ハプスブルク家には突出した名君が不在。
奇人変人には事欠かないが。
マリア・テレジアもだめかな?
>>5 君主の資質が優れていたって、それがスムーズに伝わるシステムがないと意味が無い。
そういう意味でオーストリアは最後まで旧態依然としてたと言える。
ただ、君主に左右されないという事は、大失敗もしないという事なんだな。
マキャベリも言ってるけど伝統が全てを支えた政体という事が言える。
ロマノフ朝に比べりゃ天と地(ry
>>7 終始負け続けというほど負けてないと思うが・・・。
結果として負けたのは事実だが、戦局の途中では優位に立ってた期間も長い。
ただ、自国の軍事力が整いきる前に戦争始めた(先に攻めてきたのはプロイセンだが)
のがまずかったと言えばまずかった。
それが援軍頼みになって、結果としてフリードリヒに逆転を許した。
・・・まあエリザヴェータが死んだのは計算外だったろうけど。
結果として、その辺の判断に関してはフリードリヒは正しかったのかも知れん。
>>10 七年戦争の肝は三枚のペチコートにあるんだよ。
そもそもオーストリア一国で、プロイセンを倒せるとまでは誰も思ってなかった。
だからネーデルラントまで手放すつもりで外交革命を起こしたわけで。
プロイセンとは和解したんだから、向こうに先手を打たせたのは計画の内だと思われ。
ハプスブルク家は面子を大事にするからね。
最大の誤算はやっぱりエリザヴェータの急死とロシア軍の撤退。
オーストリアとフランスは圧力をかけるだけで戦略的を意味は果してた。
>>11 まあ、確かにそうなんだろうけど(「まずかったと言えばまずかった」ってのは
結果論的な意味も込めてる)、
>>8のマキャベリなんかも
私の意識としてあったもんだから。
マキャベリは援軍について非常に批判的で、君主論では
「役に立たない別の軍備である」とさえ言っている。ここまで言うか、という印象。
敢えてマリア・テレジアを批判する点を挙げるとすれば、という程度の話だから。
>>12 普通、マリア・テレジアを批判する際にはハンガリーへの統治政策を挙げるけどな。
七年戦争の敗北は不可抗力といっていいから、彼女に帰するのは酷というもの。
ハンガリーの既存制度の温存が、その後の民族問題に繋がったのは明らかだからね。
ちなみにマキャベリの援軍に対する論理とこの場合を同一視するのはちょっと無理があるんだけどね。
>>13 フランスに固執するあまり、イタリア方面の外交がボロボロってのも
よく言われるね。
>>5 ハプスブルクの揺籃期には名君が多いと思うけど、
ルドルフ一世とか、まだ中世臭さを残していた頃の君主は結構好きだな。
まぁ息子のアルプレヒト一世みたいな馬鹿もいたけどさ。
それでも、なんつ〜か人間味のある香具師が多い。
16 :
蝶 ◆Ny8weMFDds :2005/10/15(土) 19:58:42 0
ハプスブルク家・・・カッコ良すぎるぜ
>>15 アルブレヒトは馬鹿じゃないと思うけど。
ただルドルフ以外はぱっとしない家系だよな。
>>17 アルプレヒトの息子達は有名なんだけどな?
日本で触れられる事が少ないだけで。これは彼らに限った話じゃないけどね。
19 :
世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:00:50 0
ハプスブルク家事実上最後の皇帝フランツ・ヨーゼフと大久保利通の髭って
似てるように感じる。と言うか大久保がフランツ・ヨーゼフの真似をもしかしたら
したのかな??
20 :
世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:10:45 0
あのヒゲ天然じゃないのか!?
ハプスブルクの君主で戦場で活躍した人っていますか?
22 :
世界@名無史さん:2005/10/16(日) 22:27:19 0
>>21 「ソルフェリーノの戦い」でのフランツ・ヨーゼフ1世陛下は?
23 :
22:2005/10/16(日) 22:28:33 0
あとカール5世なんかも活躍してそうでつ。
中世最後の騎士マクシミリアンを忘れるな…って
戦場で活躍と言う訳ではないか…
始祖のルドルフ1世ですね。「鋼鉄と黄金の王」と呼ばれたオットカル2世を
破るのですから・・。
あまり、軍の先頭に立つというイメージの方はいないような気がします。
>>25 マクシミリアンはかっこいいんだけど、なんというかまあ、勝ちっぷりが悪いよね。
>>26 なんつっても「戦争は他の国にやらせとけ!」が家訓ですからねえ。
>26
あれ、本当に「家訓」なんですか。逃げ回ってばかりいるフリードリッヒ3世を
ハンガリー王のマーチャーシュが皮肉ったものという節を聞いたことがあるので
すが。
しかし、長生き、多産というのは強力な武器ですね。
29 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 07:08:31 0
フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの子、ルドルフ皇太子には
エリザベートという娘がいたらしいんだけど、その娘の子孫はどうなったの
かな?知ってる人いたら教えて。
日本名『ウインダム』じゃなくて『鷹の城』か・・・
フランツ・ヨーゼフ他歴代皇帝の紋章が見られるサイトってないですかね?
ハプスブルク(鷹の城)って名前のくせに紋章は鷲なんだな
そりゃ神聖ローマ皇帝を長く務めすぎたお陰。
皇帝の紋章が自家のになっちゃった。
36 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 17:54:37 O
オットー氏はずいぶん長生きさんだな
オーストリアはどっかの州くれてやればいいのにな
チロル州くらいやってもいい。田舎だから。
南チロルをね。
A ああ
E 江村氏が
I 逝ってしまった
O お亡くなりになられた
U 鬱だ・・・・・・
42 :
世界@名無史さん:2005/11/05(土) 21:36:41 0
>>36 だからオットーさんは既に継承権を放棄されてるんだよ。
今の帝位継承要求者はその息子。
43 :
世界@名無史さん:2005/11/05(土) 23:46:08 0
44 :
世界@名無史さん:2005/11/12(土) 00:15:39 0
20-XI-1902
息子はオーストリア入国出来るの?
>>40 マジかよ
ハプスブルク家の事勉強しようと思って、この人の本読んでるとこだったのになあ
御冥福を祈ります。
47 :
世界@名無史さん:2005/11/19(土) 02:28:44 0
ナポレオンを一度は破ったカール大公はカッコイイね
対して兄はメッテルニヒがいないとかなり微妙ですね
ハプスブルクの皇帝は名宰相に補佐されて始めて複雑な多民族国家を
統治できるのよ。
なまじ半端な名君はかえって弊害となる。
50 :
世界@名無史さん:2005/11/25(金) 18:55:06 O
>>42 んなこたあ知ってるわい
だからエスターライヒはどっかの州をくれてやってハプスブルク家のものにしてやれよって話
別にオットーじいさんが君主になれよと言ってるわけではないわ!馬鹿者!
それよりもオーストラリアに土地買って独立宣言させりゃいいか
>>45 息子どころかオットーさんも入国オッケーになってるよ
シェーンブルン宮殿にも観光しに行くかは知らんがな
51 :
世界@名無史さん:2005/11/25(金) 21:15:31 0
じゃあ入国禁止の法律ってなくなったんですか?
詳しい方、教えてください!
ハプスブルクと言ったらマリア・テレジアでしょう
ハンガリーの王制を復活させればいいんじゃまいか
天皇家もこれくらい多産だったら問題が起きなかったのにな。
>>50 オットーさんが入国できるようになったのは、帝位継承権を放棄したから。
ハプスブルクの当主はその息子が引き継いで、帝位継承権を要求し続けてます。
なので、息子さんは入国できません。
57 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 08:47:54 0
59 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 21:43:36 0
>>11 フランスはイギリスと、インドとアメリカで戦闘していたから、プロイセンと
戦っている場合じゃなかった。
60 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 09:04:56 0
61 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 00:06:35 0
微妙だな。
62 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 00:57:53 0
ヨーゼフは好きだな。
63 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 08:50:02 0
どうして?
64 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 08:43:01 0
エリザベーと
はすきだな
65 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 13:44:12 0
ヴァルゼーの天使、マリー・ヴァレリー最高
66 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 10:11:36 0
赤い皇女
煙草の火遊びが元で焼死したマティルデ
神聖ローマ皇帝位を世襲化したハプスブルク家はすごいね
「実質世襲化」だけどね
『ハプスブルク家の宝剣』ってどうよ?
けっこう美人だね
73 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 23:35:12 0
そうか?
一番上だけな
エドゥアルトカッコヨス。でもフランツが一番カコイイ!
76 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 16:20:23 0
シシィの10分の1でもマリア・テレジアがダイエットしててくれたら・・・
フランツ・ヨーゼフ帝の父君について、詳しく知りたいのですが、
皇位継承を辞退した理由とか教えてちょ。
ハプスブルク家の中じゃマリア・テレジアが一番政治力高いんじゃないか
>>78 ルドルフ1世じゃないかなあ。さすがに。
次点で(結果オーライという意味で)マクシミリアン1世あたり。
っていうか、マリア・テレジアは外交はボロボロじゃない?
マリア・テレジアの外交は悪くないだろう
プロイセンが強すぎたんだ。
あれに関しては運不運も絡んでるからなあ。エリザヴェータの死。
敢えて言うなら「他国の援軍に依存しすぎた」のが欠点か。
本来、もっと自軍の実力を蓄えてから戦争すべきだったと思う。
外交革命がすぐ漏れた(公表した?)のがまずかったんでないかと。
そういう意味で、情勢の変化を知って即座に攻め込んだフリードリヒの判断は
結果として正しかったことになるかな。
内政でも公立学校つくったり
全国一律の税をかけたり
衛生環境よくしたり
けっこうやってる
>>82 「他国の援軍に依存しすぎた」という観点が既にダメ。
だってそういう戦略なんだもの。オーストリアの国土状況から考えて
自身が対プロイセンの矢面に立つなんて下策。
自軍の実力を蓄えるとか言ってる時点でちょっと・・・。
オーストリア継承戦争はともかく、七年戦争は余計じゃない?
ちょちょいとひねってシュレジエンを取り返すつもりだったんだろうけど、
あの戦力差でなんで負けますかと…。
マリア・テレジアの失策じゃなくて、フリードリヒがすごすぎただけかもしれんが。
七年戦争がなければ、オーストリアはドイツでのイニシアティブを
完全に失っていたし、列強のひとつに加えられる事も無かったかも。
テレジア自身は失地回復を果せなくて悔しかったかも知れないけど
国際政治的には戦争をしたという事が重要で、領土問題はあんまり重要じゃない。
87 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 08:16:12 0
シュレジエンはドイツでも裕福な土地だったし、失地回復を果たさなければ
オーストリアの面子も立たないしな。七年戦争はフリードリヒの運勢の強さを
誉めるべきだろう。
斜行に頼りすぎだ。あのフルート奏者は。
89 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 09:25:59 0
皇帝に限らずハプスブルク家の人々のなかで
ゲイないし男色家として有名な人物は誰でしょうか?
フランツ・ヨーゼフ帝の弟がたしか男色OK!なヤツだったような
気がする、が有名じゃあないな。
>>90 ルートヴィヒ・ヴィクトールですね。
フランツ・ヨーゼフの兄弟では
二男のマクシミリアンにもそのケがあったという説もあるらしい。
とある私設秘書(♂)と親密の度が過ぎるのだそうだ。
92 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 14:41:44 0
良スレあげ
93 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 08:04:41 0
同じく
94 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 21:49:28 O
はじめまして☆今度テストに丁度でる所で、気になって訪問してみました!ハプスブルク家は物事がたくさん起きた所だと思うので、どの様な所が重要なのか教えてもらえないでしょうか??
「魔術の帝国」文庫版がでましたよっと。
ロマンチックな邦題に惹かれて読むと挫折するかもしれんけど、
ハプスブルク好きなら読んどけ読んどけ。
>>94 現代を生きて行く上では、民族自決権と第一次世界大戦の敗北を
押さえときゃいいとおもうよ。
テストでいい点とりたいなら、過去問で傾向をつかむといい。
97 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 22:42:20 0
>>87 フリードリヒの人気のたまものともいえる。
所詮女は感情的でその場の判断しかできないから
先を見通すことができず天下国家のことは考えられないと言われるが、
マリア・テレジアはりっぱだったね
子育てに失敗しちゃったのがちょっとアレだけどね。
夢見がちな理想主義者と陽気なカタブツと、役目を
はたせなかった政略結婚の
コマが数人と…。
マリア・テレジアの後は正確にはハプスブルク-ロートリゲンだから
マリア・テレジアは“最後のハプスブルク”だった
102 :
世界@名無史さん:2006/01/18(水) 20:02:50 O
96<
ありがとうございました☆ちなみに大学受験に向けてやるのにオススメな問題集or解説書があれば教えてください!!
103 :
世界@名無史さん:2006/01/18(水) 21:54:03 0
マリアテレジアの時がオーストリアの全盛時代、
105 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 22:05:37 0
106 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 22:11:52 0
>>103 ハプスブルクの全盛期はカール五世だと思うが?
「オーストリア」って限定してるんだから、落ち目の時代の中で一番マシな
時期ってことだろう。
108 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 08:17:49 0
ハプスブルク家という範囲でみれば、カール5世。
オーストリアという国でみれば、マリアテレジア?
>>84 別に反論するわけじゃないんだけど、
マキアヴェッリの君主論読んでるせいか、その辺どうしても辛口になってしまうんだよね。
君主論では援軍に関してかなり否定的で、運命についても
「人間の力量がそれに逆らってあらかじめ策を講じておかなかった場所において」
威力を発揮すると書いてある。エリザヴェータの死が完全に予想外だったのは
事実だろうけどね。
フリードリヒは散々あがきまくって引き分けに持ち込んだんだから、
マリア・テレジアももう少しあがいてたら、結果もまた変わってたんじゃないかなと思う。
実際にロシア軍がプロイセン側に立って行動したのは、1762年の春から夏にかけての
数ヶ月くらいだし。でもってこの年で実際の戦闘は終結してる。
要は、マリア・テレジアにはもう少し粘って欲しかったなと。
110 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 00:31:33 0
>>109 >フリードリヒは散々あがきまくって引き分けに持ち込んだんだから
引き分けではないですよ。そもそもシュレジエンの領有を巡って戦っていたんだから、
誰がどうみても、最終的にシュレジエンの領有に成功したプロイセンの勝ちですよ。
>マリア・テレジアももう少しあがいてたら、結果もまた変わってたんじゃないかなと思う。
実際にロシア軍がプロイセン側に立って行動したのは、1762年の春から夏にかけての
数ヶ月くらいだし。でもってこの年で実際の戦闘は終結してる。
要は、マリア・テレジアにはもう少し粘って欲しかったなと。
粘れといわれても、オーストリアには単独であがく力がなかったんだよ。
既に、オーストリアは1761年,戦争中にもかかわらず軍隊を削減しなければならなかった。
プロイセンの苦境ばかり史実では目立つけど、オーストリアも財政難で苦しかった。
ロシア軍が頼みの綱になっていた。その後、フランスはイギリスに敗れたし、プロイセンはロシアの援助で反撃
してきた。独力で戦う力はオーストリアには残っていなかったので、講和を結ぶしかなかった
のだ。
111 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 08:30:04 0
>>110 そんなところだろうねえ。ロシアがプロイセン側に立って援助したのは、
数ヶ月だったけど、その後ロシアは撤兵して、オーストリア側に再びついたわけでは
ないからね。
>>110 引き分けというのは戦争前からの(領土面での)現状維持という意味で書いた。
戦争目的からすれば、プロイセンの勝利だろうけど。
あれから調べたら、ロシアとプロイセンの間で講和条約が結ばれたのが5/5で、
同盟に発展したのが六月、実際にロシア軍がフリードリヒの指揮下に入ったのが6/30、
その直後の7/9にはロシアでエカチェリーナが即位して、
7/19にはフリードリヒの下にいたロシア軍に、撤兵すべしとの命令が届いてる。
厳密には実質二十日なんだよね。
その撤兵命令に対し、フリードリヒは三日間の猶予を求めたが、21日のプロイセンの攻勢に
ロシア軍が参加したかどうかの記述も手元の本にはない。
何というかなあ、状況はよく分かるけれども、それだけに勿体ないというか。
折角マリア・テレジアも本気になって国内改革をしていたのに、
その成果が出る前に戦争を始めてしまったような気がしてね。
外交革命がすぐに漏れなければ、フリードリヒが1756年に戦争を始めることもなく、
その間に戦力を充実させて、とか考えてしまうんだわ。
実際、漏らす必要もなかっただろうしね。
>>109、
>>112 マキアヴェッリが批判しているのは、援軍に完全に依存してしまう事で
あって、七年戦争当時のオーストリアの戦略、いわゆる外交革命は
グランドデザインとしては非常に斬新な物だったと言えます。
フランスとオーストリアが圧力をかけ、ロシアが背後から急襲するという軍事戦略であったので
君主論で論じられている問題とは全く次元が異なっています。一緒くたにしてはいけない問題では無いでしょうか?
更に戦争の帰趨について触れると、七年戦争の政治上の勝者はマリア・テレジアです。
領土回復には成功しませんでしたけれども、ドイツの中での威信は完全に回復できましたので。
単独でシュレジレンの回復を望んでいたら敗北を喫していたでしょうから
さっさと手を引いた彼女の政治眼は優れたものであったと言えます。
外交革命後、すぐに七年戦争を起こしたのは早くしないと領土回復という
大義名分が消滅するからです。これはシュレジレンがオーストリア領になった事情を
考えれば納得が行くかと。
国内改革については、既得権の破壊を意味していますから急激な作業は不可能です。
それをやってしまったヨーゼフ2世がどれ程非難されているかを考えれば納得がいくのでは?
彼女の国内統治における慧眼は多民族を内包する領土という現実を認識して
様々なバリエーションを設けたという事だと思いますよ。
ドイツ内での威信ということなら、プロイセンの成果の方がさらに上。
敵方との圧倒的な人口比の格差にも関わらず、最後まで戦争を戦い抜いたのだから。
>>114 もちろんプロイセンが二度の戦争で国際的な地位を飛躍させたのは事実です。
とはいえ、カール6世の死後、切り分けられる材料としか見られなかった
オーストリアが列強の一員に伍せたのは、七年戦争の結果である事も事実なわけで。
シュレジレンという実を捨てて、ドイツ第一の諸侯という名を回復するという決断が
出来たのは、マリア・テレジアの現実的な政治センスを証明している点かと。
116 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 14:32:56 0
ま、シュレジレンなんてプロテスタントの土地だから保持してたら揉めただろうな。
プロイセンも19世紀入るまでは北ドイツの有力諸侯に過ぎなかったわけで。
本当に国際上の地位を手に入れたのは、ナポレオンに敗北した後の改革の成果ジャマイカ?
じゃあなんでポーランド分割でロシアやオーストリアとつるんで領土獲得できたのよ?
ポーランドとは歴史的な因縁を持ってるから。
マリア・テレジアの政治力って世界史的にも類希なんじゃないか?
>>112 戦力を充実させてって、ゲームじゃないんだからボタンひとつじゃ出来ないよ?
122 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 21:22:29 0
外交革命はともかく、プロイセンとの講和は他に手段がなかったから
結ぶざるを得なかっただけであって、称賛すべき点じゃないだろう。
退き時を心得るってなかなか出来ない事だよ。
特に失地回復に燃えてる場合はね。
勝てるかどうかは分からないけど、やろうと思えば戦いは続けられたんだから
すっぱりと諦めるってのは、やはりなかなかの決断力だと思われ。
124 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 22:16:46 0
オスマントルコの脅威も南から迫ってきてたそうだから、戦いを続けている
場合じゃなかったし、単独で勝てる見こみがないのもわかっていったから、
なくなく講和を結んだということだと思われ。
現状をきちんと把握して妥協できたって事だな。大したもんじゃないの?
絶対王政君主には無謀な戦争続ける人も大勢いるからな。
音楽史方面だと「乞食のような音楽家一家(モーツァルト父子のこと)を雇っては
いけない」という手紙を一族郎党に書き送ったマリア・テレジアは評判が悪く、
モーツァルト贔屓だったヨーゼフ2世は評判良いんだけどなー
まあ、現在に至るまで、モーツァルトの墓も遺骨もわからないのはヨーゼフの
倹約政策のせいでもあるけれど。
127 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 08:37:37 0
ロシアとプロイセンが同盟を結んだ時点で、オーストリアは講和するべきだった
が無謀な戦争を続けた。往生際がわるく、戦争が続けられない状況に追い込まれて
やっとシュレジエンを放棄したというイメージがある。
ハプスブルク家と聞くと、すぐに頭に浮かぶのはカール五世とフェリペ二世。
前者は歴代ローマ教皇とルター派の諸侯とトルコ帝国相手によくもあれだけ
頑張れたものだと感心する。後者は晩年はともかく、前半は輝かしいイメー
ジがある。でも、皇帝フェルディナンドの影が薄いが…。
フリードリヒ3世はある意味偉大かもしれない。
130 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 21:39:22 0
カール5世は借金王
マリア・テレジアの政治力は世界史的にみて傑出していますか?
>>131 世界史的という評価基準が意味不明。同条件でもないのに比べられるわけない。
ただ優秀な統治者であった事は確か。
>>121 Ryuju ◆RlujhF6VrAというコテはどうも改革の概念について理解できてないみたいだから
改革をもっと進めればもっと良くなったと思ってるんだろう。
オーストリアがあれ以上の改革なんぞ推し進めてたら国内反発で戦争どころじゃなかったろう。
この辺り
>>113でも指摘されてるが。
そろそろカウニッツが来る予感
>>121 マリア・テレジアは1754年に最初の国勢調査をやっているんだけれど、
徴兵区域の設定のための戸口調査を70年代にもやっていて、
もし戦争が56年開始でなければ、もっと早く徴兵区域の設定が出来た可能性はあると思う。
国内の反発を考慮すれば、60年代くらいだろうけど。
他にも、ヨーゼフほど急進的でなくても(彼ははっきり言ってやりすぎと思う)、
戦争による中断がなければ(或いはもっと遅れていれば)幾つか史実より前に実施出来た
改革もあるんでないのかなと。
トンヌラ氏が説明してくれた、マリア・テレジアが外交状況を優先した事情は分かるけれども、
逆にたとえフランスとの同盟が成立しなくても、国内がこうなったら
プロイセンと戦争しようという改革の目標というか目安があったのか、が
気になるんだよね。
例えば(時代が大きく違うけれども)、明治日本における憲法制定みたいな感じで。
マリア・テレジアががんばったのは確かだけど、斜陽を一時的に留まらせた
程度じゃないかなあ。
いまどきヴェストファーレン史観ははやらんか…。
>>135 明治政府とは状況が違いすぎる。
権力の主体は変わってない。
黒船に象徴される力の差をプロイセン相手では感じられない。
アヘン戦争みたいなショッキングな事件がなかった。
>>135 戦争による中断というか、戦争の為の改革だったのだから
前提自体が変。想像も程々にしといた方が良いよ。
当時の権力構造を把握してない事が書き込みから伺われるので、きちんと概説から読み直した方が良いね。
>>135 >137も触れてるけど、プロイセンって当時はそんなに強大な国家じゃないぞ。
兵力だってプロイセンが国土に不釣合いな大軍を保有していたけど
オーストリアの兵員が圧倒的少数だったわけでもない。地理上、どうしても分散してしまうけど。
小説なんかだといかにも強大無比なプロイセンに健気に立ち向かうマリア・テレジアって感じで
書いてあるのが多いけどね、ウケるから。影響され過ぎでは?
当時のプロイセンは国家予算の90%を軍事費に注ぎ込めたけど
オーストリアにそんな真似は出来ません。
>>140 それは例えが逆な話で、プロイセンは破産覚悟で軍事費に突っ込まないと
オーストリアと戦争できなかったって事。無論、オーストリアも借金塗れだったけどね。
142 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 23:39:12 0
>>135 オーストリアが戦力を充実させてといったって財政難であるから、限界があるし
フリードリヒも馬鹿ではないから、オーストリアが危険と察知すれ先制攻撃を
かけるだろうよ。
143 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 22:38:35 0
別にマリアテレジアに落ち度はないよ。
フリードリヒがすごすぎただけさ。
ロシアに信者作ったりとかさ。
オーストリアはマリアテレジアでなければフリードリヒに潰されてドイツ帝国が
出来上がっていたのかな。
だから当時のプロイセンにそこまでする国力はないって。
フリードリヒ大王は偉大な人物だったんだろうけど、過大評価し過ぎ。
オーストリア継承戦争が全くのハプスブルクの敗北に終わったら
バイエルンにオーストリアは吸収されていたから、ドイツは南に重心が移ったかもしれない。
if話なんて所詮は想像だけど。
>>137,139
明治云々は、外の脅威をきっかけにした改革の例として出したんで。
マリア・テレジアの場合、実際には国力が圧倒的に下と思っていた国に(例え戦術的にせよ)
負けたが故のショック、だろうけどね。意味合いとしては、黒船とは逆かも知れない。
>>138 まず
>>135の「戦争による中断がなければ」という表現は訂正。フランスとの同盟が
成立しなければ、と書くべきだった。そうなれば、戦争は少なくともしばらくは
起きなかっただろうから。フランスとの同盟成立が、当時の状況での
戦争開始の条件だったようだし。
それで、同盟が成立するか否かはっきりするまでの間、彼女はやっぱり
国内政治の改革を続けていたと思う。同盟が最終的に成立しなかった場合、
彼女がどうしたかは分からないけど。
>>142 プロイセン側から開戦するとした場合、フリードリヒがどの段階で気づくかだね。
実際に七年戦争を始めた時には、
オーストリア側の兵士の質が格段に上がっているのに驚いたというし。
>>147 七年戦争での戦争指導を通して守旧派の影響力が無くなっていって
改革に弾みがついたという事実。
それからもうちょっと想像力を働かせて、フランスとの同盟の意義を考えれ。
外交革命と軍制改革は戦争要因としては全く比較にならない。
>負けたが故のショック
負けたとすら多分思ってない。せいぜい火事場泥棒された程度だろう。
継承戦争は敵が多すぎたが為に譲歩をして離反を促したわけだから
その経験からの外交重視とも言える。
というかif話と想像をまともな説のように語るのは無益にも程があるので
もうやめれ。「そーですね」で終わってしまうわけだから。
マリアテレジアの継承戦争、七年戦争に関しては何とも言えないなあ。
継承戦争は劣勢を外交(プロイセンとの講和)で切り抜けたし七年戦争に
至ってはロシア皇帝が・・・て話にしかならないだろう。
IF論を続けるのは恐縮だがハプスブルク帝国がどの時点で存続不可能になったのか。
これはオーストリア外交の選択肢が狭いこともあって議論は容易だと思うが
個人的には1908年ボスニア併合による対露関係の事実上の破綻が大きいと考える。
ボスニア危機以降オーストリアにはドイツ以外頼れる国家が存在しなくなったわけであるし。
遠因はクリミアになってしまうかなあ。地政的に帝国が列強たるためにはロシアとの同盟、
少なくとも友好はドイツ・バルカン問題では不可欠であったわけだし。
可能性は小さいが1908年前後のセルビア、イタリアへの予防戦争、あるいはバルカン戦争への介入も
帝国存続の可能性を高めたとは思う。
少なくとも滅亡不可避の国家ではなかったんだがいつがターニングポイントだったのだろう?
150 :
世界@名無史さん:2006/01/27(金) 16:32:29 0
マリア・テレジアが現在にもしいたらサッチャーを超える政治家になってそうだ
151 :
世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:51:03 0
オーストリアハンガリー2重帝国を作らざるを得なかった時点で、オーストリアの
滅亡は見えていた。
152 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 01:14:11 0
>>151 そこが大問題なのは分かる。事実上ハンガリー憲法の規定から
ハンガリー指導部による皇帝と共通内閣への外交政策の干渉はあった。
問題はハンガリー指導部が反露的思想を持っていたことはそれでいいんだが
同時に民族のバランスから考えてバルカン、近東への進出を嫌がったのもハンガリー。
ベルリン会議によるアンドラーシのボスニア占領なんて宮廷というか皇帝以外は皆懐疑的。
それ以前ブルガリア危機などへの介入にもハンガリーは反対していてとにかくバルカンは現状維持。
その意味でバルカンにおける現状維持路線の崩壊、オーストリアでは外相エーレンタール、
欧州全体で見れば地中海協定失効以降英国がトルコ保全政策を放棄したこと、
ドイツがオーストリアを無視して近東、中東政策を独自に展開したこと(ビスマルク失脚後)、
ロシアが日露戦争後再びバルカンを重要視しだしたこと・・・
どうもこの間オーストリアとしての外交が勢力均衡、近東の現状維持に傾いていたことは
二重制下における国内情勢から止むを得ないのだがそれならば近東におけるライバルである
ロシアとの協調をもう少し考えるという外交方針はできなかったのだろうか?
少なくともエーレンタール外相が拙速にボスニア併合を宣言しなければ回避できたと思うが・・・
自分の担当教官には「じゃあビスマルクならオーストリアの崩壊は防げたんですか?」と言われ
一蹴されたがこのクリミア以降、あるいはアウスグライヒ以降の外交は他に選択肢がなかったのかな?
>>152 IF話は歴史学では余り好まれないので少しだけ。
前スレにも同じ事を書いたような気がするのですが
オーストリアが崩壊の道を辿る事を運命付けられたのは
ナポレオンがヨーロッパを席巻した時かな、と私は考えています。
彼が来る前にオーストリアが英仏のように固有のアイデンティティを獲得できていたならば
帝政存続は置いておいて、あの版図の大部分は維持出来ていたのではと思います。
>彼が来る前にオーストリアが英仏のように固有のアイデンティティを獲得できていたならば
18世紀に何度かあった、ヴィッテルスバッハ家との、
バイエルン⇔オーストリア領ネーデルラント
の交換交渉をものに出来なかったのが痛かったね。
帝国内のカトリック圏をある程度まとめることが出来てたら、
19世紀のドイツ統一の行く末も、それに対するハプスブルクの関与の仕方も
だいぶ変わっていたかもしれない。
155 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 08:21:12 0
オーストリアの民族構成が問題だろ。いろんな民族の寄せ集めだからな。
ドイツ人が多数派ではないし。
>>155 “民族”主義が大々的にクローズアップされて多民族国家オーストリアという
概念が確定したのはナポレオン以降という事をトンヌラは指摘してるんだと思われ。
ドイツ人とかハンガリー人とかではなくて、オーストリア人としてのアイデンティティ
が完成するかどうか。
つまりマリアテレジアの行政改革がオーストリア・ボヘミア諸邦を合同したように
ヨーゼフ改革がハンガリーとライタ以西を「オーストリア」として合同して・・・
しかしヨーゼフ改革が伝統的保守派に「愛邦主義」をもたらした影響を考えると
ナポレオン、あるいはフランス革命なしにも民族アイデンティティはある程度
発達した可能性もあるしなあ。
まあIF論と片付ければそれでおしまいだけど「ハプスブルク帝国はなぜ崩壊したか」と
「いつの時点で崩壊は不可避となったか」は参考にする多くの帝国史研究でも
メインテーマだったりするから無意味ではないかも。
ただ多少スレ違いなのかな。ほかにオーストリア関係語るところもないが。
158 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 17:07:52 0
オーストリア人のアイデンティは、ドイツだからな。
159 :
世界@名無史さん:2006/01/28(土) 17:38:06 0
大ドイツ主義乙
160 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 08:29:54 0
よくあそこまで国がもったのが不思議
161 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 23:20:54 0
ドイツという枠組みからはずされたのが致命的でした
ハプスブルクの女傑マリア・テレジア。
フリードリヒ大王ともガチンコでやりあった鉄の女。
彼女の死後、遺品の中からこの様なメモが見付かった。
「29年6ヶ月6日。335ヶ月、1540週、
1万781時間、35万8744分」
自分に先立って死んだ旦那と過ごした時間らしい。
そこまでいくとかなり怖い。
連れ合いがつきあい始めてからの時間を分単位で言い出したらむっちゃ引くね。
まあ当時としては異常な「恋愛結婚」だから仕方ないかな。
確かに少し怖いが彼女は君主ってよりは政治家として評価したい。
君主の仕事は生殖というのはレーニンの言葉だっけか、彼女は
少なくとも格下のロートリンゲン公と結婚、さらに君主としての
子孫の量産、そして統治者としての業績・・・と考えればケチは幾らでも
つけられるが(子女の婚姻のブルボン偏重とかカトリック主義の政策とか、
他も少なくとも啓蒙専制君主ではない)それなりの評価を与えてもいいのではないか?
継承戦争を乗り切って夫を帝位に就けた政治手腕は少なくとも評価するべきだろう。
>>164 あの当時、カトリックを重視した政策取らなきゃ国が割れます。
修道院に対して介入したのだけでも大英断。
現在の視点で判断するのは止めた方が良いよ。
ブルボンへの傾倒はなぁ・・・。継承戦争で身内同然のバイエルンにも
裏切られてドイツの諸侯に対して人間不信に陥っちゃったのかもね。
旦那と暮らした時間のメモやシュレジレンへの執念といい、凝り性(というか怖い部類)だったのかも知れん。
ところでマリア・テレジアとフランツって恋愛結婚というよりは、政略結婚から発生した
おしどり夫婦だと思うんだけど。当初は兄貴が旦那候補だったわけで。
166 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 08:12:09 0
そうなんだ
あえて設問。もしもマリア・テレジアがいなかったら?
168 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 10:52:02 0
フィクションだけど昔読んだ「ハプスブルクの宝剣」は面白かった
169 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 10:58:11 0
幼いころ、美男子のフランツ・シュテファンを見て一目ぼれ。後年、政略とも合致して、
めでたく結婚。って話も聞くけど実際はどうだったんでしょうね。
これに続いてマリア・テレジアの娘たちが、自分は幸せな恋愛結婚をしたくせに娘たちを
政略結婚のコマに使ったことを恨んでいたという話も続くけど。(4女を除く)
マリア・テレジアの風紀政策が男性に甘かったのは、フランツが犯罪者にならないように
したためなんて俗説もあるし、面白い夫婦ですよね。
ついでに便乗質問。
フランツ・シュテファンがロートリンゲンを放棄させられたのはなぜでしょう?
そして、それは誰の思惑?
たまたまメディチ家が断絶してトスカーナ大公位が空位だったからそこに納まったけど、
もし空きがなかったらどうなっていたのでしょう?
>>167 まずオーストリア大公家が断絶しますよね。
うーん…そのあとは想像もつかないなあ。
>>169 当時のオーストリアの暦は現在の日本と違うんでしたっけ?
カトリック圏では16世紀末までにはグレゴリオ暦が採用されていたと思いますけれど。
というか、どういう換算をしたのかまったく謎です。
29年6ヶ月6日(354ヶ月)と335ヶ月(27年11ヶ月)で食い違うし(1540週はほぼ29年6ヶ月)
1万781時間はたったの449日だし、35万8744分なんか1年にも満たない249日ですぜ。
173 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 13:13:47 0
>>170 フランスがロートリンゲンがハプスブルク家の領土になるのを嫌がったから。
ロートリンゲンはその後ルイ15世の王妃の父が新しい領主になった。
フランスの隣ですから>ロートリンゲン
>>170 マリア・テレジアがフランツにぞっこんだったのは本当らしいけど
国家の決めた相手がたまたまそうだっただけ。
そういう例なら他にも色々あったりする。
>>173 ハプスブルクの宝剣が出典ですか?
フランツがロートリンゲンを失ったのは、ポーランド継承戦争の
戦後処理を受けてのものだったので、直接は関係していない。
勿論、関連が無かったとは言えないけれど。
>>171 傍系の大公は当時でもいたから断絶はしないんだけど。
>>176 そうなんだ。
じゃあカール6世無理に実子に継がせようとしなければ、オーストリア継承戦争や
それに続く七年戦争は起こらなかったのかな?
178 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 15:19:56 0
ハプスブルク家の最後の人って誰なんですか?
>>176 傍系に大公いたっけ?
スペイン家は断絶しているし早死した子女を除けば
当時のオーストリア家はヨーゼフ1世とカール6世は女子のみ、
その父レオポルド1世は男子はこの2人だけ、レオポルド1世の二人の
兄弟は未婚・・・・で遡っていけば男系で誰かいるのかな?
ヨーロッパで遡った男系が跡を継ぐって慣習あるの?
フランスの王朝交代は王女と結婚しているから、単純にサリカ法に原因を帰し得ない。
日本だと武烈→継体みたいな大ジャンプ(10代前の五世孫)があるけど、
ヨーロッパだとどうなんでしょうね。
つか、過去ログ嫁と。
>>180 国によって違う。女系相続認めてる所も多い。
サリカ法は女系相続を否定したかった当時のフランスがでっち上げてきただけ。
>>181 オットーさんは息子に跡を譲ったので、帝位継承権も放棄した。
もちろんご存命だけど。
>>182 ステュアート朝→ハノーヴァー朝は結構大ジャンプだったような。
フランスで「サリカ法が王位継承の根本法だ!」みたいな扱いになったのは半ば偶然の結果でしょ。
つまりシャルル5世の頃に、百年戦争のプロパガンダの都合としてことさらそういう扱いになったというか。
(それ以前のカペー朝末期諸王の、甥→叔父相続・兄弟相続及びカペー朝→ヴァロワ朝の王位継承においては、
サリカ法に言及することなく、自然に女系が外され、アドホックな考慮の結果、直近の成人男子王族の有力者が選出されている。)
ただいったんそういうことになると、後の世代には綿々と金科玉条視されるわけで。
だから、
>>180の言いたいこともわかるけど、
アンリ4世なんかはやっぱサリカ法適用の極限例じゃないかな?
あんだけ色々問題のある人物に、カトリックを含めた相当多数の臣民が正統性を認めたってことは。
185 :
184:2006/01/31(火) 18:40:31 0
>>183 あれ、すまんちょっとかぶった。
だらだら書いてたらリロードするの忘れた。
>>183 ランカスター朝(ヘンリー6世)→ヨーク朝(エドワード4世)とか
ヨーク朝(リチャード3世)→スチュアート朝(ヘンリー7世)もかなりインチキくさいですね。
(本朝は王朝交代はないことになってるから、比べちゃいかんという気もしますが)
それはさておき、ジェーン・グレイが母方の曽祖父を王位継承権の根拠にした例もあるし、
イギリスは大陸とは違うんじゃないでしょかね。
187 :
世界@名無史さん:2006/02/04(土) 01:08:00 0
知れば知るほどマリア・テレジアという女性は魅力的な人だ
そうかなあ?マリアテレジアは当時としては欧州でも実力ある政治家では
あると思うけど「知れば知るほど」彼女の政策がいわゆる時代の流れで言う
「啓蒙専制君主」からはほど遠いことも分かるとは思うが。
この「啓蒙専制君主」というレッテル貼りが逆に彼女の政治家としての凄さを弱めていると思う。
もちろん彼女がいなければ19世紀に列強としてのオーストリアはないのだが
魅力的、というよりは極めて現実主義的政治家という面が強く見られるだろう。
あくまで現実と向き合った政治家であったというのはヨーゼフ2世との対比からも分かる。
彼は理想的な「啓蒙専制君主」のひとりだが結局何も残さなかった、内政も外交も。
まあ矛盾するがマリアテレジアとヨーゼフの改革がなければウィーン体制における
オーストリアの官僚制は存在しなかったのだからある意味では2人とも中興の祖。
足して二で割るような人物(レオポルド2世)が当時権力を握っていればまた違う、
現実と向き合いながらも理想を妥協の上に実現した可能性もあるが・・・IF論はやめておきます。
啓蒙専制君主は国民の利益の為に君主は全権を持つべきだという、中世以来の考え方から
発展してるものだから、むしろマリア・テレジアは典型的な啓蒙専制君主だよ。
国家財産を軍事に傾けたフリードリヒの方が胡散臭い。
190 :
世界@名無史さん:2006/02/19(日) 11:34:03 0
みんな頭いいね。
191 :
世界@名無史さん:2006/02/22(水) 19:19:57 0
マリア・テレジアがプロイセンのフリードリッヒ二世から攻撃されハンガリーに救いの手を求めた。
その時のハンガリー議会での演説がこれである。
「我々の暗い状態は、身分制議会に隠す事ができないほどのものです。肝心なのは、ハンガリー王国、
聖なる王冠、国民、その子どもたちを守ることです。とりわけ我々は、ハンガリーの唯一の古い伝来の
徳を失うことを恐れています。帝国の敵を追い出すために、剣を取れという忠告を躊躇なく実行しなければなりません。
我々は、身分制議会がその愛と忠誠に従い、助言と好意で助けてくれると確信しています」
この時マリア・テレジアは弱冠24歳。
192 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 08:16:11 0
すでに、ハンガリーの力を借りなければ満足に戦えない国家になっていた。
使えるものは片っ端から使おうということだろう。ハンガリーがいなければ
戦えないとかそんな問題ではない。
島根でウィーン展するんとね
エリザベートのあの有名な絵が広告に使われとったよ
島根?なんでそんな辺境で・・・
196 :
世界@名無史さん:2006/02/28(火) 10:20:31 0
建設公ルドルフ4世とともに文書を偽造するスレ
。 。 。 。
| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
.|: V V V .|
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ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;, \/ ノ
ルドルフ4世:ハプスブルク家当主。神聖ローマ帝国皇帝カール四世の婿。
金印勅書にて選帝侯からはずされたことに不満を持ち、公爵より上位の「大公」を名乗る。
「『大公』?そんな爵位、帝国にあったか?」とカール四世に指摘されると、
歴代皇帝が発行した(?)五通の特許状に、補足資料として二通の書簡を添えて提出した。
____
. .. .... ..:|::::::: .|:: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
フランチェスコ・ペトラルカ:人文学者。カール四世から特許状と書簡の鑑定を依頼される。
五通の特許状はよく出来たものだったが、おまけの書簡がなんと、ガイウス・ユリウス・カエサルと皇帝ネロのものだった。
もちろん当時はオーストリアの影も形もあるわけがなく、解釈に悩む。
「この御仁はとんでもないおおうつけです」→(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル(カール四世、わけも分からず震える)は当時の反応。
>192
いなければ戦えないというより、そもそもハプスブルク家に反抗的なハンガリー
貴族を手なずけたこと自体驚異的なのではないかと思います。
198 :
世界@名無史さん:2006/03/03(金) 19:24:36 0
>>191 >とりわけ我々は、ハンガリーの唯一の古い伝来の
>徳を失うことを恐れています。帝国の敵を追い出すために、
>剣を取れという忠告を躊躇なく実行しなければなりません。
かっけー
夏ごろに出た『「うたかたの恋」の真実』を図書館で借りてきた
著者は見たことない名前だったが、まぁ読んでみる
>>199 「うたかたの恋と墓泥棒」の方が
いろんな角度から検証されていて面白いよん。
201 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 00:06:29 0
>>193 オーストリアの軍事力が既に弱くなっていたから、ハンガリーの力を
借りなければプロイセンと戦えないはめになっていた。
そうでなきゃ、わざわざハンガリーにいって必死にマリアテレジアは助力
など頼まないだろう。
202 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 01:11:35 0
>>196 ルドルフ4世はチロル相続のときも文書偽造改変したよな。
>>201 どっちかっていうと、継承戦争の相手はフランスです。
国力比較でオーストリア<プロイセンが確定したのは近代以降。
もう少しお勉強しましょうね。
204 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 08:14:03 0
軍事力は継承戦争の時にはもうプロイセン>オーストリアだよ。もう少し勉強
お勉強しましょうね。だれも国力の話などしとらん。
軍事力で思い出した。
確か1739年までオーストリアはオスマン帝国と戦争していて、
兵力がハンガリー側に集まっていたから緒戦で後れを取ったという話もあるけど、
この話の信憑性はどうなんだろう。
具体的に何万がハンガリー側にあったとか、そういう話はないのかな。
個人的には、オーストリアはプロイセンとフランス-バイエルンの
二正面作戦だったから苦戦した、という面も少しはあったと思う。
マリア・テレジアがイギリスに対する不信感を高めたのも、
彼女がプロイセン側に割きたかった兵力を、イギリスが対フランス戦に
向けさせたということもあるようだしね。
>>204 残念、軍事力を単純に比較してもオーストリアをプロイセンが凌駕していたという
事実は無い。小説だとそういう書き方をされるけどね。既出だけどプロイセンは
国家予算のほとんどを軍事に使ってやっとオーストリアと戦争が出来たという状態。
207 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 17:28:26 0
オーストリアも財政難で、七年戦争の時は軍を縮小するなどやっとのことで
戦争できた状態だがな。兵力や経済力ではオーストリアの方が上なんだろうけど、
なぜかプロイセンには勝てなかったね。
そりゃ国境線がクソ広いオーストリアと兵力を集中できたプロイセンの違いだろうね。
プロイセンの兵力を分散させる案としては三枚のペチコートはやはり秀逸。
しかし>204必死だな。
ハンガリーの国会議事堂には、今でもマリア・テレジアが >191 の演説を
したときの絵が飾ってあるから、ハンガリーとしても、頼りにされたのが
嬉しいのかもね
210 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 21:35:08 0
>>207 フリードリヒの用兵の上手さじゃないの?
ただ会戦でまともにぶつかったら、
だいたいは(or肝心なとこでは)プロイセンにやられとるからね。
そういう意味では
>>204の言うことにも一理ある。
しかし国力的には、「墺>普」であって、
(つか普墺戦争までは、格でいったら普はあくまで5列強中の末席)
オーストリア継承戦争では墺の主敵は仏だ、というのは
>>203の言うとおりだわな。
第一、継承戦争(1740-48)の期間中、普は40-42、44-45年しか参戦してないじゃん。
フランスやバイエルンを盾にして美味しいとこだけつまみ食いだろ。
普にシュレジェン押さえられた分を、墺はバイエルンを占領してやりくりし、
バイエルンに脱落された分を、仏はオーストリア領ネーデルラントを占領して辻褄合わせ、
そこらへんを講和でとんとんとならした、と。
取るモノ取ってさっさと降りちゃったからプロイセンはいちばん得したわけやね。
プロイセンの兵隊が強かったと書くから語弊があるのであって
正確にはここ一番でオーストリアが負けたと言うべき。
軍事的にもどうしようもない差があったわけでもないし。
国力比から考えるとプロイセンの軍事偏重が強調されるね。
というわけで
>>204はもうちょっと本嫁と。
継承戦争では、オーストリアはよく戦ったと思うよ。そもそもあの戦争は
防衛戦争で、打倒プロイセンとかが目的じゃない。
シュレジエンは失ったけど、マリア・テレジアの(正確には夫の)即位を
内外に認めさせるということには成功しているし、列強相手に、オーストリアは
いまだ侮れない大国だと認識させることはできたと思う。
214 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 08:12:19 0
軍事偏重だったから、プロイセンはロシアやオーストリアといった大国相手に
戦えたんだろうな。オーストリア単独では、プロイセンに勝てないのは
確かだったし。
215 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 09:10:54 0
フランスが継承戦争の主敵であっても、プロイセンがオーストリアを破って
シュレジエンを奪ったことには変わらん。ハンガリーの件もね。
本読んでても筆者によって微妙に書き方分かれててよく分からんのが、
フランスを中心とする対オーストリア同盟の交渉開始と、プロイセンの
侵攻開始はどちらが先だったかということ。
オーストリアの継承権&帝位自体は、バイエルンが主張していたんだよね。
プロイセンの侵攻が上手くいったからフランスが同盟形成に動いたのか、
それとは別にバイエルン辺りと交渉していて、後からプロイセンが乗ったのか。
>>216 何らかの事前の黙契はあったかもしれんが、どっちかって言うと前者じゃないかな?
プロイセンがシュレジェン席巻(40年12月〜41年1月)
→オーストリアの弱さが露呈
→バイエルンの皇帝選挙立候補への動き
→バイエルンを支援するフランスの同盟形勢の努力
→フランス=プロイセン同盟(ブレスラウ条約、41年6月)
という流れだと思う。
いたるところに十分に火種はあったのだが、点火したのはフリードリヒだったと。
ただ面白いことに、この半年間にフリードリヒはオーストリアとの同盟構築も模索している。
シュレジェンくれたら他のハゲタカから守ってやるよ、と。
それが最もオーストリアの国益にかなって合理的な政策なんだよ、と。
こんな理屈で本気にマリア・テレジアを納得させられると信じてたのか、正気の沙汰とも思えないのだが、
英露を通じて圧力かけたりとか、かなり本気で交渉していた節がある。
人間性に対する洞察不足というか、何かいかにもIQは高いがEQは低いやつって感じ。
> シュレジェンくれたら他のハゲタカから守ってやるよ、と。
> それが最もオーストリアの国益にかなって合理的な政策なんだよ、と。
そんなこと言ってたのかフリードリヒ…
ハプスブルクは合理性よりプライド重視だから、片腹痛いって感じだったろうなあ。
スレ違いだが、ヒトラーが 「ドイツがイギリスを防衛してやるから」 って独英同盟を
提案してたのと通じるところがあるかも
219 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 17:41:12 0
>>217 フリードリヒとしたら、占領したとはいえシュレジェン領有を
オーストリアに認めさせて、完全に自分の領土にしたかったの
だろうな。
>>216 それも分からないとなるとどうしようもないので、きちんとした本を読んで
きちんと勉強してから書く事をオススメする。
カール6世の頃から既に色んな動きがあった。
>>217 非常に理性的な判断だと思うよ。それを毅然とした態度で断ったマリア・テレジアも
高度な政治的判断をしてる。プライドっていうか、条件交渉になると全部持ってかれる可能性があるから。
どちらかというと、この交渉のお陰でフランスに不信感を持たれてしまったのが最大の失策。
>>215 シュレジレンは正に火事場泥棒という感じで奪取されました。
ここが主戦場になるのは七年戦争時の話で、継承戦争はベーメンやバイエルンで
色々やってたんだけど。
というか君が何を言いたいのかが良く分からない。
勝ったからプロイセン>オーストリアとでも言いたいのだろうか?
> シュレジェンくれたら他のハゲタカから守ってやるよ、と。
> それが最もオーストリアの国益にかなって合理的な政策なんだよ、と。
マキャベリ的というか、現代だったら中国あたりがこういう外交を
やりそうだな。
223 :
世界@名無史さん:2006/03/06(月) 09:02:28 0
軍隊の強さでいえばプロイセン>オーストリア、国力でいえばオーストリア>
プロイセンでいいんじゃないの。国力でオーストリアが上でも、どっちの軍隊が
戦ったら勝つかというならプロイセンという感じで。
224 :
世界@名無史さん:2006/03/06(月) 15:19:11 0
継承戦争ではプロイセンの前に、バイエルンが先にオーストリアに
進行していなかった!
225 :
世界@名無史さん:2006/03/06(月) 16:17:27 0
>>223 兵力はオーストリアの方が多いが、人口比でいえばプロイセンは世界一
だ。
>>223-225 何このクソな展開。
兵隊の人口に占める割合が高いというのは全然褒めるべき点では無いんだが。
>>226 お前のその態度も全然褒めるべき点では無いんだが。
>>223 継承戦争にしても、七年戦争にしてもプロイセンが有利な状況で戦争を
終わらせられた決定的要因は政治的な環境によるものだよ。
勿論、プロイセンがオーストリアに対抗し得る軍事力を短期間の内に持ったというのは
驚愕すべき事だけど、まだまだプロイセン単独ではオーストリアと戦争を出来る状態ではなかったという事を認識汁。
その後のバイエルン継承戦争でもプロイセンはまず帝国内での支持を集めて侵攻している。
>>224 何が言いたいのかが良く分からない。
>>226 スルーもできない春厨は(・∀・)カエレ!!
229 :
世界@名無史さん:2006/03/07(火) 00:08:13 0
>>226 それだけ軍事に力をいれた国ということなんだろう。例えていうならスパルタだな。
>>228 その政治的な状況とはなに? プロイセン単独ではオーストリアと戦争を出来る状態ではなかったと
いうけど、それならなぜオーストリアはフランス、ロシアと同盟を結んだんだ?
230 :
獄門島:2006/03/07(火) 00:13:14 0
浅野ゆう子をハプスブルクの一員に・・・・・・
>>229 あの・・・スパルタは別に兵員比率高くないんですけど。世界史習いました?
例えばスパルタの経済状況とか、人口における軍隊の比率とかそういう辺りはご存知でしょうか?
例えるのは良いんだけど、取り合えずどちらかの歴史をきちんと学んだ方が良いよ。
232 :
世界@名無史さん:2006/03/07(火) 00:37:47 0
>>229 政治的な状況っていうのは、継承戦争のときはほかの国とまだ戦闘中で、
七年戦争ではロシアが裏切ったことをいってるんじゃないのか。
とはいえ私はむしろオーストリア単独でプロイセンを破る力はなかったと
いいたいね。会戦ではほとんどオーストリアが敗れていたしな。
>>229 この話題は何度か出ていますので、過去ログの参照も併せてオススメします。
まずオーストリアが仏・露と結んだ同盟はプロイセンに有力な陸上での同盟国を持たせないようにする為と
理解しておけば良いと思います。少し大雑把かも知れませんが。
どうも軍事力(そもそもこの定義がはっきりしてないように思いますが)に拘っている方がいらっしゃる様なので
オーストリアとプロイセンを比較する舞台としてヨーゼフ2世時のバイエルン継承戦争を考えてみると
この時のプロイセンはシュレジレンを獲得して、国力を増しているにも関わらず
戦線は膠着をしています。
シュレジレンを掌握していない段階で両者を比較すれば・・・という所でしょうか?
もちろんオーストリア継承戦争〜七年戦争会戦ごとのプロイセン軍の勝利の多さは事実です。
またオーストリアが自国の軍隊を全てプロイセンの戦線に投入する事など不可能だったわけで
やはり軍事的な比較は無意味と私は思いますが。
軍事的な比較というのは、どっちが強い?とかそういった類の物と考えて下さい。
235 :
世界@名無史さん:2006/03/07(火) 08:12:02 0
236 :
世界@名無史さん:2006/03/07(火) 08:59:41 0
バイエルン継承戦争では、お互いにらみあってるだけだったから、比較するのに
難しいと思われますが。
>>235 スパルタは別に軍事最優先では無いぞ。国家体制が特異だっただけで。
もうちょっと勉強してから来ようぜ、せっかくの春休みなんだろ?
>>236 詰まる所、二国間の衝突だとそんな所。それすらプロイセンは議会でオーストリア非難を行った上でやってる。
七年戦争にしてもロシアの動向から妥協したわけで。
しかし休み時になると軍事力とか厨臭い話題が多くなるねぇ。
軍隊の強さとかってゲームじゃないんだから。
>>236 国際戦争になったオーストリア継承戦争や七年戦争はオーストリアとプロイセンの
二国間のみが争ってる時期がほとんど無いので、そもそも比較の対象外だろ。
軍隊の質とか用兵とか好きな奴が多いが、それを作り出した政治・外交的なプロセスの方が
より重要だと思うぞ。
239 :
世界@名無史さん:2006/03/07(火) 23:25:27 0
オーストリア継承戦争や七年戦争って、イギリスとフランスの方がはでにやり
あっていたな。
240 :
天璋院篤子:2006/03/07(火) 23:37:00 0
現在のオーストリア連邦王国の国王オットー・一世は90歳
もう息子にオーストリア王位を譲ったらいいのに
>>237 >>238 本当になあ。戦争は政治の延長、とはよく言ったもので、あくまで政治が主。
会戦の勝ち負け等にばかりこだわるのはどうかと・・・
242 :
世界@名無史さん:2006/03/08(水) 00:35:58 0
軍事について語りたいんだろ。
243 :
世界@名無史さん:2006/03/08(水) 08:08:21 0
この頃の資料をみると、オーストリアの兵力は20万、プロイセンのの兵力は15万
だから、ほぼ5分とみていいんじゃないのか。
>>243 だからさー、そんな数字の比較したって意味ないだろうと…orz
KOEIのシミュレーションじゃないんだから…
>>243 軍事関係の史料はあんまり読んだ事ないんだけど、出典は?
ついでにいうと総兵力=動員可能な兵力では無いんだけど分かってるよね?
246 :
世界@名無史さん:2006/03/08(水) 18:09:02 0
>>246 確かに。どっちが強いだの軍事だのと低レベルな厨が粘着したからね。
248 :
桂昌院光子:2006/03/08(水) 21:17:02 0
オーストリア連邦の統治は浅野温子に・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
249 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 00:23:57 0
>>243 お互いイギリスの援助がないと長期間戦えない2流国だよ。
250 :
荒らし国王:2006/03/09(木) 09:51:34 0
いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
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251 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 18:58:11 0
>>251 西欧の常識から考えたら物凄い差なんですがw。
ま、そんな比較自体無意味だけどね。
ところでどんな
>>243の資料って何なんだろうか?
253 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 23:34:39 0
>>243 1740年の時点では、オーストリアが9万でプロイセンが8万3000だったけ?
254 :
順性院お夏:2006/03/09(木) 23:47:07 0
浅野温子が9万8900で
斉藤慶子が10万1000
真野響子が15万5000
浅野ゆう子が27万6000だった。
>>253 1740年の時点では、といっても前半と後半でプロイセン軍は兵力が違う。
フリードリヒが即位した直後に、九万二千に増強されてるから。
父親の軍人王の頃には七万六千だった。
256 :
大奥御年寄・朝比奈:2006/03/10(金) 00:08:14 0
プロイセンの養女は名取裕子
257 :
世界@名無史さん:2006/03/10(金) 00:24:20 0
258 :
世界@名無史さん:2006/03/10(金) 08:19:55 0
>>251 オーストリアは図体だけがでかい国だよね。マリアテレジアも懸命に改革したけれど、
国に問題が多すぎた。
259 :
ナポリ王妃・マリア・カロリーネ:2006/03/10(金) 09:20:30 O
オーストリアにカリスマ・ワイドショー主婦の上沼恵美子を呼んだ
260 :
世界@名無史さん:2006/03/10(金) 21:11:18 0
>>243 プロイセンの兵力は増強されて20万ほどになっていましたよ。
261 :
ルーマニア王妃マリー:2006/03/10(金) 23:58:48 0
しかし上沼恵美子の厚化粧のおかげで敵が逃げた
どうも本によって書いてあることが色々違う。
まず私が
>>255で書いたのは村岡氏の新書(A)の数値。
それに対し、
>>253が書いたのはメンアットアームズ(B)の数値。
よってフリードリヒの即位当初の軍勢は、間を取って約八万で覚えておけば、
おおむねいいかと。
で、Bによると1756年のプロイセン軍の総数(騎兵含む)は141000。
>>243の数値はこれに近いね。
で、七年戦争後には20万人前後(正確な数については19〜22万人と本によって違う)
の軍隊を保持していた。
>>260 要は、単純にプロイセン軍の増員ぶりが原因かと。
>>262 もう君は帰れと。羅列厨は要らないよ。
プロイセンの軍備増強を可能にした政治体制の検証こそが史学的テーマだから。
そういう話がしたければ軍事板へどうぞ。
つか、新書やメンアットアームズをちゃんとした場で資料として引用すると笑われるので気をつけようね。
次はWikipediaから持ってくる予感w
265 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 08:17:57 0
>>262 戦力は、資料によっていろいろ違ってかかってるからね。
>>263 つか、このスレは別にプロイセンの軍備増強を可能にした政治体制の検証こそが史学的テーマでは
ないんだか。ハプスブルク家の検証がテーマですけど。
もうお前も帰れと。
>>265 そもそも>262が引用してるのは資料は言えないレベル。
なぜオーストリアには不可能で、プロイセンは可能だったのかという議論は
現在でも重要なテーマだよ。ま、この時点ではそんなに差は無かったようだが。
どうも小説や新書でかじった程度の人ほど、プロイセンを過大評価する傾向にあるんだよね。
267 :
皇太后ゾフィー:2006/03/11(土) 13:27:45 0
ドラマなら浅野ゆう子主演「親愛なる者へ」を見てた。
268 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 17:35:23 0
>>258 オーストリアは人口や領土の広さは大国だけど、ほかの面ではイギリスやフランス
に比べると格段に劣っているからね。
七年戦争の間、ポーランドは何をしていたのか気になる。
しばらく後に分割されてしまったくらいだから、介入する力もなかったのか?
270 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 21:24:05 0
>>266 オーストリアを過大評価する人も多いけどね。
271 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 22:14:42 0
スウェーデンって七年戦争の時になにをしていたんだ?
>>269 国家としての体を為してない状態。
国内の大貴族が牽制しあってて国外には興味なし。
>>269 ザクセンの同君連合だったが、中立。
>>272の言うような状態だったので、事実上はロシアの基地&進軍路化。
>>271 1757年にオーストリア側で参戦。
1720年に奪われた(←大北方戦争)西pンメルンが欲しかったらしい。
1762年、ロシアの離脱と同時にこちらも停戦。
>>270 英仏に一歩譲ってたのは紛れもない真実だけど、この時代はまだ
西洋諸国の中の最大勢力のひとつと言って良いと思うぞ。
フランツ2世の時に、最終的には近代化に挫折した事が明らかになったわけだが。
275 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 08:09:33 0
>>274 オーストリアは最大勢力にはいってないのですが。
>>275 この時点では入っている。継承戦争が国際紛争になる所からも影響力は推し量れると思うが?
もうちょっと勉強しような。
老いた大国と呼ばれるようになるのは、オーストリア帝国になってから。
マリア・テレジア〜レオポルト2世の間に近代化に完全に乗り遅れちゃったのが痛かった。
277 :
皇太后ゾフィー:2006/03/12(日) 14:31:40 0
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zxcvfghyjkm,.////gthbnmk,l.l;;:1234567
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278 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 17:30:48 0
>>274 最大の勢力というのは、イギリスでありその下にフランス、そしてロシア、オーストリア
、プロイセンと続く。ロシア、オーストリア、プロイセンなどはイギリスの資金援助が
なければまともに戦えない貧乏国ですよ。
>>278 もう少し当時の国際状況を勉強したら良いと思うよ。
教科書や小説だと適当に書いてあるので、専門の概説書を読んでみよう。
君には難しいかも知れないけれど、春休みなんだから頑張ってやってみたら?
280 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 18:45:49 0
>イギリスの資金援助が
>なければまともに戦えない
!?
つか
>>278 >>279の言ってることはそんなに違わないんじゃないの?
「最大勢力」という言葉を巡る些細な食い違いだと思うが。
>>278で述べられている序列及び資金援助の件は基本的に正しいと思うが、
それを認めた上で、墺が欧州国際システムのビッグプレーヤーであったと、
>>274のように言うことに別に矛盾はあるまい。
会話における「寛容の原理」というものは大切だと思うがな。
>>281 いや、国際情勢でロシアが台頭してくるのはもうちょっと後だから。
プロイセンが列強になるのもまだまだだよな。
七年戦争終結〜ポーランド分割以降だと思うが。
284 :
281:2006/03/12(日) 19:56:58 0
すまんね。いつの話してんのかいまいちしらんかった。
それはともかく、
ロシアの「大国化」・・・大北方戦争
プロイセンの「大国化」・・・七年戦争
オーストリアの「大国化」・・・1683-99の対トルコ戦争
というのがだいたいの目安と思っていたが違うの?
>> 276
> マリア・テレジア〜レオポルト2世の間に近代化に完全に乗り遅れちゃったのが痛かった。
その表現はどうかと。マリア・テレジアはむしろそれを防ごうとしたんだから。
それでもオーストリアの後進性を覆せなかったのは、ハプスブルク帝国の歴史の長さが
しがらみになったからだろうと思う。
286 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:16:49 0
>>279 勉強するのはあなたじゃないのか? オーストリアは大国といっても最大
勢力の1つといえるほどの勢力はこの頃すでにない。
>>286 オーストリア継承戦争勃発前にはむしろ勢力が回復してたんだけど。
カール6世の治世とかきちんと勉強してるかな?高校生の教科書には載ってないだろうけどさ。
国事勅令承認の条件として解散してしまったけれども、東インド会社も設立してたし。
はっきりいってプロイセンと比較するのは無理がある。
もちろん英仏には一歩劣っていたが、西欧世界の主要プレイヤーのひとつです。
(でもフランスは既に斜陽なんだよなぁ)
春休みなんだから、もうちょっと難しい本読んでみようぜ!!
288 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:39:06 0
>>287 はっきりいってプロイセンと比較するのは無理があるなら、オーストリアは
どうしてプロイセンに勝てなかったのでしょうか
289 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 00:10:27 0
>>278 フランスも自力で戦費調達が可能という程度だがな。
>287
ちょっとオーストリアを過大評価している気がしますね。
マリア・テレジアの元で国政改革を行ったハウクヴィッツ伯は、プロイセンに学ぶところ大と
考えていたし。
プロイセンは国の規模からすれば強力な軍隊を(ということは財力を)持ち、オーストリアは
期待されたほどのそれを発揮できなかった。
>>291 プロイセンがいち早く国政を改革したのは事実。オーストリアが出遅れたのも事実。
だけどね、国の規模自体が違ってるわけで・・・。
この時期のプロイセンは所詮は帝国内の一領邦に過ぎないと見るのが妥当。
ポーランドを分割・併合して領土が繋がってから、列強に伍す存在となっていったわけで。
指摘は正しいんだけど、もう少し客観的に比較を出来ないもんでしょうか?
軍隊云々は過去ログに散々載ってるようなので、そちらをご覧あれ。
なんちゅうか、ひいきのチームを無理矢理擁護する野球ヲタとかわらんぞ、君らは。
294 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 08:30:57 0
>>291 プロイセンは効率よく税金を集めてはいたが、それでも財源不足で貨幣改鋳や
征服地の収奪、イギリスからの資金援助でやりくりしてたから、強力な軍隊
を持てるほど財力をもっていたわけではない。それでも、オーストリアよりは
財政面ではましだったみたいだけど。
>>292 国の規模からすればプロイセンは所詮は帝国内の一領邦に過ぎないと見るのが妥当
だろうねえ。それを踏まえて上で、軍事面ではオーストリアと戦えるほどの実力が備わったという
ことなんでしょう。
295 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 08:58:07 0
>>287 オーストリア継承戦争勃発前に、オスマントルコの反撃にあって征服した領土を
オーストリアは奪われていませんでしたか?
>>294 プロイセンに限って言えば、対オーストリアの戦線はシュレジレンを巡る争いだけだからね。
いわば局地戦のようなもんなわけで、体力の限界をフリードリヒ自身も分かってたんだろうね。
>>295 オーストリアがトルコから支配権を奪った領土と見比べてみましょう。
そうすれば貴方がいかに陳腐な事を書いているかが分かる筈。
というかプロイセンを崇めたいならプロイセンのスレに移動してやれば文句出ないのでは?
297 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 19:36:58 0
>>295 トルコの反撃にあっていましたね。カール6世の時には領土は広がりましたが、
スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争、トルコとの度重なる戦争で財政は火の車
になっていた。
>>297 え〜と、ご指摘の通りなんだけど当時を見渡してみて財政状況が豊かな
大国なんてイギリス位のもんなんだけど。
財政よりも重視すべきは官僚制の整備具合。英仏に比べると、オーストリアは遅れていたと言わざるを得なかった。
旗レーエンの数は不変というのが帝国のルールだったので、統一した制度が完備できなかったのが原因だね。
でもプロイセンと比較するのはどう見ても無理な罠。
カール6世の死で列強が動いたのを利用してシュレジレンを獲得(プロイセン側から見れば回復)するのが
精一杯だったし、それ以上の目的なんて無かった。
299 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 20:15:23 0
300 :
エリザベート:2006/03/13(月) 20:19:43 O
いやぁ〜よ〜おとな〜し〜おきさ〜きなんて〜なれ〜ない〜♪
オーストリアで名将と言われたらオイゲン公くらいしか思い浮かばないな。
302 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 22:58:33 0
オーストリアの最後の名将か。
303 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 23:15:37 0
オーストリアってなんでこうひどく弱いんだろうか?
近世以降、フリードリヒにはことごとく敗れ、
ナポレオンには国土を荒らされ、ビスマルクにはめられて、
イタリアからもていよく追い出されるありさま。
WW1でもロシア軍にコテンパンにのされているし。
特にブルシーロフ攻勢では軍の主力が事実上全滅してしまった。
304 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 23:28:55 0
>近世以降、フリードリヒにはことごとく敗れ、
ことごとく敗れたわけじゃないぞ! と言ってみる。
>>301-303 厨房さんは早く寝ようね。
ちなみにオイゲン以降もオーストリアは名将を輩出し続けている。
ラデツキー行進曲の由来とか知らないか?(知らないだろうがw)
が、ある意味で名将が存在するという事は逆にシステムとしての士官学校制が
イマイチ機能しなかったことの証明でもあったりする。
306 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 23:49:00 0
>>305 まあまあ、そんなことを言ったら誰も来なくなる罠w
名将といえば、七年戦争のときのダウン元帥もそこそこ有能だったと思いましたが。
308 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 00:12:51 0
ラデツキーは90まで現役はってたんやろ。人気があるのも
わかる。
309 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 00:20:52 0
>>307 ダウン元帥は、1757年コリン、翌58年ホホキルヒと続けてフリードリヒ大王を破り、
60年にはトルガウでほぼ同戦力を持って戦い、負傷のため惜しくも撤退はしたものの、
大王に倍近い損害を与えて実質的な勝利を得たから、
フリードリヒ大王最大のライバルといってもいいくらいの名将じゃないのか?
持ち上げ過ぎかもしれんけど。
カール大公なんかもっと有名でも良いと思うんだけどなぁ。
>>303 イタリアでは常に善戦してたよ。イタリアの領土を失ったのは
戦後交渉によるものだから。WW1でも対イタリア戦線は押してた。
>>309 スレに居ついてる厨はどうしてもプロイセンが大国じゃないといけないらしいので
少しプロイセンとの比較は止めといた方が良いよ。
厨が好きになりそうな事情のある国・人物ではあるが・・・。
312 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 00:34:23 0
>>311 まあ商売なんて買い手がつかなかったら成立しないからどっちもどっちなんだけどねw
313 :
311:2006/03/14(火) 00:35:42 0
生まれて初めて誤爆した。
314 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 08:16:45 0
>>309 オーストリアは継承戦争では弱かったけど、七年戦争の時には格段に強化されて
いたんだよなあ。ダウン元帥の戦いぶりはそれを証明している
315 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 09:12:06 0
>>301 オーストリアの歴史上マトモに戦争で連勝し、領土を広げた珍しい人だったね。
オーストリアの天敵だったプロイセンのフリードリヒ2世でさえこの人物のことは
「真の皇帝」と讃えていたほど。マリアテレジアの時にもオイゲン公がいれば
と思ったりするこのごろです。
>>314 継承戦争時のオーストリアは弱かったというか、相手が多すぎた。
七年戦争時はプロイセンだけど当面の目標にすれば良かったんだから、善戦するのは当然といえば当然。
軍隊の強化が強調される事が多いけれども、実際はそんなに大差は無かったのではないかと思う。
というわけでマリア・テレジアの時にオイゲン公がいたってどうにもならんでしょう。
むしろ改革が遅れたかも知れない。問題は諸外国が一斉に介入してきたっていう状況だったわけでさ。
317 :
カール五世:2006/03/14(火) 18:38:24 0
やはり、三十年戦争においての一番の人物はヴァレンシュタイン、グスタフ・アドルフだろう。
この二人によってハプスブルク家の世界帝国の野望は打ち砕かれたと言っても過言ではない。
英雄史観に染まってるなあ
319 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 21:23:33 0
>>314 七年戦争の時の対戦相手のフリードリヒがオーストリア軍が強くなっているのに
驚いていたそうだから、強くなっていたのは間違いないよ。
>>319 その出典はどこですか、と。
そもそもオーストリア軍はトルコとの慢性的な戦いを続けていたから
弱いというのはイメージに過ぎないんじゃないの?
ここ一番で負けてただけの話であって。
継承戦争時は準備を入念にしたプロイセン軍が不意をついて襲撃したわけだから
反抗なんか出来るわけ無いし。
321 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 22:23:45 0
17、18世紀のオーストリアは領土が分散していたため(特に南ネーデルラント)
軍隊も分散せざるを得なかったのが全体的な弱さにつながったようだね
>>300 皇后の務めは自分を殺して全て王家に捧げることですよ?
323 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 19:27:21 0
>>309 勇猛なラウドンを軍政家のダウンの地位において
いれば随分違っただろうとクラウゼヴィッツには書かれたりしてるが、
ダウンも優秀ですよね。
324 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 23:39:55 0
>>317 三十年戦争の前に既に世界帝国は打ち砕かれとる
325 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 08:04:15 0
「皇后」が「王家」に全てを捧げてどうする?
>>323 七年戦争で言ったら、
カウニッツ−ラウドンが短期決戦派、
ダウンとラシが決戦回避・長期戦派だったらしいね。
まあどっちが正しいとも言い難いのやが。
328 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 22:41:11 0
>>327 どっちも悪くないけど、長期戦になって結局足並みが外れて負けたこと
を考えると、ラウドンの考えの方がよかったように思えるけど
国力で勝ってるんだから、わざわざ決戦なんかやる必要は無いでしょうに。
ぎりぎり締め上げておけば自然と勝てる訳で。
というプランでやった戦争だったんだけど、フリードリヒにはツキがあったという事で。
330 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 21:18:31 0
国力っていっても、財力、兵力じゃプロイセンと大差ないんだけどな。
人口と領土が大きいってだけで。
>>330 何を見て勘違いしたのか知りませんが、財政規模では物凄い開きがあるんですが。
過去ログを参照してみましょうね。
というか与太ならプロイセンスレでどうぞ?
332 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 21:59:06 0
つか、近代以前は国力≒人口≒経済力が成り立つわけで。
その辺りを理解できてない>330はちょっと・・・。
333 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:40:02 0
>>332 この当時イギリスよりオーストリアの方が人口が上だったけど、オーストリアの
方が経済力が上だったのでしょうか?
334 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:54:51 0
>>330 お互い長期戦を戦うには財政的に厳しかったのは確かだけど、財力って
いうとオーストリアの方が上でしょう。
>>333 イギリスは既に近代に突入しつつあった。
中世〜近世の国情は非常に調べるのが難しい。
が、後進的だったドイツでは
>>332が成り立つよ。
>>333 イギリス保有の植民地の存在&英仏海峡の存在を併せて考えれ。
西欧史ではイギリスは例外的である場合が多い。
英国にはオランダが金を貸してくれます
338 :
世界@名無史さん:2006/03/18(土) 08:35:14 0
>>328 連合軍は兵力では2倍以上あったから短期決戦でよかったんじゃないのか。
オーストリアも戦費に余裕があったわけじゃないし、長期戦に持ちこむ
メリットがオーストリアには特にない。
339 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :2006/03/18(土) 15:20:37 0
>>338 短期決戦に出た場合、
メリット:財政的負担が少なくなり、武力の開きを生かせる
デメリット:プロイセンも軍事力に余裕のある状態で戦うことになり、
しかも会戦一回あたりの比重が大きくなる。負けた場合に逆に不利になりかねない
──というところか。
要はプロイセンに対して、開戦後にどうやって優位に立つかという点での
考えが違っていたんでないかと。
開戦時には圧倒的な優位に立てたが、戦場での勝敗はやってみなければ
分からないわけで。
面白いのは、軍改革の中心だったダウンが決戦回避派で、
短期決戦ではプロイセンに勝てるかどうか分からないと思っていた節があること。
ダウンとしてはまだ改革途上という感じだったんだろうか?
340 :
世界@名無史さん:2006/03/18(土) 15:28:00 0
>>339 改革者は現状の何が悪いのかをまず調べる
改革が必要なぐらいだから、当然「悲惨な現状」が見えてくる
そうなると改革が終了するまでは、現状に悲観的で戦えない。
>>339 君はもう帰れと。
改革途上とかいうのではなくて、戦場が限定されてるのが重要なんだよ。
>>339 短期決戦なんかにメリットはない。
だってゆっくりやればやる程に差が付いて来るんだから。
誤算だったのはエリザヴェータの死で国際情勢が一変した事だけ。
もう少し小説以外も読んだ方が良いと思われ。
>>342 そもそも
>>338が「短期決戦で良かった」「長期戦に持ち込むメリットがない」
と書いたんだから、批判する相手が違うと思われ。
第一
>>327に寄れば、当時のオーストリア政府内でも意見が分かれてたのに、
「短期決戦にメリットはない」と言い切るのも一方的すぎるというか。
本当にメリットがないなら、何でカウニッツやラウドンは短期決戦派だったんだろうね?
カウニッツとかのスレコテが消えて、Ryujuみたいなのが残っちゃったか。
そもそも
>>327の信憑性はどの程度のものなのだろう?
327ですが・・・
Dennis E.Showalter,The Wars of Frederick the Great,Longman,1996
Michael Hochedlinger,Austria's Wars of Emergence 1683-1797,Longman,2003
がネタ元。
漏れの理解する限りで適当にまとめると、
武官トップのダウンと参謀長のラシら軍部主流は、決戦回避・消耗戦派。
(これは既出のレスで何人かの人が言っている現場の、合理的な判断だよね。
フリードリッヒとまともにやると、ロイテン&ロスバッハみたく
二倍程度でもパックリもってかれる可能性があるから。)
決戦重視派がラウドンとカウニッツ。
カウニッツの観点には以下の解釈が。
a)不安定な同盟・外交関係に「不測の事態」が起きる前にカタをつけたい&財政的制約でいっぱいいっぱい(Hochedlinger)
b)ロシアが大幅にgainする前に、オ−ストリア主導でカタをつけたい、という戦後のロシア牽制を見据えた構想(Showalter)
(個人的には、aはやや事後的な視点からの説明に傾いているようだし、
bには、そんな余裕があったんかいな? という気がする)
ラウドンの立場。
1.プロイセンの強さに対する軍主流との見解のズレ。→「俺なら勝てる!」
(Kunersdorfで勝っているから、かなり調子こいていたらしい。)
2.次代の軍内の実権をめぐるラシ(Lacy)との反目。
(よくある知将・実務家と猛将の対立。)
何らかの理由で、政策的に決戦回避派にあきたらないカウニッツが、
いけいけのラウドンをプッシュした、ということらしい。
347 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 08:31:16 0
>>342 長期戦になってしまって手間取っているうちに、エリザヴェータが死んだと
とらえることもできるけど。
348 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 12:38:26 0
そういえば、少数のハンガリー騎兵の集団でベルリンを襲撃して占領した剛の者が
いるそうですが、どんな人物なのですか?
>>347 勿論フリードリヒが奮戦したというのもポイントの一つだろうね。
しかし趨勢が動いたのはエリザヴェータの急死なわけで。
総合力で勝る状況を作り出したのだから、戦場で乾坤一擲の大勝負をかけるのを
愚の骨頂と判断するのは至極当然な罠。
350 :
カウニッツ:2006/03/19(日) 16:05:24 0
皆様、お久しぶりですね!
たった今、七年戦争のレス、興味深く読ませていただきました。
四月には多少書き込みさせていただきたく思ってます。
とりあえず「350GET!」
351 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 16:37:39 0
>>351 お前、口調で特定できるんだよ。
プロイセンがスパルタみたいとか軍事力では凄いとか書いてた春厨だろw。
もう良いから帰れwww。
353 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 17:20:03 0
>>349 総合力で勝ってる方が短期決戦にでるのが、なんで乾坤一擲の大勝負になるのだ?
>>353 長期戦なら国力の差が如実に出る。
短期決戦なら番狂わせも充分ある、実際にオーストリア継承戦争で
プロイセンがとった戦略はこちら。
君もよく湧いてくる厨だねぇ。
書き込む暇あるなら本でも読んで勉強すれば良いのにね。
355 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 18:23:05 0
>>353 戦力で勝ってるならね。
>>354 短期決戦でも国力の差は如実にでる。
長期戦でも充分番狂わせはある。エリザヴェータの死んだのがよい例
>>355 国力の差が表れるのは当たり前なわけで、短期戦なら劣っている方にも
可能性がよりあるかもって事。
エリザヴェータの急死は番狂わせというかアクシデントの類。
つまり短期決戦なら戦場の帰趨で勝負が決まってしまうので、プロイセンにも勝利の可能性が出て来る。
その可能性は長期戦ならより狭まってくるよね。地力の勝負になるからね。
もうちょっと勉強されてから来られた方が・・・。
一応、ROMはしております。
皆様みたいに詳しくないもんで、書き込みをすることが出来ません。
>348
ハディク・アンドラーシのことでしょう。
ハンガリー騎兵の司令官というとナーダシュディ・フェレンツ将軍も有名ですね。
358 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 23:12:17 0
>>356 馬鹿だね。長期戦になれば「不測の事態」が起こる可能性が高くなるから、
国力で劣っている方に勝機が出てくる場合もある。だから短期決戦で
相手を倒せるならそれに越したことはない。
359 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 23:26:03 0
>>358 どちらの戦法をとってもメリット・デメリットはでてくるよ。
>>358 君はもう寝なさい。一戦で全てを決する事のリスクの大きさが分からないようじゃダメだから。
問題はどちらがよりリスクを予想できて、対応できるかという事なんだな。
361 :
ゾフィー皇太后:2006/03/20(月) 00:53:37 0
大おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
浅野ゆう子
362 :
エリザベート〜愛と死の輪舞〜:2006/03/20(月) 01:07:47 0
おまえのいのちうばうかわり〜
生きたおまえに愛されたいんだ
上の方で散々言われていた「援助がないと戦えない」という財政的側面は無視?
確か一個連隊の数を減らしたという書き込みもあったと思うが。
人の生死はともかく、財政問題は(特にカウニッツは)かなり予測可能だろう。
364 :
世界@名無史さん:2006/03/20(月) 19:40:08 0
>>360 短期決戦は早期に相手を叩きつぶすことをいっているのであって、一戦で全てを決することを
意味しているわけではない。
365 :
世界@名無史さん:2006/03/20(月) 20:16:31 0
>人の生死はともかく、財政問題は(特にカウニッツは)かなり予測可能だろう。
???
当時のオーストリアは慢性的な財政赤字と史料にはあったが
367 :
世界@名無史さん:2006/03/20(月) 20:39:35 0
田中清玄は戦前は武装時代の日本共産党の書記長で、
その後に熱烈な天皇主義者に転向した。
その昭和天皇に敗戦直後に出会って退位されないよう奏上し、
天皇と親しく1時間近く話している。60年安保のときに全学連に巨額の資金を提供したらしい。
石油危機のときにはアメリカの意向にさからって中東の石油を日本に持ちこんだ。
禅僧の山本玄峰やフリードリッヒ・ハイエクや今西錦司の信任が篤かった。
とくに欧州統合の父といわれたオットー大公に信頼されていたらしい。
オットー・フォン・ハプスブルク大公やフリードリッヒ・ハイエクもその一人である。
オットー公は戦前に皇位継承権を放棄して、反ファシズムを表明し、戦後は欧州統合運動の推進役となった。
田中がオットー公と接することになったのは、クーデンホーフ・カレルギーと
鹿島守之助に、池田成彬が引き合わせたのがきっかけになったようだが、詳細はわからない。
ハイエクにはオットー公から紹介された。田中はオットー公に勧められて「モンペルラン・ソサエティ」のメンバーになっていた。
自由主義運動の思想母体のためのソサエティで、
その基本思想にハイエクの『隷属への道』などがつかわれていた。
ハイエクは社会主義とケインズ経済学の両方に呵責のない批判を加えていて、そこが田中を共感させたようである。
とくに人為的な信用によって一時的に景気を上昇させても、それによっておこる相対的な価格体系の混乱はやがて景気を反転させるという思想に共感していた。
ハイエクがノーベル賞を受賞したとき、メインテーブルに招かれたのは日本人は田中清玄だけだった。
田中は来日したハイエクを伊豆の自宅に招き、奈良に付き添って刀工の月山貞一のところを訪れている。
368 :
世界@名無史さん:2006/03/20(月) 23:08:09 0
クラウゼヴィッツなど名だたる戦略家が口を揃えて言うように、
戦場では何が起こるかわからない
3倍の兵力でも負けるかもしれない。
ゆえに大規模兵力をぶつけ合うことはせず、小競り合いに終始してだらだらと戦うのが普通
370 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 08:15:44 0
>>369 戦場では何が起こるかわからない
3倍の兵力でも負けるかもしれない。
大規模兵力をぶつけ合うことを駄目とはいっていない。
>>366 多分、君が読んでるのは資料。区別はしっかりと。
財政問題についてはどこも同じ。
>>370 短期短期と騒いでる同一人物だと思うんだけど、言って見りゃギャンブルなのよ。
だから最初から差があるなら、出来るだけそれを回避していこうというのは当然。
もう良いからプロイセンスレにでも行かれた方が良いと思うよ。
>>369 何をもってそれを“普通”と言い切れるのか・・・
>>371 七年戦争で墺仏露に包囲されたフリードリヒは、そのギャンブルに賭けて
先手を打ったわけだ。プラハとコリーンで失敗に終わったが。
>>372 ギャンブルしか無かったからね。
ちなみに
>>369は全くに普通。敵国がプロイセンのように軍事的脅威を感じさせるなら尚更。
もうちょっと勉強汁。
つかもうスレ移動したら?プロイセンの話題が話したければ他ですれば良いと思うぞ?
374 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 17:54:57 0
>>371 差をつけている方が、なんで出来るだけそれを回避していく必要があると言いきれるのか・・・
>>374 計画通り行けば勝てるんだから、ギャンブルなぞする必要ないだろ。
もういい加減消えろよ。
どちらにも番狂わせはある。が相対的にみてリスクが少ないのはどちら?って視点だな。
長期戦になればプロイセンのような小国には不利。だからといって
オーストリアが計画的にそれを目指したわけじゃないだろう。
七年戦争が七年も続いたのは結果的にそうなっただけのこと。
戦いが長引くほど、有利な側にも弊害は出てくる。
わざと長引かせて敵を消耗させようなんて、現代ならともかく、
十八世紀の当時に出てくる発想じゃないと思うが。
>>345の資料嫁。
わざと長引かせるというか、自信が無くて決戦に踏み切れなかったという所だろうね。
予想外のプロイセンの善戦も見逃せないだろうし。
379 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 22:13:32 0
短期決戦=会戦と勘違いしている奴多くない?
会戦はあくまで戦い方の1つだよ。
>>379 君が勘違いしてるという事はよく分かったから春休みの宿題に戻るんだ!!
381 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 22:22:24 0
オーストリア厨対プロイセン厨の対決場はここですか…
どうせなら神聖ローマ対オスマンにしようぜw
382 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 23:16:17 0
もう厨は消えて欲しいなぁ。
>>379 短期決戦は積極的に敵主力との遭遇を目指す方針を採る事が多い。
よって会戦主義に系統しがち。
ま、長期でも短期でもどうでも良いから以下スルー汁。
>>381 神聖ローマ対オスマンという枠組がまともに実現した事がないので無理。
384 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 00:42:02 0
なら神聖ローマ対ヴェネチアでもいいぞw
>>384 神聖ローマ帝国スレは別にあるので移動汁。
では当スレはスペイン対フランスということで。
387 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 09:14:18 0
388 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 10:38:06 0
ルドルフ2世は終生、妻帯しなかった男色家として有名だが、
他にハプスブルク家でゲイの著名人には誰が居ますか?
オーストリア側はイタリア統一戦争のことを何と呼ぶのでしょう?
390 :
世界@名無史さん:2006/03/23(木) 00:10:27 0
>>388 フランツ・ヨーゼフの弟のルートヴィヒにそんな噂があったような。
>>389 イタリア統一戦争ってのは後世にいくつかの戦いを一括した政治・歴史的用語なわけで。
だからオーストリア側は政治的に名付ける意味が無いので、学問的には多分そのまま。
>>390 君はいつまでも不毛な話題を引き摺らない。クドいよ。
392 :
世界@名無史さん:2006/03/23(木) 08:03:44 0
>>391 君もいつまでも不毛な話題につっこまない。クドいよ。
393 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 16:43:55 0
ポーランド兵の募兵に最も成功したのはオーストリア
394 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 17:04:58 O
ブラジル皇帝ペドロU世妃・レオポルディナ皇后もオーストリア皇女
395 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 20:16:20 0
この帝国が続かなかったことがヨーロッパの悲劇でした
396 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 22:45:38 O
マクシミリアン大公妃カルロッテはエリザベートが嫌いだったらしく、晩年は発狂ぐるいして死んだみたいです。主治医は「プライドの高い女性の悲劇」と書いたみたいです。
397 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 08:07:05 0
↑マクシミリアンは暗殺されちゃったしね
なにこの自演と羅列の嵐は・・・。
とはいえ指摘しておくが、マクシミリアンは暗殺じゃなくて刑死だよ、
>>397さん。
399 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 17:42:05 0
400 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 15:31:55 0
フランツ・ヨーゼフの身の不幸よりはまし
401 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 21:27:09 O
ハプスブルク家のローレンツ大公はベルギー王女アスリットと1984年に結婚して現在4人の子がおります。現在も王室とのつながりが深い旧王家でした。
402 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 23:29:36 0
それがどうした?
403 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 01:53:56 0
辺見マリ
404 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 02:10:10 0
夏木マリ
405 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 08:02:33 0
マリア・テテジアが帝位についたのが23才(24だっけ?)、当時のオーストリアとそれを取り巻く状況
を考えると、女帝の身でオーストリア継承戦争→7年戦争を乗り切り、後のオーストリア帝国の発展の
石杖を築けたのは、たいしたものじゃないか?と思うのですが…。
軍事力は、ダウン、ラウドン。 外交&内政はカウニッツがいたおかげかもですが、彼らを採用し任せたのは
彼女です。
あと7年間ひつこく戦い続けたあたりは女性の嫉妬深さを垣間見せますが、この戦いで周辺諸国がテレジア帝
率いるオーストリア帝国に一目置くようになったのも確かです。
あの時代はフレディの印象が強すぎるのですが、彼女はフレディ以上に評価されても良いんじゃないか?
と思うわけです。
彼女の存在がなかったら、大ドイツ統一もありえたのだろうな。
407 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 14:52:48 O
じゃあ、小川知子の功績も認めないとね。
408 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 08:00:19 0
>405
昔読んだ中公文庫の「世界の歴史」には、
七年戦争の期間中、ほぼ毎年妊娠・出産していたのも
戦争指揮の面では問題だったかもしれない、
みたいなことが書いてありましたね。
409 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 10:25:21 O
戦争指揮をした浅野ゆう子に功績をあたえねばいけないなぁ〜
>>408 それを言うならオーストリア継承戦争では?
確か七年戦争の頃には、マリア・テレジアはほぼ四十代だったはず。
戦争始めた56年で39歳。マリー・アントワネットを生んだ直後だったように思う。
411 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 12:20:34 O
浅野ゆう子はどうするの!
412 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 19:05:17 0
>>405 ただ、三つの大国が三方から攻め寄せて
どうして戦争目的を達成することが出来なかったか、
という問題もあるわけで。
413 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 19:06:03 0
浅野ゆう子はどうするの!
414 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 19:46:23 0
しかしその時期が来るまで、ベルリンを失陥してもなお足掻き続けたフリートリヒの
「諦めの悪さ」は評価に値する鴨。
ロシアが離反したのは幸運ではあるが、どんなに惨めな思いをしてでも足掻き
続けたことで、遂にはその幸運をアテに出来る領域にまで漕ぎ着けたのだから。
415 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 20:38:37 O
浅野ゆう子はどうなるの?
416 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 23:10:31 0
>>414 「気違いが、お盆に勝利を載せて運んできた」だったか。
帝位が転がりこむ前から、情報をプロシアに流してたらしいが、
なんでそこまで入れ込んだんだろう・・・
417 :
世界@名無史さん:2006/03/30(木) 00:07:51 0
浅野ゆう子
418 :
世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:19:00 0
浅野ゆう子はもういいよ
419 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 08:11:10 0
>>303 オーストリア継承戦争の頃からじゃないかw
それ以前は…国を挙げて戦ってくれる相手がいなかったので検証不可能だけど。
420 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 10:33:56 O
浅野ゆう子はどうなるの?
422 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 14:26:15 O
浅野ゆう子がダメなら五十嵐淳子しかない。
423 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:47:00 0
>>414 フリードリヒの意思の強さには評価に値するけど、敵失に救われた面が大きい
なあ。
フリードリヒとヒトラーの差は運の違いだけ
by アインシュタイン
3月32日?
426 :
421:2006/03/32(土) 08:07:46 0
あー…あれな、投稿してから「南東の異教徒国」を思い出して
「しもたー!」と思うたわ。かんにんしたってや。
427 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 16:42:18 0
>>405 マリアテレジアがよくやったことは確かでしょうね。
人材登用、外交政策、軍事、財政面での改革などたいしたものだった。
七年戦争はマイナスだろうけど・・・・
428 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 20:01:00 0
>>416 ピョートルのことを言っていると思うけど、フリードリヒ大王の指導力に
惚れ込んだんだろうなあ。なまじ自分に力がないから。
>>427 もうちょっと七年戦争を政治的観点から見直してみると良いよ。
カール五世の弟フェルナンドが祖父フェルナンド王の希望通り
スペイン王に即位していればスペインは神聖ローマ帝国にたかられずにすんだな
母方の祖父母の長所を足して2で割ったような性格をしていたんだってね>フェルナンド
431 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 08:04:40 0
>>427 シュレジエンを取り戻せなかったらな。兵と金を無駄に消耗させるだけの
結果になってしまった。オーストリアの威信が上がったといっても、
プロイセンの地位も向上させることになってしまったしね。
浅野ゆうこ!
また浅野ゆうこか
またプロイセン厨が湧いてるね。結論が出てる話題を延々と。
435 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 17:13:42 0
>>429 もっとはっきり書いてやれよ。
7年戦争を戦い抜いたおかげで、マリア・テレジア政権と以降のオーストリア帝国は確固たる基盤を
築けたんじゃないか!って。
あとマキャベリ嫌いのマキャベリストなフレデリックが一番この戦争を嫌っていたのです。
436 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 21:12:42 0
またオーストリア厨が湧いてるね。
437 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:05:53 0
ブランデンブルク辺境伯ごとき相手をするまでもないぞえ
>>436 湧いてるっていうか、ここはそういうスレなので。
お気に入らないようでしたら、他へ行かれてはどうですか?
439 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 23:28:44 0
440 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 01:21:34 0
たしかハプスブルク家にひどい目にあったのが
後のロスチャイルド家だよね?
プロイセンまんせ〜フリードリヒ大王まんせ〜の低レベル厨は
巣にお帰り
442 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 08:07:28 0
オーストリアまんせ〜マリアテレジアまんせ〜の低レベル厨は
巣にお帰り
443 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 08:31:03 0
>>442 ハプスブルク家のスレだから、オーストリアまんせーでもいいのでは?
別にプロイセンまんせーでもいいけどよ。
>>439 プロイセンとロシアの株も上がったから、相対的にはあまり得してないよね。
>>439 オーストリア継承戦争だけでは政治的威信の回復には不充分。
だってプロイセンに対しては一方的な譲歩しかしていないから。
もちろん七年戦争で最終的にシュレジレンを確保できなかったのは痛手だけど
それはただの帝国内でのレーエン争いだから、敗れても面子がどうこうなる事でもないんだな。
>>442みたいなのはスルーするしかないよ。粘着厨みたいだし。
445 :
両シチリア王国王妃マリア・ルイサ:2006/04/04(火) 12:43:11 O
私の姉シシィーはオーストリア帝国の皇后ですのよ。
446 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 21:17:53 0
>>444 オーストリアにしてみれば、七年戦争はシュレジレンを奪い返すのが目標。
それを奪回できなかったのだから失敗というしかないやろ。
447 :
朝香宮允子妃殿下:2006/04/04(火) 21:23:53 0
・・・・・
448 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 22:14:10 0
>>443 七年戦争はオーストリアが手強い相手であることを諸外国に知らしめたよ。
プロイセン・ロシア・オーストリアがにらみあう結果になったから、
七年戦争を戦ったことでオーストリアはとりあえず平和になったのでは?
449 :
朝香宮允子妃殿下:2006/04/04(火) 23:16:02 0
・・・・・・・・・・
>>446 君は過去ログ見直してみよう。
あと、シュレジレン問題をレオポルド1世の時代から調べなおしてみよう。
最後に神聖ローマ帝国における旗レーエンについて勉強してみよう。
書き込むのはそれからにした方が良いよ。
厨房には難しいかも知れないけど、春休みなんだから頑張ってやってみようね!!
話の流れを変えますが。ハプスブルク家史上のおしどり夫婦というとマリア・テレジア夫妻がトップだと思うのですが。
2位以下は、誰になるのでしょうか。私としては、マクシミリアン1世とマリアを推したいのですが。
453 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 08:16:12 0
454 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 10:05:20 O
今のオーストリア連邦の国王は誰だっけ?
455 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 19:10:08 0
>>444 数十万の人命の損失と国力のほとんどをつぎ込んで、得たのが名声だけじゃ
割があわないぞ。
>>455 もうちょっと勉強をしてから書き込み汁。
とりあえず>444の内容を理解できる位に。
つかageて継承〜七年戦争のネタを引っ張ってる奴って、同一人物だろ?
しつこい割に進歩が無いな。
458 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 20:39:47 0
あの戦争フリードリヒが何度も救われるのが非常に作為的なんだけど。
当時のメディアもなぜかフリードリヒを全面的に応援してるし。
平行して啓蒙主義のピークなんだよねこの頃。
>>458 もう君はホーエンツォレルン家スレに行った方が良いよ。
シュレジエンならぬスレ自演。
461 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 23:33:57 0
>>456 そんなに文句があるなら説明してあげればいいじゃん。
462 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 23:46:27 0
オーストリア継承戦争の時のマリーは若干23才。
オーストリアはもともと他民族を多く抱え、門閥貴族と領主が跋扈する不安定な国家です。
いくら前皇帝ががんばって約束を取り付けても、周辺諸国と国内の勢力が何の実績もないお嬢ちゃん
の言いなりになどなるはずもありません。
先帝と選帝候との約束も反故にされ神聖R帝国位も奪われています。
そこに最初につけ込んだのがプロイセンのフリードリヒでした<オーストリア継承戦争
その裏事情もプリセンのみならず、既得権を主張するスイス、領土的野心を持つフランス、イタリア問題
独立を狙い対プロイセン戦争にボイコットするハンガリー、反乱の機運燻るプラハともーめちゃくちゃです。
彼女はそんなこんなな内外の諸事情を一つ一つ解決しなくちゃだったのです。
ハンガリーに協力を求め、プラハの不満分子を弾圧し、長年の敵対国フランスと同盟を結び、ロシアを巻き
込んで7年戦争に挑みます。
結果として念願のシュレジェン奪回は出来ませんでしたが、諸国にマリア・テレジアに手を出すにはそれなりの
覚悟が必要であることを知らしめると共に、オーストリアのハプスブルグをより強固な物にする事が出来たのです。
神聖ローマ帝国ではなく、オーストリア帝国のハプスブルクとしての基盤を固めたのは彼女です。
もっとも、後のオーストリア帝国が抱える問題点を多く残したのも彼女ですが、それを批判するのはまた別の話
かな?
>>461 分からないからって他人のフリ乙。
まずは過去ログから読み直せ。資料探せなくても過去ログ位読めるでしょ?
464 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 23:54:48 0
>>455 そんなに文句を付けたいなら、>444が書いてる内容を理解してからにすれば良いじゃん。
465 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 00:19:29 0
>>463 あなたもまずは過去ログから読み直せば、資料探せなくても過去ログ位読めるでしょ?
466 :
ゆきお:2006/04/07(金) 00:34:34 0
みんな過去ログを読みましょう!!!
>>463 粘着に構うなよ。スルーが基本。
しかしレーエン制は結局はハプスブルク家の首を絞めることになっちゃったね。
封建制の慣習を利用して、成り上がった家門だけに何だか皮肉。
Gott erhalte Franz den Kaiser
Unsern guten Kaiser Franz
469 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 23:13:28 0
マリーがフリードリヒと結婚してたらおもしろかったのに
470 :
世界@名無史さん:2006/04/08(土) 03:09:22 0
今ウェッジウッド女史の「ドイツ三十年戦争」読んでるんだけどぜんぜん詳しくない。
概説書ではこれが一番詳しいと聞いて読んでるんだけど社会・経済的な背景がもうひとつ。
あの当時のドイツ諸侯の経済的基盤・兵制とかわかるやつないですかね。
>>469 マリア・テレジアとフリードリヒ大王夫妻が誕生する可能性は、実際にあったらしいですが、実現していたら、すぐ仮面夫婦でしょう。
何しろ女は子どもを産む単なる道具とみなし、家庭生活など真っ平御免のフリードリヒと、マリア・テレジアがうまく行くはずがありません。
472 :
世界@名無史さん:2006/04/08(土) 21:19:16 0
473 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 04:41:43 0
てか、みなさん物知りだけどどんな本読んだりしてるの。「こんな本読んだよ」的なこと教えて
!
474 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 08:46:20 0
史実どおり第一次大戦後、
帝国がバラバラになる方が良かったのか、
テレジアのころにバラバラになる方が良かったのか、、、
>>471 >何しろ女は子どもを産む単なる道具とみなし、
その割に姉と一番仲良かったり、自分では子供作らなかったりなんだよね。
(別にまっとうな家庭生活なんてやらなくても子供は出来る)
思うに彼、根本的に自分が嫌いなんじゃないかと。
あと私生活で仮面夫婦でも、マリア・テレジアがやったような改革はしたと思う。
>>474 ベネディクト・アンダーソンのいうように、言語がナショナリズムの重要な起源
の一つであるとするならば、マリア・テレジアが小学校で母国語を習わせたのは、
「結果として」良かったのか悪かったのか。
始めた当時としては良かったろうけど、長期的に見て、ね。
>>475 新参者がハプスブルクを改革するなんてのは正に茶番劇。
マリア・テレジアはハプスブルクの嫡流だったからこそ、老臣も抑えきれたんだよとマジレス。
そもそもブランデンブルクは大諸侯として諸外国から、結婚対象として承認されてなかったわけで
可能性自体無い。
>>475 その学校には鷲の紋章付いてた事を知ってるか?
現代から見るのではなく、当時の視点で観察するという事を学ぶべき。
あの時代にフランス革命を予期なんか出来るわけ無いだろうに。長期的ってww
>>477 初期にそういう話はあったが、列強が大諸侯との婚姻は認めなかったので
フランツに落ち着いたという経緯がある。
だから>476が正しい。
春休みが終わるまではマリア・テレジア関連の話題は控えようぜ。
粘着クンが消えてくれないから。
ハプスブルク家の歴史はもっと長いのだからさ。
それとRyujuは過去ログ嫁。ナショナリズムについては既に言及がされてる。
>>452 フェルディナント1世とアンナを忘れるな。
あそこ子作りに励んでくれたお陰でハプスブルク家は男系に困らなくなったんだから。
480 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 23:30:00 0
481 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 23:38:00 0
>>474 30年戦争の後にばらばらになったほうがよかったんじゃない。
>>481 三十年戦争はドイツの領邦化を確定させたので、バラバラにはならない。
483 :
世界@名無史さん:2006/04/10(月) 07:58:23 0
>>481 そんな事になったら今頃西欧にはフランス帝国1カ国のみになってたろうな。
484 :
世界@名無史さん:2006/04/10(月) 22:05:23 0
逆に存続の可能性は無かったのかな。
幾つかの独立は避けられないにせよ、チェコとオーストリア、
スロバキアを中心にした緩やかな連邦形成ってのはできなかったんだろうか
例えば、ヴィッテルスバッハ家との間で、
南ネーデルラント⇔バイエルン交換交渉を成功させて、
「ドイツ的部分」を拡大させていれば活路はあったかもな。
そんでとっととハンガリーを切り離す。
危険な外科手術だけど。
史実上のコースではハンガリーの比重がムダにでかすぎ。
(フランス革命直前の段階で、人口比にしてハプスブルク家領総人口のおよそ4割)
はっきり言ってシャム双生児状態。
複合国家・複合君主制は初期近代の常態だけど、
例えば英国だとイングランド、スペインだとカスティーリャ、オランダだとホラント州のヘゲモニーがはっきりしていた。
486 :
世界@名無史さん:2006/04/11(火) 08:06:56 0
>>446 オーストリア帝国的に見れば失敗。
ハプスブルグ的では結果オーライ
フリードリッヒ的にはとんだとばっちり。
487 :
世界@名無史さん:2006/04/11(火) 22:46:10 0
488 :
延長:2006/04/11(火) 23:34:09 0
と、よく見たら、間違えてるのは
>>446 >>450 両方じゃないか。
ジサクジエーンか。つまらん。
489 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 01:10:39 0
エヴァンズの本で魔術の帝国以外出てないの
490 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 01:19:38 O
1918年からはオーストリアは帝政から立憲連邦制です。で、オーストリア連邦王国の今の皇帝と皇妃は誰ですか?
491 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 01:41:59 O
ヴァロワ家と結んだ条約はカトーカンブレジ和約ですよね?
492 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 08:06:57 0
対外戦争によって国内がまとまるのは良くあること。
非常なようだが、その際の人的資源は多くが兵士であるため、さほど問題ではない。
この場合、オーストリアが弱き外交を行った結果他国の介入で内乱を誘発するのが最悪のシナリオ。
現にチェコは、プロイセンに踊らされて反乱寸前だった。
テレジアはこれに先んじて、反乱分子を弾圧し、シレジア奪回を起こした。
まぁなかなか良く切り抜けたなって思う。
18世紀の頃は、兵士と言えば、外人傭兵が当たり前。戦争になっても、自国民に被害は余り出ません。
従って、戦争というのは、当時は、自国内の統制強化のために行われる側面が多々ありました。
トスカーナ大公家の末裔かな?
トランシルヴァニアがルーマニア王国に併合された後も、
ブラン城はハプスブルク家が所有していたのか?
496 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 22:41:21 0
>>493 100年サバ読んでるんじゃないか?
でもって、君主が用兵でもって戦争している間は、国内統制は出来ない。
自国領の人的資源でもって戦うからこそ、国としての団結がうまれるのです。
理想的なのはナポレオン時代の国民皆兵を敷いた軍なのですが…
>>495 当時でもすでに城はもう軍事施設としての機能は果たしていなかったから、
ルーマニア王国時代は誰の持ち物でも問題なかった。
ドミニクさんの母親がルーマニア王女だから
そのつながりで権利を相続していたのでは?
>497
二重帝国時代は地元からツイタ皇后に贈呈されたらしいですね。
ただ、使うまもなく戦争に負けてしまいましたが。
ルーマニア王国時代は国王一家の別荘みたいになってまして、
国王フェルディナント1世の妃のメアリーが大変気に入って
いたそうです。
500 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 08:07:59 0
18世紀はまだ傭兵と徴兵が混在していた時代
クラウゼヴィッツやジョミニもロシア軍に雇われてたね
ナポレオン戦争中に十数ヶ国渡りあるいた人もいたようだ
>>494 ドミニク・フォン・ハプスブルク氏 ニューヨーク在住 工業デザイナーか
元王族はアメリカにたくさん住んでそうだな
502 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 14:18:39 0
最後の皇后はツィタ・フォン・ブルボン・パルマでしたっけ?
気の強そうな顔だった記憶があるけど。
昔、世界ふしぎ発見で
女優の鰐淵晴子がハプスブルク家の血を引いているって
言ってたけど、どの系統なんですかね。
上野の東京都美術館で開催中の「プラド美術館展」には、フェリペ四世の肖像をはじめ
スペイン・ハプスブルク家ゆかりの絵が多数展示されています。
お近くの方は是非〜
506 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 08:08:49 0
>>5 だから長持ちしたんじゃないの。
あまりにも凄すぎる名君いるとその子供や孫の代になって
偉大な父や祖父に負けないような偉業を成し遂げようとして
自爆するから。
507 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 09:42:29 O
ハプスブルク家の人たちは相手もカトリックでないと結婚しないって
昔、竹村健一の番組に出ていた来日中のハプスブルク家の女性が言っていた
カトリック教会自体が、カトリック以外との結婚はおすすめしないという
方針だからね。最近はそうでもないけど。
理由は生活習慣の違い(日々の祈りとか主日のミサとか)、子供が夫婦どちらの
教派の信徒になるかとかで必ずもめるから。
509 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 13:27:58 O
エリザベス女王の旦那はギリシャ王室出身でしょ?
英国国教会と正教はOKなのに
ふと思い出したんだけど、漫画の主人公で「ハプスブルク家の末裔で
生粋の江戸っ子」というムチャクチャな設定のがあった。
漫画といってもお遊び的な劇中劇漫画だったけどw
1.英国国教会の特徴の一つに懐の広さというのがあって、「ローマ教皇を首長とは
認めないが、カトリックのやり方自体は認める」という人からカトリックを全否定
するガチガチのプロテスタントまで多種多様。
2.最近のカトリックは「他宗教/他教派との融和は神の御心に沿うこと」と教えて
いるようです。
ただし、実際問題としてトラブルになりがちだから安易に決めないようにということ。
一番問題になるのは子供がどちらの信徒になるかということ。この点、英王室の子は
ほぼ無条件で国教会の信徒になりますから問題になりません。
で、最終的には国際結婚なんかと同じで、当人とその親族次第。
ハプスブルクほどの旧家、名家ともなればその辺は厳しいのではないかと思います。
(かつては「カトリックの守護者」を自認していましたし)
512 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 19:22:12 O
ハプスブルク家の保守的なとこは19世紀でも風呂に下着を着て入らなくてはならなかったとこにもあるよね
エリザベートはそれに怒り、無視して裸で入ったそうだが
513 :
バイエルン:2006/04/26(水) 19:39:52 0
>>506 はっはっは、奇人変人ならうちの王家も負けてはいませんぞ。
>>507 今は知らんが、皇帝やってた頃は非カトリックと結婚する際は、相手が改宗してたから無問題。
|ω・)ハプスブルク家の人気に嫉妬
516 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 23:33:02 O
ハプスブルク家で驚くのは恐るべき繁殖力(失礼)
フェルディナント1世、マリア・テレジア、レオポルト1世
いずれも産まれた子が16人!
しかも1人の妻(夫)と!(妻が疲れたのかレオポルト1世は愛人と1人子供もうけているが)
>>516 今の時代だったら大家族のテレビ番組に出れるね
518 :
世界@名無史さん:2006/04/27(木) 02:11:18 O
確かに
来てみましたけどここには居ないんですかね?
テーマ的にあんまり興味ない話題なんですけど。
>>469 大王がテレジア好きだったかもというのは
当時の民衆の妄想なんだろうか?
この人の不幸な育ち方考えたら
テレジアのような人に恋されてたら
ものすごい幸せになれてたかもとも思う。
あんな育て方されたら自分嫌いどころか
世界中が嫌いになりそう。
>>475 自殺するほうがマシって言った相手と
結婚させられちゃったからじゃない?
テレジアとの話があった時には
そんな事言わなかったんだよね。
>>504 ビックリした、初耳。
デコといい鼻といい口元といい、
まさにハプスブルクっぽい。
ナポレオン展観に行かれた方居ますか?
ルイーズのでっかい肖像画がありそうなので
気になってます。
下唇ってこんなもんなの?
女優鰐淵晴子さんのお母さんは
ベルタ・フォルモストさんという方らしいです。
その方がハプスブルクと縁戚なのかな。
522 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 23:43:41 O
ロシアの援助があったとはいえ、1848〜9年の危機をよく凌いだと思う
523 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 04:50:13 0
もう10数年前になりますが、ドイツの某大学留学中に
ハプスブルグ家の出身と噂される男の子がいました。
名前にVONは付きませんが、ハプスブルグと言われると
ああ、なるほどそうかもね、という苗字でした。
学食で普通に食事したり、住んでいるアパートは大学の掲示板を通した
GW(つまりルームシェアのことです)だったりと普通の人でした。
ただ、私の知り合いがそのルームシェアメイトだったのですが
「大学とか、役所から来る郵便物にはちゃんと公爵(伯爵??ごめんなさい
適当な訳が思いつきません)という称号が付いてるんだよ」と言ってました。
でも全く普通の貧乏学生風でで私の知り合い曰く、「毎日パンとソーセージ。
たまに贅沢した、と言ってモッツアレラとトマト買ってくるくらい」だったそうです。
524 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 06:02:57 O
ドイツ語だと語尾はグでなく、クじゃなかったっけ
フォルモストさんですか。
ちょっと調べましたが出て来ません。
オーストリアの大貴族の名前でも聞いた事ないが
この人の母方が血を継ぐ貴族とかなんだろうか??
>>523 ハプスブルク家の人って苗字は
ハプスブルク-ロートリンゲンだから
縁戚の人なのかな?
貴族だったらvon付くし、ハプスブルクなら
公爵じゃなくて大公(HerzogじゃなくてErzherzog)か
大公女だよね。
大学じゃ貴族も居そうだね。
日本の大学より敷居高そうだし。
関係ないけどフランスのドビルパンも貴族なんだってね。
ドゥ・ヴィルパンてことなのかな。
フォンハプスブルク-ロートリンゲン氏とか
オブウィンザー氏なんて言わないからヘンだよね。
全然違う人に思えるんだけど。
Dominique de Villepin。
ドゥはやめろ、ドゥは。
そーいやサドやロートレックやモーパッサンは"de"をつけて呼ばないね。
少なくとも日本では。
>>525 共和制のフランスやオーストリアに貴族っているの?
「自称」や「元」ならいるかもしれんけど。
>>526 ?
ドって事?
フランス貴族のフレサンジュはドゥと言ってたよ。
ブログでヴィルパンっつってるんで、ドビルパンでない事は確か。
【’】が付いてたら【・】とか【=】
入れなくてそのままでいいと思うんだけども。
ドゴールの例を採ってるんだろうが彼はフランスでは貴族認定されてない模様。
大分スレ違い
>>527 現代日本の「〜流家元」とか「〜宗家」みたいな感じだな>名乗っている子孫
>>528 ド・ゴールは貴族の家系の生まれ。ただ「de Gaulle」を姓としてるだけ。
あとね、君、読解力が低いとか独りよがりってよく言われるでしょ。
>>530 やなやつ…
貴族の家系と貴族は違うんで。
そもそも今やフランスに貴族なんかいないだろ。
>>530はやなやつだとおもうが、おまえが独りよがりだってのは同意する。
>>532 貴族って言ってるから?
大公とか王族とか言ってるし、それを非難したって話も聞かないから
オーストリアかベルギー大使館に聞いてみたらいいと思う。
貴族制度のある国はあるからそこから見れば追放されてる王族なんでは。
モナコもそうだけど王室の公式HPで元って表現は見たことない。
あと貴族と関係ないのに自称してる人も居て、それを区別するのに
名鑑作ってるらしいから自称というのも違うと思う。
共和制でもオーストリアに入ったら王が王でなくなる訳じゃないから
オーストリアで自称しない限り法的に問題もないと思うし。
フランスについてはデンマーク王室も王配はフランスの伯爵だって言ってるし
確かオランダ王女の結婚の時もフランスのパルマ公だったし、
パリ伯を担ぎ出そうとしたのは大統領だし
居るって認識が前提だと思ってたんで。
そうじゃない人から見れば確かに独りよがりだね。
534 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 22:30:22 0
政治的特権のある貴族(Peerage)と単に称号を持っているだけの貴族(Nobility、Aristocrat)
を同列に扱うから混乱するのではないかと思いますがいかがでしょう?
おまえら、そもそもがスレ違いだろ
ここはハプスブルク家スレだ
一人でよがってちゃいけません。
相手を見つけてよがらせてください。
こんなにいるじゃん。
盛り上げていこうぜ!
deとかvonだけど、名前が単音節なら常に付け(ド・ゴールとか)、複音節なら名前を呼ぶ時だけ付ける決まり。
独と違いオーストリアでは「フォン」を名乗ることは出来なくなったけど、(今は違うかも)
上流階級には殆ど元貴族しかいないようで。
539 :
世界@名無史さん:2006/05/11(木) 11:51:04 0
>>512 先日、地元で開催された「マリア・テレジアとマリー・アントワネット展」
というのを見に行ったら、アントワネット付きのフランスの女官(侍女?)が
「アントワネット様は下着をつけたまま入浴される。素肌を見せないなんて
さすが高貴なお方だわ」と手紙に書いていたエピソードが紹介されていた。
エリザベート皇后のお風呂のエピソードを先に知っていたので、
ハプスブルクの人々ってほんとにそうなんだなあ、とえらく感心してしまったよ。
だから我々下賎の者は
銭湯でパンツを洗うの禁止なんだな
541 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵:2006/05/14(日) 22:16:33 0
皆様、お久しぶりです。
明日は時間が空いたので、やっと書き込みが出来そうで嬉しいです。
宜しくお願い致します。
大分下がっていますので、ageておきますね。
上記のマリア・テレジアとマリー・アントワネット展があった様ですので、
御二人に因んだ話でもと思っています。
ところで、ギシュクラ様や大帝陛下は、
世界史板にはいらしているのでしょうか?
またお話ししたく思っています。
マリア・テレジアとアントワネットはもう食傷気味だけどな。
543 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵:2006/05/15(月) 13:58:24 0
オーストリア=ハプスブルクの名将、プリンツ・オイゲン。
興味あるが、日本語で読める史料が見当たらない…
ハプスブルク専門家の多いこのスレの人なら教えてくれるかな?
545 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 18:40:55 0
オイゲンとかティレンヌとかスペイン継承戦争の頃の英雄って日本ではマイナーだな
オーストリア継承戦争と七年戦争はフリードリヒと戦争論(言うまでもなくクラウゼヴィッツ)
の七光りで有名だがスペイン継承戦争は戦史的にもマイナーだし
世界史の教科書でも出て来る事自体、稀だから仕方が無い。
英米だと、逆にスペイン継承戦争も割と(orの方が)知名度高いんだよな。
そんでマールバラマンセー厨が山のようにいて、
マールバラとオイゲンの炎の友情を熱く語ったりする一方で、
「確かにオイゲンは優れた将軍だが、ヴィラールとほぼ五分だったのに対し、
マールバラは何とか互角以上に後者をあしらっている。
よって、誰が最強だったかわかるよね?」
・・・みたいな、しょうもない議論をしてたりするんだけど、まあしょうがないよね。
日本の教科書だと、その頃はルイ十四世(フランス)メインの記述だしね。
しかも、スペイン継承戦争はそのフランスが衰え始める端緒
みたいな書き方をしていたりする。
正直、ホントに教科書レベルしか知らない人はオイゲン公の名前も知らない可能性が
あるよ。
>>546 最近は戦争論と言うとコヴァのあれを連想する大学生・院生が多くて困っています。
550 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 03:01:39 O
「ハプスブルク家かく戦えり」
久保田正志著 錦正社
に少しオイゲン公の戦闘が書いてあるね
通算して30ページにもみたないけど
551 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 15:09:23 0
飯塚信雄
「バロックの騎士 プリンツ・オイゲンの冒険」
平凡社 1989年刊
これなんかどう?
>>548 >スペイン継承戦争はそのフランスが衰え始める端緒
だって事実だもの。この戦争はオーストリアというより、イギリスとフランスとの戦争として捉えるべきだし。
これでオーストリア系が再びドイツ外の所領を掌握したというのは重要だけど。
教科書と庇うつもりはないが、確かにあの時期のオーストリアは脇役だよ。
ところでこのスレって史学でハプスブルク専攻してるorしてた奴はどのくらいいるんだろ。
553 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 19:50:43 0
スペイン継承戦争の前に、既にベルサイユ宮殿の建設や侵略戦争、ナントの
勅令の廃止なんかでフランスはすでに衰え始めていたんですけどね。
555 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 22:09:13 0
>>549 そんな底辺大学は日本に必要ない。廃止汁。
>>553 歴史を考える際には象徴的な事件ってのがなかなか重要。
フランスが大陸第一の強国になった事を象徴するのが1659年のピレネー条約。
同じスペインという舞台での勝利と敗北という対比に意味があるんだな。
もちろん他の視点から見ればスペイン継承戦争は自然国境説の破綻例のひとつに過ぎないけれど。
いやスペイン継承戦争は別にフランスの勝ちとも言えんけど、
はっきりした負けとも言えんでしょ。
曲がりなりにも孫を国王に送り込んでメンツは立ててるし。
パワーバランス的にもロシアは勃興したばっかだし、
プロイセンはまだその他大勢だし、
まだまだ大陸じゃ随一の強国でしょう。
英国との海外植民地争覇戦も決着付いてないし。
単にルイ14世期の異常な確変が終了したっていうことじゃないの?
(類比的に言うと、スペイン覇権期のアルマダ戦、イギリス覇権期のボーア戦争、
アメリカ覇権期のベトナム戦争に相当)
>>557 つ衰え始める端緒
大体同意だけど、ルイの確変はこの戦争でも健在だったと思うよ。
ヨーゼフが死ななきゃ、イギリスは手を引かずにフランスは追い出されてただろうから。
同感。もし、後2年の寿命がヨーゼフにあったら、世界に冠たるハプスブルクが復活していたでしょう。
そして、マリア・テレジアは神聖ローマ皇帝兼スペイン女王として、戴冠していたのではないでしょうか。
神聖ローマ皇帝は女性はなれないよ。
でもってオーストリア継承戦争の規模がまた一段と拡大すると思われ。
561 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 08:21:47 0
>>557 スペイン継承戦争は、英国の一人勝ちでしょう。
>>559 ヨーゼフが長生きしていたとしても、神聖ローマ皇帝兼スペインという
ことにはならんだろう。諸外国がみとめることができないから。
>>561 つ後二年の寿命 という事だと思われ。
どっちにしろカールはスペインかオーストリアのどちらかを放棄せよと
列強に迫られるだろうと思う。というか物理的に無理だって事は前世紀でも明らかだったし。
563 :
557:2006/05/19(金) 10:58:07 0
>>561 一人勝ちというのは言い過ぎじゃないかな?
ユトレヒト条約で仏はスペイン王位を家門に加えるという「名」を取り、
一方英国は、この戦争の裏テーマである、
スペイン植民地貿易へのアクセス権=アシエントという「実」を取った。
・・・が意外にスペイン植民地への食い込みが進まず、
18世紀いっぱい、仏=西のブルボン家門連合と角逐を続けることになる。
(ジブラルタル・ミノルカという海軍基地の獲得も後々効いてくる成果だが)
結局ユトレヒト・ラシュタット体制で何が出てきたかっていうと、
「スペイン・ハプスブルク領の分割継承」という、
戦争前にぎりぎり成立しかけた列強間合意の線でしょう。
そういう意味で、それぞれが無駄な血を流して痛い思いしながらも、
それぞれが納得するという、それなりの結果に終わった、と。
564 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 16:23:17 0
>>561 英国が一番得をしたといえばそうですね。痛みわけの側面も
強いでしょうけど。
565 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 21:54:38 O
痛み分けかなあ?
イギリスが得たものは大きい
オーストリアもスペインの継承権は失ったものの、西領ネーデルラント、ミラノ、シチリアを得た
しかしフランスはスペインとの併合は阻止され、仏領米領のニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾やスペインの領有していた欧州領土は割譲された
どうひいき目に見てもフランスの敗北に見えるのだが
566 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 22:00:50 0
イギリスやオランダも各地でフランス軍を破りながら、止めをさしきれな
かったからな。
まあ止めは刺せなかったが、止めを刺したら得られたものというのも少なかったんじゃ?
イギリスのライバルが海峡岸のフランスから、グレートゲームのロシアや、
統一ドイツに代わっていったわけだし
ところで、ブルボン家とハプスブルク家以外に
スペイン王位継承できそうな家ってなかったんでしょうか?
>>567 何世紀後の話してるんだ、君はと。
ナポレオン没落まで基本的には英仏の対立軸に他国が混ざるというのが基本図だろが。
スペイン継承戦争での勝者はイギリスだというのは確かだけど。
フランスは借金塗れのスペインのみを獲得するのが精一杯だったわけで。
おまけに合邦も禁止されちゃったし。
570 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 08:07:09 0
>>568 バイエルン公子の某とかいうのがいたみたいですね。
(後のスペイン王)フェリーペ5世や(後の皇帝)カール6世よりも血統的に有力なのが。
ただこの某はわりと早く死んじゃうので、列強間の分割交渉はいっそう混迷を深めていった、と。
572 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 22:08:28 0
そうですか
573 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 10:11:05 O
現在、シェーンブルンに住んでいる人いるらしいね
もちろん宮殿でなく使用人部屋だけど
昔、バックパッカーで行ったことあるけど、あそこなら一生住んでもいい
574 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵:2006/05/29(月) 23:54:09 0
私も住みたいですね、シェーンブルンの上層階。
「マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿」展を福岡市の博物館で見てきた。
東京でやる予定ないのがアレだが、名古屋までは行くのでヨーロッパ史好きは見る価値あり。
複製だけど(本物と同じ材料で製作に9000時間もかけた代物ではあるが)
「神聖ローマ皇帝の帝冠」が見られる機会は、日本だとそんなにないと思う。
あと十字架と聖なる槍、王笏もあったな。
もちろんメインはマリア・テレジア関係。
彼女と家族の絵と生活用品の展示が多かったな。日本から向こうに運ばれたのもあった。
会場には3歳の頃のマリア・テレジアの肖像画も展示してあって、
それ(丸々としてる)が後年の彼女を想起させる絵なのが何とも・・・
何でカール5世の話題がほとんど出ないんだ?
「私はブルゴーニュ人」と公言してたからじゃない?w
579 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:04:41 0
age
580 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:56:32 0
age
581 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:39:22 O
カール5世はブルゴーニュ人?スペイン人?
ルターの弁解してるとき、ドイツ語がわからず居眠りしたそうだが
フランドル人では?
583 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 22:33:50 O
君は偉い!
いわれてみればそうだ
というより俺がアッホ
>>581 「ドイツ語は馬の言葉」と言ってたらしいしね。
585 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 15:40:16 0
フランツ・ヨーゼフとライヒシュタット公っていとこなんですね
586 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 07:09:37 0
今日はフランツ・フェルディナント大公の命日。ご冥福をお祈りします
587 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 14:53:09 O
ドイツ語が馬の言葉?
聞いたことないなあ
兵隊に対する命令語ならフリードリヒ大王が言っていたらしいがね
588 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 23:15:02 0
589 :
588:2006/06/29(木) 07:57:41 0
590 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 10:20:03 O
またまたウィキーさんかよ
ウィキーって結局ネタ元がなんであるか明かしてないから怪しいのも多いのだが
591 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 11:15:00 O
馬の言葉じゃなくて
馬への言葉じゃないかよ
意図的?
でも
>>587の
>聞いたことないなあ
に対する応答にはなってんじゃないの?
もともと
>言ってたらしいしね
>言っていたらしいがね
レベルの話だし。
そういえば、ド・ゴールがこれに凄い皮肉を一つ付け加えていた。
「シャルル・カンは誰と英語を話すと言ったかね?」
Die im Reichsrat vertretenen Königreiche und Länder
und die Länder der heiligen ungarischen Stephanskrone
595 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 16:43:09 0
>>584 ヒヒーンといってるように聞こえるとか?
ッヒッヒッヒっつってるから。
596 :
692:2006/07/23(日) 17:12:26 0
ハプスブルグな人ってどんな人?
597 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 17:13:22 0
父親がハプスブルク家ならハプスブルクの人でしょ?
598 :
世界@名無史さん:2006/07/24(月) 08:38:23 O
母親がそこの出だったら?
599 :
世界@名無史さん:2006/07/24(月) 13:15:08 O
マリア・テレジアの子孫もハプスブルグ
600 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 01:47:12 0
600ゲット
>>599 略してハプスブルク家といわれてるけど、正確には父(フランツ・シュテファン)の
家名をくっつけて、ハプスブルク=ロートリンゲン家。
>>584 馬語か〜…ドイツ語の響き、いいと思うんだが。
603 :
世界@名無史さん:2006/08/08(火) 15:41:39 0
ドイツは騎馬軍団が強かったということでしょうか。
604 :
世界@名無史さん:2006/08/08(火) 15:46:53 0
ハプスブルク家のドイツ内のラントっていうか、ひとつの単位があったんでしょうか。
オーストリア大公とはいうけど、オーストリア大公国とはあまり言わないような気がすう。
ボヘミア王国とか、ザクセン王国、
バイエルン公国やブランデンブルク辺境伯国とはいうけれど。
あるのは、ケルンテン公国、シュタイアーマルク公国などで、それらを纏めて収める人が、
大公の肩書きを持っていた!(ハプスブルク家の人)ということでしょうか。
ちゃんとした地図見ればオーストリア大公領の記述を目にする事でしょう。
神聖ローマ皇帝がオーストリア太公とハンガリー王とボヘミア王とケルンテン公とミラノ公とブラバント公と・・・・を兼ねている。それだけ。
大分違う。
オーストリア太公とハンガリー王とボヘミア王とケルンテン公とミラノ公とブラバント公と・・・・を兼ねている諸侯がたまたま皇帝位に
選挙され続けただけ。
608 :
世界@名無史さん:2006/08/10(木) 10:06:53 O
大公の称号はハプスブルクの自称じゃなかったけ
フリードリヒ3世の時に帝国議会を通って公式な称号になった。
610 :
世界@名無史さん:2006/08/10(木) 13:30:59 O
609さんの言う通り
補足すると
もともと大公という官名は帝国に存在せず
金印勅書で選挙候から外されたハプスブルクのルドルフ4世が大特許状という偽文書を作り
それによりプファルツ大公を自称したのが発端
オーストリア大公の名を継続的に継承したのはフェルディナント1世以降
>>601 どういうわけか「ハプスブルク=ロートリンゲン家」と呼ばれることが
日本では(世界史関連の場を除いて)ほとんどないよね。
報道機関はやっぱり正確を期して呼んでほしいな。
>>611 日本人は二重姓(ダブル・バレルド・ネーム)に慣れていないせいかもしれませんね。
英国首相だったウィンストン・チャーチルのチャーチル家も、正式にはスペンサー=チャーチル家
ですからね。
あと、日本人になじみが深い二重姓と言えば、クーデンホーフ=カレルギー伯爵家が
ありますね(ミツコ・クーデンホーフ=カレルギー、青山ミツ)。
おっと、スレ違いのことを長々と失礼しました。
613 :
世界@名無史さん:2006/08/18(金) 00:49:38 0
なぜブランデンブルグやバイエルンはヴィテルスバッハやホーエンツォレルンと書かずに
ハプスブルクだけ切り離すかが謎。
614 :
世界@名無史さん:2006/08/18(金) 05:01:23 0
>>614 それだけ支配領域のタイトルが複雑だから。
オーストリア世襲領(これすらベーメンやハンガリーは含まない)なんて言い方も一般的にはしないし。
616 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 22:51:58 0
神聖ローマ帝国が曲がりなりにもあった頃、
ブランデンブルグ、バイエルンと言ったような呼び方をする時は、
ベーメンなのか? それとも オーストリアなのか?
ベーメンはチェコのプラハのあたりのことだろ。
ハプスブルク家領の通称は当時からオーストリア。
618 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 00:09:42 0
ハプスブルク家のImperial Circle内の領地はAustrian Circle内の下記の領地
Austria Archduchy
Carinthia Duchy
Carniola Duchy
Styria Duchy
Swabian Austria Landgraviate
Breisgau Landgraviate
Tyrol County
Tarasp Lordship
>>611 いや海外でもしょっちゅう省かれてるし。ロートリンゲン。
>>616 ハプスブルク家の領邦の核はオーストリア大公領と大公が持つ諸特権だから
あえて地名で神聖ローマ帝国内の勢力表示をするとするならオーストリアになると思われ。
「オーストリア女」だしな
>>584 そういえばRの発音だっけ
あれ馬にそっくりだよ
623 :
世界@名無史さん:2006/09/13(水) 03:17:42 0
624 :
世界@名無史さん:2006/09/14(木) 19:15:44 O
622=ポラ吉ハケーン
マリア・テレジアとシェーンブルン展って
東京には来ないんだっけ?
626 :
世界@名無史さん:2006/09/25(月) 23:41:23 O
ウィーン会議=五大君主国のすべてがハプスブルク家の血が入ってる(五国委員会)
現在当主…カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
結婚式は200人
しかし全員が貴族、そしてハプスブルクファミリー
直系がやってる国…リヒテンシュタイン。フランツ=ヨーゼフ2世
627 :
世界@名無史さん:2006/09/27(水) 00:51:42 0
628 :
世界@名無史さん:2006/09/28(木) 22:49:04 0
今、エリザベートの本を何冊か読んでるんだけど
この人って、性格悪いね。自分以外の人間の気持ちを
まったく考えてあげられない人。そして、自分を一番に置くためには
根拠無く周囲の人を貶める発言をする。
本当にオーストリアで今も人気あるの?そして、ヨーゼフ1世は何故
長年愛し続けられたんだろうか?一目惚れは許すよ、美人だったからね。
でも、写真見ると馬面男顔だね。
同性には受けの悪い性格だろうな
自由な生き方をする人間は人気が出るものなのだ
特に欧米では依存心の強い女性は嫌われる傾向がある
そんなエリザベートですら最後の王朝的貴族社会ウィーンの宮廷では
自由主義に過ぎたんだからなあ。フランツ・ヨーゼフとしても血統的には
オーストリア大公家を除くカトリック王室としては貴重な存在だし、まず
彼女は皇太子の母であり大ハプスブルク帝国の皇后であるわけだ。
しかも反王朝的なあのハンガリー貴族の受けも良いときた。
しかしそういう政治的打算を超えて愛情を注いでいた感があるなあ。
これは保守的で伝統的な皇帝の内面に潜む重圧と矛盾によるものかな。
まあ評判なんてのはころころ変わるものであの神の恩寵により血塗られた帝冠を
継承したフランツ・ヨーゼフでさえ晩年は老大国永続の象徴的存在だったわけだから。
631 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 20:28:23 0
おいおい
エリザベートなんて基地外量産家ヴィテルスバッハの出身だろ
632 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 20:59:40 0
オーストリアは19〜20世紀、列強だったのに海外に植民地を一つも持ってないよね。
これってなんでかね。ただ単に植民地が持てなかったのか国内の事情に追われてたのか。
ベルギーですらコンゴとか持ってたのに。
633 :
世界@名無史さん:2006/11/08(水) 13:28:15 0
二重帝国の前期の経済を「織物と小麦の結婚」というように
1850年代にチェコ・オーストリアで産業革命が起こった後も国内の市場と
バルカンの衛星国で工業製品が売れて食糧も入手できたからねえ。
まあ外港がトリエステとフィウメしかなかったことも大きいと思うけど
ロシアと同様に陸路鉄路で版図拡大できるならそれに越したことはないんじゃないか?
ボスニアなんて「植民地」って考えても問題ないだろう。
現実には南太平洋なんかで植民地経営を考えていたみたいだが採算がねえ…
租界なら天津に持ってたな
あと北清事変の結果得た北京駐兵権。
635 :
ひよこ:2006/11/14(火) 21:20:18 0
あの、質問なんですけど・・・
(いきなりすみません)
エリザーベート(フランツ・ヨーゼフ1世の妃)の子どもってルドルフ以外あまり知
られてないような気がするのですが、マリー・ヴァレリーとかギーゼラやソフィの
詳しい生き様の書かれたホームページとかって知ってますか?又は、生き様を知っ
ている方っていらっしゃいますか?
英語やドイツ語で検索すればいいんじゃね?
637 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 12:44:04 O
ボスニアは市場的価値よりセルビアのアドリア海進出を防ぐ軍事・防衛上での価値による獲得
>>637 ハプスブルク帝国におけるボスニア・ヘルツェゴヴィナの地位は微妙だな。
1908年のボスニア併合は法的正統性とセルビアの野心への警戒があっただろうが
ベルリン会議で統治権が認められたときはセルビアは事実上属国だし野心も顕在化していない。
独伊で失われた帝国の威信の回復とアドリア海の海軍配備の後背地の安全保障てのが
ベルリン会議時のハプスブルク家の外交政策じゃないかね?
1908年には市場的価値も大きいと思われるがねえ。
>>635 ゾフィは夭折。姉ギーゼラはバイエルン王子レオポルド妃で詳細は知らないが
マリー・ヴァレリーはトスカナ大公妃だが唯一エリザベートが育てた娘だけあって
多少自由主義的だったようだ。あまり政治史に絡まないから話題にはならないが
詳細は邦語・邦訳文献でもそれなりにあるっぽいから興味あるなら図書館で調べた方がいいと思う。
この一族でルドルフ大公一家が有名なのはまあ仕方ないわな。
639 :
世界@名無史さん:2006/11/26(日) 15:32:53 0
オットーさんはまだ生きてるんですか?
生きてますよ。
641 :
世界@名無史さん:2006/11/27(月) 03:34:18 0
「マリア・テレジアとシェーンブルン展」って、福岡と京都だけで終わり?
もし愛子様が成長して社会主義者と恋に落ちたら、と思うと
「赤い皇女」エリザベートは本当にすごいと思う。
643 :
世界@名無史さん:2006/12/21(木) 17:20:45 0
マリア・テレジアの娘マリア・アンナに興味があります。
英語か日本語で彼女の伝記があれば教えて下さい。
また、障害の程度、母親との仲、本国での評判、フリーメーソンとの
関係も教えて下さい。
さすがに一大公女に伝記は邦訳じゃないだろうけど
『ハプスブルクの女たち』や歴史読本か何かのハプスブルク特集に
マリアアンナについても数行述べられていたような記憶がある。
後者は中規模の図書館に行けばあるんじゃないかな。
>>643 「ハプスブルクの子供たち」という本の第二章「日陰の皇女」で
確かマリア・アンナのことを書いてる。
数年前に読んだきりで曖昧だが、それによると母親とは仲良くなかったらしいね。
むしろ父親の方が仲良かったそうで。
646 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:27:07 0
政略結婚で外国に嫁入りした娘と比べたら、アンナとエリザベータは結果的に
楽な生涯を送ったから勝ち組だと思う。
でも、後世から見たらそう言えるのであって、当時は二人とも辛かったんじゃ
ないの?
もしかしたら、フリーメーソンへの共鳴も、母親への反発かもしれない。
647 :
おそすれ:2007/01/06(土) 16:02:46 0
>>610 >>604 バイエルン公ってのは、バイエルン公領を治めるという官職、
ブランデンブルク偏狭伯というのは、ブランデンブルク辺境伯領を治める官職。
そういう意味では、オーストリア太公てのは、官職から出発したものではないと思う。
オーストリア太公が領するからオーストリア太公領と通称し、その後、本当にオーストリア太公領になったかも
しれないが。
648 :
おそすれ つけたし:2007/01/06(土) 16:06:05 0
ルドルフ四世建設も、「宮中太公」という官職を作って名乗ったようだが、
オーストリア太公領の主としての太公とは名乗っていないんでは?
オーストリアはやっぱり公領のままであれば、やっぱりそこの長も「オーストリア公」のままではないか。
649 :
世界@名無史さん:2007/01/09(火) 19:26:37 0
宮中太公は、プファルツエルツォークの置き換えか?
さてさて、プファルツってのはどう意味か知らないが。
捏造するなんて太い野郎だから太公なんだろう。
650 :
世界@名無史さん:2007/01/09(火) 19:32:53 0
大特許状は、プファルツ大公(太公)を認めた文書(偽文書)、
一応、太公の称号は、大特許状とは別で、
フリードリヒ3世の時に帝国議会を通って公式な称号になった、ということでよい?
また、プファルツという前半もついてないしね。
それで、このときの帝国議会への上程案は、また、議決案はどんな風だったんだかね。
大特許状の真偽は棚上げする文章、または、大特許状には触れないような文章だったんかね。
ドイツ史あたりだと
大公はGrossherzog
太公はErzherzog
と訳し分けるのが普通なの?
個人的には"太公"って言葉にあまりなじみがないのだが。
原語(特に大公と訳される方)はよく知らないが
Pfalzはドイツ王の居城の意だな、でドイツ王の代理人がPfalzgraf(宮中伯)。
宮中公とでも訳せばいいのかどうなのか。
大特許状で「大公」称号が認められたのはフリードリヒ三世の治世。
>>651 どちらかというと太公と大公の日本語訳は部族大公とそれ以降の大公との区別に
よるものじゃないかな。近世まで大公といえば「オーストリア大公」だし近代ドイツ諸侯の
「大公」(君主号)とは普通、独墺史やってるひとは混同せんだろう。
653 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 23:49:20 0
月例叙任に上がりました。
654 :
世界@名無史さん:2007/02/26(月) 22:57:44 0
Pfalzgrafな
宮中伯
「ドナウ王国」死ね!
656 :
世界@名無史さん:2007/02/27(火) 22:13:59 0
ハプスブルクの入浴の習慣について教えてください。
スペインハプスブルクにも入浴の習慣はあり
マリアテレジアのころも毎日入浴していた。
でもエリザベートが嫁に来たときは、なかった・・・?
(風呂に入りたいシシーが姑らの顰蹙を買ってバスタブをもってこさせた。)
それが解せません。
ヴィッテルスバッハ工作員が自分のとこを持ち上げるために
推測で歴史を改造したように思えます。
657 :
世界@名無史さん:2007/02/27(火) 23:14:30 0
ハプスブルク家って近親婚が多くて最後は精薄とかもでたんでない。
あと受け口が多かったって。
658 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 17:28:13 0
>>628 でしょwww
シシー人気が美貌だけでもってるのがうなずける
ハプスブルクの足元にも及ばないくせに実家もちあげてんじゃねーよw
>>656 ハプスブルク家の威信を回復したいと思ったゾフィー大公妃の意向で、
宮廷全体が厳格なスペイン作法を守るようになったんですよ。それで
入浴の習慣も昔々のものに。
ゾフィー大公妃の時代はマリア・テレジア時代以上に保守的なもの
だったのです。
シシィもゾフィーではなくマリア・テレジアが姑だったらもっと宮廷での
居心地が良かったのではないかと思われ……と菊地良夫氏だったかな、
書かれていました。
大学で文理で言うなら
文系>>>>>>>>>>>>理系
大学は厳しい入試と明るい大学生活が魅力なのに。理系の場合その魅力すらない
ほとんど男子校かつ就職うんこ
真っ暗な大学生活ねはじたりはじまり
661 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 22:15:24 0
あら☆あたしは薔薇色よ。喰い放題だものw
662 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 22:41:00 0
>>659 スペイン式って浴槽に入るんではないのか?
スペインハプスルクのアンヌの記録ではそうだったでしょ
それとも生粋のスペイン人式なわけ?
663 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 22:43:20 0
それとも宗教心強かったフェリペ2世かそれ以前のころの
スペイン式なのかな。
エリザベートの美貌に惹かれ、性格や適正を吟味しないまま皇太子妃に迎えたフランツ・ヨーゼフ1世は愚か。
おとなしく、親が決めた相手と結婚していればよかったのに。
いずれ消えるとはいえ、ハプスブルク家の崩壊を早めただけだと思う。
息子にも背かれ、先立たれた老帝フランツ・ヨーゼフ1世の晩年を想像すると寒々しくなる。
>>665 まあ近代ヨーロッパなわけだからフランツ・ヨーゼフの結婚問題くらいで
帝国・王朝が滅びるんなら滅びた方がいいんじゃないか?
別に皇太子ルドルフ大公が背いた(自由主義に走った)のも彼の取巻きと宮廷の保守性の問題で
彼がフランツ・ヨーゼフと同じ思想であっても皇帝は絶対に権力は手放さんよ。
まあ帝位と帝国を直系の子孫に継承させられない皇帝ってのはつらいだろうが。
彼を愚帝というならばその政策に対して言うべきじゃあないかな?
エリザベートほど好悪のはっきり分かれる歴史上の人物も珍しいね。
まぁエリザベート否定派は、たいがい彼女の美貌と奔放な生活に
無自覚に嫉妬していることが多いのだが。
ちょっと前に日本のテレビでハプスブルク家の方が出てきた時、大公という称号ではなく「さん」だった、左翼がやっぱりうるさいのかな・・・
公式には称号も地位もないからじゃない?
少なくともオーストリアでは認めてないでしょ
しおり
671 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 19:46:30 0
>>667 否定派はシシィの自分勝手で陰険な性格と
なによりハプスブルクを侮辱しているところが嫌いなの
奔放な生活に憧れを抱くのは肯定派
>>671 >シシィの自分勝手で陰険な性格と
>なによりハプスブルクを侮辱しているところが嫌いなの
そんなの余計なお世話では……。
歴史上の人物のことで何でそんなに怒れるのか理解できん。
しかしホーフブルクもシェーンブルンもシシィ関連の展示だらけで
現在のオーストラリアの観光収入には多大に貢献していると
思われるのだが如何でしょう。
>>672 ハゲ同。
そもそも、自分が生まれる前に死んだ歴史上の人物を
そこまで嫌いになれること自体が理解出来ん。
エリザベート程度の人物でいちいち好き嫌い言ってたらキリがない。
そうだよなあ。マリア・テレジアなんかと違って
国政において(ハプスブルク家の運命について)是非が下せるほどの
人物でもないし、たぶん純粋に生理的に嫌いな人がいるんだろう。
シシィ嫌いな人でも別に夫帝の帝国内政・外交への評価は多様だろうし。
政治家なら過去の人物の治績の是非も可能なんだろうけどねえ。
675 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 17:19:49 0
ハプスブルク家最後の皇女は、農民の倅で社会民主党の党員と結婚して、
「赤い皇女」と呼ばれた。
墓の下のマリア・テレジアが知ったらどう思うかな??
676 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 20:38:02 0
中丸の本は、ま、おもろい
677 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 20:39:09 0
イギリス王とハプスブルク家は関係ないのですか?
ハプスブルク家とイギリス王家との通婚ねえ?
自分の知る限りでは無いな。
679 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 20:49:41 0
じゃなんでヒトラーは「英国と独逸の言語や民族性より王族はもっと近い」などと
言ったんだろ?
>>679 現英国王室の源流はドイツのハノーバー家。
ヒトラーの指摘は多分それでしょ。
ちなみにエドワード8世はヒトラーの山荘を訪問するほどの親独派だった。
682 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:06:25 0
え?英国王室ってノルマン地方からやってきた海賊の一族が源流じゃないの?
683 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:11:17 0
なんでイギリスの王族はよそから来た奴で成り立っているのですか?イギリス土民から
王が出ないのはどういうわけですか?
土民てww
王は別に民の象徴である必要はないしw
685 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:14:58 0
土民という名称というか用語は無意味な言葉狩りから復活するべき便利で
実態をよく表している言葉だと思う。
創価学会や朝日信者にはわからないだろうけど、英語で訳せばネイションだよ、土民は。
日本だけだよ、こんな変な言葉狩りをするダメな民度の国って。
いやでもさ。
イギリス土民ってやる気ないのかな?
というか元々イギリス島って人がいたんでしたっけ?
ヨーロッパから流れ着いて、後から王になる一族も?
687 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:16:54 0
NationじゃなかったNativeね。
688 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 21:18:14 0
ケルト人は人じゃねーのかよ
689 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 23:10:34 0
>>672-673 ひとの好みに文句つけないでください。
私だって尊敬する歴史上の人物はたくさんいますが
その反対に、尊敬できない嫌いな人物がいても不自然ではありません。
>>689 人の好みに文句つけるな?
じゃあ、あんたと反対の意見にも文句つけるなよ。
691 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 02:14:07 0
>>690 好みに文句をつけたのであればおあいこですが、
672と673のレスは好みではなく
機械的にこういう功績があるから立派だとか
歴史上の人物に好き嫌いをつけるのはおかしいといった内容であり
感情はまったく入れられていません。
歴史上に嫌いな人物がいるのがおかしいといった内容です。
それに対して、反論するのは正当です。
もしも、理論的に論破しようというのではなく
ストレートに俺はシシィがすきだという内容であれば反論する理由もないでしょう。
>>667は理論ではなくストレートな内容と思うが如何?
エリザベート嫌いの女は要するに無意識に嫉妬してるんだよ。
自分で気づいていないだけ。
それが証拠に、歴史上の人物を自分の価値観で判断するという
実に無意味なことをしている。
>>672と
>>673は遠回しにそれを指摘しているんだと思うんだが
どうかね?
じゃ、ストレートに意見してみようかね。
エリザベートの行動は、彼女の身になって考えないと本当のことは
解らない。
あの性格、行動に関しては鬱や学習障害(今でいうADHD)等が
あったと思われる。
21世紀に生きていれば彼女はもっと楽に生きられただろう。
しかしその型にはまらない人格が、厳格に管理された若者
フランツ・ヨーゼフの心を捉えた。
彼女は彼の持ってないものを全て持っていた。
彼女は彼のアニマ。だからこそ彼は彼女を熱愛した。若い娘
(カタリーナ・シュラット)を寵愛するようになっても、やはり
エリザベートを必要とし、愛し続けた。
彼女はフランツ・ヨーゼフにとって必要不可欠な存在だったのだと
思うよ。
>>691 シシィの本を見たとき、
「彼女は私だ!」
と思った。あの美貌も富も美への執着もないけどね。
彼女が子供時代を過ごしたシュタルンベルク湖畔のポッセンホーフェンの館に
行ったとき、彼女がウィーン宮廷でうまくやれなかった理由がひしひしと感じられた。
自然が美しすぎる。湖面は穏やかで植物は緑豊か、風景を仰ぎ見れば遠くにアルプス。
こんな環境で育ってきた少女が堅苦しいウィーン宮廷に適応できる訳はない
と思ったよ。宮廷に閉じ込められてうつに陥ったのも解る。私も堅苦しい作法は
大嫌いだし。
彼女の血筋をヴィッテルスバッハ家の傍流に過ぎないと攻撃する弟嫁や貴族たち。
そんなの彼女のせいじゃない。
余りに潔癖すぎ、純粋すぎて宮廷人の欺瞞を我慢できない彼女。優しい心を
持ちながら、表現が不器用すぎて誰にも解って貰えない彼女。夫に熱愛されながら、
夫その人を愛することが出来なかった彼女。
旅はそんな彼女の唯一の逃避手段だった。
うつ病の薬なんて開発されていない時代、転地療法は唯一のうつ治療法だった…。
私もシシィを歴史上の人物として見ていないかな?
でも、よく言い立てられる欠点を含めてもやはり彼女がいとおしい。
>>692 歴史上の人物として評価ってどういうこと?w
スキキライだったとしてもそれもまた評価でしょう?
あなたの推測するフランツのシシィの評価が
よしんばあたっていたとしても
それも単に個人的感情に過ぎなくて公人として稚拙だし
あなたの「フランツにとってアニマだった」ってのも
もしかしたらシシィがドブスだったら
しない評価なんじゃないの?w
>>694 >スキキライだったとしてもそれもまた評価でしょう?
だから、反論されるのを覚悟の上で言え、って言ってるんだよ。
>それも単に個人的感情に過ぎなくて公人として稚拙だし
>>658>>665>>671 は個人的感情に過ぎなくて公人として稚拙な意見だと思うがね。
>もしかしたらシシィがドブスだったら
バート・イシュルでのお見合い当時は姉ヘレネの方がシシィより
ずっと美貌といわれ、「シシィの目鼻立ちには何一つ取り柄がない」
と母親ルドヴィカが嘆いていた筈だが。
>>696 もしシシィがドブスだったら「アニマ」なんていわないんじゃない?ってのは
フランツじゃなく あ な た の御話
バート・イシュルでのお見合い当時は〜の話は結局
美醜の評価なんて好みや仲のヨシアシで左右されるんだから
母親の話なんて意味がない。
男と女の物差しも違う。
男でも今の芸能人でいうとエビちゃんより優香の方が好きとか
女優顔より小動物顔が好き、なんて男ワンサカいるでしょ
手紙を通じてしきりにマリー・アントワネットに対して、「政治への参加」と「スパイ」の役割を
共用したマリア・テレジアと、ヨーゼフ2世。
革命後、廃位させられると政治的利用価値が無いとばかりにたちまち見捨てたハプスブルク家。
ツワイクの本にも「冷血な一族」だと書かれていたなあ。
699 :
698:2007/03/09(金) 20:16:57 0
共用→強要
>>697 >もしシシィがドブスだったら「アニマ」なんていわないんじゃない?ってのは
>フランツじゃなく あ な た の御話
ドブスだって男にとって宿命の女というのは存在するよ。
なんでこんなイイ男にこんなブスな嫁さんが、なんてケースは
現実生活にもいくらでもあるでしょ。
>母親の話なんて意味がない。
娘たちに幸せな結婚をさせるのが夢だった母親の眼なんだから
信用してもいいと思うが。
実際、シシィはバート・イシュルの前にザクセン王国に婿探しに
行かされるのだけど、そこでは良縁を得ずに虚しく帰っているし。
701 :
691:2007/03/09(金) 20:49:48 0
>>692 あなたは私のレスを理解してない。
>歴史上の人物を自分の価値観で判断するという
>実に無意味なことをしている。
そう。好き嫌いは感情だか、これは理論で感情ではない。
歴史において理にかなっているが、 これをあてはめると
誰も歴史上の人物を尊敬もできないし非難もできまい。
だから672と673は歴史上の人物に好きな人はいない、といっているのと同じである。
>>693 彼女の美への執念、自分に通じる。
でもその共通点で親近感をもち好きになれるか?
そんな単純なものではないだろう。
私はなにもかも自分しか見えてないうえに子供をほったらかし
娘に対しても侮辱する。
暗いのは結構。しかし思いやりがないのはまったくもって反面教師である。
702 :
691:2007/03/09(金) 21:01:42 0
だいいち、嫉妬する理由がない。
旅行三昧なところ?→シシィ自身が旅行してもしても満たされてないのに?
背が高いところ?→あそこまで身長ほしくない。
プロポーション?→ウェストの細さに執着はしない。
地位?→ほかにも皇妃はいるのになぜ彼女に嫉妬する必要がある?
男は女が価値観をもって評価してるとは思わないで
「感情で」「嫉妬で」判断してるって思うのよねww
おきかえてみればいいのにね
息子や娘婿が無能だと
いちいちイヤミの詩を残すような趣味に生きた王がいたとする。
まず評価しないだろうに
それが背が高くて顔がいい王だから嫉妬だろうと言われたら
どれだけトンチンカンかw
>>703 私は700ですが女ですよ。
性別で自分の偏見を正当化しないでほしい。
>>704 ええ?女なのに女は嫉妬だけでものをいってると思うの?
周りお馬鹿さんばかり?w
女って結構、子供や周りの人間を大事にするか否か
ちゃんと評価するものだよw
>>692 >そう。好き嫌いは感情だか、これは理論で感情ではない。
>歴史において理にかなっているが、 これをあてはめると
>誰も歴史上の人物を尊敬もできないし非難もできまい。
>だから672と673は歴史上の人物に好きな人はいない、といっているのと同じで
ある。
なんでそんなブッ飛んだ結論になる訳?
>>672と
>>673は、
>>691が歴史上の人物をあたかも自分の同時代人のように
批評しているのが滑稽だと言っているだけでしょうに。
707 :
691:2007/03/09(金) 21:41:25 0
>>706 歴史は変えられるゆえ、たしかな資料というものが存在しない。
だから、歴史を調べて知ることは出来ても
それを真に受けて好き嫌いを判断するのは出来ない。
よって歴史上に好きな人物はいない、といっておられるのである。
時代背景がちがうから・・・というのは善悪であり法的なことであり
好き嫌いとは違う。
>>701 >彼女の美への執念、自分に通じる。
>でもその共通点で親近感をもち好きになれるか?
彼女の美への執念が自分に通じると誤読しているように見えるので
この表現は改めて欲しい。
私は彼女の性格が良く理解できると言っているつもりなんだけど。
>>私はなにもかも自分しか見えてないうえに子供をほったらかし
文面から見るとあなたもそうらしいですが、私も自分のことしか見えないタイプ
なので他人のことは言えないです。
>子供をほったらかし
母親って子供を取り上げられるとその子供に対しての愛情をなくしてしまうもの。
エカテリーナ2世がそうだった。生まれたばかりの子供パーヴェルをエリザヴェー
タ女帝に取り上げられたことがきっかけで、終生親子の間はうまくいかなかった。
>>娘に対しても侮辱する。
次女ギーゼラを「醜い」と言った一件かな?
森鴎外の妻シゲが同じように自分の娘を「醜い」と言っちゃうような人でしたよ。
バカ正直すぎるんだな。私は彼女たちのそんな正直なところも好きだけどね。
>>暗いのは結構。しかし思いやりがないのはまったくもって反面教師である。
自分にできる範囲で思いやりのある人でしたよ。
709 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 22:00:08 0
??
シシーの話になると熱くなる人がいるようだ。
必ず褒め称えないとだめなようだ。
711 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 22:07:39 0
以下女同士の醜い戦い再開
712 :
691:2007/03/09(金) 22:11:59 0
>>708 私自身は命よりも外見を重んじています。それゆえの苦労は多いです。
それとも、日本語がおかしかったのでしょうか?
私は自分の人生でせいいっぱいで結婚しようとも思いませんが
周りのことには気を配るし人と話をするのも好きです。
>母親って子供を取り上げられるとその子供に対しての愛情を
なくしてしまうもの
そう?
母性愛父性愛などというものは科学的には形がなく所詮は個性による。
シシィの話題は荒れるんだよなー。
ま、トコトンまでやってください。
714 :
691:2007/03/09(金) 22:14:06 0
>>710 最初から読むことをお勧めします。
私は自分への反論に答えているのであって
ひとの好き嫌いに文句は言っていません。
>>712 >私自身は命よりも外見を重んじています。それゆえの苦労は多いです。
それ言っちゃいけないよw
結局は、あなたにないものをシシィが持っているから
シシィへ反感を感じるんだな、という結論になっちゃうじゃない?
>母性愛父性愛などというものは科学的には形がなく所詮は個性による。
なんか意味不明な文面だが、所詮は個性によるのなら、
シシィのような母親がいてもいいじゃない。
アホらしくなってきたのであなたの相手するのやめるね。
>>714 人の好き嫌いに個別に反論する行為=文句をいう
なのでは
717 :
691:2007/03/09(金) 22:20:31 0
>>715 私が目指しているのは、極端に言うと永遠の若さです。
老婆になっても小じわ一本も許しません。
シシィは死んだとき、肌の状態はどうでしたか?
おばさんだったでしょう?
イザベル・アジャーニに嫉妬してるんでしょ?というなら話もわかります。
>シシィのような母親がいてもいいじゃない。
いいですよ。ただ私の好みではないというだけです。
>>717 俺にはシシーよりアンタの方がエキセントリックに
見えるが・・・つーかまともに意見して損した
719 :
691:2007/03/09(金) 22:26:04 0
>>691 私へのレスの反論であって相手の好き嫌いについては
干渉していません。
ブリギット・ハーマンの『エリザベート』(日本語訳あり)を
読んでみれば、もう少しエリザベートの人間くささが見えると思うよ。
通読した感想としては、
エリザベートは『一人の人間に無限の暇と金を与えたらどうなるか?』という
実験のモルモットのように見える。
年を重ね、美貌も、馬術の腕も、政治への関心も、家族も、自身の健康も失うにつれて
ますます自分の『セカイ』に引き篭もり、最終的には自己の正当化を詩の世界に求める姿は
2ちゃんねるにしか自分の『セカイ』がない引き篭もりやニートと被る。
ただ彼女は年金や化粧代の多くを有価証券に投資して、
それなりに運用益を上げていたようだから現代に生まれていれば、
デイトーダーとして『カリスマネオニート』としての評価が得られたかもしれない。
>>720 その本にはエリザベートは「共和制信望者」であると書かれている。
息子ルドルフもハハから影響される事が大きかったと。
エリザベートは、宮中の旧弊なしきたりや、貴族を軽蔑していたということも書かれているよね。
知の再発見叢書の「エリザベート」も面白い。
原題が「無政府主義者の皇后」なんだよね。
723 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 02:04:57 0
そんなことよりイギリスの王家って大陸の王家と比べてやっぱり格が低いの?
724 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 03:26:16 0
そんなことよりエリザベス女王がヘンリー8世の子供じゃないことから
血筋からして由緒正しくないな。
725 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 07:57:39 0
シシィって偏食で肉食べなかった(肉汁を用いたスープは食した)ようだが、
肉嫌いだとウィーンの料理は食べるものがないような……。
その点、ブダペストなどはパプリカなど野菜を用いた料理が多く、
肉もグヤーシュなどスープになってるからまだ食べられたのかもしれない。
でも、デメルでケーキ食べたり皇帝にビールを常備するように求めたり
体型維持に執着しているとはいえ、食欲は普通にあったみたい。
当時としてはとんだ后妃様だったろうが、現代女性に通じるところはあるね。
726 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 18:12:54 0
肉食べないって牛乳飲んでたじゃないか
ベジタリアンじゃないな。
>>726 シシィはベジタリアンではないよ。
食餌療法と称して、肉汁ベースのスープの他にも
卵の白身を食べたりしてるから。
ウィーン以外では肉も食べたらしいから、
肉嫌いというよりは、単に気持ちの問題だけなのかもしれない。
ベジタリアン自体にも、色々程度や種類があるからね。
卵と乳製品は取ってても広義のベジタリアンに入るんだとか。
江戸時代までの多くの日本人のように、魚を食べるベジタリアンってのも
サブカテゴリとして存在する。
エリザベートの場合、肉汁のスープ飲んでたって時点で、それらから外れるようだけど。
729 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 21:51:04 0
>>727 だからベジタリアンじゃないっていってるじゃねーか。
魚を食べる人もベジタリアンと呼ばれるが、肉はないな。
アメリカでは鶏肉を食べる人で自称ベジタリアンがいるが、それはベジタリアンではない。
動物性食品を一切とらないのはビーガンと呼ぶ。
730 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 21:55:17 0
ビーガン=本当のベジタリアン
あとはフェイク
>>679 亀レス
・ハノーヴァー家はドイツ発祥というだけでなく、ジョージ1世からヴィクトリア女王に至るまで
例外なくドイツの(中小の)君主・貴族の家系から王妃・王配を選んできた。
・プロイセン王フリードリヒ1世、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の王妃はハノーヴァー家出身。
ドイツ皇帝フリードリヒ3世の皇后はヴィクトリア女王の長女。
余談
プロイセン王家とオラニエ=ナッサウ家(オランダ王家)も
嫁がせたり嫁いだり、と双方向で縁が深かった。
縁が深すぎて、相続争いさえ起こった。
ヨーゼフ2世乙
あの皇帝も政治家として評価の分かれる人物だなあ。
737 :
世界@名無史さん:2007/03/15(木) 00:25:20 0
739 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 20:15:33 0
上のURLって
740 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 12:50:28 0
>>731第二次大戦の好戦的な戦争屋のチャーチルも祖先はドイツ人ということ?
だとするとイギリス王家は第二次大戦でドイツと戦う際にイギリス土民から「あいつらは
ドイツ人じゃねーか。なんでイギリスで王なんてやってんだ?革命きぼんぬ!!」
という風にはならなかったんだろ?イギリス王室はイギリス人に人気なのかな?
741 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 14:25:31 0
チャーチル家の先祖ジョンはジェームズ2世に仕えていた軍人で、ジェントリの出。
名誉革命で主君を裏切って、議会派に寝返り、メアリ女王とウィリアム王夫妻に重用された。
ドイツ系のハノーヴァー家が迎えられるのは、メアリ夫妻やメアリの妹アンが死んだあと。
742 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 15:54:55 0
ということはチャーチルはドイツ人が嫌いだったとしても頷けるな。
ハプスブルク家って下あご突出が多かったって本当ですか
本当、肖像画だけでなく確か墓も暴いて確認したはず。
但しドイツ王アルブレヒト1世の子には下顎の出た者は確認できず
ハプスブルク=ロートリンゲン家以降にはなくなった。
752 :
世界@名無史さん:2007/04/12(木) 09:33:49 0
あげ
>>733-734 乙。今、ヨーゼフ2世に興味あって調べてるから面白かった。
レオポルトって個性的な顔。父親にも母親にも似てないような。
>>750 カール5世とか、フェリペ3世の絵を見ると本当じゃないの。フェリペ2世もそうだね。
サラエボ事件で死んだ皇太子フランツ&ゾフィー夫妻の子供達は、その後どうなったかご存知の方。
ぜひ教えてください。
755 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 00:26:33 0
ドイツ王アルブレヒト1世の子供ってラディスラウス・ポストゥムスのこと?
それはアルブレヒト2世の子供。
757 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 02:04:57 O
うろ覚えだけど、アルブレヒト賢公の妻ヨハンナがハプスブルク家に下顎を持ち込んだらしい。
それが事実ならルドルフ一世やアルブレヒト一世は下顎出てない。
>>757 ヨハンナが「ハプスブルクの下唇」の容疑者であるというのは
1985年の人類学者および解剖医の調査(墓暴き)で明確に否定されたらしい。
ちなみにアルブレヒト賢公の不能説も完全に排除されてしまった。
「下唇」の謎はヨハンナ犯人説を実証しようとした専門家によって皮肉にも否定されたとさ。
(菊池良生『ハプスブルクをつくった男』より)
ハプスブルク家外でその(下唇突出の)傾向が出てる人物っていないのかな?
あちこちにハプスブルク家の娘が嫁いでるわけで、少なくとも嫁ぎ先の子供や孫には
そういう傾向があってもいいと思ってるんだけども。
>759
コジモ2世が皇帝フェルディナンド2世の妹を妃にして以降の
メディチ家には下唇顔が多く見受けられる。
こっちも本家がハプスブルク=ロートリンゲン家に切り替わるのと
ほぼ同時期に断絶しちゃってるので今には伝わってないけど。
確かメディチ家の子孫を名乗る人たちがフィレンツェにいたはずだがそいつらの下唇はどうなってるんだろ
762 :
世界@名無史さん:2007/05/01(火) 13:43:52 0
754>>
シシー没後100周年の年98年関連で雑誌でゾフィーのタイトルの「なんたら侯爵家の
皆さん」として子沢山で繁栄してるところが紹介されてたよ。
ベルギー王家に一族の女性が嫁入りしてるらしい。
ほぼ10年ぐらい前の雑誌なのでうろ覚えですみません。
763 :
754:2007/05/02(水) 16:49:20 0
>>762 そうでしたか。自分は中公旧版のサラエボ事件のトコ読んで、あの子供達の行く末が
えらく気の毒になったもので・・・。貴重な情報ありがとうございます。
フランツ・フェルディナント (1863-1914)
├ゾフィー (1901-1990) ノスティッツ=リーネック伯妃
├マクシミリアン (1902-1962)
│├フランツ (1927-1977) ルクセンブルク大公女エリーザベトと結婚
││├アンネ (1958-)
││└ゾフィー (1960-)
│├ゲオルク (1929-)
││├ニコラウス (1961-)
││├マクシミリアン (1970-)
││└ヘンリエッテ (1962-)
│├アルブレヒト (1931-)
││├マルガレーテ (1963-) オーストリア大公妃
││└レオ (1964-)
│├ヨハネス (1933-2003)
││├ゾフィー (1970-)
││└シュテファン (1972-)
│├ペーター (1936-)
││├マリー=クリスティーネ (1970-)
││└マリー=テレーゼ (1972-)
│└ゲルハルト (1941-)
└エルンスト (1904-1954)
├フランツ・フェルディナント (1937-1978)
│└フランツ・フェルディナント (1969-)
└エルンスト(1944-)
└エヴァ (1974-)
ベルギー王家が見つからなかった件
ベルギーはカール1世の家系じゃなかったっけ?
皇帝カール1世―ロベルト大公―ローレンツ(1955-)で
このローレンツがベルギー王女アストリッドと結婚している。
766 :
世界@名無史さん:2007/05/07(月) 10:11:12 0
762です
またうろ覚えな情報ですが、皇太子ルドルフの娘エリザベートの伝記に、
ゾフィーの息子たちがナチス支配下の強制収容所に収容されていて、
つらい状況の下でも気高く振舞っていて周囲の尊敬を集めていたと書かれていました。
また、雑誌でゾフィーのボヘミアの居城で取材を受けていたのは女性当主っぽい人でした。
妹がベルギー王室に嫁いだみたいなことがかかれてました。イケメンの息子がいました。
どうでもいいが藤本ひとみ氏の「令嬢テレジア華麗なる愛人たち」の
単行本の表紙のテレジアことマダムタリアン、まるでエリザベート皇后そっくり。
マダムタリアンのほうがふっくらしてるけど。
大変聡明でこちらも絶世の美女。エリザベート皇后も彼女ぐらい脳天気な性格だったら
歴史は変わってたかもね。
768 :
世界@名無史さん:2007/06/03(日) 17:49:40 0
エリザベート皇后って確か、理想を高く求めすぎたもんだから
すごく恵まれた環境なのに満たされなかった不遇の女性なんだよな?
不遇かどうかは本人だけが判断できることじゃないかな。
昔はエリザベートマンセーだったけど最近年寄りになって
だいぶ見方が変わってきた。
767のマダムタリアンの単行本の表紙の女性だが
エリザにそっくりなのは当然だ。かのヴィンターハルターの作品だ。
1835年没のタリアン夫人ではない。1864年製作MadameBarbe de Rimsky-Korsakovだ。
なぜ表紙に?
14世紀後半のオーストリア・シュタイヤーマルク公レオポルト3世の嫡男ヴィル
ヘルムは有名なハンガリー・アンジュー家で後のポーランド女王ヤドヴィーカと
婚約していたが、ポーランド貴族達の強要により婚約を破棄させられ、28歳も
歳の違うリトアニアのヨガイラと婚約させられた
ヤドヴィーカは美男子で3歳しか歳の違わないヴィルヘルムとの婚姻を強く望ん
でいたが、かなわなかった
一方、ヴィルヘルムが新たに婚姻したのは淫乱で有名なナポリ女王ジョヴァンナ
2世
ヴィルヘルムはジョヴァンナに精気を吸い取られたのか36歳で早死に
ジョヴァンナはその後も次々愛人を囲い、古くなると殺したらしい
ヴィルヘルムも運のない奴だ、カワイソ
772 :
世界@名無史さん:2007/07/08(日) 20:12:34 0
どなたかハプスブルク家の芸術家擁護政策が詳しく載ってるサイトとかご存じないでしょうか?
漠然とした話しか出てこないんです><
>>772 音楽関連の話になりますが、これなどはどうでしょうか。テーマ絞ってある分詳細な記述ですよ。
「ハプスブルクの音楽家たち」
カミロ・シェーファー 著 早崎 えりな 訳 西谷 頼子 訳 音楽之友社 版
774 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 20:13:06 0
スペイン女王ファナの末娘カタリーナ、ルイ14世王妃マリア・テレサ
について詳しい本(日本語か英語)があれば教えて下さい。
マリア・テレジアの妹はフランツ1世の弟と結婚した。
子孫が続いていればハプスブルク=ロートリンゲン家の別系統に
なったところだが(「ハプスブルク」は名乗れなかっただろうけれど)
結局この夫婦は子供を残さずに終わった。
ガイシュツ?
図説で読んだんだけど皇太子ルドルフ(エリザの息子の)は本当はマリー・ヴェッツェラじゃなくて娼婦のミッツィを愛していたって書いてあったんだけど本当?
当方うたかたの恋が大好きだから本当だったらショック…
777get
>>776 残念ながら本当です。ルドルフは遺言状にもミッツィにまとまったお金を残すよう
書いています。
シュテファニー妃も、マリー・ヴェッツェラのことはとりたてて問題としておらず、
ミッツィのことを憎んでいました。
そこでさらなる疑問なんですけど、どうして小説家クロード・アネは誤解が出る(私も実際図説を読むまでルドルフとマリーは愛し合っていたと思っていました)設定にしたんでしょうか?
単にクロード・アネのリサーチが足りなかっただけでしょうか?それとも少女で死んでしまったマリーに対する配慮でしょうか?
そのほうが面白いから
>>779 そんな小説は幾らでもあるでしょうに。
小説家なんて話を面白くすることだけ考えてればいいから。
まぁ、つまり
>>780に尽きる。
782 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 22:47:28 0
>>604、そして605
>>別スレの409
Erzherzog(英語名:Archduke)は確かハプスブルク家一門の者のみに
与えられる称号だったと思います。
それで、結局は、こうではないかと。
太公のタイトルを一族として保持し、かつ、オーストリア公とハンガリー王とボヘミア王とケルンテン公とミラノ公とブラバント公と・・・・を兼ねている諸侯が
たまたま皇帝位に選挙され続けただけ。
したがって、地図での「ちゃんとした地図見ればオーストリア大公領の記述」ってのは、
大公の領地という意味であって、大公領があるわけでないと思うんだが。
783 :
782:2007/07/16(月) 22:50:17 0
付けたし:
太公は一族みんな名乗るけど(「一族として保持し」なので)、
しかし、ハンガリー王、ボヘミア王、ケルンテン公、、、、は、一族の長のみが名乗ることになる。
なお、オーストリア公も、同じく一族の長のみが名乗るのだと思うんだが。
(だれかフォローお願いします)
形としては、ハプスブル家の当主が皇帝に選ばれ続けたってことだけど
実質は世襲でおkでしょう。
>なお、オーストリア公も、同じく一族の長のみが名乗るのだと思うんだが。
マリア・テレジアがハンガリー女王、ボヘミア女王(以下略)だった時期、
ローマ王になる前のヨーゼフ2世はオーストリア大公と名乗っていたと思いますが、このへんどうなんでしょ?
785 :
世界@名無史さん:2007/07/18(水) 20:40:00 0
(
>>298 旗レーエンの数は不変というのが帝国のルールだったので、統一した制度が完備できなかったのが原因だね)
詳しく知りたい。旗? レーエン。
786 :
世界@名無史さん:2007/07/18(水) 20:47:18 0
レーエンといえば、
オーストリーというレーエンはあるの?
チロルやケルンテンはひとつのレーエンですね。
ですから、チロルとかを除いたオーストリー(オーストリア辺境伯爵領以来の)レーエンです。
チロルやケルンテンは、ハプスブルク家が得たからといって、
レーエン自体をオーストリーに吸収してはいないですよね。
787 :
世界@名無史さん:2007/07/18(水) 20:52:28 0
上オーストリアと下オーストリアは別別のレーエン?
もしも、そうだとすると、
オーストリア辺境伯領以来のひとつのレーエンが
分割されたことになるんだが。
788 :
スイススレからコピー:2007/07/18(水) 20:54:53 0
カントンとレーエンの違い、関係(包含関係?切り口が違う)はどうでしょうか。
スイススレを見たんですが、カントンはすんでいる人重視でしょうか?レーエンが君主が臣下に与える単位みたいな気がする。
441 :世界@名無史さん:2007/05/19(土) 06:56:20 0
>>420 ウリ 帝国代官領
シュヴィーツ ラウフェンブルク(ハプスブルクの分家)領
ウンターヴァルデン 同上
ルツェルン ハプスブルク家の領邦都市
チューリヒ 帝国都市
ツーク ハプスブルク領
グラールス 同上
ベルン 帝国都市
従属邦にはザンクトガレン修道院とかヌシャテル伯領とかの君主邦もあった。
あんまりにもちっこい領主はベルンやチューリヒといった有力な邦に飲み込まれている。
789 :
スイススレからコピー:2007/07/18(水) 20:57:29 0
ハプスブルクって、ハプス城だとおもうんですけでも、
はじめは「城伯ブルクグラーフ」だったということなんでしょうか。
790 :
ドイツの爵位名乗り:2007/07/18(水) 21:08:02 0
>>784 オーストリア大公(エルツオーク・フォン・エースタライヒ)ですか?
それって、通称みたいなものでは?
レーエンの君主という意味では、親がヘルツオーギン・フォン・エースタライヒでは、と思うんだが、
頭で考えても駄目だしね。
>>783:太公は一族みんな名乗るけど(「一族として保持し」なので)
レーエンの長としてのオーストリア公は、一人という理解で走っているんだが、
しかし、ババリア公というのもたくさんいるような希ガス。
兄弟で領土分割してそれぞれが名乗ったのか。領土分割してなくても、みんなが名乗ったのか。
親父が生きていてもみんな名乗ったのか。
(それに、ドイツは兄弟みんな同じように名乗ると聞いたことある)
さすがに、バイエルン選定候やバイエルン国王は一人であって、
たとえば、王太子や王の兄弟全員が名乗ったりはなかっただろうが。
Erzherzog:エルツヘルツォークね
792 :
世界@名無史さん:2007/07/23(月) 21:40:06 0
>>ローマ王になる前のヨーゼフ2世はオーストリア大公と名乗っていたと思いますが
エルツヘルツォーク フォン エースタライヒ ですか。
エルツヘルツォークではなくて。
レーエンの長という意味ではないのでは、とも思えますが、どうでしょうか。
793 :
784:2007/07/24(火) 00:24:47 0
>>790 >>792 すみません。日本語と英語の文献でしか見ていないので・・・。
うわ、みっともないなー、死にたいorz
ハプスブルクの初心者なんだけど江村洋の著作からスタートすればOK?
>>794 読みやすいかもしれないけど、賛否両論じゃないかい。
入門は江村さんの新書でいいんじゃない?
で、長い王朝だから好きな時代に合わせて時代に合う本に広げていけば。
加藤雅彦の図説の方が入門書に適している
反論はあるか
『図説 ハプスブルク帝国』かな?
確かにハプスブルク「家」のみならず「帝国」を知る上での入門書としてはいいかも。
まあ最終章あたりの「修正史観」はあまり好きじゃあないけどね。
今は文庫で出てるから安くてお得
800 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 15:36:17 0
質問なんですが、
ルドルフ4世が大公を詐称した際、証拠としてカール4世に提出された二通の手紙のうち、
一通がネロからの手紙となっていたのですが、
ルドルフの時代にキリスト教徒を弾圧した皇帝ネロからの手紙が、
手紙自体の真偽はともかく、証拠として通用するものだったのでしょうか。
801 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 10:46:35 0
ヒント
「コンスタンティヌスの寄進状」
802 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 10:19:48 0
ハプスブルクの黎明期ってちょうどモンゴルのバトゥが欧州あたりまで来た時期でしょ?
なんか両者になんらかのつながりとかなかったのかな?たとえば欧州騎士団に武器を売るとか・・
803 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 17:16:42 0
悲劇の皇太子ルドルフには私生児が30人ぐらいいるようだ。
確かマリーべっつらの墓が暴かれた話をまとめた本。
貴族って腐ってるわ…。
ハプスブルグ家に嫁いだ日本女は話題に上がってないな
>>803というか後の成り上がり平民が自分の出自に箔を持たせるために
そういった貴族に「活躍」させるんだよ
806 :
世界@名無史さん:2007/09/30(日) 00:21:27 O
807 :
世界@名無史さん:2007/09/30(日) 00:23:52 O
ハプスブルクの人達てオットー殿下以外も
オーストリアに住んでるの?
808 :
世界@名無史さん:2007/09/30(日) 02:41:30 0
皇帝でもないくせに皇帝称する倭猿天皇なんかいらん
810 :
世界@名無史さん:2007/10/18(木) 21:02:11 0
>>808 あてくしが言いたいのはルドルフはうたかたの恋に代表されるように激しく美化されすぎじゃねーかってこと。
父親も主ラット夫人以外にもアンナなんちゃらいう女いたし。庶子も生ませたとか。
812 :
世界@名無史さん:2007/10/20(土) 21:55:03 O
テスト
>>800 ってかそれはわざと証拠にならない手紙を提出したという説
>>782-783 合ってる様で違う。
旗レーエンと一族が保持するシルトの格としての爵位ってのをゴッチャにしてる。
レーエンとしてのオーストリア公は一人だけど、ハプスブルク家の一族は
一族である事を理由に大公を名乗る事が出来たというだけ。
後者は国制上に根拠は無い。
>>786 旗レーエンの不分割が帝国法の大原則なんだから、当然無理だった。
それが出来るようになるのは、もっと時代が下って領邦高権が確立してから。
>>789 城を持ってる=ブルクグラーフというわけではない。
ブルクグラーフはフランク時代の職権の名残で名乗ってる貴族がいただけ。
ハプスブルク城を根拠に勢力をもった貴族(押しなべて伯と表記した)というだけ。
815 :
世界@名無史さん:2007/11/04(日) 18:50:06 0
爵位に関する訳語は不安定なんだよな、時代や訳者ごとの差異が凄すぎる
816 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 14:29:39 0
817 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 15:56:40 O
>>810 同じようにターフェはただの悪大臣。能吏なんだが。
ステファニー妃はバカブス扱い。見初めたのはルドルフだってのに。
テレジアとシシい。互いに比較対象が違わないか?
間違えた
820 :
世界@名無史さん:2007/11/08(木) 12:25:26 0
ハイビジョン特集 ハプスブルク帝国 〜多民族国家が遺したもの〜
NHK・BS・hi 11月12日(月)〜14日(水) 午後8:00〜9:50
第1回「双頭の鷲の下に」
第2回「女帝マリア・テレジア」
第3回「美しく青きドナウ」
多様な民族をどう一つにまとめあげていくか。
21世紀の最大の課題に向き合っているのが、東欧、中欧へとEU拡大を続けるヨーロッパである。
さまざまな困難に直面しながらも、人々の心に「ヨーロッパは一つだ」という思いがあるのは、かつてそれを成し遂げた国家があったからだ。
一つは古代ローマ帝国。
そしてもう一つはハプスブルク帝国である。
数々の苦難を巧みに乗り切りながら、ハプスブルク帝国は幾度も豊かな文化を花開かせてきた。
その初期は、他民族の先進地域の文化を移入することによって、マリア・テレジアの時代は、強大なリーダーシップと民族の協調によって、また末期は、他民族の混合によって。
時代をリードしてきたその文化の根流には、オーストリアの独自性と多民族国家としての特性がにじみ出ている。
番組では、オーストリアを中心にヨーロッパ各地を取材、ハプスブルク帝国の700年に及ぶ歴史を紹介しつつ、独特の文化を花開かせた三つの時代に主なスポットをあてる。
遺された数多くの宝物や建築を通してその栄華をたどりながら、多民族国家ハプスブルク帝国がどのようにして繁栄を手にし、多くの民族を束ねていったのか、そしてなぜ滅びたのかを見つめ直してゆく。
821 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 21:38:57 O
オーストリアばかりじゃなくてスペインも詳しくやってくれ。
カール大帝
フェリーぺ美公
狂女ファナ
>>820 昨日やってた?
今、家帰ってきて録画予約してたの見たら全然違うの入ってたけど
824 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 02:37:09 0
やってたよ
録画まちがえたんだね
826 :
世界@名無史さん:2007/12/25(火) 08:11:12 0
>>820 本日午後に一挙再放送
●シリーズ ハプスブルク帝国
[BShi]12/25(火) 後0:00−5:50
【語り】三上博史,高橋美鈴
後0:00−1:50 第1回「双頭の鷲(わし)の下に」
ハプスブルク家の黎明期からマクシミリアン一世によって多民族の文化が花開いていくまでをベルギー、インスブルックを中心に描く。
後2:00−3:50 第2回「女帝マリア・テレジア」
18世紀、女帝と呼ばれたマリア・テレジアによって多民族都市ウィーンが華やかな都として発展していくさまを描く。
後4:00−5:50 第3回「美しく青きドナウ」
民族独立運動の台頭によって、帝国が存亡の危機を迎え、豊かな文化を花開かせながらも崩壊していく過程を描く。
この一族のファミリーネーム(というのか…)
「ハプスブルク=ロートリンゲン」と
「フォン・エスターライヒ」の使い分けには何か理由がありますか?
例えばオーストリア帝国(二重帝国)の直系王家の者なら
まずはフォン・エスターライヒだーとか…?
ないだろ。
ハプスブルク=ロートリンゲンは家名、
フォン・エスターライヒは称号(オーストリア大公)ってだけで。
>>827 フォンってのは英語でいうofみたいなもんだからな
○○・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンが日本で言うと「天皇家の○○さん」で
フォン・エスターライヒのエルツヘルツォーク(要するにオーストリア大公)は
日本で言うところの「皇太子」「皇子」「皇弟」とかと同じような称号
>>829 それも微妙に違う気がする
もとよりヨーロッパの身分制度は日本と根本的に違う上に
国ごとの差異も大きいからな……趣味でやってる程度なら
「何となく理解できた」って感じで充分だと思うよ >
>>827
ゾフィー大公妃について今調べてるんだが、「ハプスブルク中、唯一の男の中の男」ってよばれるってすげーな
この人の伝記とかあればいいのに。
けど若い頃にはちゃんとロマンスが
あるんだよな>ライヒシュタット公
>>832 次男が彼の子、とかの噂があるのは知ってるけどただの噂じゃないの?
ロマンスというほどのものなんだろうか
次男マクシミリアンはハプスブルクの唇と顎をしていたと
ヴィクトリア女王が書いている。
ロマンスがあったにせよなかったにせよ、ライヒシュタット公の子では
ないでしょう。
>>834 答えはともかく、ライヒシュタット公もハプスブルクの血を半分引いているから同じ顎だけで判断は出来ないんでは・・・
836 :
834:2008/01/22(火) 10:57:26 0
封という中世の概念を使って成り上がった時にいい加減時代遅れだったのに
20世紀まで残ってしまったという事実を見る度に、何かこの一族には
変な物でも憑いてたのかな、と思っちゃうんだよね。
アホとキチガイはいても、暴君が少なかったことと、後継者で揉めることが
なかったからじゃないかな。
839 :
世界@名無史さん:2008/03/02(日) 00:42:08 0
マリア・テレジアは美少女だねー。肖像画みると。
エリーザベトも美女で有名だけど、実際の祖国への働きかけを見るとマリアの方が美しき女傑って気がする。
バイエルンから嫁いだ普通の皇后と
欧州を敵にまわしたハプスブルク家最後の女相続人とは比べられんだろう。
いや、皇后も余り普通の人ではなかったけれど。
顔だけでも、(子供の頃のなら)マリア・テレジアのほうが美人に見える俺w
この前、シェーンブルン宮殿行った。
マリア・テレジアの子供たちの肖像画がたくさんあった。
VIP待遇の娘が一番可愛くな・・・(ry
今ちょうどゾフィー大公妃主役のライトノベル読んだけど、
この時代にもっと光が当たらないかな・・・
エリザベートあたりはたくさんあるけど、メッテルニヒ時代とかの小説をもっと読みたいな・・・
>>842 ぜひ読んでみたいです。タイトル教えてくだされ。
>>842 集英社コバルト文庫
須賀しのぶ著
「帝冠の恋」ではないかと。
嫁は映画やミュージカルにもなってるけど、この人メインてのは
たしかに珍しいわ。
>>845 ググってみたけど、ちょっと歴史的興味で読むのはキツそうだったw
まあイラストでヒくのはわかるんだけどw、本文は普通に面白いよ
作者は上智大史学科の出身で、歴史や政治の描写は定評があって、大人のファンが多い
一般文芸も書いてるし
今回は珍しくラブロマンス寄りではあるけど(いつもは政争とか軍隊とかばっか)、
あまり陶酔した感じじゃないし、国際情勢とか詳しくて興味深い
「天翔けるバカ」書いた人だな>須賀しのぶ
ああいうノリだったらむしろ面白そうなんだが。
>>846 歴史面はかなり分りやすく書かれていて読みやすいよ。
イラストなくせば普通に少女小説じゃなく一般書としても読めそう。
イラストは作者のファンからも人気ないが…。
カール大公がなかなかいい人でめずらしいなと思った。
850 :
世界@名無史さん:2008/05/23(金) 19:43:31 O
、
851 :
世界@名無史さん:2008/05/27(火) 00:33:32 0
ホーエンツォレルン、ヴィッテルスバッハ、ナッサウ、ザクスコーブルク、ゴットルプ…
此の辺も名家の筈だが、メディアに紹介される事は稀。何故ハプスブルクだけが特別なんでしょう?
だってこれだけ皇帝位を独占した家門は他に無いもの。
ハプスブルクとブルボンは双璧
漫画やアニメや歌劇になったマリー・アントワネット、
教科書に出てくるマリア・テレジア、ウィーン会議、サラエボ事件が大きいかな。
やっぱり前知識なくともある程度分かる、てのが大きいんじゃないか。
フランツ・フェルディナンドはエステ家の財産を相続したと本で読みましたが
彼はエステ家の出身ではないですよね? ウィキペディアでもその辺の関係が
よく解らないので、ご存知の方、解説をお願いできないでしょうか。
エステ家の直系が絶えて、
マリア・テレジアの息子のフェルディナントがエステ家の一人娘と結婚したから、
以後はハプスブルク家が継承権持ってたんじゃないの、と思ったんだけど。
(フェルディナンドはモデナ公にはなれなかったんだね。初めて知ったよw)
wikiレベルで解決するなら、オーストリア=エステ大公を遡っていったらわかるような気がするけど。
啓蒙専制君主時代前後の称号に関するハプスブルク皇帝の
外交文書の正式な自称って何だっけ?
皇帝、ボヘミア王、ハンガリー王、オーストリア大公、…エルサレムの王云々
なんかだったと思うが、英国王の「信仰の守護者」やピョートル大帝の
「常なる尊厳者」とかはハプスブルク君主にあったっけかなあ。
知っている方、独語でもよいのでご教授ください。
860 :
世界@名無史さん:2008/07/13(日) 16:19:38 O
オーストリアの帝政が今も続いてりゃオットーは在位76年目か…。
それともここまで長生きしないorカール1世はもうちょい長生きした?
神聖ローマ帝国
>>859 外交上の公文書みても、例の "von Gottes Gnaden romischer Kaiser, Konig zu Deutschland und Jerusalem"etc
を使ってるみたいだけど。
文書全体にフランス語とドイツ語が併記してあって、ラテン語の呼称は記載なし。
>>837 本領のオーストリアが遅れた地域だったから
カール1世の身長どんくらい?
フランツヨーゼフ帝はでかかったそうだが。
>>864 フランツ・ヨーゼフ1世より嫁のシシィの方がでかかったそうだよ。
何cm?
>>866 ブリギッテ・ハーマンなど著名な作家たちが採っているのは
身長172cm、体重50kg、ウェスト52cm。
15,6歳で輿入れしてから20歳くらいまで身長が伸びてたらしい。
ウィーンの王宮に新設されたシシィミュージアムには
等身大のエリザベートの塑像があるが
体型はほとんどスズメバチw
フランツ帝は身長167cmぐらいじゃなかったけ?
もちろん肖像画などでは身長が変わらない程度に
細工されてた。
フランツ・ヨーゼフは小柄だったのか、全然そういうイメージなかったわ
>>868 なるほどサンクス。170cm未満だったのか・・・。
じゃあカール1世はもっと小さかったりするのかねぇ。
フランツ・ヨーゼフの孫、ルドルフの遺児エリザベートが身長185cmというのは
本当ですか?
871 :
sage:2008/09/13(土) 17:27:18 0
世界史に興味もってもらうにはいいんじゃない?
ハプスブルク帝国なんて日本の教科書じゃマイナーだから。
873 :
世界@名無史さん:2008/11/08(土) 17:39:01 0
別板でスペイン・ハプスブルクとオーストリア・ハプスブルクのどっちが本家か言い争いしてたけど
このスレ的にはどっちが本家なんだ?
↓両者の主張
オーストリア
・帝位を独占し続けた
・ルドルフ1世以来オーストリアが本拠
スペイン
・カール5世のが兄 ついでに帝位も持ってた
・そもそも帝位はスペインとオーストリアの交互でやる予定だった
・当時の国力はスペインの方が圧倒的
どっちが本家でもスペインが断絶して以降はオーストリアが本家になるからどうでもいいのではなかろうか
アンジュー家の本家がフランスなのか、ナポリなのか、ハンガリーなのかというようなものですな
Fが藤子不二雄なのかAが藤子不二雄なのかというようなもんかな
>>874でいえば今はFが死亡してAが本家…というわけでもないな
途中で分かれて途中で絶えた、というイメージだから、感覚的には「本家」感は薄いんじゃないかなあ
>>873 実際、スペイン・オーストリアで揉めそうになった時は
血族結婚で誤魔化していたので、その辺りは当時からアンタッチャブルな領域だったみたいだね。
封建関係ないんだから、どちらも本家というのが正しいと思うけど。
国際関係において、スペイン王が皇帝より序列が下なんて概念はもう無くなっていたし。
879 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 18:33:08 0
【オーストリア】イタリア・ミラノで盗まれた4億円相当のルビー「ビルマの王子」押収 [11/08]
1 :不思議の国のありすφ ★:2008/11/08(土) 14:57:22 ID:???
ミラノで盗まれた4億円相当のルビーを押収、オーストリア
オーストリアの捜査当局は6日、国際的な宝石窃盗グループが盗んだ
320万ユーロ(約4億円)相当のルビーの原石を押収したと発表した。
見つかったルビーの原石は「ビルマの王子」と呼ばれる大きなもので、
今年8月にミラノで、ドイツの宝石商から盗まれたものだった。
ドイツ当局との合同捜査で、オーストリア南部フィラッハの住宅を4日に捜索。
男2人と女1人を逮捕し、同時にダイヤモンドや他の宝石などを押収した。
ドイツの宝石商は男性で、容疑者の女にミラノへおびき寄せられ、
宝石類を盗まれた。宝石商はこの際、重傷を負っている。
2008.11.07 Web posted at: 21:02 JST Updated - AP
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200811070032.html 写真
http://www.cnn.co.jp/business/images/CNN200811070031.jpg 押収されたルビーの原石「ビルマの王子」
880 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 18:39:27 0
>>878 確かにその時期には皇帝位には実権は無きに等しい
しかし皇帝の名は国王の中の国王
国王はたとえ強大であっても所詮皇帝の風下に立たざるを得ない
ためにフランソワ1世はじめドイツ以外の国王が皇帝位を欲した
882 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 01:13:53 0
世界の通説とは、「ハンガリーはヨーロッパの朝鮮」、これ決定版
>>873 ハプスブルクは他所と違って
そんなみみっちいことで目くじらたてたりせんだろ。
結婚で栄えてきたおめでたきハプスブルクは
おおざっぱにいえば他家とくらべて政略的な裏切りやら冷酷さがいまいち足りない
そこを出し抜かれたりもするが、その甘さのおかげで長続きしたとこもあると思う
スペインとオーストリアでも基本的に協力体制で、よそみたいに一族で権力を争ったり
足をひっぱりあったりというのは少ない一族だと思う
ときどきフリードリヒ3やルドルフ2などの為政者としてはがゆい皇帝には
弟がイライラして実力行使に出たりもしてるようだけど
885 :
世界@名無史さん:2009/02/10(火) 18:50:02 0
エリザベートとフランツ・ヨーゼフ1世は母親同士が姉妹だよね。
これも血族婚になるの?
レオポルト1世の息子たちに息子が生まれている
カルロス2世がまとも、もしくは息子がいればどうなってたのかね。
せめてこれが同時期に起こっていなかったら、すごい変化がありそうな気がする。
ところでプラグマティシェザンクティオンについて詳しく書いてある本ないですか
888 :
世界@名無史さん:2009/02/13(金) 23:26:58 0
カルロス2世って後継者を指名して亡くなったんですよね。
肉体的には弱かったみたいですけど、思考能力はちゃんとあったんでしょうか。
周りが書類作ってサインさせたって、「指名した」ことになるだろうからなぁ。
カルロスの知能についてはよく知らないけれど、
王妃のお棺を開けさせたりしていたそうだからあまりマトモな状態だったとは思えない。
ヨーゼフに男がいたらカールがスペイン継いでただろうに
>>887 探しているけど邦語文献じゃなさそうだなあ。
いちおう邦訳を試みたが意味は分かるが日本語として汚い。。。
神聖同盟条約も邦訳したけどやっぱり汚いなあ。
ドイツ語を大学で学んだレベルじゃあ難しいわw
国事勅令とか家内法とかいわれてもいまいちピンとこないよね
邦訳の対比とか乗ってる本なりサイトなりあるといいんだけどな
まずプラグマティッシュザンクチオンを大々的に取り扱った本なんて見たことないし
サイトに至っては検索しても数件しか当たらない
895 :
世界@名無史さん:2009/03/11(水) 15:09:03 0
ハプスブルグとメディチ
どっちがスゴいの?
>>896 すごさの質が違う。基準を提示しないと比較できない
ワインとビールどっちがスゴいの?
と言ってるようなもん。
ハプスブルクってぶっちゃけハンガリーのことどう思ってたの?
ヤゲェウォの家紋が欲しかっただけ?
テレジア助けて貰ったはいいが、フランツヨーゼフ殺されかけたのもハンガリー人だろ。
お荷物にしか思えないんだが、只の勉強不足か。
シシィはハンガリーヲタだったじゃない
姑関係とかで精神病を患っていてのハンガリー好きだから、例外とみていいのでは?
ハプスブルク以前に、家が嫌いなんじゃ評価しようがなくないか?
全体的にどう思ってたとか…時代によって違うのか。
フランツ・フェルディナンドはハンガリー嫌いのボヘミアびいきだったね。
彼の場合は嫁さんの影響も大きいだろうが。
ルドルフは母親の影響かハンガリー好き。
サラエボ訪問ってその所為?あんなとこ行かなかったら大戦もなかったろうに。
もう少し前の人はどうだったんだろうか。
15・16世紀…領土
17…プロイセン追っ払って貰った
18…独立したがったからアウスグライヒで格上げしてやった
19…敗戦して帝国解体・独立
大雑把にこんな感じだと思ってたんだが、間違ってる?
最後の皇后ツィタは、あの東欧崩壊が吹き荒れる直前の1989年の3月にスイスで
亡くなったけれど、葬礼の儀は、オーストリアのウィーンで執り行われた。
もう無くなった王朝の王族の葬儀を、当時のオーストリア政府はどうして許したのか??
しかも、国葬並みの葬儀だったそうで、第一次世界大戦前のハプスブルグ家のしきたりに
乗っ取っての葬儀だったそうだ。
こういう葬儀にする事は、予め取り決めがなされていたのだろうか??
このツィタ皇后の葬儀の模様、詳しく知っておられる方いられるだろうか??
905 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 20:02:49 0
906 :
世界@名無史さん:2009/04/18(土) 20:04:11 0
同盟結んでたイギリスに裏切られてスペイン王位をボルボン家にもってかれたハプスブルグ家涙目というはなしか?
ケベックとルイジアナもらって北米からフランス叩き出せたとたん掌返したわけだが
イギリス大陸軍の総司令官マールバラ公はオーストリアの軍資金横領もしてたし、その嫁は女王の幼なじみで女官長の立場悪用して宮廷で政治介入しまくって私服肥やして最後は失脚してるし
ちなみにマールバラ公はスペンサー=チャーチル家
WW2でイギリス指導した葉巻のノーベル文学賞作家だったりフランスでエジプト人と事故死した元皇太子妃の家系
ボルボン家
なんか美味そうな家名だな
ボルボンはブルボンのスペイン読み
910 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 21:03:19 0
ハプスブルク好きを自認しながらも、ウィキペディア見て初めて知って、
お恥ずかしい限りなんですが、質問させて下さい。
ウィキペディアにハプスブルク家はユリウス一門の末裔を自称とあったんですが、
これはユリウス姓を下賜されたクリエンティス関係にある氏族の末裔を自称したのでしょうか?
それとも本当に皇帝一門であるユリウス一門の末裔を自称したのでしょうか?
後者である場合、具体的にどの人物の系統を自称したのでしょうか?
今まで結構ハプスブルク関係の本は読んできたと自負してたんですが、
ユリウス一門の末裔自称については初めて触れて、どこを探せばいいか検討つきません^^;
詳しい方お願いします。
ルドルフ建設公の得意技でも調べればいいんじゃないっすか?
オレ、プファルツ大公なんで、よろしく。
ダウストリア
ドートリッシュ
フォンエスターライヒ
「近親婚の繰り返しで断絶」=スペイン・ハプスブルク朝−遺伝学者
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090504-00000023-jij-int 【パリ4日時事】中世から欧州各地を支配したハプスブルク家のスペインの王朝(1516〜1700年)断絶について、
近親婚の繰り返しで発症する遺伝子疾患が原因だった可能性が高いとの説を同国の学者チームがこのほど
、米オンライン科学誌「プロス・ワン」に発表した。
スペイン・ハプスブルク朝最後の王カルロス2世(1661〜1700年)は体が小さく病弱で内臓疾患や血尿に悩んだ。
2度結婚したが性的に不能だったとされ、世継ぎがないまま死亡。仏ブルボン家にスペインの王座を渡す結果となる。
この王の16世代にわたる祖先や血縁者3000人の系図情報を基に、スペインのサンティアゴデコンポステラ大学の
遺伝学者らが近親婚のリスク度を示す「近親交配係数」を計算したところ、
係数は初代カルロス1世の父親の0.025から代を重ねるごとに上昇、カルロス2世では10倍の0.254に達した。
同王朝の結婚11例中9例は近親婚で、カルロス2世も両親がおじとめいの関係だった。
頻繁な近親婚は劣性遺伝子を発現させやすく、
「2つの異なる遺伝子疾患(下垂体ホルモン欠乏症と遠位尿細管性アシドーシス)の同時発症」
がカルロス2世を襲ったと遺伝子学者らはみている。
定説に科学的論拠が付け加わった、という事らしい
916 :
世界@名無史さん:2009/05/08(金) 21:47:28 0
>>911 例のカエサルとネロの手紙ってやつっすか?
シェーンブルン宮殿のミュージアムにはお土産たくさんうってますか?ステッカーとか有りますか?
♪皇帝と皇后の顔のスーベニア♪
シェーンブルンでワインをつくっているという記事がこの前の新聞に載っていた
>>917 土産物には困らんから大丈夫。特にシシィ関連は充実。
>>920 ありがとうございます!今年の夏に行く予定でシシィの大ファンです。
ホテクの子供を即位させてたらスラブ人のハプスブルクに対するイメージも変わってただろうに
ヨーロッパ列強の皆様 + おまけ1
∧_∧ ../ ̄ ̄\ ∧ 、
(゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚) /____\ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ /⌒\ | ̄ ̄|
( ’∀’) |/.( `∀´)\| ( -∀- ) (゚∀゚ ) (・∀・ ) (-∀Θ) (゚ー゚ )おまけ?
( ) ( ) ( :│: ) (゚゚ノノ゚゚) (ノノ .♀) ( /+) ( )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
イギリス フランス オーストリア ロシア イタリア ドイツ オスマン・トルコ
925 :
世界@名無史さん:2009/09/05(土) 22:20:51 0
オーストリア貴族筋って今でも尊大なんかいな?
取りあえず城とか土地をそのまま持ってる人はいるね
たまに取材されて持ち城案内とかに出てくるけど
普通に名門の金持ちレベルの態度じゃないかな?
少なくとも取材時に尊大な態度取ってる人はあまり居ない
皇族は他国の王族になってる人が居るけど
気さくで好かれてるみたいだよ
927 :
世界@名無史さん:2009/09/21(月) 18:38:45 0
-─フ -─┐ -─フ -─┐ ヽ / _ ───┐. |
__∠_ / __∠_ / / ̄| / / |
/ /⌒ヽ / /⌒ヽ /l / |
( | ( | / / l /\ | /
\__ _ノ \__ _ノ / \ / \ |_/
__|__ __ l __|__ l ヽヽ
| |  ̄ ̄ / -┼─ | | _ l
| | / | ─- ├─┐  ̄| ̄ ヽ |
| | | | / | | │
─┴ー┴─ ヽ_ | ヽ__ / ヽ/ | ヽl
l l | ┌─┬─┐ ─--
| ヽ | ヽ | _. ├─┼─┤ __
| l | l / ̄ └─┴─┘  ̄ ヽ
| | | | ( , l ヽ |
し し ヽ__ / ヽ___,ヽ _ノ
コピペ氏ね
929 :
世界@名無史さん:2009/09/22(火) 11:57:30 0
THEハプスブルク待機
930 :
世界@名無史さん:2009/09/25(金) 19:53:26 0
/三ミミ、y;)ヽ
/三 ミミ、ソノノ、ヾ、}
,':,' __ `´ __ `Y:}
}::! { : :`、 ,´: : j !:!
>>928あんた
{:|‐=・=‐ i !‐=・=‐|:} 地獄に落ちるわよ
r( / しヘ、 )j
g ! ` !-=‐!´ ,ノg
\._ヽ _´_ノ ソ
__,/ ヽー ,/\___
|.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈
//.:::.`\ /'.:::.ヽ\
931 :
世界@名無史さん:2009/09/25(金) 20:04:21 0
若かりしヒトラーはウィーンの大舞踏会の時に
街頭の雪かきをしていて、自分達が敬礼しているのに
目の前を通る皇族たちが一瞥もしないのにかなり傷ついたらしい。
932 :
世界@名無史さん:2009/09/26(土) 23:11:16 0
Triest海軍基地を母港とする空母から発進!
,'⌒,ー、 _ ,,.. X
〈∨⌒ /\__,,.. -‐ '' " _,,. ‐''´
〈\ _,,r'" 〉 // // . ‐''"
,ゝ `く/ / 〉 / ∧_,. r ''"
- - - -_,,.. ‐''" _,.〉 / / . {'⌒) ∠二二> - - - - - - -
_,.. ‐''" _,,,.. -{(⌒)、 r'`ー''‐‐^‐'ヾ{} +
'-‐ '' " _,,. ‐''"`ー‐ヘj^‐' ;; ‐ -‐ _- Frankreich粉砕!!!
- ‐_+ ;'" ,;'' ,'' ,;゙ ‐- ー_- ‐
______,''___,;;"_;;__,,___________
///////////////////////
933 :
世界@名無史さん:2009/09/26(土) 23:51:00 0
ハプスブルグ展は見に行った方がいいのだろうか
934 :
世界@名無史さん:2009/09/28(月) 20:52:35 0
企画出品 (池袋会場:サンシャインシティ文化会館)
日本オーストリア・ハンガリー交流140周年記念
ハプスブルク帝国展」
●日本とオーストラリア・ハンガリーの交流140周年を記念して、
オーストリア(ハプスブルク帝国)やハンガリー、ルーマニアなど
ドナウ周辺国家に関連した作品を展示。
936 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 19:56:32 0
オーストリア政府は1998年に「美術品返還法」を制定し、
ナチス・ドイツがオーストリアを
併合した1938年以降にナチスが略奪した美術品1万点あまりを、
正当な持ち主に返還してきた。
2006年には、ウィーン(Vienna)のベルヴェデーレ美術館
(Belvedere Museum)がオーストリアの画家グスタフ・クリムト
(Gustav Klimt)の代表作5枚を、以前の持ち主の子孫に返還。
リンツ市も今年4月、同じくクリムトの絵画を、ナチス・ドイツの
「第三帝国」時代に略奪されたものだと主張するユダヤ人家族に返還している。
937 :
世界@名無史さん:2009/10/02(金) 17:04:59 O
たばこと塩の博物館の特別展美味しすぎ
300円だもん
有名でないが肖像画あったし
939 :
937:2009/10/02(金) 19:21:39 0
>>938 パイプボウル(夫妻の彫刻)
磁器のパイプボウル
磁器のタバコジャー
ルドル・ハウスフライトナー作の肖像画
花柄のコーヒーセットとティーセット
以上です
940 :
937:2009/10/02(金) 19:28:39 0
ああああ まちがえたああああ すみません
ルドルフ・ハウスライトナーでした
ハプスブルグ展も行ってきました
ハプスブルグ展のイザベラ・デステの肖像画
たばこと塩の博物館のフランツ・フェルナンド公のシガレットケース(サイン有り)
印象に残りました
この二つが見落とされそうな気が 扱い地味で
なんで追加でレスしてみました
941 :
938:2009/10/02(金) 20:07:53 0
>>940 詳しい情報どうもありがとうございます。行ってみます。
THE ハプスブルク展は、他のスレにも書いたんだけど
フェリペ2世の頭部の彫刻が面白かったです。
有名なハプスブルク家の顎は、立体にするとこんな感じなのかぁ……。
イザベラ・デステは、矜持が高そうな表情が非常に印象に残ってます。
猪木よりスゴイのか?
943 :
938:2009/10/03(土) 10:30:24 0
>>942 一緒に行った主人によると猪木の方が凄いそうです。
944 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 16:00:45 0
"//三ミミll;//彡ー、;;;;;;从从从,,ll||lll;;;;;;、- ''",,、 '" ̄ ̄`''' ー、
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>>943 ll||ll|;;;', _,,,、- ''" ,,,、|;;|"l|;;;;;;;;;l|;;;;;;;ヽ;;;;|
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}ll| l|',;;;;l''" ヽ;; ヽ;;彡;;;;;;゙';;;;ミ;| //
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リ|| l||;;;;tヽ=;夫,゙ミ'、:彡`'''"´::::-ーー 、彡彡\
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ヽ从ヽヽ;;;', j ー 、 彡// |;;;;;;;;、ll、、゙゙゙从从从
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'、从从ミ、;;;;;;;;;;;;/ ノ`'' 、:::::""''::::: ヽ|、;;;;tヽ;;;/`''
ヽ、ミミミー、;;;;イ | `' 、 `゙ーミ/
945 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 19:51:52 0
13世紀に勃興して20世紀初頭までヨーロッパに君臨したハプスブルク家は、
巧みな結婚政策によって勢力を拡大し、
神聖ローマ皇帝も数多く輩出した名門王家です。
歴代の王たちは、優れた審美眼と熱意をもって芸術保護に乗り出し、
ヨーロッパ美術の真髄を伝える質の高いコレクションを形成しました。
デューラーを庇護したマクシミリアン1世、
ティツィアーノを召し抱えたカール5世、多数の宮廷画家を擁したルドルフ2世、
ベラスケスを側近としても重用したフェリペ4世、
1400点にものぼる絵画を集めたネーデルラント総督レオポルト・ヴィルヘルム大公等々、
名だたる巨匠と名画の数々に魅了された王たちの成果は枚挙にいとまがありません。
女帝マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は、
作品を宮殿に移し一般公開を始めました。その膨大なコレクションは、
ハプスブルク家の威光を示す豪華絢爛さだけでなく、
歴史的意義や学術的な質の高さという点でも、特筆に値するものです。
946 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 22:23:14 0
Wikipedia見ると
「ハプスブルク家は現在でもオットーがドイツ選出で、その息子カールがオーストリア選出でそれぞれ欧州議会の議員を務めており、・・」
とか書かれててビックリした。
滅んでなかったのか・・・
オットーはもう欧州議員を引退している
今のハプスブルクって超美形だよね。。
猪木の面影なんかまるでない。
ルドルフ大公一家辺りから。
オットー大公に系統が移ってからさらに美形。
「ベラスケスもデューラーもルーベンスも、 わが家の宮廷画家でした。」
うーん
凄いわあ
950 :
世界@名無史さん:2009/10/05(月) 23:14:32 0
ベラスケスもデューラーもルーベンスも
その凄さを知らないからなあ
ありゃりゃ
凄さは少しわかるが
個人的にはクリムトやエゴン・シーレが好き
帝室とは関係ないが
クリムトは結構関わりがあるかと
凄さを知らないと、行ってもしかたない?
つまりあれだ
野球のルールすら知らないのに
イチローを見に行く、みたいな
本当に凄いのなら観て感動しないという事もないだろう
先入観なしに観た時の方が素直な感覚で観られるかも知れない
世紀末のも来てますよね?
アルチンボルドが好き
959 :
世界@名無史さん:2009/10/08(木) 22:20:33 0
-─フ -─┐ -─フ -─┐ ヽ / _ ───┐. |
__∠_ / __∠_ / / ̄| / / |
/ /⌒ヽ / /⌒ヽ /l / |
( | ( | / / l /\ | /
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l l | ┌─┬─┐ ─--
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| l | l / ̄ └─┴─┘  ̄ ヽ
| | | | ( , l ヽ |
し し ヽ__ / ヽ___,ヽ _ノ
>>952 えっ、そうなの?
風呂に着衣のまま入るぐらい超保守的なハプスブルク家がそもそもあまりに前衛的なクリムトを理解できるのかね?
※風呂に裸で入るのはハプスブルクでははしたない行為とされ
バイエルン出身のエリザベートはブチ切れたそうだが
じゃ子作り行為も着衣のままかという疑問もある
ハプスブルク家はフェルディナント1世、マリア・テレジア、レオポルト2世と
いずれも16人、しかも相手は一人の妻又は夫で子供作った子作り生産大国だが
戦争がなかったなら絶対滅ぶことがない家系だ
961 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 12:51:50 0
>>960 あの当時の人たち、貴族も風呂になんか
滅多に入らなかったんじゃなかったか?
欧州人は今もあんま入らん
あっちいった日本人が日本と同じ感覚で入ると人によっては酷い肌荒れに・・・
963 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 03:54:04 0
菊池 良生 ハプスブルク家の光芒 (ちくま文庫 き 27-1) (文庫)ってどう?
>>963 元がハードカバーで(昨日立ち読みしてたわ)
文庫入りしたってレベルだから、割とオススメかと。
レオポルト一世とかにも割と言及があるのがいい。
本によっては、通史と言ってもレオポルト一世〜カール六世の時代は
あんまり記述なかったりするからね。あってもプリンツオイゲンが中心だったり。
展示会行ってきたけどマリアテレジアのお母さんになった肖像画ないのね。
11歳のだけ。
>>962 ウィーンには風呂通りという名の通りがある
近世までは公衆浴場が多数あった
ただ浴場といっても隣接地域で風俗営業もしており
江戸の公衆浴場と同様に衛生的とは言い難い管理がされており
ペストや梅毒等性病の伝搬でそれまで公衆浴場に批判的な教会勢力が力を得て衰退した
江戸時代の日本人が欧州人より衛生的であるとは言えないのは
都市に居住せず、日本人の大部分を占める貧農小作人が多く居住する農村部には公衆浴場が全く存在しないことで指摘できる
それは幕末に日本を訪れ実際の日本の農村部の住民の不潔さを書き記した欧州人女性の紀行書で確認できる
>>950 ルーベンスと言えばフランダースの犬のラスト
これだけで凄いやろ
968 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 03:12:46 O
>>948 現当主カールの弟ゲオルグを見たことあるか?
眉毛つながってるぞ
ところでハプスブルク展いった人に質問なんですが、だいたい一周回るのにどのくらいの時間かかりました?
>>966 日本人はたらいで行水ですよ
その欧州人女性は知らなかったんですね
現在でも欧州人よりは格段に腋臭率が低いので
風呂に入らなくても臭くはなり難いですよ
>>968 >ところでハプスブルク展いった人に質問なんですが、だいたい一周回るのにどのくらいの時間かかりました?
小一時間ですかねえ。何を見たいかによって大幅に変わるとは思いますが。
何を見ればいいでしょうか
アゴの形とかはあまり興味ないもんで
>>969 当時の日本人の多くが行水していたかはなはだ疑問
貧農小作人にたらいを買える金なんてあるのかね
小作人の逃亡を恐れる庄屋の厳しい監視下で町まで買いに行けるのかね
それに欧州でも沐浴ならあるけど
腋臭がどうこうあるから香水が欧州で発達したんでしょ
現代日本人でも腋臭なくともアキバ系の人達の中にはやたら臭い人多くいるよ
>>972 昔の田舎のたらいは自作だと思うよ
その紀行書だと欧州人女性の基準は公衆浴場があるとより衛生的であるらしいから
そういう基準では測れないんじゃないかって意味
どれ位してたかはともかく江戸時代の日本には行水ってのがあったんだから
銭湯がないから衛生的でないと考えるのはおかしいよね
木造だと欧州とはリスクも違うんだし
風呂に入る入らないの前に体質の違いもあるしねって事
>>971 簡単な予習をして行けばそれなりに楽しめるのでは
>>971 いやあのアゴは見ておいた方がいい。
素で吹く。
977 :
世界@名無史さん:2009/10/17(土) 17:18:38 0
>>973 この女性の紀行文では
京城はもっとめちゃくちゃ書かれてるぞ。
北京はさらに最悪な書かれ方。
うちは今日の特番見られない地域だったんだけど
見た人どんなだった?
>>979 細かいところでいろいろ間違ってたなぁ。
マリー・ヴァレリーの写真がシシィの写真として紹介されてたり。
ハプスブルク家の墓所は凄かった