3 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/05/11(水) 18:21:13 0
演義を、正史を元にして書き直す作家出て来ないかな?
4 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 18:39:43 0
5 :
世界@名無史さん:2005/05/12(木) 08:43:32 0
前スレ無くなってから
しばらく次が立たなかったから
もう無くなったのかと思ったよ。
宮城谷とか
宮城谷はいつも同じパターンだから飽きた。
8 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/05/12(木) 17:38:21 0
>>4 うまく表現できないけど、「演義」の流れで「正史」を読みたいな、と。
>>8 正史に忠実で演義みたいなノリの小説ってこと?
演義のネタを正史で補強させたような内容の三国志って事でしょ
蒼天でも読めばええんちゃう?
三戦より転載
俺もこの話し興味あるんで誰かわかる人いたら是非教えて欲しい
741 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2005/05/10(火) 20:37:08
悪い文字化けした
コ然父元起常資給先主,與コ然等
こうあるので徳然の父親は「元起」かと思ったんだがその次で
元起妻曰:「各自一家,何能常爾邪!」起曰:「吾宗中有此兒,非常人也.」
起曰く、と来るって事は父親の名前は起で元は姓じゃないかと思うのだがどうなんだ?
でもそうすると少し前にある
年十五,母使行學,與同宗劉コ然、遼西公孫[王賛]事故九江太守同郡盧植
の劉徳然ってのと矛盾してしまうし起曰くってのは元起曰くの元が脱字しているんだろうか
識者の降臨を求む
13 :
田単 ◆gm1aR3Q.f2 :2005/05/13(金) 19:27:55 0
>>10 そんな感じですね。
正史は国ごと、人ごとでしょ。そうではなくて時系列で眺めたいんです。
>>13 つまり、紀伝体ではなく編年体の三国志が・・・・
16 :
世界@名無史さん:2005/05/14(土) 00:54:18 0
また粘着演義オタとか言ってんのか。
次スレはまともなヤツ立てろよ。
>と来るって事は父親の名前は起で元は姓じゃないかと思うのだがどうなんだ?
元という姓は北魏が作ったものだから、三国時代には存在しないだろう。
ちょっと王莽二字の禁を杓子定規に考えすぎなんじゃないのかなあ、
と思う。
名前が二文字なら起曰とは書かないんじゃない?
19 :
世界@名無史さん:2005/05/14(土) 18:36:23 0
単純に元が抜け落ちただけ。
劉姓に変えたなら、必ずその事は記される。
20 :
世界@名無史さん:2005/05/15(日) 00:08:07 0
「三国志」合戦事典 英雄たちの激闘全ガイド PHP文庫
柘植 久慶 (著)
って本を買ったんだけど、周胤が夷陵の戦いに参加してたってなってるんですよ。
正史にも演技にもそんな記載ないと思うんだがどうなんだろう?
誰か分かる?
ただの誤植じゃないの?
22 :
世界@名無史さん:2005/05/15(日) 02:31:02 0
23 :
世界@名無史さん:2005/05/15(日) 10:28:04 0
議志の倭人伝って本当に昔の日本人?
>>19が正解。『三国志集解』は「元起曰」としており、版本によっては「元」字が無いということを
明記している。
25 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 03:45:43 0
三顧の礼は無かったとかって説無かった?
>>25 裴注によると、「魏略」「九州春秋」では諸葛亮の方から劉備のところに出向いたことになってるらしい。
27 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 13:37:18 0
てかそもそも正史はどれだけ信憑性があるわけ?
日本の天武帝が監修した日本書紀と
どっちが信用度あり?
中国の正史は時の史官が書き残した史料を後代の歴史家が纏めて取捨選択して書いたものが多い
正史三国志は陳寿が自分の記憶とそれ以前に存在していた様々な先行史書から陳寿が正しいと思う記事のみを選んで書かれている
日本書紀は天皇が監修したとは言え記憶に頼っているから結構怪しい場所もあるのではないかと思うよ
29 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 21:04:29 0
三国志の正史をわかりやすく書いてあり、安価な本はないのでしょうか?
裴注で載せた後、自分で載せておいてこんなことはないとか自分でツッコンでいた
31 :
世界@名無史さん:2005/05/16(月) 22:06:29 0
>>26 「魏略」は劉禅が父とはぐれて云々という電波な話を載せてるんで
信用できないね。
「九州春秋」は何か批判あったっけ?
お尋ねしたいんですが、
ちくま文庫の「正史三国志」と
徳間書店の「正史三国志英傑伝」、どっちがオススメですか?
英傑伝は原文も載ってて訳もこなれててよいが全訳ではない。
ちくまは訳文のみ、誤訳も結構あるが全訳。
余裕があるならどっちももっとけ。
>>29 前スレから転載。次スレあたりから
オススメ文献テンプレでも作ろうか。
728 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/03/29(火) 05:50:22 0
誰か頼む教えてくれ!!
正史を深く正確に知るにはどの本がいい!?
俺は本当の三国志が知りたいんだ〜!
729 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/03/29(火) 05:56:58 0
>728
正史を深く正確に知りたいんだったら、
最初っから正史読みゃあいいじゃん。
……という意地悪はさておき、良質な正史本と言えば、
・『三国志 きらめく群像』 高島俊男 ちくま文庫
・『図解雑学 三国志』 渡邉義浩 ナツメ社
やはりこの2つがオススメ。
731 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/03/29(火) 08:49:57 O
石井仁の『曹操』がイチ押しだな。
>>33 ありがとうございます。
全訳でないってのは厳しいなあ。
でも誤訳アリってのも厳しい……。
英傑伝の原文って書き下し分じゃなくて漢文なんでしょうか?
書き下し文なら読めるとは思うけど漢文だと無理っぽい……。
>>35 三国志の漢文は平易だからちょっと勉強すれば大概は読めるようになるぞ。
詔勅文とか上奏文は鬱陶しい表現が多いけど…
少し古い版のちゃんとした漢和辞典さえ手元にあれば三国志は大体読めるぞ
手元に無ければ図書館に行け
>>36-37 レスdクス。
とりあえずちくまで流れつかんで、頑張って徳間にもチャレンジしたいと思います。
・・・金貯めないと・・・
>>38 大修館の大漢和辞典が一番いいから買うといいよ。
値段もお手ごろ。
つーか、普通は諸橋大漢和だろ。
>>大漢和
古本でも最低4〜5万くらいからだけどな。
これの最大のデメリットは「場所取る」ってことだから、
よほど漢籍をきちっと翻訳したい人向け。
後は漢書、通鑑あたりの注釈にも結構、辞書代わり(言葉の解説してくれてる)になるところがあるんで、
お手持ちの辞書に載ってなければシニカや寒泉なんかでどーぞ、って手もあるよ。
マジな話、歴史系の漢籍読む勉強したい人には史記より漢書の方だなあとか思う。
>>40 初学者にいきなり諸橋大漢和薦めんなやw
やっぱり角川新字源が机上版では一番だろ。
もっとマイナーな字を調べたかったら学研漢和大字典とか。
「新字源」はいい本だがあの良さはある程度漢文が読めるようにならないと分かりにくい
気がする。
個人的には「新字源」と三省堂の「漢辞海」の併用をお勧めする。「漢辞海」は「漢文を読む
ための辞書」として作られており、初心者はこれの巻末の文法解説に目を通しておくとよい。
44 :
38:2005/05/18(水) 00:39:16 0
マジでいい人ばっかりですねこのスレ(;´Д`)
皆さんありがとうございます。
もうここぞとばかりにぱーっと散財して頑張ります。
45 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 01:16:17 0
三国志にあんまり金かけない方がいいぞ。
見返りは少ない。
見返りが多いか少ないかは本人の気持ち次第だから、いいんじゃね?
私も最近色々調べてるけど、(勿論金も出てます)楽しくてしょうがない。
47 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 11:19:46 0
いや、三国志にはまりすぎて気付いたら大学の史学科にいたなんて
事にならないようにと。
それどころか「大学院に居た」なんてことに
なってたら・・・
それはそれで本人が幸せならいいんじゃないか
50 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 11:50:55 0
しかし親が泣くだろうな。
人生賭けるか趣味に留めるかは本人が決めること。
趣味なら見返りを考えること自体がおかしいわけで好きなようにやればよい。
結局外野がどうこう言う事自体無意味。
52 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 12:37:04 0
漏れなんてFCのRPG「天地を喰らう」からだぜ。
手元に漢和辞典あるんだったら史書買わないでここ見とけ
安上がりだぞ
ただ解説とかは全然ないから最初に全体像を掴む程度にしかならんがね
54 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 12:46:11 0
>>52 俺はそれの原作マンガからだな
劉備と諸葛亮が実在の人物だと聞いてえらいビックリした
56 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 12:50:23 0
で、おまいら就職どうすんの?司書?
俺は本屋に就職済
今日は遅番なんでこれから出勤だ
俺はサムライ業の資格取ったんで昼はその仕事、夜は読書の生活
サムライ業はモノにもよるけど資格さえとっちまえばあとは自分の時間自由なのが楽だ
>>58 サ、サムライ業とは・・・?
スマン、純粋に疑問に思ったんだ。どんな事してんの?
俺は再就職予定・・・でも何やっていいのか分からず。
前の仕事は広告デザイン系だったが、この職種も不安定なもんで止めた。
(午前様当たり前、でも時期的なもので年に数回暇になるとやる事無し)
60 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 14:09:21 0
司法書士、行政書士など。お尻に「士(サムライ)」のつく専門職。
59だが、ああそういう事か。
マジで侍の資格持ってるのかと思った。
司法書士、行政書士か。格好良いな。
62 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 14:47:48 0
>>61 騙されちゃいかん!
大卒なら誰でも学「士」だぞ!
気をつけろ!!!
63 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 15:45:08 0
司法書士に行政書士に弁護士と就業人口が増えて大変だな
不動産鑑定士とか社会保険労務士なんてのもあるな。
消防士
67 :
世界@名無史さん:2005/05/19(木) 01:59:14 0
三国士
>>61 食いっぱぐれない仕事なら料理人なんだが才能ない奴にはおすすめできない
>>34 図解雑学三国志買いました。
「名士」を軸にして当時の時代背景を語っているのが横山しか読んだことなくて後はむ○ん書院で
正史をかじった程度の自分には新鮮。
ただ、
・孫権が張昭を丞相にしなかったのは「名士」の権力を抑えるため
・劉備は三顧の礼により孔明と「名士」全体の優遇を約束した
・孫策の今際の言葉は、
「江東を治めることは俺よりもお前が優れている」といったのは、
有力「名士」陸康一族を討った自分では支持を得られないから。
等々言い切ってしまってるのはさすがにどうなんでしょ?とオモタ。
>>69 >等々言い切ってしまってるのはさすがにどうなんでしょ?
そこらへんは、氏の『三国政権の構造と「名士」』を読むといいと思う。
あと「名士」に対抗する概念としては、『蒼天航路』でも度々登場してた
「侠」が挙がるけど、かの川勝義雄は主著の『六朝貴族制社会の研究』
の中で、「九品官人法が成立に至る過程は、すなわち〈豪紳〉が〈豪侠〉
に優越していく過程に他ならなかった」というようなことを述べている。
(ここでいう「豪紳」や「豪侠」は、それぞれ「名士」と「侠」のことを指す。)
71 :
世界@名無史さん:2005/05/19(木) 20:27:18 0
そもそも名士なんて者は空想の産物。
72 :
世界@名無史さん:2005/05/20(金) 08:26:24 O
名士って都市伝説らしいよ
そんなめいしんを信じちゃいけないよ
(・ω・)セーノ
ノ( ノ)
く く
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
75 :
世界@名無史さん:2005/05/21(土) 10:55:25 0
正史で生没のはっきりしない人物が集解その他で分かった例を教えて。
集解で分かったって・・・、何を言ってるの?
77 :
世界@名無史さん:2005/05/21(土) 23:15:29 0
正史に生没が書いてない人物がその他史料で生没が分かって例が
知りたい訳よ。
甘
そんな例あったっけかな
寧
正史に興味を持ったので読もうと思います
スレを見てると
>>34がいいそうですが
ちくまの全8巻は裴松之注などは載っているのでしょうか?
三国志はどれもほとんど裴松之注はついてると思う
確か、漢字の音の注とかはついてないと思った
毛宗崗の論評までついてる三国志演義の全訳ってあるのだろうか?
>毛宗崗の論評
金人瑞を騙って書いた序とかが読みたければ、原文に当たるしかないんじゃ
ないかなあ。まあ、白川静がいうように原文は平易な漢文(口語が混じるのが
なんだが)だし、メチャおもしろい上支那関連書店で千円ぐらいの本だから
勝って読んだほうが早い。
85 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 17:56:48 0
なあ、孟獲って中国人なの?
何で1800年前の人間が建国して100年も経たない国の国民になれるんだ?
まあ史記にも中国人って言葉は出てくるんだけどな
自袁紹據河北,中國人多亡叛歸之
この場合の中国は中原の意味じゃないの?
【中國】
1)中央にある国の意で、中国人が自国を呼ぶ語〔書・梓材〕「皇天既付中国民」 (同)中夏・中華
2)国の中央
3)都
中国と中國じゃ別物だな
國って則天文字じゃなかった?
圀
あ、そっか光圀の圀だったか、スマソ
96 :
世界@名無史さん:2005/06/07(火) 00:03:31 0
雅丹丞相ってどこに出てくるの?
98 :
世界@名無史さん:2005/06/07(火) 10:44:10 0
正史での話だよん。
100 :
世界@名無史さん:2005/06/08(水) 21:54:16 0
雅丹魔鬼城との関係は?
101 :
世界@名無史さん:2005/06/13(月) 09:35:09 0
この頃に書かれた地図が載っている書物をご存知の方がいらっしゃったら是非教えてください
当時の人の世界観が知りたいのです
102 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 00:31:44 0
譚其驤で検索だ。
「この頃に書かれた地図」ってことだから、
譚其驤の『中国歴史地図集』じゃダメだろ。
光栄三国志IXにも登場した、「中国のプトレマイオス」こと
裴秀の手による『禹貢地域図』なんかは該当するだろうな。
104 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 22:01:18 0
>この頃に書かれた地図が載っている
そんな物あるはずがないと思うが・・・
書名だけだよ。残ってるのは。
誰かシュリーマンの如き情熱で大陸に渡って発掘汁
>>105 日本人だとスウェン・ヘディンみたいに扱われそうな悪寒
107 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 18:56:33 O
演義と正史の違いって何ですか?
横山60巻三国志は演義なんですか?
108 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 19:24:13 0
検索してみるとわかって楽しめるよ
109 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 19:39:52 O
パソコンない糞家庭なんです。
まずは質問スレにどうぞ。
(どうでもいいけど、携帯から書き込むような
若い子って、大体皆お客様意識だよね・・・。)
ピンポイントなスレの内容で質問スレに誘導するのもどうかと思うが
にしても、本屋とかいってみた方が詳しく載ってる気もするが・・・
正史 : 国家が認定した歴史書
演義 : 歴史小説
横山 : 演義を坊さんが日本語訳にしたものを元に作った小説を漫画化したもの
112 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 13:20:16 O
>>111 あぁ魯粛様ありがとうごぜえますだ(*´Д`)
113 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 13:40:23 0
中国正史24史に数えられる「三国志」も陳寿が不人気のせいで評価わるいけどな。諸葛亮=戦下手の真実は当時の連中にとってはあってはならねぇ真実だったかと
三戦へ行ってらっしゃい
115 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:38:40 O
>>113 こんな短文なのに、こんなに間違ってない部分の少ないレスって珍しい
116 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 00:38:32 0
書き込み時間の横のOとか0ってどういう意味あるの?
携帯か、PCか。
118 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 12:35:04 O
ここの人的には、曹操はなんで赤壁に行ったんだと思う?
周瑜なんかの言葉からは、遠征や強行軍で疲弊した兵をさらに率いる愚行に思えるんだが。
119 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 01:27:15 0
>>113 なんであんなこと書いたのかねぇ。
間接的に司馬一族すら貶めている。
糊塗しようもない真実だったのか、権力者への密かな抵抗か。
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┃ ・ ・ ┃ ┌━━┐ お馬鹿さんには
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┃└╋╋━━╋╋┘┃ 不思議なAAです。
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>>118 そもそも大規模な戦闘があったのかどうか、疑わしいような気も。
122 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 01:18:07 O
大規模な戦闘もなかったのなら、赤壁に行って何故か戦いもせず退却して、何故か本拠地まで逃げ帰ったと?
孫権が荊州侵略を果たし、劉備も南側を占領してる。それほどの大事が起きるのに、戦いもせず曹操が逃げたというのは、かなり不可解かつ不自然。
それになんで赤壁まで足を延ばしたのかわからない。
疫病が蔓延したとか、可能性はいくらかあると思うけど。
Q:曹操はなんで赤壁に行った?
A:夏口への通過点だったから
126 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 02:38:12 O
赤壁で急に疫病が蔓延したのか?
>>122 劉・孫らが取ったのは、荊州の一部。特に劉備の取った地域は完全に僻地ジャマイカ。
荊州遠征の眼目は襄陽を中心とする劉表勢力の討伐であった、とみなせば
特に問題もないように思われるのだが。
>>126 わりと見落とされている事が多いのですが、衛星状態が劣悪であればやはり
疫病が蔓延する原因になります。
陣中で発生する疫病には、風土差によるものもありますが、存在する兵士の
数だけ排泄物が生まれる事を忘れてはいけません。
253年の諸葛恪による合肥新城攻囲戦でも、衛生状態の悪さから蔓延した疫病
のために呉軍は撤退に至っていますが、これには酷暑や水の問題に付随して、
江南の特色である高湿度と排泄物の問題も要因となっていると思われます。
20万もの大軍が戦場に対陣するということは、20万人分の排泄物も発生すると
いうことで、想像するだけでも凄まじい量です。
この処理が杜撰であれば疫病の要因となるのは容易に推察できます。
赤壁でも、慣れない風土差もありますが、やはり長江沿岸の湿度と飲料水、
そして大軍が生み出す排泄物など、様々な要因が複合したものかもしれません。
129 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 22:47:46 O
>>127 いや大問題だよ
北荊州制圧だけが目的なら、赤壁(以東)に行く必要はないのでは?
なのに実際には赤壁までは行っているし、戦闘があったにせよなかったにせよ、赤壁で引き返している。
北荊州が眼目ってだけでは説明つかない行動じゃまいか?
130 :
世界@名無史さん:2005/07/03(日) 11:15:05 0
そういえば、劉巴が蔡帽らとともに曹操に降伏した後、荊南各地の鎮撫の為に向こうに行ったのはいいけど、赤壁とその後の劉備軍の侵攻で帰れなくなって結局益州に逃げたんじゃなかったっか?
「赤壁で曹操は大敗していない」
じゃあなんで揚州との境の方まで行っておきながら、荊州自体をほっぽって帰っちゃうのか?
長期的に見ると、江陵を取られた事で荊・揚州統一が100年近く遅れたと言わざるを得ない。
それを曹操が「僻地だからと」重要視しなかったというのであれば、曹操は重大な戦略ミスを犯したことになる。
「守りたくても守れない=大敗した」からだと考えるのが自然ではないか。
「赤壁では大規模戦闘はなかった」
呉書等の記述は全て無視か?
また、上と同じで、なんで帰っちゃったのか、ということになる。
疫病についてだが、曹操ほどの者が、荊州に行って赤壁まで行軍するまで対策も立てず、被害の大きさにも気づかなかったというのだろうか?
中国が初めて攻め込む地ではないし、行軍の規模も史上初めてというほどではない。
疫病が原因で引き返したというのも不思議な話なのである。
兆候や危険性があれば、江陵を出発しなければよかったのだから。
また長江下りはそんなホイホイと出来ることではない。
それ相応の準備や費用をかけてのことであり、全く成果がないままに引き返す行動はありえない。
孫子注釈者が司令官ならなおさらである。
呉を破る事ができなかったからこそ引き返したと考えるのが自然ではないか。
隴を得て蜀を望まず
主力決戦をやる前に、疲弊の色が濃かったのかもしれない。
江南の入り組んだ地形や気候は、魏軍にはきつかったと思う。南船北馬の言葉通りに。
病気のことだけど、近代でも酷いんだから、この時代なら言うまでも無いでしょ。
風土が華北とは全然違うんだから。
曹操ほどの、といっているが買いかぶり過ぎでは?結局彼は時流に乗っただけだと思う。
それは三国時代以後の情勢がどうなっているのかを見れば分かる。
何か後世に残る巨大な業績を曹操は残したの?
江陵から出なきゃいいってのも、そうは行かない。
大軍を動員して、抱えてるわけだから、さっさと片をつけなきゃならない。
軍糧や論功行賞による褒賞の額はかなりのものだったと思う。
要するに、会戦をやったか否か以前の問題で、魏軍はまずい状況にあったということ。
戦闘だけど、襄陽は保たれた訳だし、呉軍が魏軍を北に追えるほどの勝利があったかどうか。
135 :
世界@名無史さん:2005/07/03(日) 23:57:01 0
まあ何だ。長江を渡るのは結構難しいんだよ。
晋だって四川から長江下って攻めれたのが大きいからな。
136 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 00:10:32 O
やってみたけどやっぱダメだった、てことか>赤壁
138 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 11:25:43 0
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139 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 11:28:13 0
kopipedekita.
140 :
世界@名無史さん:2005/07/04(月) 12:08:28 0
動機・内容・結果・影響その他に話が分散してしまってて、どーもレスつけづらいなぁ
141 :
世界@名無史さん:2005/07/05(火) 21:45:51 0
曹操自身、対呉戦争は、あまり想定していなかったのかも。
大軍を動員して、劉表死去直後の荊州を降し、その勢い(って言うと変だけど)で呉も降伏させる、って構想では?
動員した大軍はあくまで圧力的な部分が大きいと言う意味で。
ところが、劉備と孫権が結んで呉が開戦したんで後手に回り、開戦となると兵站&風土的な面で大軍の不利益が表面化し、開戦初頭の敗北でさっさと撤退したと言う流れと想像するんだけど。
荒らすな三国志厨
148 :
世界@名無史さん:2005/07/06(水) 14:13:22 0
142 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 13:00:59 0
>>138-139 三戦板池
143 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 13:11:47 0
>>142 黙ってろ
144 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 13:14:33 0
>>143 頼むから三戦板行ってくれ…
145 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 13:46:01 0
>>144 お前が逝け!
146 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 13:55:36 0
荒らすな三国志厨
147 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/07/06(水) 14:01:39 0
>>146 荒らしは黙って出て行け!
馬鹿な演義ヲタはスルーで頼むよ
何してんのお前?
演義厨は放置の方針でお願いしまーす
そもそもこのスレに、まともに正史を読んだ奴が、
何か意義のあるレスをしたことがあるのだろうか?
スレの使い分けはきちんとしなきゃ。
正史の記述を載せるのは楽だが、そこから状況や行動心理を読み取るのはむずいからなぁ
嘗て演義信奉を書いた蕎序です。
半年以上はその責務を負って世界史板への書き込みを休止していました。
やはり歴史の寓話でしかなかった三国志演義(羅貫中著)を信奉していた事は、
勝者が作り出した歴史を肯定しない分では新鮮でしたが、正史三国志が例えまがい物
であったとしても、書かれた年代や作者(陳寿)の立場からして、これを正と用いて、
三国志議論等にも参加していきたいと思います。
三戦板池
159 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 01:44:06 O
三戦行けとは言わないが、意味がわからん
.┌━┐ ┌━┐
┃┌╋──╋┐┃
└╋┘ └╋┘
┃ ・ ・ ┃ ┌━━┐ お馬鹿さんには
●━╋┐ ┌╂━━━━╂┐ ┃
└━┷┴━━╂┘ └╋━┘ コピペできない
┌╋┐ ┌╋┐
┃└╋╋━━╋╋┘┃ 不思議なAAです。
┃ ┃┃ ┃┃ ┃
┃ ┃┃ ┃┃ ┃
└━┘┘ └└━┘
わざわざ、宣伝ですか。ごくろうさんww
もともと大した水軍もってなかった曹操が荊州で水軍ゲットするも
赤壁で盛大に焼かれて頓挫って考えた方がいいんじゃないかな
ただし焼けたのは荊州の投降者や船で曹操の元々の部下に殆ど損害は出なかった
舟は焼けちゃったから南部での軍事活動は事実上不可能になって撤退
こう考えれば正史の魏書や(あんま大した負けじゃない)呉書の記述ともそんなに食い違わない(曹操に大勝利)
だから荊州の水運の要衝、江陵を手放さざるを得なくなったんだろうし
次の年は荊州方面を南下するよりも徐州方面から南下しようとしてる(これは別のルート試すって意味もあるんだろうけど)
何で曹操が赤壁まで行ったのかについて以前小説家の大澤良貴氏が鉱産資源の確保の可能性を示唆していた
結構的を射てたと感じたので俺もそうだと思ってる
165 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 18:39:54 O
曹操が危険を侵してまで赤壁まで兵を進めたのは、
荊州から劉備を追い払うためじゃないかと思う。
長坂がまさにそうだが、曹操は劉備を討つことをかなり重視していると思われるから。
それはもちろん英雄は」君と余だ」と思っていたから、なんかじゃない。
荊州において確実に名望を集め、劉表の後継さえ伺いうる彼が荊州支配にとってすごく邪魔だから。
蕎序って前スレとか項羽劉邦スレの最後のほうに現れて
韓信と韓王信が同一人物だと思って必死に韓信叩いてた可哀想な香具師?
日本語変だな・・
>>166 同一人物ではなく、韓王と漢の三傑の一人(大将軍・斉王)だとは思ってはいたけど、
塩漬けにされたのは彭越と英布だけだと思っていた。自分の不徳に存じます。
168 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 12:42:23 O
弁明がすでに間違っているのがなんとも
いずれにせよ、もう少し日本語を学んだほうがいい
507 :蕎序 :2005/05/05(木) 02:59:10 0
韓信がカイツウのいうこと聞いて斉王のまま造反すればよかったのに、
判断力が鈍いから狡猾な劉邦に左遷されるんだよ。韓信はもともとシ
ョウカの支持とチョウリョウの忠言耳に逆らう発言が無かったら、一
兵卒、仮の王もしくは謀反人ぐらいにしかなってなかったこと自覚し
ておけよ。でも結局ショウカ・チョウリョウに見捨てられて、ショウ
リマツみたいないい部下を自刃に追い込んでしまい、ワイインコウ、
匈奴兵まで成り下がってしまうんだ。
ツッコミところ満載
つーか、三戦板池
何時も中国の古代史見てて思うのが常に人でしか考えてないって事なんだよな
国家の運営には確かに人は必要だけど資源や産業を無視して話が進んでいく場合が多くて困る
それが現在話題になっていますか?
177 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 15:06:41 O
では三国時代の資源確保について、
>>176さんお願いします。
178 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 15:47:56 0
177は白稚者だな
よっぽどリアル社会で人から認められてないのだろう
少なくとも陳寿が産業、資源については全く着目していないで三国志書いてるよね
舊時冶,作馬排, 毎一熟石用馬百匹;更作人排,又費功力;?乃因長流為水排,計其利益,三倍於前
>>118の話に戻るんだが
道義的には、官軍は賊軍を討たなければ罪に問われるから、
多少不利な要因があっても総合的には勝てると見込んで、進軍したのではないだろうか。
人物にしか注目していないのは研究者じゃなくて歴史小説家だよ
184 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 00:54:51 O
>>182 曹操の対袁尚・譚戦や、漢中を落とした後の望蜀の一件があるからなあ
官軍かどうかで見切り発車てのもそもそも愚行じゃまいか?
相手に廟勝されてるんだぞ
185 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 01:43:54 0
だって荊州無血開城で兵士たちがやる気まんまんだったんだもん。
by曹ピー
186 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 01:50:23 O
曹操の兵はへろへろだから倒しちゃえばいいじゃん
BY 周瑜
187 :
相国録尚書事符璽郎大司馬 親漢王 蕎序 ◆g/NeWOnF.. :2005/07/10(日) 10:02:37 0
曹操は北方征伐を敢行した際に、郭嘉以外の群臣は挙って反対したものの、
曹操は無理矢理これを断行したが、奈何せんその行軍は日照りと寒さに悩まされ、
食糧や水も欠乏して、何とか作戦目的は達成したものの這う這うの体で
自領に帰還したと言う。
これに対して曹操は、先の北伐に対して反対した群臣に褒美を取らせ、
「危うきに乗じて以って倖を徼む。」と語った上で「諸君の方が万全の計であった。
これからも意見があったら遠慮無く申し述べてほしい。」と付け加えたと言う。
そこで運に頼る様な下策は行わないと誓った曹操が、どうして蜀を攻められようか。
もし仮に曹操が巴蜀に全力を容れて攻め込んだとしても、曹操以外の武将で
蜀の五虎将軍に比肩する武将は到底動員できないし、長期戦に持ち込まれて
撤退に追い込まれ、そこからなる更なる敗因により、全国統一を頓挫したくなかった為に、
「隴を得て蜀を望まず。」と語った上、群臣に何故献帝に禅譲を迫らなかったのかと
聞かれると曹操は「私は周の文王になろうぞ。」と言った曹操が何故赤壁に行く必要が
あったか、それは普通に夏口への通過点で鉱山資源もあるので曹操が奪取する価値があると
見たのだろうな。
188 :
相国録尚書事符璽郎大司馬 親漢王 蕎序 ◆g/NeWOnF.. :2005/07/10(日) 10:04:54 0
>>187 いった曹操がを削除しといてね。
今日は寝てないんで誤字脱字はご愛嬌ということで。
まあ、官軍云々は一つの要因にすぎないのだけれど、
漢中は張魯を討つ事で目的を達成したのだと思う。劉備は張魯と連携してないから。
荊州は劉表の息子と劉備が残っているから、続けて江夏を攻める必要があったのでは。
孫権の参謀達は降伏を勧め、周瑜も初戦から火をかけるまでの間、手を出せなかったくらいだから、
軍事力的に優位に立っていたと思われ、進軍停止や撤退はしなかったと。
夏侯淵、張合β、徐晃>蜀の五虎将軍に比肩する動員可能な武将
というか、五虎将軍という言い方は板違い。
なんか最近三戦板から出てきた厨が沸いてるような・・・
今年は夏が来るのが早い気がする
193 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 18:47:19 0
194 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 20:45:27 0
ばかだな〜
趙雲の必殺技使えば1000人くらい簡単に斬れるって
張遼は持ちキャラじゃないから使わないけど
釣り針が水に届いてません
西伯昌なら釣れるかもしれませんが
196 :
世界@名無史さん:2005/07/10(日) 21:31:47 0
蜀は象兵を輸入すれば魏に勝てた。
たのむから厨は三戦板逝ってくれ…最後のお願いだ
象兵最強伝説が今再び…
姓は孔、名は融、あざなは文挙。後漢の永興元年(一五三)に生まれた。
孔子二十世の孫であるという。子孫といっても、孔子の嫡系ではない。
動乱が多く、王朝がしばしば交替した中国では、名家が長く続く例はまれである。
孔子の 家系は例外的に続き、現在は嫡系が七十七世の孔徳成で、台湾に住んでいる。
孔子の子孫と称する人は数十万にのぼるであろう。
戦時中、国民政府の行政院長(首相)をつとめた孔祥煕も、非嫡系ながら孔子七十五世の孫と称していた。
曲阜市(孔子の出身地)の人口の半ばは孔姓で、みな孔子の末裔といわれている。
在日華僑のなかにも、孔子の子孫がいるほどで、あまり多くて、その人にとって、とくにメリットとはいえない。
二世紀の後漢末期にあっても、ほぼおなじであろう。
ちなみに、孔子嫡系二十世は孔完という人物であった。
三戦板があふれた!世界史板に向かっているっ!!
守るより攻めろ!
みんなで三戦板に攻め込むぞ!!!
魏武少時,嘗與袁紹好為游侠,觀人新婚,因潛入主人園中,夜叫呼云:
「有偸兒賊!」青廬中人皆出觀,魏武乃入,抽刃劫新婦與紹還出,失道,
墜枳棘中,紹不能得動,復大叫云:「偸兒在此!」紹遑迫自擲出,遂以倶免.
拉致イクナイ!
諸葛緒が諸葛誕の近縁で無いと言う論拠は何でしょうか?
205 :
世界@名無史さん:2005/07/11(月) 15:38:18 O
反乱者と縁が近いなら、一緒に処罰されているはずだから
かな?
そういえば諸葛諸みたいに名に姓の中の一字を持ってくるのって変な気がするのだか、
当時にはそういった感覚はなかったのかな?
他に例があるのか知らんけどどうなんだろう?
207 :
世界@名無史さん:2005/07/11(月) 16:03:48 O
諸
緒
違う字だよ。
彭越 岑彭
金旋 牛金
少数だが良く姓で出てくる字が名で使われている事はある。
>>207 おお、ホントだ……
はずかちい……orz
210 :
世界@名無史さん:2005/07/12(火) 23:46:23 0
王凌は司馬懿と仲は悪くなかったようだが、何故謀反を起こしたのだろうか。
211 :
世界@名無史さん:2005/07/13(水) 00:15:13 0
仲が悪かったんでしょ。
つか、司馬懿のは明らかにクーデターだし。
212 :
世界@名無史さん:2005/07/13(水) 18:49:25 0
七星宝刀を趙雲が持ってれば、北伐は成功したに違いない
諸葛亮は武力が低いから鍛錬して一騎打ちの必殺技がもっと多くあれば
歴史は変わってたよ
厨は三戦池とあれほど(ry
215 :
世界@名無史さん:2005/07/13(水) 22:58:33 0
孔明の剣技って実際どんなもんだったんだろうな?
216 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 02:46:23 0
>>212 禿同
でも趙雲は超必殺技が若干弱めだがな
隠しキャラ出しまくれば、北伐どころか天下統一もできた
そうすれば歴史は変わってたよ
218 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 03:08:23 0
実際、趙雲が曹操にほめられまくったって記述はないんでしょ?
漢中争奪戦の時に「あの長坂の英雄がまだ生きていたか」と曹操が驚いたってのは註にある
当時、劉備勢力で有名な武人といえば関羽・張飛・馬超
北伐時、蜀漢の将軍といえば魏延・呉壱・陳式
222 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 13:19:34 O
三国正史の中で唯一大将同士で一騎うちした武将が誰だか解る方みえませんか?
唯一?
正史で有名どころだと
呂布vs郭[シ巳]
太史慈vs孫策
閻行vs馬超
あと、大将自らが敵の大将・部隊長を討ち取ったのなら
関羽(vs顔良)、張遼、呂蒙など
ああ、すまん、大将でないのも結構混ざってたな
本当の意味での大将同士だといないってなるんかな
呂蒙??
あ、
>>223のは正史じゃなくて、注の何かだったかも・・・(特に呂布)
正確な記述等は手元にいま資料ないんで、誰か補足してくれるかもしれない
>>225 まぁ、相手は名のある武将とか違うが、一応載ってた(はず)
自ら隊長とかを討ち取ったって珍しいなって記憶に残ってたが
呂布vs郭 が呂布伝の英雄記
太史慈vs孫策 が太史慈伝の本文
閻行vs馬超 が張既伝の魏略
229 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 18:28:34 0
じゃあ、正史だと太史慈vs孫策だけか
三戦板から流出してる奴がいるな…
一年くらい前に同じ質問を三戦板で答えた気がする。
232 :
世界@名無史さん:2005/07/16(土) 00:17:01 0
ホウ徳と郭援は?
一騎打ちらしい事はしてない
234 :
世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:46:13 0
劉備とか関羽とか張飛ってがんがん一騎うちしてんじゃん?
何でスルーすんの?
またかよ…
三戦板にもおしおきが必要なのかな…
( ^∀^)ゲラゲラ
夏か・・・
238 :
世界@名無史さん:2005/07/16(土) 21:27:01 0
張飛が殺した武将って秦宜禄くらいか?
名前が残ってないだけ
240 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 01:43:06 0
蜀の羌族との同盟作戦って何で失敗したの?
241 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 04:54:49 0
一騎打ちして相手の大将を捕らえれば、相手の部隊を丸々無力化できるじゃん?
やらない手はないと思うわけだが。
兵力で負けてても戦局が一気に逆転することも珍しくない。
ロボットではなく感情を持った人間同士が闘ってるのですから
逆転できる手を態々勝勢にあって何で相手にさせると思うのですか?
一騎討ちに持ち込めるって持ち込んでから相手の部下は何でぼーっと見てるのですか?
アホじゃない?
そもそも軍勢と軍勢がぶつかり合ってる最中に「一騎討ち」なんて狙ってできるはずがない
245 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 09:42:34 0
世界史見ると、案外一騎打ちって行われてるよね。
項羽も劉邦に一騎打ちを申し込んでるし。
パルティアの王だか王子だかもやってる。
ヨーロッパでは騎士道全盛時代は一騎打ちはかなり
あったんじゃないかな。
日本でも名乗り合いの後の一騎打ちは多かったみたいだし。
>>240 羌族は複数いて、味方についたり離反したりの繰り返し。
同盟というような安定したものではないから...
春秋時代ならいざ知らず、戦国期で民族がスレッカラシになった中国で一騎討ちなんかやらん
いや、もう一騎撃ちがどうとか言ってる人は相手にしなくていいんじゃ……
三戦ならまだしも、世界史板で一騎撃ちネタなんて馬鹿馬鹿しくなってくるよ
三戦板の連中はスルーで
これは怪しい、と思ったら相手にしない
これでいいんじゃね
250 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 16:11:35 0
一騎打ちはともかく一騎駆けは多かったんじゃねえ?
呂布が赤兎に乗って敵陣に特攻かけまくってたのは事実だし、
アレキサンダーもそういうタイプだったらしいね。
252 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 17:27:40 0
曹彰の武勇伝が聞きたいのは俺だけですか?
>夏侯淵、張合β、徐晃>蜀の五虎将軍に比肩する動員可能な武将
あのさあ、魏志の「時の良將は五子を先と為す」という文章をどうやったらそうまちがって
解釈できるのかものすごく疑問なんだけど。そもそも夏侯淵は五子でもなんでもない。
254 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 23:29:30 0
>>251 いや、呂布の話は事実だし。
行くのはお前だな。
何でもかんでも三戦板に押し付けんで下さい・・・。
こちとら歴ゲーに逝かない無双厨と夏厨とクソコテで手一杯。
ageてる人って同一人なんじゃないかと思えてくるね。
257 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 02:30:21 0
sageレスはオタ板程高いというデータがある。
>>253 夏侯淵が入っているのは張楽于張徐のくくりとは関係ないという証拠だと思ってほしいんだが。
というか、レス遅すぎ。
まぁね、下らないレスで無駄使いしたくないし。
261 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 11:51:45 0
>>261 キチンと統計処理されたデータ出せや。
たった2つの板眺めただけで証拠になるかよ。
しかも、
>オタとかいなそうな農業・林業・漁業板
完全にお前の主観じゃねぇか。
>>261 数百ある板の中からsage率の高い板をたった2つ適当に探してきただけじゃん。
しかも何故農業・林業・漁業板?
逆にsage率の低い板を2つ探してくれば、「sage率はヲタ板ほど低い」という主張もお前のやり方なら可能。
>普通に分からないか?
普通にわかるお前はエセ統計に騙されやすい頭の持ち主ですね。
264 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 13:01:51 0
ぷぷっ、sageレスオタが負け惜しんでますねw
つか、その程度の事が分からないのはオタ板しか
行ってない証拠だぞw
>>264 勝利宣言は全板について統計処理されたデータを提出してからにしてくれw
267 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 13:31:52 0
>>265 そこ全然sage率低くないしw
2つ板を上げたのは分かりやすい例を挙げただけ。
そんな事も分からないから三戦板がどうのとわめくだけなんだろうな。
つか三戦住民だって自分の大事な良スレとかは
荒らされたくないから基本的にageないぞ。
ageてるのは(ry
で、農業・林業・漁業板のどの辺がオタなんだ?
というと「お前、農業・林業・漁業板住人のオタだろw」とか言われちゃうのかな。
ageだのsageだのにいちいち過剰反応して突っかかるから荒れるんだよ
三戦板住人かお前らは
sageが多いのは人が多いスレで
ageてるのが多いスレは過疎スレでいいんでない?
自己主張の強いバカは常にageてるよ。
だからもうよそでやれきさまら
専用プラウザ使ってる人多い中ageもsageも関係ないだろ
くだらない事言ってんじゃねぇよ
えらい伸びてるなって思ったらage/sage論やってたのか
276 :
世界@名無史さん:2005/07/19(火) 20:57:38 0
実にくだらないですね〜。
277 :
世界@名無史さん:2005/07/19(火) 21:11:24 0
所で魏の三代皇帝の斉王曹芳って
実際は誰の子なの?
明帝の実子ではないんだよね。
278 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 03:51:51 0
曹芳が誰の子か知ったところで、お前の人生に寸分の狂いが生じるわけじゃなかろう
そんなこと自分でネットで調べておけ
>>278 人生に狂いが生じるほどの質問ってどんなんだよw
自分の本当の親とか
281 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 10:07:20 0
それは深刻だ。
どうでもいいが、魏の斉王芳は名義上4代皇帝だ。
ちなみに中国の教科書には前廃帝と載ってた。
283 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 12:36:37 O
名義上なら四代目にはならんだろ
曹操を実質的初代とするなら、「実質四代目」
尊号を奉られた者を数えるなら、曹嵩や曹騰も数えないといけないはずだから、斉王は四代目より後になる
ここの三戦騒動、三戦板の2ちゃんねらスレに貼られてワロス
釣られるのもほどほどにしろよ
亠ァ厂| `':,;..:..:.';. ;'..:..:.,:'
‐个 兀 `:;:.::.':., ,':.::.:,:'
`.:`.:''''..:.‐ :.:-:.:...,,,, __ 、‐-、 __ ,.‐z_,-、 '':;;:::':, ,...;'::..:,;' ,,.:':
..:..:...:..:..:...:...:...:.:..:...:...:..:.`_,,ノ └¬、'''.:.:‐:..,,ヾ、__)∠,ィク /,、 ';:''..:.:..:..:.:..:.'':;'':.:.,;.
.:..:...:..:..:...:...:...:.:..:...:...:..:.ヾ、_ <^'".:..:..:.:..: <`ヾ´~_ _~´ 〉'''':.::.;':.::...:.:..:..:..:...:.:.';' ,,
..:..:...:..:..:...:...: ,,;,;,;,,;:..:..:.:.:..: / /\ `ヽ、..:..:.:..:..:_ブ∧ ‐ ‐ /.:.:..:,;,::';..:..:..:.:..:..:..:...:.:.:''´:.:
:..:.:..:..,.:-〜' , 、m_)°.:.:.'ー-'..:..:..:`ー--',,;,;::.:.:ヽ、_i (_,/しヘヘ_) ´ '::;.:.::.:..:..:..:..:.:..,;'` ''
,;,,;,;/ <て_;:、。.:° ‐ '''' " ´ ´ ,;:''.:.:,:'' :;,._.:,;.,、:.'':.,,_
/ r'7ァッーヘ、_) ゚ ,,:''.:.:,:'' , -〜''ヽ‐-‐、.:.:.''
-く レ'/〈 ° 。 ,ヘVフヽ、 ,,:''.:.:.:,:'' (_,ヘ、 ⌒
V巛〈 ヽ , 〜''ヽ / e ヽノ\ヘ. ,,:.''..::.:,:'' 。 と_刀Tゥー
_/ ヾ ヽ、 Y ァ个〜'。゚ ,少ー- 代ヽ、 ヾゝ ,,.: '':.:/ヽ、' 。 ゚ (⌒⌒ー-く ノノ,!j
{. \ Y巛〈 ) lfgレ゙く \''.:.::.:.:.:/ / 入 ゚ 。 `〜<ヾヾ、,`⌒ 〜
_, ヘ、 ヾ{ ヾト、 'ヾゝャgメl` ヾヨ /〃/ _,,> 〉〉ノ `厂丁`
\ \ ヽ、 `ゞへmfi_ ゞdf‐ '' ´ //// ノ
─〜 ⌒ヽ、 \ ヽ、 ´`'‐ニ世三r<k´ _,,ノ,〆 /
__,, へ、 \ ` ー- 、__ _,, --‐‐ ''´ _ - ´ /
 ̄ ̄ \ ` ー- 、 _  ̄ ̄ ̄ _, -〜< -一 ブ
確かに何でもかんでも「三戦行け」なんて三戦板住人にとっちゃかなり失礼なこと言ってるよな…
正直すまんかった
>>284 どのスレ?2ちゃんねらスレっつってもわからん。
>>287 三戦板でスレタイ「2ちゃんねら」で検索すればすぐ出てくるよ。
てか、騒動ってほどのもんでもないとおもうが
数十行荒れただけで騒動になるのか・・・
このスレにもこのスレを監視してる奴にも過剰に反応する奴がいるんだなぁ
煽られた奴が腹いせにこんなバカがいるぞと晒しただけでしょ?
どうでもいいよ、くだらん。
さあ話題再開!
292 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 14:59:34 0
最初に三国志板として希望を出したのに、コーエー厨追い出したい
ためだけの便乗カキコとひろゆきのゲーム趣味の為に三国戦国などと
訳のわからん板にされてしまったのがそもそも痛いな。
あれでネット上に多数いる普通〜コアな三国志ファンが近寄りづらい
雰囲気になってしまった。
三国志板として立てていたなら、かなりアカデミックなノリでも大丈夫
になっていたはずなんだがなあ・・・
ホントコーエー厨さえいなけりゃあな…
三戦の話は三戦でどうぞ
でもあの板厨ばっかだしなぁ…
なんでここで厨が三戦行けって言われるのか三戦住人は怒る前に少し考えた方がいいと思う
肥のゲームが元凶だな
ゲームから入った大した知識も無いクズがやたら横行してる
それに比例して厨房住人も増えるから板のクオリティは低下しますます厨が入ってくる
そしてとどめがあの悪名高い三国無双、戦国無双。
板名からして無双板だと勘違いする低年齢の厨がなだれ込む。
そして数少ないまともな住人は三戦板から去り史板か他のサイトへ行く。
三戦行けのレス見て逆ギレするほどの精神年齢の低いのが居ても不思議じゃない
所詮隔離板だからねぇ
まあ、あんまり見下した発言続けるのも厨臭く見えるからほどほどに
300 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 17:26:54 0
俺がせっかく提案した三国・戦国分割案も全く賛同ゼロだったからな・・・w
>>300 それは意味なさそうだろ( ´,_ゝ`)プッ
孫家の四番目の子、孫尚香ってゲームでいるだろ。
あれって正史だと名無しだったよな?
誰が考えたんだろ。
蒼天航路だと煬華だっけ?
303 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 17:42:57 0
>>301 三国志ファンとして戦国ネタが半分を占めてる板に書き込む気しなくね?
それともそういう違和感を持てないコーエー脳の持ち主?
>三国志ファンとして戦国ネタが半分を占めてる板に書き込む気しなくね?
別に。
三国志の話題と混同するわけでもないし。
だから三戦いけよ
くだらん話するな
306 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 17:55:46 0
三戦で論議しても厨に荒らされるだけだしな。
ここは三戦板の自治スレですか?
三戦で議論して荒れるのはよくわかった
だからって世界史までくるな厨房
わかったら、さっさと三戦いけや
309 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:51:19 0
>>308 だから、真面目に三国志を語る板として三国志板が立つ予定だったんだよ。
隔離場としてじゃなくな。
そういう事を問題にしてんのに、隔離しようとばかりする。
こういう体質事態がまず改善されねばな。
>>309 だから何?
それはここですべき話なの?
311 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 18:57:29 0
ここと三戦板は切っても切れない関係にある。
単に隔離場扱いするのはどうかと思うぞ。
本当に真面目に三国志語りたいならここや三戦板でも頑張ってネタ振ればいいし
そもそも独立して板立てたところで厨房は絶対流れ込んでくるんだから結局おんなじ
隔離扱いに不満たれてるだけの厨房にしか見えんよ
313 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 19:16:50 0
結局、三戦行けの繰り返しばかりだからな。
その辺改善する気もないなら、いつまでも同じ状態だ。
こんな世界史板の片隅で愚痴たれてないでまず自分が動けば?
315 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 19:56:11 0
動きましたが何か?
ここは世界史板なんだから、三戦の話なんかするな。
うせろ。
>>312 どうも三戦板の現状を知らないように感じられるよ。
>本当に真面目に三国志語りたいならここや三戦板でも頑張ってネタ振れば
>いいし
今の三戦板って、真面目な話になると荒らしの出没する頻度が異常に高い。
特に制度や経済、政治や風俗などの分野の話やスレなんかには劣等意識や
僻みの塊かと思いたくなるような屑が涌いてきて酷いもんだよ。
この板にも制度スレあるけど、その前身のスレなんか最期の方の荒らされ様
なんかどうにもならんくらい酷かった。
もっとも、くいこんだ話ならこのスレでやればいいんだろうけど、複数の話題が
林立した場合の進行の不都合を思うとね……。
えー、そうか?
姜維スレとかこないだ覗いてみたら良い感じに盛り上がってたけどな
ID非表示だから変なのが湧いてきたときあぼーんできないのは確かに辛いかも試練が
いずれにしても、無双などの普及を抜かしても三国志は元々子供や腐女子ウケも良い題材だから
三国志と板に銘打つ以上はどう頑張っても厨の流入は免れないし
老若男女を問わず集う2chでそいつらだけ取り除こうというのがそもそも無理な話
本当に真面目で専門的な議論をしたいなら専用のサイトを打ち立てるのが最良かと思う
それにしたって絶対厨は紛れ込んでくるだろうけど
319 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 20:37:28 0
>>316 三戦板の厨以下のレスすんなよ。
>>317 別に他のネタ振りもねえし、三戦板論議もいいんじゃない?
元はこの板から生まれた板だしな。
さすが夏休みw
厨房があふれかえってますね
321 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 21:00:33 O
そんなことより高翔が大将軍になったかどうかについて議論しようぜ
322 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 21:08:44 0
高翔って演義では少し活躍してるよな。名前がいいからだろう。
>>319 いいから三戦板の話なんかするなって。
三戦板が好きならさっさとお帰りください。
高翔が大将軍になったって華陽国志だっけ?
325 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:13:55 0
>>300 おれは三戦板ができる前に、正史・演義・小説・ゲーム他関連物等の三国志の総合板を希望してたんだが、
戦国とくっついて動きだしたことで、こりゃもうどうしようもないって思ったな
当時は歴史ゲーム板なんてなかったし(これはこれで必要だと思ってたが)
このスレの住人も引っ越すのが理想だったが・・・しばらくは動けんな
327 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 15:48:18 0
迷当大王や餓何焼戈は正史に登場しているが、
何で徹里吉や雅丹・越吉はわざわざ創作したのだろう?
餓何焼戈は出てない
ホント低能な三国志厨はキモイよね
ここは世界史板のスレなのに低能な三国志厨は演義やコーエー話を定期的に続けるから
ヲタ臭くてキモイんだよね
三国志厨はホント低能だね、救いようが無いね、クズだね
しかも低能な三国志厨はこう言って正当化するだろうね
「だって他に話題ないんだもん」「三国志のスレだから別にいいんじゃない」
他に話題が無いんならいちいちレスしなくていいんだよ
ここは世界史の板のスレなんだよ。
>>60みたいになんの脈絡もなく正史と全然関連させずに演義やらゲームやらの
話題振るから低能な三国志厨が調子に乗って迷惑を顧みずスレ違いの話を延々と続けるんだよね
ああキモイキモイ。三戦板に言ってそういう話を続けてよね。
低能な三国志厨はどこでも沸いて出て自分のこだわりをブーブー言うからキモイんだよね。
60はしっかり流れで発言してるが。
言いたい事はわからんでもないが、まずもちつけって思う。
自身も厨臭い書き込みになってるとはわかっててやってるとは思いたいけど。
>>329 >低能な三国志厨はどこでも沸いて出て自分のこだわりをブーブー言うからキモイんだよね。
自分のこと言ってるよね
スルーすりゃいいじゃん
335 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 00:43:06 0
随分釣られやすいな・・・
これが世界史板住民か?
336 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 12:34:19 0
姜維って羌族とつながりあったの?
337 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 13:59:14 0
三国志凄い好きで正史の知識も少しは
ある自分ですがこのスレ感じ悪いね。
338 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 15:07:44 O
>>336 おそらく、
姜維がというより、涼州あたりの豪族全体が羌族とつながりがあったんだろう。
たまに敵味方になることはあっても、豪族は羌を労働力や兵力として使い、羌はそのかわりに金や食を豪族から得る。
姜維はそういった関係を熟知していただろうし、渡りの付け方とかコネクションとか、そういった形での羌とのつながりを持っていたんじゃないかな。
西涼の豪族だよね?姜氏って
>>302 >孫家の四番目の子、孫尚香ってゲームでいるだろ。
>あれって正史だと名無しだったよな?
京劇発祥。名前が無いと演じる時に不便なので尚香と名前が付けられたらしい。
341 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:36:36 0
羌と姜の字が似てる事は何の関係もないよね?
342 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:50:43 O
馬超が馬姓だからといって馬から生まれたわけではないのと一緒。
343 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:51:40 0
そんな喩えじゃ納得できんな。
なんか一気にレベル下がったな・・・
>>339 西涼の豪族というより天水郡の豪族だな。『魏志』王肅伝注の引く『魏略』薛夏伝には、
>天水舊有姜・閻・任・趙四姓,常推於郡中.
とあり、姜氏は天水の豪族第一に挙げられている。
346 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 23:08:54 0
天水あたりは羌族の移住が行われていたと思うが、
移住させられた羌族には姓は無かったのかね?
太公望は羌族出身の姜姓だが、キョウイも先祖は羌かね?
348 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 23:29:30 0
>太公望は羌族出身
ソース希望
>>344 レベル下がる前はすごい過疎だったわけだが
ROMとしては、レベルの高い過疎のほうがいいでつ。
351 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 23:51:39 0
姜維のものすごい昔の先祖は羌だったかもしれないけど、
姜維と羌の関係はあくまでも天水豪族としてのものだと思うぞ。
そもそも後漢の辺境豪族の姿ってどんなものだったのさ?
あの辺だったら漢化羌人と羌化漢人のごちゃ混ぜだったのかもね
353 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 00:16:04 0
攴胡赤児とか胡車児とかが羌族なんかな?
姜という字が、羌+女だからじゃないの?>太公望
355 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 15:41:14 O
三戦板から来ました^^
魔玉って不細工で自意識過剰な低学歴って
皆知ってるよ
三戦板が酷いことになってるな。
もはや「光栄板」ですらなくなってる。
泡沫コテの自分語り系スレ多過ぎ。
>358
此処にも、変な人訪れてるみたいですねー
スマン
360 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 00:42:54 0
ぶっちゃけ羌族で姓があるのは後秦王家の姚氏しか知らん。
太公望は姜姓呂氏
362 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 09:15:00 0
羌族はいろんな種族がいたからなあ。
後秦の遠祖姚弋仲の父の柯迴は姜維との戦いで功績を立てて
魏から鎮西将軍に任じられてるね。
363 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 00:20:40 0
羌は魏・蜀にいいように利用されていたかわいそうな民族だな。
しかし、鮮卑にほとんど侵入を許さなかった魏はさすがか?
364 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 01:12:10 0
魏は侵入を許さなかったのではなく、
自ら異民族を引き込んでいます。
それが後に中原を混乱させる元凶になっているようなものですが。
混乱の元凶は晋だろ
魏の時代は十分制御できてる
>>364 言いたいことはわからんでもないが、引き込むのと侵入はやはり違うだろ。
367 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 03:06:58 0
鮮卑と匈奴を混同してはいかんよ。
368 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 16:52:56 0
陳寿が匈奴伝を立てなかったのは何故だろう?
毋丘倹がきちんと高句麗を攻めてたら
今の韓国はどうなっったんだろう_?
>>369のレス見て思ったが韓国の歴史のはちゃんと毋丘倹は載ってるのか?
毋丘倹は高句麗の首都まで破壊したんだから侵略者扱いかw
謝罪と賠償(ry
371 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 10:57:11 0
高句麗問題でもめているのはむしろ北朝鮮な訳だが・・・
韓国は朝鮮日報かなんかで過去に中国がなんたらかんたらで
謝れとか中国の朝鮮の扱いに文句をつけてたよ
高句麗は漢人の国でも朝鮮人の国でもねえのにな。
あえて言うなら渤海人とか契丹人の国だ。
国境地域問題や、半島側からしたら国家のアイデンティティーが絡むからムキになるわな。
両国ともまともな学者は高句麗問題には白い目を向けているらしいが。(北は知らん)
高句麗が魏の領土荒らしてたから魏が興って毋丘倹を討伐に出したのに
韓国の教科書じゃどうなってるんだろう?
376 :
世界@名無史さん:2005/08/05(金) 21:50:19 0
三国志シンポジウム行った人いる?
行こうかと思ったが前の晩に橋本追悼飲み会で深酒した挙句に場所が二十三区東部の自宅から
遙か彼方だったもんでねえ。
行った人レポートキボン。
>>375 >高句麗が魏の領土荒らしてたから魏が興って毋丘倹を討伐に出したのに
魏側の史料しかないからなぁ・・・
史料なんて飾りニダ
ウリたち以外にはそれがわからないニダ
380 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 10:54:48 0
魏は、服装に関しては匈奴と同じと考えてよいのでしょうか
381 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 11:29:38 0
東松山って所沢だからなあ・・・
あんな辺鄙なトコでやらんでも。
あの場所で断念したヤツ多かったと思われ。
せっかく金文京氏とか余分だからもうちょっと何とかならんかったのか?
俺的には本屋とかが三国志関連本を売りに来てたのかが気になる・・・
>>381 中林・渡邉・金・石井の4氏を呼んだとなりゃあ、
これほとんど日本の三国志研究のオールスターやんけ!
豪華だよななぁ。地方者である己の身が疎ましいよ・・・。
>>376、
>>377 逝って来たぞ。100人前後はいたと思う。老若男女問わず。
話すと物凄く多いけど自分にとって新鮮だったのは石井氏の儒将に関する
報告かな。それと中川氏の三国志演義ができるまでの報告。
>三国無双は正史三国志に準拠しており、史書を読まなくても三国志の全てが分かります
三国無双って演義を基準にしてるんですよね?これ、間違ってませんか?
ネタに釣られてどうする
釣果は2匹。いや、私もいれて3匹ですかな。
387 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 18:40:19 0
儒将って司馬懿とか孔明の事?
彼らは儒者ではないのですが・・・
儒者ではないが儒教的教養を深く身につけていたのは事実でしょう。
389 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 20:57:35 0
そもそも司馬懿・孔明って法家っぽい・・・
張コウなんかも儒将の範疇に入るのかな
司馬懿はよくわからんが孔明はバリバリの法治主義者だな
まあ石井先生が「儒将」をどう定義して、誰を「儒将」とカテゴライズしたのか分からないので、
(司馬懿とか諸葛亮ってのは
>>387がそう思ったってだけでしょ?)なんとも言いようがないん
だけど。
>>391 『晋書』宣帝紀では「博學洽聞,伏膺儒教」とありますな。
>>392 確か、儒将ってのは学者・文人の武将を指す言葉。
それを考えると三国時代は儒将の時代だった。ってのが石井氏の主張だったはず。
杜預とかを例に挙げていたぞ。
シリーズ孔明の欠点 その1・人を見る目がない
孔明は、人材抜擢で数多くの誤りを犯しました。彼は能力で人を判断せずに
自分の肌に合うかどうか、組織の足並みを乱さないかどうかを重視していました。
主君劉備に比べて孔明の人選力は大幅に劣っていました。
晩年の劉備は、後事を託すべき孔明の、この点を大きく憂いたそうです。
この事で良く引き合いに出されるのが、ギエンとバショクです。
どちらも次世代の軍事リーダー候補でした。
劉備はギエンを高く評価しましたが、バショクを嫌いました。
反対に孔明はバショクを高く買いましたが、ギエンを嫌ってました。
結果的に見ると、劉備の目の方が確かでした。
劉備は若手武将のギエンを関羽、趙雲の次に信頼し、張飛を差し置いて
漢中太守に大抜擢しました。反面バショクの実力を疑問視しました。
ギエンは10年間漢中を落ち度なく守り抜いて、その期待に応えました。
しかし、後の孔明は、生前の劉備の方針に完全に反して、ギエンを軽んじ、
バショクを抜擢しました。おかげでガイテイで大敗して、蜀の中原進出の
望みは潰えました。
外にも、孔明は、リゲンやリョウリツという優秀な人材を「自分の肌に合わぬ」
との理由で放逐しています。孔明自身も自分は人を用いる能力に欠けるので
ナンバー2以上になはれないと自覚してたフシがあります。
>>393 確かに、東晋十六国以降、戦場に出るのが専ら職業軍人ばかり
なのとは酷く対照的だよな。<文官肌が戦場に出る三国時代
>394は釣り?
これは釣りじゃないでしょ・・・
なんつーか、長文乙
関羽の次に趙雲が来る辺り完全に釣り
馬謖に関して目を曇らせたのは確かだが諸葛亮の人事の公平さは有名
更迭された李厳自身が諸葛亮が生きていればまだ復職もできたのにと訃報を聞いて嘆いている
李厳の更迭は充分に理由があるからな
諸葛亮が永遠のNo2だって主張は兎も角、間の説明文が完全に釣り
また三戦の厨が来たのか・・・
シリーズ孔明の欠点 その1・人を見る目がない ってことか
その2 その3があるのか?
↑
ことか→ことは
すまそん
魏延なんて、魏延本人の考えはともかく、重い処遇されてるしねぇ。
廖立にしても、諸葛亮自身が「自分の次の人材はホウ統と廖立」って評価してたのに劉備生前時に失敗やらかした挙句、不平・不満を公言してたから仕方ないと思うけど。
李厳については正史の記述だといまいち納得できかねる部分はあるけどな
あんまりにも李厳がバカすぎてポカーンて感じだ
家柄だけで取り立てられた無能者と考えれば問題ないんだがどうしても裏を考えたい自分がいるw
馬謖については明らかな判断ミスだがそれ以降は李厳以外の人選ミスは見受けられないし
蔣琬や費禕を後継者に指名しているあたり必ずしも人を見る目がなかったわけじゃない
馬謖の失敗でちゃんと反省したんじゃないかね
後継者はひと揉めしたわけだし、成功しているとはいえないだろ
魏延は、張飛よりも能力的に信頼されてたのは事実。
まあ、張飛があまりにアレ過ぎたせいだが・・
後継者は蔣琬で決まってたでしょ。魏延と楊儀のアレは単なる指揮権争いであって
諸葛亮の後継者争いではない。
>>406 ただ二人ともこの争いに勝てば諸葛亮の後釜に坐れるという意識はあったと思うよ。楊儀伝にも
魏延伝にもそのことは書かれている。
諸葛亮が蔣琬を後継者に指名したって事実を知らなかったんだろうなあ
でも楊儀はともかく、魏延が生きてたら蜀はかなりゴタゴタしたかも、とは思う
だからと言って魏延が死んでくれてよかったなんていうつもりは毛頭ないが
魏延蜀の中では一番好きだし
>>405 そいう意味じゃどちらも能力的な優劣はなかったと思うよ。
適材適所で能力を発揮できる場所が違うだけの話で。
410 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 14:25:38 0
シリーズ孔明の欠点 その2・無能な軍事コーディネート
孔明の用兵は全くお粗末なものでした。若い頃、燕のガッキに憧れてた割には
武を倦厭していたので、劉備の死後、自らが兵権を握る段階になっても、
軍事に暗く、ただ兵書を暗記してそれを適当に応用する程度でしか
ありませんでした。さらに、国政の統治と軍の統治を無理に混同したので、
その弊害が随所に現れてました。
孔明は、用兵の不得意を自覚してましたが、権力の一本化にこだわるあまり
兵権を他の者に委譲する事を嫌いました。劉備死後、蜀漢最高の用兵家は
リゲンとギエンでした。リゲンを大尉にしギエンを大将軍にすれば
蜀漢の軍事機構はさらに強化されたでしょう。しかし、孔明はこの二人を
軽んじ、趙の趙括の如き机上の空論タイプのバショクとヨウギを重用して、
ギエン、リゲンとほぼ同格にしてしまいました。
孔明は、さらに将の登用でも荊州人を優遇したので、地元の益州武官は
内心不満でした。ヨウギの登用は彼ら益州人をなだめ、さらに彼らの間に
楔を打ち込む狙いもありました。益州人の中に、わざと一部優遇する
グループを作る事で不和を煽り、団結して荊州派閥に対抗する力を
削いだのです。利己心につけ込まれて、まんまと孔明に乗せられた
ヨウギの人気は芳しくありませんでした。
しかしヨウギも孔明の死後、格下のショウエン(荊州人)がすんなりと
丞相になったのを見て、自分が踊らされていた事に気付きました。
益州派閥からの支持も完全に失っており、没落は時間の問題でした。
わずかな嫌疑で彼は自害に追い込まれました。
>自らが兵権を握る段階になっても、軍事に暗く
はい、ダウト
諸葛亮の考えた八陣は後世の武将が参考にしている
また自身が指揮する野戦と撤退戦では必勝
軍事に疎いどころか同時代では並ぶ者を探すのが難しい程の戦上手
魏の中ではトップクラスの司馬懿も張コウも諸葛亮には手も足も出ずケチョンケチョンにされている(ちょっと言い過ぎたかも)
>孔明は、さらに将の登用でも荊州人を優遇したので、地元の益州武官は
>内心不満でした。ヨウギの登用は彼ら益州人をなだめ、さらに彼らの間に
>楔を打ち込む狙いもありました。
ダウトその2
楊儀は荊州閥
どうやって益州閥を宥めるんだろうね
何をどうこねくり回すとそう考えられるのかが知りたいんだが
参考資料は何なんだ?
>>410 的外れな事ばっかり書き込んでないで宿題やってろよ
反論を無視してその3を書き込む悪寒
正史スレなのに正史読まないで突撃してくる根性だけは買ってやる
だからその根性で1回正史をしっかりと読んで来い
>411
李厳もものすごく重視してるんだが・・・。
第一次北伐以降は督江州で中都護。
これは対呉監視任務と叛乱鎮圧間もない南中方面への重し的役割も兼ねる。その上、出征軍の後方勤務の責任者でもある。
諸葛亮遠征中と言う中で蜀漢国内の最重要問題をかなり任されているといえる。
まぁ、大尉とか大将軍とか言ってる人には理解出来ないかもしれないが。
ちくまの訳ではなく、中華書局あたりから出ている漢文を読むべし
>>411のようなレスはいいとして、他は再考や再検証を促すだけや
酷いのは煽るだけなのに閉口
おかしいと思えばまともにレスすりゃあいいのに、これじゃ三戦レベルと
どこが違うのやら。
まあ、煽りレスだけの人間は、どこが間違いなのかも分からないんだろう。
421 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 19:53:48 0
411の自演が見苦しい夏の夜
423 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 20:38:20 0
孔明って大将軍になってる?
シリーズ孔明の欠点 その3「無謀な戦略、稚拙で臆病な戦術」
孔明は、軍政面だけでなく軍令面でもその才能の無さを露呈していました。
つまり用兵家としては完全に2流の人物だったのです。それは5度に渡る
北伐の経過を見れば分かる通りです。
元々北伐は戦略的に全く無謀なものでした。しかし僻地の軍閥国家・蜀漢は、
このまま守りを固めていても、いずれ圧倒的な国力の差で制圧されるのは
時間の問題でした。故に先制攻撃に出るとの判断は正しいでしょう。しかし、
孔明の問題点は、元々無謀な戦略を行っておきながら、戦術面で過剰なまでに
冒険を避けた事です。これは小賢しいの一言に尽きます。蜀漢最高の用兵家
ギエンは孔明を「怯」と呼び、蜀軍の前途を大いに憂いました。
第一次北伐は蜀の優勢で始まりました。ここでギエンは重要な提案をします。
「自分が5千の奇襲部隊を率いて長安を突けば関中を取れるでしょう」
ギエンは10年漢中太守を務め、その周辺の地理に精通してました。
さらにヨウ州の情勢も的確に掴んでおり、敵将夏侯ボウの性質も見抜いてました。
孔明がギエンの策を採用すれば、関中は蜀の領土となりその後の歴史も大きく
変わったでしょう。しかし、孔明は冒険的で勝算に乏しいとして却下しました。
戦略面ですでに冒険してるのに、戦術面でだけ正攻法に拘るその小賢しい采配に、
ギエンは嘆息しました。それでいてガイテイの防衛を経験の浅いバショクに兵1万で
まかせるなど、それ以上の冒険を行ってます。バショクでなくギエンを指揮官に
すれば結果も変わっていたでしょう。周囲もそう見ていました。
孔明はギエンの台頭を恐れ、彼に手柄を立てさせるのを嫌いました。
戦いの勝敗よりも、自分の権力基盤を優先したのです。勿論それは
私欲によるものでなく、全権力を自分の掌中に置く事が蜀漢政権の安定に
つながると信じていたからです。しかし、それは他の優秀な人材の芽を
摘み取る事につながり、結局国を弱体化させてしまいました。
以下続く
がんも
426 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 20:43:22 0
>反論を無視してその3を書き込む悪寒
>>425 俺もがんもを思い出したよ。
正史専門サイトです。演義しか知らない人はお断りな感じで
諸葛亮に対しては資料のない妄想ばかり
自分の意見が否定されれば取り巻きの連中を使って書き込んだ人を徹底的に叩く
2ちゃんねるで単独スレが立つ位素敵な人でした。
懐かしいな。>がんも
気づいたらサイトごと消えてたけど
>>427 ということはこのシリーズを書き込んでいる人・・・・?
>元々北伐は戦略的に全く無謀なものでした。
ダウト
戦略的に見た場合の第一次北伐は非常に優れていた無謀ではなかった
ただ馬謖の登用とそこからの敗戦だけが惜しまれる
ほぼ全ての北伐は明確でそれ程無謀ではない目的の元に遂行されている
ただそのどれもに運が味方していなかったと言う話
>孔明がギエンの策を採用すれば、関中は蜀の領土となりその後の歴史も大きく
>変わったでしょう。
ダウト
長安を切り落としても隴西を安定させなければ長安を魏に奪還されるだけでなく魏延の命も危うい
また魏延の唱えた策は無謀もいいところ
ちゃんと魏延の言った策の内容を吟味してみろ
大事な北伐の緒戦としてまず採用できん
>しかし、それは他の優秀な人材の芽を
>摘み取る事につながり、結局国を弱体化させてしまいました。
ダウト
芽が出た自分の派閥以外の人間もしっかりと登用しているので諸葛亮死後すぐに人材不足に陥ったわけではない
蜀の崩壊は姜維台頭前後から始まるわけで諸葛亮の責任とは関係がほとんどない
>>394,410,424って、反論を無視してるトコ見ると、本人は書き込んでても全く書いた事を信じちゃいないのかな?
燃料かね。
あまり否定すると、三国武将よろしく怒りで血を吹いて倒れちゃったら
どうするんだw
三戦板でも電波扱いされそうなのが光臨してるな・・・
434 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:13:16 O
424
禿同なんだが
たかが、いち地方政権のナンバー2にそんな細かく突っ込まなくてもみんな解ってるよ。天下三分なんてギャグだってな
435 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:43:34 0
孔明って大将軍になってる?
436 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 23:44:30 0
437 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 00:01:07 0
演義では丞相兼大将軍だよね?
439 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:37:15 0
街亭の敗戦で三等降格して右将軍になってるって事は
武官としては大将軍だったのでは?
よく分からんが・・・
>>430 概ね同意だが
>長安を切り落としても隴西を安定させなければ長安を魏に奪還されるだけでなく魏延の命も危うい
>また魏延の唱えた策は無謀もいいところ
>ちゃんと魏延の言った策の内容を吟味してみろ
>大事な北伐の緒戦としてまず採用できん
ここには同意できず
そもそも魏延の策が無謀であることは魏延自身が知悉していたことであり
だからこそ失敗しても当時は大過ないであろう少数での実行を提案した
また国の存亡を賭けた乾坤一擲の大勝負に際して博打を仕掛けるのは
曹操の例を引くまでもなく武人として当然のこと
諸葛亮の安全策は無論妥当な選択ではあるが(北伐の目的を以功以守と見るならなおのこと)
魏延の策をただ無謀として退けるのはどうかと
また大事な北伐の緒戦を云々するなら
魏延ではなく馬謖を登用した諸葛亮の不見識は責められて然るべき
ただし、それらのマイナス要因を考慮に入れてもなお諸葛亮がやはり偉大な軍略家であったことには同意
>>439 文武官の区別がはっきりしていない中国の官制では、
公卿が兵を指揮したり、高位の将軍が政務を執ったりするのは良くあること。
別に大将軍でなくても、文官のトップであれば、全軍の総司令官にはなれる。
「精兵萬人」って
>大過ないであろう少数
ではないと思う。
443 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 02:06:39 0
完全に文官タイプの蒋エンが大将軍になるのってどうなん?
蒋エン以前の武官の最高位は呉懿の車騎将軍か?
俺は孔明は大将軍を兼官していた気がしてならない・・・
444 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 02:12:13 0
>>443 >完全に文官タイプの蒋エンが大将軍になるのってどうなん?
大将軍ともなれば司令官と言うより宰相ポストなので、おかしくも何とも無い。
>俺は孔明は大将軍を兼官していた気がしてならない・・・
だから、兼官しなくても丞相の官位だけで軍を指揮できるんだってば。
>>442 呂祖謙の説に従うなら北伐に動員された戦闘兵数は八万
その中の一万であれば立て直しの利かないほどの多数と言うわけでもない
少なくとも街亭での馬謖の敗戦よりはマシ
魏延って漢中で十年も太守やってたんだろ?
かなり血気盛んな人物だったみたいだから独自に長安攻略のシミュレートもしてたんじゃないかね。
多分魏延本人としては1万あれば長安落とす自信はあったんだろうし、
占領したあとの政策についても色々考えてたんじゃないだろうか。
だからこそ、そのあと何年もずーっとそのこと根に持ってグチグチ言ってたんだろうし。
根っからの軍人だった魏延には諸葛亮の北伐の真意が読めなかったのが悲劇だったのかも。
447 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 02:58:39 0
蒋エンは国政の最高責任者でもあったんだっけ?
孔明死後は尚書令が文官の最高位になったということか・・・
蜀の三公制度はいつの間にか立ち消えになってるし、
官制についてはよく分からない部分が多いな。
蒋エンは録尚書事。れlちきとした国政の最高責任者。
そんな基本中の基本すら知らんのか?
>>447は本当に三国志を読んだ事があるのか?
>>440 註にひかれた魏略に拠ると魏延は5000の精兵で長安を落とすと言ったとされてるようだな
本文では10000とされているけど、要するにこれは少数精鋭の奇襲で落とせばいけるって進言だったんだろう
確かに落とすだけならそれでいけるだろう
長安を落とすだけなら相当いけてる作戦だと思うよ
ただし落とせても魏の次の一手で確実に長安は奪還されるってだけ
事実、北伐の一方を聞いた次の瞬間曹叡が自身で長安に親征に来てる
魏延がどれだけ優秀でも落としたばかりの長安で皇帝直属の部隊と篭城戦が出来る程世の中甘くない
ほんと「落とせるだけ」になりそうだね。
長安の外周はおおよそでも20km。門の数も10以上。
こんな大都を五千や一万で守りきれるわけないでしょ。
蜀にとって一万の損失がどれだけ大きいかは滅亡までの蜀の歴史を
みればはっきりしてるよ。
一万といっても単純な数の問題じゃないよ。
「精兵萬人」ともなれば魏延を筆頭に優秀な将官クラスも多数失う事に
なるんだから。
数で劣る戦いを質で補おうとした諸葛亮が魏延の策を容れるわけには
いかないんだよね。
まず、魏延軍が長安に辿り着けるかどうかも微妙だろう。
魏側も哨戒活動は通常な時期でもしてるだろうし、この場合、諸葛亮が漢中まで出張った段階である程度警戒しているくらいだから。
夏侯ボウが軍事に暗い人物だったとしても、魏延の期待通り逃亡するかどうかも不明だし、魏の関中方面軍も彼一人で運営しているわけではない。
司令部には幕僚も居るし、部下の将官もいる。彼らが冷静に対応し、夏侯ボウがそれに従えば長安が落ちる可能性は少ないだろう。
仮に夏侯ボウが逃亡したとしても、全軍率いて逃亡するか不明だし、部下の将官に指揮を任せて夏侯ボウと一部が逃走(と言うか名目的には撤退?)すると言う可能性もある。
魏延軍を長安手前あるいは長安で20日程度拘束すれば援軍は到着する可能性が高く(魏の援軍は20日程度と魏延は予想している)、実質10日前後拘束すれば魏延案は失敗となる。
もしかしたら、魏の援軍の到着は魏延の予想より早いかもしれないし。
魏延の計画では10日で長安に到着し、空城を奪取するって計画だから、魏軍が応戦しただけで計画は破綻する訳だ。
あと、魏軍の司令官は曹真に替わる訳だが、この時期はハッキリしないけど、諸葛亮が漢中に出張った段階、あるいはそのもう少し後で替わっていれば、さらに厳しい状況になった可能性が高い。
>>449-451(ごめんまとめる)
精鋭五千、兵糧五千とあるから、戦闘兵五千+輜重兵五千で一万ってことなのかも
>>446氏の言う呂祖謙って先生の話は俺は山口久和の「三国志の迷宮」って本でしか知らないが、
それによると輜重もやはり八万ぐらいいて、合計十六万の兵が北伐に参戦したと見られてるらしい。
勿論輜重兵も戦闘力が皆無と言うわけではないから、魏延の一万の影響はなおのこと低くなる。
で、長安奪回の件に関しては俺も同意。
魏延も孔明も曹叡や司馬懿の軍才を計算に入れてなかったであろうし、
曹叡の決断力や司馬懿の機動力を考えれば魏延が言う二十日の猶予が与えられたとはとても思えない。
だから魏延の策が失敗したのは間違いないだろうとは俺も思うのだが、ただしそれは結果論。
何度も言われてることだが、北伐は建前上は国家の存亡を賭けての決戦を行うべき出兵であり、
国力の圧倒的に劣る蜀が勝利するためには魏延が提示する程度の博打ぐらいはやって当たり前。
また、魏延の策はそれ自体は単なる無謀なんかじゃ有り得ない。
本体と別ルートを採っての高機動奇襲作戦は戦術の常道だし(当時はそうでもなかっただろうが)、
そもそも韓信の前例があり、魏延としては漢中での十年間、
韓信の行動をよく研究した上で事前に攻略の算段もつけていたのだろう。
だから、魏延には策を退けた諸葛亮を「怯」と罵る資格は充分ある。
武人としてできることをやれなかったと言う悔いはずっと残っていたのだろうし。
ただ、諸葛亮は劉禅や諸将には勇ましいことを言ってはいるものの、
実際の北伐の意図が以攻以守にあったことは半ば定説になっている。
そこが魏延と諸葛亮のそもそもの食い違いであり、武人と政治家の視点の違いであったとも考えられる。
占領後の内政や外交なんかも色々考えなくてはならずがんじがらめだった諸葛亮には、
「占領しちまえばどうにかなる」程度の考えだっただろう魏延の策は到底受け入れられなかったんだろう。
ただ、実際に後先考えず占領して結果的に上手くいった例も幾らでもあるから何とも言えんけどな。
まあ要するに、諸葛亮の選択は正しかったけど魏延の策もそう酷いモンではないってことさ。
453 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 11:09:29 O
文官タイプとか、正直ありえない単語だよ
まさか廖化は元黄巾で関羽に従う侠の叩き上げの軍人とか思ってるクチ?
454 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 11:57:29 0
録尚書事ってのは官名ではないぞ。
諸葛亮に3郡が応じたように、長安陥落で郡県が動揺するという見込みは薄いだろうか?
>>451 お前が官渡のときの袁紹のように行動力のない人間だということはわかった
動揺しても魏は長安さえ取り返してしまえば片っ端から鎮圧できるだろう
>>455 高い
というか魏延の策もそれを見越してのことだろう
ただし100%確実じゃないし
曹叡と司馬懿の統率力を考えれば即座に動揺を抑えられる恐れもある
だけどそんなこといちいち気にして尻込みしてたら戦争なんてできないのよね
北伐の街亭の敗戦がなければそのまま関西は蜀の支配下になったと考えられる
関西を策源地として利用できるようになると漢中から打って出る時の不利な点が一切消滅するんだよね
魏延策を強行するよりも安全でしかも確実(と思われる)策で行けるならそっちの方がいいじゃん?
問題はそれに馬謖を起用したことだな
安全策をとっておいて人選で冒険してるのは確かにちょっと問題かも
つーか馬謖のミスによる街亭での敗戦があるからこそ魏延の策の是非で紛糾するわけだからね
うあ、リロードし忘れたorz
南征時の進言を見て使えると思ったんじゃないか?
ただぶっつけ本番に近い形での登用は馬謖には酷だよな
もう少し叩き上げればかなり優秀な将軍になれたと思うのに
がんも、その4まだ?
それこそ魏延を主将にして馬謖を副将につければいい経験になっただろうにな
まあ、孔明としては魏延の策を却下した手前、別の策の主将に魏延を用いるのは気まずかったんだろうけど
466 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:32:23 0
第一次に関しては諸葛亮も魏延も長安占領という戦略的には違いがなく、
その為の手段として迂回策をとるか奇襲策をとるかの差が出ただけ
(その先の戦略目標はよーわからんが)
長安とったらすぐ取り返されるって意見はここらへんどう思ってるのかな
てか、洛陽から長安ってのはおっそろしく攻めづらいよーな
467 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:37:05 0
>>465 気まずいとうより、丞相司馬ということから魏延には本陣の統率を任せる・副官としてそばで
進言してもらう必要があったと見るべきかと
>>466 孔明案では、「長安の後方を確保した後、長安を占領する」だったわけだろ。
これだと長安占領に見通しがたつはずだった。でも馬謖のせいで、アボーン。
一方の魏延案では、速攻奇襲で長安を占領して、その後に本隊が後方を確保する予定。
ところが孔明は、長安占領後に後方を確保するまで長安を維持し続けるのは難しいと判断した。
手段としての違いは、魏の反撃に対する評価の違いであった、というわけかと。
たいていこの手の議論って「孔明は正しい魏延バカ」か「魏延は正しい孔明ヘタレ」になることが多いが
こういう孔明も魏延も両方尊重しつつそれぞれの長所短所を冷静に議論してる流れはなんか落ち着く
470 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 14:11:43 0
長安の維持よりも長安奪取の可能性の相違だとは思うが・・・
結果論的には明帝が異常な勢いで長安まで親政してきたことから考えると
街亭の敗戦がなかった場合でも諸葛亮の策頓挫する可能性の方が高いが、
作戦立案時の諸葛亮の判断はどっちが正しかったかは。。。ぶっちゃけわかんね(おいっ)
叡が亮の想像を絶するポテンシャルを示しちゃった、でFAか?
諸葛亮策の場合は長安占拠に失敗しても関西が占領できるってのが大きいんだよな
つくづく馬謖の失敗が惜しまれる
魏延策は成功したらしたで常に薄氷って感じ
ただし成功した場合の対外、対内への衝撃度は計り知れない
長安は後漢期を通して北方、西方に対する前線基地として機能してきた街なので
取ってさえしまえばと思うんだが上でも出たように大都市だからそう上手くもいかないよな
もしかして当時の長安は小さかったのかな?
そんな事はないよな?
473 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 21:54:42 0
長安ってそんな簡単に攻め取れないだろ。
だからこその魏延の奇襲策だし諸葛亮の関西切取策なんだよ
475 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:11:29 O
6巻まで読んだ
>>472 諸葛亮が来るまで守りきることさえできれば
あとは諸葛亮の内政手腕で絶対にまとめることができる
と考えていたのかもしれない
長安落とす日数にも拠るけど曹叡は2月には長安に着いているし(北伐開始が年初)
諸葛亮が間に合わない可能性の方が高いんじゃないかな…
479 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 23:46:47 0
長安が簡単に取れると思っていた魏延は韓信気取りの史記厨だったんだろ。
>>478 それは曹叡の行動力を誉めるところだな
あの局面で皇帝自ら長安に赴き将兵を鼓舞するなんてのはなかなか思いつくもんじゃない
現に魏延も諸葛亮も思いつかなかった
ここで「諸葛亮も思いつかなかった」に反応した孔明厨の出番ですよ。
いや諸葛亮も曹叡自身がそこまでの傑物だとは思ってなかっただろうよ
曹叡はまだ20歳そこそこな上に曹丕から代替わりしたばかりでその性質を把握してなかったってのもあるんだろうけど
もし曹叡が傑物だと知ってても親征に来るとは普通思わない
もし北伐に対して決定的な負けで事態が進んだら長安にいる自分の身さえ危ういんだからな
483 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 11:08:55 0
乳臭い曹叡が来たくらいで何をそんなに憂う必要が?
しかし親征も良し悪しだな。
もちろん兵士達の士気や団結等の面でのメリットもあるが、失敗時のデメリットも大きい。
極論だが万が一捕虜になったし戦死でもした日にゃあ、それこそ国が傾く。
当時の魏に当てはめるなら代替わりそしてまた代替わりだ。
まあ戦死まではいかないとして、仮に馬謖の失敗がなく、とんとん拍子に長安包囲なんていったら目も当てられない。
包囲前に脱出したとしても士気と国威はがた落ちだな、内乱や呉の動きも考えにゃならんし。
あれくらいの国の規模があって、状況的にも代替わりしたばかりで内側を引き締めないとならない時だし、(諸葛瑾の襄陽侵攻、西平の反乱、孟達の反乱もあったし)
本当に国の為を思うなら親征なんてしちゃダメでしょう・・・
デメリットが大きすぎる。
結果的には良かったものの、君主の行動としてはちと軽率じゃないかね。
逆にそんな状況だからこそ、しかも相手は孔明だからこそ
誰も長安まで明帝が出張ってくるなんて思わないから、効果もそれだけ大きいとはいえるけど・・・
おいらにゃどうも若造が飛び出しちゃったって感がある。
って、ちょっと悲観的すぎたかな。
>>472 >長安占拠に失敗しても関西が占領できる
これはまずない
諸葛亮策は長安占拠が絶対条件
漢中から先は地勢的に長安の影響はさけられない
兵糧蓄積や軍事拠点として有用なのは隴関から西になるんで
>>483 北伐は前線では曹真vs諸葛亮だが、政治的には曹叡vs諸葛亮で色々やってたし、
親政によって長安指揮をへぼ夏候楙から解き放つこともできた
また長安以西の動揺も押さえた
どちらかというと諸葛亮が来たくらいでよく動いたもんだと
>>485 軽率な男だったら明帝記全体を通して戦争でほぼ失敗なしという成果はあげられない。
488 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 13:19:37 0
逆に、代替わりしてすぐだったから、武威を示す為に親政に踏み切ったのかもな
にしても、あの時の政情や対呉戦略は本当に不安定だった
だからこそ諸葛亮は絶好の機だと判断したんだろうな
シリーズ孔明の欠点 その4「補給過剰重視の空論戦略」
孔明は、机上タイプの兵法家であるとの見方があります。彼の戦略の特徴として、
補給を何より重視した堅実慎重な点が挙げられます。
しかし、それも場合に寄りけりです。大国の軍ならそれで良かったでしょうが
小国蜀による博打的作戦には、どうしても+αが必要となります。
北伐時の孔明は、関中西部の隴右に根拠地を作り、そこから正攻法で押し出す作戦に
常に固執しました。つまり軍の補給を第一に考える作戦です。この「補給重視」は
概して戦史家達に支持される類であり、もはや信仰に近いものがあります。
一般に「素人は戦術を語り、玄人は補給を語る」とまで言われるほどです。
しかし、実はここに大きな落とし穴があるのです。
実は、孔明が根拠地作りと補給路の確保を過剰に重視した時点で、北伐の成功は
すでに無くなっていたのです。
秦嶺山脈を迂回する類の補給路では、いかに上手く運営しても魏の大軍と対峙する
フル稼働状態の軍勢を賄う事など出来ません。これは、一見現実的に見えますが
その目標自体が全く空想的なのです。はっきり言えば、北伐において
漢中・隴右間の満足な補給体制の確立は不可能でした。孔明はこの出来もしない
前準備に固執して、まだ成功の可能性がある本作戦自体を潰してしまったのです。
漢中一帯、秦嶺山脈の地理に精通するギエンは、孔明の補給路と根拠地作りに
初めから疑問を持っていたのでしょう。あの周辺の険阻な地形を知れば、
そこに無理に補給路を設けても如何ばかりの物になるか想像が付きます。
満足な補給が端から望めないのが現実である以上、それを受け入れて別の対策を
取るべきです(つまり奇襲作戦など)。しかし、孔明はこの厳しい現実から
目を背けて、ただ兵法書の原則に則ろうとするばかりでした。
リゲンは、この無謀で非現実的な補給作戦の犠牲になりました。
彼は北伐時に漢中の兵站総監に任じられましたが、これは元から遂行困難
なものでした。リゲンの詔勅偽造の動機には、不可解な点が指摘されていますが、
出来もしない任務を押し付けられた憤りがその理由だとすれば、納得できます。
490 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 15:45:22 0
いちいちつっこむ気にもなれんな
>シリーズ孔明の欠点の人へ
同一人物?
自説を主張するのはいいが上の方の
あなたへの反論に答えたらどうだ
主張ばかりだと単なるオナニーだ
それとも4回も長文書いてツリですか?
492 :
さらし上げ:2005/08/09(火) 15:58:24 0
演義しかまともに読んでないようなクズが降臨してんのか…
煽ってるだけの方もどうかと思うんだが
ここ、まがりなりにも世界史板だろ?
三戦の厨みたいなレスしてひとりわかってるような物言いの方が醜い
どっかの厨サイトからのコピペとかじゃないの?
>>491
>>495
僕は、演義よりも正史を読んでいます。まだ読量は少ないですが・・・
皆様に指摘された通り、一部事実誤認がありました。
その点は恥じると共にお詫び致します。
この一連の歴史論文「シリーズ孔明の欠点」は、現在の勉強の段階で
僕が思う所を腹蔵なく述べたものです。
既存の歴史常識に囚われない観点から書く事を目標にしています。
まだ成長過程の論文である事は自認しています。
反論しないのは、先輩方の意見を真摯に受け止めてるからです。
僕自身、勉強不足さを自認してますので、現段階での反論は
避けようと思っています。あまりに意味不明な指摘のみ反論するつもりです。
498 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 16:54:16 0
>>497 試み自体は非難されるようなものではなく、むしろこれを叩き台として色んな人に指摘をしてもらうというのは
今後の為にも役立つと思う
(指摘してる人も100%あってるとは限らないが)
ただ、どっちとも取れないようなものを極論で断定されると、反発は多いだろうね
ま、反発があればあるほど有益な情報があつまるが
にしても、、、英文の論文みたいな書き方だなぁ
499 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 17:01:14 0
ちなみに私は「シリーズ孔明の欠点」には直接突っ込まず(指摘した方で面白そうなのは突っ込んだが)、
全部でるまで待ってたんだけど、いくつまであるんだ?
500 :
シリーズ孔明の欠点・著者:2005/08/09(火) 17:04:13 0
今後の勉強しだいで、また何か思う所があれば続きます。
>>498 英語の訳文みたいな文章だってのは、的を射てる。
503 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 17:50:20 0
んー とりあえず終わりなのか
>>394 諸葛亮の人材面の特徴は魏延と馬謖よりも馬忠と張翼に注目してみるといいかと思うんだが、
全体的に北伐に絞ってるのかな
とりあえず散々がいしゅつだが、諸葛亮が魏延を軽んじたという事実はなく
(
>>467でも少しだけ触れたが)丞相司馬という事からもいかに頼りにしていたかが伺える
あと、個人的に劉備が馬謖について語ったって記述の
信憑性自体が眉唾だと思ってたりする(根拠はあまりない)
諸葛亮が人を用いる能力に欠ける・ナンバー2になれないと自覚云々って、
論拠を示さないとわけわかめ
馬謖は脱獄の罪を問われて泣く泣く斬る事になった訳だが、
もし脱獄しなかったらどうなってたんだろう?
汚名返上の機会でも与えられたんだろうか。
505 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 18:48:33 0
どなんだろね
基本的にはそういう機会を与えるような手法をとってたんだろうが、
この北伐の後処理はかなり激しかったからねぇ
やっぱり極刑は免れなかったんじゃ
第一次北伐等の隴西方面へのキャンペーンは魏軍にもある程度の負担を強制することが出きると言う利点もあった。
例えば、街亭に向かった張コウ軍は5万だけれど、本来の蜀漢と魏の人的資源の差(1:5ほど)を考えれば、蜀漢軍を圧倒出きるほどの兵力を動員できたハズ。
それが5万と言う隴西方面の蜀漢軍より規模の小さい軍しか派遣出来なかった(5万は大軍ではあるが)と言うのは隴山を越えて大軍を派遣することの困難さの証明だろう。
また、司馬懿が最初に隴西方面の指揮を執った際、やはり蜀漢軍と同等、あるいは若干少ない程度の兵力しか動員出来ていない。その上兵站面でも不安を抱えていた。
ところが五丈原の役では蜀漢軍の3倍程度の軍を派遣しており、長安周辺での軍事行動では魏側の兵站&兵力動員は容易だった。
そういったことも考えると国力の差を当面の作戦地域に反映させなかった、と言う大きな部分で隴西方面へ作戦を指向することは、いきなり長安周辺は侵攻するよりも有効だったと思われる。
>>497 ここを読んだ事によって君の考えは変わったの?
君の考えの元になったサイトや本も教えて欲しい
>>506 晋書宣帝紀、宗室伝等に以下のような事が書いてあるって主張してるサイトがあったな
五丈原の対峙戦前に隴西方面への運河を整備した
そのため国力の彼我の差は最早戦略で何とかなる物ではなくなってしまった
>497
王夫之氏や孟念海氏の説は読んだことあるのかな?
批判するにせよ賛同するにせよ、一応目ぇ通しといたほうがいいんじゃないかと思うがね。
すまん、孟念海じゃなくて史念海だった。
511 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:04:41 0
>>509 いきなり中国の学者を持ち出すDQN発見!
そんなレスをこの板で見ることになるなんて思ってもいなかった
三戦板の厨が最近沸いてきてるからな
夏ってこともあるし
なぜDQNなのか説明したまえ
日本の学者の説でさえロクに目を通してない人間がわんさかといる中で
態々ハードルの高い中国人の学者を指名しなくてもよかろうって話じゃない?
それに中国の歴史学のレベルの低さは有名なのだが・・・
実際、中国の論文は参考になっても、それ以上の得れる物はない。
不明な所は平然と自己主観で補うからね。
そうなの?
中国人の研究所(?)は一冊だけ読んだけど、すごくまともだった。
というより、激しく勉強になった。
顧ヨウ・葛金芳(共著)の「宦官」だったかな。
518 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 09:24:44 O
すげえ偏見か、実はまともに読んだことがないか。
まあ玉もいれば石もいるってことじゃないか。
日本も同じだよ。
偏見としか言いようがないな
確かに偏った人たちも多いけど
>>509の挙げてる二人は三国志研究するならまず読んどくべき人たちだよ
それに参考になるならそれで充分だと思うが
「それ以上の得れる物はない」ってどこまでのものを求めてるんだ?
あ、個人的には呂祖献なんかも推しときたい
中国だと何でもありがたがる時代遅れのサヨ史家キターーーーーー
中国だと何でもけなしたがる夏休み特有の厨房キターーーーーー
523 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 14:04:47 O
流れを読まず質問。演儀の原作者名誰か教えて下さいお願いします。
「演義」なら羅貫中
が、方々の劇や伝承を編纂・脚色して著わした。
ホント演義さえなけりゃ…
はぁ…
人口は激減してるし
戦争なんかしてていいのか、って時代なんだよね
異民族で強力なのがいたらどうなったことか・・・
演義さえなけりゃ、、、三国志に興味ある人なんてほとんどいなかったかもな
三国志に需要があったので演義が成立したんだから、それはない。
>508
隴西方面への運河建設を考えたのは司馬懿が対蜀方面の指揮を執り出してからじゃないかな。多分231年頃。
それまでは蜀漢軍が隴西方面に侵攻してきても対処出来ない程度の兵力しか駐屯させていないし。
五丈原の役の時に運河が完成していたかどうか判らないけど、もし完成していたとしたら、運河の完成で魏の隴西方面への輸送能力が向上したため、隴西方面への進出の利点が無くなったって言う部分もあって長安方面(五丈原)へ出張ったって部分もあるかもね。
演義は無かった方が良かったかもなァ
アレで変な知識植えつけられるバカが増えるし
小説化するのはいいが余計なもん入れるなと
>>530 興味深いご意見です。
蜀漢は守りを固めていてもジリ貧だった、と本で読んだ記憶がありますが
やはり先制攻撃にはでず、専守防衛をはかりながら
呉や異民族との同盟、対魏外交を駆使して延命をはかり
その間に農業振興・治安維持により国力増強を目指す
という道を選ぶのが普通じゃないかな、って気がするんですよね。
なぜああも執拗に出兵したのか・・・孔明だけでなく姜維も。
>>533 >なぜああも執拗に出兵したのか・・・孔明だけでなく姜維も。
それが国是だから。後の南朝と違い、蜀にとっての中原回復とは
まさしくアイデンティティ。放棄した瞬間に国家体制が瓦解する。
>533
諸葛亮自身、中原回復を本気で考えてたかどうか・・・。建前は
>>534氏のおっしゃる通りだろうけどね。
北伐当初のキャンペーンから考えると、隴西以西を確保し、出来れば長安・関中以西を確保出来れば、ってトコじゃないかな。
その後は後継者に委ねる、って感じじゃないかね。
関中を確保出来れば、中原が混乱した際、蜀漢(関中を確保してりゃ蜀漢ってのは変だが)を中心に新たな秩序を構築出きる可能性も出てくる。
隴西以西だけの確保だけにしても、史実の蜀漢の滅亡のような隴西方面からの侵攻は防げる。斜谷・駱谷・陳倉方面からの侵攻は容易でないのは曹操や曹爽が証明してるから。
まぁ、なんにせよ、国家体制がしっかりしてなきゃ無理だろうけど。
537 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 06:08:15 0
>>533 >なぜああも執拗に出兵したのか
あそこはそういうお国柄・・・というと大雑把な言い方かもしれないけど、一時的な停戦ならともかく、
国が分裂した状態で冷戦状態を長期続けるというのはありえない。
孫権が皇帝になった時も、蜀ではあんな状況にもかかわらず呉に攻め込みかねなかったぐらい。
蔣琬や費禕もずっと漢中から指揮とってたし
538 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 12:51:08 O
蜀は守りに徹して生産力増強に努めていれば・・・
ってのは無理。
蜀は他の地域(中原)より農業生産力が落ちなかったからこそ、一州でなんとか中原にも渡り合えたんだから。
生産力増強できる余地もないし、時間をかければかけるほどに中原の生産力は回復し、蜀を圧倒していくに決まっている。
中長期的に見れば、蜀はできるだけ早く打って出るしか生き長らえる道はないんだよ。
539 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 14:34:55 0
後漢末期の中原の荒廃はひどかった。
反対に蜀は、中央の戦乱とは無縁だったので、魏が立ち直る前に
攻撃に出る決断は正しい。
540 :
533:2005/08/11(木) 19:18:06 0
みなさんありがとうございます。
小生勉強不足でずっと疑問に思っていたのですが
みなさんのように理詰めで解説していただくと、なるほど、と納得できますね。
>>538 やっぱ荊州失陥がクリティカルだったってことですね
542 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 00:49:06 O
そらぁ、諸葛亮の計画でも荊州は領有してることが前提だもの。
魏と呉双方から狙われるから、守り通した上で魏を攻めるってのも相当キツイが、それに耐えれば関中切り取りが見えて来るはずだ。
荊州保持してたらしてたで、打って出たろうな・・・
544 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 16:20:16 O
いやだから、
荊州を保持した上で打って出るのが諸葛亮の本来の考えだってば。
ひきこもることは考えられていないんだよ。
最初から最後まで。
荊州領有が三国鼎立の最低条件だったわけだからな
関羽がもう少しソフトな人間だったらとは思うけど
なんだかんだで因縁つけて孫権は荊州奪還してただろうな
546 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 22:13:04 0
実際、曹操と孔明って戦場で相対峙した事あったっけ?
547 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 22:19:19 O
孫権にとっても荊州領有は覇業の最低条件みたいなものだからね。
呉は長江流域を支配し、そこから中原進出を計画したけど、蜀の計画と違い、ある程度長期的なものを考えていたんじゃなかろうか。
蜀が魏に奪われるのは勿論大ピンチだが、その混乱に乗じて蜀に進出する数少ないチャンスでもあるし、呉そのものの生産力増加が見込めたから、蜀ほど焦る必要はなかったのかも。
>546
無いんじゃないかな。広義に見れば赤壁かも。劉備の本営にいただけだろうけど、
>547
孫権にとって荊州は覇業どころか、安定した自立への最低条件かと。
荊州を魏にしろ蜀漢にしろ、他国に押さえられた孫呉政権って、益州のみ蜀漢よか安全保障や地政学的に不安定かもしれん。
長江の水運活かせなくなるしな
荊州を失った上で三国鼎立なんかされても、
呉としてはいずれ自分たちに不利になることが分かりきってたから絶対譲れなかったんだろう
蜀との友好を重視した魯粛も荊州返還に関してはかなり強い態度で臨んでるし
魯粛よりも知力も統率力も上の周喩が生きていれば・・・
552 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 19:24:54 0
何で今さら北伐で盛り上がってんだろ・・・
三国志シンポジウムでそんな話が出たのか?
三国志で盛り上がるネタと言ったら、赤壁と北伐くらいだしね。
ここで劉禅ですよ
在位期間は超一流だね
556 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 22:22:39 0
いや、黄巾の乱について語るんだ。
地味だが良い仕事してる人物にスポットを当ててみるとか
カクみたいなの
陳登が地味だがいい仕事してる人物
カクもいいけど、 郭淮とか
蜀の馬忠とかもいい仕事してる
560 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 01:19:34 0
そんな事言ったら劉劭について語っちゃうぞ。
561 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 01:23:26 0
関索って関羽の息子で勇将なのに地味じゃね?
何で正史でスルーされてんの?
562 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 01:36:18 0
.┌━┐ ┌━┐
┃┌╋──╋┐┃
└╋┘ └╋┘
┃ ・ ・ ┃ ┌━━┐ お馬鹿さんには
●━╋┐ ┌╂━━━━╂┐ ┃
└━┷┴━━╂┘ └╋━┘ コピペできない
┌╋┐ ┌╋┐
┃└╋╋━━╋╋┘┃ 不思議なAAです。
┃ ┃┃ ┃┃ ┃
┃ ┃┃ ┃┃ ┃
└━┘┘ └└━┘
563 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 02:50:11 0
564 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 09:21:53 O
>>557 人物を語るのはいいんだけど、人物評に終始するだけだと結局は三戦での
レベルと変わらん話にしかならんよ。
出身と経歴、昇進の過程とか、当時の情勢や社会背景などと絡めて煮詰めた
見方をしていかないと、空虚な話しになりがちになるよ。
例えば賈クなら、孝廉で郎に挙げられ、その後は官吏への道を辿るのが普通に
思えるのに、その後の官位はほとんど武官コースであったり(たしかに政変や
混乱の渦中にいたとはいえ)校尉クラスからいきなり左馮翊と列侯を(受けな
かったとはいえ)贈られた背景とか根拠は奈辺にあるか、とかね。
並み居る曹操の幕僚の中でも毛並みの違うあたりとか、比較してみるのもいい。
人物に関しては特に経歴・官位を重視してみていくと、それまで見えなかった
ものとか気づかなかった側面がみえてきたりで面白いよ。
566 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 17:57:27 0
そういう
>>565は仕事できない2流のアフォってことが文章で露呈
ケラケラ
ケ方も無名だが、季漢輔臣賛では9番目に名前が出るほどだな。まぁ、初期に死んだ、って部分も大きいだろうけど。
568 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 01:47:52 O
閻柔や鮮于輔のいい仕事っぷりには負けるだろ。
あと田疇語って王雄を語らないのは素人。
後漢中期から末期までの宦官、外戚、清流派などの事を
深く知ることのできるスレなどをご存知ないですか?
後漢書でも読んでれば?
570冷たすぎw
>知ることのできるスレ
は探せばありそうだが、
>深く知ることのできるスレ
は2ちゃんでは無理かと
まぁ、深く知りたいのならまずは後漢書を読まないと。
573 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 17:18:19 0
孫権の周瑜、魯粛、呂蒙の三人の比較論には賛同しかねる。
574 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 17:46:27 0
三国志シンポジウムには本屋来てた?
>>573 高島俊男先生は「きらめく群像」で陸遜との会話として書かれてた部分でしょうか?
「当時呉には呉なりの見方があったのだろう」(文言はうろ覚えです)というような意味のことを書かれてましたね。
僕もそのようにさらりと流されることに違和感を感じましたが、
年をとってからの昔語りで、生きている人達が死んだ偉人を語る際に、
ああいう会話になるというのは現代でも同じだな…とも思いました。
576 :
世界@名無史さん:2005/08/17(水) 18:51:30 0
無錫の三国志テーマパーク行ったことある人いる?
また無双厨か…
579 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 16:31:46 0
無双も正史も似たようなものだ
無双はちゃんとした歴史家も政策グループに入ってるしね
正史にくわしい一は趙雲のすごさや星彩のことしらないでしょ?
あと馬雲緑のことだって無双ユーザーのほうが詳しいしw
もしかして無双を通じて正史の研究してる人よりも三国志にくわしくなったかも
>>579 君のいう「三国志」とはいったい何を指すのかね?
すくなくとも、君のいう「三国志」とは歴史的事実とは認定されない、ファンタジーに近いものなわけで。
一方、正史を学ぶ人間にとっては、歴史的事実の方が重要なわけ。
だから、君が詳しくなった「三国志」は、歴史とは言い難い。
したがってより詳しいとか何とか、比較は不可能。
ネタにマジレスしてみました。
> ネタにマジレスしてみました。
わざわざ釣られた言い訳するな( ^∀^)ゲラゲラ
ただでさえ演義のせいで馬鹿が多いのにそれに加えて無双が出たんじゃあねえ
584 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 23:33:12 0
北伐の話あたりから廚臭くなってきたと思ってたら、
北伐の話してたヤツはもう飽きたのか?
585 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 23:44:04 0
>>579 ですよねー^^
ぼくも無双のみの知識ですけど
この板で話題にちゃんとついていけてますから!
586 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 00:29:16 0
三国分立が二百年くらい続けば四川ももっと発展しただろうな。
587 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 04:54:02 0
蒼天航路は甘いジュースみたいなもので大人には読むことはできないな
甘いモノに甘えて生きてる奴は勉強も仕事も女にも失敗する
っていうか、こういう奴らに仕事も勉強も女も失敗以前に皆無だろうけど(笑)
数学を好み現実的社会愉しみ、設備投資に時間や手間暇を費やす大人には
蒼天航路も無双も横山三国志も耐えれない
588 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 06:45:09 0
数学?
>>
一方、正史を学ぶ人間にとっては、歴史的事実の方が重要なわけ。
ワロタ
三戦板が荒れすぎて馬鹿が流れてきてるな…
>>591 >三戦板が荒れすぎ
従来の光栄厨や無双厨なんざカワイイもんだからな・・・。
今の三戦板、「よろず雑談スレ」と「厨房系コテの自分語りスレ」が多過ぎ・・・。
ぶっちゃけて言うと、リアル中高生(しかもおそらく底辺校)が増えた。
リアル中高生に嫌気がさして史板に避難されても迷惑な話だが…
594 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 14:28:10 0
呉における仏教の発展について語ろうぜ。
サジ?
>>594 サクユウ?
語れるほどの知識がない三戦板から流れ着いた俺_| ̄|... .○
于吉
三国演義さえなけりゃこんな馬鹿が生まれることもなかったのに…
于吉といえば高岱。
でも太平道の始祖も于吉なんだっけ
600
601 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 18:51:35 0
なんだこの酷い流れ・・・
頼むから厨は三戦行っててくれ
三国志演義で孫策呪い殺したって事になったりしてる于吉は後漢の有名な仙人、于吉のパクリ
わけがわかりませんし
その情熱にもついていけません
大きなお世話ですが何か他に考える事ないんですか?
604 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:20:40 O
ここは目糞が鼻糞を嗤うインターネッティングですね
新参なんでよくつかめてませんが
ここは文化史ネタは需要低いんですかね
608 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:50:18 O
文句たれてるだけでは雑談スレと変わらないと思うが
丞相司直でも語ろうぜ。
609 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 00:05:47 0
于吉は確か後漢中期頃にもいた気がするな。
610 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 15:27:08 0
于禁って于吉の息子?
丞相司直って言ったら韋晃しか知らんな。
ここは三国志正史に関するスレだってことがわかってない奴が多すぎる。
>>594とか三国時代のスレだと思ってるんじゃないか?
陳寿という人物が書いた「三国志」という歴史史料文書である史書について語るスレッドであって
三国志演義とか無双はもちろん、三国時代の歴史的事実矢、考古学資料を含む
「三国志」以外の史料でさえ基本的にはスレ違いであって、このスレとは関係ない。
語りたいのなら「三国志」という文献と関連付けて語るべき。
それ以外はスレ違いの荒し。
>>590にも笑われてるぞ。
614 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 23:50:09 0
基本的に正史を基に歴史を語るんだから三国時代の
歴史的事実を述べても全く問題ない。
>>613 自治厨乙
他の正史もスレ違いとか、おまえさんは頭が固いな
世界史板に自治厨っていたっけ?
三戦なら腐るほどいるけど
>陳寿という人物が書いた「三国志」という歴史史料文書である史書について語るスレッド
つーことは裴注についても語れないということか…
>>613 ささいなことで新たにスレを立てる方が嫌われるっつの。
もし非正史OK(除演義&無双)の三国志のスレを立てても重複で削除対象だよ。
>>614 「三国志」とからめるならOK
>>617 「三国志」と絡んでるから問題ないでしょ。
スレ違い問題なだけで、直接関係あるものまで排除しようってんじゃない。
だったら演技だって無双だって三国志から生まれたもの、三国志と絡むじゃん
演技ネタもOKだな
じゃあ一騎当千もアリだな。
たゆんたゆん
ただし現代の作品はダメって事にしときゃいいんじゃね?
>>620 程度問題でしょ。
>>619が言ってるのは裴注は三国志正史の学術的注釈なんだから三国正史関連の文献的話題ってことでしょ。
古事記文献学スレッドが日本史板にあったとして、古事記伝はありで古事記ネタファンタジーはなしでしょ。
現代の作品でも
○三国志にかかわる文献学的文書
×三国志小説・漫画・ゲーム
×三国志以外の史料の文献学論文
×三国時代の三国志に関わらない考古学文献
△三国志正史の文章を裏付ける考古学や他の史料の話題
△三国志正史の文章を否定する考古学や他の史料の話題
でいいんでね?
>>622 ヘンに仕切る奴がウザイだけ、
>>624みたいな。
三国時代の真面目な話題なら別にいいじゃん。気に食わなきゃスルーするか、自分で別の話題を出して盛り上げればいい
気に食う気に食わないじゃなくスレ違いかどうかだろ。
まじめに話せばいいってもんじゃない。
要はここは三国志正史スレ。歴史書三国志に関連する話だけすればいい訳で。
演義や漫画だとかスレ違いなことはスルー。
後漢書は?
晋書は?
華陽国志は?
世説新語は?
そもそも陳寿の『三国志』を「三国志正史」とは言わないわけで、
『三国演義』等の創作世界ではなく三国時代について諸資史料に基づいて
史実に近づこうとするのがこのスレなのではないかと
次スレから三国時代スレにしないか?
【三国志正史】三国時代【その他】 第八
【三国志】三国時代【正史】 第八
スレタイはこんな感じにして。
後漢末期と三国志の時代を表記する一次資料スレ
「正史三国志」なら目にするけど、「三国志正史」って呼称は珍しくない?
正史を固有名詞と勘違いしてる人も中にはいるけど。
どっちでも意味は同じでそ
>>633 『三国志正史』という言葉が確定していない時点でその意味はあいまい。
で、今その意味で紛糾しているんでしょう。
>『三国志正史』という言葉が確定していない時点でその意味はあいまい。
言葉が確定してなくても指し示す対象が確定してるんだから問題ない。
>で、今その意味で紛糾しているんでしょう。
してないよ。
要は自治厨がうざいってことでFA?
スレ違いがうざいだけ。
638 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 02:26:52 0
別に無双きっかけで歴史語りたいってのはいいんだよ
ただ、ネタやゲームの世界観の話なんてのは三戦板でやれと
せっかく作ったんだから有効活用してくれ
このスレは本来自然淘汰されるのがのぞましい
まともな判断力を有していれば、スレタイ見ただけでここがどういうスレなのか普通はわかるはず
無双だのなんだのスレ違いなネタを持ち出してくる輩は、ワザとにやっているとしか思えない
640 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 23:22:33 0
よく挿し絵で馬超がかぶってる獅子頭の兜って何がモデル?
641 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 00:09:08 0
馬超が一騎打ちした人って、キョチョだけ?
642 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 00:13:53 0
ちゃんとした文献には一騎打ちの記述はないよ。
キョチョ自身一騎打ちってしたという記述も無かった(はず)
>>641 史実で馬超と一騎打ちしたのは韓遂の部将閻行だけです。
許褚とは一騎打ちしていません。
644 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 00:21:49 0
>>643 閻行とやり合ったって事は他のヤツともしてる可能性大だけどね。
ちなみに馬超は首の骨!折られたとか書いてあったような・・・
645 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 01:37:46 O
三国志の面白いDVD教えてもらえますか?
646 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 01:38:21 0
どうせ演義のしかないだろ。
647 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 01:43:17 O
演義ってかなりデタラメに作ってない? 全7巻の
648 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 01:59:04 0
演義の話は三戦板だよな?
スレタイちゃんと見てるはずだよな
まさか三文字までしか読めないなんてことはないよな
650 :
世界@名無史さん:2005/08/23(火) 09:46:59 O
三戦板ってどこですか?
652 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 03:02:18 0
演義の話ですまんが、馬超の獅子頭の兜は
張飛との一騎打ちの回の「獅盔(灰の下に皿)獸帶,銀甲白袍」
から来てるんだね。
明代には実際にそういう兜があったという事なんだろうね。
>>652 高島俊男『中国の大盗賊』の元末明初の項を読んでいて、軍装その他のイメージが
湧かなくて一瞬悩んだが、何てことはない、三国志演義を思い浮かべればいんだよな。
演義中に描かれる武器やら鎧やらのモチーフは、もろにこの時代のものだというし。
654 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 13:15:45 0
獅子頭はライオンの被り物がモチーフなんかなあ。
映画でアレキサンダーがかぶってたし。
元はヘラクレスが自分で退治したライオンの皮を
かぶっていたような・・・
獅子は龍の9匹の子供の1匹
656 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 19:31:46 0
つまり、馬超はヘラクレスにあこがれて獅子をかぶってたってことだね?
658 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 00:03:10 0
いや、実際の馬超の装備の記述は記述に無い。
張飛の蛇矛はともかく、関羽の青龍刀も記述が無い。
演義に出てくる武器・防具はほとんど後世の想像の
産物かと。
659 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 00:09:34 0
張飛や関羽は部隊を統率するためのみこしでしょう。
おそらく前線で戦闘なんて皆無だったのでは。
蛇矛云々もアクセサリーと思うのですが。
660 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 01:30:05 0
方天画戟の使い手は晋書に出てきたような・・・
呂布のモデルかな?
661 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 01:31:26 0
呂布マニアが作ったと思われる呂布本事って
本があったらしいね。
呂布はトルコ系か?
663 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 03:21:31 0
韓国系の武将っていないの?
金旋とかは頭悪いから違うと思うけど、金イとか李厳とか、諸葛孔明とかって
韓国系じゃない?金や李は韓国によくある姓だし、少数だけど、諸葛姓もあるらしいし。
ハイハイワロスワロス
三戦厨の次は韓国か・・・
李異って武将いたよね
魏延って根はいいやつだよな。劉備には忠実に尽していたし、諸葛亮が信じなかったことがいけないと思う。五虎将に匹敵する武将だったわけだし…。
諸葛亮にむちゃくちゃ信頼されとるがな
あと「いけない」ってのは何のこと?
自覚しているのかいないのか、そろそろ巣に帰ろうよ……
魏延を貶めたのはむしろ楊儀や費禕、蔣琬とかかな
三族皆殺しにされたらしいけど魏延伝のポジション考えると名誉は回復されなかったんだろーなー
逆
魏延伝のポジションは「罪を犯したとして罰せられたがその実はそうではなかった人々」
「正史」とは全く関係ないので恐縮ですが、
(演義オリジナル?の)魏延の「叛骨の相」って具体的にどんなものだったのでしょうか?
「後頭部の骨が突出している」と聞いたことがあります。
でも後頭部の骨なんて触らなければわかるものではないと思いますし…。
自分も後頭部の骨が出てるので気になります。
中国の文学史・文化史あたりの観点から検証できる方もいらっしゃるかと思いましたので、
質問させてください。
673 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 13:50:32 0
骨相ってヤツじゃないの?
>自分も後頭部の骨が出てるので気になります。
え、エルフェンリート?
リセットスイッチに一票
魏延って予州だったか、魏の領土になってたとこ出身だったと思うけど、
現地に残った一族はどうなったの?皆殺し?
それとも任官するたびに一族みんなを連れて歩いてたのかね?
それだと豪族なんかはそのたびに土地を捨てて歩くはめになりそうなんだが。
677 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:12:57 0
乱世ではそれが当たり前。
678 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:14:18 0
みなごろしか。
きついね。
三国志以外の正史のスレってあんの?
680 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:16:23 0
史記スレッドはあるけど、あれは純粋な書物の『史記』のスレだな。
上代から武帝の時代までをいっしょくたに語ることはできまいw
三国志以外に演義はない
682 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:19:56 0
ま、しかし語ることが多いのも三国時代
683 :
000:2005/08/25(木) 23:26:59 0
676>
一族と必ずしも一緒ではないよ。
諸葛亮と諸葛勤はちがいますよね。あと同じ諸葛一族でも魏の
諸葛誕がいますね。
黄権も当人と一族が魏と蜀に別れていますし、張飛と夏候家は
親戚になっていたし、夏候覇は蜀に亡命しているし・・・。
もちろん殺された一族のものもいるのでしょうがそうでないものも多い。
681>三国志以外に演義はない
隋、唐演義ってのはあったきがするよ
>>683 681はスレットの有無の話じゃないか?
間違ってたらスマソ
686 :
世界@名無史さん:2005/08/26(金) 00:05:43 0
諸葛勤→諸葛瑾
夏候→夏侯
馬超や呂布、張飛って本当に頭悪かったの?
>>689 同じ人間とは思えないぐらい…
さぁ三戦板へ帰るんだ!
691 :
世界@名無史さん:2005/08/26(金) 20:05:30 0
黄忠村ってのが四川にあるらしいね。
>>687 >>688 がーん・・・・
でも、(正史の名)+演義って三国志だけだよね・・(~_~;)
>>693 がーん・・・・ がーん・・・・
三国志演義 の検索結果のうち 日本語のページ 約 62,500 件中 1 - 10 件目 (0.75 秒)
三国演義 の検索結果のうち 日本語のページ 約 8,710 件中 1 - 10 件目 (0.22 秒)
三国志演義の方が多いのに・・・・_| ̄|○
>大辞林 第二版 (三省堂)
>
> さんごくし-えんぎ 【三国志演義】
>
>中国の歴史小説。二四巻。羅貫中著。四大奇書の一。三国時代の史実を「三国志」に基づいて物語風に演義したもの。
>劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りに始まり、魏の曹操、呉の孫権、劉備の宰相諸葛孔明などの活躍を通俗的に描く。
>日本でも江戸期より翻訳がなされ、広く愛読された。
>三国志通俗演義。
おおそうか、『三国志通俗演義』が正式タイトルでしたね。失礼失礼。
『三国演義』も『三国志演義』も俗称でした
どうなっちゃったの? このスレ……
698 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 01:01:25 0
演義の知識の方が多い人が多いんでしょう。
699 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 02:30:40 0
吉川を元にしてないオリジナルの演義の方の知識がある人はあまりいないかも
三国志演技 の検索結果 約 29,800 件中 1 - 100 件目 (0.37 秒)
_| ̄|○
ワロタ
どうでもいいが三国志艶義ってエロ漫画があったな
703 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 12:34:18 0
そ、ソプ代、いや、壮大そうなエロ漫画だな
>でも、(正史の名)+演義って三国志だけだよね・・(~_~;)
残念ながら、五代史演義・宋史演義・明史演義など色々あります。
三国志通俗演義の著者羅貫中は「残唐五代史演義」も書いたとされているんですよ。
ちなみに、五代史の講談は一時期まではそれなりに人気があり、正史新五代史にも影響を
与えたとされています。
あ、その他の演義小説系は下記参照。
ttp://oak.zero.ad.jp/~zae06141/chinahistory5.html それから、基本的に演義の作者たちは正史の本文を読むのではなく、
正史のダイジェスト版や資治通鑑系の通俗史書を元にしています。
正史が余り出回っていなかったので、そこらへんの本屋で売っている
通俗史書を見てかいたみたいね。
>どうでもいいが三国志艶義ってエロ漫画があったな
余り関係はありませんが、隋書演義の一つに、「通俗演義隋煬帝艶史(隋煬帝外史)」というのが
あります。
内容は煬帝の生涯を猟奇的に書いたものだそうな。煬帝悪役化にかなりの影響を及ぼし、
異本も多い。
もっともおっぱいおっぱいは余り出てきません。
706 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 18:05:57 0
三国時代の兵馬俑が残ってたら当時の軍装も分かるんだけどな。
劉備の陵を掘り起こしたら出てこないかな・・・
魏は薄葬だったから無理かも知れんな。
707 :
世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:38:11 0
劉備の恵陵も盗掘の対象になったんかの〜。
だとしたら寂しい話。
魏によって蜀滅亡した時に掘り返されてるんじゃねーかなぁ
「劉備陵に盗掘に入った盗賊が関羽や張飛の亡霊に追い散らされる」
って話が、確か『捜神記』だったかに載ってなかったっけ。
では関羽や張飛の墓に盗掘にはいったら?
誰がおで迎えしてくれるの?
関羽は高位の神様だぞ。
部下の神霊がたくさんいる。
712 :
世界@名無史さん:2005/08/28(日) 22:04:47 0
捜神記って和訳出てた?
平凡社から文庫で出てます。
元は、東洋文庫らしいですが。
そういや劉備の廟号って何?
「漢昭烈廟」などと諡号を廟号代わりに使ってるようだけど
715 :
世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:03:38 O
ないんじゃない?
廟号は必ず付けるものじゃないし
僭称だからな
717 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/29(月) 21:28:54 0
昭烈帝にも廟号はあったらしいのです。「晉書」の「劉元海載記」に「永興元年、
元海(劉淵)乃はち壇を南郊に爲り、僭 して漢王の位に即く、令を下して曰く
『昔は我が太祖高皇帝・・・太宗孝文皇帝・・・世宗孝武皇帝・・・中宗
孝宣皇帝・・・世祖光武皇帝・・・顯宗孝明皇帝・・・肅宗孝章皇帝・・・
昭烈は岷蜀に播越し、・・・社稷の淪喪してより宗廟の血食せざること茲に
四十年なり矣、・・・孤(われ)今や猥りに公の推す所と爲り、三祖の業を
紹修せん、・・・』と、乃はち其の境內に赦し、年を元熙と號し、劉禪を
追尊して孝懷皇帝と爲し、漢の高祖より以下の三祖五宗の神主を立てて之を
祭る」とあります。この「三祖」とは高祖と世祖と昭烈帝ということになるで
しょう。但し劉淵の下令中には昭烈帝のみが廟号を明記されていません。
恐らくこの際に劉淵が「*祖」という廟号を追上し、三祖を揃えたものかと
想われます。そしてこの廟号は遂に史書に伝えらずに終わり、後世に認知
されることなく今日に至っているわけです。なお「五宗」が太・世・中・顯・肅の
五帝であることは説明に及ばないでしょう。
718 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/29(月) 21:31:18 0
訂正
乃はち其の境內に>乃はち其の境内に
719 :
世界@名無史さん:2005/08/29(月) 23:31:29 0
あやめ、まだ生きていたのか・・・
前にも書きましたけど不死身のフェニックスあやめと呼んで!
722 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 06:21:49 0
劉淵の祖先の冒頓か呼韓邪か劉豹が○祖なんじゃねえの?
あ・や・めラヴ
殺め
裴松之注に引用される資料の性質とか信用性について考察された文献ないですか。
特に魏略について知りたいんですけど。
>裴松之注に引用される資料の性質とか信用性について考察された文献ないですか。
入手は困難ですけど、劉知幾『史通』(増井経夫訳・研文出版)はいいですよ。
あと、どうしてもこういう文献は原書になりがちです。王鳴盛「十七史商カク」とか趙翼「二十二史サツ記」とか、
和訳のない文献が多くて。
日本語だと部分的な考察に止まります。高島俊男『三国志きらめく群像』ちくま文庫
あたりが一応おすすめできるところでしょうか。
727 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 22:30:34 0
魏略の大ウソと言えば劉禅が劉備とはぐれて云々って話だな。
俺はあれ、劉禅じゃなくて劉備の落胤がいたって噂が変形したんじゃないかと思う
「史通」は東海大学出版会からも訳本が出てるね。バカ高いので母校の図書館で読んだが。
「廿二史箚記」は一応国訳漢文大成に入ってるけど、書き下し文だしねえ。
漢文読めるなら「三国志集解」の引く各書についてのコメントも参考になるでしょう。
あとは「二十二史補編」に入ってる「隋書經籍志考證」かな。
あ、ごめん。間違えた。
×二十二史補編
○二十五史補編
>「史通」は東海大学出版会からも訳本が出てるね。バカ高いので母校の図書館で読んだが。
あれもいいですが、大学図書館以外で殆ど見ませんし…まあ、増井さんのもあんまり見ませんね。
>「廿二史箚記」は一応国訳漢文大成に入ってるけど、書き下し文だしねえ。
続国訳漢文大成ですね。読通鑑論と同じシリーズ。書き下し文なのがネックか。
ただ、神保町でも余り見かけないんだよなあ。
汲古書院から和刻本が出てますが、これも入手困難
>漢文読めるなら「三国志集解」の引く各書についてのコメントも参考になるでしょう。
これが一番便利かつお手頃なんじゃないかなぁ。まあ、漢文が読めないとしょうがないんですけどね。
学問板に来ているのなら、有る程度の漢文読解力は前提でしょう。
まあ、俺には備わっていないわけだがorz
ちくま訳の付録の裴注引用書目の解説も『集解』の説明を引いてるっぽいね。
734 :
世界@名無史さん:2005/09/03(土) 21:00:27 0
裴注はなんか裴松之自身が、なんでこんな与太話を載せなきゃならないんだ、
とぶつぶつ言いながらも律儀に載せているのを想像できて楽しい
735 :
世界@名無史さん:2005/09/07(水) 22:12:03 0
諸葛孔明が身長180cmあったというのは
ガチなんでしょうか?
736 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 01:29:12 0
すみません。
趙累って何者なんでしょうか。
いきなり「都督」の肩書きとともに関羽が捕らえられた時にぽっと出てきて・・・
趙累について詳しく記述されている伝、または他の書物ってないのでしょうか。
737 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 03:32:46 0
くちばしが生えている
はいはい趙累ならぬ鳥類ねわろすわろす
739 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:11:55 0
>>735 蜀書諸葛亮伝に身長八尺とあるが、一尺22cmとすると
180cm近いな。
740 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:16:13 0
三国時代って同性愛者だと思われる人物っていた?
741 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:19:32 0
孫白符と周公瑾
劉禅と黄皓
743 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:49:58 0
蜀晩年に張翼が冀州勅史になったりケ芝がエン州勅史になったりしてるけどどういうこと?
明らかに場所が違うような。
>>744 ただの名目じゃないの?
刺史(だよね?)レベルの待遇ですよ、っていう。
蜀と呉は互いの同盟で分割しようって約束した魏領に刺史を任命してる
虚勢だけど戦意高揚のためには仕方ないんだよな
>>745 刺史だった。アホな間違い...
ただの名目か。なるほど。どうもありがとござました
748 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 23:30:35 0
冀州とエン州を蜀が取ったら呉はどこ取るのw
司州とヨウ州じゃね?
幽州、青州、徐州、豫州、司州の東半分
ちなみに朱然は兗州牧に任命されていたが蜀との協定取り結んだ直後に解任されてるし
蜀でも魯王だった劉永が甘陵王に、梁王だった劉理が安平王に改められてるから
蜀も呉も結構真剣にこの分配について考えていたっぽい
対魏共闘の名目上から、あくまで形式的に領土分割を決めただけなんだけど、
実際の任官に際しては律儀に守ってみたって感じか。
752 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 23:52:24 0
ば
>魯王だった劉永が甘陵王に、梁王だった劉理が安平王
なんか格下げされてね?
甘陵も安平も国としての名前でもあるから格下げではないだろ
とりあえず手頃な国に封じてみましたって感じはするが
755 :
世界@名無史さん:2005/09/10(土) 02:44:10 O
いや格下げもいいとこだ
もしかすっと
魯や梁では呉と同格になってしまう(名前の上ではね)から、敢えて下げたかな
春秋戦国のイメージを重ねればね。実際には後漢〜魏のころの魯や梁は豫州の一郡国に過ぎない。
ちなみに甘陵郡・安平郡はともに冀州の郡で、蜀の分割領域内。魏は甘陵郡を清河郡と改名したが、
もちろん蜀漢では後漢の旧名を用いたんだね。
漢だったか唐だったか清だったか忘れたけど、一字の国の王は国王、
二字の国の王は郡王とか言って、一字>二字だったと聞いたが。
758 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:33:38 0
漢は王が封じられた郡は国と呼ばれています。
北海国とか河間とか・・・
その場合太守は相と呼ばれます。
759 :
【定ちゃん】:2005/09/11(日) 01:48:57 0
あげるデチッ!
前漢の頃は基本的に皇帝の兄弟って、呉王とか梁王とか戦国時代の国名からとってね?
後漢になるとみんな封じられた郡(2文字)からとってる気がす。
淮南王や済北王は漢初からいますが…
淮南王は出生があやしげ、呉楚七国の済北王は皇帝の孫ではなかったか。
弟だっけ?
呉王は劉邦の甥だな。
763 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:00:00 0
蜀みたいな日光の照らない地方の兵って弱くならない?
その兵隊てのは植物なのか
765 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:31:22 0
いや、蜀の兵が強かったって話をあんまり聞かないもんで。
766 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:07:28 0
三戦板と違ってここは平和ですね
そうでもないよ( ^∀^)ゲラゲラ
768 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:29:42 0
青州兵は何で強かったんだっけ?
まあ、天下十三州の兵で最強は涼州兵だろうけどな。
>>768 黄巾の乱からずっと戦い続けていて、
戦闘経験が豊富だったからでは?
山東大人
やる気があったからだろう
772 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 22:40:00 0
州別だと猛将はどの州に多いかな・・・
并州は呂布・張遼
涼州は董卓
揚州は孫堅・孫策
豫州は許チョ・曹仁
エン州は典韋
青州は太史慈・顔良
司隷は関羽・徐晃
幽州は張飛
荊州は黄忠・魏延
益州は甘寧
雍州は馬超・ホウ徳
冀州は趙雲
孫堅は揚州出身だっけ?
774 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 00:43:31 0
呉郡富春の人じゃなかったか?
>>774 すまん、調べたらそうだったよ
幽州出身の程普と勘違いしてたよ
学問板なんだから、まずは猛将を定義付けしてくれよ
777 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 01:12:59 0
>>768 黄巾の中から強いのを選りすぐった軍団
を青洲兵といったんじゃないか?
778 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 01:38:06 0
猛将の定義なんて無いよw
列伝に武芸絶倫とか戦場での活躍がすごかったとか
書いてあれば猛将として扱っていいんじゃないの?
780 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 04:15:02 0
学問的な猛将の定義の仕方について教えて下さい。
もう しょう【猛将】 勇猛な武将。
大辞林より
名のある人物ってことでえーんでは
勘違いしたといってるわりに幽州に張飛しかおらんのがわけわからんが
783 :
世界@名無史さん:2005/09/12(月) 12:14:45 0
公孫サンは列伝を読むと結構な猛将なのだが、
袁紹にボロ負けしてる事から猛将に入れたく
なくなるな。
なんかまた三戦から厨が沸いてるな…
786 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 00:36:02 0
NGワードが出てしまったようでw
787 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 11:16:14 0
まあ、演義の知識がそのままインプットされている例もあるが、
伏官が処刑されたと信じている奴いるだろう?
(後漢書によれば、発覚前に病死)
788 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/16(金) 11:27:25 0
>>757 一字の王は「國」の封で二字の王は郡の封というのは北周とこれを継承した隋から制度化され、
基本的には皇帝の子(親王)とその嫡系の子(嗣王)は國に、親王の諸子は郡に封ぜられることに
なっています。
これ以前においては王は郡または縣に相当する地を封國としていました。王の称号も原則は
封地+王という形式で「呉王」も「淮南王」も同格です。しかし例えば「南郡」に封ぜられた王が
「南王」では変なので「南郡王」と呼ぶという例外が発生しました。そして南齊ころからは一字の
郡−例えば巴郡に封ぜられた場合なら「巴王」ではなく「巴郡王」というように、全て二字形式に
語呂合わせされるようになりました。当時は内臣の「國王」は存在しません。上記のように
北周から「國王」と「郡王」の区別が始まったのですが、この場合は國王は「隋國王」のようには
呼称せず「隋王」と一字形式なのに、郡王の方は「西平郡王」というように二字+郡王の形式が
正式ですが、通称として「郡」を略すこともあります。公爵の場合は「温國公」のように「國」を
入れるのが正式です。
789 :
世界@名無史さん:2005/09/16(金) 11:30:28 O
おい!香港野郎。
いたらちっと、中国板に来い!
みんなお前を待っているゾ!
・陸遜の陸家は呉の四姓で名門なんですよね?では周瑜の家も(曽祖父が尚書令とかで)
よく名門だと書かれてますけど、陸遜の家柄よりは悪いということでしょうか?
・周瑜もあの調子で長生きしていたら丞相になったと皆さんは思いますか?
・曹操はなぜ諸葛亮をほしがらなかったのですか?
・諸葛亮の奥さんの英氏はブサイクだったのですか?
・諸葛亮に側室とかがいたという説はあるのでしょうか?
質問ばかりですいません。
最近三国志がとっても大好きになったまだ勉強し始めの新参です。
上記のことがとても気になるので時間があったら是非回答をお願いします。
791 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 10:14:41 0
・陸遜の陸家は呉の四姓で名門なんですよね?では周瑜の家も(曽祖父が尚書令とかで)
よく名門だと書かれてますけど、陸遜の家柄よりは悪いということでしょうか?
ハッキリしません
・周瑜もあの調子で長生きしていたら丞相になったと皆さんは思いますか?
なりません
・曹操はなぜ諸葛亮をほしがらなかったのですか?
ほしがってました
・諸葛亮の奥さんの英氏はブサイクだったのですか?
英氏って誰ですか?
・諸葛亮に側室とかがいたという説はあるのでしょうか?
子供は側室の子です
792 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 11:58:45 0
呉の四姓ってのは呉郡の四姓じゃないの?
周瑜は廬江の人だから呉の四姓に入らないのでは?
家柄は三公を出した家の方が上。
もちろん周瑜が生きていれば丞相または大将軍に
なっていたはず。
当時は、側室を持つことは当たり前。
一人の女性だけ愛し続けたり
奥さんが怖すぎたりして、側室を持たなかった人物もいるけどね。
>陸遜の陸家は呉の四姓で名門なんですよね?では周瑜の家も(曽祖父が尚書令とかで)
よく名門だと書かれてますけど、陸遜の家柄よりは悪いということでしょうか?
序列は難しいですが、これは周家の方が上とみるべきではないでしょうか。
呉の四姓は「呉郡に於ける四大豪族」でしかありません。ちなみに四姓というのは各地方ごとにあり、
例えば姜維の姜家は「天水の四姓」の一つです。
地方政界での有力者ですね。
尚書令は現在日本で言うなら内閣官房長官ですから、格が違います。
この序列を実証するのが「世説新語」に載せる陸機・陸雲兄弟(陸遜の孫)の逸話と陸兄弟
の官位です。陸兄弟は呉では有名人でしたが中央政界では名前を呼び捨てにされる屈辱を受け、
官位も就任時に最低の官位しか与えられないと言う差別待遇を受けました。当時の貴族社会において
就任時の官位が最低だとろくに出世できないのです(魏の文官の子弟は宮崎市定氏の研究によれば
就任時に高い官位を既に貰っています)。
ただし、陸家はその後唐の詩人陸亀蒙、南宋の詩人陸游など有名人を輩出しましたからその後は立場が逆転しています。
なげえってんできられちゃったからもう一発。
>・周瑜もあの調子で長生きしていたら丞相になったと皆さんは思いますか?
なったのではないでしょうか。まあ仮定の話は歴史学ではしてもしょうがないので。
>・曹操はなぜ諸葛亮をほしがらなかったのですか?
諸葛亮が有名になるのは劉備の配下になってから随分後ですから、そもそも曹操は晩年まで
名前を知らなかったのではないでしょうか。
劉備が漢中王になるまでは無名と考えるべきかなあ。三国志演義では初期から活躍していますが、正史三国志では
入蜀以前の確実な活躍が見られません。いわゆる三顧の礼や隆中対策は捏造の疑いがあるとされており、
確実ではありません。
>・諸葛亮の奥さんの英氏はブサイクだったのですか?
英氏じゃなくて黄氏ですね、不細工で有名でした。うさんくさい民間伝承で美人としているものもあり、
現代人で「あれは当時は不美人だったが現代の眼から見れば美人だ」などと珍説を唱えるものもいるようですが、
正史三国志注に「ブサイク」とあるのですからそれを尊重すべきでしょう。三国時代の民間伝承は
はっきりいって三国志演義の副産物でぜんぜん当てになりません。
796 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 13:20:19 0
周瑜の従祖父の周景、又従兄弟の周忠は太尉になっているので
尚書令どころじゃないよ。
よって家格は周氏>陸氏。
まあ、財産がどっちが多いかは分からないけどね。
797 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 13:36:01 0
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::o::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 いわく、
おまえら、蜀ばかり使うなよ。
諸葛氏というのは有名な名家なので
曹操はその名を知っていたはずでぃすが
そもそも晴耕雨読等は商人が投資をしてくれる将来性のある文人か
金持ちしか出来ない芸当であります
兄の諸葛瑾も呉で大将軍まで昇っているのは
家柄が超良かったからなのであります
人柄等はまず関係ありません
魏では諸葛誕が仕官してるし先ず知ってるんじゃないかな
800 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 16:18:17 0
諸葛誕って孔明の子供の世代だろ・・・
諸葛誕って名前がぽっと出の割に行き成り出世してるでしょ
親の代から魏に仕えてなきゃあんな出世はないよ
名前残ってないだけで親の代からちゃんといた筈
802 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 17:37:11 0
孔明の一族だから取り立てられた事も考えられるだろ。
諸葛家の情報が得られるしな。
諸葛瑾と諸葛亮は政治に関する話を二人でしたって事はほとんど記録に残ってない
兄弟でさえそうなのに一族だからって蜀の情報が得られるわけがないだろ
804 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 21:07:36 0
蜀の情報が得られるなんて書いてないが・・・
805 :
おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/09/17(土) 23:52:53 0
>798さん
基本的な認識がなんですね、まあそのなんともうしますか
>諸葛氏というのは有名な名家なので
曹操はその名を知っていたはずでぃすが
違いますね。諸葛家の先祖諸葛豊は漢書諸葛豊伝によれば先祖の記載が無く子孫の記載もありません。
蜀志諸葛亮伝も諸葛豊の子孫であることを記すのみ、名家であるとはどこにもかいてありませんよ。
>そもそも晴耕雨読等は商人が投資をしてくれる将来性のある文人か
>金持ちしか出来ない芸当であります
あのお、石川忠久みたいな俗な学者の説を鵜呑みにしないで下さい。
諸葛亮は自ら耕作していたことを証言して居るんですが。
>兄の諸葛瑾も呉で大将軍まで昇っているのは
家柄が超良かったからなのであります
人柄等はまず関係ありません
ありゃ、実力でんしょう。
806 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 00:59:30 0
ある一説(あくまでも一説だが)では、
諸葛亮の存在は北伐までは魏の士丈夫の間ではろくに知られていなかったというのもある
まぁ、そこまでいけば眉唾だが、劉備の死後の蜀漢はほとんど無視されてた感はある
807 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:01:29 0
んな訳ないと思うが・・・
808 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:04:30 0
そういや目立たないけど、諸葛瑾は諸葛亮と比べ物にならないぐらい実戦経験があるね
なんかやたら負けまくってる気もしないではないけど・・・
809 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:17:25 0
孟達の離反に対して司馬懿が即行動したりしてるんで、まったく無視というわけではないとおもうが、
北伐前まで武略がない夏候楙を安西将軍・持節として長安にいさせたり、
北伐時になって曹真を派遣したり、三輔の防御もほったらかしだったってことは、
かなり蜀漢にたいして無警戒であったかと
810 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 02:21:18 0
夏候と書いてるだけで説得力が50%ダウン。
無警戒になるのもしょうがないだろう
一代の英傑劉備が夷陵に敗れ蜀の将兵の膨大な量が失われた
白帝城で劉備がその生涯に幕を下ろした時、群雄割拠の時代の英雄は全員いなくなる
そして南中では叛乱が続発し呉もこれを煽る有様
蜀内でこそそれなりに名を上げていた漢中太守魏延も魏内では当時まだ無名
蜀の人物で武勇を以って国外に名を知られた人物はいなかった
ここまでの状況で蜀が滅ばずに居られた方が不思議な程の状況
放って置いても問題はないだろう
それよりも荊州、徐州を虎視眈眈と狙う呉こそを警戒すべきであり将兵をそちらに向けるべきだった
孟達の離反に対する電撃的な行動はたまたま新城が荊州北部と近かったって事も関係しているんではなかろうか
上庸が呉の手に落ちても魏は危機的状況に陥る訳で常に警戒はしていた筈
812 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 05:52:07 O
諸葛氏は代々太守クラスは出す程度の家ではあったと思う。
琅邪では王氏に並ぶ一門だろう、漢一代を通してね。おそらく。
河内における司馬氏と似たようなものか。
813 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 07:29:26 0
諸葛家は掃いて捨てるほどある、地方の名家の一つって感じかな。
その上、諸葛亮の家は当主(父親)が早世してる上、江南に避難してるから、諸葛瑾、亮のことを認識してる中央の人間がいる方が不自然かも。
>>790です。
おぎまる様をはじめ、沢山のレスありがとうございました。
とてもよく判りました。
黄氏の名前を間違えていてすみません…
815 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 08:45:26 0
太守クラスを代々出すなんてものなかったんじゃ?
袁術が暴走して諸葛玄を太守にしたってのはあったが、
はたして諸葛豊以降(何代いたのかよくわからんが)、太守になったような人物がいたのかどうかも怪しい
>>805 >諸葛亮は自ら耕作していたことを証言して居るんですが。
本気でこんなこと信じてる奴がいるのか…
なんで陸遜は石陽で民を虐殺したんだろう
徐庶とか石韜とかから名前ぐらいは聞いてたんじゃないの?
>>809 夏候氏、曹氏の一族を軍事の要職に就けるのは曹操晩年以来の方針。
血族を要職に就けることで軍事権限を一族に集中させる狙いがあったとされる。
820 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 12:30:21 0
夏候と書いてるだけで説得力が50%ダウン。
つ夏侯
何も言わずに登録しとけ
「白面の書生」って色白の勉強中の若者というような意味だよね、
これって当時の風潮とかを考えると陸遜は馬鹿にされてるんだね。
ってか中年太りってのもマジですか?
演義の話してるわけじゃないんで
824 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 19:04:33 0
>>794の
四姓というのは各地方ごとにあり
ってのはウソだろ?
何でいちいち四つに限定するんだよ?
>814さん
お役に立てたようで何よりです。
>824さん
>四姓というのは各地方ごとにあり
ってのはウソだろ?
何でいちいち四つに限定するんだよ?
何で四つなのかはわからんのですが、各地方ごとにあったのはホント。
匈奴にもありますから。匈奴の四姓呼衍家は呼延家に同じく、宋代に呼延賛を出しています。
後漢書南匈奴伝「異姓に呼衍氏、須卜氏、丘林氏、蘭氏の四姓有り」
魏志王朗伝引魏略「天水に旧より姜・閻・任・趙の四姓有り、常に郡中に於いて推される」
魏志裴潛伝引魏略「馮翊の甲族は桓・田・吉・郭」
晋書「并せて郡の四姓の子弟を取る」
晋書劉頌伝「同郡に雷、蒋、穀、魯の四姓有り」
五行思想は関係ないのだろうか?
中央に何を置くかは分からないが
827 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 20:55:11 0
各地方ごとというのがおかしい。
まるで必ず郡ごとに四姓が決められていたかのようだ。
実際は権門は5だったり3だったり6だったりしたんだけど語呂がいいので四姓と呼ばれていた
829 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 00:44:56 0
なあ、北京と楼桑村って近いの?
楼桑村ga
何州にあったか考えればわかるんじゃない?
831 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 01:41:35 0
そういうレベルの近さじゃなくて・・・
単音節の漢字は4つ重ねると語呂が良くなる
現在でも人口の多い姓は「李張王孫」とか「李張趙孫」とか言う。
実際には4つじゃないことも多いのは
>>828の言う通り
>>823 えっ!陸遜が白面の書生とか呼ばれてたのって演義だったんだ!!
間違えてたスマソ
………巣にお帰りYO
黄忠が老いてますます盛んなのも演義のみだじょ
836 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 12:20:00 0
>>832 だから、各地方ごとに四姓がいたってのはウソだろ?
ホントならそれを示す記述を引いてくれ。
837 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 12:39:14 0
「各地方ごと」というから言葉じりをねちねちつっこまれるんだろな
「色んな地方に」だったら語弊もあるまい
各地方ごとに四姓がいたって言ったのは言葉のあや
しったかしてるとつい捏造しちゃうんだよね
839 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 23:27:54 0
劉備の叔父の劉子敬と従兄弟の劉徳然は二字名なのかな?
それとも蜀の史官が名を避けたから名が伝わらなかった?
840 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 23:31:56 O
避けたというより分からなかったんじゃないか?
蜀では劉備本人しか実名を知らなかっただろうから、劉備が人に教えなければ伝わらないわけで
841 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 23:43:10 0
劉備の年少時代の逸話はやはり劉備自身が得意げな顔で
語った物なのだろうか?
842 :
世界@名無史さん:2005/09/20(火) 00:03:57 O
簡雍が面白おかしく脚色したものかもよ
843 :
世界@名無史さん:2005/09/20(火) 00:09:47 0
張飛と簡雍ってどっちが劉備と先に知り合ったんだっけ?
>>843 それは不明だが、劉備×張飛と劉備×簡雍なら、
劉備×簡雍の方が仲良さげだよな。
>>836 その地方ってのが何を指すのか俺にはわからんが大体一州四姓くらいの割合で権門があったとされている
〜の四姓って上に引用文があるよな
>>835 黄忠がジジイなのはちゃんと正史本文に書かれてる
>>840 その二人は劉備が名前で呼ぶことが出来ない程恩義を感じていたって事だろう
特に叔父の元起は学費まで負担して貰ってる訳だしな
846 :
世界@名無史さん:2005/09/20(火) 02:46:09 0
んっ?
かまってほしいのか( ^∀^)ゲラゲラ
劉備関羽張飛ってどうして知り合ったの?
運命だからさ
ロマンティックですね
陸遜が周瑜と話したというエピソードかなにかが、正史に残っていますか?
残ってない
>黄忠がジジイなのはちゃんと正史本文に書かれてる
どこに書いてあんの?
d
857 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 00:47:00 0
劉備が禰衡と話したエピソードはあった気がする。
関羽が黄忠の事を老兵呼ばわりして、費詩に諌められたっていう話。
孔融つながりであってもおかしくは無いけれどね
861 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 01:54:25 0
ああスマン。劉備が平原にいた時に何かあったと思ったけど
劉表とのエピソードとごっちゃになってたわ。
荊州でも劉備が亡命してくる前に死んでるしね。
862 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 02:54:07 0
あ〜何で勘違いしたか分かった。
ちくまの三国志六巻の張昭伝注の典略に劉荊州(劉備)
が孫策に手紙を書いてそれを見た禰衡が云々と書いて
あったからだ。
この劉荊州ってのは劉表の事だよね。
訳者が何故劉備としたのかは分からないけど。
863 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 11:49:12 0
皆さん三国史に詳しくてかっこいいですね。
866 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 17:37:08 0
簡雍って、ひょっとして関羽・張飛よりも先に劉備と知り合っていた
可能性は皆無かなぁ。簡雍は劉備の前でもだらしなく足を伸ばしてい
たり、関羽に椅子もすすめないで立たせたまま自分は平気で話を続け
たような記述をどこかで読んだ覚えがある。周りの誰もそれを咎めず、
あの誇り高い関羽が怒りもしなかったのは、簡雍がより古かったから
かなかと勝手に思っているんだけど…。
簡雍と劉備は同郷だろと
毛だらけの劉備の村
869 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 22:49:49 0
三国志→( `八´)
三国史記→<ヽ`∀´>
872 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 20:50:32 0
まあ、三国時代の歴史は三国史な訳だがな。
しっ!黙っといてやれ。
>>869みたいな揚げ足取りなんて
今時腐女子くらいしかやらないから貴重だ
三国志はロマン
>>872 ここは三国時代の歴史スレではありません。
書物三国志のスレッドです。
どこに書いてある。そんなこと
『瑜長壮有姿貌』の有姿貌は姿貌が有ったと言うことだと思いますが、
姿貌とは何と訳せばよいのでしょうか?
容姿で良いのでしょうか。
880 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 21:09:42 0
優れた容姿を備えていたとかじゃね?
>>879 「姿貌」は
>>43で推奨した辞書のどちらにもちゃんと熟語として掲載されてるな。ここで聞けば
一瞬だけど、原文をきちんと読んでくつもりなら手間を惜しまず辞書をめくんなさい。
同意。
正史を読んでるといいつつ、漢文の基本文法も知らない住人がザラだからな。
辞書も引かず「大意を採って」偉そうに語るだけの連中のマネはしてくれるな。
883 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 00:34:55 0
ちくまの正史読んでればまあOKだよ。
漢文は研究者じゃない限り読みたくもないだろうし。
885 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 04:47:10 0
あのなあ、ビギナーから研究者まで楽しめるのが2chだろ。
正史を原文で読まないヤツはお断りなんて事は全然ないから。
>>884みたいのは無視でw
漢文を読んで〜とか言っても、肝心のネタが出せないじゃん
自慢ネタは友達にでもしろよ
皆さんすいませんでした。
学問板って、せめて学部レベルは必須じゃなかった?
ネタって言われても半分妄想みたいなことを
振られても困るわけだが。
どうせ過疎スレなんだから細かいことはいいじゃん!
まったり行こーずぇ!!
姜維と趙雲と馬超は言われてる程凄いと思わない
ただ、お前よりは凄いとは思う。
893 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 20:44:13 0
>>892 自信なくした891が自殺したらお前のせいだからな
894 :
世界@名無史さん:2005/09/25(日) 20:59:22 0
関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠は、正史で一章にまとめられているとお聞きしました。
対比されて、魏の大将5人が一章にまとめられているそうですが、この5人は誰でしょうか?
また、呉の大将はまとめられてないのですか?
>>891 歴史を考える上でどの人物が凄かった とかそんな事はどうでもいい
それよりも何故歴史が動いたのかという事を考えるってもんだ
897 :
世界@名無史さん:2005/09/26(月) 04:06:28 0
陳寿だって諸葛亮を貶めて議論を生んだけどな。
陸遜を貶めたら厨に荒らされた過去もある。
892みたいなのは萎える。
「悪来典韋」って呼び方は正史にはないんですね。
>>897 貶めたわけじゃないと思うけどな
評価自体は事跡だけ見たものとしては妥当なものだし軍略に通じてないってのも決して断言はしていない
そもそも陳寿は諸葛亮について私撰集まとめるぐらいの諸葛亮信者だし
単に後世の病的なまでの諸葛亮マンセーの風潮が過剰反応しただけって気がする
裴松之先生のほうがよっぽど攻撃的に諸葛亮のこと貶してると思うが
蜀信者は事実をを冷静に見れない
蜀に限らず信者はおしなべてそう
そもそも自分が「あいつは客観的に見れてない」って思ったときに
その相手を信者と決め付けるもんだし。
904 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 02:10:18 0
孔明は結構戦仕掛けてるのに惨めな敗戦は喫してないから
まあ軍事的能力は高かっただろうね。
少なくとも陳寿よりはw
906 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 03:01:42 0
ただ、お前よりは賢いとは思う。
アホのようですね。
諸葛亮は奇人変人
周瑜は雄邁壮烈
馬謖は出前迅速
魏志倭人伝もここですか?
曹操の活躍は今の世の中にどの程度関わってきてるのだろうか
913 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 22:57:52 0
>>911 何の問題もない
が、日本について知りたいなら日本史板で単独スレ立ってるし、そこに着目して
詳しく話ししたいならそっちがいいかと(そのスレ覗いたことないから程度はわからんが)
914 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 23:39:05 0
>>912 マジレスすると近代文学の開拓者。
王朝で自由に創作の出来る文学サロン
を築き、民衆の歌謡であった詩を知識人
のものにした。
大都督と左都督は別物ですか?
左都督+右都督が大都督になるのでしょうか?
合体ロボかよw
917 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 11:52:19 0
足してどーするって感じだな
左都督や右都督よりえらいのが大都督っておぼえとけ
そうだっけ?大都督ってなによ
大きい都督だ
あながち間違いじゃないなw
915ですが、説明が下手ですいません。
都督が二人いたら左都督、右都督ってなるのかなと思ったもので。
922 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 16:02:36 0
都督は二人どころか○○州諸軍事って感じでたくさんいる
えろい順
大都督 > 左右都督 > 都督○○州諸軍事
大都督は誰よりもえろいわけだな
>>914 マジレスThx
よかったらそこらへん詳しく教えてくださいOTZ
925 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/28(水) 19:14:16 0
>>921 左都督は姚弋仲の「六夷左都督」くらいしか見かけません。右都督は事例を発見できませんでした。
「大都督」は「都督某某州諸軍事」のような限定された地域の軍事権ではなく、かなり広汎かつ強力な
権限を与えられた督軍権です。「假黄鉞」だの「中外諸軍事」だのが付せられている事例が多く、また
本官も丞相だったり太尉だったり侍中だったりと概して高官です。そして権限の行使も「承制行事」
つまり包括委任みたいなことが認められています。普通は非常時に任命されるものですが征伐を行う
場合には進討の総司令格の将軍が任ぜられることがあります。また五胡諸国の君主などは自分任命で
大都督を称していることが一般的です。
926 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 20:38:49 0
あやめのレスはスキマが無くびっしりだからウザイ。
もっと改行したり余裕を持て。
927 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:04:52 0
姚弋仲や假黄鉞とか言われてもわかるのかなぁ
928 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:14:38 0
あやめは初心者潰し・・・
929 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:41:34 0
あやめは初心者やライトな愛好者にもわかりやすい簡潔な文を心がけろ。
あやめは難しいことをやさしく説明するよう心がけろ。
今のお前はやさしいことを難しく説明して学識をひけらかしてる。
あやめのレスが見難いのは同感。
でも、「やさしく説明しろ」とか言ってるひとはどういう神経してるのかね。
932 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 22:59:34 0
甘えたいのさ
933 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 23:43:47 O
ショウ朗伝に載ってる馬謖逃亡について
詳しく知ってる人いたら教えて
934 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 23:52:09 0
折江省蘭渓市諸葛八卦村在住の諸葛家第四十八代目当主・諸葛高嵩氏から、
風水、方術関連で手紙が来ました。
その一節に、
「天の青龍:趙雲、天の白虎:孔明、天の朱雀:馬超、天の玄武:姜維」
「地の青龍:孫策、地の白虎:周喩、地の朱雀:陸遜、地の玄武:周秦」
とあったのですが、
蜀、呉の代表カルテットとしては、どうも腑に落ちません。
正史では、この四人が代表格だったのでしょうか?
わずか7行の文章を更に改行しないと読取れないんですか?
936 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 00:14:07 0
諸葛家第四十八代目当主・諸葛高嵩氏から手紙ってトコがまず怪しい。
ホントか?
ホントなら諸葛氏の系図を孔明からできる限り遡って教えてくれる
ように頼んでくれ。
937 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 00:28:17 0
>わずか7行の文章を更に改行しないと読取れないんですか?
女史の7行は他の香具師の15行分ぐらいの情報量があるじゃありませんか……。
一センテンスごとに改行して一行開けるだけでも
だいぶ読みやすくなると思いますよ。どうかご一考願います。
(例↓)
左都督は姚弋仲の「六夷左都督」くらいしか見かけません。右都督は事例を発見できませんでした。
「大都督」は「都督某某州諸軍事」のような限定された地域の軍事権ではなく、かなり広汎かつ強力な
権限を与えられた督軍権です。「假黄鉞」だの「中外諸軍事」だのが付せられている事例が多く、また
本官も丞相だったり太尉だったり侍中だったりと概して高官です。
そして権限の行使も「承制行事」 つまり包括委任みたいなことが認められています。
普通は非常時に任命されるものですが征伐を行う場合には進討の総司令格の将軍が任ぜられることがあります。
また五胡諸国の君主などは自分任命で大都督を称していることが一般的です。
938 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 00:32:38 0
>>936 蘭渓市の諸葛八卦村は、中国政府から重要文化財に指定され
中国だけでなく、日本からの観光客も多い有名な場所なのですが・・・
諸葛高嵩氏は、その村の長老格なんだそうです。
系図も公開されてると思います。
939 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 00:38:06 0
そもそも諸葛の子孫に天の何タラとか決める権威は無いと思うが・・・
その人の感性だろう。
それよりも系図の所在が知りたい。
ネットでは見れないの?
>>934 てかね、
日本は日本で吉川三国志に始まり横山、蒼天、無双って流れの中での
独特の三国志武将像があり
中国は中国で演義から、京劇、雑劇、連環画とかの中での
中国なりの三国志イメージを作ってきたわけで
それは、どっちが正しいとか言うよりそれぞれの「文化」だろう。
日本人と中国人でイメージが一致しない部分かあったからといって
「納得いきません!正史での武将評価はどうなんですか!」と騒ぐのは
すごく心の狭い見方だと思うよ。
941 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 00:48:17 O
馬謖はスルーか…
>>941 つ朗素與馬謖善,謖逃亡,朗知情不舉,亮恨之,免官還成都
>>942 いや、わかってるって
他の記述と食い違ってるから詳しい人おらんかと思って
うっせえな…集解貼っとくから勝手に解釈しろ
何[火卓]曰;謖逃亡之事、本傳無之。此又不詳、只一及耳。
朱邦衡曰;此即街亭之役謂謖違命致敗、朗不諌故耳。若在官私逸、中材所不屑爲、況謖素負才名、爲丞相器異者乎。此非文有脱誤、即承祚屬辭晦澀故也。
周壽昌曰;街亭之敗、在建興六年、若五年則武侯駐軍漢中、馬謖正參軍事、不容無故逃亡。若軍敗後事、何以諸葛公傳及謖傳倶未斂、及何誤作五年耶。
まあ周寿昌の考証が決定的だな。
街亭の戦いは建興6年なのに建興5年に馬謖が逃亡したという向朗伝の記事はどう考えても矛盾してる。
945 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 01:46:00 0
朗が馬謖をかばって免官されたってのは実際あった事じゃないのか?
>>934 バリバリ演義な人選だな
ちょっと面白かった
>>934 天地とか、東西南北か春夏秋冬かわからんけど、青龍とかのって
何か根拠にしてるものでもあるんかな?
演義な人選でもあるけど、それはどうなんだろう?
48代ってえらく少ない気がするんだが
代々長命なのかな
950 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 07:47:01 O
952 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 12:42:20 0
ん? 左都督・右都督ってない? 諸葛瑾が左都督なってなかったっけ?
って調べたら「拜大將軍,左都護,領豫州牧」ってなってるなぁ
左都護と左都督と記憶がどっかで混ざったか・・・
915 さんの質問は、
所謂赤壁のときの、程普と周瑜のこととか?
954 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 16:13:07 0
ふむ
それを踏まえると
各地方に配置されて軍事権を与えられた官職として「都督」というものがある。
そして非常設で「都督」よりさらに巨大な権限を与えられた官職として「大都督」がある。
赤壁の時は、原文では「左右督」となっており、官職ではなく司令官として
軍を掌握する権限を与えられたものの意味として「都督」を使っている。
官職名と役割の違いってことで
955 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 18:22:12 0
都督と都護は違うよ。
都督はその地方の軍戸を統括する軍政と軍令、両面の長だけど、
都護はそうでなく、本拠地からの軍団を引き連れてそこに駐留する
軍令面だけの長だ。
まだ世情不安な地域には都護が置かれ、ほぼ統治が進んだ地方には都督が
置かれる感じかな。例外もあるけど。
956 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 00:13:46 0
そもそも後漢中期までに都督が置かれた例はあるのか?
957 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 01:18:44 0
一応漢書では出てくるが、いつから置かれたのかよくわからん
958 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 01:23:54 O
都護なら宣帝の頃から。西域都護ね。
959 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 01:31:14 0
都督の話だっての
>>956 無い。後漢書では、袁紹伝にしか出てこない。
史記、漢書には都督号は全く登場しない。
「史記」「漢書」「後漢書」:烏桓
「三国志」:烏丸
なのはなんで?
そもそも漢語でない発音を音訳したから。
>>953 そうなんです、実は赤壁の時の程普(右都督)と周瑜(左都督)の事だったんです。
調べているとたまに周瑜が大都督を務めたと書いてあるのを見るので質問してしまいました。
>>954さんありがとうございました。
>>961 漢字音が変わったというのはないだろうか?
後漢書は史漢に合わせた。
>>960って、青さんにしては珍しい口調というか、あっさりっていうか。
なんか機嫌でも悪そうな感じだ。何かあったんかな?
966 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 15:14:21 0
>>965 生理だろ。いちいち突っ込むなよ。野暮な奴だな。
>>964 ネタで言ってる?
一応釣られとくと、古代音では「桓」と「丸」は全く同音。
日本語で「カン」と「ガン」で通用してる読み方が違うのは、漢音と呉音の違い。
史官が同音の文字の中からどの字を使ったかだけの違いだよ。
いろいろ難しいね
青は男だろ。「メガネかけて寝グセ頭のガリヲタ」
って典型的三国志ヲタのイメージがある。
>>972は何で「メガネかけて寝グセ頭のガリヲタ」が典型的イメージって
言えるんだろう?
自分がそうだからっって、他人もそうだって言いたいクチか?
オ ネ ガ イ
ヽ( 'A)ノ ヽ('A`)ノ タッチ!! タッチ!!
( ) ( )
/ ノ < \
ヽ( 'A)ノ
( ) ('A`) ココニタッチ!!
/ωメ ( )ヽ
LL
ヽ( 'A)ノ
( ) ('A`) アーナーターカラー!
/ωヽ(人)
LL
タッチ!!
ヽ( 'A)ノ
ヽ ヽ
ノωA`)
彡 (人)
LL
他人のイメージにケチつけるなよ
青ちゃんは美少女女子中学生だお。
しかもメガネっ娘。
そろそろ次スレ
いらんだろ
またネガティブか
ネガとポジ
クリーミィマミか
ネコしか覚えてないけど
ツンとデレ
984 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 18:33:30 0
もう三戦板でいいだろ
君はアレだな。
アレはいいものだ…
うん。諸葛菜はいいね。
三戦板はだめだよ。
北方三国志を非難したら、叩かれた><
精子
艶戯
<特に好き>
魏:曹操・司馬懿・楽進・郭嘉・荀攸・ケ艾
呉:孫策・張昭・周瑜・諸葛瑾・朱然・凌統
蜀:趙雲・諸葛亮・董和・費禕
<そんなに好きじゃない>
魏:夏侯惇・曹真・曹叡・曹爽
呉:魯粛・陸遜・諸葛格・劉備に嫁いだ孫堅の娘
蜀:劉備・関羽・楊儀・姜維