新スレたてさせていただきます。関連スレは↓
前スレが埋まりましたので明日にでも
まとめをカキコします。
∋oノハヽo∈ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^▽^) < 新スレおめでとうございま−す♪
= ⊂ ) \_______
= (__/"(__) トテタタタ
さすがにカトーの名にはけちがついたし、とはいえ名無しやその4
とかいう暫定コテでもどうかというので改めました。
前のカトーがカルタゴ滅ぶべしのカトーからきておりましたが
今回はあれだ・・・水野忠邦の忠邦としました。
なおまとめは名無しでつけます。2つ使い分けということで
ご容赦のほどを。
(紀元は西暦)
紀元前146年 第3次ポエニ戦争終結、ローマ、カルタゴを滅ぼす。
隷属を拒んだ一行が船団を組み、大西洋を渡る。
南北アメリカ文明史のすべてはここから始まった・・・
紀元前2世紀後半:北米大陸東海岸にフェニキア人上陸。
フェニキア語で「新しい西の地=エレブ・ハダシュト」と命名し入植。
東海岸の先住民を鉄器・疫病・騎馬で圧倒し、版図を広げる。
少し飛んで・・・
紀元後3世紀までに:(この頃までにミシシッピ流域にフェニキアの文化を取り入れた
文明が成立していた様子)
3世紀中頃 :ミシシッピ文明にて開祖アセオラが座教を興した(と伝えられる)
そして激動の4世紀:ミシシッピ流域に騎馬民族による史上初の統一王朝興る。
のち東海岸のネオ・フェニキア文化圏を併呑。
フェニキア人はフロリダへ、さらに海路カリブ海へ脱出。
脱出の数年後、マヤの古記録に「海からチチメカ現る」の記述登場
後世のカリブ海航路の発端となり、マヤ〜カリブ〜カホキアを結ぶ交易路開かれる。
また少し時代が飛んで・・・
7世紀 :ニカラグアで「ニカラグア教」創始。
7世紀後半:ミシシッピ流域で「中期座教」定着。
8世紀 :フェニキアに「ハンニバルの再来」と称される英雄出現。
海軍を駆ってカリブと中米にまたがる版図を征服する。
史上初めて南米のアンデス文明へ侵攻するが撤退。
英雄の没後、政権は分裂に向かう。(このころジャガイモが北米に伝来か)
8世紀〜9世紀 カリブ・メソアメリカ諸国が台頭。(「諸国」とあるのでフェニキア分裂後か)
ミシシッピ川流域で樹木伐採加速、森林が急速に減少。
代わって五大湖以北の木材供給が拡大。
9世紀 中米で加硫ゴム発明、武器「マヤ弩」考案される。
北米東部の人口、1億人突破
10世紀初頭 パナマ地峡に「パナマ信教徒国」勃興
10世紀末〜 北米東海岸にバイキング到達。(986〜1000頃か?)
旧大陸の疫病が北米で流行し、北米人口増加の減速期が訪れる
10 :
名無し:04/11/29 19:54:30
12世紀 中米を中心にメソアメリカ・ルネッサンス興隆
13世紀後半 パナマ信教徒国、北はニカラグア南部から南はコロンビア北部まで版図を拡大
1252年 ミシシッピ王朝、時の皇帝チュマシュ二世により座教の鋳銅製神像
「オブジワホピの大座像」完成。
1282年 コロンビア北部で「ボアコの聖戦」。火器が使用される
1315年 ニカラグア教「月杖軍の遠征」。パナマ信教徒軍を討つ。
「ギアの銃撃戦」で史上初めて実戦に小銃を使用
1322年 中米・テスココで活版印刷装置「ユアンケ」発明される
1393年 セーアカトルの宗教改革。
これ以降、遠国への布教団派遣が盛んになる
1415年 ニカラグア教の布教船団が遭難、アフリカ大陸南端の喜望峰に漂着。
11 :
名無し:04/11/29 19:58:38
1415年、ククルカン司祭の布教団と鄭和艦隊が南部アフリカで遭遇
1420年には最初のニカラグア教布教団が南アフリカへ派遣される。
1431〜1449 バーゼル公会議。ウィクリフ、フス派への対応とともに
新世界問題が協議され、教皇庁は公式に
「新世界は悪魔の所産」という声明を発す
15世紀の後半、北欧・アイルランド・スコットランドなどは
対フェニキア貿易を優先し、教皇庁と対立しはじめます。
イングランドはスコットランドとの対抗上北方諸国と対立して
大陸と結び、カトリック色を強める。
一方フランスはスコットランドと友好関係にあり、
台頭するハプスブルクへの警戒もあって、
1477年にブルゴーニュ公国を併合すると、策謀家のルイ十一世は
アヴィニョン教皇を再擁立。カトリックは再び分裂す。
イングランドは教皇のお墨付きを得てフランス沿岸略奪に専念。
自然国内の羊毛産業は衰えはじめ、それに伴ってネーデルラント地方の
経済的重要性も低下。
12 :
名無し:04/11/29 19:59:59
教皇庁は史実よりもはるかに強くハプスブルク家と連携し、
聖界と俗界の支配を分担しつつ、ヨーロッパのカトリック的
世界秩序再建を目指し、激しい反動政策を展開。
15世紀末にはイタリア・ルネッサンスは圧殺され、
大量の人文主義者らが北欧・オスマン帝国・北アフリカへ亡命。
16世紀前半にはルターやカルヴァンの宗教改革が始まり、
北欧、スコットランド、アイルランド、北ドイツが新教に改宗。
主にドイツを舞台にして、大規模宗教戦争が始まります。
ハプスブルク家のカール五世はスペインとオーストリアを一括支配し、
両国とも統一されたままフェリペ二世に引き継がれ
スペインとオーストリアは事実上一体となり、イングランドと緊密な同盟を結んで
教皇庁と強固なトリオを組みつつ正統カトリックを護持。
これに対しフランスはアヴィニョン教皇を奉じるため両側から迫る
ハプスブルクと睨み合いの関係にあり、時折ライン流域で戦火が燃える。
ドイツは国内の諸侯に双方の陣営が代理戦争させる形で、凄まじい混乱の裡にあります。
北欧、というか北方ヨーロッパ圏はバルト海の向こうにいて、
直接戦火をこうむることはあまりなく、比較的安定した状態です。
13 :
名無し:04/11/29 20:08:44
ヨーロッパでは長期にわたる南北大戦が続き時とともに
南側諸国が弱体化し、
ヨーロッパ文化圏そのものが衰亡に向かい始めます。
一方フェニキア人はアフリカの沿岸諸都市へシフトし、
もともと見るべき物産に乏しかった欧州を無視する形で
大西洋貿易はインド洋やアジアの物産とそれを主に扱う
イスラム世界と新大陸のフェニキアとがアフリカを舞台に
アフリカの物産を交えつつ執り行うようになっていった。
これがアフリカの黒人王国との交流を生んで、新しい文明の萌芽を促す事となる。
一方アフリカ大陸南部に根付いたニカラグア教は徐々にアフリカに信徒を増やしていた。
14 :
名無し:04/11/29 20:16:33
一方リューリック朝断絶の後帝位を簒奪したボリス・ゴドゥノフ
がリューリク朝にかわりゴドゥノフ朝を成立させた。
見るべき魅力を失い南北対戦の中で疲弊した西欧に見切りをつけ
南のゴドゥノフ朝ロシアは、正教を捨ててイスラムに改宗、
新たな活路を南方に求めます。
ロシアが採用したのは、イスラムでもシーア派の方でした。
オスマン帝国と黒海、また黒海への道をふさぐクリム・ハン国をめぐって
対立があり、その事情によってロシアはむしろ
サファヴィー朝ペルシアと手を組み、共同してイスラム世界の東半を担う
道を選んだのです。
15 :
名無し:04/11/29 20:17:31
イスラムに改宗を良しとせず正教にとどまった勢力はロシア北部のノブゴロド地方に
独立政権を樹立し北欧圏と結合し、北方ヨーロッパの最東端として、
ロシア・ペルシアと北欧を仲介する自由貿易自治都市国家となります。
こうして十七世紀半ばまでには
フェニキア・北米・北欧・ロシア・ペルシアという内陸経済圏が誕生したのです。
16 :
名無し:04/11/29 20:45:18
一方東では
源義経の一派が北米西部に漂着し扶桑の土台を築いて以来
扶桑国が着実に成長を遂げていた。
そんな彼らの母国たる日本では
慶長2年(1597)
天下人豊臣秀吉が明に向かう為の朝鮮征伐と
あわせ南蛮征伐を敢行、台湾が豊臣直轄領となる。
その後関が原の合戦後、日本での覇権を失った豊臣家は
元和元年(1615)、大坂冬の陣の後台湾に後退
ここに豊臣高山国が成立する。
1669年(寛文9年)寛文扶寇
帝国のたがが緩んだ明朝が満州族の後金に押され
日本の支援を受け明清騒乱のすえ南北に
南明と清が並立することとなった。
これに対し清朝が日本に対する報復として
アイヌがシャクシャインの号令で大反乱を起こした際に
アイヌを支援したのだ。
この戦争の後アイヌによる樺太国家成立へ向かう。
17 :
名無し:04/11/29 20:46:08
江南では古くからの中華秩序が失われ
商業や殖産興業がさかんとなり資本主義経済への萌芽も
みられ独自の国家形成にむかいつつあった東南アジア諸国
との交易も栄んになった。
こうした南明や日本との角逐に目を向けすぎた清朝に対し
明の旧臣でありながら保身のために清(後金)につき
明清並立で中途半端な立場のまま、明の国境沿いに三藩として
おかれていた。
この三藩が呉三桂の下に糾合、日本の支援を受け准水と長江の間に
新王朝・周を成立させた。
18 :
名無し:04/11/29 20:58:13
17世紀後半
アフリカでは世界の文物が集中し本格的な国家形成に
意識が向かいだした段階にあり、その急激な経済成長と
価値観の変化に、向かう激動の中
欧州を巻き込んだ国家間の騒乱とニカラグア教の処遇をめぐり
大戦乱が起きた。
新大陸のメスシピ朝内乱、ロシアとスウェーデン間の北方戦争
欧州アジアを巻き込んだハドリアヌス戦争など、
日本南明間の東シナ海戦など
直接世界を二分したわけではないが、何らかの形で全世界に
連鎖反応のように地域戦争を起こさせたことから
このアフリカ動乱を「亜近代世界戦争」と呼ぶ。
なおこの戦乱の副産物のひとつとして
朝鮮半島では李氏朝鮮が王位を追われ両班の合議による
政体に以降、漢字からハングル文字への切り替え
中華帝国の暦から壇君暦への切り替え
儒教からニカラグア教朝鮮国教会への切り替えによる
富国強兵政策に邁進しだす。
19 :
名無し:04/11/29 21:03:39
時代は遡るがルソン(フィリピン諸島)では
日本や高山の長曽我部勢力が集中して蜂起したことから
本多正純を総大将に肥後加藤家、安芸福島家のルソン転封を
あわせた派遣軍を派兵
ルソン探題が置かれ、後に三代将軍徳川家光の弟忠長が
ルソン総支配として派遣されてしばらくし
南朝の後裔長州大室氏を王に報じた古南国
が成立し、日本とは独自の道を歩みだしていた。
20 :
名無し:04/11/29 21:07:46
とまあこんなところです。
あとはアフリカ、日本はじめ東アジア、新大陸で同時多発的
産業革命の萌芽が見え
相互交流の副産物か、未だ世界の伏流水でしかない太平洋南洋ルート
のマレガ(豪州)で蒸気機関の本格使用が起きようとしていた。
21 :
名無し:04/11/29 21:17:01
この世界の大動脈は
新大陸=アフリカ=アジア
なのですが
その傍流として新大陸北東のヴァイキング国家ヴィンランド
とアイルランド・スコットランドやスウェーデン・デンマーク
そしてノブゴドロという北方ヨーロッパ世界が形成され
ゴドゥノフ朝シーア派ロシアとサファービー朝ペルシャのライン
からインド洋につながるルートも活況を呈していた。
そうした大動脈に微妙に離れた位置に置かれた二つの大国
があった。
大清帝国
オスマン帝国であった。
そして
そんなオスマン=トルコ大帝国は
戦乱で弱体化した神聖ローマ帝国とハンガリー王国に矛先を向け、
陸路、地中海の二大海軍国のひとつのヴェネチアを攻撃、地中海全域の
制海権を確固たるものとする一方で
海沿いにエチオピアのキリスト教国家に矛先を向けて、
紅海を完全な内海にしてしまう。
そうした中ポーランドでは
東のシーア派イスラム教を奉じるゴドゥノフ朝ロシア
西のスンニ派イスラム教を奉じるオスマン帝国支配化に
置かれた欧州半島をうけ三方をイスラム勢力に囲まれた
北方カソリックの砦として危機感を強め
国内統一、集権化そして富国強兵政策に邁進し
またヨーロッパ南北戦争の折フランスに奉じられていた
ブノワ(並立教皇)をアヴィニョンフランスからひそかに招聘
オスマン帝国の支配下に置かれたローマのカソリックからの
独立を宣言した。
こうしてフランスの人材が多くポーランドで活躍する素地が
できてくるわけです。
例えば宰相リシュリューとかはポーランドの王宮で活躍する
ことになるのです。
でこの世界での問題点をみてみましょう。
アフリカでは 中央アフリカのカネム・ボルヌ帝国がチャド〜スーダン
(エジプト隣接)〜ギニア東岸にまたがる超大国として覇を振るい
ますがこれはあくまで"時代錯誤の大国”ちょうど史実で言う
ロシアのような役回りしか期待できないのです。
北方ヨーロッパ世界の加わった格好になるもうひとつの超大国
サア−ド朝モロッコは北大西洋に活路を求めるのでよしとして
オヨ、ダホメー、コンゴなどの東アフリカキリスト教黒人諸国は
西欧のような役回りになるのです。
ちょうど戦火のようやく収まったアフリカでの交易再開だけでなく
自ら販路拡大を行うことでしょう。
その向かう先はパチャ(中南米)です。史実のイスパニアほどではないししろ
南米各地に拠点としての都市や租界を作ります。
ここでアフリカと南米の本格交流をイメージしているのですが・・
アフリカや南米となると・・そうこの世界では史実よりもはやく
危険な悪疫に悩まされる格好になるわけです。
で、この世界では相当に衛生習慣の徹底や医療技術の進歩が
促されることでしょう。
そうしないと話が続きません。
そしてもうひとつ、この世界では我々の世界の価値観が
そのままあてはまらないのです。
実のところアフリカ戦争の意義として
【ハートランドの誕生】
この世界における大動脈の要に位置するアフリカはこの世界での
ハートランドといえます。
世界中から物産や人が集まるわけです。
アフリカを根幹にアフロユーラシア世界と新大陸世界が一体になる
そんなハートランドは史実の中に存在しません。
まして舞台は文明の処女地たるアフリカです。
そこでどんな文明が生まれていくのか・・
はっきりもうして今の私の想像の外・・
【世界宗教戦争】
この世界ではもうひとつありえない事が起きてます。
躍進勃興期の世界宗教同士の激突です。
キリスト教とイスラム教の場合どちらかが衰退期であったし
十字軍など窮鼠猫を噛むでしかない。
ましてキリスト教とイスラム教は同じ経典の宗教であり
なんとなく兄弟宗教という認識は主にイスラムが当時は持っていました。
他の宗教とはスケールが違いすぎます。キリストイスラムで世界の大半を
席巻してるんだから・・
が・・この場合
旧世界の繁栄するイスラム教に対し新世界のイスラム教
といえるニカラグア教が登場します。
ニカラグア教が、かように旧世界で目の敵にされたわけは
この世界では国境が明確でなく、国家は祭祀や王権への権威への
求心力だけが頼りの場合がほとんど。
で免疫もつき棲み分けもできていた旧世界の宗教の縄張りに
信条や思想などを押し付け、既存の民族や国家への意識を
吹き飛ばす。
「ニカラグア教徒はニカラグアの神の国が唯一の故郷だ」
といった具合にです。
無論暴力的な手段も使います。
この世界ではキリスト教はがたがたになっています。
事宗教勢力としてのパワーではイスラムでしょう。
両者の激突は凄まじいだと・・
私も考えアフリカ戦乱〜亜近代世界戦争は100年続くぐらいに
考えてたんですが・・
以外にも戦争は開始時期で差はあれど、短期間で
決着してアフリカで和議が結ばれ国際ルールの基ができてしまったんです。
理由は簡単。
経済的メリットが無い。
この戦争で各交易ルートでの優劣や一定の秩序が決まれば、長引く戦争は
意味が無いのです。
宗教の信条よりも目先の利益です。
ニカラグア教は旧世界の過剰反応で思ったほど国教という形では定着しそうも
無くなり
国家を巻き込んだ二大世界宗教の宗教世界戦争は
熱い戦争から冷たい戦争になってしまいました。
【国際資本戦争】
つまり、この世界では国家同士が戦争しあう状況があまり生じないんです。
しばらくはこの大流通網で生き延びる為
各国各勢力の自制内需内向の時期に突入させざるを得なくなりました。
次なる産業革命への助走期間でしょうか?
それに加えこの世界では思っても見ない現象がもうひとつ。
国境なき民による国際資本ネットワークが国家より意義を強めてます。
特にユダヤ(史実ではユダヤの一人勝ちでしたが)に対し
フェニキアという対抗馬が世界経済覇権を競うわけで
これにダークホースの華僑や、有力勢としてインド系商人などなど
イスラム商業資本も西欧の未登場で衰えてはいない。
軍事戦争以前にマネーゲームというか経済戦争という要素が
大きく絡んでしまいました。
【世界列強の大競争】
ここでは史実のような北西欧州からの西欧列強の一人勝ちで
日本だけ仲間入りなパターンの安易な列強の決め方ができない。
アフリカ、新大陸、東アジア、内陸アジアどれにも列強に
相応しい有力国が虎視眈々と覇を窺い競い合ってます。
全部を網羅するなど・・・無理に近いかも・・
てわけで水明さん、ねこくちさん
私めのいき詰まりは28〜34に要約されてるように
この世界の価値観に振り回されだしたんです。
だからどんな事件が起きるか今の段階で予想しきれない。
技術の進歩も未知数ですし。
でも私の考え得る範囲では・・できてる腹案として
オスマン帝国は鎌倉時代から続く大国で制度疲労がきつつある。
オスマン帝国の柔らかい専制は西欧列強が登場しないこの世界では
史実より衰えませんが・・やはり内部腐敗とか懸念材料は多い。
で西欧欧州の制覇のおかげで欧州へのインフラ統治機構の整備
とか必要なことが増えました。
西欧では「汚しことクリスチャンの如し」といわれペストを起こした
不衛生な欧州がオスマンイスラムの手で改善できる好機でしょうが
オスマンには出費ばかりかさみそうです。
で時代は過ぎ問題が山積しだしたオスマン帝国で頭角を現しだしたのは
コルシカ島の出身ナポレオン将軍でした。
サラディンの再来と謳われオスマン帝国の大宰相に上り詰め国内改革に
成功、北海バルト海に野心を伸ばし
スウェーデン帝国の海軍提督ネルソンとキリスト教イスラム教の
命運を賭けた一騎打ちをやらかす。
おと・・ごめんなさい。ネルソンの所属はイングランド。
スウェーデン帝国の支援を取り付けたイングランドと
オスマン帝国の争い。ということで・・
ついでに話にはまるで関係の無い
「歴史の余談」
豊臣高山国の首都は常陽都であるが、その鬼門(東北)には英世市でがある
ここには豊国大明神が祭られている。
英世市(えいよしと読む)は読みを変えると“ひでよし”となる。
さらに真北つまり北極星の方角に位置するのは高山八幡宮である。
この八幡宮の祭神は本来神功皇后と応神天皇であるが
ここでは豊臣吉子(高山院)と豊臣秀頼が祭神である。
常陽の裏鬼門(西南)に淀殿が祭られた大淀院が置かれている。
この三社を豊臣三尊という宗教上の最高権威である。
おと、この世界の問題点がまだあった。
【国民国家の未成立と複数資本主義の競合】
ここでは近代ヨーロッパが生み出した国民国家の概念が
普及しません。
西欧のインパクトが他地域に有効な戦争機械たる国民国家の
概念を印象付け目指せ西欧の形で国民国家が誕生していったわけ
ですが・・
ここでは民族自立すらどれだけ起きるか予想もつかない。
まして1民族1国家だの(私たちがイメージしてる)国民国家だの
は、この世界では生まれない。
似たような国家の仕組みは必要でしょうが、どちらかといえば
合衆国やソ連とかオスマン帝国やオーストリアのような仕組みが
一般的に近いような気がします。
民主主義も、私どもの世界での様な民主主義や大衆革命はあまり
要望が無さそうです。
まして共産主義が生じない。社会主義的資本主義だのイスラム資本主義
だの東洋型資本主義だの複数の違うルールを持つ資本主義市場経済の
ブロックがぶつかりあうだけで
資本主義VS共産主義のような単純な構図はまず生じない。
ここでの民主主義社会とは、普通の私たちの世界の平等民主主義社会
ではなく
身分制民主主義、階層型民主主義社会といったものかも
例えば上層、中級、下層、最下層といった具合に身分が決まっていて
上層は封建的社会で荘園経済だが
中級、下層はおのおの身分内で民主的な議会を運営し一定の自治をし
資本主義市場経済で暮らしている。
そして最下層は大家族制度でソ連のような統制共産主義社会
でそれでそれらが並存し、教育や才能の有無によって日本の士農工商
のように暮らすべき身分を変えられるとか
近代文明にカーストや士農工商が導入されたようなイメージが・・
40 :
世界@名無史さん:04/11/30 21:45:01
…”Domination of Draka”が複数存在して拮抗する世界ですか… ガクガクブルブル。
あ、新スレできてましたか…。
…一気にプロットを読むとまた物凄いものですね。
「隙間」は北米史と中米・ニカラグア教史と南米史、マレガ史ですか…、
ぼちぼちとやっていきますので、気長にお待ちくださいです。
どうもです。とてたさん。
今日はお休みなもので所用はあれど時間もとれ本日2回目のカキコでき
そうです。
私も行き詰まってますのでお互いのんびりやりましょう。
というかだれか変わりに続けてもらっても結構ですよww
で
>>40そうなんですよ。史実の近代西欧よりも壮絶になりそうですww
であれだ・・ポーランドの概況について
【大ポーランド帝国 太陽の世紀】
フランスから逃れてきた人士の多くがポーランド勃興に
大きな才能を発揮したが宰相の位に就いたリシュリューは
母国での思い出を教訓に
政治から一切の宗教イデオロギーを排除し、
中産市民・農民の生活条件を直接王権下に組み入れることで
地方領主の独立割拠志向を抑制する。
その政治思想は彼の後も引き継がれ、
イタリアで生まれフランスで育ったマザランが宰相の位について
国内外の危機を切り抜け着実に大国ポーランドの礎を築いた。
やがてマザラン亡き後、王の顧問コルベールが進言した
重商主義政策を採用し、ポーランドはコルベール主義の実施につれて
急速に発展し、国内に富と資本を蓄積させた。
一方のスウェーデンではアフリカ動乱の余波で起こったロシアとの
北方戦争で活躍した英雄王グフタス=アドルフも死に
少年であったカール12世が即位。
これを好機とみたポーランドとデンマークが語らって戦争を仕掛けるが
天性の英雄であったこの少年王の采配の下
デンマークは緒戦で完敗し、ポーランドも和議を結ばざるを得なくなった。
とはいえ太陽王の時代にワルシャワを舞台として、上層市民・貴族を
中心に華やかな宮廷文化を繰り広げ
この優雅で豪奢な宮廷文化は北方ヨーロッパ諸国宮廷の羨望の的となり
戦争では負けたが文化面ではむしろスウェーデンをも魅了する事になった。
スウェーデンにおいてもフランス系の人材の活躍は華やかで
自然科学の方法論を発明したデカルトに続いてパスカルやラ=ロシュフーコー
が現れ
文学では悲劇のコルネイユ・ラシーヌ、喜劇のモリエールはじめ
詩のラ=フォンテーヌや評論のラ=ブリュイエール・ポアローが活躍した。
ギリシャ正教会のノブゴドロ、カソリックのポーラドそして新教のスウェーデン
デンマークでは局地的ながらあるべき近代ヨーロッパの息吹をある程度
感じさせてくれたのでした。
で・・本筋とまたまた関係の無い
「歴史の余談」
珈琲(コーヒー)が始めて東亜諸国にもたらされたのはフェニキア人
の来航からであった。
しばらくはそれほどひろまらなかったが
その後南明帝国初期になると中華料理の食後に珈琲をだしたり
出汁や味付けにに珈琲を使ったり珈琲醤(コーヒージャン)という
新しい調味料が登場したりした。
日本でも茶道が成立しつつあった中、珈琲の飲み方に対する
珈琲道(または黒茶道ともいう)が成立。
後に表千家、裏千家に続いて黒千家が登場したりする。
こうした珈琲道成立の裏には当初の珈琲は高価なもので
高価な砂糖を用いるので、自然武家や大商人の趣味に限定され
てしまったのだ。
時代が下るにつれ丸橋忠弥が市井に珈琲喫茶を登場させた頃から
町民の間にも若干高価な飲み物として普及しだす。
由井正雪が張孔堂を軍学教室だけでなく舶来の文物を世に示す
目的の一環として始めた菓子屋で出されたアイスクリームは
正雪菓として広まり、逆に南明に張孔堂の支店舗を立てるまでに
なった。
黒茶道も同様に南明や清、周などにも広められたが
この黒千家が幕府の海外諜報機関(国内を柳生が海外を黒千家が)
を担っていたとも言う。
同様に張孔堂菓子舗も紀州徳川家に結びついた諜報機関の
役目を果たしていた。
わ。しまった。すでにあった^^;;
削除依頼出さないと・・・。
1 名前:水明 ◇pD6BZg.55E 04/12/01 20:39:08
その2もそろそろ書き込めなくなってきそうです。そこで3を作りまし
た。ここまで育ってきたこの世界。果たして、どういう現代を向かえ、
その先へと繋がるでしょうか。様々なご意見も有りましたが、出来るな
らば、現代まで繋がってほしい。いっぱい書いてください^^
前スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045402800/l50 2 名前:水明 ◇pD6BZg.55E :04/12/01 20:47:23
マレガ、東アジア、アフリカ列強、エタヤス諸国、ニカラグア教・・・。
様々な独特の要素。これらが織りなす歴史絵巻に私はわくわくしています。
2012年12月23日さんから始まり、カトーさんまでに受け継がれるこの
物語。様々な語り部さんのさんざめく輝き。もっともっと見せてください^^
↑の書き込みをその2に書こうとしたら、ちょうどもう書き込めなくなって
いました。
削除依頼出したら、即応してくれました^^
カ・・忠邦さん、最後は「開国ニッポン」ですね。あれ、大好きです。
こうして、最初から見てみると本当にすごい変化ですね。そして皆で織りなして
きたっていうのが尚、良い。
なるほど、史実のような様相とはだいぶ違うのですね。そういえば、南米も出て
いませんしね。この有力諸国が世界中に割拠している世界の行く末。
もっともっと楽しみたいですね^^
どうもです^^水明さん。そうです開国ニッポンです。
私も大好きな一冊です。
さ〜て!!それはともかく今日の問題点とは
ずばり・・秘密結社です。
こういったイフには歴史の表立った力には敏感でも
裏の力には鈍感なのが多い。
でもこういった秘密結社が(私は陰謀論者ではないです)
歴史を動かすのも往々にしてあります。
例えばフランス大革命やアメリカ独立のフリーメーソンリーとか・・
ということで・・表立った存在として語ることなき
秘密結社とかにある程度メスを入れておくとこの歴史仮定世界
にある程度深みが増すと、漏れは信じて書くだけ書きます。
あくまで裏設定(既に歴史ゲームののりです)ゆへ
気にしないでやってください。
【世界の秘密結社史と裏国家の暗躍】
◎太幇(タイパン)
海外居留の漢民族華人系の総括を行う巨大秘密結社
既に華人たちは出身地や血族ごとに独自のグループ幇
を結んで助け合うことが慣習であったが、海外の激しい
列強、国際資本グループ、国境なき民の激流にあって
全華人を纏める必要性から生まれた。
南明が海外に思うに力を発揮できない頃から暗躍し
海外全華人を統括する秘密政府として機能している。
ルソンにある蓬莱市同盟などはこの結社が自らの
政治的意思を発信する場にもなっている。
○太幇
清帝国に居留する漢人の流れが作った分派。明清に関わり無く
大同団結を目指した太幇であったが、やがて清帝国自体が
漢人官僚を登用したり漢人に活躍の場を与えだした時点から
徐々に清の政策などに深く関与しつつこれを手助けする一派が
生じた。
これを太幇という。
◎百八龍
南明と東南アジアとの交易交流の深化の中から生じてきた犯罪組織
黒幇の大連合であり総称。
太幇とは対立しており交渉はない。
(史実におけるチャイニーズマフィア)
失礼2つ目は清幇ですねww
◎ブネイブリス
ユダヤの長老会議という意。ユダヤ民族の相互互助の秘密結社
(史実にも存在してます)国家を持たず各地で離散生活をおくる
ユダヤの民の秘密政府としての機能も果たしている。
外に太幇や社といった同種の裏国家そして同じ国境なき民たる
フェニキアとの攻防は史実のように"ユダヤの一人勝ち”に近い
状況をもたらさなかった為、悪戦苦闘している。
しかもイスラエル独立を望む教条主義的な原理主義の一派が
シオニズムを唱え内にも分裂の危機を迎えている。
◎フリーメーソンリー
自由石職人組合とでもいう意。だが実態は様々な階層のエリートを
仲間にする巨大な秘密結社。
(史実にも存在するが)ここでは欧州ではなくオスマン帝国に
重心を置きエジプトのピラミッド建造の石職人を起源にして
近代フリーメーソンリーを成立させている。
祭祀にバールやオシリス・イシスが登場するなどフェニキア
との親和性も高く、かつて欧州で国境を石工が自由に横断できた
特権があった頃ユダヤ人もその特権を望んで多く入会するなど
し、それが逆にカソリックとの対立を生じている。
◎薔薇十字会
クリスチャンローゼンクロイツに創始されたという秘密結社
欧州の混迷衰亡のなか北欧に拠を移し、スウェーデン・デンマーク
やアイルランド・スコットランドなど北海北欧世界に
大きな影響を持つ。
◎聖堂騎士団(テンプルナイツ)
史実では莫大な財宝をフランス王とローマ教皇に狙われ根絶された
いわくのある秘密結社ですが・・・
ここでは思ってもいない歴史の偶然がフランスと教皇庁の分裂を
生じ、存続しております。
推戴された並立教皇ブノワが欧州の混迷で宙ぶらりんとなった際
これを奉じてワルシャワへ大遷座させたのはこの結社ともされ
彼らの英知と団結力そして莫大な財がポーランド勃興の礎となった
とも噂されている。
◎しのがら(海外では社と書いて表すことも多い)
海外日系の相互扶助を目的とした組織だが動作の硬直した
幕藩体制日本に変わり秘密政府的な機能を持ち出した。
結構巨大な影響を持ち出した日本勢力を裏で纏める組織ゆえ
国際的に無視できない存在でもある。
他国にも深い根を張っている。
ユダヤからレビ族代表を礼部の姓と官位を与える顧問として迎える
などユダヤとの密やかな関係もあると噂されている。
◎ブラックリスト
呼んで字のごとくイングランドに由来する。いわゆる犯罪組織であり
史実で近代日本の犯罪組織をヤクザというように、イングランド犯罪
組織を総称した呼称
まあ他にも出せそうではあるが・・
まあお遊びということでww
でも最後のひとつ以外は一応実在の秘密結社を変化させただけなので
それほど無茶な設定ではないかと思うのですが・・
「しのがら」というのも存在はあるそうです。A;^^)どうやらサンカか
忍者の絡みらしいが規模を相当拡大しました
さてついでに「歴史の余談」
高山国霊的権威 東照神君への挑戦状
日本の戦国の生んだ知恵の怪物・豊臣秀吉。
彼の生んだ五大老という制度の謎についてである。
五奉行だけではなくなぜそんな危険な存在を置いたのか?
天下を狙う実力のある(つまり一番警戒されていた)大名を
相互牽制させるともいうが
実際のところ天下差配に参加していたのは実績として
前田利家と徳川家康そして小早川隆景だけである。
そう最初は小早川隆景が五大老(の前身)に属していたのを
上杉を強引に?繰り入れ六大老としたのだ。
官位でもこの六家と旧主筋の織田家のみは優遇し
武家清華家なる家格で実質準豊臣家として扱ったわけである。
ここに太閤秀吉の深謀が隠されている。
秀吉は陰陽五行の相生相剋を基として五大老を配し
豊臣家以外に天下を窺うにたる大大名に、この呪術を
用い相互牽制させ封じようとしたわけである。
相剋とは
木剋土木は土を剋し
土剋水土は水を剋し
水剋火水は火を剋し
火剋金火は金を剋し
金剋木金は木を剋す
これを5大老に当てはめ
木性は徳川家康も
土性は前田利家
水性は上杉景勝
火性は宇喜多秀家
金性は毛利輝元
とした。
つまり
前田利家の野望は徳川家康が封じ
上杉景勝の野望は前田利家が封じ
宇喜多秀家の野望は上杉景勝が封じ
毛利輝元の野望は宇喜多秀家が封じ
徳川家康の野望は前田利家が封じる。
というひそかな呪法である。
そして秀吉が一番危険視した家康には
あえて毛利に小早川をあてがい二重に
徳川を牽制していたのであるが・・
二つの誤算が悲劇を呼んだ。
前田利家の死が五行五大老の仕掛けを崩した。
前田利家が家康に対抗して秀吉遺訓を破った際に
家康を打てなかったのは、利家が知らずの内に
秀吉の呪法が悪く作用した為で、せっかくのチャンスをふいにした。
第二に崩れかけた五行五大老呪法を関が原で最大限に生かし
徳川を剋する金性の毛利・小早川に裏工作した。
本来、木性の徳川を剋す機能の金性の毛利(小早川)さえ動かなければ
徳川の勝利は決まっていたのである。
最後に秀吉には秀頼成人後の仕掛けも指名していたはずである。
五大老の死骸は荼毘に付さず土葬としミイラ即身仏として配する事を。
また秀吉葬儀が無かったことも秀吉自身が自分の葬儀を行うことを
生前に厳に禁じていたのである。
つまり秀吉は高野山の弘法大師の入定
(弘法大師は奥の院で今日も死することなく生きているという)
を秀吉が側近であった高野山の木応上人からの聞いて生かした。
秀吉は死なず入定しただけ・・ゆえに死んでいない秀吉の葬儀
は行わない。
(後日史実では幕府が秀吉の遺骸を暴いて打ち壊したが・・
これは太閤の呪法が動くのを恐れた天海上人の知恵といわれる)
なお高山国の高山八幡宮には方広寺がある。あの大阪の陣の
きっかけになった寺を同じように移築したのである。
なぜそんな不吉な寺を・・?
この寺には豊家千年栄華の秘法が施されていた為である。
それは千利休の即身仏である。
切腹し斬首されたという利休の首は替え玉という説もある。
それよりなぜ千利休を処分したか?
千利休を人柱とし方広寺に施すことで豊家の安寧を祈ったのだ。
豊臣家は千利休の即身仏をひそかに持ち出し高山方広寺に
収めたといわれる。
かような仕掛けをもって徳川の日光東照宮に対峙する高山豊国大明神
の見えない権威同士の争いが両国間で続いている。
なにげに伝記調だが史実も絡めてもっともらしく見えるかな・・?
さて・・こんなオカルトなネタはこのくらいにして
52-56は無視してください。いらんこと書いちゃった。
でも日本史の家康秀吉関係にはなにげにこんなオカルトというか風水
五行思想な話が多いんですよ・やっぱ時代でしょうか。
江戸が風水都市だの幕府初期関係にはそういった霊学なるものが多い
んで、秘密結社なる話のついでに書いてみたです。
【オスマン帝国の問題】
豪華帝スレイマン以降、史実のオスマン帝国では宦官や側室が
跋扈し愚帝が排出し、しまいには無敵軍団イエニチェリが暴走と
ろくなことがありません。
つまり、内部問題です。
オスマン帝国にはイスパニアやヨーロッパからユダヤやイスラム教徒
が逃げ延び人口増加するのに、内部弱体で領土は減って行く。
交易ルートでの重要性を失った中東に拘泥していた為経済的にも没落
という要因もあります。
で、ここではオスマン帝国は
>>22のような経緯をたどるのですが
経済ルートで傍流になるのは史実と大差ないです。
まあ史実より経済的に潤った状態なのですが・・・
西欧列強の突出も無いのですが・・列強ひしめく状況は史実より
困難な立場になるかもしれません。
まずイエニチェリですが早期に欧州に貼り付けコンスタンティノープル
から引き離す手はありますが逆に軍閥みたいに割拠する可能性もあります。
内部腐敗はオスマン帝国内の自浄改革は確かあったはずですが
史実では全部後手になったんですが、ここの場合時間的余裕はあります。
何らかの大改革への手立てが講じられるか・・・
そしてキリスト教徒を半端じゃなく抱え込んでしまいます。
キリスト教の二大中心ローマとコンスタンティノープルを持つ以上
カリフ=スルタン制度とかいうまやかしでどうこうできる問題ではなくなります。
一応考えた手が史実のオーストリア=ハンガリー二重帝国みたいのですが
どうもしっくりきません。
オスマン帝国を蘇らせる手はあるのでしょうか?
一応フリーメーソンリーがあります。最悪、大革命というのも考えてはいますが
どなたか腹案はおありでしょうか?
オスマン=トルコ帝国はある意味、未曾有の大帝国になる訳だな・・
キリスト教の二大中心地ローマとコンスタンティノープル
イスラム教の二大中心地メッカとメディナ
両方を一度に統治した国家は存在してない。
東西キリストイスラム両世界を纏めてる存在なんて
ある意味で史実のオーストリア帝国や清帝国より遥かに
舵取りが難しいような気がする。
>>44 カカウ(ココア)の方が先に日本に伝来するのでは。
もっとも、ニカラグア教では儀礼にも使われるので、禁教時に廃れそうですが…。
>>47 秘密結社ですか…、
「シノガラ」は三角寛のサンカ文学由来で、
実際のサンカには全国組織を組織する余裕は無かったそうです。
>>57 どちらかといえば後世の後付けが多かったようですが>徳川・豊臣家と五行思想
もちろん、全く無かった…ともいえなさそうではありますが。
>>59 となると、オスマン朝支配地域内での宗教紛争激化ですか…。
かつてのイスラム帝国みたいに地域分立が起るかも。
とてたさん。カカオは考えたんですが
小豆の代わりにカカオ汁だとかあんこ餅の代わりにココア餅
だとかろくなアイデアが出ないのと・・高価なままで江戸期は過ぎそうなので
一応存在はして使われて入るつもりです。
シノガラにも深い意味は無いです。別にスルーしてもらっても・・・
秀吉と五行については触れないでやってください・・・_| ̄|○
最後にオスマン帝国についてですが・・
【オスマン帝国の欧州半島支配の意義】
結論から先に申しますと・・・無意味です。
思った以上にメリット無くリスクばかり大きいです。_| ̄|○
一応
@スルタンの権威と自己満足
A経済的目的
B軍事的脅威の予防
というのが考えられますが・・
@はアレクサンドロス大王を模しローマ帝国の後継を自負する以上
ローマ帝国の再現は偉大な夢でしょう。
厳に この世界では(史実でも)神聖ローマ帝国を併合できれば
かつてのローマ帝国の領域を再現できるわけです。
が、はっきりいって時代錯誤です。
まあ、個人のロマン追求以外のものではないかと・・
Aはもっと無意味です。
オスマン帝国はヨーロッパ=アジア交易の中継を独占することで
栄華を誇る富を得てきました。
が・・ここでは新大陸とアジアの交易がアフリカ圏で往来する
大動脈が生まれました。
新大陸−北海北欧−ロシア・ペルシャシーア派連合の傍流があります。
これとオスマン帝国と欧州自体の物産は全てがどちらかに流れて
いくわけですが
経済的に欧州の物産を独占的に扱うことを目的に欧州征服を果たした
場合でも実際に欧州の物産が傍流コースに流れるのを阻止はできないです。
ナポレオンの大陸封鎖令のごとく(状況は違えど)失敗するでしょう。
まして直接支配したことによる反乱やコストは得られるメリットより
遥かに大きいです。
Bは史実での西欧列強ですら恐れた帝国に・・
この状況の欧州が脅威にはなりえません。
十字軍コンプレックスとしか言えないです。
Aの場合と考え合わせてせいぜい地中海の制海権の完全掌握
以外する必要は本来無いはず。
あとCとしてイスラム教の宗教的布教というのもありますが
現実問題、全欧州をイスラム化するのは難しいでしょう。
【オスマン帝国の欧州半島支配の構造】
神聖ローマ帝国の解体と欧州半島制圧を果たしたとして
オスマン帝国が直接全土を支配するなど不可能でしょう。
史実におけるモンゴル帝国のバトゥ一族によるロシア支配
そして一歩進んでイギリスによるムガール解体→インド帝国成立
のようなのがイメージできます。
つまりヨーロッパの諸侯は直接コンスタンティノープルに
参勤したり朝貢したりするわけで・・・
それ以上のことは無理でしょう。
ただイタリアの教皇領はバチカン市国レベルにまでそぎ落とされる
ものの教皇庁の存続は許されるでしょう。
でありえる予測として欧州がユーゴスラビアのような状況になる
恐れもあります。
オスマン帝国のイスラム優遇策が、帝国内のイスラム教徒たちを
新しい仕事と住居の提供とあわせて欧州各地に送り込み
長い歳月をかけて同化を図る試みが欧州のムスリムの勢力を増やすでしょう。
でキリスト教でも過激な勢力、例えばイエズス会とかマルタ騎士団とかが
秘密結社となり隠れキリシタンwwとしてオスマンの支配に抵抗するテロを
起こすのは十分ありえるでしょう。
欧州内の宗教問題民族紛争は史実の比ではない複雑さと凄惨さを持つ
かもしれません。
逆に清朝が陥ったように漢人官僚ならぬキリスト教官僚の割合が
増えてオスマン帝国そのものに宗教的亀裂が入るかもしれません。
でオスマン帝国が欧州を手放す事態が早いか
欧州内にムスリムの勢力を根付かせるのが早いかが
帝国分裂の危険への分かれ目になるでしょう。
どう考えてもオスマン帝国の起死回生の道は帝国がイスラムへの
拘泥を止め政教分離の近代的な国造りを志向することですが・・
ありえないでしょう。
・・オスマン帝国の将来性は欧州を支配しても絶望的に低い気がします。
どころか欧州自体の命運も・・・
…コーラン&シャリーアを再解釈するって方向でのイスラーム・プロテスタンティズムが必要ですな…
…いや、現実に必要なんですが、それ…
アルプス以南の欧州が中東ともども大混乱になるわけですか…。
とはいえ「回避策」は無さそうですねえ。
>>コーラン&シャリーアを再解釈するって方向でのイスラーム・プロテスタンティズムが必要ですな
悲しいかな無理でしょう、妄想どんとこいの歴史IFスレとはいえ
コーランの別解釈は許容できる問題ではないかと思う。
できるものならやってみたいが・・
そしてとてたさん
中東は大混乱にはならないかもしれません。
微妙ですが・・考えとしてはオスマン本土が混乱に渦中に巻き込まれるか
回避できるかは半々だと思う。
まあ回避できても衰亡は阻止しえないともいえますが・・
【オスマン帝国統治下の欧州を考察する】
まず第一に、いえることは“欧州使えねーっ”てことです。
本当に使えない。
なんでなんだよーっ・゚・(つД`)・゚・
まじな話オスマン帝国は欧州を制覇する実力もチャンスもあり
実行に移そうとしたこともあるが・・そこまで本気で獲得する気は
無かったのは明白でしょう。
トゥールポワティエ間の戦い頃であれば占領下に置けば欧州の
イスラム教化は可能だったかもしれませんが・・・
こんな野蛮で殺伐とした異教徒の暮らす貧しい農耕地を
それほどの熱意で奪う必要性は皆無でしょう
つまり欧州は占領するに足る地ではなかったわけです。
交易とか地理的な重要性という意味でも旧世界の
西北の最果てであり重要度は皆無に等しかった。
がとりえが無いわけではないんです。
同規模の国家群が切磋琢磨しあう競争(悪く言えば頻発する地域戦争もあるが)
そして科学思想に明るい人材の輩出
教義的に矛盾する宗教の頑迷なカルト支配から逆に宗教と科学や政治の本格的分離
を果たしたりした。
こんな変革と科学文明への志向にみなぎった地は欧州ぐらいであろう。
(日本はあくまで欧州の二番煎じですから・・ww)
; ̄ロ ̄)!!これで勘違いする香具師は多いんだろうな。
漏れも西欧列強と上に列挙した現実から勘違いのあった方ですから・・
上にあった現実は
“起こりえるべくして起こった”ことではあっても必然ではなかった
ということです。
ちょうど幕末から明治維新へは必然ではあっても薩長藩閥政府は必然
ではないといったようは内容しだいでは欧州を不利に追い込むコースも
辿り得たわけです。
史実と同じ要因と条件を備えても違う要素(この場合新大陸の自立とフェニキア)
で欧州の有り様も変質してしまう。
この場合はルネッサンスが宗教改革前夜で教会の矛盾が最高潮に
達しようとしていたあたりで、そのほころびが人間性回復から
科学思想啓蒙主義などを目覚めさせ新教という宗教的反動も生じた。
欧州が新大陸を発見したから世界制覇を成し遂げたんじゃなく
この“矛盾噴出期の後に”新大陸を発見できたから欧州は世界を手に
した訳で・・
仮に日本やオスマン帝国が新大陸を先に発見できたとしても
ろくに活用もできず退散したか現地に埋没んじゃないか、と思う。
話を戻して・・
フェニキアが新大陸に独自の文明を営み邂逅したのが、こうした時期であったら
逆に教会(守旧派)を利することになったと思う。
フェニキア(新大陸)はイスラムやアジアとの独自の航路を得ようとするだろう
@教会はほころび始めた矛盾と教会への不信を外敵に逸らす。
(これだけならイスラムでも事足りたが)
Aイスラムの航路独占に逼塞し片貿易になっていた欧州の商業勢力が
新しいライバル登場を喜ばない。
Bフェニキアやイスラムの交易を海賊行為で楽して略奪できるという
戦費調達に悩む欧州の王家や貴族の貪欲な思惑
という三者の思惑が外敵(フェニキア)追討で合致する訳で
フェニキア相手の十字軍運動のようなものを生じたであろうというのが
漏れの予測でした。
DQNでスマソ_| ̄|○
その保守回帰の運動がせっかくのルネッサンスの輝きを奪うのは
ありえたろうし、
過激な保守派がこういった新規の思想を目の敵につるしあげるのも
予測できえると思ったのです。
一時的に隠れ忍んだとはいえ、そういった人材はいつまでも暮らしにくい
欧州にとどまるとも思えません。
まだまだ教会と保守勢力のパワーが絶大な時代でしたし・・
つまり保守的な思想の持ち主は教会の欧州は一致して
欧州への脅威に対抗しようという言葉に共鳴し欧州にとどまり
教会に目の敵にされた科学思想、有益な人材は異端審問を
恐れて流出(まあオスマン帝国が妥当ですが
フェニキアとの交易で栄えているという問題を除けばキリスト教
黒人王国も魅力ある地に該当するでしょう。)
こうなると
欧州における唯一の財産であった「時代を先駆した人材」
を欧州は失うのです。
人材をスポイルした欧州は、悪く言えばスターリンの粛清直後の
ソ連か、ポルポトの人材虐殺後のカンボジアにも見えるとおり
内輪揉めが弱体化の呼び水にしかならないという
最悪の歴史コースをたどり
ますます人材を外に逃がし失っていくパターンにはまると思うのです。
こうなるといかに占領するに足らない地であっても
オスマン帝国による併呑を促すことも可能でしょう。
実際オスマン帝国が欧州を毒牙にかけなかったのは
占領するに足らない地にもかかわらず
抵抗する武力だけは半端じゃないからです。
ちょうどWW2後、アメリカがソ連に手を出しあぐねた状況を
髣髴とさせるかと思います。
ここでは欧州はソ連崩壊後のロシアみたいな状況で
ガタガタです。オスマン帝国がなんらかの行動を起こす際には
むしろイスタンブールのサルタンを啓蒙の君主として
迎え入れようとする香具師すらでそうです。
ソ連崩壊後のロシアが事実上、アメリカの経済支配下に置かれても
ロシアの混迷は回復せず、かといってソ連復興に向かうでもなく混沌のまま
アメリカも負担増に苦しむが、ある程度ロシアの誇りを満たして逆らわなけれ
ば放任するという形になっていた。
ここから欧州は混沌が予測できるが、それがそくオスマン本土に波及するか?
というとそうはいえないと思えるのです。
欧州が人材スポイルで土地に縛り付けられた無知蒙昧な農民と彼らを
宗教のレトリックで暗示にかける教会や大地主の貴族たち
のみが主体の地になると
オスマン帝国は
@教会の既得権益をある程度保障し、彼らの許容しえる範囲で
徐々にイスラムの扶植を図る。
A大地主である貴族諸侯を臣下として遇し、彼等の土地支配が
オスマン帝国の権威に依存するものであると教え込んでいく。
これだけで少なくとも国家規模の抵抗を骨抜きにできるのです。
あとは低迷する欧州でも使いようによって役立つ目ぼしい人材が
若干は残っているか生まれてきていようが、それも帝国の官吏として
徴収される訳です。
>>77の状況が2〜3世代も続けば欧州はどうなるか・・
答えは避けます。
漏れ予測なので異なる予測や歴史コースを思い浮かべれる方も
いるかもしれませんが・・・
で【オスマン帝国の欧州分割】
実際オスマン帝国が神聖ローマ帝国を併合するとして、これと
ぶつかろうとする勢力は無いでしょうが・・便乗し自らの勢力拡大を
図るものは多いでしょう。
例えば新教を受け入れた北ドイツの諸侯や自由都市などは
スウェーデンやデンマークに自ら進んで服属しイスラムの軍馬を避けよう
とするでしょうし
ハンガリー王国の場合、オスマン帝国が主力をウィーン更には
ローマやフランスに振り向けたとして背後のポーランドがどう動くか
むしろ機会主義的にポーランドがハンガリーに迫って同君連合に置き
中欧に勢力を伸ばそうとするでしょう。
オスマン帝国は国威洋々たる彼ら北欧列強との衝突までは回避する
でしょうし話し合いで分割の容認になるかも。
でイングランドですが立場は微妙です。ハプスブルグの軛に呻吟してきた
イングランドがこの好機にオスマンに朝貢し国家の独立は保障してもらう
ことになるのでは?と思えます。
最後にイベリア半島が抵抗するでしょう。
昔と逆なのは皮肉ですが・・彼らの抵抗には手を焼くかもしれません。
ポルトガルにイスパニアとの同君連合から切り離し独立を約束して
裏切らせたり
サアード朝モロッコにジブラルタル海峡の渡すのを覚悟して
両方から攻めあげるというのはどうでしょう?
まあこのくらいにして(なにおだ?)
【東洋の国際的閨閥関係】
東方では大清帝国、南明帝国、周という中原三国
朝鮮共国、日本国、琉球王国、高山国、古南(ルソン)
アイヌ樺太国、海南島黒人国家、東南アジア諸国
(若干別枠でジュンガル部やチベットもあるか?ww)
そして今後は新大陸の扶桑や南洋のマレガ、ハワイ王国
インド世界も交えた婚姻関係や結婚戦略
支配層の通婚もでてきますでしょう。
これに加え
【国際的封建主義、冊封外交の展開】
という構図も出てまいります。
例えば徳川幕府の日本VS豊臣家の高山国(台湾)という構図では
薩摩藩が日本から対外的には独立した筑紫という国家として
行動しています。
島津は高山国に協力的な態度をとることで高山の協力を受ける一方
琉球王国を介し直接、明の皇帝に朝貢し九州の統治権のお墨付きを
得たりします。(ゆえにこの世界では琉球は独立を保てている)
幕府は島津と明との関係を切り離すべく独自外交で明清騒乱に
首をつっこんだりします。
明清騒乱の後には日本の天皇を兄、南明の皇帝は弟とする国際序列の
受け入れという明には屈辱的な関係も生じたりします。
朝鮮半島をめぐる日明清の交錯した関係は前スレにも述べました。
長州毛利家は南朝後裔大室氏をもってのルソンの国王擁立に加担し
古南から中国探題の官位を得たりします。
その一方で高山国に毛利一族の者を家臣として送り込んだりし関係を
保ちます。
前田家も同様に高山国に一族の者を使えさせ館まで持ってます。
毛利、上杉、前田の3家は高山国の名誉宰相とされた宇喜多家と合わせて
五大老のメンバーの家柄であり
幕府の外様取り潰しをけん制したい前田、毛利と日本に橋頭堡を持ちたい
高山の思惑が合致しての行動です。
幕府が外交を独占できない状況は公儀の権威に関わる
しかし取り潰しを図れば、多国間外交に移行した東アジアで
余計な波風を立てる上、幕府がまともに国内を統制できていないこと
を知らしめる事になる。
外様諸侯が幕府の貿易管理の網目を縫って諸国との関係を持つことで
幕府の圧力を牽制することは一斉の成果を挙げた。
実際ある時期まで幕府は外国への出兵や外征が相次ぎ
国内に不穏な空気を持たせたくは無かったのだ。
・・・・ごめん
>>81の前田は絶対なさそうだ。
高山国騒乱に薩摩藩島津家が絡んだ事態と
古南独立に長州毛利が関わったことも考えて
両家の独立志向は、ありえるかとおもったのですが・・・
幕府は明清騒乱に毛利や島津の力を主力として送り込んでるし
清朝に向けて北からも上杉や伊達、佐竹を派兵させて
いるので恩賞の無い以上彼らの海外での行動を
ある程度は黙認せざるを得なくなってるし・・
>オスマン・欧州関係
なるほど。
「欧州キリスト教圏」の範囲が史実よりも北よりかつ狭くなり、
世界的影響力も限られたものにならざるを得ない…ということですね。
ただ、イベリアからのイスラム勢力の浸透は難しいような…。
ローマのイスタンブール化によってカトリックが妥協せざるを得ない状況下なら、
イベリアはより教条化し、北フランス〜ノブゴロドに至る範囲では、
史実とは違った形でプロテスタントが成立しそう。
>日本の対外関係
「開国ニッポン」では無かったあたりですよね…。
幕府としては、諸侯の進出はある程度許容せざるを得ないでしょうね。
「大括りの許可」でしかなかったとしても。
ただ、豊家高山国や琉球はともかく、日本の場合は対外婚姻はとりにくいのでは。
サアード朝モロッコにすればイベリア側のジブラルタル海峡拠点を確保
できればいいので本格介入はしないでしょう。
ただ、背後に脅威を抱えてる状況ではオスマン帝国の脅威に全力を
傾注することができなくなると考えてます。
次いで言えばイスパニアは複数の国家や民族の合同である点から
ポルトガル以外にもオスマンへの宗主権を認めさえすれば一定の独立
を認めるという仕組みは取れるでしょう。
そういう形で徐々にイスパニアの分割を図る。
で、日本ですが5代目くらいまでは海外との姻戚なんぞ無理でしょうが
まず外様諸侯の動向があります。国内諸侯同士の婚姻は幕府に規制されても
海外の場合、毛利のように高山国に分家を置いて高山や琉球との婚姻を図るのは
ありえますし
島津にいたっては体裁上幕府から自立した独立国としての行動もとっており
積極的に南明などとの関係を深めたりしそうです。
で島津は五摂家筆頭の近衛家との関係が深いですから朝廷
と島津そして外国、間接的にしろ厄介な枢軸になりかねないです。
幕府は無理でも古南には忠長系の徳川家がありこっちは積極的な国際結婚
しないと国を保てないので、パワフルに動くのでは・・
さてそろそろ新展開・・とはいきませんが、重要なことを提示
インド洋の問題です。
状況的にはアジアとアフリカが入れ子構造のように相互に拠点を
持ち合いしてます。
(アフリカはヨーロッパのエキスを込みで)
躍進を続けるアフリカ列強とアジア列強諸国との国威発揚の果ての
激突がこの海域であるのは当然のこと。
インド自体は交易以外深入りする列強諸国はでそうにないので
恐らく18世紀頃から本格化するインド洋時代に
インドの激変をイメージできるかもしれませんが。
それと、とてたさん。とっても重要なことに気がついてもらえましたか?
薩摩を主権国家・筑紫として外洋進出させ
長州を古南建国のフィクサーとして日本(幕府)と別行動
土佐は長曽我部遺臣(郷士)が古南の礎に
あと記載はしてませんが
肥前は高山国に大使派遣し人材が多く渡ってます。
つまり薩長土が、ちょっと早まるであろう幕末に国内に不在
もしくは関心が無いのです。
つまり維新の色合いが相当変わります。
古南は明治維新のような御一新を最初からやってますので
しかも比較的早い時代に
(田沼意次の時代から明治政府のような開明政策をとる程度は考えてます)
他にも上杉や伊達も微妙な行動を取ってるでしょう。
扶桑やアイヌそして清朝との関係による富国強兵
恐らく幕府瓦解の後は日本は地域色の強い連合王国と化してしまうかも
しれません。
か、かっこいい・・・。
89 :
世界@名無史さん:04/12/10 05:26:30
age
【アジアに多国間国際関係をもたらせるか?】
この仮定に必須条件といえるのが中国が複数の国家として分立しえるかという
問題です。
で結論から言えば無理です。(藁
欧州と中国がなぜ均衡型秩序と統一型秩序を保ってきたか?は
複数の要因が絡んでおり、何かの歴史的事件がそろえば中国が複数国家に
欧州が統一帝国になる歴史IFを導き出せるかというと困難です。
が・・不可能ではありません。
なにせ中国は秦の始皇帝の前には戦国七雄が競いたって統一しない可能性
もあったのですから。
仮にこの頃の日本が戦国時代程度のレベルであれば秦による統一は
ありえなかったとも考察できます。
そう中国が複数国家の均衡型秩序になるには日本の耐えざる干渉が
(一時期だけでも)必要になるわけです。
で日本がイングランドのように大陸に干渉しなかったのは
日本がオータルキー(自給自足)でやっていけたことと
朝鮮半島が緩衝の役割を果たし日本に大陸への外交努力を必要とする事態を
起こさせなかった為です。
【日本の本質的問題】
日本は島国です。ゆへに海洋民族としての性格を備えていた。
が適度にオータルキー(自給自足)を許すほど広く、それが多く山岳であった
(つまり山に生活の場を求める香具師が結構いて海に目を向けにくい)
これが日本を農耕民族優位の考え方に引きずり、積極的に対外進出に向かう
必要をもたらせなかった。
最大のチャンスが戦国の統一ですが・・
日本の強みにして弱みである農耕民族優位の考え方が、足かせになるわけです。
圧倒的多数の農耕開拓を求める声なき声が商業重視を抑制します。
まず豊臣政権の出現前に島津による九州統一が実現し、島津九州国が
私としては秀吉の九州遠征を破って独立王国的性格で残ったという仮定を
考えてましたが、
山野氏の豊臣家を台湾に移して高山国とする案がでましたので変則的な
ものとなりました。
日本(徳川)・筑紫(島津)・高山台湾(豊臣)が各々を攻めあぐね尊重せざるを
得ずに自主性を持ち続ける。
こうなると琉球王国も残るわけです。
複数の日本国が鼎立すれば否応無く大陸にコミットを図る選択肢をとるパワーも
出てきて大陸への介入(武力ではなく知略や外交で)
という路線をとりやすいと思ったのです。
複数国家の競争は富国強兵のための海外進出も視野に入っていてくれるでしょう。
【朝鮮半島の本質的問題】
半島は攻めやすく守りにくい厄介な地理的条件があります。
まして中国は大概が統一的パワーを持っており、常に従属するほか無いという
不運な宿命を持っております。
そしてそれに加えてここに住まう民族自尊心が高くて統治しにくく
それなのに内ゲバがお得意なのです。
政府は各派閥セクトに分かれ、派閥争いに他国の勢力を好んで受け入れ
後日の災を省みない。
良しに付け悪しきに付け自尊心が高く“小中華”を誇っています。
半島に必要なのは他国が決して半島に深入りしないという暗黙の了解ができた
国際環境、そして各党派が合議するという経験の積み重ね
最後に今までの大陸から押し付けられた中華という文明の香りを払拭する。
いわゆる文明的な朝鮮の島国化
こうして李氏王朝の追放から朝鮮共和革命そしてニカラグア国教会といった
条件を付与したわけです。
【大陸の問題】
これだけ条件をそろえてようやっと大陸に問題を移せます。
まず明清並立は中国史上よくあったことで、大概どちらかに統一される宿命
があるわけです。
というのも大陸は“一つの文明一つの民”というレトリックが染み付いており
漢民族なる言葉は中華の文明に浴した民の総称であり
なお悪いことに中華文明とは愚民化と知識人の才能の磨耗にかけて天才的な
システムだった点です。
昇官発財や科挙など知識人、インテリの才能を無駄使いさせるのに最適だし
漢字という難解な文字は一度文明によくした多くの民を識字困難な愚民とする
格好の道具であったわけです。
この文明をいったんチャラにしなければ明清並立にした意味が無いのです。
先ず重税に喘がせられつつ漢字と言うパズルで識字率(つまり教育)を
抑制され愚民化した大衆
彼らにより便利な文字を普及させ、それが中華文明絶対という偏ったレトリック
に填まり阻害されることなく普及させる。
これが第一です。
そうすれば各地域のより密着したエリアごとに独自性が出て
“漢民族”という幻影の混成民族をいったん解体する第一条件にできる。
先のアフリカの黒人が高い身分の官僚や商人の護衛につき、それが
中国での流行になったとする過程では
黒人の方が中国の文字偏重漢字重視に拘泥されない(一部には出ても)
でしょうし、日本経由で行くなら日本でそんざしいていた「かな文字」の方が
楽で使いよいのは明白、だし
これが一般の文字を知らない連中に普及されるチャンス
例えば何かの流行本や当時のエロ本とかを読みたい欲求とあいまって
流れ出れば・・・
そう考えてみました。
他に可能性が思いつかないのでかなりのご都合イフですが(藁
科挙が素晴らしいシステムなのは認めるところですが、これがなにゆへ
知識人の才能を消耗枯渇させるという悪罪をもたらしたかというと
実学的な教養から乖離しており、ゆえに理念だけ一人歩きしたりする訳で
他にもあろうが、何より次第に偏った価値観のみに偏重してきた。
で愚民化ともいえる王朝の施策が抵抗なく受け入れられてきた要件に
民衆側に利があったからで。
自分と身内の生活さえ無事なら他の生活など知ったことかという利己的欲求
を適度に満足させ、
なおかつ天下騒乱の際には易姓革命により、文字通り誰でも出世、例えば
皇帝になれるチャンスがあったからです。
王朝主催の科挙をいったん機能停止に追い込み、なおかつ皇帝になるという
野心を他に振り向ける。
こうして昇官発財・・すなわち官が唯一にして一番儲かる産業という中国の伝統を
粉砕する。歴史的に宋代亜近代はそうした傾向がでてきそうなチャンスだった
気がします。
元の統治は不評だったといいますが何気に、宋代以降のこうした流れを
手助けしたように思えます。
そうした意味では明は古い伝統に押し戻した訳です。
初代が相当の荒療治をし、それでも永楽帝の鄭和を登場させてます。
宋代のように皇帝が弱体にして中華の伝統を語りえない存在に貶め
官への魅力を低減させる。
しかる後海外との国際関係の活発化により商業経済普及、諸氏百家の
ごとき新規の思想の芽生え、等により様々な産業や経済活動に庶民を
振り向けていく。
こうした状況では華北は清におまかせし、南宋の様に江南に留まって
もらうのが最善だったわけで、
こうした宋代の状況が明朝の間も続けば恐らく中国の様相はがらりと
変ええたのではないかと考察したわけです。
北明を一時的な保守回帰に貶め、南明が宋→元と続く変革への潮流を
継承するものとしてみたのです。
で当然ながら江南を取り損ねた清も逆に金→元→北元と続く北方ユーラシアの覇者の
系譜の継承者として特有の歴史を重ねていきますが、南明が健在なのですから
中華の銘に拘泥しない、もしくはできない訳です。
北慮南倭に苦しめられた明朝が排外的な攘夷思想を高まらせ、清に至って異民族を
独立させて交易するより、征服して巨大な閉鎖的世界を造り
域内交易で全てを賄う方式をとり
それに伴い、周囲に交易に足る相手を失い、また必要性をなくした日本もなしくずしの
鎖国になった。
実際日本の鎖国は交易より国内の治安維持が重要度が高い時期に上記の条件が
そろい、幕府は先代の祖法を現状より優先さえる体質ゆへ、鎖国を自ら開放できなかった
問題はこうしてクリアーしたのですが。
問題は続きます。
准河から長江にかけて三藩が呉三桂によって纏まり周を営む経緯です。
周は必要であります。
北清南明の二強だけですと大陸が再統一しやすく、3つ以上だとまたも不要な争いが
増えて統一への希求という危険性が高まるのです。
まずは幕府が明との関係を重視し清を軽んじる朝鮮半島に干渉を図る清との
対決になる訳で、実際秀吉の朝鮮出兵を迎えた経緯からも逆に第二の元寇を迎え撃つ
危険も視野に入れ、
朝鮮との国交回復への好機としてもありえると思われます。
清の本拠・満州、日本本土双方の真横に位置しどっちも譲れないのが半島であり
半島の頼みの綱である明は江南であり、若干遠い位置の上、今のところ日清をしりぞける
力も望めない。
でも東亜の火薬庫朝鮮半島は頼みもしないのに日清明を巻き込んだ戦争を起こしてくれます。
いわゆる東アジア30年戦争の勃発であります。
ちょうどヨーロッパ南北戦争から連鎖的にアフリカ戦争を起こした時期に似通ってます。
交易に与えた影響も考慮して“亜近代世界戦争”と総称してますが・・。
@この戦争が冷却関係にあった豊臣高山国と徳川幕府の相互承認、その中での
琉球王国の中立独立の保障
A薩摩島津家の筑紫としての主権の保障(日本による分国承認)
B寛永清寇による清朝、日本による樺太アイヌ国家の承認
そして清朝は朝鮮と明との関係を分断する為、少しでも地理的に引き離す為
周と明の併合を許さないと条件で
日本は明清周に大陸を三極鼎立で分断させる為に
明は強大な陸軍国・清朝との緩衝地帯として
朝鮮は自らの独立保障と合わせて周の独立は条件とされたたため
合意の下で
C明清どちらかとの軍事同盟は禁ずるとの付帯条件での、周の独立。
D日本、明で懸案の海南島黒人王国の独立を容認する。
Dの問題から東アジア諸国は多くアフリカ戦争の戦後処理とも関わっていきます。
こうしてアフリカ、東アジア双方で主権国家併存システムが機能しだします。
本来であれば欧州が三十年戦争の後にウェストリクファ条約で導き出した国際システム
がアフリカとアジアの相互関係で、双方に芽生えたわけです。
ここまで流れができれば2世代もすれば大陸の不統一も東アジア多国間関係も
不自然ではなくなります。(多分・・汗)
こうして最後に問題となるのがルソンです。
地政学的にルソンは重要ですが日本にも高山にも南明にも領土とする意欲か実力に
欠けており、にもかかわらず多国間国際関係、大流通網が存在する“この世界”での
アジアには空白地帯の存在も許されません。
一応海賊と賊徒(長曽我部)の鎮圧の名目で明と高山の黙認のもと日本が派遣軍を
出しますが、しばらくして古南が独立します。
すると一転して明と高山、筑紫、清はこれを承認してしまいます(藁
古南を通じマレガ(豪州独自文明)との本格的関係も活発化
東南アジア諸国も交易の恩恵を受けだし,
東アジアどころかアジア太平洋全体に多国間国際関係が活発になる
(でしょう・・多分・・
A;^^)
とりあえず新しいテーマ思いつかないので、今までの東アジア(若干アフリカ)
を振り返って検証してみました。
異論、別の提案があればおっしゃってください。
でもIFですので甘く採点願いますが(ww
100 :
世界@名無史さん:04/12/11 11:08:12
100
>日本
島津の扱いが「龍騎兵」みたい、とか言ってみたり(笑)。
たしかに西日本諸侯が積極的に対外進出を図っていた場合、
相対的に国内情勢への関与は薄くなるでしょうし、
逆に史実どおりの幕府の関与でも「明治維新」の必要性が薄くなるのでは。
>アジア情勢
概ねいいですが…、アジアの場合大陸諸国間ではともかく相互な「大戦」とまでは発展しないと思います。
史実ではせいぜい小競り合いでしたし(日本の鎖国の影響もあったでしょうが)。
それと、朝鮮ですが李朝が追いやられた後に「統一」を保てるかどうか…。
清の影響での南渤海(仏教)、日本影響での後新羅(儒教)、半島独自の新百済(ニカラグア教)
みたいに。
102 :
忠邦:04/12/11 19:10:32
うーん!!やはり徳川幕府では制度疲労というか限界があったと思います。
明治維新は無くとも緩やかな幕府瓦解は必然と考えます。
「大戦」といっても英仏100年戦争やばら戦争のようなだらだら戦争の
イメージでして。あやふやにいろんな国がいろんな相手と同じ舞台で戦い
続ける点だけ30年戦争といったところでして・・
決して近代のような大戦ではありません。ネーミング的にこっちの方が
かっこいいからつけたという安直なオチでして・・・
朝鮮ですが、当初は日清による分割がありえると考えたのですが
タイムリーすぎまして、あまりに現状の半島とダブると考えてたんですが
まあ3分割ならいいかもしれませんね。
103 :
忠邦:04/12/11 19:38:42
もうしわけありません。ポーランドですがリシュリューはルイ13世とコンビを組んで
欧州をめちゃくちゃにしてもらわなくてはなりませんでした。
ゆえにリシュリューは普通にフランスですね。
>>102 …まあ、日本の「公武合体」政権や朝鮮の「分離両立」は僕の好みなところもありますし。
世界的に「大帝国」よりも「小国乱立」や「宗主権の元での緩やかな統治」
というのが多そうなのも僕好みだったりしますが。
(……「誘導する」意図は無かったんですけれど)
105 :
忠邦:04/12/11 19:47:51
・・・?いやグスタフアドルフ率いるスウェーデン海洋帝国と覇を分かつ
ポーランド中欧帝国の宰相リシュリューの外交戦ってのもいかなやはり・・
で傭兵隊長ヴァレンシュタインですが一応史実でカソリックに与して
ますので・・まあ、彼のおかげでポーランドの軍事強国への拍車は
かかったということにしましょうかww
106 :
忠邦:04/12/11 19:54:57
おと失礼しました。おいででしたか。とてたさん。
でもいきなり欧州のコメントいれちゃいまして(ww
朝鮮は共和革命時に
清の影響下の南渤海(仏教信仰)
半島独自の後新羅(ニカラグア教)
日本影響での新百済(浄土宗一向宗など)
で分立したとしましょうか。
107 :
忠邦:04/12/11 20:00:11
追記で東アジアに生じる問題だよ。
古南(ルソン)は恐らく米輸入国となります。
多分海南島黒人国家も米輸入です。
建国して、しばらくの後の成長期には一時的に高山国も米輸入を
行うでせう。
朝鮮もなんやかやで米の援助輸入(タ・・タイムリーすぎるが他意はないです)
するでせう。
108 :
忠邦:04/12/11 20:13:30
そして米取引といえば天下の台所大阪だーっ!
米と貨幣のやり取りのノウハウで大阪に勝る場所はないでしょう(藁
もちろん大阪と連動する米市場として杭州(上海や寧波も含む)も
開設されるでしょう。
上方商人が多分高山や杭州に出店を持ったりするのは普通の事になるでしょう。
大阪に高山(つまり豊臣家ねww)とか南明や清などの外国商人が多く居留するのも
当たり前になるはず。
109 :
忠邦:04/12/11 20:17:28
米輸送がどれだけのスケールで行いうるかは大いに疑問だが
米と各国貨幣の相場を決める上で、昔からのノウハウのある
上方大阪商人の力は大きいでしょ。
当初は日本の米のみから、やがては日本の寒害飢饉などでは
逆に輸入を受け入れたり、南明や周に出店し米の国際市場への
流通を握っていくかもしれません。
110 :
忠邦:04/12/11 20:23:56
まあ米を食い荒らす鼠などを退治する為猫や蛇が運搬船には
必須となって生態系に影響を与えまくるのはともかく・・
上方商人と米市場が幕府の統制を大きく逸脱する罠、このまんまじゃ。
古南(ルソン)や高山それに海南島などは一応米以外ならなんぞ食べ物は
あるでしょうが稲作が本格普及されるより違う作物栽培や加工産業の育成
に走った方が無難そうなので・そういった製品や作物の輸入対価として
米の輸出ということが行われたりすると愚考してみる。
111 :
忠邦:04/12/11 20:29:14
米市場が日本だけでも幕府が四苦八苦していたのに
国際市場と化したりしたら・・えらいことになりそうですが
恐らく幕府は持ちますまい。
ついでにいえば日本だけでも東国と西国で金と銀がおのおの取引
されていて為替が生じていたそうですが・・
ここでは多国間の為替や両替も普通になりまして
ますます上方商人は凄い事に
もはや幕府が商人を欠所したり取り潰したりは不可能に近くなりそう
です。
112 :
忠邦:04/12/11 20:43:32
まあそんなわけで米所の奥羽越なんぞは大阪を介したりするほか
伊達なんぞが自主外交も辞さない構えで結構東アジアと直に
コミットしたりします。
蝦夷地の重要性が増しますが松前藩では役不足な感もします。
寛永清寇により松前藩を転封した後直轄とする?
まあどちらにしても寛永清寇のおかげで活躍した大名が
3家あります。上杉、伊達、佐竹です。最上旧臣やらもそうでしょうが
この大名は関が原の西軍か危険分子ゆえことさら活躍するほか
無いわけでして
他に水戸徳川家と会津松平の活躍も見過ごせません。
逆に巨大すぎる武功を持たれてしまいもするでしょう。
113 :
忠邦:04/12/11 21:02:26
対外国戦争で(それも大清帝国相手に)武勲をあげた諸侯
水戸や会津は身内として考えても外様の最大武勲を担った
東北三大外様大名をどう遇するかです。
取り潰しも考えられますが・・・無理でしょう。
この外国戦争を奇縁として諸外国と東北諸藩との交流も起こりえ
また蝦夷地を介した清、樺太アイヌ国家、扶桑との
多国間取引も起こりえます。
まず松前の蝦夷地単独支配を禁じ上杉を蝦夷地に移封する。
東北諸藩に外国警備の為の鎮台警護を分担させる。
米沢は会津松平他の譜代に分け与える。
佐竹、秋田、南部、津軽、伊達や上杉には蝦夷地の鎮台を負担させるが
外国交易も認める。といったところとでしょうか。
上杉はどうせ吉良の関係で15万石に削減される運命ですし
いっそのこと蝦夷地の重点開拓強化の一環&清寇恩賞としての
蝦夷移封の方が生き易いでしょう。
114 :
忠邦:04/12/12 21:41:55
えーと本日はおひがらもよく・・じゃなくて
東アジア米相場国際市場の登場を幕府が黙認するか?ですが
絶対します。
米相場で家格を安定させる為に諸藩がこぞって増反政策で
米を有り余るほど作り、それの大半を外貨獲得の為の輸出に回し
国内米相場は海外への輸出量の調節で安定させる。
という安直な政策は、幕府に一時的には利するからで、
気がついたときは手遅れになっているのです。
115 :
忠邦:04/12/12 21:44:50
が、これはリスクも生じます。天候や運搬船の遭難なんぞです。
ゆえに先物取引は無論のこと
下手をすれば南明や周(そして高山あたり)で保険業務や
事業の株式化が登場してくるやも知れません。
海南島経由でユダヤ系やらの流入もありえましょうしww
116 :
忠邦:04/12/12 21:52:00
東アジアで必要以上のコメ生産が可能そうなのは日本と南明
この二国ですら史実と違い産業の多様化とかで稲作従事者は減少
しかねません。
無論他の食材の輸出入も活発化するかも
そして社会の活性化と人口増による成長とかを考えても
目先のことしか考えないうちに米相場が国際化し
上方商業資本が幕府を圧迫するまでに集中・巨大化してしまいますし。
で幕府転覆の序章のなりそうなのが天明の大飢饉でしょう。
117 :
忠邦:04/12/12 21:57:03
ちょっと話を戻しますが、ここでは武家諸法度の有名無実化が
起こります。
諸侯の私婚の禁止ですが国内で遵守しても海外に分家を設け
養子にやってから間接的な通婚が可能です。
で米相場などの応用から商売に対し株式証券市場が登場すれば
武家や公家にもその株投資にでたりすれば
武家・公家・商家の関係身分も変化しかねないです。
>近世アジアの米市場
えとですね、日本が曲がりなりにもコメの自給が可能になったのは1960年代からです。
(ちなみに米食が全国的なものになったのは、戦時中の配給制度から)
当時の日本は全土で米を食してはいなかったものの、「国内自給」がせいぜいかと。
対外輸出の可能な地域も、南明の江南地域かベトナムぐらいでは…。
現在の日系諸国家は・・・。
日本(徳川家)、日本(奥州雄藩)、筑紫(薩摩島津家)、高山(豊臣家)、
古南(徳川傍系)、琉球、扶桑(どこの流れだっけ?)、樺太アイヌ国 の8
国家(8勢力)でいいですか?
中華系諸国家は・・・。
清、南明、周 の3国家。
朝鮮系諸国家は・・・。
清の影響下の南渤海(仏教信仰)、半島独自の後新羅(ニカラグア教)、日本
影響での新百済(浄土宗一向宗など) の3国家。
で、そこにマレガと黒人海南島国家がある。全部で16ヶ国?
ニュージーランドやニューギニア島、インドシナ半島、ジャワ島、スマトラ島
、ボルネオ島、モンゴル、インドなどはどんな何でしょう?
ハワイ王国は日系諸国家とどう繋がりそうですか?モアイ島とか結構重要な島
になっていたりしてw
チベットや雲南地域などもなんらかの動きがありそうですね。
間違えました・・・。モアイ島でなく、イースター島です。
121 :
世界@名無史さん:04/12/14 19:52:08
期待age
122 :
忠邦:04/12/14 20:21:32
とてたさん・・・実際は遭難ですよね・・でもですね、
高山国それに加えて古南にいたったら食糧問題が・・_| ̄|○
食料といっても『日本の米が恋しい』って感じですがね。
まあ、どうにかして米増産したかなんらかの(そうそう諸藩の専売物とか)
とあわせて海外の日系諸国でニーズの高い米が高値で取引
日本産品の国際市場化という線で譲歩しましょうか。
(T▽T)でも実際は米の国際市場したいんだよな。
日本の米価経済がどうにかして世界経済にリンクしたら面白そうだ
と考えたんですが・・やはり限定的になりそうですね。
123 :
忠邦:04/12/14 20:33:05
そして119さま。そうです。日系に関しては。
こういう16世紀までに欧州没落の歴史イフですと「日本が大英帝国の代わり」
ってのが一般的ですが、漏れはまとまりを保つのがその時点では難しいと思うので
いくつかの日系国家に分国化してブーメラン現象で日本本土の複数国への分解化
ってことでイメージしたんですが・・・
朝鮮も地域差別が著しいし地政学的にややこしいので複数の国家が均衡しあうのが
最善だなーと思います。
問題は中華系です・・・_| ̄|○
明清はよくても周には不安があります。
・世界史版ならではの会話ですが、周という設定は
ドイツ、フランスの間にブルゴーニュが独立国家として今も存続している
並みの歴史イフでの更なるイフみたいなもんかな?
とも思えるんです。
黒人海南島国家もありますが、どう動くか予想がつきません。
雲南地域の独立もありえそうですね。チベットは史実以上に清に対し
自主性が強まりそうですが・・
今のとこ積極的な海外への影響は考えにくいので東南アジア諸国も
うっちゃってますが、どなたか好きなようにイメージカキコしてもらえれば・・
124 :
忠邦:04/12/14 20:36:46
マレガとハワイ王国ですが・・マレガはよいとして
ハワイ王国だすには本格的な太平洋航路が登場してからでしょうか?
まだ時期尚早だとも考えとりまして19世紀くらいになりそうです。
125 :
忠邦:04/12/14 20:37:23
史実では
新航路開拓以前
ヨーロッパ(銀)=オスマントルコ(香辛料)で銀と香辛料の交換
オスマントルコ(銀)=アジア(香辛料・絹)で銀と香辛料・絹の交換
新航路開拓以降
ヨーロッパ(銀)=新大陸(毛織物)で銀と毛織物の交換
ヨーロッパ(日用品)=アフリカ(金・象牙)で日用品と金・象牙の交換
一部アフリカ(奴隷)→新大陸への交易があった。
ヨーロッパ(銀)=アジア(香辛料・絹)で銀と香辛料・絹の交換
ここでは新航路開拓以降が存在しないもしくは大幅変更で
新大陸(銀)=北ヨーロッパ・アフリカ(毛織物)で銀と毛織物の交換
新大陸(日用品)=アフリカ(金)で日用品と金の交換
アジア(香辛料・絹)=アフリカ(金・象牙)で香辛料・絹と金・象牙の交換
ヨーロッパ(銀)=オスマントルコ(香辛料)で銀と香辛料の交換
オスマントルコ(銀)=アジア(香辛料・絹)で銀と香辛料・絹の交換
他にも
北ヨーロッパ(銀)=アジア(香辛料・絹)の交換ルートがあります。
東アジア中華系(茶・絹)=インド圏(原綿)
中華系(原綿)=日本系(綿製品・鉄製品)
インド圏(茶・絹・原綿)=アフリカ(綿製品・金・ダイヤモンド・象牙)
新大陸(珈琲等穀類食物・原綿・銀)=アフリカ(綿製品・鉄製品・金・ダイヤモンド・象牙)の交換
126 :
忠邦:04/12/14 20:38:34
ヨーロッパ半島は銀と毛織物でアフリカ・北ヨーロッパに香辛料・絹を買い付けますゆえ
ヨーロッパは持ち出しになりますが北ヨーロッパやアメリカとの直接ルートがあり、オスマントルコが
独占していた交易権を失う訳です。
ここに政治的軍事的には著しく弱体になったヨーロッパ半島を抱え込んで
ヨーロッパの対外交易を独占しようという試みがオスマントルコに出てくるわけです。
ともかく既存の貿易構造に寄生して利潤をあげてきたオスマントルコにとってヨーロッパ(半島部)
の交易縮小は問題であり、北ヨーロッパ=アメリカのルートとの競争でオスマントルコは不利なのは
否めない。
こうして欧州半島はオスマン隷下に置かれるわけです。
同時期に北ドイツ・ネーデルランドは北欧に組み入れられます。
オスマン帝国隷下に置かれたヨーロッパ半島での統治の仕組みは・・・
デウシルメ制度(キリスト教徒の少年を徴用する制度)を欧州半島に拡大適用し人材徴収
欧州では複雑な民族構成や社会組織を温存し
ミレット制(宗教的自治制度)の一部適用でバチカンやカソリック教会の保障(一部新教徒も)
またティマール(軍事封土)制を適用し、騎士(シパーヒー)に在地のキリスト教領主を任命し
127 :
忠邦:04/12/14 20:50:34
北ヨーロッパですが、こちらはもはや欧州といえない広がりになりますね。
エヤタス(北米)のヴィンランド
アフリカはサアード朝モロッコ(アゾレス・マデイラ・カナリアの諸島と
ジブラルタル海峡)から
アイスランド、アイルランド、そしてスコットランド
デンマーク=ノルウェー連合王国、スウェーデン帝国、これにネーデルランド
北ドイツの新教世界
そしてカソリックながら北ヨーロッパの一員たる中欧統一帝国ポ−ランドは
リトアニア大公国からドニエプル河畔、ベーメン、ハンガリーに及ぶ
史実のオーストリア帝国に置き換わるイメージでしょうか。
東方正教会のノブゴロドそして
イスラームシーア派のゴドゥノフ朝ロシア
今後は北大西洋世界とでも命名しましょうか?
128 :
忠邦:04/12/14 20:53:47
ここでのヨーロッパはかなり消極的な停滞のイメージに
なったので、今後は素直に北ヨーロッパの呼称は北大西洋世界と
改めましょう。改めて関連国列記したらそう表記しても無問題のようですし。
さて上記のヨーロッパの肩書きがオスマントルコに置き換わるのですが
こうした世界貿易構造の変化の陰に隠れているのがひとつ。
イングランドです。
北大西洋圏とオスマン欧州圏の狭間にイングランドが位置し、毛織物の輸出で生計を立て
両勢力プレートのパワーバランスのおかげでどちらかに併合されることも無く
生き延びますが・・・・
イングランドの宗教アイデンティティたるカソリックの本山ローマはオスマン隷下にあり、
対外交易で経済的な主導権は北大西洋圏の新教勢力とオスマン欧州圏のイスラム勢力
という状況で熱狂的なカソリックナショナリズムに犯され、すごい島国根性丸出しの国民性になりそう。
イスパニアも強烈なカソリックナショナリズムを帯びるでしょうが・・
こちらの方はといえば国情がアラゴン、セビ―リャ、カスティーリャっそしてポルトガルという自主性の強い
地域が政治的派閥抗争を繰り返す複雑な国家連合であり、一歩国策を間違えばたちどころに
国家の内紛、分解を生じるだろう。
政治的、社会的には極めて排他的であり、限られた港湾で他国との交易を限定的に行い
国内の引き締めを図る可能性もあります。
129 :
忠邦:04/12/14 20:59:42
で東方でも
>>119で列挙された国々の多国間国際関係が生じ
日本の質の良い銀や銅銭がここでの国際通貨となり時がたつにつれて
各国で独自の産業が芽生え産品の交易、為替や両替などの金融事業
台風や海賊など海路のリスクからの株式や保険などの事業もでてきて
幕府も屋台骨が揺らぎます。こうなる前に鎖国しないのか?という
意見もおありでしょうが明清関係に首をつっこんだ時点で
(そして史実でも介入が問題になったです)この国際関係からは
足を抜けられません。
財政的な面でも助かるでしょうし。
130 :
忠邦:04/12/14 21:03:36
史実の『16世紀以降ヨーロッパ世界経済システム』のような一極型の西欧列強が中核を担うものと違い
この世界では『多中心型世界経済システム』になっており、幾つかの地域に中核が分散しており
複数地域で列強諸国が出現して世界的影響力を相互に発揮しあってます。
このネットワーク型均衡外交のなか、どこかが遅かれ早かれ産業革命を起こせば、そこが史実の西欧化
するかもしれません。
が、ここでは相互に影響が深まっているので、『同時多発的産業革命』が起きるとします。
一重に産業革命といっても、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、ロシア、日本で状況や傾向が変わるように
幾つかの異種の産業革命の相互影響がこの変革を進展させるとも考えております。
大陸ヨーロッパ世界はオスマントルコ帝国そしてポーランド帝国によって、ようやく「世界経済」の辺境して
組み入れられてきますが・・
北ヨーロッパ世界でのイングランド、そして大陸ヨーロッパ世界でのイスパニアは、史実の徳川日本以上に
難解なそれゆえ排他的な半鎖国
他にはインドへの綿製品の供給をめぐりアフリカと東アジアが競合関係になり争いの予兆?
例えば高砂(台湾)の特産品である砂糖、鹿革、琉球の特産品である砂糖は日本で売られ
金と銅銭を手に入れて、それをインドで売る。
そういう具合に、東アジア海とインド洋が完全に一体になり繫がっており
アフリカ=中東=インド洋も完全に結合していたわけですから
インドの自主性発揮が難しい以上やがては東アジア列強とアフリ列強の衝突は不可避でしょう。
131 :
忠邦:04/12/14 21:15:26
ちなみに現段階でインド洋で激突しそうなのが・・
東アジア列強の顔ぶれ
日本(奥州・筑紫が半主権持ってますがw)、南明、新百済、高山
古南
アフリカ列強の顔ぶれ
ダホメー、コンゴ、ニカラグア教国(南アフリカ)モノモタパ
カネムボルヌ帝国、ベニン王国・・・
このあたりがインド洋に対し派兵を送り出す意欲がありそうな
国かと考えてます。
なにげに西アフリカ沿岸諸国も含まれてますが、ここでは彼等も
海洋交易での利潤が大きいので派兵してしかるべきかと考えました。
本音は超大国カネムボルヌ帝国を東向きに関心を向ける為かとも
思えます。
東南アジア諸国やマレガも状況しだいで派兵はありえ
オスマントルコの動向も未定です。
これだけ読み甲斐のあるスレも珍しいです。とりあえず気になった点として……
>>40の「Domination of Draka」って検索してもちゃんとした説明が出てこないの
ですが(まぁ、なんとなく想像はつきますが)、どういう物なんでしょうか?
産業革命が始まると炭田を押さえているところ(日本なら九州・蝦夷地)が有利に
なるでしょうね。大慶油田はまだ考えなくてもいいかな?
あと重箱の隅つつきにですが ―
>>113に「上杉はどうせ吉良の関係で…」と
ありましたが、これだけダイナミックに改変された世界では上杉 - 吉良 - 浅野の
関係も史実通りじゃないのではないでしょうか。ついでに言えば対外戦争やら
交易やらさんざんやってるこの日本、武士道も我々が知っているものとは違って
いそうです(内蔵助らが浅野大学を奉じて海外へ移住しちゃったりなんかして)。
133 :
40:04/12/15 20:55:39
>>132 こりゃ失礼。解説します。
"Domination of Draka"は、S.M. Stirlingが書いた暗黒系歴史改編小説です。邦訳なし、つか、多分危なくて出せない。
アメリカ合衆国独立の際に、行き場を失った忠誠派(王党派)植民地人とドイツ傭兵が、
(史実と異なり)英軍が占拠していたケープ植民地に入植、ケープ人を含む白人入植者の間では民主共和制を樹立する一方、現地人を奴隷として搾取しつつ北進し、
欧米から、仏革命の王党派、ナポレオン派、南北戦争の南軍…といった「歴史の屑」に加え、科学技術者と右翼/人種主義思想家を取り込みつつ、アフリカ全土を占領します。
(Drakaの、少数の市民階層で絶対多数の現地人を支配する必要上、科学技術は史実よりかなり進歩する一方、欧米含め人権思想は史実より相当後退しています)
20世紀初頭にはアフリカを拠点に、全人類の自由平等を(少なくとも建前上)正義とする他の全世界と対峙しますが、今更自由平等など導入したら、あっという間に奴隷反乱で市民が全滅するのでこの道は選べず、
代わりに、残りの全地球を征服し、全人類を自らの頚木に繋いで支配者として君臨する道を選び、20世紀を通じてこれを達成します。
階層間移動が「絶対」あり得ないという点が難ですが、
>>39の
>身分制民主主義、階層型民主主義社会といったものかも
>近代文明にカーストや士農工商が導入されたようなイメージが・・ という社会の正に実例なんで、思わず反応しました。説明不足失礼。
・年表(英文で長いです)
ttp://www.gpfn.sk.ca/~geis/draka/history.html ・征服の道程
ttp://www.gpfn.sk.ca/~geis/draka/conquest.html
134 :
忠邦:04/12/16 14:21:01
私は列強諸国かなんかの表記のあれかな・・・とか勝手に解釈してましたねww
それと
>>132私が吉良の関係といったのは上杉が嗣子がおらず断絶の危機なったとき
会津松平の仲裁で吉良の息子を養子相続させて家名相続させ
その代償として石高が半減したことでして・・
赤穂浪士でまでは解釈に入ってないんです。
135 :
忠邦:04/12/16 14:22:18
【東アジア海の状況】
17世紀になると東アジアと欧州との海軍力、軍船の発達には大きな差が生じていたろう。
15世紀には明帝国が鄭和の大遠征を繰り返すほどの優れた造船技術と航海術を誇っており
それも明朝が現有の国土を治めていくのも難事業で費用のかさむ対外進出を志向せず
日本も戦国時代比較的沿岸航路で事足りた為、外洋航海能力は必要とされなかった。
東洋の産物を求めイスラム商人ついでフェニキア人がオスマントルコや欧州といった地の
文物、例えば鉄砲や大筒を持ち込んできた。
この時、欧州は明らかにアジアの航海能力を追い越すチャンスであった。
(現に史実では実現している)
しかし日本では海外進出をめぐり砲艦外交の傾向が強い豊臣家が高砂(台湾)に追われ
平和外交の強い徳川が天下を取った。ましてその二代目は凡庸で消極的な田舎モノ秀忠だった。
この時、豊臣高山国そして筑紫(島津)という恒常的な脅威が無ければ、
幕府は海外交易路に関心を持たなかったろう。
これらを放置してお国に引きこもる(史実のような)鎖国をとれば早晩幕府は海外交易の利を
握った両国に天下を覆される危険があった。
嫌でも攻めの進出外交を容認するほか無かった。
その延長で明朝の危機に救援事業を行い、ついで朝鮮を巡って、三度目にはアイヌ蜂起、
清朝との3度の戦争を経験。
136 :
忠邦:04/12/16 14:23:05
こうして東アジアでは自然と遠洋航行能力と海軍力を必要とする国際環境が整ってきた。
日本(徳川幕府)は無論、これと競う関係の筑紫や高山国も古南や南明も貿易航路の防備や
戦闘は当然の事であった。
だが沿岸海軍を志向する新新羅や新百済はじめ陸軍志向な大清帝国や新渤海ですら
帆装軍艦を保有してきた。
理由は「敵がもっているから持つ」「敵に勝たなくても良い。負けなければ」という軍拡と国防の
基本的原則が作用していた。
欧州の成果を咀嚼しつつフェニキア渡来の新大陸の文物そして彼らとの交易を求める
商の民イスラーム彼等の落とした果実が芽吹きアフリカが発展の成果を得るまでにはまだ
どう贔屓目に見ても時が必要であった。
新大陸の動向はまだ緩慢として、あまり対外的な関心が低い。
こうしたなか科学技術文明の萌芽を抱いた複数の国家群が密集し互いに激しく抗争を
繰り広げていたのは欧州、そして少し遅れて東アジアがその域に達していた。
が欧州はカソリック教会支配の弊害から十字軍闘争、宗教観闘争に埋没してしまい
欧州の見せた成果は欧州からの難民に寛容なオスマン帝国や既にアフリカ沿岸に
持たれていたヨーロッパの交易拠点からアフリカの黒人王国に受け継がれ
やがて一部の流れはキリスト教布教とあわせて世界文明の処女地に等しかった
まだ海外に向かう前のマレガ(豪州)にたどり着いていた。
137 :
忠邦:04/12/16 14:23:26
欧州系の文化がたどり着いた頃マレガは15世紀頃の東南アジア諸国と大差ない文明
レベルであり対外的関心すら皆無だった。
アフリカがニカラグア宗教闘争を展開(アフリカ動乱)したことが一部の欧州系の人々を
インド沿岸そしてやがて東南アジアからマレガへと至らしめていた。
彼らは東南アジアから明や日本の方面にも向かったのだが、その地が既にキリスト教と
敵対していたフェニキアと深く接して欧州からのキリスト教に関心を示す可能性が低い
と判断され、また明清騒乱を迎えつつあり、大勢はより情勢の安定したマレガに多く渡来したので
あった。
138 :
忠邦:04/12/16 14:24:12
【耶蘇教伝来記】
キリスト教が日本に伝来したのは戦国末期、およそニカラグア教の伝来時期と似通っていた。
伝来させたのはアフリカに入植都市を築いていたポルトガル人たちであった。
彼らも細々ながら命脈を保ち己がキリスト教布教を行ってはいた。
やがて勃興と戦乱、ニカラグア教、黒人王権との権威を巡る角逐もあって彼等は続々と明、ルソン
そして日本へとやってくることになる。
が史実とは違い本国がないに等しい彼らが発揮できる影響を考慮しても彼等はやがて
それぞれの地で埋没するほか無い運命であった。
彼らが織田信長そして豊臣秀吉の側近に入り込む幸運に恵まれたのは
暴力的で政教一致のニカラグア教への抑制を彼等に期待したのと既に戦国期に多くキリスト教
へ信仰を移す武将たちがいたせいでもあった。
後の豊臣家の高山移動はこうした欧州系の人材のなせる業であり、彼らがなにゆえに
このような挙に出たのかといえば、豊臣と違い徳川はキリスト教にも一貫して厳しい態度に
望んだからでもあった。
豊臣秀頼は東アジアにおいてもっとも高貴な身分のキリスト教者といって過言ではなかった。
明にも根を張り出していたキリスト教会の統率も日本が行う背景にはこうした社会的立場と
認知度の差異があったのかもしれない。
後に高砂(台湾)に移って以降高山国が東アジアのキリスト教の総本山的機能をもつように
なっており
豊臣家ながらなにゆえ高山国が大明帝国に認知されたのかを考える上で大きな材料となるであろう。
当時の豊臣は機会主義の徒でもあり交易重視の点からルソンのニカラグア教との妥協も行い
教区をルソンはニカラグア教、高砂(台湾)はキリスト教と棲み分けを決めた点でも後史に大きな
影響を与えた。
139 :
忠邦:04/12/16 14:25:01
【権威の相対化】
高山国がキリスト教外交で国の存立を図り、やがては大明帝国と対等の関係で交渉を
行った以外にも明朝はルソンのニカラグア教法王とも対等の関係で交渉を行っていた。
この背景には中国が王朝転覆は宗教の台頭から始まる乱がきっかけという歴史的伝統
とも無関係ではなく、また彼等は己が国内にはびこるこれらの教徒勢力を統率するものとして
彼らを認知したのは清に追い詰められ出していたからの背に腹は変えられない事情があった。
一応大明帝国(北明)は中華皇帝として認識される権威と考えても
天子と肩を並べる権威として高山のキリスト教教皇、ルソンのニカラグア教法王そして日本は
天皇、更には後に一応休戦する大清帝国大汗が登場した点があった。
中華皇帝だけが東アジアの絶対権威であることも日本の天皇という祭祀王権が絶対視される
風潮も(後に中華皇帝という権威は消えるが)対等の異なる権威をお互い認めあう関係から
史実とは微妙に(そして歴史を下るにつれて)大きな変化となっていった。
後に高山国では家督を国松にゆずって豊臣秀頼が枢機卿から選出される体裁で教皇に
なったが耶蘇教教皇・豊臣秀頼は日本の天皇と並ぶ権威として国際的にも認識されてしまい
徳川が高山国に容易に手を出せなくなった背景にはこのような権威という点で
徳川は天皇の権威を借り物しているだけという弱い立場から脱却できていない点も指摘されている。
筑紫が独立国として行動しえた背景には大明帝国から九州の統治権者のお墨付きを得た
天皇ではなく中華皇帝に筑紫国王として朝貢を許された点と
高山国豊臣家というキリスト教王権に臣属した体裁をとった点にあった。
日本の天皇から征夷大将軍に任命してもらう徳川に対し中華皇帝およびキリスト教王権
から認知されたという体裁で対抗した点にあった。
140 :
忠邦:04/12/16 14:25:57
【軍事大国の出現】
史実でイスパニアが成し遂げた軍事革命は交易での利を背景にした高山国でキリスト教君主
たる豊臣家に従う南蛮人の側近衆の助言を背景に行われた。
高山国の資産は、朝鮮出兵にこそ間に合わなかったがポルトガル人から供与を受けさせた
外洋航行用の大型船を平戸(松浦)、塩飽(小西)、伊勢(九鬼)の水軍の船大工を総動員しして
建造させた艦隊であった。
彼等は朝鮮出兵のさなか、ルソンのニカラグア教征伐などに主力を展開したため活躍はできなかったが
朝鮮出兵が文禄の役の一回だけで終わりを告げたのは、この艦隊が長躯、寧波を攻略し明本土を伺う
ことに成功したことからくる譲歩であった。
その後、宇喜多秀家を高砂担当とし、この大艦隊と水軍大名を小西行長に統率させ、陸軍は立花宗茂
高山右近などに一任してニカラグア勢力に備え続けた。
彼等が日本国内に留まっていれば天下は豊臣に継続していたかもしれなかったが
皮肉にも豊臣は海外に手を伸ばしすぎた為、日本での天下を失ったとも言える。
徳川家康が大阪入城で最初に行った事は海外に展開する豊臣大名の国内所領の整理と
徳川寄りの大名への加増であった。
これに反発する諸侯との諍いが慶長の役を引き起こす。
一応国内での戦は家康の手で収められ家康が朝廷からの要請に乗る形で征夷大将軍に就任
し幕府が開設される。
しかし一年を要した慶長の役は様々な弊害を徳川幕府に齎した。
>>119 扶桑は北米東岸の漂着東洋人系主導の国家です。
…源義経の子孫である「源氏の棟梁」がいます。
それと、後新羅が儒教国家で新百済がニカラグア教(漢字表記は「供教」かしら)国家です。
アテオアロア(ニュージーランド)はマレガ史で絡めようかと構想していますが、
この頃はまだ史実とさして変わらないかと。
ハワイにはニカラグア教か扶桑あたりが初接触をし、
ラパ・ヌイ(イースター島)を含めてポリネシアとはインティパチャスーユでしょうね。
>>122 高山を含めて米の自給ぐらいは可能だとは思いますが…、日本が米輸出国になるのは流石に無理があります。
大坂米市場が主要な穀物取扱市場となるのも史実でももう少し後のことですし。
あとの流れはだいたいいけそうですが、
豊臣家のキリスト教法主化…となると、史実よりはキリスト教の地域独自権威化が進んでいる、ということですね。
ニカラグア教も大本が都市国家型だったので、他国にまで及ぼすほどの宗教権威になるかどうか…。
(史実キリスト教でいえば、中東地域の総主教みたいな感じでしょうか)
142 :
忠邦:04/12/18 20:35:05
どうもです・・・A;^^)
ニカラグア教については少々思うところもありまして・・
それともうひとつ
【東アジアと豊臣政権】
そもそも大阪の陣を前に豊臣家の高砂(台湾)移封で高山国を建国というレトリックは
大きな問題を抱えております。
(このアイデアは山野さんのですが、決して山野さんを批判する気はないです。)m(T T)m
大阪の全てを高砂(台湾)に大規模移送する能力があるのなら
朝鮮出兵も無意味になる。ってことです。
そのような強力な海運輸送能力を持っておれば、陸路を朝鮮を渡るのではなく
高砂(台湾)への拠点確保そしてそのまま明の沿岸に拠点確保したりをゲリラ攻撃して消耗を
図るという戦法も可能なのですから。
あくまで朝鮮攻略は明への先導をさせる為という目的ですから、直接攻撃できれば
朝鮮に迂回する必要性は皆無なわけです。
朝鮮出兵ならぬ大明征伐が一定の成果を挙げて成功してしまうわけです。
徳川幕府が・・・できねーよ・・おい。
第二に関白英次が失脚しません。英次一族は健在なままでしょう。
というのも大明征伐がどういう形であれ、一定の成果を挙げ明や東南アジアとの交易に
おける海洋商業帝国が可能となれば、秀吉は海外を含む版図全体に関心が移るわけで
日本一国内の差配など英次に一任すればよいわけです。
関が原はどうなる・・・おい?
いまさら白紙にできんし、漏れも参加者もなにげにユニークなアイデアとして承認しております
ゆへに・・まだしばし東アジアで手間取りますが・・
何処が南北アメリカスレなのやら・・とほほ。
次にとてたさんの李氏朝鮮跡に新渤海、新百済、新新羅に三分割ですが・・
朝鮮出兵で敵対した日本の傀儡になるような国を建てられるのか?
という矛盾とあわせて収拾させねばなりません。
143 :
忠邦:04/12/18 20:41:41
【蝗の宗教】
ニカラグア教は本来都市国家型の小規模祭祀王権と政教一致の教えであり
ユーラシアへの布教が始まったとはいえ、その都市国家レベルの域を出るものでは
なかった。
それがなにゆえ大きく変質したかについては交易ルートと深く結びついて
立地条件などで都市間に強弱優劣の差がでてしまうのです。
こうして大都市が中小都市を従属させる関係になってくる。
とはいえ新大陸では古代ギリシャのような
アテナイの率いるデロス同盟や、スパルタの率いるペロポネソス同盟の
それと大差は無かった。
144 :
忠邦:04/12/18 20:50:51
ニカラグア教が大きく変質した舞台は世界のハートランド
アフリカであった。
欧州との衝突で被害をこうむったのはフェニキアのみならず
ニカラグア教とて同じであった。
実はこの欧州との衝突こそが、最大の要因となるのである。
先の都市間序列が一歩進んで広域国家となった最初の例である
南アフリカでは、自分たちを迫害する欧州の情報から
カソリックの教会組織を参考にする向きがあった。つまり
南アフリカでは都市国家連合から広域国家に脱却するのは
当時の時代の要請でもあり、ここにニカラグア教がバチカン的な
機能を備えた統一された組織をもったわけでした。
(史実のカソリックやプロテスタントのような)キリスト教との
より激しい競争も世界布教という意欲を高揚させてしまった。
この南アニカラグア教国の出現は、まさに欧州の残した負の遺産の
ひとつであり、これがアフリカ動乱を起こしたのは皮肉とさえ言える。
145 :
忠邦:04/12/18 20:53:58
ニカラグア教が組織立った教会組織というものを持ち出したこと
を背景に東洋では南アフリカの法王の代理人としての大司教が
距離を隔てた東アジアでの司令塔となった。
これがルソンであった。
146 :
忠邦:04/12/18 21:09:16
【プレスタージョンと豊臣王権】
キリスト教は、そういう世界情勢を背景に東洋での活動に問題を抱えていた。
インドは問題外だし明は民衆に布教できても権力や武力との関係は持てない。
そう唯一の成功例が織豊政権であり
キリスト教および東アジアに流れた欧州人は頼みとなるキリスト教国家と
その武力に結集しようとしていたのであった。
信長や秀吉こそ改宗しなかったが、彼等は一様に日本では天皇という王権
の臣下でしかない明征服の野望が「中華皇帝」を名乗る事だったという噂も
考え合わせれば豊臣家は「キリスト教の王権」ということで
中華皇帝や天皇と対峙し得る王権となれる。
ここに両者の利害は一致した。
幸いにも?キリスト教の本貫たる欧州は遠く南アフリカという邪悪な牙が
アジアとの連絡を困難にしていた。
法皇がシスマで2人並立して相争ってすらいたのだ。
高山のキリスト国教会が東アジア地域でのキリスト教会の庇護者となり
国家を超えた権威として恐れられ
ルソンのニカラグア法王国は古南のルソン征服後もルソンや東南アジア各地の
原住民の土俗信仰と巧みに習合して根を張り
古南や東南アジア諸国の王権に関与していく。
147 :
世界@名無史さん:04/12/21 09:23:45
次はどうなるのだ・・・age
148 :
忠邦:04/12/22 22:01:09
だうせだーれも見てはいないと思うのですが、一応続けてしまった
責任から、切のいいとこまではカキコするぽ。
149 :
忠邦:04/12/22 22:03:36
【朝鮮半島始末記】
文禄元年(1593年)4月、16万という大軍が朝鮮半島に派遣された。
当時李氏朝鮮では世祖の功臣の家系と戚臣(外戚)を中心とした大地主両班による勲旧派が
1567年に即位した宣祖によって排され、中小地主の両班を中心とした新興官僚の士林派が
政権を担っていたが、
1575年には、その士林派が官職の任免権を巡って沈義謙の一派・西人と金考元の一派・東人
の党派に分かれて抗争していた。
文禄の役直前には西人がほぼ左遷され、東人が政権を担っており
西人の黄允吉が正使として、東人の金誠一が副使として、日本を訪れていた。
黄允吉が日本侮れずとの警戒を訴えたが日本軽視の金誠一が採用されていた。
皮肉にも日本の実力を評価していた西人と組んでクーデターを支援したことで李氏朝鮮内の
政権紛争に日本が関わる事態となった。
一方の東人は李山海の北人(対西人強硬論)と禹性伝、柳成龍の率いる南人(対西人融和論)
に分裂してしまう。
本来なら更に分裂抗争を繰り広げる西人、北人、南人の各派であるが
北人が明の支援を背景に文禄の役でかろうじて日本の大部分を退去した後、
北人が中欧で政権の主導権を握るが、西人は日本の協力を背景に全羅道に割拠し出し、
後の後百済の前身となる。
その後キリスト教・ニカラグア教の受容を巡って各党派が排斥を唱える功南派と受容を唱える
信南派に分かれて争う。
信南派の多かった南人や弾圧され始めたこれらの教徒勢力は慶尚道に集結し始め、後の新新羅
の前身となる。
政権を担い続けた北人は清国との対応を巡って分裂、李氏朝鮮の王族とこれを奉ずる一派
小北を清国に追った北人の多数派・大北は日本や高山との妥協によって克儒抗清を国是とし
独立抗争を開始する。
この朝鮮共和革命により李氏朝鮮が一括して半島を支配した時代は終わりを告げ
新渤海(北人)、新新羅(南人)、新百済(西人)が三分しそれぞれ衆議で国論を決する合議
制が採られていく。
150 :
忠邦:04/12/22 22:46:55
【東南アジアの勃興】
ビルマのタウングー王朝を破ったタイのアユタヤ王朝はムエタイ創始者にしてタイ3大王の一人と
謳われるナレースワン大王の治世にあり、秀吉の対応に憤激し明に朝貢使節を送り、シャム水軍
で日本の南辺を襲いたいと打診(史実です)明は拒むが、明沿岸を直接攻撃されたことを受け
改めてアユタヤ王朝に日本水軍撃破を以来。
この壮絶な戦いの為、ルソンのニカラグア勢力はアユタヤ王朝と結び日本としばらく緊張関係に入る。
ナレースワン大王の子エーカートッサロットは外交面ではネーデルランド系欧州人を保護し
彼等の手引きでオスマン帝国やアフリカ諸国に東南アジア諸国で始めて使節団を送った。
日本は徳川幕府になるので関心をなくすが、海外駐留勢力(後に高山国)は以前積極的に
行動、報復措置としてアユタヤ朝の隷属下にあったマレー半島のパタニ王国を支援する。
パタニ王国はマレー人王朝で一番歴史が古く一番早くイスラム化、南シナ海交易の要にして
琉球王国の友好国であった。
時は女王ラジャ・ヒジャウの治世、彼女は喜んで日本(高山)と手を組みアユタヤを破って
独立を回復する。
がここにはマラッカ王国があります。史実では1511年にジョホール(シンガポール)のスルタン
の協力でポルトガルに占領されますが・・・ここでは健在です。
高山系の欧州人も此処を拠点として日本に渡来しました。
マラッカ王国はパタニ王国の商売敵でもあるアチェを抱えるなどしており高山とアユタヤ朝の
闘争に対し微妙な立場に置かれた。
この高山VSアユタヤ朝の確執は長く続きますが
ナレースワン大王の孫シーサオワパークが長引く確執による交易の頓挫を理由に国民の不満を買い
シーシン親王に処刑され、シーシン親王がソンタム王に即位するに及んで状況は一変。
彼は山田長政を代表とするアユタヤ日本人を登用して高山との関係を緩和する。
後のルソン紛争ではアユタヤ王朝が古南とニカラグア教国を仲介したりしている。
151 :
忠邦:04/12/22 22:50:28
【東南アジアに高揚する列強】
高山国はこの頃にアユタヤ朝のライバルであったビルマのタウングー朝を応援していたが
アユタヤ朝との関係改善を期に関係が変化・・そのためかタウングー朝は衰亡し、南部のモン族
が強盛になり、西暦で言う18世紀にはアラウンバヤー王がビルマを統一しコンバウン王朝を開く。
コンバウン朝ビルマは雲南のタイ族の宗主権を巡る戦いで南明を降し、ライバル関係にあった
タイのアユタヤ朝を降す勢いを示すが、タイやマレーに深い利害を持つ高山や日本の画策で
西進を煽られる。がその勢いはアラカン王国、マニプール王国、そしてインドにアッサム王国を
支配するまでになる。
東北部のシャン族であったタウングー朝はビルマから追われ雲南辺境に落ち延びていたが
南明はこれを支援、強力なコンバウン朝ビルマのに対し雲南を奪回しようと図る。
この戦争では高山や古南もインドへの利害からタウングー朝を応援、
シャン高原の戦いでの敗戦で雲南を放棄する。
これによって雲南のタイ族小邦はタウングー朝の支配するところとなり、後にタウングー朝が
雲南独立の呼び水となる。
一方のアユタヤ朝はベトナム情勢に関与していた。かつてベトナム中西部を支配した
阮氏広南国が西山朝(タイソン朝)に滅ぼされた後、その一党を亡命させてかくまっていたが
阮福映はタイと高山の支援を受けて台頭し西山朝を打倒、ベトナムを統一した。
越南国を宣言し阮朝越南国は初期は諸外国からの新制度や知識導入に積極的であり
外交も開放的であったが、国力の高まりにつれて外交姿勢も変化、明命帝の代には
南進政策によりカンボジア王に宗主権を認めさせるまでになる。
こうして東南アジアでは国家意識の高揚が顕著となりコンバウン朝ビルマ、
アユタヤ朝タイ、阮氏ベトナムが3大強国として威容を現しつつあった。
152 :
忠邦:04/12/22 23:06:07
とうとう勃興し始めました東南アジア。
本格的に手におえなくなってきた・・・・_| ̄|○
日本、高山、古南、南明と北方に居並ぶ北東アジア列強
それに対して東南アジア列強として
コンバウン朝ビルマ、アユタヤ朝タイ、阮氏ベトナムです。
東南アジア系が独自豪州文明となったマレガもどうなるか・・
>>86>>130-131で指摘していたインド争奪戦に
漏れも考えもしなかったコンバウン朝ビルマとアユタヤ朝タイの西進政策
がぁーっ
ビルマとタイが列強国としてインドに絡んでくるとは自分でも考えもしなかった。
西欧の圧力が無く、アメリカ勢が交易特化なら、
東南アジア諸国間の抗争が激化するのはいわば必然ですね。
とはいえ、史実ではインド→東南アジア(チョーラ朝のシュリビジャヤ侵攻)
しかありませんでしたが。
154 :
忠邦:04/12/23 22:25:44
いやー本来は朝鮮半島始末記だけのつもりでしたが
朝鮮出兵時にシャム(タイ)が日本攻撃の許可を明に求めていた
という史実を発見しまして(それまで知らなかったです。お恥ずかしい・・
東南アジアまでカキコ汁こととしました。
調べてみるとビルマがインドを伺うほど勢いのあったことも知り
史実ではインドのアッサム王国併合が大英帝国の逆鱗に触れ・・・
ですがここにはそんなイギリスもおらず、のびのびとインドに手を触れられる
のではないかと・・・
155 :
忠邦:04/12/23 22:40:39
漏れ的には人的外的要因から史実にも登場するこの3国家
コンバウン朝ビルマ、アユタヤ朝タイ、阮氏ベトナムが
東南アジアにおいて勝ち抜いていくかと考察しました。
(・∀・)話はいきなり変わーるが
日本にも歴史IFは数あれどアフリカ勃興を提示したのは
不肖漏れしかいないじゃないかぁー(多分)
といふことに気がついたのれす。
アフリカ列強が世界史に影響を与える想定なんぞ、未だかって
漏れが最初・・・それに気がついた瞬間に行き詰ったのだが・・
アフリカ列強だけでも相当行き詰ってるといふのに・・
東南アジアにインドや豪州を伺い日本や南明と伍す列強諸国が
育つ想定まで入ったら・・・_| ̄|○本当に手に追えません。
誰か教えを請いたいぽ。
アメリカ、東アジア、東南アジア、インド、マレガ、アフリカ、欧州。
それぞれがそれぞれの地域力を活かして動いている怒濤の世界。いいですよね。
そのまま、突き進んでいいのではないかと思うのです。
このまま、世界統合に向かうのか、各勢力が拮抗したまま、国連のような形で拮
抗するのか。その辺も気になるところ。
また、本題であるアメリカの内部状況が分からないので、その辺にも手を出して
みてはどうでしょう?
そういえば、シベリアやアラスカ、カナダあたりや南米南部などはどうなのでし
ょう?中央アジアや西アジアとかも。
大清の勢力が西域のどこまで届いているのか・・・
玉門間までか、タリム盆地のなかばか、パミールまで達しているか。
モンゴル高原ではどうか。ハルハを取り込めているか、いないか。
バイカル湖まで勢力が達しているか、いないか・・・これ次第で
エニセイ川ルートで中央シベリアに交易路を伸ばせるかどうかが違ってきますよね。
ハルハは史実では確か降ったのが康熙帝の時代でしたっけ?
もっと東の諸部族は中国進出前に従えたという史実どおりでよさそうですが、
入関以降はどんどん史実とずれが拡大していきますからねえ。どうでしょうね?
ジューンガルの動きも気になる・・・これはダライ・ラマ5世治下の
チベットの動向も絡みますよね。
パミール以西はどうでしょう。
サファヴィー朝の勢力は何処まで伸びているのか・・・史実ではアム川どまりですが、
ウズベク系三ハン国が本格的に台頭するのも17世紀後半以後なんですよね・・・
群雄割拠なのかな?
アフガニスタンとかもどうでしょうね?
それに史実ではそろそろサファヴィー朝が息切れしてくる頃ですし・・・
サファヴィー朝、西側でもどうでしょう。
オスマン帝国の経済力が史実よりやや落ちてるわけで、事としだいによっては
スレイマン大帝に奪われたイラク・アルメニアの奪回、
さらにその勢いでオマーン進出・ペルシア湾内海化もありえないでしょうか?
ヒジャーズも史実より早く活性化しないかな・・・イスラム復興運動が出てこないと駄目かな?
カフカスはどうでしょうね。
ゴドゥノフ朝ロシアがイスラム化するといっても、やはりカフカスの諸部族は手ごわいですからねえ・・・
とりあえずカスピ海に面したデルベント地峡・回廊地帯ではロシアと友邦ペルシアの
国境は接していると思いますが、内陸部と山岳西部ではどうなるやら・・・トルコも絡みますね。
さらにロシアの東方進出。
毛皮の需要が減れば極北東進の勢いは弱まるでしょうが、まったく消えるものかどうか・・・
そもそも史実でなぜあの時期に、突然極北進出が始まったのか・・・
毛皮の需要、ロシア人とロシア国家の民族的バイタリティー、「大発見時代」の空気・・・
いろいろありそうですね。
コサックが南の戦いに使われればシベリアの優先順位は低くなるという事でしょうかね?
でもイヴァン雷帝時代に既に史実どおりシビル・ハン国は征服されているのでしょうから、
今のところロシアの東方勢力圏は、ほぼオビ川の線で停滞ということでしょうか。
その南側のステップ地帯もですが、史実では19世紀末になってもキルギスステップは
恐ろしい空白だったようです。ニコライ一世が晩年闇雲にインド遠征を命じて、
コサックたちが凄まじい吹雪の中三ヶ月かけてようやく百五十キロほど進んで、
その時点で既に補給途絶、部隊半減して、新たに即位したアレクサンドル2世が
彼らを呼び戻さなければ確実に全滅していたはずだとか・・・
キルギス征服は長引きそうですね・・・
なんにせよ、この先忠邦さんがこの異世界をどのようにしていくのか、とても楽しみです(^^)
読むばかりで何だか申し訳ないですが、期待してます。
そうだ、スウェーデン帝国が白海のアルハンゲリスク港を
占拠というストーリーはどうでしょう?
ハドリアヌス戦争に絡んで使えないでしょうか?
実際、デンマーク=ノルウェー連合王国とスウェーデン帝国が
北欧地域をどのように分け合っているのかがなかなか気になるところです。
そいえば、お分かりと思いますが私は前スレの545ですw
忙しいのでまともに来れてないですが、忠邦さんのカキコを楽しみにしてます。
あと、このあたりでもう一度ストーリーの整理と精密な年表が欲しいところですね。
いったんここまでの流れを整理してみれば、
忠邦さんも新しいイストワールを構想しやすくなるのではないでしょうか。
できれば細かい固有名称のたぐいも設定してみたいところですね。
・・・と言っておいて、結局人任せになっちゃいますがw
>>154 いえ、僕も知りませんでしたし。
>>155 例の170さんにも感謝ですね>アフリカ勃興
あと、この流れではどこの国も地域大国止まりで「世界列強」にまではならないんじゃないでしょうか。
>>161 …すいません、春節までには2スレ目を整理しますです。
163 :
忠邦:04/12/26 01:10:38
>>156 申し訳ないがこれで一応漏れは退去するので・・(いいかげん諸事多忙なもので)
しばしカキコできません。
そのまま終わるかもしれませんがww
1月中に誰もカキコなかった場合削除でもOKでつ。
まあ他のスレには名無しと別コテで顔出ししてますんでww
で最後に
>>162 列強の定義なのですが
史実では大英帝国を別格にドイツ、オーストリア、ロシア、フランス
だったのですよね。
ここでは定義の問題が難しいかと思うのですが。
164 :
忠邦:04/12/26 01:20:05
おと・・別に逃げるわけじゃないんですが
前々から言ったように行き詰ってましてww
前スレになにげに期待カキコが若干入ったもので
ガンガッタンですが・・・・
しばしイフスレから撤退休眠してもうちょい考察してみます。
誰かが改めて別バージョンとか最初からやり直すのも
よいのではないかと思うこのごろですがww
ええと・・もしかして私のカキコで気分を害されたとかいうことでは・・・(汗
いえ、単にお忙しいというだけならいいのですが・・・(汗
まあ年末ですし・・・
私のカキコはあんまり気にしないで下さいまし orz
166 :
忠邦:04/12/26 23:06:22
いやいや545さんの発言は関係ないです。
気分を害したわけじゃないです。
本当に多忙なわけでして、それと今の時点では世界史版より株版に張り付いて
情報見る時間のほうがほしいわけでしてww
それに僕の難解なカキコだけですと・・どうかなーってことでいったん退去
します。
やはり2ちゃんは複数のカキコで討論が本道ですから、その点を
前スレでも言っていたように気にはしていたんです。
マジで行き詰まってましたしねww
で結論は漏れは消えるってことで。一応スレ建てと切の良いとこまで
カキコして糸冬
漏れが去って心機一転最初から誰かが古代から想定する話となれば
それの方が良いかなーっと思うので。
最悪、漏れが気にして覗いたとき(多分1ヶ月以上後でしょうか)
沈みまくってたりニーズあるようなら再開してもいいですしww
>忠邦さん
一時休止とのことで、とりあえずはお疲れ様でした。
この冬でできるだけまとめて、隙間を埋めてみます…。
(…「沈みまくり」の方が確率高いかと)
168 :
ねこくち:04/12/30 23:10:01
お久しぶりです、忠邦さん。
一時休止宣言の直後にカキコですいませんです。
かなり、アジア史が進展していて驚きました。
現状の17世紀の時点ではまだまだ先のことですが、この世界では同時
多発的に産業革命が起きるわけですから、産業革命後、一気に地球人口
の過半が大量消費時代に突入しそうな気がします。
となると、人類の資源消費に科学技術の発達が追いつかなくて、低い
技術発達段階で化石燃料使い切ったりする可能性があるかもしれませんね。
史実の先進国に相当する国家が世界中に同時に出現し、高い教育レベルと
技術開発能力をもった国家の総人口が史実の数倍(史実では、先進国
人口は10億人程度であり、増加率は低い)いたとしても、技術の発達
速度は史実よりもさして加速しないと考えます。
市場経済が機能している限り、最新の研究開発は秘匿され、同じような研究開発が
同時並行的に世界各地で実施されるはずであります。強力なリーダーシップを
もつ国家が複数の競合する国家や企業の研究資金を統一的・集中的に開発目標に
向けて投資しなければ、資金の無駄が多く発生してしまうはずです。
ってまぁ、先行しすぎましたが、そういう問題もあるのではないかと愚考
したまでです・・・。
>>168 一応、流れとしては技術レベルは少し先行してはいるんですが、
たしかに史実のように欧州のみが地球の富を独占しないんですから
科学技術面の発展は抑えられる傾向になりますね。
新年あけましておめでとうございます^^
カトーさんじゃなかった、忠邦さん休養お疲れさまです。いつでも来て下さいね。
ねこくちさん、あたらしい切り口ですね。そういえば、そうですよね。
その傾向の場合、2000年頃はまだ第二次大戦前夜くらいの技術水準?
171 :
ねこくち:05/01/01 20:20:38
みなさんあけましておめでとうございます。
>>169、170
いえ、技術の進歩は多少加速されるはずだと思います。我々の歴史で
は大量消費社会のはじまりは19世紀末ごろで、その消費人口は最初2億前後。
現在は10億超の人口が豊な生活をしています。
そして、40年前から、石油はあと30年で枯渇すると言われ続けてきましたが、
化石燃料の節約・代替エネルギー開発・油田開発により、今でもあと30年で
枯渇するといわれ続けています。
1960年代までに、原子力の工業規模での利用もはじまり、軌道上に太陽発電
衛星を並べる事業も、技術的には十分に可能なレベルに、大量消費社会の
出現から100年で到達しました。
「南北ア〜ったら3」世界では、例えば大量消費人口が1800年に6億人
、1860年に30億人として、資源の消費を史実の3倍以上とすると、19世紀末には
石油はほとんど使い果たし、ウラン235もほとんど掘りつくし、あとは質の
悪い石炭が残るだけになるかもしれません。
石油は、常に「あと10年で枯渇する」といわれ、30年程度で本当に枯渇するでしょう。
となると、内燃機関や電力の普及から100年足らずの短期間のうちに、
海底のメタンハイドレート採掘や太陽光の大量利用、もしくは核融合などの
エネルギー源を開発する必要があるのでは?
172 :
ねこくち:05/01/01 20:30:09
つまり、我々の歴史でも問題化している資源枯渇や環境汚染に対処するための
技術開発に充てられる時間が、「南北ア〜ったら3」世界では1/3程度しか
ないかもしれませんが、技術発達スピードが我々の3倍に達することはない
だろうということです。
しかも、多極化した社会だから、なおさら力を結集して全地球的な問題に
対処するのは難しいかもしれません。
あけましておめでとうございます。
2スレ目のまとめより先にマレガ史を進めるようになりそうです…。
>>171-172 ああ、「技術の進歩と資源の残量の追いかけっこ」の問題でしたか。
マルクスやアダム・スミスみたいに「無限」と考えるわけではないですが、
考慮するとなるとかなりな困難が予想されますので…。
とはいえ、化石燃料資源は偏在してはいるものの、
史実ほどの偏在利用はされないような…。
石油でいえば、中東地域の偏在化が顕著になるよりも
メキシコやベネズエラ、ナイジェリアの油田の方が先に開発・利用される形で。
…楽観的過ぎるかしら。
ただ、資源環境の認識が20世紀初期の時点で21世紀初期なみになるのは悪くはないのでは。
木炭火力全盛な20世紀になるかもしれませんけど。
174 :
世界@名無史さん:05/01/03 00:29:24
技術の進歩という観点からいくと、多発的産業革命というのはこれまでの
文明設定からみて具体的にどういうものが考えられるでしょうか?
175 :
世界@名無史さん:05/01/03 21:52:12
>>174 多発的産業革命というと近代西欧の成果を複数の地域の主要国で
分担するって感じでしょうね。
2〜3のカトー氏のカキコから感じる点は
蒸気機関の発明は日本が第一でも、それを本格的に綿製品製造とかの
大量生産に活用は不可能(まあ江戸の封建制度の制約があっては・・)
それは例えば南明や高山、古南等の小規模な周辺国に伝播して
それが各地域で独自の活用のされ方をしてというイメージでしょうね。
というと東アジアでは綿製品の蒸気機関活用による大量生産に振り向ける
人員は史実ほどいないでしょうし
東アジアの資本がインドの人手を使いインドで原綿から綿製品の大量生産
までインド洋で行いそれを東アジアやアフリカに送り出すって感じでしょうか?
176 :
世界@名無史さん:05/01/03 22:11:31
ここではマレガ(豪州ですか?)が大陸を横断する蒸気鉄道や
蒸気船の本格活用という綿で世界に先んじるようですので
それがオスマン帝国や大清帝国、カネムボルヌ帝国やメスシピ朝
といった大陸規模の大国では交通輸送手段で本格化したり
南アフリカや南米ポトシ銀山の属する国(どこでしょうとてたさん)
で鉱山開拓といった重工業メインで産業の近代化が先行したり
ここではアフリカ諸国は国内に沿岸の先進地域から原始的な内奥未開地域まで
今の中国に近いイメージですね。
だからアフリカ諸国が内陸部の近代化と活用に蒸気機関を使用した
綿製品の生産(これはかなりの労働集約産業ですから)を活用して
それで原綿の確保と市場としてインドを狙い
それがインドを工場として利用する東アジアとぶつかるって感じですか?
177 :
世界@名無史さん:05/01/03 22:11:54
それと167-173の議論で盲点になりがちなのが、この世界では
史実ほどの人口増加が起き得ないという点でしょう。
ここでは長い期間にわたり悪疫の災禍が襲う事になり、
産業の進歩と増えない人口という二つの問題を抱えます。
考えられるのが史実より加速する点が
医療や生活習慣の衛生面での進歩
史実並みの可能性もありますが大量輸送技術
例えば飛行機械の進歩もあり得ますが・・
史実より遅れそうなのが軍事技術
悪疫で人口が減るのに戦争で更に減らすわけはないでしょうし・・
軍事なんぞに人を割いている余裕は無い、て国に傭兵団が武力を売り込むかも知れませんね。
戦争経験豊富な割に発展が遅れてる欧州全土が、スイス傭兵化するかも。
>>154 >朝鮮出兵時にシャム(タイ)が日本攻撃の許可を明に求めていた
>という史実を発見しまして(それまで知らなかったです。お恥ずかしい
確認もせずに申し上げるのも気がひけるのですが、明がシャムの海軍力を
求めて使節を派遣していた様な。また調べてみますが。
180 :
世界@名無史さん:05/01/03 23:31:56
こいつはなぜ童貞なのですか ?
181 :
世界@名無史さん:05/01/03 23:51:04
そういえば、サッカーとかはここではイングランドじゃあなく
マヤ帝国起源のものになるでしょうか?
他のスポーツとかについても、どうなるのでしょう?
>>175 そんな感じだと思います>多発的産業革命
技術発達の面では、史実よりも交易の果たす役割が大きくなると思います。
ただ、目先の利益の追求の方が重要視されるのは史実よりも大きくなるでしょうが。
>>176 マレガは史実のオーストラリアです。
南米の過半(東部沿岸を除く)はタワンティン・スーユ(後にインティ・パチャ・スーユ)の領域です。
とはいえ、皇帝が技術発達に理解を示すかしら…王権的社会主義みたくなりますので。
>>177 人口圧が少ない、というのは技術の発達にはマイナスですが、
資源の利用状況としてはよいことですね。
「大幅な人口減」が無い代わりに「大幅な人口増」も無い、というのは多いにありえますね。
>>181 文化ネタはかなーり難しいのですが、
トラチトリが国際スポーツになるのは確実かと(マヤ諸都市で都市間対抗戦の開催、とか)。
フットボールはヨーロッパ…せいぜい北欧圏程度のマイナースポーツになるかと。
(現在のカバディほども普及しないかもしれませんが)
183 :
世界@名無史さん:05/01/08 15:32:54
184 :
世界@名無史さん:05/01/12 19:07:26
お、面白いですね!でも、複雑で難しい。誰か簡単に説明してくれないかしら。
>183
こんな状況ではマジでコムドが発達しそうだな。
「モンゴルの残光」世界の朝鮮はドイツ化してましたしね。
小国であるがゆえに傭兵として食っていく人々が増えそうですし。
後百済で同じ島(シルミド)で訓練した傭兵同士が、
戦場で同士討ちせざるえなくなる事件が発生したりして。
新百済の首都大田か光州
新新羅の首都大丘か蔚山
新渤海の首都平壌あたりになりそうだ。
徒然なるままに各国の首都でも考えてみましょか。
適当に設定してみますので、異論がありましたら修正を。叩き台にでも使ってください。
ちなみに1650年時点を想定。言語には不案内なので一部都市名を空白にしてあります。
詳しい人が都市名を設定してくれることを希望。
メスシピ朝:○○(ミシシッピ川とオハイオ川の合流点、史実のケイロ付近)
*国内第二の都市としてミシシッピ河口、史実のニューオリンズ付近に人口数百万の大都市
ヴィンランド王国:○○(ノヴァスコシア半島の付け根あたり)
扶桑国:○○(史実のシアトル付近)
ペコス諸都市:統一国家でないため明確な首都なし
トルテカ:遊牧的国家のため明確な拠点なし
フェニキア諸国:中心都市はキューバ東部
テスココ連合:中心都市はテスココ(メキシコ盆地のテスココ湖北岸)
マヤ諸国:重要都市はティカルなど
ニカラグア教国:○○(ニカラグア湖畔)
パナマ信教徒国:○○(地峡東側のダリエン地方)
タワンティン・スーユ:クスコ
見落としはないでしょうかね。
アイルランド王国:ダブリン
スコットランド王国:エディンバラ
ヨーク公領国:ヨーク
*勢力圏は北イングランドからウェールズにかけて
イングランド王国:ロンドン
*ハプスブルク朝の属国となっている
ハプスブルク朝神聖ローマ帝国:明確な首都なし。重要拠点はウィーン、マドリードなど。
*ローマ教皇座のあるローマ、フランスのパリも重要都市だが皇帝が居を定めることはない。
デンマーク=ノルウェー連合王国:クリスチャニア(オスロ)
*勢力圏はスカンディナビア西半、ユトランド半島、北ネーデルラント、ザクセン東部、アイスランド
スウェーデン帝国:ストックホルム
*勢力圏はスカンディナビア東半、ポンメルン、西プロイセン、シレジア、ラトビア、ラップランド、
フィンランド、白海沿岸
大ポーランド王国:ワルシャワ
*勢力圏はポーランド、ベラルーシ、西ウクライナ
ノヴゴロド共和国:新ノヴゴロド
*勢力圏はヴァルダイ丘陵以北のラドガ地方、フィンランドとカレリアの南部
ゴドゥノフ朝ロシア=スルタン国(帝国):モスクワ
*勢力圏はだいたいオビ川・ウラル川以西
サアード朝モロッコ : マラケシュ
*勢力圏はモロッコ、ニジェール流域以北の西サハラ
オスマン帝国 : イスタンブル
*重要都市はエジプトのアル=カーヒラ(カイロ)など
サファヴィー朝ペルシア : エスファハーン
*勢力圏はイラン高原、カフカス東部、メソポタミアの大部分、西アラビア(ハサ、オマーン)
バルチスタン、アフガニスタン南部
首都以外で最大の重要都市はペルシア湾口のバンダルアッバース港
ムガル帝国 : アーグラ
*勢力圏は北インド一帯
フンジュ=スルタン国 : ○○○○(史実のハルツーム付近)
ソロモン朝エティオピア帝国 : ゴンダール
カネム・ボルヌー帝国 : ○○○○(チャド湖付近?)
アンコーレ王国 : ○○○○(?)
コンゴ王国 : ○○○○(?)
モノモタパ王国 : ○○○○(?)
メリナ王国 : ○○○○(?)
南部アフリカのニカラグア教国勢力圏:中心都市はケープタウン付近
アフリカは絶対に見落としている国があるはずだが・・・前スレが見れないorz
トゥングー朝 : ○○○○(史実では1635年以前はペグー、その後が分からない)
*勢力圏はビルマ北部、雲南西部、アッサム東部、シッキム東部
アユタヤ朝 : アユタヤ
ラーンサン王国 : ○○○○
黎朝大越国 : ハノイ
ジャンガウ朝マレガ : ○○○○
*勢力圏はオーストラリア大陸北岸、ティモールなど
マラッカ王国 : マラッカ
海南黒人王国(仮称) : 瓊海
古南国 : ○○○○
豊氏高山国 : 常陽郡
琉球王国 : 首里
筑紫 : 鹿児島(熊本、大宰府、豊後府内も良いような・・・)
徳川朝日本 : 江戸&京都
*樺太アイヌ国成立は1669年以後
南渤海 : 平壌
後新羅 : 大邱
新百済 : 光州
大清帝国 : 北京
周帝国 : 揚州
*領域の広がり次第では開封、徐州、ジョウハンもありうる
南明帝国 : 杭州臨安府
*南京も考えられるが国境に近すぎ・・・まあ、南明の場合名目的な中央政権の
所在地の意味は割合小さいかと
他に福州、寧波、広州、南昌なども考えられる。上海はただの寒村or地方小都市か?
ジューンガル部 : 遊牧国家のため明確な首都なし
チベット : ラサ
192 :
世界@名無史さん:05/01/15 21:26:39
age
193 :
忠邦:05/01/15 22:38:48
おひさしブルですう。
まだまだ諸事多忙で本格復帰は無理なのですが・・一言だけ・・
列強の定義についてなのでなのですが、この世界では
漏れ的には列強とは植民地の過多とかじゃなくて
@世界交易に本国政策の変更により与える影響の大きさ
Aそういった世界交易および商業利権への軍事動員の可能範囲の大きさ
によって決まってくると思います。
そういった観点からは各地域の相互相互干渉の大きさはありますが
それなりに各地域に列強と呼ぶべき国家は生まれると思います。
追記するとオーストリアハンガリー二重帝国のように
地域大国としか呼べなくとも世界情勢に与えるインパクトから
列強の定義に含めえる国も出てくると思います。
どうでせうとてたさん?
194 :
忠邦:05/01/15 22:41:55
おお・・追記すると前スレの545さま
決してあなたのカキコにどうこう言うことなど無いので
変わらずカキコをお願いします。
545さまの意見は本気で参考になる点が多いのです。
>>187-191 諸国一覧ありがとうございます。こう一堂に揃うと壮観ですねぇ。
残る地域としては・・・
・インドネシア一帯
・南インド〜スリランカ一帯
・ヒマラヤ沿いには小国群が残るかな?
・三ネシアはどうでしょう。
史実に詳しい方、詳細補足おながいします・・・
>>190 あっちのスレで確認したらマレガはジャンカウ朝、首都はブラルゴプラ(その後遷都したかもしれないが)
15〜16世紀には大陸全土を統一という設定だったので訂正。
>>195 東南アジア島嶼部と南インドは史実だと西欧が絡んでくるのに対して、
この世界ではそれがないので歴史がどう変わるか読みきれないので割愛
(というかまだ未設定状態)。
さらに前者は東アジア列強やマレガが関係するはずだし、後者はムガル南進の如何が(ry
ヒマラヤは、これまたチベットの絡みがあるが・・・小国は残りそうな気が。
あとカフカスあたりにも小国が残存していそうだし、
欧州内部も半独立政権が割拠しているかも、かと。
アフリカも何だかんだいって隙間が多いし、
中央アジア情勢もまだかなりの部分霧に覆われてますね。
オセアニアの島々はまだ史実と全く同様の状況と言ってよいかと。
史実からのズレが生じ始めるのは外部勢力との接触が前提ですが、
そのためには南アメリカ大陸の歴史がもうちょっと煮詰らないと訳わかめ。
まあ、強いて言えばトンガ王国でしょうかね。あれは史実でも10世紀頃に成立というのが建前。
あとの細部はエロイ人に任せるとしましょ。首都その他
異議があったら適当に修正しておいてくださいな。
>>194 あ、いやいや・・・わざわざありがとうございます^^
あとどうでもいいことながら156さんのカキコは私ではないわけですが、
あまりにタイミングが良かったので自演っぽくて何だか申し訳ないことでしたが・・・
いや、実は私は近世以降の史実にあまり詳しくないのと、
あとやはりかなり忙しいのでなかなか書き込む暇がないのですが、
よければ折を見てまた何か書ける事があったら書いてみようかと。
うーん、まあ今考えてるのは既に大筋が設定された歴史の後付け補強というか
補足・細部設定みたいなもの、あるいはこの世界の中の歴史書や旅行記、
さらには小説の体裁の文章で細部の情景を描き出すとか言うのも面白そうだなあ、と。
しかし細かい設定はとにかく、文書の方は才能が・・・orz
それと何ヶ月かしてまとまった時間が出来たら私が先に書いたように
細かい年代や名詞の設定とかも考えてみたいですね。とてたさんのお手伝いになれるかも・・・
などと考えつつ最近は本当に時間が無くてどうもこうも・・・orz
ではまた、いずれ適当にカキコしてみたいと思いますw
199 :
忠邦:05/01/20 21:20:28 0
おお・・何やしらん間に、いろいろとカキコが
186-191の設定に感化されて
事前に用意していた高山国&古南の国情腹案を提示して見ルポ。
なにげの国旗まで登場するが深く考えないでほしいww
では
200 :
忠邦:05/01/20 21:23:06 0
【高山国】
朝鮮征伐と平行して推し進められた南蛮征伐で獲得した高砂(台湾)は、豊臣家の
直轄とされ、朝鮮出兵で動員された水軍力も、実のところ他日を期して豊臣直轄水軍として
高砂での運営は存続しており、
肥後の小西行長を代官兼任の総督として派遣していた。
関が原の動乱に際し大勢の西軍将官や残党がこの地へ逃れているのを承知しながら
結局家康が手出しできなかったのは
容易ならざるその軍事力にあった。
水軍の長として小西行長、陸軍の長として立花宗茂が派遣されており、
他にも高山右近はじめ歴戦の精鋭が控えていた。
関が原後には高砂安国寺に恵瓊長老が逃げおおせていたとか
石田家が重家のもと再興されているという確かな情報も、
西軍に協力的だった高砂大老として宇喜多秀家が生き延び割拠していたが
身内の前田利長の仲裁で家康と一応の手打ちをしたことで家康も追及の手を止めざる
を得なかった。
後に豊臣秀頼を迎えた後は、大阪で唸っていた豊臣の財と、軍・政・財・智謀と確かな
人材に支えられつつ
悪疫と戦いつつ国内開拓に専心していった。
日本国内で徳川の大名抑圧による豊臣恩顧の改易が相次ぐと発生する路頭に迷う
家臣団や密着していた郷士農民が、人手不足の高山国の受け皿になっていった。
最初から封建という制約が無く郡県制を導入したり、思い通りの国造りを手がけられる
人造国家の利点から、高山国は軍事・経済大国として成長していったのである。
地理的条件と元が関白という公家的役職から出たせいか、軍事より外交、調略に
重きを置き、情報収集にかけては日本の忍者集団を招聘したり、積極的に育成している。
硬軟巧みに使い分け老獪な外交が身上
201 :
忠邦:05/01/20 21:24:24 0
【古南国】その1
ニカラグア布教の為に一部に定着しだし、又、華僑が一時的な拠点をちらほら築きだし
日本人町もできつつあった呂宋諸島
そこに高砂(台湾)へ高山国を営みつつあった豊臣家が交易ルートを侵害する海賊の
追討を目的に長宗我部盛親を総大将とする一軍を派遣するが
彼等は海賊を追討するばかりでな与力に引き入れたりしつつ割拠しだします。
当初、着々と軍事・経済大国として成長しつつある高山国と盟邦・筑紫(薩摩島津)に警戒と
疑心の念を抱いていた徳川が
むしろ長宗我部を応援するように、長宗我部系の旧臣や土佐で山内の圧制に呻吟してきた
一領具足の郷士を纏めて呂宋へと送り出していった。
やがて幕府の交易への深い介入に伴い、呂宋の治安回復は幕府にも必要事項に
上げられ出したのです。
こうして二代将軍秀忠や三代将軍家光がいかに日本の海外雄飛を苦々しく思っても
幕府を取り巻く環境は国際交易から幕府が手を引くことを容易に許さなかったのだった。
家康側近で秀忠には邪魔者だった本多正純を総大将に取り潰し事項に挙げられていた
諸侯を動員して呂宋征伐軍とした。
事実上の棄民であった。
マニラに駐留した幕府よりの派遣軍は奥地でゲリラ活動に転じた長宗我部との合意にまで
こぎつけたが、もはや彼等に日本に帰る場所は無かった。
この地で治安回復開拓事業に乗り出す以外になかったのだ。
幸いにも高山国が援助を約束してくれた。
202 :
忠邦:05/01/20 21:25:43 0
【古南国】その2
呂宋(ルソン)の原住民は集落体制を基本に沿岸部との交換経済に組み込まれだし
華僑達はルソン沿岸の各所にしだいに都市や租界を築き出し
日本人商人も既にルソン沿岸の各所に都市や租界を築いていたし
長宗我部系住民は各地で帰農し惣村を営み自治を行い、一応の租税を納め
幕府軍は士族として要所要所の鎮台ににらみを聞かせる。
武士団と、農民、商人などの棲み分けが明確になり支配体制が確立するまで紆余曲折は
あったものの、三代将軍家光の実弟でライバルの忠長が懲罰人事で
呂宋探題となって以降は新しい国つくりに本格化した。
密やかに長州毛利=豊臣高山国を介して南朝後裔大室氏を南朝天皇の再興という
意味合いで奉じ、ここに古南建国を宣言した。
内地では原住民の集落体制、そして帰農郷士の惣村体制
沿岸では日本人町の定着である濠市体制、
これらを各地の鎮台で統括している点と線のネットワークだけの古南国家
そこには華僑都市がその威令に服さず、勝手に自治都市の同盟「蓬莱市同盟」を結び
ニカラグア教団もニカラグア法王国を勝手に宣言し
イスラム商人も点々と根を付けていた。
こうした3つの異なる色が混ざり合っており
慎重に道路網や中継都市を築いて交流し枠組みを決めていった。
203 :
忠邦:05/01/20 21:26:26 0
【古南国】その3
蓬莱市同盟代表、ニカラグア法王、イスラム聖職者代表、原住民長老、それと日本側からの
惣村・濠市の各代表が人員割をしての国会を設け
そして財政、軍事、外交に関してのみ蓬莱市同盟、ニカラグア法王国、古南、イスラム教団
が古南に一任し、それ以外は自治と合議で決定していく事が決められた。
そして南朝天皇は聖と俗に跨り超越した絶対王として呂宋全住民の君主として規定し
呂宋徳川家を世襲総裁とする内閣が輔弼して実務を取り仕切る。
こうした特異で複雑な国家運営は、重商主義経済による徹底した富国強兵と外敵への
示威軍事行動で国内を取りまとめる性格を強めさせていった。
つまり高山国や日本と違い極めて好戦的で商業的打算には敏感な国風を生んだ。
国旗が金と赤と黒の三色旗になったのもニカラグア法王国、蓬莱市、古南の三色がひとつと
なったと説明されているものの
「金は黄金、赤は鮮血、黒は火薬の色だ」と豪語するのが、この国の特色を示している。
204 :
忠邦:05/01/20 21:35:48 0
それと
>>197 私めはコンバウン朝ビルマ、アユタヤ朝タイ、阮氏ベトナム
が強国化、東南アジアの列強として明清(チベットもかWW)の
騒乱に取り残された雲南、衰退期のムガール帝国をうかがう状況を
150-151でちらっと述べてはおります。
まあ、より詳しい方が詳細を決められるのも有りかとも思うのですが・・
漏れ的腹案でつ。
では、そのうちまた・・
久しぶりにハンドルつけて投稿してみる。
>>187-191 う〜む、なかなか大したものです。
扶桑国の首都は新湊(にいみなと)でどうでしょう。十三湊を偲んで名づけたという事で。
古南国については、「マニラ」はある植物の現地語での名前が語源らしいのでそのまま
使えると思います(馬尼刺、とかなんとか)。
それと樺太アイヌ国というのが出てきますが、蝦夷地(北海道)は完全に日本領になって
しまうのでしょうか?前スレ山野さんのネタだと和議が成立した際
>渡島・後志・胆振・石狩が日本の、天塩・北見・根室・釧路・十勝・日高がシャ
>クシャイン率いる連合勢力の傘下に入ることで決着がついた。
となっているようですが。(個人的には石狩国東部・史実でいう上川支庁管内もアイヌ領
の方がいいような気もします)
アイヌ国首都は建国時がシプチャリ(静内)、その後手狭になったのでチュップ・ペツ(旭川)
ないしオ・ペレペレケ・プ(帯広)に移転という事で。
>>187-191 首都ですか…。
「まとめ」が必要ですねえ。
(もうちょと時間を…)
>>193 地域大国的列強諸国、それでいいと思います。
>>200-203 高砂、古南よい感じです。
どちらも特色ある国家として発展しそうですね。
>>205 扶桑国ですが、東洋系の割合が多くて「源氏の御曹司の子孫」がいるとはいえ、
元々はネイティブの国ですから、漢字の使用はともかく、「新湊」はちょっと…。
アイヌ国の首都がオ・ペレペレケ・プというのは妥当かと。
ロシア沿海州の歴史ってどうなっています?
この世界だとまだロシアの手は届いてませんし、
捏造してもよろしいでしょうか?
208 :
世界@名無史さん:05/01/27 03:50:24 0
>>207 整合性があれば良いと思います。不思議とアメリカそのものには最近手が入りま
せんが、その他地域への書き込みは活発です。
是非とも書き込んでください^^
史実どおりならば沿海州は清(あるいは後金の時代にすでに?)の領地に
17世紀中頃には入っていた記憶が。
その前には女真各氏族が割拠していたんでしたっけね。
210 :
忠邦:05/01/27 21:18:25 0
>>207 ここではロシア沿海州に関わる周辺諸国は
南渤海、大清帝国、樺太アイヌ国家、奥羽(あえて徳川と別にしました)
そして徳川幕府(日本)ですね。
やりようによっては結構面白い展開に喪っていけると思います。
楽しみにしております。
>>206 >漢字の使用はともかく、「新湊」はちょっと
最初に上陸した土地だとか。後は現地名に漢字表記で。
(実は覗かせて頂いております)
212 :
忠邦:05/01/27 21:24:07 0
↑すみません。扶桑もありましたねww
うーむ、これだけの国々が黎明期を迎えたり勃興している時期の
沿海州は結構いいかも・・盲点でしたww
こことカムチャツカのルートを使えば新大陸のルートが完成しますからね。
南渤海あたりが、虎穴に入らずんば虎児を得ずとばかりに
切り込みに行くかと思いまして。
この辺りで茂山の鉄鋼石が見つかると、
かなり軍事的冒険が出来るとおもいまして。
かつての高句麗の栄光を取り戻せるか否か。
無論大清帝国も座視しているわけには行かないですし。
それとジャガイモはもうきていましたか?
前スレが見えないのでわかりません。
214 :
世界@名無史さん:05/01/28 03:02:25 0
誰か、どの地域でもいいので、簡単な小説でも書いてほしいな。
設定の充実と相まって、交互に書かれれば結構良いような。
そういう人いない?
漏れも何か書いてみたい気もするけど固有名詞が難しいな・・・
あとは時間がないか。誰かいないかなぁ。
216 :
忠邦:05/01/28 18:43:56 0
そうそうとてたさんの
>>206についてもう一言
皆様とっくにお忘れかもしれませんが・・・・_| ̄|○
海南島黒人国家の設定も、ひそかに用意してたの忘れてました(藁
【シナ海の黒真珠、黒麟の灯火】(前編)
日本や明の武将に儀礼的に採用されていた黒人武将の一派が
複雑な東アジア情勢に乗って海南島に打ち立てた“黒い麒麟の王国”
黒麟は、表立っては国土に比例して目立たないが
裏では東アジア情勢を左右する存在でもあった。
彼等は交易で利潤を得るのでもなく、めぼしい資源も無かったが
重要な武器を持っていた。
東方世界において威令的に採用されていた黒人武将の他
各地での傭兵(ジャングルでの生存術や体格的な有利さを遺憾なく発揮)
そして交易船団の警護など、彼等はある意味で大きな役割を果たしていた。
217 :
忠邦:05/01/28 18:58:02 0
【シナ海の黒真珠、黒麟の灯火】(後編)
そしてなにより、その恵まれた逸物を利用したSEX、
そうセクースがあった( ・∀・)ニヤニヤ
・・まあ冗談ではなく、明の後宮や日本の幕府や大名の奥
は基本的に女護島であり、男はいない(いても宦官)
男日照りの女官には若い者はともかく、ある程度の時期を過ぎれば
お召しにも預かれず熟れた身体を紋々とさせる女官たちがいる。
当初は、北明の崩壊から南明の建国までの混乱の際に起こった
とも言われるが・・さだかではない。
ただ黒官とよばれる奥警護の黒人が置かれ、彼等が女官の
セクースのお相手を務めるようになったのである。
それが三代将軍家光の治世、初代大奥取締り春日局の後を受けた
お万の方の頃から日本の大奥にも容認されて、諸大名の中にも
一部受け継がれた。
このようなことが許されたのは、例え子供が生まれても
混血は一目で分かるからに他ならなかった。
無論様々な制約もあったが・・・・
高貴な女官の腹から生まれた子は、家門の刺青をもって
海南島に渡され、彼等が長じて貴族となったわけである。
警護と閨房をもって各国政局を把握し動かす、これこそが
黒麟の強みであった。
>沿海州
一応、清の領域ではありますが、
新渤海なら海沿いに定着して、ウスリー川・黒竜江以東の支配権を認めてもらうのも不可能じゃないでしょう。
史実の清は日本海沿岸には興味が無かったですし。
日本からの影響よりは、史実の北方交易のようにアイヌとは密接な関係を築けるでしょうし。
李朝崩壊後には馬鈴薯の伝播しておいてもよいかと。
>>211 扶桑ももうちょと「練り直し」が必要ですね。
>>216-217 …そうきましたか。
西アフリカでは女性兵士も普通だったそうですから、
女性傭兵もいたのでは…といってみたり。
サイイド・ムーサー・イブン・ハッラージュ・アッシャーミー(1599〜1677)
シリア出身のイスラム教徒。通称イブン・ハッラージュ。
14世紀のイブン・バットゥータの再来といわれる稀代の大旅行家。
22歳の時のメッカ巡礼を皮切りに1621年から1630年まで9年にわたって
アフリカ大陸各地を放浪。商人やウラマーを勤めつつ
アラビアよりスワヒリ東岸沿いに南下し、一時期ザンジバルのスルタンに仕えたのち
大湖地方のブニョロ王国に逗留し、ついでエチオピア帝国に入国。
この神秘の国の貴重な記録を残した。
その後ナイル川を遡行して再び大湖地方へ南下し、アフリカ中央交易路によって
ザイール川流域へ進み、コンゴ王国でしばらく対マヤ貿易に携わった後、
海賊にさらわれて南部アフリカのニカラグア教国勢力圏で奴隷として売り飛ばされる。
これが1630年、31歳の時である。
この時当時この地に滞在していたインドの大商人に購入されたハッラージュは
商人の帰国に従って南インドのカリカットに向かう。
数年間この商人に秘書として仕えてインド洋各地を巡った後、1634年に商人が死に
遺言によって解放されて、未知への憧れに駆り立てられるままに東洋に向かう。
広州より中国各地を巡歴し、清の都北京では康熙帝に謁見し、
帝の密偵として満州やモンゴルを巡る。一説によればチベットにも潜入したという。
1646年、中央アジアを経て西へ向かい、カスピ海の北を通ってアストラハンに達し、
さらにヴォルガ川を遡ってモスクワに到達。
各地の見聞をフョードル・ゴドゥノフ帝の宮廷で披露し、歓待される。
この後数年は旅行記の欠損のため彼の動向は明らかでない。
1649年、彼の姿はストックホルムで目撃された。
翌年の3月にはイスタンブルの高名なウラマーがワルシャワ発の彼の書簡を受け取っている。
1650年10月にはアイルランド王国ダブリンの入市記録に彼の名が記載されている。
そして1654年、再び旅行記の記述が始まる。
この年の初め、彼は唐突にペルシャのエスファハンに姿を見せる。
欠損が多く仔細は定かでないが、どうやら彼はここから北アフリカを通って西へ向かったらしく
1655年夏には彼はモロッコ西端のタンジールにいた。
ここから彼は商人として交易のため大西洋を渡航し、エヤタス東岸のとある港市に赴き、
1657年にはメスシピ王朝の都に入り、ここで国際交易の舵をとって大きな富を蓄えた。
ところが何らかの事情でその後間もなく財産をほとんど失ったらしく、
1660年には彼は事情は定かでないが中央アメリカのニカラグアに赴き、
そこで何らかの用事を済ました後にトルテカに滞在。
1664年、65歳になっていた彼はトルテカから金を産出するカリフォルニアを経由して
扶桑に赴いた後に北方交易路を通過して五大湖地方に達し、
大運河を利用してヴィンランドに向かい、そこからフェニキア諸島に南下。
1668年、ここを発って西アフリカへ向かい、アフリカ南部を周航してアラビアのアデンに達し、
そこから紅海を北上してカイロに出て、1672年、73歳にしてようやく彼は生まれ故郷のハラブ(アレッポ)へ帰った。
その後の彼は己がほとんど全生涯にわたる世界的大旅行の記録についての著述に専念し、
その著作を完全に完成させることなく5年後に病没した。
その記述は当時のほとんど全世界の主要地域に及び、内容は客観的かつ詳細であり、
各地の政治情勢はもとより経済、風俗、慣習、歴史、地理、自然など様々な事実を知ることが出来、
この時代における第一級の史料とされている。(@世界大歴史辞典より引用)
>>219-222 かなり無理があるけど適当に設定をしてみたので、この旅行家の視点から
各地の状況を描き出すとか、適当に利用してください。
上の記述は辞典からの引用だから、かならずしも起こった事実の通りとは限らない、と言うのが味噌。
都合が悪ければある程度適当に弄くってもOKというわけ。
特に後半生は旅行記の欠損が大きくて細部が不明ということになってるし。
224 :
忠邦:05/01/31 19:38:56 0
>>219-223 すごく面白そうな設定ではないですか。私はすごく良いと思いますよ。
それと、とてささんのご指摘とは別に、私めの意見も一言述べときます。
208(213)さん、私の言葉は適当に受け流してもらってよいです(ww
まず>>南渤海が沿海州に軍事行動を起こす。
ここでは寛永清寇が起きそれが、樺太アイヌ国家の原点になっております。
ゆえに清とアイヌの関係は密接です。というかアイヌの後ろ盾です。
万一清との衝突を考えるならアイヌの動向も難しいです。
もしも渤海がアイヌとの関係を深めるなら日本との衝突も視野に
入ります。清と日本双方を敵に回す危険もあります。
しかもここには史実と違い北方でも交易相手が恵まれてます。
清の日本海への関心ももっと積極的な可能性もあります。
更に日本の動向も微妙です。なんせ幕府と奥羽は海外での動向で温度差が
ありえます。
半島での新新羅と新百済の動向もあります。
まずは南渤海に協力する同盟国が必要となるでしょう。
清の弱体を狙う南明や周
清との関係で優位に立とうと策動するジュンガル部
日本に対し快く思わない謀略の高山、強兵の古南
これらが日清と敵対的行動を取れそうな隣国です。
225 :
忠邦:05/01/31 19:54:29 0
あるいはとてたさんの言うように清から委任を受ける形で
既成事実を作っていく。
こっちの場合も前提となるのは日清は敵対国であるということ。
一応交易があり使節を交換していようと・・・です。
清がジュンガル部やシベリアに視野を移し、日本との衝突を回避
すべく南渤海に沿海州を委託していくのが妥当ですが、
この場合、アイヌや清との関係は無事ですが、日本との関係が
悪化します。
日本は経済的にどうあれアイヌは日本に属するものという認識を
持っており、清の手前曖昧にしてきたアイヌを清が南渤海との紛争後
沿海州を譲ってしまうと、アイヌへの野望を再燃させる可能性があります。
南渤海は清やアイヌとの関係の手前、日本との関係悪化を覚悟しなければ
ならないでしょう。
226 :
忠邦:05/01/31 20:06:30 0
かつての高句麗の栄光を願う南渤海に沿海州を譲る代わりに
日本との矢面に立たせて消耗を図る清
国内の奥羽統制の為にアイヌ併合し国内の緩みを締め直そうと
図る徳川幕府
背後では日清の弱体化の為に南渤海を利用しようとする
南明や周、琉球、古南、高山の諸国
こういった思惑が絡んできますので、沿海州とかを確保した後の方が
大変ですよ多分。
このへんが隣国との関係の難しいところです。
なんか昔の欧州諸国の外交のようだな。
227 :
忠邦:05/01/31 20:29:19 0
(T人T)
本当にすみません208(213)さん。一言のつもりが長文になりました。(汗
謀略と思惑が交錯する外交関係は、東アジアの多国間関係ででてきた
史実に無いものですから・・・。
他国の謀略や思惑もありますが、よろしく南渤海の強国化を図ってみてください。
>>224 どうもありがとうございます。
実は大ミスを発見しますた...
>>220 1630年代後半から40年代前半の中国はまだ明末清初で康熙帝の時代ではないですね・・・OTZ
これはこれで使えるかも?・・・ですが
それと、「辞典」じゃなくて「事典」ですなorz
旅行記のタイトルは『世界周遊記』
(正式名称、『アッラーの僕イブン・ハッラージュによる、
旅と異郷の異聞を愛する人びとへのこよなき贈り物の書』)ということでよろすく。
いえ、大変面白く読ませて頂きました。
前スレは読めなかったため、現在の状況が見えて来ました。
始めに考えて見ましたのは、最初は日本と同盟を結び、
もう一つの浪人たちのの受け入れ先になるのではと考えました。
中央集権化を図ろうとした徳川の政策の下、
上杉や中小藩が取り潰しにあった藩士たちが生き残りをかけて、南勃に移住。
これらの帰勃者(移民)と3国分裂の際に出来た流民達が中小の都市を作りつつ、
勢力の拡大を目指すという展開を考えております。
またこの時点での南勃の半島内での同盟先は新百済です。
この国は中立国として機能することで金融業が発達しはじめ、
実際の政治的権力を手に入れるより、経済面での権力で
各国に影響を及ぼそうとしております。
当然ながらこれらの基金は、周、南明、琉球などの豪商達の資産が
元になっています。
ただ、忠邦さんが指摘したような点以外にも
ここでの問題点は三つあります。
まず古南国を作らせてしまったミスを徳川日本はまたするだろうかという点です。
前回は国がない場所での移民でしたが、
今回は国が管理するから大丈夫という心理の元で政策を決定したと考えました。
もう一つは史実では清はこの地域から少数民族以外の女真を
強制的に北京に移住させました。
でもこの歴史では、それがおこっているかどうかが気になります。
清は南下政策が続けば、ありうると考えましたがやっぱりそれが続くのが
どれだけかは気になります。
最後に問題なのは後新羅がどこの国と同盟を結ぶかです。
現時点で考えているのは筑紫ですが、いくら何でも規模が小さすぎます。
高山国と古南国も候補にあがりますが、キリスト教を受け入れるかどうかが
問題になります。
以上の問題点をどうクリヤするかが問題です。
色々穴がありすぎるでしょうか、指摘があればよろしくお願いします。
しかし南勃がプロイセン王国の立場になりつつあるなあ。
231 :
忠邦:05/01/31 22:39:44 0
208さん
>>230に関してなのですが、
南渤海は本来清の影響下で成立した国なので、その清からの自立を図る
となると幕府は喜んで?移民を薦めると思います。
その、思惑に沿海州への進出への梃入れによる清の勢力後退を狙ってでしょうが。
「少数民族以外の女真の強制的北京移住」は、難しいかもしれませんね。
清の南下に限度ありますし。
となると最初は日本から人材を受け入れて沿海州に北進して清と衝突
力ずくで清を追い出さないとww
清との和睦後は、清と高山の思惑も絡んでアイヌ、清寄り政策に転じ
今度は日本ときな臭い関係にが妥当でしょうか。
新百済と南渤海の同盟は良いかと。ちなみに半島三ヶ国を日清明に承認させる
斡旋したのは実は謀略上手な高山国なんです。
一応前スレにてそう設定してるんです。
だから高山国は半島三ヶ国全てと手ずるを持ってるとお考えいただいてよいかと。
高山国はキリスト教国ですが、老獪な外交と周辺の勢力均衡で生き延びるほか無い国なので
宗教上の制約は問題ないです。ただ信用しきれんです罠ww
ついでいうと古南の場合は半島には利害が薄いので、現時点では難しいような。
で、ここだけの話、筑紫は良いんじゃないでしょうか。
筑紫とは島津ですが、この国は近衛家との姻戚関係を通じ朝廷と関係有ります。
筑紫を介して日本の朝廷と関係を持つ訳です。
遣唐使の時代より幾歳月を過ぎて新羅と朝廷の末裔が再び関係を持つのも
面白いかと。幕府への牽制になりますから。
なるほど筑紫の裏には高山が動いているわけですね。
後新羅、高山、筑紫、天皇家をラインとする南方同盟と
徳川日本、奥州、南渤の東部同盟
南明、周、琉球、新百済を中心とした黄海、東シナ海諸国の対立に
18世紀は変貌していきますね。
この時代が東アジア諸国の大航海時代になりそうです。
天皇家は幻の源氏の棟梁が治める国へ
一方南明や古南も同盟国を求めて南へと遠征はじめる。
233 :
世界@名無史さん:05/02/01 01:31:31 0
234 :
忠邦:05/02/01 20:27:54 0
隠居の戯言として最後にカキコしておきます。
南渤海に関しては208さんにお任せするとして(楽しみにしてます)
ここで
>>142で述べたような矛盾をかたずけましょう。
別にスルーしてもいいような気はしますが、筑紫と高山はともかく
どうして奥州が徳川と別行動取れるんだ?という説明をしてませんからww
朝鮮出兵は149の経緯で推移した為、朝鮮派遣軍とシナ海展開軍に分かれます。
シナ海展開軍には小西行長はじめ小早川隆景・秀包や宇喜多秀家、島津や
長曽我部等の海に強い西国大名が主体でしょう。
朝鮮派遣軍には加藤清正や福島正則、黒田長政等ですね。
で朝鮮での戦争はシナ海でのゲリラ戦法で消耗が激しい明が
タイのアユタヤ王朝と満州のヌルハチに対日交戦の要請を出し
やがて戦争はこう着状態になります。
235 :
忠邦:05/02/01 21:02:11 0
シナ海展開軍は明沿岸のキリシタンや海禁政策で商貿易を出来ないことに
不満を持つ闇商人達を煽動しつつ推移、予想外の国内の不満分子の放棄に慌てた明は
交易再開とキリスト教布教の承認を得ることで明との和睦交渉をします。
が朝鮮は政権の分裂から起きた内戦であり双方に満州と日本が肩入れしており
明との和睦と関係なく長引きます。
五奉行の増田家、長束家、石田家は新たな南洋経営に携わるべく高山や寧波
に在陣し宇喜多秀家や小西行長らも海外担当閣僚として高山などに置かれます。
長引く朝鮮内戦に睨みを利かせるべく加藤清正を大老格として任那守に任命
し駐留軍を配します。
こうして豊臣家が海外に伸び切った事に危惧するのが関白秀次であった。
秀吉の死去後、交易の利を得られ戦争にも成果を挙げたシナ海展開軍と
何の成果も無い朝鮮派遣軍の所属武将に対立の兆しが見えます。
秀吉から直接天下政務の委任を受けた徳川家康と
朝廷官位の関白であることを頼みとする秀次が対立
やがて前田利家死後会津に立て篭もった蒲生氏郷に謀反の嫌疑ありとし
会津征伐に対し秀頼の承認だけで討伐軍を編成
やがて秀次の号令で家康打倒の軍勢が招集され
旧主・秀吉の忘れ形見・秀頼を担ぐ徳川家康と、関白二代目秀次の
豊臣家と天下を二分する騒乱となります。
236 :
忠邦:05/02/01 21:48:40 0
関が原の合戦では羽柴秀秋が秀次側を裏切り家康に組したことで
戦局は決した。
戦後、秀次は関白を罷免され高野山に追放、翌年に病死。
これによって天下は武家関白から征夷大将軍となった徳川家康に
移ります。
シナ海展開軍の諸侯の国内所領を没収したり秀次に組した諸侯の
処罰で得られた所領をもって全国の再編成を行い徳川幕府の基礎を固めた。
が五大老の内
関が原で秀次に組し処罰を受けた毛利、家康に実母を差し出し屈服した前田
高砂(台湾)に置かれたままの宇喜多と違い、徳川と一戦も交えることなく
沈黙した上杉がおり、又油断のならない伊達政宗のいる奥羽越は
幕府の脅威であり続けた。
寛文清寇の襲来で過大な動員を受けて以降、既に交易や幕府の圧迫への対抗で結束を
強めていた奥羽越諸侯は伊達家を盟主とし徳川幕府の威令に属さぬ立場を明白とした。
既に太平に慣れ不要な戦乱を嫌う事なかれ主義が主流となっていた幕府のお家事情と
幕府の統制に不満を持っていた朝廷の思惑から
後に仙台城に宮家を向かへ鎮守府将軍として擁立することで名実ともに
徳川幕府と一線を画した奥州国となる。
237 :
忠邦:05/02/01 22:00:51 0
仙台城には史実でも帝を迎える場所があるそうですし・・
宮家を鎮守大将軍、伊達家を陸奥太守とし、奥羽越を版図とする
奥州国ということでどうでしょう。
義経つながりで扶桑との関係も期待できますし。
奥羽越の「奥州国」と南九州の「筑紫」が早い段階で切り離され
中国路・長州から北九州が国際交易色を強めると
徳川幕府の統制は近畿北陸から関東までに制約されますが、
その範囲内ですと幕府の中央集権化も可能になるかもしれませんし
もっと違う方法で「奥州国」を作るべきか迷うところです。
>>237 難しいところですね。あんまり分裂していると、
そもそも日本がうまくまとまっているのかわかりませんし。
徳川家が中央集権化すれば浪人という形で人材流出するので、
こちらとしては面白いですけどね。
存外科挙(といっても伝統的なものとは変わるでしょうが)が採用されるかもしれません。
まあ朝鮮3国の歴史をぼちぼち書き始めましょうか。
秀吉の朝鮮侵攻、明の略奪等により疲弊した朝鮮は
大国のパワーバランスによって疲弊し、
これまでの対明外交重視の李朝から共和革命をへて最終的に3カ国になる。
このことは朝鮮民衆に小中華のまどろみから強烈に目を覚ますことになり、
華夷世界観から民族多中心的世界観へと転換することになった。
これは明清日の大乱により、
朝鮮の庶民層と没落両班層が傭兵として、
あるいは南明の援助のため大陸各地へ転戦せざる得なかった。
これは、3共和国が建国してからも変わらなかった。
これらの乱世は新たな文化の息吹をこの地に与えた。。
極東情勢が進むことになりましたか…。
前スレ纏めは気長にお待ちください。
まず三国に分裂したとはいえ、
朝鮮民族というアイデンティティと民族の分裂という自体をどう解釈するかで、
知識人層は悩み、普遍性を連続させることによって党争が発生し、
政治的に分裂してしまったという認識を3国の知識人層の一部に与えた。
その結果、様々な諸民族の動向をどのような論理で語るべきかを
分裂した政治権力下で思索し始める。
このことは知識と情報を幅広く求めることになった。
情報と知識のネットワークはかつての党争のネットワークが最初受け持っていたが、
やがて海外貨幣が流通しだすと、
中人層出身の知識人や各国の傭兵訓練所のネットワークが加わることになる。
というのも、下手な場所につれてこられないように各国情勢を知ることは、
傭兵達にとっては必要不可欠な情報であったからであり、
国家間を超えるネットワークとなった。
新たに生まれた三国間のネットワークは、
ここによって自由な知識人とそれを生み出す高等教育のネットワークになっていく
各地に設けられた書院と寺院の一部は高等教育機関になった。
この機関は国によって公認されたものは、
補助金を受けてさらなる知識人と地理情報を集めることになる。
また秀吉の朝鮮征伐によって整備された軍道は新たな街道となり、
商業や人の交流を促しこれらの動きを加速させる。
こうして、ゆるやかな民族アイデンティティを
民間の大学間のネットワークによって作られていく。
241 :
忠邦:05/02/01 23:17:59 0
そうなんですよね・・漏れ的には古南、樺太、高山は
史実で言う“日本”の範囲外に出来たものゆへ独立させて当然なのですが
奥州はあえて独立させる必要ないんですよね。
ですが、ここでは海外交易や諸外国との交流もあるので史実ほど大名の困窮が
起こらないという問題がありまして・・
が、海外への商船団の派遣が活発化すると、利も大きいですが、リスクも大きくなりまして
豊臣期の大大名ならともかく江戸期の大名では、そのリスクに耐えられるスケールが
ないんですよね・・・ここでは海外交易で上方とかの商人資本が強大化しそうですし。
で、ある程度の外様雄藩は単独で上記の問題をクリアして富強になるが弱小の大名は史実のとおりの
困窮に陥る大名もでてくると思われるのです。
時代を過ぎるほどに富強になった雄藩が周辺の弱小で困窮している諸大名に利を分け与え変わりに
一定の宗属関係になっていったり、雄藩同士で補完しあう事がおきてくるわけです。
例えば奥羽で合同の商船団を出したりして・・・
で大阪から瀬戸内、中国路・長州から北九州とかは幕府の統制は史実以上に弱いでしょうが
独立までいかないでしょう。
近畿から関東までは幕府のパワーもある程度強いですし・・
で奥羽越の場合、他の地域と違い清との紛争に動員されて負担は大きいのに
北方交易の利は関東あるせいで、外様扱いの奥羽ではなく関東の幕府に直接向かいそうです。
この負担と交易での利権争いという点で奥羽には幕府は邪魔になる訳でして
上記のような大名地域グループのようなものが登場してきた場合、いずれかの段階で
奥羽グループと幕府の確執が起きそうなんです。
で最初の解決案は上に述べたとおり奥州国として独立させてしまう。
それが却下になった場合倒幕維新を西国ではなく奥羽が行うという路線・・なのか
まあ奥羽は独立ではなく半独立の曖昧なままにしときましょうかww
そのうち他の国の状況しだいで、どうにか動くでしょう。
これらの知識人のなかで特に活躍したのは
尹成準、字流木が代表されるであろう。
慶尚北道安東郡生まれの彼は党争の連座の結果、
25歳のとき、南明への出兵に参加する。
その途上で周の海軍に捕らえられて、
奴隷として高山に売られた。
高山で砂糖黍畑の奴隷として5年過ごすことになる。
しかしかれは、ルソンへの船に密航して脱走。
15年間ルソンの琉球商人の下で働き、
東南アジア諸国の勃興をつぶさに目をする。
砂糖と胡椒貿易でそこそこ財を成した後
日本を経由して故郷安東へ帰ることになった。
48歳であった。
しかしそのときにはもはや朝鮮という国は無くなっていた。
彼は、自己の体験と各国事情の無知から翻弄される故郷のために
「南海流木譚」を書く。
これらの南海情勢を書いた本は、大いに流布し
彼は後新羅の顧問として招かれるが、固辞し、
ハングルの復興、民間の語学教育を中心に生活することになる
請われれば、各地を巡歴し自分の知識を伝えた。
65歳で死去する。
彼の弟子達は各地で新たな教育方法を広めるのである。
とりあえず分裂初期の朝鮮の状況と知識人達の動向を書いてみました。
現時点では3国は、傭兵と細々とした交易に参加している状態です。
しかしもはやかつての朝鮮人の世界から切り離されています。
彼らがどのような世界を作るのか。
他国に客死した彼らの血に見合った成果を得られるか。
がんばってみます。
>242
まあそれは今すぐ発生するのでなく、
18世紀の終わりごろという風にしてみたらどうでしょうか?
幕府が米中心の税制度を取るかどうかでも変わるでしょうし。
あとこの状況では島流しは伊豆諸島ではなく北方送りになるでしょう。
伊豆諸島はルソンのルートとして重要になり、
諸ネシアへ交易が可能になりますから。
椰子の酒器を持つことが粋になったりして(w
244 :
世界@名無史さん:05/02/02 21:39:52 0
>島流しは伊豆諸島ではなく北方送りになるでしょう。
ペトロパヴロフスク・カムチャッキーあたりが好適でしょうか? 東大陸との連絡にも都合がいいですし。
245 :
世界@名無史さん:05/02/03 13:24:03 0
マジレスすると白人侵入まで有史以来大型哺乳類がいないのだから
同じ文明になる可能性が無い。
この世界では馬と鹿が紀元前300年に来ていて、大騎馬民族が出来ているよ。
一面に広がる黄色いトウモロコシ畑、遠くロッキーの山々を背景に巨大な落日が沈んでいく。
うねうねと伸びる石畳の街道を駆けゆく伝令一人・・・
目指すはカンザス。この地に駐屯する帝国第三軍団に、
先帝時代の大征伐以来数十年間にわたって鳴りをひそめてきたチチメカ遊牧民が
ふたたび蠢動を開始したと言う報を伝えに行くのである。
・・・こんな情景がふと思い浮かびますた。
248 :
忠邦:05/02/03 21:12:53 0
A;^^)確かに新大陸の展開をそろそろと期待したいモノですね。
ですが、あえて話をそらして
>>130でいう「世界経済システム」で言えば辺境なのですが
清帝国について・・ジュンガル部の動向なのですが回部、ワラ部、ハルハ部
あたりはジュンガル部の影響下に置かれるでしょう。
呉三桂束ねる三藩が周として成立する以上は清朝・康熙帝も容易にジュンガル部
攻略は出来ないはずです。
朝鮮半島と周で日本とにらみ合いになったり南明との緊張がある以上
適度なところで妥協するほか無いでしょうww
がジュンガル部がキルギス部ヒブァハン国ボハラハン国等に単独で
乗り出す力はない(また必然性も無いww)
シベリアもしばらくは空白のままでしょうか・・・
249 :
忠邦:05/02/03 21:33:20 0
おと157-158では「前スレの545さん」も中央アジア、ユーラシアの構図を述べられているのですが
私も詳しくないもので判断しようも無いものでww
>>125と
>>130-131に述べたようにアフリカを代表する列強と東アジアと東南アジアを
代表する列強がインドで衝突するのは必然ですね。
なにせ綿とインドをどちらが優先的に確保するかを巡る戦いですので・・
まあそれは18世紀以降になりそうなので気は早いですがww
それといまひとつ
>>127-128でいう北大西洋世界と東アジア世界の
交流といふ問題があります。史実から憶測するに、この両者の交易は
大きな利を生むと思います。
@ インド洋は二つの世界を結ぶルートで、ここを使った場合
オスマン帝国がクローズアップされてきます。
A ひとつはロシアから清への陸路ここですとキルギスやジュンガルが
クローズアップされてきます。
B エヤタス(北米)新大陸ルート、ここの場合極東シベリアの存在感が
高まります。
250 :
忠邦:05/02/03 21:44:58 0
@のルートにはインドを巡るアフリカとアジアの争いが絡んだ国際問題ですから
一番有望ですが、うまく機能するかどうか?
で交換措置としてAです。
>>158の意見はとても参考になりましたが、漏れは本来ここには詳しくないww
清、ジュンガル、ゴドゥノフロシアが有望ですがキルギスを何処が取るか?とか
問題は解決してませんww
陸路ですから大航海時代には少々不便でもあります。
最後のBでつ。ここではヴィンランドと扶桑が鍵です。
両者は対立してますが経済的な利害が一致する以上、関係改善さえすれば
問題ないですね。
扶桑はカムチャッカ半島からオホーツクのあたりまで入植拠点確保に
走る可能性もあります。
ヴィンランドは本格的にスコットランド、アイルランドとの関係緊密化に
乗り出すでしょうねww
>249
漏れの案ではベーリング海峡を清を押さえられるか、否かによって
歴史が変わるのではないかと思います。
アラスカの金が史実より早まりますから。
日本(奥州を含みます)、南勃の人員は千島、アリューシャン列島ルートを利用し
ベーリング海峡は清が使うという形ですみわけるのでは、と考えてみます。
ただ問題は横に伸びきってしまうので
清朝が国境を維持できるかという問題がありますけど・・・
252 :
忠邦:05/02/03 21:52:36 0
@のルートを望むオスマントルコ帝国の押すイングランド王国
Bのルートを望むヴィンランド、スコットランド、アイルランドの
後押しを受けたヨーク公国ウェールズによる
イングランドVSヨーク・ウェールズの代理戦争は起こりえますね。
Aは詳しくないし(誰か捏造希望どえす)
Bのルートに関しては・・
扶桑のカムチャッカ進出とか208さんの南渤海の動向に関わることですし
まだ時代的にそこまでいっていないのでコメントは差し控えます。
253 :
忠邦:05/02/03 22:07:27 0
おっと
>>251ベーリング海峡を何処が取るか?ですね。
清が有望な気もします。が清は周囲に列強ひしめいてる中で北進の余裕あるかなぁ・・
逆に国力増強を図っていく可能性もあるのですが。
まあ言わんとすることは
新大陸=アフリカ=アジアという長らく続いた大動脈にようやく変化の風が
起きそう(多分18世紀以降ですか?)ということでして・・
東アジア+東南アジア世界と北大西洋世界(
>>127の国々)という
二つを結ぶ回廊としてのB北米−極東シベリアの登場どえす。
東アジア=極東シベリア−北米=北大西洋という新しい動脈への
予兆です。
あ、質問ですけど扶桑の武装で大砲はもう出来てますか?
南勃の戦いは砲兵中心になると考えてますから、
それによってもだいぶ変わりますしね。
255 :
忠邦:05/02/03 23:15:17 0
>>254 一応あってしかるべきかと考えてます。どのような活用のされ方をするかは
問題ありますが。
なにせヴィンランドとの確執もあります。直接戦争は無くてもお互いの
船団の接触時の戦闘行為は当然のことなので・・
そしてヴィンランドはほぼ疑いなく大砲を備えていると思われますので
なんらかの手段かで大砲や戦闘技術は受け継がれているでしょう。
A;−−)なにげにとてたさんのコメントがどうでるかは解かりませんが・・
なるほど。
朝鮮半島からカムチャツカ、アラスカが今度は主戦場になりそうですね。
当初は扶桑と日本、奥州、南勃対清朝、ヴィンランドの戦いになり
キリスト教とニカラグア教人脈を経て、
後新羅と高山国あたりが調停というのを考えてました。
おおお、ますますおもしろそうな展開が・・・
技術的なことはどうでしょう。
中国のジャンク船が亜北極海域を航行するのはきついと思いますし、
内陸でも漢族や満州族の軍隊に零下30度だの50度だのの
地域を行軍することが可能かどうか。
また極東シベリア先住民に対してはどのような統治体制がしかれるのか。
このあたりが問題になると思います。
極東シベリア侵攻の出発点は黒竜江河口付近ということになるでしょうか。
少なくとも外興安嶺山脈までは清朝の本来的な領土(支配の及ぶ地域)に
入っていそうですが。
何も北に大きく湾曲したオホーツク海、さらにレナ川流域から北極海まで降っていく
広大な内陸極北地域全土に清の支配が及ばなくても、海岸沿いの主要な港だけを支配して
北海の制海権を掌握するほうが現実的かもしれませんね。
実際問題として内陸にまともな支配を及ぼすのは困難をきわめそうですし・・・意外と簡単かな?
制海権オンリーの場合はやはり樺太アイヌ国が邪魔ですね。
樺太が黒竜江河口の外側を塞いでいるから、清の領土は樺太よりも更に北側の
大陸部分まで延びて、そのうえでオホーツク海以東の沿岸各地に連絡していないといけない。
この不安定なルートを維持しないとならないとなると、
このルートのスタート地点を容易に遮断できそうな樺太アイヌ国の動向が重要になると思います。
あとは冬季・・・というか一年の半分近く、港が凍結しそうなのが大問題か。
もっともこれは扶桑や北欧にもいえることでしょうが。
この地域・海域で交易や戦争がまともに起こるのは原則として夏季に限定されそうですね。
15世紀・・・両世界遭遇の時代
16世紀・・・ヨーロッパの没落とアフリカの躍進
17世紀・・・アジアの変動始まる。北大西洋世界とインド洋世界の成立
18世紀・・・極北にも変化胎動
・・・って感じですか。
261 :
忠邦:05/02/04 20:38:24 0
>>257 確かに技術面とかでは検証の余地ありそうですね・・
とはいえアラスカの金の発見の早まりとか新大陸と東アジアのルート
としては最短である点からも、ここの確保への欲求もでてきますしね。
そういう意味では蒸気機関の活用とか・・・かな。
初歩的な蒸気機関とかはマレガで17世紀頃を想定してるので
登場の余地も有るかと・・
そうすっと炭鉱とかへの注目もでてきますね・・
>>259 まあ確かに樺太アイヌ国家の地政学的立場は重要ですね・・
北海道とか港湾拠点とか炭鉱とか、旨い事すれば結構重要な強国に
育ちそうですね・
清、南渤海もここを併合するとかは日本も絡んで、牽制しあって
無理そうですし。
>>258 アイヌ国は、成り立ちや日本との関係から清とは強く結びついて
極東シベリアの制海権維持に大きな役割を果たしているのでは?
イメージとしては、征途の日本人民共和国でしょうか?
あと、オホーツク海の制海権に関してはアイヌ領の道東や黄海の海上戦力
の移動を妨害できる日本が一番の障害になるのでは?
263 :
忠邦:05/02/04 21:11:04 0
少々情勢が早まりすぎなので・・
欧州のイメージをば振り返ってみます。
デンマーク=ノルウェー連合王国、スウェーデン帝国が
ネーデルランドや北ドイツ、プロイセンを確保
ポーランド帝国とかはアドリア海沿岸、ヴェネツィアを
オスマン帝国に渡すをの黙認しつつハンガリーとの同君連合(事実上併合)
フランス系の人士の活躍とかで王権も伸張すると思われます。
ベーメンもポーランドが取るでしょう。
ということはオスマン帝国はイタリー半島、北部半分以外の神聖ローマ帝国
フランスを取る訳です。
となると微妙な地域が出ます。バイエルン王国です。立地的にここは
ポーランド帝国、スウェーデン帝国、デンマーク=ノルウェー連合王国を
後背に持ち結構オスマン帝国に強い立場に出られるわけです。
イベリア半島ですがハプスブルグ朝が形骸化し象徴皇帝制になるか
追われるかは不明ですが、ポルトガル、アラゴン、バスク、等が地域王国
として半独立し中世のまま取り残されるか・・
後はジブラルタルからグラナダとその周辺地はモロッコ帝国の所領となるでしょう。
イメージとしてはイベリア半島がマレー、インドシナ半島でジブラルタル等が
シンガポールといったところでしょうか・・
264 :
忠邦:05/02/04 21:20:45 0
イングランド王国ですがオスマン帝国の鎮台が置かれ軍備面では
今日の日米同盟のように過大な脅威を受ける事は無くなり
軍事的には中世的な遅れた水準で推移(というか作為的にそうされる)
海軍はハプスブルグ属国時に押さえ込まれてしまってるでしょう。
ヨーク公国、ウェールズは完璧にイングランドと別の道を模索し
躍進するアイルランド、スコットランドとの関係強化に専念するかと・・
状況しだいではスコットランドがヨーク公国を同君連合とし
今日の史実での北アイルランドと逆にウェールズをアイルランドが吸収
しているかもしれません。
265 :
忠邦:05/02/04 22:06:44 0
で漏れ的には当初ポーランド王国で軍制改革に取り組みデンマークや
スウェーデンを破った傭兵隊長ヴァレンシュタインですが・・
王権伸張には彼の存在は邪魔と見たリシュリューとの宮廷闘争に敗れ
追われるようにバイエルンに逃れ、王国の独立維持に貢献した
もしくは国王不在の状況だったのを幸いヴァレンシュタインが
バイエルン国王となってしまうとか・・
考えてみたんですが・・
ネタ投入。
それじゃ南勃の前に、朝鮮半島のスイスになった新百済、いきます
このように異国の土となりつつ、彼らは稼いだ。
大規模な戦いは無いものの、各地で小競り合いは続き、
そのような意味で仕事には困らなかった。
生き残ったものは祖国に有益な物産を運びつつ、
三国の傭兵達は稼いだ外貨を溜め込み、それを元手にして開拓と交易に従事する。
無論政治的条件、地理的条件に左右されているため、
開拓重視、交易中心など三国によって政策の重視は違ったが…
そのなか、まず外貨の両替から始まった金融業を中心に、
南明と清の穀物仲介貿易などで発達しだしたのは、新百済であった。
この国は、近畿道、全羅南北道、忠清南北道を領している。
朝鮮半島有数の穀倉地帯である湖南平原を有するため、
食料自給がいち早く可能であった。
元々黄海に面し、中華文化圏に接しやすく、
開城、漢陽などの諸都市を有していたため、
都市商業が成長しやすかったのである。
そのため港湾を有する商業都市が発展、
周、清との交易を中心とする仁川、
済州島経由の南明貿易の中心、木浦。
筑紫貿易の中心、順天。
南明と日本の交易の北方のハブである済州島。
これらの新興交易都市郡が、勢力を持ち始める。
しかも政治的中立を宣言することによって、
政治的安定をえることで、経済国家することでさらに外貨を溜め込み、
大阪、高山に次ぐ一大金融基地になり始める。
無論そこに至るには、金融面で北方に影響を与えようとする
高山や南明などの金融資本の動きに加え、
傭兵人脈経由で手に入れた太幇の闇資金の運営などの、
謀略や汚点があったのは事実である。
しかしながらたとえ切っ掛けは外部からであったとはいえ、
それをよく運営しえたのはまぎれもなく百済人である。
また、これらの金融ネットワークを契というが、
主要メンバーは女性が多くこの点でも
かつての儒教世界とは切り離されているのが分かろう。
もっともこの商業都市の発達の結果、
「湖南人はずるがしこい」「計算高い」とかいう悪評を
他二国に分かれた同胞から得ることになってしまうのだが…
268 :
忠邦:05/02/05 20:29:24 0
>> 東アジア+東南アジア世界と北大西洋世界(
>>127の国々)という
>>二つを結ぶ回廊としてのB北米−極東シベリアの登場どえす。
>> 東アジア=極東シベリア−北米=北大西洋という新しい動脈への
>>予兆です。
前に述べました、この内容についてカキコ汁と
【二つの近代文明の萌芽と接触】
でございます。史実では近代文明=西欧文明でかろうじて日本のみが
(それも西欧に飲み込まれる形で)近代化しましたが、
西欧ならぬ北大西洋文明圏と日本ならぬ東アジア文明圏が
それぞれ西洋風近代文明と東洋風近代文明に育って接触する
というのをイメージしました。
だから「新しい動脈」というのは新大陸=アフリカ=アジアという
大動脈に動く日用品や一次産品ではなく、文芸、知財の類であります。
極北という悪条件に培われるものですから
“知と未知への欲求”が起こす回廊と思っていただければ・・
この知の交流をもろに受けるエヤタス(北米)の文明もどうなるか・?
ですが、それは又別のお話ということで。
269 :
忠邦:05/02/05 20:45:48 0
あと一言。
樺太アイヌ国は
>>262のいうように清朝のバックを無視できませんし
多分に女真傍系の人々が入ってきたりしそうですが外交としては
琉球王国を参考に出来ると思います。
>>232のたまうところの東部同盟の日本+南渤海と
清朝との間を二重外交ですね。
扶桑の出方次第では対扶桑交易の玄関口にもなりそうですし・・
今後は目が離せない存在ですね。
>>267それですと新百済は東洋のスイスになるのですね。
永世中立という意味ではなく国際金融センターとしてですが・・
チューリッヒの小鬼ならぬ百済の小鬼が東アジアの金融市場を
暗躍するわけですね。
そろそろ用語解説集が欲しいね。
北大西洋世界とか東部同盟とか。
>>269 さいです。かなり安直だったと思ったけど、
これまでの朝鮮半島の発展のパターンを調べてみると
中国が南北に分裂しているときが一番発展しているんですね。
だから中国が三国に別れているということは、
朝鮮半島にとっても経済的なチャンスでもあるんです。
それにこの時点ではまだ清の食料もあまり安定していない可能性があります。
となると輸入しなくてはいけませんが、
さすがに日本の米相場があるとはいっても輸入に回すわけにはいかない。
だからといっても南明や周から直接買い付けるわけにはいかない。
両国政府が許す可能性が薄いからです。
それでも密輸者は後はたたないでしょうけど。
だが中立国である後百済から買い入れれば問題は解決するわけです。
後百済としても外貨も入るし、いざとなれば食料をシャットアウトするぞと
カードも切れますからね。
なお済州島住民は金融情報を手に入れるため、
大阪に移住する人も増えるでしょうね。
人形浄瑠璃 春香伝があるのかもしれません。
あ、それと後百済が扱うのは外貨取引もありますけど、
黄海経済圏の国債がメインになる可能性が高いです。
保険と南方貿易のメイン商品の先物は(砂糖、ルソンのゴムかな)
高山と大阪と江戸が中心になるけど。
紀伊国屋文左衛門、紀州のみかんを釜山で売りさばき儲ける。
なんてことがあるかも(w
ハナアルキと戯れている場合じゃないようで(汗)。
煩いでしょうが、少々つっこまさせてもらいます。
>沿海州・シベリア関係
毛皮と鉱物資源を狙うとしても、史実をみてもちょと弱いような。
アジアでは毛皮需要は欧州ほどでもないですし、
ロシアですら交易拠点型でしたから。
清が進出するなら南渤海は押さえられますし、
オホーツク海・北太平洋沿岸部はアイヌや日本(奥州)が有利でしょうし…と流動的です。
あと、扶桑自身も交易重視になると思います。
とりあえず、表舞台になるのは18世紀ごろになるかと。
>日本関係
あまりIFを重ねるのは気が進みません(何を今更ではあります)が、
高山への豊臣家進出やルソンへの徳川進出も加味すれば仕方ないですか…。
雄藩の海外進出はあり得るでしょうが、
宮家の奥州遷座とまでなると…。
>アジア関係
新百済がアジアの金融大国ですか…いや、よい展開ですね。
大陸も日本も「大国」ではなく中小国家乱立型の国際化社会…。
経済・文化の発展には最大限に寄与しそうですね。
>>243-244 いや、東国の島流し先は伊豆諸島で変わりないでしょう。
カムチャツカはいかにも遠すぎます。
>>246 ウマとウシです…シカ(エルク)は元々いますし。
>>255 大砲…小火器とともに中米で16世紀前半には完成…でいいとは思いますが、
史実よりも発展のテンポは遅い気がします。
>>270 ……善処します。
現在、取り纏めよりも整理にシフト中…。
北の白虎 南渤の台東
このように新百済の復活によって、次に息を吹き返したのは
後に海北の白虎と言われる南渤海であった。
元々から貧しく山がちではあったが、日本と同じく鉱山資源に豊富であり、
傭兵業とは別に金銅を売りさばくことで何とか外貨を稼いでいた。
しかしながら平野部が少なく食料不足になり勝ちであった。
それらの足らない分は何とか新百済によって穀物を手に入れている状態であった。
はやい内に百済の中立を認め、そのことで朝鮮半島内の争いを防いだが
新百済とは違って、清朝と直接面しているため、
貴重な外貨は軍事費に費やされざるを得ず、
金融国として生きるわけには行かなかった。
軍事国として、また農業国として生きざるを得なかった。
しかし人口は少なく、地力は乏しい。
これらの対策として考えたのは、移民受け入れ政策と徳川日本による同盟であった。
小北を清に追い払ったとはいえ、清に直接面するこの国は軍事的後ろ盾が
この時点では必要であった。幸い清はジュンガル部やモンゴルの対応に追われて
その間を突くチャンスができた。
そこで彼らは日本と手を組む。
前の条約で日本は南明の兄という立場であり、それをを利用しようとした。
一方日本もルソンが独立し、寛永清寇によって清の南進に対応する必要に迫られた。
しかも前の戦いの結果、勢力を伸ばしつつあった東国大名を頼ることはできなかった。
当初は取り潰しを中心に行っていたが、浪人達の増加と治安の悪化がおこりつつあり、
新たな殖民先が求められた。
このようにして両者の利害が一致し、対清同盟が結ばれた。通称、東部同盟である。
この同盟は日渤間の関税の取り決め、帰渤者の法的立場、対清戦略として清国籍船の拿捕などが書かれていた。
そして南渤船の福井、新潟、松前の入港を許した。
276 :
忠邦:05/02/06 21:22:14 0
>>275 大変失礼しました。漏れの間違いでして寛永ではなく寛文清寇が正解ですぽ。
それととてたさま。「宮家の奥州遷座と」このあたりは撤去宣言しますた。
そして「あまりIFを重ねるのは気が進みません」
ごもっともでございます(汗
ちゅうことで当時の幕府&日本の勢力図式を史実に忠実?になぞらえますぽ。
277 :
忠邦:05/02/06 21:51:20 0
【幕府・譜代】
@5代将軍綱吉の閥があり
A6代将軍家宣・7代将軍家継の閥があります。
【御三家】
@には紀州徳川家(幕府寄り)
Aには尾張徳川家・水戸徳川家(尊王・朝廷寄り)
という具合に幕府、徳川一門を巻き込んで2つに分裂していたわけです。
【第三勢力】
西南雄藩
朝廷
上方商人
東北諸藩
が他に存在してます。
史実ではバラバラだった第三勢力が開国によって登場した西欧列強の前に
尊王として纏まり紀州+幕府は尊王に寝返った尾水徳川によって止めを刺され
ますた。
家康が何ゆえ豊臣を大阪の陣で責め滅ぼしたかというと徳川幕府は成立当初には潜在的に
2つに分裂しやすい危険性を持っていたわけでして・・それを隠す為に甚大な犠牲を
天下諸侯にまで強いていたのです。
はしなくも家光の子供の代に、顕在化していたわけでして・・。
で史実と変わるのが、まず諸法度で各個に分断していた【第三勢力】が
海外交易の容認ということでB西南諸藩+上方商人として結合します。
このBに朝廷が結びつけば幕府の動静を左右できます。
となると西南雄藩と東北諸藩の連合によって明治維新はなされていくわけですね。
かなり新百済や南渤の後押しがありそう…
あ、それと諸ネシアが徳川との独占貿易に組み入れられそうですね。
そしてその先にはマレガ控えてます。徳川幕府はどちらに逃げるのでしょうか?
279 :
忠邦:05/02/06 22:10:37 0
西南諸藩が高山、筑紫、古南という海外進出でガス抜きされ倒幕に
走る危険はなくなるのですが朝廷+西南諸藩+上方商人というパワー
が
>>232に言うところの南方同盟として機能していくわけでしょうねww
史実では幕府の大政奉還でいけにえとして旧態依然のまま弾圧された東北諸藩でつが
ここでは寛文清寇そしてアイヌ独立、扶桑との接触、といった海外トラブルから
常時の準戦時体制と軍役動員を強いられ、交易のうまみは幕府に取られているのに
代わりは無いでしょう。
幕府の@+紀州徳川家とA+尾水徳川家の対立構造が
朝廷+西南諸藩+上方商人の南方同盟を生み
奥羽越諸藩による交易・攻守のグルーピングを黙認するという
本末転倒になると思われるのです。
280 :
忠邦:05/02/06 22:13:44 0
おと
>>278 今後の動静は東アジア情勢によって左右されますので
日本の国内図式を記載しただけです。
日本は一枚岩ではないわけです。幕府内ですら・・
そこのところを含み置きください。
281 :
忠邦:05/02/06 22:48:02 0
最後に幕府の管理貿易(貿易独占)と諸侯の海外進出が抵触しない理由をば
幕府側の公文書の解釈では高山国および古南は日本の1部のままなわけです。
諸法度では外国との交易には幕府の認可が必要とされてますが
高山、古南は幕府の“ある事情”によって国内扱いせざるを得ないわけで
諸侯や商人はその盲点を付いているわけです。
同様に樺太アイヌ国家も幕府の“ある事情”により日本国内に準ずる
扱いとされ東北諸藩の貿易窓口とされているわけです。
ある事情とは幕府は武家の棟梁であり軍事政権であるわけで
領土の割譲や独立を認めざるを得なくとも「戦争に負けたのではない」
「その証拠に交易も国内と同じ扱いだ」というように
幕府の威信を示す必要があるわけです。
諸侯に幕府の度量を見せる必要性ですね。
>>275 南渤海は清の影響下だったのでは?
「独自性を希求した」というのもよいですが。
(なんとなく「南渤海」としましたが、「後震」でもよかったかも)
>>忠邦さん
すいませんが、日本国内事情はそちらの流れでおねがいします。
>>282 日本の場合、イギリスのような「流刑植民地」という発想そのものがないので、
北方流刑地は困難かと(アイヌモシリもありますし)。
史実のような松前藩の入域制限はないとは思いますが。
はじめは清国に依存していたけど、
傭兵稼業+鉱山だけではやってはいけない。
と判断して、面従腹背でこのような決断をするのではないかと思いました。
あと、清とアイヌとの回廊を切り崩すという日本の目論見もあります。
それに加えて、現実には19世紀に発生した李朝後期の咸鏡道移民が
この時代により大規模に発生しているので、
このような軍事的冒険にでたと判断しました。
問題は秀吉の遠征は1回しかなかったとはいえ、
人口の激減が起こっているのかどうかが気になるけどなあ。
285 :
忠邦:05/02/08 20:34:41 0
とてたさん「南渤海は清の影響下」をいうと新百済も日本の影響から成立しているのですが・・
まあ中立国になって金融センターとなるのも日本の利害と抵触しないのでOKですが。
それと213さん
>>284発言からするとお忘れか(という前スレの話なので見てないのかな)
知れませんが、実は日本と清は南明に対抗した同盟関係を持った時期がありまして
その間、日本が清朝に重火器を提供する軍需工場であったのどぇす。(清が日本製の兵器に多く頼る関係は
実は今も継続中という設定でして・・いつまでにしようかWW)
この話の流れからすれば日本で製造した兵器を新百済経由で清朝に輸出していたという事と
その際に日清交易の隠れ蓑にするため日本が率先して新百済の中立宣言を承認したというのが自然でしょうか。
が日本としても南明との国交改善して以降まで清朝への兵器の直接輸出を日本で作るのは問題ありますし
清朝としても日本のみに依存するのも・・
ていうことで南渤海を清朝の兵站工場とすべく、日本が南渤海に人手を拠出していくのを日清の暗黙の了解で
とりおこなうというのはどうでせう?
ちなみにこのようなことが行われた背景には日清の直接戦争の危険が少ないことと
南明が強大になりすぎて大陸を統一することの無い様清朝の軍事力を適度にテコ入れするためでしょう。
日本と南明の商業資本はライバル関係になりつつあるのです。
286 :
忠邦:05/02/08 20:55:07 0
ついでいうと朝鮮の人口激減については朝鮮出兵は一回でしたが
それは朝鮮の内政紛争に加勢してという設定なので
日本の軍のあるなしに関わらず内戦は続くでしょうから・・減り具合は
史実と同様以上ではないでしょうか?
ただお願いしたいのは清朝を弱めすぎるのは日本の本旨ではないですぽ。
南明の商業資本は結構強大に育ってそうですので、
この趨勢から行けば経済的には南明や周が圧倒的優勢なのです。
あくまで日本の国策は「大陸を統一するなかれ」ですので
適度なところで清朝と南渤海を妥協させると思われますが、いかがでしょう?
そしてアイヌに関しては清朝との回廊を遮断するのは絶望的でしょう。
アイヌと奥州の関係、そして扶桑との交易、の2点が絡んできまつ。
南渤海とて日本一辺倒にはなりえませんぜ(多分へっへっへっ)
清朝とアイヌの間を仲買すれば南渤海にメリット大きいのだから
その辺で日本と食い違いが出るでしょうね。
287 :
忠邦:05/02/08 21:20:37 0
それと蝦夷地の勢力図は結構難しい問題でしょうね恐らく。
幕府=松前藩VS樺太アイヌ=奥羽東北諸藩の貿易戦争の
構図が見えてきました。
どうやら、既に西国では
(1)海外進出し豊臣恩顧の多い西南諸藩
(2)東アジアすら席巻する上方商人を代表とする商業資本
(3)豊臣を擁する高山、正当な徳川宗家を主張する古南の両国はじめ
そして島津の筑紫、幕府の思惑を超えた金融の怪物・新百済
(4)古くからの朝廷権威
これらが結合して幕府にも手出しできないパワーになってきてるように
みうけられます。
史実のように大きな商家を強引に欠所したり武家諸法度で西南諸藩を
縛ったりは不可能に近いですし・・かろうじて朝廷の座す京には所司代が
おります禁中並公家諸法度は有効に機能してますが・・雄藩は公然と京都に
藩邸を置き秘密外交に余念無いでしょう。
幕府は事実上東国には統制を徹底しようとするでしょうが
樺太アイヌを「史実での薩摩にとっての琉球」として利用しようと図る
奥州と
アイヌ交易を松前経由の幕府一本にしようと図る幕府の思惑が
蝦夷地でぶつかっているようでして
軍需工業化するのはどちらかいえば、後新羅になるのではと思ってました。
前スレは見てません(。編集してないやつでもいいから見たいです。
南渤としてまあ移民たちと流民が食える程度の領土さえもらえればいいんであって、
それだけの体力はまだないでしょう。
とりあえずは殖民都市群ができればいいかな。
南渤も百済の金融を使ってこれらを行なっていると思いますし。
>そしてアイヌに関しては清朝との回廊を遮断するのは絶望的でしょう。
>アイヌと奥州の関係、そして扶桑との交易、の2点が絡んできまつ。
>南渤海とて日本一辺倒にはなりえませんぜ(多分へっへっへっ)
>清朝とアイヌの間を仲買すれば南渤海にメリット大きいのだから
>その辺で日本と食い違いが出るでしょうね。
ある程度国情に通じてからだと、日本じゃなくて奥州との交流が中心になりますけどね。
289 :
忠邦:05/02/08 21:56:15 0
>>288 そうですねー。軍需工場化するのは後新羅でもよいですよ。
南明に対しての日清の微妙な協力関係から言えば
南渤海に一定の移民を送って開拓しようと
清朝が文句を言えた筋合いは無いわけでして、
それは清朝の影響下での南渤海でも無問題ですと思います。
南渤海は最終的には奥州−樺太アイヌ国家−南渤海の北方同盟に
なるのでしょうか?ね
そうすっと北方では奥州−樺太アイヌ国家−南渤海の北方同盟に
対し清朝−徳川日本−後新羅のラインが生まれてきそうな。
それと残念ながら漏れも保存していた前スレをPCトラブルで
消失してましておみせは出来ないのです・・残念。
そういえば国名ですが、史実の10世紀に「後三国時代」が実在したんですよね。
「後百済」と「後新羅」は実在するので国名がダブってしまう・・・どうしましょう。
東西南北や王家の姓を冠する方法もあるほかには;
・新羅の前国名「斯盧」から「後斯盧国」、
・百済はう〜ん・・・前国名「伯済」から「後伯済国」、馬韓から「後馬」?又は後夫余?ダメかぁ。
いい命名ないかしら。
南渤海についてはこのままでも、あるいはとてたさん案「後震」でもオケーイでは。
無事頂ますた。清と南明の関係をチェックして見ます。
293 :
忠邦:05/02/10 19:27:56 0
前スレは後半はほとんど私の独断でしたから(汗
いちゃもんがあったばやい、より整合性のある意見を提案してくだされば
注文付けてください。
漏れは取得できなかった。たいてい覚えているがアフリカ諸国のカキコ
だけは数が多すぎて覚えてないのでカキコできん(泣
>>289バカ想像、新羅製ライフルで戦う幕府軍
反幕府の志士たちは南渤海製大砲で応戦するなんてシーンが頭をよぎった。
295 :
世界@名無史さん:05/02/11 22:03:38 0
欧州に見える変動
スウェーデン帝国がプロイセン公国(史実でいう東プロイセン)、ポンメルン、ブランデンブルグ
デンマーク=ノルウェー連合王国がメクレンブルグ、ハノーヴァー、東ザクセンから
オルデンブルグ、ウェストファリア、ネーデルランド
そして大ポーランド帝国がシュレージェン(シレジア)、ベーメン(ボヘミア)、
ハンガリーを版図として確保していたが
ポーランドから放逐された傭兵隊長出身の一代の梟雄ヴァレンシュタインの手により
バイエルンからアルザスロレーヌがバイエルン王国としてオスマン帝国に
反旗を翻した。
これに対しオスマン帝国とポーランド帝国は結託してバイエルンつぶしを画策するも
ヘッセン協定でデンマークの参戦、ベルリン協定でスウェーデンの参戦を受け
かろうじて独立を維持する。
しかし未だ独立紛争が耐えぬスイス4州を“回復されないヨーロッパ”と主張し
オスマン帝国とバイエルン王国の間には緊張関係が続いた。
オスマン帝国とポーランド帝国との現状維持派と
スウェーデン、デンマーク=ノルウェーの後押しを受けたバイエルン
という対立構図が生まれつつあるとき
キリスト教徒の牙城たるイベリア半島では残されたハプスブルグ朝は
マドリードで形式的に皇帝であり続けたが
ポルトガル、レオン、バスク、カスティーリャ、ナヴァル、アラゴン
といった領邦国家が分立し中世的な戦にかまけ、
サアード朝モロッコが再び回教徒の手に回復したグラナダ(およびジブラルタル)
は、まるで異世界のようにモロッコ本国の余風を受けて近代的な町並みを
整えつつあった。
>>284 了解しました。
全国的な混乱状態を引き起こしたぐらいでしょうね。
>>285-289 中継地としての新百済、
清と日本の狭間で独自路線を希求する南渤海…、
となると新羅は儒教型鎖国国家…じゃ在り来たりすぎるかしら。
いかに清が沿海州への南渤海の進出を是認したとしても、
黒竜江ルートまでは手放さないかと。
…とはいえ史実では山丹貿易は17世紀以降のことだったりしますけどね。
>>290 …そうなんですよね>後三国時代
とりあえず「後」や「新」をつけてはみたものの、
「後」は一回限りで「新」はあまり使われていないようですし…。
南渤海(後に後震?)・新百済はまあよいとして、
後新羅は被るし、新新羅はちと語感が。
今後「統一」しないのなら、「韓」でもいいのかもしれませんが。
(「統一」した場合のストックとして「朝光鮮麗」からの「光麗」もありますし)
>>296 イベリア半島は奴隷供給地でもありますしねえ…。
ん?グスタフ・アドルフとヴァレンシュタインの共闘が見れるの?
期待。
299 :
忠邦:05/02/13 22:57:06 0
とてたさん。「統一」の可能性は低いと思います。
華鮮というのはどうでせう?
それと296-297すみませんカキコは私です(汗
すみません通常は名無しでageモードなもので・・・
ここ用のコテにスルのを忘れてました(藁
そういえば白人奴隷ネタ私が出したのですよね・・
実際問題、複数の地域パワーに分かれていた方が奴隷供給に
都合が良いと思ったもので・・史実のアフリカも部族間抗争の
辛味がありますし・・
>>298 そういえばそうですね・・ヴァレンシュタインがバイエルン独立を
図ってオスマン帝国とポーランド帝国の謀略と戦う為支援を仰ぐのは
グスタフ・アドルフになるんですよね・・・
狙ったつもりは無かったんですよ・・
・・でも考えてみれば確かにすごいネタだな。
カキコおくれてすみません。
そういえば後三国の後でも後新羅がありましたね。
忠邦さんの華鮮案ににしようと思います。
私も仮に合同するとしても、
半島部と沿海州に分かれてしまうのではと思います。
浦塩にいずれ遷都しようと思いますから。
>>297 漏れ自身としては華鮮で儒教は残ると思うけど、
陽明学の影響も強くなると想像して、朱子学がそれに対応して
変化した結果、儒教の科学革命と職業倫理が発生させたいです。
儒教は色々問題もありますけど、基本的に主知主義であるから
色々と応用が利くんですよね。
301 :
忠邦:05/02/14 21:11:02 0
213さん江!
てぃなみに名の内容についてなのですが
つぉてたすぁんの儒教型鎖国国家て言葉から李氏朝鮮の風を有る程度
残した国柄とイメしました。
その上で「南明も清も中華じゃないやい。」と主張していることと
考え合わせて中華の“華”と朝鮮の“鮮”を合わせた国名が
よいのではと考えた次第です。
302 :
忠邦:05/02/14 21:24:22 0
追記しとくと
>>295の内容についてですが
なにげに本能寺の変後の信濃周辺を考えてもらえれば
バイエルン =信州真田家
ヴァレンシュタイン=真田昌幸
スウェーデン帝国 =越後の上杉
大ポーランド帝国 =徳川家康
オスマン帝国 =関東北条氏
という構図なのと
ヴァレンシュタインが傭兵隊長からポーランドで軍制改革を成し遂げた
もののフランス系人材の嚆矢リシュリューの策で追われバイエルンに
身を寄せ、ここの独立と事実上の国主就任と考えたので
ヴァレンシュタイン=劉備玄徳
バイエルン =蜀
大ポーランド帝国 =魏
スウェーデン帝国 =呉
ちゅうことは
グスタフ・アドルフ=孫権
リシュリュー =仲達
といった感じで戦と謀略が行われていくと考えていただければ
よいといってみるテスト
A;^^)・・まあそんな合戦絵巻はスレの趣旨じゃないし
みなさまも興味ないでしょうから・・適当にイメージして置いてくださいw
解りやすい説明乙です。
>>299 とはいえ、史実の黒人奴隷みたいな非人道的な状況よりも、
白人奴隷やアジアの奴隷と似たような扱いになるのでは。
年季が明けたり自分を買い戻した後は、西アフリカやメスシピで自由農民になったり…。
>>300-301 それでは、朝鮮半島地域の諸国家は、
南渤海・華鮮・新百済
ということで。
305 :
忠邦:05/02/16 18:37:37 0
とてたさん。イベリアがまとまってしまっていると、困った問題に
なるのです。というのもレコンキスタの再発の可能性どえす。
ということで、まずは再考の為ここでの過疎率苦の状況を見てみましょうか。
【カソリック教会の動向】その1
ハプスブルグ帝国とローマ教皇庁の一体化に対し
ハプスブルグのライバルであったフランスはオスマントルコと組んだり
アビニョンにブノワ(並立教皇)を再擁立して対抗・・
やがて衰弱した欧州組し易しとみたオスマン帝国の毒牙を自ら呼び込む
愚を犯した後、神聖ローマ帝国もフランスもオスマン帝国の組下に
置かれた。
やがてフランス系の人材は多くカソリックの大国ポーランドに寄宿
するようになり、かの国の中欧帝国化を助けることとなった。
こうした状況にあってアビニョンに居たブノワ(並立教皇)のワルシャワ
遷座によってポーランドはローマ教会と別の道を歩むことが
決定的となった。
306 :
忠邦:05/02/16 18:51:36 0
【カソリック教会の動向】その2
一方ハプスブルグ朝はウィーンと神聖ローマ帝国を放棄
マドリードに移る。
ポーランドの東方カソリックはプロテスタントと融和的で
政治には干渉しないのを旨とし
ローマ教会はバチカン市国として体裁的にオスマン帝国の保護国
として独立性を認められたもののオスマン帝国の欧州支配の駒
としての運命をたどった。
それに対しピレネーよりのイベリア半島は尚一層、教条的な
カソリック教会絶対の風潮をあおり
今のローマ不在の状況に対応すべくハプスブルグが世襲する
神聖ローマ皇帝が教会を管轄する皇帝の教皇代行論が唱えられた。
東洋における日本という地の“テンノウ”なる君主がそうであるように
ハプスブルグ家が万世一系のもと「神聖ローマ皇帝」と「正当なるローマ教皇」
を受け継いでいく神聖王権となっていくのであるが・・
実際の地方の政務や徴税といった世俗的な汚れ仕事は疎まれるようになり
軍務についても財政難の折、各地の領主が在地軍を持ち寄る形式となった。
307 :
忠邦:05/02/16 19:06:10 0
皮肉にもピレネーからのイベリアはかつて日本がたどった
平安末期〜鎌倉の武家時代に似た状況を経験することとなったのだ。
かつて日本が経験したようにイベリアもサアード朝モロッコの
侵寇を経験しグラナダ、ジブラルタルを奪われる・・
それも教条的カソリックを疎む異分子的な一派の協力によるもの
であった為か
なお一層ハプスブルグ朝は責任回避という安易なる手法に頼り
ポルトガル、レオン、バスク、カスティーリャ、ナヴァル、アラゴン
といった地方大名の割拠を許すこととなった。
イベリア半島が結束するということはかつてのレコンキスタの
再発を呼びかねないことを懸念するサアード朝モロッコと
万一ジブラルタル海峡がイベリアとサアード朝モロッコの
にらみ合いの場になれば大西洋交易と地中海交易の連結に支障を帰す
ことを懸念した諸外国の利害の一致がイベリア半島の地方王国時代
を齎すこととなった。
A;^^)・・まあ、こんな具合に連想してしまったもので
別にイベリアが戦乱になるというよりはハプスブルグ朝が天皇化
して地方が武家大名化してそういった地方大名が海外交易の利から
人材売買を容認するといったものでして
さもないと教条的カソリックで纏まったイベリアがレコンキスタを
起こさないはずは無く、そうなると大西洋貿易と地中海貿易の連結に
支障が出るので・・苦肉の思案なんですが?
無しでも良いですよ。
うんじゃ続きいきます。
それと同時に進められたのが殖産興業策であった。
傭兵達が手に入れた外来の植物の研究と増産の研究が、建国当初から行われた。
それに拍車をかけたのは前後して訪れた日本移民帰渤者達の技術
(機械技術や沙也可こと雑賀の民の技術)や
「敵に学ぶ」というモットーで発展した高等書院の研究だった。
トウガラシ、ハクサイなどがこのころに実用化された。
しかし一番この国にとって重要なのはジャガイモの量産化に成功したことだった。
17世紀半ば頃に入ったこの作物は、南渤の風土にも適しており、
慢性的な穀物不足に悩むこの国にとって福音をもたらした。
ジャガイモの量産化は、それまで新百済に頼った穀物の割合を減らし、
外貨の流出を食い止めつつあった。
これらの作物は寒さにも強く、従来の開拓可能領域の北限があがることを意味する。
こうして日本からの移民や三国分裂によって発生した貧農達によって
沿海州への開拓が進みつつあった。
竜泉(ウラジオストク) 良浦(ナホトカ) 延吉などの新興交易都市が
このころに出来上がる
幸いなことに女真達は現時点では比較的関心が薄く、
沿海州という豚を南渤民によって肥え太らせてから食べようと思ったからである。
しかしそれは油断であった。彼らはもはやかつての朝鮮人ではなかった。
剽悍な古の高句麗を思わす民族に変わりつつあった。
>>305-307 その流れでよいかと。
大規模な奴隷収奪対象地域が存在しない、というのはよいことです。
>>308 ハクサイの成立が数百年早まるのですか…、
辛いキムチは南渤名物ですね(笑)。
>欧州
イベリア以外の欧州がオスマン帝国その他の支配下に入るということは
そろそろこの地の復興も始まるということでしょうか。
そもそも海流の関係から言えば史実においてそうだったように
フェニキア諸島から貿易風に乗って西欧海岸に直航するルートは
極めて使い勝手の良いものですし。
311 :
忠邦:05/02/20 20:53:16 0
う〜ん・・復興する欧州ですか?想像つかない(笑
確かに想定には入ってもいいんでしょうがねー・・・・
北大西洋諸国に属するスウェーデン、デンマークノルウェーやら
ポーランド、スコットランド、アイルランドは欧州風に発展しても
よさげですが・・
オスマン帝国は欧州版図も含めて“史実での大清帝国”に近くなりそうな・・
雰囲気も中東風と欧州風が入り混じったかなりエキゾチックなものになりそうですが(笑
西欧文明の残骸といえるイングランド、バイエルン、イベリアはとうてい史実の西欧列強のように
のさばるのは100%不可能になったようなので・・どうなるんだろ?
史実のモンゴルのように色目人化するとか…
メスシピ朝との直接交易が始まるのがイングランドの黒船になるわけですな。
しかし不受不施派あたりがマレガ到達するのはやっぱり19世紀前半になるのかな?
>>311 史実では思い当たるタイプが思いつきませんが、
オスマンの「圧力」はあるものの、相互に合従連衡してそこそこ発展するのでは。
機械工業もそこそこ発展するでしょうし。
>>312 …もっと早いと思いますよ。
先に古南に定着するでしょうし。
法華が(たぶん)アバウトなマレガ仏徒にどう写るかしら…。
314 :
忠邦:05/02/22 19:32:14 0
う〜ん
>>313 >>史実では思い当たるタイプが思いつきませんが、
これですが漏れ的には
オスマン欧州帝國が“史実の大清帝国、李氏朝鮮末期のイメージで
バイエルンが“史実の江戸末期〜明治の日本”に近い感じ
イングランドが史実のタイ王国に近い感じ
イベリアは該当例がないですねww
>>314 なるほど「アジア型」ですか。
支配地域でいえば、
オスマン朝に匹敵するのはインカぐらいになりますね…。
316 :
世界@名無史さん:05/02/27 03:38:27 0
なかなかアメリカそのものの歴史は近づけないですか?
東アジア世界との接触を書ききるまで待ってください(涙)
318 :
世界@名無史さん:05/03/08 00:45:11 0
期待あげ
>>316 ラフプロットくらいは(頭の中に)ありますけれど…。
320 :
世界@名無史さん:05/03/18 01:36:38 0
age
321 :
世界@名無史さん:05/03/19 21:20:46 0
今日のふしぎ発見はまるでこのスレの設定みたいだ。
>>321 カナリア諸島でしたっけ(少しみました)。
古代にヨーロッパ→アメリカの交流・文化伝播を「全否定」したくはないんですが、
新大陸に旧大陸の文物(家畜・作物)が伝わっていないところがネックですね。
地中海と中東全部を抑えたオスマンなら、自分の支配の都合からスエズ運河を開通させる気がする。
史実で隋が黄河と長江を繋げたみたいに。
そうなって、かつアフリカ諸国が加工力が低いのに、中継地点として栄えすぎていることによしとしない
新大陸やインドの連中が、「スエズ経由ショートカット」コース(カリブ→イベリア→スエズ→インド)を
開拓しそう。オスマンも、対アフリカのために貿易路の奪い取りを画策すると思うし。
そうすれば、欧州は「世界経済の大動脈」の川縁になるわけで、復興の芽も見えるかと。
>>323 ナイル川経由の小運河なら17世紀で再開通可能でしょうね。
ニカラグア運河は流石に20世紀レベルまでにならないと無理でしょうが。
325 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329,2005/04/02(土) 15:03:59 0
南米はどうなっているんですか?パラグアイとか、ブラジル辺。
>>325 南米北東沿岸部ではニカラグアやフェニキア(後にはアフリカ諸国)の植民都市が形成され、
南米南部ではタワンティン・スーユが「植民」していくかと。
327 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 23:26:31 0
エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:38:29 0
↑
エジプト暦ってなに?
>>327 更新してると思ったらこれかよ。いまさらなネタで上げるな。
330 :
:2005/04/21(木) 03:36:21 0
331 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 23:07:53 0
この続きはないのかな・・・。
332 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 23:12:56 0
精密になるに従って妄想の余地は少なくなるし、
展開に納得できない人間が去る。
俺もせいぜい首長制社会のはずのアフリカ文明がやたら発展し始めたことと
旧大陸文明の「モチーフ」が透けて見える展開が増えたので萎えた口。
一からまた作り直すにしても、今一ネタがな。
334 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 00:52:31 0
義経や豊臣の改変は余計じゃないかな。
いじるのはアメリカ文明だけにしたい。
結果として変化するなら仕方ないが、
本当にそう変化するのか、きっちり検証すべきかと。
特に、喜望峰経由より、オスマントルコ経由の方が自然な気もするし
インド・新大陸交易の中継港ができる程度で
アフリカ社会がそんなに変化するのか・・・
そこら辺がわりとルーズに決められてるよね。
過去ログ12読み直したけど。
335 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 01:02:21 0
距離的な問題以外にも、海流的にも南アフリカは交易拠点には向かないと思う。
カリブから出発すれば、スペインか北アフリカに着くのが自然だし、ギニアあたりは海の難所のはずだ。
交易が発生したときの、北アフリカのアラブ系イスラム商人の動きが鈍すぎるとも思う。
貨幣経済への突入と社会変化が充分な考察がない状態で
突然南北アメリカ商人が大活躍も解せない。
火器の発明が早すぎるのと、米文明が過度に主体的すぎるかな。
そこまで主体的に対応できるほど、「改変された歴史」でも
発展していないんじゃないのかな。表面的な文化度ではなく自力の部分で。
336 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 01:12:50 0
イスラム(オスマン系)のアメリカ上陸の方が、現実的だし
改変される前の歴史と比較できて楽しいのでは?
15世紀以降のアメリカの外洋進出は、無理矢理発展を繋げているようで不自然な気が。
他はともかく海流の問題は無視できませんね。
帆船は風と波には逆らいきれないもんなあ。
338 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 17:41:06 0
忠邦氏はもうここにはいないのかな?
339 :
忠邦:2005/05/04(水) 20:27:25 0
ちゃんとおりますよ
>>338 213さんの話の続きを待ってただけでして・・多忙だし
話の新展開も手図まりなので、どうするか傍観してただけです。笑
新たに構想し直してもらってもよいですよ。
340 :
213:2005/05/08(日) 11:59:35 0
アジアの鉄鋼史がわからないのでつまってますです。
当時の朝鮮、清朝の鉄鋼技術がわからん…
>>334 けっこうノリで決まっちゃいましたからねえ。
>>335-336 「知ってはいるが行かない」という形式でもよいとは思います。
別タイプの架空史があってもよいですよ…纏め時に僕が苦労するだけですから。
(2スレ目のまとめは気長にお待ちください)
>>340 僕もよく知りませんが、
朝鮮征伐の時の降倭には、鉄砲鍛冶も多かったそうですから、
日本よりも劣るレベルでは。
ほす
もう誰も書きこまないのかなあ・・・。
344 :
世界@名無史さん:2005/05/31(火) 22:37:15 0
みんなが待ってるのさ。
展開がつまって誰も書き込めないだけで。
>>343 これほど長い間続いているスレも珍しく、内容も独創的。
是非とも続きが見たい。隠れファンは多いぞ。
きっと語り部がやってくるさ。
347 :
世界@名無史さん:2005/06/02(木) 21:03:38 0
忘れ去られるままにそっとしとこうとか考えてましたが・・
実は(隠すほどのことはないが)漏れはこのスレを立てたものゆへ
続き書かざるを得ないかなーとか考えてんですが・・
漏れが続き書こうにも・・離れてた期間が長すぎて
直には思い浮かばないww
誰か職人さん書いてくれたら大助かりですがww
348 :
臨時穴埋め:2005/06/02(木) 21:35:07 0
……主の生誕より998年の年、グリョンランドの赤毛のエリクの息子レイブは西方へと赴き、
浮氷漂う海を越え、もろもろの聖人の加護の下にはるけき異国の大地へと至れり。
これを名付けてヴィンランドとなす。けだしその地に紅き葡萄の豊かに実らんがためなりしか。
舟よりはじめに降り立ちしは勇者ビャルニなり。神を信じるこころ厚きもののふなり。
その地には葡萄豊かに茂り、川には鮭泳ぎ、森には獣あまたありき。
一大島ありて、その奥の深き峡湾に大河注げり。
大河に沿いてレイブらの上り行くに、俄かにしてひとつの湖に出づ。
湖のほとりに集落ありて、丸太を組める小屋らを柵にてとりまき、内には異風の民の住めるあり……
―――『ヴィンランド王国年代記』より
続きは誰か適当に捏造してくらはい
この夜、古き都邑カルタゴの運命はきわまれり
かくて船団は一斉に帆を揚げ、ラティウム人の囲みを破る
ああ! それはなんと激しき血戦であったことか
ああ! それはなんと多くの戦士の生贄を求めたことか
スキピオは為す術なく、月のもと西へ去る船団を送れり
勇者らの退路はなく、ただに自滅の道をたどるのみと
ああ、それは誤りであった!
なんとなれば彼ら、偉大なるバアルの加護を受けしゆえ
ヘラクレスの柱の彼方
西海の島々にはなおポエニクスの住めるあり
かしこには多くの果実実り、地は豊穣なりき
そこにて船に乗る者三万人
数多き家畜らも忘れらることなし
ポエニクスは海の民、なんぞ大洋の路を怖れんや
我ら怯惰なるヘラスびとの輩にあらず、またラティウムの蛮族らの輩にもあらじ
西方は日の赴けるかた
西方は夜の来たれるかた
我ら勇ましく、星々のもとへと漕ぎゆくなり……
―――作者不詳『海のいさおし』
350 :
世界@名無史さん:2005/06/03(金) 22:46:32 0
すばらしい!
ほす
354 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 00:10:52 0
そろそろ次の流れを
止まってるのは範囲が広がりすぎたからかな。
まあ、他地域との絡みなしには近代は描けないしなあ。
356 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 01:46:18 0
あげ
358 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:12:27 0
五大湖・セントローレンス河・ミシシッピー川を大運河で結んだらおもしろそう。
絶対ヴィンランドとメスシピ朝の係争地になるだろう。
>>358 イリノイ運河ですね…。
メスシピ朝が建設・運営することは可能だと思うんですが、
ヴィンランドがそれにどこまで対抗できるか…。
360 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:25:46 0
メスシピ朝の大艦隊が五大湖方面から大運河に回航し、
セントローレンス川でヴァイキングの流れを汲む
ヴィンランドの艦隊と大水上戦とか面白そう。
戦争のきっかけは五大湖北方の森林資源の争奪とかかな。
361 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:29:11 0
あ、五大湖とセントローレンス川はもともとつながってるから運河は必要ないのか。
ただレイフ・エリクソンの一行が遡行不可能だった
セントローレンス川の急端は迂回ルートをつくるなろ工事するなりしないとな。
ハドソン川と五大湖を運河で結ぶってのは充分ありと思う。
すると史実どおりハドソン河口のニューヨークが旧大陸からの玄関口として繁栄しそうな予感。
362 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:35:31 0
……となると、メスシピの勢力下にあった東岸諸小国のうち
ハドソン川下流の国家が運河建設と同時に急速に台頭していくだろうし、
もともとハドソン河口(史実のニューヨーク)は周りを水に囲まれて
コンスタンティノープル級に難攻不落の要塞都市になりうる素地があると思うから……
ここ(仮にニューヨーク王国と名づけるけど、この名前はありえないからエロイ人適当に命名して)と
北のヴィンランドは絶対に交易その他で対立関係になるな。
ボストン付近で紛争が頻発しそう。
メスシピとヴィンランドの戦いも、戦場がミシシッピーの水運を使えるとは言え
メスシピ朝中心部から遠く離れている事を考えると、
ニューヨーク王国がキャスティングボードを握りそう。
ある意味中国の三国志みたいな状況になりうるかもしれないな。
セントローレンス川で赤壁の戦いみたいにメスシピの大艦隊炎上とかなったら激しく面白い。
もともとミシシッピー川は浅いからメスシピの内水艦隊も生粋が浅い外輪船とかが主体だろうし、
するとそれが外洋向きのヴィンランドやニューヨーク王国の軍船と対峙したときに
どういう状況になるのかとか気になる。
363 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:44:30 0
う〜む待てよ、ひょっとするとこれは
メスシピ=スペイン、ヴィンランド=イギリス、ニューヨーク=オランダみたいにならないかな。
まず北方の経済問題を巡ってメスシピとヴィンランドの戦争が勃発し、
もともと犬猿の仲のヴィンランドとニューヨークがこの時は手を組んでメスシピを迎撃。
セントローレンス川でヴィンランドとニューヨークの連合軍によってメスシピの大艦隊が炎上壊滅。
これによって新興国家のニューヨークは一挙に声価を高める。
一方この大敗北によって北方地域におけるメスシピの影響力が後退し、
これ以後五大湖以北の歴史はヴィンランドと、東方進出を進める扶桑の関係が主軸になる。
北米大森林と北大西洋交易をめぐるヴィンランド、メスシピ、扶桑、ニューヨーク四国の
複雑な国際関係史が始まりそうだな。
>>361-362 ハドソン川運河の方が技術的に建設が難しいような。
ヴィンランド(ニューファンドランド)との対立構造上、
焦点になる地域にはなると思いますが。
マルクランド(セントローレンス川河口付近)の支配権をどちらが握るかにもよりますし。
五大湖地方なら「イロコイ連合」…という案があったような。
365 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:52:23 0
なるほど。先走りすぎポ。
やたら運河結びまくるより、もうちょっと堅実に地政学を考えたほうが面白いかもですな。
あと地名考証とか地名設定とか、できれば人名設定もエロイ人にやってほしい。
ニューヨーク王国…、
ちょと離れてますが、ポトマック川の語源から
「パタウメク」かしら。
>>366 しりとりスレから参上したけど、「ニューヨーク付近の伝統的地名」ってのは、漠然としすぎてわけが判らんよ。
インディアン原住部族だけで数十あるから、どの部族による名前を優先するのかってことになるんで
前スレで「エヤタス」と「パチャ」を提案させて頂いた者です。
アルゴンキン語族系のマンハッタン語で
マンハッタン島をマナハティン=manah(島)+ hatin(起伏に富んだ/丘の多い)と称していたようです。
諸説あるうちの一つですが参考までに。
現在のニューヨーク州一帯を指す呼称としては、イロコイ語族系のモホーク語で
カノンノ(Kanonno)が現存します。(モホーク語は今も現役の言語ですんで)
時代による言語分布や語形変化はIF世界ではまた異なるとは思いますが、参考までに。
カノンノ王国の都マナハティンかな
イロコイ連合の提唱者とされる伝説的な人物ハイアワサの名前は利用できそう。
10世紀か11世紀頃にこの地域で活躍した優れた指導者としていいんじゃないかな。
371 :
忠邦:2005/07/22(金) 20:14:57 0
おお・・ようやく話がすすんできましたね・・
漏れはコメント差し控えますが
ニューヨーク王国ないしパタウメクかカノンノですか・・
それの前提となるメスシピ朝によるイリノイ運河建設
そこまでの必然性(ちゅうか相当の事業になるし)と必要となる時期
メスシピ朝の国内事情全てが合致しないとできんと思う。
その時期ですよね・・旧大陸との交易発生してからということでOK?
そして
>>360 それは大変面白いのですが大問題が・・今のままではメスシピ朝の海軍力は
恐らくヴィンランドより下になると思われます。
ヴィンランドは北欧とかの交易で遠洋航海にも長け必要性もあったのと
比較しメスシピ朝は広い国土を治めるだけで難事業ですから・・
メスシピ朝によるイリノイ運河建設が可能ということは逆に遠洋航海
に目を向けにくい集権制と広い国土に他民族の大国家・・史実の中国みたいに
内政優先させて海軍力は沿岸警備に限定されたものになりがち
と思われるのです。
372 :
忠邦:2005/07/22(金) 20:23:54 0
そしてニューヨーク王国(この名前が気に入ったw)なのですが
可能性としてはフェニキアの一派となる可能性もあるのかな?
それだとフェニキアの一部みたいで面白くないのですが・・
イロコイ語族系だけで作られるカノンノ王国としてですが
>>360のもご意見のように条件がそろえば交易の拠点になり得るのですが
ヴィンランドとメスシピ朝との抗争に独立独歩でやっていけるのでしょうか?
どちらかに臣従して中国と朝鮮のような関係に埋没するのではないか?
と危惧されるのですが・・旧大陸との交易まで独立でしのげれば
有力なパワーも持ちえる気がしますが・・
373 :
忠邦:2005/07/22(金) 20:34:21 0
それと最後に一言
あまりもれも詳しくないのですが宗教問題とかはどうなのでしょう?
同じか近い信仰同士とか、元は神話で同じ神につくられし部族だとか
が含まれてたら、そこから同盟になりやすいとか・・
その辺次第で、この地域はどう動くのかなのですが・・
>>370ととてたさん。
イロコイ連合なのですが・・そのようなものを作る必然性というか条件はなにになるのでしょう?
(おっと別に否定的見解のつもりは無いです)そのような結束は
メスシピ朝への挑戦と取られがちになると思われるのですが・・
そしてそれに近い関係が史実にあります。中華と蒙古の関係といえばいいんでしょうか
メスシピ朝とイロコイ連合は中国と北方民族に近い関係になるのですか?
374 :
忠邦:2005/07/22(金) 20:37:57 0
コメント差し控えるといいつつ言いたい放題言ってしまいましたが
スマソ(−人−)
なし崩しで話し進めてくださって結構ですよ。
375 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:41:27 0
370氏ではないが、おもいつくままに書き込んでみる。
>イロコイ連合
ヴァイキングが持ち込んだ疫病による人口激減と、
メスシピ帝国の王朝交替による混乱の中で・・・
ヨーロッパでカロリング帝国が崩壊したあとに各地に封建領主たちが
群雄割拠したみたいな感じに、ハイアワサがイロコイ諸族を糾合し・・・
強引かにゃ
それとアパラチア以東の東岸諸国には、時代によって違いはあるにせよ
総じてメスシピの支配力はあまり及んでいない、
むしろ朝貢圏みたいなものになるんでは?
旧世界との関係が生まれる前は、むしろ塩や若干の織物ぐらいしか
地場産業が無い貧しい地域で、メスシピも遠征コストに見合わないと判断して
本格的な支配はしていない気が。
だとしたらその間隙を縫ってカノンノが浮上というのもありえなくはないかと。
ただ歴史の流れとして多少強引やも。
358です。改めて地図見てみたら本来のハドソン川とエリー湖・セントローレンス川の間には
かなりの距離があったんですね。こりゃレセップスの時代でも運河は無理やも…orz
北米の地図は人工河川が多くてややっこしいorz
378 :
世界@名無史さん:2005/07/23(土) 02:10:14 0
とりあえず 日本がカリフォルニアの植民地になって
インディアンうそばかりつく
それしか想像できないおれはもうついていけない
>>377 各地の標高を調べてみたところ・・・
エリー湖:174m
オンタリオ湖:75m
モントリオール:30m
ナイアガラがあるの忘れてたよ・・・orz
>>357 異論を唱えたのは、ほとんどが政治的に極右か極左に属する人だった。
うはwww
ナイアガラがメスシピ帝国の国境になるかな?
中国の北方国境沿いみたいに交易所とかができるかも。
382 :
世界@名無史さん:2005/07/26(火) 04:23:08 0
とうとう再開っすかっ!信じてまっていてよかったあ。地球をぐるっと回って
エタヤス=パチャ大陸の近代の夜明け?
383 :
忠邦:2005/07/26(火) 21:07:53 0
>>375 イロコイ連合の成立理由はその辺が妥当ですかねー?やはり
漏れは
案外史実のモンゴルのようにジンギスカン的な英雄が出てきて
一時的にしろメスシピ朝を占領してしまうような
仮定も・・どうかなーエヤタス版モンゴル帝国みたいなのww
もれの方が無茶だなやはり・・
それとカノンノ(ニューヨーク王国)なのですが・・ここが史実における
ネーデルランドのような機能を示していくとイメージできたのですが
違うのでもよいのですが・・
ここの台頭というか登場する時期は何時くらいでしょう?
依然漏れの提示していた旧世界の歴史の流れを採択いただけるようでしたら
なおのこと何時くらいになるのでしょう?
384 :
忠邦:2005/07/26(火) 21:14:07 0
それと、やはり漏れが単独でイメージ先行で書いていった旧世界の歴史に関しても
手直しや疑問がようやくいただけたようですので、
そういった点を加味して修正すべき点はして
やり直そうかと思う。(ちゅうか誰かやり直してくれぽ)
だれか修正箇所列挙していただけたら・・(−人−)
さもなくば全部却下?
それはともかくエヤタスのメスシピとカノンノの話題の戻しましょうかww
>>367 すいません、次回はもうちょと具体的にしますです…。
チョクトー族系で使えそうな人名・地名(都市名)はないでしょうか?
えーと、後は逐次ではなく総記で。
○「ニューヨーク王国」
カノンノ(マナハテイン)でいきましょう。
河川交易と農耕(トウモロコシ・小麦)主体の国でいけそうかと。
オランダというよりはスウェーデンやデンマークが適当かしら。
○メスシピ朝
ミシシッピ・ミズーリ流域の交易・農業国家ですが、
それ故流域以外へは版図を広げ難いと判断しました。
…一時的にイロコイ・カノンノを臣従させて、ヴィンランドを攻撃することはあるでしょうが、
中国的な大統一型中央集権国家は北アメリカ先住民の「伝統」ではないですし。
サザンカルトから派生する「座教」はそこそこ中心的な宗教体系を造り得るとは思いますが、
「攻撃的」な宗教とはなりえないでしょうし。
○時間軸・旧大陸関係
えー、今のところはとりあえず深く考えない感じで(かえってややこしくなりますし)。
忠邦さんの流れも取り纏めるつもりですよ…。
(とはいえ、前スレをちゃんとあげないと…)
386 :
世界@名無史さん:2005/07/26(火) 23:53:17 0
もう突っ込み入ってるかもしれないんだけど、
西欧が新世界を植民化できないで、そのままずるずる衰退するなら、
日本には鉄砲が来ないんじゃないの?義経の子孫が作った国との交易で手に入れるのか?
というか、一行十数人にも満たない義経勢が、広い太平洋を越えた時点で
もう生き残りなんて五人もいないんじゃ?それも万が一たどり着けたらの話でさ。
そんな人数で精強な北米インディオを圧倒できるとも思えないし、懐柔するには知恵が足らんのでは。
弁慶以外坊さんいないし、弁慶って学僧じゃないから物知らずだよね?
征服もできなければ教化もできないとなれば、現地語を覚えて溶け込むしかないけど、
そんなんで日本式な国など作れるのだろうか?そもそも、年取って現地人に混ざり合って、土着化してしまうのでは?
義経王国のラインが駄目とすれば、喜望峰周り航路で北米フェニキア文明から銃器伝来しかないけど、
戦国終結(1600?)の時点ではまだ東南アジア交易ルートが完成してないのだよね?
つか、銃器もなしでは、いかに信長のような才質の男が現れても、戦国終わらないのでは?
秀吉だの家康以前に史実での毛利程度が群雄割拠する小ヨーロッパの状態になるんでは?
387 :
世界@名無史さん:2005/07/27(水) 00:01:49 0
そんな小さい島国でろくな武力もなく小競り合いしてるような連中が、たとえ後々連合を組んだところで、
中華のある王朝を存続させたり、あるいは邪魔をしたりするような影響力を持てるとは考えにくい
そういう可能性は、まだ世界交易路開拓後の東南アジア国家のほうが目があるのでは。
というか、鄭和艦隊が北米布教団と接触し、強力な統一国家としては世界に先駆けて新世界の存在を「発見」した
という設定で、かつそれが中華文明に影響を与えて鄭和時代からの重商政策が継続するという設定ならば、
そもそも明は満州族なんぞに付け入る隙を与えるような疲弊などしないのではないか。
というかここでもやっぱり日本なんだけど、銃器伝来がなくて統一もできないとなれば、
朝鮮出兵も当然ないだろうし、そうとなればもはや明崩壊の致命傷だった日明戦争もないわけで、
もはや明が衰退するというケースが想像すらできない
というかというかというか
ほかは結構納得いく内容なのに、なんで日本だけこんなトンデモ展開なの・・・?
別に反日思想なんて持っちゃいないけど、それにしてもこれはあんまり・・・日本の部分だけ考察一切なしの素人の仮想戦記みたいだ・・・
388 :
朱由檢:2005/07/27(水) 00:02:03 0
>>386さん
鉄砲を伝来したとされるのは、新大陸に行ったスペインじゃなくって、
インド方面に進出したポルトガルだから伝来する可能性はあるよ。
日本に伝来した鉄砲の起源をインドからとする説もあるわけだし。
389 :
朱由檢:2005/07/27(水) 00:03:28 0
それから弁慶は実在自体疑問視されてるんだけどね。
>>386-387 日本関連はもとより、旧大陸との接触あたりも問題視されてはいるんですが…、
初期の鉄砲は言われているほどの「画期的兵器」ではない、という説もあったりします。
ニカラグアやメシカあたりで火薬利用が発明される流れも無いではないですし。
扶桑国も、義経主従以外にも漂流者の補充は有り得るでしょう。
(まあ、扶桑国の「名家」で留まる可能性も高いでしょうが)
また、今までの流れでは太平洋を越えての
扶桑国=日本の直接接触は江戸時代もかなり過ぎてからです。
>>387 いちゃもんつけるのではなく、代案を考えてくれるなら大歓迎。
「西欧が新大陸を侵略できなかった余波で、ポルトガルからの日本への鉄砲
伝来はなくなった(あるいは大幅に遅くなった)。
それにより統一が遥かに遅れた日本。さらに、その余波によって明の弱体化
が進まなかった世界」
考察を進めていけば、十分面白いネタになりそげですね。
392 :
世界@名無史さん:2005/07/27(水) 01:26:41 0
新大陸発見の原動力がない場合のポルトガルで、東方への大航海なんぞにお金はでないのでは?
どころか、西欧世界自体がそんなことやってる余裕がないような。
弁慶が存在しないとなれば、完全に武士のみの集団で、ますます教化の能力が低いということに。
鉄砲は十分に画期的兵器だと思いますよ、織田が使うという条件においては。
とにかく頭数を揃えてすぐさま使い物になる軍隊にできますから、鉄砲があれば。
義経以外の漂着者、可能性はないのでは?西海岸には、そのままインディオの文明が残ってた設定なのですよね、
義経らがいくまでは。ということは、日本は少なくとも戦国期まで史実どおりの道を歩むということで、
史実で日本から新大陸への渡来者がいない以上、このIFでもやはりいないのでは?
とここまで書いて気づいたんですが、なんでむずむずするかわかったですよ。
暗黒大陸や中華や西洋世界はすべて、フェニキアが米大陸で高度文明を築いていたらという
前提のもと、その直接的、間接的影響を勘案に入れてのIFなのに、
なぜ日本に限ってはフェニキアどうたら関係なく突然義経が米大陸に渡ってみたり、
都合のいいところだけ史実どおりに進んでしまったりするのか?というところが引っかかりました
もうちょい厳しい見方で行ってもいいような気がします
代案らしきものは上で書いたとおり
>>385 チョクトー族の一番の英雄ならプシュマタハかな。ところでチョクトーは南部(ミシシッピ)部族ですよ。
394 :
世界@名無史さん:2005/07/27(水) 11:26:11 0
じゃあプシュマタハはメスシピ朝の大帝とか名将とかでどうだろう
395 :
忠邦:2005/07/27(水) 20:21:33 0
>>386/387/392
いやいやご指摘のとおり、日本に関しては大甘な設定ですねww
実は扶桑に関しては漏れの考案じゃないだけになー何とも。
実のところ義経に関しては漏れも同様の疑問符を持ってまして
義経が平家を完全追討し切らず
西国の平家、東海東山の鎌倉政権、奥羽の藤原氏の日本版三国志の時代が
到来して奥羽の国策としての→というのを考えたこともあったのですが・・
鉄砲伝来に関してなのですが、漏れも織豊政権や江戸幕府出現しないという
前提だった(これも漏れ単独のアイデアじゃあないだけに・・・コメントしにくーww)
当初は漏れは室町幕府が神聖ローマ帝国のようにあって
毛利、島津・・伊達あたりが時間差を置きつつ領邦国家を形成し
独自に半島や明にコミットし
漏れもカキコしてるように朝鮮内の政権紛争を煽って分割をそそのかし
3国化するとか
明にも傭兵のような形式で支援行動をとるとか考えてたんですが
そうなるとIFの上にIFを積み重ねるようでしてww
396 :
忠邦:2005/07/27(水) 20:24:38 0
島国化した神聖ローマ帝国
半島化したヴァロアカペー朝フランス
中華思想の強く宗教色の無いオスマン帝国
みたいなのが日朝明に当てはまる漏れの本来のイメージなのですよ。
でもそんなストーリーs誰も興味なんて無いでしょ?
ゆえに日本にご都合な設定を強めたんですよww
ずばりいって日本ビイキなのは確かですね
>>395 まあ、漏れもあまり日本びいきがあまりにひどすぎるんで
パワーバランスをとるべく清の北漸とか日本海(東海)経済圏の創出をしたんですけどね。
モデルは北部はプロイセン、南部はスイス、オランダあたりの史実をモデルに。
漏れとしては扶桑は源義経のコミュニティだけじゃ限界があるんで
渤海とか第3次元寇の漂流者とかを考えてました。
>>392 扶桑国の大本の元ネタは、「扶桑国アメリカ説」なので全て荒唐無稽ではないのですが…。
まあ、「再構成」の必要性は否定しません。
>>393-394 「民族の交代」はあってもカホキア文明の担い手はチョクトー族ですので、
できるだけ史実に沿いたいのです。
399 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 00:46:50 0
イーネッ!
400 :
世界@名無史さん:2005/08/09(火) 01:37:20 0
401 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 17:44:11 0
402 :
世界@名無史さん:2005/08/26(金) 03:42:05 0
ただあげるだけじゃなくてなんでもいいからネタふれ。
ほんのちょっと疑問出したりするだけでもスレは回転するもんだ。
てわけで疑問。
・11世紀頃から小氷河期が再来したあとのヴィンランドと北欧に交易関係は続いていたか
・ヴィンランドが持ち込んだ疫病はどの程度の被害を出したのか。
史実からすると1000人中999人が死ぬような惨事になりかねないが。
>>403 ・交易
今までの流れではそのまま断絶・広汎に知られた後に再開…だったかと。
・疾病
そこまで酷くは無いような…。
405 :
世界@名無史さん:2005/08/30(火) 07:49:55 O
疫病そのものは大したことなくても
それを受ける国が北欧ではやばい
北欧が受けるんじゃなくて北欧が持ち込むんでしょ。
昨日このスレ発見して、前スレ(2の方)を読めなくて、質問するんだけど…
あ〜〜、その前にまず断っとく。まず私は高卒でプログラム関係の仕事についてて、歴史はさっぱり
だから、空気も読めてないだろうしおかしな質問だと思う。
(だったら黙っとけって云う悲しい突っ込みはしないで欲しい)
16世紀前半からヨーロッパでは戦乱が続いて弱体化するって書いてあるんだけれども
1.新大陸の富の無いヨーロッパで傭兵主体の戦乱が続けられるのか?
1に対する仮定
大規模長期戦ではなく、同規模程度の国同士の小競り合いが続いてる。
となると、弾の当たらない戦争は進化するとの言葉通り、ヨーロッパでは戦闘技術及びそれに付随する各種技術力の向上が見込まれる
でも、文明を発展させるほどの貴金属(貨幣)がヨーロッパには存在しない(新大陸から取れないため)
結局、弱体化する前にヴェストファーレン条約の『様な物』ができて手打ちって感じじゃないかと…
で、手打ちになって目を外に向ける(16世紀中ごろ?)
そして、史実よりも勢いの弱まった大航海時代の開始?(当時のキリスト教の排他的な考えからしてオスマンがあって、ヨーロッパにアジアの富を求める欲求がある限り否定する要素はなさそうに見える)
408 :
407:2005/09/05(月) 12:52:28 0
続き
しかし、史実のように植民地に出来る地域も存在せず、コチラから売る物も無い為海賊化?
高炉がスウェーデンに以前からあり鉄を輸出産物にするとか…琥珀とか…時計とか…
つまり、史実とは違って北欧からの大航海時代?
で、具体的に売る物が鉄しかないので、ブリテン島では木炭取る為に森林破壊→牧畜って流れ?
でも、新大陸でも同じように鉄が大量に作れるから儲けが少ない。やはり海賊化?
船を作る材料には北欧は困らないから、やはり海に出て行くと思う…
409 :
407:2005/09/05(月) 13:00:13 0
2.日本の海外進出
豊臣がおんだされて、海外に殖民できるのか食糧生産の観点から疑問。
日本の人口は確か江戸中期ぐらいから約3000万で固定。
一説には日本列島がそれ以上の人口を養えないと言う意見もあり。
つまりこれ以降は外に大規模移民しようとすると列島全域を巻き込んだ飢饉が史実よりも頻繁に起こると思われる
まぁ、殖民先で米作が出来るまでの話だとは思うけれども
日本が海外に出る時期としては
・戦国末期の金銀大増産と安土桃山の新田開発以降で人口がそれに釣られて飽和するまでの期間
がベストではないかと…
つまり、豊臣が政権を握っているうちに(もし南下するなら)文禄・慶長の役を南下政策にするぐらいしか大規模な移民は出来ないかと…
スレ汚しスマソ
410 :
忠邦:2005/09/05(月) 20:28:25 0
どうもです。
私めがお答えします。
欧州で戦乱が続いたとは誤解があるかと・・
私めとしては
>>71−76あたりで説明したとおり
直訳すれば
"欧州が暗黒時代を克服できなかった”という感じでおります。
戦乱というよりは排他的なカソリックイデオロギーに順じない
異端(つまり発展への芽生えや知識)が排斥される混乱
程度に考えてますが・・その仮定で
行われる暴動やら魔女狩り異端審問のハードなの・・
そういったイメージです。
411 :
忠邦:2005/09/05(月) 20:43:40 0
ついで408についてですが
欧州は文物が無いので交易に参加しないんじゃなく
排他的なカソリックイデオロギーを背景にした
バチカン&ハプスブルグがなまじ人材をスポイルした結果として
新規の気風をもった人材はアフリカやオスマンや北欧に流出
してしまう。
つまり大陸欧州の気風が内向的になるとイメージしたのです。
日本の戦国事態と似てる罠
そして説明したとおりなんやかんやで欧州の脇で
イスラムや新大陸との交易があり異端狩り&海賊行為で
交易の利を略奪したりする海の十字軍みたいなのやらかすので
大航海するまでも無い・・近海をうろつく行為にとどまるのです。
このへんは倭寇みたいな・・・
それと説明不足ですが北欧とかポーランドにはアジアの物産は
流れてるんです。
なぜに大陸欧州にわたらないかというと
昨今のアフリカや中東をイメージしてもらえれば近いですかね・・
海外と交易したかろうと余裕が無い&商売のノウハウがない&
肝心な仲買人がいないつまりフェニキアもユダヤも排斥してる制で
海外と対等に渡り合える人材が皆無しかも
国家は国策として交易の利よりもカソリックのイデオロギーを優先させる
風潮でありますんで・・
412 :
忠邦:2005/09/05(月) 21:07:31 0
それとラストに日本ですが・・当然矛盾だらけっすよね・・
日本は特に矛盾てんこもりですが
みんなの知恵の寄せ集めですんで矛盾してもなんとかつじつまあわせ
しないといけないww
私も江戸幕府継続反対したのでこれにかんしては・・困ったのですww
鉄砲に関しては伝来したのがポルトガル人だというのが大嘘であり
史実では華僑やイスラムのネットで十分可能な代物である点、
フェニキアとかアフリカの変化を考慮して兵器としての鉄砲や大砲の
登場はあえてまんまとしますた。
あと当然ながら織田信長の天下統一から豊臣秀吉の登場には
問題点がありますw
実は、この世界では秀吉の九州征伐は失敗してますww(2には書いてないw)
細かく書きたいんだがスレチガイなので(汗
結局妥協が成立するんですがw
ゆえに島津が徳川並の存在として九州に居残ってます。
それこそが後に筑紫独立の遠因となるんですがww
島津と徳川という別格を抱えたことが文禄慶長の役の理由となるんですが
文禄慶長の役も失敗はしてません。ある程度成果をあげて成功してます。
413 :
忠邦:2005/09/05(月) 21:36:34 0
が海外に手広く伸びすぎ国内に人材が枯渇したことが
政権の弱体化を招いてしまいます。
関が原の起こった理由も変化してます。それは
149や234−236にあるように
関白秀次VS豊臣秀頼派の内戦です。
史実では豊臣系勢力は徳川の手で西国に転封され
なしくずしに徳川の臣下となりますが・・
ここでは秀吉から続く豊臣家の意思で海外に
根付いていってます。
例えば三成は寧波に秀家は高山に駐留し
加藤清正は全羅道に駐留したり・・・・
これらは家康には手付かずで残ってますww
家康は幼少の秀頼の代理として将軍になり幕府を開きますが
大問題が出ます。
日本の境界であります。
古来より天皇を祭司王としていただく同一民族国家が始めて
国境を意識せざる得ないんです。
414 :
忠邦:2005/09/05(月) 21:38:17 0
ここに大阪の陣を起こす理由が生じます。
秀頼が(史実と違い)朝廷の官位を受けない・・それは
海外における異民族統治を抱えた過程で豊臣が朝廷
の下の関白から自立した豊臣王権を意識し、
海外において密着した存在になりつつあるキリスト教の法王ないし
東洋のローマ皇帝としての役割を豊臣に期待させ・・
つまりここでは豊臣がキリスト教王権として朝廷の権威に挑戦的な
ものとなってしまいつつある。
朝廷の熱心な後押しでの徳川の大阪の陣未遂そして高山国移動となります。
この経緯で海外に目を向け徳川と一線を画して関が原でも九州の確保に専念して
いた島津が九州を徳川幕府の枠外にある筑紫として独立させる状況になります。
この過程で北米アラスカから日本そして朝鮮、台湾から江南にいたるエリア
が西欧化というか西欧的な諸国家のせめぎあいの場となるのであります。
矛盾してるか分かりにくくなったかもしれないですが(−人−)メンゴです。
2スレ目、もうちょと上げるの待っててくださいな。
そして流れの再編問題ですが。
アメリカでの中世・欧州との接触関連を明瞭化・仕切り直しが必須ですので、
それに付随して欧州・アジアも変動は見込めるわけでして…。
もちろん、イスラム・ロシア、豊家高山国、三国化朝鮮等々を活用するのは言うまでもないですが。
416 :
407:2005/09/06(火) 15:59:48 0
お答えありがとうございます。
イロイロwikipediaで調べてみたのですが…
・ニカラグア教の布教団が喜望峰へ漂着とありますが…
海流と貿易風(偏東風)の関係からアフリカ大陸の西端(セネガル・モーリタニア付近)
ギニア湾岸辺りが限界ではないかと…
で、ポル・スペのレコンキスタ完了やエンリケ航海王子の西アフリカ探索に新大陸勢が介入しているようには見えなかったので
(つまり、その時点まで旧大陸はそのままの歴史をたどると考えた)
で、15世紀中盤、エンリケ王子とニカラグア教団の邂逅(場所はニカラグア教団の拠点の場所によると思う)
そして、レコンキスタ後の布教先の拡大とガチ合う…
その時、ポル・スペ(とカトリック)、ニカラグア教団の動き(+おそらく貿易目的で付いて来るカリブ=フェニキア人)がどうなるのか?
…どうなるんでしょ?
>>416 ええ、そのあたりが「どうなるんでしょ?」の主なところです。
15世紀初期にアメリカ側からの接触…、
とするにしてもニカラグア教の流れやその頃の南米・北米の状況あたりが未決事項なんですよ…。
418 :
407:2005/09/16(金) 23:15:24 0
ほっしゅついでにカキコ
未決?未定?
ウホッ!
では、私が考えた妄想も含まれる可能性もありということでFA?
個人的には西欧勢と新大陸勢がアフリカ東岸辺りで接触。
当初は交易などを行うも、御互いに布教活動(キリスト教とニカラグア教)が足かせとなり開戦
って流れかなぁと妄想してみたり…
419 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 00:11:17 0
中米
>>418 はい。
突っ込ませてはいただきますが。
ただ、いきなり開戦とはならないのでは。
まずはどちらも拠点づくりからのため、交易競争かと。
421 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 06:21:13 O
だから、宗教対立が起こってから開戦なんだから
「いきなり」ではないのでは?
当然その前段階では公益競争を終えている前提でしょう
つか、開戦となった場合は新世界側の艦隊がよほど圧倒的でない限り
(それこそ史実の幕末レベルで)
地の理が絶望的すぎて新世界側には勝ちの目が全くないような・・・
距離的に兵たんは完全に旧世界優勢なうえ、立地的にアフリカを背にして防衛線まで張れてしまう
422 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 15:28:45 0
お?無くなったのかと思ったのに、続いていた!
で、407さん、2012年12月25日さん(でしたっけ?)以来、実はアメリ
カ大陸の語り部っていないはず。がっちり、入りこめますよ^^
423 :
忠邦:2005/09/29(木) 21:10:35 0
>>422 漏れも一時語り部だったんだよー(泣
そして
>>418>>421ついでにとてたさん
このころのアフリカやイスラムを甘く見すぎでヨーロッパを高く評価しすぎでは?
少なくとも一部のアフリカ王国はヨーロッパよりも栄えてたし
世界交易のメインはイスラム商人だよ。
彼らが国のヒモ付きでないとしても
少なくとも当時のイスラムはヨーロッパよりは世界への視野は広く
アフリカはヨーロッパをしのぐと評されたマリ帝国やらモノポタパだとかあるし
424 :
忠邦:2005/09/29(木) 21:16:09 0
北アフリカからの陸路だとかはイスラムの勢力圏であることを考慮すれば、
ヨーロッパとの交易競争は起こりうるにしても、
戦争でもおこればヨーロッパ有利だが圧倒的ではないって関係でしょ。
漏れもスレ2で書かせていただいたが
フェニキアVSヨーロッパVSイスラムという合従連衡の"大西洋の三竦み"
に陥ると考えたんですよ。
425 :
忠邦:2005/09/29(木) 21:27:35 0
こういう"大西洋の三竦み"に陥って一番不利なのは
ヨーロッパなのは自明だと思うのですが・・別に宗教的制約じゃなく
>>421地理的に一番不利なのはフェニキアじゃなくヨーロッパ
ヨーロッパの大半は地中海をメインと考えていた時代
ようやっと大西洋に目を向けたのはポルトガルやイスパニアが
やっとイスラム商人や華僑の交易ルートでアフリカ迂回した航路を
発見した時代、アフリカ沿岸の陣取り合戦では決して不利ではない。
ヨーロッパがこぞって打倒フェニキアに立つには、そうやすやす
利害が一致しないんで、たとえ戦争になっても他のヨーロッパ諸国と
組んで背後から攪乱だとか可能ですしね。
426 :
忠邦:2005/09/29(木) 21:39:16 0
イスラムはアフロユーラシア大交易圏をバックにし
フェニキアは新大陸の物産というバックを抱えている
しかし欧州には何にも無いわけじゃないが見劣りするくらい貧弱w
なんですよね実際・・
おもわぬ長文失礼です。407さん。漏れ的には一言申しますと
交易競争以前に
フェニキアを交易と相手として欧州に、それも自国の沿岸に呼び込みたいポルトガルと
イスパニアそして他のネーデルランドとかの足の引っ張り合いがありえるわけですし
ヨーロッパを仲買としない交易を望むイスラムや非欧州商人の要望もありえるわけですし
結構フェニキアの買い手市場だと思えます。
その過程でアフリカへのフェニキアの拠点作りは結構アフリカやらの望むところで
その妨害工作として欧州との諍いは考えられます。
こうなるとアフリカでも何がしかの変化はあるかもですし・・
ヨーロッパでもフェニキアとの交易を破綻させることで利をえる勢力もあり
(大西洋に面しないか地理的に不利な地中海の内側やフランスを考えれば)
新大陸と欧州の戦争というより欧州の内輪もめに新大陸勢が巻き込まれ
な戦になりそうな気がします。
427 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 04:52:29 O
欧州が一枚岩ではないように、フェニキアもやはりまとまってはいないのでは?
フェニキアが旧世界への布教を考えた場合、曲がりなりにもイスラームの聖人イエスが創始した
キリスト教と、全くの異端であるフェニキア宗教を秤にかけて、
フェニキアに少しでも利するような選択をイスラームがするとは少々考えづらくはありませんか?
おそらくイスラームの立場としては欧州を使ってフェニキア牽制か、害がない限り中立というところかと
ていうかいきなり賑わってて驚愕
428 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 05:19:32 O
ついでにいうと、昨日は「フェニキアが圧倒的艦隊をー」とは書いたのですが、
フェニキアは火薬の概念を知りませんので、大砲がない、つまり艦隊戦力そのものが欧州勢に劣ることを
考えあわせれば、アフリカに覆い被さるような海域が確保できる欧州と、
イスラームにとって完全に邪教勢力でしかないため睨まれざる得ないフェニキア、
つまりは進入ルートが限定されるフェニキアと、自在に喜望峰へまでもゆける欧州の差がある以上、
フェニキアが旧世界に足場を築くこと自体が相当な難事業
429 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 13:26:55 O
それに欧州はアジアと海洋ルートで繋がってるし、もし信長や政宗の戦術を取り入れたらどうなるんだろ。銀や硝石はアジアから手に入るし…
430 :
忠邦:2005/09/30(金) 18:31:41 0
>>427 >>フェニキアもやはりまとまってはいないのでは?
そうでふね−その辺は妥当なところでしょう。
ただ欧州同様旧世界くんだりまでやってくる香具師は少数派なので
フェニキアの勢力関係が絡んでくるのは後々のことになるでせう。
>>曲がりなりにもイスラームの聖人イエスが創始した
>>キリスト教と、全くの異端であるフェニキア宗教を秤にかけて、
この辺が、問題なんですが・・イスラムはそこまで排他的ではない。
ただ偶像崇拝を極端に嫌う傾向があるので、その辺は問題ですが
そんなこといってたらインドはどうなる?って具合で
世俗の利益で容易にフェニキアとイスラムの妥協は成り立つと思われです。
少なくともキリスト教に肩入れはありえないと断言できます。
なんせ十字軍以来の緊張関係、キリスト教徒には寛容さを見せても
欧州に肩入れするメリットとフェニキアとの交易重視を秤にかければ
後者を選択する公算が高いかと思われです。
431 :
忠邦:2005/09/30(金) 19:01:48 0
>>フェニキアは火薬の概念を知りませんので、大砲がない、つまり艦隊戦力そのものが欧州勢に劣ることを
この辺については考慮の余地もあろうかと思いますが、別段欧州とフェニキアが直接接触する以前に
間接的に手にした可能性もあります。
ヴィンランド−北欧のルートはあるわけですからね。
>>アフリカに覆い被さるような海域が確保できる欧州
確かにポルトガルとかが西アフリカ沿岸を抑える可能性は高いですww
・・がポルトガル以外にそこまで乗り出す国は他にあったか?
という点です。史実ですら、そこに乗り出したのはポルトガルとイスパニア
がやっとこさの時点(として)にそこまでやろうという国は、まだないと思われ
なのです。
432 :
忠邦:2005/09/30(金) 19:11:05 0
加えて言うと
ここで重要な点はイスパニアもポルトガルも新大陸は手に出来ないのです。
新大陸の銀を手にしてすら破産を3度もやらかしたイスパニアとか考えても
到底史実のように国や教会までかりだして海外に進出して
どうこうしようとう財政的裏づけも布教への情熱を煽る処女地も無いのです。
インドとか香料の富を直接確保するためということでしたら、
史実の日本レベルの個人的な冒険家や商人の散発的な
国の軍事のバックの無い日本人町レベルのコロニーに留まるでしょう。
国や教会まで乗り出せたのは新大陸の富という点も大きく
その成功体験が他の欧州諸国を刺激した点もあろうかと思うのです。
そういったのは皆無なのですから、到底大航海時代のノリで欧州を考える
わけにはいかないと愚考します。
どう考えてもイスラム(中東)−キリスト教(欧州)が対フェニキア
で結びつくのは無理でしょう。他日登場するカール5世のハプスブルグ帝国に
オスマン=フランス同盟がでたりしますが、フェニキアはハプスブルグのような
即効での目先の脅威として認識されにくいでしょうから。
同様に欧州がフェニキアに先んじてアフリカを沿岸を確保するも、
安土桃山の時代の日本の東南アジアでの日本人町のようなものになるのでは?
と思われ、そう考えるとアフリカが欧州の独壇場になるという前提は、はずして
東南アジアでの日本と欧州のような関係になると
予測しますた。
433 :
忠邦:2005/09/30(金) 19:22:27 0
アフリカに日本人町的なイベリアのコロニーはできるがそれは、フェニキアやアフリカの波や
の波に飲まれ埋没していく。
ただそれじゃつまんないのでwwその過程で
異文化同士のダイナミックな接触、欧州から追い出された近代の息吹。ルネッサンスへの情熱は
このあたりに伝播するというご都合なネタをふったところ・・
思いがけない展開になったんですがww
434 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 22:36:47 O
んーやっぱり、一番、それもダントツで可能性が高いのは「中立」でしょうね
ただ、条件的にフェニキアはイスラームに中立を守られてしまうと
完全にチャンスが潰えてしまいますので、(協力を得られないまでも、キリスト教勢力の牽制は必要条件)
いかに強欲なイスラム貴族をモノで釣るかということになってきますが・・・
新大陸の物産で、かつ新大陸でなければ取れないもしくは著しく価値のさがるものって
なんでしょうか・・・煙草くらいしか思いつかないですが
煙草も即効性の魅力がある交易品とはいえませんし、金や銀はそうそう吐き出さないだろうし
その他の鉱物資源なら欧州でも充分取れてしまいます
435 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 23:13:18 0
頼まれもしないのにオスマン帝国が欧州侵攻と地中海確保に走る。
欧州は一枚岩ではなく、例えばポルトガルがフェニキア追い落としを
図ろうと利害の無い国が協力するわけは無い。
へたすりゃカソリック教会がフェニキアと協定結んでしまう状況すら
複雑怪奇な欧州情勢からすれば・・
そしてアフリカに全兵力を一致して派兵するなんぞありえない。
以上の点から別に積極的協力でなくとも消極的協力(中立)でも
十分だとは思う。
強欲なイスラム貴族の場合欧州でもどこでも良いってスタンスだろうから
その分逆に欧州に肩入れもありえんだろうが、まあお好きにどうぞって
感じだろうか?
436 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 23:54:35 O
基本的にムスリムは神より現世利益優先の人々だから、
十字軍も偶像崇拝の邪教も金の前では問題にしないと思う
特に中世イスラムなんて欧州より極端な貴族支配体制だし、
一握りの支配者さえ懐が過熱すればオールオッケーインシアラー
というわけで、どちらがより大きな利益提供できるかですな
物産こそそれなりに豊かだが輸送の大問題があるフェニキアも
物産は鼻くそだが細かいフットワークで交易できる欧州
いずれも一長一短ありますな
437 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 00:11:54 O
ヨーロッパが一枚岩じゃないのは確かだけど、
新たな異教徒が現れてしかもそいつらが
キリスト世界の利益に痛撃を与えられるほど
力がありなんてなったらフェニキア向け十字軍が
結成されるだけじゃないの?例によって法王が煽って
何も恒常的同盟結ぶわけじゃなし、
フェニキアを追い落とす期間程度合致した例は
たくさんあるっしょ。
438 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 00:14:27 O
フェニキアを追い出したあと、調子に乗って新大陸に
略奪ち出かけてボコボコにされ、以降
大西洋を挟んで膠着状態くらいが妥当?
>>386 亀レスながら調べてみたら:
源義経一行が平泉を生きて脱出したとする史書のひとつ「奥州南部封域志」では
名前が分かっている者で18名(女性含む)とのこと。
船頭・馬方など無名の人員を伴っていたとしても二十名前後と思われ。
前途多難だわ、これじゃあ。
440 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 18:05:42 0
>>436-438 そうなると、ますます欧州は(対外的には)戦国末期の日本のような
展開になりそうだな・・
@宗教政策
対キリシタン弾圧 = 対フェニキア弾圧
A侵略対象
大明・朝鮮征伐 = 新大陸征伐
B侵略の結果
失敗して国内の分裂内戦= 失敗して内部分裂
そして・・・
侵略に懲りて海外への興味を失い鎖国へ
=海外遠征に疲弊して海外への関心を低下させる。
C民間レベルの海外進出
東南アジアへの日本人町=西アフリカ沿岸への都市国家
(いずれも国家のバックアップは望めず散発的)
てな具合に・・
441 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 19:19:13 O
フェニキアも同様に対欧戦のトラウマから活力を失い、
そしてアジアは元々外への関心が薄い地域
えーとつまりこの世界での近代化は史実より
数百年単位で遅れるってことだすか
442 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 21:19:18 0
13世紀のモンゴル・イスラム・西欧の外交戦争が参考になるかも。
背景的に似ている気がする。
宗教話題で一つほど。
前スレから登場してこない座教とパナマ信教はその後どうなったのだろう。
パナマ信教・・・イスラム教を彷彿とさせる厳格な宗教だったようだが、ボアコの聖戦以来廃れてしまったのかな。
座 教・・・・・・衰微するとは思えないが、メスシピの国教になっている設定でしたっけね。
仏教を思わせる教義だが、布教のほうは熱心だったのかな。
南米はおおむね史実どおりでしたっけね。
444 :
世界@名無史さん:2005/10/02(日) 01:16:35 0
おれレゲエ好きなんで、
こういう帝国登場したら萌える
エチオピア帝国
国教 ラスタファリアン教
解けないゲームに現実逃避をしている内に進んでいたり…。
>>423 >ヨーロッパを高く評価しすぎでは?
えー、そんなつもりは無かったのですが…。
オセアニア関係の資料の読みすぎの所為かしら。
>>428 南米では既に硝石の利用があるので、「火薬」ぐらいは知っていてもよいような…。
実用化は難しいかもしれませんが。
>>434 当座の交易品目としては、
アメリカ側はタバコの他にカカオ、貴金属・宝石、海産物(ニシン)、綿織物、
欧州側は毛織物やガラス製品あたりになるかと。
>>435 そのあたりの成り行きは「接触年代」によるのかもしれませんね…。
>>441 いえ、どちらかといえば世界各地に「近代発展」散らばる感じです。
>>443 僕は信仰ネタを調べてドツボになってたりしますが…。
446 :
世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:51:36 O
世界規模の富の集中もなしに近代化は難しいよー・・・
市民レベルが生活的にも学問的にも向上しないから、
文明が中世段階で足踏みしてしまう
まとめスレッド2スレ目、待ってました!
とてたさん、ご苦労さまでした。
449 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 17:50:10 O
一地域の繁栄のために他地域が割を食うのはよくないってのは確かにそうだけど
そんなモラルの話を持ち出すなら、近代化が遅れることでさらに数百年延びるであろう
搾取体制とそれにより虐げられる貧民階級の苦しみはどーするの
つうか今の先進国ってみんなアレなわけだが。
451 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 20:33:20 0
あれって?
452 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 20:58:59 0
話題がそれてるぞw
マルクスだったかウェーバーだったか、奴隷労働力や新大陸の膨大な銀資本を
集中投下できたのが西欧社会の躍進の理由だといったのは。
453 :
世界@名無史さん:2005/10/17(月) 21:00:04 0
産業社会化には「離陸」と呼ばれるステップが必要なんだと。
資本の蓄積を可能とする社会構造やイデオロギー、安定した政治、人口とかいろいろなポイントがあったと思うが・・・
>>448 いえいえ。
三色分類で個別の歴史もあげていくつもりです…。
>>449 近代以前の「搾取」は近代でのそれよりはマシですし。
>>452の理由もあっての予想です。
>>453 とりあえず、多数の地域で同時期に…起るかしら。
455 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 13:56:58 O
むしろ無理にみんな近代化とか考えなくても
近代化が文明の絶対条件てわけでもないし・・・
永野護のFSSみたいに、国ごとに文化形態やレベルが
てんでばらばらで兵器開発技術だけが共有されてる
世界なんてのも面白い
456 :
407:2005/10/18(火) 17:42:12 0
久々に覗いてみれば、盛況で何より…
って、ふと思ったのですが、新大陸勢が旧大陸に干渉できるのって、新大陸勢が旧大陸に姿を現してからだと思うのですよ。
で、問題なのはその時期で、例えば16世紀末期、17世紀初頭とエンリケ航海王子が生まれる前とでは結果が全く違ってくるのは自明で
まず、いつぐらいに、新大陸勢が何処に来るのかで変ってくると思うのですよ。
まぁ、コロンブス以前に新大陸勢が旧大陸に乗り込むとは思うのですが…
この頃になると1年単位で考えないと結構大きくずれる様な…
まず何年に何処に新大陸勢が旧大陸に上陸したかを考えた方が突破口になるのでは?
ロストウによる産業化社会「離陸」の条件
1.生産的投資率が国民所得または純生産の10%以上
2.十分な力をもつ製造業部門が高い成長率を以って成長
3.近代部門の拡張衝動と「離陸」による経済効果を利用して
成長に前進的性格を与えるような政治的・社会的・制度的枠組み
1と2の先行条件として交通革命と農業革命が必要、強力な中央政府が望ましい。
利潤動機に富みそれを正当視する新しいエリート層とナショナリズムの高揚が重要な役割を演じる。
産業社会化の阻害要因
1.個人の労働・貯蓄・投資を抑制し、有能な人材の供給を排除しがちな拡大家族制度
2.伝統的な社会的身分に基づく階級構造
3.経済的利益とその増進に無関係な「地位」と「義務」を強調し、科学技術の革新に敵対する宗教・倫理
4.個人の人権と所有権を否定し、契約の履行を軽視する伝統的慣習と社会規範
5.強力な民族国家の成立を妨げる分裂集団
メスシピ王朝に石炭と蒸気船が入ればいちばん簡単な気がする。
同時に諸地域ではどうだろうか・・・民族国家概念はなくてもなんとかならないかな。
>>456 とりあえず前スレでは、
ニカラグア教団の船団がアフリカで遭遇(14世紀初期)…となっていますが、
歴史構築上、ニカラグア教団そのものがかなり難儀な代物だったりします。
>>457 「蒸気機関をどこが開発できるか」になると思いますが(前スレではマレガ)、
アメリカ圏ではメスシピが一早く産業革命できるかと。
>>458 しりとりスレから参上したよ。
「イロコイ」は、アルゴンキン語のイリナコイウ(ガラガラ蛇)と古フランス語が合わさって
「怖ろしい人たち」となったものと言われてます。それで「古フランス語」としといたんだけどね。
次にまたしりとりが回ってきたら付け加えとこう。
「ケンタッキー」も、チェロキー語で「暗い血まみれの大地」の意ですが、
イロコイ語で「明日の大地」の意だという向きもあります。
「イロコイ連邦」そのものは、彼らは「フーデノサウニー=Haudenosaunee」(ロングハウスの人々)と
自称してますよ。
460 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 21:37:46 0
フェニキア人の歴史人物名に流用できそうな名前をリストアップ。
適当に新世界風改変してください。
ハンニバル
ハスドルバル
マーゴ(マゴーネ)
ハンノ
ハンノバルス
ボミルカル
ムティネス
マルハルバル
ギスコ
ハンノン
マトー
アゲノル
ティロス
シュカイオス
ディド(女名)
イザバール(女名)
>>459 「イロコイ」は合成語なわけですか。
「フーデノサウニー」は五大湖地域の国家名として使えそう…。
>>460 ありがとうございます。
…新世界風改変はまた「大変」ですので、そのまま使うしかないような。
462 :
:2005/11/09(水) 02:35:10 0
463 :
世界@名無史さん:2005/11/20(日) 00:22:58 0
464 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 03:34:38 0
もう動かないのかなあ・・・
いかんせん情報量が多すぎて把握できてる人間じゃないと動かせない
どっか間違えたまま動かすとその修正がまた膨大なものになるし
466 :
忠邦:2005/12/03(土) 19:00:02 0
>>464 再び展開してもいいのですが、当然漏れがするだけに・・
漏れの偏った意見だけで動くことになります。
前スレのラストでカト―(漏れの前コテ名)という苦情を
いただいてから、漏れは時分だけで積極的には関わるのを辞めたんですが
希望される方が多いようであれば、再び始めます。
どれだけやってくれって方がいらっしゃるか・・ww
>>465 当然漏れはたいていの流れは把握しております。
467 :
長後:2005/12/04(日) 01:38:16 0
電車男みたいに、このスレもどっかで本になって、一気にブームになったり
して。これってそれだけの面白さを持っていると思うぞ。
>>466 ぜひとも書いてくれ。停滞しているよりも、遥かによいぞ。
468 :
スーパー仁くん:2005/12/04(日) 02:07:57 0
実は私、15世紀後半にユーラシア世界は未曾有の伝染病で
人口が20分の1程度に激減しているという、新たなシナリオを構築しているんですけどね。
そんでもって、文明の隆盛で凄まじい人口爆発が起こった南北アメリカのある帝国が
ユーラシア世界に植民地を求めて、大航海時代に到達し、産業革命に達するという展開です。
私が妄想歴史を書いてみてもいいですか?
えらそうに
>>466 「前の続き」の方が纏める身としてはありがたかったりします。
>>467 そこまでいくかしら…。
お前にだけは言われたくないな。
(´_ゝ`)プッ
立った!とてたスレが立った!
>>428 >フェニキアは火薬の概念を知りませんので
新大陸の火器は13世紀末にはすでにメソアメリカで実用化されていたんですよね?
(
>>10「ボアコの聖戦」で登場。発明された年代はさらに前かと)
大砲を搭載した軍船、という発想は新大陸でも独自に考案できそうですが、旧大陸の砲艦と拮抗できるかな。
(旧大陸と往来のあったヴィンランドを除けば)旧大陸と初の本格接触が始まった15世紀前半までに
新大陸の軍事技術がどれほど発展していたか興味深いところ。
イマイチですね。
>>478 その件は「黄色」だったりしますが。
「火砲」までは行かないかな…とも思いますので。
(投擲弾レベル?)
481 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:06:17 0
それでは
>>467カキコしまつ。
>>472そのつもりです。
【離散する近代】
夜が来て昼が訪れ、そしてまた夜になる。
それと同じく人の世にも昼と夜がある。
だが欧州は夜があけることがなかった。
白夜という日の落ちない時節が北の地にあるというが欧州に
訪れたのは闇の昼であった。
多くの人士が欧州の深き闇の帳から逃れ、アフリカへと
その場を移した。
が・・・アフリカは万人にとっての安住の地ではなかった。
マラリア・・悪疫が過酷な気象が大勢の不慣れな人々を拒んだ。
とはいえ全ては無駄ではなかった。
古代のエーゲ海さながらに沿岸に築かれた都市国家の数々は
本来ならイタリーで花開いたかも知れぬ文芸復興を花開かせた。
それは文明という名の太陽を、生まれ故郷ではなく暗黒の大陸
にもたらしたのであった。
また暗黒の大陸に拒まれた大勢は世界の諸地域へと出向いていった。
インド洋に大西洋の東岸に、やがてシナ海や南洋へ・・古代ギリシャを
彷彿とさせるミクロポリスが世界各地に出現した。
こうしたミクロポリスは国家の重圧に支配されることなく自由で希望のある
生活を送り・・そのなかからは新たな知の営みが生まれてくる予感さえあった。
彼らをあるがままに受け入れた地こそが・・・新たな覇者に名を連ねる
そうした予感さえあった。
482 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:07:22 0
【動乱の世紀】
ヨーロッパというタンポポの種が地球という遊星中に散っていくが彼等は
決して安閑たる惰眠を貪っていたわけではなかった。
彼等は中世から近世への生みの苦しみを味わうことになった。
その始まりはまたしても欧州で予兆があった。
【ヴァレンシュタイン・・時代への挑戦状】
一部の史家に欧州の織田信長と形容される人物がでていた。
ヴァレンシュタインである。彼はオスマン帝国という欧州の覇者に抗し
バイエルン独立を示した。
旧神聖ローマ帝国をさすらう傭兵隊長だった彼が、
桶狭間の奇襲を思わせる戦いでオスマンの大軍を凌いで世間の注目を集めたのが
彼の立身の始まりであった。
彼がザクセンの王を称するに至る経緯は、また余談となるが当時の国情が
そうせざるを得ない状況であったことだけは確かであろう。
彼は当初中欧の覇者であるポーランド帝国宰相のリシュリューと関係を持って
カソリック復興を旗印にオスマンを牽制したがザクセンの強大を望まないポーランドの
施政を前に離反を決意した。
ポーランドがカソリックとはいえブノワ(並立教皇)をワルシャワに推戴する国教としての
性格を強め、それをもって豪族層の割拠を抑制する彼らがいまさらローマの本気の解放を
望むわけがなかった。
ポーランドは己が中欧帝国を築く為の防波堤であればよかったのである。
そこでヴァレンシュタインは一転、北海とバルト海の覇者、大スウェーデン帝国の大帝
グスタフ=アドルフに膝を屈し彼の頭越しに領土割譲を決めたポーランドとオスマンに逆らった。
ヴァレンシュタインがグスタフ=アドルフの軍の参戦を受けてポーランドの軍勢を
ポンメルンの戦で破り、背後の憂いをなくした彼が一転、オスマン帝国に対する民衆の
ハノーヴァー蜂起に救援を送り、数年にわたる苦しい戦いの末
マインツの和約でバイエルンを含む多くをオスマンの手からもぎ取った。
483 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:07:59 0
ここでヴァレンシュタインには道が二つあった。イタリアに向かいローマを解放する道
そしてネーデルランドに向う道であった。
後世の史家は「彼(ヴァレンシュタイン)と同じ業績を残した人物を一人上げるとすれば
東方の大国・日本にいる織田信長があげられるだろう・・。」
この文言から彼を織田信長と比較する、それは奇襲戦で名を上げた経緯から安易に結びついたが
それは正確ではないだろう。
日本の織田信長は天下統一を意図したかもしれないが、ヴァレンシュタインは欧州統一など
考えもしなかったはずである。
京都ならぬローマを目指すことなくネーデルランド、ブルゴーニュに歩を進めた事実からも
それは窺える。
彼がここまで広い版図に拡大しえた背景には、彼の軍事的天才もあったかもしれないが
多くは彼が異教徒からの解放者であった事実があげられるであろう。
ここで不可思議な動きがある。イングランドがこれまでの恭順を一転してオスマンに対し宣戦
ドーバー海峡を押し渡ろうとしたことである。
これは老大国たるオスマン帝国ではなく新進の活気溢れるヴァレンシュタインが対岸を抑える
事への不安からこのような挙に出たものと思われる。
ここでのイングランドの略奪や占領はオスマンと現地の双方を疲弊させ、自らも打撃を受けて
撤退するだけに終わったが、これがヴァレンシュタインの手助けするという皮肉な結果となった。
こうしてローマ教皇の権威に頼らない皇帝の帝国の前身となっていく。
484 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:08:53 0
【竜虎の慟哭】
このころ明清周鼎立と朝鮮半島の新渤海、新新羅誕生、古南や高山の成立が
あったのだが、これは説明済みなので、時代を降って
南明で、東アジアを揺るがす地殻変動が起こっている。
“通天門の政変”である。南明は皇帝権力が弱体で国や庶民経済が強いという、従来の中華文明と
比較して異質なものであったが、有能でそれゆえに伝統的な皇帝権力の復活に意欲が
あった若き皇帝即位で、豪商や各地の諸侯の支持を受けて調整としての中央に甘んじるをよしとする
旧党派と皇帝のもとに本来の中華帝国の復活を望む復古派との官僚間の対立を生じていたが
皇帝を後ろ盾に復古派が、旧党派の実力者数名を宮廷の門前で刺殺するという事変が起き、
混乱の中で皇帝が暗殺されてしまう。
これを皮切りに南明を揺るがす戦乱が起きる。
が、清とてこのチャンスを生かすことは不可能であった。
清は華北にあって漢民族系の官僚を軽視する傾向にあった。が漢人官僚は数は増えていったが
待遇は改善されぬ状況に不満を持ち
復漢運動を、これにニカラグア教と道教の習合した明光教が結びついて清帝国を揺るがす
北漢の反乱が起こっていた。
485 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:09:59 0
【希代の暴君 徳川吉宗】
そして動乱は対岸の日本ですら例外ではなかった。
家宣、家綱という2代の将軍の治世のなか、幕府と大奥には5代将軍綱吉系 VS 6代家宣、7代家綱系
の対立それにそれぞれ尾張徳川と紀伊徳川がバックについて争っていたものの
それも太平の世の権力抗争という名のあだ花だった。
が、そうした世にあって新大陸や南洋や欧州との関係が外来の悪疫をもたらし、国内施策の対立や
民衆の不満もあいまって、徳川の世の太平にもかげりが生じていた。
豊臣高山国には徳川家がいた。それも東照神君家康の子の家系である。
家康の息子が大阪の陣で豊臣方として戦った事実は歴史上の事実であるが
(世界史版の方で知らない方もいるかと思うが、これは本当です。家康の息子は大阪の陣で豊臣側
に参戦し、家康に殺されている、もしくは行方不明なので、登場させたです)
家康の息子・小笠原氏は大阪の陣で秀頼に組しそのまま高山に移ったのである。
この小笠原徳川が徳川幕府と豊臣高山の関係修復に尽力したのであるが
この日本担当外相小笠原徳川と大目付真田(真田幸村の家系)の対立が
小笠原徳川を尾張徳川に、真田を紀伊徳川へ接近させていた。
そんな時事件が起きた。尾張徳川の吉通の暗殺未遂である。
これは吉通の生母の藩政介入への不満が起こしたというが、その背景に紀州の魔手があったと
言われる。ともかくこれをもって吉通は紀州の糾弾をおこなう。
時は家継が重体で次の将軍職を尾張と紀州で争う状況であった。
486 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:10:34 0
しかもこれに火をつけるような事件が起きた。
絵島の受難である。大奥には6代家宣の正室天英院 7代家綱の生母月光院の対立があったなか
月光院の側近絵島が生島との密会という事実を発覚させられる。
それは、告発糾弾した幕閣すら思わぬ事態を呼ぶ。
絵島がキリシタンであったということだ。絵島が幕府大奥のキリシタンの束ねをする人物で
一方幕閣の実力者新井白石が、織田豊臣以降流入したキリシタンや舶来の文物をよしとせず
古き日本を戻そうといういわば鎖国派であったことが事態を複雑にした。
絵島と生島はどちらもキリシタンであり、キリシタン幕閣は絵島の受難を明日のわが身と見て
動揺する。
これは尾張徳川が吉通の弟(宗春)というキリシタンを抱えるほどに肝要なのに対し
紀州が新井白石と同じく復古主義だった点にも影響する。
新井白石が尾張吉通を7代家綱の後見役とする事に反対し、紀州吉宗を推挙したのは
ここにも影響がある。
絵島の受難を契機として復古派および紀州徳川に対し豊臣高山国やキリシタン幕閣が尾張徳川
と密着すると言う事態を生んだ。
外様大名衆と旗本衆の対立がこれにからむ。
紀州の吉宗が財政再建を旗印に将軍職に就くのが内定したのだが、これと時期を同じくして
キリシタンと禅宗という宗派を名文として外様大名家臣が旗本衆に刺殺される。
伊賀上野の仇討ちの再来ともされるこの事件が、幕府の手で片手落ちに収拾されたこともあわせ
とうとう外様諸侯の一派による旗本屋敷襲撃という暴挙(これも赤穂浪士の影響だろう)を起こす。
紀州吉宗は幕府を代表し、外様大名衆の成敗改易を言明したが、これを期に尾張吉通が
組しキリシタン勢力も呼応する事態が起きる。
487 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:11:28 0
紀州と幕府が武力鎮圧を図る事態となるが・・ここで
高山と古南の武力介入という事態起きる。
幕府が島津筑紫国に協力を求め見返りに九州全土の割譲を容認するという暴挙にまで及んだのは
思った以上に事態が深刻であったことを思わせた。
尾張徳川と長州毛利が高山と古南の武力介入を仰ぐ。
強兵の古南と謀略の高山は想像以上の難敵であった。
天下分け目の戦争、東海道戦争をもって江戸は窮地に陥り
結局吉宗が病没(毒殺ともいう)によって和睦が成立するものの
その条件を満たすには将軍職の当分の保留という結論を生んだ。
既に戦国の世ではなく世間は安定した統一治世を経験しており官僚制による国家統治
の経験はあった。
かろうじて輪王寺宮を長として老中合議する体制を整えたが
世も落ち着かぬうちに大老井伊が桜田門外で暗殺される。
諸侯のいくつかが財政難で版籍奉還を希望もしていた。
こうした騒然たる世の中にあって島津と肥前鍋島が条約を結ぶ。
九州が幕府からはなれ筑紫として独立した国家となることを事実上宣言
統制の弱まった幕府に対しとうとう倒幕の動きが出る。秩序回復を名文として
長州毛利と安芸浅野、土佐山内ら外様諸侯の連合軍が京を占拠
尊王思想を掲げる尾張徳川と水戸徳川は恭順を宣言する。
これに紀州は抵抗することで武力鎮圧を受けることになる。
その間に奥羽でも伊達と上杉の呼びかけで奥羽越列藩同盟が組まれ状況を静観
後に日高見国を宣言して独立を唱えてしまう。
488 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:12:14 0
【龍の帝国】
マレガは東南アジア系が主体となって成立した国家であるが、巨大国家としての
あり方は伝統的な中華帝国の焼き直しに近く、神聖皇帝制の状況であった。
これはこの地域に巨大国家を上手に運営した経験の主が中華しかなかったから
であろう。
しかし余りに国土は広く、状況は中華とは違っていた。
マレガにいつ駱駝が送られたのかは定かではないが、乾燥地帯にイスラムを奉ずる
ベドウィンが住み着いているのは事実だ。彼等が中原における北方民族のように
攪乱要因になったわけだし、
沿岸には欧州系の都市国家がようやく芽生えていた。
彼等は地理的な不利を補う為必要を母として蒸気機関を生じていたが
マレガはそれを珍奇な発明として重視していないのも大きな図体が要因であろうか?
ニューギニアに成立していた竜宮帝国は日本の竜造寺の家系を妻とした華僑の劉鎮
を君主とし日系が主体となって成立した国家であり、ここは交易ではなく工業生産による
国家のあり方を生きる道とするしかなかった。
南洋に起こった産業革命である。
同時期に産業革命はインド洋でも起こっている。この地のイングランド系都市国家が
インドの繊維産業との競合から機械化産業を欲していた・・まさに必要が発明の母に
なったのである。
489 :
忠邦:2005/12/11(日) 19:20:56 0
【南洋のローマ帝国】
竜宮帝国は当初日本の戦国大名分国制や大陸の節度使といった
物に近い国家であった。
それがまがりなりにも元老院や内輪(各担当大臣が集まって合議する場)
元首を頂く古代ローマ的な国家体制に代わったのかは
世襲君主 劉氏の東洋的専制に対し、徐々に彼らの参加に収められた
西洋系都市国家の反発があり、劉氏の失政があって起こったもので
それは有力な武将や官僚が有力市民の協力を得て
皇帝に元老院の設置や皇帝の参政権の制限を要求して認めさせた
名誉の誓約によってである。
これ以降古代地中海世界に花開いた古典民主主義や社会が
近代の装いをもって世界に再登場することとなり
この社会条件がこの地に技術革新を齎す結果となった。
490 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 19:00:35 0
待っていました!
これからもお願いします
491 :
忠邦:2005/12/12(月) 19:56:26 0
(´・ω・`)
>>490ご期待に添えるかどうか・・・
【徳川の功罪】
徳川幕藩体制は戦国から近世への橋渡しとしての役割は十分に担えた
制度であったが、所詮は元禄享保までが制度的な限界であったと
思われる。
予断になるがもしも何らかの要因でキリシタン禁令くらいは
発令されていたら、もう少し幕府の延命にはなったかもしれない。
がそれはやはり夢想にすぎないであろう。
幕府倒壊の最大の要因は上方に成長した商業資本であり
彼らが国際的な取引をへて旧態依然たる幕府を圧迫してくほどの
集中と独占を果たしえたからであった。
幕府が封建的な農本政策を建前に商人に欠所や所払いを数度に渡って
実施、その資財を没収するという政策で彼らの台頭を抑えようとした
ことが彼ら上方商人の自衛を促し、このような結末に導いたのだとも言える。
徳川幕藩体制とは畢竟、開拓の遅延していた東国の農業重視政策に
西国の先進商業経済を付き合わせ資本投下させるための政策だとも言える。
西国にとって魅力的な投資先や市場になりえるのは幕府がいない場所
になっていた事実、それこそが奥羽の独立や九州の分離を促してしまった
のであった。
ごめん、これはつまんないや!
493 :
忠邦:2005/12/12(月) 20:38:29 0
こうした東洋と西洋の激動を背景に傭兵輸出、兵器工房として
経済軍事的にキャスティングボードを握ったのが
東方は南渤海、新百済、華鮮そして海南島黒人国家黒麟であり
西洋ではヴァレンシュタインの覇業であった。
【近代の到来】
そして東方と西方の激動を尻目に着々と国威を進展させつつあった
国々があった。
コンバウン朝ビルマ、アユタヤ朝タイ、阮氏ベトナム
東南アジア列強である。日系、華僑、印僑、ムスリムそして欧州
諸勢力の混住する国際的な舞台を背景にマレガ、竜宮で育まれた
産業革命に伴う技術革新を最初に導入したのは彼らであった。
インド洋沿岸でも欧州系諸都市がインドの手工業繊維産業に抗する
形で産業革命が起こったものの、茫漠なインドを前に埋没の危機にあった。
またムガールがイスラム教至上政策という失政よって衰微していくのを見て
国力を進展させつつあったビルマがいよいよインド掌握に乗り出すことになった。
後にビルマの餌箱と称されるまでにビルマ資本によって支配されることになっていく。
494 :
忠邦:2005/12/12(月) 20:38:50 0
ビルマの西進政策に競り負けた格好となったタイ国際資本が
ニカラグア教国南アフリカに到達、武力と宗教への無関心そして経済的な狡猾さによって
この地に勢力を扶植していくのだが、彼らが金とダイヤモンドの本格採取に成功したあたりから
きな臭い戦雲が漂い始めることになっていく。
そしてベトナムは北進政策であった。南明の紊乱をこれ幸いにと
南明市場に食い込もうと図るも、そこには極東列強の先鞭が付いており
容易に食い込むことが出来なかった。
彼らにとって食い込みうる隙が日本であったのである。
高山や古南そして黒麟のごとく早期に近世的国家へ換骨奪胎を遂げていた
極東諸国と違い明周清そして日本は16世紀での内輪の争いと国内の安定に
かまけて新しい「世界経済システム」に適応うする努力を怠っていたといえよう。
分かりやすくいえば時代遅れだったのである。
それを象徴する出来事が薩越戦争であった。
島津筑紫国とベトナムのシナ海海戦で島津薩摩が敗退、
続く古南とベトナム・ビルマ・タイ三国同盟軍の抗争の余波を受ける形で
長州がベトナム・ビルマ・タイ三国同盟軍を前に敗退する。
ベトナム・ビルマ・タイと高山、古南、黒麟
の列強同士の抗争が日本を引き裂いていくかも、という危機感を抱いた果てに
島津は肥後と盟約を結び全九州の外様諸侯を糾合天領譜代を制圧して
九州を独立国家筑紫として己だけで富国強兵への道を歩むことになっていく。
島津重豪が“脱日入亜論”を国策として掲げ列強として改めて
南明への本格参入を画策していく。
高山、古南、黒麟そして後続の筑紫が竜宮と結んでマレガへの本格侵入
をはかり、ベトナム、タイの南洋攻略政策と激しくぶつかるのも
もうすこししてからであろうか・
495 :
忠邦:2005/12/12(月) 20:45:40 0
(´・ω・`)
>>492ヤパーリそうでつか・・ショボーン
まあいいや・・あとアフリカどうするか悩む。
やはりここいらへんが限度のようだ。史実におけるアジア諸国のように
半植民地化されていきそうな気がしてきた。
イスラムもねーオスマン帝国の衰退とアラブの動乱あるし
欧州も少々で遅れ気味ではある。
何よりも致命的なのがアメリカだよ。やはり旧大陸との
距離は大きいな・・近世からは発展に出遅れていく公算が大きい。
このままでは西欧が極東東南アジア列強に書き換わっただけに
なっていきそうだよ・・
でアジア諸国の勃興が北米3国あたりに置き換わると
もう前みたいな熱いスレには戻らないんだろうな。
前は楽しかった。
全体の動きが把握しきれなくなったからレスをつけるのが難しいんだな。
2ヶ月ぐらい後に暇になるから、これまでの全部のスレを
見られる環境を整えてくれれば、自分がまとめ年表でも書いてもいいが。
それはもちろん全部できたらとてたさんのサイトに入れてもらうとして。
499 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 23:47:02 0
いやいや、なかなか良いぞ!
500
>>495 相互の交流も多く、史実ほど酷くはならないと思いますが…>アフリカ・アメリカ
>>498 楽しみにしてます。
502 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 19:30:52 0
まだかな
北米に国が興らなかった理由はなんでつか?
姉歯とてた
頭が欠陥鉄筋
505 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 04:31:32 0
>>503 幾つも在ったんだが、ヨーロッパ人が大挙して押し寄せる前に天然痘で人口激減でほぼ壊滅。
残った少数のネイティブアメリカンの部族も白人に迫害されて現在に至る。
北米文明は中南米と違って、木造と土塁の文明なので遺跡もあまり残っていない。
506 :
忠邦:2005/12/31(土) 19:32:38 0
>>502 ちょっと年末年始なもんで多忙・・続きは年明けになると思われます。
>>503>>505 イロコイ連邦は今でもアメリカ合衆国内の自治国家として残っている。
法的にはまぎれもない独立国家。日本は承認してないし国連に代表も送っていないとはいえ。
>>505 カホキアの崩壊はの原因は結核だったようです。
(欧州人到達以前)
>>506 ゆっくり・じっくりで…。
(僕も今年中にもう少し更新したかった)
>>507 連邦政府とはともかく、州政府との関係はどうなっているんですか?
統治範囲が重なっていますし。
…インディアンスレの方がいいかしら。
あけましておめでとうございます。
マヤ暦だと十二バクトゥン十九カトゥン十二トゥン十六ウイナル十四キン年・カンキン(14)月。
IF近代のメソアメリカはどうなっているでしょうね。
大晦日に買ったジャレド・ダイアモンド御大の「文明崩壊(上・下)」を正月に読んでいるところです。
ヴィンランドにマレガにマヤにフェニキアの島々も登場してきますよ。
510 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 22:43:18 0
あけましておめでとうございます。
このスレももう終わりでしょうかね。
>>509 暦ですか。
中米はハスバトル暦(大統一以来の)かしら。
メスシピでもそのまま使ってそう。
インカは独自の皇帝暦。
アフリカのキリスト教圏は西暦で、マレガは仏暦。
513 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 22:02:10 0
13世紀だか14世紀だかに西アフリカのマリ帝国のアル・バカリ2世なる皇帝が
大船団を組んで大西洋探検に出発し、二度と帰らなかったという話があるそうです。
この伝説はなにか使い道ないでしょうか。
マリ帝国のアブ=バカリ2世(Abu BakariU)の西方航海ですよね。
同国が地中海諸国と黄金貿易で繁栄していたころ、交易先の新規開拓が目的らしいのですが、
弟のカンカン=ムサに譲位して自ら船団を組み、1307年(1311年説もあり)に大西洋を西に出航、
その後戻ることはなかったという記録らしいです。
ちょっと調べてみたらアブ=バカリ2世以前にも、ムスリム航海者が大西洋を横断したとの
記録が存在するようです。2例見つけましたがまだ他にもあるかも。
@ 889年:後ウマイヤ朝・コルドバ出身のKhashkhash Ibn Saeed Ibn Aswad
(読みはハシュハシュ=イブン=サイード=イブン=アスワドでいいのかな)が
同年にスペインのパロス港を出港、大西洋を西へ航海し、
「未知の領域」Ard Majhoola(アルド=マジュフーラで合っているかな)に上陸。
莫大な財宝を携えて帰国した、との記録。
地理学者アル=マスーディ(871〜951)の地理書に航海の記述が、および世界地図に
「闇と霧の大洋=大西洋」の西方に陸地・アルド=マジュフーラが描かれているとのこと。
A 999年:やはり後ウマイヤ朝・グラナダ出身の航海者イブン=ファルーク(Ibn Farrukh)が
同年2月にKadesh(現在のカディス港?)を出航、大西洋を西へ航海。
ガンドことカナリア諸島へ立ち寄ってからさらに西進、「二つの島」に上陸。
それぞれCapraria,Pluitana(カプラリアとプルイタナ?)と命名。
同年5月に帰国した、との記録。
新大陸の土産物や現地人について記述があったらサイコーなんですが。
詳しい方、ご存知でしたらご教授下さいな。
ワイワイと楽しいスレ。
一日の疲れを吹き飛ばしてくれる仲間が毎日集まるスレ。
喧嘩とかやめてみんなで仲良く雑談しましょ!
コテハンも名無しもなかよく集合!
前みたいに楽しくやろうよ…。
かつて良識の下院とまで言われた雑談スレは、今は見る影もありません。
全部リセット!
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カラジチさん、自転車小僧さん、第20軍団兵さん、鷂さん、ぢゅらさん、トトメス三世さん、ハリネズミさん、
勇者トンヌラさん、Ryujiさん、例のにゃあにゃあさん、例の170さん、水銀燈さん、定ちゃんさん、鷲さん、行殺さん、
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そしてそしてなによりも、今これを読んでる世界@名無しさん!m9(`・ω・´)
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>>513-516 チラリと聞いたことがありましたが、
ムスリムの大西洋渡航も有り得る話だったんですねえ。
9世紀後期と10世紀後期、そしてマリ帝国…、
「組み込む」のはちょと難しいかしら。
519 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:49:57 0
>>514の@について補記。
文中の世界地図の画像を偶然見つけたので挙げときます。
http://www.cambridgemuslims.info/DidYouKnow/AlMasudi/Default.htm 地理学者アル=マスーディの著書(邦題「黄金の広原と宝玉の石切り場」となるかな)中に掲載される世界地図です。
画像は天地逆に掲載されています。原文では南が上になるので、ユーラシアが下に来ます。
北アフリカの南に描かれている陸地が@の「未知の領域(アルド・マジュフーラ)」に相当します。
(アラビア語表記が小さくて見難いですが、アフリカ大陸との海峡部分に記してある地名がそれかと)
サイトの解説文では「現在の南アメリカ大陸に相当」と書かれています。
緯度測定技術は当時既に有していたはずなので、赤道を越えたため北アフリカより南に描かれたとすれば、
現在のブラジル大西洋岸に着いたのでしょうか。
通称「ピリ・レイスの地図」との関係が思い浮かびますが、これは無関係かな。
>>520 これはなかなか。
TO図とは比べ物にならない正確さですね。
522 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:40:36 0
水氏は消えたのか?
523 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 23:00:38 0
水氏って誰?
水さんはあまりこのスレへ来ませんよ。
525 :
世界@名無史さん:2006/02/24(金) 01:21:25 0
だから、水さんって誰?
526 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 02:05:02 0
528 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 00:06:58 0
529 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 21:49:00 0
530 :
世界@名無史さん:2006/03/30(木) 10:10:36 0
進んでないなぁ
531 :
世界@名無史さん:2006/03/31(金) 12:58:47 0
進んでいないですよねえ。本当はアメリカの歴史を作って欲しいのになあ。
なんとか歴225年(西暦794年)どこそこ草原にて何々帝国と何々王国との戦闘が
あったとか。何々帝国の首都なんとかに置いて、何々帝、帝位につくとか。
テクサーカナ遊牧帝国が欲しいかな。
533 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 14:03:40 0
>>531 そうですよねえ
個人的には他の地域は今の進行時点で中断して
アメリカ史が他の地域の歴史に追いつくまでアメリカ史に集中し欲しいですね
534 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 20:58:24 0
同感〜
535 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 01:23:56 0
>>531 >>533 僕も構想そのものはあるんですが、他所に浮気してしまって…。
すいませんです。
今の萌え(といっていいのかしら)の順序はハワイ>マレガ>アメリカになっております…。
>>532 テキサス地域はテハス族の土地としてメスシピ朝とテノチカ王国の係争地になっているかも。
537 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 12:15:59 0
せっかくなので、この設定を使って、リレー小説しようぜ。
それが突破口になって、歴史が進むかも。
誰か、かくやついねえ?
538 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 21:19:43 0
いやだ。
オリジナル王国は止む無しとして、
オリジナル宗教(それもアメリカ文化からの必然性もなくモデルが透けて見える)がデカイ面し始めてから決定的に萎えた。
都市国家期の終わりくらいから以後全部作り直しでもしないと無理。そのあたりから旧世界の歴史を当てはめるパズルになってる。
考察らしきものが消えてるだろ?設定厨だらけになって(何が萌えだっての。設定より考察に萌える人間のためのスレだろ本来)。
タワンティンスーユより前のペルー諸王朝の君主も「インカ」の称号を使ってたのか?
>>538 それを言われると心苦しい点が(汗)。
…ニカラグア教については同意だったりしますが。
(だからこそ2スレ目のまとめが進んでいない面もあります)
ただ、考察は1スレ目で概ねでカタがついていたような。
>>539 いえ。
「インカ」は族名ですし。
>>540 考察が「片が付く」なんて言う事自体、考察がわかってない証拠。
「新大陸に発生し得た高度宗教」を考えるなら、実在の思想や社会のあり方との関わりを明らかにして
そこから一段一段、歴史的必然性と必要性に応じて、状況の許す範囲で高度化するよう
実在の宗教の高度化のあり方や、架空社会が生むであろう思想を考察し続ければいいんだ。
考察は何をするにも常に必要。もう考察は終わってるなんて言うから設定厨呼ばわりされるんだよ。
ハード歴史社会学SFだったスレが、いつの間にか歴史ファンタジーになった感じだな。
紀元前後以降から再整理、特に7世紀以後は全消しにしないと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜糸冬了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>541-542 なるほど。
たしかに宗教関係は練りこみ不足でしたし。
僕自身、アメリカで一神教がそうそう簡単にできるとは思ってませんし、
多神教のままでも別段不都合は無いと思います。
>>543 と、いうわけで再開です。
んじゃ、座教とニカラグア教は没で。まず、フェニキア来航から500年間の再考察だな。
>そして激動の4世紀:ミシシッピ流域に騎馬民族による史上初の統一王朝興る。
のち東海岸のネオ・フェニキア文化圏を併呑。
これもあり得ない。ミシシッピ流域を支配するシステムすら無いだろうに。
首長制時代に、武力で征服しただけで王朝が作れると思うのが間違い。
なんか領域国家のシステムが普遍的なインフラ化したい後の中世あたりの感覚で作ってないか?
殷にしろアッカドにしろ、年がら年中隣町を再征服しないと維持できないような連合。
いきなり大陸半分の国なんて、「連絡システム」の発想さえないだろう時代にどうやって?
東海岸の方が、後のイロコイ同盟とか部族連合の経験が多そうだ。フェニキアもいるし。
>>545 おお、根本から行きますか。
それもまたよしです。
(…サイトの整理難易度がまた上昇)
たしかに旧大陸でも騎馬民の征服王朝となると乾燥地域に限られるような。
トルテカやマヤの例にならって、「統一王朝」ではなく都市国家のまま数世紀でもそれはよいかと。
547 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 22:56:07 0
なるほど。書かれてみるともっともですね。
改めて初期に戻り、その上で、これまで書かれてきたことを検証し、
よいものを残し、形としてまとまるものを出来るとよいな。
アメリカ。そこから、また始めましょう。
逆に、旧大陸の発展を遅らせる手もある。
ヨーロッパによる新大陸征服さえなければよいのなら、
ヨーロッパの軍事革命を起こらなくすればいい。
具体的にはオゴタイ・ハンの死が五年程度ずれ込めば
西ヨーロッパは征服されなくても再建だけで100年はかかる。
すると、15世紀の発展期が再建期がやっと終わった程度になり
地球の裏に進出したり征服したりは不可能になる。
再建完了する頃には17世紀の小氷期。
その間に、現実でもインカは既に領域国家化をはじめていたので
17世紀の小氷期の危機を利用して一気に帝国化・宗教の高度化を達成する可能性がある。
なんならモンゴルに追われたヨーロッパ難民を導入してもいい。
ペストが新大陸上陸することになるが、比較的小規模の流行で済むと思う。
>>548 流石にそれはダメです>旧大陸の発展を遅らせる
全然違ったものになりますし。
>>548 自分も一度はそれを考えたことがあったんですよ。 <旧世界文明の停滞
「レコンキスタが失敗し、イベリア半島はイスラム王朝のまま」
「宗教裁判で地球球体説は異端認定、西方航海への協力者現れず」・・・とかね。
しかし欧州からの難民を受け入れたとしても、新大陸文明と旧大陸文明との進歩の隔たりは
2000年近く開いてしまっている・・・この差を埋めるにはやはり遅すぎと思うのですよ。
やはり新大陸文明の発達速度を上げるか、あるいは文明開始の時期を早めるか、になりそう。
複数の文化圏が一度軌道に乗ったらば、互いに競争・刺激しあって相乗的に発達できれば理想ですよねえ。
メソアメリカ・ルネッサンスを書いてくれたてる兄さんを他スレで見かけたので、
続きをぜひ、と声をかけてみましたがそれっきりでした・・・
551 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 19:57:47 0
552 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:34:51 O
ネアンデルタール人が新人に勝利し、新人を新大陸に駆逐する
553 :
世界@名無史さん:2006/05/06(土) 13:39:19 O
ネアンデルタールと最終戦争
>>551 世界史雑談スレでした。
見かけたのは去年のことなので、スレはもう落ちてしまってました。
「考えときます」とのことでしたが・・・
まあ、ゆっくりじっくり熟成が一番かと。
…発酵するかもしれませんが。
556 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 23:42:33 0
でも、やっぱり、進展は欲しいぞ。
山本紀夫「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会)なる注目すべき書籍をいま読んでます。
アンデス文明の基盤食物はジャガイモであり、トウモロコシは酒造材料であった、という説を資料と現地でのフィールドワークで実証しています。
結構このスレ向きの話だと思うので、一報まで。
蒸留してバーボンにするわけじゃないから
マズそ
559 :
世界@名無史さん:2006/06/10(土) 15:03:43 0
560 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 22:24:57 0
hosyu
>>557 面白そうな本だと注目はしていたが、読み終わったら感想をよろ。
562 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 04:17:31 0
563 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 04:41:49 0
穀物の栽培は酒造目的だったという説はあるね。
原始的な穀物は食えそうな感じしないもんね。
な に こ の 厨 ス レ
>>561 なかなかに面白いですよ。連作障害を防ぐため、保有する耕地の1/5を休耕状態にして、
現地で100種類以上知られている栽培種ジャガイモの内、少なくとも20種類を同時に栽培して病害を防ぎ、
いも自体は食べないけれど、植えておくと虫が寄ってこなくなる種類のいもを植えて虫を防ぐてな具合。
アイルランドあたりの俄と違って、いもでインカ文明を建設できるだけの事はあるとつくづく思います。
じゃがいも以外でも、斜面の高度差から来る気温の違いを利用して、高度ごとに異なる作物を耕作する手法も詳しく書いてます。
566 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 02:45:18 0
567 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 03:18:59 0
な に こ の オ ナ ニ ー ス レ
569 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 22:49:47 0
570 :
世界@名無史さん:2006/08/11(金) 01:30:27 0
571 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 00:26:31 0
572 :
世界@名無史さん:2006/08/28(月) 23:44:18 0
白色人種のアルビノのようなレスはやめろ
574 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 02:31:28 0
どういうレスのこと?
523 :世界@名無史さん :2006/02/16(木) 23:00:38 0
水氏って誰?
525 :世界@名無史さん :2006/02/24(金) 01:21:25 0
だから、水さんって誰?
もうここ終わり?もったいない。。。
577 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 23:09:12 0
ほす
579 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:32:26 0
あげ
580 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 01:32:44 0
テクサカーナってどこ?
574=575=580
あちこちのスレで質問荒らしの厨房。ググレカス
>>580 テクサーカナ遊牧帝国は、「黙示録3174年」っていう、全面核戦争で世界が一度滅んだあと復興する大河小説に出てくる野蛮人の国だ。まあ普通判らんてw
現実の地理だと、テキサスとアーカンソーの間あたり。
583 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 02:14:35 0
>>582 探したけど見つからなかった。そもそも何で北米には文明圏が出来なかったんでしょう?
>>583 N33°26′14″, W94°4′3"。
両州の州境の町。詳細は「texarkana」でググってみて。
理由については
>>505.
585 :
世界@名無史さん:2006/11/22(水) 06:13:47 0
アメリカにも独自に今も生き延びる、充分に匹敵する文明があった世界での
世界大戦の内容が知りたいな。
ほんとですね。しかし
どんな国同士なのか、いつの時代になるか、どんな勢力地図なのかも全く想像もできませんなあ(涙)
過去スレの名語り部さんたちは今どうしているやら・・・
587 :
世界@名無史さん:2006/11/24(金) 15:39:21 0
この3スレ目もいよいよ2年目突入。
改めて新大陸の歴史を勉強しているが、自分にゃIF歴史は想像もできんな・・・ああダメだ(笑)
私も一緒w じゃあ、誰か語り部が出て来るまで、断片的でもいいので、
アメリカそのものの文明の文化でも技術でもいいので創っていかない?
アメリカ以外の歴史や、アメリカの大まかな歴史は出来ているんだし。
私が興味あるのは北アメリカ中西部の遊牧民族の王国と座教文化。
>>589 座教、再びですか…。
個人的まとめで考えていたのは、
膝を揃えて前屈姿勢(正座に爪先を立てる感じ…そんな像がカホキアで出土しました)で思索。
喫煙による瞑想も多く行われる。
遊牧民族国家…
紅い河中流に位置するテノチティトランを首都とするテノチカ帝国を想像してました。
とてたさん
>>590 >膝を揃えて前屈姿勢(略)・・・そんな像がカホキアで出土
こんな↓感じですかね? カホキアからはすこし離れた土地の出土品ですが。
ジョージア州エトワ・マウンド遺跡出土の土偶
http://www.lostworlds.org/etowah_mounds.html 目元のつくりは、見ようによっては瞑想中の半開き眼に見えなくもないですね。
(実際には、死後しばらくして人間の眼窩が窪むさまを描写しており、死者の象徴化表現と考えられているようです。
現代人が描く絵で、頭上に光る輪っかを書き入れると「死んだ人」を意味するように。)
イメージ化の助けになれば幸いです。
実は誰もが再開を待っている?
>>591 おお、よい資料をありがとうございます。
やはり英語を読めるといいですねえ…。
北米に及ぼしているメソアメリカの影響がよくわかります。
>>592 …というかそういう人しかこのスレには来ないのでは。
594 :
世界@名無史さん:2007/01/05(金) 16:52:01 0
期待を込めてアゲ
595 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 20:38:30 0
さらに期待あげ
596 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 02:54:38 0
>>590 最初にこうやって根拠のない個人的なイメージを結論として出してしまうから
他の人間が入り込めなくなったんだけどな。
ニカラグアで宗教の高度化が起きるってのがまず非科学的なんだが・・・
せめて比較文明ベースに進めれば寂れずに済んだかも。
ニカラグア教とパナマ信教について書いたのはてる兄さんだったね。
座教を書いたのもてる兄さんだったかな。
文明の飛躍のためには世界宗教の誕生が必要、という説明付きで
中世に「メソアメリカ・ルネサンス」が中米で生まれた、という設定だったからね。
勢いで書き進めた観が無きにしも・・・だが、
他の人が代案を提起するのは差し支えなかったのでは。
本スレのパート2から3までを振り返ると、
「1415年=ニカラグア布教船団の喜望峰漂着、鄭和艦隊と遭遇」(てる兄さん案)
この事件以前に、新大陸が外の世界と接触したIF設定&史実をまとめてみると
・紀元前2世紀、フェニキア人の船団が北米東海岸に漂着
・紀元1000年頃 ヴァイキングがグリーンランド経由でヴィンランドに入植(出だしは史実ですね)
・紀元1200年頃? 源義経一行が北米大陸の北西海岸に漂着?
そのほかに年代特定不能のものとして、
・北米北西海岸に東アジアからの漂流民が時おり漂着
・南米太平洋岸の王朝がポリネシア方面と交易?(これは半ば史実のようで)
いまのところ挙げられているのはこんな感じですかね。
とてたさんのまとめサイトでは一応「IFは一度きり」を目指したいという趣旨でしたしね・・・悩むところだ。
余談ですが、
かく申す私もパート2で「北西海岸漂流民」バージョンを提案した者ですが(笑)
あれを書いた時点では、年代は全く頭に無く(というよりさっぱり分からなかったもんで)杜撰の至り・・・
気付かぬ間に、後の方々の手で「源義経が渡海」という設定を加えてもらったり
「扶桑国」という国名まで付けてもらっていたわけで恐れ入ります(笑)。
やっぱり文明接触は一つに絞るべきですかねぇ・・・
602 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 21:33:57 0
何というか、アジアやアフリカ・欧州が変わりすぎた結果、誰も手をつけられなくなった気がする
これらの歴史は多少強引でも、史実に近づけた方が取っ付きやすくなると思う
別に細部まで史実通りでなくても、表面上でけでもなぞると言うか、そんなカンジで
でも、いままで語られて歴史も好きなんだよな・・・・
とりあえず、このスレが再始動するキッカケにでもと、勢いだけでレスします
603 :
世界@名無史さん:2007/01/28(日) 11:24:43 0
せっかくなので、一度、スレ1〜3までの大まかな流れを書いてもらえませ
んか?
コピーし忘れたので、もう覚えていないんです。
それか、スレ1,2の過去ログをどこかに乗せてほしいな。
基本的にはアメリカ内部と外世界という区分けになっているような気がする
んだけど、どうもアメリカ内部の歴史が少ない気がする。
印象に残っているのは、宗教関連と北米の遊牧民と農耕民の興亡とかかな。
もっとしっかりと詰めれば、矛盾もなくなるだろうし、だいぶ間隔が開いた
ので、再度塗りなおしを出きるんじゃないかな?
これほどの良スレがもったいないよ。そろそろ、足掛け5年でしょ?
>>603 本当もったいないですよ。時代を一旦遡って再編するのもいいと思います。
ちなみに:
・略年表は
>>6〜
>>11 ・まとめサイト(とてたさん編集)
>>2 をご参照あれ。2スレ目を見るいい方法はないものか・・・
ミラーサイトを作れたらいいですね。
おっとと、すみません、訂正。
2スレ目も、まとめサイトで見られます。失礼しました。迂闊・・・
このスレは元々物語じゃなくて、サイエンスに足をおいたスレだったはずです。
人文科学と自然科学を繋げ、(法則ではなく、史実を生んだ)
歴史のメカニズムを示したから、『銃・病原菌・鉄』はインパクトがあったのだし、
ここはIFで遊ぶことで、その歴史のメカニズムを自分たちで使ってみることが
目的の知的ゲームの場所だったと思うんですけど。
あと固有名詞が増えすぎなのが入りにくくしている理由の一つでは?
てか、設定派の人は固有名詞を付けるの好きですよね。
考察派なら、東海岸は、人口密度と資源の関係からこの時期チーフダム段階に達して、
(旧世界との比較によれば)部族連合がいくつか生じるだろう
とかするところ設定派だと、
東海岸にはカノンノ王国が成立。西にはメスシピ朝が〜ってなる。
(メカニズムより、自作の国を作ることのほうが目的に見えるのもあれですけど)
それに固有名詞がついて、歴史書風の解説がついてしまうと再考察しにくくなりませんか。
今の歴史が下らないとは思いません。結構面白いし、だからここまで続いたんでしょうから。
でもそれは読み物としての面白さで、どうしても感性で参加者をふるいにかけるし、
史実との繋がりも薄いため、嘘くさい(説得力がない)と敬遠する人間も増えます。
そもそも、一番大事な「アメリカ大陸にどのような文明が成立し得たか」について、
ほとんど考察せず、旧世界の高度文明のコピーを突然成立させているのはちょっとね。
偶然生まれなかった条件はOKですが、あり得なかった設定を増やしすぎていませんか?
新大陸の人口増加率も異常だし、社会変動らしきものもなく技術ばかり発達している印象です。
批判だけでは何なので提案してみますけど、
(メカニズムについての研究は比較文明でググルとぞろぞろ出てきます)
例えば、高等宗教が生まれたことにしたいのなら、まず「なぜ高等(普遍)宗教は生まれたのか」
「どのような環境・社会条件の時、高等宗教は普及するのか」について考察して、
そこから抽出された歴史のメカニズムをIF世界に適用する、という手順踏む必要があったかと。
旧世界では、紀元前800年から紀元前200年頃(ヤスパースの言う「枢軸の時代」)に
諸子百家・ウパニシャッド・仏教・ゾロアスター教・ユダヤ教・ギリシャ哲学などが成立しています。
どこも都市国家期を脱して領域国家期に移行する時期にやや先行するくらいですね。
部族制都市(共同体)国家期は旧世界では3000年近く続きましたが
領域国家社会を征服したゲルマン人は、丸ごとローマの領域支配システムを受け継いだのに
部族連合を乗り越えるのに数世紀かかり、やがて成立したのも
「共同体連合と官僚制度を折衷した(川喜多二郎)」フューダリズムだったわけで
部族は本来それくらい強固なシステム。ここのスレの人は部族制の底力舐めすぎかと。
611 :
世界@名無史さん:2007/02/08(木) 01:02:52 0
612 :
世界@名無史さん:2007/02/08(木) 18:25:58 O
あっぱれ!
豊田
>>609-610 ただ、新大陸文明には独特の立地の癖があるからね。
低緯度の標高の高い高原地帯に文明の中心地域が集中するという、
旧大陸には珍しい傾向だ。ユーラシアでは、島嶼のジャワ島くらいしかない。
(他に、ペルシアが高原と言えば高原だが、もはや中緯度だろうなあ)
この伝統は極めて強固で、
結局、先住民との混交が僅少な米国・カナダ・アルゼンチンという
純粋旧大陸人の白人(+黒人)の巨大国家が大きく発展するまで、
コロンブス以降も一貫して続く。
「低緯度高原文明」という枠においても、
旧大陸中緯度低地文明において、小氷河期が果たしたような役割を
的確に果たせるかどうか、ちょっと深く考えて見る必要があるだろう。
新大陸文明の発展は、旧大陸文明と同期しないものもかなり多い。
気候変動トレンド自体はそんなに違わなかったはずだが。
615 :
世界@名無史さん:2007/02/09(金) 03:29:56 0
文明考察、よいしょ!!
おや、知らない間に新たな展開が。
実際、名称・勢いが優先になるのは仕方が無い面もあるんですよね。
架空戦記的といいますか…だから穴もそれなりに。
書く人の勢いに任せてはいましたが、
個人的にはアメリカでは一神教を発生させるのはかなり無理があるとは思ってました。
(発生させる必要性もそんなにないと思いますし)
サザンカルトと無理にくっつけた座教はともかく、
ニカラグア教はニカラグア(ニカラオカ、というべきですし)が後進地域だということと、
ケツアルコアトルも広範に信仰された神の一柱、ですし。
南米の方が高等宗教起こりやすい、という意見には同意です。
パチャクティ帝あたりが南米の大統一後に…というのが有り得そうかと。
部族的社会が長く存続する…というのもそれはそれでいいと思います。
新大陸に無かった大型家畜や鉄器が普及して、どう変化するかが肝要ですし。
今更ながら「文明崩壊」を読んでいるんですが、
あれをみるとヴィンランドもマレガもまず無理としか思えなくなりますねえ…。
617 :
世界@名無史さん:2007/02/17(土) 00:29:34 0
618 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 17:42:25 0
619 :
世界@名無史さん:2007/03/08(木) 03:36:17 0
620 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 20:51:21 0
ひゅるるー
マヤ文明があったろ
それじゃあなあ
626 :
世界@名無史さん:2007/04/26(木) 02:33:10 0
上昇
急上昇
632 :
世界@名無史さん:2007/06/13(水) 11:00:16 0
あげ
636 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 00:55:25 0
誰もいないからあげ様じゃないか
で、現実逃避として色々妄想してたこと
カルタゴ滅亡後、イキナリカルタゴ艦隊が北米いくのは強引過ぎるかなと思う
だから、まずはアフリカ大西洋西岸の適当な所に都市を建設(カサブランカとかアガディール辺りかな?)
設置したカルタゴノヴァ(仮)を拠点に中継交易とかして生き残りを図る
んで、その際にカルタゴノヴァはローマ人への敵愾心と恐怖心がない交ぜになった感情を抱いている
いつの日かローマは此処に襲来すると被害妄想を肥大化させ、更なる新天を求める。
アフリカを更に南進したり、逆に欧州へ向かったり、あるいはカナリア諸島、さらには海の果てに向け探検進める
積極的に造船・航海術を発展させつつ。全てはローマへの恐怖心から
一方のローマは僻地など構う暇無く、東方諸国征服に勤しんでいたが、徐々に内乱の気配がチラついて来る
そして内乱の一世紀の間にローマ軍がヌミディアを滅ぼして属州かしたり、海賊が流入したりしてローマの来襲の予感が
カルタゴ人は「脱出」の準備を進めるが、アフリカを南下しても余り豊かな土地とは言えず
北の欧州は、カエサルのガリア征服など確実にローマの足音が近づいている。
そんな中、西方より帰還したる船が帰港、海の果てに広大で豊かな台大地があるとの報告がもたらされる
ローマからの内戦の敗北者が流入し、ローマとの戦争の予感が漂う中、遂にカルタゴ人は新たなる大地を求めて大西洋進出を決断する
こんな感じです。長文・駄文スマン。まぁ無視しても構いません
アーヴみたいだね。
638 :
636:2007/07/13(金) 23:30:11 0
>>637 お、反応があった
アーヴと言うよりは「遥かなる星」の日本をイメージしてます
星界シリーズは読んだこと無いですし(一応知識としては中途半端にある)
それとも某サイトのアイヌのエッセンスが強いかな?
例えば・・・
・第三次ポエニ戦争当時、カルタゴに大型船舶を造る余裕は殆ど残っていなかった
・屈指の長距離航海技術を有していたとはいえ、沿岸航法が主のフェニキア人に大西洋を渡れたろうか
・母市カルタゴが滅びた後、残るフェニキア系諸都市に交易可能な相手は残っていたのか
地中海の商圏がローマに制覇された以上、大西洋岸に商売相手を求めることになろうが、蛮族の土地ばかり・・・
そして、
・アメリカ大陸の存在を脱出以前に知っていたか、あるいは脱出航海の結果発見したのか、
によってもだいぶその後が違ってきそう。
目的地を定めての脱出だったのか放浪だったかの差は大きいかと。
などなど。
ちなみにジブラルタルに近いリクソスやティンギスなどのフェニキア系都市をはじめ、
アトラス山脈以北のフェニキア植民地は、当時ヌミディアの支配下にあったんでしたっけか。
親ローマだった時代なので、脱出計画がヌミディア経由でローマに露見しないか心配です。
第三次ポエニ戦争の経過を調べてみると、過去レスにあったような
「ローマ艦隊の包囲を破ってカルタゴ港から脱出船団が出航、一路ジブラルタルの彼方へ・・・」というシナリオは
不可能に近く思えてきた・・・
やはり開戦(紀元前149年)前後あたりから新天地移住計画に着手しないと
間に合わなくなるのかなあ。
どなたか、求む名案。
642 :
636:2007/07/14(土) 00:26:17 0
おおコテさんからの返答が
>フェニキアの末裔さん
はい、似たような疑問は当初から持っていたもので
>第三次ポエニ戦争当時、カルタゴに大型船舶を造る余裕は殆ど残っていなかった
確か町の建材やら何やらを剥ぎ取って50隻程の艦隊を作り出したかと
その艦隊も城壁?に穴を空けて港外にでたものの、睨み合っている間に、ローマが準備を整え殲滅されたらしい
>屈指の長距離航海技術を有していたとはいえ、沿岸航法が主のフェニキア人に大西洋を渡れたろうか
個人の意見としては無理だと考えています。(航海技術も造船技術も)
>母市カルタゴが滅びた後、残るフェニキア系諸都市に交易可能な相手は残っていたのか
これも難しいでしょう。わざわざお尋ね者のカルタゴの相手をしてローマに睨まれたくないでしょうし
良くて逃亡の手助けや、細々とした密貿易ぐらいでは
>アメリカ大陸の存在を脱出以前に知っていたか、あるいは脱出航海の結果発見したのか
少なくともイキナリ大西洋横断に乗り出すのは、まさに死出の航海間違い無いでしょう
コロンブスは知識上では彼方にアジアが存在すると考えていましたし
>アトラス山脈以北のフェニキア植民地は、当時ヌミディアの支配下にあったんでしたっけか
自分も詳しくは知りませんが、少なくとも主要部はヌミディアの影響があったのでは?
643 :
636:2007/07/14(土) 00:39:35 0
とりあえず自分は上記に様な理由で、まっしぐらに大西洋横断は無理と考えたので
その間にワンクッション置いて大西洋沿岸部のアフリカ植民都市を構想しました。
そこで中継交易を細々と営み、沿岸部にしがみ付きながら、ローマの影に怯えつつ生活する
(第三次ポエニ戦争開戦前後のやり口や、カルタゴ滅亡後のローマによる行いは、畏怖と復讐心を育てるでしょう)
しかしその地は豊かではなく、又ローマが来襲するかもしれないので、彼は新天地を目指します
ローマがくることが出来ず、かつ安定した生活が望める新天地に新たなるカルタゴを建設を目指して・・・
まぁ、その後1世紀ぐらい造船・航海技術の会得に邁進し、探検を進めれば何とかなるのではないか、と愚考しまして。
でも確かにジブラルタルを越えることすら無理そう・・・
あるいは開戦前に同じような考えでジブラルタルの外にエクソダス先を確保していればどうにかなるかな?
でもローマの執拗な手段を見ないとそこまでは考えないかな・・・
>>638 >それとも某サイトのアイヌのエッセンスが強いかな?
それって太陽帝国?
>>643 >でもローマの執拗な手段を見ないとそこまでは考えないかな・・・
時期的にタイムリーな事件が史実にありますよ。
第三次ポエニ戦争とちょうど同じ時期にイベリア半島で進行していた
ヌマンティア戦争とルシタニア戦争がまさにいいタイミング。
ローマと戦ったのは先住民のケルト人とイベリア人。しかも
カルタゴを滅ぼした小スキピオがイベリアでも指揮を執っていたとあれば、
きっとフェニキア人も無視できぬはず。
実は、カルタゴ脱出からアメリカ到達までの間に
当面の避難先としてワンクッション置くという構想は
私も前からおおまかに思い描いていまして、カルタゴ陥落後のフェニキア人本拠地として
イベリア半島の大西洋岸に新たに港湾都市を築くというストーリーを細々と考えていました。
カルタゴに代わる新都市の立地として、
現在でいうスペイン北部海岸のアストリア地方沿海部を候補地に立ててみました。
(おおよそヒホン〜ビルバオ間です)
カルタゴが陥落した紀元前146年春時点で、イベリア半島でローマの支配を寄せ付けていない地域は
おおざっぱにいうとリスボン〜マドリード〜アンドラを結ぶ線から北半分。
最後までローマの侵略をはねのけた北海岸は天険の要害と天然の良港を兼ね備えた絶好の立地かと。
(ローマが完全征服したのは紀元前19年のカンタブリア戦争以降)
@南を走るカンタブリア山脈がローマの進軍を一世紀にわたり食い止め、かつ
Aビスケー湾の深い水深が大型船の出入りに好適。
Bそのうえ沿岸地域は古代から現代まで鉄鉱石の産地。
C乾燥がちなイベリア半島にあって豊富な降雨量と森林に恵まれ、農業に必須の水と製鉄に必須の燃料に事欠かず、
D先住のケルティベリア人やバスク人は「共通の敵」ローマを相手に共闘できる可能性があり、
Eイベリア北部の地勢・地理はローマ人には詳しく知られていなかったが、フェニキア人は数世紀前から通い慣れた場所だったこと、
などの理由から選んでみました。
ハンノが紀元前425年のアフリカ植民遠征の際に建設したアフリカ西海岸の植民都市は
カルタゴ滅亡の時まで交易を続けていたようです。
IF史では、この交易網を受け継ぎ、中心集積地をイベリア半島北岸に移すというものです。
東西に長い地中海交易圏が終わりを告げ、
大西洋岸を南北に長く結ぶ交易網が幕を開ける、とも見立てられそう。
当然、交易相手も取引産物もカルタゴ時代とは変わることでしょうね。
下の土地はいずれもローマの支配がまだ及んでいない地域ばかりです。
農産物・・・イベリア半島、僅かながら西アフリカ沿岸部
金 属・・・コーンウォールの錫、イベリア北岸の鉄・銅、ギニア〜リベリアの鉄・金(この時代ダイヤも採掘も?)
その他・・・アフリカの象牙や毛皮、イベリアの新都市では造船業やガラス製品、など
長文レスは四年前に書き込んだ扶桑国バージョン以来だ。ああしんど・・・
>>640で懸念していた大西洋沿岸でのローマの監視の目の件ですが、ちょいと調べてきましたところ、
南はアガディルあたりから北はリスボンあたりまでがローマの勢力が(間接的な影響も含めて)及ぶ範囲だったようです。
アトラス以南のマウレタニア住人は、ヌミディアの支配を形だけは受けつつも、統治は現地の部族社会に任せ、
住人もヌミディアには面従腹背の姿勢だったようです。
このモロッコ〜ポルトガル区間さえ船で素通りすれば、南北の往来はつなげるのでは、と楽観してみるのですが、
問題はポルトガル部分。
カルタゴを滅ぼした小スキピオ率いるローマ軍がじりじりと北進するのです。
紀元前140年、タホ川を突破、
紀元前137年、ドウロ川を渡河し北上、
紀元前136年、ミニョー川(西葡国境)を突破しガリシア侵攻・・・
沿岸航法に長年頼ってきたフェニキアの民に、無寄航での外洋長距離航海を余儀なくされる事態に。
外洋航海技術、船体の改良・・・嗚呼どうしたものか(窮)
当時のローマの勢力圏が載った地図を見つけたので貼っておきます。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/historiai/jubaII.html 現モロッコ部分のマウレタニア(黄色部分)と
イベリア半島の濃い緑の部分は、カルタゴ陥落時にはローマの影響圏内にあった地域です。
イベリア半島北部の色の薄い箇所が、そう、フェニキア新都市とその勢力圏となる範囲と
見てください。
さて、新都市の名前も決めておかないと、この先話がしづらいですな・・・
「新カルタゴ」はポエニ語だと「カルト(都市)・ハダシュト(新しき)・ハダシュト」になっちゃうし、
「新カルタヘナ」では「カルト・ハダシュト・ハダシュト・ハダシュト」になってしまう(笑)
651 :
636:2007/07/18(水) 19:26:09 0
>>638 そうです。あそこは量も凄いし、太陽帝国をはじめ色々なコンテンツが面白くて好きなサイトです
それに個人サイトを定期的に、何年も更新し続けているのはスゴイ
>フェニキアの末裔
今のガリシア州・アストゥリアス州・カンタブリア州・バスク国に相当する地域ですかね
ウィキペディアやら何やらでざっと見たところ、山岳が険しく、鉱物にも恵まれていて、鉄工業が盛んらしいですね。
険しい地形のおかげでローマ帝国期にもあんまり実効支配はされていないみたいですし
この辺りはアウグストゥスの時に征服された(前19年)ので、時期的にも好都合かと
中でもアストゥリアス州は最後までローマに抵抗したらしいですし、さらにはレコンキスタの始まった地域でもある
それに鉄工業がさかんで、何でもスペインで最も石炭がとれるみたいですね。
結構よさげな土地ですね
ローマに最後まで抵抗したアストゥリアス州とか、その気概はカルタゴ人に向いていますね
少なくとも自分のアフリカ大西洋沿岸案よりは可能性がありそうですね
とりあえず、植民都市候補としては、現在のアストゥリアス州の湾港都市ヒホンか、
カンタブリア州都のサンタンデール(中南米への港口だったらしい)辺りでしょうか
652 :
636:2007/07/18(水) 19:50:44 0
やや、間違えた
>>638ではなく
>>644です
イベリア北西植民都市群(仮)建設のきっかけとしては、第二次ポエニ戦争後、ローマへの恨みを忘れぬカルタゴ強硬派が
かつてのヒスパニアの例にならい、余りローマに知られておらず、かつある程度自分達が知っているイベリア半島北西部に進出、
かつてと同じく、ローマとの休戦条約を無視して軍隊で先住民を征服、そして鉱山経営をしつつ、フェニキア大西洋交易網(仮)
で交易を営んでいた
しかしやがてこの事はローマの知る所となり、激怒したローマはこれを口実にカルタゴへ戦争を吹っかける(第三次ポエニ戦争 史実通りの時期?)
本国は数年に渡る戦争の後、文字通り滅亡するも、北西植民都市群は、険しい地形により抵抗、結局攻めきれないローマとは膠着状態へ
しかしローマ人を全く信用しないカルタゴ人は交易をしつつ、新しいエクソダス先を探しはじめる。
またこの期間に北方民族の造船技術や航海技術も吸収しつつ、造船・航海技術を発達させる
(ローマのポルトガル制圧により、アフリカ植民都市との交易が少なくとも沿岸航行では不可能になったため、逆にそれをバネに発達させる、
あるいは地中海と違い、荒れるビスケー湾を航行し、ブリテン諸島にまで至る為に発達)
653 :
636:2007/07/18(水) 20:01:45 0
ローマ人とのフォニーウオーを過ごし、反ローマ民族と連帯し、軍備も整えつつ一方で、
南はアフリカや、北はブリテン諸島・スカンジナビアまで足を伸ばすカルタゴ人。
しかし、アフリカの南は決して豊かでなく、得体の知れぬ疫病も存在し居住に適しているとはいえない
北の情勢もカエサルのガリア遠征をきっかけに急速にローマの足音が聞こえてきた
ローマによって戦略的包囲されつつあり、情勢は風雲急を告げる中、何と西から船が戻ってきた
遙か大洋の彼方に途方もなく大きく豊かな大地が存在すると・・・
こんな感じでしょうかね。しかし無理しすぎだな〜
一番の問題はローマが百年も睨み合ってるくれるか?といった処でしょうかね
後、北方民族の造船航海技術ですが、ハッタリに近いものです、というか勢いです
ここらへんは全く知らないので誰か教えて(その前に研究進んでいるのか?)
ローマ共和制末期なら数々のビッグネームが登場するし、北西植民地群へもそれなりの亡命ローマ人が存在するでしょう
まぁ、どうでしょうかね
654 :
世界@名無史さん:2007/07/18(水) 21:31:18 0
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655 :
世界@名無史さん:2007/07/18(水) 21:39:24 0
マヤ・アステカに先駆けて発生した中米のオルメカは明らかにアフリカ
ン・ニグロイドの文明なんだが。
また中国・中近東系の遺物も発見されている。フェニキアとの関連につい
ても学説が出てきている。
また中国は古代の東海貿易について扶桑総合研究を国家プロジェクトとして
実施している。
なるほど、確かに「カルタゴ滅亡後にいきなりアメリカ」は難しいでしょうねえ。
(僕は「以前から到達していた」と解釈していました)
先ずはカンタブリカ地域に逃れて航海術を発達させてアメリカに…、
という流れですか。
「バスク人は古くからニューファンドランド沿岸まで漁に出ていた」
そうですが、果たしてローマ時代にまで遡るのかどうか…。
>>655 オルメカ=アフリカ起源説はかなり怪しいです。
巨石人頭像はモンゴロイドでも説明がつきますし、旧大陸産の遺物も見当たらないですし。
フェニキア人渡来もかなり疑問符付です(このスレではできたことにしておいたのですが)。
「到達」よりも「漂着」の方がありえたと思います。
法顕が一年過ごしたという「扶桑国」も
アメリカよりは九州〜フィリピンあたりの方が可能性が高いのです。
>>657 カンタブリカにしろアゾレスにしろ、
一環とした「交易圏」になりうるかどうかが課題になりますね。
数百〜数千人がウマやウシと小麦を持って
アメリカのどこかに移住してもらわなければならないですし…。
659 :
636:2007/07/28(土) 02:04:03 0
>とてたさん
どうも始めまして
個人としてはフェニキア人の航海・造船技術の発達と、結果として北米到達は
それこそローマからの「生存」を賭けた総力を挙げた国家プロジェクトみたな感じでも良いかなと
つまりローマへの恐怖(ローマのしつこさとか)から、地中海交易から自立した「交易圏」を半ば強引に構築
で、その「交易圏」がローマに侵食されると、「交易圏」で培われた技術・知識を挙げて
新しい「交易圏」構築のために出帆するとか・・・・・
う〜ん強引過ぎるな〜(汗
しかし目標はあくまで北米到達なので、北米は「漂流した輸送船が偶然発見しました」、そんな感じでも良いかな?
あるいは貧弱な「交易圏」強化のために、フェニキア人が出した探検商人船団が発見、とか
やっぱ、自分のイメージが某サイトのアイヌ帝国の影響受けまくりですね
660 :
636:2007/07/28(土) 02:15:11 0
>>657 その本は、あんまり信用なら無い
なぜなら、著者が漢字をを読めないらしい・・・
個人的にはムー大陸と同じ程度のホラだと思います(ムー大陸の人も確か、イギリス軍人だったような気が)
それに宝船についても、個人としては長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)の超巨大帆船ではなく、
全長50メートル程の帆船などで構成された船団が、既存の交易路を使っての一種のホワイトフリート的行動だと考えています
大体、あんな超巨大帆船を建造できたとしても、湾港などのインフラどうしているのか
よしんば、中国国内は如何にか出来たとしても、国外ではどうするのかと
あ、一応参考文献あげときますね
歴史の海を走る―中国造船技術の航跡 (図説 中国文化百華) (単行本)
山形 欣哉 (著)
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4540030981.html たぶん日本語で書かれた唯一の中国造船技術史の本かと
661 :
636:2007/07/28(土) 02:30:13 0
あと、海外の歴史改変物を集めたサイト
ttp://www.uchronia.net/intro.html で機械翻訳頼りで色々いじっていたら、海外にも北米大陸モノで色々ありますた
アステカ帝国モノ人気なのかな?例えば
ヴァイキングが北米に進出して、やがてアステカ=ヴァイキング帝国が大国になるとか
12世紀だか、13世紀に日本人が北米にやってきて、やがてアステカと日本が超大国になるお話とか
欧州がモンゴルやイスラムに占領されて、換わりに中南米の文明が雄飛するとか
一番吹いたのが、コルテスがアステカに「亡命」して、やがて国を拡大させるとか
とりあえず誰か訳して出版してよ(DrakaシリーズとかTimeline-191とかも・・・)
後、ローマ帝国が存続・技術が発達したらってのも人気だな〜
しかしキリスト教フラグを潰すために、出エジプトを失敗させるとは、凄まじい・・・
>>660 >>657のは1421じゃなくて1491 コロンブス侵入前年の西半球文明事情だす。
そもそも著者違うし。
663 :
636:2007/07/28(土) 11:14:42 0
>>662 げ、確かに違う
チラッとリンク先見たらタイトルがソックリだから早とちりしちまった
すまん&指摘サンクス
664 :
世界@名無史さん:2007/07/28(土) 23:46:41 0
>>659 いえいえ、よくいらっしゃいました。
交易圏強化型の場合、アメリカ到達後も恒常的に旧大陸と通交することになると思います。
徐福伝説のように「タネ」をもって行きっぱなし、の方が今までの流れには沿い易いかと。
「フェニキアのアメリカ到達」
そのものは紀元前6世紀に到達していた可能性もゼロではないですし…。
「時空道中膝栗毛」(小松左京)のネタですが。
>>661 おお、僕も機械翻訳で読んでみます。
とはいえ、似たようなことは誰でも考えるようですね…。
コルテスがアステカに亡命…、
モクテスマ2世とけっこう仲がよくなったそうなので、その流れのIFでは。
666 :
世界@名無史さん:2007/08/03(金) 03:55:48 O
というか米大陸を栄えさせるだけならフェニキアにこだわる必要ない気がしてきた
春秋戦国のどこかの王家と側近が始皇帝の手を逃れて
太平洋横断っていうのもそれはそれはロマンじゃない?
フェニキアは南アフリカを繁栄させる駒にしてもよさそう
667 :
636:2007/08/04(土) 09:01:05 0
>>665 とてたさん
どうも、遅れて申し訳ありません
>交易圏強化型の場合、アメリカ到達後も恒常的に旧大陸と通交することになると思います。
あ〜自分の意見としては、
アメリカを交易圏に取り込むと言うよりは、アメリカに至る前段階として、カンタブリアを中心とした大西洋沿岸交易圏を構築
アメリカに至るための各種技術や、人・物・船を蓄積して、アメリカ大陸へのステップの準備をさせる。
その後、ローマの進出を受けたカルタゴ人は、かつてのカルタゴの悲劇の二の舞を恐れて
ローマ人の手が届かないアメリカへ向かい、旧大陸との関係を断ち切って新世界で雄飛する、といった感じです
言うなれば、大西洋沿岸交易圏は、アメリカ到達への踏み台、あくまで、一時的なものと考えています。
668 :
636:2007/08/04(土) 09:06:06 0
>「フェニキアのアメリカ到達」
>そのものは紀元前6世紀に到達していた可能性もゼロではないですし…。
こんな感じはどうでしょう
かつてヘラクレスの柱を超え遥か大洋の彼方から戻ったフェニキア船が存在した。
帰還した彼らは、海の果てにまったく未知の世界を見つけたと証言
その後、何隻かの船が派遣されるも還ってくるものは無く、海の果ての世界は伝説と化した
しかしながら、この伝説は、フェニキア人の間では事実と信じられていた。
その後、地中海のフェニキア勢力は衰亡し、唯一カンタブリアを中心とした大西洋沿岸交易圏が残った。
しかし、それも地中海帝国を築きつつあるローマの侵攻を受けて、フェニキアを中心とした交易圏は消滅寸前だった。
追い詰められたカルタゴ人は、海の果ての新世界の伝説を信じ、ヤケクソになってその伝説に掛けた。
カルタゴ人は技術者・学者を含む数百人の人、馬・牛・羊などの家畜、農作物、鉄器具を積んだ大規模な移民船団を編成
その船団は西に向かって出帆した。二度と踏む事のない旧世界を後ろにしつつ
669 :
636:2007/08/04(土) 09:12:42 0
その後、ローマによってカンタブリアを制圧されたが、、その際に遥か大洋の彼方へ逃亡した船団の話を耳に入れる
しかし、ローマ人にとって海の果ての世界など信じられず、自殺行為にしか思われなかった。
やがてローマが盛衰し、異民族の進出を受け、一神教が布教されて行く中で海の果てを目指した船団の話は忘れ去られていったが・・・
こんな感じはどうでしょう(少し調子に乗りすぎたかも。ども、こういうのは勢いが大事ですし。すみません)
>>666 確かにそうかもしれないけど、フェニキアをここで捨てるのは勿体ない気もしますし
それに、春秋戦国時代の中国から新大陸へ向かうのは厳しいものがあるかも(最もフェニキアもおなじですが
何といっても太平洋は大西洋よりも広大で荒れますし、北方経由なら何となるかもしれないですが
たぶん日本や東南アジアの方へ行くでしょう(そういえば台湾に入植して鄭氏台湾みたな勢力を構築するのも面白いかも)
>フェニキアは南アフリカを繁栄させる駒にしてもよさそう
これはここの事ですかね
【アフリカに独自文明圏を作る】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1185303559/ 駄文・長文・連投・すみませんでした。
>>666 「扶桑国」が一応このスレで該当します。
ただ、太平洋渡航は大西洋よりも困難なので…。
>>667-669 なるほど、よい流れかと。
ただし、ヒツジは駄目です。
(今までの流れ的にウマとウシが持ち込めた家畜なので…)
到達地域も実は今まで曖昧になっていたのですが、
出発したのがかなり北なので合衆国南部以北あたりになりますかねえ…?
(個人的にはキューバ辺りを想定してました)
671 :
636:2007/08/04(土) 12:59:38 0
672 :
世界@名無史さん:2007/08/05(日) 04:22:59 O
太平洋は広いから、で東洋の可能性を見過ごすのはそれこそもったいない
というか諸子百家を通過してる春秋戦国諸侯ならいざしらず
フェニキア人には原住民の大規模教化の手段がないんじゃ?
大航海時代の列強の植民でさえちょくちょく失敗して
絶滅の憂き目をみてるのに
ホロコーストばりの絶滅政策で追いつめられて
ズタボロのフェニキア人集団がたったのワンチャンスを
活かすほうが無茶苦茶難しそうだけどなあ
いや、「オレはチャイナよりカルタゴに萌えてるから
どうにかしてカルタゴ復活IFをやりたいんだ!」
ていうならその意気や良し!なんだけど
そうじゃなくてあくまで可能性だけで考えてんでしょ?
でも、まず海を渡れるかどうかという肝心の航海術ではフェニキア人の方が漢民族より上なんじゃないの
それに教化という点に置いても諸子百家とはいうものの中華の枠を超えるものじゃないから
異民族どころかそれまでまるで漢人と接触がなかったネイティブアメリカンに通用するかには疑問を持たざるをえないがな
儒教がさらに洗練されて日本や半島などの周辺諸国にも広まるようになるのは朱子学が出てきてからだし
教化手段として不十分という点では黄河文明もたいして変わらないのでは
674 :
世界@名無史さん:2007/08/06(月) 09:39:19 O
沿岸及び内海航海と外洋航海じゃ必要になる技術の次元が違う
造船も操船もね
5歳と4歳の子供で5歳のほうがダンクシュートできる確率高い
っていうようなもん
ゴールがぶっこわれて落ちてくるような奇跡でもない限り
どのみち無理ありまくりでしょう
漂着によってのみ新大陸にたどり着き得る
て設定でいくものと俺は読んで思ったけど
新大陸と旧大陸の交渉を絶つって話だし
あと中華思想が外に広まらなかったのは中華思想がしょぼくて
洗練が足りなかったのくだりはギャグ?
675 :
世界@名無史さん:2007/08/06(月) 09:45:16 0
で、儒学を例に出すなら儒学ってのは基本的に内治の手段なんだから
このケースのように「政権そのものが亡命」みたいな場合では
他文化圏への布教行動とは根本的に状況が違う
というかそもそも儒学に他文化圏への布教なんて概念なくて
日本にしても朝鮮にしても教えを請いに行った立場なんだが
だから?としか言い様がないな
空想するにしても4歳よりは5歳の方が1歳分マシだろうに
儒教やその他中華思想に布教の概念がなくて周辺が教えを請いに行く立場だったというのもだから何?としか
中華にはあちらから思想を学びに来てたからすごいんですってか
ギリシャにだってローマにだってもっと古い文明にだって周辺の方から学びに来てるでしょう
中華案を推したいなら脳内の印象論で終わらない可能性を煮詰めた仮説を出してみてくださいよ、中華さん
677 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 02:21:09 0
ジャレド・ダイアモンドによると、アメリカ大陸は縦に長いから、文明が発達する事ができなかった。
678 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 03:58:32 O
儒学がいかに優れた統治思想かなんて
あのだだっ広い中国の中央集権をまとめあげたってだけで
証明は十分だと思うけどなあ
ハンニバルの暴走さえ抑止できなかったカルタゴが
原住民の舵取りをして新文明を築き得るかってのは
かなり疑問符だなあ
いや、もちろん俺がこんなこと言うのは中華への偏愛あったればこそなんだけど
カルタゴ派の人らも単純にカルタゴが好きだから
カルタゴにこだわりたいってゲロっちゃいなよ
変にカルタゴだけが新大陸ユウヒの可能性がある
なんて理屈いわんでさ
> 儒学がいかに優れた統治思想かなんて
> あのだだっ広い中国の中央集権をまとめあげたってだけで
> 証明は十分だと思うけどなあ
実質的には中央集権をまとめたのは法家思想だと思う
秦が強国化して戦国を制したのは法家あればこそ
最初は儒教に基づいていた漢も呉楚七国の乱を経て郡県制などの法家寄りの制度にシフトしたし
三国時代には再び法家的な傾向のあった曹操の台頭があるわけで
儒教は混乱を治めたあとの身分秩序規定の道具にはなりえるけれど混乱そのものを治める力たりえないかと
ハンニバルの暴走というけど、それは原住民の蜂起のような単純な不満→暴動の流れとはまるで別物ですよ
カルタゴ本国の従来の勢力下で交易、農商業を行うべしとする派閥と
イベリア半島のハンニバルの一門を中心とした勢力拡大を是とする派閥にはハンニバルの父祖の代からの確執があるわけで
これは教化や思想のレベルの問題とはまた別の政治的対立です
681 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 22:40:36 0
>>678 カルタゴにこだわりたいっていうだけじゃないんだが・・・
ただ・・
どっちにしても貴殿の中華の新大陸への進出は、ほぼありえんけど
カルタゴのほうは中華に比較すれば、まだ可能性は、はるかに高い
のだけは確かだな。
可能性を考慮すれば、もう少しバイキングが大規模かつ恒常的に
新大陸に影響を与えたとか
どこぞの西洋の作家が書いているように騎馬民族が
ベーリング渡って新大陸に大帝国を築いててコロンブスと接触とか
インパクトを与える歴史的イベントは、いろいろ夢想できるんだろうが
あまり接触する時点を遅くすれば旧大陸から伝播した疫病や文化的影響から
回復する猶予も何もなく旧大陸の、どこぞの二次文明に変質して
しまうだけにおわる。
カルタゴが本格的に新大陸に飛躍したというのが
ある程度完成度の高い文明を伝播させ
完全に飲み込まれることなく新大陸土着民
独自性を発揮した文明化への時間
疫病の災厄からの回復とかの時間
も含めて考慮するに最適と
多くの人が判断し同意したから
カルタゴ案が、多く普及したんだろう。
貴殿のように
ただの一人の同意者のいないのと違って
カルタゴ案はスレ1
から検討もされて多くが同意している。
扶桑国の時にも出した気はしますが、
「中国からの新大陸渡航説」というのは
法顕が漂着した扶桑国=メキシコ説、マヤの青銅器=殷の影響説
という現在では否定された説があるにはありますが、
他の人もあげているように遠すぎるために無理があります。
「戦乱を逃れる」だけならわざわざ遠洋渡海することよりも、
朝鮮〜日本〜琉球〜台湾〜フィリピンという近場で充分ですし。
683 :
636:2007/08/08(水) 00:51:49 0
>>678 やっぱ太平洋を横断するのは難しいと思います
アカプルコ−マニラ航路の開拓にも相当苦労していますし
大西洋横断なんかは結構楽らしいですけど(アフリカ西岸を南下するほうが難しい、て見た事がある)
やっぱり、日本や台湾・東南アジアに行くだろうし・・・
10世紀以降なら、北方経由で往けるとは思うんですけどね
後、フェニキア案が登場したのは、フェニキア人がアメリカ大陸に到達していた、と言う伝承が在った事一因かなとは思います
まぁ、それでも強引なのはご愛嬌かと
やっぱ、ここは自分のプランを練って、公開してみたらどうです
何か新しいインスピレーションが生まれるかもしれないですし
あと、儒教を過大に捕らえ過ぎているかも(まぁ印象だけなんですけど)
>>678 妄想するにしても、中華は負の実績が多すぎだよ。
何と言っても、すぐ東側にある列島(つまり日本列島のこと)さえ、
乗り込んだ漢族のイニシアチブで「中華文明化」したんじゃないんだから。
日本が広義の中華文明を受け入れたのは、
中国人が大挙して乗り込んで文明指導したからではなく、
飛鳥時代から奈良時代の日本人が、中華文明を「学ぶ気になった」から。
だから、この時期が大和の中華文明受け入れの時期になる。
沖縄だと、学ぶ気になったのが15世紀頃になるので、やはりその時期になった。
沖縄のほうが、大和より中国に近いのに、中華文明の受け入れ時期が逆なのは
「学ぶ」ということに対しての主導権が、一貫して中国人の側ではなく、
大和や沖縄の地元民の側にあったから。
他にも負の実績と言うのはいくらでもあって、
逆に、中国人が大挙して乗り出した東南アジア地域で、
現地人を中華文明化させて、中華に繋がる「現地民族文化」を生み出した例は
なんと一つも無いという致命的な事実がある。
東南アジアに華僑は大挙して乗り込んでいったわけだが、
数百年経った現代でも、東南アジアの地元民の文明系統は、
地続きで華僑以前から早々に中国文明化したベトナムを除き、
2000年近く前に伝播した、広義のインド文明系から全く変わっていない。
人口の2割超えなどというマレーシアでも同じだし、
本来言語系統が比較的近いはずのタイでも、タイ語が漢語化したなんてことはなく、
文字を見れば明らかなように、タイは明らかなインド系文明圏だ。
タイ人は比較的後世になって南下してきたんだが、それでもこの状況。
インド文明が強過ぎという抗弁もあるかもしれないが、
元々原始的な部族文化レベルにとどまっていたフィリピンは、
漢族化なんて話の前に、アッサリとスペイン化・アメリカ化されてしまった。
ここまで徹底的に失敗している中国よりは、
まだ、フェニキアのほうが妄想のし甲斐があるんじゃないか?
686 :
世界@名無史さん:2007/08/08(水) 03:10:49 0
つまり、インド文明は伝播し易いと。
フェニキアとインド。どっちが伝播し易い文明なんだろうか?
なんにしろ中華好きで儒教好きの672=674-675=678は
他人を自分と同レベルの特定文化の偏愛者だろとくさす前に
渡海案や論拠になるデータ、論拠にはならなくても妄想の具にはなる伝説でも考えたら
フェニキア案も長いことああでもないこうでもないと考えられて出来上がった産物だし
>>685 フィリピンはスペイン化の前にはイスラム化されていました。
(マニラ以南ですが)
689 :
世界@名無史さん:2007/08/10(金) 03:53:49 O
ところがどっこい
実はフェニキア案って批判されたことないんだぜ
今回が初めてなんだ
ずっとこのスレいるとフェニキアの話ばかり
出るんで議論を尽くしたような気分になるけどな
過去ログ持ってたら読み返してみるといいよ
できないかもな、どうやって大西洋を渡るんだ?、文化の移植がそんなに上手くいくか?って「批判・批評」なら何度かされてる
今度の中華思想の人みたいなフェニキアなんて低レベルw私の好きな儒教と漢民族の方がいい!って「非難」は初めてだが
691 :
世界@名無史さん:2007/08/11(土) 18:35:45 0
>>689 貴殿のほうこそ読み返せば?
中華のように提案したとたんに反論あっても同意皆無のとは違い
疑問の声もあったが、流れで賛同の声もあった。
自分だけでなく他人をも巻き込んで
「上手く話しを作れるか否か」が肝要なんですけどね。
693 :
世界@名無史さん:2007/08/25(土) 22:50:27 O
戦国諸侯の生き残りが亡命するなら日本か台湾を選ぶように
カルタゴの生き残りもアフリカの奥に行かない場合は
新大陸よりどう考えてもブリテン行くんじゃ?
フェニキア人のブリテン島ってそれ面白いな・・・
695 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 07:23:06 0
第一次ポエニ戦争が終結すると、傭兵隊の穏便な解散後、
バルカ家のハミルカルは新植民地建設計画を政府に上梓し、ヒスパニアへ出征した。
これは、戦争の敗北による賠償金などで一時青息吐息の状態であった
カルタゴ本国の失地を、新たな征服によって補おうという意図であったらしい。
しかし、遠征の半ばから政府が打ち出した交易重視政策によって国が潤いはじめると、
ハミルカルは方針の転換を考える。莫大なコストと時間を浪費するヒスパニア征服事業を
いったん中断し、もっと小さな労力で得られる未開地の発見に方向を切り替えたのである。
現状の路線を進めたとしても、武力でローマを打倒することはもはや難しい。
直接のきっかけは、この当時カルタゴにおいて話題になった「海の彼方の土地」に関する噂だった。
もしそこが本当に文明未踏の土地であり、さらに土地固有の特産物があるとすれば、
いまや強盛を極めるローマを経済力において圧倒できるかもしれない。
696 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 07:33:58 0
第一次省いてくださいすいません
続き
いったん本国に戻ったハミルカルは、旺盛なロビー活動を開始した。
ポエニ戦争での活躍めざましくも、あくまで政府や有力貴族を立てる
態度を貫いたハミルカルの評判は上々であったが、あまりに夢のような
大航海計画には流石にみな首を振らない。時間ばかりが経過するなか、
ハミルカルは本来の自家とヒスパニアカルタゴ領からあがる収益をどんどん
外洋航海に耐え得る大船の設計・試作に費やし続け、10年目にどうにか
目処らしきものに到達した。
これに目をつけたのがカルタゴ最大の貴族マゴ家であった。
元々は勢いを強めはじめたバルカ家に警戒心を抱いていたマゴ家であったが、
ハミルカルの浪費によりその屋台骨は傾きはじめており、
引き換え交易政策を主導してきたマゴ家の力はいまや頂点に達している。
この時のマゴ家の思惑を類推すれば、航海が失敗すればよし、大きなライバルが消滅するし、
もし成功してもマゴ家は大スポンサーとして、新植民地からの収益を大幅に
懐に収めることができ、いずれにせよ得ばかりといったところか。
697 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 07:48:28 0
マゴ家の投資も始まり、さあこれからというところで、ハミルカルは多年の心労が祟ったか、
あっさりと病没してしまう。跡を襲ったのが、「新世界の征服者」「新世界皇帝」こと
ハンニバル・バルカであり、このとき24歳に過ぎない若者であった。
少年時代から父の薫陶を受け、その夢を受け継いだハンニバル青年は、後には
類稀な軍事的才能を披露するとはいえ、何よりまず役立ったのが航海士としての
天才性であった。帆船の可能性に着目し、ハミルカル時代からの船の設計に
大幅な修正を加えたかと思えば、次には天体の運行から現在地を知る天文法を発明。
そのほか、現代でも使用される20以上の重大な航海技術を発見し、新植民地建設計画を
にわかに現実味あるものとして軌道に乗せた。
そうなるとしめたもので寄付も一斉に集まりはじめ、ハンニバルが父の跡を継いで
わずか7年目に、第一次殖民船団計画が始動したのである。
しかし、こうしたカルタゴ全体の動きに対するハンニバルの心中は複雑であった。
それが、数十年後の第二次ポエニ戦争において表面化してしまうのだが、そのことは後に譲ろう。
>>693-694 …たしかにその方が可能性は高いでしょうねえ。
他に家畜と病気を早めに持ち込めそうな集団がいなかったですし、
「これた」ことにしないと話が進まなかったですから。
>>695-697 ハンニバルによる大西洋渡航計画ですか…。
時期的にもちょうどいいのかしら。
699 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 22:51:30 O
「これた」ことにしてしまうなら
それこそ「中華でいいじゃん」って話になってしまう
フェニキアがあらゆる古代文明からほとんど単独で選ばれたのは
あくまで「渡海の可能性が高い」ゆえなんだからそこは「これた」じゃ済まされないと思うよ
横やりすまそ
期待してます
700 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 10:17:42 0
695-697
すごい良い!もっと進めてほしいな。
思ったんだけど、やはり語り部さんが主導するととても面白い。
多少行き過ぎても、やはり、面白い。
そうか、いっそ、ここでは、その可能性の議論をして、それ以外にスレた
てて、南北アメリカスレ、オーストラリアスレ、アフリカスレの設定を使
って物語を語るのもいいかもね。
【wk】ifスレの設定で語る歴史【tk】
とか、題名つけてさ。そしたら、こっちは設定に専念できて、その新スレで
妄想もばりばりOKで語れる。
701 :
世界@名無史さん:2007/09/14(金) 03:46:31 O
ネタかせめて皮肉で言ってると信じてやりたいとこだが
>>700 保守の意味と輻輳を避けるためにも今までどおりに
それぞれのスレでやるのがよいかと。
703 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 03:48:26 0
704 :
◆JQbPBi5NEs :2007/09/25(火) 05:24:15 0
あげ
705 :
世界@名無史さん:2007/10/02(火) 09:47:01 0
ほす
707 :
世界@名無史さん:2007/10/16(火) 03:50:52 O
このスレ終わったな
まだまだ
709 :
世界@名無史さん:2007/10/27(土) 03:38:46 O
でもこの流れじゃあね
710 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 14:39:25 0
アメリカ大陸はジャガイモとか優れた食品があったのになぜ西洋にやられてしまったのだろうか。
やはりジャレドダイアモンドが言うとおり、家畜の欠如と南北に長く、地形的に
南北の交流も疎外された結果なのだろうか。
711 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 04:12:07 O
旧大陸のほうが環境が多様だから、適応のために種も多様化し、
結果として適応競争と種の衝突がより激しく起こっただけ
確率の問題でしかないんで、新大陸のほうが進歩してた可能性はなんぼもある
(例えば馬が大陸分裂の時点で新大陸側に集中し、
旧大陸には気が荒く物覚えの悪いシマウマが集中するとか)
姉妹スレの神聖アフリカのほうが難しそうだけどな
旧大陸の文明よりインディアンのほうが優れてた技術や社会制度も
たくさんあったことを考えたら、やっぱ決め手は軍事力
軍事力の必要性が高まるのは何といっても文明の衝突だから、
結局は馬でどれだけ文明の行動半径が広がるかだと思う
ぶっちゃけた話、フェニキアや中国文明の移植なんて無駄な議論じゃない?
文明トータルの進歩度合いじゃ、旧新の大陸にそんなに差は感じられないけどな
>>711 知っているとは思うが、新大陸の馬が絶滅したのは最終氷期より後、
絶滅させたのは人間(つまりアメリカ先住民の先祖)だからなあ。
ここで馬(エクウスつまり今の馬そのもの)を彼らが絶滅させなかったら、
コロンブス以降の世界は大きく変わったかもしれない。
一万年近い時を経て、因果応報を食らったのかもしれない>アメリカ先住民
だが、新大陸で馬が絶滅したが、旧大陸で馬が絶滅を免れたのは、
ユーラシア最奥部の草原で馬がなんとか助かったからで、
結局旧大陸の大きさと地形の「懐の深さ」による。
「大陸の大きさ」説という、ダイヤモンド説の骨格は当然揺るがないね。
旧大陸では、動物は人類の狩猟技術が未熟なときから対応策を採ることが出来たが、
新大陸では、いきなし高度な狩猟技術を身につけた人類と遭遇したからだろ。
ダイアモンド氏もンナ事書いてたぞ。
714 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 21:13:47 0
木を伐り倒す利器がなかったのだ。このことの意味は大きい。建築や都市は木造では
なく石で作ればすむが、森を拓(ひら)くことができなければ大きな畑は出来ない。トウモ
ロコシをはじめとするメソアメリカの農業は、「主に中小河川、湖沼、湧き水などを利用
した灌漑(かんがい)農業、段々畑、家庭菜園、焼畑農業など」だった。おそらく、森や林
を焼いて農地と化していたのだろうが、焼いてしまってはせっかくの森林資源をエネルギ
ーや建設資材などに利用できない。森を拓き、拓くことで食料とエネルギーと資材を得る
という“一挙三得”ができなかった。現代の文明から、石油と鉄を抜いたような状態だった。
メソアメリカ文明は、一部はすごく発達し、一部はすごく遅れた、バランスを欠いた文明
だったと思う。
このアンバランス感が、謎の文明の印象を与えるのだが、実は、現在、世界の人々がメ
ソアメリカに魅せられるのはこの謎の部分なのである。「石器の都市文明」とはうまい言い
方で、石器と都市のアンバランス感が、謎を求める多くの読者を引きつける。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/09/20070916ddm015070024000c.html
>>712-713 馴れるウマの存在の有無は「巨視的なIF」になりますが、
アフリカでもクアッガの家畜化に成功していればまた違った歴史になったかもですね。
>>714 石斧と鉄器の斧の差は数十分程度、と昔見た覚えが。
それに庶民の家は木造草葺でしたし。
とはいえ、金属器の利用が装身具や威信財止まりで
実用面への利用があまりみられなかったのは謎の一つなのですが。
「石器の都市文明」がよい煽り文というのは同意です。
716 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 03:54:13 O
もし新旧大陸の立場が逆で欧州が征服される立場だったら
欧州やオスマンは「グロテスクなほど強圧な秩序だけが発達した
公平性のかけらもない未開社会」とかアステカ人やインカ人に評されてそうだ
マヤ文明って、進歩レベル、エジプト古王朝くらい?
君の脳みそよりは発展してたんじゃないかな?
一応現代に暮らしてるんだからそろそろ進歩したほうがいいよ
>>716 交易主体の国家群になると思いますので、
早々侵略するかどうかも微妙なところだったりしますが…。
>>717 なんのレベルにもよるかと思いますが。
天文・数学はマヤの方が上ですし、
専制国家と都市国家群のどちらがどう優れているかはいえないですし。
720 :
世界@名無史さん:2007/11/08(木) 03:46:31 O
インディアン文明がバランスを欠いているイコール
西洋文明のバランスがいい、って西洋人の発想だよなあ
マヤより遙かに凄惨な戦争を繰り返して
地球のどこよりも多くの血を流しながら
初歩程度の外科知識しかなかった文明の
どこらへんがバランスいいんだろう
やっぱろくな家畜が無いのと、車輪が無いのはバランスに欠けるな。
722 :
世界@名無史さん:2007/11/10(土) 22:50:07 O
どっちもどっち
西洋にしても北米にしても奇形的な文明であることには変わりなし
総合的に全分野が強くてバランスとれた文明なんて
大航海時代前夜には世界中で明しかないでしょ
その明は新大陸の冒険なんてまるで興味ないんだから
「バランス」とやらをこのスレで語る価値はないな
何を持って「奇形」とするかが解らない。
バランスは色んなモノがある方が取りやすいはず。
「文明」と言うからには物質文明を主に指すと思うが、
やはり穀物・家畜・金属・文字・車輪に欠けたり著しく制限のある文明はバランスに欠ける。
まあ新大陸人の能力のせいでは無いという事だがな。金剛石氏の話によれば。
724 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 03:50:06 O
いやあインディアンの能力のせいでしょw
畑作るのに森を焼くとか馬を狩り尽くしたとか
まるでイースター島の人間モドキみたいな話よねえ
誰かと思えば携帯厨か
726 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 03:48:32 O
携帯厨ってw
VIPからきますたってやつ?w
いまどき2ちゃん見るのにPC強制とか
どこの化石原人だよwww
>金剛石氏
未読だけど『文明の生態史観』よりマシな事書いてる?
ウザい携帯厨の特徴
・sageと打つのが面倒なのでsageない。
・pic.toは言われるまでPC許可しない。
・うpろだに画像をうpすると 「picでよろ(´・ω・`)」
・レスを読むのが面倒なので流れが読めない。
・読みにくい文字をさも当然のように使ってくる。
・書き込みの下にやたら改行が入る。
・PC持ちをオタク扱い 「あんたらオタクみたいに一日中PCに貼り付いて居れるほど暇じゃないんで」
・やたら煽りレスに反応する。釣られてると解っていても、文章を消すのがもったいないので即書き込み。
・長文を書き終えた時にはスレが埋まってる。
・普通の掲示板と同じノリで馴れ合おうとする 「ぉ初ヽ(。ゝω・。)ノdёsц★ょろ∪く━━。:+((*′艸`))+:。━━ぅ!!!」
・注意すると「精神病院行ったほうがいいんじゃない??」と意味不明な逆ギレレス。
・アンカーが打てずに↑で返事する。しかも返事が遅いので大抵別の奴に邪魔される。
・適当なところで改行できないので読みづらい。読点なんかも付けられないのでお経のようになる
729 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 05:03:10 O
いきなりコピペなんてどうしたんだ
何がおまえの柔らかな部分を傷つけちゃったの
だからー携帯厨はうざいから消えろってこと
あ、あと携帯厨は銃・病原菌・鉄を100回読んでからこのスレにくること
まあ、ケータイ小説(笑)しか読んだことの携帯厨には難しすぎるかもしれないけど
なんか空気悪いから換気代わりに、ちょっと日中からの漂流民からの影響を主軸にすえた妄想を書き殴ってみる。
漂流民から現地民に文字を始めとした知識や、漂流しちゃった船に載せてあった方位磁石(中国には古くからあるし、あるなら絶対船に載せてる筈)なんかが伝わる。
そんな漂流民からの知識の中に「馬に乗った兵士ってーのは、徒歩の兵士に比べて鬼つえーぞ」っつーのがあった。
しかし北米大陸は右を向いても左を向いても馬なんかいないわけで。
しょうがないので代わりとして、試験的に群れからはぐれたバッファローを捕獲・餌付けし、試行錯誤を経てなんとか調教してみる。
そしてそのバッファローに乗った兵士を他の部族との抗争に投入してみると、これがバキバキに強い。
そもそも走行中のバッファローの戦闘力自体が人間様等問題にならないほど高いので接近戦ができない上、高速で移動するので弓の命中率も下がる。
これじゃあ騎乗兵に歩兵が勝てないのも当たり前。
しかもバッファローの馬力は言うまでもなく人間をはるかに凌駕する。
重い物の運搬等にその圧倒的パワーを活用するなど、バッファローは戦闘以外にも活躍を見せる。
そして勿論、死んでしまえば食料になる。
こりゃすげーや、という事で本格的にバッファローを飼う体制をあれこれ苦労しつつも整えると、ある問題が発生した。
その問題とは、数が増えたバッファローが草を食い尽くしてしまうので、一つ所に留まれないと言う事。
こうしてバッファローを飼う事にした部族は遊牧民と化す。
このバッファロー遊牧民はトコトン強く、行く先々で衝突した部族(相手方が野生のバッファローと間違えて、飼いバッファローを殺してしまうのがお決まりのパターン)を次々と撫で斬りにしていく。
続き。
そんな強大になりすぎたバッファロー遊牧民の圧力は、彼等が元いた米大陸西側沿岸地域の連中も受けてたわけで。
遊牧民同様漢字が使える部族は、漢字と同時に入ってきた造船技術(色々劣化してるけど)を使って比較的優秀な船を作り、敵対部族の攻撃を受けたら敵がやって来れない洋上に逃げられる体制を作る。
でもこれだと夜襲なんか喰らうとキツイ訳で。
「いっその事、海の上で寝泊りしよう。海がシケてる時限定で陸に上がる方向で。」
という事で生活空間としての船を発展させ、魚影を求めて米大陸太平洋沿岸をうろつくライフスタイルを確立させる。
一方バッファロー遊牧民に撫で斬りにされた部族の内、南方に追いやられた連中は、南下の過程で少しずつ合流し、反バッファロー遊牧民部族連合(仮)を結成。
一緒に暮らす内に、いくらかの摩擦・衝突を経て、徐々に言葉の壁が薄くなっていく。
そこへ前述の船上生活部族が合流、表意文字たる漢字を伝える事によって言葉の問題をさらに解決に導き、やがて統一言語とも言うべき共通語が生まれる。
この共通語は彼等の敵対者であるバッファロー遊牧民も使うようになる。
一方洋上をフラフラするのが当たり前の船上生活部族にとって、木々の生い茂る沿岸地域というのは死活問題に直結する必要物資。
より多くの木々が生い茂る沿岸地域を求めて南下を繰り返すうちに南米に到達。
南米から畜産に威力を発揮するトウモロコシなどの南米産優良穀物を入手、これにより、漢字と一緒に入ってきたもののそれまで半ば忘れ去られていた農耕の概念が生かされる事となる。
当初の南米穀物は人間が食べられる物ではなかったが、家畜の餌にはなった。
これにより定住しながらにしてバッファロー、そしてバッファローより弱いけれど気性が穏やかで利用価値も高い巨大アルマジロを飼う事ができるようになった。
こうして定住とバッファローの戦力を両立させた反バッファロー遊牧民部族連合は、定住によって大幅に増えた人口によるマンパワーによって、バッファロー遊牧民を追い散らしていく。
んで、この後船上生活部族は更に南下を続けるものの、南米太平洋側は結構不毛。
そしてある時点で誰かが気付く。
「そういや、俺達のご先祖様の一部って、西の海から漂着してきたんだよな……」
>「そういや、俺達のご先祖様の一部って、西の海から漂着してきたんだよな……」
そして、アメリカからユーラシアへの航海が始まる、と
736 :
732:2007/11/15(木) 22:10:10 0
巨大アルマジロ、萌えるんだが後で調べてみたらこの時点ではもう既に絶滅か……
>>735 そうそう。
南米が出発地点だと途中で休憩地点になるイースター島なんかがあるし、インドネシア諸島というロープを掴む事さえできればそれを伝ってインド、つまりユーラシア大陸まで行ける。
これなら、あのだだっ広い海域にハワイくらいしかない北米-日本・中国間よりも遥かに楽なルートだと思う。
また船上生活部族の船は生活空間としての進化を遂げているので、長期間にわたる航海に耐えられるだけのキャパシティがある。
(つーか、長旅に耐えられる船を南米から出港させるために、こんな妙な連中を設定したんだけどな。他にも役目はあるけど。)
で、火薬の製法や北米に伝えきられなかった分の漢字、その他にも製鉄とかの技術を、南米特有の天文学の技術なんかを教え合う。
また、生活空間として速力は二の次で進歩してきた船上生活部族の船が、移動手段としての発達をしていたユーラシアの造船技術によって飛躍的に速力を上げると共に、ユーラシアの造船技術も船上生活部族の造船技術の影響を受けて長旅に耐えられる進化を果たす。
それで火薬を入手したこの人達が何をするんだろうと考えると、銛にロケット花火の機構を組み込んだ火薬銛(仮)かな?
基本船の上で生活している人達だし、サメ辺りをあっさり仕留められる高威力の銛が欲しそうだし、そう考えると森の強化に火薬を使うかなと。
こうして出来た火薬銛は一人でも簡単に扱う事ができる上、威力も上々。
それをみた日中印あたりが、自分達の軍隊に取り入れると共に改良を加える。
その動きは米大陸でも起きる。
こうした改良策の中には、沢山並べた火薬銛の導火線を連続点火する装置なんかもあったりすると、ヨーロッパの一人勝ちは防げるんでないかと。
後は疫病をどうにかせんと。
コレがある以上、もし米大陸側が19世紀末の技術力を誇っていたとしても、大航海時代の欧州には勝てんと思う……
737 :
世界@名無史さん:2007/11/16(金) 05:16:07 O
想定としては大航海時代よりさらに何百年か以前の話?
だとしたら当時の火薬と鋳金技術じゃ銛は飛ばせないんでは
ヨーロッパの一人勝ちをとにかく阻止したいなら
逆にヨーロッパを豊かな土地にするのが早道でないかね
ヨーロッパが世界一土地の痩せたド貧乏文明圏だったからこそ
フン族もモンゴルもイスラームも征服と支配を
途中で切り上げちゃったわけだし
簡略版の扶桑国バージョンですね。
無粋ながら突っ込ませていただきますと、
>>732 北米太平洋岸では紀元後以降にはアメリカバイソンは見られなくなっています。
(草原地帯もないですし)
家畜化もそれほど簡単ではなく、トナカイ並みの半管理放牧が妥当なところかと。
>>733 太平洋岸の南北航路も、(時代によりますが)アラスカ南部〜カリフォルニア南部がせいぜいでは。
平原地帯・ロッキー山地・太平洋岸は間接的な交易はともかく、恒常的な交流は派生しませんでした。
トウモロコシは中米のメキシコ南部で作物化されました。
(日本で普通に見受けられるスイートコーンはアンデス起源ですが)
グリプトドンの家畜化も史実では食べ尽くしてしまったので困難です。
(半分UMAな「マヤのマストドン」なんかもないではないですけれど)
>>736 外洋航海は内海や沿岸航海に比べてハイレベルの技術が必要です。
史実ではメキシコ南部太平洋岸とエクアドル地域の類似性が指摘されてはいますが、まだ仮説段階です。
(バルディビア土器縄文起源説は否定されつつあります)
オセアニアへのサツマイモ伝播(クマラルート)の存在や、
ツモアツ諸島の伝説でのインカ到達はありますが、アジアとの通航はかなり時代が下らないと困難だと思います。
素直に北周りルートの沿岸航海の方がまだ可能性が高いかと。
火薬もそう簡単に利用するようになるには困難ですねえ。
(インカは硝石を肥料に使っていた例もあるにはありますが)
>疫病
牧畜やってんなら耐性付くんじゃね?
740 :
732:2007/11/17(土) 20:09:37 0
>>とてたさん
まー換気代わりの軽い妄想ですからねえ。そりゃ色々穴はあるでしょ。
船に関してはいっそポリネシア人の漂流民からの伝来にした方が良いかも。
別に漢字と船をセットにする必要も無いし。……方位磁石はあったほうが良いけど。
どう考えても基本的に農耕民族で陸地の民族の日中より、カヌーなんぞという気合の入った代物で外洋航海を敢行していた海の民族のポリネシア人の方が米大陸に流れ着きやすいはずだし……
しかもポリネシア人のカヌーって、ナリは貧相でも立派な外洋航海用。
シンプルで模倣しやすい構造も相まって、コレをベースに改造・発展させていけばあるいは?
でもコレだと、よしんば上手くいったとしてもイースター島やらハワイやらに到達した時点で止まるな……ユーラシア大陸は遠い……
いやね……北回りの沿岸ルートって洒落にならんほど寒いでしょ?
だから大航海時代以降とかじゃないと、かなりキツイと思うんですけど……
バッファローの家畜化は無理っすか。じゃあせめて車輪だけでも。
荷車あるだけでも大分違うっしょ。
で、戦争用に弓を射る人を乗せれば、移動しながらにして射撃攻撃が可能に!! コレなら強い!!
え? 何に車を引かせるって?
そりゃ人間でしょ。引いてくれる動物がいないんだからw
鹿が馬っぽくはあるけど、小さい奴はホントに非力だし、大きい奴はバッファロー同様気性が荒い……
ま、まあ人間なら動物よりずっと頭良いし言葉も通じるし、移動速度に問題あるけど融通は利きやすいでしょ(マテ
で、引く人用の靴として、疲れにくくて速く走れる靴が求められるようになって……駄目だ、どう考えてもこんなネタ民族じゃ白人どもには対抗できんw
車輪があるだけでもかなり違ってくるとはいえ、それだけじゃやっぱりなぁ……
ちなみに天狗の一本歯下駄って、使いこなせれば少ない負担で軽快に走れるそうな。
>>740 >>738にも書きましたが、「ポリネシア人がアメリカに到達していた!」のは
ほぼ確実かと。「カンショだけ持ってかえった」というのもある種不自然さはありますが。
北回りにしろポリネシアルートにしろ、太平洋は広いのでかなり困難なのです。
史実では恒常的ルートはスペインがガレオン船を使った
メキシコ〜フィリピンルートですからねえ。
(フィリピン征服にはメキシコ先住民から拠出された兵士が用いられた)
北米草原までいかないと車輪の大規模実用化は難しいでしょうね。
史実でもオルメカでおもちゃ程度の利用でしたし。
ちなみに平原インディアンはイヌに橇を引かせていました。
あ
743 :
732:2007/11/21(水) 22:21:24 0
レス遅くてすいません。
しかし車輪も駄目か……
でもフェニキアなりかな文字や漢字なり、なんか持ってこないと史実のまんまだからなぁ。
漢字やかな、カヌーだけでも大分違ってくるとはいえ、やはり後一声くらいは欲しいなぁ。
そうだ。古代中国にはバネってありましたっけ?
そうでなくとも鉄やら銅やらが入ってきて、「く」の字になってる銅版が原始的なバネになる位の所まで着想できたとするなら?
まず金属製の超硬い弓……どう考えても使えんわなw
あとはバネの伸び縮みを利用した弩か連弩あたりか。
ここからばねを伸ばす為の、梃子の原理でバネを引っ張るレバーがついて、ついでそのレバー参考にハンドルに発展して、……
まあ史実と同じよりかは、何らかの新テクノロジーを勢力を伸ばす奴等がいたほうが良いと持った。
鉄弓はムガル朝あたりで使ってたはず。
騎馬民族式の湾弓と同じ形です。
>>743 文字はメキシコでそこそこ発達していましたし、
インカのキープも「高度な情報を含んでいるのでは?」という研究もあります。
…バネは古代中国には無理でしょうし、新大陸の冶金技術でも不可能かと。
う〜ん、なんとか早いバネの導入って出来ないかなぁ?
バネの伸縮で矢を打ち出せれば、弓が横や縦に広がらなくなるから携帯性が増すから、少しは需要があってもよいハズ。
そこからバネをより楽に伸ばす為のテコができ、
そのテコからハンドルをグルグル回してバネを伸ばす機構を作って、テコより長大なバネを伸び縮みさせることが出来るようになって
ハンドルを回しきらないうちに手を離しても大丈夫なようにストッパーが開発されて、
手で回すハンドルから足で漕ぐペダルに派生して、
ハンドルやペダルからカムやゼンマイ、滑車が生まれて……
といった感じで機械・機構の分野から攻めてみたいと、ふと思ったんよ。
馬がいない不利を別の方向から覆してみたいなぁ、と。
歯車なんかだったら、一応木でいけた筈だし。
>>746 「使える」ばねやねじは冶金技術の集大成ですから、
「独自」には無理がありますし、
車輪−ろくろ−歯車の流れの方が新大陸ではまだ可能性が高いと思います。
(史実ではおもちゃの車輪止まりだったですけれど)
技術面から、というのは新しい攻め方ですけどけっこう困難かと。
オーストラリアIFスレ、落ちちゃったようです…。
>バネの伸縮で矢を打ち出せれば、弓が横や縦に広がらなくなるから携帯性が増すから
残念ながら逆。縦に長くなるから携帯性は良くならないし、照準も困難になると思われ。
つっかえ棒とか使わないとぶれてぶれて、ふつーのクロスボウに比べて利点は無いと思うな。
750 :
世界@名無史さん:2007/11/30(金) 21:15:39 0
751 :
世界@名無史さん:2007/12/01(土) 23:01:39 O
また中国厨がでたのか
そんなニュースここに貼って何がしたいんだ
中華文明は5000年も前から存在したから
新大陸に文明伝えるのにふさわしい!ってことか?
成立時期なんてまるで関係ないだろ
気味悪い妄想はオフでやれよ
深読みし過ぎだって(笑)。目盲めっぽうに爆撃してるんだろ。
横レスでわるいけど、誰かマリンチェについて詳しい人っている?
久しぶりに動いているので読んでみて思った。
とてたさん。
確かに地に足のついた意見って大事だけど、どれとっても「・・・ですが」
とか「・・は不可能」とか、そういう感じで話を止めちゃ良くないよ。
これこれはこういう風にです。というのはある程度知識あれば誰でも出来
る。その後に「だから、この設定を動かすにはこれこれこういう風にして
みてはどうか?」っていうのが繋がってほしいぞ。
毎回否定ばかりではつまらない。
確かに荒唐無稽になりすぎてはいけないだろうけど、かといって毎回スレ
をストップする方向に持っていっているのは良くないな。
バッファロー遊牧民氏のように何とかして形を探れないか?っていう感じ
のほうがスレは動くと思う。
俺は逆に妄想架空史の垂れ流しスレと化しやすいから批判すべき派。
特に扶桑国は止めて欲しいけどね。
一部の人たちは、史実とアイデアをごっちゃにした上、
物語風にして書き込んでるけど、きちんと分けて書くべきと思う。
「史実・条件」・・・これはみんなで共有できる
「アイデア」・・・これはみんなで検討する
「物語」・・・1人で決めちゃダメだろ。書いてて一番楽しいんだろうけど。
あー、ただ技術面・生活面から攻めることには大賛成。
本来の「銃〜」の史観ってそれなんだから、
どんな環境にどんな技術を持ち込めば、どんな生活ができるか考えて
そこから、必要となる社会体制に進めば説得力のあるもの作れるよ。
今のとてた史が嘘くさいのは、王朝の興亡ばっかで人間の姿が見えなくて
国盗りゲームのパラメータみたいな扱いだからだろう。
もう昔に決めたから羊は没なんて態度が一番いけないと思う。
羊を使わなかったお話し(歴史とは呼びたくない)の方を没にすればいいのに。
ほす
ほす
かなり遅くなりましたがとりあえず。
>>753 コルテスの通訳として活躍したアステカ人女性です。
(はじめはマヤ語で、後にスペイン語を覚えた)
ドーニャ・マリーナ(マリーナ婦人)と言われていたので、
現地名ではマリナリ(草の意)ではないか…と言われています。
アステカ貴族の出ですが、マヤに奴隷として売られタバスコでコルテスに贈り物として贈られました。
(アステカへの恨みからコルテスに協力した…とされています)
アステカ征服後はコルテスと結ばれ、マルティンという男の子を産んでいます。
(子孫は今もメキシコにいるそうです)
売国奴の代名詞とされていましたが、最近ではフェミニズム的観点からも
当時を懸命に生きた聡明な女性、という見方が出てきています。
>>754 僕個人としては指摘したところを踏まえて再構成してほしいのですけれど。
逐一こちらが指摘した通りになればそれはそれでオリジナリティがなくなりますし。
(それなりに網目は緩いつもりです)
>>755 「扶桑国」は身近なアジアとの関連が色濃いですから、好みが分かれるところかと。
僕としてはそこそこ混合しててもあんまり気にはしませんが。
>>756 「人間」を見せるのはかなりの困難が伴ないますよ…。
「ハンニバルの再来」の名前を決めるのもかなりかかりましたし、
地名ですら先住民のそのままを利用できませんし。
主要な流れでいえば、「ティノチテトラン」はテスココ湖畔には無いでしょうし、
マヤの諸都市の一般名称もかなりがスペイン語なのでそのまま使えません。
ヒツジについては、
「フェニキア人が持ち込む必然性があったかどうか」をさして検討してなかったような。
まあ、「新大陸へのワクチン」が動物を持ち込む主目的で、
旧大陸側に残る主要交易品としても重要となるでしょうし。
(とはいえ、当時の技術ではヨーロッパの毛織物よりも南米の綿織物の方が遥かに高品質だったようなのですが)
没云々はもう全部無くしてますよ…個別のまとめがそこまで追いついてませんけれど。
ほす
ほす
ほす
ほす
保守
767 :
世界@名無史さん:2008/02/23(土) 22:40:58 O
もう保守する意味が見あたらんなこのスレ
いやいやいやいや。まだまだまだまだ。
769 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 17:42:34 0
野菜痛めage
770 :
世界@名無史さん:2008/03/22(土) 02:30:15 0
age
771 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 04:23:42 0
でもインカ帝国って相当巨大だよな。
772 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 04:46:16 0
>>771 ピサロら200人足らずのスペイン人に滅ぼされた。
200人じゃ琉球王国だって征服できないよ。
>>772 渡来の白人は神の使いだとかする崇拝があったとか、
インカ側の文化的理由があったようだな。ガチンコで勝負して
負けたという訳ではないとは聴く
>>771-773 インカの場合は内紛中だったのと、
メキシコ同様の疾病による社会崩壊も大きいです。
「ビラコチャ=白人」説は殖民時代の宣伝の要素も多分にあるようですし。
775 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 13:07:06 0
インカの版図はコロンビア南部からチリまで
南米の太平洋岸はほぼインカ帝国だった
776 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 13:20:44 0
なんで北米の先住民はインディアン嘘つかない、アワワワワの状態に停滞してたの?
777 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 14:38:13 0
帝国と接触が無かったから
ユーラシアと同様に古代文明が北の騎馬民族に滅ぼされていたら展開が変わっていた
778 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 14:44:00 0
せめて鉄器や車輪、大型家畜さえあれば・・・
779 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 15:54:49 0
実際マヤ文明を滅ぼしたトルテカやアステカはメキシコの遊牧民で南下して古代文明を滅ぼして中世に帝国を築いた。
ユーラシアの遊牧民が南下したのは南にある文明の影響の他に気候変動も関係あるが、
北米の場合遊牧民はすでにアメリカ中南部の温暖な地域にいたため
メキシコの文明地帯まで南下する必要がなかったのでは。
>>776 停滞じゃない。退化だ。
カホキアみたいな、日本で言うと古墳時代レベルの農耕文化が、人口激減と環境変化で狩猟採集に転向せざるを得なくなったんだ。
北米大陸は東西に長くて真っ平らで、環境ごと攻めて来る欧州からの侵入者を防ぎ様がない。
伝染病で農村人口の95%以上が倒れ、放置されて荒れた農地に欧州産の強力極まる雑草や樹木が先住種を押しのけてはびこり、
そこに野生化した欧州産の鼠・猫・犬・牛・馬がはびこったあたりで、白人が銃と強い酒下げてやってくる。
先住種には植物から人まで回復の機会がなく、先住民は農耕を捨て小さな人口規模を養うに足る狩猟文化へ転向する。
北米大陸ほぼ全土がこれでやられた。アルフレッド・クロスビー「ヨーロッパ帝国主義の謎」参照。
・例外として、分厚い砂漠で守られたプエブロ族は農耕文化を継続し、小規模都市文明と言えるものを造っている。
781 :
世界@名無史さん:2008/04/13(日) 03:00:33 0
ロッキー山脈の向こう(日本から見るとこっち)の北西海岸地域にも都市文明があるだろう。
782 :
世界@名無史さん:2008/04/22(火) 22:13:41 O
カホキアでさえ古墳時代レベルって南米と比べてもかなり遅れてるな…旧大陸並とまでは行かなくとももっと発展してても良さそうだけど
このスレの流れを語り部のさん達の架空歴史を中心に何となく書いてみた
もっと技術的・文化的アプローチをして欲しいという人もいると思うが、そこはご了承願いたい
あと、間違っていたらスマン
(1):フェニキア人の新大陸到達と新大陸文明の発達
他にも扶桑国など
↓
(2):新世界と旧世界の接触と波及
欧州の没落
アフリカの勃興
アジアの分裂と成長
↓
(3):(1)と(2)を受けてのまったく新しい世界史の展開
多分こんな流れになるのと思う
そして多分(3)の段階でストップしたんだと思う
その理由としては
@(1)、(2)の設定がまだまだ埋まっていない。さらに史実とはまったく違う方向に進んでいる。
そのため歴史が余計にイメージしにくく、そのためBがあやふや・イメージしにくい
A語り部が複数おり、今後どのような歴史にするかの指針・コンセプトも無いでやりにくい
(複数の語り部がいることでこんな興味深い歴史なったけど)
自分の印象ではこんな感じ
だからどうしろと言われると、今のところは何もいえないけど・・・・
このスレ、このまま廃れるには惜しいからなぁ
だから何となく投下
784 :
世界@名無史さん:2008/05/03(土) 03:39:18 0
あとアゲ
それにしても新大陸の先住民は本当に脆すぎだな。
旧大陸じゃ未開の部族だってもう少し抵抗してる。
786 :
世界@名無史さん:2008/05/03(土) 12:25:16 0
北米インディアンはそれなりに抵抗してるだろ。
787 :
世界@名無史さん:2008/05/04(日) 03:15:50 0
国家と製鉄の関係が思い知らされるな。
テムジンは鉄、アイシンは金、キタイは鋼鉄
モンゴルも満州も遊牧民のハーンは金属技術の名前に関係している
製鉄技術があれば北米の遊牧民にもハーンみたいなのが出て来たろう
788 :
世界@名無史さん:2008/05/04(日) 13:15:21 0
>>787 新大陸に馬はいなかったんだけど(正確には全滅した)
馬が入ってきたのは、ヨーロッパ人渡来以降だし
北米インディアンが馬を使いこなすようになったのは、17世紀以降じゃなかったけ
馬がなくて他の生き物で遊牧してるにしても鉄器があれば…ってことでは
だからその馬の代わりがいなかったの。
791 :
世界@名無史さん:2008/05/04(日) 19:32:56 0
遊牧民と鉄が結びつくとどうして飛躍的発展が起きるかわかるか?
スレタイの答えはそのへんと関係がある
馬を絶滅させるは車輪発明出来ないわ、鉄器発明出来ないわ。
あの豊かな大陸にあってろくに農業発展しないは・・
新大陸の連中って・・・
793 :
世界@名無史さん:2008/05/04(日) 20:43:56 0
それでもメキシコにはアステカ文明やマヤ文明があったが、
それより北の連中は「インディアンうそつかない」のアワワワワ状態。
北米インディアンの未開ぶりは異常
北西海岸みたいに永遠に自治組織を維持して来たとこもあるぞ。
このスレ見てたらモルモン教の伝説思い出した
>>791 その製鉄技術がユーラシアに広まったのは馬があったおかげだし、
>遊牧民と鉄が結びつくとどうして飛躍的発展が起きるかわかるか?
>スレタイの答えはそのへんと関係がある
それだけじゃない。銃・病原菌・鉄ぐらい嫁。
>>783 実際に難しいですからねえ>架空史創作
僕も何度か再立ち上げを志したものの(…まとめを先にすべきなのかもしれませんが)、
当初の「銃・病原菌・鉄」だけじゃなく「文明崩壊」や「1491」まで加味して考えると
軽々にはできないです…。
>>792 アメリカ先住民の先祖による「北米の大型獣大量殺戮説」は最近では
懐疑的な見方が広がっています(同時期に海浜生物も大量死しているので)。
また、旧大陸のほとんどの民族にとっては、
車輪も金属器も農作物も家畜も「他所からのパクリ」でしかありませんよ。
>>793-794 「メキシコ・アンデス以外の新大陸は未開状態」(だから、ヨーロッパ人の殖民は神の御心に適う行為)
というのは守旧的な概念かと。
ミシシッピ圏では農業都市がありを、東部でも林間耕地による人口集積はかなりのものでした。
旧大陸だと文明を知らない未開の部族とかも結構植民地支配に抵抗したよね
山岳地帯や密林、島嶼部なんかは名目上植民地に含まれても直接の統治は
何百年も及ばないことはままあったし
それが新大陸は短期間で大陸の隅々まで完全に平定されたってのは・・・
疫病でな・・・
>>798 確かに難しいですね>架空史
自分も趣味で中国分断ものとかでっち上げて、一人楽しんでいますけど、それでもさじ加減が難しいですし
しかもこのスレの架空歴史は、複数の語り部さん達が積み上げてきたものですし
今まで重ねられてきた架空史を活かすのなら、今までのまとめた方がいいと思います
その上でどんな設定であったのか、何処が新しい研究と比較して問題があるのか?
これを地道に洗いなおしていく必要があるかと思います
まぁ個人的にはこの架空歴史は好きなんで、何とか継続して欲しいなぁ
>>799 別のIFになってしまいますが、
「疾病によって人口崩壊しないアメリカ」というのも有得たら、
アステカ(テノチティトラン)の崩壊はあっても、
トラスカラやミシュテカがスペインに対抗したでしょうし、
インカもパチャクティ帝からスムーズな代替わりを経てそのまま発展したかと。
(メキシコ高原の情勢にもよるでしょうが、接触そのものがかなり遅れたかも)
白人圏となったのは西インド諸島くらいで、
アフリカやアジア並みに先住民国家群が林立していた可能性はかなり高かったのでは。
>>801 ……気長にお待ちください>まとめ
マレガやハワイにも心惹かれるのですよ。
803 :
世界@名無史さん:2008/05/24(土) 02:31:14 0
age
804 :
世界@名無史さん:2008/06/02(月) 02:57:21 0
age
805 :
ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/06/02(月) 03:13:32 0
>>799 細かいことを言うと、大陸の隅っこのマプーチェ族やチャルーア族は
各共和国の独立後まで抵抗を続けてました
このスレの1つめ初めて読んだけど、初めは架空歴史SSの発表場所じゃなかったんだな。
どういう条件がそろえば新大陸の文明はもっと急速に発展したかを考察するスレだったんだな。
惜しいスレを無くしたもんだ。「語り部」なんてこの板にはいらない。
807 :
世界@名無史さん:2008/06/15(日) 21:34:37 0
俺は語り部賛成派。
>>806 いやいやいや、スレタイ的に見て架空歴史SSの発表場所でしょ。
ここは。
新大陸が恐竜王国だった設定の方が面白い
>>808 そうなんか。
本題に入る前の方が有意義な珍しいケースだったんだな。
世界史板が駄目になった原因の一つとして、こういう知識も才能も無い癖に、
批判だけは御達者な奴が、増えてきたことにもあると思う。
>>811 いや、才能も知識もない癖にオナニーを見せつけたがる奴の増加だろ。ここみたいに。
まあ自分は根っからのノンフィクション派なんで小説書く知識も才能も無いな。
本能寺の変がなかったら日本はどうなってたか?17世紀でさえ色んな可能性が考えられるのに、
その後現代の日本がどうなってたかはもう趣味の世界。パラレルワールド物。
ここが趣味の発表の場だとは知らなかったのだ(脱線してそうなったと思ってたので)。
解った以上は他人の趣味に口出しはしない。
だが「本題に入る前」や
>>771-782見たいな「脱線」の方が面白いと思うのもまた自分の趣味だ。
自分の趣味にも口出ししないでもらおう(知らんとはいえ最初に口出したのはこっちだがな)。
>>813 本来そういうスレのはずだったんだけどな。
「前提」をとことん詰めたい人と
それをも基にして「IF」を楽しみたい人の
二種類がこのスレ住人の特質かと。
まとめは需要がIF>前提なのもあって、IF史を綴るものになってはいますが。
>>813 散々した後に口出しはしないとか言ってどうしたいんだ
そのくせ言い返すの禁止!かよ
中立(妥協)ぶった一方的切り上げって醜いな
817 :
世界@名無史さん:2008/06/24(火) 05:56:07 0
それでも俺このスレ大好き。
818 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 14:38:56 0
だね。
819 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 17:54:37 0
仮に南北アメリカに文明があったとしてもさ
ヨーロッパ世界が大航海時代に入るまで、他の世界とは接触できないでしょ?
以下、その架空文明をアメリカと呼ばせてもらうけど
まず航海技術の元となる科学技術が発展する要素が無いよね。
ヴェネチアのようにガラス産業が発達した都市はアメリカには無いわけで
となると、光学(凹凸レンズの発明)も無かっただろう。
いくらアメリカ住民が目が良くても、レンズには勝てないし
そもそも都市を形成するまでに巨大化していたら、そのアドバンテージである
天文学を支える視力も低下していたはずだしね。
また、天文学がいくら発達していても
緯度は北極星の位置測定により容易だが、経度の測定は困難。
イギリスのクロノメーター開発まで、大規模輸送も無理だったはず。
さらに、イスラム世界のような物理的障壁が無いから、長期航海は必要ない。
つまり交易路の接続が保たれるから、造船技術も近海交易に特化される。
となると、先に軍を送れるのはヨーロッパ。つまり、戦場はアメリカ。
アメリカは被害を受けるだけ受け、略奪を受ける側。
ヨーロッパは好きなときに攻撃を仕掛ける側。しかも生産拠点は被害を受けない。
勝敗は明らかだと思うけど。
>>813 で、結局何もしないんだよね。こういう奴って。
そりゃ発達する前に皆殺しにされたんだから
気の毒だねえ
822 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 03:07:46 0
アメリカにこういう文明があったら、ものすごい興味あるんだけど、
もう誰も語り部してくれないのかな。
面白かったんだけどなあ。
>>819 別に旧大陸への侵略をし出すような文明に限定されたifスレではないと思う
しかしこのifスレの場合ifのスパンが平気で何千年単位になるから難しいな…後半とか殆どファンタジーに為りかねないし
ところでバイキングや旧大陸の漂流民によって早い段階で旧大陸の伝染病の免疫(出来れば馬も)獲得させただけでも相当変わると思うけどどうだろうか
824 :
世界@名無史さん:2008/07/21(月) 10:01:36 0
1 :世界@名無史さん :2001/05/29(火) 21:20
そもそも旧大陸にあった馬や鉄砲等が無かったりしたことも敗因の一つですが、
どうやったら新大陸が旧大陸に互するような状態にもっていけるでしょうか?
また、そういう状態で行った場合、2001年にはどうなったでしょう?
↑ これから、7年経ったんだ。このスレなげー。
長いのに面白い。だから、もっと活発になってほしいな。
825 :
南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら:2008/07/22(火) 18:50:32 0
なかなか版に書き込みが出来ない状態です。
>>823 アメリカが「アジア化」するだけで近代史は大幅に変わりますしね。
827 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 18:49:49 0
です。
828 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 18:55:24 0
Death。
829 :
世界@名無史さん:2008/08/04(月) 19:43:12 0
830 :
世界@名無史さん:2008/08/07(木) 23:44:44 0
話のネタになりそうなトピックスを皆で出し合いましょう。
例@:1697年という、かなり遅い時期までマヤ文明の都市国家タヤサルは、
スペイン人の侵略を撃退し、独立を保っておりました。
この間タヤサルが、スペインと永らく交戦状態にあったオランダやイギリスと
交流を行っていたら・・・・
因みに1614年には伊達政宗の部下支倉常長が、メキシコに到着しております。
例A:インカ帝国滅亡後も、皇帝の一族のマンゴ・カパックはアマゾンに近い
カハマルカに脱出して首都を置き、旧インカ帝国滅亡後も半世紀近くレジスタンスを
行い、1572年まで独立を保っておりました。途中、タラブコの戦いなど、
スペイン軍を撃退した戦いもありました。
1571年のレパントの海戦で、スペイン無敵艦隊がオスマントルコ艦隊に壊滅
されていれば・・・・?
>>830 1の方は、タヤサルイツァーは内陸部の辺鄙なところで「残っていた」だけで、
欧米諸国と交流できる位置には無かったですし、オランダやイギリスも「援助」はしないでしょう。
もっと時代が下った「ユカタン共和国」だとまだしも…ですが。
(それでも「先住民主導の共和国」でしかないですが)
2は、「スペインのインディアス支配力が弱まる」ところまでいけば、
「ビルカバンバ=インカ皇帝による復古」は不可能ではなかったかも…。
832 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 06:39:34 0
>830,831
マヤはアステカより先に滅んでいたイメージだったけど・・・・・・
少ない可能性でも、何とか使えるネタになれば楽しいんですが・・
最近、この板も衰退しているし・・
>>832 新規の大規模建築とかはスペイン人が来る前にできなくなっていましたが、
都市国家の維持くらいはできてたりします。
(タヤサル族も完全なマヤ諸族ではなく、マヤ化したメキシコ系部族)
……スレの活性化は早々出来るものではなかったり。
834 :
世界@名無史さん:2008/08/21(木) 02:32:25 0
>>824 7年?! 長いスレだなあ・・・。確かに面白い。
家畜化の候補になりえた大型哺乳類が13000年前頃に絶滅したのが痛いよね。
家畜しないと病原菌に対する免疫が無いんだから、史実と同じ結果になってしまう。
逆にアメリカ大陸で大型哺乳類を独自に家畜化していたら、旧大陸とは異なる種類の疫病が培養されて、
アメリカ大陸の民が旧大陸由来の疫病でばたばた倒れてる頃、旧大陸の民もアメリカ大陸由来の疫病でばたばた…なんて面白シチュもありえたかもな。
837 :
世界@名無史さん:2008/08/22(金) 20:36:04 0
>>824 なつかしいなあ。1スレ目には良く書き込んでたよ。
一番盛り上がってたのが9・11テロで大騒ぎくらいの頃だったかな。
838 :
世界@名無史さん:2008/09/01(月) 09:18:33 0
仮に文明が出来るとして、産業革命までこぎつけるものなのかな?
>>838 ヨーロッパに対抗出来る程度の(逆に病原体輸出して、一方的な虐殺を防げればベスト)
規模の農耕文明ができればok。
>>825 とてたが仕切り過ぎるようになってから書き込みづらくはなったなー。
仕切り云々というより一つの妄想歴史の大筋にまとめようとしだして
当初はあれこれネタが出てきて盛り上がってたけど近代寸前で行き詰った
まあ、結果的にはとてたが中心にいたせいとはいえるか
>>839-840 …そういわれると悲しいですが、事実ではありますねえ。
今までの考察でも出てきた問題点をあまり考慮してないところがあるので、
そこらをさらにフォローしてほしいだけで、あまり仕切っているつもりはなかったのですが…。
>>841 >そこらをさらにフォローしてほしい
自分の至らないところを補って欲しい、って謙虚なようでいて
他人に自分に合わせることを暗黙で強要する、スレの私物化だって気がつかない?
きついこと言うけど、とてたと忠邦は無自覚な乗っ取り荒らしだと思ってる。
そこに無自覚なやつだからとてたの無責任さや無神経さにみんな徐々に嫌気が差してスレが過疎ったんじゃね
気づけるやつならそんな物言いしないし
アンチ粘着中
アンチだのなんだの言う奴が粘着。バカらしい。
846 :
世界@名無史さん:2008/10/06(月) 11:27:50 0
ここが完結することを祈っている。
歴史に終わりはないぜよ
人間が居る限り続き物さ
848 :
世界@名無史さん:2008/10/06(月) 20:18:16 0
>>847 先史時代ってのもあるんだから、北斗ワールドが現実になったらもはや歴史は
なくなるんじゃないのか?
849 :
世界史@名無史さん:2008/10/06(月) 21:14:14 0
850 :
世界@名無史さん:2008/10/22(水) 09:21:48 0
でもさ、
851 :
世界@名無史さん:2008/10/25(土) 23:23:59 0
滅ぼされたのは結果論的にいえば鉄と有用な家畜(特に馬)を知らなかった事だと思う
しかしよく考えれば文明を築き上げてから1000年内外
旧大陸だってメソポタミア文明から鉄器の出現まで2000年以上かかってている
852 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 03:58:30 0
age
853 :
エゥーゴ:2008/11/01(土) 15:51:06 0
家畜になりそうな動物を探すんだ。もし居なければ小さい動物を改良し、でかくしろ!
854 :
世界@名無史さん:2008/11/01(土) 19:49:38 0
>>853 ワロタ
しかし農産物の面でわれわれも恩恵を受けてるよね
文明を育てるのはやはり農作物なんだな。
>>842-843 …なるほど、それは失礼しました。
レス番を固定していただければ今後一切口出しはしないので、頑張ってください。
スレッドまとめも新たにやっていただければなお良いですね。
とはいえ
「家畜化できる生物を創造」「人種的に劣るので文明化は不可能」
「キリスト教が無いと近代文明」「他地域への波及は考慮しない」
あたりってトンデモとしかいいようがないんです、すいませんけど。
>>853 家畜対象が少なかったので…。
トウモロコシ・カンショ・バレイショの作物化だけで精一杯でした。
新大陸はパナマ地峡で隔絶されてるから互いに影響を及ぼす事が出来ないのが痛い
そもそも南北方向に広がってる時点で旧大陸に勝てないわな
858 :
世界@名無史さん:2008/11/21(金) 01:50:17 0
ふむふむ
859 :
世界@名無史さん:2008/11/22(土) 16:50:52 0
頼みの綱はバイキングのみ。文字、鉄、馬、北欧の木造建築技術を導入。
北欧人を主体に西ヨーロッパからも入植。
860 :
世界@名無史さん:2008/11/22(土) 17:13:52 0
その後北欧で失われてしまった文化が
インディアンの間で継承・発展されればいいよな。
861 :
エビちゃんファン:2008/11/23(日) 17:36:22 0
ヨーロッパ人はアステカ・インカを滅ぼすなよー
もし、現在も残っていたら貴重な存在だ。
もうヨーロッパ人のせいで生インカ帝国を見る事はできないのです。
黒人アフリカの大王国もヨーロッパ人によって全部滅んで
中南米・黒人アフリカは人工国家ばかりで面白くないです。
ヨーロッパ人は国まで工業化・画一化・規格化させちゃったよなー
862 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 19:35:54 0
>>861 人類の歴史なんてそんなもんだよ
「歴史ほど詰らない物語はない」
カナダのランソメドーにはヴァイキングの村落遺跡があるし、
実際に入植してたと思われるのに、16世紀には集団としては消えてたので
北欧人の文化レベルじゃ、よっぽど大規模な移住でない限り
そのうち吸収されて終わりだろうね。
元々カルタゴを持ってきたのも時間稼ぎ以外にそれが理由だし。
新大陸に相当規模のインパクトを与えられるほどの移民になると万単位必要だろうね。
それと、ヨーロッパと断交してしまうと疫病と武器の進化が止まるけど
中世温暖期終わったあとの連絡線の維持は難しそうだ。
ヴァイキングの流れなので、以前から考えていた小ネタ投下
●11世紀
1066年、イングランド介入を目論んだノルウェイー王ハーラル3世“苛烈王”であったが、
スタンフォード・ブリッジにおいて、イングランド王ハロルド2世の軍勢にに敗れた。
辛くも帰還したハーラル3世であったが、イングランドでは、ノルマンコンクエストが達成されていた。
イングランドへの介入は失敗に終わったが、しかし「最後のヴァイキング」とも呼ばれるハーラル3世は、懲りずに新しい“冒険”を求めた。
そんな中ハーラル3世は、レイフ・エリクソンによって発見されたヴィンランドの話を耳にする
極寒のアイスランド・グリーンランドより更に西に進むと存在する豊かな「ブドウの国」
かつてソルフィン・カルルセフニなる者が入植を試みたらしいが、ヴィンランドまでの距離や先住民との抗争で、殖民は失敗した
この話に冒険心を煽られたハーラル3世は、周囲の制止も聞かず、ヴィンランド遠征を決意する
数十隻の艦隊と1000人以上の人員・技術者・家畜を引き連れて、ノルウェーを出発
アイスランドに進駐して、物資や人員の補充し、ヴィンランドへの航海を知る航海者を得た
この段階で、ハーラル3世は、ノルウェーの王位を退位し、新たに「ヴィンランド王」なる号を称しまでした。
ハーラル3世がどれほどヴィンランド遠征に入れ込んでいたか分るであろう
ノルウェーから率いた人員・船舶と、新たにアイスランドで募った人々とを併せた大規模な船団は、
「ヴィンランド王」ハーラル3世の指揮の下、遂に出港
グリーンランドを経て、大きな犠牲を払いながらも遂にヴィンランドへ到達する・・・・・・
小規模な入植とは違い、ハーラル3世という強烈な個性に統率された大規模な入植が実施されていたらなら果たして?
こんなノリで、北欧史は詳しく無いくせに、ノリと勢いででっち上げたけど、こんなのもアリ?
このネタを独自に膨らませてもいいし、あるいは従来のフェニキア人の新大陸進出ネタと絡ませてもいいんでは?
まぁ、13世紀から14世紀には欧州とは隔絶しそうだけどね〜
865 :
阿部辺:2008/11/27(木) 00:22:51 0
>>857 まったくなかったわけではなかったんですけどね>南北大陸交流
メキシコ南部太平洋岸地域とコロンビア太平洋岸南部地域の
土器はある程度の共通性が指摘されていますし。
>>863 「ヴィンランドの存続」はそのあたりがネックですね>小規模集団
アイスランド並みになっていればあるいは…ですが。
867 :
世界@名無史さん:2008/12/07(日) 03:46:29 0
今現在あるアメリカ合衆国って、一人一人を見れば、それなりにヒューマニズム
に溢れているのに、国単位になるとどうして傲慢なのかな。
アメリカっていう世界以外は皆蛮族のような気持ち多分持っているよね。
ユダヤ豚が仕切ってるから
869 :
世界@名無史さん:2008/12/16(火) 04:37:33 0
〜パニョって名前の地域とかある?
870 :
はいち:2008/12/17(水) 10:27:06 0
863>>
イスパニョーラ島(イスパニォラ島)
何に使います?
871 :
世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:39:53 0
>>870 パニョーラかあ。それかなあ・・・。赤道以南で、どうやら太平洋あたりらしい。
娘が「学校のこれくらい(30センチくらいの幅)の地球儀にパニョって字見つけた!」
と言ってきたので、うちではトイレに世界地図が張ってあって、全員で探してみても
誰も見つけられない。
てっきり「パシフィックオーシャン」と「パプアニューギニア」が縦でつながって見え
て「パ」「ニュ」を「パニョ」と見間違えたか?と思ったのですが、そうでもないよう
で・・・。
その地球儀は先生の私物だったらしく、既に学校には無く。
大好きなこのスレで、スレ違いだけど、閑話休題ってことで聞いてみていま
す。
872 :
世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:42:29 0
>>870 パニョーラかあ。それかなあ・・・。赤道以南で、どうやら太平洋あたりらしい。
娘が「学校のこれくらい(30センチくらいの幅)の地球儀にパニョって字見つけた!」
と言ってきたので、うちではトイレに世界地図が張ってあって、全員で探してみても
誰も見つけられない。
てっきり「パシフィックオーシャン」と「パプアニューギニア」が縦でつながって見え
て「パ」「ニュ」を「パニョ」と見間違えたか?と思ったのですが、そうでもないよう
で・・・。
その地球儀は先生の私物だったらしく、既に学校には無く。
大好きなこのスレで、スレ違いだけど、閑話休題ってことで聞いてみていま
す。
873 :
世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:56:19 0
連続間違い・・・。ごめんなさい。
874 :
世界@名無史さん:2008/12/29(月) 12:55:56 0
ふむ
875 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 04:01:05 0
age
876 :
世界@名無史さん:2009/02/05(木) 17:04:44 0
age
877 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 19:38:17 0
あげ
879 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 21:33:08 0
>>861 滅んでしまったからこそ非人工国家が面白そうに見えるのさ
インカもアステカも現在まで存続してたらつまらない国家に見えたことだろう
880 :
世界@名無史さん:2009/02/25(水) 20:16:32 0
充分匹敵する文明だったと思うよ。ただ、鉄と馬がないのがイタイ。
881 :
世界@名無史さん:2009/03/12(木) 07:21:18 0
馬と鉄かあ・・・。
もとから存在しないものなんだからしょうがない罠
いれば利用できたろうがなあ
「マヤの車輪」も玩具どまりでしたからねえ。
滑車や轆轤といった進化もしませんでしたし。
886 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 19:57:39 O
あげ
887 :
パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/05/03(日) 22:34:35 0
マヤの車輪が大型化して労働の効率化に寄与できなかった理由として
@熱帯の密林地帯での走行には不適
A穀物生産の比率が人力で賄えない程大量ではなかった
B都市国家間の距離が近かったため移動などは徒歩で充分
Cそもそも荷車を引く使役動物がいなかった
ちなみにインカの場合も似た理由が考えられる。
自分の家族が食べる分以外に税として僅かしか収穫が望めなかった文明圏では
大きな道路も荷車も必要ではなかった。
マヤの場合、家族以外の余剰生産はせいぜい2人分、インカはそれ以下。
ちなみに古代エジプトの場合は家族以外に養える余剰生産は5人分だった。
888 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 23:50:59 0
荷車を使わない代わりに水路は活用してたんじゃないかな。
都市の人口を支えるにはそれなりの輸送手段がいるから。
889 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :2009/05/05(火) 10:13:38 0
>>887 どんな技術でも、発想だけでなくてブレイクスルーできる環境がないと発展は難しいですからねえ。
>>888 マヤも末期ではカヌー輸送が主体になっていたようですね。
890 :
世界@名無史さん:2009/05/06(水) 05:13:23 0
時間が有れば鉄の精錬技術段階に到達したと思うが・・・
この時点では殺傷能力がまさる武器の保持、馬を利用した機動力の差で
征服されるのは時間の問題
コルテス、ピサロが失敗したとしても誰かがやったと思う
旧大陸が陸の文明なら、南北米は空の文明として進化して欲しかったなあ
コンドルに乗って移動する飛行文明とかさあ
空中都市とか宇宙人にまつわる話とかやっぱイメージ的に空の文明だよ
オセアニアは海の文明で決まり!
深海都市とかあったら最高!イルカが移動手段
893 :
パオさん ◆mEq.Fp/iL. :2009/05/06(水) 20:19:46 0
十二国記の世界かよw
894 :
世界@名無史さん:2009/05/28(木) 08:40:55 O
あげ
人間は陸の生き物なんで・・・
ラクダ騎兵がいるんだからラマ騎兵やアルパカ騎兵もいけるはず
897 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 03:27:37 0
確かな事を知らないで書くのも何だが・・・
ラマを家畜化したみたいだけど鈍重な動物でせいぜい物を運ぶ補助程度
役に立たなくなれば食用
この辺の事教えを請う
そうだなラマ肉とラム肉ってまぎらわしいよな
チョコボのような大型の鳥を騎乗したらおもしれーが、乗る前に全部くっちまってたんだよなぁ
ダチョウ兵、孔雀兵がいたら面白い
バイソンの家畜化、騎乗とかは無理かな?
902 :
世界@名無史さん:2009/06/15(月) 20:07:59 0
スペイン人以前にイスラム教徒がアメリカに到着する可能性はなかったかな。
10−11世紀にイベリアかモロッコから出帆したムスリムが
アメリカ大陸に到着
↓
平和的な交易関係が数世紀続く
↓
その間にインディオは馬、鉄器、文字を輸入し、
疫病に対する免疫も獲得
↓
16世紀にスペイン人がやって来ても、もはや容易には征服されない
903 :
世界@名無史さん:2009/06/15(月) 21:17:28 0
夢のある話だけど イスラム教国のフネは遠洋航海向きじゃないからなー
数世紀もの間、ヨーロッパ諸国が何の手出しもせずに眺めているとは思えないし
イスラム教徒になったインディアンはどんな感じか見てみたい気もするが
905 :
世界@名無史さん:2009/06/15(月) 23:20:33 0
ヨーロッパ諸国が数世紀にわたって手出ししなかったとは思えないというけれど
考えてみると15世紀までは、イギリスやフランスは百年戦争やバラ戦争に忙殺
されていた。スペインにしてもアラゴンとカスティリヤが合体してグラナダ朝を
滅ぼしたのはやっと15世紀だ。それに14世紀頃まではモロッコのマリーン朝がアメリカ
との貿易の利益を独占しようとして大艦隊を組織して大西洋の制海権を握ってヨーロッパ
諸国は手出し出来なかったかもしれない。こうしてみるとヨーロッパ諸国の中ではせいぜい
15世紀になってポルトガルが海外発展を図り得るようになるのが限界だったと思われるが
ポルトガルだけで既に馬や鉄器を使用するようになっていた中米やアンデスを簡単に征服
出来たかどうか疑問だ。それにムスリムがキューバかハイチに殖民国家を作り、インディオ
との貿易の利益を独占するための海軍を建設してカリブ海の制海権を握りヨーロッパの船舶
は容易にカリブ海に入れなかったかもしれない。16世紀には東地中海の制海権はオスマン・
トルコが握っていたのと同じようなことが起こったかもしれない。いずれにせよ色々な場合が
想像出来る。ただ問題はやはり中世のムスリムの航海能力だな。
緩やかにインフルエンザ・天然痘への免疫を獲得するのは不可能のようだから、
人口の減少を織り込んでおく必要は絶対にあるかと。
そうすると、いったん文明崩壊した上での再建という話になるんだろうけど…
907 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 11:54:22 0
征服されずに平和的な交易関係を保っているだけならば、インディオの方でも
たとえばムスリムの間に疫病が発生した場合、彼らの居住区を閉鎖するという
ような防御策が可能になる。もちろん大幅な人口減少が起こっただろうが、
あれほど極端にはならなかったかもしれない。ペテーン地方のマヤ人やチリの
アラウカニ族があれだけ長期間スペイン人に抵抗出来たのも、ともかく征服を
免れて一定の人口を維持していたからだ。タヤサルには1697年まで王や神官
がいたんだぞ。
>>897 「騎乗」という行為を発想としてはあっても重視はしなかったからだと思います。
インカ道をみても人が動くことに特化してますし(縄の吊橋はリャマには移動不可)。
>>899-900 そもそも、走鳥類はあまり人を乗せるほど余裕はないと思います。
>>901 トナカイのような半飼養がせいぜいのような…。
>>906-907 「社会の存続」こそが慣用なんですよね。
かつてのIFネタでは「早期に免疫を獲得できた」前提で構築されていました。
909 :
世界@名無史さん:2009/06/16(火) 23:50:41 0
タヤサルには王や神官がいた
↓
社会組織や宗教・学問はともかくも存続していた
天然痘は生涯一度きりしか罹患しない。親から貰う免疫は生後間もなく消える。
免疫を獲得するんじゃなくて、人間が淘汰されるんじゃないのかなあ。
奈良時代では藤原4兄弟が全滅するほどの致命病だったが、
江戸時代になれば「器量定め」として痘痕が主問題の病気になっている。
911 :
世界@名無史さん:2009/06/18(木) 02:55:40 0
病理学に詳しい人がいれば教えて欲しいが
旧世界人は家畜に囲まれて暮らしていたので(往々にして伝染病は動物が媒介することが多い)
自然に免疫力が強かった?
風土病を含めて伝染病に対する危険度は白人もたいして変わらないように思うが・・・
>>911 免疫力が云々というか…
インフルエンザは豚と鶏が媒介。どっちも新大陸にはいない。
ってことは、新世界人には全くインフルエンザに対しての免疫がないので、
季節性インフルエンザを持ち込んだだけでも大変なことになる。
天然痘も旧大陸にはあったけれど新大陸にはなかったというだけ。
逆に、新大陸にあったのが梅毒程度あたりの感染力&毒性の弱い感染症だったので、
旧大陸では壊滅的なことはならなかった。
913 :
世界@名無史さん:2009/06/20(土) 16:08:47 0
脱線するけれど、どうしてテオティワカンの連中は、明らかにマヤ人と交流していたのに
文字による記録という事を考えなかったんですかね。もしテオティワカン人が文字を採用
していたら、メキシコの他の諸民族もそれを模倣して、古代メキシコ全体について遥かに
仔細で正確な歴史が判明したとおもうが。モルガンやエンゲルスから「彼らは未開の中層
に過ぎなかった」などと中傷される事もなかった筈だ。
>>913 例えば、弥生時代の日本とか、文字も数学もあった大陸と交流していたのに
それを取り入れて独自に記録や帳簿を殆ど残さなかったでしょ。
考え方の違いというか、宗教的なものの影響とか、
あるいはそれに変わる手段(インカのキープとか)があったのかも知れない。
915 :
世界@名無史さん:2009/06/26(金) 17:46:49 0
スペイン人による征服後のインディオの人口減少をみると、一つのパターンがある事
気がつく。征服直後に一世代ぐらいで人口が一挙に三分の一か四分の一に減少しその後
の数世代で更に三分の一か四分の一に減少している。おそらく征服直後の世代は数種類
の疫病による集中攻撃を受けたんだろうけど、その時点で免疫は獲得しなかったの?
病理学に詳しい人は説明して下さい。
>>899 新大陸の恐鳥類は人類進出前に絶滅しちゃってんのよ。
後体高が高いからでかく見えるが超大型種を除けば
最大級でもせいぜい200kg程度しか体重が無いから
騎乗は到底無理。
さらに大型種は例外なく肉食性で気性は大変荒かったはずだから
生存していても家畜化すら困難だったかもしれない。
917 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 01:25:12 O
バイキングと北米のインディアンが足りないところを補い合って、何百年かかければ第5(中国、インド、イスラム、ヨーロッパにつぐ)の文明圏つくれたかな?
あの北欧の教会建築(船の技術を使ってる)をインディアンに受け継いで欲しい
>>915 どんな生物でも疾病に対する抵抗性なんて
数世代で獲得できるものではないです。免疫なんてそれ以上に困難。
>>916 バイキングはスクレーリングを人間扱いしてませんでしたからねえ。
当時の北米東海岸部に交易対象となるほどの「都市」でもあればよかったのでしょうけれど…。
919 :
世界@名無史さん:2009/07/23(木) 02:46:11 0
加えて新大陸人は出自からして遺伝的な多様性に乏しく
体質に脆弱な部分があったという可能性も
>>919 そこで北米ではバイキング、南米ではアラブ人の血を文明と一緒にブレンド。
三流(バイキング、だいたい当時の西ヨーロッパが二流)と三流(北米インディアン)が手を取り合って一流になる、というのが感動的なんだが…
レジェンド・オブ・ウォーリアーって映画がDVDで出てるが誰か見てない?
バイキングの生き残りの子供がインディアンに育てられて、数十年後に再び来寇した祖国の民と戦う話らしいが
「レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者」でしょうか。
検索したらけっこうありましたね。
かのラッセル・ミーンズが出演じゃないですか、すごそう。
全米初登場トップ10入りと聞いて観てみたくなった…
924 :
923:2009/07/24(金) 22:16:50 0
ついでなので逆パターンも紹介。
「イキングット」 アイスランド他合作。
イヌイトの少年がアイスランドへ漂着する話。
「王様」の語が現れるのでデンマーク領時代かな、と推測してみる。
子供向けだけど接近遭遇の妙を楽しめる映画。
上記「レジェンド…」と同じく、レアなアイスランド語が聴けるというおまけ付き。
私事ですが、サーバー変更のためまとめHPを移動するつもりです。
(eo64なのですが、メール受信が出来なくなっていますので)
ただ、後継のイーモバイルはeoよりも規制されやすいので移動報告は遅くなると思います。
926 :
世界@名無史さん:2009/07/25(土) 21:31:27 0
カリフォルニア大学のデズモンド・ジャレイドによると、中米の文明は馬という
生き物を知らなかったことと、天然痘と梅毒という疫病によって、西洋文明によっ
て滅ぼされたとあります。ジェームズワットによる、石炭のエネルギーを蒸気機関
に変換する動力が発明される迄は、この2000年間の動力の発展はなく、馬なく
して文明もなかったということです。フェニキアの船では馬を中北米に運ぶことは
出来なかったんでしょうか。。
コロンブスの第一次航海に要した日数が六十日弱。
フェニキアには「長い船(軍船)」と「丸い船(商船)」とがあったようですが、
無寄港航海で何日くらい持ちこたえたんでしょうね。
カルタゴ陥落の紀元前二世紀中葉の水準としても。
928 :
世界@名無史さん:2009/07/25(土) 23:27:47 0
929 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 02:02:44 0
インディオの人口減少の原因として、もっぱら疫病だけが指摘されているし、それが最大の
要因だったことは事実だが、やはりスペイン人の暴政も無視出来ないのでは。
エンコミエンダ制が導入されなかった地域の人口減少率は他地域よりも低いという事実
がある。歴史上の人物をみても、スペイン側に帰順した王族とか、メキシコのマリンチェ
とか、アンデスのワマン・ポマ(スペイン人の秘書や通訳をしていたのだから、一般の
インディオよりはましな待遇を受けていたとおもう)のように、比較的優遇されていた
連中は、一応の寿命を全うしている。暴政下で出生率が低下したという推測もある。
疫病だけを取り上げて、スペイン人の暴政という単純な事実を軽視するのは一面的ではなかろうか。
930 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 03:27:18 0
というかヨーロッパとアメリカ大陸の距離ならもっと早く発見できたと思うんだがな、
幾らなんでも15世紀とか時間かかり過ぎだろ
確かにバイキングという先行者の例もあるがー・・・
>>930 60日も無寄港で航行可能な外洋船が発明されたから可能になったんだけどね。
あと天体観測とか地球球体論とか科学的な裏付けが出来上がってからの話。
例えばフェニキア人にそんな物はなかったし、アラブ人や中国人にとっては大西洋など無関心な海だし。
エラトステネスや、マロスのクラテスの頃(地球儀を初めて作製)には地球球体説は
結構知られていたのでは。主流だったかはともかく。
クラテスの地球儀には、大西洋の西方に南北に並ぶ二大陸(ペリオエキとアンティポデス)が想像されていた。
根拠は単に四大陸で地球のバランスを保つのだろうという予測からなんだけどね。
海外交易で情報を広く仕入れていたフェニキア人がこれを知って(かつ航海に応用していたらば)
面白いのだけど。
>>929 疾病・社会混乱・圧制の複合的影響での結果として人口減少が起こったかと。
>>930-932 アフリカ一周も依頼があったからですしねえ。
なんらかの原因がないと未知の地への遠洋航海なんてことは早々できないんでしょうね。
934 :
世界@名無史さん:2009/07/26(日) 16:45:55 0
1519年当時のメキシコの人口が2500万というのは信頼出来ますか。
いくらなんでも多すぎると思いますが。
>>933 インド洋横断航路も、既存の沿岸ルートによる知識とインド洋交易と巨大な需要があって実用化してたくらいだもんね。
それに両側が既に知り合い同士だし
それを思うとポリネシア人の大拡散はつくづくすごい…
未知の陸地、しかも対岸が見えない島への航海を(しかも赤道海流と逆方向へ)
やってのけたんだものなあ。
個人的には、オリノコ河口から拡散したアラワク系集団が
カリブ海とメキシコ湾を股にかける航海民になるIFを想定しているのですが。
第一波は前2世紀頃、第二波は後6〜7世紀頃。
北進組は史実通りバハマ・キューバ方面へ、西進組はパナマ地峡方面へ
拡散した歴史を活用できればと。
>>934 先スペイン期の人口には各種説がありますが、数千万人規模というのは別段多すぎではないような。
>>935 リスクを考えるとどうしても既存地域のみになるのは道理ですからねえ。
>>936 ポリネシア人は多島世界という独自性があってこそ、でしょうね。
アラワク族の航海民化ですか…、
フェニキア系都市国家と接触して航海技術を取得…となりますかねえ。
938 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 02:13:51 0
>>932 アラブ人はギリシアの古典には通じていたはず。ギリシア人の地球球体説を
知らなかったのかな。遠洋航法の原理も既にプトレマイオスあたりが明らかにしている。
アラブ人は緯度航法位は思いつかなかったのかな。
>>938 アラブはインド洋が拠点で、地中海交易しかなかった欧州に比べてわざわざ太平洋や大西洋を超えるような動機がない。
それに国家事業として推進するほどには海洋交易に熱心とは言えないしね
940 :
世界@名無史さん:2009/07/27(月) 20:55:59 0
イベリアやモロッコのイスラム君主は、アフリカの南端経由で直接インドと交易
するという事は考えなかったのかな。もし彼らが緯度航法を開発してボジャドール
岬をこえて喜望峰航路を開拓したとする。相当数のムスリム船が常にアフリカ沿岸
を航行する事になる。そうなれば何等かの偶然でムスリムがアメリカ大陸を発見
した可能性は高い。カブラルのブラジル発見も、アフリカ沿岸で嵐で西方に流される
という偶然によるものだ。
既に確立された交易路を利用して適正な価格で交易できる事が保障されてるのに、危険で高価な新航路を開拓する意味がない。
西ヨーロッパは交易路へのアクセスを遮断されていたから博打に打って出て、予想外の収穫としてアメリカを得たわけで。
ここの人達はいくつ文化圏を創るつもりなんだ?北中南米で一つずつか?南北で2つ?ユーラシアの四大文明圏(中華、インド、中東、ヨーロッパ)に三つとか追加されたら賑やかになりそう
>>940 サハラ縦断交易路があったし、当時の北アフリカは海賊が主体でインド洋や東地中海と比べて航海術もたいしたことない。
なにより支援できるだけの強力な国家がなかったのが大きい。
天候や季節風も南下にはきびしいよ。
それにヴェネツィアやポルトガルの歴史にあるけど、喜望峰航路も初期は採算性がいいってとこでもないしね
バイキング以前に、なぜマヤなどの中央アメリカ文明が北アメリカに影響を与えなかったのか気になる。王朝が滅びるときに北に亡命するものとかは出なかったのか?まぁ、技術者や職人は亡命しないかもしれんが
945 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 00:48:36 O
北アメリカになんかマヤ人とバイキングを引きつけるものがあればよかったんだよな。金なり綺麗な鳥なりラピス・ラズリなり。
>>945 植生を変えるか、それこそ文明をひとつ起こさないと無理じゃね?
947 :
世界@名無史さん:2009/08/04(火) 00:06:42 0
>>944 ケツァルコアトルがトゥーラから追放された時、彼は部下と共にマヤ地方ではなく、
ミシシッピ流域に向かい、先住民を征服した。かくして偉大なミシシッピ文明が建設された。
948 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 04:54:58 O
これで鉄器は自力開発できるんじゃないか?まぁ、バイキングがきてもその技術を吸収できること間違いなし
949 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 07:00:31 0
鉄の精錬に最初に成功したヒッタイトの例は
それを入手した他民族にとってはビックリ
送風すれば火力を強まることは以前から分かっているので
現物を知ってれば技術の習得にはそれほど時間はかからない
でも旧大陸でも青銅器から2000年位かかっているように
ヨーロッパ人が来るまでに新大陸では時間の余裕がなかった
新大陸の青銅器技術はどこから来たのだろうか?
ヨーロッパ→スカンジナビア→グリーンランド?
それとも中国→ベーリング→アラスカ?
独自発明
952 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 01:23:33 0
>>951 証拠は?
アマゾン文明の遺跡から大量の地中海付近で作られた陶磁器が
見付かった件とか、まだまだ解明されていない旧大陸との繋がりってどうよ。
953 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 03:34:47 0
>>952 横レスだが
やはり独自では?
南米では自然銅が露出している鉱脈が有るらしいし
スズをまぜ融点を下げる(これによって加工が容易になる、即ち青銅)技術も旧大陸とは微妙に異なると聞いた事が有る
次いでに言えば金、銀を除けば人類が最初に利用した金属はスズ。鉛
やわらか過ぎて広く利器として使えないが
>>952 証拠もなしに旧大陸からの伝播だと決め付けるのがまず変
955 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 10:59:52 P
ベーリング海峡を渡らなかった、モンゴル人とシナ人がヘタレ
956 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 16:11:12 0
そういえば、北極圏のイヌイットの製鉄技術はバイキング経由はガチだろ。
あと北米西岸の先住民が太平洋から流れてきた漂流物(主に船の残骸)から
船釘を回収して、新たな鉄製品に仕立て直していたのも有名。
ペルーでも北部海岸地域のプレインカ時代に冶金技術が確立しているし
案外、北米海岸沿いに伝播した可能性は否定できないんでない?
トウモロコシなんかも同じ経路で南米に伝わってるし。
北米海岸に製鉄技術伝播できる集落や交易があったのか?
農作物ならまだしも
>>950 たぶん形成期のモチェ文化あたりが源流かな。
青銅といっても銅と錫の合金より銅と砒素の合金が盛んだったようで。
金・銀・銅を合金にしたトゥンバガなども南米の独自性を物語っているかと。
>>956 >イヌイットの製鉄技術はバイキング軽油はガチ
15世紀グリーンランド西岸にチューレ文化の一分枝であるイヌグスック文化が栄えたのでガチですね。
ただし、鉄器の加工技術自体はバイキングのはるか以前に遡ります。
長くなるので詳しくはこのスレパート4が立ったら書きます。
>>956 >あと北米西岸の先住民が…
パート2で私が書いた扶桑国バージョンでも登場しますね。
ただ、実はあのIF史、書き直そうと思っています。
あとから調べると結構史実と違うことが分かってきたもんで…
「バンクーバー島を中心に漁労中心の階層社会が他から孤立して発展し〜」あたりも
いったんゼロにしてから再訂してパート4で書きます。
旧大陸からの漂流民の存在はあったでしょうが、高文化の絶大な影響はなしって線で。
南米青銅器は独自だろ
コロンブス以前の史実での旧大陸と新大陸の交流(到達ではなく)は、
ポリネシア人の到達によるものしかないでしょうね。
それも新大陸側には技術面での明確な影響はないですし。
962 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 05:37:09 0
この前、シカン発掘展見てきたが
なんであんなに金を紙みたいに薄〜く伸ばすかね。
あとあんなに小さいエメラルドにどうやって穴開けたんだろ。不思議。
963 :
世界@名無史さん:2009/08/14(金) 01:00:41 0
フェニキアの末裔さん過疎てるので書けば?
東部インディアン連合軍対遠征バイキング軍
965 :
世界@名無史さん:2009/08/15(土) 10:55:57 O
紀元前後にマヤによって北米大陸全体の底上げがなされないとユーラシアに追いつくのは難しいような気がする。たとえバイキングとうまくやっていけたとしても
966 :
世界@名無史さん:2009/08/30(日) 20:59:07 0
967 :
世界@名無史さん:2009/08/30(日) 21:03:00 0
968 :
世界@名無史さん:2009/09/22(火) 03:04:04 0
保守
969 :
世界@名無史さん:2009/09/22(火) 22:06:11 0
トルテカの歴史についてはともかくも伝承のようなものが残っているけど、
テオティワカンについては伝承のようなものさえ無くて全く不明だね。
あれほど偉大な存在だったのに不思議だ。
970 :
世界@名無史さん:2009/09/30(水) 00:11:39 0
8000年ほど前北アメリカには馬もいたと書いた本があったが(ラクダも)
嘘だろ?
もともと馬は北アメリカ原産の生き物
何で北アメリカで絶滅したのかは、人間が食っちまったからだとか言われてたな
972 :
世界@名無史さん:2009/10/01(木) 05:09:45 0
>>971 原産は分かるけど進化したのは旧大陸
残った原種はどういうふうに成ったのか?
食われたんじゃね?
昔のインディアンはエコじゃないですね
975 :
世界@名無史さん:2009/10/02(金) 23:17:11 0
繰り返しの質問になりますが、なぜテオティワカンについての伝承が皆無
なんですかね。スペイン人がやってきた時はテオティワカンの衰亡から
まだ800−900年しかたっていないのに。
>>971 それだと中央アジアの騎馬民族や中東のサラブレッド、十字軍のヨーロッパとの整合性がなくない?
それにアフリカ大陸にはシマウマさんがいるよ
977 :
世界@名無史さん:2009/10/06(火) 05:55:19 0
文明化してから鉄精錬技術獲得までの時の余裕が有れば・・・
残念だ
魚食わずに餓死したグリーンランドのバイキングみたいに
なにかタブーで馬の原種を食べなければよかったんだよ
979 :
世界@名無史さん:2009/10/12(月) 04:40:30 0
馬でいえば残った原種は小型で有用な家畜になれなかっただけの話
問題は鉄だ
素材を溶融すれば有用な金属を得るのは容易(金(単体でも産出するが)、銀、銅、スズ、鉛)
このレベルには新大陸人も到達してた
鉄はそれに加えて高い温度となりよりも還元剤が必要
ここに到達するのに旧大陸人も時間がかかった
製鉄を行うために必要な作業工程は青銅の何倍もある。
つまり、その作業に関わる人間を養うに足る余剰食料が生産できたかどうかが鍵。
一人当たりの食料生産の比率によって文明の到達速度に差が生じる。
それが数百年〜数千年の時間経過の中で文明格差を生んだ。
小麦や米に比べて、当時のトウモロコシはあまりに生産性が乏しかったのだろう。
アメリカ大陸の文明は高地にあったから製鉄で高温を出しにくかったのでないかって前誰か言ってたな
>>981 冶金技術は北部海岸地域のチムーやシカンで盛んだったものを
中央高地のインカが取り入れたという説もありまんす。