このスレは世界史の人物を数値化して、それを肴にあれこれ議論しようというスレです。
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1088176527/l50 各能力値の説明
【指導】 組織を纏める能力。指導者のイメージ。
【戦術】 戦術指揮。前線指揮官のイメージ。
【戦略】 国家戦略・軍事戦略。戦略家のイメージ。
【内政】 政策・行政。官僚のイメージ。
【政略】 謀略・調整・保身。政治家のイメージ。
【人望】 文字通り。カリスマ、あるいは人格者のイメージ。
能力値の基準
0=最悪に無能。
1=とても無能。
2=無能。未経験者の方がましなレベル。
3=苦手。未経験者もこのレベル。
4=凡庸。席を埋めているだけ。
5=大過なく勤まる。
6=有能な人材。
7=国内では一流の人材。
8=国を代表する実力者。
9=時代を代表する天才。
10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。
3 :
世界@名無史さん :04/11/29 23:49:36
欠地帝裕仁 【指導】 0 側近の言いなり 【戦術】 1 2.26事件と5.15事件の実績 【戦略】 0 東洋で2番目の愚帝(1位は万歴帝) 【内政】 0 東北・北海道で餓死者多数、身売りが横行、大正期の遺産食いつぶし 【政略】 9 保身だけはたいしたものだ、恥も外聞も捨ててマ元帥の犬に 【人望】 0 あっそう(笑)
人望はあったな。政略があったらマシだったな。内政はしてないな。 戦略は常識程度にあったな。戦術はわからんが前線指揮したら強烈だな。 指導力は無いな。役職の無い人間とは接触を遮断してたからな。
前スレの教訓から、日本史はやめようと提案してみる。 だいたい板違いだし。
>>3 コーエースレで評価済み。
長文の考察も付いているので、参考にされたし。
>>5 人望は高いな。国一つ潰したのに、皇統廃絶どころか退位さえせず、国民の大部分に愛され続けた。
政略は陸海軍の領袖には敵わんが、最終的に生き残ってるからそこそこ高め。
戦略では英米協調、中国への深入りを嫌っていた。
しばしば軍人に対して下問したり、意見を述べて、軍の方針の欠陥を指摘して注意を促したが、
修正することはできなかったので、常識的なレベルだろう。
戦術・内政は未経験。指導は軍部や官僚の暴走を抑え切れなかったから、
たいして高くないだろうな。
>>6 日本史基準なら禁止だが、世界史基準ならおkじゃね?
8や9ばかりの信長は納得いかんが、7〜5ぐらいあったら納得も行く。
8までならともかく、 9以上をつけるには、いかにしてそれを客観的に説明できるかが問題。
正直、この手のスレの評価で、納得できる説明ってほとんどないし、 それにより導き出される数字も、正直ほとんど納得できない
>>9 アレクサンダーは戦術が高いとかオーソドックスなものでもダメなの?
>>8 コーエースレではその点秀逸なのが多かったな。
胸甲騎兵氏のレビューが好きだったな。
12 :
世界@名無史さん :04/11/30 23:50:46
>>9 だったら、自分で説明つければいいじゃん。
自分で数値つければ良いじゃん。
コーエースレでは意見が割れて、同じ人物を複数人が数値化してた例もあるぞ。
各数値の10候補を決めてみないか? 100点はどっちか?ってのが無いから、きめやすいっぽ。
10候補 【指導】 【戦術】 ハンニバル 【戦略】 ナチスドイツ参謀本部 【内政】 徳川家康 【政略】 【人望】 とりあえず、いれてみた異論あれば消してくれw。
10候補 【指導】 カエサル 【戦術】 アレクサンドロス 【戦略】 カエサル 【内政】 オクタヴィアヌス 【政略】 カエサル 【人望】 カエサル
16 :
前スレの237 :04/12/02 01:36:09
10候補 【指導】 【戦術】 アレキサンダー 【戦略】 モルトケ 【内政】 【政略】 ビスマルク タレーラン 【人望】 劉邦
10って「数世紀に一人クラス」で 「世界史を代表する天才」ってんなら割と居そうだが。 まあ小国ですごい実力者とか表しにくそうだが。
【指導】 スターリン 【戦術】 アレキサンダー 【戦略】 モルトケ 毛沢東 【内政】 明治天皇(代表) 【政略】 ビスマルク タレーラン 【人望】 劉邦
19 :
世界@名無史さん :04/12/02 16:11:09
>>18 劉邦って人望というより人を働かせるのが上手かったから人が付いてきたんだろ。
嫌っている人が多かったし、張良や韓信も劉邦個人に惹かれたというよりは、劉邦の下にいれば待望が果たせると踏んだからだろ。
純粋な人望だったら後輩の劉備のほうが高いような。
まぁ彼の場合も中原の覇者だった曹操が暴虐政治を振るっていたことが大きかったのかもしれんが。
【指導】 スターリン 【戦術】 アレキサンダー 【戦略】 毛沢東 【内政】 明治天皇(代表) 【政略】 ビスマルク 【人望】 劉備
22 :
454 :04/12/02 23:28:44
>>3 は明の正徳帝(武宗)を知らんな。
馬鹿皇帝を大量に排出した明代でも屈指の馬鹿っぷり。
これ以上の馬鹿は他にいない。
>>20 なかなかよろしい。個人的には「資本論を読んだジンギスカン」こと
スターリン萌え。人望は敵も多かったが、今でも「両中国」で遺徳を慕われている
孫文はどうだろうか。革命未だならず萌え。
【指導】 カエサル、スターリン 【戦術】 ハンニバル、アレクサンドロス 【戦略】 (ナチスドイツ参謀本部)、モルトケ、毛沢東 【内政】 徳川家康、オクタヴィアヌス、明治天皇 【政略】 カエサル、ビスマルク、タレーラン 【人望】 カエサル、劉邦、劉備 まとめて見た。
>>25 言ってることが良くわからん。
あなたの言うまとめを例示してみてくれ。
カエサルにカリスマ性があるのは確かだけれど、 暗殺されてるのだから、 人格者のイメージは無い気がします。 ∴10に異論 【人望】という基準では、 カリスマは捉えにくい気がしますけど。 (特に悪のカリスマと言った人物は)
>>27 カリスマ或いは人格者。と、あるから、
1、カリスマ性はあるが人格が破綻してる。
2、人格者として知られているが、カリスマ性は皆無。
の、どちらかのハイエンドなら10がつくということだろう。
んで、カリスマってなによ?っつーと、
少なくとも国家単位で「こいつについてけば大丈夫じゃねぇ?」
と、無意味に思わせる力って事だとおも。
>>28 氏
了解です。
個人的には、いっそのこと能力値を二つに分けた方が、
(【魅力orカリスマ】【声望or人徳】とかいった風に)
分かりやすい気がしたのですが、それだと煩雑ですかねぇ。
ま、先住の方々の中で、合意が出来てるようなら、結構ですけど。
【指導】 秦始皇帝 【戦術】 ベリサリウス 【内政】 雍正帝 あたりの追加キボン。 俺的には、戦略の満点がいちばんつけにくいな。
【指導】 カエサル、スターリン,秦始皇帝 【戦術】 ハンニバル、アレクサンドロス,ベリサリウス 【戦略】 (ナチスドイツ参謀本部)、モルトケ、毛沢東 【内政】 徳川家康、オクタヴィアヌス、明治天皇,雍正帝 【政略】 カエサル、ビスマルク、タレーラン 【人望】 カエサル、劉邦、劉備 指導のカエサルって微妙だよね。 戦略のナチス(ryって自分つじゃないような。 内政の明治天皇は身びいきって感じがするようで。 人望のカエサル、劉邦って微妙だよな。
カエサルはオール9って感じもするが。
>>32 もれも、そう思ったが、それってテンプレの能力の設定のせいもあるんだと思うのだよね。
なんか、10は、あるはずなんだけど、これだとオール9って、感じだな〜って。
そういえば、人望に、 キリスト、仏陀、マホメットが入ってないな。
ユリウス・カエサル 【指導】10 市民、若者から熱狂的な支持を受けました。 【戦術】 9 アイシア攻防より恐らく唯一の軍事的ライバルポンペイウスとのドゥラキウム攻防戦の敗戦後のファルサウスの独創的な作戦は見事。 【戦略】 9 もっといいのがいそうだ。 【内政】 9 ビジョンは結果的にも素晴らしい。 【政略】 8 結局、暗殺されたというのが2chでの評価だと思うので厳しめ。天才とて完全では無い。 【人望】 9 10つけてもいいかも知れない。政治的ライバルであるキケロともプライベートでは友人だった。 オクタヴィアヌス(アウグストゥス) 【指導】 7 ローマ初代皇帝。政治的指導力はあるのでは? 【戦術】 3 ネタで0付けようかと思ったけど、(彼が指揮官の時は必ず負けてるとか。)ただ、苦手なだけで無能じゃ無いかも。若かったからか? 【戦略】 3 軍事行動はアグリッパ君がしてくれます。 【内政】10 ↑なのに政治能力は凄いと感心したい。およそ200年のパクス・ロマーナを実現する。家康?スケールが違いますよ。スケールが。 【政略】 8 カエサルという教訓があった。そして上記の様な成功を収めた。 【人望】 8 格好良かったらしい。
>>35 大体同意。
個人的にはカエサルの政略「能力」は9以上だと思う。
信条に足をすくわれたというか。
という訳で
【特殊能力】寛容
【政略】の保身関係-1、敗北後の捕虜登用時に【魅力】+1
を提案。
みんな異人に甘すぎ。信長や家康に甘い評価をつける理由はないが、
異人だからといって高く評価せねばならない理由はない。
>>35 こんなもんでは
ユリウス・カエサル
【指導】 8 敵もやたら作ったのも事実。
【戦術】 9 この時代の前後で戦術能力で彼に匹敵するのはポンペイウスぐらい。
【戦略】 8 割と堅実だがアフリカ支作戦の失敗など無意味なことをする事があった。
【内政】 6 無能だとは思えないが特にそれまでの政治家より抜きん出たものはなかったのでは?
【政略】 6 勝てる自信はあったのだろうがそれでも無駄に敵を増やしすぎ。
【人望】 9 最終的に暗殺されたにせよ多くのローマ市民が彼を歓迎した
オクタヴィアヌス(アウグストゥス)
【指導】 7 組織を纏めたというより組織に担ぎ上げられた感もあるがまあ優秀だと思う。
【戦術】 3 自分で直接指揮をとって勝っていないので。
【戦略】 7 少なくとも内戦でなにをするべきかを見切っていた。
【内政】 6 パクス・ロマーナは彼の時代に始まるがそれはそれまでの蓄積の上にあった感が強い。
【政略】 8 そう、彼の勝利にイメージ戦略の勝利という側面は明確に存在した。
【人望】 9 ローマ初代皇帝に推されたのは権勢のみによるものではあるまい。
>>35 と
>>37 内政に国家のグランドデザイン評価を入れるか入れないかで
割れてる感じだなあ。
>>37 に、そこはかとなく同意。
ただ、ちょっと低くね?
>>35 のカエサルはさすがにインフレではないかと思います。
それぐらいの能力があったら、世界だって征服できるんじゃないでしょうか?
カエサルだって、一人で万機を決裁したわけではありません。
そして、彼の功績は彼一人によって成し遂げられたものでもありません。
>>37 は軍人・指導者という面を強調しすぎていて、これも不適切であるように思います。
陰謀や買収を駆使して権力への階段を駆け上り、元老院・民会を無力化した政略能力。
官僚制度の整備、公共事業の推進などの内政能力。
そういった政治家としての面を軽視しているように思われます。
簡単につけるとしたら、
【指導】 8 有能な部下・将兵を使いこなし、ローマの混乱を収拾した。
【戦術】 8 当時のローマでは最強クラスの将だが、ガリアやヒスパニアでは相当苦戦している。
【戦略】 9 戦場の外で勝利を決する頭脳を有する。ガリア征服や内乱でその力量を遺憾なく発揮した。
【内政】 8 前代からの懸案とされていた数多くの改革に着手。成果をあげた。
【政略】 7 独裁体制を志し、元老院を無力化しようと図ったが、根絶には至らなかった。
【人望】 9 市民・将兵からの人気は圧倒的で、政敵以外には憎まれなかった。
>>35 のオクタビアヌスは、逆に過小評価のような気が。
国家としての攻勢限界点を見極め、拡大政策を放棄した戦略眼、
万能で無いがゆえに他の人材を使うことに徹した指導力は
もっと高く評価して良いのでは無いでしょうか?
>>37 は役割自体を過小評価している気がします。
どんな偉大な国家も、優れた初代を引き継ぐ人物がいないと、長期存続は望めません。
オクタビアヌスは元首政ローマの最高指導者としては初代ですが、実質的にはカエサルの二代目です。
中途に倒れたカエサルの覇業を受け継ぎ、ローマ帝国を完成させたのは彼の力です。
簡単につけるとしたら、
【指導】 9 アグリッパ、マエケナスら有能な人材を手足の如く使い、内乱の一世紀を収拾した。
【戦術】 3 軍事的才能が皆無だったため、アグリッパ・ティベリウスに軍事を委ねた。
【戦略】 7 征服戦争を継続して数多くの属州を獲得し、ヴァルスの敗北後は国境の安定に努めた。
【内政】10 「粘土のローマを受け取り、大理石のローマを残す」との言葉通り、内治の基礎を固め、大いに充実させた。
【政略】 9 独裁アレルギーの強い元老院やローマ市民を巧みに懐柔し、平和裏に絶対権力を手中に収めた。
【人望】 7 そこそこの人気はあったが、陰気で地味性格のせいか、カエサルほどの圧倒的な人気はなかった。
>それぐらいの能力があったら、世界だって征服できるんじゃないでしょうか? これは、マジにカエサルはそれくらいに思ってる人間はいそうだ。俺とか。
>>42 >世界を征服できそうな人物
チンギス・ハーンの他には、考えられないですね…。
「個人の力で世界を征服する」のは物理的に無理だと思うがそれに一番近い所までいったのは アレキサンドロスではないかと思う。
>>42 カエサルやオクタの場合は統治が現実的で無いという理由でしなさそうだが。
って
>>44 で言ってるか。
俺個人としては戦術10はまさにアレクサンダーだと思う。騎兵による包囲作戦を恐らく初めて考案した人間だから。
>>45 正確に言えば「騎兵の機動力、衝力」と「(戦列)歩兵の防御力、継戦能力」を組み合わせた
コンバインドアームズをはじめて完成させた人間だろう。>アレキサンドロス
それまでは騎兵による包囲戦は行われても防御に回ると弱い騎兵の特性ゆえ決定的な勝利には結びつかなかった。
(包囲された相手も穴を開けられるという事)
ところで誰かアレキサンドロスを評価できる?
>>44 アレキサンドロスは自分のリーダーシップに頼りすぎたせいで、途中で国がバラけかけてますね。
一人で限界に挑戦するって、難しいみたいです。
チンギス・ハーンのように団体戦で挑むのが征服者としては正しい道みたいです。
>>45 アレクサンダーは有力候補でしょうね。
色々と難のある軍隊を率いて、あれだけ多種多様な戦場を踏んで、
ことごとく勝利してきた人はあまりいないですしね。
>>46 上でカエサル、オクタビアヌスを付けた時並みに簡易なので良かったら、
明日かあさってあたりやってみますが、よろしいでしょうか?
つか、10が複数いたらだめなわけではないんだから、 ハンニバルもアレクサンダーもナポレオンも10で良いんじゃねーの? 全員神クラスだと思うのだが。
あ、ついでに言うと、こいつよりこいつのほうが駄目じゃないか? けど、微妙な差だから同じでいいだろ的な判断をするのはありでは?とも言いたい。
>>49 「個人が与えた影響」で10はなかなかいないと思うぞ。
まあ戦術だけに絞ればハンニバル、アレクサンダー、ナポレオンやクスタフ・アドルフは10だと思うが、
システム自体が優越していたがゆえ大戦果をあげえたカエサル、チンギス・ハーン、マンシュタインは良くて9だろう。
52 :
世界@名無史さん :04/12/11 22:10:11
袁崇煥 【指導】 8 あの時代を代表する名将 【戦術】10 あのヌルハチを一撃で葬りました 【戦略】 9 女真との和平を視野に入れつつ、朝鮮に一撃 【内政】 7 そもそも内政官として出世したので 【政略】 3 宦官の陰謀に葬られる 【人望】 8 彼の処刑後多くの臣が明を見限った事から
また袁崇煥かよ・・・
ムスタファ・ケマルは評価されないのだろうか?かなり凄いと思うが。
56 :
世界@名無史さん :04/12/18 03:04:38
それよりイブン・サウ−ドだろ。
>>48 激しく遅れて申し訳有りません。
アレクサンドロス3世 マケドニア国王
【指導】8 指導力は優れているが、膨張しすぎた帝国は明らかに彼の手に余るものだった。
【戦術】10 小アジアからインドまで転戦して、モラルの低い兵士を率いながら連戦連勝した。
【戦略】9 遠大なビジョンを持って終始戦役をリードしてきたが、感情に動かされて危機を招くこともあった。
【内政】7 占領地行政には傑出した手腕を見せたが、帝国全土の統治者としては性急に過ぎた。
【政略】7 政争や粛清では高い手腕を示したが、基本的には駆け引きや策謀より、力押しを好んだ。
【人望】8 強い魅力でギリシャ人や東方人を引き付けたが、遠征後期にはギリシャ人の人気を失いつつあった。
彼は古代世界においては、屈指の英雄でした。マケドニアからインドまで遠征を敢行し、
その間の地域をすべてマケトニア領とするという空前の壮挙を成し遂げました。
しかし、巨大になりすぎた帝国はインド遠征中に解体の危機に晒され、
自動車も飛行機もない時代に、これだけ遠い距離を行軍させられた将兵は
疲れ切って最後は遠征を中断せざるを得ませんでした。
また、東方宥和政策で東方人を味方に取り込むことに成功しますが、
その代償にマケドニア人・ギリシャ人の強い反感を買い、粛清事件も起きています。
通信手段も無く、交通機関も整っていないあの時代に、これだけのことを成し遂げたことを思うと、
アレクサンドロスが破格の指導者・軍人であった事は疑いありませんが、それでも多くの綻びが出ました。
彼の治世後半はかなり混乱していましたが、それも彼の巨大すぎる野心とそれに釣り合う才能が、
帝国を有り得ないぐらい広大な範囲まで膨張させてしまったからだと思います。
>>57 アレクサンドロスってペルシャ王になってなかったっけ?
誰かクラウゼヴィッツとビスマルク。モントケをキボン。
>>57 ありえないほど広大って、面積自体はペルシャ帝国と大して変わらないのでは。
61 :
世界@名無史さん :04/12/18 14:35:02
そこでキュロスとダーラヤワウの評価プリーズ。
62 :
世界@名無史さん :04/12/18 14:37:21
>>44 ティムールさまを忘れるな。冒頓単于さまもだ。
>>8 前スレで、毛利元就の戦術に「9」をつけてしまいましたが・・・。
武田・尼子・大内の大軍相手の勝利も含めて、262戦262勝だったので。
違った、226戦でした。連投で申し訳ない。
65 :
世界@名無史さん :04/12/18 22:44:55
池田大作 【指導】 9 日本最大の宗教企業を作った 【戦術】 1 戦争になったら真っ先に逃げ出すだろう 【戦略】 4 何を考えているか不明 【内政】 2 地域振興券役に立ちましたか? 【政略】 10 保身能力は世界トップレベル 【人望】 6 信者に対してだけは絶大なカリスマだが…
>>64 それって、10でもおかしくない様な・・・
って、画期的な戦術やら陣形やらを生み出したわけではないのか。
画期的などうかは分かりませんが、彼ほど伏兵を上手く使いこなした武将も 珍しいと思いますよ。ただ不意をつくだけでなく、ちゃんと囮を活用して相 手をおびき出した上で、叩いていましたからね。 イメージからすると、同様の説明があった『双頭の鷲』のベルトラン元帥に近 いと思います。正直、やりあっていたら名勝負だったかと。
馬鹿と奇襲は使いようって感じだな。 奇襲って、成功例ばかり目立つけど、相当難しいわけだべ? まして、同じやつを何回もはめるとなると・・・。敵に回したくないな・・・w。<毛利
>奇襲って、成功例ばかり目立つけど、相当難しいわけだべ? ナポレオンを扱った萬画の中に、ダヴー元帥の「後退と敗走の区別もつかない」 敵だ云々という台詞がありましたが、あまり整然としていると敵に気付かれます し、だからといって本当に算を乱す訳にも行きませんからね。 元就が没するまでに成立した『義経百首』という戦訓和歌集がありますが、その 中に、「にげて行足軽どもが脇を見ば そのみる方に伏あるとしれ」とあります。 「誘い込み」自体は小競り合いでも何度も見られたでしょうが、それを成功させ るか否かは将次第。戦の庭における呼吸と、狐と狸の化かしあいでした。
>>58 正式に即位していたかどうかは失念しました。
申し訳ありません。
>>60 アケメネス朝も古代世界には有り得ないほど広大だと思います。
何世紀もかけて支配を固めていったアッシリアと違い、
アケメネス朝はキュロス大王とダレイオス1世という二人の大天才が
短いスパンで出現したからこそ成し得た偶然の産物だったと思います。
>>61 キュロスは、おそらくほぼオールマイティな能力を持っていると思います。
極端に走りがちなアレクサンドロスより、華々しさでは劣るでしょうが、
はるかにバランス感覚に富んでいたと思います。
ダレイオスは分裂への動きを見せていた帝国を再編し、高度な支配体制を構築しました。
政治と指導は9ぐらいあるでしょう。自ら兵を率いて帝国を再統一しているので、戦術も低くはないでしょう。
周辺諸国を征服して領土を大いに広げたので、戦略は高いと思われます。
ただし、スキタイ遠征では自ら指揮を取ったにも関わらず、
戦略的に翻弄されて撤退に追い込まれたので、最高とは言えないでしょう。
ギリシャとの戦争は王が派遣した将軍が敗れたので、戦術の減点材料にはなりません。
ギリシャ攻略に執着した事は最高戦争指導者として戦略の減点材料になるかも知れませんが、
おそらくはささいなものだと思われます。
73 :
世界@名無史さん :04/12/25 21:59:23
こんな感じでどうだろう? キュロス2世 【指導】9 エジプトを除く全オリエントを統一 【戦術】7 まずは一流どころか 【戦略】8 少数派のペルシア人を率いて帝国を建てた 【内政】7 問題なさそう 【政略】8 悲惨な境遇から身を起こして天下を取った 【人望】9 聖書の中でも賞賛されている ダレイオス1世 【指導】9 王朝のっとり成功&史上最初の世界帝国建設 【戦術】7 国内では一流 【戦略】8 帝国再統一と版図の拡大 【内政】10 史上最初の世界帝国を確立 【政略】10 王の目、王の耳、王道などを組織し、後世の諸帝国のモデルとなった 【人望】8 宣伝政策に長けていた
74 :
世界@名無史さん :04/12/25 22:06:11
おまけに カンビュセス2世 【指導】5 まあまあかな 【戦術】7 エジプトを征服したほどだから一流だろう 【戦略】6 そこそこかな 【内政】4 別にこれといった話は聞かない 【政略】2 聖牛アピスを侮辱してエジプト人の感情を逆撫で 【人望】1 狂人&暴君
75 :
世界@名無史さん :04/12/26 12:35:17
ティムール 【指導】 8 基本的に一人で国をまとめていたようだ 【戦術】 9 重要な戦いは全て自ら指揮し、後半生では不敗。ただし若い頃は結構負けてる 【戦略】 5 戦略というほどのものがあったのか・・・ 【内政】 5 多くの美しい建築物などを残しているが、基本的に殺戮の嵐 【政略】 6 危ない橋を何度も渡って、どん底から這い上がってきた 【人望】 8 敵には憎悪されたが部下には敬愛された
76 :
世界@名無史さん :04/12/26 16:36:40
原たいらさんに一万点!
77 :
神戸人 :04/12/26 16:50:55
トルケマーダ 【指導】8 異端審問所を強行設置 【戦術】0 聖職者 【戦略】0 スペインは弱小国に… 【内政】10 ユダヤ人をイベリア半島から一掃 【政略】7 国王に取り入る 【人望】0 ユダヤ人の憎悪の対象
78 :
世界@名無史さん :04/12/28 15:07:14
各項目の目安を作ったらどうか。たとえば「戦術10」の条件としては 「後世の戦術に大きな影響を与えたこと」 は最低要件だと思う。単に「なんども大勝利した」とか「国を統一した」とかでは足りない。「新たな武器を初めて使った」は微妙だけど。
特殊能力もいくつか例があるべきかと 頑固とか臨機応変とか
じゃあ、特殊能力いくつかつくるなw。
チャンス○;チャンスに強い。 ピンチ○;逆境に強い。
尻上がり;後半生になるほど調子を上げていった。 スロースターター;前半生は駄目駄目だった。
教養;教養がある。 代打○;誰かの代わりに何かをするのが得意。
奇襲、応用、臨機応変;戦闘時、戦術に+1補正される。(
>>78 の条件を満たしてないけど、戦うだけだったら10にも並ぶだろう奴につける。)
攻撃○;攻撃時、戦術に+1補正される。 防御○;防戦時、戦術に+1される。
城砦戦○;略 野戦○;略 商業、農業、建築○;それぞれが得意。(内政+1)
カリスマ;人望低くてもキニシナイ。 保身〜◎;政略+1〜3
統一;戦略に+補正(戦略がなかったように思えるのに、何かを統一したような奴にでも。)
81 :
世界@名無史さん :04/12/28 21:58:43
>>78 基準が曖昧。
戦術に影響というが、「現代よく知られた戦術」に限定すれば
近世以降の西欧ばかりに集中しそうな悪寒。
たとえば南アフリカのズールー族のシャカ王は
プロイセンのフリードリヒ大王に匹敵する戦術家といわれ、
実際に新戦術を編み出しているが、いかんせん時間的空間的な直接の影響力は小さい。
しかしそれをもって彼を機械的にフリードリヒより低くしていいものか・・・
逆に言えばいくら優れた戦術を編み出して後世に影響を与えたところで
実際に力任せの指揮をする猛将と戦場で戦って完敗した場合とか。
この場合はどう考えても「後世に影響を与えた戦術家」より「ただの猛将」の方が
軍事才能は上だろう。
さらに別の見方をすれば、たとえば古代オリエントあたりの凄まじい大征服者とか。
アッシリアの征服王とかで同時代的には無敵そのものの指揮官たちがいそうだし、
彼らはオリエント史限定では相当後世へ「新戦術開発の影響」を与えていそうだが、
その「影響」が現在まで受け継がれていないとか・・・
(分かりにくい表現でスマソ)
結局、戦術面での後世の影響はひとつの基準とはなりえても、
それをもって数値10の絶対的条件にするのは無理があると思う。
突厥の可汗よりグスタフ・アドルフの方が軍事史上では重要だろうが
だからといってグスタフを突厥の可汗よりも上にしちゃtyていいのかどうか、ってこと。
82 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/12/28 22:47:35
通常、戦略的に負けてたら、戦術で覆すのは難しいです。 数が少ない、物資が少ない、四方に敵がいる、自軍の勢力基盤が不安定、 錬度が劣っている、兵器の質が劣っている…。 こういう悪条件ですら、軽々と踏み越えて、 戦場での勝利だけで、敵の戦略的優位を覆すぐらい強い。 戦場に立つまでの条件は圧倒的に不利なのに、 戦場に立つと、戦場内での駆け引きだけで、どう見ても勝てないはずの敵に勝ってしまう。 そういう戦いが出来る人物こそが、戦術10にふさわしいのではないでしょうか。
すべてが優越してる状態の指揮官って評価されなくなっちゃう気がすっけども。 それは、戦略の評価としてって事にすればいいのかね?
84 :
世界@名無史さん :04/12/29 20:48:38
戦略は運もあるしな・・・たとえば
>>81 の例に出ている突厥の可汗たちなんかは
もともと強力な遊牧民の指導者として生まれたわけで、
その部族集団の武力が大帝国を築く基盤になったとしても、
これは単なる偶然であって本人の戦略ではないだろうし・・・よく判らん・・
>>82 の基準は相当説得力があると思うが、世の中広いもので、そこまで優れた
武将ですら実際に一度くらいは、完全に対等の条件で「単なる猛将」と戦って
完全敗北を喫したなんてことのある可能性もある罠。
そういうのはひとつの基準例とはなっても、絶対的基準にはしないほうがいいと思う。
たとえば戦略的に圧倒的不利な条件下で十倍の敵を破った武将も、
戦略的に普通かやや有利な程度で百倍の敵を破った武将も、どっちも数値10に値すると思う。
アレクサンドロス大王を三年間ゲリラ戦で翻弄したソグド人の指導者 スピタメネスの数値化キボン
7=国内では一流の人材。 8=国を代表する実力者。 9=時代を代表する天才。 10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。 単にその時代最強の指揮官なら9、後世に影響を与える何か(新戦術など)を残してこそ10
87 :
世界@名無史さん :05/01/03 18:03:19
ある程度、業績や結果から独立した指標が立てられるといいんだけどね。その人の能力そのものを数値化できるような。なかなかそうもいかないから、実際は業績から能力を推し量ることになる。 <戦術>という面でぱっと考え付く客観要素としては、 1.まず局地戦の戦績の分析。 2.つぎにその戦績(勝敗)の要因の分析(戦略的要素や彼我の戦力差、天候その他の偶然的要素を差し引いて、その人物による用兵がどの程度結果に影響したか)。 3.さらに戦績とは独立した要素として、その人物の戦術論その他の著作・後世への具体的影響を加味したい。 資料が少ない人物に関しては、裏づけもなしに乏しい資料から高い能力値をつけるべきでないと思う。たとえ本当に有能な人物だったとしても、これはやむをえない。 もっともこれでは古代の人物や玄人好みのマイナーな人物には酷な評価になってしまいそうなので、お遊びとしてなら、真贋さだかでない伝説的要素も加味していいかな。
え? お遊び半分マジ半分のスレじゃなかったのか? 何か違和感があると思った。
今のところ一時的にマジの要素が強く出ているだけだと思われ(ry
上を見るから、もっとアホ人物のほうを評価してみるとか。
91 :
世界@名無史さん :05/01/10 00:49:02
ほっす
>>83 国力の問題もあるが、政治には発言力をもつなら、両者の関連性は高いし、
国力でまけていても、外交が上手ければ、周辺国を有利に動かし、敵より多くの兵力を揃えることが出来る。
ただ、その場合戦略じゃなくて、政治と内政と政略にそれぞれ分類される気がする。
純粋に戦略のみよって勝利したといえるのはどれを挿すんだろ。
いやそれとも全軍の司令官の勝利は、小勢であろうとも戦略の勝利といい、
一方面軍や前線の小部隊の奮戦で戦況を覆した場合のみ、戦術の勝利と言うべきかな。
項羽はどっちになるんだろ。王だし、政略から干渉している。
同時に全軍の司令官なのだから、戦略から彼が統御している
だが彼の勝利は全てじゃないが、全軍の司令官としてよりも、
一部隊の指揮官として能力が大きいからの気がする。
いっそ、武力と知力の二つにした方がいいのかね。 おまけで理力(フォース)とかw。
94 :
世界@名無史さん :05/01/11 14:30:33
大明帝国 万暦帝(w 【指導】3 【戦術】2 【戦略】2 【内政】1 【政略】2 【人望】4
95 :
世界@名無史さん :05/01/11 14:33:51
大清帝国 康熙帝(w 【指導】9 【戦術】7 【戦略】8 【内政】10 【政略】7 【人望】8 この差はなんなのだっ!!(ww
96 :
世界@名無史さん :05/01/11 14:35:46
>>94 訂正する。
大明帝国 万暦帝(w
【指導】1
【戦術】0
【戦略】0
【内政】0
【政略】0
【人望】2
97 :
名も無き査定人 :05/01/11 14:44:11
西太后 【指導】7(何だかんだいって最高実力者) 【戦術】3(未経験者なので) 【戦略】1(“結果として”生前の清朝崩壊は防ぎきったが・・・) 【内政】1(話にならん) 【政略】7(長年の垂簾聴政) 【人望】8(民衆に慕われたので)
98 :
名も無き査定人 :05/01/11 14:50:34
李鴻章 【指導】8 (北洋海軍を掌握) 【戦術】6 (淮軍を組織して太平天国と戦う。しかし日清戦争では大敗) 【戦略】8 (あの時代の清朝では屈指の才能) 【内政】7 (同治中興を担う) 【政略】6 (まあ状況を考えれば精一杯頑張ったとはいえるが・・・) 【人望】6 (このくらいかな)
99 :
名も無き査定人 :05/01/11 14:55:29
ジョン失地王 【指導】2 (マグナ・カルタその他) 【戦術】4 (兄に及ぶべくもない) 【戦略】2 (ただのアフォry) 【内政】4 (駄目ですな) 【政略】5 (そこそこかな?) 【人望】2 (終わってる)
100 :
名も無き査定人 :05/01/11 15:00:05
モーセ 【指導】6 (ちょっと姿を消しただけですぐに偶像崇拝が復活するあたり、痛い) 【戦術】3 (未経験) 【戦略】3 (基本的に神に従っているだけでしょ?) 【内政】5 (まあまあかな) 【政略】5 (神がついていますから) 【人望】6 (十戒を得てからは9になります)
101 :
世界@名無史さん :05/01/11 16:26:31
近衛文麿 【指導】 4 【戦術】 0 【戦略】 0 【内政】 4 【政略】 4 【人望】 9
海軍提督のステータスをつらつらと考えてみる。 東郷・ネルソンは将兵の優秀さを活かしただけの「普通の名将」だから、戦術8ぐらいだろう。国を代表する実力者。 9の候補者は、自ら艦隊を編成し、新戦術を構築したドレイク・李舜臣の二人が挙げられると思う。 特殊能力が認められるなら、戦術能力8に特殊能力でプラスアルファした方がよさげだが。 10は、いない。陸戦と較べて、海戦は技術的な側面が強く、天才的な個人にできることは相対的に少ないのだ。 戦略は、古代のテミストクレスと現代のニミッツを双璧として挙げておく。 それでも10は苦しいかもしれない(テミストクレスは後に亡命する羽目になってるし、 ニミッツの戦略はオレンジプラン以来の積み重ねの成果だ)。 デーニッツ…はさらに落ちるだろう。潜水艦作戦は彼が考えたわけではないし、 あれはゴルシコフ戦略と同じく、基本的に弱者の戦略であるという宿命を背負っている。 戦術 戦略 アテネ(希):テミストクレス 7 9 李朝(韓):李舜臣 9 6 英:ドレイク 9 6 蘭:デ・ロイテル 8 6 米:ジョーンズ 7 4 英:ネルソン 8 7 日:山本権兵衛 4 8 日:東郷平八郎 8 5 独:デーニッツ 7 8 米:ニミッツ 4 9 (デーニッツとニミッツの戦術評価の差は、ニミッツが実戦経験がなく、作戦レベル以下を指揮官に一任したのに対し、 デーニッツが元潜水艦長で、本土から無線で指揮を取ったことに起因する)
ドレイクと李舜臣どんな新戦術を考案したの?
李舜臣が勝ったのって最初のうちだけじゃね? 李舜臣が勝ったのって最初のうちだけじゃね?
李舜臣って結構負けも多いんだけどね。まあ状況が状況なだけに奮闘したとは言えるけど。 あとドレイクの新戦術って何だろ。
李舜臣かぁ 造船技術と地の利を活かした戦術って感じはするが、新戦術を構築したって感じではないなぁ
あ、
>>106 はあくまでも亀甲船ってのがあったとしての話
すみません、無知な私はそもそも海戦における、 新戦術の構築というもののイメージがつかめません。 例えばどんなもののことなんでしょうか?
航空戦力の投入とか、十分そうじゃねーか? あと、後世に影響を与えるような、隊列の組み方とか。
ごめん、余裕無いんで短く。 ドレイクと李舜臣の戦術を一言で言うと、 移乗白兵戦から火力戦への転換。
ムスタファ・ケマルは人望10?
>>111 ケマルが最初に結成した反乱組織のメンバーは、大部分スルタンに寝返ってしまいました。
政権獲得後も、かつての同志の造反に悩まされています。
人望と言うよりは、指導力と敵の失点で人を集めた人だと思います。
火力戦への転換? 昔から海戦は弓による射撃が主力で、紀元前ですらすでに投石や火弾による攻撃がなされてたのに そういや突撃戦しかなかった時代に白兵戦をもちこんだローマも、一つの戦術の転機になるかも まぁ、李舜臣もドレイクも結構中盤以降ぼろぼろ負けてるしなぁ
>>110 おまい、李舜臣が鉄砲に狙撃された戦死したことしっとるけ?
ほほう。 鉄砲に狙撃されて死んだら火力を重視していることにならないと。 では、航空機で殺された山本五十六は当然航空機を軽視していたということになりますな。
>>114 が言いたいのは、
>>110 で火力戦へ転換とか言ってるが、鉄砲で狙撃されたって事は
日本側でもすでにそういった戦術があったんじゃないかってつっこみだろう
まぁ、これは日本側が真似したのかもしれないんで適切なつっこみとは言えないと思うが
ところで、火力戦への転換がドレイクと李舜臣によるものってのの、もうちとまともな話はないの?
既存の戦術に思えるんだが
移乗白兵戦の比重の低下自体は、16世紀末の海上戦術の全体的な流れで、 別に、ドレイクや李舜臣がゼロからもたらしたものではない。 レパントでヴェネツィアが持ち込んだガレアス船、信長の大安宅船。 あの手この手で、火力での優位を築こうとしている。 そういった流れの中で、もっとも正統派で後世につながったのが、ドレイクの戦術。 もっともセコくてトリッキーで後世には全くつながらなかったのが李舜臣の戦術。 この観点からアルマダ海戦の両艦隊を評価すると、まず船については、 アルマダのイングランド艦隊が、 重心が低く(1)、高速航行に向いた縦横比の長い(2)、 長射程のカルバリン砲搭載の(3)、帆船で(4)、ほぼ統一されていたのに対して、 スペイン艦隊の帆船は、 斬り込みのために高い船首楼・船尾楼を持っていて(1)、 高速発揮よりも旋回性を重視した縦横比の低い船で(2)、 長射程のカルバリン砲を搭載していないものも多く(3)、 そもそも、櫂走船がかなり混じっていた(4)。 次に陣形については、 イングランド艦隊が、艦隊機動を取りやすい縦陣を採用したのに対して、 スペイン艦隊は、乱戦で連携が取りやすい半円陣を採用した。 そして具体的な機動については、 イングランド艦隊が、個艦性能と陣形選択から来る機動性の優位を活かして、 ひたすらヒットアンドアウェイを繰り返したのに対して、 鈍重なスペイン艦隊は肉薄戦を挑み――そして失敗した。 (この構図は日清戦争の黄海海戦によく似ている) さらにドレイクは、泊地に対する奇襲に長けている。 アルマダ海戦中のカレーへの火船攻撃と、前年4月のカディス襲撃が有名だが、 海賊時代にも何度も港湾攻撃を成功させている。 これがドレイクの戦術9の中身。
港湾攻撃は結構痛い目あってるよーな
まぁ、ドレイクの戦術が見事だったのは否定するつもりはない(特に初期のあらしっぷり) 海戦に関しては「時代を代表する天才」と言う意味での9ならそれほど意外でもない気もする ただ、「新戦術の構築」ってのがどなのかな? アルマダ海戦は 性能はともかく単純火力だとスペインの方が上だったんでは 上陸戦を仕掛けようとしてたスペイン側の自滅の色が濃い イギリス艦隊の動きのシャープなのは確かだけど
>>118 ごもっともですw
>>119 はい、「新戦術の構築」という表現は微妙かもしれないと思えてきました。
砲戦重視・高速艦・単縦陣の組み合わせを初めて実践したのはドレイクですが、
個々の要素はどれもあった思想ですから。
「新戦術の実践」なら誰にも文句は言わせないのですが。
李舜臣については、しばらく時間をください。
考えれば考えるほどよくわからなくなってきました。
彼が移乗白兵戦を嫌ったのは多分事実ですが、
(1:文禄の役で、九鬼艦隊が戦果を挙げた方法が斬り込みだった
2:亀甲船は甲板に錐だか刃だかを仕込んであったと言われている)
彼は本当に「火力戦」の方向に行ったのか、
実は李舜臣の戦術は「衝角戦」だったのではないか、
そういう疑念が沸いてきて仕方が無いのです。
それなら、もっと斬新であるということができますがw
ところで、彼、露梁海戦以外で負けてましたっけ?
この海戦で何が起こったのかも、私なりの納得のいく結論を出したいです。
元がネタ師なんで、ネタっぽくなってしまう可能性もありますがw
衝角がなぜ斬新かイマイチ理解できないのだが・・・。 李舜臣の戦術能力がどうであれ、彼の人格的高潔さに由来する、 後世への遺徳を鑑みると、十分に時代を代表する英雄と言えるのでは ないだろうか。 実の無いカキコ、謝謝。
んー、李舜臣自身はそんなに負けは多かったかな 露梁海戦以外だと、鳴洋渡海戦と露梁海戦の間の小競り合いで ちょっとした被害はあったみたいだけど しかし、国家的英雄か世界的に傑出してるかの境目はむずいね
うげ。 衝角戦術に熱心でないのは日本だけか。 極東全域の傾向だと思ってたのだが。 宋の船とかガンガン体当たりやってるじゃん。 日本は弓と斬り込み、中国は弩と火計って先入観があったが。
テゲトフはどうしたとか、ジョン・ポール・ジョーンズに7は高すぎるとか、 俺はトルデンスキョルド(Tordenskjold)がネルソン・東郷にも負けない名将と思うとか、 なにか遊べるようなネタは他にありませんか? 基本的には考察スレというよりネタスレだと思っているのですが……
>>123 日本は弓と切込みって、もう戦国時代から火力全盛だっただろ。
史実かどうかは疑わしいが、信長が焙烙火矢を駆使する毛利水軍を撃退するために、
大砲を搭載させた前面鉄張りの鉄鋼船を造らせたという話が、
リアルタイムで噂されていたほどだったし。
126 :
世界@名無史さん :05/01/19 04:54:46 0
保守 坂本竜馬 【指導】 7 【戦術】 5 【戦略】 7 【内政】 3 【政略】 3 【人望】 7
127 :
コーエースレの1 :05/01/19 15:51:41 0
>>2 うお!!こんなもんができてたのか・・・
何気なく立てたスレを皆さんの力でここまで育て上げてくれてマジで感謝してます!!
>>125 「噂」というのは、唯一大安宅船を「鉄船」と記した『多聞院日記』の事ですか。
「五千人が乗れ、横は七間、縦は十二三間、鉄船也」
という記述がありますが、明らかに矛盾している様な(どんな船ですか)。
「テッセン」自体は『日葡辞書』にも出て来た筈なので、鉄張り自体は存在したと考
える事も出来ますが、逆にそう珍しくも無かったともとれる。
大砲については記されているものの、鉄張りは注目されなかった様ですから。
なお文禄・慶長の役の際には、1570年代から豊後を中心に生産される様にな
っていた大砲が戦地に送られていますが、その割に活躍が認められません。
寧ろ出て来るのは鉄砲ばかり。従来戦の庭における主役であった弓矢・鑓以上に
需要がありました。もっとも、鉄砲がそれだけ壊れ易く生産が困難であった分必
要とされた可能性もありますが。
倭軍の鳥銃を朝鮮側が回収したものの、ほとんど壊れていた上に生産が困難であ
ったという記録もありますし、また当時の鉄砲は火薬の湿り気などによって使え
ない状況もあり、主役の座を独占するにはまだ弱すぎました。
海戦で大砲が大きな威力を発揮したという事も、無かったと思いますが。
>>128 アンタその話が出ると必ずツッこむよねw
逆に、毎回同じ様な「信者」(125氏は冷静な様ですが)に突っ込む方の 気持ちも察して下さい。 日本で織田信長ほど電波の強い信者がわんさかいる人物はいませんよ。 政治的な面に限って言えば、私の評価は、家康>秀吉>>信長ですが。
>>130 いやいや、あなたの見解に異論を唱えるというわけではないので、お気になさらずに。
実際その通りだと思いますし。
ただ、何か毎回見る風景なので「ああ、世界史板のお約束だなあ」と思っただけですw
>>130 >信長
ほぼ思うように大事業を成し遂げた完璧な人物より、
志半ばで死んでしまった(ボロを出す前に死んだ)人物の方が、
評価が高くなりがちですね。皮肉なものです。
1、5倍増しかそれ以上にはなりますね。海外でもそうだと思いますが、日本 だとマトモでない架空戦記小説家がやたらと喧伝して「信長のオリジナル歴史」を 創り出すものだから、余計に電波がまかり通ってしまう。
私は広く浅くの人なんで、信長個人について詳しいことを述べることはできないのですが。 この手の人物って、わりと世界史上では珍しくないと思います。 大胆な革新性で軍事的にも政治的にも一時代を作るが、 その斬新さに伴う無理ゆえに、残虐さによってもまた名を残すこととなる。 その人物の担った前進は、死後の混乱や保守化によって、ほとんど帳消しにされてしまう。 中世末期という時代が必要とするタイプなのではないでしょうか。 KOEIの関係で曹操がよく持ち出されますが、同時代でも、チェーザレ・ボルジアとか、ヴラド3世とか、イヴァン4世とか。 能力値のデータをずらりと揃えてソートしたら、意外な人物同士の類似性が見つかるかもしれませんね。
ただ、独自性は確かにあったにせよ、所詮はあの時代の人間として生きてい た以上は、信仰面にせよ政治面にせよ、当時の時代背景を無視しては語れま せんし、信長以外の人物の動向も考えねばなりません。 信長「信者」の方々は、信長に関する歴史以外は調べず、木を見て森を見てら っしゃらないから、信長だけ信仰する状態に至る訳で。 自分を神と称するとか、楽市楽座(系の政策)とか、信長だけのものでなし。
>>133 海外も似たようなものです。
どの国でも、志半ばで死んだ英雄が長生きして活躍する小説が人気を呼んでいます。
つまるところ、人気のある英雄は、ほとんどが事業を完成させられなかった英雄です。
>>134 信長の偉大さは、革新性ではなく、不屈の闘志にあります。
信長の政策や戦術は、実のところ、戦国時代においては、
「前に誰かがやって、進んでる地域ではみんなやり始めてる」程度の新しさなのですが、
彼が勝利者になりかけたのは、それを勝つまでやり続けたことに有ります。
そして、勝つことへの執念、そして勝つまで生き残るためには、
どんな屈辱だろうと卑劣な真似だろうと、やってのける気持ちが飛び抜けて強かったからです。
秀吉は晩年になって、信長をこう評しています。
「上様と蒲生氏郷(当代きっての名将とされていた人物)が100人ずつ率いて戦ったら、
蒲生の兵は上様の兵を95人討ち取り、上様の兵は蒲生の兵を5人しか討ち取れないだろう。
しかし、上様は95人が死んでも、生き残った5人の側に絶対にいる。
蒲生は5人しか討ち取られなくても、上様と戦ったら、必ず討ち取られた5人に入ることになる」
信長があらゆる場面で部下に「付いていけない」と思われたのは、
執念があまりに強すぎて、引かれてしまったからなのではないかと言う気がします。
曹操のようにあきらめの良い人物よりは、
雷帝のような「何かに取り付かれたかのように勝利を求める人物」を対比されるのがちょうど良いとおもいます。
そういえば、19世紀末か20世紀初にはナポレオンの勝利をテーマにした 仮想戦記小説が欧州で成立していた気が。 >「前に誰かがやって、進んでる地域ではみんなやり始めてる」程度の新しさなのですが、 >彼が勝利者になりかけたのは、それを勝つまでやり続けたことに有ります。 ううむ、説得力がありますよ(笑)。七割ぐらい(これだけあれば十分です)。
残念ナポレオンの勝利をテーマにした仮想戦記小説は19世紀前半です。
(山野さんの誤りを指摘できるのは珍しい経験ですね)
英語圏の歴史改変小説の愛好家のページによると、
http://www.uchronia.net/bib.cgi/oldest.html 間違いなく歴史改変小説であると言える最初の小説は、
ナポレオンの勝利を扱った、ルイ・ジョフロワによる、1836年の、
"Napoleon et la conquete du monde, 1812-1823
: histoire de la monarchie universelle [vt Napoleon apocryphe]."だそうです。
同作はキム・ニューマンの『ドラキュラ崩御』(これも歴史改変SFだ)作中でも、
歴史改変小説の起源として挙げられてます。
東洋世界における「架空戦記」は水野広徳中佐の『次の一戦』を嚆矢としますが、
これは将来における日米戦を扱ったもので、過去に遡って敗れた英雄に再起を、
というものになると、周大荒による『反三国志』(1924年)が起源となるでしょう。
>『ドラキュラ崩御』 そうそう、これで知ったのでした。前二作ほど読み返していないもので。 >東洋世界における「架空戦記」は水野広徳中佐の『次の一戦』を嚆矢としますが、 『雑兵物語』は、17世紀後半の日本で架空の戦働きをする雑兵達の発言から、戦 の心得を伝えようとしたもの。作者は川越藩主かその周辺の人物とされます。 もう少しそれらしいものだと、『西征快心篇』。安政4年(1857)頃成立か。 徳川斉昭が海外派兵を行い、清とインドを解放。安政4年6月12日深夜にロンド ンを占領し、王族と大臣らを捕縛。欧州列国会議を開き、英国の分割統治を取り決 めると、日本へ凱旋する。
140 :
世界@名無史さん :05/01/20 00:15:49 0
信長とチェーザレ・ボルジアの比較は面白い
OK、信長信者の俺が信長を評価してやろう。 織田信長 【指導】 6 在世中に何度も反乱を起こされている事、粛清が苛烈過ぎてかえって反乱を 招いていること、最後は謀反によって横死している事がマイナス。 しかしながら有能な人材を抜擢し、彼らが各方面軍の軍団長として見事に働いて いる事も考慮してこの数字。 【戦術】 6 実の所さして目新しい戦術はとっていないが、堅実な用兵で勘所もいい。 負けも多いがどれも致命的なダメージには持って行かせず、肝心な所では必ず勝つ。 【戦略】 9 信長の真骨頂。目的を達成するためにはあらゆる手段をとり、卑屈・卑怯な 策も厭わず、 戦略目的を達成する。ミスがあっても即座に修正してのける 臨機応変さも併せ持つ。 【内政】 7 独創性が突出している訳でもないが、政策の効果を認めたならばあまり因習に 囚われる事無く導入する柔軟性を持つ。在世中には目立った破綻も少ない。 【政略】 8 目の前の好機は逃さず利用。パワー・バランスの分析も的確。使える権威を見分け、 その利用法と使い分け方を心得、存分に利用した。調略も巧い。 晩年は強引さも目立つが、それを可能にするだけの力は既に持っていた。 横死したため統一後のビジョンが見えにくいのは残念。 【人望】 5 愛されるよりは恐れられる主君を目指したようだが、恐れられすぎて反乱を誘発。 最期も謀反による横死というのは致命的なマイナス要素。 最も仕えた部下達にとっては巨大なカリスマでもあった。
>>110 あのー日本の戦国時代の海戦も基本的に乗りこんで白兵戦なんかしないんですけど、
毛利水軍は、敵の船に焙烙で火かけて焼き討ちが基本ですよ。
だから信長は鉄張りの船を作ったと言われているわけで。
乗りこむのは略奪が目的の海賊(まあ毛利の水軍の多くは海賊あがりですが)
というか源平の時代から乗りこみなんてあまりしないと思うんだけど、
弓で撃ち殺していたしねえ。
近海での戦闘が多く、海を越えて戦うなんてほとんどなかった。
だから大形の帆船が発達しなかったし、船上で白兵戦なんてするのは困難だと思う、
>>130 家康の政策って秀吉の政策の焼き増しじゃないのか?
有力大名の取り潰し、遠方飛ばし、配下大名の国力を奪う為の普請や戦争、
奥方を人質にとるのだってそうだし。鉱山や貿易統制、キリスト教流入の阻止だってそうだ。
秀吉がしていて家康がしていないのって、有力大名の政治参加くらいかな。
秀吉が存命の間はよかったのだが、死んだあとは後継ぎが幼く、統制できなくなってしまった。
だから俺的には秀吉>>>信長>家康
>>142 先駆性よりは、結果を重視なさったほうがよろしいかと。
先進的な政策を始めた革新的な人物よりは、
その政策をより広い範囲、より高い完成度で推し進めた
模倣者の方が偉大であると思います。
優れた政治家に対する評の中に
「革新的な政策を思い付いたから偉い」とする評が良く有ります。
確かに革新的な政策を思いつく事は、凡人に成しえる業では無いでしょう。
しかし、優れたアイディアを思いついても、
それを実行させて、効果を挙げることが出来なければ、意味がありません。
良いアイディアを思い付くだけの人より、
他人の良いアイディアをパクって、実行できる人のほうが偉大だと思います。
私は韓非より李斯の方が遥かに偉大な政治家であると思います。
144 :
世界@名無史さん :05/01/21 00:40:32 0
>>143 結果じゃなくて、能力を評価するスレだと思うんだが。結果はその人の能力を推し量る指標の一つではあるけど、優れたアイデアを思いついたか、も同様に指標の一つ。あえていうなら、
「良いアイデアを思いついた」=内政の指標
「いいアイデアをパクッテ実行した」=政略の指標
「はるかに偉大」って、このスレ的にちがくない?「偉大」ってパラメータでも作るか。
そりゃ後知恵でやれば成功するだろ。 秀吉が成功して、その結果をみてやっているわけなんだから。 だからその指摘は間違いだろ、秀吉は思いつくだけじゃなくて、 実践して全国規模で実践させ成功させていた。 アイディアを思いつくだけじゃない。 つか思想家、学者と政治家の区別がついてないんじゃないかと。>韓非より李斯 家康と違い、そして崩壊したのは。 後継ぎが幼く、家臣の派閥争いが止められず、 なりあがりなので、「秀吉」個人には忠誠を誓うが、 「家」に忠誠を誓う譜代の家臣がいなかったから。
歴史を個人・比較的短い時期で分断するから混乱が起こる。 その時代の為政者(この場合は天下人)として当然するであろう政策は 平均的・最大公約数的に、類似のものになる蓋然性が高い。 秀吉が某の政策を真似した(継承した)から、秀吉は某より下、であるとか 家康が某の(ry、という視点でみていたならば歴史の実相は見えてこない。 思想も政策も戦略も、その時代の制約から逃れることは出来ない。 革新的・独自に見える現象であっても、必ずその「土台」が存在する。 (詳しくは史的唯物論・唯物弁証法を学んで欲しい。) その土台から成しうる、最大限の成果により近いものを実現したもの(政治家等)、 もしくはその構想を保持していたもの(思想家等)が偉大と呼ばれるのである。 もちろん両者の混合形態もしばしば見られることは言うまでもない。
せめて世界史の人物で例を出して比較して欲しいところ
>>147 「赤色」運動においては政治家としての側面と思想家としての側面が
他の場合よりさらに高度に混合されているため、単純な例を出すのは
難しいが、大雑把に割り切ったものを上部構造にのみしぼって書いてみる。
・・・(思想家)ヘーゲル(・フォイエルバッハ)
→(思想家)マルクス(・エンゲルス)
→(思想家・政治家)レーニン・(スターリンw)
→(思想家・政治家)毛沢東・(政治家)ホーチミン等・・・
(マル・エンが言っているように、)ヘーゲルは偉大な思想化だが、
その時代の制約を逃れることが出来なかった(これは当然のこと)。
だからといって単純にヘーゲル<マルクスではない。
しかし、各々の時代(未来も含めて)の様相や解釈、精神を
より的確に把握、整理、叙述したのはマルクスの方だろう。
つまりマルクス>ヘーゲルというのが結論。
以下は省略。長文多謝。
言うまでもないことかもしれないが、 →は思想や政策の継承を表している。
>>146 =148
そうゆうことですか。なるほど。
そうすると何に視点を置くのかも重要になるね。
例えば統治者としての責務に置くのか民衆の幸福に置くのかとか。
このへんは各自の判断に任せることになるのかなあ。
おまいら
>>141 は華麗にスルーですか。俺は悲しいぞ。
指導は人望と切り離せないと思うが6は低すぎ。 8=国を代表する実力者位かと。 それで人望が5だとバランスが取れると思う。 同様に内政も8が妥当かと。 海外でも信長は比較的有名だし、日本史を代表する人物だと 思われているらしい。ゲームですまんがEU2でも能力一流だし。
>>152 やっと反応があって嬉しいよ。テンプレの基準に従うと低いかな、とも思うんだが
スレ内でも世界史的基準について論議があったようなので、世界的に俯瞰した場合、
ということでちと厳しめにしてみた。
あれでいいと思いますよ。 指導を2つ、戦術を1つ、内政を3つ足せば、私の考える家康像に・・・。 >146 つまり、馬上にその時代を見る事が出来ると・・・。 >思想も政策も戦略も、その時代の制約から逃れることは出来ない。 >革新的・独自に見える現象であっても、必ずその「土台」が存在する。 仮想戦記読みの方に、そうは思ってらっしゃらない方が多いですね。
>>154 指導、戦術はいいけど、内政みっつもいくかあ?
むしろ大久保長安などを上手く使ったと言う事で、それこみで指導を8でいいと思うんだけど、
せいぜい8じゃない?
んで政略を1つ+するかな俺は。
秀吉が死後たったの数年で事実上崩壊させた手腕は見事と思う。
>>152 戦略9と政略8を生かして力技で勢力を広げたけど、
指導が6しかないから、ボロボロ離反されてたってのが妥当じゃね?
信長最大の敵は、離反する味方どもだったんじゃないかと思う今日この頃。
>>155 家康配下には、謀士も武将も官僚もいたけど、宰相らしい宰相はいなかった。
自分で政治を決裁してあれなら立派なもんだ。
こういう形で流れを汲むスレがあったとは、今まで気づきませんでした。 まとめサイトもとても良くできていて、私の方が感謝したいくらいです。 個人的なことですが、wikipediaでナポレオンの元帥達の記事をつらつらと書いてますので、 興味のある方は読んでみて下さいませ。
159 :
世界@名無史さん :05/01/22 13:58:50 0
10候補 【指導】ナチス 【戦術】源義経・ナポレオン・ハンニバル・モルトケ 【戦略】ビスマルク 【内政】ハンムラビ 【政略】島津義弘 【人望】ワシントン
島津義弘はネタ?
義経は8か9でいいかと。人夫にまで矢を射させる様な、なんでもありとい った源氏の戦闘志向がいい結果となって現れた面もありますし。
俺は中国史がまったくわからないけど、 とりあえず>159が中国史を完全スルーしてそうなのはよく分かった。 >160 >159はどっかに転がってた池宮の小説でも読んだんじゃないかな?
163 :
159 :05/01/22 20:06:15 0
>>162 そのとおりです。池宮の小説読みました。中国史をスルーしてるってのもあたりです。
中国や中央アジアの資料はどうやって仕入れてるのですか?ぜひ教えてください。
こんな感じの方がいいと思う。っていうかナチスは個人じゃないし。 10候補 【指導】始皇帝、スターリン 【戦術】チンギス・ハン、ベリサリウス、バイバルス 【戦略】ビスマルク 【内政】ダレイオス一世、康熙帝、雍正帝 【政略】タレーラン 【人望】ムハンマド、サラディン、ナポレオン、ワシントン
>>163 図書館を利用してください。
それと100万都市クラスの街の大きな書店の
歴史専門書コーナーで、初歩は事足ります。
その次に大学図書館を御利用になると、もっと勉強になります。
ちなみにナチスという人物はおりません。
義経が10なら、どこかの国を統一するのに最大級の功績のあった将は、
全員10と言うことになります。
ナポレオンは戦略的不利を覆してまで勝つような、
人間離れした強さは無かったので、9止まりでは無いでしょうか。
モルトケは戦術家では無くて、組織者・戦略家です。
島津義弘が政略10なら、この世界には政略10が何人いるのか分かりません。
タレーランなどは政略20ぐらいになりそうです。
167 :
159 :05/01/22 20:30:04 0
>>164 >>165 まあナチスとしたのはヒトラー個人だけではないと思ったからです。。
小説には偏りがあるということですか。。出直してきます。
>>167 小説は小説です。
史実を伝えることではなく、史実を材料にして、
読者を魅了する嘘を書くことが小説家の仕事です。
歴史を学びたければ、多くの歴史書を読み、
その後で御自分の考えで判断なさってください。
>>164 チンギスハンは戦術より組織力の人であると思うので、指導10候補に推します。
あと、アレクサンドロスを戦術10候補に推します。
漢の蕭何を内政10候補に推します。
そうだ、アレクサンドロス忘れてたorz
日本史上で10まで行くのは、徳川家康ぐらいしか思い浮かびませんね。 彼に10なら、やはり内政より政略の方がよかったか。 ミレニアムの時に、ドイツの新聞社の企画で「1000年間の偉人20人」 の中に、12世紀の第2位として選ばれたのは、源頼朝。 しかし、平清盛は本所的地位まででしたし(それでも画期的)、源頼朝 の政権も彼が生きていた頃にはまだ東国限定でしたから、10は無理。 近代史(近現代史と言えない悲しさよ)はまだ分かりませんが。 鎌倉の北条氏も有能揃いですが、8が多いくらいでしょう。
うーん、家康。。。 能力としてわけると、どの能力も一流ではあったが 大げさに突出するものはなかったよーな 相当な保身家って気はするが、政略でどうかってところか って、言葉を濁すのは、家康の能力という判断基準をもちいると、 なぜ天下を取れて、しかもその政権があんなに 続いたのか調べれば調べるほどわからなくなるんだよなぁ 能力がすぐれたからそうなったってのがいまいちピンとこない
172 :
世界@名無史さん :05/01/23 04:40:21 0
信長や秀吉が面倒な事を片付けたあとのディナーを横取りできたからだろ。
少しはマイナーも評価してみようよ。 平家、ハプスブルク家の誰か、愛新覚羅家、趙匡胤、大内義隆もいいね。
>>172 前任者の失敗に学んで制度化するというのは大変だと思う。
家康は内政面ではアウグストゥスに匹敵するんじゃないかと。
ああ、家康とアウグストゥスは似てるねえ
>173 >平家、ハプスブルク家の誰か、愛新覚羅家、趙匡胤、大内義隆もいいね。 では、時事ネタで。『平家物語』の面々は、逆に分かり難い面もあります。 平正盛(生没年未詳) 【指導】6 【戦術】5 【戦略】4 【内政】5 【政略】5 【人望】5 平忠盛(1096〜1153) 【指導】7 【戦術】6 【戦略】5 【内政】5 【政略】6 【人望】5 ・・・何か面白味がありませんが、無能な訳がありませんし、動ける範囲は 小さいながらも出来る事はやっていたという事で。 ついでに、列伝もつけておきます。
日本文学史上から最高傑作の一つを挙げよといわれた時、多数とまではいかな いにせよ、『平家物語』を挙げる人は多いことであろう。 では、そこに記された平家一門の栄華とは、何によって、何時その基盤が築か れて、始まっていたのであろうか。桓武平氏とはいえ、清盛の一門は、元々本 流から外れた脇役に過ぎなかった。 中世には伊賀・伊勢に基盤を据えていた彼らが中央政界との結びつきを形成す るのは12世紀前半、清盛の祖父正盛が、伊賀国鞆田村・山田村に点在してい た家地・田地・畠地を、白河院の愛娘媞子内親王の菩提所であった六条院御堂 に寄進し、自らは預所となって、鞆田荘を成立させた時に始まる。 その後彼は北面の武士に登用され、受領に任命される一方、都で検非違使とし て、地方で追討使としてその能力を遺憾なく発揮して行くのだが、その昇進に は彼の能力を必要としていた当時の情勢が存在した。
具体的には二つ。一つは中世という時代の社会全体が大きく発展して行く中、 在地や大寺の抵抗が激化しており、それに対応する能力が求められていたこと。 もう一つは、院政というもの自体の在り様であった。 既に退位された院が政治を見るという、ある意味「変態的」な構造については、 当時の貴族の中に、少なからぬ批判が存在していた。 就中、それまで天皇と一体になって政を運営して来たという自負の存在した藤 原摂関家の反発は激しく、お互いに種々雑多なイデオロギーを展開しつつ、正 当性を競っていたのである。 その中で院が主導権を握る為には、近臣を事務に関する主要な官職や受領の座 に就け、武士もまた受領・追討使・荘園の預所などに任命し、己が勢力基盤を 強固なものとする必要があったのである。
白河院の正盛贔屓が如実に現れたのが、嘉承7年(1107)の源義親追討 事件であろう。義親は「八幡太郎は恐ろしや」と今様で歌われた源義家の嫡 子であったが、性質は粗暴で、対馬守に任命されたにも拘らず、赴任する事 もなく九州各地を荒らしまわり、隠岐国に流罪にされたものの、今度は出雲 を荒らしていたのである。 武士として勢力を増しつつあった清和源氏であったが、それもつかの間、桓 武平氏が勢力を増しつつある中、対照的に衰退の道を辿っていた。
義家は前九年の役ではおおいに活躍したものの、続く後三年の役では「私戦」 扱いされた為に「国ノ兵共」を動かせず、私兵を率いて戦ったが、結局恩賞を 認められなかったという経緯があった。 その上、勢力を拡大し過ぎた義家をうとましく思った白河院が、露骨に弟の義 綱贔屓の対応をとる事となる。 晩年になってようやく院の御所への昇殿を許可され、院と私的な主従関係を結 び、院近臣として活躍する地位を認められるが、その直後義親が討たれてしま った。
その死後も凋落は続く。義家亡き後、惣領の座は義親の弟義忠が継ぎ、義親の 遺児為義を養子として中継ぎを勤める事となったが、今度は義家寄りの弟であ った義光と義綱が対立。 義忠が暗殺された嫌疑をかけられて、義綱は一旦篭城するものの、降伏して佐 渡に流され、後に現地で殺害されたが、事件の首謀者は義光というのが専らの 噂であった。 為義の代になって一応は持ち直したものの、源頼朝の誕生した頃には、両家の 差は大きなものとなっていた。
閑話休題。話を平家に戻すと、平正盛には白河院のみならず、院の寵姫祇園女 御という後ろ盾もあった。 当時因幡守であった正盛が追討に出立して一月足らずで義親を討ったという報 告が都に届くや、義親生存説もあったにも拘らず、第一級の但馬守に転任させ るという、武士に対するものとしては、異例の寵臣ぶり。 正盛は鞆田荘寄進後に若狭守となっていたが、その後因幡・但馬・丹後・備前 ・讃岐などの受領を歴任しており、その内若狭・但馬は重任であるが、多くは 院が知行権を所有していた院分国であり、期待通り爪牙としての役割を果たし、 徴税を円滑にしていたらしい。
義親追討直後には源氏と並んで延暦寺・園城寺の強訴の為警備を行っているが、 一方の為義は若干十三歳であり、対等以上に渡り合うにはまだ幼過ぎた。 その正盛の嫡子が忠盛である。彼は永久元年(1113)、若干十九歳で盗賊 夏焼大夫を追捕した功によって、父より6年早く従五位下に任じられる。 そして伯耆・越前・備前・美作・尾張・播磨などの受領を歴任し、備前や播磨 は重任すると、今度は海賊追捕に乗り出す。
保延元年(1135)には日高禅師(源智)を首領とする海賊衆を追討したが、 この時降伏した者を家人として己の勢力下に組み込んだ事によって、帰京した 時には「西海・南海の名士」らを多く従え、彼らが握っていた瀬戸内海一帯の 海上交通・流通を傘下に収め、宋や高麗との直接交易にも手を出す様になって いた。 平家一門が都落ちの後も長い間戦いぬけたのは、ひとえに正盛・忠盛・清盛の 三代が、西国の在地勢力を従え、基盤を築いていたことによる。
鳥羽院の時代になると、忠盛は御厩預に、次いで院庁別当に任じられ、院の家 政機関でも出世して行き、長承元年(1132)にはとうとう殿上人として認 められ、朝野の驚愕と非難を浴びる。 『平家物語』巻一が「殿上の闇討」として、殿中で闇討を防ぐ為に忠盛が太刀 を抜き払ったのが後日糾弾されたが、実は銀箔を木刀に捺したものであったと いう逸話を遺しているが、それはこの時の話である。
・・・かくして西国に基盤を置く平家一門の栄華の礎は用意された。 忠盛の嫡子清盛は、たったの十歳で左兵衛佐となった。異例の昇進にも程があ る事態であったが、『平家物語』巻一は、清盛の母は祇園女御であり、彼女が 白河院から下げ渡された時、既に妊娠していたと伝えている。 一方、『仏舎利承継図』は祇園女御の妹が母であるとするのだが、『平家物語』 ほどではないにせよ、これにも今ひとつ信用を置くことが出来ない。 ただ、清盛の母が身分の低い女性ながら、白河院の傍にいた事は確かであり、 落胤の可能性も皆無とは言えない。 ただ、生れた時に用意されていた環境を食いつぶす事なく、見事に活用しきっ た清盛の手腕は、いずれにせよ評価されるべきであろう。
源氏不利に書きすぎた感もありますが、為義と摂関家のつながりとか、義朝 と父との立場の違いまで書いていられませんでしたから。失礼致しました。
長文乙。けど、もっと短くまとめてほしいっぽw。 能力の評価の要因となるものをピックアップして、他を最小限にまとめるとかして。 どこらへんが数値の要因になってるかわかりづらかったもので。
どうも、マイナーな上に決定打で活躍したタイプでもないので(w)。 朝の内にこのスレを覗いてからの急ごしらえとはいえ、申し訳御座いません。
いえいえ、面白かったですよ。
じゃ、復帰一発目はハプスブルグ家の人間で。 -------------------------------- カール=ルードヴィヒ=ヨハン・フォン=ハプスブルグ(1771〜1847) オーストリアの皇族・陸軍元帥 神聖ローマ皇帝レオポルド2世の第三子。 皇帝フランツ2世及びトスカナ大公フェルディナントの同母弟にあたる。。 優柔不断で柔弱な兄達に似ず、幼少より快活で勇敢な人柄だった。19歳で軍人を志し、 革命後のフランスと戦う。皇族故当初から階級は高かったが、単なる七光ではなく指揮官 としての適性を発揮、20歳そこそこで一軍を任されると相次いでフランス軍を破り名を馳せた。 28歳で帝国軍最高司令官、30歳で元帥・陸軍大臣に就任、常にフランスの脅威に晒される 帝国の切り札として活躍する。 1809年にはアスペルンでナポレオン直率のフランス軍を破り、無敵のナポレオンに土を付けた 若き英雄としてその名はヨーロッパ中に轟いた。しかしこの頃より兄帝との間の軋轢が強まり、 宰相メッテルニヒとの間もうまくいかず政治的には孤立するようになる(大公は立憲君主制を 志向し、兵役の軽減や一般兵の待遇改善に取り組みなど開明主義者だった)。ナポレオン 戦争の終盤には軍をシュヴァルツェンベルク公に任せる事が多くなり、戦後は完全に身を 引いて不遇のうちに余生を送った。多くの戦術論文を残している。
この時代のヨーロッパでは指折りの指揮官で、その能力はイギリスのウェリントン公や フランスのダヴー元帥に匹敵するものがあります(さすがのナポレオンは別格)。 政治家としてもなかなか先見性に富む聡明な人物ですが、その手腕を妬む兄帝や正統 主義に拘る宰相に阻まれて思うようなことが出来なかったきらいがあります。彼が政戦 両面の権を握るか皇帝にでもなれていれば、あるいは以後のヨーロッパ地図もいくらか 変わっていたかも知れません。 そして現在でも、彼はオイゲン公と並んでオーストリアの英雄です。 【指導】 8(寄せ集め帝国軍を破綻無く纏め、何度も破壊されかけた軍の再建を成功させた) 【戦術】 8(戦術手腕は非常に優れ、度々優勢なフランス軍を破っている) 【戦略】 7(思うように手腕を発揮できなかった印象が強い) 【内政】 6(開明的で着眼点は良かったが、やや理想主義に走りすぎた) 【政略】 5(根回しはうまくない。よくできた弟故の辛さもあった) 【人望】 8(軍や国民からは熱狂的な信望を得ていた)
乙。なんか、話聞く分には戦術9あげても良いような希ガス。 なんか、義経に似た印象ね。
乙です。平清盛やカール5世なんかが華々しいかなっと思ってたけど、 これもなかなか楽しい人選っす。 忠盛の偽刀くらいしか知らないんですけど、彼は息子に恵まれたような。 しかも平家は兄弟仲が良いって感じで。源氏と違って。w 逆にそれが人材登用の妨げだったんですかねー。 ハプスブルグ家ってイマイチ揃いだけど、 でもそんな逸材が居たんですね。 ハプスブルグ家、最近かなりはまってます。ちと本読み返してみようかな。
>193 ナポレオンに勝ってもいますが、負けてもいるので・・・。 ちなみに同時代の人々の戦術評価を並べるとこんな感じかと。 10 ナポレオン 9 ダヴー 8 ウェリントン、マッセナ、カール大公 7 沢山(w
>>175 タヌキと違ってアウグストゥスはイケメンだけどな
>>196 病弱オクタビアヌスと違って、東照大権現は勇猛果敢で身体健康だけどな
198 :
世界@名無史さん :05/01/23 23:00:27 0
頼朝、尊氏、家康。三人の天下人の中ではやっぱ家康かな。アウグストゥスに近いのは。 カエサルがもし天下とってたら、尊氏にちょっと似てる気がする。
カエサルは無原則に寛容だったからね…。 小カトーですら助命しようとしたぐらいだから、 ポンペイウスも助命しようとしたかも知れん。
>>200 半島戦役では、ナポレオンの戦略ミスと、フランス軍の将軍のDQNぶりに助けられた。
ワーテルローでは、プロイセンとあわせるとナポレオンより兵力を持っていた。
戦術より、戦略・指導力も絡めた総合力でナポレオンに勝った印象だ。
んじゃ、ウェリントンをやりましょう。 ---------------------------- ウェリントン公アーサー・ウェルズリー(1769-1852) イギリスの軍人、政治家、首相(1828-1830) ウェルズリー伯爵家の四男としてアイルランドのダブリンで生まれる。 当初イートン校で学んだが父の死に伴って退学、大陸に渡りベルギーで学び、 その後母の方針で軍人となるべく士官学校に入校。この頃は地味な少年だった。 卒業成績も特筆すべきものではなかったが、有能だった兄のコネで昇進は早く、 1796年には師団長(大佐)としてインドに渡る。ここでマイソール王ティプ・スルター ンと戦って敗れるなど失敗も重ねたがその度に学ぶ演繹能力の高さも示し、 このインドでの経験で慎重かつ合理的な彼の軍事理論は完成を見る。 1807年にはアイルランド担当大臣として初入閣。その一方でデンマーク侵攻 作戦で名を挙げ、スペイン戦役を勝利に導く。この功績で公爵に叙任された。 1815年のワーテルローの戦いではナポレオンにとどめを刺し、その名を不滅の ものとする。戦後も陸軍総司令官を務めた。 政治家としては保守的だったがそれなりに柔軟で開明的な所も見せ、1928年 から30年まで首相を務める。以後無任所大臣をすることもあったが、悠々自適 の余生を過ごした。
ナポレオンを倒した男。天才ではないが、緻密な計算と周到な準備、堅い意思と行き届いた 指揮で勝利した人物です。イギリス貴族らしく捉え所のない人で、兵士には好かれませんで したがそれは当時のイギリス貴族指揮官の通癖だったようです。映画「ワーテルロー」では 名優クリストファー・プラマーが雰囲気たっぷりに好演しています。 人呼んで「鉄石公爵」。イギリス史を代表する名将です。 【指導】 8(政治家としても軍人としても当時のイギリスの第一人者) 【戦術】 8(天才的な冴えは無いが、緻密で堅実な指揮は最終的な勝利をもたらした) 【戦略】 8(戦略手腕にも優れ、戦域レベル以上で戦争をデザインできた) 【内政】 8(首相として混乱の時代をなんとか収集し、保守派なりに妥協もしている) 【政略】 8(首相時代に選挙法改正などの改革を成立させている) 【人望】 7(信頼され名声も博したが、兵士のカリスマでは無かった)
GJ−。 胸甲騎兵氏おかーりなさいませ。 コーエースレ時代から端的で面白いレビューを 書いてくれるのでファンですた。
>>194 >逆にそれが人材登用の妨げだったんですかねー。
目立たないですが、平家側の登用に難という程の差は無かったかと。
源氏方も、軍を率いていた行家・義円・範頼あたりはあまり・・・。
益々義経が引き立つ訳ですが、梶原景時が実際にああした神経質で口うる
さい人物であったとすれば、影で軍を支える所大であったでしょう。
そういえば、景時って、よく悪役にされてるけど、なかなか可愛そうな人だよな。
>>206 どの組織でも秩序にうるさくて細かい人材は必要だからな。
陰険であれば、なお良い。
誰からも好かれないし、平和になったら真っ先に粛清される運命だけどな。
当時の国司による目代(代官)の登用条件が、 ・武芸に優れており、力押しの徴税も出来ること ・愛想の無い強面 ・年は若過ぎない方が良い ・計算がそこそこ出来、字もそこそこ綺麗なのが良い ・・・というものでした。上からは好かれるものの、下からは賛否両論。
>>198 しかし、一族すら制御できない尊氏ではカエサルとはにても似つかないぞ。
尊氏の場合は寛容だったというよりも、
厳しく当たるだけの実力がなかっただけだろう。
だから、暗殺するまでもなかった、
真っ向から反逆してしまえばよかっただけだから。
210 :
世界@名無史さん :05/01/24 21:06:52 0
ていうかウェリントンって名前じゃなかったのか。全然知らない分野の人物の話は意外な発見があって面白いな。
>>209 直義失脚も尊氏の打った芝居だという説が当時からありましたが、破って牙
を打ち砕く前に殺していても、却って面倒な事になったかと。
「実力」をそのまま本人の実力とするのは気の毒な気が。
闘茶・連歌・田楽に親しみ、息子が『源氏物語』の注釈書を書かせていた程の
文化人であったのですから、『ガリア戦記』というか『難太平記』の前身の様な
ものを書いて欲しかった。
212 :
世界@名無史さん :05/01/24 23:19:26 0
趙匡胤(宋の太祖) 【指導】 10(一杯酒以て兵権を解く・・・この真似は誰にも出来ない) 【戦術】 7(元は後周国の近衛軍団総司令官を務める。武人としてまずは一流どころ) 【戦略】 8(五代十国の乱世に幕を引き、新たな王朝を築いた。禅譲は八百長ともいわれる) 【内政】 6(この面では弟・趙光義や宰相・趙普に譲る) 【政略】 7(受身的な政略を試みる機会には無縁だったが、大義名分に基づく王朝簒奪に見事に成功) 【人望】 9(王朝交代に際して反対者はほぼ皆無であった。民間でも人気が高い)
>>195 クトゥーゾフはどうだろう?
あと、少し前の時代になるけど、オッシュ、スヴォーロフ。
>>164 戦略で永楽帝、指導でガンジーはどうだろう。
>>214 ガンジーは分離独立を防げなかったし・・・。
>>215 ガンジーは指導というよりは人望という気がするよな・・・
それでも10はわからないが。
「高貴な志(こころざし)」という分野があったら10でいいよ
>>213 クトゥーゾフの戦術はせいぜい7、
但しロシア軍の戦い方は彼の手によるものなので「戦略」なら最低8つけて良いと思う。
>>214 ガンジーが10なのは人望では?
>213 スヴォーロフ元帥は、私的にはトハチェフスキーと並んでロシア史上最高峰の軍事指導者だと考えています。 戦術9はいけるでしょう。ナポレオンとの直接対決が実現しなかったのはかえすがえすも残念です。 クトゥーゾフ元帥は217氏も指摘の通り、戦術7あたりかと。 しかもロシア軍の基本戦略を考えたのでは彼ではなくバルクライ=デ=トリなので、戦略もそう高い点数ではないでしょう。 高そうなのは人望でしょうかね? スヴォーロフは近々アップ予定です。 しかしこの人、基地外なんじゃないかと思うような変人なんですよね・・・。
>>218 スヴォーロフが近所に住んでたら、警察呼びます。
家族だったら、保健所に電話して死ぬまで精神病院に入っててもらいます。
おそらく19世紀最高の戦術家だと思いますが、
同時に19世紀の有名人の中では最高の変人ではないかと。
スヴォーロフとオッシュは、10年、いや5年の余命を与えてみたかった人物ですね。
この二人が生きていたら、19世紀序盤のヨーロッパ情勢は大分違ったものになったんじゃないかと。
220 :
世界@名無史さん :05/01/25 19:15:35 0
>>195 何気にエスリンク公の評価が高いですな。
ウェリントン、カールが8。エックミュール大公は9ですね。
不敗の禿頭将軍ファンとしては嬉しいところ。
でも7以下が沢山というのはちょっと乱暴なのではw
同時代の最も優れた軍人ベスト5というなら同意します。
>219 ですねぇ。世界史奇人変人ランキングをやったら間違いなく上位でしょう。 それで戦争させたら鬼のように強いんですからまあ・・・w >220 マッセナ元帥は人によってはダヴーと同等とまで評価されているそうです。 イタリア暮らしが長かったのと、不本意なイベリア遠征で今ひとつ舞台に恵まれなかったきらいはありますが、それも皇帝が彼をただの野戦指揮官と考えていなかった証とも言えます。 一方面を任せておけるだけの経験と能力を持つ、希有な存在だったと思います。 ウェリントンも「マッセナは自分と同等の能力を持っていた」と述懐してますし。 えー、戦術7をやれそうなのは結構多いと思うんですよ。 フランス元帥の残りのうち、ネイ、ミュラ、ランヌ、スルト、グーヴィォン=サン=シール、オージュロー、ルフェーヴル、ド=マルモン、スーシェにはやっていいかと。 あとプロイセンのブリュッヒャーとグナイゼナウ、イギリスのムーアとアクスブリッジ、オーストリアのシュヴァルツェンベルク、ロシアのクトゥーゾフにも7は付けられるかと。
>>221 バグラチオン、ドゼー、ウディノは6ですかね…?
ナポレオンに「ミュラと並ぶ最良の騎兵指揮官」と言われたベシェールは?
>222 あ、「軍隊のもっとも良き友」ウディノ忘れてましたね。 ドゥゼは良く分かりません。早死にしてしまいましたし・・・有能だったのだろうとは思いますが。 バグラツィオンは口八丁ですからねぇ・・・私としては6ですw ベシェールは小型ミュラ、あるいはケレルマンと同等だと思ってます。ミュラに7付けたのも迷う所なんですけどね・・・騎兵しか扱えませんし。
>>212 要は信用と実力だね。>穏健な王朝交代
楊家将ではどんな描かれ方してるのかな?
ちょこちょこやっていきます。 一人一人評伝書くほどでもない、ナポレオン麾下の元帥達をまとめて。 ---------------------------- アンドレ・マッセナ 食い詰め者から元帥に登り詰めた、豊富な経験と不屈の闘志を持つ名将 【指導】 6(兵士を統率することはできたが、将官をまとめるのは下手だった) 【戦術】 8(ナポレオン麾下屈指の指揮官。苛烈さと粘りを兼備していた) 【戦略】 6(戦域レベルで物を考えることができた数少ない元帥) 【内政】 3(略奪で悪名を残している) 【政略】 5(実は共和派軍人の巨頭。人並みの政治力はある) 【人望】 5(人には好かれなかったが、信頼はされていた) ルイ=ニコラ・ダヴー 理想的軍人。生涯不敗を誇る「鋼鉄の元帥」。 【指導】 8(鉄の規律励行者。不敗怠慢は一切許さない厳格な指導) 【戦術】 9(生涯不敗。アウエルシュタットでは4倍の敵相手に完勝した) 【戦略】 8(戦略眼も確かで、その判断はしばしば皇帝より正しかった) 【内政】 7(ワルシャワ総督時代、ドレスデン籠城時の辣腕振りは語りぐさ) 【政略】 6(あまり策略や根回しはしないが、敵が多い割に陥れられてはいない) 【人望】 7(部下には恐れられたが、信頼も篤かった)
ジャン・ランヌ 兵に愛され、皇帝に愛された「皇帝の友」「我らがロラン」 【指導】 7(熱意と勇気で指導するタイプだが、気配りも巧み) 【戦術】 7(野戦だけでなく、攻城戦も得意だった) 【戦略】 4(戦略的役割を期待されたことは無い) 【内政】 3(やったことがない) 【政略】 5(苦手だが、外交任務を成功させたことはある) 【人望】 8(兵士に愛され、皇帝からは友として遇された快人物) ニコラ=ジャン・スルト 生き残り栄達した、実は最後の勝利者かもしれない男 【指導】 7(部下の教育訓練は巧みで、多くの後進を育てた) 【戦術】 7アウステルリッツの英雄。反面、ミスも数多い) 【戦略】 5(下手ではない筈だが、スペインで大失敗) 【内政】 7(七月王政では首相を務めた) 【政略】 7(最終的に生き残り栄達を極めている) 【人望】 5(人に好かれる人間ではなかったが、生き残ったんだし)
227 :
世界@名無史さん :05/01/26 10:48:14 0
いろいろな人名が出ていますが、ぶっちゃけた話、それぞれの分野(指導、戦術、戦略、内政、政略、人望)で 世界史上最も優れていたと思われる人(言ってみれば能力の数値が10を超えるような)は誰ですか?
228 :
世界@名無史さん :05/01/26 14:27:11 0
指導 チンギスハーン 戦術 アレキサンドロス 戦略 カエサル
うーむ、外交官みたいな国家戦略・対外政策にすぐれた政治家って このスレの能力でいう戦略・内政・政略のどれにあてはまるんだろ ビスマルクって世界史上でも最高の外交官とは思うが、 能力分けとかだと、どれを視点におけばいいかわからんな
現与野党党首達を数値化すると、どんなのになりますか? みんすや社民が・・・
>>230 「個人の資質」のほかに「実績」が必要になるから、まだムリだろ。
みんすやさみんの売国政策なんかのほうが、衆愚政治にはあってたりするんじゃないの?(w
生きている限りどんなどんでん返しあるか分からないからやめといた方が無難だな
秋山きぼん。NHKでちょうどやってたんで。 年代が降るほど(あれ?降るってどっちだっけ)、全能力が高い人って、すくなくなるよなぁ。当たり前だけど。
234 :
世界@名無史さん :05/01/27 00:55:44 0
>>227 【指導】 スターリン
【戦術】 アレクサンドロス
【戦略】 モルトケ
【内政】 アウグストゥス
【政略】 ビスマルク
【人望】 マハトマ=ガンジー
236 :
世界@名無史さん :05/01/27 17:32:16 0
>>233 時代が下るほど=後世になるほど
>>235 仔細に検討してみにゃあきまへんて。
イエスは10までいかないかもしれん。
237 :
世界@名無史さん :05/01/27 17:48:00 0
チャンドラグプタ・マウリヤ 【指導】 9 (シュードラ階級からの成り上がりです) 【戦術】 8 (北部インドを統一。その用兵は若き日に実見したギリシア軍に倣ったものとも) 【戦略】 8 (一代の覇王です) 【内政】 6 (密偵を盛んに活用して強圧的な専制体制を整えました) 【政略】 7 (有能) 【人望】 5 (どちらかというとカリスマよりも恐怖で人を動かしたようです) 紀元前4〜3世紀 マウリヤ朝マガダ王国の初代国王。シュードラ(奴隷)階級出身といわれるが、 智略に長けたバラモン、カウティリヤの助けを得てナンダ朝を簒奪し、北インドを初めて統一。 一説によると若い頃にアレクサンドロス大王に出合ったという。
238 :
世界@名無史さん :05/01/27 17:57:09 0
ガジャ・マダ 【指導】 8 (当時のマジャパヒト王国において事実上最大の実力者でした) 【戦術】 7 (近衛隊長出身で、自ら兵を率いて各地の島々を制圧しました) 【戦略】 7 (国内では一流であったと思われます) 【内政】 7 (マジャパヒト王国の全盛期を現出しました) 【政略】 7 (数十年間にわたって国政を左右し続けました) 【人望】 6 (敵には非常に恐れられたようです) 14世紀 ジャワ島のマジャパヒト王国の全盛時代を築いた偉大な宰相。 若い頃に近衛隊長を務め、反乱勃発時に王の危難を救った功によって大抜擢され トリブワーナ女王、ハヤム・ウルク大王など歴代国王に仕え、 現在のインドネシア共和国領ほぼ全域に加えマレー半島、 フィリピン諸島南部にいたるまでの広大な領域を征服したと伝えられます。
>>237 最後の行マジか?ほんとだったらものすげー壮大なスケールだなあ
240 :
世界@名無史さん :05/01/27 19:42:16 0
>>135 超遅レスだけど。
俺は確かにかなりの信長信者だけど、戦国時代も三国志演技も正史も、世界史に名を連ねる偉人たちも知ってるけど、
それでも信長が一番すごいと思ってるよ、一緒にしないでくれ
242 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/01/27 21:34:07 0
>>238 少々、ガジャ・マダの評価が低すぎるように感じました。
東南アジアの島嶼部は統一は難く、攻略も難く、容易に分裂する地域でした。
ジャワ島やスマトラ島のような大きな島ですら、すぐ分裂してしまいます。
また、彼が征服した島々の政権の多くは、土豪程度の相手ではなく、れっきとした独立国家でした。
それを一つにまとめあげた手腕は、世界史上の他の大征服者に劣ることは無いと思います。
現在のインドネシアでは、ガジャ・マダはビスマルクになぞらえられ、神格化されています。
ただ、汚い手を使いすぎたために、地方によっては未だに悪人視され、
彼を悪役とする伝承も多く存在するそうです。
私が評価するなら…。
ガジャ・マダ
【指導】8 内紛の種である東西二つの王宮、自立志向の強い島々を抑え、東南アジア島嶼部を一つにまとめ上げた。※1
【戦術】7 内乱の鎮圧で頭角を現し、島々を自ら攻略。スンダとの戦いでは苦戦し、武力征服を断念した。
【戦略】8 征服戦争を開始し、状況に応じて武力、策謀、外交を巧みに使い分け、島嶼世界を手中に治めていった。
【内政】8 内政でも独裁権を振るい、征服戦争の基盤固めと後始末に大きな力を振るう。※2
【政略】9 34年間宰相として君臨。謀略・政治工作に力を振るった。特にスンダ征服時の謀略は悪名高い。
【人望】5 思慕より畏怖をはるかに多く受ける人物。あまりに陰謀が多かったために、被征服民からは憎悪された。
※1 彼の死後、東西の王宮の対立がきっかけで、急速にマジャパヒトは没落します。
※2 彼の死後、彼の権限は四人の大臣が分掌しました。それだけ彼の権力と実務能力は飛びぬけていました。
243 :
世界@名無史さん :05/01/27 21:38:19 0
>>242 あ、さっそく反応が!
嬉しいなぁ、マイナー人物だと思っていたので。
しかも丁寧な再評価や補足など、ありがとうございます。実はあんまり詳しくなかったので・・・(w
世界史上の他の大征服者にも劣らないですか・・・
いいですね。もっとメジャーになってしかるべき、偉大な人物だと思います。
歴史教科書はおろか世界史用語集にすら載っていないという現状は嘆かわしいですねぇ・・・
解説が勉強になります。ありがとうございました。
244 :
世界@名無史さん :05/01/27 21:41:12 0
ついでながら、出来れば入手しやすいガジャ・マダの伝記などが ありましたら教えていただけませんでしょうか。 なるべく日本語のものがいいのですが・・・ 彼個人の伝記でなくても、その生涯や人となりについて それなりに詳しく書いてあるものが読んでみたいです。
>>243 あの時代の技術力で、海軍を率いて、
東南アジアの島々に割拠する王国を一つ一つ征服して行くのは、
中華やヨーロッパの覇者が成し遂げた覇業とは、異なる質の大事業だと思います。
あまり知名度が無いのは、彼が事実上の覇者として君臨した地域が、
記録の欠如のために、長らく世界史の辺境とされた地域であったこと、
そして、島々に点在する強力な王国を一つずつ攻略して行くと言う彼の覇業が、
一般的に思い描かれる大陸的な覇者のイメージと異なっていたために、
チンギス・ハーンやアレクサンドロス、ナポレオンらの征服事業と同等の評価を与えることを、
ためらわせたのではないかと思います。
>>244 ガジャ・マダの伝記自体は、日本国内では出てないはずです。
また、彼個人を詳しく扱ったサイトも無いので、
インドネシア史の日本語・英文サイトに散見する彼のエピソードを、
拾って行くのがよろしいかと思われます。
あと、彼の覇業の偉大さを感じるには、東南アジア島嶼部の通史と地理を学び、
いかにこの地がまとまりにくい難治の地であるかを、
学んでみるのもよろしいかと思います。
うんざりするほどたくさん出てくる地方政権の名前を目にすれば、
「こんな分裂しやすい地域を20年で征服したガジャ・マダはなんて凄いんだ!」と思えること間違い無しです。
ハンニバル・バルカ 【指導】 9 本国の支援の少なさと、国籍の違う傭兵団を纏めた実力は高評価。 【戦術】10 もはや文句なしの神レベル。 【戦略】 8 アルプス越え等、優れた戦略も多いが、反面多くの犠牲も出している。 【内政】 7 短期間でカルタゴの経済を立て直し、汚職を一掃したのは見事。 【政略】 3 本国との対立等、保身等からは縁遠い。 【人望】 6 軍人からの信頼は絶大。代わりに国家からの信頼は…
>>241 説明するには長すぎる。
もっというと、このスレで上げてるほかの奴だって、ほとんど一方的で断片的な見方しかできてないのに、
評価してるつもりになってる文ばかり。極めて浅い部分で評価してるのばかり。
ここは人物を数値化して楽しむというゲーム的な発想から生まれたスレだからなあ。 その主旨を理解して楽しめないなら見ない方がお互いのためだと思うね。
>>247 戦略は成功しなかった上にローマ側が上を行ったので、もう一つ低くてもいいような。
ファビウス、大スキピオが8だと思うので、それより低いんじゃないかと。
まあ、勝因をローマという国のあり方に求めるなら三者とも8でいいかも知れないけれども。
>248 煽る訳じゃないけど、納得いかないなら自分の意見を論拠も含めて述べたらいかが? 多少長くても、このスレの住民は文句は言わないでしょうし。 多面的かつ系統的で深い信長の論評、期待しています。
253 :
世界@名無史さん :05/01/28 14:03:55 0
宇野宗佑 【指導】 ??? 【戦術】 ??? 【戦略】 ??? 【内政】 ??? 【政略】 ??? 【人望】 ??? 自民党総裁に就任するも、愛人問題に足を引っ張られれ 実力を発揮する前に倒閣。 はたして有能であったか無能であったか 彼の能力はすべて未知数
>>248 過去に一人の人物の説明をするためだけに、二十レスぐらい連投した奴も居た。
いくらなんでも、そこまでは長くなるまい。
せっかくだから持論を展開して逝け。
>>249 ,250
確かにそうなんだよね
てか、俺自身そういうなのを何度も見ているだけに、
頭の中で、最初そういう議論に会ってしまったときは、「その程度しか知らんくせによく言うよ」
って気持ちだったけど、そのうち、「やっても無駄(人物の数値化そのものを)。所詮浅はかな自己満足をみんなしてるだけ」
って気持ちがどうしても出てきてしまうようになっちゃってんだよね。
なら見んなって話だよな。うん、わかった。出てく。
>>252 ,254
上記の理由で、たとえここにいる人間を納得させられたとしても、
自分自身無為に感じるのでやめときます。
何だそりゃw
>255 文句というより、身の程知らずのお説教の様なものですが。 どんなものでも、皆分からないなりに形にしているのです。 周囲が馬鹿に見えて「分かった気」になるのは、十代のかかる麻疹の様な ものですが、二十歳以降もその調子だと、何も出来ませんよ。 少なくとも、卒業論文一つ書く事も出来なくなります。 私はけして出来のいい人間ではありませんが、とりあえず何かやってみて よかったと思う事は、やれば一つや二つは出て来ました。 説明を放棄すれば、分かってもらえない。しかし、分かってもらえないまま 一生を送る訳にもいかないでしょう。 相手に理解してもらえない事もあるでしょうが、相手に努力させる訳にはい かない以上、自分が自分をなんとかするしか無いのです。 ・余談ですが、この場合「無為」より無意義の方がよさそうです。
言いたいことは色々ありますが、荒れそうなのでお口直しに。 ----------------------------- アレクサンドル・ヴァシリエヴィッチ・スヴォーロフ(1730-1800) ロシアの大元帥、公爵 モスクワの軍人貴族の家系に生まれる。 15歳で陸軍に入り、7年戦争を皮切りに露土戦争、プガチョフの反乱鎮圧と勲功を重ねる。 実利的かつ合理的思考の持ち主で、隊列行進ばかりで形式に拘る従来の軍事教練を 批判、宮廷や軍上層部から疎んじられるがその戦歴と手腕に並ぶ者はなく、何か問題が 起きると起用され収拾されると遠ざけられる、というパターンを繰り返した。 女帝エカテリーナ2世の信任は得ており、1794年にポーランドの反乱を鎮圧して元帥となる。 女帝の死後新帝パーヴェル2世に疎んじられ閑職に回るが、フランス革命が起きるとまた 起用されオーストリア・ロシア連合軍総司令官としてイタリア方面を転戦、連戦連勝する。 この功績で大元帥・イタリスキー公爵に昇るが、戦線が安定するとまた皇帝に疎んじられ 任務を解かれ、帰国途中病没した。享年70歳。 ナポレオン戦争でロシア軍を指揮したクトゥーゾフ、バグラツィオンらを見出し鍛えあげた 人物でもある。
259 :
世界@名無史さん :05/01/28 17:52:21 0
>>257 何かちょっとずれてるみたいだけど。↓長文すまん。
何度もやったり見たりしているうちに、数値化そのものに苛立ちに近い感情を覚えるようになったので、
数値化をもうしないと決めた、ということです。やってもいないうちに文句を言ってるのではなく、
実際にやってみて、いろんな人間と議論しているうちに、数値に表せられない部分や、
表せたとしても疑念が残るというような数値化に、価値というか意味を見出せなくなったという感じです。
ですから、つい感情と結論の先走ったレスを最初にしてしまいましたが、
こんな考えの俺がいても、また書いても、自分自身も不快感でいっぱいになるでしょうからやめとく、と言ってるんです。
長々と何度も邪魔くさいレスしてすまんかったね。俺はスルーして。
ロシアきっての名将であり、ソ連最高の軍功勲章にもその名を残しています。 また、バルチック艦隊旗艦の名もこの人に因んでいます(戦艦クニャージ・スヴォーロフ。 クニャージとは公爵という意味)。人によってはナポレオンと同等の指揮官と評価される 事もあります。 しかしその人柄は精神異常者すれすれ(今なら異常者と判断されるかもしれない)で、 その奇行の数々は到底ここには書ききれないほどです。それでも戦争は滅法強く、 優れた軍事論文の数々を残し、後進もしっかり育てています。 天才と何とかは紙一重、なのかも知れません。 【指導】 8(抜群の統率力。多くの後進も育てている) 【戦術】 9(機動性を重視した用兵は無敵を誇った。ほとんど負け知らず) 【戦略】 7(各戦役での戦略立案は見事) 【内政】 3(未経験) 【政略】 5(貴族社会ではひたすら孤立したが、その手腕のみで生きていった) 【人望】 7(奇人変人で極端な性格だったが、妙な人望はあったらしい)
>>260 スレの趣旨からは外れるかもしれないけど、良ければ幾つかエピソードを紹介してほしい。
>261 ではいくつか。 ・極端な早起きで未明4時頃起床し、気合を入れる為に頭から冷水を浴び、その後部下たちと朝食。ひたすら喋りまくり酒を飲みまくり、泥酔してぶっ倒れ、夕方にならないと起きない。余程の事がない限りこれが日課だったらしい。 ・鏡が嫌いで見ると即座に叩き割った。遠征中の宿舎は常に粗末なものを選び、「寒くない」「何も怖くない」という理由で窓や扉を外させたりした。 ・部下に禅問答(天国にはいくつ星があるかとか、空までの距離を述べよとか)を吹っかけ、気の利いた答えをした者を抜擢していた。 ・感情の起伏がやたらに激しく、泣いたかと思ったら爆笑し、落ち着き無くあたりをうろうろ歩き回り、突然その場に倒れて眠り込んだりもした。 ・書くものは非常に論理的なのに、言っている事は大抵支離滅裂だった。しかし戦場での指揮はきわめてまともだった。
263 :
世界@名無史さん :05/01/28 22:39:59 0
>>260 おもしろそうな人物だね。それだけ奇妙なら、指導と戦術戦略以外はもっと極端な数値のほうが特徴が出ておもしろい気がする。
内政2 政略3 人望5ぐらい。
ほんとに天才となんとかは紙一重だな ヒトラーも似てる気がする
戦場に行くとなんかスイッチがはいるんですかねえ 日常は既知外そのものだな
というか、なんで、そんな奴に指揮を執らせたのかが謎だよな。 最初はまともな人だったんだけど、戦場の経験からPTSD発祥とかか?
>>245 >>246 ありがとうございます。
やはり予期したとおりとはいえ、資料不足は否めないようですね・・・
仕方ない。ぼちぼち適当に情報を拾っていくことにします。
東南アジア島嶼世界の統一・・・やはり偉大ですね。
いつか小説でも出たらぜひ読んでみたい気もしますが・・・まあ期待するだけ無駄なのでしょうね。
当時の具体的な情景とかが想像しにくいものがあります。
でも実に興味深い人物です。
268 :
世界@名無史さん :05/01/29 23:14:43 0
>>260 スヴォーロフ乙です。ロシア最高の名将というのでググってみたのですが、
あまりひっかからないですね。日本ではマイナーなんでしょうか。
ロシアでは尊敬する人物ベスト10に入ってくるぐらいの有名人で、子供向き
の伝記も出てるようですが、こういうエピソードは省かれているかもw
でも、この人ってPTSDじゃなくて躁欝病のような気が。このタイプの人は、
躁状態だと(軽躁含む)無敵ですからねえ。同僚とか上司に持つと大変そう。
>躁欝病 足利尊氏や織田信長もその可能性が指摘されている様ですが、為政者として は、いいのやら悪いのやら。
じゃあ上の人の代わりに、俺が信長つけるとしたらこんな感じ。文句は受け付けないw 織田信長 【指導】 7 謀反は抵抗勢力は相次いだが、独裁体制を取る上では仕方ない 【戦術】 5〜10 激しく状況によって変動しているという印象。平均では7か8だろうか? 【戦略】 10 というか、天下取りしようとしていたのは信長だけとしか思えん。 また、どちらかが完全に参るまでを、一つの戦として見ていたのも高評価。あの桶狭間にせよ、勘違いしている人が多いが、 大規模な戦をはじめる前から、挑発のような小競り合いを繰り返し、その結果、桶狭間の勝利につながったわけで。 【内政】 8 過去や他国の使えそうな政策を自国でも思い切って用いるというのは大したもの 【政略】 9 外交も含めてる。上洛までの外交は、本当にたいしたもの。 【人望】 3〜10 これもめちゃめちゃ時と場合によリ変動してる。 出世欲にまみれた秀吉や光秀などにとってはわりと評判が良い 確かに躁鬱ぽいかもな。躁鬱ってのは昔なら分からなかったろうし
足利尊氏は躁鬱と言われてますね。近代で有名なのは木戸孝允。 この板で大人気のカエサルは躁鬱ではなく、てんかんでしたが。 にしてもスヴォーロフのエピソードはそれっぽいです。 胸甲騎兵さん(いつも楽しみに読ませてもらってます)が そっち系の知識なしに記載されたなら、まんまですね。 多弁・多動・過活動・早朝覚醒・感情易変性。アルコール多飲 まである。これが典型的な「ロシア的天才」と言われれば、 それまでですけど。こんなのが相手だったら、普通の(つまり ノーマルな)人間はまず勝てないでしょう。思考の回転、内的 エネルギーの質が違いますから。 戦場で戦った敵手に激しく同情します。あと直下で仕えた中間 管理職の方々にも・・・。 これ以上はパトグラフィーの領域になるので、このあたりで。
272 :
世界@名無史さん :05/01/30 05:21:25 0
>>270 信長は分裂気質ではないかと思う。
戦略10は異論があるが…。
>270だけは時空間が 「日本史の人物を数値化してみるスレ その2」 になっていると推定してみる。
じゃあ他の日本人だしてみる 豊臣秀吉 【指導】 6 まあそこそこ 【戦術】 6 采配は悪くないと思うがね。デマの一夜城や嘘しんがりなどを抜くと、それほど目立たない 【戦略】 3 天下取りまではそこそこ、しかし取ってから何も見えてなかった 【内政】 7 検地やらは悪くなかったかな 【政略】 6 まあまあ。 【人望】 8 正直、言われてるほどは無かったろうが(嫌われてる人間には本当に嫌われてる)、一応これぐらい
さすがにそれは低い。戦国日本自体は世界史でも なんというか難易度の高い時代だと思うが。 世界史レベルにおいても、俺自身は戦略10かどうかは微妙だと 思うが他の人間がつけるのにそう違和感はないな。 そういう見方もあるなって感じで コーエーまとめ読んでも「ど」の字、青、騎兵各氏も戦国三傑あたりは 評価高いようだし。
>271 私はそっち方面は全く疎いので、分かって書いている訳ではありません。 そうですか、躁鬱の典型なんですか。 確かにスヴォーロフ軍の信条は常識外れの強行軍・高機動で、それも彼が強引に 引っ張っていたようです。フランスのオージュロー元帥は若い頃あちこち放浪する 間に傭兵としてスヴォーロフ軍に参加していますが、さしもの彼も余りに過酷な行軍 の連続に嫌気がさして脱走しています。 >戦国三傑 難しいですね。ちょっと数字だけ書いてみます。またしても独断と偏見ですが。
織田信長 【指導】 8 組織の運営者としては時代を抜けていた。 【戦術】 6 個々の戦場での指揮より、戦役レベルでの粘り強さが身上。 【戦略】 9 グランドデザインを持っていた希有な人物。 【内政】 8 実はミスが無い。領民から見れば良い為政者だった。 【政略】 9 日本史上でも有数の謀略家。戦略的劣勢を何度も切り抜けている。 【人望】 7 恐れられたが、不思議なカリスマは持っていた。 豊臣秀吉 【指導】 7 基本的に簒奪者で、信長の基盤に乗っかっていた。 【戦術】 7 戦争は上手い。特に攻城戦と兵站運用に見るべきものがあった。 【戦略】 5 信長の下ではその良き手足、その後は信長の劣化コピーでしかない。 【内政】 7 こちらも信長の剽窃。時代に乗った観が強い。 【政略】 8 統一までの課程は見事なもの。第一級の政略家。 【人望】 6 基本的に利で人を釣るタイプ。 徳川家康 【指導】 9 徳川300年の基盤を築いた手腕はやはり評価すべき。 【戦術】 8 世界的に見ても同時代に類を見ない経験を誇る、優秀な野戦指揮官。 【戦略】 8 信長の後継者である点は秀吉と同じだが、自分が死んだ後の事も考えていた。 【内政】 7 重農主義的政策は若干商業面を圧迫したきらいがある。 【政略】 9 しぶとく生き延び、最終的に天下を取った。 【人望】 9 信頼され、畏敬され、慕われた人。 家康がちょっと高過ぎかも知れませんが・・・。 秀吉はまあ、こんなものかと。
なんていうか、人の能力は変わると思う。 秀吉なんか、天下統一あたりを境に、判断力が明らかに落ちてるし。 特定の状況・戦術思想の下においては有能だった、有能なはずだったのに、 状況にたまたま合わなかったり、唐突に新しい戦術を突きつけられたりして、 いきなりやられ役になってしまう人とかいるし。(ティリー伯とか、南雲提督とか) 時間軸上で能力を変えるとか、『老害』みたいな特殊能力を付与するとか、 そういう措置を取られて必要な人は多いように思われる。
日本史上の人物をやるとどうしても高くなりやすいな。 思い入れが激しいから批判されると激昂する人が多いし、 信長・秀吉・家康で9とかがついてしまうと、 世界各地の国で戦乱を平定した人物はそれぞれ軒並み9がついてしまうのだがなあ。
>>280 かと言って日本の武将に低い能力をつけるのも頂けないがな。
基本的に、同時代のまわりの人間との比較で数値が決まるわけだから、あなが間違ってもないと思うがいかがか。
>>280 >世界各地の国で戦乱を平定した人物はそれぞれ軒並み9がついてしまう
そのレベルの人物なら9前後ついても極めて妥当ではないか?
283 :
世界@名無史さん :05/01/30 13:26:47 O
誰か曹操、劉備、孫権たのんます、ここの人達がどう評価するかすごい気になる
曹操 【指導】 6 部下の反乱、逐電が多い。後に魏帝国は安定したが、この人のやり方は多少強引。 【戦術】 8 三国時代を代表する戦術家かと。ただ、これだけの戦術家でありながらワキが甘すぎる。 【戦略】 8 皇帝奉戴はリスクも大きかったが、結果を見れば成功。後継者選びでも誤らなかった。 【内政】 6 青州兵吸収や屯田制など発想は斬新。ただ、黄巾の乱以降の時代の荒廃に追いつけてなかった気が。 【政略】 8 皇室の反乱は全て鎮圧。格上の同盟者であった袁紹を、官渡で一気に形勢逆転したのは見事。 【人望】 7 人材は荀イクに負うところが大だったが、本人のカリスマもなかなか 孫権 【指導】 7 非常に複雑な江南地方をよく治め、皇帝を自称するほどに。ただ、晩年が・・・ 【戦術】 5 本人が出陣しても、成果が上がらないことばかりだった。「大過なく勤ま」ってすらいないか? 【戦略】 7 天下統一の英雄としてよりも、地方群雄としての戦略眼を持つ。一応南方を制圧した。 【内政】 5 人口不足に非常に苦しむ。仕方の無いことだが、国が富んでいたとはいえない。 【政略】 8 孫権の本領かと。二枚舌、偽装降伏なんでもありの外交で国威を維持した。 【人望】 8 劉備や曹操のようなエピソードに乏しいが、若い頃から臣下とは近しい付き合いで政治を行った。 劉備 【指導】 8 規模は小さいが、挙兵以来常に敗走していながら、その度に勢力を大きくし、致命的な反乱もない(除呂布) 【戦術】 6 「有能な人材」。ある意味、本領を発揮する前に死んだともいえる。 【戦略】 4 「凡庸」。諸葛亮ら荊州の名士を取り組んで、初めて覇道を見出す。 【内政】 5 本人がどうこうしたということは無いが、少ない人材の配置は適材適所。 【政略】 7 徐州、荊州では一介の傭兵隊長ながら国政を左右する地位にまでのしあがり、蜀では世にも珍しい国取りを達成。 【人望】 9 背信行為が多く評判は悪かったが、直接会った人物は皆、その不思議な器量に信服している。
孫権甘すぎるかな 【戦略】 7→6 【人望】 8→7 ぐらいでいいな
>>282 しかし数値の基準はこうなのよ。
8=国を代表する実力者。
9=時代を代表する天才。
その国の乱世を治めた人物が8であるのはまあいいとしても、
9までいける根拠は乏しいと思うよ。
信長・秀吉・家康クラスでは。
その3人なら別に9と言う人が出てもおかしかないと思うけど。その時代の日本を代表する人物と言っていい。 他国への影響に不足するというなら、日本列島は地理的にハンデが大きすぎるでしょ。
>>287 日本を代表するのだから8でしょ。
悪いが9をつける根拠がない、
確かに9の実力はあったかも知れないが証明できなきゃしょうがない。
織田信長 【指導】 6 組織の構築運用はハイレベルだが重用した家臣が何人も謀反を起こしているのは大きなマイナス。 【戦術】 6 個々の戦場での指揮より、戦役レベルでの粘り強さが身上。 【戦略】 8 明白な意思を持って新たな政治代制を打ち立てようとしたのは少なくとも日本国内では極めて稀。 【内政】 8 実はミスが無い。領民から見れば良い為政者だった。 【政略】 6 謀略で解決した例はそれほどないでしょう。 【人望】 4 何か人をひきつける物はあったのだろうがいくらなんでも裏切られすぎ。 とりあえず、私見で修正させてもらえばこんなものではないかな?
>>287 例えば
>>242 で紹介されているガジャ・マダとかだって、
地理的に恐ろしくハンデが大きかったが、
それを乗り越えて島嶼部において大版図を築くという、
世界史的な偉業を成し遂げているわけだ。
そういう人物なら9が出ても納得できるが、
信長は結局この島から出ることが出来なかったわけだからね。
信長に9がつくならガジャ・マダは10が三つくらいついてもおかしくないんじゃない?
いや、それほど詳しくはないが、説明読む限りじゃあさ。
まぁ、ハンデ云々は置いといて、他国に進出してないので9がつかないってのはおかしいんじゃないかな? 結果論だけで能力を計れないわけだし、(これは今までのスレ見ればわかると思うのだけど) 他人を説得だけるだけの説明さえついていれば、9ついててもおかしくないと思うのだけど、いかがかしら? 毛利元就の説明に230戦だったかな?程して、無敗とかかれていたけれど、 俺はこれを論拠に9を与えてもよいと思うのですが。(その人は8つけてた希ガス。)
日本の場合、国外に軍事的接触がなかったのは仕方が無いような・・・。 逆に言えば、近代以前に日本に国家を挙げて進攻してきたのは元ぐらいだし。 そういう土地なのよ。
>>290 >ガジャ・マダは10が三つくらいついてもおかしくないんじゃない?
言い過ぎだろw
これがクロムウェルやシャルルマーニュだったら高評価でも許されそう どっちも大して領土広げてもいないのに西欧ってだけで大きく見えるけど 信長秀吉家康はこいつらより評価上でも全然おかしくないくらいだと思うよ
禿同 てか290のようにありきたり極まる説明なんて書き込む前から知っているが、 まるで納得できんつまらん数値の付けかただし。数値づけなんて所詮自己満足だと言うことが良く分かるな。
296 :
世界@名無史さん :05/01/30 19:10:19 0
>>278 秀吉の「政略」で統一までの過程が評価されているけど、どちらかというと本能寺直後の「戦略」設計の比重も大きいと思う。急場への対応策としてなされた、という側面があるので難しいところだけど、語り草になる戦略的成功を収めた。個人的には
戦略 8
政略 5
>>278 秀吉低いなあ・・・。天下統一までの手腕は鮮やか極まりないと思うけど。
秀吉大好きな俺としては悲しい・・・。
やっぱ朝鮮出兵で評価がガタ落ちせざるを得ないのはわかるけどさ。
秀吉は戦略・政略はもっと高くてもいい。 明征伐の意図は対南蛮戦略の一環。 秀吉は南蛮諸国の、宣教師を派遣してキリスト教を布教してからその国を征服するという戦略を見抜いていた。 そして事実キリスト教を日本からシャットアウトした(完全ではないが) これは信長の受け売りではないな。 あの時代でしかもヨーロッパ諸国のように外の世界にも出てないのに これだけの洞察力を持っているのは同時代の世界では超一流だろ。 その頃の日本は人口、軍事力でもオスマントルコと同レベルの大国。 これだけの大国の主が世界トップクラスでもなんらおかしくない。 信長、家康も同様。
>秀吉は南蛮諸国の、宣教師を派遣してキリスト教を布教してからその国を征服するという戦略を見抜いていた。 それってよく言われるけど、前期植民地時代の状況をまともに知ってればトンデモだと分かるだろうに。 文明レベルで圧倒的な差があった新大陸はいざしらず、 西欧がアジアへ本格的に勢力を扶植するのに成功し始めるのはやっと18世紀の後半だぞ。 極東にいたっては19世紀の半ばからだ。 あの時期の宣教師たちにまともに日本征服なんぞの意図があったとは思えんし、実力もなかろう。 無根拠なイメージ論だけで語るのは世界史的に厨だと思われ。
>>298 確かに、この当時の日本の軍事力は世界の中でもトップクラスであり、
その中で力で切取った天下人の力となれば、という論も展開できる
戦略と政略、被る部分もあるのでどう分別していくか、というのもやったほうがいいかな。 評価する人によってその分野の捉え方がわりと違うように見受けられる。
302 :
世界@名無史さん :05/01/30 19:34:25 0
少なくとも戦国時代の日本は戦術面では世界レベルだったらしい。
>>300 軍事力がトップかどうかはともかく、動員力はまあ大したものだな。
>>298 キリスト教の利用による侵略というのは仮にあったとして、それが知られたのは
偶然土佐に漂着したスペイン船によってもたらされた情報だから、棚ボタな気がしないでもない。
あれって日本当局による扱いの悪さにムカついたスペイン人が脅しの意味でやったという見解もあるし。
>>299 カブラルあたりが本国に軍事的情報を中心とした書簡を送ってなかったっけ。
或いはうまいこといきそうなら軍事拠点を作っておく、ぐらいの腹積もりはあったかもね。
306 :
世界@名無史さん :05/01/30 20:01:29 0
スレが活性化してる。いいことだ
秀吉かぁ 個人的に、あの時代で日本で一番戦がうまかったのは秀吉だとおもってる 野戦にせよ城攻めにせよ戦闘効率という戦術の根本的な部分を生かしてるんではないかと (まぁ、それでも高くて8ぐらいかな)
>>307 秀吉は陽気な小男というイメージが客観的評価を邪魔してるかな。
あの時代で秀吉ほど、戦勝までの過程を綿密に逆算し、正確に実行できた武将はいない。
短期的な目標を設置して、それを達成するまでの深遠謀慮と決断力なら、秀吉は十二分に世界史レベル。
ただ、一つの目標を達成したら嫌でも次の目標が出てくる統一前なら、まだ順調にいっていたものの、
統一後は、なにを目標とすれば良いのか分からなくなったところが多少あるのでは。
その辺はやはり長期的視野には欠けるところだとも思う。
【戦略】は、中長期的・全体的展望に立った武力行使による紛争解決の準備・計画・運用の能力。 【政略】は、政治上の駆け引きや策略の能力。政治力による紛争解決能力だけじゃなく、帰属団体内での派閥作成・人事調整能力とかも含む。【外交】というパラメータがないので外交能力も含む。 個人的によくわからないのは、【指導】。指導統率能力、という意味だとはおもうんだけど、そもそも「能力」って何?って疑問がある。 上のほうでスターリン指導10にしてるのがあったけど、「能力」=優秀さ という考え方からすれば、粛清の恐怖を持って部下を掌握したことを指導能力と評価するのは変。 でも「能力」=結果 という考え方からすれば、たとえ手段が恐怖であったとしても、結果として部下を掌握し続けたのだから指導能力と評価してもいいと思う。 個人的には「能力」=優秀さ、と考えたい。
秀吉の評価はスレ的に指導が高いのではない? 秀吉自身に対しては造反者はでなかったし 政略とかぶるがガチンコの戦を避け、落しどころで相手を丸め込み組下にする。 あと漏れ的には秀吉自身の戦術・戦略は負けない戦が出来る程度の低さ考えている 【指導】 8 秀吉に直接歯向かったやつはいない。 【戦術】 4 負けない戦が出来る程度・金ヶ崎の退き陣など。組下武将は有能なんだけど・・・ 【戦略】 5 朝鮮出兵で国家戦略は誤ったため。 【内政】 5 戦国バブルの戦犯でもある。近江系組下武将は有能なんだけどね。 【政略】 8 敵は必ずたらし込む。また豊臣姓を賜るほど有能と評価。 【人望】 9 信長と秀吉の個性が無ければ、安土桃山文化など発生なかったと考えるのでここで高く評価 結論 将に将たる人物と評価。子種切れがなんとも痛い。
>>291 そりゃあ、納得できるだけの説明がつけばね、
しかし、どう考えても、信長の戦略や政略に9をつける説明は出来ないんじゃない?
ちなみに個人的にはクロムウェルやシャルルマーニュにも9はつかないと思うが。
秀吉の戦術4? 野戦原理主義者か? 奴は攻城戦に関しては日本史上有数の人材だぞ。 兵站に関する理解もあるし、機動戦から撤退戦までどれもこなしてる。 戦術で傷になるのは小牧長久手だけだ。 俺なら、指導と戦略を低くする。 戦略が低い理由は308の通り。どうするかは知ってるが、何をするかの判断は拙い。 指導が低い根拠は、生前・死後の子飼い連中のダメっぷり。 そもそも、武断派と文治派の対立の責任は秀吉が負うべきだろうし、 どっちの派閥も、主人に似て、実行能力はあるけど判断力がない奴多すぎ。
秀吉自身が直率した戦いで負けたことってあったっけ? 小牧・長久手も敗れたのは池田勢・秀次勢の別働隊だし、秀吉自身は乗り気ではなかったらしいし。 このあたりは指導が減点かな。
314 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/01/30 22:53:32 0
少々議論が立て込んでるようですので、 簡単に信長・秀吉・家康と、曹操・劉備・孫権の評価投入してみてもよろしいですか? 少し時間掛かりますが。
316 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:03:23 0
野戦原理主義でも秀吉は強いよな
>>312 同じことを逆に評価しているだけ。基準は
>>1 のテンプレでね。
兵站の理解は政略と評価。作戦地域での鎮撫工作・米の買い上げなど。
信長配下時代は戦死しなかっただけでもすごいことと評価するが、
世界史レベルで評価しがたいところがある。
統一後の勝ち戦の司令官・前線指揮官は弟だったり蒲生や前田だしね。
だ か ら 将 に 将 た る ・・・と評価。漏れの脳内では劉邦クラスではある
指導が高い理由は>生前・死後の子飼い連中のダメっぷり。(日本史レベルでは領国経営の評価は加藤・福島もそれなりなんだけど)
なのに徳川・毛利・島津(地生え大名)などが生前というより死後確証がとれるまでまで離反しなかったことを評価。
またかばね(豊臣姓)を賜ったことも世界史的には評価に値すると考えた。以上。
318 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:16:22 0
え?政略?
>>317 兵站は戦時のものだから、入れるとしてもせめて戦略じゃないのか?
工場なら鳥取、三木、備中高松、小田原・・・。野戦でも山崎や賤ヶ岳がある。
どう考えても局地戦での指揮官としては超一級だろう。
小牧長久手も負けた相手がこの時代屈指の規模の会戦である関ヶ原の勝者では仕方がない。
よって戦術8が妥当ではないかと。戦略は6〜7、政略は8くらいじゃないかな。
「太閤検地」による貫高制から石高制への移行、領主を超えた国ごとの 石高の調査により、近世の門を開いた功績を考えれば、信長の劣化コ ピー扱いは無さそうなものです。 子飼いの対立については、また改めて。
規模の大きさ(国家間)で話してる内は分からんだろ 国の大きさ・兵力の絶対値より相対値、他国とのパワーバランスの割合のが大事なんだと思うがね
322 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:24:05 0
軍政(補給路の確保や調達、調練や編成、慰撫)は戦術に入れていいんじゃないかな
兵站は戦術だろどう考えても。「戦争準備」という意味なら戦略とは言えるけど。
このあたりでヘーベルハウス↓
325 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:33:36 0
百歩譲っても【内政】だな>兵站
>>1 のテンプレの【政略】政治家のイメージ。 というのが誤解を招いている気がする。政治「屋」とかロビイストのイメージだよな。
政略って、外交・謀略だろ?
俺もそう思う。
>>303 鉄砲もやたら多かったし戦い慣れしてるし余裕でトップクラスだと思われ
>>319 ガチ野戦で評価できるのは山崎くらいだと考えるんです。
あと戦にかんして羽柴秀長の存在が大きいのではないかと愚考するためです。
賤ヶ岳で不在中に佐久間の機動戦に崩されなかったこと、九州戦役での役割などね。
九戸の乱の実質の指揮官は蒲生だしね。
山野さんの指摘されたことも指導もしくは政略の範疇だと考えます。
>>323 戦略が低いのはあくまで
>>1 のテンプレ【戦略】国家戦略・・をミスしたと評価したためです
また、秀吉の兵站は小荷駄部隊の範疇を超えていると評価しました。
鳥取城攻略に関しての兵糧買占め工作など政略の範疇と評価しました。
331 :
世界@名無史さん :05/01/31 00:00:38 0
>>329 >山野さんの指摘されたことも指導もしくは政略の範疇だと考えます。
「太閤検地による貫高制から石高制への移行、領主を超えた国ごとの 石高の調査」を評価するなら、【内政】ではないか?
政治力により広く実現したという、観点もありうるから【政略】にも加点することができないとは言わないけど、その場合
>>310 の【内政】評価の低さとのバランスが奇妙。
というか、あなたの「政略」についての考え方が若干ずれてることが話がかみ合わない理由だと思う。
>>329 検地は内政にかかりませんか。解釈の違いですか。
織田信長 【指導】6 試行錯誤の末に、強力な軍団を組織。人材登用も的確。しかし、強引過ぎる手法のために多くの者に叛かれた。 【戦術】6 戦略的に勝てる情勢を整えた上での手堅い用兵で勝ち星を稼ぐが、一流武将相手には苦戦。 【戦略】8 内では部下の離反に合い、外では敵国に包囲されるも切り抜ける。自分の望む戦場に敵を引きずりこむ名人。 【内政】8 濃尾平野、畿内の高い経済力を最大限に生かす政策を行い、常に敵を凌ぐ物量をそろえる地盤を作る。 【政略】8 勝てそうに無い敵には懐柔外交攻勢。隙のある敵には離間工作の嵐。とにかく謀略を多用した。 【人望】5 愛情厚くユーモアのある人物だが、自己主張がうまくなかったらしく、苛烈さと厳格さのみが広く知られた。 豊臣秀吉 【指導】8 日本史上未曾有の大量動員体制を構築。ゼロから忠実な家臣団を組織し、良く諸侯を統御した。 【戦術】7 野戦・城攻めに堅実な手腕を見せ、信長の天下布武に大きく貢献。 【戦略】6 大物量と外交による王者の戦で日本を統一した。有能な戦略家だが、朝鮮出兵では精彩を欠いた。 【内政】8 経済面では信長の政策を継承。税制・庶民の武装解除を徹底して、日本統合に尽力した。 【政略】8 部将時代は調略で活躍。自立してからは外交で大諸侯を組み伏せて行った。 【人望】7 晩年の残虐行為はあったものの良く士心を掴み、部下に愛された。 徳川家康 【指導】9 人材抜擢より、手持ちの駒を最大限に有効に使う手腕に長ける。連合政権的だった豊臣政権を継承し、徳川家専制体制を確立した。 【戦術】7 信長の天下平定戦では、事実上の最精鋭部隊として活躍。浅井の精兵を撃破し、武田の西方進出を抑えた。 【戦略】7 慎重だが行動に出るのも、見切りの早さも一流。秀吉と一戦して不利を悟って降り、天下の趨勢が自分に向くまで力を蓄え続けた。 【内政】7 秀吉の政策に修正を加え、幕府の財政基盤を確立。政治機構の整備は、秀忠の代に持ち越された。 【政略】9 秀吉の遺臣団を切り崩した上で関が原に挑む。天下をとった後は、謀略で抵抗勢力の排除に尽力した。 【人望】7 陰険で短気な性格だが良く自制し、律儀で公正な人物として、高い信用を勝ち得た。
>愛情厚くユーモアのある人物だが、自己主張がうまくなかったらしく、苛烈さと厳格さのみが広く知られた。 改めて考えて見ると結構かわいそうな人だったのかもね
曹操 【指導】5 軍人の人事は上手だったが、文臣人事では荀ケに多くを依存。配下、領民に多く叛かれて苦労した。 【戦術】8 小部隊による機動戦では、右に出る者がいない。つまらない負けも多いが、後漢末で最も優れた戦術家の一人である。 【戦略】8 領内や家臣団がしばしば動揺し、四方に強敵を抱えていたが、高い機動力を生かした各個撃破で平定。 【内政】6 屯田制や厳格な統制政策で内政の安定に力を尽くしたが、秩序を完全に回復させるには至らなかった。 【政略】8 天子の権威を利用した外交で群雄を翻弄。孫権と劉備が強くなってからも、巧みな外交で自勢力の優位を保ち続けた。 【人望】5 面白い人柄だったが、イマイチ人望に欠け、荀ケの声望や、天子の権威で人を集めた。 劉備 【指導】8 人材登用、統制力、組織力ともにこの時代では飛び抜けた人物。ただし、独裁傾向がやや強かった。 【戦術】7 敗戦が多いが、いずれも最強クラスの将相手か、戦略的に劣位な場合。曹操とまともな条件で戦って引き分けたこともある。 【戦略】2 不定見で行き当たりばったり。それゆえに良い謀臣の補佐を得るまでは、勢力を保てなかった。 【内政】4 地方官を歴任しているが、見るべき治績は無い。大勢力になると軍事に専念し、政務は専門の文官に任せた。 【政略】8 裏切りと転身を繰り返し、あげくの果てに援軍に呼んでくれた相手の国を乗っ取った世渡りのプロ。 【人望】8 信義に背く行動ばかりしてきたが、多くの人を魅了して支援や忠誠を引き出す。後漢末きってのカリスマ。
孫権 【指導】7 兄の遺臣団に加え、自らも多くの人材を登用。呉を安泰ならしめたが、晩年は精彩を欠いた。 【戦術】4 自分が指揮権を握った戦では勝っていないが、再起不能になるほど負けてもいない。 【戦略】7 蜀から荊州南部・中部を奪取。その後は蜀と結んで魏に対抗し、長江中・下流域に確固たる勢力を築いた。 【内政】8 減税や臨時税の禁止などで民衆への負担を減らす一方で、江南開発に力を注ぎ、後の南朝繁栄の基盤を作った。 【政略】8 巧みな外交で曹操・曹丕・劉備を翻弄。内では孫策時代に対立した江南豪族の取り込みに成功した。 【人望】6 極端に酷薄で、極端に優しい複雑な人物。前半生は心配りのできる人物として慕われたが、晩年は大きく声望を落とした。
337 :
世界@名無史さん :05/01/31 03:57:59 0
ふーむ、曹操ってそんな指導・人望って平凡なんかな
議論に持ち込むと荒れそうなのでやめときますが、それよりも面白いですね。 ある程度人口に膾炙し資料もある人ほど、評価がばらけるものなんでしょう。 あと、公平な評価はやはり難しいものです。私は秀吉嫌いですしw。
秀吉は好き嫌いが分かれますね。信長も斯波にとって代っていますし、行動 原理は(目をかけられていたとはいえ)同レベルだったと思いますが。 家康も嫌いな人がいますが、信長は能力・人格共に美化されまくりです。
おや、山野たん微妙に怒ってる。めずらすぃw
あれ、本人降臨してきた・・・。おはようございまつ。
んでは、中国から将軍を二人。三国時代の人よりは地味ですが、世界史的な名将です。 衛青(?〜前106) 中国・前漢の将軍 平陽公主(時の皇帝・武帝の姉)に仕えた下級官吏の子、それも主の下女と密通して生ませた 子として生まれる。その為幼少の頃は同じ境遇の姉と共に奴隷同然の扱いを受けていた。 しかし美貌の姉が武帝の愛妾となり、自身も武官として皇帝の身辺に仕えるようになる。 姉の引きだけでなくその沈毅で謹直な人柄から次第に皇帝の信頼を得るようになり、前129年 に一手の指揮官として対匈奴戦に出征し大活躍を見せる。この功績で大将軍に昇ると夫を 亡くしていた旧主平陽公主を妻に迎え、以後7度に渡る遠征を率い匈奴を無力化させた。 後に大司馬。温厚で控えめな性格で信頼された。 霍去病(前140〜前117) 中国・前漢の将軍 衛青の甥。幼少時既に叔母と叔父が武帝に仕えていた為彼らのような苦労はしておらず、 若くして皇帝の侍従武官となる。18歳で叔父衛青の部下として出征、叔父のお株を奪う騎兵 運用の巧みさで大戦果を挙げた。武帝の対匈奴戦後半戦の主役で、前119年には長駆匈奴 の本拠地まで侵攻して斬首7万余の未曾有の戦果を挙げ、匈奴に回復不能の大打撃を与えた。 その声望は衛青を凌ぎ、武帝の覚えもめでたかったが23歳の若さで病没し皇帝を嘆かせた。 その墓は武帝の陵の傍らに、衛青の墓と並んで置かれている。武帝、昭帝、宣帝に仕えた 大司馬霍光は弟。ちなみにその名「去病」とは「病から去る」の意で、無病息災を祈った名だった。
二人とも前漢を代表する名将であり、農耕民族の軍が騎馬民族の軍を完璧に叩き のめした希有な戦例を作った人物です。しかもこの二人は騎兵運用の巧みさが売り で、特に霍去病は匈奴顔負けの速攻と歩兵を分離しての長距離侵攻、匈奴の弱点 を知り尽くした戦術で功を為しました。 しかしその性格は対照的で、万事控えめで思慮深く逆に言えばおもしろみの無い 衛青に対し、霍去病はおおらかで華やかな、悪く言えばいい加減で周囲への配慮 に欠ける性格だったといいます。 衛青 【指導】 7 相次ぐ遠征で疲弊した軍を纏め続けた手腕は巧み。 【戦術】 8 騎兵を効果的に用いて騎馬民族に勝った最初の指揮官では? 【戦略】 7 河西回廊打通作戦の着眼点は見事。これで匈奴は決定的に弱体化した。 【内政】 3 内政経験は無い。 【政略】 6 前半生の苦労からか、万事控えめな気配りの人。敵を作らなかった。 【人望】 6 謹直で面白みは無いが信頼された。 霍去病 【指導】 6 指揮は巧みだったが、飢えた部下を放置して飽食したりもしていた。 【戦術】 9 中国史上屈指の騎兵戦の名手。大胆不敵な速攻は騎馬民族を翻弄した。 【戦略】 6 匈奴の弱みをよく知っており、補給段列を優先して叩いている。 【内政】 3 内政経験は無い。 【政略】 3 宮廷内の争いを気にする必要が無かった。その前に死んだとも言える。 【人望】 6 伸びやかな貴族気質。上や同僚には好かれたが、部下には恨まれた。
>>284 と永遠の青さんは大体同じような評価だな。
やはり世界史的にはやや小粒か
345 :
世界@名無史さん :05/01/31 11:04:15 0
差分を検証するのもまぁ面白いかもね まぁ、このスレではそれよりももっと色んな人を評価する方が建設的そうだけど
346 :
世界@名無史さん :05/01/31 11:21:12 0
「まぁ」が重なって変な日本語になっちゃった 荀ケ評とかはどうなるんでしょね 当代の第一人者とも言える人だと思いますが
>>339 信長が取って代わるって、その斯波さんは信長にとって敵方の一族に殺されたんですがね
それに信長の代で冷え切った関係になったのではなく、信秀の頃に既に、家来といえない関係になっていたんだが
348 :
世界@名無史さん :05/01/31 12:14:04 O
てかなぜに【運】の項目がないの?
なんか流行ってるみたいなんで俺も。 織田信長 【指導】 9 まるで駒のごとく、神経質なまでに細かい指示を与えているあたり、他の戦国大名の追随を許してない。 【戦術】 8 戦略を重視するあまりさっさと撤退が多いが、桶狭間のごとく、戦術のみを見ればなかなかすばらしいとちょっと贔屓目に見た。 【戦略】 10 こう言ったらなんだけど、あの時代に勝ち抜くことは、ヨーロッパやモンゴルの、ぬるい相手を倒すこと以上にむずいと俺は評価してる。 同じ国の内乱でも三国志は別だけど。また、南蛮人の力を使えるだけ使い、後になると当初の約束をほかす点なども、すばらしい。 また、何が何でも、どうやってでも最後には勝利や得を得ようという姿勢は、どんな英雄でも持っているわけではないと考え、この評価。 【内政】 8 過去の人間、他国の政策を積極的に実施したり。 【政略】 9 外交、根回し、謀略など、その才は極めて高い。 【人望】 7 民達から言えば豊臣・徳川よりはるかに良い君主。しかし部下達からは好き嫌いが激しいため、この数値。 しかしそれでも当時の概念から言えば、決して裏切りの多い大名と言うわけでもないのだが。 比較として、同じ戦国でこの人。 武田信玄 【指導】 5 人望は厚いが、指導が行き届いているとは言いがたい。有力家臣が命令を聞かずに勝手な行動、ということもしばしば。 【戦術】 8 通説どおり、これは悪くない。とはいえ、わりと勝てる相手にはまあまあ勝ち、互角以上の相手にはなかなか勝てない。 【戦略】 4 悪いが、これに関してはかなりない。見えていたとしてもすぐ先の事だけである。 勝てそうな相手に挑むのは良いが、それによりあっちと仲を悪くし、別のほうに進んでは別の方とも仲が悪くなる。 そしてとうとう、身動きできなくなったという印象。 【内政】 6 悪くもないと言う程度。 【政略】 7 わりとできていた方。 【人望】 9 生存中は裏切りも少ないためこの評価。
>>350 ん?何で?世界史だよ。
じゃなけりゃ、わざわざヨーロッパやモンゴルの、なんて書くわけない
また山野が静かに怒りそうな評価を。
だから、人物評価で誰もが納得できる数値がある、なんて思ってる方がおかしいんだって
>>331 310です。ずれていることは承知です。
検地を客観的に内政事業と捕らえるより、秀吉が他の大名を把握する為の政治と表現したかったためです。
秀吉ファミリーでは羽柴秀長の存在を高く評価しているので点が辛くなりました。
では。
>349 何て言うんですか、それは利害が蜘蛛の糸の如く交錯し権謀術数渦巻くヨーロッパや モンゴルを甘く見ているような。我々は確かに戦国時代の事を良く知っていますが、 それと同様にシビアな事は世界のあちこちでやっていた訳です。 日本だけがレベル高い訳でも低い訳でもないと思うんですよ。
>>355 それでも良いですよ。いかにもヨーロッパや西アジアなどで活躍することばかりが、
レベルが高いと言うようなこの板での考えに、反発心から書いたのもありますし。
レベルが低いどころか世界でも最先端の武器を使用し、争いあっていた日本を勝ち抜くことが、
決してヨーロッパで国レベルとして活躍したことと、ひけを取らないと考え、この数値をつけたわけでもありますし。
じゃあどこも大変だったと言うことでこの問題は終了。
おけ
359 :
世界@名無史さん :05/01/31 13:41:44 0
>我々は確かに戦国時代の事を良く知っていますが、 >それと同様にシビアな事は世界のあちこちでやっていた訳です。 >日本だけがレベル高い訳でも低い訳でもないと思うんですよ。 けだし、名言だな。うんうん。 どうせみんなガジャ・マダとか知らなかったんだろ?
知らなかった
卑下せず自惚れず、だな。
362 :
世界@名無史さん :05/01/31 14:28:18 0
このスレ的には「評価9」と言うのがなかなかつけるのが難しい あまりにも世界史上で突出しているならまだすっきりと10とつけれるが、 国内で最高レベルぐらいなら、8なのか9なのかが悩む
アウラングゼーブの評価キボン
ガジャ・マダとか、以前書いたティプ・スルターンとか、知られざる英傑っていますしね。 では、荒れ防止にそんな「知られざる英雄」をば。 -------------------------------------------- タークシン(1734〜1782) タイの武将、国王 元の名は鄭昭。華僑の子として生まれ、幼くしてタイ人の官吏に養子に出されプラヤー・シン と名乗る。5歳で寺に預けられて当時最先端の教育を受け、13歳で養父のつてでアユタヤー 王朝に仕える。タイ人の伝統通り途中で一時出家し、還俗後ターク(チェンマイの近く)の監察 となるが在任中に県知事が死んだためそのまま県知事となった。タークシンの名はこれに由来 している。在任中にビルマ軍がタイ領内に侵攻、砲兵を巧みに用いて撃退するが王の怒りに 触れ(砲声を怖がった王が制止するのを無視して発砲したためらしい)、惰弱な王に嫌気が さして挙兵。華僑の強力と圧倒的な軍事力、そしてビルマ軍が既にアユタヤー王朝をほぼ 滅亡させていたという好機にも助けられ比較的簡単に国内を平定しトンブリーに王朝を開いた。 その後も相次ぐビルマの侵攻を全て撃破して侵攻を諦めさせ、カンボジアやラオスを破って 屈服させるなどその勢威は留まることを知らず、また文化面でも散逸した仏典の収集に努め 寺院を再建するなど意を注いだ。 しかし突如僧侶に無体を働くなど精神錯乱の様相を見せ、部下に強制的に退位させられる。 その部下を駆逐した武将チャオプラヤー・チャックリーは退位後出家していたタークシンを処刑、 今に続くバンコク王朝の開祖ラーマ1世となった。 なお、この精神錯乱による退位劇は、華僑を王とする事嫌った旧来の有力者達の陰謀という 節もあるが、現在のタイには王室不敬罪があるため真相は藪の中である。
あまりはっきりしない理由で王位を追われ命を落とした英雄です。 しかし「精神錯乱」前の彼は文句のない名君であり、戦争も強く国家の危機を救い 文化を守り国内を安定させた第一級の君主でした。 その不透明な末路にもかかわらず、今でも彼はタイの英雄であり「大王」と称され ています。砲兵を主体とした戦術は「タイのナポレオン」とも言われています。 【指導】 8 華僑まで含んだ寄せ集め戦力で国難を救った手腕は見事。 【戦術】 8 生まれる時代と場所を間違えたようにも思える、洗練された戦術家。 【戦略】 7 一方で国内を抑えつつ外征を行い、大混乱を見事に収拾している。 【内政】 6 国内統治にも意を用い、その成果はラーマ1世が収穫している。 【政略】 6 人種の違いはどうしようも無かったか。 【人望】 8 「錯乱」まではカリスマ的指導者だった。今も英雄扱いされている。
せっかくインターネットなんだから、外国人呼んでこいや。
胸甲騎兵氏、匈奴を破った名将二人が出たので、 今度は突厥を破った名将二人の評価を希望。 李靖と李勣ね。
アユタヤ朝のナレスワン大王(1590-1605)の評価希望 ビルマに戦で敗れ捕らえられるも、その国の勇者と戦い勝利したら解放するとの約束で勝負、 見事に勝って帰ってきちゃったらしいですが、あまりその他の事跡を知らんので・・・。
>>369 15年しか生きてないんじゃ、エピソードが少ないのもしかたない。
しかし、まさかそれだけの理由で後世に大王と尊称されているわけでもあるまい。 何か他に華々しい事績があるでしょうよ。
>>371 そうらしい。他のスレから拾ったもので。
>>356 それが分かるなら、
信長に10なんて数字はつきようがないってことも分かるよね?
ヨーロッパや西アジアで活躍しようと10はもちろん、
9ですらめったにつかないんだから。
要は349はナポレオンやカエサル等の世界的英雄と総合的には同クラスだと 言いたいんだろ。まあ別に俺はかまわんが。 俺の評価とは違うが一意見として尊重する。
>>102 とか見た? ネルソンや東郷でも戦術8だそうだ。
日本での信長以上に、その国ではマンセーされてて、純軍事的には信長など比べ物にならない悪条件で(悪条件で戦わないようにするのが君主の仕事だから当然だが)負けなしの李舜臣でさえ9かなあ、8かもしれないなあ、とか言われてるようなスレなんだぞ。
俺は信長や秀吉の戦術能力を、フリードリヒ大王やグスタフ・アドルフと同レベルぐらいに評価しているが、それでも10をつける気にはならない。10かなと思えるのは、ナポレオンとヴォーバンぐらいだ。
ナポレオンのワーテルローでの醜態は
>377 勝った負けたが評価の根本なら、ナポレオン配下のダヴー元帥は生涯負け無しですし、 私が書いたスヴォーロフやタークシンも生涯不敗と言われています。 それでもナポレオンの方が評価は上になると思います。ワーテルローやザマは、瑕瑾 にはなっても決定的な失点にはできないような。 ちなみに私的な戦術10候補リストは以下の通り。 ナポレオン、アレクサンドロス、ジシュカ、グスタフ2世アドルフ、孟(本当は王偏です)、 ティムール・・・このくらいでしょうか。 そういえばティムールの評価した人いませんね・・・。 >376 東郷は8ですら怪しいと思います。 ヴォーバンに10はやれないような気がしますが、非常に視野の広い傑出した人物である のは間違いないと思います。
>>376 別に擁護するわけではないが349が10つけているのは戦略だぞ。一応。
微妙な人物、逝ってみる。 ジョージ・ブリントン・マクレラン (1826-1885、アメリカ合衆国) 指導 8 北軍の組織者。北軍総司令官という重職の傍ら、常に後方(ばかり)に目を配り、兵力・装備を適切に配分し、近代的な構想の下で猛訓練を行い、弱体な北軍を精強な軍隊に育て上げた。 戦術 4 (攻撃時は3…いや2でもいいぐらい) 敵を過大評価し、勝機を前にしても攻勢を躊躇う悪癖から酷評されることが多いが、防御戦・後退戦になると不思議と精彩を見せる。リーいわく、北軍でもっとも優れた指揮官だそうだが、これは次の戦略の方の話だろう。 戦略 6 アナコンダプランの実行者。兵力が揃うまでは攻勢を取らないという方針の下、大兵力の圧力で短期決戦を望むリーを拘束し意図を挫いた。半島戦役も構想としては非常に優れていた(実行者が彼自身でなければ……) 内政 4 意外なことに、戦後ニュージャージー州知事を4年間大過なく務めている。64年の選挙に出なければ、リンカーンの死後大統領になって、グラントよりはマシな政治をしたかもしれない。 政略 1 リンカーンを初め政治家を軽蔑し、それを隠そうともしなかった。なにを血迷ったか戦時中に「即刻停戦、連邦復活、奴隷制復活」を訴えて大統領選挙に出馬し、400万票中の50万票差という僅差とも大差ともいえない微妙な得票差で敗れる。 人望 7 下級の将兵からはナポレオンの再来とまで呼ばれ熱狂的に支持されたが、自己顕示欲の強さゆえに同僚の将軍からは厭われ、政治家を軽視したことで政治家からは憎悪された。
>>374 戦国を勝ち抜くことと戦国を勝ち抜くことが同レベルなら、
信長はヨーロッパを統一できる状態に持って行ったのと、難易度的に同じという解釈なんだから、
10つけても何の不自然も無いぞ
382の訂正。 正しくは、 >ヨーロッパを勝ち抜くことと戦国を勝ち抜くことが同レベルなら、 だな
国内戦と対外戦をどう評価するかという問題でもあるな。 統治面や軍政面を考えれば国内戦の方が楽なような気もする。 それを差し引いても、相次ぐ反乱や石山攻めで戦略構想の練り直しを迫られているので、 個人的に信長の戦略に関する評価は低くなるが。
385 :
世界@名無史さん :05/02/01 15:52:16 0
せめて信長が日本を統一して東アジアのせめて半分でも勢力圏をひろげれたなぁ 日本の戦国ってそんなに難易度高いか? 国が分裂して長い年月が経って、文化まで違ってくるようなのならともかく・・・ あっというまに戦国も終わってしまったし
>>385 とりあえず、あっという間じゃないぞあれ。
信長が出なけりゃ終わる気もせん
>>384 別に練り押しって程でもないと思うぞ
実際、京や境を取った時点で戦国は終わっていた
388 :
世界@名無史さん :05/02/01 16:19:46 0
三国志で中原をおさえた時点で魏がほぼ統一したも同然ってのは聞いたことはあるが・・・ 三好家はすでに戦国を終わらせていたのか
>>387 浅井の離反で危機に陥ったり、石山を勅使による講和に切り替えたのは無視か。
成る程、戦略に10つけるだけの単純さだな。三戦板の方が向いてるぞ。
>>340 ええっ。全く怒っておりませんでしたが(笑)。ただの家康贔屓ですよ。
>>349 >南蛮人の力を使えるだけ使い、後になると当初の約束をほかす点なども
これがよく分かりませんが。基本的に宗教その他に対する姿勢は、逆らう
ものは倒す、或いは味方につけるという単純明快なもので、無理なら講和
に切り替えたりしています。
特異・天才的というほどの思想性は認められません。人並みの信仰心はあ
りましたが、当時は既に宗教を含めた既成権威はゆらいでおり、寺院への
行動も十人並みの認識によるものに見えます。
利潤に応じた当たり前の行動で、世界史の例を探すまでもないでしょう。
>民達から言えば豊臣・徳川よりはるかに良い君主
例えば、どの様な点の事でしょうか。
>>389 まあ戦略に9を付けようとは思わんが、危機が起こるたびに即座に戦略を修正してのけるところに
むしろ信長の凄みを感じるけどな。
上間違い。戦略に10を付けようとは思わん、に修正。
>>389 あはは。浅井はまだしも、講和がマイナスポイントだと?
なるほど、単純な人だな。
>>393 当初の戦略の見通しが甘いということだが、それすら理解できないのか?
>>390 明攻めなどのことでしょう→約束。
しかし結局そんな素振りは見せずに、ほったらかしにしていたものだから、南蛮人たちの不満を煽ったということでしょう
宗教に対しての認識は、宗教をないがしろにしていたというような話ではなく、
むしろ誰もが避けて通った事(謙信などのように、戦った良いがそのせいで動けなくなった大名もいるが)を、
時機を見てやり尽くしたしということを評価しているのでしょう。
誰でもやった行動とは言いがたいでしょう
自分でつけてみようとも思いましたが、永遠の青氏とそう変わらないので止めました。 三人とも、1を足すか引くぐらいの変化しかありません。
>>394 それを言っちゃうと、当初の予定が何一つ狂わない人間なんてどこの英雄にもいないぞ
>>388 三好家の支配と織田家の支配は大きく違うものだぞ
>>394 修正できる範囲内での問題なんて、問題のうちに入らんだろ
本願寺勢を屈服させるって凄く大変そうなんだが。単なる保守勢力じゃないぞアレ。
>>400 させたじゃん。どの道支配を確立させたいならぶつかる相手だし
>>399 はあ?どれも一歩間違えば破滅しかねんほどの危機だぞ?
とりあえず、信長は自分の目標である天下統一を達成していないので、戦略10はありえない。 目標が達成できない戦略家に10はつけられないだろう。 次に、その達成できなかった要因も、自分の命という戦略に重要な要素を守れなかったこと、 しかも、その理由が何度もその前に繰り返されていた反乱によるものだったこと。 つまり自分の経験に学べなかったことでさらに1点減点。 ということで最高でも8だと思われる。
>>402 どれも?どれもっていくつあるんだよ・・
とりあえず浅井・朝倉は、戦力差から言えば別にそれほどつらくない相手だぞ
むしろ浅井長政の大博打を褒めるべき
おまいら釣られすぎ。 具体的根拠を示していない奴の評価なぞスルーしる。
>>403 自分の目標ったって人間の目標は再現無いし、じゃあ世界取るって言って世界取れなかったら、駄目なのかって話だろ。
しかし信長はそれを取れる体勢、天下統一秒読み段階に入っただけで十分10の価値があると思う
また、光秀の謀反は極めて奇跡的なこと。
同じ反乱でも、領地として苦渋を飲まされたり、宗教の強烈な抵抗としての謀反は起きたりしたが、
光秀のように最高の出世コースにいた男が、謀反を起こすなど普通考えられん
まさか、恨み説だなんてみんな信じてるわけじゃあるまいし
>>405 それを言い出したら、このスレの評価は、
中途半端な自己満足しかないんだがな。
まあ世の中には色んな見方があるってこった。 誰かにとってはプラスポイントでも、誰かにとってはマイナスポイントだったりする。 でもそのどちらが正しいのかなんて、結局分からん。 色んな評価があってしかるべきだろ。 「俺は10をつける!」「いやいや、俺は1をつける」 それで良いんじゃね?
>>406 >しかし信長はそれを取れる体勢、天下統一秒読み段階に入っただけ
そこまでで挫折したので当然減点。戦略的優位を作りかけて失ったわけだから。
その後も織田家が信長の構想を受け継いだわけでもないし。
これまで散々反乱を起こされて自分の身の安全に気を配らなかった時点で減点。
自分の戦略をミスで失ったわけだからね。
信長信者に何を言っても無駄だろうが、一応根拠を挙げておくよ。
>>409 だからそれで十分10なんだよ。わかんない奴だな
お前が8だとか思うんなら思っとけば
>>409 じゃあカエサルもにらまれていたのが分かっていたのに、案の定やられたんだから、
戦略8ぐらいですね
>>411 当然。実際、カエサルの死後の内乱でローマは大分混乱したので減点するさ。
だんだん煽りあいになってきたな。信長ファンもアンチももうこの話題は終わりにしない?
>>413 ファンとアンチと言ってる時点で煽ってることに気づいた方が良いぞ。
個人的には、日本史上の人物は特に取り上げる必要は薄いと思うが。
415 :
世界@名無史さん :05/02/01 18:04:22 0
日本は統一されていた期間が長く、勢力が分裂してもそれらは結局は 同じような系体の組織なので比較的対外戦略や占拠後の統治政策は行いやすい ってか、ずっと天皇制自体は続いていたので、内部的な権力抗争と捉えてもいいぐらい 世界史的には国内の争いは少しスケールが小さく思えるんだけど。
>>416 無自覚なら一度は指摘しておいた方が良いだろう。
アンチが蔑称ということもわからないほど2chに毒されているなら余計にな。
>>415 本当にそうなら戦国はすぐに終わってるな
相手も日本人だからこそ、お互いある程度予測がついて、かえって勢力伸ばせなかったんだろ
とりあえず、日本史や魏晋期の話題はできるだけ日本史板か三戦板で。
>>417 は?んなもん日本人はほどほどにっつときゃ良いだろ
いちいち文句つけるから、その話が長引くわけだし
おい! 380が可愛そうだろおまいら
423 :
世界@名無史さん :05/02/01 18:14:25 0
ツーことで漏れ的にはエンリケ航海王子の評価を木盆ぬ。
なあ何故380はみんな1レスもしないんだ? ・・いや、俺も特に言いたいことは無いが
>>426 当人が何かデカいことをやったというわけでもないから評価は微妙のような……
いや、自分は内政面の業績とかあまり知らないんで点数をつけられないんだが
>>424 オマエモナーという事で以下スルーでおながいします。
議論が続くのはいい事だが、感情的にならず、押さえ気味にすべきでないか? 能力評価を肴にグダグダ言うスレだから、 議論な間ならすごい面白い。
あと、おまけ。 議論してる時に、人それぞれって禁句だと思われw。 信長の戦略は9あげてもいいんじゃないか? 日本人的謙虚さなのかどうかしらんが、多少日本人を低く見てるような希ガス。
433 :
世界@名無史さん :05/02/01 19:35:29 0
複数の他宗教、他民族、他王朝みたいなのを相手にしてないってのは どうも相対的に他の人物と比較して高評価にしづらい 島国なんだからしょうがないんだろうが、どうも狭い所でせこせこやってるようの思われてしまう
>>433 戦国は複数の宗教が入り乱れ、険悪だったんだが
民族的に同じったって、じゃあ自分と同じ民族を攻めるのと、他民族を攻めるのとでは、
他民族を攻めるほうが必ずしも難しいかって言ったら、そうでもないだろ
こないだも書きましたけど、似たようなことはどこでもやってる訳で。 信長が10ならじゃあチェーザレ・ボルジアやら始皇帝やらアードルフ・ヒトラー は信長にどう劣るのかとか、そうなるんじゃないですか?同じ創業の英雄な 訳ですし。
信長とかの方が話題になるのかねえ。 俺は、ヴォーバンとか、マクレランとか、山本権兵衛とか、ダウディングとか、 適格な判断で勝つ人物より、勝てる状況を作る人物の方に興味があるのだが。 377でも言ったが、軍事指導者としての信長に関しては、 フリードリヒ大王やグスタフ・アドルフに匹敵する名将だと思っている。 戦術8、戦略8ぐらいはつけても問題ないかと。で、指導・人望は5〜6ぐらいに抑える。 戦略…9は苦しい。 このスレをざーっと見渡してみて、8や9を探すと。 9:カエサル、テミストクレス、ニミッツ。 8:キュロス2世、ダレイオス1世、マウリヤ初代王、ガジャ・マダ、趙匡胤、ダヴー、ウェリントン、李鴻章…… ね、8でしょう? 7にすることはないんじゃないかな。
つかこのままそれぞれの評価に延々とケチつけられていくなら流れになるなら、 能力値10なんてまさに現人神だなw 該当する人間なんているのか?
>>435 ヒトラーは、そもそも勝てる体勢作れてないと思うが・・
439 :
世界@名無史さん :05/02/01 19:49:37 0
>10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。 だからな 人類史上で1桁ぐらいしかいないってことになる
10は「数世紀に1人」だから。 「数世紀」を仮に300年として、文字のある歴史の長さを2400年として、 西洋世界と東洋世界それぞれで考えるなら、10を与えられるのはわずか16人だ。 信長が全歴史上でベスト16に入る戦略家だとは思わない。
>>437 そうなんだよな、ぶっちゃけ、けちつけようと思えばどんな英雄でもつけられるわけで
>>440 しかし入ると主張する人間もいるわけだ
そして互いに互いの意見に納得は出来ない、と。
うーん、まあ仕方ないんじゃね?
443 :
世界@名無史さん :05/02/01 19:52:41 0
てか、偉大な英雄にケチつけれるのが世界史の醍醐味
しかしこのままだと戦略10の人間など存在しなくなってしまう ・・まあそれでもいいか
>>441 それなんだよ。ケチつけようと思えばいくらでもできるんで、このスレでは
能力値10の人間を16人挙げることすら出来ないと思う。
少なくとも万人が納得できる評価はありえない。
ついでに。個人的に信長は10はないけど、9ならまあ納得できるかな、とは思う。
信長は戦略9がちょうどいいだろ どっちも妥協できるだろ
447 :
世界@名無史さん :05/02/01 20:03:46 0
それぞれの項目のTOP10(まぁ無理に東洋と西洋と分ける必要ないんで) を上げれば評価10候補になるんかな 300年に1度の人物・・・本当に神レベルだな
戦略を目標達成能力とするなら、ゲイツは10とか言ってみるテスト
449 :
世界@名無史さん :05/02/01 20:07:19 0
ある意味世界征服に近いな、ゲイツ 政略かもしれん ただ、人望は無い
450 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/01 20:09:13 0
>>380 >>427 過去に評伝を書いたことがある人物でございますので、
レスを付けたいのですが、かなり遅い時間になりそうです。
御容赦ください。
俺は信長9はくれすぎだと思うが、 それは信長に対する評価と言うよりも、 点数そのもののイメージが違うようなきがするなあ。 甘く見ているか辛く見ているか。 信長が戦略9なら例えば曹操あたりも9になってしまうと思うが、 私は両方9まで行かないと思うし。
452 :
世界@名無史さん :05/02/01 20:40:51 0
覇王めざすなら、 とっとと天下とって だぁーーーっと半島や大陸を席巻してくれれば もう少しは評価できるが・・・ 途中で殺されちゃそこまでのスケールがあったかどうかわからん
>>451 それもあるけど、知識量も絶対あると思う。
例えば評価する対象ってのは基本的に(特に戦国に至っては・・)、人より知っているもの。
しかし知っていたとして、全部を書ききれるわけもなく、結局納得させられなというというジレンマがあると思う。
とはいえ、そんなの関係なく、ケチつけようと思えばケチつけられるし、
すごいと思えばどこまでもすごいと思えてしまったりと、結局それに尽きる気がする
おい! 信長が内乱国家を平定したってんで10ならば インカとかエチオピアとかのドマイナーな内乱平定者の10でOK?
指導10はシャクルトンで決定だろ? 何しろ史上最強のリーダーですよ、史上最強。
>>454 同じ小国でも、日本は武器やら兵力やらは当時世界最先端だったんだから、ちょっと違うかもね
しかしその人物を評価したいんならどうぞ
>>456 いいや武器自体が最先端かどうかは関係ないだろ。
>>454 とまあこのようにケチを付けられるわけです。
そもそも武器の威力だの兵力の規模だのが根拠になるなら アレクサンドロス大王よりブッシュの方が能力が上という事になるが如何?
>>457 ?いや、環境は違うだろうと言いたいだけなんだが
461 :
世界@名無史さん :05/02/01 21:06:50 0
言語、宗教、民族の違う国家群を対外政策により支配・維持していくのと、 かつて統一された歴史のある国家の分裂状態を再統一していく努力とでは、 難易度や歴史的影響を考慮すると、対外戦>国内戦に評価が傾くのはやむを 得ないのでは?と思う。 信長は世界史レベルの傑出人だと思うけど、戦略や戦術10って世界史上10〜 15・6人ぐらいしかいないわけでしょ。ぶっちゃけ、世界史における戦略・ 戦術のベスト10を選出したら、ローカルヒーローであるハンディをさしひいて も、彼がこの枠内に入るのは厳しいと思う。
>>456 武器兵力だけでなく人口も。
日本は普通に強大国ですが何か。
>>459 何を言っとるんだチミは
>>458 ケチじゃあないと思うぞ。
信長が単純に一国の乱世を平らげたから10だの9だのということになるなら、
独立国家の数だけ10や9がいることになってしまう。
国の大きさは関係ないと言うならね。
で、国の大きさが関係するなら、
信長はどうしても中国等大陸の大国の人物には及ばなくなってしまう。
当然の帰結だ。
>>460 だから、武器の質という環境の違いでは、
評価に対してさほど影響を与えないってこと。
>>463 いやだからその認識から間違ってる。
日本は普通に大国なんだって。たしかに中国には及ばないですが。
>>463 同じ内乱平定でも、国によって色々難易度は違うでしょう。当たり前のことですが
>>465 別に小国だなんていってないが?
中国には及ばないと言っただけで。
そりゃあ、あえて言えば日本は当然大国のぶるいでしょうよ。
>>461 戦いに関していえば、自民族だから有利ということもあれば不利と言うこともあるだろ
>>466 では、日本は特に難しかったということをどうやって証明するね?
>>469 それが分からないなら、そもそもあなたに戦国の武将を語る権利はない
472 :
世界@名無史さん :05/02/01 21:22:21 0
軍板で何人も見てきたタイプだ。 他国のことを知らない、他の時代のことを知らない、他の分野のことを知らない。 それゆえに、実は自分の専門のこともしっかり理解できているわけではない。
妥協案: ・歴史上の人物の絶対数は日本一国より世界全体の方が多い ・ということは評価9や10のような傑物が出てくる可能性も日本史より世界史(外国諸国)の方が高い ・ゆえに必ずしも日本に10や9がいなくても外国には出現しうる ・これは別に日本の国家規模とは無関係な事実
当たり前だが、 我々は日本史には他の国の歴史よりも詳しいからね、 日本史は特別だと思ってしまうのも無理はない。 しかし、ちょっとは広い目でものを見たほうがいいね。
>>474 に追加
・別に機械的に人口数などで考えろと言う意味ではない(そうすると中国とインドがやたら有利になるので)
戦国の難しさねえ〜 そうだな・・まず、極めて小国と小勢力が乱立していることから始まるな それも隙間無く。そして戦国時代に入ったばかりならともかく、 すでにみんな戦国だとはっきり認識していたため、極めて警戒心が強く、 疑心暗鬼で、常に自分の勢力を伸ばす事ばかり考えている。 また、互いに警戒のため同盟につぐ同盟をし、緊張は限界まで達していた。 そんな中で、動いてでかくなるのはかなり難しそうだな しかもその同盟だってちっとも信用ならず、ちょっと大きくなれば、 すぐに周りがとたんに敵になったり、逆に領地が広くなったりしたら、 今度はその広い領地が守りきることを考え、そしてまた進めなくなったりと、 統一は大変難しそうだと思うがどうよ
あ、477は469あてね
>>477 ざっと思いつくだけでも春秋戦国時代、近世ヨーロッパ、
五胡十六国、イル・ハン国崩壊後のイランなどがほぼ同様の状況だが
確かに信長は日本国内ではトップクラスの人物だ、 そのことは間違いないが。 世界史的に見ると比較対象は何百倍にも増える、 その中で相対化しなければ、 点数をつけるという行為は出来ないということを自覚すべきだ。
日本の戦国時代ねえ・・・。裏切りの多さは、ちょっと他にはあまり見られないかも知れん。
>>479 ん?難度の話だろ?
>>480 近代ヨーロッパを勝ち抜くの簡単?難しいだろ?なら良いんじゃね?
>>475 そうとばかりはいえない。
特に高校から真先に世界史選択した歴史オタクなんかは、
「日本史は狭い範囲しかできない。世界史は広大だ」なんて思ってたりして(初めは大体そうだろ)
そのまま世界史ばかりやっていると、変な方向に捻じ曲がって
「世界史の人物は全世界を相手に回して戦ったが、日本史の人物は鳥なき島国の蝙蝠」
なんて思ってるやつも結構いる。
日本史とは地理的な面からも風習的な面からもあまり接点の無い西洋史を専攻してた人には、
特にそういう傾向が在るやつが多かった。
もちろん全員そうというわけじゃないぞ。
春秋戦国を統一した始皇帝 日本を統一しかけた信長 西欧を統一しかけたナポレオン 同等でいいだろ
>>483 だから難度がどう違うのよ?ってことだが。
>>487 は?難しいってことが分かったならいんじゃね?
>>485 その調子でいったいいくつの9や10が出てくると・・・(ry
際限ない
>>489 だから、どの国でも内乱状態になったらそうなるでしょうが。
つまり、他の国と比べてもたいして難度は変わらない、
特別に難しいわけじゃあないってこと。
>>487 そうだな。国全体の、戦に関する知識レベルの差があんまり無いことかな
中央の奴だけじゃなく、地方でも色々勝ち抜いてきたりと、戦の差をそれほど感じない
わりと他の国の内乱には、地方によってレベルが大きく違ったりする気がする。
どうよ。
>>492 内乱状態でも荒廃しきっていたり、緊張感の少なさ、
地方による兵器の大きな差などがある国は比較的難しくないだろ
>>493 エチオピアの諸公侯時代の内乱は再統一までにおよそ二百年間かかりました。
春秋戦国にいたっては五百年以上を要しています。
他国の内乱が地方によってそれほど軍事技術に格差があるというなら、
何処ももっと早く再統一がなされているのではないでしょうか。
そもそも広大多様な世界全体を
>わりと他の国の内乱には、地方によってレベルが大きく違ったりする気がする。
というように一律に判断する姿勢に疑問を覚えます。
>>492 国民性かも
どの戦国大名も、負けたからどうぞあなたが王です、みたいな雰囲気になかなかならん
どいつもこいつも、最後まで自分とこ投げ出さずに、戦う力確認してる
>>493 そんなに地域のレベルが違う内戦状態なんてありません。
>>496 戦国大名なんてダメだと思えば直ぐに降りますが?
戦国時代を誤解してないかい?
>>496 日本一国内の歴史を材料にどんなに頑張っても
どこかしら世界のほかの地域の類例を見つけるのは簡単だから(ry
>>495 細かい。別にどこも同じとは言ってない。俺の印象だから
内乱状態をまとめるのが難しいなんてことは当たり前なんだよ。 だから、 7=国内では一流の人材。 8=国を代表する実力者。 という評価なら当然つく、しかしそこから9や10へもっていくのは、 ただ内乱をまとめたってだけじゃあ無理だろうってこと。
>>491 もうそれで構わないんじゃね?そもそも接触の無い文化同士で比較すること自体困難だし。
>>500 あなた個人の印象では他人は説得できんよ。
>>498 そういう意味じゃない。それはその国が負けるまでの話でしょう。
他の国が、という意味です
>>503 俺の印象で説得する気なんて無いよ。噛み付きすぎ
>>502 そんなスレならわざわざ楽しむほどの価値は無いな
ローカル英雄と真の世界史的英雄との差が表現できなくなる。激しくつまらん。無意味だ。
緊張状態という点では、なまじ狭いだけにすごいと思うがな
>>502 そこをあえて、
9=時代を代表する天才。
10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。
と基準をつけて、
国という枠を飛び出したレベルの大英雄を評価するのがこのスレよ。
国内レベルで最優秀だから9ないし10でいいというのでは、
あまり意味がない。
>>506 このスレに意味があるなんて思ってたの?
>>507 くどいようだけど
>日本一国内の歴史を材料にどんなに頑張っても
>どこかしら世界のほかの地域の類例を見つけるのは簡単だから(ry
(
>>499 )
しかも少なからずね。
>>508 でもそれだと地理的・文化的に孤立した地域は必然的に不利になるし・・・。
数値化することの意味は、国家や時代を越えて、統一した基準で、能力値をまとめる(まとめようと試みる)ことだと思います。 そう考えるなら、少なくとも、同一国家の複数の時代か、同一時代の複数の地域を語れない人物は、 専門とする地域・時代にどれだけ詳しくても、世界史板のこのスレに、評者として参加するには相応しくありません。 とくに三・戦関係の人は、自分が相応しいかどうか、胸に手を当てて考えてみてください。
>>509 思っていないならここにいる必要ないんじゃない?
>>508 何故100レス以上前からこんな話してるかって、国を飛び出すのと、
国のほんの小さな場所からスタートし、国の内乱を沈めるのとでは、
難易度の点で本当はどっちが難しいか分からないからだろ
>>512 それはある程度仕方ないでしょ。
というか、日本は別にそんなに孤立していないから、
日本の人物はそんなには不利ではないと思うが。
時代別に数字を設定して、かけてみるというのはどうかな。 例えばだけど、世界史から見ると日本の戦国時代は0.8、としてみる。 すると、織田信長は日本の戦国時代では10だけど、世界的には8。 意味ない?
>>513 その統一した基準、てのが納得いかないんだろ
そもそもこれを言っちゃあどうしようもないが、その基準だと本当にその人間の力を計れている気がしないんだが
>>515 しかし、国の枠を飛び出せる人物は少ないが、
内乱をおさめた人間は治まった内乱の数だけ存在するぞ。
世界各国すべての国でね。
本来比べるめくもないだろう。
>>521 だからそれはただの数だろう
難易度とは関係ない
>>515 世界史上にはその両方をやった人物が多数いる。
たとえばチンギス・ハーンもその一人だ。
こういった人物であれば、片方しかやっていない人物よりも
基本的レベルで裁定前提が有利に働くな。
単に一国内の乱世を鎮めたと言うだけならば、質的にこのレベルに匹敵する
能力があることを説明してもらえなければ10のような高い能力は受け入れられない。
もちろん質的にずば抜けていれば話は別。
それこそヤン・ジシュカみたいな超弩級ならば一国内だろうと何だろうと
文句なしに10を与えられるけど、日本史上にそこまでの人物は存在しないと思われ。
というかジシュカみたいなのが既に世界史の例外中の例外で、
それこそ最近数千年で5人もいないようなレベルなわけだが。
こんな怪物的人物が日本史に存在しないからと言って恥じ入る必要も無いな。
いるほうがおかしいぐらいだから。
それでまた、「日本の戦国時代は難度が高かった」 でループか?
>>522 多くのものが成功していれば、
難易度は成功者が少ないものよりも低いと判断するのが普通だろ?
>>523 モンゴルは内乱ていうかなんていうかだと思うがな
>>512 「不利になる」じゃなくて、「いない」と解釈する事も可能だが。
そしてガジャ・マダみたいな例外が稀にいればきちんと公平に評価する。
モンゴル高原なんかはしょっちゅう分裂して戦国時代ばっか 統一した可汗は数知れず でも彼等はチンギスの様な数値にはならんのです
>>525 何故?
内乱とひとくくりにするが、んなもんどこの国だって状況は違う。
内乱を一つの難易度に置くことのほうが間違ってるだろ
>>528 ああ思いがけずいい例かも。モンゴルは統一しやすいw
>>528 いや、あながち、なるかもしれないよ。
元々手持ちの情報が少ないだけ。
仮に充実した情報が入手できれば9や10が輩出する可能性がないとはいえない。
チンギス一代で征服した領域なんて結局突厥帝国と大差ないわけだし。
>>528 じゃあこういう事か。内乱を鎮め、なおかつ以後の歴史に長期間の安定と発展をもたらした者、と。
>>533 そんなこと言っていたら、
世の中9や10だらけになってしまうでしょうが。
信長の場合はそういう例で、
たまたま詳しく知っているから、9や10をつけたくなってしまうわけだ。
>>531 統一と言うが、モンゴル高原がひとつのまとまった地域単位だという認識が
チンギス以前に存在したかどうかがそもそも疑問だ。
内乱の統一のというが、その「範囲」はどう定義される?
いうまでもなく現代国家の国境なんて定義にならないし。
所詮すべては曖昧。
内乱には二種類あると思う。 単純に国があれている状況、もう一つは、もはやほとんど国として独立しているかのように、小国が乱立してしまう状況。 この場合、すでに内乱というより、小さな世界が出来て、そこで争っているのに近いのではないだろうか
>>534 チンギスと子孫たちと家臣団と敵国の人物たちの能力を総合的に使ってそれをあらわすのが理想
内乱の定義を考えるスレとなりました
>>538 日本史にはそこまでの状況が出現した事は無いな。
納得なさいましたか?
>>541 そうかな。権力者と言える権力者はいないし、
仮に天皇や将軍がお前んとこ死ねとかつぶれろっつったってききゃあしないだろ
独立国家に近いと思うが
>>539 補足
その上でチンギス個人の能力が匈奴や突厥の指導者たちと同等でも問題は無い。
これは匈奴や突厥の指導者がチンギス並みに高い、というよりも
チンギスが匈奴や突厥の指導者並みに平凡(若干おプラスアルファはあるにしても)という意味。
ただし子孫や家臣の能力の合計値が高かったおかげで世界帝国ができたと。
こう解釈すれば問題ないはず。
モンゴルは内乱と言うより、小国がたくさんあるだけだから、 最初から世界なんじゃね。 ますます、当初の数値定義づけの境目がわかんなくなってきた
>>542 さっきから何度も言ってるんだけど、
>日本一国内の歴史を材料にどんなに頑張っても
>どこかしら世界のほかの地域の類例を見つけるのは簡単だから(ry
(
>>499 )
↑これについて何か感想とかはないの?
まあいいじゃん。次いこうぜ次
普通に考えて内乱を治めるのは大事業なんだよ。 その仮定を詳しくしらべれば、その立役者には最大級の評価を与えたくなるのも自然だ。 しかし、だからといってその全てに9や10をつけていては、 少なくとも国の数だけ9や10がいることになってしまい。 スレの主旨に反するってこと。
やっぱり、9という評価のイメージに相違があるな。 一国の内戦を平らげたなら9はついて当然と思っている人がいるような気がする。
>>537 家康なんかは統一以後のグランドデザインを考え、実行した、ともいえないかな?
グランドデザイン=戦略とすればの話だけど。政体の構築も戦略に含まれると思うなあ。
>>549 で、日本は別に特別な存在ではない。
一見日本に9や10がいるように見えても、
自分が知らないだけで他国にも同程度の人物がごろごろしてる可能性大
・・・っていう結論に賛成していただけますか?
>>547 9=時代を代表する天才。
10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。
でしょ?そう思ったならつけて良いんじゃない?
だってそうじゃないと、内乱を静めた人間は、必ず世界に出た人間に劣ってることになってしまうが
そうとは思えんし
一番簡単な方法は、頭の中で歴史人物のトーナメント戦をやることだ。 勝った方が能力が高いw
>>552 違うと言うのは、やはり難易度高いとは思うし、似てる部分はあっても、
全てが同じなんてありえないから、という意味なんだが。
もちろん、どんな国だって発掘すれば凄い人間は出てくる可能性はあるだろうよ
んなこと言うまでも無い。ただ、内乱を平定したから必ず高評価つけるもんでもないと思うがね
>>554 そりゃ、ほんとにそいつの頭の中で決着がつくだけだと思うがw
>>553 多くの者は納得してくれない思い込みに過ぎないと自覚できるならね。
無論全ての人に納得されることはないが、
このスレ見ただけでもそれなりに多くの人が賛同する高評価な人物はいる、
そういう人物とは明らかに一線を画すってこと。
何かスレの存在価値を議論し始めたな とりあえずじゃあ、これ以降日本人禁止ってのはどうよ で、いちいち日本から出てないから10や9は行かないとか、 話蒸し返さないって決まりつけて
ひとつの国の歴史を詳細に見ていけば、 どの国にも最高レベルの評価を与えたくなるような大人物は大抵いる。 しかし、世界には数百の国があるから、 そういう人物も世界史的には数百人中の一人に過ぎないってこと。 信長はそういう例だ、自国の歴史だから詳しい人が多く、 最高レベルの評価を与えたいと思う人も多い。 それだけのことだ。
>>557 その理論が通るなら、よく知られて無い奴や勘違いされてる奴は必ずろくでもない評価になってしまうのでは?
それにこのスレで高評価な奴の評価だって、万人に認められてるわけじゃない
>>515 なるほど確かに、例えば大国の皇帝として生まれ、
世界に躍り出た者がいても容易には9や10と言う評価はつかないだろう。
しかし、国内の内乱を治めただけでも無理だ。
9や10はその二つをともにやり遂げたようなレベルの人物につけられる評価で、
片方だけの信長ではまあ無理だということ。
>>561 そりゃあ、万人には認められないわな。
しかし前にでた東南アジアの島嶼部を統一したひとなぞ、
マイナーだがその事跡を紹介されれば、
9がついても多くのものが納得できる人物もいる、
>>559 その理論は通らんだろ。
内乱を鎮めた一人だから、世界に出た奴に能力で劣っていると?
んなのどうして分かる
>>563 そりゃほんとにマイナーだからだろ
よく知らんやつの功績を説明されりゃあ、よく知らないからケチはつけにくい
>>564 内乱をおさめてかつ世界に進出までした人物よりは劣る、
普通はそう判断するだろ?
>>564 内乱を鎮めて世界的に活躍<<世界的に活躍≦≦内乱を鎮める
但しこの場合の不等号は「越えられない壁」じゃない。
むしろ一種のハンディキャップとして考えればいいと思う。
>>564 その可能性があった者と、実際に成し遂げた者とでは必然的に後者のほうが高くなるなあ。
可能性の話ならいくらでも出来るわけで。実績メインの評価になるのは仕方ない。
>>562 なら例えばナポレオンは、いきなり外国との戦争だろ
もちろん王からスタートしたわけではないが、内乱で小国が何十も存在していたような状況を、収めたわけじゃあるまいし
>>568 実績を比べるスレというならそれで良いだろうが、
なまじ能力を比べるスレだから、話は別
盛り上がってきたところで悪いが 人物を数値化する事自体に無理がある 信長厨君が10を付けたっていいじゃないか? 俺は小泉首相に10をつけるね
>>570 は?大革命期のフランスで頭角を現すのは並大抵のことではないぞ。
戦国時代より難しいとは言わないが、別に簡単なわけじゃあない。
本当は、レビュアーとしてはその「内乱(なり政治なり戦闘なり)の過程」 を細かく追って行って自分で解釈できる人間が相応しいんだろうね。 「一国の内乱を平定した」とか「〜によって経済を発展させた」だけでなく細かな 事象・事跡を追っていける事ができる深い知識とバランスが。 永遠の青、胸甲騎兵、山野野衾などのコテ各氏はその点さすがだ。
>>572 前半2行は分かるが、後半2行はわざとらしいぞ
とりあえず、小泉はまだ生きてるので、世界史の人間として数えられない
>>574 そりゃそうだろうが、混乱きわまる内乱を治めて世界に行くというのが、どうやら9や10のつけられる理由らしいから、
皮肉っただけ
>>577 それに匹敵するほどの事跡を残すことが、
9や10がつけられる理由だってこと。
ナポレオンの場合はそういう例だろ?
じゃあこうしたら? 「このスレは、実績を語るスレであり、能力を語るスレではありません。 能力を語るにしても実績メインですので、 真の意味での能力を語るスレではありませんので、可能性などは考えません」 って、次スレから最初の方に書いとけば。そしたら今みたいなことも起きない
>>579 そんなこといちいち言わなくても当たり前だろ?
実績に残ってないものなんて評価できないよ。
ひょっとしてそんなことも分かっていないものが混じっていたのか?
>>578 匹敵するって・・?
あれれ?なら定義は間違ってたんだな。外国攻めりゃ高い評価なんだ?
>>577 そこでファジー(蓋然性)理論だ。
>>567 に先述したのを再掲してみる。
>内乱を鎮めて世界的に活躍<<世界的に活躍≦≦内乱を鎮める
>
>しこの場合の不等号は「越えられない壁」じゃない。
>むしろ一種のハンディキャップとして考えればいいと思う。
要するに
「一般的基準として
内乱を鎮めて世界的に活躍<<世界的に活躍≦≦内乱を鎮める
という図式が成り立つ」
しかしそうはいっても、たとえば内乱を鎮めただけでも
実は驚異的な飛びぬけた能力を持っていたとすれば、もっと上のレベルに並べるのも可。
ただしその評価は第一段階で上のレベルよりも採点を辛くすべき。
・・・と言う意味だ。
個人的意見としては織田信長あたりがこの辛い採点をクリアできるほど飛びぬけているとは思えないが。
>>581 外国を攻めるのがそれに匹敵すると(近似的意味において)
正当に評価しうる程度に困難と見なされる場合
だ。正確に言うと。
>>580 はは。言わなくても分かりそうなことで、裁判で勝ったアメリカ人もいるがね。
能力って言葉自体から言えば、580の言うことはかなり狭義だよ
>>584 で、俺は信長の統一が、それ並に難しいと判断したんだがね
でもそれは認められないと言う。なぜか?結局大きいのは「外国を攻めてないから」
しかし・・とループするわけだ
>>582 内乱を沈め、飛びぬけた能力を持ってると思って、信長を評価したんだろ。
意味無いぞその論はいまさら
>>586 だから、なぜそう判断したかを説明すればいいではないか。
前のみたいにそう思うだけ、なんてのじゃあ納得されない方が当たり前だぞ。
>>586 >結局大きいのは「外国を攻めてないから」
全然違う。
ベリサリウスやヤン・ジシュカみたいに基準をクリアできるほどに飛びぬけていないからだ。
武田信玄や上杉謙信の圧倒的大軍を向こうに回して
戦術レベルで文句の付けようの無い大勝利をおさめました。十倍の敵を壊滅させました、とかならクリアできるだろうが。
本能寺でやられた時点でアウトでしょう。
このくらいのローカルヒーローなら世界諸国史上枚挙に暇が無いほどいるからね。
マンネルハイムは戦術と戦略どっちが10だろうか? それとも9-9くらいか?
なんか凄いことになってるが とりあえずいえることはここは世界史の板なんだから 日本史の板は別にあんだから日本人の話やめるべきだろう つーわけで俺以降信長や日本人を評価したり蒸し返したりすんの無しな 誰かがそういうこと書き込んでもスルーしようぜ? そろそろ元に戻ろうぜおまいら
>>585 「世界史上の人物の能力」だからね、
狭くなって当たり前でしょう。
>>590 勝ちきる事が出来なかったわけだから9かな。
>>589 浅学で本当の事かどうかは知らんのだが、朝鮮の役で撤退するとき
島津がやったことでそういう凄いの無かったっけ?
>>589 それを言うなら、桶狭間で4万5千対4千程度の、10倍程度の敵を倒してるが
死に方は暗殺だし、それほど珍しくないだろ
>>594 八千から一万の手勢で三〜四万の敵勢を撃破だから、それほどでもないかな。殲滅したわけでもないし。
まあ充分凄い事ではあるんだが。
じゃあ話題を変えよう。 ねえねえ、このスレ新参者なんだが ジャンヌ・ダルクってこのスレではどういう評価なの?
>>590 指導8〜9、戦術9〜10、戦略7〜8かな。
軍をまとめて率いた指導力、作戦指揮の的確さに較べれば、
戦略的な判断力を示した度合いは少ない。
調子乗ってレニングラード占領とかやらなかったとか、
戦略レベルの判断力が十分にあったのは事実だが。
ああ、流れ的にこういう事もう書き込まん方が良いだろうが、 信長、鉄鋼船一隻で毛利の船めっちゃ沈ましてたぞ
うん、島津はすげーな 明にも朝鮮にもシマンヅとか言われて怖れられたし、関ヶ原でも度胆を抜かされたし 下手したら信長より上のような気がするよ、戦術戦略あたりでさ 萬暦帝の取り巻きは島津を懐柔して日本攻略計画を練ったとか
>>594 島津軍8000人 VS 明軍34500人+朝鮮軍2200人
島津の「20万人」と戦ったという主張が一人歩きした様ですが、これも凄い。
>597
ナポレオン時代まで忘れられていた訳ですし、登場後時間が経つほど大した
活躍をしていない(失敗している)ので、あまり高くもないのでは。
というより、どこまで「動かしていた」と言えるのやら。聖人認定も20世紀。
>>601 そうらしいですね。韓国の李瞬臣に似たような境遇ですね→後から持ち上げられたあたり。
ところで、最初に色々言い当てたというのは、どういうことなんでしょうか
>>603 そもそも彼女の出現自体「自作自演」という説まであるくらいですが、
推測に過ぎません・・・と、門外漢がここまで言うのもなんですが。
『吾妻鏡』に数回しか出て来ない武蔵坊弁慶並みに虚像が膨れている。
事実有能ぶりを最後まで発揮したという点では、李舜臣の方が遥かに上。
>>597 こんな感じかなぁ
【指導】 5
【戦術】 4
【戦略】 3
【内政】 3
【政略】 3
【人望】 7
李もそれほど有能じゃあないけどな
>>604 自作自演というより、記録としてそう残してあるのが、わざとらしさを感じると言うか。
しかしきっかけぐらいにはなったのですかね?
>>605 ・・・うーん、やはり人望ぐらいしか高い数値は期待できませんか
>>607 包囲を解くのに、士気を高める役は果たしたのではありませんか。
なるほど 貢献はしたと。 でそれが女性だったものだから尚更評価されたのでしょうかね
さすがに皆疲れきったかw
対外進出できるGETEN2を思い出した。いきなり反乱起こす家康が強かったなあ。
612 :
世界@名無史さん :05/02/01 23:48:32 0
まさかまだやってたとは そういや、日本の戦国時代が水準が高いってのはどこからでたのかな 当時ヨーロッパって、何メートルの城壁を何重かにとりかこんだ城や砦を 大砲ばんばん使って攻撃とかしてたりしてたんだが、、、 行軍でさえそうとうな時間がかかるような所を攻めたり
613 :
世界@名無史さん :05/02/01 23:50:36 0
あと、動員率は高いといっても兵数はだいたい数千単位でしょ(たまに万いくけど)
なにこのレスの伸び方。
>>612 いや、少し上の島津の話を見てもレベル自体は高いだろう。
動員力も1諸侯で数千〜数万で朝鮮の役や関が原では10万程度
な訳だから多いのは間違いない。
西欧は30年戦争時は4-5万くらいが主流だったでしょ?
>>612 いや、日本の城もあれはあれでよく出来てる。曲輪で防御陣地を何重にも築いてあったり。
戦術環境が異なるから求められる役割も異なってくるけど、そう馬鹿にしたものでもない。
江戸時代以降は停滞するけど。
>589 知れば知るほど、シジュカというのは恐るべき人物だと思います。 この人は生まれる時代を完全に間違えているのではないかとか、実はタイムマシンで 未来から来た人なのではないかとか思いたくなります。 一人の戦術家がこれほど圧倒的な存在となった例は、歴史上稀でしょう。 >590 マンネルハイム元帥は、20世紀を代表する偉大な人物だと思いますよ。 偉大な軍人でありながら偉大な政治家でもある、希有な人物です。 私も380氏と同等かそれ以上の評価をつけますね。
618 :
世界@名無史さん :05/02/02 00:26:15 0
一地方の動員力があるのはわかるが・・・ まぁ、兵の動員力は本気になったトルコとか中国を基準にしちゃだめか
デリー・スルタン朝だって常備軍五十万だし
620 :
世界@名無史さん :05/02/02 00:53:07 0
二十世紀の人物には【扇動】を加えるべきです。そうでなければ、キチガイ 革命家、思想家が皆魅力的な人物になってしまう。 ヒトラーやレーニンが魅力的な人物とは思えませんので。
621 :
世界@名無史さん :05/02/02 01:12:34 0
魅力的だと思うが
623 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/02 01:41:22 0
>>380 指導力・内政・人望に関しては、異存ございません。
敵を恐れ、攻勢をためらうのは、戦術能力の欠如と言うより、
戦略眼の欠如ではないでしょうか。
通常の愚将は敵を過小評価して過ちを犯すものですが、
マクレラン将軍は過大に敵兵力を見積もり、
戦場に着くのを嫌がるがゆえに、過ちを犯しました。
リーがマクレランを苦手としたのは、マクレランがあまりに臆病すぎて、
大兵を擁しているにも関わらず、決戦を回避し続けたからでしょう。
戦略眼ではなく、まともな軍人の思考の斜め上を行く臆病さが、
結果として積極攻勢を得意とするリーと相性が悪かっただけでしょう。
しかし、ひとたび戦場に付くと、それなりの指揮を見せました。
半島戦役、アンティータムでは、多くのミスを犯し、多くの損害を出しながらも、
南軍きっての名将J・E・ジョンストン、リー相手に多大な出血を強要し、
撤退に追い込むことには成功しています。
少なくとも、戦術手腕に関しては、ポープ、フッカー、バーンサイドらのような惨敗を喫していない分、
マシな部類には入ると思います。
624 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/02 02:04:58 0
>>380 マクレランが大統領選出馬した際の主張は、
南部に比べて厭戦気分が強かった北部においては十分に魅力的でした。
愛郷心に燃える南部住民と比べ、北部住民には過酷な戦争を戦うだけの理由に乏しく、
厭戦気分が広がっていました。
物量に圧倒的に劣る南部が、北部に対抗できた最も大きな要因は、士気の差でした。
だからこそ、大統領選において、一定の支持を得ることが可能だったのです。
勝利できなかったのは、リンカーンとの政治家としての器の差であると思います。
大統領にはなれず、1876年の大統領選で後援したチルデンが敗北し、
クリーヴランド政権下でのホワイトハウス入りにも失敗と、
彼の政治家人生は失敗だらけでしたが、
ニュージャージー州知事には就任しています。
彼が明らかに政治家に向いてなかったことは確かですが、
野心が度を越えて大きすぎ、地方政治家程度の器なのに国政に手を出そうとしたのが、
失敗した最大の原因であると思われます。
要するに、ジョージ・ブリントン・マクレランと言う人は、
現実を把握する能力が完全に欠如していたのです。
デスクや練兵場、陣地の中ではそれなりの仕事が出来ても、
何かを構想したり、分析したりすることには、死ぬほど向いていなかったのです。
625 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/02 02:34:36 0
>>380 数値化する際に、マクレランの欠けるものをあげるとしたら、
【戦略】であると思います。
アナコンダプランにおいて、東部戦線の軍が課せられた役割は、
「南部連合首都のあるヴァージニアを、軍事的に圧迫する」ことであり、
「大兵を擁しながら、敵を恐れて戦わず、無為に過ごす」と言う役割ではありませんでした。
マクレランは、その驚異的な臆病さから自軍の消耗を恐れていただけで、
スコットのプランに従ったとは言えませんでした。
よって、マクレランをアナコンダプランの実行者とは言い難いと思います。
アナコンダプランを正しく実行した北軍の指揮官は、
ミシシッピ川流域を押さえ、水運を手中にすると共に、
西側から南部連合の後背を攻略するルートを確保、
さらに東部でヴァージニアへの圧力を掛けたグラント、
そして西から南部の後背を食い荒らしたシャーマン、
制海権と水運を抑えたファラガットを始めとする合衆国海軍提督でしょう。
626 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/02 03:20:56 0
>>380 文句ばかり言うのも何ですので、私なりのマクレラン評価もやってみたいと思います。
【指導】7 将兵の教育・訓練にかけては並ぶ者が無いが、軍司令官としては部下を掌握しきれない面もあった。
【戦術】5 攻撃精神に欠けたが、それゆえに名将を相手にしても、破滅的な敗北を喫することも無かった。
【戦略】2 病的なまでに敵を過大評価し、部下の消耗を嫌がった。必要最低限の分析力と決断力すら欠いていた。
【内政】6 若い頃は有能な軍官僚。司令官になると、軍再建のための膨大な事務をうまく片付けた。州知事も大過無く務めている。
【政略】3 野心のわりに政治的な折衝能力が無かった。軍内では持て余され、執拗にホワイトハウス入りしようとしたが、果たせなかった。
【人望】7 兵士に愛され、ポトマック軍はマクレランの私兵と評された。多くの愚行をしたが、それでも大統領選で多くの票を獲得し、晩年は州知事になった。
兵站部門、あるいは教育訓練部門の総監としてなら、これほど適性のある人はいないでしょう。
しかし、度を越えた野心を持ち、向いて無い軍司令官の地位に就き、
軍司令官を退いてから、20年近くもホワイトハウス入りへの野心を燃やし続けたせいで、
間抜けた野心家で終わってしまいました。
微妙な人ですが、それだけに功成り名遂げた英雄、
分を弁えた清廉な名将能吏よりも、ずっと微笑ましさを感じます。
身近に居れば、おそらく相当うっとうしい人なんでしょうが。
以前に評伝を書いた時と、いろいろ変わっていることがございますので、
マクレランの再評価は是非手をつけたいと思っておりました。
機会を与えていただき、ありがとうございました。
>>590 マンネルハイムは指導9、戦術7、戦略9と言ったところでしょうか。
第二次世界大戦においては総司令官として全軍を統括しており、
直接戦場で指揮をとったわけではありません。
フィンランドの将に戦術8を与えるのなら、前線指揮官のタルヴェラが適当でしょう
総司令官として戦略を練り、全軍を指導し、
困難な時代の大統領をあのスターリンと張り合って務め上げたので、
指導・戦略を9とします。
戦術を7とするのは、第一次世界大戦におけるロシア軍中将としての武勲、
そして、フィンランド内戦時に、前線で指揮を取ってフィンランド赤軍を撃破し、
白い悪魔と恐れられた武勲に対する評価です。
実はこの人、ブルシロフ攻勢に参加して活躍しています。
>>597 一年しか歴史上で活動してないので、評価が難しいです。
派手な活躍が一度しか無い一発屋でも、
前半生や後半生に公職に就いていれば、
評価のしようもあるのですが、この人は完全に庶民ですので…。
>>598 マンネルヘイムは最高司令官として、ソ連の脅威に備えるべく、
戦前よりマンネルヘイム線と呼ばれる要塞線を構築。
長期的視野に従って、やがて訪れるソ連との戦いに備えていました。
冬戦争と継続戦争においては「より有利な条件で講和する」と言う戦略目標を提示し、
そのためにあらゆる手を尽くし、時には弱気になる政府を叱咤し、
力尽きると政府に講和を進言し、衛星国化を免れました。
フィンランドにはリチのような高潔な政治家、
タルヴェラやシースラヴォのような戦術レベルの勇将はいましたが、
独立維持のためのビジョンを持っていたのは、マンネルヘイム一人でした。
そして、ビジョンを実現するための戦争計画を立案して実行に移し、
状況が変わるたびに修正を行い、常にフィンランドをより正しい方向へ導きました。
マンネルヘイムは戦略的判断力を示した度合いが少ないどころか、
常に示し続けていたと思います。
>>617 以前、ヤン・ジシュカの後継者であるプロコプの評伝を書いたことがありましたが、
フス派の常識はずれな武力に戦慄したものでした。
あの頃はジシュカは斬新な用兵思想を考え付いた天才と考えていましたが、
その後調べてみると、どうやら天才的な革新者と言うより、
一般的な戦術をいくつも組み合わせて、
勝てる戦術を練り上げた人物であったようです。
ジシュカは老齢で引退した傭兵隊長であり、軍事知識は豊富にありました。
東欧で一般に用いられていた対騎兵防御戦術である車陣戦術。
戦闘慣れして無い農民でも使いやすい槍、棒、火器、弩などの武器を持たせて、
とにかく戦闘員を急ごしらえする。
宗教的情熱を利用して、厳しい規律を持たせる。
一つ一つは使い古された手ですが、全部組み合わせると、
あの高機動・高火力にして攻撃的な歩兵軍が出来上がりました。
フス派軍の武力が天才的な発想では無く、
常識の積み重ねの上に作られたものであるところに、
ジシュカの凄さを感じました。
630 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/02 06:01:07 0
>>620 革命家・思想家にもいろんなタイプがあります。
個人的魅力で人を動かすタイプ。【人望】
魅力には欠けるが、組織を作り上げてまとめる指導力のあるタイプ。【指導】
個人的魅力も指導力も無いけど、謀略や扇動で人を動かすタイプ。【政略】
高度な理論と確かなビジョンで人を動かすタイプ。【戦略】
魅力や指導力、謀略はともかく、軍隊相手の戦闘にはとにかく強いタイプ【戦術】
上記の5タイプの中のいくつかの複合型。
個人的に嫌な奴と思ってたり、好きでも嫌いでもなかったりする相手でも、
「こいつに付いていけば、革命が起こせそうだ」と思えるほどの実力があれば、
革命を起こしてほしい人がドッと付いてくるものです。
別に人望が無くても良いのです。
>>613 地方の一大名でさえ大きいものだと2,3万いく。
そのころの欧州一国の動員の限界もこの程度。
豊臣統一政権や徳川幕府だと20万など莫大な規模。
欧州の国とはケタが違う。中国、トルコなどの巨大帝国並。
633 :
世界@名無史さん :05/02/02 18:14:33 0
そういや戦略10って張良はどうなのかな。すっかりわすれてたが(おいっ) 当時の実績だけでなく、後世まで業績を伝えられているけど
やけにスレが伸びてると思ったらこれかよ
635 :
世界@名無史さん :05/02/02 18:39:56 0
ロベスピエールとサン・ジュストの評価キボン
いや、実に面白かった。 ハンニバルぶりかね?
世界史の人物で、役職割り振ってくとしたら、どんな国がベストかね?
>>633 10はありえないだろう幾らなんでも、
9も無理だと思う。
規模は大きくても国内戦のレベルだし、9以上をつける根拠はないと思うなあ。
>>641 正直、史書ではどの程度まで劉邦の天下統一に貢献したのかがよく分からん。
常に主君の影に徹していたのはいかにも謀臣らしいが、
このスレ的には評価がしがたい。
643 :
世界@名無史さん :05/02/02 23:00:25 0
そうなると、中国の中で9つける人物はいなくなるかな ほぼみんな国内戦だし
644 :
世界@名無史さん :05/02/03 00:11:30 0
始皇帝あたりは指導10行くんじゃない?
「国内」という概念がどこまで適用されるかすら、わからんくなってきた…… ヨーロッパの国と、春秋戦国期の国と、日本の戦国期の国とで差があるのかないのか。 中国・インド・環地中海・ロシア・モンゴル・チベット・ペルシア・西欧・日本・東欧・東南アジア 以上のうちどれか一つでも、ほぼ単独の力で統一にもっていけたなら、それで9候補に 入れてもいいような。そんな個人的見解。
俺もロベスピエール希望する。自分でつけるほど博学な自信はないし。
>>633 戦略9と言ったところでしょうね。
おそらくは中国史上最高の戦略家の一人だと思います。
・劉邦の総参謀長格として、軍事・外交面の戦略をリード。
・精鋭の主力軍による高機動・各個撃破を基本戦略とする項羽に対し、多方面で戦線を展開。
項羽を東奔西走させ、対応能力を越えた動きを強要。常に自分の手のひらで踊らせた。
・秦を倒した後は六国を復活させるのではなく、漢を新たな帝国とするビジョンを持ち、
劉邦陣営内部に存在した中国分裂の動きを阻止した。
(レキ食其の六国復活策潰し、自立性を強めていた韓信・彭越・英布の藩国化確定)
・すぐ気弱になる劉邦を精神的にサポート。
張良が活躍した時代背景を簡単に説明すると、
ヨーロッパの如く独立国として並び立っていた七つの列強国を、
秦が強引に統一して帝国を築き上げたものの、統一は十二年しか保たれず、
旧六列強の勢力が蜂起して、帝国を打倒。
蜂起した勢力の中で最も有力だった項羽が盟主となる形で、秦帝国の旧領土は、
旧六列強勢力とそれに降った秦残党によって、十九の王国に分割されます。
しかし、旧六強勢力の内紛から、再び内戦が始まり、
項羽を盟主と仰ぐ王国群、劉邦を盟主とする王国群、自立を目指す王国群が互いに争います。
彼らの中に「中国は一つの統一された地域である」と言う意識は薄く、
「七国(とそれをもとにした新王国)は別々の国である」と言う意識で争っていました。
漢楚の争いは内乱と言うより、独立国家の争いと言った性格の方が強かったのです。
そんな中、張良は七国を一つの国家として統一するビジョンを持って、行動していたのです。
彼の望みは劉邦を王国群の盟主にすることではなく、
統一された帝国に君臨する諸王の王とすることでした。
そして、中国を統合することに成功したのでした。
648 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/03 01:31:53 0
>>635 二人とも大人物なので、すぐにとはいきませんが、
時間をいただけるなら、挑戦してみたいと思います。
>>641 ある戦いを捉える際には、内戦と対外戦争と言う一面的な分け方をするべきではないと思います。
内戦でも、実情は多種多様です。
諸勢力の裏に外国が付いていて、あからさまな干渉を行っており、
事実上は外国の代理戦争である場合。
中央政権と、地方で自立した勢力が争っている場合。
完全に国家が崩壊し、各地で群雄が並び立っている状態。
中央政権どころか、国家全体を統合する権威が形だけですら存在せず、
各地方が完全な独立国の如く振舞って久しく、もはや内戦とは呼びえず、
「ずっと昔は○○国と呼ばれた地域に存在している複数の独立国家が対外戦争を行っている」としか、
表現のしようが無い状態。
その国で内乱が起きた前後の事情、その国の地理・地勢、外国の関与、
内乱勢力や国民が統一を指向しているのか、地域ごとに独立国家を形成して自立することを指向しているのか、
そもそも、その国が一つの国であるという意識が、国民の中に存在するのか…。
これらの複合的な要素を全部計算に入れないで、
「内戦だからどう、対外戦だからどう」と言うのは、ナンセンスであるように思います。
歴史上には、どう見ても対外戦争でしかない内乱、内乱の延長としか思えないような対外戦争も存在します。
戦争の難易度を測るには、あらゆる局面からの考察が必要です。
>>642 史記と漢書を読めば、明らかだと思いますが…。
劉邦の過ちを正し、弱気に陥る劉邦を励ます諌臣の役割。
反秦闘争時代の南陽・関中平定作戦における戦略立案。
彭城敗戦後に劉邦軍の戦略を正面決戦から、韓信・彭越・黥布を用い、
多方面に戦線を展開させる間接戦略に転換させたこと。
圧倒的に精強な項羽軍が疲弊の極みに達した機会に、
和約違反を犯してまでも、項羽殲滅を敢行させたこと。
大きくなって自立傾向を示した韓信・彭越の勢力を、
自陣営につなぎとめて、項羽打倒に動かしたこと。
以上に見られるような、情勢を分析し、的確な進言を行い、戦略立案を行った作戦参謀の役割。
影どころか、建言の一つ一つが細かく記載されており、
その筆頭参謀・諌臣としての功績は顕著です。
影に徹するどころか、これほど分かりやすい活躍をした謀臣も珍しいのではないでしょうか。
650 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/03 02:15:58 0
>>643 >>645 内戦か対外戦争かと言う区分は、さほど重要ではありません。
外国の干渉の度合い、各勢力や国民が統一を指向する度合い、
その他の要因によって変わってまいります。
たとえば、中国の統一戦争でも、
各地域ごとにしっかりした独立国家が並び立っている状態から統一に持って行くのと、
帝国が崩壊した後にボコボコ現れた軍閥を平定して行くのと、
自分で帝国を打ち破って崩壊に追い込んで、新たな帝国を打ち立てるのとでは、違いがあります。
帝国が滅亡した後、地域ごとに割拠する軍閥が、それぞれ帝号や王号を称し、
王朝を名乗っている状態が長らく続き、独立国家と化してしまっている状況になると、
もはや中華帝国の内乱では無く、独立国家同士の対外戦争と言える状況になります。
また、内乱に外部勢力(遊牧国家、近代以降の欧州列強)が関与しているかどうかでも、
戦争の性質が変わってきます。
遼・金・モンゴル・清のように、中国征服を目論む外国もあれば、
新末の匈奴・隋末の突厥のように、軍閥に軍事援助する形で干渉する外国もあります。
外国に後押しされた軍閥、あるいは外国の正規軍が内乱に関与してきたら、
統一戦争は対外戦争の色を帯びてくるでしょう。
651 :
世界@名無史さん :05/02/03 02:55:09 0
張良が出たついでといってはなんですが、荀ケの戦略も9ですかね 存命中に統一まではもっていけなかった事がマイナス要因 時代背景としては張良よりやや複雑な状況で、 3国に集約されていく特殊な過程で、魏が他の2国に対して あそこまでアドバンテージをとれたのは荀ケの戦略ビジョンの賜物ではないかと この時代、戦略で8を超える人物は他にはいない気がします
>>651 統一できてないから9はつかないだろう。
人材推挙などの面でも活躍したからそっちも高い評価というのはわかるが。
ぶっちゃけ、三国時代も過大評価されすぎな時代だと思う。
653 :
世界@名無史さん :05/02/03 07:01:24 0
>7=国内では一流の人材。 >8=国を代表する実力者。 >9=時代を代表する天才。 >10=世界史を代表する天才。数世紀にひとり。 を基準にすると、ある限定された地域・時代でその能力の一握りのトップクラスは評価8が妥当で それをも超えて他の地域やその国の後の時代にまで影響するようなのは評価9を 検討してもいいのではないかと ま、どこの国でもそうですが、戦乱がないと戦略や戦術の評価は難しいんで そういう時代はやや評価が高くなりやすいでしょね
>>653 テンプレはただの目安でいいんじゃね?あとはレビュアの説得力よ。
では、リクエストにお応えして。 ---------------------------------------- 李靖(571〜649) 随・唐の将軍 字は薬師。京兆の人。名門の出で、随創業の名将韓擒虎の甥。幼少からこの叔父と その同僚で同じく名将の誉れ高い楊素に可愛がられ、薫陶を受ける。韓擒虎は「李靖 となら孫呉を語れる」と語ったといい、三人は良い議論仲間だったらしい。 若くして科挙に合格、地方官を歴任。この折、李淵(唐の高祖)の挙兵計画を察知する が通報前に捕らえられ、その剛胆と才覚を買われて助命され李淵の次男李世民 (後の太宗)の側近として迎えられる。隋末の戦乱では李世民軍の戦略を指導、特に 対王世充、蕭銑戦では戦略立案から実戦指揮まで担当して完勝している。 唐が中原を制して後李世民が帝位に就くと、今度は北方の異民族突厥に対処すべく 出征。主力は部下に任せ自らは軽兵を率いた奇襲を主とし、突厥を翻弄して壊滅させ た。更に四年後、今度は西方の吐谷渾討伐を指揮。この時皇帝は既に老齢の李靖 を案じて親征を考えていたのだが、これに憤り出征を強硬に主張したという。焦土戦術 を取る敵を断固として追撃してついにこれを粉砕、ほぼ一人で北と東の脅威を無力化 させる偉業を成し遂げる。 晩年は皇帝の相談相手として重きを為し、国柱と畏敬された。多くの著作を残し、また 皇帝との兵法談義を収めた「李衛公問対」は後々まで兵法の教科書として重んじられ ている。
いかにも創業の名臣といった名将で、唐の覇業と安定した土台造りに無くてはならない 人でした。この人のみならず徐世勣(李勣)、魏徴らと太宗の側近はかつて彼の命を狙っ た敵方の人材が多く、この度量が彼を名君としたのでしょう。李靖もその信頼に十二分に 応え、江南平定戦の構想から実施まで中心的な役割を担い、対突厥・吐谷渾戦でも主将 として完勝しました。同僚の名臣王珪が「才能は文武を兼ね,出でては将軍となり,入り ては宰相の任を立派にこなす」と激賞している通り武官であるにも関わらず政治家として も太宗の補佐役を立派に務め、その篤実な人柄は誰からも慕われたといいます。 まずは中国史上屈指の名臣でしょう。後に毘沙門天の化身として民間信仰の対象にまで なったのも頷ける話です。 【指導】 8(太宗のリーダーシップの下、よく軍を纏めて過たなかった) 【戦術】 8(偉大な戦略家でありながら陣頭に立っての機動戦を好む希有な指揮官) 【戦略】 9(太宗の軍事戦略はほぼ彼から出ている。唐初の繁栄に大功があった) 【内政】 7(こちらは皇帝の補佐に徹したが、第一級の見識を持っていた) 【政略】 6(謀臣が多い中目立たないが、水準以上の能力はあったかと) 【人望】 8(上からは絶対的に信頼され、同僚からは畏敬され、下からは崇拝された)
>>655-566 リクを出したものでが有り難うございます。
流石に高レベルでバランスが取れてますね。
個人的には【戦術】にもう一点付くかと思っていましたが。
よろしければ【戦術】8の評価の理由を教えて頂ければ有り難いです。
また、李勣の評価も期待させて頂きます。
>657 えっとですね、霍去病との兼ね合いです。 腕の良い用兵家ですが、霍去病みたいな神懸かり的戦争馬鹿(褒めてるんです)ではない だろう、と。中国史では随分前に書いた孟が10、霍去病が9だと考えているので・・・。 (オゴタイのモンゴル軍と匈奴と突厥のどれを相手にするのが嫌だろう、と考えた側面もあり ます。この三つ並べたら、モンゴル軍が一番怖いと思います) 李勣は小粒にした李靖というかその後継者というか、そんな雰囲気だと思います。 そのうち書きますのでご容赦を・・・。
あと一人、名宰相を。 -------------------------------- オクセンシェルナ伯アクセル・グスタフソン(1583〜1654) スウェーデンの政治家 スウェーデンでも中堅の貴族の家系に生まれる。王子時代のグスタフ2世アドルフの教育係を 務めていたらしく、早くからその知遇を得る。王がわずか17歳で即位すると、その翌年29歳の 若さで宰相に抜擢され、内政に力を注ぐ。また、早くから国王直轄の常備軍の整備に乗り出す 等、中央集権体制の確立を目指した。スウェーデンが強国として認知されるようになったのは 彼の功績による所が大きい。外交上はオランダとの関係が深く、最先端の軍事技術の輸入に も務めている。 1630年、フランスの要請と戦費負担を得て30年戦争に介入、王を送り出し自らは国内の備え に当たる。二年後に王が戦死すると直ちに現地に入り自ら軍を指揮したが、ネルトリンゲンで 大敗し窮地に追い込まれる。その後は軍の指揮権をトルステンソンらに譲って自らは外交に 当たり、グロティウス(国際法の生みの親)を招聘して特使としフランスを参戦させる事に成功。 ウェストファリア条約での有利な講和に持ち込む。。 王の跡を継いだ女王クリスティナのもとでは当初摂政を務めたが、次第に奔放で我の強い 若い女王と対立し苦労するようになる。しかし十年で女王が王位を放り出してローマに行って しまうと、続くカール10世のもとでも宰相を務め死ぬまで辣腕を振るった。
グスタフ・アドルフの名宰相です。彼がいなければ、王の活躍もまた無かったでしょう。 リシュリューは彼を「ヨーロッパの政治家が同じ船に乗り合わせたなら、オクセンシェルナ が舵取りを任せられるだろう」と評し、その辣腕振りはヨーロッパ中に鳴り響きました。 冷徹な人柄でも知られましたが微妙なユーモアもあったらしく、王から「余という炎が 無かったなら、卿らはみな凍り付いてしまうだろう」とからかわれた際には「私という氷 が無かったなら、陛下はたちまち燃え上がってしまうことでしょう」とやり返しています。 王の死後は事実上の最高指導者として、スウェーデンを北の大国の地位に留まらせ 続けました。 【指導】 8(王が好きに戦争できたのは、彼が国内をよく纏めたおかげ) 【戦術】 5(指揮を執った経験はあり水準的能力はあるが、派手に負けてもいる) 【戦略】 9(スウェーデンを強国に仕立て上げ、三十年戦争を有利に終わらせた) 【内政】 9(辣腕の内政家。約20年掛けて国内を整備、豊かな国に作り替えた) 【政略】 9(外交手腕も天才的。同時代で比較できるのはリシュリューくらいか) 【人望】 6(氷の宰相と称され恐れられたが、王の絶対的信任は得ていた)
661 :
世界@名無史さん :05/02/04 07:05:46 0
韓国はもちろん世界レベルでも当然として、日本の教科書の中でも、 李舜臣>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>東郷平八郎 は確定しています。 ▼日本で50%以上のシェアを持つ、東京書籍発刊の中学校教科書 「新しい社会 歴史」の「朝鮮侵略」の条 >李舜臣の水軍が日本の水軍を打ち破り、日本軍の自由な行動をうばいました。 >このため、いったん休戦して明と講和の交渉が行われましたが、 >その内容に不満を持った秀吉は、再び出兵を命じました。 ちゃんと李舜臣提督について本文に説明があります。当然です。 しかもこのページには李舜臣提督の銅像の写真も掲載! 比べて東郷提督は…………銅像どころか教科書内に名前すら出てこないw 七社ある日本の教科書の中で名前を出しているのは一社だけwwwwwwwww まあ本人が李舜臣提督に及ばないと認めているんですし当たり前なんですけどね。
>>661 釣る時は、メルランに釣りって書いといた方が釣れた時にエレガントですよ。
釣れなかった時悲惨だけど。
665 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/02/05 03:04:43 0
>>651 7でしょうね。
曹操の四大失策である徐州大虐殺、兗州大反乱、劉備造反、江東強攻を危惧する進言が無く、
失敗をフォローする方策を立てられたのも、兗州大反乱のみと言うところが痛いです。
このうちの一つでも事前に防げていたら、あるいは数年で失地を取り戻せる程度のフォローが出来ていたら、
おそらく曹操は天下を統一できていたでしょう。
荀ケのビジョンは優れており、時宜にかなった計略も立て、
曹操を最大勢力に育てるところまでは行けました。
しかし、曹操の「劣勢では強いが、優位に立つとなぜか苦戦、または敗北が多くなる」と言う欠点を補いきれず、
最大勢力にまでしか出来なかったところに、筆頭参謀としての彼の限界があると思います。
彼の曹操陣営に対する最大の貢献は、戦略家としてでは無く、
文官・謀臣として優れた人材(名士)を見抜く人物眼、名士層への人望と人脈、
どんな苦境でも本拠地を守り抜く留守居役としての役割であったと思います。
反発を受けるのを覚悟で言えば、荀ケが居なければ、曹操は戦争屋に過ぎません。
曹操陣営を支える背骨となった文臣の多くを集めたのは彼です。
彼の高い指導力と人望があったからこそ、曹操陣営は政治組織として機能しえたのだと思います。
以前に曹操の評点を付けた時、曹操の指導力と人望を低く評価したのは、
「曹操は、指導力と人望の高い荀ケと組んで初めて、最大勢力に成り得た」と思うからです。
>>658 霍去病との対比ならば、李靖の戦術は9でも良いのではないかと言う気がします。
打ち破った勢力の規模では、霍去病の方が大きいですが、
李靖は霍去病と比較して、中原、江南、漠北、青海と、多様な戦場で勝利を収めています。
多様な戦場に対応しうるという点においては、中国史上屈指の将軍でしょう。
(モンゴル帝国を中国史に入れるなら、スブタイがダントツでしょうが)
戦略指導・全軍の統率と言った総司令官としてだけでは無く、
直接前線で戦う戦術家としても、時代を代表する人物と言って良いのでは無いでしょうか?
余談ですが、衛青は謙虚な性格を卑屈と受け取られたために人気が無く、
霍去病はわがまま放題で士卒を苦しめましたが、
貴族的でのびのびした性格から人気が高かったそうです。
>>660 ここまで高い能力が付くとは思いませんでしたが、良く考えると納得です。
スウェーデン史、欧州史に与えた影響を考えると、やはり時代を代表する天才ですね。
もしかしたら、敵を打ち破ることに専念し、強引過ぎる政策で最後まで国内を安泰ならしめることが出来なかった
リシュリューと比べると、一歩上の宰相であったかも知れませんね。
彼と対比する形で、乱世の名将にして治世の困ったさんであった
トルステンソン将軍を評価していただけると嬉しいです。
>>667 ttp://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/negoannl/negoannl.htm こちらのサイトにフス戦争に関する断片的ながらも有力な記録が記されています。
フス戦争そのものに関しては、資料が乏しいので、
様々な書物・サイトの片端からフス戦争に関する記述を引いて、参考といたしました。
また、ある人物の評伝を書く際は、敵対者や時代背景についても調べる事にしておりますので、
やはり様々な書物・サイトからジギスムントやドイツ諸侯、ドイツ騎士団の記述を拾いました。
どのような相手と、どのような情勢で戦ったのかが分からなければ、評価のしようが無いからです。
プロコプ評伝は、このような資料の切れ端をかき集めてまとめたパッチワークのようなものですので、
どのような資料を参考にしたかと問われると、困ってしまいます。
15世紀前半の中欧史・ドイツ史・軍事史に関する資料を、目に付く限り読んで、
とにかくフス戦争に関係のありそうな事柄を拾って行ったとしか申し上げられません。
無名の人物の評伝を書く場合、誰と組み、誰を敵とし、どのような状況で相手にしたのかを調べる、
つまり周辺人物の視点から調べていき、2,3個の有力な資料と、無数の状況証拠を基に書く手法を使っています。
それゆえ、申し訳ございませんが、御期待には添えないかと思います。
イスクラに関しては、
ttp://www.teardrop.to/balto_bbs/4.htmlに断片的な情報が多く掲載されています 。
また、フス戦争並びにイスクラはハンガリー史に深く関わっておりますので、
断片的な周辺資料の中から、イスクラの名前を拾い上げ、
状況証拠から人物像を組み立てて行くと言う面倒な作業を行うよりは、
ハンガリー史スレのスレ主で、中欧史に造詣深いギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w様に、
直接質問なさった方がよいかもしれません。
>668 お答えいただきありがとうございます。まとまったひとつの資料があるわけではないのですね。 了解しました。それにしても、断片的な情報をもとにあれだけの評伝を作るには、さぞかし膨大な 量の資料に当たる必要があったと思います。あらためて永遠の青さんのすごさを思い知らされました。 とりあえず、ご紹介していただいたサイトとスレをじっくり読まさせていただきます。 その上でギシュクラ・ヤーノシュさんに疑問点を質問して行こうと思います。 このようなぶしつけな質問に答えていただき、本当にありがとうございました。 それと、もしよろしければ、ジシュカやイスクラの評伝も読んでみたいです。リクエストしておきます。
私は信長の数値に9をつけることに難色を示した者の一人だが、
張良や荀ケに9がつくなら信長に9がついてもいいような気がするなあ。
いや、今更蒸し返すつもりはさらさらないし、だたの私見だが。
ちょっと全体的に評価が辛すぎたのかも知れない。少し反省する。
>>669 私もイスクラの評伝は是非読みたいです。
>>669 「後一歩で英雄になりきれなかった人物」「英雄の影で頑張った人物」
「知られざる英雄」など、評価が微妙な人物を取り上げたい私としては、
紛れも無い英雄であるジシュカは、今のところ書く予定はございません。
イスクラに関しては、資料自体が決定的に不足しております。
私は中欧史の専門家ではないので、自分でも閲覧できるような資料が少ない人物に関しては、
断片的な情報を収集して人物像を組み上げるという手法を使っておりますが、
この手法は多大な時間と労力を必要とします。
現在はリアルの都合で困難な状態です。
他のギシュクラ・ヤーノシュ様や胸甲騎兵様等、
欧州史を専門的に学習しておいでの方の登場を仰ぎたいところです。
>>670 張良を戦略9とする根拠に関しては、
>>647 、
>>649 であげています。
私の意見では、荀ケは戦略9どころか、8を与える必要もありません。
その根拠は、
>>665 にてあげています。
荀ケに戦略9が付くなら、信長は10でも良いでしょうが、
荀ケは戦略9に値しないであろうし、信長は戦略8であろうと言うのが私の意見です。
どの国にも信長のようなローカルヒーローはおりますので、
みんなにいちいち9を与えていては、インフレになるのではないでしょうか?
信長が戦略9なら、アフガンの小土豪から巧みな外交戦略・軍事戦略で一代にして大帝国を築き上げ、
アフガン統合の後、インドに進出してムガールを打ち破って北インドを征服したシェール・シャーあたりは、
どう評価すれば良いのでしょうか?
>>671 それが本当ならアレクサンドロスとは言わずとも十分チムールクラスだ、10でもおかしくないと思う>シェール・シャー
>>672 シェール・シャーは軍事的天才であるに留まらず、政策能力にも優れていました。
アクバル大帝はシェール・シャーの政策の多くを取り入れ、内政を充実させました。
シェール・シャーは、北インドを手中に収めて、南インドに進出したところで事故死しました。
彼が時代に与えた影響力、そして早死にしたことによって失われた可能性を考えると、
信長に戦略9を与えるどころではございません。
ただ、彼の帝国は地域帝国をに留まり、世界帝国には及ばなかったので、
9で十分ではないかと思います。
674 :
世界@名無史さん :05/02/07 22:36:27 0
戦略10候補10人挙げよってなると、誰になるのかな
675 :
世界@名無史さん :05/02/08 00:11:56 0
アレキサンドロスなんて記録がほとんど残ってないんだから 戦術がどうとかどうやって判断してるのよ?
アフガンは日本よりも難易度が高そうに見えるのだが。
>>674 スレの頭の方でちょこっと話が出てるが、
自分も大モルトケを戦略10候補もしくは10に近い9に推したいね。
それまでは兵力集中の原則に則って、大戦力を集中してから戦闘に臨んでいたり、
要塞防御戦術に重きが置かれていたが、モルトケは鉄道を利用しての分散進撃、
包囲戦術を確立した。それを可能にしたもう一つの要因が電信の利用。
電信の利用と部隊に所属する参謀のお陰で、柔軟な部隊運用が可能になった。
ここまでなら単なる理論家だが、モルトケはその理論に基づいて軍をローンと共に整備し、
普墺戦争では分進合撃によってケーニヒグレーツでオーストリア軍の主力を撃破(開戦7週間)。
その後の普仏戦争でも素早い進撃と柔軟な運用でフランス軍主力を包囲・無力化(開戦から1ヵ月半)。
セダンとメッツで合計30万近くのフランス軍を降伏させてる(半年でフランス崩壊)。
その後、パリ攻撃・パリコミューンなどを見て、正規軍同士の短期決戦という戦争観を修正。
多正面作戦を防いだビスマルクの手腕や常にバランスの取れた政治判断と決断を行った
ヴィルヘルム1世あってのことではあるが、職業軍人としては最高の一人だと思われる。
ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(大モルトケ) (1800年10月26日 - 1891年4月24日) ドイツ参謀本部参謀総長(1858-1888) 【指導】7:長きにわたって良く参謀本部をまとめ、育てた。若い頃は意見を聞いて貰えなかったが。 【戦術】5:前線指揮官としての実績はあまりない。 【戦略】9:従来の軍事戦略を一変させ、短期間で敵国を圧倒。理論家としても実践者としても超一流で10候補。 【内政】6:軍事官僚としては非常に優秀。 【政略】4:際立ったエピソードは無し。 【人望】7:君主であるヴィルヘルム1世の信任は厚い。 当初は無名だったが、その後実績と名声を高め、なかなか退役させて貰えなかった。 【エピソード】 普墺戦争当時、「モルトケって誰よ? 命令書は筋が通ってちゃんとしてるけど」 と自軍の師団長に言われた位影が薄かったが、普墺、普仏戦争で参謀本部の名声を不動の物に。 普墺戦争のケーニヒスグレーツの戦いに際して、気が気でなくなったビスマルクが葉巻のケースを差し出すと、 落ち着いて良い葉巻を選んで吸ったらしい。 嫁さんは姪っ子で20歳以上年下だったらしい。人生の勝利者に見えるが、嫁さんに先立たれている。 葉巻とモーツアルトの音楽を聴くのが趣味。 ヴィルヘルム1世に抜擢、信任されていた。 下賜金で荘園をもてるように計らったり、最愛の妻を亡くすと甥っ子の小モルトケを副官にするなど、 ヴィルヘルム1世はモルトケに細かい配慮をしている。
>>680 訂正
ドイツ参謀本部参謀総長(1858-1888)
→
プロイセン、後にドイツ参謀本部参謀総長(1858-1888)
プロイセン、後にドイツ帝国の軍人。
>>677 対外的には、海が無いから全然楽だとは思うぞ
モルトケは以前、コーエー数値で書きました。私の評価は更に高かったりします。 統率100、武力90、知力95、政治70、魅力90で付けましたので、現在の書式にする と指導10、戦術9、戦略9、内政4、政略7、人望9といった感じでしょうか。 >嫁さんは姪っ子 義理の姪(妹の夫の前妻の娘)で、年齢差は26です。ちなみに結婚時の年齢は モルトケ42、奥さん16だとか。 奥さんに先立たれると、20年以上男やもめを通しています。90まで生きましたし。
>>673 アラー・ウッディーン・ハルジーとマリク・カーフール主従は?
ここの数値って、実績値であり能力値じゃない気がするが気のせい?
>>686 実績を元にせずにどうやって能力値を考えるんだ?
自分は何の実績もないけど世界最高レベルの能力を持ってると思ってるんだろ
実績値か能力値かなんて個人の主観だろうに。 評価が個人の主観によるものであるようにな。 特定の人物の評価に異論があるなら自分で数値化してみればいいんじゃないか。
能力値ってのはもっとゲームっぽい、元々与えられたもので、 実績値とはそれをどう活かしたか、みたいな話、と言いたいのかもよ686は
それを言い出したら時代も文化も環境も何もかも違うのに 誰々のが優秀なんて抜かすこのスレそのものが無意味、という議論まで言ってしまうわな だから単純に能力の優劣云々ではなく単純な実績だけで比べてるんだが
>>692 実績だけじゃ比べられないし比べてないと思うよ。
まぁ、文脈的には同意するけど。
>>693 いや、どう考えても実績で比べてるし、逆に言えばそれ以外で比べようないし。
ここは簡単だとか、こっちは難しいとか、んなこと言える訳がないし。
これだけしたんだから数値はこれぐらいとかって、わりと分かりやすくて単純な数値の決め方してるけど、
それしかなくね?「実績だけで評価してる」これで良いんじゃね?
毛沢東 【指導】 9(弱小だった組織を良く纏め、長征後は最高指導者として党を率いた) 【戦術】 8(比較的小部隊の指揮も自由自在にこなす。人曰く朱毛紅軍) 【戦略】 10(理論・実践の両面で、弱者が如何にして勝つかを天才的に示した) 【内政】 2(大躍進以降の政策は中国を破滅の瀬戸際まで突き落とした) 【政略】 9(自分に邪魔な者は権謀術数の限りを尽くして打倒する。文革は一例) 【人望】 9(カリスマの化身。国内のみならず諸外国にも崇拝者を量産した)
「実績」から「能力」を推測する。これがこのスレの正しいあり方。
このスレずっと見てるけど実績しか見てないと思うぞ というよりは実績に後付の説明つけているだけ いや仕方ないと思うしそれで良いんだと思ってる それにみんな承知済みでやってたんじゃないの?
実績重視だとすると(言葉通りとらえると)多数戦闘を経験して 生涯不敗なダヴーや元就が戦術10になるはずだが? 言いたい事はこうか?グスタフ・アドルフが前線で戦いまくって アボンしたからと言って本人の戦術能力の減点材料にはならない、と。
699 :
世界@名無史さん :05/02/10 00:48:04 0
ただ戦って負けないだけだと実績評価にはならんだろ
ここでいう実績ってのはどういう意味だ?
後世へ与えた影響は実績じゃないともいえるし、実績だともいえる。
言葉遊びで、なんもかんも自分の理屈に都合のいいもんを実績だとか実績じゃないとか言い張ってもわけわからんことになると思われ。
そういう意味で、
>>698 の提示した二人の例は、わかりやすいと思うがいかがか?
実績を元に評価しているが、それ以外のプラスアルファがあるのは否定しようのない事実だとおも。
(たとえば好き嫌いだとか、うわさのような物、そういったものを加味しないわけではあるまいに。)
能力評価をいかに結果(実績)と区別するか、はこのスレの永遠のテーマ。古い人物ほど結果以外の判断要素がないしな。
ぶっちゃけ、 >7=国内では一流の人材。 >8=国を代表する実力者。 >9=時代を代表する天才。 このつけ方の限り、単純に実績でしか話せないだろ・・
703 :
世界@名無史さん :05/02/16 01:15:00 0
実績と言った場合に構想等までしっかりと含めれば、 例えば、軍事理論家や哲学者なんかも高評価になる 可能性がある。狭い範囲で捉えなきゃ大丈夫。 クラウゼヴィッツやマルクスなんかも同じ。 実績を狭い範囲で捉えれば単純にモルトケ>クラウゼヴィッツ ということになりかねない。要はその時代、条件、環境等の制約の 下で、ある「個人」が力量の最大限をどれだけ発揮できたか、でしょう。 この最大限をどこに置くかが、評価者によってまちまちなわけです。 言うなればそれをどこに置くかが、評価者の歴史解釈の力量を表している と言えるということです。
それから、このスレの参加者は戦略・戦術にのみ拘る ところが多いように見受けられます。 政略の方がより高次の力量だと思いますが。 例えば、単純に言うと頼朝>義経ということと同じように、 ヒトラー>マンシュタイン、スターリン>ジューコフという様に。 政治戦略>軍事戦略ではないでしょうか。軍事は政治に従属するもの という概念の欠如が見受けられます。
じゃあ、クラウゼヴィッツの実績って何? 西部戦線の屍の山は確かに見事な「実績」には違いないが。 理論家だから直接的な実績が目覚しくないのは仕方がないにしても、 著作を完成せずに死んでしまったのは大きな減点対象。 そのテクストの扇動的なきれっぱしは、いい加減に編集されたあげく、 欧州各国の自称軍事専門家たちに誤読の種を撒き散らしたわけで。 むしろ彼の成果は「マイナス」なんじゃないかな、と、 リデル・ハートや、同時代ならジョミニの方を高く買ってる俺は思う。
軍事は政治に従属するモノ、といいますが、 「能力評価」の上では両者は全く対等で別個のものです。 たとえば、小説家と、出版社の社長の能力の例を考えてください。 小説家に要求される能力は文化的なモノ、 社長に要求される能力は経済的なモノ、 経済的なモノの方が文化的なものより重要だとか、 そういうような主張はナンセンスです。
まぁ
>>704 の言うことはわからんでもない。
ただ、政治的な能力ってのは数値化しにくいとオモ
>704 守備範囲が違うから並べて比べられるものではないでしょう。 政略能力はヒトラーの方が高いが戦争はマンシュタインの方が上手い。 国家指導者としてはスターリンの方が有能だが、軍人としてはジューコフのほうが優秀だ。 ただ、それだけのことです。 一応(十分ではないのは先刻承知ですが)いくつかの評価項目を設定している訳ですから。 それから、政治が軍事に従属する国家は歴史上いくらでもありましたよ。
まあ、なんだ。スケールの問題ってのはあるわなー。 一国の軍隊を率いて「かなりの名将」の人物と、 一部隊を率いて「抜群の名将」の人物がいたとして、 前者の方が戦争全体に与える影響力は(たぶん)大きいわけだ。 しかし、能力を純粋に数値として評価するなら、後者の方を高くつけるべきだろう。 ただ、一国だろうが、一部隊だろうが、戦術能力は戦術能力だとして、 これをとことんまで敷衍していくと、こういう命題に突き当たることになる。 ヒクソン・グレイシーや、アーネスト・ホーストの「戦術能力」はどう評価するべきか。 素手で戦わせれば、「国を代表する実力者」であることは間違いない。 「戦術」をコーエイ的な「武力」の観念で見るなら、答えは簡単なんだが……
その前に世界史の人物じゃないだろう。 武道板か格闘技板でやれよ。そんな連中の能力評価は。
>>710 ヒクソンとホーストの戦術性か……
そのうち雷電為右衛門や闘技場のライオンの戦術能力について評価し始めそうだw
まったく、しばらくひでえ流れがつづいてんな。 このスレはある意味で、「深いところまで考えない」ゆえに、続けてこられたスレなんだよ。 なのに実績でしか計れてないとか、本当の能力は計れてないとか、スケールがどうとか、構想がどうとか。 今まで深く言及せずに避けて通ってきたのは、突付きまくっちまうと、矛盾や説明不可能な部分が出てくるからだろ。 そもそも、時代も国も違うのに、10点満点で能力値なんてつける事がナンセンスで傲慢な事だし、突付けば問題が出てくるのは当たり前の話。 だから今までここまで領地広げたからとか、難易度云々はともかく国内だからとかっていう風に、 単純に実績だけでつけてきたんだろ。スケールの規模=凄さって単純にな。 これ以上深く掘るとスレ自体すすまんだろ。このスレの持ち味はお気楽な数値だろ? とりあえず今まで通り簡単なつけ方で良いんじゃね?あんま真剣に考えないでさ。 誰も本気でここの数値が本当の数値だなんて思ってないだろ?本当の数値なんてありえないけどさ。
>>705-
>>706 =
>>714 がこのスレのレベルの低さを表わしている。職業と学問上の定義を
勘違いしている。政治を職業としているのと、そうでないとは違う。
>>703、>>704は普通。
おかしいのは低勉強野郎>>705-
>>706 =
>>714 。
>>715 まあ、アフォは相手にするなってこった。
>>706>>708 は「恥ずかしい」と思われ。政略・戦略の違いが解らない低脳。
719 :
世界@名無史さん :05/02/19 23:26:56 0
一人でたくさん書き込み、大変だね、坊や
703 【指導】 1 【戦術】 2 【戦略】 2 【内政】 2 【政略】 2 【人望】 0
業と釣られるが・・・ 多分能力値を付ける意図は、時代、国、状況が違う奴を 無理矢理同じ土俵に立たせて比較しようって事だろう だから結局は、実績からその能力を推定するって形になるんだろうと思う 例えばカエサルの戦略が世界史超一流クラスの9だとして、 信長は同じ9かそれとも世界史一流クラスの8の能力かを決めるのではと 714のように実績だけで判断するようならこんなスレやる必要もないな だからと言って703のように理論家を無闇に高評価するわけにはいかない あくまでも時、場所、状況のしがらみを越えて 深く掘り下げて能力値(実行力)を付けようってスレじゃないの
>>722 >714のように実績だけで判断するようならこんなスレやる必要もないな
そのとおり。このスレはナンセンスなんだよもともと。
意味があるなんて主張してるから変なだけ。
なるほど、こうしてスレが廃れていくわけか
むしろナンセンスさを楽しむスレだと思っていたが。
>>733 ナンセンスだとか意味のあるなしはどうでもいいが、
君のレスはレビュアーから必死さを奪うのでやめてほしいね。
必死さこそがこのスレを面白くする。
本気で、自分はこう思う、というのを数字に託して
表現できるのがこのスレだ。無論説得力がなければ批判は
起きるだろうが。
未来レスw
きゃ、ハズカスィ
しかし、政治が戦争の上位概念であることも解らない
低レベル野郎がここまで跋扈しているとは・・・。
特に胸甲騎兵と
>>705 =
>>706 は終わってるなw
>たとえば、小説家と、出版社の社長の能力の例を考えてください。 >小説家に要求される能力は文化的なモノ、 >社長に要求される能力は経済的なモノ、 >経済的なモノの方が文化的なものより重要だとか、 >そういうような主張はナンセンスです。 ↑カナリの重症患者w
>>732 確かに
>>703 の正論が通じないのは異常だ。
まあ、この辺でこの話題は止めにして誰か評価オネ。
735 :
世界@名無史さん :05/02/24 17:06:20 0
age
規模がでかけりゃ偉い厨がいる。 それは能力評価と影響力評価を勘違いしてないか?
737 :
世界@名無史さん :05/02/24 22:14:32 0
あーもー!! どーでもえーがな! ぐだぐだ言ってる暇あったら誰なと評価せい! ムハンマド 【指導】9 【戦術】7 【戦略】8 【内政】7 【政略】7 【人望】9
739 :
世界@名無史さん :05/03/02 04:02:29 0
age
ヲチしてたのですが、停滞気味のようですので、ネタ投下してみます。 M. Tullius Cicero 【指導】7〜8 組織を纏める能力。指導者のイメージ。 【戦術】6 戦術指揮。前線指揮官のイメージ。 【戦略】4 国家戦略・軍事戦略。戦略家のイメージ。 【内政】8 政策・行政。官僚のイメージ。 【政略】7(9→3) 謀略・調整・保身。政治家のイメージ。 【人望】6 文字通り。カリスマ、あるいは人格者のイメージ。 【指導】7〜8 前63年度コンスルとして「カティリーナの陰謀」に対処。「国家の父」の称号を得る。 内乱時に、両陣営から声をかけられる実力者。 国内一流ないし、代表的人物と認定。 【戦術】6 10代後半でポンペイウス=ストラボ(大ポンペイウスの父)スッラの下、同盟市戦争に参加。 前51-50年、プロコンスルとして属州キリキアを担当し、山賊退治を成功。 これにより、ローマで「感謝祭」supplicatioが挙行された。 (本人は帰還後、凱旋式を期待していたが、内乱勃発でうやむやに) 【戦略】4 保守的政治家。体制を変化させる意図は窺いがたい。 【内政】8 当代きっての大弁論家。
741 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/02 07:42:44 0
【政略】7(9→3)前63年にコンスルになるまでは9、それ以後は徐々に3まで低下。 「新人」で法定最低年齢(43歳)でのコンスル職就任は伊達ではない! キケロに弾劾された人物(ウェッレス、カティリーナ、アントニウス)は、皆DQN認定! 出世街道を駆け上る間は、神と言ってもいいのでは? でも...出世した後は良いとこなしorz 「第1次三頭政治」への対応の失敗、前58年の追放(翌年帰還)、 内乱時の日和見的対応、オクタウィアヌスを甘く見た点、 アントニウスに恨みを買って殺された点。 でも相手が、カエサル、オクタウィアヌスでなければ、 という気もするので平均すれば、「一流」と言ってもいいかな、と思う。 【人望】6 良くも悪くも自己顕示欲が強いw 一流政治家ですから、毀誉褒貶あっても、そこそこの人望はあるでしょう。 【ラテン語】10 ギリシア語を参考にして、ラテン語の質を大幅に高めたのは、 彼の功績と言っていいでしょう。 評者がキケロ厨のため、些か、評価が甘いとの、ご指摘があるかもしれません。 ご意見お待ち申し上げます。
>>741 内政は具体的政策あってのものだと思うのでもう一点低くても良いと思う。
カエサル暗殺後もそれに代わりうる具体的な政策を提示できなかったわけだし。
だな。政治家として具体的な政策を打ち出した印象がないので6〜7。 それと政略は、いくら何でも最高値が9は高いだろう 出世頭とは言えローマでは前例を踏まえての昇進だった思う。 また、カエサル暗殺直後の最大のチャンスを上手く活かせなかった事から考えると6。 厳しい見方をすれば5だと思う カエサル厨なのできつめの評価かも知れんが
>>742 >>743 両氏
【内政】は私も迷った点ではあるのですが、一応フォローしておきます。
【指導】と被りますが、「カティリーナの陰謀」への対処は、警察的行為≒【内政】
(ちなみに、この陰謀に対するクラッススとカエサルが関与した可能性は高)
前66年、マニリウス法(ポンペイウスへの非常大権付与)通過に協力。
前63年、選挙違反取締法の制定。
同年、護民官ルッルスの農事法案を廃案に。
前51-50年、属州キリキア総督を大過なく務める。
ぱっと思いつくだけでも、これくらいの功績はあります。
カエサルやらオクタウィアヌスのような(カエサルの場合は、比較的)長期政権と比べると、
公職に就任している時しか、【内政】値を稼げない共和政期の人物は、
ちょっと不利かもしれませんね。
745 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/03 07:33:52 0
>>743 氏
【政略】についても弁明します。
当時随一の弁護団(ホルテンシウス他)を揃え、
政治家としても明らかに格上のウェッレスを亡命に追い込んで、
名を挙げた点を始め、出世階段を上りきるまでのキケロは半端ではありません。
「こんな出世は前例のないこと」(『義務論』2.59)とは、
キケロ自身の自己賞賛の言葉でありますが、
決して嘘じゃないところが、ただ者ではありません。
出世階段を上りきってからは、そこまでの冴えはありませんが、
【政略】8〜10と評されるカエサルと比べるからであって、
決して、キケロ個人の能力が低いとは考えておりません。
カエサル以後については、「カエサル少年」と呼んでいた相手がオクタウィアヌスですから、
どうにも付いてないとしか言い様がありません。
さて、次はポンペイウス、クラッススと若きクラッスス、キボン。
ギボンキボン
ゼノビアキボン
適当ですが、書いてみる。 ナザレのイエス 【指導】 6(死して尚布教し広がる組織の根本をつくったが、ユダに金で裏切られるという組織力の薄さも垣間見れる。) 【戦術】 3(未知) 【戦略】 3(未知) 【内政】 3(未知) 【政略】 5(詭弁である点からして) 【人望】 10(言わずもがな、世界三大宗教の一つの神となった人物。現代にまでその影響が色濃く残っている点で。)
リクエストに応じ、造ってみましたが、結構、大変でした。 プルタルコスを読み直したぐらいしか、特別なことしてないのにorz ま、まずは、ご笑覧あれ。 Gnaeus Pompeius Magnus(前106年〜前48年) 【指導】5 組織を纏める能力。指導者のイメージ。 【戦術】8(陸)/10(海) 戦術指揮。前線指揮官のイメージ。 【戦略】4/7(軍事) 国家戦略・軍事戦略。戦略家のイメージ。 【内政】4 政策・行政。官僚のイメージ。 【政略】2 謀略・調整・保身。政治家のイメージ。 【人望】9 文字通り。カリスマ、あるいは人格者のイメージ。 概評 当代一のカリスマお化けw 「意志無き力は、...」と言われても、仕方ないかも。 「いい人」だったんですが政治家としてはペケです。 そもそも政治家でありたかったかが疑問です。 ただ御輿としては、最高の人材かも。 スッラの下で、あちこちコキ使われて転戦してた頃が、 一番幸せじゃなかったのかなぁ。 【指導】5 「偉大なる」ポンペイウスに相応しくないとの意見もありましょうが、 当初、評者は3すら考慮しました。 彼の周りに集まる者たちを「統率」出来ない場合がママあります。 「僕、お友達に嫌われたくないの」と言うわけでもないでしょうが、 解放奴隷にまで舐められてるのは(Plut.Pomp.40)、如何なものか。 後、ファルサロス直前に、もう少し、指導力を発揮していれば...
【戦術】8(陸)/10(海) 三大陸での戦績で、三度の凱旋式。 特に、迅速かつ徹底的な海賊退治は、 「ローマの平和」の礎を築いたと言えるのでは。 他方、陸戦では意外にも苦戦したり、タナボタ勝利も目に付く。 (対セルトリウス、対ミトリダテスは両方に該当) 【戦略】4/7(軍事) もし彼が「独裁」を志していたら、チャンスは一度ならずありました。 彼に政治戦略なるものは存在していたとは思えません。 精々、もっとみんなに褒めてもらえる機会を求めて、 戦争を求めたぐらいでは。 他方、軍事的には、 海賊退治の時の地中海全域13分割&各個撃破などは出色かと。 【内政】4 彼は「お大尽」なので、自分で細々としたことをせずとも、 取り巻き(護民官レヴェル等)の陣笠政治家が、 彼に都合のいいように、お膳立てしてくれます。 【政略】2 自分のカリスマを良いように他者に利用されたとは、 プルタルコスの評ですが尤もかと。 カエサル、キケロ、クロディウス、カトー...の傀儡とは言わないまでも、 良いように利用されたのは間違いない。 そもそも、政治的意志が窺われないので、 得意も苦手もないという気もw
752 :
アクィラ ◆0fUIPC892c :05/03/06 06:03:06 0
【人望】9 この人物の大衆に対する人気は、度を外れてます。 本人も可成り意識していたようですし。 マキャベリ的な君主にはなれそうもない。 配下が問題を起こしても、処罰できないのですが、 問題を起こされた側が、この人物に免じて許しちゃう場合すらw 【結婚運】1 女性にもモテタようですが、結婚運(5回)は悲惨かもしれません。 1アンティスティア、実父絡みの裁判主宰者の娘 スッラに強要され離婚。 2アエミリア、スッラの義理の娘 他の人物の子供を孕んでいる時に結婚するも、直後に産褥で死亡。 3ムキア 東方遠征中に不倫され(相手はカエサルとかw)、離婚。 4ユリア、カエサルの娘 陣痛で死亡。 5コルネリア、小クラッススの未亡人 自称sage@@女性。小クラッススに続き、ポンペイウスも... しかし長すぎましたね、反省。
>>752 訂正
×この人物の大衆に対する人気は、
○この人物に対する大衆の人気は、
アクィラさん乙。
長いか? こんなもんだろ。
756 :
世界@名無史さん :05/03/06 22:35:57 0
グスタフ=アドルフとヴァレンシュタインはぶっちゃけどっちの勝ちでしょうか?
能力的にはグスタフアドルフだろう。
758 :
世界@名無史さん :05/03/07 03:17:53 0
はじめまして。
前から思っていた事で、
>>750 のアクィラ氏の書き込みにもピンと来たんだが(氏を議論に巻き込むつもりはない)、
【戦略】 国家戦略・軍事戦略。戦略家のイメージ。
って、異なる次元の能力をひとつのカテゴリに押し込めていないだろうか。
例えて言うなら、ビスマルク(国家)とモルトケ(軍事)に代表される役割を混同しているような感じがする。
>>740 ,751
乙、興味深く読みました。
ただ、
ポンペウイス【結婚運】1
には違和感を感じました。
通じ合っていた人もいるような感じもするから。
このスレは、有名人はやらない方が良いと思う
>>758 通じ合っていた人にすぐ先立たれたら余計悲しいと思う。
これも「結婚運」内でしょう。
>>758 氏
同意です。
皆さん、そのルールでやってるのだから、細分化するのは良くないな、
と思いつつも、うまく纏めきれず、やむなく分割しました。
何もないより、マシだと思いましたので。
次スレのスレタイを創る前に、検討してみるのも、
悪くないのでは、と個人的には思いますが、如何でしょう。
>違和感
別に他の数字でも良かったのですが、ネタですし。
作成時に思わず、自分のAA技術の無さを顧みず、
ポンペイウス大ちゃんと苦難を(ryスレとか建ててみたいな、と思いました。
(もう少し、軍事能力が低かったら、ピッタリなのですがw)
戦略を「大局観」と考えてみたら、ちょうど良いかもしれませんね。
元がゲームのパラメータだからしょうがないべ。 「先見性」とか「後世への影響」とかも世界史板のパラとしては面白いんだが。
764 :
世界@名無史さん :05/03/17 21:54:38 0
ホッシュ
765 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :05/03/18 20:48:55 0
胸甲騎兵様のナポレオン二十六元帥全員数値化、一度見てみたいですね。 私は雲台二十八将でやろうとして、挫折いたしました。
ナップの元帥なんてほとんどは戦術能力しかなかったじゃん
エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル ドイツの陸軍元帥。 【指導】8 【戦術】9 砂漠の狐といわれ、超自然的能力を持っていると噂されるほどの実力。また多数の戦線に従軍し、最年少で元帥まで上りつめた実力。 【戦略】9 一翼包囲攻撃 【内政】4 わからん 【政略】3 暗殺計画によって誰かにはめられたのも事実。無能とはいえないかもしれないが、苦手なのは確かか。 【人望】8 敵側のチャーチル首相さえも、聖人と褒め称えるほど。捕虜に対して、国際法を遵守し、暗殺計画によって家族の粛正を免れるため自殺するも、国民によって国葬されるほどの人。 10がないのは、日本の中学の教科書に載ってないから。
>765 wikipadiaで26元帥伝を執筆中だそうですが、 人物によっては、先行サイトの記載とほぼ(まったく?)かぶっているので、 独自の調査結果とかを入れてもらえると、なおうれしい。
>765 wikipadiaで26元帥伝を執筆中だそうですが、 人物によっては、先行サイトの記載とほぼ(まったく?)かぶっているので、 独自の調査結果とかを入れてもらえると、なおうれしい。
あ、連続になってる。スマソ
>>766 ナポレオンの元帥の中には、「軍団長レベルの戦術能力すら無い人物」も中には存在するので、
戦術能力だけでも、あるに越した事は無いと思われます。
>>767 ロンメルは兵站への配慮が少なく、
彼の率いる部隊は、他の将軍の部隊の数倍の物資を消費していたそうです。
物資の供給が潤沢な戦線ならともかく、
そうで無い場所で兵站軽視の作戦を立てるのは、
戦略眼の点において、欠けるところがあったように思います。
一翼包囲攻撃は、戦術の範疇に入るでしょう。
>>767 乙。でも優秀すぎない?
戦術8、戦略6くらいな気がする。
>>772 【指導】7
【戦術】8
【戦略】5
【内政】3
【政略】3
【人望】9
こんなところではないかと。
児玉源太郎 【指導】7 【戦術】7 若い頃より、士族の反乱の鎮圧に活躍。旅順攻撃では陣頭指揮もとった。 【戦略】9 陸軍作戦全般を指導。黒溝台戦のミスを差し引いても……。 【内政】6 【政略】8 台湾総督、各大臣を歴任。終戦工作にも活躍。 【人望】6
775 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :2005/03/22(火) 22:59:23 0
雲台二十八将に挑戦します。評伝は時間が無いので無理ですが。 ケ禹 光武帝の親友で、人を見る目では当代随一と言って良い人物ですが、 なぜ功臣筆頭なのかいまいち分かりづらい人です。建言した戦略も平凡で、軍師とはいえません。 おそらくは個人的な相談役(寵臣)だったのでしょう。 【指導】3 関中遠征軍を率いたが、内紛を押さえきれず、降将を殺して反発を招き、自壊させてしまった。 【戦術】6 戦術レベルの用兵では、それなりに有能。反劉秀陣営の名将延岑を破ったことがある。 【戦略】4 馮異の意見を聞かずに、赤眉に決戦を挑んで敗北。関中に築いた勢力を失う。 【内政】5 大司徒を一度、大司徒代行を一度務める。 【政略】6 保身・出世に関する嗅覚は鋭い。劉秀の基盤が安定して初めて従う。天下が定まると兵権を返上した。 【人望】8 人を見る目があり、多くの優れた人材を推挙。多くの人に愛された。 呉漢 光武帝の臣下では最も武勲の多い人ですが、負け戦も少なくありません。 また、部下に略奪を許し、敵には過酷な処分を下し、策謀を巡らす事が多かったので、 好漢揃いの光武帝陣営では、良くも悪くも異彩を放っています。 それでも、彼が多くの人を殺さなければ、光武帝が代わりに手を汚さざるを得なかったでしょう。 【指導】7 大軍を率いて出征し、軍中を良くまとめた。軍の整備にも日頃から熱心だった。 【戦術】7 北方の精鋭を率いて戦い、武勲の数は最大だが、敗北することもしばしばだった。 【戦略】5 厳格で敵を根絶せずにはいられない性格のため、かえって敵の強い抵抗を招くことがあった。 【内政】3 配下に略奪を許したため、占領地の統治には不向きであった。 【政略】8 策謀を巡らすことが多く、詭計をもって戦わずして敵を葬り去り、敵を根絶することに執念を燃やした。 【人望】2 畏怖はされたが愛されなかった。略奪を許すことによって部下を統御したため、多くの人に恨まれた。
>769 日本語で出ている文献が少ないので、どうしてもあそこ(分かりますよね?)に 頼らざるを得ないんですよ。あのサイトには勝てません、凄い・・・。 サン=シールの評伝とか苦労しましたし。 では、スレが活性化してほしいとの願いを込めつつナポレオンの元帥達を並べて みましょうか・・・。
とは言うものの、似たような人物が多いので難しいですな・・・。 以前書きかけのリストが出てきましたので、参考までに。 【指導】 9ナポレオン 8ダヴー 7ネイ、スルト、ベルティエ 6ランヌ、マッセナ、スーシェ、ウディノ、サン=シール、ポニャトフスキ 5ベルナドット、ド=マルモン、マクドナルド、ルフェーヴル、ド=モンセイ、ヴィクトール、モルティエ 4オージュロー、ベシェール、グルーシィ 2ミュラ 【戦術】 10ナポレオン 9ダヴー 8マッセナ、オージュロー、ミュラ 7ネイ、スルト、ランヌ、スーシェ、ウディノ、サン=シール、マクドナルド、ド=マルモン、ルフェーヴル 6ポニャトフスキ、ヴィクトール、モルティエ、モルティエ、ベシェール、グルーシィ 5ベルナドット、ド=モンセイ 4ベルティエ
【戦略】 9ナポレオン 7ダヴー 6スルト、マクドナルド、ベルナドット 5ネイ、スーシェ、ウディノ、サン=シール、ド=マルモン、モルティエ、ベルティエ 4マッセナ、ランヌ、ヴィクトール、ド=モンセイ 3オージュロー、ベシェール、ルフェーヴル、グルーシィ 2ミュラ 【内政】 8ナポレオン 7ダヴー 6ベルナドット、ベルティエ 5ミュラ、ポニャトフスキ、サン=シール 3残り全員 【政略】 7ナポレオン、ベルナドット、ベルティエ 6ダヴー、スルト、ポニャトフスキ 4-3ミュラを除く残り全員 1ミュラ 【人望】 10ナポレオン 8ネイ 7ベルナドット、ランヌ、マッセナ、ウディノ、ヴィクトール、ルフェーヴル、ミュラ 6ポニャトフスキ、スーシェ、ド=マルモン、オージュロー、マクドナルド 5ダヴー、モルティエ、ベシェール、グルーシィ、ド=モンセイ 4ベルティエ、スルト
【総合得点】 53ナポレオン 42ダヴー 36ベルナドット 35スルト 34ネイ、ポニャトフスキ、スーシェ、サン=シール 33ド=マルモン、ベルティエ うん、割と妥当になったかなぁ・・・。
>>779 マルモンはダルマチィア総督・スペイン総司令官時代の治績が、
スーシェはアラゴン軍司令官時代の治績が、それぞれ優れているので、
内政6以上与えても良いのでは?
あと、マルモンは砲兵隊の改革や、軍の綱紀粛正に実績があるので、
指導6以上あっても良いように思います。
>780 そうですね、内政は難しかった・・・。 ベルティエには実績が無いので6はやりすぎのような気がします。 スーシェは5か6やってもいいでしょう(私的には、スーシェは小型のダヴーです)。 ド=マルモンですが、彼は非常に評価の難しい人物です。彼の実績はどこまでが本人の 力量で、どこまでがナポレオンの示唆によるものか判断しにくいですし・・・。
>>781 ベルティエは、この基準だと評価が難しい人物ですね。
ただ、兵站業務などの軍政処理能力に卓越していたので、
内政は6以上あっても良いように思います。
優秀な軍官僚と言う事で。
マルモンの内政・指導に関しては、
ナポレオンの示唆を受けたとしても、
他の元帥が同じようにできたとは思われません。
示唆を受けただけでうまくやれるなら、
ナポレオンの元帥は皆、戦場以外でも活躍できることになります。
示唆があったとしても、それをまっとうできるかどうかは、
本人の能力次第であるので、マルモンの指導と内政は6以上与えても良いように思います。
783 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :2005/03/24(木) 22:23:09 0
賈復 光武帝直属の猛将です。破壊力では並ぶ者がありませんが、 敵を軽んじて深入りする癖があるので、それを危うく思った光武帝は、いつも手元に置いて使っています。 あまりに猛々しくてプライドの高い性格のため、しばしばトラブルを起こしていますが、 その反面で儒学の徒でもあり、天下平定後は兵権を返上して、学問に励みました。 【指導】4 その激しすぎる性格から、ついに大軍や宰相の任を預かることは無かった。 【戦術】7 軍中随一の剛勇。自ら刀をふるって戦い、敵を破り、陣を陥とした数比類無し。 【戦略】5 最初の主君劉嘉に、天下の情勢を見て自立する事を勧めるが、聞き入れられなかった。 【内政】5 「宰相の器」と称され、何度か宰相に推された。 【政略】4 あまりに誇り高い性格から、しばしばトラブルを起こした。天下統一後に兵権を返上したのは賢明。 【人望】5 とんでもない性格のわりにあまり恨まれず、皆に一目置かれていた。宰相に推す動きもあった。 耿弇 智勇兼備の名将。情報操作や策謀を得意とし、不敗を誇りました。 寡兵で斉平定を成し遂げた時は、「韓信を凌ぐ」とさえ言われました。 しかし、その後は目立った武勲を立てる事は有りませんでした。 功績を立てすぎて「良狗煮らる」のを恐れたのでしょうか? 天下統一後は、兵権を返上して、光武帝の個人的な顧問として活動しました。 【指導】6 降伏したばかりの軍を良くまとめ上げ、斉を平定しました。 【戦術】8 寡兵でしばしば大敵を破り、生涯不敗を誇りました。 【戦略】8 敵を翻弄して、自分に有利な戦場に誘き出す軍事戦略の名手でした。 【内政】3 内政には携わった形跡がありません。 【政略】7 更始帝の将を策謀で殺して軍を奪い、一族の保身と繁栄にも神経を使いました。 【人望】5 特に好かれも嫌われもしなかったようです。
784 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 07:27:58 O
特定の時代の一般人の数字定めるのも面白そうとオモタ
では日本代表の田中角栄さんは誰か評価ヨロ。
786 :
世界@名無史さん :2005/03/29(火) 17:00:00 O
ほしゅ
田中角栄。 【指導】7 彼がいなくなったら、急に派閥解体がきたからな。腹黒い政治家を纏められるほどの統率力は高い。 【戦術】3 未経験だからこの位置だが、真っ先に逃げるタイプだな。 【戦略】4 中共と条約締結できた(官僚のおかげでもあるが)し、国家戦略としてはまぁまぁ 【内政】4 総理大臣なんて官僚のいいなりだから。席埋めだろう。 【政略】6 ロッキードばれなければもう少したかいか 【人望】7 良くも悪くもカリスマ性は戦後の総理でピカ一か
788 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 23:21:52 O
ほしゅ
789 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 21:16:14 0
チュラロンコン王(ラーマ五世) 本名 Phra Chula Chomklao Chaoyuhua。1853年9月20日モンクット王(ラーマ四世) の嫡子に生まれる。1868年10月1日、先王の死去に伴い15歳で即位。迫り来る西洋への 認識を深めさせたいという先王の意向があったため、即位後も最初の5年間はマレー 等周辺地域を外遊している。 当時のシャムは治外法権・関税自主権のない状態であった。ライバルだったビルマ・ ベトナムは既に植民地化され、マレー・カンボジアの宗主権も既に失なわれていた。 加えてシャム自身がいまだ前近代的な都市国家連合体であり実権はブンクーナ一族が 掌握していた。 この難局に際し、新王は弟らに遊学を奨励するなどして官僚の育成を図ると同時に、 官僚の子女を側室に迎え自らの子を官僚化したり支配階級に嫁がせるなどの血縁政策 を取り、英領ビルマに範を取った地方統治機構を整備、そこに自らの血縁関係者を送 り込むなどして国王王侯を頂点とする中央集権的な官僚制度を創出。併せてチャクリ 改革と呼ばれる近代化を断行する。政策の推進にあたっては積極的に外国人専門家を 雇用したが、求人先を分散させ特定国の影響の過大化防止をはかっている。そして、 最終的に奴隷制に基づく労働力主体の国家資本を世界の米市場の流れに組み込まれる 形で、米と土地に基づくものに移行させた。 外交においては、フランスに攻められたらイギリスに調停を頼むなどして緩衝地帯 としての価値をアピールし国境を確定、メコン右岸とマレー四州割譲という大きな犠 牲を払いながらも治外法権撤廃に成功する。 1910年10月23日没。后37人の間に王子33人と王女44人を残す。文字通り自らの血で 政府と国を築き上げたファウ・ヤイ(大いなる父)であった。しかしながらこの閨閥 専制君主制が後に在暹華僑の反発や政府における軍閥の優位を招き、後代が苦境に立 たされる事になるのである… 余談ながら、ラーマの継名は次代の六世が、タイの国号は七世が制定したものである。
アジア唯一の啓蒙専制君主…といってよろしいでしょう。 アジアで自国の近代化に成功した君主であることと年齢や在位期間や時代が ほぼ同じだったことから、何かと明治天皇と比較される向きもあるようですが、 その実は鯱と鮫ほど違うと言っていいでしょう。 朝鮮と比較してみると、あらゆる面において余裕と潜在力とセンスが違う。 もし朝鮮がこのような国土と君主に恵まれていたら現在も続く極東の戦乱は なかったかもしれません。 【指導】8 致命的な内乱や分裂を起こさなかったのは偉大。 【戦術】5 戦闘経験はあるのでしょうか。浅学にして知りません。 【戦略】8 「無手勝流」で列強を抑えた超絶的な外交能力。 【内政】7 一代で近代化に成功したが不安定要素を残した。 【政略】7 よく政敵を抑え取り込み専制君主となった。 【人望】8 タイの国父として今も栄光を失わない。 ずっと前にやろうとしていた人物。拙いながらも纏めあげました。 数値が高いと思われるかもしれませんが、一国を興したどころかローカル パワーとしての国を一代で築いた人物ですから、平均7〜8は然るべき評 価ではないでしょうか。
791 :
世界@名無史さん :2005/04/09(土) 14:15:15 0
誰かローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の数値化ヨロ。
ヨハネ・パウロ2世 第264代ローマ教皇 【列伝】 本名カロル・ユゼフ・ヴォイティワ。1920年5月18日退役軍人カロルの次男として ポーランドのクラクフ郊外に生れる。 19歳の時ナチス・ドイツがポーランドを制圧、大学から非合法の地下神学校に入り 学ぶ。1946年司祭に叙階。1958年故郷クラクフの司教、1946年同大司教、1967年枢 機卿に列せられ、イタリア人票が割れたこともあって1978年10月教皇に選出される。 このとき58歳。非イタリア人が選出されたのは455年ぶり、スラブ系では史上初。 新教皇の登位は祖国ポーランドに大きな影響を与えた。1980年独立自主管理労働 組合「連帯」が発足し同国の民主化運動に発展する。しかしこれはソヴィエト社会 主義体制に反発する性格を帯びていた為、KGBは東ドイツらの東欧諸国と結託し、 1981年トルコ人アリ・アジャを用いて銃撃させるも教皇は一命を取り留め、以後 共産圏諸国の民主化運動において精神的支柱の役割を果たす。
他宗教や他文化交流を精力的に熟(こな)し、外遊は「旅する教皇」といわれた
先々代パウロ6世を凌駕する規模であった。1979年のドミニカ・メキシコ・バハマを
皮切りに2004年8月のフランス・ルルドまで100カ国以上(述べ200ヶ国余)に及び
「空飛ぶ教皇」「空飛ぶ聖座」と呼ばれる。プロテスタント諸派との会合、東方正
教会との和解、1986年には教皇として初めてローマのシナゴーグを訪れ、2000年と
いうキリスト教の節目の年においては、キリスト教の歴史におけるユダヤ人への対
応、十字軍のイスラム教徒への行為への反省や、ガリレオ・ガリレイの裁判におけ
る名誉回復などを公式に発表している。
回勅は14回と特別に多い訳ではない。教皇職にまつわる多くの虚礼や前時代的な
慣例を廃止するも、教義は保守的で1995年の回勅"Evangelium Vitae"(いのちの
福音)では妊娠中絶や安楽死を「死の文化」であると非難し、急進派・世俗主義者
の間に論争を巻き起こしている。複雑化する現代社会の諸問題にカトリックが如何
答えるべきなのかを巡る保守派と急進派の対立解消は、この教皇にとって大きな課
題であった。
2005年4月2日帰天。享年84歳。在位は26年5ヶ月と2週間で、歴代2位。
参考
http://www.cbcj.catholic.jp/pope/ など
【指導】 7 現代に即するオピニオンリーダー足らんとしたが。 【戦術】 6 青少年時代に戦争を経験し銃撃体験もあることからセンスは常人以上。 【戦略】 6 基本的に過去三代からの拡大発展形で特別新しいものではない。 【内政】 5 保守派と急進派の対立、信者離れを解決できたとは言い切れない。 【政略】 8 社会主義の衰退など在位中の世界情勢に対し確実に対処した。 【人望】 9 高い支持を信者を超えて保ち続け、弔問客は量質とも前例がない程。
【寸評】 先の千年紀においてキリスト教・カトリックがもたらし、そして抱え込んだ世界 史的な宿題をやり終えようとした人物と言ってよいでしょう。しかしながらこれは、 世紀末という、キリスト教にとって特別な時期に彼が逢ったから。確かに、大任を 果たしたという意味では功績大なりといえますが、後の時代を拓き示す指針となり うるまでには到らなかったように思います。 敢えて大書するならば、既存宗教にとって代わろうとしていた社会共産主義が、 彼の出自や存在や仕事が、東欧の民主化ひいては社会共産主義崩壊の呼び水となっ たこと、そして宗教宗門を超えた世界規模の支持を得られたという意味で空前絶後 の教皇であったというところでしょうか。
しかしながら、現在も世界各地で続く宗教的紛争を抜本的に解決するまでには 到らず、尚且つ、世俗主義的信者からは必ずしも支持を得られず、世俗により対 応したイスラム教の信者増加を押し止めることもできませんでした。 既存宗教の理念と解決手段が、更新されながら世俗の隅々まで浸透した現代世 界において、カトリックはもとより宗教自体の存在事由が問われています。新世 紀におけるキリスト教はどうあればよいのか。「滅亡」し「復活」する程の抜本 的な改革、あるいはキリスト教とは呼べないほどの全く新しい宗教の形が、次の 教皇に課せられているのです。
戦術6は無いんじゃないかな? 信長の戦術は6つける人が多いがそのくらいの実績があるんですか
798 :
世界@名無史さん :2005/04/11(月) 18:36:42 0
馬鹿ばっかり
戦術って、 前線指揮官のイメージなんでしょう? 未経験者レベルの3で良いのでは? 戦略も特別なものがないなら5くらいでは?
戦術は指揮能力だべや。 戦闘時における、 状況判断力、決断力、的確な命令、指揮監督能力。 ここら辺を指して言うんではないかい?
>>1 【戦術】 戦術指揮。前線指揮官のイメージ。
>>800 まあとどのつまり、兵隊率いて戦闘したらどれくらい強いか、だな
基本的に未経験者は3だから、指導者ではない一般人はみんな3になるよな
(実際に能力があっても発揮されなければ一緒)
なら一般人より優れているだけなら精々4かな
803 :
世界@名無史さん :2005/04/12(火) 12:50:46 0
ぽかーん
>>802 そういうことになるな。
ところで、政治的戦略と軍事的戦略。
政治的戦術と軍事的戦略の二種類があると思うのだが、これは評価対象ならんのだろうか。
注釈でも入れればいいんじゃない? お遊びスレなんだしカリカリせんでも。 テンプレの6項目が全部寸評つきできちっと埋められるのって、 現代人だと突撃馬鹿の戦車隊長だった某国首相くらいなものでは?
>>805 シャロンは本物の名将だと思うが。
政治家としては、どうかと思われる面が多すぎるがな。
>>797-802 考えてみれば、この「数値化」というのは、実在の人物を
「三国志」など、コンピューターゲームの一キャラクターと
して振舞わせたら一体どういう扱い(レベル)になるだろう
ということですよね。ならば、「戦術」の数値は軍隊指揮官
の実力であるということですか。では
>>794 を修正。
ヨハネ・パウロ2世 第264代ローマ教皇
【指導】 7 現代に即するオピニオンリーダー足らんとしたが。
【戦術】 3 軍人の子で青少年時代に戦争を経験しているが軍歴はない。
【戦略】 6 基本的に過去三代からの拡大発展形で新しい部分は少ない。
【内政】 5 改革を行ったが保守派と急進派の対立や信者離れを解決できたとは言い切れない。
【政略】 8 社会主義の衰退など在位中の世界情勢に対し確実に対処した。
【人望】 9 信者を超えて高い支持を保ち続け、弔問客は量質とも前例がない程。
戦略は”6”のままとします。新しい部分…というべきなのかどうかは定かではありませんが、 アフリカの信者獲得に力を入れたことが戦略として少し新しいことでしょうか。しかしこれは エイズ蔓延対策としてのコンドーム普及を避妊と拒む政策と相反したため、上手くはいかな かったようですが。それから典礼などの改革をしたということで普通以上に。 総じて、威厳やビジョンや知力ではなく、センスと根性と魅力で乗り切った感のある教皇です。 何と言いますか、発言権と洒落っ気のある昭和天皇という気がしないでもありません。
>808 ポーランドを皮切りに東欧ロシアの共産主義終焉に力を発揮したという見方もあります。 戦略は7か8あってもいいと思いますよ。聖座の価値を上げた(落とさなかっただけでも この時代凄いことなのに)ことも評価できると思います。
同時代人の評価は難しいからねえ。 今後の成り行き次第で評価が変わりそうだし。
ジンギス・カン(蒼き狼) 指導10 戦術7 戦略8 内政3 政略6 人望8 何か、蒼き狼みてたら戦闘が力押しばかりで・・・・ハーン様の場合指導力でユーラシア大陸暴れまくったイメージがある。 やっぱり能力値低いかな?
812 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 14:24:20 0
法主
>>811 低いのでは。
と言っても、俺は数値評価できるほど世界史一般に詳しくないけど。
戦術が「国内では一流」ってことはないだろ。その他も。
でもカキコ自体に感謝。
814 :
世界@名無史さん :2005/04/25(月) 21:00:23 0
今更だけど、このスレのつけ方じゃ話発展しない気がする だからといって代案を用意してるわけでもない
ベリサリウス 指導5 戦術10 戦略6 内政6 政略2 人望4
何だか寂しいですね・・・昔はもっと賑やかだったのですが。 仕方がないので、今度ラモン=マグサイサイをやろうかと思います。 伝は一通り書き終えたのですが、私は軍事的な知識がすごく少ない こともあって、数字も評も書けそうにありません。どなたかフォローして いただければと思うのですが、誰も許してはくれませんかな。あはは(^^;
能力「値」って無茶表記がだめなんだと思う
100段評価の頃に比べて、頂点級の値の希少性が薄れているのがいかんと思う 92〜98間なら議論になるが9〜10間ってかなり大雑把だし
>>818 なら20段階評価にする?
正直100段階は多すぎると思う
もともと世界史に名を留めた人物達ばかりを対象にしているから、 数値が高くなるのは必然なんだよな。上のほうをもっと拡充する べきだとおもうよ。 0…論外レベル(幼弱などのため) 1…愚人レベル(いないほうが無害) 2…惰人レベル(素人以下) 3…素人レベル(未経験者、もしくは経験者だが下手) 4…凡人レベル(経験者なだけで人畜無害。大過なく勤める) 5…達人レベル(当時の国内一だが、地域史に載るほどではない。一時的な成功者) 6…才人レベル(60〜100年間の国内一だが、国や分野を変革した程ではない。地域史に登場) 7…名人レベル(60〜100年間の国内一、国や分野を変革した。中興レベル) 8…偉人レベル(100〜300年間の国内一、建国・救国レベル。世界史には名前だけ) 9…天才レベル(100〜300年間の国内一、世界に影響を与えた。世界史に業績も記載) 10…超人レベル(500〜1000年間で世界トップレベルだが、世界的古典にはなりきれない) 11…聖人レベル(500〜1000年間で世界一、彼の業績即ち世界的古典) 12…神人レベル(2000〜3000年間で世界一。各分野で一人いるかいないか) というくらいに。
趣味が高じて世界の英雄をエクセルでまとめて みたんですがここの方たちに数値化をしてもら いたいです。どこかに貼れませんか?
グダグダ言わずに保守しつつ職人さんの降臨を待つのだ
能力値という名の実績値にしか過ぎないから盛り上がらんのだろ ぶっちゃけただの功績のおさらいになってるだけだしな
823が実績以外の面から歴史上の人物の能力をはかる手法を示してくれるなら別だが、 できないなら言わない方がいい。
>>824 違う、数値のつけ方に文句を言ってる。
あまりにマニュアル的
規模がでかい奴、地位の高い奴には、 自動的に高い評価がついていく、みたいなのか。 個人的に、ナポレオンは、戦術判断力はダヴーに、 統治能力はベルナドットに劣るとおもってるのだが、 そういうのを盲目的に否定するような価値基準な。
>>825-826 んじゃ、マニュアル的でなく妥当と思われる方法で数値を付けてみれ。
口だけなら誰でも出来るからな。
すっかり無敵神話ができあがってしまったな。ダヴー。
>>827 まあそう言って問題なんて積んどけば良いさ
>>809 う"〜ん、でもそれについては、まず東欧側の人民が新しい精神的支柱を
求めた所が大きくて教皇自身の戦略の高さではなく、またそういう評価は
「戦略」というよりも寧ろ対外的な「指導」能力じゃないかと思いましたので。
ですから「指導」を”7”にしたのですが。
パーヴェル1世 【指導】 1 【戦術】 1 【戦略】 1 インドに大遠征を試み(1801年2万3千のコサック軍、地図もなしに派遣)、失敗。 【内政】 1 支離滅裂な内政外交 【政略】 4 【人望】 0 恐怖政治を行ったため人民からの支持は無く、最後には近衛将校たちによるクーデターにより殺害された。 パーヴェル(パーヴェル・ペトロヴィチ・ロマノフ)(1754-1801)(在位1796−1801) ピョートル3世とエカチェリーナ2世の子、その治世は恐怖政治と特徴づけられている。 戴冠式の日に発布された帝位継承法と‘農民の日曜労働を禁止する勅令’ は有名であるがその治世に農奴制はかえって強化されたといわれている。 1799第2回対仏大同盟に参加したが1800ナポレオンと和し、共同して印度遠征を計画した。 外国書の輸入を禁止し、軍隊式の規律を国内政治の全般に拡大し専制政治をしいたが、 ‘貴族への特権許可状’の侵害と外交政策などの転換が貴族層の不満をよび、 首謀者はST.ペテルブルク総督パーレン伯爵で後継者皇太子アレクサンドルも同意していた、宮廷クーデターのよって殺害された。
age
インドに行かされたコサック軍は可哀想に しかしすごい能力評価だ 人望 0(w
837 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 19:02:31 0
あげ
838 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 01:11:49 0
世界史なのに延々と日本の戦国大名だけをめぐって喧嘩してた人たちのいるスレはココですか?
839 :
世界@名無史さん :2005/05/16(月) 01:21:22 0
香 ( ⌒ ) \ | / ( `) ⌒ヽ⌒⌒ヽ 、 ―(・∀・ )― ⌒Y⌒ (´ ) ( ⌒) / | \ (⌒ヽ ⌒Y⌒ ゝ `ヽ( ) ( ( 、⌒ ヽ (⌒ 、 ( (⌒ ノ ) ( ヽ /|| 台 マカオ § ,/ || ∋oノハヽo∈ ゝ彡三ミ/ ___________/ . ||\∧∧ _____________________ ( ´D`)________________________ノソ ‘∀‘)__________________ 〜〜,/ || / 中 \ 〜〜〜 ( つ(\ 〜〜〜 〜 ( つ(\ 〜 〜 ~ 〜/ .||( ^∀^) ~~ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_゚~~ 〜 (\_ノヽ )⌒ ⌒ヽ_ ~ ~~ . ̄ ̄ ̄||( つ 〜〜 ) ____ ・_つ ) _ し'________ ・_つ_〜~ 〜〈 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙̄^フ 〜 (/ (/ ~ 〜 (/ (/ 〜〜 ~ 〜"~~'〜:''^''〜'''~~''^〜'''" 。 ゚ 〜〜 〜〜~~ 。 ゚ ゚~~ 〜〜~~ 〜 〜〜
ほのぼの〜
このスレは盛況の後に衰退し、滅びた後にまた復活するのですよ。 世界史板だけに。 まったりと中興の祖を待つ。
そのうち誰かコテの方々が来るだろう なんだかんだ言って彼らの貢献は大きいからそのときがきたら盛り上がるさ
"有能''"天才''"軍神''的なやつを数値化するのはコーエー時代と今スレまででやり尽くした感があるんで
>>833 のように君主・武将の無能さ加減や特徴的なものををこれからネタにすると良いかもな。
なんでもいいよ
寂しい寂しい
ネタがない
東郷平八郎 【指導】 9 【戦術】 7-8 【戦略】 5 【内政】 5 【政略】 5 【人望】 8 日本海海戦における連合艦隊の司令長官。 断固たる意思と正確な判断力を持っており、統率力も優れていたようです。 優秀な将帥であったことに間違いないでしょう。 ただし、世界史上屈指といえる日本海軍の勝利が、彼なしでありえなかったかどうかは、ちょっと分かりません。 むしろ日本海海戦の勝利は明治維新以来の長年の日本国民の苦労の産物であり、東郷は象徴的存在に過ぎないのではないか、と思っています。 人望が8か9か迷ったのですが、 彼の人気は戦後のものでありそれは人類の進歩にさほど寄与しなかった、と思ったので8にしておきます。
プッ
851 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 10:38:23 O
ほしゅ
関羽 【指導】4 【戦術】6 【戦略】4 【内政】2 【政略】2 【人望】3 呂蒙 【指導】7 【戦術】8 【戦略】7 【内政】4 【政略】5 【人望】8
853 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 02:34:31 0
いっそパワプロ風はどうよ? 特殊能力とか。民族によっていろんな土台違うし
この数値のつけ方じゃ、発展しようが無いからな
>>854 以前信長でさんざん話題が発展したじゃん(し過ぎたが)
突っ込めるところには突っ込んだ方がよくない?
郭侃 【指導】6 【戦術】9 【戦略】6 【内政】6 【政略】5 【人望】4 唐の名将・郭子儀の末裔、祖父・父と共にモンゴルに仕える。 漢人軍閥の最有力者・史天沢に抜擢され百戸長となり金国討伐に参加し活躍した。 1252年からフラグ汗の西方遠征に参加、イスマイル派暗殺教団の本拠地を壊滅させ、カシミールを征服、さらにバグダッドをも陥落させる。 その後はシリアに侵攻十字軍を次々と蹴散らし、小アジアをほぼ平定「極西の神人」と怖れられた。 1260年フビライ汗に謁見するために帰国、軍事・内政にさまざまな献策を行い、その功績から万戸長となった。
>>853 まず隗より始めよ、って事で例示よろしく。
エル・シッド1043?〜1099 【指導】6(独立勢力としてバレンシアを支配した) 【戦術】8(ムラービト軍や他のキリスト教軍を、寡兵をもって度々打ち破る) 【戦略】4(わりと行き当たりばったりな印象。長期的な展望はなさそう) 【内政】6(バレンシアの統治はなかなかだったようだ) 【政略】2(主君の不興を買って二回も追放の憂き目にあった) 【人望】6(名声はあったが、追放された際彼を見限る騎士もいた。 叙事詩の成立以降は8)
鄭成功 【指導】8(父の去った後、分裂状態だった鄭家をまとめ、一大海上王国を築いた) 【戦術】5(南京戦のミスで若干減点) 【戦略】4(行き当たりばったりな感はいなめない) 【内政】6(海上貿易で巨万の富を築いた) 【政略】5(従兄弟たちを殺害し権力を掌握した) 【人望】7(後世の評価も含めて)
保守
862 :
世界@名無史さん :2005/06/13(月) 20:44:08 0
秋山実之、児玉源太郎、石原莞爾に詳しい人いてはる?
軍事の外にあっても、自勢力の有利に働くよう状況を動かし、 確実に相手国の勢力を弱めたり、注意をそらす手腕は 十分、【戦略】と呼ぶにふさわしいのではないかと。 リシュリュー キッシンジャー ティトー ネルー あたりも誰か考察してけれ
ナポレオンの配下の将軍はよく語られてるが、 ウェリントンの部下とか、敵方の評価も見てみたい。
866 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 19:23:50 0
ロベスピエール激しくキボンヌ!! 世界中の童貞の星!!
分かりやすい所で朱元璋なんか数値化しやすくない?
>>866 まあお約束だが
___,,,_ 彡ミ ミミヾ ヽ Y i r/ 彡,,,三 ミ ミミ,
/_ | _ ,彡ミ ミ;'" "" "'''''" :::. "'ミ ミ
/ヽ/ |/ ,彡彡,,;'":: ..............::::::::......:::::.... :. ヾ ミ,
_/ |__,,l 彡彡;'"..:: _ ::::::: ..:::__ :::.. ヾミミ
彡三ミミ, ..::.../;;;,,,"ヽ:::::l l./;;;;,,"ヽ::..ミ彡三ミミ;,
彡;;;;;;;;;;;;;Yミ/"l;;;;;;;",,;;;;;;l===l;;;;;;;,,,,, ;;;;l‐-ミY;;;;;;;;;;;;ミ
ミ;;;;;;;;;;;;;彡/"ヽ;;;;;;;;;;;_/ ::l ヽ;;;;;;;;;;_/'ーミミ;;;;;;;;;;;彡
___ ヾミミミ彡;  ̄ ̄:: ..:l ::  ̄ ̄ ミミミミ彡
_|_|_ l | l l ヽ;;;l::. r'"..::..::.."ヽ .::l ,/,l'
| | | | l l ∂ l::::... ..::`ーニ ニ−'::.. ..::: l∂/ ,;l
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‐''"''l l l l lii;,;; ;iiil _ii l_,,,..-―lー-;_,..,,_/-―-,,__ :l liiiii'"// //"''ー--,,
_,,-'"l l, l l _l_l__/i, l" :l :. i l ヽ_;;;"''-,/,,_// // //
869 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 22:43:08 0
age
アラー・ウッディーン・ハルジー 【指導】7 強圧的な政策で全インドを支配。 【戦術】9 モンゴル軍を数度にわたり撃退、全インドを征服。 自称「第二のアレクサンダー」 【戦略】4 長期的な視野には欠けていた。 【内政】8 直轄領の拡大・貨幣統制・郵便制度の開始など、多方面で実績を残している。 【政略】6 暗殺・スパイ組織の活用など謀略は得意。しかし、自分自身が暗殺されている。 【人望】2 残虐な逸話ばかり残っている。暗殺された事も考えると高いわけが無い。
871 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 05:19:13 0
アドルフ・ヒトラー 【指導】7 軍人時代のヒトラーは上司から統率力に欠けると評されていた。意外だと思ったが、戦局が悪化するほどに権力闘争を悪化させるナチを見てはそう思わざるえない。 【戦術】3 総統の領域ではない。 【戦略】4 フランスをあっという間に潰した手腕は評価されるべきだと思うが、独ソ戦やそれ以降の判断が絶望的なので、この数字にする。 【内政】8 強引な手段を用いたとはいえ、経済の完全に破綻したドイツをヨーロッパ最強の陸軍国に立て直した。末期の彼はこの能力を行使する気力がなかったのだろう。 【政略】9 敵対する勢力を尽く潰して独裁者となる。特に第二次大戦前の英仏への恫喝は見事としか言いようがない。 【人望】8 好き嫌いは激しいが、そのカリスマ性は本物だった。特に間近で激励した指揮官に戦意を与えることは天才的。
872 :
世界@名無史さん :2005/07/08(金) 15:17:32 0
873 :
789 :2005/07/08(金) 21:26:27 0
退屈なので、ひさびさにやります・・・
874 :
789 :2005/07/08(金) 21:27:24 0
ラモン・マグサイサイ(Ramon Magsaysay) フィリピン共和国第7代大統領 【伝】 1907年8月31日サンバレス州イバ町生まれ。 フィリピン大学で機械技師を目指したが方向転換、33年ホセ・リサール大学商学部卒業。 その後バス会社の支店長を務めていたが、第二次世界大戦中はフィリピン軍を統合した米極東軍 (USAFFE)のゲリラとして活躍、米極東軍のダグラス・マッカーサー最高司令官からサンバレス州の 軍政知事に任命される。 戦後の1946年、自由党公認としてサンバレス州から下院選に出馬し当選、政界入りする。 しかし当時のフィリピン社会は混乱し、1947年の総選挙では不正が横行していた。 そんな中、ルイス・タルク率いるソ連系ゲリラ「抗日人民軍」(フクボ・ナン・バヤン・ラバン・サ・マンガ・ハポン)、 略して「フク団」がルソン島で蜂起する。総選挙で当選したフク団代表を恐れた大地主たちが彼らの議席 剥奪を図った為であった。フク団の勢いは共和国政府を圧倒、マニラ郊外まで達し革命は時間の問題と 囁かれた。 危急の事態に際しキリノ大統領はマグサイサイを国防長官に任命、フク団鎮圧を命ずる。 マグサイサイは農民らがゲリラ化するのは貧困のためであることに着目、帰順すれば農地を与えると 農民に約束し、実際に投降した者たちにはミンダナオ島に農地を与えた。 その結果ゲリラ勢力は 次第に切り崩され、1950年代初頭にルソン島中部で幹部のほとんどを逮捕、組織壊滅に成功し マグサイサイは一躍国民的英雄となる。
875 :
789 :2005/07/08(金) 21:28:22 0
しかし政界は相変わらず不安定であり、1951年にはキリノ大統領の不正を批判、自由党を離脱し 国民党に入党、1953年、国民党から大統領選に出馬、レイモンド・スプールアンス駐比大使らの 支援もあって、現職キリノを破り当選を果たす。 マグサイサイ大統領は軍の再編や汚職対策、農地改革を強力に推し進め、対外的には反共親米 路線を取る。しかしこのころから反米ナショナリズムが台頭、レクト上院議員は親米派のマグサイサイを 批判し、アメリカ半植民地支配の象徴とされた基地協定やベル通商法の改定を迫る。その結果、 1954年ベル通商法改定、ラウレル・ラングレー協定(LL協定、新フィリピン通商法)の成立となるが 親米は変わらず、1954年9月8日マニラで共産ゲリラ撲滅を主目的とする米国主導の東南アジア 条約機構(SEATO)への参加を積極的に押し進める。 しかし政権は時代に圧されるように次第にナショナリズムに傾き、1956年米国の意向に反した日比 賠償協定、そして民族主義的な教育を目指すリサール法を制定する。 再選間近の1957年3月17日、ミンダナオ島へ視察に行く途中セブのマニュングァル山付近で起きた 飛行機事故で死亡。享年51歳。 死後、アジアにおいて政治、社会奉仕、社会指導、報道・文学、国際理解の5部門で功績を残した 個人や団体に与えられるアジアのノーベル賞「マグサイサイ賞」が設立された。
876 :
789 :2005/07/08(金) 21:32:30 0
【指導】6 離反などはなかったようですが、詳細は不明。 【戦術】7 勇猛果敢であったと伝えられ、フク団急襲を成功させる。 【戦略】7 フィリピン全体の国益を見据えたビジョンには確かなものがあった。 【内政】5 農業小作法、土地改革法を制定するも十分な成果は上がらなかった。 【政略】4 政治基盤に乏しく米軍人脈にも頼っている。次第に抑されていく感あり。 【人望】8 救国の英雄、清廉潔白な政治家として国民の信頼は今なお厚い
877 :
789 :2005/07/08(金) 21:34:19 0
【評】 いわゆるフィリピン版「救国の英雄」。 政治家としては汚職をたたきつぶし、軍人としては真っ先かけて突進した剛腕系ではありますが、 彼の真骨頂はフク団調略に見るような軍政的手腕にあったと思われます。 しかし山中の賊を破ることはできても、富の不均衡、土地制度改革、地主の権力濫用といった フィリピン国本体に巣食う賊を破るまでには到らず、志半ばにして世を去りました。もしあと一期 長く務められていたら、東南アジア諸国の中ではそこそこの力を持っていたフィリピンはアメリカ の支援を有効に生かせ、その後の周辺諸国の勃興についていけたのかもしれません。 内政的には上手くいかなかったにしても、「政府が反政府のやりたいことを先制してやったら人民 戦争もけっして万能ではないという例をマグサイサイが示した」(大岡昇平)・・・世界の市井が今 ようやく理解するようになったこの単純な真理を最初に証してみせたことだけが、今では彼の歴史 的功績になってしまいました。 「テロリストとの戦い」で幕を開けた21世紀。 20世紀の負の遺産といえるゲリラ達をどう撲滅するか。その為に「軍政」でない国のリーダーには どのような資質が必要とされ、どのような社会・政治方針であればよいのか。 マグサイサイは過去から世界に向かってメッセージを送りつづけているのです。
878 :
789 :2005/07/08(金) 21:41:22 0
【想】 内政は積極的に取り組むも成果が上がらなかったので凡人の4〜5程度。 その他は6〜7くらいでしょうか。 人望8は高いかと思われるかもしれませんが、これはマグサイサイ賞という 国際的(というかアメリカが持ち上げたっぽい)評価を加味しているので、 単純な国家英雄レベルの7に+1しています。
フィリピンにこんな英雄がいたとは知らなかった あの国は能無し大統領ばかりというイメージがある
運がないな。 ナポレオンは、フランス革命→徴兵制のおかげで無尽蔵の愛国兵士持つことができたわけだし。 フランス以外は個人所有の王国なわけじゃん。運も確実にある。 あと、当時最強軍(モンゴル、ローマなど)率いていけば、ブッシュでも勝てるさ。 運最強は劉邦。 ライバルがあれすぎるし。部下優秀だし。 運だけで40過ぎから大帝国作った。うらやまし。
なんか悪いことがおきるたびに「運がなかった」ですませそうな奴だな
人間に数値をつけるとは、 非常に失礼なスレだな
保守
884 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 10:48:38 0
>>882 理由言ってみて
人物の実績に数値付けるのが失礼にあたる理由を言え
早く言えおれには時間が無い
>>884 むしろ失礼じゃないと思える理由を言ってみてくれ
これは誹謗中傷してるわけでもなく単に実績を10段階で評価してるだけだと思うが これで失礼だと思ってるヤツはよっぽど自尊心が強くて人に自分をあーだこーだ 言われるのがイヤなんだろうな
人間の価値に評価付けてるんじゃなくて 人間の活躍とか実績の高低を分析してるだけだと思うけどね
荒れてきたね
荒れても過疎だけどな。 ナポレオンの評価、10人くらいきぼんぬ。
891 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 11:02:26 0
ナポレオン1世 【指導】 8 タレーランやフーシェは誰にも扱いきれないと思うからともか く、スウェーデンの王にまでしたベルナドットの裏切りは致命的。 【戦術】 10 世界最強の指揮官の一人。ワーテルローがウィークポイントだ が、研究がよく分からないくらい進んでいることから書いてある 内容が本によってかなり異なる。そのため、ナポレオンのミスと も言い切れないらしい。 【戦略】 7 この男の失敗は戦略面での問題が大きい。ロシア遠征やスペ イン遠征は確実に彼の帝国の寿命を縮めた。あと海戦というも のをあまり理解していなかった。 【内政】 7 よく分からない 【政略】 7 やっぱりタレーランがいないとぱっとしない 【人望】 10 「馬上の世界精神」(ゲーテが占領された都市で呟いた)と か「私は皇帝だ」(百日天下でパリに返り咲く際に各地の村 や町で彼がこういうだけで兵士が増えていった)を考慮すれ ば彼の個人的魅力が異様に高いのが分かる とりあえず、リクエストに答えて適当に作ってみた
このスレを数値化するとどだろうか? ↓
893 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 12:18:30 0
このスレ 【指導】 1 誰がするの? 【戦術】 4 数値化はそれなりに目新しいが、あくまで以前のスレの焼き直しに過ぎない 【戦略】 1 考えてる奴いるのか? 【内政】 5 信長とか曹操とかが関わるとすぐに荒れる。 【政略】 1 そんなものとは無縁です 【人望】 4 人がくると思うとすぐ過疎化。だから凡庸。 やってみたよ
894 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 13:57:01 O
刑道栄 武力4 知力1 雇用コスト1 復活・勇猛 《大斧の一撃》 必ず一騎打ちが起きる。
>>885 人間を数字で評価するなんて当たり前のことだが。
学生でも社会人でも。
数値化というのは学問的には高度な部類に入る 特定のキーワードや数値だけで、特定の「個」を認識できる また、その妥当性について膨大な資料をあらゆる角度で検証するという事も発生する
モルトケとビスマルクをセットでお願いします
899 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 01:15:45 0
モルトケ 【指導】9 彼に統率された参謀本部と軍はこれまでの戦争の常識を覆して全世界にその名を轟かせた。 彼の業績はこれ以降の戦争を変えたという意味ではナポレオンに匹敵するかもしれない。 【戦術】6 前線での指揮は少し怪しいが、水準以上のことは出来たのだろう。 【戦略】8 どちらかというとビスマルクの領域という気がしないでもないが、彼の参謀本部がたてた作 戦がオーストリアやフランスをほぼ一蹴した。ゲリラに対する認識は甘かったが。 【内政】9 平時から常に作戦計画をたて、ドイツを勝利に導いた。彼の成功はこういった日頃の積み重 ねこそにあると思う。 【政略】6 軍事以外では失言をすることもあり、ビスマルクを困らせていた。だが、総じてビスマルク を信用してあえて歯車を狂わせるような真似はしなかった。 【人望】8 皇帝は勿論、同僚、部下からも満遍なく人望を集めた。生前から信望者は多く、軍人の理想 像として崇拝されている。
900 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 01:16:17 0
ビスマルク 【指導】8 いきなり議会で有名な「鉄と血」の演説をして議会の反発を買ったが、それでもめげずに「結 果を出せば民衆はついてくる」の論理のもと議会を無視して予算を通し、軍備拡張を強行した。 皇帝暗殺未遂事件を口実に強引に議会を解散させた。どちらかといえば強引な手腕が目立つ。 【戦術】3 ほぼ未経験者。大学では法学を学び、その後は州議員になるまで実家で農園経営をして。 【戦略】9 ドイツ帝国の将来を見据えて多正面戦争を回避するべくあらゆる手段を打った。そんな彼を もってしても後半には世界をコントロールしきれなくなっていた。 【内政】8 社会党を弾圧した際に国民の御機嫌取りに老齢年金や健康保険、労災保険などの各種社会保 障制度を整えた。これは後の国々の社会保障制度の走りであるという。 【政略】9 彼の芸術的な外交政策でフランスはヨーロッパから完全に孤立してしまった。だが、これが 10であるならそもそも失脚しないと思うので、この程度にしておく。 【人望】5 君主のヴィルヘルム1世は勿論、モルトケも彼をあまり好いていなかった。話のわかるヴィ ルヘルム1世が死んだ後に彼の引き摺り下ろしが行われたことを考えれば下げるのは仕方 がない。 作ってみた
>>895 数字で評価するのはあくまでその必要があり、なおかつその場において必要とされる分野のみの話。
また評価する方も場面も、公的に「評価して良い」と認められているもの。
この場合とは微妙に違う
902 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:51:24 0
903 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:53:14 0
ほんとは自分でもよく解ってるくせに。 だからそんなに気になるんでしょ
904 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:55:16 0
わからんから気になるんだが
揚げ足取りにもならんレスはいいからさっさと
>>882 は回答して
自分の能力・実績がいかほどのものか顧みることもなく棚にあげて、 他人の人生に点数をつけ、あまつさえ優劣の基準にするなど傲慢の極みである。 という意味では?
公平に評価するにあたって自分の能力なんて顧みる必要はないよ 暗愚は実績、能力を分析するななんてそれこそ失礼 それと人生に点数を付けてるんじゃなくてその人物の6つの事柄の実績に点数を付けてるんだし だいたい傲慢で評価してるわけじゃないでしょ 優劣を公平に分析することは失礼にはあたらない
>>905 人の人生を【指導】【戦術】【戦略】【内政】【政略】【人望】だけで評価するのは
失礼になるが、ここは人生じゃなくて【指導】【戦術】【戦略】【内政】【政略】【人望】
だけを分析、評価しているスレなので
なるほど。ではまず、他人の人生に点数をつける行為。 これは失礼で傲慢であるという共通了解はできたと判断してよろしいだろうか。
ところで後漢末の董卓の数値化お願いできますか 光栄三国志ではそこそこ名将の彼が世界レベルで見たらどんな人物か気になるので
こうかな 董卓 【指導】4 【戦術】5 【戦略】5 【内政】1 【政略】3 【人望】2
911 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 02:00:37 0
微妙にマイナーなローマ皇帝希望 でも五賢帝前のティベリウスとかはコーエースレにあったから アウレリアヌス、プロブス、ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス辺りお願いします
912 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 07:50:48 0
アウレリアヌス 【指導】7 有能な軍人だし、この程度かな? 【戦術】8 ゼノビアをはじめとする僭称帝を撃破。世界回復者の名は伊達ではない。 【戦略】7 分裂していた帝国の再統合に成功する。 【内政】4 普通だろう 【政略】4 部下の処刑を猶予して身を滅ぼした。 【人望】7 彼を暗殺した連中は即座に血祭りにあげられた。
913 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 07:57:36 0
プロブス 【指導】7 軍人としては有能だった。 【戦術】7 前任者が華々しすぎるが、これくらいはあるだろう。 【戦略】7 帝国各地に侵入する異民族を撃破し、反乱を鎮圧した。 【内政】4 他の軍人皇帝の例に漏れず、優秀ではない。本気で完全平和主義 を唱えていたとしたら、1にしてもいいかもしれない 【政略】4 結局は不満をもった部下に暗殺された。 【人望】8 彼の対立者たちは彼の名が出た途端に候補を血祭りに挙げたから その声望は高かったと思われる。
914 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 08:07:21 0
ディオクレティアヌス 【指導】9 軍人皇帝のジンクスを打破した異例の在位期間。後には禍根に なる分割統治すら彼の時代には有効に作用した。 【戦術】6 どちらかといえば、盟友のマクシミアヌスのほうが上だろう。 【戦略】7 厄介な敵のほとんどは前任者達が片付けてくれたからあまり上 げない。 【内政】7 後の帝国の道筋に先鞭をつけた数々の制度を創設した。だが、 秩序を回復するには至っていない。 【政略】7 即位時の暗殺劇はどう考えてもこいつの仕業。軍人皇帝では異 例の能力を有している。 【人望】7 地位を退いた後も即位を促される安心感。だが、キリスト教最 大の弾圧者ということであまり好かれていない。
915 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 08:18:11 0
コンスタンティヌス 【指導】8 後期ローマ帝国最大の皇帝に相応しい能力は有していた。 【戦術】8 戦力的に明らかに優れたライバルたちを撃破した。異民族の侵 入にも成果をあげた。 【戦略】8 明らかに国力で自分を上回る敵を尽く撃破してディオクレティ アヌスの分割制度を終結させた。 【内政】7 ディオクレティアヌスの政策を引き継いで帝国を変質させた。秩 序もある程度は回復したが、彼の治世は税金が高いことで評判。 【政略】8 自分に敵対する相手の悪評を流しまくって普通の人間を悪人に仕 立て上げ、口実を設けて敵を撃破する。非常に優秀な宣伝マンである。 【人望】9 最初のキリスト教皇帝という名は彼の暴君的な姿すら覆い隠して その名声を今日まで伝えている。
916 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 08:30:51 0
最近、暇なのが一人混じってるな
>>908 論拠がないよ
人を数値で表現するのが失礼だとするなら年齢表示さえも失礼に当るわけだ
その人の生まれてからこれまでの年月を数値で表示するのが年齢だからな
つまり数値化それそのものは全く失礼には当らない
その数値を使って訳のわからない誹謗中傷をするならこれは失礼に当る可能性はあるな
正当な批判と誹謗中傷の垣根がどこにあるかの線引きでまた荒れると思うがそれはまた別の話
ゆとり教育の歪みがこんなところにまで現れているのか。 ある人物の特定の能力を数字で評価するなんて極普通のことなのに、 日本は病んでいるね。
もういいってば
檀石槐をお願いします
人間の能力の数値化が失礼かそうじゃないか論じたいなら 別にスレ立ててそこでやってくれ
北条早雲はどれくらい?
924 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 03:35:46 0
呉起 【指導】8 将兵に慕われた。 【戦略】10 孫呉の兵法は伊達じゃない 【戦術】9 生涯不敗 【内政】9 時代を代表する政治家 【政略】4 例に漏れず殺される 【人望】2 やりすぎ
925 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 04:07:29 0
ケレンスキーは?
カルノーとかどんなもんだろ
>>917 年齢表示に判断の要素は無いだろ。だって決まっているのだから。
しかし数値をつけるのは判断や独断が、どんだけ公平だのなんだのぬかしても絶対入るから、
この場合とは明らかに違う。
蒸し返すなってば
張飛 益徳 【指導】5 厳しい刑罰で統率。しかしやりすぎで劉備に心配され漢中太守を 外される 【戦略】7 この時代の大国魏で名将に上げられる張郃に快勝。長阪の戦いで は二十騎で殿軍を勤め劉備を逃がし自らも生還。益州平定戦では通る所すべて で勝利 【戦術】4 厳顔を降伏させる。国のことは考えただろうがたいした戦略なし 【内政】3 未経験 ただ息子は文官、娘は皇后 【政略】3 未経験 【人望】1 部下を訓練や刑罰で殺すぎたため自らの死を招く。人から好かれ るタイプではない
つーかこのスレでちょくちょく反感があがるのは、数値の項目や基準がいまいちだからじゃないか? 単純に規模で数値決めるのも変だと思うし、項目ももうちっとはじけて良いんじゃないか?細かくするとかね。 それこそコーエーっぽく個人武勇とか、教養とか。智謀とか技術発掘とか。 海軍とか、勝率とか、外交とか、運とか野心とか、最盛期の全軍事力が、どれくらいかとかな。 なんつーか、項目がその人物をあらわすのに少なすぎる気がする。 もちろんそんなのつけるの大変だ、なんて言ったらそれまでだけど。
>>929 漢中太守を外されたのは刑罰での統率をやりすぎたからではない
その証拠として梓憧を任されている
戦術の項目で戦略について触れるのは明らかに間違っている
内政は未経験ではない
部下を訓練や刑罰で殺したとは記されていない
ただ厳しかったとあるのみ
また名士には謙るので人から必ずしも嫌われていた訳ではない
北方三国志でも読んだかな?
>>930 比較しにくくならない?
多分このスレの面白さは、時代や場所の違う本来なら比較できない歴史上の人物を敢えて比較することにあると思う。
>>930 そのようなご意見は思い出したように登場しますが、よくお考え下さい。
>項目ももうちょっとはじけていいんじゃないか?細かくするとかね。
これをやりだすと、比較が難しくなるでしょう。
>個人武勇とか、教養とか。智謀とか…
以前はオプションとして書かれたこともありましたが、廃れてしまいました。
やはり、比較し辛いのがよろしくなかったのだと思います。
ここは 「コーエーゲームで慣れ親しんだ形の」能力と数値で「比較」して楽しむスレなのです。
私もご意見のようなことは考えましたが、この認識に到ってからは止めました。
>>1 の形式も、
論議の末の基準。所詮、コーエーゲーム形式でなければ、ここの楽しみは死んでしまうのです。
ただ、能力値基準については変更する余地があると思っています。
>>820 が意見しているように、総じて歴史上に名を残した人物ばかりが対象ですから
上の値ばかりが連なるのは当たり前で、そうなったら比較しても面白くならないからです。
そこで私は
>>1 と
>>820 を擦り合せてみました。
0… 【論外レベル】 幼若、活躍期間が極端に短いなどのため。 1… 【愚昧レベル】 行為や施策は積極的で、自国・地域・世界に対し、後世に到るまで、著しい不利益や悪名をもたらした。 2… 【無策・愚鈍レベル】 行為や施策は消極的で、自国・地域・世界に対し、後世に到るまで、不利益や悪名をもたらした。
3… 【素人レベル】 行為や施策が、自国・地域に不利益をもたらしたが、後世に影響する程ではない。 世界に影響を及ぼさない。不満レベルの悪名。未経験者。 4… 【凡庸レベル】 行為や施策が、自国・地域への利益や不利益は僅少。勿論、後世には影響しない。 世界に影響を及ぼさない。悪名も功名もない。 5… 【有能レベル】 行為や施策が、自国に利益をもたらした。後世に影響は及ぼさない。 地域・世界に影響を及ぼすほどではない。 その国、その時代限りの成功者。地域史・世界史には登場しない。
6… 【偉人レベル】 行為や施策が、自国に利益をもたらした。後世に影響を及ぼす。 地域には影響を及ぼすも、世界に影響を及ぼすほどではない。 改革・中興レベル。地域史には名前だけ。 7… 【英雄レベル】 行為や施策が、自国・地域に利益をもたらした。後世に影響を及ぼす。 世界に少しだけ影響を及ぼした。 建国・救国・国家英雄レベル。地域史には業績。世界史には名前だけ。 8… 【天才レベル】 行為や施策が、自国・地域・世界に利益をもたらした。後世に影響を及ぼす。 世界にも影響を及ぼし、世界史に業績が残される。しかし世界的古典とは 言えない。百〜三百年間での各地域のナンバーワン。
9… 【超人レベル】 行為や施策が、自国・地域・世界に利益をもたらした。後世に影響を及ぼす。 世界にも影響を及ぼし、世界史に業績が残される。業績すなわち世界的古典。 三百〜五百年間での各地域のナンバーワン。 10… 【聖人レベル】 行為や施策が、自国・地域・世界に利益をもたらした。後世に影響を及ぼす。 世界にも影響を及ぼし、世界史に業績が残される。業績すなわち世界的古典。 五百年〜三千年間での各地域のナンバーワン。
>>1 の「0」と「1」と「2」。これらは抽象的なものに止まっていますから区分け化。
>>1 の「4」と「5」。これらは殆ど区別がつかないものですから一つに纏める。
>>1 の「6」と「7」と「8」の値を1つ下にシフト。「9」と「10」を拡張。
それに
>>820 のものをブレンド。
考察の上で最も重視したのは、「空間的」「時間的」影響力、その評価です。
「世界的」「歴史的」影響力といいかえたほうがいいかもしれませんが、凡人以上では
それだけを重みづけの要素としました。
ただ凡人以下だと、この要素だけでは足りない。
そこで、「積極的にムチャクチャをやり、やる事成す事逆効果」という場合と
「無為無策放置で荒廃させた」という場合の評価は、前者のほうが明らかに
質が悪く評価も低くなるだろうと考え、
>>935 のようにしました。
そして、幼君などの場合は、愚か賢かなどという評価以前の問題と考え、これに
特別な数字の「0」を当てました。
これで値が大きくなりすぎるという問題も解決するのではないかと自負しています。
10【聖人レベル】の条件を満たしうるものは、職業ごとにおそらく3、4人。
それこそ「世界三大○○」に出てくる程の人物だけでしょう。
あと、「利益や功名」と「不利益や悪名」の扱いが全く異なるのではないかという
異議を唱えられる方がいらっしゃるかと思いますので、先に回答します。
なぜこのようにしたのかといいますと、この二つは時間的座標から眺めると
扱いが全く異なるものになっていくからです。具体的には、前者は年を経る毎に
高められ、後者は逆に忘れ去られていくものだからです。ですから、前者は
具体的に、後者は抽象的にカテゴリー化するのが適切と。
最後に、私は
>>789 や
>>875 を書いたものですが、今度は秕政者を書こうと考え、
今人選の最中です。そのうちに発表するつもりです。
>>940 マグサイサイは面白く読ませていただきました
楽しみに待っております
>>932 、933
そんなことは分かってる上で、言ってる。
でもそれが難しいだとかめんどくさいとか、廃れるとか言うなら、
このようなスレタイはやめて欲しいな。人物を数値としてあらわすには浅すぎる。
それでもいやだというなら仕方ない、俺がこのスレを見限って去るしかないね。
>>942 このスレは物の「高さ」「幅」「厚さ」「色」を取り出し比較する場でして、
物の「細さ」「太さ」「頑丈さ」「明るさ」を取り出し比較する場ではあり
ません。 わ ざ と そうしているのですが?
944 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 13:52:58 0
後漢ショウ帝 【指導】0 生後三ヶ月で即位、程なく崩御 【戦略】0 同上 【戦術】0 同上 【内政】0 同上 【政略】0 同上 【人望】0 同上
>>930 のような項目を追加しましても、ここで登場する人物たちの特徴は誰もが知っていること。
例えば、ネルソン提督を引っ張り出して 「特技:海戦」 など書き込んでも、一体何の価値があるの
やらと思いますが。
強いてご希望にそうものを追求してみますと、
武力を「篭城」⇔「攻城」、「包囲」⇔「突破」… のようなレーダーチャート化して論ずることでしょうか。
しかし各々の要素は多次元的に交絡してゆきます。
「弁舌」一つをとっても「語学」「計算」「教養」「魅力」…といって所が絡みます。これは「政治」だけで
はなく「知力」の要素でもあります。どう表現しますか?少なくとも三次元チャート化しないと無理。
文章や数値だけで如何こうできるものではありません。
そこまで書き込めるわけもなし、参考にできる資料が残っているわけでもなし。比較できるような
内容にならないのではありませんか?
>>933-940 乙華麗
テミストクレス
【指導】6 クセルクセス遠征時にヘラスをまとめたのは偉業だが、後に国を追われた
【戦略】7 ペルシアの再侵攻を予見し、サラミスの勝利を導いたが後に追放される
【戦術】6 サラミスの海戦を指揮。しかし勝因は戦術よりも戦略によるところが大
【内政】5 行政家としてはそこそこ有能という程度
【政略】8 目的の為には手段を選ばない男
【人望】5 英雄だが貪欲な上、功績を鼻にかけすぎたので偉人レベルにも達しない
>>943 そう考えて続けてる人もいるだろうね。
俺もわ ざ と 挑戦的に言ってるんだよ。
>>945 特技・海戦じゃなくて、数値であらわすべきだといってるんだが。
それに意味がどうこうなんて言うなら、戦いに関する事だって、たいてい誰が上手かなんて知ってるんだから、意味ないだろうが。
人望だってあったとかないとかたいてい知ってるだろうが。
それと後半の文。
そもそも数値化自体がそういうものでしょ。あらゆる角度から難癖つけまくればどうとでもなっちまうし、
いくらでも取り様はあるんだから。
ここのスレの数値で表すという行為が、どれだけ妥協や稚拙な考察で出来ているか。
本来、相当あらゆる文句を覚悟すべきでしょ。このスレでやっていることは。
人間に数値をつける事を、どうしてそんなに楽に考えられるか不思議で仕方ない。
どうしても無理だというなら仕方ない。
というそのレスはそう言ってるように見えるし、俺はこのスレを去るよ。
ただ。もっとまじめに考えてやって欲しい。今のままなら、こんなスレタイつけて欲しくない。
2chなのに何でそこまでむきに、と思うかもしれないが、2chとはいえどんなものでも許されるわけじゃない。
言いたい事は言った。長々と悪かったね。宣言どおり、もうこのスレは二度と見ないよ。
学問板にも夏は来るということか。 結局数値で表すなんてごく当たり前のことだという、 そんな単純なことも分からないとは、 業が深いね。
何か数値にトラウマでもあるのかこいつ
これがプロ市民か
>>949 きっとあれだ、通信簿の数値も気に入らない人だ
漢の宣帝 【指導】5 様々な行政改革を断行。元帝が後継者として不適切と知りながら後を継がせたのは指導者として大減点 【戦術】3 未経験 【戦略】7 烏孫と結び西域都護を置き西域三十六国を服属、分裂した匈奴の一方を服属 【内政】7 様々な行政改革で武帝の外征以来の国内の疲弊を緩和、また中央集権に勤めた 【政略】7 民間の出で信頼できる臣がいない中霍光が死ぬのを待ち肥大した霍一族の権力を削り殲滅 【人望】6 苦労人。儒を嫌い法を重んじるが後継者選びを見ると情深き人か・・・ 平治の君主としての理想像。民間から一気に皇帝になった異色の人物。 元帝の欠点を懸念しその治世を憂いていながらも後継者に指名したのは亡き許皇后のためか・・・
>>947 >特技・海戦じゃなくて、数値であらわすべきだといってるんだが。
といっているのに
>ここのスレの数値で表すという行為が…
>人間に数値をつける事を、どうしてそんなに楽に考えられるか不思議で仕方ない…
数値付けに難癖をつけている。
「評価」を尺度づけするのは数値。でなかったら(A,B,C…)や(甲,乙,丙…)のようなものしか使えない。
文字で表してもいいけれど、実質は同じこと。
>そもそも数値化自体がそういうものでしょ。あらゆる角度から難癖つけまくればどうとでもなっちまうし、
>いくらでも取り様はあるんだから。
だからこのスレではコーエー風に単純化することがドグマだっていっているのに。
そもそも、複雑化すればするほど逆に難癖つけられる要素が増えるだけ。
そりゃあ分析にかけて評価因子を抽出して…ってことはできるよ。
でも、「第二次世界大戦中の各国の陸軍司令官」みたいにデータの条件を揃えないと全くの無意味。
ここではそんなこともできない。対象が広すぎるから。だからただのお遊び…
ああ、無知無学で何の提言も出来ない上に、結果として難癖だけつけているのかこいつは。
嫌な客だね全く。塩撒いておこっと。
もういいってばよ
マジしつけーな こういう奴ってリアルでも煙たがられてるんだろうな
真田幸村 【指導】8 配下統率○ 【戦術】10 真田日本一の兵 【戦略】9 真田丸 野戦論 【内政】7 親父の下での政治 【政略】8 大坂での地位を考え 【人望】9 配下が誰も家康に裏切らなかった
957 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 04:21:25 0
武勇とか野望とか付けないか?
ポンペイウス(全盛期) 【指導】6 統率力という面では少々かけていた 【戦術】9 地中海の海賊一掃、オリエント征服等、超一流であった 【戦略】9 海賊一掃における周到な準備 【内政】5 征服地ではそこそこ良い政治をした 【政略】5 彼は政治家ではない 【人望】9 偉大なるポンペイウスと呼ばれ、民衆から圧倒的な支持を受けた
劉邦 【指導】8 臣下の進言をよく聞きよく使う。将の将たる人物 【戦術】4 戦上手でも戦下手でもなし 【戦略】5 臣下の言をよく聞き戦術レベルで何度敗れようとも一時の不利益を被ろうとも 戦略レベルでの勝利を執拗なまで求め遂には掴み天下まで駆け上った。 匈奴討伐では失敗 【内政】6 蕭何・曹参など能力のある者に任せた 【政略】6 間違う事や過信が多々あるがすぐに改め屈するときは屈し起つべき時は起つ 【人望】7 兄貴肌の人物。万人に好かれる人物ではなく嫌われる事も多い。 嫁取りの話を見ると妙なカリスマはあったようだ。 劉邦は天才ではない。 故に後世の数多の人達の模範足りえた。
劉邦が戦術普通とか言ってるのは釣りか?
963 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 18:55:16 0
>>962 項羽や英布、冒頓など戦上手に負けたから戦下手というのは酷
秦軍や他の相手には勝ったり負けたりしてる素人とはいえないでしょ
凡庸というのが妥当だと思うが
>>961-963 「あなた(劉邦)が動かせる兵は多くて十万」でしたか。
十万動かせるならば将軍経験者としても凡人以上では。
ならば「5」でも不適切ではないでしょうね。
それからこの話で象徴されることですが、劉邦のやり方や
考え方がその後の中国や周辺諸国の政治家(指導者)観の
スタンダードになり、2000年以上経った今でも生きている
ことをもっと素直に評価するべきではないかと。
ですから「官僚の将」としての政治家の能力、すなわち
【政略】には9〜10を当てるのが相応しいのではないかと
思いますが。
>>963 逆だ
俺が言いたいのは低いんじゃないか?って事だ
966 :
961 :2005/08/07(日) 20:39:09 0
>>964 935-938のレベルに合わせて能力を付けてみましたので少し数字的には低目かも知れません。
指導者としての能力は指導のところでまとめて反映させましたので
離反者も多く出してたのがマイナスになりました。
>>965 上に書いたように数字的には低めになってます。
歴戦の将ですので5を付けようかと思いましたがやはり有能というには負けが多いかと思い
今回は4としました。
皇帝になってから親征して勝ってるのだから5としても私も別に良いと思いますが。
>>940 金日成や旧東欧の指導者のように、
国益を犠牲にして、警察国家を築いて自己の権力を維持した人物は、
どのように評価すればよいのでしょうか?
ナポレオンやヒトラーのように、一時は地域レベルの覇者となったものの、
最終的に国家を破綻させた人物はどうなるのでしょうか?
積極的に自国に損害を与えたということで1になるのでしょうか?
それとも、権力を保持したり、一時的に覇権を握った能力を評価して、
それなりに高い能力を与えられるのでしょうか?
>>967 政略(或いは戦術・戦略)を高めにして、
内政を低くすればいいのでは?
>>956 戦術、戦略、人望はまずありえん
戦術は家康に比較して強いだけで、世界的に有名でもないしそこまで高くは無いと推測される
しかし、国内では一流だと思われるので気を悪くなさらず。
戦略に関しては寧ろ低いほうかと。高い場合では恐らく劣勢の側に立たないであろう
人望がそこまで高いなら敵将が裏切って豊臣側につき、逆に大阪の陣で家康を撃退してると思われる。したがって過大評価。
以下私的な評価(
>>1 の基準を使用)
【指導】7(国内を代表まではいかないかと)
【戦術】8(同時代の国内で考える。世界的に見るとさすがに解らん)
【戦略】6(まぁ、親含めると織田に対しては刃向かってない時点で一流と見える)
【内政】5(内政については評価を聞かない。この程度では?)
【政略】4(このぐらいが妥当かと。この人は基本的に文官ってより武官だろ)
【人望】6(兄を除く身内は皆徳川につかず、という点では有能止まり。本当に魅力があるなら敵から味方につくでしょ)
あまり凄く見えないのは世界が広いって事だろうか
>>940 有名人は、凄い業績を残して出世してゆき高い評価がなされ、トップになって
幾つかの失敗があり評価が落ちていきます。必ずこの道を辿っていくものです。
ですから、小さくみてゆけばその任期(存命)中に成功と失敗が並存するのは
至極当然のことで、いかに偉人天才であろうともこのバラツキは存在します。
>>967 では「このバラツキに対しどういう代表値をつければよいのか?」という
ことを問題にされているのだと思いますが、
しかしこれは「歴史的評価」の本質を突くものなのでしょうか?
歴史的評価というのは、彼が現役から去った後、歴史に書き込まれるときに
自動的に生まれるものです。そしてこの時点で、既に現役時代のバラツキが
除去された代表値としての属性を有しています。
そして、評価というもの自体が、「どれだけ良かったか優れていたか」という、
誉める尺度としての属性を有しています。私は
>>940 で「利益や功名」と
「不利益や悪名」の扱いの差について語りましたが、ここにその理由が
あります。
>>970 あ、まちがえた、
>>940 ではなくて
>>967 ですね(^^;
話を続けますが、歴史的評価というのは、その時点で彼の「総合評価」であります。
それが「どれだけ長く」影響力を保ってきたかということなのだと私は考えます。
しかしながら、影響力には限度があります。
一つは時間的な限界。もう一つは空間的な限界です。
時間的な影響力が小さければ、それは「歴史的な」ものとしては低く見るべきでしょうし、
空間的な影響力が小さければ、それは「世界的な」ものとしては低く見るべきでしょう。
ですから、バラツキから論ずるのはあまり意味のあることだとは思えません。
既になされている「世界史的な評価に異議あり」という動機から、論ずるのはよろしい
かと思いますが。
で、金日成は既になされている評価から考えるべきではないかとおもいますが、
>>968 のように能力の「内容」を工夫し表すのがよいかもしれません。
金日成は「辣腕ではあったが時代遅れなやりかたが国家と国民生活を破綻させた。
でも政争には勝利し君臨も長かった。戦略は国レベル適切であったかどうか疑問。
世界的視点からは影響(=迷惑をかけている)を与えているので低くとる」として、
【指導】高め、【内政】低、【戦略】は低くとる…と。
金正日は「金日成の劣化コピー。政策は餓死者を多く出したなどの大失敗。
クーデター脱北者は数知れず」で、金日成よりも低く、【指導】最低 【内政】最低
【戦略】は金日成より低い…と。
ここで金正日は「金日成の劣化コピー」が「歴史的評価」。後世に到っても変わる
ことはないでしょう。しかも「劣化コピー」ですからどこをとっても「3」の凡人を超える
評価はできない。どころか、国内では(彼の政策のせいで)餓死者、脱北者を出し、
対外的には、大量破壊兵器、覚醒剤、拉致…と国を「世界的な悪の総合商社」に
までしてしまった。
「歴史的評価」というのには、先代の整えた環境と先代との比較という要素も
必要な因子であろうかという例になってしまいますね。それはこのスレにおいて
「内容の工夫」で如何こうしなくてはならないのでしょう。
ヒトラーの場合は「ケインズ理論で破綻した国を奇跡的に復興させた」という評価…
やはり誉め言葉ですが、これは当時はもちろん、現在においても、そして後世に
おいても不動の歴史的価値、それも世界に影響を与えたものですから最高レベル。
これは【内政】の範疇と考え、これに最高レベルをおく。
しかしながら、彼は「大戦を起こし、敗北した」という「歴史的評価」も有ります。
奇跡的に軍事力を復興させたなど戦略家としても【戦略】はまま高くおけたとしても、
「戦術レベルにクビを突っ込んだ所為で敗北した」というのも定説でありますので、
【戦術】を低くすると。
こんな感じに、「歴史的評価」から、
>>1 の各内容を解釈して当て嵌めていくのが
よろしいのではないかと。
>>969 >戦術は家康に比較して強いだけで、世界的に有名でもないしそこまで高くは無いと推測される
>しかし、国内では一流だと思われるので気を悪くなさらず。
>あまり凄く見えないのは世界が広いって事だろうか
こういう視点が「世界史」的評価としての視点であり、このスレでは妥当と私は思います。
ただ、秋山が義経の騎馬戦術を世界史的に見て画期的と評価したように、こういう国内だけの
人物であっても必ずしも低くはできない面もあります。こういったレベルで話せればいいのです
が、私の力量ではとても無理…
簡単な基準として、いわゆる「日本一」とかその時代のその地域の最高というのは「8」でいいかと コーエー的なら戦国最高や三国史で最高とか 「8」と「9」の壁が厚い 「9」だと特定の時代だと「世界一」、 特定の地域(日本とかじゃ狭い)で時代を超えて最高もしくは後世への影響ぐらい必要 余談だが、真田信繁の日本一ってのは歌舞伎役者に「よっ、日本一」って言ってるようなもんでは (それでも役者のなかでまじで日本一の役者に向かってのみ言うならいいが)
>>974 源義経
【指導】5(あくまで部下のみ、ここを超えるのはやはり国家レベルと思ってる)
【戦術】8(世界史上でも凄いとされるためこのレベル、しかし同時代にチンギスハンが居たのは不幸か)
【戦略】4(基本的に前線指揮官だからねぇ)
【内政】3(統治に関していい話は聞かないね)
【政略】2(結局後白河法皇と源頼朝に翻弄されてる)
【人望】5(当時としてはそこまで人気は無い、しかし後世の判官びいきの点を考えて少しプラス)
こんな所ではないかと
>>975 >「8」と「9」の壁が厚い
そこのところを気にして、私は
>>937-938 のように「7」〜「9」に拡張しました。
単純な「日本一」では「7」にしています。
「日本一」をスポーツ界に置き換えて、世界の視点で見たら・・・んーと
「6」…国内第一人者。世界ランキングは五十番台。大会に出場権はあるが予選落ち。もちろん世界では無名。
「7」…国内無敵。世界ランキングでは二十〜十番台。大会では本戦・入賞狙い。このへんから世界レベル。
「8」…世界ランキングでは五番以内。大会ではメダル確実。『金メダル?ええ、まぁがんばります』。世界の第一人者。
「9」…世界ランキング一〜二位。『金メダルは渡しません』。一時代ではあるが、もはや世界史の主役。
「10」…世界大会ン連覇。ペレかアベベか谷亮子か。永遠に残る、世界の歴史そのもの。
という風に。
>>977 >>1 の様に拡張せず単純に考えたほうが受け入れ易い気はする
やたら複雑すぎると議論に決着はまずつかないと思うし、
やるなら「6-1」「6-2」のように各数値を細分化した方がええんでないの?と思う
979 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 15:27:27 0
>>987 まぁ、それでいいんでねーの(丁寧に書くと余計わかりにくいのが不思議だが)
スポーツ界ってのも面白かもしれんな
まぁ、このスレだとスレ違い・板違いだし、わざわざスポ板まで出向くのもめんどくさいが
980 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 19:39:34 0
冒頓単于 【指導】9 鉄の結束を誇る 【戦術】10 一代で大帝国を作り上げ、白登山で劉邦を撃破。 【戦略】9 同上 【内政】6 遊牧のことは知らん。 【政略】7 漢との和親で経済を安定 【人望】6 親からすら廃されそうになるがこのくらいか
始皇帝 【指導】9 韓非子の信奉者で体現者。巧みな人材登用とその統率力。 その指導力を持ってひとつの中国を実現させた。 趙高をそばに置くなど晩年は陰りも見せるがそれでも生きてる間は秦帝国を完全に掌握していた。 【戦術】3 未経験 【戦略】7 李斯の言によりその国力を背景に六国に侵攻ことごとく平定する。 北に名将蒙恬を配し長城を築き北の脅威を抑え南はベトナムまで征服。 【内政】8 李斯を用い秦伝統の法治主義の下政治を行う。 中央集権を目指し封建制を廃し郡県制を採用、後の王朝もこれを採用するようになる。 また度量衡、貨幣、文字の統一、交通を整備をし1つの中国を作り上げる。 偉大な功績の一方己の欲望のため無用な土木工事で民を圧迫し国を乱すもとになる小人物的な事もした。 【政略】5 李斯と謀り韓非を捕らえたり各国の国力を削いだりした。 【人望】2 徳ではなく法による統治を目指しており家臣を疑い自らも家臣に疑われ信用されるような人ではなかった。 阿房宮など欲深い人であったようだ。
>>981 業績だけ見れば内政は10あげたい感じだね
まぁ、内乱多いのと、死後大規模反乱起こった点で落としたのかな?
983 :
981 :2005/08/08(月) 23:33:24 0
>>982 中華世界への功績だけみれば中国史上でも1、2を争うかもしれないが
国家レベルで見ると統一後のまだ新しい国家統治が安定してない中
阿房宮や始皇帝陵などの愚かな土木工事もやってますので・・・
王者の家に生まれたため(子供のころ人質でしたが)民の心がわからなかったのでしょうか
ん〜、日本を逆ひいきで低くしすぎな気がするような。 日本って、すめる所は少ないけど、人口、国土、どちらも大きい方でしょ?今も昔も。 今では一つの国になってるけど、ある種の地域と言ってもいい程度の大きさはあると思うんだけどね。 まぁ、海に囲まれてて、中華思想の国があって、他国には影響を与えにくいって条件なんかは無視してもいいと思うけど、 日本って言う国の広さを小さく見すぎてる気がすんなぁ。
日本国内にしか影響を及ぼさなかった人物は評価はなかなか難しい
>>984 広いと言ってもフランスやスペイン一国とどっこいどっこいでしょう。
日本だけで一つの地域ってのはちょっと身贔屓過ぎ。
ここらへんで地域と言われているのは、
ヨーロッパ・東アジア・中東等々かなり大きな範囲だからね。
>>984 そうですねぇ…日本は古代から文化圏として独特のものがあって、その文化圏の人口としては結構な数で、
経済的にも栄えていたと考えれば、確かに日本という国は世界的に見て小さなものではないと私も思います。
でも、「ヨーロッパ」「支那」「インド」「アラビア」という地域カテゴリーと較べると、どうでしょうか。
日本は順位一ケタは確実としても五本の指に入る程ではない。その程度ではないかと思いますが。
現在日本にしましても、人口がかつてのように4〜5千万人に減少してしまったら、経済などあらゆる面で
そのくらいの順位に落ち着いてしまうことでしょう。ドイツのように。
>>987 の様に考えるとやはり中国に影響及ぼした人物は少ないから
やはり日本人の評価は低めになるのは仕方ない感じやね
それにまだマシだろ?お隣の半島なんて、9どころか8や7すら・・・
989 :
世界@名無史さん :2005/08/09(火) 16:39:35 0
そこで思いっきり小規模な地域ブロックの英雄をやってみたらどう? カメハメハ大王の評価とかキボン
990 :
984 :2005/08/10(水) 01:33:04 0
うん。言い過ぎだね。地域っていうのは。 よく考えたら、なんで違和感あるかわかったよ。 相対評価なのか、絶対評価なのかっていう問題なんだ。 テンプレ通りにすると、絶対評価になるんで、日本みたいな国は点が低めになるし、もっと酷くなる地域があるってことなんだ。 絶対評価を基準にして、それ以上の点数を出したいんだったら、 その当時の他国の標準や、革新的なものを引っ張り出してきて、 それと比較して優位にあるという主張をもって、ある程度の相対化を図れば良い訳だ。 いや、変なこと言ってスマソ。
991 :
世界@名無史さん :2005/08/10(水) 04:04:02 0
>>977 比較対象の分野が明確で、記録や勝敗がはっきりしてるスポーツは数値化に向いてるんだろな
と、ヘルシンキの為末銅メダルを見て思った(為末は「8」だな)
>>990 そういうことですね。このスレでやっているのは、「世界の歴史に残る」っていう、絶対評価ですから。
ローカルな人物でも、それこそ「世界の歴史に名を連ねられるくらいに画期的革新的なもの」を残せれば高くできると。
>>991 世界ランキングというもの自体が、実力影響力評価の数値化そのものですから。
このスレで、私は「10」を数値を時間的に超えられた人たちと位置付けています。
五輪三連覇の野村忠宏にしても、出鱈目に強いだけではなく、登場してから軽量級柔道の技や考え方が
全く変わってしまったと言われています。ここまで来てしまうと、彼らが引退しても確実に歴史として残るん
です。これこそが、
>>990 さんのいう「革新」なのです。
>>977 をちょっと書き換え。
「6」…国内第一人者。世界ランキングは五十位代。大会出場権はあるが予選落ち。もちろん世界では無名。
「7」…国内無敵。世界ランキングでは二十〜十位代。大会では本戦・入賞狙い。このへんから世界レベル。
「8」…世界ランキングでは十位以内(五位前後)。大会ではメダル狙い。『金メダル?ええまぁがんばります』。世界の第一人者。
「9」…世界ランキング三位以内。『金メダルは私のものです』。一時代ではあるが、もはや世界の主役。
「10」…世界大会ン連覇。ペレかアベベか谷亮子か。永遠に残る、世界の歴史そのもの。
そろそろ、どなたか次スレ立てをお願いします。
>>990 後、世界的に知名度が高い場合はその点も考慮に入ってもいいと思ってたりするね
維新前日本だと信長、武蔵、徳川幕府あたりか?(知人外人だとこの辺しか出さない、徳川幕府あって家康無いのはどうにもこうにも・・・)
ま
も
な
く
念願の・・・
1000 :
世界@名無史さん :2005/08/10(水) 14:44:35 0
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