無造作に南アジアを荒らしまくった謎の民族エフタルを語るスレ
エフタル最強
トルコ系?イラン系?
白フン
4 :
ミヒラクラ:2005/10/02(日) 20:25:47 0
「無造作に南アジアを荒らしまくった」ってなんだよw
5 :
世界@名無史さん:2005/10/02(日) 22:31:28 0
どこにやられたんだっけ?
> 南アジアを荒らしまくった
て言ったって、インドのは「フーナ」で、エフタルとは呼ばれていない。
トハリスターンのエフタルとは別勢力。同民族であった可能性はあるが
指揮系統としては全く無関係と見た方がいいらしい。
9 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 10:33:48 0
10 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 10:52:00 0
キングクリムゾンのスレかと思った
つーか、エフタルが居たのって南アジアといっていい地域なのか?
こういう検索できないスレタイにすると盛り上がらんつうに
15 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 17:51:43 0
「帝国」なのか?ただの一民族だと思うんだが
16 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 22:34:15 0
>>8-9 ササン朝ペルシアの全盛期を築いたホスロー1世がエフタルの東(北東)に目をつけて、
東西から挟み撃ちして滅ぼした。
ちなみにエフタルは、古代インド史において最重要とされるグプタ朝を衰退、滅亡に向かわせた
謎の民族として知られている。最盛期の領土は歴史地図でわかるが、強大さの一端がわかる。
17 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 01:59:28 0
アフガンを中心にした帝国ってゴール朝以後はあまり見ないね。
18 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 02:22:04 0
結局どこが拠点だったのか?
バクトラなのか?サマルカンド?
19 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 02:49:00 0
バクトラじゃないの?サマルカンドではないと思う。
しかし、騎馬民族国家などに拠点なんかあったのかな。
エフタル《Ephthal》は、中央アジアで活動した遊牧民。
民族はイラン系もしくはテュルク系。
中国名は『??(えんたつ)・白匈奴』。
5世紀中頃にアフガニスタン東北部に勃興し、
クシャーナ朝を滅ぼしてバクトリア、ガンダーラを支配した。
484年には侵攻してきたサーサーン朝を撃退し、
さらにインドへ侵入しグプタ朝を脅かし、衰亡の原因をつくった。
6世紀の前半には中央アジアの大部分を制覇し、
東はタミル盆地まで、北は鉄勒と接し、南はインド北西部に至った。
アジアの東西交易路を抑えたエフタルは最盛期を迎えた。
6世紀の中頃、中央アジアに勢力を広げた突厥が強大となり、
567年に突厥とサーサーン朝に滅ぼされた。
21 :
世界@名無史さん:2005/10/09(日) 02:21:02 0
ロ厭ロ達だよ
タミル盆地ってどこだよ
24 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 18:38:44 0
お願い、積荷を・・・積荷を燃やして・・・
最高君主の称号は何?単于?可汗
エルテベルとかだったような。
28 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 14:31:27 0
嚈噠の王都は抜底延城、つまり王舎城。烏滸水の南二百余里。長安を去ること一万一百里。
31 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 02:04:41 0
エフタルも突厥も結局まとまりのない糞集団だった訳だろ
ヒッキーに協調性なしとか言われちゃおしまいだなw
33 :
世界@名無史さん:2005/10/20(木) 04:27:31 0
エフタルのように好き勝手暴れて、好き勝手やりたいよ
エフタル人で後世に名前が伝わってる香具師いますか? それとも全員名無し?
何教信じてたんでしょうか?イスラム教?エフタル教? 教えてエロイ人
35 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 07:34:45 0
エフタル教なんてあったら即入信だね!
36 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 11:56:57 0
嚈噠と悦般は同一か?
北匈奴のうち、ソグディアナに残居した単干王侯系集団がエフタルのはじまりと
みてよかろうか?
文化水準は高かったとみられ、当時まだ未開であった蠕蠕(柔然)の地に赴いた王が
住民の不潔なことに嫌悪感を抱き、国交を断ったとかって話があるんだよね?
37 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 13:26:31 0
不潔な李氏朝鮮なんかエフタル人とやらは嫌ったろうな。
哀れな半島・・・・・・
38 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 13:35:50 0
テスト!
嚈噠
別名「白フン」ってのは肌の色から由来しているのか、
それとも何か他からきているのだろうか。
41 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 15:14:11 0
>>39 白フン(シュヴェータ・フーナ)はインドでの呼び名。
シュヴェータはヒンドゥーの白銀に輝く山だからじゃね?
43 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 15:51:08 0
一方、アゾフ海付近に留まっていたフン族のことを「黒フン」と呼んでおった。
44 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 16:44:39 0
黒と白・・・・・つまりなぎさとほのかがそろえば2人はプリキュア!
まったく白だの黒だの!
46 :
世界@名無史さん:2005/10/22(土) 21:29:23 0
黄エフタルはいないのか
>>42 サーサーン朝でも白フン(スペード・フヨーン)と呼んでいる。
ちなみに鉄勒は赤フン(カルミル・フヨーン)。
黒羊朝
49 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 04:14:29 0
>>36 韃(モンゴルあたりの民族)を厭うという意味で嚈噠なのかな?
もしくはモンゴル方面から逃れてきたからか
単なる音写だよ
カラ・キタイ
黒ってカラと言うんだよな
カラコルムは関係あるのか知らんけど
>>51 > カラキタイ
カラコルムの名称とは全然繋がりはない。
「カラ・コルム」は「黒い砂礫」ほどの意味だが、『世界征服者史』では
その名前はカラコルムの都の近くの山の名前に由来しているとの記述がある。
実際エルデニ・ズー遺跡の近郊には黒い花崗岩質の石を産する小高い山があって、
カラコルムに立つ碑文などの石材はここから採取されていた。
53 :
世界@名無史さん:2005/10/24(月) 01:35:06 0
黒い石って黒曜石?
>>53 Unaussprechlichen Kultenという本に詳しい。
読んだら後悔するかも知れないが。
>>54 手に取った時点で後悔しそうな気がする題名だな。
56 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 04:54:04 0
民族名にくっつく色(白フンとかカラキタイとか)って謎が多いよね。
単純な人は「肌の色だ」とか言うけど、そう簡単な話じゃなさそう。
おもしろそうだから、とりあえず誰かリストアップしてみない?
57 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 10:20:51 0
カラ・キタイとかカラ・キルギスの「カラ」は「西」という意味だよ
カラは「西」とか「黒」など、様々な意味がある。
例えばカラ・トンは「黒い森林」の意味。
これは、蒙古西方のケレイト族の縄張り支配地。
だから、西遼(後遼)の場合は「黒い契丹」とも
いわれる。
西方の聖獣は白虎なんだけどねぇ
60 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 18:00:39 0
まあガイエの中国ものや陳瞬臣の本でおなじみのウンチクだな。
カラキタイ関係の話
61 :
世界@名無史さん:2005/10/25(火) 19:24:56 0
カラカルパク人の僕が来ましたよ
『黒韃事略』って有名なオゴデイ時代のモンゴル宮廷を訪れた南宋の
使節の見聞録があるけど、ここでいう「黒韃」ってのは「黒い韃靼」
の意味でモンゴルのことを指す。
「達旦>韃靼」はもともと「タタル」諸部族の音写なのは周知の通りだが、
南宋や金朝にとってタタルのさらに北側にいる連中も一括りにして、
「白韃靼」、「黒韃靼」「赤韃靼」などとそれぞれ呼んでいたとか。
白いのが普通のタタル諸部族で、黒がモンゴル、赤がケレイトだったか。
なんでモンゴルが「黒」かというと、他の「韃靼」に比べ「文明度」が
低い未開な連中なので不潔で「黒ずんでいたから」とかそんな話だったような・・
ちょっと記憶があやふやだ。
ベラルーシの文明度は…やはり肌の色か。
日本の西には中国があるわけだが、
皮衣や唐渡りの唐と、
カラキタイのカラ(=西)は
関係あるの?
65 :
世界@名無史さん:2005/10/27(木) 00:50:34 0
>>62 単に
韃靼=トルコ混じり=白色人種
モンゴル=黄色人種 で
黄色人種は白色人種より黒いってだけだろ
ちょっと待った!
> トルコ混じり=白色人種
という図式が意味不明なのだが。
タタルがケレイトやウイグルと同じテュルク系なのは周知の通りだが、
白色人種というのは単純に肌が白っぽいじゃなくてよもやコーカソイド
とかいう意味で使ってるのか?
テュルク系がコーカソイドなんて情報聞いたことが無い。
コーソカソイドといえるチュルク系といえば・・・
アゼルバイジャン・バルカール・カラチャイ・クムイク
・チュバシ・バシキールぐらい。
昔なら、クマン・ブルガールあたりか。
「テュルク系」というのは言語的にもさることながら
普通歴史学系の文脈では
「テュルク系言語を元々母語とする遊牧勢力(ないしそれを起源とする集団)」
であって、近現代にかけて「テュルク語化」した人々も同じ範疇に含めることは
あまり無い。
もし同じに論ずるのであれば、「現代の〜」などとただし書きを付けるのが普通。
「アーゼルバーイジャーン」は元々イラン世界であって、16世紀ごろのサファヴィー朝
成立前後からテュルクメン集団がこの地域で激増しため在来のイラン系の住人たちの内で
テュルク語話者が増加したことにより、現在のアゼルバイジャン地方の言語状況になった。
今では判別が難しいが、もし歴史的に「テュルク」を論じるのであれば、定住化した
テュルク集団や、その影響で歴史的にテュルク語話者になった他の民族集団(タジクなど)、
あるいはソ連時代の「民族政策」で本来のイラン系やスラブ系などの印欧語系の母語と
していた人々がテュルク語話者に遷移した場合などの区別を明確にしておくべきだろう。
69 :
世界@名無史さん:2005/11/02(水) 10:08:06 0
>>34 > エフタル人で後世に名前が伝わってる香具師いますか?
一番有名なのは、5世紀後半にペーローズと
死闘を演じた「アフシュンヴァール(フシュナワーズ)」。
これは名前じゃなくて称号だろう、といわれている。
アフシュンヴァールは、別の文献では「エフタラノス」と
呼ばれているが、こっちは王姓らしい。
エフタルという国名・族名自体、この王姓にちなむ
といわれているし、516年に南朝・梁に使者を派遣した
滑国(エフタル)王の名「厭帯栗陀」も王姓、ということなの
だろう。
いわゆるエフタル・コインに刻印されている名前としては、
「ホラサン・シャーであるハイタル(エフタル)・スピダファルン・
ティギン」「シャーヒ・ティギン(称号のみだろう)」「デーヴァ・
シャーヒ・キンガル」などがあるが、名前だけなので、
どういう続柄・人物か全然わからない。
宋雲らがトハーリスターンで会った王、ガンダーラで
会ったテギンは名前がわからない。
エフタルは560年代にササン朝と西突厥の挟撃にあい、
王国は崩壊する。当時の王の名は「ヴァルツ」もしくは
「ガトファル」だという。
当時、エフタル首領に「カトゥルフォス」という人物がいた。
この男はエフタル王に妻を寝取られた腹いせに突厥に寝返った。
その後ササン朝に仕え、今度は突厥の使者を誹謗し、
ササン朝と突厥の国交樹立を邪魔したらしい。
エフタル王国崩壊後、各地のエフタル残党は突厥や
ササン朝に服属した。ササン朝に服属したチャガニアン
首領の名は「ファガニシュ」。その後裔らしい「トゥランタシュ」、
「ティシュ」などの名も知られている。
650年頃ササン朝ヤズディギルド3世を破ったトハーリスターンの
君主「ネーザク・タルカン」も、こういったエフタル残党だと
いわれている。が、どうもこれもこの家系が代々名乗った
称号らしい。8世紀初頭にも「ネーザク・タルカン」が現れ、
イスラム軍と戦っている(クタイバに敗れて滅びた)。
インドに侵入した異民族フーナをエフタルだとすれば
(その正体についての議論は決着していない)、
「トーラマーナ」「ミヒラクラ」の親子は有名。
もっとも「トーラマーナ」という名の人物は
場所、年代を変えて複数いるという説もある。
ヤショーダルマン(バーラーディティヤ)に敗れカシミールに
引っ込んだミヒラクラの子孫については、カシミールの王統紀に
「バカ」「クシティナンダ」「ヴァースナンダ」「ナラ」「アクシャ」
「ゴーパラーディティヤ」「ゴカルナ」「ナリンドラーディティヤ・
キンギラ」「ユディシュトラ」と記されているが、あまり信用できない。
ミヒラクラがカシミールに引っ込んだのは532〜33年頃と推測
されるが、その後年代が明らかになるカルコタ朝創始年7世紀前半
までの約百年間にミヒラクラの王朝を含め、4王朝25人の王が
即位したことになっている(その中にトーラマーナという王もいる)。
これはいくらなんでも多すぎる。
まあ実在が確実なのはトーラマーナとミヒラクラの親子くらい、
と考えた方がいいでしょう。
76 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 15:02:13 0
他に、一応エフタルかもしんない(否定説の方が優勢)、
といわれてる人は、
4世紀中頃ササン朝と戦ったキオンの王「グルムバテス」
420年頃ササン朝バフラーム5世と戦ったテュルクのカガーン「シャーラ」
5世紀前半の匈奴系ソグド国王「忽倪」
などがいる。
535年に南朝・梁に使者を送った滑国(エフタル)王「安楽薩丹王」というのもいた。
79 :
世界@名無史さん:2005/11/09(水) 00:42:33 0
>>74 >「バカ」(略)と記されているが
細かく詳しく
>>78 実はアフガニスタンのパシュトゥーン中核部族ドゥッラニーの
一氏族の名もアブダーリー(ドゥッラニー部族全体がアブダーリーと
呼ばれたこともある)。
ササン朝や東ローマではエフタルが「アブデル」と呼ばれていた
ことから、昔は「アブダーリーはエフタルの末裔では?」といわれて
いたが、現在ではほぼ否定されている。アブダーリーという氏族名は、
パシュトゥーンの伝説的始祖カイス・アブドゥール・ラシードに由来する、
という説が有力。
むしろパシュトゥーンのもう一つの中核部族ギルザーイー(ガルジー)
の方が、テュルク(ハラジュ)+エフタルがパシュトゥーンに同化したもの、
といわれている。
だから
>>78のアブダルも、もう少し調べないとエフタル後裔とは
簡単には言えないと思う。
「アブダル」という集団名がエフタル(アブデル)と必ずしも
結びつかないのは上述の通り。
エフタルが使用していた言語がはっきりわからない現状では、
アブダル語がペルシア語(タジク語)+テュルク語(ウイグル語)
だからといって、これをエフタルに直結させるのも無理。
82 :
世界@名無史さん:2005/11/14(月) 22:27:44 0
むしろアブダルの別名「エイヌ」が、匈奴(ヒュンヌ)を想起させるが
どんなもんか。これだと「匈奴→エフタル」説の人を喜ばすだけかな。
エフタル最盛期に支配がトゥルファンあたりまで及んでいたことは
事実だし、唐代にも天山あたりに[‡邑]怛(エフタル残党?)部
という集団・地名があった、というから、この地域にエフタルの
後裔が今もいる話があってもおかしくはない。
が、なにせエフタル王国消滅から1400年、その長い時間をどう
埋めて現在のアブダル族につなげるかが問題。
>>79 カシミール王ミヒラクラ以下の諸王は、『カラナ著ラージャタランギニ−』に
載っている系譜。
ただ、カルコタ朝以前の系譜は多分に伝説的であまり当てにならない。
ミヒラクラもゴナンダ3世から続くゴナンダ朝王の一人、ヴァスクラ王の子、
とされており、外来の王として描かれてはいない。
ただミヒラクラの粗暴な行いやインド各地へ侵寇したなど、「フーナの
ミヒラクラ」関連史料と似た記事が多く、同一人物とみていい。
『大唐西域記』などでは、ミヒラクラはバーラーディティヤに負けた後、
カシミール王の好意で領地を与えられ、後に王位を簒奪したとされて
いるから、ヴァスクラ王の娘を嫁に貰って婿養子扱いになった、
ということかもしれないが(推測)。
ミヒラクラ前後の諸王については、文物などでは裏付けが取れないので、
実在性は確認できない。
ナリンドラーディティヤ・キンギラ王は実在したとすれば、6世紀中頃〜
後半あたりに年代が落ちるので、丁度アフガニスタン・カーピシーに
あったキンガル朝と同時代になり、両者は何らかの関係があるかも
しれない。
ただしキンガルという名はエフタル・コインにも出てくる名なので、
「これは単なる称号で、いろんな王家で使われただけ」というのが
桑山正進・説。
>>80-82 やっとまともっぽい話が聞けた。thx
ちなみにご存知かもしれんがアブダルの言語については「エイヌ語」の名前で
『言語学大辞典・世界言語編・補遺』に載ってる。
その混合の感じがなかなか面白い。
もしエフタルの言語が記録されていていたら、
それをエイヌ語と比較するのもいいだろうな。
まあ中国では「羌族」が公認されてるくらいだからw
86 :
世界@名無史さん:2005/11/27(日) 22:18:23 0
エフタルはどうだったか知らんが、7世紀頃までのキルギス地域の人々は、
唐代の記録によると、金髪で白い肌で碧眼の長大な人々だったらしい。
なんでウイグル以上にあそこまでモンゴロイド化したのかは知らんが。
日本列島にも新モンゴロイドのいわゆる弥生人じゃなくて、イラン系でも
フィン・ウゴル系でもいいからコーカソイドが大量移住してくれば良かった。
やっぱりageると変な人が引っかかってくるね
89 :
87:2005/11/27(日) 22:57:00 O
先住民もいわゆる縄文人じゃなくて、最低でもサモエード系。
コーカソイドに近ければテュルク系が大量に渡来してきても良かった。
そうすれば今の俺達は周辺の東アジア人と違いかっこ良かったぜ。
90 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 21:30:12 0
ウイグル
突厥 (とっけつ、Turk) 帝国崩壊後、モンゴル〜東トゥルキスタンを支配したトルコ系民族で、鉄勒 (オグズ) 諸部族の一つ。
漢字で「回鶻 (かいこつ) 」などと書かれる。
彼らの築いた帝国は100年程で崩壊したが、
その後も北東アジアで命脈を保ち、サハリンから北日本に移住
92 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 19:53:07 0
>>85 エイヌ語関連資料にはこんなのもあった。
大角翠・編著 『少数言語をめぐる10の旅 フィールドワークの最前線から』 三省堂 2003
p.94〜118 林 徹 「「エイヌ語」への縮まらない道のり 中国・新疆ウイグル自治区」
調査作業の苦労話といった感じのエッセイだが、エイヌ語研究史や問題点についても
やさしく書いてあって貴重。
「エイヌ語の起源は何か?」とグダグダ言う前に、まずきちんとデータを取りましょう、
というポリシーの先生だけに、軽率に仮説提示はしていないけど、充分面白い。
この(予備)調査結果から見えてくる、かなり強力な「エイヌ差別」を知ると、
イスラム化する前のトルキスタンやイランにもカースト制度があったんじゃないか?
とも思わせるけど、軽率にそんなこと言ってると林先生に怒られますね、はい。
93 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 07:30:51 0
EFTA
94 :
世界@名無史さん:2005/12/28(水) 23:00:35 0
うわぁぁぁぁ!!!!
またエフタルが襲撃してきた!!!
>>94 あんたペーローズだな!
何度も援軍頼んでおきながら、裏切って攻めてきたのは
おまえだろうが!2回とも負けて最後は戦死したくせに!
「ペーローズはエフタルと3回戦った」とする研究もあるけど、
それはキダーラ・クシャン・バーラム政権(当時はもう一つの
ペシャワール政権とに分かれていた)と戦ったのを
1回分としている。つまりキダーラとエフタルをごっちゃにしてる。
他にキオンもエフタルにしている研究者もいるし、整理しながら
読んでいかないと、何が何だかわからなくなる。
イラン系・カフカス系・・・
98 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 17:40:26 0
どっちにしても567年に滅ぼされて他の民族に組み込まれたことに変わりはない
「エフタル帝国」は560年代に滅びたが、エフタル人の国は
その後もホラサーンやバダフシャンで2〜3百年続いていたよ。
100 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 01:15:15 0
4ヶ月かかって100ゲット
101 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 01:27:52 0
誰か、匈奴=フン族か?スレ立ててよ・・・
>>10 それってエピタフのこと?
いまさらすみません・・・・
>>100 エフタル史ってはやんないし、最近は進展もないからしょうがない。
最近だと、林梅村『シルクロードと中国古代文明』に
「エフタル貨幣の謎を解く」という一文があったが、
エフタルに関する基礎知識がない人(中国の学者は基礎知識の
ない人が多すぎる)なので、書いてあることは無茶苦茶。
>>101 それだと話題が狭くなるから
【匈奴+その先祖?末裔?総合スレ】
とでもしておけ。
105 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:35:04 0
106 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:40:56 0
107 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 10:11:22 0
エフタル最強
108 :
世界@名無史さん:2006/02/10(金) 01:29:53 0
学校の先生がエフタルは5C〜6Cに活躍したから
語呂合わせで中央アジアにエフタルゴロゴロと言っていたな
110 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 17:08:58 0
>106
うむ、大儀であった。
111 :
世界@名無史さん:2006/02/19(日) 14:28:09 0
>108
自分の時はエフタル自体が授業でスルーだったなあw
112 :
世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:35:52 0
授業だけじゃなくて、日本でインド・中央アジア史を取り上げるときは
仏教と関係ない事項には非常に冷淡。典型がNHKシルクロード。
エフタルってバスクとかイベリアとかは関係ないの?
114 :
世界@名無史さん:2006/02/20(月) 20:35:24 0
エフタルはササン朝ペルシアより西には進出してないから
関係ないよ。
しかし、ひでぇスレタイだ
116 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 00:15:11 0
エフタルが滅んだ原因(世界史の地図を見て直感)
首都の位置が不安定だったから
Ephthalite
Epthalite
Ephtalite
Eptalite
Hepthalite
Hephtalite
Heptalite
118 :
世界@名無史さん:2006/03/10(金) 03:14:54 0
中国でも「厭帯夷栗陁」と転写されているから
この表記は原音にかなり忠実な音なんだろう。
実際は王家の始祖の名前らしいけど。
119 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 11:35:05 0
>>112 ひとえにNHK「シルクロード」と平山画伯の影響だろうか?
日本の中央アジア史研究は仏教伝播史から入っているから
それは昔は仕方ないんだけど、いまさらその史観だけで
中央アジア史を切るのは無理があるでしょ、って言う話。
昔のNHKシルクロードの時点で、利用している史観は
すでにかなり古臭いものだった。
121 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 07:01:56 0
見平倉
122 :
世界@名無史さん:2006/04/06(木) 07:50:58 0
>101
そもそも匈奴って、当時の中国人がそこらへんの
騎馬民族を適当に名前つけただけじゃね?
自称がわかんないと先に進まないと思うが。
まあ、全盛期には彼ら自身が「匈奴」を自称したわけだが。
親書に「匈奴の大単于が漢の皇帝に問う…」みたいな感じで。
22152;22112;
てすと
嚈噠
126 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 00:48:33 0
エフタルってモンゴル系?トルコ系?
イラン系という線も忘れちゃいけない
決着はしていない
128 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:10:32 0
ナウシカでもエフタルって出てくるね
風の谷の地名で、ナウシカの言葉もエフタル語なんだっけ
129 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:54:24 0
地名というより滅びた王国じゃなかったっけ?>エフタル
ナウシカのモチーフには、他にもトルキスタンとかウクライナとかチベットとか
中央アジアから東欧にかけての文化や名前がいろいろ混ざってるっぽいけど。
130 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 01:55:19 0
エフタル人って人種的には?
131 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 03:53:57 0
「梁職貢図」に出てくる滑国(南朝でのエフタルの呼び名)使節の
姿を見ると、モンゴロイドともコーカソイドとも言いかねる。
おそらく混血だろう。ただし、この使節がエフタル・プロパー出身
であるという保証はない。
顔つきは小振りで端正な顔。髭はなく鼻も低い。毛深くて
鼻が高い明らかにコーカソイドの形質を示す波斯国使、
白題国(メルヴ)使と比較すると、モンゴロイドに近い。
が、目はつり上がったキツネ目ではなくあまり北方的ではない。
百済国使と比較すると違いは明らか。どっちかというと倭国使に
近い(こっちは毛深くアイヌっぽいが)。個人的にはチベット人に
似てると思う。
しかし髪の毛はかなりきついパーマがかかっていてチリチリ。
この辺は白題国使とそっくり。
滑国は吐谷渾の手引きで南朝に使節を派遣していたので、
滑国使節の中には吐谷渾周辺民族が混じっていた可能性もある。
「梁職貢図」ひとつで、エフタルの人種を断定するのは
かなり危険だとは思うが、いずれにせよ非常に面白い
資料であることは間違いない。もっと議論されても
いいはずなんだけど。
倭国使の姿があるこの「梁職貢図」って
日本古代史でもなぜかあまり議論されない。
×白題=メルヴ
○白題=バルフ
メルヴは末国でした
こういうスレ世界史板の醍醐味だね
135 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 19:04:36 0
エフタルってのはインド側の記述による音写なの?
エフタル自身は文字ないよね?
136 :
mafoid:2006/04/15(土) 19:07:09 0
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エフタルの名称は諸言語で様々だが、最も代表的な「エフタル」は
東ローマ史料(ギリシア語)の「Εφθαλιται」から来ている。
インド語では「Hūna」。ただし「エフタル=フーナ」かどうかは
完全には証明しきれない。
138 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 01:58:25 0
エフタルってどういう意味なの?
「エフタル」は、もともと王家の始祖の名前、あるいは王姓だが
後にこれを国号とした、とされている。意味は不明。
140 :
がいやまん:2006/04/21(金) 07:41:37 0
141 :
世界@名無史さん:2006/04/21(金) 10:16:08 O
多少の混交はあったかもしれないけどやはりイラン系が主体でしょう?
アム・シム川流域にテュルク系の突厥はまだモンゴリアから来て日が浅くエフタルと敵対関係にあったし
チベット系はこの時期はせいぜいタリム盆地東部が西限
モンゴル系、アラブ人を含むセム語族系はまだこの地域に姿を現していない
ブルガール人、ハザール人が活発化するのはエフタル全盛時の2、3世紀後
あと考えられるのは原住地不明の欧州侵入前のアヴァール人ぐらいだと思いますが
エフタルをテュルク系と推定している人は、突厥と混血してテュルク系に
なった、といっているわけじゃなくて、最初からテュルク系でアルタイ
あたりからバダフシャンに流れて来た、と推定している(実際『魏書』に
そう書いてある→「嘘臭い」とも言われている)。
その中でも「悦般がエフタルになった」という早稲田閥(松田・内藤
ライン)の説もまだ人気あるしね。オレは榎説のバダフシャン原住の
イラン系(というより言語系としてはパミール系あたりかもね?)
という説の味方。
143 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 02:59:38 0
ローマはゲルマン人に、
中華帝国は五胡に、
ペルシアとインドの帝国はエフタルに
144 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 21:05:34 0
中華帝国は悲慘
五胡ねぇ
145 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 23:06:14 O
日本は貧しい僻地だったからね
みなに無視されていた
イスラム商人は朝鮮まで来たんだが、日本に来なかった
ポルトガル人のように難破みたいな偶発的な出来事がなければ来やしないか
146 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 18:13:10 0
>>141 > チベット系はこの時期はせいぜいタリム盆地東部が西限
古代の中央アジアにはチベット・ビルマ系民族は進出していない、
と思われがちだが、タリム盆地南西部〜カラコルムあたりには
羌がいた形跡がある。
『漢書』西域伝に出てくる西夜国、蒲犁国、依耐国、無雷国は
氐羌遊牧民の国だったらしい。いずれもカールギリック(叶城)
あたりにあった国。
『周書』西域伝にも、「于闐(ホータン)の住民だけは周囲の胡
(コーカソイド人種)と違って漢族と似ていた」という記述がある
(『北史』西域伝、散佚後復元された『魏書』西域伝も同記述を踏襲)
から、南北朝時代ころまではタリム盆地南西部ではモンゴロイド
(氐羌)の血が濃く残っていたらしい。
その後は周囲の民族に吸収されたようで、氐羌の姿は消える。
『漢書』西域伝・難兜国条には、パミールを越えてカラコルム山中
(バルティスタンあたり)にも[女若]羌がいたと記されている
(難兜国も羌?という説もある)。『魏書』西域伝には、その後裔と
みられる阿鈎羌という集団の名前も出てくる。
こちらは、その後進出してきた同系であるチベット人と混ざって
しまったのだろうか、その後裔については全く追跡できない。
「エフタル=チベット系?」という説は、エフタルが一妻多夫制を
持っており、それは現在チベット人に顕著にみられる(実際は、
時代を逆上るとチベット人に限らない)ことから言い出されただけで、
さほど根拠はない。上記の古代西方羌系民族を考慮したものでもない。
今のところこれら羌系民族とエフタルを結びつけるのは難しいが、
可能性としては保留しておくのも悪くないかな、とは思う。
149 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 19:07:30 O
それってエフタルじゃなくてトハラ(サカ)人のことじゃなかったっけ?
トハラ人もチベット系の影響受けて一妻多夫の風習あったらしいけど
人種民族的にはイラン系だったらしいよ
>>149 確かに『隋書』『通典』『唐会要』などに、隋唐代の吐火羅の一妻多夫制に
ついての記述がある。でも、エフタルの一妻多夫制はそれより先に
『梁書』『魏書』『周書』『隋書』『南史』『北史』にすでに記述がある。
それに『隋書』西域伝・吐火羅国条には「挹怛(エフタル)と雑居」とある。
だから吐火羅の一妻多夫制というのは、一緒にいたエフタル自身の話、
あるいはエフタルの影響とみた方がいい。
「吐火羅の一妻多夫制がチベット系の影響」というのは成立しにくい。
というのは、吐蕃がトハリスターンに進出したのは8世紀で、隋代に
すでにあった一妻多夫制がその吐蕃の影響で始まったわけがない。
「チベット系の影響」というなら、前述の古代西方羌や隋唐代に
パミールの南にあったという女国(チベット系なのかどうかは不明)
について考える必要があるが、そこまで研究は進んではいない。
そもそも、わりと最近の記録しかないチベット人の一妻多夫制を基準に
「一妻多夫制はチベット系民族が起源」と考えること自体が
錯覚であるかもしれないし。
152 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 11:37:37 0
名スレじゃないかよ
153 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 20:52:41 0
キングクリムゾンの1stの曲にあるよね
エフタル
154 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 01:47:48 0
エフタルの宗教は何どすえ?
シャーマニズムでは?
騎馬民族は古代帝国を滅ぼしてからその宗教を受容して広める側に回るのがデフォ。
156 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 00:18:47 0
『洛陽伽藍記(宋雲行記)』には「不信仏法、多事外神」「不信仏法、好祀鬼神」、
『梁書』『通典』などには「事天神火神」とあり、アニミスティックな多神教であった
ことがうかがえる。インドのヴェーダの神々を思い起こさせる。
シャーマニズムも当然あったとは思うが、文献にはそれらしき記述は見当たらない。
葬法は土葬であったから、ゾロアスター教徒ではなかった。仏教徒でもなかった
ようだが、仏典に記されている「エフタルのガンダーラ破仏」は誇大表現の疑いが
強い。
157 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 05:57:41 0
ゾロアスター教徒だって土葬するんじゃないの?
鳥葬とかイヤって人もいそうだし。
158 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 16:43:37 O
今は衛生上の問題から鳥葬はできないかもしれない
ただゾロアスター教徒にとっては土も火と同様に神聖なものはずだよ
現在のパルシー教徒はどういう埋葬しているのだろうか?
159 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 04:31:36 0
エフタル研究の第一人者って誰?
160 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 18:49:41 0
エフタルに関するまとまった本は非常に少ない。たいていは
中央ユーラシア史・イラン史の一部として取り上げているだけ。
イラン史が専門のRoman Ghirshmanが「キオン・エフタル」という
本を出してるらしいけど未見(1948年発行、キオン=エフタルと
いう説で今でも人気がある)。
他はイラン〜アフガニスタン〜インドの考古学・古銭学の
一環でエフタルを扱っている論考が多く、エフタルについて
まとまったものは少ない。
UNESCOの「中央アジア文明史」でエフタルを担当してるのは、
ロシアのBoris Litvinsky。だけど、あまり得意分野じゃなさそう
(得意分野は帝国崩壊後のエフタル残党について)。
最近エフタル研究は全然はやらないから、人材もいないのかも。
日本だと、榎一雄と内藤みどりがエフタル研究の二大巨頭。
両者はエフタルの出自について、イラン系(榎説)vsテュルク系
(内藤説)と真っ向から対立していた(この辺の議論は最近は
全く進展なし)。
インドのフーナについては、山田龍城−明爾の親子二代にわたる
論考が光る。フーナについては、インド人学者の論考は多い
(専門書も何冊かある)が、粗雑な研究が多くて困る。
桑山正進もキンガル朝〜テュルク・シャーヒ絡みで、エフタルや
フーナに詳しく触れた論考が多い。山田説・桑山説で特徴的なのは、
エフタルとフーナを別勢力とみている点。でも、世界的には同一
勢力説の方がまだ強い。
邦文ではエフタルについてまとまった本は皆無で、詳しく知り
たければ論文(あるいは個人全集)をコツコツ当たるしかない。
中国では余太山 「嚈噠史研究」という本が出ているらしいが未見。
書評を読んだ限りでは、既存研究をよくまとめてあるようだけど、独自の
考察にはちょっと疑問点が多く、無理して探す気もあまりしない。
163 :
ty270410:2006/05/30(火) 23:02:37 0
>>161 内藤みどりさんの『西突厥史』の本の付載に
メナンドロスの日本語訳が載っているが,
その中にエフタルが出てくる.
内藤さんの註が詳しい.(ただ,少し古い.)
私のような在野の物好きには,非常に面白い.
164 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 13:36:47 O
テュルク系の突厥と対立していたエフタルが同じテュルク系というのも・・・
ただ突厥と友好関係にあり、エフタルと対立していたソグドもイラン系といわれるからなあ
165 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 16:16:48 0
エフタル・・・・・遊牧騎馬民族か
友達が間違えてずっと「エタフル」と連呼してたが
敢えてスルーした
突厥内部でさえ年がら年中内紛やってたのに、エフタルが遠い親戚の
テュルクなら突厥と仲良しのはずだ、なんてお話成立しないよ。
別にエフタルがテュルク系だと思ってるわけじゃないが。
167 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:28:47 0
エフタルが匈奴である可能性は?
エフタルと匈奴を結びつけたがる人は
北匈奴残党→悦般、悦般→エフタル、という
二段構えで結びつけようとするが、二段とも
難があって、匈奴と結びつけるのはちょっと難しい。
今のところは「白フン」という名前が匈奴や
フンと似ている、という以上には話は進展しない。
169 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 23:58:28 0
エフタルの制度と匈奴の制度に共通点は無いの?
170 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 22:03:07 0
Excerpt from L.N.Gumilyov "Vestnik drevney istorii", 1987, No.3, pp. 91-98
さて、エフタルのヒイターラントは中央アジアの平原なのか、パミール川流域の
山中なのか本論の初めに提起した問題には、もう回答が出せるようだ。AD1000年
のターリム盆地歴史地図は衆知のとおりである。その付近にエフタルのような大国家、
大民族はどこにもなかった。エフタルによるホータン、クチャ、カラシャールの征圧は
495 - 497年であり、この際エフタルは東ではなく西から侵入した。天山山脈地方
及びこれに接するセミレチエは古代はサカ族、その後烏孫(BC2世紀-AD2世紀)、
その後は欧州に移動する途中に、後年「ユエバン」と呼ばれるヘシュ族が滞留し
(2-5世紀)、最後は鉄勒が住んでいた(5世紀末-6世紀初め)。
171 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 22:03:52 0
アラル海周辺平原は東はバルハシ湖の連なり、広大であるが、人の住むのには
不適であった。この平原の西部は強粘土砂質、つまり、不透水土壌であり、この
土地の植物は貧弱で、多数の住民を養うことはできず、その東は水のないベトラク・
ダラ砂漠が広がっている。カスピ海周辺平原もエフタルが侵入したところであり、
出たところではないのであるから、同様に除外される。パミール川西部流域を
エフタル族の故郷、その民力の源泉、その文化の城塞と認めなくてはならない
唯一の可能性しか残されていないのである。エフタル族の祖がどこから来たもので
あろうが、彼らがそういう民族になったのはすなわちここなのである。
172 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 22:10:28 0
Erratu: 1967 i/o 1987 ヒンターラントi/oヒイターラント
173 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 22:37:19 0
エフタル国の歴史的運命は中世スイスと驚くほど似ている。双方とも、隣接する
王国の一時的凋落、国難に乗じて勇猛な山岳民が連合し、片方はオーストリア、
ブルグンド似対し、片方はペルシャ、インドに対し輝かしい勝利を収めたが、双方
とも、占領した地域の留保と戦績の確保にはつながらなかった。結果としてスイス
傭兵がフランス王の親衛隊を輝かしたように、エフタルはラージプートの隊列を
増強し、崩壊したグプタ帝国の残党に対する勝利を助けた。
・・・結論、エフタルはトルコ系ではなくパミール山岳民であるとのこと。
ユエバンて悦般のことだよね。
ヘシュ族ってなんのことかわからない。匈奴のこと?
170-173の話はだいたい榎一雄説と同内容だね。
ただ、中国史書ではなぜアルタイ(金山)出身で蠕蠕に従属していた
などと書かれてるのか?とか、バダフシャンの山岳民族にしては
急速に領土を広げていく様子が極めて遊牧騎馬民族的だ、とか、
まだまだ解明しなきゃならない謎がエフタルには多い。
176 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 00:48:46 0
ペルシア側の資料って無いの?
>>173 9世紀のタバリーの歴史などに、ヘフタリテのアクシュンワル王と
ペーローズ(454〜484)との戦闘や、カワード、ホスローとの抗争の
話が出てくるよ。特にカワードは、ペーローズ敗戦の人質になって
エフタルで2年程過ごし、王の妹だかを娶っている。カワードの
即位もエフタルの後押しあってのもの。
この時代、エフタルは、ペルシア貴族の内部抗争にも関与し、
ササン朝の統治体制自体に関与し、ササン朝は一時的に属国といっていい
状況だった。
178 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 06:57:55 0
179 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 08:54:13 0
>>175 やはり坂上田村麻呂はサクソン族との関連で考えないといけないということだろう。
180 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 08:59:04 0
推古朝に訪日しているトカラ人、インド婦人のカップルというのがある。
182 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:35:32 0
>>181 でも、人物と滑国使本文の間(本文冒頭)が欠落しているけど、
あの人物が本当に滑国使に結びつくんだろうか?もしかすると
たまたま残っていた全然別の国の使節の絵を前にくっつけた
だけだったりして。
ある言語学者の研究によれば、エフタルの王族の言語は
「Proto-Pashto」だそうな。
言語としてはイラン系のものをつかっていたんだろうか。
まあ、そう遠くないうちに「エフタル語」のコーパスができる
んじゃないか。
無理だろー、エフタル語の文章って何が残ってるっての?
確かに「コーパス」は大げさかもしれないけど、語彙集くらいはできるんじゃない?
エフタル起源の単語が収集されはじめてるって話は聞いたことがある。
エフタルの言語による文章だって、アフガニスタン北部あたりからな
ら見つかる可能性はゼロじゃないかも。バグラーン近郊のエフタル城塞遺跡
はまだ未調査らしいし・・・
186 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 00:37:46 0
エフタルはゾロアスター教じゃないの?
187 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 09:29:56 O
エフタルが文書を残したとするなら何の文字を使った?
敵対しているソグド文字、突厥文字ではないよね
大 海 嘯
189 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 00:17:38 0
コインの銘文などに記されているいわゆるエフタル文字というのは、
バクトリア文字であってギリシア文字の変形(草書体みたいな)。
独自に文字を創作するとか、込み入った文章を作るといった文化は
残さなかった(今のところ見つかっていないだけかも知れないが)。
だからいつまでたっても謎の民族扱いされる。
190 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 23:25:46 0
遊牧国家ってのは公用語に異言語を使うことに抵抗感が薄いよな。
191 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 00:16:03 0
あと宗教もな。
192 :
世界@名無史さん:2006/08/05(土) 11:42:35 0
エフタルはなに教を崇めてたんだ?
ゾロアスター教あたりだろうか。
またこの話かよ。154にループ。
194 :
世界@名無史さん:2006/09/02(土) 21:04:21 0
陰日なたに咲いてるスレだなぁ
195 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 22:32:10 0
age
196 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 22:43:16 0
>>194 スレ立てした椰子がスレタイの付け方の基礎からわかってないアホだから。
197 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 01:24:45 0
198 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 00:36:56 0
トルコやテュルク系の国々ではイラン系が有力って言う説をハッキリ退けて
既に完全に我が自民族の歴史の国と規定させちゃって教えてるんだよな
エフタルがそもそも何系なのかまだハッキリしてる訳じゃないのに凄い事するもんだ
因みにトルコ&テュルク系の国々はそのものずばりAk Hun(白匈奴の意味)って名前で教えてる
199 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 00:55:19 O
白フン
俺はガキの時、緑のフンをしたこと1回あったな
白いフンドシの事か
201 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 05:27:39 O
いや ンコの方
F樽
樽ルート
204 :
世界@名無史さん:2006/12/11(月) 01:40:03 0
エフタルってそもそも何語の表記なのよ?
中国だとエンタツ?
アチャコモナー
206 :
世界@名無史さん:2006/12/11(月) 02:49:12 0
ロ厭ロ達
これも出せるぜ
嚈噠
日本語表記の「エフタル」は
ギリシア語「Έφθαλίτοι」から。
209 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 01:00:39 0
ギリシア語「Έφθαλίτοι」って何という書物に記されているの?
それとも碑文かなんか?
中央アジアでギリシア文字はいつ頃まで使用されていたんかな?
210 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 18:48:57 0
エフタルのような拠点、領土が不安定な国家は
維持するのが大変だったんじゃね?
アフガンを拠点にした帝国はけっこうあるような
>209
エフタルのギリシア語表記は現地周辺に残る文書や碑文ではない。
ビザンティンでの記録。メナンドロスが記した突厥使節マニアクの
ビザンティン訪問記などにこの表記がある。
>210
そもそもエフタルは中央集権国家の体裁をなしていなかった。
封建国家のような雰囲気もあるが、ガンダーラのテギンをはじめ
あちこちでテギンや領主が勝手なことやってたんじゃないかな
(王を裏切って突厥に寝返ったカトルフォスはそんな領主の一人)。
よくわからんコインがあちこちで勝手に鋳造されてたみたいだし。
パンジャーブのフーナ(トーラマーナ&ミヒラクラ)に至っては
エフタル本体とどういう関係であったのかすらわかっていない。
213 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 01:52:45 0
突厥が東ローマに使者を送ってたんだ〜。
用向きは何だったの?
214 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 09:32:47 O
突厥使者“イランって邪魔だね”
東ローマ官僚“そうだね、あいつがいるからセリカ(中国)と商いできないんだよね”
突厥使者“じゃあ、ルート変えてみる
ちょっと北のルートに”
東ローマ官僚“いいねえ
それと繭ちょうだい”
突厥使者“いいけど 値が張るよ”
東ローマ官僚“いいよ”
突厥使者“サンクス じゃあね”
東ローマ官僚“バイバイ”
215 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 16:38:15 0
イランってのはササン朝?エフタル?
エフタルの諸侯であったカトゥルフォスが妻をエフタル王に寝取られた。
頭に来たカトゥルフォスは西突厥のディザブロス(イステミ)とササン朝を
そそのかしてエフタルを挟撃させた。これが当たって563〜4年頃
エフタルは滅亡。
その後、西突厥がアヴァールを攻めようとした際に、カトゥルフォスは
ディザブロス(イステミ)を諫めたため嫌われ、ササン朝に身を寄せる。
西突厥の使節ソグド人マニアクがササン朝を訪れ絹貿易交渉を行ったが、
このカトゥルフォスがコスロー王にあることないこと吹き込んで、この交渉を
二度に渡り潰した。西突厥は怒って交渉相手をビザンティンに切り替える。
こうして568年、ビザンティンと交易・同盟関係を求める西突厥の使節
マニアクがビザンティオン(コンスタンティノープル)を訪れた。
217 :
世界@名無史さん:2006/12/26(火) 21:50:00 0
ソグド人研究には東ローマの文献も当たらないといかんのか・・・
奥深いな〜。
218 :
世界@名無史さん:2007/01/11(木) 00:21:22 0
エフタル人ってすごく体臭臭そう
220 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 03:41:30 0
エフタルってバクトラが首都だったの?
221 :
世界@名無史さん:2007/03/06(火) 00:25:03 0
バルフだろ
222 :
世界@名無史さん:2007/03/09(金) 00:11:31 0
222ゲット
223 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:53:21 0
遊牧民も定住するのか
するよ
遊牧民は風呂はいらないしな
226 :
世界@名無史さん:2007/04/23(月) 22:47:43 0
宗教についてはどうだったんだろう。
マニ教かゾロ教あたりを受け入れていたとか?
ミヒラクラは仏教を弾圧したんだよね?
229 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 00:25:38 0
230 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 02:26:53 0
フンザは、その名の通り、エフタルの末裔かもしれない。
フンザの語源はブルシャスキ語の「矢(hunts)」の複数形 huntse だ
と地元では言われてるらしいがあんまり説得力はない。今のところ語源は
不明。
かといってフーナ or エフタル起源を思わせる伝承もないし、今のところ
特に積極的にフーナと関連づける理由はない。
232 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 07:29:32 0
>>231 矢の複数形でありますか、とりあえずは、騎馬民族に関連がなくは
ないようですな。
北方の「匈奴(ヒュンヌ)」とか「フン」とか「フーナ」は
「人」という意味の自称らしいけど、フンザのブルシャスキ語では
そういう言葉はない。
「男・人」=sissで全然関係なさそう。むしろ「数字の1」=hunで、
これは「人」と結びつく気配は今のところなし。
地名のHUNZAは「数字の1」と関係ある言葉なのかもしれない。
234 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:46:57 0
ブルシャスキー人は、バスク人やチェチェン人のようなイワユル原住民、
それとも、パンノニアのマジャール人やアナトリアのトルコ人のように、
イワユル外来者でしょうか。
月氏やエフタルにも関連があるのでしょうか。
235 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 21:51:20 0
236 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 03:26:22 0
>>233 ブルシャスキー人は、オセチア人や小月氏のように、遊牧民だったものが、
山岳地帯に追い込まれたものでしょうか。
それとも、バスク人やチェチェン人のようなイワユル山岳民族なのでしょうか。
フンザの話を続けてもエフタルには結びつかないから、こっちで答えるよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1107859162/l50 【パキスタン・バングラデシュの歴史】
一つだけエフタル/フーナの話をしとておくと、カラコルム・ハイウェイ
沿いでは、サカ王モガ(マウエス)やクシャン諸王の碑文が見つかっていて、
これら王朝の支配が及んでいたことがわかっている。
エフタル/フーナの碑文は発見されておらず、史料でもエフタル/フーナ
領とははっきり記されていないが、すぐ近くまでは確実に支配していた
から、カラコルムにも支配が及んでいたのは間違いないだろう、
といわれている(少なくとも敵対している様子はない)。
238 :
世界@名無史さん:2007/06/24(日) 17:28:14 0
「魏書西域伝」や「洛陽伽藍記(宋雲行記)」などに、エフタルの
既婚女性は角のついた帽子をかぶっている、とある。
実はこの帽子、アフガニスタン・ヌーリスタン(カーフィリスタン)の
バシュガル渓谷に住むカティ人の間には19世紀末まで存在していた。
イスラム化によって消滅してしまったが、かぶっている姿は古い写真に
残っているし、現物も数点博物館に残っている。
http://www.chart.ac.uk/chart2001/papers/noframes/witek.html Wlodek Witek(National Library of Norway, Oslo)
With Camera to India, Iran and Afghanistan: Access to Multimedia
Sources of the Explorer, Professor Dr. Morgenstierne (1892-1975)
この帽子が「ヌーリスターニーがエフタルの後裔である証拠」とまでは
言わないが、なんらかの関係がある証拠ではあるだろう。
特に「エフタルの原郷はバダフシャン(モンゴル高原出身ではない)」
という説にはかなり有力な証拠。
239 :
世界@名無史さん:2007/06/24(日) 17:30:27 0
カラコルム〜ヒンドゥクシュの諸民族の中に、ギリシア人、月氏、サカ、
クシャン、エフタル、突厥などの血が混ざっているのは間違いないだろうが、
「そう推測できる」というだけで、これといった証拠が見つからないのが難点。
特に言語資料がほとんどないのが痛い。
スレとはちょっとずれるが、「ギリシア人の血」については近年面白い研究がある。
http://hgm2002.hgu.mrc.ac.uk/Abstracts/Publish/WorkshopPosters/WorkshopPoster11/hgm0533.htm HGM2002 Poster Abstracts: 11. Genome Diversity POSTER NO: 533
Investigation of the Greek ancestry of northern Pakistani ethnic groups
using Y chromosomal DNA variation
これは「先祖はギリシア人」という伝説を持つ3つの民族、パシュトゥーン、
カラーシャ、ブルショについて、ギリシア人に特有な遺伝子の有無を調べる
という調査研究。
結論は、パシュトゥーンには少し混じっている、カラーシャについてはよく
分からない結果で結論は保留、ブルショには全然ない、というものだった。
以前ティムール朝史についての本を読んでいたら
「バダフシャンの諸王(Shahs of Badakhshan)」
というのが出てきたけど、エフタルと関係あったり
するんでしょうか?
検索してもよく分からなかった・・・
>バグラーン近郊のエフタル城塞遺跡はまだ未調査らしいし・・・
うはっ夢がひろがりんぐ
当然、王侯、貴族の墓も見つかってないと
>>240 > 「バダフシャンの諸王(Shahs of Badakhshan)」というのが
> 出てきたけど、エフタルと関係あったりするんでしょうか?
シャイフ・ムハンマドとかシャイフ・アリーとかいう人たちでしょ。
彼らは「アレクサンドロス大王の子孫」を名乗っていたらしい。
いつからそう言いはじめたのかは知らないが、これより
100年前、マルコ・ポーロがバダフシャンを通ったときに
「王族はアレクサンドロス大王の子孫を称する」と書いている
のが一番古い記録だと思う。
しかしそれより逆上ると、10世紀にいたバダフシャン王の名は
'Abu-al Fath al-Yaftaliという名前だった。
バダフシャンの中心地ファイザバードの北にYaftal(Haftal)
という地名が今もあって、Yaftaliという氏族名にもなっている。
Yaftali氏族(タジク人)の有名人は、最近ではブルハーヌッディーン・
ラバーニー元大統領。
このYaftalという地名はエフタルという名と同源ではないか?と
いわれており、「エフタル・バダフシャン起源説」の根拠のひとつ。
バダフシャンがエフタル発祥の地かどうかは結論出ないけど、
エフタル帝国崩壊後、その残党がトハーリスターン〜バダフシャンに
かけてたくさん小国を作って残っていた(一説では27カ国)のは
間違いない。
エフタルの名は、8世紀前半まではトハーリスターン〜バダフシャンに
追えるが、その後消えてしまう。
14世紀のバダフシャン王族シャイフ・ムハンマドたちも、
アレクサンドロスの子孫、というよりはエフタルの末裔である
可能性の方がリアリスティック、と思う。とはいえ、10世紀の王様の
名前くらいしか証拠になりそうなものはないんだけど。
それに系譜がわからないので、10世紀の王家と13〜17世紀の王家が
繋がるのかもはっきりしない。16世紀にバダフシャン王家から
モグーリスターン・ハーン家に嫁いだ姫様シャー・ベガムは「うちは
三千年の歴史がある」と言っている(ならアレクサンドロスより古いん
だけど??)から、まあずっと繋がってるとは思うが・・・。
「アレクサンドロス大王の子孫」話があんまりあてにならないのは
いつものことで、実はバダフシャンの王家は、17世紀にサマルカンド
から来たウズベク人の王朝に変わっているんだが、19世紀になると
こいつらも「アレクサンドロスの子孫」と言い始める。やれやれ。
>>243-246 詳細なレスありがとうございます。
16世紀の3千年前だとインドにアーリア人が侵入した頃・・・w
ウズベク人の王朝ってチンギス・ハーンの血も引いてたりするんでしょうかw
17世紀の中ごろヤフタル部族から迎えられて
バダフシャンに新王朝を開いたヤール・ベクは、
サマルカンドのサイイド(預言者ムハンマドの子孫)
の家系とされているから、チンギス裔ではないようだ。
まあ自称「サイイド」ってやつも「アレクサンドロスの
子孫」同様信用できたもんじゃないけど。
249 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 20:51:14 0
バダフシャン史については、加藤九祚先生の個人誌「アイハヌム」に
T.G.アバエワ『バダフシャン史概説』の翻訳を掲載する、という
予告があったが、「アイハヌム2004」に掲載されたときには
第1章 地理 第2章 交易史だけで、肝心の第3章 政治史概説 は
誌面の都合で全部割愛されていてガッカリした。
その後も掲載される気配はないが、いつか載せてほしい。
その他では、お馴染みのENCYCLOPEDIA OF ISLAM :
NEW EDITIONのBadakhshanの項(バルトリド執筆)が一番詳しい
から一度読んでみるといいよ。
そうですね。ヤール朝の頃の制度について多少伺えるくらいで。