 1 2 1 2 1 1 1 2 3 3 2 1 2 2
3 2 3 1 3 3 3 2 3 1 1 1 1 2 1 1
2 3 2 3 2 1 2 3 2 3 2 2 3 3 3 3
計
26 スペイン
31 日本
39 オスマン・トルコ
だからもう数値化イラネって言ってんだろ。
光栄ゲームみたいだw
>>872 軍事面での文化についてですから。
碌に字も読めないスペインやオスマントルコの文化水準など、
日本に遠く及ばないのは明白です。
識字率なら、文化とひとくくりせず別枠で設けたほうがいい
識字 日本3 他1
江戸時代とごっちゃになっているね。
戦国時代にそんな識字率高い訳無いし、スウェーデンも完璧無視してるな…
一つ言えることは、
>>865の厳密なシミュレーションにはかなりの説得力があると言うことだ。
特に最後の四行には誰しも納得せざるを得ないだろう。
だからもう数値化うざすぎ。
三國志やってろバカ。
883 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 15:16:29 0
大体卑怯だろ、なんで全欧州連合軍対日本一国なんだよ!
>>883 鎖国が無ければ日本は、ドイツやフランス如きと対等じゃないから。
その通りだな。
スペイン一国と日本を戦わせるべき。
日本圧勝!
>>881 > やはりデウスは居ないのか…。
> 戦闘の終わりごろ、大友宗麟は悟った。
> 俺、キリシタン辞めるッ!
> 日本軍勝利の後、宗麟はクルスの上でワルツを踊り始めたのだった。
これに納得だって…?!
するわけねーだろ、ギャグだと思うわw
1590年代を単純に人口で比べるとどのくらい?
日本が1200万、オスマン帝国とスペインが1500万くらいか?
>>886 心配しなくとも、皆そんな事は分かってるから。
パルマ公指揮下のスペイン軍3万は前方に加藤清正率いる日本軍2万2千を発見し、
急遽行軍隊形から戦闘隊形への移行を命じる。
しかし、テルシオの配備は遅々として進まず、大混乱のなか日本軍の強襲を受けて
スペイン軍は崩壊。
敗北を悟ったパルマ公は敗残兵をまとめて後方で体制を立て直そうとする。
しかし、そこには既に圧倒的に機動力で優る小西行長の日本軍2万が待ち構えていた。
前後から挟撃されたスペイン軍がなす術もなく壊滅したのに対し、日本軍の損害は
皆無だった。
戦国厨が来ると直ぐにネタスレにされてしまうな。
明・朝鮮連合に負けたしどうでもいいな。
モンゴルのような侵略しまくりとか、プロイセンのような軍事強国(カッコイイ)でないと
俺のミーハ−心は刺激されん。
>アルマダ艦隊なんて3回も企画しておきながら、航海技術の未熟さから一度も
>イギリスに上陸できなかった。
無敵艦隊(自称)の大半は、航海技術の未熟さ故にアイルランド西方沖の海底で安らかに眠っておりますよ。
日本は海戦強いだろ
特に村上水軍の兵法は日露戦争で秋山が参考にしたというほど
現代でも通じる先進的な戦術だということ
水軍
日本 3
オスマン 1
スペイン 2
このスレの勢力図
ウヨ・戦国厨連合軍vs在日
一般人は蚊帳の外
>>879 戦国時代から日本の識字率は高かったよ。ザビエルをはじめ
多くの宣教師が報告している。
「私たちが見てきたどの地域の人々よりも、おそらく西欧の諸国よりも
識字率の高い人々がこの島(五島列島)に住んでいることに大きな感銘を受けた。」
―イエズス会ロペスの報告書
>>896 お前のような寄生虫がこのスレを汚してるんだよ
兵力 統率 経済 情報 補給 君主 兵練 兵忠 侯力 侯忠 造船 航海 文化 人口 領域 工兵 水軍 識字
1 1 1 2 1 2 1 1 1 2 3 3 2 1 2 2 2 1
3 2 3 1 3 3 3 2 3 1 1 1 1 2 1 1 3 3
2 3 2 3 2 1 2 3 2 3 2 2 3 3 3 3 1 1
計
29 スペイン
37 日本
41 オスマン・トルコ
少なくともスペインには圧勝だな
日本が経済3?
はああ???
補給3とかな
人口も『文明の人口史』だと
スペインとポルトガル1100万(1600年)
フェリペ2世時代には他の領地もあるからもっと多いだろう
オスマン帝国1600万(16世紀後半)
日本1227万(1600年)
と推定されてるが
最低でもナポリ、シチリア、ミラノ、フランドルに年代設定によっては北ネーデルラントも加わるな。
後同族の神聖ローマ(ってかオーストリア)カウントするとえらい事になる
お前ら馬鹿だろ
スペインだけの話をしているのに、なんでポルトガルや神聖ローマがでてくるんだよ
それじゃ欧州連合じゃん。勝てるわけないの当たり前
あくまでタイマン勝負じゃねえのか
>>900 金銀は大量に取れるから経済3でもいいんじゃないか
905 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 20:49:22 0
>>903 ごめん、何言ってるんだ?
神聖ローマ帝国は置いとくとしても当時のフェリペ2世の領土は
ポルトガルも含むし
>>902の土地も含むんだが、
なんで分けなきゃいけないんだ?
>>905 スペインとポルトガルは同盟国であって同じ国ではない
>>906 じゃあ日本も豊臣家直轄地だけにするのか?
>>907 いいよそれでも
けど、豊臣とその譜代大名だけでも十分スペインを倒せるけどね
>>906 同君連合と同盟国は別物だと思うがどうか
>>909 おまえが真面目に考えようって気がないことはわかったよ
因みに確か当時のポルトガルは100万居ない(というか減り続けてた)筈。
ポルトガル抜いてもスペインだけで1000万か。
>>890 テルシオ組まないと戦争が出来ないとでも?
いつの時代も一番はタイです
当時日本で一番強い水軍をもっていた大名家は?
北条を吸収した徳川か。九鬼家か
つか朝鮮出兵で戦った「明」ってゆーのは主力部隊なの?
うん。主力
将軍の李○松とかいう(ゴメン。名前忘れた)将軍は倭寇征伐で名を上げた人
実戦経験豊富な日本軍に対しても劣らない優秀な将軍だったらしいよー
>>916 一応明は本格的に十万単位の兵力を投入している。
しかし万暦帝は暗愚な皇帝であり、臣下や兵の
忠誠心が高かったとは思えず、士気も高くはなかったろう。
しかも自国に本格的に侵攻されたわけではなく、
属国にわざわざ出向いてやっての戦闘。
さらに見たこともない火縄銃でバンバン撃ってきやがる。
圧倒的大軍であったのに平壌で小西行長軍に
敗退したことから、いかにやる気がなかったかが伺える。
初戦敗退で大国としての意地が目覚め、その後は
互角に戦っているけれども。
>>917 李如松ですね。
後にサルフの戦いで、ヌルハチ率いる後金軍相手に
良い所無く敗死した、いわばアスターテに会戦おける
パエッタ提督のよーな存在。
李如松は倭寇征伐以外は負け続けじゃないか‥
日本でいえば軍師抜きの今川義元みたいなもの?
星野就任前の虎だな
俗に言う10万と号す
>>895 ソフトウェアが先進的でもハードウェアがダメならどっちみちダメだろ、カス。
>>919>>920 何かいろんな中国武将の名前がごちゃ混ぜになってる気がするぞ。
李如松は1598年に死んでいるからサルフの戦いには参加していない。
サルフの戦いに参加したのは李如松と実の兄弟の李如柏。
それに李如松が活躍したのはボバイの乱で、倭寇征伐は戚継光だろ。
928 :
919:2005/12/24(土) 09:28:33 0
>>927 ははは、本当にそうでしたね。失礼しました。
日本、後金、明の比較には、楊鍋を用いるのが適切
かもしれませんね。
>>866 >その間に欧州銃騎兵隊が猛然と騎兵銃を乱射しながら
>日本軍部隊に突撃を開始。
おそらくヨーロッパの騎兵やホイールロック式銃の優越性を強調したかったのだと
思うが、この部分が圧倒的におかしい。
まず第一にいきなり騎兵に突撃させる指揮官はいない。
騎兵というのは機動力がある反面、防御が脆弱な兵種だから、隊列を組んだ槍兵隊に
正面から突撃させたら簡単に全滅してしまう。
通常はまず歩兵部隊が敵にぶつかり、隊列を崩した隙を衝いて側面から騎兵隊を投入
することが多い。
これは火器登場以前のマケドニアやローマの時代からの大原則。
第二にこの時代の欧州銃騎兵隊は騎兵突撃をしない。
少し考えれば分かることだが、単発銃しか持たない騎兵が騎兵銃を乱射しながら突撃
してしまったら、発射後の一番危険な時に敵陣の真っ只中に居ることになる。
完璧な自殺行為。
欧州銃騎兵隊は射撃後は後方に退き、装填してから攻撃を反復するカラコールという
戦法を用いていた。
ただ、騎乗からの射撃は命中率が最悪だし、あまりにも非効率的なのでグスタフが
登場してからは、サーベルによる抜刀突撃に取って代わられたけどね。
日本でも伊達が大坂夏の陣でこの戦法を真似て真田にボロ負けしている。
真田も講談では名将なんだけどなw
>>929 まあ同意だが、火縄銃持って騎馬鉄砲してた伊達とピストル何丁も携えた欧州のピストル騎兵とでは又違うと思うが
同時代に突撃して10m以下くらいの至近距離で発砲し、後は刀剣で戦う胸甲騎兵ってのもいたね。
突撃に使用するならこちらだろう。
というか、むしろ問題なのは敵の騎兵部隊が側面や後方に迂回しようとした時に、
こちらに同等の機動力を持つ騎兵部隊がいなければ、
それを阻止することが極めて難しくなるというところかと。
933 :
世界@名無史さん:2005/12/24(土) 22:06:17 0
欧州軍、槍衾で串刺し!!!!
うぎゃーーーーーー!!!
それ以前に大砲で戦列崩されてるから安心汁
槍衾なんて普通の戦術に何か期待しているのだろうか?
戦国後期にならなければその程度すら作れなかった当時の日本が遅れていただけなんだが・・・
>>918 >さらに見たこともない火縄銃で
当時の明軍は鳥銃を装備してるよ。
胸甲騎兵は三十年戦争でも使われた主力騎兵だけれど、1631年のブライテンフェルトの戦い(グスタフ・アドルフvsティリー)で火力と機動力重視のスウェーデン軍に敗退、というかボロ負け。
以後しばらく廃れるが、やがてまた復活。
ブライテンフェルトの戦いは、スウェーデン軍にはろくな騎兵が無かったが、軽砲と大量の火縄銃による火力で皇帝軍を圧倒した戦い。
そういえば、ヨーロッパの戦さって、計略と呼べるようなものは殆ど無いよな。
日本もあんまなくね?
普通に敵を不利な地形に誘い込んだり、
偽装退却したりしていますが。
939はヨーロッパでもってことね。
それじゃ中国が説明できないジャン
>>942 つ孫氏
日本の軍学はまず中国の古典が基本でつが…
>>941 何が何でも日本をネガティヴに捉える所から出発するのが
欧州厨房の悲しいサガ。
じゃあ上記のチハ戦車隊と欧州軍の戦闘について解説してくれ。
実際にあったと想定して。
>>944 それを鏡に映すと日本最強厨になっちゃうんだよなぁ。
バランスが難しいところだ。
壊走する日本軍の全面に、奇怪な物体の群れが出現した。
世に名高い、帝国陸軍チハ戦車隊である。
チハ戦車隊4個大隊は横列に展開し、追撃してくる
欧州軍銃騎兵隊に向けて主砲を斉射。
突然の敵の援軍に混乱した欧州軍だが、すぐに政治将校の銃の前に態勢を立て直し、
後ろからは「モスクワの守護神」T-34の大群が現れる。
チハ戦車隊は善戦するも、やがて欧州軍の前に粉砕され、
搭乗員は歩兵部隊の捕虜となってしまい、日本軍の敗北は確定した。
以上1945年・ソ連軍VS日本軍ですた
…違うの?
>>937 いや、普通にスウェーデン軍にも騎兵隊はいましたが。
ただ、ドイツのそれに比べると馬の大きさ自体からしてかなり劣っていたので、
グスタフ・アドルフは自軍の騎兵に、敵の馬を狙えと命じたりしたそうですね。
騎兵居なけりゃ「発砲後サーベルで突撃」なんて戦術が生まれる訳無いわな
>>944 何でもネガティブにって、少なくとも16世紀の軍事ついては、
日本にはヨーロッパから伝わるまで満足な大砲も鉄砲もなかったのだから、
それらに対応した戦術が存在せず、立ち遅れた状態だったのは歴然たる事実だ。
そのくらいは認めないわけにはいかないと思うよ。
あるにはあったけど、他のヨーロッパの軍と比較するとかなり小数だよ。
>>951 確かにスウェーデン軍は、
その不利を補う為に多くの騎馬部隊を傭兵として雇い入れているからね。
>>947 読んでてノモンハン事変かと思った。
ノモンハンではソ連側でモンゴル騎兵2個旅団が参加して
日本の戦車隊と交戦してたような。
>>937 スウェーデン軍で騎兵が大した役割を果たさなかったのなら
三兵戦術なんて言われることすらなかっただろ
歩・騎・砲のコンバインドアームズが真骨頂じゃないの
火薬も銃砲類も元は中国だけどなw
>>953 ノモンハンに限らず、ソ連軍は第二次大戦中大規模な騎兵部隊を運用し続けてる。
これはドイツも同じで…というか早まって騎兵部隊を他軍種に改編したり後方の補充を無くしちゃったお陰で、
いざ騎兵が役立つとわかったのに補充が大変なことになってる。
>>955 なぜか中国では発展せずに、
明代にはヨーロッパ産のものを輸入するようになっていたけどね。
詳しい理由は知らないが、その頃から東アジアは軍事的には後進国になってしまった。
中国って結局国がでかすぎて戦乱が(ヨーロッパと比べて)少なすぎたのがいけなかったのかな
引金は紀元前に発明したし火薬だって結構最初の方に発明してたんだけどな
秦が統一しないで戦国時代がダラダラ続いてたらかなり凄いことになってたかも
戦国時代って冶金技術も凄かったんでしょう?
>>958 それは無理。
秦が統一した頃は北方の匈奴が大帝国を作った頃で、
中国側も大帝国としてまとまらないと、小国分立のままでは片っ端から併合されてしまう。
統一してても唐という現在のヨーロッパに劣らない繁栄期を迎えた。
戦乱が多いと発展するならアフリカは最先進国だよ。
五代十国時代に有力軍閥が政権簒奪を繰り返した反省から、
宋代に意図的に軍に力を持たせないような制度にしたり、
軍人が劣った職業だと思うような文化を作ったりしたのが後を引いているように思う。
武官軽視と商業軽視が痛いんじゃないかな
宋でせっかくコークスを用いた製鉄が行なわれてたのに
市場経済が発達してなかったから廃れてしまった
つまり儒教?
ヨーロッパについてはイスラム勢力と互いに刺激しあった面もあると思う。
地理的にほとんどありえないが、
明もチムール帝国あたりと本格的にやり合っていれば、
軍事的にも別の発展の仕方があったかもしれないが。
明だって北方民族とかと激しく抗争していたのだから、
強力な兵器作って奴らを完全に屈服させてやる、って方向に思考が働けば、
或いは兵器も発展したかもね。もともとの文化とか技術力は決して低くないのだし。
しかし実際は長城作って引きこもってしまった。
そういう選択をしてしまったのは、
やっぱりそれ以前の文化によるところが大きいのだろうなぁ。
いずれにしても、14世紀から15世紀にかけて、
東アジア地域では目だった軍事的な発展はなかったが、
その間にヨーロッパとイスラムでは火砲・銃器改良及び運用という大きな変化がおきていた、
このことが、東アジアの軍事的な後進地域化をもたらしてしまったと。
中国の場合自国が十分に豊かだからなあ。
周りが貧弱なのもあって国威発揚ぐらいしか戦争理由が無い。
騎馬民族との戦闘って「莫大な資金を費やして貧弱な地を手に入れる」事でしか無いし。
ヨーロッパ-オリエント-ペルシア-インドと豊かな地が続いて、断絶があって中国みたいな感じになっちゃってるよな。
日本やカンボジア、タイみたいなソコソコ豊かな地とは地形障害でやっぱり離れてるし、朝鮮半島も実は山脈障害がかなり大きくて直接統治はコストに見合わない
>>962 なんというか、宋の頃の中国の技術や文明が、そのまんま西洋に吸い取られてしまった感じだな。
西洋でルネサンスの繁栄を迎えたのもその後だし。
>>966 宋とか明とか、いわゆる中国の中心部を押えちゃうと、
それ以上興味を失ってしまうのが普通だからなあ。
むしろ、漢だの唐だのはよく拡大する気になったものだ。
まあ、自国が相当以上に豊かだからこそ、
そこだけでかなりの文化・技術を発展させることも出来るんだろうけど、
少なくとも該当時代における軍事技術については、完全に出遅れてしまった。
唐の李氏は元々中央アジア辺りの出身だからなあ。
馬球(ポロ)なんかも盛んだったわけだし。
漢はまあ、建国の時点で匈奴に恥をかかされた、ってんで
それを雪辱すること、後は馬などの交易品調達。
唐は出自が騎馬民族だからというより、まさしくペルシャやローマとの交易路&国家的な威信も目当て。
崇仏国家であるわけだし、西域の進んだ仏教知識の確保という意味合いもあったんだろう。
つーか、中国は自国に肥沃な国土、多数の国民、多くの通商路を抱えてて
外征発展する意味がない、というよりよほどの黄金期でない限りする余裕が無さそうだ。
明も永楽帝の時代だけなら拡大志向だったんだけど
972 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 03:55:37 0
>>965 明では火砲技術の開発は進んでいたのでは?
その指摘は東アジアというよりむしろ中央アジアの遊牧国家にあてはまる。
なまじっか軍事力が強力過ぎると兵器を開発する動機がない。
>>965 欧州が19世紀末まで東アジアに軍事力では及ばなかったことは欧米の
戦史研究家でも認めていること。
974 :
973:2005/12/25(日) 07:39:50 0
アヘン戦争までだから19世紀初頭だった。
17世紀にオランダが台湾で鄭成功に完敗したことは欧州では凄く衝撃的なこと
だったらしいぞ。
欧米の海戦に関する本を読んでもジャンクの戦闘力はかなり高く評価されてるし。
おかげで西洋の軍艦は東アジアの海に寄り付かなくなってしまい、日本も清も
鎖国を守ることができたわけだ。
あちらの感覚ではアヘン戦争の勝利でやっと逆転したという感じ。
>>972 いや、全然。
16世紀にはヨーロッパ産の火器を輸入しないと使い物にならない状況だった。
鄭成功の台湾云々は兵力に差がありすぎ、
19世紀までってのはヨーロッパ諸国が東アジアまで送り込める兵力のみで、
現実に戦争をした場合の話。
そりゃあ、16・17世紀の技術力で欧州から地球半周以上してやってきた兵力だけを相手にするなら、
十分勝てるけど、国家の軍事力を総合的に見ればもはや東アジアは太刀打ちできない。
まあ逆に言えば中国艦隊がヨーロッパに遠征すればコテンパンにのされたかもしれない。
あの当時欧州がアジアに送り込める戦闘艦艇なんて10隻単位がいいところだし
陸上兵力でも常備軍のケタが違う。
しかし本国においても必ずしもヨーロッパはアジアに兵力で優越しているとは言いがたいし
ただそれだけの兵力格差を技術力で埋められるとは言いがたいな、一概に。
本来は農耕民族による土地に立脚した軍だから、中国軍がモンゴルの如くヨーロッパに乱入しても
モンゴル並みに暴れられるとは思えないが。
>>975 清の国境の最西端なんてモスクワと北京の中間ぐらいだろ。
18世紀のロシアは欧州では陸軍強国だったんだから、その頃の欧州と東アジアでは
軍事力にそんなに差が無かったってことじゃん。
ネルチンスク条約を結ぶことになったロシアとの小競り合いなら、
起こったのは清の本国ともいえる満州アムール川あたりでのことですよ?
ネルチンスク条約は対等条約で清優勢な状況で結んだものだが、
当時のロシアはピョートル大帝の西欧を見習った近代化以前で、
まだまだ列強のとまではいえない状態だったしね。
つまり欧州の並程度の国が東アジアまで出向いてきたなら、
その部隊とは対等以上に戦えるくらいが、17世紀後半における清の実力ということ。
ちょっと寂しいがそれが事実だ。
1727年のキャフタ条約も明らかに清の側に近い、キャフタで結ばれているしね。
18世紀、ロシアと清は中央アジアの遊牧民を征服して領土を広げていったわけだろ。
でも結局、ロシアが獲得できたのって北の不毛の大地が大半で、南東方面への進出は、
清−アフガニスタンのラインで停止してるじゃん。
全体としてロシアと清の国境は人の住める場所は清が全部獲得し、それ以外をロシアが
獲ったっていう感じだ。
しかし皮肉にもシベリアには手付かずの地下資源が豊富にあるそうな。
欧州厨の論拠はいつも苦しいな
>>981 基本的にロシアの狙いは最初から森林地帯だよ。
もともと毛皮目当てだったのだから。
というか、根本的に18世紀までのロシアは東進策に本腰入れてないから、
あくまでも主眼は対ヨーロッパ外交、
特に清国境までたっした頃は北方戦争のちょっと前くらいで、
とてもシベリアまで本格的に出動は出来ません。
ロシアの東進は黒テン猟師が先導したんだから当たり前だよな<ストップしたライン
国として本腰入れて東に進んだのは、黒海やバルカン方面での拡大が西欧の干渉で阻止されるようになってからじゃなかったか?
ロシアの東進の主力となったのはコサック部隊。
基本的にコサックは常に中央アジアや中東方面への領土の拡張を志向していたんだけどね。
ただ17世紀の欧州の軍隊では本格的な戦争になった場合、アジアの軍隊には絶対勝てない
という悲しい現実があった。
そのためロシア政府はコサックにこの方面の国々を刺激することを厳禁し、しかたなく
コサックたちは毛皮商人をスポンサーに、ほとんど人の住んでいないシベリアを東進する
ことになったんだよ。
補足すれば、それはもちろん実戦力でかなわない可能性がある、ということもあるが
それ以上にタタールのくびきによる心理的な敗北感があったこともある。
下手にアジアをつつけばもう一度チンギスハンが攻めてくるという恐怖感が先にたってたわけだ。
だから、本格的にロシアがアジアに手を伸ばすのは、彼らが技術先進世界・欧州の一員としての
自覚と自信を持った後、ということになった。
ロシアはウクライナをはさんで南に、直接のモンゴル・トルコ系の騎馬民族国家や
イスラムの盟主として東欧を引っ掻き回していたオスマントルコと国境を接していたしね。
このスレが議論地獄になって楽しかった。
みんな来年もよろしく。
スレの流れをかえてごめんね。
反省する。
>>977 清とロシアが条約を結んだ場所を確認してみなさい。
やはり、理解者が少ない様なので補足しておく。
機動力が高い方が有利と言うのは、当たり前の事しか書いていない「孫子」にも載っている基本中の基本。
戦場となるべき地に最初に辿り着くのは、常にこの機動力の優れた側。
「いつ」「どこで」「どのように」戦うのか、それらは全て機動力の高い側だけが決定する事が出来る。
最初に自軍にのみ有利な戦場に着き、戦場の細かい地形の下見を終え、自軍に有利な地形を全て占め、幾つもの戦術プランを練り上げる事が出来る。
その敵となった軍にとって戦術的に有利な要素は、全て排除された状態で戦う事さえも可能。
後は、敵の布陣に合わせて戦術プランの何れかを適用するという「作業」だけ。
過去の東アジアの軍事力を考察する場合、「孫子」を始めとする「武経七書」の存在を無視してはならない。
一部の軍事的天才のみが理解出来得る事柄が、マニュアルとして凡人にも理解出来るようになっているのだから。
歴史板に出入りしているのなら、歴史的な書物を読んで欲しいと思う。
>>982 当時、清はロシアと外交関係を結ぶ必要性などまったく感じていなかったから
高官をわざわざ遠くまで派遣したりしないのは当たり前。
それに対して是が非でも国交したいロシアの方が清の近くまで出向くことになった。
つまり、ネルチンスクの位置は当時の力関係が清>ロシアであったことを反映して
いるわけ。
清はその後ロシアより遥かに強敵の中央アジアの遊牧民との戦争を控えていたから、
ロシアの方は片手間で適当に処理されてしまった感じだ。
わろす
997 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 21:48:35 0
良スレあげ!
ごめんね、かーちゃん議論地獄に追い込んでごめんね
ワープルートだのデカン高原だの大日本軍対欧州連合軍だのを言い始めたのは俺です。
つまんない議論地獄に追い込んでごめんなさい。わざとです。
あと、
>>865も俺です。
糞スレ化、マッハ消費スレ化させて本当に反省しています。
わろす。
セン!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。