1 :
世界@名無史さん :
2005/09/22(木) 20:19:03 0
2 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 20:21:22 0
始まりはやっぱり映像の20世紀風に「ヴィクトリア女王の死」から?
3 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 21:01:40 0
ヴィクトリア女王 「王室は、ナショナルな事柄から距離を置かなければならない」
あかるーいナショナール、みんなのナショ、ナール
5 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 23:24:21 0
第一次世界大戦があまりにも大きな被害をもたらしたため、 これ以降、戦争の首謀者を“処罰”するという考え方があらわれてきた。 (ヴィルヘルム2世がオランダに亡命したため実現しなかったが) いわば、正戦思想の復活であり、近代以前の状態への逆戻りである。
6 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 06:54:29 0
日露戦争の影響は外せないんじゃないか?
7 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 08:04:56 0
西欧人にしてみれば、ロシアと日本という後進国が極東で戦った戦争 なんて興味がなかったのでは?
9 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 09:20:23 0
>>8 おかげで機関銃等で防護された近代要塞への肉薄突撃がいかに危険か知らずに
ベルダンとかで死体の山。
10 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 11:53:30 0
たしか戦闘において機関銃がかなり有効な兵器だと言う事が再認識されて。 各国で機関銃の配備が進んだんだよ。 それまでは威力はあるけど扱いづらいって認識しか無い。 ただ着目したのは威力があって有効なだけって所のみ。 それ以外は概ね大国ロシアに小国日本が国家総力戦を挑んだって認識しかねぇ まさか自分たちが国家総力戦なんて事をするとは思ってなかった。
11 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 13:01:00 O
あと、本来はイギリスとアメリカが日本を利用してロシアを倒させ、自身の影響力を強めようとしたのだろうが、この大戦で余計な力を付けてしまったため太平洋戦争の悲劇を招く事になる。日本はこの大戦に参加するべきではなかった。
12 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 14:43:24 O
そう考えるとアル・カイーダそっくりだな。
アメリカって何で第一次世界大戦に参加したの? どうも、参戦するまでの経緯を見ていると、なにかと難癖をつけて 参戦したがっていたように見えるんだけど。
14 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 16:20:38 0
15 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 19:05:58 0
イギリスから、ドイツはもしもアメリカが参戦したら、メキシコも対米開戦 するよう、ドイツとメキシコの軍事同盟を工作することを支持しているとの 極秘電報を傍受したと連絡があった。 これをきいてアメリカの世論は沸騰し、参戦に傾いていく。
16 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 20:39:05 0
ドイツ側の宣伝 「世界は固唾を呑んでおり、各国民はその真髄を示す。ロシア人は最後の 最後まで陰険で不実であり、フランス人は予想外の事態に直面してうろたえ、 イギリス人は冷静に打算し躊躇する。ドイツ人は歓喜する!」 「我ら若者は征く、戦線へ!旧弊なうんざりするような世界から、聖なる 戦場へ」 「戦闘での散華のみが価値を創造し、空虚な人生に意味を与える!」
>>13 ルシタニア号撃沈や
>>15 が述べた対メキシコとの密約もあるが
本音は連合国に負けられると、大規模な債務が返済不可になるので
参戦した理由がある。
18 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 22:04:05 0
ドイツと英国の関係が悪化した原因に、ドイツの政治システムが、 国内のロビーをコントロールし、国際社会の現実に合わせた一貫した 外交政策を立てられるようなシステムになっていなかったことが あげられる。 1900年には、1917年までに戦艦38隻・巡洋艦42隻の大艦隊を建造する という「第2次艦隊法」が成立した。 英国との建艦競争をやめようとしても、恩恵を受けている工業界が 反発する。農業関税引き下げで被害をこうむった農業界も艦隊法 賛成に回った。
多点での浸透突破。リガ・ブルシロフ攻勢。 攻撃側の兵力集中・進軍よりも防御側の兵力集中・予備隊投入の方がはるかにすばやくできる。
20 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 22:41:32 0
第一次世界大戦における“スチームローラー”ロシア軍の活躍ぶりは あまり知られてないね。 ブルシロフがオーストリア軍とドイツ軍を敗走させたのに加え、 オスマン軍に連戦連勝してアナトリア深く攻め込んだ。 なのに一般にはロシア軍=ダメダメみたいなイメージが広がって いるんだよな。
ガリポリ戦での悲劇を描いたオーストラリア映画”誓い”(主演メル・ギブソン)はオススメ。 軍事マニアや世界史マニア以外でも十分に楽しめる、切ない青春映画でもあります。
23 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 00:25:22 0
ww1を書いた絵画で 夜間の運河か河川でのフランス軍の渡河作戦を描いた絵はご存知ありませんか? 海外のサイトでありましたらリンクしてください。
24 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 01:08:13 0
ドイツのトルコ説得が成功し、トルコはドイツと同盟を結び、英国へはジハード体制を採る。アスキス英首相は「トルコが自殺した」と演説。英国の最大努力はイスラム教徒の参戦を阻止することと、オスマン帝国解体後の地域に自由主義国家を作ることに注がれた。
>>24 そのために哀れトルコに身売りされたゲーベン嬢。
だが、そのおかげで天寿を全う出来た彼女に萌え。
27 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 12:41:29 0
28 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 16:18:56 0
戦争中、小麦粉が不足したので、麦藁粉・ライ麦粉・ジャガイモ粉を 混ぜたパンが発明された。
29 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 16:32:06 0
戦時中に色々発展しすぎ それまで、サボってたのかおまえらと
30 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 17:32:49 0
ドイツ人はコサックを異常に恐れていたらしいね。 第一次世界大戦前、コサック兵が鬼よりも恐ろしいという風評は ドイツ人の間で動かしがたいものとなっていて、ドイツ・ロシア 国境地帯に住んでいるドイツ人は、間違えて一歩でもロシアの大地に 足を踏み入れたならば、たちまちあのコサック兵が飛んできて攫われて しまうのだと思っていたとか。 (このあたり、ロシアに対するオリエンタリズム的視線か?)
31 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 20:47:33 0
起源スレもいつの間にか落ちてますな 軍板のスレもこのところ停滞気味だし、日本語の本は極端に少ないし The Peacemakers という本ぐらい邦訳出してほしいもんだけど 売れないものは出ないだろうな 2014年に近くなれば欧州ではいろんな本がまた出ると思うんだが 日本はどうだろうか
33 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 09:57:57 0
第一次世界大戦で、各国がワラワラと戦争に参加していった背景として、 この時代のヨーロッパ人が「戦争=国家間の決闘」と考えていたことが あげられるかと。 よく歴史モノの映画を見ていると、ヨーロッパの貴族が、 「○○は名誉を傷つけた××に対し、決闘を申し込む!」 なんて言っている場面が出てくるが、戦争もこれと同じような感覚で 捉えられていた。 オーストリアとしては皇太子を殺すという侮辱を与えたセルビアを 放置しておくわけにはいかなかったし、ロシアにもスラヴ系であり正教国 であるセルビアにオーストリアが手出しするのを黙ってみていることは できない、という考え方があった。
34 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 15:56:11 0
英国が8月4日にドイツに宣戦布告したときには、一般市民は 「ドイツ野郎には少し仕置きが必要なのさ。まあクリスマス前には始末が つくさ!」 といっていた。 また、現代ではダグラス・ヘイグはDQN扱いされているが、当時は彼は 勇猛果敢で有能な司令官という名声をほしいままにしていた。 ヘイグに対する評価が暗転したのって、いつごろなんだろ?
35 :
b :2005/09/25(日) 16:53:42 0
教えて
36 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 17:10:03 0
「八月の砲声」よりも第一次大戦全体を詳しく書いてる本ってある? 国内で比較的手に入れやすい、って条件がつきますけど。
37 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 20:17:37 0
ドイツ人のことを「フン族」といいはじめたのはこの頃からか。
39 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 20:25:08 0
ドイツ人に対する蔑称は、The Hun(フン族)、ボッシュ、ジェリーなど。 ついでに書いておくと、英国人はベルギー人のことを 5フット5ネイション(背の低い国民)と呼んでいた。
40 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 21:17:21 0
キッチナー+アレンビー+ヘイグ。植民地戦争の英雄。
41 :
世界@名無史さん :2005/09/26(月) 20:24:30 0
戦争が始まる前に、イギリスがロシア・フランス側について参戦するという 態度を明確にしていれば、ドイツを思いとどまらせることができたかなあ? 当時のイギリス政府は、議会や世論の反発を恐れて、そういう確約を するのに消極的だった。
イギリスが参戦することを予想してベルギーに飛び込んだのだが……
43 :
世界@名無史さん :2005/09/26(月) 23:24:31 0
>>42 ベートマン・ホルヴェークは、イギリスの中立化失敗で落胆したそうだが。
というかイギリスの参戦にヴィルヘルムは驚いていたはずだが
ヴィルヘルムが驚いたってのは休暇から帰ってきた時の話じゃないの? イギリス中立化失敗もベルギー侵攻前に明らかだから 侵攻開始時点でもうイギリス参戦は覚悟の上でしょ。 第一次大戦の直前外交が理解しづらいのは、 軸が政治家・君主の側と軍人の側の二軸あるからだけど。 すくなくともモルトケはイギリス参戦は始めから覚悟してたし、 シュリーフェンプラン発動を認めた時点で政治家側も覚悟していたと思うが。
何となく釣られたような気がして出てきますたが >第一次大戦の直前外交が理解しづらいのは、 >軸が政治家・君主の側と軍人の側の二軸あるからだけど。 少なくともイギリスには軍人の軸はないですな だからイギリス参戦が第一次大戦の最後の引き金だとすれば 戦争の原因もまさに政治家の外交の失敗であるわけだ
>>46 論点ずらして楽しいですか?
ベルギー侵攻の時点でドイツがイギリス参戦を予想していたかの話なんですが。
>>47 そんなもん予想してたでしょ?
政治家も軍もそこまでアフォじゃなかったよ
予想してなかったことにしたいのは責任逃れの言い訳にすぎない
ベートマン・ホルヴェーグのことだけどね
つうか参戦しても大勢に影響は無いと判断して白に飛び込んだんじゃなかったか
50 :
世界@名無史さん :2005/09/27(火) 20:46:01 0
プロイセン陸相ファルケンハイン 「ドイツはこれで滅ぶかもしれないが、それもまたいいではないか」 どうもこの時期のヨーロッパ人には、戦争になったときに、 「これで長年の胸のつかえがとれて、すっとした」 みたいな感情があったように思えてならない。
51 :
世界@名無史さん :2005/09/27(火) 21:56:03 ID:0
ファルケンハインって政治家として評判はどうなのですか
52 :
世界@名無史さん :2005/09/27(火) 23:13:46 0
>>51 ベルダンで仏軍が消耗すれば、戦闘意欲を失い、フランスから講和を申し込む
と考えていたけど、見通しが甘かったと思う。
53 :
世界@名無史さん :2005/09/28(水) 17:26:38 0
オーストリアはロシアは革命を恐れて参戦しない、とふんでいたらしいけど、 ロシアにとっては黒海とダーダネルス海峡が同盟国の手に落ちるのを黙って 見ているわけにはいかなかったからなあ…
54 :
世界@名無史さん :2005/09/28(水) 21:46:07 0
歴史は善と悪の闘争の舞台であり、繰り返すことが多い。WW1とボスニア紛争はウリふたつ。 善の勢力は旧約聖書的イデオロギーが中心となっており、人間を絶対的な悪と位置付け、それゆえ人間にはモラルの支配が必要であるとするイデオロギーだ。 一方悪の勢力では、ギリシヤ・ローマ時代のように人間を崇高の存在と位置付ける性善説が中心となっている。 性善説の代表者が東ローマ帝国のギリシア正教であり後のロシア正教。性悪説の代表がユダヤ教とプロテスタント。 バルカン半島は性善説と性悪説がぶつかり合うイデオロギーの十字路なのだ。
>>50 なんか閉塞感が開けたような気分だったみたいだね
対米英開戦した時の日本もそうだったらしいが
>>52 それでもルーデンドルフに比べればまだマシ。
もっとも両者ともクレマンソーの足元にも及ばないが。
政治家の質ではフランスの圧勝のような気がする。
57 :
世界@名無史さん :2005/09/29(木) 17:31:57 0
>>56 ルーデンドルフって、無制限潜水艦作戦によってアメリカ参戦を招いた
だけじゃなくて、敗戦後もミュンヘン一揆に参加したり、
ユダヤ=フリーメーソン陰謀説を宣伝したりと、ロクなことやってないな。
>>57 戦局が不利になると休戦だとわめき立て、
少しそれが回復すると、今度は戦争継続だと叫ぶ。
休戦のためベルギーの現状復帰を受け入れるよう説得されると
将兵の血によってあがなわれた土地を放棄することはできないと
つっぱね、その直後ベルギーの維持が難しいとなると今度は
あっさり、これを放棄する。
一事が万事この調子で行き当たりばったりもいいとこ。
一体全体、彼は何がしたかったんだろうか?
59 :
世界@名無史さん :2005/09/29(木) 21:32:41 0
>>58 「戦術」は理解できても、「戦略」は理解できなかったんだろうね。
とにかく目先の戦闘に勝つことしか考えていなかった。
イギリス人は、いまだにパサンダール(パッシェンデール)という地名を聞くと、ゾッとするらしい。
61 :
世界@名無史さん :2005/09/30(金) 13:20:03 0
62 :
戦争さん :2005/09/30(金) 16:39:27 0
. ________ _ | 司令部炎上中 | `)) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ジ ( ) ∧ ジ ャ ( ) <⌒> (⌒ ⌒) ャ | ウーウー.( .人 /⌒\ \( ,, ⌒)// | ン 人/ ヽ ______]皿皿[-∧( ⌒ ,, ,, ) ン ( ( )( ) )三三三∧_/\_|,,|「|,,,! ( ,, ) !! __| ̄田 ̄田 / ̄ ̄Π . ∩ |'|「|'''|「( ) /__,|==/\=ハ, ̄ ̄|「|ガシャーン |「| | * + /_| ロ ロ 「 ̄ ̄ ̄ | | 田 |「|箔c 田 |「|[[ * |ll.|ロ ロ,/| l⌒l.l⌒l.| | |「| |「|ミミミミミミ ++*: λワー∧ λワー λワー .λワー | | λワー λワー
63 :
世界@名無史さん :2005/09/30(金) 20:22:35 0
1908〜09年のボスニア・ヘルツェゴビナ問題で、 ロシアはオーストリアがこの地域を併合するのに同意するかわりに、 オーストリアはダーダネルス・ボスポラス海峡の通行権という ロシアの希望を支持することで合意した。 しかし蓋を開けてみると英仏の支持は得られなかったのでロシアは 国際会議提案したが、ドイツとオーストリアは真っ向から会議の開催に 反対し、英仏のどっちつかずの態度もあって、ロシア側の提案は挫折した。 次にオーストリアはロシアとセルビアがボスニア・ヘルツェゴビナの併合を 正式に認めるように主張し、ドイツもロシアに圧力をかけてきたので、 ロシアも要求を呑んだ。 第一次世界大戦でロシアが総動員令をかけたのは、このときの屈辱の記憶も 大きく作用していたと思われ。
>>23 海外のサイトではないけど、ピザーラ、お届けっ。
http://www.geocities.jp/napowhis00/File0007.jpg 1917年7月、リーセル運河を渡るフランス歩兵、だそうな。
それとベルギー侵攻とイギリス参戦のをドイツがどうとらえていたかの問題なんですが、
まずは時系列に沿って経過を見ていく必要があると思います
(ただし、細かい日付に関しては文献によって異同がありますが)。
イギリスもドイツも、オーストリア・セルビア戦争を局地化したいと考えていました。
で、7月23日にオーストリアがセルビアに最後通牒を発するのに前後して、イギリスは、
何度か仲介案を列強に定義しています。
しかし7月27日の仲介案を最後にイギリスは中立放棄に傾き、28日、オーストリアがセルビアに宣戦すると、
翌29日、グレイ外相が「独仏が参戦する場合イギリスはフランスを援助する」という声明を発しています。
>>41 (世界文化社『第一次大戦前後』世界歴史シリーズ21)
一方ドイツは、7月26日にイギリスの第4回仲介提案を拒否したときから、
対ベルギー最後通牒の作成を始めています(『八月の砲声』)ので、一応この26日をもって、
ドイツはシュリーフェン計画を真剣に考え始めた、と仮定しましょう。
とすれば、
>>45 >>48 といった意見に従えば、この時点でドイツは
「ベルギー侵攻→イギリス参戦」を覚悟していたことになる。
しかしながら、ドイツはその後も戦争の局地化、二正面作戦の回避、あるいはイギリスの参戦阻止を模索しています。 そしてその方策のひとつが、ベルギー問題であったことは確かです。 7月28日、オーストリア、セルビアに宣戦布告。 7月29日、ロシア総動員開始(30日、31日とする文献もあり)。 31日、ドイツ、ロシアに対し最後通牒。 この日、グレイは独仏政府に対し「他の強国がベルギーの中立を侵犯しない限り」これを尊重するよう、 電報を打っています(『八月の砲声』)。 そしてまさに同じ31日、ベートマン=ホルヴェークは軍部に対し 「フランスが宣戦したわけでもないのにベルギーに侵入することはできない」と主張しています (ゲルリッツ『ドイツ参謀本部興亡史』)。 これは、「フランスに先に手を出させれば、ベルギーに侵攻してもイギリスは参戦しない」という、 淡い期待があったことを示唆するのではないでしょうか。 8月1日、ドイツ、ロシアに宣戦布告。 同日、駐英ドイツ大使リヒノフスキー、グレイからの電話の内容を誤解して 「ドイツがフランスを攻撃しないならば、イギリスは中立を守り、フランスにも中立を守らせる」 と本国に打電(繰り返しますがこれは誤報でした)。 カイザーはこれによって二正面戦争を避けることが出来ると考え、 小モルトケにシュリーフェン計画の変更、全軍の東部への配置換えを命令。 小モルトケの答え、「こういう作戦だからそれは出来ません」。 カイザーはジョージ5世に対し、「イギリスが中立を保障するならフランスを攻撃しない」と打電。 同じ日、ドイツ軍はベルギー攻撃の前段階としてルクセンブルクに侵攻する予定でした(シュリーフェン計画発動)。 ここでもベートマン=ホルヴェークはイギリスの返電が来るまでは侵攻を待つよう主張し、 カイザーは進撃停止を命令しています(『八月の砲声』)。 1日から2日にかけての深夜、イギリスからの返電で誤報であることが判明。 2日、ルクセンブルク侵攻開始。シュリーフェン計画発動。
2日、ドイツ、ベルギーに7月26日作成の最後通牒を手交。 内容は「ドイツ軍の国内通過を認めてほしい、それによって生じた損害は賠償する、断ったら攻める」。 この内容も、「平和裏にベルギーと仲良くしてますよ」というポーズを示すことで、 イギリスの参戦を止めようとしたものと考えられます。 ということは、7月26日の時点でも、ドイツ側はイギリスが参戦しない方策を考えていたことになりはしまいか。 3日、ベルギー、ドイツの最後通牒を拒否。 同日、ドイツ、フランスに宣戦布告。 4日、ドイツ軍ベルギー侵攻。イギリス、ドイツに最後通牒。宣戦布告。 以上の経過を見れば、カイザーやベートマン=ホルヴェーク、ヤーゴウといった面々は、 シュリーフェン計画を認めた後(7月26日〜)でもイギリスの参戦を止めようと、 (客観的に見て効果的かどうかはともかく)いろいろと手を打っています。 誤報に基づいていたとはいえ、一度はシュリーフェン計画を完全に変更しようとまでしています。 8月4日、ドイツ軍がベルギーに侵攻した時点になっても、 ヤーゴウは外務省にベルギー大使が帰国の旅券を取りに来たと聞いて大臣室から出てきて、 「何か言いたいことがあるんじゃないですか」とドイツ軍のベルギー領内通過を改めて懇請し、 帰ろうとする大使を追いかけて「まだ話が残っているような気がするんだがね」と食い下がっています ベートマン=ホルヴェークはイギリス大使から最後通牒を受けて極度に動揺し、後に大使から 「英国の行動を知って明らかに度を失い、理性に耳を傾ける余裕を持っていなかった」と述懐されています (2つのエピソードとも『八月の砲声』)。 このようにしてみると、政治家側はイギリス参戦を決して覚悟していなかったと見ていいのではないでしょうか。 「ベートマン及びヤーゴウは、英国に関して誤信していたのである。 (中略)何人に対しても、ベートマンは英国が、少なくとも戦争の初期の間は、 中立を守るべきである旨繰り返し保障していたことである。幻想であり、幻想以外の何物でもない」 とは、ベートマン=ホルヴェークの前任ビューロウの評価です(ビューロウ『大戦の回顧』)。
イギリスは、戦争が終わるまで、志願兵の列が途切れることがなかったらしいですが、なぜなのでしょう? 戦争初期のころは、それこそ「ピクニック気分で」志願する人間もかなりいるだろうからわかりますが。 その段階を過ぎれば、いいかげん戦場の過酷さの認識が拡がっているはずですよね。 それでもなお、手足や命が無くなる危険性を認識しつつもなお、イギリス人を戦場に駆り立てたものはなんだったのでしょうか? 「社会的圧力」? しかし命を落とす危険性と引き換えにできるものなのですかね? 「己が信ずるものを守るための献身」? うーん・・・・・ なんか”嬉々として”戦場に連れ立って向かっているようにみえる・・・・・
年金
>>64-66 7月危機の場合、時系列に整理するのは両刃の剣なんですよ
何月何日のたとえば午前中に各国で何が起こっていたかを
横に見るのはなかなかムズイんですわな
カイザーとドイツの政治家が最後なんとかしてイギリス中立工作をしてますが
これは最後になってビビったパニック行動ですわ
問題は直前ではなくてあのカイザーの「白紙委任 (Blank Cheque)」の時に
どこまでドイツ側がこの事態を予測、あるいは企図していたのか
そこにドイツの戦争責任論の根っこがあるんです
事態が進んでのちは、そして特にベオグラード砲撃のあとは
ドイツ首脳部はイギリスが中立にとどまらないことは認識していた、理性ではね
29日のグレイの声明でそれははっきり裏付けられている
(イギリス国内はまっぷたつだったけど)
それでもちょちょ舞ってなんとかしようとバタバタした
ビューローの言うとおりイギリス中立の「幻想」に浸って現実逃避したんですよ
リヒノフスキーの回顧に関しては歴史史料としては価値が薄いとの判断が通説です
っつーか政治家の回顧はみんな自己弁護ですからな
第一次大戦の場合は何百万も殺したあと出版されているわけで
チャーチルのもグレイのもサゾノフのもかなりいい加減でございます
>>67 >イギリスは、戦争が終わるまで、志願兵の列が途切れることがなかったらしいですが、なぜなのでしょう?
徴兵制であろうが志願兵制であろうが
国家の危機というときに兵役忌避は難しいもんですよ
人間は社会的動物ですからな
71 :
世界@名無史さん :2005/10/01(土) 19:46:18 0
若い女が白い羽をつけてまわった。 数年後恋人を帰してとか言う。
クルック第一軍はそんなに簡単にパリを制圧できたの? 例のターンをしなければ。
73 :
世界@名無史さん :2005/10/01(土) 20:45:50 0
クルックがパリを包囲すれば、バリコミューンが再び。
>>69 いや、「ベルギー侵攻の時点でドイツがイギリス参戦を予想してたか」という話だったから、
変に議論の対象となる事象が拡散しないよう時系列で書いたんですが。
いきなり白紙委任状の話だのドイツ戦争責任論だの持ち出されても。
論点がずれまくってますがな。
それ以前の段階でどうであれ実際にベルギー侵攻する時点では、
カイザーにもベートマン=ホルヴェークにもヤーゴウにも覚悟はできていなかった、訳ですよ。
そもそも「イギリスが参戦してきそうだ」という危機感があったからこそ必死に中立工作した訳で、
覚悟があったらグレイ声明の後で「ちょちょ舞ってなんとかしようとバタバタ」なんかしません。
そしてそれが幻想であった、ということを示すためにビューロウに登場していただいて、
私自身も「客観的に見て効果的かどうかはともかく」と書いたんですが。
それから、リヒノフスキーの回顧録はどこにも利用しておりませんよ。
使ったのはビューロウだけ、それも貴方が「ビューロウの言うとおり」と認めてる部分だけです。
>>74 ???
わたしゃナポレオン氏が間違ってると反論したわけじゃないぞよ?
よく読んでおくれなもし
それにベルギー侵攻の時点での話なら上の方でけりはついてるんじゃないのかえ?
その上で「いやとにかくドイツ首脳部は分かっていなかった」というご意見なら
それはそれで、意見の相違って事です、はい
で、欧州ってこの戦争でそんなに没落したのか?
帝国主義終焉への序曲じゃないかな? むしろ第二次大戦の方が欧州の衰退ではないだろうか?
78 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 14:29:38 0
「ヨーロッパ的価値観の終焉」ではないかと。
79 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 19:58:41 0
第一次世界大戦後、芸術の世界ではダダイズムやシュルレアリスムが 現れる。 既成の秩序や常識を否定したり、理性による抑制を取り除こうとしたりした。
80 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 17:28:46 0
塹壕戦 戦車 飛行機 毒ガス あと他に目新しいものあります?
潜水艦
サクス・コバーグ・ゴーサ家がウィンザー家に、 バッテンベルグ家がマウントバッテン家に改名したけど、 この戦争以前にはこういう現象は見られなかったな。
>>80 飛行船、浸透戦術、国家総動員体制、女性の社会進出。
>>81 潜水艦は南北戦争が先では?
>>83 実戦配備に耐えうる性能としては第一次大戦じゃないかな?
軍板と同じ話題ならこの板にこのスレいらないだろ。
しかし、一王家の皇太子暗殺がここ迄の災禍を招くとは 欧州各国の誰も予想だにしなかったんだろうか? 良く分からんのだが連合、協商陣営で和平交渉とかってあったのかな? 教えてエロイ人
>>86 和平交渉っていつのこと?
連合、協商陣営が明確に意識されるようになったのはドイツがフランスに侵攻してからの話だよね?
そうすると1,2行目との文の繋がりが今一わからないんだが。
それともサライェボ事件からドイツのベルギー中立侵犯までの間のこと?
個別の和平というか戦争回避の調停は 1914年7月23日以降まあ断続的にあっちこっちでやってますが 調停工作しながら背後で軍事準備やるんで そんなことではまとまる話もまとまらんわなあ 節目でいうと7月26日にグレイが4カ国(英仏独伊)大使会議を提案してますが 当事者(オーストリアとセルビア)抜きでやろうって提案な上に ドイツが会議そのものに反対して流れてますな
89 :
86 :2005/10/04(火) 09:38:46 0
>>87 すいません、あんま詳しく無いんで...
一応、戦争期間を通じて各陣営、あるいは国家間で和平工作がなされたかを聞きたかったんです。
90 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 13:11:26 0
6月28日 オーストリア皇太子夫妻暗殺 7月初め オーストリアからドイツの意向を確認する使者が派遣される。 ヴィルヘルム2世とベートマン=ホルヴェークは、オーストリアを無条件で 支持するという確約(白紙小切手)を与える。 7月23日 オーストリアの最後通告がセルビアに手渡される 7月25日 オーストリア、セルビアと国交断絶 7月28日 オーストリアの参戦 7月31日 ロシアが動員令を布告 8月1日 ヴィルヘルム2世が総動員令に署名 8月2日 イタリアが中立を表明 8月3日 フランスが参戦 8月4日 イギリスが参戦
91 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 21:05:08 0
単純に考えればいいんだよ。搾取する側と搾取される側、カトリックとプロテスタントのケンカだよ。そこにトルコが絡んでくるが、トルコもそもそもは搾取される側からの勢力って事ネ。
オーストリア=ハンガリー:カトリック ドイツ:ルター派(北部、中部)とカトリック(南部、西部) フランス:カトリック イギリス:英国国教会 イタリア:カトリック ロシア:東方正教会 搾取する側:列強 される側:植民地 ?????
93 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 13:16:23 0
ドイツが新興帝国主義国家で、ロシア、大英帝国、フランスなどの既存帝国主義国家の植民地独占を打破しようとした戦いだ、 という議論は昔からあるね。 ただ、ドイツはともかく、中央同盟の残りのハプスブルクやオスマンはどうなのかと思ったりする(ブルガリアはセルビアが嫌いだっただけだろうし)。 個人的には、ドイツ側がオーストリアの領土を犠牲にしてまでイタリアの同盟国側参戦をはかったのは何故だか未だに分からん
>>93 植民地独占打破っつうのは後付けだね。当事者たちはそんな
つもりはなかったよ。なんとなく戦争になってしまった。
95 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 13:51:11 0
>>94 >なんとなく戦争になってしまった。
そんな奴おらへんがな〜。戦争には必ず動機が隠れており、なんとなくってことは絶対に有り得ない。戦争は善と悪の闘争劇。
96 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 14:13:23 0
ビスマルクが引退してからドイツ外交はダメになった、というイメージが 広まっているけど、ヴィルヘルム2世の時代は、下からの圧力がビスマルク 時代より強くなっていたからな。 ビスマルクがあのまま宰相でいても、いつかは行き詰ったかも。
>>95 もともとは大戦にするつもりのない局地紛争のはずが、気がついたらヨーロッパ全体の戦争になってしまった。
第一次大戦は不思議な戦争なのですよ。
だから未だになぜ起こったのかで論争があるわけで。
別に煽る訳ではないが
>>95 は具体的にだれが戦争を望んでいたというんだい?
まさかカイゼルとか小モルトケなんて言わないよね?
>>95 個々の当事者はそれぞれの立場で行動したに過ぎないのだが
結局世界大戦になってしまったってことだよ。
善と悪とか言ってる時点でネタ師だろ
101 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 12:17:29 0
>>96 日露戦争やWW2突入前の日本と一緒だね
戦争ってのは一部のお偉いさんが始めるものだと思っていたけど
たいていの強硬論って下からの圧力から云々ってなって
むしろお偉いさんが止められなくなるってケースが多い
246 :92 :02/10/05 21:12 ID:??? 以下は個人的な考察。 まず、一体ドイツは何故唐突に大艦隊の建造に着手し、その艦隊にはどんな存在意義があったのか? ということ。 19世紀末の頃、イギリスは膨大な海外領土を抱え、しかもこれら遠隔の領土と本国の海上交通路が 文字通りこの島国にとって生命線だった。だから2国標準主義みたいな無理をしてでも大海軍を 創設し、維持するのが国是だったわけ。 一方ドイツ。ドイツもこの時期には海外領土を持っていたけどイギリスほどの依存度は無い訳。 それに引き換え、西隣はフランス、東側にはオーストリアやロシアがいて、それ故大規模な陸軍を を保持しないとならない。 それ故、ビスマルクが大海軍の必要性を認めなかったのは、以下の2点からだろうと思われる。 1:イギリスを刺激して、際限の無い建艦競争に巻き込まれ、しかも勝利の目途が無い。 2:国富を海軍の整備に費やせば、肝心の陸軍の維持に支障をきたす。 但し、ビスマルクも身分相応の海軍は持たざるを得ないことは承知していたし、 そこそこの予算措置は彼の時代にもされている。ただ彼は、イギリスを刺激し 国家財政を危機に追い込むような馬鹿な建艦計画は立てさせなかった。
103 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 13:03:14 0
248 :名無し三等兵 :02/10/06 03:08 ID:???
>>246 ビスマルクとかヴィルヘルム1世などプロイセンの旧派(悪い意味にあらず)にとっては、
プロイセンの安寧こそが優先され、ドイツ統一(帝政)も結果としてそうなっただけのこと。
だから欧州の力の均衡には関心があっても、海外領土獲得にはあまり関心がない。
軍事も大事だが、それよりも外交による同盟政策・勢力均衡に注力する。
しかし新しい世代と他の邦国の人々は、大国ドイツにふさわしい世界政策を求める。
加えて英露仏の植民地政策の動向や、迷走するヴィルヘルム2世治下の外交政策が、
海軍軍備拡張に拍車をかける。
1872 独・墺(オーストリア)・露三帝同盟
1875 仏の軍拡による戦争の危機、英・露による独の予防戦争に対する干渉、独・墺接近
しかし墺・露はバルカンで対立
1887 地中海協定でトルコ・地中海の現状維持、しかし英は独との直接同盟は拒否
1890 ビスマルク解任
1890 独・露再保障条約更新ならず
1894 露・仏同盟
独英の関係、通商問題等で悪化
1898 独ティルピッツの建艦計画
ファショダ事件、仏のアフリカ進出に対し英は孤立政策を放棄
1901〜英独の同盟ならず
ボーア戦争、義和団事件、日露戦争、モロッコ事件等を経て英仏露の接近
1904 英仏協商
1907 英露協商
1908 英・独の建艦問題調整は失敗、独艦隊増強へ
251 :92 :02/10/06 16:05 ID:???
>>248 確かに、ドイツの海軍拡張を大国化するドイツの世界戦略の一環と捉えることも出来るかも知れません。
ただそれにしたって、失敗しないやり方というものを考える必要があって、
拡張を推進した二人にそこらへんの配慮があったのかどうかが疑問ですね。
後々書くつもりでしたけど、問題点は以下の2点だと思います。
1:フランスの孤立化、なかんずく英仏の離反はビスマルクがいようがいまいが、
ウィルヘルム2世の治世でも必要な外交戦略だったと思います。
これを失っては海軍が少しばかり増強されても、とても安全保障上の損失は埋め合わせできません。
2:この時期、海軍力で英に対抗するのは、もうハナから英の土俵で勝負するはめになり
絶対に勝利を得られない。 ドイツの目腐れ程の海外領土と違い、英には海外領土や連邦内国家が
いくつもある。さらに、それらには大きな港湾があって、そこには大規模な貯炭場や補修用ドックや
兵員の休養施設が幾らでもある。 またジブラルタルを始めとする重要な海峡部も全て英が抑えている。
翻って、この時期のドイツには確か碌な海外貯炭場すら無かったと思いました。
フォークランド沖海戦のとき、シュペー側の艦はヒドイ整備状態で、英に対して
10kt近く劣速だったといいますが、サポート施設の無い艦隊の末路はこうならざるを
得ないでしょう。
だから、水上艦の勢力を拡張してこの時期の英に対抗するつもりなら、途方も無い
大艦隊でも作らない限り、実は実戦では本土周辺海域で不利な勢力で消耗戦を強いられるか、
でなければ艦隊温存主義に陥るかのどちらかだったでしょう。
普通の頭脳があれば、こんな選択肢は最初から取らないと思います。
大体海外領土なんて、この時期はもう獲得できる余地は殆んど無いんですから。
ウィルヘルム2世とテルピッツにとっては、実は真の目的は大艦隊の創設で
はなくて、国家の安全補償だと言うことが分からなくなっていたのでは?
それとビスマルクの外交政策は軍事力の後ろ盾が必要ですから、彼は軍事の
重要性を骨の隋まで承知していたと思いますよ。
268 :名無し三等兵 :02/10/09 01:22 ID:???
>>256 つまるところ戦争はまだない、というか起きないのではないかと思っていたのだろう。
これは欧州列強に共通だけど。実際には、植民地、通商、バルカン問題等々火薬庫への
導火線に火をつけまくっていた。
これに気がつかないし、気がついても処理をする機構も人もいない(今日と異なり)。
そんな中での建艦競争は、違った意味での「危険」理論だったと思う。
1912年には巨額の財政圧迫にたまりかねた英が、独に対して一時休止を求めているしね。
内政面では、農産物関税引き下げで打撃を受けた農業界と、艦隊増強で恩恵が期待できる
重工業界との同盟という側面もあったとか。この両者の同盟により、労働者代表(社民党)
等に対抗できるとの期待があってのこと。ちなみに社民党などは艦隊法に反対。
実際、政府側にとって議会での労働者代表による抵抗は、ビスマルク時代より各邦の自己
主張と並んで頭痛の種であった。
海軍問題は、皇帝とティルピッツ系の海軍万歳路線だけではない面もあると思われ。
しかし92氏のお陰で、久方ぶりに学生時代の本なぞ見返す機会が得られましたよ。
(ロクに読みもせず講義を聴いていなかったことも判明したが・・・)
ヨーロッパ史というか歴史はやはり興味深い、またご教示よろしく。
272 :92 :02/10/10 00:47 ID:???
>>268 こちらこそ、色々御教示いただき有難う御座います。
ドイツ海軍(及びその拡張)に関する問題が皇帝とテルピッツだけで
語れないのは仰る通りです。ご覧のように、ここでは私は意図的に皇帝と
テルピッツに切り口を絞って書いていますが、そこら辺は私の知識量と
守備範囲の狭さに起因すると思して、お目こぼし下さい(笑。
ところで艦隊増強と産業界の関係についてですが、この時期(20世紀初頭)
ドイツの重工業は目覚しい勢いで発展していて、当然海外でも市場は広がります。
例えば同じ時期、戦艦ドレッドノートの装甲の為に、英はクルップから鋼鉄(クルップ鋼)を
購入したりしています。
こんな例を見ると、ドイツ産業界が本来拡大を目指すべき市場は、実は英仏等欧州列強への
輸出拡大であって、それを阻害するようなドイツ海軍拡張など、仮令目先の利益が確保
出来たにせよ、平和と言う最も重要な市場環境を破壊しかねない、忌まわしい産物で
あったと思います。何でそれが分からない? と思うのは所詮後生の後知恵でしょうか?
それと当時社会民主党の反対運動は海軍協会の拡張支持運動に圧倒されてしまいましたが、
海軍協会の最大のスポンサーは、実は皇帝其の人だったそうです。
273 :92 :02/10/10 01:03 ID:??? すみません、資料読み直したら訂正個所がありました。 >海軍協会の最大のスポンサーは、実は皇帝其の人だったそうです。 皇帝は海軍協会の後援者で、最大のスポンサーはやはりクルップのようです。
276 :名無し三等兵 :02/10/12 02:39 ID:???
>>272 >英仏等欧州列強への輸出拡大
これは保護関税の問題で難しい。
となると植民地確保になるわけだね。今じゃ考えられない話だけど。
ちなみに
>>268 で書いた独の農業関税引き下げ(1891-94)は、他国、特に穀物輸出国側に
有利となるものだが、その反対給付として独の工業製品に対する関税を引き下げてもらおう
とする意図があった。
しかし被害を被る農業界(既に没落したユンカーも含む)はたまったもんじゃない。
この反発勢力と艦隊増強で恩恵を受ける工業界との連携(どちらも保守)が、艦隊法通過の
基盤を作ったということらしい。社民やリベラル勢力の伸張を抑える有力な連合になるから。
因果は巡るという奴かな。列強の気ままな帝国主義的侵略・拡大の中で。
そうした過去の反省、ベルサイユ条約体制も含めて、今のEU体制となったのでしょう。
278 :92 :02/10/13 00:25 ID:???
>>276 なるほど、ブロック経済ということでしょうか?
私はそこらあたりの事情は、守備範囲外なんで不分明ですが、
ただ20世紀初頭の経済統計を論述した著作を読んだ事がありますが、
それによれば当時のイギリスの輸出先の第1位はインドですが、
2位はドイツなんですよね。
それだけで何か言えるかどうかは分かりませんが、個人的には、
自由貿易態勢を希求するような変化の胎動と言うか、一種の
萌芽みたいなものはあったんじゃないでしょうか?そんな気がします。
30年後の世界恐慌で、一旦は消えて無くなりそうになりますが。
そもそも少なくとも当時のドイツは、イギリス製の工業製品が
流入しなくなれば市民生活に相当の支障がでるだろうと、
確かそんな想定が書かれていたようですが。
そのせいかどうか、ドイツ海軍の拡張に関して当初はイギリスは
寛容な態度をとりますよね。あれはイギリス側でも、ドイツが
自国の経済にとって重要な市場であるという、そういう認識が
ある程度はあったんじゃないか? そんな気がします。
まあ、こんなことは色々と視点の異なる資料を読まないといけないんでしょうが。
ところで、建艦競争が泥沼化した大きな一因として、両国の考え方の相違を
お互いが理解していなかった点も上げられると思いますが。
ドイツにとって、第1次及び第2次海軍整備法を執行することは、法治国家の
政府としての義務でした。だから外交交渉の事情で、変更したりするのは彼らには
不可能だった。
またイギリスにとっては海洋支配は国家存続のための主注だった。だから、他国の
海容支配は、権利だとか国際法とかの問題以前に、自分達の生殺与奪の問題に
他国が介入するのと同義だった。
このドイツ人の法律万能主義をイギリス人は理解せず、イギリス人の海洋支配欲の背景を
ドイツ人が理解しないまま、お互い耳を閉じて相手に自分の主張を訴えかけるだけの
交渉をしていた、という説を読んだ事があって、私結構卓論だなと思ったりしてます。
110 :
名曲『戦友』の真下飛泉・作詞 :2005/10/09(日) 13:55:14 O
[出●征] 父上母上いざさらば私はいくさにいきまする 隣家に居った馬さえも徴発されて行ったのに 私は人と生まれきてしかも男子とあるものが 御国のための御奉公はいつであろうと待つうちに 昨日とどいた赤だすきかけて勇んで行きまする 行くは旅順か奉天かいずこの空か知らないが お天子様の為じゃもの討死するはあたりまえ Å [=+=] √+ ̄\ G\(^w^ ウ \ ※:♀ \ ∧ √Å ̄\ G\(^∀^ ク \ \+@\ 『帝国』って何だかかっこいいよね!
111 :
世界@名無史さん :2005/10/10(月) 21:29:25 0
>>101 第一次世界大戦初期、ベートマン=ホルヴェークは、緒戦の結果からドイツの
勝利が近いと考え、九月綱領(ドイツの大陸覇権確立のためフランスを二流国家
に追い落とす多額の償金賦課、北部フランス鉄鉱地帯の併合、ベルギーの属国化
などの項目があった)という構想をまとめた。
興味深いのは、防衛戦争という建前を守ろうとする政府の方針を無視して、
経済界や軍部およびそれと協力する政治勢力が、公然と大規模な併合要求を
突きつけたこと。
ドイツ帝国を破滅に追い込んだのは、やっぱりこれらのロビーじゃないかと
思えてくる。
112 :
世界@名無史さん :2005/10/11(火) 14:40:46 0
ハザール王国は歴史上で唯一ユダヤ教に改宗した国であり、トルコの前身であるのかもしれない。ハザール王国とビザンチン・モスクワ公国はいがみ合いをしていた。 ところで歴史に皮肉は付き物であり、ハザール王国のテオドラを后としたビザンチンの王の時代が、ビザンチンの最盛期であった。
113 :
世界@名無史さん :2005/10/11(火) 21:01:13 0
イギリスを含めたヨーロッパ諸国の「古典外交」と、 アメリカ(ウィルソン大統領)の「新外交」の違いについて語らない?
そのこのスレに関係あるのか?
>◆ALSPlGAxzM氏
亀レス失礼。
>>75 で貴方が何を主張したいのかよくわからないのですが、ベルギー問題に「けりがついた」というのが
>>48 のようなレスを指しているのならそれは単純化に過ぎるというかぶっちゃけ違うでしょ、
というので書いたのが
>>64-66 なんですが。
それと
>>88 の7月26日のイギリスの4カ国会議提案ですが、
おっしゃるとおり7月26日は節目の日ですね。小モルトケが対ベルギー最後通牒を書き始めたのもこの日ですし。
しかし調停案がオーストリアとセルビア抜きでやろうという提案であることはあまり意味を持ってないです。
問題なのは7月24日のイギリスの英仏独伊4カ国会議調停案が
「オーストリアと【ロシアの】」戦争の際の調停案だったのが、
26日には「オーストリアと【セルビアの】」戦争の際の調停案、に変わってることでして。
つまりイギリスは24日の時点ではオーストリア−セルビア戦争なら傍観するつもりだったのですよ。
そしてこれは戦争局地化を模索するドイツと軌を一にしていたわけです。
当然この24日の調停案ではドイツが賛成、ロシアが反対し、フランスは無回答で流産しています。
その後25日にロシアの強硬な声明があり、26日に問題の調停案となるわけです。
26日の調停案の問題は当事者抜きとかいうことではなく、
イギリスが中立化の可能性を閉ざし始めたという点にあるのであって、
ドイツがこれに反対したのもその文脈で見なければならないでしょう。
こうした一連の流れを無視していきなり26日だけを抜き出すのはどうかと思いますが。
>>102-109 で軍板での建艦政策をめぐる議論が転載されてますが、
最新の潮流はどうなってるか知らないけどドイツ史には「外交における内政の優位」という考えが根強くあって、
建艦政策はもっぱら国内問題の所産として描かれることが多いですな。
上記議論の中でもちょこっと出てますけど、社会民主党対策としてのユンカー層と重工業界の同盟という奴です。
農業関税を引き上げて(1902〜)ユンカー層の利益を擁護するとともに、
その収入を建艦に充て重工業界を富ませるという、
プロイセン蔵相ミーケルの発案による「結集政策」としてドイツ内政史上あまりにも有名な政策です。
またユンカーと重工業界の同盟だけでなく、
それに付随して艦隊協会や農業家同盟、全ドイツ連盟といった大衆団体の組織によって、
保守的大衆を支配層の側にひきつける効果もあったかと思います。
国民的シンボルとしての海軍(ドイツでは帝国陸軍は存在しないが帝国海軍は存在したため、
「ひとつのドイツ国家」の重要なシンボルとなった)、という要素も重要で、
「雄飛するドイツ帝国」というイメージ形成によって国内問題を国外にそらす上で、
大艦隊の存在は大きな意味を持っていました。
実際、社会民主党も帝政後期には社会帝国主義論を掲げるようになっていて、一定の効果はあったかと思われます。
>>117 しまったアンカーが違う
もういちど
>>88 のわたしのレスは
>>86 氏の質問に答えただけのことです
1914年7月26日は単にその一例です
119 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 20:30:49 0
ハプスブルク帝国の戦いっぷりを見ていて思うんだけどさ、やっぱり多言語 国家というのは近代戦には不向き? アメリカのように他民族でも言語が統一されている国は強いけど。
>>119 当時のオーストリア・ハンガリー帝国の諸民族のハプスブルク朝への
忠誠心の度合いがそのまま戦局につながった。
アメリカとは違う。
121 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 11:51:50 0
プロイセンは親ユダヤ国家だったと思うな。
122 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 20:04:04 0
>>116 >外交における内政の優位
アメリカのモンロー主義を思わせますな。
外国の事情よりも国内のロビー優先。
ロシア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国はニュータイプ・・・もとい近代国家の成り損ない
124 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 21:40:44 0
ベートマン=ホルヴェークといい、ヒトラーといい、なんでドイツの政治家は 「イギリスの中立」に対して幻想を抱いたんだろ。 過去のイギリスの外交政策を調べれば、大陸に強力な統一勢力ができるのは 許さない、というのがイギリスの国是だとわかりそうなもんだが。
いわゆる希望的観測というやつです。
126 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 22:02:25 0
第一次世界大戦って何で世界大戦と呼ばれるの? 第一次大戦は、非欧米が主だった活躍をした戦争ではないし、 何より主戦場は欧州に限られている。 世界に与えた影響こそ大きいが、所詮、欧米の戦争でしかない。 東洋人である日本人は、 もっと自国の史観で歴史を作った方がいいような気がする。 何も欧米の歴史観を取り入れなくても。 俺としては二次大戦こそが真の世界大戦だと思う。 二次大戦は一次大戦と異なり、欧州の戦争ではなくてアジアの戦争でもある訳だから。
結構オスマン‐トルコ(アジアだよ)が頑張っちゃってるからな
128 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 22:09:49 0
第二次世界大戦って何で世界大戦と呼ばれるの? 第二次大戦は、非欧米と非アジア以外が主だった活躍をした戦争ではないし、 何より主戦場は欧州と東・東南アジアに限られている。 世界に与えた影響こそ大きいが、所詮、欧米とアジアの戦争でしかない。 XXXX人であるXXXX人は、 もっと自国の史観で歴史を作った方がいいような気がする。 何も欧米と日本の歴史観を取り入れなくても。 俺としては真の世界大戦は起っていないと思う。
129 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 22:10:27 0
ヨーロッパだけではなくて、中東にも大きな影響を与えた戦争だから。 (サイクス=ピコ協定など) この戦争が、ヨーロッパによる世界支配の「終わりの始まり」を もたらしたから。
130 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 22:19:01 0
同じだろ 第二次世界大戦って何で世界大戦と呼ばれるの? 第二次大戦は、非欧米と非アジア、非中東以外が主だった活躍をした戦争ではないし、 何より主戦場は欧州と東・東南アジアと中東に限られている。 世界に与えた影響こそ大きいが、所詮、欧米とアジアと中東の戦争でしかない。 XXXX人であるXXXX人は、 もっと自国の史観で歴史を作った方がいいような気がする。 何も欧米と日本と中東の歴史観を取り入れなくても。 俺としては真の世界大戦は起っていないと思う。
五十歩百歩というやつだな
お前らの勝手な妄想はチラシの裏にでも書いとけ。
何百万人の中国人、アフリカ人、ベトナム人、インド人が動員されたと思ってるんだよ
一応日本も参戦していますが
極東、新世界っつうくらいだから世界=ヨーロッパなんだろう
日本が参戦するかどうかはロシアにとっては一大事
137 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 17:33:02 0
>>116 ドイツはイギリスの覇権に挑戦しようとしたの?
それとも(ドイツが)列強にふさわしい地位を得られればそれでよいと
考えていたの?
>>137 そんなふうに大局的に見ていたものはいなくて当事者達がなんとなく
自分の視野、視点で行動したらドイツと他国の戦争になってたってだけ
139 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 18:10:53 0
「第一次世界大戦」って、「第二次世界大戦」が勃発(というか 命名)するまでは何て言われてたんすかね? ナポレオンの時のは「ナポレオン戦争」なんて総称されてるけど。 20年近く呼称が無かったわけではないと思うが。結構有名なの かもしれんが勉強不足でわからんので、教えてエロい人。
140 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 20:30:37 0
>>139 第二次大戦前に発行された辞書とか調べてみるといいかも。
142 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 21:50:57 0
第一次世界大戦後の、パリ講和会議におけるウィルソン大統領の外交は、 彼の宗教心にもとづいていたといわれている。 東欧や中東の国境線画定問題についてアメリカ政府代表団の一人が ウィルソンに意見を求めたところ、そのような努力は「自分には退屈で しかたがない」といった。 彼にとっては、自分の原則が例外なく実践されることのみが重要だった。
145 :
世界@名無史さん :2005/10/23(日) 11:06:01 0
ルーデンドルフはベルギー軍司令官のレーマンを暗殺しようとしたことが あるけど、これは彼が貴族の出身でなく、商人の息子だったことも関係 しているのかなあ。
146 :
世界@名無史さん :2005/10/23(日) 12:47:58 0
貴族なら、暗殺なんて汚い手は使わないとでも? ヒトラー暗殺計画のシュタウフェンベルクらは貴族だったではないか。
147 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 18:17:26 0
フリードリヒ・エンゲルスは、1895年の時点で、 「兵役に耐えうる全住民が軍隊に編入され、軍隊はいまや100万単位でかぞえるほか なくなり、これまでにない効力を持つ火器、弾薬、爆薬が採用された結果、 全軍事がまったく変革されたことは、いっぽうでは、ボナパルト式戦争の時代を 急速に終わらせて、産業の平和的発展を保障した。というのは、それによって、 前代未聞の残虐な、結末のまったく予測できない世界戦争以外には、どんな 戦争も不可能にされたからである」 と予測していた。 各国の軍事専門家が戦争は短期で終わると考えていたのに比べて興味深い。
欧州の没落はWW1以後かWW2以後のどっち?
>>147 すさまじい翻訳ですな。そんな本が普通に読めるあなたに乾杯!
>>148 俺的にはその後の世界情勢を比較するとWW2かな。
151 :
世界@名無史さん :2005/11/03(木) 20:39:32 0
イギリスが行った経済封鎖は、ドイツが統制経済をとっていたせいで、 期待したほど影響を与えられなかったらしいね。
>>144 本来ました、三巻セット
OUPのハードカバーのしっかりした製本と上質の紙に比べると
なんか情けないような悲しいようなですが、安いししゃーない
コレで心置きなく線なんか引いたりしながら読めるよ
願わくは100年の前にまたハードカバーで復刻してほしいものだ
153 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 00:52:50 0
第一次世界大戦が始まる前の、セルビア国内の状況はどうなっていたの? 「黒手組」みたいな組織が活動していたことは知っているけど…
154 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 01:54:26 0
>>147 エンゲルスは「将軍」とあだ名されるほどの、今で言う軍オタのような人でしたからねえ。
ビスマルクも「次に戦争が起こるときは7年くらい続くだろう、
その戦争が終わるときドイツは共和国になっているかもしれない」
という趣旨のことを予測していましたね。
>>152 すごく興味があるんですが、復刻なんですよね?
原著は何時の発行です?
>>155 復刻です
おそらく誤植もそのままだよw 新しいイントロがついてるけど
原著は1944年刊行で、著者は脱稿後発売を待たずに亡くなってます
英訳はそれからさらに10年遅れること1953-57年です
自分が物心ついた頃にはすでに品切れ状態だったかなあ
固いイタリア語(たぶん)で書かれた本を意味を曲げずに訳すのがたいへんだったのか
英訳の英語は決して読みやすいとは言えない(しばしば意味わからん)
このテーマの基礎知識ない人はまず Joll でも読んでからがいいっす
157 :
世界@名無史さん :2005/11/11(金) 11:51:21 0
セルビアは第一次世界大戦で戦勝国となり、 モンテネグロ王国、スロヴェニア、ダルマツィア、クロアチア、 ボスニア・ヘルツェゴビナとともにユーゴスラビアを建国したが、 その代わり100万人以上の犠牲者(人口の30%近く)を出した。 (セルビア軍は真冬のアルバニア山地を行軍して、アドリア海岸まで脱出 しなければならなかったため)
第一次世界大戦初期は、まだ騎兵突撃とかあったの?
>>158 つうか主流。ソ連なんかはWWIIでも主流。
>>156 おお、ありがとうございます。
44年かあ、内政優位論が出る前の集大成的な感じなんですかね。
現在進行形の戦争の影響でドイツに厳しかったりするのかしら。
>>158 あった。初期は。
Premiumコース
ペタンじゃね?
ポアンカレかも
>>160 すんまそん
じっくり出版年などのページ見たら1943年だったわ
ドイツの責任を軸にイギリスロシアも叩いてる
「なんだかわからない間に戦争始まったから誰が悪いんでもない」という
戦後の責任逃れ的風潮にははっきり反対してる
別に買わずとも、日本の大学図書館にもかなりの部数があるとおもうよ
ところで昨日、11月11日11時に二分間の黙祷でした 参戦国合わせてどれぐらいの元兵士のじい樣方がまだ生き残っておられるのだろうか 来年はパッシェンデールへの墓参りに行きたし
167 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 19:19:57 0
日本語でお勧めのWW1書籍を教えてください 出来ればWW1の戦争全体の流れが図表も交えて分かり易く記されたものが良いです
168 :
世界@名無史さん :2005/11/14(月) 20:15:05 0
A.J.P.テイラー 『第一次世界大戦』 (新評論) でも残念ながら絶版なんだよなあ 図書館で借りれ どこか復刊してくれようおおおおおお
169 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 19:07:07 0
第一次世界大戦で得した国って、やっぱりルーマニアかな。 トランシルヴァニア、ブコヴィナ、バナト、ベッサラビアを手に入れて、 領土を一気に2.5倍に拡大した。
170 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 19:44:30 0
その前に全土占領されちゃったけどね 大戦でハプスブルク帝国が崩壊したのが 何よりの悲劇だった
ギリシアはブルガリアからトラキア西部を獲得。 イタリアはトリエステを獲得。 日本は南洋諸島の委任統治権を得る。
日本がドイツ領だった南洋諸島の委任統治権を得たことで、 もし今なら海洋資源の獲得など利点も大きいかもしれないけど、 当時の日本にはどんな利点があったんだろう。
自演廚はあっちのスレで遊んでろ。
174 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 21:27:06 0
軍事上の制海権とか、漁業とかかなぁ?
>>174 たいして大きな利益はないし、
アメリカを刺激したし、
あんまりいいことはなかったように思える。
176 :
167 :2005/11/18(金) 13:28:15 0
>>168 ありがとうございます
探してみます
関係ないけど、歴史群像2005年8月号のアラビアのロレンスの記事は良かった
ホント関係ないな。
178 :
世界@名無史さん :2005/11/20(日) 00:12:38 0
「ww1同盟国側の勝利の可能性」スレに、ハプスブルク家の専横が そもそもの原因とか書かれてあったけど、南スラヴの諸民族に対して 強硬だったのは、オーストリアではなくハンガリーだったんだけどな。
ハンガリーがクロアチア=スラヴォニアにハンガリー語押しつけて反発買った話とかかな?
181 :
世界@名無史さん :2005/11/20(日) 14:00:53 0
>>180 ハンガリーをフランスのような「均質な国民国家」にしたかったみたいね。
一般にはあまり知られていないけど、1867年に二重帝国になってからの
ハンガリーの発展ぶりは明治日本と同じように目覚しかった。
ブダペストの王宮、マーチャーシュ聖堂、国会議事堂、ヴィガドー、くさり橋、
聖イシュトヴァーン聖堂、地下鉄などはこの時代に建設・修復されたもの。
どこか出版社さん、邦訳出してくれんかねえ
オックスフォード大ストラッカン教授の三巻本(第一巻公刊中)
http://www.oup.co.uk/academic/humanities/history/viewpoint/hew_strachan/ って私もまだ未読だけど
: What do you think is the most under-examined aspect of the war in current scholarship?
In the 1960s and 1970s the fashion was for war aims and diplomacy;
in the 1970s and 1980s it was social history;
in the 1990s it was culture and mentalities.
I think it is the turn of economic history: issues such as shell production
and the relationship between frontline experience and technological evolution.
ふむふむ、そう言う本なんだろうか>戦争の経済史
>>181 ブダペストの国会議事堂はいいねえ
色がピンクだよねw
184 :
世界@名無史さん :2005/11/25(金) 20:46:31 0
西部戦線での主要な戦闘が行われていたとき、オーストリアの軍の動員が まだ完了していなかったというのが笑えるw
それがオーストリア・クオリティ
186 :
世界@名無史さん :2005/11/27(日) 14:27:10 0
コンラート・フォン・ヘーツェンドルフ 「来るべき戦争は望みのない戦いであるが、たとえ絶望的であっても 避けられない。かくも古くから続いた君主国家と軍が不名誉な形で滅びる ことはできないからだ」
ラインハルト・フォン・ローエングラム 「ルドルフに可能だったことが、俺に不可能だと思うか?」
フランツ・フォン・マリーンドルフ 「私は、出来れば中立を守りたい。しかし、かなわぬときは ブラウンシュヴァイク公につく。それが、帝国貴族として・・・」
189 :
世界@名無史さん :2005/11/28(月) 17:28:53 0
第一次世界大戦前、英独両国では仮想戦記モノや戦争論が流行し、 国民の間で広く読まれていたそうでつ。 アースキン・チルダース『砂の謎』(1903)、ウィリアム・ル・キュー『1910年の 侵略』(1906)、デュ・モーリエ『イギリス人の家』(1909)、フォン・デア・ゴルツ 『武装せる国民』(1910)、テオドール・フォン・ベルンハルディ『今日の戦争』 (1911)など。 第二次世界大戦前に日米両国で仮想戦記モノが流行したことと比べて 興味深いですな。
190 :
世界@名無史さん :2005/12/05(月) 21:31:45 0
ベルサイユ条約に、ドイツに対する懲罰的な条項を入れたのは フランスなの?
当時の首相であるクレマンソーが普仏戦争の復讐とばかりに
入れたんだよ。
>>190
>>190 ブレスト・リトフレスク条約のときにドイツが何をしたかを考えれば、
ドイツの自業自得としかいいようがないね。
193 :
192 :2005/12/05(月) 22:00:40 0
おっといけねブレスト・リトフスク条約ね。ゴメン。
あんな懲罰的な内容にするなら、いっそのことドイツをいくつかの 領邦に解体すればよかったのにな。
フランスがドイツを併合したらよかったのでは?
>>195 当時でも、ドイツはフランスより人口が多かった。
実際バイエルンを独立させようとしてたんだけどね。
198 :
世界@名無史さん :2005/12/06(火) 12:20:41 0
たしか、ウィルソン大統領がドイツ分割は“民族自決”に反するとかいって やめさせたんじゃなかったっけ?
199 :
世界@名無史さん :2005/12/06(火) 12:42:23 0
バイエルンでは、オーストリアと合邦しようとする勢力もいtみたいだけど。
民族自決でいったらドイツとオーストリアが合体しないとおかしいな
201 :
世界@名無史さん :2005/12/06(火) 20:53:41 0
>>200 独立した東欧諸国にもたくさんのドイツ系住民がいた。
ルーマニアにもハンガリー系住民がいたし、
ポーランドにはウクライナ人もいた。
この地域では“民族自決”なんてどだい無理だったと思われ。
ふさ髭が東欧で「最終的解決」したから民族自決できたよ。
203 :
世界@名無史さん :2005/12/07(水) 17:40:01 0
>>202 第二次世界大戦後、東欧ではドイツ系住民に対する“民族浄化”が
行われた。
204 :
世界@名無史さん :2005/12/19(月) 14:12:42 0
http://www.merrychristmas-themovie.com/ 「メリー・クリスマス」
ドイツとかで公開されたばかりのWWTもの
1914年の「クリスマス休戦」が題材
ゴールデン・グローブ(外国語部門)ノミネート
銀座シネ・スイッチで今月上映・・・・だったはずがなぜか延期・・・・
ゴールデン・グローブとか受賞するのを待ってるのかも。
春先や真夏にクリスマスの映画も・・・・・('ω`)
207 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 13:30:22 0
209 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 21:33:02 0
餓死凍死を含めて数百万人単位なのは確かだな
211 :
◆ALSPlGAxzM :2006/02/01(水) 07:12:46 0
212 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 11:49:21 0
オーストリア皇太子フランツ・フェルディナントのお墓ってどこにあるんで すか?ウィーンのハプスブルク家の菩提寺には埋葬されていないみたいだけど。
213 :
世界@名無史さん :2006/02/04(土) 13:49:06 0
この本、がんがって辞書引いて読む価値はあるでしょうか? 14-18 : Retrouver la guerre Stephane Audoin-Rouzeau, Annette Becker ページ数が書いてないんですが fnac で7.13ユーロで安いから薄いのかな? 薄くていい本なら氏ぬ気で読んでみたいのですが どうなんだろう フラ語じゃ斜め読みしてもさっぱりわからんしなあw
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾 『嫌韓流2』発売中 意外とおもしれーぞ
>>139 War end of all Warじゃなかった?
219 :
世界@名無史さん :2006/03/11(土) 21:02:58 0
当時は普通にThe Great Warだったよ。
Greatなのか
221 :
◆ALSPlGAxzM :2006/03/30(木) 05:24:16 0
222 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 19:37:50 0
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060404i513.htm 第1次大戦時のプロパガンダポスター、ネットで公開
東京大学大学院情報学環(吉見俊哉・学環長)は、
所蔵する第1次世界大戦時の戦争宣伝ポスター661点を電子化し、4日からホームページ上で公開した。
電子化したのは、米英仏など6か国が作ったポスター。
発行時期は、戦争が激化した1917〜18年ごろで、兵隊を募集したり、
戦時国債購入を呼びかけるなど、自国民に戦争協力を促す内容が多い。
吉見学環長によると、当時のポスターは宣伝用メディアとして高い役割を担い、最新の印刷技術が使われていたという。
いずれも日本の外務省が第2次世界大戦前に収集したのを、東大が戦後に譲り受けて保管していた。
東大は2000年ごろから、作品の電子化を進めるとともに、学外の専門家を招いて印刷形式やインキ、紙の種類などを調査してきた。
この結果を踏まえ、ホームページでは作品ごとに製作年や作者名のほか、
「凸版」や「描画石版」といった印刷形式など16項目にわたる詳細データも紹介している。
吉見学環長は「同様の作品を所蔵しているほかの研究機関と連携し、電子資料館のネットワーク化を図りたい」と話している。
ホームページのアドレスは、http://archives.iii.u‐tokyo.ac.jp/
223 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 19:51:50 0
224 :
世界@名無史さん :2006/04/08(土) 07:17:08 0
>>219 当時どころか、今でも The Great Warだお
226 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 16:58:53 0
>>221 保存状態にもよるがそれは本当
アラスカでそれをやった話が日経サイエンス2005年3月号に載っている。
ttp://www3.nhk.or.jp/news/2006/04/20/d20060420000062.html 戦争宣伝ポスター ネット公開
このポスターは、第1次世界大戦のころにアメリカやイギリス、インドなど6か国で作られた661点で、
外務省が当時収集し、東京大学が所蔵しています。長く大学の収蔵庫に眠っていましたが、
吉見俊哉教授らのグループが画像をデジタル化し、今月からインターネットで公開を始めました。
1918年にアメリカで作られたポスターは、爆撃を受けて炎上するニューヨークの街や破壊された自由の女神などが描かれ、
街を守るため、戦争に協力する債券の購入を呼びかけています。
また、瓶詰めを手にした女性を野菜や果物などとともに描いたポスターには、
「アメリカの女性のみなさん、勝利に向けて働きましょう」という文字が記され、戦争を支えるため食糧の増産を訴えています。
吉見教授は、「テレビやラジオが普及していなかった時代、戦争を遂行するためにポスターが大きな役割を果たしていた。
当時の状況を伝える貴重な資料を広く知ってもらいたい」と話しています。
04/20 08:16
229 :
世界@名無史さん :2006/05/06(土) 13:37:33 0
映画「戦場のアリア」見た方いますか?
230 :
世界@名無史さん :2006/05/15(月) 13:39:58 0
日本陸軍を西部戦線に送っとくべきだったな
>>230 送るとしたらシベリア鉄道使って東部戦線か、船で中東戦線だろうな
フランスは遠い
でも、インドから大量に西部戦線に送られているわけで。
アンナン兵とかクーリーとかも大量にフランスに送られてるな
234 :
世界@名無史さん :2006/05/16(火) 12:05:49 0
第一次大戦のときにon the boots, show the flagしてたらその後の歴史も変わっていただろうな 日英同盟継続。 ヴェルサイユ講和会議で多数の派遣日本兵の儀仗兵が西園寺一行をお出迎え。
>>234 あまり変わらんでしょう
むしろ山東なんかに出兵したり21か条要求出したりせずに
全面的に中立守ってドイツ艦船の臨検だけやってた方が
少なくともその後の英米とは話が出来やすかったかと
>>235 俺は変わると思うな。
日本の軍隊が西部戦線で戦えばこれ以上ない形で日本がPRできるじゃないか
西欧の人にとって、極東のわけのわからない国から身近な国として認知される。
実際イギリス、フランス両国から何回も派兵依頼がきてたんだから
即、応じるべきだったな
そうすれば後年、満州事変が起こったときもイギリス、フランスは好意的中立で
いてくれたかも知れん
>>236 仮に英仏が好意的中立に成ったとしても、アメリカは支那の分割を決して許さないだろう。
まあドイツと陸上戦をしていれば、ドイツと同盟することもなく、支那で無謀な事もせず、
米英仏日対独,ソ連の可能性はあったかも知れないがな。
>>238 日露戦争の直後、ロシアとかなり友好的な関係になったことを考えれば、
直接刃を交えたとしてもあまり関係ない。
日露協約も知らんヤシが湧いて出た模様
第一次大戦中、ロシアの最大の支援国は日本だぞ。
あれを友好的と言うのかね
戦時支援する国を友好的ではないと言い切る君はとても素敵
日本軍がヨーロッパに師団規模の派兵をして経験を積んでいれば、 日中戦争以降の戦略・戦術にも反映されただろうな。
ttp://www.filemaker.co.jp/solutions/posters.html 東京大学大学院の書庫の奥深く、人知れず、半世紀以上も眠っていた、約660点のポスターがある。
アメリカを始め諸外国から集められた、第一次世界大戦期のプロパガンダポスター。
同大学院情報学環の「戦争とメディア」研究プロジェクトのもと、デジタルアーカイブとしてデータベース化され、
この4月、ついにインターネットで一般公開の運びとなった。
この時代のプロパガンダポスターがこれほど大量に万人の目に触れるのは、
国内初であり、またその希少性も類を見ない。そこで、主宰者の吉見俊哉教授に、プロジェクトについて話を伺った。
イスラエルもイランに軍事支援をしたではないかw まぁ、WW1のころの日露は友好的だったと思うけど。
ヴェルサイユ講和会議で多数の派遣日本兵の儀仗兵が西園寺一行をお出迎えってのはかっこいいな
249 :
◆ALSPlGAxzM :2006/06/06(火) 05:10:01 0
パッシェンデールの映画化が企画されているようですな。 カナダ人俳優 Paul Gross を中心にして今年カナダで撮影に入るとか。 11月11日に公開予定だそうです。 日本でも公開されるといいが。 私は今年ソンムに墓参りに行けなくなって少し凹む。
それは楽しみ。 英国人にとって、パッシェンデールという言葉はいまだに恐怖の対象だとか(誰にも書けなかった戦争の現実(草思社)という本によると)。
251 :
世界@名無史さん :2006/06/08(木) 23:08:04 0
パッシェンデールより、ソンム戦の7月1日かベルダン戦の ドーモン堡塁とか302高地の攻防を映画化してくれ
ネオコンの論理っつーロバート・ケーガンという人の書いた本を読んでるんだが アメリカとヨーロッパの考え方の違いについて書いてあってその中で少しだけ1次大戦に触れられてた 大戦間の時代はヨーロッパが権力政治を越え弱さから理想を生み出そうと試みた最初の時期である ヨーロッパの戦勝国は軍事力依存から集団安全保障とそれを体現する国際機関としての国際連盟を信奉するようになったが 主要加盟国が理想を実現する力も意思も持っていなかったために失敗に終わってしまう アメリカのウィルソン大統領が主張して設立された国際連盟への加盟をアメリカ自身が拒否したことで努力成功の可能性は潰えた ウィルソンの主張はアメリカを代表するものではなかったのだ 1930年代にドイツが再軍備を進めると ヨーロッパ各国はドイツに軍備で勝てない点以上にヨーロッパでの2度目の大戦を恐れ集団安全保障から融和政策へ切り替えた 融和政策の支持者は軍事力行使が不必要、不適切と主張 理由の1つとしてベルサイユ協定の内容が過酷過ぎて逆効果になるというのは ジョン・メイナード・ケインズが「平和の経済的帰結」で語っている 融和政策は結局のところイデオロギーの違いゆえにヒトラーには通じず フランスが開戦したのは既にドイツが全ての準備を整え手遅れになってからだった 20年代のドイツの指導者グスタフ・シュトレーゼマンになら融和政策は有効だったかもしれない この時の融和政策は分析の結果ではなく単に弱さから生まれたものであった 1次大戦でヨーロッパが大幅に弱体化したとするならヨーロッパの戦略と外交の失敗から起こった2次大戦により ヨーロッパは世界的大国としての地位を失った ここの住人にとって真新しいことは書かれてないなごめん
何かアメリカの参戦って唐突に感じるんだよねえ。 それまでヨーロッパの紛争には介入しなかったのに、一気にパワーバランスを 変えるものすごい介入っぷり。 しかもその後放置。一体、何がしたかったのやら。
>>253 が第一次大戦を知らないというのはわかったが。
>>250 遅レススマソだが、
この第三Ypres salientの攻勢は始めた理由もさることながら
(本格的なアメリカ到着待ってたら1919年春になっちまうと)
泥沼化した後、途中でやめる機会はあったのに、
なーにこれしきと突っ込みつづけたから
砲撃で土地の水はけの組織むちゃくちゃにして、泥沼作り出して
兵士は砲撃で命助かっても泥にのまれてさようなら
それであんだけ死傷者出してね
村消えてますがな
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Passchendaele_aerial_view.jpg 内閣もなんで止められなかったは考えんといかんわ
ロイドジョージのヘイグ放置プレイの罪は重いで、しかし
死傷者数みても、文民ももう感覚麻痺しとったらしいが
ヘイグは今見直ししてる学者がいて、
「かれは Donkey じゃなかった」説をみるですが、
どんなもんでしょうね
256 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 09:04:01 0
普通: ペタン、フレンチ、ヒンデンブルク、小モルトケ 一般人から見たら電波: ジョッフル、ニベル、キッチナー、ファルケンハイン 軍人からみたら電波: フォッシュ、ヘイグ、ルーデンドルフ
>>251 304耕地だよ。耕地って言うのは攻防のあと標高が10メートルは下がったんだよ。
うーん。人骨はやはり怖い。
>>235 どっちみち日英同盟の存続は無理だったんかな?
>>261 横から介入した米からすると、
日英同盟の切り崩しが戦略目標だったからなぁ。
主に対英戦略の文脈でではあるが。
>>261 「同盟」関係にこだわらなくとも
是々非々の実利的関係が維持できればよかったが、それが出来なかった
参戦してむき出しの欲望の牙を見せたのが賢かったかどうか
中立でうまく立ち回る術もあったと思う
まあ1914年の時点でアメリカの参戦が読めなかったから
後々の不利な点諸々もある意味しゃーないとは言えるかも
265 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 02:54:50 0
>>264 この言葉が時代を象徴しているなあ・・・
「これからの戦争は、暗い事務室で作戦を練り、電話一本で機械が人を殺す。
英雄が仲間たちと協力し合い喜びを分かち合う時代は終わりを告げたのだ。
人の技術が人を殺す。
大量殺戮兵器がもたらすのは勝利ではない。絶滅である。」
第一次世界大戦勃発記念日保守 (オーストリアがセルビアに宣戦布告した日)
そして悪夢の8月か・・・ ここだけ1914年スレでもやるか?
ところで本ばっかり挙げてるんですが
こんなん見つけました(71ポンドは高いなあー買わない)
The German 1918 Offensives : A Case Study of The Operational Level of War
http://www.tesco.com/books/product.aspx?R=0415356008&bci=432%7CWWI*13%7C £20%20and%20above
目次載ってるので見てくらさい↑
説明文によれば、1944年のポツダム爆撃で失われたはずのドイツ軍の記録を
著者がカンザスにある米陸軍司令および幕僚学校で発見し、
それを元に1918年のドイツ軍大攻勢の作戦遂行についてまとめたものらしい
攻撃計画の失敗は英軍の鉄道の弱点を突かず、
しかも独軍自体の列車システムが機能しなかったことが攻撃失敗の原因と
さらに計画中止になった「Hagan 作戦」について英語およびドイツ語で初めて分析していると
Hagan 計画って何ですか?
出版社はTaylor & Francis なんで一応まともな本のはずと思うが
なんだか突拍子もない「幻の史料説」一体どんな評価やら
書評探したけど今ひとつ見つからず
しかし今後2014年に向けてさらにいろいろな研究が上がってくるんだろうなあ
そんなに読めないよ
こちとら寝床で3行読むのがやっとだと言うに(笑
272 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 06:53:58 0
273 :
◆ALSPlGAxzM :2006/08/29(火) 02:37:50 0
>>275 >274こういうサヨ脳みたいなのがいるから、説得力あるかもねぇ(藁
277 :
世界@名無史さん :2006/09/14(木) 01:12:09 0
たった10個師で何が変わると。 しかもそんあ師団数を運ぶ船も無い 正に夢想。
279 :
世界@名無史さん :2006/09/14(木) 01:42:33 0
>>266 面白そうだけど日本からじゃ買えないんですかね?
280 :
世界@名無史さん :2006/09/14(木) 02:10:05 0
10個師団の年間経費は国家予算の何十%になるやら。
281 :
◆ALSPlGAxzM :2006/09/15(金) 02:22:28 0
さて、Somme の墓参りに行ってきました 個人的にいわゆる初学者に向く訪問地としては 1. Vimy (Arras の北、カナダ軍の記念碑と加独両軍の塹壕のあと、地下壕の保存) 2. Dragon's Cave (Le Chemin des Dames の地下壕) お薦めしておきます どちらも整備され博物館となっているものですわな(どちらも車がないと行けません) Vimy はトンネルツアーやってます(無料) 独軍とカナダ軍の塹壕対峙の距離はわずかに10メートルあまりでした トラの穴ならぬ龍の穴も面白かった ひとつの地下壕に仏独両軍が同居していた時期もあるんですな しかも地下壕内にちゃんと無人地帯もあったんだと Chemin des Dames は東から西へと台地上を走りました フランス軍墓地になぜか葬られているロシア兵の墓 他の墓は「フランスのために死んだ」とあるのに ロシア兵のはフランス兵と同じ十字架だが「祖国のために死んだ」となってる 独軍の墓所も3カ所見ました しかしなんであそこにイタリア軍の墓所があるの?1918年の戦死者たちでした さらに近くにはデンマーク政府管轄で当時独領シュレスヴィヒの兵士たちの墓地もあるらしい
日本語で読めるWW1の本は歴史書や小説など全部含めても決して多くないですが そのなかであまり大人の特に男には知られてないのに 赤毛のアン(そう、あれです)のシリーズで「アンの娘リラ」と言うのがあるです 筋の組み立てそのものはたわいもない少女向けの小説だが 全編が第一次世界大戦の銃後のカナダ舞台(1914年から19年だったかな?) 兄と恋人を出生させた娘の目で書かれているです 前線からはなれまくったカナダのど田舎で一般人がどんなだったか 戦場とは別の日常が書かれていてちょっと面白いと自分は思ったですな もし気が向いたら日本語訳が図書館にでもあるとおもわれます
>>277-278 その本読んだら、仮想のシナリオとして日本軍は40個師団を費用は英国の支出で欧州に派兵し(兵力の根拠は
戦争終盤に参戦したアメリカの派兵師団が29個でコレで戦局に影響を与えている。これを日本の師団に換算すると
20個師団。で、消耗戦なので予備に20個師団)ドイツを打倒するというものだった。
実際に英国は金は出すから兵隊を送ってくれ言ってきてたらしい。
もし、第一次世界大戦がこういったシナリオで終わっていれば、アメリカの世界への影響力増大は少なく
日英同盟はその後も存続して日英米仏四カ国同盟になっていただろうとのこと。
なまじ40個師団分の人数に近代消耗戦覚えられても困ったかもね 何せフル生産の一ヶ月の砲弾製造量が欧州の一日分の工業力 日本本土を飛び回るB29と同じ効果を挙げてくれればそれはそれでよかったかも知れんが
内政面ではどうなるだろう? 軍需が更に膨れ上がるだろうしなあ。
>>280 シベリア出兵で最盛期3個師団だったからねぇ。
ちなみにシベリア出兵前の1918年の国家予算における軍事費の割合は36%。 1919年は46%、1920年は48%。以後、ワシントン会議までこの水準を維持。
290 :
世界@名無史さん :2006/09/15(金) 18:44:05 0
291 :
世界@名無史さん :2006/09/15(金) 19:20:19 0
だが、考えすぎではないか
292 :
世界@名無史さん :2006/09/15(金) 19:42:35 0
>>287 >内政面ではどうなるだろう?
日本の内政面は明らかな板違いだがな。
っていうか1個師団ってどれぐらいの規模なのか教えてください。
バカは検索も出来ないか。
>>278 給水活動のために派遣してる自衛隊でも
大きな意味があるつーのに、何をアホな事を
なんでこの手の馬鹿サヨみたいな思考停止がのこのこ書き込んでるんだ
議論その物を拒むその思考はどうにかしてもらいたいもんだね 宗教じみてるわ
297 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 01:19:49 0
左巻きは一種のカルト宗教だからな。 「日本は駄目。日本は上手くいかない」って結論以外は拒絶反応起こす。 日本の近代史を語ると時、連中がいると変な臭いを漂わす。
298 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 01:56:54 0
>>295 朝鮮戦争時、エチオピアが最精鋭師団を送り込んだ歴史があったように
日本も陸軍師団を派兵してればな、と思うよ
実際には派遣しなかった日本軍とそれを巡る左巻き云々の議論はよそでやってよ
なんならIF スレ立てて移ってみては?
あるいは
>>290 の日本近代史板か、軍板の第一次世界大戦スレか
300 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 02:56:55 0
300ゲット
こころで「ww1同盟国側の勝利の可能性」スレはいつ落っこちたんかいな nikuチャンネルで過去ログが拾えんが、1000行かないで落ちたのかな?
303 :
278 :2006/09/16(土) 19:44:54 0
>>295 思考停止に陥っているのはあなたのように見受けられますが?
通常、なんらかの反論を示す場合、具体的な記述を記してなされるべきです。
しかしあなたはまったく状況の異なる現代の自衛隊の例しか出されていない。
この場合仮に10個師を欧州に派遣したと仮定してその意義を示すのが反論として相応しい。
ああ、無論ここは歴史板ですから史実や資料を踏まえて反論してくださいね。
>>303 だから板違いっつてるだろーが。
しつこいぞお前
よそでやれ、よそで
>>304 他所と仰られるのでしたら是非誘導先を願います。
ほかに適当なスレが見当たらないので。
居座るのはいいがスレタイぐらい読めるだろう?
308 :
世界@名無史さん :2006/09/17(日) 14:32:30 0
i⌒i . i ヽ ∩ | 〈 . .| i | | / .フ. し ヽ ∧_∧ | |/ | \ \( ・∀・) /// ノ 先生わからませーん! \ ヽ. ▲ ノ | _| ̄ヽ \ / / ノ ノ \ ̄ ̄ ̄ ̄(::)(::) ̄ ̄ ̄ .\ ||\ \ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| .|| ||
他スレに誘導しても10個師団派遣という妄想馬鹿
>>295 は出てこないだろ。
妄想だから議論するほどの知識を持たない。議論すれば必ず負けるからな。
出てこれるはずがない。
師段数といえば、日本の海軍が護衛して輸送したことでも知られる ガリポリの犬死集団ANZAC軍団って、何師団あったんだっけ?
313 :
世界@名無史さん :2006/10/25(水) 13:18:28 0
age
314 :
◆ALSPlGAxzM :2006/10/27(金) 04:58:30 0
315 :
◆ALSPlGAxzM :2006/10/27(金) 05:20:37 0
>>314 えっと、まあ私はあまりこのリヴィジョニスト的
「ヘイグはドンキーじゃなかった」「戦争は必要だった、ブリテンは必要な勝利を収めた事が重要であり、、、」の
議論に実はあまり興味がないんですが
少なくとも日本語で読めるww1の本ですので紹介しておいた次第なり
あまりにも連投で申し訳ないが、こんなものも見つけたんですな
http://www.abc.net.au/rn/greatwar/schedule.htm オーストラリアのラジオでww1特集だそうで、オージーもなかなかやりますな、と
RealAuduio できけるんですなあ それで見つけたのはこれ
上記の Bond 君 と 1914+1918 の LSE のStevenson 教授がパネラーのヂスカッションですか
Bond 君応戦しておりますw
Late Night Live | Thursday 29 July at 10pm
War, Memory And Literature
Listen | Help with listening | Late Night Live homepage
In his book The Unquiet Western Front: Britain's Role in Literature and
History Brian Bond argues that the way we think about The Great War has
been defined by the anti-war stance taken by the war poets like Siegfried
Sassonn. He goes on to argue that the idea that World War One wasn't a
heroic war is wrong and that it was a war worth fighting.
So how have our perceptions of the war been framed by war writers?
Program guests are Brian Bond, Emeritus Professor of Military History,
King's College London; and Professor David Stevenson, Department of
International History London School of Economics and Political Science,
Jean Moorecroft Wilson, Lecturer in English at London University, and
Robin Gerster, Associate Professor in the School of Literary, Visual &
Performance Studies at Monash University.
>>314 その本はちょっと内容が偏りすぎてて、イマイチでした。社会文化からの観点は
ただ単にファッセルらを感情的に攻撃するだけで、説得力はありません。ただ、
近年のイギリスの大衆メディアの動向が色々書いていてそこはよかったでつ。
あと、かなり読みにくい訳(表記が統一されてなく、何故かイギリス人なのに
ドイツ語読みしたり、ローマ字読みしたりでもう無茶苦茶w)なので要注意。
まぁ買う価値は無いかとw
>>318 興味があるのはなぜこの本が日本語訳されたかですわ
まともな第一次世界大戦の本はほとんど翻訳されないのに
なぜ学会でもあまり評価の高くない、はっきり言ってトンデモ系のこの本が訳されたのか
どういう経歴の訳者の方々かこれまた不明にして存じ上げませんが
彼らが選んだのか、日本の出版社が選んで訳者を捜したのか
原著者とケンブリッジ大学出版がパブリシティーを狙って(日本語訳もあるんだよん、みたいな)
日本語にさせたのか
興味は尽きませぬ
ああ、検索したら少し見えてきましたな 訳者の一人、石津朋之氏は King's College ご出身の防衛庁関係の歴史学者さんですか Bond 教授も Sheffield 教授も KIng's の 看板学部 War Studies の先生方です 石津先生も上記のお二人の説に同意されて翻訳を決意されたのかな? (単に人脈で翻訳権が取れただけかもしれませんが) この Rivisionist 的 development は 現在の King's の路線であるのでしょうか? それに対して LSE や Oxford がかなり冷ややかに見ている構図? まあオックスフォードの場合はあまりにも研究者の数多いので One Vioice のはずはないが 英語では対比していろいろな本が読めるので、突飛な説でもテケトウに流せますが 日本語では対立する意見の本屋論文が読めないに等しい状況で この本だけが出版されるのもどんなもんだろうと、ちょっと複雑だったりする
また連投気味だけど 自分は単に日本語訳たくさん出て欲しいと思ってるので、 これを契機にBond 主張に反論なり、全然関係ない意見の本なり どうかたくさん翻訳して欲しいと思うものなり 出来ればドイツ語のww1大戦通史の邦訳をキボン
石津氏とは面識がありますから(ドクターコースの院生の友人が師事されている方) 今度お会いしたときにでもご本人に伺ってみましょうか? 何時まで、と明言できない程度の関係なので恐縮ですが。
323 :
318 :2006/10/30(月) 06:54:54 0
>>320 >日本語では対立する意見の本屋論文が読めないに等しい状況で
>この本だけが出版されるのもどんなもんだろうと、ちょっと複雑だったりする 。
これが一番の問題。この手の主張の中でも、控えめなトーンでありながら独自の言語感覚で
しっかりとした自説を語ってるHynesのA War Imaginedの方が先に和訳されるべき。ただ、
原書自体が既に絶版になってたりする・・・。まぁHynesさんをBondさんを同列に扱うのは
失礼かとは思うけど。
Bondさんは単に噛み付いてるだけ。現在の大戦観は戦後の価値観で植えつけられた幻想に
過ぎないってことを強調してる割には、Bondさんの主張の裏づけが見えてこない。その一方で、
Bondさんみたいな主張が増えてきた原因と言われてる社会的背景(フォークランド紛争、湾岸戦
争など)は完全にスルーw
>>320 この本の特異な点は、石津さんの解説が約半分ものページ数を占めてるってところ。
そこで反対の視点や、日本のWWI研究の現状についても触れるのかなと思ったらひ
たすらボンドさんマンセー。
その石津さんの解説を引用してみる。
今日、第一次世界大戦に対して多くの人々が抱くイメージは、あくまでも第一次世界
大戦後に作られた、いうならば戦後の「時代精神」なのである・・・。今日の価値基準
から第一次世界大戦を振り返ることはあまり意味がないように思われる。(196)
今日の価値基準から第一次世界大戦を振り返ってる人が言う言葉ではありませんな。
>>325 レス番が変で(320は私だ)
318=323=324氏です
>>323 >HynesのA War Imagined
未読なり
文学系にさっぱり弱いので、言語感覚とか言われると困ってしまい
日本語母語者なんで、詩はわからんのです、と言い訳してみる
57577で書いてあるとかなり都合が良いw
とにかくいろんな本が訳されて欲しいですが
まずは総花式でもいいからイパーン人向け概説書お願いしたい
ちっこい町の図書館でもお買い上げいただけるようなのね
そうすれば結構部数も出て出版社さんとしても損はしないのでは
A.J.P. Taylor のはもうさすがに古いよ、取り替え時でしょ
>>324 >ひたすらボンドさんマンセー。
はあ。Blackaddar Goes Fourth などお嫌いだろうかw
>今日の価値基準から第一次世界大戦を振り返ることはあまり意味がないように思われる。
あちゃちゃちゃ(笑
327 :
318 :2006/10/30(月) 14:51:57 0
>>325 この類の主張をする人は、反戦詩人の詩は、そのような考え方をするのは一般的ではなかった
と言って切り捨てています。この本にそのことが触れられていたかどうかは覚えてませんが、こ
れはMartin Stephenが結構詳しく論じてます。つまり、オーウェンやサスーンが銃後の人を憎ん
でいたのと同じように下層階級出身の兵士はドイツ軍を憎んでいたと。
ただ、ここで大事なのは、どちらも正しいってことです。その一方だけを強調し、アイロニーで切る
Fussellのやり方は問題ありますが、それを全面否定して逆の立場を強調するのは、結局はやっ
ていることは同じになります。読者が両者を比較して自分の好きな方(これは飽くまで感情論であり、
論理的にどちらか一方のみが正しいとは言えないと思います)を選ぶのならまぁいいと思います。
そこで問題なのは、
>>320 で書かれてますが、最近のもので和訳で読めるのは、ボンドさんだけって
とこです。しかもその解説が、上の引用からもわかるようにボンドさん以上に偏ってる。ボンドさんの
書いたのとほぼ同じページ数を使って、その主張を相対化するのではなく、さらに強化してる・・・
日本語しか読まない人は非常に不味い状況だと思いますが、ボンドさんの論に説得力がないところで救われてますw
>>327 >しかもその解説が、上の引用からもわかるようにボンドさん以上に偏ってる。ボンドさんの
>書いたのとほぼ同じページ数を使って、その主張を相対化するのではなく、さらに強化してる
これです、日本語の本で一番いやなところ
解説者がしゃしゃり出て来て褒めちぎったリネタバレやったり換骨奪胎したりするっしょ
解説にページ割くため原著にある脚注や章末注は削除されていたりね
(八月の砲声なんぞそうですな)
よその言語はわかりませんが、英語で本読むとこの被害には遭わない
たまに復刻版など古いのに現状の研究の状況など解説ついてる事もありますが、
日本のように必ずどんな本でも解説ついてるなんてあり得ない
>>327 >反戦詩人の詩は、そのような考え方をするのは一般的ではなかったと言って切り捨てています。
やはりそうですか
>ただ、ここで大事なのは、どちらも正しいってことです。
そういうことでしょうね
さらに時間の経過とともに人々は振り返って咀嚼して記憶の風化も起こるわけで、
さらにアイロニーとかユーモアとか、いろいろな形での evaluation って言うんですかね
それら全部含めて、社会が戦争から徐々に癒されていくって事じゃないかなと
その過程を90年経って振り返る事は意味があると思うんですが
>今日の価値基準から第一次世界大戦を振り返ることはあまり意味がないように思われる。
こんな風に言われちゃうとドン引きです
石津朋之って1962年生まれなのか。まだまだ若いというのに… 所詮は獨協大学出身かとか、思いっきり煽りたくなってしまう。
なるほど。自分の考えに合わないものは、レッテルを貼り付けて蔑んでれば 精神的安定が得られるわけか。
誰にも手に届くところにこんなのがあったですが、最近うpされたようです
http://www.bbc.co.uk/history/worldwars/wwone/perceptions_05.shtml 上記は5ページ目で6ページ目の参考文献にはボンドさんが上がってます
1-5ページ通して主張はボンドさんとあまり変わらないように見受けますが
最後でずっこけた
Yet this academic research has had almost no impact on popular understanding.
はいはい
This should not be a cause for despair or disdain.
え?
Societies have always misrepresented the past in an attempt to understand the present.
え?
misrepresented の代わりに interpreted and re-interpreted と入れたら意味とおるが?
The misuse of World War One at least ensures that it remains in the public consciousness,
そんな問題じゃないだろうに
なんかww1研究全体が不思議な事になってるのかなあ
Stevenson や Strachan を読んでるとこのような「へ?」ってな事は
ほとんど感じないんだが
333 :
318 :2006/11/02(木) 23:26:38 0
>>332 情報サンクスです。
全文読んでみたけどそのまんまボンドさんの例の本の要約ですね。参考文献がBondさんに
SheffieldさんにStephenさんですか・・・。これ見ただけで内容想像できますw でも個人的に
はStephenさんの論は結構好きでよく読んでます。
ニューヒスの致命的な欠点でもあるんだけど、こういう輩は恣意的に資料を選別しているので
何とでも言えます。可能な限り自分で一次資料に当たらないと、誰かさんみたいに自分こそが
イデオロギーの影響を受けずに客観的にWWIを捕らえていると勘違いしがちになっちゃう。
でも客観的に捕らえようとするとカオスw まともな結論もでないし困ったもんです。
先日なんとなく同僚のイギリス人(60代の女性で歴史家じゃない)とWWIの話題になったんですが、
良くも悪くも伝統的な解釈をしていて何故かホッとしましたw
ボンドさんの本とその訳書の解説は読んでないから分りませんが
すくなくとも
>>332 のリンクからは語の選択や論理の展開の端々に
「お前ら、アフォちゃうか」的 arrogance が漂っておりますな
この BBC History の ww1 のセクションに上がっている Articles には
Sheffield さんが何本も寄稿している
かれは外交史家ではないので、原因論↓を書くにはあまりふさわしい人物とはおもえないが
http://www.bbc.co.uk/history/worldwars/wwone/origins_01.shtml 著者のセレクションは誰がどんな基準でやっているのか
稿料無料だが事実上の宣伝媒体につかえるとか?(新聞投稿と同じようなもんか?)
あるいは King's と提携しているとか?
WW1やっている日本人は別宮暖朗や石津朋之のようなトンデモしかおらんのかな…
どちらも世間一般ではマトモな人なんだが。
>>333 ボンドさんは「戦後の文学作品はww1像をゆがめている」としきりに
攻撃しているようなんですね。書評にはそうある。
>>316 . "It seems likely that teachers of English rather than history still have more
influence in the shaping of views on the First World War, through the teaching
of war poetry, and from a narrow selection of poems, especially those of
Owen and Sassoon," he laments (88).
シェークスピアの描くバラ戦争の像は現在では歴史的な事実の反映においては
???である事は定説です。
ボンドさんは
「学校の英語の時間にシェークスピアは教えるな、間違ったバラ戦争観を植え付ける」
とでもいうんでしょうか。
シェークスピアは「歴史的に正しくない」価値観で切って捨てられるんでしょうか?
今からシェークスピアのバラ戦争観を振り返って、考察するのは
意味の無い事なんでしょうかねえ?
339 :
318 :2006/11/10(金) 14:12:30 0
>>338 バラ戦争と違って、ぼんどたんの考えている事実が定説になっていないところが問題なんでしょうね。
逆にオーウェン、サスーンの描く西部戦線が定説になっており、それがぼんどたんの気に障るんでしょう。
この辺のことは結構面白いことあるんだけど、ちょっと2ちゃんでは言いにくい(スレが荒れたり身元ばれたりするしw)
んで、ロムってますた。よかったら捨てアドとって
[email protected] にメール送ってくれませんか?
漏れも色々聞きたいことがあるんで情報交換しませう。
明日は終戦記念日ですな。まったりBBCでも聞いて過ごそ〜。
朝から2ch w
>>339 言葉足りんかったですが
残念ながら状況は一緒ですわ、バラ戦争とww1
「シェークスピアは???が定説」と書いたのは歴史学者と歴史好きにとってであって、
歴史に興味が(さほど)無い一般ピーポー(無慮数千万)には
シェークスピアのバラ戦争こそが揺るぎなき定説でござい
その"Myth" を打ち破ろうとして突っ走りすぎてる人々もいるです
例えばこんな人々
http://www.richardiii.net/begin.htm
ま、日本でも桶狭間「山」を知らない人間がゴマンといるわけで。
>>341 どこにもある話ですわ
世の中の信長秀吉家康像、Myths 以外の何者でもないっしょ
それを Myths だと言って噛み付くのはご勝手だが
国語の教師に「方丈記教えるな」とは口が裂けても言ってはならんよね
>>340 おくっておきますた
343 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 00:03:23 0
停戦記念日上げ
344 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 23:00:39 0
ttp://hibinoawa.blog10.fc2.com/ 「最後の最後」の第一次世界大戦フランス兵士
フランスは本日、第一次世界大戦終戦記念日(1918年休戦記念日)でした。
例年どおり、凱旋門下の戦没者記念碑にて記念式典が行われ、シラク大統領が
献花。2003年からは第一次世界大戦の元兵士の出席がなかったのですが、今年
はルネ・リフォーさん一人が出席。あいにくの雨という11月の天候の中、107歳
のリフォーさんを気遣い、大統領が「寒くないですか?」と声をかけ、「まだまだ
このようなお元気な姿でお会いできることを願います」と話すと、リフォーさんは
「心が温まります!」とこたえたそうです。
第一次世界大戦のフランス兵で存命なのは4人。リフォーさんの他は、ラザーレ・
ポティセリさん(108歳)、ルイ・ド・カズナヴさん(109歳)、ジャン・グルロー
さん(108歳)。
休戦記念日の目前、9日から10日にかけての夜に、第一次世界大戦フランス兵の
生き残り最年長者、モーリス・フロケさんが死去。111歳でした。
345 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 23:01:17 0
108歳、109歳と聞いてもすでにびっくりなのですが、生まれた年が 「1897年」と聞くと、20世紀をまるまる横断してきたんだな〜と実感 して感慨深いものがあります。 ところで、初めて気がついたのですが、第一次世界大戦のフランス兵の ことを「poilu」と言うのですね。なんか獣っぽい…と思いつつ辞書を ひいたら、形容詞では「毛の生えた、毛むくじゃらの」という意味、 名詞としては「(第一次世界大戦の)フランス兵士」。フランス兵士は 毛皮でも着てたのかしら?
WWIは明るくロマン的な帝国主義戦争。 その割には日本ではあんまり人気ないな。
347 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 23:48:13 0
そりゃ全世界規模で発生して戦線が動きまくった第二次大戦と比較したら 戦線が膠着して戦いに動きが無いし、定着した戦争だからね。 それに世界大戦と言う割には欧州の戦争だからそれほど凄くも無いしな。
>>345 >poilu
前線で汚く髭もそらない野獣のような自分たちを例えて兵士たちが使った自称です。
自卑的な面もありながら職務への誇りも見える言葉だそうです。
アメリカ軍の Doughboys 英軍の Tommy などもあります。
綴り失念したけどドイツ軍兵士の自称は確か「前線の豚」だったとおもう。
>>347 つ 中東戦線、コーカサス戦線
あと、一応青島
350 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 00:38:09 0
351 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 20:33:05 0
帝 国 崩 壊
352 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 22:39:50 0
帝 国 再 開
353 :
\(^■^ ラ 【卍】 :2006/11/18(土) 05:36:07 O
【卍】 ≦予 ̄> G\(^■^ ラ \ <!>+\ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク もしわが知識階級が、洗練された社交作法の代りに拳闘を教えられていたら、 女衒や脱走軍人といった人間の屑によるドイツ革命は不可能であっただろう。 蹂躙されたドイツ国民が、世界から足蹴にされて甘んじているのは、 自己に信頼する力を欠いているからである。 ドイツの青年は、その肉体の力と熟練によって、 再び全ドイツの無敵さを信ずるように教育されねばならない。
>>354 404 - Page Not Found><
>>357 uk version のアドレスは国外IPは撥ねるのかな?
ひとつ勉強になりました。これからは気をつけるよ。
359 :
◆ALSPlGAxzM :2006/12/19(火) 04:46:39 0
360 :
◆ALSPlGAxzM :2007/01/10(水) 19:57:52 0
かなり下がっているので保守アゲ
ttp://www.topics.or.jp/News/news2007011110.html 独兵捕虜の娘、異母兄の行方捜索 鳴門市ドイツ館、情報募る
「血を分けた日本の兄を捜して」−。第1次大戦当時、板東俘虜(ふりょ)収容所で暮らしたドイツ兵捕虜の末娘が、
北海道で父親と日本人女性との間に生まれた子供の行方を捜している。
北海道で捕虜の仕事仲間だった松浦周太郎元運輸相(1896−1980年)の二男光二さん=札幌市在住=の元に
ドイツから手紙が届き、このほど光二さんから、鳴門市ドイツ館に経緯などが伝えられた。
同館は館報「ルーエ」最新号で、捕虜に関する情報提供を呼び掛けている。
昨年九月、ドイツ館の田村一郎館長に光二さんから計四十八ページに及ぶ研究文
「ピウカに住んだドイツ人〜映画バルトの楽園(がくえん)に触発されて」が届いた。
研究文によると、兄を捜しているのはドイツ・ハンブルク在住のエルケ・クランツさん(61)。
父は第一次大戦当時、中国・青島で砲兵隊として日本軍と戦闘し、大阪や徳島、板東収容所を転々とした
元ドイツ兵捕虜のユリウスさん(一八八八−一九六一年)で、エルケさんは四人きょうだいの末娘という。
362 :
世界@名無史さん :2007/01/11(木) 20:22:58 0
>>361 ユリウスさんは、一九二〇年に収容所から解放され北海道に渡り、
欧州で棺に用いる高級材とされるナラノキなどを輸出するドイツの商社に就職。
二三年ごろ、ドイツ人女性エリザベートさんと結婚した。
ピウカ(アイヌ名、現在の美深町)に居宅を構え、エルケさんの姉と兄が生まれている。
ピウカで材木工場を営み、商社とも取引していたのが、戦後地元から中央政界に進出し労働・運輸大臣を歴任した周太郎さん。
ユリウスさんとは同年から約四年間、家族ぐるみの付き合いだったという。
エルケさんが捜しているのは、ユリウスさんが結婚直前まで交際していた日本人女性との間に生まれた男子。
エルケさんは九八年、亡くなる直前のエリザベートさんから事実を知らされたが、相手の女性や男子の名前などは全く不明。
エルケさんは、二〇〇二年九月から手紙をやり取りするようになった光二さんに男子の行方を捜してくれるよう依頼。
光二さんは郷土史を調べたり、ユリウスさんの消息についてドイツ館に照会するなどしたが手掛かりはなく、エルケさんに不明を伝えていた。
光二さんは昨年、同収容所を舞台にした映画「バルトの楽園」が公開されたことを機に、
これまでの経緯などをまとめた研究文をドイツ館に送った。
田村館長は、収容所研究者らに送付される館報(国内外に約千部配布)で光二さんの研究文を紹介。
「なにかの偶然でユリウスさんにつながる手掛かりが得られるかもしれない」と話している。
ttp://www.topics.or.jp/gazou/News/n2007011110.jpg 【写真説明】エルケさんから届いたユリウスさん(左)、周太郎さんが収まった写真=1922年12月25日撮影、松浦光二さん提供
363 :
世界@名無史さん :2007/01/17(水) 19:51:18 0
ヴィルヘルム2世が、海外進出を行わなければイギリスやロシアとの対立を避けれただろうに
364 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 05:35:56 0
>>363 ロシアは場合によると思うけど
奴が威圧外交やったり、海軍増強してれば
いずれ英とは戦うはめになったんじゃないかと思う。
366 :
世界@名無史さん :2007/01/30(火) 22:16:02 0
ドイツにとってはビスマルクの外交は現実主義的で良かったんだよね
367 :
あだち :2007/01/30(火) 22:18:14 0
「勝手メール」失礼します。 ■□ 「こころを強くするメッセー」のご案内 ■□ 「幸せを得る最大の秘訣」 幸せの秘訣、それは簡単なことです。まず 毎朝早く起きることです。この簡単・単純な ことをなおざりにしているから「幸せ」をつ かむことができません。 ところで、あなたは朝早く目をさましたら何をし ますか。「徳」ある人は朝をこのように得あるも のとします。 まず「見える」ことに感謝します。「聞こえる」 ことに感謝します。この世には見えず聞こえず 何の感覚もない大勢の人がいます。 あなたは五体正常で新しい朝を迎えること ができるのです。何はさておいても心から感 謝する事です。感謝の積み重なりが「幸福」 という形になってあなたに還ってきます。 ================= 「こころを強くするメッセージ」と Google にて 検索してください。
鯖移転で一時的にDat落ちしたみたいで 保守アゲしときます
369 :
◆ALSPlGAxzM :2007/02/25(日) 05:01:21 0
しまった、あがってなかった
下から落ちてくわけじゃないですよ
371 :
世界@名無史さん :2007/02/28(水) 12:31:22 0
ttp://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200702270030.html 92年前に戦場から出したハガキ、ようやく配達 英国
2007.02.27Web posted at: 20:59 JST- CNN/AP
第一次世界大戦中に、戦場から無事を知らせるため恋人に送ったハガキが
92年ぶりに見つかり、ようやく届けられるという出来事が、英国で起こった。
しかし、送り主も受取人も、すでに亡くなっており、実際に受け取ったのは2人の娘だった。
一兵士だったウォルター・バトラーさんは1915年、ロンドンの西約100キロのウィルトシャーで暮らす
当時の恋人エイミー・ヒックスさん宛てに、無事を知らせるハガキを書き送った。
しかし、このハガキは届いていなかった。
92年がたってから、郵便局でハガキが見つかり、
ヒックスさんが暮らしていた近くに配送された。
当然のことながら、ヒックスさんはすでに亡き人。
そのため、ハガキは2人の娘ジョイス・ハルバートさん(86)の元へ届けられた。
3人の孫があるというハルバートさんは、両親が戦時のことはほとんど話していなかったと回想。
「少し遅すぎたと思う。ハガキが92年たってから届くっていうことより、
世の中にはもっと興味深いことがたくさんある」と、届いたハガキはあまり意味がないと述べた。
国が細かすぎ
飛行船
飛行船なんて何に使うよ
戦時公債募集の広告
オーストリアって領土削られすぎじゃね?
うん。ホントかわいそう
>>378 じつのところオーストリアはそんなに領土削られていない。
そもそもオーストリアはww1以前にはハプスブルク家の帝国のうち
ハンガリー王国を除く部分を便宜的にそう呼んでいるだけ。
大ハンガリーは領土を大幅に削られたが
ドイツ系オーストリアが喪失したのは南ティロル、北部国境、(ズデーデン、)
クライン州とシュタイアーマルク州、ケルンテン州の一部(数えたら意外と多いな)。
逆にブルゲンラントをハンガリーから得ている。
サン・ステファノ条約でオーストリア共和国が帝国のオーストリア部分の
後継国家とされたが、考え方によってはオーストリアも帝国から独立した
新興国家のひとつと言えなくもない。ソ連解体みたいなもんか。
気がつけば治める帝国がなくなっていた、と。
381 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 08:04:02 0
参戦国の人口、予想GDPなどの国力を教えてください
領土削られたのはオーストリアというより ドイツだな
ドイツにオーストリアをくっつけて、オーストリアの賠償金もドイツに肩代わり支払いさせたらどうだろう。 どうせ、戦後ドイツは破産だし、オーストリアを合体させても、現代ドイツの旧東ドイツみたいにオーストリアを養えずに重荷になるし。
オーストリア人からみればドイツ人は雑種 スラブとかフン族とかアルプス人とか 変なもんがいっぱい混じった人種に見えている 特にフンは致命的だ オーストリア人には自分が真のゲルマン民族という 気高さと誇りがあるんだろうと思う
オーストリア人が真のゲルマン民族、 嘘つけ、ハプスブルク帝国という多民族国家で、マジャール人やポーランド人、やチェコ人、クロアチア人と混血しとるだろが!。
なんかへんなのがいるな。
>>380 ボヘミア・モラヴィアも「オーストリア」の一部じゃなかったっけ。
>>388 屁理屈に近いと言われても仕方ないが
「帝国議会に代表される諸王国・諸邦(いわゆる俗称オーストリア)
および神聖なるイシュトヴァーンの王冠の諸邦(ハンガリー)」
から考えればww1以前にオーストリア世襲領はあっても
オーストリア帝国は存在しなかった。
ライタ以西(いわゆるオーストリア)はハンガリー王国を除く部分で
オーストリア世襲領、ボヘミア・モラヴィア・シレジア、ガリツィア、ブコヴィナ、
ダルマティア、および沿岸諸州(イストリアなど)から構成される。
18世紀末には神聖なるヴァーツラフ王冠の諸邦(チェコ)はオーストリアと
行政的に一元化されたがドイツ系オーストリア固有の領土とは言えないだろう。
ドイツ系オーストリア共和国も連合国(特にフランス)の恣意的な圧力により
非ハンガリーの帝国部分の後継国家とされなければ帝国から独立した一領域と
考えてもいいんではないかなあ。
ボヘミア王冠諸州はさっさと連合国から独立政府を認められたからどうしようもない。
ボヘミア王国は神聖ローマ帝国の選帝侯の1つであり 数百年に渡ってハプスブルク家の領地であり、権力の源泉でもあり、 20世紀初頭には数百万のドイツ人が居住していたのだ。
391 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 23:22:42 0
>>386 オーストリアもドイツもゲルマン人だよ
モンゴロイドではない
394 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 23:53:07 0
シュリーフェン・プランなんてやらなければよかったのに 具体的に言えばフランスなんてほっといたらよかったのに
396 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 00:19:51 0
>>391 ドイツ人はモンゴロイド
イギリス人がドイツ人を馬鹿にするときはフンといった呼び方をする
潜在意識にドイツ人はオリエンタルの血がはいった下級白人だという意識がある
顔もそんな感じの奴も多いし
ロシア人もこう思われ馬鹿にされている側面があるよな
>>ドイツ人はモンゴロイド モンゴロイドと混血しているという証拠を出せ
ドイツがモンゴロイドだとしたら ドイツ以上にマジャールやスラブと 混血しているオーストリアはどうなるんだ
401 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 01:03:59 0
オーストリアをほっておけばよかったのに 火遊び好きのヴィルヘルム2世には無理か
英語圏でドイツ人をHunsといったのは第一次大戦のことですね。 知ってる限りではドイツ人の人種がどうとかいう話ではなく ヴィルヘルム2世が義和団事変の出兵の際に行なった演説で 「フン族のようにふるまい中国人に恐怖をうえつけろ」 とかのたまったことから来ていたはず。 この人の有名な黄禍論がそう叫ばせたのでしょう。 青島出兵とかで日本に領土を荒らされたときはどう思ったのかな。
公使館だったか神父だったかを 殺された報復だったな
404 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 05:40:51 0
>>381 全盛の工業生産力を100とした
1913年ww1直前の工業生産力の割合(国家の戦闘力)
一位 アメリカ 30
二位 ドイツ 16
三位 イギリス 12
四位 フランス 6
五位 ロシア 知らん
六位 オーストリア 1
七位 日本 1
ここまでが↑「1」以上
ここから↓「1」以下
イタリア 0.6くらい??
トルコ 知らん
ブルガリア わかんね
ルーマニア どうせ問題外の雑魚だろ
その他 誰か詳細なデータ頼む
405 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 05:45:55 0
人口 (英領インド) 三億 ロシア 一億六千万 アメリカ 9200万 ドイツ 6500万 日本 5300万 オーストリ 5100万 イギリス 4500万 フランス 4000万 イタリア 3500万 (日領朝鮮) 1700万 トルコ 1500万+属領としてシリア・アラビア・メソポタミアがあるが全てあわせて総人口700万人程度 (仏領インドシナ) 1500万 (白領コンゴ)1500万 (英領エジプト) 1300万 仏領西アフリカ) 1300万 ↑ここまでが1000万越え ↓ここから1000万以下 ルーマニア 800万 ベルギー 700万 ブルガリア 600万 ポルトガル 600万 ギリシャ 500万 セルビア 500万 モンテネグロ 100万 その他 しらんつーか面倒 ちなみに実質形だけの参戦国や中立国は省いた
406 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 05:57:55 0
注目すべきところは アメリカは世界大戦の前からすでに世界ナンバー1 ドイツはすでにイギリスを追い越している フランスはドイツの半分以下の国力と人口しかない(この圧倒的国力差を補う為に露仏協商を結んだ) アメリカが全くの中立なら、中央同盟軍にも勝算はあったと思うのだが その辺りはどうだろうか。
407 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 07:47:01 0
俺は難しいと思うね。 戦争は同盟国の存在も左右するから 有力な同盟国をもたないドイツ陣営は苦戦を強いられるのは確実だと思うけど。 オスマン帝国は戦力外だし、まず地理的に戦力になりえない。 同盟国側はドイツと二重帝国で頑張っていたけど、 ブルガリアなんて戦力ではないしな。 イギリス・フランス・ロシアのほかにイタリアもついているわけだし、 実際にはかなり辛いだろ
全盛の工業生産ってなんじゃそらw 馬鹿も休み休み言え
「全世界」の生産の間違いなのかな
410 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 09:18:42 0
>>404 は
全世界の工業生産力を100とした…
だろう。常識的に考えて
工業生産=国力もアウトなw そんな簡単だったら歴史なんて楽なもんだ
皇太子を殺されて、まず最初にセルビアに 宣戦布告したオーストリアじゃなく。 なぜドイツが主役になっているんだろ。
国力と戦力の問題で
415 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 15:55:53 0
>>411 そうだな。俺もそう思う
ただ、武器や弾薬などに不足するのはこまるということだし
購買力もGNPも農業国家と工業国家では段違いなんだが
近代戦は工業力は、人口よりも兵の強さを計るに重要な指標と思う
まあ、もっとも他の資料も探してみたけど、人口と工業力の資料しかなかった
ため、言い訳かもしれないがね
他のデータで補足してくれるなら結構有り難いけどね
>>404 は全世界の工業力を100とした場合の各国の割合です
中立のベルギー侵犯をしなかったら イギリスは戦争に参加しなかったんだよね?
>>417 といわれている。
当時のドイツの硬直した戦略では、ロシアと開戦->フランスと開戦->ベルギー侵略なんで、
ベルギーに攻め込まないというのがありえない選択だったというのがアレすぎるけど。
戦争に参加と言うのがどのレベルの事をさしているか不明瞭だけど 個人的には(結局の所)参戦せざるを得ないんじゃないかしらと思うな。 勢力均衡の概念からすればドイツは強くなりすぎるから。
しかし英、米と次々増援が来られたら是非もない。 根回しする必要はあっただろうな。
ドイツは何でシュリーフェン計画しか考え付かなかったんだ
422 :
ルリエ :2007/04/23(月) 19:51:29 O
参謀本部が余りにも鮮やかに勝ったから。しかも、2つの戦争を。当時の格上の相手に。 だから参謀本部の戦争計画はまた勝つだろうと思ったし そう思わなくても正面から異を唱える事は難しかった。 何せ相手は成功者。それも歴史に残るクラスの成功者だから。 過去の成功は未来の成功を約束しないって、わかっていても難しいのさ。
まあフランスが仮想敵国であるのは当然として 結局オーストリア、ロシア両方の機嫌をバルカン方面で取れなかったからだろうねえ。 作戦自体に無理があった点(対仏早期決戦)はさておき まさかオーストリアがあんなに弱くてロシアが素早くて、とは思っていなかったんだろう。 戦間期に言われたところによると「ポーランドがなかった」から、らしいが。 独墺露の三大国の間に緩衝地域がなかったのは不幸だったが まさにその三国がポーランドを分割したんだから何ともかんとも。
>>407 オスマン帝国が戦力外ってのはどうなんだろう。
ガリポリでの善戦は有名だけど、それだけじゃなくてメソポタミアでは押し気味
だったし、パレスチナでもそれほど足を引っ張っていたわけじゃない。コーカサス
でも大負けはない。
クリミア戦争での不名誉な伝説といい、19世紀以降のオスマン帝国は必要以上に
貶められているんじゃないか。
ガリポリ以外はロシアに押されぎみ
ドイツは日露戦争の時後ろからロシアを奇襲すれば良かったのに。 英はボーア戦争、仏はドレフュス事件後でそう迅速な行動はとれなかっただろうし。
勝てばダークヒーロー 負ければ最悪
>>425 そんなことはない。確かに初期は攻勢に出るたびに撃退されてロシア軍の領内への進入を
許しているけど、ケマルが指揮するようになってからは互角に戦ってるし、ロシア革命後は
逆にロシア領を占領してる。そしてなんと戦後に露土戦争での失地を回復してる。
他の連合軍相手にも決定的な大敗北を喫したことはない。だからこそ軍も健在で希土戦争に
勝利できたし、英仏もトルコ人の国から不動産を得ることができなかった。
オスマン帝国はロシアの一軍を引き受けることは出来ていたが 主戦場のヨーロッパの方まではちょっといけないよね
オスマン帝国はとっても忙しい ガリポリの連合軍を防がなければいけない 北から来るロシアに備えなければいけない ロレンスが引き起こしたアラビアの反乱軍を相手にしなければいけない オーストリアやドイツと共同作戦には手が回らない
オーストリアは普墺戦争で勝てばよかったのに そうすればドイツなんて存在しない
なにこの怒濤の自演は。
どうやっても同盟軍が勝てる可能性は 零だな
>>429 英語の記事のの和訳だけど、実際にコーカサスでロシアの大軍を動かせるほどの兵站が確保できたのか?
黒海にはトルコ艦隊が健在だから海路に依存するわけにもいかないし。
ガリポリでの戦いだけが注目されがちだけど、メソポタミアではロシアからの援軍を撃退しつつ英軍に壊滅的な打撃を与えてる。
パレスチナでは押されっぱなしだったけど、それはパレスチナでの戦闘に慣れてないドイツ人が指揮してたためだ。
14年冬と16年夏のコーカサス戦線でのエンヴェルの無謀な攻勢以外で、トルコ軍がアホみたいに負けた戦いはないぞ。
確かに地理的に独墺と共同歩調はとりづらいけど、欧州唯一のロシア不凍港を封鎖した功績や英軍に与えた出血を考えると、
ロシアに負けた戦いがあるってだけで戦力外呼ばわりはどうかと思うが。
ドイツ、オーストリアから見て 共同作戦を取れないからオスマンは「戦力外」 オスマンから見てもそうだが
オスマン帝国はクリミアあたりで ロシアの軍勢と戦って、東部戦線の ロシア軍戦力の増強を阻止するという 大事な大事な任務がある。 そしてそれを果たしていた。
>>436 そうだね。本当に役立たずなら
ロシアに速攻でたたまれていたろうね。
ロシア革命でロシアが崩壊するまで
持ちこたえていたね。
戦力外じゃないね。
440 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 23:58:10 0
トルコが重要視されたのは戦力としてではなく その地理的要因だろうなあ トルコが連合側に建ったお陰で ヨーロッパ側におけるロシアの不凍港が消滅 ヨーロッパとロシアの交易が遮断され、一気にロシアは物資困窮へ ロシア革命に繋がってく大きな要因になったわけだから戦略的には大きかったな 実際、トルコの参戦の方を聞いた時はヴィルヘルムも大喜びだったって話だけど どこまでトルコの戦略的価値を認識して大喜びしていたのかは判らないが
441 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 23:58:57 0
>トルコが連合側に建ったお陰で 訂正 同盟側
442 :
世界@名無史さん :2007/04/24(火) 00:06:55 0
トルコが重要視されたのは戦力としてではなく その地理的要因だろうなあ トルコが連合側に建ったお陰で ヨーロッパ側におけるロシアの不凍港が消滅 地理的には重要だったけど 結局、戦力は他の同盟国同様にドイツに依存していたよね ドイツとトルコの連絡路を 担っていたブルガリアが降伏したら ほぼ同時期に戦わずにトルコも降伏したからな 後半期は完全に自力で戦えなくなっている
443 :
世界@名無史さん :2007/04/24(火) 01:42:00 0
WW1でのオスマン帝国って勝ってたんじゃなかったか? なんで過小評価してるのが多いんだ。 ロシアには勝ったが同盟国として敗戦国になった。 二次大戦で降伏したのに戦勝国になったフランスの逆パターンな気がするが。
444 :
世界@名無史さん :2007/04/24(火) 02:26:54 0
それはドイツのお陰で買ったのに ドイツのせいで負けたといっているような物
中央同盟軍は ドイツとその他 と呼んでいい
ドイツが主力を引き付けてたからトルコは脇役として活躍出来た。 トルコ単独じゃ落ちぶれてたから主役を張るのはどうやっても無理。 早期降伏はトルコ首脳部の自己評価の正しさを示すもの以上の何でもない。 フランスは第二次百年戦争以降は弱くなる一方だよなあ。
アホか。 距離と環境を克服する事がどれだけ難しいか。 北海道沖縄間を移動してみろ。死ぬから。 戦場には自販機もクーラーも暖房機もないんだぞ。
>>443 >>英語の記事のの和訳だけど、実際にコーカサスでロシアの大軍を動かせるほどの兵站が確保できたのか?
確保しようとして運ぶための鉄道の建設を進めたんだろ?
>>黒海にはトルコ艦隊が健在だから海路に依存するわけにもいかないし。
黒海艦隊もおりましたが?
オスマンもドイツもロシア革命に救われたんだよ
>>フランスは第二次百年戦争以降は弱くなる一方だよなあ。 そうかな?第一次では最後まで戦ってたし 戦後でもベトナム、エジプト、アルジェリアでは 戦術的にはいい勝負している
>>黒海艦隊もおりましたが? 海路に全面的に頼るわけにも行くまい 主力はヨーロッパでしょ? やはり鉄道だな
ドイツがベルギーの中立を侵犯したから イギリスが宣戦した ドイツがUボートでルシタニア号を沈めたから アメリカが宣戦した よって中央同盟軍が負けたのはドイツのせい 以上、終わり
>>450 いや、相対的に並みの列強程度に落ちたという意味で、
「弱くなった」と言った。
>>449 鉄道だけで兵站はもたないよ。駅から前線に物資を運ぶのにもそれ以上の労力が必要だし。
コーカサス山脈でまともに使える道路が1本しかない以上、ロシアにアナトリア半島で大軍を維持することはできない。
一時的に勝利することはできても、仮にも国民国家たるトルコを打倒できるとは思えないよ。
>>454 鉄道で輸送力はかなり変わる
輸送路が出来ていたら補給の問題もなくなり
オスマン帝国は征服されていただろう
その前にロシア帝国が革命で消滅したが
シベリア鉄道が完成した時 日本政府は大いに恐れたそうだ 輸送力、軍の移動が円滑になるから
普墺戦争でも普仏戦争でもシュリーフェンプランでもドイツの補給に大して貢献していない鉄道が、 ことコーカサス戦線でだけ有効になるとは思えない。 鉄道の力を過大評価しすぎてないか。問題は兵站駅での荷おろしや、そこから前線までの輸送 手段にあるわけだが。
>ソ連は、日本に対ソ戦の意思がないとの情報を受け **、日本の関東軍と対峙していた >強力な戦車群をシベリア鉄道で輸送、ソ連の退却戦法で疲弊したドイツ軍を蹴散らした >のでした。ちょうどそのころ真珠湾攻撃に踏み切っていた日本にとっては、ドイツは >東からアメリカを攻めるパートナーであったわけで、モスクワまであと少しのところ >まで迫っていたドイツ軍が敗れるというのは想定外のことであり、第二次大戦全体に >大きな意味を持つことになります。 >その後、第一次大戦で、戦車が登場しますが、昔の戦車にとって、輸送手段として >鉄道はなくてはならないものでした。 補足: 徳田八郎衛 : 間に合った兵器 (光人社NF文庫, 2002) p.46. >フランス会戦[ドイツの北フランス侵攻,1940]での英国の戦車消耗の >七五パーセントが故障によるものだったことは大きな関心を呼び、 >信頼性が戦車設計の重要課題となった。とくに英国の重装甲「軽」戦車は >舗装道路を長時間走るのが苦手だったもようで、今日の日本のように >「道路が痛むから」という理由ではなく、戦車の履帯が痛まぬよう鉄道輸送 >する必要があった。
>>457 逆に考えるんだ
「鉄道がなかったらもっとドイツの補給が滞ったかもしれない」
オスマン帝国はロシアの一軍の相手をして ドイツの負担を減らしたとは言えるだろう
>>458 鉄道は線路が続く範囲での兵員輸送には大きな効果があるのは間違いないだろう。
けどどれほどの大群がいたとしても、補給がもたなければ烏合の衆も同然だ。
>>459 「だがドイツ軍の大半は現地挑発で食べていたと言わせていただこう!」
鉄道が補給に全く威力を発揮できなかったとはさすがに言えないけど、鉄道で全ての問題が解決した
というのもまた根拠がない。
鉄道補給での最大の問題は、前線に一番近い兵站駅から前線までの輸送方法だ。
普仏戦争やシュリーフェンプランでのドイツはここでつまずいてしまったために、兵站駅で大量の食料が
腐るままに放置されるという事態を招いている。
さらには前線の移動にあわせて兵站駅も動かさなければならないし、パルチザンの破壊活動もある。
インフラの整った西ヨーロッパで、何十年も計画を積み重ねてきたドイツ軍ですらこうだったのに、遥かに
劣悪な環境のコーカサス-アナトリア半島でロシア軍が上手くできるとは思えない。
しかも相手はあのケマル・パシャだし、紛れもないトルコ人の土地で戦うわけだからトルコ軍もガリポリで
のような勇猛な戦いっぷりを見せるだろう。
ロシア軍がどの程度の兵力でどのような攻勢を計画していたのか、そのために何本の線路を引いて何両
の列車を用意していたのかは分からないけど、1917年中にトルコを屈服させることができたと素直に信じ
ることはできない。
ガリポリで精一杯なんじゃないの?
>>けどどれほどの大群がいたとしても、補給がもたなければ烏合の衆も同然だ。 だから補給を円滑にするための鉄道だろ 物資を大量に輸送できる
ケマルはオスマン帝国軍の全軍を統括していたんですか?
別宮暖郎によると 「後ろからの一突きで倒れた」のは ロシアの方が当てはまるということだそうだ
>>463 だから、鉄道で駅まで送ってそこから前線までどうやって送るのさ。
自動車がないんだから馬車しかないでしょ。大軍の補給物資を送るにはやっぱり大量の馬車がいる。
馬車にはその馬の食料も積まなきゃならない。前線が離れれば離れるほどその割合は増える。
結果的に前線の将兵への補給はどんどん困難になっていく。
ドイツ軍ですらこの輸送部隊の運用に失敗してる。ロシア軍にできるのか?
>>464 ケマルは16年にエンヴェルが失敗した後、コーカサス軍の司令官になってます。
確かロシアが輸送路の確保に熱心になったのは 露土戦争での戦訓じゃなかったか?
インフラがそれほどでもない東部戦線でも 輸送はそれなりに出来ていた コーカサスでも問題なかろう
トレビゾンドは占領され、黒海艦隊にはド級戦艦が配備されようとしていた。 1917年中とは言わないが、ロシア革命がなければオスマン帝国もドイツ帝国も 崩壊していただろう。
イスタンブールは占領されたかもしれないが オスマン帝国は広いから首都を移して 徹底抗戦をしてそうな気がする
>>470 WW1後のスルタンの超弱腰っぷりを知らんのか?
>>446 >>453 ナポレオンは?
最後負けたっていうならドイツも同じだし・・・
>>458 現代戦車も壊れないよう長距離移動はトランスポーターを使うのが基本だがな
>>470 イスタンブールが占領されたらアナトリア中部しか逃げ場はないが。
閉じ込められ、四方八方から攻められる…
>>472 第二次百年戦争ってナポレオン戦争も含むから
ナポレオン以降相対的に弱くなったということでは
475 :
世界@名無史さん :2007/04/27(金) 02:50:08 0
>>470 イスタンブールが占領されたらロシアとヨーロッパの航路が復活して
ロシアが息を完全に吹き返すね
勿論、物資不足も解消し革命の芽もでなくなるわけだが
これは終了に近いパターンだな
まあ、ケマル先生ががんばれば何とかなるかもしれんがね
明日(5月27日)にBBCがルシタニア号のドラマを放映予定 日本でもそのうちヒストリーチャンネルあたりで見れるのでは? 娯楽中心の BBC One 日曜 プライムタイムでいったい何事かな 1200人殺したのはUボートか、それともチャーチルか?自作自演検証のようですな。 Lusitania: Murder on the Atlantic Sun 27 May, 8:00 pm - 9:30 pm 90mins Drama based on the events of May 1915, when the passenger liner Lusitania was sunk just off the coast of Ireland by a single torpedo fired from the German submarine U-20 and almost 1,200 passengers and crew lost their lives. Bitter controversy surrounded the sinking - was the ship as innocent as she seemed, had the British government secretly used a passenger ship to carry explosives, and had Winston Churchill deliberately sacrificed the Lusitania to bring America into the war? [S]
>>478 Docu Drama だと
やはりBBC Oneだなw
>>478 みますた
これは日本でもやるかも知れないから詳細は控えるけど
玉虫色につくってありますたとだけは言える
もちろん英国海軍省とチャーチルを悪玉には描いている
しかしやっぱり歯切れは悪いわけで
最後に出て来たドイツ海軍の設定の建物はありゃ一体どこでロケをしたのかな
すごいStaircaseだっただよ
481 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 18:03:47 0
ドミニク・リーベン『ニコライU世 帝政ロシア崩壊の真実』(日本経済新聞社)に、 ……いずれにせよ、戦前のドイツがロシア国内の成り行きを著しく懸念して見守って いたのは間違いではなかった。自由・民族主義、反ドイツ主義、スラブ主義を唱道する 連合が未来の動向を表しているという考え方は理にかなったものであり、ロシア 内外で広く認められていたことだった。(41) とあって、さらに原注を見ると、 ……ただし、ロシアの国内・外交問題の関係についてドイツ語文献を読むときは 注意がいる。ドイツの歴史学者は1914年以前のドイツ体験にもとづく、やや片寄った 未証明の非「科学的」理論を押しつける傾向がある。こういう理論は必ずしも ロシアの状況に適合しない。さらに、「科学的」理論への執着とドイツの歴史学者 グループ間の激しい論争、狭量で独断的な意見が生じている。 と書いてあるんだけど、第一次世界大戦の原因に関する「科学的」理論って どんなもの?
そりゃ汎ゲルマン主義と汎スラブ主義といった イデオロギー的な対立があったから注意が必要だよな
よく汎ゲルマン主義と言うがドイツはともかくオーストリアがその尖兵みたく 述べられるのは理解に苦しむなあ。 実際バルカンの利権についてドイツ・オーストリアは対立していたわけで 余り単純化するのは危険だろう。
>>481 この本不勉強にして未読なのですが、
この引用箇所のコンテキストは第一次世界大戦の原因なんですか?
引用文からだけ「解読」すれば(あまりこなれた訳文とは言えない)
ドイツ人歴史学者が非「科学的」理論を押し付ける傾向ありなのは
「ロシアの国内・外交問題の関係」に対してじゃないかなあ
ドイツの学者たちのロシア論争についてはよくわからんですな
論争の内容も論争の起こった年代も
1960年代ならフィッシャー論争と絡んでいるかもしれないが(あくまで憶測)
余談ながらリーベン先生の「ロシアと第一次世界大戦の原因」は良いご本です
ロシアと開戦原因の関係を特に扱った唯一の本じゃないかな(英語では)
>>428-429 ドイツはバルカン半島にはっきりした利害はないのですよねえ
3B政策と言う名前が一人歩きしてるんで、よく誤解されてますが
トルコへの軍事援助その他もバルカンの権益確保ではなく
対ロシアの牽制です
>>484 原注に引用されたドイツ語文献は80年代のものなので、フィッシャー論争とは
関係ないと思います。
>>486 私は素人でロシア語はおろかドイツ語すら読めないのでよく分からんですが
きくところによるとドイツww1の歴史学はフィッシャー以来
けっこういろいろな面で泥仕合を続けているとかなので
これもその泥仕合の一部では?
>「科学的」理論への執着と
この用語法(訳語が適切なら)はすごいよ
「非科学的理論への執着」はよくあるが
リーベン先生はこの論争アフォくさ、と思っているんだろう
>>485 ドイツの近東政策はバルカン、トルコの経済的支配のための領土保全じゃないか?
充分に権益確保の側面はあったがバルカン分割ではなく現状維持がドイツの国益に沿っていた。
だからこそオーストリアに近東問題への不介入を強いたわけだし。
軍事援助もアルメニア問題で保全政策を放棄した対英牽制だろう。
まあ確かに3B政策てのは余り良い表現ではないな。
3B政策、3C政策って誰が言い出したの? 3B Berlin Baghdad Byzantiumとか3C Cairo Capetown Calcuttaでググってもそれっぽいのは日本語しか出ないし 英語版wikipediaにもカケラも見当たらないし、日本語版にはあるけど
>>488 ドイツはバルカンに投資先あるいは商圏的な面で特別強い利害があったわけじゃないですね
しかもトルコはバルカンだけでなくパレスチナ・中東もありますんで
トルコをむやみに刺激する=イギリスを刺激するになる
これはちょとまずいんですね
軍事援助も対英より対露の側面強いとおもう
とにかくイギリスとはなるべく表立って事を構えないように
最後の最後まで(少なくとも1914年の5月ぐらいまで)がんばってるから
>>489 3B政策はマジで見たことないですねえ
「ベルリン・バグダッド・ビザンチウムー」と民衆を煽動する
ドイツのへぼ政治家がいたのかも知れないと妄想
3Cの方はそのようなニュアンスは見たことはあるが
そのものズバリの「3C政策」を使ってるのは知らんです
だから英語訳が思いつかない
ちょっとスレ違いですが アフリカ分割の「横断」「縦断」政策も原語の日本語訳ではないような 「Cape to Cairo の政策」では日本語的に何のこっちゃわからん(+長い)から きりっと漢字4文字で「縦断政策」と当てて それとクロスしてぶつかるフランスの政策を「横断」と説明したのじゃないか 南北政策や東西政策でも意味的にはあまり問題ないわけでしょ 要は概念が重要であってちゃんと説明できればいいのに これを人名・地名や戦争名なんかと一緒くたに扱って 入試などで虫食いで出題するのはなんだかな、と思ったりする
このスレで一度言ったことがあるかも知れないけど、「汎スラヴ主義」の方もちょっとね……。 汎スラヴ主義を押し進めたのはロシアの外相サゾノフだけど、 これはバルカン戦争でブルガリアが脱落したことで実質的に終わってる、という論文読んだことある。 ロシアではゲルマンへの対抗よりも「スラヴの裏切り者」であるブルガリアへの失望が深かったとか。 たしかドイツ語だけど、ロシアとバルカン諸国の第一次大戦についての論文です。 関心ある方がおられるなら探してみますが、如何?
民族主義なんて戦前よりは戦中やベルサイユでの話だしなぁ。
>>493 しかし「汎スラブ主義」は少なくとも日本で造語された疑いはないからね
>これはバルカン戦争でブルガリアが脱落したことで実質的に終わってる
それはサライェヴォの直後のロシアの対応や七月危機を通してもそう見える
ただサゾノフがイデオロギー的に「汎スラブ主義」を追及していたとは思えない
都合の良いときにだけ使えるツールでしょう
>>494 戦後の価値観で戦前が解釈されて、なんだか
「おお、こんなところで”汎スラブ主義”が唱えられているじゃないか、、、」と
鬼の首取ったみたいな流れかも
よくある話です
ネット上をふらふら検索していると思いがけないもんに遭遇するですが
Franz Ferdinand Found Alive - World War One Unnecessary
こりゃまた刺激的な「もし what if」だなあと思ったら
ダートマスのLebow教授のunpublished論文で二度びっくり
タイトルでググると出てきます
米海軍関係のPeriodicalで
http://www.ccc.nps.navy.mil/si/nov02/strategy.asp 別に新しいことは何も言ってませんが最近いろいろ論議の
preventive war や pre-emptive attack とドイツの1914年7月の考察
昔からさかのぼって書いてありww1初心者向けかと
論旨はEvera教授のthe cult of the offensive などの論議の延長線上
西部戦線 1914年 7月28日:オーストリア・セルビア開戦。 8月2日:独仏開戦。 8月4日:ドイツ軍、ベルギー侵攻。イギリス参戦。 8月5日:リエージュの戦い。ドイツ軍、リエージュ要塞を包囲。 8月14日:フランドル地方、フロンティアの戦い。 8月16日:リエージュのベルギー軍降伏。 8月24日:フロンティアの戦いで英仏軍敗北。 9月5日:フランス北東部、マルヌ会戦。 9月10日:マルヌ会戦で英仏軍がドイツ軍を阻止。塹壕戦へ突入。 10月23日:スイス国境からフランドルまで塹壕が完成。 10月30日:フランドル地方、第一次イープルの戦い。 11月13日:イギリス軍がイープルを防衛。ドイツ軍の攻勢失敗。
499 :
世界@名無史さん :2007/06/15(金) 03:29:30 0
しかし何で1次大戦はあんなに膠着したんだろ? それまでのヨーロッパの常識からしたら、半年も対陣すれば 休戦交渉なり何なりが始まるものでしょうに。
お互いに勝ってから講和しないと足元みられると思ってたんじゃない? 特に独逸は地政学的に最初から詰んでるし。
502 :
世界@名無史さん :2007/06/15(金) 13:33:35 0
2chネラって何でも地政学って言葉を使えば偉そうに見えると思って多用するんだよな 素直に地理的に詰んでるイヤーいいのに
地政学=カコイイはナチスドイツあたりから 来てるんでしょうかねぇ
>>500 言わば列強の戦争の動機が「同盟を堅持せんがため」の戦争だからなあ。
オーストリアなんか緒戦の敗北で単独講和という選択肢もあったろうけど
ドイツが東部戦線を維持してくれたおかげで抜けられなくなったような。
利害関係にある国なんて墺露とセルビアだけなのに欧州全体が…
まあ従来の欧州なら列強会議で何とかなったし始まりから終わりまで不可解な戦争だ。
全ての列強が最後まで負けている気がしなかった、というのも大きいかな。
>>504 オーストリアを列強に含めても良いのなら、オーストリアだけはボロ負けだったぞ。
>>505 そのへん微妙じゃない?
緒戦で敗北したものの戦線が膠着した後はオーストリアは戦線そのものが
バルカンでの連合国反攻まで対イタリア、対ロシア程度しかなかったわけだし。
もっとも対露東部戦線はドイツ抜きでは語れないけれど。
まあオーストリアに関してだけはある時期から外交・軍事がドイツ帝国に、
内政(特に食糧供給)がハンガリーに支配されたことも大きいかなあ。
唯一列強で単独講和を模索しているだけにオーストリア問題は大きいだろう。
>>500 大衆動員した民主主義国同士の戦争だったからでしょ。
(民主化の程度はあるけど)
政府宣伝で大衆の怒りに火が付くと、いくところまでいかないと収まらない。
Democrats fight in angerだっけ。
>>505 オーストリアは初戦の目標(セルビア懲罰)は成功してますからねー。
外交でどうにかならんかったのかという気がせんでもないのですが。
>>495 サゾノフが汎スラヴを推進したのはむしろバルカン戦争ですが、
イデオロギー的に彼が汎スラヴ主義者かというと疑問ですね。
どちらかというとロシア国内で渦巻く汎スラヴ主義を利用してバルカン半島でのロシア勢力拡大を目指してただけのような。
そして汎スラヴ主義はロシア国内のバルカン人たちが喧伝してただけでバルカン諸国ではそんなに人気でもなかった、という……。
で、バルカン戦争時ということを考えると、どう考えても「汎スラヴ主義」の仮想敵はドイツじゃなくてオスマン朝でしょうね。
509 :
世界@名無史さん :2007/06/22(金) 14:51:01 0
世界大戦の直前、各国はシュリーフェン計画の内容についてどこまで 知っていたんでつか?
510 :
◆ALSPlGAxzM :2007/06/27(水) 00:28:57 0
話豚切り恐縮 ソルジェニーツィンの「1914年8月」と言う本を手に入れますた 英語wikiの説明 August 1914 (1971). The beginning of a history of the birth of the USSR in an historical novel. The novel centers on the disastrous loss in the Battle of Tannenberg (1914) in August, 1914, and the ineptitude of the military leadership. タンネンベルク中心の歴史小説 wktkして読む事にします。 日本語訳はないのですかね?
>>508 亀レス失礼
>バルカン半島でのロシア勢力拡大を目指してただけのような。
拡大より現状維持でしょうね
1908年のオーストリアによるボスニア併合、第一次第二次バルカン戦争と
ロシアはどっちかと言うと情勢を落ち着かせる方にまわっていると思う
荒れれば荒れるほどバルカンでオーストリアが強くなる可能性があった
墺のボスニア併合で顔に泥をぬられてもロシアとしては傍観せざるを得なかった
カラジチ氏の方が私よりよくご存知でしょうが
ロシアはパン・スラブでないと手を出しにくいが
セルビアが進んでいた方向は「大セルビア」ですからねえ
南スラブ同士の利害対立にロシアが出来る事はかなり限られていたかと
>拡大より現状維持でしょうね その通りですね……。 事実第一次バルカン戦争でバルカン諸国が大勝するのはロシアの想定外だったわけで。 あの大勝利が情勢を更にややこしくしたのかも。 結局のところバルカン諸国それぞれもロシアも別のところを見ていたわけですね。
オーストリアの意思もロシアの意思も いわば列強の意思でバルカン諸国など弱小国を制御できなくなったのが バルカン戦争だったんだなあ。 となると転換期は1908年ボスニア危機の列強協調体制の崩壊か それとも列強を排除した1913年ブカレスト講和条約か。
514 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:51:05 O
>>509 シュリーフェン計画の存在は露仏同盟側に知れていたよ
1892年に締結された露仏同盟は当然のことながら秘密条約であるが、他国には条
約の存在は知られていたが、内容まではわからなかった
実は露仏同盟は三国同盟より攻撃的で両国の内どちらかが挑発によらざる攻撃を
受けた時、他方が参戦することを規定していて三国同盟側が1ヵ国の攻撃を受け
た時は他が中立を守り、2ヵ国目の攻撃を受けたとき参戦するより即戦的であっ
たのと同時に露仏両国参謀本部は毎年、ペテルブルク、パリで交互に会合して動
員・集中計画について細目を打ち合わせていた
その両参謀本部会合においてシュリーフェン計画について承知していたが、大戦
略については一致していなかった
よく知られていないが、フランスには逆シュリーフェン計画というべき“プラン
17”という攻勢計画が仏軍参謀総長ジョフルにより立案されていた
ドイツ領のエルザス・ロートリンゲンから侵入し、独領内で独軍を分断する計画
で、そしてそれは大戦勃発後、実行に移された
が、1914年8月にエルザスのミュールハウゼンで独軍に敗北
同月ロートリンゲンからも駆逐され攻勢作戦は失敗した
>>512 けっきょくバルカンはロシアの「植民地」ではないので
友邦に平和にやってもらうのが一番な訳ですよね
オーストリアの最前線でなんとか持ちこたえてほしい、みたいなね
>>513 バルカンの弱小国を制御する「力加減」がわかんなくなった感はありますね
それでもまだ「局地化」は出来たわけだ
ところが二回のバルカン戦争をやってる間に
だんだん自分たち列強が相互に制御する感覚も変になっていくんだな
>転換期
私は1908だと思います
516 :
世界@名無史さん :2007/07/03(火) 06:12:46 O
>>514 の追加
実はフランスの攻勢計画“プラン17”はロートリンゲンからアルデンヌへ向か
うもので、史実のように緒戦でドイツ軍に阻止されなければ(無論、ドイツ側の
体勢は悪化するが)
フランス側が先にベルギーの中立を侵犯したことになり、ベルギーの中立侵犯を
口実としたイギリスの参戦は免れ、世界大戦でなく、同盟国側が想起したイギリ
スを除く5大国(イタリアは参戦してないが)による大陸戦争に限定されたはず
その場合、結果はどうなったかわからない
海上では同盟側が優位になり、フランスは補給を断たれたかも知れないし、アメ
リカのようにドイツ潜水艦による無制限商船撃沈を口実にイギリスが参戦してく
るかも知れない
阻止はせずともシュリーフェンプランは実行するんだからフランスが先にベルギー侵犯することにはならないのでは? シュリーフェンプランを実行しないなら戦争自体が起こらない
シュリーフェンプラン廚にうんざり。
シュリーフェン計画については落ちちゃった「同盟側勝利の可能性」スレに書いたんですが(多分) 今ではその計画の変遷が論議の対象になっていて 少なくとも1914年の時点ではシュリーフェンが計画したものとはかなり違う案が 開戦当初の攻撃計画になっていたのは明らかでし 理念と言うんですか、西を叩いてから東へ取って返す大筋はシュリーフェンを引き継いでいるので 「シュリーフェン計画などなかった」とまで言い切るのには賛成しませんが フランスの動員計画はアルデンヌ目指していて 意図的かどうかは別にしてドイツ軍の進路までは正確に読めていない ドイツは8月1日の時点ですでにベルギーへ入っていますから(2日だったかも・・うろ覚え) フランスがドイツより先にベルギーを侵犯する可能性はなかったでしょう
>>515 1908年か。
確かにオーストリアがトルコ保全政策を捨てたことの
代償は余りに大きかったなあ。ブルガリア独立だけなら
何とか列強間で調整をつけられたが五列強(イタリア加えて六列強か)の
一国が法的安定の理由でトルコ領の一部を併合したのは
おわりのはじまりだったんだろうね。
もうトルコを保全しようとする列強はドイツくらいしかなくなったものなあ。
521 :
世界@名無史さん :2007/07/13(金) 05:33:01 0
どうして高校世界史の教科書ってww1に至る過程を軽く扱うんだろうね。 西欧諸国の「帝国主義」は詳しく扱うのにバルカン民族主義は二、三行。 日本史との関連が薄い(と執筆者が思っている)からなのかなあ。
522 :
世界@名無史さん :2007/07/13(金) 21:44:46 0
>>521 当方現役生ですが、新課程の教科書では
バルカン同盟やパン=スラヴ主義なんかで1ページぐらいは使ってますよ。
教科書って何ページくらいだっけ? 2-300ページかな? 現代という時代を作るきっかけになった大戦争にいたる過程を、たった1ページしか扱わないってのはどうなんだろう。 まぁ、俺が現役だったころ(10年位前)は、太平洋戦争ですら2-3ページだったからそれに比べればましか…。
教科書って分厚いほうがわかりやすいんだよね 細かく丁寧に書いてあるから 薄い教科書だといろいろはしょってるから、逆にわかりにくい
新課程、旧課程関係なく情報はあってもそこから因果関係が 見出せないんだよなあ。 乱暴に教科書の記述に示された事実をまとめれば ・帝国主義国家が植民地をめぐって争っていました。 ・三国同盟(最近は二国同盟の記述が多いか)と三国協商は対立関係にありました。 ・独仏、英独、英露、墺露、墺伊が領土・覇権をめぐり対立関係にありました。 ・墺露はバルカン諸国をめぐって覇権を争いバルカン諸国もそれに準じて争いました。 ・サラエボでオーストリアの帝位継承者がセルビア人青年に暗殺されました。 これだけで第一次世界大戦が勃発が説明できるかなあ。 内容を詳細にせよ、というんじゃなくてこれだけじゃ論理に飛躍があるんじゃないか? まあ偶発的な事件から連鎖的に1914年7-8月は展開した、と述べたいのだろうけど 大戦に至る長い過程と大戦前夜では執筆者が違うから連続性に欠けるのは仕方ないのかなあ。
教科書は嘘や無い事はかけないから、明らかな因果関係はかけないでしょう せいぜい「背景的政治経済社会」 教科書の記述に連蔵性がないのも本当に連続性がないからかもね
因果関係ではっきり書けるのはサラエボ事件以降の7月危機だけ 後はみな遠因、背景でしかないので脈絡つながる方が「こじつけ」っぽくなる 昔は「サラエボ事件がもし起こっていなくても、 帝国主義国家の争いが最高潮に達すればきっと同様の戦争が起こった」とかなんとか(左巻き?)w そして資本主義は滅びて次の段階へ、、、みたいなね 今そんなこと言う人いないでしょう
教科書の中身はそのころとあまり変わってない気がするが
というか比較的最近の出版物でも植民地を巡る列強の対立が高まり世界大戦に〜なんて普通に書いてあるし 持たざる国だったドイツが〜とか
シュリーフェン・プランは結構重要な要素だと思うが、 なんで教科書はかかないんだろうな
軍事作戦・計画は詳細には書かないよね。高校教科書では。 イープル・ベルダン・ソンムで激しい戦いがありました、戦車・毒ガス・航空機が使われました、くらいしか。 ブルシーロフ攻勢なんかかなり重要だと思うんだけどロクに書いてない。
軍事作戦・計画や戦闘は網羅的になりすぎて歴史の流れを 大観できなくなるからじゃないか? 検定教科書の記載されたら受験で覚えておかなきゃならなくなる。 そこまでの知識は求めませんよ、というのが建前だろうな。 戦中も総力戦と新兵器、ロシア革命くらいしか詳細には 書いていないのはそのためだろう。
日本人にとってww1はその後の背景の一部程度の認識で十分と 検定する側も考えてカリキュラムを組んでいるんでしょう 欧米の中学高校生はww1を何十時間もかけて、戦場に遠足に行ったりするが それは当事者だからであってね 日本の高校生にはもっと日本史やってほしい
俺はもっと世界史を学ぶべきだと思うね 少し前に未履修の問題があったように一般に世界史は軽視されすぎている。
歴史「教育」(歴史学じゃあないよ)が現代社会を時系列的に把握する手段なら 世界史は古代・中世なら東アジア(日本を含む)と世界の関係、 近現代なら現代社会を基礎付ける歴史的事象の流れで充分じゃない? 一応日本史学習は「世界と日本史のかかわり」を中学までで系統的に学習するし それを踏まえた世界史学習なら「現代社会と世界史のかかわり」が重要だろうね。 その意味じゃあww1の戦中の情勢なんてまあ新兵器、総力戦、革命と終戦くらいで 充分で、何がその原因か、何がそれによって起こったかの前後の歴史の方が 日本の世界史には重要だろう。
中等教育に限って言えば
>>536 氏にほぼ全面賛成ですね
世界史と日本史が教科として分かれているのがそもそもまずいと思うです
あれも教えたいこれも教えたいというのはわかるが 他の科目だって事情は同じ もっと悪いかもしれない 将来さらに突っ込んで学ぶ際の芽を残せれば上等
ゲームで育って戦争をコンバット単位で考える傾向にある今の生徒には 戦争を「国家間の紛争を解決する手段」たる歴史事象として大局的に考えるのが まどろっこしいと言うか、馴染めないのかも知れないとは思うですね 一面クリアしてその次、みたいな感覚を学校の授業にも求めるのは筋が違うのだが まあww1の場合その後勉強したくなっても 日本語の本(入門書)がほとんどないのが悲しいかな現実です とまた堂々巡りの「本出ないかな、どなたか訳さないかな」になると
540 :
◆ALSPlGAxzM :2007/07/19(木) 18:15:04 0
Windsor
>>538 歴史の流れを「大観」する、というのが文科省の方針だね。
まあ自分はそれでいいと思う。正直、細かい記述的知識を詰め込んでも
19世紀後半からww1、ww1からww2という大事な流れが見失われそう。
ただww1では難しいけど歴史的事象の追究という単元がどこかにあればいいね。
そうしたら将来(高等教育に進んでも、一般社会で歴史に興味を持っても)
歴史をどうやったら調べられるか、という芽がのこるからね。
544 :
◆ALSPlGAxzM :2007/08/26(日) 05:05:52 0
さてひょんな事からこんなところを見つけたので行ってみました
The Devil's Porridge
http://www.devilsporridge.co.uk/ 簡単にいえば当時としてBritain(世界?)最大の爆薬製造工場のおはなし
場所は国境のすぐ北Gretnaから西へ9マイルX2マイルの広大な土地
なんもないタダの草っぱらに大工場を建設(アイルランド人建設労働者を動員)
GretnaやEastriggsの人口の町を作り出し、突然1916年操業開始
立地としてはドイツが空爆しにくいところを選んだようで
建設は機密事項、コードネームはmoorside
最盛期には3万人の従業員が24/7で爆薬 (Cordite) を製造
英国内の他のすべての工場を合算した以上のCorditeをここで製造していた
Cordite工場の労働者の大半は女性
ニトログリセリンとニトロコットン(ニトロセルロース?)を手作業で混ぜるという
まあとんでもないお仕事な訳ですが
(コナン=ドイルがこの混合物を The Devil's Porridge と命名)
多分当時の女性としては破格の週給5ポンドをもらいっていたとか
従業員確保のためあらゆる福利厚生が考えられ、ダンスホールや映画館も(1916ですよ!)
科学者や福利厚生関係者など英連邦中から人が集められ
外貨交換銀行も24時間営業だったそうです
従業員の居住区域は都市計画によって作られ
その後のイギリスの公営住宅のモデルになったとか
トイレも家の中(下水道完備)電気も各戸ヘ
街並みがイングランドの典型的カウンシルハウジングに似ていましたな
もちろん今も人が住んでいます
1919年の工場閉鎖のあともかなりの跡地がそのまま軍の所有地としてのこり
爆薬保管施設として使われているそうです
展示は当時建てられた聖公会の教会(今も使用)を間借りしていましたが
来年にはどこかへ移るみたいです
545 :
扶桑@名無史さん :2007/08/27(月) 13:05:27 0
>510 新潮社で発行済。未文庫化。
546 :
世界@名無史さん :2007/08/31(金) 22:02:46 0
帝 国 崩 壊
547 :
世界@名無史さん :2007/09/04(火) 12:07:33 O
Franz Ferdinand
そういやスコットランドにそんな名前のバンドがあるよな 響きのよさからその名前を選んだらしいが
>>548 へー:( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
この戦争に各国が参戦する流れを見ても、なんでこの戦争が欧州全体を巻き込む事になったのか さっぱりわからん。戦争したがってた国なんて結局フランスとドイツくらいのもの。 2次大戦は欧州全体がドイツを警戒していたという構図があるからよく理解できるのだが、こっちは 本当にわからない戦争ですな。
ベルヒトルトがKY野郎だったんだよ
>>550 だからこそ、戦争原因についていまだにぞろぞろと論文が出てくるわけで。
ドイツも戦争はいやだったんじゃないか。フランスも、恨みはあっただろうけど実際に戦うとなると話は別だし。 誰も望んでいない戦争が起こってしまったから謎なんだ。 オーストリアだけは戦争をしたがっていたか。セルビアとの限定戦争をだけど。
>>550 あらかじめ仕込まれていた同盟関係と戦争計画が、
ドミノ倒しのように大戦を引き起こしたってだけだろ。
個別プロセスにはなんら不可思議な点は無いと思うけど。
説明しがたいのは、イギリスの参戦くらいじゃね?
ドイツの海軍増強が原因
>>554 いやあ、時系列で調べてみても、普通どっかで国家理性みたいなのが働いて、戦争を止めるか
止める余地を残すものだろ。それが完全にシステム化されたみたいに戦争一直線。
プロセスどおりに進んでいく事が不思議だ。
理性でゴリゴリに計画を詰めたから 挟み撃ち回避で先制攻撃になったんじゃないの?
558 :
世界@名無史さん :2007/09/08(土) 01:39:13 0
オーストリアは、理性を持って計算尽くで、宣戦布告したの?
>>558 ドイツの「白紙委任」が決定的という意味では宣戦布告は理性的。
単独でセルビア・ロシアと対抗できると思うほどオーストリアも馬鹿じゃない。
ドイツの支持があってもハンガリー首相が最後まで反対しているくらいだ。
では何故ドイツがオーストリアに「白紙委任」をしたのか、
唯一信頼できる同盟国の離反を恐れたのだろうか。
ドイツ・プロイセンは「カウニッツ連合」(露仏墺同盟)を極度に警戒してはいたが
ボスニア危機以降のロシア・オーストリア関係考えるとその情勢分析はどうかなあ。
もっともオーストリアの離反は列強での完全な孤立を意味するから
ドイツはクリミア戦争後のオーストリアのようになるのを恐れたのかもねえ。
560 :
世界@名無史さん :2007/09/08(土) 02:34:02 0
ドイツは孤立していたが 実際だからといって苦しいとは思っていなかっただろう 欧州の国はなんだかんだで一回は孤立経験があって 今はドイツにそのお鉢がまわっているだけ あと数年あればどこかに渡せる そんな楽観的な見通しがあったと思われる ちなみに イギリスは独立戦争時 ロシアはクリミア戦争時 フランスはビスマルク体勢 とそれぞれ孤立した時期はあるがすべてはねのけている
>>556 ロシアもドイツも理性的だったが、狂ったシステム(シュリーフェン計画)の暴走を止められなかった。
一体どうやれば止められたのか、俺にはよくわからん。
1.ロシアが総動員をやめればよかった。
しかし、それではオーストリアの横暴を許し、セルビアを見捨てることになる。
(最終的に見捨てるのはかまわないが、オーストリアから何かを代償を得るとか、
せめて、ロシアが何かをやったという実績が無ければ、ロシア外交の威信は地に落ちる)
それに、隣国のオーストリアが動員しているのだから、
ロシアがそれに対応して、自国の安全保障のために動員するのは、
ロシアの内政・主権の範囲で、なんら不当なものではないだろう。
2.ドイツがシュリーフェン計画を発動しなければ良かった。
ロシア軍の総動員は防御的・外交的なものであって、対独攻撃の意思は無いというロシア皇帝の言葉を信じたとしよう。
しかし、ロシア軍が完全に動員された後に、フランスがドイツへの戦争を決意した場合、勝ち目が無くなる。
(…と参謀本部は誤解していた。ドイツ軍は露仏同盟軍よりはるかに強力だったのに!)
フランスには、アルザスロレーヌの奪還と言う大義名分と復讐の意思がある。
当時はまだ、パリ不戦条約もなければ、ニュルンベルク・東京裁判も無く、
国益のための侵略戦争(先制攻撃)が違法だとはみなされていない。
フランスによる対独先制攻撃は、国際法上違法ではなく、十分にありうる。
フランスの働きかけによってロシアの気が変わった場合、
ドイツは必敗の二正面戦争に巻き込まれることになる。
(ロシアは、仮想敵国ドイツとの中立の約束と、同盟国フランスの嘆願のどちらを重視するか?
得られる利益はどちらが大きいか?ロシア外交はそもそも信頼に値するか?)
そういった危険な状況を避けて、ドイツの安全を保障するためには、
ロシア軍総動員と同時にシュリーフェン計画を発動し、フランスになだれ込むしかない。
>>561 オーストリアに関しての見解が聞きたい。
オーストリアは戦争でなければ、テロ事件に対する落とし前は付けられなかった?
オーストリアをなだめる為に、会議を開催するような方策も、
取られていた訳でしょ。
563 :
561 :2007/09/09(日) 00:56:00 0
>>562 オーストリアは、皇太子暗殺については被害者だが、その後の対応が軽率で利己的だった。
しかし、いずれの行為も、世界大戦を認識した上での行為ではなく、知識不足による誤判断、過失にとどまる。
・過失1
最後通牒のほとんどをセルビアが飲んだことでオーストリアは満足すべきだったが、
オーストリアは事件を利用してボスニア・セルビア問題を解決しようと欲をかいた。
だが、事件を利用して軍事介入し、新たな権益を確保するというのは、
この時代の帝国主義国のセオリーだった。
そうすると、オーストリアにだけそれを自粛しろというのは難しいか。。。
・過失2
対セルビア宣戦布告に際して、ロシアに話をつけなかった。
バルカン情勢にはロシアも利害関係人であるから、
ロシア抜きでバルカン半島で紛争を起こす事は、ロシアの面子を潰すことになる。
オーストリアが、対セルビア戦争の目的をロシアに説明し話をつけておけば、
(なんらかの利益分配の約束をしておけば)ロシア軍の総動員は無かっただろう。
564 :
561 :2007/09/09(日) 00:56:42 0
続き ・過失3 オーストリアはロシア動員が予想される行為に出る前に、ドイツに話をつけるべきだった。 オーストリアは、ロシアに話をつけずに動員をした時点で、ロシアの動員をある程度予測していたが、 ドイツの白紙委任状により対処できると考えていた。 だが、ロシア総動員は、ドイツの国益(と戦争計画)に重大な影響があることは予測できるのだから、 オーストリア皇帝は、実質パトロンのドイツ皇帝に、事前のお伺いを立てるべきだった。 オーストリアは対等の同盟国であり、白紙委任状も受けているから、 ドイツへの事前連絡を不要と考えたが、それは重大な誤りだった。 (これは、安易に白紙委任状を出したドイツ皇帝の過失でもある。) なお、シュリーフェン計画はドイツ軍の極秘戦争計画であるし、(概要は漏れていたようだが) 「シュリーフェン計画が唯一の戦争計画である」というキチガイじみた状況は予想外であろうから、 オーストリアにその点の認識が欠けていたことについては責められないだろう。
この一連の見解を見ると、第一次世界大戦を回避する最後の機会はオーストリアにかかっていたってこと?
566 :
561 :2007/09/09(日) 01:39:58 0
>>565 「最後の簡単な機会は」だろうね。
ロシアにもドイツにも、一応、とめることはできた。困難だったが。
もっともまともな手段は、英独仏露の4大国の会議を開いて、
ロシア動員とロシアの中立約束に対して、
イギリスとフランスに保証人になってもらうと言うものだろう。
そうすれば、露仏がその合意を裏切ってドイツを攻撃した場合、
ドイツはイギリスの支援(と国際世論の同情)を期待できる。
(BEF常駐の状態で、英仏戦がありうるのか疑問ではあるが…
だからこそ、フランス参戦を阻止する方向でイギリスは努力するだろう)
しかし、動員時間差に依存したシュリーフェン計画のシビアなタイミングが、
それを技術的に許さなかったわけで。。。
567 :
561 :2007/09/09(日) 01:48:57 0
個人的見解としては、以下の二点で、やはりドイツが一番悪いと思える。 1.政治を排除して戦争を始めるシュリーフェン計画の好戦性 「他国の戦争以外の行動を戦争にエスカレートさせる」という、 好戦的な性質を持つ、独特の戦争計画だ。 戦争の決意は、自国の君主なり政治家なりの政府が、国益を総合判断してするもので、 その目的達成のための手段として採用するのが戦争計画だろう。 (目的を想定して、事前準備はするのはかまわないが) しかし、シュリーフェン計画は、 「他国の政府が判断して(戦争以外の)行動をしたことで」 自動的に戦争を始める戦争計画になっている。 これでは、ドイツ政府が事態に介入する余地が無い。 戦争違法化の概念がいきわたった現代では許されないキチガイ戦争計画だ。 まあ、当時のドイツ人に、現代と同じように考えろと言うのも難しい話だが。 2.にも関わらず、露仏同時に敵にするシュリーフェン計画しか準備しなかったドイツ参謀本部の怠慢。 アメリカのレインボープランじゃないが、 ロシアだけを敵にする計画、フランスだけを敵にする計画、 露仏両国を敵にする計画、の3本を用意しておくべきだった。 ロシアが先に敵対した場合、フランス戦線は国境要塞地帯で防御に努め、 ロシアをオーストリア軍と共に料理すればいい。 簡単にj勝てそうな計画なんだが、なぜ作っておかなかったのだろうか?
568 :
世界@名無史さん :2007/09/09(日) 02:08:49 0
要人暗殺→(なかば自動的に)戦争で解決も、咎められたから、 オーストリアは領土縮小を余儀なくされ、国際連盟が話し合い機関として成立したのでは。
>>568 戦争で解決するのが咎められたんじゃなくて、オーストリアの行動の結果欧州全体を巻き込む
大戦争になったことを咎められた。
国際連盟が作られたのも、「あの時話し合いの場所作っておけばあんな苦しい戦争しなくて済んだだろ!」って
反省からだし。
英国の列強会議提案を拒んだのはオーストリア。 だがオーストリアも二次のバルカン戦争でかなり痛手を受けているから それを解決できなかった列強会議、あるいは列強協調に依存するのは無理な話。 個人的にはオスマン解体の直接的な原因であるボスニア危機からの列強外交は いずれ衝突を避けられないものであったろう、と思う。 ドイツと露仏同盟による包囲はさておき、オーストリアとロシア・英国との対立は 列強協調を維持する上では極めて困難。 サライェヴォ事件は単なる導火線への着火に過ぎない。 まあ事後的には過剰な最後通牒の、たった一文が省かれるだけで回避できた大戦争だけに 戦争計画よりもドイツ外交当局の「白紙委任」というウィーン当局への現状認識不足が問題かなあ。 そもそも独墺同盟は防御同盟でドイツが主導権を握る戦争に対してオーストリアが支持したかは疑問。 オーストリアにフリーハンドを与えたことが欧州の不幸か。 ドイツがボスニア危機みたく、ロシアが独墺同盟の圧力で屈すると考えたならば それはロシア当局の現状認識不足。 いずれにせよ、どのタイミングで生じてもおかしくはない大戦だが どのタイミングでも「?」が残る戦争だったんだろう。 それだけ当時の五列強の同盟内を含めた疑心暗鬼は酷い。
セルビアが一箇所だけ拒否するなんてせずに全部受け入れれば良かったのでは
572 :
561 :2007/09/09(日) 10:14:33 0
>>570 > 英国の列強会議提案を拒んだのはオーストリア。
> だがオーストリアも二次のバルカン戦争でかなり痛手を受けているから
> それを解決できなかった列強会議、あるいは列強協調に依存するのは無理な話。
オーストリアにしてみれば、自国の皇太子を殺した国を懲罰するのは正当な権利。
オーストリアとセルビアの局地的な二国間問題にすぎないのに、
無関係の英仏を呼んで口を挟まれるのはうっとうしいし、
英仏の合意を得るために譲歩させられるのも嫌だろう。
(参加者が増えれば、セルビア属国化or解体の分け前が減る)
大体、セルビア懲罰程度の問題について、いきなり
「世界大戦を避けるために列強会議が必要」と言われても、ポカーン…だろうね。
トルコ解体とかボスポラス海峡の処分が絡んでりゃ、列強会議の必要性に同意したろうけど。
573 :
561 :2007/09/09(日) 10:23:18 0
>>572 > オーストリアにしてみれば、自国の皇太子を殺した国を懲罰するのは正当な権利。
あくまでも、オーストリアの主張では、ということね。
セルビア人テロ組織の行為について、
確たる証拠も無くセルビア政府の責任を追及するのは、現代では無理筋だ。
(しかも、セルビア政府は、オーストリアにテロ計画の存在を警告してくれてたのに!)
>>572 フランツ・フェルディナント大公夫妻が殺されたのは確かにインパクトが強いが
問題点はボスニアにおけるセルビア政府の支援を得た反オーストリア組織の問題。
実際、要人暗殺なんてそう珍しくもない。
1898年イタリアの無政府主義者にオーストリア皇后が殺されたからってイタリアと戦うか?
1900年イタリア国王が、1901年にはアメリカ大統領が、1908年にはポルトガル国王が暗殺されている。
大公夫妻が殺されたのは「帝国国内」で暗殺そのものを理由に開戦はできない。
問題点は最後通牒にもあったように「セルビア政府の支援を受けた帝国内のセルビア人非公然組織」。
これに殺されたから外交としては大義名分があったわけで、オーストリア政府以外は(ドイツ含めて)
最後通牒の文面を一ヵ月後に見るまでは、例えば英国ならアイルランド問題、フランスは前首相夫人の
裁判事件に関心が払われていて、外交官もアルバニアの統治者に関心を払っていた。
>>573 が最終段で指摘しているがセルビア政府は警告をしている。
しかし外交ルートで警告したため共通財務省管轄のボスニアには連絡が届かなかった。
緊張関係にある隣国でさえそう、どうも欧州列強はオーストリアの「面子」や内情には詳しくなかったようだ。
ドイツも「白紙委任」の理由の一つもそこかなあ、と思う。
あの時期のドイツのオーストリア「白紙委任」は独墺関係がギクシャクしていたこともあるが不思議。
バルカン戦争でも一貫して参戦理由を探していたオーストリアに支持を与えなかったのに。
ドイツの支持がなければセルビアへの要求は低くなったから列強会議でなんとかしただろう。
英国が列強会議を主張したのは、当時で言えば慣例に近いし、最後通牒や動員が即戦争ってわけでもない。
じっさい、ボスニア危機でも対セルビアでオーストリア軍に動員令がでているしね。
まあオーストリア・セルビア視点からの第一次大戦勃発はこんなもんじゃないか?
つまり、対セルビア最後通牒は帝位継承者暗殺に対する懲罰が焦点ではない。
セルビアとの戦争そのもの(バルカンへの軍事的介入による諸問題の最終解決)が目的で
大公夫妻暗殺と白紙委任は、それを窺うオーストリアに絶好の機会を与えたに過ぎない。
575 :
561 :2007/09/09(日) 13:55:59 0
>>574 > まあオーストリア・セルビア視点からの第一次大戦勃発はこんなもんじゃないか?
> つまり、対セルビア最後通牒は帝位継承者暗殺に対する懲罰が焦点ではない。
> セルビアとの戦争そのもの(バルカンへの軍事的介入による諸問題の最終解決)が目的で
> 大公夫妻暗殺と白紙委任は、それを窺うオーストリアに絶好の機会を与えたに過ぎない。
その通りだろうね。しかし滑稽なことに、
オーストリアは、それが世界大戦の引き金を引くなんて想像もしてないわけで、
その全責任をオーストリアに押し付けるのも気の毒な話。
これまでの流れから、私の見解をまとめると、
1.ドイツ参謀本部が、火薬庫(シュリーフェン計画)を仕込んだ。
2.ドイツ皇帝が、オーストリアに、倉庫で遊んで良いよと許可(白紙委任状)したが、実は、そこは火薬庫だった。
3.オーストリアが、そこが火薬庫とはしらずに火遊びをした。(列強会議抜きのセルビア懲罰)
・・・ということになるかな。
まあ、ドイツ人は、その前に露仏協商があるというかもしれんが。
576 :
世界@名無史さん :2007/09/09(日) 16:41:39 0
第一次大戦を描いた本でおすすめはありますか?
ちょっとピンボケ
>>576 戦中史は余り興味がないんで知らないけど
戦争にいたる欧州列強の過程の概観なら古典ではあるが
J・ジョル『ヨーロッパ100年史 1』みすず書房、1975(先日復刻版がでた)
なんかが概説にはいいんじゃないかな。
旧版の世界の歴史でいいんじゃ
これももう古典だけど、「八月の砲声」かなあ?
ありがとうございます
>>578 高そうですが大著のようですね。
>>581 こういう本を待っていました。
第一次世界大戦と日本海軍―外交と軍事との連接 平間 洋一 この本もなかなか面白そうです。
第一次世界大戦の大まかな戦闘の経過をコンパクトに図説した本があればいいな 学研の第2次大戦欧州戦史シリーズみたいな体裁で 学研の第2次大戦欧州戦史シリーズ自体はしばしば通説じゃない著者独自の論を張っていたりしていて困るが
585 :
561 :2007/09/10(月) 01:02:44 0
>>584 > 第一次世界大戦の大まかな戦闘の経過をコンパクトに図説した本があればいいな
リデル・ハートの「第一次世界大戦」が定番じゃない?
…全然コンパクトじゃないし、せっかく再販されたのにもう絶版か。早いな。
じゃあ、平凡社の「20世紀の歴史」シリーズの13巻と14巻はどう?
大型本でカラー図版や写真が多い。
一般歴史本としてのシリーズだが、結構、戦争の流れが詳しく載ってる。
第13巻「政治家と将軍の戦争」
第14巻「兵士と市民の戦争」
・・・て、これもとっくに絶版か。
では、リデル・ハート「戦略論」の第一次大戦の章はどうかな?
手持ち原書房版だと、細かい字の2段組で60p弱ある。
…て、これも絶版かよ!!
まあ最後のは、そのうち再版されるだろうが…
>>575 >オーストリアは、それが世界大戦の引き金を引くなんて想像もしてないわけで、
>その全責任をオーストリアに押し付けるのも気の毒な話。
即ロシアは、動員をかけているのに、想像力が無いね。
まさかセルビアとロシアを相手にして、オーストリア単独で、勝てる作戦でもあったのか。
ロシアが動員をかけてもシュリーフェンプランが発動しなければ戦争にはならない
588 :
世界@名無史さん :2007/09/10(月) 11:06:17 0
ロシアの対オーストリア宣戦布告は、シュリーフェンプランが無ければ、 あくまで動員止まりで、戦争には至らなかったってのは、オーストリア側の単なる希望的観測だな。
>>588 > ロシアの対オーストリア宣戦布告は、シュリーフェンプランが無ければ、
> あくまで動員止まりで、戦争には至らなかったってのは、オーストリア側の単なる希望的観測だな。
ロシアがオーストリアに攻撃をかけた場合、独墺同盟により、ドイツが対ロシア戦に参加する。
(白紙委任状は、それをさらに保障するものだ)
そして、ロシアからの先制攻撃の場合、フランスに参戦義務は無い。
(露仏協商の軍事面は秘密条約だったから、オーストリアがそこまで読みきれたか疑問ではあるが)
ロシアが理性的なら、なんら義務的条約を結んでいないセルビアごときのために、
単独で独墺同盟との戦争に踏み込むとは考えにくい。
そして、事実、そのとおりだったわけで。
第一次大戦前に起こった、マイナーな危機はどうですか?
バルカン関連で比較的重大な危機はいくらでもあったけど、列強同士の全面戦争は 当然ながら回避できてた。
墺露の戦力圏がバルカン半島で重なっていたからな。 境界線の整理が出来ず、最後には直接対決。
593 :
世界@名無史さん :2007/09/17(月) 09:20:53 0
なんか先生から聞いたのですが、第1次大戦のフランス軍って戦争中150万人の 戦死者を出したそうなんですが、結構ベルダンとかで死んでいるイメージですが、 14年から翌年の春までに100万人が死んで、常備軍のほとんどは14年時点で 壊滅状態だったという話なんですが、これは事実なんですか?
>>593 事実。
防御優位の戦争(当時の人間にしてみれば後知恵だが)で
フランスはドイツがベルギーへ侵攻している横で
独仏国境地帯で攻勢をかけてる。
で、兵士がバタバタ倒れていくのも省みずに
攻めまくったものだから常備軍はあぼーん。
詳細はフロンティアの戦いでググれ。
ベルダンも数字としては小さくないがドイツとの比較で言えば
そう悪い戦績でもない。
むしろ誤った戦訓を残してしまったことの方が問題か。
>>ベルダンも数字としては小さくないがドイツとの比較で言えば >>そう悪い戦績でもない。 え?
596 :
世界@名無史さん :2007/09/17(月) 13:18:34 0
調べても全く分かりません アメリカがドイツに援助をしたのか否か。もししてなかったらどうして協商 陣営にのみ援助をしたのか?
>>596 アメリカは最初から協商に肩入れしてたわけじゃないだろ。
アメリカはモンロー主義というか孤立主義がまだまだ強いし、
ヨーロッパ外交からもアメリカは相手にされてないし。(列強会議に呼ばれない)
英仏とは単に商売の取引をしてただけ。援助ではない。
ドイツとの取引は、イギリスの海上封鎖で出来なかっただけだろう。
>>597 もともと、共和主義・民主主義の観点から、フランスへの親近感はあったろうが、
アメリカにはドイツ人移民も多いわけで、ドイツを敵視する傾向は無かった。
ところが、戦争が進むうちに状況が変わり、
・ドイツ軍のベルギー、北フランスでの蛮行を英仏が宣伝に努めた。
・ドイツ軍の無差別潜水艦戦で、アメリカ人の被害が出た。
・ドイツが、米国領土割譲を条件にメキシコの対米参戦を促したことが、米国民の憤激を買った。
>>598 ・英仏への売り上げがつみあがるにつれて、債権回収が心配になってきた。
という事が積み重なって、協商側で参戦することになった。
それでもアメリカが参戦しないという選択も、十分あったと思うけどね…
600 :
世界@名無史さん :2007/09/19(水) 06:53:52 O
中学だかの教科書には、色分けした勢力図が有ったのだが 中央同盟…ドイツ、オーストリア本国のみ(除ベーメン・スロバキア・ハンガリー・クロアチア)トルコは欄外に注 こんな教科書じゃ理解のしようがないと思った…
601 :
世界@名無史さん :2007/09/19(水) 19:57:03 O
第二次世界大戦全史のDVDを見て思うのですが、 当時は日本軍も戦闘機にガンカメラや映写機を積んでいたのでしょうか?
何故一時対戦のスレで聞く?
アメリカに比べれば イタリアの外交は最初からはっきりしていたよな 世界大戦開始直後から、独墺の通信妨害や嫌がらせしまくってたからな 全然中立じゃない
604 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 00:14:19 0
>>597-599 ありがと。つまり大戦以前は米独になんら敵対関係となるものはなかった、
しかし制海権がなかった、ということなんですね
全然意図せぬとこから火がついた一次大戦を踏まえて国際連盟では 極力モメごとの種になりそうな勢力拡張行為はやめようってことになった訳だ。 そこでいかに日本が空気読めてなかったかがわかる。
そうですか?モロッコ事件や伊土戦争あたりから 国際情勢は破綻しつつあったように思えるんですが
>>606 WW1後の話だよ。
国際情勢が破綻するのを防ぐべく連盟が設立されたということ。
ただ連盟には強制力が無かった上に、
空気の読めない日本などが原因で結局は為す術も無かったが・・・
大戦中からすでに、 「仮にドイツを倒しても日本のような軍国主義国を野放しにしている限り状況は変わらない」 って言ってるエロいイギリス人もいますた。 「連合国に日本のような国が入ってるんだから、これは自由と民主主義のための戦争ではない。 だからアメリカは連合国側に加わるべきじゃない」 って言ってたエロいアメリカ人もいますた。 日本(´・ω・) カワイソス
>>608 これはひどいな。
日本は若干ドイツより民主主義的で、ロシアよりはるかに自由だろ。
>>605 ヨーロッパにとっての第一次大戦は、日本にとっての第二次大戦。
日本は、総力戦を経験したヨーロッパの「戦争違法化」思想が理解できてなかった。
二次大戦で総力戦の不毛を経験してはじめて「戦争違法化」を骨の髄まで理解した。
すぐ隣の中国は、まだ理解できてないようだが、
きっと、次の戦争で学んでくれることだろう。
賢者は他人の経験に学ぶというが、なかなか難しいね。
>>610 中国も朝鮮もWWII後は内戦で国土がズタボロになったんでは?
>>611 たしかに中国は甚大な戦争被害を経験したけれど、それだけでは足りないのかね。
それだけではなく、戦争による「徒労」を経験するのが重要なのかも。
それとも、戦争・内乱のたびに出鱈目な被害を経験してるから、不感症なのか…
613 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 00:53:35 0
考えてみると列強の中で一番最初に帝国侵略主義から一抜けしたのは、ロシアなんだよな 意外にも思われるかもだが
一抜けしたんじゃなくて、帝国主義の外面をイデオロギーで塗装しただけだろ。 ソ連の時代も領土拡張主義は全く隠していないし。
国連の前身になるバーグ平和会議もロシア主導か 日露戦争で最後の国境線を確定させた後は、完全に穏健派になってる。 そんな国が世界大戦の引き金を引いたのは歴史の皮肉だが
>>614 ちがうちがう
ソ連の話じゃなくて
日露戦争からww1までのロシアの話
>>616 その辺の時代は国内の混乱で外征どころでは無い様にも。
>>617 それもあるだろうが
バルカンの安定を一番望んでいた国は言うまでもなくロシアだろうし
極東はこれまでの外交スタンスを覆して日中英と強調方針
中東は英と強調
少なくともww1の時一番他国との紛争がなかった国はロシアじゃないか
>>617 それだけで平和会議はやらないだろ
少なくともニコライやロシアスタンスを見る限り
「もう、うちの領土はコレで確定」という意識があったように思われる
これは中国にもいえるがフランスやロシアのような徹底した平等志向タイプの国は 国力があるときは覇権志向になり、他国を攻める力無いときは良識の提唱者になる。 近隣国にとってはその国が強いかどうかで180度変わるのが皮肉だが。
>>620 >国力があるときは覇権志向になり、他国を攻める力無いときは良識の提唱者になる。
そりゃ古今東西どんな国でも一緒でしょ。
>>612 中国の場合は戦争以前に「革命」だったってのがでかいんじゃないのか
革命が激しすぎてそれに比べると対外戦争にはむしろいいとこしかなかったとか。
少なくとも「革命」には懲りてる感じはするw
623 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 03:07:18 0
>>621 普通は国力があるからってイコール覇権にはならんだろ。
逆に鎖国して閉じこもったりたりもするぞ。
624 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 03:11:29 0
アメリカは国力あるときは孤立主義で 国力無くなったら覇権主義だなw 日本も国力ある時の方が穏健だった。
>>612 核戦争で自国民が三千万死のうが相手が全滅すれば勝ちだと毛沢東がほざいている国だよ。
ロシアや中国における命の価値はあってないようなもの。
命の価値が西側先進国並みになることはおそらく永遠にないであろう。
基本的に貧しい国は餓死とかが珍しくないから、命の重さは軽くなるね 車に轢かれた死体が道端に転がっていても誰も気にしない国はヤバい。結構多いけど
ナポレオンは 「我が軍の兵がどれだけ戦死しようが、われらがフランスは毎年何十万の成年男子を生み出すのだ」 って言ってたなあw
628 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 13:08:07 0
歴史的に人命人権を大切にしている国の方が少ない気もする
629 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 13:15:15 0
国家ってそういうもなんだよ。
630 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 14:31:36 0
>>627 対するドイツのファルケンハインがその言葉を逆手にとって「肉挽き機」「吸血ポンプ」
と揶揄された70万人を葬むるヴェルダン要塞戦をはじめるんだよな。
近代国家主義における消耗戦・・・総力戦はこうしてヴェルダンだけでフランス軍37万、
ドイツ軍32万を喪失。
日本はWWTでこの総力戦を他人事としていた為に、フランスの後方兵站技術・ドイツの通
商破壊戦術を見落とし、何も学ぼうとしなかった故に、正面兵装一点豪華主義の具を太平
洋戦争で露呈することとなるのだ。
むしろ陸軍の一部はWW1を研究しつくしてたんじゃなかったか。 だから上海の塹壕戦の膠着や中国奥地にむやみに侵攻する事は危険視されていた。 空気を読めてなかったのはあくまで政治家や世論の側だと思う
>>624 五大国とか言ってブイブイ言わせてた頃の大日本帝国は穏健だったか?
戦後、普通に他国を攻める力が無くなって穏健になっただけだと思うが。
633 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 18:30:17 0
一次大戦後はまあ穏健だろうよ。 さんざん批判されてたが国際協調路線てのはあった。 暴走するのはその後恐慌が起きてからだろう。 日本だと過激な意見は下り坂になると出てくるんじゃないか?
過激な意見の定義は? 憲法改正やら尖閣竹島等や靖国参拝の話なら、国家として当たり前の話で過激も糞もない。 軍隊を保持しないなどと謳いつつ半世紀も国家が存続してきたこと自体 人類の歴史上初めてではないか。
まあ、ジャパンアズナンバーワンの時代から見れば下り坂だからな、 過激なバカウヨが出てきてもしょうがないか。
過激な意見というか、過激な行動だな。 明治の神風連とか昭和の血盟團とか東アジア反日武装戦線とか連合赤軍とか。 最近のウヨの過激な行動というと、赤報隊と、大阪の中国領事館に突っ込んだRV車か。
637 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 20:37:05 0
>>631 いやいや
日本はウ゛ェルダン以前に
旅順があったから
肉曵き器についてはよーーーく知っていて
陸軍はそっちの研究をしてたんだよ
638 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 00:32:04 P
バブル経済の頃の日本は、まともに外交、国防やって無かったからなあ 全てアメリカ依存でしょ あれは一種の植民地であって、国の最盛期とは言わないだろう 自分達で意思決定出来なかったんだから
民政党・政友会時代はかなり凄まじい軍縮があった 国民の支持の元 民政党は軍を二分の一まで、もっと少なくしろなんて議員は沢山いたし 政友会は民政党程ではなくても軍縮、軍の近代化には積極的だった 軍の装備を高め兵を減らすと言う 軍の近代化といえば聞こえがいいが 軍から見れば、体のいいリストラである 事実、この両政党時代にビシバシ将官クラスの首が切られた 満州事変はリストラを恐れた将官クラスが先手を打って企画したものであるともいわれている 同様にまた、日本が軍の近代化に着手できなかったのは同様に、リストラを恐れた陸軍の将官による反対 があったからともいわれている。 かくして日本は旧体質の軍隊のまま世界大戦に入ることになる
640 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 00:37:55 0
対象的に軍の近代化に成功した国にドイツ、ロシアが有るが この国は敗戦後に強制的に軍を1/10にされたり、粛正などがあったりしたため 将校の首をばんばん切れて、結果近代化が容易かった
>>627 でも結局兵隊が足りなくなって負けたよね
>>640 タイやフィリピンやインドネシアが今同じ状態に陥ってるな
政治力が強く過大な規模で装備更新(=数の縮小)を嫌がる陸軍と、
予算を陸軍に吸われて規模が小さく装備更新に手間取る海空軍
642 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 09:44:22 0
軍の近代化に対する一番の反対勢力が軍部になるのが皮肉
>>642 そういうこと
陸軍が近代化を怠ったと、憤るの軍オタが射るけど
陸軍に最初から近代化を指向するのは間違っている
俺、お前等も当時の軍部だったら、絶対反対すると思うぜ
>>639 > かくして日本は旧体質の軍隊のまま世界大戦に入ることになる
むしろ、陸軍の将校たちは、日本に総力戦を戦う工業力がないことを痛感して、
総力戦に必要な資源を確保すると共に、軍需主導で重化学工業を急速に拡充するために、
満州事変を起こしたのだと思うけど。
実際、1930年以降、日本の工業化は急速に進み、
辛うじて3年間の総力戦を戦えたわけで。
イタリアにも劣る列強最弱の工業力で、
飛行機と商船を作ったら弾薬を作る余裕は皆無であったが、
1930年代の急速な工業化が無ければ、それさえも不可能だった。
また、日本の国力は1939年ごろがピークで、シナ事変は日本の手に余ったのも事実。
旧ソ連の崩壊、1970年代アメリカの例を見ても、
GDP比10%をこえる軍事費負担や、軍需主導の産業振興は、
長期的な国力を損なうのも確か。
>>570 >英国の列強会議提案を拒んだのはオーストリア
これに関しては直前のスクタリ危機の影響を指摘する本がありました。
馬場優『オーストリア=ハンガリーとバルカン戦争』
>>561 =
>>572 氏が
>大体、セルビア懲罰程度の問題について、いきなり
>「世界大戦を避けるために列強会議が必要」と言われても、ポカーン…だろうね
と仰っているけれども、スクタリの時は直接は関係ない英仏独も含めて列強会議やってるわけで。
そういうときは列強全部で会議して勢力の均衡を図りましょう、というのが当時の考え方だったわけでしょう?
少なくとも豚戦争以降ずっと親ロシアで通っているセルビアを攻めたら、ロシアが面子上看過できないのは想像できたはず。
それを「ドイツの白紙委任状があるから」と考えたのなら、オーストリアには墺独対露の戦争をやらかす気があったということ。
セルビア攻めても大丈夫と思っていたのなら、ロシアが動くことを想定できなかったオーストリアのポカ。
露英仏対独墺にまで戦争が発展することは予見できなかったにしても、オーストリアのミスは重視すべきだと思う。
結局オーストリアはセルビアが目障りで周り見えてなかった気がするんですよね……。
ま、そのミスを修正できなかった責任は独にありますが。
>>645 その本は読んだ。
スクタリ問題から大戦前夜の列強強調の崩壊が描かれているね。
>セルビア攻めても大丈夫と思っていたのなら、
>ロシアが動くことを想定できなかったオーストリアのポカ。
この件がオーストリアの「ミス」かどうかは疑わしい。
現実問題、オーストリアがバルカン(セルビア)問題でドイツの支持が得られる可能性は
これ以降少なくなっていくものと考えていいんじゃないだろうか。
少なくともオーストリア当局はそう考えていただろう。
バルカンにおけるオーストリアの利益、独墺同盟の利益にはドイツは冷淡、
そればかりか経済問題では露仏同盟と並んで「ライヴァル」関係にあった(豚戦争が顕著な例)。
これに加えてボスニア危機におけるロシアの屈服もあった。
独墺同盟だけでロシア・セルビアを抑える、という楽観主義が支配していたんではないか。
どのみちオーストリアは対露、対セルビア戦を想定すればいいわけで
ドイツのように大陸戦争(対仏戦争)なんてそもそも想定していない。
まして英国参戦など、英国も望んでいたかどうか。
謎な部分はオーストリア当局も驚いたドイツからの「白紙委任状」だろう。
ドイツもバルカンにおけるオーストリアのように、欧州で「孤立」していたから、と
オーストリア関係の研究者は述べるが、これだけはドイツ専門家の意見を聞きたい。
648 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 21:08:28 0
>>648 アニメ絵キャラが対話してる異空間ですぐに閉じた
なんでアニメ絵を、しかも既存のキャラのものを使うのかね?
651 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 22:11:50 0
最近こういうのはやりじゃん ホロコーストたたきのソフィア先生とか弱小日本軍列伝とか
最近というかこのタイプのサイトは昔からあるな
>>647 んー、
>ドイツのように大陸戦争(対仏戦争)なんてそもそも想定していない。
これに関しては大賛成なんですけど。
やはり
>独墺同盟だけでロシア・セルビアを抑える、という楽観主義
この見通しがあまりに甘い気がするんですよね。
まあ、ドナウ・ドリナの線を突破出来なかったじゃねえかオーストリア、とか思っちゃうからかも知れませんが。
スクタリの時も実際にはセルビアを攻める余裕なさそうだったし。
>>648 アニメ絵キャラは別に良いのですが、対談形式って読みにくいというか、情報量が少なく感じます。
あとなんでセルビアが狸で関西弁やねん
>>654 ドイツは東西両戦線の構想を有していたが
オーストリアは広義の東部戦線の構想しかなかった、てことか。
オーストリアのS計画やM計画、R計画(対ハンガリーのU計画もあった)なんかを
あるいはコンラートの対セルビア・イタリア予防戦争論も
ドイツ参謀本部も知らなかった、逆(ドイツの作戦計画)もまた然り、と。
二国同盟の参謀本部の意思疎通が20年以上途絶えていた弊害が
大戦時に二国同盟外交当局の判断を誤らせたのかなあ。
開戦後だがオーストリアがセルビア・ロシア戦線で、あそこまで大敗するとは
ドイツ参謀本部は想定していなかったようだが。
>スクタリの時も実際にはセルビアを攻める余裕なさそうだったし
スクタリのときはオーストリア軍当局は開戦したくて仕方なかっただろう。
なにしろ遅れれば遅れるほどバルカンにおけるオーストリアの優位は後退するわけで。
ただ列強会議にまで持ち込んだのはいいがドイツの支持が得られなかった、
さらにセルビア・モンテネグロが妥協した、これで開戦の機は失したなあ。
オーストリア帝国官房は常に外交官が軍部に優越していたが(外交大権を有する皇帝が
外交は当局者に委ねたのに軍事大権は何人にも譲らなかったのが大きいか)
列強としての外交の背景になる軍事力増強は、そのために遅れに遅れた。
常備軍増強の国防法改正が1913年だったっけ?
ひとり「武装した平和」路線からはじめから離脱しているんだよなあ。
それでもセルビアやイタリアへの単独戦争は14年はともかくそれ以前なら勝機はある、と
軍当局は考えていたそうだし実際、09年のボスニア危機ならセルビアには勝てただろう。
すべての外交的な失敗を取り戻す、最後の賭けに欧州を巻き込んだのかねえ。
14年には対セルビア単独戦争さえ軍当局はドイツ支持がなければ勝てない、と踏んでいる。
参謀総長コンラート曰く「一か八かの賭け」に欧州列強が乗ったのは今考えれば滑稽。
しかし、それだけオーストリアが列強としての外交的地位を有していた傍証にもなるかな。
ふと思ったんだけど、日露戦争におけるロシアの敗戦で、ロシアの軍事力を侮る風潮はあったのかな?
>>656 さすがに極東での敗戦をもって大陸軍国ヨーロッパ・ロシアを「侮る」ことはなかったろう。
05年革命も軍事力で徹底的に弾圧できるのがロシアだからなあ。
ただ日露戦争が結果としてロシアのバルカン再進出・墺露対決を招いたわけだから
そのへんの因果関係は面白いと思う。もっともロシアは敗戦のたびに内政改革やって
14年にようやく余裕がでてきた程度。再建が早ければ09年にセルビア・ロシアと
独墺二国同盟が戦争に突入していただろう(この場合英仏は中立だったかもなあ)。
敗戦と改革のために09年の屈辱があったから、14年はロシアも引くに引けない情勢に。
英露協商、日露協商のせいでロシアの利益圏はバルカンしかなかったからねえ、
再度セルビアを裏切ってはバルカンはオーストリアの勢力下に入るという危惧があったろう。
もっともオーストリアも1880年代のようにバルカン諸国を支配するには弱すぎたのだから
ロシア当局者も判断を誤ったのかも知れない。ルーマニアはロシアから離反するかもしれないが
潜在的にセルビア、モンテネグロの大衆や支配層は親露的なんだから。
ブルガリアは微妙、ギリシアは親英、ルーマニアは親仏、トルコは反露かなあ、乱暴な区分をすれば。
658 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 14:56:21 0
ロシアはバルカン再進出なんて狙ってないだろ 日露戦争後のロシアは これまでの宿敵、トルコとも友好条約を結んでむしろバルカンの現状維持派
列強の思惑が複雑に錯綜して結局誰が何をやりたかったのがいまいちつかめない
660 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 16:32:15 0
ロシアは海軍はあんまり強いって認識ないんじゃない? 日露戦争が注目されたとしたら海軍力でしょ。 大陸であれ以上戦争続行したら日本も泥沼退却戦術やられるって察してただろうし。 実際シベリア戦争ではそうなったしね。
661 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 16:53:24 0
海軍は弱いというよりも、事実上いずれも内水面の艦隊に等しいので 防衛戦でしか役に立たない。 あれだけの面積と海岸線を持つのに気の毒だね。日本人にはなかなか 理解できないだろう。
ロシアは大陸国日本は海洋国
>>658 再進出は表現が悪かった。
正しくは影響力回復、といったところか。
1890年代までバルカンはオーストリアの牙城。
セルビアは衛星国、ルーマニアは同盟国、ブルガリアは反露政策。
しかし世紀転換後に情勢は一変する。
地中海協定失効と墺露関係修復(墺露中立条約)でオーストリアの優越崩れる。
ドイツのトルコ接近、イタリアのバルカンへの野心、独仏資本の投下。
墺露の協調路線もボスニア併合で崩壊、英国も現状維持政策を放棄。
ロシアは1910年代のバルカン同盟を支援したがまさか制御不能になるとは思わなかったろう。
結局、ヨーロッパ・トルコの現状維持はそれで瓦解したわけだし。
しかしそれでももはやロシアにはバルカンしか利益圏がなかったのは事実。
怒濤の自演。
ボスニア危機の時ドイツがオーストリアを支援して軍事威嚇しなければ どうなったんだろうか 下手すると世界大戦が無かったかもね ドイツが一番損したな。ボスニアは
しかしバルカンへの軍事介入はドイツの条件反射みたいなものだな。こないだのユーゴ紛争の時も ドイツ1国でNATOを強引に介入させたようなものだし。
鬱屈を子どもの虐待ではらされるよりは2ちゃんの自演がはるかにまし。
>>656 ロシアが強くないとばれる
↓
露仏同盟イミナサス、フランス丸裸じゃね?
↓
タンジール事件
極東の戦いでロシアの威信が低下したとは聞いたことが無い なぜなら仏独米英すべてが日露戦争の決着を願っており さまざまな圧力をかけている だから、ロシアは「負けてやった」というべきで 続投してれば当然ロシアが勝ってただろうという認識は他の列強にもあっただろう
670 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 22:10:13 0
>>648 こういうサイト作ってる奴が自演とかするんだろうなw
671 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 22:17:30 0
日露戦争って英露の決着でもあったんじゃないの。 日本に侵攻されて陥落されたわけじゃないしので威信は関係ないだろう。 あれでイルクーツクやノヴォニコラエフスク占領とかまで行ったなら話は別だろうが。
>>663 ロシアがバルカンの影響力を保持したいなんて
あるわけねーよ
むしろバルカンから手を引きたかったと思うが
まー、建前上、バルカンの保護者を自称してたけどね
しかし、ボスニアをオーストリアに売り渡そうとしたり(セルビアや南スラブに対する明らかな背信行為)
してる辺り、本音はバルカンを見捨てまくりじゃん。
あの国はすでに両海峡通行以外に関心が無くなってる
>>666 ドイツの軍事威嚇を挑発したのはロシアだろ
ドイツはまんまとロシアに売られた喧嘩を買って、スケープコートにされたにすぎない
喧嘩を売られたので買って見たら相手が消えてなくなりました。
ロシアとして最悪の展開は 露墺密約の暴露だからな オーストリアは暴露することを仄めかしてたし 長期化すればやっていただろう。 暴露されれば ボスニア危機の火付け人は実はロシアでしたってことになり、国際信用はガタ落ち 「セルビアは我らの友」とか都合のいいこといっていた外相は逆に腹を切ってセルビアに詫びるしかなくなるだろう。 バルカン半島や国内の民族主義者も黙っちゃいない。 ドイツの軍事威嚇はロシアにとっては渡りに船だった。 ドイツの軍事威嚇に屈したように装えば、弱腰外交とは叩かれるが、セルビアに言い訳が立つし 少なくとも「同胞を売り払った」と呼ばれるよりはなんぼかましであろう。 踊らされたのはドイツで、ロシアの挑発に乗って最後通牒を突きつけたら ロシアはドロンと消えていて ドイツがなぜかロシア国民に恨まれる結果となった
676 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 23:18:30 0
>650 アニメ絵でもクレヨンしんちゃんとかサウスパークを使えばいいんじゃないのか? ぼーちゃんとか、カートマンが解説すればほのぼのしていていいんじゃないのか?
677 :
世界@名無史さん :2007/09/27(木) 01:18:21 0
ぶっちゃけ こういうサイトが一番人を集めているんだよな 学者肌の多いこの板では概して評価は低いけど 初心者向け講座だと思えばこういう攻め方は悪くない
自分でサイト作って遊べる人は2ちゃんで自問自答しないだろう。 このスレの自問自答君は既に壊れちゃった人間。
>>672 それは08-09年の話じゃないか?
ボスニア併合と両海峡通行の交換は他の列強の事前の意向を無視した合意だったわけで。
ただロシア外相の「ツァーリズムの威信回復」のための両海峡通行は本当に当時の
ロシア外交にとって重大であったのかは甚だ疑問。
結果、首相ストルィピンが汎スラヴ主義でロシア世論を煽ったことで、セルビアを支持したことで
ボスニア危機になる。その末路は「ツァーリズムの威信失墜」。
まあエーレンタールのオーストリア外交も拙速だがねえ。
14年はどうだろう。
当時、ロシアが大セルビア主義の庇護者であることは明白だった。
すでに対ルーマニア接近で大ブルガリア主義は切って捨てているからね。
大ブルガリア主義を切り捨てたのは両海峡がブルガリアの掌中に陥ることを恐れたのだろう。
加えてドイツのトルコへの軍事顧問派遣も警戒、反発している。
この時点では両海峡が他国の掌中に陥ることを回避するので精一杯だったわけだ。
…なんだか、すでにロシアもバルカンに対する影響力を失っている感があるねえ。
オーストリアのセルビア予防戦争と、ロシアの両海峡への陸戦隊派遣なんかを見ると
そもそもバルカンを排他的な利益圏としていた両帝国の焦りのようなものが感じられる。
ロシアは七月危機もそこからの戦争も望んでいなかった、ということか。
>むしろバルカンから手を引きたかったと思うが
引くに引けないのがロシアとオーストリアだったんだろうねえ。
1914年の段階ではバルカンにおける墺露対立の懸案はセルビア問題だけだろう。
オーストリアは南スラヴ問題から引けない、するとロシアも引くに引けない。
また始まったようだな、自問自答。
>>655 >>スクタリの時も実際にはセルビアを攻める余裕なさそうだったし
>スクタリのときはオーストリア軍当局は開戦したくて仕方なかっただろう。
バルカンにおけるオーストリア勢力が後退し続けていたのは事実だし、オーストリアもそう認識してたとは思うけど、
それを補えるような軍事・財政的余裕はなさげ、という話ですわ。
>>680 バルカン戦争〜サライェヴォ期のロシアがブルガリアから離れたのは、両海峡への影響よりもブルガリアが強硬にマケドニアを要求したのが大きいと思う。
ロシアとしてはセルビアとブルガリアを核にバルカンを保持したかったのだろうけど、ブルガリアがセルビアへの敵視をやめなかった。
この両国がいがみ合ってる限りバルカンのロシア優位は危ういよね。
>>むしろバルカンから手を引きたかったと思うが
>引くに引けないのがロシアとオーストリアだったんだろうねえ。
ことバルカン問題に関しては大国露墺が小国に振り回された観がありますな。
>>683 >それを補えるような軍事・財政的余裕はなさげ、という話ですわ。
しかしオーストリアはスクタリ問題について13年5月2日に「M」計画(対モンテネグロ戦争)を
閣議決定している。強硬な軍部に外交当局、宮廷も同調している。
ドイツの支持はない、まあイタリアは支持しそうだった。
対セルビア戦争を含めた「B」計画は財政上断念したみたいだが。
中段。
ブルガリアのアドリアノープル占領は、ロシアがセルビア・ブルガリアの庇護者でありながら
セルビアとブルガリアはマケドニアをめぐって争う状況では、両海峡の安全保障上危険だったのでは。
実際、成功しなかったがオーストリアはブルガリア接近の姿勢を示している。
もちろんこれはロシア当局の情勢認識の不足で、オーストリアは両海峡はもちろん
国内情勢からサロニキ進出の余裕すらなかった、できることはアルバニア独立だけだった。
>>683 > >>むしろバルカンから手を引きたかったと思うが
> >引くに引けないのがロシアとオーストリアだったんだろうねえ。
> ことバルカン問題に関しては大国露墺が小国に振り回された観がありますな。
「『大国に保護されている』と周囲から見られているが、
独自の国益で自主的に行動する小国」
ってのは、大戦争の引き金を引きやすい。
小国といえども主権国家だから、独自に戦争や侵略を仕掛けることができるが、
その結果自滅しそうになると、保護者的立場の大国が介入せざるを得なくなる。
(周囲に「頼りにならない大国だ」と思われて、威信を失うのを恐れるため)
ロシアとセルビア、ドイツとオーストリア=ハンガリー、ソ連・中国と北朝鮮、
なんてのが、そういった危険なカップリングの例。
あと、ナチスドイツとイタリア&日本帝国もちょっと似てる。
(イタリアは独自にギリシャやエジプトに攻め込むことが出来るが、
イタリアが負けるとドイツが尻拭いをさせられる。
日本帝国は独自にアメリカに自殺的戦争を仕掛けられるが、
ドイツはそれを放置できず、義務のない参戦をさせられる(ちと微妙だが)。)
686 :
世界@名無史さん :2007/10/01(月) 03:51:15 0
日本とドイツはぜんぜん違うと思う 有名無実で結局日本がユダヤに反感買っただけの日独同盟
687 :
世界@名無史さん :2007/10/01(月) 10:31:24 O
ドイツは民間人も合わせて、200万人の死者を出したみいだね。
688 :
◆ALSPlGAxzM :2007/10/12(金) 03:51:11 0
偶然に Project Gutenberg から拾い物(今日のトップダウンロード100から見つけた)
The Illustrated War News, Number 15, Nov. 18, 1914
http://www.gutenberg.org/etext/18333 The Illustrated War News, Number 21, Dec. 30, 1914
http://www.gutenberg.org/etext/18334 どうせダウソするなら HTML zip ファイルをお薦めするです
戦時速報のスキャンもの、写真が一杯、
たとえば1914年12月30日付号のトップ写真は
フォークランドで Spee 艦隊とやり合った invincible ですな
当然ながら「クリスマス停戦」のレポなどなく、かわりに
クリスマスにドーバーが空襲を受けた事がでてるデス(キャベツ畑が荒らされたとw)
こんな写真のキャプションも
A GERMAN ISLAND ADDED TO THE EMPIRE BY THE AUSTRALIAN FORCES:
READING THE BRITISH PROCLAMATION AT RABAUL, NEU POMMERN.
これで↑「さーらばラバウルよー」と歌が出てしまうところが年よりな訳だがw
もう一種 "New York Times Current History; The European War" これで Gutenberg 内タイトル検索してくらさい 損はしません
690 :
世界@名無史さん :2007/10/13(土) 06:33:11 0
犯人はベルヒトルト
691 :
◆ALSPlGAxzM :2007/10/18(木) 06:31:48 0
「八月の砲声」やっと東部戦線のところにたどり着いた 長い・・・
693 :
世界@名無史さん :2007/10/19(金) 19:06:34 0
第一次世界大戦が世界恐慌や第二次世界大戦の遠因になってしまった
694 :
世界@名無史さん :2007/10/20(土) 07:22:14 0
読んでほしいの?笑
そもそもアメリカがアルメニア委任統治を引き受けりゃ虐殺阻止できたんじゃないのか
>>691 よっぽど仕事無くて暇なんでしょ。
どうせCRFの意向で全部決まるし、下手に対立したら暗殺されるし。
697 :
世界@名無史さん :2007/10/22(月) 16:56:28 O
第一次世界大戦の連合国はロシア含めて32ケ国、ヴェルサイユ条約の参加国にソ連はいないのに、何故戦勝国32ケ国が参加なんですか?
質問の意図が良く分からないんだが…。 ロシア(ソ連)が離脱したのに、ヴェルサイユ条約の調印国が当初の連合国と同じ32カ国である理由? それならまず「連合国全部がヴェルサイユ条約に調印している」という前提が間違っている。 無政府状態の国(例えばアルバニア)。 外交を他国に一任している国(例えばアンドラ)。 合併した国(セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国)。 連合国に数えられていない国(例えばポーランド)。 調印を拒否した国(中華民国)。 なんかで、調印国は26カ国だ。
「八月の砲声」読了 ・英仏独露の動きが中心。 ・オーストリア、イタリア、トルコの叙述が少ない。 ・戦争計画と直前外交は面白い ・戦闘の経過はわかりにくい。 ・英仏をひいきしすぎ
ふら〜と入った本屋で第1次大戦のイギリスについて書いた本を読みました。 キッチナー新軍が16年まで投入されなかったのは、イギリスがフランスと ドイツが常備と予備役を消耗し尽くしたあと、無傷のイギリス軍が決着をつけ 勝利の栄光と漁夫の利を狙おうとしていたというような記述がありますが、 イギリスってフランスやベルギーなんてどうでもよくて、そんなもんなんですか?
14年9月に募集を開始。 装備の調達で訓練が遅れるも第一陣のフランス上陸が15年5月。 徐々に増えていって16年の半ばに英軍の主力に。 約1年間の訓練だと考えれば、不自然に遅らせたようには見えない。 ソンム戦の経緯(ベルダンへ向かう独軍を減らすための早めの攻勢) を考えれば、英軍はそこまで不義理じゃない。
うわ、かぶった。世界史板の閑散としたスレでかぶることがあるとは…
しかもこんな時間にか。 朝チェックしてる人が自分以外に少なくとも一人いることがわかってよかった。
00:20 NHK教育 第34回日本賞・受賞番組 「一般教養番組“ベルダンの戦い・地獄への降下”ドイツ」
707 :
某研究者 :2007/11/04(日) 07:12:02 0
708 :
某研究者 :2007/11/04(日) 07:23:21 0
http://blog.goo.ne.jp/joy4989/e/4d2ab0d76c12ead4511ccd75380d2651 >‘あちこちで、日米戦争が将来起きると聞かされているが、それはほんとうか’ときいたところ、虎といわれていたクレマンソーは次の如く答えた。
>‘それは当たり前だ。アメリカは、太平洋に発展するには、日本はじゃまなんだ。太平洋
>や中国大陸で、アメリカが発展するために、日本の勢力をとりのぞかなければならないのは、当たり前だ。フランスにきているアメリカの軍部の高官連中は、みんなこういっている。
>今回の戦争{大正7年11月に終わった第一次世界大戦}で、ヨーロッパでは、じゃまになるドイツをたたきつけてしまった。今度は太平洋でじゃまになる日本をやつける、といっているよ。
等と米国人が言って居たのは
事実なのかだが
日本を仏側に付けようと言うクレマンソーの策略では
無いのかだが
第1次世界大戦の激戦地ベルダンに配属になったアナトル・カステクス、 アナトルは妻と一人息子の写真の入ったペンダントを首からさげ、最前線から 妻に「好きだ好きだ〜」手紙を書きまくって、前線で交替の休暇をもらったとき 妻をパリに呼び寄せて、妻の泊まっているホテルにバイクで会いに行き、 久しぶりの再開に二人は抱き合った。しかし二人の時間は数時間しかなく、 アナトルはすぐに最前線のベルダンに戻って行った。そのあとアナトルは 帰らぬ人になる。 妻は戦後1919年に最前線のベルダンに夫の墓を探しに行くが見つからず 一人息子が大きなったらなぜ父親が死んだのか解るでしょう。
第1次大戦だと第2次大戦とは違って「○○作戦」じゃなくて「●●攻勢」という呼称の方が一般的なのはなぜですか?
攻勢は offencive の訳語 Somme Offencive とは言うが Operation Somme とは言わん offencive と operation の違いは軍板で識者に聞いてくらさい
んーちょっと言葉が足りんかったかな 作戦のかわりに攻勢と言っているのではないんですよ 両者は違いますよ(たぶん)と言う事です
713 :
某研究者 :2007/11/04(日) 22:23:34 0
714 :
某研究者 :2007/11/04(日) 22:34:18 0
715 :
某研究者 :2007/11/05(月) 02:08:57 0
716 :
某研究者 :2007/11/05(月) 02:17:40 0
717 :
某研究者 :2007/11/05(月) 02:26:43 0
>敵の地上兵力が手薄な処から大軍で攻めれば良い・・・それには敵兵力が手薄でないとならない。 >航空機が持つ戦略上の特徴に、航空機を大量に飛ばせば敵の対空部隊が集まり、それを防衛する目的で歩兵部隊も集まり、補給部隊も集まる・・・そんな「風が吹けば桶屋が儲かる」的な段々崩しな法則が成り立つのである。 >そこでフランダース地域の「アラス・”ALLAS”」周辺に連合軍航空機を集結させてドイツ軍の地上部隊を集め、その隙に連合軍地上部隊はエーヌ川周辺から攻めると言う陽動作戦が開始されるのである。 >しかし、フォッカーの懲罰を終了させた連合空軍は自惚れていた。 独の地上部隊が集結する前に 空軍にやられたと言う事なのだろうか
718 :
某研究者 :2007/11/05(月) 02:39:33 0
719 :
某研究者 :2007/11/05(月) 03:46:48 0
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3025160.html >その為には右翼軍にもっと兵力が必要であり、その兵力を削りすぎた事と、左翼軍が作戦に反して攻勢に出て、作戦の意図を崩したと言っており、そこが改悪されたと主張しているのです。
>この事は多くの研究家が指摘している事であり、戦後に作戦を分析した英国軍でも言っている事です。
>さらには、モルトケが右翼軍に送る援軍を左翼軍に送ったり、左翼軍の指揮官の暴走を許し攻勢を許すなど、戦争に確固たる信念がなく、
>前線部隊の指揮官に最終的な指導を行えない等、その能力に問題があると言っているのです。これは多くの研究家も言っている事です。
当初のプラン通り包囲殲滅を目指して居たら
勝利出来たのかどうかだが
密約があっても議会はベルギー侵犯までは参戦反対一色だったので難しいだろうな
721 :
某研究者 :2007/11/06(火) 20:51:15 0
>>721 2次大戦の時は、フランスはベルギー国境には大軍貼り付けてて、ドイツとの国境部分には例のマジノ線があった。
ドイツとしてはフランスが「ココから進入は無理w」と手を打っていなかったアルデンヌの森を突破する以外
逆に言えば勝算はなかった。
まあ、アルデンヌの森を突破できたのは1次大戦の時にはなかった機械化部隊のおかげだしね。
>>718 それはシュリーフェンプランの破綻を示す事実であるから、
ドイツ軍参謀本部は戦争回避に全力を挙げただろう。
私見だが、オーストリアとセルビアの限定戦争で終わったのではないか。
>>719 「補給戦」のクレヴェルトによると・・・
・モルトケはシュリーフェンプランを実務的に改善したのであり、
改悪したと言う批判はあたらない。
・当初プランでもモルトケ版でも、右翼のドイツ軍に過重な負担が掛かっており、
いずれにせよ成功の見込みは少なかった。
ただし、左翼で仏軍主力を引っ張り込まなかったことはミスだろう。
>>721 どう見ても無理だろ。
・WW1のドイツ軍は、自動車化師団を持っていない。
・連合軍の主力の位置がWW1とWW2で逆。アルデンヌでは、敵主力に近くなってしまう。
・当時の歩兵軍の進撃は鉄道線頼り。アルデンヌ経由では数が足りない。
724 :
某研究者 :2007/11/06(火) 21:24:05 0
>ただし、左翼で仏軍主力を引っ張り込まなかったことはミスだろう。 此れを行っても勝算は無かったのかだが 独が疲弊する前に仏軍を態と侵攻させて タンネンベルグの再現の様な事は 出来無かったのかだが
725 :
某研究者 :2007/11/06(火) 21:26:54 0
726 :
某研究者 :2007/11/06(火) 21:33:27 0
http://d.hatena.ne.jp/daidozi/20041002 >私のお気に入りの登場人物は、フランスのパリ防衛軍司令官ガリエニ将軍と第5軍司令官ランルザック将軍。
>ガリエニが仏軍総司令官ジョフルに提案しなければマルヌ会戦はなかったかもしれない。
>ランルザックは、マルヌ会戦において重要な役割を担った第5軍を退却を重ねながらもできるだけ温存し、
>開戦当初における仏軍総崩れを防いだ。
ガリエニ・ランルザック何れかが欠けていれば
仏は敗れて居たと言う事は無いのかだが
727 :
某研究者 :2007/11/06(火) 21:40:37 0
http://yasai.2ch.net/army/kako/992/992764318.html >東部戦線に引き抜かれるも、結局タンネンベルク戦に間に合わなかった部隊があったけど、
>これが西部戦線にとどまっていればマルヌ(だったけ?)の会戦の趨勢はどうなっていただろう?
>第2軍(ビューロウ)と第3軍(ハウゼン)から2個軍団を引き抜いた(予定は3個軍団)。
>これを仏第9軍(フォッシュ)への攻撃に使うか、
>それとも最右翼の第1軍(クルック)につぎ込んで仏第6軍(モーヌーリ)の側面攻撃に備えるかしていたら、
>パリの東で仏第5軍(ランルザック)と英国遠征軍(フレンチ)を撃破して、
>うまいこといったら仏5個軍を大包囲して殲滅戦が完遂できたかも知れない。
まあしかし此れを投入しないと言う事は
現実的では無いと言う事かも知れぬが
ロシア軍侵攻の段階で
シュリーフェンプラン破綻を確実視し
停戦と言うのは無理だったのかだが
728 :
某研究者 :2007/11/06(火) 22:11:58 0
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3025160.html?ans_count_asc=0 >本来なら左翼軍は攻勢などおこさず、後退してでもフランス軍主力を引き付ける筈でした。もし、当初の計画通り、フランス軍主力を引き付けていたら状況は変わったかもしれません。
>マルヌ会戦などおこらず、計画通り、フランス軍を包囲殲滅できたかもしれません。
>戦争では将の器量が勝敗を決する事が少なくありません。東部戦線で指揮官を代えてタンネンベルクでドイツが完全勝利したのが、いい例です。モルトケでない人物が最初から戦争を計画・指揮していたら状況は変わったかもしれません。
と言う事かも
知れぬし
ガリエニ等が居なければ仏は
敗れて居たと言う事かも知れぬが
729 :
某研究者 :2007/11/06(火) 23:00:05 0
>>725-726 ミスによる自滅的敗北は、常にありうる。
フォッシュの闘志を欠く仏軍が敗れる可能性はあったろう。
…だから何?
>>727 勘違いで侵略を発動しておいて、うまく行かないから休戦?
王侯貴族のサロン外交華やかな時代ならともかく、
徴兵軍で民衆を巻き込んでおいてそれは無理。
ドイツ人の戦争犯罪者を処罰するのなら別だけど。
>>729 これは無い。
てか、シュリーフェン計画で勝たなきゃいけないの?
東部戦線からやっつければ普通に勝つだろ。
731 :
某研究者 :2007/11/07(水) 00:52:19 0
>東部戦線からやっつければ普通に勝つだろ。 対ロシア勝利後に西部戦線の膠着は 打破出来たのかどうかだが 可也の兵力を西に移動は 可能だったかも知れぬが
732 :
某研究者 :2007/11/07(水) 01:04:15 0
ロシアの動員速度が遅いと考えれば シュリーフェンプランを選択した率が 高いかも知れぬが ロシアの動員速度が速いと見れば 東部戦線を先に攻略したか 開戦自体が無かったと言う可能性も 有る訳だろうか
>>731 > 対ロシア勝利後に西部戦線の膠着は
> 打破出来たのかどうかだが
英仏軍が攻撃してくれば、塹壕と要塞で兵力を損耗させられる。
攻めてこなければ、こちらからも攻める理由は無いので講和すれば良い。
(この場合は、シュリーフェン無し&戦線膠着後の講和なので、
>>727 とは違う)
そうでなくて、積極的に勝ちに行くなら…仏軍を集中攻撃すべきだね。
ベルダン戦では、仏軍も崩壊寸前だったし。
シュリーフェンプラン以外の作戦計画は持ち合わせていなかったドイツには、 シュリーフェンプランを実行するか、戦争やめるかの選択肢しかないだろ。
735 :
某研究者 :2007/11/07(水) 04:47:51 0
>>735 他の国は知らないが、イギリスだとDayfieldとかPullmanとかWillkinsonとかのがあるだろ。
個人的につけてた人はいるが、9.5lb(4.3kg)で重すぎ&暑すぎ。
737 :
某研究者 :2007/11/08(木) 00:06:29 0
徒歩で移動している状態なら兎も角 塹壕に篭っている状態なら重さは然程 問題では無いだろうが WW2でこの種の胸甲は 使われたのだろうか
738 :
某研究者 :2007/11/08(木) 00:07:30 0
現代の対弾片用のボディーアーマーも 5kg程度は無いのかどうかだが
いいかげん某研究者がうざいんだが 過疎スレだからほっといてもいいんだが
741 :
世界@名無史さん :2007/11/10(土) 21:12:36 0
映像の世紀をみて思ったんだけどこの戦争はアメリカの参戦さえなければドイツ側が勝っていたのでしょうか?
米参戦がない場合、双方手詰まり→適当に国境線のやり取りをしておしまい かな
ww1の軍装をカラーで扱っているサイトって無いですか?
休戦記念日
米参戦が無い場合でも経済封鎖されてるドイツは不利じゃないかね 米とは関係無しにオーストリアは崩壊するし カイザー攻勢は史実どおり失敗だろうし
明日は何年かに一回のRemembrance Sunday と11/11がぶつかる日ですな 朝11時頃からパレードとタウンセンターで追悼礼拝が イギリスどこでも普通の光景になるでしょう Scouts や Girl Guides のこどもたちもVeterans と一緒に行進です いつもRemenbrance Sundayの前日土曜には 翌日のパレードの練習のブラスバンドの音が聞こえて来るんだが 天気が悪いせいか今日は聞こえて来なかったですな
>>745 米参戦がなければ欧州の政治力学も変わって、中立国による和平の試みも
史実より盛んにはなっただろうけど。
いま思うとヒトラーは自殺じゃなくて、連合軍にとらわれたんだろうな 変なこと言われることなく、すべての罪をかぶせるために
スレするとこ間違えてるぞナチ厨。
>>741 アメリカが参戦してなくても戦争の推移はそれほど変わらなかったと思うよ
アメリカは当時常備軍をもってなく、しかもメキシコ内乱に介入して軍をおくってた。
そのせいでヨーロッパに遠征軍を編成して送るのが遅れて
1918年の6月までに戦闘配備に着けたのがたったの3個師団だけだ。
カイザー戦の失敗でドイツの敗北はほぼ決定していたから
戦争が長引いたり犠牲者は増えるだろうけど英仏の勝ちは変わらないと思う。
今日ヨーカ堂に行くと洋ナシのラ・フランスを売っていた。 なんでも今日はラ・フランスの日らしい?のでパンフレットを 見るとww1の戦勝記念日らしい、発見されたのは1864年 らしいから戦勝記念日をナシの日にするセンスが日本人 っぽいな、
>>751 戦勝記念の日なのはフランスだけじゃないんだけどね
商売になるなら何でもするんだなあ
反対を考えるとキモイよ
日露戦争停戦日を「日本の日」として
外国のデパートですしを特売してるのとおなじ・・・
11/11を(英仏側から見て)【戦勝】記念日とはあまり言わない
「休戦記念日」と言いますな
よくは知らんが、オランダとベルギーは Euro2000をすでに共同開催しているからワールドカップくらいは 共同開催でも問題ないんじゃないか
>>755 いや現状としてベルギーは国家分裂の危機にあるのでね
ベルギーがなくなれば共同開催もヘチマもありませんから
何故このバタバタに立候補表明するかなと
>>754 >参戦の大義名分はベルギーと言う「国家」(政治体)との協定にあったんでしたわな
「イギリス参戦の」大義名分ですな。
ドイツのベルギー「通過」の国際法的大義名分は「自衛権」だけかな?
なんか他にありましたっけか
よくは知らんが、日本と韓国は ワールドカップ2002をすでに共同開催しているからオリンピックも 共同開催でも問題ないんじゃないか
毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 第一次世界大戦 写真がいっぱいでイメージをつかむにはよい 写真の解説はかなり不親切 本文の解説はいわゆる共産主義的理解。 レーニンの帝国論とかローザルクセンブルグとか ああいう感じです。
761 :
某研究者 :2007/11/16(金) 03:52:37 0
独も普仏戦争勝利直後にロシアを叩いていれば どう成ったのかだが 米英には海軍力の差で流石に 勝てなかったと言う事かも知れぬが ビスマルクは何故ロシア戦は 避けたのだろうか
762 :
世界@名無史さん :2007/11/16(金) 05:44:06 0
忘ケンに突っ込むのはあれだが 当時のドイツはプロシア以外の邦国は貧乏農業国の集団で ロシアと戦えるほど充実している訳じゃないぞ いや、そもそも対仏戦ならいざしらず無謀なロシア戦ともなれば ついてくる国が無い。 当時のロシアは日露戦争前の化けの皮がはがれる前のロシアだし 普通喧嘩売らんわ
763 :
某研究者 :2007/11/16(金) 06:58:18 0
領土を獲得しても 社会主義者等の反乱を米英等の策動で 起こされるリスクも 考えたと言う事かも知れぬが ビスマルクの様な外交は他の者は出来ぬだろうし ロシア・仏・オーストリアは 征服した方が良かったと言う事は無いのかだが
東部戦線っていったいどんな感じで戦闘したのか、 ドイツオーストリア軍とロシア軍ってどれくらいの規模で対峙していたんだろう? 第2次大戦では枢軸国が400万のソ連軍が600万くらいだったけど、
767 :
某研究者 :2007/11/18(日) 11:18:15 0
>当時のロシアは日露戦争前の化けの皮がはがれる前のロシアだし >普通喧嘩売らんわ 普仏戦争直前のクリミア戦争で 英仏はロシアに圧倒されたと言う程でも 無い訳だろうし 気候にやられたと言う事なら 寒くは無いドイツの近くを戦場として タンネンベルグの再現の様な物を狙うと言うのは 無理だったのかどうかだが
768 :
某研究者 :2007/11/18(日) 13:03:08 0
独がオーストリアを切り捨てて バルカン戦争に介入しなければ WW開戦は無かったと言う可能性も有るだろうが オーストリアを完全に切り捨てるのでは無く オーストリアとロシアの 仲裁を図ろうとしていた英と共に 和平を進めると言う手も有っただろうが
769 :
某研究者 :2007/11/18(日) 13:03:53 0
> 要請を受けたドイツは、オ >ーストリアによる軍事制裁を支持。ドイツ >のこの決定は > 戦争が内外の閉塞状況の打開 >策になると期待され、戦争が 「第三次バ >ルカン戦争」 > に限定され、オーストリアが >勝利すれば、ドイツの同盟国のオーストリ >アも安定し > ロシアの国際的地位が低下す >ることが期待された為でした。もし大陸規 >模の戦争に > 発展しても、ドイツは短期間 >でロシア・フランスを打ち破ることができ >るし > そうなればドイツは大陸のヘ >ゲモニー (支配権) を握ることができ >る・・・。 まあしかし独は ロシア・仏と同時に戦っても 勝てると踏んでいたから オーストリアの肩を持ち 開戦したと言う事なのだろうか
770 :
某研究者 :2007/11/18(日) 13:05:43 0
独もマルヌ戦敗北後は 西部戦線では防御を固め ロシアだけを叩いて 講和と言う様な方向も 有ったかも知れぬが 此れは果たして可能だったのかどうかだが ロシアを早期に叩けば講和等無く共 米の参戦が無ければ勝てたと言う可能性は 無いのかだが
771 :
世界@名無史さん :2007/11/19(月) 00:06:20 0
772 :
世界@名無史さん :2007/11/19(月) 00:13:21 0
おまいらの欠点は英語が全く読めないことだ。
774 :
世界@名無史さん :2007/11/19(月) 15:31:55 0
当時のドイツ、フランス、英国ともに戦争が起きると言う意識はあまりない。 「戦争は悪い事ではない」という奇妙な説の蔓延 それまでも散発してたし、まあ景気も良くなるんだしいいかくらい それまでの外交を維持すれば良いものの 「今までこれだけ譲歩してきたので、もう譲歩する必要なはない」 植民地拡張競争から来る国家の誇りが大事と考える風潮 なんか最近は日本もそんな感じだよなw
「いまなぜ第一次世界大戦か」楳本捨三を読了。 いまいちな本でした。特に読む必要もなし。
776 :
世界@名無史さん :2007/11/19(月) 21:18:55 0
そうでしたか・・・・
777 :
某研究者 :2007/11/20(火) 06:26:32 0
ビスマルク後のドイツもWW1開戦迄は 外交的には致命的な失敗は 無い訳だろうし 開戦の判断或いは戦争指揮に 致命的な問題が有ったと言う 事かも知れぬが ロシアの鉄道網が整備されて居る事位 事前に分からなかったのかだろうし 大モルトケ辺りなら開戦には反対したか ロシアを先に叩いていたと言う事は無いのかだが
>>774 > 植民地拡張競争から来る国家の誇りが大事と考える風潮
国家の「威信」は重要だよ。
威信があれば、実力行使をしなくても相手が引き下がってくれるから、
低コストで外交的成果を得られる。対人関係と同じ。
現代日本は威信が無いから、何を手に入れるにも金がかかってしょうがない。
779 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 12:24:47 0
逆だろ 維新がありすぎてお荷物になっている 維新がありすぎる国程不便な問題は無い セルビアみたいな生国にかき回されるオーストリア 韓国のような小国に竹島を蹂躙それても何も出来ない日本 維新の無い小国は好き勝手にやれるけど 大国は少しでも行動を起こせば世界を騒がせるために交渉では妥協せざる得ない
780 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 12:30:24 0
781 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 12:41:55 0
782 :
世界@名無史さん :2007/11/20(火) 12:57:55 O
しりとりスレの とてた KY
>>779 書き込む前に一回誤字を見直すだけで、説得力はだいぶ向上すると思うよ・・・(´・ω・`)
英仏とロシアに囲まれる国際情勢をつくったのは致命的な国策の失敗だったと思うよ
786 :
某研究者 :2007/11/21(水) 10:01:02 0
開戦を回避し3B政策を推し進めて居たら どう成ったのかだが 案外上手く行ったと言う事は 無いのかだが
787 :
某研究者 :2007/11/21(水) 10:03:34 0
英は開戦直前にはロシアとオーストリアの仲裁に 入っていたから 戦う意志等有ったのかだろうし 仏も無かったと言う事かも知れぬが あの侭3B政策を続ければだが ロシアで革命が起きた時には ロシアには攻め込んだのだろうか (バルカンのオーストリア支配は ロシア革命後には容易だったと言う事だろうか)
788 :
某研究者 :2007/11/21(水) 10:10:18 0
789 :
某研究者 :2007/11/21(水) 10:16:14 0
>>779 > 維新がありすぎる国程不便な問題は無い
> セルビアみたいな生国にかき回されるオーストリア
> 韓国のような小国に竹島を蹂躙それても何も出来ない日本
威信の意味を勘違いしているね。
威信は、事前の抑止で効果を発揮する。
実力で制圧せざるを得ないのは、威信が足りず抑止に失敗したから。
有言実行、実力制圧を繰り返すことで、その国の言葉に信用・威信が生じる。
ただ、条約・密約など「以前の言葉」に縛られた行動は、
「現在の状況」に対して不合理である可能性があるということ。
> 維新の無い小国は好き勝手にやれるけど
> 大国は少しでも行動を起こせば世界を騒がせるために交渉では妥協せざる得ない
これはそういう部分もあるが、威信ではなくて、まさに実力の問題だろう。
大国は世界に影響を与えるゆえに、あるべき世界秩序を念頭に行動しなければならない。
世界のために必要なら、逆に強硬策に出ざるを得ないこともありうる。
>>790 >
>>779 > > 維新がありすぎる国程不便な問題は無い
ただ、実力を超えた威信は、逆に重荷になるということは確かにある。
帝国の伸びすぎと衰退は、みなそのパターンだろう。
威信を失わず、他の地域に悪影響を及ぼさずに
不採算地域から撤退すると言うことは、どの帝国にとっても難題。
アメリカにとってのイラク、イスラエル、韓国あたりはそうなのかも。
>>791 別の場所で別の問題を起こして、その場所から撤退するという手はあるよ。
793 :
世界@名無史さん :2007/11/22(木) 00:01:09 0
あとは第三国の仲介で撤退
794 :
世界@名無史さん :2007/11/22(木) 00:03:58 O
ギャラクシーエンジェルや綾波の解説分かりやすい 会話形式の大好き
3Bや3Cは後世の学者の語呂合わせ
良スレ
798 :
世界@名無史さん :2007/12/03(月) 19:10:25 0
第一次世界大戦前の工業力、戦力、人口等を比較出来る本は無いかな できればヨーロッパだけでなくアメリカ、日本、植民地などの統計ものっているようなの
人口:露>米>独>日>墺>英>仏>伊 工業:米>独>英>仏>露>墺>伊>日
800 :
798 :2007/12/03(月) 23:24:16 0
いや順位じゃなくて 具体的な数字が欲しいのです WW1を題材にしたゲームを作る予定なので
二次大戦のほうが面白いよ。 特殊兵法「ビンタ」を使うと士気が下がるかわりに統率力があがるの。 あ、日本軍だけの兵法ね。
>>798 大雑把な数値は、「大国の興亡」にでてるだろ。
「大国の興亡」の参考文献から芋づるで洋書資料が出てくるから、
大学図書館で見るか、amazonで買えば?
803 :
世界@名無史さん :2007/12/04(火) 01:53:33 0
WW2は戦車の質とか航空機とかでてくるので自作ゲーけとしては複雑すぎますね
歩兵とせいぜいあって海軍くらいのシンプルなゲームを作りたいので
>>802 どうも
3000円なら買った方が速いですね
ありがとう
>>803 あの、、、ww1は空軍もあるんだけどw
しかも戦況を結構左右してましてですね
もう一回ww1について調べなおしてみてね
そんなに単純じゃないとおもうですよ
ピースメイカーズ―1919年パリ講和会議の群像 マーガレット・マクミラン(訳:稲村美貴子) 上巻の半分まで読み進んだ。 ともかく訳が日本語になってなくて、意味を汲み取れない文が いっぱいある。読んでもまったく進まない。 編集者はちゃんとついていたのか疑問。 内容はWWIの戦後処理でけっこう面白いのに、残念。 原書にあたるかなぁ・・・
>>803 それなら日露戦争ものにすればいいのに。
>>804 WW1であれば、空軍は省略してしまうか、
せいぜい陸軍か海軍の能力修正として組み込めば十分だろう。
ボードゲームデザインは、取捨選択に本質がある。
あれもこれも取り込んで、なるようにしかならんというゲームにw シミュレーションじゃないからね
>>805 その本(原著の事ですが)内容は興味深いんだけど
文章はやっぱり退屈だよw
西園寺の描写などもちょっとくどいかなと
退屈な英語は退屈な日本語にしかならない典型かもしれんですね
>>807 >>808 はあ、そんなもんですか。
>>809 ボードゲームの場合、ルールや数値を入れることによる煩雑さと、
それによって向上する再現性・面白さの費用対効果が重要なんだよね。
(コンピュータの支援があればだいぶ違うんだけど)
それと、実際問題として、スペックやルールを増やして現実を細かく再現しようとするほど、
取りこぼしが多くなって、かえって再現性が低くなると言うパラドックスがある。
たとえば、個別の戦車の性能や装備数を積み上げても、
ドイツ装甲師団とソ連戦車師団の戦力を正しく評価することは難しい。
(例外は極少数存在する)
そんなわけで、ある程度帰納的・抽象的に能力評価しておくほうが間違いが少なくなる。
(というか、収まるべきところに収まって、それらしく見える。)
811 :
805 :2007/12/05(水) 12:10:27 0
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 原書もつまらないの? 2流の史家に2流の訳者か・・・
歴史学者がみな文章うまいはずもないっすからね Story Teller としてダメポでも責めらんとはおもうですよ 誰もにバーバラ=タックマンの筆力はないので しかしなぜ Narrative History にしたのかの疑問は残りますがね 学術書風の構成にしたら一般人に売れにくいからかな
「ピースメイカーズ」上巻を読了。 今日読んだ文藝春秋1月号で丹羽宇一郎が 「リズムが合わない本を読むのは時間の無駄」と 書いてあったので、もう下巻は読まないことに。
>>813 残念ですよね
なに言いたいかわかんないんですわ
ロイドージョージの子孫が売りポイントでしたけど
私もう半年もこの本待ってるんですけど
Dear Customer,
We wanted to give you an update on the status of your order
We are sorry to report that the following items have been delayed:
Holger Afflerbach (Editor), David Stevenson (Editor) "An Improbable
War?: The Outbreak of World War I and European Political Culture
Before 1914" [Paperback]
Estimated arrival date: 05/01/08 - 25/01/08
このメールが密林から来るの三回目
今年の5月ごろ予約して夏には出るはずだったのに
出るのかな本当にw
第一次世界大戦 上 政治家と将軍の戦争 第一次世界大戦 下 兵士と市民の戦争 J. M. ウィンター 平凡社 叙述もまとまってて、図版、写真も多く、わかりやすくて良い。 政治、軍事戦略、戦術、市民、文化のレイヤーにわけて 章が記述されてるので、事態を追いやすい。かなりおすすめ。 猪口邦子の付論はいらないかも。
>>815 その本はいいですよ
原書の図版全部載っているならの条件付きだけど
このスレにたまにお出でになる「国力数値化比較廚」のみなさんに特におすすめw
>>815 ところでいくらするのかと思ったら上下巻合わせて7000円近くしますな
これでもし写真図版の点数絞ってあったらちょっと考えるかも
>>816 数値マニアには同じウインターのThe Upheaval of WarやThe Great War and the British Peopleもお勧めですw
この人の本、ドイツ語やフランス語の文献を訳さずにそのまま引用てること多いんで読むの大変だけどどれも面白い。
ただ、去年出たRemembering Warは、統計を全く使わずに、エッセイ風な書き方なんだけど、revisionismを意識し過ぎて
何か変な方向に行ってるような気が・・・
第一次世界大戦 二十世紀5 尾鍋輝彦 中央公論社 半分くらいまで読み進みました。一般人向けに文章もこなれてて 読みやすく、よくまとまっててかなりいいです。筆者の余談も また面白い。最初からこの本を読めばよかった・・・
かなり前の話ですが日本賞を受賞したベルダン戦のドキュメンタリー見たかた感想はどうでしたか
あけましておめでとう
さて次回の007映画 Devil May Care はフレミング家の依頼を受けて
Sebastian Faulksと言う作家が書いておるですが(80%完成したとか)
この人の「代表作」(少なくとも出世作)は第一次世界大戦舞台の Birdsong です
http://www.amazon.co.uk/Birdsong-Sebastian-Faulks/dp/0099387913 英国では中学生が歴史の課題図書でもれなく読まされてるですが
これが驚いた事に日本語訳があるのを見つけました
いままで全然知らず
よみがえる鳥の歌 上 扶桑社セレクト 4-1 (文庫)
セバスティアン・フォークス (著), 松本 みどり (著)
ISBN-10: 4594036163
824 :
世界@名無史さん :2008/01/08(火) 14:30:50 0
跡の映像・よみがえる100年前の世界(4) ▽第一次世界大戦▽悲惨な地上戦 1月8日(火) 21:10〜22:00 NHK衛星第一 Gコード(1333427) 奇跡の映像(4)◇銀行家で大富豪だったアルベール・カーンが残した100年前の世界各国の様子を 撮影した写真や映像を紹介するシリーズ。4回目は第1次世界大戦の記録を伝える。世界の人々の 暮らしを記録しようとしたカーンだが、大戦中は世界各地へのカメラマンの派遣を中止せざるを得な かった。そこで彼は、戦地にカメラマンを送り最前線の写真をカラーで撮影することをフランス政府に 提案。それにより、フランス兵の戦争中の日々を物語る貴重な記録が残された。カーン・コレクション 以外に、第1次世界大戦のカラー写真はほとんど残っていないといわれる。
825 :
世界@名無史さん :2008/01/08(火) 20:55:26 0
age
>>801 「フルメタルジャケット」を思い出せ。
ビンタ含む理不尽な制裁による教育は軍隊に共通。
日本軍がやりすぎなのは認めるがな。
827 :
世界@名無史さん :2008/01/08(火) 22:08:09 0
とくに帝国海軍は惨かった
828 :
世界@名無史さん :2008/01/08(火) 22:09:23 0
とくに帝国海軍は惨かった
>>824 このシリーズのカラー写真やカラーフィルムは凄いな。
カラーになるだけで目の前に存在するかのような空気間すら漂う。
>>829 1次大戦の傷痍兵の映像はさすがにグロかった。
そしてフランス軍が戦闘機にパラシュートの必要性を認めず乗っけてなかったってのは
もうしわけないが笑ったw
オーストリア=ハンガリー帝国の国情を知りたかったので、 大津留厚「ハプスブルクの実験」を読む。 ・オーストリア帝国とハンガリー王国の2つの首相政府、国防軍、議会を持つ ・行政機関は内部で使う内務語(ドイツ語)と現地窓口で使う外務語(現地語)に別れる ・軍隊では簡単な命令用語は共通のドイツ語、連隊内では民族語が採用された ・軍の再配置、転戦は所属する民族によって制限された ・小学校も母語ごとに分離 言語が分裂してるために、行政、軍事、教育、選挙の分野で 膨大なコストが発生している。さすがにこれでは国民国家には 勝てない。第一次大戦後、オーストリア帝国が一気に瓦解したのも しょうがないかも。
ここでは既出の情報かもしれませんが
大正5年(1916年)文部省が発行した
「欧洲戦争写真帖」が国立国会図書館のアーカイブで見られます。
全国書誌番号 : 43054032
↑の番号を以下に入力すると見られます
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIDtlSearch.php pdfで保存もできます。
ただし、JPEG2000の画像を見るために
プラグイン(JuGeMuPlayer ver4.5)を
インストールする必要あり
「本帖は時局に関する教育資料として収集せる
英仏独伊諸国の出版図書中より特に本戦役の
概観を得しむるに足るべき絵画写真を複写刊行
せるものにして…」とのことです。
そういえばベルギー軍は言語で困ったりしなかったのだろうか
>>833 1次大戦はフランスですら方言がひどくて地方によっては意思疎通が困難だったとか。
この前NHKで世界遺産のウィーンについてやっていたけど、 オーストリアびいきな内容だったけど、実際は秘密警察や 軍隊が民族主義を弾圧していたんですか?
837 :
世界@名無史さん :2008/01/15(火) 14:36:05 0
ドイツが大艦隊の代わりに、大規模な潜水艦隊でも用意しておけば 英国の産業は崩壊したんじゃない? 当初は潜水艦は無敵だった。 聴音機も対潜爆雷もなかったし。
>>837 どんな新兵器も実戦で使わないうちは、戦略的価値はわからんものだ。
そう言うのを後付けの知恵と呼ぶ。
839 :
世界@名無史さん :2008/01/15(火) 16:34:10 0
フランスの胸甲騎兵って14年のとき突撃したんですか?
なんか墨子思い出した
>>837 北海側のUボート基地がグランドフリートに叩き潰されて終わってしまいそうなんだが。
潜水艦隊じゃドイツの厨房世論と鉄鋼造船業界は満足しないでしょ
大戦末期には潜水艦の効果も下がったんじゃ
>>843 ロイドジョージが海軍を説き伏せて強引に推し進めた護衛船団が功を奏した。
「そんなに(護衛艦艇)充実させたら、海軍がみんな護衛艦艇ばかりになるではないか? とイヤミ
>>812 バーバラ・タックマンの文章が面白いかは疑問だが
イギリスやフランスでww1の生き残りがなくなるとニュースの紙面を飾るが
ドイツではどうもそうではないようだ、とSpiegel
ハノーヴァーで元日に亡くなった方はドイツの最後の戦士だったようですな
http://www.spiegel.de/international/germany/0,1518,530319,00.html 1902年生まれの方あたりが年齢ごまかして入隊できた最後でしょうか
それにしても二つの世界大戦の生き残り公式記録をドイツは持ってないのか
Germany keeps no official records on its veterans from the two world wars.
(中略)
"In Germany such an event doesn't have the same kind of significance as
it does in other countries," Bernhard Chiari, a spokesman for the institute,
told SPIEGEL ONLINE.
んー、そんなもんですかいな
負け戦だったしなぁ 関係ないのかもしれんが
日本も従軍者専用の記録なんかないのでしょうが Q9 恩給を受けていた父が亡くなりました。どのような手続きが必要ですか? (A) 1 国内居住の受給者が亡くなられたときは、住民基本台帳ネットワークシステムの利用により「失権届」を提出していただく必要はなくなりました。 はあ、これによれば日本の場合恩給もらえていたひとでも 住民基本台帳ネットワーク以前は国として把握は出来てなかったのでしょうかねえ かなりの役所の文書が証拠隠滅のために焼却されてますわな (ドイツも公文書燃やしてるのもあるんだろうか) 激しく板違いスマソだが
このころの歴史を見てると、東欧はどうすれば よく治まるのか、疑問に思う オーストリアハンガリー帝国だと統治コストがかさむ 民族国家として独立しても貧弱な国力で内紛・対外緊張の繰り返し さらには冷戦下でソ連の共産統治 失敗また失敗の繰り返し
852 :
世界@名無史さん :2008/01/26(土) 09:58:08 0
地政学的に見ても東欧は東西の勢力が衝突する地点であり、東欧を制したものが 世界を制すという観点から地政学が始まった。
案外オスマン時代がいちばんうまく行ってた時代だったりするかもなあ
>>853 安定してたのは、ビザンツの強かった時代、オスマンの強かった時代、ソ連時代。
あの地域にスーパーパワーが存在した時代は曲りなりにも表面的には穏やかになる。
次はEUに取り込まれて安定ですかね
856 :
世界@名無史さん :2008/01/29(火) 08:29:56 0
>>855 ヨーロッパの嫌われ者セルビアはロシアが後ろ盾だし、東欧にアメリカが
ミサイル基地造る造らないでもめているし、グルジアは親欧米でロシアと
対立しているし、とてもEUに取り込まれてまとまる状況にない。
857 :
世界@名無史さん :2008/01/29(火) 08:43:46 0
コソボをめぐって英米とロシアが対立姿勢になって来た また一次大戦前に状況が似て来たな。
>>856 グルジアはバルカンの問題とは直接関係無いとは思う
まぁロシア対EUの前線ではあるが・・・・
オーストリア陸軍ってなんで弱いの?たぶん列強再弱くらいじゃないの ドイツ>フランス>ロシア>イギリス>>>>アメリカ>>>オーストリア=イタリア>トルコ>ベルギー くらいじゃないの?
>>859 トルコは強いだろ。ケマルが指揮している軍団は。
862 :
世界@名無史さん :2008/01/30(水) 16:13:34 0
今、中国共産党が支那大陸に必要悪だと思われているように
他民族が割拠する地域では民族の牢獄は必要なんだろう
オーストリアは滅ぼす相手じゃなかったね
>>859 あの国は本当に寄せ集めの国だからな
1914年の時の動員令は15の言語で発せられ
戦場での命令や動員も15の言語の通訳者が必要だって話だね
そういう国だと、あたかもソ連のように全軍突撃ウラーみたいな簡単な命令しかだせない
おまけに士気も低い。人口は多いが兵役についているものも少なく装備も旧式
資金不足のため殆どの兵員は簡単な訓練の後は無期限休暇…
スペックは高かったと思うが
基本的に戦争したら格下の日本やイタリア、トルコにすら負けかねないでしょう
ハンガリーに至っては最初は対等な「協力者」だったはずだが
いつの間にか対等の「対立勢力」となって完全に二重帝国にした意味が無いw
>>861 ケマルの軍略は軍隊自体が強いって言うより、勝てる環境になるまでとにかく動かず、
戦機を誤らないって強さだな。
>>859 イギリス軍は、守りに回ると強い。
戦車の大量使用も計画してたし、もっと上だろ。
精鋭:英仏歩戦連合部隊>ドイツ突撃部隊>
優秀:イギリス大陸派遣軍(BEF)>一般ドイツ軍>イギリス軍=フランス軍>アメリカ軍>
通常:ロシア軍>セルビア軍>ベルギー軍>トルコ軍>イタリア軍>
劣悪:オーストリア軍>ルーマニア軍
>>860 「死ねます」
by ww1で戦った南スラヴ人一同
ヨーロッパ列強の皆様 + おまけ1 ∧_∧ ../ ̄ ̄\ ∧ 、 (゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚゚) /____\ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ /⌒\ | ̄ ̄| ( ’∀’) |/.( `∀´)\| ( -∀- ) (゚∀゚ ) (・∀・ ) (-∀Θ) (゚ー゚ )おまけ? ( ) ( ) ( :│: ) (゚゚ノノ゚゚) (ノノ .♀) ( /+) ( )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ イギリス フランス オーストリア ロシア イタリア ドイツ オスマン・トルコ
867 :
世界@名無史さん :2008/01/31(木) 22:01:42 0
>>864 ドイツの突撃部隊(stosstruppen)はいれてるのに、
オーストリアの突撃部隊は入れてやらないのかよ・・・
あとイタリアの突撃部隊(arditi)も。
フランスでは20〜30代の男性が150万人が戦死して300万人が障害者になったというから 戦後はかなりの結婚難だったんだろうな・・・残っている男も失業中な傷痍軍人か、 そわそわした社会不適応みたいなのも多かっただろうし カフェに行っても女ばっかり、村の集会所でも女ばっかり、ダンスホールでも女ばっかり
男が減ってるんだから結婚しやすいじゃん と思った俺は男。
まあ陸軍ドクトリンしだいだな。
大○○の記憶って、ほんとに有害だな 大セルビア、大ギリシャ、大ポーランドetc・・・
872 :
世界@名無史さん :2008/02/02(土) 21:23:49 0
チョッパリどもも大日本の記憶は忘れるニダ! 国号に大をつけるなんてとんでもない連中ニダ。
874 :
世界@名無史さん :2008/02/03(日) 16:31:37 0
A.J.P.テイラー「目で見る戦史・第一次世界大戦」(新評論)を読了。
訳いまいち。入門書としては
>>819 のほうが読みやすい。
写真や図版はわかりにくいので
>>815 を参考にしたほうがいい。
中公から出てた尾鍋輝彦先生のシリーズ二十世紀が 途中で中止になってた。対談付録とともに先生から 読者へのシリーズ中断のお知らせの紙が入ってた・・・ このシリーズはヴェルサイユ条約までで、ヒトラー台頭は無し。 わかりやすかっただけに勿体ない。はぁ〜
382 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/01/26(土) 17:30:10 ID:njQXAlVN0 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第1回 大富豪 カーンの“夢” The Wonderful World of Albert Kahn:Vision of the World (暫定 Xvid 704x396) .avi orz動画4CwKG2I06e 396,662,218 84766c463f1b3a9a0e076a1f50112af3806808e3 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第2回 激動の世紀への胎動 The Wonderful World of Albert Kahn:Men of the World (暫定 Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 487,731,872 8be6c5ecce9e5ddd6898adc40017769a255b8e83 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第3回 かげりゆく共存の輝き The Wonderful World of Albert Kahn:Europe on the Blink (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 259,001,536 19a244781ed9b739f53a7932da298b63a59e9589 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第4回 塹壕から見た人類初の大戦 The Wonderful World of Albert Kahn:Soldier’s Story (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 413,940,188 1c1981ef82c5ed6351c233f350ed5737ab929674
384 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/01/26(土) 17:31:10 ID:njQXAlVN0 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第5回 市民たちの大戦 The Wonderful World of Albert Kahn:Civilian’s Story (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 359,662,828 f464e8a4251b70e4f7ad8fc8065851909722cf63 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第6回 勝者と敗者 The Wonderful World of Albert Kahn:Europe after the Fire (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 406,365,420 e981d5883fbec0611bf0f1ad82c9a82767930555 [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第7回 中東 分割の悲劇 The Wonderful World of Albert Kahn:Middle East :The Birth of Nations (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 508,917,046 51bf8812974f82eeb64e971d1b61d7fe5ab832db [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第8回 東洋 不思議の世界 The Wonderful World of Albert Kahn:Expeditions to Empires (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 480,446,958 44e2f408023b5b0a1e2558460d520408bae72fdd [NHK] BS世界のドキュメンタリー <奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界> 第9回 カーンの死 “夢”の終わり The Wonderful World of Albert Kahn:The End of the World (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 431,536,218 fdcdf689bb10fefba3eb5666ef2d1a64509e273b
880 :
世界@名無史さん :2008/02/10(日) 15:47:38 0
第二回だけ録画失敗してみていないんだよな・・・。再放送してくれ。
882 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 00:28:58 0
図書館から2本ビデオ借りました The Great Days Of The Century 20世紀の真実1 第一次世界大戦 英の戦死者8万と解説あり。これは間違いだらけで論外 THE CENTURY OF WARFARE 第三巻 血と泥ー西部戦線の塹壕戦 まぁまぁ良い
学研から出たやつ見たかたいますか?
884 :
世界@名無史さん :2008/02/16(土) 00:09:36 0
まだやねん
885 :
世界@名無史さん :2008/02/27(水) 22:21:40 0
NHKみそこねた・・・
その時歴史が動いた、第316回 軍服を脱いだジャーナリスト 〜水野広徳が残したメッセージ〜 でベルダンの第一次世界大戦の頃の写真とか出てたよ。 放送 2008年3月3日(月) 16:05〜16:48 NHK総合などで再放送もあるよ。
888 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 22:11:56 0
オスマントルコ軍はロシア軍にずっとフルボッコされてたから強いイメージが無い。 ロシア軍にとっての中国戦線とは言いえて妙。
>>888 ケマルには負けて、ムシュ地方を奪還されているけどな。
オスマン帝国軍≠トルコ共和国軍
>>890 トルコ共和国軍はオスマン帝国軍から生まれた組織だぞ…。
第一次世界大戦を追ってると、派生的にいろいろんなことに興味が湧いて 勉強不足を痛感します プロイセンの膨張、神聖ローマ帝国、ハプスブルグ家、 オーストリアハンガリー二重帝国、バルカン史、 グレートゲーム、ロシア革命と共産主義、国際連盟、 戦間期外交などなど
俺はバルカン史とプロイセンドイツ帝国や普墺普仏戦争ワイマール共和国あたり の知識もっとつけたい。いい本ないですか?
895 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 21:54:31 0
>>889 でもあれロシア軍の攻勢限界点だったんじゃ・・・・・WWUのバグラチオン作戦終了直後みたいな。
だからと言ってケマルの功績は否定できない。
エンベルがずっと指揮をとっていたらモスル・キルクークもロシアの物だったかもしれない。
もしWW1ものの光栄ゲームが出たら、ケマルにはとんでもない能力値が つくんだろうなぁ。
897 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 08:18:02 O
第一次大戦のゲーム見たことない 第二次はもう飽きた
>>897 いちおうディプロマシーはWWIものかと。
って具合に、ボードゲームではWWIものは結構多いんだけど、コンピュータゲームだと
特に国産ではほとんどない気が。洋ゲーならいくつもありそうだけど、知らない…
899 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 20:09:55 O
正直 大日本帝国がメインのゲームはつまらん 理由:どんな架空設定で勝てるようにしても現実味がない ドイツならまだありえるが
900get!
901 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 01:07:55 0
ブブー *「へいか! ろうどうしゃたちが ふまんを うったえてきています!!} レーニン「オラ、もうゆるさねえだ!!」 ⇒ へいで ちんあつする。 かねを あたえる。 せっとく する。
902 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 03:09:01 0
ロシアが作ったWWTのPCゲームだけ知っている。 名前は忘れた。
904 :
世界@名無史さん :2008/03/08(土) 17:46:21 0
気がついたら同じ山でばかり突撃 そしていつも同じ場所で死ぬ 諦めずにラクダで雪山行軍挑戦するけど、すぐにラクダが凍死 ドイツの支援があればカフカスの向こうまで着くけど 何回やっても 何回やっても ロシア軍が倒せないよ あの蒸気ローラー何回やっても防げない 要塞に籠って防戦してもいずれは落とされる ペルシャも攻めてみたけどエンベル馬鹿じゃ意味が無い だから次は絶対勝つために僕はケマルだけは最後までとっておく
・第二次世界大戦 連合国・・・19ヶ国 アメリカ、イギリス、ソビエト、フランス、中国、ポーランド、デンマーク ノルウェー、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ユーゴ、ギリシャ カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南ア、ブラジル、モンゴル 形式的に参戦した連合国・・・31ヶ国 アイスランド、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ボリビア、パラグアイ ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、パナマ、コスタリカ、アルバニア グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、メキシコ、キューバ ハイチ、ドミニカ、イラン、イラク、エジプト、レバノン、サウジ、トルコ リベリア、ネパール、サンマリノ、エチオピア 枢軸国・・・9ヶ国 ドイツ、日本、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド スロバキア、タイ(形式的に参戦) 中立国・・・11ヶ国 スウェーデン、スペイン、スイス、ポルトガル、アイルランド、リヒテンシュタイン モナコ、バチカン、アフガン、ブータン、イエメン
第一次世界大戦 連合国・・・12ヶ国 イギリス、フランス、ロシア、イタリア、アメリカ、ベルギー、セルビア 日本、ルーマニア、ギリシャ、モンテネグロ、ポルトガル 形式的に参戦した連合国・・・16ヶ国 アルバニア、中国、シャム、ホンジュラス、コスタリカ、ニカラグア、グアテマラ パナマ、ブラジル、ウルグアイ、ボリビア、エクアドル、ペルー、キューバ ハイチ、リベリア 枢軸国・・・4ヶ国 ドイツ、オーストリア、ブルガリア、トルコ 中立国・・・22ヶ国 スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オランダ、ルクセンブルク、スペイン スイス、リヒテンシュタイン、モナコ、ペルシア、アフガン、ブータン、ネパール アルゼンチン、チリ、メキシコ、エルサルバドル、コロンビア、ベネズエラ パラグアイ、ドミニカ、エチオピア
908 :
世界@名無史さん :2008/03/12(水) 21:25:22 0
>>907 協商国側はドイツ以外雑魚しか居ない・・・・・
これドイツとイギリス・フランスの3カ国が参戦を見送って、第一次世界大戦ならぬ第3次バルカン戦争&露土戦争再びが
同時に起こったら協商国側に勝ち目なしだ。
ロシア+セルビア(途中でイタリアとルーマニアが参戦)vsオーストリア+トルコ+ブルガリア
勝負にならんね。
909 :
世界@名無史さん :2008/03/12(水) 21:50:01 0
オーストリアがザコとは聞き捨てならない
イタリア相手にするにもドイツの助けが必要だった国だぞ? 列強際弱なのは確か。せいぜい、バルカンの弱小国家相手にしか でかい顔が出来ない国。
まあ結果の図式だけ見れば
>>907 なんだが
オーストリアは世界大戦でも大陸戦争でもなくて
第三次バルカン戦争がしたかったのであって
ドイツがついたらロシアも躊躇するという1908-09の再来を期待したのでは?
どのみちこのチャンスを逃せばバルカンでのオーストリアの利権は全部ドイツに
持っていかれただろうからドイツの白紙委任状はオーストリアには幸運
(そして悲劇のはじまり)以外なにものでもなかったろう。
ロシア抜きのバルカンだけならオーストリア・ブルガリア・トルコ連合で勝機はある。
ロシアが支持しない以上ルーマニアも三国同盟裏切って参戦できないだろう。
アルバニア利権を考えればイタリアも三国同盟の枠内で動かざるを得ない。
だが…見通しが甘すぎたよな、本当に。
それまでずっとオーストリアの対外戦争を抑止してきたドイツが全面支持にまわるんだから
裏を読んでも良かったんだが、まあバルカンでドイツが支持するなんて今後はあり得ない
ことだったろうから「最後の賭け」だったんだろうね。
ドイツに裏なんかあったとは思えないが
オーストリア軍って名将・猛将・知将というの聞かないね・・・・ オーストリア軍って最初の年のガリシアの戦いで負けて大量の 常備軍を失ってからずっと弱かったんですか? ロシア・フランス・イギリスも最初のとして壊滅しているようですが・・・
914 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 21:05:57 0
ttp://www.cnn.co.jp/world/CNN200803130029.html 第一次世界大戦に従軍した最後の仏兵士が死去、110歳
パリ(AP) 第一次世界大戦に従軍したフランス兵士が12日、パリ郊外の自宅で亡くなったと、
退役軍人当局が発表した。110歳だった。フランス政府は17日に、国葬を予定している。
亡くなったラザール・ポンティセリさんは、1897年12月、イタリア北部ベットラ生まれ。
辛い幼少時代から逃れるため、9歳の時に1人で近くの駅から列車に乗り、兄のいるフランスへわたった。
首都パリで、煙突掃除や新聞配達などの仕事についたが、16歳の時に第一次世界大戦が勃発。
自分を受け入れてくれたフランスのために戦うと決め、年齢を偽って軍隊入りを志願したという。
2005年の仏紙ル・モンドとのインタビューで、「(志願が)感謝を示す自分なりの方法だった」と語っている。
フランス軍の外国人部隊に加わり、アルゴンヌ地方で任務に。
しかし、イタリアが参戦した1915年に、イタリアのアルプス連隊との連合部隊へ召集がかかり、
隠れようとしたが見つかって、オーストリア戦線に送られた。
1921年にフランスへ戻り、兄と産業用煙突を作る企業を設立した、
この会社は、フランスでも大手の重工業機器会社に成長。
1939年にフランスの市民権を獲得し、それ以来、ずっとフランスで暮らしてきた。
サルコジ大統領は、国葬は「現在の欧州の平和を築いた、
ポンティセリ氏とその世代の人々に、敬意を示すもの」と述べている。
イタリアのナポリターノ大統領も、最初はフランスのために、そしてイタリアのために戦ったポンティセリ氏は
「義務を果たすことの重要さと、生まれ祖国と第2の祖国に献身した」と称え、その死を悼んだ。
一方、家族は国葬には戸惑いを見せている。「個人的な出来事にしておきたかった」と反しているが、
ポンティセリ氏が生前、国葬に同意していたという。
ttp://www.cnn.co.jp/world/images/CNN200803130028.jpg 第一次世界大戦に従軍したラザール・ポンティセリさん
915 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 21:14:35 0
>>913 海軍だけどトラップ大佐はどうかな?
サウンド・オブ・ミュージックで有名な人。
第一次大戦期ではないがプリンツ・オイゲンとかテゲトフとか 両者とも第一次大戦期のオーストリア海軍のド級戦艦の名前にもなってるな
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000088-san-int 【緯度経度】パリ・山口昌子 最後の最後の兵士の死
3月15日8時1分配信 産経新聞
3月12日に110歳で亡くなったラザール・ポンティセリ氏の死を
「最後の最後の兵士の死」と仏メディアはトップ級で報じた。
彼の死によって第一次大戦(1914〜18年)に従軍した仏兵士約850万人が全員鬼籍に入り、
戦死者約150万、負傷者約450万、戦中に生まれるべくして生まれなかった新生児約150万といわれ、
フランス人が今も、「大戦」と呼ぶ歴史のページが完全にめくられたことになる。
第一次大戦は初の国民総動員や連合軍が誕生したという点で、「20世紀の始まり」とみる識者は多い。
それだけに家族の誰かが犠牲になった大戦を経て、21世紀まで生き延びた兵士の死は、
確かに「感慨と無限の悲しみ」(サルコジ大統領)を多数のフランス人に与えたはずだ。
ラザールさんは当初、国葬を拒否していたが、最終的に「すべての戦死者の名において」と受理した。
その国葬が17日に、ナポレオンの墓のある武人にとって名誉ある場所アンバリッドで営まれる。
>>918 ラザールさんは実はイタリア生まれの移民。その一生は欧州の歴史と照らし合わせても興味深い。
6歳で父を亡くし、母に家出され、姉が「食物がいっぱいある天国、フランス」に行ってしまったこともあり、
9歳でたった1人で列車に乗り、パリに到着。
一言の仏語も話せず、飲まず食わずで泊まるところもなしで3日間、過ごした末に、イタリア移民の一家に助けられる。
道で新聞を売るなどして収入を得ながら暮らすうちに16歳の夏、戦争が勃発(ぼっぱつ)。
正規の仏軍には外国人のうえ年齢不足で入隊できなかったので、外国人部隊に入隊した。
「フランス人がみんな、戦場に行くので自分も行こうと思った」と入隊の動機を説明しているが、
当時、普仏戦争(1870〜71年)の敗北の記憶も鮮明なフランスで、
ドイツに分割されたアルザス・ロレーヌ地方の奪還に燃え、好戦気分が高揚していたことが伺える。
年齢を偽って入隊した外国人部隊は今でも、入隊5年後には仏国籍が与えれるが、この条件も魅力だったはずだ。
しかし短時間の訓練の末に送られた前線の塹壕(ざんごう)で見たのは1日平均900人が戦死した激戦の生き地獄だ。
「前線のすべての若者を忘れることができない。なんという、ぬかるみ!」と、後に回想している。
第一次大戦に関する記録は正式文書をはじめ映像など無数にあり、
プルーストやセリーヌらの作家もそれぞれの視点で描いて不朽となっているものの、
将軍でも将校でもない前線の一兵卒の生の証言は、ラザールさんの死で永久に消えたわけだ。
>>919 1915年にイタリアが連合軍として参戦。
仏軍での残留を希望するが祖国で従軍すべく送還され、ここでも前線に送られて重傷を負う。
20年に動員解除になり、フランスに戻って、仏女性と結婚。39年に念願の仏国籍を取得した。
3人の子供に恵まれ、兄弟と創立したボイラー会社は順調に発展し、その後石油採掘などにも事業を広げ、
今や従業員約4000人、年商4億8000万ユーロ(約768億円)。引退後は悠々自適の生活だった。
移民の手本、成功例でもあるわけだが、フランスの移民の歴史はその後、大きく変遷した。
肌の色もキリスト教という文明基盤も同じイタリア、ポルトガル、ポーランドなどの移民から、
肌の色も宗教も異なる北アフリカやアフリカ大陸の移民に変わった結果、同化問題が難問となっている。
だからこそ、ラザールさんの「祖国防衛のために戦った最後の英雄」の面が強調されるのかもしれない。
その一方で、100年間に3度戦ったドイツとは政権によって強弱の差こそあれ、
良好な仏独関係は仏外交の最優先事項となっている。
欧州統合の核として、時々の仏独の首脳が抱擁する姿を、この元兵士はどんな気持ちで見てきたのだろう。
921 :
世界@名無史さん :2008/03/16(日) 00:55:01 0
>>920 以前、元北京特派員の仏記者が「南京大虐殺記念館」の訪問で「一番ショック」だったのは、と話し始めたとき、
中国が喧(けん)伝する“日本軍残虐の数々”についてのことかと思い、思わず、身構えたことがある。
ところがこの記者は、案に相違して、見学に訪れていた小学生か中学生の団体に対し、
「案内する大人が子供に対して取るべき態度を取らなかったことだ」と指摘した。
つまり「過去はどうあれ、今後は未来に向かって良好な両国関係を築こう」と述べることこそ、
たとえ偽善といわれようが、「大人が子供に対して取るべき態度」だ、というのだ。
最後の大戦の元兵士の死を、共産党さえ「人間の偉大さ、勇気、尊厳を示した」
(ラザールさんの自宅があるパリ郊外バル・ド・マルヌ地方のファビエ議会議長)と讃え、
国葬をもって報いることも、この大人の取るべき態度なのかもしれない。
最終更新:3月15日8時1分
ttp://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080304_142843.html 乗り越えるべき光景 -エルズルムで独立90周年式典のプログラム内容が問題に
2008年03月04日付 Hurriyet紙
「アルメニア人」と呼ばれている数人の男達が、お茶の入ったウィスキーやビール瓶からプラスティックの
コップで酒を飲み酔っぱらい、まずモスクを燃やした。そしてアザーンを詠むイマムを吊した。
その後には刃の欠けた剣と銃剣でもって、産着にくるまれた赤ん坊や、パン種をのばす女性たちを殺害
する。寒さと恐怖で身ぶるいをする生徒達は、悲鳴をあげながら見つめている。これは「アシュカレでの
敵軍の占領からの解放を記念する式典」である。
(中略)
■5千人の犠牲者
独立式典で演説をしたアシュカレ市長で公正発展党のアフメト・ヤプトゥルムシュは、アルメニア人たちは
アシュカレ郡だけでも5千人を殺害したことを想起させ、次のように述べた。
「この非人道的な残忍な行為では、焦げた臭いが20キロメートル先の村でも感じられたのです。妊娠した
女性のおなかにいる赤ん坊が引き出され、母親の目の前で殺されたのです。若い世代に演劇の中で
見てもらうために、虐殺シーンを毎年繰り返しています。人類の歴史上、もっとも恥ずべき残忍な行為が
行われた我々の時代において、解放の日々の重要性はよりよく理解される必要があり、そしてもっと
知られる必要があります。ナショナリスティックでかつ精神的な興奮が保持されること、そしてかつての
日々を再び回顧することは、名誉ある未来に向け、我々の進むべき道に明かりをともすでしょう。
今日、アルメニア解放秘密軍(ASALA)を受け継ぐアルメニア・テロ組織、PKKを根絶させるための政策に
より、首相や我々の大切な存在となったトルコ国軍に対し、犠牲者の子孫を代表して、感謝の意を表します」
(以下略
これが民度の差って奴なんだろうか
まぁトルコでも問題視されてるんだけど。
つーかトルコではアルメニア人による虐殺を強調してるんだな
っていうかPKKってクルド人・・・
924 :
世界@名無史さん :2008/03/16(日) 11:10:42 0
2,3ヶ月前に最後の独軍WW1従軍兵士の 死亡記事が出なかったっけ?
926 :
世界@名無史さん :2008/03/16(日) 14:54:42 0
>>922 ケレンスキーとレーニンのせいでアルメニア共和国とクルディスタン共和国の建国が
全てパーになった。
革命のせいで勝っているのにロシア軍は引き上げざるを得なくなってしまった。
本当はブルシーロフによるケレンスキー攻勢をガリチアではなく、カフカスでやればもっと成功したはず。
第一次世界大戦が舞台のおススメの小説とか読み物ってありますか? 最近興味をもったので
932 :
世界@名無史さん :2008/04/01(火) 01:33:30 0
933 :
世界@名無史さん :2008/04/07(月) 10:26:51 0
もともと戦没者の墓を大事にしない国だけどな。
>>933 墓地は The Notre Dame de Lorette war cemetery, near Arras とのことですが、
政教分離だ、ヘッドスカーフも公務員どころか生徒(民間人)まで禁止だと
フランス革命の成果を高々とうたいながらw
一方でムスリムセクションもある公立墓地の名前が全くカトリックなのは笑えるものがあり
政教分離とほざきながら細かいところで非カトリックを公的に差別してますよな
どうも中国が第一次世界大戦前のドイツに見えて仕方ない アメリカはイギリスに相当 ・超大国アメリカがイラク戦争で衰退しはじめる ・聖火リレーで反中感情が世界中で喚起される ・中国と世界は経済的に密接であり、もはや戦争は起こりえないという言説が流行る
当時の世界で反独感情が世界中で喚起されているなんてことはあったのか 無理やり当てはめているだけのような気がするが
938 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 17:58:30 0
>>937 一次大戦前の世界、特に欧州においてドイツ警戒論はものすごくあった訳で。
イギリスやフランスなんかでも、ドイツとの仮想戦記小説なんかが山ほど出版された。
当時のドイツにおいて異様に民族主義が高まったこともそれに拍車をかけた。
一次大戦前のドイツというのは、ぶっちゃけナチスの時よりある意味過激。
939 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 18:07:48 0
>>936 決定的に違う点がある
それはドイツには核兵器がなく
中国にはある事言う事。
やれば世界は終わるだろうし、まあ核戦争国同士の直接戦争は多分ないと思うが
仮想戦記小説が山ほど出されていたのなら
>>936 の「もはや戦争は起こりえないという言説が流行る」の部分は違うわけだな
>>940 いや、1次大戦前にも「兵器が発達しすぎたのでもはや大戦争は起こりえない」と言う論説が多かった。
無論2次大戦の前にも。
942 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 18:33:02 0
核は別だろ 冷戦なんてもっと緊張感あったのに、結果はアレだし まあ、核戦争も面白そうだからやってみてもいいかもしれんがな
基本的に核大国同士の対決は、代理戦争を持ってする他なくなった印象はありますね〜
945 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 18:54:06 0
いつの時代も暴走するのはドイツだよな。 なまじ他の民族より優秀だったりするから 暴走するとヤバい。キチガイに刃物持たせたようなもんだ
>>944 それはどうかな?
全面大戦が起こってから数十年は、もう悲惨な全面戦争は起こさないように
どの国も気をつけるが、それ以降は戦争の記憶が薄れて戦争が起こる
危険性は高まる。
核戦争あるいは長期の全面戦争が起こるかはともかく、大国同士の戦争は
今後も起こるだろう。ただし、西欧諸国同士の戦争が起こる可能性は低いだろう。
冷戦が終結し、資源や食料、水が足りなくなる今後は、大戦争が起こる危険性が
高まるだろう。
21世紀末までに大国を巻き込んだ直接戦争が起こるのではないか。
>>946 > 21世紀末までに大国を巻き込んだ直接戦争が
21世紀末どころか、ここ10年くらいの間に起こると思うよ。
今食糧危機が世界の、特に貧しい地域に急速に拡大しているもの。これは危険信号だ。
中国は生存圏を求める!!・・・か
949 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 20:04:17 0
>>946 冷戦の時も
おきるおきるといわれても起きなかったな
まあ、中国脅威論を煽る日本人も核シェルター作っているいないし
結局口だけなんだなと思う
冷戦の時はもう、世界的に「戦争起こったら何やっても無駄」って諦めが世界を覆っていた。 シェルターなんて海外でもほんの一部が作っただけだぞ。
951 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 20:06:59 0
上層部も下手に自分の安定を崩してまで 核戦争になるような大戦は避ける傾向があるようだ。 キューバ危機ですら回避ですから
952 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 20:12:25 0
もし中国が滅ぶとしたら 戦争よりもソ連崩壊に近いんじゃないの? もし大三次が起こるとしたら、アメリカも中共も戦争回避を大前提に動くよ 冷戦程の政治的対立がないのも大きい(せいぜい貿易摩擦くらい) 中国もアメリカに金融面で大きく依存。 結局冷戦ですら起こらなかったのに、今さら、核戦争なんてww まあとはいえ、そういったのを起こさないように警戒くらいは必要だと思うけどね。
953 :
世界@名無史さん :2008/04/14(月) 20:27:52 0
>>951 対立どころか利害一致だろ。米中は。
北朝鮮とは関わりたくない。台湾は軍事合併は見せかけで、実際は経済統合化ねらい
どっちも経済破綻してほしくない。
チベットに関しても欧州とは違ってトーンあげて批判してない事から米中の利害は今のところ一致
いい加減スレ違いだ
一次大戦前の英仏の小説などに出てくるドイツ人は、傲慢を絵に書いたような連中ばかりだな。 当時外交的には孤立していたから、それゆえの虚勢もあったんだろうけど、ああいうイメージをもたれるってのは やっぱ大局的に見ればマイナスだよなあ。
戦間期だがH・P・ラヴクラフトの「海底の神殿」のUボート艦長なんてほとんどギャグの域だな
第一次世界大戦前のドイツ人イメージの研究−ーー小説を中心に こんな感じの論文無いの?
>>949 大江戸線建設のときも核シェルター兼用とするよう提案がなされたが、
核戦争の可能性を考えるなどとんでもないと一蹴された。
シンガポールからワシントン、ピョンヤンまで含め、地下鉄が核シェルター兼用と
なっている国は多い。今になって生物化学兵器対策として地下鉄をシェルター兼用
にしろと言われはじめた。
まだスレ違いをやってることに気がつかない馬鹿は本気で頭がおかしいのだろうな。
960 :
世界@名無史さん :2008/04/15(火) 12:21:56 0
ちゃんと1次大戦と絡めてるので問題なし。
どこがだよw
963 :
世界@名無史さん :2008/04/16(水) 20:26:34 0
964 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 02:36:08 0
斜め読みしてみろ 「大戦がいい」 つまりだ きちんと世界大戦の話になっている
大――――――→大 核戦―――――→戦 シンガ――――→ガ(が) なってい―――→い にしろと言――→言(い) 大戦がいい…………なるほどねw
戦争の減少は世界的な傾向だからね。 今後は本格的な国家間戦争は米による一方的侵攻以外はまず起きないでしょ。
967 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 20:28:27 0
と、大戦前の人々は楽観視していたのでした。
>>967 WW1前は植民地やバルカン、極東での代理戦争ならともかく、
欧州列強同士で直接戦争することなんてないと思われていたものなぁ。
一次大戦前には、1年だけだが、確認される限り地球上で戦争、紛争が全くおきなかった年すらあった。
970 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 21:52:37 0
対戦が起きたらどうなる? 日本は? まず中米戦争だよな 日本は間違いなく標的になるし ww1のイギリスのように勝っても国が衰退 最悪の場合は核だよな。 金持ちは一気に逃げ出すよな 俺たちだけでやれるのかね
971 :
世界@名無史さん :2008/04/18(金) 21:59:50 0
頭の悪い国家が隣人だと嫌だね だからって日本も頭がいいとは言えないけどさ
中米戦争だと、サンディニスタとかゲバラとか そういうイメージ
ドル支配がすぐに崩壊するとは思わないが、それが揺らいで例えばユーロ圏、 アラブ圏などに分化していくのが怖い。これこそ戦前のブロック化の悪夢そのものではないのか。
次スレとともに、歴史から第三次世界大戦の可能性を考えるという スレを誰か立てて欲しいんだが。
>>973 WW1前にブロック化とは初耳だな。WW2前のことを言っているのならスレ違いだ、消えろ。
976 :
世界@名無史さん :2008/04/30(水) 02:45:12 0
>>977 むしろ、貴方を久しぶりに見られて嬉しかったりする。
まだ残っていてくれたか。
最近読書量がゼロに近くなり、2chに来る暇もなかなかないもので 世界史板も外国の遠い昔をネタに日本の今や未来を語る傾向がさらに強くなってますな むかしのことをほんわか語る余裕が若い人になくなってるのか
それだけで批判するのはどうかと思うね 今に生かさずして何のための学問か 生かしてるかどうかは確かにアレだが・・・
>>979 そいうことならなにより。世界史板をふらっと見てみて
3年ほど前とのその落差に驚いた身としては何とも吉報です。
そこまで濃い話ができている訳じゃありませんが、
最近、学研で本が出まして、軍板の方もスレがありますよ。
私も知識がある訳じゃないんで、たまに濃い話でも聞かせて下さい。
まあ、世情にぼんやりとした不安って奴は感じますが、
この板でやってるのは所詮、板違いの床屋談義ですからなんとも。
>>981 濃い話と言っても最近(ここ1-2年)ww1関係でやったことと言ったら
西部戦線地図を作り始めたぐらいですね。途中で放置してますが
さっき設定をパブリックに変えたので
お暇ならGoogle Mapsで検索してみてください 英語です
おち
985 :
あたご :
2008/05/06(火) 04:06:11 0